猫と風 (にゃんこぱん)
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春先の思い出

「じゃあ、本日付でお前らをエリートオペレーターに昇進する。これからもきっちり働けよ」

 

正直現実を受け止めきれなかった。信じられないというか……。

 

間抜けな顔をしながら聞き返した。

 

「……冗談ですよね?」

「なに? ブラスト、お前──ここの印鑑が見えないのか。あのケルシー先生が冗談で印を押すと思っているのか?」

「ってことは……ついに私も認めてもらえたってことだよね! やった!」

「ブレイズ落ち着いて、これは何かの罠に決まってる。そうやって油断させて背後からバッサリやるつもりなんでしょう。僕はわかってますよ」

「訓練ならあり得たな。だが今は訓練じゃない。何、優秀な若者をより活躍させてやりたいと思うのは不自然なことじゃないだろ? ブレイズ、そしてブラスト。おめでとう、これからはもうお前らは俺の部下じゃない。並び立つ仲間だ。よろしくな」

「──……」

 

こみ上げる感情に心が追いつき始めて、喜びとも嬉しさともつかない感情を噛みしめた。

 

拳を握り締めて感慨に浸っていると横から猫女が突撃してきた。不意打ちに対応できず僕は訓練室の床に倒れた。

 

「やった、ついにここまで来たよブラスト! ついに私たちもエリートオペレーターの仲間入りってことだよね、これ現実かな(夢じゃないよね)!?」

「やめろひっつくな離れろ25歳! 良い歳してはしゃぎすぎだよ!」

「え? じゃあ君は嬉しくないの?」

「ないわけないだろ!? あーもう──とりあえず上から退け、重いんだよ!」

「ちょ、女に向かってその口はダメでしょう!? こんの──」

 

あーだこーだともみくちゃになりながら模擬戦に移行する僕たちを、Aceさんが呆れながら見守っていた。

 

武器なし素手のみのスパーリングを展開した結果見事に顔面を撃ち抜かれ、脳震盪により僕はダウン。クソが、このゴリラ女強すぎる。

 

ゴリラが目を回す僕を抱え上げて上機嫌に笑った。

 

「えっへへへ。よーっし、じゃあこれから飲むよ! 良いでしょAce!」

「安心しろ、店の予約はとっくに取ってある、団体席でな。今日の訓練はこれで終わりにしよう──そのぐらいは構わないだろう。俺も、お前らが一人前になってくれて鼻が高い」

「お、降ろせ……、また僕を潰す気だろう、止めろ……うぅ」

「わ、私だって悪気があってやった訳じゃないよ! でも……まさかブラストがあんなにお酒に弱いなんて思ってなかったからさ。大丈夫、お酒は飲み続ければ強くなるから!」

「ケルシー先生に、怒られろ……、Aceさん、こいつを止めてくれ……」

「まあ頑張れや。たまには付き合ってやれ、ブレイズはいっつもお前と飲むのを楽しみにしているんだからな」

「ちょ、言わないでよAce! いい、違うからねブラスト、そんな事実全然ないから!」

「揺さぶるな……というか──居酒屋より先に医務室に連れて行ってくれよ……うっ」

「あ、気絶した」

「脳震盪のヤツを揺さぶる奴があるかバカ者。すぐ医務室へ運んでってやれ。……まあ、お前もほどほどにな」

「わ、分かってるよ……。もう、ブラストったら」

 

運ばれて行った。朦朧とした意識の中で、今後僕はゴリラを見るたびに拒絶反応を出すことになると理解する。

 

だけどまあ、今日ぐらいは──良いのかな。

 

 

 

 

 

 

「では、ブレイズとブラストのエリートオペレーター昇進を祝って──乾杯」

『乾杯!』

 

ジョッキを打ち交わす音がそこら中に響き渡って、僕は苦手な酒を呷った。苦いが……嫌いじゃない。でも苦手だ。

 

「よぅ、おめでとさん」

「Scoutさん。──いや、あなたたちのおかげですよ。この二年間、色々世話になりましたからね、本当に」

「はは、相変わらず硬いな。あの猫ちゃんとは本当に対照的だ」

「あいつがおしゃべり好きなだけですよ。僕は出会ってすぐの人をすぐさま飲みに誘うなんてことはしませんから」

「まあ確かに、あいつが敬語使ってるところを見たことがないのは確かだな。今更畏まられても困るが」

「はは、確かに。でも来てくれてたんですね、Scoutさん」

「何、可愛い後輩のお祝いさ。暇な連中はみんな来てるぜ、ほら──」

「うげ、Logosさんも来てる」

「嫌そうだな?」

「あの人酔うと面倒くさいんじゃなかったでしたっけ。僕覚えてますよ、前みんなで飲んだ時絡まれて──」

「ああ、ありゃあ面白かったな。人にも自分にも酒を飲ませて自滅してくタイプだからな、Logosは。あ、そういやスツール滑走大会の借りを返すのを忘れてたな」

 

突発的に開催された第一回スツール滑走大会を思い出していると、隣にジョッキを持ったブレイズが座った。

 

「ほーら、何話してるの?」

「ブレイズ。やめろ、僕に近づくんじゃない」

「えー、なんでよ! いいじゃん、ブラストは普段全然飲みに付き合ってくれないしさー?」

「僕が弱いの知ってるだろ。お前のペースに付き合わされたらたまったもんじゃない」

「今日くらいは良いじゃん。今日の主役なんだしさ」

「そりゃあそうだ。いやー、正直よくここまで頑張ってきたもんだよ。俺は正直、お前たちは早々に音を上げて後方支援部の方に回ってくと思ってたがな」

「うそ、Scoutってそんなこと思ってたの?」

「俺だけじゃねえさ。ブレイズはともかく、ブラストみてえな……言っちゃなんだが皮肉屋の頭でっかちは、すぐへばると思ってた。多分Aceも同じこと思ってたんじゃないか?」

「……Scoutさん」

「悪かったよ、機嫌直せって。今じゃお前らのことを認めてないヤツなんて、このロドスにゃ一人だっていやしねえよ」

「それはどうもありがとうございます。けっ……」

「ほーら、腐らないの。良いじゃない、今はもう君だってエリートオペレーターなんだから。もちろん、この私もね!」

 

ロドスに加入してからの二年間が、僕たちを強くしたのは実感があった。

 

ブレイズと同時入社──入社というのは奇妙な表現だが、ロドスは一応会社だ──してからの日々に耐え、ようやくここまで来た。

 

これで僕も、感染者のために戦える。

 

鬱陶しく肩まで組んでくるブレイズから離れながら、でも僕も笑った。

 

「確かに。ま、これからもよろしくね、ブレイズ」

「……どーしたのいきなり。やっぱりさっきの脳震盪が効いてるのかな……」

「お前な、お前な! 人が珍しく感謝の気持ちを伝えてやってるってのにな!」

「アッハハハ、ごめんごめん! 分かってるって。もう、普段からそのぐらい素直なら、私だってやりやすいのになー」

「嘘つけ、お前が僕相手に遠慮したことなんて一度だってあったか?」

「それもそっか。それじゃあこれからもよろしく!」

「痛い、痛い叩くな、叩くな、やめないか」

 

バシバシとジョッキ片手に僕の背中を叩くブレイズを、Scoutさんが珍しく皮肉っぽくない笑いを浮かべながら眺めていた。

 

「あ、そうだブラスト。今度の休み、私と重なってたよね。せっかくだしどっか遊びに行かない?」

「……何をする気だ?」

「ちょっと、そんなに警戒しないでよ。同僚からの遊びのお誘いなんだよ?」

「どうだか。前みたいに紐なしバンジーをやらせなかったら、僕だって喜んで承諾していたさ」

「あ、あれはまあ……その、ね。思いの外楽しかったからさ。それでその、どう……かな?」

「……まあ良いけどさ。どうせ休みの日にやることなんて多くないし」

「お? お二人さんデートですか。良いねえ若者ってのは、おいみんな! 主役二人はそういう仲らしいぜ!」

「ちょ、Scoutさん!?」

 

とっくに知ってるよ、だとか。怒らせんじゃねえぞブラスト、だとか。数え切れないほどの野次馬が突き刺さって僕はぎょっとした。

 

これには流石のブレイズも動揺した。

 

「ち、違うからね!? みんな、違うから、ブラストとはその、そうじゃないっていうか、なんていうか! とにかく違うから!」

「そうですよマジ、違います、違いますからッ!」

「ちょっと、そんなに躍起になって否定しなくたって良いじゃんブラスト!」

「お前なんなんだよマジで! どっちなんだよ!」

 

大騒ぎになる居酒屋の中で大声を張り上げる僕とブレイズだが、その会話を肴にされていることには気がつけず、さらにヒートアップした。

 

「あのね、この際言わせてもらうけど! 君は私の扱いが雑じゃない!? お酒飲ませておけばどうにかなると思ってるんでしょ!?」

「え? 違うの?」

「あったま来た……。そんなに私に飲ませたいんなら、君にも付き合ってもらうよ。ちょっと、このお店にあるだけのお酒持ってきてー!」

 

良いぞブレイズ! そのままブラスト潰しちまえー!

 

野次馬が騒いだ。クソが、良い大人たちが雁首揃えて……。信じらんねえ、Aceさんまで……。

 

「お前、僕を急性アルコール中毒で殺す気だな? 僕が弱いの知ってて……」

「大丈夫、私たちはロドスだよ。なんとかなるって──ほら。言っておくけど、逃げられないよ」

「目が据わってやがる……。でも良い機会だ。ブレイズ、お前ことあるごとに僕を巻き添えにしてくるよね。いい加減僕を見くびるのもやめてもらおう。ほら、乾杯」

「乾杯」

 

ブレイズとの飲み比べが始まり、僕は二杯目で死んだ。それからの記憶はない。

 

僕とブレイズは相変わらずの関係だったが、楽しかったことを否定する気はないし、何よりAceさんやScoutさんに並べたことが本当に嬉しかったから。

 

朝方起きて、ゲロの匂いがする部屋を見るのだけは、もう二度とごめんだが。

 

僕とブレイズは、この日からロドスの誇るエリートオペレーターになったのだ。

 

Blaze、Blast。ずいぶん似ている響きだと思う。ドッグタグに刻まれたアルファベッドをなぞると、心地よい感触がした。

 

 




・ブラスト
主人公。エリートオペレーターとして表記される場合はblastになる。
25歳男。別にS級1位ではない。ワンパンマン面白いよね……。

・ブレイズ
ロドスの誇るエリートオペレーターの一人になった。猫耳のゴリラ女。
かわいい。

・Ace
重装オペレーターにしてエリートオペレーター。ブレイズとブラストの上官にして訓練官だった。行動隊E2の隊長。

・Scout
サルカズの狙撃オペレーターにして、Ace同様のエリートオペレーター。そーっと歩く癖がある。

・ロドス
正式には、ロドス・アイランド。製薬会社。
社内に多数の部隊を抱える。製薬会社……?

・なんでAceとかはエースって表記しないんですか?
アークナイツ本編に倣っています。
ブレイズを除くエリートオペレーターはなぜかアルファベット表記になっています。なんでだろうね……。
ここでは、正式なエリートオペレーターにはアルファベットで表記されるってことにしてます。テラにはアルファベットなんてありませんけど、それっぽい言語があるってことで一つ。
ブレイズとブラストは読みやすさの都合上カタカナ表記です。



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1−1 熊猫
熊猫と晴れ-1


だからお前ブレイズさんだっつってんのにエフイーターさん出してんじゃねーよボケ
資格証交換に間に合わなかったクソドクターがいるらしいですよ
復活してください……エフイーター欲しい……欲しい……


僕は映画をあまり好まない。

 

いや──この表現は厳密には誤りだ。好まない、というのは一定の経験から生み出される好悪の感情であり、映画に対しての一定の経験……観賞経験がなければそもそも好きも嫌いもない。

 

どういうことかと言うと、僕は映画は見ないから、よく分からない。よくわからないものに好感は抱きにくい……というか。

 

正直興味はあるが、取っ掛かりがないから見る機会がない。僕にはレンタル屋の扉がどこか遠い異次元に感じられた。別に錯覚だ。

そもそも今は、エリートオペレーターとしての仕事が忙しすぎて、まともに見る暇なんかありはしない。

 

まあ見る機会があれば見たいと思う。映画は良いぞ、と勧めてくる仲間もいることだし、それなりに興味はあったのだ。

 

そしてとある一日、僕はとある感染者の映画女優を救出する任務に任命された。

 

 

 

 

猫熊と晴れ

 

 

 

 

「炎国の映画スター、か」

「そうです。彼女は世界中でも有数の映画女優なんです。いくつものヒット作で主演を務めていて、そのカンフーは演技ではなく、自前のものなんだとか」

「なるほどね。そんな人が感染者になってしまったら大変だ。それでロドスが?」

「ええ。彼女を助け出して下さい」

 

渡された書類に目を通す。

 

「了解。でもそれはその女優から頼まれたことなのか?」

「いいえ。ですがおそらくこのままでは、彼女は民衆によって誹謗中傷を受け、もしかしたら危害を加えられるかもしれません。それは感染者全体の立場の低下へと繋がります。さらには、彼女自身をも蝕んでしまう」

「なるほどね。それは、アーミヤが僕に直接命令するほど重要な任務ってことで良いのかな」

「はい」

「意地悪な質問だけどさ。もし彼女が映画女優じゃなかったら、ロドスは助けようとしたかな?」

「……命に優劣はありません。でも……この世界中で苦しむ人々全てを救うことは、ロドスにはできないかもしれない。私たちは、より多くの人々を救うためと謳って、救えたかもしれない人々を見殺しにしてきました。今回だって、そうなるかもしれません」

 

正直、アーミヤはとても僕より年下の、まだ幼い少女だと信じることができない。

 

「それでも、私たちは助けようとし続けます。例え助けることができなくても、助けようとし続けます」

「……悪いね。本当に無駄な質問だった、忘れてくれ」

「いえ、良いんです。その質問は、私自身が常に問い掛け続けているものですから」

「それで、僕一人かい?」

「いいえ。できるだけ少数での作戦をお願いしますが、細かい編成はお任せします。お一人は危険かもしれませんが、その方が良いと判断したならば、それでも構いません。でも、ちゃんと無事に帰ってきて下さい」

「何、別に部隊を相手にするんじゃないんだ。任せてくれ」

「ええ、お願いします。ブラストさん」

「はいよ。じゃあねアーミヤ」

 

アーミヤの執務室を後にする。

 

ロドスの廊下を歩きながら、今回の任務の概要に目を通す。

 

救助対象の名前は──エフイーター。有数の映画女優にして、カンフーの達人。だが不慮の事故により感染してしまった。それが一週間前に世間に公表された。

 

……作為的なものを感じる。今回の任務も、ちょっと面倒なことになりそうだ。

 

「あ、ブラスト」

「ブレイズ。こんなとこで何を?」

 

角からブレイズが出てきた。……なんか完全装備なんだが。

 

「遠方への任務なんだって? 私も連れて行ってよ」

「ええ? なんで?」

「良いじゃん連れてってよ。君だけじゃ頼りないかもしれないじゃん」

「お前ね、僕だって一応、もう行動隊B2を預かる身なんだけどね。大体お前だって任務あるだろ。連れてくんなら僕の隊から選んで連れてくよ」

「お願い。もう書類仕事は嫌なんだって!」

「それが本音か。お前だってもう隊長なんだから多少はしっかりしたらどうだよ。部下に示しが付かねえだろ、脱走して他の任務に行きましたーなんて。またケルシー先生に叱られたいのか?」

「ブラストまでそんなこと言って! 良いじゃない、旅行みたいなものでしょ?」

「ぶっ飛ばすぞ。そもそもこれは救出任務だ、お前みたいなゴリラには向かないよ」

「だーれーがゴリラよ!」

 

ゴリラが殴りかかってきた。

 

「あっぶね! 何すんだよお前!」

「君ね、いっつもいっつも……。いい加減私のことゴリラって呼ぶのやめて。大体私フェリーンだし、この猫耳が見えないの?」

「見えないな──」

「ほんと、君って憎まれ口が好きなんだね。いいよ、だったら今日と言う今日は、嫌と言うほど教えてあげる。そのゴリラの力でね」

「お前、僕がこれから任務だってこと分かってんのか? やめろやめろ、少しはお淑やかになったらどうだ」

「私に大人しくしろって言うの?」

「うん。ケルシー先生みたいな大人になったら、僕の対応も変わるかもしれないね」

「ブラストはいつもケルシー先生のことばっか。そりゃ、すごい人だとは思うけど……」

「あの人はすごいんだよ。僕が出会ってきた中で一番尊敬できる人なんだからな」

「私は?」

「一番強い女」

「ぶっ飛ばす!」

「やーめーろー!」

 

争っていると、ブレイズの後ろからAceさんが来た。腰に手を当ててため息ついてる。

 

「こんなとこにいやがった……。おいブレイズ」

「げ、Ace。なんでここに?」

「お前の部下から頼まれたんだよ。多分またブラストのところに行ってるから、連れ戻して書類仕事させてくれってな」

「ブレイズ、お前……部下からの信頼……ないんだな……」

 

ガックリと肩を落とすブレイズと、呆れているAceさん。

 

ロドスはいっつもこんな感じだ。

 

「……お土産、買ってきてね」

「任務だっつってんだろ。Aceさん、後頼みます」

「任せておけ。だがブラスト、お前もたまにはブレイズの相手をしてやれ。隊長になってから普段全然会わないらしいな」

「そりゃ、忙しいんですし……」

 

恨めしげなブレイズの目がなんだか後ろめたくて目を背けた。

 

「……分かったよ。この任務終わったら一杯くらいは付き合ってやる。それでいいだろ?」

「あ、本当!? 聞いたからね。取り消せないよ」

「いや一杯だけな。マジで。本当に。酒が苦手な僕がかなり譲歩してるって分かってるよな?」

「分かってるって! よーし、じゃあ私は仕事に戻ろっかな。じゃあねブラスト!」

「おう……って。行っちまった……」

 

Aceさんさえ残してブレイズは走り去って行った。一体なんだったんだ……?

 

「……なんであいつ、あんな急にやる気出したんですかね」

「ブラスト、それ本気で言ってんのか?」

「? 本気ですけど」

「マジか……」

 

急に額を抑え出したAceさん。頭痛か?

 

「いやまあ、俺が口出すことでもないか……。ブラストよ、出来るだけ早く気づいてやれよ」

「? だから何の話を」

「なんでもない。それじゃあな。任務、頑張れよ」

「はい、ありがとうございますAceさん。それじゃ」

 

 

 

 

「行動隊B2各位、通達。あー、一週間か二週間か、しばらく隊を開けることになった。後のことはAceさんに任せてある。Aceさんの指示に従うように。後レイとジフ、アイビスは装備B2で1時間後に出撃。僕と一緒に任務だ、喜べ。何か質問は」

「任務詳細を希望。隊長、どういうことっすか?」

「ジフ。まあ詳しいことは車の中で話すよ。とりあえず一週間はロドスに帰ってこられないから、その辺の準備しといて」

「急な話すぎません? もうちょい準備期間欲しいんですけど」

「悪いね。でもちょっと厄介な要件になりそうで、時間がない。アイビス、ペットの世話は誰かに頼んどいた方がいいね。他には」

「ブレイズさんとの進展は?」

「……あのね、別に僕はあいつとはそんなんじゃないから」

「またまた隊長ったら──で、本当は?」

「いや本当に。あいつとはただの同期だよ」

「……本気だ。隊長、本気で本気だ。ウチの隊長、鈍感すぎ……?」

 

呟くイーナを放っておいて、隊員を見回す。ある程度育ってきて、だんだんと頼もしさが身についてきた。これまで頑張って育ててきた甲斐があるってものだ。

 

「それとイミン、君を隊長代理に任命する。基本的にはAceさんの言うこと聞いてればいいけど、なんかあったら君がこの部隊の指揮を執れ。いいね」

「りょ、了解! 自分、隊長の期待に応えて見せます!」

「はは、そんな張り切らなくていいよ。どうせそこまで大したことは起きないだろうし。それじゃ解散」

 

行動隊B2は僕がエリートオペレーターになってから編成された部隊だ。ドーベルマン教官から上がってきた新人たちを、僕がさらに鍛え上げている最中。可能性を感じる奴らばかりで、向上心も強い。

 

きっと行動隊B2はいい部隊になる。それこそ、僕とブレイズが昔いた、Aceさん率いる行動隊E3に負けないような──。

 

一時間後。出撃ドッグ。

 

「それじゃ、出発しようか。運転はアイビス、頼むよ」

「了解。えーっと、行き先は……?」

「炎国さ。長旅になる、ドライバーは四時間ごとに交代するよ。ま、とりあえず北かな」

 

エフイーター救出作戦。

 

全ての感染者の希望のために、行動を開始する。

 

 

 

 

 

 

──炎国。

 

炎の国と言われるだけはあり、暖かな気候が一年を通して確認される。この国では独特の武術──功夫(カンフー)が一般的に普及していて、国民に親しまれている。武器を用いず、体そのものを武器とするカンフーは、炎国独自の映画ジャンルにまで発展した。

 

エフイーターは特に、カンフー映画を得意としていた。もちろんごく普通の映画にも出演したこともあり、ゆるくて気が抜ける声と、一瞬見せる鋭い演技に定評があった。

そしてエフイーターが撮影中の不慮の事故で感染してから九日が経過していた。

 

自宅の外には、どこから情報が漏れ出したのか分からないが──マスコミや野次馬が声を張り上げていた。内容なんて特に聞きたいものではない。

 

「う〜ん、暇だなぁ──」

 

エフイーターは自宅の寝室、ベッドに寝転がりながら天井を見上げてボヤいた。

 

「でもな〜、今外出たらやばいよな〜。はぁ──、これからどうしよ。もう映画はダメだよな、やっぱりー……」

 

マネージャーから自宅待機を命令され、すでにお気に入りの映画鑑賞も何週したか分からない。とにかく暇──状況に対して楽観的な感想だったが、本音で事実だった。

 

「ちっくしょ〜、マスコミも事務所も、あたしが感染した途端手のひらグルグルさせやがって〜。もう二度と番組なんて出てやんねーぞ……」

 

次にテレビにでも出るとしたら、映画女優としてではなく、ただの感染者としての出演になるだろう。世の中の無情を嘆いた。

 

「はあ──」

 

ベッドの上に転がっていた携帯が着信音を撒き散らした。エフイーターは緩慢な動きで携帯を乱暴に掴む。

 

「はいもしもし。──ああ、マネージャーじゃん。うん。え? 事務所に行くの? ……まあいいけど。はいはい。あ、もう来てるの? うん。分かった」

 

自宅のドアを開けると、一斉にフラッシュが目を焼いた。それなりに慣れているが、眩しい。

 

「エフイーターさん、今の心境は!」「なぜ感染したとお考えでしょうか!?」「これからの予定をお聞かせ願えますか!」「体調の変化などは!」「ファンへのメッセージなどはありますか!?」「感染は、かねてより仲が悪かった俳優の仕業との情報がありますが、本当ですか!?」「答えてください!」

 

──あー、もう。うるっさいな。

 

黒服の男たちがマスコミとせめぎ合って、それで出来た道をマネージャーが急ぎ足で歩いてくる。

 

「エフイーターさん、車を用意してあります。すぐに」

「はいはい」

 

サングラスを下ろして、エフイーターは面倒くさそうに歩いた。それをさらにフラッシュが照らした。暇な連中だ。明日の朝、いや──今日の夕方のニュースはこれで決まりらしい。

 

道を開けてください、と怒鳴る黒服たちの努力により、車に乗り込んだエフイーターは発進した車の窓から流れる景色を目で追った。

 

「それで、あたしはどうなるって?」

「正直、私にも……。ですが、もう映画人生は……」

「分かってるよ。問題は、事務所がどうやってこれに収集つけるかだろ」

「……解雇処分は、正直事務所側としてはしたくありません。なりふり構わず言いますが、そんなあからさまな感染者差別は、事務所とて出来ません。妥当なところで言えば、自主的な退所が最も都合の良い結末です。こんなこと、言いたくありませんが……」

「まあそうだよね。あたしも、今更事務所に残ろうなんて思わないよ」

 

結局その辺りが結論だった。

 

心残りは、まだ撮影を終えてない映画が一本あること。良い映画になると思っていただけに残念だ。

 

「……ん? ここ?」

「いや、そんなはず……ドライバーさん、ここじゃないです。もっと先──」

 

運転手が突きつけたラテラーノ銃が、返答だった。

 

「二人とも降りろ」

「おやおや……。まるで映画だ、面白くなって来たかな?」

「はん、だとしたらクランクアップは存在しないな。お前の終わりにスタッフロールは流れない」

「寂しいねえ。あたしはスタッフロールが好きなんだけどな」

 

車を降りる。

 

男たちの一人が武器を構えながら言った。

 

「そっちの車に乗り換えろ」

「はいはい分りました。もう、なんだっていうのかな!」

「──させませんよッ」

 

マネージャーが動いた。一通りの護身術と、有事に備えてマネージャーは戦闘訓練を積んでいる。マネージャーってなんだ……?

 

男たちの反応は迅速だった。

 

すぐさま銃声が響き、マネージャーが崩れ落ちる。

 

「えちょっと!」

「動くな。こいつみたいになりたくないんならな」

「う、ぐ──」

 

反射的に周囲を見回す。

 

街を歩いていた人々が現状を理解して悲鳴を上げる人や、逃げる人々に別れた。

 

「乗れ。抵抗しても構わんぞ──ここで死にたいんならな」

「……やめとく。マネージャー、すぐ迎えにくるよ。それまで死なないでね」

 

バンに黙って乗り込んだ。

 

強い怒りがエフイーターを支配していたが、ギリギリ冷静な理性が体を押さえた。ここで襲い掛かったらマネージャーの痛みに意味がない。

 

今は耐えて、機会を伺え。

 

バンが発進した。

 

「君たち誰? なんの目的があるの?」

「これから死ぬヤツに教えることは何もない。黙っていろ」

「いやいや、そんなこと言わずにさ〜。良いじゃん、あたしの映画見たことない? ファンだったりしない〜?」

 

危機的状況にしてはあまりにも太々しい。だがそれは、マネージャーを撃たれたことへの怒りを誤魔化すための口調に過ぎなかった。

 

「まあ良い。今からお前の事務所で記者会見が開かれる。そこにお前を連れて行く」

「あたしを連れてってどうすんの? 引退しますって言えって?」

「いいや、殺す。お前には、感染者代表として、行く末を示してもらう。あと数十分の命だ。せいぜい満喫しておけ」

「……なんでそんなことを?」

「お前が知る必要はない」

 

バンが数十分走ると、事務所に到着する。

 

男たちの先導に従い、エフイーターは歩く。機会をずっと伺いながら。

 

記者会見用の部屋へ、男たちは歩いて行く。こちらを発見した事務所の人間を、すぐさま気絶させて行くのを、エフイーターは拳を握り締めながら見ていた。

 

そして、誰にも気づかれないまま関係者の記者会見入り口に入った。

 

フラッシュが、エフイーターに突きつけられた拳銃を照らし上げた。記者の癖で、入ってきた瞬間を取った記者たちは、その異常な光景を理解するのに一瞬手間取り、騒然とした。

 

「この国に感染者はいらん。よってここで殺すことにする」

 

男はテレビの録音にもはっきり記録されるようにそう言い放ち、引き金を引き──。

 

記者、テレビ関係者用の入口から飛び込んできた突風がラテラーノ銃を弾き飛ばした。

 

「──間に合ったッ」

 

一、ニ、三……四人の武装した男たちが部屋に飛び込んできて、エフイーターへと駆けていく。事態に追いつけないマスコミを潜り抜けて、フードの男たちへ。

 

男たちの対応も早い。ラテラーノ銃やアーツユニットを翳して攻撃するが、乱入者の方が速かった。

 

いくつも響く戦闘音は、十秒も続かない。エフイーターはその機会を逃すほど甘くはなかった。乱入者に気を取られたフードの男を渾身の力で撃ち抜く。

 

「が、は──ッ」

「機を逃さず、変化すべし──思い知ったか、このやろう!」

 

大勢の足音が関係者入口から聞こえた。増援──。

 

乱入者の一人がエフイーターに叫んだ。

 

「逃げますよ、こちらへ!」

 

男は長い髪を、乱雑に後ろで縛っていた。理知的な顔つきだが、それにしては服の上から分かるほどに体を鍛え上げている。

 

エフイーターは状況に興奮を覚えながら、マスコミに紛れていた敵を打ちのめした。掌を伝う衝撃。太極を伝えるが如く、冴え渡った一撃。

 

そのまま騒然とするマスコミを乗り越えてエフイーターは乱入者──ブラスト小隊と走り去った。テレビの向こう側では、民衆が目を剥いているだろう。生中継のものも混ざっていた。

 

──これじゃ、まんま映画のワンシーンじゃないか!

 

訳のわからない状況に、突然現れた助けの手。導入としてはまあまあかな。でも面白い。

 

「君たちは何者!?」

「話は後です、早く! アイビス、すぐに車を出せ! 連中を撒くぞ!」

「了解っ!」

 

飛び込むように車両に乗り込んで、車は急発進した。すぐに後ろから何十人もの男たちが飛び出して車に乗り込むが──。

 

男たちの車はまともに進むことが出来ず、衝突音を生むばかりだった。

 

「……あれは?」

「僕のアーツです。駐車場の車は全てパンクさせておきました。無関係の人には悪いですが……あなたの命には替えられない」

「うへー、やるねえ君。それで、君たちは……ロドス・アイランド……?」

 

外套のロゴマークを読み上げた。

 

「ええ。僕たちはロドスより派遣されました。まずは自己紹介を……僕はブラスト。こいつらの隊長です」

「レイです」

「ジフっす」

「アイビスと申します」

「お前らは一応周囲の警戒しとけ。アイビス、車を安全な場所まで流して」

『了解』

「それで、君たちは一体……?」

「まあ見ての通り──エフイーターさん、あなたを助けに来ました」

 




・アーミヤ
「まだ休んじゃダメですよ、ドクター」

・ブレイズさん
書類仕事に潰されてる……潰されてない?
S2特化にてゴリラ神となった。攻撃力1500で三体同時に殴り続けるマシーン
暴力の化身か何かか?

・ブラスト
主人公。
行動隊B2の隊長にしてエリートオペレーターの一人。長い髪を後ろで括った青年。外見イメージが適当すぎる……。

・ゴリラ
ブレイズさんほど凶暴ではない。

・エフイーター
おっぱい強制移動熊猫減速かわいい。
かわいい。
感染者になった。おっぱいの化身。

・マネージャー
今回の被害者。
忘れられてる……。多分これからも忘れられます。


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猫熊と晴れ-2

では、状況を整理しましょう。

 

──分りやすいように説明しますが、ロドスは感染者のために動く組織です。主に鉱石病の治療の研究、感染者の起こす問題の解決をしています。一応製薬会社ではあるんですが……まあこれは放っておきます。今は関係がありません。

 

そして、あなたが感染したとの情報から、救出の必要性が出てきました。こうしてさっき襲われていたところを見ると、その判断は間違いではなかったようですね、残念なことに。一応聞いておきますが、襲われる心当たりは? ──まあそうですよね。ある訳ない。

 

僕たちロドスが、あなたを助け出そうとする理由について、少し掘り下げてお話しします。

 

「──実は、エフイーターさんのような有名人が感染するのはこれが初めてではありません」

「え? そうなの?」

「実は。ですが大抵の場合は隠蔽され、多くは緩やかに引退していきます。ですが……今回はどこからか情報が漏れ出してしまった。僕たちロドスが危惧していたのは、あなたがもしも迫害されるような事態です。そうなってしまえば、感染者に対する風当たりはさらに強まります。世界全体に、感染者への扱いの酷さをさらに伝えることになりますからね。まさかここまで直接的に命を狙われる事態になるとは、想定していませんでしたが」

「……うーん、よく分からないなー。なんでそうなるの?」

「ではこう説明しましょう──もしもあなたが、あなたが応援している俳優やタレントが感染した、という事実を知ったら、どんな気分になりますか」

「そりゃ、いい気分はしないかな。ショックを受けるかも。まあ、あたしはもう感染者なんだけどね」

「ええ、その通り。特にメディアが出張ってくると最悪です。炎国では比較的マシですが……国の手が入ってないメディアなど稀ですから、大抵の場合は感染者へのマイナスイメージをどんどん国民に押し付けていきます。有名人を出汁にしてね」

「そりゃあ、メディアはそういうところあるけど……」

「そして最悪のシナリオに行き着く可能性があります。すなわち、国による感染者の排除が明確になってしまう。そうなれば、感染者の扱いはより酷い方向へ向かって行く可能性が高い。国家運営の観点から見て、感染者は排除したい存在です。特に、国民に多く知られているような有名人が排斥される事態になれば──最悪です。感染者対国民という構図が出来上がってしまう。それだけは避けなければなりません」

「え〜っと……? つまり、どういうこと?」

「すみません、分かりにくかったですね。まあつまり、全員倒せば勝ちです」

「なるほどね! 分かったよ!」

 

エフイーターさんは噂通り、少々豪胆な──というか、考えることが苦手らしい。実際こんな感じだしな。

 

今後の方針を巡らせながら話を続ける。

 

「あの襲ってきた連中についての話ですが──少々面倒な事態になってきています」

「まあそういうものだよね。えーっと、ブラストさん?」

「ブラストで構いません」

「じゃあブラスト、面倒なこと全部省いて、どうすればあたしたちの勝ちなのか説明してくれ!」

「面倒なことを省いて。難しいですね……」

 

面倒なこと。

 

つまりあれは、感染者を非感染者が殺害することで、より両者の溝を深めようとする行為だった。テロと言い換えてもいい。公衆の面前……最悪なことにあんなメディアだらけの会場でそれを行おうとした。

 

つまり、炎国での感染者差別意識を高めようとする動きだ。それは炎国が直接動かそうとするとは考えづらい……ウルサス、いやヴィクトリアのエージェントか? その辺りも怪しいが……。ここで考えても結論は出ない。どっちにしろ、ここからロドスへの連絡手段はない。これは一旦ロドスに持ち帰ってケルシー先生に判断してもらないといけない。

 

とにかく、エフイーターさんがやられてしまえばおしまいだ。感染者の末路を世界に知らしめてしまう。感染者は死ぬしかないのだ、という……それは感染者の希望を一つ潰す行為に他ならない。

 

正直こんな状況は想定してなかった。せいぜいがメディアによるエフイーターさんの迫害程度だろうとタカを括っていた。まさか裏で妙な連中が動いてるなんて……。もっとメンバー連れてくればよかったな……。

 

「連中の狙いは、あなたを殺すことでさらに感染者への締め付けを強くすることでしょう。あるいは、感染者関係なくあなた個人への恨みかもしれませんが……どちらにしてもあまり結果に変わりはありません。こちらの勝利条件は……そうですね。あなたが生き残って、テレビカメラに向かって笑顔でピースでもすれば十分勝ちと呼べるでしょうね」

「およ? 戦わないの?」

「そうは言いません。正直状況は厳しいです。僕たちはあなたの護衛をすることも任務の一つですが……連れてくる人員が少なすぎました。守るべき人を戦わせるなど本末転倒もいいところですが、場合によっては自衛してもらう必要があります」

「まどろっこしいなあ。あたしはやる気満々なんだけど」

「……そうですね。僕もあまり周りくどいのは苦手だ──共に戦いましょう。こそこそ動き回る連中を全員叩きのめせば僕たちの勝ちです。あなたがどれくらい僕たちを信じてくれるかどうかは問いません。ですが、僕はあなたを信じることにします。よろしく、エフイーターさん」

「さん、なんて他人行儀なのはやめろよ。ブラスト、じゃああたしたちは仲間だ! よろしくなー!」

「よろしく、エフイーター。じゃあ敬語もやめるか……。アイビス、そこの服飾店に停めて」

 

大手のチェーン店、ユニシロに停めて車を降りる。

 

「どうしたの?」

「とりあえず変装しよう。あなたも、そのままじゃ目立って仕方ない」

 

そういうことにした。

 

 

 

適当にそれっぽい服を見繕っていると、ジフが隣に寄ってきて耳打ちした。

 

「いいんすかブラストさん。あとでブレイズさんに何言われるか分かんねえっすよ」

「なんでそこでブレイズが出てくんだよ。今何も関係ないよ」

「……知りませんよ。マジで知らないっすからね、オレ」

「お前もとっとと選べ。いつものダサいTシャツはやめろよ」

「ダサくないっすからね!? 隊長よりはマシっすから!」

「なんだとお前この野郎!」

 

不毛な争いがあった。別にダサくねえし……ダサくないよな? ロドスに加入してからは制服か訓練服ぐらいしか着てなかったから……。ブレイズにもダサいって言われたんだよな。すごいショックだった。あいつの私服が普通におしゃれだったのすっごいショックだった。

 

「エフイーター、選び終わったか?」

「……うん、やっぱり敬語はいらないなー。ブラスト、君敬語似合わないね」

「余計なお世話だね。部下の手前、慣れなくても慣れていかなきゃいけない」

「それもそうか。まあ大丈夫だよ、それでこれからどうすんだよー?」

「車に戻ってから話そう。ちゃんと着替えてから来いよ」

「はいよ〜」

 

ロドスの車両に戻る。ゴツい軍用車だが、それなりに目立たないデザインを選んだ。そこそこ広い。

 

「それで、これからの方針を決めるよ。レイ、外に出て見張りを。何かあったらすぐに知らせて」

「了解」

「頼んだ。さて──エフイーター。あなたにはある程度の選択肢がある。まず大別して──炎国に残るか、別の国へ行くか、それともロドスへ来るか」

「え? とりあえずあいつらぶっ飛ばしてからじゃないの?」

「正直君さえ生きていればどうにでもなる。いますぐロドスへ向かう手も、あるにはあるんだ。もちろん、君の了承は不可欠だけどね」

「隊長、でも脅威の排除が優先なんじゃ」

「状況による。戦わないで済むなら、戦わないほうがいい。でも、確かにレイの言う通り、背後が不透明なまま逃げ出すのも危険かもしれない」

「んー、そうだね……。正直ロドスっていう場所がどんな場所かもよく分からないし……こういうのはどう? あいつらをぶっ飛ばす過程で、あたしが君たちのことをちゃんと見極めるよ! 君たちが本当に信じられそうだったら……あたしもロドスに行こうじゃないか!」

「感謝する。じゃあ決まりだ──戦うよ。でもレイとアイビス、ジフはなるべく戦うな。可能な限り僕に任せて、後方支援をしろ。正直ここまでの状況は想定していなかった……厳しい状況だ。お前らにはまだ三ヶ月くらい早い。分かったね」

「……了解です。でも、オレらの力が必要になったらすぐ言ってください。オレたちだって、わざわざお荷物になるためにここに来たわけじゃねえっす」

 

ジフの言葉に笑みを作った。言うようになったな、成長が早い。部下たちはまだそこそこが二十歳だ。だが──頼りになる。

 

「じゃあ決まりだ。まずあいつらの正体、目的をはっきりさせていこう。ジフ、マップ広げて」

「ダウンタウンエリアっすか?」

「うん。あとセントラル」

 

マップを広げる──。

 

「僕たちが今いるのが……ここだね。セントラルの端。で、事務所がここ。万が一にも市街地でやりあうわけにはいかないからね……この辺りへ誘導しよう」

「誘導? でもどうやって」

「僕らはまさか、ここに協力組織がいるわけじゃない。ましてや警察当局なんて論外だ。どこに敵が潜んでるかわからない以上、僕らは僕らだけで行える作戦を行う必要がある」

「うーん……。やっぱりブラストって周りくどいぞ〜? はっきり言えよー」

「囮作戦を行おう。向こうの居場所が分からないなら、向こうから来て貰えば良い」

「……マジっすか」

「そうこなくっちゃ! よーっし、暴れるよぉ──!」

「すぐに出よう。レイ! 見張りは終わりだ、出るよ!」

「……鉄火場の気配がする。はぁ──、この人はいっつも、頭良さそうなフリしてヤバいこと思いつく……。上官間違えたかな──」

「何言ってんすかレイ。今更すぎるっすよ」

「……それもそうか」

「何駄弁ってる! アイビス、出せ! セントラル、中央公園へ向かうよ!」

 

作戦開始。

 

 

 

 

「みんなー! ご存知ムービースターのエフイーターさ! ご注目〜!」

 

作戦というほど大層なものではなかった……。

 

でも他に手段がないのは確かだ。時間との勝負になる。何せ報道下にあるのだ──時間は僕たちの敵だ。

 

「こんにちは、テレビの向こう側の諸君! さっきドンパチあったけど、私は元気さ、安心しろよ!」

 

エフイーターの伝でテレビの撮影班を手配してもらうことが出来た。正直奇跡だが──スタッフがエフイーターの熱心なファンだったらしく、直接の連絡が可能だった。おかげで生中継をお茶の間に届けられる。

 

「そんで、あたしは今セントラルの国立公園前にいるぞ! あ、でもサイン欲しくても来るなよ、危ないからな! 今回テレビの人に協力してもらったのは、みんなにメッセージがあるからなんだ! いいか、一回しか言わないよ──」

 

──急速に接近してくる車があった。僕はすぐにアクセルを踏み込む。

 

よし、第一段階クリア。魚が一匹釣れた。

 

「乗れエフイーター! 悪いが時間切れだ!」

「え、もう? 仕方ない、続きはまた今度にするよ。じゃ、またなみんな!」

 

テレビカメラに映るのは、帽子をしてヴァルポの特徴を隠した僕とロドスの車両だ。エフイーターが走り出す車に飛び乗ってテレビカメラに手を振った。無茶苦茶だ……。

 

それを追うように一台の車が僕たち目掛けて突っ込んできたのでアクセルをベタ踏み──さあカーチェイスだ。チキンレースと行こう。

 

「エフイーター、君……度胸はある方?」

「あたしを誰だと思ってるのさ。思いっきり頼むよ!」

「僕に任せろ」

 

信号なんかもう遥か彼方、市街地での逃走劇が幕を開けた。

 

「で、テレビの向こうに何話そうとしてたんだよ」

「んー、秘密。まあいずれ知ることになるんだしさ」

「余計なお世話だろうけど、もうメディアに出演する機会はないと思うよ?」

「余計なお世話さ。何、心配しなくても──あたしに良いアイデアがあるんだ」

「その話は終わってからゆっくり聞くよ。……飛ばすよ、振り落とされるなよッ!」

 

ドリフトの振動が視界を揺らす。ゴムの焼ける匂いがする。

 

指定狙撃ポイントまでもう少し──。

 

後ろから追ってきているのは一台だけ。さっきからちょっとずつ肉薄してきている。接触は時間の問題だろう。

 

「……やべ、撃って来た! 伏せろ!」

「それっぽくなってきたね。大丈夫?」

「なんとかする! エリートオペレーターの名前はただの称号でも、伊達でもないんだからね!」

 

直線、建物が立ち並ぶ中、一つだけ飛び抜けたビルがあった。

 

情報通り、人通りが少ない。日中はこの辺りに人がいないのは分かっていた。

 

接近──目算距離十五メートル、十メートル……。

 

「今だ──レイ。頼むよ」

『了解』

 

ビルの上で構えていたレイの対物ライフルが突き刺さった。爆発する。曇り空へ煙が上って行った。

 

すぐさま車を止めて走る。投げ出された男が地面に転がっていた。あのフードをかぶった男で間違いなさそうだ。頭部から血を流している。

 

「生きてる?」

「──ふん、殺せ……」

「残念だけど、お前には聞きたいことが山ほどある。エフイーター、こいつを縛り上げるよ」

「がってん承知」

 

縛り上げて通信機へ指示を送る。

 

「ナイスだレイ。他二人もご苦労だった。引き上げるよ、すぐに降りてこい」

『了解です。でもギリギリでしたね、あんな引きつけるとは思いませんでしたよ』

「僕も同感だ。──で、お前。色々吐いてもらおうかな」

「話すことなど何もない」

「なるほどねぇ。そう来ると思ったよ。まあ場所を変えよう。とりあえずトランクに突っ込んどくか──」

 

すぐに車を動かす。野次馬の目にも慣れてきた頃──。

 

どっちにしろすぐに警察が駆けつけるだろう。今更横槍を入れられても面白くない。

 

「時間がない。アイビス、すぐに車を出して。どこか倉庫街にでも行って、話はそこからだね」

 

パトカーのサイレンをミュージック代わりに聞きながらすぐに倉庫街へ。いっつも人気がない。

 

トランクから男を取り出して放り投げた。

 

「うぐッ──」

「さて。命は奪わないけど、まあ話したくないんなら仕方ない。話したくなるようになってもらうしかないけど、お前そういうの得意?」

「無駄だ、私とて拷問に耐える訓練を積んでいる……。何をしようとも──」

「そう。まあ味わうといいよ。まともな思考が維持できるんならね。エフイーター、車の中に戻っていることをお勧めするよ」

「……いや、見てるよ」

 

この後めちゃくちゃ拷問した。大体全部喋った。

 

「──なるほどね」

 

倒れ伏した男を放って僕は立ち上がった。

 

「……何したのさ?」

「いや、気圧をちょっといじっただけさ。自白剤に近いかな? 嫌なもの見せちゃったね、悪い」

「そりゃ、必要はあったのかもしれないけどさ。あんなに苦しませる必要があったのかよ」

「最低限に留めたさ。好き好んで人を苦しめたいとは僕だって思わないよ」

「……」

 

ちょっと不信感を抱かれたかな。

 

風を操る僕のアーツだが、応用が効く。気圧を弄れば、人の体を内側から破裂させることだって不可能じゃない。絶対やらないけど──。

 

要は正常な判断ができない気圧に調節し、意識を朦朧とさせた訳だ。かなりえげつないが、発案者はケルシー先生なので……。

 

最初は嫌だったし、気持ち悪かったけど……。

 

もう慣れたな。

 

「それよりこれからの話だ。おいお前ら、終わったよ!」

「あ、終わりました? いや、毎度毎度……よく正気でいられますね。隊長のそういうとこ、あんまり嫌いじゃないっす」

「うるさい。で、情報をまとめるよ。まず連中は雇われ。上に誰がいるかはそもそも知らないし、知ることがないようにしていた。明らかにプロの連中だ。目的はエフイーターの殺害だね。特に、メディアに露出するような殺し方をするつもりだったみたいだ。敵の数はそこまで多くないらしい。せいぜい三十かそこらだってね。僕たちの六倍だ、なんとか──」

「なる訳ねえっすよ。六倍差の、しかもプロ相手っすよ。無理っす、諦めましょう」

「だね、諦めよう」

「いや諦めんなよ! そこを覆してこそだろ!?」

「エフイーター。六倍差は無理。流石に無理。だから別の策を練ろう」

「策?」

 

連中の目的──いや、男たちを雇った連中の目的と言い換えるべきか。

 

つまりは、より感染者への迫害を強めたい……というよりは逆か。

 

感染者からの、非感染者への憎しみを強めたいんだ。一方的な正義をかざして、エフイーターのような象徴的な人物を殺すことで、感染者の憎しみや恨みを募らせたい連中がいる。

 

それにより感染者と非感染者の壁を分厚くして──。

 

……誰だ?

 

誰が、どこの誰がこんなことを──。

 

「隊長、顔。顔怖いっすよ」

「……悪いね。話を続けるよ。正直こうまで話が大きくなるとは思わなかった。はっきり僕の意見を話すと、今すぐにでもロドスへ帰るべきだと思っている。……僕たちの手に負える相手じゃないかもしれない」

「えー、じゃあ具体的には誰なんだよ?」

「どこぞの政府機関か、またはそれに連なる組織。そのぐらいしか思いつかない。……理由を説明しよう。連中の目的は、エフイーターがテロ組織……あるいは過激派の非感染者によって殺されたことが、世間に公表されることにある。どういう背景があるにせよ、感染者の感情を煽りたいんだ」

「つまり……あたしが利用されてるってことじゃん!」

「その通りだよ。……だから問題なんだ」

「マジでそんなデカい組織が裏にいるんすか?」

「そうじゃなきゃ、あんなプロを雇うほどエフイーターを恨んでいる誰かがいるか、だ。……そっちの方が分かりやすくていいんだけど、でもそれによって引き起こされることは一緒だ」

 

状況は厳しい。ジフが口を開いた。

 

「じゃあアレじゃないっすか。むしろオレたちは、エフイーターさんが無事であることを積極的に世間にアピールしなきゃいけないんじゃないっすか?」

「……どういうこと?」

「敵の狙いがそうだとしたら、オレ達はその正反対をやればいいんすよ」

「なるほどね。エフイーター、ロドスは鉱石病患者の治療を行なっているんだ。君がロドスに来れば鉱石病の治療が出来る」

「でも、鉱石病って治せないんじゃないの?」

「……痛いところを突くね。その通りだ。僕たちに出来るのは症状を改善させて、進行を緩やかにする程度だ。完治はできない。でも、治そうとし続ける。エフイーター、君がロドスに来て、鉱石病の治療を行なっているという事実が、きっと多くの人々を勇気付ける。感染者も、非感染者もね」

「えーっと……。んー、だから──あたしは周りくどいのが嫌いだって何回言えば済むんだよ!」

「……僕の悪い癖だ。君がロドスで治療を行う事実を公表する。その上で、連中を倒す。そうすれば連中の狙いは挫ける。それで勝ちだ」

「よーっし決まり! じゃあ早速──」

 

──さっき絞り上げた男が、かすかに笑った。

 

その意味はすぐに知るところとなる。

 

「──隊長、上!」

「え──」

 

煙幕と弾幕、反射的にアーツで煙を切り払うが、見えたのは湧き出てくる戦闘服の男たちと応戦するジフ、レイと、血を撒き散らして倒れ伏すアイビスの姿──。

 

エフイーターの姿がない。どこかで車が急発進する音を聞いた──やられた。

 

「隊長、こいつら……!」

「やってくれたね……、全員片付けてやるッ! ただで済むと思うなよッ!」




・ブラスト
主人公。オリキャラ。
基本的には敬語で接するが、だいたいすぐに剥がれる。短気さはブレイズさんとどっこいどっこい

・ブレイズさん
実はこの章では出番がないことが判明した。

・エフイーター
パンダ耳のついたおっぱい。いや、おっぱいのついたパンダ。いや……どっちだ?
状況に対して迷いが無さすぎる……。
さらわれた。

・行動隊B2の隊員
細かいキャラ付けは不明、多分みんな男だと思います。
行動予備隊がちょっと成長した感じのイメージで描いてます。


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熊猫と晴れ-3

頭に血が上っているのは自覚している。これは僕の悪い癖だったが、自覚すると幾分かマシになる。

 

剣を握った。

 

薄暗い空の下、普段誰もいない倉庫街の一角に、十数人の男たちが武器を構えていた。ボウガンが主流、後はナイフと素手……やれるか。いや、やる──。

 

「レイ! ジフ! 直ぐに連中を追いかけろ! 道は僕が作るッ!」

「ッ、了解!」

 

こちらの車両はまだ無事だ、囲っている連中を剥がせば追いかけられる! 連れ去られたエフイーターをここで逃せばいよいよ手がかりがなくなってしまう。それだけは絶対に避けないといけない。

 

この剣は、ただの鉄の塊じゃない。源石との親和性が高く、アーツ伝導率が非常に高い。これは武器でありながら、アーツユニットでもあるということだ。

 

──殺す気はない。でも、腕の一本くらいは覚悟しろ。

 

「そこを退けッ!」

 

突風が吹き荒れた。車に近い連中に接近して片っ端から切り裂く。風で拡張した剣の間合いが防ぐ暇もなく切り尽くす。暴風域にあって、飛び散った血がそのまま宙で周った。

 

ボウガンを向けている男に向けて剣を振る。距離は五メートル以上離れていたが、風がボウガンを両断して、そのまま──。

 

ナイフで突撃してきた男をいなして腹に膝蹴り、そのまま頭に肘を落とす。そこまでこの部隊は強いわけじゃない、いける。

 

「何してる、早く行けッ!」

「隊長、死なんでくださいねッ!」

「お前らこそな!」

 

急発進する車を見送り、僕を囲む男たちを見回した。──数が多いが。

 

「でもごめんね、僕が残っちゃって。これじゃお前らみんな地獄行きになっちまう……よくもうちの可愛い部下(アイビス)をやってくれたね」

「ほざけ、たった一人でこの人数に勝てるとでも!?」

「エリートオペレーターから教わった格闘能力を、見せてやる。行くよ」

「……情報にない連中だ。殺して構わん。やるぞ!」

 

ボウガンの矢を横っ飛びで躱す。敵の中に突っ込んで射線を遮り、こちらの一方的なリーチ……剣よりも長いが、矢よりは短い微妙な間合いを押し付ける。

 

風圧による剣の拡張。僕のアーツの一つ。

 

暴れまくる──。

 

苛立ったリーダー格の男が叫んだ。

 

「何してる! 相手は一人だ! 複数人で同時にかかれ!」

「残念、そうさせないようにしてるんだよね。悪いけど」

 

かまいたちを振りまき、牽制を行いつつ一人一人片付けていく。

 

少しずつ、剣が熱を持ち始めた。少しずつ──。

 

「クソ、私が出る! C隊とB隊は射撃でサポートしろ! 残りの隊でヤツを囲え! 逃げ場を奪え!」

「やべ、それは厄介だ……お前を潰せばいいんだね」

「無駄な行動だがな!」

 

風圧の刀と警棒が撃ち合って音を立てた。男の獲物は重量のある棒──チンピラの構えじゃない。アレはカンフーの一種……。棒術使いだ。厄介だな……。

 

「大義に沈むがいい、どこの誰かも知らんがな!」

「何が大義だ」

 

突風がボウガンの射線を乱し、僕に当たるはずだった矢は大幅にズレていった。男の仲間たちが僕を囲っている以上、僕を狙うと仲間に当たる可能性がある。狙いが絞れられる。

 

「あのね、お前たちが感染者に一体どんな感情があるかなんて知らないけど──」

「黙れ、貴様も感染者だな!? 貴様らは生きているだけで、この国を蝕む害虫だッ!」

 

──確かに、その通りだ。本当にその通りだ。

 

治療法が確立されてない以上、感染者は追放するか収容するか、野放しにできない。感染者の死体が新たな感染源となる以上、感染してしまった時点で運命が決まる。

 

国は感染者への対応に力を取られる。迫害された感染者たちはより集まり、アングラな組織を結成することもあるし、犯罪行為だって増加する。

 

感染者がいて、いいことなんて基本的に何一つだってありはしない。

 

……だから、その通りなんだ。

 

分かってるが……。

 

でもそれが、感染者(僕たち)を無条件で傷つけていい理由になるのか? 僕たちが味わった苦難と憎しみの理由としてふさわしいのか?

 

ロドスはそれと戦い続けている。

 

だから僕は戦っている。

 

「僕たちが生きていることを否定させない。いいからどけよ」

「私の娘は……貴様ら感染者によって殺されたんだッ!」

「──。そう」

「なぜあんな非道な真似が出来るッ! 貴様らとて、元は──」

「お前に娘がいたように、感染者にだって家族がいるんだよ……!? お前はそんなことも──」

「分からんはずがないだろうッ! だが──そんな綺麗事で貴様らを許せとでも、怒りを忘れろとでもッ!?」

 

剣戟が生み出す熱が、少しずつ大気を加熱していく。

 

──知ってる。

 

その怒りは、よく知ってる。その怒りは忘れちゃいけないものだ。だけど。

 

「でもエフイーターは無関係だ。あんたの怒りに関係がない……ッ、今すぐ武器を捨てろよ。僕はお前らを殺そうとは思わない……ッ!」

「貴様ら感染者がこの国で悠々とのさぼるのが許せんだけだッ! この国を去れ、さもなければここで死ね! 感染者の行った凶悪犯罪が、どれだけの無関係な人々を傷つけ、殺したことかッ!」

「あんたたちは……知らないんだよ。鉱石病の本当に怖いところは、鉱石病の症状そのものじゃない……。人の感情だ。その感情は、剥き出しのまま晒していいものじゃない。憎しみこそを断ち切らないと──」

 

この人々とて被害者──なんて、甘いことは言わない。

こいつらの戦闘は、素人のそれじゃない。訓練と経験を積んでいる形跡がある。もちろん職業軍人じゃない……本職の軍人であれば僕はとっくに倒れているだろうが──。

 

だが、何度も戦ってきたはずだ。その相手が誰なのかは想像するしかない。

 

──大気がだんだんと馴染んできた(熱を持つ)

 

「もう十分だ。しばらく寝てろ」

「掃射しろ、ヤツを殺せッ!」

「もう遅い、十分あったまったよ。吹き飛べ、大気破断(エア・バースト)

 

暴風が吹き荒れて、僕以外を全て吹き飛ばした。建物の壁に衝突したり、彼方の方に吹っ飛んでいく奴もいる。……多分死んでないよな。

 

アーツがここの大気に慣れるまで時間がかかる。これぐらいの大技はなかなか出せないし、使い捨てのカートリッジはあまり予備がない。

 

突風を渦巻かせ、やがて凝縮し、アーツとともに解き放つ。僕のとっておきだ。

 

……疲れたが、そうも言ってられない。

 

「すぐ警察が来る。罪は罪だ。憲法上、感染者にだって人権はある。法の下で裁かれるのが、真っ当な終わり方だよ」

「クソ……」

「でも……あんたは強かった。それだけは認める。じゃあね」

 

最初にやられて倒れていたアイビスを抱えてすぐに倉庫街を抜ける──。

 

「隊、長──、うぐッ」

「すぐ手当てをする。喋らなくていい。──こちらブラスト。状況を伝えろ」

『隊長、よかった無事だったんすね! 今鬼ごっこの最中っす! そうだ、アイビスのヤツは無事なんすか!?』

「死んじゃいないさ。今手当てしてる。それで、どこに向かってる」

『外れの方です! えーっと──アレっすよ! 人工林エリアっす!』

「ってことは──そうか、もともとマークしてたね。確かその先にはエフイーターが現在撮影中の映画のスタジオがあったはずだ。だけど──いや。疑問は後回しか。ジフ、エフイーターの安全が最優先。無茶はしていいけど、絶対死ぬな」

『オレたちだけでエフイーターさんも守れって? ウチの隊長は無茶ばっかりっすよ』

「ジフ、レイにも伝えろ──お前ら二人のコンビは、間違いなく一級品だよ。僕が保証する」

『──そんなこと言われて、張り切らねえ訳にはいかねえっすね! オレらに任せろっすッ!』

「頼んだ」

『あ、でも隊長はどうするんすか』

「何──」

 

目の前の道路に急停車する一台の黒塗り。高級車だ──。

 

窓から顔を出した、メガネを掛けた男が叫んだ。

 

「すぐ乗ってください! さっきテレビに映ってた人たちですよね!?」

「……あんたは?」

「エフイーターのマネージャーです! すぐに!」

「ジフ、アテが見つかった。すぐそっちに向かう。じゃ、頑張ろう」

『了解!』

 

アイビスの肩を持ちながら乗り込んだ。運転手のマネージャーなる人物はスーツの腹部に赤い染みが広がっていたが──。

 

「感謝するが──あんた、大丈夫なのか」

「問題ありません、これでも彼女のマネージャーですから……ッ」

「ありがとう。行こう……ところで、どうして僕らを?」

「さっきのテレビ中継を見てれば、嫌でも分かりますよ。そしてこんな場所でハリケーンは普通起こりません。すぐピンときました」

「……あんた、本当にマネージャーか? 素人じゃないね」

「この国のマネージャーは皆強かです。何せ、職務上守るべき人間がいますから」

「すごいね。僕はロドスアイランド所属のブラストだ。よろしくね」

「ササグマプロダクションの女優、エフイーターの専属マネージャーです。よろしくお願いしますよ」

「……ずいぶん変わった名前だね。まさか本名って訳でもないでしょ」

「我々はマネージャーです。それで十分ですので」

「まあ……あんたがそれでいいならいいか。行こう。……よし。アイビス、まだ痛むか」

「平気です……ぐッ」

「やっぱキツイか。でも残していく訳にもいかない。今は休んでろ」

「自分も、戦います……」

「ダメだ。ここから先は僕に任せろ。お前は、さっきあの場所で死ななかっただけで十分成果を挙げたよ。アレは僕のミスだったんだからね」

「隊長、すみません……」

「謝るな。大丈夫、帰ってからそんな口利けないくらいしごいてやるよ」

「はは、それは勘弁ですよ……」

 

高級車がエンジンの音を舞い上げて走り去っていく。相当な危険運転、何度も他の車と衝突し掛けているが、それでも速度を維持したまま走るのは凄まじい技量だ。何者なんだ……?

 

 

 

 

ササグマプロダクションのスタジオは慣れていた。

 

撮影ではよく戦闘シーンも撮る。武器も見慣れてる。

 

違うのは、これが撮影じゃないということ。

 

「で、こんな場所に連れてきて何が狙いなのさ」

 

とある民家のセット。まだ移動都市がなかった時代の、山の民家を再現したセットだ。くしくもエフイーターの変装は、そういう古い時代の服の特徴を取り入れたデザインだったため、まるで当時の再現のようだった。

 

ドアが開く。エフイーターは流石に目を見開いた。

 

「お前……なんでお前がこんな場所にいるんだよ」

「──全部、俺が仕組んだこと……と言ったら、お前はどうする? 一体どういう気分になる? 怒りを覚えるか?」

 

その男は俳優だった。国内でもそれなりに有名なカンフー俳優で、現在制作していた映画でも共演していた。役割は、主演であるエフイーターのライバル役だ。

 

「なんでだ、なんでこんなこと!」

「俺は、お前のことが嫌いなんだよ……。鬱陶しいんだ。俺を差し置いて、いつもいつも……。目立つのはいつもお前だ。お前が……!」

「リューエン、言っとくけど別にあたし悪くないからな。あたしは別に、お前を蹴落としてやろうなんて考えたこともなければ、邪魔してやろうとしたこともない!」

「……そうだな。だったらどれだけ良かったことか……。いっつもそうだ。お前の視界に、俺が入って居たことなんて一回も無かっただろう……! お前がいなければ、どれだけ良かったことか俺はずっと考えてた! お前さえいなければ!」

「……リューエン。あたし、お前の演技……別に嫌いじゃ無かったよ」

 

また人が撮影スタジオに入ってくる。

 

──見覚えのある人々だった。音響スタッフや撮影スタッフ……監督まで。背後に武装した男たちがいるところを見るに、脅されているのか……?

 

「おいリューエン、これは一体どういうことだよ!」

「せっかくだ。まだ最後の撮影シーン、撮り終わってなかったと思ってさ。ほら、最後の対決シーンだよ。せっかくだ、カンフーの腕比べでもしようじゃないか。もっとも──台本通り、俺が倒されて終わりにはならないがな」

 

──スタジオの外で、ジフとレイが聞き耳を立てて様子を伺っていた。何やら妙なことになっている。突入するべきかどうか判断に迷いながらも事態は進んでいく。

 

つまり──このまま撮影シーンを撮り終えようというのだ。

 

「……リューエン。お前じゃあたしに勝てないよ」

「カメラを回せ、監督」

 

──すでに狂っていた男の、ギラついた目が監督を貫いた。

 

往年の監督はサングラスの奥で考え、口を開く。

 

「回せ」

「監督、しかし──」

「いい。映画を完成させるには、もはや最後のチャンスだ」

「さっすが監督。話が分かるな。さあ、決着をつけようぜエフイーター」

「ぶっ飛ばしてやる」

 

エフイーターの構えは掌。女性のしなやかさを活かす構え。対してリューエンは拳──真っ向から相手を打ち崩す型。どちらが強いというものではない。

 

全ては、使い手次第だ。

 

「い──やぁ──ッ!」

「ふッ──」

 

打ち合いでは無かった。体重、体格では男性の方が勝る──エフイーターにとって、一撃は強いダメージになる。受けるか躱すか。

 

柔の型を用いるエフイーターは受け流しがもっとも得意だ。攻防の流れの完成度は、すでに達人に至っている。

 

水の流れのようにしなやかな掌がリューエンを撃つ。女性分の体重とはいえ馬鹿にならない。しっかりとした衝撃は、使い方次第で十分な凶器だ。

 

「ぐッ──」

「ほらどうした!」

「このッ──」

 

苦し紛れの蹴り上げも読まれていた。エフイーターの攻勢が続く。

 

外ではレイとジフが機を伺っている。なぜか一騎討ちが行われていることでもあるし、スタッフに張り付く男たちを一掃できるかもしれない。だがこのまま時間が稼げるのなら、隊長──ブラストの到着を待つのが得策だ。

 

ボウガンの弦を引き上げ、セットする。いつでも一発目を放てるように。

 

「ほら、そんなんじゃあたしは倒せないよ!」

「クソ、こんなもん使いたく無かったがッ──」

 

リューエンが奥の手を切った。スイッチを押すと民家のセットが大きく振動する──。

 

格闘において足場の重要度は高い。何をするにしても、しっかりとした地面への踏み込みが大切だからだ。これがなければ威力が半減どころか、そもそも攻撃すら行えない。

 

リューエンが仕込んだのは、足場を揺らす機構だ。揺れる地面の中ではいかにエフイーターとて危うい。そして、揺れていない足場があった。リューエンはそれが自分の足元に来るように計算していた。

 

発勁用意──。

 

状況に対応しきれないエフイーターと、はっきりとした足場を持つリューエン。

 

「跳べ──ッ!」

 

真正面からの一撃がエフイーターを貫き、そのまま吹き飛ばす。とっさにガードした両腕が折れた。リューエンとて訓練を積んだ確かなカンフーの腕を持つ。持っていたがゆえに、エフイーターに嫉妬せざるを得なかった。

 

状況を見守っていたブラスト小隊の二人が緊迫した。出るべきだ──。

 

意識がそっちに割かれていたため気がつかなかった。

 

「お前たち、何をしている?」

「ッ、やば──」

 

扉を覗き込んでいたレイが、後ろ側にいた男の存在に気がついた。

 

ジフが横から男の顎を撃ち抜いた。近接格闘術は嫌というほど叩き込まれた。狙撃オペレーターであるジフは、武器を用いない格闘術なんて時代遅れだと馬鹿にしていたが、初めてその存在に感謝した。

 

だが、その存在がリューエンに発覚した。

 

「何!? 外に誰かいる──。おいお前ら、すぐ向かえ!」

 

男たちが武器を片手に外へと走る。照明スタッフが顔を青くした。

 

「あわわわわ……。監督、もう撮影とか言ってる場合じゃないです、どうしたら……?」

「……撮影を続行する」

「監督〜!」

「腹を括れ。今の我々の仕事は、この物語を記録すること。それだけだ」

「あわわわわ……」

 

そんな会話があったとか何とか。




・ブラスト
主人公。
エリートオペレーターだし多少はね?

・数の暴力
普通にやったら数の暴力に勝てるはずないだろ!
何勝っちゃってんだ主人公くんお前……もしかして強いのか?

・マネージャー
そういう概念。
戦場を渡り歩いてきた末に、ようやくマネージャーという自分の居場所を見つけた。

・ササグマプロダクション
このネーミング自分でも気に入ってます

・リューエン
エフイーターの感染を仕組んだ人。黒幕っぽいが……
エフイーターに嫉妬して一連の事件を仕組んだ。

・監督
心臓が鉄で出来てる

・エフイーター
おっぱいで構成された概念
きて


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猫熊と晴れ-4

「クソッ! 隊長、早く来てくれ──」

 

乱戦が始まる。

 

背中から壁に叩き込まれたエフイーターは、肺から空気を全て吐き出すことになった。そのまま膝を地面に着く。リューエンがゆっくりと歩いてくる。

 

「悪く思うなよ。別に稽古じゃねえ、使えるもんは全部使う。お前への敬意だ」

「くそっ……。やるじゃん──」

「だがもう終わりだ。一つ教えといてやるが──この前の撮影で起きた事故も、俺の仕業だよ」

「お前、本当にどこまでも──絶対許さねーからな〜!?」

「スターとしても、人としても、お前を殺す。……それで俺はやっと満たされる。死ね、エフイーター」

「これで終わると思うな!」

 

痛みを堪えながら立ち上がって大技の蹴りを入れるが受けられる。すぐに別の型を撃つ。

 

「終わりだよ、諦めろよッ」

「悪あがきは欠かさないんだよ! スターは死なない!」

「くそ、どこまでも──」

 

状況はさらに変わっていく。

 

レイが黒服の男たちとの戦闘を繰り広げている間、ジフはスタジオ近くに止めてあったロドスの車両に走った。エンジンが掛かる──。

 

ジフの意図を察したレイが顔を青くした。男たちから逃げ、建物の中のエフイーターに呼び掛ける。

 

「あああああいつ! エフイーターさん! 前へ飛んでください!」

「え?」

 

滑走する車両、さすがに男たちも肝を冷やす──突っ込んでくるぞあのバカ!

 

民家のセットが巨大な重量に衝突して崩れていく。こんな状況でも撮影を止めないスタッフたちはヤケクソになっていた。もうどうにでもなれ。

 

ギリギリで前へ飛んだエフイーターも同様だった。撥ねられて飛んで行った敵の姿に、自分を重ねてさすがに同情する。

 

セットは実際の建物のように作られていない。外側だけのハリボテだ。車はそのまま旋回し、また別のルートを疾走する。

 

混沌とし始めていた。隊長が隊長なら部下も部下──行動隊B2は外見的には真面目そのものだし、そう言った態度で任務に当たるが、瀬戸際にてイカれ始める悪癖があった。隊長のクセが部下にも伝わっていると見える。

 

こうなると男たちもなりふり構ってられなくなる。暴走する車両を止めようとなんとしても手を尽くそうとして、男たちの切り札でもあった手榴弾を投擲した。だが運転手の対応が冷静だったのが運の尽き。投擲ルートを読んでいた。

 

外れた手榴弾の爆発する位置が、致命的だった。セットが組んであったのは外で、近くには事務所兼休憩所があった。宿舎としても用いることが出来、調理も行える。どういうことかと言うと、ガスボンベの隙間に手榴弾が挟まり、爆発した。

 

手榴弾の貫通力がボンベを貫き、大爆発を起こした。火の手が広がる。民家のセットが燃えていく。

 

「監督、監督やばいです、やばいですよ〜! もう撮影とか言ってる場合じゃないです、ここもすぐ燃え広がりますよ〜!」

「……撮影を、続けるッ!」

「ぴ、ぴいッ!」

 

意味不明な返事をするスタッフたち。燃え広がる炎のお陰で照明が要らなくなった──なんて、現実逃避気味な考えを巡らせたのはさて、誰だったか。燃えるセットから脱出しながらカメラマンは撮影を続けた。プロ根性が備わり過ぎている。

 

その状況の中で、リューエンただ一人がエフイーターを見据えていた。冷静に指示を出す。

 

「エフイーターを囲えッ! 最低でもエフイーターだけは潰すぞ!」

「うええ、まだ来るの〜? しつこいなーっ」

 

嘆いても両腕の骨折は治らない。蹴り技主体で攻めるにも限界がある。相当に悪い状況、活路があるとすれば──。

 

背後からエフイーターを狙う男が──突風に思わず顔を覆った。隙を逃さず体当たりで吹き飛ばす。状況に慣れさせる暇もなく、風が切り裂く。

 

「なにこれ」

「あ、ブラスト。さっきぶり」

「……いや、なにこれ」

 

誰がここまでやれっつったよ。ブラストは叫びたかった。

 

「隊長!」

「……言い訳は後で聞こう。今は──えーっと、カメラ回ってる……? え、誰を倒せばいいんだ……?」

「あたしたち以外の全員さ!」

「エフイーター、その両腕……。あいつか。僕に任せろ──」

「いいや。あいつはあたしが始末をつける。あたしの責任なんだ」

「だがその腕じゃ」

「いいから、あたしに任せて」

「……分かった。他のヤツは僕らが」

 

燃え広がる炎が生み出す強い影が、地面を塗り上げた。

 

リューエンと相対する。

 

「ようやくまともに一対一だね」

「俺の勝ちは……揺るがない、俺が勝つッ! 崩れろエフイーターッ!」

 

交錯──。

 

エフイーターの上段飛び蹴りがリューエンの頭を捉え、そして全てが終わった。

 

「……ほら、あたしの勝ちだ」

 

完全に意識を刈り取るつもりだったが、まだリューエンは意識を保っていた。

 

エフイーターは踵を返す。

 

マネージャーがマシンガンをぶっ放しているのが見えた。完全にマネージャーのことを忘れていたエフイーターが、初めて見るマネージャーの戦闘に目を丸くする。マシンガン……?

 

大勢が決していた。すでに敵の大半は人工林の中へ逃げ出すか、地面に倒れるかのいずれかだった。

 

炎を背にして歩き出した。

 

「……お前が羨ましかった。眩しかった……。お前みたいに、なりたかった……」

 

一度だけエフイーターは振り返った。

 

そしてまた、歩き出した。

 

ブラストが惨状を眺めて呟く。

 

「やっベー……。これどうしよう……大目玉だよな、死傷者何人出したんだろ……。あー、絶対ケルシー先生に叱られるよな……」

「仕方ねえっすよ隊長。生きてるだけでも御の字っす」

「……そだね。ま、何にせよお前らが生き残ってくれてよかった。よくやったよ、レイ、ジフ、アイビス……は、まだ車にいるんだっけ。ま、とにかくご苦労。──それで」

 

ブラストがエフイーターの方を向いて問いかけた。

 

「エフイーター。ロドスへ来るか?」

「……あたしがロドスに行ったら、何ができるの?」

 

ブラストは少し考えて、また口を開く。

 

「きっと……お前が望むことを、全て。ロドスは鉱石病で苦しむ人々を救う。救おうとし続けている」

「でも……救えない人もいるかもしれないじゃん」

「ああ、そうだね。……でも、救おうとする。たとえ全ての人々を救うことが出来なくても、救おうとし続けるんだ」

 

エフイーターはもう一度だけ振り返った。

 

「あたし、ロドスへ行くよ」

「そうか。歓迎する、エフイーター。じゃ、帰ろうか」

 

燃え盛る炎の勢いはやまない。さっきから遠くから消防隊のサイレンがうるさい──やばい早く逃げないと。

 

「マネージャー、今までありがとね。それじゃ」

「……達者で」

「うん。じゃ、行こっか」

「ああ。……よし。みんな、逃げるよッッ!!」

 

カメラの録画ボタンが押され、完成しないはずだった映画の最後のシーンが撮影された。映画に終わりは来る。エフイーターの映画人生はここで途絶えるが──だが、人生は続く。スタッフクレジットの後にだって、人生は続くのだ。

 

 

 

 

「あ、あー。マイクテストマイクテスト〜。お、よしよし……。カメラの向こうのみんな、久しぶり〜! ムービースターのエフイーターさ! あ、もう元ムービースターか。まあ細かいことはいっか」

 

ハリボテの急造撮影スタジオにて、エフイーターはカメラに向かって笑った。

 

「炎国ではいろいろあったからさー、心配してくれた人も多いと思う。さらに感染者になっちゃったからね。まあ、あたしもいろいろ思うところはあるんだけど……。まず報告からしようかな。あたしは鉱石病を治療することにしたよ! まあちょっと、あたしがどこにいるかっていうのは止められているから言えないんだけどさ〜……。まあとにかく、無事だよってことが一つ」

 

すでにギプスも包帯も外れていた両腕を振って、エフイーターは笑顔を作った。にかっと笑う。

 

「そしてもう一つ。あたしはこれからもスターであることはやめないよ! ああ、もちろん炎国には戻らないつもりでいるし、そっちの映画には出れないかもだけど──映画から離れることはしたくない。また何かに出演したりするつもりでいるし、全部一から自分でやってみるのも面白いと思うんだ! まあ、それはいいとして……」

 

僕は正直ハラハラしながら見守っていた。やばいこと言わないよね……。信じられるか? これ今世界中に配信されてんだぜ? あー怖い、めちゃくちゃ怖い……。この出来事に対する全責任を僕が負うってことでゴリ押ししたんだ、やらかしたら責任は全て僕がとることになる。怖い、超怖い……。

 

「感染者になった今、世界中の人たちに伝えたいメッセージがあるんだ。今からそれを言うよ。あのね──日々辛いこととか、悲しいことが続いても、どうか諦めないで。あたしを助けに来てくれた人がいたように、あたしも誰かを助けるよ。もし辛いことがあっても大丈夫、あたしが助けに行ってあげるから! この世界にヒーローがいるとしたら、それはあたしたちのことさ! それだけ、じゃあまたね〜!」

 

配信が終わった。これ一応、出来る限りの国のテレビに映るよう頑張って交渉してくれた人々のお陰で、超たくさんの人たちがこれを見ているということ。

 

正直想像がつかない。これをやるのに何週間も走り回って、やっと実現した。

 

「……お疲れ、ヒーロー」

「もう〜、そんなヒーローなんて、褒めなくてもいいよ〜! いや、もっと褒めろ!」

「皮肉だよ。はあ、緊張した……」

「なんでブラストが緊張してんの! あはは、あんなの別に、そんなに大したことじゃないって!」

「主に僕の首が飛ぶか飛ばないかに怯えてたんだよ……。まあでも……よかったよ。いいスピーチだった。ありがとう」

「ブラストがお礼言うようなことじゃないって。むしろお礼を言わなきゃいけないのはあたしの方だよ。無茶な頼みを叶えてくれて、サンキューな!」

「それでも、これはエフイーターにしか出来ないことだったと思う。……これで救われる人々がいる。それが僕は嬉しい」

「ふーん……。あのさ、ブラストって何でロドスに居るの?」

 

椅子に持たれたまま、僕はちょっと思考を巡らせた。

 

「なんで、か。いや、大したことじゃないよ。……昔、人に助けられた。だから、僕も人を助けようと思った。それだけだよ」

「え、本当にそれだけ?」

「昔はね。でも今は──仲間がいるから戦ってる。正直なことを言うと、仲間を守りたいだけな気もするよ、今はね。──ああ、もちろん感染者を助けるのも、僕の大事な仕事の一つでもある」

「へぇ──」

「んでエフイーター。お前も、僕の仲間の一人だからね。あんま無茶しないでくれよ。マジで。いやマジで」

「あたしも、君の仲間?」

「何驚いてる。ロドスに来てもう二ヶ月くらい経ってるだろ? それにあの炎国の騒動を一緒に乗り越えたんだ。もう仲間だよ」

「そっか──。うん、悪くないね。よっし、じゃあ早速今日の人助けをやっていこう! ブラスト、今日の任務は?」

「いややっと包帯とれたばっかだろ、安静にしてろよ……」

「あたしにじっとしてろなんて、そんな無茶な命令ある? だって──」

 

エフイーターはやはり笑った。窓の外には青空。

 

「あたしはスターだからね!」

 

にっこり。

 




・撮影スタッフの皆さん
この状況で最後まで撮影をした
明らかに被害者。

・ジフとレイ
オリキャラ。
躊躇なく車で人を轢き飛ばす度胸の持ち主。イカれてる……
使えるものはなんでも使え、躊躇するなという隊長の教えを実行した

・リューエン
エフイーターのことが羨ましかった
死んでないので多分捕まりました。諸々の罪を被ったと思われ

・ブラスト
奔走した。

・エフイーター
なんやかんやあってロドスに加入。

・ブレイズさん
影も形もなかった
すまぬ


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報告書:熊猫おっぱいスタジオ炎上に関して

作成者:Blast


二ヶ月前のエフイーター救出作戦での任務結果を改めて記述する。

 

当作戦は想定外の敵が多く、無関係の民間人に死傷者が出る事態にはならなかったものの、炎国のマスメディアに露出する事態が発生してしまった。

 

幸い記者会見会場での強襲は短時間であったため、テレビカメラ及び関係者がロドスアイランドのロゴを捉えてはいなかったが、行動隊B2の隊員及び隊長の顔が知れ渡ることになった。このことによるロドスへの直接的な被害はないが、念のため警戒しておく必要がある。

 

炎国で発生したかなり大きな事件の一つとなったが、この事件の協力者であったマネージャーと名乗る男の協力により、事後処理は非常にスムーズに終わった。改めて彼に感謝を。

 

この事件の発端となったのは、エフイーターの活躍を妬んだリューエンという炎国のカンフー俳優だった。撮影中の事故を装ってエフイーターを鉱石病に感染させ、その後の暗殺部隊の手引きをした。

 

暗殺部隊に関して、この組織の裏側にいたものが誰なのかは現在調査中だ。何らかの理由によりエフイーターを狙う何者かがリューエンに話を持ち掛けたのが最初の原因と見られる。リューエン本人の口述からも、この事件を手引きした何者かの存在が確認されるが、それが一体何者かまではリューエンも理解はしていなかった。

 

暗殺部隊の隊長は感染者に強い恨みを抱いていたが、それだけでリューエンに協力していたわけではなく、やはりその何者かによって派遣されたものだと考えるのが妥当だ。早急な調査が望まれる。

 

総じて、エフイーターを含む全ての人間が利用されていた可能性が非常に高い。

 

さらに調査を続けていく予定だ。

 

エフイーターのその後に関してはロドス中の皆が知っているように、非常に活発だ。手甲を纏ったエフイーターのカンフーは対人戦において強力であり、突き飛ばしに関しては目を見張る威力を発揮する。適切な任務では猛威を振るうだろう。

 

ロドスにも馴染んできたようで、現在は行動隊B2で預かっているが、正直ウチの隊員が良くない影響を受けている気がするので別の部隊へ転属させてほしい。エフイーターの戦闘スタイルは簡単に真似できるようなものでもないし、何かにつけて映画のパロディをするのもやめてほしい。カンフー映画に影響を受けすぎている。

 

彼女が行動隊B2を希望しているのは理解しているし、行動隊B2の隊長としては誇らしいが、休日の朝から撮影に付き合わされる身にもなってみていただきたい。楽しそうで何よりだが……正直任務より危うい。休日に死にたくない。

 

話が逸れた。

 

依然、事件はひとまずの決着を得たが、解決とは言い難い。今後とも捜査を続け、もしも裏側にいた誰かがロドスの敵となり得るようであれば──────

 

「あれ、ブラスト。何してるの?」

 

僕はキーボードを打つ手を止めた。

 

「ブレイズ。ノックぐらいしたらどうだ……」

「いいじゃん、私たちの間にそんなの必要?」

「お前はケルシー先生の部屋に入る時もノックはしなさそうだな……」

「流石にするって!」

「そうか。で、何か用か?」

「何? 用が無かったら来ちゃいけないの?」

「僕は忙しい」

「本当にこいつは……。うそうそ、ちょっとこの装備について感想を貰いたくてさ」

 

ブレイズは腰にぶら下げていたチェーンソーを引っ張り出した。

 

「……拡張モジュール。完成したのか」

「まあ一先ずプロトタイプかな。まだまだ改良の余地がありそうだから、君の意見が欲しかったんだよ」

「オーケー。そういうことなら構わないよ。訓練室に行くか」

「お、一戦やっとく? いいよ、久しぶりに激ってきた!」

「……ま、書類仕事ばっかでも退屈だしね。こういうことも偶にはいいだろ」

「偶には、ね……? なんか最近、ずっとあの熊猫と一緒にいるみたいだけど」

「熊猫……エフイーターのことか?」

「そうだよ? おかげで全然構ってくれないしさー?」

「構って、って……お前ね。何? 構ってほしいのか?」

「はあ? そんな訳ないじゃん。君の好きにすれば?」

「何なんだよ……」

 

デスクから立ち上がった。

 

ブレイズとやるのは久しぶりだ。それぞれが隊長を任されて以来、お互いに忙しかった。

 

「……なんかその顔見てたら腹が経ってきた。私、本気出すから」

「へぇ。猫も怒るんだね」

「その余裕がどこまで持つか、試してあげる。負けたら今夜奢りだからね」

「外食かよ……。うへ、僕今夜も仕事なんだが……」

「同僚より仕事が大事とでも言うつもり?」

「いー……。分かった分かった。だがそりゃ負けたらの話だ。勝ったらこの話はナシだよ」

「──ボッコボコにしてあげる」

 

報告書追記:最近同僚が冷たくて怖い。ケルシー先生、どうしたらいいかな。

 

報告書評価:自業自得だ、バカ者が。

 




──空が曇っていた。

青空はもうしばらく見ていない。

「私には、あなたたち感染者の苦しみは分からない」

空が、曇っていた。


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1−2 灰色の燕
雲と灰色-1


ブレイズさんの話が始ま……ら、ないだと……?
うっそだろお前、メインヒロインの概念がこわれる

新イベント楽しみですね。ついにウルサス学生自治団の話が来ますぜひゃっほーい!


僕は大人だ。

 

まあロドスに加入した時から十分大人と呼べる歳だったのだが、ロドスに加入してから更にその意識は強まって行った。

 

ロドスには、たくさんの子供たちがいる。それこそまだ五歳にもならないような小さな子から、もうすぐ大人の仲間入りを果たそうとしている少年や少女もいる。

 

彼らを見て、接すると、嫌でも自分の立場を理解する。僕は彼らを守るべき大人であり、また教える立場にあり、そして彼らの手本とならなければならない。彼らは未来そのものだ。

 

子供は好きだ。純粋で、何より賢いし──すぐに学ぶ。いいことも悪いことも。

 

彼らの前でうかつなことはできない。言葉よりも、行動が何よりの教えになる。彼らは何者にもなれる。

 

グレースロートという少女もまた、同様だ。彼女を守ってやらねばならない。それが僕の使命とも呼べるかもしれない。

 

それが例え、身勝手な思い上がりであろうとも。

 

 

 

 

雲と灰色

 

 

 

 

 

「──オッケー。じゃあ今日はこれで終わり。みんな、お疲れ様」

 

そう宣言すると、訓練室の全員が荒い息のままほっとした表情で肩を落とした。

 

「はぁっ、はあっ……。うう、まだドーベルマン教官の方がマシだったかも……」

「うう、死ぬ……。いや、死んでる……。ゲイン、大丈夫……?」

「お、俺は大丈夫だ……がくっ」

「た、担架―! い、医療オペレーターを! いやダメだ、ゲインが医療オペレーターなんだった!」

 

案外ふざける余裕があって何よりだ。

 

エリートオペレーターは自らの行動隊を預かるが、それ以外にもたまに頼まれて教官役を演じることも少なくない。まだ訓練段階にある連中は、普段はドーベルマンさんの率いる教官たちが訓練を見ているが、たまには別の刺激を与えるためにこうして頼まれているのだ。

 

「ジフ。見ていてどう思った?」

「はは、懐かしいっす。オレも一年くらい前はこんな感じだったっすかね。いやーあの頃はこの世の地獄だったっすよ」

「そうじゃない。こいつらの評価だよ」

「そっちっすか。いいんじゃないっすか? 前見てた時よりちゃんと強くなってるし、このまま半年ぐらい経てば、ウチの部隊に来ても十分やっていけると思うっす」

 

ジフは僕が預かる行動隊B2にて狙撃を担当するオペレーターだが、一通り近接戦闘術を仕込んだおかげで万能手として動ける優秀なヤツだ。どうして狙撃オペレーターが格闘術を学んだのかというと、本人の希望だったためだ。武器を手放した状況でも戦えるように。

 

床に倒れて水を飲む少年少女たちは大体魂が抜けていたが、一人だけ孤立して人の輪から外れている少女がいた。

 

厳しい訓練の後でも、疲労こそ見えるがきちんと立ったままだ。タオルで汗を拭きながら訓練室の出口へと向かっていく。

 

「……彼女、全然平気そうっすね」

「うん。彼女はこの中でも抜きん出ている。年齢の割りにかなり優秀だよ。ジフ、うかうかしてると抜かされるからね」

「うえー、下からの脅威に怯えることになるとは思ってなかったっすよー。えーっと名前は……」

 

灰色の髪と、鋭い目つき。彼女の名前は──。

 

「グレースロート。ジフ、お前と同じ狙撃オペレーターだよ」

 

名前を出したからか、グレースロートはちらりとこちらを振り向いた。ジフの肩に浮き出た源石を見つけると、顔を逸らして足早に去っていく。

 

「……ちょっと、問題アリ……っすか?」

「まあ……ね。誰にだって抱えている過去があるけど、彼女のはちょっと根が深くてさ。いろいろ、ね。実は、来週から行動隊B2(ウチ)で預かることになってる」

「うええ、マジっすか! オレ、あの子苦手かもしんないっす」

「お前ね、あの子よりいくらか年上だろ。ちゃんとしなよ」

「わかってるっすよ。オレだってロドスの一員っす。ちょっと問題がある程度、どうってことないっすよ!」

「頼もしいね」

 

だが……。

 

『ちょっと』じゃ済まない可能性がすげー高いんだよね。

 

ま、頑張ろっか……。

 

 

 

 

 

「グレースロート。狙撃オペレーターよ。ここが一番強い隊だって聞いたから来た。強くなりに来ただけだから、よろしくなんてしない。私を失望だけはさせないでほしい」

「……。だ、そうだ。みんな、よろしく頼む」

 

流石に騒然とする。僕だってこんなこといきなり言われたらビックリする。

 

行動隊B2に与えられた部屋、ミーティング用のスペースはちょっと混乱気味だ。

 

「あー、隊長……。その子が?」

「まあ……うん。えーっと、彼女は感染者に対してちょっとトラウマがあってね。こういっちゃなんだが、肉体的な接触は避けてやってくれ」

「……で、なんで隊長にはべったりなんすか?」

「手を出すのが早すぎる……ッ! 見損ないましたよ隊長! そんな人じゃないと思ってたのにッ!」

「エフイーターさんとも最近いい感じですよね!? いい加減にしないとブレイズさんに真っ二つにされますよ、いい加減にしてください!」

「見境なしなの!? 子供に手を出すなんて……それだけはいくら隊長とはいえ見過ごせないよ!」

「あー決めた、もうブレイズさんに言ってやろ、言いつけてやりますからね! 覚悟の準備をしておいてくださいッ!」

 

グレースロートがじとっとした目を向けてきた。

 

「……エフイーター、ブレイズ……って、あの乳ばっかでかいパンダと乱暴な猫女のこと?」

「……。グレースロート。やめようね」

「どうして?」

「……どうしてもだ。あれ、なんで僕が責められる感じになってんだろ。ちょっとお前ら鎮まれ、鎮まれ──っ!」

「隊長はロリコンですッ! ケルシー先生にも報告させてもらいますッ! いいですねッ!」

「ちっくしょーッ! なんで隊長ばっかり! ずるい! オレも女の子とイチャイチャしたいっすよーッ!」

「してないわバカたれが! アレがイチャついてるように見えるんなら医療部に頭か目を診てもらえ! 地上六階から紐なしバンジーさせられたいのか!」

「*スラング*! *かなり強いスラング*! *相手を罵る最大級のスラング*! *口に出すのも憚られる言葉の数々*!」

「ダメだどうにもならない。グレースロート、ちょっと離れて──」

 

僕の腕をとるグレースロートの右手は震えていた。

 

……ダメだ、離れろなんて言える気配じゃない。

 

そりゃそうだ。僕の部隊は全員感染者だし、無理もない。

 

僕自身も感染者なのに、こうまでグレースロートにひっつかれている理由についてだが……。思い出すと長い。

 

なるべく短く話すと、まだ僕がエリートオペレーターになる前からの出来事が関係している。ぶっちゃけると、一度彼女が戦場に出たことがあって、その時に攻撃から庇ったのをきっかけにして態度が軟化した。以上。

 

──グレースロートは、感染者に対しての強いトラウマがある。

 

チラッと資料で読んだけど、鉱石病研究者の両親を持っていて、感染者とも交流していたのだが……裏切られたようだ。感染者により父親を殺され、母親は精神を病み、そんなギリギリの状況でグレースロートは両親が交流していたロドスへ連れてこられ、母親はどこぞへと姿を消した。

 

かなりエグい経歴だ。確かにまあ……感染者へ恐怖を抱いても仕方がないと思える。この経歴を知っているのならば。

 

軽々しくみんなに話せるようなものじゃない。これは本人が伝えたいと思った時に伝えないと──。

 

「私は父親を感染者の暴動に巻き込まれて失った」

 

言っちゃったよ────!? え!? 早くない!?

 

「……私には、感染者が理解できない。感染者が怖い。でも……私は強くなる必要がある。それだけ」

 

流石に静まり返った。

 

グレースロートが隊員たちの視線を一度に受けて、居心地が悪そうに顔を逸らした。

 

「……なんだ、そういうことだったんすね」

「そっか。うん、そっか……」

「せいぜい扱いてあげる。でも──隊長にへばりついてるのは話が別じゃない!? 隊長も何されるがままなんですか!」

「いや、うーん……。ほら、こういうのって一日じゃ済まない問題だしさ……」

「隊長! くっそこの……。死ね! ブレイズさんに刺されて死ね!」

「イーナお前直接的な表現はやめろよ! それだけは最後の砦でしょ!?」

「関係ないですー! 隊長のバカヤロー! 女たらし! エセ真面目! イカれ野郎! 人間関係の沼! 人生RTA! 理性0! アルコールクソ雑魚! インポ野郎! 性欲ないんですか!? ヴァルポの癖して嘘の一つもつけない癖に!」

「種族差別はやめろよ! 狐だからって人を騙す習性なんてないだろ!? 昔話じゃないんだよ!? ロドス中のヴァルポに謝れ!」

「まあ隊長は嘘が下手っすからね。そこは仕方ないっすよ……イーナ、いい加減隊長を思いつく限りの誹謗中傷で殴るのはやめるっす」

「でもジフ! こんな隊長に黙ってろって言うの!?」

「話が進みませんよ。イーナ、気持ちは大体分かるから、一旦落ち着きましょう。隊長への罵詈雑言は後で好きなだけ聞かせてあげればいいですから」

「イミンまで……。分かったわよ。ほら隊長、話を進めてよ」

「なんか納得行かねえ……」

 

話がグレースロートから逸れまくった。だが一応、グレースロートの事情は伝わったはず……。

 

「……事情があるからって、私に遠慮するのはやめて。私もあなたたちが感染者だからって、何も遠慮はしないから。それが対等ってものでしょ?」

「生意気なガキね〜。全然対等じゃないわ。訓練の時にでも教えてあげるっての」

「あんたが私より上手いんならね」

「ほんっと、可愛くない……」

 

イーナはバチバチだ。気の強いイーナは懸念材料の一つだったが……この分ならそれほど心配は必要ないみたいでよかった。

 

「グレースロートは大体二ヶ月くらい預かる予定でいる。まああんまりちゃんと決めてないし、様子見ながらかな」

「ってことは明日の定期遠征にも連れてくんすか?」

「そりゃね」

「……定期遠征?」

「ま、明日になれば分かるよ。とりあえず今日の連絡事項はその辺りかな。ん──……。取り敢えず、今日の訓練やるよ」

「あー、グレースロートちゃん? でいいんすかね……」

「ちゃん、なんてやめて。気分が悪い」

「うへ、冷たいっすね──数ある行動隊の中でも、ここの訓練はクレイジーっすよ。いつでも吐いていいように、紙袋渡しとくっす。これ」

「……バカにしてるの?」

「心配してるんすよ。ま、みんなについてくるっす」

 

 

 

午前中に訓練を始めて、大体三時間ほど特に基礎訓練を積む。ここが一番キツいと思ってる。

 

──タオルを首から掛けて、まだ訓練場を走り回っているレイたちを、イミンが眺めていた。グレースロートは一度吐いてからジフにもらった紙袋をずっとポケットに入れていた。トイレまで間に合ってよかった。この部隊が編成されて、僕が訓練を主導した当時は訓練室のそこら中から良くゲロの匂いがしていたのを思い出した。

 

イミンはいつも一番乗りだ。体力面がかなり強く、基礎的な技術がとてもガッチリしている。チームの土台としてこれ以上ない人材だから、この部隊の副隊長も任せていた。

 

「──大丈夫か」

「隊長」

「余計なお世話かもしれないけどね、お前の感情を確かめておきたい。もう一度聞くけど、大丈夫?」

「私は──」

 

先日、とある村落を傭兵集団が襲った事件があり、村と関係のあったロドスは緊急出撃したが──遅かった。

 

村の人々は皆殺されていた。

 

イミンは、その村の出身だった。皆殺しということは、イミンの家族や知り合いなども……。

 

イミンは、それから少し危うい表情を見せることがあった。その気持ちは理解できる。

 

「大丈夫です、もう気持ちの整理はつけましたよ」

「……嘘つくなよ」

「ははっ……まさか、鈍感な隊長に気づかれるとは……。正直、キツいです。私がロドスに加入できたのは、両親のおかげでしたから。ぶっちゃけると、戦う理由を見失いかけてます」

「そうか……。これだけは覚えていて欲しいんだけど……僕たち行動隊B2はお前の味方だ。それだけはどんなことがあっても揺らがない事実だよ」

「そう……ですか。そうですね……。私には、いや……俺には、まだあいつらがいる……。……ありがとうございます、隊長」

「何も……礼なんて、言われる筋合いじゃないよ。当たり前のことだ」

 

──危うい。

 

この表情は、どこか危うい。うまく言えないが──。ある程度、思いつめることはないだろうが……。うまく表現できない。僕の気のせいか? 心配しすぎかもしれない。

 

「イミン、あのさ──」

「隊長―! 終わったっすよー!」

 

ジフの呼びかけで言葉が遮られた。

 

「行きましょう」

「……そうだね」

 

 

 

 

 

 

『ブラストです。よろしくお願いします。隣の猫女より活躍する気でいます』

『私の名前はブレイズ。横のこいつは気に入らないけど、まあ色々学ばさせてもらうつもりだよ』

『……だ、そうだ。ドーベルマンからは優秀な二人だと聞いてる。色々教えてやるといい。いいな』

 

昔の話。

 

行動隊A3に配属されてからの、懐かしいような──。ずっと前の話だ。

 

『おいブレイズ! なんでさっき前に出てたんだよ! そこは僕が行くって言ってただろ!?』

『しょーがないじゃない。私の方が近かったし──私の方が早く倒せたよ?』

『てめー表出ろ! 僕の方が強いわ!』

『はっ、望むところだよ!』

 

よく──腕を捲って、戦場跡で殴り合っていた。

 

『あいつらまたやってるよ……。Aceさん、止めなくていいですか』

『好きにさせてやれ……と言いたいとこだが、あんまりのんびりやっても仕方がない。おいお前ら! 続きはロドスに帰ってからだ、早く撤収するぞ!』

『え、Aceさん……。でも僕は今すぐこいつをぶっ飛ばさないと気がすまないんですよ!』

『ぶっ飛ばされるのは君だよ。ほらどうしたの、かかっておいでよ!』

『お前らは本当に……。じゃあこういうのはどうだ。──お前ら、二人がかりで俺にかかってこい。それで俺を倒せたら好きなだけ殴り合ってて構わん』

『……言いましたねAceさん。取り消せませんよ』

『こいつと協力するのは癪だけど……Ace、君には勝ちたかったんだよね』

『御託はいい。とっとと来い』

 

殴りかかった僕は、あまりにもあっさりとAceさんに投げ飛ばされたんだっけな。大地に叩きつけられた時の衝撃は、まだ覚えている。

 

続くブレイズもまんま僕と同じように──。

 

『うわわわわっ──』

『ぐえっ』

 

ブレイズが僕の上に落ちてきて……そうだ、また喧嘩になったんだっけ?

 

『なんで、僕の方に来るんだよ……』

『し、しょうがないじゃん! て、ちょっと、変なとこ触らないでよ!』

『触ってねーよ! てかどけよ猫女が! 重いんだよ!』

『装備の重量があるんだから仕方ないじゃん! っていうか重いって何!? 私が太ってるみたいな言い方じゃない!?』

『筋肉の塊が偉そうなこと言ってんじゃねえよ! っていうか早く退けよ!』

『あったま来た……。絶対許さない』

 

馬乗りになられながらも殴り合いが続いていたんだったか。こいつらほんと頭おかしいな……。

 

『Aceさん、ダメそうですけど』

『……全く。飛び抜けて優秀なヤツってのはなんでこうなんだ?』

 

Aceさんがこっちに歩いてくるのにも気がつかず、僕たちはずっと言葉でも拳でも争っていた。

 

『大体アーツの制御が下手くそなんだよ! 巻き込まれてこっちが危ないつってんだろ! 訓練が足りてないんじゃないか!?』

『君の風が私を邪魔してるの! 炎が風に煽られたら更に燃え上がるに決まってるでしょ!? そっちが気をつけてよ!』

『なんだと!? 僕のせいだってのか!?』

『だからそう言ってるじゃん!』

『てめ──う”ッ!』

『い、いったーい! ちょっとAce! 何するの!?』

『いい加減にしろ、このじゃじゃ馬ども。お前らなあ、ちょっとはコンビネーションだとか、チームワークってもんをな──』

 

土の上に正座させられて、Aceに説教されながらでも、僕とブレイズは横目で睨み合っていた。

 

犬猿の仲──ライバル。昔は、そんな関係だったっけな。

 

『大体さっき俺にかかってきた時も一人ずつだ。二人で同時にかかってくれば、俺だって危なかったかもしれん。協力という言葉を知らないらしいな』

『こいつと協力するくらいなら、死んだ方がマシです』

『それだけは同意するよ。絶対やだ』

『やれやれ……』

 

軍人崩れの集団を相手にすることが、いつだかあった。

 

思い返せば、あれがきっかけだったかな。

 

確か、岩場の多い平原だったと思うけど……。

 

敵の作戦で、部隊が両断されちゃったんだっけな。Aceさんたちと分断されて、僕とブレイズだけになった。それで、囲まれて──。

 

『クソッ! こいつら、いったいどこから──!』

『やるしかないって言うの……? こんなの、私たちは……』

 

焦燥の中で、僕は膝をつくブレイズに手を差し出したんだ。確か──。

 

『……何? 君の手を取れって言うの?』

『……。…………。本当に不本意だけど……お前の実力は、僕が一番よく分かってる。僕たちなら、勝てる。やろうブレイズ。僕たちで戦況を覆すんだよ』

『はあ? 何言って──』

 

平原に一陣の風が吹いて、ブレイズは何かを理解したように笑った。

 

『……いいよ。やってあげる。足引っ張んないでね!』

『お前こそ』

 

認めたくなかったが、僕たちの相性はこれ以上ないくらい良かった。

 

ブレイズが起こす炎を僕が更に燃え上がらせ、周囲の温度が上がれば僕の風もまた強くなる。上昇気流によって生み出される風の流れが、そのまま僕らの武器になる。

 

Blast─突風を意味する言葉。Blaze──火炎を表す単語。誂えたようだった。

 

僕たちはそこから戦況をひっくり返して──。

 

『Aceさんッ!』

『お前ら、なんでここに──まさか、二人だけでか? そっちには相当の数が潜んでいたはず……そうか。お前ら……』

『話は後! まずはこいつらを片付けよう!』

 

火種が生まれ、風が吹き、火炎を巻き起こす。

 

暴風が戦場を支配する。焔を燃え上がらせる。

 

その日から、僕たちは仲間(戦友)になった。

 

 




・ブラスト
27歳男。独身。彼女歴は不明
ヴァルポだったことが判明した。
若干緑の混ざった黒髪を後ろで縛っているというクソどうでもいい外見イメージがある。
嘘が致命的に下手くそ

・ジフ
キャラがだんだん分かってきた。設定練ってる時はいなかったんですけどいつの間にか名前付きになっていた。多分糸目キャラ。

・グレースロート
いろいろあった。
六章でのファウストとの話が……エモかった……
かわいい。

・行動隊B2
イカれた部隊。もっとも攻撃力のある部隊に仕上がった。こんなはずじゃ……

・イミン
行動隊B2の副隊長。フラグ……ですかね……?

・ブレイズさん
やっと出てきたと思ったら回想シーンだけだった。草。草……


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雲と灰色-2

ブレイズさんの出番が回想シーンしかない……
こんなはずじゃ……(震え声)


コンコン、とドアをノックする。

 

「失礼します、ケルシー先生」

「……ブラストか。どうした?」

「借りていた本を返しに来ました」

「……ああ。あれか」

 

僕は一冊の文庫本を差し出した。

 

「いい本でした。先生も小説なんて読むんですね」

「ただの趣味さ。Catcher in the rye(ライ麦畑でつかまえて)……。子供たちのために買った本だが、まさか君が読むとはな」

「久しぶりに少年にでもなった気分でしたよ」

「しかし、それにしては突然だな。君が私のところに本を借りにくるのは久しぶりだ」

「はい、実は……ちょっと子供の気持ちが分からなくなっちゃって。参考にでもしようかと」

「子供? ……ああ、そういえば──」

「はい。グレースロートです」

 

ウチで預かる前からそれなりに交流はあった。と言うより、よく部屋を訪ねてきてくれたものだから、それなりに話をしたりしていた。

 

まあ端的に表現すれば──懐かれていたのだ。

 

当時の彼女からしてみれば、周りが誰も信用できなかったんだろう。感染者に囲まれた生活というものは……酷だったとしてもなんら不思議じゃない。

 

『いッ……。おい君、無事だね──良かった』

『なんで……』

『手を……いや。感染者との接触が怖いんだったね。立って、後ろへ走るんだ。君にはやはりまだ早かったみたいだね──何、気にすることはない。これから成長していけば──』

『どうして、感染者のあんたが……私を庇ったの』

『君が子供で、僕が大人だからだ。感染者か、そうじゃないかなんて……些細な問題のはずだよ。多分ね』

 

あれからだっけな……。

 

震えながら、感染者への恐怖を少しずつ払拭していこうとし始めたのは──。

 

アーミヤとも交流があったみたいで、少しずつ、本当に少しずつグレースロートは前へ進み始めた。

 

今もその途中だ。まだ感染者に触れるのは怖いし、鉱石病へのトラウマも消え去ってはいないが……少しずつ、前へ歩けている。

……なんで僕だけが例外なのかは分からんけども。

 

「すっかりと一人前のエリートオペレーターだな、君は」

「承認のハンコ押したのは先生ですよ。本当、あなたには感謝している」

「そう思っているのだったら、もう少し周りの機嫌でも取ってやるといい。こんな小説など読んでないでな」

「手厳しいですね。僕はあなたの機嫌の取り方なんて分かりませんよ?」

「違う。君は今の言葉が、私の機嫌をとれとでも言う風に聞こえたのか?」

「……ブレイズとかですか?」

「自分で考えることだ」

「うえ。先生は本当に厳しい人ですね」

「だったらこんな場所に来るのはやめておくことだな」

「それもやめておきます。……また来ますよ。僕に人助けを教えたのは、他ならないあなたですから。それじゃ」

「やれやれ」

 

ケルシー先生の部屋を後にした。

 

廊下を歩く──。

 

「お、ブラストじゃん。何してんの?」

「エフイーター。いや、ちょっと用事が済んだところ。あ、これから飯だけど、一緒に行くか?」

「うん。あたしもちょうどご飯食べに行くところだったし」

 

現在、エフイーターは別の部隊への配属になっている。主に作戦記録指導……だっけな。まあよく分からんけど、相変わらず元気にやっているらしい。

 

「そうだブラスト、あたしたちで作ったあの映画、雑誌で特集されてるよ! 迫力ある戦闘シーンだってさ!」

「ああ……。あの僕とお前の給料全部吸い上げて行ったアレね。上映まで漕ぎ着けたのか、すごいな……」

「そりゃあ、あたしが交渉してきたんだから当然さ。もちろんブラストの手柄もあるけどね」

「お前ね……。なんだって僕がスポンサー集めなんかやらなきゃいけなかったんだ。めちゃくちゃ苦労したんだからな。二度とやらない」

「そんなこと言うなよー! ロドスのみんなには、結構評判良かったじゃんか」

「まあ、そりゃそうだったけどさ……」

 

ブレイズも面白かったって言ってくれたが、なんか不満そうだったんだよな……。なんでだろ、あいつも映画に出たかったのか?

 

「けど悪いね、ちょっと忙しくなるからしばらくは付き合ってやれない」

「お、ってことは終わったらいいの?」

「暇でもやだ」

「なんでだよ! あ、もしかしてあのネコミミか! お前ら付き合ってるって噂だもんな!」

「なんでブレイズが出てくるんだよ……。揃いも揃って……一体なんなんだ? そもそも付き合ってないし」

「およ? そうなの?」

「もしあいつと付き合ってたら、お前と一緒に映画なんか作るかよ……」

「……ふーん。そうなんだ〜」

「なんだよ?」

「いーや? なんでもないよ〜」

「なんなんだよ……」

 

機嫌のいいエフイーターと一緒に食堂に入る。

 

何百もある席の八割ほどは埋まっていて、かなりの喧騒が入り口にまで伝わってくる。

 

──僕がロドスに来た当初は、こんなに人数はいなかったことを思い出した。

 

活気付いてきている。力もつけているし──新しいオペレーターも増えている。

 

世界を変えるための力が──。

 

「……? ブラスト? どうかしたの?」

「いや、なんでもないよ。……行こう」

 

 

 

 

 

 

 

 

『……Aceさん。僕は戦闘オペレーターなんであって、別に土木作業員じゃないんですけどー!』

『黙って手を動かせ。今は猫の手でも借りたいんだ』

『猫だってよ! ブレイズ、Aceさんが呼んでるよ!』

『うるさい! 私だって頑張ってるんだから、ブラストもちゃんとやってよ!』

『やってるって。ほら見ろよこの基礎工事! ちゃんとしてるだろ』

『そうだね。それを後いくつ作ればいいのか分かってる?』

『……。この話、やめるか』

『何、メカニックの連中も頑張ってくれてるし──明日からこの村の入居者たちも来てくれる。それほど時間はかからんさ』

 

かつて荒れ果てた村を、行き場をなくした感染者たちの居場所にする計画があった。

 

その村は十年ほど前に野盗の襲撃でボロボロになってしまい、住人たちが皆去ってしまった。だが大まかな畑や家のレイアウトは残っていて、再利用の可能性が見出された。

 

何より、地質調査の結果でこの近くに天然資源が埋蔵されていることが分かったのだ。

 

国が力を上げて獲るほどの膨大な量ではないが……確かに、かなりの量が眠っている。

 

『ロドスってこんなこともするんですね。はーきっつ、太陽が眩しい……』

『これをモデルケースにして、もっと感染者の居場所を作り上げていきたいんだ。これが初の試みだよ』

『思い切ったことするなあ。ロドスからここまで来るの、結構大変でしょうに』

『いいのさ。これはちゃんとした取引だ、ロドスにも、ここに根を下ろすことになる感染者たちにもメリットがある』

 

僕たちは村を作る主導をして、その後の鉱石病への治療を。

 

この村に住む感染者は、僕たちに資源と援助を。そしてまた新しい感染者の受け皿にもなれる。

 

『でも、よくケルシー先生が許可を出したよねー。あの人、こういうこと嫌いだと思ってたなー……』

『そりゃ、ブレイズはあの人に会う時基本的に叱られてばっかりだからね。無理もない……のか?』

『無理もないさ。あの人の優しさは分かりにくい。厳しい面ばかり目についてしまうが……ケルシー先生は本当に優しい人だ。俺たちみたいな古参のオペレーターはみんな知ってる』

『僕も知ってる。ケルシー先生はすごいんだからな』

『ブラストがケルシー先生を好きなだけじゃん』

『そりゃあ、僕を拾ってきたのはケルシー先生だからね』

『え? そうなの? Ace、知ってた?』

『いや……チラッと聞いたことはあったが。そうだったか』

 

そういえば、この時はあんまり人に身の上話なんて話したことなかったなあ。今もあんまり話さないけども。

 

確か、この頃の村は結構荒れ果てていた印象があった。草とか伸びきっていて、Whitesmithさんが文句垂れながら刈っていたんだったかな。ロドス全体の行動隊の数も少なかったし、隊員数も今も半分もなかった。だからエリートオペレーターですら現場に出て汗を流すことになっていたんだ。

 

剥がれた壁や塗装、それから道や、インフラの整備。

 

初めてやることばかりだったが……楽しかったな。Mechanistさんが大活躍だった。クロージャが来た時は流石に肝を冷やしたけど……。

 

『感染者になって落ちぶれてた僕を拾ったのはケルシー先生だよ。僕はその時、結構人生に絶望してたんだけど……ほんと、あの人に拾ってもらえて良かったよ』

『……ふーん。そうなんだー』

『なんか含みのある反応だな……』

『べっつにー? なんでもないよー』

 

ブレイズの釘を打つ強さがその時だけ二割くらい増していたような気がする。うろ覚えだが……それだけ妙に覚えているもんだね。

 

『よし……。ここはこれでオッケーだな。後はメカニックの連中に任せて、俺たちは一旦休憩にでも入るぞ』

『了解。はー、やっと休憩だ……。訓練よりキツい気がするよ』

『そんな訳ないでしょ? この暑さのせいだよ』

『あー。ロドスは基本室内だもんな。太陽って暑いね……。あれ、ブレイズ……焼けた?』

『え、うそ。やっば、日焼け止め塗るの忘れてたかな!?』

『日焼け止め? ブレイズがそんなこと気にするなんてね。明日は雨──いってえ! ちょとブレイズ!? なんでいきなり叩いてくるんだよ!』

『ブラスト、今のはお前が悪いな……。よりによってお前が言うか』

『はあ? Aceさんまで……。なんか悪いこと言ったかな……』

『信じらんない……。もう、全くこの男は……』

 

懐かしい記憶だ。

 

とても懐かしい。まだ下っ端の隊員だった頃だ。

 

この村の名前は────

 

 

 

 

「エスペランサ村?」

「ああ。僕がまだエリートオペレーターになる前から関わっている村でね、知り合いも多い……というよりは、知り合っていったと言うべきかな」

 

助手席に座るグレースロートが見渡す限りの草原を眺めて顔をしかめた。

 

「……こんな場所に?」

「うん。地理の関係上、天災が来にくい場所みたいでね。この辺りには昔、たくさんの集落があった。まあ、今じゃ見る影もないんだけど……」

「ふーん。そう……で、私たちはそんな場所に何をしに行くの」

「素材の運搬かな。それと交流。医療班の護衛も含まれるね」

「素材? ああ……資料で読んだ。アケトンの原料が取れるんだよね」

「そう。一口に原料と言ってもいろいろあるんだけど、話すと長くなるから今はやめておくよ。授業の気分でもないだろうしね」

「私は構わないよ。ブラストの話は、それなりに興味があるから」

「あれ、グレースロート、君……お世辞とか言えるタイプだっけ」

「本心だけど」

「……それは嬉しいな」

 

僕の話は回りくどいとか、面倒くさい話が多いとか日頃から言われるように、僕もそれなりの自覚があったんだが……。

 

「じゃあ授業でもしようか。エスペランサ周辺で取れるのは主にエステルの原料なんだけど、そもそも原料って何だかわかる?」

「確か、触媒……だったかな。合ってる?」

「その通り。ある金属のことだね。ちょっと加工した工業用のアルコールを分解するための、結構貴重な金属。この金属を利用して分解した後のアルコールが、いわゆる初級アケトンになるんだけど……この話の肝はそこじゃない。金属についてなんだよね」

「ただの金属じゃないの?」

「いいや。毒性があるのさ。少なくとも、自然界にはその状態で存在している。素手で触れると毒が肌から入るくらいヤバいやつ」

 

そして、非常に脆く水に溶けやすいという特異な性質を持つ。

 

その金属を溶かした水は、即効性と致死性を持つ水になり、どうなったのかというと──。

 

「もしかして、兵器になった?」

「よく分かったね。まあ今じゃ非人道兵器ってことで、国際条約で禁止されてる。昔、この村が滅んだ原因もその金属……脆弱化カルカロイにあったらしいよ。軍人崩れがその金属の毒性に目をつけて、奪い取ろうとしたっていう」

「それで、その後は」

「カルカロイ中毒で死んだ。ちゃんとした安全対策を怠ってね。お粗末な話さ」

「……そんな素材をロドスが受け取ってるって言うの?」

「アケトンの原料ってことを忘れてない? 全ては使い方次第さ、猛毒にも有用な素材にもなる」

「……それもそっか」

「こんなところかな。まあ素材の運搬はちゃんと防護服着込んだ連中がやるから、僕らは基本的に見てるだけだし、心配は要らないよ」

「別に心配なんてしてない」

「そう? 一応言っておくけど、村の住民はみんな感染者だ。君が平気かどうか、僕はちょっと判断しかねてるんだけど」

「ちゃんと理解してる。避けて通れない道なら、早めにやっておくべきだと判断した。大丈夫。今更下ろしたりしないでね」

「まさか。安心したよ──ほら、見えてきた」

 

ロドスと感染者たちが作り上げてきた一つの楽園。

 

エスペランサ村だ。かなり前、行動隊E3にいた頃に、Aceさんたちと一緒に建設を手伝ったことがあった。

 

村の人たちが手を振って歓迎してくれていた。

 

ドアを開いて降りると、駆け寄ってきてくれる人がいる。

 

「ブラストさん!」

「ギノ。久しぶり、元気にしてたかい?」

「はい! 今年は作物がうまく出来そうなんです、ロドスにも送ろうと思ってて」

「お、やっとか……。長かったね」

「はい、まあゆっくりしていってください。歓迎の用意は出来てますから」

 

ギノはこの村では一番若い青年だ。僕より幾らか年は下だが、しっかりとしていて、若者らしいアグレッシブさでこの村を引っ張っていっている。

 

村で生きていくなら、自給自足が最低原則だ。農業などやったこともない感染者は多く、最初は苦労していたが……やっとか。そうか、やっとこの村も軌道に乗り始めたのか……。

 

「数年の苦労が報われたね」

「ええ、本当に……。そちらの方は、初めて来られる方……ですよね」

「ああ、彼女は──」

「いい。私のことは気にしないで」

「……悪い、彼女悪気があるわけじゃないんだ。まだ新人でね」

「いえ、構いません」

 

グレースロートは車から降りて、広がる村落を眺めていた。

 

車両の後ろから部隊の連中が降りてくる。数台のロドスの車も続いて停まり、医療班と資材運送班も村に降り立って、歩き出した。

 

「じゃ、早速定期検診をやろう。ギノ、僕らが準備してる間、村の人たち集めてくれる?」

「はい、すぐに。それじゃ」

 

クランタの青年、ギノは感染者となってからカシミエージュを追われ、放浪しながら略奪を繰り返していた。生きるためには仕方がなかった。

 

「……あの人も、感染者なんだよね」

「うん。数年前、強盗事件を起こしてロドスに捕まった……っていうか、保護されたんだ」

「それってつまり、犯罪者ってことじゃない」

「言葉を選ばないならね。でも珍しいことじゃない……生きるためには、仕方がなかったってヤツだよ。犯罪行為を肯定するつもりはないけど、僕にはその気持ちがよく理解できるから」

「ブラストが?」

「僕にだって、背負っている過去があるってことさ。もちろん感染者だからって罪にならないわけじゃない。感染者になったって、誰もがみんな略奪をする訳じゃない。罪は罪だ。けど……仕方がなかったんだって叫ぶギノを、僕はどうにも責められなくてさ。本当、この村を作ることが出来てよかったと思うよ」

「ふーん……」

「さ、仕事しよう。まずは医療班の手伝いから。任務概要は頭に入ってる?」

「鉱石病の検診と治療って聞いてるけど……本当にこんな場所でやるの?」

「僕たちロドスが感染者のために出来ることはそう多くないけど……やれることはあるさ。どんな場所でもね」

「……そう」

 

グレースロートには経験が必要だ。

 

こういう世界もあるんだってことを、知ってもらいたかった。今回の任務が彼女にとって、有意義なものになれば喜ばしいことだ。

 

子供の成長は、何より嬉しいものだから。

 

 

 

 

 

 

「はい、じゃあ腕出してくださいね」

「うっ……痛くしないでくれよ」

「もう、大人なんだからしっかりしてください!」

 

仮設したテントの中では、村の住人たちの感染状況の記録、及び鉱石病の抑制剤を打っている医療班の姿がある。

 

緑の豊かな村だ。

 

踏み鳴らされた道を、資材運搬班が荷物を抱えながら歩いていく。脆弱化カルカロイの運搬だ。ちゃんと防護措置をとっている。村の住人にも貸し出されているものだ。

 

「たーいちょっ」

「……イーナ。何その……変な掛け声」

「変な、ってなんですか! 可愛げですよ、可愛げ。それよりいいんですか、あの小娘放っておいて。ここの人たちに何言うか分かんないですよね。ほら、今あそこで村の人と喋ってますけど、怒らせちゃうかもしれませんよ?」

「僕が付きっきりってのもよくないでしょ? それにほら、村の人の表情もあんまり悪くない。心配するほどじゃないよ。てか小娘って……」

「ほんとかな〜。そもそも隊長、あの小娘と一体どんな関係なんですか。べったりですよべったり。親か何かですか」

「ははは、親ね……。そうだったらよかったかもね」

「え? うそ」

「冗談さ。十歳くらいしか離れてないのに親と子供なんてありえないだろ」

「じゃあなんなんですか? まだ二日目なのに、私あの子が隊長の事どう思ってるかわかっちゃうくらいなんですよ?」

「どうって?」

「それ聞きます?」

 

イーナは本気で頭を抱えたが……。こいつわかるのか?

 

日陰から日向を眺めていると、よそ風が髪を揺らす。グレースロートはまた村人と別れ、村を見学しに行ったようだ。

 

「僕は、懐かれてるだけだと思ってるけど」

「……隊長って、ほんと、もう、なんて言うか……救い様がないです」

「そこまで言うか」

「そりゃあ、懐かれてるってのも間違いじゃないと思いますよ? でもあれは……依存に近いです。ぶっちゃけ危ういです。隊長が」

「僕が? あの子じゃなくて?」

「隊長ってほんと人間関係の沼ですよね。あーやだやだ、こんな隊長の下で働けて光栄ですー」

「……まあ、皮肉はよせよ。依存はないだろ、依存は」

「その油断がいつか隊長を殺しますよ。ブレイズさんともあんなんだし……エフイーターさん連れてきたときは、本当に殺してやろうかと」

「物騒だね……。なんでイーナがそんな事思ってんだよ……」

「……隊長。私じゃなかったらこの時点で刺してます」

 

じとっとした目をイーナが向けてきた。

 

「そりゃイーナは術師だもんね。刺しはしないでしょ」

「わざとやってます?」

「至って真剣さ。……いや、冗談だよ。うそうそ、だからサバイバルナイフ取り出すな? しまって?」

「次同じような事言ったら刺します」

「ほ……本気の目だ。殺意を感じる……」

「はぁ……。ま、いいですけどね。どうなろうと、隊長は私の隊長ですからね」

「? そりゃそうだろ。僕はお前の隊長だ」

「ならいいんですよ。ふふっ」

「さっきまでナイフ取り出してたヤツとは思えない笑顔だね……。ところで、グレースロートの腕はどう?」

「不本意ですが……悪くないです」

 

イーナはまた不服そうに言う。

 

青空を見上げながら渋々評価を口にした。

 

「ちゃんとしてます。才能っていうか……努力ですね。基礎的な動作がしっかりしてて、ミスが少ないです。飛び抜けた技術は持ってないんですけど……とにかく堅実です。癪ですけどね」

「ジフとかと比べてどう思う?」

「そりゃ、ジフの方が強いに決まってます。でも……」

「でも?」

「……。いや、これ以上褒めるの嫌なんでこれ以上は言いません」

 

大体分かった。

 

狙撃手にはそれぞれ特徴がある。ジフはかなり荒削りだ。攻撃力に特化しているとも呼べる。グレースロートは堅実。まあどちらがいいかと言われれば……好みの問題もあるだろうが、僕は堅実な方がいいと考えている。

 

かと言って、じゃあグレースロートをいきなりウチに入れるのかと言われれば否。

 

腕前よりも、僕が重視するのは信頼関係だ。

 

平時から連携でき、いざというときに助け合える。それがチームの理想像だ。

 

まあグレースロートならいずれは大丈夫だと思ってる。いずれは──そうなるかもしれないけど、まあそれは僕一人で決める問題じゃないし。

 

「とにかく。隊長、しっかりしてくださいね」

「あの子の世話は僕一人が見る訳じゃないよ。お前らとの交流も大事だと思ってる」

「そうじゃなくて……もういいです。ほんとにもう……。私、医療部の方見に行ってきます。それじゃ──あ、隊長。今度の非番、買い物に付き合ってくれませんか?」

「予定が空いてたらね」

「やった! 忘れないでくださいね! それじゃー!」

 

イーナは去っていった。

 

空を見上げると、晴れた空が腹立たしいほど青かった。

 

いい天気だ。

 

 




・ケルシー先生
アークナイツを進めていくごとに印象がどんどん変わる先生。
えちち。
優しい先生だと信じてます

・グレースロート
複雑なお年頃。
かわいい……。昇進2がえっちい

・エフイーター
ブラストと映画を作っていた。尺の都合で全カットしたが、ブラストの給料と休みが消し飛んだ

・Aceさん
回想シーンに登場。エスペランサ村を作る作業に参加していた
他のエリートオペレーターも一緒に働いていたと思います

・ブラスト
ケルシー先生に拾われてきた

・イーナ
行動隊B2の女術師。
あっ……
外見イメージは適当ですが、ペッローのイメージで書いてます

・エスペランサ
どっかの言語で希望を意味する言葉。
皮肉です

・アケトン
理性生える
化学系の知識は適当です。ゆるして

Catcher in the rye(ライ麦畑でつかまえて)
D.J.サリンジャーによるベストセラー長編青春小説。実在します。ブラストは面白いって言ってましたが私は全然面白くなかったです


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雲と灰色-3

『ここが……俺たちの住む、場所なんですか』

『そうだ。まだ名前も決まってないがな』

『ここでなら、俺たちは……平和に暮らせるんですか』

『周辺諸国への通達は済ませてある。少なくとも、手出しはしてこないはずだ。あとは君たちと私たちロドスの努力次第だな』

『……ここが、俺たちの──』

 

不安要素は強かったと思う。この村は完全な自治が必要だったし、犯罪歴のある感染者も多かったというか……ロドスが受け入れきれなかった感染者の行き場だったからだ。

 

もしも外部からの障害がなくとも、内側から──というのは、あり得た話だ。

 

世の中に締め付けられてきた彼らが、心の奥底で何を思っていたか。ロドスは感染者を助けようとする組織だが、感染者からの逆恨みは珍しくない。

 

なぜもっと早く助けてくれなかったのか、なぜもっと強い援助をしてくれないのか。

 

非感染者を皆殺しにしろと言う感染者さえいる。

 

それでも。

 

『ここが感染者にとっての希望となり得ることを、心から願うよ』

『希望……』

 

だから、ケルシー先生はそう名付けた。

 

『そうだな。ではEsperanza(希望)と名付けよう。Ace、どうだ』

『先生にしては珍しいネーミングですが……いいと思います。ブラスト、どうだ』

『僕も賛成です。じゃあ、エスペランサ村ですか?』

『えー、長くない? もっと短い方がいいって』

『フフ、そうかもしれんな』

『いや、ブレイズ……これがいいよ。僕はそっちの方がいいと思う』

『そう? まあ……ブラストがそう言うんなら、私も別にいいかなぁ』

『では、そうしよう。君、それで構わないか』

『はい、ロドスのみなさんが決めた事なら……それで』

 

最初の住人は、大体100名前後だったかな。それだけの数から規模を拡大させ、今では400名を越す住人を抱えた村へとなった。

 

これを足がかりにして、もっと感染者の希望を増やしていけるように。行き場をなくした人々に居場所を与えられたら。人々自身が自分の居場所を作り出していけたのなら。

 

こんなに嬉しいことはない。

 

それはもはや、僕自身の希望だ。

 

『あの……ありがとうございますっ! 本当に、ありがとう……!』

『構わんさ。ギブアンドテイクの一つだ。君たちにはこれからも苦労して行ってもらう予定だからな』

『それでも、ありがとう……!』

 

ギノの感謝の言葉を覚えていた。

 

その時初めて、僕はロドスのやろうとしていることが一体何を意味するものなのか理解した。

 

これだ。

 

ロドスが感染者を助けるのは、この景色を世界中に広げるためなんだ。

 

ケルシー先生への恩返しのためにロドスに入った僕は、この時初めて、夢とも使命感ともつかぬ思いを抱いた。

 

──人々を救おう。

 

──僕がケルシー先生に助けられたように、僕も誰かを助けよう。

 

──それが、僕のやるべきことだ。

 

それが今の、エリートオペレーターBlastを作り上げた思いだ。

 

今でもそう信じている。

 

 

 

 

 

「じゃあ、一旦僕らはロドスへと戻ります。検診は予定通り明日も行いますから、そのようにみなさんに伝えておいてください。何かあればこっちのイミンが残ってるので、こいつに。イミン、頼んだよ」

「はい、自分に任せといてください」

「うん。それじゃ、グレースロート。帰るよ」

「分かった」

 

素材を詰め込んだ車両にブラストたちはイミン一人を残し、一旦ロドスへと撤収する。村の人数もあって、定期検診は二日間に分けて行われる予定だった。

 

イミンを残したのは、ブラストの気遣いだった。

 

家族を無くしたばかりのイミンには、自然に囲まれた場所での時間が効果的だと判断したのだ。少しでも気を抜いて、立ち直って欲しいというのは隊全員の総意でもあった。

 

──イミンは移動都市の出身ではない。このエスペランサのような、自然に囲まれた集落の出身だ。故郷に近い風景を見て、イミンはロドスに来る前の生活を微かに思い出した。

 

源石(オリジニウム)に対する知識、および鉱石病に対する知識が少ない集落だった。閉鎖的で、未知のものに対する免疫が少なかった。

 

イミンはそんな集落に怒りを覚え、鉱石病の妹と、自分の鉱石病を治すために、兄妹二人だけでロドスへと辿り着いた。

 

両親はそんな自分に援助を惜しまなかった。鉱石病を治すことはできないが、援助してやることはできると言い、無理をして多額の資金をイミンに渡した。

 

愛されていたと思う。

 

──そして、全員が死んだ。

 

最悪だった。妹の里帰りに、サルカズの傭兵団の略奪が重なった。運が悪かった──。

 

イミンだけは、里帰りよりも訓練を優先して生き残った。イミンだけが。

 

サルカズの悪名通り、惨たらしい死体が残っていたらしい。

 

その知らせを受けて、イミンは浮遊感にも似た現実味のなさと、じわじわと襲い掛かる苦しみに襲われていた。

 

自分一人が生き残って、何かなるのだろうか。意味があるのだろうか。

 

両親に感謝していた。妹を愛していた。

 

不思議なことが一つだけあった。

 

自分の人生において故郷であった集落には、そこまで感情の比重をおいていなかった。

 

それなのに……なぜこんなにも、虚しい──?

 

エスペランサに沈む夕日を見ていると、答えがようやく出せた。

 

自分にはもう、帰る場所がないのか。

 

「イミンさん、部屋はこっちに用意してあります」

「……ギノさん。ありがとうございます」

 

あてがわれた部屋と、食事。いい部屋だと思う。

 

「その、何か……ありましたか?」

「──あ、ああ。自分ですか。いえ、なんでもありません。エスペランサの皆さんに落ち度は何もありませんよ。自分にはお構いなく」

「そう、ですか……。じゃあ、俺はこれで。おやすみなさい」

 

ギノは扉を閉じてゆっくりと出て行った。

 

自分はそんな顔をしていたか。

 

隊のみんなにも今朝からずっと気遣われている。

 

こんな風では、副隊長は務まらない。しっかりしろ、イミン。

 

食事を終えて、すぐに寝ることにした。

 

あまり考えるのも良くない。時間が経てば、いずれ風化してくれるはずだ。

 

 

 

 

 

深夜。

 

早く寝過ぎたせいか、真夜中にイミンは目を覚ました。

 

もう一度眠ろうにも、眠気がさっぱりない。外を歩くことにした。

 

真夜中といえど、月が出ていた。

 

夜の風に揺らされて、草葉が月光に照らされている。幻想的な風景だった。

 

──話し声が聞こえてきて、イミンは反射的に足音を消し、身を潜めた。

 

耳をすませる。

 

「──し、連中は午前中には到着する。予定通りだ」

「くくっ……。これで連中が持ってくる物資、奪いたい放題って訳か。いや〜、感染者を助けてくれるのか。助かるぜ……くく!」

「声を出すな。まだ村に一人、ロドスのヤツが残ってる」

「疑われてねえだろうな」

「それはない」

「なぜ言い切れる?」

 

複数人だ。

 

近い──。

 

「ひどい表情してたからな。あれで任務なわけがない」

 

聞き覚えのある声。

 

ギノだ。

 

この会話内容──間違いない。何かを企てて──。

 

「で、本当に俺たちのその後は保証してくれるんだろうな」

「天下のサルカズが信用できねえか。そりゃそうだ。警戒心は大事だぜ〜? まあ安心しろよ。俺らがお前らを殺す必要なんてどこにもないだろ? お前らは俺ら傭兵団に飯を提供する。俺たちは脅威からお前らを守る。ギブアンドテイク。何度も言ってることだよ」

「それで、ロドスの人たちはどうする気なんだ?」

「まあ皆殺しだな。逃げられちゃ面倒だ。……おっと、罪悪感が湧いたか?」

「はは、まさか。……連中は感染者の裏切り者だ。結局俺たちから搾取してるだけの偽善者の集まりだよ。罪悪感なんてあるわけがない」

 

強い、怒りを覚えた。

 

サルカズの傭兵団……どこからかこの村に入り込み……。

 

「でもロドスの奴らの装備は充実してる。勝てる見込みが本当にあるんだな?」

「ロドスなんて聞いたこともねえ。別にBSWやらそこいらの傭兵相手にするわけじゃなし、俺らが負ける訳ねえ。製薬会社なんだろ? 医者の真似事してる連中に、俺たちが遅れをとるものかよ」

「なら安心だ。奴らめ……俺たちから容赦なく奪いやがって! クソ、何が感染者のためだ、こんな田舎に閉じ込めておいて、白々しく正義を語る資格なんか、あいつらにはありはしないってのに!」

 

いいかげん我慢の限界だ。

 

──とても、愚かだ。救いようがない。

 

つまり、ロドスを売ったのか。この村は──。

 

一刻も早く隊長にこの事実を伝えないといけない。

 

足を返して──。

 

「……おい、そこに誰がいやがる?」

 

夜に──。

 

最後に、仲間たちの顔が思い浮かんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえ、ちょっと車が速すぎる気がするけど」

「イミンから来る予定だった定期連絡が、昨日の夜から途絶えている。何かあったか分からないけど……胸騒ぎがする」

「誰かに襲われたとか」

「まさか。あの村にそんな人はいないし……イミンは強いよ。ちょっと気が抜けているだけだと思う。ここのところ、イミンはずっとそうだったし」

「彼の故郷、この前襲われたって──」

「そう。ここのところなんか危ない顔すること多くてさ。今夜あたりにでもみんなで宴会でもして元気付けてやる予定だった。……急ぐよ」

 

アクセルを踏む。

 

草原の道に車両が大きく揺れた。

 

「Blastより行動隊B2各員へ。ないとは思うけど、村で何かが起きているかもしれない。装備を整えておいて。医療班および資材班は、念のため、村から一キロ離れた場所で車両を止めて、僕の指示があるまで待機。その後十分以内に僕から連絡が無ければすぐさまロドスへ引き返してこの事実をケルシー先生に伝えること」

『了解っす。でもそこまでする必要あるんすか?』

「なんか、嫌な予感がするんだ」

『根拠ないんすか……』

「いいや──。あるよ。今日は……天気が悪い。ほら、雨が降りそうだ」

「気のせいじゃないの。今日は降らないって予報が出てた」

『ま、杞憂なら心配性の隊長を笑ってやればいいだけっすね』

「そういうこと。グレースロート、君も心の準備はしておくんだ。もし戦闘になっても、僕はまだ君を戦わせる気はない」

「……分かった。指示には従う」

『Blastさん。村までもうすぐです、医療班はここに車両を停止させます』

『資材班、同じく』

「了解。……何も無ければいい。それでいいんだ……」

 

車両の後ろに行動隊B 2、僕たちを含めて九名を乗せて、エスペランサ村へ。

 

……天気が悪い。

 

村の入り口に車を停める──。

 

「各位へ。すぐに車両から出て不自然にならない程度に散らばれ」

『了解』

 

車から出る。昨日のようにギノが駆け寄ってくるが、その表情が硬い。

 

「やあギノ。イミン知らないかい?」

「ブラストさん、大変なんです! 実は昨日の夜、サルカズの傭兵団が村へ来てて──」

「サルカズの傭兵団……。クソ、ビンゴか! 村の人たちはどうしてる!」

「山のほうに避難してます!」

「そうか、それで人の気配がないのか……! イミンは!?」

「その、僕らが避難する時間を稼ぐために──でも、適当なところで切り上げて逃げるって」

「……。どっちだ、すぐに向かうよ!」

「あっちです!」

 

すぐに剣を取り走る────。

 

 

 

 

 

ここで、グレースロートは一つの決断に迫られていた。

 

「あっちです!」

 

ギノが指差した、村の中央への道へ走り出そうとするブラストに──ギノが、隠していたナイフを振り下ろそうと──。

 

ブラストが焦燥のあまり、普段なら容易に気がつける殺気に気がつかなかった。また、ギノとは長い付き合いで、警戒心が一切なかった。ブラストは、ギノを信用していた。

 

これらの要因が重なり、首へ振り落とされるナイフに──。

 

グレースロートだけが気がついていた。

 

ボウガンはとっくに構えていた。村に近づくごとに、何か異様な気配がした。ギノ以外に人が誰もいなかったのは、ただ事ではないことが容易に分かった。

 

グレースロートなら、ナイフを振り落とすより先に脳天を打ち抜ける。その自信と、繰り返した訓練の積み重ねがある。

 

ボウガンには矢が装填してある。両手に構えてある。

 

グレースロートはまだ、人を撃ったことがない。

 

人を殺したことがなかった。

 

当然だ、本来ならまだドーベルマン教官のもとで訓練段階にあったはずだ。

 

そもそもロドスの理念からして、行動隊とてそう簡単に人は殺さない。ロドスは傭兵斡旋会社でも民間軍事組織でもない。

 

エリートオペレーターでさえ、殺人を犯すのは本当にやむを得ない場合だけだ。

 

命を奪えば、その歪みが倍になって襲ってくることなど、ロドスのメンバーは重々承知していたから。

 

人を殺すことに恐怖があった。

 

いつか見た感染者の暴動、倒れる人々。人混みへ消える父の、二度と見れない背中。

 

こびり付いた赤い血に、仲が良かった友人の狂気に染まった姿。

 

何度も何度も、何度も何度も何度も何度も──……とっくに死んでいるような人間に馬乗りになって、薄汚いスパナで何度も頭部を殴り、頭蓋骨を砕いて飛び出した脳漿の色。

 

恐ろしい怒号。悲鳴、砕ける音、千切れる音、殺す音。殺す声。

 

何もかもが信じられなくなったあの日。

 

忘れたくとも忘れられない、真っ赤な血に染まった世界。

 

きっと生涯、自分は人を殺すことはない。それだけは、自分があの暴動を起こした感染者と同じになるのはダメだ。

 

あんな恐ろしい人々の中に、自分が加わっている景色は、想像しただけで──吐きそうになった。

 

あんな人たちと一緒の存在に堕ちたくない。

 

この手が真っ赤に汚れるのが怖い。

 

怖い。

 

怖い。

 

怖い──……。

 

『僕はブラスト。さっきは大丈夫だった?』

 

怖い。

 

『感染者が怖い──……。そうか。人が信用できないのか……。なら、こういうのはどうだろう。本当にロドスが信用できないか、試してみるっていうのは。そうだな……せっかくだし、僕の命でも賭けようか。ロドスが命を懸けて人々を助けようとしていることを君に証明しよう』

 

怖い。

 

『んー……。でも具体的にどうしようかな。君、狙撃手だよね。だったらこうしよう』

 

怖い。

 

『君がもしも、これから先──僕のことを微かでも信用できないと感じたら、そのボウガンで僕の頭を撃ち抜けばいい。僕は抵抗しないし、君はいつでも好きな時に僕を殺せばいい。ケルシー先生には僕から言っておくよ。僕が死んだときは、それは事故で、全部僕の自己責任だって。それでどう?』

 

怖い。

 

『って、こんなイカれた提案受けるわけないよね──って、いいの? マジか。ま、一度言ったことは取り消さない。信頼っていうのは、この命をかける価値がある。特に、君みたいな子供からの信頼をこの命一つ賭ける程度で得られるんなら儲けもんだしね』

 

怖い。

 

『僕は大人だから、君を守り、導く義務がある。君、名前は』

 

怖い。

 

この名前に真っ赤な血がこびりついて、私を蝕む未来が、怖くてたまらない。

 

怖い。

 

汚れた手を、もう一度取ってくれる誰かが現れないかもしれないと考えるのが怖い。

 

怖い。

 

『私は……』

 

怖い。怖い、怖い怖い怖い──怖い。

 

「グレースロート。それが私の──……ッ!」

 

でも。

 

ブラストを失うのは、それよりも怖かった。

 

ギノの頭部を矢が貫いた。血と脳漿が、感染者の希望の地へ飛び散って、汚れた。

 

 




・ギノ
感染者の青年。救ってくれたにもかかわらずロドスへの反感があった。
村のリーダー役をしていた。無事死亡

・グレースロート
初めて人を殺した。
シリアスの元凶。
かわいい

・イミン
行動隊B2の副隊長。無事死亡

・サルカズの傭兵団
ぐへへへって笑いそう
今回の敵役


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雲と灰色-4

ロサガチャ報告。
五十連くらい回しました。
ロサさん来ました。
イベントシナリオ読みました。
ああああああああああああああああああああああああああああ
辛いいいいいいいいいいいいいいいいい
このイベントだけ過酷すぎへん? BGMすらない会話イベント怖すぎワロタwwwwww
ワロタ……


発射音が聞こえて、走り出そうとした体が反射的に後ろを見る。

 

グレースロートが矢をつがえて、次の準備を──。

 

その表情は。

 

驚きのままに倒れたギノに目をやって、手にしたナイフを見て全て理解した。

 

「ブラスト、無事!?」

「グレースロート……これは、」

「そのナイフが見えないの!? 周囲の警戒、まだ潜んでる可能性がある!」

 

隊の連中が駆け寄ってくる。

 

「ギノさん……!? これは、ねえ小娘! これは一体どういうこと!?」

「そいつがブラストを殺そうとしていた。ブラストが気付いてなかった。だから私がやった。それだけ」

「うそ……。まさか、この村の人たちが襲ってきたとでも言いたい訳!?」

「そう言ってる。そいつのナイフ、見えてないの」

「そんな訳ない……そんな訳ある訳ないでしょう!? エスペランサはロドスが一から作り上げた感染者の希望の場所よッ! そんな訳が……ッ!」

「やめろ、イーナ……」

「隊長、でも、──……」

 

頭では理解してる。

 

つまり、ギノはロドスを裏切ったんだ。

 

「もう、十分だ。……グレースロート、すまない。君の手を汚しちゃったな……」

「いい。必要なことだった」

「……医療班、資材班へBlastより通達。クロだ。今すぐロドスへ帰れ」

『り、了解。でもBlastさんたちはどうするんですか?』

「僕たちは……真実を明らかにする」

『わかりました……。無事に、ロドスへ帰ってきてくださいね』

「分かってる。それじゃ。……みんな、行くよ。現時点より、敵の存在が確認された場合、各自の判断で戦闘し、必要があればこれを殺して構わない。全責任は僕が取る。いいな」

『了解ッ!』

「行くよ。カルゴとハンスは僕と先行、状況を探る。ジフ、レイとグレースロートを率いて狙撃ポイントを取れ。必要があればお前の判断で撃て。イーナはアイビスと組んで周囲を警戒、敵の主力がいた場合、僕らと一緒に叩くよ。ルイン、すぐに救護態勢を取れ。必要に応じて行動しろ。すぐに次の指示を出す。通信機は常にオンにしておけ。そして僕からの連絡がない場合はジフ、お前が指揮を取って撤退するんだ。いいね──各自行動開始!」

 

この部隊の先鋒はカルゴとハンス。いつもなら僕は彼らの報告を待って指示を出す。だけど──。

 

中央へ走る。

 

嘘であってくれ、と。心のどこかで思っていた。

 

村の中央にいたのは、四名ほどの武装した集団だった。前衛と重装の武装。村に狙撃兵、術士が潜んでいる可能性がある。要警戒。

 

「おお? 来やがったが……あの小僧。さてはしくじったな。役立たずが」

「お前らは……誰だ?」

「泣く子も黙るサルカズの傭兵団……なんつってな。ロドスアイランドねえ……弱そうな連中だ。これなら何も考える必要はなかったなぁ」

「……。何を企んでる」

「いや? 何やら感染者を助けてくれる組織みたいじゃねえか。俺らも助けてくれよ! ッハハハハハハ!」

 

男たちが呼応して笑った。

 

その顔が──癪に触る。

 

「ちょうど車両が一台欲しかったところだったんだよ。鴨がネギ背負って歩いてくるとはこのことだな。ついでに村までゲットできるとは……神様ってのは居るモンだな。ああ?」

 

ヒゲの生えたリーダー格の男は聞いてもないのにべらべら喋る。

 

「ああ、そういやお仲間を探してねえか? 俺たちが()()しておいたから安心しろよ。会いたいんなら会わせてやるよ」

 

仲間の一人が笑いながら聞いた。

 

「お前そりゃ、どこで会わせてやるつもりだよ?」

「そりゃ決まってる、あの世さ。ハハハハハハ!」

 

もう──……。

 

「ハンス、カルゴ。隠れている敵がいるかもしれない。探し出せ」

「隊長、こいつらは──」

「僕一人で十分だ。行け」

 

指示に従い、二手に分かれて民家へ向かっていく。

 

これで状況は一対四。四方を家に囲まれているため、家の中からの狙撃に注意。そっちはハンスとカルゴに任せる。

 

「おいおいおい。俺たちも舐められたモンだな──? おい兄ちゃん、俺ら四人だぜ? こりゃ参ったな、弱いものいじめは好きじゃねえし……。そうだ、なら俺一人で相手にしてやるよ。それでどうだ?」

「バッカお前、それじゃ弱いものいじめになっちまうだろうが! ハハハハハッ!」

「ハハハ! そりゃそうだ! 悪い悪い──。ま、なるべく苦しませて殺してやるよ! そういやお前が隊長さんか!?」

「……だったら何だ?」

「そうか! いやー、面白かったぜ! 隊長、隊長っつってさ! 最後まで誰かの名前を言い続けてたよな! えーっと何だっけ、じ、ジフ……だとか、ルイン、だとか。仲間思いで結構だな、殺し甲斐があったってもんだ! せっかくだし同じ殺し方でやってやるよ! おいてめえら、囲め!」

「お前一人でやるんじゃなかったのかよ! ビビってんのか? ギャハハッ!」

「同じ殺し方でやることにした。まあどうせ死ぬんだ、結果は一緒だろ?」

「それもそうだな。せっかくなら遺言でも残してみろよ! あとでお前の仲間に伝えといてやるからよ!」

「──す」

 

イミンは、堅苦しい性格をしていたな。

 

何に対しても生真面目で、本当、真面目を絵に書いたようなヤツで──。

 

「ああ!? なんだって!?」

「殺す。もう、黙れよ」

「おいおい、強気なにいちゃんだな……。命乞いすれば、苦しまずに殺してやってもいいぜ?」

「……なるべく苦しめて、殺す。もう、」

「……。おい。このゴミ野郎をぶっ殺すぞ」

 

最初は、それほど優秀でもなかった。平凡な、だけど努力家で。

 

「……風よ、」

 

正面の男の首を飛ばした。風の剣が、可視できるリーチの外から掻き切った。

 

「は──? おい、リゲル……? く、クソが! 一斉に掛かるぞ!」

 

イミンは、その努力を持って、みんなに認められる副隊長にまでなった。

 

あいつの槍は、その堅実さを表したかのような硬い強さだった。

 

もっと──強くなれる。そのはずだった。

 

「ぐ、あああああ、腕、俺の腕が、ああああああああッ!」

「其は数多く、」

 

なんでかな。

 

「てめえ、タダで済むと──」

「堕ちて、」

 

本来の使い方は、こうじゃなかったような気がする。

 

もっと、この風というものはこんなに生やさしいものじゃなくて、

 

「クソ、なんで、何で──触ってもいねえのに、なんで攻撃が出来るんだよ!?」

「人を呪う」

 

もっと残酷で、容赦のない、

 

「が、げぼ、かはッ──、い、息が──」

「祝福であり、」

 

──こんな日が来るって分かってれば、ロドスには来てなかったのかな。

 

「やめ、やめろ、やめてくれっ、助けて、助けてくれ、──」

「あなたを作りあげたもの、」

 

最後の一人の両腕を切り飛ばした。

 

風がアキレス腱を切断して、男は膝をつく。

 

「お、俺たちが、俺たちが悪かった! もうこんなことはしない! お前らにももう関わらないっ! だから、がっ……げ、ぎ、……」

「また、あなたが作りあげた証に、」

 

二度と、イミンに会うことは出来ないのなら──。

 

「全て、幻のような呪いを……もう、十分だ。死ね」

「あ、──」

 

首が地面に転がった。

 

……。

 

イミン。これでいいか?

 

「各員へ。前衛四人を処理した。敵部隊はまだ残っている可能性が高い。敵を見つけたら報告しろ」

『狙撃班、敵部隊を確認したっす。連中、幸いなことにあんま警戒してないみたいっすよ。気づかれてないっす。数は六、装備から判断して、先鋒っすね』

『術師班、同じく敵を確認しています。いつでも行けます』

「これより掃討戦を展開する。村中央へ追い込むよ。そこで一網打尽にする。また、この作戦中において敵の状態は生死不問(デッドオアアライブ)だ。……これ以上、誰も死ぬな。作戦開始」

 

これでいい。

 

これが復讐になってることは、とっくに自覚してる。

 

誰の命であれ、殺人は殺人だ。罪は罪。

 

でも──。

 

「人の血を流すものは、人によって血を流す……か。なら、いつかは僕も──」

「隊長、民家に敵は確認できませんでした」

「ああ、了解。作戦通り、この四方の道で挟み撃ちにするよ。それでお終いだ」

「……了解してます。隊長、イミンのやつは……いえ。後にしましょう」

 

村の左右から戦闘音が響く。

 

「二人とも、狙撃班の援護に向かえ」

「了解。隊長は」

「僕は術師の方に行く」

 

頭がかつてないほど冷えて、視界がクリアだ。

 

雲が空に掛かり、気温が急激に低下していく──。

 

雨が降るだろう。

 

追い詰められた術師たちがこちらへ逃げてくる。

 

僕はそいつらの首を風でねじ切った。

 

追撃に走ってくるイーナを見つけた。

 

「隊長、それ──」

「……ああ。うん」

 

その表情が、あまりにも酷かったから、僕は虚しく笑った。顔だけで笑った。

 

「……本当は、こういう使い方が一番いいんだ。楽だし──、簡単に殺せる」

「隊長、もういいです。いいです……ッ! もう大丈夫ですから、もういいですからぁッ!」

「まだ作戦は終わってない──……。まだ、気を抜くわけには──」

「大丈夫です、大丈夫ですから──あ」

 

口で気を抜いてないなどと言いながら、気を抜いていた。

 

イーナの心臓を、一本の矢が貫いた。

 

背後からこっちに向かって、一本の矢が、貫いて────。

 

背後に一人、迷彩狙撃兵が隠れていた。笑った表情が──、

 

すぐに近くにいたアイビスが、怒りを抑えきれずに叫んで狙撃兵を撃ち抜いた。叫び声が風に紛れてよく響いていた。それが聞こえていた。

 

──現実を受け止めきれない。

 

こんな、こんな……。

 

一切の前振りもなく、こんな突然……。

 

僕はその日が来るかもしれないって覚悟したことはあった。戦いの中に部隊長として生きるんなら、その日が来るかもしれないって──でも。

 

こんな気持ちになるぐらいなら──、こんな、こんな──!

 

また、僕は失うのか?

 

イーナが苦し紛れに微笑んだ──。

体を預けてきて、僕は呆然としながら受け止めて、

 

「あはは……。嫌だなあ、まさか、私がドジるなんて……。まだ居た、なんて」

「僕は、お前を失うのか……? イミンに続いて、お前まで──」

 

ルインを呼んで、治療を──させて、どうにかなるのか?

 

心臓を貫かれて、……。

 

「隊長。私の最後のお願いです」

 

雨が降り始めた。

 

すぐに暴風を伴って、イーナの体温を奪って行く雨粒が、

 

冷たい雨の中で、頬に暖かい感触がした。

 

「隊長。私、あなたのことが好きです。……あはは、やっと言えた──……」

「なん、で──」

「本当は唇でチューしたかったんですけど、それはブレイズさんに譲ります。あ、返事は別にいりません。ここで私が死ねば、私は永遠に隊長の部下なんで。ちょっとズルいですけどね、えへへ」

「お前も……僕を、置いてくつもりなのか」

「……嘘ですよ。でも隊長、あなたは私の人生の中で、ただ一つ輝く光でした。あなたがいてくれたら、きっとこの世界が変わると今でも信じてます」

「僕に……やれっていうつもりなのか……? 僕は、僕はお前らを失ってまで世界を変えたいわけじゃ……ッ!」

「いいえ、隊長なら出来ます。感染者を取り巻く困難な状況を変えられます。私の知ってる隊長は、そんな人です。この世界を救ってください」

「違う、違う僕はそんなすごい人間じゃないッ! 僕は──ただの、」

「後のことは、お願いします。そうだ、みんなに──先に行ってるって、伝えて、おいて──」

 

雨が降っていた。

 

亡骸をアイビスに預けて、僕は背を向けて歩く。

 

「隊長、どこに」

「後の奴らを片付ける」

「……一つだけ、聞かせてください。私たちは、間違ってましたか……ッ!?」

「……。分からない」

「私たちのやっていることに、間違いがなかったのなら……! イミンとイーナの死が正しいってことじゃないですかッ!? そんなの、そんなの……」

 

アイビスの叫びが嵐の中で聞こえた。その呟きさえ──。

 

「あんまりじゃないですか……」

 

分かってる。

 

分かってるよ。

 

分かってるけどさ。

 

残りの傭兵は、すぐに片付いた。

 

……イミンの死体は、村の一角で見つかった。

 

「イミン……ッ! くそ、くそ、くそくそくそくそくそ! なんで! なんでっすか! なんでイミンとイーナがこんな目に遭わなきゃいけなかったんすかッ!? なんで、なんで……」

「……二人をロドスに連れて帰る。撤収するよ、風邪を引く」

「隊長ッ! でも──ッ!」

 

ジフの涙が雨に紛れて見えなくなった。

 

「僕たちがここに残って出来ることはもうない。ロドスへ帰るよ。帰るんだ」

「ちくしょう……うあああああああああああああッ!」

 

叫び散らすジフを放って、レイがイミンの亡骸を抱き上げた。

 

「くそ、ちくしょう、くそ、くそ! イーナ、イミン、なんで……オレ達を、置いていくなよ……寂しいじゃないっすか……」

 

僕も、イーナを抱き抱えて、車両へ──。

 

車両へ二人を乗せる。

 

雨が滴った。

 

ジフを除いて、みんなもう車両の後ろに乗り込んでいた。

 

あとは──。

 

「グレースロート。君も乗れ。帰るよ」

「分かった……」

 

 

 

 

帰りの嵐の中を運転していく。

 

大人数を運搬するための車両だ、前の座席と、後ろの大人数用のスペースは区切られていて、会話用のハッチを開けないと前と後ろでは会話ができない。

 

沈黙と、フロントガラスを叩く雨の音。

 

「私ね」

 

グレースロートが徐に話し出した。

 

「昨日、村の人と話をした」

 

僕は黙ってそれを聞いていた。

 

「なんでこの村に住んでるのか聞いたら、行く宛がなかったからだって言ってた。いろんな場所を追いやられて、ロドスに拾われて、あの村を用意されたんだって。あの村は、少なくとも感染者だっていう理由で差別されたり、食べ物を食べられないってことはない。だから、あの場所にたどり着けてよかったって。ブラスト、あの人たちはどうなるのかな」

「……山へ避難したってギノは言ってたけど、嘘だろうね。十中八九、あの傭兵達とグルだ。傭兵に襲われたっていう嘘をつきたいなら、もっとちゃんと家を荒らしたりする。村の状態が綺麗すぎたし……山へなんか避難できるはずがない。山は脆弱化カルカロイの産出地だ、危険すぎる。村の住人がそれを分かってないはずがない。おそらく、傭兵団が用意した場所へ一時的に逃れているんだろう。あわよくば、僕らを山のほうに誘導したかったのかもね」

 

結局その辺りが妥当なのだろう。

 

あの村全体が、ロドスを裏切った。

 

その事実が──。

 

「このままじゃいられない。一度裏切れば、もう二度目なんかない。ケルシー先生はそこまで甘くない……。最悪、あの村の住人を全員消したって構わない。どうせ感染者だ、いなくなっても誰も困らないし、はは……感謝までされちゃうかもね」

「ブラスト。それは、ブラストが絶対言っちゃダメな言葉。取り消して」

「……そうだね。僕がこんなこと言っちゃいけないよね。僕はエリートオペレーターで、感染者を救うのが仕事なんだから」

「……なんで、あの人たちはロドスを切って、傭兵団に付いたの」

「推論はいくらでも立てられるよ。まず、そもそも傭兵団が脅威だったから。あの傭兵団は随分粗暴そうだったから、彼らの要求を断れなかったのかもしれない」

「でも、ロドスに連絡する手段はあった。違う?」

「……残念ながら、違わない。彼らはそれを選ばなかった。感染者の安住の地と言っても、実態はそれほどよくなかったのも事実だ。娯楽が少ないし、都市の食べ物とかも手に入らない。かなり原始的な生活だったと思う。その上、カルカロイの採取ノルマがあったからね。彼らにとっては監獄だった……のかも知れない」

「でもそれを選んだのは彼ら自身じゃないの?」

「そう。確かに彼らは、彼ら自身が望んだんだ。でも──。思っていたものとは違ったのかもね。傭兵団につけば、感染者になる前のような豊かな暮らしができると勘違いしても不思議じゃない……のかも知れない」

 

全て、恩を仇で返された形になる。

 

彼らに同情の余地は、推論の上では存在した。

 

「彼らに罪はあると思う?」

「……その質問には答えられない。君に悪い影響を与えるかも知れない」

「私が子供だから、答えないつもりでいるつもり? 聞かせて、ブラストの答え。私は知りたい」

「そう。……罪があるかどうか。もしイミンとイーナが死んでなかったら、僕は罪はないと答えていた。傭兵団が全部悪いって考えて、許していたかも知れない」

「でも、それは仮定の話だよね」

「そうさ。仮定の話だよ。……全部、もう──終わったことだ」

 

これ以上は答えるつもりはなかった。

 

「グレースロート。殺したのはギノだけか?」

「うん」

「気分はどう?」

「不思議と落ち着いてる。実感がないっていうか」

「……僕はね、君にあんなことをさせたくなかった。ごめん。君に一生消えない罪を背負わせた」

「ブラストがそんなこと言わないで。私があいつを殺せずに、ブラストが死んでいたら、私はずっと後悔してたと思う。あれしか方法がなかったから、ブラストが気に病むことじゃない」

 

これは一生消えない僕の罪だ。

 

この子にこんな言葉を言わせてしまった。こんな子供に──。

 

「感染者が理解できなかった。なんであんなことするのかなって。でも、なんとなく分かった」

 

その答えは違う。違うんだよグレースロート。

 

「感染者とか、感染者じゃないとか、そういうのじゃなくて──人間は、ああいう生き物なんだ。平気な顔をして人を騙せるし、殺せる。きっと、感染者はそういう風になりやすいってだけで──。ブラスト、私はこれからどうすればいい?」

「グレースロート。君は、君の望むままに生きろ。その考えは危険だ」

「ブラストの言う通りに私は生きる。それが私の望みだから」

「ダメだ。それはダメなんだよ……。グレースロート、考えることを止めるな。考え続けるんだ」

「……怖い。考えるのが──。だってもう、私の手は汚れてる」

 

そうだ。これは僕の罪だ。

 

「耳を塞いじゃいけないんだよ。僕たちは……生きなきゃいけないんだから」

「生きてて何かいいことがあるの。また裏切られて、身近な人が死ぬかもしれないでしょ」

「そうだ。でも──僕は託されたんだよ。僕は……イーナに託されたんだ。僕たちは生きなきゃいけない。彼女達を背負って生きなきゃいけない」

「どうして?」

「どうしてもさ。僕たちは……生きなければ」

 

生きなければならない。

 

どんなことがあっても、生きなきゃいけない。

 

生きろ。考えることをやめてはいけない。

 

「なら、私はブラストと一緒がいい」

「……なら、そうしよう。君の望みならね。でも僕らは……明日も生きていかなきゃいけない」

 

グレースロートが運転をする僕に寄り掛かった。

 

「あんたは……いなくならないで」

「僕は死なないさ。僕はあいつらの分まで生きていかないといけないから」

「そう。ならいいけど」

 

──なんて。

 

笑えるよね、イーナ。

 

どの口で、僕は死なないだって? あいつらの分まで?

 

ふざけるな。

 

お前はその罪を背負って生きるべきだ。お前が殺したも同然だ。全てお前の責任だ。

 

お前が、お前が──……。

 

僕がいなければ、あいつらは生きてたのかな。

 

考えることはやめられなかった。

 

雨は止まなかった。

 




・グレースロート
依 存 し た
正直ここまで過酷になるとは思ってませんでした

・イーナ
フラグを回収したのち、Blastに一つ呪いを残した

・サルカズ傭兵団
死亡確認!
絵に描いたような悪役になりました
安心感があります

・Blast
精神ゴリゴリ削られるマン
つおい。チートやチート!
詠唱は私の趣味です
特に意味はないと思います

・行動隊B2
仲間ゴリゴリ削られるメンズ
グレースロート含めて9人→7人へ


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記録書類:エスペランサのその後

副題:ケルシー先生と話す回


エスペランサ村で起こった事件と、その後に関しての記録。

 

9月に起きたその事件は、ロドスが作り上げてきたエスペランサ村に、サルカズの傭兵団が接触したことを発端とする。

 

ロドスによる定期遠征検診の一週間ほど前に傭兵団が初めてエスペランサを訪れ、村のリーダーをしていたギノという男性に取引を持ちかけた。

 

ロドスを切り、自分たちとやらないか、という内容の取引に、ギノを代表とする村の人々の八割近くが賛成した。

 

彼らはエスペランサ村での生活に不満を抱いており、傭兵団と組むことで生活の質を向上させられると考えたためだ。

 

事実、エスペランサ村での生活はそれほど便利で豊かなものではなかった。ロドスからしてみても、資金や物資をそちらに割くほどの余裕がなかった。

だが定期検診でのカウンセリングでは特に異常が見られてこなかったことから、住人である感染者達はその不満をひた隠しにしてきた。不満が露出すれば、ロドスに切られるという不安が原因であったと元住人達は話している。

 

定期検診二日目、村での大規模な戦闘が起こった。

 

傭兵団と行動隊B2のぶつかり合いの結果、傭兵団は全員死亡、行動隊B2に負傷者三名、死亡者一名が出た。また行動隊B2は前日の夜、村に一人残っていた隊員が傭兵団に気づかれて殺されていたため、合計死亡者は二人を数えた。

 

傭兵団の死亡者は十四名であり、戦力差としては行動隊の方が劣っていたにも関わらず圧倒したのは、隊長であるエリートオペレーターBlastの存在が非常に大きい。武装した男四人を瞬殺したところを隊員は目撃している。Blastのアーツが人体の殺傷性に特化した……というより、もともとそういうアーツだったとの情報がある。

 

Blastはもともと殺傷性に特化した自分のアーツを嫌って、威力を無意識化で抑えていた。それが隊員の死によって解放され、凶悪な威力となって傭兵団を屠ったのだ。

 

その後の精神は表面上安定しているが、強い傷を負っていることは近しい人間からも読み取れる。また、行動隊B2の隊員全員が大きな傷を負った事件となった。

 

この事件の後、行動隊B2はより結束と絆を強め、隊としても個人としても急激に強くなった。その様子はどこか危ういが、彼らの顔つきを見れば何も言えなくなるだろう。

 

また、当時行動隊B2にて研修を積んでいた狙撃オペレーターグレースロートはこれ以降、エリートオペレーターBlastへの精神的な依存傾向が認められる。

 

また、行動隊での死者は、これが初めてだ。

 

ロドスとしても、彼らの死が与える影響を理解し、彼らに寄り添う必要がある。

 

村人達のその後について。

 

村は解体された。家や畑はそのままだが、入居は今後許可が出るまで禁止される。

 

彼らはロドスを裏切ってしまった。これはロドスにとっても初めての経験だ。

 

一度裏切った彼らを、医療班はもう一度治療することはできなかった。医療オペレーター達も人間だ、感情に強い影響を受ける。

 

彼らはそれぞれの故郷へと引き渡された。もともと犯罪歴のある感染者が多かったため、その国の法で裁かれることが予想される。

 

彼らを救うことができなかった。ロドスの一つの無念だ。

 

また、エリートオペレーターBlastのメンタルケアはケルシー医師が担当している。何かあれば彼女に聞くように。

 

 

 

 

 

 

事件から一週間が経過していた。

 

上からの気遣いか、しばらく休みをもらっている。

 

ロドスの甲板から、広がる大地を眺めていると、隣に誰か来た。

 

「休日にやることが自然鑑賞とはな。君にそんな趣味があったとは知らなかった」

「ケルシー先生。どうしてここに?」

「何、私も休憩さ」

 

晴れた空に風が吹いていた。

 

緑の大地が広がる。

 

「それと、これを君に渡そうと思ってな」

 

ケルシー先生はポケットから小さな箱と、ライターを僕に手渡した。

 

「これは……煙草?」

「ああ。君に必要なものだ」

「はは、僕に? 苦手なんですよ、煙草の煙」

「ニコチンとタールはダウナー系のドラッグだ。気分が落ち着く効能があるのは確かだよ」

「医者がこんなもん勧めてどうするんですか。吸いませんよ」

「ニコチン中毒ばかりが取り上げられて、煙草などには悪印象が付き纏うが、それらドラッグの本来の役割は違う」

「と言うと?」

「破裂してしまいそうな人の心に小さな穴を開けるのさ。膨らんだ風船が自ら破裂する前に、空気を抜くようにな」

「……なら、僕には必要ないものですね」

「いいや、だから君には必要なのさ。無論、無理にとは言わないが」

 

試しに一本取り出して咥えてみる。

 

火をつけて──。

 

「っ、ゲホっ、ゲホッ……。咽せますね……」

「初めは誰でもそんなものさ。すぐに慣れる」

「そういうもんですかね……」

 

もう一口──。喉が焼けるような煙を吸い込んで、僕はまたむせこんだ。

 

「煙を口の中に少し留めて、冷やすんだ。それから吸い込め」

 

いう通りにやってみると、肺に煙がたまる感触がした。

 

息を吐く。白い煙が空へと消えていった。

 

──少し、クラクラする。

 

「どうだ」

「……あんまり、悪くないですね。ちょっとふらつきますけど」

「慣れるまでの辛抱さ」

 

煙を吸い込むと、ほんの少し──ぐちゃぐちゃだった頭の中が落ち着いたような気がする。

 

沈黙。そしてまた煙が消えていく。

 

I thought what I’d do was(僕は耳と目を閉じ、). I’d pretend I was one of those deaf mutes(口をつぐんだ人間になろうと考えた)

「……よく覚えているな。J.D.サリンジャーか」

「はい。……彼との境遇は違いますけどね。ちょっと……気持ちがわかります」

「話してみろ」

「僕はあなたに助けられてから、感染者を救うことが僕の使命だと思っていました。命をかけてやるに値する仕事だと、誇りを持って言えました」

「だが、もう今は違うか」

「そうは言いませんよ。でも……迷いがあることは確かです。正直、エスペランサ村の感染者がロドスを裏切るなんて思いもしてなかったから。ケルシー先生、ロドスが彼らに与えた境遇は、彼らを裏切らせるのに十分なものだったんでしょうか」

「さてな。ロドスとて彼らに全てを与えることなどできん。迫害されない環境と、死なないのに十分な食料と建物。ロドスにできたのはこれだけだ。これでは足りなかったと思うか」

「さあ。……正直、僕は──同じ感染者であるはずの彼らを憎んですらいるのかもしれません。彼らは生活も仕事も与えられるだけで、要は望んだはずの最低限の生活すら捨てて、さらにその先を望んだわけですからね。彼ら自身は何一つしていないというのに」

 

エスペランサ村というネーミングが、本当に皮肉だ。

 

希望か。言葉にしか存在しない、架空のものだ。そんな物質は存在しない。

 

「だが、彼ら感染者は奪われ続けてきた。君は、彼らに同情の余地はあるとは考えないのか」

「グレースロートにも同じことを聞かれましたよ」

「では、なんと答えたんだ?」

「……裁判の判決っていうのは、第三者が出さなくちゃいけない。そうじゃなかったらこの世から争いってのは無くならないでしょう」

「そうだな。その通りだ」

「僕はロドスに来てから初めて、彼らを助けたことを後悔しています。そして疑問に思っている。人を助けることは本質的に善であり、僕らがやってきたことが善だと言うのなら、どうして彼らは裏切ったんでしょうか。なぜイミンとイーナは死んだんでしょうか。彼らの死が善なはずがない。僕は──彼ら感染者を助けるべきではなかったんじゃないかって思い始めています」

 

ケルシー先生は一つ長い息を吐いた。

 

「煙草、私にも一本くれないか」

「え? あ、はい。……先生、吸うんですね」

「一年に一本程度のペースでな。せっかくだし、私も君に付き合おう。火を」

 

慣れた様子で、ケルシー先生は煙を吐き出した。

 

「感染者を助けるべきでないとするのならば、私たちは一体何ができるのだろうな」

「分かりません。ケルシー先生、あなたなら答えを知っているんじゃないですか?」

「簡単に教えては君のためにならん。答えを考えて、言ってみろ」

「……痛みを教えてやればいい。感染者にも、非感染者にも……大事な人を失う痛みを教えてやればいいと思いました。そうすれば、誰も他人を傷つけようとは思わない」

「目には目を、では世界が盲目になるだけだ」

「……そうでしたね。ガンジーがとっくに言ってましたか」

 

分からないと言ったのは嘘だ。

 

本当は、ある一つの結論に達していた。

 

「なら、世界中の人々から思考を奪えばいい。ただ盲目的に毎日を生きるだけで、野望や夢を抱かないのなら、争いは起きないんじゃないかって」

 

何度も考えて──たどり着いたのは、そのあたりだった。この結論に達した時、僕はある一つの感情を抱いた。それをケルシー先生に否定して欲しかった。

 

「Blast」

 

正直怒られると思ってた。イカれた考えだって。

 

「それは一つの答えだ」

「え? いや、こんなものが……答えなはずじゃ」

「平和を為すために、歴史上様々な政策が取られてきた。だがその全てが無意味だった。戦争は必ず起こる。人が生きている限り必ずな。その中の一つで、極東は二百年にわたって平和を実現した時期があった。どうやっていたと思う?」

「いえ……。まさか、それとか?」

「鎖国政策さ。徹底して外側を見させず、内側だけで完結させることで争いを防いだんだ。有力な力を持つ人間の力を削ぎ、外へ出させず、平和な世界で飼い殺しにする。そうすることで、一時とはいえ平和を実現することができた。人々というのは常に愚かだ。そうやって目を塞ぎでもしなければ、必ず争うようにできている」

「……なら、人々の目を奪えばいい。耳を塞ぎ、言葉を奪えば……平和が作られる」

「もしその通りだとしたら、君はどうする」

「僕は……」

 

煙草の灰が地面に落ちたのにも気がつかなかった。

 

「迷っています。これまで通り、感染者のために戦い続けるのか。それとも……。あの愚かな感染者たちのために、また仲間を殺すのか」

「どちらも同じように聞こえるが」

「違いますよ。僕は、感染者っていうのはただの被害者で、救うべき人々だと考えてました。でも、そうじゃなかった。そうじゃない人々がいることを知ってしまった。もちろん全ての人々がそうじゃないことはわかってます。本当にただの被害者がいるってことも」

 

わかっている。

 

「これからも本当に感染者のために戦うことが正しいのか、そうするべきじゃないか。イーナの言葉と表情とがそれらとぐちゃぐちゃになって、僕の本音がどこにあるのか分からない……」

「どちらもまだ本音ではない。まだ答えを出すには早い」

 

……答え?

 

ケルシー先生ははっきりと僕の目を見て言った。

 

「それらの感情は、まだ思考された可能性に過ぎん。感染者のために戦うべきだという君と、感染者に失望している君。どちらもただの可能性だ。そのどちらを本音にするのかは」

 

言い放った。

 

「これから君が選択するんだ」

「────僕が、選ぶ?」

「ああ。……長話が過ぎたな。私は戻る。Blast、考えることをやめてはならない。そして、まだ目を閉じるな。君にはまだまだ経験が必要だ。考え続けろ」

「……ええ。分かりました」

 

僕は一体何のために戦えばいい。

 

去っていったケルシー先生を眺めて──ぼーっとしていたら。

 

「あ、いたいた! ちょっとブラスト、こんなところで何してるの?」

「……ブレイズ。お前こそ」

「探してたの。私も今日休みもらったからさ、君とちょっと遊びにでも行こうと思って。……何笑ってるの?」

「っくく……ははは。悪い悪い、お前は──ずっと変わらないね」

「……なーに言ってるの。君だって変わってないよ。大丈夫、私が保証するから」

「そうか? まあそうかもね。ブレイズ」

「何?」

「お前にこれを預けておくよ」

 

僕は一つの鍵をブレイズに渡した。

 

「これ、なに? 部屋の鍵みたいだけど……」

「僕の部屋の鍵」

「え? えーっとそれってもしかして……うそ、まさか本当に? 男女が部屋の鍵を渡す意味、分かってる?」

「男女? いや、そういうの特に関係ないけど」

「……分かってたよ。それで、これをどうしろって?」

「僕が死んだら、部屋の中にあるものは全部お前にやる。好きに処分しろ」

「……ちょっと、縁起でもないこと言わないでよ。死ぬつもりなの?」

「まさか。僕はまだ死なない。……可愛い部下からの頼みだからね」

「だったらなんで?」

「……さあね。でも──お前に預かって欲しかった。それだけだよ」

「分かった。ちゃんと持っておくから安心して! じゃ、行こっか!」

「ああ。行くか」

 

下らない感傷だろうか。

 

我ながら笑ってしまいそうになる。

 

これから僕は選択を迫られる。どうあっても、変わっていく。

 

以前までの僕には戻れない。どうやったって──。

 

それが怖いのかな。

 

だから、変わらないお前に、変わらないものを預かっていて欲しかった──なんてね。

 

でも……。

 

もしも僕が感染者のためではなく、ブレイズのために戦っていたとしたら、この先の未来は何か変わるだろうか。

 

……いや。

 

考えても無駄なことか。そんな過去はなかったし、未来も、……選ぶのが僕だというのならば、

 

せめて、今だけは笑い合っていよう。今だけは。




・ケルシー先生
何やってても似合う人

・Blast
迷い中。一節は『ライ麦畑で捕まえて』からの引用です

・ブレイズ
メインヒロインのはずなのに出番が少ない……少なくない?

シリアス多すぎィ!
次もシリアスになります
ゆるして ゆるそう!(前向き)

どうでもいい情報!
この回、およびこれから先の展開には呪術廻戦76話ー78話のオマージュが含まれています。わかる人には分かります。その場合、この先の展開もなんとなく予想がつくかと。
呪術廻戦アニメ化おめでとう! 面白いです!


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特に事件とか起きない話(間章)
無風地帯(閑話)-1


閑話です。
のんびりした話は必要ですよね


──今日の任務は、そう大したものでもなかった。

 

ロドスは様々な国の組織と交流をするため、様々な場所へ出向く。その護衛任務。大抵、そう大したことは起きず、平和な交渉が終えられる。

 

……荒事が好きな訳じゃない。そんなわけ、あるはずがない。

 

戦わないでいいのならば、それでいい。

 

強くなるのは楽しかった。Aceさんの元で訓練を積み、力をつけていけたのは大きな自信になったし、実力が認められてエリートオペレーターに昇進したことは、大きな達成感を生んだ。

 

ブレイズと切磋琢磨して、アホみたいに喧嘩していたあの頃は、なんだかんだ楽しかった。

 

でも、人を傷つけるのが好きなわけじゃない。

 

エリートオペレーターとして様々な地域の制圧任務をこなしてきた。殺さず、生かして制圧する。僕は優秀だったから、そう難しいことじゃなかった。別にプロの軍人を相手にするわけじゃないんだ、そのくらいのことは出来て当然だったし──。

 

何より、行動隊B2は優秀な部隊だった。

 

──人を傷つけるのは、別に好きじゃない。

 

戦闘狂じゃないんだ、別に力を誇示したい訳でも、あるはずがない。

 

平和な世界を作りたかった。

 

穏やかな暮らしができる世界を望んでいたんだ。

 

それだけだった。

 

 

 

無風地帯(間話)

 

 

 

休日──。

 

休みの日って言っても、僕にはそうやることがある訳でもなし。

 

ロドスに入ってから、規則正しい生活が身に染みついていた。朝6時──太陽は、まだ出ていない。

 

カーテンを開き──部屋を見回す。

 

デスクと制服、訓練用の服、クローゼット。

 

新しく購入した本棚、そこに入り切らず、山ほど積み上げられた本の山。あまり、読めていない。

 

薄暗い部屋に、灰色のパンダ耳の黒い影──いや待て。

 

「……何してる?」

 

僕のデスクの椅子で……寝ているのか?

 

「エフイーター、起きろ。おい」

「……うーん、あれ……。ブラスト。なんでいるの?」

「こっちのセリフだよ」

 

エフイーターが椅子に凭れて伸びをした──。

 

……格好が、無防備すぎる。インナーのままだ。目を逸らした。

 

「あーっとねー。そうだ、ちょっと朝早く起きすぎちゃってさ。暇だから来てみたんだけど……寝てる時くらい、部屋に鍵かけておいてもいいんじゃないのー?」

「おかげでお前が入ってこれたんだ。別に、誰か入ってきても僕は気にしないし困らないからね」

「無防備じゃない?」

「お前が言うな」

「お? あれあれ〜? おいブラスト、どこのことを言ってるのかな〜?」

「……なんのことやらさっぱりだ」

 

そっと目を逸らして僕は逃げた。エフイーターがそのあたりにあんまり羞恥心を抱いてないのは知ってるが──。

 

「で、特に用はないってことでいいの?」

「いいじゃん。あたしと君の仲なんだし。それにブラスト、お前最近あたしを避けてない?」

「……気のせいだろ、別に。お互い忙しい身だ」

「む。そんなこと言っちゃっていいのかな〜?」

「どう言う意味だ?」

「あんまりあたしを舐めてると、思い知らせちゃうぞ」

 

ベッドに座ったまま、僕はあくびを堪えた。

 

まだ眠い。寝るか。

 

「あ! おい! 無視すんなよブラスト!」

「……なんだよ。せっかくの休日なんだ、たまには休ませてくれ」

「ダーメーだ! くそ、動きもしない……。こうなったら」

 

目を閉じて横になっていると──体の上に一人分の体重。

 

……。

 

「……エフイーター。一応聞くけど、何してる?」

「むふふ〜。一緒に寝よ」

 

柔らかな感触がした。

 

僕はそっとベッドにエフイーターを落とした。

 

「……お前とは……そういうのになるつもりないよ、僕は──」

「あたしの誘いを断るとはいい度胸だ。っていうか別にいいじゃん、ちょっとベッドは狭いかもしれないけどさ」

「ひっついてくるなよ……」

「あのねブラスト。あんまり一人にならない方がいいよ。ちょっと最近、表情が怖いから」

「怖い? ……ああ、そう見えてたか。気をつける、別に怖がらせるつもりなんてないんだけどね」

 

エフイーターがまだ薄暗い部屋の中で、僕の目を覗き込んだ。

 

瞳の奥に何を考えているかは──分からんけど。

 

「……決めた。ブラスト、今日一日あたしと一緒にいろ」

「ええ? 突然どうした?」

「あのなブラスト。はっきり言うけど、お前最近危ないよ」

「なんのことやら。僕に張り付いててもつまんないと思うぜ」

「そういうことじゃなくてさ。……もういい。とにかく決めたからな。覚悟しとけよ!」

 

……厄介なことになったかな。

 

でもこれ、明らかに気遣いだよな。無碍にできないし──感謝しないといけない。

 

「……いらないけど、エフイーター。ありがとね」

「! 最初からそう言えばいいのにな〜。それじゃ、早速一眠り──」

 

ドアが開いた。

 

「ブラスト、起きてる? ちょっと付き合って欲しいんだけど──え?」

「え?」

「え?」

「……え?」

「なんで……そのパンダがここにいるの」

 

グレースロートが冷たい目で僕とエフイーターを睨んでいた。

 

 

 

 

Blastですけど、場所の雰囲気が最悪です。

 

えー、現在ロドス食堂、朝食を食べてます。今日の献立はトーストとポテトのスープ。コショウが効いていて美味しいですね。

 

テーブルを囲ってグレースロートとエフイーターが睨み合っています。無言です。なんか……怖いですね。はい、とても怖いです。

 

現場からは以上です。誰か助けて。未知の恐怖に襲われている。

 

「……」

「……」

「……。ごちそうさまでした。それじゃ僕はこれで」

「どこに行くの」

「逃げんな」

「ッスゥ──────」

 

僕は着席した。

 

「あの、お二方、いつまでやってるつもりなんですか?」

「……ねえパンダ耳。ブラストの部屋で何やってたの」

「別に? 見ての通りだったと思うけど」

「い、一緒に、寝てたってこと……?」

「んー? どうかな〜?」

 

僕はさりげなく席を立って、空のトレーを持って逃げようと──。

 

「だから逃げようとするなよ! ブラスト、お前もこいつに言ってやりなよ」

「なんて?」

「大人の事情があるんだって」

 

グレースロートが僕をキッと睨んだ。

 

……相当ヤバい目をしている。

 

グレースロートが僕に依存傾向を示していることは知ってる。身を以て知ってる。

 

原因も、知ってる。

 

僕が悪い。僕が殺させた。

 

僕が引き金を引かせてしまった、いや──僕のために、引き金を引かせてしまった。

 

僕が────、

 

お前が、お前がもっと疑うべきだった。もっとあの時、警戒していくべきだった。怪しい材料は思い返せば山ほどあったのに──お前が。Blast。お前のことだよ。

 

Blast。お前がこの子をそうさせたんだぞ? 分かっているのか?

 

「ブラスト。その顔、やめて」

「──え、いや……。どんな顔してた、今……」

「ひどい顔。……パンダ。仕方ないけど、今はこんなことしても仕方ない。割り切ってあげる」

「パンダっていうな! エフイーターさんって呼べ!」

「そう。……私も今日は休暇を貰ってる。ブラスト、今日の予定は?」

「何も。自主訓練でもしようかと思ってたけど──」

「いや、ブラストはあたしと遊びに行くんだよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

「そうなんだ……。知らなかったな、僕の予定表ってのは誰でも書き込みができるらしい」

「いいじゃん、釣り行こ釣り。あ、肉も食べたいな……バーベキューやろうよ! せっかくだしアウトドアにしようぜ! 湖のほとりでさ、レンタルで器具と車借りて行こうよ!」

「私も行く」

「……ま、悪くない……かな? どうせ給料の使い道なんて本買うぐらいしかないし──」

 

そういうことになった。

 

 

 

 

 

「この道で合ってる?」

「うん。このまま行けばキャンプ場があるはず」

 

車を走らせる。こういう休日にも車を貸し出してくれるロドス最高だぜ。エリートオペレーターってのはいい身分だ。

 

本当に、いいご身分だ。なあ? お前はそうやって忘れていくのか? イーナの言葉を忘れたのか? イミンの最期の言葉も聞けなかったってのに?

 

お前は忘れようとしているのか? 忘れて楽になろうとしているのか?

 

それともお前は──、

 

「ダメだね。もう全然ダメ。仕方ない、エフイーター(おっぱいパンダ)。協力しよう」

「確かに争ってる場合でもないよなー。目を離すとすぐこれだし。ほらブラスト、運転に集中しなよ」

「ああ、ごめん。悪いね、ちょっと気が抜けてた──」

「違う。気を抜いてるんじゃなくて、気を張ってるっていうか……とにかく! 今日は気を抜きにきたんだよ。分かってないなー」

「ん……悪い。分かってるよ、せっかくのオフなんだ。僕だってリフレッシュしたい」

「まあ今日は思いっきり楽しもう! そこのガキンチョが混ざってるのが気に食わないけどな!」

「誰がガキンチョだって? あんたにそんなこと言われる筋合いはないけど」

「おーまーえーなー! へんだ。ブラスト、今日は昼間から飲むよ! ガキはほっといてさ!」

「僕は酒が苦手だ。弱いし……」

「なんでだよ! 飲めよ!」

 

キャンプ場に到着。受付を済ませて車を停める。

 

──いい場所だ。

 

森に囲まれた湖。そのほとりには人はいない。別に日曜でもないただの平日に、キャンプしようなんて人もいないらしい。

 

ひんやりとした空気が肌を撫でる。

 

森に囲まれているからか、風は吹いておらず、ただ太陽の日差しが柔らかく緑に反射して、湖に溶けていった。

 

ドアを開けて器具を下ろす。

 

「えーっと、まずテントを組む、──あのさ。なんでテント一つしかないの?」

「? ああ、テントの大きさの話? 大丈夫、3人でも十分入れるよ、心配ないって。ちょっと狭いかもだけど」

「テントの中で寝るんだよね」

「そりゃあキャンプなんだし、テントで寝るのは当たり前でしょ?」

「それだと、僕と一緒に寝ることになるんだけど」

「そりゃそうでしょ?」

「え?」

「え?」

「?」

 

グレースロートが首を傾げていた。

 

「グレースロート。このままだと僕と一緒に寝ることになるけど」

「私は構わない」

「……。準備、するか……」

「任せて。野営の訓練は受けてある」

「いや、あー、うん……。やろっか……」

 

シート、固定用の釘を打って骨組み立てて──。

 

キャンプ……。初めてやるかもしれない。似たようなことは訓練でもたまにやるけど、純粋なレジャー目的は初めてだ。

 

思えば、あんまりこういうの、やろうとしてこなかったな。

 

手際良く設営を終える。

 

天幕を作って、その下に組み上げた椅子をセット。テーブルも揃えて完璧。

 

こんなもんだろ。

 

「ブラスト! 釣り行こーぜ釣り!」

「マジでやるの……? うわマジだ。釣り竿準備してたんだ」

「せっかくこんな綺麗な湖があるんだ、やんなきゃ損だよ。ほら、お昼ご飯を釣り上げよー! ほらあっち、行くぞー!」

「それで昼ごはん買ってきてなかったのね……。いいよ、やってみよう。ほら、グレースロートも」

「私はいい。興味ないし──」

 

強引に手を取って僕は歩き出した。

 

「あ──」

 

……どの面さげてって話だけど、グレースロートにはこういう楽しみ方があることを教えたかった。いや、僕も釣りはしないけど。

 

「ぶ、ブラスト、手……」

「いいから。一緒にやろう、僕も教えるよ」

「わ、分かった。その、でも──手、繋いで──」

「あ、ごめん。嫌だったかな」

 

手を離す──すぐにすごい力で握り返された。ぱしっていう音がした。

 

「嫌じゃない。……」

 

……なんか、グレースロートの顔が赤いような気もするが……気のせいだろ。

 

手の温度が伝わってくる。柔らかくて繊細な感触がした。

 

「ほらそこ! 何やってんだよー!? やめろ手を繋ぐなー! あたし以外といちゃついてんじゃないぞブラスト!」

「はいはい、分かった分かった──」

 

釣り。

 

一回か二回か、そのぐらいだけやったことがあった。いつだったか部隊の休暇で、Aceさんたちと一緒に──。

 

『……釣れた』

『おお、やったなブラスト。こいつは……アユだな。あとで調理して食おう。そっちに入れておけ』

『はい。初めてやりましたけど──釣れるもんですね』

『ああ。向いてるのかもな。そっちの堪え性のないヤツと違って』

『誰が堪え性がないって!? なんで私だけ釣れないのー!?』

『竿を動かしすぎだ。もっとじっくりやらないと魚は食いつかん』

『って言ってもさ、魚は餌に食いつくんでしょ? だったら動かさないといけないんじゃない?』

『結果はご覧の有り様みたいだけどね』

『む……ブラスト、ちょっと教えてよ』

 

何年ほど前の話だろうか。

 

あの時は──そうだ。LogosさんとScoutさんも来ていたんだっけ。特にScoutさんはAceさんと仲が良かったから、Logosさんを引っ張って来ていたんだ。

 

川のほとりで、ブレイズが釣りに苦闘していたのをよく覚えている。

 

「で、釣りってどうやってやるの?」

「エフイーターお前、言い出しっぺでしょ……」

「いやー、ブラストが知ってると思ってさ」

「仕方ない……。とりあえず餌をつけて遠くに投げよう。結構飛ぶはずだよ。あ、投げる時は周りに注意して──」

 

湖に作られた釣り用の足場。

 

遠くに飛んで行った針先が湖に落ちて微かな飛沫を上げた。

 

「それからゆっくりリールを巻こう。運が良ければ──」

「お、おおお? ねえブラスト、なんか引っかかってる!?」

「魚が食いつくんだよね。巻こう」

 

エフイーターが興奮しながらリールを巻いていく。

 

「グレースロート。これ網ね」

「なんで私に」

「せっかくだしさ。大物かもしれないし、近くまで来たらこれで取っちゃおう」

「……分かった」

 

──。

 

『教えるのはいいけど、僕だって初心者だよ? ほら、あっちのScoutさんとかめちゃくちゃ釣りあげてるし、そっちに教わるのがいいんじゃ』

『いいから! 教えてよ』

『分かったよ……』

 

別に──今日のような湖ではなかったな。渓流……山奥だったと思う。

 

じゃりじゃりした石の擦れる音と、川の流れる環境音に馴染みがなくて、なんだか不思議だった。

 

『ほら持って。投げるよ』

『え、ちょっとくっつきすぎ──』

『うるさい。いいか、お前はもっと落ち着いて、気を沈めるべきだ。いくよ』

『は、はいっ──』

『なんだその返事』

 

針がいい岩場の影に沈んだ……と思う。確か、そうだった。

 

『見てみろAce。お前んとこのお二人さん、ずいぶんお熱いようじゃないか?』

『Scout。今日はあんまりからかってやるな。せっかくブラストも楽しそうなんだ。ほっといてやれ』

『分かってるさ。……それにしても見てみろ、あのドラ猫さんの表情。珍しいものが見れたな』

『ブラストも偶にはやるようだな。普段からあれぐらいなら、色々とブレイズも楽だろうに』

 

僕もちょっと熱中していた記憶がある。ブレイズと一緒に握った竿に感触があって──。

 

『え、かかってる!? ブラスト、どうしたらいいかな!?』

『決まってる! 釣り上げるよ!』

『え、──釣れた! うそ、私も釣れたよ! やったねブラスト!』

『ひっつくな、魚が先だろ! てか僕がついてんだから当たり前だっての!』

 

──。

 

「お、おおお! デカいぞ〜! 来てる来てる──そりゃっ!」

「待って、私が網で獲る。あの大きさだと糸が切れるかも」

「関係あるか〜! おりゃ〜!」

 

釣り上がった魚が天高く宙を舞い、太陽の光が千切れた糸のシルエットを描いた。

 

「落ちてくる──私が獲る!」

 

そのまますっぽりとグレースロートが構えた網の中へ。

 

一瞬の溜めがあった。

 

「お、おおおおおお! 釣れた、釣れたぞ〜!」

「これが、釣り……。釣れた──」

『やった! 釣れたよ、ありがとうブラスト!』

 

──重なる。

 

ふと、ブレイズは今頃何をしているだろうか、と思った。

 

「やったね。でも釣りって別に魚をあんな高くまで飛ばさないからね」

「細かいことは置いといてさ〜! よっし、次だ次―!」

「やれやれ。糸切れちゃったし──とりあえず僕のヤツ。グレースロートはこれ使って。その間、僕は糸直すよ。あ、釣りのやり方はわかる?」

「とりあえずやってみる。遠くに投げればいいんでしょ?」

「そうだね」

 

今日の成果は上々だった。

 

昼頃までには、まあまあな数の魚が釣れていた。

 

「いや〜、初めてだったけどめっちゃ釣れたね〜! やっぱり他に人がいなかったからかな!」

「関係ないんじゃないの」

「うるせー! っていうか何さらっとあたしより釣ってんだよ!」

「別に。腕前じゃない?」

「こいつ〜!」

 

調理──。

 

器具は一式揃っていた。

 

湖の魚は泥臭いらしい。その辺りはちゃんと臭いをとらないといけない。

 

でもまあ、こういうのは僕も久しぶりだったし──楽しいな。

 

『こういうの、悪くないね! ブラスト、また来ようよ!』

「……そうだね」

 

無意識に呟いていた。

 

「およ? ブラスト、何か言った?」

「いや、なんでもない。さ、調理しよう」

 

 

 

 

酒。

 

アルミ缶に詰まった発泡酒……いわゆるビールだ。

 

僕はこの味は嫌いじゃない。それ自体は美味しいと思う。が。

 

いかんせん弱すぎるのが問題だ。

 

「う──」

「ほらどうしたんだよブラスト〜。にへへ、寝るなよ〜」

「や、やめろ……。僕は──弱い……」

酔っ払い(エフイーター)。いい加減にして」

「なんだよ、いいところだろ〜? あ、そうだ。お前も飲めよ、ほら!」

「飲まない。私、あんたみたいになりたくないし」

「偉いぞ、グレースロート……えらい」

 

エフイーターはまた煽った。顔が真っ赤だ。僕も真っ赤だ。

 

グレースロートだけが平然としていた。

 

昼食から乾杯できるのは結構だが──。う、やめろ……これ以上飲んだら死ぬ……。

 

死んだ。

 

グレースロートが肩を貸してくれて、僕はテントの中に倒れてそのまま死んだ。

 

「そんなに美味しいの、それ」

「飲んでみれば分かるよ〜。あ、でもお前みたいなガキんちょにはまだ早いかもな!」

「……一つもらう」

「お〜? あたしの前で酒を開けるとはいい度胸だ。どれくらい飲めるか試してやるよ!」

 

そんな会話が聞こえたような気がする。

 




・ブラスト(Blast)
主人公。
ちょっと危なくなって来てます。
自分を認識する時はブラストではなくblastに変化してます
この変化が意味するところは……まあなんかあります

・ブレイズ
徹底して登場しないメインヒロイン
概念こわれる

・グレースロート
かわいい

・エフイーター
酒に強いがやたら飲むのでいずれ自滅する
かわいい。


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無風地帯(閑話)-2

ほのぼの回です
洒落にならない冗談とも言います


「うぅ──……」

 

重たい……。暑い、狭い……。

 

苦しさで目を覚ました。

 

薄暗いテントに、まだ明るい外からの光が差し込んで眩しい。

 

視界には二人がいた。

 

胸部を押し付けて苦しそうな顔をしているエフイーターと、普段からは想像できないほどの笑顔を浮かべながらひっついてくるグレースロート。

 

どっちも死んでる。

 

何があった……?

 

……この体勢は、まずい。

 

よくない。

 

非常に、よくない。

 

僕は手を出すつもりはない。二人とも僕に対してはやたら無防備な一面があるが、僕はそういうことをする気はない。責任取れないし。

 

そう。

 

責任が取れない。

 

──イーナの表情がこびりついて、

 

やめろ。もう考えても仕方ないだろ。

 

……僕を好きだとイーナは言ってくれてたっけな。

 

それから、恋愛やらそういうものに僕は一種の怖さに似た感情を覚えるようになった。

 

──離れない。忘れられない。

 

僕にそんな資格があるのか?

 

……テントを出よう。何事も逃げるに如かず。

 

引き剥がして体を起こした。そのまま立ち上がろうとすると、強い力で引き戻される。

 

「う──っ。……起きてたの」

「どこ行こうとしてるんだよ〜……。もーちょい寝よ……」

「グレースロート。君まで……」

「……ちょっとだけ」

 

視線を逸らしながら、グレースロートは呟いた。

 

体は向こうを向いているが、僕の服はちょっと掴んでいる──。

 

……珍しく、甘えているのか……?

 

「分かったって。でも少し離れよう。ね?」

「やだ」

「……まだ酔ってるみたいだね。エフイーター、どんだけ飲ませたの」

「え〜、分かんない……忘れた」

「こいつ……」

 

明らかにグレースロートは正気じゃない。

 

目の奥がボヤーっとしてるし……普段だったら絶対ここまで酷くない。

 

「ん……」

 

グレースロートが緩慢な動きで両手を僕の体に回した。やんわりと抵抗すると力が強まった。なんでだ?

 

「ちょっとだけ──」

「ダーメーだー! あたしのだもん……」

「こいつら……」

 

なんとか脱出したい。手荒な真似もしたくない。

 

無理だな。どっちかを諦めないといけない。

どうしよう……。

 

「あのさ。一応聞くけど……僕なんかのどこがいいの?」

「知らなーい。なんでもいーじゃん」

「別に……」

「……。じゃあ離れよっか」

「やだ……!」

「ぬ、う……。力が強い……」

「なんですぐ逃げようとするんだよ〜。あたしのこと嫌いか〜……?」

「嫌いじゃないけどさ……」

「じゃ、なんだよ」

「なんていうか……後が怖い」

「ちょっと! どういう意味だよ!」

「言葉通りだよ……」

 

エフイーターの方を向いていると、ぐいっと引っ張られた。

まだアルコールが頭の中に残っていて、抵抗する気力がなかった。

 

「こっち見て。そいつ見てないで、私を見て……」

「君もか……。厳しいこと言うようだけど、君のそれは依存感情だ。その全責任は僕にあるけど、君は自分の感情を勘違いしてるんじゃないかな」

「責任がブラストにあるんなら、とればいい。責任とって」

「……。何言ってもダメか────」

 

どうしようもなかった。

 

「ブラスト。あんたが私の横にいてくれたら、それだけで十分だから。居て」

「うぅ、人生の危機だ……」

「どうなの」

 

背後で唸っているエフイーターが気になって集中できない。うわ飛びついて来た。

 

猛獣のように襲いかかってくるエフイーターを後ろ手にいなしながら回答を考える。

 

「……保証は、できないよ。僕も死ぬかもしれない。そんな無責任な言葉、僕には言えないしさ」

「じゃあ死なないで」

「それも難しいかもしれない。僕も……鉱石病(オリパシー)だ。君より早く死ぬことは間違いないよ」

「やだ」

「やだ、ってね……──ちょっとエフイーター、大人しくしてろ。いい子だから、いい子だから……」

 

猫か犬を撫で回すように頭をわしゃわしゃと撫でるとエフイーターは大人しくなった。なんだこいつ……。シリアスに挟まらないでくれる? 集中できない……。

 

「僕の希望は、君が一人でも生きていけるようになることだよ。そうなってくれたら、僕も安心だし……」

「……一人は、寂しい。そばに居てほしい」

「おぅ……。あのさ、大丈夫だよ。僕が居なくなっても、君の隣にいてくれる誰かが現れる。きっとね」

「ブラストじゃないとやだっ」

「おーまいごっと……。グレースロート。この世界に永遠はないんだよ」

「……どうして、隣に居てくれないの」

There are things that we can have,(手に入れることは出来ても、) but can’t keep(持ち続けられないものがある)──僕が好きな、ある歌の一節なんだけど……」

 

ついには手元にじゃれついてくる猛獣(エフイーター)をわしゃわしゃと撫で続ける。今のところは喉を鳴らしているが、いつ飛びかかってくるか気が気じゃない。寝てくれねーかな。

 

「出来る限りのことはするよ。グレースロート、君が大人になるまでは……せめて、僕が」

「……それなら、いい」

 

赤らんだ顔のままグレースロートも気絶するように眠った。こっち側に倒れて来た──。

 

ゴロゴロ言い始めた熊猫と僕の膝で眠る小鳥。

 

──逃げられないよな……。

 

逃げたい。

 

起きた時一体何が起こるか、想像したくもない。

 

……。今でこそ、酔っ払っているからか正気が無いが──起きた時は違うだろう。

 

テント入り口、手を伸ばせば届く距離に缶があった。手を伸ばして取ると、まだ中身があった。酒だ。

 

……まあ、嫌なことやら、都合の悪いことがあった時は……飲むに限るね。

 

僕は9%をイッキして死んだ。逃げたとも言う。

 

薄れゆく意識の中で、ブレイズが怒っているのが見えた。ははは、あいつの幻覚を見るなんて……僕も相当参っているらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水をぶっ掛けられて突然目を覚まさせられる。

 

冷たい──。

 

身動ぎ一つ出来ない。

 

見回す──まだ、キャンプ場だ。夕方か……? 湖に太陽が沈んでいる。眩しくて目を細めた。逆光──。

 

目を細めて、僕に水をぶっ掛けた犯人を探す。すぐに見つかった。

 

ネコ耳だった。

 

太陽を背にして、表情がうまく見えない。

 

──何か、背筋が凍るような。

 

「目が覚めた?」

「その声、ブレイズ……?」

「せーかい。アッハハ、耳がいいね。──で」

「……これ、縄……。おいおい、まるで捕虜だ……」

 

僕は、キャンプ場の木々の一つに縄で縛り付けられていた。なんだこれ……。

 

「お前がやったのか?」

「他に誰がいると思う?」

「……驚いた。お前、殴る蹴る切る以外に、こんなことまで出来たんだな。成長した?」

 

ばっしゃーん!

 

またバケツいっぱいに入った水がぶっかけられた。

 

「ゲホッ、ゴホッ……っ。何すんだよ」

「自分の立場、理解してないの? そこまで頭は悪くなかったと思うんだけど」

「いくつか質問がしたい。いい?」

「ふぅん? そう来るんだ……。いいよ、でも一つ条件」

「なんだよ?」

「一つ質問するごとに、君には一つずつペナルティを与えていくことにしよう」

「具体的には」

「秘密。そっちの方が楽しいでしょ?」

「……怖いね。だが……仕方ない、か。まず一つ、なんでお前がここにいる?」

「んー? ブラスト、君さ──、それ聞く?」

「……え? な、なんだよ……」

「それ、本気で聞く? 本当にそれ、質問でいいの? いっそ私が聞きたいけどね。なんで私がこんなことしなくちゃいけないのか」

「な、なんでなんだよ……?」

 

ブレイズの表情が暗くてよく見えないけど──笑っているような。

 

だが──怖い。

 

「あのさ。私──今日、君と訓練する約束してたんだけど。忘れたの?」

「え、あ──ああああああああ! し、しまった、完全に忘れていた──ッ! ごめんブレイズ! マジでごめん!」

「一番に謝ったのは評価してあげる。そして、忘れていた。これもまあ、許してあげなくも無い。忘れることもあるよね、ブラストだって人だもん。ミスもあるよ。で──」

 

ブレイズはかがみ込んで、僕の顔を覗き込んだ。

 

目が──合う。

 

冷たいような、燃えるような──どちらともつかぬ、激情を感じていた。

 

「君が、そっちの方で伸びてるパンダと小鳥と一緒に車で外へ出てったって管理部の人から聞いてさ。ついでにおすすめのキャンプ場まで聞いてたらしいじゃない。で、慌てて追いかけて来たらこれ……って」

「? なんで慌てて追いかけて来るんだ? そりゃ、訓練の約束を忘れてたのは謝るけど……」

 

ばっしゃーん!

 

「それ、質問だよね。ペナルティ二つね」

「ゲホッ、ゲホッ……。うぅ、冷たい……なんか顔赤いか?」

「そ、そんなわけないじゃん! 夕陽のせいだよ!」

「夕陽のせいか……じゃあ仕方ないな」

 

ばっしゃーん!

 

「……いくつバケツあんの?」

「だいじょーぶ、また汲んでくるから」

「うーん……。大丈夫じゃないね。それで、あの二人は?」

「それも質問?」

「んー……。いや、やめとくよ」

「そう? ま、安心してよ。そっちに縛り上げてあるから」

「……。なんで?」

「なんでも。またあんなことさせるわけにはいかないし……。本当に、ずいぶん気持ちよさそうに眠ってたよね、君。女の子二人に囲まれてたのがそんなに良かったんだ?」

「バカ言え、アレが良さそうに見える訳ないだろ。一種の拷問だよ。特に、僕みたいなヤツにとってはね」

「拷問? それにしてはちょっと、肌色が多かったようにも思うけど?」

「……気のせいだろ。そこら中に散らばった空き缶が見えない? あんな量飲んで、僕が正気でいられるはずないし──寝てただけだよ。少なくとも、僕からは何もしてない」

「ま、ブラストがお酒に弱いのは知ってるけどさ。ちょっと無防備じゃない?」

 

今朝も同じこと言われたな──。

 

ブレイズの機嫌が少しずつ改善されていっているのが分かる。ちょっとずつ──。

 

「おまえみたいに無理くり飲ませようとして来る奴がいなければ、僕だって飲まないさ」

「わ、私はいいじゃん! 仲間なんだしさ?」

「えー……。お前ほんと、僕が弱いって理解してる? 何十回僕を潰せば気が済むんだ?」

「ぶ……ブラストが弱いのがいけないんだよ!」

「めちゃくちゃ言い始めたな……」

「すぐ潰れちゃうんだもん。何回君を部屋まで運んでったか分からないよ?」

「そりゃどうも……。原因もお前だけどね」

「もう!」

「そもそもね。お前だって大概だ。いい加減そのまま僕のベッドで寝るのはやめて欲しいもんだよ。そのせいで僕は毎回床で寝る羽目になってるんだ」

「う、別に……その、いいじゃん」

「何がいいって? 硬いんだけど、床」

「だから! 一緒に寝ればいいじゃん!」

「……」

「……」

 

大声が辺りに響いた。

 

……。え?

 

言い切ったブレイズは急に正気に帰ったかのように手をぶんぶんと振った。

 

「い、いや冗談、冗談だからね!? その、今後はもうしないから、だから……」

「……お、おう」

 

なんか恥ずかしいんだが……。

 

僕まで恥ずかしくなって来る。視線を逸らした。

 

話題を変えることにした。

 

「……この縄、解いてくんない?」

「え、それは嫌」

「……言い方を変えることにしよう。どうしたら解いてくれる? 動けないんだけど」

「ペナルティは二つあったよね。一つは私がいいと思うまで縄を解かない。もう一つは……とっておこうかな。あ、それと私との約束を忘れた分で、ペナルティもう一個ね」

「ぐ……。約束忘れたのは、悪かったよ……。仕方ない。でも一体なんの理由で僕はここから動けないんだ?」

「そりゃあ、解いたらブラストがあの女の子たちとまた一緒に寝ることになるからじゃない?」

「誤解……と言うか。どうしようもない。酒を飲まされたらどうしようもない。知ってるだろ」

「よーく知ってるよ。私もよくそれを利用して──……。ごめんやっぱり今のなし。忘れて」

「おいてめえ今なんつった!」

 

ブレイズは躍起になって否定した。こいつ……!

 

「い、いや違うよ、違うって! 別に君を悪どいことに利用した訳じゃないし、ほら……。可愛い同僚の頼みじゃない? 忘れてくれると嬉しいなー」

「何した? 僕がベロベロで毎回記憶なくしてるからって、なんでもしていい訳じゃないんだけど。金か? 金なのか?」

「お金なわけないじゃん! いや本当に、君に危害とかは加えてないんだって、本当に! 信じて!」

「……これまでのよしみで、今回だけ見逃してやる。でも一個だけ聞かせろ──僕を利用して何かしているのか? それとも僕に何かしているのか?」

「……いやー、あはははは……。あ、晩ご飯の用意しよっか。バーベキューの用意するね」

「うぉい! くっそ縄が解けねえ……。風で──」

「あ、だーめ! そのアーツ、君にもだいぶ負担かかってるでしょ。特にアーツユニットなしなんて絶対ダメだからね」

「お前ね、だったら解けよ」

「やーだ。大丈夫、ちゃんとご飯は食べさせてあげるからさ」

「なんも大丈夫じゃねえ……。あー……ブレイズ。煙草とってくんない? 車の中にあるからさ」

「だーーーめ! 絶対とってあげない」

「頼む……。そろそろ限界なんだよ……ついでにこの状況に対する精神的負担がだな……」

 

拝み倒すとブレイズはため息を吐いて折れた。

 

「一本だけだよ。それ以上は絶対ダメだから」

「──っし!」

 

ブレイズが箱を取ってきてくれた。一本取り出して──あ。両手使えない。

 

「……咥えさせてくれない?」

「ペナルティ増えるよ?」

「……。…………。………………う〜ん──」

「そんな悩む?」

「……仕方ない。頼む」

「えー、そんな吸いたいの? ほんと、やめてほしいな……」

「お前には関係ないだろ?」

「あるの。嗅覚は敏感な方なんだから、臭いがはっきり分かるの」

「うえ、そうか? えー……じゃあ離れてろよ」

「それもやだ。何するかわかんないし」

「八方塞がりか……」

 

ブレイズが煙草をポイって放った。ああ……。

 

「やっぱりだめ」

「あああ……」

 

無情すぎる……。

 

「……どうしてもダメか?」

「どうしてもダメ」

 

あああああ……。

 

太陽が沈んでいく。

 

うう、吸いたい……。

 

 

 

 

 

バーベキューの準備をしている。

 

誰かしているのか、それが問題だ。

 

僕ではない。

 

まだ縛りつけられてる。トイレに行きたいって言ったら一回外してもらえた。それで終わったらまた縛られた。なんだこれシュール……。

 

誰がバーベキューの準備をしているのか?

 

僕以外の全員だ。

 

いやいやいや──……。

 

「なんで?」

 

ガヤガヤしながら女3人が手際よく野菜を切ったり火を起こしたりしている。

 

ブレイズが炭に火を起こした。アーツ使ってる……なんて無駄遣い。

 

「んー……。ブラスト、風ちょーだい」

「……ほらよ」

 

炭に酸素が送られて燃え上がった。なんでこんな事しなきゃいけないんだ? せっかくのバーベキュー縛られたままって。なんで?

 

「──でさ、そのシーンがすっごいかっこいいんだよ! いやあの映画おすすめだな〜」

「うそ、私もちょっと気になってたんだよね! 一緒に見ない?」

「お、いいね! もう一回見返したかったところなんだよ〜。あ、キャベツ切るよ」

「ありがと」

「ブレイズ。火はもう着いてる?」

「コンロの火が見えないの?」

「見えてるけど、バーベキューなんて初めてだから、もういいのか分からない」

「ふーん。ま、お子ちゃまだし仕方ないか。もうちょっと待ってて」

「よく知りもしないのに見下さないで。私、あんたが思ってるほど弱くないから」

「ふーん? いつまでその態度が保つか楽しみだな〜?」

 

──蚊帳の外……と言うより。

 

なんだろう、この気持ちは──。

 

そんな調子で肉を焼き始めた。

 

僕は虚しい眼差しでそれを見ていた。

 

エフイーターがニヤニヤしながら缶ビールを持ってこっちに歩いてくる。

 

……。

 

「なんだよ。僕を笑いに来たのか?」

「そろそろ乾杯じゃん? 飲めないのも可哀想だと思ってさ〜。ブレイズ! 乾杯しよ〜!」

「うん! あ……そういうこと。あはは、それはいいかな」

 

グレースロートまで缶を持っている。フルーツ系のヤツだ。いつの間にか酒なんて覚えちゃって……。

 

「グレースロート。これ解いてくれない?」

「……貴重な機会だから、遠慮しておく。それに……」

「それに?」

「いや、なんでもない」

 

エフイーターが思いっきり叫んだ。

 

「かんぱ〜い!」

「……何これ」

 

夜。ライトに照らされたバーベキュー会場を目前にして呟いた。

 

ニヤニヤしながらブレイズが缶を一口飲んで僕にしゃがみ込む。

 

「飲みたい?」

「……飲みたくない」

「じゃあ飲ませてあげる!」

「や、やめろお前、むぐ、ぐっ」

 

顔以外自由に動かせるスペースがない──。

 

逃げ場のない僕に飲み口を当ててビールを流し込んできやがった。人間のクズが……。

 

てか息が出来ない──仕方なく飲み干した。

 

「げほっ……。うぉう……」

 

酩酊──熱。

 

「お、お前……悪魔が、覚えてろ……」

「やだなぁ。私なりの仕返しなんだから、恨みっこなしだよ。まあ私からはこのくらいで勘弁しておいてあげる」

「お前からは……?」

 

ゾッとした。

 

ブレイズの後ろに──二人並んでる。

 

や、やめろ、エフイーター、来るな……。

 

もがもがもが──。

 

「ほらほらどうした〜? あたしの酒が飲めないのか〜?」

 

やっべえなんか怒ってる? なんかこのパンダ怒ってるのか?

 

……心当たりがない。大体こいつが悪いだろ。

 

「ブラストさ〜、あたしだけじゃ満足できないってことか〜?」

「な、なんの話だもがっ」

「ま、飲みなよ。あのさ〜」

「やめろ、やめろ死ぬ……」

 

やばい。マジやばい。

 

視界がぼやけてきた……。

 

思考能力もぼやぼやしてる。口が回らない──。

 

「あのさ。あたしが言いたいことは一つ。とっととあたしを選べってことだけなんだよ。飲め、このやろう」

 

僕の状態を鑑みて、流石に縄から解放された。

 

が、アルコールからは解放されなかった。

 

逃げ出そうとした僕は歩けもしない。

 

ぶっ倒れた。

 

……やばい。もう自力で歩けない。平衡感覚が──。

 

「あ、お肉食べなよ。ほらあーん」

 

肉、うまい。あじ、分からんけど。

 

倒れながら食う飯は初めてだ。

 

ボヤッとした光の中で、僕はグレースロートのキマった表情を見たが、それが何を意味するのかは分からなかった。

 

エフイーターがにししと笑ってコンロの方に戻っていく。

 

代わりにグレースロートがぶっ倒れた僕をちょんちょんと小突いた。生きているか確認しているらしい。うめいた。

 

体を起こしてくれる──優しい。

 

朦朧とする──。寝たい。

 

グレースロートはチューハイを一口含み、僕の頬に手を当て──。

 

ゆっくりと顔が近づいてくる。

 

……やば、体動かない。もうなんか……思考が出来ない。別にいいかなーとさえ思い始めた。末期だ。

 

唇が接触した。唾液とチューハイの混ざった液体が口の中に流れ込んでくる──。

 

──強ッ、きっつこの酒……明らかにただのチューハイじゃない。

 

でも飲み込んだ。理由なんて知らない。酔ってるから仕方ないだろ。

 

視界の隅に見えた9%の文字と、劈くブレイズの絶叫、飛び蹴りの疾走動作のまま高く飛ぶエフイーターとへにゃりとしたグレースロートの目の奥の色。

 

むり、もう限界だ、

 

意識が

 

 

 

 

 

 

 

フラフラしながら歩いている。

 

──。

 

目が覚めると、部屋で寝ていた。

 

なぜか、他に人がいないことに強烈な安心を覚えた。なんでかは分からない。

 

何も考えたくないし──何より、気分が最悪だ。

 

まだアルコールが残っているのだろうか?

 

──……。

 

辛い。

 

今日の任務は──書類仕事だけだ。助かった。こんな状態で体動かしたら吐きそうだ。

 

どうも最近意識がたるんでる気がする。こんなんじゃダメだ、エリートオペレーターの名が廃る。

 

ちゃんとしろ、Blast。

 

背後から声をかけられた。

 

「……ブラスト。どうした、酷い顔だ。何があった」

「Aceさん……。僕はもうダメかもしれないです」

「ブレイズも今朝から機嫌が悪い。また何かやったのか?」

「僕は……何も、してないと思うんですけど……。もう、頭痛くて、気持ち悪くて……」

「また飲んだのか。弱いんだから気を付けろと散々言っているだろう」

「違うんです……。もう、午前中の記憶ぐらいしかないんです……何があったか、どうして僕がこんなになるまで飲んだのかさえ……」

「……強く生きろ」

 

ポン、と肩に手をおくAceさんと死に体の僕。

 

「それより、明日からLogosとWhitesmithがしばらく空ける。聞いてるか?」

「ええ、確か……遠方の難民支援、でしたか……?」

「そうだ。一ヶ月は会えんし、挨拶でもしておいたらどうだ?」

「はい、後で……。うぇ」

 

廊下を歩いていく。

 

その後またエフイーターに絡まれたことや、この二日酔いの酷さも相待って、結局僕は二人に挨拶しにいくことを忘れてしまった。

 

気づいた時にはもう二人とその部隊は出発していた。

 

まあいっかと思っていた。一ヶ月程度会えないだけだから。

 

そして僕が、LogosさんとWhitesmithさんに会うことは二度となかった。




閑話の副題:嵐の前の静けさ

・Blast(ブラスト)
いろんな意味で逃げ場がなくなっている。
苦手なものは酒と嘘をつくこと。
悩みは尽きない。
歌詞の一節はアメリカのロックバンドLinkin Parkの一曲『One More Light』より引用。

・ブレイズ
かわいい

・グレースロート
目が覚めた時一人で悶絶していた。

・エフイーター
大体平常運転

・Ace
Ace的にはブレイズを応援しているが、Blastの気持ちが一番大事だと考えている。めっちゃいい人。

・Logos、Whitesmith
エリートオペレーターの人たち。










『最終版の武器を入れておく収納庫。武器は較正待ち、Logosはパーツ待ち、Whitesmithは素材待ち。全てが待機中で収納庫が意味を失くしてしまった。
宿舎に飾れば、雰囲気を良くする。』
──インテリア:ロドス作業室、武器収納庫フレーバーテキストより










──間違っていたのだろうか?

──この道は、本当に正しいのだろうか?

──どうして彼らが死ななければならなかったのだろうか。いや、そもそも彼らは死ななければならなかったのだろうか?

──この世界のために、僕らが命を懸けて戦う価値は本当にあるのだろうか。

『感染者のために戦うべきだという君と、感染者に失望している君。どちらもただの可能性だ。そのどちらを本音にするのかは』

『これから君が選択するんだ』

残された時間はそう多くなかった。

僕が──


*ストック尽きたんで充電期間とります。一週間くらいで書き上げる予定なんで、それまで毎日投稿はお休みです。ごめんね。
これから先の展開が複雑になりそうなので苦戦中です。楽しみにしている方には申し訳ないです。
いつも評価、感想等ありがとうございます。いつも感想、楽しんで読ませてもらってます。


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1−3 白昼夢
夢に霞/花に嵐-1


なんとか書けたんで投稿します
見切り列車です
先に言っておきます
ヒ ロ イ ン の 出 番 が ま る で あ り ま せ ん
ごめんね








僕はウルサスで生まれた。

感染者になったのは、家業がきっかけだったと思う。

製造業だったんだ。小さな自営業の、小さな町工場とも付かない場所。とても真っ当な場所ではなかった。だがそれほど悪くもなかった。

源石を扱っていたのは、需要があったからだ。鉱石病のリスクを冒すことで、需要というリターンを得る。

そしてリスクを被ったのは両親ではなく僕だった。

あの時両親に抱いた感情は、とてもよく覚えている。

──。

もう、何十年も前の話。


 

 

ロドスの最下層には、石碑がある。

 

ぼんやりと、それを眺めていた。

 

何十と連なった名前の、一番新しいところ。

 

Logos。

Whitesmith。

 

それだけだ。

 

僕は、あの人たちの本名も知らない。

 

Logosさんは切断術に長けた前衛だった。ブレイズのチェーンソーはLogosさんからのアイデアだった。Logosさんから教わった切断術がブレイズの大きな強さとなった。

 

WhiteSmithさんは神経質なアーツ術師だった。人嫌いな皮肉屋だった。だが、人を嫌うのと同じくらい人を助けたいと思っていた、奇妙な人だった。

 

僕は、彼らに一体どれだけのことを教わって、どれだけ彼らに感謝を伝えられたのだろうか?

 

Logosさんとは何度模擬戦に付き合ってもらったかどうか分からないほど戦った。Aceさんの部隊の、生意気な新入りに付き合って何回も僕をボコボコにしてくれた。その隣でブレイズも伸されていた。

 

Whitesmithさんにもお世話になった。僕は武器開発系がさっぱりで、何一つ分かってはいなかった。だから全部教えてもらった。頭のいい人だった。よく僕の頭の悪さを皮肉られていたのだが、最後は僕の作り上げたアーツユニットを褒めてくれた。

 

僕は、あの人たちの本名も知らない。

 

僕たちは自らで決めたコードネームを名乗る。もちろんコードネームでなく、本名でもいい。だがこれは、ロドスで戦うための決意表明の様なものだ。

 

そして、本名ではなくコードネームで呼び合う。仲間として。

 

Blastもコードネームだ。風のようにしなやかで、そしてこの世界に常に吹き続けている。そんな人になりたい。誰かを助けたい。そんな思いだったような気がする。

 

そしてお前(Blast)は、その名にふさわしいオペレーターになれたか?

 

お前は彼らの命にふさわしいのか?

 

今も考えている。

 

考え続けている。

 

後ろの扉が開いた。

 

足音が近づいてくる。

 

「Blastさん」

「……アーミヤ。どうしたの、こんな場所まで来て」

「こんな場所、ではありませんよ」

「……そうだったね、悪い。失言だった」

 

遺体さえ持って帰れないことがある。

 

遺体は親族に引き渡すことが大半だから、ロドスに彼らが生きていた証はこの石碑に刻まれたコードネームしか存在しない。後ドックタグくらいか。

 

「本当に、悲しいです。いつも思います。私たちは彼らの死に報いることができるのかって」

「……そうだね。僕も思うよ。そして、僕らは前に進むしかないってことをいつも思い知る」

「はい。その通りです。私たちはいつまでも、歩みを止めるわけにはいきません」

「うん。それで、僕に何か用かな。探してたんでしょ?」

「はい。ここだろうってブレイズさんがおっしゃっていました。正解でしたね」

「正式にあの任務が?」

「……はい。出発は明日です」

「──あの二人が死んだ原因の調査と、成し遂げられなかった難民救助任務。出撃まで一ヶ月もかかるとは思わなかったけど」

「情報収集なしでの任務は危険すぎます。Blastさんがすぐにでも出発したかったのは分かります。でも……」

「分かってるさ。十分準備はした」

 

LogosさんとWhitesmithさんは紛争地域での、民間人の救助任務に当たっていた。そして、紛争に巻き込まれて死んだ。

 

だが、あの二人と、あの二人が率いる部隊がそんな簡単に死ぬはずがない。エリートオペレーターはそんな軽い存在じゃないんだ。

 

何かがあるはずだ。

 

「今更いうのもなんだけど……こういうのはScoutさんにでも任せた方が良かったかもしれないよ」

「いいえ。Blastさん。自分ではあまり自覚してないと思いますが、Blastさんの評価は非常に素晴らしいものなんですよ。単独の戦闘力、及び率いる行動隊B2はロドスでもトップレベルの部隊に成長しました。その原因がなんであれ、です」

「そう。あんまり……嬉しくないね」

「そう、ですか。昔のBlastさんなら大喜びでもしていたと思います」

「そうだね。僕もそう思う。そうやってブレイズにでもマウントを取りに行ってたかな。そしたらまた喧嘩だ」

 

ありありと想像できる。廊下でも訓練室でもお構いなしだ。

 

ブレイズとの喧嘩は武器なし素手のみ、相手を地面に叩きつければ勝ちだ。

 

下らない想像を掻き消すように、アーミヤの返事が冷たい空間に反響した。

 

「はい」

「またAceさんが仲裁しにくるだろうね。Scoutさんは野次馬根性があるからニヤニヤしながら見てるかな。Logosさんはきっと通りかかって、呆れていると思う。Whitesmithさんは普段から部屋に閉じこもっているから、そもそも見ないと思うけど──でも」

「もう、LogosさんとWhitesmithさんは居ません」

「ああ、居ない。任務、了解した。予定通り行動隊B2で出撃する」

「はい。了解しました。……Blastさん。どうか、死なないでください」

「安心しなよ。僕はまだ死なない。そんなことしたらブレイズに噛みつかれるからね」

「ふふ、そうですね。では、幸運を祈っています」

「ああ、任せてくれ」

 

そこで見極めることにしよう。

 

僕が彼らの死に報いることができるかどうか。

 

そして、この世界が彼らの一生に報いるのかどうかを。

 

 

 

 

 

夢に霞 /花に嵐

 

 

 

 

 

行動隊B2の欠員は補充しなかった。

 

僕たち全員の総意だ。

 

車両が部隊を乗せて走る。

 

軍用のゴツい車両の後ろにて、硬い地面の揺れを無視しながら口を開いた。

 

「それじゃ、確認から入るよ。僕らが向かってるのはエクソリア共和国。赤道に近くて湿度が高い国だ。ロドスと違って気温がすごい高いから各員気をつけるように。今回の任務の本筋は難民救助だ。エクソリア共和国で紛争が起きているのはみんな知っている通りだと思う」

 

エクソリア共和国はまだ発展してない緑の国だ。ジャングルも確認でき、資源が豊富。そして内紛状態にあり、緊張が高まっている。

隣国との戦争は秒読みとされており、かなり危機的な状況にあることは間違いない。そして内紛に金と労力と命を費やした結果国内は非常に貧しく、首都であっても犯罪が横行している。

 

「僕らが行うのは出来る限りの人命救助だ。紛争に巻き込まれて手足を失った人たちのサポートや物資の配給が主な任務だよ。そして最も重要な点だけど、この国の内紛そのものには関わるな」

「つっても隊長。オレらだって襲われる可能性があるんじゃないっすか?」

「そうだね。もしそうなったとしたら遠慮なく反撃すればいいけど──ロドスは戦争そのものに直接関与することはできない。理由はわかるね」

「はい。エクソリアとの直接的な関係がないロドスは、内紛にも関わる理由がないからですよね」

「その通りだ。まあはっきり言うと、僕らが内紛に巻き込まれないためであり、内紛をややこしくしないためだ。人命救助はしても、戦争をしにきた訳じゃない。それを忘れるなよ」

 

危険な状況にもかかわらずロドスが国境を跨ぐことを許可されているのは、あくまで人命救助が目的だからだ。

 

ロドスは国際的な平和基金からの援助を得てこの救助活動を行えている。危険な任務を、援助を受け取ることでロドスが代行しているとも表現できる。

 

つまりこれは、ロドスだけの問題ではない。より大きな世界平和という名目が絡んでいるのだ。

 

……どうでもいいな、そんな上っ面のことは。

 

「僕たちがやるのは助け出せる命を可能な限り助け出すこと。これが第一目標。そして第二目標は……分かってるね」

「はい。行動隊C1、B5およびその隊長であるLogosさん、Whitesmithさんの死亡の原因を調べることですよね。でも、紛争に巻き込まれただけなんじゃ」

「確かに、そうだろうね。だとしたら相手は北か南か……でも、いずれにしても相当悪い状況に追い込まれないでもしない限り、あの二人が死ぬはずない。エリートオペレーターはそう簡単に死ぬはずがないんだよ。何か、あるはずだ。絶対に」

「隊長、でもオレらは紛争に関わっちゃダメっすよ。平和基金からの援助が出てんすから、その金で戦争したら相当マズいことになるっすよ」

「分かってるさ。別に復讐なんて考えちゃいないよ。ただ……真実が知りたい。それだけさ」

 

本当に巻き込まれただけか?

 

そしてそうであったのなら──僕は何を思うのだろうか。

 

僕たちは、まだ人を助け続けるのか──いや。今考えても仕方がないことだ。

 

「とにかく、もうすぐエクソリア共和国の国境だ。そこから先はどこにいても気を抜けない状況になるかもしれない。ロドスが救助活動にあたっていることは通達済みだ。僕らを攻撃することは国際法に違反する……けど。法は矢を放つことを禁止するけど、放たれた矢まで防いでくれるわけじゃない。お前らの命が最優先だ。分かってるとは思うけど」

「で、結局攻撃を受けた時どれくらい反撃していいんすか?」

「各自に任せる。正当防衛が成立してれば、言い訳の余地も残るからね。ただ、やられる前にやるってのができないだけだ」

「了解っす」

 

僕らはエクソリア共和国へ入国した。

 

暑い国だ。湿度が高いし、太陽の光が強い。

 

植物の高さも全然違う。茶色の土と、手の入ってない生い茂った緑。ジャングルも見える。川の色、広さ、流れまで、全て異なる。

 

「……暑いですね」

「ああ。紛争地域まで一時間かかる予定だ」

 

暑い。じめっとした汗が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

紛争地域は酷いものだった。

 

すぐさま現地の病院を訪ね、物資を届ける。

 

僕らは一ヶ月間医療訓練を積んだ。

 

ロドス医療部から人員を出す案もあったが、却下された。危険すぎるためだ。医療部はロドスの最重要部、戦死する可能性の高いこの紛争状態にある国に出撃するには危険すぎる。

 

苦肉の策だった。

 

何もしないという選択肢は、ロドスにもあった。すでに行動隊の二部隊を失っていたからだ。だが──。

 

それでは、死んでいった仲間に申し訳が経たない。あの人たちの死に、一体何の意味があったのか分からない。

この任務は、断られることを想定していたそうだ。平和基金からの要望に対する最低限の顔立てだった。

 

だが、僕が希望した。行動隊B2、こいつらも賛同してくれた。

 

正直、一人で行くべきだと思った。僕一人で向かうのが最前で、最もリスクの低い行為だ。だがそれじゃ救助の意味もクソもない。一人で何ができる。

 

「隊長、まだうだうだ迷ってんすか?」

「お前らを巻き込みたくなかった。これは僕のわがままかもしれない」

「いいっす。オレら、死ぬときは隊長と一緒っすよ」

「……ジフ。すまない──でも、死ぬ覚悟なんて決めるなよ。僕らは死なない。さ、行くよ。やるべきことは山積みだ」

 

病院はそれほど大きいものではない──その部分に金がかかってない。貧しい人々から吸い上げた税金は、病院や衛生設備に使われることはないらしい。

 

片足を失った少年が、杖をつきながら隣を歩いていた──リハビリ中だろうか。

 

彼は怪訝な目で僕らを見たが、何も言葉は発さないまま廊下の角に消えていく。

 

──市民への被害。

 

戦場が市街地になっているということ。

 

ジフを連れて院長を訪ねる。暑い国の、薄暗い廊下は不思議な肌触りがあった。

 

院長の部屋も、本来はただの部屋だったのだろうが──人が寝ている。いや、病室になっていると表現すべきか。病室が足りないために、本来病室でもない場所を患者への場所にしている。

 

「すみません、ロドスの者ですが、院長はいますか?」

「──はい、私です」

 

患者を診ていた一人の男性が立ち上がって僕らに振り返る。

 

「あなたたちがロドスの……連絡は受けています。今回の支援、本当に感謝しています」

「いえ──。物資は今、僕の部隊が運び込んでいます。これから僕らロドスはあなたたちの支援に入ります。僕らは医療が専門ではありませんが……できることがあるはずです」

「……感謝します。本当に……ですが、この地域は危険すぎます。突発的な戦闘が展開されることすらあります。巻き込まれて負傷、あるいは死亡する可能性も……」

「ご心配なく。僕らはそうヤワではありません。それより、この地域に関しての詳しい情報をいただけますか?」

「はい、分かりました──」

 

この戦争は、古くから続く国内の分断に端を発している。

 

エクソリアは歴史上、ウルサスの支配を受けていた時期があった。特にその影響はこのエクソリア北部に関して根強い。南部はウルサスに対して抵抗をし続けて、やがてエクソリアは独立したが──。

 

支配されていた百年ほどあまりの間に、エクソリアは完全に両断されてしまったという訳だ。

 

ウルサスに抵抗していたと言っても、実態的には北部の兵士が南部に対して支配を強いる──国内同士の対立だったのが実情だ。ウルサスは強大だ。まともに立ち向かって勝てる相手ではない。エクソリアは未だ発展途上の国だ。

 

結局、独立という自由の果てに残ったのは国内同士の対立、親の代から受け継がれる憎しみだけ。

 

もともと一つだったという理由だけで、今もなお争い続けている。その理由も知らないまま。

 

エクソリア独立から十年。

 

戦禍は広がるばかりだ。

 

「……しかし、こんなことが日常的に起きているんですか、ここでは」

 

院長はシワだらけの顔を伏せて答えた。

 

「日常的とは言いません。ですが……最近はテロや突然の強襲も多い。北部労働党はウルサスからの支援を受けたのではないか、というのがもっぱらの噂です。本格的に南部を……このアルガンの街を陥すつもりなのかもしれない」

「待ってください、ウルサスがどうして今更。独立はもう十年も前の話なんですよ。エクソリアの独立は世界的に認められています。また植民地化なんて、できるはずが」

「ない、などと……言い切れません。特に北部は未だウルサスの影響が根強い。何せ、北部では未だにウルサス語を話す人々がいます。エクソリアは共通語が公用語ですが……文化に至るまでウルサスが入り込んでいるんです。車や医療器具などもそうです……経済までウルサスに寄りかかってなんとかなっているのが現状です。すでに、実質的な支配下にある事実は、独立しても変わっていません」

 

窓の外はまだ日が照っている。

 

……冬が支配し続けるウルサスのイメージとは全く違う。

 

エクソリアに冬なんてこない。来たとしても、雪は決して降らないだろう。エクソリアは一年を通して暖かい国だ。ウルサスとは違う……。

 

だが。

 

「……この紛争はエクソリア統一を目的としたものなんですよね」

「ええ……。百年も分断されていたエクソリア統一は、この国全員が願っていることです。誰も戦争なんて望んではいません」

「ですが、現実には──」

 

ジフが不意に口を開いた。

 

「あの、院長さん。一ヶ月くらい前にもロドスの部隊が来てたはずっす。何か知ってないっすか?」

「……場所を変えましょう。外に私がいつも使っている喫茶店があります。エクソリアのコーヒーは好みですか?」

「いえ……コーヒーはインスタントしか」

「でしたら是非とも。こちらです」

 

病院を出る。

 

「ジフ、お前は物資の方に行け。話は僕だけでも聞ける」

「……護衛は要らないっすか?」

「まだ日も落ちてないだろ。問題ないさ」

「了解っす」

 

エクソリアの街は雑多な活気に溢れている。

 

街の人々は自転車を主な交通手段としているらしい。あるいはバスか……だが、片手を失くした人や昼間から酔っ払って路地に寝っ転がっている人、あるいは……ドラッグか。

 

人々はとても若い。若者が多い。

 

じめっとした空気と、太陽に照らされる木造りの建物、それに混ざった白い建物は遠い異国の情緒を生み出していて、なんだか現実味が薄いような気もした。

 

院長についていく。白いペンキが特徴的な、ごちゃっとした店だった。

 

「──それで、改めて聞かせてください。一ヶ月前に来ていたはずのロドスの部隊について、知っていることがあるんですね」

「ええ、知っています……。彼らも、勇気ある人々でした」

「僕が聞きたいのは一つです。彼らは……単純にこの紛争に巻き込まれただけなのか、それとも……誰かに殺されたのか。僕は誰かが意図してロドスを襲ったのではないかと考えています」

「どうして誰かに殺された、と?」

「彼ら──LogosさんもWhitesmithさんも、ただ巻き込まれただけで死ぬ程度のヤワな人たちじゃありません。僕の先輩で、仲間でした。ロドスに届いたのは彼らが死んだという情報のみです。それしか届かなかった。彼らがただで死ぬはずがない」

「……そうでしたか。あなたの名前を聞いても?」

「Blastです。隊長を務めています」

「そうですか、Blastさん……私はグエンと言います。アルガン市立病院の院長をしています。私はおそらく、あなたの知りたいことを知っています……彼らの死には、少し複雑な背景があるのです。全てお話ししましょう」

 

グエンさんはシワを寄せてコーヒーを含んだ。香りがこっちまで伝わる。

 

確かエクソリアはコーヒー豆が採れるんだったか。興味はなかったが──地元の人に愛されているのだろうか。

 

ふと、そんなことを思った。

 

「この国が南部と北部に分かれて戦争をしていることはご存知でしょう。エクソリア統一戦争──我々は統一戦争と呼んでいますが……やっていることは、ただの殺し合いに過ぎません」

 

黙って続きを促した。

 

グエンさんはせっかちな僕を眺めて少し苦笑いしたようにも思う。気のせいかも。

 

ただ、僕は真実が知りたいだけだ。今はそれ以外どうでもいい。

 

「テロも絶えません。特に、駅や兵器の工場施設は頻繁にテロの対象にされます。何十名の人々が巻き込まれて死んだことかわかりません。戦争の終わりが見えない。北部の使っている武器は、ウルサスで作られたものなんです。私たち南部に現代風の優れた武器を作る技術はありませんし、資源もそう豊富でもない。徐々に擦り潰されていっているのが、肌でわかります」

 

やはりウルサスが絡んでいる。北部はウルサスの傀儡ということか?

 

「そして南部の首都、ここアルガンの市長が変わりました。一年ほど前のことです。それから戦況は急激に悪化しました。物価も値上がりして、南部はより厳しい状況に立たされるようになりました」

「市長が関係あるってことですか?」

「……公にはされていませんが、実は。結論から申し上げて、市長は北部と通じています」

「それはつまり……──ッ!? 待ってください、そんな訳が」

「ない、と言えない状況もあるということです。特に……この国では。すでに私たち南部には、敗北の二文字が浮き上がりつつあります。じわじわと終わりつつあるこの街から奪い取れるだけ奪い取ろうとする輩は後を断ちません。市長は、その一角です」

「具体的には──」

「金です。つまり、北部の軍隊を南部に手引きする対価です。このアルゴンに北部、ウルサスの支援を受けた強襲部隊が潜んでいる可能性が非常に高い」

 

絶句した。

 

Logosさんたちは──。

 

「北部の強みは、徹底した情報戦にあります。遮断し、自らの正体を知らせず奇襲する。神出鬼没の彼らに、南部は何度も敗北を重ねています──」

「……院長とは言え、なぜあなたがそこまでの情報を得ているんですか」

「あなたを信用して話します。私──いえ、()()()とてこのまま北部に吸収されるわけには行きません。再びウルサスの支配下に置かれれば、一体どんな生活が待っているか想像もしたくない。私たちはゲリラです」

「そうか、だから──」

「一ヶ月前支援に来てくださったロドスの皆さんは、暗殺されました」

 

グエンさんはそう言い放った。

 

その目的はなんだ? なぜ彼らは殺されたんだ? 市長にそこまでの力があるのか?

 

「つまりは、私たちゲリラを支援していると判断されたのです。罠に釣り出され、街中で戦闘が起きました。彼らの最期は、アルゴンの市民を庇って死んだ、というものだと報告されています」

「────」

「私は彼らに深い感謝と、尊敬を抱きます。Blastさん、我々とともに戦っていただけませんか」

「少し……時間をください」

 

正直言って、混乱している。

 

予想してないわけではなかった。

 

……ロドスは傭兵じゃない。僕たちは人命救助の任務でここに来た。戦いに来たわけじゃない。

 

「私たちに、この街に残された時間はそう多くありません。どうか、人々のために」

「今日の……夕方までには回答します。僕は、ここで失礼させてもらいます」

 

席を立った。

 

結局、コーヒーに口をつけないまま。

 

 




・Blast
特に書くことがない

・行動予備隊B2
オリキャラの集団

・グエンさん
現地ゲリラの老人。ゲリラでも重要な地位にある人

・エクソリア
ベトナムがモデルです。ボロが出るでしょうが許して
移動都市ではありません。これについては後々……


あと全編シリアスの塊です。


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夢に霞/花に嵐-2

繰り返しますがヒロインが出ません
しばらく色気のない話が続きます


「隊長。おかえりなさい」

「アイビス。終わったか」

 

設営を終えた簡易宿舎。

 

エクソリアには一ヶ月ほど滞在する予定だ──街の外れた場所に簡易的な宿舎を設営した。

 

テントと調理キッド、トイレは近くの林に設備を作ってある。

 

時刻は4時。

 

「みんなは」

「街の方に、必要なものを買いに行きました。自分はハンスと組んで留守番中です」

「そう。出来るだけ早く、みんなを集められる?」

「何かあったんですか──ああ、その顔はあったってことですね。了解です、無線飛ばします」

 

部下の察しが良くて助かると喜ぶべきか、顔に出る僕の習性を嘆くべきか。

 

優秀な部下達が帰ってきた。

 

「みんな、おかえり。早速だけど、ちょっと意見が欲しい。あのさ、この国のために命を懸けてもいい人、手を上げて」

 

買い物袋を下ろした隊員、僕含めて7人の小隊は、誰一人として手を上げなかった。

 

「そうか、みんな頭が良くて嬉しいな。一応聞くけど、理由は?」

「オレらは戦いに来たわけじゃないって、隊長が自分で言ってた事っすよ」

「てか説明くれません? いきなりなんですか」

「や、ちょっとね」

「紛争に関わるか否かってとこですね。行動隊B5、C1のことで、何か分かったんですね」

「本当に僕の部下は察しが良くて助かるよ」

「顔に出やすいだけですよ。その上分かりやすいんですから」

「はは。じゃあ、この話はやめにしよう──」

 

と、話を切ろうとしたとき、ジフが一歩前に出て言った。

 

「でも、隊長が戦えっつったら戦いますよ、オレら」

「──。お前らさあ、いつもはそんなアレじゃないだろ?」

「分かりやすいんすよ。隊長、戦う気っすよね。戦う前の顔っすよ。覚悟決めた感じの」

「あらま、僕ってばホント──隠し事ができないね。例えばそれが、任務から大きく逸脱した内容の命令でも従うって?」

「よっぽど酷いモンじゃなけりゃ、オレは従うっすよ」

「私も同じです」

「右に同じ」

「自分も同様です」

「俺も従います」

「行動隊B2は隊長の部隊です。ロドスと簡単に連絡が取れないエクソリアにおいて、指揮系統は隊長に帰属します」

 

……いい部下を持ったと、つくづく感じる。

 

行動隊B2を見回した。

 

ジフ、アイビス、レイ、ハンス、カルゴ、ルイン。そして、Blast。そして死んでいったイーナとイミン。

 

「どっすか? 覚悟決まったっすか?」

「おかげでね……。腹は決まった。ちょっと出てくる。各自、武器のメンテは忘れずにね」

 

立ち上がって街へ向かう。

 

「やれやれっすね、隊長も」

「まー、いろいろ抱え込みやすい人だからね。大丈夫さ、俺たちは隊長についていくだけだから」

 

エクソリアの名目上の首都、アルゴン。

 

遠くに見える緑の地平線と、ジャングルの湿気。

 

人が多い。喧騒が通りを支配していた。交通ルールなんてあってないようなもので、バイクや自転車がそこら中を行き交っていく。危なっかしいものまであるが、不思議と事故には至らない。途上国の常だ。

 

この国では戦争が起きている。その事実が、なんだか現実味がなかったが──路地を覗き込むと、痩せ細った少年が壁にもたれて座り込んでいたりした。

 

貧困。

 

街を歩く。

 

硬い砂の道を歩いていると、叫び声と怒号が一角から上がっていた。そっちを振り向くと、道の一角で若い男同士が掴み合っているのが見えた。喧嘩だろうか?

 

片方が顔を殴り、殴られた方は顔を怒りに染め上げて反撃する。何発か殴りあい、ヒートアップする──前に、振りかぶった腕を掴んだ人がいた。

 

仲裁しているらしい。あんまり酷いようだと僕が出張ろうかと思っていたが、その心配はなかったみたいだ。

 

「──だがそいつが俺の財布を盗んだんだよ!」

「そんなことやってねえ! 証拠なんかねえだろ!? ほら、どこに財布があるってんだよ!」

「確かに見たんだよ、お前が絶対やったんだよ!」

 

──スリや盗みが起こるのには理由がある。

 

そういう気質なのか、金がないのか。

 

僕は結末を見届けないまま歩き出す。初めて見る光景でもない。珍しいことでもないのだろう。

 

「ちょっと二人とも落ち着けよ、やめろって──」

「うるせえ! 誰だか知らねえが、人の事情に首突っ込んでんじゃねえぞ! おらあッ」

 

──背後から吹っ飛んできた若者に咄嗟に振り向き、僕は目を疑った。

 

さっき喧嘩してた若者の片方だ。

 

……なに? なにこれ。

 

元凶の方を見ると、さっき喧嘩を仲裁していた男が何かを投げたような格好で顔を低くしていた。

 

「見かねて間に入ってやりゃあ調子乗りやがって……こっちに殴りかかってくるとはな。悪く思うなよ、手を出したのはそっちが先──」

「なにをしているんですか、馬鹿者が!」

「うえ、グエンじーさん!? なんでここに」

 

老年の男性がさらに割って入っていた。グエンという名前が聞こえたが……ん?

 

まじまじと見ていると、老人と目があった。

 

院長だった。

 

 

 

 

 

 

「いや、お恥ずかしいところをお見せしました」

「いえ……」

 

さっきの騒ぎとは少し離れた場所、市内の休憩所。さっきの若者はバツが悪そうにどこかへ歩いて行ってしまった。

 

グエンさんは顎に手を当てて、アルゴンの夕方を見上げている。

 

「さっきのモンですが、実は南部ゲリラ兵の一人なんです」

 

! なるほど、彼のような若者が……。

 

「アルゴンには大体千人ほどのゲリラ兵が潜んでいます。一般人との見分けはほぼ付きません」

「……確か、南部軍はすでに壊滅状態でしたか」

「ええ。このアルゴンが一度奪われたのはご存知ですか? 奪還作戦で、多くの兵士が命を散らしました。南部には軍を維持できるだけの体力が残っていないのです。……では、答えを頂きましょう」

「はい。僕たちロドスアイランド所属行動隊B2は、この国のためにできることを行います。当然、本来の任務であった難民支援とは遠ざかりますが……長い目で見れば、救われる人々がいるはずです。それはロドスの理念とも一致します」

「感謝します、本当に──。しかし、命を落とすかもしれません」

「最大限、死なないように努力はします。それに……僕はエリートオペレーターとして、あの人たちの命に報いなければ」

「ありがとうございます……。早速ですが、ある作戦に参加していただきたいのです」

 

グエンさんは優しげな声を少し低くした。

 

早速来た。南部を取り巻く状況はそういいものじゃない──。

 

「アルゴンは奪還されてから、しばらく状況が不安定です。治安も安定していませんし、どこに北部の兵士が紛れ込んでいるかも分かりません。そこで、この街に潜む敵対勢力を一掃する作戦が建てられました」

「了解しました。しかし──この場所で話し続けていいようなものなんですか? どこかに聞き耳が立てられているかもしれない」

「この一帯はゲリラが自治している区域です。心配はありません。もしもこの場所に誰かが潜んでいるようなら、もうアルゴンはお終いでしょう」

「なるほど──」

 

夕暮れに染まる一体。どこからどう見ても普通の街並みにしか見えないが──。ゲリラとは一般人の集団だ。これが正しいあり方なのかもしれない。

 

「それで……敵の場所の目星はついているんですか?」

「はい。というより……公然なんです。北部軍の駐屯地は、アルゴンの街の中に堂々と存在しています。西部に宿舎と駐屯地があります」

「どういうこと……ですか? 敵の拠点がアルゴンに堂々とあるって──」

「手が出せないのです。彼我の勢力差がはっきりしている現状、アルゴンを奪還したとはいえ、おいそれと戦闘を選ぶことができません。そんなことをすれば北部による報復攻撃が我々を焼き尽くすことになります。北部はそれを理解しているからこそ、兵士を撤退させていません。北部の軍服を着た兵士が我が物顔で堂々とアルゴンを彷徨くのを、我々は指を咥えて見ているしかありませんでした──今日までは」

「!」

「はい。北部はすでに戦勝ムードにあり、南部のゲリラが白旗を上げるのを笑いながら待っています。つまりこれは、我々ゲリラの宣戦布告代わりです。我々が、最後まで戦い続けることを宣言する作戦です」

 

グエンさんは歳を重ねた瞳の中に、強い決意を秘めていた。

 

ゲリラとは、軍人ではない。人々の中から自然と立ち上がり、泥臭く戦う人々だ。何よりも人々と、国のために。

 

こういう人間が世界を変えるのかもしれない。

 

「……グエンさんは、なぜゲリラをやっているんですか?」

「自由のため……いや、この国のためです。エクソリアには移動都市がありません。この国は古来から続く遊牧を生活の基盤としてきました。今でもその生活は続いています。天災の予兆があると、都市を捨てて新しい土地へ移り住むのです。十年周期でそれを繰り返し、その度に新しい街を作り上げ、生活をする。それがエクソリアの人々の生活です。例え戦時中であろうとも、です」

 

首都でありながら、建物の構造が簡略すぎるのは、そういう理由があったということか? 直ぐに建てられて、天災が来ても直ぐ捨てられるように。

 

言われてみれば、建物はどれも特徴的だ──現地で取れる材料で組み上げるのだろう。木と砂を材料にした建物ばかりだ。

 

「ですが……前時代的です。それでは、この国の発展は頭打ちになってしまう」

「ええ。移動都市を建設する計画もありました。特にウルサスの影響が強い北部では、移動都市の建造が始まっているとの情報もあります──。ですが、それは必要のないものです。源石(オリジニウム)のもたらす利益と発展は認めます、しかし鉱石病をももたらす。それは歪みとなり、いつか自らに跳ね返るでしょう」

「確かに……その通り、なんでしょうね。しかし、現実には力が必要です。移動都市ごと敵が攻めてくるような事態になれば、エクソリアの人々は巨大な都市を見上げて立ち尽くすしかない。国を守れないんじゃないですか」

「同じようなことを何度も言われます。そのような事態になれば、逃げればいいのですよ。私たちエクソリアの民は、どこにでも街を作り、暮らして行ける。大きな武力を持たずとも──それでいい。この国に移動都市は不要です。力と力で争い続けた先には、踏み荒らされた大地だけが残るでしょう。エクソリアはそうなってはならない」

 

──。

 

新しい概念だった。

 

自然と口から言葉が零れ落ちる。

 

「逃げれば、いい……?」

「ええ。それも、一つの戦い方です。使命や大義に死ぬことは、立派で尊いものでしょうが、同じくらい愚かで悲しい行為です。私たちエクソリアは死後の世界を考えません。ただ、この大地に還るのみです。逃げれば、生きられる。殺し合いの螺旋に身を投じなくてもいい」

「じゃあ……Logosさんたちは、彼らの死には……一体、どんな意味があったって言うんですか。グエンさん、答えてください」

「何もありません。死に大した意味など」

「ふ、ふざけないで下さいッ! それは侮辱だ、僕たちロドスに対する侮辱だ!」

「あなたは……あの方々の死に、意味を求めているのでしょう」

「じゃなきゃ無駄死にじゃないですか、そんなの認められない! 人々を守って死んだって言うんなら、救われた人々がいるって言うんなら……」

「ええ、確かに彼らは命を賭して人々を守りました。私たちはその事実を永劫忘れることはありません。そして、無駄死にではありません。彼らの死があなたに影響を与え、あなたが何かを為す。そうして初めて、彼らの生きたことを証明することができます。死とは、死んだ人にとっての何かではなく、残された人にとっての何かです。あなたが何を思い、何を為すのかが、本質的な意味です」

「……僕が、何をするのか?」

「はい」

 

太陽が沈んでいく。

 

二人の顔を思い出そうとしたが、はっきりとは思い出せなかった。

 

ただ、あの人たちと一緒に何をしたのかは、ずっと覚えている。

 

訓練の苦しさも痛みも、任務も、飲み会で大騒ぎしたことも、全部。

 

全部覚えている。

 

「そしてあなたは、逃げてもいい。少なくとも、死んでいった彼らはあなたに死んで欲しいとは思っていなかったでしょう。生きてほしいとも願ったはず」

「……全部放り出して逃げるなんて、できるはずがない。僕は……」

「長話が過ぎました。所詮は老人の話です、あまり考えすぎるのもよろしくない。Blastさん、確かに私たちは逃げてもいいですが、戦わねばなりません。北部の勝利によって南北統一が為されてしまえば、おそらくエクソリアも移動都市が生まれることになります。ですが……そのやり方は間違っています。歪みを生む。ウルサスは戦争で大きくなった国です。そのウルサスの影響を強く受けて、真っ当な国にはなることはありません。この国の子供達のために、それだけは阻止せねばならない。Blastさん。それでも戦ってくれると言うのであれば、あなたを歓迎します」

「……。まだ、僕の中で答えは出ません。ですが……戦うことで、何か分かるかも知れない。よろしくお願いします、グエンさん。僕らは少数ですが、強さは保証します」

「心強い。一ヶ月前に命を落とした彼らも、その戦いぶりは力強く……勇猛でした。そうだ、これをお返しします。ロドスに届ける予定でしたが、なかなかトランスポーターを捕まえられず……」

 

グエンさんに手渡されたのは、二つのドッグタグだった。

 

鉄のプレートと、千切れたチェーン。

 

文字が刻まれてある。Logos、Whitesmith。

 

ロドスの行動隊全員が身につけているものだ。遺体を持って帰れない場合、これだけを持って帰る。もしくは、身元がわからないくらい遺体が損傷しても、誰だか分かるように。

 

僕も、当然着けている。

 

「……ありがとうございます。他の、隊員の分は」

「量が多かったので、こちらで保管してあります。後でお渡しします」

「ありがとうございます……」

「北部の駐屯地への強襲作戦は、今夜です」

「今夜? 早いですね……」

「いえ、ちょうどあなたたちが来て下さった。もう待つ意味はありません。こうしている間にも、北部の戦力が増強されていきます。十分な戦力は整いました。反撃の狼煙を、もういい加減にあげていい」

「……はい。分かりました」

 

立ち上がる。

準備をしなければ。

 

「Blastさん。繰り返しますが、戦い方は一つではありません。捨てて、逃げるのも一つの選択肢としてあることを、忘れないで下さい」

「分かってます。ありがとうございます、グエンさん」

 

まだ──答えは出ない。

 

だが、戦わなければ。

 

 




・行動隊B2
イカれ隊長に鍛えられた精鋭。
多分だいぶ強い

・グエンさん
老人に差し掛かった。
ゲリラの一人。

・ゲリラの若者
今後出るかどうかは未定

・エクソリア
名目上は共和国。
緑の豊かな発展途上国……多分。

・Blast
あとちょっと


毎日投稿したいですけど安定しないかもしれないです。頑張ります


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夢に霞/花に嵐-3

ロドスに来るずっと前──まだウルサスにいた頃。

寒い地域だった。初めて殺したのは両親だった。

その後ウルサスを飛び出して──。

十何年も流離続けて、ケルシー先生に出会った。



強襲作戦と言えど、複雑ではない。

 

駐屯地には最低限の見張りがいるだけで、防衛などは全く考えていなかった。いや、そうすることで牽制と誇示をしていた。つまりは、舐めていた。

 

南部の脆弱なゲリラに手を出されたところで、痛くも痒くもない、と。

 

事実、そのくらいの戦力差があった。兵士の質はさておき、武器の量も質も、北部の方が圧倒的に上回っていたのだ。北部には、ウルサスの武器が流れていたためだ。

 

事実上の勝敗は、ほぼ決していた。そして弱り切ったアルゴンを北部が陥落させることで、終結するものであると、誰もがそう思っていた──微かな人々以外は。

 

燃え尽きかけていた炎に、新しい薪を焚べるように。

 

「隊長、いいんすか?」

「何がだ? 作戦はもう説明されただろ」

「そうじゃなくて……隊長、殺せるんすか」

 

フェリーンの青年、ジフが隊長であるBlastに問いかけた。

 

ゲリラの拠点、積み上がった物資箱の部屋。作戦開始までの微かな時間。

 

Blastは顔を伏せて答えた。

 

「正直……分からない。Logosさんたちのやっていたことの意味を確かめたいのは本当だよ。でも」

「まー、分かるっすけどね。一人殺せば、もう後戻りは出来ないっすよ」

「分かってるさ……」

「ちゃんとしてくださいよ、隊長なんすから。オレたちはロドスに帰らなきゃいけなんすよ」

「……ああ、そうだったね」

「隊長! まさかこれが任務だってこと忘れてないっすか? この任務がどこまで続くかわかんないっすけど、オレたちには帰る場所があるんすからね」

「分かってるよ……。お前らが僕のことを隊長って呼び続ける限り、僕は行動隊B2の隊長で、エリートオペレーターの一人だよ。ちゃんと分かってるって」

「ならいいんすよ。大丈夫っす、どうなろうと、隊長はオレらの隊長っすからね」

「……やめろよ、小っ恥ずかしい」

「うえ、そんなこと言います? オレだって、隊長がうだうだ悩んでなきゃこんなこと言わないっすよ」

 

Blastはようやく少しだけ笑った。重圧からほんの少しだけ解放されたかのように。

 

アーツユニットの最終調整を終えると、室内に微かな風が吹いた。Blastによる最後の確かめだ。アーツの調子を確かめて、立ち上がる。

 

「作戦通りに行けば、僕らの出番はほとんどないよ。もしもの時のための予備部隊なんだから、戦闘はしなくていい」

「ま、そうなんすけどね。何が起こるかわかんないっすよ。それに──もう本来の任務はどっかいっちゃったっすからね」

「それを言うなよ。今更さ──ケルシー先生には怒られるだろうけどね」

「っすよね──。まあオレらは隊長に従っただけなんで」

「そうなったらお前も道連れさ。僕の意思決定を後押ししたわけだからね」

「うえ、嫌だなあ……」

「一緒に怒られよう。僕、実はケルシー先生に怒られたことないからさ、ちょっと怖いんだよね」

「こんなイカれたヤツが今まで怒られてないの、納得できないっすね」

「どういう意味だこの野郎!」

「ちょ、痛い痛い、離すっすよ!」

 

首を極めるBlastと、抵抗するジフ。

 

だが──二人とも笑っていた。心の底から笑っていた。

 

極めを解いて、Blastはアーツユニットを手にとった。

 

剣と一体化したユニット──様々な敵を斬り伏せてきた相棒。

 

「さて──じゃ、行こうか。みんなを集めろ」

「はいはい、了解っすよ」

 

そうして強襲が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

真夜中。アルゴンの中心ならまだしも、ここはアルゴンの西区画。深夜には数カ所だけ設けられた外灯が砂道を照らしているのみ。

 

ゲリラの老人、グエンが部隊を前にして話し出す。

 

「──エクソリアは長い間、平和とは無縁でした。百年間同族同士で争い続け、殺し合い、奪い合い……いくつもの命が大地へと散っては見えなくなっていきました」

 

ゲリラ部隊の顔構えは様々だ。強襲という極限状態を前に緊張しているものや、落ち着かないもの、あるいは──使命感に感情を燃やしているもの。

 

静寂に、小さな声が響く。

 

「争いのない国というものを、私たちは知りません。エクソリアという同一の国でありながら、北部と南部はもはや別の国と言って差し支えない。長い間……ウルサスの脅威と、支配に我々は抗い続けてきました」

 

南部は徐々に、しかし確実に敗北を重ねてきている。何度も戦線を突破され、街を占領され──虐殺、暴行、略奪。

 

憎しみの種が、エクソリアの大地にばら撒かれて成長していった。エクソリアに生い茂る緑の如く。

 

「私は今、この年まで死に損ないました。死に損ない続けてきました。私がまだ生きていることに、何か意味があるとするならば──それは、この国のために戦うことなのでしょう。何人もの死んでいった仲間が、この大地に眠り……土に帰っていきました。私はその大地の上に立っています」

 

低い、しわがれた声だ。だが、戦い続けてきた者の声だ。

 

その重さがそれを聞いている人々の精神に染み込んでいく。

 

「我々は戦わなければなりません。たとえそれが、我々の愚かしさの証だとしても」

 

静かに──火が着いていく。

 

炎が燃え上がる。

 

士気が燃え盛る。

 

「この国のために、私たちの家族のために……未来のために。戦いましょう」

 

グエンは駐屯地の方向へ振り向いた。

 

「これより、強襲作戦を開始します。作戦通り、行動を開始」

 

覚悟を決めたゲリラの若者が槍を掴んで駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

予定通り、駐屯地への襲撃が行われた。

 

夜の暗さを爆薬が吹き飛ばし、ゲリラの雄叫びが響く。

 

駐屯地の北部軍兵士は、完全に油断している。南部にそんな体力も、度胸もないとタカを括っている──そういう態度こそが、南部への何よりの攻撃になることを理解していた。

 

よって、完全な奇襲となる──はずだった。

 

「こ、こいつら……一体どこから現れたんだよ!? う、うわあああ──ッ!」

 

駐屯地の宿舎へ突撃していったゲリラが、暗闇から現れた完全武装の集団に襲われ命を落とす。

 

「引くな、俺たちがこの国を守るんだ! うおおおおおおおおッ!」

「バカ、まだ敵が潜んでるかも──」

 

暗闇から放たれた無数の矢がゲリラを貫いた。

 

暗い──。

 

「見えないッ、クソ! これでも食らえッ!」

 

爆薬が火炎とともに吹き飛び、木造の宿舎に火を付けて光を作った。

視界が確保できれば──道はある。そう考えての行動だったが──。

 

むしろ、現実を直視するだけの結果になる。絶望という名前の、現実を。

 

ゲリラが見たのは、完全武装でボウガンを構える、無数の北部軍兵士だった。

 

「じ、情報が──漏れていた、のか……?」

 

茫然としながら、若者は目を見開いていた。

 

「掃射せよ」

「あ──クソ、俺はこんな場所で──死にたく、な──」

 

つまりは、この作戦が漏れていた。

 

あるいは──駐屯地の無防備さは、南部のゲリラを吊り出すためのものだったのかもしれない。

 

だが──それはゲリラには到底判断がつかないものだった。

 

「まだゲリラ共は多い。見つけ出し、一人残らず射殺せよ」

 

夜の中、希望が潰えようとしていた。

 

同時刻、行動隊B2。

 

もしもの時に備え、後方にて待機していた。

 

その異常に気がつくまで、少しのタイムラグ。

 

「……やばいかも。みんな、周囲の警戒。光源を全部消すよ」

 

微かに残っていたライトをBlastが破壊し、辺りが完全な暗闇に包まれる。

 

光は、むしろ敵へ情報を与えてしまうことになる。敵は暗闇に潜んでいるからこちらがわかるが、こちらからはわからない──その状況を潰す。

 

目が慣れるまでに時間が少しかかる。

 

その行動に、何故? などと問う隊員はいない。

 

「身を隠して。おそらく──すぐに来る。各自、確実に先手を取れ。足音が近づいてきたら、間違いなくそれだ」

 

言葉通り、何十もの足音が聞こえてきて──。

 

Blastが先陣を切った。

 

風が切り裂く。

 

戦闘が始まる。

 

こうなってしまえばすでに暗闇は両方にとっての障害物となる。その状況を壊しにかかったのは、北部軍の兵士だった。

 

即席のライトを設置し、戦場を照らし出す。

 

その兵士が最後に見たのは、こちらに迫るヴァルポの青年だった。

 

首が飛ぶ。

 

「僕が崩す! ここを突破するよ!」

『了解ッ!』

 

吹き荒れる暴風がそのまま武器となり、血を撒き散らす。痛みに怯んだ隙を逃さず、Blastは剣を赤く染めていく。ハンスがその後に続き、数的不利を覆して戦線を崩壊させた。

 

逃げていく北部兵には目もくれず、Blastは奥へ──燃え上がる駐屯地へと走る。

 

グエンへと振り下ろされる剣の持ち主を引き裂いた。

 

「大丈夫ですか!?」

「Blastさん……。助かりました」

「状況は」

「見ての通り……情報が漏れていた、いえ……釣り出されたのはこちらという訳でした。すぐに撤退せねばなりません」

「僕らが時間を稼ぎます。ゲリラが全滅したら、この国に未来はないですよ」

「ですが……」

「早く!」

「……生きて、また会いましょう。必ず」

 

指示を出しつつ走るグエンを見送ったBlastは、ジフの苦笑いを見て笑った。

 

「悪いね」

「いいえ。時間を稼いで逃げるだけっすよね。楽勝っすよ」

「敵の主武装はボウガンみたいだ。重装を盾にして近づくよ。ハンス」

「了解です」

 

重装オペレーターだったイミンの抜けた穴を塞いだのはハンスだった。先鋒でありながら、高い防御力を獲得した。

 

矢を防ぐ防具と、軽量化した盾。異質な先鋒だが、確実な強さを持つ。

 

駐屯地へ走る。降り注ぐ矢はハンスが受けて、残りを弾くか避けるかして接近していく。

 

時間稼ぎは派手にやらなければならない。Blastは一際大きな暴風を起こして、炎を煽った。

 

──体の中に、鈍い痛みが走る。強力なアーツが体に負荷をかけているのだ。

 

「みんな、全力で暴れろ」

『了解』

 

撤退戦、時間稼ぎの囮役、開始。

 

目まぐるしく変化していく状況。北部軍の指揮官であるガルフは即座に行動隊B2の意図を読み取った。

 

囮と分かっている。すぐさまゲリラの兵力を削ぎたいところだが──そちらの相手をしないわけにはいかなかった。強いからだ。放っておけば、こちらまで危うい。

 

「全兵力で奴らを叩く。逃げ場はない。囲んで、確実に殺すぞ。精鋭部隊(レッドスカーフ)を出す」

「それほどの相手ですか?」

「侮るな。確実に、潰すのだ。これ以上無駄な抵抗をされても面倒だ」

 

レッドスカーフ。北部軍のエリート部隊。

 

厳しい訓練を耐え抜いた、戦闘のスペシャリストの手段だ。あるいは、北部軍の得たノウハウを全て注ぎ込んだ、切り札とも呼べる存在。

 

その一部隊がアルゴンにて駐屯していたことを、ゲリラは知らなかった。情報戦──北部の得意とする分野。

 

腕部に共通して赤い布を巻いているのが特徴だ。それは誇りでもある。

 

最後に生まれた火種さえも、風にかき消されて消えようと──。

 

「”釣り囲い”をする。奥まで誘導するのだ──D(デルタ)部隊が餌役を果たせ」

「は、了解」

 

赤い布を腕に巻いた近接戦闘部隊が暴れ回る行動隊B2へと接近していく。

 

Blastはすぐさまそちらへと注意を向けた──向けざるを得なかった。

 

──やばいかもしれない。

 

「……遠距離オペレーター、全力で支援。ルイン、支援アーツを。連中の相手をしなきゃいけないみたいだ」

 

通常通りなら、逃げていた。厄介な相手とは戦わない──それが基本原則。だが、時間を稼がなかればならない。

 

戦わなければならない。

 

レッドスカーフが現れると同時に、普通の兵士が退却していく。どうやら──そいつらだけで十分、ということらしい。

 

質の高い兵士が何十人もいる。厄介なことだ。

 

だが、打ち破る──。

 

「覚悟決めろよ、お前ら。もう少しだけ時間が稼げれば、僕らも撤退できる。守ることは考えなくていい。やられる前にやって逃げちゃおう」

 

たった七人の小隊と、三十を超える部隊が相対した。だが──ピリつく雰囲気だけが充満する。

 

炎の燃える音が夜の中でよく聞こえた。

 

C(チャーリー)、構え」

 

狙撃兵がボウガンを構えた。

 

「ハンスを先頭に、僕とカルゴで続く。ジフも続け、アイビス、レイで連中の(指揮官)を狙え。ルイン、最大出力で支援アーツ、頼むよ」

 

ハンスが盾を構えて、走り出す準備をする。

 

緊張が高まる──。

 

「撃てッ!」

「突撃ッ!」

 

ハンスが矢の雨に向かって突撃した。

 

無数の線が夜を貫くが──また風が吹いた。

 

直線が乱れて、矢はほとんどがその意味を無くす。

 

重装兵が剣を受け止め、衝突音が生まれる。

 

数的な不利の要素は強い──囲まれるハンスの上をBlastが飛び越えて、敵部隊のど真ん中に飛び降りて──防御力の低い狙撃兵に一閃。

 

アーツにより延長された、見えない超高圧の剣が、また一人殺した。

 

数的不利の中、乱戦が始まる。

 

個人の質で言えば──Blastは飛び抜けていた。

 

微かな防御の隙間に風という無形の武器が入り込む。

 

──極小の刃がまた頸動脈を切り裂く。防ぐ手立てがない。

 

Blastに鈍い痛みが走る。

 

アーツの使用により、血圧が急激に上昇し、全身に負担がかかる。心拍数が異常上昇する。鼻の毛細血管が血圧に耐えられず、破れた。

 

隊員たちは、その凶悪さをよく知っていた──Blastに対応できないレッドスカーフに対して、数的不利を覆して優勢を保っている。

 

「くッ──D(デルタ)部隊、退却せよッ! 援軍を──」

「悪いね」

 

ルインの支援アーツ──活性化の恩恵を受けてBlastは加速した。

 

活性化はその名前に反して、とても役に立つアーツではなかった。例えばそれは、空間の温度をせいぜい数度上昇させる程度のアーツでしかなかったが──。

 

Blastのアーツと、とても相性が良かった。

 

温度が上昇することで、空気の動きが活発化する──ほんの僅かだけ。

 

だが──アーツを局所的に集中することで、その地点だけ温度を急激に上昇させるアーツを習得したことで、Blastの戦闘力を爆発的に増加させられる。

 

温度が上昇していくことで、Blastはよりたやすく空気を扱えるようになる。

 

風を使った踏み込みの射程圏内は、空気で伸ばした剣の長さを含めて──すでに、遠距離攻撃の範囲を獲得していた。

 

瞬きの間に、BlastがD(デルタ)部隊のリーダーを貫いた。

 

しかしレッドスカーフは烏合の衆ではなく、統率の取れたエリート部隊。動揺は微か、すぐさま撤退を始める。

 

レッドスカーフの後ろから援護射撃の弾幕が張られる。地面に牽制としていくつもの矢が突き立つ。

 

Blastは仲間たちのもとへ飛びのいた。

 

同時刻、北部の司令部。

 

「D部隊、撤退です! 強すぎますッ!」

「クソッ! 何をしている、たかが十人もいないゲリラ共に──ッ!」

「おそらく、敵の隊長格によるワンマンです! ヤツを潰せば──」

「……いや、周囲から削いでいくぞッ! おのれ、梃摺らせおって……!」

 

指令が下り、伝令兵が駆けていく。

 

Blastは十分時間を稼いだと判断し、撤退ルートに思考を巡らせていた。

 

だが──北部司令部はBlast小隊の戦闘力を脅威と判断し、なんとしてでもここで潰すつもりだった。

 

たった数名の小隊が、D部隊のリーダーを討つなど……あり得ない。潰さねばならない。ゲリラに生きて帰られると、脅威になる。

 

それは戦場に生きてきた者の勘だった。

 

数的な観点からすれば、こちらが圧倒的に上だ。いかに強けれど、数を相手にするのはそう簡単ではない。それが精鋭部隊なら尚更。

 

撤退ルートを塞いていく。

 

「隊長……やばいっすよ。奴ら、完全にオレらのこと──」

「分かってるよ……。みんな、まだ動けるね」

 

Blastも無傷ではすまない。外傷も多少あるし──内部の痛みがだんだんと増してきている。視界も少しぼやける。このまま無茶なアーツを使い続ければ──。

 

頬から血を流しているアイビスが答えた。

 

「まだまだですよ。生き残りましょう」

「当然。さて、どうするか──」

 

退路が塞がれていく。敵陣に突っ込むのは得意だが、そのまま突破して逃げ切れるとも考えられない。危険だ。

 

逃げ場がない。

 

Blastたちの周りには、一見して誰もいないが──燃え盛る炎によって生み出される濃い影には、すでに敵が潜んでいた。

 

「……むしろ、敵本陣に行くのはどうですか?」

「レイ。イカれ野郎は隊長だけで十分っすよ」

「いや、待て──悪くない、というか……それしかないね」

「ほらもう、隊長すぐこんなこと言うっすもん。あーやだやだ。クレイジーっす」

「完全に全兵力で僕らを潰しにきてる──なら、もう頭を潰して逃げるしかない。おそらく──その燃えてる建物の向こう側だ。崩れて道が出来てるし──さっきの連中はそこから出てきた」

「本気っすか? つまり、逃げるどころか、自分たちから敵に向かってくってことっすよ」

「僕たちを囲うために、兵力は分散している。可能性はある。頭を潰した混乱を逃さなければ、逃げ切れる可能性はあると思う」

「……ま、無茶はいつものことっすよね。今更っすか──」

 

結局最後には苦笑いで従うのかこの部隊の常だった。いつものように──。

 

死ぬ気で──しかし死なない覚悟を決めてボウガンを構えるのだ。

 

「生き残るよ」

 

そう言うと同時に背後からボウガンの矢と共に槍を構えた兵士たちが流れ込んでくる。

 

赤い布は巻いていない──普通兵だが、数が多い。

 

「走れッ!」

 

その方向から逆に駆け出す。逃げ出すような形で燃え盛る駐屯地の向こう側へ──。

 

炎の熱気が汗を生む。ダラダラと垂れ落ちる汗は、果たしてただの熱気によるものだけのものだったか。それとも緊張や、疲労によるものだったか。

 

その先でBlastたちが見たものは──誰もいない広場だ。

 

──赤く染まる建物が、その場所を囲っている。逃げ道はもう一つ──奥へ。

 

破壊された宿舎の山で向こう側が見えない。

 

すぐに、崩れた建物の影に狙撃手が潜んでいる可能性を考える。次に、司令部の場所の推測が外れたのか、と思う。

 

──もしかして、罠だったのか、という疑念。

 

すぐに確信へと変わる。

 

「伏せろッ!」

 

頭上をボウガンの矢が飛び去っていった。

 

続く連撃──ルインの胸に突き刺さり、次々と胴体に刺さる。

 

Blastは自らに手を伸ばすルインの顔に、その手に向かって左手を伸ばし──過ぎ去っていった。

 

同時刻、司令部。

 

Blastたちの読みは当たっていた。つい数分前まで、その場所に大隊長たちが陣を敷いていた。だが読まれた。

 

そして、誘い込まれた。

 

そもそも、BlastたちはD(デルタ)部隊を撃破した時点で詰んでいた。その時点で撤退するべきだった。

 

囲い込まれた時点で、生き延びる道がなかった。いくらBlastの戦闘能力が突出していようと、人間だ。消耗するし傷を負う。アーツとて、永遠に使い続けられるわけではない。事実、Blastは重苦しい頭痛に襲われていたし、特に視覚に異常が発生していた。視力の低下。

 

だがその時点で撤退していれば──ゲリラの完全な退却は難しかった。追撃に遭い、ゲリラは今度こそ再起不能なほどに人員を失い、アルゴンは陥ちる。

 

風を巻き起こそうとアーツユニットを握る手に力を込めて──Blastはついに頭に走る痛みに顔を歪めた。

人間の過剰なまでのアーツ適正はそのまま身を滅ぼす。例えば自動車にジェットエンジンが詰めない様に、過剰な出力が体へと強い負担をかける。

 

網膜出血、頭痛、過剰心拍。

 

神経を通る痛み、全身に広がる。

 

体表に露出していた源石がアーツに反応して熱を持った。熱い。痛い。

 

Blastの両眼から赤い血が流れ出した。

 

立っていられない。だが倒れるわけにはいかない。

 

思考能力さえ奪われるような、強い倦怠感と痛み。痛み、痛み、痛い──……。

 

だが、もう自分たちに道はないことだけはわかった。

 

罠というよりは──つまり、負けたんだ。

 

僕たちは敗北したんだ。

 

痛みに額を抑え、目を強く閉じて痛みに耐える。

 

身に過ぎた力だってことはわかっていたが、この状況を切り抜けるために必要な力だったことも確かだ。

 

だが、ようやくツケが回ってきた。五感が痛みに支配されて、だんだんと曖昧になっていくような感覚。

 

だが、Blastは不思議だった。

 

どうして僕の体は、まだ矢に貫かれていないんだ?

 

目を開けて──。

 

「おい……、何、してる……?」

 

自分を守るように囲い、全身を盾にしてBlastを矢から守る部下の姿を、Blastは焼けるような視界の中ではっきりと認識した。

 

肩から胴体、顔、足──無事な箇所を探すのが難しいほどに。

 

ジフが口元から血を流しながら、それでも笑った。

 

「世話が……焼ける、人っすね」

 

ルインが喉を貫かれて、叫びたいほどの痛みに襲われながら、不器用に笑った。

 

「後のこと、お願いします」

 

レイが、だらりと垂れ下がった右腕をほったらかして笑った。

 

「隊長の部下として戦えたことが、私にとっての誇りです」

 

ハンスが、破断した盾を最後まで構えながら、振り返って笑った。

 

「あなたが隊長でよかった。心からそう思います」

 

カルゴが、自らの武器とした剣を最後まで構えながら笑った。

 

「隊長のこと、信じています」

 

アイビスが、貫かれて壊れたボウガンを構えながら、笑った。

 

「私たちは、いつでも隊長の隣にいますから」

 

狙撃部隊がボウガンの矢を装填した。まだ倒れないしぶとい小隊の息の根を止めるため、油断なく照準をつける。

 

「生き延びるっす。オレたちの分まで、生きるっすよ」

 

炎が命を燃やして光り続けて、やがて燃え尽きて消える。

 

Blastには、その隊員の顔が焼き付いていた。

 

いつだか、ケルシー先生と話したことをなぜだか思い出す。

 

I thought what I’d was(僕は目を閉じ)──

 

閉じられなかった。見開いて、呆然と眺めていた。

 

I’d pretend (耳を塞ぎ)──

 

塞げなかった。その声を聞いていた。

 

I was one of those deaf-mutes(口を噤んだ人間になろうと考えた)──

 

噤めなかった。言葉がこぼれ落ちる。

 

「なんで──」

 

Blastは理由を求めた。

 

最後、目の前に迫った死を恐れずに、ジフは代表して答えた。

 

「あんたがオレたちの希望だからっす。あんたならこの世界を変えられるって、信じてるからっす。隊長、ブレイズさん泣かせちゃダメっすよ。はは、何すか──泣いてんすか、隊長」

 

──撃て、と。号令に従って数えるのも馬鹿らしくなるほどの矢が行動隊B2を貫いて殺した。

 

「そうだ、ロドスのみんなに……ありがとう、ごめんって、先に行くって、伝えておいて──」

 

ただ一人、Blastだけを守って。

 

頭痛がする。

 

目の奥が痛い。

 

一人だけ無事に立っているBlastを視認して、北部兵の懐く感情は様々だ。恐れと、畏敬。命を差し出してまで隊長を守った忠誠と信頼。

 

その命に敬意を表し、最後の一撃を構えて──。

 

頭痛が酷い。

 

何も見えない。でも全部見えていた。

 

何も聞こえないのに、聞こえていた。

 

もう曖昧だ。

 

僕は、結局そうなれなかった。目を閉じられなかった。

 

──炎が燃え盛る。

 

なら燃えるといい。

 

頭が割れる。

 

ぐちゃぐちゃに割れて──。

 

割れればいい。そして死ねばいい。

 

──風が吹いた。

 

「ッ、撃て、撃てッ! すぐに殺せッ!」

 

何か──まずい兆候を感じ取った隊長が号令を叫ぶが、

 

──すぐに暴風が矢を吹き流した。

 

なら割れて、そのまま死ね。

 

痛い。

 

赤い涙が頬を伝った。

 

──暴風が炎を煽り、熱が空間に充満していく。

 

「うああああああああああああああああ──────アアアアアァッ!」

 

一つの獣の叫び。

 

赤い涙を流し、暴風圏の目にいるそいつは、もはや人ならざるような。

 

緑の混ざった黒い、長い髪が白く染まる。

 

極度のストレス、あるいは限界を超えたアーツによる副作用か。

 

真っ白な髪は、まるで何かの暗示のようで、狙撃兵の背中に冷たい汗が流れる。

 

──暴風が剣になり、矢になり、命を刈る。

 

Blast。その名前に相応しく。

 

記録。

 

エクソリア共和国、首都アルゴンにおいて、ゲリラによる北部兵駐屯地への強襲作戦は、北部の罠によってゲリラを一掃する、計画されていた罠だった。

 

ゲリラは完全武装の北部兵との予期しない戦闘となり、死者202名を数える結果となった。軽傷、重傷を含めると、ゲリラの被害は、実に5割に及んだ。

 

だが、驚くべきことに──北部軍にも強い被害が及ぶ結果となった。

 

北部軍特殊部隊レッドスカーフの一中隊の半数が死亡、あるいは重傷。他にも狙撃部隊を中心にして作戦に参加した兵士の三割が被害を負った。

 

死者89名、重傷者102名。

 

当時のゲリラと北部軍の装備の質や、この戦闘は北部軍が完全に意図して発生させたものであるにもかかわらず、特殊部隊の一中隊を失い、さらには多大な死者を出した。

 

生き残った兵士によると、その被害はたった一人のヴァルポによってもたらされたものであるという。

 

混乱と恐怖によるものか、兵士によって多少証言は食い違うが、ただ一つ共通しているのは──真っ白な髪と、恐ろしいほどの暴風だ。

 

この一人のヴァルポの正体に関しては未だ不明。ゲリラの一員であることは確かだ。当日エクソリアに来ていた「ロドス・アイランド」の行動隊隊長との情報もあるが、真っ白な髪という風貌が食い違うため信用性は低い。

 

北部軍の大半は命辛々退却したため、そのヴァルポの行方は掴めていない。

 

生きていれば、間違いなく北部軍の脅威となる存在であるため、早急な調査を続けていく。

 

 




・行動隊B2
無事死亡
また呪い残してる……
ぶっちゃけ最初から死ぬ予定でした

・Blast
やべーやつ
多分一人で90人近く殺してます

・ゲリラ部隊
ギリ再起は可能だと思います

・シリアス
シリアスゥ!

・ヒロイン
出てきません。もうちょっと待ってね

次の話で一旦この章は終わりです。そしたらヒロインも出てくる……はず……です!(無責任な発言)


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あるエリートオペレーターの選んだ選択

amazarashi/命にふさわしい
ヨルシカ/ノーチラス


歩いていく。

 

強襲作戦から数日が経っていた。

 

戦闘があったことなど関係なさそうに、人々はいつも通りだ──いや。荷物を抱えてどこかへいく人々の姿が多く見られる。

 

これから北部との戦争が始まる──いや、とっくに始まっていたのか。

 

街中での戦闘は、人々の心に恐怖をもたらすのには十分だった。

 

どこか他の街へ疎開しようとする人々は、一定数いた。

 

白色と緑色の街。

 

その道を歩いていく。

 

中心部へと。

 

何があるかというのなら、行政区画だ。

 

「Blastさん、どちらへ」

 

振り返ると、ゲリラの老人──グエンさんが立って居た。

 

顔にはまだ包帯が巻かれている。

 

「怪我は平気なんですか?」

「それは、私のセリフですよ。Blastさん、かなりの重体でしたが……もう動けるのですか?」

「まあ、なんとか」

 

まだ倦怠感が残っているし、頭もズキズキと痛むが──歩けないほどじゃない。

 

それに、やらなければならないことがある。

 

「ゲリラには、スパイがいましたね」

「……ええ。すでに、始末はつけました。信じられません、まさか……。ゲリラ結成当初からいた若者でした」

「はい。そして、市長が絡んでいましたね」

「どこでそれを……?」

「もう……ほぼ勘みたいなものです。市長、あの強襲作戦を受けて……警察組織の強化に乗り出したって記事を見ました。テロリストの犯行だって。つまり、敵……ですよね」

「ええ。通じていたのでしょう──もはや人々の戦争に対する士気はありません。勝てるはずのない戦いを諦めても、無理はない。もはや、南部は終わりゆくしかないのでしょう」

 

グエンさんは諦めたような声で空を見上げた。

 

僕はそれを引き戻すように言い放った。

 

「いいえ。まだ終わっていません」

「……まさか、Blastさん──あなたは」

「エクソリアが北部の勝利という形で統一されてしまえば、またウルサスが新たな力をつけるでしょう。この国を南下するための足がかりとして、また戦禍が広がる」

「もう……よいのではないですか。また死なせてしまいました。あなたの仲間でさえ──。あなたは生き残った。それで十分なのではありませんか?」

「グエンさん。もう戦う意思はありませんか?」

「……もう私にできることは残っていません」

「もしも、そうじゃないとしたら? グエンさん。あなたがその年まで生き延びたことには意味がある──あなたが言った言葉です。この国を導く存在が必要なんです」

「しかし……どうするつもりですか、たった一人で──」

 

真っ白に、色が抜け落ちた髪を弄りながら僕は話す。まだこの色には慣れない。

 

「初めは、市長を暗殺してしまえばいいと考えていました。でも──それじゃ事態は改善しない。殺してしまえばそこまででしょうけど、使い道があるとするならばその限りじゃないかもしれない。戦うために必要なものは、兵と資金です。まだ活路はあるかもしれない」

「確かに、言っている意味は分かります──ですが、あまりに現実的ではない! 人々の戦う意志を呼び起こすのは容易ではありません、今のような状況なら尚更です。一体どうするつもりなんですかッ」

「メディアを使います」

「メディア──? この国にある広報機関は、せいぜいが新聞やラジオですが──」

「それだけあれば十分です。本当はテレビでも欲しかったんですが、まあエクソリアの生活様式では難しいですよね」

「Blastさん、一体──」

「グエンさん、お願いがあります。集められるだけの新聞社、およびラジオ局、ついでに市長も招集……なるべく高い地位にある……あるいは、要職にある人たちを集められるだけ集められませんか?」

「た、確かに……私は国立病院の院長です。顔は効きます──。不可能ではありませんが……」

「お願いします」

 

頭を下げた。

 

「そうか……。Blastさん、あなたは──……。もう、何も言いません。老い先短いこの命、あなたに託してみようと思います」

 

返答を聞いて、僕は思わす微笑んだ。

 

「ありがとうございます。なるべく早く、お願いします」

「分かりました。すぐに連絡をします。私の携帯端末を渡しておきます、国内なら繋がるはずです。そちらに電話します」

「ありがとうございます。では」

 

 

 

 

 

行動隊のみんなが設置した簡易宿舎に、一つの袋が保管されている。

 

グエンさんから受け取った、LogosさんとWhitesmithさんの隊員たちのドッグタグが入った袋。

それに、あいつらの分を入れる。

 

金属同士がぶつかる、ジャラジャラした音がした。

 

少し考えて、僕は首から下げていた僕のドッグタグを外した。

 

寝るときでさえつけていたその重みが、初めて外れた。

 

Blast。

 

お前()は、結局何がしたかったんだろうな。

 

誰一人として救えないまま、死なせて殺して、失って。

 

何人殺したんだろう。

 

分からないな。

 

殺した人たちの顔を覚えているか?

 

いや、覚えてないな。それを気にかけれるほど余裕があったわけじゃないし、何より頭が痛かったから。

 

お前に罪悪感はあるか?

 

「……わかんないな」

 

ちゃりん、という音を立てて、Blastと刻まれたプレートが袋へと落ちていった。

 

お前はまだBlastか?

 

いくつも積み重なったプレートの一番上にBlastの文字。

 

イミン、イーナ、ジフ、レイ、アイビス、ハンス、カルゴ、ルイン、Blast。

 

なら、そこで一緒に死ねばいいのか。

 

『こういうの、悪くないね! ブラスト、また来ようよ!』

 

──いつだか、Aceさんたちと一緒に釣りに行った時の、ブレイズの言葉を思い出した。

 

僕はいつだか、それを思い出して……そうだね、って呟いた。

 

「ごめんね。もう行けない」

 

Blastはここで死ねば良かった。だから死ぬ。Blastっていうエリートオペレーターは、こいつらと一緒に死んだんだ。

 

「もうロドスには帰れない」

 

ごめんね。もう二度と会えない。

 

Blastはあのとき死んだ。だから、死人がブレイズみたいな生者に会うことはない。

 

「さよなら、ブレイズ。……Blast」

 

袋を持って立ち上がる。

 

外に出て道を歩いていると、小さな小川が流れていて、その上に道が続いている。

 

「お待たせしました。トランスポーターの方ですよね」

 

そこには旅人風の格好をした人物が立っていた。

 

「あんたが依頼人か?」

「はい。この袋を、ロドスアイランドという場所に届けてください」

「了解した。依頼料を頂こう」

「これを」

 

持っていた僕の全財産と、あと行動隊B2みんなの金。

 

ジフたちには申し訳ないけど……金がどうにもなかった。ごめんね、みんな。拝借した。許してね。

 

「……十分だ。差出人の名前は? それから他に何か伝言があれば承る」

「そうだな──。差出人の名前か……。うーん、どうしよう……」

 

差出人がBlastじゃダメだろ。Blastは死んだんだから、それじゃ辻褄が合わない。

 

「じゃあ、エール……エールと。僕のことについて何か聞かれても、現地ゲリラの若者だったとしか答えないでください」

「了解した。伝言はあるか?」

「ありがとう、ごめん……先に行くって行動隊B2のみんなが言っていたと伝えてください。ああ、それと……Blastが謝っていた、と」

 

トランスポーターはメモ書きにそれを書き記し、懐にしまった。

 

「依頼を承った。ではな」

「よろしくお願いします」

 

トランスポーターを見送った。

 

これで、ロドスには伝わるはずだ。

 

これでいい。

 

行こう。

 

僕はグエンさんから連絡を受けた場所へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

その会議室は、じっとりと暑いエクソリアの気候の影響を強く受けていた。

 

ガヤガヤという会話の声が空間を支配していたが、その声の主たちはただの一般人ではなかった。

 

南部最大手の新聞社の重役やラジオ局の局長、ほぼ壊滅状態にあるとはいえ、南部軍の中将や少将。

 

南部を支配する人々が集まっていた。さらには市長の姿まであった。

 

「それで、グエンさん。こんなところに、こんだけの人集めて一体何の用なんですか。私だって忙しいんですがね」

「もう少しお待ちください。来るはずです」

「来るってね、いったい誰が──」

 

扉が開いた。

 

入ってきたのは、真っ白な長い髪をもつ青年だった。

 

端正な顔つきをしていて、白い髪が何かぞっとさせる雰囲気を放つ青年だ。

 

微笑みを浮かべている。一見して柔和な、優しげな顔だ。

 

大物たちを前にして、一切の緊張するそぶりを見せず、青年は向き直った。

 

喧騒がやみ、静けさが支配する。

 

「こんにちは。お集まりいただいてありがとうございます。僕の名前はエール、本日は皆様に一つ大切な話をさせていただきます」

 

だが、すぐに疑惑へと変わる。

 

こんな若造が、いったい我々に何の用だ?

 

「最初に申し上げさせて頂きますね。ここにいる皆様は大なり小なり、この国に影響を与えられる方々です。以後、僕の命令に従ってもらいます」

 

──?

 

耳を疑う言葉が飛び出して、経済系に強いパイプをもつ議員が怒鳴った。

 

「いったいどう言うことだ貴様ッ! 私の時間は有限なんだ、警備! その男を取り押さえて牢にブチ込めッ!」

 

その怒鳴り声が皮切りになって、正体のわからない青年に反発の声が鳴り止まなかった。

 

「どういうことですか? そもそも得体のしれない若造に──」「くだらん話か? 革命家気取りにも飽き飽きだ。すぐに北部への対応を考えねばならんというのに──」「グエン、これはいったいどういうことだ? その男を連れてきたのは貴様だぞ?」「生き延びたと聞いたときはほっとしたが、こんな男を連れてくるとはな。死んでいた方がマシだったということか」

 

反対多数。

 

エールは微笑みながらそれを受け止めていた。

 

口を開く。

 

「困りましたね。皆様にも、相応のメリットを提供できるお話なのですが……話すら聞いてもらえないというのは、少々想定外です」

「黙れ、この薄汚いドブネズミがッ! 話すことすら馬鹿馬鹿しいわッ!」

「ふむ……。では──そうですね。市長、こちらへ来ていただけませんか?」

 

名指しで市長が呼ばれ、少し驚く。

 

北部との取引で強い力を得、さらに南北統一後の自分の輝かしい未来を市長は思い描いていた。

 

高いスーツだ。この国では買えない、ウルサスの有名ブランドのスーツ。それを手に入れられるのが、何よりの力の誇示。

 

自らが手に入れた力だ。国など、全て踏み台に過ぎない。奪える場所から奪うのは、当然の権利ですらある。なぜなら、それは自らが力を持っている証だからだ。

 

市長はその下らないガキをいかにして叩き潰して遊ぼうかと思い描いていた。

 

「ええ、こちらへ」

 

エールが軽く掌を振り、市長の体が宙に浮き上がった。

 

罵声も野次も、一瞬で止む。

 

指一本に至るまで、市長は自らの意思で動かせない。息ができない。

 

会議室にいる全員が見えるように、天井近くまで浮き上がり──。

 

首が、見えない何かにねじ切られるようにして市長は絶命した。

 

血が吹き出して、天井や床を汚す。血を浴びた者もいた。

 

そのまま体全体が、まるでミキサーにでもかけられた食材のように細切れになって回転する。

 

砕かれた骨、血、臓物、高級仕立てのスーツの破片。

 

死んだ人間の臭い。

 

人の死に方として、あまりに異常で、恐怖だった。

 

べちゃり、という音を立ててミンチになった肉の塊が会議室のテーブルに落下した。

 

10秒ほど前まで人だった何かから目が離れない。分からない。理解できない。

 

それを、呆然と眺めることしかできない。

 

何が起きているのか理解できない。

 

()()()()()()()()()()()

 

誰がそれをしているのか、わからない者はそこにいなかった。

 

グエンは、一人の若者が選んだ選択を理解して悔やんだ。ともすれば、死ぬよりも残酷な結末。だが、それを選んだのは──。

 

『君がこれから選択するんだ』

 

ケルシー先生、ごめんなさい。僕はもうあなたの目指す理想へたどり着くことはできません。

 

これが僕の選んだ選択。

 

僕の偽りない本音だ。

 

「では、改めて」

 

これが僕の選んだ戦争。

 

朝が嫌いだ。夜が嫌いだ。晴れも曇りも霞も嵐も風も炎も嫌いだ。

 

故郷が嫌いだ。両親が嫌いだ。ウルサスの街並みが嫌いだ。何も知らずに暮らしている人々が嫌いだ。

 

鉱石病が嫌いだ。苦しみも痛みも嫌いだ。傷つけるのも傷つけられるのも嫌いだ、感染者が嫌いだ。非感染者が嫌いだ。貧しい人々が嫌いだ。豊かな人々が嫌いだ。何も知らない人々が嫌いだ。

 

遠くから見える龍門のビルが嫌いだ。ヴィクトリアの裏路地が嫌いだ。家族が嫌いだ。ウルサスが嫌いだ。サルカズが嫌いだ。

 

酒が嫌いだ。ドラッグが嫌いだ。煙の味が嫌いだ。その熱が嫌いだ。

 

ロドスが嫌いだ。アーミヤが目指す理想が嫌いだ。感染者を取り巻く状況が嫌いだ。苦しみも憎しみも嫌いだ。悪人が嫌いだ。善人が嫌いだ。子供が嫌いだ。大人が嫌いだ。人が嫌いだ。何も知らずに笑っている人々が嫌いだ。そんな人々のために戦わなければならないのが何よりも嫌いだ。

 

裏切りが嫌いだ。謀略が嫌いだ。他人を利用するのも、されるのも嫌いだ。それに慣れていくのが嫌いだ。

 

戦いが嫌いだ。戦争が嫌いだ。源石(オリジニウム)が嫌いだ。この力が嫌いだ。

 

ケルシー先生が嫌いだ。あの何もかもを見透かすような、あの表情が嫌いだ。

 

ブレイズが嫌いだ。あの炎が嫌いだ。何もかもを照らすような、あの輝きが嫌いだ。彼女が振りまく血が嫌いだ。彼女の笑顔が嫌いだ。彼女と過ごした日々が嫌いだ。彼女の苦しむ表情が嫌いだ。彼女を苦しめる全てが嫌いだ。

 

僕は、僕が嫌いだ。

 

この世界が嫌いだ。

 

それが僕の選んだ本音。

 

 

 

 

 

 

「僕に従え、クソったれ共」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Blastが死んでから一週間後、ロドスに一人のトランスポーターが訪れていた。

 

ブレイズは書類仕事の休憩中で、廊下を歩いて──たまたま、ケルシー先生の研究所の隣を通りかかる。ドアが開いていた。

 

話し声が聞こえてくる。

 

「──では、確かに渡した」

「待て。差出人の名前は……本当に、エールというのか?」

「ああ」

「……。分かった。感謝する」

 

ケルシーと、男の声がする。気になったブレイズは、それを盗み聞きしていた。

 

男が応接室から出てきて、ブレイズは少し焦った。

 

チラッとブレイズの顔を見て──。

 

開いたドア越しに、ケルシーにトランスポーターが言う。

 

「一つ、言い忘れていたことがあった。伝言を頼まれている」

 

伝言?

 

これ私が聞いてもいいやつかなー、とか思いながら、ブレイズは明らかに自分の存在に気がついているケルシーから目を逸らした。

 

「ありがとう、ごめん……先に行く、と行動隊のみんなが言っていた、と」

「え──?」

 

声が漏れる。

 

聞き間違いだと思った。

 

ケルシーはそれを聞いて、無表情のまま微かに手を握った。

 

「それと、Blastが謝っていた──と」

 

全てが崩れ落ちていくような、そんな錯覚。

 

「確かに伝えたぞ。依頼は完了だ、ではな」

「ま、待ってッ!」

 

突然叫んだブレイズに、トランスポーターは顔を向けた。

 

「どう言うことなの!? Blastが、謝ってたって、なんで──」

「俺の仕事はそこの袋と、伝言を伝えることだけだ」

「誰が、誰からの依頼で!」

「エールと言う男だ。ゲリラの若者だ」

「──」

 

さっぱり心当たりがない名前に、嫌な想像がより具体的になって──。

 

顔を伏せるケルシーの姿に、どうか冗談であってほしいと願いながら、ブレイズは応接室の机の上に置いてある袋に走った。

 

丈夫な皮の袋を開いて、その想像が──。

 

丸みを帯びたプレートにこびりついた赤い血。刻まれた名前。

 

Blast。

 

ドッグタグだけが返されるということの、その意味は。

 

死んだということ。

 

「嘘、だよ……」

 

トランスポーターはその光景を見て、去っていった。依頼はそれだけだ。

 

「ケルシー先生、これ……っ」

 

ケルシーは何も言わない。

 

ただ、強く拳を握りしめて──。

 

「嘘、だって……。ブラストが、死ぬはずない……ッ」

 

ケルシーは黙って首を横に振った。

 

ブレイズは堪えきれずに走り出した。行き先はブラストの部屋だ。

 

残されたケルシーは、本当に珍しく感情的に壁を殴った。

 

エールと言う名前は、Blastがロドスに来る前に名乗っていた名前だ。それはケルシーしか知らない名前。

 

ケルシーは、かつてBlastだった青年の選んだ選択を理解して……言葉で表しきれない気持ちを拳に込めて、もう一度だけ壁を殴った。

 

「馬鹿者が……ッ!」

 

そのことも知らず、ブレイズは走った。途中誰かとぶつかったような気がするが、もう気にならない。

 

鍵を──取り出して、乱暴に開く。

 

嘘だ。

 

嘘だ。

 

嘘だ──ッ!

 

扉の向こうに、誰もいるはずはない。

 

積み上がった本と、あまり生活感のない、面白みのない部屋があるだけだ。

 

だが、いつも整頓されている机の上に、何かがある。

 

駆け寄って見た。

 

──綺麗にラッピングされた箱と、一つの手紙。

 

ブレイズへ、と小さな張り紙がしてあった。

 

すぐに手紙を開く。

 

『この手紙を読んでいるということは、どうやらお前は僕に無断で部屋に侵入しているってことだね。そりゃ、鍵渡したのは僕だけど、勝手に押し入るってのもどうかと思うよ、マジで』

「この男……ほんと」

 

読み進める。

 

『でもまあ、何かがあったのかもしれない。もしかしたら単に、任務が長引きすぎているだけかもしれない。僕がこの手紙を書いた理由だけど、お前にプレゼントがあるからなんだよね。ほら、机の上に置いてあるだろ? それだよそれ』

 

プレゼント──似合わないな。

 

想像もつかない。一度だってもらったことはない。

 

『似合わないなんて言うなよ。珍しく、そういう気分なんだ。お前、そのヘアバンドかなり古くなってきてるじゃん。多分まだ買い替えてないだろ? お前もとっくに隊長なんだから、多少はいいもん使えよってずっと思ってたんだけどね。そういうこと言うと怒るし面倒だから言わなかったんだけどさ。威厳とかもっとつけたほうがいいよ』

「余計なお世話だって。君だって、威厳なんてないじゃない……」

 

全部その通りだった。

 

このヘアバンドは少し思い出のもので、あまり新しいものに買い換えようと言う気がなかった。ちょっと色褪せてきている。

 

『まあ、これからも頑張りなよ。でももうヘリからパラシュート無しで飛び降りるのは勘弁だけどね』

「……もう、出来ないよ。君がいないんじゃ、もう出来ないじゃん……っ!」

 

涙がこぼれ落ちていく。

 

『そして、もしもの自体に備えてこれを遺書代わりに残すよ。危険な任務だしね。まあお前がこれを読んだ後に僕がひょっこり生きて帰ってきたら気まずいけどね。まあそれはいいとして』

「……帰ってきてよ、生きて、帰ってきたら、それだけで……」

『ブレイズ。前も言った通り、その部屋にあるもの、後大して多くもないけど……僕の遺産はお前に全部やる。まああんまり大した金にはならないと思うけど……好きにしてくれればいい。あ、これは僕が死んでいたらの話ね。生きてるかもしれないってなったら売るなよ。僕が困る』

「困ればいいじゃん……。いい気味だよ……っ!」

『ブレイズ。お前に一つだけ伝えておきたいことがある。僕は、お前の中にいつも希望を見ていた。お前なら、感染者を取り巻く問題を解決できるんじゃないかっていっつも思っていた。LogosさんやWhitesmithさんの死も乗り越えて、前へ進んでいける』

「……進めないよ。君を置いて、私だけ前に進めって言うの……。無責任だよ」

『後のことは全部お前に託すよ。グレースロートの面倒はお前が見てやってくれ。あの子は今大人へと変わりかけている。お前が支えてやってくれ。あ、後エフイーターの相手もね。あのパンダは時々構ってやらないと何しでかすかわからないし』

「……もう、こんな時に、他の女のこと書かないでよ」

『アーミヤのことも頼む。あの子だって、支えてやる人間が必要なんだ。お前に任せるよ。僕はそういうの、ちょっと苦手なんだ。実はね。そうだ、もしも僕が死んでたら、AceさんとかScoutさんに僕が謝ってたって伝えといてね』

 

涙を拭う。

 

自分で伝えたらいい。でも──叶わない。

 

『そして、お前にも。置いて行ってごめんな。僕は、お前の幸せと、幸運を願ってる。親愛なるブレイズへ、Blastより』

 

箱を開くと、赤い、上等な生地を使ったヘアバンドが入っていた。

 

あの男にしては珍しく、センスのいい。

 

──その拍子に、ブラストの顔を思い出してしまった。

 

もう会えない。

 

もう話せない。

 

もう一緒に戦えない。

 

もう一緒に生きられない。

 

もう──この思いを伝えられない。

 

涙が止まらなかった。

 

「うああ──、あ、ああ、あああ……っ」

 

ヘアバンドを握りしめて、ブレイズは精一杯叫んだ。

 

「うわあああああああああああああああああああ──────────────ッ!」

 

馬鹿だ。

 

残していかないでよ。

 

「あああああああああああああああああああああ──────────────ッ!」

 

寂しい。会いたい。

 

もう一度、話したい。

 

一緒に生きたかった。

 

好きだよって言えないまま──。

 

「あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああ───────────────────────────────────ッ!!」

 

あの底抜けの馬鹿男に二度と会えないって理解したら、胸が張り裂けそうなほど苦しくなって、悲しくなって、辛くなった。

 

それからしばらく、ブレイズの叫び声と泣き声の混ざった絶叫がブラストの部屋には響いていた。

 

涙を流しながら、ブレイズはヘアバンドを外し、ブラストの残したプレゼントをゆっくりと着ける。

 

「私が──」

 

それでも、私が覚えているから。

 

ブラストのことを覚えているから。忘れないから。忘れたって覚えているから。

 

君と過ごした日々を絶対に忘れたりなんかしないから。

 

戦い続ける。

 

ブラスト()がいない世界を戦い続けるから。覚えているから。

 

君の分まで生き抜くから。君の分まで戦うから。

 

「戦うよ、私──」

 

そしてブレイズは顔を上げた。

 

「君がいないこの世界で、戦い続けるから。守り続けるから。君のことを覚えているから、忘れないからっ、絶対、絶対……約束するからッ!」

 

心に、後生消えない炎が灯り、

 

「君が辿り着きたかった場所に、いつか絶対──絶対、私は、私たちは……辿り着いて見せるからッ! 絶対にッ!」

 

そして、ブレイズは立ち上がった。

 

ブラストと、この世界のために。




やっとこさここまで書けました
ようやく折り返しです

・Blast
死亡。お前のせいでシリアス。

・エール
かつてBlastだった青年。真っ白な髪をしている。嘘が苦手。かつてBlastが名乗っていた名前。ケルシー先生しかその名前は知らないし、これから知ることもないだろう。
最近、この世界のことが嫌いになった。

・嫌いだ
ゲシュタルト崩壊しました

・トランスポーターの人
無事に依頼を果たした

・エクソリアの人たち
今回の被害者。散々です

・ブレイズ
メインヒロインとしての復権を果たした
落ちていくエールと立ち上がるブラストの対比がしたかっただけです
Blastはあまりにも眩しくて強いブレイズの姿が好きだったし、嫌いでした。

・ケルシー先生
ロドスでただ一人、エールの選んだ選択を理解した人。多分このことは誰にも言いません
珍しく後悔しているかもしれない

・ロドスの皆さん
Blastの死を知ってどうなったかは想像にお任せします



次から新ヒロインが出る……はずです! ヨシ!(極限現場猫)
ストックが早くも終了しました。また充電期間とります。なるべく早く書き上げたいです
いつも評価、感想ありがとうございます。
よろしければお気に入り登録なんぞしていっていただけると私が嬉しいです。評価、感想などいただけると喜びます。

ここまでの作者感想をnoteにて公開中。興味がある方はどうぞ。

https://note.com/nyancopan/n/n192fd332d42d



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2−1 Who cares?
もしも夜空から一つ光が消えたとして-1


"わたしは憎み、そして愛する。
どうしてそんなことができるのか、
君はたぶん聞くつもりだろう。
私にもわからない。
ただそういう気持ちになるのを感じ、苦しむのだ"
──ガイウス・ヴァレリウス・カトゥルス(詩 85番)より


エクソリア首都アルゴンにて発足した北エクソリア解放戦線、LAoNE(レオーネ)(Liberation Army of North Exalia)、あるいはNLF(National Liberation Front)。反ウルサス、反帝国主義を掲げウルサスの支援を受ける北部エクソリアに対する統一戦線組織。

 

それまでの南エクソリア軍とは一線を画する、()()()()()()()()ことを宣言した、全く未知の勢力。

 

LAoNEはその年の5月、国営ラジオや新聞を用いて北部勢力に対する徹底抗戦を宣言した。人々の驚きもそのままに、同月LAoNEはアルゴンから見て北にある大規模な街「バオリア」を陥落させる。

 

この電撃的なニュースは、統一戦争に対する人々の認識を大きく揺さぶることになった。

 

長く続いた統一戦争は北部の勝利に終わり、やがてまたウルサスの植民地化されていく──という、その常識とも化していた認識を打ち破ることになる。

 

そうして、終わるかと思われていた戦争は、いつ終わるともわからない長い戦争へと変貌していくことになる。

 

 

 

 

 

 

もしも夜空から一つ光が消えたとして

 

 

 

 

 

 

「……あー、で。君は?」

「スカベンジャーだ」

 

まだ設立して日の浅いLAoNE──レオーネは今日もやることだらけだ。

 

トップに立っているのが僕である以上、あらゆる意思決定は僕がやらなきゃいけない。早く僕の代わりに判断していく人材が欲しいが──今はそんなこと言ってられない。

 

紙やら本が散らかった一室。窓からはエクソリアらしい強い光が差し込み、室内を照らしている。

 

乱雑な作りのデスクに座ったまま、僕は目の前の人物をもう一度眺めた。

 

「なるほどね……。まあ、僕から聞くことは一つだけだよ。君は役に立つの?」

「命令とあればな。金さえ払ってくれれば、どんな汚い仕事でも達成してやる」

「ふーん……。売り込み、ってことね」

「お前、力が必要なんだろ?」

 

思案。

 

それはその通りだ。

 

だが──たった1人に出来ることは限られている。1人の精鋭よりも3人のチンピラの方が出来ることは多い。100人に1人じゃ勝てない──いや、僕が言うのもなんだけど……一騎当千なんて下らないロマン主義だ。現実的じゃない。いや、本当に僕が言うのもなんだけど……。

 

だが、それはまともな戦争に限った話だ。突出した個人による単独行動がメリットに働くこともある。潜入、工作……暗殺。

 

「いいよ。今はどんな力も欲しい。君の素性も、ここへ来た目的も問わない。君の力を証明してもらおう。機会を用意する。ちょうどいいことに、チャンスはいくらでもあることだしね」

「──ふん。そのチャンス(戦争)を生み出しているのは、他でもないお前自身だろう。NLFのトップが抜け抜けと」

「さあ、どうだろ。君の希望はただの一兵卒じゃないんだ。僕がわざわざ相手をさせるだけの価値を、力を示してもらうよ」

「せいぜい期待に応えてやる」

 

僕は一応微笑んでみたのだが、スカベンジャーは無愛想に鼻を鳴らすばかりだ。

 

うーん……難しいな。

 

「早速だけど……任務を与えよう。現在の最前線はバオリアを囲う山脈地帯だ。北部軍は早くバオリアを取り返したくて、大規模な奪還作戦を立てているだろうね。次の戦場はウグラ山脈の途切れる場所、バオリア平原になると予想される。今のところ睨み合いが続いてるけど、兵力でも質でも劣るこっちは正面から戦えない」

 

スカベンジャーは無愛想なまま話を聞いている。もったいないな、と僕は思った。笑えばどんな顔になるのか、多少は興味があったんだけど──。

 

まあそれは置いといて。

 

「だから、特殊工作部隊を作ろうって話があってさ。奇襲暗殺なんでもござれの精鋭部隊。これを使って戦況を有利に進めていきたい。ちょうど君、そういうのが得意なんだってね」

「周りくどい。はっきり言え、誰を殺せば、お前は私を認める?」

「うーん……僕の悪い癖なんだよね──目標は敵指揮官、ヴォン・ギ・リン大佐だ。彼は現在、敵駐屯地にいる。結構厄介そうな人物でさ、早めに潰しておきたいんだ」

「……私を失望させるな。無茶な命令に付き合う気はない」

 

スカベンジャーが言う通り、無茶な任務だ。北部軍は現在ウグラ山脈に確認されているだけで8000人以上いる。その最高指揮官を暗殺するなど──絶対不可能。

 

こちらの兵力が三千程度なのを鑑みても、バオリアを落とせたのは奇跡としか言いようがないだろう。現状攻め込まれていないのは、ウグラ山脈が盾となってくれているからだが──いつ攻勢に出てくるか分からない状況だ。

 

まだ、この戦争に北部は本気を出していない。

 

旅団──1万以下の軍隊程度しか派遣していない。こちらの全兵力が精々1万なのに対して、向こうは──10万を越すか。だからこそ、油断もしている──と、いいんだけどなあ。

 

ただ、こちらにはゲリラがいる。昼は農民、夜は兵士。そんな見えない兵士たち。

 

「攻勢に打って出る。この地図を見て欲しいんだけど……敵司令部があるのがここ、バオリア平原を越えた小さな集落。あるとすればここに敵駐屯地があるとの情報を入手してね。そして主戦場が山脈が途切れるこの場所。障害物となる林が広がっている。ここを正面突破するのは難しいだろう。けど……ウグラ山脈には現地の人しか知らない裏道がある」

「……裏道?」

「うん。特殊部隊をこのルートで派遣し──敵の裏をかく。その混乱に乗じて全兵力を集中、山脈を突破する作戦だ。そしてその特殊部隊に君を編入させよう」

「分かった。敵大将の首を持って帰れば、お前は私を認めるってことだな」

「うん。正式に特殊部隊を編成して、君に相応の地位を用意しよう。君の本当の目的がどんなものであろうと、ね」

 

返答はなかった。

 

まあ北部のスパイでないことはとっくに確認済みだ。それでないのなら──大した問題じゃないな。

 

LAoNE(レオーネ)にようこそ──なんて、言えるほど設立して長いわけじゃないけど。歓迎するよ。ここに入るからには、この場所にルールに従ってもらう。構わないかな」

「馴れ合う気はない。任務の日と集合場所だけ教えろ」

「あれま。まあ成果を上げられるんならそれで構わないよ。予定では一週間後、おそらく正午になるかな。ここアルゴンの本拠地から出撃することになる。もちろんそれまでに敵が攻めてくる可能性もあるから断言はできないけどね」

「それだけ聞ければ十分だ。じゃあな」

「おーい──って。行っちゃった……」

 

彼女、スカベンジャーは能力テストでは十分な成果を残したと聞く。レオーネの能力評価はロドスのそれを参考にしてそれなりに厳しめに作ったテストだが、それをクリアできるなら十分な個としての力を備えているのだろう。

 

『つっても隊長、いーんすか? いきなりあんな人が作戦に参加するって言われても、他の人困るんじゃないっすかね』

 

──さあ、それはどうだろう。特殊部隊は人目に付かず、知られないから特殊部隊足りえるのだろう。だったらむしろ、彼女みたいな……言っちゃなんだが、はみ出し者の方が適正があるのかもしれない。

 

『てゆーか女の人だし。隊長、私のこと忘れちゃったんですか? ひどいですー』

 

極端すぎる。どうしてそうなる……。

 

……ちょっと頭痛いな。

 

『しっかりしてくださいよ、たいちょー。やらなきゃいけないこと、いっぱいあるんですから』

 

分かってる。分かってるさ。

 

頭に添えていた手を離して立ち上がる。

 

分かってるよ。だから……いい加減、この幻聴も幻覚も、どうか消えてくれ。

 

『消えろとは酷いです。私たちはいつでも隊長と共にあります、忘れてはいないでしょう』

 

忘れられない。ただイミン、お前の妙なところで皮肉っぽい性格、どうにかした方がいいよ──いや。

 

もうその機会は永遠に失われてしまったか。

 

「──ッ」

 

頭に走る痛みと共に視界がぼやける。

 

ダメだな……。どうにも視力の低下が激しい。無茶なアーツ運用のツケがようやく回ってきたか。

他の副作用は今のところ確認できてないけど……。どうだろう。僕の気が付かないうちに鉱石病が進行していて、すでにどっか侵されているかもしれない。これは長生きできないな。

 

構わない。ただ……僕にはやらなきゃいけないことがある。それまで死ぬわけにはいかない。

 

「とりあえず……メガネ、いやコンタクトかな……」

 

歩き出す。

 

やることが山積みだ。

 

 

 

 

 

 

例えば、戦争に反対するような世論、あるいは意見。

 

「……ち、あの男に連絡しろ。何? ……いちいち言わなければ理解できないか? その男どもを消すんだよッ」

 

乱暴に電話を叩きつけ、スーツの男は疲れたように息を吐いた。

 

「グズ共が……ッ」

「お疲れみたいですね」

 

あり得ない場所から声が聞こえて、男──ファンは慌てて振り返る。

 

窓がいつの間にか空いていて、カーテンが薄く揺れている。

 

その側に1人の、目を引く真っ白な髪をした男が立っていた。

 

「エール……貴様、何の用だ」

「いえいえ、たまたま近くに来たから寄ってみただけですよ」

 

表面に貼り付けた薄い笑みの向こうが見えない。

 

誰も知らない人がその微笑みを見て──誰が想像するだろうか。その男が戦争を主導し、実質的な現在の南部の頂点に立っているなどと。

 

南部の裏側──裏ビジネスに介入を始めたとの噂もある。

 

エールと名乗っているが、素性はほぼ不詳。突然現れ、全てを支配した。

 

「今の電話は?」

「反戦主義のジャーナリストが取材したいってさ。ち──今の南部の動向に疑問と問題を感じているだとよ。後で詳しい書類を送る」

「はい。明日までにはお願いします」

「明日までだと?」

「ええ。花が咲く前に、芽は潰さなくては」

「……悪魔が」

 

ヴァルポの尻尾を機嫌よさそうに揺らしてエールは微笑みを崩さない。その顔だけを切り取れば、どこからどうみても好青年だ。

 

そして最も厄介なことに──エールはなぜだか人に好かれやすいという、言い方を変えれば……カリスマ性があった。

 

一ヶ月ほど前、エールが突然現れたあの日の会議室。ファンも、ある新聞社の代表としてそこにいた。だが……ファンの経営する新聞社は、そこまでの大手ではなかった。

 

あの市長の異常な死に方は一つの無言のメッセージだ。こうなりたくなければ、従えという──これ以上ないほどシンプルに人を従わせる方法。事実、その後何度もエールの暗殺が試みられたが、その全てが失敗に終わり……暗殺を命令した者のもとには、暗殺者の死体が細切れになって届けられた。その後、暗殺を命令した議員や大臣の元にその家族の写真が届けられてから、エールに逆らおうとする人間はいなくなった。

 

ただ、恐怖だけではなかった。

 

ファンの経営する新聞社は、この一ヶ月で以前の二倍の利益を上げた。発行部数は二次関数的に増大し、急激にシェアを伸ばしている。それは全て、行政の根回しと法改正があってのこと。

 

つまり、すでに行政を支配しているエールはその恩恵を支配下にある会社や人物に与えることで、自らについてくるメリットを提供した。

 

その利益による飴と、恐怖による鞭。

 

それだけではない。独裁のデメリットは個人に力が集中することだが──メリットは、その国全体が本当に一箇所を向いて行動することができるということ。絶対的な人物がいた方が色々と都合がいいし、効率もいい。

 

つまりは、急速に変化しつつある南エクソリアのエネルギー全てを、戦争に向けられるということ。

 

「ちったあ安心したらどうだ。世論は順調に、戦争を肯定する方向へ傾きつつある。もともと北部への敵対心や憎しみは潜在的だったんだ、勝てるんなら戦いてえに決まってる──全部、お前の望み通りにな」

「全部が全部、僕の望み通りではないですよ。そこまで大層な人間ではありません。皆さんの力添えがあってこそ、ですよ」

「胡散臭えな──」

 

それでも、エールには何か……不思議な引力とも呼ぶべき力が働いているように、ファンは感じてならなかった。

 

それは何か、光のない夜に灯る炎のように……人も獣も虫も呼び寄せてしまう性質のように。近づき過ぎれば危ないと知りながら、それでも近づくことをやめられない。事実、レオーネの内部ではエールは英雄的な尊敬を向けられている。

 

曰く、戦場の守り神。風神だと囃し立てる声もあったか。いつだかそんな記事をファンの新聞社が書いた覚えがある。

 

「バオリアの奇跡、か?」

「奇跡なんて、それこそ大袈裟です」

 

兵力差2万を覆して勝利したバオリア奪還作戦。それを奇跡と呼ぶ人が後を絶たない。

 

「こちらの死者も少なくありません。1000人以上は死傷していましたから。それに……あの程度の不利は、これから何度も覆して行かなければならない。いちいち奇跡などと呼んでいる暇はないんですよ」

「そうかよ。それで、本題はなんだ」

「御社の記者が数名、暗殺されたそうですね」

「その件か。ああ、その通りだ。真昼間から脳天を撃ち抜かれた。酷えことしやがるぜ。それなりに使える連中だったんだがな」

「それに関して、奇妙な話を聞きました。凶器であるはずの矢がどこにも見つからなくて、更にはどこから打ってきたかどうかも不明──」

「そうだ。その通り、おそらくどこかの高台か何かから狙撃してきたんだとは思うが、距離がありすぎる。何せ、一キロ以上離れてんだぜ? あり得ねえ」

「ですが、下手人は周辺人物に見つからずに狙撃をした。であれば……その高台から狙撃したと考える他ないのでは?」

 

エールの静かな声に、ファンは吹き出した。

 

「アホかお前、ボウガンで一キロ先を撃てるかよ。そんなことすりゃ、数メートル、いや数十メートルは誤差が生まれるし……第一そんな飛ばねえよ、ボウガンはどんなに頑張ったって150メートルが限界だ。そして、その範囲に撃てそうな場所はねえっての」

「じゃあ、どうやって殺されたんでしょうね」

「分からねえ」

 

それが分からなかった。現地警察は捜査を断念。迷宮入りした。射程距離一キロなど聞いたことがない──。

 

「まあ、ラテラーノ銃では?」

「……? なんだそりゃ──いや、待て……聞いたことがある、ような……」

「そうか……エクソリアでは知名度がありませんでしたね」

 

現状、ラテラーノだけがその生産技術を握っている銃は、世界的な知名度が著しく低い。特にエクソリアはラテラーノから距離があることもあり、民衆に至ってはラテラーノ、およびサンクタ族に関しての一切の知識がないことすらある。

 

ファンは新聞社を経営していることはあり、知識に関して関心があった。そのため、辛うじて知っている。だが──。

 

「一キロ先に届くってのか? まさか、あり得ねえ。聞いた話じゃ、せいぜい300メートルかそこらだって」

「それは撃つ人の腕前によります。銃の種類にもよるでしょうが、狙撃用の銃で、なおかつ腕前が付いてくれば可能でしょう。その高台周辺の住人に聞き込みを。大きな、弾けるような音が響いていたはずです」

「ってことは……ラテラーノ国の人間がエクソリアに来てるってことじゃねえか!? なんだって……」

「推測しても仕方ありません。理由ならいくらでも思いつきますが、まずはそれを捕まえないことには」

「だが、お前が出張ってくるような案件なのかよ」

「ええ、当然」

 

ラテラーノが絡んでくるなら面倒なことになる。だがそれ以上に、エールは目論みがあった。

 

ラテラーノ銃の有用性は、既存の戦争を変えてしまうかもしれないという、冷たい打算が。それと同時に──それが北部に渡った場合の対処も。

 

エールは穏やかに笑うだけだ。その表情を決して崩さず、ただ行動を重ね続ける。

 

 

 

 

 

 

スカベンジャーの出番は、予想より早くやって来た。

 

エールからの直々の呼び出しを受けて、レオーネの本拠地……鉄柵で囲われた基地に、武装して来ている。

 

──訓練を積んでいる若者たちが大勢走り回っていた。彼らの表情は苦しそうで、訓練の過酷さを物語っている。教官の怒鳴り声がいくつも響いて反響した。

 

スカベンジャーはぼんやりとそれを眺めていた。

 

「やあ。悪いね、急な呼び出しで」

「前置きはいい。何だ」

「せっかくだからって思ってさ。少し早いけど、君のテストをすることにした。まあターゲットの説明だけしようか。目標は、おそらくラテラーノ……サンクタ族かな。区別は付く?」

「あの輪っかが頭に乗っかってる変な種族のことだろう。そいつらか?」

「うん。今罠を張って来た。多分彼らは新聞記者を暗殺すると予想される。予測狙撃ポイントは二つ、それぞれに張り込んで現場を押さえる。理解した?」

「生け捕りか?」

「うん。絶対殺さないでね。聞きたいことが山ほどある。これ無線ね、以降僕はアルファ、君はベータと呼称。君の担当ポイントはここ。細かいところは全部任せる。なんでもいいから狙撃手、あるいは狙撃手っぽい人間を捕らえろ。作戦開始」

「分かった」

 

レオーネはすでに軍用の車両をいくつも所有するに至った。国民の主な移動手段が二輪自動車か自転車であることを考えると、飛躍的な成長だ。資金面が充実しているとも取れる。

 

スカベンジャーはその中から小型のバイクにまたがって出撃した。エールも続いて大型の二輪に乗り込む。

 

作戦開始。

 

この国ではまだ四輪の自動車が普及しておらず、必然的に自動車用の公道が整備されていない。エクソリアの特殊な生活体系も合わさり、人々は二輪を好んで使用した。平均年齢の若い人々は高価な四輪車よりも安価で取り回しやすいバイクを好む。

 

エールもそれに合わせて、街を駆けていく。交通ルールも曖昧な道。

 

敵の武器が狙撃ならば、場所の見当は付く。アルゴンの街で狙撃なんていう芸当が出来る場所、さらに罠として張った新聞記者の場所を狙い撃てるとすれば──商業区域だ。高い建物が並び、乱雑な作りで姿を隠しやすい。その上人々の喧騒があり、大きな音でも目立ちにくい。

 

むしろラテラーノ銃を知らない人々は、それが銃声だと気がつかない。

 

同時刻、見張り台の最上階。商業地区のシンボルは原則ならば立ち入り禁止──しかし、実際に狙撃手らはそこでスコープを覗いていた。

 

目標は某新聞社の若手記者──情報通りならばすぐに現れるが……少々奇妙だ。あまりにもあっさりと情報が漏れてきた。順調すぎて怪しい──。

 

高台の風に紛れて、バイクの音が響いている。それは何も珍しい話ではないが──狙撃手の勘とも呼ぶべき直感が、反射的にそちらを捕らえた。スコープの中に──LAoNE(レオーネ)のトップが見えて、自分たちが罠にかけられたことを理解した。

 

だが何も問題はない。排除すればいい。そもそも記者を暗殺して行ったのは、現在南部を実質支配している白髪の男を殺すための布石。手間が省けた──。

 

銃声が風に紛れて消える。誰もそれに気がつかない。

 

エールは自らの勘に従ってバイクを傾けた。その1秒後、エールが通るはずだった場所に銃弾が突き刺さる。

 

撃ってきた方向には一際高い建物。エクソリア特有の木造と白い壁を組み合わせた作りで、簡素ながら丈夫だ。スコールにも耐えられる。その場所の窓、日中の強い日差しが影を作って奥が見えない。

 

「そこか……ッ」

 

エールが推定した距離は大体二キロ以上。情報以上だ、こんな距離だったら手の出し用がない。更には精密な射撃──!

 

ジグザグとルートを変えながら接近していく。銃弾が頬をかすめて血が流れる。危ないところだった。

 

アーツはなるべく使いたくない。平常なアーツでも脳と体に負担がかかる。一度壊れた器官はそう簡単には治らない。

 

接近していく。人々がバイクの音を避けて脇に避けてくれる──好都合。民衆を巻き込みたくない気持ちは、一応本物だった。

 

また一発。砂の混ざった白い地面がえぐれて弾けた。

 

距離500メートルを切る。

 

もしもエールが相手だったとしたら、すでにこの時点で逃亡するだろう。幸い人が多い。日中だ。顔を知られていないのなら、いくらでも逃げようはある。

 

だがそれでも詰みだ。何せおそらく相手はサンクタ族。目立って仕方がない。特にエクソリアでは知名度がない、なかなか忘れられない容貌だろう。

 

物陰に入る。バイクをすぐに止めて、エールはバザー区域に積まれていた木箱を利用して天井へと駆け上る。そのまま屋根伝いに直線を駆けていく。

 

距離300メートル。だが相手もそれに気がつかないはずがない。だがバイクではバザー区域に侵入できない。人がごった返している中に突っ込めるほどエールは正気を失ってはいなかった。

 

仕方ない──。

 

エールはぼんやりとした視界に目標地点を捉えて──風が吹く。

 

長い300メートルを一瞬で跳躍したエールはそのまま四階建ての建物の最上階へ、風の補助を受けて飛び上がり窓を破る。

 

薄暗くてそう広くない高台、見張り台の最上階。数は3人。手には狙撃用ライフル、この距離は──確実にエールの方が早い。

 

サンクタたちの判断は早かった。

 

すぐさまサンクタ族同士で互いに銃口を向けあい、情報が漏れるのを防ぐための自殺を──。

 

それをされるわけにはいかない。せめて1人でも。

 

エールは三人のうち、最も距離の近かった1人を突き飛ばし、1人のサンクタ族を銃弾から守り──。

 

血が飛び散る。貫通して弾丸は外へ消えた。強烈な痛みを微笑みに近い無表情で掻き消す。

 

三人いたサンクタのうち、二人は限りなく自殺に近い他殺。脳天が吹き飛んでいる。そしてもう1人、エールが死なせなかった1人に顔を向け──。

 

「い、いや〜。い、命だけは助けてくんないー……?」

 

引きつった笑みを浮かべて、命乞いをした。

 

辺りを見回す。

 

襲撃は想定内、そして自分からその背後にいる組織や背景の情報が漏れるのを防ぐために互いに打ち合うことで死亡するよう命令されていたのか。厄介な連中だ。用心深い。勝てないと判断した時点てそうしていた。

 

スカベンジャー(ベータ)から無線。

 

『しくじった、悪い。全員自殺した』

「了解。まあ基地に戻ろう。こっちで収穫は得た」

 

ちらり、と生き残りに目を向ける。

 

ピンク色の髪が特徴的な、見方によってはまだ少女とも呼べる年のサンクタが、まるで怪獣でも見るような目でこちらを見ていた。

 

「悪いけど、自殺しようなんて考えないでね。僕の方が早いよ」

「し、しないって。うう〜……。マジでこっちまで殺しに来るなんてさ、頭狂ってるっての……」

「それ、僕に向けて言ってる?」

「違う違う! あたしはそいつらに向けて行ったの! いくら命令だからって、ほぼ自殺紛いのこと本気でする!?」

「ふーん……。ずいぶんな忠誠心だ。それで、君は死なないんだ」

「あたしはラテラーノの栄光とか名誉なんてどうでもいいの! しょーじき、あんたがあたしのこと突き飛ばして(助けて)くれて感謝してるって!」

「続きは戻ってからにしよう。悪いけど……当分自由はないと思ってね」

「こ……殺さない?」

「保証はできない」

 

にっこり。

 

サンクタの狙撃手──アンブリエルは、やはり引きつった笑みを浮かべた。

この時点では、お互いがお互い、長い付き合いになることなど──まるで想像もしていなかったのだ。

 

だが、未来とは往々にしてそういう性質を兼ね備えている。予測が出来ない──。

 

 

 

 

 

「私の任務は失敗だ。勝手に自殺された。ずいぶんお行儀のいい連中だ」

「さっきも話したけど──1人は捕らえた。まあ仕方ないさ、僕もまさかそこまで訓練された連中だとは思ってなかった」

「……そっちの天使サマが?」

「うん。ああ──名前聞いてなかったね。僕の名前はエール。君は?」

「……」

 

アンブリエルはコンクリで囲われた尋問用の部屋で縮こまっていた。無理もない。

 

目の前には柔和な微笑みを崩さない男が1人、なんならまださっき弾丸が体を貫いたばかりだろうに──服に滲む血もそのままだ。

 

まるでそれが自分への当て付けのようで、アンブリエルは余計怖かった。そばに居る女の表情も怖い。鋭い目つきで、こっちのことを動くだけの肉袋としか思っていないような目つきだ。怖い。

 

壁はコンクリート、扉は重たい鉄。目の前に無骨な机。

 

「あ、あたしはアンブリエル……。最初に言っとくけど、あたしは逆らう気とかないからね、もう全面降伏だからねッ」

「別にとって食べようって訳じゃないんだけど……まあ、聞きたいことはいっぱいあるし。まず……そうだな。目的から聞こうかな。なんのために?」

 

その問いの指す範囲はあまりに広すぎる。エールはわざとそういう風に聞いた。面倒くさがったとも言う。

 

「あ、あんたの排除のため。それと、南部への警告……。世論を操作して、戦意を高めていってるレオーネへの、牽制……」

「なるほどね。で、なんでそれを君たち()()()()がやってる? 答えによっては──」

「あたしが聞きたいくらいだってば! 上の方の話なんて興味ないし、知らない方がいいの! おまけに情報漏洩を防ぐために、捕まりそうになったら自害せよとか命令されるしさー! もう散々」

「ま、そりゃそうか……。スカベンジャー、捕虜の扱いってどうすればいいと思う?」

「殺せばいいだろう。面倒だ」

「それもそうだね」

「わーっ、ちょ、ちょっと待って! あたしこれでも結構役に立つよー!?」

「冗談だよ」

 

笑いながらエールは思案する。

 

厄介なことになったとは思うが、これは──使えるかもしれない。

 

打算と皮算用。計算と想定。

 

誰に何を話すのも、全て戦争のため。

 

その思索の表側に張り付いて剥がれない微笑みに気がついて、エールはまた少し自分が嫌いになった。

 




LAoNE(レオーネ)
エールが興した統一戦線組織。早い話軍隊だと思います
設定のボロはゆるしておにいさん
Liberation Army of North Exalia(北エクソリア解放軍)の頭文字をとって命名、なんかそれっぽくなって安心しました

・エール
一旦限界を超えてアーツを使用した反動が残っている。慢性的な頭痛と幻覚、幻聴。その他の症状があるかどうかは不明。要経過観察。
闇堕ちした……のか?

・スカベンジャー
かわいい……かわいくない? 昇進2イラストで惚れました

・アンブリエル
かわいい……。
かわいいの皮をかぶった暗殺者説を提唱します。ボイス聞くと明らかにラテラーノのやばいとこ知ってそう

毎日更新→不定期更新です。
すみませんゆるしてください、なんでもしますから!
想像以上に苦戦してます。のんびりお待ち頂ければと……


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もしも夜空から一つ光が消えたとして-2

原神やってたら遅れました
キャラが可愛すぎる
あと新イベント楽しみですね
お待たせして申し訳ないです。本心です


結論から言って、ラテラーノとウルサスの間になんらかの取引があったと推測される。

 

アンブリエルはそれ以上のことを知り得ず、ただ派遣されて命令に従っただけ──全て本当のことを話しているならば、の話だが。

 

「だいたいさー、なんでウルサスがこんな蒸し暑い国に出張って来てんのー? 別に国境接してるわけでもないのにさー」

「悪いけど、あんまりおしゃべりしてる暇はないんだ。君が話してくれるようなことはもう無さそうだし、一応解放するよ。ただ、こっちの監視はつけさせてもらうけどね」

「……あたし、ラテラーノに帰れるの?」

「今後の状況次第だね。下手に返してこっちの情報を与えたくない。少なくとも、ラテラーノの部隊がこの国に来た理由が判明するまでは無理だね」

「そんなの絶対分かんないやつじゃん……」

「そして君には、一つの選択肢が与えられている」

 

エールはずっと張り付いたままの微笑みのまま言い放った。

 

「ラテラーノを裏切り、僕たちレオーネにつくか、否か」

「……冗談でしょ?」

「まさか。本気だよ」

「い、今すぐ決めろって……?」

「うん」

「お……鬼! 悪魔! まさか、協力しなかったら……あたしをここで始末するつもりじゃッ!」

「君にはまだ利用価値がある。殺さないさ。ただ……未来のために、協力してほしい」

「未来って……。誰の未来のこと?」

「この国の未来のことだよ、当然」

「……あのさ、あたしたったさっき部隊のみんなを失ったばっかりなんだけどさー。ちょっと気遣いとかない訳ー?」

「ふん。気遣って欲しそうな顔には見えないがな。命令だか忠誠だか知らないが……連中、そんなものに命を捨てるなんて、随分ご立派な往生だ」

「スカベンジャー。やめろ、敵とは言え……」

「はっ、笑わせるな。死人は死人だ。それ以上の意味はない。それとも──お前、何か求めてるのか? NLFのトップがそんなタイプだとはな、驚きだ」

 

──嘲笑するスカベンジャーの言う通りだ、とエールは思った。

 

死んだ人間は何も言わない。それ以上の事実はない。ただ……何か求めているのか、という言葉に対しても──。

 

その通りだ、とエールは心の中で呟いた。

 

「君のいう通り、死者は死者だ。ならそれ以上褒め称えることもないし……侮辱することも許されない。死者がただの事実だというのならね」

「許されないだと? 誰が許さないというつもりだ? 神か? それともお前か? そっちの天使サマか?」

「あるいは君自身(この世界)が、さ」

 

その瞬間だけ、エールの貼り付けた笑みが消えていた。

 

アンブリエルは仲間同士だと思っていた者たちが口論を始めて混乱した。こいつらもしかして仲悪いの?

 

睨むスカベンジャーと、それを見つめるだけのエール。アンブリエルは妙な居心地の悪さを感じて口を挟んだ。

 

「い、いやー。別にあの人たちなんて昨日会ったばっかりだし、別にそんなでもないって言うかー。っていうかあたしの扱いどうなるわけ?」

「……保留かな。ただ、武器は預からせてもらう。監視もつける。でもまあ、基本的には自由にしてもらっていて構わない……かな。スカベンジャー、君は下がれ」

「チッ、分かった」

 

ドアを開けて出て行ったスカベンジャーの表情は、微かな苛立ちが混ざっていた。

 

「さて。今のところ、君に聞くべきことはだいたい聞き終わった。最後に一つだけ質問。君、ラテラーノに帰りたい?」

「え、帰りたいって言ったら帰してくれんのー?」

「いや別に」

「だと思った。てか帰りたいに決まってるじゃん。新しい服も今ごろ家に届いてる頃だろうしさー、この国にポッキーは売ってなさそうじゃん」

「チョコ菓子は多いよ。カカオの原産地の一つでもあるからね。ただ、甘いチョコは少ないけど」

「余計帰りたくなって来た……。甘いものも食べられないんじゃねー。おまけに……捕虜じゃん、あたし。ふつーに命の危機なんだけど、分かってる?」

「だから殺さないって……。まあ小さな部屋くらいは用意するよ。ウチのヤツに案内させる」

 

部下にアンブリエルを任せてエールは去っていく。行き先は自身の執務室だ。

 

コルクボードに貼り付けた無数の情報を眺めながら考える。

 

考え続ける。

 

彼女たちの使()()()を──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エールは地図の上に広げた駒を眺めて、疲れたように伸びをした。戦術考案はエクソリア南部軍に任せても良かったのだが……信用しきれない。南部がここまで北部に押されて来たのは、彼らが負け続けて来たから。

 

いくらウルサスの支援があると言えど、南部もそこまで弱いわけではなかった。ただ……対応しきれなかった。ウルサス仕込みの戦術に対応できず、見誤り、慢心していた。残ったのは死体の山だけだ。

 

「……何か、もう一手欲しいな」

 

決め手となる何か。まだ分からないが……。

 

ウグラ山脈での衝突に勝算はある。特殊部隊による後方からの暗殺は一つのプランだ。正面からの衝突は分が悪い。ただ山脈の切れ間には森林が広がっている──消耗戦を展開するか?

 

どうするか──……。

 

「君なら、どうする?」

 

エールにとってそれは、彼にだけ見える幻覚に向けた呟きだったが──。

 

がた、と小さな音が静かな執務室に響き渡った。静寂の中、エールは反射的にそちらを見る──。

 

本棚に隠れて見えない影の向こうに誰がいるのか?

 

「驚いたな。君か? アンブリエル」

 

ばつが悪そうに姿を現したのは桃色のサイドテールが特徴的な、天使の輪っかを持つ少女のサンクタ。

 

「い、いやー。集中してたし、邪魔するのも悪いかなーって思ってたんだけど……」

「そう──」

 

気がつかなかった──見れば、ドアが開いている。

 

本当に、気がつかないほど集中していたらしい。あるいは、鉱石病(オリパシー)の症状によるなんらかの影響か。もしくは、アンブリエルという少女に気配がなかったか、消していたか、その全部か。

 

「狙撃手、って言うんだっけ。君の持っていた様な銃を扱う人って」

「うん、まー……。よく知ってんね」

「まあ、ね。実はちょっと興味があって」

「……あんた、ラテラーノなんて調べたっていいことないよー? いやほんとに、本心から忠告するんだけどさー」

「そうかい? 理由を聞いてもいいかな」

「それも聞かない方がいい。別に、どうしても聞きたいんならいいけどさー。本当にロクなことになんないって」

「ロクなこと──か。どうだろ、なら試してみようかな。これ以上があるのなら、一体何があるのか」

「何の話?」

「いや、こっちの話。それで? ラテラーノに関わりすぎない方がいい理由って?」

 

エールは張り付いて剥がれない微笑みのままアンブリエルに問いかけた。ため息を吐いてアンブリエルは話し出す。

 

「”銃”のこと。まー、それ以外にもいっぱいあるんだろうけどさー。あたしが知ってて予想できるのはこの辺しかないっしょ。あんさ、あんた銃に目ぇ付けてない?」

「よく分かったね」

「はー……。あのさ、言っとくけどさ。別に銃っつったって……殺傷力はボウガンとかと変わんないよ? それに手入れもめんどいしさー。入手性とか、価格とか……ボウガンの方がコスパいいよ、絶対」

「だが、射程がある。こないだの一件では一キロ以上先から射って来ていた。ボウガンでそんなことは到底不可能だ。そして嵩まないし……連射性が段違いだって言う話もある。弾数もボウガンとは比べ物にならないんだってね」

「大体、あれってあたしらサンクタにしか使えないってこと知ってる? そもそもあたしらもたいして理解できてないってのに」

 

双方の言うことは全て事実。

 

“銃”には、ボウガンにはない可能性が秘められている。同時に一般的ではない。サンクタすら知らない人々も多いのだ。

 

エールは微笑んだまま問う。その目の奥はちっとも笑っていない。

 

「本当に?」

「……んなわけないっしょ。まー銃の種類にもよるけどさー。もちろん反動に耐えれない銃なんて使えないし、素人がちゃんと目標に当てられるわけない。でも──」

「訓練することで扱える。サンクタ族だけが扱えるだって? そんなわけがない。物理的な機構を有している限り、別にそれは聖なる武器でも魔法の道具でもなんでもない。ただの物体のはずだ」

「……。あのさー、もし銃を手に入れたとして、どうするつもり?」

「君も遠回しだね。分からないわけがないだろう? 戦争に使う。兵器としてね」

「そりゃ、多少は使える武器かも知んないよ? あんたらレオーネの置かれてる現状も、結構理解してるつもり。戦況も変わるかもねー。──で、何人死ぬと思うわけ?」

「バオリア奪還では2000人が負傷、そのうち1300人が死亡した。これでも、予想よりずっと少ない数だ。3000人は死んでいてもおかしくなかったと思うよ」

「……あんたさ。なんでこんなことしてんの?」

「なんで、ね」

 

エールは机の先でこちらを見極めようとしているアンブリエルを眺めた。

 

この部屋にいるのは2人だ。エールとアンブリエルだけ。少なくとも、アンブリエルにはそう見える。

 

だが、エールにとっては違った。

 

「エクソリア北部が実質的なウルサスの支配下にあることは知ってるよね。当然、北部に広がっている経済格差──貧富の差も。不当な低賃金で働かされつつける人々と、一部の超富裕層が乖離して行っているんだ。学校にすら通えない子供たちが何万人もいる」

 

全て事実。

 

「経済を支配されているんだ。移動都市の建設も始まっているって話もある。けど知ってる? 完成した移動都市に住むことが出来るのは一部の人々だけだ。残された人たちは天災から逃れられない。工場が彼らを縛り付けて動かさないんだ。そして逃げたとしても、何も残らない。エクソリアの伝統的な建築技術も、十年ごとに移動する町の文化も、ウルサスの資本主義、帝国主義が破壊して行ったんだ。エクソリアの人々に合わせて工場まで一々作り直していたら損失が発生するからね。事実、北部と南部が断絶していた百年間のおかげで、もう南部にしかその文化は残されていない」

 

合理的な経済政策は、近代化し始める世界に受け入れられた。特に若者を中心に賛成が集まる。若者たちは、伝統的な非効率的な生活様式を嫌ってウルサス式を受け入れたのだ。だが彼らが反対しようと、選択肢はなかったのだろう。

 

「そしてそれは、このアルゴンの街を、南部をも飲み込もうとしている。そうなればこの自由で陽気な国が失われてしまう。緑が開発されてだんだんと消滅していく。この国の魂とも呼ぶべき、エクソリアという国の尊厳が奪われていくんだ。そうさせてはならないと、僕自身が思った。そして決めたんだよ。彼らのために戦おうって」

「────あんた、胡散臭いねー。それ嘘っしょ?」

「まさか。全て真実さ」

「確かに本当のことだけどさ──最後の一言以外は。しょーじき、あんたのこと良く知らないけどさー。一つだけ分かった。あんた、嘘が下手だよねー」

 

エールはその言葉に苦笑いした。これだけは自然な感情だった。

 

「よく言われる──いや。昔、仲間たちによく言われたよ。分かりやすいって」

「……その顔だけは、嘘じゃないっぽいねー。あのさ、もっとそういう……分かりやすい顔出来ないの? さっきから思ってたけど……あんたのその優しそうな微笑み、すっごい嫌な感じすんのよねー。作り物って感じで」

「参ったな……。()()、結構ウケはいいんだけど。君と……あとスカベンジャーくらいだ、嫌な顔するのは。僕もあんまり好きじゃないんだけど、うまく剥がれてくれなくてね、苦労しているよ(都合がいいや)

「……ま。あたしが口出すようなことじゃないか。てかさ、どっから銃調達するつもり? 入手ルートなんて無いよー?」

「僕もそう思っていた。けど……」

 

エールはじっとアンブリエルを見つめる──正確には、その天使の輪っかを。

 

「え……いや。ちょ、ちょい待ち……。まさか、あたし……?」

「アンブリエル。僕は君がラテラーノの何を知っていて、何をして来たかなんて知るつもりはない。でも……悪いね。運が無かったかもね」

「う、うそぉ……。いっとくけどあたしそんな大そうな人物じゃ無いからね!? せいぜい使い捨てられるサンクタのただの守備隊の一兵卒にできることなんてなんも無いって、マジで、マジだから!」

「うーん……。だとすればもう君に利用価値はないね。厄介ごとの種になるかもしれないし、さっさと始末しようかな。ラテラーノに送った抗議文の返答もないことだし」

「う、嘘……だよね……?」

「スカベンジャー」

 

アンブリエルの後ろから現れた刃が喉元を撫でる──流石に叫んだ。

 

「やる! やるって! やるから殺すのだけは勘弁して!」

 

作戦準備は無事、順調に進んでいた。

 

 

 

 

 

 




・エール
やべーやつ。
クズへの道を一歩一歩辿っている
あとずっと幻覚見えてます。三人称視点なのでわかんないですけども
実際なんのために戦ってんだお前

・スカベンジャー
ギスギスしている。これからもギスギスする

・アンブリエル
今回の被害者。
正体は……ナオキです

・エクソリアを取り巻く状況
つまり……ウルサスが全部悪いんだよ!
生きるために必死なのはみんなおんなじだからね、仕方ないね

・銃
これについての云々は前作でも取り上げました
ヴァルカンのボイスを聞けば不穏さがわかるはず……


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もしも夜空から一つ光が消えたとして-3

イベントストーリーよかったですね
砥石おいしい(理性0)


探し物などする資格などもう無くしてしまった──と、自覚して久しい。

 

例えば、些細な無くし物……そうだね、本当に些細なものでいいんだけど。なんだろう……例えばそう、安っぽい飴玉なんかで例えよう。買ってきて、机の上に放り出しておいたら、いつの間にかどこかへ消えてしまったとか。

 

大抵、気づかないうちに机の下に落としてしまったり、あるいはポケットの中にいつの間にか入っていたり……誰かが勝手に食べちゃったってこともあるかもしれない。

 

どうせもう一度同じものを買ってくればいいだけの話だ。精々10龍門幣もしない代物にわざわざ探すだけの労力は掛けられない。それよりもやることは腐るほどあって、探している時間などありはしない。そういう生き方を選んだ。

 

これは別に、それが飴玉じゃなくて、もっと大切なもの……腕時計とか、財布とかでも、僕はたいして変わらないんじゃないかと思う。

 

この世界に存在するものは全て代替可能だ。

 

無くしてしまったなら新しく買えばいい。買えなければ作っても、あるいは譲ってもらったりしてもいい。そこに”思い入れ”という曖昧な価値を見出さなければ、の話ではあるが。

 

世界にたった一つだけしか存在しないもの、というものがあるらしい。

 

ハイブランドの一点もの──芸術家の描いた高名な絵画だとか、小さな子供が一生懸命作ってくれた手作りの折り紙とか。

 

それを除いて、この世界に存在しないものがあると、誰かが言っていた……ような気がする。もう覚えちゃいない。

 

そんなものは存在しない。この世界に金という尺度が生まれて、あらゆるものの価値を表現することが可能になって以来、あらゆるものは交換可能、代替可能になっていった。

 

そのことに気がついて以来、僕は探し物を探すということをやめた。価値が見出せなかったから。

 

そして、初めて仲間を失い……その交換不可能な価値に初めて気がついて、僕はこの世界を呪った。

 

本当は、思い出なんて曖昧なものは嫌いだった。よく分からなくなってしまう──例えば、ある人物が居たとして、その人の思い出と、僕の思い出の価値の総量を比較出来ない。単純に測り知れるものではないから。

 

同様に、一人の個人が持つ命の価値すら分からなくなった。あるいは、僕自身の命の価値すら。

 

始めは、命の価値は誰でも平等で、本当は人生は尊いものだと思っていた。いや……そう信じていた、というべきか。

 

だが、それは違うんじゃないかと思い始めた。

 

人を助け、人の力になり、人の救いとなる人間の持つ価値は、人を傷つけ、人を騙し、人を殺める人間の持つ価値よりもずっと高いんじゃないかと。

 

命の勘定なんて忌むべき行為だと理解している。だが……そんな思想はゴミクズと何が違うのだろう。役に立たない。捨ててしまえ。

 

命を金で表せるのならば、世の中の利益になることをした人間の価値は高いのだろう。

 

金を命で表せるならば、僕の仲間たちはこの世界の紙幣を全て集めたって足りない(ワンコインで十分すぎる)

 

だってそうだろう?

 

あいつらは、僕の仲間たちは……僕にとってかけがえの(僕みたいなゴミクズを)無い大切な仲間だった(命を差し出してまで守った)んだから。

 

だからこそ、僕は────────。

 

 

 

 

 

 

レオーネでは集中的な訓練が常に行われている。

 

旧南部軍の訓練施設を流用して、武器の訓練、兵站行進、戦術演習がスケジュールに従って進行する。

「はぁっ、はぁっ、くっ……!」

「ケド二等兵、グズグズするなッ! 死にたいのなら別だがな! 走れッ!」

「はっ、はいッ!」

 

槍を構えた青年が大きな背嚢を背負って炎天下の下を走る。汗と疲労に歯を食いしばりながら前へ──。

 

バオリア奪還以来、レオーネには従軍希望者が殺到した。

 

解放宣言が出された頃は、妙な新興組織に期待する人々は皆無だった。しかし──実際にバオリアを奪還し、北部の強い支配から人々を解放したことから諦観は期待へと変化することになる。

 

特にバオリアは食糧生産が盛んで、エクソリアの主食である米や芋の畑が広がる平野がある。奪還以来、アルゴンの貧しかった食卓事情がすぐさま改善されていったのが大きい。北部軍による南部領の占領が進んでいくと、アルゴンへ供給されていく食料がだんだんと減少していった。

 

未開拓の森林が広がるアルゴンのみでは、国民の食料を賄いきれなかったのだ。北部軍による南部国民全体への兵糧攻めは強い効果を発揮していた。

 

だが食料自給が回復してから、レオーネの存在と、その希望を信じない人々は存在しなくなった。

 

手持ち無沙汰のスカベンジャーは目立たない日陰からその光景を眺めている。最初にレオーネに来たときと同様に、ただ鋭い目つきで睨むように眺めている。

 

視線の先にあるのは、一人の訓練生の女性だ。

 

褐色の肌に黒く長い髪を後ろで結んでいる。手に持った剣を振り、教官相手に立ち回っているが──弾かれて尻餅をつく。

 

凛々しい顔つきだった。とても懐かしい────。

 

「彼らが気になるのかい?」

 

もたれて居た壁の向こう、開いたガラス窓ごしにエールが窓枠に肘をついていた。

 

相変わらず気配のない男だ。それに貼り付けたような薄い笑みに真っ白い髪。肩まで伸ばしていると、中性的で柔らかい印象を受ける──普通ならば。

 

ただ、スカベンジャーにはどこか不気味でならなかった。人間味が欠落しているとも表現するべきか。巷では救国の英雄と称えられているのは、背負った罪の裏返しだ。戦争をしていることを、当事者たる人々は知らないのか?

 

所詮戦争など殺し合い、それ以上もそれ以下もない。殺したことに変わりない──。

 

まあ、偉そうに自分が言えることでもないか。

 

「別に。あんたには関係のないことだ」

「まあそうなんだけどさ。会話が嫌いなの?」

「人が嫌いなだけだ」

「そう。じゃあどうしてここへ?」

「生きるためだ。はっ、ただ……あんたは違うみたいだけどな」

 

エールはそのことに返答せず、表情を崩さないまま訓練中の兵士を眺めた。

 

「煙草吸ってもいい?」

「好きにしろ」

「ありがと」

 

慣れた手つきで箱を叩き、一本取り出して火を着けた。紫煙が湿った空気に消えていく。

 

別に気になるほどでもない。煙草の臭いなんて今までしていた経験に比べれば優しいものだ。

 

「人ってすごいよね。一ヶ月前までは武器も持ったことのない女性でも、すぐに兵士へと成長する」

「……」

「意外かい?」

「戦うのに男も女もない。大したことじゃないだろう」

「そうだね」

 

スカベンジャーは休憩していたさっきの女性の方に歩いていく。

 

エールはそれを見届ける前に去っていった。仕事が山積みだ。

 

「おい」

「え? えっと、何……?」

「お前、さっきの剣の構え……もう一度やってみろ」

 

座り込んでいる女に無愛想なまま言い放つが、流石に何がなんだか分からないと言った様子だ。

 

「さっさとしろ」

「えーっと……こう?」

「ちっ……お前、もっと力を抜け。それから前を見すぎる癖がある。多少相手の足元……足運びにも気を配れ」

「え、えーっと……?」

「私が相手になってやる。かかってこい」

 

如何なる時でも背負っている大剣を掴み、正面に向けて構える。

 

広い訓練場は相変わらず息を切る声と教官の号令で騒がしい。風の音が耳を撫でる。

 

女は戸惑っていたが、短く息を切ると表情を切り替えた。

 

「……私は”お前”じゃなくて”ミーファン”よ」

「そうか」

 

ミーファンが黒い髪を波打たせて飛びかかる。覚悟が決まれば一直線なのが彼女の特徴だった。訓練用に刃は落としてあるが、その重量は剣だからと言って馬鹿にできるものでは無い。

 

正面からの上段振り落とし。ただ、呆気なくスカベンジャーの大剣に横から弾かれてしまう。微かな隙に、ミーファンの首元に大剣の切っ先が向けられていた。決着──。

 

「女は男に比べて腕力で劣る傾向がある。だが柔軟性は女の方が高い。もっと相手を観察しろ。勢いがあるのは結構だが、お前には向かないだろうな」

「むっ……。バカにしてるの?」

「事実だ。自分に適した戦い方を選べ。じゃなきゃ死ぬだけだ」

 

睨むミーファンに、スカベンジャーは内面だけでたじろいだ。少し言いすぎたか? いや──そもそもなぜ私はこんなお節介を?

 

少し冷静になってスカベンジャーは踵を返す──呼び止める声。

 

「待って!」

 

振り返って見える顔や雰囲気が──やはり、そっくりだと思う。本当に似ている──もしも、”あの子”が生きて成長していれば、こんな風になっていたのだろうか。

 

「なんだ」

「あなたの……名前、教えてくれない?」

「……スカベンジャーだ。そう名乗ってる」

「変な名前ね」

「放っておけ……。私のコードネームだ」

 

調子が狂わされる。

 

「それと……もしよかったら、もう少し付き合ってくれない?」

「……なに?」

「お願い! スカベンジャー、あなたすっごく強いじゃない! ね? ちょっと、ちょっとだけでいいから!」

「……」

「あ、訓練の方は大丈夫! うまく言っておくから!」

 

そんなことを心配してる訳ではない──。

 

だが、不思議と面倒な気持ちは起こらなかった。

 

「……30分だけ相手してやる」

「やった、ありがとうスカベンジャー!」

 

そうやってすぐ人の手を握って喜ぶところまで──生き写しか、生まれ変わりか。バカな想像だと分かっていても……。

 

その後、なんだかんだと理由を付けられて二時間以上付き合わされた。

 

 

 

 

 

「どうしたの? 疲れた顔してるけど」

「気にするな……」

「そう? まあいいけど……」

 

エールはいくつかの顔写真がクリップされた書類を手渡した。

 

「こいつらシメてきてくれる?」

「……殺さないのか?」

「やだな、そんな物騒じゃないよ。アルゴンの裏家業を仕切ってる連中なんだけど……僕らと協力する気がないみたいだから」

「お前……そんなことに手を出すつもりか?」

「んー……。積極的にはやらないけどね。光があるなら闇もある。ならそれはコントロールしなければ」

 

本当になんでもないかのように話すエールに、スカベンジャーは相変わらず無愛想にじっと見つめるだけだ。

 

「まるで王様気分か。さぞ気持ちのいいものなんだろうな、その椅子は」

 

現在──エクソリア南部は事実上の独裁体制にある。

 

表向きには国立病院の院長だったグエン・バー・ハンが市政を治めているが──結局、エールの意向通りの政策を実施している。このことを知る人間はそうはいないが……。

 

エールの最も強い力は、つまるところエールという個人の持つ暴力、ひいてはその恐怖だ。そして国や人々、部下に与える利益の両立。利害の一致。その飴と鞭の使い分けが絶妙だった。

 

個人の暴力が小さいとは言え一つの国を支配する。奇妙だったが──逆らう人間はすぐにいなくなるか、行動方針を変更した。

 

これはあまり知られていることではないが──エールが享受する利益……金などは極端に少ない。それこそ一兵卒が受け取る僅かな給金に等しい。住処さえ不明、その目的は北エクソリアの開放、ひいてはエクソリア全土の統一にある、と本人が公言する通り、もはや誰もが知る南部の英雄だ。

 

「……そう見える?」

「ああ。あんたが座ってる”そこ”に座ってるヤツが事実上、この国を動かしている」

「はは……そんないいものじゃないよ。本当さ」

「じゃあどうしてそんなところに座ってる?」

「さあ。君がさっきの訓練兵を妙に気にしていたのと、同じ理由なんじゃないかな」

「ふん。お前は無駄に口ばかり上手いな」

「皮肉かい?」

「はっ! いや、本心だ」

 

それこそ皮肉だった。

 

エールとスカベンジャーが揃うと何かにつけて雰囲気がピリつく。本心と呼ばれるそれを、お互いに見せたことがないのが要因だろうか、それとも生来の気質が食い違うのか、誰にも分からないが──。

 

「……まあ、仲良くしようよ。君と僕の利害が一致している限りはね」

「それだけは同感だな。いつまでに片付ければいい?」

「のんびりやってくれればいい。いや、しかし参ったね……。ウグラ山脈での作戦が君の初任務になると思ってたんだけど、色々任せっきりだ」

「気に入ってもらえて何よりだな。だが覚えておくといい。私の経験上、あんたみたいな連中は長生き出来ない」

「それって例えば、悪巧みをするような人ってこと?」

「いいや、無駄におしゃべりなところだ」

 

エールは肩を竦めた。無駄なお喋りとバッサリ言われてしまったらどうにもならない。

 

──別に、無駄でもお喋りでもないんだけどな。

 

仲良くしたいという気持ちは、一応本当だった。本当に、一応だが。

 

「ああ、一つだけ。スカベンジャー。君、ドラッグについてどう思う?」

「……別に、何も。やりたければ勝手にやってればいい」

「そう。じゃ、任せたよ。あ、何か必要なものあったら言ってね」

「そうか? じゃあ一つ頼みなんだが……戦争のない世界が必要だ。用意できるか?」

「意外だね。君がそんなものを必要としているなんて……」

「私には大剣(これ)しかない。だが……面倒ごとは嫌いだ」

「そうだね。用意しよう──……向こう三年以内に、必ずやり遂げてみせる。約束さ」

「約束は私が最も信用してないものの一つだ。契約書でも書いてくれれば、多少は信じられるんだがな」

「散々書いたさ。今アルゴンの議会に通してる」

 

──大真面目にエールは答える。

 

スカベンジャーはエールを見下しながら口を閉ざしている。

 

やがて堪えきれなくなったのか、スカベンジャーが吹き出した。

 

「ぷっ、くくく……ははッ! 多少興味が湧いたな。あんたの約束がどんな風に破られるか、私が見届けてやる」

「僕はちっとも笑えないけどね。我ながら酷い冗談だ」

「はははッ……。そこでふんぞり返ってろ。すぐ成果を持って帰ってくる」

 

スカベンジャーが笑いを堪えながら退室していった。残されたエールはぽつりと一言。

 

「……ひどいな。そんなに笑うこともないじゃないか」

 

珍しく不満げに天井を見上げて──。

 

ああ、本当に……笑えない冗談だ。




スズランガチャ死にました
ブレイズさん1凸しました
本当、笑えない(エール並感)

・エール
だんだん胡散臭くなってきてへんかお前
こんなんでも兵士の前ではめっちゃしっかりしてると思います
面の皮が厚いんでしょうね

・スカベンジャー
以下スカベンさん
昇進2イラストかっこかわいいですね

・ミーファン
オリキャラ。エクソリア人の女性。種族は……なんか適当に想像しててください
本名マイ・チ・ファンという設定があるが、今後出てくるかは未定。愛称がミーファン
スカベンさんと仲良くなる(?)
スカベンさんの昔の知り合いによく似ているようだ(特大フラグ)

上級エリートめっちゃ来ます(隙あらば自分語り)
このタグで来るキャラ全員揃いました
とっとと書けってことなんでしょうか……?
恐怖です


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Interlude: In the Rhodes Island(希望の彼岸にて)

ここで突然のロドス編だ!
うっそだろお前、前回までの話って一応アレで区切りつけたつもりなんだぜ
ちゃんとプロット立てないからこうなるんだよアホが。学習しろ


今更ですが、アンケートの結果を全く生かせていないことに気が付きました。コメディを希望する声に応えてほんわかロドスのみんなの話を挟みます


行動隊B2、及びエリートオペレーターBlastの殉死から三ヶ月が経っていた。

 

残されたものたちは、それでも前へ進まなければならない。

 

例え、何があろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

Interlude: In the Rhodes Island(希望の彼岸にて)

 

 

 

 

 

 

 

 

メカニックのクロージャは進めていたロドスの増設作業にひと段落つけて、スパナを握ったまま額の汗を拭った。

 

「ふぅ──。こんなもんかなー、全く……あたしったら働きすぎじゃない? もっと休日をもらわないと釣り合わないよー」

 

独り言に答える人間はいない。

 

『お姉さま、先月の出勤率は50%を切っていますよ。サボりすぎです』

「いや、それはちょっと外でやることがあったから……」

 

そう、()()は……いない。

 

『それと、またケルシー先生がお怒りになられています。何か心当たりはありませんか?』

「えっ!? うそ、もうバレてるの!?」

『何をされたのですか? 今までの記録データから、早めに白状した方が被害が少ない傾向が認められています』

「別に、ちょっと音響機器を取り付けようとしてるだけだよ?」

『音響機器ですか? それなら問題ないのではないでしょうか』

「……うん、問題ないね! へーきへーき、大丈夫!」

 

クロージャは音の究極を追い求め、ロドスの一室をライブハウスに改造しようとしていた。ホールで使うような、明らかにオーバースペックなスピーカーを何台も発注し、低重音の究極を実現しようと──。

 

無論、防音設備がそのスペックに追いつくはずがない。もしそんなことになれば、前回の真夜中テレビ事件を超える騒音被害が出る──。

 

『それと、ブレイズさんから素材の発注メールが届いていますよ。後でチェックしておいてくださいね』

「ブレイズが? へー、あの子メールとか使えたんだ……」

『お姉さま、それはブレイズさんに失礼ですよ。確かに以前は、用事があれば直接顔を出すタイプでしたけど……』

「以前は、か……。やっぱり、ブラストの影響かな」

『はい、特に三ヶ月ほど前……つまりその、彼が……』

「そっか……。まあ血塗れのまま作業室に顔を出さなくなったのはいいことだけど……素直に喜べないよね」

『そうですね……。彼が”死んで”から、ブレイズさんは笑顔が減りましたから。心配です……』

「笑顔が減ったっていうか……あの張り詰めたブレイズはもう見たくないなぁ。私、一瞬ケルシーかと思っちゃったもん。怖かったー……」

 

当時を思い出してクロージャは身震いした。

 

ブラストが死んだという情報がロドスに与えた影響は、想像以上に大きかった。

 

ロドスの誇る最大戦力のうちの一人。そして、ただひたすらに優しかった。

 

あるいはこの人ならば──と、思わせるような、そんな人物だった。

 

「ブラストの真似かな。真面目になったし、隊員の面倒もちゃんと見てるし……メールなんて、それこそブラストくらいしか使ってなかったでしょ」

『そうだったんですか?』

「まー、ブラストは変なところで律儀だったからね。戦闘オペレーターのみんながパソコンなんて使うと思う?」

『それはそうですが……』

 

薄暗い部屋にはいくつものディスプレイが灯ったまま、青い明かりで部屋を照らしていた。

 

小さな影が起き上がって伸びをして歩き出した。

 

丸っこいシルエットから声。

 

『どちらへ?』

「気分転換。ちょっと歩いてくる。スリープモードね」

『お気をつけて』

「気をつけることなんてないよー。ロドスだよ? ここ」

『いえ、ケルシー先生に……』

「気をつけてどうにか出来るんなら苦労しないって」

 

吸血鬼散歩開始。

 

別に血を啜ったことはない。エイダ・クロージャ・チャーチ。年齢不詳。

 

 

 

 

 

 

別に散歩が趣味ではない。

 

まあたまに気分転換に──という程度。結局好きなのはパソコンをバラしていじることか、悪戯か、商売か……。

 

ロドスの古株にして幹部、あるいはケルシーと並ぶほどの重要人物でありながら、クロージャはロドス中の恐れと警戒を買っている。有能さを覆い隠すほどの所業の賜物だ。ロドスやべーやつランキングにも上位入りしている。

 

「次の作戦指揮はAceさんに任せて──」

 

のんびりとことこ。

 

「ラテラーノとの協定を──」

「医療物資を発注しないと──」

 

気楽なものだ。エンジニアオペレーターは、直接戦いに関わるわけではない。

 

関わるわけではない。関われない。

 

いつだって帰りを待ち──……。

 

そして、待ち惚け。

 

──そういえば、ブラストが注文してたタバコ、届けないままだったな。

 

それなりに長く生きてきた。ブラットフルートは長命だ。見た目よりずっとクロージャは幼くない。

 

出会いも別れも、それなりに経験してきた。

 

ブラストについてクロージャが知っていること。

 

ロドス設立後、すぐにブレイズと同期で入ってきたこと。ケルシーが拾ってきたこと。ウルサスの生まれであり、少々手荒な過去があること。

 

努力家であること。エンジニアオペレーターと協力して、自らの武器を作り上げたこと。訓練の頻度と密度がクレイジーであること。なんかめっちゃ強いこと。

 

アーツ適正はもともと優れていたらしい。ただ、ブラストの強さはほとんどが後天的に身につけたものだ。術師としての能力も突出していたが、何よりも近接格闘に秀でていた。術師の弱点を克服したオールラウンダーを目指していたから、と本人は語っていたが……クロージャは思う。

 

ブレイズと殴り合って勝つために鍛えてたんじゃないかな。案外、ブラストが訓練狂いだったのはたったそれだけの理由なのかも──。

 

気がつけば訓練所のあるエリアへと来ていた。考え事をしていた。

 

廊下の向こうから話し声。

 

「……いい加減認めてもらう。今日でこの()()は終わりだから」

「へえ? 言うじゃない。この前手も足も出なかったのは誰だったかなー?」

「いつまでも私を下に見てると足元を掬われるよ」

「ふーん? いいよ。じゃ、やろうか!」

 

気分屋クロージャは速攻で割り込んだ。

 

「────その勝負、私が見届けよう!」

「……」

「……」

 

訓練所の自動ドアが開く音が、やけに間抜けだった。

 

「クロージャ? えーっと。何?」

「何……って。見たところ訓練でしょ? ちょっと見学させてよ」

「見学って……まあ、私は別に……構わないけど」

「立会人ってこと? でも……危ないんじゃない?」

「へーきへーき。私超天才エンジニアだし、何より……危ない訓練してるんなら、ロドスの一員として見過ごせないかなーって」

 

──フェリーンの尻尾が軽く揺れた。

 

腰に手を当ててため息を吐くブレイズと、無愛想な顔でボウガンをチェックするグレースロート。

 

「それで、訓練ってなんの訓練なの? 前衛と狙撃一人ずつで……」

「もちろん真剣勝負だよ?」

「えっ、でも……勝負になるの? そもそも役割が違うんだし……」

「だからハンデをあげてるの。一撃でも私が食らえばこいつの勝ちって言う風に」

 

グレースロートはむっとしたが、何も言い返せない。事実だからだ。

 

「それって狙撃に有利すぎない? 一回でも当てればいいんでしょ?」

「そうだね。でもある程度距離を詰められたら私の勝ちだから。戦場でもたまにあることだよ。まあクロージャは審判代わりに見ててよ。グレースロート、行くよ。今日は私に勝てるといいね」

「……上等。あんたの吠え面を見るのが楽しみになってきた」

 

第二訓練所に入って行く二人に続いて中へ。この場所の建設にも当然クロージャは関わっている。特に入り乱れた地形を想定した訓練所で、遮蔽物、障害物が多い。それに広い。

 

ただ、入るのは久しぶりだった。真っ白な壁に天井、それと入り組んだ構造の広い場所。

 

グレースロートがボウガンを背負って奥に消えていく。

 

前衛側は三分間入り口で待つ。狙撃側はその間に姿を隠し、狙撃ポイントを見つける。三分経ったら模擬戦スタート。矢の先は潰してあるが、威力がないわけではない。

 

狙撃は一撃当てたら勝ち。前衛は狙撃の半径一メートル以内に踏み込めば勝ち。

 

三分の間に、ブレイズにそう説明される。

 

「へー。で、今までの戦績はどんな感じなの?」

「50戦中私の50戦勝。今日は51回目」

「えー、そんな差があるの?」

「エリートオペレーターがそんな簡単に負けてちゃ話にならないでしょ?」

「おおぅ、それもそう……なのかな?」

「もう三分経つね。巻き込まれない場所に居て」

「はいはい──」

 

と、言っても……クロージャの前方に広がるのは市街地を模した訓練所。特に高低差が激しく、段差を乗り越えていったブレイズの姿はもう見えない。追いかけるわけにもいかない。

 

クロージャは懐からタブレットを取り出して起動。第二訓練所内の各監視カメラをストリーミング。これで状況が追える。

 

ブレイズは警戒しながら索敵する。想定の狙撃ポイントから身を隠し、壁から微かに顔を出して状況を伺う。無音。

 

グレースロートはすでに高台に身を隠してブレイズを確認している──。

 

ただ、それでもまだ撃たないのは、散々それで失敗してきたからだろう。

 

ブレイズの直感は、音もなく背後から迫る矢でさえ避けてしまう。グレースロートはインチキだと思った。

 

こちらに気付いていない。背後へと狙いをつけて──発射。

 

「──ッ」

 

完全な死角からの一撃を反射的に躱してしまうのはおかしい、とグレースロートは思った。猫なの? 猫だった……。

 

「見―つッけた!」

 

距離25メートル。

 

自慢のチェーンソーを鳴り響かせて突撃してくる。猪突猛進、そうなったら手がつけられなかった──今までは。

 

風を切る──それはまるで、彼の如く。

 

いつまでも子供じゃいられない。強くならなければならない。強く──。

 

ボウガンは連射性がそう高いとは言えない。だが──それを克服することができたら、大きな力となる。

 

ブレイズは簡単に姿を現したグレースロートを確認して笑みを作った。さて、今回はどんな小細工でかかってくるかな?

 

一発飛来。当たらない。

 

一発飛翔。縦に跳躍して回避。同時に一気に距離を詰める、が……。

 

その回避こそがグレースロートの狙い。

 

ブレイズは今までの経験から、跳んでから落ちるまでの間に矢は打てないと考えていた。連射性が低いためだ。その隙を狙って一気に距離を詰めようとしていた。

 

だが、グレースロートはすでに構えていた。グレースロートが訓練の結果獲得した技術、連射。

 

「うそっ!?」

「遅い」

 

ぱこーん、と先端の潰された矢がブレイズの額に直撃していい音を立てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒリヒリする額を抑えて、ブレイズは複雑な気持ちを抑えた。まだ痛い。骨に響いた。

 

「──はい! じゃあボウガンちゃんの勝ちでーす!」

「ボウガンちゃん、じゃない。グレースロート、それが私の名前。……それよりブレイズ、約束は守ってもらうよ」

「っつー……。仕方ない! 約束は守るよ。ケルシー先生にあの任務を提案した上で、君を推薦する。でも、ケルシー先生が許可しなかったら、そこで話は終わりだからね!」

「構わない。これで……私も戦うことが出来る」

 

クロージャはグレースロートの表情──特に双眸の色を見て大体察した。

 

まるで剥き出しの諸刃だ。近づく人間全員を傷つけるような、それでいてとても強力な。

 

正直めちゃくちゃ危うい瞳をしていた。

 

「えーっと、ちなみにどんな話か聞いてもいい? あの任務って?」

「エクソリア共和国への潜入任務」

「え……? ほんとに?」

 

ロドスはその国のために多大な損害を被った。そのため、それ以上関わることは禁止された。これはロドス上層部の判断だ。ブラスト率いる行動隊B2の調査も禁止。これ以上人材を失わせないための、妥当な判断だ。

 

「でも確か、また内乱が過激化してきたっていうじゃん。絶対危ないと思うよ。それにその、ブラストたちはもう……」

「……死んでない。ブラストが、死ぬはずない……ッ!」

「あのね。私もそう信じたいよ。でもね、生きてるんだったらなんでブラストは帰ってこないっていうの?」

「何か理由があるはず。ブラストがただ巻き込まれた程度で死ぬはずない。絶対に……」

 

……この調子じゃ、メンタルケアはあんまり効果がなかったみたいだね。

 

クロージャが思う通り、グレースロートの精神はかなり不安定だ。アーミヤでさえこの状態を改善させることが出来なかったということは、もはや時間が解決してくれるのを待つしかなかった。

 

「約束は約束。それは守ってもらう。あんたがエクソリアに行かないなら、私が行くだけ」

「ちょ、別に行かないなんて言ってないでしょ!? もし行くってなっても、君一人で行かせる訳ないじゃない!」

「……付いてくるの?」

「気が早いなあもう! 最初っから言ってるけど、ケルシー先生は絶対許可なんて出さないよ!?」

「……それでも、認めさせてみせる。最悪の場合は──」

 

ロドスを辞めてでも。

 

「ッ、あーもう、本当にこいつは……。分かった、分かったよ! はぁ──誰かこの小娘を止めて……」

 

珍しく振り回されているブレイズ。額を抑えて苦い顔をする表情は、ブラストがブレイズの相手をしていた時の表情ととてもよく似ていた。

 

グレースロートがボウガンの簡単なメンテナンスと収納をしている間、クロージャはケースにチェーンソーを仕舞うブレイズに話しかけた。

 

「ブレイズは反対なの?」

「反対っていうか……。もちろん確かめに行きたいよ、私も……、でも──私はロドスのために戦うってもう決めたの。私はロドスのエリートオペレーターブレイズ、それがブラストから託された私のやるべきことだから」

「強いねー……」

「そんなんじゃないよ。私も気を抜くと──」

 

すぐに、ブラストの姿を探してしまうから。

 

音にならなかった沈黙に、クロージャは口を閉ざした。

 

グレースロートが肩にボウガンを担いで背を向ける。

 

「私はもう行く。次の任務があるから」

「ちょっと、お昼ご飯くらい食べに行かないの?」

「別にいい。携帯食で十分よ」

 

合理的──と言えば合理的で、なおかつ単独行動……一人でいるのを好むのは、以前からだ。もっとも──ブラストが近くに居た時はその限りではなかったが。

 

「……あたしも戻ろっかな。じゃあね、ブレイズ」

「あ、素材の注文任せたからね」

「あー、うん。大丈夫、ちゃんとやっておくよ。というか……別にメールとかじゃなくて直接言いにくればいいのに」

「やっぱりクロージャもそう思う? 似合ってないかな……」

「そりゃあもう」

 

──注文書とかはちゃんと書類で残しとけよ……。後からなんかあったときに重要だ。 お前な、エリートオペレーターならちゃんとしたらどうだ? 記録ってのは大事だろ?

 

らしくもないことをしたのは、その言葉を思い出したからだろうか。

 

もしブラストがここに居たら、そんな私になんて言うかな。笑うかな。

 

意味のない思考はすぐに止める。続ければ……また、どうしようもなく胸が締め付けられる。

 

強くならなければならない。今よりもずっと強く。

 

「それじゃ。責任感とかも大事だけど、あんまり気を張らない方がいいよー」

 

クロージャはらしくもなく、気遣いの言葉を掛けた。

 

ブレイズは、いつぞやのブラストのように曖昧な苦笑いを浮かべた。それだけだった。

 

 

 

 

 

 

クロージャは食堂に行かない。偏食だから──と言うのは、半分くらい嘘だ。

 

食堂まで歩いて行くのが面倒だから、と言うのが主な理由。幸いクロージャはロドス購買部を運営している。商品棚からチョコバーでも取り出して食べるのが習慣だ。偏食。

 

チョコをもぐもぐしながら店番をする。購買部は色々売っている──食料品から衣類、家具や──素材なんかまで。無人販売システムはすでに構築してあるため、クロージャが店頭に立つ必要は一切ないのだが……これは趣味とも言える。

 

昼下がり、客が一人。

 

「ういーっす。クロージャ、来たよー」

「お、エフイーター。今日は何をお求めでしょーかっ」

「例の情報──エクソリアの内情は入ってきた?」

 

……誰も彼も、ケルシーの言葉は聞かないらしい。

 

「んー……。やっぱり難しいよ。そもそも内乱状態にあるし、あのあたりはロドスとのパイプが無いからね。調査員もエクソリアみたいな危険な場所に行かせられないし──」

「クロージャでもダメなの〜? うーん……」

「まあ、周辺諸国からの情報と噂を纏めてみたよ。私の伝手でジャーナリストからの情報もいくつか入ってきたけど、でも……ブラストって名前はなかったなぁ」

「そっかぁ〜。クロージャ、エクソリアへの最短ルートって分かる?」

 

大体その一言で察して、クロージャはちょっと表情が固くなった。

 

「……えーっと。まあ空港はないから……隣国から入国するしかないけど、でもスパイを警戒して入国制限も行われてるって噂も聞くし、正直ほとんど情報がない。おすすめはしないなぁ」

「車の貸し出しってやってる?」

「話を聞いてくれないのには慣れてるけど……。耳聞こえてる?」

「それとメンテキットもお願い。車両に取り付けてくれると手甲の手入れが楽だし。あ、価格の方は心配いらないから」

「あのねー……。キミがブラストを探しに行きたいのはよーく分かったけど……見つかる保証どころか、死んでる可能性の方がずっと高いのに、どうしてそこまでしようとするの?」

 

エフイーターは呟いた。

 

「あたしね、最初はブラストを探しに行くつもりなんてなかったんだ。怖かったから」

「怖かった?」

「だって、エクソリアに行って本当にブラストが死んでたら……あたしはどうしようってずっと思ってたんだ。正直今も思ってる」

「……なら、行かない方がいいんじゃない? シュレティンガーの猫って知ってるかな……」

「何それ? 猫?」

「掻い摘んで話すと、箱を開けなければ中身はわからないっていう話。箱の中の猫が生きているか死んでいるか、それは箱を開けなければ分からないんだ。逆に言えば、箱を開けなければ……猫は生きているかも、って思える。真実の箱って、大抵の場合は残酷だよ。知らない方がいい。開けない方がいい。ブラストは戻ってこなかったんだ。バッドエンドが決まってるストーリーなんて、誰が知りたいなんて思うの?」

 

知らない方がいいこともある。

 

希望があるかもしれない、と思い続けて生きることは、真実を知らないまま希望を抱いて生きるのは。

 

それが唯一の正しい選択かもしれない。この話の性質の悪い点は、全てを知らなければ正解か不正解かが判断できない点にある。

 

「それでも箱を開ける?」

 

エフイーターの選択はすでに決まった。

 

三ヶ月間、毎日のように悪夢にうなされていた。

 

Blast、と刻まれたドックタグを見せられたとき、エフイータの現実を構成するパズルのピースがぽろぽろと崩れて壊れていった。

 

──助けてもらった。

 

女優の道を断たれたエフイーターにブラストは新しい道を示した。

 

ブラストを無理やり巻き込んで実行した自主制作映画の撮影は、エフイーターの人生でもっとも楽しかった瞬間の一つだ。

 

地上10階から飛び降りた時のブラストの表情と来たらそれはもう笑えた。落下しながら大笑いしたのはいい思い出だ。

 

気がつけば、目で追っていた。足で追っていた。

 

ブラストは矛盾を抱えていた。過去を抱えていた。その傷を見過ごせなかった。

 

人を傷つけるのは嫌いだ、と話していた時のこと。あれがきっかけだったと思い出す。

 

それでも、前へ向けて歩き出そうとする姿を──。

 

「開けるよ。あたしは……前へ歩かなきゃ。例え前へ進めなくとも、進もうとし続けないと」

「もしも、箱の中の真実が残酷だったら……キミはどうするつもり?」

「わからないよ、そんなこと」

 

わからない。

 

もしも──と、想像した。

 

もう何度泣いたか分からない。エフイーターはブラストの部屋の扉を何度も開けようとして、開けられなかった。

 

中にはひょっとしてブラストがいつものようにコーヒーを飲みながら本でも読んでいるんじゃないかって思ったりもした。

 

誰もいない部屋の中を確かめるのが、怖くて仕方なかった。

 

そして、それをしようとしている。震える手のまま。

 

もしも君がまだ生きているのなら、何をしてるの?

 

もしも君が死んだのなら、何を思って死んだの?

 

「……何を言っても無駄、かぁ。でも、今すぐなんて行けないよ。最悪数ヶ月……いや、それ以上待ってもらうことになるかもしれない。今はちょっと、別に集中しなきゃいけないことがあるから」

「え、数ヶ月も?」

「ごめんね、出来るだけ私も頑張ってみる。あ、特別サービスでケルシーには内緒にしておくから」

「分かった。ありがと、クロージャ」

 

去っていったエフイーターを見送りながら、クロージャは浮かない表情だ。

 

──いやー、参ったなぁ。危ういなんてものじゃないよアレは。覚悟決まってる目だった。

 

「……ブラストは厄介事を残してったなあ」

 

カウンターの下に入荷して、そのままにしておいたワンカートンをチラッと眺めた。後で碑石にでも供えに行こうかな。

 

「あーもう、どうするのこれ……」

 

クロージャは変人だが有能だ。

 

得てして、有能な人物のもとには厄介ごとが舞い込むものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

後日。

 

ケルシーに呼び出され、ライブハウス建設計画の分のお叱りを受けた。

 

めちゃくちゃ怒られた。

 

「いや、ちょっとみんなのストレスの解消になればって思っただけなんだよ、ほんとだって!」

 

ギロ、と睨まれる。怖い……。

 

「悪気はないのー! ケルシー信じて! 仲間でしょ!?」

「……その気遣いは別の形で活かせ。それともお前は反省文を書くのが趣味か?」

「そんな訳ないじゃん!」

 

ケルシーはため息を吐いて、自身の医務室の窓を開けた。

 

雄大な大地を見下ろせる。風が心地よく頬を撫でた。

 

デスクの引き出しを開ける。

 

「……え? ケルシー煙草吸ってたっけ?」

「吸いたくもなる。お前のおかげでな」

医務室(ここ)で吸うのは、ちょっとやめた方がいいんじゃない?」

「うるさい」

 

窓枠に肘をついて、煙は風に紛れて消えていく。

 

クロージャはケルシーの後ろ姿を見て、ようやくお怒りモードが終了したことを悟った。

 

「あ、ねえねえケルシー───」

「お前に」

 

ケルシーの一言がクロージャの言葉を遮った。

 

「一つ、知らせておきたいことがある」

「知らせておきたいこと? ケルシーにしては変な言い方じゃない?」

「……正直、私はお前に話すべきか迷っている」

「でも、こうして話してくれているってことは、教えてくれるってことだよね」

「遺憾だがな」

 

懐から取り出した一枚の手紙────。

 

「ブラストのことだ」

「!」

「このことに関しては決して口外するな……ある条件を満たした場合を除いてな」

「条件?」

「お前が他の人間に話すべきだ、と判断すること。それが条件だ」

「え? 何それ」

「黙って聞け」

 

医者らしからぬ喫煙をしながら、ケルシーは一言だけ。

 

「ブラストは生きている」

「……確かなの?」

「間違いない。だが……ヤツはもはや、ロドスのオペレーターではない」

「詳しい説明を……聞いてもいい?」

「ダメだ」

「そっか。なら別にいい」

 

長い付き合いの二人。ケルシーのことをクロージャは信用も信頼もしている。そのケルシーがダメと言うのなら、それは知らなくていいことだ。

 

「で、それをあたしに聞かせてどうしろって?」

「別に何もしなくていい」

「あ、もしかして……迷ってる? ブラストを放って置いてるのは、そういうことでしょ?」

「……まあ、そういうことだ」

 

携帯灰皿に灰を落として、ケルシーはただ遠くを眺める。

 

「繰り返すが、お前は知っているだけだ(何もするな)

「分かってる。余計なことはするつもりないよ。でも……あたしは何もしないけど、それは別に何にも起こらないってことじゃないからね。何かあってもあたしのせいじゃないよ」

「分かっている。遅かれ早かれ……私が止められることではない。もし誰が何を知ろうとも、その責任は本人に帰属する」

 

クロージャはロドスのトップの気苦労を理解して苦笑いした。

 

「でも……ブラストが生きててよかったよ」

「どうだかな。あるいは……それがヤツにとっての最大の不幸なのかもしれんが、な」

 

これからの未来を思って、ロドスの古株たちは揃って似たような顔をした。

 

やることは山積みだ。

 

ロドスとしては、これ以上エクソリアに関わるつもりはない。

 

だが、それでも人の真実に向かおうとする意思を止められる存在など、どこにも居ないのだから。

 

 




・ヒロインの皆さん
ここに書くようなことが何もない
見ての通りです……
工事完了です
ヤンデレよりやべーんじゃないかな? 予め言っておきますが、エールに関わってくるのはだいぶ先になる予定です

・クロージャ
かわいい。いつもお世話になっています……

・ケルシー先生
いっつも苦労してんな……。
Q、手紙って?
A、ああ!

イベントEX難しいっすね
戦友募集中→20412599
どなたでもどうぞ、戦友になってくだちぃ

前回までの話を投稿したことでようやく話を動かせます。やったね
やっと次からヒロインの話を始められる……ここまで長かったです


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2-2 天使の描く永遠
What you lost,what you got -1


こっからアンブリエルの話に入ります。話というか……もうこれわかんねえな
戦争描写とか正直わかんないんで適当に書いてます。許してください








きっと一発の弾丸がこの世界を変える。
僕はその瞬間をずっと待ち描いている。


山脈に囲まれた平野の地、バオリア。ウグラ山脈の切れ間、森林地帯を挟んで睨み合っていた両軍だが、ついに武力衝突が始まった。なし崩し的に始まった戦争を止められるものなどどこにもなかった。

 

その中で、数も質も勝る北部軍に、LAoNEは強い苦戦を強いられる。

 

総司令部は逆境の中で、ギリギリの策を生み出そうと足掻いていた────。

 

 

 

 

 

 

 

What you lost,What you got

 

 

 

 

 

 

レオーネ”大将”グエン・バー・ハンら司令部は一部バオリアへの侵入を許した事実を受け、地図を前に頭を抱えていた。

 

「くッ、援軍は送れんのかッ!」

「無茶だ、いったいどこにそんな兵力がある! やはり今は耐え忍ぶしか方法はないッ」

「だがこのままでは……ッ!」

 

老人、グエンとてほぼ同感だった。

 

ゲリラのリーダーをしていたグエンは、北部軍の強さを肌で理解しているはずだった。しかしこの猛攻は度が違う──本気で取り返しに来ている。勢いをつけつつあるレオーネをここで挫いて、再び統一に王手をかけるために。

 

以前までのような戦術ではない。全力を注いでの兵の投入。それだけ脅威と判断されていると言うことでもある。

 

「狙撃部隊はなにをしているッ! 高台を取ったはずだろうッ!」

「──で、伝令ッ! 伏せていた狙撃部隊が奇襲に遭い、兵力の三割を失ったとの報告です!」

「バカな、位置がバレていたと言うのかッ!? クソ、どうしてだ──ッ!」

「中央に兵力を集中させ、防ぎ切るしかないッ」

「だが攻撃はどうする、攻めねば勝てんぞ!」

「どう攻める! こちらの手は尽く潰されているのだぞッ!」

 

紛糾する会議室に一人の男が入室する。

 

「状況は……あまり良くないみたいですね」

「エール貴様ッ、今までどこに居た!?」

「大事な用があったので」

「大事だと!? この戦いよりも大事なことかッ!」

「ええ、もちろん」

 

白髪の青年、エール。優しげな顔つきだが、地図を見る目つきは鋭い。

 

掴み所のない男だ。この場にいる元南部軍幹部たちにとっては目の上のたん瘤にして生命線。レオーネの特別顧問にして、実質的なリーダー。

 

レオーネの組織構造は少々特殊な形をしており、エールが名目上のトップではない。エクソリア人でもなく、ただの流れ者がリーダーになるというのは収まりがつかない。そのため、市井にも人気のある元ゲリラリーダー、グエンが大将に収まっている。これはエールの意向でもあった。

 

壊滅状態にあった南部軍を立て直し、国を纏め上げてバオリアを奪還したのは、すべてエールの成果だ。ただ、エクソリアの上層部にとっては……毒にも薬にもなりかねない危険人物。特に軍隊上がりの将校にとっては。

 

「打開の当てがあります。一週間時間を稼いでください。出来ますか?」

「一週間だと!?」

 

声を荒げる将校を他所に、老人グエンが初めて口を開いた。

 

「……ゲリラ戦、というわけですか」

「ええ。北部軍本体は森林地帯の奥です。ならばゲリラ戦に打ってつけだ」

「消耗戦だと? 何をバカな」

「ええ、普通ならばもっと単純に決着をつけます。ですが、こちらに決め手がないことも事実。ですから……長引かせてください。あなたたちの得意分野では?」

 

南部軍が健在だった頃の話だ。だが……それとて戦いを長引かせ、じわじわと削り取られていっただけだった。ウルサスの支援を受けた北部軍があまりに強力だったのもその一因だ。

 

「だが当てだと? 何をする気だ」

「そこはもったい付けましょう。今は話すことが出来ない」

「どう言うことだ!」

「どこにスパイが潜んでいるか分からないからです。北部の得意分野は諜報戦、情報戦です。狙撃部隊の伏兵も、事実バレていた。あなたたちを信用していないわけではありません。ですが……」

「くッ……だが……本当に任せられるんだろうな。このバオリアを防衛しきれなかったら、また南部は振り出し──いや、もっと厳しい状況に立たされるのだぞ」

「ええ。僕に任せておいてください。特上の策を持ち帰り……この戦いに勝つつもりです。それにはあなたたちの協力が欠かせない。よろしくお願いします」

 

エールのことが信用しきれていなくとも、選択の余地はなかった。

 

絶望的な状況の中で足掻き、希望が見えるまで戦い続ける。それは、誰だって一緒だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーけーお待たせ。すぐ出発しよう、乗って」

「うえ、マジ? ねえ、マジであたしも行かなきゃダメ?」

「君がこの作戦の鍵だ。まあ正直……もう少し早く喋ってくれていたら、僕らはこんな急がなくてよかったんだけどね」

「いや、それは悪いと思ってるけど……でもあたしの立場も考えてほしいっていうかー……」

「僕も君には悪いとは思ってる。けどこっちも命が懸かってる。お互い様ってことにしておいてくれ」

 

エンジンを掛けてアクセルを踏む。緑の軍用車が荒っぽい運転で走り出した。

 

「エールってばさぁ。マジでやるつもりなのー? やばいってー……」

「他に選択肢はないんだろう? 正直この線だけが頼りなんだ。僕らには人も金も時間もないからね」

「……あのさー、あたしスナイパーなんだけど。取引の内容、忘れないでね」

「当たり前だよ。ここで君に死なれるわけには行かない」

「ならいいけどさー」

 

車の向かう方面は西側。つまり──隣国だ。市街地を抜けるとすぐ舗装されていないゴツゴツした道に変わる。

 

「それで、詳しい場所は分かるんだっけ」

「まー、大雑把にはね」

「そう。なら幸運だね。先を急ごう」

 

先日ラテラーノ部隊と交戦した時から、エールは一貫して一つの目的に向かっている。

 

それは銃の確保。既存のボウガンにとってかわる、強力な武器だ。

 

銃撃部隊を編成する。それがエールの今の目的。詰まるところ、北部軍に現状では勝ちきれないことの裏返しだった。

 

「それにしても……君らも大変だよね。NBI……いや、NHIだっけ?」

「そー。あんたよく知ってんねー……」

「ラテラーノ部隊の服から色々見つけてね。まさかあんな組織があったなんて、世の中は分からないことが多い。つくづく思う」

「てか、あたしは別にNHIじゃないし」

「そうなの?」

「あったりまえでしょー? NHIはラテラーノに関わる国際事件を調査する組織。そんなとこなんて、ダルくてやってらんないっしょ。あたしはラテラーノでぬくぬく過ごしていたかっただけなのにさー……」

 

Nationalibus Hendrerit Investigatione。共通語で表すとNational Bureau Investigation (国家調査局)。国をまたぐ犯罪や事件を専門に取り扱うラテラーノの警察機関だ。

 

ラテラーノ自体が一般に知られにくい国であることを差し引いても、実態が掴めない組織だ。少なくともエールは聞いたことがなかった。

 

「じゃあどうして君はNHIに同行を?」

「知らなーい。まー、あたしのアーツ……生物を感知するアーツはそこそこ便利だかんねー、その辺じゃない?」

「嫌なら断れば良かったのに」

「それができるんなら苦労はしないっしょー。公務員はノーって言えないから公務員なの。税金から給料が出る代わりに、首に鎖を繋がれた国家の犬なんだからさー」

「……なるほど、大変そうだ」

「あんたには負けるっての」

「そうかもね。──それじゃ、大体の道案内は頼むよ」

 

あーい、と間延びする返事をして、アンブリエルは地図を広げた。

 

仕事くらいは真面目にやろう、とは一応思ったのだ。三食とベッドを用意してもらっている身分でもあるし、何より今の自分が生かされている理由を理解していたためだ。

 

「てかさー、もしかしてこの仕事終わったらあたしって帰れる?」

「うん」

「……殺さない?」

「殺さない殺さない。大丈夫大丈夫。取引は成立してるよ」

「ちょ、マジやめてよ。ほんとお願い、死ぬのだけは嫌、マジ勘弁」

「本当だって。ラテラーノに帰りたいんでしょ? 別に君は、レオーネに志願してきたわけじゃない。言わば捕虜だ。ラテラーノと事を構えるつもりもないし……。あのラテラーノの狙撃部隊の死に関しても、ラテラーノに説明してくれると助かるかなぁ」

「そのくらいは……まあやるって。別にあんたが殺したわけじゃないんだし」

「そう。ありがとね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚えている中で最も古い記憶は何だ?

 

バカな質問。それすら覚えているわけないのに。

 

別に過去も未来も重要じゃない。だって生きているのは今だ。楽しまなきゃ。

 

──そう言ってたの、誰だっけ? 忘れた。

 

でもその耳障りのいい言葉を妙に気に入って、何度も思い出しているうちに、いつしかそういう生き方になっていた。

 

真っ当に生まれ育った覚えはない。育ててもらった記憶はない。子供という身分を許されなかったので、勝手に大人になったのだ。

 

最初に触ったのはハンドガン。

 

ラテラーノでは、これら銃器を使った犯罪が後を絶たなかった。きっとこれから先も絶たないだろう。どころかその規模はラテラーノに収まらず、今なお拡大し続けようと──。

 

マシンガンも触ってみたけど、性に合わなかった。

 

ライフルは嫌いじゃなかった。でも……形が気に入らなかった。もっと単純に、もっとシンプルな構造はないのだろうか? 今の現代風にアレンジされた銃はゴテゴテしてて嫌いだ。

 

どうにかこうにか苦労しながら学校を卒業。巡回隊の一員になる。

 

巡回隊が市内で行われた犯罪に直面し、なんやかんやあって活躍。スナイピングの技術を買われて高給料で移籍。

 

とある任務のさながら、ある国で捕らえられ、現在はその人物に協力している。

 

現在までの経歴……だと思う。

 

友達もいた。お洒落が好きだ。

 

この軌跡に名前をつけて、これを人生と呼ぶのなら、きっとその先には地獄が存在している。

 

そうでなきゃ、こんなにクソったれなはずがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……工場?』

『そ。なんかここらへんでさー、ラテラーノ銃を密製造してるっつー工場がある、みたいな噂があってさー。しょーじき、あたしが出せる情報ってこれくらいしかないっつーか』

『密製造……ね。なるほど、ラテラーノ部隊が来る訳だ。ってことはエクソリア国内のどこかってこと?』

『いや、違うっぽい。あんたに捕まる前、あたしらは国内を調査してたんだけどそれらしい痕跡はなし』

『うん? とすると──そもそも、どうして密製造工場があるって分かったんだ?』

『ラテラーノ銃には製造番号が振られてんだけどさー、なんかどっかで存在しない製造番号の銃が見つかったんだって。そんで調査を続けてったら国外で製造されてる可能性が浮上したの。怪しい場所を虱潰しに探してって、多分ここらへんにあるかもしれないっていう』

 

数日前、アンブリエルが話した内容は、エールにとっては十分に魅力的な情報だった。

 

ラテラーノから仕入れる手も探していたが、国外輸出が制限されているため大きな量を確保できない。その上金もない。さらには売ってくれるかどうかも微妙だ。

 

秘密工場というのは、とても都合が良かった。

 

『いくつか教えて欲しいんだけどさ。銃の製造ってのはそう簡単に出来るもんなの?』

『出来る訳ないっしょ。あたしらでさえ解析できてない未知の技術を使ってんだから』

『サンクタでさえ理解できてないのかい? じゃあどうやって銃作ってんだ……』

『理解できなくとも、真似は出来るの。発掘された銃の構造を何とか模倣して作ってんのよ、ラテラーノでは。昔からの伝統的な工芸の一つってこと』

『随分物騒な伝統だ。……それで、つまりはその技術、ないしは技術者が流出したってことになるの?』

『まーそんな感じじゃねー?』

『適当だね……。だとしたら国内から流れ出た痕跡が残ったりしてるもんじゃないの?』

『それがないからローラー作戦でやってんの。いや、今はどうか知らないけどさー』

 

気怠げに話す様子は、嘘を言っている気配は見られない。

 

もっともそれが本当かどうかを確かめる術がない以上、信用するかしないかはエールに委ねられていた。

 

アンブリエルの立場は微妙だ。そもそも暗殺されかけたのだし、報復として殺してしまっても特に違和感はない話だ。現状、唯一ある銃への手掛かりとしてエールが面倒を見ているのであって、レオーネに所属しているわけでもない。

 

ただ、アルゴンをぶらついたり、買い食いしているところを見るとそれなりに楽しんでいる、らしい。

 

『……ラテラーノから銃の輸出ってのはしてないんだよね』

『まーね。今んとこ国内だけ。でも利害の対立っつーの? 兵器としての銃を他国に与えたくない政府と、ブルーオーシャン同然な海外市場に進出したい武器商人との間で摩擦が発生してんの。密輸ってのは少なくないよー。ただ、やりすぎたらあたしらみたいな警察がしょっ引いて国家転覆罪容疑で裁判所行きなんだけどさー』

『……どこに密輸されているか、っていうのは分かる?』

『え、なにあんた。まさか調べようってんじゃないだろうね』

『困るかい?』

『あたしは困んないけどさー……。ラテラーノに戻ったとき、あたしの立場めんどいことになんない?』

『なら取引だ。君を無事に生きて帰す代わりに、情報が欲しい』

『……信用できんの、あんた。用済みになったらあたしのことさっさと消すつもりじゃない?』

 

エールは苦笑いしながら答える。

 

『約束は守る主義さ』

『破るヤツはみんなそう言うの。てかそんな細かい情報まで知らないって。そもそもあたし、その件とは直接関係ないし────』

 

首を横に振りながらアンブリエルは言うが、エールはじっと見つめている。

 

『──って言ったらどうする?』

 

冗談めかした。無言の圧力は苦手だ。シリアスなのもそんな好きじゃない。人生もっと楽しそうに出来ないのかこの男は。

 

『別になにも。その場合は君の持っていた狙撃銃を分解して、設立したばかりの兵器開発部門に回すよ。そうなれば自力で作るしかない』

『……あんた今、なんて言った?』

『狙撃銃を分解する』

『違う、そうじゃなくて──ああ、そういうことねー。そっか、それは見落としてたわ。あたしとしたことが、そんな当たり前の発想をなんで思いつかなかったんだろ』

『何か分かった? 君の考えを聞かせて欲しい』

『技術者は流出してなかった。でも……銃は出回ってないわけじゃない。どっかで銃を手に入れて、それを元に技術を再現した可能性が、たった今生まれたってこと』

『アタリ……かな。アンブリエル、さっきの取引の続きをしよう。特に銃が出回る拠点か何か、知らない?』

『……エクソリアには入ってきてない。あるとしたら……テスカ連邦ね。ちょうどここの隣国に何年か前、大きな取引があったかもしれないって情報がある』

 

テスカ──小さな国々の連邦国。拡大化する周辺諸国に対抗するために合併し、一つの国になった歴史を持つ。エクソリアと同じ発展途上国である。

 

『僕と君の運も捨てたものじゃないみたいだね』

『だといいけどさ────って、あんた、何考えてんの?』

『これはただの雑談で済ますには惜しい内容だ。今すぐにでも──』

 

そこで北部軍がバオリアに侵攻を始めたとの情報が入り、そして今に至る。

 

「テスカに入るまでは暫くかかる。音楽でも聴く?」

「あんのー?」

「まあ、ちょっとね」

 

実はエールたちが乗っている車両は、エールがブラストだった時にロドスから乗ってきた車両だ。そのため音楽プレーヤーとCDがいくつかある。

 

「……退屈しのぎには悪くないっしょ。これにしよーっと。えーっと、何これ……One more light? 聞いたことないんだけど」

「僕の趣味さ」

 

CDが挿入され、静かな音楽が流れ出す。暑いエクソリアで聴くには似合わない、しんみりした曲だった。

 

エールは口ずさみながら運転していく。

 

「Should stayed──were there sign I ignored────」

 

そんなわけで、バオリア防衛のための銃確保に向けて動き出したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時刻、バオリア前線。

 

バオリアの街と広がる農業地帯を見下ろせる高原の森林が戦場となり、叫んで突撃する兵士たちが命を削り合う。

 

『おおおおおおおおおおお──────ッ!』

 

手榴弾の爆発する音がさっきから途切れていない。

 

そして開戦と同時に、訓練兵は急遽正式な兵士として登用され出陣することになった。元南部軍の軍人を骨格に指揮系統が構成され、数を揃える。

 

だが──初陣というのはそう甘いものではない。

 

マイ・チ・ファン──ミーファンは浮き上がりそうな意識の高揚と狂騒の中で直走った。

 

「走れ、奴らの後ろに回り込むんだッ! 急げ!」

 

訓練ではない。

 

高所特有の短い草の大地を踏み締め、剣と盾をぎゅっと掴んで構えて走る。

 

次々と小隊が出撃していく中、ミーファンも同様に初めての実戦──命の奪い合いに身を投じていく。

 

小隊長の命令通り、敵隊の後ろから回り込んで挟撃する作戦。背後からのボウガンの支援を受けて走る、走る。疲れなど感じない。アドレナリンによる脳内麻薬。

 

木々の隙間に仲間たちと並んで突撃する。

 

ミーファンはこれが現実かどうかいまいち確信が持てなかった。まるでスクリーン越しの景色のようで現実味がなかった。だが装備の重さも高揚感も恐怖心も全て自分のもので、紛れもなく現実。

 

会敵────心臓の鼓動が早まる。

 

「ッ、ああああああああああッ!」

 

挟撃は成功していた。事実敵はこちらに背を向けて、ボウガンから身を隠している。

 

まだ気付かれていなかった。だというのにわざわざ叫んでこちらの存在を知らせてしまった──のは、責められることではない。新兵にそれを要求するのは酷だ。

 

「ッ、なに!? 後ろから──ッ!」

 

ミーファンの叫びにつられて仲間の新兵たちも叫んだ。限界ギリギリの緊張が切れ、むしろ爆発するように。

 

『ぉおおおおおおおおお────ッ!』

 

振り上げた剣を振り下ろす。その脳天に向けて、熱に浮かされるまま。

 

相手の顔がはっきりと見える。

 

大体三十代程度だろうか。北部らしい、南部の人間に比べて肌の色が少々薄く、特に鼻の造形が多少深い。

 

北部軍の戦闘服は迷彩柄で、急ごしらえで作った南部軍の新緑色一色よりかはずっとそれらしい色だ。服の上からでも軍人特有の筋肉が透けて見えるような錯覚がした。ミーファンは驚きの目でこっちを見上げる北部兵と目が合う。北部兵も当然武器を持っている、剣だ、鈍い赤色がこびりついていて、よく見れば服にも所々負傷した跡が見える。ボウガンからの盾にしていた原木の色の中で敵のシルエットはとてもよく分かる。すでに剣は振り上げた。敵の反応も早いかもしれない。反撃を警戒、いや一撃で倒さないと、いや倒すんじゃない。殺すんだ。殺さないと、殺さないとこっちが殺される、やらないと、

 

「ああああああああああああああああッ!」

 

金属の音が共鳴する。北部兵は振り下ろしをとっさに剣で防ぐ。だが体勢はよくない。そもそも半ばしゃがんでいた。

 

ミーファンは無我夢中のまま剣を振るった。

 

肉を切る感触を、初めて知る。

 

人を殺す感覚を知る。

 

「はあっ、はあっ、はあっ……ッ」

 

運動量に対してずっと多い呼吸。極度の緊張によるものだ。

 

正気に返って周りを見る。まだこれで終わりじゃない、そもそも一人殺しただけ──ミーファンの冷静な部分がそう判断する。

 

強い足音がして、ミーファンはそちらを振り向く。

 

北部兵が槍をまさにミーファンに向けて突き出さんと──。

 

思わず放心する。そうだ、攻撃されることだって当然あるのに、散々教わったのに──。

 

ぼんやりとした時間感覚で死を想う。

 

だが結末は異なったものだ。

 

槍が大剣に吹き飛ばされ、持ち主の首が宙を舞った。

 

少し遅れて銀色の髪が目に入る。一般兵の服装とは異なる戦闘服。後ろ姿。最近見た姿。

 

「何を呆けてる。死にたいのか!」

 

スカベンジャーが冷徹な瞳でミーファンを見ていた。

 

「す、スカベンジャー。なんでここに」

「後回しだ! クソ、面倒な任務回しやがって……! おいお前、私の任務は別にお前を守ることじゃない! 守ってもらえるなんて甘い考えは捨てて、せいぜい生き残れ! 死にたくなければな!」

「わ、分かってる! ごめんねスカベンジャー、助かったよ」

「生き残ってから言え! 行くぞッ!」

 

自分らしくもないことをした、と後悔しながらスカベンジャーは走る。撹乱──背負ったバッグの中の大量の爆弾を用いて、戦場を撹乱する。

 

長い戦いになる。いや、長い戦いにしなければならない。

 

戦いはまだ始まったばかりだ。

 

 




・バオリア
食糧生産の拠点の一つ。レオーネら南部にとっては重要な拠点となる場所のはず。そのため北部の攻勢は強い……と思います。

・レオーネ
別にエールがそこまでやりたい放題しているわけでもない
一応旧南部軍を母体にしていると思います

・アンブリエル
かわいい……かわいくない?
かわいい(確信)
見た目的には学生でも十分通ると思うんですけど公務員らしいです
これもうわかんねえな

・NHI
ラテラーノの国際警察的な感じです
FBIのwiki見ながら考えました
別にアンブリエルはここに所属しているわけではない

・one more light
楽曲。エールの趣味ですが、私の趣味でもあります
youtubeで検索だ!
おすすめです

・スカベンジャーとミーファン
この二人の話は次の章でやる予定です


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What you lost,what you got -2

私はスズランちゃんを諦めたつもりでしたが、欲求に打ち勝てず源石を溶かしてしまいました。出るまで回したらスズランちゃんは来ました。アケトンおいしかった(理性0)
危機契約が来ますね……。
育成が追いつきません。でもイベントは嬉しい……
張り切って参りましょう……。

フレンド申請してくださった皆さんありがとうございました。フレ枠が一瞬で埋まりました。びっくりした……。


あれは──そう。

 

子供の頃の思い出だっけ。

 

その頃の思い出……なんて、良いものが一つだって見つけられなかった。

 

思い出すのは薄暗い部屋。誰もいない一室。

 

部屋の隅で頭を抱え、一人時間が過ぎるのを待つ。その先に何かを求めて、ただ待ち続ける。

 

ただただ、ひたすらに待つ。

 

カップ麺とスナックで育つ。薄汚い部屋で寝る。

 

誰もない場所。その時、あの場所に限っては世界中の人々の気配が存在しなかった。

 

孤独、空腹、虚無感と痛み。

 

転機は学校に通い始め、初めて銃に触れた時。

 

今までの虚しさと痛みを取り返すように、ひたすらに射撃訓練を続けた。他のことなどどうでもよかった。家族はいなくなっていたし、友達だって薄っぺらいものだ。どうだって良い。

 

その頃にはもう、他人に期待することはなくなっていた。もっとも、いつだって本当は"助けて"と叫びたかったのだが。

 

それにすら気がつかないまま、食い扶持を稼ぐために就職。射撃スキルが評価されて公務員へ。それなりにいい職だ。真っ当に育ってきた連中が進学やら就職やらに四苦八苦しているのを横目に、自分だけが優秀なまま卒業できるのはとても気分がよかった。

 

彼らが羨ましかったのだ。家に帰れば家族がいる、その当たり前を知らない。食事の暖かさを知らない。テレビ越しに見る空虚な映像の向こうに、それが存在していると心から信じていた。

 

だが手に入るはずもないもの。決して手が届かないもの。

 

さっさと諦めて、現実を享受し始めてからは、そう悪いものではなかった。

 

金は実は、結構あった。公務員は給料が良い。特に優秀だと評価されて、任務でもそつなくこなしていけば、多少いい一室を借りて、良い食事を食べて、良いベッドで寝られる。気怠げな朝を、多少はマシに起きられる。

 

ただ、自分以外誰もいない部屋だけは、子供の頃から決して変わってくれなかった。

 

何かを成し遂げたかったのか、この現状に対して復讐したかったのか。

 

だがどの理由も、この意思を動かすに足る動機を与えてはくれなかった。

 

何かを求めていたのか、認めてもらいたかったのか。

 

だかどの感情も、この心を満たすに足る潤いを与えてはくれなかった。

 

並べ立てた建前、美辞麗句。

 

人は一人では生きていけない。隣人を愛し、守り、愛する人のために、大切な人のために生きるべきだ。

 

流れた血は大地に帰り、やがて雨へ代わり、また生命へと巡る。神を敬い、恐れ、信じ、また愛する。なのであなたには栄光が与えられるだろう。

 

下らない、笑えもしない。

 

人が生きるのは欲望のためだ。神のために生きてる人間などどこにいる?

 

支配したい、認められたい、与えられたい。

 

金は人の欲望の結晶化だ。食欲を満たし、住処を与え、性欲を満足させる対価。それで世の中回ってるんだから不思議なものだ。

 

だが同時に、とても便利ではある。だって欲しいものは大抵手に入る。

 

不思議なもので、そうやって斜に構えていれば見えてくるものがある。人の醜さと汚さだ。

 

優しさというオブラートを一枚剥がしてその下を覗けば、汚臭さえする。

 

そしてそれが自分の中にあることも、簡単に理解できる。

 

なんのために生きているのか。生きて何をするのか。

 

それが見当たらなかったから、じゃあとっとと自殺でもしてしまえばいいじゃんと思ったこともあったが……死ぬ理由すら見つからなかったので、惰性で生きることにした。

 

満腹のままベッドに横たわり、微睡に身を任せてグースカ寝ると、これが結構悪くない。

 

だが……ずっと一人のままだ。

 

一人のまま。

 

隣に誰かいて欲しいのか? 愛せるかもしれない誰かが欲しいのか?

 

そんな訳がない。人って、そう簡単に信じられる存在じゃない。気色悪くさえある。無責任な大衆と誰かの笑顔。その下に、一体どれだけの血が流れているのか知らずに。

 

あたしが一体どれだけあんたらのために人を殺したのかも知らないで笑ってる。

 

ただちょっと生命の危機を感じた時……初めて気づいた。まだ死にたくない、と。

 

それがどうしてか分からなかった。

 

あたしはとある奇妙な男と出会った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

テスカ連邦国。国土面積としてはエクソリアの半分程度、割と小さな国だ。

 

六つの民族からなる複雑な国で、連邦制を採用している。大きな軍事力を持たないが、その反面貿易が盛んであり、六つの独立した民族の文化が入り混じり合った複合的な文化体系を持つ。

 

首都マルガは発展途上ながら栄え、大規模な都市を持つ。だがその闇の部分として経済格差が広がり、流入し始める難民のせいもあって地元民族との摩擦が生じている。

 

アンブリエルはともかく、エールは真っ当に入国できる立場ではなかった。パスポートの期限は切れているし、ロドスもそこまで社会的な信用を得ているわけではない。知名度すら怪しい部分があった。

 

だがここで、アンブリエルの立場が効いてくる。警察手帳の効果は大きい。

 

「──お、アレうまそーじゃん! エール、奢ってちょ」

「……仕方ない。だけどアンブリエル、僕らは観光しにきた訳じゃないよ」

「お? あんたそんなこと言える立場な訳〜?」

「……両替してくる。ちょっと待ってて」

 

そんな訳でエールはアンブリエルの機嫌を取る必要に駆られた訳である。

 

「両替を。ここの通貨は龍門弊でしたか?」

「あんた観光か? ある程度は使えるが、露天じゃまだリンが有効だ。レートは1:210。観光客ならパスポート出してくれ」

「ちょっと事情があって。パスポートは出せないんです」

「無くしちまったとかか? スリには気を付けろよ、特に裏路地なんかはやめときな。それに表通り歩いてたって、そう油断できるもんじゃねえぞ」

「ええ、ありがとうございます」

 

カウンター越しに握らせた龍門弊のおかげで、話をわかってもらえた。

 

テスカの通貨、リン紙幣を財布にしまってアンブリエルの方へ戻る──いない。

 

「……どこ行った?」

 

サンクタは珍しいし、ちょっと目を離した隙に妙なことに巻き込まれた可能性は否定できない。

 

視界の端に、建物の隙間に消えていくピンク髪を発見。走る。

 

追いかけてエールが見たものは、アンブリエルとそれに絡む男数人だ。

 

「──ちょっと、話違うじゃん。どこにも名物屋台なんてなくねー?」

「まあまあ、ちょっと付き合ってよ。マジでいいとこがあるんだって。俺ら地元民しか知らない穴場教えてあげるからさ」

 

……めんどくさ。やっぱ男なんて信用できるもんじゃないねー。

 

アンブリエルの本心だ。

 

後ろから影。エールだ。

 

「ごめん、そいつ僕の連れなんだ。悪いとは思うんだけど、僕らやることがあってさ」

「……兄ちゃんさあ、ちょっと大目に見てくれよ。こっちの娘は自分でついて来たんだ」

「いや、あんたら結構強引だったっしょ。エール、こいつらどうにかしてくんない?」

 

面倒そうな顔を浮かべながら、派手な服の男たちはエールに近づいていった。エールも面倒そうな顔をしてる。

 

「知らねえだろうけどな。俺らのバックには結構大物ついてんだよ。悪いことは言わねえ、ちょっと一日くらいそっちの子俺らに貸してくれよ。旨い店に連れてってやるだけなんだって」

「本心には聞こえないね。それに大物だって? ギャングってこと?」

「……あんま舐めてんじゃねえぞ。ニヤニヤ笑いやがって、観光客だからっていつまでも優しくされると思ってんじゃねえ」

 

──え? ニヤついてるように見えるの? マジで?

 

自分では微笑みを浮かべているつもりだったのだが、エールはだいぶショックを受けた。

 

それなりに大柄な男3人。お世辞にもガラが良さそうには見えない。

 

「痛い目見たくなけりゃ、とっとと失せろ。それともこいつを味わいたいか?」

 

男の一人がポケットから取り出したのはハンドガン。

 

エールはそれを見て驚く。

 

「……それは、なんだい?」

「銃っつーらしいんだがな。こいつは便利だぜ? ボウガンと違ってポケットにだって入る上に、弾も結構入る。その上威力もある。知らねえだろうなぁ、俺らだってちょっと前まではこんなもん見たこともなかった。兄ちゃんさあ、こいつの威力を知りたいだろ?」

 

大当たりも大当たり、こんな早く見つけられるとは思ってなかった。

 

「──ああ、知りたい。実はずっと探してたんだ。いや、面倒なことになったと最初は思ったけど……僕の運も捨てたものじゃないみたいだね」

「なんだこいつ、可笑しなことを言いやがって。舐めてんじゃねえぞッ!」

 

相手が動こうとするよりも先に動く。エールが体得している格闘戦術の基本。

 

一歩だけ踏み込む。アーツの補助など要らない。ハンドガンの対処は正直分からないが、相手がナイフを持っていると想定すれば分かりやすい。

 

片手で手首を掴み、もう片方の肘で顎を殴りあげる。呻く暇もないままハンドガンを持つ腕の関節に肘を落とした。

 

「うッ、ぐッ……い、痛え、こいつ……ッ! ぶっ殺せ──」

「悪いね」

 

蹴り飛ばす──残り二人、慌ててハンドガンを構える二人。

 

片方ずつ、素早く確実に。

 

「てめえ!」

 

発砲音。だがしっかりとした訓練を積んでいない者の射撃。エールはそこまで銃に関する知識はなかったが、だからと言って当たる気もしなかった。

 

狭い路地、姿勢を低くして男へ。

 

ハンドガンを構える両手を蹴り上げて、銃を上に蹴飛ばす。手首を掴み引っ張る。側頭部に肘打ち、続けてもう一発。崩れる男を捨てて、最後の一人へ。

 

発砲するが──エールの顔の横へ逸れて、建物に穴を開けただけだ。

 

特有の匂いがする。銃口から煙が上がっている。

 

「さて、君で最後だけど……まだやる?」

「舐めてんじゃねえぞ、こんなことしてただで済む訳ねえ……ッ!」

「そう」

 

最後の一人が照準を合わせようとする前に──。

 

「くらえっ」

 

男の後ろに居たアンブリエルが路地に転がっていた鉄パイプで男の頭をぶん殴った。そのまま気絶。

 

「……エグいことするね、君。そいつ、頭から血を流してるよ」

「やばっ、やっちゃった……?」

「……まあ。大丈夫でしょ──たぶん」

「たぶんかー……。面倒なことになんなきゃいいけどさー」

 

 

怠そうにアンブリエルはボヤいた。

 

「……あのね、結果的にはオーライだけどさ。知らない人にホイホイついて行ったらダメだって教わらなかった?」

「そんな覚えはないっしょー。結果オーライだし、それにあんたも助けて、くれた……」

 

言葉が途切れたアンブリエルに、エールは不審に思い言葉をかける。

 

「どうかした?」

「……いや、やっぱなんでもないわ」

「そう? まあなんにせよ、手がかりが手に入った」

 

最初に蹴り飛ばした男を壁に起こして、乱暴に揺さぶる。

 

「おい」

「……うぅ、てめえ、何モンだ……」

「君さ、さっき面白いこと言ってたよね。大物、それに銃って。詳しく聞かせて欲しいな」

「知って、どうする気だ……」

「それこそ君の知る話じゃないね。それとも君が()()、味わってみる?」

 

腹に押し当てたハンドガン。正直エールは扱い方も知らないが、脅しとしては十分だ。たぶんこのトリガー引けば弾が出るんだろ、的なノリ。

 

「てめえ、イカれてやがる……」

「知ってる。まあ話しなよ、別に殺すつもりなんてないんだしさ」

「くそっ……。ちょっと前から、俺らのシマで妙なもんが流行り出した……。一般人がいきなり俺らに向けて、そいつをぶっ放したこともあった……」

「君ら、つまりギャングだよね。一般人に嫌われてるんじゃない?」

「俺らは舐められたら終わりだ……心当たりなんていくらでもある。俺らはその出所を抑えて、独占したんだ……」

「へえ。出所って?」

「そこまでは知らねえ……。上の人たちしか知らねえんだ、本当だ……」

「大物って、つまりはその上の人たちってこと?」

「そ、そうだ……。金も力もあるッ、やばい人たちだッ。てめえらのことはちゃんと報告しておく、タダじゃおかねえぞ……」

「そう? そんなことされちゃ困るし、やっぱり殺しておこうかな?」

「クソが、このイカれ野郎が……ッ」

 

沈黙を保つアンブリエルの存在を思い出して、エールは一応補足した。取引のこともある。信用は大事だと思い直して茶化した。

 

「なんてね、冗談だよ。冗談。うそうそ、そっちの方が面倒だし」

 

その発言はまるで、面倒じゃなかったら殺していたとも捉えられる。真意は分からない。それにしたってまるで信憑性も説得力もない発言ではあったが。

 

「君らの組織って、なんて名前?」

「……スーロンだ。覚えとけ、すぐ報復してやる……。殺さなかったことを、後悔させてやるからな……ッ!」

「はいはい、楽しみしてるよ。こんなとこかな──アンブリエル、行こう」

 

どこか茫然としているアンブリエル。

 

「……どうしたの?」

「え? あ、うん──なんでもない」

「そう。じゃあ行こうか、スーロンだってさ、忘れないでね」

「調査すんの?」

「うん。大きそうな組織だし、すぐ見つかるといいんだけどね」

「……あ、その前に露店回んない? あたしお腹減ったんだよねー」

「そうだね、両替もしたことだし──」

 

すぐに調子を取り戻すアンブリエルに、エールはさほど気にした様子もなくその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

露店を冷やかしながら回る。

 

「──おっ、うま! やっぱ肉っしょ肉〜! 人生は肉だわ、やっぱ」

 

串刺しにした肉を頬張るピンク髪を横目に、エールは街の様子を観察する。

 

バザーは日常的に行われているみたいだ。ガスボンベも年季が入ってる。確かこれが名物だったか、地元民もこういう露店で食事を取ることが多い……んだったかな。

 

賑わいの中、アンブリエルの天使の輪っかは多少目立つが、それを気にした様子もない。

 

軽い熱気、エクソリアと同じような温暖な気候と露店の熱、それに賑わう人々の騒がしさ。

 

エールもホットサンドを口にしながら歩く。

 

「なるほど、確かに観光にはもってこいだね。いい場所だ」

「それなー。アルゴンも嫌いじゃないけどさ、あたしこっちの方が好きだわー」

「仕方ないさ。アルゴンは正直それどころじゃない」

「そーね。てかさ、ぶっちゃけいつまで続けんの、戦争」

「戦争が終わるまでさ」

「答えになってないけど?」

「分からないんだ。そもそも統一戦争自体は百年間も続いていた。過激化したのはつい最近、ウルサスが介入し始めてからさ。それが終わるのがいつか、なんて正直見通しが立たない」

「そーなの?」

「ああ。ウルサスの介入がなければ、もうとっくに和平が成立してたってよかったはずだ。長い戦争に疲れ切っていたし、いい加減終わるきっかけを北も南も欲しがってた」

 

今こうしている間にも、まだバオリア前線では戦いが続いている。

 

遊んでいる場合ではない。だが急ぎすぎることも、余計な失敗を招く可能性を生む。

 

「スーロンに関して調べよう」

「はいはい、分かってますー。お、てか待って」

 

足を止めたのは露店エリアを抜けてすぐあった中古機材店──つまりリサイクルショップだ。エールにはただのガラクタ売りにしか見えなかったが。

 

「ごめん、ちょっと中入ってみてもいい?」

「うん? まあいいけど」

 

店頭に貼り出された機材の山。機材と言っても、エールには何がなんだか見分けがつかない。

 

「お、これオーウェルのNB系じゃん。いい趣味してんね」

「……それは?」

「んー? あー、あんたにわかりやすく言ったら……中級装置とか? ほら、大雑把に言ったらコンピューターみたいなモン?」

「参ったね、ただの黒い箱にしか見えないけど……」

「特にこの系列は無線通信の母機でさ、結構キャパがあるし、遠くまで声拾えるから高評価なのよー。こういうのって結構ニッチだし、売ってるとこなんて少ないのよねー」

「詳しいね」

「まーね」

 

そのまま棚を物色していくのを、エールは興味深くみていたのだが、いかんせんこの辺りは専門外だ。アーツ系の機材なら多少は覚えがあったが、クロージャでも連れてこない限り理解できないだろう。

 

「うん、こんなとこか。おっけ、満足したわー。で、どこ行くん?」

「何も買わないの?」

「買ってどうすんのよこんなモン」

「……まあ、気が晴れたのならよかったよ。とりあえずは聞き込みから始めよう」

「ま、そんなとこかなー……。めんどくさー」

「君に何かいいアイデアでもあれば聞くけど」

「そんなもんある訳ないっしょ。やっぱ足で集める情報に勝るもんはないって」

「珍しく殊勝だね。やる気出てきた?」

「ダルいからやっといてー」

「ダメ。君だって──いや、よく考えてみたら君はこれ以上協力する理由はないか」

「……あれ、そうじゃん。ぶっちゃけあたしこれ以上働かなくてよくねー?」

 

その通りだった。

 

エールがアンブリエルとの関係を整理してみると一つの事実が浮き彫りになる。

 

──NHI、つまりラテラーノ当局は国外で製造されているであろう銃の製造に関しての調査を行っている。また可能なら、その技術を回収しようともしている。

 

銃は強力な兵器であり、他国に与えたくないのがラテラーノ政府の意向であるためだ。アンブリエルの目的がラテラーノに帰ることである以上、エールへの積極的な協力は望めない。

 

「まー、さっき助けてもらったしさ。多少は働くって。それにあたしはラテラーノの意思とか利益とかどうでもいいしねー」

「そう? 後々君がラテラーノに戻ってから不利に働くかもしれないよ?」

「そんなんマジどうでもいいっしょー。少なくともラテラーノに帰るまで、あんたと一緒にいた方が安全そうだしねー」

「そう。なら好きにするといい」

 

そんな訳で聞き込み調査が始まった。やっぱりさっきのチンピラからもう少し情報引き出しとけばよかったかな、と思いながら、エールは道ゆく人に片っ端から聞き込みを始めていく。

 

「──やめとけ。あんた観光客だろう、連中は見境なしさ」

「詳しく聞かせていただけませんか?」

「全く……。お前さんの安全の為に話すんだがな、スーロンってのはごく最近現れたギャングではあるんだが、妙な武器を使うらしい。それでここ、首都マルガを仕切ってた裏の連中を全部潰しちまったなんて噂も聞く」

「……ごく最近現れた?」

「ああ。俺も詳しくは知らんが……連中はここの地元生まれじゃないらしい。よそ者っつー情報が流れてる」

「つまり、よそ者が妙な武器を持ってこの国に入って来たってこと……ですか?」

「そこまでは分からん。だが……あいつらは加減ってものを知らん。あんなんじゃすぐ、ここの警察が動いて壊滅するに決まってる。コカインはばらまくわ、女さらって売春させるわでひでえもんさ。こんなんなら、程度を知ってた前の連中の方がずっとマシってもんだ。俺の知り合いもな、店にいちゃもんつけて代金は払わねえし、しまいにゃ武器持ち出して脅す始末だ。警官が何人も殺されたってニュースもある。ゴミみてえな連中だぜ、まったく」

「なるほど? ちなみに、どこが拠点か、とかはわかります?」

「……お前さんなあ、一体どこの誰かも知らんが、余計な正義感は身を滅ぼすだけだぜ? すぐ警察が動く。あんたの正義感は嬉しいが、やめときなって」

 

大体こんな感じだ。派手に暴れているらしく、一般の知名度が高い。

 

まあ流石に拠点などは分からないか。予想通りの成果だった。

 

「いえ、別に正義感とかではないんですが……。いろいろ教えていただいてありがとうございます。それでは」

「気を付けろよ!」

「ええ。ご忠告、痛み入ります」

 

屋台のテーブルに座って地元デザートを味わっていたアンブリエルのもとへ戻る。

 

「終わったん?」

「まあね。てか何それ」

「豆パフェだけど?」

「美味しいの、それ……」

「結構イケるわこれ。なんかねー、豆が甘くてさー。いやマジ甘すぎっしょー。あんたも食べる?」

「魅力的だけど、僕はいいかな。デザートは落ち着いて食べたいんだ」

「じゅーぶん落ち着いてるじゃん。で、何か分かったー?」

「それなりにはね。ただ拠点はさっぱりだ。スーロンに接触したいんだけど……」

「やっぱさっきのチンピラ引っ張ってった方が良かったんじゃね?」

「……ちょっと気まずくない? 言っちゃなんだけど、ボコしちゃった相手と歩くのって……」

「それはちょっとわかんないわ──」

 

──と、話していると予期しない音が二人の耳に飛び込んできた。

 

パーン、という特徴的な、弾けるような音。

 

「──銃声。エール、今の聞いた?」

「聞こえない訳ないって。そうか、こういう音がするんだな……。どっちからだ?」

「向こうの方じゃね? えーっと、ほら。ちょうどあの建物の向こう」

「なるほど。首を突っ込もう、何か分かるかもしれない」

「はいはい、いってら〜」

「何言ってるの? 君も来るんだよ」

「いや〜、ちょっと豆パフェ残したまま行くのは違うっていうか──」

「……後にしてくれ。行くよ」

「あ、ちょっと引っ張んなっ、あ、あたしの糖分が〜!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潜在的にはずっと存在していた治安当局と新興ギャング”スーロン”の対立だが、ここへ来て明確な転換点を迎えようとしていた。

 

暴力組織と治安当局は存在からして相容れない。ぶつかり合うのは時間の問題だった。特にスーロンは裏の世界に一定して存在したルールを無視して荒稼ぎしていたので、警察の動きもそれなりに早かった。

 

事の始まり。

 

警察当局はスーロンに対する警告を重ねた上で、市街地の一角に構えるスーロンのアジトに対して強制的な突入を開始。お互いに武装した上での衝突が始まることになる。エールたちが聞いたのはその始まりの一発が発射される音だった。

 

「──大人しくしろクズども! この国でこれ以上好き勝手出来ると思うな!」

「黙れ犬ども! てめえらがやってることは正義でもなんでもねえ、ただの一方的な排斥だ!」

 

封鎖された街の一角では怒号と叫び声が飛び交っている。

 

銃は強力な武装だが、分厚い鉄の盾を貫けるほどの貫通力は持っていない。少なくとも、男たちが支給されていたクロッグレプリカは小型拳銃。強力ではあっても頑丈ではない。警察も対策をしていた。

 

「てめえら国家が一体俺たちに何を与えてくれたってんだッ! ああ!?」

「貴様らにそれを叫ぶ資格はない! どのような形であろうと、この国の人々を傷つけ、殺していい理由にはならん!」

 

結果的に、銃という遠距離の武器を持ち合わせていながら近距離戦闘が展開されることになる。鉄製の盾を剥ぎ取り、何発も打ち込もうとするスーロン構成員。だが訓練を積んだ警察は強い。

 

重量のある盾で殴り飛ばし、あるいは武器を用いて無力化していく。

 

黙ってやられるスーロンではない。恨み、痛み、──復讐心。

 

そして、最初の死者が生まれる。

 

「死にやがれクソ共!」

地面に倒れた一人の警官の脳天を一発の弾丸が貫く。

 

地面が汚れた。

 

犠牲者が発生してからは、双方ともに引っ込みが付かなくなる。止まらない殺し合いへと変わって行く。

 

「死ね、死ねッ!」

「ぐっ……殺せ! やむを得ん、連中の殺害許可を出す! 構わん、やれッ!」

 

──それを、四階建てのビルの上から見下ろす者たちがいた。

 

「ひえー。派手にやってんねー」

「……なるほどね。さて、どうしたものかな」

 

エールとアンブリエルだ。アンブリエルを肩に担いで、身体能力に任せて屋上へ飛んで来た訳である。アンブリエルは強烈なGでまた死にそうになった。

 

「介入するか……いや、しかしどっちにつくべきか。うーん、警察まで絡んでくると厄介だな。きっと警察の目的も銃にあるんだろうし」

「……まー、そりゃそうっしょ。銃に対抗するにはボウガンじゃ少し足りないし、やっぱ警察も銃が欲しいのは確かじゃん。どーすんの、ここで黙って見下ろしてんのもいいけどさ。面倒なことになんない?」

「もうなってるさ。問題なのはこれからだ」

 

殺し合いは続いて行く。

 

段々と増えて行く死体の数を見て、ついにスーロン側が撤退を始める。

 

「クソッ、これ以上やりあうのはやべえ──車出せ、とっとと逃げるぞ!」

「なっ、待て──」

「いや追うな! 負傷者の救護が優先だ! 連中の追跡は別働隊に任せて、我々は撤退する!」

 

スーロン構成員が走って逃げて行く先の公道に何台もの車が停められている。急発進して走り去る車を確認して、エールはそれに向かって何かを投げた。

 

「何してんの?」

「発信器。持って来ていて正解だった」

「いや、届かなくない? ここ4階だし」

「そうでもない。風が運んでくれるさ」

 

いつだかの任務の経験を生かしていて本当によかった。使い道が思いつかなくても、とりあえず持っておくものだ──と、しみじみと思う。

 

この国には似つかわしくない最新式の広域受信式デバイスを取り出し、方向を確認する。

 

「あんた、よくそんなもん持ってんね。エクソリアじゃ売ってないでしょ、そんな高度なモン」

「……まあ、ね」

 

実を言うとロドスから持ってきていたものの一つだった。使えるものはなんでも使うのが主義だが、エール的には少し複雑だった。

 

「さて、ここからは別行動だ。僕はこれからスーロンを追う。君はとりあえず、今夜の宿を確保しておいてくれるか? 車もそこに移動させておいてくれ。荷物も頼む」

「はいはい、りょーかい。じゃ、いってらー」

「それじゃ。あ、くれぐれも危険なことはしないように。チンピラについて行くのは、もうやめてくれよ」

「あれは別について行った訳じゃ──」

 

言い切る前にエールは屋根から屋根へ飛び移って、すぐに見えなくなるような遠くへ消えて行く。本当に同じ人間か?

 

一陣の風がその場には残されていた。

 

残されたアンブリエルはやっとホテルなんかで一息つけると安堵した直後、あることに気がつく。

 

「……ここ、地上四階の屋上じゃん。てか……どうやって降りんの。階段なくね。え、待って。え、やば。……やばい」

 

屋上というより、屋根の上。テスカらしい石作りの屋根は平坦で、足を滑らせたらそのまま死にそうだ。

 

エールはかなり無茶苦茶な方法でここへ登ってきた。

 

地上に戻る方法は──ない。

 

「え、えええええええ…………。なんでよぉ…………」

 

アンブリエルの苦難はまだまだ始まったばかりだ。

 

「ど、どうすりゃいいの……?」

 

頑張ってください。

 

 




・アンブリエル
かわいい……かわいくない?
かわいい(最終的な結論)
過去は全て捏造しました

・銃
この話の中心です。やっぱ戦争っつったら銃だろみたいな軽いノリで登場させたはいいけど想像以上に重くなりそうです。冗談にならないからね、仕方ないね。

・スーロン
ギャング組織
これからも登場する予定です

・チンピラ
ボコボコにされた。かわいそう……
今回の被害者

あと章タイトル変えました。一応物語全体の見通しが立ったので、多少はちゃんとしようと思った次第でござる


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What you lost,what you got -3

今回短め。
危機契約が楽しいですね


「フォン、サツが動いた! 何人もやられちまったッ、どうする!?」

 

片付けのされていない、とある事務室の一室に飛び込んできた仲間に目をやる。服に付いた血を確認した。

 

「落ち着け。決めた通りにやるだけだ」

「けど、連中の対策が想像以上に硬かった! どうすんだ、本当にやれんのかよ!」

 

構成員の平均年齢は20代前半──つまり、若者たちが集って出来た組織。ギャングとしての経験も浅く、取り乱しがちだ。

 

フォンとてそれは同じ。だが──強い決意と精神力がある。だからスーロンのボスをやっているのだ。

 

「どの道オレたちに残された道はこれだけだ。どこの国でもオレたちは迫害されて、奪われるだけ──なら、戦うしか道はない。自分たちで勝ち取るんだ、自分たちの居場所を」

「っ、あ、ああ。そう……だったな。分かってる」

 

まるで狼のような目つきをした男だ。

 

短く剃り込んだ髪と、顔面に残された傷跡がより凶暴なイメージを駆り立てるが──実際は、とても理論的で、理性的な人間だ。

 

「……工場の方の警備は強化してあるな?」

「今朝新しく20人回した。どいつも信用できる連中だ、情報は漏れねえよ」

「そうか、ならいい」

 

工場の場所は隠し通さねばならない。少なくとももう少し銃を多く生産し、十分な弾薬まで確保できるまで──。

 

だがそれを警察が突き止めるのも、時間の問題ではあった。フォンとてそれは分かっている。

 

その前に、もっと力が必要だった。武力が、対抗するための暴力が必要だった。

 

「──計画を進めよう。難民達への接触はどうだった」

「大方フォンの予想通りだ。難民居住区だが、かなり様変わりしてやがった。ひでえもんだったぜ、まさか死体が転がってるとは思わなかった」

「死体だと? そこまで飢餓は深刻なのか?」

「格差ってのはひでえな。壁挟んでこっち側は食べもんに溢れてるってのに……。俺たちも一歩間違えれば()()なってたって思うとゾッとしやがる」

「……なら、計画を前倒しにしても良さそうだな。銃の配給を始めたい」

「なっ、もうやるってのか?」

「仕方ない。どの道このままではオレたちも警察に擦り潰されて終わるだろう。混乱が必要だ」

 

それこそ、どれだけの人間が犠牲になろうが知ったことではない。

 

だって仕方ないだろう? そうでもしなければ生きていけないのだ。

 

「もうオレたちは後には退けない。セイ、理解しているな」

「わ、分かってる! もう逃げ回るのはうんざりだ……。なあ、警察の連中とかは知らねえんだろうな、木の皮の味も、地面に捨てられて、泥の混ざった残飯を食う気持ちもさ」

「セイ、オレたちがやるべきは復讐じゃない。間違えるな、これは生きるための戦いだ。殺すためじゃない」

「だがフォン! この国の連中は全員クソったれだ! 事実政府は、難民たちの飢餓にだって何もしてねえじゃねえかよ! 難民居住区をコンクリの壁で覆って見てねえフリをしてるだけじゃねえか、散々労働を搾取しておいて! そのくせ街を歩けば食いもんなんて幾らでもあんのによッ!」

「ものには限りがある。特に今年は周辺諸国でさえ作物が不作に終わっている。見かけ上はどうあれ、自国民を食わすので精一杯だ」

「そんな訳ねえだろうがよ、国民の食う飯の一割でも分けてやれば解決する話だ、それがそんなに難しいことなのかよ!?」

 

熱くなるセイだが、フォンの目は冷静を保っている。

 

「彼らに期待するな。お前は今まで何を見てきて、何を与えられたと思っている。他人の心配をしている場合ではない」

「けどよ──」

 

まだ言い足りないセイだが、それを遮る声がどこかから聞こえた。

 

「──面白そうな話をしてるね。僕も混ぜてよ」

 

──セイは反射的に銃を抜いて叫んだ。

 

「誰だッ! どこにいやがる!」

 

だが室内には高く積まれたいくつもの段ボールがあるだけだ。

 

窓の外もいない。ドアの向こうも違う。

 

「ここだよ、ここ」

 

スーロンの二人が咄嗟にそちらを見る。

 

──いつの間にか、一人の男が窓際の机に座っていた。

 

何より目を引くのは真っ白く、肩まで伸びた髪。緑色の軍服らしいミリタリー調のシャツ。口元に浮かべた微笑み。

 

それだけ見れば、ただの優しそうな軍人にしか見えない。だが──その目だ。

 

その目だけは全く違う。

 

「こんにちは。僕はエールという」

「てッ……てめえ、何もんだ! どうやってここに入ってきやがったッ!?」

「やだなあ、ドアが開きっぱなしじゃないか。次からはちゃんと閉めるといい。いくら君たちの拠点だろうと、警戒はしないと」

 

得体の知れない男。いきなり現れたかのように──いや、実際にいきなり現れたのだ。ドアからだと? ありえない。それをするためには、フォンの目の前を横切らなければならない。自分がそれを見逃したとでも言うのか? フォンは自問した──。

 

そして何より……オーラとも表現するべき圧が空間を支配していた。あるいは……それはほんの少しだけ室内に流れていた風を錯覚したのかも知れない。同じことだ、どちらでも。

 

「お前は、誰だ」

 

フォンは焦燥に駆られていた。

 

この場所がバレていたということ。あるいは、この男がその気ならば自分たちはとっくに殺されているということ。この男の目的。

 

「だからエールさ。僕の今の名前。ここへ来た目的なんだけど……とりあえずそっちの君。そいつを下ろしてもらえないかな」

「断るッ! てめえみてえな得体の知れねえヤツに、どうしてこいつを向けちゃいけねえんだ!?」

「おっと、それもそうだ。確かに一理ある。ただそれじゃ僕が落ち着かない──」

 

行動の主導権を握られたフォン、そして撃たない理由がないセイ。

 

怪しい行動をしたら撃つ。セイは本気だった。少なくとも、それでこの恐怖は過ぎ去ってくれると判断できる程度に、エールは恐ろしかった。

 

だが──。

 

「かっ──ぅっ!?」

 

セイの呼吸が止まる。喉元を締め付けられるような感覚、息が出来ない──。

 

一瞬の隙をついてエールはセイの腕を掴み、関節を極めながら床に叩きつける。アーツが解除されてセイが咽せ込んだ。

 

「げほっ、げほっ──て、てめえ……!」

「最初にこう言っておくべきだったかな。月並みなセリフで申し訳ないんだけど……君たちの命は僕が握ってる。でも別に殺し合いたい訳じゃない。君たちの情報と、交渉がしたいんだ」

「信じられるかよッ……てめ、離しやがれッ」

 

全く動けなかったセイだが、エールがあっさりと関節技を解除したのですぐに立ち上がる。だが銃は奪われていた。

 

これ()。君たちが作ったのかい?」

「厳密には違うが、概ねその認識で構わない」

「な、おいフォン!? まともに取り合うんじゃねえよ!」

「オレたちが勝てる相手じゃない。セイ、黙っていろ」

「話がしやすくて助かるよ。それで、君がスーロンのトップなのかな」

「そうだ。フォンと名乗っている」

「へえ──。若いね、僕と同じくらいかな」

「……おそらく、そうだろう」

 

黒い髪のフェリーン。この街に溶け込むような、極めて一般的な服装に──頬に浮き出た源石。

 

感染者だ。一目で分かる。

 

「ずいぶん若いね。ギャングのボスだったら、もっと歳とってるイメージがあったけど」

「間違ってはない。そういう連中も居たが──全員オレたちが殺したので、もう居ないな」

()()()で?」

「そうだ。もっとも、簡単ではなかったが」

「なるほどね。ところで、さっきの話についてなんだけど──難民って何のことか教えてくれないかな」

「……お前、この国の人間じゃないのか?」

「無学なものでね」

 

隣国に関しての情報もエールは集めていたが、正直軍隊の強化などでそれどころではなかったため情報をエールは把握していなかった。

 

「……誰でも知ってることだ。この国の人間全てが知っていることなんだがな」

 

飛び出した言葉は、エールの予想を超えていた。

 

「──この国の隣国、エクソリアからの難民だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあー。応答せよ応答せよー。こちらアンブリエル。応答せよ──」

『──ぃ──ら捜査局。何者だ。オーバー』

「お、聞こえてるー? 公安4課でーす。そっちはNHIで合ってる? オーバー」

『所属と名前を確認したい。オーバー』

「だからさっきから言ってんでしょーが。公安4課──てかレンジャー4(フォー)っつった方が分かるんじゃね? レンジャー4(フォー)のアンブリエルよ。オーバー」

『了解した。こちらはラテラーノ国家捜査局(NHI)である。そちらはエクソリアにて行方不明になっているとある。状況を説明せよ。オーバー』

「長話には向かない場所で話してんの。悪いけどここじゃ無理ね──あたしを回収してほしい。現在テスカ連邦の首都マルガ」

 

──とても苦労してなんとか地上四階から脱出したアンブリエルは、先ほどエールと共に除いた中古機材店にいた。

 

店主に交渉し、試しに使わせてほしい──と言い、アンブリエルがセットしたのはNHIで使用されている特殊な周波数。しっかりと覚えていて本当に良かったと思った。そしてその周波帯に対応する無線機器があって幸運だとも思った。

 

「悪いけど、銃に関しての捜査は何も進んでない。あたしと同行してたNHIの人たちもみんな死んだ。あたしも装備を失くしたし、一刻も早く回収してほしい。要望は以上よー。オーバー」

『了解した。これよりテスカ連邦に部隊を向かわせる。到着までには一日以上掛かるだろう。定期連絡は可能な状況にあるか。オーバー』

「ない。一日経ったらどうにかしてまた通信を入れる。てかこの通信が通じる場所にあんたらがいてほんと助かったわー。それじゃよろしく。オーバー」

 

通信を切る。店主には聞こえていないはずだし、怪しまれるようなこともない。

 

「……ごめんエール。でもあんたに迷惑かける気はないから許してちょ」

 

ラテラーノ司法省総合公安部第四公安課、通称レンジャー4(フォー)所属。特殊狙撃員、アンブリエル。

 

レンジャー4は表沙汰に出来ないような仕事──テロ対策や凶悪犯罪に特化した組織。実態が謎に包まれており、法律の越権を認められている特殊部隊である。

 

性質としては公証人役場の執行人に近いが──執行人が個人のために行動するのに対して公安は国家の利益のために行動する。

 

たとえ、そのためにどれだけの命が散ろうとも。

 

 

 




・フォン
ギャング"スーロン"のボス。エールとそう歳が変わらない。
感染者の青年。

・アンブリエル
設定がどんどん盛られていく……

・公安4課
この辺の設定は攻殻機動隊からパクってきました。ゆるせ


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What you lost,what you got -4

──煙を吐き出す。

 

長く長く。夜の湿気の紫煙が溶けていくように。

 

エールはホテルのベランダで煙草を吸っている。

 

はっきり言って想定外だ。考え事が止まってくれない。

 

思考停止できないのは、この道を選んだからだ。

 

歩みを今更変えられないのは、運命を呪ったからだ。

 

煙草を辞められないのは、夜が暗いからだ。

 

「どうする────?」

 

状況は想像以上に複雑化していた。

 

これでは銃を手に入れるのも楽そうではない。

 

だがそれ以上に、エールは答えられなかった。

 

フォンの()()に答えられなかった。

 

「何がー?」

「! 居たのか、アンブリエル。びっくりした……」

「え、結構さっきから居たけど。どしたの、あんた。スーロンに接触したんじゃないのー?」

「……いや、まあね」

 

気が抜けていたのか。人の気配には敏感な方だ──やはり、自分は少し変になっているらしい。

 

「まー、そう悩みすぎない方がいいってー。ほら、あたしって狙撃手じゃん? 気配を消すのはお手の物ってゆーか」

「いや、別に君に気付けなかったことで悩んでる訳じゃないんだけど……。というか、何か用?」

「いや、別に用とかないけどさ。なんとなく来てみただけ」

「そう……」

 

吸って、吐く。

 

いつの間にか染み付いていた動作、慣れた味。夜にあって、煙草の火はよく見える。日中では、この光は見えない。

 

「ふ────……」

 

一息の沈黙があって、アンブリエルは不意に口を開く。

 

「ねえ」

 

ちらり、と目をやった。いつも通りの気怠げな表情。風呂上りなのか、いつものサイドテールがないのが印象的だった。

 

「それ、美味い?」

「……時と場合によるね」

「はぁ? 何それ」

「言葉通りさ。今は……あんまり美味くないけど。でもまあ、美味い時は本当に美味い。酒だってそうでしょ? 美味い時と不味い時がある。朝っぱらから飲むビールが美味いと思う?」

「んー、あたし別に飲まないし……」

「僕だって飲まないよ。酒は嫌いだ」

「そうなんー? まあ、あたしも酒は嫌いだわ────」

 

ゆらゆらと揺れる煙を、背後の室内灯が照らしている。曖昧な灰色に光を照らすと、煙の輪郭をなぞった。

 

「てか明日はどうすんの? あんた、早いとこ銃を調達しないといけないんじゃない?」

「言われるまでもないさ。ただ……少し状況は複雑でね。決めあぐねている。全く、こんなことならもう少しこの国の情報を集めておくべきだったかな。アンブリエル、この国には詳しい?」

「んー、まあここらへん一帯の国の情報くらいは頭に入れてるって感じ? 一応ほら、ラテラーノ出る前に調べといたし」

 

吸って、吐く。一呼吸空いてエールは問う。

 

「君の正体を、聞いてもいいかな」

「や、ただの守衛隊の一兵卒だって。最初っからそう言ってんじゃん」

「答える気がないなら別にいいんだ。無理に知りたいとまでは言わないさ」

「いや、だからさあ……」

 

すっとぼけるアンブリエルに、エールは何一つとして動じない。

 

……流石に無理があるだろ? わざわざNHIに同行までしていたんだ。明らかに一兵卒じゃないことはわからない筈がない。

 

少し前、ラテラーノの部隊がエクソリアに来ていた理由は、正式には判明していない。だが推測では、ウルサスによるエールの暗殺の依頼だったのではないかと思う。長距離武器を持つラテラーノ銃は暗殺には最適だ。そういう理由でもなければ、ラテラーノが関わる理由が存在しない。

 

「言っちゃなんだが、君はラテラーノへ帰るつもりなんだろう? だからそこまで君のことを知る必要があるとも思えなかった」

「まーね」

「だが僕の本音を話すならば、エクソリアに残って欲しいと思っている」

「え? あたしがってこと?」

「そうだ。正直銃の扱い方なんて分からないし、詳しい人間が欲しいとずっと思っていてね。でもまあ、君がそのつもりじゃないのならいいんだ。巻き込まれただけの人を、巻き込んだままにするのも悪い」

「え……そうだったん……?」

「ああ。だが長距離狙撃の技術は魅力的だ。ボウガンとは桁違いの射程を誇る力なんだ、欲しいに決まっている。それに何より」

 

煙草を鉄柵に押し付けて消した。

 

「僕は君のことが好きだからね」

 

──この男、一体何を言っているのか。

 

アンブリエルは一瞬頭が真っ白になった。

 

ぱくぱく、と口を動かそうとするが、動かない。

 

顔が急激に熱を帯び始める。顔の色はまるで、アンブリエルの髪色のようだった。

 

そんなアンブリエルに背中を向けたまま、エールは構わず話し続ける。

 

「狙撃手らしい視点を持ってる。高い視野と言うべきかな……。そういう人材はそうそう見つけられるものじゃない、とても貴重な能力だ」

 

あっ、好きってそういう……? 一瞬冷静になる。

 

「それになんというか……君の話し方が好きだ」

 

また顔が熱くなる。忙しい──。

 

問題なのは、エールがそれに一切気がついていないということ。

 

「僕はどうにも気を張りがちになるからさ、君みたいな人がとてもありがたいと思う。雰囲気とかもそうなんだけどさ、たまに君に癒されている僕がいることに気がつく」

 

──やばい。

 

何がやばいか分からないけど、やばい。

 

やばい。

 

どうしよう?

 

「だから、君さえ良ければエクソリアに残ってくれないかなーとか思ったりしててね……って。どうしたの?」

 

顔を覆うアンブリエルへ振り向いて、エールは不思議そうな顔を浮かべた。

 

「ちょ、こっち見んな! マジ、マジ今はダメ、あっち向いてて!」

「……え? いや……なんで?」

 

エールの致命的な欠陥。鈍感という言葉で済ませられないほど救いようのない点が一つ。この欠陥は残念ながら改善されることはなかった。

 

「い、今はダメなんだって! うぅ……に、逃げろーっ!」

 

アンブリエルは逃走した。

 

ベランダの扉を思いっきり開きそのままエールの借りている一室から飛び出して自分の部屋へ。勢いよく扉を閉めて鍵を掛けた。

 

「……え? なんで?」

 

その疑問に答える人物は、残念ながら存在しなかった。

 

──隊長ってば、マジ隊長っすね、と。

 

誰かの呆れる声だけがエールにだけ聞こえていた。

 

「……いや、え? なんで?」

『だからさあ、隊長ってばさー……。ホントさー……』

 

虚空から幻覚が現れる。エールにとっては慣れたものだ。イーナの姿。

 

エールは慢性的な幻覚、幻聴の症状を発症している。あとたまに頭痛、それと視力の低下。鉱石病によるもの、とグエンは診断していたが、詳しいことは分からない。

 

「なんだってんだ……。イーナ、君は分かるの?」

『ホントマジ、隊長さー……。なーんで死んでからも隊長の世話見なきゃいけないんですかー。たいちょーってば自分が何言ったか分かってますー?』

「はぁ……。時々、君たちは実は僕の幻覚なんかじゃなくて、本当は化けて出てきた幽霊なんじゃないかって思う時がある。勘弁してくれないかな……」

『ぎくっ。いやー、幻覚ですよー。ユーレイなんていませんって。いる訳ないじゃないですかーやだなー』

「……いよいよ僕の頭も末期だな。相当参ってるらしい」

『元気出してくださいよー。ほら、順調じゃないですかいろいろ』

「順調な訳あるか……」

 

項垂れるエールと、その背中を叩くイーナ。もっとも、それはエールにしか見えないものだ。少なくとも、それだけは分かっている。

 

『てか、アンブリエルさん? が好きなんですか?』

「ああ。気に入ってると言い換えてもいいかな」

『……そんなところだと思いましたよ。ほんとにさっき言ったような理由なんですかー』

「実はもう一つある」

 

幻覚と話すなんて、いよいよ僕もやべーやつの仲間入りだよな、とか思いながらエールは話す。側から見れば独り言だが、別に誰も気にはしない。

 

「──あの目が、僕と似ていた。あれはたくさんの人間を殺してきた目だ。必要とあれば殺せる側の人間なんだよ、彼女は」

 

夜空を見上げる。

 

同時に、その罪を背負いながら生きる姿が、エールにとってはある意味での光でもあった。

 

「僕と同じだ。けど……彼女の目はどうにも綺麗でね。僕とは大違いなんだ、不思議だよね」

『まあ隊長の目は結構汚れてますからね』

「幻覚のくせによく喋る……。余計なお世話さ」

『はいはいすみません。で、何です?』

「まあ──他人と思えない。それだけの話さ、多分ね」

『たぶん?』

「ああ、多分。もしかしたらの話に過ぎない。本当のところがどうか、なんて分からないよ。ただ……僕はまだ、彼女がちゃんと笑ったところを見たことがない。もしアンブリエルが笑ったら、どんな顔をするか……僕は見てみたいのかもしれない」

 

人殺しの罪を背負って笑えるのか。彼女は幸せになれるのか。

 

その軌跡に自らをなぞらえてみた。

 

まだその答えは見えない。

 

まだ見えないままだ。

 

まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一夜明けて、朝。

 

何階建てかのホテルの一室、ヴィクトリア風の廊下に出て、エールはアンブリエルの部屋のドアをノックした。コンコン。

 

「起きてる? 僕だけど」

 

返事はない。

 

「……うーん」

 

昨日の夜のこともよく分かってない。怒ってる……とかあるだろうか?

 

少し経って、ドアがそーっと開く。

 

ドアチェーンの向こう側に、ちらりとこちらを伺うアンブリエルの顔が見えた。

 

「おはよう、アンブリエル」

 

じーっ、と。

 

何も言わない様が、まるで警戒をしている猫のようだ、とエールは思った。

 

「確か一階で朝食があるんでしょ? 食べに行かない?」

 

じーっ。

 

ばたん。

 

ドアが閉まった。

 

取り残されたエールの横を、宿泊客が横切って行った。寂寞。無常。

 

「おーい。行かないの?」

 

ドアが開く。チェーンはかかったまま。

 

「……」

 

無言の圧力とともに睨むアンブリエルだが、エールはそれに一体何のメッセージが籠もっているのか理解できなかった。

 

エールはアンブリエルに、出来る限り自然な微笑みを浮かべた。

 

にらめっこが始まる。

 

三秒経過。五秒経過。

 

堪えていた両者だが、アンブリエルの顔がみるみる内に赤らんでいき、ドアが乱暴に閉まった。ばたんっ!

 

「…………おーい。ごめんって」

 

静寂。

 

「出ておいでー。おーい。おーいってば」

 

出てこない。

 

「昨日のことだけどさ、怒らせちゃてたらごめん。でもあれ全部本心だからさ、特に訂正する気はないんだ」

 

がしゃーん。部屋の中で何かが倒れる音がした。

 

「いや、本当にごめん。怒らせる気も、悪気もなかったんだ。ぶっちゃけ君が何で怒ってるのか僕には分からない。えーっと」

 

思いつくままに口を動かすエール。

 

部屋の中からは何も聞こえない。

 

「君の髪ってとても綺麗だよね、さらさらでさ。サイドテールもよく似合っていると思うよ。君の容姿は率直に言ってとてもかわいいと思う。女性として魅力的だ」

 

ついに思いつくままにアンブリエルを褒める作戦に出たエール。

 

こういった場面に対する対応の仕方がわからないため、何でもやってみよう作戦に出た形となる。無論、本人は至って真面目である。大真面目にアンブリエルの機嫌を取ろうとしている。

 

別名、北風と太陽作戦(理性が足りていない)

 

「細かい部分にも気を使っているよね。ほら、君って今は一応レオーネの制服を着てるけどさ、袖の部分とか細かくアレンジしてるよね。そういう部分って、とても好ましいと思うよ」

 

ばたーん!

 

人が転けて床に衝突した時の音が室内から響く。

 

これは効果があるのだろうか、とは思ったが他に方法が思いつかないのも事実。

 

「天使の輪っかとか、羽とかも相まって僕はたまに君のことを本当の天使と見間違える時があるんだけど──」

「わ、分かったっ! 分かったからっ! 分かったからこれ以上そんな場所でそんなこと言わないでよねーっ!?」

 

ホテルの廊下、アンブリエルが聞こえるということは──他の客にも聞こえているということ。よく臆面もなくそんなことを言えるな、とアンブリエルは高速で回転する思考の中で思った。

 

「やっと出てきた……」

「やっと出てきたじゃないでしょーっ!? 何であんたが疲れた顔してんのよっ! 朝っぱらから一体何言っちゃってくれてんの!?」

「どうしたの、そんな顔真っ赤にして……。そんなに怒ることもないじゃないか、ひどいな」

「ひどいのはあんたの方だーっ!」

 

怒ってないし──怒るよりもっと強烈な感情がアンブリエルを支配していた。

 

「今日もやらなきゃいけないことがある。だからちょっと、あんまり手間取らせて欲しくないんだけど……」

「あたしかっ!? あたしが悪いってのかーっ!? 何苦笑いしてんのよ、あんた自分が何言ってるか理解出来てないの!?」

「えーっと、出来る限りの語彙を使って君の魅力を並べた……。やっぱり嫌だった?」

「い、嫌っていうか……。な、なんて言うか……」

「まあ……ご飯食べに行こうよ。朝食は大事だ」

「こっ……この男……! おかしい、こいつ頭おかしい……っ」

 

耳まで真っ赤にして、アンブリエルはぶつぶつと小声でエールを罵った。

 

「クレイジー、戦闘狂、訓練バカ、腹黒、若白髪……! 爆発して死ねっ、死ねぇ……っ」

 

全てに聞こえないフリをしてエールは歩いた。

 

まあ、出てきてくれたことだし……。

 

「死ねっ、死ねこの……っ、バカ、アホ、理性0っ、クソ狐……っ!」

 

この状態のアンブリエルをどう宥めるか、そればかりが問題だった。

 




・エール
何でこいつこの状況でラブコメ始めてんだ……?(純粋な疑問)
頭がおかしい系の鈍感。主人公の風格。何だこいつ

・アンブリエル
かわいい(脳死)

・行動隊B2の幻覚
幽霊なのか、幻覚なのか。どっちなんでしょうね。
死人は何も語らない……はず

書いてて気づいたんですが、テスカ編(この話)がめっちゃ長くなりそうです。何でだ……?
等級18は遠い


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What you lost,what you got -5

一体全体、何だと言うのか。

 

調子が狂わされっぱなしだ。

 

自分はこんな風じゃない、そもそも言い寄ってくるような男は初めてじゃないだろう。それなりに容姿に自信はある、褒められるのだって初めてじゃない。

 

もっとも、特定の個人と深い付き合いをしたことなどない。そんな下らないものに時間を費やすなど嫌だった。

 

誰も、一枚顔の皮を剥げば見えるのは欲望。そのはずだ。

 

だから誰も信用するな、誰も助けてくれはしない。一人で生きていける。

 

誰もこの心を知りはしない。

 

同様に、誰かの心も知りはしない。

 

そのまま冷徹に、自分を振るまえ。騙せ、欺け、おのれでさえ気づかないほどに。

 

知らない、知らない、知らない。

 

こんな感情は錯覚だ、一時の気の迷いだ。大体この男頭おかしいし、絶対ありえないし。

 

──だが、人生で初めて助けてもらえた……ような。

 

人とのつながりは限りなく薄く、細く。会話と仕事が出来れば社会では生きていけるし、何だって買える。

 

家族はいない。ずっといない。

 

仕事柄、親しい人は少なければ少ないほどいい。いないならなおよし。なら完璧、無駄がない。

 

ラテラーノの栄光と繁栄だってさ。そんなことどうでもいい。

 

だが皮肉にも、自分のようなサンクタが一番貢献しているんじゃないだろうか。

 

その手段が殺しというのは、神の国にあってこれ以上ないほどの皮肉だとは思うが……ざまあみろ、とも思う。

 

別にレンジャーって言っても、自分は特に独立気味だった。単独任務が主で、狙撃銃を構えて撃つだけ。

 

そのスコープの向こう側に、人型の肉袋を捉えて、それが誰かも知らないまま。その罪にも見えないフリをして。

 

どうでもいい。人の痛みも苦しみも、生きてりゃそりゃ……辛いことの一つや二つ、救えない痛みの十や二十もあるだろう。

 

それを抱えながら、生きづらい世界を生きていく。それが人生ってものだろう?

 

──────何のために?

 

別に、あんたの知ったことじゃない。そんなの何でもいいっしょ。

 

でも逃げたら負けだ。死んだら負けだ。

 

この世界に負けたってことだ。

 

そんなのは絶対に嫌だ。そんなだったら、どうして今まで生きてきたか分からなくなってしまう。

 

……大丈夫、あたしはまだ理解してる。

 

他人なんてみんな潜在的には敵だ。いつ裏切るか分かったものではない。

 

国にあだなす人間、裏切った人間を大勢始末してきた。どんな結末になるか知ってる。

 

どうしてわざわざ理想に死ぬことがあるだろうか。

 

別に、耐えていればいいのに。

 

だから大丈夫、あたしはちゃんと分かってる。惑わされるな。

 

あたしを裏切らないのは、あのマンションの一室のベッドだけだ。

 

エクソリアに残ろうなんて考えるな。リスクが大きすぎる、早くラテラーノに帰るべきだ。帰りたい。もっと文明的で発展した、煌びやかな生活に戻りたい。こんな一時の気の迷いでこれまで積み重ねたものを台無しにすることなんてありえない。

 

よしおっけー。心のセット完了。気の迷いが晴れてくれた。大体あんな一言でこんなに揺れてるなんておかしいし、ありえないし。

 

「どうしたの、アンブリエル」

 

反射的に背筋を伸ばしてしまう。

 

顔に血が集まって熱を持つ。

 

ああ、もう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

難民居住区。

 

エクソリアから流入してきた難民のために連邦政府が急遽用意したキャンプ。

 

テスカ連邦は岩の多く混ざった山に囲まれた国で、開拓はそう進んでいるものではない。古くからの生活様式に則った棚田や高地栽培、動物の狩猟が主な食糧生産の手段。

 

よって、広い場所の確保が難しかった。

 

あてがわれたのは、街の外れにある瓦礫の地。テスカ連邦成立以前にとある部族が生活していた場所。だがテスカ連邦の統一のための戦争で滅び、手付かずのままほったらかされていた場所。

 

崩れた木造の街、路傍に倒れた木。腐りかけた家々。それが、難民たちの今の住処。

 

突貫工事で補強された屋根の一部分がだけがやけに目立っていた。

 

「……ひどいな。まるでスラムだ」

 

難民たちの手によって屋根はトタンが貼られ、炉端では髭を伸ばしたままの男が座り込んで、質の悪い酒瓶を片手にぼんやりとこちらを見ている。

 

ボロボロになった自転車がそこら中に停められている。

 

ひどい臭いだ。

 

「エクソリア難民、か」

 

北部軍による南部ゲリラ一掃作戦、ブラストが全てを失ったあの日。あの辺りからエクソリアを脱出し、周辺諸国へと逃げていく人々が増加していっていた……らしい。特にレオーネが発足し、声明を発表した時がピークだったという。

 

徴兵や食料不足、戦禍から逃れるために──。バオリアを奪還してからはめっきり難民の流出はなくなったが、それ以前は異なる。

 

レオーネという訳の分からない組織が、まだ戦争を続けて国を追い込もうとしている。それが国民の大半の考えだった──バオリアを実際に奪還し、食料問題を改善させるまでは。

 

この難民居住区に住む人々は、そういう人々。

 

国を逃れれば、よい暮らしが得られると考えた人々。

 

そして今、国から見捨てられ、程のいい低賃金労働で一日をやり過ごしている。

 

経営者にとってはこれ以上ない好条件だ。安く使えて、数がある労働者。すぐさま彼らを工場に雇い入れ、労働法で定められた最低賃金を割る賃金で長時間働かせた。明確な経営者側の法律違反であり、犯罪だったが──。

 

それに文句を言える難民などどこにもいない。

 

経営者につかみかかった難民の若者が、不満があるならば辞めろと言い放たれてからは、もう同じことをいう人間は現れなかった。

 

高級スーツを着込んだ男を殴り倒した難民の若者は警察に引き渡されてもう戻ってこなかった。

 

地元民にとっても都合が悪い。市街でのサービス業などに従事している国民はまだしも、工場などの替えがきくような職種にとっては大打撃だ。

 

難民たちに、自分たちの仕事を奪われる。

 

地元民は法に則ったまともな賃金を支払われていた。だがその割に大して働かない──。

 

だが難民は違う。やれと言われればどんなきつい仕事も文句一つ言わずにやるし、安く雇えるし長時間働く。最高の労働者だ。

 

金で動く資本家や経営者が、どちらを選んだのかは明白だ。

 

難民が流入し始めてから、テスカ連邦の失業率は増加していき、その割に企業の挙げる利益は増加していった。

 

そして国民全体に難民への悪感情が募っていく。

 

それは難民にとっても同様だ。無理な長時間労働で体を壊すものも続出していたし、行き場のない難民たちは不当な低賃金に対して文句も言えない。

 

警察は取り合ってくれない。資本家による根回しで、難民たちの苦しみは黙殺されていた。

 

そこに最悪の一手。昨今の天気が悪く、食糧生産量が大きく落ち込んだ。食料は高騰し、国民でさえ飢えに苦しむものが出てきた。

 

テスカ連邦は森林や山の占める面積が高く、開拓が進んでいない。そのため、食料自給率は自国民を賄うので精一杯。エールはこの国に慣れていないため気がつかなかったが、露店での食べ物の値段は普段の二倍近くまで跳ね上がっていた。

 

結果、難民たちに飢餓が襲い掛かる。

 

エールは辺りを見回した。

 

人の気配が少ない。

 

いたとしても……頬がこけ、薄汚い服に身を包み、光のない目をした人々しかいない。

 

ふと、ずっと沈黙を守ったまま後ろについてくるアンブリエルが気になった。

 

「どうしたの、アンブリエル」

「──うぇ!? い、いや……な、なんでもないし……。こっち見んなっ」

「……」

 

さっきから上の空だ。考え事に夢中らしい。

 

政府の立場は複雑で、難しい。

 

人道支援の観点から難民たちを救わなければならないが、どこにもそんな金はない。そもそも難民居住区を設立するための資金は国民たちの税金から出されているというのに。

 

飢えの原因は非常にはっきりしている。食べ物を買うための金がない、あるいはそもそも食べ物がない。

 

難民含めた国民を食べさせるために十分な食料が不足している。

 

周辺諸国からの輸入を含めても難しい状況にある。山に囲まれたテスカはそもそも貿易に向かない。輸送コストにより結局高額になってしまう。

 

「──別に、それほど飢餓が深刻なはずはないんだ」

「え? ごめん聞いてなかった。もっかい言ってー」

「……めちゃくちゃシリアスなんだけどな。この国の現状の話ってヤツさ」

「あー、うん。まー……国民感情ってゆーやつじゃね? そりゃ飢餓で死んでる人もいるけどさー、そんなの五十人も居ないって話だったはずっしょ」

「そうかもしれない。だが……この先どうなる?」

「手詰まりねー。多分、難民が排斥されて終わるんじゃね?」

「……。エクソリアに帰らせることはできないかな?」

「──え、何あんた。まさか助けようとしてんの? 今そんな余裕あんのー?」

 

エクソリアには、確かに彼らの家がある。

 

だが遠い。あまりに遠い。車で一日中走り通してやっと到着できる距離。歩けば何日かかるか、その間彼らの体力は持つか。安全は、食料は。

 

エクソリアからテスカに来る時はまだ可能だった。

 

「行きはよいよい、帰りは──」

「地獄、よ。帰れないっしょ。何千人居ると思ってんの、難民たち。エクソリアに辿り着く前に死ぬのがオチよー」

 

意識的に冷徹に徹するアンブリエルと、まだスラムのような難民居住区を見つめるエール。

 

山越え谷越え、エールたちは車を飛ばすだけだが……。

 

彼らはそんな移動手段を持っているのだろうか。

 

エクソリアでは人々はスクーター、あるいはバイクを所有している。そう珍しい話ではない。それで帰ればいいと考えた。

 

難民居住区を見た。壊れた原付のパーツが転がったまま放置されている。

 

……そうか、取り残されたのか。

 

この場所にいるのは、逃げる手段を持たなかった人々だ。エクソリアに帰る手段を持った人々はとっくに帰ってしまったのだろう。

 

飢餓……ではない。彼らを殺すとしたら、何か別の──……。

 

そう、もっと別物だ。

 

言ってはなんだが、彼らを取り巻く状況はあまりいいとは言えないが、究極的に悪いというほどでもない。

 

「でもいーんじゃない? 食料問題はキツそーだけどさ、みんな死ぬほどじゃないっしょ。せいぜい一割も死なないって、企業としても難民たちに死なれるのは困るしさー。いざとなればなんとかなるって」

 

そうかもしれない。

 

今更正義面して、彼らを苦しみから救ってやりたいなどとほざくつもりもない。そんな力はエールという個人が持つ力を逸脱している。

 

国民の不満も、難民たちの苦しみも、いずれは時間が解決する。法整備が進み、難民たちの賃金が底上げされる時は必ず来る。その時大概の問題は解決されるだろう。

 

だが今じゃない。

 

それよりも、一つ大きな分岐点が差し迫っている。

 

スーロンのトップ、フォンの言葉。

 

──あんたはどうするつもりだ?

 

どうする? ()()を否定するか?

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

どの立場で?

 

目的を見失うな、僕がやるべきなのはそんなことじゃない。銃が手に入ればどうだっていいはずだ。誰が傷つこうと死のうと知ったことじゃない。僕にはやるべきことがあるはずだ。こんな国の事情など知るか。

 

だが……足は勝手に動いてしまう。

 

「ちょ、どこ行くの」

「……ここからは、僕の極めて個人的な事情による行動だ。別に着いてきたければ来ればいい。帰りたかったら車を使っていいよ、構わない」

 

言い残して難民居住区の先へ進んでいくエール。

 

残されたアンブリエルは──。

 

「え、ちょ待って……ああもう、何なのよー……」

 

慌てて着いて行った。振り回されている自分に気がつき、こんなはずじゃないと必死に言い聞かせながら。

 

 

 

 

 

 

 

遠巻きに、アンブリエルは眺めている。

 

珍しく、全くの微笑みを浮かべない無表情で、難民たちと話しているエールを壁に持たれながら眺めている。

 

「──生活は、辛いですか」

「まあなぁ。だが生きていけねえほどじゃねえさ。腹は減ってるが、死ぬほどじゃねえよ」

「そう、ですか……」

「ん? ああ、あっちで転がってるヤツのことは気にすんなよ。バカなやつさ、女遊びで身を崩しちまったんだ。こんな状況でよぉ」

 

ちらり、と。視線の先に見えたのは倒れた男。

 

「だが生活は外から見えるほど悪いもんじゃねえんだ。助け合いながら、なんとか生きてる。なあ!」

「あら何? お客さん〜?」

 

男の声につられて、家の中から何人も人々が出てくる。

 

「珍しいわね〜、観光客? 言っとくけど、この場所に見るものなんてないわよ」

「いえ、僕は……」

「この場所を見て周りてえんだとよ。悪いやつじゃねえ」

「あらそうなの? 物好きねえ、わざわざこんな場所まで来て」

「ニイちゃん髪真っ白だなぁ。それじゃ目立つんじゃねえか、ハハハ!」

「騒がしくて悪いな。ま、政府の連中でもねえんだ、できる限り持てなしてやるさ。こっちだ」

 

黙ってついて行くエールと、珍しい来客に楽しそうな難民たち。

 

厳つい顔の男が家の中からコーヒーを運んできてくれた。プラスチックのテーブルに置き、エールを木組みのボロい椅子に座らせる。

 

「……ありがとうございます」

「おう。ま、エクソリアのコーヒーほど旨くはねえがな」

「あんたよく言うわ。前なけなしの給料で、エクソリア産の豆買ったって言ってなかった?」

「あれはいいんだよ、久しぶりに故郷の味が飲みたくなったんだし、お前らにも入れてやったじゃねえかよ」

「それで腹が減ったって泣きついてきたのはどこの誰よ。全く……」

「ハハハ、まあいいじゃねえか。何とか生きてんだからよ!」

 

コーヒーに口をつける。

 

「……美味しいですね」

「お、だろ! 味が分かるヤツだな、気に入った!」

「悪いわね、これくらいしか出せるものがなくて。本当なら、もっとちゃんとしたものを出したいんだけどね」

「おお!? スン、お前は俺のコーヒーがちゃんとしてねえって言いたいのかよ?」

「そう聞こえてるってことは、そうなんじゃない?」

「お前な〜!」

 

いがみ合う男女を放って、髭を伸ばした壮年の男性がエールに話す。

 

「騒がしいだろう。空腹を誤魔化すために、いつもこうやって騒いでるんだ」

「──……」

「あんた、どっから来たの」

「僕は……エクソリアです」

「おお、こいつは驚いた! 南部か、北部か? ああいや、北部からじゃ国外へは出れねえよな。お前さんもアルゴンってことか」

「はい。……こんな場所があるなんて、知りませんでした」

「え? エクソリアから来たの〜? えー嘘、今どんな感じか教えてくれない?」

「まだあの店は潰れてねえだろうな。俺が働いてたカフェなんだけどよ」

「今は、それなり……だと思います。バオリアを奪還したので、生活の質も、以前よりは向上しているはずです」

「ああ、聞いたぜそのニュース。か〜ッ、こんなことなら俺もエクソリアに残っとくんだったな〜!」

「ちょっと、それ何回目よ。話したって仕方ないじゃない」

 

ずっと柔らかい対応。思っていたよりも。

 

もっと恨みを募らせていると思っていた。もっと苦しみを抱えていると思っていた。罵られることもあると考えていたのに──。

 

「ちょっと俺、他の奴らに知らせてくるわ!」

「え、ちょっと────」

「ハハ、悪い悪い。けどみんな、故郷のことが気になってんだ。話を聞かせてくれやしないか。なんか都合が悪いってんなら────」

 

ほんの少し開けた口をまた閉じる。

 

「……いえ。構いません」

「お、そいつはよかった。ところで向こうの方にいるあのピンク髪の子、あんたの連れか?」

「はい。まあ……放っておいてやってください。ちょっと今朝から考え事をしているようで」

「あ、もしかして付き合ってるんでしょ。そうなんでしょ〜?」

「はは、違いますよ」

「じゃあ何よ。友達?」

「まあ、そんなところです。天使の輪っかがあるのがちょっと特殊ですけどね」

「サンクタ族なんて初めて見た、私。あんな風なのね〜」

 

そうこうしているうちに、エールの周りには人々が集まり出した。テーブルを囲って──。

 

「君、エクソリアから来たんだって? 仕事は何をしてるの?」

「レオーネって組織がすごい強いんでしょ? 大将グエン・バー・ハンって。まさかあの人がやってるなんて知らなかったけどさー」

「アルゴンも発展してきてるって聞いたわよ。ほら、バオリアも奪い返したからさ」

「あなたって、何だかあの人みたいよね〜、ほら、噂が流れてくるじゃない? 真っ白い髪の若者って」

「あの英雄の話か? すげーよな、北部軍に勝っちまったってことだろ? 何者なんだろうな。確か名前は──」

「エールよ、エール。もしかしたら、北部に勝っちゃうかもしれないわ」

「エクソリアに帰りてえな〜! 早く戦争が終わってくれれば、安心して帰れるしよ」

「帰るってあんたね、だったら早く帰るためのお金貯めなきゃダメでしょ。コーヒーに使ってる場合じゃないでしょ」

 

もはやエールそっちのけだ。

 

「白髪の英雄かぁ。兄ちゃんもそうだな。もしかして、本人だったりしてな!」

「まさか、そんなわけないでしょ? こんな場所に来るわけ無いじゃない。ねえ、そうでしょ?」

「──僕ですか?」

「もう、他に誰がいるのよ? そういえばまだ名前聞いてなかったわ。なんて言うの?」

 

……少し考える。だが何も思いつかなかった。

 

Алькуртис(アルカーチス)

 

それは、エール自身ですら久しぶりに聞いた言葉。とっさに出てきた名前がそれだったことに、エール自身が一番驚いていた。

 

「? えっと、なんて?」

「ああ、ごめんなさい。アルカーチスと言います。長いのでアーリヤ、いえ……アリーヤとでも呼んで下さい」

「変わった名前ねぇ」

「何だ、違うのか。ここでエールですっつったら面白かったのにな!」

「はは、違いますよ。僕は……英雄ではありません。ちっぽけな……ただの人間なんですから」

「ほら、そんな訳なかったでしょ。ところでアリーヤさんはどうしてこの場所に来たの?」

「それは……何となく、この場所を知っておくべきだと思ったからです」

「え? それはどうして?」

「……どうしてでしょう。正直、僕もよく分かってはいません。僕があなたたちのために出来ることは本当に少ないです。だから……覚えておくべきだと感じました。あなたたちがここで生きていることを、せめて覚えておかなくてはならないと思ったんです」

 

机を見つめ、ぽつりと呟いた言葉が難民たちにどんな影響を与えたのかを知るものはいなかったが……。

 

「……ありがてえことだ。あんたみたいな人がいれば、この世界もちっとはマシになんのかもな」

「何だかよくわからないけど、あなたは悪い人じゃないわねぇ。そうだ、お酒は飲める? 持ってきましょう」

「え、いえ、酒は────」

「まあ飲んでけよ! あんたを歓迎したいんだ、ほら持ってこい!」

 

そのまま巻き込まれて、数十人に囲まれて酒を注がれて──。

 

もみくちゃにされながら、白髪の青年は久しぶりに──本当に久しぶりに、楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

潰れたエールに肩を貸して、アンブリエルは車のエンジンをかけた。

 

「じゃーなアリーヤ! またいつでも来ていいからな!」

 

真っ赤のまま酔っぱらう男たちが叫んだ。

 

難民たちの秘蔵していた酒を全て飲み切るほどの宴会に昼間から巻き込まれて、エールはすぐに潰れ、斯くしてアンブリエルは酒臭いエールを助手席に突っ込む羽目になった。

 

居住区を去り、慣れない運転をするアンブリエルはそのまま借りているホテルへ帰ることにした。

 

「あんたさー。酒弱いんなら断ればいいのにさー。ずっと待たされてたあたしのことも考えて欲しかったってゆーかさー」

「……。君も、参加すれば……よかったのに」

 

朦朧とする意識の中でぼんやりとエールは答える。

 

「無理に決まってんでしょ。あんたみたいな度胸はあたし持ってないし、あんたがおかしいだけでしょ。何で初対面の人大勢巻き込んで宴会になってんのよ」

「……さあ、分からない……」

「てか……アリーヤって。誰? 偽名使ったのは分かるけどさー」

「……偽名じゃない」

 

飛び出した一言は、アンブリエルをかなり驚かせた。

 

かなり酔っていたこともあり、エールは判断力を失っていた。

 

Алькуртис(アルカーチス)Толстой(トルスロイ)……。本名。たぶん」

「いやたぶんって何? 自分の名前でしょ?」

「……長いこと、使ってなかった」

「てか……なんかウルサスっぽい名前よね」

「……僕はウルサス出身さ。チェルノボーグ……っていう、寒い場所で生まれた」

「マジ? ……ってことは」

 

じゃあこいつは、実質的に祖国と対立していると言うことになる。北部軍がウルサスの支援を受けていて、その北部軍と戦っていると言うことは──。

 

「皮肉、ね。あんたがウルサス人だって、レオーネの人たちに知られたらやばいんじゃない?」

「僕はウルサス人じゃない。……ウルサスは、嫌いだ」

「じゃあ、あんた誰よ?」

「……知らない。ただのエールだ。今は」

 

酔いのせいか、らしくない言葉ばかりが飛び出してくる。

 

いつもの微笑みを外したところは珍しい。こんな一面があるんだ、とアンブリエルは思った。

 

「……本当は、彼らがエクソリアを恨んでいてくれた方が、都合がよかった」

「あんた、何言ってんの」

「いや……ごめん。何でもない。忘れてくれると、助かる……」

「そう。あのさ、あんた色々背負いすぎじゃない? 一人にできることなんて所詮知れてるんだしさー」

「……そうだね。そうだったら、よかった」

 

結局、手元に残ったのは暴力だけだ。

 

それだけが突き抜けていて、強い手段として残ってしまった。

 

何も持っていなければ、この世界に絶望して、そのまま死ねていたら。

 

僕がもっと弱ければ(強ければ)、戦うことを選ばなくて済んだのだろうか。

 

「今更、人の優しい部分なんて……見せないで欲しかったな……。酒に毒でも仕込んで、財布でも奪ってくれていれば……楽だった」

 

最悪の答え。

 

「これからどうすんの」

 

まだ答えは出ない。

 

「……君ならば、どうする。君なら、どうしたらいいと思う」

「え、あたし? いや、別に……。あたし、あんたほど優しくないしー……」

 

日光が眩しい。

 

今もこの世界のどこかで、()()は生きているのだろうか。今更そんなことを気にする資格などないと言うのに。

 

「んー、あたしにはわかんない。そんなの考えたこともないし、たぶんこれからも考えない。あたしはただぼーっと生きてたいだけ」

「……そう。君らしいね」

 

車は走る。

 

まだ死ねない。まだ死なない。まだ知らない。

 

だが、選択の時が迫っていることだけは確かだった。

 




・エール(アリーヤ)
本文中ではエールを採用しています。特大フラグの塊すぎへんかおのれェ……

・難民の人たち
エールを歓迎してくれた人たち。少なくとも、エールには優しい人々に見えた。

・チェルノボーグ
あっ……

・難民問題
割とガチ目な問題で草が生えない

・アンブリエル
かわいい(脳死)


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Fragment:What you lost/got is──

本日二話目。これまでの筆の遅さが信じられないほど書ける。不思議なものです


『オレたちスーロンは感染者集団だ。行き場を無くし、ついにはテスカ連邦まで流されてきた』

 

『オレたちは、差別と排斥されない場所を求めていた。だが少なくとも、オレたちを受け入れてくれる場所はなかった』

 

『感染者ってだけで、なぜオレたちは迫害されなきゃいけない』

 

『オレたちは、感染する以前はただの人だった。オレはただのサラリーマン一年目だった。他の連中もそうさ、エンジニアや労働者、自分の店を持ってたヤツもいる』

 

『結局テスカでもオレたちを受け入れてくれる場所は存在しなかった。強制送還させられそうになったり、収容所に入れられそうになったことは一度や二度じゃない』

 

『だが、オレは幸運にも出会うことが出来た。とあるサルカズにな』

 

 

 

 

フォンが夜遅く、テスカの裏路地を歩いていた時のことだ。

 

小さな街灯が照らす暗がりで、地面に倒れた男が数人にリンチにされていた。腹や頭を蹴られ、呻いていた。

 

「おい、そこで何をしている。やめろ」

 

何度も他人に似たようなことをされた経験のあるフォンが、不機嫌なままリンチをしていた数人に言った。

 

まだ18にもなっていないような少年たちだった。

 

フォンの容貌はそう柄がいいとは言えない。威圧感を与えるような冷たい目が印象的だった。そのおかげもあり──

 

「やべっ、逃げるぞ!」

「お、おうっ!」

 

倒れた男に歩み寄る。

 

意外にも、しっかりと成人した男だった。

 

「う、っつー……。お、おお? あれ、あのガキどもどこ行った?」

「追い払った。お前、大丈夫か?」

「ああ……。悪りぃな、助けてもらったみたいだ」

 

手を貸して体を起こすと、特徴的なツノが薄暗く照らされる。

 

──サルカズのツノだ。ヴィーヴィルやフォルテのツノじゃない。一眼で理解できる。

 

「いってぇ──。あのガキども、容赦なく蹴りやがってよー。人の痛みってヤツが分からねえと、この先苦労するぜ、全く……」

「……どうしたんだ?」

「いやな? 俺様の売り込みに興味を示したから色々話してやってたらよ、いつの間にか詐欺師扱いされちまってな? 気の短いボーズが俺様のこと蹴ってきやがったんだよ。あとはもう流れだ、流れ」

 

こんな深夜に出歩いているような子供に一体何を話したのやら。明らかに変なサルカズだ。

 

「……売り込み?」

「おっ、興味あるか? いいね、お前さん見る目あるぜ。助けてもらった礼に話してやる。いや、これマジでやべえからな? 内緒だぜ?」

「早く話せ」

「いや焦んな焦んな。そうだ、俺様のアジトに案内してやるよ。ついて来い」

 

一般的なサルカズの、凶悪なイメージとは違う、変なヤツだった。

 

フォンは大して信用できない男について行くかどうか迷ったが……。どうせ、帰ったってどうしようもない。

 

フォンたちスーロンは難民居住区に紛れて生活をしていた。

 

使われていないエリアがあったため、そこに住んでいたのだ。

 

感染者を雇う場所はない。受け入れてくれる場所もない。

 

スーロンは、結局は表に出ないようなギャングの下っ端として何とか日々を凌いでいた。

 

だが、ギャングにさえ感染者として蔑まれ、殴られ蹴られて──どうしようもない痛みに耐えて、じっと希望を探し続けていた。

 

フォンはサルカズについていくことにした。

 

到着したのは、小汚いガレージ。

 

「俺様の城へようこそ。歓迎するぜ」

 

埃っぽいガレージ。工具が散らかっていて、ケーブルが地面に何本も放ったらかしになっていた。なぜかソファがある。

 

「……ここは?」

「俺様の家。倒産した機械メーカーの所有してたガレージらしくてな、俺様が安く買い取ったんだ」

 

家。通りで、妙に生活感のある空間だ。

 

「ま、おかげで財布はすっからかん。食うに困って、ついに売り込みなんて始めたって訳よ。だが見る目のねえヤツばっかでよ」

「何を売っている?」

「おっと、せっかちだなお前さんは。ま、こいつを見てもらった方が早えんじゃねえか?」

 

作業用の広い机に、ゴトリ、と重たい音が響く。

 

特徴的なシルエットだった。

 

「これは……何だ」

「銃さ」

「……銃?」

「ああ。尤もこいつはラテラーノ産のオリジナルに過ぎねえ」

「さっぱり分からない。お前は、これを売ろうとしているのか? これは何のための道具だ」

「ま、そうなるわな。こいつはな、人殺しの道具だ。ただ殺傷性を極限まで高めた芸術品よ。撃ってみるか?」

 

興味が湧いていたフォンは、サルカズの勧めるまま銃を手にとり、言われるままガレージに備え付けてある的へと照準を向ける。

 

「その上部分を手前側に引けば準備オッケーだ。間違っても銃の先を俺様や自分に向けんじゃねえぞ、絶対だ」

「この引き金を引けばいいのか」

「そうだ。だが気を付けろよ? 反動で肘関節がやられちまうかもしれねえ。ちゃんとした撃ち方がある」

「……面倒だな」

「そう言うなって。一発撃てば、お前さんもそいつの虜になるに決まってる」

 

言われた通りに姿勢を取り、引き金を引く。

 

パァン! と。聴き慣れない鋭い音がフォンの鼓膜を襲う。

 

反動も想像以上に強い、腕が跳ね上がった。

 

だがそれ以上に──厚さ三センチを越す木の板を容易に貫いた威力に、驚いた。

 

「……これは、何だ」

「教えてやるさ。そいつが銃だ」

 

サルカズは驚いた様子のフォンに気を良くして語り出す。

 

「銃の原産地はラテラーノ。それだけで、国外でお目にかかることは滅多に無え。輸出が制限されてやがるからな。そいつは俺がたまたま手に入れた一丁だ。だが話はここで終わらねえ。一丁だけあったって意味ねえだろ?」

 

まじまじと銃を見つめるフォン。

 

「──俺様はな、そいつを量産する技術を持ってんのさ」

「……何だと?」

「バラして組み立ててバラして組み立てて……。俺様は天才エンジニアでな、来る日も来る日もそいつを解析し続けて、ようやく一つの設計図を書き上げるに至ったのさ。おっと、勿論弾丸の研究も欠かしちゃいねえぞ?」

「すでに、量産は開始しているのか」

「いんや。残念なことにマネーが尽きちまった。研究と製造のために必要な軍資金はもう無くなっちまった。ぶっちゃけ弾丸の研究はまだ終わってねえんだ。そいつにも金がかかる。そこでお前さんに提案だ。言っとくが誰彼構わずこんなことは言わねえぜ? 助けてもらった恩があるから話してんだ」

 

サルカズは楽しそうに笑って言った。

 

「要は、俺様に投資しねえかって話さ。見返りにあんたに銃をやる」

「なるほどな……。悪い話ではなさそうだ。確かに、そいつは欲しい」

「おっ、話がわかるじゃねえかよ!」

 

微かな高揚をフォンは感じていた。何かを、ようやく何かを掴めそうだと。

 

「だがオレはお前のことを完全に信用しきれない。お前が金を持ち逃げするかもしれない」

「おっと! それもそうだな。だが安心しろ、投資に対する前払いとしてこのオリジナルの銃と弾丸をあんたにやろう。そいつを担保にしてもらえればいい。威力は今見ただろ? 引き金を引く、たったそれだけさ。無論きっちりと扱えるようになるには訓練は必須だがな」

「なるほどな。では次に、本当に量産ができるのか。お前に本当にそんな技術があるかの確証がない」

「なるほど、そうきやがったか! じゃあこいつを見てもらおうか?」

 

もう一丁の銃を机から取り出した。

 

「俺様が実際に作成したハンドガン、グロック17レプリカさ。撃ってみな」

 

オリジナルと比べると、いくつかの相違点があった。荒削りとも言うべきか。

 

だが、しっかりと発砲することが出来た。

 

「すげえだろ? 俺様の十何年の成果ってヤツよ。これで信用してもらえたか?」

「最後に一つだけ」

「まだあんのかよ! 用心深えヤツは嫌いじゃねえが、そんなに疑わなくたっていいじゃねえか!」

「悪いな、癖だ」

 

感染者になってから、人の悪意に何度も翻弄されてきた。用心深くないと生き残れない場面も何度もあった。

 

「お前は、なぜこんなことをやっている」

「──へえ! よくぞ聞いてくれました!」

 

仰々しく両手を広げて、サルカズは機嫌よさそうに笑う。

 

「俺様が銃を作りたい理由ってのは単純明快だ! 俺様が銃に惚れちまってる、それだけだ。どんな女よりもやべえ魅力がこいつには詰まってる! どこの誰が最初に作ったかは知らねえが、天才だ! こんなにも人殺しに特化した武器を俺は見たことがねえ!」

 

心の底から、楽しそうに。

 

「ボウガンじゃダメなんだよ。ありゃ、狩猟によって発展した武器だ。嫌いじゃねえが、人に向けんのもどうにも収まりが付かねえっつーか。だがこいつは違う。銃はラテラーノで発掘されたって話だがな、俺様は一目見て分かったぜ!? 銃ってのは戦争により発達した武器なんだってな! 人を殺すための最小限にして最大効率の威力、口径、そして無駄を徹底的に排除したデザイン! 完璧だ、完璧なんだよ! ボウガンや剣やら槍なんかよりずっとずっと芸術的だ!」

 

お前にこの芸術が理解できるか、とサルカズは叫んだ。

 

「だが、悲しいことにそいつはラテラーノのクソ神父どもに独占されちまってる。俺様に言わせりゃ、何でこんな素晴らしいもんを世の中に広めたがらねえのか不思議でならねえ。だから俺様が広めてやるのさ」

 

そのあまりに純粋な動機をフォンは理解した。

 

なるほど、この男はバカで、頭がおかしい。

 

だが────。

 

「銃は世界を変えるぜ。お前さんにとっちゃ、銃を見たのは初めてだろうがな。ラテラーノにゃもっと多くの種類の銃がある。連射性、射程、威力、制圧力。数えきれねえほどたくさんある。ゆくゆくはライフルやらにも手を出してえとこだが──その前に、俺様は見届けなきゃいけねえ。そう! こいつは俺様の使命なのさ!」

 

またヒートアップするサルカズは、ずっと叫んだまま。

 

そしてそれを、フォンはじっと見つめていた。

 

「──この一発だ! この一発の弾丸がクソったれな世界を変える時がやってくるッ! 必ずなッ!」

 

だから、フォンはこの男に賭けてみることにしたのだ。

 

「いいだろう。お前に賭ける。あらゆる手段で持って、金を調達する。オレの名はフォン。お前の名前は、何と言う」

「フェイズだ! 人呼んで、メカニック・フェイズってな! よろしく頼むぜ、相棒ッ!」

「ああ、よろしく」

 

その後、スーロンは既存ギャングを軒並み滅ぼし、現テスカにて最大の勢力へと発展していく。末端のチンピラにまで銃を回し、警察にその威力を身をもって教えた。

 

その目的は一つ。

 

自分たちの居場所を、自らの手で掴み取ること。

 

 

 

 

 

 

 

『お前も感染者ならば、選べ。オレ達と共に来るか、オレ達と戦うか。お前が銃を欲しがるのは勝手だが、今は生憎、お前に売る分の銃などどこにもない』

 

何をするつもりなんだ?

 

『どの道、オレ達がこの国でギャングとして生き続けることは出来ない。いずれ警察側にも銃が渡ることになる。この銃という力は、オレ達だけが独占しうるものではない』

 

『オレ達はギャングの真似事がしたい訳じゃない。ただ平和に生きていきたいだけだ。感染する以前のような生活までは望まん。ただ……生きていることを否定されたくないだけだ』

 

『テスカ連邦では、現在難民達対国民という構図が出来上がりつつある。知らないのなら難民居住区に行ってみるといい。分かるはずだ』

 

『もっとも、お前がそこで何を見ようが聞こうが、オレの知ったことではない。人には二面性がある。善と悪。その二つはまるでコインの裏と表のように一体だ。善から悪へ、悪から善へ。容易く変わる』

 

『──オレ達は、難民達に武装蜂起させる。彼らには正当な権利を求めて戦う権利がある』

 

『オレ達スーロンは、彼らに武力を提供する。銃という名のな。今、一部の難民達に射撃訓練を施している』

 

──その結果、どうなるのか理解している?

 

『重要なのは、実際に戦いが始まることではない。難民達が強力な武器を手に入れた、と国全体が理解することにある。そのために警察にも死者を出したし、街に転がってるようなクズ同然の連中にも銃を流した。全ては、銃の脅威性を国に理解させるためのことだ』

 

『それは、むしろ殺すための銃ではない。それは、いわば殺さないための銃だ』

 

──綺麗事だね。

 

『その通り。だが、それがこの国に与える影響は大きい』

 

そして、君たちは一体何をしようとしている。何が目的なんだ。

 

『──難民の武装蜂起に紛れて、オレ達スーロンはこの国から独立する』

 

……何だって?

 

『独立自治区を作る。感染者のな。今、他国から感染者の受け入れを進めている。何千という数を揃え、感染者だけが住む自治区を政府に要求する』

 

──難民達の武装蜂起は、そのための脅しってこと?

 

自治区を作らなければ、難民達をコントロールして戦争を始める、とでも脅すつもりなのかい?

 

『概ねその通りだ。成功する可能性は高いだろう』

 

──本気で思っているのか?

 

『オレは本気だ。本気で、この世界で生きるために必要なことをしている』

 

難民達を都合のいいように利用して? 一歩間違えれば大勢の死者を出す。その後の難民達の処遇は、どう落とし所を作るつもりなんだ。

 

『実際に、難民達に関する法律の整備を進めさせればいい話だ。不当な労働を禁止させ、最低賃金を引き上げ、難民達が市街に家を借りてもいいようにする。それで解決する。無論、全てがスムーズに行くとは思わんが』

 

……。

 

『お前が誰で、どんな力を持っていようが関係ない。お前が早急に銃が必要なことは理解したが、それはオレ達とは何の関係もない。──それとも、オレ達を殺し、銃を全て奪うか? お前には可能だろう。お前はそれを達成するための暴力を有しているだろうことは、すぐに理解できる』

 

『だが、オレ達の人生を、望みを、命を……お前が奪っていい理由はあるのか?』

 

『オレ達のやっていることは正義でも何でもない。大勢が巻き込まれて死ぬ可能性は、かなり高いだろう。だがそれがどうした』

 

『オレ達は他人を傷つけたいわけじゃない。ただ生きていきたいだけだ。正義に味方されずとも、オレ達は生きていきたいだけだッ!』

 

『お前にそれを否定できるかッ!?』

 

『お前にその資格があるかッ!?』

 

『奪うなら奪えばいい。オレ達を殺したければ殺せばいいッ! お前はそのための力を持っているッ、だがオレ達の痛みを、苦しみを、悲しみを否定させはしないッ! 誰にもだッ!』

 

『お前はどうする。お前もオレと同じ感染者だ。共に来るのならば、拒みはしない』

 

『だが、もしもそうでないのならば……次に会う時は、敵同士となるだろう』

 

その問いに、今も答えを出せない。

 

躊躇ってはならない。

 

誰を踏みつけ、殺し、奪ってでもやらなければならないことがあるはずだ。

 

この世界を欺くに値する喪失は、フォンのそれと同様、誰にだって否定させない。

 

だが……。

 

この世界への復讐でもって、これ以上殺し続けるのか。

 

難民達の生きている姿を見て、殺してきた人々を思い出し、死なせてしまった奴らを覚えて。

 

────ブレイズなら、なんて言うかな。

 

僕になんて言うかな。

 

この世界に復讐したかった。

 

大切なものを奪っていった、世界という曖昧なものを否定したかった。

 

ここが分水嶺だ。

 

この選択に、人の死を理由に混ぜることは許されない。

 

曖昧な復讐か、それとも……僕に何か戦う理由があるのか。

 

……まだ待っている。

 

一発の弾丸が、この世界を変えるその時を……ずっとずっと、待っている。

 

血の色に染め上がった希望という名前の未来を描く。

 

そこには誰が笑っているのか。

 

──たとえ誰にも理解されないとしても。

 

──たとえ誰を傷つけ、誰を殺そうと。

 

──たとえ何を奪い、踏みつけ、壊そうとも。

 

──まだ死ねない理由が、僕にまだ残されているというのであれば。

 

命の形をしたチップを盤上に乗せてサイコロを振り上げろ。

 

そして運命の輪郭に未来の軌跡を描け。

 

さあ答えろ。

 

お前の選んだ選択は──。




・フォンとエール
似たもの同士。

・フェイズ
サルカズのエンジニア。お気に入りです



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Take my hand - 1/3

危機契約18行った喜びで投稿します
ここのところ忙しくてあんまり投稿できなかったです。これからもちょっと不定期気味です
ゆるせ


ここで、テスカ連邦を囲う勢力を整理してみよう。

 

一つ目、ギャング組織『スーロン』。感染者の青年フォンが組織した感染者集団。目的は感染者の自治区をテスカ連邦に作り上げること。

 

二つ目、テスカ連邦警察。実質的に、政府の意向を受けて行動する。巨大になりつつある犯罪組織スーロンの撲滅。また、未知の武器『銃』の押収を目的とする。

 

三つ目、エクソリア共和国の軍事組織『レオーネ』の特別顧問、エール。及び成り行きで同行しているラテラーノ公安四課、通称レンジャー4(フォー)所属特殊狙撃手アンブリエル。同じく銃の入手、可能であればその製法と技術の入手を目的とする。

 

そして四つ目、Nationalibus Hendrerit Investigatione(ラテラーノ国家捜査局)、略称はNHI。国家の認可しない内に外側に流れた、あるいは外側で誕生した銃の製造技術の回収を目的とする。可能であれば技術ごと抹消し、可能な限りの銃の回収、あるいは破壊する。彼らに与えられた任務。

 

NHIはアンブリエルの要請を受け、アンブリエルを回収するためにテスカ連邦へ向かっている。テスカ連邦で銃が流行り始めていることを知っているかは不明。

 

銃という武器はラテラーノのみに与えられた力であり、ある程度はラテラーノ外に流れ出るのは仕方がないにしても──それはコントロールされなければならない。それは、戦争のための兵器として優秀であるがために。ラテラーノが、自らが掘り出し、製造した銃で攻撃されることのないように。

 

そして、テスカ連邦首都マルガに集結し始めている。

 

そして、エールがテスカ連邦に入国して、三日目の朝。

 

エールがアンブリエルを起こしに行こうとして、ドアを開けようとすると、ドアと床の間に一枚の紙が挟まっていることに気がつく。

 

 

 

お世話になりました。ラテラーノに帰るので、探さないでください。アンブリエル

 

 

 

「なんだこれ……?」

 

率直な感想だった。

 

まあ……アンブリエルをラテラーノに帰すのは約束していたことだ。それが前倒しになっただけだし、これから始めることにあまり影響はない。

 

本音を言うなら、エクソリアに残って欲しかったが……仕方がない。さよならの一言くらいは欲しかったが……。

 

しかしあいつ……どうやって帰るつもりだ?

 

十分な旅費を持ってるとは考えにくい。ラテラーノまでどれだけ国を跨がなければならないか、知らないはずもない。

 

しかし、確実にラテラーノに帰れる保証がなければこんな紙切れは残さないだろう。

 

エールは思案した──鉄道はルートが厳しい、航空機も難しいだろう。車のキーは……僕が持ってる。ヒッチハイクでもやるつもりか?

 

「んー……?」

 

いや待て、もっと確実な……。

 

アンブリエルの所属は明らかにただの一兵卒じゃない。軍人じゃないだろう……秘密警察あたりが怪しいと思っていた。

 

とすれば、仲間に救援を頼んだ可能性はどうだろう?

 

しかしどうやって? テスカ連邦にラテラーノの部隊、あるいは組織が来ているとでも言うのか? 少なくともそのような無線機器はないはずだ。レオーネでさえその辺りの装備は整っていない。無線機器……。

 

────無線機器。初日にアンブリエルが入った中古機材店。

 

「ッ、あれかッ……!?」

 

国と国を隔てる通信技術はまだ発達していない。ロドスでもあるまいし、そんな長距離通信技術があるとでも言うのか?

 

だが……性能次第では、国をカバーできる範囲で通信が可能かもしれない。ラテラーノへの直接通信は出来ずとも、周辺諸国にラテラーノの組織があって、通信機器を持っていれば可能だ。

 

そんな組織があるはず──いやあった。

 

「え……いや、待て、待て待て待て待て……まさか、まさかそんなバカな……」

 

しっかりあった。エクソリアの周辺諸国で銃に関する調査をしている組織──。

 

「NHI……ッ! ってことは、まさか……テスカ連邦に来てるのかッ!? あり得る……!」

 

だとすれば、今は朝食を食べに行っている時間はない。

 

NHIがテスカに来れば、確実に銃のことを知る。

 

アンブリエルが裏切り、銃の情報をNHIに流した可能性を考えた。個人的にはあって欲しくはないが、十分にあり得る話だ。

 

いや、どちらにしても時間の問題か。

 

部屋を飛び出して走る。時間が惜しい。

 

銃が流行り始めている現状を、NHI……ひいてはラテラーノが放置するはずがない。元はと言えば自国の技術。ラテラーノから銃、及びその製造技術を引き渡すようテスカ連邦へ要求があるだろう。そうなればまずいことになる。

 

NHIに、テスカ連邦に銃があることを知られてはならなかった。

 

NHIは警察機関だ、武力を持ち合わせているか? いるに決まってる。それこそ本場の銃で武装しているはずだ。

 

まずい、どう出るか読めない。

 

銃を回収し切るのはもはや不可能だ。ばらまかれた銃は路地裏のチンピラから難民達まで様々な場所に存在するはず。

 

だとすれば、NHIはどこを狙う? 手出ししてこない可能性もある。ラテラーノに連絡を取り、本国の意向を確認してから動くかもしれない。

 

だが、いきなりスーロン自体を潰し、技術を潰す可能性もある。

 

──何が起きる。何が起ころうとしている。

 

難民達の武装蜂起──フォンがいつそれを起こすつもりなのかも分からないが、難民にはすでに銃が渡っている、とフォンは言っていた。

 

少なからず国民との間に緊張が走っているかもしれない。

 

低いとは思うが──何かのきっかけで、それこそ()()が起きてしまうかも──。

 

フロントの挨拶を通り越してガラスの重い扉を開けた。ヴィクトリア風の玄関が今は邪魔だ。

 

飛び出す──。

 

時刻は……八時程度だろうか。早朝というほどでもない。大通りに面したホテルの先では、今日もテスカの人々が行き来している。

 

──フォンの所へ行かなければ。

 

まずいことになる。難民達の行方がどうなるにせよ、今はそれどころじゃない。

 

車に飛び乗って乱暴に発進した。急がなくてはならない。

 

これが願わくば、すべて思い過ごしの杞憂であらんことを。

 

本当に、心から願う。

 

 

 

 

 

 

Take my hand

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日の難民達との宴会でエールが早々に潰れたのは、アンブリエルにとっては相当に都合の良いことだった。

 

無線で決めた通りの場所。テスカ連邦の行政区域にある公園、そこが合流地点。

 

「──アンブリエルだな。NHI捜査官、ワンズだ。迎えに来た」

「待ちくたびれたっての」

 

互いの手帳を見せ合い、所属を確認する。そしてお互いの情報通りの所属を確認して、捜査官の男は歩き出した。

 

「詳しい状況を聞きたい。一体何があった? ウーラ達は本当にエクソリアで死んだってのか」

「まーね。あんた達、見上げた根性だわ。情報漏洩を防ぐためとはいえ……」

「仕方ない。特に、今の不安定なエクソリアに銃の情報を与えてはならなかった。……そうか、死んだのか。そうか……──」

「恨まれないように先に言っとくけど、別にあたしはNHIの所属じゃないから、死んでやる理由はなかった。けど……あんたらの仲間を死なせたのは、多少悪いと思ってる」

「理解している」

 

アンブリエルがNHIに同行していたのは、その狙撃の腕を買われてのことだった。つまり、戦闘要員ということだ。

 

だが──エールを仕留めきれなかったのは、アンブリエルのミスだったのだろう。

 

……あいつやっぱり、あの時殺してればよかった。ちくしょう。

 

でももうおさらば。嫌いじゃなかったし、ちょっと心揺れたけど……やっぱりラテラーノを選ぶことにした。

 

「……結局、我々も上の都合で右往左往させられている、という訳か。ウルサスとの取引だかなんだか知らんが……。我々の仲間は、そんな都合のために死んだのか」

「ボヤいても仕方ないでしょ。そんなの、今に始まったことじゃないっしょ」

「公安の連中も苦労してそうだ。……しかし、お前はなぜテスカに居る? エクソリアで消息不明になったと聞いているが」

「エクソリアで捕虜んなって、いろいろ協力させられてたのよー。まあその一環って感じ? そうだ、今この国にNHIの人たちってどれくらい来てんの?」

「十人前後といった所だ。今はここ隣国を集中的に洗ってはみているが……おそらく何も見つからんだろう」

 

そりゃそうだ。なぜなら銃があるのはテスカ連邦であって、他の国ではない。

 

アンブリエルは、何もエールを裏切ったわけではない。悪感情がある、ということでもない。むしろ逆。

 

あのまま一緒にいれば、やがて自分は情に流されてしまうかもしれない、という危惧。

 

そうなって、正常な判断が出来なくなってからでは遅い。早くラテラーノに帰らなくては、という危機感。大体正しい。

 

そのままワンズの乗ってきた車両へ乗り込んでいく。

 

このまま何事もなく、テスカを出国し、NHIに合流。そうすればラテラーノに帰れるし、その後はまあテキトーに有給取ってのんびりしよう。どうせ任務に失敗した身だ。

 

「はー……。散々だったわマジ。そもそもあたしって別に対人戦闘専門じゃないしさー、戦闘要員として期待されても困るし」

「……レンジャー4はエリート部隊だと聞いているが?」

「あたしは別枠なの。超長距離狙撃のスキル持ってるからスカウトされただけだし。射程距離1、2キロのスナイパーの専門は戦いじゃないっての」

「一キロ先を撃てるのか? まさか、冗談だろ?」

「特殊部隊ってのは専門性に特化してんの。ま、見せる機会なんてないだろーけどさ」

「そのスナイパー様の専門ってのはじゃあ、一体何だというんだ?」

「……知らない方がいいよ。あんた、家族かなんか居る?」

「? まあ居るが……」

「家族が大切?」

「なんだ、突然」

「いいから答えて」

「……そりゃあ大事だ。俺がこうして仕事しているのも、家族のためだ」

「そう。じゃあ尚更知らない方がいいわ。失いたくないでしょ、大切な家族をさ」

 

意味深な言葉に、NHI調査員ワンズはハンドルを握る手に力を込めた。

 

アンブリエルの生存を報告した後に言い渡された、一つの指令の意味を考えて。

 

……まさか、本当に?

 

「じゃー、さっさとこんな国とはおさらばしよーよ。早くラテラーノに帰りたいわー。あたしもう一ヶ月くらい帰ってないんじゃね? 働きすぎっしょー」

 

ワンズは、ベルトに挟んだ小型拳銃の感触を確認した。すぐにでも撃てるように。

 

「一つ確認なんだが、お前はこの国に関しての調査をしたか?」

「んー? いや、そんな暇はなかったかなー。ほら、エクソリアの要人と行動してたっつったでしょ。この国じゃずっと一緒にいたからさー」

「なぜこの国へ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ごく自然体で話す。それが嘘だとは、そうと知らなければ分からない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()N()H()I()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「そうか。では、()()()()()()()()()()()()()

「しつこいって。何を疑ってんのよ」

「いや、ないならば別にいい。いいんだ……」

 

──微かに、アンブリエルが緊張する。

 

裏切りを疑われている、と判断するのはそう難しい話じゃない。

 

だが……自分を切るのか?

 

「安心しろ、別に疑っちゃいない。そもそも、そんな理由もないだろう」

「あったりまえっしょー? まーいくら疑ってくれてもいいけど、酷くねー? あたし、散々ラテラーノのために働いたってのに」

 

ワンズの中でわずかな迷い。冷や汗と共に。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

だとしたら、今……相当自分は危険な状況にある。いつアンブリエルがこちらを殺しに来てもおかしくないかもしれない。

 

だが、嘘を言っている気配はない。やはり気を張りすぎているだけだ。

 

最後に、一つだけ確認をすることにした。そうすれば安心できる、と判断して。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「────え? マジ?」

 

僅かに。

 

ほんの、僅かに。

 

アンブリエルの表情が固まったのを、ワンズは見逃さなかった。

 

NHIの捜査官として、様々な人間の取り調べを行なってきた。当然、嘘の言葉にも慣れている。

 

どれだけ訓練をしても、人には感情が付き纏う。

 

嘘をつくと、必ず何処かに綻びが出る。

特にそれは、今のような……命を左右するような状況においては顕著だ。嘘を通し切れなければ、その命が危ういような。

 

ギャンブルのような、緊張感。

 

それが出る。

 

ワンズは、自身の長年の経験から判断した。

 

車を脇に止めて──。

 

銃を抜く。

 

「ちょ、あんた何のつもり!?」

「……悪いな」

 

引き金を────引いたのは、ワンズではなかった。

 

銃声が響き、胸を貫かれたワンズが痛みに顔を顰める。視線の先には今この国で流行っている拳銃、グロックの銃口。

 

アンブリエルが銃を抜き、先制して撃った。

 

「うぐッ、お前、やはり────」

 

──この国に来て最初、チンピラを撃退したときに一つくすねておいたものだ。

 

そしてもう一発、ワンズの脳天を撃ち抜いて、殺した。

 

「──────くそっ!」

 

銃声が響いたので、思わず振り向いた人々の視線。

 

何か考えるより先に、逃げなければならないと判断した。ワンズを運転席から蹴り飛ばして運転席に座る。車を出して逃亡。

 

──バレてた? 鎌をかけられた?

 

どうして? なぜあたしを始末しようとした?

 

限りなく極限に近い焦燥。車は走るがどこに行く。

 

どこへ行けばいい。

 

どこへ、行けば────。

 

唐突に車内部のスピーカーから声。

 

『こちらヘッジ。ワンズ、連絡が遅えぞ。そっちから連絡する手筈だろうが』

 

────NHIの無線だ。

 

とすればこの声は、同じNHIの人間。

 

どうする──スイッチを入れなければこちらの声は届かない。だが……。

 

『おい、何とか言いやがれ。……まさか、やられちまったのか。おい! 今その車に乗ってんのがワンズだったら早く応答しろ! だがもしも違った場合には……』

 

焦る。心臓の鼓動が激しい。遠のくような、緊張。

 

『おい。その車に誰か乗ってんのなら聞け。アンブリエルとか言う小娘なら尚更な。これよりお前を殺人罪、外患罪、及び銃器特殊規制法違反容疑で手配する。言っとくが生きてラテラーノに帰れると思うな。特に、お前の輪っかが黒く染まってた時はな』

 

──今、あたしの輪っかって何色だろう。

 

白いままかな。

 

……多分、違うな。

 

初めて同族を殺した。

 

人を殺すのは初めてじゃないはずだろう。何十人も、何百人も殺してきたはずだろう。今更何を怖がってる。

 

『これよりお前の逮捕に動く。今この国で起こってることもまとめて聞かせてもらう。また、抵抗はお勧めしない。俺たちNHIは第二プランに則り、アンブリエルの排除を第一目標として動くものとする。通達は以上だ。それじゃあな、クソ野郎』

「何で……」

 

何一つとして理解できない。

 

嵌められた? いや、そんなバカな、誰が?

 

何で? 何でバレた?

 

どうしてこんなことになっている?

 

────微かでも嘘をついている様子があれば、すぐさま殺せ。

 

アンブリエルは知るよしもないが、それがテスカ連邦周辺で調査を行なっているNHI調査員に下された指令だった。

 

それはNHIの上層部からのものではなく、もっと上──国防省からの指令。指示というより、命令。

 

その命令に従ってワンズはアンブリエルを殺そうとし──死んだ。

 

……この車に乗り続けるのはまずい。発信器などが付いている可能性があるし、外から見れば一発で分かる。

 

道路の端に車を乗り捨てて、アンブリエルは街を走る。

 

──石のレンガが積み上がった、山間の街。

 

今日も、人々はいつもと何を変わらない生活を送っている。それが何とも滑稽だった。何も知らないのだろうか。

 

「……切られた」

 

確かにアンブリエルは嘘を付いていたが、積極的な敵意はない。だがそれにしては殺すまでの判断が早すぎた。明らかに……アンブリエルを救出するというより、まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

なぜ? 何で?

 

普通は尋問やら裁判を挟むものだろう。そもそも向こうからしてみれば、自分が裏切っているかなんてかなり不透明だし、そもそも本当に捕虜として捕らえられていただけの可能性だって高い。

 

これじゃまるで、自分が裏切っていたかなんて本当はどうでもいいみたいじゃないか。

 

──真っ白い髪の男の姿が頭を過ぎる。

 

あいつに助けを求めるか?

 

NHIに標的されたら、逃げ切るのは容易じゃない。戦闘訓練を積んでいるし、そこらのチンピラとは訳が違う。

 

逃げるって、どこに?

 

戦うって、何で?

 

どうして──……?

 

「っ、マジ、何で……こんなッ!」

 

身を隠さないと行けない。

 

土地勘のない国、様々な手段の欠落。まずい状況。

 

ただ走るしかない。

 

……もうめちゃくちゃにしてやる。

 

スーロンでもエールでも巻き込んで全部うやむやにしてやる。それしかない。

 

だが、その後どこへ行く。

 

もう、帰る場所などどこにもないというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……命中確認。任務かんりょー』

 

アンブリエルの仕事は、端的に表現すれば──殺し屋だった。

 

国際的な治安のための武力行使。

 

まあつまり、ラテラーノにとって邪魔になる人物……他国の要人やらを始末するのが仕事。それ以外には国内犯罪の鎮圧。まあ、一発で頭を撃ち抜くのが仕事。

 

レンジャー4は生え抜きの特殊部隊だ。この部隊の役割は複雑で、ラテラーノに関係する各国のバランス調整が主な役目だった。

 

バランス調整という表現は少々奇妙だ──と、アンブリエルは考えていた。

 

国の力というのは、大きすぎれば諸国はこれを恐れ、抑え込もうとする。力が小さすぎれば侮られ、攻めいられる。

 

何事もバランスが大事だ。ラテラーノは国土面積的にもそう広いものではない。だがその軍事力は銃という特殊性を備えていて、そう小さいものでもない。

 

この世界は金で動く。それが社会のシステム。いいとか悪いとかではなく、そういうものなのだ。そうやって世界は動いている。

 

金を動かすということは、少なからず国を動かすことだ。政府の動かす金、企業の動かす金、個人の動かす金。

 

経済活動の自由は個人の権利として認められている。だが、それが国に影響を与えることが少なからずある。

 

小さなものから大きなものまで。

 

代表的なものはまさに銃──武器商人たちだろう。ラテラーノにおいても銃は凶器ではあるが、それ以上に娯楽品としての側面が強い。そもそも高価なものだし、全ての人に必要な訳でもないのだ。

 

例えるならば自動二輪だろうか。個々人でパーツを購入し、カスタムする。サンクタにとって銃とはそういうものに近い。戦争のための道具ではない。

 

だが武器商人たちは異なる。これを世界中に流通させることができるのなら、とんでもない利益を得られる。だが政府はそれを規制した。当然、それはそのまま国力が外に流れ出るのも同然だからだ。

 

もしもラテラーノが売った銃でラテラーノが攻撃でもされてみろ、それこそ本末転倒だ。

 

よって、政府と闇組織での密輸のイタチごっこが始まる。それは麻薬の密輸に似て、靴の裏や、胃の中にパーツを隠すなど、それはもう様々な方法で。

 

ごく稀に、銃で武装した集団による凶悪事件などが発生する。それは国内か国外かを問わず。アンブリエルにとってはまあまあな頻度で発生する。

 

──ラテラーノ人が全員サンクタな訳ではない。

 

レンジャー4には堕天使も少なくなかったが、アンブリエルは天使の輪を汚したくなかった。だから足や手を撃ち抜いて無力化させていた。

 

だが、標的がサンクタじゃない場合はその限りではなかった。

 

殺せ、と命じられるまま殺した。

 

撃てと命令されるまま撃った。

 

何発も、何発も、100点満点のヘッドショットを一度だって外したことはない。

 

スコープの先に赤汚い花をいくつも咲かせて、平気な顔で歩く。

 

レンジャー4はその任務のために、合法的な武力行使及び殺人を許可されている。本人の同意があれば同族殺しも許される。

 

────アンブリエルもラテラーノ人の一人だ。

 

別に宗教を聞かされて育ったわけではない、教えてくれる両親もいなかったことだし。

 

だが、信仰というものが何なのか知らないということでもない。

 

後ろめたいことでもない。だって国がやれって命令している。罪も罰も国が定めたものだというのなら、アンブリエルのやってきた仕事は何一つだって罪ではない。

 

殺すたびに、何かを背負わされているような、

 

相手は何も犯罪者ばかりでもない。時には要人や政治家を撃ったことさえある。

 

ただ一つだけ、大切に守ってきた何かが汚れていくような、

 

銃というのは良くないと思う。殺した感触が手に残らない。殺すことに慣れていく。少しずつ、その黒いインクが薄まっていく。

 

誰かと共に生きられなくても、それでも何かを欲しがったというのに、

 

汝、隣人を愛せ。

 

まるで、その一節が自分を丸ごと否定してくるような、生きてきた苦しみを否定するような、

 

愛を知らない。恋を知らない。

 

愛を知らなかったあたしは、愛に知られないまま、

 

曖昧な宗教という心の拠り所が、自分の生きようとした努力を根こそぎ否定していくような、

 

それこそ、殺せば殺すほどに。

 

“何処へ往く?”

 

そして遂に、心まで捧げて尽くしてきた祖国にすら──

 

“何処から来て”

 

このまま消えていくのか。苦しんだまま、何も得られず、何も残せず。

 

“何を成して”

 

あのアパートの一室に誰も帰らないことなど、一体誰が気にするというのか。

 

“そして、何処へ往く?”

 

帰りのチケットはもうない。永遠にない。

 

ただ走る、走る。

 

何処へ往く。

 

何処へ。

 

まだ知らない。

 

まだ知らないまま。

 

まだ。




・アンブリエル
お前もうメインヒロインでいいんちゃう?
堕天しました。スーパー崖っぷち状態

・レンジャー4
汚れ仕事を請け負う特殊部隊。何なら一般に存在が伏せられている。
裏設定ですが、レンジャー4でもアンブリエルは独立気味の立ち位置でした。任務も単独でこなすことが多かったと思います

・まだ知らない
"まだ"。


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Take my hand - 2/3

エールは、スーロンのアジトとしている建物にたどり着くことは出来なかった。

 

早い話襲撃に遭った。

 

ボロい信号が青に変わるのを待てず、事故を起こしかねないスピードで走る車はやけに目立った。運が悪く、それが市内を捜索していたNHI捜査員の目に映った。運転席にいた白髪の男はNHIでも現在危険人物として登録されていて、見間違えることもなかった。

 

『本部へ。 オリアナ通りにて”エール”と思わしき人物を発見した』

『本部了解、確かか?』

『車で爆走しているところを見ただけだから確証はないが、可能性は高い。車両は西地区へ走って行った』

 

この状況下においてエクソリアの”英雄”エールの存在が確認された。アンブリエルの方に向かった調査員は消息が絶えた。

 

NHIはこの状況下から、エールたちエクソリア勢力も銃を狙ってテスカ連邦に来ていると推測を立てた。だとすればNHIにとっては不都合になる。

 

特にアンブリエルはラテラーノの機密に関わる数多くの任務を遂行したスナイパーだ。裏切っていたとするならば、絶対に生かしておけない。

 

『了解。優先目標にエール、及びアンブリエルを加える。アンブリエルの方は必ず始末しろとのお達しだ。エールは高い戦闘能力を持つとの情報もある。用心しろ』

『了解』

 

──俺たちNHIは調査局であって、軍隊じゃないんだがな。そうぼやきたいのを調査員の一人は必死で堪えた。無線が通ってる中、迂闊なことは言えない。

 

NHIのやるべきことは、銃の出所を調べ、消すことだ。

 

銃をラテラーノが独占していることは大きな優位性をもたらしている。それを壊させるわけにはいかない。もっとも、こんな大規模な戦闘が予想されるとは考えもしていなかった。

 

一国の革命のために使用されるだけの戦術的優位性を、銃は秘めている。

 

NHIはエールの目撃場所から目的地を推察。現在テスカ連邦で銃をばらまいているギャング組織『スーロン』のアジトの一つだと仮定し、そのルート上に狙撃手を配備。高い組織力と連携力を持った集団の為せる技だ。

 

そして、スナイパーはドラグノフを構えた。

 

銃声が市街へ響き渡る。どうせ銃への理解が薄い国だ。この音が一体何を意味しているのか理解していない人間も多い。

 

斯くして一発の弾丸が撃たれ、車の天井越しにエールの体を貫いた。

 

一発の小さな弾丸だが、まるで鉄球でもぶつけられたかのような、強い衝撃がエールを遅い、ハンドルが狂う。

 

「──っ、ぐッ」

 

いくらエールと言えど、晴天の霹靂だった。

 

NHIが来ている可能性は考えていたが、すでに狙撃準備に入られていた──だと?

 

強い痛みが脳を支配した。

 

「クソッ、最悪、だ……ッ」

 

視界すら赤く染まりそうな熱、服に染みていく血。

 

呼吸の音が変だ。

 

──咄嗟にブレーキを踏むが、スピードが出ていて、なおかつハンドルを上手く操れない。車は歩道と車道を隔てるガードレールに滑るようにぶつかった。

 

「は、っ……、はぁっ……ッ! っつ、痛すぎ、だろ……ッ!」

 

どこから撃たれたのか、それを理解するのは難しかった。

 

だが、もう一発撃たれるであろうことは予想できた。

 

──姿を隠さなくては、どこかにいる狙撃手から、姿を隠さないと。でないと殺される。

 

まだ死ぬわけにはいかない──。

 

痛みを堪え、助手席に積んでおいた応急キットを掴み、ドアを蹴り開く。

 

アーツを使用──空気抵抗を排除。同時に身体に風の補助を纏い、石レンガで出来た建物の並ぶ歩道へ飛び出した。

 

予想以上に早い対応に、スナイパーは二発目を撃つが──それは市街の地面を砕くだけだった。スナイパー視点からして手前の建物に身を隠され、姿を見失う。

 

エールは歯を食いしばりながら貫通した箇所の応急処置を済ませる。

 

正直、こんな昼間から撃ってくることは想定していなかった。最悪だ──。

 

歩道を歩いていた人々はその光景を見て、何一つ理解ができなかった。非現実的とも呼べる出来事が起きているのだ。

 

そんなものを気にかけている余裕は、エールにはなかった。

 

ここで死ぬわけにはいかない。

 

まだやるべきことがある。

 

──今の狙撃手、アンブリエルとかだったら笑えないな。

 

エールにとって、アンブリエルが裏切った可能性というのは確かに存在していた。実際には違う訳だが……。

 

すぐにNHIの増援が来るだろう。その未来を想定し、苦境に立たされていることをエールは理解した。

 

──銃ってのは最高に厄介な武器だ。

 

エールの攻撃圏内は精々が20メートル。近接戦闘としては相当高い優位性を誇るが、100メートルや200メートル、いやそれ以上の射程から一方的に攻撃された場合、成す術がまるでない。

 

剣と違い、見てから避けられない。どこから撃ってくるかも予想しにくい。特に高所からの狙撃は近づくことも難しい。加えて傷が痛む──。

 

「ぐっ、っ……痛いな……ッ」

 

荒い呼吸を繰り返し、焦りの中で思考する。

 

どうすればいい。どうすれば──。

 

一人に出来ることは限られている。一対多数など勝てるはずもない。特に、相手が高度な連携をとってくる場合なら尚更。エールも所詮、一人の人間に過ぎない。

 

ここで死ぬ。確実に殺される。

 

半径20メートル以内に敵が接近してきたら、確実に殺せる自信はある。だが──。

 

敵がそんな風に近づいてきてくれる保証など、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

NHIの狙撃手、ジェイルには精神的な余裕があった。

 

一撃入れた。その事実は大きい。まともな神経をしていたらその場から動けもしない。そのはずだが──ずいぶん根性のある相手だ。

 

『ジェイルよりHQへ。対象に一発ブチ込んだが、まだ生きている。念のため2、3人回してくれ』

『了解。油断せず、確実に仕留めろ』

『了解』

 

戦術的な優位性はジェイルにあった。狙撃の射程圏内にまだエールがいる以上、必ずチャンスはある。それに一撃入れた。あの傷では遠くまでは逃げられない。車はまだ走るだろうが、乗って逃げようとすれば──次は必ず頭を撃ち抜いて殺す。

 

危険なのは、接近されること。だがそれも対処は一応可能だ。当然近距離火器も持ち合わせている。

 

スコープから目を離し、より広い視野で戦場()を観察する。この首都マルガは紛れもない戦場だ。エールたちとの殺し合いの舞台へと変貌した。

 

一方、エールは──。

 

「て、てめえ──エールっつったなッ! な、何してやがる!?」

 

一つの幸運に見舞われていた。

 

その人物は、セイという名前を持っていた。エールには見覚えがある──フォンの補佐をしているはずの男だ。警察と戦闘があった際、スーロンを率いていた男。

 

「……君は、確か……フォンと一緒にいた」

「セイだ! それより何だこりゃあ!? その傷──」

 

混乱するセイ。スーロンとエールは半分敵対的な関係にある。エールに対して強い警戒心を持っていたが、状況が全くわからず声を荒げた。

 

「……NHIにやられた……って言っても、分からないか」

「……? NHI、何だそりゃ……」

「手短に説明しよう。君たちスーロンにとっても無関係な話じゃない。端的に説明すれば、ラテラーノの警察機関だ」

「は、はあ!? ラテラーノ!? どういうことだってんだよ!?」

 

フォンと異なり、セイは直線的な性格だ。謀略などには弱い。さっぱり想像がつかない話だ。

 

「銃が……ラテラーノ発祥だってことは知ってるかな……。まあ……君は面倒な話は苦手そうだから端折るけど……。つまり、マルガに散らばった銃と、その技術を回収しにきたんだろうね……」

「な、何でそんなこと……」

「元々はラテラーノの技術だ……。ラテラーノからしたら、君たちは技術を盗み出した敵、ってことじゃないかな……」

「ふざけんな! アレは俺たちが一から製造したモンだろうが! ラテラーノなんて全く関係ねえだろ!?」

「君が何を言おうが勝手だが……現実は変わらない。きっと君たちも潰しにかかる、だろう……。彼らは、銃の本場から来てる……扱ってる銃の種類も、質も、それを扱う技術も、君たちとは比べものにならない、はずだ……。強いよ──」

 

セイは、全く得体の知れなかったエールが血を流し、壁に持たれかかって荒い呼吸を繰り返している姿を見て、さらに混乱する。

 

そして、それが本当かも知れない、と信じ始めていた。

 

「そこで、提案なんだけど……。一緒に戦わない?」

「は、はあ!?」

「もう、こっちで争ってる場合じゃない、ってことだよ……。多分、君たちスーロンだけじゃ厳しい、と思うよ。ハンドガン一丁で……勝てるかな」

 

アンブリエルからある程度の銃の種類を聞いていたエールは、そう理解していた。

 

マシンガン──ハンドガンよりずっと強力な掃射性、制圧力、威力に優れた銃器。そんなものまであるとアンブリエルに教えられていた。

 

──正直、セイには判断しきれない内容だ。そして、エールが信用できるとも限らない。

 

「……お前の言うことが本当だとしても、正直俺には判断しきれねえ。俺たちはフォンに着いてきたんだ──。フォンに報告してから」

「──ダメ、だ……。そんなことをやってる時間は、僕にも……君にも、ない……ッ! いいか、そこの歩道……半分より向こう、道路側へ行かない方がいい……。狙撃手がいる。君も撃たれるかも知れない……」

「狙撃手、ってのは……何なんだよ……?」

「そういうものがある。君の知ってる銃は、全体の一割程度なんだ……。長距離、それこそ一キロ以上先を撃てる銃もある……。今、そいつと僕は戦っているんだ……」

「は、はあ……!?」

 

信じがたい話だ。だが、エールのその目は本気だった。以前会った時のような、不気味な微笑みなんて欠片だって混ざっていない、本気の目だ。

 

──少し、気圧される。

 

「だから、手を貸して欲しい──いや。違うな……。もはや君たちに選択の余地はない……。手を貸せ。NHIの連中を倒さない限り、君たちにだって、未来があるかは怪しい……ッ」

「だ……ッ、だけどなッ! お前の言ってることが全部本当だとしても、その後はどうするつもりだ!? NHIって奴らを倒せたとしても、その後もお前は俺たちと協力できるって訳じゃねえ!」

「……おっと、それも……そうだ。……正直、アイデアはない。けど、それはNHIを倒せたら、の話だ……。僕たちが全員殺される確率の方がずっと高い……そいつを前に、皮算用っていうのは、意味がない……だろ?」

 

エールは視界の端、往来の車道に走ってくる真っ黒な車両を目に止めた。その車両はやけに目立った。

 

すぐ近くに停車し、ドアが開いて飛び出してきたのは二人の男。暖かいテスカ連邦でも全身を黒い装備で覆い、二人にとっては初めて見る武器──アサルトライフル(AK-47)を構えていた。

 

エールは警鐘を大音量で鳴らす自らの本能に従って、痛む体に鞭打ってセイを掴み、もたれていた壁の横、服飾店のガラスを破って店の中へ雪崩れ込んだ。一拍遅れて弾丸の雨が襲い掛かる。店内に展示されていた服をなぎ倒し、エールたちを捉えようとするが、床に伏せていたエールたちを殺すには位置が邪魔をした。

 

セイは何が何だか分からないまま、エールに襟を引かれて物陰へと隠れた。

 

「連中、だ……。威力は今見た通り、君も、連中の目標、みたいだね……」

「ふ、ふざけんなよてめえ、俺を巻き込みやがったな……ッ!?」

「まあ、ね。でもどっちにしろ、時間の問題だった……。スーロンとNHIの衝突は、ね」

「……ッ!」

 

店内へと走ってくる足音がやけに聞こえる。店内の客が何人か巻き添えになり、女の店員がそれを茫然と眺めてい流。

 

「今は、僕に従え……」

 

──死にたくなければね、というメッセージをその言葉の影に隠して。セイもこうなっては後に引けない。グロックレプリカを取り出して小さく叫ぶ。

 

「く、クソ……ッ、やるしかねえのかよッ……」

 

店内を視認。ハンガースタンドと共に様々な服が店内を荒らしていた。そして、階段の存在。

 

「ついてこい……ッ」

 

今は体の痛みなど放っておけ。エールは階段へ走った。セイも慌てて続く。

 

NHIの二人が掃射するが、その照準が二人を捉えることは出来ず、代わりに店内に破壊の跡だけを残していく。階段を駆け上がった。

 

二回も服の展示品が並んでいた。高級な部類を扱っているらしい──。

 

NHIの調査員──今は戦闘員だが、その二人も追いかけていく。二人に十分な武装がないことは情報から分かっている。精々が持っていてもハンドガン──防弾ベストさえ着込んでいれば火力でゴリ押せる。

 

ハンドサインを交わし、ライフルを構えて階段を上がっていく。用心はするが、逃げられるのも面倒だ。早々に仕留める。そう難しい話じゃない。

 

十分な武装をしていない素人二人にトリガーを引くだけ。

 

階段の途中、NHIの二人に降り注ぐものがあった。光を遮る、大量の──。

 

()()を振り払うが、量が多い。頭に被さり視界が封じられる──それと同時。

 

「おらあああああああああああああぁぁぁぁぁぁああああぁッ────!」

 

セイが階段の上から跳躍し、二人を蹴り飛ばして一階へ落ちていく。手にはハンドガン、放り投げた大量の衣料の上から何発も打ち込んで、すぐに離れる。

 

落ちた衝撃で動けない二人に、店内の服を大量に放り投げた──。

服というのは、重ねればそれなりの重量になり、なおかつ面積があり、重ねれば視界を塞ぐ。何が何だか分からないまま──服越しに、何かに貫かれて死亡した。

 

エールは自身のアーツユニット──長剣型のブレードを腰に戻し、一息つく。

 

エールの一つの武器は、剣に超高気圧の空気の層を生成し、それを殺傷性のある剣にすること。

 

0.1ミリにも満たない、極薄の風の刃。それが何層にも重ねた布越しに頭部を貫いたのだ。

 

「──つッ、はぁっ、はぁッ──」

「や、やったよなッ! ざまあみやがれ、はははッ!」

 

服をどかし、二人の死亡を確認するセイは、そのまま二人の持っていたアサルトライフルを握り上げて、熱に浮かされたように笑う。

 

一方のエールは、戦闘を乗り切ったことでまた先ほどの傷が傷み出していた。激しく動いたことでまた血が流れ出す。

 

「ラテラーノだか何だか知らねえけどよ! こんなやべえ武器があんのならイチコロじゃねえか! それこそ警察のクソ共だって──ッ!」

「浮かれない、方がいい……。まだ終わってない」

「分かってるよッ! しかしてめえ、やるじゃねえかよ! フォンみてえな機転だった!」

 

鉄火場を乗り切り、セイは完全に興奮状態にあった。

 

とっくに店員の逃げ出した店内で、浮遊感のような感覚に身を委ねている。

 

それでもこれはまだ始まったばかりだ。最初の死線を潜り抜けたに過ぎない。

 

貫かれた箇所から血が止まらない。長引けばまずいことになる。だが──。

 

ここで休んでいる時間もない。

 

「行く、よ……。スーロンのアジトで、安全な場所まで、案内してくれ……」

「ああ。ってか、その傷は大丈夫なのかよ?」

「……大丈夫じゃなくても、今はやるべきことがある」

 

まだ逆境だ。行かなければ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンブリエルも、目指す場所は同じだ。エールから、スーロンのアジトを教えられていた。スーロンも無関係じゃないことはアンブリエルにも分かっている。当然巻き込むつもりだった。

 

このまま死にたくない。

 

その思いがアンブリエルを動かしている。

 

取った移動手段はタクシーだ。テスカ連邦でも、自動車を用いたタクシーが存在している。これならば市民に紛れて移動できる。無論、完全に安全とは言えないが。

 

「お客さんアレかい? サンクタってヤツかい?」

「……まーね」

「ほお、そうかい! こりゃ驚いた、初めて見たな!」

 

調子良く話す運転手は、アンブリエルの現状など知りもしないのだろう。苛立ちも沸かない。

 

「まー、なるはやで頼むわー……。出来るだけ、かっ飛ばして」

「はいよ! でも、そっちにゃ観光出来るもんなんて何にもないよ? 行くんだったらセントラルの方とか──」

「いいから」

「……まあ、そうならタクシーの運ちゃんが口出す話でもないですがね。でも気をつけた方がいいよ? 西地区は治安が良くないし、特にねーちゃんみたいな可愛い子は一人だと危ない」

「余計なお世話っしょ。だいじょぶだいじょぶ」

 

──もう危ない状況だ。今更どうでもいい。

 

腰に挟んだリボルバーの残弾は六発。弾薬も一箱くすねてきておいた。リボルバーは専門外だが、だからと言って素人じゃない。小型拳銃の訓練も積んでいる。

 

「──っと。交通規制……? 嬢ちゃん、どうやら何か起こってるらしい。この先に行くのは無理だな」

 

確かに、交通封鎖が行われている。警官と警察車両が何台も道路に立ち並び、交差点の一角を封鎖している。

 

「今は西地区に行くのは無理だ。どうする? 中央へ引き返すか?」

「……いや。ここでいいわー。降りる」

「……? そうかい。気をつけてな!」

 

支払いを済ませて、一角でアンブリエルは降りた。

 

運転手の言葉通り、道路が歩道まで含めて封鎖されている。向こう側へ行けはしないだろう。

 

交差点を渡り、封鎖線へ歩いていく。警官の一人が気がつく。

 

「ねー。向こう行きたいんだけどさー」

「申し訳ないですが、現在ここから先の一帯は封鎖中です。市民、および観光客の立ち入りは禁止しています」

「……何か起こってんのー?」

「まあ、詳しいことは話せませんが……。暴力組織同士の、銃を用いた戦闘が発生しているんです。戦闘に市民を巻き込まないために、封鎖中なんです。申し訳ないですが、しばらくは立ち入ることは出来ません」

「ふーん……」

 

──? 暴力組織同士の戦闘? 銃を用いた……。

 

片方はスーロンだろう。だがもう一つは……。NHIか? 可能性はある。

 

まずいことになってきたと取るか、より混乱が広がることを喜ぶべきか。状況がこんがらがっていくほど生存の目は高くなるか?

 

どうする。どうすればいいだろう。

 

スーロンがNHIに勝てるだろうか? 数では大きく勝るだろう。だが……。

 

確実に無理だ。装備と練度の差が大きすぎる。NHIはただの警察機関じゃない。軍隊には劣るとは言え、十分な戦闘訓練を積んだ警察組織だ。

 

スーロンが潰されれば、どうなるだろうか。残るのはエールと自分だけだ。

 

──スーロンに今消えてもらうわけには行かない。絶対にそれは阻止しなければならない。この国からの脱出の目さえ消える。NHIの包囲を突破することは著しく困難になるだろう。

 

エールは今どう動いている。エールなら、スーロンに協力を持ちかけるだろう。今も戦っている可能性が高い。

 

なら、状況を引っ掻き回してスーロンに有利な状況を作り出さなければ。

 

アンブリエルは辺りを見回して、車道へと近づき、手頃な車がないかを探す。

 

あった。丁度よく、停車場から発進しようとしている頑丈そうなデカい車が。それに見たところ運転手一人だけ。

 

アンブリエルはそっちに向かって走る。

 

車道に出ようとしていた運転手は左右を確認して、見るからにこっちへ走ってくるピンク髪の少女に気がついた。

 

大きく手を振り、こっちに駆け寄ってくる。

 

「ちょ、ちょっとー! そこの人、待って、待ってー!」

 

アンブリエルの容姿は整っている。サンクタ特有の白い天使の輪は所々黒く染まっているが、テスカに住む男にとって、それが何を意味するのかなど知るはずもない。

 

普通、警戒などするはずもない。運転手は若い男だった。尚更そうだ。期待する。

 

そのまま近くまで走って来て、疲れた様子のまま男を見上げた。

 

「ちょっと、ごめん。あのさ、ちょっといいー?」

「お、俺にか? なんだ、道案内か?」

「そんなとこ。悪いんだけどさー」

 

アンブリエルは顔を上げて、極々自然な動作でゴツい車に目をやった。そしてなんでもないように話す。

 

「え、てか……この車かっこいーね。すげーじゃん」

「お、おう。そうだろ?」

「あ、てか違う……あのさ!」

 

全開にした窓に、男は肘をかけていたのだが……その腕を、アンブリエルは両手で掴んだ。

 

「ちょっと助けて欲しいんだけどさ!」

 

ボディタッチ。柔らかい手が男の形を包む。

 

「な、なんだよ……?」

「お願い、一旦降りて、こっちに来て欲しいのよー!」

「な……なんだよ、何か事情があるのか?」

「そう、今さ、なんか変な男たちに追いかけられててさー! 全く知らない人たちで、すっごいあたし怖くて、それで!」

「お、落ち着けよ……。ギャングの連中か? 観光客狙いか……」

「お願い! 今時間なくてさ、頼れる人とかもいなくて、それで……!」

 

当然嘘八百だ。慌てた様子も、言葉遣いも全て演技。だがそれなりに迫真の演技だった。何せ、全てが嘘ではない。

 

「突然こんなこと言ってごめん! でも、お願い、あたしを助けて欲しい……っ!」

 

そう言われて、断れる男など……この世界にどれくらいいるのだろう。

 

男はドアを開け、地面に降りた。

 

「車に乗って隠れてろ! どっちからだ!?」

 

さながらヒーロー感覚。美少女に助けを求められるなど、まるで映画だ。

 

「向こうのほう! お願い、助けて……!」

 

息巻いて、無辜の市民は拳を構えた。どんな連中だか知らないが、自分がぶっ倒してやる。そしてその後は……。

 

()()()()()()()()()()()()()にアンブリエルは乗り、ハンドルの調子を確かめた。問題ない。

 

サイドブレーキを下ろす。シートベルトもかけた。クラッチを繋いで発進。

 

「……え?」

 

男にとっては、訳がわからない。だがすぐにアンブリエルのさっきとは打って変わったような横顔を見て気がつく。

 

──だ、騙された!?

 

「めんご〜」

 

──男ってみんなバカなんじゃないの? ちょろ。

 

かなり悪質な詐欺を平然と実行してアンブリエルは車を調達した。特に頑丈そうな、車高の高い車。

 

これでどうするのか。

 

信号を無視して、そのままアンブリエルは警察が固めていた封鎖戦へとアクセルを踏む。

 

すぐに様子のおかしい車に警官の一人が気がつき叫ぶ。

 

「!? そこの車両止まれ! 止まれーッ!」

 

止まらない。むしろ加速──。

 

「……どうにでもれなれっての」

 

半分ほど自棄になったアンブリエルが止まるはずもない。散り散りに車線上から逃げていく警官。

 

がしゃーん!

 

そのままパトカーを吹き飛ばして、奥へ──。

 

銃声がエンジンの音に混ざって聞こえる。

 

封鎖された区域に、人影はいない。車だって一台も走っていない──アンブリエルの暴走車両を除いて。

 

だが遠くに、何台もの車両が止まっている。あれは……NHIの車両だ。ナンバープレートがテスカ連邦のものとは違うから、すぐに分かる。

 

突っ込め。全部めちゃくちゃにしてしまえ。

 

どうせ死ぬのなら、派手にやってしまおう。

 

……あの頭のおかしい男にでも影響されたか。まさか自分がそんなことを考えるなど、アンブリエルにとっても意外だった。

 

だが、行動しないものに未来は存在しないことだけは、確かだ。

 

 

 

 

 

 

フォンも同様に、逆境に立たされている。

 

「──ダメだフォン! 撃ち合いじゃ勝てねえ! なんなんだあの武器はッ!?」

 

アジトとしていた建物。そこは街の一角、通りに面した場所だ。

 

ギャングらしく、堂々と表通りに拠点を構える。無論この拠点はいくつもあるものの内の一つ。これは囮の拠点として用意していた場所だ。

 

警察に対し、本命である銃の製造工場の場所から目を逸らすため、フォンはこの建物に常駐し、それなりの構成員も集めておいた。

 

だが──どういうことだ、これは。連中は何者だ。

 

あの銃は違う。スーロンが生産しているグロックレプリカなどではない。

 

まるでフェイズが楽しそうに話していた、ラテラーノの銃そのものだ。ハンドガンじゃ対抗できない。

 

「アジトに入れるな、絶対に戦線は維持しろ。重装盾でバリケードを作れ……!」

 

光明が見えない。助かる道が見当たらない。勝てない敵とは戦ってはならない、それが原則。本来なら今すぐにでも逃げるべきだ。

 

だが……この銃弾の雨嵐がフォンらを逃してくれそうな気配は、存在しなかった。

 

銃撃戦はまだ道路上で行われていた。中距離を保って連射を続けるNHIの隊員に対し、ハンドガンはあまりに無力。

 

警察が銃を使って来たときの対応策として、ハンドガンを防ぐためのシールド装備があったおかげで、まだ戦いは続いている。だが、あまりに不利。あまりに逆境。勝てない。

 

話の通じそうな相手ではない。いきなり撃ってくるような連中だ。頭に天使の輪っかを持つ連中も混ざっている。ラテラーノ人の部隊、だが詳細が全くわからない。わかるのは、本物の銃のスペシャリストだということだけ。

 

──そこに、一台のデカい車が突っ込んでくるのが見える。

 

運転席に、ピンク髪の誰かが乗っているのは辛うじて確認したが──何者だ。

 

その車は真っ直ぐに、NHIの部隊へと突撃していく。

 

乗って来た車を盾にして、NHIはスーロンと銃撃戦を繰り広げていたが、真横に対しての防御はなかった。

 

対車両弾を装填している時間はなかった。暴走車両にいくら弾をブチ込もうと一向に止まる様子がない。それに、乗っているアンブリエルの顔を確認してNHIは理解した。敵だ。それに頭がおかしい。

 

質量同士が衝突する、大音量が戦場に響く。

 

慌てて車両から離れたNHIの部隊だが、()を失うことになる。そしてフォンは、その隙を逃さない。

 

「突撃──ッ! この機会を逃すな、一人残らず殺せッ!」

 

そして混戦が始まる。そのまま走り去ったアンブリエルは、一定の距離を確保して状況を観察。殺し合いが始まっていた。

 

一定まで接近すれば、ハンドガンにも勝ち目はある。それに銃だけに頼っているわけでもない。ナイフやハンマーを握るスーロンの構成員もいた。

 

大盾を構えて突撃する構成員を盾に、一気に接近する──。

 

当然AKによる射撃が行われるが、分厚い金属の板を貫くほどの威力までは持っていなかった。

 

アンブリエルも援護射撃を行う。所詮リボルバーだが、やらないよりはマシ──。

 

「死にやがれ、クソがぁああああああッ!」

 

誰かの叫びが聞こえる。

 

道路が赤く染まっていく。見る見るうちに生存者が減っていく。それはスーロンも、NHIも同じだった。

 

そして、銃声が止む頃には……生きている人間は、最初の3割程度にまで減っていた。

 

──フォンが、血で汚れた体を引きずって戦場を見廻して、呟く。

 

「……なんとか勝った、か」

 

アンブリエルは戦闘が終わったと判断し、車をそっちに近づけていく。

 

フォンもそれに気がついて、視線が交錯した。

 

「──さっきは助かった。お前が居なければこっちがやられていただろう。だが……お前、何者だ。サンクタが、なぜオレたちの味方をする」

「さーね。あんたらに死なれちゃ困るのよ、あたしも。それよりあんた、エールってヤツ知らない?」

「エール……。お前、ヤツの仲間か?」

「……さあ、分かんない」

「なんだと?」

「……。さっきの連中はラテラーノの警察って感じの連中。目的は、ラテラーノから漏れ出した銃の回収」

「! ……なるほど、な。想定していなかったわけではないが……。これで終わりなのか」

「あたしもそう信じたいけどね」

 

──広がった死体の山を眺めて、アンブリエルは呟く。

 

「多分、まだいる。今戦った奴らより、ずっといっぱいいる」

 

テスカ連邦に来ているNHIは、ラテラーノ本国にいる内の一部だ。だが銃という重要な案件に対し、 10人などで済ませるはずがない。

 

ワンズは10人程度だと言っていた。だがそれが本当のことだと誰が保証してくれる?

 

30、40……いや、もっと居る可能性が高い。スーロンと衝突したのは、その兵力で持って確実にすりつぶせる確信があるからだろう。

 

「……あんたんとこの全兵力集めて、今のと同じこと、あと何回できる?」

「……。お前が何者かは、今は放っておく。質問に答える。……状況次第だが、もう一度勝てれば……奇跡、と言った所だ」

「つまり、絶望的って訳?」

「ああ。……そうだ」

 

────。

 

────なんだか……。

 

その言葉はわかっていたことだ。相手にしているのは、ラテラーノそのものと言い換えてもいいのだ。

 

「フォン……。生き残ったのは、せいぜい三割だ……。どうする。これからどうすればいい。俺たちは、これからどうすればいい……! セイも帰ってこねえ、あいつも同じように、襲撃に遭ってんじゃねえかって……! クソ、クソォッ!」

 

戦争において、兵力の三割を失うことは、壊滅的な被害だと言われている。たった三割で、だ。

 

三割しか生き残らなかった現状は、一体なんと呼べばいいのか。

 

「……今、ここを警察が包囲してる。あたしはサンクタで、銃の扱いはあんたらの20倍上手い。あたしも連中に狙われてて、あんたらと協力して連中から逃げ切りたい。協力した方がいいと思うんだけどさー」

「……分かった。地下通路を使う。連中の武器を回収して、すぐに逃げる。ついて来い」

 

 




・エール
頑張ってます
狙撃銃には勝てない。人間の限界です

・アンブリエル
この辺りから精神がイカれ始めている可能性が微レ存……?

・アンブリエルに騙された人
騙された……ッ!?
シンプル被害者。廃車確定。南無

・AK-47
実在するアサルトライフル。47というのは西暦1947年のことを表しているらしく、テラではあり得ない名前な名前なんですが……まあ、ええやろ(適当)という感じです。ゆるせ

・スーロン
ほぼ壊滅。

・NHI
スーロンと衝突した部隊は全員死にましたが、まだまだたくさん残っています
今回の敵役。


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Take my hand - 3/3

本日二話目。ご注意あれ
何でこんな量書けたんだろうって感じですよね、ええ。
なんでだ……?(率直な疑問)


エールとセイも同様に走っていた。

 

安全地帯を目指して──。

 

ここに辿り着くまで、二度の戦闘があった。二つともNHIとの戦闘だ。

 

「……本当に、連中はキリがねえ。また襲って来たりしねえよな……?」

「二度も撃退すれば、三度目を送ろうとは考えないさ。僕なら……もっと兵力を集中させる。今はその準備をしているかもね」

「な、まだ来るってのかよ!?」

「ああ。そして、どこに狙撃手がいるとも分からない。路地裏が多くて助かったよ。表に出れば、どこから銃弾が飛んでくるか分からない。銃の怖さはもう十分に理解しただろう」

「……ああ。アサルトライフル(こいつ)も、俺じゃまともに扱えねえ……」

 

ギリギリだったが、二人はなんとか死なずに済んでいる。だがエールの出血は増して行っていた。

 

意識レベルの低下、手足が冷たくなっていく──など。実際にエールは少し意識が朦朧とし始めていた。耳鳴りもひどい。

 

この状況下でまだまともに話せているのは、奇跡とも言えた。執念との呼ぶべき生命への意志が、まだエールを動かしている。

 

「それで、この先が?」

「ああ。工場だ……。本来なら、お前みてえな部外者なんて、絶対入れないし、そもそも存在を知らせないんだが……。今更そんなこと、言ってる場合じゃねえってことは俺にだって分かってる」

 

入り組んだ路地裏の、古びたドア。なんの特殊性も見られない。風景に溶け込んでいた。

 

ドアを三回だけノックする。

 

「俺だ。セイだ」

 

少し時間があって、ドアが開く。

 

スーロンの一人が顔を出し、セイとエールの姿を確認して中へ入れ、すぐに扉を閉じる。

 

「……くたばっちまったと思ってたぜ、セイ。なんでアジトに帰ってこなかった。そっちは誰だ」

「襲撃を受けてたんだ。それより、なんでお前まで血塗れなんだよ?」

「──オレたちも、襲撃を受けた」

 

薄暗い角から、フォンが現れて言った。

 

「無事でよかった。……それにエール。お前も、な」

「お互い様さ」

「こっちだ。詳しい情報共有をしよう」

 

廊下には様々なガラクタが放置されている。埃は積もっていない。普段から出入りがある証拠だ。

 

先には明るく、広い空間が広がっていた。コンクリの冷たい床と高い天井。何台もの工作機械。それに積み上がった段ボールと。

 

それと、布を敷いた地面に倒れた、血だらけの男たち。

 

「状況は芳しくない。もはや壊滅状態と呼ぶべきか」

「……これは、何が?」

「ラテラーノの部隊……確か、NHIと言ったか。襲撃を受け、なんとか勝ったが……この様だ。主力の兵がほとんどやられてしまった。生き残ったオレたちも、傷が深い」

「……なんてことだ」

「もはや、オレたちは難民どうのとやっている場合ではなくなった。エール、お前の意見を聞こう」

「ちょっと、考えさせて欲しいね……。僕も深手だ、少し時間が欲しい……。どこか、空いてる部屋はないかな」

「……ああ。そういえば、お前の仲間か。サンクタが上の部屋にいる。そこで構わないか」

「アンブリエルのこと? へえ……居るんだ。分かった」

 

鉄の階段を登っていく。

 

普段ならば、工場……なのだろう。幾つも並んだ工作機械、積み上がった材料に段ボール。おそらくは、ここで銃を生産していた、ということだろう。

 

だが今は、重傷を負ったスーロンの構成員が倒れ、呻いているだけだ。無事な人間を探す方が難しいほどに。

 

二階に上がると、幾つかのドアがあった。そのうちの一つを、エールは無造作に開く。

 

──ホワイトボードと、壁に貼り付けた無数の紙。そこには汚い文字で何か書き殴ってある。添えられた図形を見るに、設計室……だろうか?

 

テーブルの上に、設計書が散らばっている。

 

その中に足を踏み入れた。

 

「……」

 

椅子を引いて、力なくエールは座った。

 

応急キットは持って来ていた。病院の様な施設には劣るが、一定の効果はある。処方も心得ている。

 

自分の体に穴が開いているというのは、かなりの痛みを伴うし、違和感さえある。

 

「──それで。お前はいつまでそうしているつもりなのかな」

 

壁際で膝を丸めているアンブリエルに、エールは漸く視線を向けた。

 

「僕をNHIに売った……って感じじゃなさそうだね。それに、その輪っかと羽が黒くなってるの──どうも、楽しいことがあった、って訳じゃなさそうだ」

 

アンブリエルは何も言わない。

 

なんとなく空な目で、コンクリートを眺めているだけだ。

 

「やってくれたね。正直、僕はお前をぶっ殺してやりたい。NHIをテスカ連邦に呼んだの、お前だろ? よくもまあそんなことしてくれたよね。お陰で全部パーだ。僕もエクソリアに帰れない可能性が、非常に高い訳だが……」

 

エールは決して善人などではない。

 

直接的に表現するなら、クズだ。それは、エールが必死に隠そうとして来た事実の一つ。だが、その必要もなくなった。

 

「なんでお前は、()()()()にいるのかな。お前、むしろNHI側だろ?」

「……。裏切られたの」

「そう」

 

ことここに至って、エールは軽い笑みを浮かべていた。

 

何もかもおかしくなってしまったのかもしれない。

 

「考えてみりゃ、当然だったのにさ。あたし、ラテラーノで汚れ仕事やってたのよね。国とか政府とかにとって邪魔な連中を消すだけの、チョー楽な仕事」

「ああそう。それで?」

「当然、極秘裏なヤツばっか。そんなの公にされる訳ないし、国の裏でそんなことが行われてるなんて、みんな知らない。もし知られたら、スキャンダルとかじゃ済まないしさ」

 

何もかも終わった様な、そんな顔で。

 

「よくよく思い出せば、あたしがそんな仕事任されてた理由もわかるわー。身寄りがなくて、人間関係が希薄で、技術があって、金で動く。そんな都合のいいヤツがいりゃーさ、任せるっしょ。あたしみたいなヤツ、死んだって誰も気づかないし、困んないから。都合のいいコマってヤツ? 我ながら、よくぞこんな風になったモンよね」

 

こんな風になるまで、気づかなかった。

 

「だから、大人しくラテラーノに帰れるはずがなかったのにさー。ラテラーノにとって都合の悪い情報を山ほど握ってて、向こうからみりゃ裏切ってるかも知んない。そりゃ消すっしょ。当たり前だわ」

 

──そんなことにだって気がつかなかった。

 

今になって、この人生の価値を知った。漸く自分の生きて来た意味が分かった。

 

「──空っぽよ、空っぽ。あたしの中には、何にもなかった。まるでブリキ人形みたいに、言われるまま生きてきて──。っはは、おかしい。こんなおもちゃのお人形にも赤い血が流れてるなんて、バカみたいじゃん」

 

何もなかった。

 

自分が生きてきた意味など、何一つだってなかった。

 

虚しいだけだ。金も豊かな暮らしも。あの苦しみにも、寂しさにも、痛みにも、何一つ意味なんかなかった。

 

そう気がつくと、なんだか無性に可笑しくなってしまって──。

 

笑える。

 

「笑えるぐらいに、もう何にも残ってない……いや。そもそも最初から、あたしには何にもなかった。あたしは何者でもなかったし、何も持っていなかった」

 

本当に、滑稽だ。

 

「……なんで、気がつかなかったんだろ。何でこんなこと、気が付かないまま生きてきたんだろ」

 

ピエロ同然に踊っていた。

 

まるで、人間ごっこだ。人生の真似事をしようとしていただけだ。

 

「……はぁ。もう……アホらし。今まで生きてきたの、本当にバカみたい」

 

だらり、と。体の力を抜いて、アンブリエルは呟いた。

 

「……もう、疲れた。こんな風に生きていきたくない。生きてて何もいいことなかったし。疲れるだけじゃん。誰も助けてくんないし、散々国のために働いたってのに、最後はジャンクフードみたいにゴミ箱へ捨てられて。……何にもなかった。この人生には、何にもなかった」

 

この世界に、恨みしかない。呪いしかない。よくもここまで生き長らえさせたなって。もっと早く殺していれくれれば、楽だったのに。

 

そして、こうやって壁にもたれて死を待つだけ。生存の目はどう足掻いたってない。外の見張りが、NHIの連中が彷徨いていたのを確認してる。

 

「──でも、それはあんたも一緒よ。エール」

 

初めて、アンブリエルはエールを見た。ほら見ろ、似た様な顔をしてる。

 

「あんたも、あたしと同じっしょ。あたしと同じクズ野郎。あんたさ、自分がなんのために戦ってるか言える? 真っ当な理由じゃないっしょ? 正義とか人々のためとか能書き垂れてたけどさー。胡散臭いのよ、あんた」

 

出会った当初から、ずっと思っていたことだ。

 

エールの能力は高い。それは認める。だが……一体なんのためだというのか。一度だって口にしたことはない。

 

「そもそも、あたしがこうなったのだって、廻り巡ればあんたのせいじゃん。あたし、あんたの正体を知ってんの。あんたが何なのか、あたしが教えたげるわ」

 

まるで嘲笑うかの様に。

 

「──あんたは、あの戦争そのもの。モンスター。おぞましい怪物。しょーじき、南部はあのまま負けてた方が良かったっしょ。その方が死者もずっと少ないに決まってる。でもあんたは始めた。戦争を始めた」

 

薄汚い本性を、アンブリエルは知っている。

 

「嘘でも正義とか言うならさ、それがどれだけの人々を傷つけ、殺すか理解してんの? あんたが戦争始めたせいで、バカみたいな人が死ぬのにさ。今だってそう。銃を持って帰れば北部には勝てるかも知んないけどさー。もっと死ぬよ、絶対」

 

黙ってエールは傷口の処置を進めている。

 

「あんたが戦争始めたせいで、あたしこんなことになってんのよ。あんたが戦争なんて始めなけりゃ、今頃はラテラーノにでも帰ってぐっすりしてたってのにさー? あんたはあたしのせいだっつったけど、あたしに言わせりゃ──全部あんたのせいよ。エクソリア難民だってそうじゃん? あんたのせいじゃん。……全部、あんたが悪いじゃんッ!」

 

笑いながら、アンブリエルは呪った。エールを呪った。

 

「あたしはあんたなんかと出会いたくなんてなかったッ! あんたなんていなけりゃよかったッ! あんたのせいであたしは全部失ったのにッ! なんであんたなんかのせいであたしが死ななきゃいけないのッ!?」

 

それなのに、なぜ。

 

「何で……なんであんた、笑ってんの……」

 

息を吸い込んで、アンブリエルはエールを睨んだ。

 

そして漸く、エールは口を開く。

 

「……昔話でもしようかな」

「……はあ?」

「せっかくだ。いや、全く君の言う通り。僕はクズさ。分かってるよ。どうせ希望はないんだ、付き合ってくれてもいいじゃないか」

「あんた、何言ってんの……?」

「ま、聞きなよ。僕が子供の頃の話さ。ウルサスのチェルノボーグで生まれたのは前も話した通りだろ? あの話の続きを教えてやる」

 

語り出した。

 

それは、初めて話す身の上話。ケルシー先生にだって話したことはなかった、一つのゴミみたいな物語。

 

「僕はヴァルポだが、僕の両親の種族はウルサスだった。両方ともこれがまたゴミクズでね、どういうことかっていうと、僕は母の浮気相手の子供だったのさ。つまり、ヴァルポの男と浮気してたんだ。母はそれを騙し通して僕を産んだが、僕がヴァルポだってことが分かると大層残念がったそうだよ」

 

──何せ、浮気が最悪の形でバレた訳だからさ。

 

「だが、離婚はしなかった。お互い金がなかったし、僕という荷物をどっちに押し付け合うか、結局決まらなかったからね。父にとって僕は赤の他人だし、母にとってはただのお荷物だ。父は父で、複数の愛人と関係を持っていて、母もそれを免罪符に他の男とやりたい放題だ。崩壊した家庭で子供がどう育つかなんて決まりきってる。でも、僕は割と頑張ったと思うよ? 何せ唯一の親だ。頑張って愛されようとしたし、頑張って愛そうとした」

 

結局、その努力は実らなかった訳だが。

 

ウルサスの寒い日、冷たいレトルト食品。

 

あの冷たさは、忘れたくても忘れられない。

 

「ま、別に親が子を育てなくても子供ってのは勝手に育つ。学校じゃ常に問題児で、何回暴力問題で親を呼ばれたか分からない。その頃には僕と親はほとんど他人同然で、最低限死なない程度の金だけ渡されてポイだ。まあ、ありがたいと思ったよ」

 

──何となく、自分と似ている、とアンブリエルは思った。

 

「父親は製造業を営んでいたんだけど、ある時妙なものに手を出し始めてね。源石(オリジニウム)関連製品の製造を請け負った。それで僕にその仕事をやらせた。小学校の頃だったかな。僕は頭が悪かったから、源石(オリジニウム)ってものが何なのか知らなかった。父だって、十分な防護対策を僕なんかに取らせるはずはない。源石にベタベタ触ってたら、すぐに鉱石病に感染したよ。笑えるぐらい早かった」

 

腹部には、その時に発生した源石結晶が残っている。一生残り続ける。

 

「もしかしたら、それが父の目的だったのかもね。ウルサスが感染者を弾圧しているのは知ってるだろ? 流石にその頃になると感染者ってのがどういうもので、ウルサスでの扱いも知ってた。だから、警察に電話しようとした父を僕は殺した」

 

──イカれてると思うかい?

 

……別に。普通のことっしょ、そんなの。

 

「反射的に、母も殺さなきゃいけない、と思った。ナイフで背中を刺した時の母の顔は、今でも覚えてる。こっちが驚くくらいびっくりしてたなあ。でも仕方ないじゃないか。ウルサスじゃあ感染者イコール死ってことだ。先に殺そうとしてきたのは父だったんだからさ。黙ってれば死んでたのは僕だった」

 

今では、そんなことも笑える。

 

「その後はがむしゃらだったなあ。遠くへ逃げなきゃ、と思ってさ。どこか遠い場所に行きそうなトラックの荷台を見つけて、僕は忍び込んだ。段ボールに入ってね。今思えば、バカみたいな幸運が味方していたんだろう。そのトラックはヴィクトリア行きだった」

「……あんた、めちゃくちゃよね」

「ああ、めちゃくちゃだ。当たり前なんだけど、ヴィクトリアはウルサス語が通じなくてさ、それはもう苦労したし、何回も死にかけて、死にかけて、僕はヴィクトリアの裏路地で育った。それはもう、奪って、奪われて、殴られて、蹴られて……。痛かった、本当に」

 

怪しげな仕事もたくさんしたし、食い物だって大量に盗んだ。食い逃げや強盗、スリ、万引き。どこにだってそういうものがあった。いつ殺されるともわからない中で、エールは育って行った。

 

「17か18の頃かな。それぐらいまで育てば、僕も立派な小悪党になって、それなりに生きていける様になっていた。そんなとある日、ある女の人が僕の住んでたところを一人で歩いているのを見た。薄汚れた場所には似つかわしくない、綺麗な人でね。目を引いた。僕はその人をさらって売り払おうと思って、襲ったんだけど──って。そんな目で見るなよ。お前が言ったんだろ、僕はクズだって。その通りだ」

 

あとで分かったことだが、あの人はちょうどヴィクトリアで開かれていた学会の帰りで、貧困区域の視察をしていたらしい。

 

「で、僕は背後から忍び寄って襲い掛かったんだけど──何とあっさり撃退されてしまった。実はその人は訳の分からないペットを飼っていて、僕はそいつにあっさりと負けた」

「ペット? ペットって何よ。犬っころにでも負けたの、あんた」

「犬なんかじゃないさ。もっとヤバい何かさ。まあこれは置いておこう、話には関係ないし。それで地面に転がされた僕はそのまま警察に突き出されるか、殺されるかだったんだけど……その人は僕に何もしなかった。それどころか、手を差し伸べた。私と一緒に来るか、ってさ」

 

人生で初めての瞬間だ。人に手を差し伸べられたのは──あれが最初だ。

 

それがケルシーだ。

 

「僕はその人に付いていって、ロドスという場所で働くことになった。ロドスという会社は、端的に表現すれば、人助けをする会社でね。それはまあ凄いところだった。僕の人生を軽く変える程度には衝撃的だった」

 

懐かしむ様に、エールは笑った。

 

「信じられなかったよ。人を助ける、なんて。そんな価値観があるなんて知りもしなかった。いや、知ろうとしなかった」

 

本当は、ケルシー先生みたいな人になりたかった。だから、本を読むことにした。

 

ケルシー先生みたいに、誰かを助けたいと思った。だから、知識を磨いた。

 

ケルシー先生みたいな生き方をしたいと思った。だから、力を付けた。

 

ケルシー先生に恩返しがしたかった。あの人の助けになりたかった。

 

だが──それよりも大切なものが出来てしまった。

 

「何年か経って、僕はそこで戦闘部隊の隊長を任された。初めて自分の部下を持った。……最初は、とても面倒だった。僕よりずっと弱い連中だったんだ。それを一から鍛えて、教えて、一緒に戦ってって……。正直、足手纏いだと思ってたよ。とても面倒だった。まあでも、ケルシー先生(あの人)が言うんなら……ってね。クズな僕じゃなくて、ちゃんとした、あの人みたいな、強い大人になりたかったから」

 

その通りになろうとした。ケルシー先生ならどうするか、例えばAceさんや、Scoutさんならどうするかって。

 

Aceさんがじゃじゃ馬だった僕を育て上げたことを思い出しながら、僕は行動隊B2の隊長、Blastとして生きようとした。本当に努力した。

 

「いつの間にか、僕は部下たちのことがどうしようもなく大切になっていた。気付いた時には遅かったよ。それが一体どういうものなのか……きっとお前には分からないだろうけどさ」

 

ブレイズも仲間だった。戦友だと思っていたことは間違いない。だけど、行動隊B2がエールに与えた温もりや絆がどれほどのものだったのか。

 

それは、エールしか知らない。

 

奪うか、傷つけるか、殺すか、殺されるか、奪われるか、踏みにじられるか。

 

毎日がその連続だ。ずっとそうやって生きていた。それしか知らないままだったのなら……。

 

大切な誰かが現れてしまった。それも、一度に8人も。

 

ジフ、レイ、アイビス、イーナ、イミン、カルゴ、ハンス、ルイン。

 

どうしようもなく、大切になってしまった。

 

こんな自分でも、誰かを大切に思えることができる。それが嬉しくて、楽しくて。共に過ごす日々が、心を満たしてくれていた。

 

彼らに救われていた。

 

「でも、とある任務で二人死んでしまってね。そしてその後ある任務で、エクソリアの内乱に巻き込まれて……いや。僕の下した決断で、僕以外の全員は死んだ」

 

その事実が、どんなものだったのか。

 

「……。君には、きっと理解できないだろうけど。僕の部下たちは、ほとんど僕の全てと言っても過言じゃなかった。さっき僕の事を”空っぽだ”って言ったよね。その通りだ。行動隊B2(あいつら)を失った僕は、どうしようもなく空っぽだ」

 

──この世界を滅ぼすに値する喪失を、エールは抱え続けている。

 

「……何で僕が戦争を始めたのか、だったかな」

 

そこまで話す頃には、エールの顔からようやく笑いが剥がれ落ちていた。

 

空っぽな心を誤魔化すために貼り付けていた微笑みが必要なくなって、ただのエールの顔が現れていた。

 

「僕はエゴイストでクズだからさ。きっとあいつらの死に理由を見出したかったのかもしれない。正直、まともな理由なんてない。僕にはそれが出来たから、やった。それだけだった。最初はそうだった」

「……今は、違う?」

「何を今更って言われるかもしれないけどさ。あの難民たちの姿を見て、僕のやってきたことは、間違いだったんだって気がついた。この世界は嫌いだ、こんな世界は間違ってるってずっと思ってる。けど……人々は生きてる」

 

エールのどうしようもない欠点。徹しきれないこと。

 

この世界を嫌い切れない。憎み切れない。

 

それは、見方によっては優しいと呼べるかもしれない。

 

「……。いろいろ考えたよ。そりゃあもう色々ね。そして、やっと分かった。答えが出た。お前は僕に似てるから──いや、僕がお前に似てるのか。……どうでもいいけど、教えてやるよ」

 

傷の処置を終え、エールは呟く。

 

「……お前は、戦おうとしてこなかったんだ」

「はぁ……?」

「お前は、自らの孤独から逃げて逃げて、逃げ続けてきた人間だ。変わろうとしなかった。お前はその現状を変えようとしてこなかった、弱い人間だ」

「……何よ、分かってるっつーの、そんなの……。分かってる……」

「そして、それは僕も同じだ。僕も、あの喪失を受け入れられなかった……お前と同じ、弱い人間に過ぎない。逃げたって辛いだけだ。苦しいだけだ。そんなことをしたって、この世界は変わらない。変えられない。苦しみから解放されるには、自分が変わるしかない。世界が変わらないから、自分が変わるしかないから」

 

そんなことはアンブリエルにも分かっている。だが、それが出来なかったからこうやって膝を抱えている。

 

「だけど……疑問でもあった。何で僕たちは、こんなにも苦しまなければならないんだろうってさ。なんだってクソみたいな環境に生まれて、必死に生きてきたのに、なんでこんなにも苦しみながら生きなきゃいけないんだ。僕たちは……生きていたいだけだ。僕たちみたいな、生まれながらのクズ共は……まるで、この世界で幸せになれない、いや……なってはならないみたいじゃないか」

 

それだけの罪を犯した。それだけ人を傷つけてきた。だけど──。

 

「僕もお前もクズだ。だが仕方ないだろ? そうでもしなきゃ、生きていけなかった。野垂れ死ぬか、クズになって生きるかしかなかった。おかしいよね、生まれながらにして幸せな子供達なんて山ほどいるのにさ。僕たちにはそんな当たり前の生活も得られない」

 

だから。

 

だから、エールは──。

 

「強くて、幸せな人々が羨ましい。だが、僕らは今更そんな風になれない。僕たちの手はドス黒く汚れて、二度と綺麗にならない。その天使の輪っかみたいにね」

 

だから、ブレイズのことが嫌いだった。僕は、彼女みたいに強くなれない。強く在れない。

 

「だが……それの何が悪い。そうやって生きることの、一体何が間違ってる」

 

誰からも理解されず、肯定されず。

 

「この世界の誰にだって、僕らを否定する権利があるものか」

 

奪われたから奪う。殺されたから殺す。そんなことは間違っている。でも、だから何だ。

 

「僕たちは変われない。クズはどうやったってクズだ。────間違っているのは、この世界の方だ」

 

間違っているのは、正しいのは、

 

「今更あの戦争を降りるつもりはない。一度始めたことは、最後までやり遂げなければならない。それが、クズなりの矜持ってものだ」

 

やらなければならないことがある。

 

僕たちは、今更何もせずには生きられないのだから、

 

「──顔を上げろ、アンブリエル」

 

この世界で生きるのは、簡単なことではない。

 

「僕たちは生きなければならない。それを邪魔できる存在など、認めるものか」

 

この世界で生きるには、代償を払う必要がある。

 

「こんな場所で諦めることは、僕が許さない」

 

この世界で生きるためには、戦わなければならない。

 

「僕はこの世界を変える。クソみたいな世界を変える」

 

だから。

 

「僕と共に来い」

 

その差し伸べた手は────。

 

「僕の手を取れ。お前の力が必要だ」

 

その、姿を──、その目を、言葉を、

 

「お前が望むすべてを僕が与えてやる。空っぽなお前を満たしてやる」

 

それは、まるで、

 

「これは契約だ」

 

真っ暗闇の道を歩き続けて、夜が空けずとも、

 

「お前の持つすべてを僕に寄越せ……! お前の痛みも苦しみも、その力もすべて僕に寄越せ……ッ!」

 

月明かりは、そこにあるのだと。

 

必死に生きようとする、その手を、

 

「僕と共に戦えッ! この世界を変えるぞッ!」

 

アンブリエルは、

 

「いいよ」

 

取って、

 

「あたしの力も心も、あんたにあげる」

 

戦い続けることを選んだ。

 

アンブリエルは、エールという男に付いていくことを選んだ。

 

「でも一つ条件。もしあんたが間違った道に行こうとしたら……その時は、あたしがあんたを後ろから撃ち抜く。エール、あんたは絶対に地獄行きだろうけどさ……その時は、あたしも付き合ったげる」

「そうだ……それでいい。行くよ、まずは前を邪魔する連中を血祭りに上げてやるところからだ……ッ!」

「オッケーりょーかーい。……全員、あたしが撃ち抜いてやるっての」

 

一度始めた戦争が、どれだけの人々を傷つけようと。

 

誰を傷つけ、殺し、踏みにじろうと、奪おうとも。

 

この選んだ選択が、誰にも理解されないとしても。

 

この選択に、この命を殉じよう。それで死のうと、悔いはない。

 

さあ、クズ共の戦争を始めよう。

 




それっぽいこと言ってますがお前それ開き直ってるだけじゃねえかッ!
その通りです。

・エール
どうでもいい裏設定。
エールの本名は、正式にはアルカーチス・イリイエ・トルスロイと言います。ウルサスはロシアがモデルみたいなので本作もそれに倣いました。それで、ロシアでは父親の名前を本名の一部に組み込む習慣があります。ここでいうとイリイエ……イリヤの息子、という意味になります。
ですが父親であったイリヤとエールの間には血のつながりはなく、エールもその名前を嫌っていました。よってアルカーチス・トルスロイがエールにとっての本名、ということになります。本当にどうでもいい裏設定でした。
何気にアンブリエルへの二人称が君→お前へ変化しています。
きっと女関係のあれこれは両親譲りなんでしょう。血の繋がりがなくとも子は親を見て育つからね、仕方ないね
そんなところで似なくていいから(良心)


・アンブリエル
お 前 が メ イ ン ヒ ロ イ ン で い い ん ち ゃ う か
いいよ。

え? まだテスカ編終わらないんですか?
終 わ り ま せ ん
多分次の話で終わるはず……です。


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Play a war game:上

So I thought what I’d was I’d pretend I was one of those deaf-mutes ──────or should I?

 

どうやらCatcher in the rye(ライ麦畑の捕まえ役)気取りもここまでらしい。

 

ならば僕は耳を澄まし、目を開け、言葉を紡ごう。

 

失ったものが何であり、得たものが何であろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Play a war game.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……覚悟は決まったのか?」

「今更さ。やっと自分の正体を自覚しただけ。……それより提案がある。最後まで生き足掻くつもりはある?」

「今更だ。元より……。だが、オレはそうでも仲間たちは違う。ほとんどが死んでしまった。士気は、高いとは言えんだろう」

「まさか諦めてる?」

「あまりオレを舐めるな。……ここが瀬戸際だ。皆を奮い立たせ、決戦を始める。お前も、そのつもりなんだろう」

「そりゃあね。ああ、でも一つ頼みがある。スーロンを奮い立たせるその役目、僕に譲ってくれないかな」

 

フォンは怪訝な顔でエールを見るが──。

 

「それと、もう一つ。NHIを全員ぶっ殺した後の話」

「気が早いな。足元を掬われるぞ」

「ま、聞きなよ。前さ、君はこう言ったよね。”共に来るならば、拒みはしない”って」

「そうだな。だが、もう意味のない言葉だ」

「そう。僕は君とは一緒に行かない。悪いが、君の持つ感染者自治区構想なんてまるでバカバカしい。まるでネバーランドだ。生きてるとは呼べない」

「……。何が言いたい?」

「つまり、まるっきり反対なのさ。僕が君たちについて行くんじゃない──お前らこそ、僕に付いて来い」

 

フォンはその頭のおかしい男が本気で言っていることを察して──小さく笑った。

 

何があったか知らないが、この男は少し変わったらしい。

 

「くく……。それで、お前はオレたちに何を求め、何を与えてくれる?」

「まとめて傭兵として雇う。目先、エクソリアでハンドガンとかをぶっ放してくれればいい。そして、エクソリアでの比較的自由な生活を用意しよう」

「……本気か? エクソリアでも、感染者の扱いは変わらんだろう」

「関係ないね。まあ、適当にメディア動かせば大丈夫でしょ。そもそも僕が感染者だ。エクソリアじゃ英雄なんて言われてるのにね。だから今更。それに君ら感染してるし、治療もしてないから後十年も生きられないじゃん。なら戦って死ね。どうせ死ぬなら、戦って死ねよ」

 

清々しいほどのクズだった。

 

ついに自分がクズであることを思い出したエールは、一切の遠慮も配慮もしなくなっていた。

 

だが、一定の真理を付いている。

 

「戦いで死んでくれればこっちとしても助かる。感染者が鉱石病(オリパシー)で死ぬと、新しい感染源になるじゃん? それは面倒の塊なんだ。だからその前に戦争で死んでもらえると、非常に助かる。ちょうど都合よく戦争もある。それなりにいい暮らしを用意するよ」

 

クズかこいつ。

 

確かに今更建前や綺麗事など意味をなさない。生きるか死ぬか、何を選ぶか。

 

「……。いいだろう。どの道オレたちに残された選択肢はそれだけらしい。くく……お前は、まるで死神だ。オレたちの死に方を決める死神のようだ」

「……そりゃ、最悪だね。逆だよ、逆。嫌われてるんだ、死神には。会いたいとずっと思ってるんだが……全く会えない。それに一つ間違いだ。君さあ、残された選択肢はそれだけって言った? そりゃないぜ」

 

肌を流れていた血は乾き、痛みだけが残留した。

 

エールと対照的な、フォンの真っ黒な風貌の先の眼を、何処か笑いながら見遣って。

 

「自分の死に様くらい、自分で決めろよ」

「……ああ。そうだな」

「僕らの死に場所はここじゃない。こんな風に死んでいくのはあまりに優しすぎるとは思わない? もっと汚れろよ。もっと殺せ」

「ふ……。死ぬな、と言いたいのか?」

「本当に死ねるかどうか……試してみる?」

「それは、オレが死ぬか、それともお前が死ぬか、という賭けか?」

「さあ?」

 

フォンはほんの一拍だけ思考する──。

 

目の前の悪魔を見た。真っ白な髪と、細い体。ヴァルポ族の尻尾も耳も、すべて真っ白。今は血で汚れ、不敵に笑ってこちらを見ている。

 

白く長い髪は、長い間手を入れてないのだろう。伸びっぱなしの白髪を乱雑に後ろに纏めた風貌は……誰が気がつくだろう。この男が死神だということに。

 

何より、光の灯った目だ。

 

以前出会った時は、分厚い布で覆ったような、底知れない何かを感じさせる男だった。だが今は──剥き出しの諸刃のような鋭さと、まるで暴風を内に秘めているかのような力を感じた。

 

「ならば、オレはオレが死ぬ方に賭けよう」

「それなら、僕は君が生きている方に賭けるとするか。何を賭ける?」

「オレが死んだのなら……オレ達の墓標を作れ。お前が生きていれば、の話だがな」

「じゃあ、君が生きていたら?」

「その時は──オレ達はお前に従うことを約束しよう」

 

その言葉は、実質的に──エールの提案を承諾したものだった。フォンもまた、自分たちの生を引き換えに、エールという死神と契約したのだ。

 

「いいねぇ、悪くない……。僕に考えがある。少しスーロンのみんなに話がしたい。集めてくれる?」

「お手並拝見、というヤツか。いいだろう。せいぜいお前を見極めさせてもらうぞ、エール。お前の器、というモノをな」

「お手柔らかにね」

 

 

 

 

 

 

同時刻、NHIの仮本部。

 

テスカ連邦とラテラーノの距離は遠く離れている。この世界の通信技術は国を跨ぐほどには発達していないのが現状であり、NHIもラテラーノ本国との連絡手段はトランスポーターによる手紙程度しかなかった。それには1、2週間程のタイムラグが発生する。

 

よって、この急変しつつある状況下においてNHIはラテラーノ本国との指示を待っている時間は一切なく、アンブリエルの撃った一発の弾丸によって加速度的に動き出した事態に決着をつける必要に駆られていた。

 

NHIの大部分はテスカ連邦に到着したばかりであり、NHIもしっかりとした拠点を押さえることは出来ていない。車から指示を飛ばしていたのが実態だった。

 

NHIは、はっきり言って最初から敗北していたと表現していい。

 

そもそもの目的はラテラーノが独占するべき銃の技術を回収することだった。だが、すでにテスカ連邦にはハンドガン──グロックレプリカがばら撒かれており、すべてを回収するのは現実的ではなかった。事実上不可能と言っていい、ラテラーノは他国へそこまで干渉的出来る訳ではない。

 

よって、当初の目的は最初から達成が不可能だったのだ。

 

そうなると、せめてラテラーノの利益のために次善の策を打つしかなくなる。スーロンが銃の供給元であることはすでに調査済み。よってそれを壊滅させることが出来れば、少なくともこれ以上銃が生産されることはない。

 

NHIは戦闘訓練は積んであるが、軍人には劣る。調査員であって、本職の戦闘員ではない。本来ならば、すぐにでもラテラーノ本国にこのことを報告し、次の指示に従うべきだった。

 

だが、テスカ連邦にてエクソリア共和国南部の”英雄”エールを発見する。スーロンとの接触の目的が銃にあるとすれば、エクソリアに銃が流れる可能性が生じてきた。

 

内戦状態にあるエクソリアに銃とその技術が流れた場合は最悪の事態を招くかも知れない。なぜならば、エクソリアは戦争をしているからだ。

 

ラテラーノは銃に関しての研究を続けてきていた。故に理解している──銃は戦争下で発展した武器であり、エクソリアが独自に強力な銃を開発してしまう可能性を。

 

そうなると、もう銃の流出は致命的なものとなる。ラテラーノの独占は完全に崩壊し、世界中に強力な武器が流れ出る。人道的観点からしても、国益の観点からしても──必ず阻止しなければならない。

 

『本部へ。連中のアジトを突き止めた。西区2N地点、一般の建物に偽装してある模様。内部の状況は不明だが、一部を覗き見た限りでは中にスーロンの勢力が潜んでいる可能性が高い』

「了解。引き続き偵察を続けろ。──総員に命令。聞いた通りだ。我々の持つ全兵力で連中を叩く。2N地点を囲うように配備し、突入の指示を待て。敵に気づかれるなよ」

『了解』

 

通信を切る。

 

ここでスーロンかエールを始末しなければ、ラテラーノにとって最悪の事態を招くことになるだろう。

 

流れ出た銃は、一体どれだけの人々を殺すことになるだろう。

 

まだ残っていた正義感と、本国の栄光のためにも。

 

……どちらかを始末することが出来れば、最悪の事態は回避することができる。テスカ連邦に散らばった銃の回収はもはや不可能だろうが、世界中にばら撒かれるよりはまだマシ、と言ったところだろうか。

 

早くも本国に帰るのが億劫になってきた。一体どんな謗りを受けることになるか分からない。そもそも本国の背広組は椅子に座っているだけだと言うのに……。

 

それに、一部隊を失ってしまった。

 

ハンドガンだけの連中に、すべて殺されてしまった────……。

 

自分たちに復讐などという感情は必要ない。それは任務の妨げになるだけだ。任務を果たすまで、そのような感情は仕舞っておかねばならない。

 

だが……死んだ隊員の中には、自分の友達も、仲間もいた。

 

……拳を握り締める。

 

任務をやり遂げることが、手向けになると信じて。

 

必ず、スーロンのリーダーかエールを始末する。最低限それだけは必ず果たさねばならない。

 

厳しい状況であることは確かだ。手負いの獣が最も厄介なのだから。

 

仕留める。必ず────……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フォン、やべえ……! この建物、囲まれてるかも知れねえ……!」

「なに……?」

「なんか不気味なんだ、周囲に人が誰もいねえ! さっき彷徨いてたNHIの連中も、全員姿を消してる……!」

「……ここがそう簡単に気づかれるとは思えんが、まさか──」

 

得体の知れない敵勢力。全貌が見えない──そもそも、ラテラーノという一つの国家を相手にしているようなものだ。

 

たかがテスカ連邦という小国の、所詮一つの都市のギャング組織に、正式な構成員は百人もいないちっぽけな組織に──。

 

たった68人。

 

感染者として各地を追われながら居場所を探し続ける間に、フォンについてきた総勢たった68人がスーロンのメンバー。

 

それがフェイズに出会ったことで力を手に入れ、ついには首都マルガに君臨するまでに至り、末端まで含めると当初の何十倍にも膨れ上がったが、本質的にスーロンとして存在するのは、その68人だけだ。

 

それ以外の構成員など、フォンからしてみれば使い捨ての駒程度に過ぎない。あぶくのように曖昧で、信用もできず、信念も動機もない、数だけは多いクズ同然の連中。事実、現在も連絡など取れるはずもないし、戦おうともしないだろう。

 

すでに、生存しているメンバーは30人を切っていたし、大半は負傷している。無傷なメンバーを探す方が難しい。

 

どの道所詮はただの感染者で、ハンドガンが精々の小さなギャング。罪のない人々を傷つけたし、奪った。どのような信念があろうとクズはクズ。

 

そんな連中が、ラテラーノの組織までを動かした。

 

「……オレ達は、随分遠くに来ていたんだな」

「フォン──。そうだな、俺達、気付けばいつの間にか……殺される側だったのに、気付けば殺す側に回って、それで今、また殺されようとしてんのか……──」

「……皆の調子はどうだ、セイ」

「いいように見えるか? ここで諦めるような連中じゃねえが、NHIの連中と戦争になったって、戦いになるかどうかは怪しいぜ。認めたくねえが……」

「……。そうか」

「おい、どこ行くんだよフォン」

 

通路から作業場へ足を進める。作業場は、今はスーロンの構成員達が休んでいる。

 

作業場からは、普段の活気とは打って変わって、小さな話し声が無数に響いていた。仲間達が傷を抑えて鉄骨にもたれている。

 

フォンが入ると、全員がそちらを見た。

 

悪人面や、髭を伸ばした男、粗暴そうなフェリーンも、全員。

 

放浪を経て、ただの感染者だったスーロンはやがて変わった。ただの人々だったが、暴力に慣れ、痛みに慣れ、生きることへの躊躇が無くなっていった。

 

最初は優しかったあるループスも、拳を振るうことに遠慮が無くなり、優しさをだんだんと捨て去っていった。それが必要のないものだと理解したから。

 

だが、フォンにだけは皆従う。

 

フォンが自分たちにとっての最善を選んでくれることを信じて、手足となる。そうやってこれまで生き残ってきた。

 

「皆、話がある。これからのことだ」

 

放浪の旅は今、ついにこの場所に至った。何人も欠けて、欠けて、欠けて、それでもここまで歩いてきた。

 

「状況が絶望的だということは、皆理解しているだろう。連中──NHIはラテラーノの警察機関だ。連中の扱う銃はオレ達の物とは比べ物にならんほど強い。今日一日で、オレ達は多くの仲間を失った」

 

静寂の中に響く言葉。静かな鉄の空間に、低い男の声が染み渡っていく。

 

言葉の隙間が静けさを生み、無音が嵐のように吹き荒れていた。

 

「……。まだ、戦う意思はあるか」

 

惨状は明らかだった。すでに主戦力の大半を失い、動ける者などほとんどいない現状。敵は高度な武器を使いこなし、数も多い。命懸けでどうにかなるか、ならないか。

 

しばらくの間、誰も何も言わなかった。

 

片耳の吹き飛んだ青年が、その様子に声を張り上げた。

 

「ビビってんのかよ、フォン!」

 

声を皮切りにして、堰を切ったように次々と顔を上げて叫ぶ男達。

 

「こんな状況なんて今更だろうが!」「何回乗り越えてきたと思ってる!」「全員ぶっ殺してやればいい話だろ!?」「諦めるのか!?」「このまま死にたくねえ、お前もそうだろ!」

 

──まだ、終わりたくない。

 

「……」

「フォン、俺たちは……戦う。お前の心配することなんて、何も無えよ」

「セイ」

 

ボロボロでも、まだスーロンの意思は潰えていない。

 

「ああ」

 

ちらり、とフォンは上に目をやった。視線の先には、吹き抜けの階段から下を見下ろす人影。

 

「やってやろうぜ、なあ!」

「ああ! 殺されたやつらの分、きっちりぶっ殺してやらねえと気が済まねえ……!」

 

自分たちで戦意を鼓舞し、士気を高めていくスーロン達に、上の方から浴びせられる一つの声があった。

 

「盛り上がっているところ悪いが、君らだけじゃ無理だ」

 

高まるスーロン達の騒ぎにあって、その声はやけに鮮明に聞こえていた。

 

少し高い声だ。スーロンの大半にとっては、聞き覚えのない声だ。

 

見上げると、二階の手すりの傍に、白髪のヴァルポと真っ黒な天使の輪を持つサンクタが立って、見下ろしている。

 

「気力や決意でどうにかなるなら、君たちはこんなことになっちゃいないだろう。カッコつけた自殺はやめた方がいい。見ていて滑稽だ」

 

──フォンは、その語り口を聞いて目を細めた。何をする気だ?

 

当然、面識があるのはフォンとセイ程度で、紹介などされていない。突然言い出した内容が明らかにバカにするもので、一瞬だけ思考が奪われる。

 

「さっきからここに居やがったみてえだが、てめえ誰だ! 誰か知らねえ野郎にんなこと言われる筋合いはねえよ!」

 

一人が噛み付いた。当然の反応とも言える。

 

「いや何、事実を言っただけださ。正面からぶつかって勝てると思うのは勝手だが、作戦も無しに突っ込む気じゃないだろうね。生半可な相手じゃないよ。君たちチンピラと違って、連中はしっかりとした訓練を受けている」

 

当然、反感が広がる──。スーロンでもない男が突然言い出した内容が、例え的を得ていようと、冷や水を浴びせられて平気でいられるはずもない。

 

だが、その男が纏う奇妙な雰囲気や、背後に控える黒いサンクタの存在が……何か普通ではない。

 

「まあ無理だろうね。連中も次は本気だ。持つ暴力の差が大きいと、戦いにもならない。これは戦争ですらない。そして、生き延びたとしても君たちの居場所はもはやこの国にはないだろう」

 

それに反論しようとして、出来ないのは──本当は皆理解しているからだった。

 

スーロンは一応はギャングの中では最大だが、核となる構成員は少ない。ここ数年で現れた所詮は新興の組織にすぎない以上、この国に深く根付いていない。

 

ギャングなど自分以外は全員敵だ。スーロンに敵対する勢力など山ほどあるし、あぶくのように数を増やした末端構成員の中にすら潜在的勢力が潜んでいる。

 

「どうやら、散々やりたいようにやってきたツケを払う時が来たってことさ。結局難民達の蜂起も叶わない。感染者というただの被害者から、ギャングという明確な悪に成り下がってしまった時点で結末は一つだ。弾圧する大義名分を世間に与えてしまった時点で排除されることはわかって居たはずだ」

 

NHIによって大きく力を削がれた今、スーロンが好き勝手やってきた代償を払わされる時がすぐにやってくるだろう。警察だってそれを見逃すほどバカではない。

 

「尚のこと、君たちはある程度の力と資金を手に入れた時点でこの国を離れるべきだった。いつの時代も、やり過ぎた勢力というのは消されるだけだ。結果論ではあるが、ラテラーノに目をつけられるよりも早く撤退するべきだったんだ。力を得て、世間に復讐するのは勝手だが、何よりも力の使い道を間違えてしまった」

 

そして何より、スーロンが持つ銃を手に入れようと、この国の全ての勢力が虎視眈々と目を光らせているのだ。

 

尤も、エールが言えた口ではなかったが。自覚しながら話す分、余計にタチが悪い。

 

「古来より、暴力に正義が宿ることは稀だ。弾圧や支配に反抗するものは特にね。往々の場合にして、暴力はやり過ぎてしまう。復讐の女神と表現すれば聞こえはいいが、暴力をコントロールすることは難しく……正当な復讐から、悪徳に変貌する場合がほとんどだ。その行為に正義を与えられない場合は、それがはっきりと目に見えてしまう」

 

国家にとって、戦争は正義でなければならない。さもなくばそれは醜い殺し合いということになってしまい、国民が迷ってしまう。

 

人というのは奇妙な性質があって、自覚なく人を傷つけることは多いが……明確な悪と自覚した上で人を傷つけることは、強いストレスと、罪の意識を生み出すことが多い。

 

これは特に、日常的な暴力とは無縁な大衆に顕著だ。その戦争が国家にとって本当に必要なものであるかはさておいて、無条件に暴力を悪と断じる。このため、為政者はいかにして暴力に正義を与えるかに悩まされてきた。

 

「ま、ゴミクズ共にしてはよくやった方だと思うよ。ただの感染者が一時とは言え一国の天辺まで登り詰めたんだ。それを成し遂げた行動力と力は称賛に値する。──だが、君たちの本質は何も変わっちゃいない。殺してきたんだ、殺されもする。元々はただの被害者でも、何よりもそれを選んだのは君たちだ」

 

あるいは、それはスーロンではなく……自分自身を指して嘲笑ったのかもしれないが。

 

だが、この場所にいる()()()()()をも表現していた。

 

「知っているかもしれないが、僕の名前はエールという」

 

──セイやフォンを別として、その名前は少なくない衝撃をスーロンに与えた。エクソリアの英雄は有名だ。

 

言われてみれば、風貌も完全に一致している。真っ白な、肩まで伸ばした髪を後ろで括り、まるで風のような雰囲気を纏うヴァルポ。

 

まさか、本当に?

 

「この国の隣国、エクソリアで戦争屋をしている。……まあ、今は君たちと何も変わらない。この現状をひっくり返す兵器も力も持っちゃいない。窮地にあるのは僕も同じだ」

 

圧倒的な戦力差を引っくり返したバオリア奪還戦は有名だ。レオーネとエールの台頭を象徴した戦い。

 

あるいは、そんな人物がいるのならば──と、期待をする。本人がそれを否定しようと、英雄にはそういう性質がある。

 

「……。一つ、世間にはあまり知られていない事実を君たちに伝えようと思う」

 

後ろに控えていたアンブリエルは、正直気が気でなかった。士気を高めるための話をすると教えられていたが──こんなんじゃあまり効果がないどころか……。

 

「僕も感染者だ」

 

公表してはいなかった。

 

というよりも、ほとんど意味がないと言うべきか。

 

北部は異なるが、南部にはほとんど感染者はいない。それは南部に移動都市、および源石と、それに関連した製品がほとんど存在しないことに起因する。古くからの生活様式を続けていたエクソリア南部には、感染ルートがほとんど存在しないのだ。

 

当然北部は異なる。ウルサスの傀儡となった政府は国力の増強を推進し、その過程で多くの感染者が生まれ、感染者は戦争に伴う人々のストレスのはけ口にされていた。

 

よって感染者にとって、エクソリアは一つの楽園ではあったのだが、内戦が過激化してきたことに伴い、感染者の流入はほとんど起こっていない。

 

英雄に余計な称号は必要ない。感染者はそう長くもない命、エールという英雄の存在はこれからの戦争に必要なものだ。

 

「君たちの苦しみが僕にも分かる……とまでは言わないけどね。ただ、それがどういうものかは知っている」

 

北部は源石の積極的な利用により多くの感染者を生み出し……同時に、移動都市に代表される経済性と強力な軍事力を手にした。

 

だが南部はその機を逃し、古くからの生活様式を守り続けたが故に──統一戦争には敗戦を重ね続け、領地の半分以上を奪われていた。

 

多くの感染者を生み出した方が戦争に有利に立てるというのは、一つの汚れた真実。だが感染者であるエールが南部側に立ち、エクソリア北部及びウルサスに敵対しているというのは、案外皮肉な話ではあった。

 

「だが、僕らは今更ただの被害者には成り得ない」

 

ざわめくスーロンに、言葉が投げかけられる。

 

「今や僕と君たちスーロンは一心同体の関係にある。NHIという共通の敵を抱えているし、これから辿る運命も似たようなものだ。破滅と死が待ってる」

 

勿体ぶった話し方はエールの癖だった。()()にも、よく指摘されたものだ。

 

「だが、それは今じゃない」

 

微かに、締め切った工場内に風が流れているのに気がつく。これは──?

 

「なぜならば、感染者には一つの権利が与えられているからだ。その権利とはすなわち、生き延びようとする権利に他ならない。それは戦う権利だ。自由に生きるために戦う権利が、君たちに与えられているからこそ──」

 

英雄の唄には、炎が廻っている。まるで浸透する水のようで、浮き上がらせるような朝の風のようで。

 

人とは是、その命を燃やして義とする。

 

「戦え」

 

人とは是、道を歩くとしてその命の故とする。

 

古来より、言葉とは力であり、神であった。

 

この世界には、稀に生まれてくる。()()を持つ人間が現れる。

 

「そのための力と知恵は僕が与える」

 

人の心に、炎を灯すことのできる存在。

 

たとえ心に灯った火炎が、体ごと燃やし尽くし、破滅に導こうとも、それに手を伸ばさずには居られない。

 

「戦えッ!」

 

────あるいは、最初に空を見上げたときのような、遠望な風景を眺めた時に、心を動かす感情。

 

微かに生まれた火種。

 

「戦え──ッ!」

 

微かに、火種を小さな風が煽る。

 

炎が生まれようとしている。その生命を燃料として。

 

「死んだ仲間を思い出せッ! その思いを受け継ぎ、前へ進めッ! 思いは受け継がれていくッ、例え死のうと想いは繋がるッ!」

 

フォンもそれを聞いていた。

 

思い出す。仲間たちのことを。死んでいった仲間たちのことを。

 

……埋葬もできずに、すまないな。

 

「この世界でそれだけが永遠だッ!」

 

まるで暴風が渦巻いているようだった。その男は正しく風の化身、荒巻く暴風の具現。ただ、言葉が炎を燃え上がらせる。

 

誰もが拳を、気付かぬうちに握っていた。

 

強く──ただ、強く。

 

「この世界は腐っているッ! 誰も彼もが我が身可愛さに裏切り、利権や経済のために弱者を踏みにじり、僕たち感染者を生み出した源石(オリジニウム)が生み出す利益を享受しているのは、僕たち感染者ではなく国家や巨大企業だッ!」

 

力なき正義は無能であり、正義なき力は圧政である。それ故、正義と力は同一でなければならない。

 

「……そうだ」

 

小さく呟いたのは、誰だろうか。

 

それこそが故、人は力に正義を与えることができなかった。

 

よって人はこそ、強いものを正しいとしたのである。

 

「今でさえ、ラテラーノの利権のためだけに君たちは消されようとしているッ! 今更僕らには正義などと口にする資格はない──だから敢えて言おうッ!」

 

だからこそ、あえて正義を与えよう。

 

「この戦争こそが、君たちの向かうべき運命だッ! この戦争こそが君たちにとっての正しい道であり、正義だッ!」

 

この世界の歴史は、正しいものを強くさせることが出来なかった。

 

正義にこそ力は宿ると言うが、実際はもっと逆で──力は正義に反抗する。力あるものはいずれ廃れるか、腐り落ちるかのいずれかだ。

 

そのため、長い歴史で見ても正義と力が同一であることは稀であった。

 

故に、真の正義を為すには正しいものに力を与える他ない。

 

同時にそれこそ、破滅の始まりでもある。

 

歴史が証明するように、正義こそが永遠ではないからである。

 

斯くして思想家は目を閉じた。だが──。

 

「ここに、君たちスーロンにエクソリアでの安定した生活を約束する」

 

炎は消えなかった。

 

当然だが、スーロンにとっては都合の良すぎる言葉だ。それだけで終わるはずもない。

 

「代償は君たちの戦争であり、血であり、命であり、力だ。当然君たちには一つの選択肢がある」

 

フォンにも話したが、エールにとってはNHIを切り抜けた先が本番だ。バオリア防衛戦に即戦力として投入できる、銃の扱いに慣れた人員がそれなりに必要であるためだ。

 

「ここで選べ。自らの意思で選べ────果てしない泥沼に身を投じて朽ちていくか、僕と共に正義を為すのか」

 

さりとて、彼らがエールが本当に信用しきれるかどうかは……エールにとっても一つの賭けでもあった。

 

彼らの力は欠かせない……というより、彼らの持つ銃は、だが。今は時間がない。エールも同様に、ギリギリの綱渡りをしていた。

 

彼らの火を灯すことができるのか。それはまるで、燃え上がる炎を指して”あの中に飛び込め”と唆すようなものだ。

 

それが出来るかどうか。現状を切り抜けるために、彼らの数と力は不可欠。そしてその先の戦争のためにも。

 

「何も残せないままただのクズとして命を落とすか、共にこの世界で生き抜くか……ッ!」

 

同じ過ちを繰り返すどころか、自覚してもっと酷い罪を重ねようとしている。それは分かっている。

 

分かっているんだ。

 

分かってるけどさ。

 

……。

 

聞こえているか。

 

「選べ、今ここでッ!」

 

僕の声が聞こえているか。

 

「──……、」

「苦しみにも痛みにも犠牲にも意味があったと証明しろッ! それが出来なきゃ僕らはゴミだッ! 価値なんてないッ、だから証明しろ──戦え、戦えッ!」

 

それは何よりも、自分自身への言葉であり、誓いだ。

 

元よりゴミ同然に生まれ落ちた命、それが出来なければ──それこそ、無価値。

 

見えない鎖に雁字搦めにされて、踠き続ける。何より、それを選んだのは僕だ。

 

もう選んだ。

 

選んだ。

 

だから忘れろ。忘れろ。思い出すな。

 

「オレは、あの男に付いていこうと決めている。皆も、自らの意思に従え」

 

長い放浪の旅はいつも選択と闘いの連続で、その度にフォンが先陣を切って生き残ってきた。

 

フォンを信じることを選択してきた。

 

これは、これまでの選択とは違うと……誰もが、どこかで理解していた。

 

「お、俺は戦うぞ……ッ!」

「俺も……どうせ戦うことになるんだ、やってやるッ……」

 

メカニックのフェイズも、英雄を見上げて獰猛に笑った。

 

「……いいねえ、ずっと待ってたぜ……ッ!」

 

あるいは、ここで戦わずに逃げる選択肢もない訳ではない。NHIには土地勘がない。それにそこまで詳細な構成員の情報を得ている可能性も低い。

 

NHIがラテラーノに帰還するまで潜んでいる方が、生存の目は高い。

 

「クソッ……俺は降りるぞ、死んでたまるか……ッ! 」

 

34人の内の、4人が離反を決断した。いずれも、NHIのアサルトライフルの威力を目の当たりにした構成員だ。止める人間もいない。

 

そのまま何処か、地下へと去っていく。

 

逆に言えば、残されたスーロン構成員30人は戦う決断を下した。

 

それを見下ろして、エールは呟いた。火は灯ったか。

 

「……感謝する。この運命の中で、僕たちの銃は紛れもなく復讐の女神となる」

 

静かに、燃ゆる炎が、双眸に灯っていた。

 

あるいは、ずっと以前から。

 

「さて、作戦を説明する。全員よく聞きなよ。これは、全員の命を賭けないと成立しない」

 

賭け金をベッド。

 

チップは当然、運命だ。

 

 




・エール
クズとしての自覚をした。クズはしぶとい

・正義
パスカル著「パンセ」からの引用が本文中に含まれています
はえ^〜すっごい


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Play a war game:下

本日二話目。ご注意あれ


────この戦争の舞台は西区。特徴として、地下に幾つかの秘密通路が通っている。それ以外にはさしたる特徴もない。テスカらしい石造りの建物が並ぶ地区。

 

『状況を報告しろ』

「内部に変化はなし。……いつでも行ける。まだか」

『全員配置に付いたな。突入しろ!』

「了解」

 

──NHIの混合二部隊18名による突入。裏側のドアから一斉に雪崩れ込む。フルフェイスの防弾装備に、手にしたアサルトライフル。高度な武装だ。一定の射程圏内に限ってはこの銃は神そのものとなる。

 

内部に突入し、敵影を素早く確認。クリア、先へ走る。

 

足音が金属音に変わって波を打つ。

 

「ッ、来たか──走れッ!」

 

フォンが敵影を捉えて叫んだ。7.62ミリ弾が荒れ狂う。

 

「クソ、やられてたまるか……ッ!」

 

ハンドガンをがむしゃらに撃ちながら構成員の一人も工場の奥へ走る。奥にあるのは──地下通路への入り口。

 

地下通路はそう広くもない道だ、大勢で追いかけていくことは難しい──と、スーロンたちは考えている、と……NHI側の指揮官はそう判断する。

 

地下通路の存在は()()()()()()()()()。正面からぶつかれば分が悪いのはスーロンとて承知、故に逃げ道があるはず。すでにそこまでは読み通り。

 

しかし迂闊に近寄ることも難しい。たかがハンドガンで、防弾装備をつけているとは言え、脅威であることには変わりない。中距離からの制圧射撃を、工作機械を盾に凌ぎながら地下通路へと退却していく。

 

次々と奥に消えていくスーロンの構成員。建物の構造が邪魔をして近寄りがたい──。

 

「地下通路に突入。一人も逃すなッ!」

 

すでに、双方には多くの死者が出ている。それが意味するのは、とことんまで殺し合うしかないということ。当然どちらかが全員死ぬまで、だ。

 

通路はそれなりに狭く、薄暗い。一定間隔に配置された電球が薄暗い明かりを作っていた。三人も並んで歩けない程度のトンネル。

 

逃げるスーロンと、それを追うNHI。まるで鬼ごっこだ。

 

有事の際を想定して作られた地下通路だ、入り組んだ一本道とも表現すべきトンネルの中では照準も合わせられない。

 

先頭を走るフォンが壁の印を確認して壁の一部分を殴る──爆薬に繋がる信管。フェイズ特製のお手軽爆破キットが威力を存分に発揮。地下通路が崩落し、スーロンと、それを追うNHIの部隊が分断された。

 

これが狙いか。地下通路に誘導し、爆破させて道を塞ぐことで、逃げ切る。それがスーロンの作戦。確かにある程度は賢明。

 

「……だが、我々の勝ちだ」

 

フォンが、追手が道に塞がれたことを確認して一息つく。この先は通路が終わり、広い空間に出る。そこからだ──。

 

だが、階段を登った先でフォンたちが見たのは、自分たちに向けられていた無数のAKだった。

 

「────これは、」

「残念だったな。貴様らの狙いなど元から読んでいる。大方このまま逃げ遂せるつもりだったのだろうが、全て無駄だ」

 

完全に読まれていた。

 

地下通路の出口ですら抑えられていた。

 

終わり──。

 

「……当たった、か」

「さらばだクズ共。あの世で仲間たちに詫びろ」

 

分隊長を務める男が指先に力を入れ、トリガーを引く────。

 

()()()()()()()()()()()()。……お前達こそ、地獄に堕ちろ」

 

銃声。

 

命中したのは、フォンたちではなかった。

 

NHIの真後ろ、背中に一発の弾丸が直撃する。防弾装備が貫通までは防ぐが、衝撃まではカバーしきれない。

 

「がッ──は」

 

呼吸が詰まる。これは、何が起きている?

 

「読んでいたと言ったな。だが、運はこちらに味方したようだ」

 

エールは、NHIが出口を押さえるところまで予想し、先行してスーロンのメンバー数人を出口周辺に潜ませておいた。見つからない場所に。

 

そしてそれにNHIは気がつけなかった。

 

戦術に置いて、必勝とされる型がある。

 

挟撃、つまりは挟み撃ち。正面と、背後。

 

装備の面で大きく勝るNHIだが、前からも後ろからも弾丸が狙ってくる中で勝てるのか。加えてこの至近距離、掃射しようにも味方が邪魔になる。

 

尤も、これは大きな賭けであった。読み合いというよりは、まるっきりギャンブルと等しい。だが賭けに勝った。

 

そしてそれは、この状況下にあってようやく対等な殺し合いが始まることを意味していた。

 

「この銃は、所詮レプリカに過ぎん。だが──お前達を殺すには十分すぎる」

「何を──調子に乗るなよ、模造品(イミテーター)共がッ!」

 

一発の弾丸が飛び出し、すぐに殺し合いが始まった。

 

一方、道を塞がれたNHIの混成二部隊はすぐに道を引き返した。スーロンの逃げ道は塞がれている。どの道戦闘になれば圧倒的な火力で制圧出来るだろう。

 

今は引き返し、すぐに地上に登って、逃げた主力部隊を叩くのに合流するべきだ。

 

工場へ登る階段の目前、地下通路が目の前で爆発音と共に崩落。

 

「──な、……クソ、しまったッ……!」

 

地下通路の前後が崩落。つまり、実質的に閉じ込められた。

 

すぐに瓦礫をかき分けて脱出を図るが──その前に、連続して響いた爆発音と共に、崩れていく地下通路に巻き込まれ、膨大な質量に押し潰されて大半が死亡、あるいは生き埋めになる。

 

一方、テスカ連邦のNHI仮司令部。

 

「──B、C隊からの連絡が取れない……ッ、まずい、どうする──」

 

無線母機を搭載した車両がNHIの司令部の役目をしていた。そしてそれは、現在は西区のホテルの一角に駐車してある。

 

「くっ……イーザ、聞こえているか、応答しろ!」

 

無線の向こうから応答はなし。

 

「……D部隊、工場に突入して状況を確認してくれ。罠の可能性も高い、注意して進め」

『偵察を向かわせるか?』

「いや、戦力の分散は極力行えん。ツーマンセルで工場内を捜索しろ。何者かが潜んでいる可能性が高い」

 

部隊に何かが起こったということは、起こした何者かがいる。戦闘中であっても状況を報告することは可能のはずだ。だということは、身動きが取れないか、殺されたか。

 

おそらくは罠。だが……他に選択肢もない。A隊がスーロンと交戦中だが……その結果如何でこの後の戦況は大きく変わる。

 

ハンドサインによる突入のシグナルと同時に、ライフルを構えて突入。

 

工作機械の並ぶ広い作業場にD部隊が入り、そこで見たものは──。

 

「やあ。待っていたよ」

 

白髪のヴァルポ。英雄エールで間違いない。

 

「撃てッ!」

 

無数の破裂音とフラッシュ。だがエールの肉体を捉えることはない。

 

「話が早くて結構なことだね。僕としては、のんびり会話でも楽しみたいところなんだが──」

 

工場内に一気に散らばる敵影を確認して、エールは足に力を込めた。

 

こっち(殺し合い)がお望みなら、その通りにしようじゃないか」

 

ツーマンセルのユニットが工場内に散らばり、エールに対してクロスファイアの陣形を取ろうとするが、それよりも先にエールは駆けた。

 

過剰出力のアーツがエールの体を補助し、一瞬で接近。不可視の剣を喉に突き刺して掻き切った。

 

「こぁ、──っ」

「まず二人……ッ」

 

完全防備故に、血が吹き出しもしない。鈍い音と共に絶命。

 

「──ッ! 撃て、近寄らせるなッ!」

 

銃口が影を追う。金属製の機械に衝突し、跳弾して散らばる。

 

敵部隊を分断し、一部隊を全てエールが引き受けて──殺し切る。無茶苦茶な作戦だが、崩落した地下通路の向こうはお陰で有利な状況を生み出すことが出来た。

 

あとは、この連中を殺し切れば──。

 

「い、居ないッ!? どこに──」

「悪いね。お疲れ様」

 

また二人。姿を見失ったのはエールの使用したアーツ。

 

蜃気楼に近い現象だ。空間の光を屈折させて自分の姿を消す──。

 

無茶をしている自覚はある。エールの得意とするのは極小部に作用させるアーツだ。それだけの空間を歪ませるには、かなりの力を出力しなければならない。それに完全ではない。

 

殺し合いという極限状態にあるためにNHIはエールの姿を見失っているが、よく観察してみると、違和感のある空間が確かに存在していた。だが全て明かりを消した暗い工場内と、焦りが見失わせていた。人間が消えるはずがないという先入観も大きい。

 

「撃てッ、弾幕を張れッ! ヤツは必ず何処かに居るッ!」

 

そして、エールはその無数の銃弾が飛び交う戦場の中で、一発にも当たってはならない。すでに一発狙撃を受けていた。これ以上は失血死する。

 

それはまるで、限界まで水を張ったコップのようだった。水は今にも溢れ出そうとしていて、もう一滴垂らすだけで決壊する。

 

あるいは、壊れるのはコップそのものかも──。

 

掌から伸ばした数ミクロンのブレードが、また一人、一人と命を奪う。

 

「がッ──この……ッ!」

「なっ──」

 

首を貫かれた隊員が、最後の力を振り絞ってエールを掴む。すぐに片方の手でとどめを刺すが──見逃すほど、NHIの隊員の練度は浅くない。

 

全方向からの掃射から身を隠し、背後──工場の奥、地下通路にもつながる資材置き場へ。

 

「逃すなぁッ!」

 

命を落とした隊員たちの命に報いなければならない。この絶好のチャンスを──絶対に逃さない。

 

隊長が咄嗟に手にして放ったのは、.44マグナム。強い火力を誇る小型拳銃。

 

扉に逃げ込む前に、その一発の銃弾は蜃気楼のように歪んだ景色に吸い込まれて──エールの片腕を吹き飛ばした。

 

「────ッぁ、ぐ」

 

扉を閉め、鍵を閉めながら、エールは痛みで曖昧になりそうな意識を必死に堪えている。

 

まるで自動車事故のような衝撃が、腕を吹き飛ばされて尚体に残っている。

 

それさえ掻き消してしまいそうな痛み。それと、激痛の中で見えた自分の右腕。

 

床に落ちて滑った一本の腕の切断点はぐちゃぐちゃになっていて、砕けた骨と血管と肉が混ざって、酷い有様だった。

 

「──はぁっ、はあっ……、はぁっ、は────」

 

叫びたいのを必死に堪える。今はそんなことをしている場合では──。

 

傷口も似たようなものだ。半袖が真っ赤に汚れてひらひらと舞っていた。

 

服を破り、肩から横腹を伝うようにキツく──左手と歯を使って、これ以上ないほど冷静に、冷静に────。

 

ドアが変形していく。特にドアノブを銃弾で破壊しようと、馬鹿らしくなるほどの銃弾が撃ち込まれていた。

 

──ダメだ。

 

意識が朦朧とする。

 

痛い、痛い。痛い。

 

アーツはおろか、戦闘など論外。もはや放っていても失血死は遠くなどない。止血がどうのではない。腕一本分の血を丸々失った。

 

主に右手をアーツの起点としていた。それが無くなった今、以前と同じようにアーツの行使が行えるかは疑問だ。

 

「はぁっ、はあっ……! クソ、僕は、まだ……終わる、訳には……ッ!」

 

資材置き場に何かないか──何もないだろう。事前に確認済みで、使えそうなものは全てスーロン側の部隊に回した。

 

一人で全員片付けるのはやはり無茶だったのか。いや、しかしこれぐらいでもなければ勝利は無理だった。

 

……いや。よくやった方だろ。

 

クズにしては、上手くやった方だろう。半分近くを片付けたんだ。あとはフォンたちが向こう側で勝利して、なんとか勝ち残ってくれれば……。

 

きっと僕はここで死ぬだろうが、それでも。

 

それでも────。

 

死にたくない訳じゃない。

 

いつだって死にたかった。僕が何よりも嫌っていたのは、僕自身だった。早く死ね、といつも思う。今だって思う。

 

よかったじゃないか。やっと死ねる。

 

やっと終われる。

 

やっと、楽になれる。

 

『ブラスト』

 

──……思い出しても、意味がない。そんなこと、思い出すなよ。今更意味がない。

 

『いつか、きっとね? 私たちの戦いが終わって、平和な毎日が送れるようになって』

 

ああ、いつだったか……。そんなことを言っていたっけな。

 

『そしたらさ、また遊びに行こうよ。一緒に……行動隊のみんなとかも誘って、全部から解放されてさ』

 

あの時僕はなんと答えたのだったか。彼女はどんな顔をしていたんだったか。

 

『そんな日が来るって信じてる。君と一緒なら、きっと大丈夫だって、私は信じてる』

 

ブレイズは強かった。

 

『大丈夫! きっと出来る。ね、ほら』

 

僕は、そんなブレイズのことが嫌いだった。

 

『だって、この世界は案外優しかったりするから。私が君と出会えたように、君だっていつか』

 

手を伸ばせ。右腕はもう無いが、まだ左側が残っている。

 

僕にはまだ頭も心臓も足もある。

 

使い道のないものが、まだここには残されていた。

 

棚の段ボール、フェイズとかいうメカニックが、何のために仕入れたのか知らないが、そこにはある。

 

取れる手段もそう多くない。まして、今の状況ならば。

 

生きるためじゃない。これは、死にたくないからじゃない。

 

透き通ったオレンジ色の石。

 

それは、この世界の元凶にして、僕を作り上げた一因。

 

あるいは、ロドスが生まれた理由そのもの。歴史で流れた血の理由。

 

純正源石(オリジニウム)

 

『いつか、また──────』

 

左手で掴む。拳大の石。高級品。

 

素手で掴むのは初めてだ。それなりの重さがした。

 

「ああ。また、いつか」

 

僕は源石(オリジニウム)に齧り付き、歯で砕き、飲み込んだ。

 

食え。

 

食らって飲み込め。

 

これはこの世界の歪みの象徴。食い尽くせ。

 

この身に取り込め。

 

異変が瞬間的に起こる。

 

胃に入ったその瞬間から、激痛が和らいで、頭がクリアになっていく。鎮痛剤としての作用もあるらしい。至れり尽くせりだ。

 

この場所が死に場所として悪いとは思わない。

 

だが、僕は勝ち続ける。生きる。

 

この炎がいずれ体も心も焼き尽くして、灰になるまで。

 

ドアが蹴り破られ、銃弾が室内を焼き尽くす。

 

蜃気楼が景色を歪ませ、隠した。

 

大幅に向上したアーツの運用効率と、出力。今ならば、やれる。

 

「ッ、いない!? どこに──!」

「アーツで体を隠しているだけだッ! 体はある、撃てッ!」

 

これまで、風の刃は自分の体の延長線上でしか使えなかった。距離が離れると威力が極端に低下し、風が散ってしまっていた。

 

だが、今はもう違う。

 

密室から生まれた暴風により、銃口の軌道は乱れ、どころか体ごと後退せざるを得ない。

 

視界にいる全ての人間の喉元の空間に干渉。ピアノ線のような薄い圧力場を形成。それで十分だ。人を殺すのに大層な力は必要ない。頸動脈を切断するだけで、十分だ。

 

銃を落とす。

 

首元を押さえて、突如として発生した異変に混乱し、そのままに脳への血流が止まる。頭痛と共に死ぬ。それだけ。

 

「ば、化け物──……」

 

外で銃を構えていたNHIの仲間達は、その異変に気が付いてより慎重に銃を構えた。

 

距離は5メートルあるか。

 

だが、そこは圏内だ。今、そうなった。

 

男達の、頭部周辺に限って大気圧が極端な減少を起こす。強い耳鳴りと頭痛に顔を抑える。

 

近寄って、左手を振るえば終わり。

 

最後の一人。この隊を率いていた隊長だけがエールの他に生存していた。

 

エールの風貌と、修羅のような目を見て、この戦場で化け物がたった今誕生したことを理解した。

 

肩から先が吹き飛んだ断面から染み出した血が半身を染め上げ、真っ白な髪まで所々赤く汚れている。

 

目に見えない竜巻が、エールを囲うように吹き荒れていた。

 

それは正しく風の化身。自らを燃やし尽くす炎の中にいる。

 

アサルトライフルを撃ち尽くしたとしても、まるで殺せるイメージが湧かない。そして呟く。

 

これが英雄、か。

 

「……貴様は、楽には死ねんぞ」

「そう。それじゃ、またいつか」

 

左手から放たれた風刃が、男の首を切り飛ばした。

 

 

 

 

「オラぁッ、死にやがれッ!」

 

最後の一発を撃ち切って、セイは辺りを見回した。

 

もう、NHI側の生存者はゼロだ。殺し合いが結果を伴って終わった。

 

「……勝った。勝ったぞッ! ざまあみやがれ、クソ共がッ! よっしゃああああああッ!」

 

スーロンも無傷ではない。元々少なくなっていた構成員を更に減らした。

 

呼応して、歓喜の叫び声があちこちから上がった。皆傷だらけだったが。

 

だが、勝った。

 

「まだ()()()側の勝敗は分からん。気を抜くなよ」

「わ、わかってるって。けど大丈夫だ、向こうもきっちり仕事したに決まってる。な、フォン」

「……ああ。そう信じよう」

 

そして今は、生き残ったことを喜ぼう。

 

拳を掲げて、スーロンは叫んだ。

 

ただ、生きてることを喜んだ。

 

 

 

 

 

「──クソ、何が起こっている……ッ!?」

 

司令部の男、現地のNHIの指揮系統の一番上にいるサンクタは焦燥の中にいた。

 

全部隊と連絡が取れない。

 

これが意味することが何なのか、何が起こったのか。

 

アサルトライフルを始めとする軽火器は、全てを圧倒する暴力だ。油断も慢心もなく、スーロンを殺し尽くせる算段はついていた。

 

全滅したのか、まさか。

 

「……だとすると、私はどうすれば────」

「どうもこうもないっしょ。あんたの向かうべき道なんてありゃしないっての」

 

振り向く。空きっぱなしのドアから、鮮やかなピンク色の髪を持つサンクタが入ってきていた。

 

黒い天使の輪。優先目標であるアンブリエルだ。一目で理解する。

 

手に、リボルバーを構えていた。

 

「一つよ。たった一つ……あんたの向かうべき道は、一つだけ」

 

司令部を捜索し、潰す。それがアンブリエルに与えられた、最初の命令。

 

ようやく見つけた。

 

「なぜ……なぜ祖国を裏切った!?」

「裏切ってなんかないわよ。そもそも最初っから仲間だなんて思っちゃいないしさー。そもそもあたしにはもう、故郷なんて必要ない」

「──黙れ、堕天使がッ!」

 

ホルスターからハンドガンを取り出し、アンブリエルの脳天を貫く──。

 

一発の銃声が生まれて、消えた。

 

「……じゃあね、クソ国家(ラテラーノ)。あたしはあたしの歩くべき道……月明かりを見つけた。さよなら」

 

去っていく。全てに背を向けて、地平線が描くずっと遠く、遠く向こうへ。

 

歩いて、生きていけ。

 

この殺し合いの結果は、この命が証明する。

 

その後の話。

 

満身創痍どころか死にかけのまま、エールはスーロンを率いてエクソリアへと帰還。戦場の常識を覆すような新しい武器”銃”を用いて電撃的に戦況を覆す。

 

北部に対し、対応させる暇を与えないまま強襲を繰り返し、犠牲を出しながらも敵軍の将を討ち取ることに成功。バオリア防衛戦は英雄の働きによってレオーネの勝利で幕を閉じる。

 

それが一体どんな運命を生み出すのかは、まだ誰も知らない。

 

まだ、誰も。

 




期間が空いて申し訳ないです。リアル事情が落ち着いてきたので多少は更新頻度が上がる……かもしれないです

・源石
理性が足りない時にかじるおやつ

・アンブリエル
かわいい

・ブレイズ
メインヒロイン

・エール
右腕を喪失。おやつかじったら強くなった

次でマジでこの章のエピローグです。なんでこんな長くなったんだ?(本気の疑問)


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A perfect day.

アンブリエルは忙殺されていた。

 

「──ちっがーう! あんた舐めてんの!? 当たる当たらない以前に、マトモな構えをしろっつってんでしょー!?」

「は、はいっ!」

「もう一回!」

 

レオーネに増築された射撃訓練場、レーンに並んだ兵士達が射撃訓練を行なっている。

 

アンブリエルは何と、教官役に抜擢されていた。銃の扱いに長けているのはレオーネではアンブリエルただ一人なので当然ではある。

 

フェイズら開発部が、NHIから鹵獲したAK-47を参考に巨額の予算を注ぎ込んで何とか形にしたAKレプリカ。国家予算を分配されると聞いた時のフェイズの喜び方は、それはもう半端ではなかった。

 

「ちょっとそこのあんた、あたしの話聞いてなかった!? 撃ち終わったらセーフティー掛けろって散々言ってんでしょ! 事故って死にたいの!?」

「い、いえ──」

「あーもう! 確か前も似た様なミスしてたっしょ。あんた今日の走り込み倍にしてもらう様にヤン教官に言っとく。覚悟しとけ」

「ちょ、それは──」

 

当初こそそれなりに丁寧に教えていたが、サンクタであり、高度な訓練を積み重ねてきたアンブリエルにとって、兵士たちの下手さと言ったらなかった。生まれつき銃を扱えるサンクタではないため、当然だったのだが……。

 

兵士とは訓練を重ねることで力をつけるが、順調にいくとは限らない。特に銃の訓練に関してなど、アンブリエルしか経験したことがないのだ。

 

レオーネ自体も、練兵は手探りで続けているのが現状。何せノウハウが薄い。元南部軍から人材を引っ張ってきてはいるが……。

 

圧倒的に、人手が足りない。

 

戦う兵士の数も、それを育て上げる教官の数も、武器も資源も金も時間も。

 

人手不足というのは、どの場所、どの時代にあっても普遍的かつ単純で、それ故に解決が難しい問題だ。

 

という訳で、アンブリエルは今日も力の限り怒鳴り散らすのであった。

 

そして昼食の時間になり、食堂は今日も賑わう。

 

「は──……。疲れる……」

「おっつかれー、アンブリエル」

「ん、チャーミーじゃん。おっつー」

「……その、毎回思うけど。チャーミーって何?」

「何って何よ。かわいいっしょ」

 

それなりに、アンブリエルも日々の中でレオーネに馴染んでいた。黒い天使の輪っかという目立つ風貌のアンブリエルは、名物教官にまでなっている。

 

チャン・リ・ミンというレオーネの事務職員は、何でもかんでも呼びやすい様に省略するアンブリエルにため息をついた。なんだチャーミーって。

 

「短いのよねー、エクソリア人の名前ってさー。ハンとかミンとかティエンとか、発音の問題だろうけどさー、あたしにはどれがどれだかさっぱりだし」

「まあ、それは発音の問題だし……。共通語だとそうなっちゃうのは仕方ないの。そもそもエクソリア語での表記を無理くり共通語で表すの、やっぱり無理があるって」

「言葉って難しいねー」

「ねー……」

 

食事も当然、エクソリアのものであって、ラテラーノのモダンな食べ物ではない。スパイスの効いた食事にも慣れてきた。

 

「あ、てかさーてかさー、食堂のデザートってもう少し豪華になんないわけー? チョコとか出さないのー?」

「アンタね……。私たち事務職員が資金繰りにどれだけ悩まされているか知った上で言ってんの?」

「金ならいっぱいあるっしょー」

「な、い、わ、よ! これでも食費には大分予算を割いてんのよ! 士気に関わるからって言う上からのお達しなのよ!」

「”上”ねー」

 

まあ慣れないとはいえ、それなりに食事は美味しいと思う。

 

「そんな金ないわけー?」

「まーね……。私は結構下っ端だし、そこまで詳しいことを知ってるわけじゃないけど……資金のほとんどはやっぱ装備とか、武器とかに分配されてるのよ」

「ふーん……」

 

まあ、そりゃそうだろうな、とは思う。

 

銃器開発部門からは大体いつもフェイズの高笑いが聞こえてくる。金が大量に流れてくるからだろう。

 

「はーだるぅ……。忙しすぎるっしょ、最近さー……」

「それ。バオリアの後からよね、これ……っていうか、あんたはその辺でレオーネに来たんだっけ」

「んー、まあそんなとこー。コネよ、コネ」

 

あの戦争の裏で何があったか知るものはそう多くない。まあ秘密にするほどのものでもないが、話すと長くなるし、面倒だから適当に濁す。

 

バオリア防衛戦後、レオーネは急速な組織の拡大を急いでいた。

 

銃……というよりは、あの時点ではハンドガンのみだったが、何もバオリアはハンドガンだけで勝てた訳でもない。当然の様に死闘で、ギリギリだった。

 

最終的に敵大将の首を奪ったのは銃ではなくスカベンジャーの刃だったことからも、その事実は読み取れる。

 

「てか、チャーミーって何でレオーネに入ったん?」

「あれ、話したことなかったっけ?」

「なくね?」

「そう? えっとまあ色々あるけど……一番はやっぱり、この国の力になりたいからかなぁ」

「へー、あんたそんなキャラなん?」

「何アンタ失礼ね。私にだって愛国心くらいあるっての。てかみんなそう。南部の人間にとって、生まれ育った場所は大切なのよ。フツーよフツー」

「あたしにはよく分かんないけど……でもやってることは結局戦争よー?」

「そりゃあそのくらい分かってるわよ。でも……北部に負けた時のことなんて、考えたくないから」

 

南部の人々が北部に抱く印象は共通している。

 

支配的で、抑圧的。

 

バオリアが北部の支配下にあった時も、北部軍の横暴が目立った。兵士と地元民との摩擦が激しく、かなりの問題になっていた。バオリアは元々は南部領だったが、エールが現れる少し前に北部に奪われていた。

 

「国や家族を守るためってヤツ。立派でしょ」

「そーね、立派だと思うわ。マジ」

 

幸いだったのは、元々この国には正義が用意されていたこと。支配に抗うためなら、暴力は神聖化される。特に問題だったのは、兵士の精神面だ。殺人という罪を国民が許そうとも、内側から責め立てる声は大きい。

 

よって、それを正義が許していることは、兵士達にとっての救済ではあった。

 

「ま、もちろん早く終わってくれればいいとは思うけどさ」

 

レオーネが掲げる目標は、北部に奪われた全領地の奪還。

 

その先には、おそらく北部との和平を目指しているのではないかと推察されるが、それ以上はわからない。

 

スパイシーな鶏肉を頬張る。ラテラーノにいた頃のジャンクフードではなく、何処か暖かい食事だ。悪くない。でも辛い。スパイスが辛い。

 

「まあ……それにはあたしも同感ね」

「あ、てかアンタこそ何でレオーネに入ったのよ。私まだ聞いてないんだけど」

「あれ? 話したっしょ」

「話してないけど」

 

アンブリエルとミン──チャーミーは、出会って三ヶ月程度しか経っていないとは言え、波長が合うのか仲がいい。その程度の話は、とっくに話したとお互いが誤解する程度には仲が良かった。

 

「ま、行き場がなかったってのが理由の10割っしょ。あたしも色々あってさー」

「色々って何よ、色々って」

「そりゃーあんた、色々に決まってるじゃん。この天使の輪っかとかよ」

「あー、うん。聞かない方がいい?」

「いやー、別にー? 別にあんたになら話してもいいけど、長くなるし面倒だから今はパス。それに……」

「それに?」

「ん、やっぱなんでもない」

「……? あ、まさか」

 

チャーミーは少しニヤリとした。

 

「男?」

「──っ!? は、ちょ、ち、違う、違うしっ!」

「何その反応。ギャグ?」

「違うしー! 違う違う、ありえないっしょ! あ、あんなヤツ……」

「ほぼ答えよねそれ。え、嘘。あんた男いたの? うっそでしょ? アンタのこと、私は仲間だと思ってたんだけど」

「何の仲間よ! てか違うし! いないいない、いーなーいー!」

 

食堂の騒がしい一コマ。必死の否定の声も、食堂の喧騒にかき消されて消えていく。

 

それはまあ、力も心もあげるって言ったけど、そういう意味じゃ……いや、そういう意味かも……。

 

でもそれにしたって恋愛対象じゃない、絶対ありえない。あんなクズ男に……。

 

「ちょっと何、顔赤くしないでよ。なんか腹立ってきたわ」

「は!? 赤くないし! ちょっとスパイスが効きすぎてるだけだし!」

「何アンタ、恋のスパイスってヤツ? ちょっと気取りすぎじゃない?」

「あんたぶっ飛ばすかんねマジ! 違うったら違うの! てか何が恋のスパイスよ!」

「アンタみたいなテンプレ系とか初めて見たわ。実在するんだ──」

「はああああああああ!? 誰がテンプレ系だって────!?」

 

とても騒がしい日々。

 

だが、心を許せる友人が出来たことは、アンブリエルにとって新しい鮮やかさをもたらした事は確かだ。

 

「で、相手は誰?」

「うっさい!」

 

少々下世話なのが、玉にキズだが。

 

 

 

 

 

 

「────んー……。これもーちょい銃身長い方がよくねー?」

「やっぱそうか? おーけー分かった、じゃあこっちはどうだ」

 

構えて撃つ。サンクタは生まれつき銃を扱える。どんな銃であろうと、一定の成果を出すことは可能だ。

 

──微かに、右にブレる。

 

「ちょっと、これダメじゃん。銃身が曲がってるって」

「んだと? おいおい……こいつ作ったの誰だ? あ、俺だった」

 

フェイズはそんな調子で銃身を観察する。だが目に見えるレベルでの変形は見られないが──。

 

「……まだ技術不足みてえだ。なぁ天使サマ、新しい機械買う金くれ」

「あたしに言わないでよ。つーか金足りないの? いっぱい使えるって話じゃん」

「ま、最初はバカみたいな金くれるっつー話だったし、マジだったから最高だったんだが……全然足りねえ。それに技術も浅え。マジモンに近づけんのは簡単じゃねえ。そして何より深刻なのが、人手だ」

 

広いはずの工房には、所狭しと工具が並んでいた。壁には張り紙。”注意一秒怪我一生。安全には気をつけよう! 指差し確認、ヨシ!”。ヨシ!

 

そして、それなりの人数が作業をしていた。機械を設定したり、設計をしている技術者達だ。

 

この工房は特に、銃器の研究、製造を任されている。サルカズの技術者、フェイズがトップを務めている。エールの肝入りとして、他の武器開発部に比べても多額の予算を配分されていた。

 

「ま、しゃあねえことなんだがな。銃の技術者なんぞエクソリアにいるはずもねえ。あーあ、ラテラーノからエンジニアでも引っ張ってこれりゃ、話も違うんだがなー」

「出来るわけないっしょ。銃の知識を持つラテラーノ人は出国が厳しく審査されんの。まず無理。ボヤいてないで、とっとと狙撃銃開発してよねー」

「あん? いいじゃねえか、天使サマにゃあNHIの連中から奪ってきた()()があんだからよ」

「メンテとかも必要なの。狙撃銃は特に繊細でめんどいし、奪ってきた弾薬もそう多くないんだしさー」

「はっ。まあ俺様に任せとけよ。もっと使える連中を工房(ここ)に回せって()()()に伝えとけ」

「はあ? 自分で言いなさいよー」

「いいだろそのくらい。天使サマから伝えた方が効果ありそうだしな」

「なんでよ」

 

フェイズもニヤっと笑って言った。なんだかよく分からないがとてもムカつく。

 

「なんでって、そりゃあ決まってんだろ? 英雄の愛する堕天使サマなんだしよ」

「は、はぁ……っ!?」

「あれ。違ぇのか?」

「違うに決まってんでしょ。絶対違う。あいつは愛とか知らないから。絶対そう」

「元スーロンの連中は全員そうだと思ってるけどな」

()()って何よ」

「付き合ってんだろ?」

「違うーっ! いい!? あたしとあいつはそんなんじゃないから! 分かった様な顔すんのうざいからやめてくれる!?」

「そんなんじゃねえってな。じゃあなんなんだっつー話だろ」

「そりゃあ決まってんでしょ!? えーっと──」

 

勢いのままにまくしたてようとしたアンブリエルだが、言葉に詰まった。

 

あれ。あたしとあいつって……一体どういう関係なんだろ。

 

友達……ではないし。仲間……っていうのも、確かにそうなんだけど、しっくりこない。それに恋人はない。絶対にない。ありえない。あんなクズと付き合うとかまずない。いや、別に……顔は悪くないし、金もあるだろうし、嫌いじゃないし。いややっぱ嫌い。

 

てか絶対浮気する。絶対する。本人にその気がなくても気づけば泥沼になってるタイプ。間違いない。

 

だからといって、他人じゃない。無関係とは真反対だ。

 

だが、その関係にはどういう名前をつければいいんだろう。

 

「──とにかく! 別にあいつとはそんなんじゃないし、あんたはとっととこのライフルを改良すること! まともに使えるヤツを作れっての!」

 

そう吐き捨ててアンブリエルは踵を返してずんずんと去っていく。

 

「はいはい、わっかりまーした。やれやれ、エンジニアの苦労も知らねえで気楽なもんだぜ」

 

肩を竦めて、フェイズはまたライフルを掴んだ。

 

やるべきことも、やりたいことも大量にある。軍の犬ってのも悪くない。

 

 

 

 

 

 

午後二時。

 

今度は書類仕事。事務から上がってきた報告書や重要な書類にハンコを押していくだけの簡単な仕事。

 

急速な拡大が必要となったレオーネでは、組織に関する権限をかなり個人個人に委託している。上層部──エールやグエンなどの確認を通さないことで、より早い仕事が可能になる。企業との提携や兵士の募集等だ。

 

一刻も早い成長が必要なレオーネではこの方式を採用している。当然、個人による裁量が大きくなることでデメリットも生まれる。優秀な人材はより高い活躍ができるが、そうでない場合は通常よりも仕事が遅くなる。あるいは、横領や不正なども生まれやすくなるが、それよりも組織を大きくすることをエールは優先した。

 

と、いう訳でエールの代理を任されていたアンブリエルは、報告書を読んだり、特に重要な書類にハンコを押すくらいしかやらなくてもいい。

 

だが……。

 

「はー……。プレッシャー……」

 

特別顧問とかいうよく分からない役職に付いているエールだが、実質的なトップだ。この椅子に座る人間がレオーネを動かす。

 

エールがアンブリエルをその椅子に座らせたのには別に大層な理由などないのだが……代理とは言え、一つの組織のトップは流石に荷が重い。

 

だが、断ることもできない。

 

「──おい」

「ん? どなたー?」

 

顔を上げると、いつの間にか机の前に一人の人間が立っていた。いつ入ったんだろうか、と思うが、なんだか慣れてしまった。

 

「ベンジャーじゃん。どしたんー?」

「スカベンジャーだ」

「長いっしょ。ベンジャーでいいじゃん」

「……ちっ。まあなんでもいい。あいつはどこだ」

「まだ入院中よ」

「いつまでのんびりしてるつもりだ、あいつは」

「もーちょいよ。で、何の用?」

「連中の始末が終わったとヤツに伝えておけ」

「……みんなさー。自分で言えばいいのに。てか連中ってなに?」

「それだけ言えばあいつは理解できる」

「はいはい、分かったわよー」

 

それだけ言うとスカベンジャーは普通にドアから出て行った。

 

相変わらずよく分からない女。

 

まあエールとは仕事上の関係だけみたいだし、別にいいか──と。何がいいのか全く分からないが。

 

それからしばらく書類仕事をした後、いくつかの特に重要な書類を持って、アンブリエルは執務室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

──やがて、いつの間にか夕暮れが空を染め上げていた。

 

国立病院の個室。常に満室な病院で、相部屋ではなく個室というのは少々豪華ではあったが、それも仕方ない。

 

面会の許可などは取らなくていい。そういう風にしてある。好きな時に会いにくればいい。その人物に用がある人間など、南部には山ほどいる。

 

──真っ白なカーテンが、窓から入ってくる風に揺れて、今はオレンジに色づいて、不思議な空間を作り出していた。

 

夕焼けの時間は好きだ。感傷的な気持ちにさせる。

 

それに、とても綺麗だから。

 

どれもこれも真っ白な病室も、今は色を変えていた。

 

そいつの、まるでシーツみたいに白い髪も、今は緩やかなグラデーションに染まっている。

 

体を起こして、何やら分厚い本を読んでいた。集中しているのか、まだアンブリエルには気が付いていない。

 

左手だけで器用にページをめくり、何を考えているのか分からない様な、曖昧な表情で文字を追っていた。

 

アンブリエルは、少しだけその横顔を眺めることにした。

 

顔立ちは、それなりだと思う。長い訓練の結果、遠目には細いと思える体は、実は全て絞り切られた筋肉だ。右肩から先の袖口が、風に揺られてひらひらと舞っていた。

 

哀れだとも、痛ましいとも思わない。どうせ全部自業自得だ。そいつが悪い。

 

穏やかな目だ。何も知らなければ、優しい顔立ちと判断するだろう。

 

棚にはいくつかのフルーツ盛り。側にはファイルの山と、紙束が積み上がっていた。

 

不意に、そいつは顔をあげた。

 

「……来てたんだ、アンブリエル。声くらいかけてくれればいいのに」

「いつ気がつくか試してただけだし」

「そう。試した結果はどうかな」

「んー……。秘密」

 

なんか気に食わないから、言わないことにした。

 

ベッドの横の椅子に腰を下ろす。

 

「はいこれ。ここんとこの重要そうな書類。目ぇ通しといてね」

「うん。みんなの調子はどうかな」

「別に、前も話したっしょ」

「そうだね。だが、今の君の印象が聞きたい」

「……そ。まー、いい感じじゃない? 順調に拡大中ってヤツ? あ、ベンジャーがなんか言ってたよ。連中を始末したってさ」

「一応、彼女にはスカベンジャーっていうコードネームがあるんだけどな……」

「いーじゃん。こっちの方が呼びやすいんだし」

 

──微かに。スカベンジャーという名前が出て、アンブリエルはほんの微かに口角を下げた。言われたって気づかないほど、ほんの少しだけ、不機嫌に。

 

「てか連中って誰? 始末ってことは、あんまロクな話じゃなさそうだけどさー」

「ん、知りたいの?」

「……いや。別にいい」

「そう」

 

ぺら、と。

 

エールは書類を眺めた。本当に真面目に読んでいるのか疑問なほどに、側から見れば適当に流し読みしている様にしか見えない。

 

「ちょっと、ちゃんと読んでる? ここんとこの北部の情勢と、特殊工作部隊の編成に関しての報告書。大事じゃん」

「読んでるよ。僕が指示したことの確認をしているだけさ」

 

スカベンジャーを中心とする特殊工作部隊。表沙汰にはできない任務や、敵地への潜入、工作を主な任務内容とする部隊の設立案は、エールが進めてきたものの一つ。

 

まあ、おそらくは汚れ仕事を中心にやっていくことになるだろう。アルゴンに関しては大方裏側の方まで掌握出来たし、次はアルゴンか。

 

頬には、以前見られなかった特徴が一つ追加されている。

 

黒く浮き出た源石結晶。感染が以前よりも進んでいる証拠。

 

「……ん? まだ()()が気になる?」

「いや、んー、まあ……。大丈夫なんー? それさー」

「頭部や顔に源石が浮き出るのは、感染が相当進んでることの証拠だ。通常は表面積の多い腹部や足に出る。ま、血中濃度が上がってくるとこういうこともある」

「詳しいね、あんた」

「以前は感染者の治療会社で働いていた。それなりに知識はつくし、自分の状態だって理解しているさ」

「ふーん……」

「いくらエクソリア南部が感染者に対して差別意識が低かろうと、こうも目に見える形での異常というのは、僕の立場的には少々厄介なんだが……何事にもメリットとデメリットが存在する」

 

左手で頬を撫でるエールの口元は、上がりも下がりもしない。喜びも不安もない。

 

「何、またなんか悪どいこと考えてんの?」

「悪どいとは失礼だね。実は感染者の受け入れ政策を進めようと考えている」

 

ほら言い出した。唐突にめちゃくちゃなことを言い出す。

 

「な……何それ。何する気よ」

「人手不足が深刻なのは君も知っているだろう。元スーロンの暮らしも安定している。現在の南部の象徴が感染者だし、それなりに上手くいくかもしれない」

「え、でも……感染者ってさー、死ぬ時アレじゃん。新しい感染源になるんでしょ? それはどうすんのよ」

「戦争で死んでもらう。死因が鉱石病(オリパシー)でなければ、二次感染は起こり得ないからね」

 

やはりと言うべか、エールは平然と言い放った。

 

「────。レオーネに入れて、兵士にするってこと?」

「そんなところだ。尤も、適切な防護策を取ることが出来れば、鉱石病(オリパシー)の二次感染を防ぐことは可能だ。僕だって過激なことをするつもりはないさ。人から人への鉱石病(オリパシー)の伝染は起こり得ないし、国民に鉱石病の正しい知識を教えることが出来れば、各国の感染者はこの国で、穏やかな暮らしを営むことが出来るかもしれない」

 

スケールが大きい。

 

この男は、いつもそんな感じだ。物事の視点が高い。思いも寄らない、めちゃくちゃなことを言い出す。

 

きっと世界を変えるのはこんな男なんだろう。

 

だが、裏返せば……一人一人の感情を理解していないとも言える。

 

当然だ。一万人を上空から俯瞰したときに、一万の中の一人の表情など分かるものか。

 

ましてやそれが国という単位に拡張されたとき、一人の価値は限りなく平等になる。

 

そうでなければ、戦争など出来ない。一人の痛みや悲しみをいちいち背負っていたら、潰れてしまう。あるいは、もう潰れてしまったのか。

 

「スーロンという前例はある。彼らの様な元ギャングでも、この国ではそれなりに役立っている様だからね。特にフェイズは思わぬ拾い物だった。彼がレオーネに入ったのは、やがて大きな意味を持つだろう」

 

そう。そしてそれを実行し、成功へと導くだけの力……運命じみた流れをこの男は持っている。

 

「兵士でなくとも、この国にはやはり人が足りない。労働者や技術者はどれだけ居たって足りない。経済的な発展は人手が必要だ。それも今すぐに、大量に。まともにやっていたらこの状況は、一年や二年で解決は出来ない」

 

何よりも、個人的な私情を一切排除している。戦争のために、あるいは南部のためにエールは行動し続けている。

 

だからこそ、レオーネはここまで大きくなったし、勝利を重ねているのだ。

 

ただ、最も根源的なエールの動機は、極めて個人的な感情だったのだが……今は、それも捨てた。

 

「国や人々が見捨てた感染者だ。僕が拾ったって構わないだろう」

「……ほんと、あんたってさ……悪いこと考えるのは上手よねー……」

「さてね。これを一口に悪と断じることは難しいかもしれない。視点を変えればこれは正義だ。弾圧された感染者を少なからず救う可能性が高い。当然様々な問題は生じるだろうが、些細なことだ」

 

英雄としてのエールの名声や人気は、虚栄や見せかけではない。

 

個人としてのエールがどれほどクズであれ、エールは本気で人々のために動いている。レオーネで働く人々は、それをどこかで理解しているからこそ──レオーネに所属しているのだ。

 

「それに、君もいる。問題ないさ」

「──え、ちょ、は……はあ……っ!? 何、なになになになにっ!? 口説いたって無駄だからねー!?」

「……別に口説いてないけど。事実を言っただけだ。これでもそれなりに頼りにはしている。君に僕の代理を任せたのは間違いじゃなかった」

 

正面からはっきりとそんなことを伝えられると、アンブリエルはどうしていいか分からなくなる。

 

この話で最も重要な点は、エールは事務仕事と特別顧問代理をアンブリエルに任せたが……情報や指示は全てこの病室の一室から出せる様にしてある、というこの一点に尽きる。

 

それでもまあ、あの椅子に一応は誰か座らせておこう、という考えだった。そもそもエールはそんな重要な頼み方をした覚えはないし、アンブリエルにもそれは伝えていたはず。

 

ただ、アンブリエルが張り切りすぎていただけという、それだけの話。

 

「ま、まあ? べ、別に、頼まれたからやっただけだし。それだけだしっ」

「そう。ありがとね」

「い、いいし別に、お礼とかいらないし」

「そう?」

 

喜怒哀楽の激しい天使を、割と本気で不思議そうにエールは眺めた。今日も妙にテンション高いな、と思った。

 

「──っ、そ、そうだエールっ。その、お礼ついで頼みがあるんだけどさ!」

「……どうしたの。そんな緊張しなくても、君の頼みならなるべく聞き入れるけど」

「あ、あのさ。退院してから、暇……暇な時でいいんだけどっ、その……一緒にパフェ、食べに行かないっ!?」

 

実は、ずっと誘おうと思っていた。チャーミーと一緒でも良かったのだが、せっかくだし財布として使おうと思っていた。

 

本当は今は、パフェ奢ってって自然体で言うつもりだった。でも口が滑った。それだけ。本当にそれだけだ。

 

「悪いが、当分僕に暇はない」

 

そんな些細な勇気は、残念ながらエールには伝わらなかった様だ。

 

「こ……このやろーっ! そこはいいよって言えよーっ!」

「うーん……分かった。次ここに来た時には何か甘いものでも仕入れておくよ。それでいい?」

「あんた、あたしには甘いもん与えとけばいいって思ってんでしょ、そうなんでしょ!?」

「違うのかい?」

「ち、違わないけど、違わないけど!」

 

ああ、なんということだろう。

 

間違ったってこの男には言わない。言えない。絶対に、口が裂けたって言うものか。

 

分かってた。この男は本当に気が利かない。()()()()感情の動きにはさっぱり理解してない。乙女心ってものが一ミリも分からない。知ってた知ってた。分かってた。

 

言えるはずがない。

 

“あんたと一緒に食べに行きたい”なんて、そんな事……絶対に言えない。恥ずかしくて言える訳がない。

 

「じゃあいいじゃん」

「こんな薬品臭い部屋で、スイーツが楽しめるかーっ!」

 

そんな訳で、アンブリエルの忙しい一日は過ぎていくのであった。

 

ガチ目のパンチを軽々とエールに受け止められた。

 

「ちょ、防ぐなっ、あたしの怒りを食らえーっ! このっ、このぉっ!」

「残念。悪いが、君が僕に一撃入れるためには、戦闘訓練が全く足りない」

 

左手一本で器用に捌かれながら、今日もアンブリエルは叫んだ。

 

おお、神よ。やっぱあんたクソだわ、クソ。

 

なんだってこんなバカにあたしが振り回されなきゃいけないのか。

 

それにしたって──側から見れば、これ以上ないほど堕天使は楽しそうだった。

 

孤独だった少女は、いつの間にか笑う様になった。眠い朝に、怠そうに起き上がって、ちゃんと身嗜みを整えて、毎日を過ごす。

 

あるいは、それが天使にとっての救いであったのかもしれない。

 

この命の使い道は決めた。だから、それでいい。

 

この男の抱える過去も暗闇も、意思も道も、きっと……どうすることも出来ない。

 

だけど、せめて側にいると決めた。それで十分だ。

 

「このっ、約束しろーっ! 美味いもん食わせろーっ!」

「はいはい、いつかね。いつか」

「いつかっていつよーっ! はっきりしろー!」

 

ああ、それで十分だ。いつか。

 

そう、いつか。

 

叶わなくとも、道半ばで倒れようとも。側で生き、側で死ぬ。

 

この世界に永遠はない。だからこそ。

 

天使は英雄に、永遠を描き続ける。




A perfect day.
アンブリエルが得たもの。



・アンブリエル
かわいい。

・フェイズ
スーロン共々レオーネに所属した。生き生きしながら銃器開発中。

・ヨシ!
指差し確認ヨシ! ヨシ!! ヨシ!!!
だんだんゲシュタルト崩壊していきます

・レオーネ
拡大中……

・スカベンジャー
また汚れ仕事してる…… ( ´・ω・`)
次からのメインです

・エール
また悪どいこと考えてる……( ´・ω・`)
感染の影響がどうなるかはまた次の章でやる予定です

アンブリエル編終わり!
次の章こそパパっと終わらせます。たぶん……


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2−3 陽炎の輪郭
1096年7月14日:夏影の底


闇夜に生きる周回してたら投稿遅れました。
シナリオ良かった……。Wちゃんはよ


レオーネの勢力は南部議会に食い込み始めていた。

 

エクソリア南部にも、当然政府は存在する。大統領制を採用しているため、南部には大統領という役職が存在する。

 

だが、エールがエクソリアに現れる以前……バオリアを北部に占領された際、その戦火に巻き込まれて大統領が死亡したことを皮切りに、政府は機能不全に陥っていた。

 

この主な原因は、北部からの侵攻が激しくなっていたにも関わらず、南部の大企業幹部や市長、副大統領ら権力者が互いに利権争いを繰り広げていたから──というのは、当然表沙汰にはなっていない。

 

名目は、次の通り。

 

大統領が死亡した今、誰が南部のトップに立つのか?

 

そんなこんなで争っている内にエールが現れ、全てを掻っ攫ってレオーネを設立。そのまま実質的な南部自体の指導者となり、戦争だけにとどまらず、政治までを一時的とはいえ管轄下に置いてしまった。何しろその時にエールが取った手段が何よりも明快単純だったのが大きい。

 

その手段とはつまり、強力な暴力による支配と、利権によるアメだ。従っている限りは以前とそれほど変わらない利権を与えられる。目の前で市長を捻り殺されれば誰だって恐怖する。次はお前だ、などと言い出してもおかしく無いような人間だ。

 

だが、いつまでもエールにいいようにされたままの権力者たちではない。そもそもその程度で大人しくしているなら、のし上がってきてなどいない。

 

一つ複雑な状態なのが、実質的な今の政府がどこにあるか、という点。南部領がアルゴンただ一つになっていた時期、市議会と市長を中心に南部は動いていた。その流れで、バオリアを奪還した今も臨時政府はアルゴン市議会が担っていた。

 

尤も、エールが市長を始末し、トップに成り代わったのだが……。

 

だがそれは、実質的なトップであって、名目上のトップは空席のままだ。

 

その曖昧な状態が数ヶ月続き、そしてついに押さえつけられていた議員や権力者たちがエールに反撃を始めようとしていた。

 

 

 

 

 

1096年7月14日:夏影の底

 

 

 

 

 

 

年中を通して暖かいエクソリアだが、最近は特に気温の上昇が激しい。

 

どういうことかというと、夏季──つまり、夏が訪れようとしていた。

 

赤道に近いエクソリアに春夏秋冬の概念はないが、平均気温の年中を通しての変化は存在する。大雑把に言うと、暑くなる時期と、あまり暑くない時期がある。無論暖かいことに変わりはないが。

 

流れる汗が鬱陶しい。

 

纏わりつくような湿気と熱気。日陰の涼しさも今は焼け石に水。大した変化はないが、それでもないよりはマシ。

 

「──いっ、命だけはっ! 頼む、全部本当のことなんだっ!」

 

溜息。

 

暑さに対するものか、それとも──さっきから命乞いに忙しい、目の前に這いつくばる男に対するものか。

 

冷たい瞳に当てられ、男は一層恐怖に煽られた。怯えた視線の先に、赤く染まった大剣。

 

「じゃあリ・ハン製鋼がなぜ、お前みたいなクズ連中と繋がっている?」

「し──知らねえっ! 知らねえよ! お、俺はそんなこと知らなかった、ただ頼まれたモンを運んでただけだっ! ブツの中身なんて見ちゃいねえ、珍しいことじゃねえだろッ!?」

「ち……」

「そ……そうだ、スパイ、俺が組のスパイをするッ! 情報も全部あんたに流すッ! だから──」

「必要ない」

 

大剣が弧をなぞって仕事を果たした。

 

「恨むんなら、そうやって生きてきた自分の生き方を恨むんだな」

 

そして、生きている者がスカベンジャーを除いて居なくなった室内は、ついにそのまま誰も居なくなった。

 

──暗闇を歩き、泥と血に汚れ、刃を振るう。

 

それがスカベンジャーの生き方。

 

すでに慣れ親しんだこの人生を、あるいは彼女は恨んでいたりするのだろうか?

 

それは、まだ誰も知らない。

 

彼女自身を除いて、まだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かりかり。

 

独特の摩擦音を、無理矢理文字で表現すると、そういう風になる。

 

それにしても、嫌に窮屈な感覚だ。やっぱりまだ感覚が慣れていないのだろう。左手で書くのは、慣れない。

 

インクが紙に染み込んで形作る。無数の文字の行列。

 

ノートに書き込みを続けていたエールは、ふと顔を上げた。

 

じめっとした室内にはやはりというか、スカベンジャーが居て、壁に持たれて目を閉じていた。

 

「……相変わらず、かな。ドア、開いてなかったはずなんだけど」

「あんたが鈍すぎるだけだ。集中していたようで結構だが、警戒心が足りないんじゃないか?」

「……そう、みたいだね」

 

エールは不思議そうに顔を傾げた。

 

以前より、鈍っている。

 

気配を感じる感覚や、勘とも表現するべき能力が、ほんの少しずつ──。

 

「ま、報告を聞くよ。何かわかった?」

 

ぱたん、と。エールは表題のないノートを閉じた。

 

「ハズレ、だ」

 

白い漆喰が、太陽光を反射して薄暗い室内をモノクロに染めていた。室内灯を灯さないせいで、どこか室内には憂いが漂っていた。そういう錯覚。

 

「そう」

 

短い一言。

 

「やっぱり、簡単にはいかないね」

「それで、どうするつもりだ」

「……仕方ない。もう少し裏側に潜ろう。僕は表側から働きかけて見るよ」

「表側?」

「うん。そうだな……揺さぶりを掛けてみよう。リ・ハン製鋼はリン家の持ち会社だ──リン家にアクションを起こしてみる。君は裏側から反応を探れ」

「アクションだと?」

「んー……。どうしよう。そうだね……確か、こんな話を聞いたことがある。リン家は南部でも屈指の名家で、強い資金力と影響力を持っているけど──……。図体が大きい。獲物が大きい分、狙いやすくもあるんだってね。狙うならそこかな」

「ふん。さっさと命令を寄越せ」

 

長話に付き合う気はなかったスカベンジャーは、鼻を鳴らした。

 

そんな表情を見て、エールは薄く苦笑いする。

 

「夜の帳、というバーがあるらしい。見かけは普通のバーなんだけど、実は裏で仲介屋をしているって情報があってさ。そこに潜入して、リン家に関する仕事を引き受けてくれ」

「仕事はなんでもいいのか?」

「うん。なんでもいいから情報を集めてきてほしい。このカードを見せれば仲介してもらえるはずだ」

 

放り投げたカードを受け取って、出て行く。

 

ふと、エールはその背中に声を投げた。

 

「そういえば、これが君の最後の仕事になるね」

 

微かに足を止めた。

 

「やっぱりレオーネに残ってくれたりしないかい?」

「あんたの死に様を見届けようとも思ったが、事情が出来たんでな」

 

もともとただの傭兵だ。特に、エールの私兵的な位置付けにあったスカベンジャーだが、それなりの仕事をこなしてきた。

 

だが元々根無草のドブネズミ。依頼主に裏切られてきたことも一度や二度ではない。

 

レオーネを去るのなら、残念だが止めはしない。事情も聞かない。

 

彼女は優秀だが、替えが効かないわけでもない。その辺りが現実的だった。

 

「ま、最後の一仕事……頼んだよ」

 

返事はなかった。

 

足音が遠ざかっていった。

 

エールはそんなスカベンジャーに、一人肩を竦めて……少し、誰もいない執務室を眺めた。

 

当然、自分以外誰もいない。エールは立場柄様々な立場の人間と会うことが多い。そのため、完全な静寂はそれなりに久しぶりでもあった。

 

────ふと、瞬きをする。

 

デスクの前に、ジフが立っていた。

 

フェリーンの、どこか気まぐれな雰囲気と、緩んだ口元。見慣れていた部下の姿。

 

そして、この世にはもう生きていない仲間の顔でもあった。

 

ジフは何か口を動かして、喋っているように見えるが……エールには、まるで音のない映画フィルムのような存在感の無さと、無音しか感じ取れない。

 

テスカ連邦の一件以来、部下たちの幽霊に変化が生じていた。以前は頼んでも居ないのにベラベラ喋って居たが……病院で目覚めた時から、彼らの声が聞こえなくなった。

 

何かを喋っているのだ。エールが一人になると、決まって現れて、何かを伝えようとしているのか、それとも意味もなく話しかけてきているのかはもう分からないが──何かを言っていることは分かる。

 

だが、何も聞こえない。

 

触れられもしない。

 

「……なんて、言っているのかな。お前は」

 

独り言。

 

()()()()()執務室に、反響して、消えていった。

 

そうすると決まって、笑うような、気まずそうな顔を浮かべて──。

 

もう一度目を閉じて、開けた時には消えている。

 

亡霊。

 

それはかつて、この世界に誰かが生きて居たことを証明する陽炎の輪郭。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暑い。

 

ひたすら暑い。

 

「──ちょっと! スカベンジャー、聞いてるの?」

「……いや」

「もう!」

 

妙なのに捕まった。素直な感想だった。

 

「っていうかさ、スカベンジャーって普段何してるの? あんまりレオーネでも見かけないしさ」

「……別に、あんたに教える理由はない」

 

一目捉えられたが最後、腕を掴まれ、喫茶店に連れて行かれるまでがワンセット。押しが強すぎた。

 

「いいじゃない。隠すようなことがあるの?」

 

真っ直ぐな瞳に見つめられる。

 

ミーファン。仕事上の関わりなど一切なく、ただ……何かと関わらざるを得ないというか、向こうから来るというか。厄介な人物。

 

バオリア防衛戦ではたまたま戦場で遭遇し、助けて以来やたら絡まれるようになった。

 

何も知らないお嬢様だ。簡単にあしらってやればいい。

 

だが──まるで、過去の()()に今の自分を知られてしまうような、奇妙なバツの悪さが返答の邪魔をした。

 

「あ。そういえばさ、スカベンジャーってどこで暮らしてるの?」

「なんでそんなことを聞く?」

「いや、遊びに行ってみたいなーって」

 

それこそ戦慄さえする。話題がバウンドしすぎだ。

 

「……ダメ?」

「お前は……なぜ私に構う」

 

正直頭を抱えたかったし、実際に珍しく額を抑えて項垂れていた。ギブアップ、降参宣言とも取れる。

 

長い間裏社会で生きてきた。必然的に、スカベンジャーは他人を信用しない習慣が身についていたし、深く関わりあうことも避けてきた。

 

こういう人種はたまに出会う。いわゆる”優しい”人種と言われるような。スカベンジャーに言わせれば甘いだけの連中であり、すぐにでも突き放していた。

 

今回も、そうなるはず……だった。

 

だったのだが。

 

「私があなたのことを、もっと知りたいから……ふふっ、なんてね。この前のバオリア防衛戦、きっとスカベンジャーがいなかったら、私はあの時死んでいたと思う。だから、かな」

 

天敵とも言える。

 

悪意を持って接触してきたのなら、とても容易に対処できる。慣れているからだ。

 

だが、こうも真っ正面から善意と好意をぶつけられると逃げ場がない。どうすればいいのか分からなくなるからだ。

 

「……ずいぶんお荷物になってくれたがな。お陰でずいぶんやりがいがあった」

「うん。迷惑をかけてごめんなさい。それと……あの時助けてくれてありがとう」

 

またこれだ。

 

ミーファンは、黒く滑らかな髪を揺らしてはにかんだ。

 

「まだ、お礼言ってなかったから」

「……別に、成り行きだ。助けたくて助けたわけじゃない」

 

──何か、意地になっているような気がした。

 

アイスコーヒーに口を付けるミーファンと対照的に、喫茶店に入っておいて何も飲まないスカベンジャー。出されたものを信用できないのは癖になっていた。

 

「それに、もうすぐ意味もなくなる」

「……? どういう意味?」

「レオーネを去ることにした。どうせいなくなる人間に世話を焼いても、意味などない」

「え、そうなの?」

「……事情が出来たんでな」

 

まるで言い訳をするような自分の言い草に、どこか呆れる。

 

「事情って?」

「……別の仕事が入った。それだけだ」

「え、じゃあまたレオーネに戻ってくるの?」

「……いや。私にとっては、レオーネの仕事(こっち)が一時的な仕事だ」

 

いやに口が滑る。ミーファンのようなただの一兵卒に聞かれて困ることでもないが……。不用心すぎる。

 

ミーファンの視線から逃れるように、ガラスの外を眺めた。

 

「ねえスカベンジャー。仕事って、つまり、その──」

「あんたには関係ないし、知らなくていいことだ」

 

そうやって、スカベンジャーは突き放した。

 

今までそういういい子面をしてきたような連中は、これで大体引き下がる。面倒ごとも終わるし、さっさと仕事を片付けてしまえばいい。

 

「そっか」

 

だというのに、胸にこびり付いて剥がれない、嫌な後味の悪さは──。

 

「でもそういうの、多分向いてないと思う」

「────お前に、何か分かるものか」

 

反射的に拳を握りしめた。

 

誰がなんと言うか、それは好きにすればいいと思う。だが、侮辱だ。例え誰でだろうと、許せない言葉があり、ドブネズミにも過去はあるのだ。

 

「お前には分からない。分かってたまるか……!」

「うん。分からない。分からないけど……でも、私は……嫌だな」

 

これ以上付き合ってられない。

 

乱暴にテーブルを立って、歩き出す。

 

扉を開いて、去り際にちらりと振り返った時のミーファンの表情に、スカベンジャーは感じたことのない、苛立ちに似た何かを感じた。それを理解する必要も、その気もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私、NuoSE(ノース)より参りました、ハノルと申します。この度は貴重な機会を頂きまして、誠にありがとうございます。さて、早速ですが──』

 

ことの始まり。レオーネ本部の最上階、エールの執務室に一人の男が来訪した。

 

『レオーネの特別顧問、エール様にひとつご提案がございまして。北部との戦争では様々な物資、および人員が不足しているご様子。そこで、もしもお困りのようであれば──我々NuoSE(ノース)より、援助を行わせていただく用意がございます』

 

発展途上国のエクソリアには珍しいきっちりしたスーツにネクタイ。クソ暑い中、完全防備のビジネスマンといった風貌。

 

『北部からの侵略に立ち向かわねばならないのは我々企業連合としても、南部の一員としても当然のことです。しかし申し訳ありませんが、無償とは参りません』

 

そのNuoSE(ノース)からの使者の第一印象は、とても面倒くさそう──これに尽きる。少なくとも、エールはその人物から何かいい予兆を感じ取ることはできなかった。

 

『条件がございます。いえ、決して悪い話ではないと考えますよ──北部との戦争に関して、レオーネの幹部に、我々の指定した代理人を何人か加えて頂きたいのです。理由と致しましては、我々とレオーネの橋渡しを円滑に行わせるためです。それと、代理人にはいくつかの権限を与えて頂きたいのです。いえ、簡単なものですよ──これに関しては、後ほど』

 

そして同様に、全くの予想外からの()()であったとも呼べる。

 

『そしてもう一つ。レオーネの第三武器開発部──銃器開発部との共同技術開発の権利を、リン・チェ技研に与えて頂きたい』

 

なるほどなるほど。

 

この場でぶっ殺してやろうかな。

 

本気でそう考えながらも堪えたのは、北部と戦争している中で内側とも戦争することは避けなければならないから。

 

『その対価として、レオーネ、およびエール様に多大な援助を約束します。具体的には軍事用車両五千台の貸与、多額の融資、そして人材です。労働者不足を補うための感染者受け入れ政策は確かに始まりましたが、率直に申し上げて……そこまでの成果は見込めていないのではないでしょうか? 失礼ながら、今のレオーネには彼らを受け入れて、訓練させるだけの時間的、あるいは資金的な余裕がそれほどあるようには見受けられない、と考えております』

 

こういった連中は以前からも来ていた。

 

だが──これほどの規模は初めてだ。チンケな詐欺師連中ではない、本物の刺客だ。

 

『ですが流石にこの場でお返事を頂けるとも考えておりません。勝手ではございますが──今日より10日後、すなわち……7月20日までに──承諾か、拒否か、いずれにせよ、です』

 

という訳で、エールは更なる厄介ごとを抱え込むことになった。

 

『さて、色良い返事を期待しております──()()()()()、よろしくお願い致します』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でさ。実際どうなん? あたしその辺よく分かってなくてさー」

「……。なんでお前、ここにいるの」

「え? そりゃあアレよ、……なんとなく?」

「は──……」

 

当然のようにベッドに寝っ転がっているアンブリエルを、エールは見下ろした。何してんのこいつ。

 

「ってかさー、何ここ? 英雄なんだからもーちょいゴージャスな家にしようよー」

「……セーフハウスの一つだよ。大体僕みたいな立場の人間が目立つ場所に住めるか」

「えー? 目立つ立場じゃん」

「暗殺とか、襲撃とかの危険が大きいってことだよ。寝込みを襲われたら堪ったものじゃない。だから普段はレオーネで寝泊まりしてるんだけど……」

「たまには帰ってきたくなったってこと?」

 

そう目立つ内装でもない。どこまでも普通で、エクソリア式の真っ白い家。だだっ広いと感じさせるのは、インテリアや家具がそれほど置かれていないからだ。

 

だがそれでも、一般的な認識で家族が広々と住める程度には広かった。もっとも、表向きの住所にするために必要なだけで、ほとんど帰ってきてもない。

 

「……さて、もう一度聞こう。アンブリエル、どうしてお前、ここにいるのかな」

「いやー、だってあんたがくれたあたしの部屋、めっちゃ狭いしさー、壁薄いし……」

「レオーネの女子宿舎だ。一人部屋にしてやっただけでも感謝されていいと思うんだけどね」

「いや、てかほら、そん時はまだあたしレオーネにちゃんと協力してなかったから、狭くても文句言う筋合いじゃなかったけどさー。最近あたし働きすぎじゃん?」

 

真っ白いシーツの上をごろごろと転がりながら調子良くアンブリエルは話す。全く使われてないせいか、綺麗なままだ。

 

「で、ちょろっとこの家の鍵あんたの机からパクって来たって訳よ。天才じゃね?」

「……あのねえ。ここは安全の保証された場所じゃない。次からはやめたほうがいい」

「安全〜? ここアルゴンじゃん。最前線のバオリアならともかく、危険なわけないっしょー」

「全く、お前の言う通りだったら僕も少しは楽なんだが──」

 

エールは息を吐いて肩を竦めた。

 

「敵は外側だけじゃない」

 

太陽が沈んだ今の時間。アンブリエルが勝手につけたエアコンは、それなりの性能を発揮して幾らかの熱気を鎮めていた。

 

外は夜の熱気、寒暖差──と言うより、湿気の差だろうか。外と中で急激に変化した気温が、湿った肌を嫌に感じさせた。

 

「あー、あれ? なんか来てたっしょ。何だっけ……オース? や、ノースだっけ。北?」

North()じゃない。NuoSE(ノース)……意訳だが、企業連合のことさ。National union of South Exaliaの頭文字を取ってノース」

 

エールが現れる以前より、エクソリアでは百年に渡る内戦が続いていた。だが特に北部がウルサスの援助を受けてからは戦況の悪化が激しくなり、南部の企業体は一つの連合体を作り上げ、経済を保護しようとした。その結果企業連合というものが出来上がってしまった。

 

「何年か前の話さ。領土を北部に奪われるたびに物価は高騰していく一方で、企業は材料や資金を入手するのが極端に難しくなっていっていた。加速度的なデフレをもたらし、経済は困窮──北部との戦争に負け続けると、そんな泥沼から抜け出すことはより難しくなった」

 

この辺りの知識は最近備えた。それは、そうする必要があったからに他ならない。

 

背負っていたリュックを、広いだけの空間に立てかけながらエールは独り言のように話した。癖のようなものだ。現状を再認識するための。

 

「そんな悪循環を断ち切るためにみんなで力を合わせて何とかしよう──って名目で企業連合が結成されたはいいが、その後の南部経済には大した影響を及ぼすことは出来なかったみたいだ」

「まー、バオリア取られてちゃもう無理よねー」

「そう。結果的に何一つとして経済回復に貢献することは出来なかった。失業する人々も多い中、デフレは止まらなかった訳だ。だが倒産していく企業が多い中、南部連合──ノースに加盟した企業はほとんどが今日まで生き残っている。これがどういう意味か考えてみると、見えてくるものがある」

「それってつまりさ──他の企業を置いておいて、自分たちだけ生き残ったってことじゃん」

「そう。つまり同業他社がデフレに耐えきれず倒産していくほど、製品の独占率が向上していき、結果的に生き残ることに成功した。そしてバオリアを奪還した今、この戦時下にあって奇妙なほど成長を続けるおかしな現象が発生している」

 

冷蔵庫からペットボトルを取り出して飲もうとしたエールは、中に入っていたジュースやら菓子やらスイーツやらを確認してため息をついた。謎の生活感と、自炊用の食材が一切入っていないことがアンブリエルのくつろぎ様を表している。ここお前の家じゃないんだけど。

 

「ま、別に悪いことじゃない。生き残るための戦略としては上々だと思う。ただ……結果的な事実としては、また経済格差が広がったっていう事実は残った。だが共倒れよりはマシさ」

「じゃー別に良くね? 後ろ暗いトコないんなら、さっさとノースからの援助受け取っちゃえばいーじゃん」

「僕もそう思う。本当に後ろ暗いところがないんだったら、ね」

「ふーん……。で、どこ怪しいの?」

「僕も正確に予測出来ている訳じゃないが……現時点では二つかな。一つは、援助のサイズだ」

「ちょっとしかないってこと?」

「逆だね。大きすぎる。不自然なほどだ──特にエクソリアみたいな発展途上国の、それもつい最近まで経済危機に遭っていた連中の出せる規模じゃない……と、考えている。あるいはそれほどレオーネが評価されているとも考えられるが、それも違和感がある。何かありそうだと感じてね」

 

さて、国民のレオーネに対する期待や感情はいいが、企業からの評価となると少し異なる。レオーネがバオリアを奪還したことで経済は回復傾向にあるが、それとこれとは話が別。企業の視点は、そこにどれほどの利益と経費が発生するか、だ。

 

その点に限って言えば、レオーネはそれほど大きな経済効果を南部にもたらしてはいない。レオーネ創立の時に脅して巻き込んだ企業は別として、国内からの影響をそれほど受けたくないレオーネとしては関わりを薄くする方針にしているからだ。

 

「そしてもう一つ……こっちは理論的なものじゃない。僕の勘だ。僕は大体十歳くらいから約十年をヴィクトリアのスラムで過ごしたが、その時に色々鍛えられてね。特に重要だったのは人を嗅ぎ分ける嗅覚だ。ま、僕は大して嗅覚が鋭い訳じゃないし、一目でそいつがどんな人物なのかまでは分からない。だが、これは間違いなくそれだ、と確信を持つ程度のことは出来る」

 

ノースから来たビジネスマン風の男。名前を何と言ったか、いちいち覚えてないが……印象ははっきりしていた。

 

「あれは、ヴィクトリアの貴族連中と同じ臭いだ。人を見下し、自分たち以外は全て食い物程度にしか考えていない、クソどもの臭いがした」

 

貴族。

 

決して逆らってはいけない者たち。昔、ヴィクトリアで生き延びていた時は、何よりも彼らの目に留まらないことが何よりの優先事項だった。

 

力ない者は、強者に見つかってはいけない。その感覚は今でさえ拭いきれず、微かな震えと、無条件の苛立ちが沸き立つ。

 

「そうすると、連中の狙いが大体どんなものかはっきりしてくる。つまりは戦争の主導権が欲しいんだろう。僕のような外様が気に入らないのか、それともレオーネの武力を恐れているのかははっきりしないし、何か別の目的があるのかもしれない」

 

ノースが要求した条件の中に代理人をレオーネの幹部にすることが挙げられていた。大方その辺りからレオーネに干渉を始めてくるつもりだろう。

 

「だが、断るのも難しい。ノースは今の臨時政府とも当然繋がっているし、最悪の場合は僕がレオーネから弾き出されて乗っ取られる可能性もある。何せ連中は企業連合……調べてみればすぐに分かる。連中の背後に資本家や政治家がわんさかいる──言い換えれば、貴族どもだ。敵対することになる」

 

北部と戦争をしている最中に、背中から刺される事態は避けなければならない。そうなればレオーネ、ひいては南部は終わりだろう。

 

そうさせてはならない。

 

だがノースの言いなりになるのもいい未来は待ってはいない。

 

「内側に獅子身中の虫を飼うか、それとも国内に敵対勢力を持つかの二択ってことさ。全く面倒なことになって来た……」

 

アンブリエルはしばらく話を黙って聞いた後、なんでもない顔で一言だけ。

 

「────で、あたしは誰を殺せばいいわけ?」

 

至極当然のように。

 

エールは少し驚いたようにアンブリエルの方に顔を向けた。

 

「何よその顔。使いなさいよ、あたし狙撃手(スナイパー)じゃん」

「……いや。君もレオーネに馴染んで来ていたようだから、正直使うつもりはなかった」

「はあ!? あんたふざけてんの!?」

 

突然大声を出されれば、いくらエールでも驚く。

 

「あんたね……そんなの余計なお世話ってモンなの! 何のためにあたしがレオーネに来たと思ってんのよ!?」

「急にどうした?」

「どーしたもこーしたも、一緒に来いっつったのあんたじゃん。まさかこのままあたしにフツーのフリさせとく気?」

「……んー、まあ。そんな仕事熱心だったの、お前」

「ちょ、別に仕事が好きな訳じゃないっての!」

「じゃあなんでまた」

「は──はぁ!? いや、それは別に……っ、その、いいじゃん、何でも……」

 

しどろもどろになったアンブリエルの妙な様子にエールは首を傾げた。どうした?

 

「もういいし。寝る」

「そこ僕のベッドなんだけど」

「ちょ、何急に……まさか一緒に寝るとか言い出さないでよねっ!?」

「んな訳ないだろ……。上に予備のヤツが入ってるし、そっちで寝るよ」

「なんだ……ふん」

 

むしろがっかりしたような、ほっとしているような複雑な顔をするアンブリエルを放って上に上がっていくエールだが、一つ地雷を踏んでいった。

 

「必要なことはスカベンジャーに任せてある。生活の心配はさせないとは言わないが、やられっぱなしで終わる心配はいらない」

「あんたさ、マジ人の気持ちわかんないね」

「本当に何なんだ? 僕は何か怒らせることを言ったか?」

「知んないし。ほら、さっさと行ったら?」

「……そうする。それじゃ、おやすみ」

 

返答はなかった。

 

アンブリエルは毛布を被った顔の下で、小さくおやすみ、と呟いた。

 




・スカベンジャー
レオーネに来たのは"仕事"だったらしい。
裏社会の傭兵として生きてきたが、そうなる以前は──?
かわいいというよりかっこいい

・ノース
英語とかは適当です
つよそう

・エール
ヴィクトリアで暮らしていたことがあったらしい
暮らしていたというより、生き延びていたという表現が正しい。

・アンブリエル
かわいい……

不定期更新続きます。すいやせん


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1096年7月15日:バオリア掃討戦-1

アークナイツグローバル版一周年おめでとうございます!!!!!!(一日フライング)
Wちゃんはよ!!!!!


夏の太陽の下。穀物地帯の広がるバオリア、広大な大地に設置されたキャンプの天幕の中で、レオーネの幹部たち仏頂面で集まっていた。

 

グエンが真剣な趣で話し始めた。

 

「では、改めてバオリア掃討戦に関しての最終確認を行いましょう。エールさん」

 

しわがれた声が響く。

 

グエンは南部軍人上がりが多くを占めるレオーネの幹部内においては幾らか体格的にも年齢的にも異なっていた。

 

アルゴン国立病院の院長にして元南部ゲリラのリーダーを務めてはいたが、本業は医者──とはいえ現在はレオーネの活動が主ではあるのだが。

 

もっとも、そんな老医者がこの場に混じっていることに不満を覚える人間はいなかった。それは一重に、グエンの穏やかな人柄と強い道徳心を持つ、尊敬すべき人物であることが理解されていたからだ。

 

エールはその声に答えて、真剣な趣で立ち上がった。地図の広がったテーブルを囲う幹部たちはずいぶん厳かな顔をしている。

 

「はい。では確認ですが──バオリアの未開拓エリアに潜む北部兵たちに関して、投降は必ず受け入れるようにしてください。必ず、です」

 

幹部の一人、元南部軍将校が口を開く。

 

「だが投降するフリをして攻撃してくるかもしれん」

「ええ。ですから武装解除を確認してから近づくように」

「……エール。いい加減言わせてもらうがな、甘すぎる。連中は略奪者だ、殺さん理由を説明できるのか?」

「言い分は尤もではありますが、無闇な虐殺は控えなければなりません。余計北部を刺激することの意味もない。理想は全員を生かしたまま捕らえて北部との取引の材料にすることです」

「それほど上手く行くのか?」

「彼らに逃げ道を残せば、あるいは。森の中には食料は少ないでしょう。少なくともジャングルに潜む北部兵たちは疲弊しています。追い詰められた鼠でも、猫を噛む──いえ、追い詰められたからこそ、鼠は猫を噛むほどの力を発揮します。決して、彼らを追い詰めないように。ダン中佐、あなたの部隊は元軍人が多数を占めています。ですから敢えて言います──このバオリア掃討戦は、()()()()()()()()()

「繰り返さんでもわかっている」

 

別の幹部が口を開いた。彼らのエールへの印象は、バオリア防衛戦を通じて変化していた。

 

バオリア防衛戦以前は何処か胡散臭い笑みを浮かべていたエールだが、以後はその笑みを引っ込めた。そして、暴風のような圧力を錯覚させるようになった。

 

何よりも、エールの言った通り、1週間を何とか持ち堪えると本当に銃という特大の兵器を持ち帰って来た。バオリア防衛戦においてエールは流石に戦闘ではなく指揮に徹していたが、死にそうな傷の中で南部軍を勝利に導いた。

 

ここに至っては、幹部たちは全面的な信頼はしないまでもエールを認めつつあった。

 

「それで、エール。貴様は今日どこにいるつもりだ?」

「僕は貴族との戦争です。掃討戦は皆さんに任せます」

 

貴族という単語を聞いて、快く思うものはこの場に誰一人居なかった。

 

だがエールが自らの計画や本心を外に出さないため、疑惑の目で見られる。何をするつもりなのか、と。

 

「レオーネの威信を落とすような真似はするな。連中は誰もを下に見ている──分かっているな、このバオリア掃討戦とて連中に押し付けられたものだぞ」

「ええ、理解しています。……さて、では各部隊長に通信を──バオリア掃討戦を始めましょう」

 

そんな訳で、また戦争が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1096年7月15日:バオリア掃討戦

 

 

 

 

 

 

 

 

この日、まだ正午に差し掛からない夏の下、バオリアの平野に広がる街には活気の中に様々な車両や人々が行き交っていた。

 

白い漆喰の建物が無数に立ち並び、大通りを少し避ければ所狭しと並んだ建物が大地に無数の影を映し出している。

 

日差しが強い。エクソリアの白い壁に反射して、外は眩しかった。

 

これは太陽の光を反射する白い建材を利用することで、太陽の熱気から身を守る古くからの工夫でもあった。バオリアも、アルゴンと同じように古いエクソリアの生活様式を受け継いでいた。

 

生活色に染まった街にも、貴族の家は存在していた。

 

それは、外から見れば一目見ただけで理解できる。というのも、エクソリアの一般的な建物はいつでも天災から逃れ、また何処か別の場所で街を立て直せるように、徹底して簡略な作りをしている。

 

一般的に、複雑な構造は省かれる。例えば、ほとんどの建物は四角形のシルエットで構成されている。

 

だが、それは非常に大きな建物だった。木材や白くないレンガを使用して建設された、エクソリアには似合わないような、豪華な建物で、全体的に何処か外国風だとエールには感じられた。

 

貴族はその権威や財力を示すため、天災から逃れるたびに大枚を叩き、こうして豪華な家を建設させている。

 

ふざけた話だ、とエールは思った。

 

「────見事なものです、この家は」

「ぉお、英雄どのに褒められるとは栄光ですな。見事なものでしょう。ヴィクトリアの大工たちを呼び寄せて作り上げたものでしてな」

「ヴィクトリアから? それはまた」

「なかなか苦労したもんです。さすがはヴィクトリア人でしたな。彼らは芸術というものを理解している。ここの国民どもには分からん素晴らしさです」

 

影の差す広いホールは、確かに彼が自慢げに見せびらかすほどではあった。

 

見るからにビンテージもののグランドピアノがさも誇らしげに設置されていたり、木造の緻密なデザインの螺旋階段があったり。

 

吹き抜けを見上げて、エールは涼しい空間の中で笑みを浮かべる。薄っぺらい笑みを。

 

「芸術ですか?」

「おぉ、芸術です。儂は特に美しいものに目がありませんでのぉ──コレクションがあるんですが、ご覧になられては如何ですかな?」

「そうしたいのは山々ですが、この後もやることがあるんです。またの機会に」

「それは残念ですなぁ。それでは長話もなんですし、お伺いしましょうかな」

「はい。レオーネの師団がバオリアに入り、掃討作戦を開始したことはご存知でしょう。そのことに関して、一つお願いしたいことがあります。幾らかの食料を援助して頂けませんか?」

「食料とは、これまた。不足していらっしゃるということですかな?」

「作戦の如何によっては。投降兵の数によっては、彼らの分の食料が不足するかも知れません」

「ふむ? それでは市議の方に話を通せばよろしい。それが儂個人に向けられた要請であるのなら、儂が受ける理由がありませんでのぉ」

 

当然、この要請はかわされる。

 

この老人──リン家当主は狡猾だ。歳を重ねた貴族がそれであるのと同様、幾つもの謀略を重ねるようにしている。

 

例えば、今市議会という盾を通してこの話をかわした。議会に資金的な面から強い影響力を持っているにも関わらず、自分はさも無関係であるような面をしている。白々しい──。

 

「どうしてもお願いできませんか。北部兵に関しては、彼らの一切が考慮されていません。彼らのその後の扱いに関しての計画書はそもそも作成されてすらいない。そうですね」

「おや、エール殿……それは甘過ぎるのではないですかな?」

 

リン老人はしわがれた表情で少し笑みを深めた。そこに混じる感情は、まだ若い英雄に対する賛美などではなく、甘いだけの若造に対する嘲笑だ。

 

「まだ、現状を正しく認識しておらんようですのぉ────バオリアの民間人に、死者まで出しておるんです。これを報復しなければ、民衆の不安や怒りも収まらんというものではないですかのぅ?」

 

権力者が政治を動かす際、それは常に人々の望んでいることをする──という体を取る。為政者は自らの欲望を曝け出し、実行してはならないからだ。

 

その結果、人々の感情を利用するようになる。これはどれだけ行っても世の常だ。

 

「虐殺は必要ありません。それは北部兵の感情を逆撫でするのみです。百にも満たないような逃亡兵たちです。捕虜としての維持費はそう嵩むことはありません──それに、北部との戦争を終わらせるきっかけになるかも知れません」

「ほぅ? それは、どういうことですかな?」

「そのままの意味です。捕虜交換に使うもよし、或いは他の取引に使うもよし、です。彼らから得られるかも知れない情報には価値があります。北部の異常な情報力を解き明かす鍵になるかも知れない」

 

北部の異常な情報取集力は、エールが現れる以前よりの問題だった。南部が負け続けてきたのは北部兵の武装もさておき、情報が筒抜けになっているとしか思えないような情報力が最も厄介な力だとエールは考えている。

 

そのためか、先のバオリア防衛戦では敵にとって全く未知の武器、銃がかなり有効だった。

 

「少々希望的な観測が過ぎるのではないですかな? 戦争の終結は儂らにとっても悲願、ですがのぉ──今は早急な対処というもんをするべきでしょうな」

 

──バオリア防衛戦で敗北した北部兵だが、戦場が森林地帯、ひいてはジャングルに繋がっている場所であったことも重なり……バオリアを広く囲う山脈や森林に兵士たちが逃げ込んだ。

 

そして、自然という過酷な環境に逃げ込んだ北部兵たちは、生存のためにバオリアからの略奪を行うようになる。アルゴンとバオリアを結ぶ道は山の中を通っているため、待ち伏せでの輸送トラック等の襲撃が行われるようになっていた。

 

それによる被害が顕著に現れてきたため、レオーネに依頼という形で──ほぼ実質的な命令だったが──彼らの()()が命令されることになった。

 

それは大袈裟なお題目をつけられ、バオリア掃討戦と呼ばれることになる。

 

そしてこれはもう一つ、大きな意味を持つことになる──。

 

「来る大統領選挙のためにも、ですか?」

「ははは、何を仰るか。関係などありませんでしょうに」

「直接的には、ですね」

 

状況を複雑にしたのは今エールが口に出した事柄──大統領選挙だ。

 

前大統領がバオリアにて戦乱に巻き込まれて死亡してから半年、国家のトップは未だ空白だった。

 

事態が幾らか落ち着いてきたのを受けて、正式に大統領を選び出すことになったのは、ごく当たり前の流れだ。

 

エクソリアは民主国家を謳ってはいるものの、多くの選挙制を採用している国がそうであるように、権力者同士のパワーゲームが展開されている。

 

そして、バオリア掃討戦が展開されている訳だが……問題となるのは、それが誰の指示によるもので、誰の功績となるかだ。

 

エクソリアは百年間戦争を続けてきていた。戦争の手柄に関わった人物がのし上がり易い傾向がある。だが重要なのは、例えばある場所の戦闘でエクソリア側が勝利した時に、その部隊のバックに誰が居るかということ。

 

貴族と軍隊は、切っても切れない関係にあった。というのは、旧南部軍の資金のほとんどは貴族から出資されていたからだ。

 

その性質上、軍隊は細かく分割され、貴族の私兵化が少なからず進んでいた面がある。どの貴族が、どれだけ多くの軍隊に影響を及ぼせるか。これは貴族の一種のステータスでもあり、そのまま力の大きさを示していた。

 

同じように、選挙でも立候補者の裏には必ずと言っていいほど貴族が付いており、主に資金面での援助を行なっている。大抵の場合、もっとも強い援助を受けた者が当選し、大統領の地位に付いていた。

 

「リンさん。確かあなたは企業連(ノース)のスポンサーでしたね」

「突然なんですかな?」

「ノースからレオーネに来たオファーについて、一つ伝えておかなければならないことがあります」

「ふむ? 了承して頂ける、という口振りではなさそうですな」

「ロゥ家から、レオーネに対して一つ、直接的な提案がありました」

 

窓の外から街を見下ろしていたリン老人は、ピタリと動きを止めた。

 

その反応を見て、エールは話を続ける。

 

「ノースから頂いた提案とほとんど内容は変わりません。ですが、一つ異なるのは援助額総計がノースよりも大きいことです」

 

ロゥ家もエクソリアの貴族であり、有数の富豪だ。ノースを支援する貴族達の中で、リン家はもっとも大きい家ではあるが……ロゥ家も引けを取らない。

 

淡々とエールは話す。

 

その内容が、幾らかの衝撃を伴うことを理解しながら。

 

「僕はロゥ家の提案を受けようと考えています」

 

しばらくの間、リン老人はエールに背を向けたまま景色の方向に顔を向けていた。

 

「それは、本当の話かの?」

 

表面上は、さして驚いているのか驚いていないのか判別の付かない声だった。だが沈黙の長さが物語っているものは──その発言が、明らかに想定外であったこと。

 

ノース……つまり、貴族がレオーネに出資し、レオーネをコントロール下に置こうとするのは、歴史の流れから見てそう不自然なことではなく、むしろ自然なことと呼べた。

 

これまで、南部軍は全て貴族のコントロール下にあった。その中でも勢力争いは起こっていたが、それはあくまで貴族同士のパワーゲームに過ぎなかった。

 

南部軍の敗北が続いていく中でもそれは変わらず、負け続ける中で大半の軍人が死亡し、南部軍が実質的な消滅を迎えるまでそれは変わっていなかった。

 

だが、レオーネという異色で、不明な組織が出来上がってしまった。

 

エールが手段を問わずに結成させ、旧南部軍勢力を丸々吸収し、どういう訳か貴族の援助を受けることなく巨大に成長していった。

 

というのも、結成時の混乱を突いてエールは税金や企業から無理矢理金を引っ張ってきていた。貴族の影響を排除し、企業同士を結びつかせることで相互に独立させ、そこから膨大な資金を得てきていた。

 

これは異常なことだった。

 

企業には大抵出資者がいる。出資者とはつまり、資本家であったり銀行であったりするのだが、それのルーツを辿れば必ず貴族に行き着く。

 

その中で、なぜレオーネはその資金的な独立を得たのか。その過程にはエールによる様々な無茶苦茶な脅しや飴があったのだが、貴族達がそれを知ることはなかったし、問題はそこではなかった。

 

つまりは、レオーネが貴族のコントロール出来ない武力組織である。これがもっとも大きな問題だった。

 

理由はシンプル。貴族には、レオーネに対抗出来るほどの武力手段が存在しないからだ。

 

それが強い脅威となったのは、語るまでもない。

 

「その質問は、ロゥ家がこの提案を持ちかけたことに対してのものか……それとも、僕がその話を受け入れようとしていることに対してなのか。どちらに対してですか?」

 

今この場で真偽を明らかにする手段はない。

 

だが、リン老人がこの話に対して強い衝撃を受けたのは……少なからず、その可能性があり得ると判断する程度には、ロゥ家とリン家は仲が悪かったからだ。

 

だが、それはあり得ないと判断されていた。ロゥ家がそれほどの身銭を切ってまでレオーネを押さえに掛かると想定していなかった。

 

援助額は、決して安いものではないのだ。

 

「……いやいや、失礼。ふむ、とすると……なぜ、その話を儂に伝えに来たんですかな」

 

それに対し、エールはただ一言。

 

「筋は通すものでしょう」

 

たった、それだけ。

 

「──なるほど、英雄殿は義を重んじるようですな」

「義と呼べるほどのことでもないと思いますが……。ともかく、僕の用は済みました。これで失礼します」

「お早いですな。もう少しゆっくりしていったらどうですかのぅ」

「お気遣いなく。それでは」

 

席を立ったエールの背中に、一言リン老人は言った。

 

「そうだ、ロゥのヤツによろしく言っておいてくれますかな?」

「……ええ。伝えておきます」

 

そして、後にはしばらくの静寂が残されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バオリアとアルゴンは山脈を一つ挟んで隔てられている。車両を用いて一時間ほどの距離。だが歩くには遠い。

 

エールはリン家を後にした後、バオリアを歩いていた。

 

レオーネの英雄エールは有名だ。風貌が特徴的であるのも大きい。エクソリアにヴァルポは珍しいからだ。

 

だが新聞で報じられるような風貌は割と飾り付けていたりすることもあり、簡素なシャツと髪を下ろせば案外バレたりしないものだ。もっとも、当然隻腕は目立つ。それに何より隻腕になって厄介なことは、車両が運転できないことだった。

 

そんな訳で、車を使えないのでエールは一人バオリアを歩くことになっていた。

 

バオリアの街はアルゴンと同様、強い活気に満ちていた。

 

商業の街だ。周辺諸国との貿易も順次再開し始め、それによって強い利益が発生し始める。それにエクソリアの人々はなんと言ってもその若さと数が特徴だ。エネルギーが強い。

 

それに、無数に行き違う人々は日々の生活で忙しそうだった。

 

────そんな道を行き交う。

 

アルゴンの地面は踏みなさられ、太陽の下で乾いていた。

 

無数の人混みとすれ違いながら、エールは歩いていった。

 

今、すれ違った。

 

エールは気がつかないまま歩いていく。

 

その人物はふと足を止め、後ろを振り返る。

 

だが行き交う人々に姿を失い、しかしにやりと悪戯げな笑みを浮かべてまた歩き出していった。

 

エールはそのことに気がつかず、歩みを進める。入ったのは出店が広がる食料雑貨エリア。肉や果物を売っている場所で、それと一緒に調理済みの料理を提供している場所。昼下がりの広場は人気があって、備え付けられたテーブルはほとんどが埋まっていた。

 

「やあ、フォン」

 

エールはとあるテーブルの向かい側に座った。

 

「……来たか。久しぶりだな、エール」

「防衛戦以来だね。生活の調子はどうだい」

 

黒髪のフェリーン。鋭い目つきが特徴的な、大体エールと同じ歳の青年。

 

ギャング組織スーロンのトップを張っていたが、今は人々の中に溶け込んで暮らしていた、とエールは記憶している。

 

「……スーロンが解散したからな。少し……慣れん」

「そう。感染者としてはどう?」

「悪くはない、のだろう」

「それは……よかったな。感染者の流入はこれからも増えていくだろう」

「……エール。感染者の受け入れ政策は、本当に正しかったといえるか」

 

防衛戦の後、エールは議会の反発を跳ね除けながらも感染者受け入れ政策を実施した。名目は労働力の解消だ。これまでの戦争による徴兵の負の効果を打ち消すため。

 

そして、それが国際的になると感染者の流入は次第に増えていっていた。防衛戦一ヶ月が経過して、人々の中に源石結晶を持つ感染者が目立ち始めるようになっていた。

 

目立った差別などはない。目下の悩みとしては、この移民達と地元住民との摩擦だろう。感染者達はこれまでの差別の経験から、暴力に訴えかけやすくなっていた。犯罪者のうち、感染者の割合は決して少なくない。

 

「……僕はこれが、必要なことだと判断した。人が必要なんだ、この国には」

「バオリアの裏側にも、感染者が流入し始めていることを認識しているか」

「人が増えるなら、その部分も拡大されて当然だ。アルゴンの方は大体掌握してあるけど、バオリアには手が回っていない」

 

昼下がりの喧騒の中で、こんな会話が存在していることを誰も気にしない。木を隠すなら森の中、という訳だ。

 

ペットボトルの水を飲み込む。暑い喉に生ぬるい水が流し込まれた。

 

「セイが死んだ」

 

唐突に──。

 

呟いたフォンの瞳に映っていたのは過去か未来か。

 

少なからずエールは驚いた。

 

「セイ──彼が。なんで」

「分からん」

 

セイ。フォンの側近で、エールも共にNHIを相手にして共闘したことがある。

 

テスカ連邦から生き延びたごく数十名の元スーロン構成員は現在はレオーネに所属している。

 

セイとフォンも例外ではなく、防衛戦後はバオリアの駐屯兵として生活をしていた。今回のバオリア掃討戦ではバックアップ要員だったはずだ。

 

「確かなのは、セイは何者かに襲われて死んだということだけだ。おそらく、裏の連中が関わっている」

「……バオリアの勢力が存在したとしても……少なくとも組織としては、それほど大きいとは思えない。少なくとも、僕はあまりバオリアに関して把握していないから断言は出来ないが……僕はそんな組織は知らない」

「かもしれん。だが、表立って活動していないだけで……いる。必ず、居る。それも大きな勢力が」

「あるいは、君がそう思いたいだけかもしれない」

「いや。必ずそういう人種は生まれる。そういうふうに出来ている……必ず、一定数の悪は出現するように。オレのような元スーロンもそうやって生まれた。ましてバオリアのような大きい街にいない筈がない。社会の安定のために必要な存在であり、逆説的には必ず生まれる」

 

フォンは、そういう明確な復讐相手がいて欲しいと願っている、と最初エールは思っていた。だが、それにしては少々確信的だった。

 

「お前には伝えておく。セイからの最後の電話でヤツが言っていた言葉の中に妙な単語が混じっていた」

「妙な単語?」

「”プルトン”」

「……それは、また。妙だね──何かの暗号か、隠喩か……」

「この言葉が何を意味するのか、心当たりはないか」

「さあ、久しぶりに聞いたような気がするよ」

 

記憶の片隅に引っかかっていた言葉。忘れかけていたようなものだったが、エールはその単語を覚えていた。

 

「それは確か、神話に登場するある神の別名だったかな」

「……神の、名前ということか?」

「確かね。いつだかそんな本を読んだ記憶がある」

「その神は、何の神だ」

死を司る神(ハデス)……大雑把に表すならば、死神のことだ」

「……出来過ぎだな」

「だね」

 

フォンは深く目を閉じ、また目を開けた。

 

エールはその目の種類に見覚えがあった。

 

「感謝する、エール。その情報は何かの手がかりになるかもしれん」

「どこに行くのかな、いや……。何をするつもりかな」

「セイを殺した何者かが存在する。オレは……そいつに復讐しなければならない」

 

振り返ったフォンの表情は凍りつきそうなほど冷たく、触れると刺しそうな雰囲気を纏っていた。

 

数ヶ月前の僕みたいだ、とエールが思う通りだった。

 

「……また連絡するよ、フォン。僕もしばらくはバオリアに留まるつもりでいる」

「ああ。ではな」

 

フォンは人混みの中に消えていった。

他人事だと思えないところが、どうにも不思議な感覚だった。

 




・バオリア掃討戦
このあたりの設定はごちゃごちゃしてます。
あんまり気にしなくても大丈夫だと思います

・リン家
(喧騒の掟の鼠王リンとは何の関係も)ないです。
名前被っていることに書いてから気づきましたが、面倒なのでこのままでいきます。

・フォン
黒髪のフェリーン。(外見設定は特に)ないです

・すれ違った人
だーれだ!
誰だ……?
すれ違ったエールは、この人物に気が付かなかったというところがミソ。


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アークナイツ一周年記念番外編:クリスマス・デイ

クリスマス、及びアークナイツ一周年おめでとうございます!!!
衝動的に書き上げました
多分今年最後の投稿だと思います。良いお年を


「クリスマス……って、なんだ」

 

ブラストは頭を抱えた。

 

誰も彼も──主に、ブラストが抱えている行動隊B2の面子が騒いでいる単語。

 

「隊長〜、もっとナウな感じで行くっすよ。クリスマスはクリスマスなんすよ」

「……えーっと。で、何。仕事は?」

「まあそりゃあるっすけど。でも今日はロドス全体的にそんな感じなんすよ? 隊長はちょっとロドス空けてたんで知らないかもっすけどね」

 

行動隊B2に与えられている部屋では、数名のオペレーターが寛いでいた。それを眺めつつ、ブラストはキーボードを叩く。データベース検索。

 

「えーっと、クリスマスとは……聖夜? 救世主(メシア)の誕生を祝う日である……。何だこれ。お前らがそんなに信仰に熱心だとは知らなかったな」

「や、違うっすよ」

「じゃあ何だ?」

「騒ぎたいんすよ」

「なんで?」

「だってほら、今年ももう終わりっすよ」

「……まあ。そりゃ、確かにそうだけども」

 

妙なところは生真面目なブラストは、クリスマスを理解しようとして資料を読み込むほど、今のロドスの浮かれた雰囲気とのギャップに理解が及ばなくなっていく。

 

「去年こんなのやってなかったよね」

「去年はほら、まだ訓練地獄じゃなかったっすか。つかそん時もみんな言ってたんすよ? ただ隊長がオレ達を地獄の底に叩き落としてくれていたお陰で流れたっすけどね、クリスマス」

「……そうだったっけ?」

「そうっすよ」

 

ジフは去年の地獄を思い出した。

 

当時はまだ行動隊B2が結成されて間もない時期で、ブラストによる無限訓練が行われていた時期であった。当時のブラストはそれはもう酷いもので、面倒くさがりながら隊全員を相手にひたすら戦闘訓練や基礎訓練をしていた。

 

一切の手心を加えず、なおかつ精神を抉る言葉を次々と突き刺してくる。

 

ブラストは、自身の訓練にも、部下の訓練にも手は一切抜かなかった。

 

“弱いんならもっと考えろ。出来ないんなら出来るまでやれ”。

 

“君たちは弱すぎる。価値がない”。

 

“甘すぎる。プライドなんて捨てろよ。何でもいいから僕に傷一つ付けてみろ。何でもやれ──僕の言っている意味、分かる? 転がってないで立て。立てっつってんだよ、出来なきゃゴミだよ?”

 

「……そんなんだっけ、僕。え? そんな感じだったっけ?」

「お、覚えてないんすか!? ちょ、イーナ! 聞いたっすか今の!」

 

ソファーに寝っ転がったまま、イーナは怒りよりも呆れが勝った。

 

「思い出したくない。ジフ、去年あった楽しいことなんて、隊長の悪口選手権ぐらいだったじゃん。やめよ?」

「そうだぜジフ。ルインなんて毎日吐いてたんだからな」

「ハンスはいいっすよね。昔は昔って割り切れるし──でもオレはあの恨みは忘れてないっすよ」

 

行動隊B2編成当初、ジフたちはそれなりのやる気とプライドを持って臨んだ。ドーベルマン教官の訓練を乗り越えたことが大きな自信に繋がっていたのだ。

 

それを徹底的に打ち砕いたのが、現在過去の黒歴史を聞かされて顔を覆っているブラストだ。

 

悪口選手権は1週間に一度開催され、イーナが7回、次いでジフが3回悪口選手権グランプリに輝いていた。特別評価賞にはイミンが選ばれた。

 

主にブラストに対する敵意と恐怖によって、行動隊B2は絆を深めていた。今でもたまにクソヴァルポとか呼んでいたりする。

 

「っつー訳で、隊長。クリスマスやりましょ」

「……いや、えーっと、うーん。え、ほんとに僕、そんなんだった……? マジで……?」

「マジでーす」

 

それでもブラストの訓練を受け続けたのは、積もり積もった苦しみの復讐をするためでもあるが──それ以上に、ブラストが強かったからだ。

 

最初の頃は、全員で掛かっても触れることも出来なかった。

 

誰しも、ブラストが自身に課している訓練の風景を見れば絶句する。量と密度がおかしいのだ──そして納得もする。これがエリートオペレーターなのだと。

 

そんなこんなやってるうちに、へこたれない部下達がブラストの首元に攻撃を届かせ始め、段々と行動隊B2は形成されていった。

 

「っつー訳でクリスマス任務、やりますよー」

「あー、うん……。なんか……去年は悪かったね、うん。ごめんね?」

「よーし了承頂きましたー! ほら隊長、行きますよ!」

「了承したことになったの今の。つか何、どこ行くの? 何やるの? 何も分からないんだが」

 

イーナは上着と一緒にブラストを掴むとそのまま外に引っ張っていった。

 

後には、ジフとハンスが残されていた。

 

「つかイーナのヤツ、隊長とデートしたいだけじゃないっすか。ずりぃー」

「ま、構わないんじゃないか? ほら、俺たちもパーティーの準備を始めよう」

「そっすね。あ、イミンたちから連絡来たっすか?」

「おう。いろいろ買って来てるってよ」

「そりゃよかった。くくく……今日という今日は隊長のヤツをぶっ倒してやんねーと。ハンス、分かってるっすね」

「酒で、だろ?」

「ったりめーじゃねっすか! つかあの人酒くらいしか弱点ねーってどういうことっすか!」

「まあまあ致命的だと思うけどな。ほら、ブレイズさんとさ」

「マジでそろそろイーナがナイフで隊長の脇腹刺す日も近いんじゃないっすかね」

「今日かもな」

 

ハンスはにこやかに言った。

 

「っはははは! それありそーっすね!」

 

笑えない冗談だった。

 

 

 

 

 

 

 

「どこ行くんだ……?」

「クロージャのところですよ。今日に限って、クロージャがいろいろ仕入れてくれてます」

「いろいろって?」

「プレゼントですよ、プレゼント! クリスマスと言ったらこれですよ!」

 

さっぱり理解できなかった。

 

「私が子供の頃、クリスマスの朝に目を覚ますと枕元にプレゼントが置いてあったんですよ。サンタクロースからって。嬉しかったなー、あれ」

「枕元に、ね。つまり、ロドスの子供達に配るってこと?」

「それはレンジャーのおじいちゃんがやってくれますよ。私たちは大人なので、大人の楽しみ方をするんですー」

「楽しみってお前、これ任務じゃん。僕は今日の仕事まだ片付けてないんだ」

「いいですって。ケルシー先生も、今日は大目に見てくれますって絶対」

「ほんとかなー……」

 

すれ違うオペレーター達も、何だか全体的に楽しそうな雰囲気だった。

 

ブラストは、初めて味わうような妙な浮遊感を味わっていた。

 

何だか普通ではないらしい。

 

「難しく考えすぎなんですよ。みんな、そういうイベントに乗っかって楽しんでるだけなんですから。一年に一回、こういう日があってもいいじゃないですか」

「いや、別に難しく考えてる訳じゃ──」

 

イーナは何気無く笑って答えた。

 

「考えてますって。隊長のそういう真面目なとこ、こういう時には面倒だなーって思っちゃいますよ?」

「うーん……。改善の努力はしてみるよ」

「や、別に悪いところじゃないんですからいいですって。とりま楽しみましょうよ。パーっと」

「はいはい。んで、プレゼントって誰に渡すプレゼントなんだ?」

「え。あー、まあ普通は親とかが自分の子供にサンタのフリして渡したり、友達同士で送りあったりするんですけどー……」

「んー……。まあ、分かったような気がする」

 

ドアがプシューッと開いた。

 

中に入れば、赤や白でデコレーションされた空間が広がっている。クリスマスカラーというものか。

 

「おーっ、いらっしゃーい! お二人さんデート?」

「デートの判定どうなってんのそれ。つかクロージャ、何これ。購買部までクリスマスなの?」

「無粋なこと言わないでよ、やだなー。せっかくのお祭りなんだから。あ、イーナ。頼まれてたもの、こっちね」

「さっすがクロージャ! ねえねえ、そういえばさ────」

 

ブラストが不思議がりながら室内を見回すと、人がいた。後ろ姿だけで誰か判別がつく。

 

「……Aceさん? あれ、どうしたんですか?」

 

ちょうど反対側を向いていて、表情は見えないが──棚に並んだファンシーなぬいぐるみを眺めているらしい。

 

え? ぬいぐるみ?

 

「Aceさんどうしたんですか。まさかその顔でその猫のぬいぐるみが欲しいってんじゃないでしょうね」

「む……。いや、これには訳がある」

「訳?」

「ああ。実はこれをプレゼントに、と思っているんだが……」

 

珍しく、Aceはキレのない口調だ。

 

「……正直、どれを貰ったら嬉しいかどうか、俺には想像がつかん」

「誰にあげるんですか? つか、そんなもん渡す相手とかって居ましたっけ」

「いや、Rosmontisに、と考えている」

「ああ、あの子に? なるほど──しっかし似合いませんね」

 

かなり屈強なヒゲとサングラスの男がぬいぐるみに対して睨めっこしている光景は、そのAceの悩み具合も相まって、なかなかシュールではあった。

 

「放っておけ……。俺も自覚してる」

「というかあの子ってそんなに子供って訳でもないでしょう。ぬいぐるみでいいんですかね」

「そこは俺も迷ったが……彼女には、何か明確に目立つものが必要なのかもしれない」

「どういうことですか?」

「あの子の記憶能力の特異性だ。絶えず記憶を無くし続けている──だからあの子はメモに自らの連続性を記録している」

自己の連続性(アイデンティティー)、ですか」

「そうだ。自らの内側に保存出来ないのなら、外部記憶に頼るしかない。……せめて、それをもう一つほど増やしてやることは出来ないものか、と考えている。これは俺の願望かもしれないが……」

 

Rosmontisのことはブラストも気にかけていた。もっとも、忙しさも相まってあまり構ってやれたことはないが。

 

「だったら……うーん、えーっと……僕も分からないな。正直どれも同じにしか見えない」

並んだぬいぐるみたちの種類は豊富で、どれも可愛らしい見た目をしていたが、そこからどれを選べばいいか、など男二人に分かるはずもなかった。特に、こういったこととは無縁な二人だ。

 

「──だったらこっちの仔猫のやつなんじゃないですか?」

 

クロージャとの商売を終えたイーナが口を挟んだ。

 

「ん……いや、デカすぎないか?」

「やっぱり大きい方が嬉しいってもんですよ! 目立つ方がいいのなら大きい方が良くないですか?」

「よし……これにしてみよう。クロージャ、梱包を頼む」

「まいど〜」

 

クロージャが作業をしている間、ブラストはふと並んだ商品を見てみた。

 

通常の品揃えに加えて、どうやらプレゼント用の──何だろう。様々な品物が並んでいた。どことなくワクワクさせるようなものが混ざっていないでもない。

 

「──何か気になるものがあるんですか?」

「あ、いや……別に、そういう訳じゃないんだけど……。というか、何をしに来たんだ?」

「そりゃあプレゼントを買いにきたに決まってるじゃないですか。それ以外になんかあります?」

「誰に送るものか聞いてるんだが」

「え、えー? あれですよそりゃー、まあ隊のみんなに、みたいな?」

 

ふわふわした答えが返ってきた。

 

なんか怪しかったが、それよりも気になっていたことがあった。

 

棚にあったマフラー。黒いデザインで、どこか寂しげな雰囲気だ。手に取ってみると、滑らかな感触がした。首に巻けば、きっと暖かいだろう。

 

「ってあれ。そのマフラー……暗くないですか?」

「うん、そうなんだけど……気になったんだ」

「誰かに贈ったり──あ! もしかして私に!?」

「マフラー欲しいの?」

「いやマフラーが欲しいんじゃないんですけどね、別に」

「?」

 

ブラストは首を傾げた。

 

それからマフラーを取って、クロージャに言う。

 

「これ、なんかそれっぽい感じで包んでくれ」

「あれあれ〜? ブラストー、誰にあげるの〜? ブレイズ?」

「あいつマフラーなんて欲しがらないでしょ」

「え、そうかな。っていうかマフラーが欲しいんじゃないと思うよ」

「? いや、だからブレイズに渡すつもりじゃなくて」

「そういうことじゃなくて」

 

会話が致命的に噛み合わなかった。

 

ブラストは、自分かクロージャが何か思い違いをしていることまでは分かったが、それ以上のことはわからなかった。

 

「まあとにかくまいどあり。ブラスト、誰に渡すかはともかく、ちゃんと考えて渡しなよ?」

「? うん、まあ……分かった」

 

カラフルな装飾の紙袋に包まれたマフラーを受け取ると、イーナが少し不機嫌そうに箱を渡してきた。

 

「ほら、持ってください」

「これは?」

「ケーキですー。帰りますよたいちょー。パーティーしますよー」

「どうした?」

「へん。いいですよーだ。私には何もないって分かってましたしー」

「ん……ああ、知らせてくれれば、用意くらいしたのに。何か欲しいものでもあったの?」

「……むう。違うんですよ。こういうのはあれが欲しいとかって伝えるんじゃなくて、その人が考えて選んでくれるのが嬉しいんですー。自発的にやってもらうのが一番のプレゼントなんですよーだ」

「ああ、なるほど。それは……来年に期待、だね」

「期待しないで待ってまーす」

 

来年。遠いようで近いようで──まだ、見えてない景色。

 

来年は、どんなことがあるだろうか。

 

「てかもう夜ですよ。雪、降るといいなー」

「雪まで関係あるの? 複雑だな、クリスマスって……」

「あったらテンション上がるじゃないですか!」

「えー。僕、寒いのは苦手だな……」

「狐の癖に?」

「偏見やめろー? 種族は関係ないよ?」

 

これが楽しくなかったなど、口が裂けても言えなかった。

 

普段は少し照れ臭くて言えないが、ブラストはこういった些細な会話が好きだった。

 

あるいは、いつまでもこのまま──などと、思っていたのだろうか。

 

どうだったかな。

 

どうだったんだろう。

 

その時の感情は、まだ覚えているのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハッピーメリークリスマ──────ッス! いえ────いっ!」

 

扉が開いた瞬間、軽い爆発音とともにクラッカーが打ち鳴らされた。

 

飛び込んできた視界は綺麗に飾り付けられ、少し居ない間に変貌を遂げている。

 

並んだ料理、いつの間にか置いてあるクリスマスツリー。

 

そして、悪戯を成功させた部下の面々。

 

かなり驚いた。

 

「っしゃー! 成功ォ!」

「ほら隊長の顔! めっちゃ驚いてるよ!」

 

鳩が豆鉄砲を撃たれたような顔──正しく、そんな間抜けな面だった。

 

イーナが手を引く。

 

「ほらケーキ、真ん中に置いてください。あとこれ持って、ほら」

 

言われるがままテーブルにケーキの入った箱を置いて、掴ませるように渡されたのは缶のチューハイ。

 

全員が帰ってきていた。

 

「え、あれ……お前ら、配達の任務はどうした?」

「あんなもん最初っから無かったんすよ。サプライズのための仕込みっす」

「え、えええ……?」

 

理解が追いつかないまま、右手が掴んでいる酒に視線をやる。

 

というか、全員が酒缶を持っていた。視線が集まっている。

 

「え、飲むの? 今から?」

「ここまでやったんすよ、降りるのはナシっすからね──ほら、乾杯の音頭!」

 

並んだ豪華な料理。この部屋まで運んできたの? ってかそのツリーいつの間に用意したんだ? これいつから計画されてたんだ? 許可とか──は、取ってそうだな。抜け目のない部下たちのことだ。

 

……まあいいか。せっかく用意してくれたんだ。

 

「……みんな今年一年、お疲れ様。今年もいろいろあったけど、みんなが一人前になってくれて僕は嬉しい──クリスマスはよく分からないままだけど、とにかく」

 

プシュ。

 

酒に弱いことを知りながら、逃げられない雰囲気を作った部下たちと、クリスマスに。

 

「乾杯」

『乾杯!』

 

 

 

 

 

 

 

かなり酔いが回っていた。

 

行動隊B2の宿舎では、まだ大騒ぎが続いている。

 

トイレから出てきたブラストは、少し酔いを覚ますために甲板へと歩いていく。冷たい夜風に当たれば幾らかマシになるかもしれない。

 

外は暗く、冷たい風が吹いていた。

 

足音が金属板に反響して、夜に消えていく。さっきまで喧騒の中に居たのも相待って、奇妙な寂寞感があった。

 

息を吐く。白く広がって消えていく。

 

遠くを眺めていた。地平線と夜の境目は曖昧になって、酩酊の中で神秘的な気がした。

 

月明かりが出ている。

 

「……ブラスト?」

 

薄い声に振り返る。

 

自分一人だと思っていたが、先客が闇に紛れていたらしい。

 

「グレースロート。帰ってきていたんだね」

「少しだけ。明日からは、また遠方の任務」

 

甲板の冷たい壁に座り込んで、グレースロートは夜に隠れるようにブラストを見上げた。

 

「どうしたの、こんなところで」

「”こんなところ”になんていたらダメって言いたいの?」

「いやいや、説教なんて柄じゃない。ただ、寒くはないの?」

 

ブラストは、酔いの感覚のままグレースロートの隣に腰を下ろして並んだ。

 

「寒くない訳なんてない。……ブラスト、お酒くさい」

「ごめんごめん。離れるよ」

「……別に、そのままでいい」

 

短くない時間ここにいたのだろう。

 

グレースロートの鼻の先が赤くなっていた。

 

「でも、どうしてこんなところに?」

「大した理由じゃない。そういう気分になった。それだけよ」

 

冷たい言い方だった。自分一人で完結している、そういう言い方だと思った。

 

「そう──ああ、そういえばさ。クリスマスって知ってる?」

「……一応。すごい昔、両親からプレゼントを貰ったことがある」

「あれ、君も? 割と普通のイベントなのかな……」

「それは分からない。でも……ロドスの中は、居心地が悪かった」

 

常に、ロドスから逃げるように遠方への任務を受け、そしてその結果より距離が生まれていく。

 

ロドスに所属しているにも関わらず──

「……この場所(ロドス)は、君にとっての帰るべき場所にはなれなかったのかな」

「拾って、育ててくれたことには感謝してる。でも……怖いよ、ブラスト」

 

複雑な過去を持てば、それに影響されない訳にはいかない。

 

その呪いとも呼ぶべき運命から逃れるのは、容易なことではないからだ。

 

「……寒くないかい」

「寒いよ。でも……ロドスの中には、居たくない」

「そう」

 

ブラストは立ち上がった。

 

「少し待っていてくれ。もちろん、中に入りたければそうして構わない」

「え、ちょっと」

 

どこに行くの、と聞く間もないまま、グレースロートは取り残された。

 

防寒着は着ているが、それでも寒いものは寒いまま。

 

ただ、ロドス内の楽しげな雰囲気が、なんだかずっとロドスから逃げている自分に対する当てつけのようで──。

 

結局、グレースロートは待つことにした。

 

何分経ったか、時間感覚は定かでは無かったが、ブラストは戻ってきた。

 

「え、ブラスト、それ──」

 

手に、クリスマスカラーの紙袋を持って。

 

「メリークリスマス、グレースロート。君が気に入ってくれるといいんだが──」

 

クリスマスプレゼントだ、と気がつかないほどグレースロートは鈍くも無かったが、同時に少し信じられない気持ちもあった。

 

開けてみると、黒いマフラーが入っていた。

 

「これ……」

「ロドスは君の帰る場所になれず、君は寒いままかもしれない。だけど……君が少しでも、暖まれるといいと思う」

 

首元に巻いてみると、滑らかな感触で、不思議だった。

 

「気に入らなかったら、いつでも捨てて構わない。僕は自分のセンスにあまり自信はなくてね」

 

酔っ払いは気まずそうに笑った。

 

「……ありがとう」

 

小さく、呟いた。

 

「……大切に、する」

「え、ああ……うん。そうしてくれると、僕も嬉しい」

 

マフラーに顔を埋めて、グレースロートがどんな表情をしていたかブラストはわからなかったが。

 

ほんの少し、この少女の心に届いたことを嬉しく思った。

 

ひらり、と。降ってきたのは──。

 

「雪──」

 

夜空の月光に照らされて、真っ白い雪が舞い落ちていた。

 

「明日は寒くなるね。グレースロート、そろそろ意地を捨てて部屋に戻らないと風邪を引くよ」

「いい。もう少し……」

「そう。僕はそろそろ戻ろうかな──」

 

言い切る前に、グレースロートはブラストの上着を掴んだ。

 

「……もう少しだけ、一緒にいて」

 

ブラストは苦笑いして、もう少しだけ一緒にいることにした。

 

結局その後、ブラストを探しにきた行動隊B2、及びブレイズに発見され、部屋に連れ戻されてアルコールをぶち込まれてブラストは死亡。

 

騒がしいまま、聖夜は過ぎて行った。

 




「何寝てんのエール。ほら、起きなって」

エールは目を覚ました。

珍しく眠っていたらしい──。

「仕事。いろいろお偉いさんからラブレターが届いてんの、さっさと返事してやんなきゃめんどいっしょ。……何、どしたの。寝ぼけてんの?」

アンブリエルは呆れた顔で、デスクに紙束を置く。

「……いや。少し昔のことを思い出していた」
「昔?」
「ああ。……少しだけ、昔のことさ」

エールは伸びをした。

仕事はまだある。始めないと。

よかった。まだ覚えている。


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1096年7月15日:バオリア掃討戦-2

あけましておめでとうございます。
7章良かったですね
Wさんかわい
引けて良かったです


スカベンジャーは古臭くて重苦しいドアを開き──カチリという異音を捉え、咄嗟に飛びのいた。

 

腰の大剣に手を伸ばし、ドアの向こう側を警戒。開いて出てきたのは真っ黒い人物──仲介人か? 表情は見えない。

 

「──なかなか警戒しているようだな。なぜ今、ドアから離れたんだ?」

「……爆発物トラップだと思った。あんたの仕業か?」

「そうだ。テストと言ったところか──無能は必要ないのでね」

 

男はくつくつと笑った。不快だった。

 

黙ったまま臨戦態勢を続けていると、男は話し出した。

 

「いや何、合格さ。悪い悪い。さあ、話をしようじゃないか。こっちだ」

「いや。このままでいい……この距離だ。この距離で話せ」

 

あからさまな警戒。だが、裏の仲介をやっていればこういうことも珍しいことではない。

 

「結構。さて、では最初の仕事を任せよう。何、とても簡単な仕事さ」

 

懐から取り出した一枚の封筒。何も書いていない。

 

「この一枚の封筒を、指定の場所まで届けろ。それだけだ」

「それだけか?」

「ああ、それだけだとも」

 

放り投げられた封筒をキャッチ。中身には何か紙が入っているらしい。

 

「君もこの世界で生きてきたのなら分かっているだろうが……()()()()も中は覗かないように。そして、理由を聞いてはならないし、それを運ぶ意味も尋ねてはならない。分かるだろ?」

 

傭兵や仕事屋は都合のいい道具だ。誰の下に居ようとそれは変わることはない。例えエールの元に居ても、道具は道具のままだった。

 

そして、その警告を破ることで生まれる結末は一つ。死、それだけ。

 

裏切りはご法度だ。特に裏の世界では信用が大切。

 

スカベンジャーのような無名で信用のない傭兵に、最初から大きな仕事などは任せない。最初はこういう使いっ走りだ。

 

だが、いずれエールがスカベンジャーを使うために仕込んでおいた策でもある。

 

スカベンジャーはレオーネに所属しているが、書類上は存在しない。エールがほぼ個人的に雇っている傭兵だ。

 

幾らかの情報工作を加えて、エールはスカベンジャーの存在を消していた。故に、この時点でスカベンジャーがスパイだということに誰も気づいていない。ここがアルゴンの街ではないことも大きかった。

 

「ふん。で、どこに運べばいい」

「バオリア中央、フロウリーという飲食店の側……右側の路地を行った場所に、汚れた箱が置いてある。その中に入れろ」

「それで終わりか?」

「ああ。以後、リン家との連絡は全て俺を通して行われることになる。今後仕事の連絡はこいつ(携帯電話)で行う。ほら、受け取れ」

 

パシっ、と乾いた音を立てて端末を受け取った。

 

エクソリアに置いて固定ではない電話はそれなりに珍しい。高級品だということだ。同時に、その秘匿性を示すものでもあった。

 

この携帯電話の欠点としては、対になるもう一つの携帯電話にしか通話できないことだが、その反面傍受の危険が少なく、エクソリアの裏側ではそれなりに使用されていた。

 

そもそも南部の生活様式に対して高度な技術を有さないエクソリアの電話技術は相性が悪く、連絡手段は手紙などであることが主だ。

 

だが同時に、この封筒の正体が一層分からなくなったのも事実。

 

おそらく、これはスカベンジャーに対するテストなのだろう。

 

能力があるのか。信用できるのかどうか。

 

初めてではない。この世界では裏切りや不義理が横行するが、皮肉にも信用というものが大切だ。

 

面倒だ──。

 

ただ、それでもこの任務をやり遂げようとしているのは、一体なぜなのだろうか。

 

この心をざわめかせるのは、一体なぜなのだろうか。

 

あれは、彼女の陽炎なのか。それとも、ただの人間か。

 

このバオリアの街に強い日差しが照り付け、大地の上に蜃気楼を作って、ゆらゆらと揺れていることにも、まだ気づけないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エールには習慣がある。

 

習慣というよりは癖に近い。

 

考え事をするときの癖だ──これを自覚したのは最近になってからで、それまではほとんど無意識だ。

 

考え事、特に複雑なことを考えようとするとき、エールはどこか風通しがよく、景色のいい場所、なおかつ一人でいられる場所へ足を運んでいた。

 

ロドスにいた頃では甲板。ヴィクトリアにいた頃は街並みの屋根の上。そして今は、バオリアを一望できる丘の上。

 

エクソリアは緑豊かで、木々に囲まれている。

 

夏の湿気が木々の緑から滲み出してきているようで、じっとりとした汗が張り付いていた。

 

開拓のされていない丘は、ツタや雑草が生い茂り、その上に熱帯特有の黒い木々が緑を彩っていた。

 

一般人がこの丘の上にたどり着くのは、なかなかに難しいだろう。雑草には虫や蛇が潜んでいるかもしれないし、足場も悪ければ、歩くのも難しい。

 

だがエールは太い枝に腰掛けて、昼下がりのバオリアを見下ろしていた。

 

広く、大きい街だ。エクソリアの感覚からすれば、十分に都市と呼んで差し支えない。

 

開拓された土地では、今日も人々が働いているのがこの場所からでも見えた。それほどはっきりと見えるわけではないが──。

 

農業都市の別名を取るだけはあり、巨大に開拓された土地の中心に、簡易建材の白い建物が無数にひしめいていた。

 

その一角で、今も掃討戦が展開されている。

 

掃討戦そのものに関しての心配はない。勝つことは前提、その上でどれだけ彼らを殺さないで終われるかが鍵だ。だがグエンがいれば最悪の事態にはならないとエールは考えていた。

 

奇妙なものだと思う。

 

バオリアは今日も、いつもとそう変わらない生活を営んでいるのに、そのすぐ側では戦争だ。

 

そして、一発の銃声をエールは聞き取った。

 

それが意味するものを理解し、また状況の悪化を悟る。

 

あとどれくらい殺し合えば、僕らは満足するのだろうか。

 

あとどれくらい死人を増やせば、この国は変わるのだろうか。

 

「……それとも、この国の人々を全て殺せば、この戦争は終わるのか?」

 

呟いた一言は、自嘲か嘲笑か、どっちだったのか。エールにもわからない。

 

ガサ──伸びきった雑草が揺れる音。

 

「ちょっと、そこのあなた!」

 

木の上から見下ろせば、人がいる。

 

いや、人?

 

未開拓の丘に人?

 

息も荒く、エールを見上げているのは、一人の女性とも少女ともつかない人物だった。

 

スカートから覗く足は泥で汚れている。それも当然、そんな場所を踏破するなら汚れて当然だ。

 

追いかけてきたのだろうか?

 

自分の命を狙う連中は多い。だが尾行に警戒していない。どうせ襲われても、どうにでもできる自信があった。

 

「……やっと、見つけたわよ! エール……いえ、アリーヤと呼んだ方がいいのかしら?」

 

──────。

 

可憐な顔立ちをした、金髪のヴァルポ族。瞳は悪戯げに輝き、ここにたどり着くまでに苦労があったのだろう……疲労の色が見て取れた。

 

「……君、は────」

 

無表情で呟くエールの、どことなく驚いた顔を見て、その反応に満足げな人物は右手に掴んだアーツユニットを地面に立てて、少し胸を張った。

 

悪戯が成功したような表情だった。

 

言葉の続きを待つが、エールの一言が全てをおじゃんにした。

 

「……誰だ」

 

……。

 

…………。

 

………………。

 

……………………。

 

そよ風が肌を撫で始めて、吹き終わるほどの時間、沈黙が横たわっていた。

 

「は、はあ……──はああああああああああああああぁっ!?」

 

金髪のヴァルポ、ブリーズは叫ぶほかなかった。

 

「あ、あなた……え、エール、よね? 人違いだったりしないのよね?」

「……僕のことをアリーヤだと言ったね」

「え、ええ。間違っているかしら?」

「……いや。それが間違いでないからこそ……分からないね。なぜ、その名前を知っているのかな」

 

腰を下ろしていた幹から飛び降りた。

 

エールにとっては未知の人物で、戦闘能力、およびその意思は感じ取れないが、警戒はする。

 

問いの回答を待っていると、目の前の人物は、表情を変えていった。

 

「質問に答える気はないってことかな」

「……いいえ。でも、一つ……聞かせて欲しいの。あなた、その右腕……。見間違いかと思ったけど────」

「その前に、君が何者なのかを答えろ」

「いいえ、私の質問が先よ。エール、あなたは……なぜ、右腕を無くしているのかしら」

「君の正体によっては教えられない。それに、慣れているとはいえ一方的に名前を知られているのはそう気分がいいものじゃない。もう一度聞く。君は誰だ」

「……本当にエールなのよね?」

「どのエールか知らないが、確かに今はそう名乗っているのは確かだね」

「えっと、その……なんだか人違いかもしれないって怖くなってきたから確認させて欲しいのだけど……あなた、昔ヴィクトリアで暮らしていたことがあるわよね?」

 

これで、ますます分からなくなっていく。

 

質問に答えることにした。話を進める。

 

「なぜ君がそれを知っているかは問わない。少しばかり君を信頼して答えよう────あるよ。もう何年前か分からないが……」

「ロンディニウム市よね?」

「その通りだね」

「十歳の頃から八年近く、スラム街で暮らしていた?」

「……君は、本当に誰なんだ? 全く分からない。僕のことを知っているのだろうが……君のような人物に見覚えがない……」

「え、嘘!? ほ……本当に? ほら、私の顔をご覧なさいな、これでも本当に思い出せないの!?」

「……」

 

端正な顔立ちだ。

 

気品と自信に溢れた顔立ちは、今は不安と焦りに染まっているが……一見して分かるほどに、高貴な雰囲気が溢れていた。

 

少なくとも、エールは悪印象を持つようなことはなかった。

 

人の精神は顔だちや表情に現れる。

 

彼女は、どこからどう見たっていい人にしか見えなかったし、感じられなかった。それに嘘や悪感情があるようには見えない。

 

「いや……。分からない。君のような人に出会っていれば、記憶には残っているはずなんだが……すまない。君の名前を教えてくれ」

「えーっと……。い、いえ……いいのよ。別に、覚えてなければ、ええ、覚えてないっていうのなら、仕方ないのよ……ええ。仕方ない、仕方ない、わよね。ごめんなさい、突然驚かせるようなことを言ってしまって」

 

ここまで露骨に落ち込まれると、かえって申し訳ないような気もしてくる。

 

「えっと……。私の話をする前に、場所を変えないかしら? 虫が多いじゃない、この辺り……っていうか追いかけるの、本当に大変だったのよ!?」

 

雑草を踏みつけて話していたが、言われて見ればそうだ。特に平気で足の肌を出しているような、自然を舐めきっている服装。

 

エールは適当に辺りを見回し、大きな岩に辺りをつけた。

 

あそこでいいか。

 

自然な動きで、左腕で目の前のヴァルポを抱える。

 

「……えっ? ちょ、え、エール? 何して────ええええええええっ」

 

そのまま跳躍して、それなりの大きさ────ちょうど、二人が並んで座れるくらいには大きい岩までそのまま飛び乗った。

 

「はぁ──っ、はぁ──っ、ちょ、れ、レディーの扱い方までは、学んでいないようねっ……!」

 

岩肌に腰を下ろす。

 

ここならば雑草が届かないし──虫の心配も、幾らかは薄くなる。

 

エールに続いて、ちょこんと座る。その座り方さえ、エールのように乱暴なものではなく、どこか丁寧だった。

 

「さて、聞かせてもらうよ。君が誰なのか」

「え、いきなり? 私が言うのもなんだけど、もう少し勿体つけてもいいんじゃないかしら?」

「最終的に話してくれるのなら、君の望む通りにしよう。言いたいことがたくさんありそうな顔をしているから」

「……もしも、あなたが私の知っているエールだとしたら……変わったわね、あなたは」

 

黙って続きを促した。

 

「”君”……なんて。似合っているのかいないのか。私の知っているあなたは、もっと粗暴で……”お前”とか、”てめえ”とか使っていたし……そんな表情も、したことなんてなかったわ」

 

それを聞きながら、エールは彼女のことを思い出そうとした。

 

だが凛とした表情に見覚えはない。それこそヴィクトリアを思い出してみても思い出せない。それは、時間の経過によるものか、それとも……別の要因によるものか。

 

ここまで好き勝手に言われるからには、どこかで出会っているのだろうが。

 

「グレース・アリゾナという名前に、聞き覚えはあるかしら」

 

ほんの少しだけ寂しそうにして、彼女はそう問いかけた。

 

エールには、確かに心辺りがあった。その名前は、まだ忘れてはいなかった。

 

「……これはまた────……」

 

驚きから、マジマジとグレースの顔を見た。言われて見れば、確かに。

 

「君も、人のことは言えない……。僕が知っていたのは、世間知らずで甘っちょろい、ボンボンのお嬢様だったはずなんだけどね」

 

だが、目の前にいるのはしっかりとした芯を持つ、一人の女性だった。

 

それを思い出せなかったのは、あまりにも変わり過ぎていたからか、それとも──。

 

「! ほら、覚えているじゃない……でも、それは私にとっても一緒よ。私が知っていたのは、粗暴で頭が悪くて、品のないスラムの掃き溜めの一人だったはずよ」

 

ほっとした表情を見せるアリゾナ。

 

覚えていてくれた。

 

「散々な言い草だね。そんな風に思っていたとは、少しショックだな」

「本当に?」

「まさか。嘘だよ」

 

自嘲気味に笑い、エールは器用に左手だけで煙草を一本取り出して火をつけた。

 

煙が風に流されて、溶けていく。

 

「……いつだか、煙草なんて吸う奴の気持ちはさっぱり分からないとか言っていませんでした?」

「ん……ああ。そうだったかな」

「そうよ。早死にするわよ、やめた方がいいわ。忠告よ」

「……そうだね」

 

そう言いながら、別に火を消さない辺りにこの会話の虚しさが存在していた。

 

「でも、驚いたな。エクソリアに来ているなんて……命が惜しくないのかい?」

「惜しいわ。でも──……エール。あなたに、いくつか伝えたいことがあるの」

「僕に?」

「ええ。一つ確認するけれど、あなたは今……この国の軍隊の指導者で、英雄なのよね」

「レオーネは実は、正式で公式な軍隊じゃない。法律上は、僕が勝手に立ち上げた民間組織に過ぎないんだ、まだね」

「そんなのどうだっていいの。説明して欲しいことは山ほどあるわ。でも、先に言いたいことを言わせてもらうわよ」

「聞くだけは聞くよ。久しぶりに会った知り合いの言葉だしね」

 

知り合い、という表現に、アリゾナは少し詰まるものを感じながら、エールと同じようにバオリアの広い街を見下ろして言い放った。

 

「この戦争を、今すぐやめて欲しいの」

 

それから、エールが煙を吐き出す音が、静寂の穴を埋めていた。

 

「似たようなことを、よく言われるよ。この国の人々からね。それは手紙だったり、直接レオーネを訪れたり、あるいはもっと直接的に訴えかける手段を持って、僕のところへやってくる」

「あなたは、それになんと答えるの?」

「何も。代わりに、この国の現状が答えてくれる。一度転がり出したボールを止めるのは、実はそう簡単なことではない。それが坂道を下るボールは加速し、運動はより大きくなる。それはもはや、誰かが捕まえることなどできない。戦争ってのものは、()()()()()()()()()()()()。残念なことにね」

「答えになってないわ。ねえエール。これは、あなたが自ら望んでいることなのかしら」

「その質問に答えるのは難しいね」

 

吸い殻をブーツの踵ですり潰した。

 

「君はどうしてエクソリアへ?」

「支援活動よ。いくつかの危機契約を結んでいるの────それと、あなたがここにいるっていう噂を聞いて」

「はは、噂……? ジャーナリストの記事を、噂とは呼ばないだろう」

「そうね。でもあなたの名前はそれなりに、有名よ」

「さて、この名前とこの国は、果たしてゴシップ記事よりも人目を引くのかい?」

「別に新聞だけじゃないわ。それに、別に私が戦時下にある国を訪れるのは初めてじゃないもの」

「……本当に、変わったね。この世界はどう? 君が期待していたようなものだったかな」

 

アリゾナは、無表情で街を見下ろすエールと同じく、俯瞰したまま答えた。

 

「私が期待していたほどでもなかったし、きっとあなたが思うほど酷くもなかったわ」

「なるほど。確かに、僕は現状の認識を間違えているかもしれないね」

「昔した質問を、もう一度するわ。ねえエール、あなたは……何かのために生きているかしら」

「僕には……やらなくてはならないことがあるんだ」

「そのために、右手も……そして、その頬の源石結晶……鉱石病の進行も、別に構わないっていうのかしら」

「どうしようもないことだ。治療も確かに結構なことだが、それはあくまで延命に過ぎない。根本的なところを変えられるわけじゃないんだ。ならば、それよりも早く……というのは別に、おかしな話じゃないだろう」

 

アリゾナは手を伸ばして、エールの頬の結晶に触れた。

 

体温の暖かさが、固い感触を通して伝わる。

 

「触れるな」

「どうしてかしら?」

「鉱石病が移る。感染したくはないだろう」

 

嘘だった。なんでもないように吐いた嘘の真意は、触れられたくなかったからだった。

 

「いいえ。感染者との接触で、鉱石病は移らないわ」

 

チラリと横を流し見た。アリゾナの表情は、エールの知っていたものではなかった。

 

そんな表情をするようになるまで、どんなことがあったのだろうか。

 

「それに、私も感染者になったの。あなたと同じよ」

 

初めにエールが感じたのは、浅い絶望だった。

 

心のどこかでは、彼女は違うと思っていた。

 

「……。それ、冗談で言ってる?」

「いいえ、本当よ。ある感染者支援活動で感染したの」

「……。そう、か。君も……か。感染状況は」

「顔に出るほどじゃないわ。専門の機関で調べてもらったけど、それほどでもなかったし」

「……そう」

 

額に手を当てて俯くエールに、ブリーズは微笑みかける。

 

「あなたが気にすることじゃないわ。これは私の責任で、私が選んだことよ。あなたにどうこう言う権利も、心配する必要なんてないのよ」

「分かっちゃいるさ。ただ、分かったような気分になっているだけさ……。アリゾナ、感染者の人々には、君が命を投げ出してまで救う価値も、必要性もないのだとしたら……君の行動は何かが変わるのかな」

「それ、あなたが言うのかしら」

「どう言う意味かな」

「そのままよ」

 

ため息。

 

「それと、今はブリーズと名乗っているの。そう呼んで頂戴」

Breeze(そよ風)? また洒落た名前だね」

「あら。バカにしているのかしら」

「君には親から貰ったいい名前があるだろう。グレーズ・アリゾナ」

「確かにその名前は嫌いじゃないわ。でもあなたに言われたくはないわね」

「どうしてかな」

「あなただって、親に貰った名前を名乗っていないじゃない。アリーヤ」

 

だが、彼女がそれを知っているはずがない。エールは目の前の昔馴染みが、どこでそれを知ったのかを考えたが、まるで思いつかなかった。

 

「一つ、おかしいのは……少なくとも、僕は君にアリーヤなどと名乗ったことなんてない。あの時はとっくに僕はエールだった。正直、そう呼ばれるのはいい心地がしない」

「そうかしら。名前なんてただの記号よ。それでもまあ、ale(安酒)なんて名乗るのもどうかしらね」

「確かに、酒の名前からから取ったのは確かだが……」

「後から調べてみたの。ロンディニウムのスラムでは、エール酒は安酒の代名詞なのよね。原料の段階から色々混ぜ物をして量を傘増しさせるって言うのが普通だった……合ってるかしら」

「よく調べたね。確かにスラムの酒場なんかじゃあ売り物の酒を水で薄めて量を増やすことは当たり前だ。取り分けビールに限って言えば、原料の麦に雑穀を混ぜると、酒税法と原料上安上がりになるため、もっぱら貧民が好んで飲む。ロンディニウムでは、普通のビールと区別するためにale酒、またはale(エール)と呼ばれている。君が調べた通り、水っぽくて不味い安酒だね」

 

明日の食い扶持にも困るようなロンディニウムの裏側に住む底辺層が、日々の貧困を紛らわすために好んで飲んだ。

 

そのもっとも好まれた要因は二つ。安いこと。それと、簡単に酔えること。

 

もっとも、酒場などで売られる際は通常のビールとして販売される。マトモな酒場であればそんなものは出さない。スラムにのみ存在した、貧困を象徴する酒だと言われている。

 

「どうしてそんなものを名前にしたのかしら」

「……さあ。なんでだったかな。もう忘れちゃったよ」

「いいわ。別に、無理に知りたいとは思わないもの」

「話を戻そう。どこで、僕の名前を知った」

「それはどうしても知りたいことなのかしら。それとも思い出せないだけなのかしら」

「よく意味が分からないね。思い出すと言ったのかな」

「ええ。……あ、いえ、別に……思い出せないのなら、いいのよ。思い出されても、ちょっと困るし……」

 

あからさまに話を濁すアリゾナ──ブリーズに、多少気になることはあるが、エールは追求はしないことにした。

 

その真相がなんであろうと、今更終わった話だ。現在に影響は与えない。だから別に、知る必要はない。

 

「それに、聞きたいことも話したいことも山ほどあるの。何かあったの──いえ、何があったの?」

「生きていて何もないなんてあり得ないことだろう。君もそうだ。まるで信念を得たような、そんな顔をしている」

「ええ。信じられるものを……信じると決めたものを見つけたの」

 

強く照りつける太陽の元、二人分の濃い影が岩肌に映し出されていた。

 

木々を揺らす風が、熱気の中でほのかな涼しさを運んで、微かに心地いい。

 

「だからあなたがこの戦争の原因なら、私はあなたを止めなければならないわ」

「止める?」

「ええ。止めるの。戦争が肯定されていい理由は、存在してはならないわ」

「それが君の答え?」

「ええ。……今の南部を、少しだけ歩き回ってきたわ。凄惨ね」

「バオリアのことかい?」

「ええ。実は、病院を訪ねてきたわ。レオーネの──」

 

先の防衛戦で発生した負傷者たちの中には重傷を負い、まだベッドから起き上がれない者たちも少なくない。エールでさえ回復には一ヶ月程度を要していた。

 

バオリア防衛戦から一ヶ月と少し、爪痕はまだ消えない。半年ほど前、北部にバオリアを占領された際の戦闘は市街地への被害が激しかった。

 

「兵士たちに、話を聞いたわ」

 

急増した負傷者に対応するために、軍病院が設立され、主に兵士たちの治療を行なっている。一般人の診療も受け付けていて、それなりに風通しのいい施設だった。そのため、ブリーズのような部外者でも入り込むことが出来た。

 

「味方を誤射してしまって心的外傷を抱えた兵士がいることを、あなたは知っているかしら」

「……ああ。彼のことか」

「敵と見間違えて、仲間を撃ってしまって……それが原因で、殺してしまった。些細なきっかけでフラッシュバックするそうよ。普通の生活に戻れるようになるには、長いリハビリが必要になるわ」

「ああ」

 

知っている。

 

彼がもう二度と銃を握れないことも、些細な会話がきっかけになって突然叫び出してしまうことも。

 

「体の傷も、心の傷も……彼らは加害者であると同時に、被害者よ。どうして人を傷つけなければならないのかしら」

「なら、少し意地悪な質問をさせてもらう。戦うことが悪ならば、南部は北部に降伏してしまえばいいのかな」

「いいえ、そんなこともないわ。それは非暴力ではなく、ただの防衛権の放棄よ」

「ではどうするべきだろう?」

「言葉を持って、話し合うべきよ。傷つけあうだけなら、それは獣と一緒よ。ただ奪い、殺し……ただ生きようとするだけなのは、言葉を持たない獣のやり方よ。私たちは言葉を使えるわ」

「なるほど、確かにそれもそうだ。分かり合えることが出来れば、戦争は終わると考えているんだね」

「そうよ。大抵の争い合う理由は、お互いの不理解にあるわ。エクソリアは元々一つの国じゃない。どうして同じ国の人同士で殺し合う必要があるの?」

 

あまりに真っ直ぐな言葉で、エールは小さく笑みをこぼした。嘲るものではなく、ずっと変わらない古い知り合いに、少し嬉しくなってしまったのかもしれない。

 

「はは……君は、あまり変わっていないな」

 

その寂しそうな顔を見て、ブリーズはエールへの視線を外す。

 

そんな顔をするくらいなら、やめてしまえばいいのに。

 

「だが……降りる訳にはいかない。どれだけの人の人生を破壊して、ぐちゃぐちゃにしようとも、やらなきゃいけないことがあると……信じている」

「どんな理由があろうと、それは間違っているわ。どんな崇高な理想や目標でも、その手段に暴力を選んでしまうと、必ず汚れてしまう。その果てにあるのは、結局の所……破滅と、絶望しか残らないわ」

「そうかもしれない。だが暴力は必要なものだ。力なき正義は無力で、無意味だろう」

「じゃあ、どうするって言うの?」

「パスカルがいう所に拠れば、手段は二つあるという。力を持つものを正しくあらせるか、正しくあるものに力を持たせるか、だ。しかし、これは実質的には一つだけしか選択肢が存在しない。なぜならば、正しさに力を与えることは出来なかったからだ」

 

呟くように話すエールは、ブリーズの記憶とは大きく異なっていた。

 

まるでイメージが異なっている。かつての面影がまるでない。

 

「尽きるところ、正しい暴力というものが存在することを信じるほかにない、という事になる」

「抽象化した話を出して、煙に巻こうとしているのかしら」

「まさか。そんなことをする必要はどこにもない」

「……もう少し、話し合う必要がありそうね」

「昔話に花を咲かせるのも悪くはなさそうだが、あいにく今は時期が悪い。それと忠告だが、この国では昼間でも路地裏には入らない方がいい」

「そんなこと、分かってるわ。あ、そうだ……ねえエール、一つお願いがあるの」

「……、いや。聞かないでおこう」

「実は今日エクソリアに着いたばっかりで、無一文も同然なの。こんなことをお願いするのは貴族の一員として心苦しいんだけど……家、泊めてくれないかしら?」

 

シリアスが崩壊した。エールは顔を顰めて即答。

 

「絶対に嫌だ。他を当たれ」

「そ、そう言わずに……ね?」

「断るね。まるでいつだかの焼き直しだ。やってられない」

「一生のお願いよ! この国に私が頼れる人なんて、エールくらいしかいないのよ!」

「何。君さあ、ずっとそんな感じなの?」

「……」

「なるほどね。あまり変わってないらしい……。適当なホテルを用意する。それでいい?」

「──いえ、そこまでしてもらう訳にはいかないわ。悪いもの」

「その申し訳なさを、僕には向けてくれないものかな……」

 

まるで理論が通っていない。

 

アルゴンではレオーネの本部のソファーで寝ていたが、バオリアでは選択肢が狭まる。レオーネの現在レオーネの掃討部隊が駐屯しているバオリア基地程度しかない。

 

しかし、エールの個人的な理由でブリーズを入れる訳にもいかない。

 

一箇所だけ、エールが個人的に所有している所が一つ。

 

「と、当然あなたにも見返りはあるわよ? 毎朝の健康的な朝食とか……」

「食費」

「う……ほら、掃除洗濯とか……」

「まさか。冗談だろう──」

 

ブリーズがそんなことをしている姿など想像できない。

 

「えーっと……じゃあほら……ね?」

「……。一つ、街の中に隠れ家がある。僕はレオーネの方で寝るから、そこを好きに使えばいい」

「え? いえ──悪いわよ。あなたが使っているところなんでしょう? 追い出したみたいで嫌だわ」

「追い出したんだよ」

「いえ、別に……いいわよ?」

「何がだ」

「────……。その、お邪魔する身だし、やっぱり私の気持ちがすっきりしないわ」

「君さ。さっき僕を止める的なこと言ってなかった?」

「それはそれ、これはこれよ」

 

……。

 

「……いや、別に……僕は気にしない。バオリア基地に戻るだけだし……」

「い……いいえ! ダメよ。すごく気にするわ。それにほら、使っていい物とか私だと判断できないわ。エールがいた方が私も気が楽よ。女の一人暮らしは危ないじゃない」

「……いや、正気とは思えない。エクソリアに来てどうやってやっていくつもりだったんだ」

「まあ……それは、ほら。どうにかするつもりだったのよ。ほら、今だってどうにかなったわ」

「なってないが」

「なったわよ」

「いいや……。そもそも、どれぐらいこの国に留まるつもりなんだ」

「最初は半年ほどと考えていたけれど……あなたがいることが分かったから、あなたを止めるまで、この国に居るつもりよ」

「おいおい……悪い冗談だ」

「都合が悪いのかしら」

「逆に聞くが、悪くないのか? 僕の立場的に、君は周囲から僕の恋人か何かだと思われるんじゃないかな」

「こ……恋人!?」

 

ブリーズは声を荒げた。

 

エールは割と真面目に話す。

 

「今この国の貴族と事を構えている。連中は手段を選ばないからね──正直、君が狙われる可能性もあるかもしれない……聞いてる?」

「恋人……。恋人……って、そんな────まだ、早いわよね──、ふふっ」

 

まるで聴こえていない。

 

エールはブリーズの呟いた言葉の意味がさっぱり理解できなかった。

 

「じゃあ決定ね! しっかりと私を守ってちょうだい!」

「……。ええ。やだ」

「やだって言わない!」

 

真正面から暴論をぶつけられると、それはいくらか残っていた理論性が崩壊することを意味していた。

 

エールがブリーズの強引な言葉に、エールは当然のように押し負けた。

 




・ブリーズ
購買資格証で来てくれる。かわいい
登場させたかったので登場させました。これ以上ヒロイン増えるってマ? 正直まとめ切れる自身がなくなってきました

・エール
エール酒は実際別にそんな安い酒でもないっぽいんですが、設定上そういうことになりました。酒税法云々に関しては日本の酒税法を参考にしています。ビールが高い理由ですね。



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1−0 昔日、狐が二人 上

過去編です。上中下+α構成予定







あなたはまだ覚えているかしら。私たちが()()()出会った時のこと。

私は覚えているわ。ずっと覚えているの。

──私もあなたも、変わってしまった。

でも、ずっと覚えているわ。

絶対に忘れてはならないことが、この世界にはあるの。

ねえ、アリーヤ。

あなたはまだ、覚えているかしら。






煌びやかで重厚な歴史、そして栄光と繁栄の国。

 

華麗で芸術的な街並み。

 

「よしっ、行こうかしら──ってあれ!? ゆ、ユーロジーが……ないっ!?」

 

この国の人々は誰も紳士的で、親切だと詩人は歌った。

 

「ぬ、盗まれた────っ!? うそ、うそっ!」

 

ここはヴィクトリア、ロンディニウム市。

 

貴族と王が治める、黄金の国。

 

「ええええええええ──っ!? か、家宝が……ゆ、油断した……!? うそ、うそ──! え、どうして!? ちょっと目を離した隙に──」

 

オレンジの街、整備された道、この移動都市は鮮やかで伝統的なヴィクトリアの全てを見る事ができる。

 

ここはロンディニウム。光と闇が蠢く伝統の街。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔日、狐が二人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「無理だな。諦めな、お嬢ちゃん」

「は、はあ!? どうしてよ、ロンディニウムの警察は誇り高く、人々を守ることが──」

「運が悪いんだ。嬢ちゃんが言ってる場所はローザ通り──ロンディニウムでも屈指の犯罪発生率を叩き出す掃き溜めの道さ。よくあるんだよ、観光客が知らずに近寄っちまって食いもんにされるってのは」

 

アリゾナは絶句した。全く納得できないどころか、頼りになるはずの警察がこんな有様──。

 

「それにな、嬢ちゃんはむしろ運が良い部類だよ。攫われなかっただけマシさ」

「ひ、人攫いがいるっていうのかしら!?」

「そうだ」

「そ、そんなことが──」

 

億劫に対応する警官にとっても、ローザ通りは面倒の塊だった。

 

「まともな住人はまず近寄ろうともしないさ。なんせグラスゴーを始めとするゴミ共がうじゃうじゃしてる。ヤクもウリ(売春)もお盛んだ──いいか、本気で嬢ちゃんのことを思って忠告するけどな。盗まれたモンを取り返そうなんて絶対に考えるんじゃないぞ。本当に危険な場所なんだ、あの一帯は」

 

決して冗談ではない警官の言葉に、多少怖気は湧いてくる。それも当然だ。暴力とは無縁な生活を送ってきたのだから──。

 

「そんなところを野放しにしてていいのかしら!」

「いい訳ないさ。だがなあ……もう、ロンディニウム全体が揺らいでいるんだ──王宮内が不安定で、その混乱が市全体に広がってる。内側がゴタついてんだ……そうこうしてるうちにギャングがのさばってきて、勢力を伸ばしてる。どうにもならねえよ」

「そんな────」

 

顔を青くして項垂れるアリゾナを見かねて、警官がいくらか優しい口調で諭す。

 

「何、まだ若いんだ。命を取られた訳でもなし……そう落ち込みなさんな」

「……あれ、家宝の……お父様に、なんて言えば────」

 

アリゾナの落ち込みようと焦りようは尋常ではなかった。

 

焦燥に揺れ動く瞳がぐるぐると回っている。

 

「と……取り返さないと……いけないわ……」

 

ボソボソと呟くアリゾナの意識の中にもう警官の存在はなかったが、それを聞いて警官は穏やかな目を開いて叫んだ。

 

「嬢ちゃん話聞いてたか!? 絶対にやめろ、特に嬢ちゃんみたいに若い女の子は特に危ねえんだぞ、本当に危ないんだ!」

「いえ……ダメなのよ──あれだけは、絶対に────」

「この世界に命より大事なもんはないんだぞ!? どんな大切なものだって……そのために死ぬかもしれないだったら意味なんてねえじゃねえか! 警官の一人として、絶対に止めなきゃいけない──」

「いいえ」

 

焦りから、一滴の汗を流すアリゾナは、色々な要因によって震える手で、それでも力強く否定した。

 

「あるのよ。命より大切なものはないかもしれないけど……命より大切にしなければならないものは、確かにあるの……」

 

とても正気に見えない顔で、アリゾナは身を翻した。開いたガラス戸の外へ出て行こうとする。

 

「おい、まさか行く気か嬢ちゃん」

「……取り返すわ。取り返さないと……いけないの。絶対に……」

「ほ……本気か?」

「本気よ。ユーロジーは……大切なものだから」

 

シワの目立つ警官の男は、帽子を押さえて深くため息を吐いた。それから、去っていく少女の背中に向けて一言。

 

「……待て」

 

額を押さえて、警官は頑なな意思を理解し、折衷案を出すことにした。

 

「ここら辺のことをよく知らねえ嬢ちゃん一人で、裏側に行かせるわけには行かねえ……」

「え、じゃあ手伝ってくれるのかしら」

「いや……俺のようなモンが行っても、力にはなれねえ。けど……嬢ちゃんを助けてやれるかもしれねえヤツなら知ってる」

「え?」

「ロクなヤツじゃねえし……もっと酷いことになるかもしれねえ。正直嬢ちゃんみたいな子に会わせるのは、正しいとは言えねえだろう……」

「……それって、どんな人かしら」

「クズ野郎だ。この街の裏側で生きている、クズ……としか言えねえ」

 

そんな調子で言われれば、アリゾナだって混乱する。不思議そうに聞いた。

 

「えっと……盗まれた私のユーロジーを取り返せるかもしれない人……ってこと、よね?」

「ああ。ユーロジーってのが盗まれたモンで、それが……裏側に流れているのなら、もしかしたらな。蛇の道は蛇ってことだ。嬢ちゃんがどうしてもそれを取り戻したくて、危険も承知なら……紹介してやってもいい」

「ほ、本当!? ぜひお願いするわ! その人はどこにいるの!?」

「焦りなさんな。ちゃんと教えるさ……だが気を付けろよ。連中は俺たちとは違う。人から奪うのが日常化しているような連中だ。それが悪だという認識もねえ、正真正銘のクズの世界……そん中でも折り紙付きのゴミクズを頼ろうってんだからな」

「構わないわ。教えて──その人の名前は?」

 

全く怖気付く様子のないアリゾナに、もう一度警官は深くため息を吐いた。それから、忌々しげに口にする、その名前は。

 

「ヤツの名前は─────」

 

 

 

 

 

 

 

 

おっかなびっくり、きょろきょろと辺りを見回しながらアリゾナは足を進める。

 

先を歩く警官の背中を追いかけながら、荒れた通りを歩く。

 

崩れた建物、無数の落書き、汚れ、地面の汚さ、嫌な臭い……。

 

ロンディニウムの表側とは、本当に正反対だ。

 

公共物である電話ボックスなどは完全に破壊されていたり、街灯も全て壊れている。

 

そんな場所を先導する警官の背中に、少々の不安を覚えたのは確かだ。信用していない訳ではないが、こんな場所に……?

 

「あんまり刺激しない方がいい。俺がいるから襲って来るようなこともないだろうが……」

 

人もいない訳ではない。

 

ジャンパーの男たちや、道に座り込んだ子供、老人、ホームレス……。

 

物珍しげにアリゾナを見ていた。それを受けて平常でいられるほど肝も据わっていない。怖くないと言えば嘘だった。

 

警官はさらに細い道へ入っていく。晴れにもかかわらず、暗い路地裏には水溜りが出来ていて、その表面に何かも分からない汚れが浮いていた。避けて歩く。

 

狭い路地にある一つの裏口を開けて、警官は入っていく。アリゾナも、続く他になかった。

 

窓のない空間が広がっていた。いやに蛍光灯が眩しい。

 

外側の汚さからは想像もつかないほど、それなりに掃除されている場所だった。ソファーや机に、キッチンまでついている。明らかに誰かが生活している場所だった。

 

だが、誰もいない。

 

「おい! 居ねえのか!」

 

大声で呼ぶ声に応えるのは誰も居ない。

 

「下か? あの野郎……」

 

ぶつくさ言いながら、警官は部屋の奥へ行き、床の取っ手を引き上げた。

 

「え、地下……?」

「ああ。多分居るだろう……」

 

地下へと続く空間は薄暗い。真っ黒な階段の先の裏側にも地下室があるようだ。足音が静かな家の中に響いて、何だか不気味な感じだった。

 

そして降りていった先に、その男はいた。

 

カーペットまで敷いた床、鎮座する重厚で大きな机。

 

その向こう側に、足を机に乗せて椅子に座った誰かがいる。

 

腕を組みながら目を瞑っている……寝ている。

 

微かに緑の混ざった黒い髪、ヴァルポ族の耳……穏やかな顔。

 

正直、アリゾナはイメージしていたような人物との乖離に驚いていた。どんな極悪人が出てくるかと思ったら、自分とそう歳の変わらなさそうな……まるで、少年のような。

 

パチリ。目を覚ましたらしい。

 

「邪魔してるぞ」

「……ああ? はぁ……人の家に、警官が勝手に上り込むものじゃないよね」

 

髪は、乱雑に後ろで纏められている。

 

思っていたよりもずっとすらりとした顔立ちだった。それに白いし若いし……。

 

だが、開いた眼はこの場所に相応しかった。そう感じられた……黒く、沈むように黒く、蛍光灯の光が反射していた。

 

「はっ。そういう言葉はちゃんとこの家を役所に届け出てから言うもんだな、この不法滞在者が」

「はっ。そんな不法滞在者に、お国の犬が何の用があるって?」

「こっちの嬢ちゃんを手伝ってやれ」

「ああ? ……そっちの女?」

 

とても面倒くさそうに、男はアリゾナを値踏みするように眺めた。身構える。

 

「あー。依頼ってこと」

「依頼……?」

 

似つかわしくない単語を聞いて、またもアリゾナは不思議そうに反復した。

 

「何、聞いてないの? 僕は何でも屋──報酬次第で何でもやる便利屋。報復、暗殺、捜索、ゴミ掃除とかゴミ処理とか……あとは売春の斡旋とかもやってる。でもまあ、身売りしたい様にも見えないね」

「大切なもんを盗まれたらしい。取り返してやってくれ」

「はーん。大切なもんならちゃんと肌身離さず持っとくもんだと思うけどねぇ……」

 

男の話した内容に、呆気に取られていたが……バカにされたことに気がついて、ムッとした。

 

「……その人、本当に信用出来のかしら」

「報酬次第だね。そして、依頼人次第でもある」

 

男は薄い笑みを向けた。自らの底を図ろうとする視線は、正直に表現して不快だった。

 

「僕はね、金に対しては誠実であろうとはする。そして、誠実で正直な人間には相応の対応をしたいとも思う」

「よく言うぜ。この前の一件、あの男が惨殺されてたの……お前の仕業だろ?」

「憶測でものを言うのは良くないね。ヤツは……まあ、それほど誠実でもなければ、依頼料も正直ではなかったのは確かだけど、別に僕がやったなんて証拠はどこにもない訳だしさ」

「けっ……。見ての通りの男だ、十分に用心しな、嬢ちゃん」

「依頼……と言うことは、お金を払わなければならないのよね……?」

「別に金に限っちゃいないよ? 価値あるもので、役に立てば……例えば武器。中には食料で払っていった人もいる。その依頼と釣り合うだけの依頼料を払って貰えれば、なんだって構いはしない。さて」

 

机に乗せた足の先で、エールという男はアリゾナを真っ直ぐと射抜いて問う。

 

「大切なものを盗まれてしまった間抜けなお嬢さんは、それを取り戻すためにどれくらいの対価を支払うことが出来るかな」

「対価……」

「気にすんな。俺に任せておきな、嬢ちゃん。対価は俺が用意している」

「え?」

「お前にゃあそれはもう色々な容疑や嫌疑がかかってる。俺は今まで見逃してきたが、いつしょっぴいてもいいっつー状況だ。お前、上からもマークされてるしな」

「あ? 何言ってんの」

「はっきり言やぁ、俺はいつでもお前をぶっ殺していいっつーことだ」

 

警官は軽快に言い放つが、それに対しての男の反応は鈍い。つまらなさそうな顔をしている。

 

「役には立たないのに、こんな時だけ権力面? 機能不全を起こした警察の言葉は脅しとして弱いし、それにあんた如きに僕を殺せるとも思わない」

「ああ。だが俺の様な警察が、一定の割合でお前の様なクズを見逃すことである程度の秩序が維持できているのも事実だ。まあつまり何を言いたいのかっつーと、俺に免じてこの嬢ちゃんを助けてやってくれっつーことだな」

「僕に利益がない」

「あるさ。この嬢ちゃんを助けてやることで、お前はこれまで通り俺たち警察と事を構えなくて済むだろう?」

「お巡りさんってのは偉そうに好き勝手命令出来て気分が良さそうだ。本当に羨ましい」

 

嫌そうに……あるいは、憎々しげに、男は吐き捨てた。強い負の感情に、アリゾナは事の推移を見守るほかない。

 

「僕はね、あんたみたいな肩書きだけの人間が嫌いなんだよ。警官は治安秩序に携わる高尚な職業だと謳う割に、この貧民街(スラム)には何もしてくれない。犯罪者からなら、その財産も奪いたい放題なんだろ? いいよね──魚釣るみたいに、ただ生きようとしているだけの連中しょっぴいて、溜め込んでた有り金全部奪って財布に入れてんだろ」

「それはごく一部の連中だけだ、警察の大半は────」

「黙れよ。どっちがクズだか分かりゃしない」

 

最初の不気味な雰囲気はどこかへ消え、そこにいたのはただ怒りを露わにするだけの若者だった。

 

「いいさ。やってやるよ、そこのお嬢様の探し物。バカみたいに尻尾振って、国家権力にへつらってやるさ。スラムのクズは使いやすい道具なんだろ?」

「そんな訳が────」

「あるんだよ。こうして今、使ってる。別にあんた、僕に金を払ってるって訳でもないのにさ」

 

吐き捨てると、壮年の警官は黙った。男は鼻を鳴らす。

 

「そこの女のために払う金もないって? 賄賂取らないからそうなるんだろ。中途半端な正義面なんてやめちまえば、あんたの暮らしも多少は楽になるだろうに」

「俺は警官だ。賄賂なんぞ要らん」

「安月給でよくやってられるね。こんな腐った国じゃあ、いいとこ使い捨てられて終わるのがオチでしょ。特にあんたみたいな、中途半端な偽善者は利用されるだけだ。いい加減意地張るのやめた方がいいんじゃないの」

「……余計なお世話だ」

 

警官はそれだけを言い残して踵を返す。

 

「とにかく任せたぞ。俺はお前の事をクズだと理解しているが、ある程度の信用を置いている。くれぐれも────」

「はいはい。わっかりまーした」

 

そして残されたアリゾナは、流石に少々不安そうに辺りを見回していた。

 

明らかに普通ではなさそうな、怪しい男と二人きり、しかも地下室。

 

「そんなに不安そうにするなよ。別に取って食おうってんじゃない。襲おうなんて考えちゃいないさ」

 

その男の声は、本当にどこにでもあるような、若い声だった。高めで、穏やかな印象を受ける。

 

だが──深い、暗さを抱えている様だった。まるで夜の底にいる様な、冷たくて寂しい声が、皮肉げに自嘲していた。

 

「それで、あんたの依頼はなんだったっけ?」

「えーっと……ある、杖を盗まれてしまったの」

「杖? 高価なもの?」

「家宝なのよ、私の家の──。絶対に、取り返さないといけないものなの」

「……あんた、貴族か?」

 

反射的に、体が強張る。当然だ──特に貧しい人間にとっては、貴族などは無条件で憎しみの対象になりやすい。

 

目の前の男までそうかわからないが──。

 

「……そう、よ。でも……ロンディニウムじゃなくて……ここよりずっと南にある小さな町の、小さな貴族」

「ああ……なんだ、ここの貴族じゃないのか。じゃあ別に……いいか。それで、どこで盗まれた? 状況を詳しく聞かせてもらおうかな」

「その……いいのかしら」

「何が?」

「さっきまでの話を聞く限り……あなたに直接的な利益がないじゃない」

「はっ。別に……あんたには関係のない話だ。黙って助けられてりゃいい」

「それじゃ納得がいかないわ。何か……私があなたに返せるものがないと、私が納得できないの」

「……? いや、別に……それじゃああんたが余計に損するだけだ。意味ないだろ?」

「いえ、違うわ。意味はあるの……さっき、あなたも言っていた事でしょう? 私にとってあの杖は強い意味を持つものなの。だから、それを取り戻すためなら……それなりの対価は、払うつもりでいるの」

 

相変わらず酷い姿勢で椅子に体を預けている男は、初めて足を机から地面に下ろし、アリゾナに向き合って言った。

 

「……あんた、変わってるね。変な貴族だ」

「え、ええ? そうかしら……」

「あんた、名は?」

「あら。人に名前を聞くときは、まず自分が名乗るのが礼儀よ」

「はは、こんなスラムで礼儀、か。やっぱりただのバカなのか?」

「今バカって言ったのかしら」

「ああ。あんたの街にスリは居なかったのか? 大切なものほど、盗まれちゃいけないだろうに」

「……分かってるわよ。それより、先にあなたが名乗るべきよ。特にレディーに対しては、紳士的にあるべきだわ」

「なるほどね。確かに貴族様からは見習うべきだな────僕はエール。ただのエールだ」

「私はアリゾナ家が長女、グレース・アリゾナ。好きなように呼ぶといいわ」

 

これは邂逅。

 

この物語は、ずっと昔……記憶も薄れるほど遠い過去から続く、別れの物語。

 

少年が青年になるまでの、長い長い話。

 

二人はまだ、お互いを知らない。だが。

確かにこのとき、二人は出会った。

 




ウィーディー来たので投稿しました。および危機契約の告知

_人人人人人人人人人人人_
> 唐突に始まる過去編 <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

・エール
ヴィクトリアに住むスラムの青年。おそらく18歳程度。
何でも屋を営んでいる。

・グレース・アリゾナ
ヴィクトリアの田舎から出てきた貴族の令嬢。
厳しい家の方針に疑問を持ち、なんやかんやあって家出し、諸国を巡って学びを深めようとするが、ロンディニウムで家宝を盗まれてしまった。
かわいい。この時点ではエールと同い年か、少し下くらいを想定している。

・ロンディニウム
不穏な気配が漂っているが正直資料がなさすぎて何がなんだかわからん
この時点で摂生王がヴィクトリアに居たりするのかとか考え始めたら止まらないので私は考えるのをやめた────
この辺りを深掘りする気はあんまりないです

・警官
おっさん
今後登場する可能性が微レ存……?


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1096年7月16日:盤上を駆けるものたち -1

投稿頻度が開いていくのはデフォです。きっとこれからも開いていくはず




「ブリーズ」
本名はグレース・アリゾナ。ヴィクトリアのとある田舎の貴族に生まれた一人娘……らしい。おおよそ貴族として似つかわしくない振る舞いと考えを持つ。
臨床医療術に関して、かなりのエキスパートであり、深い知識と技能を併せ持つ優秀な人材である……と評価できるだろう。
彼女のような人間こそ、こんな国ではなく……あの場所に居るべきだと思う。身勝手な考えなのだろうが。
──表題のないノートより抜粋。


────朝、目を覚ます。

 

窓を開けると、湿った熱気が体を包む。まだ太陽は上っていない。

 

水を一口分飲み込んで、床に腰を下ろす。睡眠で凝り固まった体を順番に伸ばして、ストレッチをしていく。

 

右手を失う前から続けている習慣。

 

朝の時間は貴重だ。これから約一時間半のトレーニングをして、朝食。

 

本当は、トレーニングの時間は全く足りていない。毎日6時間のトレーニングを積み、いつでも任務に出られるようにしておく。それはエリートオペレーターに課せられた義務であると同時に、習慣だった。だが今はもう違う。

 

一日の予定は埋まりきっていて、自分のトレーニングの時間は本当に確保できない。

 

だが皮肉にも、今自分がやらなければならないのは戦闘能力の強化ではない。

 

向いているかどうかは分からない。正直、殴って解決できるような問題の方が解決しやすくて好みだ。

 

だが、そんなものを差し引いて……自分にしか出来ないことがあると信じている。

 

例え、自分がやる必要などどこにもないとしても。

 

 

 

 

 

 

 

1096年7月16日:盤上を駆けるものたち

 

 

 

 

 

 

 

「あら、おはよう」

「……君か。お互い早起きだね」

 

早朝、トレーニングを終えたエールは、街から外れた場所でブリーズに出くわした。

 

まだ早い時間だ────。

 

「こんな辺境で何を?」

「お互い様じゃないかしら?」

 

街と森林の境界線には、草が生い茂っているが、定期的に人の手が入っているのか……それなりに開放感のある場所だった。

 

近くを流れる小川からは、静かな水の音が聞こえてきている。

 

早朝の静寂は独特で、昼間の活気からは想像が出来ないほど静かだ。

 

ブリーズの抱えている籠に、いくつもの植物が入っている。それに、土に汚れた軍手。

 

「……なんだか意外だな。君は貴族然とした格好をいつもしているものだと思っていた」

「失礼ね……」

 

昨日の装飾的な格好とは変わって、動きやすそうな格好をしている。とても庶民的だ。

 

「あんなの動きにくいし、お手入れも洗濯も面倒じゃない」

「という割には、昨日はそういう格好をしていたけど」

「旅をするときは、いつもそうなの。いい格好をしておかないと、貴族としての面目がないでしょう?」

「……今はいいの?」

「今はいいのよ」

「よく分からないな──」

 

そう言いながら、エールはタオルを小川に浸して濡らした。綺麗な清流が朝の光を反射して煌めく。

 

「何をしているの?」

「汗を拭く。あ、少し手伝ってもらえないかな。腕が一本だと不便でね」

「……ええ。何をしたらいいのかしら」

「タオルを絞ってくれ」

 

ブリーズはタオルを受け取った。ひんやりとした水が冷たくて心地いい。

 

両手でタオルを畳んで捻る────ふと、このタオルの水を絞るというだけの動作は、二本の腕を前提にしていることに気がついた。

 

右から先の袖は垂れて、何もない。エールがあまりにも平然としているために、一瞬そのことを忘れかけていた。

 

「ありがと」

 

白いシャツを脱いで、エールはそのまま上半身の汗を拭いた。

 

「って。ちょっとアリーヤ。レディーの前で突然脱ぎだすものではないわ」

「これは失礼。習慣なんだ。見逃してもらえると助かるな」

 

何でもないように、どこか悪戯げに。

 

かつて知っていたエールの人物像とは、あまりにかけ離れていた。

 

──体は、傷の跡が至る所に刻み込まれていた。

 

特に目を引くのは、やはり右腕部──生々しくちぎれ飛んで、そのまま塞がれた傷口。

 

戦う人間の体だった。締まり切った筋肉と、傷跡。何かが貫通したような跡も、いくつもある。

 

それに、背中に走る源石結晶の脈。感染状況を表す度合いとして、一目で分かる程度には酷いものだった。

 

「……その、右腕」

「ああ。綺麗に吹き飛ばされちゃった。彼らも……強い戦士だった」

「殺し……たのよね」

「うん。殺されようとも思ったんだが……やっぱりやらなきゃいけないことがあることを思い出してね。結果、僕は生き残った。暴力に恵まれていると、どうにも死に損なってしまう」

 

穏やかな調子で語るエールに、ブリーズが抱いた感情は複雑だが……もっとも強かったのは怒り。次に悲しみ。

 

「……アリーヤ。あなたは……もうこれ以上、殺すべきじゃないわ。例えもう手遅れでも、やってはならないことがあるの」

「そうだね。その通り……人は、人を殺すべきではない。確かに金言だね」

「──私は真面目に言っているのよッ!?」

 

ブリーズの叫びに、エールは少し驚いた顔をして、それから微笑む。自嘲的な、嘲笑的な笑いだった。

 

「これ以上あなたは罪を背負うべきじゃないわ」

「いいや……。確かに、これは僕がやるべきではないのかもしれない。いつも考えている……本当は、もっとふさわしい人間がいて、僕よりももっと上手くやれる──……。死者の数とか、問題への対処とか……。今まで革命家気取りでいくらかやってきたが、まともに出来たと思えるようなものなんか一個だってない。必ず誰かを殺したり、傷つけて縛り上げて……戦争という地獄の釜に蹴り落とした。僕の持ちうる力と手段を全て使って……命を懸けたって、出来たのはそのくらいだ。これは誰かがやるべきことだが……誰か、僕より優れた誰かがいるんじゃないかって……いつも思う」

「そういう話をしているんじゃないわ!」

「じゃあ──どういう話かな」

 

朝の影が辺りを覆った。

 

エールの薄い反応に、ブリーズはますます声を荒げる。

 

「この国を救うためなら戦争じゃなくて──別の手段があるはずよ、こんなことは間違っているわ! あなたは人の痛みが分かるはずよ……争いがもたらす結果を知っているはずよ! それとも忘れてしまったの!?」

 

少なくとも、ブリーズは知っているのだ。

 

痛みや苦しみを知っている。それが持つ意味を、エールが知っていることを知っている。

 

それなのに、なぜ。

 

「どうしてあなたは、他人を傷つけることが出来るの……?」

「誰にだって出来ることさ。簡単なことだし……それに、君は僕のことを買い被りすぎている。それこそ今に始まったことじゃない。いつだか君の依頼を受けたことがあったね──その時だって、僕は他人から散々奪って生きていた」

「ええ。それだって、本当は許されないことよ。でも……生き延びるためにそうする必要があったことくらい、私も理解しているの。罪は罪よ、でもそれを責める気も……その権利も、私にはないわ。もっと根本的に言うなら、私にはあなたに何かを言う資格なんて……きっとどこにもないの」

 

まるで懺悔でもするような言葉だった。後悔に濡れた瞳には影が混ざっている──その目に見覚えがある。

 

それは、罪の意識を持つ人間の眼だった。毎朝鏡の向こうで見慣れている。

 

「……いや、別に……君が何か罪悪感を持つ必要なんてないだろう。正しいことを言っていると思う」

「いいえ……あるのよ。私には……あなたに伝えなければならないことが、たくさんあるのよ、”アリーヤ”」

「その名前で呼ばないで欲しいな。それに、なぜ君がその名前を知っているのか……全く、分からない。知るはずのない名前なんだ」

 

ヴィクトリアで生活を始めてから──それこそ、ブリーズに出会うずっと前から、エールはエールだった。アリーヤなんて名前の少年は、あのスラムには居なかったのだ。

 

「……やっぱり、覚えていないのかしら」

「覚えていない?」

「いえ……いつか、必ず話すわ。あなたが忘れていても、私は覚えているから」

「……そう」

 

着替えのシャツをバックから取り出して着た。

 

朝食もまだ食べていない。街の方へ足を返すエールに、ブリーズは慌てて付いていく。

 

「ちょっと、置いていかないで欲しいわ! 一緒に戻りましょう」

「……ああ。ところで、君のカゴの草束はなんだんだ?」

「薬草よ? このあたりで採れるものを調べに来ていたの────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バオリアの騒がしい生活音に紛れるように、フォンは通りを見下ろしていた。

 

簡素な作りのベランダから見下ろすと、白と小麦色の街並みに人々が行き交う。エクソリアの熱い日差しの元で生活しているエクソリア人の肌は褐色に染まっていた。

 

だが感染者受け入れ政策によって、さまざまな人種がエクソリアにやって来たため、今は様々な外見的特徴を持つ人間でごった返している。その中では、フォンのような人間もそれほど目立つわけでもなかった。

 

「何か飲むか、フォン」

「……冷えたものはあるか」

「悪いな、生ぬるいコーヒーくらいだ」

 

エクソリアの生活は、移動都市のそれと比べるとかなり不便なものがあることは確かだ。

 

定期的な移住の中では、確立した生活インフラを構築することは難しく、冷蔵庫などの電力消費を必要とするものはごく限られた場所でのみ使われている。

 

特に、南部には源石技術がそれほど発達しているわけではなく、移動都市のように源石の恩恵を受けているわけではなかった。それは不幸にも幸運なことだった。

 

すっかり温くなった缶コーヒーを受け取って、プルタブを開く。暑いエクソリアでは食材が腐りやすく、食料や飲料の長期保存技術が発達している。缶詰などはそれなりに普及していた。

 

「それで例の件だが……」

「ああ。何か分かったか」

「……悪い。何も分からねえわ。やっぱ直前までのセイの行動を誰も知らねえのが痛い。手がかりが無さすぎるぜ、やっぱり」

「やはり、そうか」

 

ほとんどわかって居たことだ。理性的な部分では、何も得られないことなどは分かっていた。かといって自分が調べれば何か分かるという訳でもなかった。

 

「ただ分かることは、セイを()ったのはプロだろうっつー推測くらいだしな……。あんまり裏側に沼りすぎんのはやべーし、十分な証拠がねえと潜んのも無駄骨になっちまう」

 

首を横に振って、元スーロンの男は強面を顰めていた。多少申し訳なさが混ざっている。

 

外からは、まるで泥のような湿気が流れ込んでいた。纏わりつく暑さは、室内で多少はマシだが、エクソリアにエアコンなんてものは存在しない。

 

結局、汗が流れるだけだった。

 

「……セイが死んでから、もう二週間ほどか」

「何つーか……実感が湧かねえよ。あいつが死ぬとこなんて、想像が出来なかった……。いつだかアジトに爆弾放り込まれた時だって、あいつはたまたま物陰にしゃがんでいて助かったってのに」

 

その喪失の穴をはっきりと認識することは難しい。それは心に空いた穴だ。目に見えるものではなく、その輪郭をなぞる事もできない。

 

ドーナツの穴を取り出すことは出来ない。

 

その穴の輪郭は、ドーナツが存在して初めて認識できる。どこかそれに似ている。

 

セイが死んで出来た穴がどんなものなのか、それを見ることは出来ない。ただそれが確かに存在することだけを理解して、痛む。

 

「誰に殺されたのか、なんで殺されたのか……。なあ、俺達は何にも知らねえな。ずっと仲間だったのによ」

「……あるいは、オレ達は解散しない方が良かったのかもしれん」

「そうかもしれねえ。だが俺達はみんな納得したんだ。ギャング組織として生きる必要はもうなくなったんだって……。兵士としてだが、迫害のない場所で生きられるんだって……。だが、俺達は今もやってる掃討戦に参加しちゃいねえ。そりゃどうしてだ?」

「エールの指示だ」

「ああ知ってるさ。だがそれが何のためか、俺たちは知らされてねえじゃねえか。なあフォン、エールは何か企んでんじゃねえのか」

「オレ達は()()の際の戦力だ。バオリアにいるレオーネの戦力が掃討戦にとられている間の────」

「それも分かってる。問題は、その有事ってのは何だ。何が起きることを想定してんだ。セイだけじゃねえ……。何人か、連絡の付かなくなったヤツがいる────荒事に異議はねえよ。承知でこの国に来たんだ。だが……何の説明もないまま、俺たち元スーロンは何か────そう、何かにぶち当たってる。だっつーのにエールからの連絡は何もねえ。なあフォン、ヤツと連絡は取ってねえのか」

「……スーロンに関しては全て、オレに任せる、と。そう言われている」

 

相変わらず、フォンの顔に表情や感情の色はない。淡々と答えるが、内側までは測れない。

 

実際、フォンは迷いの中にあった。

 

「なあ。ヤツを本当に信用していいのか。お前はヤツを信用してんのか、フォン」

「……一つだけ分かることがある。オレと──ヤツは、同じだ」

「はっ! 都合よく使い捨てられねえといいな。俺たちスーロンも散々騙したり、いろんな連中を使い捨てて来たんだ」

「ヤツを信用出来なくとも、オレたちの取れる選択肢はそう多いものではない」

「分かってる! けどよ……」

()の目星は付いている。大まかだがな」

 

言い放った言葉に、元スーロンの男は驚きから口を閉じた。

 

「結局のところ、オレたちを狙う勢力などそう多くない。国内勢力で、なおかつ……レオーネに敵対的、あるいはその吸収を目論む勢力。つまり貴族だろう。だが解せんのは、セイがなぜ殺されなければならなかったのか……オレはこの街の、もっと奥に潜るつもりだ」

「……ダメだ。そういうことなら俺が行く」

「なぜだ?」

「危険だ……。ここはテスカみたいに、俺たちの縄張りってわけじゃねえんだ。もうスーロンは解散してる、エールの手前人数集めて行動は出来ねえ。いいかフォン、俺が信用してんのはエールじゃねえ、お前だ。元スーロンの連中のためにも、お前を死なせるわけにはいかねえんだよ」

 

男はそうフォンを説得しようとした。

 

スーロンがこれまで生き延びてこれたのは、フォンの功績による部分がほとんどだ。強いリーダー性と行動力、そして生存の道を選び取る目。それによって生き延びてこれた。

 

それ以上に、自分たちのリーダーを死なせるわけにはいかなかった。

 

「いいか、もう一度言うぞ。これは俺だけが同じ意見なわけじゃねえ。多分ほとんど同じ意見だ……俺たちは確かにレオーネ──エールの元に下っちゃいる。それはヤツが確かな力を持っているからだ。感染者の受け入れ政策は確かに実行された……感染者を受け入れる国ってのにそう間違いはないのかもしれねえ……」

 

確かに、表立っての感染者に関する問題は起きていない。

 

労働力の不足しているエクソリアの人々は、労働者として感染者を歓迎した。大きな変革だった。それが成功だったのか失敗だったのかはまだ分からない。

 

とにかく事実として、大幅な労働力の増加によって一定のバブルが齎されていたことは事実だった。

 

「だが迫害から解放されたと思えば抗争だ。確かに俺達は今更争いから逃れようなんて考えちゃいねえよ。けど生き残るための努力はするべきだ。状況次第じゃ、レオーネから抜けることだってある。……もしかしたら今がその時なのかもしれねえ」

「……オレ達は以前とは違う。レオーネの庇護無くしてこの地で生活することは難しい。特に、オレ達のように暴力しか能がないのなら尚更──」

「……とにかくフォン、お前は大人しくしてろ」

「何か当てがあるのか?」

 

返答は沈黙。否定も肯定もしない──何か隠していることがあるのは明確だった。だがそこに疑心を抱くほどの信頼関係がないわけでもない。

 

結局、以前からそうだったように、危険な任務はフォンではなく仲間が行くことになるのだろう。

 

高い空を、鮮やかな色の鳥が飛んでいた。

 

だが、どこを目指しているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──いやあ、しっかし驚いたなぁ。まさかあのエールさんを乗せることになるなんて」

 

そう機嫌よく喋りながら、運転手は笑った。

 

交通網の中は今日も騒音が飛び交っていて、大声を出さないと人の声は聞こえない。エクソリアでは四輪の自動車は普及率が低く、二輪が好まれる傾向がある。その中で市民が好んで使う移動手段は、リキシャと呼ばれる三輪の小型タクシーだ。

 

「ツェーラの方まで行けば良いんですね?」

「ええ。安全運転で」

「任せてくださいよ!」

 

ドアがなく、非常に解放的な作りとなっている。安価であり、地元の人々にも親しまれている乗り物だ。

 

自転車すら乗れないようになったエールは、ごく普通に人々が使うような移動手段を用いている。それこそ専用のタクシーを使ってもいい立場であるにも関わらず、こうしてわざわざ安価な乗り物を使う。

 

「で、気になったんですがそっちのお嬢様はもしかして──エールさんの恋人ってヤツなんですかね!?」

 

水を向けられたのはブリーズ。

 

今朝からずっと着いてきている。着いて来るなと言っても聞かないので、仕方なく同伴している形だが……。

 

「いえ、違います」「そうよ」

 

重なりあった声は、タクシーの速度にかき消されて聞こえなくなった。

 

「え、どっちなんですか?」

「……。恋人よ!」

「いえ──。ブリーズ、少し大人しくしていてくれないか」

「ねえ運転手さん! 市民の目から見たエールって、どんなイメージなのかしら」

 

聞く耳を持たない。若くおしゃべりな運転手は荒っぽい運転をしながら、本人を目の前にした興奮と気後れの混ざったような声で答えた。

 

「そりゃあ──やっぱ英雄ですよ! それとも解放者ってヤツですかね、この街はちょっと前までは北部軍に占領されてたでしょう! そん時は酷かったな──もうお終いだって本気で感じましたねぇ」

 

そんな運転手の話にブリーズは興味津々といった様子だ。

 

「財産は全部軍に没収されて、怪しい動きしようものならすぐ軍に連れてかれて……。バオリアが誇る農業畑もぜーんぶ好き勝手に奪われて……飯も満足に食わせても貰えないってんでもう……本当にお終いだって思ってたんですよ。逃げようにも道は全部封鎖されてて──」

 

思い出すように語る運転手の語り方には、当時の苦難が表れていた。

 

「もう南部軍なんて頼りにならないことは、その時にはとっくに分かってたんで」

「負け続けてきたものね」

「ええ、ええ! それまではずっと前線で小競り合いが拮抗してたってのに、どうして急にボロ負けし出したのか本当に不思議なんですよ──何人もの知り合いが徴兵で連れて行かれて、まだ帰ってきてません。もう帰ってくるこたぁないでしょう」

「それは──気の毒ね、悪いこと話してもらったかしら」

「いえ、良いんですよ! 仕方のねぇことです、どうしようもないんで……悲しんだってどの道、前向いて働くことしか俺に出来る事はねえんで」

 

明るく話す運転手に、ブリーズもふっと微笑んでエールの方を見た。

 

相変わらず、今朝からずっと真剣な表情のままでにこりともしない。口を開く様子もない。

 

──こうして働くことしかできる事はない、と彼は言った。

 

もし、他にできる事があったとするならば、この陽気な運転手はそれをするのだろうか。普通の人間ならそうするのが正常なのだろうか。

 

「らしいわよ、エール? 見習ったらどうかしら」

 

にっこりと意地の悪い笑顔をブリーズは作った。嫌でも視界に入るように。

 

運転手は話を続けた。

 

「だから、バオリアを解放してくれたレオーネ──エールさんには本当に感謝してるんですよ! Liberation Army(解放軍)の名前は伊達じゃねえって話題の種ですよ、本当に……すごいことだと思います」

 

女の方のヴァルポはその言葉に複雑そうな表情を浮かべた。過去の人物像と大幅に食い違うギャップが、第三者の言葉を通じて明らかになったためだ。

 

男の方のヴァルポはピクリともしない。

 

「こんだけやってやれば貴族の面目だって丸潰れじゃないですか!? なんせあのいけすかない金持ちどもを救ってやったんですから! 自分たちが好き勝手南部軍を動かした結果ボロ負けして、その上貴族とも関係ないレオーネに家や財産を返してもらったんでしょう? バオリアの貴族は、エールさんに頭が上がらないんじゃないですか、やっぱり?」

 

ヴィクトリア貴族の一人娘は、そんな貴族の言われように微妙そうな顔をした。各国での貴族の立ち位置は異なるが、この国の貴族はやはり良く思われてはいなさそうだ。

 

「その辺とか、実際どうなんですか? エールさん」

「…………。………………。いや……、それほどでも、ない……かな」

 

沈黙の後、呟くようにエールは答えた。

 

明らかにさっきまでとは違う種類の表情で、眉を顰めて訝しがっていた。一方運転手はそんなことには気が付かず、陽気の中に憤りを混ぜて喋り続ける。

 

「はー! 少しは感謝したらどうなんですかね、連中はいっつもそんな調子ですよ。権力者ってのはどうしてこう……──」

 

そうしてしばらくすると、目的とする場所に到着する。

 

「到着です、料金200ギルで」

「え、ちょっと……最初100ギルって言ってなかったかしら」

 

ブリーズは慌ててそういうが、運転手の男はにやりと笑って言う。

 

「一人100ギルですよ。二人で200ギル」

「聞いてないわよ。100ギルしか払わないわ」

「いやいや、エールさん達だからってそうはいきませんよ。きっちり払ってもらいますよ?」

「もう! ちょっとエール────」

 

こういうところで小賢しい発展途上国の人々に腹を立てて、ブリーズはエールに話を振ろうとしたが、エールはあっさりと100ギル紙幣を2枚出した。

 

「ちょっと! 英雄さんが舐められて良いのかしら!」

「構わない。情報料だ」

「? 情報料ってなんのことです──」

「いや、なんでもない。とにかく君、ありがとう。ブリーズ、行くよ」

「まいど──色々頑張ってください、エールさん!」

「ああ。それじゃ」

 

軽く手を振って、置いてけぼり気味なブリーズを置いてエールは歩き出した。

 

「ちょっと、置いてかないでって──!」

 

ああもう、いつでもそうだ。ずっと置いていかれているような気分になる。ブリーズは慌ててついていく。二度と見失わないで済むように。




こう……色々考えていくうちにこれからの展開がごっちゃしていき、執筆が進まなくなる現象を沼と呼んでいます。セルフ沼。これ本心なんですが、本当はこんな面倒な話はすっ飛ばして、オリ主といちゃつくヒロインを描きたいだけなんですよ。これマジ

・ブリーズ
かわいい
スキルとか性能が尖ってるからパフューマーでいいやとか思っていても言ってはいけない(戒め)

・バオリア
ぶっちゃけるとこの辺の事情をつっつかれるとボロが出そうです
オリ設定がまた増えていく……こんなはずでは



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1096年7月16日:盤上を駆けるものたち -2

(忙しくて更新頻度が低くて)すまない……
備えよう(危機契約#2)


ワン・リ・ロゥ。それが男の名前。

 

大半の人間がロゥに抱く印象は共通している──黒く、不気味な人物。

 

清潔に整えた髭と、加齢による白髪。同じ白髪でも、エールの漂白したような白さではなく、灰色の混ざったそれ。

簡素でありながら気品のある装飾の礼服に近い正装を着こなしていた。汚れや皺一つなく、それが人物の雰囲気を強めている。

 

だが、目に映る光は暗く、口元に浮かべた微笑さえ──あまりにも自然過ぎるが故に、何か薄暗く見えてしまう。

 

一筋縄ではいかない人物であることは、誰しもが一眼見て理解できる。

 

「──それでは、あの話は真実である……と」

「ふむ? さて、どうかな。ハノル君、私はレオーネから何かの対価を受け取るなどとは一言も言っていないよ。もっとも否定もしないがね。エクソリアの平定と繁栄、それがロゥの血筋に生まれたものの使命……と言うだけさ」

 

聡明な話し振りだった。低い声が、まるで波を揺らすように響いている。

 

「君もそうだろう? 貴族に生まれた者の責務……ああ、これは失礼。君は厳密にはその血筋ではないのだったかな?」

「それは関係のないことでしょう。私はリン家の血盟に忠誠を誓っている──私の血のことなど、些細な問題ですが」

「忠誠! それは素晴らしいことだ。いや失礼、馬鹿にしているのではないよ。私のような年寄りからすると、君の忠誠という輝きが眩しくてね。私にも、君のような部下があればと思わずには居られないのだよ。全く、リンが羨ましい。ああ、本当に」

 

芝居がかったような大層な話し方だ。それこそ小馬鹿にしているとしか思えないが、それを口に出したとてどうなるわけでもない。

 

リン家の若頭、ハノルは冷静に徹した。

 

「──なぜ、レオーネ……エールにそれほど肩入れするのです?」

「おやおや、肩入れなどと……私は誰しもに公平なのだよ。常に……公平であるべきだと考えていてね」

「しかし、否定をするつもりはないのでしょう」

「君は性急だね? もう少し会話というものを楽しんでは如何かな。人と人は分かり合うことの出来る生き物だ。我々は四足歩行の獣ではない、話し合うことが出来るのだ」

「ええ、ですからこうして机を挟んでいる」

 

応接室というのは、貴族の家の中でも特に豪華だ。それは体面というものであり、外側に自らの気品や財力を示すためのものであるからだ。

 

特に、この部屋を訪れるような人物に対しては殊更それを示す必要がある。そのため、飾られている調度品の小物一つとっても、庶民の年給よりも値が張る。大型になればなるほど値札の0の数は釣り上がっていく。

 

エクソリアで作られたものではなく、外側の先進国からオーダーした特注品。これはステータスの一つでもあった。

 

「常に……そう。常に、人々のために。この国の未来のために。私が考えていることはそれだけなのだよ。そうだろう? ハノル君……リンの懐刀よ。発展し、成長し、繁栄する。それが国家の意義であり、あるべき姿なのだよ。違うかね」

「その通りです。ではロゥ家が更なる発展を遂げるために、こういうものはどうでしょう────」

 

どこか白々しく、それでいて言葉の先にまで張り詰めたような会話を遮るものがあった。

 

静かなノックが応接室の扉を叩いた。

 

「入りたまえ」

「失礼致します。ロゥ様、お客様がお見えになっておりますが」

「ふむ? どちら様かな?」

「エール様でございます。お話があるとのことですが、如何なさいましょう」

「ふむ」

 

顎髭に手を当ててわざとらしく首を傾げるロゥを他所に、ハノルは確信を強めた。

 

ロゥ家とレオーネが手を組んだのは本当らしい──。

 

「お通しなさい。ハノル君、悪いのだが聞いての通りだ。私としても、もう少々君との会話を楽しみたいところではあるのだが──」

「お気になさらず。それでは失礼」

「またお会いする時を楽しみにしているよ。──彼にお見送りをして差し上げろ」

「畏まりました」

 

ハノルは席を立ち上がった。

 

リン家に戻り、報告の後対策を考えねばならない。

 

そしてハノルが応接室を出て、玄関へと歩く途中──エールとすれ違う。

 

ハノルはにっこりと愛想のいい笑顔を貼り付けて、エールに挨拶した。

 

「おや、エール様。奇遇ですね」

「ああ……確か、ハノルさん……でしたか。どうしてあなたがここに?」

「おっと、ご心配なさらず。少々ロゥ氏にお時間を頂いていただけですので。ところでそちらのお嬢様は──?」

 

ハノルの視線の先には黄金色の綺麗な髪をした女性。

 

身なりからして高貴な地位にあることがわかる。ハノルはレオーネの重要な人物などは全て書類で頭に入れてあるが、見覚えのない人物だった。

 

目を引くのは、右手に抱えた一つの背丈ほどもある杖──アーツユニット。

 

「……ああ。彼女は僕の知り合いで──」

 

女性は端正な顔立ちを少しだけ悪戯げにして一歩前に出た。それから丁寧な礼と共に名乗る。

 

「アリゾナ家が長女、グレース・アリゾナと申します。彼とは恋人として交際しているわ」

 

エールに走った微妙な緊張と、言いたいことがありそうな顔を確認しながらハノルも返答をする。

 

「それは驚きました、まさかエール様に恋人がいらっしゃったとは──失礼、私はハノルと申します。この国の二大貴族が一つ……リン家に仕えております」

「あら。あなたは貴族ではないのかしら?」

「恐れ多いことです、私如きが貴族などとは。貴族に仕えることだけで、この身には有り余る栄誉ですので。いえ、それにしてもお綺麗だ。エール様が羨ましいですね」

「お上手ね──」

 

この言葉の裏側は、表面の取り繕ったそれとは全く異なっていた。それはこの場にいた三人ともそうだった。

 

「おっと、あまり私がお邪魔するのもよろしくないでしょう。私はこれで。それでは。エール様、アリゾナ様」

「ええ、御機嫌よう」

 

一礼の後、ハノルは先導する召使いの後ろを歩いて行った。

 

表面こそ穏やかなものだが、内心は全く別──焦燥と混乱の中にあった。

 

(────あれは、何者なんだ?)

 

アリゾナ家が長女──その名乗りは、普通ではない。

 

それにあの杖だ。あれは──この国には似つかわしくはない。見たこともない──。素材からして上等だと一目で判別できるほどの高級品だろう。

 

特徴的なものだ。エクソリア的では全くないし、この周辺諸国にも思い当たる要素はない。

 

もっと遠く──アリゾナ家などという家はエクソリアにはない。あったとしても聞いたことがない。

 

(国外の、貴族──だというのか。まさか、そんな訳がない。一体どういうことだ? 恋人だと? エールの?)

 

ただの恋人であれば別にそれほど問題になるわけでもない。レオーネに対する手段としての利用もあっただろう。

 

(礼も──この国の礼法ではなかったが、確かに洗練されたものだった。確実にどこかの令嬢……貴族の、娘?)

 

全く話が変わってくる。

 

それこそ、今までの全ての前提がひっくり返る可能性がある。

 

(エールの個人的な関係者の可能性は? 低いだろう。国外から見た時の、この国の危険性がわかっていないはずがない。だが情報がないということは最近入国したはずだ。一週間も前のことではない、それこそ昨日か今日──)

 

焦燥──そして、繋がる可能性がハノルの脳内で生まれようとしていた。

 

(──レオーネが今まで我々の援助なしにここまでの活動を広げた背景は不透明だ。だがこの国で貴族の影響なしにあそこまでの勢力を伸ばすことは困難……そのトリックは今までずっとわからなかった。だが……)

 

一度考えれば、もうそうとしか思えなかった。

 

(国外貴族による、援助。その目的など分かり切っている──どこから情報が漏れ出した? 一体なぜあれを奴らが知っている? いやそもそも、エールが、レオーネがあのことを知っているのならば──なぜ、今手出しをしてこない。なぜ? 何か理由があるはず)

 

それは、全てを知るものに言わせれば一言だ。

 

勘違い。思い込み。実際にレオーネが国外の貴族と繋がっている事実などどこにもない。そもそもブリーズは家出している身分だ。

 

往々にして思い込みとは不正解だ。だが無理もない話──全てを知ることなど、誰にも許されないことであるが故に。

 

思考の海に浮かんだ点と点が、加速するように繋がる。少なくとも、その輪郭を描く。

 

(────ああ。だから、ロゥ家は……レオーネに手を貸したのか。いや、もうそうとしか考えられん。ロゥの考えそうなことだ。あの娘はそのための人質、いや交渉人か代理人。そしてそれがロゥ家に──国外貴族とロゥ家の同盟。その目的もはっきりしている)

 

更に焦燥。

 

ロゥ家の召使いの見送りを早足で過ぎ去る。

 

(……どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。どうすれば、いい? どうしたらリン家は勝てる。どこが弱点だ。どこを突く。クソ……スーロンの連中を利用するか──)

 

火種は今、ここに生まれる。

 

(……。それとも、あのブリーズとかいう小娘を利用するか? エールは脇が甘い──つけいる隙は幾らでもある)

 

火種が風に煽られて消えるかそれとも──更に燃え上がるのか。

 

(最重要項目は、どこの国の貴族か──近隣諸国、テスカなどはあり得にくい……。特定を急がねば……。クソッ、ゴミ共が雁首揃えて────ッ! 支配するのは俺だ、ロゥのじじいもリンの親父も時代遅れだ、俺が────ッ!)

 

貧しい少年時代からリン家に拾われ、そこから成り上がってきたハノルは野心が強い。比例するような高い能力を持っていた。

 

こちら側に引き入れたレオーネの内通者、スーロンをいくらか使って布石を打つ算段を頭の中で終えた。

 

「俺が勝つ……ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際のところ、ロゥ家からレオーネへの金の流れなどない。要は(ブラフ)である。

 

それでも権謀術数の中に生きるリン老人やハノルを騙せたのは、協力があったからである──当然、ロゥ家当主であるワン・リ・ロゥの。

 

「よく来てくれたね、エール君──飲み物を用意しよう。何がいいかな?」

「結構です。長話をするつもりもないので」

「ふむ。そちらのお嬢様は」

「頂くわ。エクソリアのコーヒー、まだ飲んだことがないの」

「それはいい。この国の豆は質がよろしい──きっと気にいるよ」

 

仕えがその言葉を聞いて音も立てずに退室した。

 

「調子はどうだね、エール君。リンと話をしたのだろう?」

「……いくつか、聞いておくべきことと、伝えておくべきことがあります。まず一つ──」

「おっと、そう焦らずとも時間はある」

 

エールの言葉を遮ったロゥは、老いた顔で笑みを作る。相手のテンポを乱し、自らのペースで話を進めるための簡単なテクニック。

 

「さっきのハノル君といい、若者というのはやはり急ぎがちだな? 羨ましいことだ、私も若い頃はそうだった……溢れるエネルギーを持て余したものだったね」

 

ブリーズは所在なさげに、エールの隣に座っていた。ソファーに立てかけたユーロジーの無骨さが妙に際立っている。

 

「本当に羨ましいね、この歳になると体のガタが酷くて敵わない……。幾ら財や力を得ようとも、老いには敵わないものだ……」

 

老人と話すことにはあまり慣れていない。無駄話になど興味もなかったが、無理に話を進めようとも無駄だろうこともわかっていた。ロゥののらりくらりとした話し方はそういうことをさせない。

 

「体は労わるものだよ、エール君──歳を取って苦労することになる。特に君は早死にしそうだからね」

 

余計なお世話だ、とエールは思った。

 

「覚えておきましょう。それよりロゥさん──バオリアで何か、変わったことなどはありませんか?」

「変わったこと、とは。これまた変わったことを聞くのだね? 人が生きていく上で変わっていないことなど存在するのかな?」

「僕はあまりこの街に詳しくない──例えば、この国の暴力組織とか」

「ふむ。今は君たちがそれだ」

「そうではなく、古くからこの国に根付く集団や組織について……何か知っていることを教えてもらいたい」

「何も特別なことはないよ。私も長らくバオリアと共にあるが、最近で何か起きたことなど──それこそ、レオーネの台頭程度のものだ。それについては君の方がよく理解しているはずだがね」

 

この屋敷も街の中からはよく目立っていた。木造建築はエクソリアでは貴族などしか用いない。エクソリアの生活様式に対し、コストがかかりすぎるためだ。

 

ロゥはずっと微笑んでいる。それのせいで本心かどうかが分からない。

 

「それに、彼らも弱体化は激しいのではないかな? こんな状況では、彼らも面目どころか生活を守るので手一杯だろう。急速に変化する情勢にあって、段々と力が削がれている。聞いた話では……そうだな、君のところのレオーネに志願したものもいる、とも。兵士になると生活が幾らかは保障されると聞いているよ?」

 

知りたかったのはそんなことではなかった。

 

フォンの話が気になっていた。元スーロンでフォンの側にいた男、セイの死に関して……普通ではない何かを感じていたためだ。

 

何かがある──それは、単にリン家などと関連づけても良かったのだが、何かそれだけではないと感じていた。勘だ。

 

「……それだけですか」

「何か知りたいことがあるようだね?」

 

その言葉を態とらしいと感じるのは穿ち過ぎだろうか。

 

「……何か、知っているということですか」

「ふむ──、ギブアンドテイクを提案しよう。一昨日の話と同じ……取引、でだ」

 

ロゥとエールの間にあった取引というのは次の通りだ。

 

ロゥはレオーネに対して莫大な支援をする──と、リン家を騙す。あるいはその仕込みや偽装を行う。

 

そしてエールからロゥに対する取引の内容は、ロゥ家を武力的に攻撃しないことだ。

 

この内容は、一見して不可解である──というのも、半分程度は恐喝であるためだ。つまり武力で痛い目を見たくなければ協力しろ、という取引でもなんでもない脅し。

 

そんな滅茶苦茶が罷り通るのは、警察機関や軍はほとんどレオーネに吸収されているからだ。もっともエールはレオーネからは独立気味で、自らの考えに基づいて行動しているが……。

 

しかし、この脅しが取引になる理由があった。

 

「情報交換……それで引き受けよう。私が君の知りたいことを知っていればいいのだが」

「僕に何か聞きたいことがあると?」

「大いに。例えばそう、そちらの美しいお連れについて、などね」

 

静かにコーヒーカップを口に運んでいたブリーズは、急に話題が向けられて顔を上げた。

 

明るく鮮やかな髪が光で薄く輝いている。

 

「私かしら?」

「そうだとも。エール君とは、一体どのような関係なのだろうか?」

「恋人よ」

 

間髪入れずに、それこそ恥じらいひとつもなかった。恋人ですが何か、という風だった。

 

頭を抱えたい────この女は一体何なんだ。別に恋人でもない……訳がわからない。数年──6年振りの再会はそう感動的でもなかった。サプライズではあったが。

 

もう二度と会うことはないと思っていたし、もう二度と会いたくはなかった。

 

エールは、あの救いようのない過去から逃げ切りたかったのかもしれない。だが──。

 

「おっと、これは──エール君に恋人がいたとは……意外というか、そうでもないような」

「────ねえ、このスッタカタンは今……どういう人なのかしら?」

「おや、それはどういう意味かな?」

「実は久しぶりに会ったのよ。だから今何してるのか、ちょっと分かってなくて」

「恋人なのに、かい?」

「い、いえ……ちょっと事情があるのよ、ええ」

 

気まずそうに誤魔化すブリーズを横目に、ぼんやりと理解した。

 

過去というものは、どれだけ逃げようとも追いついてくる。

 

「いやいや、心配することはない。君の恋人は素晴らしい人さ、道ゆく人に聞けば、皆が知っている──解放の英雄、エールを」

 

想像もつかない言葉だった。それはブリーズにとってはすでに現実離れしていたと表現して過不足ない。あのスラムの青年が、一国の英雄──正直、今だってそうだ。

 

自分が想い続けた人物と、本当に同じ人なのか──それすら思う。だって変わり過ぎている。自分だって成長したし、6年前からすっかり変わった自信はある。だが……。

 

あのチンピラが今、こうして一国の貴族とテーブルを挟んでいる。

 

一体何があったのだろうか。話してくれる気配もない。

 

「その辺でいいでしょう、ロゥさん。僕の質問にも答えてもらいます」

 

──ああ、そんな悩んだような顔なんてしなくてもいいじゃないとか思いながら、ブリーズは真っ白な同族(ヴァルポ)が喋るのを見ていた。

 

悪戯の効果はかなり強いようだった。エールはブリーズを牽制するような視線を向けた。お喋りは勘弁してほしいらしい。

 

「一つには一つ……率直に聞きましょう。ロゥさん、あなたはプルトンという言葉に心あたりはありますか?」

「……ふむ。なるほど……プルトン、プルトン……か。ほぅ?」

 

ロゥの顔色が変わった。面白がっていた口元は笑みを引っ込め、思案するように真横に結ばれた。

 

「知っているとも」

「……! 詳しく聞かせてもらいましょう」

「そうしたいのは山々だが……一つには一つ、だよ。情報の交換とは等価でなくてはならない。君の想像している通り、この言葉は幾らか機密を孕んでいる……。そう簡単に話すことはできないな」

「いいや、あなたは話さざるを得ない──いや、本当はあなたはそんなことはどうだっていい。あなたにとって、そんなものはどうでもいいことだ。そうでなければノースをフロントとするこの国の全貴族を丸ごと裏切るような、こんな真似はしない。事情がどうあれ、僕に付くというのはそういうことだ。違いますか?」

「面白い考えだ。つまり君は、まともな貴族であれば君に協力などしないと言いたいのかな?」

「ロゥさん。どうしてロゥ家は北部軍の占領下にあって、その力をほとんど奪われていないのですか? いや──もっと言うならば、こうです。元南部軍のスポンサーは当然貴族たちで、前提として北部との戦争を実質的に指揮していた。資金源でしたからね。北部軍だってそんなことは承知している。とすれば、その力を削ごうとするのは当たり前だ。だが──バオリアが占領された際、まだ街には貴族たちが残っていたのにも関わらず、あなたたちの屋敷には傷ひとつだってついていない」

「何、大した話ではないさ────貴族の持つ力と価値は重要だ。つまり奪うよりも、そのままそっくり取り込むことの方が、より利益になるというだけの話……。殺すばかりでは金も力も生まれない。違うかな?」

 

返答は沈黙。

 

それが本当かどうか、知る術は今のところないが──さりとて、お互いに信用はしても信頼するなどあり得ない話。

 

緊張をほぐす様に吐いた息の音が、静寂に消えていった。

 

「いい加減本題に入りましょう。別に言葉遊びをしに来た訳じゃない」

「ふむ。もう少し余裕を持っては如何かな? 言葉の余白というものは、楽しまねば損だよ」

「──源石(オリジニウム)が、南部で産出されたそうですね。請負会社はリン家の子会社……隠す気もなく、堂々と労働者の募集をかけているだとか──」

「最近の話だよ。長らく未開拓だったエクソリアに、膨大な源石(オリジニウム)鉱脈が発見されたのは」

 

公にはなっていない。これは権力者にのみ回る情報で────エールの元にこの情報が届いたのは、発見されてから時間が経ってからだった。

 

その推定埋蔵量は膨大であり、積み上がる金の山を幾つも生み出すと予測される。

 

「さてエールくん、君はどのように考え、何をするべきだと思う?」

「……あなたは、ずっとこの事実を知っていたが、これに関わる利益に手は出さなかった。なぜですか?」

「質問には答えてくれないのかな?」

「貴族同士は常に潜在的な敵対関係にあるのなら、この利権は致命的な差となりかねません。合理的じゃない……僕は貴族というものを大して理解していませんが、手を出す余地は無かった訳でもないでしょう」

「ふむ。であれば無理もない──ひとつ教えておくとしよう。いいかな、貴族というのは……常に飽きているのさ」

 

そんなことはない、とブリーズは反射的に言いかけるが、立場を思い出して口をつぐむ。

 

ロゥは揶揄うように語った。

 

「やることと言ったら既得権益を守るか、体面を保つこと程度のものでね──生まれた時からそう教育され、そう育つ……。私はこの生に大して意味を見出していないのさ。ウルサスの強大な力に対抗できるほど、この国も、この国の貴族は強くはない。下らない毎日を貪るように生きる以外に、この退屈を誤魔化す術はない」

 

眼前に座る、まるで獣の皮を被ったような青年には、それは感じたことのない感情なのかもしれないが。

 

青年は獣の様な瞳を理性で覆っていた。

 

人々が彼と出会ったのなら、精悍で優しそうな青年だと感じるだろう。いっそ儚げとも取れるかもしれない。

 

だがロゥは青年の本質を見抜いていた──それは、何処まで行っても若さだ。

 

人は苦しみと共に成長し、やがて学び、老いていく。しかし青年にはそれが無い。痛みと戦おうとしている様に見えた。だがそんなことは不可能だ。運命に逆らうことは出来ないと、いずれ誰しもが理解する。

 

明らかに長生きするタイプではないし、情報通りならばそう遠くないうちに死ぬだろう。

 

「私にとっては実際、どうでもいいことだよ。栄光や繁栄など全て虚しく、大した意味もあるまい。それを誤魔化すためにリンの奴も必死だ。奴の絵画収集癖を知っているかな? 実に見ものだよ──あんなに虚しいコレクションなど、そう見られるものではない」

「……あなたも、人のことは言えない様に見える」

「ふむ、そう見えるかな? まあいい、重要なのはそこではない。実際私は、君のことを高く買っているんだよ。君についた方が────」

「利益があると」

「────いいや、面白そうだからさ」

 

理想や信念を持つ人間の迎える結末は二種類だ。

 

一つは、何も出来ずに打ち砕かれ早死にする。力や運がない人間は、結局世の中で自分を押し通すことが出来ない。善人ほど早死にしていく。それはまるで焚き木だ。暖かく、人々を魅了するが……夜を越える頃には燃え尽きて、灰になる頃には風に吹かれて何も残らない。大半どころか、ほとんどの人間はこちら側だ。灰になるか、あるいは諦めて長生きするか。

 

身を焦すほどの熱に身を投じられる覚悟を持っていたとしても、燃え尽きずに居られるかは別だ。覚悟だけで何かを変えられるほどこの世界は甘くはない。

 

どの道、世界に挑もうなんて輩は長生きできない。歴史的な偉人ほど、大抵は病か凶刃に倒れるものだ。

 

だが稀に──そう、ごく稀に生まれる。

 

自らを燃やし尽くす炎が、何かに燃え移り──まるで山火事でも起こすように、その熱が広がることがある。

 

それは見える角度によっては大罪人、あるいは英雄などと呼ばれる。それらは紙一重だ。

 

「君はどうなんだ? エール君……君は、真実()()()()なんだね? 君は本当に、火種としての資格を備えているのかな?」

「意味が分からない。一体何を言っているんだ、あなたは」

「分かる時が来るはずさ。君が本当にこの国を変えるにふさわしい何か……そう、()()を持っているのかどうか、それがこれから明らかになる。心配せずとも、向こうからやって来てくれるさ。私はこの特等席でそれを鑑賞したいのだよ。今この街に燃え広がった炎が、雨風に吹かれて消えるか、それともこの国全土を焼き尽くす炎と成り得るのか……」

 

それは、運命が決めることだとロゥは知っている。

 

「……ロゥさん。あなたはまさか、自分が死なないとでも思っているんじゃないでしょうね」

「ほう、これは大きく出たね? だが私が死ぬ時は、すでに炎は十分に燃え広がっているだろう。それならそれで構わない、むしろ歓迎するよ」

「……。知っていることを全て話してもらいます」

「自分で調べたまえよ。私は君の味方ではないのだ、これは取引……この世界は等価交換だろう? 知りたいのならば相応の対価を差し出すべきだ。それを拒むのなら、自らで見つけ出すのがいいだろうね」

 

エールは席を立った。これ以上付き合うのも馬鹿らしい。

 

「ブリーズ、行くよ」

「え、ちょっとエール!」

 

ブリーズはエールの非礼を詫びるようにロゥへ一礼をすると、アーツロッド(ユーロジー)を掴んで駆け出した。

 

それを微笑みながら見送るロゥは、扉を開いたエールの背中に一言。

 

「そうそう、プルトンの件だがね──気をつけた方がいいよ。特に……身内には注意しなければならない。敵が外ばかりに居るとは思わないことだ」

「忠告として受け取っておきます。それでは」

 

扉が低い音を立てて閉じた。

 

 




・ロゥ
南部エクソリアの二大貴族のうちの一つ、リン家の当主とかいう設定がある。おっさん通り越してジジイ
そのうち死ぬんで名前とか覚えなくていいです

・ハノル
リン家の若手筆頭みたいなイメージです
そのうち死ぬんで名前とか以下略

・エール
そのうち死ぬ以下略

・ブリーズ
セリフが少ない
かわいい
身に覚えのない彼女面とかされたい

とりあえず面倒そうな話とかストーリーラインは書き終わったはず。あとは回収していくだけ……だといいですね。マジで。


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1096年7月17日:理性と獣性(人か獣か)

「スーロン」

エクソリアの隣国、テスカ連邦の首都マルガで最大勢力を誇ったギャング組織。組織の構成員は4000人を超えていたらしいが、中核を成すのはたった64名の感染者だった。その中でエクソリアに辿り着いたのは28名、先のバオリア防衛戦を経て現在も生存しているのは21名。感染者の青年フォンをリーダーとしていたが、今は解散しレオーネの第8特殊小隊としてバオリアの各地に散っている。

彼らが裏切る可能性は、常に考慮しておくこと。それにフォンの動向もどこか怪しい。十分に注意しなければ。

彼らの結び付きはかなり強いと見ていい。同じ感染者として各地を放浪してテスカにたどり着いた絆は固い。

それはまるで、いつだかの自分たちを見ているようだった。
──表題のないノートより抜粋。


ブリーズの処遇に関してだが、結局レオーネ(ウチ)で預かることになった。

 

彼女の医療知識や技術を少し教えてもらったが、ロドスのそれと比較しても十分に優秀であることはすぐに理解できた。事情がどうあれ、今は優秀な人材は喉から手が出るほどに欲しかったのは事実。

 

レオーネ傘下にある国立病院で働くことになり、衛生科へ配属することになった。急遽手配してもらったテストの結果、文句無しの──いや、多少悶着はあったらしいが──合格、十分な経験と知識を備えた医術師として認められ、曹長の階級を与えられたらしい。

 

曹長といっても、衛生科、つまり病院での階級は本隊のそれとは全く性質が異なるので単純な比較は違和感しか残らないが、つまりは優秀だということらしい。

 

らしい、などと人聞きのような表現ばかり使うのは、僕の医療面への理解が浅いためだろう。応急手当ては慣れているが、専門的な部分はさっぱりだし、何よりあのアリゾナ()()()──いや、今はブリーズだったか。とにかくあの世間知らずの箱入り娘がレオーネの基準を大きく上回る成果を出したことが、正直ちょっと信じられない。

 

人は変わるものだろうが……僕は彼女の成長に強い驚きと、敬服を感じざるを得なかった……あるいは、嬉しかったのかもしれない。

 

本当に、彼女はあの日誓ったことへ進んでいるのかもしれないと思ったからか、あるいは彼女も努力し続け、前へ歩いていることを知って、まるで仲間を見つけたような気分になったからか。

 

まあ、どの面下げてって話だが……。

 

僕はどうだろうか。

 

僕はあの日よりずっと強くなった。気の遠くなるような訓練を繰り返して、戦闘に関してならかなり優れている自信はある。だが……。

 

時々思う。僕はヴィクトリアにいた時から何一つ変わっちゃいないんじゃないかと不安になる。彼女は変わった。だが僕はどうだろうか。

 

誰も守れないまま、僕は殺すことばかり得意だった。

 

今もそうなのか……。この力は一体なんのためのものなのか、ずっと考えている。

 

今も考えている。

 

 

 

 

 

 

 

1096年7月17日:理性と獣性(人か獣か)

 

 

 

 

 

 

 

「それで、何か分かったかな」

「まだスパイを警戒されている。大した情報は掴んでいないが、現時点での内情はある程度分かった」

 

レオーネ最上階、エールの執務室。

 

開かれた窓から涼しげな風が入ってきていた。今日は少し涼しい。

 

壁のコルクボードには無数のメモと重要人物の写真。情報の外部保存──それにしては情報が多すぎないだろうか。スカベンジャーは横目でそれを見ながら話し出す。

 

「結論から言うが、やはりリ・ハン製鋼だろうな」

「詳しく聞こう」

 

デスクの前に立ったまま、エールを見下ろす。手元にペンと紙。

 

「三日ほど前、ゲネラ区のチンピラが持っていたパーツ……あれと似たものが、恐らくリ・ハン製鋼にある」

「生産されてたってことかな」

「そこまでは分からん。作っているか、それとも逆に運び込まれていたのか……連中は何も知らなかったからな」

「……僕の読みでは、あれは多分武器のパーツなんだけど……どう思う?」

「あり得るが、迂闊に決めつけない方がいい。だがもしもそうなら……。分かっているのは、何らかのモノが倉庫に運び込まれていたことだけだ。出発地点もゴールも使われていないはずの物置き場で、複数の受け渡しを介していることだ。流れを尾行した結果、最終的にリ・ハン製鋼の工場まで運ばれていった」

「……随分深くまで潜ったね。すでにスパイがバレた可能性は」

「ない、とは言い切れない。だがお前の指示が随分的確なおかげで、私は幾らかのリスクを侵す羽目になった。ありがたいことにな」

 

必要になったのは、出来るだけ早く、出来るだけ多くの情報。

 

どう考えたって、潜入捜査なんかが1日や2日で出来るはずがない。特に相手はロゥ家──スパイの警戒なんかもしていない中で、スカベンジャーはかなり際どいラインを攻めていた。もしかしたら既にバレていて、明日仲介屋に行ったらそのまま始末される可能性もある。

 

エールはそのあたりのことを全てスカベンジャーに丸投げした。餅は餅屋だ。もっとも、スカベンジャーは暗殺専門なのだが……人手不足は深刻だった。特にこういう暗い仕事をこなせる人材は本当に少ないし、スカベンジャーは有能だった。早い段階で、こうして情報を集めてきてくれている。

 

「君が優秀な駒で、本当に助かるよ」

「ち……。それともう一つ……あのスーロンとかいう連中を街中で見かけた」

「うん?」

「私の経験から言うが……連中は怪しい」

「……続けて」

「連中は人通りが少なく、窓のない建物に入っていっていた。それがあんたの命令でないなら、何かを企んでいる可能性がある。連中が仲良しで、一緒にのんびり食事でもする仲であれば話は別だがな」

「どうしてそれを僕に?」

「……別に、気まぐれだ。依頼主には媚を売っておかないと、いつ切られるか分からないからな」

 

皮肉げな態度には慣れたものだし、エールは今更そんな言葉にどうこう思わなかった。少なくともスカベンジャーを()()ことは考えていない。昔ならいざ知らず──今は、どうなんだろう。

 

誰かを裏切ることが、今の自分に出来るのだろうか。いずれそうする必要に迫られたとき、自分は誰かの背中に刃を──仲間がそうされたように。

 

今は必要のない思考だ。薄く息を吐く。

 

「……まあ、とりあえず引き続き潜入を続けてくれ」

 

返答の代わりに、灰色の髪が翻った。

 

愛想ないなぁ──などと、場違いな感想を抱くエールだが、一つ思いついたように声を掛けた。

 

「そういえばさ。君が気にかけてたあの兵士だけど──今やってる掃討戦で重傷を負ったらしい」

 

スカベンジャーの足が止まった。

 

あの兵士──脳裏に浮かぶ、人懐っこく、鬱陶しい笑顔。

 

「さっき報告が上がってきたよ。だいぶ派手な戦闘があって、重体の兵士が一名だってさ。今頃は手術中だろう。見舞いに行くといい」

「……余計なお世話だ」

 

後には、肩を竦めたエールが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはまるで薄氷の上を歩くような緊張感だった。

 

「──腹部三箇所から出血、多すぎる……!」

「痙攣あり、意識レベル低下……外的アーツによる振戦が確認されている、目を離すなよ!」

 

生きるか死ぬかだった。

 

その天秤は明確で、正常で、残酷なまでに正確だった。

 

バイタル値を示す医療機械は、ウルサス語のロゴが入っている。この上ない皮肉だった。

 

「グエン先生が出払ってるこの時に……! 私たちだけでやるしかないのか……!」

 

氷柱を握っているようだった。焦って強く握るほど、より早く溶けていくような。

 

運ばれていく患者と、焦燥の中にある衛生兵──もっとも、本職を医者とするものたちばかりだったが……不運だったのは、そもそも南部エクソリアには高度な外科技術を持つ医者が少ないこと。

 

そして、傷口からの出血が多すぎる。複数箇所にわたる複雑な傷と意識混濁。

 

はっきり表現して、いつ死んでもおかしくないような状況。そして外科経験の不足。

 

最悪の状況だった。それでもやらねばならない。助けなければならない。

 

それこそロドスの持つような医療技術は持ち合わせていなかった。こういったギリギリ一線を越えるか越えないかの修羅場を潜ってきたのはむしろバオリアではなく、アルゴン国立病院の方で、グエンがその第一人者だったが──現在グエンは医者ではなく指揮官だ。ここにはいない。

 

そこに手術衣で走ってくる人物が一人。

 

「……っ、ちょ──ブリーズさん!?」

「状況を教えて頂戴! すぐに処置をしないと危険よ!」

「き、来て1日のあなたにこんなことは任せられない! 下がっていろ!」

 

当然の話だった。

 

ブリーズの医療的な技術はテストで見せた通り。だが外科専門でもないことは確かだ。

 

「私なら助けられるわッ! 手術に加えてッ!」

「だが──」

 

そう啖呵を切るブリーズの顔は震えていた。緊張だろうか。

 

だが、絶対に助けるという強い意志を感じるには十分だった。

 

「時間がないのは分かってるでしょう!? 私のアーツと技術なら、この人を助けられる……救ってみせるわ、必ず!」

 

冷や汗を流しながら言うようなセリフではなかったのだろうが、何も全く根拠のない話ではないことは、理解しているが……。

 

「……人手は多いに越したことはない、だが絶対に邪魔になるなよッ」

 

全てを任せられるほどの信頼関係は構築していない。何せ昨日来たばかりの医者だ。技術はあるのだろうが、実績はない。

 

だがただでさえ助けられるか分からない状況の中で、何かの役には立つかもしれない。

 

そう考えていた外科医だが、いざ手術が始まると度肝を抜かれることになる。

 

きっちり消毒済みのアーツユニットを掲げて、最初にブリーズは呟く。

 

「……力を貸して、ユーロジー────Concentration(集中療法)

 

アーツユニットの先端に灯った新緑色の光が、バイタルサインの反響する空間に満ちていった。

 

「……バイタルサイン(TTR)心拍数(HR)が……少し落ち着いた?」

「リラクシングのアーツよ。でもこれは文字通り気休め……本番はここから。気道確保から始めましょう。気切の準備を」

 

それはアーツの影響だったのか。水を打ったような静寂が手術室を支配していた。否──その表現は誤りだ。支配していたのは──アーツユニットに更なる光を灯すヴァルポの女性だ。

 

Remedy diffusion(拡散療法)……Blessed be your name(主の御名において)──volition(我が意を示せ)

 

灯明が浮き上がって、弾けるように空間へ溶けていく。直接アーツの対象としてない他のメディカル(手術補佐)の精神がいくらか和らぐ。緊張が溶けて、冷静さが戻ってくる。

 

故郷のもう滅びた言語で、半分無意識下で呟いた言葉の意味を医者たちが知ることはないが……圧倒するようでいて、かつ荘厳な雰囲気さえ感じさせた姿。

 

「何をぼーっとしてるの! 始めるわよ!」

 

すっかり飲み込まれそうになったが、すぐにその声で我に帰る。

 

目の前の誰かを救う。それが仕事であり、使命であるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ああ、まだ信じられないよ。見てくれ、俺の両手……まだ震えてる……。正直、あんな重体から助けられる訳がないって……悔しいけど、心のどこかでは思っていたんだ」

「そうよね。本当に……アーツだけじゃなかったわ。途中……見たこともない施術法を平然と指示し出すから驚いたけど……」

「結果が全てさ。医者として悔しいが、彼女のこと……認めざるを得ないな──」

 

びっしりと額に浮いた汗を拭いながら、極度の緊張から解放された看護師たちは話していた。手術を預かるはずの外科医でさえ、その中に混ざっている。

 

話題の渦中にあるブリーズはというと、ここにはいなかった。

 

どこにいるかというと、病院の裏口──コンクリートの階段に、汚れも気にしないで座って、日陰の中で深い息を吐いていた。

 

空調機のファンが回って生み出す排音と、暑い外気のじめっとした湿気の中で、それでもブリーズは手先まで凍るような錯覚に陥っていた。

 

ブリーズは旅医者だった。だが今回のような高難易度の外科手術は……恐ろしい話だが、今回が初めてだった。

 

当然、知識は全て頭に入っている。文献や参考記録はかなりの量を見てきた。臨床経験も短くない。それでも本当に手術が成功するかなんて、確信が持てる筈もなかった。

 

その中で出しゃばるようにしてまで手術に参加した。失礼な話ではあるが、ブリーズには彼らだけで手術を成功させられるようには見えなかった。グエンが居たならば話は別だっただろうが……。

 

行動力と技術力、それから今までやったことのない高度な外科手術を、これまで培ってきた技術と知識の全てを持ってぶっつけ本番で成功させた。クソ度胸と、極限の集中。それは文字通り、見ているものにとっては神業だっただろう。

 

「ふぅ────……」

 

外の明るさにまだ目が慣れない。暑い筈なのに、体は底冷えしている気がする。体にはまだ力が入らない。当分立ち上がれそうにはなさそうだ。

 

その中で、ただ安堵だけを感じていた。

 

生暖かい風が吹いた。

 

ふとそちらの方を見てみると、エールがいた。

 

再開した時から変わらず、何を考えているか分からないような曖昧な表情で、座り込むブリーズに視線を下ろす。

 

「あら。会いにきてくれたのかしら?」

 

ブリーズは疲れた顔で冗談を飛ばした。

 

「そんなところだ」

「本当かしら?」

 

隣に白髪の青年は腰を下ろして、ブリーズの空元気のような笑みを横目で見た。

 

()()の容体はどうかな」

「……どうしてあなたはこんな場所へ来たのかしら?」

 

病院の裏側の手入れはあまりされていない。フェンスの先には雑草が生い茂って、光と風に擦れる音を立てていた。

 

「君の姿が表の方から見えたからね」

 

左をみると、フェンスの向こう側の歩道からこの場所が見える。

 

一本の飲料缶をエールはブリーズに渡した。

 

冷たい清涼飲料だった。

 

「……気遣いができるようになったのね?」

「貴重な医療術師への、些細なポイント稼ぎだ。お疲れのようだしね」

「誰のせいかしらね」

「耳が痛いね」

「本気でそう思ってる?」

「人間は万物の尺度である──とは、プロタゴラスが示した通りだ。僕の思想も、君のそれも相対的でしかない」

「詭弁ね」

 

プルタブが開く音とともにエールは少し笑った。

 

──そうかもしれない。

 

「馬車の比喩を思い出すわ。あなたを見てると……」

「プラトンの話か?」

「そう、魂の三分説ね。彼に依れば魂は理性(ロゴス)気概(テュモス)欲望(エピテュメース)から成るとされているわ。そしてそれは、二頭立ての馬車とその御者に例えられる」

 

右手の馬は姿が端正で、節度と慎みを持ち、鞭打たずとも言葉に従う良い馬であるのに対し、左手の馬は醜く、放縦と傲慢であり、鞭と突き棒でようやく言う事を聞くという。

 

美しい馬が気概、醜い馬が欲望、そして御者が理性に対応する。

 

「昔のあなたなんかは、正にそうだったわ。欲望と気概、そしてある程度の理性。そういう人間だったことを覚えているわ」

 

ヴィクトリアで暮らしていた時はそうだったかもしれない。かなり前のことだから印象深いこと程度しか覚えていないが……。散々他人を傷つけたり騙したりしたことは確か。

 

「でも今のあなたは極めて理性的、いえ──まるで、理性でしか動いていないように見えるの」

 

プラトンはその著作において、この馬車の比喩をイデアの世界へと至る過程で使っている。イデアの世界とは大雑把に表現すれば、完全な世界ということになる。

 

人々はこの欲望を制御しなければならない、ということだ。

 

「最初は……何か強い野望とか、欲望とかで動いているのだと考えたわ。それを隠すために、そうやって極めて理性的に振る舞っているって。でも……やっぱりそれだけじゃないように見えたの。あなたは、──まるで」

 

真っ白な青年の瞳には、微かな光が灯っている。

 

「獣の様に、私を見るのね」

 

先民(エーシェンツ)はさまざまな動物としての特徴を有する。ブリーズの頭には狐耳が生えているし、尻尾もある。

 

だが、そういうことではないのだろう。

 

それは先民というより、ただの獣だった。

 

「不思議ね。あなたの中に──獣性とでも呼ぶべき暴力性と、ひたすらに理性的な冷たさが共存しているように思えてならないのよ」

「……そんな風に言われるのは、初めてだな」

 

それは、例えば狼や狐の爪や牙が、生存のためにしか使われないことに類似している、とブリーズは思った。

 

誰彼構わず傷つける訳ではない。満腹の獣は人を襲わない──縄張りでも犯さない限りは。

 

「それは鉱石病(オリパシー)によるものなのか、それとも時間の変化があなたを変えたのか……」

「両方さ、多分ね。鉱石病に罹れば、誰だって人生を変えずにはいられない。そして必ず感染したことを心から後悔する時が来る。少なくとも、一度は」

「あなたも?」

「どうしようもないことだが、思わずには居られない。非感染者に出来て、感染者に出来ないことがこの世界に一体いくつあるか……知らない訳ではないだろう」

「……感染者の受け入れを行なったのは、やっぱりエールなのね」

「そうだ。代償として、少々の面倒事(バオリア掃討戦)を押し付けられたが」

「なら、やっぱり運命なのかもしれないわね。入国が大幅に緩和されてなければ、きっと私はこの国には入れなかったと思う」

 

結局、エールが過去に追い付かれたのは自らの行いが原因だったという、それだけの話だ。

 

「だからこそ確かめなければならないわ。あなたが()()()なのか……」

「似たようなことを言われたな。だが僕のやることは変わらない」

「大切なことだと思うわ。答えて──あなたが理性ある人間なのか、良心ある獣なのか」

「……どちらも同じだ」

「あなたにはそう聞こえるかもしれない。でも私にとっては全くの別物よ」

「理性も良心も同じカテゴリーだ。だが良心が行動方針を決定する指標であるのに対し、理性とは目的を達成するための手段に過ぎず、同時に感情を内包しない。これが意味するのは、良心そのものは人を助けないということだけだ。意思というのは、それが実行されて初めて意味を持つ。そういう意味で言えば、良心というのは非常に優れている」

 

まるで自らに確認するような話し方だ。

 

問題なのは、とエールは続けた。

 

「他人との関係に際して、良心というものが極めて不確実である点に尽きる。その点理性は優秀だ。理性ある人との関係というのは、つまりは利害関係を一致させるか、或いは利害関係をお互いに了解することだ。この性質がゲーム理論にも似ているのは、根底的な部分として、人は自らの利益、または目的のために行動するという前提があるからだろう」

「そうやって他人を知った気になって安心したいのね」

「確かに安心と言い換えても構わないな。僕が欲しいのは保証だ。僕にとって理性が優れているのは、それに感情の入り込む隙間がない点だ。感情とは人らしさの証明だろうが……君はどうだろう。もし絶対に達成したい目標があって、しかしその目的の達成のために君の感情が邪魔をしたとしよう。そうだな……例えば、誰か大切な人が殺されたとして……復讐を考えない人間は稀だ」

「つまりある目的の達成のためには、感情が邪魔だって言いたいのかしら」

「……そうかもしれないね。こんなもの(心や感情)が無かったなら……人は、まだ楽園で暮らしていたのかもしれない。知恵の果実と引き換えにしたのは、果たして一体何なのだろう」

 

空の青さを見上げて、エールは呟いていた。

 

その様はまるっきり思想家のようだった。この街で暮らしているはずなのに、どこか浮世離れした様な。

 

まさか、いつもこんな暗いことばかり考えているのだろうか?

 

「っと……こんな話をしに来た訳じゃない。マイ・チー・ファン……彼女の容体を聞きに来たんだった」

「一介の兵士にわざわざ英雄さんが来るなんて、お優しいのね」

「……まあ、本当は部下(スカベンジャー)にでも任せようと思っていたんだが……。とにかく、一命は取り留めたのかな」

「山は越えたわ。後は……意識が戻ってくれるかどうか、ね。そんなに彼女に聞きたいことでもあるのかしら」

「ああ。そうだ、君にも聞いて置かなくては──彼女の傷は、どのようなものだった?」

「どのようなもの、って……」

 

思い出すのは大量の赤色。出血の酷さと傷の深さ。

 

「……どれだけ相手を苦しめようと思ったら、あんなことが出来るのかって……そう思ったわ。頸部から頭部に目立った傷は無かったの。でも腹部が酷かったわ──肉が抉られる様だった……」

「やはり妙だな」

「妙?」

「……確かに、戦いに置いて腹を狙うのはおかしくはない。単純に面積があるから狙いやすい……が、結局殺すのに最も効率がいいのは首から上だ。一撃で十分──……。やはり考え過ぎか?」

「ちょっと、何の話を──」

「彼女が目覚めるとしたら、最低でも何時間掛かると思う?」

「え、えっと……どうでしょうね、まあ今日中には目覚めないとは思うわ。明日の午後……どれだけ早くても、それぐらいまでは目覚めないと思うわ。あくまで私の予想よ、エール」

「わかった。ありがとう、それじゃ」

 

それだけ言い残すと、すぐに立ち去っていった。

 

「……何だったのかしら」

 

思想も行動も、まるで噛み合わない。むっとすることばかり言うし、あまり人の話を聞かない。けど──……。

 

もう少し、ここにいても良かったのに。

 

 

 




危機契約やってたら遅くなりました。
やっぱファウストくんは……最高やな(ヤケクソ)

・ブリーズ
なんか強い……強くない?
医療アーツって実際どうやって回復させてるんでしょうね……?
かわいい。

・理性
たりない


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1−0 昔日、狐が二人 中

やっとこさ現実の方が安定してきました。少しだけ更新頻度が上がりそうな……そんな気がする気がします。

──危機契約、お疲れ様でしたッッッッ

わかりにくいですが過去編の続きとなっております。本当に分かりにくいなこれ


「……なあ、あんた」

「あんた、じゃないわ。私はグレース・アリゾナという名前よ」

「どうでもいい」

 

あからさまな冷たさにアリゾナが感じたのは怯えなどではなく、むしろ憤りだった。

 

「良くないわ! 人のことはちゃんと名前で呼ぶものよ」

「下らない。いちいち人の名前なんて覚えてられるか」

「覚えなさい!」

「ちっ……うるさいな──お嬢様ってのはみんなこうなのか?」

 

お互いに、今まで出会ったことのないタイプの人種。同じ種族とは思えないほど、生まれも育ちもかけ離れている。

 

「グレースでいいわ。そうやって呼んでちょうだい」

「僕が人の名前を覚えるときは、それが必要な時だけだ。アリゾナお嬢様」

「私はあなたのこと、エールって呼ぶから。決まりね」

「おまけに話も聞かない……」

 

薄暗い部屋には似つかわしくない、奇妙な騒がしさ。

 

しかめっつらのまま、エールは階段を登って地下室から出ていく。慌ててブリーズもついて行った。

 

「どこに行くの?」

「……情報収集だ。面倒ごとはさっさと済ませるに限る」

「私もついていくわ。何か役に立てることが──」

「ないね。明日にでもここに来い。分かったことはちゃんと教えてやる」

 

ここまで徹底的に拒絶されると、いっそ清々しかったが……。

 

それでも、アリゾナには引き下がれない理由があった。

 

「お願いします。私も連れて行って」

「なんでそんなことをしなきゃいけない。余計な面倒を抱えたくない──この辺りがあんたを連れて歩いていても安全であるなら話は別だけど」

「私はこのスラムのことを何も知らないわ。だから知りたいの」

「なんで」

「私の──するべきことを知るために」

「……そうか。もう少し人と話す練習をした方がいい」

「それはこっちのセリフよ!」

 

冷たい足音を立てて、アリゾナは一階へ上がっていった。

 

カーペットも引かれてない無造作なコンクリートの部屋。空気が壁に冷やされてひんやりとしていた。

天井近くに備え付けられた窓一つから、昼間の日差しが差し込んでいた。

 

ぱっと見たところ、ここで生活しているようだった。大きめのソファが一つと、汚れたテーブル。貴族としてそれなりに裕福な生活を送ってきたアリゾナの目からでなくとも、清潔とは言えなかった。

 

薄緑の髪は、黒くくすんでいた。伸ばしっぱなしの髪は乱雑にまとめられていて、まるで野生で暮らしているようだと思う。

 

エールはアリゾナを放って扉を開けた。木材同士が擦れて軋む音。

 

当然のようにアリゾナはエールの後を追った。

 

「……着いてくるなよ」

「着いていくわ」

「着いてくるな」

「嫌よ」

 

濁った水溜りを踏む水音。ぱしゃん──エールはそんなことを気にしないが、アリゾナは避けて歩いた。

 

スラムは無数の細い通りから構成されている。ヴィクトリアにおいて行政が手をつけていない、半分放置されているような無法地帯。

 

スラムはその住人が一般区画へと進入してこないのを暗黙の了解として、その存在を黙認されていた──。

 

太陽の上っている時間帯、貧民街は大人しい。夜と昼でその形相をガラリと変える──アリゾナには意外だったが、貧民街といえどごく普通の店……例えば食料店や雑貨店などが開かれていた。

 

ブリキの看板が軒を構えるその中の一つに、エールは慣れた様子で入っていった。

 

「ベニー。居るだろ、僕だ」

 

おっかなびっくり後ろを着いていく。

 

なんの店なのだろう?

 

何かの店なのだろうが、棚ひとつない。小さな空間の向こうはスライド式の古びたドアがあるだけだ。

 

少しすると、奥から人影が現れる。その人物はエールを見ると苦笑いした。

 

「あんたか。どうした、女連れてるなんて珍しいじゃねえかよ」

「こっちは放っとけ。聞きたいことがある──お前のところに、黒い高級そうな杖は流れてきてないか?」

「杖? いや──知らねえなあ。探してんのか」

「ああ。”カモ狩り”で盗まれたらしい」

「ローザんとこでか。そりゃ確かに、俺んとこの管轄だ……けど、今んとこは来てねえ。もしかしたらスヴィンの方に流れてるかもな。最近はあっちの方に客が流れてる」

「そうか。何か分かったら知らせろ。邪魔したね」

 

アリゾナは結局、小さな店を出るまで一言も話せなかった。

 

「……何のお店だったの? さっきの彼は──」

「お前には関係ないし、別に知る必要もない」

「ちょっと、そんな言い方しなくたっていいじゃない! 教えてちょうだいよ」

「ち……。盗品専門の商店だ。表の方で盗まれたものは、大抵ベニーかスヴィンのところに持ち込まれる」

「そんな場所が、いえ……そんな商売が、成り立っているの!?」

「なんだ、意外か? 変な話じゃないと思うけどね」

「そんな……」

 

犯罪を前提に成り立つ商売。それはつまり一過性のものではなく、日常的に行われているということ。

 

聞いたことがないわけでも、全く未知なわけでもなかった。だがそれがまさかロンディニウム……栄光の街、王家のお膝元で存在しているなど、想像できる訳もなかった。

 

「あなたも、()()なの……?」

「何がそうなのかは知らんけど、僕はスリなんてみみっちいことはやらない」

「みみっちいって──……」

「いちいち説明するのも面倒だから先に教えておいてやる。僕はこの辺り一帯の用心棒もやっている。奴とはその繋がりだけだ」

「……そう、なのね」

 

貧困に追われると、生きるための手段は限られてくる。明日のパンにも困るようになると、強盗や盗みへの躊躇が無くなる。

 

貧民街にも、料理店や服飾店は存在する。だが犯罪への対策が必要になる。警察はスラムから表側に漏れ出す犯罪に対しては敏感だが、スラム内で起こる犯罪になど目もくれない。

 

よって、手段は限られる……自分の力で敵から身を守るか、あるいは対価を払って暴力を()()するか。

 

「いわば抑止力って訳だ。自慢じゃないが、僕の名前はそれなりに通ってるんでね。僕と繋がりのある場所を襲おうものなら、後で痛い目を見ることになる──そういう認識が、このシステムを成立させている」

「……まるで、警察のシステムそのものだわ」

「はっ! なんだ……案外分かってるじゃないか、あんた」

 

公衆から税という対価を受け取り、治安という報酬を支払う。同じように、何らかの対価を払って安全を買っている。

 

警察がスラムを守らないのは、税金が払われないからなのかもしれない。

 

しかしスラムの住人が表側へ出ることは許されない。もし華やかなロンディニウムの道を歩こうものならば、待っているのは投石から始まる排斥だろう。

 

金がなく、汚れている。一度落ちると、もう元には戻れない。

 

だが──金があるか、ないのか。

 

たったそれだけの違いで、スラムの住人は苦しみを余儀なくされている。同じ人間なのに──と汚れた少年は空を見上げて呟いた。

 

それを横目にアリゾナは歩いている。

 

実家から飛び出してきたままのアリゾナは、貴族を象徴するような服は着ていなかったが、それにしたって着ていたのは安物ではなかった。

 

微かに、服が汚れてしまうと思ってしまった自らを、アリゾナはきっと許すことが出来ないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局その日、収穫はなかった。

 

それはアリゾナの依頼に関してもそうだったし、エールが抱えている他の仕事に関してもそうだった。

 

端的に表現すれば、アリゾナが邪魔だった。

 

「……なんでお前、まだ居んの。帰れよ」

 

ぎくりなんて音が聞こえそうなほど、アリゾナは気まずそうに笑った。

 

「お、おほほ……」

 

というのは、行く宛がない────。

 

ホテルか何かに泊まろうと思っていたのだが、いつの間にか財布が無くなっていた。

 

「お前、まさか……それもスられたのか」

「い、いいえ? ち、違うわよ?」

「……見逃さなきゃよかったな」

 

まあ確実にスられるとは思っていた。今度は多少用心しているだろうと思ったし、別に貴族のボンボンにはいい気味だろうと片付けていたが……。

 

どこかで気を抜いたのだろう。エールが気にかけていたのはアリゾナ自身に加わる危害のみで、別に小物ひとつなんてどうでもよかった。

どうでもよかったのだが……。

 

外は暗い。

 

昼間外を散々見てきたアリゾナは、スラムの危険さが流石に理解できていた。

 

「……お前、行く当てあるの」

 

下手くそな口笛が返答の代わりとして、微妙な空気の空間に響いた。

 

「……ここ、泊めてくれないかしら?」

 

絞り出すような一言は、どう考えても正気ではなかった。

 

「あんた貴族なんだろ。その辺の繋がりとかないのか?」

「うっ……今、家出中なのよ……」

「家出……? 他に止めてくれるようなヤツに心当たりは」

「いないわ……」

「ここは僕が拠点として暮らしている場所だ。お前……それがどういう意味かぐらいは分かってんだろうね」

 

単純な話──男と女が2人だけで、同じ家で夜を過ごすことの意味は、そう多くはない。

 

アリゾナとて、それくらいはわかっていた。

 

「……いえ、やっぱり……やめておくわ」

 

冷や汗を流して、出口の方へアリゾナは歩いていく。やっぱり怖くなったので出て行こうとしていた。

 

「まともそうで何よりだ。だが──明日の朝までちゃんと無事に過ごせるんだろうね。お前の依頼は続いてる……別にそこら辺で襲われたって僕の知ったことじゃないが──」

「うっ、うるさいわね! いいわ、どうにかなるかもしれないじゃない!」

 

乱暴に閉じたドアの向こう、夜が迫っている。

 

それを見届けて、エールは疲れたように息を吐き出した。

 

まあ間違いなく無事じゃいられないだろう。特に夜の入りにかけては物騒になる。

 

女の一人歩きは、腹を空かせた狼の前を羊が横切るようなもので、無事では済まない。特にあんな裕福そうなお嬢様などは一発で──。

 

──だから、何だ?

 

別に何を気にすることもない。

 

あの警官のおっさんが多少やかましいかもしれないが、それもどうでもいい。

 

あんな連中は僕の利益に何も関わりがない。生きようが死んでようが、こっちに迷惑をかけない限りどうでもいい。

 

さっきはああ言ったが、本心では依頼など流れてしまえばいいと思っている。何も利益などないのだ。

 

少し目を離した隙に行方が分からなくなってしまった、とか。丁度いい状況もあることだし。

 

──さっきから、誰に言い訳しているんだ?

 

最初見た時から……本当に、胸がざわめく。

 

イライラさせる女だ。力もないのに、妙に知りたがりで、スラムの様々な面を見ては勝手に衝撃を受けたような顔をする。

 

何も出来ないくせに、自分には何か出来ると思っている。

 

それは思い上がりだ。

 

それを知っている──本当の意味で、人は何かが出来るなんてことはありえない。少なくともこんな場所で、何かを生み出したり、守ったりすることなどない。

 

一体あの女に何が出来るだろう?

 

まるで、何かの使命でも帯びたような面だが、大切な杖は盗まれるわ財布は取られるわ……馬鹿で間抜け。

 

だというのに──なぜ、僕はまだあいつのことを考えているのだろうか。

 

好きか嫌いかで言えば間違いなく嫌い。そもそも貴族は嫌いだし、役立たずは嫌いだし、邪魔をする奴は嫌いだし、偽善者は嫌いだ。本心から正義を信じているような奴はもっと嫌いだ。

 

なのに、どうして────。

 

どうして、重なるのだろう。

 

遠い記憶、彼女の笑顔が────まだ、脳裏に焼きついたまま。

 

アリゾナの顔が、思い出させる。

 

──思い出すな。

あの甘ちゃんは間違いなくどこかしらで襲われる。そして助けられるようなこともないだろう──ここは貧民街、適当な連中の欲望の捌け口にでもされ、最後にはどこかに捨てられる。

 

だから、どうでもいいんだから……考える必要なんてない。

 

誰が生きようが死のうが、どうでもいいのだから────。

 

なのに、どうしてだ────。

 

まとまらない感情と理屈が、自分でも分からないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕日の赤が青い闇に消えて行って、街灯も灯らないような道は不気味だったが、引けに引けない状況というのが今。

 

ずんずんと進んでいくが、無論目的地などない──。だが何となく、貧民街を抜ける方向へと向かっていた。

 

点滅する街灯が、無数の暗闇を生み出していた。

 

視界の端には黒い人影がいくつもあるような、ないような。

 

アリゾナは怯えを隠すように早足で歩いて行く。

 

──ふと、物が倒れる音がしてアリゾナは振り向いた。

 

乱雑にガラクタが捨てられている壁に、ちょうど人間大の影が立っていた。だがよく見ていると、ビニールシートが盛り上がっているだけで、誰がいる訳でもない。過剰な怯えと緊張がそう思わせるだけだ、と結論づけて、ほっと息をつく。

 

早く貧民街を抜けよう──と思い直し、去ろうとするが。

 

「────ん、んん……っ!?」

 

背後から顔に布が巻かれて、視界と声が一気に奪われる。息が出来ない。

 

「──っ! ん、────っ! っ!」

 

当然必死で抵抗するが、あっさりと担がれて、その誰かは素早く走り去ろうと──。

 

くぐもった悲鳴はどこへも届かない。ましてこの暗闇、スラムの住人とて危険であるため出歩かない。

 

誰も助けてくれる人はいない──。

 

その中で、必死に体を動かして抵抗した。それが上手くいったのか、アリゾナの体は何者かの肩からずり落ちて、地面に衝突。

 

顔を覆う布を乱暴に取り払うと、眼前にはやはり人。暗闇が表情を覆い隠すが、身なりからしてそう上品そうには見えなかった────すぐに、押さえ込んでいた感情が頭を出す。

 

恐怖──怖い。

 

地面に落ちた時の痛みや、嫌に静かな周囲の状況、そして明らかに大きな体格。

 

これから自分がどうなるのか。

 

言葉は出てこなかった。手を伸ばせば届きそうな距離で、男は沈黙を保っている。

 

擦りむいた足に力を込める。上手く動いてくれるだろうか。

 

……逃げるのよ、グレース・アリゾナ。怖がってないで、逃げるの。

 

不意をついて走り出す。方向は今までと真反対。

 

必死に、これまで生きてきた中で一番速く足を動かす。前へ、前へ──逃げ切らないと。

 

だが現実というのは嫌にあっさりとしていた。それに思い出す。アリゾナは、運動神経があまり──いや、全く良くなかった。

 

慣れない全力疾走により、足場の悪さも相まって派手に転倒。肌を擦りむく鋭い痛みが現実的だった。

 

……こんな時に、どうして私はドジっているのだろう。

 

きっとこんな場所へ来るべきじゃなかったのかもしれない。あの憎らしげな青年にも散々嫌味を言われてきた。お嬢様は平和な世界で暮らしているのがお似合いだとか。

 

本当はわかっている。この道は困難だ。家を出たのなんて、人から見れば愚かの一言では言い表せないほど馬鹿な行為だって。

 

ずっとあのまま、窮屈だが平和な日々を過ごしていた方がよかった。そんなことは分かっている。だが──。

定められたような日々、正しいと認められない貴族の掟、両親の厳しい表情。

 

──そんなものが本当の人生だと認められなかったから、家を飛び出してきたのではなかったか。

 

倒れたまま後ろを振り向くと、暗闇の中で男は笑っていた。にちゃりとした、気色の悪い口元が見えた。

 

「……あなたなんかに、私をどうすることなんて出来ないわ」

 

負け惜しみではない。だが暴力なんかに屈したくもなかった。この世界で最も有力な手段であるが、最も下劣なもの。

 

アリゾナの肩に手を伸ばすその男を、アリゾナは最後まで睨み付ける──────。

 

ふと、夜の風がアリゾナの髪を微かに揺らした。

 

「ああ────クソッ!」

 

乱暴に叫んだ声には聞き覚えがある。あの青年だ。

 

背後から疾走するヴァルポの青年が、勢いのまま男の顔面に右膝を叩き込んだ。

 

「……え?」

 

よろめく人影にエールは畳み掛ける。側頭部、鳩尾────瞬く間に急所へ拳を叩き込む。

 

遠い記憶の、その姿が──重なって、目を疑う。

 

鳩尾を抑えてうずくまった男の首の裏──脳髄へ肘を叩き落とすと、男は地面へ伏した。

 

エールの鋭い目がアリゾナを捉える。

 

「……助けて、くれたの?」

 

まるで何かに苛立っているようだったエールの表情は、アリゾナを見てさらに歪んだ。

 

「クソ……僕は何をしてるんだ────」

 

呟いた言葉は小さかったが、アリゾナの耳にしっかりと届いた。

 

それから呻く男を乱暴に掴み上げて、八つ当たりでもするように投げ飛ばした。それは細い体には見合わない腕力で、男は壁にぶつかって鈍い音を生み出す。

 

それからまた静かに、男の方に近寄って見上げた顔を蹴り飛ばす。

 

明らかにやりすぎだ。アリゾナの目からしても、力の差は明らかだった。

 

「ち、ちょっと──やりすぎじゃない!?」

 

駆け寄るが、アリゾナを見返す目は冷たいままだ。

 

「……お前、さ。こいつに何されそうになったか……分かってるのか?」

「分かってるわ! けど……」

「──けど、なんだ。いいか、この類のクズに容赦なんていらない。攻撃には報復を──それこそ二度と手を出そうなんて思わない程の暴力、或いは……さっさと始末してしまうか、だ」

 

男はまだアリゾナを視界に入れて笑っていた。気色の悪い口元で、懲りていないような。

 

「それがお互いのためだ。こいつも手を出しちゃいけないヤツが誰だかわかるし、お前は面倒を抱えなくて済む──それとも、このクズに大人しく襲われていた方が良かったか? もし邪魔したら悪かったね」

「暴力は……新しい暴力を生むだけよ」

「……襲われかけて、よくそんな眠たいことを言ってられるね。それは優しさか? それとも正しさとかいうものか? もし僕がここに来ていなくても、お前は同じことが言えるのか?」

「……っ」

 

言葉に詰まった。

 

それは一つの観点から見て、正しい言葉で、正しい考えだ。

 

身を守ること。そのために手段を選ばないこと。

 

しかも、守ってもらった身で──何を図々しいことを言っているのか自覚している。けど──。

 

「けど……”それ”じゃ、何も変わらないじゃない────……」

 

平等でない世の中において、むしろ持っている側に立っていたにも関わらず、アリゾナはそれを良しとしなかった。

 

それはただの言葉だったが、エールの動きを止めた。

 

「──────。なら……」

 

懐から取り出したナイフのカバーを外し、白銀に輝く刃を男の喉元に当てる。

 

「お前、大人しくしてろよ──もし暴れたら、うっかり殺してしまうかもしれない」

 

ぐったりと壁に倒れる男は、いまさら抵抗する気もなかったが──。

 

「お前の答えを聞かせてみろよ。こいつに下す判決を聞かせてみろ」

 

夜の空に、微かな月明かりが雲に隠れて光が消える。

 

暗闇の静けさが、まるで自らを押しつぶそうとしているようだった。

 

「……どういう意味、かしら」

「分からないか?」

 

意地の悪い笑いが、暗闇の中に見える。そして光のない瞳が、見えないはずなのによく見えた気がした。

 

「このクズを生かすも殺すも──僕はお前に問いかけているんだよ。この男の罪がどれほどのものなのかは、お前が決めろって……そう言っている。さあ答えろ」

「え────」

「見逃すのもいい。この男の”良心”と”理性”を信じ、再び同じことをしないと信じるのもいい。だが面倒だから殺してしまうのもいい。まあ僕なら……指の二、三本でも切り落とす程度で済ませるかな。”一度目”はそれで済ます」

 

言葉を失ったまま、アリゾナは呆然とする。

 

心の準備というか、突然そんなことを言われても──どうすればいいのか、分からなかった。いや──そもそも時間を与えられても、難しい問題だろう。

 

「……法の、下で……裁かれるべきよ。……人が、人を裁くなんて……身勝手なことだわ」

 

絞り出すような答えを受けて、エールは白けた。不機嫌に顔を歪めて、ナイフを男の首から外す。

 

「結局それか。いいか? そもそもこの貧民街は法律による保護を最初から受けちゃいない。生命の保証、財産の自由──何一つ、この場所には与えられていないんだよ。法で裁かれる人間は、法の下で暮らしている人間に限るだろう。さもなくば法律などただの暴力装置だ。この男も……この国の刑罰に従う義務などない。まあ、このクズがスラムの住人でないなら話は別だが、生憎とそうは見えない」

 

思考を巡らせる。

 

不意に、壁へ倒れたままの男が口を動かす。

 

「……た、助けて、くれ。頼む────」

 

言葉を聞いたエールが乱暴に男の顔面を蹴り飛ばした。地面に倒れて呻く。

 

「命、だけは……頼む、頼む……」

 

さっきまでにちゃりと笑っていた男の顔色は、いつの間にか怯えに染まっていた。

 

「ほら見ろよ。これが人だ。勝手で汚れた動物だ。なあアリゾナ、お前はこのクズに怒りや憎しみを覚えないのか?」

「……だったら、どうして私を助けに来てくれたの?」

 

そんな言葉を吐くくせに、結局助けに来ている。それはちぐはぐな行動だ。

 

「……質問を質問で返すなよ。今は僕が聞いている。さっさと答えろ──それとも、お前は答えられないのか?」

「間違っているのは、この社会のシステムよ──本質的には……きっと、スラムそのものは悪ではないのよ」

「綺麗事だな。事実だとしてもなんの役にも立たない。それに、このクズの犯した罪を帳消しには出来ない。他人任せにしてないで、お前が決めろよ。言え……さっさと示してみろ。どうなんだ、グレース・アリゾナッ!?」

 

──なんだ。

 

名前、覚えているじゃない。

 

「もう十分、痛みは与えたわ。あなたが代わりに与えてくれた。だからいいわ。その人を離してあげて」

「……。それが答えでいいの?」

「ええ」

 

それから、アリゾナは寂しそうに微笑む。

 

「今の私には……あなたたちを、そこから救うことは出来ないわ。ごめんなさい」

 

月下に照らされる儚げな口元が──重なるのは、あり得ないことだ。そのはず──似ても似つかないはずなのに、どうして連想させる。

 

「どうして謝る……」

 

この国の貴族の一員として、腐った現状をどうにもすることができないから、とか──助けてもらったことの分とか、色々あったが。

 

「……なぜかしらね。私も、分からないわ」

 

怒りとも悲しみともつかない表情をするエールを見て、初めてアリゾナは理解できた気がした。

 

自分とは全く違う人種だったし、まるで理解できる気はしなかったが。

 

自分と同じ、ただの人間だということに、アリゾナは今更気がついたのだ。

 

 




・エール
この頃は誰かから奪い取った家で暮らしている。治安が悪い男。ツンデレ(?)
暴力! 暴力! 暴力!

・グレース・アリゾナ
古臭い貴族の掟にうんざりして自分探しの旅に出かけ中。無事ろくでもない目に合う。
かわいい。

・スラム
とりあえず主人公の出身スラムになりがち。
便利な設定だからね、仕方ないね

今更ですが、評価感想、ここすきなど歓迎しております。評価とかもらえるとモチベになります。よろしくお願いします


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1096年7月18日:目(くらま)く -1


なんかイベント来るので初投稿です
とても楽しみです




「スカベンジャー」
本名不明。
レオーネに在籍しているが、実質的には僕の私兵という部分がほとんどだ。直属の部下としてはかなり優秀。基本的にこちらから裏切る、または裏切らせるような状況でも作らない限り信用はしていい。個人的な心証としては、非常に使いやすい人材。特に金で動く部分が好みだ。

単独戦闘能力は優秀、ただし部隊行動には難あり。彼女をトップに据えた特殊工作部隊の設立計画を練っていたが、彼女がレオーネを去ることになったため一旦中止。

それは仲間達に出会う前の自分を見ているようだった……なんか、最近そういうのばっかだな。

だが彼女が昔の僕に似ているというのなら、いずれ心の底から信頼できる誰かに出会うかもしれない。僕がそうだったように。

その時初めて、彼女は誰かと生きることの意味を知るだろう。

────表題のないノートより抜粋。



上層部の意向というか、作戦の趣旨上仕方のないことではあったのだが、負傷者の数は多かった。

 

その中で、死者の数が少ないことが唯一の幸運だったというべきか。それとも死者が0人でないことを嘆くべきか。

 

いずれにせよバオリア軍病院の忙しさと重要性は、他のどの仕事場と比較しても抜きん出ていた。特に掃討戦が始まってからは。

 

ブリーズも目を回しそうになっていたが、持ち前の気丈な性格ゆえひたすらに処置を行い続けている。

 

「今から破片を摘出するわ──痛いでしょうけど耐えなさい!」

Угу(うぐっ)、Б……──Больно(痛い)!!」

 

足を貫いている木の破片を一息で、しかし慎重に────。

 

実際はもっとやり方がある。しかし患者の数が多すぎるし、医者の数は少なすぎる。

 

「消毒して縫い合わせるわ──って、言葉が分からないのに言っても仕方ないわよね」

Не больно(もっと丁寧にやってくれ)Это слишком больно(死んじまう、痛ぇ)!」

「それだけ叫ぶ元気があれば大丈夫そうね──」

 

ウルサス語は微かに齧ったことがあるが、相変わらず何を言っているのかさっぱり分からない。1日で投げ出した。

 

北部の人々はウルサスの植民地時代の影響を受け、未だにウルサス語を公用語として使っている。南部が使う共通語も通じなくはないが、メジャーではない上に長い年月が言葉を変え、お互いに酷く訛って聞こえる。

 

つまり、まともなコミュニケーションはできなくはないが非常に難しい──。ウルサス語を理解しないのであれば、の話だが。

 

「ブリーズさん、追加──重傷者です、すぐに処置を!」

「こっちの処置が終わるまで待って頂戴、最低限の処置を済ませてから行くわ!」

 

先日の手術の噂が広まり、入って三日目の新人軍医(ブリーズ)は非常に頼られていた。実際処置の手際や技術は高度なもので、ブリーズが持ち込んだ医療品やアーツ雰囲気による医療補助は有効だった。

 

「〜〜〜〜っ!!」

 

歯を食いしばって耐える兵士に手早く医療を行う。ヒーリングアーツも展開しているが、アーツを連続使用しているために疲労感も強い。

 

だが命には変えられない。ブリーズは日中の勤務時間だけでは治療しきれない患者のため、明らかに働きすぎだが夜勤の予定まで組んでいた。

 

「また後で来るわ。今はそこで大人しくしてなさい」

 

荒い息を繰り返す兵士にそう言い残してブリーズはユーロジーを掴んだ。

 

今日は異常に患者数が多い。

 

聞いた話では、バオリア掃討戦の戦闘が激化しているらしい──。

 

白い青年の顔を連想する。

 

いや、今は目の前のできることをしよう。

 

Гребаный ублюдок южный солдат(クソッタレの南部兵どもめ)!」

 

ベッドが足りないためにそのまま床に寝かされた兵士のうちの誰かが叫んでいた。この喧騒のためにブリーズたちまで大声で喋らなければならなかった。

 

Не должно было(こんな目にあうんなら、) приходить на войну(戦争なんて来なきゃよかった)……」

 

別の誰かがそう呟いている。彼の足は片方無くなっていた。何を喋っているかは分からなかったが、何を言っているのかは大体わかる気がした。

 

「……今度会ったときは引っ叩いて、引き摺り回してあげるわよ、エール」

 

それはもう、思いっきり。

 

 

 

 

 

 

 

 

1096年7月18日;目(くらま)

 

 

 

 

 

 

 

 

────長い眠りから目を覚ました感触は、なんだか窮屈だった。

 

倦怠感だろうか。体が固くて、伸びをしようとすると──強烈な痛みが腹部を襲う。

 

そうだ、思い出した。

 

「……戦闘があって、それで────私……、」

 

戦闘中の記憶がほとんどない。でもそれはいつもそうなのだ。極度に緊張していると、いつも無我夢中になって、終わった時はあんまり覚えていない。

 

珍しいことじゃないそうだ。いずれ戦いに慣れてくるとなくなる、と言われていた。

 

まあ、殺し合いに慣れる頃には……そんなこと、どうでも良くなっているかもしれないと思ったものだが。

 

でも、だんだん思い出してきた。

 

手練れ──と分かるほど戦闘経験は長くないが、とにかく潜んでいた北部兵の中に精鋭が混ざっていた。

 

厳しい訓練を耐え抜いてきたとはいえ、戦闘経験は半年にも満たない。

 

自覚しているが──仕方ないことだ。戦うと決めて、戦った。そしてまだ死んでいない。それで十分だと思う。

 

でも────。

 

「……あの人、あの武器……──。やっぱり……」

 

他のみんなは無事だろうか?

 

独り言は静かな空間に消えていった。

 

小さな部屋だったが、他に誰もいなかった。自分1人だけ──廊下の向こうからでさえ。

 

窓の外は暗い──建物の影がだんだんと強くなる。

 

あれから、どれくらいの時間が経ったのだろう。

 

「目が覚めたか?」

 

窓の外を見ていると、後ろの方から突然声がしたので驚いてそっちに振り向いた。

 

「……スカベンジャー? どうして、ここに──」

 

電気のついていない暗い部屋の中に、紛れ込むように佇んでいた。

 

いつもそうなのだろうか──まるで、人目から逃れるようにして。

 

「……さあな。妙な雇い主を持つと……面倒だからかもな」

 

珍しく、自嘲するような声色で──皮肉げな言葉ではなく、どこか優しく。

 

「あ、もしかしてずっと、居てくれたの?」

「……別に、さっき来ただけだ。寝ていたから帰ろうと思ったら、ちょうどよくあんたが目を覚ました」

「そうだったんだ──ね、スカベンジャー。今、何時?」

「午後6時だ」

「そっか、昼間からずっと眠ってたんだね」

「いや……昨日からだ」

 

静かな声。

 

じゃあ一日以上眠り続けていたということになる。そんなこと、本当にあるんだ──それが正直な感想。どこか他人事で、乾いた驚き。

 

「……戦況は、みんなはどうなったの?」

「お前のいうみんながどうかは知らないが、戦況など心配するようなものじゃない。元から、象がアリを踏み潰すような話だ。ただその過程で、少しアリに噛みつかれたみたいだがな」

「……そうだよね。うん」

「ただそのアリ一匹に、この一人部屋は大きすぎる」

 

掃討戦の方策が原因となり、病院には負傷者が溢れかえっていた。

 

敵兵の投降は原則として受け入れ、負傷者は治療する。

 

「戦って、傷付けて。そして投降すれば、傷付けた張本人が傷を治す。おかしな話だが、おかげで病院(ここ)は繁盛しているらしい。……その中で、ただの一兵卒に過ぎないあんたが一人部屋に放り込まれている。そのデカいベッドにな」

「……怪我人が、大勢いるってこと?」

「ほとんどは北部兵らしいがな。元から森林に潜んでいた北部兵は前の防衛戦での逃亡兵だ。戦うことから逃げた連中が、まともな補給もない中で戦えるほどレオーネは甘くはない」

 

ふと、気になって口を挟む。

 

「あなたも、掃討戦に参加していたの?」

「私は私の任務をしていた。それだけだ」

「答えてくれないの?」

「……あんたには、関係のない話だ」

「そればっかりだね、スカベンジャーは」

 

────少し。

 

仕方なさそうにはにかんだミーファンの髪が、風に揺れる。

 

開けっ放しの窓から、生ぬるい風が吹いてきていた。夜が来る前、暑さは少しだけ鳴りを潜める。

 

スカベンジャーは、どうしようもなく思い出さずにはいられなかった。思い出すのも嫌になる、無力で愚かだった頃の記憶──()()と共に居られるだけの力がなかった、弱い自分を思い出す。

 

その笑顔や雰囲気は、本当に()()にそっくりで。

 

「ちょっとくらい、教えてくれてもいいじゃん」

 

本当に嫌になる。

 

「ただの兵士が知るべきことじゃない」

「──……あのね」

 

意を決したように顔を引き締めて、少しの勇気を出して、ミーファンは口を開いた。

 

「もしも、あなたの任務が私の想像通りだとしたら……きっと、私に関係があるよ」

「……何?」

「あなたの任務は……リン・ギ・ファン──お爺ちゃんに関係している?」

 

ずっと仏頂面を保っていたスカベンジャーも、この時ばかりは驚きを隠すことが出来ない。

 

「お前、まさか……リン家の人間なのか?」

「少なくとも、生まれはそう──確かに、お爺ちゃんの……リン家の血を引いてる」

 

黙って続きを促す。

 

レオーネに入って、誰にも話すつもりのなかったことでも、なぜだか話すことに躊躇はなかった。

 

「お母さんは私を産むときに死んで、お父さんは原因不明の事故に巻き込まれて死んだの。でも問題になったのはお爺ちゃんの後継者──次のリン家当主の座。元々はお父さんが継ぐはずだった。でもお父さんが死んで──って、まあそんなに珍しい話じゃないよね」

 

原因不明の事故というのは、ある工場で起きた倒壊に巻き込まれ、死亡した。死んだのは父一人だけ。原因は構造上の欠陥とも言われているが、設計図が紛失しており、詳細は不明のまま。

 

本当にただの事故だと思うほど、ミーファンは馬鹿ではなかった。だができることもなかった。

 

「……私は、そんな世界が嫌だった。戦況が悪化し続けている中で、ひたすらに権力闘争に明け暮れている貴族の世界……信じられる? 内輪で揉め続けて、それが終わったら今度は他の貴族と争い続けて。攻めてきている北部なんて眼中にないみたいに、ひたすら……」

父のことを誇りに思っていた。

 

他の貴族とは違って、誇りと信条がある人で──力あるものの責務(ノブレス・オブリージュ)を口癖としていた。

 

思えば、祖父と父はいつも喧嘩ばかりしていたように思う。

 

「だんだんと……おかしくなっていったよ。決定的だった──何度もお爺ちゃんに言ったんだ、貴族として本当にやらなきゃいけないことを忘れてるって。でも……いずれお前にも分かる時が来るの一点張りだった」

 

幼い頃から、祖父には可愛がられてきていたと思う。リン家当主といえども、孫は可愛かったのだろうか。

 

「……おかしいことだらけだった。きっかけは多分、お父さんが死んでからだと思う。あの時から内戦は一気に傾き始めた──……ツアグァ、ホークン、シャンバ、クロッカ……そしてバオリア。アルゴンを除く全ての都市が、瞬きをする間に占領されたんだ。一年も掛からなかったよ。それまでの平衡状態が嘘だったみたいに、本当に一瞬で──」

 

それは、全て──。

 

「私は、それら全ての裏に何かが隠されているとしか思えなかった。お父さんは死ぬ直前、お爺ちゃんたちがやろうとしていたことにずっと反対していたよ。詳しいことがなんなのかは、結局誰も教えてくれなかったけど……何かとても重大なことがあったんだと思う」

 

まるで懺悔でもするようだと、自分でも思うのだ。

 

何も知らず、何も出来ず……ただ傍観することしかできなかった自分の罪。

 

「リン家の力は、本当に強いの。バオリアだけにとどまらず、南部全体に働きかけるほどの権力を持っていた──だから想像しちゃう。戦況の悪化には、お父さんの死が関係しているんじゃないかって。全部そこから始まったんじゃないかって……」

 

そこでふと、ただ黙って聞いているスカベンジャーに気がついて、慌てて言う。

 

「ご、ごめんね? 突然こんなこと言われても、困るよね」

「……別にいい。続けてくれ」

「……うん」

 

ずっと話を聞きながら思考しているスカベンジャーを見て、ミーファンは少しだけ安心した。

 

同情や怒りや悲しみを見せず、ただありのまま話を聞いてくれるから。

 

それは、とてもありがたいことだった。

 

「少し話は変わるけど、次の当主になるはずだったお父さんが死んじゃったから、誰が次の当主になるのかを決めなきゃいけなかったの。お爺ちゃんはかなり歳を取ってたから、代替わりしなきゃいけなかったし。お爺ちゃんの意向としては、私を当主にしたかったみたい。女性が貴族の当主になるなんて前代未聞なんだけど……本家の血筋を引くのは、もう私しか残っていなかったから」

「……リン家ほどの大貴族に、そんなことがあり得るのか?」

 

貴族の血筋は大切に保護される。さまざまな婚姻、分家制度──血を絶やしてはならない。血筋は争いの元となる。特に血筋に関わる騒動で、どれだけの家が滅びたことか。

 

そうさせてはならないため、一夫多妻制度を取る家は少なくない。だが────。

 

「……内乱が激化し始めてから、テロや戦乱に巻き込まれたり、原因不明の事故に遭って、本家の血を引く人がどんどんと死んでいった。私はその最後の一人ってだけだよ」

 

──次々と死んでいく親戚たちを見て、怯えがないわけがなかった。次に殺されるのは自分かもしれない。

 

「結局身内争いか?」

「……多分。今のリン家はお爺ちゃんの腹心でノースの代表をしてる……ハノルっていう人が大体を仕切ってるの。それまでいろんな利権とか、権力を握っていた人たちが死んじゃって、いろんな地位が空白になったんだけど……そのほとんど全てに関わるようにして、ハノルは急激に力を手に入れていった」

 

その手腕と能力故に、ハノルはリンに気に入られている。

 

そもそも、ハノルは孤児で、リンの気まぐれによって拾われてきた子供だった。

 

「……お前に、いくつか聞くべきことがある」

「うん……なんでも話すよ」

「一つ目、ハノルとか言う奴の目的はなんだ」

 

その言葉を聞いて、ミーファンは思い出す。

 

ハノルとミーファンはほとんど年が変わらない。幼いころ、祖父に拾われてきたハノルの、子供ながらに餓えた瞳。

 

幼い頃はよく一緒に遊んだものだが、レオーネに来てからは話したことはない。

 

「……本当はどうなのか、分からないけど──ハノルはずっと力に拘っていたの。元々戦争孤児──両親を戦争で失ってる。だから力や権力を求めているんだと思う。南部軍が崩壊して、貴族の元にある軍隊が消滅して……そして、レオーネが現れた。だから……きっと、レオーネの軍事力が欲しいんだと思う。それはきっと、貴族としてとかじゃなくて……個人的な支配欲とか、名声とか──そういう欲望に基づいているの」

 

父が死んだ、とハノルに話をしたことがあった。

 

その時のハノルの口元は笑っていた──幼馴染は変わってしまっていた。

 

父を殺したのはハノルかもしれないと疑った。それから、ミーファンはハノルに対し距離を取るようにした。

 

もしも本当に父を殺したのがハノルだったとしたら、きっとどうしようもない憎悪に駆られてしまうから。

 

それでも、仲がよかった時もあった。だがその記憶も嘘になるかもしれない──いや、もう嘘になってしまっているのかもしれない。

 

「レオーネの軍事力を手に入れてどうする気かは分からない。でも……この戦争はどこかおかしいの。ハノルがレオーネを手に入れても、この戦況が改善されていくとはどうしても思えない」

「……だったら、どうしてあんたはレオーネに来た」

 

貴族としての地位を捨てて、ただの一兵卒として戦うことを選んだのは。

 

「私は、貴族としてのいろんな謀略とか、そういうのは何も分からない。ハノルみたいに優秀じゃなかった……けど、この国のことが、私は好きなんだ。もう何かに利用されたくなかったし、この国のために何かがしたかったの。そんな時──エールさんの言葉を聞いた。バオリア解放宣言……ラジオとかで、大々的に流れたでしょ? あの言葉」

 

その時点ではスカベンジャーはそもそもエクソリアにいなかったため、せいぜい噂でしか聞いたことはない。

 

なんだったか。

 

「生きている限り、そのための代価を払わなければならない。だから戦えって──あの人は、この国のために戦うとは口にしなかった。ただ代価のために戦っている──だから、私はレオーネに入ったんだ。貴族としてじゃなくて、ただの人間として戦おうと、決めた……んだけど、でも」

 

一人部屋の病室を見回して、苦笑いした。

 

「医者の中に、私が貴族だって分かる人が居たのかな。こんな部屋──他の人たちに申し訳ないよ」

「……二つ目の質問だ。源石(オリジニウム)鉱脈に関して、知っていることを話せ」

「え? えーっと……確か、少しだけ聞いたことがあったかな……。3、4年くらい前、バオリア西部の山間部……だったっけ、そこに源石鉱脈がー、とか聞いたようなことがあるけど……その後のことは分からない。お父さんが死んだのがその時期と重なってて、それどころじゃなかったんだ」

「……3、4年前、だと?」

「? うん、確かそのくらいだったと思う。あ、これってもしかして重要な情報?」

「……それは私が決めることじゃない。だが……」

 

珍しく、スカベンジャーは歯切れ悪く言う。

 

「……なぜ、私にそれを話した」

 

その言葉を聞いて、ミーファンはなぜだか──怯えているようだと思った。

 

「──私ね、ずっと貴族として生きてきたから……あんまり友達とか、本当に信じられる人とか……居なかったんだ。普通の子たちと同じように遊んだりとか、学校に通うことが出来なかったし、信用は出来る人はいても、信頼できる人は居なかった」

 

本音や本性は隠すものだ。

 

飾って嘘を纏う。そうでなければ、馬鹿を見るだけ──誰しもそうなのだろう。この世界で生きている限りは。

 

特に、貴族の中で生きているとそういうふうに染まっていく。好む好まざるに関わらず、貴族としての自分をいくら嫌おうと、貴族みたいになっていく。

 

自分を守るために、だんだんと──何より嫌っていたものに染まっていった。

 

「レオーネに来て……仲間達と一緒に戦うようになって……不謹慎かもしれないけど、私は意外と充実していたんだ。でも……みんなの暮らしてきた厳しい生活とか、環境とかの話を聞いて……ずっと後ろめたかった。申し訳なくなったんだ……私はどれだけ恵まれていて、もしかしたら何かを変えられる立場にいたかもしれないって」

 

お金が無くて、狭い一部屋に家族ごと暮らしていた人や、一日に十二時間以上働いて体を壊しかけた人の話を聞いた。

 

「……でも、私はきっと利用されるだけなんだと思う。掃討戦で私の部隊が戦った敵──あれは、きっと北部兵じゃなかったかもしれない」

「なに……?」

「格好とか、雰囲気は誤魔化してたけど……他の人たちと違ったんだ。他の兵士はずっと森の中にいたから疲弊していて動きも鈍かったし、戦うのも積極的じゃなくて、投降する兵士もたくさんいたの。でも、全然そうじゃなかった。明らかに気力があって……強かったんだ。それに私の気にし過ぎじゃなかったら、多分……私を知っていたと思う」

 

そして、自らを狙っていた──それは警告だったのだろうか、或いは始末が目的だったのだろうか。

 

「戦ったのか?」

「うん。でも……激しい戦闘になって、傷を負って……それから、気が遠くなって、今目が覚めたんだ」

「……仮に、あんたが戦ったというその兵士が、森林に逃げ込んでいた北部兵でなかったとするなら……その目的は、確かにあんたに関係している可能性は高いだろう。だが、殺害が目的じゃないだろうな」

「分かるの?」

「あんたが今生きているのが何よりの証拠だ。殺すつもりなら、やりようは幾らでもある。だがそうはしなかった。だが私の印象的には……もしかしたら、殺しても構わなかったのかもしれない」

 

特に、首から上に傷がないのが怪しい。

 

そういうことに覚えがあった。

 

「偶にあるんだがな。殺しても、ちゃんと顔が分かるようにしろとかいう面倒なオーダーが……。あんたのそれも、そうかもしれない」

 

死んだことを確実にするためや、その死体を後に利用したい場合、偶にある。

 

特に貴族の死体は使()()()()がある。

 

「心当たりはあるか?」

「……たくさんあるよ。お爺ちゃんは私をレオーネから取り戻して、家を継がせようとしているから。そうなったら面白くない人は、まだたくさん生きているの」

 

そんな人こそ死ねばいいのに──と、暗い感情が浮き上がる。

 

でも、生き残るのはいつもそういう人間なのだ。

 

「だからかもしれない。私ね、あなたに憧れているんだと思う」

 

冷たいようで、どこか決定的には冷たくない。

 

「私──スカベンジャーみたいに、強くて……誰かを守れる人になりたかったんだ」

「……。買い被るな。私は誰かのために戦わない。私は私自身のために生きている。誰かを守れるような人間じゃない」

「違うよ。あの時……私を守ってくれた。本当にかっこよかったんだ。強くて……迷わなくて」

 

──何度も記憶の中に現れる。

 

そんな言葉を、かつても言われた。思い出す。

 

「……思い違いだ。いつ死ぬかも分からない中、殺して、逃げ回っているだけだ」

「──私ね、ずっと思っていたことがあるんだ」

 

段々と暗くなる病室に蛍光灯は灯らない。スカベンジャーはわざわざ電気のスイッチを押す様なタイプではない。

 

「あなたは、ずっと……──寂しそうだね」

 

暗くなる中で、ミーファンの口元が寂しそうに笑っていた。

 

「──私が……寂しそう、だと?」

 

ふざけるな、と。そう思った。

 

何度他人に裏切られてきたのだろうか。

 

他人に期待しようと思った時もあった。だが──何より大切だった()()を殺したのは、誰だったのか。

 

──まさか、忘れたわけじゃないだろう。

 

「……ちょうど、あんたみたいだった。お人好しでな──。私がまだ、群れの中で暮らしていた頃の話だ。族長の娘で、私と違って頭もよかったし、優しいヤツだった」

「え、何の話?」

「昔の話だ──もう死んだ、私が守れなかった人間の話だ。私が鉱石病(オリパシー)に感染して、当時の群れにゴタゴタがあったことも重なって、私は群れを追い出され、()()は死んだ」

 

どうしようもない無力感、怒り、悲しみ──絶望と、復讐。

 

かつて属していた群れの族長に敵対していた人物に自らを売り込み、掃除屋として最初の仕事を得る。

 

──それは、群れから弾き出された自らが生きるための手段ではあったが、同時にどうしようもなく復讐だった。

 

そして、復讐は果たされる。今でも思い出す。

 

「それが私の最初の殺人だ。そしていつの間にか、私の復讐は目的ではなく、手段にすり替わっていった。生きるためのな。その過程で孤独になったことを否定はしない。だが……あんただって過去から逃げ続けているだけだろう」

 

ミーファンは咄嗟に口を開くが、何も言い返せなかった。

 

逃げ続けている──そうだ。貴族としての権利を放棄する代償として、責務を投げ出して逃げた。

 

「そんなあんたが、私の孤独を哀れむな……!」

「ちがっ、哀れんでなんてない! 私はただ──」

 

最初から、その姿を見た時から──ただ。

 

「あなたの友達になりたいだけだよ……」

「……私には必要ない。そんなもの──」

 

もう一度、失うだけだ──と、その言葉を最後まで言い切ることはしなかった。

 

スカベンジャーは言葉を押さえつけて、そのまま病室を後にした。

 

──もし。

 

もしも、最後まで言い切れるほどスカベンジャーが弱かった(強かった)のなら、何か変わっていたのだろうか。

 




・スカベンジャー
主人公のつもりで描いてるまであります。
レズ属性はあるかもしれないしないかもしれない。プロファイルを読むと大体分かります。過去に関しては多少独自解釈も混ざりますが……。
昇進二でのビジュアル変化が激しい。かわいい。

・ミーファン
死亡フラグが立った。
この章の敵キャラであるハノル(オリキャラ)の幼馴染。多分思い出はあるでしょうが……。


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1096年7月18日:目(くらま)く -2

本日二話目。ご注意〜


レオーネのバオリア基地、車両格納庫の併設された三階建てがバオリア基地の中央部。事務的なワークスペースが集中している場所で、アルゴンの本部と比べるといくらか重要性は下がるものの、バオリア駐屯軍の頭脳となっていた。

 

だが夜ともなれば昼間の明るさは消え、幾らかの部屋に残業の灯が灯るのみだ。

 

最上階の一つにも蛍光灯がついていた。エールが使っていた執務室だが、室内には誰もいない。

 

その一つ上、屋上に小さな赤い光が揺れている。

 

煙草の火が、煙を照らしていた。

 

しばらく星の輝く空を見上げていたエールだが、不意に口を開いて話し出す。

 

「で、収穫は」

 

暗闇にはスカベンジャーが立っている──執務室にいなければ、大抵エールは屋上で煙草でも吸っていることくらいは知っていた。

 

「……エール、お前は……知っていたのか」

 

スカベンジャーには珍しく、ただの苛立ちではなく──それこそ、怒るような声色だ。

 

「何が?」

「あいつが……貴族だってことを──」

「初耳だね。あいつっていうのは彼女……マイ・チ・ファンのことか?」

「……。なぜ、お前はあいつのことを知っていた。一兵士に過ぎなかったはずだ──」

 

なぜこれほど自らが動揺──そうだ、動揺しているんだ。訳のわからない苛立ちが、ずっと止まない。

 

「知っていたというのは誤解だね。別に、君がやけに気にかけていただろう。掃討戦で唯一、こちら側の部隊に強い被害が出たって報告があった。それが気になっていた──こちら側がかなり有利な状況で、北部兵の中にそれほどの精鋭が混ざっていたのかって。けど別にそれほど気になっていた訳じゃない。病院の様子も見ておきたかったし、はっきり言えばついでだ」

 

スカベンジャーに嘘をつく理由はない。

 

だが、スカベンジャーにはそうは見えない。あの話を聞いた後では──まるで、最初から全て分かっていたように、シラを切っているとしか思えなかった。

 

「北部兵の中に、何者かが混ざっていた可能性が高い。あいつの部隊は、おそらく──」

 

そこまで聞いて、エールは言葉を遮った。

 

「待って。何者かって──」

「おそらく貴族の手先だ。あいつはリン家当主の孫で、──」

「それを先に言えッ!」

 

煙草を踏み潰して、エールはすぐに歩き出した。

 

「おい、何が──」

「君も来い、すぐにだッ! 彼女が死ぬぞ!?」

 

階段を早足で下り、外へ──緊急用に停めてある車両へと走り、スカベンジャーに鍵を放り投げる。

 

「片腕しかなくて悪いね──すぐに車を出せ、病院へ行け!」

 

雇い主のただならない声に、鍵を受け取って乗り込む。

 

片腕がないと、運転も出来ない──もどかしかった。

 

「説明しろ、エール!」

「彼女の戦った敵は最終的には投降して、捕虜として病院で治療を受けている! それがどういうことか分からないか!?」

 

乱暴な発進だった。ギアはすぐに最高速へ。

 

エールの放った言葉の意味は、北部兵ではない何者かが病院内に潜伏しているということ。

 

この時期──レオーネが潜在的に貴族と敵対して、水面下で緊張が高まっている。

 

彼女の隠していた身分、あの一人部屋、人の多さ。

 

「病院に潜んでいるのなら、もう一段先がある──別の目的がある! でなきゃわざわざ投降などするものか……!」

「……!」

 

悪い予感がした。いつだか、あの村に向かうときにも味わった──そうでない場合を何通りも考え、ただの杞憂だと自らを落ち着かせようとした、あの嫌な感覚。

 

それにもう一つ──確かあのバカ(ブリーズ)、今日は夜勤だとか言ってなかったか?

 

病院までの道のりは、以前よりは改善されたとはいえこの不安定な情勢による治安の悪さ故にほとんど人やバイクの通りはない。

 

だがどれだけ飛ばそうと、到着するまでの体感時間は限りなく長かった。

 

滑り込むような駐車の後、飛び出したエールとスカベンジャーは走る──入口は施錠されていた。今は時間が惜しい、ガラスを突き破って内側へ。

 

ガラスが破られたことで、警報装置が夜の病院に鳴り響いた。

 

驚いて飛び出してくる他の医者や、寝ていた患者たちも目を覚ます。彼らに構わずスカベンジャーは先導して走った。目的は彼女の病室以外にない。

 

その後を追うエールは、薄灯の廊下に素早く目を光らせていた。

 

そして血痕と、壁にもたれるように倒れていた一人の人物を発見する。スカベンジャーはその人物を認識しながらも、それが彼女でないことをすぐに見分けて先を急いだが、エールは──。

 

「……おい、冗談だろ……ブリーズッ!」

 

荒い息を繰り返すブリーズが、腹部から血を流しながら緩慢な様子でエールを見上げていた。

 

「あら……来てたのね、エール」

「何があった、誰にやられたッ!?」

 

普段の冷静さは全くなく、焦りからか怒鳴るようなエールの様子に、ブリーズはこんな状況でも嬉しくなってしまった。

 

「心配……してるの? 珍しいわね──」

「……ッ! 無駄口を叩くなバカ! っていうかここは病院だろう!? 他の連中は何をしていたんだ……ッ! 気が付かなかったのか……ッ!?」

「ほんと……すごいのね、ああいう暗殺者みたいな人って……」

「ッ──ああもう黙ってろ、すぐに医者を呼んでくる! 気を保ってろ、絶対に死ぬなッ!」

 

私も医者なんだけど──とは思うが、痛みと出血で満足に動けないし、治療器具のある場所へは手が届かないので、奥へと走っていくエールを見送るしかない。

 

全く散々で、さっきから味わったことのない激痛が襲ってくるが──そんな顔で心配してくれるのなら、怪我人という立場も案外捨てたものではないのかも……と、そう思っているうちは、まだ死にはしないのかもしれない。

 

──床に捨てられていたクロッグ17を流し見る。今は少し赤く汚れていた。

 

ブリーズは知る由もない。流線的かつシステマチックなデザインのそれが、この街にたった一つだけ存在するオリジナルであることなど──。

 

 

 

 

 

 

 

ドアは開けっぱなしだった。

 

暗い室内、すぐに電気を付ける。

 

──真っ白だったはずのシーツは、染み出す鮮血に染め上がっていて、……命の色が、流れ出していた。心臓の位置に、刃物が突き立っていて。

 

ぐったりと倒れ込むようにして、ミーファンはいた。

 

──あなたの友達になりたいだけだよ、と。

 

たった数時間前に言われた言葉は、なぜだか脳内を反響する。

 

窓が空いていた。下手人はここから逃走したのだろう、と冷静な部分が分析した。

 

犯人を追跡するべきだ、と思った。

 

「……スカ、ベンジャー?」

 

まだ息がある。

 

「来て……くれたんだね」

 

何を言っていいのか分からなかった。初めてだった──何かを伝えなければならないような気はするが、何を伝えなければならないのかは分からない。

 

ミーファンは微笑む。影が差していた。

 

「でも……ごめん、ね」

 

──どうして、謝るのだろうか。

 

何度も殺してきた──だからわかった。

 

刺さったナイフの位置は完璧で、肋骨の隙間を縫うように、確実に心臓を捉えている。

 

もう助からない──スカベンジャーだからこそ、あっさりと理解した。

 

「けど……あなたは、一人じゃ……ない。いつか──」

 

──そんな、寂しそうな顔で。

 

「……ミーファン」

 

そう、名前を呼ぶと、彼女はやっと嬉しそうに笑った。

 

「やっと……名前、呼んでくれた」

 

手を伸ばそうとして、彼女の手と触れ合った。

 

冷たくなる感触に、思い出した。まだスカベンジャーと呼ばれる前の、彼女の最後の言葉も、そんな風で。

 

「あなたの手……あったかくて……優しい。……ありがと、ね────」

 

いつまでそうしていたのだろうか。

 

もう──死んでいた。

 

「……なんだ、これは」

 

人が一人死んだだけだ。

 

何度も見てきた。何度も殺した。慣れている。珍しいとも思わない。殺されただけだ。

 

「……なんなんだ、これは……ッ!」

 

言葉に出来ない感情の波が、押し寄せてどうしようもない。

 

するりと、彼女の指は力を失って垂れ落ちた。

 

彼女に触れていた指を眺めて、声に出さずには居られない。

 

「ふざけるな……一体なんなんだ、これは……ッ!? どうして謝った、どうして礼なんて言ったッ!」

 

その感情が無力感というものであると気がついたのは、ずっと後の話だ。

 

「どうして────ッ! クソッ、ふざけるなッ!」

 

月明かりのない夜の底。

 

「ふざけるな────…………」

 

シーツに蛍光灯の光が反射して、目が眩んだ。

 




タイトル回収!

・ミーファン
死亡確認!
このシーンのために登場し、このシーンのために死亡。
名前付きオリキャラは扱いが難しいからな、死ぬしかなかったんや
なんでや工藤! なんでディアベルはんを殺したんや!

・スカベンジャー
多分真正面から人の死を悲しむようなキャラではないとは思うんですけど(名推理)
まあ多少はね?

・ブリーズ
酷い目に遭いました。
個人的な方針として、原作キャラは殺せないので死にません。死にはしませんが……。
かわいい。

・エール
ヤニカス
こいつに関してとんでもない設定のガバを発見しました。私はどっかでこいつの年齢を27歳とか書いた記憶がありますが、おそらくこの時点で21〜22歳です。お前の時系列整理ガバガバじゃねえか
そんなわけで年齢は21歳の想定になります。若すぎィ!


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1−0 昔日、狐が二人 下

イベントが楽しすぎて遅れました。
すがすがしいほどの運ゲーですね
過去編、続きです。話が無駄に複雑なのは仕様です。すまない……








例え千年を生きる賢者にだって、幼かった頃というのは必ず存在する。

エールを名乗る青年にも、ブリーズを名乗る旅医者にも、無力で無知な少年だった時があり、無邪気で純粋だった少女だった時が存在した。

例え忘れていようと、確かに存在したのだ。

彼女はずっと覚えている。





スラムの生活というものには当初こそ慣れなかったし、恐怖だって当然多かったが、住めば都とはよく言ったもので、つまりは慣れてしまった。

 

「エール、おはよう」

 

しまいにはエールの朝が遅すぎるものだから、起こすのが日課になってしまっている始末。

 

不機嫌そうに目を覚ました顔を見て、アリゾナは少しだけ微笑んだ。

 

一緒に生活すると分かることだが、この青年はその雰囲気ほど怖いわけでもなければ、優しくない訳でもない。アリゾナの厚顔な要求──例えば、温かくて綺麗なシャワーを浴びたい、替えの衣服を用意して欲しいなど。厚かましすぎる──などにもぶつくさ言いながら応えていた。

 

今のところ頼れる人物がエールしか居ないにしても、それにしたって甘すぎではないだろうか。

 

「……。メシは」

「これからよ。起きてきたらどうかしら?」

「……出来たら起こせ」

「嫌よ。もう7時になるもの。睡眠は大事だけど、過ぎたるは及ばざるが如しよ。寝坊助さんには朝ごはん、作ってあげないわよ?」

「……誰の金だと思ってる。そもそも作ってくれなんて頼んだ覚えはないし、だいたいお前のメシは不味い……」

「失礼ね!」

 

ぷんすかと怒るアリゾナだったが、実際一理ある話だった。

 

田舎貴族とはいえ貴族は貴族──まさか、アリゾナが家族のために毎朝朝食を作っていたはずがない。そういうのは使用人のやることで、頼んだってやらせてはもらえない。

 

朝の早いアリゾナが、朝の空腹に耐えかねてエールを起こし、それなら勝手に何か作って食えと半分冗談でエールは言ったのだが、それを真に受けたアリゾナが本当に作り出したのがきっかけだ。

 

最も、調理経験などほとんどないアリゾナが、美味しい料理を作れるはずもなかったが……幸運だったのは、アリゾナの舌が少々馬鹿だったことだろう。

 

「もう怒ったわ。絶対に朝市に引っ張り出してあげる」

「……寝る。昼まで起こすな」

「話を聞きなさい、このっ!」

 

ソファーを寝床代わりにして寝っ転がり、体ごとアリゾナに背を向けてエールは目を閉じた。

 

「おーきーなーさーいー! このっ、重たいわね!」

 

強引にアリゾナは目を閉じたままのエールをずるずると引きずっていった。

 

大体いつもこんな感じだった。

 

 

 

 

 

 

 

失せ物探しは順調ではなかった。

 

少なくとも、アリゾナにはそう感じられた。

 

「それで、今日はどうするのかしら?」

「僕は別件がある」

「別件?」

「あんたには関係ないね。それにもう二週間ほど経つ──こういうのは時間が経つほど見つけにくくなる。さっさと諦めてもいいんだぜ」

「すぐそういうこと言うわよね。私は諦めないし、もうしばらくここで暮らしてみたいの」

「……やっぱりあんた、変人だな」

「もう、失礼ね!」

 

テーブルには硬いバンとスープ。どうにも塩気が強い。

 

安くてデカい堅焼きのパンは、その硬さから護身用の武器として使えることで有名だ。軽くて硬い、武器としては理想的だったが、食用としては最悪だった。石でも齧っている気分だ。しかも毎日それである。

 

少なくとも、エールはうんざりしていた。

 

「そうだ、私ここの近くの診療所でお手伝いすることになったわ」

「……マジ? お前……意外とすごい奴なのか?」

「そうよ? 知らなかったのかしら」

 

知らぬ間に意外な行動力を発揮するアリゾナはどことなく得意げだ。

 

箱入り娘とは言え、アリゾナは古典薬理学を修めた薬師であり、医療を得意とする。臨床経験は浅いが、強い目的意識と向上心がある。

 

それは別にエールの紹介で、という訳ではなく、スラムでの医療に興味を持ったアリゾナが自分の足で診療所を訪ね、治療経験のために無償での手伝いを申し出た。

 

「ふーん……」

「もう少し興味を持ってもいいじゃない。そんなに私ってどうでもいいのかしら」

「ああ」

「こう見えて私、結構頭いいのよ。何か面白い話でもしてあげるわ──治療アーツの新しい分類に関しての話とか、興味ないのかしら」

「あるように見えるか?」

「まあ、見えないけど──けど、案外面白いのよ? あなたはそもそもアーツというものが何なのか、分かってるのかしら」

 

回答は沈黙だった。

 

「あなたは、アーツは使える?」

「大して役に立たないけどな」

 

──室内にかすかな風が吹く。

 

ブリーズは少し驚いて言う。

 

「……これ?」

「全く役に立たないけどな。ちょっと風を操る程度、目眩し程度にしか使えない」

「媒体は何を使っているの?」

「……あ? 媒体?」

「何かあるでしょう? 例えばエネルギー発散率の高いD系列の異鉄合金とか──そういう杖状の媒体が一般的だけど、まあ色々な種類があるじゃない?」

「……何それ、知らん……」

 

そもそも教育の度合いとしては初等学校も卒業していないエールがそんなものを知るはずもない。

 

アーツというのは、そもそもとして非常に理論的な運用が求められるものだ。氷結のアーツなどは、氷という事象に対し理解がなければ扱えない。ないしは運用効率が極端に低下する。

 

適正と研究、それと理解。

 

アーツというのは不可思議パワーではなく、体系のある学問である──と。

 

「……本当に知らないの? 逆にすごいわ、あなた」

「育ちが良くないものでね。それに知らなくても生きていける──けど、少し興味は湧いたな。あんたも使えるのか?」

「当然よ! って言いたいけど……ユーロジーがないと、使えないわ」

「使えないな」

「うるさいわね!」

 

特にヴィクトリアの大学などでは研究が盛んで、日々新しいアーツ理論が更新され続けているのだが──ここは貧民街。華やかなヴィクトリアの裏側に隠れた場所にそんな教養はない。

 

エールも、これまでの生活の中でアーツ理論など学ぶはずもない。スラムの住人はアーツとは基本的には無縁だ。そんなものより頼れるのは自らの拳とばかりに物理に頼るのが普通。

 

「でも適正はあるのよね。媒体なしにアーツを使えるってことは──」

 

アーツを使える人間と、使えない人間がいる。

一般的に、鉱石病(オリパシー)とアーツ適正には相関性があり、まあ血中の源石含有率にアーツ適正係数は比例するとか言われているが、正確なところは今も分かっていない。この理論に反する例外がいくつも見られるためだ。鉱石病には謎が多い。

 

アリゾナも、鉱石病ではないがアーツを使える。エールは鉱石病で、アーツが使える。別にどちらも同じことだ。少なくともエールにとっては。

 

「どこかの学校に入って、学んでみたらいいと思うわ。きっとあなたなら、成長すればすごい術師になるかも──」

「余計なお世話だな。鉱石病患者を受け入れる学校なんて、この世界のどこにある」

「……ごめんなさい。余計だったわ」

 

と、一応謝罪の言葉は口にしたが。

 

気がつくことがあった。

 

「でも、その口振りだと……もしも入れるのなら、入りたいのかしら?」

 

少し揶揄うような風になったのは否めないが、いつものように素っ気ない返答が返ってくるのだと思っていた。

 

「……分からない」

「え? 分からないって──」

「何でもない。忘れろ」

 

刺すような塩気のスープを乱雑に飲み干して、エールは立ち上がった。

 

「もう行くの?」

「早すぎるくらいだ。誰かさんが起こしてくれたお陰でな」

 

なんだかんだ言いながら、エールは用意した分の朝食は全て食べてから出発した。

 

そういうところが嫌いになれなくて、アリゾナは小さく苦笑いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

事態が急変したのは、それから一週間余りが経ってからのことだった。

 

「……お前の探し物が見つかった。さる貴族のところにまで流れていてね。全く面倒だった──話はつけておいた。あとはお前が出向いて受け取れ。それで依頼は完了だ」

 

朝方のことだった。

 

二日ほど前からエールが家に帰って来なくて、突然朝に返ってきたと思ったら──。

 

「……え、ええっと……? 順番に質問させてもらうけど、まずこの二日間くらい何してたのかしら。それと突然過ぎよ。あと──その傷、一体何があったの?」

 

脇腹から血が滲み出て、服に染み出して広がっていた。

 

顔色も酷い。

 

「悪いがもう時間がない。表側、時計台の場所は分かるな──そこに案内人を手配しておいた。いますぐ荷物を全てまとめて出て行け」

「……まず傷の手当てよ。そこに座って──」

「今すぐ行け、と言った……!」

 

尋常ならざるエールの言葉に気圧されるが、アリゾナはそんな柔ではない。

 

「あなたの身の安全が先よ!」

「……は。あんたは、やっぱり変な貴族だな」

 

扉を開けたまま、もたれかかるようにしてエールは初めて、微かに笑った。

 

「……元気でやれよ、グレース・アリゾナ」

 

それから、エールは持っていた紙の束をアリゾナに放り投げた。慌てて受け取る──札束だった。輪ゴムで適当に束ねてある。

 

何か言う暇もなく、エールの姿は消えた。それに続くようにしてボウガンの矢が開かれたままのドアを貫いて、足音が響く。

 

「どこに行った! 探せ、殺せ──!」

 

そんな声が聞こえる。

 

開かれた扉の向こう、狭い路地裏の壁から人が覗き込んできていた。

 

「──違う、ここじゃない。あっちだ、さっさとあのクソ野郎をブッ殺せ!」

 

すぐにその人は走り去って行った。

武器を持っていた。すごい形相だったし、明らかに暴力的な雰囲気だった。

 

「……何が、起きているの……!?」

 

おおよそ一ヶ月を過ごしたエールの家。例えばそれは人数分そろえた食器や、床下に備えた食料庫の中身。

 

二階の寝室と、ここのソファーでいつも寝ているエールの寝顔。

 

最初は汚かった家の中も、アリゾナが掃除を続けていくうちに綺麗になって──。

 

言葉に答えてくれる人がもういなくなって。

 

この家にはもう、誰も帰って来ないかもしれないことが、何だかとても寂しかった。

 

それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

言われた通りにした。

 

一人きりでスラムを歩くのには慣れていたが、貴族の正装で歩くのは気が引けた。

 

視線を感じる。だが日中は比較的安全だ。それは分かっていた。

 

背負ったリュックには、実家から持ってきていたものは全て入れてある。あとはユーロジーだけ。

 

そしてスラムを抜け出して、華やかな表通りに出てくると──そのあまりの違いに愕然とする。

 

壁の落書きや、散らばったゴミ、清掃の入っていない街灯、シャッターの降りた無人の道──。

 

行き交う人通り、仕立てた礼服や、建物の質、喧騒、遠くに見える王城、誰もが笑っていて。

 

ずっと気がつかなかった。いや、気づかないふりをしていたのかもしれない。

 

────この世の中に、こんな不平等なことがあったのだろうか。

 

「……こんなの、おかしいわ……」

 

おおよそ一ヶ月振りに見る景色は、あの時とはずいぶん違っていた。

 

思えばこの一ヶ月、貧民街から出たことはなかった。

 

こうして見てみると、貧民街はそこまで大きいわけではない。だが、封じ込められるような地形と、無数の路地から形成されていたため、まるで閉じ込められているようだったと思う。

 

暴力の気配の、カケラだってない。

 

皆、まともな常識を知っている。

 

アリゾナにとって当たり前の世界──だった。一ヶ月前までは。

 

さっきのエールの姿や顔、そしてその後を追いかけていった人たち。それがまるで嘘のようで、白昼夢でも見ていたかのよう。

 

エールだけじゃない。

 

診療所で手伝いをしていた時も、患者はみんな酷かった。化膿や壊死した傷跡がいくつもあったり、栄養素が全く足りていなかったりして。

 

何より、みんなお金がなかった。だからあの診療所はほとんど無償で治療をしていたというのに──。

 

そんな厳しい状況の中で、人を助けるために戦っていた医者も、分かりにくくて素直じゃない、実は優しい青年のことも──このロンディニウムに住む人々は、知らないのだろう。

 

どうしようもない、無力感と怒りだけでうなだれた。

 

大通り、悔しさで項垂れていると、話しかけられる。

 

「お嬢さん、何か困ったことでもありましたか?」

 

警官の服だった。

 

ロンディニウムの警官の肩には徽章がついている。国を表すマークが、さぞ誇らしげに──。

 

頼りがいのある姿で、今日もこの街を守っているのだ。

 

「……いいえ。何にもないわ」

 

その守るべき街の中に、あの汚い通りは含まれていないのだろうから。

 

だから、何でもないのだ。

 

これは何でもないことなのだから。

 

「それは何よりです。何かありましたら、ロンディニウム警察にまですぐお届けください! 市民の皆様の安全は、私たちがお守りしますので!」

「……そう。ありがとう」

 

果たして、誰が悪いのだろうか。

 

そもそも誰かが悪いのだろうか。

 

アリゾナは歩き出した。リュックにはエールから受け取った札束が入っている──その意図もよく分からないが。

 

少なくとも、もうスリなんて遭わないようにしなければ。

 

……また笑われてしまう。

 

時計台というのはロンディニウムのランドマークで、その名前の通り巨大な塔の上にある大時計が特徴だ。

 

その前にはちょうど冠水広場があり、マイナスイオンが涼しく、待ち合わせとしてよく使われている場所である。

 

至る所に広告のポスターが飾られていた。建物の屋上に張り出した新しい飲料のキャッチコピーとか、モデルの売り出しとか。

 

「お前、グレース・アリゾナか」

「え? ええ、そうだけど……」

「よっし。俺についてこい」

「え、ええ?」

 

突然話しかけられたのは、複雑な気持ちで歩いていた時のことだった。

 

エールに似たような雰囲気を持つ、チンピラのような男に連れられる──顔つきからしてまともな気質にには見えなかった。

 

「……あなたは?」

「ただのトランスポーターってヤツさ。俺の依頼はお前をある貴族の元へ送り届けること。それ以上はお互い知る必要はねえ。そうだろ?」

 

──サルカズのトランスポーター。

見るからにチンピラだった。ジャラジャラした格好や、顔つきは明らかにギャングの類ではあったのだが。

 

まあ、世の中色々な人がいる。

 

「……あなたの、依頼人って?」

「名前は知らねえ。黒髪のヴァルポだったが──まあ珍しくもねえことだからな。とにかく、着いてきな。手早く済まそうぜ」

 

手配しておいた──とは、このことなのだろう。トランスポーターを雇ったらしい。

 

言われるがままついていく。

 

エールが手配したのなら、信用はする。

 

不思議だが──なぜだか、自分はあの男を信じているのだ。

 

十分も歩かない内に、その場所には辿り着いた。

 

ロンディニウム風──黄銅色の豪邸が、背の高い植物に囲われていた。

 

正門は、鉄柵の門だった。見張りがついているところを見ると、相当な豪族なのだろう。

 

「よぉ兄ちゃん、ここ通してくれねえ?」

 

トランスポーターは軽々しく門番に声をかけた。

 

「……何用だ」

「聞いてねえか? アリゾナ家が長女がここ訪ねるってよ。貴族様のお通りさ、道を開けよ──つってな」

 

茶化すような態度はさっぱり真面目ではなかったが、実際のところ話は通っていたらしい。

 

鈍い音を生みながら、門が開いた。看守は無愛想にそっぽを向いている。

 

「さて、さっさと済ませるこったな」

「……あなたは?」

「こんな貴族臭い屋敷に入るのなんざまっぴらなんでな。ここで待っててやるさ」

「待っててって……あなたの依頼は、どこまでなのかしら」

「最後まで見届けること──それが、承った依頼さ。見送りの一人も居ねえんじゃ、あんたも寂しいだろうってんでな」

「……余計なお世話ね。行ってくるわ」

 

最後だけ妙な気を回すものだ。

 

いつもはあれだけ冷たかったのに──こんな、最後だけ。

 

これまでの一ヶ月が嘘のように、アリゾナはユーロジーにまで辿り着いた。

 

それは酷く冷ややかな対応だったと言えよう。

 

一応は貴族としての同格を備えるアリゾナに対し、それこそ出迎えもなければ、茶の一つも出しはしなかった。

 

玄関から使用人が現れ、一応は丁寧な仕草でユーロジーをアリゾナに渡す。

 

一月ぶりに受け取ったユーロジーは重たく、冷たく、懐かしい感触がした。

 

「お礼を──申し上げた方が、いいのかしら?」

「必要ありません」

 

しゃらん。

 

ユーロジーの先端が、まるで鈴の音のように鳴った。

 

アリゾナは踵を返す。

 

盗まれたはずのユーロジーがどうしてこんな貴族の手にまで渡っていたことや、エールがどうやってここまで辿り着き、どうやって”話をつけた”のか。

 

「……何にも知らないし、分からないのね。私は──」

 

独り言は、本心だ。

 

きっと、エールにはもう会えない。あれは多分そういうことなのだろう。

 

門のところまで戻ってくると、トランスポーターがあくびをしている。

 

「なんだ早えな。もういいのかよ」

「こんな呆気ないのね」

「で……俺の依頼は見届けることだ。あんたのコンパスがどっち向いてるかは知らんが、あんたこれからどうすんだ?」

「……そうね。どうしようかしら。今朝からずっと……訳の分からないことが続いているの。今までの普通が……壊れていく。こんなことってあるのね」

 

トランスポーターはぽん、と手を打って言った。

 

「ああ、なるほど。”その日”が来たんだな」

「その日?」

「そうだ。こんな世界で暮らしてりゃ、誰もに訪れる日──信じていたものや、家族、現実……それらが突然、前触れなくぶっ壊れる日が来る。あんたの場合、それが今日だったのかもな」

「ユニークな考え方ね。トランスポーターってみんなそうなのかしら?」

「知らねぇ。だが悪いことばかりじゃねえさ。嵐の後ってのは必ず青空が広がってるように、破壊の後には再生が待ってる」

 

ふと、リュックから取り出したのは、エールから放り投げられた札束。

 

ぱっと見で何十万龍門幣だろうか。こんなお金、一体どこから──。

 

こんな大金を輪ゴムで適当に留めてしまう神経は、彼らしいとは思うが……。

 

札束の中に、一枚のメモが挟まっていた。取り出して読んでみると──

 

“上手く使え”

 

汚い共通語で、それだけだった。

 

「……あなた、トランスポーターなら依頼は受けるのよね」

「まあ、そうだが……」

「私からも依頼するわ。依頼料は……これだけあれば足りるわよね」

 

その札束をそのままトランスポーターに放り投げる。

 

「……いや、何の依頼だ?」

「行かなければならない場所があったことを思い出したの。ボディーガードをお願いできるかしら?」

「なるほどな。だが別に依頼料(こいつ)は要らねえよ。ヤツからの依頼の範疇でいいさ」

「あら、ありがと」

 

片手にはユーロジー。

 

最後の心残りを終わらせに行こう。

 

 

 

 

 

 

 

「……随分荒らされてんな」

 

トランスポーターが言う通り、見る影も無かった。

 

アリゾナが出て行った時にはまだ何もなかったはずの家は、ドアが剥がれ、食器は全て砕かれている。

 

「こんな場所で暮らしてたのかよ?」

「今朝までは違ったわ……。何よ、これ」

 

憂さ晴らしをするような破壊痕だった。

 

ひっくり返ったテーブルの壊れ方は、アリゾナの感情をいくらか揺さぶったのは確かだ。だが、そんな怒りをどこにぶつければいいのだろうか。

 

「で、何しに来たんだ?」

「もしかしたら戻って来てるかもって思ったのよ。でも……やっぱり居なかったわね」

 

予想していたとはいえ、落胆するしかなかった。

 

エールがもしかしたらこの家に戻ってきているかもしれないという淡い期待は、当然の様に裏切られた訳ではあるが。

 

「しっかし相当恨まれてんのか? こりゃ家探しって感じじゃねえ、完全な八つ当たりもいいとこだ」

「分かるの?」

「何となくだがな」

 

アリゾナはカーペットを捲って、地下室への階段を開く──こっち側は無事だろうか。

 

安全地帯(セーフティー)か。こいつは確かにいい考えだ。ちゃんとバレてねえんだな」

 

実際、エールはこの場所をかなり秘匿していた。

 

あの警官がこの場所を知ったのは本当にたまたまで、この地下室の存在は数人も知らないのだ。

 

地下室はひんやりとしていて、どこか息苦しかった。

 

あの青年と初めて出会った時のことを思い出すが、あの椅子には誰も座っていなかった。

 

その机は意外にも安物ではなく、頑丈な作りをした木造だった。引き出しがいくつかある。

 

「……鍵がかかってるわ」

「はっはーん。こりゃあれだな、秘密の箱ってヤツだ。間違いねえ。面白えモンの一つや二つは入ってんじゃねえか?」

 

机の上には何もない。

 

「鍵だけ壊してくれるかしら」

「いいのか?」

「……最後だもの。いいわ」

 

トランスポーターが取り出したドライバーは、その本来の使用用途から大幅に外れて使われることになった。

 

「どうしてドライバーなんて持ってるの?」

「入国審査の時に便利なんだよ。ほら、空いたぜ──って、何だこりゃ」

 

がらんとした引き出しの中に、何かがある。

 

「……んだこりゃ。紋章の……バッチ、いやペンダントか。それと何だ? これ……絵本か?」

 

大きく、薄い……ボロボロになった絵本。

 

トランスポーターは訝しがる。依頼主のイメージにはさっぱりそぐわない一冊の絵本は……明らかに少女向けのものだ。

 

「不思議の国のアリス……あんだっけ、有名な童話だったか。で、こっちの紋章も何だか解らねえが……あんた、分かるか?」

 

ずっと黙ったままのアリゾナの方を見ると、アリゾナは固まっていた。

 

まるで幽霊を真正面から見てしまったような。

 

「……嘘、よね。これ……この、紋章……そんなわけ、だって……」

 

────なぜ、エールがこれを持っているのだろう。

 

「これ……この、落書き……私の──、」

 

赤い絵本を捲ると、ちょうど隅のところに猫か何かの落書きがしてあった。

 

確か、庭に迷い込んできた野良猫を描いたのだったと思う。

 

「……そんな、ことって……偶然? いえ、ただの間違いよ……」

 

──あの青年は、ちょうど私と同じくらいの歳で。

 

絵本一つだけだったら、ただの偶然で済ますだろう、考え過ぎだと否定できる。

 

だが、もう一つ……この紋章がある。そうだ、彼にあげたんだ。その意味もわからないまま、喜んでくれると思って渡したんだ。

 

「だって、それじゃあ……ずっと、この街で────ここに居たのは」

 

この街の名前はロンディニウムで。

 

この絵本と、この紋章が何よりの証明ではないのか。

 

「……あなた、だったの? アリーヤ────」

 

だとしたら──。

 

「……ずっと、持っていてくれたの?」

 

その記憶を、まだ忘れていないのだろうか。

 

「おいおいおい、話についていけねえんだが。なんか感動系のヤツあったか?」

「……あなたは、運命って信じてる?」

「唐突だな……」

「どうなの?」

「信じちゃいねえ。だがあるかもしれないとは思ってる。癪だが……そういうものは、あるのかもしれねえ」

 

コインのようなペンダントは冷たく、通ったチェーンは切れていた。

 

錆びついた気配もない。手入れされていたのだろう。

 

その紋章は──。

 

「この紋章は、私の家の家紋なのよ」

「……あん? つまり……どういうことだ?」

 

返答はなかった。

 

アリゾナはその絵本とペンダントを机の上に戻して、階段を登っていった。

 

荒らされた家を後にする。

 

トランスポーターはため息をついた後、その後を着いて行った。

 

「で、探し物は見つかったのか?」

「ええ。本当なら今すぐにでも彼に会いたいところだけど……でも、もう会えないのでしょうね」

「まあな。厄介な連中に追われてるだろう──会わねえのがお互いのためだ」

 

だとするなら、どうするべきだろう。

 

この真実を知って、何がしたいのだろう。

 

「──決めたわ。まずリターニアね」

「なんだ、旅立ちってやつか?」

「そうね。近場から巡っていくことにするわ」

「……まあよく分かんねえが……道が決まったのなら何よりだ。依頼は完了でいいな?」

「十分よ。ありがと」

「ああ。じゃあな」

 

──今、この人生の使い方を決めた。

 

あるべき貴族の姿と、エールの話し方や、最後の顔。

 

遠い記憶、幼い過ち、その罪と。

 

この世界は不公平で、間違ってる。そしてこの体には、貴族の血が流れている。

 

「……いつか」

 

今は力が足りない。

 

経験が足りないし、全く届かない。

 

もっと知識を蓄えるべきだ。経験を積むべきだ。諸国を巡って、学ばなければならない。

 

「いつか──」

 

そして、もう一度会いにいかなければならない。

 

伝えなければならないことが、たくさんある。

 

「あなたを、”そこ”から救い出して見せるわ。アリーヤ」

 

長い旅が始まった。

 




(過去編はこれで終わりでは)ないです。

・アリーヤ
ごん、お前だったのか……

・アリゾナ
かわい
幼馴染ポジだった可能性が生まれた。こういうのは私の趣味です

・トランスポーター
サルカズのトランスポーター。
この作品においてはモブ

もうちょっとだけ過去編は続きます。
こっちはずっとアリゾナの視点で書いていましたが、次回の過去編はエール視点になるはずです。長い……。


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1096年7月19日:もしも夜空から一つ光が消えたとして -4



1083年 9月のロンディニウムには、その年開かれていた祭事の影響があって、国内貴族の多くがロンディニウムを訪れていた。

地方貴族とはいえ、アリゾナ家も同じく一ヶ月ばかり家を借りてロンディニウムに滞在することになっていた。

庭園のある家で、鉄柵に絡まるような緑のカーテンが印象的だったと思う。

幼いアリゾナにとって、背丈を大きく超えた塀は実際の高さよりずっと大きく見えた。

畑の広がる故郷の風景とは全く違って、高くて大きな建物がずらりと並んだロンディニウムは本当に楽しそうで、不思議の街のようだった。

アリゾナ家が宿泊していた家は庭付きの豪邸だったが、その付近はあまり治安のいい場所ではなかった。

多くの貴族が市外から来ていた分、空いているホテルや貸し家が少なく、アリゾナ家はそこに滞在することになっていたのだ。

祭事というのはほとんど貴族同士の交流がメインで、貴族の子息の顔見せの面もあったのだが──ずっと田舎で暮らしてきて、貴族同士の交流をあまり知らないアリゾナは、そんなものよりも家から持ってきていた絵本に夢中で、行きたくないと駄々をこねた。

結局アリゾナは、使用人とともに留守番をすることになる。

だが外の世界への興味にも溢れていたグレースお嬢様はお転婆そのもので、よく使用人の目を盗んでは門の外へと脱走しようとしては捕まってを繰り返していた。

貴族の幼い子供が街に一人で出かけるなど──それも強盗や喧嘩の多発するような道に放り出すなど絶対に許可できない。

門には厳重な鍵が掛けられ、アリゾナは見事にその箱庭に閉じ込められることとなる。

そんな訳で見事不貞腐れ、山のように持ってきていた童話や絵本を読み漁っていたある日のことだ。

「もうっ、少しくらいいいじゃない! どうして外に出ちゃダメなのよっ……」

退屈で死にそうだったのだ。

外に出てはだめ、でも本を読むのにも飽きてしまった。

かといって、たくさんの人が集まる場所になんて怖くて行きたくない。

早く故郷に帰りたかった。慣れない家も、最初は楽しかったが慣れてしまったし。

お父様もお母様も、外に行きたいと言っても全く聞き入れてくれない。使用人のシェリーは堅物だし、ここには一緒に遊べる友達もいない。

「なにか起こらないかしら」

そんな少女の願いが通じたのか分からないが──。

庭園に面した部屋からはウッドデッキが張り出していて、大理石の丸いテーブルの上には絵本が散乱している。

緑豊かな庭園に差し込む日光も相まって、その風景はなかなかに幻想的だったのだが──そんなものは少女には関係のないことだ。

テーブルに突っ伏して、ぼんやりと外を眺めていた時のことだった。

がさがさと、高く茂った植物の葉っぱが揺れる音が聞こえたのだ。

「──誰かいるの?」

使用人のシェリーは今頃外へと買い出しへ行っているはず。今この屋敷にはアリゾナ一人のはずだった。

しかし、誰かいるはずもない。

この屋敷を囲う石の塀は、お父様よりもずっとずっと高いのだ。登ろうとしたことがあったが、全く歯が立たなかった。誰も入ってこれないだろう──。

だが、葉っぱの中から姿を表したのは人間だった。

自分と同じくらいの歳の、小さな少年だった。

黒髪と、狐耳。ボロボロのシャツで、警戒するようにこっちを見上げていた。

「あなた誰? どこから来たの?」
Кто ты(お前、誰だ)?」

初めて出会ったのは、この時だった。








少年と少女の交流は、なんとなく始まった。

「りんごよ、りんご。この赤い果物のことね」
「я──l、り、ぃ……んご?」
「そう! 言えるじゃない、ならこっちは?」

少年には言葉が通じなかった。

ウルサスではウルサス語と共通語、二通りの言語が話されているが、全員がそれを話せるわけではない。学校での教育も行われているが、二か国語が話せるかどうかはほとんど家庭環境に依存していた。

少年の両親はウルサス語しか話さず、また教育というものは少年を放り出していたし、少年も教育を見限っていた。

まあつまり、少年は共通語が話せなかった。

「これ。私の大好きな絵本」

Alice in wonderland(不思議の国のアリス)と題されたその絵本は有名で、ちょうどアリゾナくらいの年齢の女の子に大いに受けた。

アリスという少女が不思議の国に迷い込む話だ。

最初は戸惑ったり、恐怖から涙を流していた少女だが、次第に豪胆になっていく様が人気を呼んだ。若干ホラーなのはご愛嬌だ。子供にはそのくらいのスパイスが丁度いいのだろう。

「分かる? アリスよ、アリス」
「Али──a、アリ、す」
「そうそう、その調子よ!」

お互いに小さな子供だ。

特にアリゾナからしてみれば、絵本の内容がそのまま現実に飛び出してきたようだった。

アリスが不思議の国にいくきっかけになった白ウサギ。ウサギなのに、人の言葉を話す変な生き物。

なんだか少年と似ていた。高い石壁に囲まれたこの家に、外から人が入って来られるはずがないのだ。特にこんな小さな少年なんて尚更無理だ。

その上聞いたことのない言葉を話す。そんな少年に、今言葉を教えていることがなんだか不思議で、退屈なんていつの間にかどこかに吹き飛んでしまっていたのだ。

「──アリ、す?」

得意げにして絵本を見せるものだから、何か特別なことがあるのだと思い、少年は一つ勘違いすることになる。

絵本の少女と、眼前に座る少女の髪の色が似ていたことから、アリゾナのことまでアリスという名前なのではないかと思ったのだ。

やけに楽しそうな顔が、そう勘違いさせることになる。

「え、私? 私はアリスじゃないわ、グレース・アリゾナって名前があるんだから、いえ」

最初こそちゃんと名乗ろうと思っていたのだが、少女の心は気まぐれで、いたずらっ気があった。それに、アリスのような女の子に憧れていたこともあって、アリゾナはこう名乗った。

「アリス。やっぱり私はアリスよ! そう呼んで!」

自らの顔を指さして屈託なく笑う様子が、少年の考えを肯定した。

少女の名前はアリスというのだ、と。

「じゃあ、あなたの名前を教えて?」

人の名前を聞いた次は自分の名前だろう。少年は言葉はわからなかったが、なんとなく何を言っているのかはわかった。指も指されていたし。

Алькурт(アルカーチス)Это другое(いや)──Меня зовут (僕の名前は)

少年はずっと心細かったし、不安だった。

言葉も通じない。知り合いもいない。お金もない。力もない。

故郷だって、似たようなものだった。誰一人として信頼なんてできなかった。

だから、少女が無条件に笑顔で接してくれて本当に嬉しかったのだ。

だから、そう名乗った。

Алия(アリーヤ)

ウルサスでは家族や親しい間柄では、名前の呼び方が変わる。愛情を込めて本来の名前を変えて呼ぶのだ。

例えばАриадна(アリアードナ)ならАдочка(アードチカ)Леонид(レオニード)ならЛеня(レーニャ)など。その呼び方は一つには限らず、様々な呼ばれ方がある。

少年は、その愛称で呼ばれたことがなかった。うわべの呼び方ですら、他人同然の名前の呼ばれ方をされてきていた。

他の家の親が子供の名前を呼ぶところを見ては、なんとも言えない疎外感や、劣等感に苛まれてきていた。

もっと簡単に表現するなら、親の愛情に飢えていた。

「えっとー、アー、リエ? 変な名前ね」

別に少女にそれを求めたわけではない。

ただ、そう呼ばれたらどんな気持ちになるのか知りたかっただけだ。

「А──ali、アリー、や」
「アリーヤ?」
「……Дар(うん)

少しだけ、少年──アリーヤは笑って見せた。

その仕草で、少女──アリスも少年の名前が、アリーヤだと分かった。

言葉もわからないのに、笑顔につられてアリスも笑った。

心が通じ合うというのは、まさにそんな様子だったのだろう。

それはまだ、子供だった時の話。

初めて出会った時の話。

──1083年 9月某日のヴィクトリア。ロンディニウム市アラン区イーザ通り、とある屋敷の中での出来事。

少女は少年に出会った。



 

 

 

「ハノル。いい加減答えてもらうぜ、セイのこと、何か知ってんだろ」

「でしたらそろそろ決めてください。やるのかやらないのか」

「──てめえらの出鱈目な金の出どころ、分かりかけてきてるつってもか?」

 

深夜だった。時計の針は0時を回ったところで、白電球が暑い夜の一室を眩く照らしていた。

 

密会というよりは、むしろ対峙しているように見えた。

 

一人の元スーロン構成員と、ノース代表のハノルが向き合っている。

 

「なんのことです?」

「惚けんじゃねえよ。いつまで自分が優位に立ち続けられるか、試してみてもいいんだぜ」

「では試してみましょう」

 

どこまで行っても不気味な男だった。

 

こんな深夜なのに、首にはネクタイを垂らしている。

 

見るからに高級なスーツ。

 

「実は昨日の夜遅く──まあほんの5、6時間ほど前ですが、バオリア軍病院で騒ぎがあったそうです」

 

スーロンの構成員は怪訝な顔をした。当然だった。

 

「何やら侵入者らしき人物がいたらしく、人物は負傷していた兵士一名を殺し、軍医一命に重傷を負わせ、逃亡。そして現場には、一丁のハンドガンが残されていました」

「……それがなんだ。ハンドガンの一つくらい──」

「そのハンドガン、他とは違うのですよ」

「あ?」

「オリジナル、ですよ」

「──ッ! ざけんじゃねえ、んなこたぁあり得ねえッ!」

 

その一丁は元々はスーロンのエンジニア、フェイズが所有していたもので、フォンに譲り渡されていた。

 

それからずっとフォンが持っていたはずで──それが現場に残されていたということは、その犯人がフォンであるということだ。普通に考えるならば。

 

「負傷した軍医というのがまた少し特殊な方でして。レオーネ特別顧問、エールの恋人なのですよ」

「……んだと」

「今頃はそう、犯人を血眼になって探しているのではないでしょうか」

「何考えてんだか知らねえが、あいつはバカじゃねえ。てめえらの思い通りになるかよ」

 

あくまで強気の姿勢を崩さない男に対し、ハノルはよりビジネス的な笑みを強めた。

 

「どうでしょう。あなた方には実際アリバイなどない訳ですし、動機だって十分ですよ」

「動機だと……!?」

「ええ。あなたたち元スーロンは、随分冷遇されているそうではありませんか。独立部隊といえば聞こえはいいですが、要は程のいい厄介払いです。感染者だけで構成された部隊など前代未聞ですから、押し込めてよそにやっておくのが一番です。大方、エールに一泡吹かせてやろうとでも思ったんじゃないですか?」

「っざけんな! 俺たちがんなことするかよ!」

「スーロンの元リーダー、フォンが仮に──そう、仮にエールの前に姿を表さなかった場合、決定的になるとは思いませんか?」

 

それで誰がやったのかが明白になる。あの銃はフォンしか持っているはずがないのだ。

 

「脅してやがんのか、てめえ……ッ!」

「まさか。だから最初から協力しようと言っています」

「……これ以上話すことはねえ。交渉は決裂だ──そこであぐら掻いてろ。引き摺り落としてやるよ、クソ野郎」

 

そう吐き捨てて、背を向けて去っていく男に対し、ハノルは薄く笑った。

 

これでいい。むしろ交渉は決裂していい。計画通り。

 

そう、全て──計画通りだ。

 

計画は一貫している。エールを排除し、レオーネの軍事力をそのままそっくり奪い取る。これはそのための手段。

 

「……もう少しだ。もう少しで……」

 

全てが手に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バオリア掃討戦は5日目に突入していた。

 

北部兵の投降が目立ち始め、戦闘らしい戦闘もなくなり始めている。

 

元々からして非対称戦だ。これはまだ生まれて半年程度しか経っていないレオーネを戦闘に慣らす側面もある。

 

アンブリエルはレオーネの中で唯一と言っていいサンクタ族で、同じく唯一の長距離狙撃手(ロングスナイパー)だ。

 

射撃部隊の教官を務めていることから、そのまま射撃部隊の隊長を務めていた。

 

そして戦況も下火になってきたため、後方支援部隊の大半を前線から下げることになった。

 

久しぶりの実戦を経験した兵士たちにはわずかではあるが、休暇が与えられることになった。

 

もっとも、アンブリエルのような隊長クラスは、今回の戦闘の改善点や戦術解析などの報告書を仕上げなければならず、結局休暇は潰れることになる。

 

そんなわけで、アンブリエルはその腹いせとしてエールの机で報告書をガリガリと書き殴っているのである。

 

「っはー……。なーんで休みがなくなったん……。マジだりー……」

 

戦闘という極度のストレス状態の後は当然力が抜ける。アンブリエルが専門としていたのは暗殺であって、殺し合いではない。慣れていなかった。つまり寝たかった。

 

現在時刻は朝の5時。太陽はまだ登っていない。

 

こんなクソ早い時間に起きる羽目になったのは、多少事情がある。というのも前線基地で眠っていたら叩き起こされ、補充部隊が基地に入るから後方基地に戻れなどと言われ──。

 

今思い出しても腹が立つ。気持ちよく眠っていたというのに──もう少し人の気持ちを考えて計画とか練れないものなのだろうか──とか思うが、組織とは大体そんなものである。

 

そんなわけで所在なく帰らされた射撃部隊の多くはそのまま1日分の休暇を頂いたのだが、アンブリエルは”お前明日までに今日までの分の報告書仕上げとけよ”とか言われることになる。

 

ふっざけんじゃねぇそんなことやってたら休みなくなるじゃんとかいう反論は無意味だった。軍人は黙って従うのみである。

 

「はぁー……」

 

吐く息から魂が抜けていくようだった。

 

未明の街は暑いんだか寒いんだかよく分からない気温で、湿度ばっかり高くてうんざりだった。エアコンのあったラテラーノでの生活が恋しい。

 

そもそもエールの部屋にさえエアコンないってどゆこと? この国ってそんな文明の利器ないん? 頭の中では文句が無限に生まれ続ける。

 

事実、アンブリエルは誰がどう見ても疲れ切っていた。なんといっても教え子たちの初実戦だったし、そもそも指揮なんて何も分からないのに自分以外に出来る人がいないし。挙句エールの野郎はどこで何をしてるのか分かりゃしない。

 

「……何してんだろ、あいつ」

 

流石にエールも寝ているはずだ。あの男は寝る場所も不定なので、会いに行こうと思ってもどこにいるか分からない。

 

「……仕事しよ」

 

日が登る直前に寝ようと思って上手くいった試しはあんまりない。さっさとで仕事を終わらせて寝よう──そう思い直してペンを持ち直す。

 

──勢いよく近づいてきた足音と共に開いた扉の音に、アンブリエルは驚いてペンを落とす。

 

ここはエールの執務室で、しかも午前5時。こんな時間に誰も来るわけがないと思っていたからここを使っていたのだが、まさか誰か入って来るとは。

 

「え、ちょ……エール!?」

「……君か。ここで何をしてる」

「机借りてる」

「……まあいい」

 

アンブリエルの使うデスクの前、ガラスのテーブルを挟むソファにエールは倒れ込むように寝っ転がった。ソファをベッド代わりにするのはスラム時代からの癖だ。

 

「こんな時間にお疲れさんよねー」

「……少し面倒なことになる。考えを整理したい──少し話を聞け。聞くだけで構わない」

「なんか偉そうなんだけどー?」

「……そうかな」

 

目の下の隈からして、エールはほとんど眠っていないようだった。

 

アンブリエルの当たりは若干強い。

 

エールの隠れ家を使って以来顔を合わせていなかったアンブリエルは、少し接し方が分からなかった。もっと簡潔に表現するなら、あまり素直になれなかった。

 

それにどうにもこの男から妙な気配がする。どこが出どころかは分からないが、なんかエールに恋人がいるだとかいう噂を聞いて以来気が気でない。

 

「情けない話だが、今の僕にはあまり余裕がなくてね」

 

エールは一睡もしていなかった。

 

ブリーズの傷の手当てに付き添ってから、ずっとこの後のことを考え続けていたためだ。

 

一睡もしないというのは控え目に表現して馬鹿だが、実際エールは焦っていた。

 

来たる大統領選、その票の集め方。ハノルの取る戦略の予想、対策など──考えるべきことややるべきことが多過ぎた。それとフォンの行方がわかっていないことも考えるべきことだった。

 

客観的に見ればすぐにわかることだが、エールの負担はかなり強かった。

 

貴族関連のことはほとんどエール一人がやっていたのだ。スカベンジャーがエールの刀として動いてはいたがそれだけだ。

 

「誰か頼ればいいのにさー。一人でなんでもできるとか思ってんじゃないのー?」

「……危険な仕事だ。ある程度の強さと独立性を備えた人材が必要になる。だがそんな人材は貴重だ。そう見つかるものじゃない」

 

だからこそスカベンジャーの有用性は際立っていた。

 

換えが効かないとは言わない。だがエールには必要な人材だった。

 

せめて彼女が去る前に、この山は片付けなければならない。

 

手のひらで目を覆って、だらりと体をソファーに預けているエールは、傍目にも結構参っているように見えて、なんだか珍しかった。

 

この男が弱さを見せるのは、実はそれなりに珍しいことではある。

 

「もっと探してみたらいーじゃん。案外そこらへんにいるかもしんないしさー」

 

自分を使え、頼れ──と、素直に言えない自分が恨めしかった。

 

片手で顔を覆ったエールの表情は見えないが、口元だけが形だけで笑って、エールは自嘲気味に言う。

 

「……かつてはいたんだ。僕にも……心の底から信頼できる仲間たちが」

 

──いや、前も話したか、と付け足して。

 

口元だけは笑っていた。

 

今、どんな目をしているのだろう──報告書を書く手は止まっている。

 

「……すまない。君に言っても仕方のないことだな。忘れろ」

 

明らかに参っていた。これまで見た中で、一番力なく、そして自嘲した声で──聞いてられない。

 

そんな声にいい加減限界が来て、アンブリエルは椅子を立った。

 

そして──。

 

「……何のつもり?」

 

アンブリエルはぐいっとエールの頭を持ち上げ、空いたスペースに座り──そのまま頭を下ろした。

 

横になったエールと目が合う。

 

力の入っていない、掠れるような声で──。

 

見ていられない。

 

「あんたが情けないから……仕方なく、よ」

 

どこからどう見ても膝枕だった。

 

そう、これは仕方なく──仕方なくだ。

 

柔らかい感触がする。

 

「……はは、僕もずいぶんやられてるみたいだ」

 

だが、その顔から自嘲の色を取り去ることは出来ない。

 

「気を遣わせたね」

 

体を起こそうとするエールの頭に手を置いて押さえる。

 

体は起き上がってこなかった。

 

「……ま、話してみ?」

 

思ったよりも柔らかくて優しい声が自分の喉から出てきて、アンブリエルは少し驚いた。あとエールの重さがなんだか心地よかった。

 

服越しに感じる髪の感触や、狐耳の柔らかさ。

 

「……ノースに不穏な動きがある。議員の動きが厄介そうでね──他企業への根回しで、レオーネへのあらゆる物資供給を断ち切られるかもしれない」

 

届いた書類、深夜の来客──。

 

「うん」

「要求は単純だ。そうされたくなければ、さっさとノースの要求を飲めってさ」

 

要求、つまりはレオーネがノース、つまり企業連合の経済支援を受けることだ。だがそれはレオーネ内に貴族の影響が入ることを意味し、これからの戦争に強い影響を及ぼす。そもそも北部との戦争に負け続けてきた貴族にリードを渡すわけにはいかない。

 

「……ヤツにしてみれば、明らかに僕が邪魔なのは分かってる。ヤツの目的も今ひとつはっきりしないが──だが、敵対しているのは明らかだ」

「うん」

「それと問題なのは来月に迫った大統領選だ。残り二週間を切ってる──もう時間がない。特にレオーネは新興の組織だ。議会への影響力はそう強いものじゃない。政治的な部分はノースの方が明らかに数段上だ。どうすればいいのか分からない。だがこのままでいいとも思わない。この国のトップを奪われる訳にはいかない」

 

淡々と事実を並べている中に、苦しさが紛れていた。

 

「うん」

 

だから、アンブリエルはただ頷くことにした。

 

「……フォンの行方が分からない。元スーロンの連中が何か妙な動きをしている。フェイズが関わっていないのが救いだが、あの銃は……連中が関わっている。誰が病院を襲撃したか分からない。何の目的があってブリーズまで襲ったも不明だ」

 

女の名前が出てきて問い詰めたくなるが、ここはぐっと我慢。

 

「うん」

「それと感染者の扱いだ。この国で労働者としての地位が安定するかどうか、今が瀬戸際なんだ──そのための政策を打ちたいが、もう前のようなゴリ押しが通じそうにない。議席での発言権が必要だが、そのための力が足りない」

 

感染者に対し同情はない。

 

人間など手段だ。道具だ。力が足りないのだから。

 

「時間がない。手段が分からない。使える人間が少ない」

「うん」

 

足りないものばかりだ。

 

それでも戦うと決めたのだから。

 

「正しいことなのか分からない。何が最善なのか判別がつかない」

「うん」

 

そして──。

 

「……僕に出来るのか、分からない」

 

そんな声を、初めて聞いた。

 

弱気になったこの男の姿など──実は、初めて自分が見たのではないだろうか?

 

「うん」

「……大きな問題としては、その程度だ」

 

長い息をエールは吐いた。

 

「……少し休みなよ、エール」

 

そう言うと、初めてエールは穏やかに微笑んだ。

 

貼り付けたような顔ではなく、心からのような──。

 

「……二時間だけ、寝る。アンブリエル」

「なに?」

「……ありがとね」

 

──もうエールが目を瞑ってくれたことを、この上なくありがたく思った。

 

こんな顔、見られたらきっと恥ずかしさで死んでしまう。

 

今すぐにでも逃げ出したい気持ちと、いつまでもこうやっていたい感情の波の中で、アンブリエルは実に五時間ほどそうしていることになる。

 




五時間も膝枕してたらいい加減痛くなると思うんですけど(名推理)

・ブリーズ
今更なんですが、グレース・アリゾナだと名前はグレースになるんですよね。私は何となくアリゾナとか書いてますが、多分苗字で呼んでる感じになって変だと思います。でも今更直すのもアレなので、過去編での表記はずっとアリゾナです
幼少期の主人公くんと遭遇していたことが発覚。この時にちゃんと名前を教えていれば本編は変わっていたのかもしれない

・エール
そういうとこやぞお前

・アンブリエル
久しぶりに登場した。天使か?
天使だった。


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1096年7月19日:もしも夜空から一つ光が消えたとして -5

元スーロン19名が集まっていたのは、先のバオリア防衛戦以来だった。存命している元スーロンは合計で21人。居ないのはリーダーのフォンとエンジニアのフェイズだけだ。

 

「集まったな。じゃあ伝えること伝えるぜ」

 

レオーネに入った彼らだが、根は未だ地下に隠れるギャングだった。そして元スーロンらは一つの部隊に纏められていたものの、実際には警察のような治安維持が主な任務だったため、各地に散らばっていたのだ。

 

実際のところ、ハノルの指摘は的を得ていた。

 

──暮らしもある程度は保証されている。以前のように、日陰に潜む必要も無くなった。

 

だが市民からの視線は、そう心地良いものではなかった。

 

南部エクソリアには感染者の数が極端に少なかったことは確かで、差別意識が低かったことも事実だ。

 

だがそれは、鉱石病(オリパシー)という病そのものの認識率が低かったことに起因するためであり、鉱石病の認知が進んでいってからも差別意識が低いままであることを意味するものではない。

 

──そもそも肌から鉱石が生えているなんて、普通ではないだろう。

 

それを恐れることの何が不自然なのだろう。感染者と接していたら、自分の腕にも石が生えてくるかもしれないと考えることの、一体何が間違っているのだろう。

 

感染者の流入により、市民たちは選択に迫られていたのだ。

 

鉱石病を──感染者を恐れ、排除するのか。それとも恐怖を克服し、同じ人であることを認めて受け入れるのか。

 

後者になった国は、このテラではひどく稀だ。

 

「まず、フォンと連絡が付かねえことだ。説明するが、今事態は妙なことになってやがる──」

 

そんな中で、元スーロン構成員たちも決断をしなければならない状況になった。

 

エールを信頼すると決めたのはフォンだ。そしてフォンの決定を信頼すると決めたのは自分だ。だからこの国に来た。

 

感染者はずっと楽園を求めている。

 

それは、感染する以前の、平穏で幸せな暮らしを取り戻したいという願いだ。

 

あるいは、これ以上苦しみたくないという思い。感染者というだけで差別されることを認めたくない心。

 

──セイが死んだのがただの事故だと思えるほど、寝惚けた覚えはない。言い残した言葉には何かがあるはずだった。

 

結局のところ、自分たちが争いの中で惨めに死んでいくことを認めたくないのだ。その運命に抗うことが出来るのだと証明がしたいだけなのかもしれない。

 

テスカ連邦での計画は失敗に終わった。予想もしない方向から飛び込んできた爆弾が全てを壊した。

 

感染者の独立計画。それが間違っていたとは、今でも思っていない。

 

「──っつーわけだ。それとウォルグが掴んできた情報に関して共有する。結論から言えばアタリだ。あの野郎、やべーもんに手を出してやがったぜ。プルトンってモンの正体がアレだとしたら──」

 

お喋りなのは男の特徴だった。無駄話に睨みを効かされ、男は肩を竦めた。

 

「……分かった分かった。平たく言えば奴の資金源は──シニョリッジだろう」

 

シニョリッジ──とは。

 

「まあアレだ。国が金──つまり通貨を刷るだろ? そん時に発生する利益のことだ」

 

通貨発行益とも呼ばれるもの。

政府や銀行が発行する通貨、紙幣からその製造コストを除いた分の発行利益のこと。

 

「ガキでも思い付きそうなことだ。金が欲しいんなら刷りゃいいっつー話で、立場や権力のある連中ならまあ、出来ねえ話じゃねえ」

 

その手法は至ってシンプルで、つまり造幣機関を私物化してしまえば良い。

 

そうすれば、無限に取り出せる国家規模のサイフの完成、と言うわけだ。

 

「おそらくはこのシステムが”プルトン”だろう。クソくだらねぇシステムだがな。ハノルの野郎がこいつを運用しているはずだ」

 

他のメンバーが発言した。

 

「だとすると、セイはこれに辿り着いていたってことか?」

「まあ、そう考えんのだが妥当だろ? ヴォルグ、見つけたんだったよな」

「危ない橋を渡ったよ……馬鹿みたいに積まれた万札の束がコンテナでいくつ積まれていたか数えきれなかった。平然な顔をして一般の大型貨物に偽造してあったんだ。全く恐れ入るけど──」

「まあとにかく、やっとヤツの喉元を捉えられたっつー訳だ。とびっきりのニュースの種も手に入れたことだしな。あとはこれをどう使うかだ」

 

やっとそれらしくなってきた。

 

戦うべき相手と、その勝利条件が少しずつ見えてくる。

 

あとは──フォンの作戦と、号令があればこそ。

 

「確認するが、フォンと連絡が取れたヤツは居ねえんだな?」

「さっぱりだ。宿舎も無線もさっぱりで、忽然と消えた──俺たちに連絡がないっつーのはありえねえ。攫われたか襲われたか──死んだ可能性もある」

 

こういう荒事は、以前もそう珍しい話ではなかった。だが所詮それらはギャング同士の抗争に過ぎなかったし、貴族を相手取った経験などない。

 

貴族というのは、普通に考えて巨大すぎる相手だ。

 

「それとエールだ。誰かヤツと会ったか?」

「お前のとこに来てねえのか?」

「すぐにでも来ると思ってたんだがな……。あいつもフォンを探しているはずだ。俺たちに連絡を取るのが普通のはずだが──何かあるのかもな」

「案外ぐーすか寝てんじゃねえの? 女侍らせてよ」

「あの野郎がか? 想像付かねえ。そもそもあいつ女居るって話じゃねえか」

「ああそうだ、その女が刺されて重体ってんなら、エールとフォンが会うとまずいんじゃねえか」

「──フォンがんなことするはずねえが、万が一もしフォンがエールの女を襲ったとするなら……おそらくフォンは死ぬな」

 

以前のNHIとの抗争で、エールは小隊を一人で皆殺しにした。

 

スーロンたちは同じだけの数を相手取り、勝ったものの──こちら側の死者は十名近く出したのに対し、エールは片腕一本だ。

 

「……エールは正真正銘のバケモンだ。フル装備の小隊相手にほぼステゴロで勝てるヤツなんざ、この世界に一体何人いる? 真正面からヤツと戦う事態は絶対に避けねえといけねえ。片腕を失っても……戦闘に関して、ヤツは絶対的だ」

 

そしてフォンは、戦闘に関しては平凡の域を出ない。

 

フォンは戦闘員ではなく司令塔──フォンの強みは、作戦立案や分析、指揮だ。そしてフォンは選択を間違えない。

 

スーロンはかつてよりもずっと小さくなった。全盛の時のメンバーの半数以上はもう死んでいる。だが死なせた責任がフォンにあると考えているメンバーは一人もいない。フォンがいなければ、そもそもとしてここにいる全員はもう死んでいるだろう。

 

「正直、ヤツの力は借りたいが──本当にヤツの向かっている方向が正しいのか、俺は疑問だ。このままヤツについて、レオーネに残ったままで良いのか?」

「だがヤツを信じると決めたのはフォンだろ?」

「だが実際フォンは行方が知れねえじゃねえか! もしかしたらもうエールはフォンを始末してんじゃねえのか!?」

「可能性は低いよ。フォンがそんなことをする理由がない。病院で騒ぎを起こしたのはハノルの可能性が一番高いに決まってるじゃないか」

「だがそれはなんのためにっつー話だろ?」

「その話はもういい。今回はこれからの方針を決めるって集まりだろうが」

 

騒ぎ出したメンバーを沈めて、一人が話し出した。

 

「最優先はフォンを見つけ出すことだろ? んで、話を進めるためにフォンを信用する。ここまでは良いよな」

 

特に異存はなかった。

 

「んで、おそらく原因はハノルの野郎だ。ヤツがフォンを攫うなりなんなりして、多分どっかに監禁されてるってのが妥当なところだ。ならとにかく探し回るしかねえ」

「ハノルからの要求とかはねえんだろ?」

「ねえよ。交渉は決裂した。もしヤツがフォンをどっかに監禁して、まだ殺してねえとすりゃあそれは俺たちを動かすためだろう。どっかに誘き寄せようとしてんだ。違ぇか」

「それなら話は簡単だ。こっちから乗り込んでやれば良い。フェイズに頼んどいた武器も届いた。明日、決着をつけに行くぞ。いいな」

「だがどこに行くつもりだ?」

「こっちから出向いてやればいいだろ。ヤツの根城、リン家にだ。連中は大した兵隊はもってねえはずはずだからな──ぶっ潰しちまえば良い。これまでもそうだったろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──すまなかったなぁ。お前を救ってやれなくて』

 

夢を見ているような気がした。

 

『ねえちょっと、ブラスト。聞いてる?』

 

長い夢のようで、記憶のような。

 

『あんたなんなんすか! それがエリートオペレーターなんすか!? オレは認めねえ……認めねえぞ……ッ!』

 

それをぼんやりと、幽霊になって眺めている感じがした。

 

『けど……”それ”じゃ、何も変わらないじゃない────……』

 

『俺、ロドスに助けなかったら今頃どうなってたか──本当に感謝してます、ブラストさん』

 

『……アルカーチス』

 

『ブラスト! 次の任務合同だってさ!』

 

「──る」

 

『あんたなんて産まなければよかった』

 

『私に触らないでッ! 感染者なんでしょう!?』

 

『あたしさ、助けてもらったのがお前でよかったよ』

 

『怖いよ、ブラスト……』

 

「──る!」

 

『あなたの下で戦えたこと、誇りに思います。隊長』

 

『──私と共に来るか?』

 

『はは、なんすか──泣いてんすか、隊長』

 

「エール!」

 

ぱっちりと開けた視界で、アンブリエルと目があった。

 

上から垂れてきている桃色の髪が顔に少しかかってくすぐったい気がする。

 

「や、その……別に、その、アレよ? あたしは起こそうとしたんだけどさ?」

 

バツの悪そうな言い草に、横になったまま時計を確認すると──かなり時間が経っていた。

 

「でもほら、まあ……うん。まあ……」

「……まさか、ずっと膝枕(これ)してたのか」

 

体を起こすと、眠気や疲れが幾らか無くなっていることに気がついた。睡眠はやはり重要だ。寝るだけで問題が解決することはないが、手助けにはなるだろう。

 

「……」

 

沈黙を保ったアンブリエルの頬は少し赤い。それを隠すようにエールから顔を背けていた。

 

「誰か来なかったか?」

「や、誰もー?」

「そうか」

 

平然を装ったアンブリエルと、そんな心には気づかない──いや、差し迫った問題のことしか考えていないエール。

 

──と、エールは顔を流れる何かの感触に気がついた。

 

手を当ててみると、それは透明な水で──泣いていたのか?

 

その頃にはもう、見ていた夢のことを思い出せなかった。

 

何か、大切な夢でも見ていたのだろうか。

 

……なんだったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ほとんど初めてだったのは、外で休むという行為だ。

 

自分がここならば安心して休めると確信できない場所では、絶対に気を抜かない。これはそう決めているという訳ではなく、そうでないと休めない。

 

「こんなところに居たのか。探したよ、無線機はどうした?」

 

虚しさの混ざった休憩は、招かれざる客の存在によって壊れた。

 

「やってもらいたいことが山ほどある。まあさっきまで寝てた僕が言えることじゃないが──」

 

日陰者には珍しく、高い場所にいた。

 

外装に拘った建物で、赤土などによる装飾が特徴的で──何より大きかった。

 

暗くて狭い場所が好みなのに、どうしてこんなだだっ広い屋上にいるのだろうか。

 

それが向かうところ、一番の疑問だ。

 

「……なぜ、ここにいるとわかった」

「アンブリエルのアーツだ。それに別に問題なのはそこじゃない」

 

器用にタバコを咥えて、強い風の中でライターに火を灯す。

 

煙はすぐに吹かれて消えていく。

 

「君が何を考えているのか、僕はなんとなく分かる。だから言うが、それに対処する方法はない」

 

雇われの身分という観点で評価するなら、今の姿勢はゼロ点だ。一体何があろうと、仕事はやり遂げるべきだからだ。

 

「……お前に、一体何が分かる」

 

エールと言えど、尽きるところは他人だ。

 

理解されたいなどと誰が願った。誰が頼んだ。

 

分かって欲しいという感情は、あまりにも下らないものだ。なんの役にも立たない。

 

「じゃあ聞くが、君は()()の何を知っている? 君が彼女に関して、何か知っていることがあったのか?」

 

彼女、という言葉が誰を指すのか。

 

それをすっとぼける気にもならなかった。

 

「……知っていたところで、何が変わる」

「変わらない訳がないだろう。スカベンジャー、君は恐れていたな。自らの内側に踏み込まれることを、人の内側を知ってしまうことを。大方”優しい人間”などというカテゴリー分けでも作って予防線にしていた。違うか?」

「なんだと……?」

「そうでなければ、どうして君は彼女を拒み切れなかった? ああいう手合いがこの国でどうなるかなど、想像が付かなかったか?」

 

拒絶とは、恐れの裏返しだ。

 

分からないものを恐怖する。それは生存本能から来る、人として当然の機能。

 

悪党ならばいい。スカベンジャーはそれがなんなのか知っている。どうすれば上手く立ち回れるのか知っている。

 

だが、理解できなかった。

 

「だが遅かれ早かれ、彼女はいずれ殺されていただろうな。君の行動に関係なく──おそらくは後継者争いだとか、その辺の理由で」

「それがどうした……」

「まだ分からないのか? 君が今していることは時間の浪費だ。後悔は役に立たない」

「後悔など、していない」

「してるさ。内容を当ててあげようか?」

 

黙って聞き流すことにした。

 

これこそ聞くだけ無駄──。

 

「──なぜ自分は、彼女を守ることが出来なかったのか……ってさ」

 

ミーファンはあのベッドの上で死んだ。

 

スカベンジャーの目の前で──何も出来ずに、立ち尽くしていた。

 

「違う?」

「……下らない。それを思ってるのは、あんたの方だろう」

「誰しもを守ることは出来ない。僕は……もう、割り切った」

 

ブリーズは一命を取り留めていたが、未だ目を覚ましていない。彼女も血を流しすぎていた。

 

青年は冷たく言い放った。

 

「もしも自分がその場所に居たのなら、守れていたって考えずには居られない。そうだろ? なぜならそのための力は実際持ち合わせていた訳だ。だが出来なかった」

「元々私はあいつとなんの関係もなかった。私に大切な人間などいない」

「そうかもしれない。だがそうなるかもしれなかった。そうなる前に死んでしまった。迷っているんだろう。どうすればよかったのか」

「何が言いたい……」

「最初から言っているだろう? 君には出来ることがある。そしてそれは、ここで項垂れることじゃない」

 

乾いた床に座り込んで、ただ眼下に広がるバオリアを見下ろしていた。

 

横に立つエールとスカベンジャーには、確かに同じ景色が広がっている。だが、見えているものは違う。

 

「聞いたことはなかったが、君の戦う理由はなんだ?」

 

返答はない。普段から人と話すのは嫌いだ。今は尚更そうだ。

 

「それとももう分からなくなった?」

「……お前、今日はよく喋るな」

「働けと正面から言って君が働いてくれるのなら、僕だってこんな周りくどいことはしないさ」

「……だがお前は、さっきまで随分気持ちよさそうに寝ていたがな」

「見てたのか……。起こしてくれてもよかったんだけど」

 

エールの執務室には行っていた。約束の期日は明日で、報告することもあった。

 

半開きになった扉の先に座っていたアンブリエルの表情を見て、スカベンジャーは結局踵を返していた。

 

あの時なんとなく、アンブリエルが何を思っていたのか分かった気がした。

 

「お前の連れは重体で入院しているのに、呑気なもんだったな」

「……刺さるね」

 

結局のところ、集中治療室に運び込まれていくブリーズを前にエールが出来ることは何もなかった。それに普通に考えればアンブリエルの膝枕は関係はないだろう。

 

吸い殻を床に落として踏み潰した。

 

煙草の匂いが風に靡いて、すぐに消えていく。

 

「期日は明日までだ。何にせよ返答を叩きつけなきゃいけない。連中を潰すために、君には出来ることがある。どうする?」

「あんた、最初はどうやるつもりだったんだ」

「どうって?」

「リン家をどうやって潰すつもりだった」

「理想的な展開は反撃で潰すことだった。向こうから武力行使を行ってくれれば大義名分が出来る──あのリ・ハンの件があっただろう。裏の連中とハノルが繋がる証拠を見つけられれば、そこから崩せる」

 

スカベンジャーが行っていた潜入はそのための調査だった。エールもそのために動き回っていた。

 

結局、バオリア掃討戦を利用されたことにギリギリまで気づけず、ミーファンは死に、ブリーズは重体。

 

人員は掃討戦の方に割かれ、使える人員は少なかった。

 

だが別にそれが無くても、きっとエールはほとんど一人でやろうとしていただろう。その理由があった。

 

ずっと疑っていたことがあった。

 

以前よりそうだった。防衛戦の時も、アルゴンのゲリラによる夜襲の時もそうだった。

 

スパイがいるのは当然だろう。情報戦とはそういうものだ。それを前提に進めるのが戦争。

 

だがそれだけではない。上層部しか知らないはずの情報が北部に流れていた。それはつまり、上層部の誰かが北部に内通している。その疑いの中にはグエンすら含まれている。

 

結果的に、誰も信用出来ない状況が出来上がっていた。

 

「だが結局はこのザマだ。君を責めている訳じゃない。よくやってくれたと思う。だが……結局全て、ハノルの手のひらの上で踊っているだけだ」

「最初から思っていたことがある。どうしてお前は、最初からヤツの首を取ってこいと言わなかった?」

「名分が必要だった。それに失敗した時のリスクが大きすぎた」

「だが失敗したな。言い訳など、後からいくらでも出せるだろう……最初から、殺される前に殺しておけば良かっただろう……!」

 

何のかんの言いながらも命令に従うのみだったスカベンジャーが、初めてそんなことを言った。

 

依頼主の命令に従うのが傭兵だ。そこに傭兵の意見は求めないのが普通だ。

 

「君も変わったな。彼女──ミーファンを殺されたのが、そんなに恨めしいか」

「違う……」

「それを認めることがそんなに怖いか。彼女のことを大切に思っていたと認められないのか?」

「違う……! それ以上喋るな……ッ」

「復讐を考えているんだろう」

「ふざけるなッ! 私は私自身のために戦う……!」

 

スカベンジャーには信念があった。

 

どれだけ汚い世の中でも、ただ生きて、生き抜いてやると。その過程で自らも汚れることに抵抗はない。

 

だから、目の前で誰が死のうと文句など言えるはずもないのだ。

 

「それとも彼女を守れなかった自分自身が腹立たしいか?」

「いい加減にしろ──正義感など下らない。そんなものが何の役に立つ」

「その通りだ。正義感は誰も救わない。結局は力が必要だ。分かっているんだろう。必要だったのは直接的な暴力じゃない。自分一人を守るだけならばそれで十分だ。だが他人を守るのは酷く難しく、そして脆く儚い」

 

ブラストの伸ばした手の先でルインの命は過ぎ去っていった。

 

あの時にどうすれば守ることが出来たのか、今考えてもわからない。

 

「僕はそのための力を求めている。連中を潰せば手に入る。君はどうだ?」

「……必要ない」

「なら、この先もその後悔を抱え続けるか? 復讐しろ、スカベンジャー」

「何にだ……?」

 

決まっているさ、と勿体ぶってエールはぞっとするような笑みを浮かべた。

 

「これまでの人生の全てに、だ」

 

今でさえ表情を表に出さないスカベンジャーだが、この時ばかりは目を見開いた。そして呟く。

 

「お前は、狂っている」

「失礼だな……」

 

それこそ心外とばかりに言い返すが。

 

別に否定しないあたり、ある程度の自覚はあるのだろう。

 

それこそ生まれた時から、ずっと。

 

「復讐とやらで何が変わる……。何か変えられるか」

「……は、そうだ。その通りさ。何も変わらない──変わらないんだよ。この世界に生きてる連中はどいつもこいつも馬鹿ばかりだ。どうしてこうも簡単に争い合うことが出来るのか……どれだけ殺したって足りない。全然足りない」

 

後どれだけ殺せば世界を変えられるか考えたことがある。

 

全員殺すまで変わらないだろう、と結論づけた。

 

「そうだろ? 彼女が死んだところで、一体何かが変わるものか。昨日と今日の景色に何か変化はあったか。所詮腐るほどいる人間のうちの一人、死のうが生きようが──」

 

エールは嘲る。

 

慣れたように、皮肉げに嫌らしく口元を歪めて言う。

 

その様はまるで、スカベンジャーが普段しているような仕草で、まるで鏡写しのようだった。だとするならば、鏡面にそのまま映るのは自分の姿で、本当は分かっているはずの事実──。

 

「その事実が出来ることなど、精々君をそうやって失意の底に叩き起こすことだけだ。そしてそれは必要のない思いで、必要のない感情に過ぎない。忘れろ。これまでそうしてきたように」

 

そうだ。

 

忘れろ。忘れてしまえ。感情は破滅の元だ。理性に従え。

 

己の理性に従え。

 

「命を夜空の光に例えた歌があってさ。人間の死ぬ様を、星の光が消える瞬間に例えるそうだ。昼間に見えず、雲で隠れ、より強い光で簡単に見えなくなる。そしてそれらは所詮景色に過ぎない」

「何だ、いきなり……」

 

突拍子もない語り始めだった。

別にその話に興味があったわけではない。ただ勝手に耳に入ってくるだけだ。

 

「この空に浮かぶ星が一体いくつあるか知ってるか?」

「知るか」

「一説によれば1000億を越えるそうだ。だが肉眼で捉えられるのは精々が1万。そんな数が日々瞬いている──だが、消える光もある。小さな光が見えなくなる。前触れなく、突然に」

「だから何だ」

「そして誰も気が付かない。数千の中に瞬いた光の一つが消えたことに気がつくのは意識していたって困難だ。初めから居なかったみたいに消えていく」

「さっきから……何なんだ、お前」

 

苛立ちの混ざった声で呟く。エールは構わず続けた。

 

どうして変に苛立つのだろう。心という湖に波立つ、表しようのない怒りに似た衝動が沸き立つのはどうしてだろうか。

 

「それはまさに、命の価値を表現している」

 

人の命はより簡単に潰える。

 

殺すより生かすほうが難しい。

 

「ならさ、こうは思わない?」

 

壊すより作るほうが難しい。

 

あまりに簡単に消えるものだから、そんなものは最初から存在していなかったのではないか?

 

「もしも夜空から一つ光が消えたとして、誰が気にするものか──って」

 

どれだけ大切だったとしても、どれだけその価値を信じていたとしても、この世界に生きる人々にとっては違ったようだ。

 

「僕は気にしない。やるべきことは変わらない」

 

()が一つ消えようと、そのことを知ってしまったとしても気にしないと、そう言い放った。

 

「君も僕と同じさ。何が起きようと、やるべきことが出来る側の人種だ。誰が死のうと」

「やるべきことってのは……何だ」

「分かっているだろう。この世界を変えることだ」

 

一際強く、蒸し暑い突風が灰色に汚れた髪をバタバタと靡かせた。

 

風の音が耳を塞ぐ中で、エールの言葉だけがその場所に残って、嫌にはっきり聞こえる。

 

「理性のない傭兵は必要ない。君にまだ理性が残っているなら、昼前までに僕の部屋に来い」

 

風が止む頃にはもうエールの姿はなく、スカベンジャーだけが残されていた。

 

ずっと街を見下ろしていた。

 

その日、スカベンジャーがエールの元を訪れることはなかった。

 




煽りに煽った結果焚き付けることに失敗した事例
人と話すことは難しいからね、仕方ないね。

・エール
急にシリアスになるやんお前……

・スカベンジャー
迷い中……
正直この話はかなり難産でした。キャラが言いたいことをちゃんと言語化出来ないというか……。

・スーロンの皆さん
取引って?
ああ!

・通貨発行益
(wiki調べ)
ガバガバ知識ゆるして

もう少しで終わるはずです(n回目)


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1−0 某日、狐は一人 上

過去編続き、イクゾー!
エール視点の過去編です








僕は彼女のことが嫌いではなかった。

だが僕は彼女のことが嫌いだった。

僕にとっては、どちらも同じことだった。


「初めまして。私はケルシー、ロドス製薬という会社で医者をしている」

 

──初めてその人に出会った時のことは、今でも思い出せる。

 

「君を……そうだな、スカウトしに来た。単調直入に言おう。私の元で働く気はないか」

 

ご丁寧にアポまで取って、表──スラムの住人はスラムの外を表と呼ぶ──のとある場所だった。

 

ケルシー先生にはその時に出会った。

 

その人はこれまでに出会ってきたどんな人間とも違っていた。

 

それはスラムの人間の下らない無駄話や意地汚さ、あるいは貴族連中の本当に自分が選ばれた人間だと信じ切っているようなものではなく。

 

真っ直ぐでなく、しかし曲がっているわけではなく。

 

「つまり、君を傭兵として雇いたい。私個人のな」

 

──何よりもただ、やるべきことをやる。

 

そんな冷たい在り方に、不思議と心を動かされたのかもしれない。

 

あの人の差し伸べた手を、僕は────。

 

 

 

 

 

 

 

 

某日、狐は一人

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレは例の家の裏にでも置いてろ。金はいつもの通りだ。ほら」

「まいどありー。しっかしあんなもんどうする気だ? ダーツバーでも始める気かよ」

「よく分かったね。依頼人のお強いご要望だ。店を開くのが夢だったらしい」

「あんなボロの中古品でか?」

「そこはご愛嬌だろうさ。同情する気があるのなら、一つ新品のダーツマシンでも用意してやったらいい」

 

そうエールがいうと、チェーンネックレスをじゃらじゃらと垂らした男は鼻で笑った。

 

「ダーツ泥棒でもしろってか?」

「そりゃいいな。銀行強盗よりは楽しそうだ」

「はっ! 間に合ってるよ、んなもん」

 

缶コーヒーとタバコの煙。

 

雑多なクラブに錆だらけのサウンドスピーカー、流れる音ばかり大きく、このクラブにはいつも同じ曲が流れている。

 

内緒話にはうってつけの場所だった。

 

──人々は安っぽい酒と音楽で踊り狂い、明日への不安を投げ飛ばしている。日々の苦しい労働や暮らしのストレスから今だけは逃れられる。

 

底辺の暮らしでも、少々の耐久力があればそこから逃れることは不可能ではない。労働者でも貯金をして、住む場所や国を変えることで、元の暮らしに戻るまでは行かなくとも、スラムからは脱出できる。それは空想上では可能だ。

 

実際にそんなことは出来ない。薄汚い明日から逃れるために、酒やギャンブルで日々を紛らわす。そうでないとやっていけない。そうするうちに、またスラムから脱出するチャンスを自ら手放したことに気がつかなくなっていく。

 

ディスコの煙は、まるでその事実を覆い隠すようだった。

 

「それで、例の件に関して話を聞きたい。その例の、公爵様だかに繋がってるとか言い張ってる男の話」

「……おいおい、まさかエールともあろう男があんな与太話を真に受けてんのか? 冗談に決まってるだろ」

「信じちゃいない。だが可能性はゼロじゃない」

 

スヴィンという盗品専門の中古屋がいる。エールとも繋がりのある男で、話を聞いた。

ユーロジーは確かにそこに流れていた。スヴィンはユーロジーに大層な高値を付けたらしいのだが、それを買っていった者が居たという。

 

実はスヴィンの店には常連がいて、定期的に訪れては色々と大量に買い漁っていくらしい。初めて聞く話だが、要はスヴィンは転売業者を常連に持っているということだ。

 

珍しいことではない。ただ、一つここで問題がある。その転売業者は──顧客に、貴族を持っているのだと豪語しているという。

 

それが今の話に出た男のことだ。

 

「接触くらいは出来ないか?」

「まあ出来ねえこともねえだろうが……時間と金の無駄だろ? 紹介制らしいから人を探さねえといけねえだろうし」

「誰か紹介してくれそうな人に心当たりは」

「あるわけねえだろ。むしろそういうのはお前の専門じゃねえか。お前が知らねえってんならまあ、そいつがマジモンって可能性も逆に無くはないだろうが──あるいはただの物好きのアホか、だろ」

「その二つ、何か違うか?」

「ハハッ、何も」

 

ということでこの線は打ち切り──少なくとも、目の前の男からはこれ以上情報は得られないだろう。

 

「まあ、何かわかったら教えてくれ。情報料は払ってやるさ」

「なんだ、マジじゃねえか?」

「……ただの依頼だ」

 

適当に誤魔化す──ほとんど事実だったが、この件に関して突っ込まれるのも面倒だ。

 

「まあ値段次第だな。高く買ってくれるのなら、俺もやる気出すかもしれねえな?」

「情報次第だ。有用な情報なら、僕も金を出すかもしれないね」

 

男とは利害関係がはっきりしていた。要は仕事の取引相手と言うわけで、お互い便利屋をやっている立場からして協力することも多い。対立することも同じくらい多い。昨日の敵は今日の友、ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、お帰りなさい」

 

──家に帰ると誰かがいる生活というのは、実のところ初めてだった。

 

小汚いアンティークに積んであった分厚い本はいくつも開いたままで、ページの文字はまるでアリの行列のようだった。

 

「あ、机は借りているわ。いいわよね?」

「……別にいい」

 

エールにとって医者というものは適当な手当てでぼったくってくる欲張りだったが、アリゾナは全くそんなことはないようだ。

 

服装だっていつの間にかスラムに馴染むような格好になっていたが、本と重なったメモ書きの数々はどうにも薄汚いこの家には似つかわしくない。

 

「今日は早いのね」

「これからすぐに出る。鍵は閉めとけ」

「あら、どこに行くの?」

「お前には関係ないね」

 

アリゾナはやれやれという風に首を振った。この男はそれしか言わない。

 

「そうだ。一つ聞いておくことがある。お前が探してるユーロジーとか言う杖は……一体何だ?」

「え?」

「え? じゃない。ただの杖じゃないんだろ」

「いえ、まあアーツロッドだし……ただの杖じゃないのは、そうだけど……」

 

困惑するアリゾナの顔に嘘はない。少なくともそう見えるし、例え嘘でもそれを全く表に出さずに居られるような人種ではないと思う。

 

「なんらかの特殊な事情はあるか」

「ないわ。どうしてそんなことを聞くの?」

「本当か?」

「私の知ってる限りなら、ないわ。まあでも、一応あれって私の家の家宝だし、何かあるのかもしれないわね。ユーロジーは私の家の教えを象徴しているのよ」

 

生地が破れて綿のはみ出したソファに体を預けて、エールは黙って聞いていた。一応何か手がかりがあるかもしれないとは判断する。

 

「貴族よ、弱者のために在れ──そういう家訓よ」

 

思わず笑い出しそうになった。そんな貴族がどこにいる。

 

「でも結局、それはお題目で……私は納得出来なかった。病が流行った時も、お父様は結局何もしなかったわ。家の存続が第一だ、とか言って……自分たちだけが助かろうとした。私は失望したわ。お父様にも……人々が苦しんでいる中、何もせず、何も出来なかった自分に」

 

別段興味のある話ではなかったが、別にわざわざ遮ることでもない。

 

アリゾナはもう何度も同じことを思っていたのだろう──別に、特別ぶった言い方はしなかった。後悔の思いはとっくに摩耗していた。

 

「ユーロジーはアーツロッド……媒体として優秀なの。拡散係数が高くて、特に広域に働きかけるアーツと相性がいいわ。多くの人に医療アーツを届けられるのよ。私とは相性が抜群に良かったけど、それを持ち出して領地のみんなを癒したりすることは禁止されていたわ」

「じゃあ何だ、お父様に黙って持ち出してきたのか?」

「……別に、そういうわけでもないのよね」

 

そこには何か事情でもありそうだったが、どうでもいいことは聞かなくていいと適当に頭の中で切り捨てた。あまり有力そうな情報は得られなさそうだ。つまりユーロジーなるものは他の貴族が欲しがるようなものなのかを知りたかったのだが。

 

どうやら何も知らないらしい。貴族の家宝ともなれば高級品だろうし、盗品は大抵相場より安い。

 

「お前、どうしても取り返したいのか?」

「……ええ。あなたに頼り切りなのが申し訳ないけど──」

「それはなぜだ? 高級品だからか?」

「違うわ。値段とか、受け継がれてきたからとか、別にそんなのどうだっていいの。私がユーロジーを取り返したいのには別の理由があるのよ」

「何だそりゃ」

 

そこでアリゾナは意地悪そうに笑った。

 

「あなたには関係ないわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何でも屋崩れは貧民街には大量にいた。

 

職を失った連中が初めに考えるのは、どうやって明日の飯を食うかだ。買うか盗むか奪うか作るか。

 

次に金銭を得る手段。経済的な観念からすると、貧民街には大量の需要があった。衣食住、安全、娯楽……。ただそれが供給されないのは、購入されないからだろう。

 

そう意味では、何でも屋だとかいうふざけたものは都合が良かった。

 

だがその中で信用を勝ち取った人間はごく僅かで、それで食い繋いでいけるのは更に少ない。

 

ガラクタを売りつけている機材店には一人の女性がいて、ドアの鈴を鳴らしてもう一人が入店してきたところだった。

 

店を預かっているはずの店主はカウンターにいない。大体いつもいない──大抵は奥で寝っ転がっていることを知っている。

 

「……おや。誰かと思えば、君か。奇遇だな」

「あんた……確か、ケルシー」

「私の名前を覚えていたのか。君はそんなタイプには見えなかったが」

「……医者がこんな場所で何をしている?」

 

ラックに吊り下がった剥き出しの基板や空っぽのケース。中身の見えるケーブル、錆と土の付いたさまざまな装置。どこからどう見たって売り物にならないガラクタだ。

 

「視察だ。君こそ何か用があったのか?」

「視察? お医者ってのは社会の面倒まで見てくれるのか。そいつはいい」

「前にも言ったはずだったがな。ロドスはただの製薬会社ではない──以前話していた依頼は終わったのか?」

「あんたに話す義理はないな。それに僕はそのロドスとやらに行くつもりはない。言っただろ、他を当たれって」

 

ケルシーは冷たい瞳をエールに向けた。

 

「一年ほど前、ある貴族の子息が死んだ。対外的な情報では事故死とされている。だが実際には殺害されたようだ」

「……何の話?」

「二つの貴族がいて、ある鉱脈の権利で争っていた。元々鉱脈の権利は片方の貴族が持っていたのだが、鉱脈の採掘場に天災が来て、そこを破壊し尽くしていった。その後の鉱脈には源石(オリジニウム)が混ざってしまい、金属を精錬する過程で高いコストとリスクが掛かるようになってしまった。従来の利権が壊されたわけだ。その金属の供給は一時ストップした」

 

ケルシーの語る内容は遠い世界の出来事のようで、実際現実味はなかった。

 

「問題になったのはその金属の使い道だ。希少金属(レアアース)という工業的に重要な金属でな。そもそもの量が少ない割に使い道が多く、結果的に金属の値段は1.5倍近くに跳ね上がることになる。従来の管理が杜撰だったことや、国の介入があって、結果的に鉱脈は競売に掛けられ、再建を迫られることになる」

「で、それが何か僕に関係があるのか?」

「まあ聞け。そして最終的に元々鉱脈の権利を有していた貴族と、別のとある貴族のどちらかが鉱脈の権利を有することになり、争い合った。特段珍しいことではないが、どこかのタイミングで武力的な干渉が発生した。普通ならば圧力での干渉で済ませるのが普通だ。だが──初めは相手の使用人を買収することから始まったそうだが、そのうちに貴族に怪我人が出て、貴族の面子や立場上の必要性から報復に出た。たかが利権争いに、段々と着地点を見失っていった」

 

特に貴族というのは大きくなるにつれ面子が大切になる。舐められてはいけないからだ。

 

「報復には報復を──馬鹿な話だが、お互いに止まれなくなってしまった。いつしか元々の鉱脈の利権のためではなく、報復のための報復を行うようになり、片側の貴族はついに外側から人員を雇った。命令は──敵貴族の子息を攫ってこい、だった」

「……で?」

「だが外側から雇われた人間は、その手で子息を殺した。その後は姿を眩まし、争いは死人が出たことで終わる。結果的に二つの貴族は確執を持った。証拠こそないが、誰がそのきっかけになったのかは明らかだった」

「だから何?」

 

少しだけ、エールの手に力が入っていた。ポケットには折りたたみのナイフ、すぐにでも喉元を掻き切ってやれる。

 

「その貴族の子息を殺したのは君だな?」

────(殺す)

 

全身の筋肉をバネにして首元まで一直線に手を伸ばす。コンマで展開したナイフで首を切る──。

 

「よせ。私は君を脅しているわけではない。これはただの確認だ」

 

金属同士がぶつかり合う甲高い音に驚いて咄嗟に飛び退く。

 

ケルシーの背中から──なんだ?

 

()()()()()

 

何かがいる。背中から飛び出して──おそらく爪か牙か分からないが、それがこちらを向いて、見てきている。

 

そいつの爪がケルシーを守ったのだろう。

 

「……何が医者だ。ふざけやがって」

「多少君のことについては調べさせてもらった。だがこれを公にするつもりはない。だが一つ聞きたいのは、なぜ殺した?」

「逆に聞くが、僕があんたにそれを教えてやる理由などあるのか? 調べただと? それを知っててただの医者じゃ済まさない」

「スカウトしに来た身だ。相手のことくらいは調べてあるさ。知ったのはつい二日ほど前だがな。君はこのスラムの生活を疎んではいないのか? ロドスに来れば少なくとも気を張りながら生活することはない」

「信用する気はない。所詮は傭兵だろ。今とたいして変わらない。そしてそのことを知っていて尚僕が欲しいってんだろ? ドブさらいが欲しいんならBSWにでも頼めばいい」

「生活は今よりもずっと良くなるとしても?」

「首輪付けられるのは性に合わない。飼い犬はゴメンだ。野良犬の方が自分に従って生きられる」

 

──君は犬というよりは狐だろう、とケルシーはにこりともせずに言う。

 

用事はあったのだが、そんな気分でもなくなった。

 

「もう少しばかりロンディニウムには居る。気が変わったらいつでも連絡してくれ」

「……は、冗談だろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから五日ばかりが経った。

 

アリゾナがエールの家──まあ雑多な建築物に囲まれた隠れ家のようなものだったが──に転がり込んで一ヶ月弱、いつの間にか当たり前になっていた。

 

前住人を叩き出して住み始めて五年ほど経つが、その当たり前がたった一ヶ月で上書きされていくのはなかなかに衝撃的だったと思う。飯の不味さは変わらなかったが、外食の回数は格段に減っていた。

 

適当な店で晩飯を済まそうと思っても、不味い飯を作っているであろうアリゾナを思い出してしまってどうにも気分が乗らなかった。何だか侵食されているようで気に食わなかったことは確かで、本当に認めたくはなかったのだが──。

 

こんな生活も悪くないのかもしれない、と。

 

1パーセントくらいは思っていた……のかもしれない。

 

今はもう思い出せない。

 

「あんたがエールか? 噂は聞いてるぜ、何でも屋(アンダーテイカー)さんよ」

 

だがこうして下卑た雰囲気の男と向き合うと思い出す。

 

自分が誰なのかを。

 

「ディーンっていうのはお前か?」

「ああ。スヴィンから聞いたぜ、どうしても俺に会いたかったんだってな? 何をお望みだ? 車くらいまでなら用意できるぜ?」

「僕は業者からは買わないようにしている。メーター弄られたくないんでね」

「ハッ、言いがかりはよせよ」

「噂で聞いたが、貴族と繋がりがあるんだって?」

「──ああ、そっちの話か。なるほどな? まあ飲もうぜ」

 

とある地下の酒場──形式としてはカジュアルバーだったが、カジュアルというよりは雑多(dirty)だった。

 

スヴィンにはかなり無理を言って紹介してもらった。何でも一度でもディーンから何かを買ったことがあると顧客と認められるらしいのだが、スヴィンはディーンから買ったことがなかった。

 

「酒は嫌いだ。飲まない」

「んだよつまんねえな──」

 

ドラッグの甘い臭いのする店だった。別段気にすることもないが、改めてその臭いが気になって少し店が嫌いになる。

 

「俺は勝手に飲むぜ。おいマスター、なんかウィスキーくれ。薄めんじゃねえぞ」

 

こういう場所で仕事の話をすることは多い。

 

誰しも一つは信用できる店を持っているものだ。マスターは話が聞こえていても、()()()()()()()。それがルール。

 

薄められたウィスキーを煽ってディーンは気を良くしたようにべらべらと喋り出した。

 

「んで何だ、貴族に手を出そうってか? それとも取引か? 何でもいいぜ、金さえ払ってくれりゃあ何だって売ってやるよ」

「転売業者がか?」

「他人の安全を転売してんのさ。いいだろ?」

「最高の仕事だな」

 

ふざけ合うような会話で表層を繕う。

 

「とある杖を探しててさ。あんたが貴族に売り払ったって話を聞いた。どこの貴族に売ったんだ?」

「ああ、思い出したぜ。あの高そうで黒いロッドだろ? 確かに売ったな。だがこっからは秘密さ。プライバシーってヤツだよ。信用は守んなきゃな」

「大口の取引でも取り持とう。60年代のフォード、まあ盗難車だけど──」

 

そんな言葉を遊ばせると、ディーンはニヤリと笑った。

 

「ナンバーは変えてあんのか?」

「別料金で承るよ」

「どこに置いてある?」

「さあ、どこだろう。僕が持ってるわけじゃないからね。現金一括、70万だそうだ」

「60年代だろ? なら60万だろ」

「残念、交渉相手は僕じゃない」

「ハハッ、そこはどうにかしてくれよ」

「67だね」

「65だ」

「ここを奢る。どう?」

「その言葉が聞きたかった! マスター、一番高い酒出せ!」

 

口を歪めて握手した。

 

そんな訳で、転売業者は他人の信用を転売することになった。そうすると貴族の情報を漏らしたことになるが、別に珍しいことでもない。

 

裏切り裏切られ、売って買って──昨日の敵は今日の友。

 

「で、どこに売ったって?」

「聞いたら驚くぜ? ベクタ・ウェル・ヨーク──まあつまり、ウォード総督家だ」

「──!」

「国防を担う貴族様にゃあ収集癖があってな。面白えモンを買っていただけてる訳だ。まあもちろん盗品だとは()()()()

 

ロンディニウムだけで貴族の家は100を超える。その全ての名前など覚えてはいられない。だがエールはその名前に聞き覚えがあった。エールが殺した貴族の子息──あの依頼をしたのはウォード家だ。

 

一年ぶりに聞く名前だった。

 

「ベクタが──なるほどね。今後ともよろしく頼むよ、ディーン」

「ハハハ、お互い様だ。困った時は助け合い、持ちつ持たれつ。隣人は愛さなきゃな」

「ハッ! 全く持ってその通りだ。おお神よ、迷える我らを導きたまえ──」

「ハハハハッ! 神様バンザイ!」

 

結局これだ。

 

下卑だ笑い声を響かせることが、楽しくて仕方ない。

 

まるで理性のない獣のようだと、そう思った。

 

 




・ケルシー先生
時期的な考察をすると沼にハマりそうなので深くは考えません。この作品ではこの少し前にバベルからロドスになったと考えています。テレジアに見つかるとマズいのでスラムとかに潜っている設定

・エール
最初はオペレーターとしてではなくケルシーの私兵としてスカウトされたことが発覚。s.w.e.e.pに所属していた世界線があった可能性が微レ存……?

・名前付きモブの人たち
名前付けたほうがそれっぽいんで名前出しました。別に覚える必要はないです

・アリゾナ
かわいい。かわいくない……?


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1−0 某日、狐は一人 中


「私、あっち──来る、た」
「あはは、”私”ってヘンね! あなた男の子なんだし俺とか僕とかの方がいいわ!」
「?」
「僕──僕がいいわよ、なんかそんな感じだし!」
「それ、なに?」
「えーっと、僕……僕よ! 僕、分かるわよね、僕よ」

アリーヤはアリスの言葉を真似て、一人称を私としていた。知らない言葉を学んでいくのは、他人の真似をするのが早いので仕方なかったのだが、アリスにとってはそれは可笑しなことだったようだ。

「ぼく?」
「そう!」

飲み込みは早かった。

アリーヤと出会って、毎日のようにアリスと遊ぶ。そんな日々が続いていた。

アリーヤは、アリスが何と言っているのか早く分かるようになりたかった。絵本で言葉を勉強したり、アリスに教えてもらったりしながら急速に言葉を学んでいった。

「ぼく、ぼく──僕、は」

アリーヤがどこから来たのかという話の途中で、またその話の続きを始めた。

指差す方角は遥か北。屋敷の塀で見えない向こう側の青い空のずっと向こう。

「あっち、くる、た」
「あっちから来たの?」

拙く、意味の伝わりづらい言葉を何とか理解しようとしながら、会話はなんだかんだ成り立っていたように見えた。子供同士、深いことは考えないものだ。

「……うん」
「どうして?」

簡単な疑問だったが、アリーヤはその言葉に対応できる十分な語彙が備わっていなくて、答えられなかった。

だがもしも言葉が話せたとしても、きっとアリーヤは話さなかっただろう。

両親を殺して逃げてきたなどと知ったら、きっとアリスに嫌われる。絶対に知られたくなかった。初めて出来た友達に嫌われたくなかった。

「アリス、あそぶ?」
「いいわよ、お人形遊びしましょう!」

宝物である猫や狐のぬいぐるみを持ち出してきて、アリスははしゃいだ。

アリスも、同年代の子供たちと触れ合う機会がほとんどなくて、寂しかったのは同じだった。おままごとにもアリーヤは付き合ってくれるし、楽しかった。

運動が苦手なアリスにも、アリーヤは合わせてくれる。少年だったアリーヤに人形遊びなどあくびが出るくらいには退屈だったのだが、だがアリスが喜んでくれるので、アリーヤも嬉しくて。

「アリス」
「え? 何かしら?」
「僕、きみを────まもる、よ」

それはアリスから貸してもらった絵本の中にあったセリフの一つで、何となくのニュアンスで理解していた一節。

スラムでの厳しい生活の中で、ようやく出会えた温もりへの誓い。世界を知らない少年の儚い願い。

「ふふっ、嬉しい! じゃあ私もあなたを守ってあげる! 約束よ、アリーヤ。私があなたを守ってあげる! その代わり──」

どうしてこんな約束をしてしまったのだろう。

何も知らないのに、力もないのに。そんな資格なんて本当はなかったことなど知らなかったのに。

「あなたも私を守ってね!」

こんな約束をしてしまったことを、アリスは後悔することになる。ずっと悔やみ続ける。もう一度やり直したいさえと思う。もう一度やり直せたら、今度はそんな言葉を言わせないように。

──今はまだ、誰も知らないことだが。

もう一度やり直せるならば、今度は嘘になりませんように。

どうか嘘つきになりませんように。












 

 

 

 

 

「随分派手に動き回っているそうだな、エール。探したぞ」

 

よれた警官服と、剃りきれてない髭。腐れ縁の警官だった。

 

カラースプレーの落書きの壁にもたれていたエールに、警官がポケットに手を突っ込みながら歩いてくる。

 

「あの子の依頼は順調か?」

 

顔にシワが目立ち始める年齢の警官は、以前エールに託したアリゾナのことを聞いた。

 

「誰かと思えば役立たずの給料泥棒じゃないか。スラムに何か用?」

「久しぶりにお前の顔でも拝んでやろうと思ったんだ。悪いことしてねえな?」

「冗談だろジジイ。悪いことしてねえか、だと? 鏡に向かって言えよ」

 

エールにしては珍しく、明らかに悪辣な態度だった。大して人に興味のないエールがこんな態度を取るのは珍しい。

 

「誰がジジイだ。んな歳食っちゃいねえよ」

「自分の加齢臭に慣れただけだろ」

「はっ! 相変わらず口が減らねえガキだ」

「もうガキじゃない。いつまで7年前だと思っている。僕は強くなった──あんたの使いっ走りも4年前に卒業した。もう僕とあんたに関係は無いんだよ」

「連れねえガキだな。お前、今年でいくつになる? 18くらいにはなるか」

「19だ」

 

実際には正確に数えたことはないので、大体そのくらいだろうという推測だったが──。

 

「あのガキも立派になったもんだな、ええ?」

「何の用だよ。ゴミ掃除でも頼みにきたのか」

「まあそうだ。表の殺人犯が貧民街(こっち)に逃げ込んだ。とっ捕まえて引き渡してくれや」

「……めんどくさ。始末していいか?」

「ダメだ。ちゃんと生かしとけ」

 

警官の吐いた煙草の煙に嫌そうな顔をするエールに、警官は苦笑いする。

 

「お前まだ煙苦手なのか? ここで暮らしてて何で吸わないんだ、煙草くらい」

「あんたみたいになりたくないんだよ」

「はっ、そうかよ」

 

──少年だったエールを、警官は引き取ったわけではなかった。

 

そもそも7年来の関係であるにも関わらず、今日に至るまでエールは一度も警官の名前を読んだこともなければ、覚えようとしたこともない。7年間もだ。それは普通のことではない。

 

それは意識してそうしたことだ。

 

なぜなら別に、警官はエールを保護したわけではなかったのだから。

 

「前金」

「ほれ」

「1枚で足りるかよ。3枚は寄越せ」

「ちゃんとお仕事したら払ってやるさ。そういや聞きたいことがあった──お前、結構貯め込んでんだろ? どうして貧民街を離れねえ」

「あ?」

「お前くらいのコネと力がありゃあ、表で生きることも出来なくはねえだろ?」

「────」

 

警官は軽い調子で聞いた。

警察でもエールはそれなりに有名だ。時に便利屋としてこういった仕事を引き受ける──その窓口がこの警官。

 

噂では権力者──貴族と繋がっているとかいう話も聞いたことがある。4年前にエールが独立して以来、詳しい活動や足取りは警官の知るところでは無くなっていた。

 

さまざまな黒い事件が起きるが、その裏にはエールの影がちらつくようになった。さまざまな事件に対してのイロハを教えたのは警官だったから、何となく──エールがいるとわかった。

 

それだけの力を持っていて、なぜ貧民街にこだわっているのか──。

 

「俺ぁ本当はお前を刑事(デカ)にでもしてやろうと思ってたんだがな」

「死ぬほど余計なお世話……だいたいそれは、お前の夢だろうが」

「バカ言えや。俺にゃあ無理に決まってんだろ。スラムのクズを一丁育て上げたんだからな」

「僕はお前に育てられた覚えはないな」

「ああ? 誰が世話見てやったと思ってんだか」

「ボケたか? 僕が教わったのはナイフの握り方と、仕事のやり方だけだ」

 

二人の間に、温かさや気遣い、あるいは親愛はなかった。少なくともエールにとってはそうだったし、別にそれでよかった。

 

それは間違っても親子ではなかった。

 

エールは誰にも育てられてはいない。勝手に自分で育った。

 

だが皮肉にも二人の雰囲気はよく似ていた。親と子と表現しても差し支えなかった。

 

「それにあんた、子供居んだろ?」

「何年前の話をしてんだよ。俺のガキは死んじまったっての。もう随分昔──ちょうどお前を拾うすぐ前に、事件に巻き込まれてな。で、その後女房とは離婚、慰謝料でたんまり金持ってかれてちまった」

「はっ。僕はそのガキの代わりだったって訳か?」

「バッカお前、あんま自惚れんじゃねえよ。誰も、誰かの代わりは務まらねえ。それにお前は俺のガキほど可愛くもなかったっての」

「余計なお世話だ」

 

吸い切った煙草を地面に捨てて、革靴の裏で踏み潰しながら警官は脇に抱えていた封筒をエールに渡した。

 

「ホシの情報だ。一週間以内には探しとけ」

「はいはい、分かったわかった」

 

受け取って中身をチラ見すると──。

 

「感染者、ね。ご不幸なことだな」

 

健康診断にて鉱石病が発覚し、それを隠蔽するために医者を殺害し逃亡。逃げる手口がたまたま上手かったことから警察は取り逃し、貧民街へと逃げ込んだ。

 

「どんな気分なのかね。散々見下してきた感染者に自分自身がなっちまうってのは」

「それ、僕に言ってんの?」

 

エールも感染者だ。

 

鉱石病の症状は日々確実に体を蝕んでいる。治療も受けていない。

 

エールの場合は特に背中に感染結晶が集中している。ウルサスの血が混ざりながらも酒に弱いのは、もしかしたら臓器への影響かもしれないと考えたことはあったが──別に、だから何だという話だ。

 

返答はない。

 

「このくらいなら3日もあれば十分だ。さっさと捕まえてきてやる──だが、これがあんたから受ける最後の仕事になるかもね」

「ん? どういうことだ」

「……いや、別に何でもない」

「おいおい、お前何かヤバいヤマに手を出そうとしてんじゃねえだろうな。何度も言ってきたが、絶対に貴族には関わるんじゃねえぞ。絶対に手を出そうなんて考えるな、連中は普通じゃねえ」

「だからあんたは所詮労働者階級(プロレタリア)なんだよ」

「お前は死なすには惜しい。お前はまだ若いんだ、世の中にはどうにもならないことがあるって本当の意味で知らねえ!」

 

拳を握って強い口調で言う警官だが、エールはにべもない。

 

「僕はあんたみたいな無能じゃない。自惚れるなよ他人、いつまで僕の保護者気取りなんだ?」

「待て、おい!」

 

曲がり角の建物に入ったエールを追うが、一回姿を見失うともう見つけられなかった。

 

「クソッ! あの野郎……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

数々の依頼をこなしてきた過程で、多くの敵も作った。

 

「──や、やめてくれ! 頼む、もういいだろ!? お願いだ、二度とこんな真似はしない、だから、ッ──」

「5人がかりで掛かれば僕に勝てるとでも思ったのか? 馬鹿だな」

 

靴先に仕込んだ鉄板で頬を蹴り飛ばすと、顎の骨が砕ける感触がする。

 

「舐めやがって!」

 

まだ力の残っていた一人がナイフ片手に飛びかかって来る──少し反応が遅れた。

 

左手の甲を切られる。相手の腕を取って顔面に肘打ち、関節を極めて地面にねじ伏せ、そのまま捻じ切る。

 

「あああああ──ッ! あああああ、い、てめえ、エールッ!」

 

近接格闘はエールの得意分野だった──警察の使う理論立った制圧格闘術。だが制圧のみを目的とした近接格闘術を、エールはアレンジして相手を叩きのめすために使った。必要以上に殴ったり、戦意を喪失した相手の関節をねじ切ったり。

 

もう二度と逆らわないように──とは言いつつも、大抵の場合は憂さ晴らしだった。

 

喚く男の喉を掴んで筋力に任せて持ち上げる。息が出来ずにもがいている。

 

力に任せて壁に叩き付けた──。

 

「馬鹿力が──どうなってんだよ化け物が……ッ! ウルサスかよてめえ!」

「この耳、見えてない? ほら、よく見ろよ──」

 

覗き込んで、目の奥に見えた自らの耳──狐耳。

 

この耳がウルサス族の耳だったら、と考えた自分に苛立ってぶん殴る。

 

ウルサス族のような怪力で殴られ、痛みに倒れ伏した。

 

半分しかウルサスの血が入っていないとはいえ、その種族特性は受け継がれたようだった。何せ実際ウルサスの母から生まれたのは事実なのだ。

 

だが、エールはヴァルポだった。ウルサスではなかった。だから必要とされなかったのかもしれない。

 

そのことと、切られた傷の痛みでイライラした。

 

「誰に言われた?」

「んなもんねえよ!」

「さっさと話せよ。殺すぞ?」

「はッ、やれるもんならやってみろよ!」

 

そうそう殺しなどやらない。殺人は敵を作る。

 

痛めつけられていても強気だった男の顔面を掴み上げてアイアンクローで持ち上げた──これも、ウルサスの混血故の筋力に任せた暴力だった。

 

めきめきと音を立てて頭蓋骨が軋んでいく。

 

倒れ伏す男の仲間達に見せつけるように──。

 

「は? おい、待て、待て待て待て──やめろ、やめろ! おい、頼む、やめ──」

 

そのまま握り潰そうと──して、やっぱりやめた。

 

手を離す──どさりと男は落ちる。

 

「まあ軽いジョークだ。やっぱ暴力は良くないし──で、誰に言われた?」

「い、言うかよ……ッ!」

「まだ分からないのか? 馬鹿の相手は面倒だな」

 

襲ってきた男たちが持ってきていたナイフを拾って、刃先を男の口の中に突っ込む。

 

「がッ──! ──ッ!」

「臭え口だな。さっさと話せっつってんのが聞こえないの?」

「は、はにゃす、はにゃすかあ──」

 

もがもがとした声で、ようやく口を割ることになる。

 

結局は怨恨で、以前の依頼の過程でボコした相手からの恨みだったようだ。

 

「お、覚えとけよ……エール! いつかぶっ殺してやる……ッ!」

 

──こんなことばっかりだな。

 

その度に相手するのも馬鹿らしくなる。やっぱり殺してしまった方がいいんじゃないか?

 

だがどっかの能天気なお嬢様を思い出して、結局やめた。

 

その理由がなんなのかを考えなかったのは、きっと認めたくなかったからなのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。エール、怪我してるわね?」

 

乾いた血を適当に洗って流していると、後ろからアリゾナが顔を出してきた。

 

「こっち。座って?」

「あ?」

「あ? じゃないわよ。それ」

 

指差す先に左手の甲に滲む血液。

 

洗った時に、固まりかけのカサブタも流れてまた滲んできたのだろう。

 

「早く来なさいよ。ほら、立ってないで」

「ほっとけば治る」

「こっち、早く来なさい!」

「いやだから──」

「こっち!」

 

有無を言わせぬアリゾナに押し負けたエールは大人しくアリゾナの隣に座った。

 

「何してきたの、全く」

 

エールは初めて居心地が悪いという言葉の意味を知った。

 

「傷口はちゃんと消毒しなきゃいけないわ。細菌がここから入ってきたら、感染症の危険もあるんだから。少し痛むわ、我慢しなさい」

 

アリゾナが持ってきた救急箱から消毒液とガーゼ、それから包帯。

 

消毒液が傷口に染みて痛かったが、癪だったので顔には出さない。

 

「喧嘩でもしてきたの?」

「子供じゃあるまいし、そんなこと──」

「いえ、あなた以外と子供っぽいわよ?」

「……マジ?」

「マジよ。自分のことを極端に秘密にしたがるの、すっごく子供っぽいわ」

「……」

 

アリゾナの言葉はかなりエールに刺さった。

 

エールにとって子供というのは弱さの象徴だった。自らが弱くて何も出来ない子供だったからこそ、第三者視点で自分が子供っぽく見えるというのは──。

 

まるであの頃と何も変わっていないと言われているようで、かなり刺さる。

 

「はい、処置終わり。エール、もう喧嘩なんてしちゃダメよ」

「僕は子供か……」

「そもそも他人を傷つけるのはいけないことなのよ。あなたに助けてもらっている身でこんなこと言うの、筋じゃないけれど」

 

適当な言葉で言い返そうと思った。

 

だが──今の治療の手つきや、触れた感触や、白い包帯を見て、何も言えなくなった。

 

「……なあ、あんた──なんで家を飛び出してきたんだ。あんたには治療の技術があるし、実家は貴族なんだろう。十分に生きていけたんじゃないのか」

「え? えーっと、そうね──……。実は私、後悔していることがあるの。私は昔……ずーっと小さかった子供の頃に、取り返しのつかない罪を犯したことがあるわ」

「罪?」

「ええ。……私が弱くて、世間知らずで……馬鹿だった。私は今でも後悔しているわ。あんまり詳しいことは話したくないけれど」

 

後悔──後悔か。

 

誰しもが持つものなのだろう。だがアリゾナにもあったとは意外だった。

 

「誰にだって抱えている過去があるわ。私は……強くなりたいのよ。強く在りたい。世の中の理不尽に負けないくらいに強くなって……それから、私の罪を償いに行きたい。そしてそれをするには、家の中は狭かった。それだけよ」

 

小さな決意だったが、硬く強く──影の混じった光のようで、なんだか眩しかった。

 

他人をそう思ったのは初めてだった。

 

「……お前は、強いな」

 

エールは初めてアリゾナの前で自嘲した。

 

あの約束にしがみついて、今だってずっと待っているんだ。

 

女々しいと思いながら、ずっと待つことしか出来なかった。きっとこの想いを抱えたまま、どこかでボロ雑巾のように死んでいくのだと思った。

 

ずっとそうだ。今だって、手段はあるのに行動は出来ない。怖くて──。

 

「僕は、どこにも行けないよ」

 

そんな寂しそうな顔を、アリゾナはふと見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこに行く?」

 

声に振り返れば、ケルシーが立っていた。

 

冷たく、透き通るような瞳がこちらを捉えている。

 

「……なんとなく、会うだろうって思ってたよ」

「最後の勧誘をしに来た」

 

人通りの多く、スラムながらチェーン店も入ってきているエリア。すれ違う人々の流れの中に二つ、向き合いながら。

 

人混みの中で、ケルシーはいやに存在感があった。そしてそれはエールも同じだった。

 

「場所を変えよう。昼飯は摂ったか?」

「ジャンクフード以外お断りだ。それでいいなら付き合う」

「いいだろう」

 

席に座る。

 

鋭い目つきでガラス張りの外をケルシーは観察していた。

 

「私は明日の昼頃、ロンディニウムを発つ。行っていた調査が終わったのでな。君にとっては、最後のチャンスだ」

「……悪いな、先生。どちらにせよ、僕はあんたの役には立てないだろう」

「どういうことだ?」

「僕を取ると、あんたに被害が及ぶかもしれないってことだ」

「……ふむ。何をする気だ?」

「ようやく腹が決まった。きっとこれが、僕の最後の仕事になる」

 

ジャンクフードに齧り付く。これを味わうのも、もう残り少ないだろう。

 

「話してみたらどうだ。他人に話を聞いてもらうのは、自らの考えの整理にも繋がる」

「……あんた、不思議な人だな。僕はあんたのこと、何も知らないのに……別に、話してもいいって思う。なんでだろ」

「ふ──。そうか」

「僕はある依頼を受けていた。スリにあった杖を取り返して欲しい……そういう依頼。調べていくうちに、その杖が最終的にある貴族に流れていたことがわかった」

 

アリゾナの依頼に関してだった。

 

並行して様々な依頼を進めていたが、結局ほとんどのリソースはこの依頼に費やされていた。これまでのコネや関係は全て使った。

 

「以前話していた依頼だな」

「そうだ。あの時僕は、この依頼を理由にあんたの誘いを断った。けど……本当は僕には、貧民街(スラム)を離れられない別の理由があった」

 

アリゾナの言葉が心に響いた──など、柄ではないが。

 

「子供の頃、ある約束をした。僕はまだその約束を果たしていない。そしてそれを果たすためには、きっとこの場所じゃなきゃ果たせないから」

「……とんだロマンチストだな。もしや初恋だったか?」

「多分そうだったんだろうな。初めての友達だったし──まあ、友達でも初恋でも、僕にとっては同じことだったよ。僕は友達のいないガキだったから、彼女だけが全てだったと言ってよかった。だが結局僕は失敗した──約束は守れなかった。彼女は親に連れられてどこかに消えて、それから今日まで二度と会うことはなかった」

 

人に話すのは初めてのことで、本当は誰にも知られたくないことだった。

 

情けなくて仕方がなかった。

 

「僕は彼女との約束を守れなかった。もう一度彼女に会うのが怖くて仕方なかった。それでももう一度僕は彼女と会いたかった。だから僕は待つことにした。彼女と出会った場所で、待ち続けることにした。彼女がどこにいるか分からなかったし、自分から探しにいくのは怖かった」

 

まるで懺悔でもするように、エールは語った。

 

「いつの日か彼女の方から僕に会いにきてくれることを、子供心ながら期待するように言い訳して、結局は何も出来なかった。ただ、いつの日か彼女がこの街に来て、何か困ったことがあった時、いつでも助けに行けるための手段を揃えているのだと、ずっと自分に対し言い訳し続けている」

 

それ以上に、生き抜くのに必死だった。

 

そしてある程度の力を得た頃には、惰性と暴力でこの街を生き抜けるようになっていた。

 

だが、彼女がいなければきっと今も言葉も話せず、とっくの昔にのたれ死んでいただろう。

 

「本当のことを言えば、僕には貧民街に留まる理由はない。どこかの外国にでも飛ぶための資金も力も十分に有った。けど僕は──……今もまだ、彼女が僕に会いにきてくれるんじゃないかって、何かの偶然でもう一度だけ会えないかって思うことをやめられず、僕は未だにこの街に住んでいる。もう8年も経つのにね。笑えるよ」

「……驚いたな。君のことを少し誤解していた」

「そうだろ? だが──それも、もうやめることにした」

 

最後の仕事は、それくらいは──本当の意味で、誰かのために尽くそうと思ったのだ。

 

「この前のジャンク店での話の続きになる。僕がウィンチェストン家のガキを始末したのは、別に私怨や気が狂ったとかじゃなくて、そういう依頼が来ていたんだよ。ウォード総督家から、二つの貴族の間に確執を作るための布石としてね」

「……なるほど、な。だがそれならどうして君は今も生きている?」

「そりゃあ殺すより生かしておいた方が得だからだ。ウォード家にとって都合の悪い連中を秘密裏に始末する専属の掃除屋になることでね。幸い、それを受け入れさせる程度に僕は強かった」

 

そしてその秘密を漏らさないことを条件に、エールはまだ生きている。

 

本気でウォード家がエールを始末しようとしたら、間違いなくエールは生きてはない。何せウォード家の権力は警察にまで及んでいるのだ。一人でどうにかなるものではない。

 

「ウォード家のベスタって野郎が、依頼されていた杖を持っている。その杖を取り返すのが依頼で──ベスタへの交渉をしてきた。杖を返してもらえないかってね。けど交渉は決裂した。ベスタは大層あの杖を気に入ったようで、手放す気はないらしい。盗品の癖にふざけてくれた」

 

ベスタはどうしても手放す気はなかった。一分未満の会話で、エールは速攻部屋から叩き出されることとなった。

 

「なので、僕はベスタを直接脅すことにする。杖を返さなければ、それまでの僕への命令を全てウィンストン家にリークするとか言ってね」

 

それまで黙って聞いていたケルシーが口を開く。

 

「──随分思い切ったな。それは今までの全てを捨てることになる。たかだか依頼一つに、全てを捨てるのか?」

「そうだ。おそらく僕は裏切り者とみなされて命を狙われることになるだろう。少なくとも、もうロンディニウムで生活は出来ない。あんたにも危害が及ぶかもしれないと言ったのはそのためだ。ウォード家から敵視されることになる」

「別にそれならば構わない。今更なことだ」

 

エールは知る由もないが、実際ケルシーにとってはロンディニウムの貴族から睨まれようと別に大したことではなかった。何せテレシスという怪物と対峙している訳だし。

 

「だが、どうしてそんな気になったんだ?」

「……あいつが心置きなく、このロンディニウムを発って、旅に出られるように……そのために出来ることが、僕にあるから」

「それだけか?」

「まあ、人生に一度程度は善行ってヤツをしといてもいいだろ?」

「ふ──。面白いな、君は」

「まあ、明日の昼まで生きてればロドスとやらに行ってもいいな。その時はよろしく頼むよ、ケルシー先生」

 

食い切ったジャンクフードの紙切れをゴミ箱に捨てて、エールの話は終わった。

 

「一つ忠告しておくが、勇気とは何も、死にゆく覚悟を決めることではない。生き残ろうとすることを勇気と言う。間違えるな」

「……分かってるさ」

 

見透かすような一言に、エールは平然を装って言うが──ケルシーには、分かっていたのだろう。

 

きっと分かっていたことだったのだ。

 

だが、それを選んだのだから。

 

せめてそれだけは、嘘にならないように。

 

 

 




長すぎたので上中下になりました。当初の予定では上下だけで済ませる予定でした。長すぎィ!

・エールとアリゾナ
結果的にエールはアリゾナの正体には気が付かないままこのルートへ。アリスがアリーヤに本当の名前を教えていれば結末は違っていたかもしれませんが……。
気付かないうちに約束を果たしたのはことが唯一の救いかもしれぬ
明らかにメインヒロイン枠過ぎる……

・警官のおっさん
実質的な親代わりだった。死亡フラグが見える見える

・ケルシー先生
強キャラ




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少年の見た小さな世界



「あなたが忘れていても、私はずっと覚えているわ」




少年にとって、世界とは暗く沈んだ夜の底に押し潰されるようなものだった。

 

息もできないほど、目も開けられないほど、心が潰れそうな。

 

もっとも怖かったのは、道端でうずくまる自分に関心も寄せられないことだった。

 

「おいガキ! このケース全部外に出しとけ」

「……」

「どうした? さっさとやりやがれ、クソガキ」

 

がなるように言われても、何を言っているのか分からなかった。だが何をすればいいのかはわかっていた。

 

Ты понял(分かったよ)……」

 

積み上がったケースには緑色の瓶が六本ずつ入っていた。それが10ケースほど積み上がっている。

 

わずか10歳ほどの少年が運ぶには、少々重かった。

 

「……Кусо(クソ)

 

だがわずか10歳ほどの、言葉も分からない少年にできることは、この程度しかなかった。

 

腰に力を入れて運んでいると、後ろから衝撃があって、ケースと一緒に倒れ込んだ。

 

「おっと、悪いな? 小さくて気が付かなかったぜ」

「……」

「あ? なんだその顔。何か文句でもあんのか?」

 

黙って散らばった瓶を拾い集めていると、瓶を掴む手を蹴り飛ばされた。

 

瓶は飛んでいって、壁にぶつかって割れた。破片が汚い床に散らばる。

 

「片付けとけよ、ガキ」

「おいおい、あんまりいじめてやんじゃねえよ。可哀想じゃねえか」

「いいんだよ、どうせ言葉も喋れねえクソガキだ。生意気な目つきしてな」

 

いつだって煙草臭い店だった。

 

暖かな気温と相まった源石(オリジニウム)ドラッグとアルコールの臭いが混ざってむせ返るようなひどい臭いで、いつだって嫌になる。

 

そして、こんな場所に頼らないと生活できない自分が何よりも嫌だった。

 

「つかよ、そのガキ、名前何つーんだ?」

「知らねえ。何言ってんのか分かりゃしねえからな。俺はエールって呼んでる」

「エール? 何だそりゃ、酒の名前じゃねえか」

「別に大した意味じゃねえよ。こいつの仕事は開いた瓶を外に運んでくことで、一番多いのがエール瓶だからな。だからそう呼んでんだよ。似合ってんだろ?」

 

緑色の瓶はこの酒場で一番頼まれる酒だ。

 

一度こっそり飲んだことがあるが、不味くて仕方ない。どうしてこんなものが一番飲まれているのだろう。

 

「おいエール、さっさとやっとけよ!」

「……Я не эль(誰がエールだ)

 

働きアリのように滑稽でも、それでもやるしかなかった。

 

全て終わらせると、店主は数枚の汚れた紙幣をエールに渡した。

 

「ほら、今日の分だ。さっさと出てきな」

「ひっでえ。何だこりゃ、端金じゃねえか。かっわいそ〜。メシ買えねえんじゃねえの?」

「こんぐらいのもんだろ。仕事ってのはどんだけやったかじゃなくて誰がやったかだ。働かせてやっているだけ感謝すべきだっての」

 

いいさ。別に何を言われてるかなんて想像がつく。

 

この後は──。

 

「……Я могу встретить алису(アリスに会える)

 

壊れたカラーポールを目印にして路地を抜ける。高い壁を越えるために雨樋のパイプを掴んで登り、3メートルはある壁を乗り越えれば、庭園に生えた一本の木の太い枝に手をかけて地面に降りる──側から見れば、猫のような身軽さで簡単に侵入を果たした。

 

軽く身を潜めて音を伺う──。身を隠す植物は多い茂っていた。

 

「お嬢様、それでは少し出て参ります。1時半までには戻りますので、誰が来ても門を開けてはいけませんよ」

「もう、分かってるわよ。毎日言われているんだから」

「……お嬢様は最近はお留守番でも聞き分けがよくなられましたね。旦那様も喜びます」

「え? そ、そうかしら?」

「ええ。何かありましたか?」

「ええ!」

 

誰かとアリスが話している声。より身を低くして隠れる。

 

「でもないしょなの!」

「ふふ、そうでございましたか」

 

使用人のシェリーも、まさか外側から子供が侵入しているとは思わなかった。梯子でも持って来なければここには入って来られないのだ。

 

「それでは言ってまいります」

「いってらっしゃいシェリー! 甘いお菓子、買ってきてねー!」

 

しばらくして、鉄柵を閉じる音が聞こえた。

 

「……よし。もう出てきていいわよ、アリーヤ!」

 

名前を呼ばれると、なんだか温かい気持ちになった。

 

ほらみろ、僕の名前はエールなんて変な名前じゃない。僕はアリーヤだ。

 

「こんにちは!」

「うん。こん、にちは」

「今日は何をしようかしら!」

 

ひまわりのような笑顔だけが、アリーヤを救ってくれるのだ。

 

アリーヤにとっては、それだけが真実で、後は全て偽物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アリスと出会ってどれくらいが経ったのだったか。

 

「ねえアリーヤ。実はね、私は明日、帰らなきゃいけないの」

「かえ、る? どこ?」

「……私の故郷に」

「こきょう?」

「ええ。私の生まれた場所、私の育ったあの草原の大地に」

「……もう、会えないの?」

 

やがてその時はやってくる。

 

貴族の交流会が終われば、アリゾナ家がロンディニウムに留まる理由は無くなる。つまり、アリスも帰らなければならない。

 

「……お父様に、私だけでも残りたいって言ったの。でも……ダメだ、って」

「いや、だ──。もう、会えないのは、嫌だ」

「……うん。私も……アリーヤと、離れたくない」

 

お互いに初めての友達だった。

 

自分の全てを見せることができて、自分の全てを分かってもらえる。

 

一緒にいて、心から笑うことが出来る存在。

 

「……いつか、大きくなったらね? 私、アリーヤに会いに来るわ。いつになるか分からないけど……いつか、必ず会いに来るわ」

「……うん」

「だから、その時まで──”約束”、忘れないでね」

 

ぼろぼろと泣きながら、無理にでも笑おうとして、アリスの顔は泣き笑いのようになっていた。アリーヤも似たようなものだ。

 

──お互いを守ること。

 

世界を知っているならば、それがこの世界で最も難しいことの一つであると分かったはずだ。

 

少年は子供だった。少女は子供だった。何も知らなかった。

 

「……うん。絶対、忘れない」

 

しばらくその時間を噛み締めて、絶対に忘れないために脳裏に刻みつけていたら、アリスが不意に言った。

 

「ねえ、最後に行きたい場所があるの」

「……うん。どこ?」

「あなたの住んでいる場所に、行ってみたい」

 

静かな声でアリスは呟くように言った。

 

アリーヤは、それに頷いた。

 

「……うん。案内する、僕の住んでるところ」

 

最後の機会だったのだ。

 

絶対に見せたくなかった場所でも、最後の言葉だったから。

 

きっと受け入れてくれると信じたくて、アリーヤはそうすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっち、気をつけて」

 

するすると壁横の木に登っていったアリーヤは、片手に背丈ほどの黒い杖を持ったアリスに手を差し伸べた。

 

「ちょ、ちょっと待って。こんな高いところ、登れないわよ!」

「大、丈夫。僕が、いるから」

 

アリスにとって、外の世界というのはとても面白そうな未知の世界であると同時に、恐怖も感じていた。

 

外へ行くときは、側にはシェリーやお父様、お母様が側についていたのが当然だったのだ。子供二人で、しかも全く知らない場所へ──。

 

ユーロジーを持ち出してきたのはそういう理由だった。

 

アリーヤだけでは心細いとまでは言わないが、日頃からユーロジーには加護が宿っているとお父様が言っていたので取り敢えず持ってきたのだ。

 

なんとかして壁の上に辿り着く──。

 

「……わぁ! すごいわね!」

 

壁の上から見た外の世界は、なんだか不思議の国のようだった。

 

錆びついたトタン屋根、無造作に積み上がった違法建築物、カラフルで刺激的な落書き、そこらじゅうに不法投棄されたガラクタ。

 

見たこともない世界。

 

「って、アリーヤ? どこにいるの?」

 

声は下から聞こえてきた。

 

アリスが上に登るために邪魔だったユーロジーを預かって、もう地面に降りていた。

 

「おりてきて」

「お、降りてって……どうやって降りるのよ、こんなの」

 

地上三メートルというのは、別にアリスでなくとも怖いものだ。落ちたら危険な高さ。だがアリーヤにとってはそうでなかった。身体能力を活かして、そんな高さなど簡単に飛び降りてしまう。

 

「大丈夫。とんで」

「と、飛ぶ……って、無理よ! 怪我しちゃうじゃない!」

「僕が、受け止める、から」

「……っ」

 

ユーロジーを立てかけて、アリーヤが前に出した両手は──すっぽりとアリスを抱える形を取ってはいたが──。

 

受け止めるなんて、そんな無茶な話があるだろうか。

 

「大丈夫、だよ。ちゃんと、まもる……から」

 

数十秒の逡巡ののち、アリスは断崖絶壁から身を投げるような覚悟で飛んだ──怖いので目を瞑ったまま。

 

重力が身を引いて、髪が空気に揺られてバタバタとはためいた。一瞬にも永遠にも感じられる浮遊の感覚がなくなって──。

 

「……ほら、目をあけて。大丈夫、だよ」

「え──?」

 

お姫様抱っこの形でアリーヤはアリスを抱えていたので、アリーヤの顔が近くて思わず顔を背けてしまう。顔が熱い。

 

地面に下ろしてもらうと、まだ膝は震えていた。

 

「これ、返す」

 

返してもらったユーロジーを歩行杖に使って──。

 

視界は、上から見た時と違って──とても狭く見えた。

 

「こっち。ついてきて、1人になっちゃ、だめだよ」

 

どちらからともなく、手を繋ぎながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ついたよ」

 

増築されすぎたせいで長方形がいくつも集まったような建物があった。建材の多くは廃材同然のガラクタで、柱以外は継ぎ接いだような、そんな今にも壊れそうな建物。

 

その端に、ビニールシートを吊るして壁代わりにした家とも呼べない場所があった。

 

「……僕は、ここに住んでる」

 

綺麗で大きなあの屋敷とは比べ物にならない、ここは貧民街だ。

 

あの高い壁は、この世界とあっち側を隔てる壁として十分に相応しかった。

 

──ビニールシートの内側には、拾ってきたぼろぼろのクッションがいくつか敷いてあった。

 

「家じゃないないわよ、こんなところ……」

 

子供ゆえの無邪気な言葉。

 

「あなたにもお父様はいるでしょう? こんなところに住ませているなんてひどいわ! 私が一言言ってあげる!」

 

こんな場所に住んでいると、知られたくなかった。

 

だけど、受け入れて欲しかった。

 

「いないよ」

「え?」

「僕に、父さんも、母さんも、はじめから……いない」

 

望まれない子供で、必要のないものだった。

 

だからそんなの、こっちから願い下げだ。

 

「……ごめん、ね。やっぱり、戻ろう」

「え、ちょっと──アリーヤ、待って! 待ってってば!」

 

踵を返して帰り道をゆくアリーヤに、アリスは慌ててついていった。

 

何か、伝えるべき言葉はあったはずなのだ。だが何を伝えればいいのか分からなかった。

 

二人の間に会話はなかった。

 

「──ああ? んだよ。お前、エールじゃねえか? こんな場所で何してやがる」

 

そんな声が聞こえてきて、顔をそちらに向ける。

 

数人の大柄な男たちが歩いてきていた。

 

エールが働いている酒場の店主と、よく店に来ている2、3人の客。

 

「ガキのくせに女連れか?」

「……Что вы ребята(何だよ、お前ら)

 

口の中でつぶやいた言葉はアリスにも聞こえなかった。

 

「なあ、そっちのガキ。その杖ちょっと見せてくれよ」

「え?」

「それだよ、その黒いの──」

 

フォルテの男が手を伸ばした先にはユーロジー。ミノス出身の男は物珍しい紋章の刻まれた杖に興味を持った。

 

ぱしっ、と伸ばした手をアリーヤは弾いた。

 

「これは、アリスの、だ。触る、な」

 

少年は二倍近い背丈のフォルテの男を睨み上げた。

 

「……おいおい、かっこいいなぁヒーローくん。好きな子の前なら格好つけねえとなぁ。おいジョン、お前も見習えよ! 格好わりーからあいつとヤれなかったんだぜお前」

「ちッ! てめえ、言葉話せてんじゃねえかよ。舐めてんのか、クソガキが」

 

店主の男はそのことに苛立って、適当にエールの頭をいつものように殴ろうとして──鮮やかに捌かれる。

 

捌いた下の中に潜った少年の目が──ただ、鋭く睨んでいた。

 

「……なんだよ、その目はよ」

 

女に振られた後で、男は荒れていた。一丁前に女連れたクソガキにさえ苛立った。

 

「生意気だっつってんだろ、クソガキがよッ!」

 

振り下ろした拳は空を切る。どころか振り下ろす時の無防備な顔に、アリーヤの打撃が入っていた。

 

「てめえ!」

Ложки(ウスノロが)

 

遅くて下手くそ。当たるかよ。

 

子供の拳は軽い。だがスピードがある。数打てば大人といえど平気ではない。

 

「おいおいジョン! ガキにやられてんぞ!? だっせえな、こりゃ女にもフラれるに決まってんな!」

 

煽る男たちの側で、アリスは肉食動物のようなエールの顔を初めて見た。

 

「うっせえんだよ! このッ、くそ、ぶッ! てめえ、このガキッ! ぶっ殺す、ぶへ──」

Бута Яроу(豚野郎が)……ッ」

 

倒れ込んだ男の顔面を何度も力を込めて踏み潰す。何度も何度も──足を掴まれればもう片方の足で手を踏み潰す。反撃を許さない一方的な蹂躙。

 

蹴りすぎて足が痛くなってきたところで、後ろから叫び声があった。

 

「おいガキ! こっち見てみろよ」

 

足元の男は呻いていた。

 

そっちを見ると──手にナイフを持って、アリスの肩にもう片方の手を置いていた。

 

Алиса(アリス)ッ!」

「動くなよ、ちょっとお前やりすぎ。大切なんだろ? じっとしてろよ──」

 

その男たちの反応が間に合うよりも先に、アリーヤはまるでバリスタの矢のように飛び出した。

 

アリスに危険が及ぶかも知れなかったのに動いたのは、結局のところ、男の発音が酷くて”動くな”という言葉が聞き取れなかったという理由だったのだが。

 

結果的には正解だった。

 

飛び上がる狼のような瞬発力の上段飛び蹴りがナイフを持った男の顔面を撃ち抜いた。

 

その時、手に持ったナイフも弾かれて──ほんの少しだけ、アリスの頬を切った。ほんの少しだけ。

 

痛かった。

 

ツー、と。一筋の鮮やかな赤色の絵の具が頬というキャンバスに引かれる。

 

そのことにアリーヤは気が付かず、素早くナイフを拾った。

 

「ふざけたガキだ、こっからは冗談じゃ済まねえぞ……ッ!」

 

残った二人の顔色に、侮りはなかった。

 

まるで戦うことしか知らない野生動物と相対しているようだった。ナイフの切先がこちらに向けられているなら──。

 

それはもう、まさしく殺し合いだった。

 

「後悔すんなよ、ブッ殺してやる!」

Мешает(死ねよ)、──я тебя убью(殺してやる)

 

それを、アリスは呆然と見ていた。

 

一対多数でも、アリーヤは飛び回る四足歩行の獣のような俊敏さと体の小ささを生かし切っていた。

 

まるで後ろに目でもついているかのような動きで攻撃を交わし、自分だけが攻撃し続ける。

 

ナイフが胸を斜めに切り裂いた。脂の混ざった血が地面に落ちて汚す。

 

「こいつ、マジでぶっ殺してやるからな! 囲め、所詮はガキ一人だろうが!」

 

掠りさえもしない。

 

「痛え、刺されたッ、こいつ、マジで殺しにきてやがる、──イカれてるぞこのガキッ!」

「許さねえ、ぜってえ許さねえ! 殺す、ぜってえ殺してやるッ!」

 

触れるはずもない。

 

頬を流れたのは──涙ではなかった。

 

アリスの頬を流れてたのは涙ではなかった。指を当てて見ると──それは赤くて、

 

「……やめて」

 

血だった。

 

「があああッ、痛え、! 指が、俺の指、飛んでっちまったッ!」

「このクソガキがぁぁあああああッ!」

 

同じように、アリーヤも血で汚れていた──全て返り血だった。

 

喉を掻き切る。父さんにしたように。

 

「殺しやがった、バーグを殺しやがったな、てめえええええええッ!」

 

正面から心臓を貫く。母さんにしたように。

 

「嫌だ……死にたく、ねえ……」

 

アリーヤはいつの間にか笑っていた。

 

獰猛で狂気的で、正気的で本能的に、自然と笑っていた。

 

「……もう、やめて」

 

血の匂いだ。

 

魂を震わす。

 

心を満たす、血の温もりだけが自分を肯定してくれる。強いのだから、生きていいのだと言ってくれる。

 

それをもっと寄越せと、自分の中の獣が叫んでいるのだ。

 

「やめて、アリーヤ!」

 

──────その声で、ふと正気に帰った。

 

後ろを振り向くと────。

 

「ひっ……」

 

怯えた表情のアリスが身を縮こませて、まるで化け物でも見るような目で、アリーヤを見ていた。

 

歩み寄ろうとして──。

 

「やめて……」

 

そして、アリスは力の限り叫んだ。

 

「来ないでっ!」

 

──どうしようもなく怖かったのだ。

 

友達が、友達ではなくなった。

 

べっとりと頬についた返り血は、まるで食事の食べかすにも見えて、どうしようもなく怖かった。

 

「来ないで、私の方に来ないでぇっ! 誰か、助けて……」

 

アリスの後ろの方から何人もの人間が駆け寄ってきていた。

 

「お嬢様! 大丈夫ですか!?」

「グレース、どうした!? 何があった! こんなところで何を──」

 

身なりのいい男性がアリーヤを見ていた。

 

「お父様、シェリー……」

 

その男性はアリスを庇うように一歩踏み出して、血みどろのアリーヤに相対する。

 

「大丈夫だグレース、私が守ってやるからな……!」

 

シェリーがアリーヤの方を睨みながらアリスを抱きしめると、アリスは泣き出した。

 

「大丈夫ですお嬢様、私たちが守ります、大丈夫です──」

 

そう言って。

 

Алиса(アリス)……?」

「こっちに来るな化け物! お前が殺したのか!?」

 

きっと周りの死体を言っているのだろう。

 

Почему(どうして)……?」

 

だけど……どうして、僕が悪いみたいになっている。

 

これじゃまるで、僕がアリスを怖がらせたみたいじゃないか。

 

「シェリー! すぐに警察に連絡して、グレースを安全なところへ!」

「畏まりました、旦那様!」

 

呆然と手を伸ばしても、アリスの姿は見えない。

 

──周囲に人が集まってきた。

 

──逃げないと。

 

父さんたちを殺した時みたいに、逃げないと。

 

「ッ、逃げるぞ!?」

 

俊敏な動きで、アリーヤは貧民街のシルエットの中に消えていった。

 

アリスはいつまでも泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

走り疲れて倒れ込んだ。

 

「は──はははっ、あははははははははっ……」

 

笑ってしまった。乾いた笑いが誰もいないゴミ捨て場に響いていた。

 

「……最初っから、嘘だったのかな……」

 

空には雨雲。雷の音が聞こえた。

 

「……会いたいよ、アリス……、僕の、友達……」

 

気温が急激に低下する。雨の前兆だ。

 

「嘘だよ……。アリスが、僕を拒絶するなんて、あり得ないよ……」

 

本当は分かっていた。あの顔は、友達に向けるものじゃないって。

 

「痛いよ……」

 

走り疲れて、痛かった。

 

「誰か、助けてよ……。一人は、寂しいよ……寒いよ、父さん……」

 

温もりが欲しかった。

 

「父さんは僕のことが……殺したいくらい、憎かったの? 邪魔だったの? いらなかったの?」

 

愛して欲しかった。

 

「母さんは、僕のこと……なんにも興味なかったの……? 頑張って勉強したテスト、ゴミ箱に捨てられてたの……知ってたんだよ。あんなにくしゃくしゃにして……他のゴミと一緒に、捨てたんでしょ……?」

 

必要とされたかった。

 

「僕のこと、愛してなかったんでしょ……? 愛そうとするフリだけしてさ……。一回だって、僕のこと……アリーヤって……呼んでくれなかった……」

 

アルカーチスというただの羅列、血の通わない呼び方。

 

ウルサスでは、親族は愛称で呼ぶ習慣がある。

 

アリーヤは、一度だってそう呼ばれたことはなかった。

 

「憎むくらいなら……最初っから、産まないでよ……」

 

通り雨が降り出す。誰もが軒を求めて大慌てで駆け出す。

 

「知ってたんだよ。アリスが僕のこと、本当は見下してたの……心の中で、バカなやつだって……見下してたの、分からないと思った……? 言葉が分からなくても、分かることはあるんだよ……?」

 

少年の涙は雨粒に隠れて見えなくなった。

 

仰向けになって空を見れば、雨粒がはっきりと見えて、とても不思議だった。

 

「知ってたんだよ……。父さんたちは、僕に死んで欲しくて仕方なかったってこと……。邪魔だったんだよね、要らなかったんだよね……」

 

本当は全て分かっていた。

 

「先生も……いっつも、僕のことを面倒だと思ってたんだよね。フェゼイとか、スイーザには笑顔なのにさ……僕を見た途端、嫌そうな顔をする……。別に、僕が先生に何かしたことなんて、一回だってなかったじゃないか……」

 

生まれつきだ。

 

「酷いよね……。それがすごく痛いってこと……知らないのかな……」

 

なぜだか、上手く生きられなかった。

 

「僕が愛されるために……何か出来ることが、本当にあったのかな……」

 

上手に生きようとしても、どうしても言葉より先に手が出てしまった。

 

「父さんを愛するために……一体、何が出来たのかな……。生まれた時から、誰からだって愛されてなかった……知ってたよ。全部分かってたよ……。そんなの……ずっと分かってないフリをしてただけなんだって……分かってないフリをしていたかっただけなんだって……」

 

知っていたさ。

 

「愛されてなかったなんて……認めたくなかった。知らない方が……よかったよ……」

 

知っていた。

 

「……復讐してやる」

 

降り出した雨が体温を奪う。

 

「みんなにされたこと、全部やり返してやる……」

 

涙ともつかない水が流れる。

 

「父さんも母さんも、死んで当然だ……。殺して当然だった……! あんなクズども、殺してやって当たり前だ……! 僕は悪くなんてない、悪いのは……あいつらじゃないか……、この世界の方じゃないか……!」

 

こびりついた返り血が雨で流れる。

 

「優しい人なんてどこにもいないじゃないか、誰だって……嘘つきだ、嘘ばっかりだ……! 助けてくれる人なんてどこにもいない……。みんな……僕から奪って、騙して……」

 

少なくとも、それは少年にとっての真実だった。

 

「だったら……だったら────ッ!」

 

少年は一人だった。教えてくれる人は、誰もいなかった。

 

「アリーヤなんてやつは、最初っから居なかったんだ……。要らなかったんだ、だから……」

 

少年は拳を握った。

 

「……、……。もう名前なんて、どうでもいい……好きな風に呼ばせてやる……僕は、エール……エールだ……ッ!」

 

生まれ変わるように、そう名前をつけた。なんだってよかった。アリーヤは必要なかった。

 

「あいつらが僕をそうやって名付けるんなら、望み通りにしてやる……二度と僕を侮れないよう……二度と、僕から奪わせないように……強く、強く────」

 

強くなって、それで。

 

「……アリス。もう、二度と……泣かせたり、したくないから」

 

流れた涙は雨に汚れ、少年は空を見上げた。

 

「強くなるから……。君を絶対、傷つけさせないくらいに……」

 

泣き笑いの顔に光る目の輝きは汚れ、染まり──

 

「もう一度出会えた時、今度は……助けられるくらい、強くなるから──」

 

少年はこの世界を生きることにした。

 

言葉を覚えよう。必要なことだから(過去は捨てよう。要らないものだから)

 

強くなろう。必要なことだから(弱さは捨てよう。要らないものだから)

 

知恵をつけよう。必要なことだから(愚かさは捨てよう。要らないものだから)

 

名前を名乗ろう。必要なことだから(名前は捨てよう。要らないものだから)

 

涙は捨てよう。悲しみは捨てよう。

 

優しさは捨てよう。喜びは捨てよう。

 

僕を弱くするものは、ぜんぶ捨ててしまおう。

 

「うっ、うぅぅ……、くっ、うぅ────ぁ、ぁぁぁぁぁぁぁあああああああ……──!」

 

だから、涙はぜんぶここに捨てていこう。

 

もう二度と泣くことなんてないように。

 

もう二度と傷付かなくていいように。

 

もう二度と後悔しなくていいように。

 

もう二度とこの場所に来ないように。

 

あの約束を嘘にしないように。

 

どうか嘘になりませんように。

 





どうか嘘になりませんように。


・主人公くん
便宜上主人公とここでは表記。重すぎィ!
自業自得定期

・アリス
しゃあないやんこんなの


このあとこの少年は例の警官に拾われることになります。ここから一年くらい経って荒れていた頃のことです。正直これ以上文字数増えると永遠に終わらないのでカット(無常)


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1−0 某日、狐は一人 下

本日二話目。ご注意
命に嫌われている。/カンザキイオリ
少し陳腐かもしれませんが、なんとなくのイメージソングです



適当なツテを介してトランスポーターと待ち合わせた。

 

「よぉ。あんたが依頼人か?」

「……サルカズかよ」

「んだよ文句言うんじゃねえよ。腕は保証するぜ」

「まあいい──。依頼の説明をする。明日の昼ごろ、時計台前に現れるアリゾナって女に会え。それであいつをウォード家の屋敷まで連れていけ。ウォード家からアリゾナに杖が渡されるようになっているはずだ」

「護衛か?」

「似たようなものだ」

 

適当な仔細を教えて、ポケットから適当な札を出して渡す。

 

「──そしてあいつがどこに行くかを決めるまで、最後まで見届けろ。それが僕の依頼だ。いいな」

「変わった依頼だな。あんたがやりゃあいいのに」

「それが出来ない事情が出来る」

「……これからなんかやんのか?」

「まあね。依頼に関して一切の報告は無用だ。……任せたぞ」

 

トランスポーターは軽い調子で言った。

 

「トランスポーターは依頼に対して誠実さ。任しときな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──エール。長い付き合いだから聞いてやるが、貴様、本気でそんなことをするつもりなのか? 気でも狂ったのか? 哀れなヤツだ」

「最初から言ってんだろ。あんたこそ、あんな一本の杖ごときにムキになるなよ」

「お前には分からんさ。あの杖の価値などな──まさか田舎貴族なんぞが隠し持っていたとは思わなかった。この国の信仰を象徴する神聖なものなんだよ、これは」

 

堂々と飾られたユーロジーは確かに緻密で、高級感の溢れたものではあった。

 

「だがあんたがそれを手にする資格はないね。それは盗まれてきたものだ。あんたは盗人さ。意地汚い簒奪者に過ぎない──それを返さない限りは」

「どこにそんな証拠がある? 例えそれが本当だったとしても、盗まれるような間抜けに返す訳がない。私なら厳重に保管する。そのほうがこの杖も幸せだろうさ」

 

そんな訳があるか。

 

アリゾナなら、その杖でより多くの人を助けられる。だが目の前のゲスはどうだ。自己満足のために腐らせるだけだ。

 

「僕は本気だ。それともウィンストン家やハーバーウィッシュ家と喧嘩でもしたいのか?」

「生きてはここを返さんぞ……」

「殺してみろ、自動的に連中に情報を知らせる仕掛け、僕が作ってなかったとでも思うか? 今までのあんたの命令は全て記録してある。それと照らし合わせれば、あんたが何をしてきたか、すぐに分かるはずさ」

「私はこのヴィクトリアのために行動してきたのだ、そんなことも理解できん貴様なんぞに──」

「それともここで死ぬか?」

「この屋敷でか? お前も堕ちたな、私は殺せるかもしれんが、お前も死ぬぞ」

「試してみるか? 僕は構わないよ」

 

ベスタは目の前のエールのただならない圧力を感じてはいた。

 

「どうする? あと30分もすれば、記録書類はウィンストンのポストに入る。最初から言っているだろう? その杖さえ渡してくれればいい。そうすればみんなハッピーだ。それに僕に渡せっつってんじゃない、元の持ち主に返せっつってんだ」

「……お前を生かしておいたのは、間違いだった」

 

ぎり、と怒りを見せたベスタに対して、エールは不敵に笑った。

 

「ああ、いいなその顔。もっと無様に怒ってくれよ。猿みたいにさぁ」

「お前はこの国そのものを敵に回した。私の持つ力を全て使って、お前を始末する」

「だから言ってんだろ? 僕を始末しても無意味だって。殺そうが殺さまいが、その杖を渡してくれない限り、あんたに待つのは特大級のスキャンダル(爆弾)なんだよ。グレース・アリゾナという田舎貴族の一人娘がここを尋ねてくる。そうしたらその杖を返す。それで契約成立だ」

「……いいだろう。杖は渡してやる。だがお前は、これまでの私の信頼と恩を裏切った」

 

その言葉を聞いてエールは大笑いする。

 

「──っははははッ! 笑わせてくれるな! 信頼? 恩? 馬鹿だな、お世辞でもやめてくれよ! いいか? 僕がこれまでお前にいいように使われてきたのはな──この日のためだッ!」

 

それは全て、アリスにもう一度会えて、もしも彼女が危機に陥っていたら、今度は助けられるようにするためだ。

 

だがまあ、それをアリゾナとかいうアホのために使ってやるのも……悪くはない。もうアリスには会えないだろう。元々限りなく低かった再会の可能性をゼロにしてでも、あいつの力になってやりたいと、今は心から思った。

 

積み上げたジェンガを崩すようにして、これまでの8年間で積み上げた実績や信頼が崩壊していく。

 

「殺してみろよ。警察でもなんでも使えよ。杖を渡してくれるんなら情報はリークしない。鬼ごっこでもしようぜ、捕まえてみろよ」

「一度発した言葉は裏切らん。杖は渡してやる。だが貴様は必ず始末する。殺せ」

 

横に控えていた従者が襲いかかってくる。窓を蹴り破って2階から飛び出してそのまま逃げた。

 

「……必ず殺せッ! 私の前に奴の生首を持ってこいッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闘争劇は苛烈を極めた。

 

何せ市内の警察や裏のギャング組織まで使われた。

 

当然秘密裏に、ではあったが──それでも、街全体がちょっとした騒ぎに包まれていた。

 

『──本部より各署へ。凶悪指名手配犯の情報が更新された。本日、最優先でエールという男を捕らえろ。また殺害許可が降りている。繰り返す、各署へ──』

 

または、とある酒場で。

 

「おい聞いたか、エールの野郎ついにやらかしたらしいぜ」

「聞いたぜ。貴族に懸賞金掛けられるなんて、マジで何やったんだ?」

「どうする? 行くか?」

「……まあ、行くか。あの野郎ぶっ殺して、その金で一杯やろうぜ」

 

とかなんとかいう会話もあったし──。

 

「バカやめとけ。あいつに喧嘩なんて売るやつはアホだ。あいつの強さ知らねえのか、グラスゴーでも連れてこいよ」

「騒ぎに参加する連中じゃねえだろ。エールが自分から喧嘩でも売りに行かねえ限り、連中が戦いに加わることはねえよ」

「じゃああいつ捕まんねえってことか?」

「アホ言え、エールと言えど、何百人──いや、何千人を相手に戦い続けることなんて出来るか。いくら強くたって所詮一人の人間だ。腹も減るしメシは食わなきゃ生きられねえ」

「だな。じゃああいつも今日で終わりか」

「残念だがな。俺は嫌いじゃなかったぜ、あいつ」

「俺もだ」

 

そんな会話もあった。

 

「どうする? 助けてやるか?」

「報酬次第だろ。エールには結構取引してきたからな。まあタダじゃやらねえけど」

 

大体はそんな感じだった。

 

各地に存在する旧開発エリアの入り組んだ地形を利用しながら、逃げていた。

 

追ってくる連中を蹴散らしたり撒いたりしながら──それでも、いつまでも逃げ続けることは出来ないと分かっていた。

 

ケルシーを探している訳ではなかったが、視界の中にあのシルク色の髪があるかどうか、確認は怠らなかった。

 

地下通路、人混みに紛れ、あるいは表から──。

 

そして何とか住処に辿り着いてドアを開けた。

 

……間抜けな面をしている。

 

「……お前の探し物が見つかった。さる貴族のところにまで流れていてね。全く面倒だった──話はつけておいた。あとはお前が出向いて受け取れ。それで依頼は完了だ」

 

半分だけ椅子から立ち上がりながら、アリゾナは何をしたら良いのか迷っているようだった。

 

「……え、ええっと……? 順番に質問させてもらうけど、まずこの二日間くらい何してたのかしら。それと突然過ぎよ。あと──その傷、一体何があったの?」

 

追手の中に手練れが混ざっていて、腹部へ幾らかの損傷をした。

 

流れる血も、今は何故だか気にならない。

 

「悪いがもう時間がない。表側、時計台の場所は分かるな──そこに案内人を手配しておいた。いますぐ荷物を全てまとめて出て行け」

「……まず傷の手当てよ。そこに座って──」

「今すぐ行け、と言った……!」

 

すぐに立ち去らなければならない。

 

「あなたの身の安全が先よ!」

 

そんなことを言い出す。

 

何故だか、アリスのことを思い出す。似ても似つかないが──それは、何故だろうか。

 

「……は。あんたは、やっぱり変な貴族だな」

 

ベスタのような男がいれば、アリゾナのような女もいる。この世界は不思議だ。

 

「元気でやれよ、グレース・アリゾナ」

 

札束を放り投げた。貯め込んでおいた金はこの作戦のために全て使った──余った金は、アリゾナの旅のために使えばいい。

 

どこへでも、好きなように生きればいい。

 

僕はどこにも行けないが、お前はどこにでも飛んでいけるだろうから。

 

──さよなら、アリス。

 

逃亡──────。

 

────。

 

そしてそうこうしているうちに、やがて一つの家の前に辿り着く。

 

──貸出中の看板、寂れたシルエットに手入れのされていない錆びついた門。

 

かつてアリゾナ家がロンディニウムを訪れた際に借りていた、一軒家にも似たそこそこの屋敷。

 

アリスとよく話をしていたウッドデッキの白いテーブルは雨風に晒されっぱなしで、蔓が絡みついていた。

 

生えっぱなしの草が膝の辺りまで伸びていた。

 

あの日から、僕は何か変わったのだろうか。変われたのだろうか。一体何が変わったのだろう。

 

──背後から、鉄柵の門が軋む音。

 

振り返れば──黒い基調の警官服。

 

腐れ縁の警官だ。名前は──7年来の知り合いであるにも関わらず、エールはその男の名前を知らないし、興味もない。

 

知らなかった。

 

「……お前、ついにやりやがったな」

 

腰には、似合わない刀を帯びている。

 

「貴族に手を出すんじゃねえって……言っただろうが」

「どうしてここが分かった?」

「お前の考えそうなことだ。この場所は、入り組んだ地形や高所の遮蔽物が障害になって見つかりづれえ。そんな場所を順番にマークしてきゃあ、いつかは獲物は食いつく。教えたろ」

「……ああ。そんなこと、言われたことあったっけな。それで、僕を殺しにきたってわけだ」

「投降しろ。上に掛け合って、命だけは助けてやるように頼んでやる」

「僕には必要ない。それにベスタがそんなことを許すかよ。元から覚悟の上だ」

「……何があったかは聞かねえ。だが──お前、こんなところで終わる気なのかよ?」

「さあ。だけど……長くここで生き過ぎた。今は、ちょうど良い気分だ。なんだか満足している」

 

体から吐く息は荒いが、何故だか充実していた。

 

ここで終わっても、それでも良い。元々大した意味もない人生だ。アリゾナに出会えて良かったと、今なら思える。

 

「諦めてんじゃねえ。お前はこの世界を何も知らねえんだ。出来ることがある。お前には──」

「かかって来いよ。まあ、あんたには勝てねえだろうが」

「……大人の威厳ってヤツを見せてやる。お前に戦い方を教えたのは俺だぜ」

「バカだな」

 

刀を構えて接敵、右から薙ぎ払い──こちらは素手、体力の消耗は激しい。頭はクラクラしている。

 

──何の問題にもならない。

 

一気に姿勢を低く。その速度如何によっては、相手の視界から消えたと錯覚する。

 

「ッ、消えやがった、──!?」

 

狙うのは頭部だ。それが最も効率がいい。

 

使うなら足がいい。足の筋力と重さは腕の数倍だ。威力が段違いになる。

 

刈り取るような真下からの回し蹴りがアゴにヒット。体を戻して肘打ち、刀を持つ手を狙って刃物を地面に落とす。

 

それでも根性で警官はエールの胸と手首を掴んで背負い投げを決めようとするが──腕力で強引に抜け出す。後頭部に一発。

 

「あんたが僕に戦いで勝てたこと、一度だってあったか?」

「……ああ。そうだ。お前は戦いにおいての天才だよ。ガキの頃から……大人数人だってボコボコに出来た。だから、お前には助けなんか必要なかったのかもなぁ」

「そうだ。別に僕にとっちゃ他人なんて必要ないんだよ。あんたは今日に至るまで、結局鬱陶しいオッサン以上じゃあり得なかった。これまでのよしみだ、別にこれ以上痛めつけようとは思わないさ。今は機嫌がいい」

「……俺の責任だ。だから、お前の始末は……俺が付けなきゃいけねえ」

 

地面に落としたのは閃光手榴弾。

 

「お前のことをよく知っている。何も用意してねえと思ったか」

「こんな目眩しで──ッ!」

 

視界が奪われる。

 

だがこの局面で、エールは風を操るアーツを展開──まるで空気の流れを察知して感覚を拡張するようにして、周囲の状況を把握。それに音による認識を加えて、ある程度の周囲の動きを察知した。

 

視界が回復するまで10秒。それまでは屋敷の中に入ってやり過ごす。後方に走る。

 

「そもそも俺は、一人で来ちゃいねえッ!」

 

ボウガンによる掃射が高台から飛来していた。

 

一本足に刺さる。掠めた矢は数えきれない。

 

それから先は死闘だった。

 

時間を追うごとに増援は増えていくが、こちらの状況は変わらない。時間が経つほど加速度的に不利になっていく。

 

そして────。

 

「終わりだ、エール」

 

呼吸を繰り返すが、冷たい感触が全身に伝わっていくだけだ。

 

ボウガンの矢が4本、切り傷は数えきれず。

 

警官の構えた刀が、ぐったりと壁にもたれたエールに向けられていた。

 

「……殺せよ。十分だ」

 

警官は最後まで迷っていた。

 

どこかで道を間違えたのだろう。自分もずっとそうだった。

 

立場上、エールを追わない訳にはいかなかった。だが──……。

 

「俺は本当に、お前のことを実の息子のように思ってたんだぜ」

「……知るかよ、んなこと。お前はずっと空回ってただけだろうが」

「そうだな。なあエール、この世界じゃ、人は人の助け無しには生きちゃいけねえ。どんな悪人だってそうだ。誰かに助けられながら生きてる。お前がそれを必要としていなくても、お前にはそれが必要なんだよ。俺はお前にそれを教えてやりたかったが、それをするにはお前は強過ぎてなあ」

 

沈黙したエールの前に立つ警官の後ろには、かなりの数の機動隊が控えていた。

 

さっきから援護が鬱陶しかった連中だ。今は武器を下げて、エールの首を刎ねる瞬間を待っていた。

 

「だが……俺が間違っていたのかもな。間違ってばっかだ、息子死なせて、妻にゃ逃げられ……それでも、お前がすくすくと育っていく姿に、多少は救われたもんさ。なあ、ここで本当に諦めちまうのか」

「……いいさ。どの道こんな腐った世界は、こっちから願い下げだ」

 

警官はその返答に、意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「……だが最後には、お前の保護者気取りとして、俺は行動で示すことにする」

「……あ?」

「──すまなかったなぁ。お前を救ってやれなくて」

 

振り返って──投げたのは、スモークグレネード。

 

「だが、最後くらいは……お前のために、まだ俺に出来ることが残されていると信じてるよ」

 

たちまちのうちに一体が煙に包まれていく。

 

「おい、何をしているッ!? お前のしていることは明確な命令違反だ、分かっているのか!?」

 

誰かが叫ぶ声が聞こえる。

 

「うるせえ黙れ! 俺は最後は間違えねえよッ! 親は子供を守んなきゃいけねえ! やっと踏ん切りがついたんだよッ!」

「この──拘束しろッ! 巡査程度なら殺して構わんッ!」

 

誰かの叫ぶ声が聞こえた。

 

「聞こえてんだろ、ゲホッ──エールッ! 逃げろッ! ここから脱出しろッ!」

 

名前も知らない誰かの叫ぶ声が聞こえていた。

 

「────生きろッ! お前の居場所はここじゃねえ、お前の生きるべき世界がどこかに必ずあるッ!」

 

立ち上がる──。行動は早く、やると決めたなら一瞬で。

 

「出会える時が来る! ──必ずだッ!!」

 

最後の力を振り絞って──という訳でもないが。

 

ただ、体はまだ動いた。

 

「諸共殺せッ! 早くしろ、逃げられるぞッ!」

「味方の数が多すぎる! 何も見えない──」

 

何かも分からない苛立ちに突き動かされたまま、エールは走った。

 

吹き荒ぶ風のように、ただ走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「来ると思っていたよ。あまり期待はしていなかったがな」

 

元々、ケルシーがどこにいるかはわかっていた。

 

警戒体制の中をくぐり抜けていくために邪魔だったボウガンの矢は全てへし折って、強靭な生命力と気力をフードの中に隠して。

 

あるいは、スラムの知り合いの協力を借りて。

 

それは停泊中のロンディニウムから荒野に繋がる道路へ通じた場所で、ガラリとしていた。

 

衝動的にケルシーに襲いかかった。

 

ブチ殺してやろうと、何故だか思った。

 

「Mon3tr」

 

弾かれた体がゴロゴロとアスファルトを転がっていく。

 

失血と疲労の積み重なった体では、まともに受け身も取ることは出来ない。

 

「……何なんだよ。ふざけるなよ……今更、どういうつもりなんだよ──」

 

呟く言葉は自分にしか聞こえない。

 

何もかもぐちゃぐちゃになってしまったようだ。

 

あんな男に、自分の感情が乱されていることが腹立たしくて──。

 

「派手にやったな」

「……なあ、ケルシー先生。どうして人には、他人の助けが必要なんだ?」

「人が弱いからだ。一人で生きていけるのなら、それは獣と大差ない。それを人とは呼ばん。弱さとは、人の根源的なアイデンティティーの一つだ」

 

エールは痛みを感じていないかのように笑って聞いた。ぐちゃぐちゃな笑い方で。

 

「そんなことが聞きたいわけじゃない……。なあ先生、分かってんだろう」

「強さを獲得していくほど、同時に内側に脆さを内包してしまう。それが万物の理なのだ。だが脆ければ強い訳ではない。そして強ければ意味がある訳でもない」

 

終わっていいと思っていた。

 

だが生きろと言われた。

 

だが生きるって何だ。何がある。何をすればいい。

 

「なあ……教えてくれよ。僕は、戦うことでしか生きていけないのか……?」

「究極的に表現するならば、私たち人間は食物連鎖という戦争の輪の中にいる。それは善でも悪でもない。ただそういうシステムに過ぎん」

 

ケルシーは言葉を続ける。

 

「そもそもを言うならば、私たちの生に意味などない。怒りも悲しみも喜びも、いずれは消える。やがて消えてしまうのなら、元々存在していないのと何も変わらない────感情論なくしてこの事実を否定することはできん。ニーチェの言葉を借りるならば、だがな」

 

そんなものは知らなかった。どうでもいいと思う。

 

「神は死んだ。そして、人もいずれ死ぬものだ。遅かれ早かれ、必ず。生物に限らず、万物はいずれ崩壊するように出来ている」

「……死ぬんなら、別に……最初から、居ないのと変わらない。この世界に、何か意味はあるのか?」

「ふ……。君は何も、意味を求めているわけではない。君は一体何がしたい? 何を求めている? それを理解しているか?」

 

何を求めているのか、だと。

 

かつては何かを求めていた。もう一度アリスに会いたかった。だがそれももう捨てたのなら、もう何も残っちゃいない。

 

「……知らない。そんなこと……。僕は……自分のことだけで精一杯だ。生きのびる事だけで精一杯なんだ──」

「君が生きているということは、誰かが君を生み出したということだ」

「……」

「生み出されたことには、何か意味がある。そして君は生きている。だと言うのに、君はそのことも理解していない。この世界で生きている全ての人間は、その意味を背負っている。望むと望まぬとも、だ」

 

望まれずとも、アルカーチスという赤子は確かに生まれてきた。

 

「なんだよ、それ……」

「誰しもその呪いから逃れることは叶わん。君は暴力に優れているな。その力のおかげで今日まで生き延びることができた。違うか?」

「……こんなの、要らなかった」

 

これさえなければ、アリスと離れることはなかったかもしれない。いや、そもそも出会うこともなかっただろう。そのほうがよかった。

 

「全ては使い方だ。暴力性を裏返せば英雄性であるように、その力は本来誰かを救うためのものだ。有り余る力には責任が伴う。その責任を果たせないなら、それは重しとなって君を押しつぶす。いつの日か必ずな」

「そんなの……要らない。どうして、僕なんだ……。どうして……」

 

エールはウルサスの混血としての腕力を得ていたし、天才的な戦闘能力を持っていた。それは恵みでもあったが、同時に呪いでもあったのは確かだ。

 

これさえ無ければ、きっともっと楽に終われていた。

 

ケルシーは言う。

 

「君に必要なものは理性だろう」

「……理性?」

「言い方は色々あるがな。理性とはそれを表す言葉の一つだ。それは夢や目標、あるいは愛や友情、あるいは信仰、あるいは信念──そうだな。私にとっては、それは"道"だ」

 

それは人生の道標。

 

大木のように揺るがぬ何か。

 

「この道の果てに待つ結末に向かって歩き続ける。私はそうだ」

 

ケルシーの考えは炎国の伝統的な哲学をベースとしていた。それは求道とも言う──人のあるべき姿、歩むべき本当の道を探すこと。

 

「君も、長い道を歩んでいるはずだ。そうだな──私の私兵として扱うのは、やはりやめておこう。君はロドスのオペレーターになるべきだ」

 

ロドスは新しい戦力を求めていた。そう言う意味で言うなら、エールなどは強力な戦力になるだろう。

 

あるいは、エールには導きが必要だと判断したのかもしれない。

 

「────私と共に来るか」

 

ケルシーは言う。

 

「君はまだ結末を迎えるべきではない。君の歩む道は、ここで終わりではないだろう。なぜなら君はまだ生きているからだ」

 

エールは問う。

 

「……どこに、繋がっているんだ」

 

ケルシーは答える。

 

「それは君自身しか知らない。君は何かを成すべきためにその力を持って生まれた。それを道と言い、運命と呼ぶ」

 

最後に、エールは独白するような言葉を発した。

 

「……いつか、あんたの見えている世界が……僕にも見えるのか。……人を許せる日が、いつか来るのか……」

 

ケルシーは答える。

 

「君次第だ」

 

……エールは言った。

 

「……行く。あんたに……ついていく」

 

そして、自分の運命を自分で決めた。

 

「そうか」

 

ケルシーは倒れたままのエールに手を差し伸べた。

 

「ロドスでは、オペレーターはコードネームを名乗る。今のままエールを名乗っても構わないが、望むなら好きな名前を名乗るといい」

「……なら、あんたが決めてくれ。僕に……名前を付けてくれ」

「なら……そうだな。Airburst……いや、blast……。Blastだ。君を見て決めた。それで構わないか」

「……blast。……分かった。Blast……いい名前だ。ありがとう……先生」

 

そしてエールは、この日からBlastとなった。

 

長い旅の、その始まりだった。

 

1093年某日、ロンディニウム市某所。

 

狐は一人を捨て、また歩き出す。

 

辿り着くどこかを探して。

 




この思いが、どうか嘘になりませんように。

※過去編終わりです。次からやっと時間軸戻ります。長い……。
アンブリエル編でのエールの台詞と矛盾してんじゃねえかとか思っていても言っちゃいけないゾ! お兄さんとの約束だ!


・エール
クソ重狐
警官のおっさんに負けたのはエール自身が生活に疲れ切っていてあまり生きる意思がなかったからだと思われます。それでももう一度歩き出したのは、きっとまだ助けてくれる誰かがいたからなのでしょう

・警官のおっさん
死んだかどうかは分かりません。死んだんじゃないの〜!?(コックカワサキ)



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1096年7月20日:戦争ごっこ -1

「なあ、ジフ。もしもの話なんだが──もし僕の正体が、救いようのクズだとしたら……お前、なんかするか?」
「何言ってんすかアンタ。今でも十分クズっすよ」

りんごは赤い、くらいの当たり前の常識を話す調子だった。

「いや、これ真面目な方の話だから」
「? 真面目な話っすよ?」
「……。え?」
「いや、え? とか……そういうのもういいっすよ。人から貰ったチョコ、全部ブレイズさんに食わせるのマジでやめた方がいいっす。マジで。いやマジで」
「あいつが勝手に全部食ったんだよ……」

いや別にこの回想は必要ない。こっちだこっち。

「──で、どうなんだ」
「んー……。隊長がガチクズだったら……っすか。まあ犯した罪の度合いにもよるんじゃないっすか? オレだって悪いこと、一度だってやってねえわけじゃねぇっすよ」
「じゃあ仮に……無差別殺人、強盗、裏切り……とか、だったらどうだ?」
「えー……救えねー……」

ジフは──ああ、どんな顔をしていたのだったか。

「まーあれっすよ。償うときは、ちゃんと協力してあげるっすよ」
「……はは。なんだそりゃ」

見捨てると言われなかったことに、柄にもなく安心してしまった。

だが……その罪がもしも、お前を死なせてしまうことなら──どうすればいいのだろうか。

「ま、次の仕事に行こう。お前オリジムシとか素手で行ける?」
「ヤっすよ。ベタつくじゃないっすか」
「じゃあ食うのは?」
「ぜってー嫌っす!」

何気ない日常が続いていた頃の話。

「……いつかあんたが抱えてるモンを、オレたちにも背負わせてくれる日を……待ってるっすよ。隊長」

ああ。いつか話すよ、必ず──。

そして。

その思いが嘘になって、すでに半年ほど経っていた。




この日は、エクソリア共和国にとっての転換点(ターニングポイント)の一つだった。

 

それは国の未来を左右する一日だった。

 

──人々の知らない、水面下での冷たい殺し合いがこの日の出来事。

 

それは内戦だった。人々が知らない内戦だった。

 

内戦の中の内戦(インサイド・ウォー)とも呼ぶべき壮大な内輪揉めで、その次第が今後の戦争を決める。それは国の未来を決めることと等しい。

 

本来の戦争には到底及ばない規模の、たかだか数十人規模の小さな小さな戦争。

 

それを指して、戦争ごっこだと、誰か言った。

その表現は間違いだったと、ずっと後になって分かることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1097年7月20日:戦争ごっこ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正午を回った頃だった。

 

「──返答を頂きましょう。今日が約束の日です」

 

白昼、エールはリン家の屋敷に出向いていた。いつも通り、レオーネの軍服で、右肩の袖をはためかせて。

 

広い敷地だった。

 

ロンディニウム風の建築様式は、昔のことを思い出させて少し苛立つ。

 

そしてレオーネがNuoSE──企業連合の申し出を受け入れるか断るか、その返答が今から行われる。

 

最も、選択肢はないようなものだった。以前より各産業界からの圧力は高まる一方だったし、議員からも色々と面倒な契約を結ばされそうになっていた。

 

実質的に野放しになっていたレオーネを、貴族がコントロール下に置きたいと思うのは当然のことで、ともすればそれは、内戦よりも重要なことだったのだ。手段は選ばれなかった。結果としてバオリア軍病院は何者かの襲撃を受けることになった。

 

「念のため確認しておきますが、この取引を承諾した場合、あなたの権限は大幅に小さくなります。私どもと協力するわけですからね。以前のようなワンマン構造はリスクが大きすぎる」

 

どのような名目を並べたって、要はエールを押さえ込みたいだけなのは分かりきっている。

 

「答えましょう。僕の答えは──────」

 

その言葉が言われるよりも先に、ヴィクトリア風の巨大な鉄柵の門に突っ込んできた軍用車の衝突音が辺り一体に響き渡った。

 

続くように何台もリン家の屋敷に侵入。庭先の庭園を踏み荒らして突入してきたのは──。

 

覚悟を決めた、男たちだった。

 

「行くぞてめえら! フォンを探し出せ! 必ずここのどっかに捕まってるはずだ!」

 

元スーロン構成員が一斉に車両から飛び出し、屋敷の方に向かって駆けていった。

 

目的はおそらく捕らえられているフォンの救出。無論根拠のない行動ではない。

 

フォンが有事の際のために備えていた救援要請の信号をキャッチしたのだ。それで決定的になった──推測は正しかった。

 

電波減衰が激しく、信号は微弱にしか感じ取れなかったが、フォンが何らかの危機的状況下にあることは明らかだった。

 

そして全ては、自分たちのリーダーを助け出すための行動。

 

「──あれは?」

 

窓際に寄って見下ろすエールとハノルだが、彼らに対する反応は対照的だ。

 

「招かれざる者達、という訳ですね。エール様、これはどういうことでしょうか?」

「……どうして、彼らがここに」

 

最初の想定外は、ここから始まった。

 

本当に知らなった──スーロンが怪しい動きをしていることは知っていたが、こんな大掛かりな行動に出るなど予想していなかった。

 

「……なんのために」

「あなたのところの部隊ですよ? 知らないでは通りませんよ──説明して頂きましょう」

 

スーロンを焚き付けておいてこの言い草はもはや白々しいを通り越していっそ堂々とさえしていた──。

 

「僕は知らないぞ……どういうことだ?」

「では裏切ったというわけですか。守衛隊迎撃用意──エール様。こちらはこれより正当防衛を行います。あなたにも協力を要請します。宜しいですね?」

 

屋敷に強襲を仕掛けてきたのなら、取る手段は一つだけだ。逃亡など論外、真正面から迎え撃つのみだ。

 

そしてレオーネの一部隊が正当な理由なくリン家を襲ってきているのなら、エールはそれを阻止しなければまずい。さもなくばリン家との対立があるのみだ。

 

「いや……断る」

「……今、なんと?」

「お断り、だと言ったんですよ。僕が協力する義務はない」

 

そう、確かにそんな義務はない。レオーネは別に貴族や議会の下にある組織ではないのだ。そして警察組織でもない。レオーネは戦争のみを担う自警組織に近い。

 

「あなたの言葉、間接的に彼らを支援するつもりだ、と受け取りますよ」

「彼らの行動に心当たりがあるのなら、教えてもらいたい」

「ありませんよそんなもの。彼らのことなど()()()()()

 

当然その裏側にある嘘など態度に出さない。だがエールもエールでこう考えていた。

 

──よく分からんがこれはチャンスかもしれない。

 

「──僕は静観します」

「傍観ならばお好きに。ですが──この後、あなたの責任は追及します」

 

そう言い残してハノルは部屋を出た。防衛のための指揮権はハノルが持っている。当主リンも今は家にいる──あの老人を今失うのも面倒だ。

 

「……さて、こいつはどういうことかな。フォン……お前、どこにいる? お前の指示か……?」

 

状況が把握できていないエールには、スーロンの暴挙の理由は分からなかった。だが……この状況下を黙って最後まで見ている気は、今のところなかった。

 

守秘回線を開いて無線を起動────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「侵入者発見! 交戦開始(エンゲージ)!」

「ブッ殺せ!」

 

試作品のAKレプリカが5丁──フェイズの権限で武器倉庫から掻っ払ってきた限界の数。それと標準装備のクロッグレプリカ。

 

マズルフラッシュと炸裂音が感覚を焼く。照準精度はサンクタ族と比べるとまるで子供の遊戯そのものだったが、有名な言葉がある──数打ちゃ当たる。

 

反動で腕と肩がイカれそうだ。

 

構わない、ブッ殺せ。

 

「ダメです、連中に近寄れません!」

「ち──開けた空間は不利か。仕方ない、屋敷の中に引き入れろ。狭い空間の近接戦で仕留めるんだ」

 

退却を始めるリン家の守衛隊にスーロンは追撃する。

 

「はっ! 逃げやがったな──構わねえ、このまま中に入るぞ! フォンの救出が最優先だ! 地下を探せ!」

「いくぜぇぇぇぇええええええ!」

 

痙攣する死体から流れる血を踏み潰してそのまま突撃。

 

そしてそれに隠れるようにして動く者が一人。

 

「……なんだ?」

 

機を伺っていたが、スーロンの連中が何故かリン家へ襲撃をかけた。

 

「……なんでもいいか。好都合だ」

 

身の丈ほどある巨大な剣を背負って、スカベンジャーが後に続いた。

 

「……ゴミ掃除だ。必ずブチ殺してやる、ハノル(クソ野郎)

 

呟いた言葉は銃声にかき消されて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「殺せ殺せ殺せ殺せ! ッハハハハ! 流石はフェイズお手製は違ぇな!」

 

元スーロン構成員19名による独断行動中の小隊は圧倒していた。

 

軽火器の戦術優位性(アドバンテージ)は携帯性、速射性に関して従来のボウガンよりもずっと優れていた。

 

ボウガンが銃より優れている点は、矢の重さゆえの貫通力である。通常の銃弾では貫通しないような装甲でも、その重さによるエネルギーを武器にしてブチ抜くことが可能。それがこの世界におけるボウガンの強さだ。

 

だが軽装甲相手ならば、銃の方が一歩勝る──。

 

だが。

 

第二次ラインまで後退しろ、とハノルはむしろ笑いながら命令した。

 

「後退ッ、後退しろ! 下がれ!」

「ビビってんじゃねえぞ貴族様よォ!」

 

全ての部屋のドアを蹴り飛ばして開けていくが、フォンはどこにも見当たらない──書斎、調理場──どこにも。

 

「信号の発信場所を特定出来ねえのかよ!」

「今やってるよ! けど電波障害がひどくて測量が上手くいかない──あと30分時間を稼いでくれ! 必ず突き止めて見せる!」

 

元エンジニアのメンバーが機材を展開させながら叫ぶ。フォンの発信機は幸いにも没収されていなかったのが幸いだった。

 

「頼んだぞ……! っしゃあ、時間稼ぐぞテメエら!」

「弾丸は使い切っていいんだな!?」

「ったりめえだろうが! ブチ殺してやれやぁッ!」

 

──その一方で。

 

「……ふむ? ハノルよ、何か起こっておるか?」

「ご心配ありません。獲物が餌に掛かっただけです──これまでのように、全て私にお任せください」

「頼んだぞ。マイ亡き今、お前だけが頼りじゃ」

 

マイ──というのは、マイ・チ・ファン、つまりはミーファンのことだ。

 

そのミーファンを殺したのが目の前のハノルとは知らず、リンは安楽椅子にもたれて煙を吐き出していた。

 

「ご心配なく。彼女の仇は私が取ります。その意思とともに」

「……仇、じゃと?」

「今攻めてきている暴徒共ですよ。彼女を殺したのは」

「……殺せ、一人残らず殺して……儂の前に差し出せ。八つ裂きにせよ……」

 

──リンはすでに、ハノルの言葉を全面的に信用するようになっていた。

 

天下のリン・ギ・ファンも……かつては南部の王とさえ呼ばれた男も、今となっては耄碌し、見る影もない。

 

体は衰え、心は弱り──かつてのような輝きはもう失われ、今ではハノルの手先で踊るのみだ。

 

「全て御心通りに。ご安心を」

 

そう、安心しろ。

 

お前を殺すのは最後にしておいてやるから──心の中で、そう付け加えて。

 

「報告! 第二次防衛線突破されました! この部屋も危険です、退避してください!」

「……何?」

 

想定より十分以上早い。

 

「仕方ない。重装甲部隊を出せ」

「重装甲部隊、全て壊滅しています!」

「……何だと?」

「敵の中に爆発物を扱うものがいます! 既に屋敷内各所に地雷トラップが設置されています、それにやられた模様!」

「…………。……」

 

手際が良すぎる。リン家の内部情報を掴んでいなければそんな芸当は出来ないはずだ。

 

──誰だ? 連中が持ち出してきたのは軽火器のみだ。それは確認している。

 

銃声に混ざって爆発音。天井が揺れてシャンデリアを揺らす。パラパラと木屑が落ちる。

 

「ハノル、何をしておる。さっさと潰さんか」

「いいや、死ぬのはあんたの方だ。リン・ギ・ファン」

 

それは女の声だった。

 

室内には伝令兵とリン老人、そしてハノルの他には誰もいない──そのはずだった。

 

天井の床が蹴破られ、そこから大量の小さな黒い野球ボールのようなものがばら撒かれる。これは──ピンを抜かれた手榴弾だ。

 

──まずい。

 

咄嗟に引き寄せたのは、横にいた伝令兵。腕を掴んで背に身を隠す──要は、人間の形をした盾として使った。彼の最後の言葉は”何を”だった。

 

破裂する無数の破片が運動エネルギーを存分に消費し、調度品で溢れかえった部屋の中を破壊し尽くした。壁に飾られた一枚何百万龍門幣の絵画を何枚もぐちゃぐちゃにする。

 

まるで子供がオモチャで部屋を散らかしたようだった。天井が崩れ落ちて、一人の女が姿を表す。

 

「……そっちがリン・ギ・ファンか。哀れなもんだ」

 

安楽椅子から倒れたリンは、幸運にも分厚いデスクの影に倒れこみ、負傷は最小限に収まっていた。足の数カ所に破片が刺さっているだけだ。五体満足ですらない伝令兵の死体とは違った。

 

「で、お前がハノルか」

 

背丈ほどもある大剣を背負って、その柄に手を掛ける。そして片手で構えた──冷たい瞳がハノルを捉えた。

 

「……ッ!」

 

問答は不要、ハノルの採った行動は一つ。逃亡だ。

 

話の通じるタイプじゃない。さっきの行動で分かった。重装部隊を潰したのはヤツに違いない。

 

倒れ込んだ老人を流し見てスカベンジャーは呟く。

 

「……逃すか」

 

どうせリンの方はいつでも始末できる。今はそれよりもハノルを始末する。背負ったリュックにはトラップの山。使えるものはなんでも使う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

逃げ出したハノルは侵入者対策に用意しておいた隠れ通路を走っていく。まず見つかるはずがない。

 

通信機にがなった。

 

「予定変更──地下牢の男を始末しろ! もう生かしておく理由はない、早くやれ!」

『だ、駄目です! すでに地下への侵入を許して──うあぁぁッ!』

「クソ、役立たずがッ!」

 

ハノルの腰には二つの通信機があった。一つは今使っているもの。もう一つの通信機は──ウルサス語の文字が印刷されている。

 

微かな逡巡。だが──電源を入れて周波数を合わせる。変換キーを差し込んで暗号化。盗聴対策ののち、一言。

 

「計画変更。契約に基づき、出撃しろ。赤旗の兵士たち(レッドスカーフ)……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そして()()はやってきた。

 

A(アルファ)隊展開。前進」

 

彼らは百名近い組織であるにもかかわらず、同時に一つの生物だった。歩兵隊が広がっていく様は、まるで手のひらを広げるように自然で、洗練されていた。

 

壊された門から、或いは開かれた四方の門から。

 

リンの有する広大な敷地──ヴィクトリア風庭園から、その数を生かして屋敷を包囲していく。

 

そして隠し扉からハノルが飛び出してきて、屋敷を囲う一部隊にまで駆け寄っていく。

 

「契約により指揮系統を私に委任しろ! 文句ないな!?」

「断る。そもそもこの行動は計画外だ。よって権限は認められない」

「指定対象の殲滅は遂行されるな!?」

「……対象は屋敷内の生存者全てだ。だが我々のやり方に口を出すな。お前は同志ではない、所詮協力者に過ぎん」

 

それで十分だ。リンはまだ中にいるだろうが構うものか。今殺すか、後殺すか、だ。

 

腕に赤い腕章。それ以外は簡素かつ機能的な軍事行動装備。我々は特殊部隊。

 

伸ばした手の先にはリンの屋敷。発令。

 

「対象、屋敷内の全ての生存者。──殲滅せよ」

 

北部軍特殊部隊レッドスカーフ、機密条約に基づき行動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

戦況は一瞬で変化した。

 

B(ベータ)展開。装甲兵突入、支援射撃用意。屋敷内にトラップがあるらしい。各自注意しろ。突撃」

 

装甲を固めた兵士たちが盾を構えて屋敷へ入っていく。 その重厚感たるや、一歩一歩が地面を揺らすようだった。まるでウルサスの軍隊を彷彿とさせるような雰囲気。

 

「──ッ、なんだこいつら!? どっから現れやがった!」

「見たことない装備──こんな連中を隠し持っていたのか!?」

 

甲高い衝撃音と銃声が混ざって、耳をぐちゃぐちゃにしていく。爆音ばかりが体の底に響く。

 

「おい効いてんのかこれ、マガジンの中身撃ち切ったんだぞ!?」

 

硝煙を振り払って重装甲兵が前進してくる。

 

стрелок(豆鉄砲か)Приведи бариста(バリスタでももってこい)

「ダメか……! デカブツはアーツが有効だ──ジャック! リーク!」

「伏せとけ! とっておきを打つぞ……!」

 

物理的な防御力を無視するアーツによる攻撃が始まる。先程までの一方的な展開と違い──ここからは、命を掛け合う殺し合いだ。

 

そしてスカベンジャーも、突如現れた尖兵と突発的な戦闘を開始することになる。

 

「邪魔をするな」

 

軽装備の先鋒を相手に近接戦。無駄に広い屋敷のおかげで遠慮なく獲物を振り回せる。

 

重量のある刀を軽々と扱い一閃。リーチと重さのある大剣が風を切るが──。

 

弾かれた衝撃と共に帰って来たのは刀だけではない。攻撃は反撃と一緒に返却されてくる。その動きでわかることがいくつかあった。

 

雑魚じゃない。目の前の訓練を積み重ねた兵士だ。飛んでくるボウガンから身を隠すために再び接近戦に打って出る──目の前の敵、つまり敵からすれば味方をボウガンからの盾として位置取る。無茶苦茶だが、近くに手頃な障害物がなかった。そもそも正面戦闘は好きじゃない。

 

Пожалуйста(援護射撃は)!?」

Вы мешаете(お前が邪魔なんだよ)!」

 

事実、絶妙な位置取りだった。数撃の剣戟が続く。

 

Я подхожу(囲え)Она сильная(一人じゃ勝てないかもしれない)!」

 

射線上にスカベンジャーがいるのなら、手段は二つ。相手を動かすか、自らが動くかのどちらかだ。

 

距離を取っていた二人のボウガン使いがこちらに近寄って来た。

 

「……かかったな、間抜け……!」

 

腰のポーチから取り出したスタングレネードのピンを歯で外し、体重を乗せた回し蹴りを正面に叩き込むと同時に投擲。ボウガンから逃れるために横っ飛びになりながら耳を塞ぐ。

 

鼓膜を破るほどの大音量と目を潰す閃光が辺りを押しつぶした。動物性の耳を持つのなら、さらに効果が高い。耳を塞いでいても頭を押しつぶされるような大音量に襲われる。

 

「──Светошумовая граната(音響閃光弾だと)!?」

 

これ一つを買う金で二日は飯が食べられる。ウルサス製の武器はやはり性能がいい。高級品だ──。

 

相手も黙ってやられているわけではないが、目と耳が奪われたのならそれはもう人形と同じだ。

 

3人分の命の灯火が血液と共に流れ出て、そして灯火は消えた。二度と灯ることはないだろう。

 

「……こんなヒラ兵士に使うことになるとはな……一体どうなっている?」

 

潜入していた時には、こんな連中がいるなど知らなかった。そもそも今の言葉は──ウルサス語ではないのか。

 

「……まだ何かあるのか?」

 

隠された何かがあることは明白だった。

 

全てを知りたいなどとは思わない。関係のないことは切り捨てないと、この世界を生きるには知りすぎてしまう。

 

だが──。

 

「……私は、何をやっている」

 

それでもこの場所にいる意味を、未だわからないまま。

 

だがこれ以上逃げ続けるのも、己を許せそうになかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……! フォンの位置を特定した、この場所の真下だ!」

「はあ!? 地下か!? けどそれっぽい入口はどこにも──」

「探すんだよ! もしくはぶっ壊すかだ!」

「クソッ!」

 

さっきのようには行かない。

 

だが銃も全く役に立たないわけではない。牽制にはなるし、重装以外には有効であることは以前変わりない。時間稼ぎは出来ていた。

 

「こっちだ、見つけた! 地下への入り口だ!」

 

南京錠に対し銃弾を何発か撃って、地下へのハッチを乱暴に開けた。鋼鉄の重たく冷たい扉だった。下には梯子が続いている。その先は真っ暗で何も見えない。

 

「フォン! いるのか!?」

 

足元の暗闇に向かって一人が叫んだ。

 

「──ソール、か?」

 

返答。それは紛れもなくフォンの声だ。ハッチからの光では届かない闇の奥から一人分の声。直後に後ろから爆発音が響いた。

 

「──ッ、早くしないと……! すぐに行く!」

 

──……来るな、と。呟いた言葉は爆音の中に溶けて消えて、誰の耳にも届かない。

 

馬鹿な仲間達のことだ。罠とわかっていてものこのこやってきた。こうなった以上は自分ももう用済みだろう。すぐに始末されないのは──想定外の状況があったからか?

 

光源のない牢獄に長いこといたからか、ライトの光が眩しくて目が眩んだ。

 

「なんだこれ、牢屋にぶち込んだ上に手錠!? 待ってろ、今ぶっ壊す!」

 

仲間の一人のアーツによって、鉄製の檻は砕け、通れるようになった。

 

手錠も何てことはない、材質はアルミ系の材質──対アーツ性の合金でないなら、大した手間ではない。破壊。

 

「状況はどうなっている」

「最初は蹴散らしてたんだ、けど──なんか妙な連中が出張ってきている。明らかに精鋭の軍隊にしか思えないよ。とにかく上がろう、脱出するんだ」

 

丸一日ほど拘束されていたフォンは、ロクな時間を過ごしておらず力の入らない体を無理やり動かすようにハッチを登った。

 

「──フォン!」

「ビッツ、敵戦力の報告を」

「重装兵がやたらいる! 銃が通じねえ、近接も強え! クソやばい状況だ! さっさと脱出しねえと潰されちまう!」

「……一点集中で抜けるぞ。全員を集めろ。ここからさっさと脱出する」

「その後はどうする!?」

「その後で考える。行くぞ」

 

極めて冷静に状況を分析し、迷いなく言い放つフォンは──紛れもなく、自分たちのリーダーとして相応しく。

 

だが──状況はより厳しく、暗く。

 

どこかの爆発から生まれた火が、屋敷の壁に着火し──いつの間にか、廊下の隅から火の手が上がっている。断線して消えたシャンデリアによって生まれた暗さを照らし出すようにして、熱気と光が発生していた。

 

崩れた壁の向こうには、何かの部屋が広がっているが──外への道を塞ぐように、ずらりと並んだ高壁のような装甲兵団の列が立ち塞がっている。

 

構えた盾はずっしりと重く、硬く、そしてそのまま敵を打ち砕く武器となる。

硬く揺るがず、そして強い。重装兵は戦闘におけるキーユニットだ。特にこれまでの大きな武器である銃器が通用しないのが最も大きいファクター。

 

「アサルトで牽制続けろ。術で削れ──残り連中で接近、撤退を繰り返して時間を稼ぐ。エールはいるか?」

「エール!? いねえよ、どうしてんなことを聞く!?」

「……そうか。攻撃を続けろ」

 

──日付感覚は曖昧になっているが、おそらく……この屋敷のどこかにエールもいるかもしれない。上手く連絡を取れれば活路が開けるかもしれないが……。

 

ないものねだりはやめて、生き残ることを考えるべきだ。全ての疑問は一旦置いておく。

 

敵勢力に遠距離武器持ちがいないのが救いだ。あるいは必要ないだけかもしれないが。

 

「……どこにいる、エール」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳裏に蘇る。

 

目の前が真っ白になり、思考が出来ない。

 

崩れた柱が地面に衝突して生み出した土煙は──どちらなのだろうか?

 

これは、今見ているのは……どっちだ?

これは記憶か?

 

それとも現実なのか?

 

遠目に見えるのは赤いスカーフ。揃いも揃って、きっちり右腕に揃えて巻いているのは、

 

……馬鹿みたいに目立つ。

 

目の前で誰かが過ぎ去っていく。

 

何かを言う。

 

一緒に見下ろしている。隣に仲間が立っている。違う。それは幽霊だ。もう仲間は死んだのだ。だが見下ろしている。僕を見ている。僕は見下ろしている。

 

……ぐちゃぐちゃになりそうだ。

 

頭が割れて、中身ごと……下手くそな胡桃割りみたいに中身が飛び散りそうだ。

 

隣の仲間は、何かを言っている。だが聞こえない。古い映画のように、音のないフィルムのような冷たさでは何を言おうとしているのか分からない。見えない。

 

見えない。見えない。見えない。

 

嘘だ。見えている。見えてはいる。

 

聞こえない。聞こえない。聞こえない。

 

本当だ。聞こえないのは本当だ。それだけはリアルのはず。

 

──────ほんの、一つだけはっきりしているのは。

 

仲間を殺した連中を、見下ろしているという事。

 

それは、仲間の仇がそこにいるということ。

 

──揺れている。

 

輪郭と呼ぶにはぼやけすぎた陽炎の影がゆらゆらと曖昧なままで────揺れているのだ。

 

仲間は横にいる。

 

僕は生きている。僕は死んでいる。

 

彼らの仲間であるblastは既に死んでいる。だが僕は生きている。だが同じ人物じゃない、脳みその中身は同じでも、違う人間なのだ。

 

エールとして、仲間の復讐をするのは筋違いだ。あのスラムのクズには仲間などいなかった。そしてblastは死んだ。では──、

 

なぜ、今僕はここにいるのだろうか。

 

──ただ、手をかけていた窓の淵は、軋みの音を散々吐き散らして、最後には破断した。

 

ああ──壊れてしまえ。

 

お前が自ら壊れないなら、僕がぶっ壊してやる。

 





アークナイツイベント来ましたね! logosさんの口調が想像以上でした。スルトガチャは死にました
※今回の解説らしきものはありません


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1096年7月20日:戦争ごっこ -2

防戦一方、というほどでもない。

 

だが状況は最悪だった。似合わない行動が生み出した結果はそのまま自らに跳ね返ってくる。

 

孤軍奮闘、と表現しうる戦いぶりだったのだろう。爆発物トラップは最近学んだ──強くなるための手段は常に探し求めている。特に雇い主の懐は潤っていたので、高価な兵器を使う機会が増えた。

 

一つ、また計算通りに爆発が柱を吹き飛ばす。

 

そうなれば屋敷は自らの体重を支えられず──崩落していく。倒壊するヴィクトリアもどきの豪邸は燃えていた。太陽が見える。

 

──本来なら、いつもの自分ならば、さっさと逃げているのだろう。逃走は可能だ。重装兵の足の遅さなら、亀とレースをするようなもの。敵先鋒兵の数はざっと観察していたところ少ない。生き残るのは無理ではなかった。

 

だが、それでは意味がない。

 

もういい加減、意味もなく生き続けることには疲れた。汚れても生きてきた。だがそれはなんのためだったか……いつの間にか、思い出せなくなってしまっていた。

 

ただ最後は──最後だけは。

 

自分のために、殺そうと決めたのだ。

 

大盾相手に出来ることは少ない。戦車相手にただの刀が勝てないように、重くて硬いことは戦いにおいてすなわち強いということを意味する。

 

敵数は数えてない。馬鹿らしくなるからだ。

 

荒い息を繰り返す。盾で殴られた左脇腹から鳩尾のあたりが痛む。

 

「──Ты стараешься(随分粘るな)Но это все(だが、もう終わりだ)

 

もう地雷は使い尽くした。相手の4、5人は持っていけただろう。だが代償として──終わりの時が訪れようとしている。

 

重装備相手に通じる刀ではないことは、自分が一番よくわかっていた。所詮専門は暗殺だ。戦いじゃない。適材適所というものがあることを知っている。自分を役割で表すとしたら、主力級の人材じゃない。こんな風に戦ったってどうしようもないことくらいわかっている。

 

「……終わりじゃない。あいつを、殺すまでは……」

 

知っている。知っているさ。だが無理だ。出来ない──たとえ手遅れだったとしても、彼女のためにできることがまだあるとするなら。

 

「どけ……どけ……ッ! 私の邪魔をするなッ!」

 

それは、きっと復讐をおいて他にない。

 

「はぁぁぁぁぁあああああああ────ッ」

 

たとえその果てに自分の惨めな死に様があるとしても、もうどうしようもなく止まれなかったのだ。

 

倒壊していく屋敷、燃え盛る炎が白日の下、湿った大地の上。

 

鬱陶しいくらいの湿度、返り血と自分の血。白い大地。土の混ざった砂。遠くにぼんやりと見える緑の大地。鬱陶しいくらいの──。

 

それらは全て関係のないことだった。

 

一人でやる。誰の手助けや、協力などいらない。今までそうやってきた。そういうやり方しか知らない。

 

誰かと一緒にいたり、協力したりするのが嫌いだ。そもそも意思をもつ生き物は全て嫌いだ。それでも欲しかったものが確かにあった。求めていたものがあったことに──全て、今更だが。

 

本当に今更だ、

 

「どけぇぇぇぇぇぇぇえええええええええええ──────ッ!」

 

遅すぎたとしても、ただ──それだけは。

 

この想いが、嘘でないのなら。

 

これだけは、嘘でないはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()の代償は小さくなかった。

 

「北側に伝えろ。計画は前倒し──4ヵ月早めるとな」

「それはお前が決めることではない。それに、貴様には責任を取ってもらう必要がある」

「契約は契約だ。責務は果たしている」

「貴様を疑問視する声が上がっている。不測の事態とか言っていたが、なぜ我々を動かした? そもそも貴様がまともに足場も作っていなかったのではないのか?」

「そのための秘密条約だ。我々はよき友人だ。そうでなければ、待っているのは破滅だ。お互い、な」

「……。貴様は気に食わん」

 

流暢な共通語を話す部隊長は顔を顰めて吐き捨てた。

 

「……Почему я здесь (なぜ我々がこんなことを)

 

気に食わない事ばかりだ。

 

保険だかなんだか知らないが、なぜ他人の尻拭いをしなければならないのか。

 

この特殊部隊がここにいるのは、ハノルの保険のためだった。直接的な武力で攻められた際の保険。交渉の決裂の結果に対するカウンター。だが保険は保険、使わなければならない状況になった時点で、それは勝利ではなくなる。

 

Я хочу закончить раньше(さっさと片付けて帰ろう)

 

どうせ横の男──ハノルには分からない呟きだ。

 

燃え上がる屋敷を前に、腕を組んで立っていた。通信から得た情報で、相手がそれほどの強敵ではないことは理解した。ならばあとは時間の問題だ。半刻もしないうちに片がつくだろう。

 

少し、熱気に煽られて微風が髪を揺らした。

 

「──Что ты делаешь(何を片付けるって)?」

 

いるはずのない誰かの声が、誰もいないはずの背後から聞こえた。

 

反射的に構えて距離を取る。臨戦態勢を崩さず、相手の正体を確かめた──。

 

Ты понимаешь мои слова(ウルサス語ってこんな感じだっけ)Вы слышите меня(聞こえてる)?」

 

真っ白な髪の先に見えたのは、まるで獣の目付きをした──その、青年は。

 

「……それとも、共通語(こっち)の方がいいか? なあ」

 

ハノルの頭が真っ白になった。

 

どうしてここにいる? あの包囲網からどうやって脱出した。

 

「何か言えよ、……殺すぞ」

 

咄嗟に構えたハンドガンの引き金を引いた。それは計算や計画ではなく──ただ、純粋な生物としての危機意識からの反射的な──。

 

「素人が」

 

サンクタでもなければ、訓練を積んでいるわけでもないハノルの銃弾は目標を掠りもせず、エールの爪先がハノルの鳩尾に突き刺さった。

 

「ご、ぷ……」

「どうして最初から()()しなかったと思う?」

 

腕を地面について倒れ込むハノルを放って、もう一人の部隊長に視線を流す。

 

「人が言葉という文化を持つからだ。お互いに理解し合うための手段があるからだ。だが違ったな──所詮、人の敵は人だった。こんなことになるのなら、最初から殺しておけばよかったな」

 

独り言に近かったのだろう、別に最初から返答は求めてはいなかった。

 

「貴様……あの時の、化け物か」

 

部隊長はエールに見覚えがあった。

 

アルゴンのゲリラに壊滅的な被害を与えるべく計画された戦闘にて、逆に撤退を余儀なくされ、味方損害実に、死者89名重傷者102名を与えられたのだ──それも、たった一人に。

 

たった一人だ。軍には役割があるために一括りでは語りづらいが──単純な戦闘能力だけで評価するなら、北部軍の中で最強の部隊に、完全装備のそれと戦って、生き残るだけでも十分に奇跡であるにもかかわらず、逆に壊滅的な被害を与えた。

 

それは最後の懸念だったのだ。

 

事前情報では何もなかった、その化け物の男が何者で、どこにいるのか。

 

エールがそれだということを、今──そう、たった今知った。

 

最も、それはお互い様だった。

実に半年振りの、相対と呼ぶにはあまりに静かな対立。

 

「なんだ。共通語でいいのか」

 

静かな重圧が一帯を押しつぶすようにして、微かな身じろぎさえ許さない。

 

「──……一応、さ。確認だけはしておこうと思う。質問は一つだけだ。それだけで十分──答えろ」

 

構えた盾の重さを確かめた。訓練を重ねた体は想定通りに動く。そうする準備は完了している。

 

「僕の仲間を殺したのは、お前たちか?」

 

はっきり覚えている。その腕に巻いた赤いスカーフ、よく目立つ。そいつを巻いた射撃部隊のボウガンが、仲間達を差し貫いて殺したところを──目の前で、見ていた。

 

「……これまでに、誰を殺してきたかなど……いちいち覚えておらんわ」

 

冷や汗が流れる。交戦は避けられないだろう。頭部のバイザーを下ろして完全防備になった。

 

突き刺さるような殺意。ひりつく様な緊張感。嵐を前にした様に、どこか呆然とさえする。

 

「……皆殺しだ。お前ら、全員……殺してやる」

 

直感的に正面に盾を突き上げた。初撃を防げたのはほとんど偶然だった。

 

片手に盾を通して伝わる衝撃──アーツによるもの。同時に背後に違和感。

 

「──っ!? いつの間に……ッ」

 

腹部を何かが貫いていた。限りなく細い何かが──しかし、それはあり得ないはずだ。敵は一人、目の前にいる。その上体は超硬異鉄合金の装備で覆っているはずだ。貫通など──。

 

アーツか? 何のアーツだ? 対アーツ性ももつ重装を越えてくるなど──。

 

痛みは一旦放っておく。それよりも目の前の敵を──

 

「遅えんだよ……!」

 

独楽のような跳ね上げがヘルメット越しに頭部へ突き刺さった。痛みこそないが、衝撃だけで視界が大きく揺さぶられる。

 

視界の中で、次の行動をしようとしたエールを捉え、揺れるバランス感覚を押さえつけて大盾を構え直した。重ねた訓練と長い実戦経験を持っているのだ──強敵との戦闘は、これが初めてではない。

 

数度の交錯、しかしエールの格闘術よりもこちらの方が上──そもそも、エールの手には武器がない。

 

徒手空拳と言えば聞こえはいいが、実際ただの無手である。防具も最低限、丈夫な軍服を着てはいるものの、所詮は焼け石に水。装備の時点で明らかに優位性はこちら側にあった。そもそもエールには右手がない。

 

状況は一対一、そこに倒れているハノルを放って睨み合い。こっちはその気になれば援護を要請することができる。万が一自分が負けても、50人を超える特殊部隊が屋敷にはいる。どうとでもなる。

 

それにさっきからエールの動きはぎこちなかった。攻撃に見せかけたフェイントを織り交ぜ、足元や頭部への攻撃を狙うが、途中でやめて他の動きに切り替えたりしている。

 

おそらくは弱点を探しているのだろう。だが──。

 

──無駄なことを。

 

エールが構えを変えた──特徴的な炎国拳法の構えだ。とあるカンフー女優に教わった武術だ。普段使いはあまりしないが、状況次第で使うことがあった。

 

地面を滑る様な特徴的な踏み込みとともに、エールの左腕から渾身の掌底が撃ち出された。右腕分の体重がないため、普通ならばバランスが崩れて威力が減衰するが──掌は残像を残していた。

 

撃ち込みの音は、もはや衝突音だった。

 

「──この程度か?」

 

だが、その程度でこの盾は崩れはしない。そもそも素手でかかってくること自体、舐めているとしか思えない。まあそもそも話し合いという体でハノルを訪れていた以上、武器の携帯は足枷となった。そのためにエールの主武装は封じられていた背景がある。だが戦いに言い訳ももしももない。結果だけが全てだ。

 

「……この程度の相手に、我々は逃げ帰った訳か。これ以上失望させるな……私の部下たちは、この程度の雑魚に殺されたとでも言わせるのか?」

 

弱くはない。だがあの夜──荒れ狂う嵐を生み出した化け物は、断じてこんなものではなかったのだ。

 

フルフェイスの頭部装備は表情を隠し切って、感情の色はわからないが──声だけで判断するなら、それは紛れもない怒りだった。

 

仲間を殺されたのはお互い様だ。

 

「これ以上、貴様が何も出来んのなら──潰すまでだ。覚悟しろ」

 

様子見はお終い、ということだ。本格的な攻勢を始め、片を付ける。この程度なら単騎で問題ない。

 

エールは対照的だった。表情にはもう普段の不敵な表情はなかった。殺意に満ちた両眼がじっと敵を睨みつけて──口を開く。

 

「どうして僕が武器も何も持っていないか分かるか?」

 

さっきの掌底で大体の硬さがわかった。敵装備の大体の観察は終わった。術耐性、及び敵防御力も感触で理解した。

 

「僕には必要ないからだよ」

 

無警戒でハノルを訪れるはずがない。アーツ媒体は服の各所に仕込んでいるに決まっている。

 

エールのアーツというのは、傍目から見れば風を操るアーツだ。だがそれはどういうことなのか。攻撃にも防御にも、いまいち使いづらいだけだ。実際そのアーツは副次的なものに過ぎない。

 

空間への干渉──本質的には、分子運動に干渉するアーツだ。特に気体分子運動への干渉に、エールは適正を示していた。

 

──空気運動を制御し、圧力場を形成。相手の首元への干渉は、フルフェイスシールドがあるため難しい。ではどうするのか?

 

形状制御、外部装置の補助電源起動。アーツをサポート。

 

面積にして実に1ミリ以下の、見えない圧力場を作る。掛かった力はそう大したものではない。だが圧力というのは面積が小さいほど大きくなる。難しいのは、形状を保ったまま力を加えること。

 

それをボウガンのように射出──鋼鉄の盾に向かって、一直線に。

 

「──見えないだろ?」

 

大した力でなくとも、鋭さは力になる。包丁などはその代表で、力で千切ったり破壊するよりもずっと小さい力で切ることができる。それはこの究極系。

 

最初、男は自分の体に空気の刃が刺さっていることに気がつかなかった。あまりに細過ぎて感覚が反応しなかったのだ。

 

だがすぐに分かる。

 

直径三センチほどの穴が、小さな摩擦音とともに大盾に開いていた。

 

その穴は、自らの腹部に地続きになって開いていた。

 

「──な、にが……」

「舐めていたのはそっちの方だ。さっさと本気になってりゃよかったのにな」

 

布を擦るような摩擦音がどこからともなく聞こえてくる。圧力場が形成されているのだ。

 

「……До свидания(さようなら)

 

血が滲み出して、地面を染め上げていった。砂に血が浸って、太陽の光を反射し始める──。

 

崩れ落ちた男を放って、エールはふらふらと立ち上がって逃げ出そうとしていたハノルを蹴り飛ばし、倒れたハノルの髪を掴んで持ち上げた。

 

「答えてもらう。なぜ北部軍がここにいる」

 

返答次第では、きっと自分の命はないだろう。そう理解した──。

 

「……契約、だから……ですよ。取引が、あった──」

 

緩慢な言葉にイラついて、エールはハノルの頭部周辺の大気圧を極端に減少させた。突発的な耳鳴りと頭痛がハノルを襲う。

 

「何か話している内は殺さない。だから……はっきり話せよ、おい」

「……最初に断っておきます、よ。私は何も、私欲のためにこの国を売った訳じゃない。この国が滅びずにいられる道は、これだけだった──」

 

腕の関節を極めてへし折った。

 

「ぁあああああああああッ! う、ぐぅ、ああああ……ッ!」

「そういうの、要らないって言ってんだよ。答えろ、取引ってのは何だ」

「さ、最初っから全て出来レースだったんですよ! 事の発端は南部エクソリアで源石(オリジニウム)鉱脈が見つかったことだった……その推定埋蔵量は、膨大だった。けど南部には大した加工技術も、掘削技術もなかったんですよ」

 

南部は特に、源石とは無縁の生活を送っていた。長い間天災に野ざらしになっていた大地に鉱脈が発見されてしまったのは──本当に、不幸なことだったのだ。

 

「だけど、どこからか分からないが──ウルサスが……出張ってきたのですよ。あの国での源石需要は高まり続ける一方で、散々感染者をこき使って採掘させたって供給量が追いついていない。だから──」

「だからウルサスは南部の源石鉱脈を欲しがった、と? ウルサスから遠く離れたこの国に?」

「そう……そのために北部に傀儡政権まで作り上げたんですよッ! 偽造されてはいますがね、連中が欲しいのはエクソリア産のコーヒー豆じゃなくて、ただ源石(オリジニウム)を吐き出す植民地に過ぎない!」

 

ウルサスは侵略と戦争を繰り返して発展してきた大国。

 

欲しいものは、どこにあろうと奪い取る。そういう国。

 

「そしてその軍事力に、正面から打ち勝てる力が……この国にないことなど、少し考えればわかることです。北部を媒介にしていようと、ウルサスが背後にいる以上……どっちにしろ泥沼になります。我々は、それを避けねばならなかった……!」

「──それは、南部貴族の総意ってやつか?」

「我々は、滅びてはならなかった。もう一度植民地の屈辱を味わうことになろうと……滅ぼされるよりは、マシでしょう」

「……それは、いつから決まっていた話だ」

「4年前に源石鉱脈が発見され、そしてその一年後にはこの方針に」

 

そしてそれに反対したミーファンの父親は暗殺されることになる。

 

「……百年も拮抗していた内戦が、この一年で急変したのはなぜだ」

「分かっていることを……聞く必要はないでしょう。戦争を、終わらせるために……全て、仕組まれていたことです。脚本の決まった、演劇のように……シャンバ、ホークン、クロッカ、ツアグァ、バオリア……計五つの都市はシナリオ通りに敗北し、最後に……アルゴンは陥落する。そのはずだった……だが、お前が現れたんだよ、エール……ッ!」

 

エールを見上げるハノルは、痛みを堪えながらも──憎しみに満ちていた。

 

「そもそも予定通りなら、あいつを始末する必要などなかったというのに……全て余計なことだ、お前は本当に目障りだ……ッ!」

 

最低限は繕っていたハノルの口調が崩れた。もう取り繕う必要もない。

 

──ハノルの口から語られたことで、これまでの疑問が急速に解消していく。つまり最初から南部の敗戦は出来レースだったわけだ。お互いが最初からそうすると決めていれば、勝敗なんてあってないようなもの。そんなものは戦争ではない。

 

「……南部の内部情報を北部に流していたのは、誰だ?」

「いちいち言わなければ、分からないか……? 旧南部軍出身の将校には、全て我々の息が掛かっている……いるだろう、レオーネにも……」

 

レオーネ上層部の半分は旧南部軍出身の人物だ。人材が足りない以上、このリスクを考えながらもそれでも受け入れた。信頼はせずとも、信用は出来たと思っていた。だが甘かったらしい。

 

……北部軍の異常な情報収集能力はこれのせいか。なんてことはない、最初っから内側に敵が居ただけの話──。

 

「……お前はつまり、国を売ったわけか」

「売った、だと? 馬鹿なことを……守ったと言い換えろよ。攻め込まれて滅亡するよりは、マシだろうが……」

「南部貴族が雁首揃えて集まってやったことは保身だけか。お前らのような貴族にとって、所詮国民ってのは預金残高と同じか?」

「お前よりはマシだ。この国を泥沼に落とし込むよりは、な」

「……あの金は、どこから出てきた。北部からの援助か」

「それを話す必要はない、──ッ、ぐぅぅぅッ!」

 

他人の痛覚に訴える方法には慣れていた。どこを捩じ切れば口を開くようになるのか、何度も試したことがある。

 

「いいから話せよ。このまま殺すぞ」

「──ッ、お前こそが本当の侵略者だッ! どこの援助を受けている!? お前の後ろに何かがあることなど分かっているんだぞッ!」

 

ハノルは痛みを堪えながら叫んだ。

 

押さえつけられながら、糾弾するように──だが、それはエールにとっては突拍子もないことだ。

 

「……は?」

「あのブリーズとかいう女のことだよッ! あれは婚約者か? どこの貴族の女だ!?」

「……おい。病院の一件を仕組んだのはお前か?」

「あれは警告だッ! 愛娘が傷付けられれば、お前の後ろにある貴族も弱腰になるだろう!? そもそも源石(オリジニウム)鉱脈を狙っているのはお前も一緒だッ! ウルサスと何も変わりはしないッ!」

 

それは、エールにとってはただの勘違いだった。だがハノルにしてみれば、そうとしか思えなかったのだ。

 

レオーネの異常な成長速度、そして発足からわずか一ヶ月程度でバオリアを奪い返し、今もなお急速に人員を取り込み巨大化している。明らかに後ろに何かがいなければできない芸当だ。

 

「……何を言っている」

「あまりに露骨にアピールしてきたのは牽制のつもりだったか!?」

「……何の話だ」

「あの女のことだッ! 礼法や仕草……あの紋章は、自分が貴族であることを全面に押し出していただろう!? 狙ってくれと言わんばかりに──」

 

────まさか、ブリーズ(あの馬鹿)

 

突然恋人や何だと言い出して何だと思ったら──囮にでもなろうとしていたとでも言うのか? それは何のために?

 

それは一体誰のために?

 

「だがお前はもうお終いだ……ッ! 誰が後ろについていようが────ッ!」

 

見上げた階段の向こうに、燃え盛る炎の山から煙が立ち上っていた。三階建ての屋敷は、段々と倒壊していく。

 

その中には、無数の敵が今まさにスーロンと戦闘状態にあるが……時間の問題だった。

 

「居ねぇよ」

 

一言だけ、そう呟いた。

 

「は?」

 

今度はハノルが驚く番だ。

 

「最初っから……僕の後ろに貴族なんて居ないと……そう言ったんだ」

「……そんな訳があるか」

「レオーネは誰の後ろ盾もない」

 

急成長を遂げていた理由としては、大きく分けて三つ。

 

一つ目はエールの暗躍だ。ノースの手の入っていない企業を脅したり脅したり脅したりして協定を結び回ってきたこと。

 

二つ目は、レオーネ大将グエン・バー・ハンの存在だ。エールが想像していたよりも、グエンの人望というものがズバ抜けていた。人々に慕われ、親しまれてきた。元レジスタンスのリーダーをしていた頃からだ。そもそもレジスタンスの資金は人々の援助から集まっていたのだ。

 

三つ目は、レオーネに所属する一人一人の努力によるもの。末端の兵士や、教官、開発部や事務課などに所属するエクソリアの人々一人一人が本気で国のために戦おうとしてきたものの結果。

 

ハノルはそれらの要因を無視していた。そもそも最初から考慮していなかった。甘く見ていたのだ。

 

「……まんまとあのバカに踊らされたな。僕も……お前も」

 

それらの要因を勘違いし、ハノルは急いだ。事態が変わり始めたのは、あの病院の一件があってからだ──スーロンを動かし、圧力をかけ……背後貴族の調査を急いだが、何も見つけられず──。

 

狐騙しという訳だ。そしてその罠にブリーズは自分自身を使った。獲物は食らいついた。あとはエールがどうにかしてくれるだろうというブリーズの適度に楽観的な思考は、結局現実のものとなる。

 

「エールとして聞かなければならないことはもう全て聞いた。お前はもう用済みだ」

 

いまだに地に這いつくばったままのハノルを冷たく見下ろして、エールは言い放つ。だが言葉には続きがある。

 

「けど、僕個人として……どうしても知りたいことが、一つだけある。僕の仲間は、半年前……アルゴンのレジスタンスによる北部軍強襲戦で死んだ。そこでドンパチやってるクソ共によってね。なあ、答えろ」

 

ハノルの顔を激情に満ちた視線が貫いた。

 

「どうして僕の仲間は死ななければならなかった」

 

その声は……怒り、悲しみ、失望、そして絶望──全ての感情が入り混じって、逆に平坦ですらあった。

 

「はッ……知るか、そんなこと」

 

ハノルが吐き捨てる。

 

「…………。そう」

 

両腕が変な方向に曲がっているハノルを放って、エールは階段を登る。

 

「お前が正義なんてお題目を掲げてやりたい放題していたのは、よく分かった」

 

ズボンのポケットから取り出したケースを器用に開き、ちょうど小石程度の鉱石を取り出す。オレンジ色に透き通ったそれは、太陽に反射して煌めいた、とても美しい源石(オリジニウム)だった。

 

「だが、代償は払ってもらう」

 

────ああ。

 

理性が足りない。

 

足りないなら補わなければ。内側にないのなら外側から摂取しなければ。

 

ああ────。

 

この身を焦がすほどの炎は、記憶を燃やすこの炎は──どうしたって、他に道がないのだろうか。

 

これしか知らない。これしか出来ない。こういうやり方しか出来ないのだ。

 

「────殺してやる」

 

復讐だ。

 

 

 




・スカベンさん
エールのまどろっこしいやり方に痺れを切らして突撃した図
コミュ力が不足していたためにこんな状況になりました。

・エール
こいつのアーツの設定を考えるのが一番面倒でした。よくわからんがつよいぐらいの認識です。アーツってなんだ?(原点回帰)
過去編での一匹狼ぶりがが嘘のような復讐の鬼。憎しみの連鎖は、やめようね!(標語)

・ハノル
裏設定になりますが、ゆくゆくはなんかウルサスにわたってさらに力を手に入れるつもりとかもあったことでしょう。戦争孤児であり、リンの気まぐれによって拾われた過去を持っています。そしてかつての親を始末し強大なリン家の当主にまで成り上がろうとしていた……みたいな裏設定があったりなかったり。あんまり本編では語りませんでしたが……。
(外見設定はマジで何も考えて)ないです

・特殊部隊
今更ですが行動体B2を壊滅させたはこの部隊です。この部隊もめっちゃ被害受けていたとは思いますがその辺りの事情は尺の都合でカット
特殊部隊って響きがいいですよね。私は実物に関しての理解がゼロなので完全に想像で書いております



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1096年7月20日:戦争ごっこ -3

One more light/Linkin Park
この章を書くきっかけになった曲です。
この曲のバックグラウンドを調べてみるのも面白いと思います。


「ロズッ! ロズワルドッ! おい、起きろ──目を覚ませッ!」

「────ぁ、た、の──ぅ」

 

体を槍が貫いていた。

 

傷が貫通していた。肺から直接空気が漏れ出している。肺の内部に血が流れ込み始めていた。命の気配が段々と希薄になっていた──。

 

「……撤退する。中央まで下がるぞ……ッ」

 

半死半生の仲間を背負って撤退しようとした仲間の一人にフォンは言う。

 

「置いていけ」

「──ッ、だけど、ここに──置いていけねえよぉッ! こんな場所に置いてくなんて──」

「オレたちが生き残ることが優先だ」

「け、けど!」

 

フォンは努めて冷静になろうとしていた。だが抑えきれなかった分の感情が言葉になって宙を舞う。

 

「オレたちは生き残らなければならない──生きて、意味を繋げなければならないッ! 早くしろ、遅れればロズの死が無駄になるッ!」

「──……くっ……そぉッ!」

 

段々と原型を失っていく屋敷の中で、燃え上がる柱や壁、崩れた天井が移動の邪魔をしていた。壁は崩れているが、あまりに高温で向こう側へ突っ切ることはできそうにない。さもなくば燃え尽きてしまうだろう。

 

屋敷の中央に撤退して行くことはつまり、段々と逃げ道を失っていくことを意味していた。長い廊下をかけていくスーロン構成員の数は、突入時よりもいくらか減っている。

これまで戦ってきた中で、最も厳しい状況だった。逃げ場を失い、策も途絶え──包囲されている。

 

攻撃が効かない。重装に紛れている武器持ちの近接戦闘部隊のレベルが高すぎる。その中に混ざるボウガンを崩れ落ちた建材に身を隠して避けていた。迂闊に顔を出すとやられる。

 

「──フォン! どうすりゃいい、このままじゃ全滅するッ! 逃げ場も──もう」

 

周りを見渡す。

 

燃え上がる炎が生んだ蜃気楼の中、黒い瓦礫の合間に見える無数の重装兵。表情の見えない不気味な兵士たちが作る真っ黒な壁が──じりじりと、こちらに迫ってきていた。

 

視界360度どこを見渡してもそうだ。肌を焼く熱気をものともせず、一歩一歩ジリジリと近寄ってきていた。

 

無駄と分かっていてもAKの引き金は引き続けた。

 

無数の衝突音が虚しく響き渡る。だがどうせ傷一つ与えられなかった。

 

──突破は、難しいだろう。

 

「──クソッ! せめて一人ぐらい──が、ぅ、ぁ──」

 

喉を貫く弩。

 

「こんなところでぇぇぇええええええッ! ッ、く、ぅ──あ」

 

体を切り裂く剣戟。命を流す槍先。

 

フォンは思考を止めなかった。

 

今自分がまだ生きているのが、仲間たちが守ってくれているからだと分かっていた。だから思考は止めなかった。どこかに生き延びるための手段があるはずなのだから。できる限りの数を生存させる道があるはずだった。

 

燃え上がった戦場は、白昼の中で地獄だった。

 

自分たちのことを過信していたわけではない。自分たちが戦闘のプロなどではないことは、フォンが一番わかっていた。だがそれでも──。

 

「ウィンズッ! ……クソっ、息が──もう、無ぇのかよッ! こんな、こんな──」

 

これは、こんなものは──。

 

こんな終わり方なのか。

 

こんな簡単に終わっていくものだったのか。

 

何度考えても、もう全滅以外に道はなかった。

 

「──フォン、こっちだ!」

 

仲間の一人が焦った顔で駆け寄ってくる。その表情の中に、かすかな安堵を感じ取った。

 

「こっちにいいものを見つけた、助かるかもしれない!」

「!」

 

彼に続いた。

 

まだ日の消えない炭を踏みつけて駆けていった先、まだ無事な鉄製の扉がある。普段は木造の壁にカモフラージュされているのだが、今は焼け焦げて扉の一部が露出していた。

 

「隠し扉だ! この下にシェルターがある!」

 

フォンが閉じ込められていた地下牢同様、狭苦しい部屋には床にハッチがあった。開けば下にはシェルター。有事の際に用意されていた緊急用の避難場所だが、まさか侵入者に発見されることは想定していなかったらしい。

 

「……狭いな」

 

──細い梯子道の下、一メートルほど降りたところに人一人が入れるほどの小さな空洞があった。落とし穴にも似た、土の壁がそのまま剥き出していた簡素な地下室。

 

「ここ以外に」

「全部瓦礫の下だよ、無事なのはここしか見つからなかった」

 

熱の籠ったハッチの取手。隠れた場所の下。

 

「……一人分、いや詰めれば二人分は入るか」

「無茶だ、完全に一人しか入れないよ。そしてフォン、お前が入れ。お前が生きるんだよ」

 

十数人の仲間たちが叫びながら戦っている声が遠くから聞こえた。

 

段々と包囲網が小さくなっていく。

 

崩れ始めた天井の一部から、青空が見えた。

 

あの空の向こうへ飛んで、そのまま逃げたいと思った。だがそんなことは出来ない。翼などない。出来るのは隠れ潜み、嵐が過ぎ去るのをじっと待つことだけ。

 

「情報を伝えるよ。バオリアの西、アルギ山の麓には木材置き場が広がっている。保有しているのはリ・ハン工業。そこの事務室に地下室があるはずだ。その中にリン家の裏帳簿が保管してある」

 

その言葉はまるで、遺言のようだった──いや、分かっている。これは死ぬ前に伝えなければならないことであり、受け取らなければならない情報なのだと……分かっている。

 

分かっている。

 

「ハノルは造幣局を私物化して大量のギル紙幣を刷っていた。偽札じゃない、本物の金が龍門幣換算で最低30億以上はあるはずだ。これはエクソリアの貨幣流通量(マネーサプライ)の実に一割に達する。国をぶっ壊すにも、変えるにも十分な金額だよ。おそらくエールはこの情報を知らない。僕たちしか知らない情報だ。これはエールに対する大きなアドバンテージになる」

「オレにそれを伝えて、どうしろと言う気だ」

 

仲間達は命を散らして戦っていた。

 

それは一体何のためだったか。いつの間にか、生き残る戦いから──時間稼ぎへと変わっていた。もうそれしか出来ることがなくなっていた。

 

誰しもが心で理解し始めていた。これは生きるための戦いではなく、生かすための戦いなのだと。そして生かすのは──。

 

「……感染してから、散々な人生だったけど──けど、フォンに拾われて、いろんな場所を這いつくばりながら旅して、戦って……でも、嫌なことばっかりだった訳じゃなかったよ」

 

どん──と、仲間はフォンの胸を強く押した。押し出した先にはハッチの穴。

 

「楽しかったよ。……ありがとう」

「────! おい、エスタ……ッ!」

 

踏ん張ろうとするが、ハッチに足を取られてそのままフォンは落ちていく。衝撃が体を襲った。痛みに体が鈍って──すぐに出ようとする。だがハッチが上から閉じられ、開けようとしてもロックされていて開かない。

 

「エスタッ! 出せ、おい……ッ! ここを開けろ、聞こえているのか!? おい……ッ!」

 

ガンガンとハッチを叩く。金属音だけが虚しく響く。

 

ハッチの向こうから銃声に混じって仲間の声が聞こえた。

 

「本当にクソみたいな人生だったけどさ、お前みたいなやつと出会えて、仲間達と一緒に生きられた。僕だけじゃない、みんなそうなんだよ。本気でこの世界を生き抜けた。だから後悔はないんだ。ないんだけど──」

 

一旦言葉を区切る。ハッチを叩く手は止んでいた。

 

「でも、フォン。お前はこれまでその能力を僕たちスーロンのために使ってくれていた。だけど……ずっと思っていたんだ。お前には別に、やるべきことがあるんだと思うんだ。お前にしか出来ないことがあると思うんだよ」

「……ここを開けてくれ。仲間達が戦っている、オレも行かなければならない」

「この世界は酷い世界だ。なあフォン、いつだか話した僕たちの夢……まだ覚えてる?」

 

──。

 

「バカみたいな量の酒と女に囲まれて、笑いながら夜を明かすんだよ。平和なんていらないけどさ、そんな景色が見てみたかったんだ。グリスはバカにするだろうけど、本心ではあいつもそう思ってるんだよ、知ってた?」

 

暗闇に閉ざされたハッチの中に、かすかな光が差し込んでいた。

 

「でもそれは要らない。僕たちが生きているのは現実であって、夢の世界なんかじゃない。本当に実現してしまったらむしろ白けるよ、そんなご都合主義はいらない」

 

これから来る未来に絶望はない。フォンは生き残る。生かしてみせる。意味は繋がる。

 

「だからフォンに頼むよ。僕たちが生まれ変わって、またこの世界に生まれてきたときのために──楽しく生きられる世界にしておいてくれないか?」

 

──やめろ。やめてくれ。

 

オレにそんなことを託すな。呪わないでくれ。

 

「お前になら出来る。僕たちの英雄はエールなんかじゃない、フォン……お前だよ。本当の英雄はお前なんだ。僕たちは四龍(スーロン)、炎国に伝わる不死の龍たち。僕たちは死んでも死なない。お前の人生と、伴った全ての足跡が僕たちの存在を証明してくれる。だから──僕たちは永遠の存在となることが出来る。だからなるべく目立つ、デカい足跡(墓標)を残してくれよ。世界をぶっ壊すか、思いっきり救ってやるとかさ。なんでもいいから」

「待て、待ってくれ──頼む、行くな。オレ一人残したって、何が出来る──」

「お前なら大丈夫さ。この世界、全部ぶっ壊してやりなよ。めちゃくちゃにしてやったらいい。そのほうが楽しい。だから──先に行っているよ、フォン」

 

──友よ。

 

──銃声が近づいてくる。エスタは立ち上がり、ナイフを取り出して──頭部を貫いたボウガンの矢によって絶命した。後ろに倒れ──背中にハッチを隠して、そのまま仰向けになって死んだ。

 

最後の死に様を持って、ハッチの存在と、そこに隠れるフォンを敵から隠したのだ。

 

反射的に扉を叩こうとした。だが理性がそれを許さなかった。生きねば、生きて、生きて──生きて、それで、──、

 

だから、今は──今は、そう。

 

この暗闇に──この喪失に、耐えろ。

 

耐えろ。耳を塞がず、目を閉じず──ただ耐えるべきだ。

 

仲間の絶叫や減っていく銃声、足音や血の滴る音。叫び、叫び、叫び──……願い。

 

それを一人、暗闇の中で聞いて──耳を塞がずに、ただ。

 

耐えなければならない。

 

耐えろ。声も出さずに──立ち尽くすように、受け止めるように。

 

耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。耐えろ。

 

『お前も感染者なのかよ? ああ、俺もそうだよ。今さっき都市を叩き出されて荒野の上だ。これからどうやって生き延びてきゃいいんだ?』

 

耐えろ、耐えろ、耐えろ、耐えろ。

 

『……あ? ああ、確かに……じゃあ一緒に行くか? アテなんてねえけど、一人よりか二人の方がマシだよな』

 

思い出せ、思い出すな、思い出せ、思い出すな──。

 

『俺の名前はセイっつーんだ。ヤクの売人(バイヤー)をやってた。腕っ節には自信がある。お前、名前は?』

 

耐えろ。耐えろ。

 

『──フォンっつーんだな。オーケー、じゃあ俺たちは同じ根無草のお仲間っつーわけだな。……とりあえず、あの山の向こうを目指してみようぜ。確か小さな集落があるらしい。俺たちを受け入れてくれるかもしれねぇ』

 

……耐えろ。

 

『どうした? 行こうぜ、フォン』

 

耐えろ────やがていつか、光が差すそのときまで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガラ空きになった左側を思いっきりかちあげた。大剣の重さが重装甲を無理やり突破し、肩を半ばまで切り裂いた。

 

3秒前にピンを開けておいた手榴弾を至近距離で投擲、振り向いて飛び出す。包囲されないために絶えず動き回る必要があった。

 

──大剣では、一対多数に対応するのは難しい。そもそも一対一でも楽ではない相手なのだ。もっと根本的な部分を言うのなら、多勢に無勢は普通勝てない。エールのような戦士が異常なだけだ。

 

もっともスカベンジャーも、暗殺が専門と言い張っている割には善戦していた。撹乱し、ひたすらに暴れ回っていた。だが──もうじき限界が近づいていた。

 

ひたすらに必死に吸って吐き出した呼吸は、さっきから血の味しかしていない。

 

「──デカブツ共が、勝ったようなツラしやがって……ッ!」

 

ムカつくんだよ。どいつもこいつも──ああ、見下しやがって。

 

腹が立つ。

 

振り下ろした大剣が重装兵の盾に衝突して火花を散らす。掴む両手を襲う衝撃も構わない。

 

「──はぁああああッ!」

 

心を焦がす闘争心のままに連撃。振り下ろす、かき殴る、薙ぎ倒す──微かに開いた隙は、絶対に逃さない。

 

全体重を乗せた蹴り飛ばし、盾の支点を回すようにして蹴り飛ばして防御を剥いで──鋒で貫け。

 

重さのある大剣が真正面から体を貫いた。

 

「──Не закончится(終わりだ)……ッ! Ура(うぉぉ)ッ!」

 

引き戻そうとした大剣を、目の前の敵がガッチリと両手で掴んだ。死に際の馬鹿力で掴んで離そうとしない。

 

「──Гребаный парень(このクソ野郎が)ッ!」

 

明確な戦闘の空白が生まれる。そしてこれは一対一ではないのだ。

 

近接ナイフを構えて近寄ってきた兵士の一人に気が付かず、胸を刺された。咄嗟にずらしたため心臓には刺さらず、肋骨で刃は止まったものの──

 

近接格闘──掴みから全身を使った投げをモロに受ける。

 

瓦礫だらけの地面に叩きつけられ、揺れる視界に脳が追いつかない。

 

убийство(殺してやる)……」

 

スカベンジャーを投げ飛ばした歩兵がナイフを振り上げた。

 

──もう終わるのか。

 

ここで終わるのか。

 

「……まだ、だッ!」

 

無理やりに体を捻ってナイフを躱し、すぐさま立ち上がり──たとえもう武器などなくとも。

 

最後まで足掻く。最後まで戦う。生きることとは戦うことだ。どれだけ汚れたって、最後は戦って死ぬのが似合いだ。

 

最後まで──。

 

「私は、私はぁああああああああああああッ!」

 

空は高く。

 

暗闇で生きてきたスカベンジャーが、太陽の下で──。

 

だからこそ、いずれ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奥歯で噛み砕き、喉を伝って飲み込むと、それは、

 

──何だか、冷たい味がした。

 

晴天の中、やけに気温が下がっていく。

 

影さえ差すような静けさは──文字通り、嵐の前の静けさだ。

 

制御出来なくなると、もう自分でも何をしているのか分からなくなる。記憶が飛びそうになる。ただ全ての空間が自分のものになるだけ。

 

──で、あるならば。

 

全てを壊してしまおう。

 

「……ああ。クソが」

 

もう過ぎ去ったあの日の風に、もう一度だけ──もう、叶うはずのない、あの日を、ただ。

 

──もう、叶わないことだが。

 

彼女の顔だけが、脳裏にチラついて離れないまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、レッドスカーフ所属のストラ・リ・ダン軍曹はその目で目にすることになる。

 

正門の方──階段の下の辺りから、段々と強くなる風が吹いてきて──やがて、風速10メートルを超え、顔を覆い──すぐに、踏ん張ることしか出来なくなっていく。

 

「──Что это(何だこれ)!? Это работа врага(敵のアーツか)!?」

 

風速15メートル。ガタガタになった屋敷全体が軋み始めて、悲鳴のような音を立てた。

 

Не будь глупым(冗談だろ)!? Это опасно(ヤバいぞ)Связаться с капитаном(隊長に連絡をしないと)──」

 

風速20メートル。立っていられない。屈んで耐える。ボロボロになった屋敷の柱が耐えきれずに傾き始めて──

 

Я не могу связаться(連絡が付かない)!? Что творится(何が起きているんだ)!?」

 

風速30メートル。屋敷が倒壊を始める。

 

Эвакуируюсь(撤退するぞ)Увлекаться(巻き込まれる)!」

 

スカベンジャーは、この風に構わず戦闘を続けようとした男が風に吹き飛ばされて地面を転がっていくのを見ていた。

 

「……これは、まさか……あいつが」

 

風速35メートル。それはもはや天災と呼んで差し支えなかった。

 

顔を覆いながら空を見ると、上空に飛んでいった木片や石材が竜巻のようにぐるぐると回っている。晴天の空に、だ。

 

空に気を取られている兵士たちの間を駆け抜けていった真っ白な影があった。

 

一人、また一人──忍び寄るなんて甘い表現ではない。閃光のような何かが一人一人と、屋敷から離れようとした兵士たちに接近したと思えば、順番に倒れていった。赤い血が風に流れてすぐに塵になった。

 

この風の中で、それはまるで獣のようだった。暴風の中を、まるで水を得た魚のような自在さで駆け抜けては──。

 

それの前では、重装備など意味をなさなかった。盾の重さを利用して踏ん張っていた兵士も、簡単に裏側に回られて首筋の上と下が切断されていった。首から上が空に舞い上がっていく。

 

そして異常だったのは、その暴風の範囲はリン家の敷地にのみギリギリ収まっていた点だろう。渦巻いて荒まく天災は無差別なものではなかった。

 

広大な敷地──目も眩むほどの大金を注ぎ込んで建設した全ての建物が崩壊していく。

 

それをスカベンジャーは見ていた。

 

ただ地面に倒れ込み、倒壊していく屋敷の中で──ぼんやりと、空を見て。

 

全てが終わるまで、20分も掛からなかった。

 

スカベンジャーが倒壊に巻き込まれなかったのは、紛れもない幸運だった。無差別な天災の中にあって、何者かがスカベンジャーを守っているかのようで。まだ誰かが生きろと言っているようですらあった。

 

──やがて、風が止んで。

 

目を開けた。

 

スカベンジャーは全身のあちこちに深い傷を負って、まだかろうじて残っていた柱の一つに背もたれて座り込んでいた。

 

一メートルも横には、瓦礫が山のように積み上がっているのにもかかわらず、スカベンジャーのいた場所には太い柱の一本も落ちていない。その一帯だけがぽっかりと空いているようだった。

 

「──まだ生きていたのか、君は」

 

返り血で汚れた真っ白な獣が、スカベンジャーを見下ろしていた。

 

「……私を生かしたのは、お前か。エール」

「そんなわけがあるか。ただの偶然だよ」

 

実際にエールは無差別だったし、そもそもスカベンジャーがこんな行動に出ていたことなど知る由もなかった。

 

 

嵐が過ぎ去った後の、リン家跡地は──恐ろしいほど静まり返っていて、ただ二人の話し声だけがそこにあった。

 

「……。お前はいいな。そんなふざけた力があるのなら……もう、何も必要ないだろう」

 

疲れたように、初めてスカベンジャーは笑った。

 

「……お前のような力があれば、私は……こんな無様な姿を晒すこともなかった。私を笑いに来たのか」

 

エールは何も言わなかった。

 

無数の屍が辺りに転がっていた──それを作り出した直後だというのに、エールはなぜだか呆然とさえしているように見えた。

 

スカベンジャーの方を見ようともせず、ただ瓦礫の山と、そこに散らばる赤色のペンキ染みた跡を眺めていた。

 

「お前のような力があれば……全て思い通りだ。どうして()()を持っているのが私ではなく、お前なんだ?」

 

真実、それは神にも等しい力だった。スカベンジャーにとって、力とは神だった。全能の力だ。そういう力が欲しかった。それがあれば、これ以上苦しまなくて済むと思っていた。

 

実際スカベンジャーは納得していたのだ。個人がそういう力を持てるはずがないのだから、現実が少々どうしようもなくクソだとしても仕方ないと。

 

だが──目の前で実物を見せられてしまった。あるはずのないものが目の前にあった。

 

呆れにも似たスカベンジャーの乾いた笑いが聞こえる。

 

「……もう少し嬉しそうに笑ったらどう? 過程がどうであれ、復讐は成就した。仇は全て死んでいる」

「こんなものが復讐と呼べるか。お前のおかげで全てめちゃくちゃだ……」

「一人でやろうとしていたのか? 自殺なら一人でやりなよ。一人で死ぬのが怖かったのか?」

「私には、あんたの方が死にたがってるように見えるがな」

「……そうかもね」

 

スカベンジャーに対する発言の全ては、そのまま全て鏡写になっているようだった。それは自らへの失望にも似ていた。

 

一人で死ぬのが怖かったのは、本当はどっちだったのだろう。それは別に見当違いの言葉かもしれなかったし、二人ともそうだったのかもしれない。

 

「だがこの力など、本質的には陳腐なものさ。問題は規模だけで、君とも大差ない。言っただろう、君は僕と同じだ。この力が本当に大切なものを守るために役立たないところまで含めて」

 

他人を傷つけ、殺すことばかり得意だ。

 

他人を騙し、奪うことばかり得意だ。

 

自分を守り、生き延びることばかり得意だ。

 

誰かを守ったりすることは苦手だ。人と一緒にいるのは苦手だ。

 

自分にとって大切な人を失わせてしまう。

 

本当に大切な人を守れたことがなかった。

 

あの時だって、アリゾナの望みを叶えるためにはそれ以外の全てを捨てなければならなかった。ケルシーに出会っていなければ、アリゾナを助けた後、エールの命はなかっただろう。

 

たかが一つの依頼ですらそうなのだ。それが命を守るためとなれば、一体どれ程の代償を払わなければならないのだろうか。

 

「だが、僕らにしかできないことがある。たとえ手遅れだろうと、残念ながら死に時を逃してしまった」

「……それは何のためだ。何のために戦っている。何のために生きている」

「自分のため以外にあるの? 僕たちは──、」

 

仕方ないだろう。そういう生き方しか、

 

「他人のためには生きられないよ」

 

知らないのだ。

 

「優しくなんてない。せめて自分が救われるために戦うしかない。それ以外にこの苦しみから逃れる方法は無いんだよ」

 

それまでの全てを肯定するためには、それまでの全てに意味を与えなければならない。

 

死ぬ間際にこれまでの人生を否定したくはない。誰だってそうだ。

 

「……お前はこの世界から一つ命が消えても気にしないと言ったな。私もそうだと思っていた」

 

だからどうする、などという話ではない。そもそも何人殺してきて気にする気にしないなど何様だ。

 

だから、誰が死のうと──大切な人が死のうとも、悲しむ理由などないのだ。誰かの大切な人を殺してきた。だから例え、自分の大切な人が死のうとも納得しなければならない。

 

それができないほど自分勝手なわけではないのだ。

 

戦いの中で生きているからこそ、自分自身の中にルールは持たなくてはならない。獣ではないのだ。

 

「……だが、私は気にする。お前は気にしなくとも」

 

なぜだろうか。結局、感謝の言葉の一つも伝えられなかったのに──思い出す。

 

もっと──色々なことを話しておくべきだった。

 

彼女のような人とは、きっともう会えないだろう。たまたま起きた偶然だったのだ。

 

「君はこれからどうする?」

「……もうレオーネに留まる理由はない。私は帰る──ロドスにな」

 

──もういい加減、隠す理由もないのだ。

 

その言葉の効果は覿面だった。無表情だったエールの顔色がすぐに変わる。

 

「……ケルシー先生、か。S.w.e.e.p……本当に結成していたんだな」

「この国の状況報告と、それと……あんたの監視──ってほどでもないがな。ただ、状況は逐一報告していた」

 

ケルシー直属特殊部隊S.w.e.e.pに所属していたスカベンジャーは、命令通りに潜入を行なっていた。かつて同じロドスに所属していたエールがスカベンジャーのことを知らなかったのも無理はない。

 

S.w.e.e.pはほとんどロドス内でも噂だけで、実態を知るものがほとんどいない。存在を知らないオペレーターも多い。スカベンジャーが新入りだったこともあり、面識は一方的なものだった。

 

数年前、ケルシーはエールをS.w.e.e.pのメンバーとしてスカウトしようとしたことを鑑みると、何だか少し皮肉でもあった。

 

「……なるほどね。そういうことだったのか」

「私を始末するか?」

「そうする理由がない。ロドスはただの古巣だ。敵でも味方でもない。ケルシー先生がこの国に干渉することを許すことはないだろう。放っておくさ──」

 

──それこそ、こちら側からロドスに干渉しない限りは。

 

スカベンジャーはいい加減立ち上がろうとして、痛みに顔を顰めた。

 

「別に無理しなくともいい。心配せずとも人はいくらでも集まってくるだろうから、傷くらいは治療してもらいなよ。そもそももう動けないだろう、君」

「……」

 

他人の助けを必要としないスカベンジャーは助けてもらうことを嫌がって動こうとするが、実際死闘の緊張が解けて、体に力が入らなかったし、ところどころ体に穴が空いていた。急所は避けているため死ぬほどではないが──。

 

「まあ僕も──ぅ」

 

突然エールは額を抑え出した。

 

源石中毒(オリジニウム・アディクション)による神経系への影響が始まったのだ。

 

短時間で急激に血中源石濃度が上昇することにより、心臓や視神経、脳への強い悪影響が発生する。エールにとっては二度目だ。

 

立っていられなくなる。

 

ふらついて、近くの瓦礫に手をついてこらえた。荒い呼吸を繰り返して、視界を取り戻そうともがく。

 

まあ前回の経験則的に、一時間ほどすれば収まると分かっていたのでそれほど驚きではないが──。

 

ただ、ここに一つの誤算があった。

 

全て始末したと思っていたレッドスカーフの隊員だが、一人だけ生き残りがいた。

 

それはフォンと同じくたまたま地下室に避難することができた隊員で、熟練のボウガン使いだった。

 

嵐が過ぎ去って慎重に地上に出た彼は、突然苦しみ出したエールと、近くに座り込んでいた血まみれの敵を発見することになる。

 

──十分な勝算と、かすかな賭け、それと……復讐の思い。

 

それが彼を動かした。

 

ボウガンに矢を装填し──物陰に身を隠し、頭の中でカウントダウン。不思議と緊張はしなかった。

 

彼は二秒間の間に三発ボウガンを打てることで有名だった。特殊部隊の訓練と、自身の弛まぬ努力。それは彼だけではない。仲間達は全て何らかのエキスパートで、苦楽を共にしてきた仲間たち。

 

それらは全て、もう瓦礫の下だ。仲間の首が近くを転がっていた。よく一緒に飲んでいた仲間だった。彼にも家族がいて、北部で帰りを待っている。

 

彼はボウガンを構えた。

 

狙うなら、悶えながら苦しんでいるエールではないだろう。動く目標は当てにくい。まずはもう一人の散々暴れ回っていた女の方だ。

 

弦が弾ける音とともに、三発のボウガンが空を駆ける。狙いはこれ以上ないほど完璧だった。頭部から胸にかけて一発ずつ。

 

気がついた時にはもう遅い。頭は避けれても、そこから避けるのは体勢的に無理がある。

 

──だから、スカベンジャーにボウガンの矢が刺さることがなかったのは、誰かが身代わりになって守ったから以外に理由などないのだろう。

 

灰色の地面に飛び散った血液は誰のものだったのだろうか。答えは一人だ。スカベンジャーの他に、この場所には人がいない。

 

偶然ではなかった。

 

躍り出たその位置は、ちょうど狙撃手の彼とスカベンジャーの中間で、胴体を盾にするようにしていたのだから、明確で曖昧な意思があったのだろう。

 

「ばッ、馬鹿か!? 何をしてる、おいッ!」

 

叫んだスカベンジャーだが、振り向いたエールは、痛みに耐えながらでも──とても苦しそうに、笑っていた。自嘲だった。

 

「……言った、だろ? 僕と君は同じだ……ってさ。僕は、気にするよ。君に目の前で死なれたら、気にするさ──」

 

もう、目の前で誰かに死なれるのは御免だった。あんな思いはもうしたくはない。

 

散々殺しておいて、虫のいい話だ。そんな矛盾した行動原理がエールの抱えていた歪みだったのだろう。人の命などどうでもよかったのに、優しさを教えてもらったがために──こんなことをする羽目になった。

 

もしも誰かの命が過ぎ去ろうと、誰も気にしない。

 

でも、きっと誰しも──大切な人が消えたら、気にしないわけがないのだ。

 

ほんの少しだけ、エールは理性的にスカベンジャーを見殺すことができなかった。それだけの話。

 

狙撃手の彼はそんな事情などお構いなしだ。手間が省けて助かる。

 

次射装填、放て──────

 

 

 

 

「させないっての。エールは死なせない。代わりにあんたが死ね」

 

狙撃手失格だ。敵に攻撃されてからでは遅いのだ。

引き金を引いた。スコープの先に咲いた真っ赤な花を見届けて、次のターゲットに照準を合わせた。

 

ふらふらと立ち上がって瓦礫の山に背を向けていたハノル──その後頭部に中心を合わせた。

 

晴天のアルゴンに銃声が響き渡って、やがて消えていった。命中確認すると同時、アンブリエルはスナイパーライフルを放り出して、物見台の階段を駆け降りていった。

 

「……あの、バカエールっ! 死んだら殺してやる……っ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

源石中毒のせいで、痛覚は何だかぼんやりしていた。

 

意識も混濁している。視界はモノクロだし、耳は遠い。ただ痛かった。意識が痛かった。

 

「……どうして、助けた」

 

だからだろうか、そんな声が聞こえたような気がして。

 

ほとんど無意識下のような状況で、エールは答えた。

 

「……君には、心を許せる誰かがいる?」

 

脈絡のない言葉だった。返答になっていない。

 

少しの沈黙の後、エールはほとんど独白のように呟いた。

 

「僕は、ずっと探しているよ」

 

空はまだ高かった。

 

唐突に、瓦礫の山の一つが崩れた。

 

スカベンジャーがそちらを見ると、瓦礫の中から一人の男が出てきていた。まだ敵がいたのか──そう考えたが、敵ではなかった。

 

レオーネの軍服を着ていた。第八特殊小隊の識別タグが腕の部分についている。

 

黒髪のフェリーン、フォンだった。

 

荒い息を繰り返していたフォンは、すぐにエールたちに気がつくが──それより目に飛び込んできたのは、瓦礫に巻き込まれていたレッドスカーフ隊員の死体に混ざって点在していた仲間たちの姿だった。

 

殺し方が違っていた。エールではないのだろう。だが──。

 

エールもフォンに気が付いていた。朦朧としていたが──。

 

黙ってフォンは背を向けた。地面を叩く靴の音は、彼の意思をほとんど代弁しているようにも思えた。

 

「待、て……フォン。どこに、行く、つもりだ」

 

フォンは振り返った。

 

その表情は──冷たい決意に染まっていて、静かにエールを見据えていた。

 

「……世話になったな、エール。オレは、お前と違うやり方で──この世界を破壊して見せる」

 

そう言い残して、フォンは姿を消した。

 

そしてエールは倒れ、全ては真っ黒な意識の中に消えていった。

 

 

 




・スーロン
フォンを残して全滅。死亡確認!

・エール
困ったことがあると源石を食べる男。大体これで何とかなるとか思ってます。毎回死にかけるのは主人公の特権。

・スカベンジャー
実はロドス所属だったんだよ!
な、なんだってー!?

・アンブリエル
ずっとスタンバってたらやばいことになってた人。アンブリエルがいなかったら今回の話でエールは死んでました。かわいい!

・フォン
裏の主人公……というよりは、ほとんどエールと似たようなことになりました。
さまざまな面でエールと共通点があります。戦闘に関してはアレですが、分析能力とかが優れています。頭いいタイプのリーダー。

・ハノル
アンブリエルに狙撃されて死亡。あっさり死にました。おそらくリンも倒壊に巻き込まれて死んだんじゃないですかね(適当)


次でこの章のエピローグです。ここまで長すぎィ!





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1096年8月5日:花に亡霊

クッソどうでもいいですが、この二週間くらいでエヴァシリーズを全て追い切りました。どうして十年前くらいにエヴァを見ていなかったんだ私は

ようやっとエピローグです。ここまでが長すぎる……。タイトルはヨルシカの楽曲「花に亡霊」から拝借。







グエンがエクソリア南部大統領に当選して、一日が経っていた。

 

大統領邸への引っ越しが大体終わって、見晴らしのいいテラスにグエンが出てみた時のこと。

 

「……エールさん。まだ体は万全ではありません。病院に戻ってください、今から訪ねに行こうと思っていたところでしたのに」

 

2階のテラスに出入り口は一つだ。だというのに、エールは当然のようにそこにいた。

 

「祝いの言葉を伝えたかったんです。大統領就任おめでとうございます、グエンさん」

「全く……。主治医の言葉は聞くものです。自分の体のこと、本当にわかっておりますか」

「もう僕の主治医をやる時間もありませんよ、これから一ヶ月──忙しくなります。申し訳ないが、これからは政治にかかりっきりになってもらいます。医者は当分休業です。レオーネの方も、当分は僕に……いや、他の幹部たちに任せてください。グエンさんにしか出来ないことがあります。そして僕にしか出来ないことがあるように」

 

深いシワを動かして、グエンはため息をついた。

 

若者は──いや、エールは本当に言う事を聞かない。特に自分自身の体のことに関しては尚更。

 

「余命がさらに減りますよ」

「僕が死ぬ前に戦争は終わらせます。もう一年もかけるつもりはありません。終わらせるんです。終わらせなければならない」

 

相変わらずなエールだった。この青年と出会ってもう半年ほど経つが、わかってきたことがいくつかある。

 

恐ろしいほどただ前に向かって進み続ける青年だということ。良くも悪くも器用であり、不器用だということ。

 

危なっかしくて目を離していられないことや、めちゃくちゃな手段で困難をどうにかしてしまうタイプの人種だということ。

 

エールには運命があると、グエンには理解出来ていた。

 

「そういえば、エールさんに手紙が届いています」

「いつものくだらない戦争感想文は事務で処理してもらってください」

「いえ、どうやら少し違うらしいですよ。こちらの包みも一緒に」

 

渡されたのは灰色の封筒と、小さく無骨な包みだった。包みの方は小さいながらもすこしずっしりとしていた。

 

「これは?」

「トランスポーターからの手紙です。なんでも……ヴィクトリアからの手紙だとか」

「ヴィクトリアから? 裁判所とかかな……」

 

エールは適当に封筒を開いて、畳まれた紙切れを開いた。どうやら手紙のようだ。

 

「──────……」

 

最初は適当に読んでいたエールだったが、すぐに表情は消え失せて、すぐに真剣な顔で読み始めた。

 

そして2分ほどかけて読み終わると、包みを開いた。

 

中に入っていたのは、年代物のライターと、タバコが一箱だけ。

 

ライターは古めかしいデザインで、重厚感と使用感があった。タバコの方は、あまりエクソリアでは馴染みのない銘柄だ。

 

「誰からの手紙でしたか? 知り合いですか」

「…………。知り合いなんかじゃありません」

 

タバコを手に取って、慣れた手つきでエールは箱を開いた。

 

一本を取り出して咥える。

 

「喫煙も勧めませんよ。鉱石病(オリパシー)と喫煙の関係性はまだ不明瞭です、あまり口を出すのも鬱陶しいでしょうが……」

 

入っていたライターはそのまま使えるようだった。

 

火がついて、煙草から煙が立ち上っていく。

 

「……この手紙は、あるロクデナシからの手紙です」

「ろくでなしですか」

「はい。……僕を拾った、とある男のことです。鬱陶しい男でした。奴は他人でしたが、僕の生活や性格に事あるごとに口出してきて……その度に、口喧嘩や、殴り合いになっていました。僕が奴より喧嘩が強かったものですから、奴は大人気なくあの手この手で僕に嫌がらせをしていました」

 

そんなエールも、今は怒りや苛立ちの感情はないようだった。あれからずいぶん時間が経っていた。

 

「認めたくないですが、保護者というか……大人の後ろ盾があることは、僕にとって大きな助けだったことは確かでした。いくら強かろうと、所詮僕は子供で……何も知らなかった。癪ですが、僕が奴から離れるまでの三年間……ヤツの助けなしに、僕は生活できなかった」

「エールさんが自分の話をするのは、初めてですね」

 

片腕の背中に果てしなく大きなものを背負っていた。

 

だが、ほんの少し変わったようにも思えた。

 

「僕は奴のことが嫌いでした。心の底から嫌っていました。はっきりしない甘さや、押し付けがましい優しさ、あるいは……大人のくせに一丁前に苦悩する姿が、この上なく情けなく思えました。奴が煙草を吸っている姿が、僕は嫌いでした。格好付けている、と奴は言い張っていましたが、僕には現実から逃げているだけとしか思えなかった」

 

──ライターと一緒に入っていたのは、奴の吸っていた銘柄の煙草だった。

 

エールがその安っぽい紙巻きを指で挟んでいる姿は、あの男とそっくりだった。

 

「でも、今なら……あいつの考えていたこと、分かるような気がします」

 

煙草は嫌いだった。でもエールは結局吸い始めた。

 

この世界はどうしようもない矛盾ばかりだということを知ったからなのかもしれない。あの時は認められなかったあの男のことも──。

 

「……僕は、あの男の名前を一度も呼んだことがありません。七年間……一度も。僕はあの男を認めたくなかったんです。そして、今では奴の名前も思い出せなくなってしまった」

 

グエンはそんなエールの言葉を聞いて、穏やかに諭した。

 

「話を聞く限り、その方はエールさんの親だったようですな」

「僕も……本当は分かっていました。ただ、認めたくなかっただけです。反抗期ってヤツだったのかもしれませんが」

「手紙には何と?」

「……まるで自分の子供に送るような内容でした。トランスポーターを雇ってまで送るような話じゃないでしょうね」

 

あのロクデナシには似つかわしくない内容だった。体の心配など、余計なお世話だ。

 

「話が過ぎました。下らない話です」

「いいえ、親の話に下らないものなど一つもありませんよ。どのような形であれ──親というものは、自分を形作るものです。人の繋がりの中で、最も強い縁なのですよ」

 

グエンも、エールの隣に並んでテラスの柵に肘をかけた。

 

まだ若いエールと、長い歳を重ねたグエンが並んでいる姿は、側から見れば不思議な組み合わせだった。だが──ちょうど一人分空いた二人の距離感には、不思議な信頼感が表れていた。

 

人との距離の取り方がそう上手ではないエールに、人間関係を長く積み重ねてきたグエンが上手く合わせているからこその距離感だった。グエンが人々に慕われる理由でもある。

 

「私も、家族がおりました。一家が丸ごと集まると、一部屋には収まり切らなかったものです。父、母、祖父……兄妹は合計で五人にその息子や娘たちも合わせて……もう、誰が誰やら分からないと人には言われましたが、私には一目瞭然でした。この国では珍しくもないことです」

 

懐かしむようにグエンは話した。それらは全て過去形だった。

 

「エールさん、私があの時あなたに微力ながら力を貸したのは、私自身のためでもありました。国を守ると言った決意に嘘はありません。ですが、これは私自身の復讐でもあるのですよ。ですから、私はあなたの復讐に口を出すことはしません」

 

グエンもずっと苦しみの中にあった。息子を失い、妻には先立たれ──それでも、全てを失ったわけではない。

 

「ですが、一つ人生の先達としてのアドバイスを伝えます。きっとあなたは、自分の持っていた全てを失ったと感じたことがあるでしょう。ですが、それは勘違いなのです。生きている限り、これまで生きてきた全てを無くすことなどあり得ませんよ。人の縁というものは、それこそ死んだって途切れることはないのです」

 

息子を失って絶望したグエンには、まだ息子の子供──孫が残されていた。まだ赤子だった。その時、まだ生きていようと思った。せめてこの子が大人になるまで……きちんとした幸せを掴める世界にしようと。

 

「私たちはこれから戦争という深い罪を背負います。ですから、殺した人々を上回るほどの人々を救わなくてはなりません。私は、あなたには幸せを掴む義務があると思っています。罪には罰を与えなくてはなりませんから」

「……どういうことですか?」

「幸せになることが、これまでの罪に報いることである場合もあるのですよ。特に、自分が許せない人などは──ちょうど、あなたのような」

 

返答はなかった。そう意外でもなかった。

 

「さて、私はまだ作業が残っています。この辺りで」

 

グエンには察しがついていた。トランスポーターによれば、手紙は特定契約に基づいて配送されたものだった。特定契約というのは、条件を満たすと配送されるトランスポートのオプションの一つ。

 

大抵は、自分の死後に配送してほしいという依頼だ。

 

外を眺めて佇むエールを一人残して、グエンは去った。

 

残されたエールは、ずっしりとしたライターを眺めて、ライターのキャップをかちゃりと閉じる。

 

煙草の煙は、たまらなく苦かった。

 

「……そうか、死んだのか──、…………」

 

ライターと煙草はあの警官の遺品だ。それが分からないほどエールは鈍くなかった。手紙の内容から察するに、病気であっさりと死んだらしい。争い事で死んだわけではなかったのだから、多少はマシなのかもしれない。

 

「……親父」

 

あの時認められなかった警官のことを、今になってやっと親だと認めることが出来て──。

 

そしてもう会うこともない、ロクデナシの顔を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い部屋だった。

 

物置のようなガラクタの散らばった暗い倉庫には、小さな鉄格子の窓から微かな光が刺していて、埃を照らしていた。

 

合計して10人ほどの人間がそこにはいた。だが誰も喋らない。視線を伏せ──というよりは、ナイフを撫でていたり、あるいはずっとコインを弄っていたりしていた。異様だった。

 

それもそのはず、これらの人間は前歴が犯罪者だったり、あるいは危険人物とされて捉えられていたのだ。人格破綻者もいる。全員に手錠がかけられていた。

 

そして共通点は一つ──何か一つ、特別に秀でた能力を持っていること。

 

絶対記憶だったり、あるいは高い侵入技術や変装など、特に犯罪に関連する技能が多かった。

 

そして倉庫の外には、エールが一人、鍵のかかった倉庫の門に保たれている。

 

夏の盛り、木々の緑はより深い。遠くには蜃気楼すら滲んでいるようだった。草原の大地と、真っ白に太陽を反射するバオリアの街並み。

 

──時間を確認する。あと1分もすれば正午になる。

 

「さて、彼女は来るかな……?」

 

楽しみにしたように呟いた言葉は──さて、もうすぐだ。

 

正午まで残り10秒。

 

──これは、ハズレか? 期待した結果にはならないかもしれない。

 

正午を回った。

 

あたりに誰もいないことを確認して、エールはため息を吐いて、その場を立ち去ろうと──して、

 

「どこに行く気だ。私はここにいる」

 

振り返った先にスカベンジャーが立っていた。

 

傷跡は服の下に隠されていたが、隠し切れてはいなかった。

 

いつも通り、無愛想な瞳が向けられていた。

 

「……ようこそ。待っていたよ」

 

本当に嬉しそうに、エールは片腕しかない手を広げた。

 

「この場所に来たってことは、やっと覚悟が決まったんだね。ここに来るということは、もう君は裏切り者だ。ケルシー先生は今頃怒っているんじゃないかな」

「……喧しいヤツだな、お前は」

「嬉しいのさ。発案から半年──ようやく、僕の望んでいた部隊が形になるんだ。はしゃぎもするさ。特殊工作部隊B.l.o.o.d(ブラッド)──今日付けで発足だ」

 

エールが担ってきたのはレオーネの裏事情や汚れ仕事だった。ヴィクトリア時代の経験を生かしてレオーネを発展させてきたが……人手が足りなかった。直属の戦闘暗殺なんでもござれの部隊を欲していた。

 

そして隊をまとめるのにふさわしい人材も探していた。

 

「今度は前のような潜入じゃない。本気で僕にその命を預けてもらう。僕の命令に従い、僕のために戦い、僕のために血と泥に汚れて死ね。今から僕がお前の新しいご主人様だ」

「……は。三回回ってワンと言え、か?」

「やってくれるの?」

「命令ならそうする。だが、あの言葉──嘘だったのなら、私はお前と、大切な連中をどんな手を使ってでも皆殺しにしてやる」

「これは契約だ。約束は守るさ。──従えよスカベンジャー、それができるのなら──」

 

主従とは思えないほど緊迫した雰囲気だった。エールは堂々と言い放った。

 

「──お前のこれまでの苦しみ全てに意味があったことを証明してやる」

 

獰猛に笑って。

 

「……見せてもらうぞ、エール。お前が言う結末の景色とやらを」

 

今度は偽りではなく、本気で──そう、命すらも預けてやる。

 

何よりも、これまでの意味のために、他の全てを捨てる。ずっと探していたものを探しに行くのだ。どうせ似たもの同士だ。

 

何よりも、自分自身のために。

 

エール直下、第一特殊部隊B.l.o.o.d、隊長をスカベンジャーとし、本日から活動を開始する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーズが目覚めて退院するまでの二週間の間、エールは一度も見舞いに訪れたことはなかった。

 

別にそれを気にしているわけではないが──そう、別に一日一回来いとは言わないが、一回くらいは来ても良かったんじゃないかと思っている訳ではない、決して思っているわけではないが──まあ、悪戯をしてみようとブリーズは思った。

 

歩ける程度には回復したので、エールを探しにとことことそこら中を歩き回ること半日。さまざまな人たちと談笑したりしながらエールを探していた。

 

と、そんなことをしているうちに、たまたまエールを発見して──とりあえず、尾行してみることにした。

 

あまり目立ちたくないのか、あるいは日差し対策かは分からないが、白いキャップを被って、カーキ色のワイドパンツと真っ白な飾り気のないシャツで道を歩いていた。

 

片腕しかないし、キャップの下からは白くて手触りの良さそうな髪が垂れてきていたのですぐに分かった。

 

どうやら街の外側に向かっているらしい。一応気づかれないようにあとを付けていくが、後ろを振り返ったりする気配はさっぱりない。気づかれてない。確認、ヨシ!

 

道端の建物などが少なくなって、道の砂に緑が混ざり始め──段々と、エールは森林の方に進んでいるようだった。小川などを抜けた先には──いつだか早朝、エールと出会った場所にも似ていた。

 

周りを見ていると、足元に感触があった。

 

柔らかい感触がして、足元を見ると……どこから来たのか、黒猫がブリーズの足元に擦り寄っていた。

 

にゃおん。

 

「あら。あなたはどこから来たの? 随分人に慣れているようだけど、飼い猫かしら」

 

すりすりと足元に額を擦り付けてブリーズの気を引いていた。そんな愛らしい姿に、ブリーズはついしゃがみ込んで頭を撫でた。

 

にゃおん──。

 

……はっ。我を忘れていた。

 

ふと気がついて、ブリーズは立ち上がった。

 

「ごめんなさい、私はあなたに会いに来たんじゃなかったわ。じゃあね、黒猫さん」

 

そんな言葉を言い残してブリーズは辺りを見渡すが──しまった。見失った。

 

黒猫の誘惑に完全に敗北してしまった形だ。これもエールの策略だろうか?

 

「……あっちの方かしら」

 

どうせ一本道だ。こっちに違いない──と、最初は思っていたのだが。

 

森に続く道は、二つに分かれていた。別れ道の入り口には小さな休憩小屋のような場所があって、そこにはボロボロになった木製の椅子があった。

 

人が座っていることにはすぐに気がつく。エールではなかったので、少し落胆しながら──そうだ。

 

「ねえ、そこの人。ちょっといいかしら?」

 

太陽から身を守るために休憩していたであろうその青年は、話しかけてきたブリーズの方を向いて素朴な顔を浮かべた。

 

「さっき、この道を誰か通らなかったか教えて欲しいの」

「なんだ、人探しっすか?」

「似たようなものね。というか、あなたはここで何をしているの?」

「オレ? オレは──まあ、何もしてないっす。強いて言うなら、見守ってるくらいっすかね」

「……変な人ね? で、ここを通りかかった人は見たの? 見てないの?」

「何人か通ったっす。その人、どんな人っすか?」

 

青年の問いかけにブリーズは少し迷いながら答えた。

 

「えーっと……なんか、真っ白な人よ。あと辛気臭い表情だったと思うわ。多分だけど」

「辛気臭い……って。もう少しなんか無いんすか、姿とか、服とか」

「特徴的なのが一つあるわ。右腕がないのよ、その人」

「右腕を? ……軍人とか……っすか?」

「まあ大雑把に言えば、そうね」

 

青年は少し驚いた顔をして、感嘆したように言う。

 

「あんた、その人と知り合いなんすね」

「知り合い……って感じでもないわね。改めて考えてみると、私と彼ってどんな関係なのかしら」

「ああ、なんかその感覚、ちょっと分かるっすよ。人との関係ってのは難しいっすよね。友達とか仲間とか……それが明確にどんな輪郭をしているのかを言葉で表すのは難しいっす」

 

青年の纏う雰囲気は少し変わっていた。どこか浮き上がるような空気感があったと感じられた。何か──どこかしら現実離れしていた。

 

「──その人は、あんたにとってどんな人なんすか?」

 

まあ段々と話は脱線していたが、ブリーズは別にそれほど急いでいるわけではなかったし、人と話したりするのは好きだった。

 

「難しいわね……。私にとってはかなり重要なんだけど、けどかなりのお馬鹿さんだし……友人ってわけでもないけど、決して他人というわけではないのよ。仲間っていうのも違うわ。きっとあっちの方は私のことなんて、どうとも思っていないのかもしれない。まあ──」

 

言葉を区切って、ブリーズは微笑みながら空を見上げた。

 

「私の片想いみたいなものね」

「……あんたもしかして、ロマンチストっすか?」

「え? いえ……ロマンチストかしら? むしろ空想家(ロマンチスト)なのはその人よ。私のは空想的(ロマン)じゃないわよ、これは私の願望。あの人もそうであって欲しいと願っているだけ」

「えーっと……つまり、その人とあんたは似たもの同士ってことっすか?」

「似たようで違うわ。昔は──ずっと昔は、きっと似たもの同士だったのよ。でも今は違うの。もう変わってしまった。私も、あのお馬鹿さんも。あなたにも経験があるでしょう? 現実を前に、変わらざるを得なかったことが」

「そうっすね。恥ずかしくて思い出したくないこともあるっす」

 

青年も昔を思い出して同意した。過去の自分に苦笑いを浮かべている。

 

「オレもね、その人みたいな人を知ってるんすよ。普段はクールぶってんすけど、実はとんでもない空想家で、ロマンチストな……そんな馬鹿な人を」

「あら、聞けば聞くほど似てるわね。いつも澄ました顔してるけど、実は暗いことばかり考えてるのよ。やりたいこととか、楽しいこととかさっぱりしないもの。全然笑わないのよ。貼り付けたような微笑みはするけど、心の底から笑ったところ……見た事ないわ」

「ああ、そこは違うんすね。オレの知ってる人はよく笑ってたっす。苦笑い4割くらいで、仕事中もよく笑ってたっす。きっと現実を……この世界を信じてたんすよ。だからあんな風に笑っていたんだと思ってるっす」

 

青年は懐かしむように語った。聞く限りエールとは程遠いし、そもそも他人の話だ。なのでブリーズには何も関係のない話だ。だが──。

 

どうしてか、全くの他人の話だとは思えなかったのだ。

 

「……でも、あの人は裏切られたんすよ。オレたちがあの人を裏切ってしまった。オレたちの言葉は、結果的には嘘になっちまって……あの人はずっと縛られたままになっちまった」

 

どうしてかその表現がピタリと当てはまるような気がした。青年は透き通るような気配で、後悔の言葉を吐き出していた。

 

「あの人に話したいことがたくさんあるんすよ。でもオレはもう伝えられない。実は前までは会えたんすよ。けどオレたちの声は届かなくなった。今じゃもう姿も見えてないんすよ。元々許されないことだったっすから、それは当たり前のことが当たり前になっただけで──」

「? どういうことかしら」

 

変な語り口に、ブリーズはついそう聞くが──。

 

青年はその顔のままブリーズを見上げる。

 

「……そこの別れ道、右っす」

「え?」

 

草花を揺らすそよ風の音が聞こえていた。

 

「……あの人のこと、どうか……どうか。……よろしく、お願いします」

 

それがどういう意味か問いかける前に、風に溶けて青年は消えていった。

 

瞬き一つの間に、そよ風一つ残して──彼の座っていた、少しボロボロになった椅子だけがその場所に残されていて。

 

「……え? あれ、私──」

 

あまりの現実味のなさに、ブリーズはしばし茫然とした。白昼夢だろうか。確かにそこに、誰かがいたはずなのだが──。

 

「そこに……いた、わよね? いえ、……あれ、どんな……人だったかしら」

 

顔も形も──さっきまでそこにいた誰かのことが、もう思い出せない。

 

それはまるで、幽霊に出会ったかのようだった。

 

遠く見えるバオリアの街並みには、この日差しが産んだ陽炎がゆらゆらと揺れていた。いつまでも揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道は舗装されているというほどでもなかったが、踏み慣らされていて、歩きやすかった。森の雑草が生い茂る中、そこだけは草が低くなっていて道になっている。

 

涼しさが通り越して、薄着では少しだけ肌寒い。

 

道なりに10分ほど歩いただろうか、段々とこの道であっているのか不安になりながらブリーズはとことこ歩いていた。

 

深い緑が全てを覆い隠す場所。この一帯は森の中に蛇やら虫やらが結構いたりするのだが、小川の辺りはいくらか綺麗になっているようだった。

 

地面から湧き出した水が無数の小さな水流を形作っている。それが本流に合流していて、せせらぎの音が心地いい。ブリーズは実は森を迂回する形に移動していて、見えてきた景色にはアルゴンの街が小さく混ざっている。森の外輪部で、草原と森林を分断する川が流れていた。

 

そこにはエールがいた。

 

腰を下ろしていたのは、苔の張り付いた大きめの岩で、近くの大木の元には蔦の絡み付いた何かが何本も立っている。

 

それは剣だったり、杖だったりしていた。盾まである。全てボロボロになっていた。それらは全て大木に寄りかかって、蔦の緑や、苔、或いは小さく土で汚れていたりした。全て時間の流れによるものに見える。

 

「アリーヤ」

 

ちょろちょろと聞こえた川の流れの音に、優しい声が混ざった。

 

エールはさしたる驚きもなく振り返る。

 

「……気がつかなかったな。僕を追いかけてきていたのか?」

「久しぶり、の一言でも言いなさいよ。一回くらいお見舞いに来ても良かったんじゃないの?」

「悪いね、忙しかった」

 

忙しいのなら、どうしてこんな森の中に一人で来ているのか、とか言いたかった。だが──なんだかそんな雰囲気でもない。

 

「何か用?」

「あら、わざわざ追いかけてきたのよ? 殿方なのだから、礼儀正しく……光栄でございますブリーズお嬢様、とか言ったらどうなの」

「……アリゾナお嬢様、だろ。どうして名前を変えた?」

「お互い様ね」

 

名前というのは自分の証だ。

 

それが変わったのは、自分が変わったということの直接的な証だった。

 

「話をしに来たの。悪戯の一つでもしようと思ったけど、なんだかそんな感じじゃなくなっちゃったし」

「話?」

「あなたはまだ覚えているかしら。私たちが()()()出会った時のこと」

 

それは、ロンディニウムの地下室で出会った時のことではない。

 

「私は覚えているわ。ずっと覚えているの。たとえ貴方が忘れていても、私はずっと覚えているの」

 

それよりももっと昔、あの小さな庭園で出会った時のことを。

 

「私もあなたも、変わってしまった。でも、ずっと覚えているわ」

 

彼女はずっと覚えている。ずっと想っている。

 

「絶対に忘れてはならないことが、この世界にはあるの。ねえ、アリーヤ」

 

だから、ブリーズは漸く語り始めることができたのだ。

 

もう、十年ほど前の話だ。

 

「──アリスという女の子のことを、覚えているかしら」

 

それは、ある少女が、ある少年に出会った時の話。

 

「……アリス?」

「ええ。小さくて……何も知らなかった、愚かな女の子の名前。その子の初めての友達……それが、アリーヤ。あなただった」

 

あれから、アリゾナはずっと探していた。どこかにいるはずのアリーヤを探しに行こうとして──けど、小さなアリゾナにそんなことは出来ない。両親の説得もできなかった。無力で無知だった。

 

ブリーズは、覚えている限りの全てをエールに話した。確かめるように一つ一つ──エールはそれらを黙って聞いていた。

 

実を言うと、ブリーズはたまらなく怖かった。こうして話して、その時の女の子が自分だとエールが知って……怒りや、悲しみや……拒絶を突きつけられたら、どうしようとずっと怯えていた。

 

けど、そうしなければならないと自分が思ったから。

 

初めて出会って、仲良くなって、言葉を教えて、代わりにアリスが知らないことをたくさん教えてもらって、

 

遊んで、話して、一緒に笑って、

 

仲良くなって、好きになって、

 

そして、アリスを守るためにアリーヤが戦って、

 

殺して、

 

血まみれになったスラムの路上と、返り血に酔ったアリーヤの顔に怯えて、

 

怖くて、

 

拒絶して、逃げたことを──

 

全て告白した。

 

全てを語り終わった時、エールはなんだか他人事のようだった。驚いていたようにも思えるが、結局一言も口を挟まなかったので、ブリーズだけがずっと話し続けていた。

 

その八年後に実家を飛び出し、ロンディニウムのスラムでエールに出会ったこと。全てが終わった後、地下室のデスクをこじ開けてあの絵本を発見したこと。それでエールがアリーヤだと分かったこと。

 

本当のことを言えば、あの後エールがどうなったかをずっと知りたかった。どんな経緯があってエクソリアで英雄なんてやっているのかは、本当に知りたかったのだ。けど聞かなかった。自分にそんな資格はないと思った。

 

「……これが、私の覚えていることの全てよ。思い出したかしら」

 

エールはちらりと視線を流して、大木に保たれていたいくつもの武器の方を見たりしていた。

 

話を本当に聞いていたのか不安になるほど、何もリアクションがなくて──つい不安になって、ブリーズは問いかける。

 

「──私の勘違いじゃなければ、あなたに共通語を教えたのは、アリスのはずよ。……覚えてないの……? どうしてあなたは、共通語を話せるようになったの……?」

 

その言葉に、エールは明確な反応を示す。

 

具体的に表現するなら、固まった。

 

「……そうだ、確かに……僕は……話せなかったはずだ。どうして、僕は……今、こうやって……そうだ、誰かに……教えてもらった、はずなのに……どうして──ぅ、ぐッ!? あ、ぁあッ!」

 

突然頭に鋭くて鈍い、突き刺す痛みが生まれて、エールは苦しみ出した。

 

ブリーズは突然の事態にしばし気を取られるも、すぐに駆け寄って叫ぶ。

 

「アリーヤ、アリーヤ!? どうしたの、何が──っ!」

「ぁ、ぁあああッ! そうだ、いたはずなんだ、僕は約束したはずだ、あの時は覚えていたッ! ぐ、ぁ、──いたはずだ、約束したはずだッ! それは何だ、僕は誰と、どんな約束をしたッ!?」

「だ、だからそれは私と、アリスと──」

「そうだ、きっとそれなんだ、だけど──」

 

痛みと恐怖に両目を限界まで開きながら、たまらず叫んだ言葉は──。

 

「──思い出せないんだよッ! そうだ、何かがおかしいと思っていた……いくらなんでも、僕があの男の名前を忘れるはずがないんだって……でも、あいつの顔ももう思い出せない、そうだ──ずっとおかしいんだ、いつも僕には亡霊が見えていた──仲間達の亡霊が、僕にはずっと見えていたんだ、声だって聞こえていたッ!」

「ちょっと、落ち着いて! 何を話しているの!? 一体何の話!?」

「見えないんだよッ! そうだ、声が聞こえなくなったのは僕の心理的な部分に問題があると思っていた──けど違った、そうだ、テスカの後からだ。あの後から──だんだんと分からなくなっていった!」

「自分の言っている言葉をよく聞いて! めちゃくちゃなことを言っているのよ!? 落ち着いて、しっかり私の目をよく見てっ!」

 

エールの頬を両手で包んで、ブリーズは無理矢理目を合わせた。

 

初めて見る表情がそこにあった。エールは……明確に怯えていたのだ。ブリーズにではない。

 

「……君の話。君の依頼に関しては、僕も覚えてるさ。だけど……その、アリスという女の子の話を、僕は一切思い出せない」

 

不安定な表情で呟いた一言で、ブリーズは凍った。

 

「そうだ、きっと人違いじゃないんだろう。確かに僕は君と出会っていた……。君の依頼を最後までやり遂げたのは、きっと……その記憶があったからかもしれない。けどもう分からない。思い出せない。昔の記憶で覚えているのは生まれてから10歳くらいまで過ごしたウルサスでの生活だ。そうだ、父親を殺した時の記憶は、まだはっきりしている……けど、それからの記憶がほとんど思い出せない……」

 

父親を殺したことに関しては気になったが、今はそれよりももっと大事なことがある。

 

「……私の知っている症状の中に、あなたと似たものが一つあるわ」

 

ロンディニウムを離れ、流浪の旅医者としての生きていた時の話だ。

 

「あなたと同じ感染者で、感染状況が深刻な人よ。突発的な頭痛や、五感能力の低下の症例が見られたけど、最も深刻だったのは、記憶野──脳への影響よ。簡単に言うと、記憶を失くし始めていたのよ。逆行性健忘と呼ばれていて、だんだんと記憶が思い出せなくなっていくの。進行性のある症例で、その患者は最終的に一年ほどで全ての記憶を失くしたわ。かなり珍しい症例だけど、──あなたがその症例に当てはまるとしたら、きっと頭痛の原因もそこにあると思う」

 

鉱石病(オリパシー)由来の逆行性健忘。脳への鉱石病(オリパシー)の進行により、記憶野が侵食を受け──最終的には、全ての記憶を忘れる。

 

「失った記憶を思い出そうとすると、他の五感への影響が出るのかしらね。痛みや幻聴、或いは見えるはずのない何かが見える──可能性の話で、断言はできないわ。あなたもそうなるという確実性はどこにもない。けど可能性は高いわ。心当たり、あるわよね」

 

目の下に浮き出た源石(オリジニウム)結晶を指してブリーズは迫った。

 

NHIとの戦闘で源石(オリジニウム)結晶を直接摂取した。あれはやはり猛毒だったのだ。

 

一時的な暴力を得るのと引き換えに、自分という存在を死神に差し出す。それはそういうことだ。それについ先日それをしたばかり──リン家の全てを瓦礫に帰した代償に、エールはそれを噛み砕いたのだ。

 

「記憶の侵攻は鉱石病(オリパシー)の進行度合いとリンクしている可能性が高いわ。失った記憶が戻る保証はない、けど遅らせることは出来るかもしれない。……聞いて。私が今所属している、ロドスという鉱石病(オリパシー)患者の治療機関があるの。今すぐエクソリアを離れてロドスに来て。私があなたを治すわ。この命に代えてでも、あなたを助けて見せると誓うから──」

 

ロドス。

 

「はっ……またロドスか……。どいつもこいつも、どうしてこう過去ってやつは……僕を逃してくれないらしい──」

 

結局グエンの忠告は正しかったわけだ。人の縁というものは、それこそ死んだって途切れることはないらしい。ブラストは死んだというのに、まだ──。

 

「……だが、君はどうして僕にそこまでしてくれるんだ?」

 

少し頭痛の治ったエールが、ブリーズを見上げて──本当に、本心からの言葉を言う。

 

──ブリーズは最初、呆れて言葉も出なかった。

 

「本当にお馬鹿さんよね、あなた。だって、あの時私を助けてくれたじゃない」

「依頼の話か?」

「それよりも前の話よ。思い返せば皮肉よね──ユーロジーを取り返したかったのは、あれはアリーヤが守ってくれたものだったからよ。変な人たちに絡まれて、ユーロジーを取られそうになった時……あなたが手を払ってくれた。その後の過程がどうであれ、よ」

 

意外な回答にエールが黙っていると、ブリーズは表情を少し明るくして続けた。

 

「それでもまた結局盗まれて……でも、その時も結局あなたが取り返してくれたじゃない。何度も助けられたのよ? きっとあなたにあの時出会ってなかったら、私はロンディニウムで行き倒れて、もしかしたらそのまま死んでいたかもしれないもの」

 

それから、一転して表情を暗くした。

 

「……それと、私はあなたに謝らなければならないわ。私があの時──あの男の人たちを皆殺しにした時のこと。私は怖かった。ナイフを掴んで笑っていたあなたが、たまらなく怖かったの」

 

その全てはもはや、ブリーズが覚えているのみだ。

 

エールはその罪を忘れてしまった。

 

「……殺人は殺人よ。罪は罪よ。助けるためとはいえ、それが他の人を殺めていい理由にはならないわ。幼いあなたがしたことはきっと裁かれるべきだし、そうしなければならない」

 

そうしなければ、この世界はめちゃくちゃになってしまう。そのための法なのだ。ブリーズはそれを信じていた。或いは、人の良心と理性を信じていた。

だが──。

 

「けど……私は。私だけは、あなたを否定してはいけなかった。あなたを拒絶してはいけなかったの。他の誰があなたを否定したって──たとえ、この世界全てがあなたを否定したって、私は──私だけは、あなたを肯定しなければならなかったの。だって、あなたは私を助けようとしてくれたんだから。だから本当は、あの時私は”助けてくれてありがとう”って──そう伝えなければならなかったの」

 

だから、ブリーズは決めたのだ。

 

「私はまだ、あの約束を覚えているの。あなたが私を助けてくれたように、今度は私があなたを助けると──決めたのよ、アリーヤ」

「……あの下手くそな恋人ごっこは、そのための仕掛けって訳か?」

「私が囮になれば、あなたが傷つく事はないと思ったの。けど、結局……上手くいかないわよね。痛い目を見ちゃったし、結局最後はあなたの手を汚させた。どうしてかしら、なかなか上手くいかないものね」

 

儚げに自嘲する姿が、今にも消え去りそうだった。

 

「あなたを()()()()にさせないために、これまで頑張ってきたのに──私は、結局無力なまま、何もできなかった」

 

それでも、ブリーズは揺らぎなく、信じていることを声に出した。

 

「それでも……あなたのために、まだ私に出来ることが残されていると……信じているわ」

 

はにかんだ笑顔が、思い出せないはずなのに──なぜだか、たまらなく懐かしくなって。

 

「それに、別に恋人ごっこだなんて……本当にしてしまってもいいのよ、私は別にごっこでやっていたわけではないもの」

 

人を見る目が致命的に欠けていると思った。

 

その姿に呆れ果てたからだろうか。

 

「……アルゴンの大地にはね、今も僕の仲間たちが眠っている。君の依頼が終わった後の話さ。……僕の仲間たちの話を、聞いてくれるか?」

「! ええ、教えてちょうだい!」

 

────嵐の後には、青空が広がっていた。

 

破壊の後には、やがて再生が待つのみだ。

 

やがて未来には大いなる破壊が訪れるだろう。だが恐れる必要はない。出来ることをやるだけだ。信じた未来のために戦うだけだ。

 

川のせせらぎと、そよ風が優しく耳をくすぐる。暖かい日差しが体を照らす。

 

────にゃおん。

 

黒猫がどこかでそう鳴いていた。

 

ゆらゆらと揺れる陽炎の輪郭が、いつまでもアルゴンの街に揺れていた。

 

 

 

 

 




第二章、完。

・エール
前々から伏線は貼っておいたつもりでした。記憶の喪失が始まっています。特に酷くなり始めたのはアンブリエル編の後からですね。源石食べて無事でいられるはずがないだろお前
この章のタイトル、陽炎の輪郭というのは行動体B2の亡霊の暗喩です。幻覚なのか亡霊なのか、或いは本当にただの白昼夢だったのかもしれない。エールに限らず、スカベンジャーさんとかもミーファンの亡霊をそこらへんで見かけるかもしれないし、しないかもしれない(村上春樹構文)

・スカベンジャー
ケルシーの命令を無視してエールの下へ。何をどう考えてもスカベンジャーさんがデレるシーンは書けませんでした。

・ブリーズ
名前変わってんだからロドスにいるに決まってんだろ!
ブラストのことは知らなかった模様。ロドスに所属はしているけど、籍だけ置いてるみたいな……割と独立して動いていたと考えています。案外ブレイズとかとも知り合っていたのかもしれませんが……
どこからどう見たってメインヒロイン。かわいい。

・グエン
あんまり登場しませんが、物語的にはかなりの重要キャラだったり。南部大統領に就任した人徳クソデカおじさんです。この作品中でトップクラスの人格者。

・警官のおっさん
いつの間にか死亡していた。なんやかんやあって最終的には病気かなんかで死亡したと思います。遺品のライターはエールに受け継がれました。

・黒猫
かわいい。何かの暗喩か?(すっとぼけ)

次から第三章です。どれだけ長くなってもせいぜい第四章では終わると思います。

あと良ければ評価とか感想とかやってってください、よろしくお願いします。



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IFルート:ブリーズ 上


IFルートです。過去編の途中から分岐します。

ところでイベントの二アールさんクッソ強キャラなんやが……くっころ系強キャラとか最強すぎる。ガチャは死にました。





 

それはあり得たかもしれない一つの可能性。

 

二人になれなかった一人と一人の孤独な狐が、二人になるまでの話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エールとアリゾナが出会ってから、一ヶ月程度が経ったのだろうか。段々とアリゾナはユーロジーを取り返すことへの意識が薄れてきて、今はスラムの生活で学べることを学んでいこう、と本末転倒気味な考えになっていた。

 

仕方のないことだろう。何せエールに全て任せざるを得ないのだ。そのエールも毎日忙しいようだし、ユーロジーの行方はあまり掴めていないようだ。

 

諦めてさっさとスラムを去ることも、選択肢の中にはあった。だがそうしなかったのは、スラムの生活というものを知るべきだと思ったし──まあ、エールという青年が少し気になったのもある。

 

昼下がり、アリゾナは誰もいない家に戻ってきた。扉に慣れた手つきで鍵を差し込んで開き、部屋の電気を付ける。

 

診療所の手伝いが一区切りついたので、今日の午後からはオフ。借りてきた医学の資料を学ぶ時間にしようと思っていた。二階へと続く階段へ向かい、アリゾナのベッドなどが置いてある部屋へ。他の資料を抱えて一階へ戻る──と、ふと。

 

カーペットに隠れている地下室への床ハッチの一部が見えていることに気がついた。

 

いつもは隠してある場所で、アリゾナも初日以来入ったことはない。別に用などないし、エールは意外とあまり地下室には入らないのだ。

 

出来心からカーペットをめくって、ハッチを持ち上げた。意外と重かった。

 

「よいしょ……っ、と!」

 

そのまま持ち上げて反対側にハッチを開け切って、地下へと降りていった。暗闇の中に源石灯のスイッチを見つけてオンにする。

 

ひんやりとした地下室だった。ここに入るのはこれで二度目だが、全面のコンクリートは密閉感があって嫌な感じがした。

 

場違いなほど大きいデスクは前の住人が運び込んだらしい。あまり詳しく聞いたことはない。

 

机の中に何があるのか。簡単に表すと、アリゾナはそれが気になった。

 

エールには自分の部屋というものがない。寝泊まりは一階のソファーをベッドがわりに使っている。この家にはほとんど、寝るためだけに帰ってきているようなもので、帰ってこない日も少なくはないのだ。

 

アリゾナの中で、エールの人物像はひどく鮮明なようで、曖昧なようだった。

 

出会った夜、結局エールは助けに来た。非情ではないのだ。だが優しいとも言い切れない。他人にはあまり興味はないのだろうか。

 

怖いものは多くなさそうだ。喧嘩は明らかに強いだろう。敵は明らかに多そうだし、味方は全くいないわけではなさそう。

 

人とのお喋りは嫌っていそうだ。逆に好きなものとかなさそうだし。

 

──実際、あの変な同族は何のために生きているのだろうか。刹那的な快楽を追い求めているタイプでもないのだろう。無気力な訳でもない。だが、何を考えているのかよく分からない。

 

知りたくなったのだ。エールとは、一体どんな人物なのだろうかって。

 

デスクの引き出しには鍵の差し込む穴があったので、アリゾナは鍵がかかっているかもしれないと思った。だが──。

 

「……あら? 空いているじゃない」

 

掛け忘れだろうか、それとも別に何も入っていないのか。引き出しは開いた。

 

事実だけを述べるのなら、単純に掛け忘れていた。エールの珍しいミスだ。アリゾナは知り得ないことではあるが。

 

中に入っていたのは、赤くて幅広い絵本と、銀色のバッチだった。

 

バッチの方はずっしりとしていて、紋章が彫ってある。明らかに安物じゃない。

 

──それは、あり得ないはずのもの。

 

「──────────ぇ」

 

ここにあるはずのないもの。それは──だって、それは。

 

アリゾナは、その本……不思議の国のアリスを手に取って、震える手つきでページを開いた。

 

間違いなかった。それにこのバッチは、明らかに──自分の。

 

家を出るときに、アリゾナは自分の持ち物の中から家紋の入ったものは全て捨てた。家から逃れたかったのだ。だからエールは気がつかなかった。覚えるほど眺めたバッチのマークは、今はアリゾナの記憶の中にだけ。

 

地下室の中は風も音もない。ただ記憶だけが反響している。

 

アリーヤと過ごした記憶だけが、ただ反響してずっと聴こえていた。

 

バッチの表面は光っていた。定期的に手入れをされていたのだろうか。

 

他の引き出しを探してみても、ここ以外には何もなかった。

 

それがどういう意味なのか考えて、アリゾナは────。

 

震える体が、あまりに突然の現実に打ちのめされて、アリゾナは後ずさった。椅子に引っかかって、そのまま柔らかい椅子に腰を落として、呆然とするしかなかった。

 

「……うそ、でしょう?」

 

どうすればいいのか分からなかった。

 

どうしたいのか分からなかった。

 

でも、もう一度だけ会いたかった。だがもう出会っていたのだ。

 

変わってしまっていた。そうだ、変わってしまっていたんだ。

 

それは誰のせいなのだろう。誰かがその原因を作ってしまっていたかもしれないのだ。

 

「……会わないと。会って……話を、しないと」

 

独り言は、むしろ自分に言い聞かせているようだった。

 

「……でもどこにいるのかしら──アリーヤ」

 

今も、何だか後ろ暗いことに手を染めているのだろうか。きっとそうだろう。そのおかげで自分は助かっているんだ。

 

そっと引き出しを閉じて、アリゾナは地下室の階段を上がっていった。

 

それから──

 

「……あら? ドア、開きっぱなしじゃない。閉じ忘れたかしら──」

 

アリゾナの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冷たい感触がした。

 

暗い場所だった。

 

身じろぎをしようとしてできなかったので、アリゾナはその違和感で目を覚ました。

 

「目が覚めたか?」

 

──僅かな反響、嫌に静かで……どこか、背筋が凍りそうな声がした。

 

「だ、……誰、なの……?」

「誰でも構わないのさ。そうだろう? グレース・アリゾナ」

「……ここは、どこなの? どうして私の名前を知っているの? どうして──私は、椅子に縛り付けられているの?」

 

それは──女の声だった。

 

多少低いハスキーボイスだったが、間違いない。逆光の中では顔はよく分からないし、なんだか意識がぼんやりしている気がする。

 

「あまり騒ぐな。お互いに面倒なことになる」

「……面倒なことって、何?」

「分からないのか?」

 

天窓から差し込んできた光の加減から、大体の時間がわかる。オレンジ色だった。夕方の光が暗闇に一筋だけ差し込んできていた。

 

女はアリゾナにコツコツと歩み寄ってきて、アリゾナの首筋をなぞった。

 

その時に、首元につけられた何かがあることに気がついた。

 

「君、映画は見るか?」

 

揶揄うような声色が、本当に不気味だった。

 

硬い椅子から体が動かせない。体を伸ばしたかったが、できなかった不自由さが──この異常さを物語っていた。

 

「ファッションアイテムの定番だ。私からのプレゼントさ、喜んでくれるか?」

 

首元に黒いチョーカーのようなものが装着してあった。

 

頭を動かすと、顎のあたりに固い感触がする。明らかに何か、固形のものが付属していた。

 

「よくあるだろう。爆弾付きの首輪をつけて、スイッチを押せば──ボンッ!」

「──っ!?」

 

脅かすように大声を出されて、アリゾナは反射的に身を縮こめる──言っていることが本当なら、何の意味もない行為だったが。

 

「ッはははは! よく似合っているよ」

「どうして、こんなことをするの……?」

「言っただろう? 誰でもいいのさ──そろそろ時間だな。確認なんだが、君はヤツと関係が深いよな?」

「……何を言っているのか、分からないわ」

 

まるっきり狂っていた。

 

言葉が通じているかどうかも怪しい。気が狂っているとしか思えない。

 

「そうツンケンするな。綺麗な顔立ちなのだから、もっと笑ったらどうだ? 君は、ヤツにはそんな顔はしないだろう」

「……ヤツ……って、誰のことを言っているの」

 

本当は薄々わかっていた。

 

何となく──というか、それ以外にはいないであろう、その名前は、きっと。

 

「何、お楽しみだ。見ものだぞ? ヤツが君のことを憎からず思っているなら、きっともうすぐ来るだろう。約束の時間までもう少しだからな」

 

女は長い髪のシルエットをゆらゆらと揺らして、一筋の光が差し込む入り口を見下ろした。

 

──どうやら、どこかの廃棄された工場のようだった。

 

天窓だと思っていたものは、経年劣化によるものか、はたまた別の要因かは分からないが──崩れ落ちた一部の天井だった。

 

高い天井と今の視界から推察するに、二階部分に相当する足場にいるようだった。錆びついた手すりの向こうは吹き抜けになっている。そこから下は見えない。

 

「……あなたは、誰なの」

「何度言わせる気だ? 誰でもいいのさ──この世界では、そう……誰でも構わない。そこに違いなどない。君もそう……君である必要は特にない。だが、そこにいたのは君だった」

 

そんな言葉を繰り返すので、アリゾナはやがてその女を理解しようとすることを諦めたのだ。

 

言葉が確かなら、アリゾナの首には爆弾が巻き付けられているということになる。こんなことは異常だ、明らかにおかしいこと。

 

だが、殺害が目的ならばこんな回りくどいことをする必要はないだろう。これは──。

 

──ぎぃぃ……。

 

錆びついた入り口が開く耳障りな音が静寂を打ち砕いた。

 

「……待ち侘びたよ、エール」

 

どろりと濁った女の声。

 

アリゾナからは見えないが──。

 

誰かが入ってきたのだ。

 

「──デートの誘いにしてはロマンに欠けるな。さては男の経験ねぇだろ」

 

不機嫌そうな声と共に足音が響いた。

 

女は手すりに片手を置いて、エールを見下ろして狂気的に笑う。

 

「……本当に来るとはな。君に女が出来たという噂は本当だったのか」

「バカが、スラムの噂を信じるなよ。騙されるぞ? で、あいつはどこだ」

「せっかちな男は女に好かれない。気をつけろ」

 

会話は酷く表面的だった。軽口の裏側には隠そうともしない敵意が詰まっていた──。アリゾナは会話に割り込むように叫ぶ。

 

「エールなの!?」

「……そう叫ぶな、すぐに会わせてやるさ」

 

女はまるで惜しむ様子もなくアリゾナの拘束を解いた。

 

なんのつもりかは分からないが、これで動き回れる──すぐに手すりに駆け寄って下を見下ろした。

 

崩れた天井から差し込む光の先に、エールが不機嫌そうにこっちを見上げているのが見えた。

 

「エール!」

「はぁ……何してんだお前。鍵はちゃんと掛けとけっつったの、忘れたの?」

「ご、ごめんなさい……?」

 

とても面倒くさそうにため息なんかを吐くエールだが、すぐにアリゾナの首に気がついた。

 

「で、要件はなんだ? 人質まで取って」

 

焦りを見せないエールに対して、女の方も不気味な様子だ。

 

「何、大方予想はついているだろう。私はね、君に個人的な恨みがある。私の要求に従わないなら、君の可憐な花は散ってしまうぞ?」

「さっさと言えよ、面倒臭えな──そもそもお前、誰だよ」

「私など──誰でもいいんだよ。重要なのは誰かではなく、何をするか──何をしたのか。そうだ、それだけが重要なんだ」

「僕は機嫌が悪い──お前のようなキチガイと話してると、自分でも何をするのか分からない。いいからさっさと言えよ、見下ろしてんじゃねえぞ」

 

苛立ちが伝わってくるようだった。

 

アリゾナは周囲を見渡して、逃げられそうなルートを探るが──あるのは、背後にある錆びついた扉一つだけだ。この場所が工場の中で部分的に二階になっていて、ここは監視塔のようだった。

 

飛び降りるには高さがある。躊躇したし、それを許してくれそうにもなかった。

 

不機嫌そうに女を睨み上げているエールの姿に、アリゾナはハッとして思い出す。

 

そうだ、エールは──エールの正体は、だが──今、伝えなければならないことなのか。

 

女は飄々としながら、懐から何かを取り出す。

 

「そういえば、これはそう……全くこの件には関係のない話なのだが、これはなんだろうか?」

 

──それは、かすかな明かりの中でも見えた。

 

アリゾナに向けてそれの表紙を見せながら。

 

「君が持っていたものだ。これは君のものか? これには何か、特別な意味が込められているのか?」

 

あくまで白々しく女は尋ねた。

 

アリゾナが答えるよりも先に、エールがそれまでとは全く異なる声で呟く。

 

「それに触るなよ、ゴキブリ野郎。なんでてめぇのようなゴミクズがそれを持ってんだよ……!」

「おっと、君の方だったか。少女のような趣味を持っているのか? かなり意外だな」

「……それ以上何か言ってみろ。殺す程度じゃ済まさねぇ」

「ははっ、悪い悪い。思い出のものだったのか。これは悪いことをしたな、返すよ。ほら」

 

放り投げたそれをエールは片手でキャッチした。

 

だが、冷たく激昂した表情は直らないままだ。

 

今すぐにでも喉元に食らい付いてやりたいが──。

 

「この位置では手が出せないだろう? この場所に通じる道は全て封鎖してある。アリゾナ、君も逃げようとしても無駄だ。何もしない限りは、私からは君に手を出すつもりはない」

 

どの口で、と言いたかった。

 

だが、それ以上にエールが怒ったのが意外だった。まだ──覚えていてくれているのだ。

 

自分の正体には気がついていないのだろう。事実、アリゾナは少し安堵していたのだ。もしもエールも思い出して、気がついてしまったら──どんな顔で、何を話せばいいのだろうか。逃げ出して、拒絶して──。

 

どの面下げて。

 

「何、要求は一つだ──そこで死ね、エール」

「脳みそが足りていないらしいな。お前、人に死ねと言われたら死ぬのか?」

「状況によるさ。例えば今のような──そう、君が死なないのなら、代わりにこの子が死ぬ。どうだ? ロマンチックじゃないか、愛を証明できるぞ?」

「残念だが、僕は別にそこのアホを愛してなんてない。そいつのために命を投げ出してやる理由はねえよ、お前の勘違いだ」

 

冷たく現実的な言葉だった。

 

全てはアリゾナに原因がある。気を抜いたのが悪いのだ。こうやって誘拐されてきたのはアリゾナだ、責任は常に自分にある。

 

だから何も言わない。言えない。自分には、何かを言う資格など──最初から、どこにも。

 

「だが君はこの場所に来た。見捨てるつもりなら、最初から脅迫文には従わない。違うか?」

「違うね。チンケな手段を取るような連中程度にいいようにされるのがムカつくだけだ」

「やれやれ──。全く、仁愛に欠ける男だな。では──可憐な花の正体が、かつての大切な人ならばどうだろう?」

「……あ?」

 

反射的に女の方を見る。

 

エールは全く見当違いの言葉に声を漏らすが、アリゾナにはそれが意味することがなんなのか、心当たりがあるのだ。

 

まさか──どうして。

 

「そうだろう、グレース・アリゾナ? 君には分かるはずだ──違うかな?」

「……し、知らないわ。何の話をしているの?」

 

声が震えないようにするので精一杯だった。

 

その震え具合に気がつかないほどエールはバカじゃない。

 

「……おいアリゾナ。お前……見たのか? 地下室の……」

「いえ、その……悪意はないのよ。でも──」

 

知られてはいけない。

 

万が一にも、エールが……アリーヤが、自分のために自殺などしてはならない。

 

ありえないことだと思う。でもさっきの様子を見る限り──エールが、アリーヤが……気がついたら、何をするだろうか。

 

「さてエール。君はさっき、この可愛らしい女性のことなどどうとも思っていない、と言いたげだったが……その正体を知ってなお、同じことが言えるのかな?」

「……どういう意味だ」

「私は知ってるんだよ──ほら、このバッチも返すよ。ちゃんと受け取れよ?」

 

金属音とともに弾き出された一枚のバッチが放物線を描く。

 

紋章の刻まれた、小さなコインにも似たバッチはエールの掌に収まる。

 

「その紋章は、とある貴族の家紋なのさ。ロンディニウムから遠く離れたドールンという小さな町を治める貴族の紋章──」

 

──ダメだ。その先を聞かせてはいけない。

 

「ダメ、エール! 聞いてはいけないわ!」

 

叫び虚しく、女は真実を告げた。

 

「────アリゾナ家の、紋章だ」

 

紋章のモチーフは力強く実る大麦。この世界に生きる生命を喩えている。

 

「──……あ?」

 

アリゾナは項垂れて、意味もなく両手に力を込めた。

 

「そう。ここにいる、グレース・アリゾナの実家さ」

「……いや。やめて……」

 

小さく──呟いた。祈るように。

 

呆けたまま、エールはしばらく呆然とアリゾナを見上げていた。

 

怯えるように、祈るように手すりに頭を伏せたままのアリゾナを見上げていた。

 

「……アリス、なのか……?」

 

ほら、やっぱり覚えていた。

 

嬉しい感情は嘘じゃない。本当は手を取りたい。

 

でも──ダメだ。

 

そんな資格は、どこにもないんだ。

 

「……この人の話を、聞いちゃダメよ。絶対に……私なんかのために、自殺なんて……しないで。お願い……」

 

二人の距離はメートル換算して、それほど大した距離ではなかった。

 

だが、触れ合うにはあまりに長く、そして近づくことも許されてはいない。

 

「──さて、エール。今から私は下に降りて、君に近づく。その場所から一歩でも動いてみろ、さもなくばコスモスの茎がへし折れるぞ?」

 

吹き抜けから離れて、女は反対側の錆び切ったドアの鍵を開いて入る。すぐに鍵は閉められた。

 

それから女が一階に降りていくまで、エールは一歩も動くことはない。

 

アリゾナはずっと、手すりにかけた手に頭を押し付けて俯いていた。

 

エールがどんな顔をしているのか、怖くて見れなかった。

 

何も言わなかった。何も言えなかった。何も言われなかった。

 

耳を塞ぎたかった。目を閉じたかった。口を噤みたかった。

 

──どうして、こんなことになったのだろうか。

 

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 

私は無力で、何もできないまま、こうやってただ、嵐が過ぎ去るのを待つようにして身を縮こませることしか──出来ないの、だろうか。

 

ああ、どうして──。

 

「どうして、そこから立ち去ってくれないの……アリーヤ……」

 

答える声はなかった。

 

首輪に手を当てて引きちぎろうとする。だがそれは無意味な行為に過ぎない。憎らしいほど丈夫で、力の込め具合によっては首の方がちぎれそうだった。

 

ぎりぎりと音を立てて首輪が軋んだ。

 

遠隔装置の小さなボックスを引きちぎろうとする様は、まるで自らの首を絞めているようにも見えた。

 

古い扉が開く音を、こんなにも恐れたことはなかった。

 

「──さて。君に希望を残さないよう、一つ一つ説明しておくとするよ。彼女の信管装置は私のアーツによって制御されている。私がアーツ制御を止めれば首輪のヒューズが落ちる。これがどういう意味かというと、私を殺すことは……すなわち、彼女の首を飛ばすことと同じ、ということだ」

 

こつこつと、冷え切った床を歩く反響音は、紛れもなく死神の足音だった。

 

「解除もお勧めしない。複雑な機構の上に、安全性は特に考慮していないんだ。無理に外そうとすれば、何が起きるか分からないぞ?」

 

女は喉を鳴らして上機嫌に笑った。

 

この場所において、女は明らかに支配者だったのだ。

 

「何、私を殺すなど造作もないことだ。そうだろう? ヴィクトリア全体ですら、君ほどの暴力を所有している個人などそうはいないだろう」

 

特に、荒事には事欠かなかった。

 

エールを消すために様々な組織が様々な手段を用いた。有名な話の一つだが、ストリートギャングの一つに所属する少年がエールに難癖を付けて、依頼料をケチったことがある。エールはその夜、ギャングに所属していた構成員24名全員を再起不能に叩き落としたという。

 

真正面から堂々と彼らの行きつけのバーに入って、まだ蓋も開けてないウィスキーの瓶で構成員の一人の顎を砕いてから──傷一つ負わずに、全員を叩き潰した。件の少年の目の前で、少年には全く手を出さずに、見せつけるように。

 

この話の後、エールに依頼料を渋る人間はさっぱりいなくなったという。

 

「さあ、どうする?」

 

今は、ただ項垂れて声を押し殺しているアリゾナを見上げて、ずっと口を閉じているが──。

 

「彼女を助けたいのなら──そうだな。失血死にしよう。できる限り血を流して死ね。かつてそうやって殺した誰かのようにな」

 

呆然としていたエールだが、段々と表情が真剣になっていった。

 

鋭い音とともに、女は折り畳みのナイフを取り出した。

 

動こうともしないエールに、女は段々と感情の色を変えて──。

 

「……何十人も殺してきたのに、たった一人の女のためには死ねるのか」

 

憎しみのままに、切先を肩に突き立てた──エールは避けようともせずに、肉筋を切り裂いて突き立つ。

 

その激痛に、眉ひとつだって動かさずに、エールはただ立っていた。

 

「私の兄を殺しておいて、自分は女のためには簡単に死ねるのか」

 

全力で撃ち抜いた拳だって、さっぱり避けようとはしない。アリゾナはただその打撲音を聞いていた。耳を塞ぎたかった。

 

よろめいたエールに対し、それでも女の憎しみは収まらない。収まるはずがない。

 

「簡単に殺してやるものか……──」

 

冷たいコンクリートの床に押し倒したエールの肩からナイフを引き抜いて振り上げて──。

 

睨むでもなく、ただ見上げるだけのエールの胸に刃を突き落とす。生々しい血肉の感触がナイフ越しに伝わった。皮脂の黄色が混ざったナイフは、また引き抜かれて──もう一度、振り落とされた。

 

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……ッ!」

 

何度も何度も、突き刺しては振り上げて、刺して、振り上げて──。

 

抵抗はなかった。

 

何度も──アリゾナは、それを眺めていることしかできないのだ。

 

「……もう、やめて」

 

この首輪さえなかったなら、

 

「やめて、もう──やめて、お願い……」

 

あの約束さえなかったなら、

 

「アリーヤを、傷付けないで……」

 

この弱さなどなかったなら、

 

「やめて……っ」

 

──あの約束を守れるだけの強さが、どうして私にはないのだろうか。

 

あの時も、今も──ずっと、アリーヤは約束を守り続けていてくれたのに、

 

「お願い……っ! アリーヤを奪わないで、これ以上──もう、やめてぇっ!」

 

そんな哀れな叫びだけが残響するだけだ。

 

振り下ろされる回数が、一回でも減ることはない。

 

段々と──エールの腕から力が抜けていった。床に広がっていく血溜まりは大きくなるばかりだ。

 

こぼれ落ちる涙は無力を証明するばかりで、何の役に立つのだろうか。

 

女が返り血で汚れた顔で泣き叫ぶアリゾナを見上げて笑う。

 

「──君はかつての私にそっくりだな! そうだ、なす術なく目の前で大切な人を失ったんだよ、私も……このクソ野郎に殺されたんだッ!」

 

はっとして顔を上げた。

 

そうだ。きっとエールが……アリーヤは道を間違えた。だが──。

 

私が伝えるべきだった。教えるべきだった。拒絶するべきではなかった。あの時に、間違いは致命的になってしまった。

 

出会うべきではなかったのかもしれない。でも出会ってしまったのだ。

 

「…………もう、やめて……。アリーヤを、奪わないで……」

 

力なく倒れたエールの上半身は、まるで落書き帳のような傷で埋まっていた。ぐちゃぐちゃだった。無事な箇所を探すのが難しいほどだった。

 

女は血の滴ったナイフを放り投げて立ち上がる。

 

懐から鍵束を取り出してアリゾナへ放り投げた。高台の床を滑って金属音を産む。

 

「扉と、君の首輪の鍵だ。ほら、急ぐといい。もしかしたら助けられるかもしれないぞ?」

 

銀色の鍵束は足元に転がっていた。

 

「まあ、無理だと思うが。……ふ、ふふ──あはは、アハハハハハハハハハ!」

 

笑いながら女は立ち去っていった。

 

──見下ろしたエールの姿は、どこからどう見たって──死んでいて、

 

鍵を拾った。

 

精一杯の力で、錆び付いて動きにくい扉をこじ開けて、階段を駆け降りて──。

 

それでも、血溜まりの中に沈むエールのそばに駆け寄って──真っ白になったエールの顔を、見て、

 

穏やかな顔で目を閉じていて、

 

「嫌、よ……」

 

死んでいた。

 

「嫌……」

 

やっと会えたのに、

 

「いやぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」

 

──こんなことになるとわかっていたなら、真実など知りたくなかった。

 

どうしてなのだろう。

 

どうしてなのだろうか。

 

エールは悪いことをたくさんしてきたはずなのに、どうしてアリゾナのためには死んだのだろうか。

 

どうして──あんな別れ方の後で、恨んでくれないのだろう。

 

崩れ落ちたアリゾナが冷たい手を握って、血に汚れることも気にせずに亡骸を抱き上げ──まだ、微かな痙攣を感じた。

 

「──ぇ?」

 

涙に歪む視界の中で、アリゾナはまだ生きようとするアリーヤを感じた。

 

「……」

 

ぎゅっと拳を握って──。

 

「助けて見せる……。絶対、死なせてなんて、あげないんだから……ッ!」

 

涙と血に濡れながら、アリゾナは決意に満ちた顔を上げた。

 

──まだ、伝えられていない言葉があるのだ。

 

死なせない。

 

死なせないから。

 

 





マンガンおいしい(理性0)


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IFルート:ブリーズ 中

「──、で、──、る」

「──ない、────う、では──」

 

遠い話し声が聞こえてきたのは、果てのない意識の海を彷徨っていた時のことだった。

 

気がついた──と表現していいのかもしれない。少なくともエールの自意識はその時初めて記憶を開始していた。

 

「どちらにせよ手は尽くした。彼の生命力を信じるほかない、と……これを君に伝えるのは、これで五回目だがな」

「分かっているわ。でも……目覚めるかどうかの保証なんて、どこにもないじゃない……」

「息を吹き返しただけでも十分に奇跡だ。脳髄への影響はあるだろうが、それ以上を求めるのは高望みだ」

 

そういう会話は聞こえていた。だが聞こえているだけで、内容の理解などは出来なかった。全く知らない言語でも聞いているかのように、曖昧な──。

 

「長丁場になる。君は一度帰って睡眠を取れ。何時間寝てない?」

「け、ケルシーさんこそ! 休むというのならあなたの方こそだわ! これは私の責任だもの、私がここにいなきゃ……」

 

明らかに疲れていた。

 

ケルシーはさておき、アリゾナの顔色などは酷いもので──。

 

カーテンを開いてアリゾナがエールを覗きに来ると──目が合う。

 

「……、…………、」

 

時間が止まったようにアリゾナは固まった。

 

エールといえば、まだ覚醒しきっていない頭で──なんとなく、それを眺めていたのだが。

 

ケルシーがアリゾナに並んで、目覚めたエールに驚いている。

 

「驚異的な生命力だな。気分はどうだ、どこか体に異常はあるか」

「……力が入らないし、なんだかぼーっとする……気がする」

「血液不足だろう。傷は痛むか?」

「別に、大した痛みじゃない──」

 

ケルシーからしてみれば、明らかに強がりだったのだが──実際、エールにとってはそれほど問題ではなかったのかもしれない。少なくとも痛がるようなことはなかった。ただの意地とも言う。

 

「……まだ生きてる、か……。あんたか、ケルシー」

「私ではない。少なくとも、君の命を救ったのは私ではない」

 

いまだに固まったままのアリゾナに視線を向けた。

 

────もう一度会いたいと思っていた。

 

でも、もう出会っていたのだ。

 

「……久しぶり、アリス」

 

その言葉が皮切りになって、アリゾナは震える足で一歩を踏み出した。

 

少しずつ近づいて──膝をついて、そのままベッドに倒れ込んだ。

 

長時間の治療による疲労や、精神的な緊張が一気に解かれたことにより気を失うように眠りについたのである。

 

──シーツに染み出した涙に気がついて、エールは起こそうとするのをやめた。

 

「そんな顔が出来たのだな、君は」

 

平然としてケルシーが言う。

 

「虫のいい話だってのは、僕だって承知の上さ。恨み辛みなんて数え切れないほど買ってきてる。だから、僕の弱点になるような人間関係は絶対に作ってこなかった。少なくとも僕はそのつもりだった」

 

散々他人を傷つけておいて、自分は救われることは出来ない。それは道徳的な理由ではなく、単純にそれを他人が許さないのだ。

 

「……僕にとっちゃ、アリスのために死ねるってだけで……十分すぎるくらいに贅沢な死に方だったんだけどな」

 

エールはずっと思い出と後悔を抱えて生きていた。

 

結局、暴力から抜け出すことは叶わなかった。そういう生き方しか知らなかった。

 

──何でも屋をしているうちに名前が広がれば、いつかアリスに見つけてもらえるかもしれない。

 

そんな思いがあった。でもエールはアリーヤを名乗らなかった。そうした方が絶対に出会える確率は上がるのに、そうしなかった。怖かったのはエールも同じだった。

 

だが、結局は出会った。

 

「なあ先生。とりあえず……このお嬢様、どうにかしてくれないか?」

 

穏やかな寝息を立てるアリゾナを指した。珍しく苦笑いなんかを浮かべている。

 

「何か問題があるか?」

「こんな体勢で寝ていたら体を痛める。ここ、もう一台ベッドか何かないの?」

「ない。小さな診療所だ」

「……そもそも、ここどこ? 今更だけど、なんであんたがここにいんの?」

「ここは私の古い知り合いの診療所でな。たまたま訪れていた時に、血塗れの君を背負った彼女が来た。彼女はここの手伝いをしていたそうだ」

 

アリゾナはスラムにある小さな診療所で手伝いをしながら臨床経験を積んでいた。その伝手でエールを運び込んだわけだ。

 

ケルシーも居たのは幸運以外の何者でもなかった。おそらくそれがなければエールは死んでいたかもしれない。

 

驚くべき生命力だった。ウルサスの屈強な遺伝子が入っていたことも、エールが一命を取り留めた一因だろう。皮肉だった。

 

「私は彼女が暮らしている場所を知らない。家に帰すことは出来ん。だから君がそのベッドを彼女に譲るか、あるいは一緒に寝るか、だ」

「……おいおい」

「付き合っているのだろう」

「はっ……僕にそんな資格はないさ」

 

そんなことを話していると、アリゾナがうっすらと目を覚まし……まだ空いているベッドのスペースに滑り込んだ。

 

「っ、アリス──」

「……少しだけ、眠らせて──アリー、ヤ……」

「だ、そうだ。しばらくは安静にしていろ。それと医療費に関してだが、ここの主人にツケてある。回復したら支払っておけ」

「あんたにも払う。……もう一度、生きてアリスに会えるとは思ってなかった。感謝するよ、先生」

「礼は必要ない。後日また訪れる」

 

そう言い残してケルシーは去っていった。

 

穏やかな顔で眠るアリゾナに、エールはどうしていいか分からず──結局しばらく、その顔を眺めていた。

 

なんだか、とても暖かいような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

程なくして、エールが動けるようになった。

 

まあ医者の視点からしてみれば明らかにおかしい回復力ではあった──ウルサスの頑丈さと、しなやかな肉体を持ち合わせていたエールは回復が早い。

 

激しい運動をすると傷口が開いて、胸元にケチャップでもぶちまけたようになってしまうため、戦闘は許可されてはいなかったのだが。

 

エールは一つの交渉に出向いていた。包帯を服装で隠して、いつも通りの平然とした雰囲気をまとって入った先は、ロンディニウムでも屈指の名門。国防を担う貴族であるウォード総督府。

 

その中の一人、ベクタ・ウェル・ヨークが保有する豪邸の一つ。

 

「で、わざわざ呼び出してまで何の用?」

「一つしかあるまい。我がドブネズミよ、ユーロジーと呼ばれる杖を探しているらしいな?」

「……どっから聞きつけたんだか」

「実は私もそれが欲しい。見つけ次第私に渡せ」

「おいおい、交渉の基本がなってないな。対価を提示してみろよ」

「ふん、三つほどくれてやる」

「おい……まさか僕の探し物を3万程度で買い叩こうってのか? 僕も安くなったもんだね」

 

表面上は強気だが、かなりのハッタリだった。何せ今エールは戦闘が出来ない──無理すれば出来ないわけではないが、身体能力はかなり制限されている。筋肉に強い傷が残っていて、腕の可動範囲が制限されている。

 

「そんな安値をつけるつもりはない。百万の束を三つだ」

「……300万? 余計きな臭いな──どういう訳がある」

「説明する理由はない。それに、貴様には選択肢など最初から存在していない。負傷しているのだろう? 逆らうのなら、貴様を生かしておく理由などどこにもあるまい」

 

言い返す言葉は残っていない。

 

後ろ盾のないエールは都合のいい駒だった。ベクタのような貴族にとっては、都合よく使い捨てることのできる掃除屋に過ぎなかった。

 

「だが、僕はあんたのために首輪ついたわんころやるのは御免だ。わざわざ探してなんかやらないぜ」

「結構。ではこの件に対して手を出すなよ?」

 

釘を刺されたエールは、はいともいいえとも言わずに不機嫌なまま立ち去った。

 

リードの先には、言葉で形作られた首輪が繋がっていた。野良犬を気取っていても、結局は飼い主がいる現状が何よりも反吐が出そうだ。

 

──それでも、アリスのために出来ることがあるはずだ。

 

覚悟はとっくに決まっていた。やることをやるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ついに、右手は肩から上に上がることはなかった。

 

傷口は表面上塞がっているように見えても、筋繊維までそのままそっくり治すことは叶わなかった。大胸筋がズタボロになった後、結局腕はその機能のほとんどを喪失した。腕立て伏せ一回も出来ないほどだった。

 

傷は胸に集中していた。心臓が動いているだけでも、十分に奇跡だった。

 

幸い手先に支障はない。掴んだりすることはできるが、重たいものを持ち上げるのは苦しいだろう。生活にも強い支障が出た。

 

下半身を使った戦闘は可能だ。蹴り技が主体になるだろう。戦えなくはない。

 

だが、エールを強力な個人たらしめていた暴力という力は、もう無かった。

 

退院してから、エールはその元に来た全ての依頼を断るようになった。生命線だった戦闘能力の大部分を失って、以前のような依頼遂行が難しくなったと判断した。それに荒事になった時、対処し切れるかどうか……わからなかった。

 

それに、以前のようにアリゾナに危機が迫る可能性もある。その目的は主にエールに対する脅迫が主だ。結局、護衛のような形に落ち着くことになったのは自然と言えば自然だったのかもしれない。

 

「──よぉ、店仕舞いしたんだって?」

「……何の用? 別に暇じゃないんだけど、僕」

 

太々しい笑みと共に、件の警官がエールの元を訪れていた。

 

「! あら、あの時の警官さんじゃない。お久しぶりね」

「おお、あん時の嬢ちゃん。無事で何よりだ、このバカに変なことされなかったか?」

 

誰がバカだ、ジジィこそボケが心配だな、とか言おうとして──アリスの手前、口は慎むことにした。

 

「心配は無用よ、なーんにもないわ。お世話になってばかりで、何も返せていないくらいよ」

「いらねえいらねえ、このガキにとっちゃ側にいてやるだけで十分返せてるさ」

 

なんでお前が言うんだそれ、とか──とても割り込みたかったが、どうにも機嫌の良い二人の空気感が非常に居心地が悪かったので、エールは寝っ転がっていたソファーから体を起こしてドアへと向かった。

 

「おい、どこに行く?」

「メシでも買ってくる」

「あ、私も一緒に行くわ! っていうか、ご飯なら私が作るわよ」

「……アリス。悪いが昨日の晩飯は最悪だった。もう料理に薬草を入れるのはやめてくれ」

「あ、あれは……味はともかくとして、栄養面は完璧なのよ!?」

 

少しでもエールの体を治療させようとしたアリゾナと、その思いの直撃を受けたエールの味覚は見事にすれ違っていた。

 

──とても珍しく、バツの悪そうな顔をしたエールを、警官は初めて目にした。すかさず駆け寄って、首に腕を回してひそひそと囁く。

 

「何だお前、嬢ちゃんとどこまで行ったんだ?」

「……うっせえな、何もねぇよ」

「ない訳ねえだろ、人嫌いのお前がそんな甘い態度とってんだ」

「ないっつってんだろ……」

 

肩に組んだ腕を払った。ドアを開けて出ていったエールを、警官は肩を竦めてその後を追った。アリゾナもそのままついて行く。

 

カチャリと可愛げのある音を残して、時間は午後六時。

 

「せっかくだ、表の方まで行こうや。あんまり目立たねえ美味い店を知ってる、俺の奢りでどうだ?」

「酒には付き合わないよ」

「お前は本当に弱えからなぁ。嬢ちゃんもそれでいいか?」

「ええ、でも悪いわよ。自分の分くらい、自分で──……払えないのだったわね。私は今、アリーヤに頼り切りだったわ……」

 

財布まで喪失した貴族の一人娘は情けなく苦笑いした。

 

「じゃあ決まりだな。こっちだ、着いてこい」

 

夜の貧民街を歩いていく三人は、性格や思想もまるでバラバラだったが……彼女を連れてきた息子と、その父親の様──と、表現するのはさて、少し大袈裟過ぎるのだろう。

 

どうしたって、それは大袈裟で、嘘が混ざり過ぎていた。

 

その言葉を本当にしてしまうのが怖かったのは、果たして誰だったのだろうか。誰でもなかったのかもしれないし、全員だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ぷはッ! あー、食った食った……。おいエール、一杯くらい付き合ったらどうなんだ? 女の前だぜ、格好つけろや」

「あんたの様な酔っ払いになりたくないんだよ」

「はッ、お前は全く……俺の様になりたくない、なりたくないだなんだとそればっかりじゃねえか。俺の様なロクデナシになりたくないと言ってる割にゃあ、お前もずいぶん俺に似てきてんの気づいてっか?」

「似てない。飯には付き合ってやった。僕は帰るぞ」

 

席を立とうとしたエールの手を引く狐が一人。

 

だらりとした表情で、重りの様にエールにもたれかかっているアリゾナがいた。

 

「……アリス。飲んでたのか?」

「いーじゃない、せっかく連れてきてもらったんだから……コミュニケーションは楽しむべき、よ……」

 

そう言い残してアリゾナはあっさりと眠った。冗談だろ?

 

「弱いな……」

 

椅子からエールの膝にかけて横たわって目を閉じている。満腹感とアルコールによってダウン、店の穏やかな雰囲気もよかった。

 

それほど格式のあるレストランではないので、ふにゃりとしたアリゾナもそれほど目立つわけではなかった。だがこれで逃げられなくなった。

 

「なあエールよ、どうして嬢ちゃんはお前のことをアリーヤと呼ぶんだ?」

「さあね。別に……あんたに会う前、下らない話があったんだよ。何も知らないガキ同士の……どうしようもない話だ」

「……するとなんだ、もしかして偶然の再会ってヤツか?」

「そうかもな」

 

アリゾナは遠慮なくエールの膝で寝ているが、エールは触れることもできなかった。

 

触れただけで崩れ落ちる花束の様に、どうしていいのか分からないのだ。

 

「どうして依頼を断るようになったんだ?」

「両腕の力が使えなくなった。戦えないんじゃ何でも屋は出来ない」

「んだそりゃ、何があったってんだ」

「……さあ。別に過程なんてどうでもいいだろ」

「はー……。これからどうするつもりだ?」

「……さあね。解らない」

「嬢ちゃんと一緒にいるつもりか?」

「は? どういうこと?」

「なーに言ってんだ。お前は気づいてねえのか? 大切なんだろ、嬢ちゃんのこと」

 

触れようとして触れられないのは、それが大切だから。

 

知らない感情にどうしていいか分からないのは、それが初めてだから。

 

コップの氷が溶けて、音を立てた。オレンジ色の照明の外にはとっくに街灯が石畳を照らしている。

 

「お前にそんな人間が現れるとは思っちゃいなかったよ。大切にしろよ、女ってのは難しい生き物だ」

「……あんたに言われる筋合いじゃない」

 

相変わらずのエールにはそう言われるが、大切ではないとは言わなかった。エールがその気持ちを認めることなど当分ありえないと思っていたために、かなり意外だった。

 

「これからの予定がねぇのなら、いっそのことスラムを出てみたらどうだ?」

「表に住むってのか? 僕が?」

「いやいやそうじゃねえ。俺が言ってんのは、国外に出てみるのもアリじゃねえかっつーことだ。お前、もうスラムじゃ暮らしていけねえだろ。敵も多いことだしな、嬢ちゃん守るにはキツイだろ」

「ロンディニウムを──ヴィクトリアを、去る……?」

 

そう、それはアリゾナがたびたび口にしていたこと。

 

アリゾナは元々それ目的でロンディニウムに寄ったのだ。本来の目的は、諸国を巡って学びを深めることだ。今は寄り道をしているが──。

 

「考えもしてなかったっつー顔だな。だが金ならそれなりにあんだろ? この世界は広い、お前の想像もしていなかった人やら場所やら組織やらが山ほどある。ロンディニウムのスラムなんぞ、世界からしてみりゃシミ粒みたいなモンだ」

 

そう諭す通り、ずっとスラムの小さな世界で生きていた。

 

その気になれば、エールは国外に飛び出すこともできた。ロンディニウムの表で鉱石病を隠して生きることさえできる力があった。でもそうしなかった。

 

アリスを待っていたのだ。出会うはずのない約束を待ち続けていたのだ。

 

一生そうして生きて、やがて死のうと思っていた。なぜなら、もう一度出会えるはずがなかったから。

 

でも出会ってしまった。再会してしまった。出会うはずがなかったのに。

 

「自由ってのはいいぞ? お前は自分のことを自由だと思ってるかもしれねぇが、俺に言わせりゃんなもん本当の自由じゃねえ。お前はロンディニウム以外を知らねえだろう? リターニアの静けさも、ラテラーノの祭りも、シエスタの海も……お前は実は、まだ何にも知らねえのさ」

「別に……それの何が悪いんだ?」

「バカ、楽しさに良いも悪いもねぇだろうが。嬢ちゃんだって各国を巡りたいんだろ? 一緒に行ってやりゃあいい。一石二鳥だ」

 

顔の赤らんだ酔っ払いは、まるで自分のことの様に話した。とても楽しそうに……エールの未来を語った。

 

「ああ、そういや思い出した。あのよ、確か嬢ちゃんは杖探してたろ。その杖なんだが、闇市に流れてたところをしょっぴいて押収しといた」

 

警官はそれこそ少し自慢げだったが、エールは固まった。

 

「──……あ?」

「特徴は嬢ちゃんから聞いてたんでな、多分あってると思うぜ? 大層な高値つけてやがってなぁこれが──」

 

闇市の一斉摘発に当たっていた警官は、その際多少職権を濫用して杖を個人的に回収した。明らかに国家権力の範疇を超えていた。流石はエールを育てた男と言ったところだろうか。

 

「おい……待て、待て。上への報告はしたのか」

「ん? まあ一応な。被盗難者に心当たりがあるつって持って帰ってきた訳だし」

「…………ッ!」

 

多少は緩んでいた気が一瞬で締まった。

 

ベクタは警察に顔が効く。末端からの報告などいちいち読んでいないだろうが……もしも情報網を張っていれば──気がつくはずだ。最悪の可能性だが、そういうものほどよく当たる。

 

あのベクタがどうしても手に入れようとしている杖。もしもそれが本当にユーロジーなのであれば──それは、どうしても面倒なことになる。

 

警官がユーロジーを本当に入手しているかもしれない。それはあまりに予想外過ぎた。

 

──ベクタが狙っている。それほど強引な行為に出ることはない──と、言い切れない。そして、エールはアリスのためにできる限りのことをすると決めていた。

 

問題になるのは、リスクが及ぶこと。これ以上アリスを危険に巻き込みたくはなかった。

 

「まあ明日辺りに持ってきてやるさ」

「……ああ。僕が出向くよ」

「ま、それが筋だな。いつものバーにでも来い。だが仕事中に来るんじゃねえぞ?」

「何言ってやがる、真面目に仕事したことなんてないだろうが」

「はっ、お前んとこに嬢ちゃん連れてきてやったのは俺だろ? 感動の再会作ってやったんだから感謝くらいしたらどうだ」

「はいはい、どうももうも」

 

エールはそうやって流した。

 

そんな適当な態度にも慣れたものだった。素直じゃないのは昔からだった。能力が高い割に捻くれているので非常に面倒くさいのだ。

 

だからこそ、膝に頭を預けて寝ているアリゾナの頬を、触れるか触れないか程度の距離で優しく撫でる仕草には目を疑ったりしていたが──。

 

だからこそ警官は、エールがやっと大切な誰かと出会うことが出来たことが嬉しかった。

 

それは生きる意味に繋がる。人嫌いで自分嫌いなエールが、世の中を許せるようになっていくかもしれなかったから。

 

あまりにも無為で厳しい現実の中で、今の時間だけが優しく過ぎていった。

 

もう二度と過ごせない時間だと分かっていたのなら、もっと大切に出来ていたのだろうか。

 

もっと色々なことを話せていたのだろうか。

そうしたら、何かが変わっていたのだろうか。

 

 





上下編で終わらせるつもりが長くなったので結局上中下になりました。これで何回目だろう……


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IFルート:ブリーズ 下

両親を殺して、行き先の分からないトラックに忍び込んで、そしてロンディニウムに着き、上から下へ流れるようにして貧民街に座り込んだ。

知らない言葉、知らない文化、知らない景色、知らない場所。

──味方がいないことだけは、ウルサスと何一つとして変わらなかった。だから一人は慣れていた。

行き場のない日々の中で、彼女に出会った。

初めて生きていて良かったと心から思った。救われた日々がいつまでも続いてくれればいいと思った。

アリスを守るように立ち塞がった貴族の男と、化け物を見るような目で怯えたアリスの顔から逃げて、コソ泥や食い逃げを重ねて一年間を過ごした。

ある時ついに捕まって、空腹が重なっていたこともあり袋叩きにあった。

ボロボロにされ、無いも同然だった身ぐるみは全て剥がされ──。

『……おいガキ、こんな汚ねえ場所で何してる?』

憎たらしいほどの夕焼けに写った黒いシルエットが焼きついていた。

『一人か? 逆に珍しいな、スラムにガキなんぞ。巡回なんぞ下らねえ仕事だと思ってたが、面白いもんに出会えるもんだ』

幼いほど、人の本質を理解していたと思う。

信じるとか、裏切るとか、優しさや喜び以前の生活だった。

人生の中を生き延びていくために手段を選ばずにいると、その内に顔を覚えられて、通りを歩けないようになる。けれど捕まらなければいいだけの話だった。

──世界の無常さがどれだけ冷たいのか理解していた。

何も言葉などなかった。誰かと話したいと願うことも無くなった。擦り切れた生活の中で、ついには言葉の話し方さえ忘れてしまっていた。

『行くあてもなさそうだな──もしかしてだが、スラムのエールってのはお前か? 食い逃げ強盗窃盗……ヤク盗み出してばら撒いたことあるってマジか? マジならとんでもないガキだが』

よれた襟についた、色褪せた警察のバッチ。

伸ばしたままの無精髭のせいで、とても正義の警官という風には見えなかった。どうでもいいことだったが。

『言葉は話せるか? 何か言えや』

掠れた声で答えたような気がする。

『──、』

──その時、何を呟いたのだったか。

それはもう忘れてしまった。

『……そうか。実はな、ついさっき俺も一人になった』

男の発音は乱暴で、まだ共通語に慣れきっていなかったエールには聞き取れない部分も多かった。

けど、それだけははっきりとわかった。

『俺の名前は”────”』

知っている。けど名前は呼ばない。名前も知らない他人程度の関係で十分だった。それ以上なんて必要ないさ。

『お前とおんなじさ』

──それでも手を伸ばしたのは、まだ希望が残っていたからだろうか。

理由のないことばかりだったから、多分なんでも良かったのだと思う。

どうでもいいことだったのだと思う。少なくとも、この世界にとっては。

確かに、どうでもいいことだった。

どうでもよくあって欲しかった。

どうせなら、嘘の方が良かったのに。

それならなぜ、手を伸ばしたのだろうか。

どうしてだったのだろうか。





それが本物かどうか──判別はついた。

 

アリゾナからユーロジーのスケッチを預かっている。穂先の特徴的な装飾や、見るからにそれらしい空気感は本物だった。スケッチがなくとも確信は持てていただろう。

 

ずっしりとした重厚感と、溢れ出る伝統的なオーラ。古典的な栄光を表した、アリゾナ家の家宝。

 

貴族の杖と呼ぶほかなかったが、不思議と悪印象は湧いてこなかった。アリゾナがその杖を手にしている姿を想像するとしっくりきた。

 

「……こんなもん闇市に流そうとするのか。馬鹿じゃないのか」

「盗品を金に変えんのは想像してるより簡単じゃねえさ。特に本物を売る場合、買い手への伝手と後ろ盾がねぇと割りに合わねえ上にリスクを被るだけだからな」

 

特に高い価値を持つ盗品は、安く売り払うのならそう難しいことではない。偽物で溢れかえった裏市場に一つそれを流すだけだ。

 

だが正しい価値で売ることを目指すと、そうそう簡単ではない。粗雑で安価な闇市の中で十万以上の値をつければ、逆に偽物を疑われる。本物などごく僅かであるからだ。

 

まして高級品ならば、警察組織にバレた時の罪がより重くなる。考えなしに手を出すと逆に痛い目を見る。だがその基本的なことを誰もが知っているとは限らない。

 

「嬢ちゃんは連れてこなかったのか?」

「……それに関してだが、面倒な事態になっている」

「面倒な事態だ?」

ユーロジー(それ)、貴族に狙われてる」

「……どうしてそれをもっと先に言わねえんだお前は……」

 

さらっと最悪の事実を述べたエールを前にして警官は頭を抱えた。

 

「ここにあること、バレてんのか」

「多分ね。だが少なくとも僕は、その杖を連中に渡してやるつもりなんてない」

「……まあ、元はあのお嬢ちゃんのものなんだしな。どうするつもりだ」

「別に大したことはしない。元々アリスのものだと証明してやれば、連中が手出しできる理由は無くなるんだ。本人に渡してやればいい」

「……? じゃあどうして連れてこなかった」

「三日ほど前から鬱陶しい見張りがついてきている。アリスを危険に晒したくない」

「おいおい、じゃあこの場所もやべえんじゃねえか」

 

比較的安全なバーではある。だが警官は飲むような気分ではなくなっていた。

 

「ああ。アリスの手に渡る前に奪おうとしてきても不思議じゃない。どうせ使ってくるのは僕のようなドブネズミだ、白昼堂々襲いかかってくるだろうね」

「嬢ちゃんはどこにいる」

「時計台前。ステインボーグ家の管理するあの場所なら、ベクタでもそう簡単に手出しはできない」

「は!? お前、ベクタってあのベクタ・ウェル・ヨークのことか!?」

「そうだけど」

「何つーヤツに目ぇ付けられてんだよ……」

 

一介の平巡査としては雲の上の存在だ。絶対に逆らってはいけない人物でもある。

 

「じゃあなんだ、スラム外輪部にあるここのバーから時計台に杖を届けろってのか。なんでこんな面倒なことになってんだよ……」

「不自然な動きを悟られたくなかった。向こうの動きにあんま変化がないところを見ると、あんたが杖を持ってるってことはまだ知られてないと思う。出来ればそのまま終わらせたいが──」

 

薄暗い店内に騒がしく鳴るロックミュージックに紛れて、バーのドアが開く。

 

「来たみたいだ」

「おい、だから何の話を──」

 

二人組のループスがはっきりとエール達を捉えて、ニヤリと笑っていた。

 

そのままズカズカと歩いてきて、腰から獲物を抜いた。

 

「おいあんたら、喧嘩なら外でやってくれ!」

 

マスターが迷惑そうに叫んだが、構わず──刃が振り下ろされた。

 

「口上の一つでも上げたらどうなんだ、チンピラ共が!」

 

大した技量のないチンピラに遅れをとるほどではない。カウンターに差し込んだ蹴り飛ばしが片方を吹き飛ばして壁を揺らす。警官の方も格闘術を駆使してもう片方を床に叩きつけた。

 

「一応聞くけど、どっから依頼された?」

 

チンピラの目が血走っていた。

 

不自然に荒い息──蹴り飛ばしたチンピラはもう一度向かってきた。しばらく動けない程度にはダメージを与えたつもりだったにも関わらず。

 

側頭部をピンポイントで狙った蹴りが突き刺さる。スラムの喧嘩技術にしてはエールのそれは洗練されすぎていた。

 

それでも気を失わないチンピラには流石に違和感が残る。チンピラの両手首を探れば──思った通り、注射痕。それと微かな甘い匂い。それでもヴァルポの鼻には臭い過ぎる。

 

「やっぱりか、ラリってやがる」

「この甘ったるい臭いはそのせいか。これ何?」

「シャブと石混ぜるとこういう匂いがすんだよ。石混ざったヤクは無駄に効果が長ぇし、大抵はドーピング代わりに使われんのさ」

 

石──というのは警察内部での用語で、粉末、或いは液状の源石(オリジニウム)を指す。処理した、或いは未処理の源石から抽出した成分は、使い方によっては覚醒剤になる。

 

一般的には他の材料と混ぜて使()()。スラムではよく流行ったりしていた。

 

「死ぬまで殴ればいいのか?」

「まあな。多分痛み感じてねぇだろうし、脳みそ揺らしてやんねえとゾンビみてぇに蘇ってくるぞ」

「……面倒臭ぇなッ!」

 

顎を蹴り飛ばしてやると、涎を垂らしながら気絶した。

 

まさか雑魚二人程度で終わるはずがない。ドアからぞろぞろと入ってきたのは無数のチンピラ。どいつもこいつもキマっている。

 

「数だけはやたら居るな。いちいち相手していたらキリがねぇ──おいマスター、裏口借りるぜ!」

 

完全に頭を抱えたマスターを無視して警官は杖を掴んで逃げた。エールも続く──バーカウンターの横を通り抜けて裏側、積み上がった酒瓶の横を通り抜けて出口を蹴り飛ばす──。

 

「時計台までは遠いぞ、どうするつもりだ!?」

「とりあえず走るぞ……!」

 

ゾンビ映画さながら、今しがた飛び出してきた裏口から溢れ出てくる薬物中毒者達を尻目に、貧民街にも聳え立つレンガ建ての建物を見上げた。ボロボロで汚れだらけのアパート──洗濯物などが張り出している。役に立ちそうなものはない。

 

車の通りもない。人通りなど推して察するべきだろう。

 

貧民街は無法地帯だ。爆発物でさえ平気で使ってくる連中だっている。すぐに脱出しなければならない。

 

「何で最初っから表の方で集合しなかったんだよ!」

「ベクタの情報網を甘く見るなよ、表の方でユーロジー(そんなもん)持ち歩いてたら一発だろうが。まだ貧民街(スラム)の方が好都合だった」

「どっちみち、ってことかよ……ッ」

「年寄りには堪えるか? タバコはやめといた方が良かったね」

「うるせえ!」

 

息を切らしながらも必死に走る警官を横目に、エールも余裕ではなかった。体力的な問題ではない、ここからどうやって時計台まで辿り着くか。それが問題だった。

 

「僕の方が足は速い。状況によってはあんたを置いていく」

「そうしやがれ! ガキが俺の心配なんぞするんじゃねえぞ!」

「言ってろジジィ」

 

客観的な視点から見ればエールはもうガキと呼べる年齢ではなかったし、警官もジジィと呼ばれるほど老けてはいなかった。だがお互いにとってはそうだったのかもしれない。

 

エールは小生意気なガキのままだし、警官の方は口うるさくてうざったいオッサンだ。

 

「適当な車でも押収できないか? 警察手帳あるだろ」

「んなこと出来るか馬鹿か!」

「ならパクるか──いや」

 

貧民街の範囲はそれほど広くはない。脱出すること自体は問題ない──問題なのは、あまりに広い表の街並みの中で何をしてくるのか読めない点。

 

「……あれに乗るか」

 

細い横道を通じてスラムを脱出すると、華やかで伝統的なロンディニウムの街が眼前に現れる。何車線もある交通網には今日も大量の車が行き交っていた。

 

広い道路を横断するために、横断歩道橋が掛かっている。後ろから追いかけてきた数だけは多いチンピラ共を視界に捉えて、エールは躊躇しなかった。

 

歩道橋の階段を駆け上がる。人々が無関心そうに歩いているのを横目に──。

 

「どうするつもりだ!?」

「あの緑のバスが見えるだろ?」

「ああ!?」

「あれに乗る」

「は!? おま、どういう──」

 

歩道橋の上から飛び出したエールは、走っているバスの天井めがけて歩道橋を飛び越えた。

 

軽く天井が凹む音と共に着地。バスの運転手は驚いて辺りを見回すが、何もない。まさか天井の上に誰かが飛び乗ってきたとは思わなかったし、異常があろうと交通網の中でバスを停めるわけにもいかなかった。

 

「〜〜! んの、クソッ!」

 

ヤケクソ気味に警官も続くほかない。運よく二台目が通ってくれた。もう若くない体が悲鳴をあげるが、そこはグッと我慢。

 

だが凶行に走った甲斐はあったと信じたい。スラムのガンギマリ野郎共が見るみるうちに遠ざかっていく。

 

風を受けながら、なんとか体勢を立て直していく。この方向は確かにロンディニウムの中心、時計台へと向かっていく。とんでもないヒッチハイクだ──。

 

はためく視界の中にエールを捉える。平然とした面がどうにも憎々しい。

 

そうこうしているうちにバスは循環道路へと進路を切った。この一帯を走るバスはこの先の込み入った路地を避けるため、全て循環道路へと回るシステムになっているのだ。

 

移動都市上に建設された循環道路であるからか、信号はさっぱりない上に交通のスピードが速い。

 

──この状況、バスに乗ったはいいがどうやって降りる気だ。

 

高速の中でどうやって降りるのか。バスの目的地、ちらっと見えた限りでは最終的に全然違う目的地につきそうだ。

 

右手に掴んだユーロジーはそのまま、成り行きに身を任せるしかない──。

 

ロンディニウムは広い。時計台というのはランドマークの一つではあるが、なかなかその姿は見えてはこない。だが高速道路の移動は一瞬だ。十分もしないうちに景色は変わり始め、建物の高さは増していく。中心へと向かっていく。

 

地上25メートルに建設された都市循環道路の一角でバスは停留所の一つで留まる。エールがひょいっと降りたのを確認して、警官も続いた。運転手がぎょっとした表情でこちらを見ているが無視。すまん。

 

「メチャクチャやるな、おい」

 

移動都市はその性質上、一区画の密度が濃い。地下や上に至るまで、さまざまな交通網が発達している。そのため循環道路から地上へ降りる階段も設置されていた。

 

柵の向こうには黄金の都市が広がっている。

 

太陽の日差しを受けて煌めく。その影に無数の綻びを隠して輝いているフリをしている。

 

──風が強い。すぐに下に降りよう、幸い時計台はもう目視出来ている。

 

コツコツと降りていった。

 

マイナーな降車地だったらしく、地上に降りても寂れた路地が待つのみだった。

 

「っと、この辺りなら俺が一度管轄だった時期がある。こっちだ、ついてこい」

 

不便さと分かりにくさが特徴的な一帯で、度重なる増築や、根本的な立地の悪さからやたらと迷うことが多い。そのためこんな場所を通るのは余程の物好きか、あるいは──。

 

「……止まれ。囲まれてる」

「は? んなわけ──」

 

──暗い場所が好きな連中だけだろう。

 

張り巡らされた地下通路への入り口に差し掛かったところで、エールが周囲を睨む。

 

「……素人連中は遊びだったって訳か。てめぇか、ルー」

「よぉエール、鬼ごっこなんだってなぁ」

 

知り合いの顔だった。別に珍しいことではない、利害関係は容易に逆転しうる。

 

「お前が僕に勝てると思ってんのか、チキン野郎」

「おいおいおい、俺ぁ知ってんだよぉ──腕、上がんねぇんだろぉ?」

 

エールは冷や汗をかいていた。ルーは狂っているが──強い。

 

バカみたい目立つ顔の刺青。嫌いな人種だ。というかあの手の類を好む人間などいるのだろうか。

 

「そんでさぁ──金いっぱいもらっちゃったしさぁ……遊ぼうぜ、ほらほらほら……。俺の友達、いっぱい連れてきてやったんだぁ──さあ!」

 

凶暴性に満ちた笑い。

 

「あっそびーましょぉッ!」

「来るぞエール!」

「一人でシコってろ、変態野郎が」

 

最初の一閃──体の上側を使った激しい動きが封じられているエールは、足技を主体にするようになった。元々天性の戦闘スキルに加えて、これまで重ねてきた戦闘経験は、そうそうエールを負けに追いやることはない。

 

真正面から馬鹿正直に突っ込んできたルーは片手に釘打ち用のハンマーを掴んでいる。工具だが、十分な凶器だ。

 

体を捻って運動エネルギーを生み出し、交錯する一瞬に併せて──飛び上がって側頭部を蹴り飛ばした。突撃のエネルギーと併せて、背後の地下通路への階段に吹っ飛んでいく。嫌な音が聞こえた。

 

ルーが連れてきたゴロツキたちは呆然としている。集団の頭が一撃で沈んだのだ。はっきり表現して、エールという男を侮りすぎていた。怪我で以前よりずっと弱くなっていると説明されていたし、こっちの数は二十人を超えていた。勝てないはずがなかった。

 

エールといえど所詮人間で、数ばかりある逸話など全て誇張されたものだと思っていた。オッサンとエール二人だけをブチ殺して大金、楽なバイトだと思って──。

 

だが──これのどこが、弱くなったのだ。

 

警官でさえ、一瞬で集団の頭を沈めたエールに驚いた顔を向けたまま固まっているほどだ。

 

息を吐いて顔を上げたエールの姿は──。

 

「……かかってこいよ、クズ共が」

 

怪物に見えた。

 

誰かが叫び声を挙げて走り出した。恐怖に浮かされて走った先にはエール達。底辺で生きていたなりのプライド、唯一の取り柄が喧嘩ばかりの男たちにはそんな事実が認められなかった。

 

「馬鹿どもが……!」

 

以前ならこの程度、別になんでもなかった。十人だろうが百人だろうが、雑魚がどれだけ集まったところでなんの問題にもならなかった。

 

──もう今となっては、ゴロツキたちから見えているほどエールは強いわけではなかった。ズタボロにされた筋繊維はもう戻りはしない。今生きているだけで十分すぎるほどの奇跡なのだ。形を保っているだけでも幸運。

 

威力は高いが、隙も大きい蹴り技でしか戦えないというのはリスクが大きかった。だがやるしかなかった。

 

側から観れば、エールは多勢に無勢の中でも全く遅れを取ってはいなかった。一撃一撃で確実に意識ごと吹き飛ばしていく。

 

だが必ず隙は生まれる。

 

四方向からの同時攻撃がエールに襲いかかった。

 

「──エールッ!」

「ッ、人の心配してないで──」

 

蹴り飛ばした反動でまた別の攻撃に移る──高度で現実離れした動きで、飛び上がってから着地するまでに四回の攻撃を終えていた。少なくとも、マトモな人間に出来る技術ではなかった。

 

ただ、どれだけ強かろうと所詮は個人に過ぎない。

 

「くたばれェぁぁああああ──ッ!」

「ッ!?」

 

着地した直後を狙って突っ込んできた男の両手にはバット。

 

──渾身のスイングが鼻頭に突き刺さる。

 

「──っ、はあ、はぁぁ……!」

 

緊張と興奮から荒い息を繰り返すバット男を前に、激しく揺らいだ視界と──フラつく意識、それと痛み。

 

エールは喧嘩においては絶対的に強かった。スタミナ、技術、筋力、速さ……それと容赦のなさ。だが弱点は存在する。それは打たれ弱さ。

 

筋力はあるが、身長や肩幅は平均以下だ。戦闘のスタイルは攻撃される前に潰すか、或いは攻撃は全て躱し、こちらだけが攻撃する。

 

そうなったのは、エールが打たれ弱いからだ。当たらなければどうということはないが、当たってしまったら問題だ。だから速度と力で潰してきた。

 

だが今の体のコンディションや、頭部という急所への一撃──十分に致命的だ。攻撃をくらった経験はほとんどないエールはタフネスに欠けている。

 

最も、それが知られていないのが幸いだったが、一撃入った事実は相手側を勢いづけた。

 

体制を崩して睨み上げたエールの体勢に──興奮が恐怖に勝る。声を張り上げさせる。

 

「ブッ殺せェ!」

 

誰もが狂気的に笑う。血管の浮き出たクズどもがエール目掛けて──。

 

警官の方も助けようとはするが、自分のことだけで手一杯だ。エールではないのだ、一対一なら問題なく鎮圧は出来ても、対多数なら防戦一方。

 

──このままでは、まずい。

 

「ぐっ、この──退きやがれクズ共! どっから湧いて出てんだ、クソが!」

 

精々四体一に持ち込まれたら勝ち目は薄い。不利な状況に置かれた時、まず初めにしなければならないことは逃走だ。逃げるが勝ち、それが原則。

 

エールが沈めば──最悪の場合、消される。

 

目的ははっきりしている。この杖──ユーロジーというもの。どういうわけか、とんでもない価値を秘めているらしい。今は状況が状況だけに鈍器代わりに振り回されている。

 

ベクタ・ウェル・ヨーク──黒い噂の絶えない貴族の一人。警察内部では絶対に逆らってはならないし、関わることすら危険。

 

だからといって、思い通りになるつもりなど毛頭ない。ないが──これでは。

 

「エール!」

 

──痛みよりも、この湧き上がる感情は──苛立ちだろうか。

 

「……黙ってろよ。この程度の数で……どうにか出来るとでも、本気で思ってんのなら……笑いもんだな」

 

恐怖も興奮もない。

 

自然に従って流れる風のような穏やかさで、静かな殺意が湧き上がった。

 

怒りは常に殺意と同義だ。いつだってやり過ぎてしまう。

 

「僕は、手加減のやり方を知らないんだよ……死んでくれるなよ、後味悪いから……さァ!」

 

──傷口が開く。別にどうでもいいことだが。

 

一匹狼に過ぎないが、侮るなよ。こちとら人じゃない──勝てるのなら、四足歩行の獣で結構。

 

手負いの獣が最も危険なのだ。

 

次々と向かってくる大群、最初に辿り着いた勇敢なフェリーンの喉から顎裏にかけての部位に一撃、二撃──体を一周回して、回転エネルギーを正面に余すことなく蹴り込む。吹っ飛ぶ。

 

次、正面からの拳。それをそっと──右手でいなし、膝を鳩尾に突き刺した。威力の原因は相手が思いっきり走ってきていたことだ。自分自身の力を見事に返された形になる。

 

次々と来る。

 

そのどれもが、エールに届くことはなかった。

 

胸の筋肉が使えないことは戦闘においては致命的ではあるはずだ。事実エールは腕を使って受け流す時には全く力を使っていない。

 

拳法の達人が辿り着く脱力の境地に辿り着いていたのは──皮肉にも、以前ほどの力を失ったからだった。それにしたって怪物なのは間違いないが。

 

──聞こえてきた呻き声や、倒れる音、砕ける音の一切にエールのそれは混ざってはいなかった。

 

転がる人影は次々と増していき──ついに最後には、警官とエールを除いて立っている者はいなくなった。

 

「……はあっ、はあぁっ……! っ、く──」

 

呼吸を整えるエールと、事が終わった後でも目を疑っている警官。だが夢ではないし、傷は痛む。

 

「ははっ、信じられねぇ……。強くなったんだな、エール」

 

倒れた連中を避けて、エールの方に歩いていく警官はそうやって嬉しそうに声を掛けた。

 

今やこの路地には戦場跡だった。

 

「……さっさと行くぞ」

 

警官が掴んだままのユーロジーに目をやって、エールは地下通路への入り口に歩き出した。

 

苦笑いを残して警官も後を追う。ユーロジーをあのお嬢さんに届けてやらないと。

 

地下通路の光源はとっくに壊れていた。差し込んでくる光を頼りに降りていく。

 

地下通路といっても、複雑な道路を迂回するためのもので、長さにしては十メートルもない小さなトンネルだ。反対側からも光源が見えているので、源石灯が壊れていようと歩くのに支障はない。

 

といっても、実はこの地下通路に限って面白いギミックがあって──。

 

「──全く、さっきはどうなることかと思ったけど……大したヤツだな、お前」

 

返答はない。疲れ切っていたエールは前へ歩くのみだ。

 

さっきがた階段に吹き飛んでいったルーが気絶している横を通り──。

 

「まあ、さっさと行こうぜ。もう十分も歩きゃぁ──」

 

──どすり。

 

衝突音に似た、突き刺さる低い音がはっきりと、しかし──あまりに突然聞こえた。

 

足を止めた。

 

からん。

 

物が落ちて、反響した。

 

落としたのは警官だ。落ちたのは真っ黒い杖──ユーロジー。

 

内臓を貫通して、反対側から鏃が飛び出していた。

 

「…………ぁ?」

 

不思議そうに、警官は己の胸から飛び出していたボウガンの矢を見下ろした。

 

血が垂れている。

 

地下から見上げた逆光の中に、十字架のようなボウガンのシルエットが見えていた。

 

時間が止まったような静寂の中で──。

 

二発目が装填されていた。

 

それを見過ごすエールではない。だが駆け出そうとしたエールの邪魔をする存在がまだ残っていた。

 

足を掴んだのは──気絶したと思っていたルーだ。

 

「──待ってくれよぉ、おいおい……寂しいじゃぁねえかよぉ」

 

ニタニタした気色悪い顔で足首を掴んでいた。

 

躊躇なく顔面を蹴り飛ばすが、まだ離さない。

 

そんな秒間の間に弦が弾かれて鳴り響いた。

 

「──ご、ぷ……」

 

今度は真正面から、体の芯を捉えて。

 

逆光の中でのシルエットが数を増していく。増援だ。

 

元からベスタとて、エールを仕留めるためにこの程度の数しか用意していないはずがない。最初のチンピラたちは撒き餌であり囮。気力と体力を削らせ、注意力を削ぎ落とすために布石。

 

戦闘が終わった直後が最も隙ができるのだ。獲物を狩り終わった後ほど最も注意しなければならない。狩人はそこを狙っているのだから。

 

「終わりだよぉ……ッはは、はぶッ!?」

 

こんなクズに構っている暇はない。今度こそ意識を刈り取ると、階段上の黒服たちを視線に捉える。

 

──さっきのチンピラと違って、全員きっちりと武装している。統率もある。

 

……こっちが本命らしい。

 

「──おい、何……戦おうとして、んだ」

 

ぎこちない動きで拾い上げた杖を、エールに突き出した。

 

「これ持って、逃げろ」

 

反対側からも足音。

 

逃げ道のないトンネルの両側を塞がれた。上側を抑えてある。どうあってもここから逃さないつもりだ。

 

「……あんた、ここで死ぬぞ」

「やれやれ、だな。呆気ねぇもんだが──おい、ちょっと……そっち行け。そこで転がってる、野郎より向こうまで、移動しろ」

「……は?」

「いいから、さっさとしろ」

 

反対側の出口の方を指して繰り返す警官に怪訝な顔のまま、一応エールは動いた。

 

階段上で待ち構えている連中は動きがない。不気味ではあったが、好都合だ。

 

ふらふらと壁に寄っていた警官は、壁の一部に手を当てて、コントロール盤を開けた。光源の制御に使われる配線盤だが、この場所にはある奇妙なギミックがあり──シェルターを下す事ができるのだ。

 

都市防衛の想定から、中央へ通じる通路の一つであるこの道には遮断装置が備えられていた。入り組んだ地形が防衛用に設計されていた──というのは、誰も知り得ないことではある。その思惑はさておき、実際の設計のせいで見事にこの一帯の経済的利便性は消滅した上に、こんな装置など市の職員にすら忘れられているのが実態だった。

 

レバーを下ろせばトンネルを丸ごと塞ぐシェルターが降りる。

 

その前に──杖をエールの足元に放り投げた。

 

「おい、何のつもりだ!」

「……逃げ切れよ。出来るだろ、お前なら」

 

レバーを下ろした。

 

稼働音とともに急速にシェルターが降りていく。

 

「……なんだこれ。どういうつもりだ、おい……!」

「挟み撃ちよりは、背水の陣の方がマシ……だろ? お前のいるそっち側が、時計台に通じる唯一の道だ」

 

そしてこの道を除いては、大幅な遠回りを強いられる。

 

ちょうど警官とエールを分断する形に──。

 

「俺はもう、足手纏いだ。後……頼んだ」

 

体を貫かれた体はどのみちもう長くはないし、逃げられそうにもない。

 

このレバーは最後まで下ろさなければならない。

 

「──嬢ちゃんには、よろしく言っといてくれよ」

──最期には、ああ。

 

やっと、やらなければならないことを──そのために殉じることができる。

 

「ちッ……! 早くこっち側に来い!」

「悪りぃな、荷物は……少ない方がいい。俺ぁもう動けんさ、歳を取った……」

 

逆光のシルエットが動き出す。

 

あからさまな動きに対して牽制のボウガンが打ち出された。エールには当たらないが、警官は避けようともしない。

 

タイムリミットの切迫した状況の中で、エールはユーロジーを拾い上げ……その中で、迷ってしまった。

 

下らない男、ただの利害関係、──あの日の、暖かいスープの味を、まだエールは覚えて──。

 

『──────、──』

 

駆け出してしまった。駆け寄ってしまった。身長ほどまで降りてきていたシェルターの下を──

 

「──お前の来るところは、こっちじゃねえよ」

 

どん、と突き飛ばされ、

 

「……けど、嬉しいもんなんだな」

 

────────────────────。

 

その時、警官がどんな顔をしていたのか、もう見えなくなっていた。

 

口元だけが、穏やかに動いた。

 

「……ありがとな、エール。悪くなかったぜ」

 

──ずっと認めたくなかった。

 

下らない反抗期だ。

 

それが永遠に存在するなどとは考えていなかった。だが、それが終わる瞬間は──。

 

「ばッ──バリスッ! てめえぇええええええ!」

「はっ……初めて名前で呼びやがったな、エール。嬢ちゃんと仲良くな──この、バカ息子が」

 

──警官、バリス・ロジスタは嬉しそうに笑って絶命した。

 

その事実を噛み締める暇もなく、次々と飛来したボウガンの中に爆発物が混ざっている。

 

──爆風の中から飛び出した。

 

片手にユーロジーを掴んで、どうしようもない感情の波に歯を食いしばって。

 

大切などと言うつもりはない。どのみちクズ同士、終わる時は突然やってきて、どうせ死ぬ時は一人きりだ。

 

「クソが……クッソがぁぁぁぁぁぁぁあああああああッ!」

 

一人きりだ。

 

『バカ、交渉ってのは舐められたら終わりだ。いいか? 人を脅す時はな、そいつの大切なものが何なのかをきっちり調べてやれ』

 

思い通りにならないことばかりだ。

 

『お前は嘘が下手だなぁ。ハッタリ効かせんのも喧嘩じゃ重要だ。嘘付く時は視線を逸らすな。堂々としろ』

 

教わったことのほとんどが、役に立たないことばかりだ。

 

『女ってのは怖ぇ。女が出来た時は気をつけろよ。んで──何よりも大切にしてやりな。女は恐ろしい怪物だが、一回ハマっちまうと世界が変わっちまう。幸せって言葉の意味を知るハメになる』

 

知るかそんなこと。夜逃げされただけだろ、あんたは。

 

『お前もいずれは、出会う時が来るさ』

 

根拠のない発言を、どうしていつまでも覚えていたのだろうか。

 

『いずれ分かる日が来る』

 

いつだか一度、まだ身長がずっと小さかった頃……たった一度だけ、頭を撫でられたことを……思い出した。

 

今は、記憶の中にだけ存在する、ただの脳みその電気反応だ。

 

教わったほとんどのことは、役に立たないことばかりだ。

 

喪失への対処の仕方など、一言も教わってなどいなかった。

 

生きている時には他人と一緒でも、死ぬときは一人だ。

 

ならばどうして、人は互いに求め合うのだろうか。

 

『心ってのは欠落した仕組みで出来てんだよ。誰しもが孤独の中で生きなきゃいけない。分かり合えねぇからな、人と人ってのは。だから騙し合って、殺し合う。お前もそうだ。他人を理解出来ねえ。お前の強さってのは、他人に対する恐怖の裏返しでもある』

 

……そうなのかも知れなかった。

 

矢の雨の中を突っ切って行った。

 

どのような障壁も無意味だ。どのような妨害も無価値だ。

 

この脚は止められない。だがそれは何のためだったのだろうか。

 

『──だが、いつかは受け入れることが出来るさ。過去の罪も後悔も、いずれは……歳を取れば、全部思い出に変わってくれる』

 

──誰かのための力だと、もっと早くに気がついていたなら。

 

ああ、下らない感傷だ。だが今では、何のために駆けているのかわからなかった。

 

壁に電柱に、突っ立った黒服たちに至るまで、全て足場に過ぎない。

 

ああ、何か変わったのだろうか。

 

『──さぁ、飯でも食いにいくか。酒の飲み方、そろそろ教えてやる』

 

教わったことは、役に立たないことばかりだった。

 

僕は走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無我夢中で死地を駆け抜けていた間の記憶は吹き飛んでいた。

 

死線を踏み越えていた。目的地は目前で、エールはいつの間にかどこかの路地に座り込んでいた。

 

真横を見ると、人混みががやがやという耳障りな音とともに過ぎ去っている。

 

雑踏の喧騒は真横にあるのに、乾いた血に汚れたエールに視線一つも寄越さない。別に珍しいことではないのだ。ロンディニウムは人々を血に慣れさせた。それでも輝かしい街は、虚栄と経済で出来ていたのだという。

 

「──アリーヤ!」

 

顔を上げた。

 

目の前には彼女がいた。その隣にはもう一人──。

 

「喋る力は残っているか。約束の時間を30分過ぎているぞ」

 

白衣をぶら下げたケルシーが冷たい瞳で見下ろしていた。

 

「……アリス、これを」

 

だらりと下がった手には、まだユーロジーが握られていた。

 

持ち上げようとして──肘の高さまでしか上がらなかった。これ以上重たいものを持ち上げようとすると、腕自身の筋肉では足りない。後遺症だった。

 

アリゾナは素早くそれを察して、受け取ろうとして──。

 

「手を止めたまえ」

 

反射的に振り向いた、路地の暗い闇の中に──。

 

「ご機嫌よう、お嬢様方──そして、我がドブネズミ……」

「……ベクタ。あんたは……そうやって何もかも、自分の思い通りにしているっていうツラをするのが……本当に好きだな」

「警告はしたはずだがな」

 

血で汚れたエールと、シワ一つない貴族の衣装に身を包んだベクタ。対照的だった。

 

()()を、こちらに渡したまえ」

 

ベクタのことだ。どうせ周囲に誰かしらの手駒が潜んでいるのだろう。

 

アリゾナはいきなり現れたベクタに迷うが、しかし毅然として言い放った。

 

「……あなたが誰なのか、私は知らないわ。けど、言わせて頂くわね──お断りよ」

「では、その命を発言の代償と知るのがいいだろう」

 

手を振り上げ、潜ませた刺客に合図を送る──。

 

「待て」

 

冷たい声色のケルシーが口を挟んだ。

 

「……誰とも知らないが、口を挟まれる理由はない。黙っていてもらおう」

「貴族と言えど、何もかも好き勝手は出来ん。私はその杖の由来を知っている」

 

立ち塞がるようにして、ケルシーは真正面から怖気などかけらもなく言い放つ。

 

「盟約の象徴は、むしろ隠蔽されるべきだったのだろうが──今では権力の象徴と勘違いされる有り様か。王の許し無しにしてそれを手にすることは反逆の証だ。最も、今の王はそんなものには興味はないだろうがな」

「……貴様は何者だ」

「そしてこの先にも盟約があり続けるとは限らん。むしろ変貌している可能性の方の方が高い。それに目先の話をするならば、他の貴族の目先でそれを手にすることは許されん」

 

エールとアリゾナにとっては全く意味のわからない会話だったが──少なくとも、ケルシーがベクタに対峙していることだけは分かった。

 

「今、杖は正式な所有者の手の内にある。もう一つ加えておくならば、ドールンの灯台は今後三十年は消えることはない。余計な物に手を出すのはやめた方がいい」

「それが一体何の問題になる。腐らせておくのなら、私が使う」

「無意味な行為だな」

 

──しばらくの間、睨み合いが続いていた。

 

視線を切ったのはどちらだったか。

 

最後には、ベスタは背を向けて去っていった。

 

「……終わった、の?」

「少なくとも、今のところはな。どの道、根本の解決など不可能だ。──さて、エール。君との約束は果たした。代価を払ってもらおう」

「え、ちょっと……代価って、そんなことを頼んでいたの!?」

 

自分のために、またエールは何も言わないまま動いていた。ケルシーは護衛だったのだ。時計台前というのは少なくとも、ベクタが表立って行動できないエリアであったために。

 

「……約束は果たす。だが、一つ頼みがある」

 

ぽつりぽつりと呟くように、掠れた声で。

 

「……アリスのことを、頼みたい」

 

その言葉は、アリゾナに嫌な予感を感じさせた。

 

「頼む、先生。僕はもう、どうだっていいんだ……」

「……ふむ。断る」

「……そうかい」

 

惨めさに小さな笑いがこぼれ出る。

 

「……さあ、先生。どうぞお好きなように使えよ」

 

──アリスと再会した以上、もうロンディニウムに留まる理由は無かった。

 

だが他に行く宛も無かった中、ケルシーと取引をした。

 

ユーロジーを渡すまでの間、アリスが危険に晒される可能性を防ぐために、ケルシーに護衛を頼んだ。ケルシーならなんとなくできると思った。

 

代償は──。

 

「今から、あんたが僕のご主人様なんだからな」

 

ロドスへの加入、及びケルシーの指揮下に入ること。

 

「……アリーヤ、それじゃあ──私は、どうすればいいの……?」

「杖は取り戻したんだ。旅に出るんだって──前から言ってただろ、アリス」

「わ、私は──、……怖くて、言えなかったことがあるわ。でも──アリーヤ、私は……あなたにも一緒に来て欲しかったのよ」

 

たかだか半日にも満たない護衛のために、今後ケルシーに従うのは釣り合っていないとアリゾナは思った。

 

だが実際は、アリゾナが考えていたよりもずっとアリゾナは危険に晒される可能性が高かったのだ。

 

最後だって、ケルシーがいなければ──エールは当然のこと、最悪アリゾナまで消されていた可能性だってある。貴族に相対するリスクは、取引に十分に釣り合っていた。そしてケルシーは約束を果たした。

 

「……ごめんな、アリス」

 

──怖かったのだ。

 

だから──。

 

「さよなら。ありがとう──元気で」

 

別れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


















サルゴン行きはこちらです、と大声を張り上げるフェリーンを横目にして、アリゾナは湧き上がる高揚感や、未知の場所への期待に心を躍らせていた。

パスポートの準備、水筒、あとお昼ご飯はもう買ったし……まあとにかく良し。ヨシ!

日は高い。背負ったリュックの重さもちょうどいい。右手に掴んだユーロジーは、もうどこかに置いて行ったりはしない。絶対肌身離さず持ち歩く。学んだ教訓は多い。

空は青い。

いい天気だ。

「サルゴン行き、間も無く発車します! 搭乗する方は速やかに搭乗手続きを済ませてください!」

サルゴン、リターニアなどさまざまな国名が当たりを飛び交っている。ここは越境バスターミナル。

各国へ通じる長距離バスのターミナルだ。

この場所から発車したバスは都市を出て、荒野を何日もかけて横断する。

「……遅いわね! 何してるのかしら、もうバス出ちゃうじゃない……」

と、流石に焦りだしたアリゾナに近づいてくるヴァルポの青年が一人。

「悪い、待たせた」
「待ったわよ! 何してたの、もう!」
「すまない。パスポートを受け取ったのがついさっきなんだ」
「……もう!」

──当然パスポートは偽造である。ヴィクトリアに戸籍も持ってないエールがパスポートなんぞ作れるはずもない。金とコネ、スラムは意外と何でもできる。アリゾナには言わないが。

「すぐに手続きして。そっちよ!」
「すぐやるよ」

アリゾナと同じように、旅人のリュックを背負った青年はバスの扉の横にいた係員に声をかけた。

「やあ、手続きをしてくれる?」
「パスポートを拝見します。えーっと……エール・ロジスタ様ですね。確認しました、荷物は各自保管になります。盗難等の責任は全て負いませんのでお気をつけください」

バインダーに書き込んだ青年は、最後とばかりに声を張り上げた。

「サルゴン行き、受付を終了します! 間も無く出発します────」

アリゾナはエールの手を取って、すぐに歩きだした。

「さあ行くわよ──アリーヤ!」
「ああ。っていうか力強い、引っ張らなくても歩くよ……」

二人で。









『何を勘違いしている。君の後遺症では、私の期待していた役割を果たすには不安が残る』

──と、完全に別れる覚悟を決めていたエールは足元を掬われた。

『ロドスは各国を渡る調査オペレーターも数が多い。君はグレース・アリゾナと共に各国を渡り、情勢をロドスに報告しろ。ロドスへの加入手続きはこちらで全て済ませておく』

……涼しい顔で言われた。

それが単純な理性的な判断だったのか、それともケルシーの優しさだったのか。

まあ少なくとも、エールにははっきりしていたように思える。最後の逃げる手段が断たれたとも言う。

そんなわけだった。

──激しい風が肌を撫でる。

荒野の日差しが肌を焼く。

「……すごいな。どこまで行っても、ずっとこんな景色が続いているのか」
「到着までは四日かかるものね」

その長い時間をバスの中で過ごす性質上、バスはかなり巨大化していて、屋上に出ることができたりする。柵に腕を置いて、エールはほとんど初めて見る荒野の景色を眺めていた。

「……ねぇ、アリーヤ」
「うん?」
「……私ね、子供の頃……あなたのことが好きだったの」
「……うん。僕も、アリスのことが好きだったよ」

流れる風の中で、やけにあっさりとした会話があった。

「──約束、まだ覚えているかしら」

悔やむように、懐かしむように。

「ああ。ずっと覚えていたよ」
「あの約束、やっぱり無しにしましょう」

不相応なものだったので、間違いは正さなければ。

「……ああ。いいよ」

さまざまなことを間違って、失って、失った分を取り返そうとするように殺してきた。

「──代わりに、新しい約束をしましょう!」
「え……どんな、約束?」
「私はもう逃げないと決めたの。私も戦いたい。あなたと一緒に──だから」

騙して利用して、生き延びてきたことに──別に、特別大切な意味など最初からないのだと分かっていた。

けど。

「私と一緒に、この世界を生きて欲しいの」

少年も少女も、やがて成長し──大人になる時が来る。

「残酷で、辛いこととかがたくさんある。けど──私は、あなたと一緒に生きていきたい。……本当は、あなたの方から言って欲しかったんだけど……けどアリーヤ、絶対自分からなんて言ってくれないもの。仕方ないわよね」

事ここに至ってなお、エールは他人を恐れているのだ。

けれど、教えてもらったことを覚えているから。

「さあ、答えを聞かせて」
「……僕は、……僕も」

手を取り合おう。

血で汚れた手でも、それでも手を握ろう。

「……今を、受け入れて……君と生きていきたい。アリス──いや……アリゾナ」
「ちょっと、それって私の家の名前であって、別に私の名前はグレースなのよ? どうしてアリゾナなのよ」
「お嬢様にはアリゾナで十分だ」
「もう! レディーには優しい言葉遣いをしなさいよ、アリーヤ……いえ、エール!」
「優しくすると付け上がるタイプだろう。それに僕もむずむずして気分が悪い。これくらいが丁度いいね」
「このすったかたん、そんなこと言ってると、あなたの分のお昼ご飯に激辛ソース混ぜるわよ!」
「ご自由に。僕は平気だ」
「もう──!」

この荒野には何もない。植物もないし、オアシスもなさそうだ。

命の気配がない。

それはつまり、喜びや悲しみ──憎しみや痛みすら存在しない。

ひとしきり騒いだあと、アリゾナは気になっていたことを聞いた。

「そういえばあなたの本当の名前って何ていうの?」
「ああ、話したことないか。親から名付けられた名前は、アルカーチス……という」
「……変な名前ね?」
「そうだな。だが……エールでいい。どうせ名前なんて記号さ。エールの方が慣れてる」
「そうなのね。じゃあエール・ロジスタの下の姓は? あなたが考えたの?」
「……いいや。ヤツの姓だよ」
「ヤツ?」
「どうでもいい話だよ。ただの……親父だ」

──パスポートに刻まれた名前。どうせ偽造だが、このまま使い倒すのも悪くない。

「……そう。──ところでエール、サルゴンってどんな場所なのかしら!」
「お前な……調べてないの?」
「こういうのって、調べないで行った方がワクワクするじゃない」
「お前が杖を盗まれた理由がよく分かったよ……。いいか、向こうに着いたら絶対に逸れるなよ。面倒ごとは勘弁だ」

面倒くさそうな顔で文句を垂れるエールに、それでもアリゾナは──。

エールの手を取って、笑った。

「手。繋いでおけば、逸れないわよ?」
「……お前って、実は馬鹿だな」
「あなたに言われたらおしまいよ。──あれ、エール……笑ってるとこ、初めて見たわ。ちょっとよく見せて?」
「あ? 笑ってねえよ。顔近い、離れろ──」

生きていこう。

一人で抱えきれない過去なら、二人で分け合って。

──空は高く、暖かな日差し。

風が誰しもに吹いて、髪を揺らした。





《ブリーズIF:光の中に_Promise goes on》

《了》








作者後書き+IFルート後日談をnoteにて販売中。気になる方は是非とも。

https://note.com/nyancopan/n/nd983bcf59f20

次からようやく第三章です。気長にお待ちください。



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3−1 想起収束_Begin again.
8/23 to 11/6


1096年11月某日_P.M 3:32 快晴 視界4キロメートル

エクソリア共和国_鉱石都市『ホークン』_某所



「っ、待ってブレイズ、どこに行くの!?」

返事はない。

常に暑苦しい彼女だが、こうなると話を聞かない──自らの心に従い切るまで、彼女を止められるものは何もない。

ロドス小隊がエクソリアに来て二週間が経っていた。

来た道をずんずんと引き返して坂を登るブレイズにグレースロートはため息を吐きながら登っていく。何に気がついたかは知らないが、せめて一言くらいは欲しいものだが──。

ただ、岩肌の硬い大地を踏みしめてついて行く。やはり暑い国だ。10月の半ばにして、全く気温が下がる様子がない。道理で皆肌の色が黒くなるわけだ。

それにしたって暑さに慣れない自分には過酷な環境であることは間違いないが、慣れてしまった。

そうだ、慣れてしまった──この国に来たのは、確か。

────。

──。

グレースロートは言葉を失った。

ブレイズが乱暴に開いたドアの向こうには、ついさっきまで話をしていた炭坑夫のキャブリニーが磔になっていた。

胸を貫いた鉄の棒が彼の大柄な身体を壁に縫い付けている。地面に染みた血の色は暗闇の中でリアルだ。もう死んでいた。目が濁っていた。

だが、その横に立っていた白い青年は──片腕のない、まるで幻のような、

手や足が冷え切っていく感触がする。

心臓の鼓動が緊張から高まる。

彼はそこにいるのかいないのか、視界の中に捉えていてもわからなかった。それは真実幻なのかもしれない。エクソリアでは蜃気楼などそう珍しい現象ではなく、グレースロートもたびたび暑さにやられて陽炎を見ている。

まさしく、幻だと思った。

優しそうな目元や、苦笑いが似合う口元や、耳まで覆う青い髪の幻影が重なったのは、まさしく本当であることの証明か、それとも幻であることの証拠か。

振り返った顔の中には感情は見えなくて、まるで狼が獲物を見るような目付きだ。口元も引き締まったままぴくりとも動かない。真っ白な髪は前見た時より伸びていた。頭の後ろで括られたそれが、暑さに対する適応のようで、嫌に現実的で実用的だと思った。

「ブラ、スト……?」

戸惑うような声。だがそれが最も白々しい言葉であったことなど自分が一番よくわかっている。

それが──半年以上前に死亡したブラストの姿であると……グレイスロートはすぐに分かっていた。

それを理解したくなかったのは、あまりにも──その姿は、痛みと苦しみを連想させたため。

何があったら、そんな目で──そんな姿で。

磔にされたキャブリニーの側で、事切れた彼の横に佇むブラストは全くの自然体だった。だからこそ異常だった。取り乱しもせず、幻のように、慣れているかのように。

グレースロートには分かっている。彼と話をしたのは十分も前ではない、一分や二分前だ。彼が死んだのは、たった今だ。そしてその横にはブラストがいる。

だって、返り血で汚れている。

「私は、最初から知ってたよ」

ブレイズの声に迷いはない。

「君の中にいる、恐ろしいものを知ってた。だからいつか、こんな日が来るんじゃないかって思っていたよ」

ブレイズは戸惑う様子も見せず、当たって欲しくはなかった予感通りの姿をはっきりと見据えていた。グレースロートは口が動かない。ブラストは何も喋らない。

「やっと見つけた」

それは──邂逅。いずれ起きるはずのことが、その通りに起きた。

「久しぶりだね、ブラスト。随分探したよ。とりあえず一発……いや、死ぬまで殴っていい?」
「ブラスト? ……ああ、書いてあったやつ。つまり、前の僕の名前……じゃあ、君がブレイズか。思い出した」

──崩壊の音。

藍色を薄めた空、霞掛かった異国の世界。

境界というのは明確な色の違いだ。白と黒が混ざり合わないモノクロの淵、その境目では崩壊が発生している。

生存というのは境界線の証明。生きていることと死んでいること、自らを立証し続けること。それが心臓の役割、言葉の意味。

言葉というのは意志の代弁者であり媒介者だ。無形であるが故に、どんな形でも存在する。それが崩壊の形をしていても、何が不思議だろうか。

言葉で表せ。心で示せ。感情で書き連ねろ。

──ならば。

獣であることが、何より人間の証明なのだ。

風が煽る。

「今の僕の名前はエール。どこにでもいる空想家(シンカー)さ」

その時。

私は全てが崩壊していく始まり(終わり)の音を聞いた。





 

8/23

 

 

 

 

 

久しぶりに雨などが降った。昨日のことだ。

 

実に一ヶ月ぶりだったと思う。これからはなんかよくわからんが雨季らしいんで、レオーネもそんな感じに合わせてやってくらしいが──これどうするっつーの、マジ。いやマジ。

 

無理じゃね? だってほら、もうボートとか浮かべてんじゃん。しっかり川に沈没しとるが。つか地元民もしっかり適応して水上マーケットやってんじゃん。何面白そうなことしてんの、ワクワクしてきた。

 

アンブリエルはそんなことを思って洪水に沈むアルゴンの街を眺めていた。

 

どっからどういう訳かはわからんけど、とにかく現実。水に沈んだアルゴンは、そのまま大流の一部となってその川をさらに下流へと流していく。

 

それにしてもきったねー川。ゴミが混ざりすぎている上に土やら何やがらで濁りすぎている。ひっでー川、自然豊かでもこれだっつーんならもう風物詩だ。そういう感じだろう。

 

まあ極東でもあるまいし、清流ってよかもう池とか湖とか、そんな感じのノリよね──。

 

「なーに朝っぱらから黄昏てんの、仕事しなさいよ」

「いや、仕事も何もさー……無理っしょ。だって沈んでるじゃん、一階から下。あーいい天気、つかどうなってんのこれ」

「初めての人は驚くか、そりゃ──まあセーレ川の氾濫ね。天災の一種で、この時期になるとこうなんのよ。間違っても泳いで遊ぼうとか考えちゃダメよ」

 

特殊な事例であることは確かだが、南部の人々は確かに天災と”共存”しているのだ。自然とともに生きる緑豊かな南部エクソリアのお国柄であった。

 

「考えるかっての。……あ、でもボートは乗ってみたいかも。ほらみて、あんな感じの──あ、え……ちょ、チャーミーあれ、あれっ! 家流されてね!? えっ!?」

「あーあれ。大工が雑な仕事したみたいね。水流に耐えらんなくて流れてくのよ、時々。で、他の建物にぶつかる前に解体される」

「解体って……流れてるけど」

「専門の人が乗っかってコンコンやんの。ほら、もう来てる」

「うわ、マジだ……」

「で、そのまま下流に流されてくのよ。たまに郊外に出ると、解体された残骸とかあんの。見た事ない? 草原にほったらかされた壁の一部とか」

「あ、あるかも……あれ、そういう事だったんね……」

 

なかなかすごい光景を眺めていた。

 

水位にして1、5メートルを超える氾濫に見舞われたアルゴンの街。水面に反射する太陽の光は今日も眩しい──っつーかこの川のせいでもう街全体が蒸し風呂かサウナみたいになってる。街が水に沈んでるっていうのにちっとも涼しくない。

 

それにしたって、うざったい快晴の下で街が川に沈んでいるのはあまりにシュールが過ぎる。末期じゃん、こりゃ。こんなもん毎年起きてんのか。確かに屋根の裏とかボートが吊るしてあったりはしたけど……。

 

「……仕事すんの? 宿舎からここに来るだけでも一苦労だったんだけど」

「ま、二週間はこれ続くから。その間何にもしないって訳にはいかないでしょ? アルゴンはこんなだけど、バオリアの方はマシ。あっちは農業都市だし、排水技術もちゃんとしてるから」

「……とんでもないとこよね。あーあ、帰って寝たい」

 

残業地獄……とまでは言わないが、あまりにもやることが多すぎる。

 

ここのところのアンブリエルの平均睡眠時間は龍門のビジネスパーソン並だった。働きアリって柄でもないが、やらなきゃまずいこと──いやマジで国の存亡に関わるくらいまずいこと──が山盛りである。

 

訓練教官は暫くお休みか。座学の講師もやらんでもないが──めんど。それより特急でやんなきゃいけないのはAKの技術研究の方だ。弾づまり(ジャム)がひどいし精度も悪い。ついでにコストもクソ。さっさと改善させないと詰むだろうし。

 

訓練兵たちの成績分析とか、銃器指導のマニュアル的なモンも作成途中でほったらかしたままだ。他人が他人を育てられるようにならんと、自分一人しか銃器を扱えないのがホントやばい。どっからアサシンが来て殺される身分か分かったもんじゃないし。黒い輪っかのサンクタがいきなり出てきて”お前殺すから”とか言って銃構えてきても何も不思議じゃない。

 

「……あれ? アンブリエル、あれ──」

「え、何?」

 

三階の窓から午前のアルゴンを見下ろしていたチャーミーだが、妙なことを言い出した。

 

「あのほら、赤い看板の下。人流れてる?」

「……え? あれ……死んでね?」

「……だよね。うつ伏せで流れてるし──え、っと……遠くてよく見えないけど……なんか、あれ……やばい?」

 

街中で死人が出ても、今更飛び上がって驚くこともない。慣れてしまった、が。

 

死んでいるのだとしたら──あまりにも平然とし過ぎだ。おかしい。事故だろうか──そうでないなら、多少は隠したりしようとするものだ。

 

「えっと……どうしよう。どうする?」

「どうするもこうするも──えっと、どうすんの?」

 

出方に戸惑う二人。どうするって言われても……。

 

所々黒ずんで汚れた白い街並みの屋上を、何かが高速で移動していた。

 

パルクールというやつだろうか、高さも形もバラバラな屋上や壁、張り出したケーブルや出っ張りを利用して次から次に──重力などないかのように、空を飛んでいる。

 

アンブリエルは見覚えがあった。というより、レオーネでその姿を知らない者は誰一人としていない。そもそも国民全体で見ても、必ず一度は写真やら何かでその姿を目にしている。

 

「あれ、エール? 何してんの……?」

「え? エールさん? 何あの動き、人じゃないでしょ──え、あの間5メートル以上あったよね、跳躍したの?」

 

真っ白い髪、白い半袖のシャツ、緑の迷彩ズボン。レオーネの割と標準的な服装。他の幹部らが肩とか胸に勲章とかつけている中で、グエンと並んで着飾らない人なのである。その理由はシンプルに暑いからとか聞いたことがあるが……。

 

行き先は──さっき見ていた。今も流されている暫定死体が目的地だろうか。四階以上の建物から簡単に降りていき、死体に集まっていた他の市民たちのボートに着地した。ここからでもエールに驚いている様子が見える。

 

「……何してんの、あいつ」

「え、えええ……?」

 

エールにとっては、困惑するしかない二人など知る由もない。

 

ボートの上に暫定死体の彼を引きずり上げ、状態などを確認して──ずぶ濡れの死体を左肩に担いで、エールはボートから跳躍し、瞬く間に建物の屋上へと飛び去った。

 

そして人一人担いだまま、何処へと消えていった。

 

……え? いや──。

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

9/21

 

 

 

 

 

 

 

洪水が過ぎ去ったのは遥か一ヶ月ほど前。

 

時間が過ぎるのが早過ぎる。それにしたって早すぎんか?

 

……おい、最近あんた、寝過ぎじゃね? 何してんの。

 

そんな思いを込めて眠りこける青年を見下ろした。無論反応はない、普段の無表情が嘘のように、穏やかな顔で眠っている。

 

こんな時間からお昼寝とはいい身分だ。

 

「……起きなって。ほら……何してんの、報告書持ってきたよ。あんたが寝てたら話になんないっしょ」

 

揺さぶる。

 

青年は簡単に目を覚ました。体を起こして欠伸一つ。どうにも人間らしいその仕草はエールのイメージと合わない。そんな人間臭い仕草をするとは……まあ、当然なのだろうが。

 

「ほらこれ。始末書よ。例の件、本当にあの片付け方でよかったん?」

 

無言で紙束を受け取ったエールは、10秒ほど文字に目を走らせた──。

 

「……うん、まあ……多分」

「いや信憑性! 本当に大丈夫なの? あいつ生かしたままじゃん。始末付けなくてよかったん? 後々面倒なことになるかもじゃんね」

「えーっと、まあ……大丈夫でしょ、多分」

「いや態度! 曖昧かっ! そこはちゃんと自信持ちなって! 自分の決断でしょ」

 

寝転がっていたソファーから身を起こして、青年は自身のデスクまで歩いていく。

 

散らかっているようで整頓されたデスクには大小様々なメモ書きが残してある。言語も様々だ。共通語、ウルサス語、炎国語……。それらを見下ろしている。

 

「他になんか指示なければあたしは戻るわ。……そだ、エール」

「……?」

「……週末さ、なんか映画やるらしいじゃん。聞いた?」

「映画?」

「そ。ほら、兵士たちの息抜きのために演習場のプロジェクター使ってさ。何だっけ、なんか炎国のカンフー映画らしいじゃん? それ、一緒に見ようよ」

「……ああ、いいよ」

「え、マジ!? しょーじきダメ元だったんだけど……この頃やたらと走り回ってたけど、それはもう大丈夫なん?」

「……ああ。うん……多分、うん」

「なんか変な感じだけど……とにかく、言質は取ったかんね、ドタキャンしたらアイスクリーム奢りね、絶対だからね!」

 

それだけ言い残してアンブリエルはその場を後にした。軽い足取りと、隠しきれない笑顔で、それはもう楽しそうに。

 

 

 

 

 

 

 

 

10/5

 

 

 

 

 

 

 

 

ホークン争奪戦の最初の弾丸は、他でもないアンブリエルが放った。

 

戦争の引き金が引かれた。目標は北部軍の重要人物であるイレ・ファ・イーテン。源石を活用した国家構想計画──通称統一計画(リヴァイヴ)を推し進めている強硬派として知られ、最終的な目標は新たな移動都市を建設することだとも言われている。

 

いや、言われていた。

 

劇的な死であった。

 

それは公衆の前で、高騰する源石価格をこれでもかと強調する彼と、彼が熱弁するエクソリアの輝かしい未来の話を丸ごと撃ち抜いた。いやいやながら集められた人も、野望と希望に目を光らせる業界人も、それをしたり顔で眺める支援者も全て──そんなことが起きるなどと知っていたものはおろか、想像さえするはずがない。いや、できるはずがない。

 

スピーチの締めに、支援者である北部貴族らへの謝辞や、彼らを称える美辞麗句を並べ終えて、偉大な大地への感謝をずらずらと吐き出していた時のこと。

 

拍手する準備をしていた人は、凶弾に倒れる彼の脳漿さえ目撃した。スイカが破裂するように、頭蓋骨の破片が散らばるのをはっきりと目撃する。

 

テロ同然のこの行為に対し、北部政府は声明を発表。戦争が始まったのは、その翌日からだ。

 

白昼堂々行われた闇討ちである。

 

下手人ははっきりしていたし、そもそも宣戦布告は行われていたのだ。それでもなおスピーチを敢行した勇気あるイレ大佐はその勇気のままに大地へと還ることになる。

 

斯くして始まったホークン争奪戦の戦場は──他でもない市街地だった。

 

紛れもなく、地獄の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

一日ごとに生きるか死ぬかのギャンブルを余儀なくされ続けている歩兵部隊と異なり、アンブリエルが率いる銃射部隊はまだ安全な部類に入る。戦場支援射撃が主な任務であるためだ。

 

サインと共に遠距離から弾をばら撒くのが仕事なので、接敵する機会は少ない。ボウガンにはない距離というアドバンテージのおかげで死傷者は他の部隊に比べれば相当に少ない部類と言えよう。

 

同時に最も個人単位の殺傷比の高い部隊でもある。それはつまり、レオーネの戦闘部隊の中で最も敵を殺している部隊ということ。

 

元々新興の戦術単位であるが故に射兵の数は少ない。遠距離精密射撃が可能なのは未だアンブリエルただ一人であり、増える見込みはない。サンクタでも習得が難しいのが狙撃という技術だ。

 

「隊列を崩すんじゃないわよ──今! 一斉射撃ッ!」

 

他歩兵部隊の勢いに押されて退却してきた先に待ち構えていた一列の射撃兵が、散り散りになって走ってくる敵兵を撃ち崩していく。

 

──これじゃまるで七面鳥撃ちね。

 

どのみち彼らに逃げ場などない。殺傷領域の線が重なりすぎて、もはや面状攻撃となった。どさどさと、結局彼らは射撃部隊の10メートル以上前で皆倒れた。

 

ホークン、鉱脈の街。それらは今では真っ赤な悲鳴と怒号に染め上がり、地面を汚したのは血液か、それとも悲哀の涙だろうか。その二つに何か違いはあったのだろうか。

 

「全目標の沈黙を確認」

「おっけ、じゃあ次のポイントに走んなさい──敵は待っちゃくれない。街中に敵が潜んでるかもしれないから十分に注意して、でも足は絶対止めんな」

『了解』

 

援軍要請はさっきから鳴りっぱなしだ。

 

銃を担いで走る。走って撃つ。

 

撃つ。

 

撃つ。

 

撃つ──。

 

ぱん。ぱん。ぱん。

 

乾いた音が、乾いた心と感情をそのまま表していた。

 

まだ息のあった敵兵が最後の力で手を伸ばそうと──する前に、ハンドガンの弾を二発頭に撃ち込んだ。そして振り返りもせずに次の場所へ。

 

「目標確認──……子供? どうしてこんな場所に。アンブリエルさん、あれ……」

 

戸惑う若い兵士を置いて、アンブリエルはすぐにAKの照準を付けた。躊躇う心を意識的に無視した。そうすることが優先だと心を騙した。

 

アサルトライフルという、当てるというよりはばら撒くことを意識した武器であっても、アンブリエルの銃撃は正確だ。

 

──片手に棒付きの爆弾を持った少年兵たちは、絶望した表情のまま。青い青い、どこまでも続いていく空を眺めていた。あの空のずっと向こうを願って。

 

「……あの、どうして……子供、ですよ。なんで、なんで撃ったんですか……? こ、子供じゃないですか……」

 

震えた声、兵士の顔が青ざめている。

 

レオーネ(ウチ)に少年兵は居ねーの。……さいっあく。奴ら、こんなガキまで使って……ッ!」

「お、俺……子供、殺すために、戦ってる訳じゃ……」

「寝ぼけんな。ダスト、あたしらは何だ。あたしらは誰だッ! 言え! あんたは誰だ、何者ッ!」

「俺は、俺たちは……で、でも……だって、この子たち……この子達は……」

 

少年少女たちは皆、軍服など着ていなかった。子供用のそれなどあるはずもない。ボロボロになったタンクトップ、浅黒い肌、飛び出した源石。

 

ナイフを握った少年、爆弾を抱えた少女。

 

彼らは少年兵。ホークンの子供たち。

 

「あ、あっち……生き残ってる子が、まだ……まだ居ます! 一人だけだ、俺保護してきます!」

「バカッ! 軍人が自分の意思持ってどうすんの!?」

 

他の小隊メンバーたちも、唇を噛んで俯いているものや、周囲の警戒をしているが──何も言わなかった。言えなかった。

 

他の戦闘音が街に響いて、未だ止んでいない。日は高いままだ。

 

アンブリエルは叫んだが、後を追うことはしなかった。できなかった。

 

──子供を殺したのは、そうするべきだと合理的な部分が囁いたからだ。

 

子供を手にかけるのは気が引けるだろう? 被害者だと考えるだろう? たとえ片手に武器を持っていても、その両腕で守りたくなるだろう?

 

そうやって嘲笑う相手側の意思が透けて見えるようだった。あの子供たちはホークンの子供立ちだろうか。孤児とか、そういう事情があったりするのだろうか。

 

少なくとも、彼らの目の中に、一切の希望は見えなかった。

 

暗い路地にうずくまっていた子供に手を差し伸べたダストは、震えながら精一杯の笑顔を浮かべた。少なくとも彼はそうしようとした。

 

子供は暗い瞳で彼を見上げて──抱えていた爆弾の信管を引き抜いた。

 

「ぇ──」

 

自爆に巻き込まれ、若い兵士が最後に思ったのは──。

 

どうして? ただそれだけの、本質的な疑問だった。

 

「……馬鹿ッ! ダスト、ダストッ!? おい──」

「隊長! 8時方向に敵影──近接部隊、数は約30人!」

「横陣敷いて! 後退しつつ撃ちまくって──弾の残数に注意して。パーズは周囲の警戒に専念、通信機は絶対に守り切んなさい!」

 

──仲間の死を悲しむ時間すらないらしい。

 

「……これ以上勝手に死ぬの、マジ勘弁してよ……!」

 

自分たちが死なないために相手を殺す。

 

その致命的な矛盾と苦しみに中指を立てた。ファッキンラブアンドピース──ああ、なんてクソッタレ。そんなことが一体何を生むのだろう、分かっているけど。

 

正しさは消えた。希望は散った。絶望だけはずるずるとはっきりと現れた。

 

かつてホークンに住んでいた住民たちはどこに消えたのだろう。

 

答えなどすぐに出る、いくつ死体が転がっているのか分からないのだ。

 

──ここは戦場。

 

命と信念と過去と未来が平等になる、この世界で唯一の場所。

 

ある青年が願った理想の果てにある汚れた現実。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11/4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……、……。

 

「テール、ダスト……以上、銃器部隊、死者13名」

「確認しました。……少ない方よ、いや……本心。これはあんたを慰めようとか、そういう気持ちで言っているんじゃないけど、事実そう」

「いいよチャーミー、気を遣ってくれてありがと。でも……もう今更、あたしらにそんな資格はないわよ」

「……そうかもしれないわね」

 

もはや、労働者たちで賑わっていたかつての鉱業都市ホークンの面影はどこにもなかった。

 

崩れた壁、煤けた建物、砕かれていないガラス窓はひとつもない。

 

蔓延る死臭、焦げた匂い……血の匂いは固まって、いつしか鼻の奥にこびりついて離れない。ずっとそれだ。

 

およそ一ヶ月に渡ったホークン争奪戦が終結した。

 

これはホークンを奪い返す戦いだったのに──。

 

「いつからかね、相手を殺すことしか考えてない自分が現れたんよ。ガキだろうがなんだろうが、躊躇しなくなった……」

「奴隷同然に扱われて、暴力で縛って……相手を道連れにできなければ殺すって言われていたんだって、少年兵たちは。クソ畜生よ、よりにもよってホークンの子供たちを、自分の国の子供たちを。最低……そんな言葉じゃ足りないわ」

「そのガキどもを躊躇なく殺したあたしらの方が、もっとクソったれよ」

「そんなこと! ……そんなこと、」

 

ない。

 

そう言いたかった。

 

「いいのよ。仲間の一人がガキの爆発自殺に巻き込まれて死んだとき、あたしは……憎んじゃったんよ。まだ自分で考えることもできないガキんちょたちをさ。どうして言われるがままそんなことをしてんのかって。武器を捨てて投降してくれれば、どっちも平和に終われるのにって」

 

擦り切れたように笑う顔。

 

誰もがそんな顔をしていた。疲れ切っていた。奪還を手放しに喜んでいた兵士など、一人でも居たのだろうか。

 

「……弱者憎んでちゃ話になんないわよねー。銃突きつけられて、頼むから大人しくナイフを捨ててくれっつっても、まあ無理な話よね。あたしさ、怖かった。ガキどもが背中にダイナマイト隠しているんじゃないかって……そんな自分の考えが怖かった。軽蔑していいよ、チャーミー」

「しないわよ。前線で命張って戦ったあんたら兵士に、どうしてそんなことをしていいのよ。後方で書類仕事ばっかやってた私が、どうしてあんたのこと責められんのよ」

「……ごめん」

「謝んなって」

「……うん。ちょっと……わりーけど、今だけ顔見ないで…………っ」

 

アンブリエルは友人の胸に顔を伏せて、声も上げずに泣いた。一ヶ月間の間で凍り切った感情をほぐすような、静かな、静かな──。

 

チャン・ミ・リン──レオーネ後方支援部の浅黒い肌をした友人は、そんな堕天使をただ黙って抱きしめていた。

 

破壊されて、未だ煙の晴れないホークンの街の中で、ただ黙って抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

11/6

 

 

 

 

 

 

 

 

ホークンの奪還宣言が発表され、本格的に行政による源石鉱脈への干渉──すなわち採掘が可能になった。

 

ホークンに対して、北部軍がかなりの兵力を投入してきた理由はそこにある。この都市を抑えることは莫大な源石鉱脈を手に入れることを意味しているからだ。

 

その生命線とも呼べる都市を奪い返すのは、真実容易なことではなかった。勝因はいくつかある。そのうちの一つに、北部軍内部での混乱が発生したことが挙げられる。

 

例えば内部分裂や暗殺、駐屯地のある、ホークンから見て北にある都市「シャンバ」での軍関係者を狙ったテロリズムだ。

 

その裏にいる何者かの存在は最後まで公になることはなかった。レオーネは無関係とされているが、アンブリエルには一目瞭然だった。

 

ホークン争奪戦が始まる一ヶ月以上前から、エールは姿を晦ました。開戦前の演説には姿を表したものの、実際に話をしたのはグエンだった。

 

それがどういうことか、皆薄々は分かっている。それでもレオーネに留まることを選び、戦うことを選んだのは──あの白髪の青年が、正しい道へと導いてくれることを信じているからだ。

 

犠牲を払いながらバオリアを取り返し、そして守ったのは彼だ。無論彼だけではないのだが──それでも、不安定だった南部情勢を安定させたのは彼なのだ。

 

彼を史上最悪の犯罪者だと言う人もいる。

 

それでも彼と直接話をしたことのある人間は──実はレオーネの人間は直接言葉を交わす機会が多い──皆知っている。

 

あの強さを。あの意思の向かおうとする未来の景色を。

 

信じさせてくれるのだ。この最悪な戦場が、いつしか緑豊かな未来に変わってくれると。

 

──その期待と、責任がどれほど重いのか。

 

そのことを考えようともせず、託して満足して、平然と笑っていられる。

 

「……エール」

「ああ。君か、アンブリエル」

 

──たった一言。

 

薄い視線の表情で、アンブリエルはついに理解してしまった。

 

「なんか、久しぶり」

「……ああ。そうだね」

 

一度は全てを預けてくれたエールの本心が、皆が期待する英雄の皮に覆われて、もう触れられないことを分かってしまったのだ。

 

或いは、最初から一度もそんなことはなくて、全て自分の思い上がりだったのかもしれない。せめて自分だけは、エールのことを本当に理解できていると──その思いは、今では嘘になってしまった。それが分かってしまった。

 

「えっと……今、暇だったりする?」

「暇……何か用?」

「や、用っていうか……ほら、なんか最近忙しかったじゃん。だからその、えーっと」

 

だから、うまく話せなかった。

 

「問題ないさ。君の部隊の戦果は聞いている、よくやってくれた」

「え、いや……別に。てか違う、そういうことじゃなくて──」

 

違う、これじゃない。

 

「そういえばほら、ロドス……っていうのが来るんでしょ?」

「どっから聞きつけたのか……」

 

煙草の煙を揺らして、エールは苦笑いした。

 

……違う、その表情じゃない。

 

それはきっと作りものだ。違う、違う。でも口がうまく動いてくれない。言いたいことがちゃんと言葉になってくれない。

 

「えっとほら、ブリーズに聞いたんだけど……古巣なんだって?」

「あのバカ……まあ否定はしない。だが業務上の関係で依頼をしただけさ」

「業務上の依頼って?」

「あまり口外するのも良くないが……源石鉱脈の採掘コンサルタントの依頼だ。北部の安全防護はあまりにも酷いものだった。源石に関して最も信頼できる機関がロドス・アイランド。私情がどうのと言っていられる状況でもないんだ」

 

──違う、こんなことが聞きたいわけじゃない。

 

これは違う。穏やかな調子だが、これは作り物だ。あたしを信頼しているとあたしに伝えるための言葉だ。

 

これは他のレオーネの兵士にしていることと同じだ。安心させて、信頼させて……自分に全て任せろと、そう伝え続けてきたエールの姿だ。

 

自分にはそれをして欲しくはなかった。

 

自分にはそんなものは必要なかった。そんなことをわざわざ伝えなくてもあたしは分かっている。分かっていると分かって欲しい。

 

だから違う。この言葉は違う。

 

「まあ、君にはあまり関係のない話ではあるけどね」

 

違う、関係がないなんて──その通りでも、そんな風に安心させようとするな。

 

そんな風に笑わないで欲しい。

 

「えっと、ロドスって……テスカの時に言っていた、仲間達を死なせたって──」

「ああ。ロドスの小隊の隊長をしていたときの話だよ」

 

違う、こんな話がしたいんじゃない。伝えるべき言葉があるはずだ。伝えたい言葉があるはずだ。

 

「や、うん……あのさ!」

「うん?」

「あ、あたしさ。あの時は……仲間の復讐とか、くだらないって思ってた。けど……今なら、あんたがどうしてこんなことをしたのか、わかる気がするって言うの? ……たった数ヶ月、喉枯れるまで怒鳴り散らしながら育てた連中がさ、この戦いで何十人も死んで……帰還して、死体置き場に夢語ってた新兵の顔見つけてさ」

 

悲しみなど通り過ぎてしまった。

 

そればかり考えて、殺すことばかり考えて。

 

生きるの死ぬの、殺すの殺されるの──そればっかりで。

 

「……だから、あんたが仲間達を失った時に何考えたのか……分かるなんて言わないわよ、けど……」

 

合っているだろうか。伝えるべき言葉はこれでいいのだろうか。

 

「”これ”さ……きつくない?」

 

心に空いたその喪失の感覚は、劇的でも激痛でもなく、静かに──ただ、怖いくらいに無常に、ただ悲しくなる。

 

もう二度と彼らに出会うことが出来なくなることを理解して、ひたすらに痛むのだ。

 

「……そうだね」

 

短く帰ってきたたったそれだけの言葉にどんな感情が篭っているのか、もう分からない。

 

これで良かったのだろうか、いつものように街を見下ろすエールは、それ以上のことは言わなかった。

 

それから何かを言おうとして、屋上のドアが開く音がした。

 

「何をしている、エール。時間だ……行くぞ」

 

スカベンジャーが現れて、エールは吸殻を踵で潰した。

 

「ああ。準備は出来ているね」

「問題ない」

 

スカベンジャーはアンブリエルを一瞥だけして、すぐに背を向けて去っていく。

 

「それじゃ」

 

その言葉一つ残して階段へ向かうエールの背中に、せめて何か言わなければならないと思って──。

 

「エール!」

 

穏やかな顔で振り返った表情に──投げた言葉は。

 

「……なんかあったら、いつでも命令して。なんでも」

 

──違う。違う、違う……これじゃない。

 

これじゃないはずだ。それだけは分かる、でも何を伝えればいいのか分からないのだ。

 

「頼りにしてるよ」

 

微笑と共に、そんな言葉が残された。

 

兵士なら、むしろ喜ぶべき言葉だ。エールが頼ってくれるなら、それこそ誇らしい。偉業の礎になれるのだから。

 

──ああ。

 

そんな言葉が聞きたかったわけじゃないのに。

 

 

 

 




お久しぶりでございます!
八章実装したので初投稿です。ちょっと八章に関して感想置いておきます。八章のストーリーネタバレ注意。

こう……やっぱ薄々そうなんじゃないかなとか思ってたらタルラさんマジタルラさんって感じでした。タルラさんまで死ななくて良かったというか……。割と綺麗に終わりましたが謎が深まるばかりです。とても面白いストーリーでした。ヴィクトリア編が楽しみです。早く実装しろ。して♡
というかタルラさん強すぎて草でした。スルトとソーンズが強すぎる……。


・アンブリエル
ヒロイン味が強い。
言いたいことが言えないこと、あると思います(名推理)

・ブレイズ
冒頭のみ登場。何話ぶりの登場でしょうか、私も良くわかりません。
メインヒロイン復活ッッッ

・話のペース早くね?
そういう試みです。この章は少し語り方を変えてみようという実験的な側面があります。




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"The Monstar" and others -1

あなたが人間である義務を果たさなかったことで告訴します。
私は、あなたが恋をとり逃がし、
幸福である義務をおざなりにし、
諦めをもってその日暮しに生きたことに対して、
告訴します。

──フランソワーズ・サガン『ブラームスはお好き』



8/5

 

 

 

 

「……私、知ってるわよ?」

「え?」

「いや、その……ブレイズって人のこと」

「…………マジで?」

「マジよ」

 

瞬間的に、エールはそれまで纏っていた外面を崩壊させて、それはもう深い溜息を吐き出して項垂れた。

 

「あの彼女の同期って……つまり、あなただったのね」

「僕のこと──いや、ブラストか。そのことを聞いたのか」

「ちらっとだけよ? あんまり深く踏み込んでいい話題じゃなさそうだったから、詳しいことは分からないわ。でも生きてることを知らせないのは彼女が可哀想よ、死んだことになっていたのよ?」

 

前髪ごと額を掴んで顔を伏せたエールの姿は、かなり違和感があった──むしろ一周回ってこっちが本当なのだろうか。

 

真剣な表情がくっついて笑いもしないエールの顔は、やはり英雄というイメージを保つための方便で──そんな風に項垂れる姿は人間味に溢れている。

 

「3年と、余りを合わせて……四年近くロドスにいて、分かったことがある。僕はあの場所に向いてなかった」

「なら、どうしてそんなに長い期間ロドスに居たの?」

「……さぁ、どうしてだろうね」

 

小川のせせらぎに混ざった本当の言葉は、そのまま川の流れに紛れて流れていくようだった。ブリーズには、その誤魔化しの言葉が文字通りの誤魔化しのようにも思えたし、本音だったようにも感じられる。どちらとも本当で、嘘なのだろう。

 

「僕は一度死んだんだよ。だからこんなことをしている」

 

どういう理由があれば自分から内戦の火種をばら撒こうと思うのか。そして最も厄介なのは本当にそれを成し遂げてしまったこと。

 

その行動を止められる人は、皆死んでしまったのだ。

 

「それは──……あなたの仲間達の、弔いのためなのかしら」

 

蔦が巻きついた剣や杖、砕けた盾。今は羽虫などが柄に停まっていた。それらは全て墓石だ。

 

今もその下で、仲間たちが眠っている。土を掘り起こせば白骨と残った源石結晶が見つかるだろう。残りは全て、生い茂る緑の自然に消えていった。

 

それはつまり、そこの大木には仲間たちが宿っているということなのだろうか。そう思うと、この森の生気に混じって彼らの精神が在るような──錯覚に陥った。それは錯覚なのだろうか? いや、考え過ぎだろう。

 

「君に頼みたいことがある」

 

ブリーズの欲しかった返答は返ってこなかった。

 

「頼みたいこと?」

「そうだ。多分……君にしか、頼めないことだと思う」

 

──……その言い方はズルいだろう。

 

「私にしか頼めないこと……?」

 

いやホント、その言い方は本当にズルい。

 

緩むな頬、本来の目的を見失うな。何流されようとしているんだ。そこの男を説得するという本来の目論みを忘れたのか。

 

「頼めるか」

 

真正面から真剣に──とりあえず話の内容を聞かなければ判断もつかない。話はそこからだろう。

 

そう、とりあえず話を聞くこと。その上で頼まれるべきか、断るべきかを決めよう。

 

「分かったわ、何でも任せてちょうだい!」

 

……ちょっと。閉じて。口閉じて。頼むから嬉しそうにしないで。ダメ男に引っかかる女みたいになってはダメよ、グレース。

 

「……ありがとう、ブリーズ」

 

──だから、どうしてそんな一言でやる気を出しているの。まだ話も聞いてないじゃない。

 

そして最終的に、話も聞かずに了承したことを激しく後悔することになるのだ。バカ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/21

 

 

 

 

 

 

 

死因だけははっきりしていた。源石性薬物中毒(オーバードーズ)である。

 

「──また”オレンジ”ですか……。こうも多いと気が滅入りますね」

「せめて果物の方なら、私たちも大騒ぎしなくて済むんだけどね」

「高い金払って買うんなら、どうして健康と安全を買おうとしないんですかね……」

 

若い看護師が嘆く通りだ。全くもって完全同意である。

 

「多すぎるんじゃない、最近」

「街を歩けば売人だらけですから……。特にここ最近は酷い──そろそろ大洪水に備えなきゃいけないのに、その準備もせずに一日中ラリってる連中が大量にいるんです。見ませんでしたか? そういう連中」

「あまり外は出歩かないようにしているの」

「賢明な判断ですね」

 

どの部隊も体が資本、レオーネ内の人材はとにかく体が大きくなるし強い。治安のそうよろしくない場所でも多少は安心して出歩けるが、衛生科は例外だ。特に病院付きの、ブリーズのような医者は。

 

全く体力がないのも問題なので、基礎体力訓練程度は衛生兵も積むのだがブリーズはこれがさっぱりで、一キロも走れない。それを補って余りある医療技術があるので、何とか追い出されてはいない。

 

「……それにしたって、自殺ってこともないよね。事故とか?」

「外傷はありませんからね。検出した成分は解析に回しておきましょうか」

「それがいいかもしれないわ。公安省からは何か来てる?」

「えっと──」

 

そこでブリーズが初めて口を挟んだ。

 

「来てるわよ」

 

──窓際に設置された型遅れのパソコンを前に、日焼けして黄色くなったマウスを動かすブリーズの姿がある。

 

ネットインフラは高級品であり、エクソリアで実用しているのは国家組織程度のものだった。レオーネでも導入している。この辺りに関しては知識を持つ人間がごく限られていて、ブリーズもロドスでこの辺りの知識を得ていなかったらきっと使えなかっただろう。

 

コンピュータ自体は存在していても、ネットワークの構築まではしばらく時間がかかる。民間がネットワークを使い始めるには、あと十年ほどは掛かるだろう。

 

「詳しい成分についてと、検死結果の請求ね。あの人たちったら、病院を検死所か何かと勘違いしているんじゃないかしら?」

「それは正直思います。態度もデカいし、そのくせ犯罪率はさっぱり下がってない。今の現状がなかったら、あんな奴ら全員ぶっ飛ばしてやりたいです」

 

公安省はレオーネ設立以前から存在していた組織ということもあり、新興のレオーネとはそう仲がいいとは言えなかったが──かと言って公安省が自力で詳しい検死を行える訳でもない。

 

「犯罪が多いのは、レオーネの責任もあると思うけど。みんな不安なのよ──今のところはうまく行っているけど、一度でも敗北してしまえばそれを支え切れる余力なんてないこと……肌で分かるじゃない。ブリーズは良く来たよね、こんな国に──いえ、感謝しているのよ。本当に」

「こんな国、じゃないわ。みんな親切だし、なんだかんだで陽気なエクソリアの人たち、私は好きよ」

「そう? そうね──そういえば、確かブリーズってエールさんが連れてきたのよね。どういう関係なの?」

 

看護医が興味津々といった様子で聞いていた。ブリーズは散々聞かれてきた質問に、半ばうんざりしながら答えた。

 

「ただの昔馴染みよ」

「付き合ってるって噂、あるわよ?」

「……もう。他人の恋路がそんなに気になるのかしら」

「そりゃあそうよ。ブリーズくらいの子に恋人の一つ、居ないわけないじゃない。それにエールさんもね」

「そう? あの唐変木に?」

 

ここでガールズトークに挟まれて居心地の悪そうだった看護師が口を挟んだ。

 

「唐変木なんかじゃありませんよ! エールさんはずっと気さくな人なんです。よく病院にも来てくれて、いろんな人の話を聞いてくれるんです。俺も聞かれました、仕事のこととか、家族の話とか……」

「そうね、最初は結構厳しい人だと思ってたからびっくりしちゃったね。あんまり笑わないのはイメージ通りだったけど──でもなんか、話していると不思議な感覚になるのよね。あれなんだろう、包容力とは違うけど……」

「器だと思います。俺、バオリア出身で……バオリアが北部軍に占領されていた時に、妹が暴行に遭って、その後自殺したことを話したんです。なんでそんなこと話したのか、今考えても分からないんですが──」

 

いくらエールが軍人たちの精神的な支柱であるとはいえ、簡単に話すには重すぎたことだ。それに一歩間違えれば、それはエールの責任だと遠回しに伝えてしまうことになりかねない。

 

『君の妹は蘇らないが、君の妹が確かに生きていたことを覚えておくことは出来る。話してくれてありがとう』

 

「静かな声でそう言ってくれて──何でか、救われたような気がしたんですよね。何でかは、よく分からないんですけど」

「あー……。なんか、想像できる気がする。何でも受け入れてくれる感じとか──あー……私の彼氏もあんな感じだったらなあ。いっそアタックしちゃおうか」

 

と──不穏な気配を醸し出した女医者に、反射的に口を挟んだ。

 

「絶対やめなさい。ロクなことにはならないわよ」

「……ちょっと? ブリーズさーん? その反応は、取られたくないって解釈してよろしい?」

「そんなんじゃないわよ。あのお馬鹿さん、またそうやって──」

 

勝手に全て知った気になって。覚えておくだと? ふざけるのも大概にして欲しい。出来ないことを約束するのは無責任だ。

 

それで潰れるのは、一体誰なのか分かっているのだろうか。

 

「背負うだけ背負って、一人でどこかに行こうとするのよ」

 

──冷たく突き放すような言葉だった。憂いの帯びた瞳はどこを捉えているのだろうか、そのシーンだけを切り取って絵画にでも出来そうだった。近づくのも憚られる気さえする。

 

そしてしばらく、どうにも形容し難い沈黙が生まれる。ブリーズは気まずくなって、チラリと同僚の顔を見た。同僚は呆けていた。それから口元をニヤリと歪めた。

 

「ブリーズちゃぁあん? 何、何今の。今の──今の何!?」

 

完全に面倒なことになったことを理解した。看護師の方は顔を抑えている。どうした?

 

「乙女の顔だったよね、やっぱり私の予想は当たってたんじゃない!? 医師と軍人のラブコメ、燃えるわ〜!」

「燃えないでちょうだい……。誤解しているようだから言っておくけど、私にそのつもりはないわ」

「またまた──いつ死ぬかも分からない職業じゃない、軍人なんて。後悔してからじゃ遅いのよ」

「いつ死ぬかも分からないからよ。後悔の数になら自信があるし、だいたい私にはそのつもりはないわ。恋人を作るなら、あの人だけはやめておいた方がいいわよ」

 

いつもは少し悪戯げなブリーズだが、こればかりは本気のトーンだ。事実本心である。

 

「浮気性とか? まああの人の色恋沙汰なんてあんまり想像できないけど。愛人の一人や二人、囲っていても全然可笑しくないのに」

「無縁よ。モテないわけじゃないでしょうけど……」

 

書籍を机に広げて作業していた看護師の方が、そこで口を挟む。

 

「え? 俺聞きましたよ──あのロゥ家の一人娘とエールさんが婚約した、とか」

 

実は話したくしてウズウズしていた。こんなビックニュース、話したくて仕方がなかった。

 

「え、それどこ情報?」

「友達からです。結構確かな筋で、話では明後日にでも公式に発表されるとか!」

「うそ! え、いやでも……有り得る、のかな。確か、メリィ財団がレオーネへの支援を発表したのって、つまり……政略結婚ってことじゃない」

「どういうことですか?」

「知らないの? メリィ財団はロゥ家傘下の財団よ。一人娘の名前がこの財団から取られているっていうのは、それなりに有名な話だと思っていたけど」

 

──ふと、黙ったままのブリーズに目をやる。

 

「……あの、馬鹿…………」

 

普段の微笑みはどこへ行ったのか、口元を喜びとは別種類のそれに歪めて、青筋を立てるブリーズを目撃した。

 

ゆらゆらと立ち登る怒気に、地雷を踏み抜いたことを察して同僚たちはそっと逃げる準備を始める。そんなことを他所に──

 

「今度会ったら、覚えてなさいよ…………」

 

そんな無理難題を呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/18 to 8/19 ___”The Monstar”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かがおかしい。

 

最初にそう感じたのは、誰だったろう。

 

それは例えば急増していく貧困層への支援額や、三割り増しで増えていく給料、あるいは高騰する物価と、比例して高まっていく活気か。

 

それとも、未だ消え去らない日陰の暗さが、より色を強めていることか。

 

「おい聞いたかい! 食料品の買い出しが始まったってさ! 何してんだ、さっさと行くよ!」

 

大柄な母親が息子に怒鳴ったように、大洪水に備えて食料品や生活品の買い出しが始まっていた頃だった。

 

そう余裕のある家でもなかったが、息子がレオーネに入ったおかげで家族手当が入った。おかげで食い物に困ることも少なくなった。

 

兵士として戦う代価として、家族への手厚い支援が約束されていた。その約束は本当に果たされることになり、若い人々は家族を養うためにこぞってレオーネへと志願していった。

 

そんな資金がどこから出ているのか──実は一つ裏がある。

 

戦闘ごとの兵士の死傷率は非常に高い。そして頻発する折衝に対応するため、十分な訓練が行われないまま実践を経験することが珍しくないのだ。

 

言い方を選ばなければ、兵士たちは使い捨てと表現されて過不足なかった。死んだ兵士の家族には一括でそれなりの金額が支給されるが、それっきりだ。家族を養い続けるには生き残って給料を貰い続けなければならない。

 

死ねない理由が増えることが、また南部軍の強さの一つに加わることになる。そしてこのシステムをサポートしているのはロゥ家であり、その他の企業群である。

 

最近は特に兵士募集を呼びかけていることから、近々大規模な奪還が計画されているのではないかと噂されている。奪われた鉱石都市「ホークン」の奪還だ。

 

それは、奪われた経済を取り戻すということと同義だった。

 

希望は際限なく高まっていた。膨らみ続けていた苦しみに終止符を打ってくれる英雄の存在は、もはや誰もが渇望して、誰もが盲目だった。

 

「母さん、ちょっと寝かせてくれよ。訓練続きで死にそうだったんだ……」

「何言ってんだ、男手がないと運べないだろう! スクーター直してもらったんだからさっさと行くよ。早くしな!」

「せっかく家に帰ってきたのに、容赦ないなぁ……」

 

若い軍人はボヤきながら、痛む全身に鞭を打って体を起こした。こうなった母には逆らえない。

 

数ヶ月ぶりの実家は、なぜだかとても久しぶりに感じた。毎日死ぬような思いで訓練をしていたからだろう。すっかり兵士としての根性が染み付いていて、疲労や苦痛と関係なく体を動かせるようになっていた。

 

ともあれ、大洪水にも慣れたもので──毎年のようにやってくると、「ああ、今年もこの時期がやってきたか」なんて風に受け流せるようになった。

 

「みんなの分まとめて買い出さなきゃいけないんだ、さっさとしないと夜になるよ!」

「分かったって……」

 

中心部からは少し離れた場所で暮らす一家だが、徴兵で父親を失って以来は随分と貧しい暮らしを余儀なくされていた。周りの人々もそんな感じだったので、助け合いながらなんとか日々を凌いでいた毎日。

 

今ではそれすら懐かしく感じる。

 

「そうだ母さん、リィはどこにいるの?」

 

幼馴染の名前を出して、青年は尋ねる。連絡もとっていなかったし、久しぶりに話がしたかったのである。

 

だが──いつもは豪快な母の顔が、どうにも曇っていた。不機嫌そうにも見える。

 

「あんた、リィのことはもう忘れな」

「え?」

「出てったよ、リィは」

「……え?」

 

全く予想だにしない返答に言葉を失う。

 

「薬にハマったんだよ。やめろっつっても聞きやしなかった。そのうちどっからか変な連中が現れてさ、借金があるから連れて行くつってどっかに連れてって行きやがったのさ」

「リィが……? そんな、どうして」

「バカな娘だよ。アホな男と付き合って、アホな事して。そんなわけだからもう忘れな、時間の無駄だよ」

「そんな言い方ないじゃないか! 俺の妹で、母さんの娘なんだよ!?」

「あいつ、あたしの財布からこっそりお金盗んで行ってたんだよ。あたしらは貧しいなりに誇りを持って生きてんだ。それさえ忘れちまったんなら、そこいらの犬っころと何が違うってんだ」

「そんな……」

 

母親は言わなかった事だが、リィが盗んでいった金の出どころはつまり、レオーネからの支援金だった。青年が兵士として戦う代わりに、家族への支援金が発生する仕組みだ。

 

その金で一人ラリって楽しんで、壊れていったただのバカにかける情けはないとばかりに、母親は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「とにかく、やることをやんなきゃいけないだろう。あんたが家に戻ってきてる間に準備は済ませたいんだ」

「……母さん、俺少し出てくる」

 

どのようなことがあろうと、明日を生きるための準備を怠るわけにはいかない。自然は事情を考慮してくれないからだ。

 

ただ、その全てを受け入れることはできなかった。

 

「何言ってんだ、見つかりっこないよ。バカなことはやめな。それに見つけたってどうしようもないよ。一回中毒者(ジャンキー)になったら戻れやしないさ、知ってるだろう!」

「……やってみなきゃわからない」

 

そう言い残して、青年は実家を飛び出した。

 

青年の二日程度の里帰りは、この一件で完全に消滅することになり、どころか──ある一つの重大な出来事に繋がることになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはオレンジと呼ばれている。透明度の高い粉末状の薬剤だ。

 

何より特徴的なのは見た目だ。ガラスを粉々に砕いてオレンジと並べれば、まるで区別が付かない──。

 

性質としてもガラスに似通っていて、大きな破片では指を切ったりすることもある。

 

初めに、手頃な耐熱管にオレンジを入れる。

 

次に専用の水溶性薬物を耐熱管に注ぎ込んで、オレンジと混ぜ合わせる。

 

最後に、それを火で炙る──気化したガスを吸引すると、世界の全てがぐらつくような不安定さと平行して、空の果てにまで辿り着ける。

 

水溶性薬物──起源的にはアルカロイド、つまりはコカインである。オレンジに合わせるために特殊な処理を施して水溶液となっていた。これ単体では見た目がただの水であるために、見分けるのは目視ではほぼ不可能。

 

そしてオレンジ。

 

それは源石薬物(オリジニウム・ドラック)の代表。

 

アルカロイド水溶液にオレンジを溶かすと、化学反応により溶液の色が変化して、それは鮮やかな橙色を見せる。これが名前の由来。今では水溶液までひっくるめてオレンジと呼称されている。

 

自然豊かなエクソリアには、伝統的な麻薬が存在していた。大麻に近似されるそれが変革していった結果がオレンジ──最も、そこに源石(オリジニウム)を持ち込んだのが一体どこの誰なのか。

 

通常の麻薬と異なり、源石薬物には高いリスクが伴っている。一つは鉱石病(オリパシー)だろう。肺臓が感染源となり、常用者は確実にこの病に罹るという。

 

ただし、強力なアーツを扱えるようになるという噂や、エクソリア独自の生死観も合わさり、これを規制する強力な法なり組織なりは現れていない。そもそもオレンジ自体がここ一年以内に現れた新興のドラックである。

 

ただしオレンジは、既存の薬物市場を全て塗り替えてしまった。

 

「──買わねえんなら用はない。商売の邪魔をしないでくれ」

「頼む、妹なんだ! この写真、見覚えないのか!?」

 

フィルムに映る妹の笑顔を興味なさげに一瞥して、髭の伸びた売人はかぶりを振った。

 

「ねえよ。知らない知らない、さっさと諦めるなりしてくれ」

「……くそっ」

 

過ぎていく時間に焦りばかり募った。

 

家族にいい暮らしをさせるためにレオーネに入隊したのに、肝心の妹は消えてしまった。ままならない現実に苛立ちを示したってどうしようもない。分かってはいる。

 

「だからって、諦めろって言うのか……」

 

休暇は二日間だ。それが終わればレオーネに戻り、戦闘訓練や哨戒任務に当たらなければならない。その間に妹を見つけられなければ──おそらく、二度と会うことはないのだろう。

 

「……おい、あんた。さっきの写真、もう一回見せてみろ」

「? なんだよ──」

「いいから」

 

ひったくるように写真を掴んだ売人の顔色が変わっていた。

 

「何か知っていることがあるのか!?」

「確か、この女……一度見たことがある。シラクーザ系の移民だと思うが、そこの下っ端か誰かの取り巻きに、こんな顔のやつが居たような気がする」

「本当か!?」

「結構前の話だぞ? 随分胸とケツのデカい女だったから覚えてる。背が高かったが、いい女だった」

 

──符合する。

 

自慢の妹だった。寄り付いてくる男は跡を断たなかったし、頻繁に恋人は入れ替わっていたが、笑顔が本当に楽しそうで、実は天真爛漫な妹。

 

「……今、どこにいるか分からないか」

「知らないな」

「頼む、俺の妹なんだ!」

「家族のあんたが知らないなら、他人の俺が知っている訳がないだろう? 俺は情報屋じゃなくて、ただの売人だ」

 

往来の中で、傍目も気にせずに頭を下げた結果でもこの有様だ。

 

アルゴンの街には無数にいる売人で、無数にいる薬物服用者の中で──行方知れずになった者の数など、それこそ数え切れるものか。

 

「色々教えてやったんだ、一つくらい買っていけよ」

 

懐から取り出した一セットのオレンジを見せびらかしながら差し出した売人に、軍人の青年は吐き捨てた。

 

「俺は軍人だ! やめてくれ」

「……あんた、軍人なのか?」

「そうだよ! 帰ってきたら妹が居なくなっていたんだ!」

「気が変わった──」

 

またしても不穏な空気を醸し出した売人に対し、青年は思わず身構える。

 

軍人に対して憎しみを抱いている連中もいる。売人もその一人かもしれなかった。

 

「手伝ってやる」

「……え?」

「俺は売人で、エールのような自由主義者(リベラリスト)じゃない。だがあんたら軍人には感謝している。どっか後ろ暗いエールに思うところは多いが、軍人なら誰彼構わず憎い訳じゃない。あんたらのおかげで俺まで戦わずに済んでいる。妹の名前は?」

「……リィだ」

 

火薬臭い改革の吹き荒れる南部の中には、古臭い伝統主義者たちが嵐を耐え忍んでいる。

 

伝統的で保守的な生活を守るために、伝統の破壊者たるエールの手を借りなければならない矛盾。その中に、滴り落ちる汗が映し出す蒸し暑い現実だけが残されていた。

 

今は亡き黄金の時代。或いはまだ訪れていない希望の時代。いつしか救われることを願っている。

 

終わらない苦難に、誰かが終止符を打ってくれる日が来ることを願い続けているのだ。物陰から隠れ潜んで、嵐が過ぎ去るのを待つ動物のように。

 

誰でもいいから戦争を終わらせてくれと、誰かが呟いていた。

 




またシリアスが続くのかって? その通りだよ、ボブ。

・青年とか
特に名前のないモブの人々。このエピソードの視点担当の人

・時系列とか
日付が前後しますが、まあ特に気にする必要はありません。そのうち設定のガバが起きるでしょうが。


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"The Monstar" and others -2

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かつてない苦境に立たされていた。

 

「……黙ったままか? さっさと答えろ」

 

まるで死神の使い、いや死神そのものだ。ステレオタイプな死神の鎌にも似た、滑らかな反りの曲線を描く大剣。そう、まさしく大剣──或いは、それがその死神の鎌だろうか。

 

振り回すどころか、構えるだけでも一苦労のはずだ。材質が何かは知らないが、まさかプラスチックではないだろう。それを軽々と背負い、フラつく様子一つも見せない。細身の体に見合わない、鍛え抜いた肉体。

 

慣れない冷や汗が流れる。

 

だらりと、蒸し暑い室内に垂れ落ちる。

 

「お前たちは、私たちに従うのか。それとも反抗するのか。言え、この一件の首謀者は誰だ?」

 

──どちらがギャングか分からない。

 

一度壊滅寸前にまで追い込まれ、これ以上ないほどの苦痛と絶望を与えられた。その恐怖が抑え切れない。

 

「何が目的だ。金か? 金が足りないんだろう、でなければこんな真似はしない。違うか!?」

「……私はな、面倒ごとが嫌いなんだ」

 

首の千切れた誰かの体が三段ほど重なって山になっていた。座るのにはちょうどいいとばかりにその肉袋の上に腰掛ける女は、不機嫌そうに──これが普通なのかも知れないが──睨んだ。

 

「これ以上私に面倒ごとをさせるな」

「……分かった。約束、する」

 

絞り出した一言が、どれほど屈辱的なのか……女には絶対に分からないだろう。誇りを侮辱され、踏み荒らされ──その上で奴隷になることを受け入れさせる、この屈辱は。

 

「ボス!?」

「……他に、道はない──。用意しろ」

 

側近の驚愕した声さえ自らを責めているようだった。普段なら額に火のついた煙草でも押し付けてやるところだが、今回ばかりは──どうしようもない。

 

「期限は明日までだ。いいか……()()()はバカで甘い。だが()()()に比べれば、私の力など大したものじゃない。譲歩はした──よく覚えておけ。次はない」

 

返り血で汚れた灰色の代理人(スカベンジャー)が、冷たく言い残して去っていった。

 

「……あいつらさえ、居なければ──」

 

溢れた声、疲れた顔。かつてはアルゴンの裏社会を震え上がらせていた男も、今となっては跡形もない。

 

全てはリン家の崩壊から始まった、いや──もっと言うならエールの登場から始まっていたのか。

 

バオリアに居を構えていたリン家は、前々から雲行きが怪しかった。それは客観的に見ればそうだった。だが──ハノルはアルゴンの裏社会にさえ取引を持ちかけてきた。従来続いていたリン家との商売を切り替えて、ハノルの提案する新しい麻薬ビジネスに飛び付いた。いずれハノルがリン家の全てを握るという確信が、勝ち馬に乗ろうとする手っ取り早い勝ち方へと組織を導いた。

 

ハノルが消えるなど、誰が想像出来たのだろうか。あの男はこれまで出会ってきた全ての人間より狡猾で、残忍であり、合理的な男だった。

 

誰に消されたのだろうか? 答えは明確だ。

 

今、リン家がこれまで牛耳ってきた全ての利権は、二大貴族の一つ、ロゥ家と──レオーネ、つまりはエールとグエンが山分けする形になった。

 

暗闇の中で生きるのはお勧めしない。

 

規範や道徳に従って生きている人間は、何らかの保護や正当性を得られるが──自ら望んで暗闇で生きることを選んだ人間は、誰にも助けてもらえないのだ。

 

そう、悪を喰らうのはより強い悪。それが男の信じていた信念。

 

今までは、喰らう側だった。それが突然喰われる側になったとして、なんの不思議があろうか。どこにでもあることだ。

 

「──ボス、知らせておきたいことが!」

 

すっかり気力を失ってしまったボスの元に駆け込んでくる声に、気怠げに視線をやった。

 

「……後にしろ」

「いえ、もしかしたらヤツ(エール)の弱みを握れるかも──」

「なに……?」

 

悪巧み。

 

 

 

 

 

 

 

 

8/18

 

 

 

 

 

 

 

──夕方になっていた。

 

南部エクソリアは科学技術が発達していない。近隣にある大国、例えばサルゴンなどの影響を受けて、自動車やスクーターは存在していたりするが、高度な技術を要するネットインフラは構築できていない。無線通信が関の山である。

 

携帯電話などが普及していないため、全く知らない人間に連絡をとる手段がない。そんなわけで、売人に言われた場所で待ってたのだ。

 

だが夕方になるまで待っていれば、流石に暇が過ぎていた。

 

どこぞの風俗店とは顔見知りらしく、ベッドだけがある一室に通されて、ここで待っていろ──とか言われても。

 

隣部屋からは嬌声が絶えない。

 

「待たせた」

 

そんな中で、突然に扉が開けば驚いてそっちを見上げる。

 

「……待たせすぎだ! 何時間こんな場所に居させる気なんだ!」

「一発ぐらいヤってなかったのか? 暇つぶしに、と思ったんだが」

 

件の売人で、相変わらず何を考えているか分からないような顔をしている。エクソリアには珍しい、落ち着いた人間なのだろうか。

 

「うっ……」

 

──生まれてこの方、異性と付き合ったことのない青年は、予想しない返答に面食らって吃った。

 

「まあいい。あんたの妹、リィと言ったよな──」

「そうだ、妹は、リィは!?」

「見つからなかった。結論から言えばな」

 

二秒ほど固まって、それからため息と共に青年は項垂れる。

 

それから立ち上がって、ふらふらと扉へ向かった。

 

「帰るよ。ありがとう、妹を探してくれて」

「待て、話には続きがあるんだぞ」

「……それを早く言ってくれ」

「全く……いいか、ドラッグにハマって()()()()に落ちてくる女の末路は二つだ。一つはこういう水商売──ちょうどこの店のように」

「この店、って──」

「借金だったり、家族を養うためだったり──事情のある女が働いている。俺はその方面に顔が効くから、一通り探し回ってきたが、あんたの妹らしき女は居なかった」

 

今もそんな暗闇があることに、半分ほど驚いていた。

 

エールが現れてからも、まだそんな暗闇がこの国に残っていた。暗闇が消えない理由ははっきりしている。それは突き詰めれば、戦争が終わらないことに端を発する。

 

「そしてもう一つ。まあこっちと似たようなものだが……ギャング組織のお抱えになる、って末路だ」

「は、はあ……? なんでだよ」

「一種のステータスみたいなものだ。いい女をたくさん抱えていることは、ギャングの力をそのまま示してる。噂だが、そういうお抱えの女──いわゆる高級娼婦(ハイ・フライヤー)の存在そのものが組織同士の取引に使われたり、トレードされてるらしい」

「訳が分からない! リィがそんなことになってるってのか!?」

「俺の見解を述べるなら、可能性は高い。ギャングに気に入られれば、そいつの意思とは関係なくやがて薬物中毒者(ジャンキー)なってしまう。オレンジはその依存性が特徴のドラックだ」

 

──つらつらと冷静に解説する売人には大した事実ではなかったのだが、青年にとっては違っていた。

 

「……サンクルーランの向こう側」

 

単体では意味の分からない言葉だが、売人の男は感心したように眉を上げた。

 

「詳しいな? サンクルーラン(此岸の境界)、ラリった時の感覚はその向こうを越えていく勢いらしい。常用してれば遠くないうちに本当に渡ってしまうが」

 

サンクルーラン──というのは、エクソリアの大部分の民族に伝わる民族神話の一つで、人と大地を隔てている川のことだ。

 

エクソリアに宗教は存在していない。だが信仰は存在している。

 

人は荒ぶる大地から生まれ、やがて荒ぶる大地に帰っていく。

 

天災に対する信仰と畏怖が根底に存在し、サンクルーランもその一種であり──ある学者の分析に依れば、もうすぐアルゴンに訪れる天災の一種、「大洪水」が原型であるとされる。

 

この川の向こう側には、大地を統べている人がいて──全ての魂は彼の元へ集い、苦難に満ちた魂の全てを大地に帰してくれる。

 

この信仰に熱心な人も、そうでない人も──エクソリアで生まれ育った人々ならば、誰しもが根底にはこの意識を共有している。少なくとも、ラリった時にそんな情景が浮かぶ程度にはその存在を信じていた。

 

「さっきも言ったが、俺の記憶が正しければお前の妹はギャングに連れられていた。いい女だったからな。どこの組織かまでは分からないが」

 

薄い壁の向こう側からは相変わらず誰かの嬌声が聞こえてくる。とても遠く、現実離れした──その実これ以上ないほど現実的な──遠い声がずっと聞こえている。

 

どうにも性を沸き立てる種類の声だが、まるでそんな気分にはなれないまま青年は立ち尽くしていた。

 

「どうする?」

「どうする、って──」

「ギャングに関わるのは危険すぎる。命を落とす可能性も高い上に、確実に見つけられるとは限らん。軍人ならいつまでも暇って訳じゃないだろう?」

 

つまりは、妹をそれでも探しにいくのか? そう訊いているのだろう。

 

「……一つだけ、教えてくれ。オレンジ中毒になった人は、元の生活に戻れるのか?」

 

絶望の混ざった顔で青年は、まるで祈るように呟く。

 

「無理だ──とは言わない。だが……難しいだろうな。オレンジを常用してれば一週間も経たずに鉱石病(オリパシー)に感染する。そうなれば、仮に依存症から脱却出来ても、完全に元の生活に戻るのは難しくなる」

「……」

 

エールの行った受け入れ政策で流入してきた移民は、ほとんどが感染者だ。特にアルゴンは戦線から最も離れた街であるために移民の入り口となっていて、街には感染者が急増している。

 

南部には感染者に対する差別が存在していなかった。そもそも鉱石病が存在していなかったためだ。

 

だが、新しく、異質なものを拒否するのは人間の性である。どんな厳しい仕事でも喜んで引き受ける移民に、元々南部に住んでいた人々が仕事を奪われるケースもある。

 

ウルサスのような強烈な迫害は起こり得ないにしろ、少なくともエクソリアは感染者にとっての楽園には成り得ていない。当のエール自身が感染者であることを公表しているため、明確な排斥や差別に繋がる事態が発生していないのが不幸中の幸いか。

 

ただ、順風満帆でないことだけは確実である。

 

「俺はもう三年以上売人をやっている。オレンジが現れたのはここ半年以内だが、それより以前から──薬物中毒者(ジャンキー)が更生した話は聞いたことがないし、見たこともない」

「妹を助ける方法を──」

「諦めた方がいい。これは親切心からのアドバイスだ。得られるリターンに対し、リスクがあまりにも大きすぎる。お前の妹を助けるということは、裏社会に無数に存在するギャング組織の中からただ一人を探し出し、奪い返し、そしてオレンジから足を洗わせることだ。控えめに表現するが、無理だ」

 

どれを取っても難しい。一介のヒラ兵士である青年は、鍛えた体こそあっても──それがこの問題を解決できるとは到底考えられなかった。

 

「それに、俺も命は惜しい。仕事のこと以外でギャングに関わりたくない。これ以上の協力はできない」

 

逆に、名前も知らない他人に対してここまでの情報を集めてくれただけでも、十分過ぎるほどなのだ。

 

特に今の裏社会は、元々存在していた伝統的なギャングに、新興の半グレ集団、それに加えてシラクーザ系移民を中心としたマフィアまで現れ始めている。混沌の渦には近づかないのが最も賢明な選択なのだ。

 

「……わかった。ありがとう、見ず知らずの俺に、ここまでしてくれて」

「気にするな。戦士には敬意を払うさ」

 

──軍人である青年のことを兵士ではなく戦士と形容するところが、人々のレオーネに対する誤解の一つであった。

 

売人の献身的な行動は、外敵と勇敢に戦う軍人への、人々の幻想を反映していたのかもしれない。

 

恐怖に疲弊した人々の、諦観にも似た信仰──せめて、英雄エールが率いる勇敢な軍人たちは理想の戦士たちであってほしいと願う心。

 

戦場の歯車たる兵士としては、そのギャップに嫌な軋みを覚えていたが──口に出すことはしなかった。

 

訂正したところで、大した意味などないことを知っていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

8/15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え? 私がいくのかしら?」

「いつもならわたしが行くんだけど、実はちょっと忙しくて……。患者の症状は安定してるから、異常がないかだけ見てくれれば大丈夫よ」

 

申し訳なさそうな同僚の顔。

 

往診──患者の家にまで出向いて、診療を行う医療方法の一種。

 

「酷い病気なの?」

「いやー、そういう訳じゃないんだけど」

「ならどうして? 今のところ、優先するべきことは他にあると思うけれど……」

 

軍病院──元アルゴン国立病院では、一般兵士たちの治療や、民間人の診療も受け付けているが、ほとんど軍に関連することが仕事の大半だ。

 

それに、緊急の事態でもない限り、民間人は治療を受けることが出来ない。理由はシンプルで、医療代を支払えないからである。現代国家のような保険制度が充実しておらず、命に関わる病気でも治療を受けれない事態が少なくない。

 

軍人以外が診療を受ける場合、大抵はその人物は富裕層である。

 

軍病院の医者たちは、本当に苦しんでいる人々を助けることができないことを知っている。そしてそれを解決する余裕が、今のレオーネにないこともよく分かっているのだ。

 

「それが、患者はギャングの大物でさ」

「え? どういうこと?」

「エールさんの指示なのよ。最低限死なせないようにしておいてくれって」

「……。あの、お馬鹿さんは……何してるのかしら」

 

出身が出身であり慣れているためか、裏社会の重要人物と平然と繋がりを持っている。一体何の目的でそんなことを──。

 

「──っていうか、いい加減不信感とか生まれないのかしら」

「不信感?」

「あなたの話よ。普通、そんなこと言われたら怪しむものでしょ? あのお馬鹿さんが汚い手段を使っているかもしれないし、もしかしたら私利私欲のために何かしているのかもしれないじゃない」

「? そんな訳なくない?」

「いえ、ええ、まあ……確かに、そんなタイプじゃないけれど」

 

──末端の兵士に至るまで、トップに一切の不信がないというのは、組織という生き物に置いて相当に貴重なのだ。

 

「エールさんのことを盲信してる訳じゃないよ。あの人を信じられる人だって、自分で判断して決めたんだから」

 

ある程度怪しいことがあるにしても、それを踏まえてエールのことを信用している。それら全ては、未来に繋がるものであると。

 

「……分かったわ。でも、あんまりあのお馬鹿さんを信じてると、そのうち痛い目を見るわよ」

「それは経験談?」

「そうね。後悔する羽目になるかも」

 

茶目っ気たっぷりに笑うブリーズだが──実際、笑い事ではない。

 

もうあんな目に遭うのはごめんだ。何もできないまま、守られたまま終わるのは──今となっては、もうブリーズしか覚えていない。

 

エールはもう忘れてしまっている。だからせめて、自分だけは覚えていなければならないと、そう決めた。

 

「これ、患者さんの情報ね」

「ありがと、じゃあ行ってくるわね。一つ貸しにして差し上げるわ」

「今度何か奢ってあげる。一緒に飲みにいきましょ」

「いいアイデアね──そんな暇があれば、だけど」

「あはは、違いない」

 

いつもの診療鞄を持ち上げて、ブリーズはふっ、と切り替えるように軽く一息ついた。

 

そしてその一時間後、ブリーズは滑らかに拉致されるのである。またかー……。

 

 




・スカベンジャー
しっかり暗殺者が似合う人になってしまった人。

・売人
シンプルに親切な人

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"The Monstar" and others -3

8/19

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……青年は、背中に槍を背負っていた。

 

武器の携帯は認められているにしても、街中で堂々とそれを背負って歩けるのは軍服という免罪符があるからで、そうでなければ極左主義者(テロリスト)と見做されるのがオチだろう。

 

青年は一人だった。

 

これは自分のごく個人的な事情であることを理解していたからだ。

 

青年は若く、また怒りに支配されていた。それは吹き荒れる嵐のような激情ではなく、地面から煮えたぎるような静かで根強い怒りであった。

 

「一人で行く気か?」

 

道すがら、昨日の売人が声をかけて来た。

 

──住む場所によって豊かさは異なる。貧乏人と金持ちは同じ地域には住まないからだ。ドラッグが犯罪の象徴ならば、同時に貧困を示す。

 

不思議なもので、貧困──このような、瓦礫の片づけられていないような場所に住む人々はオレンジなどには手を出さない。取引場所として都合がいいので売人の数は多いが、道端に座り込んでラリっているバカなどいない。

 

それが逆に、どうにも不気味だった。

 

安っぽいブリキの看板が立ち並ぶ屋台飲食店や、割れた窓をそのままにしている雑貨店など──荒れ果て切っていない、人の気配が充満している。

 

「せめて一目だけでも、妹に会いたい」

「……聞け。クルビア系のデカいギャング組織が妙なパーティーを行うらしい。大々的な喧伝を行ってる──」

「パーティー?」

「ああ。しがない売人の俺のところにまで触れ回ってきたんだから、相当な気合の入れようだ」

「なんだよ、それ?」

「大抵はこういうのは、ギャング同士の同盟や、協力を示すために行われるものだが──今回は、どうも違いそうだ。謳い文句がまた妙で──エールが現れるらしい」

「は?」

 

そう言う売人自身も、あまり釈然としない様子だ。裏社会のチンケなギャング程度にエールが現れるのか? だとしたらどうして?

 

「急な話でな──。話自体は、前から進んでいたようだ。おそらくアルゴン裏社会の有力者のほとんどが招待されるという話だから、相当な規模になる」

「どうして俺に、その話を?」

「……あんたの妹も、そこに現れるかもしれないからだ」

「本当か!?」

「ああ。通例では、そういう場所にはお抱えの女もアクセサリー代わりに連れてくる連中が多い。趣味の悪いスーツ着た連中と胸元の開いた喋る装飾品(アクセサリー)で溢れかえるらしい」

「どこで行われるんだ!?」

「焦るな。そういうのは基本的に招待制だ、厳つい軍服(そんなもん)来てちゃ戦争しにきたと勘違いされるぞ」

 

レオーネでの標準的な、最も実用的な軍服を着ているということは、戦闘を想定していること。防刃で軽量、動きやすい。長袖なので暑くてしょうがない。

 

つまり、オフの日にそれを選んだ理由ははっきりし過ぎている。戦闘になることを想定したのだ。

 

「……場所は、ここからそう遠くない。正午からだそうで、一帯を貸し切って行うらしい。誰でも入れる一般エリアと、招待された連中しか行けない場所がある」

「そもそもどうして、そんなことを? 大洪水直前なのに──」

「知るか。だが──俺の感じる限り、ギャング連中は相当に頭に来てるらしい。リン家崩壊からこっち、あのエールに叩き潰されたり、かなり押さえつけられてきていたみたいだからな」

「エールさんが?」

 

青年は軽く眉を顰める──噂程度なら耳にしたことはある。あの人が普段どんなことをしているのかは、案外謎だったりするのだ。

 

まあ、言われてみれば──そう驚くことの程でもない気もする。

 

──あの人くらい強ければ、あらゆる困難は意味を成さないのだろう。

 

「俺自身の予想だが、これは反撃かもしれない」

「それは──……ギャングがのさぼっているのが手放しになっているのは、今はそんなことをしている余裕がないからだって聞いたことがある」

「そうなのか? まあそうかもしれないが──連中にとっては、別に戦争なんてどうでもいいことさ。移民連中にとっちゃ、エクソリアは祖国でもなんでもないんだ。絞れるだけ絞って、最悪の事態になればこの街からはおさらばだろうさ」

 

売人の口調からも、そんなギャングたちへの苛立ちは見てとれた。生活のためにギャングとの繋がりを得ているが、決して本意ではない。そもそも余所者が出張ってきて、従来の微妙なバランスで成り立っていた麻薬ビジネスを無理やり拡大させたせいで胸糞悪いことが起きている。ちょうど、青年の妹のことのような。

 

「俺はエールも、ギャング連中も嫌いだ。あいつらが潰しあってくれるのなら、俺は歓迎する」

 

肌の色や、エールの話す共通語の微かな訛り──それらは全て、エールがこの地に根付く血筋を持っていないことを証明している。

 

誰も彼もがこぞってエールを讃え、希望を託している。

 

だが所詮エールは余所者だ。過去を語らないエールを手放しで信用できるほど、売人はおめでたくはない。

 

「あの人のルーツがなんであれ、エールさんが居なければとっくにアルゴンは陥落していたんだぞ……! 守ってもらっている身で──」

 

そんな売人の言葉に怒りを覚えて、青年は反論するが──

 

「誰が守ってくれと頼んだ? 誰かがエールに、お願いだから俺たちを率いて北部と戦ってくれと頼んだのか? 情けない話じゃないか。あのグエンですら、全てはエールの存在ありきだ」

 

淡々と指摘する内容が、鋭くこの国の内情を示す。

 

「俺はどうにも不気味でならない。これは俺たちエクソリア人の問題で、どうして誰かも知らないヴァルポ一人が先頭に立っているんだ。おかしいとは思わないのか……?」

「……そりゃ、確かにその通りだ。それは認める。だけど──じゃあどうするべきだ? あんたは誰かがエールさんの代わりを務められると思うのか?」

「可能性があるとすれば、グエンの爺さんくらいだろうな。だが俺が言いたいのはそうじゃない。俺が言いたいのは、これは俺たちの戦争で──俺たち自身が責任を持って戦うべきだってことだ。俺の目には、南部はエールに頼り過ぎているように映る」

 

典型的な右翼主義(ライトサイド)の発言だ──と、もしも社会学者ならそう分析するだろう。

 

ただ、青年はその発言の真意をうまく理解できなかった。

 

「何が言いたいんだ、あの人が邪魔だって言いたいのか!?」

「違う、そうじゃない……。レオーネの現状はエール一人に寄りかかってる。それは危険だって言いたいんだ。戦いかなんかであいつが死んだ時、あんたはどうそれに対処する?」

「それは──、けど……」

「誰も彼も、あいつの鉱石病(オリパシー)ってものに英雄性を見出している気がしてならない。俺にはオレンジの流行にはそれが無関係であると思えない。訳のわからん憧れで、鉱石病(オリパシー)に罹りたいって輩すらいる。この国はどうかしてる」

 

──誰も彼もが狂っていると、売人の目からは見えていた。

 

狂人から見れば、普通の世界は狂っている。

 

だがその逆、狂った世界から見れば、正気の人間は狂ったように見えるはずだ。それらの物差しが相対的でしかないとするならば、果たして正しいとはどういう状態を指すのだろうか?

 

「……あんたにこんなこと言ったって仕方ないよな」

 

薄い笑いを溢した売人に対し、青年は何かを言おうとして言えない。売人の言葉には何かしらの諦めが混ざっていたからだ。

 

「いいさ、案内してやる。ついてこい」

「おい、ちょっと待てって──」

 

 

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ギャング集団のパーティーというのは、強烈な華やかさや豪華さが特徴的だ。暴力一つで生きる必要上、見栄が重要である。

 

そのため、それはもう──色とりどりの料理やら、大量の酒や、派手な装飾の施された会場が用意されるわけである。

 

アルゴンのとある通りは、祭りでもあるのかと疑うほどの賑わいを見せていた。

 

──とあるクルビア系ギャングの男が、構成員を丸ごとアルゴンに引っ張ってきてドラッグビジネスに参入し、瞬く間に拡大。今や実質的な自治区域を獲得するに至っている。その範囲では、ギャングへのみかじめ(顔立て料)を払うことで、人々は安全な商売をすることができている──とは、そのクルビア人の言葉だが。

 

現地の人々にとっては、黒スーツのチンピラ共が土足で乗り込んできて、金をせびって来ただけである。確かにここら一体の犯罪率は低下したが、みかじめ料の高さに辟易していた。

 

しかし、ある日を境にギャングの横暴が多少おとなしくなり、一体何があったのだろうかと身構えていると──突然パーティーなどをやるから料理やらを大量に作れなどと命令されたり、まあ踏んだり蹴ったりである。

 

伝統的なエクソリアの高級屋敷──木造建築を活用した、門付きのデカい本拠地を中心としてパーティーは始まっていた。

 

首からジャラジャラとしたチェーンを下げた人相の悪いループスなどの、普段見かけない

種族やら、クソ暑い中でも黒スーツを脱ごうとしないチンピラが下品な笑いを響かせて煩かった。

 

会場のスピーカーから全体に流れているどっかの国のロックは知らない言語で何かを歌っていた。その激しい曲調が見せかけの奇妙な高揚感を生み出していた。

 

「──おい、あれ」

 

若い女性を何人も側に侍らせた幹部の男が、ニヤニヤしながら指を指す。

 

「ああ? ……おいおいマジか」

 

グラスを持ったチンピラたちも、次々にそちらを見ていく──。

 

──シャツにネクタイを垂らし、儀礼用の服装を身に纏った、白髪のエール。

 

長い髪もそれなりに纏められており、人混みの中で目を引いていた。特徴的な柔和な笑みを口元に貼り付けて、平然と歩いている。

 

その場違いとも言える優しげな顔が、この狂騒的な空間にうまくマッチせず、それが逆に妙な威圧感を放っているように感じる。

 

「……あっちの女と、後ろのヤツは誰だ?」

 

隣には、灰色の髪をしたザラックの女が歩いていた。女の方も、伝統的なエクソリアのドレスで着飾っている──とても嫌そうに。

 

目つきが致命的に悪かったし、体型の凹凸に乏しい女ではあったが──顔自体は悪くない。男たちはそんな品定めを終えると、その後ろできょろきょろと辺りを睨みつける、槍を背負った軍服の青年に目を向ける。

 

「知らねえな。護衛か?」

 

──その一方で、じろじろと遠慮のない視線に晒されていた青年は心の中で呟いた。どうしてこうなった。

 

「もっと堂々とするといい。君も、今は招かれた客の一人──妹を探しに来たんだろう。この会場のどこかにいるかも知れない」

 

平然とエールは言うが、青年の緊張がほぐれることはなかった。会場にはざっと見回すだけでも40人以上の娼婦がいた。そもそも娼婦とはいうが、どっからどう見ても付属品以上の存在ではない。

 

綺麗に飾り立てられ、大抵は口一つ開かず──人形のように微笑んでいるだけだ。薄っぺらく、またそれゆえに美しい。

 

その隣には、顔に傷やらタトゥーやら入れてサングラス掛けたりしている典型的なギャングがいるので、青年は女たちを観察するのにも気を使わなければならなかった。

 

エールは場慣れてしているため──この場合は、こういう視線に慣れている、とでも表現するべきか──平然としているが、青年の方はそうもいかない。

 

この状況はもしかして、想像していたよりもかなり危ない状況なのではないだろうか──?

 

妹に会うためには手段を選ばないと意気込んではいたものの、それを押し通せるほど戦闘に秀でているわけではない。

 

実はさっき、軍服で乗り込んでいく決意を固めている時に、背中から声を掛けられたのである。そこで”せっかくだし一緒に連中を潰しに行こうか”とか言うヴァルポが居たとしたら、明らかに何かがおかしいので関わりは少なくしておくことをお勧めする。

 

「なぜ私までこんな目に……」

 

ぼやくスカベンジャー。完全にとばっちりである。

 

そもそもこんなきっちりしたような服装は苦手──どころか、おそらく人生で初めてドレスなど着た。居心地が悪い──男たちの品定めするような、品のない視線が最悪に不快だ。

 

おまけに──武器がない。これが最悪だった。

 

危ないことに関わりたくない売人を入り口の辺りに残して、青年はエールの背中についていく。右腕の袖がひらひらと揺れていた。汗が浮き出てくる暑さなのだが、ジャケットまで着込んでエールは暑くないのだろうか。その素振りは見せない。

 

近寄り難い何かしらの雰囲気が、エールの進む道を空けていく。

 

青年は周囲に目を走らせながら着いていくが、少なくとも妹らしき女性は見当たらない。綺麗に着飾った女たちの中に妹が紛れているかもしれない事実が、違和感を残して気持ち悪かった。

 

「止まれ。武器は持ち込んでねぇだろうな」

 

数人ほどのギャングが立ち塞がって、じろりとエールを睨むが──

 

「パーティーの礼儀は知ってるさ。仲良くしようよ」

「どの口で……」

 

軽く手を挙げて、武器を持って来ていないことを示唆した。そもそもエールのアーツ能力を考えれば、ボディチェックなど特に意味もない。

 

「そっちの槍は置いてけや」

 

青年が背負った槍を指してギャングは睨んだ。それには大人しく従うことにする。

 

「……そっちの女、見覚えがあるぞ。この前来てやがった女だな? なんのつもりだ!」

「どこかに暗殺者が潜んでるかもしれないと、君たちも安心できないだろう? それに暇そうだったし」

「てめぇ──」

 

睨み合いの横で、相変わらず本当に嫌そうな顔をするスカベンジャー。意外と似合っていた。

 

「通るよ。招待したのは君たちなんだ」

 

そこいらのチンピラとエールでは、どうにも釣り合いが取れていないように青年は感じた。

 

結局、エールが飄々として横切っていくのを黙って見送る他ない。力の限り睨みつけていたのは、おそらく負け惜しみだろう。

 

そして奥には仰々しい階段と、その上に王座などがあって──そこに得意げに座る、このギャングのボスが座って、エールを見下ろしていた。

 

門の内側は、外の喧騒からは隔離されている錯覚を覚えるほど奇妙な静寂さがある。

 

幹部たちが並んでいると、大柄な体や顔つきから威圧感が放たれている。たかがギャングと馬鹿にはできない。不用意な言葉一つで首を飛ばされるのではないかと、少し怖くなる。

 

エールはそんな彼らを見上げて、まるで緊張感などないように言い放った。

 

「こんにちは。まさか招かれるとは思わなかったよ、何かいいことでもあったかな?」

「ふっ……調子はどうだ?」

「多分、悪くないかな。ところで、うちのアホが君たちに保護されたとか聞いたけど」

「──……連れてこい」

 

背後の手下たちに指示を出すと、奥の扉から人影が現れる。

 

綺麗な長い金髪と、悪戯げな瞳。片手には黒いアーツロッド、もう片方に──なんかチキン持ってる。

 

ぱちりと瞬きを一つすると、周囲の状況や、下から見上げているエールを交互に見たりして、呆れたように言った。

 

「……ごめんなさい、捕まっちゃったわ」

 

一周回って、ブリーズは何かに呆れたように謝った。

 

往診に向かう途中であっさりと拉致されたのである。ユーロジーを手放していなかったのは、せめてもの意地と呼べるのかもしれない。

 

ブリーズとて、修羅場はある程度は慣れていた。ロンディニウムを離れてからは紛争地帯を巡る旅医者だったので、危険な目に遭ったことも一度や二度ではない。焦ったり慌てたりすることにも慣れてしまったので、それなら開き直って堂々としていた方が物事はうまく行く──とは、ブリーズの経験則である。

 

──片手に食べかけの骨付きのチキンを持っているのだけが、最悪にシュールだった。それはそのままブリーズの待遇を示していた。エールの女だと見られていたブリーズに下手に手を出せば、エールは何をするのか分からない。

 

だが、ギャングたちにとってはブリーズはただの口実に過ぎない。

 

「……はぁ。どいつもこいつも、直接僕のところに来た方がお互いに手間も省けるだろうに。どうしてギャングって連中はこうも懲りないのかな」

「一つ取引をしよう。お互いの益になることだ──公式に我々の存在を認めろ。そうすれば我々はより多くのオレンジを生産出来る。我々は協力し合い、多くの富を得ることが出来る。そうだろう?」

「えーっと……つまり何、薬物規制を取っ払えって言ってるの」

「金が必要なのはお互い様だろう? 締め付けは結構だが、本当にお互いのためになることをしようじゃないかという話だ。くだらない正義感などとうに捨てた身だろう。違うか?」

「ふーん……アガリは何割?」

「4割。これが我々の最大限の譲歩と受け取って欲しい」

 

突然始まった交渉もさる事ながら、青年にとってはエールがまともに受け答えしているのが衝撃的だった。綺麗事だけで組織は回らないが、こうも直接的な場面を見せられると──。

 

ボスの方はエールを見下ろし、エールは薄い笑みで見上げる。身じろぎさえも憚られるような緊張が走っていて、唐突にエールが口を開く。

 

「一つ条件を出そう。それを呑むのなら、その条件を認めても構わないかな」

「条件次第だな」

「難しい事じゃない。……君、さっきの妹の写真はあるかな」

 

急に水を向けられた青年は戸惑いながら答えた。

 

「え? あ、ありますけど……」

「少し貸してくれるか?」

「あ、はい──けど、何に」

 

笑顔の妹が映る小さな写真を手渡すと、エールの掌からふわりと写真が風に靡いて宙を舞った。それはそのまま不規則な軌道を描き、階段の上まで吹かれていく。

 

そして、元ある場所に収まるような自然さでボスの手元にゆっくりと落ちていった。

 

「その写真の子を探して欲しい」

 

──突拍子もないエールの言葉に思わず目を見開く。今、なんと言った?

 

「──名前は?」

「リィ、と言うそうだ」

「一時間待て。すぐに探し出す。ふむ、では──この喜ばしい出来事に祝杯を」

 

乾杯。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何を企んでいるの?」

「うん?」

 

騒がしいギャングパーティーの中でのエールとブリーズの会話だ。

 

人質というよりは、完全に出汁に使われたブリーズだが──あまりの手際の良さに何かを勘繰ってしまっても仕方ないだろう。

 

ちびちびとシャンパンに口を付けているエールは、ブリーズの目から見て怪しさ満点である。

 

「もしかして、知ってたのかしら」

「何を?」

「……何でもないわ。どうせ話すつもりもないんでしょう」

「もしかして拗ねてる?」

「そんな訳ないでしょう。別に、同僚になんて言い訳しようか悩んでいるだけよ」

「おや──それは重要な問題だな」

「他人事だと思って気楽なものね……」

 

気障ったらしい儀礼服でも着こなすエールをじとりと睨み付けてみるがどこ吹く風だ。腹いせにシャンパンを飲み干した。

 

立食形式の騒々しいパーティーであり、ギャングが主催しているとはいえ、なかなか侮れるものではなかったのは確かだ。

 

ヴィクトリア貴族の出身であるブリーズからしてみれば、これはあまりにも騒がしく品のない騒ぎではあった。そもそもギャングのようなならず者たちが一丁前に気取ってパーティーなんてしている事実が気に食わない。礼儀のれの字も知らない癖に。

 

そしてその怒りの矛先はエールにも向けられていた。

 

「そう眉を寄せない方がいい。君にはあまり似合わない」

「……からかってるなら本気で怒るわよ」

「まさか。君は悪戯っぽく笑っていた方が可愛い」

「か、かわ……っ!? ちょっと、いい加減にしなさい! あなたこそ、その薄笑いがよくお似合いね!」

「あれ──”これ”じゃなかった?」

「それはよそ行き用じゃない。私にはしなくていいわ」

「……なるほど?」

 

──その一つ一つ確かめていくような、奇妙な言葉が何を意味しているのか。手探りで何かを試しているエールが、何を探しているのか──。

 

ブリーズはもう知っている。

 

「ところでだが、君はまだ帰らないのか?」

「……ひっぱたくわよ」

 

ギャングとの交渉の出汁にいいように使われたブリーズにとって、今の言葉は”もう帰ってもいいよ”としか聞こえなかった。

 

豪勢な食事も酒もあるのだ、どうして帰らなければならない。

 

「いいじゃない。このくらいは許して欲しいわね」

 

ぐい、と。細長いグラスに注がれたシャンパンを、一口でブリーズは飲み干した。いつもは品のあるブリーズには似合わない一気飲みだが、不思議と様になっていた。おそらくは、やけくそだからだろう。

 

一応人質として誘拐されていて、その上でその誘拐犯が主宰するパーティーを堂々と楽しんでいた。

 

そういうところで、ブリーズは図太かった。

 

「あの、エールさん!」

 

──しばらく呆然としていた青年だが、いつまでも壁の草になっているわけにはいかなかった。

 

「──どうかした?」

 

ともすればそれは平常すぎるが故に異常だった。エールの声色はあまりにも普通すぎて、穏やか過ぎる。いっそ不気味なほどだ。

 

「……俺を、助けてくれたんですか」

「君の妹のことかな」

「そうです、あんなの──おかしくないですか、重要そうな話だったのに」

「大した問題じゃないさ」

「俺の口から言えることじゃないかもしれないですが、さっきみたいな場面ならもっとふさわしい、重要なことがあったんじゃないですか。俺は──」

 

と、その先の言葉をエールは遮った。

 

「君にとって──」

 

相変わらずの薄い笑みと、冷たく透き通った瞳を向けて。

 

「重要なのはどっちだ? 妹か、それともレオーネか?」

 

まるでその価値を見定めるような発言に、思わず息を呑んだ。

 

「教えてくれないか?」

 

──青年にとって、真正面から答えるには難しい言葉だった。二つの動機は複雑に絡まっていて、どちらを優先するべきかと問われても答えに困る。

 

「……俺にとっては、家族が一番大切です。けど一人で家族全員を守ることは、俺には出来ません。だからレオーネに入りました。家族に金を送ることが出来るし、南部全体のために戦うことが、家族を守ることに繋がります」

「なるほど。じゃあもう一つ──仮に、その家族に裏切られたとしたらどうする?」

 

青年は知らないことだが、妹がドラッグに使い込んだ金は、青年がレオーネに入ったことで家族に給付された支援金だ。そういう意味で言うなら、裏切りはあったと言える。

 

だがそれを知るよしもない青年は、またも返答に困ってしまった。

 

「そのあたりにしておきなさい、アリーヤ。困ってるじゃない」

「む……結構僕は真剣なんだだが」

「そういうのは、冗談程度に茶化して聞いた方がいいわ。……まったく、あんまりこのお馬鹿さんの話を聞かない方がいいのよ。大怪我しちゃうから」

 

そんな風にエールを叱るブリーズを眺めながら、青年は助かったと感じていた。

 

そんなことを考えたくなかったのもそうであるが、自分の本質が見抜かれる気がしたからである。

 

最も、青年の本質は決して悪などではないし、青年もそれは知っている。だが──その上で、エールの中の何かが恐ろしかった。

 

「お、俺──そうだ、入り口に待たせてる人が居たんで、そっちに戻ります!」

「ん? ああ……居心地は悪いだろうが、じき君の妹も見つかるだろう」

「はい、本当にありがとうございます。それじゃ──」

 

逃げるようにその場を後にした青年を見送った。

 

「っていうか、一応ここってギャングの根城よね? どうしてそんな気を抜いているの?」

「お互い様だけどね」

「私はいいのよ。いざとなったらあなたがいるし。でもアリーヤ、あなたは結構恨みとか持たれているんじゃないのかしら」

「利害関係に比べれば大したものじゃないな」

「さっきの彼を助けたのはどうして?」

 

質問を繋げた。

 

「彼には悪いが、ついでだよ。別に条件なんてなんでも良かったんだから」

「……さっきまであなたの横にいた、あの女の人──あなたがスカベンジャーって呼んでいた、あの人はどこへ行ったの?」

 

また質問を続けた。エールはつらつらと答えた。

 

「さあ? 彼女、こういうの嫌いだし……帰ったんじゃないかな?」

 

──ここはギャングの根城であり、大量の構成員がいる。

 

このパーティー会場にエールを野放しにしておくのは、こんな状況の中でエールが何かするはずがないという考えに基づくものである。そうでなければとっくに殺し合っている。

 

「さっきの、あのヒゲが長いボスの人との取引。あれってどういう意味なのかしら」

「国家の暗闇っていうのはどう対策しようと必ず生まれるものなんだ。強盗、暴力、強姦、詐欺、薬物──こんな国じゃ特にね。だからそれらを防止するのではなく、ある程度は許容したほうが色々と都合がいい。国内の安定にリソースを注いでいては手遅れになるから。それは理解できる?」

「ええ。納得はしないけれど」

「うん。それで戦争なんてものはとにかく金がかかるみたいでね、巻き上げられるところから巻き上げていたんだ。元々この国に存在していた伝統的な麻薬カルテルとか、そういうところを片っ端から締め上げたりしてね。だが移民が流入してくるにつれ、こういうギャングまで外から入ってきたんだ。例えばシラクーザ系ギャングは、流石に本場から来ただけはあって、一筋縄じゃいかなかったから、なかなか苦労したよ」

 

──その全てが過去形で語られているところを見るに、もうとっくに終わった話ではあったのだろう。手段はともかくとして。

 

「で、こういうアウトサイダーな連中は、力を付けるとむしろある程度治安を安定させる。だが大きくなり過ぎるとそれはそれで面倒なことになる。だから適度に絞るのが一番いい」

「……収賄ってこと?」

「どうしてそうなる。いわば、彼らへの納税だよ」

 

まあつまり、政府による薬物規制が甘くなれば彼らの得られる金も増えて、その分レオーネに入ってくる金も増えるというわけである。ギャングのボスが提案したのはそういうことで、政府への直接的な影響力を持つエールへの”交渉”であった、という訳だ。

 

「……やっぱり企んでいたじゃない」

 

そしてレオーネに入ってくる”税金”の元を辿れば、南部に住む人々に行き着く。

 

それは見る人から見れば、十分な悪と呼べるのかもしれないが。

 

「たくさん質問されたんだ、僕からも一つ聞くよ。さっきの、彼にした質問──家族……いや、仲間と言い換えようか。そういう大切な人たちから裏切られたら、どうする?」

「えーっと、そうね……まずは理由が知りたいわね。どうして裏切ったのか……もしかしたら、原因は自分にあるかもしれないし、何か事情があってそうしたのかもしれない」

 

──まあ、エールがこの質問をする理由を聞かないあたりにブリーズの気遣いがあった。

 

「けど、どんな複雑な事情があったとしても──私はその人を許せないと思うわ」

 

ブリーズも、故郷であるドルンから、ここエクソリアの首都アルゴンに辿り着くまでに多くの経験をしてきた。その中で、騙されたり裏切られたりしたこともあった。

 

例えばそれは、ブリーズの持ち物の中に高価なものがあると勘違いされて、騙し取られそうになったことや、ユーロジーを狙った強盗未遂、あるいはブリーズ自身を狙ったものもあった。

 

だがそれら全てに対し、ブリーズはいちいち憎しみを募らせたり、あるいは人間不信に陥るようなことはなかった。許すこともした。

 

──だからこそ、それは奇妙な矛盾である。

 

「それは何故?」

「大切な人だからかしらね。絵の具に黒色を一つ垂らすと、もう元には戻らないでしょう? 人との繋がりって、とても繊細なものよ。大切な人なら尚更。それが尊いものであればあるほど、黒く濁ると──暗くて醜くなってしまう」

 

絆は脆い。ゆえに尊い。

 

裏切りで関係が途切れてしまうならまだマシな方だ。だがそれで終わらないのなら、裏切られた悲しみや苦しみは、黒い感情へと変わることもある。

 

「一種の呪いのようなものね。失った関係に縛られるの。あなたはまさにそうよね──複雑に絡み合ったロープでぐるぐる巻きにされてるみたい」

 

意地悪な顔をするブリーズ。その口元には、どこか諦めも混ざっている。

 

「裏切りは、裏切られた人の心に傷痕を残すわ。どんな背景があっても、誰かの心を裏切ったことに変わりはないの。信用への裏切りは損得で換算できるけれど、信頼はそうはいかないでしょう? 拭い切れない黒色を心に落とすことを、裏切りと呼ぶの。だから──」

 

苦しむことに疲れた顔で、ブリーズは祈るように呟いた。

 

「あなたもどうか、私を許さなくていいのよ」

 

そう言われて、エールは困ったように苦笑いした。ブリーズもふっ、と息を吐いて首を振る。

 

「……仕方ないわよね。あなたの方は、もう忘れているのに。嫌な思い出を忘れた人に、思い出せなんて心ない言葉よね。分かってるわよ、けど……」

 

諦めを確かめるようにして、ブリーズは続けた。

 

「……私の名前、まだ覚えてる?」

 

──消えてしまいそうな、儚いブリーズの笑顔は、どうしようもない現実に対する気持ちの裏返しだった。

 

何より残酷なこと。

 

それは最初からなかったことになること。

 

エールは返す言葉を持たなかった。実はきちんと()()してきたのだが、気を抜くとこれだ。なので結局、困ったような顔をするだけ。

 

「どうしてかしらね。苦しいだけだった幼い頃のことも、大人になったと勘違いしていた頃のことも……どれもこれも、忘れたいほど苦しかったのに」

 

──ロンディニウムで生きていたチンピラ紛いの青年に恋をしたことなど、きっと誰も知らないのだろう。もう忘れてしまったのだろう。

 

「いざ忘れられると──……寂しくて、悲しくなることなんて、知らなかったわ」

 

結局、その儚い恋は一つの事実によってぐちゃぐちゃに砕け散った。幼い頃に傷つけた少年に、都合よくまた恋をして、何も知らないまま助けられるだけ助けられて、何一つとして恩返しもできないまま──少しずつ、忘れられていく。

 

その絶望たるや──

 

「……ブリーズ、私の名前よ。思い出したかしら?」

 

残酷な現実に抗うように、忘れっぽい青年に過去を教える。何度忘れても、何度でも思い出させる。その行動が何より残酷なことだと理解しながらも。

 

「ブリーズ……あんまりしっくりこないな」

 

──首を傾げるエール、言葉が口に馴染んでいないようだ。

「当たり前よ。だって、あなたが私のことをブリーズと呼んだことなんて、一度もないものね。グレース・アリゾナ、こっちが私の本名。好きな方で呼んでちょうだい」

「……なら、アリゾナ。そう呼ぶことにする」

 

そんなエールの言葉に一々救われる。そっちの方を選んでくれたことにほっとする。

 

──ずきり。

 

頭蓋に響く、鈍い痛みがエールを襲う。思わず額を抑える。

 

知らない誰かが話しているような気がする。思い出せない過去を思い出すような気がする。

 

「大丈夫? 無理して思い出さなくていいわ。あなたの場合、失った記憶を無理に思い出そうとすると神経に影響が出るみたいなの。無理して思い出さない方がいいわ」

 

──ああ。

 

そう言いながらも、エールが自分の名前に反応して過去を思い出そうとしている、その事実が──

 

どうしようもなく、嬉しいのだ。

 

「大丈夫よ。あなたが忘れても、私が覚えているから」

 

ああ、歪んでいる。きっと嬉しそうな顔をしている自分に、ほとほと呆れ返りながら。

 

エールは頭痛に顔を顰める。前髪に隠れたエールの瞳が、ぼんやりとブリーズを捉える。

 

なんて甘美な、私だけの居場所なのだろう。

 

救えないほど歪な愛の形で、ブリーズは今をただ謳歌した。

 

 

 





沼ァ!

・ブリーズ
ロンディニウムのチンピラ(エール)との日々の時点で、薄々エールに惹かれてはいました。ですがある日突然それらが崩壊し、チンピラの正体が昔仲良しで、自分が傷付けた少年だったことを知り、いつか恩返しするため諸国を巡って経験を積み、結構強めの医療術師になってエクソリアに入国、エールと再会するもなんか戦争屋とかしてるしその上記憶の欠落が始まっていたことに最初に気がついた。
情報量多い……多くない?

・裏切り
今作において、一つのエピソードがあったとき、その中ではほぼ必ず誰かしらが裏切っています。

・エール
ギャングとなかよし


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"The Monstar" and others -4

危機契約のことを定期試験って言った人天才定期




 

──全くふざけた話ではあるのだが、ギャングたちの狂想は瞬きの間に壊れ落ちることになった。

 

というのも、裏切り者たちがいたのである。いや、裏切り者というのは適切ではない──。

 

アルゴンの伝統的な麻薬カルテルにいた人々を強引に吸収合併して、より強い力で従えようとしてきた件のクルビア系ギャング組織ではあるが、それによる内部分裂の危機を考慮していなかった。

 

表現を変えると、後進国の田舎ギャング集団のことを舐め腐っていたのである。実際クルビアの現代社会を体感してきた彼らからすると、エクソリアの未熟な社会構造は見るに耐えない程度であった。

 

そのために、洗練された組織構造と、持ち込んできた現代的な武器を持つ自分たちに対し、大した知識も持たないエクソリアの人々がいくら反乱しようと無意味である──と、割と本気で考えていたためにこの事件が発生した。

 

力で抑圧され、奴隷に近い存在にされていた元カルテル構成員たちはギャングの監視を掻い潜り、示し合わせ、一斉に行動した。敵対組織へのリーク、屋敷への放火、会場への襲撃──。

 

燃え上がる屋敷を背にして、ギャングらは権威や経済力を示すために屋敷を囲う塀のせいで逃げ場所がなかった。

 

時間を少し巻き戻してみよう。

 

──屋敷を囲う外側では、一帯に広がった立食形式のテーブルが無数に広がっていた。その外側ではパーティーに出れないギャングの下っ端たちが警戒を敷いていた。あくびを堪えて、同じ下っ端とくだらない話をすることを警戒と呼ぶのであれば、の話だが。

 

カルテル構成員はスーツなど着ない。簡素な大量生産方式のTシャツを着た、ごくどこにでもいるような格好をする。

 

極めてどこにでもあるような小さなナイフで心臓をひと突き。最初の血が流れる時は、嫌にあっさりしていた。

 

それから大量の爆発物がそこらへんにある民家から投擲されてきた。恐ろしい話だが、これはただの人々からの攻撃だった。元カルテル構成員たちは最初から仕組んでいた──外敵を排除するために、エクソリア人が団結したのである。

 

そのため、実に鮮やかな手際で、ギャングたちはその命を落としていった。

 

逃げなければ爆発物に巻き込まれ、逃げれば長槍に貫かれる。戦おうにも──さっきまで酒浸りになっていたギャングらと、静かな逆襲の炎を燃やす元カルテルたちではまるで戦いに対する意識が違っていた。

 

そして屋敷を囲う塀のせいで、幹部のところにまで情報が来るのは遅くなった。

 

エールが青年の妹、リィの居場所を交換条件として受け取り、ブリーズを伴ってその場を後にしようとした時のことである。

 

「ボス! 敵襲です、あいつら──元カルテルの連中が裏切って、ここに襲撃をかけてきていますッ!」

「……そんなことか。さっさと鎮圧しろ」

「それが、数が多すぎて──」

「馬鹿共が、それでもクルビア人か? シラクーザの狼どもを蹴散らした我々の力が、どうしてこんな小さな国の連中に遅れを取る──」

 

自らへの自信を通り越し、それが当然とさえ認識していたがために、背後の屋敷が大爆発したことを認識するのに数秒かかった。

 

それから、崩れた柱に巻き込まれたこと事実を認識する頃には、もうとっくに手遅れになっていたのである。

 

一方エールは──

 

「お、始まった」

 

髪を揺らす熱風の真に受けながら、呑気な声で呟いた。横のブリーズはそれどころではなかったのだが。

 

「──ちょっと、これ、……やっぱり知ってたのね、やっぱり企んでたじゃない!」

「うん」

「うん、じゃないわよ! 何するつもりなの!?」

「何するつもりなんだろうね?」

「ふざけているの!?」

「真面目だよ──」

 

程なくすると、穂先を赤く滴らせたカルテル構成員たちが門を潜り、突入してきた。

 

まあボスを始めとする幹部たちは、屋敷の倒壊に巻き込まれるか、負傷するかなどをしていたため──それはほどんど一方的な虐殺であった。

 

カルテルの一人が、壁のあたりで事の成り行きを眺めていたエールの方を見た。エールが片手を上げて挨拶すると、若いその青年は舌打ちをして残党狩りに加わっていった。

 

「……なんてことを」

 

怒号、悲鳴、爆発する音、燃える音──門の外からも聞こえてきている。

 

喉を貫き、頭蓋を砕き、臓物を千切り──命を踏み付ける。それは復讐である。

 

外敵に支配される屈辱、エクソリアはウルサスのそれに対して百年間戦い続けてきたのだ。そういう背景を踏まえるなら、これは当然の帰結なのかもしれない。

 

──誰一人として、情けは持ち合わせていなかった。

 

「……仕事はした。これでいいな」

 

低い女の声にブリーズは振り向いた。不機嫌そうな──あるいはこれが普通なのかもしれないが──表情のスカベンジャーが立っている。

 

「ご苦労様。君、だんだん爆発物の扱いが上手くなってきてるんじゃない?」

「あんたがそんな命令ばかりするからな、おかげさまで」

「うん。──次の任務に向かえ、スカベンジャー。それとB.l.o.o.d(連中)が使えるかどうか、後で報告してほしい」

「……ちゃんと覚えておけよ。前みたいに忘れられても面倒だ」

 

──そこから察する事実に、ブリーズはどうにも心が穏やかではない。

 

「うん。あ、そうだ──スカベンジャー。そのアオザイドレス、結構似合ってるよ」

 

……実に心中、穏やかではない。

 

「……冗談でもやめろ」

「そう照れないでよ。せっかくだし、その衣装はもらっていくといい。結構いいやつらしいから、何かあった時に使える」

「……いつか覚えておけよ、エール」

 

捨て台詞を吐いてスカベンジャーはこつこつと去っていった。絶対こんな格好する必要はなかっただろう……。

 

「さて、僕らも帰ろうか」

 

背後では元カルテル構成員が、屋敷の倒壊に巻き込まれたギャングの首を落とし回っていた。

 

もう戦況はとっくに下火になっていて、壊滅が決定的なのは誰の目から見ても明らかだった──ブリーズは、指を咥えて見ていることしか出来ない。

 

「……ままならないわね」

「ん、何が?」

「あなたがそうやって罪を背負っていくのを、私は黙って眺めていることしか出来ないから」

「どうにもお節介なんだな、君は?」

「……さっきの人みたいに、私にももっと仕事を割り振ってもいいのよ」

「みんな仕事熱心なんだね。何か理由があるのかな」

 

他人事のようにエールが言う。やはり何も分かっていない。全てを知っているようで、何も分かっていないのだ。

 

「改めて感じたのよ。……あなたがどうしてこんなことをしているのか、私はもう知ってるわ。南部だけじゃない、北部も含めて……エクソリアがどうにもならない状況に追い込まれていることも。だから、私だけいつまでも綺麗事を振りかざしていていい訳じゃないって」

 

戦火の熱が肌を焼いた。この国はどこにいても暑い。この日差しは大地に降り注ぎ、熱に変わる。善人にも悪人にも、等しく降り注ぐのである。

 

この熱はやがて炎に変わり、何もかもを焼き尽くすとしても──。

 

「……私はこれまで、人を助けることだけに全てを捧げてきたわ。医者として……これまで歩んできた旅路に誇りを持っているの。それは自信を持って言えるわ、けど──あなたが一人で罪悪に溺れていくのを黙って見過ごせない。だから──そうね」

 

真剣な表情から一転、口元を緩めて、あくまでも悪戯な表情と言葉で。

 

「さっきの女の人にしているような命令を、私にも頂戴。どんな汚いことでも結構よ」

「……アリゾナ、いや──あえてここはブリーズと呼ぼう。僕は結構人遣いが荒いんだ。後で文句を垂れるなよ」

「もちろん。でも見返りは頂くわよ、構わないわよね?」

「見返り?」

「ええ。あなたの主治医はあのグエンのお爺さんでしょう? それを変えてもらうわ」

「……ん、んん?」

 

雲行きが怪しくなってきた。無論比喩である、実際は青空から強い日差しが降り注いでいる。

 

「──私の全てを持って、あなたをできる限り早く死なせない。私があなたを治療するわ。あらゆる面で……徹底的にやるわよ」

「……タバコはおっけー?」

 

エールは嫌な予想に顔をしかめた。とても面倒なことになったのではないか……?

 

ブリーズはにっこりと、可憐な花のような笑顔を浮かべて叫んだ。

 

「絶対だめー!」

 

やっぱりじゃないか、クソが!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/20

 

 

 

 

 

 

 

──二ヶ月程度会わなかっただけで、妹の風貌は変わり切っていた。

 

別人と言われても、さして疑わなかった。別人だと言って欲しかった。

 

「正確な設備はないから、私の経験的な診断に基づいてあなたの妹の状態を伝えるわね」

 

リィはさるギャングの組織の建物の中で、死んだように倒れていた。エールからリィの居場所を教えられた後の話だ。

 

妹の身柄を返してもらうための交渉は、すぐに決着がついた。曰く、もう要らないのだそうだ。それがどういう意味なのか、すぐに判明した。

 

「肺の三割が結晶化しているの。呼吸機能に深刻な障害が発生しているわ──オレンジの乱用、だけど彼女のは度が過ぎていたみたいね。煙草が肺を汚すのと同じように、オレンジの源石成分がそのまま肺に積もっているみたい。肺を起点とした体への侵食は、深刻って表現を通り越して、……もう」

 

どうしてこんなことになったのだろうか。

 

薬物と裏組織の関係は切っても切れない。特に若い女はターゲットになる。

 

「彼女の平均体温は32度を下回っているわ。酸素をうまく取り入れられなくて、体温調節機能が働いていないの。この炎天下でも汗一つ掻かない──いえ、掻けないの。それにご飯もちゃんと食べていなかったのかしら、痩せ細っているでしょう。私自身の推測を述べるなら、それらの苦しい症状から逃れるためにオレンジを乱用していたのかも──」

 

ブリーズは努めて淡々と話した。そうでないと、ブリーズ自身の心が掻き乱されてしまいそうなことばかりだったからである。

 

「……彼女の兄であり、家族であるあなたには、彼女の全てを知る権利があるわ。例えそれが、どれだけ辛くて残酷な話でも。あなたがこれ以上のことを知りたくないのなら、話すのはやめるわ。どうするかしら」

 

青年はそっと頷いた。

 

知ることしかできないのなら、せめて知りたかった。

 

「いいのね?」

 

言葉がうまく出てこなくて、もう一度頷いた。どれを選んでも結局は後悔するだろうから、それならせめて自分の意思で決めたいと思った。

 

「……分かったわ。まず初めに、もう彼女の容体に関して。彼女のお腹は、微かに膨らんでいるの」

 

カーテンで隔てられた向こうの妹の方をちらりと流し見て──その意味をよくよく考えてみた。

 

「よくあること……って言い方はしたくないけれど、若い女の人がああいう暴力組織の被害に遭うケースは多いわ。自分の意思でずぶずぶ入っていたのかもしれないし、オレンジの依存性を盾にして、逃げられないようにされたのかもしれない。だからきっと、そういうことを要求されても、彼女……拒めなかったんじゃないかしら」

 

言葉を濁しても、結局事実は変わらなかった。

 

大体の想像はついていた。ありえないような話ではない。今回たまたま、それが妹に起こっただけだ。

 

「……だからきっと、家にも帰れなかったのかもしれないわ。お腹の中に子供がいるような状況で、帰りたくても帰れなかったのかもしれない。どの道その命を育てるのに、栄養は全く足りていなかった。そもそも彼女自身が生きるための栄養すらなかったのに、そっちに取られちゃったのね。彼女の体は、指先から順番に壊死しているわ。それに暴力を受けた痕もあった」

 

今は──治療は可能なのだろうか。

 

見る影も無くなった妹と、もう一度言葉を交わすことは出来ないのだろうか。

 

「あなたには選択肢があるわ。それは、彼女をこれからどうするのかということ。彼女の意識が回復する見込みは、もうほとんどない。あるいはもう戻っているのかもしれないけれど、目が見えたり、音が聞こえているのかどうか……だから、代わりにあなたが決めてあげて」

 

何を?

 

「ここで終わらせてあげるかどうかを」

 

どうして?

 

「私たちの使える資源には限りがあるわ。ベッドの数も栄養剤も、医者の数も。私は医者だから、患者を助けるのが仕事よ。少なくとも助けようとする。けどそれは、助けられる見込みがあればの話よ。助かる見込みのない人より、助けられる可能性の高い人を助けるのが仕事だから」

 

どうしてだ?

 

「……あなたの怒りは正当なものよ。あなたの実家に妹を連れ帰るのも、あなたの正当な権利よ。だけどレオーネの病院(ここ)で預かり続けることは出来ない。それは、あなたの妹が助かる見込みがないから」

 

──ああ、どうしてこんなことになったのだろうか。

 

「彼女は苦しみの中にいるわ。呼吸がままならないから、ずっと苦しいままで……朦朧とした意識の中で、もう動かない手足で……何をするでもなく、苦しみの中で彷徨い続けているの」

 

口を開いた。

 

今、自分がどんな顔をしているのか分からない。

 

「……そう。分かったわ」

 

──ブリーズは立ち上がって、カーテンを開いた。

 

「ハロセンという揮発性の麻酔薬を、呼吸器で吸引させるわ。眠るような感覚だから、苦しみはないはずよ」

 

ともすれば、もう死んでいるように見えた。

 

まだ生きていた。胸は微かに上下している。だがこれから──小さく灯った命を、静かに消す。

 

呼吸器を妹の口に当てて、ブリーズはいくつかの操作をした。

 

それからしばらくすると、胸の呼吸は──ゆっくりと穏やかになって、最後には消えていった。

 

「──ぉ、にぃ────ぃぁ、ん──」

 

きっと最後に、妹の目がほんの少しだけ開いて、口元からそんな言葉にもならない音が漏れ出した、そんな気がした。

 

不幸と苦しみの中に彩られ、何も報われないまま死んでいった彼女の人生。

 

家族のために、妹のために何かできることがあると信じてレオーネに入った。

 

だが何かをしてあげられたのだろうか。思い出せば、妹は最後までレオーネに入ることに反対していた。意外にも寂しがり屋な妹のことを、どうして分かってやれなかったのだろうか。

 

「……妹は、優しい人でした」

 

何をしていいのかわからなかったが、言葉が自然と零れ落ちる。まるで、全く流れない涙の代わりに。

 

「親父が二年前に戦争で死んで、暮らしが厳しくなっても……いつも笑顔で、友達もたくさんいたんです」

 

だがその最期を看取ったのはたった二人だけだ。母が関わるなと言った理由が、ほんの少しだけわかった様な気もする。

 

「確かに、妹が悪いんです。仕事も辞めて、ドラッグにハマっていったのは妹の責任です、でも……何も、こんな体で死ぬことなんてなかったんじゃないかって……」

 

この一連の出来事を通して──漠然とした何かをずっと感じていた。

 

「……俺はずっと、何かの怪物の気配を感じています。人間の悪意だけじゃ表しきれない、もっと恐ろしい何かがこの国には潜んでいるような……そんな考えが、ずっと頭から離れてくれないんです。その怪物が妹を選んで、こんな風にしたんじゃないかって」

 

──これは、きっと何も、妹に限った話ではないのだろう。

 

同じように死んでいく人々がどれだけいるか、全く知らないわけじゃない。だがそれと納得できるかは別問題だ。

 

「名前も形もない怪物が、どんどんこの国を壊していくような……そんな予感が、ずっと」

 

ゾッとする恐怖が離れてくれないのだ。

 

「……俺は、エールさんが怖くてならない。あの人は……きっと根本から、俺たちのようなエクソリア人とは違う。必要なら手段を選ばないし、恐ろしいほど強靭で、強い心を持っているんだと理解しました。きっとあの人にとって、全ては目的達成のための手段に過ぎないんだと」

 

エールは元々、誰に頼まれるでもなく自発的にレオーネを起こし、手段を選ばずに拡大させた。

 

オレンジは、エールが移民を受け入れ始めたことで生まれたドラッグだ。外からそういう知識を持つ何者かが入ってきて、それを作って広めた。

 

「……あの人は、まるで戦争そのものだ。この大地に吹き荒れる、止まない嵐……あの人は、正真正銘の怪物なんだって……やっと気がつきました」

 

──エールの功績は大きい。今更姿を消すようなことがあれば、おそらく南部に未来はない。

 

個人的な強さもそうだが、エールは何よりも強力なリーダーシップを備えていた。人の心を掴んで、それらを全て纏め上げる──極めて強い何かの力を持っていた。

 

「あの人を悪人だとは思いません。右腕を失ってまで、あの人は南部に尽くしている。けど……どうしてそこまでするのか、その理由が分からないから──俺は、あの人が怖いんです」

 

ブリーズはその言葉を聞いてから、ゆっくりと口を開いた。

 

「そうね。けど、あの人は……この大地に潜んでいる怪物と戦うために、自ら選んで怪物になったのよ。化け物を倒すには、同じ化け物になればいいって考えで。……それで、あなたはどうするの?」

 

何をしようと妹は死んだ。

 

たった今、目の前で──。

 

「……戦って、生きていかなければ」

 

売人の言っていた言葉の意味が、ようやく分かった気がする。

 

「怪物でも何でもいいから、俺たちは……自分たちの生まれた場所を、守り続けなきゃいけないんです。先祖たちが百年間もそうしてきたように……俺はあの人みたいに強く在れない。それに……大洪水のために準備しなきゃいけないことがたくさんあります。妹が死んだって、天災は容赦なく襲ってくるし、戦争だって終わることはないから──」

 

誰が死んだって、生きていかなければならない。その苦しみに耐え続けて、耐え続けて……耐えることしかできない。だが、それは人間に限った話だ。

 

もしもその苦しみを終わらせてくれる何者かがいるのなら、怪物だろうが構わない。人間とはそういうものなのだ。

 

「……でも、怪物を倒せるのが怪物だけなら──俺は、あの人に従う」

 

永遠の眠りに着いた妹に背を向けて、青年はその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

混乱を極める状況の中で、売人は平然と歩いていくエールを発見した。

 

売人は思わずそちらに向けて駆け出し、大声で注意を引く。

 

「おい、待て……エール!」

 

振り向いた顔は、表面上は軽く驚いているように見えた。だが実際は特に動揺などしていないのだろう。口元の薄笑いが癪に触る。

 

()()はお前の仕業か……!?」

 

燃え上がった屋敷から引火して、他の建物にも炎が移り始めていた。程なく消防が駆けつけるだろうが──この現場は、あまりにも混沌としていた。

 

「君は誰かな?」

 

──エールは動揺などしていなかった。あまりにも平然としていた。その風貌が不気味で、穏やかな言葉がどこか恐ろしく、思わず躊躇するが。

 

「お前こそ……お前こそ誰だ!? 答えろ、お前は何者だ!?」

 

逆に問い返す。それは──誰も知らなかった、知ろうとしなかったこと。

 

──反抗するような叫びに、初めてエールは表情を動かした。

 

薄笑いを消し、それから驚き──そして、口元を歪めた。

 

「初めてそんなことを聞かれたな。なるほど、それは……とても本質を突いている。では聞き返そう。僕は誰だ? 誰であって欲しい?」

「ふざけたことを抜かすなッ! 貴様は悪魔だ、化け物がッ! 貴様の正体は嘘で塗り固められた虚像に過ぎない!」

「興味深い言葉だな」

 

──エールは否定しなかった。そうやって表面上の言葉を吐くだけ──だが、本心だったのかもしれない。或いは嘘かも。

 

「だが何か問題があるのか? 自分で言うのも何だが、僕が居なくなればこの国は詰むぞ? 悪魔だろうが神だろうが、人々は勝利をもたらしてくれるのなら誰だって構わない。違うか?」

「黙れ、この国はエクソリア人の国だッ! 南部の連中は貴様のような、正体の分からん怪物一人に全て委ねて、信じ切っているがな──この状況はふざけ切っている! どいつもこいつも狂っている! だがその元凶はお前だ、いつまでも騙くらかしていられると思うな!」

 

正体の分からない怪物に委ねているのは、あまりに危険過ぎる。何かを企んでいた時、どうするのか。そもそもそんな状況が許されていいのか。売人はおそらくこの国で唯一狂っていたし、唯一正気の人間だった。

 

「いつまでも好き勝手出来ると思うなよ……。エクソリアはあんたなんぞのおもちゃ箱じゃない、俺たちの国は──俺たちがなんとかするし、そうしなければならない。出しゃばるなよ、怪物がッ!」

 

まあ、もっとも……たかだかドラッグの売人一人が叫んだところでくだらない世迷言だと受け取られるのがオチではある。それは分かっていた、分かっていたが黙ったままではいられない。

 

──叫び終わった後、エールは何も反応を示さなかった。だから一層不気味だと感じたのだが……違う。微かに聞こえるくつくつと喉の奥で笑う声は──

 

「くっ、ふ、ふふ──っはは、ははは……ッ。いいなぁ。そいつはいい……」

 

エールは心底可笑しそうに笑っていた。

 

「何が可笑しい?」

「いや何、全くその通りだ──驚いた。君のような人種がこの国に居たとは、本当に驚いたよ」

 

笑いを引っ込めて、怪物は息を吐いて──ついに、嘘偽りない愚痴をこぼした。

 

「君のようなまともな人ばかりだったら、僕もこんなことをしなくて済むんだが。ままならないものだね……お互いに」

 

 

 

 

 

 

 







"The Monster” and others/end.


・ギャングとか
いろいろあって死亡。死亡!

・ブリーズ
かわいい
完凸しようと思ってましたが心が折れました

・売人
まじでまともなひと
今後登場する予定があるかは未定




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羅刹と大木 -1


「どうして?」

そればかりだ。

「どうして?」

そればかりか?

「どうして?」

知りたいことはそれだけか?

「どうして?」

さあ、どうしてだろうな。

「言え」

さて、どうしようかな。

「答えろ、ブラスト」





「……答えろって、言ってんだろ」











 

 

 

 

9/3 人間の唄

 

 

 

 

 

 

クソめんどくさい毎日ではあるが、充実していた。

 

まあ後ろめたさはいくらかある。サルカズとて心はある、過去に何かしらの懐かしさや寂しさを感じずにはいられない。だが後悔だけはしていない。そもそも自分程度がどうにかできたものではなかったのだろう。

 

機械いじり以外に、フェイズは何もなかった。だがそのことに劣等感などなかった。ギャング付きのエンジニアになったと思ったら、いつの間にやらレオーネ武器開発部門のトップになんかなっているし、人生分からんものである。

 

──そう、いつの間にかギャング組織四龍(スーロン)出身はフェイズ一人になってしまっていた。フォンの側近だったセイを始めとして、皆死に絶え──フォンは行方知れず。そしてフェイズだけはリン家襲撃に直接参加していなかった。

 

テスカで出会ってから一年程度、仲間意識もない訳ではなかったが、それでも大した感慨を抱くほど、自身は仲間想いではなかったのだとフェイズは初めて気がついた。

 

ただ、言葉にもならないような感傷をふとした瞬間に感じることはある。実際フェイズは、フォンのことを結構気に入っていたのだ。統率力や頭のキレは平凡ではなかったし、行動の節々にはヤツの目指す未来が滲み出ていた。

 

大成するというか──どっちに転ぼうとも、少なくともつまらない終わり方をする男ではないと思っていた。破壊をもたらすか、あるいは新しい時代をもたらすか。その可能性を感じさせていたのである。

 

だが結果的には行方知れず、あるいはもうのたれ死んでいるかも知れない。結末を見届けられなかったのは残念だった。

 

「……で、こいつは何の呼び出しだってんだ?」

 

薄暗い執務室──もっとも、この部屋でエールが書類仕事をしているところなど、フェイズは見たことがないが──の、重たそうなデスクには誰も座っていない。

 

「フェイズ技術少佐に通達。クルビアに渡り、レイジアン工業社に留学せよ……だ、そうだ。帰ってくる頃にはもう一つばかり階級が上がる。は、よかったな」

「……エールはどこだ? 呼び出しといて本人不在とは、どういうつもりだっつー話だろうが」

「ヤツは今、来ることが出来ない。面倒だが、私が代理をする羽目になっている」

 

無愛想で無感情にスカベンジャーは淡々と話した。

 

「事情だぁ? おいおい……どういう訳だ、俺が? クルビアに? 冗談だろ?」

「上層部の決定だ。1ヶ月間の研修という形になる。明後日には発て」

「どうなってんだクソが! 俺様もその上層部とやらの一員じゃなかったのか!?」

「知るか」

「冗談じゃねえ、何のためかを説明しろってんだ! あいつ直々に俺んに説明すんのが筋じゃねえのか!? こんな時期に何考えてやがる、ついに気が狂っちまったのか!?」

 

──こんな時期に、と表現したのも当然で……来るホークン奪還戦に向けて、やることは山積みを通り越している。それは開発部でも同様で、小銃の量産や小型化など、特にフェイズがトップに立って進めていかなければならないことばかりだ。

 

そんな中、フェイズにクルビアに行け、と言うのである。叫んだのも無理はない。

 

「……叫んだら落ち着いたぜ。まあ言いたいことは分かる、敵兵の装備と比べりゃ、こっち側の武装はおもちゃ……は言い過ぎでも、中学生の遊びみたいなもんだ。早急に対処しなきゃいけないってのは分かってる。どっからんな大企業への伝手を得たかもまあ、一旦放っておいてやる。だが無茶苦茶だ! 一ヶ月だと!? せめて一年だろうが!」

「私に言われてもな……」

「じゃあ責任者を出せッ! どうせまたビァのおっさんが騒いでんだろ!? あのジジィ、大した技術力もねえのに世渡りだけで出世したせいで何でもかんでも思い通りに出来ると勘違いしてやがんだ、せっかくだし俺が引導を渡してやるッ! 試し撃ちさせろーッ!」

 

──エールは一体何をしている。

 

フェイズの言いたいことは、概ねそのようなことだった。スカベンジャーはこうなることを何となく予想して、見事その通りになって面倒くさかった。

 

いつから私はあのバカの秘書モドキになったんだ? そうは思うが、事情が事情なだけに今更人を雇うのも厄介なのだろう。都合がいいこともなくはない。

 

「何騒いでんの。廊下まで聞こえてきてんだけどー?」

「ああ!?」

「うるさっ。……あれ、あいつ居ないの?」

「……諸事情により、しばらくあいつは戻らない。今は私が代理をしている」

「え? ベンジャーが? なんで?」

「知るかッ!」

 

そもそも諸事情ってなーにー? そう気怠げに言葉を吐き出すアンブリエルに、この場をどう誤魔化そうかと柄にもなく頭を働かせる他ない。

 

胡散臭い笑い顔を思い出して、スカベンジャーは空を仰いだ。

 

ああもう、面倒臭い────。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一つ印象的なエピソードがある。

 

現政党(実質的にはほぼ軍事政権だが)の財務大臣を務めているウィ・リ・グソンという42歳の男がいる。10年以上に渡って南部中央銀行の頭取をしてきた男だが、これほど不遇な運命に翻弄された男はなかなかいないといった程度の苦労人である。

 

エクソリア貴族はリン家とロゥ家の二大貴族を中心として、力関係的にはその下に大小様々な貴族が存在しているわけだが、リン家が崩壊したせいで従来のパワーバランスが崩壊したことは記憶に新しい。

 

従来、政府はその二つの家の支配下にあり、その主導権をお互いの家が争い合ってきた背景がある。水面下で確実に、表面的には大胆なほどに進められてきた北部、その背後にいるウルサスへの緩やかな()()が進められてきたわけだが、これらのいっそ悲壮なほどの生存戦略は一人のヴァルポによってお釈迦になってしまった。

 

国家を売り渡してでも、滅亡するよりはマシ──という、見方によっては真っ当な行動は全て無に帰し、エクソリアは逃げ場のない存亡を掛けた戦争に向かわざるを得なくなってしまった。そんな状況の中で、財政は全てギリギリのラインをとっくに下回って火の車である。

 

国家予算の大半は軍事費に充てられていた。レオーネはそれに加え、独自の収入──基本的には企業からの寄付、という形になっている──を得ている。だがそれでも余裕など欠片もあるはずもなかった。

 

政府関係者はレオーネが好き勝手進めて行く横で、国内政策を限られた予算の中で行わねばならず、綱渡りのような日々を生き抜いていた。

 

特に、ウィ・リ・グソン財務大臣の苦労と言えば筆舌には尽くし難い。無い金を引っ張ってくるために国債発行を繰り返し、不安定化する国内の経済をなんとかなだめ、国際信用的には最下層にあるエクソリアの国債をあの手この手で外国に売りつけねばならなかったためである。

 

レオーネと政府はそれぞれ独立した存在であるために──少なくとも国民からはそう見えていた──あんまり働かない政府に対して国民の態度は冷たかった。エールを始めとするレオーネの華々しい活躍の横で、政府は国民に対して何も行なっていない、というのが国民の言い分である。

 

──そんな無茶な、と事情を知る者は同情した。レオーネに予算のほとんどを引っ張られている状況下で、インフレに怒る国民に何を言われても出来ることはほとんどない。この辺りには、これまでも二大貴族と国民の間に板挟みになっていた政府の悲痛さがある。エールとレオーネの台頭は革命と呼んで差し支えなかったが、こと政府に限って言うなら状況はほとんど変化しなかった。貴族と国民の板挟みになっていたのが、レオーネと国民の板挟みになっただけである。仕事の量は減るどころか、むしろ倍増した。胃痛薬も倍増した。

 

グソン財務大臣は疲れたような顔が特徴的で、エクソリア人らしからぬ生気のない顔をしていた。激務のせいで、息もつかない生活を続けていたために、おそらくこの特徴が解消されることはないだろう。

 

そんなグソンには娘が三人、息子が二人いた。ある日息子の一人が、レオーネで従軍したいと言い出した。20歳を回っていないような青年にはそう珍しいことでもない。だがグソンはこれを許さなかったという。

 

「バカな真似はよせ。大義などというものは陽炎のような曖昧なものだ。国家としての存亡と、個人としての生死を混合するのは愚かな行為としか言いようがない」

 

国が滅びても、国民までが皆死に絶えるわけではない。そんなものはレオーネに任せておけばいいのであって、大臣の息子までが従軍する必要はないのだ。それがグソンの言い分である。グソンとしては息子をヴィクトリアに留学させることを考えていたため、従軍など論外であった。

 

「けど、俺の友達はみんなレオーネで従軍してる! 俺だけ戦わないなんて、そんな不義理はダメに決まってる!」

 

息子の方は強情なところがあって、勝手にレオーネに従軍してしまった。ところがグソンはレオーネに連絡し、息子を強引に連れ戻し、軍に入れないようにしてしまった。財務大臣としてのグソンにはそのくらいのことは難しいことではなかった。

 

しかし息子はそれでも強引で、グソンの息子だとバレないために偽名を使い、他人の家の息子に成り切ってついに従軍してしまった。戸籍関係は管理が杜撰で、またレオーネも多忙であるためにチェックが回らず、半分家出のような形で従軍してしまったのである。

 

この時代における人々、特に青年にはこういったナショナリズムが伝染していた。英雄エールを旗印にして、皆国家を守るために戦おうという病にも似た浮き上がるような熱が国家を動かしていた。むしろグソンのようなどこか保守的な考えの方が少数派であったのだ。

 

──国を守るために。

 

百年間も飽きずに南北戦争を続けてきたエクソリアには、そういう民族を守ろうとする防衛意識がそもそもとして根付いていた。それが一気に燃え上がっていたのだ。

 

リン家の腐敗が明るみになったのは新聞の手によるところが大きいが、これもかなり効果的だった。貴族任せにしてきた結果、危うく北部のようなウルサスの植民地になるところだったのだ。それを救い出したエールとレオーネは、まさしくヒーローであった。

 

最終的には、リン家の滅亡は脚色されていた。詳細は省くが、腐敗を発見したレオーネとリン家は衝突し、軍の方が見事リン家を滅ぼした、という筋書きだ。そこにエールのごく個人的な()()が存在していたことなど誰が知ろう。

 

バオリアの一角に渦巻いた竜巻の存在は、エールの武力的な象徴としてまた一つ市民の精神に刻まれることになった。全て脚色されたのち、ではあるが。

 

そんな華々しいナショナリズムの裏で、確かに火種は生み出され続けていたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/某日 人間の唄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──幽霊の噂が、にわかに広まり始めた。

 

大した話ではない。現代的な科学意識の普及していない小国の人々にとって、そういった神秘の混じった幻想はそう珍しくもないし、信仰に近いものとして受け入れられていた。

 

宗教観の薄いエクソリアだが、魂は大地に帰っていくという独特の生死観は誰しもが共通して保持している。夜中に薄い人影を目撃してしまっても、人々にとってそれは祖先の魂である。珍しいものを見たな、程度の感想で終わる。

 

ところが、この噂は事情が異なるようだった。

 

「死んだはずの父が歩いていた」

 

誰かがそう言った。昼下がり、街を横切っていく父親の横顔を確かに目撃したのだと言う。

 

「自殺したはずの恋人が会いにきた」

 

ドラッグの乱用の末、不整脈で命を落とした若い少年が開いた玄関の向こうから訪れたのだという。

 

「いるはずの無い北部兵に襲われた」

 

あるレオーネの兵士はその出来事により腹部に傷を負って入院までした。山際の哨戒任務をしていた兵士は、突然現れた敵により負傷した。そしてその後溶けるように消えていったという。同じく任務に当たっていたもう一人の兵士もそれを目撃している。

 

幽霊にでも襲われたというのか、それともなんらかの現象、アーツによるものか。その後、敵襲を警戒して偵察部隊が付近を調べ上げたが、北部軍は確認出来なかった。周辺全ても同様で、大軍は確認出来なかった。当然、敵兵が巧妙な潜伏を行なっている場合はその限りではない。この事実を受け、現在アルゴン、及びバオリアでは警戒体制が敷かれている。

 

ある新聞社が紙面のタネとばかりにこの事実を報道したことによって、人々はこれを知ることになる。大地から魂が帰ってきたのだ、などと言い出す者までいる。

 

何かが起ころうとしている。

 

この時期に前後して、エールが消息を絶った。……まあ、これに関してはそう珍しいことでもなかったのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

某日 羅刹と大木/修羅の歌

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の男が死んだ。

 

自殺であり、同時に他殺であった。

 

最終的な結果のみに焦点を絞れば、自殺であった。

 

だが、男を本当の意味で殺したのは他人であった。そういう意味で言うなら、厳密な意味での自殺など存在し得ず、

 

また、これはどう繕っても殺人であった。

 

ありふれた話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──?

 

 

……?

 

「……?」

 

暑苦しい気温に身じろぎした。それで目を覚ます。

 

浮き出る汗が、嫌な湿気になって宙へ消えていった。ここは──。

 

「あ、起きた」

「……ここは」

 

どこだ?

 

「大丈夫かー? 結構死んだように眠ってたから、このまま死んじゃうんじゃないかって心配してたんだー」

 

……どうなったんだっけ。あれ、なんだっけ。

 

「ここは……」

 

体を起こして、それから明るさと暗さの共存する視界に慣れず、どこか涼しげな風を顔に受けて──眼前に広がる草原を見た。草原?

 

「ここはねー、小屋……なのかなー、今はもうぶっ壊れちゃってるけど、一応日陰にはなるしさ。びっくりしたよ、危うく轢いちゃうところだったんだから」

 

──少し甘い声がする。ゆったりとした懐の深さを感じさせる、女の声が聞こえる。

 

「気分はどう? なんか体調が悪かったりしてない?」

「……分から、ない。君は──」

 

まだぼんやりとする意識で、隣にしゃがみ込む人物に目を遣る。目立つ風貌の女性だった。黒メッシュの入った銀色の髪、オレンジの瞳──ウルサス族の黒い耳。肌色の多い服装だ。目のやり場に困るので視線を流し──その後ろに留めてある、一台の車両を見つける。

 

「……誰だ?」

 

左手で額を押さえた。何かぼんやりと頭痛がする。

 

「……んー? ん、んんんん…………?」

 

そんな様子を見てか、女性はやけに訝しがった。眉を顰めながら首を傾げ、何かを考えているように唸った。

 

それから無意識化で右手を持ち上げようとして──重量のない右腕に、初めて意識を向ける。その時初めて、右肩から先がないことを知る。

 

あるはずのものが無くなっていた。フィルター越しにその事実を俯瞰しているような気持ちで、それはストンと意識に落ちてくる。そうだ、失くしたのだった。

 

それはどうしてか思い出そうとする。そもそも、自然とわかっているはずだったのだ。なぜなら、それは今までの人生の中で無くしたものなので、思い出す必要もなくそういうものだと理解している。

 

「……僕は、誰だ?」

 

────そのはずであった。

 

 

 

 

 





危機契約お疲れ様でした。
うにがつよかった(小学生並の感想)

投稿頻度の改善を目指して頑張ります。
実はアイデアは常に欠乏しております。こんな話が読みたい! などがあればリクエストください。感想も大歓迎です。ついでに評価をポチッとして頂けると私のモチベになります。

※(今回の解説的なものは)ないです



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羅刹と大木 -2



「何も思い出せないんだ」

そいつは確かに言った。

困り顔だった。普通、自分の過去も思い出せないのでは多少の恐怖などがあって然るべきだ。だがなかった。ただ──それはまるで、こちらに申し訳なさそうな顔をしていた。

それは、自分のことを顧みるのではなく──面倒なことに付き合わせてしまって、申し訳ない。そう言っているような、困ったような苦笑いだった。

「どうしてこんな場所で寝ていたんだ?」
「分からない。ところで、君は?」

──。

名乗っていいのか、少し怖かった。

引け目にも似た躊躇、だが……踏みとどまることをしたことは、これまでに一度もないのだ。

「あたしはエフイーター」

だから、ロドスの一員としての名前を、そう名乗った。

「人を探しに来たんだ」




9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

「おい、ふらふらしてると逸れちゃうぞ〜!」

「……あ、ごめん。つい」

「お腹減ったでしょ、その辺で何か食べるぞ〜」

「うん」

 

言われるがまま後ろを歩いていく白髪の青年。薄ぼんやりとした、独特の気配が特徴的だった。何かを考えているのか、あるいはただぼーっと周囲を物珍しげに眺めては立ち尽くしている。

 

「何があんだろここ。うーん、食べたいものあるか?」

「え。……分からない。なんでもいいと思う」

 

どんな会話も暖簾に腕押しというか、青年は目覚めてこっちずっとこんな調子である。まるで人形と話しているようだった。肩を落として溜息をつく。

 

「あ、エフイーター」

 

──穏やかというよりは、ぽわぽわした呑気な声で、自分の名前を呼ぶ声は。

 

「あれ見てよ、何かやってるみたい」

「……何か、って……ただの食べ物屋台だろ?」

「何かな、あれ」

 

まるで子供だ。好奇心の向くまま──というよりは、磁石か何かで引き寄せられているような、そういう感触。青年はふらふらとそちらへ歩いていった。

 

「来てみてよ。いい匂いがする」

 

優しい声がする。それは意識的に他人を気遣ったり、許容したりする種類のものではなく、それはただ楽しんでいるような声だ。屈託のない笑った口元は、確かに同一人物ではない。そんな笑い方は、きっと出来ないはず。

 

だから、その声を聞くたびに──。

 

「……しょーがねーなー!」

 

……。

 

いや、ちょっと甘くない?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/5 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

婚姻とは、当然──人生の一大事である。

 

それをすっぽかそうというバカがこの国に存在することなど、ハンナムは夢にも思っていなかったのである。

 

ハンナムはロゥ家に仕える使用人たちのうちの一人で、先祖代々それを家業としている。ここのところ続いていた動乱のために、父が死んでしまい、それまで父が担ってきた仕事は必然的にハンナムに移動する。

 

使用人見習いであったハンナムは、本当に苦労しながら仕事をしていた。

 

──二週間ほど前から、ハンナムは一つの仕事を任されていた。

 

婚姻祭の準備である。

 

エールとロゥ家の令嬢メリィの婚約が発表されたのは同時期で、世間は大いに湧いていた。

 

婚姻祭というのは貴族同士が結婚するとき、それを祝うために行うものだ。貴族支配を歓迎するはずもない人々は嫌々ながら参加していたが、今回ばかりは話が別である。何せ救国の英雄エールが結婚するというのだから。

 

国全体がそんなムードで、ハンナムはその重大な仕事に対して責任感と充実感を持って行動していた。それほど難しいわけではなかったのだ。各所への連絡や行事の進行準備、やることは基本的に予定のすり合わせだけである。簡単ではなかったが、難しいわけではない。同僚たちも手伝ってくれているし、予定通りの進行が見込まれる──はずだった。

 

ところが。

 

「──連絡がつかない!?」

「そうなんだよ、レオーネの事務に問い合わせてみたんだが、さっぱりで……」

「そんな……それじゃあ、衣装合わせとかリハーサルとか、どうすれば……」

「話を聞いてきたんだが、あの人に連絡をつけるのは簡単じゃないって……」

 

──主役であるエールが見つからないのである。

 

婚姻祭の約一ヶ月前のことであった。

 

「スケジュールはこれ以上切り下げられないぞ!? 一体これからどうすればいいっていうんだ!?」

「それともう一つ悪いニュースだ。メリィ様の機嫌がここんところ最悪で、全く話を聞いてくれない」

「……なんでだ?」

「聞いた話だが、メリィ様は勝手に婚約を決められたってんで怒り心頭らしい。絶対に結婚なんてしないと言い張って動こうとしないって。当然俺らも門前払いだ」

 

紙束に塗れた部屋の中、熱気が充満していた。おそらく状況の悪化に伴って頭がスーッと冷えていったのは幸いだった。涼しくなってよかった。

 

「……じゃあ今まで進めてきた準備はどうなるんだ?」

 

沈黙。同僚は乾いた顔をしていた。

 

「……これが失敗したら、どうなると思う?」

 

同僚の方は、そっと親指で首を横一線に切った。

 

首切り、である。もしかしたら比喩じゃないかもしれない。多分そうだ。

 

「上に報告して、なんとかメリィ様を説得してもらわないと……」

 

言いづらそうに同僚が口を開いた。

 

「……それなんだが、ロゥ様直々の命令が来てる。俺たちマネージャーに、孫娘を説得しろ──だってさ……」

「はあああ!? な、なんで俺たちが!? そんなことできる訳ないだろ!?」

「俺もそう言ったよ。けど……なんとかしろ、の一点張りで……」

「じゃ、じゃあ……残り一ヶ月で、このギリギリのスケジュールの中……各方面への指示出しと、どこに消えたかも分からないエールさんへの連絡と、あの気難しいメリィ様を説得しろ、って……?」

「……そういうことになるな」

 

ハンナムは崖っぷちに立たされているような錯覚を覚えた。底なしの谷の底へ片足を踏み出しているようだった。

 

「そんな……そもそも結婚の話くらい、メリィ様に通ってるから婚姻祭を開くって話じゃなかったのかよ……。そんな状況で、もしかしたら開けないかもしれないような状況で……婚姻祭を開け、って命令してきていたのか……?」

 

到底正気とは思えなかった。貴族の考えは理解できない。この結果次第ではハンナムは首を切られる。交通事故のようなものだった。

 

「どうしたらいいんだ……」

 

ハンナムは頭を抱えた。どうしたらいいのか全く検討も付かなかった。

 

「俺にいいアイデアがある」

 

ハンナムはハッとして顔を上げた。

 

「まずなんとかしてエールさんを探し出すんだ。そして、エールさんにメリィ様への説得を頼めばいい。俺たちから言うよりも、あの人から言ってもらったほうが絶対に効果的なはずだ」

 

天啓だと思った。

 

「……それだ、いや……それ以外にない。なら、一刻も早くエールさんに連絡をつけるのが最優先だ、今すぐやろう」

 

ハンナムは席を立った。やるべきことが定まれば、ハンナムは一直線に行動を起こすことができる。そういう性格だった。

 

ただ、出口に差し掛かった時、一つの疑問を口にした。

 

「……でもどうして、こんなに婚姻祭を急いでいるんだろうな、ロゥ様は?」

「俺も同感だ。実はさっきロゥ様に報告をしていたとき、そのことを聞いたんだ」

「そしたらなんて返ってきたんだ?」

「よく意味は分からなかったが……一言だけさ」

 

同僚が口にした言葉は、非常にシンプル。

 

「”時間がない”──って。深刻な顔で」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぃー……。結構悪くなかったな。どうだった?」

「うん。おいしかった」

 

にこりとした笑顔を見せる青年と、それにつられて少し微笑むエフイーター。道の上にまで出されているテーブル席は他もいくつか設置されている。

 

その誰もが、二人の座る席に時折目をやったり、あるいはジロジロと遠慮なく視線を注いでいる。

 

「それでさ、どうする?」

「? どうするって?」

 

真正面から、本当に何も分かっていない顔で青年は聞く。

 

青年は片腕がない。エフイーターは青年が食事を食べにくいんじゃないかと心配したりしていたが、どうやらそれは杞憂だったらしい。もぐもぐ食べていたし、青年もそのことに対しての後ろめたさのようなものを一切持っていなかった。

 

何もかもを知らなかったのだ。

 

「お前の名前。思い出せないんだろ?」

「……そういえば、確かに。君はエフイーターって名前があるもんね。僕にもあるのかな?」

 

他人事のような調子だ。結構深刻な問題だと思うのだが、青年は終始この調子で、何も思い出せないことへの不安や焦りなどまるでない。

 

「どうするんだ〜? あたしもずっと”お前”じゃやりにくいよ、何か思い出したりしないのか〜?」

「わからない。けど……そうだ! だったら君が考えてくれない?」

「あたしが?」

「なんでもいいんだ。君の呼びたいように呼んでほしい」

「って言われてもなー……。それでいいの?」

「うん。それがいい気がする」

 

流石にエフイーターは唸った。

 

熱気のせいか、汗が一筋流れる。一日普通に歩いているだけでも日焼けして真っ赤になりそうな国だ。だが青年の肌は不思議なくらい白かった。あいつもこのぐらいの肌色をしていた。

 

──ずっと、ある名前が脳裏によぎっている。何度もその名前で呼ぼうとしてやめた。

 

「……どーすっかなー。なあ、何か好きなものとかあるか?」

「好きなもの? どうして?」

「参考までに、さ」

「……? うん、えーっと、好きなもの……」

 

うーんうーんと喉を鳴らす青年は、薄ぼんやりとした気配で唸っていた。

 

「なんかない? 例えばほら、果物──りんごとか、そういうの」

「りんご」

「果物なら、みかんとか」

「みかん」

「……。食べ物以外で、雪とか、休日とか」

「雪とか休日とか」

 

インコか何かだろうか。

 

「映画とか、そういうのを見たこともないのか?」

「映画?」

「そうだよ、例えば──カンフー映画とか!」

「カンフー映画」

「ない? 燃えよドラゴンとか、カンフーパンダとか。……、Reriseとか。覚えてない?」

「覚えてない?」

 

ハッとしてエフイーターは首を振った。口が滑った。

 

「や、なんでもない。あたし、そういうの好きだから。お前がそういう映画とか見てるんだったら話が合うかなって思っただけさ」

「あ、そうなんだ。ごめん、何にもわからない」

「いいって、仕方ないよな」

 

一口に記憶喪失とは言っても、その知識まで失われた訳ではない。赤いものは赤いとわかるし、言葉も話せる。まあその辺りはエピソード記憶と密接に結びついているため、不透明な部分は大きい。

 

「って……今はお前の名前を決めるんだ。りんご、りんごとかで──……。アップルなんて安直だしなー。りんご──炎国語で苹果(ピンクォ)……とかも、違うしなー……」

 

うーんうーんと悩むエフイーター。

 

「……もうあれでいいかなー。似てるし……でも違った時やだなー……。なあ、ブラストってのはどう?」

 

思い切った提案をした。口では軽い調子だが、エフイーターは注意深く青年の反応を観察する。何かの弾みで思い出すかもしれない。

 

「ブラスト? それは」

 

観察中、顔色に変化は──

 

「嫌だな」

 

少しだけ、暗くなった。

 

「なんでだろ。……胸のあたりが、ざわめく気がする」

 

──その言葉だけで、エフイーターはかなりの情報を読み取った。

 

一つ。青年はおそらくブラストである。確信とはいかないが、別人ではない。その可能性は低い。

 

二つ。もしもブラストだとするなら、鉱石病が相当進行している。最後に会った時には、まだ顔に結晶は現れていなかった。

 

三つ。この青年の風貌には心当たりがある。写真は見たことがないが……白髪でヴァルポ、そして優しげな表情に──片腕の青年。ここまで特徴的な人物は、少なくともこの国ではただ一人と言っていい。”救国の英雄”エールだ。そしてそれがブラストと同一人物となると……なんとなく、見えてくるような事実がある。

 

四つ。なんらかの要因で記憶を無くしている。青年はアルゴン郊外、国境からアルゴンへと続く道端に倒れていた。何かがあったはずだ。

 

「……一人で先走ったのは失敗だったなー。大人しく準備が整うの、待ったほうが良かったかも」

 

思わずそう呟いた。サングラスの向こうから空を見上げる姿に力はない。憎たらしいほどの快晴、それにしては蒸し暑くて汗ばかり滲む。嫌になる。

 

青年は何の話か分からずにエフイーターを見ている。

 

「や、こっちの話。はぁ──どーすっかなー。どうしよー……。てかどうなってんのー……?」

 

椅子に深くもたれて脱力。流石のエフイーターも途方に暮れた。こんなことになっているなど想像もしていなかった。そりゃ、簡単ではないだろうなとは思ったけども。思ったけども……ちょっと、ハード過ぎないか。

 

「あ、そうだ」

 

呑気な声で掌を打つ青年。エフイーターはすぐに身を起こして体を乗り出す。何かを思い出したのか?

 

「音楽は好きだな。今、お店から流れてる音楽──リンキン・パークだ。この曲は、ええっと……なんだったっけ。曲名は思い出せないけど」

 

……期待して損した。

 

そういえばエフイーターも聞き覚えがある気がする。たまにブラストが流していたロックバンドの曲だ。確信は強まるが、別にこんな情報は重要ではない。余計力が抜けた。

 

「もう何でもいいやー……。はぁ、じゃああたしの好きな映画の登場人物で……ラスト。そういうヤツがいるんだ。炎国の裏社会に生きてる一匹狼で、若いヴァルポ族の男。さっきの、Reriseって映画の登場人物。──ラスト、それでいいか? お前の名前」

 

ごく簡単に頷いた。仮とはいえ名前なのだが、慎重という言葉の意味を知らないらしい。

 

「うん。ありがと、エフイーター」

「感謝しろよー、全く……。じゃあここ出るか。とりあえずお前の記憶の手がかりを探しに行くぞ、ラスト」

「え?」

「え? じゃないよ、当たり前だろ。……あのなー、見てて心配になるから言うけどな。お前は今、記憶喪失ってヤツなんだよ、帰る場所もわかんないんじゃ、お前は一体どこで寝るつもりだよ?」

「……考えてなかった。でも、手伝ってくれるの?」

 

一瞬答えに詰まる。それは何を答えるべきなのかではなく、これを伝えていいのかどうかが主な理由だった。エフイーターはそっと誤魔化すことを選ぶ。

 

「いいっていいって、人助けはあたしの仕事だからね! 記憶が戻るまで、最後まで手伝ってやるよ!」

 

そしてもしもラストが思い出す時が来たら、その時は──。

 

……まあ、その時はその時だな。その時が来たら考えるか。最悪の場合はぶん殴って解決しよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/25 人間の唄

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

怒り心頭通り越すと、逆に頭は冷えていくと言うが、それは間違いである。

 

──腑が煮え繰り返る。

 

頭で怒っていたのが、その怒りが腹の方へ移動して──沸返すほどの、ぐつぐつとした恐ろしい怒りに変わるという訳である。

 

確かに冷静になる。主に、その手段を考えるためである。それ以外のことは最初から視界に入らないようだ。

 

その姿は古来より人々の恐怖の対象となり、極東ではその様子を、ある怪物の名前を使って形容するそうだ。

 

曰く、羅刹と。

 

「……あの、ブリーズ。落ち着いて聞いて欲しいんだけど──」

 

般若でもいいかもしれない。本質はそう異なるものではない。

 

「落ち着いているわ。これ以上ないくらい……私は冷静よ」

「その……今朝からずっと、みんなが怖がってるの。率直に言うけど、めっちゃ怖いよ。やっぱり昨日の話が原因……ごめん、聞くだけ無駄だった」

 

ブリーズが終始笑顔であるため、余計に怖くなった。

 

「いえ? いいのよ、迷惑掛けているわよね。けどごめんなさい……こればっかりは、自分でどうしようもできないし、そうしようと思えないの」

 

微笑も極まるともう何か別の種類のものだ。

 

病院の一角から凄まじいオーラが噴き出ている。このままでは患者にも悪影響を与えかねない。いつもはそう静かと言えない病院も、今日はなぜだか静かだ。なんでだろう。

 

「……その、患者の前では──」

「心配いらないわ」

 

よかった。ブリーズも素人じゃない、そのくらいの心構えは備えている。

 

「今日は、外に用事があるから……患者の前には、出なくても大丈夫なの」

 

違ったわ。なんにも大丈夫じゃなかった。

 

「あのお馬鹿さんを……診察しなきゃいけないから」

 

影の滲んだ笑顔が固定されていて怖かった。

 

「え? でも……あなたが頼んでた医療品、届いてるよ? 確認しなくていいの?」

「え? そうなの? 早いわね」

「それとグエン院長が呼んでいたけど。なんか引き継ぎ? みたいなことするって。あの人今、統領にいるからそっちまで行かなきゃいけないよ」

「え? あっ、え──統領って……結構遠いわよね……?」

 

般若の顔が困り顔に変わっていく。ブリーズは本質的には真面目なので、そう自分勝手な意識を保ち続けることができない。紛れもない長所である。

 

と、般若を遠巻きに眺めていた同僚たちがここぞとばかりに声を出した。

 

「ブリーズ! 例の患者の処置、どうすればいいんだったか!?」

「ブリーズさん、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど……」

「ブリーズちゃん、新しい機材の調整を手伝って欲しいんだけど!」

「えっ、あっ、えっと──い、一個ずつやっていくわ、ちょっと待ってて!」

 

──抜け出せない。

 

自分勝手な意識で、私情を優先させることなどブリーズにできるはずがなかったのである。自分のことよりも優先して、誰かのために一生懸命働ける。その性質が、ブリーズが好かれている理由なのである。

 

優秀な医師には暇がない。困っている人を見捨てられないのと、エールを野放しにしておけない状況に板挟みになって、今日もブリーズは忙しかった。

 

「もうっ! 何もかも、アリーヤのせいよっ! 今度会った時、絶対許さないんだからっ!」

 

──うーん、まあ僕のせいではないとは思うんだが……まあ、頑張りなよ。

 

想像の中のアリーヤが、そんな呑気なことを言っていた。ふざけんな!

 

 

 




・ラスト
記憶を失った青年。
一体何者なんだ?

・エフイーター
先走ってエクソリアに来訪したパンダ。かわいい

・ブリーズ
根本的に善人。もしかしたらヤンデレかもしれないが、仕事には勝てなかった。
かわいい

・婚姻祭
設定は適当です。深く考えてはいけない






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羅刹と大木 -3

 

 

8/9 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん、構わない。いいよ、僕の責任でもあるだろうし」

 

──あっさり過ぎるほどの了承に、ハンナムは拍子抜けした。

 

早朝を狙っての突撃であった。どこにいるかもわからないエールだが、早朝──それこそ太陽が登る直前くらいの時間は、もしかしたら執務室にいるかもしれないとの情報を得ていたのである。

 

執務室と言う割には、かなり騒然としていたのだろう。ハンナムのオフィスも似たようなものではあった。散乱したファイル、壁に貼り付けた地図と無数のメモ書き。ソファーには上着が掛かっている。

 

「ただ悪いね、僕は少し忙しい。彼女に会いに行けるのは、もう二日か三日後になりそうだ」

「なっ……いや、ダメに決まってる! 今日中に説得してくれ、そもそもあんたを探し出すのにもう三日も掛かっているんだ! 式まで三週間を切っているんだ、当事者のあんたがそんな意識でどうする気なんだ!」

「む……それは参ったな。どうしても必要なことなのかな?」

「俺はこの一件についてロゥ様から任されているんだ。中途半端な出来だったら、祖先に失礼になる。あんたにわざわざ言うことじゃないんだろうが──知ってるだろ。この結婚は、あんたとメリィ様だけのことに留まらず、強い意味を持ってるって」

 

奪われてきた土地は取り返しつつある。士気は高い。ただ、物資と金をどこから持ってくるかだけが、目下最大の課題ではあった。ハンナムは知らないことだが、エールはそのことで奔走している。

 

「お節介かもしれないが、エールさん、結婚するってことは家庭を持つってことだ。子供作って、守っていかなきゃいけない。忙しいのは分かるんだが、せめて最低限必要な、あんたの出身とかどうとかってモンを教えちゃくれないのか」

 

──と、ハンナムが言うのにも理由がある。

 

結婚、()い結ぶというのはその両名だけにとどまらず、家と家を結ぶことでもある。近代的な価値観であれば、当人たちの意思のみで婚約することもできるが、古くからの習慣が続くエクソリアの人々にとって、特に重要なのは家の意思である。詰まるところ、家主である父親や、祖父の発言権は強い。

 

この場合で言うと、花嫁であるメリィの祖父──ロゥ家当主、ワン・リ・ロゥである。こっちの意思は問題ない──と言うより、この婚姻はロゥからエールに持ち掛けられたものである。由緒正しいエクソリア貴族の末裔としての、正式な申し込みである。

 

翻ってエールはというと──出身不明、本名不明、本性不明。よくここまでやってこれたなお前、どうなってんの──と、もし好き勝手に発言できるなら、ハンナムはそう叫んでいたであろう。

 

本来ならば両家の父親同士が合意し、それぞれの段取りを進めていくのであるが──残念なことに父親は殺しちゃったので、エールには存在しない。そもそも出身がウルサスであることすら、おそらくアンブリエルやその他の数人が知るのみである。

 

こんな背後が不透明な状態で、エールがなおも求心力を失わない理由に関しては割愛する。そもそもエールも、本気でここまで事が大きくなると思っていなかった。

 

だが最終的に、背後の不透明な流れ者と由緒正しい血筋の花嫁が結婚するという、とんでもない事態が起こってしまった訳である。当然の帰結として、この公表に関しては賛否両論はあった。議論や批判は吹き荒れた。

 

一般的な人々にとっては、歓迎すべき事実ではあった。めでたい事ではある──と、概ね好意的に受け入れられた。貴族とは人々にとって支配者以上の存在ではなかったが、絶対的な存在であることは間違いない。そんな存在に、エールという市井の英雄が認められたことは喜ばしい事であった。

 

「名前はエール。それ以上の情報が必要かな?」

「あんたにとってはそれで十分かもしれないが、こっちだって受け継いできた伝統ってものがある。重要な事なんだ、尊重してはくれないのか?」

「尊重は大切な事だ。ただ、事実は事実──僕はただのエールだ。それ以上のことはないし、これ以上伝えられることはない。それに、そんな大変な行事にしてくれって僕は頼んでないんだが……」

 

この婚姻は、特にロゥの指示により進められてきた。エールはこういう伝統的な行事など好まない。特にいかにも貴族的な、豪華で喧伝的なものなどなおさら──嫌いと言ってもいいが、今更そんなものはどうでも良くなっていたのである。ロゥがどうしてもと言うので付き合っているだけで、それ以上の意味はない。

 

「そういう家やら何やらの情報が必要なら適当に繕っておいてくれ。邪魔にならないなら、僕は何だっていい。どうしても身分が必要なら、僕のことを適当な家の養子にでもしておいてくれ。グエンさんのところにでも相談しに行くといい」

「……そんなメチャクチャな……。どうすれば……」

 

生真面目かつ能力のあるハンナムは、その真面目な性質ゆえにさまざまな苦労を背負っている。不思議とこういうことになりやすい。というよりエールが無頓着すぎるだけかもしれないが。

 

「まあ、君の用事がどうしても必要ならさっさと済ませることにしよう。僕はこれからロゥさんの邸宅へ向かうが、君もついてくるのか?」

「……まあ、あんたが構わないなら、用事もあることだし……」

「なら……そうだな、少し待っていてくれ」

 

執務室の机の黒い固定電話をカチカチと操作して、エールは受話器を耳に当てた。少しして話し出す。電話は色々と便利なので物理回線を引いて設置した。

 

「僕だ。……ああ、午後には戻る。それまで、少し任せる。…………うん、そう。分かった……用意しておくよ。悪いね。それじゃ()()()()──スカベンジャー」

 

そんな一分も掛からない短い会話だけをして、黒電話はまた役割を待つのみになった。

 

「さ、やることはさっさと済ませよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おおっ! すげーなーっ、まるで60年台の龍門じゃねーか!」

 

驚嘆の声を上げたのはエフイーター。ラストが隣に並んで、同様に無邪気に驚いていた。

 

「あれ、あっちは──占いだってさ! せっかくならやってくか?」

「占い……? でもエフイーター、お金結構かかるみたいだよ」

「いいって。……今は、ちょっとゲン担ぎがしたいんだ。こういうの、案外馬鹿にならないもんなんだぞ。お前のこと、知ってるヤツが見つかるかもしれないじゃん」

 

──エフイーターはそう嘯いた。ラストが想像通りの人物なら、きっとレオーネ駐屯地にでも連れていけばいいのだ。それだけで十分である。

 

これまで声を掛けられなかったのは奇跡に近い。例の有名人に近い風貌──というより瓜二つだが、或いは本物だが──をしているラストは、実際のところ目立っていた。気の抜けた表情のために、どうにも声を掛けさせるのを戸惑わせているのかもしれない。

 

それとは別に、エフイーターは不満があった。これでも映画スターなのだが、この国ではあまり映画が流行っていないのだろうか。振り向く視線も、せいぜいが美人を眺める瞳であり、サインの一つも求められない。

 

「……それにしても、なんだかごちゃごちゃしているね」

 

──大洪水の後、町はにわかに活気付く。飲食店は軒先にメニューをデカデカと張り出し、さまざまな商店もガラクタを自慢げに飾っている。道の上にはゴミが散らかっていた。

 

「……エフイーター?」

 

返答がなかったため、周囲を見渡してみると、すでにエフイーターは意気揚々と占い師の前の椅子に座っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──吉兆、いやぁ……凶兆、ですかなぁ。これは……あっしも、長いこと占いをやってきたもんですがね。こいつは、また……何とも、数奇なもんですわ」

 

カードを広げたり、星座図を弄ったりして数字を書き出していた占い師が、最後に考え込みながら絞り出した言葉である。

 

「煮えたぎらねーなー。何だよ、はっきり言えよ〜?」

 

ぼーっとしているラストの代わりにエフイーターが急かした。占い師は眉を寄せながら険しい表情で、しかし未知のものを目にした小さな興奮を見せながら言う。

 

「……運命を授かっている、としか言えんのです。まぁ、誰しもが持ってるもんじゃないんですな。素晴らしいもんを生み出す大会社の社長やら、一国の大統領やら、皇帝やら──そういった方々には、普通とは違う何かがあるんですわな。もちろん生まれながらに偉いからといって、皆さまが持ち合わせてるものじゃございません」

 

口調からして胡散臭かった。詐欺師か何かと疑われても文句は言えない風貌である。何せ薄汚い。

 

ただ当の本人はそんな自らのことを忘れた様子で、熱っぽく語る。

 

「歴史に名を残すっちゅう様なお方は、何かしらが違うんですわいな。もちろんそれは、努力や才能もあるんでしょうが──ごく稀に、多くの人を巻き込む運命を抱えている方が現れることがあるそうですわ。あっしは初めて出会いました……ほんに、光栄にございます」

 

もはやここまで来ると拝むような調子である。

 

エフイーターはちょっと不機嫌になった。ラストはぼーっとしている。聞いているのだろうか。

 

「そうですなぁ、一言で申し上げますと……あなたさまは、偉大なる破壊者、とでも言いましょう──いいえ、そうなる可能性が高いと言ったほうがいいでしょう。ご存知でしょう、歴史の転換点は破壊の歴史であるなら──常に、"そう"なのでございます。多くの場合、伝統や、それまで積み重ねてきた歴史の破壊──それがまた、新たな歴史を作り上げていく……。そうでございましょう」

「そうなのか〜?」

「そうでございますとも。なんというか、人の歴史っちゅうのは──時には、この大地が……人々を新たな時代へ導くために遣わしたとしか思えないお方が時々現れるもんです。それはウルサスの始皇帝であったり、ヴィクトリアの盟約を締結した、彼のアスランの王であったり……他には、そうですな……イェラグにも、そのような気配を感じますが……。時代の風が背中を押して、偉大なことをやり遂げるお方が、なぜだか現れるんですな。どうやらこの大地には、そういった仕組みが備わっているらしいと」

 

──エフイーターの愛嬌のある顔が、みるみるうちに不機嫌になっていった。この怪しい詐欺師め、と言い出さんばかりである。

 

「……破壊者は、常に大いなる破壊を伴うもので──苦しみや悲しみ、或いは死を、多くの人にもたらすものです。破壊とは、改革の別名でありますんで──つまり偉大な指導者というものは、暴君や独裁者と見分け上の区別はつきますまい……しかし構いはせんのです。偉大な業績として、困難を乗り越えた先に……あなたさまの求めるものが見つかるでしょうな」

「僕の求めるもの?」

「えぇ、えぇ……。そうでございます。見たところ、今は困難に見舞われておるようですが──そうですなぁ、あなたさまは、本質的には求道者でしょう。それが、たまたま破壊者としての能力も兼ね備えていた、という訳で、まこと数奇と言いますか……」

「破壊者って、何をするの?」

「ほほっ、何をおっしゃいますか。あなたさまは思うがままにやられたらよろしい。この暗く沈んだ国には、それが必要なのです。そしてあなた様にもそれが必要であった。全て必然なのですよ」

 

しわくちゃな顔をした老占い師は何もかも分かったような顔をしている。ラストと言えば、子供のような疑問心で色々と質問していた。

 

エフイーターは後悔していた。こんな胸糞悪いことを聞かされるんなら、今からでも料金をほっぽってどっかに行こうか。

 

「正直に申し上げますが、あなたさまの未来を占い、予測するのは困難。幾重もの強い縁が張り巡らされております。誰しもが持つ、家族や友人、恋人──或いは、予想も付かない運命。(えにし)はあなたさまを導き、或いは手繰り寄せ──水面に揺蕩う波のように、どこへ向かうかは、誰に分かるものではありませんので」

 

水面に波とは、また聞き慣れない言葉だ。なんとなく意味は分かるような、分からないような。

 

「そしてもう一つ、偉大な魂としてのあなたさまではなく、ただ個人としてのあなたさまを占いましたところ、これまた興味深く、また数奇で奇妙な──魂を縛り上げる、深い深い……呪いをお見受けします」

「……呪いだって?」

 

腕組みなんてしているエフイーターは、不思議そうに首を傾げるラストの代わりに怪訝な顔をした。

 

突拍子のない言葉ではあるが、エフイーターにとってそれは、それほど頓珍漢な言葉ではないと感じられた。意外ではあるが妙ではない。

 

(えにし)は良き物を運んで参ります。それは喜びを分かち合い、悲しみを分け合い……いずれは、愛にたどり着くこともありましょうて。ですが、一つ間違うと、それらは反転し……呪いへ転ずるのです。深い愛ほど、裏切られた時は強烈な憎しみに堕ち、強い信頼は裏返って、解けない不信の心を生み出してしまう。それらは解こうとしても解けない、心を縛る呪いとも表現されますでしょう」

 

──実際、エフイーターにとって心当たりのない話ではなかった。

 

ラストの正体がエフイーターの想像通りなら、それは一種の裏切りである。思わずには居られない。

 

信念を裏切ったのかと。交わした言葉を忘れたのか、と。

 

「他者との関係は、大地が与える祝福の糸と呼ばずには何と言いましょうか? それは間違いのないことです、しかし──呪いにも転じうるのですな。保つことは難しく、守り続けることは困難を極め──特に、あなたさまのような強い運命に晒される魂にとっては……そうですな。暗闇の中を、行き先も知らぬまま歩くようなものでしょう。踏み外すことこそ、もっとも容易なこと」

 

それでもラストは聞いている。真剣とは言わず、かといって馬鹿にしているわけでもない。ただ聞いている、そういう顔で。

 

「じゃあ、僕はどうすればいいの?」

「焦りは禁物ですな、そう急かさずとも……話をするのに十分な時間はありましょうて。お聞きなされ。気を付けなければならないことは、一つ。この大地に点在する不幸と同等の数の種類だけ存在する呪いの中で、もっとも強い呪いは──死者の残した言葉でありますれば」

 

──反射的に、エフイーターは目を見開いた。

 

何かに気がついて、口を開きかける。心当たったのである。そうだ、行動隊B2は全滅したとロドスには伝えられた。だが──。

 

残りの隊員たちは──エフイーターも知っていたし、そもそも炎国の一件でエフイーターを助けに来ていたオペレーターたちとは、その後も交友があった。

 

死者の残した言葉。ロドスに帰ってきた7つのドックタグ。言葉と事実と想像が繋がって、ぼんやりとした一つのシルエットを結んだ。

 

「縛られてはなりません、それはあなたさま自身の、真の願いを奪い去ってしまいましょうて。その呪いは、あなたさま自身の望みではなく──死者の残した爪痕で、傷以上のものではなく……ええ、ええ。見失えば、求道の道に果てることになりましょう」

 

老占い師は真剣な、しかしどこか胡散臭い口調でそう言った。

 

どこかしら超越したような雰囲気は纏っていたが、まあ詐欺師も同じようなことは口にする。ただエフイーターはそれら全てを戯言と流すことは出来なかった。少なくとも、もういい、と口にして、ラストを連れてその場を立ち去ることはしなかった。

 

「ただ、そうですなぁ──あなたさまは、いくつもの鎖で縛られ、本来の願いを見失うことでしょう。今は何も分からなくとも……あなたさま自身は、それを理解しておられるはず。人は誰しも他者に縛られるものですが──ふむ、まこと……感服しますな」

「どういうこと?」

「我々は皆、運命の奴隷だ──とは、はて、誰の言葉でしたか。歳を取ると忘れっぽくなっていけませんな。ほほ、全く……若さとは、何もいいことばかりではないでしょうが、ほ……何とも羨ましいことでしょう。何と甘美で、なんと苦難に満ちた……道のない夜を往く、偉大な道筋でしょうか。もしも神がいるとするなら、どれほど好かれればこうも……強く、気高い魂へと至るのでしょうな? 何と苦難に満ちた生でしょう、御伽噺のような──」

 

冗談じゃない。エフイーターの我慢の限界が近かった。

 

「そうですな、お代は頂きましたので……一つ、忠告をば。呪いには注意なされ、特に鏡には。腐った大木の中には、怨嗟の呪いが詰まっております。それは怒りであり、得られなかったことへの恨みであり、生きとし生ける、全ての命を呪わんとする醜い怪物。鏡を割ることです──呪いとは、魂を縛る複雑に絡まり合った紐のようなもの。丁寧に(ほど)かねばなりますまい、然も無くば──その魂ごと焼き尽くすほかないと、そうお伝えしましょうて」

 

実はラストとしては、何を言っているのかさっぱり分からなかった。エフイーターだけが警戒心マックスで身構えている。

 

「他者から向けられる呪いは、やはり焼き尽くすほかにないでしょう。救済など考えてはなりませんぞ? さすれば道連れ、人を呪わば穴二つと言うならば、死者の呪いほど恐ろしいものはありますまい。今──アルゴンの街を覆う、この呪いは無差別に自壊しようとする哀れで醜い泥人形でございますれば、あなたの抱えている呪いほど美しいものではありません故」

「……さっきから何言ってんだ、お前」

 

すでにエフイーターは臨戦態勢である。殺気すら放っている──。

 

この占いの当事者ではないエフイーターこそが、もっともこの場の奇妙さを感じ取っていた。老占い師も占い師なら、ラストもラストだ。分かって居るような分かっていないような、だがずっとその言葉を聞き続けている。

 

そして、そこでエフイーターを指して、人の良さそうな、老いた笑みで忠告した。

 

「忘れてはなりませぬ、鏡を割ることです。──鍵を握るのは、そちらのウルサスのお方でしょうから」

 

そう言うと、老占い師はふぅ、と息を吐いて静かに口元に微笑を作った。

 

「言葉一つ、たったそれだけで運命は変わるでしょう。……幸運をお祈りしております。あなたさまの帰るべき魂の場所に、どうかたどり着けますよう」

「──魂の、帰るべき場所?」

「ええ、ええ……そうでございます。魂は大地より出でて、また大地へと還り……帰るべき場所を見つけると言われております。約束の地、安らぎの中で……その魂は、永遠の眠りに着く。我々、この地に根付くものたちの信仰でございます。あなたさまも、いずれその通りに」

 

我慢ならずに、エフイーターは口を開いた。

 

「おい、好き勝手言ってくれてるけどな! お前は──人間は最初っから、死ぬために生まれてきたとでも言いたいのかよ!」

「我々は苦難の中に生まれ、苦難の中に死に行き──その意味も知らずに朽ち果て、その結末の先も知らぬまま大地に帰るのです。ならば、その信仰に救いを見出して、何の不都合がございましょう? この地は……喜びと共に生きるには、救いなき事柄が多すぎる」

 

──老占い師の言葉には、疲れ切った諦観が現れていた。

 

この諦観は、老占い師特有のものではない。ある程度歳をとったエクソリア人なら誰もがほぼ共通して抱えているある種の共通意識である。

 

国力に乏しく、力に貧しく、地理に恵まれず、時勢に運悪く──エクソリアは小国であり、ウルサスの支配に抗い切れるだけの力など、どこにもあるはずもなく、ただ覚悟を決める他ないのだ。ゆっくりとすり潰されて、運命の奴隷に成り下がる覚悟を──。

 

支配と暴力は、ゆっくりと人々の心を磨耗させていく。いつだって貧しく、荒れ果てた大地に、それでも種を撒かねばならない。例えそれが、明日には洪水で押し流され、徒労に終わるとしても。

 

「魂の帰る場所では、あなたさまが待ち望んでいた人々があなたさまを待っております。ゆえ、安堵されるとよろしいでしょう」

 

──エフイーターはそろそろ限界だった。

 

椅子に座って、黙って話を聞いていたラストの首根っこを掴んで立たせる。

 

「え、エフイーター?」

 

戸惑うラストの声に耳を貸さず、エフイーターはラストの手を掴んでずんずんと歩いていき──まるで捨て台詞のような、怒りの言葉を残す。

 

「おい、あたしもこいつも──お前みたいな負け犬の思っているほど、弱くなんてない。死んでからのことばっか考えてないで、ちょっとは生きてるうちにできることでも考えとけ!」

 

──死後に救いを求めるのは、生きてるうちに救いがないから。

 

それは弱者の信仰である、とエフイーターは両断した。事実その通りだった。エクソリアの人々、これに限っては南部も北部も変わりはしないが、彼らはどこか根本的な部分で諦めているのだ。支配に争い、独立を勝ち取ることはもう無理なのだと──どれだけエールに期待しようと、心のどこかでは諦めている。

 

「ほほ、気張りなされ。この大地に蔓延る、血と臓物の臭いが染み付いた呪いを──運命の奴隷たる我々を軽蔑なさるなら結構。呪いを紐解き、解放することが出来るのなら──その時は、その偉大な魂を讃え、永遠のものとして語り継ぎましょうて」

 

──ふざけた話だ。そこで永遠につまらないことでも考えていろ。

 

今に見てろ、すぐに──。

 

「胸糞悪いこと聞かせやがって! 絶対黙らせてやるからなー!」

 

──ヒーローは、あんな諦観には屈しない。

 

それは、エフイーターがこの世界で唯一信じている信念で信仰。

 

それはかつて、誰かが信じていた理想。

 

もしもブラストがここにいたのなら、似たようなことを言うと──そう信じて。

 

 

 




・運命の奴隷
もしかして:ジョジョ第5部



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羅刹と大木 -4

 

 

8/15 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は? ストロプメルの大木──って、あの形ばっかデカい大木のことか? あんまり覚えてないけど」

「そうだ。……式の会場についての指定が、ロゥ様から下ってる。ロッカ院でやれ……だってさ」

「おいおいおい! なんで今更になって、っていうかもう箱は押さえているってのに!?」

「キャンセル、キャンセル──ああ、悪夢だ……」

 

ハンナムは今書いていたスケジュール表をそっと破った。たった今無価値になったので、妙に神妙な顔で、静かに破って丸めて、事務室の開いた窓の外へ放り投げた。

 

「……ロゥ様は何考えてんだろうな。この調子で行くと、もう二、三件の変更がありそうだ──っていうか、ロッカ院だって!? 本当か!?」

「ああ。何かあるのか?」

「な、何かあるのか? じゃない! キチガイ共が住んでる場所だぞ!? 壁なんてヒビだらけで、本堂の柱なんてほとんど腐ってるらしいんだぞ! 訳分かんねえ儀式ばっかりキマった顔で延々とやってるんだよ、知らないのか!?」

 

ロッカ院──歴史あるアルゴンの寺院である。かつては栄華を誇っていたらしいが、今では寂れた寺院で──朝から晩まで、坊主頭の気狂いが呪文を唱えているだけの恐怖スポットである。あれでどうして消滅しないのか本当に不思議だとハンナムは思っていた。

 

ロッカ院の境内には、一つの特徴的な大木がある。樹齢にして200年を越す、トワラン種の一つ。ぐるぐるとした形を描くこの大木は、通常100年も生きられない他のトワランの木と異なり、ついに200年を数えた。

 

「あの気味悪い寺院が、まさかアルゴンにまだ存在してるなんてゾッとする話だよ。見たことあるか、訳のわからないエクザ文字の彫られた、石造の寺院──」

 

ハンナムが口にするように、大半の人々はそれが何のためにあるのかを知らない。せいぜい、古い信仰を形作る、時代遅れの不気味な連中程度の認識しか持っていない。

 

「噂だけどな、命を奪うことの尊さと残酷さを知るためだとかのために子供攫って殺してるって話も聞く。着てる袈裟には臓物の臭いが染み付いてて、街に出た時にはひでぇ臭いがするんだとさ。──でも、どうしてか消滅しない」

 

人の寄り付かない、石畳の敷かれた寺院である。アルゴン西部の山の麓に居を構えている、どうにも不思議で不気味。それがロッカ院。ロカ院とも言われていて、年寄りの間では人気だが──ハンナムのような若い世代にとって、異常の象徴であった。

 

それは間違いなく狂気であり、近づきたくない場所堂々のNo.1を維持し続けている。

 

「……どうしてそんな場所を? 何かの間違いじゃないのか」

「だからそれはこっちのセリフなんだって! 何考えてるんだ、一体どうなってんだ!? 止めたりしないのか、周りの人とか──あの人でさえ放ったらかしにしてるってことか? それとも単に知らないだけか!?」

 

寝不足の続いているハンナムはここのところ情緒が乱れている。そのせいか多少ヒステリックに額を抑えて叫んでいた。同僚の方もそれを分かっているが、言うことは言わなければならない。あんまり叫ばれるとまた苦情が来る。

 

「ハンナム。とにかく俺たちの仕事は言われたことを言われた通りにやることだ。現地の視察に向かえ」

「……行ってきてくれ。俺は行きたくない」

「ダメだ、お前が行くんだ。俺はコーディネーターと一緒にメリィ様と打ち合わせしなきゃいけない。実際は大したことないかもしれないし、とにかく実際に見てくるのは重要なことだ」

 

そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やばかった。

 

「……赦されよ、赦されよ……おお、静めたまえ、鎮まりたまえ……」

 

とかぶつぶつ言ってるハゲの薄汚い坊主が、ハンナムを出迎えた。

 

出迎えた──と言っても、無論これは比喩であって、坊主は門に面した境内の中心に鎮座する、荘厳な大木に向かってずっとそんなことをぶつぶつと言っていた。

 

ハンナムは気が重かった。何せノンアポである。もしかしたらロゥからロッカ院に話は通っているかもしれなかったが、気は重かった。何せのっけから()()である。

 

「……失礼!」

 

郊外まで送ってくれた三輪タクシーの運ちゃんはとっくに帰った。一時間後に迎えに来る約束なので、見渡す限りのむさ苦しい草原にあと一時間は居なければならない。まさか徒歩でアルゴンまで帰るわけにもいかないので、つまりは帰り道は絶たれていた。

 

「ご老人、少々よろしいですか?」

 

ハンナムは外行用の営業スタイルに雰囲気を変えて声をかけた。ぶつぶつと呟き続けている件の坊主に近づくと、とても酸っぱいような、いやに熟成された──いや、表現を選ばずに言えば、臭った。

 

「南無──世尊妙相具、我今重文彼、名為観世音…………鎮めたもう、鎮めたもう……」

 

ぶつぶつぶつ、低くしゃがれた、老人の声が廃墟同然のロッカ院に、妙に響き渡って不気味な感じがする。そこに異様な圧力のようなものを感じて、ハンナムは思わずたじろいで立ち止まらざるを得なくなった。

 

「……汚れ、呪われた錆が、覆っておるの」

 

と、よく分からないことを突然言い出したので、ハンナムの意識はついて行けず、

 

「……は?」

 

間抜けな声を落とした。老坊主の言葉は、もしかしてハンナムに向けられていたものだったのだろうか。

 

「見やれ、若き人よ」

 

全くもって聞き取りにくい、どうにも皺がれた老人の声と共に、老人は顔を上げた。その視線の先には、高さにしておそらく30メートルを越えるであろう大木があった。

 

ハンナムは釣られて上を見た──はっきりと捉えると、その大木は、

 

「……!? な、何だ、これ……!?」

 

大木を見上げたハンナムが驚愕したのも無理はない話である。

 

──それは、末期の病人の肌にも似ていて、無数の血管が浮き出ているようだった。

 

大木に絡み付いた無数の──そう、数え切れないほどの蔦が、大木を締め上げていた。少なくともハンナムには、意思を持たないはずのただの植物が──大木を、殺そうとしているようで、そういった原始的な嫌悪感や恐怖を否応なく連想させる。

 

気持ち悪かった。まるで死体に湧いた蛆の群れを見ているようで思わず鳥肌が立つ。何よりそれが大木という静止的な植物に発生しているのが、最も異質で違和感だらけで──首筋を冷や汗が伝った。

 

「呪いじゃ」

「は……? の、呪い?」

「さよう。……錆の系譜──生まれより、魂に錆を抱える、哀れな一族に因って」

 

異様な光景だった。無感情では居られなかった──誰しも、その光景を見れば最低でも嫌悪感や気持ち悪さを感じるはずだ。それもそのはず、なぜなら──

 

「……この大木は、もう腐ってたのか……!?」

 

──樹高にして50メートルを越え、樹周20メートルにも達する大木は、無数の太い蔦に覆われ、隙間から見える地肌は黒く湿って、ボロボロになっていた。

 

古く伝統的なエクソリアの人々にとっては、この大木は一種の神聖なものとされ、どれほどの天災を経てもそこにあり続ける神木であった。ハンナムのような若い世代にとっては馴染みなく、またそういった信仰を保つ人々は高齢になっていて、ほとんどが死に絶えていた。

 

一部のアルゴン南西部からは、この大木が確認される。樹高50メートルを越す大木であるためだ。一種のシンボルとなっていた──瑞々しく、しかしどこか荘厳な姿が見えていた。生命力に溢れていた。だから──まさか、それが腐っていたなどと、夢にも思わなかったのである。

 

「ソァの恨み、怒り、悲しみ──ヤツは、ついぞ我々を許せなんだ。鬼になり、世を呪い……ついに、スクラッドの樹さえ──今は、朽ちる時を待つのみに成り果ててしまい──」

 

訳のわからないことを、とっくに頭の禿げ上がった法師がしわがれた声で言っている。

 

圧倒されていた。この大木が腐り、木肌を覆った寄生虫のような蔦の網──不気味なんてものではなかった。異様な圧力に、ハンナムは一歩後退りをしたほどだ。

 

下を見れば、大地に張った大木の根が、その太さゆえに地表に出てきて──蟻が群がっている。根本から腐っているのだ。巨大な何かが揺らいでいる、形のない振動が妙な恐怖ばかりを生んでいる。

 

「……死してなお、今も呪っておる。是、無有滅道……是大明呪、不垢不浄……祓給え、鎮まり給え──」

 

確かに──こんなものを野ざらしにしておいたら、何かよくないことが起きる。信仰など興味のないハンナムだったが、それだけはよく分かった。

 

()()()()()()()()()()()

 

ロッカ院の廃墟じみた姿は、この瘴気に当てられたものなのだろう。こんなものが庭に生えてたら、とても正気は保てない。正直これ以上こんな気持ち悪い場所に立っていたくない。視界に入れるのも嫌だった、そろそろ吐きそうだ。臭いも酷い──臭いは、坊主から来てるものだとばかり思っていたが、実は違うかもしれない。

 

──冗談じゃない。

 

まさか、ロゥ様は──。

 

「……こんな場所で、祝言をやるつもりなのか……!?」

 

祝いとか、幸せとか──そういうものがあるのなら、これはまさしく正反対だ。どうかしてる──例えるなら、殺人現場の横でキスでもして、愛を囁くような、そんなキチガイじみた行為だ。

 

「法師さん、ロゥ様から話は聞いてないのか」

 

他所行き用に引き締めていたハンナムの口調はとっくに崩れて、素の部分が露出している。今更丁寧さを繕ってもどうしようもなかったし、意味があるとも思えなかった。

 

「……呪われておるがゆえ──あ奴もまた、そうせざるを得なくなった。……呪縛から抜け出すことは叶わんだか。救えんのぅ……」

「呪縛? ロゥ様のことか?」

「さよう。……あまり、ここにおるでない。()()られてしまうぞ」

「……って言っても、迎えが来るまで時間があるんだ。俺にも、ここでやらなきゃいけない仕事がある──爺さん、少しここらへん、見てっていいか。式の段取りのために決めなきゃいけないことがいくつかあるんだ」

「愚かじゃな、しかし──しようのないことかのぅ。若き人よ、忠告を聞くがいい」

「忠告?」

「さよう」

 

シワだらけの顔と、薄汚い袈裟で、末期の病人のような大木を見上げながら、老坊主は言い放った。

 

「鏡を見込んではならんぞ」

「……聞いとくよ、一応な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、エフイーター」

「ん」

「少し歩くの早いよ。何かあった?」

「……はぁぁぁ〜……。何もないって、さっさと行くぞ」

「行くって、今どこに向かってるのさ」

「どこでもいいだろ、そんなの」

 

とまあ、いつもは穏やかな瞳が今は鋭く尖って、辺りを睨み回しているような調子だったので、ここまで来れば流石のラストも聞かざるを得ない。

 

「怒ってるの?」

「……あのな、ラスト。なんであたしが怒る必要があるんだ?」

 

典型的に面倒くさい怒り方だった。そういうセリフを口にする場合で本当に怒ってないケースは稀である。

 

「さっきの占い師のこと──ずっとイライラしてる」

「してない」

「してないの?」

「ああ。してない」

 

明らかにイライラしていた。

 

前を歩いていたエフイーターが足を止めて、わざわざ体ごとラストに振り返る。目が細くなっていたし、口元もギュッと引き締まっていた。喜んでいる顔ではなさそうだ。

 

「……少なくとも、さっきのあの野郎に対してはもう怒ってない」

「え、でも──」

「でもじゃない! あのな、いいか?」

 

エフイーターはぐいっと顔を近づけて、人差し指をラストの顔面まで持ってきて言葉を続ける。

 

「お前が記憶喪失で、何にも分からないのは仕方ない。けどな! どうしてさっきのあいつの言葉に言われっぱなしだったんだよ!」

「え、──」

「お前、さっきのヤツの話聞いてどう思った!」

「え、えっと……そうなんだな、って」

「そうなんだな、じゃねーんだよ! まさか全部信じてんのかー!? さっきのヤツの言葉、全部受け入れてんのか!?」

「う、受け入れる……っていうか、だって……あの人が、僕を騙そうとする理由はないよ」

「違う! 騙そうとか、騙されるとかそういう話をしているわけじゃねーんだ! あたしが言いたいのは、そういうことじゃなくて……! なんて言うかな、あーもう! うまく言えないけど、えーっとな!」

 

自分の怒りをうまく言葉に変換できずにエフイーターが唸りながら、なおもラストを睨みつけている。殴って伝えられるのなら、今すぐにでもエフイーターは拳を振るっていただろう。そのくらいの苛立ちだった。

 

「お前、さっきのヤツのいう通りだとしたら──お前自身の幸せは、死ぬまで訪れないんだぞ!」

「し、幸せ……?」

「お前それでいいのか。そんなんでいいのか……!?」

「いいのか、って言われても……」

「お前のことだろ、ちゃんと答えろ!」

 

ここまで来ると、エフイーターはラストの胸ぐらを掴み上げんばかりの勢いだった。ラストとしては戸惑い、たじろぐ他ない。

 

往来でそんなことをしていれば、いずれは人の注目を集めることになる。なんだなんだと無遠慮な視線を注ぎながら歩く人々の中から、一人の女性が現れることとなった。

 

「あの、そこのお二人さん、ちょおーっといいかしら?」

 

青筋を立てた、大変綺麗な金髪をそよ風に靡かせた、平時用の軍医装束に身を包んだヴァルポがそんなことを言ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

そんなわけで、ブリーズはもうお冠もお冠、かんかんである。

 

「……事情は分かったわ。婿入りを明日に控えて何をしてるのかって──まさか、こんなことになってるとは思わないわよ」

 

近くに入ったカフェでの、ブリーズが頭を抱えながら発した一言である。

 

「記憶喪失……って。嘘でしょう? いくらなんでも早すぎるわよ……」

「早すぎる?」

「──いえ、なんでもないわ」

 

エフイーターの疑問を雑に誤魔化して、改めてブリーズは対面のエフイーターに向き直った。

 

「こっちでぼけーっとしてるお馬鹿さんは引き取るわ。手間をかけさせたわね、このお馬鹿さんに代わって謝罪と感謝を申し上げます。エフイーターさん、ごめんなさい」

「いや、いいよ。成り行きだし、感謝されるほどのことじゃない。それよりさ、ブリーズって言ったよな──お前、あたしと会ったことないか?」

「──」

 

ある。思いっきりある。ブリーズの方は覚えていた、何せエフイーターは有名人であったのだ。廊下で見かけて、ロドスにはこんな人まで居るのかと驚いたことを覚えている。

 

「……気のせいよ」

「いーや! 怪しいぞ、えーっと……あるぞ、多分──ロドス、ロドスだ! すれ違ったことあるだろ、第三区画、トレーニングルームの前だ! 絶対ある、白状しろ!」

「う、い、いいえ? き、気のせいじゃないかしら、おほほほほ……」

 

誤魔化し方が絶望的に下手くそだった。ブラストと並ぶくらいに嘘が下手過ぎる。ここまでくると悲しくなるレベルである。誤魔化しのための笑顔に浮かんだ冷や汗が頬を滑り落ちていった。

 

「嘘付くな! お前の顔写真、ロドスに送って確認してやってもいいんだぞ!」

 

エフイーターが詰問している横で、ラストの方はというと、伝統的なスイーツであるチェーに夢中だった。チェーというのは豆や芋にシロップをかけて煮込んだぜんざい風のスイーツである。これがまたよく冷えていて、年中暑いエクソリアの清涼剤として人気のスイーツだ。

 

「う、や──やれるものならやってみなさい! ロドスにまで送るのは大変よ、トランスポーターを使っても、往復で一ヶ月はかかるんじゃないかしら!」

 

スプーンで豆をつついたり、甘くて冷たいシロップを食べて美味しさに目を丸くしたり。なんだこの美味しい食べ物は、すごいな──。

 

「なめんなよ! クルビア支部からの長距離通信システムを使えば、そのくらい一週間もかからないんだからな!」

 

一緒に出てきたブレンドコーヒーを試してみると、これがまた非常に苦く酸っぱい。コーヒー大国とさえ言われるエクソリアでは様々なコーヒーの種類が存在する。チェーの甘さが残った舌には二割増しで苦かったが、なんだろう……妙に美味しい。

 

「ん? っていうか──どうしてロドスまで往復一ヶ月も掛かることを知っているんだ? あたし、ロドスがどこにあるかなんて話したか?」

「……うっ!」

 

どうやらマヌケは見つかったようだ。

 

ラストと言えばチェーに夢中で、楽しむことに忙しい。

 

「み……認めるわ。ロドスを知ってる──けど、行ったことがあるだけで、所属まではしてないわよ」

「……ほんとか?」

「ええ、本当よ。だって、嘘を吐く理由なんてないでしょう?」

 

嘘である。理由ならばっちりある。少々複雑になるが──。

 

元々ブリーズがロドスを経由してエクソリアを訪れていたのは、一つには危機契約機構との条約に基づくものであった。紛争続きのエクソリアにて、一人でも多くの命を救うため──という名目だったが、ブリーズ個人の目的としては一つだけ。"エール"の名前を持つ、南部軍事組織レオーネの指導者に会いにきた。

 

もしもそのエールが、ヴィクトリアで出会ったエールと同名別人であれば、ブリーズはいくつかの任務をこなしてロドスに帰還するつもりだった。そもそもあのヴィクトリアのチンピラが、まさかヴィクトリアから遠く離れた小国で戦争の指揮を取ってるはずもない。望みは薄かったし、ブリーズも半分ほどはついでというか、宝くじでも買うような感覚だった、が。

 

残念なことに同一人物であったことが発覚、元々の予定を変えてブリーズはレオーネに軍医として参加。

 

問題なのは、この辺の事情で──ロドスや、危機契約機構との契約上、ブリーズは本来ならばこの紛争に対して中立の立場でなければならなかった、という点である。南部や北部、どちらかに肩入れしてはならないのだ。医療技術者として、紛争に巻き込まれる一般人のみを救うのが使命であった……のだが。

 

今や、ブリーズはレオーネの軍医で、それはもう色々な面倒に巻き込まれているというか、まあ望んで飛び込んでいったというか。

 

そしてエールがロドスに所属していたことを知り、事態はややこしくなる。つまりブリーズはロドスから現状に対して口出しされることを避けたいのである。

 

そんなわけで、ロドスの尖兵(少なくともブリーズからはそう見えている)であるエフイーターに、自分の正体がバレるとちょっと面倒臭くなるかもしれない。

 

「……ほんとか? あたしの記憶が確かなら──お前が向かって行った先には医療部だったはず」

「そ、それがどうかしたの? 私は医者だし、ロドスと一時的に協力関係にあったわ。何もおかしいことなんてないじゃない」

「あのエリアはな、例えロドスと協力関係にある人物でも──部外者は立ち入れない場所なんだよ」

「えっ、──いいえ、引っ掛からないわよ」

「いいや。あたしがロドスに正式に入る前、あの場所に立ち入ろうとしたことがある。トレーニングルームに興味があって──でも、セキュリティーに弾かれたんだ。後でクロージャに聞いたら、あの近くはコンソールがあるから、なるべく部外者には立ち入ってほしくないんだって言ってた。だからあの場所にいたってことはそういうことしか有り得ない」

「……ううっ!」

「どうだ〜、まだやるか〜?」

 

がっくりと項垂れたブリーズと、柄にもなく口先を踊らせたエフイーター、それと一心不乱にチェーを味わうラスト。

 

「……認めるわよ。ロドスにも所属はしているわ、でもそれは私にとっては手段の一つ。私の目的のためには、ロドスよりもレオーネに居た方が良さそうだから」

「目的? なんだよ目的って」

 

その言葉には答えずに、ブリーズはそっとラストの方に目をやった。いつもの自嘲とも微笑ともつかない嫌な笑みはどこかへ消え、信じられないほど純粋な表情で、甘味を味わっている。いっつもこのぐらいの可愛げがあればいいのだが。

 

「……まさか、お前も?」

「残念ながら、そういうことみたいね」

 

二人揃って似たようなため息、知らぬは当人ばかりで──その当人も、また面倒なことになっている。

 

「今、人がここに向かってきてるわ。こっちにも事情があって、そこのお馬鹿さんはレオーネに戻ってもらわなきゃいけないのよね」

「けど、こいつは今、記憶が──」

「関係ないわ」

 

その冷たい一言に、思わずエフイーターはいきり立って、反射的に机を叩く。

 

「っ、関係ないってな、お前──」

 

ブリーズの顔をはっきりと睨んで続けようとするが……ブリーズの、覚悟に染まった顔を見て口が止まる。

 

「関係ないの。分かっていたことだから──いずれ、そこのお馬鹿さんは全てを忘れるって、私には分かっていた。だから遅かれ早かれ……()()なってもいいように、準備をしてきたのよ」

「……何言ってっかわかんねーけど、お前……知ってたのか? ラスト──ブラストの記憶がこうなるってこと、前から分かってたのか……!?」

「彼が選んだことの結果よ」

「はぁ!? っざけんなよ!」

 

ぎりぎりとした歯軋りまで聞こえてきそうな、激情を隠そうともしないエフイーターと、涼しい顔で対面するブリーズ。視線の先に火花が散っているようだった。

 

ラストは不思議そうな顔で二人を見ている。

 

「分かっていて放ったらかしていたのか!? こんな風になっちまうまで、放っておいたのか!? こいつは一人で、まるで死人みたいに道端に寝っ転がってたんだ、そんな風にしたのは──」

「もう結構よ。()()()()()()()()()()()()()()。外から好き勝手に言われるのは、あまり心地よくないわ」

「なんだと……!?」

「それとも、あなただったらどうにか出来たの? ……行き詰まったエクソリアを、どうにか出来る? このお馬鹿さんが抱えていたのはそういうことよ。歴史上でも稀に見るほどのお馬鹿さん──だから、英雄なんて酷い名前で呼ばれる羽目になっているのよ。そして、そうやって呼ばれてきた歴史上の偉人たちの最期は、どれもこれも──」

 

冷徹に呟くように話すブリーズの姿は、どことなく普段のエールに似ていた。

 

「──酷い終わり方ばっかりじゃない。だから、必要なことははっきりしてるわ」

「何が言いたいんだ、あたしは周りくどいのが嫌いだ。はっきり言え」

「なら遠慮はしないわ。──口を挟まないで頂戴。これは私たちの問題で、この国の人々が背負うべき問題であり、私が背負うべき責任であり、そこのお馬鹿さんが向かうべき道の話なの。保護してくれたことには感謝しているわ。ロドスからやってきたのなら、任務があるのでしょう? 必要ならその手助けもさせてもらう。だから──」

 

そこで初めて、ブリーズは口元を緩めた。

 

「何も、そんな目で見なくたっていいじゃない……」

 

そう、諦めたような、寂しい微笑を浮かべた。

 

そこで初めてエフイーターは、自分の表情に気がついて、それから何かを言うのを止めた。

 

ラストは相変わらずぼんやりとしていた。

 

 

 

 





・時系列に関して
この裏側で何があったかってのはまた別の話でやると思います。そのうち時系列設定でガバります(予言)

・ハンナム
オリキャラ。名前の語感が妙に面白いので名前がよく文章に登場します

・ラスト
ある映画の登場人物の名前。
その登場人物は、あるエリートオペレーターそのままだとロドス内では評判だった。

・ブリーズ
かわいい

・エフイーター
あんまり人のことは言えない。
かわいい。


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羅刹と大木 -5

8/25 羅刹と大木

 

 

 

 

メリィ・リ・ロゥという人物を語るのに、祖父の存在は欠かせない。

 

祖父であるワン・リ・ロゥのことを、メリィはこの大地で最も偉大な人物であると信じて疑わなかった。

 

幾分か孫煩悩の気のあるロゥは、孫娘であるメリィを大層可愛がっていた。ロゥの息子夫婦が貴族として使い物にならなかった反動もあり、色々と支配者気質のメリィはロゥのお眼鏡に叶ったのだろう。

 

それに、能力主義的な評価を抜きにしても、ロゥは世間一般的におじいちゃんが孫を可愛がるような、そんな一般的なステレオイメージの型には漏れなかったらしい。赤ん坊の頃から、メリィは天才だ、などと公言することを憚らなかった。

 

「おじいさま、おじいさま!」

 

──とは、幼い頃からのメリィの口癖だ。

 

偉大な父親に踏み潰され、貴族としてのプライドと卑屈さに苛まれた惨めなメリィの父、つまりロゥの息子を、メリィは子供心に蔑んだ。当然の帰結として、歴代で最も偉大な当主と謳われた祖父を強く尊敬し、懐くようになったのも──不思議な話ではなかったのである。

 

ということで、メリィは敬愛するお爺様の言う通りに、相伝の学問や祈祷、呪術を学びながら、将来はどこぞの社長か権力者と結婚することになっていた。

 

自分の意思ではなく、祖父のいう通りに生きていくことはメリィにとっては当然のことであり、光栄なことであり、安定したことであり、安全なことであり──……。

 

しかしまさか、インダストリアルの馬鹿息子や、リン家の有望株であるハノル、或いはウィ・ハン重工の跡取りのような、優雅さに溢れたような男ではなく──あの目、視界に映る全てを餌としか見ていないような、肉食獣のような瞳を微笑で隠した、漂白したように真っ白の髪をした青年と結婚させられることになるとは、世界広しと言えど……まさか、誰が想像出来たのだろうか。

 

企業や貴族の超有望な、将来と栄光の約束された何者かと結婚するのであれば、相手の男に不満──例えば性格や顔に関する不満などがあるにせよ、拒むほどではない。それが貴族の娘として生まれた者の宿命である。

 

ただ、エール──エールは、もはや人種的なカテゴリからして違っていた。チェスの駒のように、役割を割り振られた貴族社会、その盤外から、盤上を敵味方の区別なく吹き飛ばすためにやってきた爆弾。種類が違い過ぎる。金で動かず、利害で動かず、軍人ではなく、政治家でもなく──。

 

レオーネなど下らない思想基盤から生まれた偶然頼りの連中で、たまたま北部軍に勝っただけだと誰もが思っていた。少なくとも、ロゥ家内でレオーネの名前を出せば、鼻で笑われるのがオチだった。

 

何よりも、レオーネにはバックグラウンドがなかったのである。というよりも不透明というか、不明だった。

 

名目上のリーダーはグエン・バー・ハン。30年以上前のアルギア政治闘争主犯であり、元南部ゲリラの指導者、現Liberation Army of North Exalia(北エクソリア解放戦線)、通称LAoNE(レオーネ)元帥。当時はまだ階級でさえしっかりしていなかったので大将の地位にあった。南部領統領──こちらも通称は大統領と呼ばれる──も兼任している、南部全体の指導者である。

 

グエンはいい。政治闘争や、あるべきエクソリアの姿を説いた著『怪物との対話』などにより、もともと有名で、市井出身の背景から人々からの人気は高かった。頼りにならない南部軍にとって代わり、もはや滅亡は確実と言われていた南部エクソリアのための軍事組織を興した。頷ける背景であり、妥当性も高い。

 

問題はもう一人の方である。

 

エール。性はない。そもそも本名かどうかも怪しい。エールは過去を語ろうとしない。唯一明かしたことは、自身が感染者であることと、反ウルサス主義であること程度だ。

 

グエンと共にレオーネを興し、アルゴン内の大小様々な組織を纏め上げ、旧南部軍を吸収する形でレオーネを設立した。この時期に当時のアルゴン市長が消息を経っているが、新聞紙はそのことをほとんど伝えていないという。

 

エールは実は、自分から世間に姿を現そうとしたことは一度もない。結構有名な話で、表沙汰に出て行くのはグエンだった。が、しかし──五月に起こったバオリア奪還戦で、エールの名前は否応なく広まった。

 

エールは指揮官としての参加ではなかった。事前準備では走り回っていたらしいが、いざ戦闘が始まると戦場に単身で赴き、神出鬼没で暴れ回ったという。その話が有名になったのは簡単な話で、エールが現れる戦場は決まって苦戦を強いられている地点、或いは重要な地点であり、目視で捉えられる竜巻が発生するのである。

 

アーツにしても、それは規格外と呼ぶ他なく──小規模な天災であり、余波であった。瞬きの間に戦局を変え、個人としての動きが戦いの命運に影響し、バオリアは奪還された。万に一つの可能性と言われていた、バオリア奪還の奇跡だった。

 

この無茶苦茶な綱渡りを成立させるために、エールも無事では済まなかった──というか、過剰なドーピングを行なっていた。一時的に生体親和性源石を腹に突き刺していたこともある。バオリア奪還の後、エールは一度死にかけていた。これはグエンが後に語ったことである。エールが生死の境目を彷徨った原因は敵からの攻撃ではなく、際限なく高まったアーツ出力が体に強烈な負担をかけていたことが原因だった。

 

()()()()使()()()。たったそれだけのことで、エールの体の血管は破れ、五感はぐちゃぐちゃになり、意識が彼岸を彷徨った。どうして死ななかったのか、グエンは今でも不思議だったと語る。エールのことを抜きにしても、バオリアを奪還できたのは奇跡を通り越して空想だった。あまりにも多くの奇跡が重なりあって共鳴していなければ、例えば兵士の朝食のメニューが変わっていたとしたら奪還は成し遂げられなかった。そのレベルでの綱渡りが起こったのである。

 

これらのことは全て、グエンや他の幹部、或いは兵士たちが喋ったことであり、エールがその功績を喋ったりしたことは一度たりともなかった。だがその姿がレオーネ内では鮮烈に写り、最終的にその存在は知れ渡ってしまった。

 

──話が逸れた。

 

8月に婚約が発表された、メリィ・リ・ロゥとエールの事である。

 

庶民に対しては大した意識も持っていない貴族ではあるが、その実──最もエールを恐れていたのは北部軍将校らではなく、むしろ南部貴族であろう。何せエールは──リン家の敷地内に居た、動く生き物という生き物を皆殺しにした。二人の例外、スカベンジャーとフォン……フェリーンの青年を除いて、全て。

 

これは、そもそもの性質として支配者で、喰らう側であった貴族たちにとっては晴天の霹靂であった。例え戦時下であろうと、貴族はその命を例外なく保障される存在である。捕虜としての価値はもちろんだが、それだけでなく危害を加えた場合の報復が恐ろしい。そのため、庶民出身の北部兵などが南部貴族を捕らえたとしても、傷一つつけることは出来なかった。その報復を受けて滅ぶのは自分自身であるばかりか、おそらく家族丸ごと処刑である。

 

その絶対的な階級の安全を躊躇なく打ち砕き、安全神話に土足で入り込んで荒らし回り、盗人猛々しいという言葉がこれ以上似合うくらいに暴れ回り、ブチギレた家主(リン家)がその外敵を討ち滅ぼそうとしたところ逆に返り討ちに遭い、一家郎党皆殺しである。とんだ災難という言葉では済ませられない。地獄で恨み尽くしても足りないほどだ。

 

急変する戦況の中で、盗人(エール)を止められる者は誰も居なかった。少なくとも警察機関は機能を停止するどころか、逆にレオーネに取り込まれる始末。貴族は自衛しなければならなかったが──それを試みたいくつかの貴族は潰れた。

 

手をこまねいている間にも、レオーネは成長し続けた。それが必然であるかのように人員を倍にし、倍にし、倍にし、倍にし──それは、もはや貴族よりも大きい存在になっていた。貴族たちの自衛的な武力が損なわれていたのには、当然北部との戦争ごっこの存在があった。降伏のポーズを見せるために、彼らは旧南部軍への影響力を手放し、本当に南部が敗北して行くように見せかけた。全て出来レースである。

 

──そのツケが回ってきた。エールはその象徴であった。

 

ロゥはエールに降伏した。

 

ロゥ家とエールの婚姻は、そう受け取られても仕方のないことだったのである。

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

「──エールさん、エールさん! この報告書、ご覧になられたかしら!?」

 

ぐーすかぴーって調子で寝ていたエールを叩き起こす勢いで、メリィ・リ・ロゥは押し込み強盗のような調子でドアを開いた。

 

一応結婚するという体なので、ロゥ家の一室がエールに与えられることとなった。豪華な調度品の溢れた部屋、ともすればヴィクトリア貴族の一室かと勘違いさせるような内装の中で、唯一エールが希望したのは寝っ転がれるだけの長さを持つソファーである。

 

そのやたら柔らかいソファーに仰向けで寝ていたエールを、メリィは躊躇なく叩き起こした。

 

「ほら、これですわよ! ついにフー家とイェ家も融資契約書に署名しましたわ、これでロゥ家は名実ともにエクソリアの一大貴族となりましたの!」

「……ああ、君か。それが?」

「それが、じゃありませんのよ! 憎々しいロゥ家の残骸がようやく一掃されましたの、今日は祝福すべき日ですわ!」

「……少し落ち着きなよ」

 

頭を押さえながら体を起こすエールに構わず、メリィは踊り出しそうな勢いである。それもそのはず、これまでロゥ家に邪魔されてきた回数は数知れず、あのタヌキジジィが死んでくれたというだけでご飯三杯はおかわり出来る。

 

「あら、ごめんあそばせ。休養中でしたかしら」

「……そんなところかな。今の時間は──p.m3:04、か」

「何か用事でもありますの? 今日はわたくしとのお話に付き合ってくれる約束でしたでしょう?」

「え。……そうだっけ」

「そうでしたわ、これからの大切なお話をするお約束をしました。お祖父様も一緒ですわ」

 

どうやらこの婚約者は寝ぼけているらしい。見かけによらず可愛いところもあるものだ。少々寝坊助なところはあるらしいが、それなりに悪くない性格だし、気品もなくはない。それに若く、なかなか格好いいところもある。

 

──最も、それらの要素はそれほど重要ではない。

 

「いつから?」

「まあ、性急ですわ。時間ばかり気にしないで、少しゆっくりした方がいいですわよ。ほら、お顔を洗って。お爺さまがいらっしゃるのですから、外見を整えなければならないわ」

 

──クソ面倒臭いな、とエールが思っていたかどうかは置いておいて、メリィは乗り気だった。

 

「それにしても、せっかく綺麗な白色をしていらしているのに勿体ないですわね。わたくしが整えて差し上げますわ、ちょっとこちらに座ってくださる?」

 

男らしさという観点に立てば、エールは若干中性的な雰囲気の質がある。顔立ちも猛々しさには欠けているし、声も低くはない。何より真っ白に伸ばした髪と、そこから覗く透き通った瞳はどこか少年的な印象を与える。そういう部分もメリィの琴線にヒットしたらしく、エールは使ったこともない櫛などをメリィは持ち出していた。

 

結局エールは言いなりになるままドレッサーの前に座った。

 

身嗜みを整えることなど、通常は使用人の仕事であるのだが──時間の無駄だとエールが普段から断っている通り、この男の髪には誰も触れない。

 

そういう奇妙な優越感がメリィを支配していたのかまでは分からないが、使用人の仕事を嬉々として楽しむメリィと、どうにも内面を読めないエールの顔は対照的だった。

 

貴族らしく、メリィは優雅な姿立ちだった。服飾もそうだが、純エクソリア人らしい色の入った肌にはシミひとつなく、若々しく──また、多くの貴族がそうであるように整った顔の輪郭の持ち主である。

 

「全く、あなたも光栄あるロゥ家の一人となるのですから、普段から身嗜みには気を使わないとダメですわよ。いつものような、野暮ったい変なパンツとTシャツなんて全然相応しくありませんわ。用意はさせますから、ちゃんと家の服を着ること、いいですわね?」

 

実用性と耐久性を追求したカーゴパンツを野暮ったい変なパンツと断じられた。服なんて丈夫なら何でもいい──と、軍人ですらもう少し見栄を気にするはずなのだが、必要な場合を除いてエールは本当に服など何でもよかった。

 

もちろん必要ならそうする。スーツも着ろと言われればそうするし、式典では正装に袖を通すが……正直なところ、メリィのそういうまず見た目から整えていくような貴族らしさは余計なお世話だった。じゃらじゃらした勲章付きの服や、実戦上で何の役にも立たない装飾など御免だった──が。

 

まあそれはそれ。婚姻式までは婚約者に機嫌を損ねられても面倒だし、何より言い返すのも柄ではない。普段からは絶対に着ないが。

 

「あなたは紳士的な性格ですから、それをちゃんと表現しないのはダメです。貴族としての体裁に関わりますわ」

 

メリィは本心で言っている。ロゥと違い、メリィは人を見る目がないらしい。

 

「そうだ、ウィル男爵家のアイさん達とお茶会でエールさんのことを話しましたの。ずいぶん羨ましがっておられましたわ。格好いいって褒めていましたわよ」

「……光栄だね。ところで、君のお節介はまだかかりそうなのかな」

「お節介だなんて、そんな風に言われると悲しいですわ。婚約者なのですから、わたくしに気を遣うことはありませんのよ」

 

──最初はこの政略結婚に対して猛反発していたメリィは一体どこへ行ってしまったのか。

 

メリィが最初、敬愛するロゥの決めたこととはいえ、この結婚に反発したのはエールの身分が関係していた。つまり、どこの馬の骨とも分からない男と結婚するのだけは嫌だった訳である。

 

だがハンナムの要請により、エールがメリィの説得に向かい──そこで初めて、メリィはエールと対面した。結婚三週間前になって、そこで初めて婚約者と出会うというのはかなり異常なことではあるのだが、貴族社会ではそう珍しいことではない。

 

──結局、メリィは一時間もしないうちに意見を変えた。

 

静謐でミステリアスな青年──御伽噺にでも登場しそうな雰囲気の持ち主に実際に対面することで、明らかに普通ではない何かを感じ取ったのかは分からないが、結局メリィは受け入れた。何のかんの言っても、ロゥの決めたこと、という事実もあったのだろう。

 

「──そうだ。式の会場だが……ロカ院って、どんな場所か知ってる?」

「ええ。由緒正しい寺院ですわ。この国で最も大きな大木がある伝統的な地で、数々の伝説が残されていますわね。30年前に行われた、お父様の結言もロカ院で行われたそうですわ。ストロプメルの大木に刻まれた代々の言葉を魂に刻むのがロゥ家の慣わしですの」

「……儀式ってこと?」

「そうなりますわね。かの大木は200年に渡ってこの地を見守ってきた守護樹ですわ。代々の祖先の魂は、大木の元で眠りについていらしますのよ」

 

──総合すると、祖先の墓の前で結婚式をやるということらしい。随分個性的な習慣である。

 

貴族がこういった非科学的な信仰を保ち続けているのは、ともすれば意外な事実である。だがむしろこういう伝統的で閉ざされた信仰は人々よりも貴族こそが大切にしているのである。特にエクソリアにおいて、信仰は手段ではなく目的であるために、純粋な信仰は貴族のステータスである側面もある。

 

「まさか、僕の骨もそこに埋めるのか?」

 

ゾッとしない話である。貴族と同じ墓に入ることになるなど、誰が想像しただろうか。

 

「──お祖父様も、レオーネへの協力を惜しまないつもりでしょう。それはあなたがロゥ家の一員となるからですわ。それが意味することを、理解していらっしゃらないとは言わせませんわよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()、もちろんわたくしもそのつもりですわ」

 

政略結婚とは利害関係の究極の形の一つである。ロゥはそれを提案し、エールは受け入れた。その過程でちょっとめんどくさい婚約者に自分の髪を玩具にされようと大したことではないのである。

 

──ただ、メリィの言葉の裏には重圧があった。

 

エールが出自不明でも認められているのは、結果で示してきたからだ。それを買われてロゥ家に婿入りするのであれば──無論、その先を期待されている。

 

その先とはとどのつまり、戦争の終結である。

 

本来エールの役目は貴族が行うべきものであった。貴族にはその義務があり、その義務あっての権利であるためだ。

 

そしてエールとレオーネが文字通り血肉を削りながら戦っている横で監督者面をしてエールを引き込もうとしたロゥ家こそ、結構都合のいいことである。

 

「知ってるさ。で、本当に骨は埋まってるの?」

「ロカ院の裏手に墳墓がありますの。ですから大木の根本には何も埋まってはおりませんわ」

「……何だって?」

「ですから、それは御神木への礼を欠くことになりますの。いくらロゥ家といえど、御神木の周りは神聖な地──そこを穢すことになりますわ。わたくしたちも、ロカ院には滅多に出入りしませんのよ」

「……。もしもの話だが、その大木とやらの根元に誰かが埋まっているとして……君たちの感覚では、どういう扱いになるんだ?」

「ありえないことですわね。到底許されざる行為──ですがもしも、そういった事態になるようであれば……埋まった肉体は、きっとどこへ行くこともないでしょう。その魂と同様、地中から身動き一つとれず、永遠に留まることになりますわ」

「比喩かな」

「いいえ、違いますわ」

 

メリィはそう断言した。エールがどんな意図で聞いてきたかは分からない、単なる雑談かもしれないが、少なくともメリィの中ではそれは真実だった。

 

「それは、罰ですのよ。もはや、彼岸を渡ることを許されず、真土を踏むことは永劫有り得えず──永遠にこの大地に留まり続ける、それはいわば地獄──」

「恐ろしい話だね。あの世にも行くことが出来ないって訳だ」

「あの世ではありませんわ。少し観念が違いますの、そうですわね……魂の辿り着く場所、それがこの大地のどこかにありますのよ。真土とも浄土とも言われますが、この世界ではない別の、あの世という訳では決してありませんの」

「……うまく理解出来ないな。僕からしてみれば魂の存在ってのも十分に疑わしいけど……輪廻転生みたいなもの?」

「それも違います。いずれ理解できるようになりますわ、ご心配なく」

 

微笑みと共に、見透かしたような声だけが部屋に響いている。

 

「じゃあ、最後に一つだけいいかな」

「何ですの?」

「さっきの話、大木の根本に死体を埋めたとして、その魂はどこにも行けないって言ってたね。それは何故だ?」

「簡単ですわ」

 

それは伝統的な信仰の観念から出た単なる妄言か、あるいは真実──現代科学の届かない辺境の小国では、そういった法則が支配者であるのか。

 

「──呪われているから。それ以外に、この大地を支配している原理など存在しませんのよ」

 

 




aketon oisii



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羅刹と大木 -6

 

 

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、エフイーターは行動方針を失った──が。

 

「……ちょっと、どうしてついてくるのよ」

 

ブリーズの不満がやっと口から出てきた。

 

ぴったり3メートルを維持して、絶妙な距離感で後を付けてきたエフイーターに、ブリーズは若干の苛立ちを感じていたのかもしれない。

 

ラスト──あの青年は、灰色の髪をした目つきの悪い女が迎えに来て、そのままどこかへ連れて行った。それを止める理由がなかったために、エフイーターは指を咥えて見ていることしか出来なかった、が。

 

転んでもただで起きてやるものか。

 

「話があるんだよ。ツラ貸せ」

 

──ヤンキーのセリフである。

 

普段から温和で協調性の高いエフイーターとブリーズだったが、今はピリついている。いつになく緊張した雰囲気だが、二人ともそれに呑まれるどころか──

 

「嫌よ。私は忙しいの、あなたと遊んでいる暇はないの。特に今は」

「おまえ、あいつとどういう関係だ」

 

直球勝負──エフイーターはいつもそうだ。物事はシンプルに。

 

「……これから人と会うことになっているのよ。だから、あなたと話している時間はないの」

 

──ブリーズの背後には、厳重な柵で覆われたレオーネ本部。併設してあるバオリア基地のため、広大な面積を持っている。入り口にはセキュリティーの人員が立っている。

 

それを言い訳にしてブリーズは逃げているとも取れる言葉だったが、事実ブリーズは忙しかったし、重要な立場にもあった。

 

それは軍医としての立場というよりは、より個人的で、より大きい──。

 

足を進めてセキュリティーへ向かう。警備が顔と、肩の階級バッチを見て、ビシッとした敬礼をした。軽くブリーズも軍隊式のそれを返す。

 

ブリーズはその厳重な門の向こう側へ歩いた後、こちら側にいるエフイーターに振り返った。

 

「あなたが誰であろうと、どんな動機があっても……あなたは部外者に過ぎないの。それを忘れないで頂戴」

 

──ブリーズとエフイーターを隔てるレオーネの柵は、文字通りの壁だった。

 

エフイーターがこの国に居なかった時間を、あの時から進んでいない時間を象徴するような──そんな、破り難い時間の壁。

 

いつもならば、そんなものはぶち破ってきた。だが……ブリーズの重圧がそうさせない。エフイーターが動こうとするのを縫い付けるように、冷たく見据えていた。

 

ぎり──歯軋りの音が聞こえた。自分が生み出していたものだった。本人は気が付いていないが、エフイーターはかなりの眼光で柵の向こうのブリーズを睨みつけている。警備に当たっていた一般兵でさえ、そのただ事ではない様子にどうするか迷っていたところ──後ろからやってきた人物を視界に捉えて、ほっと一息ついた。

 

「──どうかされましたかな」

 

カラカラと車輪の回る音、砂利を踏む音──それと、落ち着いた老人の声。

 

まるで健康のために運動をする中高年のような気軽な様子で、グエン・バー・ハンがただならない雰囲気の場所に踏み込んだ。

 

「おや、ブリーズさんも。そんなに睨み合うこともありますまい」

「グエンさん! 丁度よかったわ、例の件の報告をしに来たの」

「ええ、聞きますよ。……それで、こちらの方は?」

 

──乗ってきていた自転車から地面に足を付けて、グエンが穏やかな様子で問いかけた。

 

「……あたしは、エフイーター。人を……探してる」

 

それにしたって、グエンほどの人物が自転車で移動するというのもかなり奇妙な話だが、こういった庶民的な部分がグエンの人気につながっているのかもしれなかった。初めてそんな光景を見た警備の軍人は目を剥いて驚いている。元帥が自転車か、と。

 

「人ですか? 力になれるやもしれません、何という方でしょう」

「ブラスト……そいつを探しに、この国に来たんだ」

 

グエンは穏やかな瞳を細めた。驚いた時の癖である。

 

「もしやあなたは──ロドスから、いらっしゃったのですかな?」

「! し、知ってんのか!?」

「ええ。……そうですな、立ち話で済ませるほどの話ではありません。外では暑いですから、中へ行きましょう」

 

自転車を引いて向かう先はレオーネ本部。グエンが警備に穏やかな瞳を向けると、ビシッとした敬礼が返ってきた。

 

あいも変わらず暑い外気の中で、汗が滴った。

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何から話したものでしょう──ブリーズさん、あなたも聞くつもりですかな」

「実は無関係じゃないのよ。一応知ってはいるけど、復習のつもりで」

「いいでしょう。……そうですね、もう半年ほどになりますか。全く恐ろしいことです、あの夜からまだ半年も経っていない──……俄には信じ難いことです。ですがこれは現実であり、彼が成し遂げてきたことでもあります」

「彼って、その──」

 

涼しい一室、クーラーの効いた部屋は貴重である。グエンも歳なので、心配されていつの間にかグエンの部屋にだけ冷房が設置されていた。

 

シワになった顔は知的で、穏やかで──後悔と希望の入り混じった複雑な印象を受けた。

 

「今はエールと名乗っています」

「じゃあ、やっぱり──」

「ええ。ブラスト、その名前を忘れることはないでしょう。残念です、今となってはこの国で、私だけがその名前を覚えているのですから」

「話してもらうぞ、じいさん──5ヶ月前、何があった。どうしてあいつは、あんなことになってるんだ……ッ!?」

「話しますとも。私が、アルゴンのゲリラ部隊を率いていた時のことです。バオリアを取られ、残るはアルゴンのみになり──もはや、南部の命は風前の灯でした。すでに全ては終わっていた、そこに彼、いや……彼らがやってきたのです」

 

──彼ら。

 

「私はこの地に根付く者として、最後の抵抗をしなければなりませんでした。それが無駄に終わるとしても、私はやらないわけには行かず、彼らを巻き込まないわけにはいきませんでした。少しでも多くの可能性を生み出さなければなりませんでした。故に私は、敵軍の駐屯地への夜襲作戦に、彼らを巻き込みました」

「……何でだ。ロドスは、あいつは……戦争をするためにこの国に来たってのか……ッ! なんでッ!」

「この年にもなると、少しは人を見る目が育つものです。彼は迷っていました。迷うということは、行動の選択肢の中で揺れていることです。私はそれを利用し……彼はそれを選び、私はそれを選んだ。話を続けましょう、あの夜──我々は敵の罠に嵌り、厳しい状況にありました」

 

回顧──歳を取るほどに、昔を思い出すことが増えていった。

 

思い出して、後悔することばかりが増えた。過去のことばかりを話すようになったと自分で気がついた時、グエンは初めて自分が歳を取ったことに気が付いた。

 

「彼らは予備隊でした。もしもの時のための備え──位置付けとしては、その程度だったのです。だから私は、まさか彼らがあれほどの戦いを見せることになるとは思いませんでした。今思い出しても、見事な戦いで──私が今も生きているのは、彼らが囮となって私を逃してくれたからです。彼らが居なければ、私はとっくに殺され、そしてエクソリアは──今のような形で存在することは、決してあり得なかった。私は全てのことを知っているわけではありません。最後にどうなったのか、詳細を目撃する前に脱出したためです」

 

──静かに。

 

静かに、エフイーターは顔を伏せた。

 

ここまで言われれば、誰だって想像が付くだろう。何があったのか、本当は最初からわかっていた。クロージャの言う通りだ。

 

『真実の箱って、大抵の場合は残酷だよ。知らない方がいい。開けない方がいい。ブラストは戻ってこなかったんだ。バッドエンドが決まってるストーリーなんて──』

 

誰が知りたいなんて言うの?

 

「……続きを聞かせて」

 

それでも、それを知らなければ──前へ、進めない。

 

「ええ、勿論。私は全てを話さねばなりませんから」

 

あるいは、グエンも話したかったのかもしれない。この事実をずっと抱えていてもよかったのだが、出来れば重荷は下ろしたかったのかもしれない。些細なことだが。

 

「あの日は月明かりのない夜でした。振り返って見えたものはほとんどありません。ですが……やけに強風が吹き荒れていました。あの日は風の穏やかな日だったはずで、実際にその時までは事実そうだったのです。普通ではない何かが起こっている予感がしていました。あの夜──深夜2時を回り、生存者の退却が完了し──囮として残った彼らの救出隊を結成し、私もそれに加わり──あの場所、駐屯地へ向かいました。数時間前の死闘が嘘のような静けさで……あの時に見た光景を、私は一生忘れることはないでしょう」

 

それは。

 

これまでの常識を打ち砕くのは十分だった。グエンほど歳を重ねていれば、常識はとっくに固定化されていたはずなのだが、それを粉々にして余りある──。

 

「崩れ落ちた建物の火はいまだ消えておらず、しかし人の気配は全くありませんでした。慎重に偵察を重ね、一斉に敷地内へと侵入し……無数に積み重なった死体の山を目撃しました。仲間の顔も混ざっていましたが、それ以上におかしかったのは、その山の中に敵兵がかなりの割合で混ざっていたことです。後で分かったことですが、敵の主力は北部軍の中でも精鋭を集めた特殊部隊であり、屈強を極めていました。我々が勝てるはずの相手ではなく、また数も圧倒的で──正直、彼らが生きている可能性は限りなく低いだろうと、そう判断していました」

 

味方損害数、死者202名。敵死者数は89名。どう見ても敗北、だが──この数字は、ゲリラ側の成果ではない。正規の訓練を積んだ軍人の中で、戦闘能力で言えば上位5〜10%の持ち主が集まった特殊部隊、それを相手に正面から戦ってゲリラが勝てるはずはない。

 

故にこれは、たった一人の成果。

 

「──血溜まりの中に沈む彼を見つけた時、私は彼の生存を喜ぶよりも先に、なぜまだ生きているのか疑問に思いました。初めてあんな状態に直面しました──彼に一切の外傷はなかったと言うのに、それでも死にかけていました。体の内側にでも爆弾を入れて、爆発させたような自壊とでも言いましょうか、あれを表す適切な表現がなんなのか、私にはいまだに分かりません。ですがまだ彼は生きていましたから、すぐに病院に運び……処置をしました。正直、何から手を付けていいのか私には分かりませんでした。粉々に砕けた建物を直すようなもの、とでも言いましょうか」

 

柱が腐っているのなら換えればいい。屋根が壊れたのなら継接げばいい。だが倒壊したのなら、もはや元通りにすることは不可能で、あの時、あの青年はそういう状態だった。

 

「……ですか、結局彼は生き延びました。私の腕は不思議なほどに冴えていましたし、彼も彼で意識不明の中、必死に生きようとしていましたが、私には……本当に不思議な感覚なのですが、何者か……運命のような強い力が、彼を生かそうとしているのだと分かりました。彼はここで死ぬべき人間ではないのだと、私はその時初めて気がつきました。運命は残酷です、あの状態でなお死ねないなど、一体何の罰なのだろうと」

 

──破裂した血管のために、本来はとっくに失血死しているはずだった。だがそうならなかったのは、新生源石が膜を張って失血を防いでいたからだと後で分かった。そんな信じがたい現象がいくつも重なっていた。

 

「その、他の奴らは──」

 

エフイーターが口を挟む。分かってはいたが、確かめずにはいられなかった。

 

「あの場所で生存していたのは彼一人です。後の現場検証で、彼の仲間の死亡した状況や傷跡、そして矢を避けようとした痕跡がなかったことから……彼らは、ボウガンの雨から彼を守ったのかもしれません」

「……ッ、それって──」

 

エフイーターの瞳が揺れる。ブリーズの方も、本人から聞いたとはいえ穏やかではいられない。

 

「彼が目覚めたのは、入院した一週間後でした。意識が戻ったことですら驚きでしたが……その後の彼の行動を思えば、それは些細なことでしたが。あの夜の、敵の死体の数は確認できただけで78体。戦地に死体が残っていることは、それを回収する余裕すら無くなっていたことを意味します。実際はもう少し多くても不思議ではありません。この意味が分かりますか」

「……ウソだ。あいつは……確かに、そりゃ強かったけど、けど……任務で戦闘になったって、相手を殺したことなんて、一回もなかった……。あいつが、そんなことをする訳がない……」

「仲間を奪われた人間が考えることは一つだけです。特に、大切であればあるほど──そしてもう一つ、それを実行するほどの力が、彼に与えられていたこと。これが果たして幸運なことであったのか、その判断を下せる人間は居ませんが──少なくとも、私には、私たちにとってはこの上ない幸運でした」

 

嫌な言い方だ。だが同時に事実。

 

「──そして目覚めた後、彼はアルゴンにいた全ての主要人物を集めるよう私に頼んできました。私はそれを了承し、ほとんどの重要人物を集め──……一つの命令の元に、彼らを動かしました」

「う、動かしたって──どうやって」

「最初に、まず元アルゴン市長ハン・リ・チーを殺しました。次に防衛長官だったシ・リ・ロゥを」

 

──最もこれに関しては、報いを受けるに値する連中だったことは確かである。あの青年のやったことが正しいと呼べるかは分からないが、ただ殺すことに意味はあった。

 

「……今、思い返しても私は不思議でなりません。ゲリラと旧南部軍を統合し、出来る限りの兵士を集め、出来る限りの資金と武器を集め、出来る限りの手段を持って──バオリアを奪い返しました。あれは──到底、正気の沙汰ではなかった。彼は象徴でした、私たちのこれまでの苦難の歴史に対抗するカウンターとして……時代が生んだ、一つの化け物。そして私たちは、あまりも多くの希望を彼に抱いた。抱かざるを得なかった──あの瞳は、あまりにも危うく、恐ろしく、あまりに強く──とても、同じ人間だとは思えませんでした」

 

グエンとて尋常の人物ではない。人徳に厚く、医術に優れ、政治にも対応できる──南部統領に相応しい人物は、グエンを置いて他にいないとまで言われている。

 

「手段を選ばないという言葉の、本当の意味が分かりますか?」

「どういうことだよ……」

「ある目的のためには、何を犠牲にしてもいいと言う人がいます。ですがそれは正しいことではありません。現実とは何かを犠牲にした程度で変わるものではないからです」

「……それは、分かる。けど、じゃあ……あいつは、何をしたっていうんだ。あいつは今、何のために戦ってんだ。どうしてあんなことになってんだ……!」

「レオーネの目指すところは戦争の終結であり、エクソリア全土……最悪、南部領だけでもウルサスの影響下から独立することです。領土の奪還はそのための手段に過ぎません。彼自身の話で言うなら、少なくとも手段としてはレオーネの目的に一致しています」

 

そのために国全体が動いている。たった数ヶ月で、エールとグエンから始まったその意思が国を動かして戦っている。グエンもエールも、関連する全ての人々は同じ場所を目指している。少なくとも手段は同一である。

 

「ですが、彼はこの国の生まれではありません。この国のために戦う理由などどこにもないのです。彼の目的は──はっきりと話してくれたことはありませんが、おそらくは復讐でしょう」

「……え、けど……彼の仲間達を殺した特殊部隊は、もう彼が壊滅させたじゃない。リン家の壊滅はそれの副次的なものだって、彼自身がそう言っていたわ」

「ええ、そうでしょう。ですがそれだけでは収まらなかった──我々は何にでも理由を求める生き物です。どうしてこんなことになったのか──辿って行けば、いずれ答えには辿り着くでしょう。それは我々が生まれてきたからであり、あらゆる苦難は我々が生きていることの証です。ですが、それでは納得することが出来なかったのかもしれません。更なる復讐を望むのであれば、標的は一つだけです。ウルサス帝国……全ての元凶に対する手段として、戦争を選んだ。元々の目的がそうだったのであれば、何も不思議なことはありません」

 

一つ一つ、エフイーターが知りたかったことを説明するような口調で語るグエンに……筋違いだとは分かっていても、胸を焦がすような怒りが込み上げてきた。

 

「……なんで」

 

どうしようもないことに直面した時、理由ばかりを求めてしまうのは弱さであり、その性質ゆえに人は進化してきた。

 

「なんで、誰も止めてやらなかった」

「彼を止めることは、おそらく誰にも出来ないでしょう。大地には日照りも雨も嵐も風もあるように、それを止めることは出来ません。彼はこの国を利用することを選び、また私も彼を利用することを選びました。私たちの選択はすでに終わっています。後は、待ち受ける結末に向かって歩き続けるだけです。……ですから、これは厳密にはこの国や、彼自身の問題ではないのです。これは本当は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

グエンはすでに選択を終えている。この国に住む人々は皆そうだ。ブリーズも少し前に選択を決めた。そのためにやるべきことをやる、たとえ何が起ころうとも。

 

「我々は皆、運命の奴隷です。その中で、何かを選ぼうというのは、選ばれなかった未来を切り捨て、進むべき未来を定めるのは──正しさや善悪で区別できるものではありません。誰かの目から見てそれが間違っていようと、それは意味のある言葉ではないのです。……そうですね、確かに……あなたはこの国の人ではなく、この国のことは知らないでしょう。ですが、だからこそ出せる答えも存在します」

 

エフイーターはポツリと、らしくもなく呟く。

 

「……誰かを助けたいと思うことが、間違ってるってのか」

「ええ。時として、それは間違いになることがあります。この大地において、優しさは絶対的な正義にはなり得ないからです。ただ一つだけ正しいことがあるとするなら、それは自らの意思に基づいて、自らの望む未来に向かって歩き続けることだけです」

「……なんで、あいつは記憶を無くしてる」

「不明です。彼は頻繁に消息を絶っていましたが、最後に連絡があったのは三日前です。複雑な状況にはありましたが、少なくとも……今記憶を全て失っているのは不自然、ですよね。ブリーズさん」

「ええ。早すぎるわ。あと最低でも3ヶ月、長ければ半年ほどは保ってもいいはずよ。何かの要因、外傷か、それとも薬の類い、もしくは精神に働きかけるアーツ、或いはその全部か」

 

明らかにおかしかったのは、彼の記憶が全て無くなっている事への二人の態度だ。記憶を無くすことは前提で、問題はそれまでの時間である──と、それはまるで。

 

「おまえたち、もしかして知ってたのか……ッ!」

 

こうなってくるともう言葉だけでは済ませられないかもしれない。事実、エフイーターは今にでも飛び掛かりそうだった。グエンが老人であり、戦えなさそうな風貌をしていなければとっくに胸ぐらは掴み上げていただろう。

 

「ええ。そしてそうなることを選んだのは彼自信です」

「ふざけんな、ふざけんな……ッ! なんでだ、なんで!」

鉱石病(オリパシー)の進行によるものです。設備がないので簡易的な測定によるものですが、源石融合率は現状で20から22%程度であると計算されました。特に脳への侵食が最も顕著で、最もその影響を受けている部分は海馬であり、つまり記臆野です。彼は数ヶ月前、この事実が判明してから常にメモ帳とペンを持ち歩くようになりました。決して忘れてはならないことを忘れないようにするためです」

「……なんのためにだ……」

「私は戦いそのものに関しては明るくありませんが、彼の場合……アーツの使用に血中源石が共鳴しているとでも言えばいいのか、とにかく詳しい原理は不明ですが、一時的に血中濃度を高めることでアーツ出力を高められるようです。いえ、高めるというものではありませんね、あれは……あの姿は、──いえ、直接関係のないことです。とにかく、そうせざるを得ない場面があった」

「源石血中濃度を高めるって、訳のわかんないことじゃなくて──言えよ。はっきり言え、あたしの耳が、まだ話を聞いて、理解しようとしている間にさ。それがどういうことか、説明しろ」

 

そこでブリーズが口を挟んだ。冷たい口調だった。

 

 

「源石の直接的な摂取よ」

「おまえ、あたしの話を聞いてなかったのか? 分かるように話せ。何だって?」

「だから、源石を直接歯で噛み砕いで飲み込むのよ。破片が体内に刺さることも気にせずに、がりがり食べちゃったのよ」

 

ここまで来るといっそギャグだった。

 

「ふざけてんのか……?」

 

誰一人、くすりとも笑わなかったが。

 

「そうする必要があった──そうしなければ、そこで死んでいた。彼の言い分よ」

「何のためだ。そうまでして、あいつは復讐がしたいってのか……ッ!? そんなに大切なことか、それがそんなに大切なことなのか!?」

 

冷静な部分が、これは八つ当たりだと言っている。

 

「そんなことを私に言われても困るわ。あなたは何のためにこの国に来たの? もしも彼をロドスに連れ帰る、なんてことを言うつもりなら……少なくとも、歓迎は出来ないわね」

 

──それは何故?

 

それはエフイーターが知りたいことだ。何のためだったのか。仲間を失っても、ロドスに帰って来れば……何も、あんなふうになることは無かったはずだ。だがそうしなかった。あいつはそうしなかった。余計苦しい方を選んで、早死にする方向へ歩いていった。それは何のためだ?

 

そして、自分は何のためにここに来たのか。改めてそれを他人から問われることで、エフイーターは言葉に詰まった。

 

それから、迷いの中で呟いた。

 

「あたしは──知りたかった。本当にあいつが死んだのか、それを自分の目で確かめたかった……」

「そう。知りたかったことは知れたかしら?」

「……あいつが記憶を失っているの、想定外だって言ってたか。何があった」

「私たちがそれ以上のことを話さなければならない理由はあるの?」

「話したくない理由でもあるのかよ……いいから話せ、さっさとしろ……!」

「あなたにそれを話すことで、状況は何か改善するのかしら。あなたは見るからに暴走しそうよ、これ以上は私たちの手に余るわ」

 

いつになく冷たいブリーズの態度は、それだけ状況が切迫していることを示していた。ブリーズにはもう余裕が無かった。出来る限り善人であろうとするブリーズが、そうまでしている。それは裏返すと、ブリーズは冷たく硬い意志のために柔らかさを犠牲にしているという事だ。そうまでしなければならないほど追い詰められている。

 

「いえ。全てお話ししましょう」

「っ、グエンさん!?」

「私の義務です。……彼の仲間だったのでしょう。でしたら知る権利があります」

「そんな、でも──」

「でも、も何もありませんよ。ブリーズさん、余裕を取り戻しなさい。あなたは今、視界があまりに狭すぎます。目的以外に何も見えていない──……あなたは自分が誰なのか、思い出すべきです」

 

そう諭され、ブリーズは黙った。自覚はしていたがどうしようもなかったのだが、グエンに言われるとなかなか堪えるものがある。

 

「お答えしましょう、エフイーターさん。彼の記憶が完全になくなっているのかどうか……詳しい検査が済んでいないため、これは可能性の話であり、推測が混じります。ひょっとすると何かの拍子で簡単に記憶を取り戻すこともあり得ますが、おそらくその可能性は低いでしょう」

「何でだ」

「それが作為的なものである可能性が非常に高いためです。特に今、彼が直面していたものを考えると、おそらくそれでしょう」

「……それって、なんだ。誰のことだ。誰が──」

「そこまでは分かりません。彼と私は独立しているため、彼が何をしていたかまでは分からないのです。ただ一つだけ……非常に厄介なものと戦っていたのでしょう。結論としては、彼が記憶を失っている理由は不明です」

 

身も蓋もない話だ。グエンは続ける。

 

「ただ本題はそこではありません。彼の部下からの報告で、()()()()()()()()()()()とのことですから。ですから問題は……如何にして彼の記憶を戻すか。その一点でしょう」

「どうやってやるつもりなんだ」

「それも分かりません。私も、彼の状態を聞いたのはついさっきです。一刻も早く、彼を取り戻さなければなりません。この国にはまだ時間が残されています。それは、彼がまだ生きている時間と同等の時間です。()()()()()()()()()()()()()

 

グエンも丁寧な話し方だが、顔色は言葉ほど丁寧ではない。焦っているのだろう。一日の遅れが国の未来に関わる。グエンや、あの青年はそのラインの瀬戸際を駆け抜けているのだ。彼なしで、いずれ訪れる危機に対応することはもはや考えられない。

 

エフイーターは一つの違和感を持っていた。すぐにそれを口に出す。

 

「……なあ。あいつの記憶……本当に戻した方がいいのか?」

「どういう意味ですか?」

「……おまえたちはさ、ブラストのことを知らないんだよな。記憶を無くしたあいつが、どんな風に笑うか知らないんだよ」

「今すぐその話を止めるか、出来ないならこの部屋から出て行くかのどちらかにして頂戴。もういいのよ、これ以上はもう結構よ。わざわざ言葉に出さないで」

「黙らない。おまえは見て見ぬふりをしてんだ。ブリーズって言ったな。あいつが記憶を取り戻したらそれでいいのか。それで全部解決か。ふざけんなよ……あいつは放っておくとどこまでも歩いてく。どこまでも歩いて行くんだよ。もう止めてやれる人間はいないみたいだからな、その先に何があっても歩いて行こうとするんだぞ……!」

 

何にぶつければいいか分からない怒りだったが、とりあえずは方向性を得た。

 

そこのふざけた金髪の女だ。

 

「その先に何があるか知ってるか。あいつが歩いて行く先に何があるのか知ってんのか!? あたしは知ってるぞ、いや……あたしでさえ知ってるぞ! 誰だって想像が付くだろ、分からないのか!? あいつの歩いて行く先にはな、──()()()()()()()! 何にもないんだ、荒野が広がってるだけだ! おまえらの未来が上手くいこうと上手くいかなくても、あいつに待っている結末はちょっとでも変わるってのか!?

 

──エフイーターは激昂した。

 

いつもは柔らかく、それでいて茶目っ気に溢れたエフイーターは、もうそんなことはどうでもいいのだろう、ブリーズが目を逸らしてきた全てのことを糾弾する。

 

「そりゃいいだろうさ、あいつが付いてるならおまえらは救われるだろうさ、戦争だって終わるかも知れない、あいつは強いからどうにかなるかも知れない、この国の大変な状況だってどうにかなるかも知れない、それは否定しない、けどな、けどなあ!」

 

既にエフイーターは接客用の椅子から立ち上がり、その行動力のために座ったままのブリーズに詰め寄っていた。放っておくと胸ぐらを掴み上げて殴り飛ばしかねない。

 

他人のためにそこまで怒れるのは、エフイーターの優しさ故だ。それが故に、ブリーズは黙って唇を噛み、耐えている。

 

「あいつはどうなる!? おまえらのために戦って、あいつはその後どうなる!? それであいつは救われるのか!? 長生きできるのか!? おまえらのハッピーエンドは、あいつにとってのバッドエンドじゃないのか!? 違うなら言え、違うって否定しろ!」

 

至近距離からその弾劾をブリーズは受け続けていたが、ついに我慢ならなくなり顔を上げてエフイーターを睨み上げた。

 

「……あなたは何も知らないのよ。何も知らないから、そういうことが言えるのよ──あなたは知らないの、もう彼も私もこの国の状況も、みんな後戻りは出来ないことも……どれほどの人が苦しみ、どれほどの人が犠牲になってきたのかを知らないのよ。だからそうやって無責任なことが言える……! 蚊帳の外なら何を言ってもいいと思っているのでしょう。外から見て正論ばかり言うのは、さぞ気持ちがいいでしょうね……!」

「何だと!?」

「正しい言葉が何かの役に立ったことが一度だってあるの? 少なくとも私の経験ではないわ、言葉なんて何の意味もないの。誰かを助けることなんて出来ないのよ。いつだって世界を変えるのは行動よ。明日を今日よりも少しでもいい日にしようとする人々の努力だけが明日を作るの──だからこれ以上私たちを侮辱するのをやめなさい。これ以上私たちの努力を、無意味の一言で片付けるのをやめなさい……ッ!」

「何が努力だ! おまえは正義だとかって謳ってあいつ一人を犠牲にしようとしてんじゃねーのか、どうしてあいつを助けてやらない!? 記憶を取り戻させて、戦わせようとしてるんだろ!? あの髪色は何だ、なんで右腕を無くしてる、──あんな顔で笑ってるのを見て、おまえは何も思わなかったのか!? 何も感じなかったのか!? もしもそれを感じた上であいつを放っていたのなら──おまえはあいつのことなんてどうでもいいんだろう!?」

 

最後の一言でブリーズの、切れないように押さえつけていた理性の糸とも表現するべき何かが完全に切れた。

 

「ふざけないでッ!!」

 

ついに、ブリーズが立ち上がった。身長ではあまり変わらない二人なので、必然的に真っ正面から直近で睨み合う形になる。

 

グエンだけが、それを痛ましい表情で見守っていた。

 

「何も思わない!? 何も感じない!? 彼一人を犠牲にしようとしている!? ふざけないで頂戴、その逆よ──彼が救われるのなら、何が犠牲になったって構わないわよ!」

 

想像していたものとは全く違うブリーズの叫びに、今度はエフイーターが圧倒される番だった。

 

「いくつも試したわ、私にできることは全て試してきたわ! 色々なアプローチを試して、過去の例から治療法をいくつも探って、それでもダメだったからせめて彼が戦わなくていいようにって──でも無理よッ! ()()()()()()()()()()! 私はもう知ってしまった──私はもう知っているのよ! この国にどんな人がいて、どんな風に暮らしていて、何に苦しみ、何に楽しんで、何を期待して、どれだけ優しくて親切なのか──この場所にも人は暮らしているのよ! こんな国にも生きて居る人がいるのッ!」

 

──嘘だ。

 

あの青年を助けるためならば、何を犠牲にしてもいいと言ったのは、嘘だ。ブリーズはそこまで非情になれない。あの青年は何を犠牲にでもするだろう。その結果として、多くの人々を──数え切れない人々を救ってきた。それが事実だからこそ──。

 

「……私が迷っている間に、彼は進んでいった。見失わないように必死についていっても……いつの間にか、姿を消していた。もう何を言っても無駄なのよ、お馬鹿さんだから話を聞かないし、何より私は彼に会うのが遅すぎたのよ。何よりも大切な仲間を目の前で失って以来、彼の時間はずっと止まったまま──秒針の止まったまま、未来に進もうとしているの。こんなおかしいことはないわ。……だから、私はせめて、私が出来ることをやると決めているのよ」

 

──国の現状と、青年の現状。ブリーズはその二つを十分に理解していて、何よりもずっと優しかった。ブリーズは板挟みになっていた。自分の願いと、苦しんでいる人々を放って置けない気持ちの中で板挟みになっていた。

 

「……おまえに出来ることって、何だ」

「彼の向かおうとしている未来に向かって彼が辿り着けるように……出来る限り手助けすること」

 

苦しみと怒りと、それと諦観の混ざった表情で、そうブリーズは言った。

 

そしてエフイーターは、ようやくブリーズを理解した。

 

「おまえ──諦めたな?」

 

たった一言だけ、情報としては欠けた言葉がブリーズに突き刺さって、その言葉通りにブリーズは諦めたような乾いた微笑みを浮かべた。あまりに優しく、あまりに寂しい微笑み。

 

「……仕方ないじゃない。だって、頼まれちゃったのよ。任せた、って……──」

 

その表情に、エフイーターが何を感じたのかは定かではない。

 

「……あたしは少なくとも、おまえと同じ風には考えられない」

 

少なくとも、エフイーターにはこれ以上この場所にいる理由は無くなった。そのため、背を向けて部屋を後にしようとして、ドアの前で足を止めた。

 

「いろいろ言って、悪かったな」

「いいのよ。……そうだったわ、もう一つ伝えておくことがあるの。さっきの様子だと、あなたは多分知らないでしょうけど──」

 

? この後に及んでまだ何かあるのか?

 

エフイーターはもう何が来ても驚かない気持ちでいた、が。

 

「あのお馬鹿さん、結婚するのよ」

「…………………………。いつ?」

「明日よ」

「……………………………………………………誰と?」

「メリィ、という貴族の一人娘よ」

 

ともすれば、エフイーターは今日一日の中で最も怖い顔でもう一度ブリーズに詰め寄った。

 

「聞かせろ。……詳しく、どうしてそうなったのか。それは誰が決めたことなのか、全部。……言え」

 

グエンは生きた心地がしなかったと言う。

 





修羅場ァ!

・実はブリーズの方がエフイーターよりも身長が高い
2cmだけブリーズの方が高いです。wikiに書いてあった

・ブリーズ
時系列が前後しているため、精神状況が色々と変化しています。

・エフイーター
新星のごとく登場したヒロイン。かわいい

・グエン
聖人枠。



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羅刹と大木 -7

9/4 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホン兄ぃ、兄ぃが新しい自転車買ってくれるって話、どうなった!?」

「チィ! 危ないから走り回るな、本を買ってきてやったんだから!」

「シェンはどこ? ホン、見なかった?」

「二階に行ったよ! 早く降りてくるように伝えてくれ、今日は客人が来てる!」

「客人?」

「そっちで休んでもらってる! それとルィ、飯の準備を手伝ってくれないか?」

 

──苦労人らしい彼がずっと大声を出しているのは、子供たちの騒ぐ音に邪魔されないためだろう。駆け回ったり、大声を出して笑っていたり、小さなボールを投げ合ったりしている。危なそうだが、子供にとっては大した問題ではないのだろう。

 

エフイーターはそんな家の中をざっと見回していた。

 

「騒がしいでしょう」

 

ケースから眼鏡を取り出して、グエンは穏やかに笑いかけた。

 

「じいちゃんお帰りー!」

 

子供の中の一人が、椅子にもたれかかったグエンに突撃して、グエンの膝を椅子にして、嬉しそうに笑った。

 

「はい、ただいま。学校はどうだった」

「楽しかったよ! 今日さ、ベンドって男の子が転校してきてさ! すごいんだよ、クルビアから来たんだって! なんか暗そうなやつだったけど、頭がめっちゃ良いんだって!」

「話をしたのか?」

 

普段の丁寧な言葉遣いは、流石に家族の前ではしていないらしいが──穏やかな物腰は、誰に対しても変わっていないようだった。

 

孫に対する視線は、家族への愛情に溢れていた。少なくともエフイーターの目にはそう写った。

 

「したよ! じいちゃんが大統領だって話したらすっげー驚いてた!」

「ふふ、そうかそうか。……フィ、お客さんが来ている。挨拶しなさい」

「……! おれフィ・リ・ハン! その耳、ベンドとおんなじだ……ウルスス人だ! すげー!」

「ふっふ〜ん、すげーだろ。あとウルススじゃなくてウルサスだからな。少年よぅ、こんな美人に会えるなんて運がいいぞ〜!」

 

──どうにも、昔の癖で他人と話すときには上機嫌に振る舞いがちになる。大抵の人間はファンとかだったので、そうするとよく喜ばれたものだ。特にこういう子供相手は得意だった。

 

最も、エクソリアではあまり映画は流行っていないらしい。

 

「……ジュース飲もっと!」

 

少年は年上の魅力に溢れたエフイーターへの気恥ずかしさか、それとも子供ゆえに移り気な性質ゆえか逃げるようにして走り去っていった。子供は突飛な行動が珍しくない。

 

「しっかしすげーな。じいさん、あんたの家族は一体何人居るんだ? みんなこの家で暮らしてるのか? あんまりこの家、デカくなさそうだけど」

「私を含めて14人家族ですよ。向かいの家に息子夫婦が、その三つ隣に娘夫婦が暮らしておりましてな、夕食などはまとめて一緒に作って、一緒に食べるようにしています」

「14人って、とんでもねーなー……。この国じゃ普通なのか?」

「ええ。子供が6、7人居る家は珍しくありません。よく親戚同士で集まって、力を合わせながら育てていくのです」

「楽しそうだな!」

「ええ。……だだ、その中で大人になれる子はそう多くありません。エクソリアでは、70%の子供が、13歳までに命を落とすと言われています」

 

穏やかな語り口ながら、不穏な言葉が飛び出した。

 

「……内戦状態にあるからか?」

「それもありますが、一番は病気です。根本的な栄養が足りなかったり、治療を受けられなかったり──貧困という壁が、子供達の前には立ちはだかっています」

「貧困って、何が原因でそうなってるんだ?」

「一言で言い表すのは困難です。長らく続いた二大貴族による支配下において、我々は足枷と、錘を付けられていました。今ではようやくその枷は緩められつつありますが、その跡はそう簡単に消えるものではありません。例えば字が読めない子供が、どのようにして貧困から抜け出せますか」

 

所得と学力は、少なくともある程度の相関関係にある。南部の抱える根本的な問題として、学校に通わせられないどころか学校がそもそも無い、あるいは数が少なすぎるということも多い。

 

貧困に喘ぐ国の多くがそうであるように、そういった余裕がないのである。

 

「この大地の名前も知らぬまま大地へ帰っていく子供たちを掬い上げるためには、国そのものを変えねばなりません。そしてそれには、長い時間と、人々の努力が必要です──ああ、いえ。何でもありません」

「いやいやいや、そこまで話しといて何でもないは無いだろ。あたしがそこまで無関心な人間に見えるか?」

「いえ。ただ、歓迎の席ではその人自身の話をすることになっています。先のような話題は、我々の習慣にはそぐわないものでした」

 

と、どうにも律儀というか、そういったものを大切にするグエンと、微妙な価値観の相違に首を捻るエフイーター。異国の文化──。

 

「父さん、準備出来たよ! ご飯にしよう!」

「ありがとうホン。みんな、座りなさい! 夕飯にしよう」

 

グエンがそう呼びかけると、走り回っていた子供たちや、リビングの隅でノートを開いていた高校生くらいの少年なども皆集まってくる。大所帯のため、テーブルも一つではないようだった。少しだけロドスの食堂にも似ている気がする。

 

皆の視線が何となくエフイーターに集まっていた。元ムービースターのエフイーターは注目を集めやすく、大抵の人間は思わず見惚れてしまう。

 

「彼女はエフイーターさんだ。今日この国に来たばかりで、行くあてがないとのことだったから今日はウチに泊まってもらうことになった。炎国では有名な方だ」

「ども〜。あたしはエフイーター、じいさんの好意に甘えて、今日はお世話になるよ。あ、サイン欲しいならいつでも良いからな!」

 

茶目っ気たっぷりに言い放つエフイーターと、サイン……? と首を傾げる家族たち。

 

──皆、日に焼けた肌を持っている。顔付きだってずいぶん違う。国の匂いも、温度も湿度も、言葉のちょっとしたニュアンスも、全く違う。

 

「エフイーターさんはどこから来たの!?」

 

まだ幼い女の子が、声変わりも終わっていない純真な声でそう聞いた。

 

「そうだな〜、ここより──この国より、ずっと遠いところから来たんだ」

 

この時エフイーターは初めて、自分が違う国に来たことに気がついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食は豪華だった。この国の一般的な食事がどういったものかはあまり知識がないエフイーターだったが、いくつも並んだ皿に盛られた鶏肉や野菜を見れば、明らかに豪勢だと気がついた。

 

歓迎の印としては十分すぎるほどで、現金なものだがつい嬉しくなる。味付けもエフイーターの感覚からすれば独特なもので、案外悪くない。

 

この家の習慣だろうか、大所帯の家族は食事中も頻繁に席を入れ替わったり、立ち歩きながら隣に座り合い、たくさんの会話をしている。

 

「エフイーターさんは旅行なんですか?」

 

大人になる一歩手前くらいの少女の一人が隣に座ってきて、興味津々といった顔で身を乗り出してきている。

 

「いや、違うよ。あたしはね、人に会いにきたんだ」

「知り合いなんですか?」

「まあ、そんなところ……いや、知り合いっていうか──仲間だよ。仲間がこの国に居るんだ」

「えー! もしかして、男の人だったりするんですか!?」

「そうだよ〜」

 

年頃なのか、どうにもそういう話題には興味が有り余っているようだった。

 

「もしかして、会いにきたって──!」

「や、期待してるような関係じゃないぞ?」

「え、うそうそ……絶対嘘ですよ!」

「いろいろあるんだよ〜。スイはそういうのに興味があるんだな」

「私、気になってる男の人が居るんですよ。聞いてくれます?」

「いいよいいよ、お姉さんに話してみなさい」

 

まあ、女の子なら絶対に盛り上がらない話題ではない。エフイーターはその話に付き合ってやることにした。

 

「私が働いてる工場の、三つ上の男の人なんですけど、すっごくイケメンで優しいんです。いつも優しくしてくれて──」

「うんうん」

 

まあ、聞いて欲しいのだろうとは検討がついた。楽しそうにその男のことを話すスイ。活発そうな瞳が一言ごとに揺れ動いていた。

 

「それで、今度一緒に買い物に行く約束をしていて。でも私、全然おしゃれな服なんて持ってないし、それで──」

「え〜? いいじゃんいいじゃん」

 

話を聞きながら、自分が目の前の少女くらいの歳の頃を思い出していた。

 

「でも、彼ぐらいかっこよかったら他にいっぱい女の子もいるし、不安で……」

「男なんて簡単だよ〜、思い切ってキスしちゃえって」

 

男なんて簡単だったらエフイーターはわざわざこんな国にまでやってきてはいないのだが、それはそれ。

 

「──で、お父さんは張り切りすぎててその男を連れてこいって言ってるし……お爺ちゃんくらいなんです、優しく見守ってくれているの。はぁ、構ってくれるのは嬉しいんですけど限度がありますよ、ほんとに……」

「お爺ちゃんって、グエンのじいさんのことか?」

「はい、尊敬してます。いつもにこにこしてて、この国のことを本当に大切にしていて……」

 

話題は移り変わって、いつの間にやら家族の話になっていた。

 

「叔父さんが死んだって聞いた時のお爺ちゃんの顔、忘れられなくて」

「叔父さんだと──えーっと、グエンのじいさんの息子ってことか?」

「はい、そうなります。長男で、従軍していました。一年前の戦役で亡くなったんです」

 

一年前──その頃だっただろうか。

 

エフイーターがあの青年と出会ったのは、もうそんなに前のことになるのだったか。

 

「その頃はまだ、レオーネもありませんでしたから……叔父さんは南部軍の士官として、部隊の小隊長をしていたんです。ホークンで亡くなりました。爆弾で殺されてしまったので、遺体は持ち帰ることができなかったって聞いています」

 

この家の暖かさが忘れさせていた事実、今この国は内乱が続いているということ。

 

何が起こっているのかを知りたい。エフイーターは口を開いた。

 

「いろいろ聞かせてもらってもいいか? じいさんのこととか、この家族のこととか」

「え? はい……。えっと、そうですね。こんなこと、お客さんに話すべきことじゃないんですけど……思い出せば、この家からも結構人が減っていったなぁ。フー叔父さん、スプちゃん、カルア、ターチさん、それと──」

 

スイは次々と名前を並べていく。人が減っていった、それは決して引っ越していったとか、出ていったとかそういう理由で人が減っていったわけではないだろう。

 

「みんなちっちゃかったなぁ、子供はすぐ死んじゃうんです。流行病にやられて、ソンなんてまだ3歳にもなってなかったのに。戦争でもずいぶん死にました、軍のやられっぷりは酷かったです。もう笑っちゃうくらい勝てなくて、八百長でもしているんじゃないかってくらい。それでもずっと戦術的撤退とかいう言葉を繰り返してるんだから、本当にどうしようもないんだなってわかりました」

 

スイの言葉は結構乾いていて、家族の死ですらもういちいち悲しんでいる余裕もないのだろう。あるいは生まれた時からそれが当たり前だったか。

 

先進国と比較して、こういった後進国の出生率の高さは群を抜いているが、それでもなお人口が増えないのは死亡率がそれを上回るからである。

 

それに加えて、ソアの八百長という言葉は的を得ていた。実際それは真実である。

 

「……だから、お爺ちゃんが一番苦しいと思います。私なんかまだマシで、恋愛のことしか頭にないけど……お爺ちゃんはたった一人でこの家を、いや……この国を背負って、ずっと戦ってます」

 

──結局、エフイーターはその言葉に対して返すべき言葉を持たなかった。何を言っても表面的なものになってしまいそうだった。

 

ソアはそれから、思い出したように一言付け加えた。

 

「あ、一人じゃありませんでした。今は……あの人が、お爺ちゃんの横に居てくれたんでした。知りませんか? あの人──エールさん」

「……!」

 

顔が思わず強ばるのを止めることが出来ない。スイはそれには気が付かなかったようで、つらつらと話し続ける。

 

「何度かお爺ちゃんが連れてきたことがあるんですよ。私とも話してくれました。あの人もかっこいいですよね、それにすっごく頭が良さそうだったし、体がすごく大きいってわけじゃないんですけど……そう、まるで包丁みたい!」

 

が、流石に笑った。

 

「はははっ! ほ、包丁! 包丁って……っ! お、おもしろ〜!」

「え、なんですか!?」

「や、言いたいことは分かるけど、剣とかじゃなくて、包丁って……っ! あはははっ、そうだな、そのぐらいが丁度いいな! きゅうりでも切ってるくらいが丁度いいんだな、絶対そうじゃん! はは、あはははっ!」

「なんなんですか……」

 

割と本気でムッとした表情を浮かべるスイに、エフイーターは笑いながら謝った。

 

「ごめんって! いやあ、確かにな、そうだな! その通りだよな〜! そうだな、そうだよ……」

 

と、段々と急激に勢いを失っていくエフイーターの声に、スイはまた別の種類の不思議な顔をした。

 

「……そのぐらいが、丁度よかったのにな」

「えーっと、もしかして……エールさんの知り合い、ですか?」

「うん、そうだよ」

「え、じゃあもしかして、人に会いに来たって……」

「そう。……あいつに会いに来た。本当はもっと早く来るつもりだったけど、なかなか上手くいかなかったんだ」

 

ただならぬ事情を察知したのか、遠慮気味に、しかし奥底では興味に溢れた声でスイはそっと尋ねる。

 

「……どういう関係なんですか?」

「さっきも言っただろ、仲間なんだ。あたしさ、一時期かなりヤバかった時があって……それまで人生の全部だと思ってたものを失ったんだ。これからどうやって生きていけばいいのか、分かんなくなって……そんな時、あいつが来た。話そうとしたら長くなるから省くけど、最終的には──」

 

懐かしみながらエフイーターは語った。

 

スイは興味深々に耳を傾けている。

 

「新しい生き方を教えてもらった。まあこれに関してはあいつ一人にって訳じゃない。あいつの居た会社がそういうところで、今もそこで働いているんだけど──まあとにかく、全部を失ったあたしに、前の生活よりもずっといい暮らしを与えてくれた。あの場所には感謝してもしきれないよ」

「エールさんに助けられたってことですか?」

「んー……。まあ、それはそうなんだけど、その後の新しい人生を提案してくれたのは会社の方だし。実際に助けに来てくれたのはあいつなんだけど、その後はっきり言われたよ。"仕事だから助けた"って」

「うわー……」

 

スイが引くのも理解できる。そんな乾いた言葉を平然と言い放つのである。ドライと言えばそこまでだが──。

 

『だから僕に感謝する必要はない。大体の仕事をしたのは僕の仲間だし、黒幕っぽいやつを倒したのはお前だろ? あんまり僕は仕事してないしな……』

 

とか言ってた。

 

「けどまあ、そこじゃないんだよ。最初は分からなかったんだ、あいつが本当はどういうヤツなのか。前は女優なんてやってたからさ、あたしは新しい人生の一歩を踏み出す意味も込めて、自分で映画を作りたいなって思って、半分冗談のつもりでその話に巻き込んだんだ」

「えっと、映画──って、どういうのですか?」

「あんまり見たことない? まあ簡単な話だよ、悪い奴が居て、それを倒す。それだけの簡単な話で、正直あたしはきっとあんまりいいものは出来ないだろうなって思ってたんだ。半分はあたし自身の区切りのための自主制作映画だったんだから、別にそれで良かった。けどあいつ、どこからか分かんないけど資金とか集めてきてさ、制作会社まで巻き込んで……どんどん大事になっていってさ〜」

 

もう二度と無理だと思っていた。映画に出て、何かを表現することは──名残は残っていて、未練も残ったまま。ロドスの新しい生活はずっと悪くなかったし、望外の幸運だった。間違いなく言える、ロドスに来てよかったって。

 

「冗談みたいに溢した一言が、どんどん広がって……そうだなぁ、うん、あの時は……嬉しかったな。あいつ、結構奥底は冷たいヤツだと思ってたんだけど、全然そんなことはなかった。あいつは──他人のために、自分の能力と努力を躊躇わないヤツなんだって気がついたんだ。なんだかな、トラブルに巻き込まれて、感染者になって──それで、ロドスに助けてもらって、本当に感謝してる、けど」

 

最終的に、中堅どころの映画配給会社に伝を得て一般上映にまで漕ぎ着けられた時、エフイーターは自分がどれほどの人間に助けられて生きているのか理解した。

 

「救われたんだ〜。なんか、この大地には……困ったり、困難にぶつかった時……誰かが助けてくれるんだって、力になってくれるんだって──教えてくれた。ぶつくさ文句言いながら、最後の最後まで力になってくれるヤツが居るんだって。それだけであたしは十分嬉しかったんだ」

 

気づかない間に、エフイーターは表情が緩んでいた。

 

スイはニヤリとして、意地悪げに言う。

 

「好きなんですか?」

「まあね──いや、なんて言うかな〜。そういう意味での好きとは違うんだよ」

「うそー! 絶対そういう意味で好きなんですよね!?」

「違うって。なんていうか、例えばあいつが何か困ったことになってて、あたしが行動することで助けになれるならそうするし、あたしがちゅーして、あいつがちょっとでも救われてくれるならする。そういう、言わば人間的な好きだよ。恩返しみたいな」

「……それは、流石に苦しいですよ」

「だよなー……。大体あいつ、ダメなところばっかりだし。気遣いが下手だし、他人の気持ち分からないし、頼るのも下手だし、ノリ悪いし、文句多いし、無駄に生真面目だし融通利かないし、平気で別の女の話するし、自分のこと話してくれないし、話し下手だし、一言少ないし、好き嫌い多いし……」

 

──分かりやすい愚痴は、スイにとっては惚気にしか聞こえないが。

 

「自分を大切にしないし、全然利己的じゃないっていうか、例えば頑張ってひと仕事終えたら普通は自分にご褒美とか、自分を褒めたりするじゃん。そういうの全く無いんだよ」

「えっと、聞く限りは美徳じゃないんですか?」

「限度があるだろ。放っておくと休日までずっと訓練室に篭りっぱなしか、ずっと仕事してるって感じで──自分のために何かをするってことを知らないみたいに、ずっと。結構前から心配してたし、あたしなりに何か出来ることを探して色々やってたけど……結局、あいつは」

 

エフイーターのあの青年に対する感情は、恋愛的な側面に限らない。

 

それは一つの証明なのだ。

 

「根本的なところで、ぶっ壊れたままなのかもしれない」

 

エフイーターが、誰かを救うことができることの証明だ。

 

この大地が、善意に対してどれだけ応えてくれるのかの証明なのだと思う。それはエフイーターの信念でもある。正義がまだこの大地に残っていると確かめたいのだと思う。

 

「……なんだか、すごい話のような気がします」

「そんなんじゃないよ、子供っぽい意地だって」

「そうなんですか? でも意外でした、あの人にそんな過去があったんですね」

「なあ、スイの目から見てあいつはどういうヤツだ?」

「え? えっとー……すごい人、です。あの人は、過去を語りませんが……姿を見れば、嘘か本当かの見分けは付きますよね。あの人は本気で、この国のために戦ってくれてる。気がかりなのは、私たちがあの人に返せるものが何も無いってことだけです」

「……もし、あいつが居なくなったらどうなる?」

「そうですね、きっと……あの人無しに、これからやっていけるとは思えません。ですから、最終的にはウルサスの保護領地という名目で、支配下に置かれるでしょう。私、あんまり事情には詳しくなんですけど……あの源石鉱脈は、それほどの魔力を秘めています」

「源石鉱脈……? どういうことだ?」

「……あ! えっと、まだ公表されていませんでしたね。すみません、秘密にしてください。怒られちゃいますし、この秘密が漏れてしまうときっと酷いことになります」

 

その様子から、エフイーターはなんとなくの事情を察した。

 

エクソリアが置かれている、がんじがらめになった現状のことをなんとなく理解した。そしてその国にいた一人の青年のことを思い出した。

 

「わかった、広めたりしないよ──」

 

と、そんな時だったか。

 

リビングの広い空間で、皆が重い思いの団欒を楽しんでいた時のことだ。

 

古い扉が音を立てて開いて、人が入ってきたのである。

 

「──?」

 

最初は、気が付かなかった。

 

最初に気がついたのは、グエンの孫の一人で、19歳のホンという少年。手にしたコップを落として、茶がテーブルに広がった。

 

「……フー兄ちゃん……?」

 

一年前に命を落としたはずのグエンの息子が、ごく自然に帰ってきていた。

 

一見して厳つい顔つき、軍人らしい鋭い瞳と、短く刈り込んだ髪。ホークンへ向かって行った軍装のまま、何もかも一年前のまま。

 

「……。帰ったぞ、親父」

 

──アルゴンでは、死んだはずの人間が現れる現象が多発していた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

子供から先に動いた。

 

「にーちゃん……にーちゃん!」

 

わっと群がるようにして、フーの元へ駆け寄っていった。フーは厳つい顔を少し緩めて、彼らの頭に手をやって軽く撫でた。

 

「元気にしていたか、チィ」

「当たり前だよ! 久しぶり、にーちゃん!」

「ああ。久しぶりだな」

 

気がつけば、あれほど騒がしかった一帯は静寂が支配していた。

 

懐かしい声がする。

 

「フー、君……なの?」

「ラン。久しぶりだな」

 

フーの従兄妹のランが、目を見開いて呆然としていた。

 

しばらく呆気に取られていたグエンが、ここで初めて口を開いた。

 

「本当にお前なのか、フー……」

 

それは帰ってきた息子に向ける種類のものではなく、実態のない幽霊に、その正体を問うような声。

 

「必ず帰ってこいと言われたからな。帰ってきてやったぞ、親父」

「……馬鹿な。お前は、死んだはず……私がこの手で、お前を埋葬した。信じられん、こんなことが……」

 

その混乱具合は過去に類を見ないほどで、グエンの心境を表していた。

 

「生き返ったのか、フー……?」

「ああ。呼ばれたんだ」

「誰に呼ばれた? こんなことはありえない、死者が蘇るなど──あってはならんことだ……」

「けど、俺は実際にここにいる。親父、俺ァまたあんたが苦難に見舞われてると思って、手伝ってやるために帰ってきたんだよ」

「……これは、私の幻覚か。それとも妖術か、呪術に違いない。フー、お前は帰ってきてはならなかった。摂理に反してはいかん……」

「何故だ? 親父よ、あんたが一番願ってたことだろ? お袋がどうやって死んだのか、まさか忘れた訳じゃないだろう。ジジィが最後に残した言葉はなんだった? 俺の兄弟も、結構いたハズなのに、今じゃ二人だけしか残ってねェ。俺もガキを残して死んじまったしな。なあ親父、家族が次々に死んでいったのと、あんたが政治犯だったことは無関係じゃない。そうだろ?」

「……私を、恨んでいるのか」

 

南部屈指の偉大な人物の一人であるグエンは、悔恨の混ざった弱々しい声で呟いた。普段のグエンを見慣れている者が見れば、目を疑うだろう。

 

「いいや、あんたの歩いている道は正しいと思うよ。民族闘争なんだからな、多少泥沼にもなるだろ。それにさっきから言ってるじゃねェか、俺ァあんたの力になるために戻ってきたんだって」

「……それは、いかん。お前は亡霊だ。一度死に、彼岸を渡った。こちら側に戻ってきてはならん……。在るべき所へ帰りなさい、フー。ここにいてはならん……」

「やれやれ、だ。……まぁ、仕方ねェな。今日のところはずらかってやるよ」

 

誰一人として声が出せなかった。張り詰めた声と、項垂れたグエンの姿の中で、エフイーターも同様に険しい表情になっている。あれは決して他人事ではない。死んだはずの人間が現れるのなら、それは決して他人事ではないのだ。

 

「ああそうだ、親父。もう歳なんだから、あんま無茶すんじゃねェぞ」

 

──それは、どう聞こうとも、死んだはずの息子の声だった。

 

婚姻式が明日に迫っていた。

 

 

 

 




イベントの連続開催vs危機契約#4vsダークライ
アルケットの話よかったですね

・グエン
敬語キャラから敬語を外すと誰が喋ってるか分からん問題

・エフイーター
かわいいのモンスター

・フー
やんちゃ系孝行息子
一年前の第二次ホークン会戦で殉職している。



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羅刹と大木 -8



この夜、月は満月だった。

そのせいか、大気にさえどこか怪しげな雰囲気が混じっていて、エフイーターが見上げていた空は透明にゆらゆらと揺れていた。

客間には布団が敷いてある。何から何まで、お世話になりっぱなしで──何か、恩を返したいとは思うが、しかし何が出来るだろう。

窓から空を見上げる。あの空の向こうに何があるのか──感傷に浸る性格でもないのだが、今日一日だけで色々なことがありすぎた。流石のエフイーターでも疲れていないと言えば嘘になる。

ぼーっとしていた。

「眠れませんか?」
「っ──!?」

突如として襲ってきたその声に、一瞬にしてエフイーターは飛び退き、警戒態勢を取った。

視線は相手を捉え、拳は軽く握り、体勢は低く──と、そこに立っていた人物を見て、思わず目を見開いた。

──ロドスのオペレーター装備だ。標準的な、行動隊が着用する青色と黒色のそれ。

「おまえ──ルイン、なのか……?」
「はい。お久しぶりですね、エフイーターさん」

優しげな顔、薄黒色の髪は肩にかかる程度で──ひょこっと飛び出た猫耳。

行動隊B2の補助オペレーター、ルインが儚げな微笑を浮かべていた。

エフイーターがパンダだとすれば、ルインは子猫ぐらいの存在感で、実際身長も小さかった。だがそれでも、その勤勉さや優しさは立派なもので、誰からも愛されていた。

「無事──、だったんだな」

いまいちキレのない、探るような言葉──エフイーターらしくもなく、言葉がつっかえてうまく出てこない。

「いいえ。エフイーターさんの想像通り、わたしは死亡しました」
「………………」

まともな言葉ではなかった。死んでいるのなら、なぜそうやって喋ることができるのだろうか? ありえない。あり得るはずがない。

だが、ついさっきも似たような現象を目にしたばかりだ。

それにルインがそう言うのなら、そうなのだろう。嘘をつくことなど想像できないような、少し不器用なオペレーター。

死んだはずだ。少なくともそう聞いている──そもそも、仲間達が今も生きていたのなら、ブラストがあんな風になるはずがない。それを許すような仲間たちではなかったはずなのだ。

「エフイーターさんに伝えなければならないことがあります。もはや亡霊となったわたしが今、こうやっているのは奇跡です。あるいはエフイーターさんは、これが幻覚だったり、夢なんだと考えるでしょう。それは真実に近いです、特殊な呪術環境下においてのみ、わたしは意識を自覚できていますから、それは性質としては、エフイーターさんのみが認識できる幻となんら区別出来るものではないんです」

──さっぱりだ。

前提条件から分からない。完全にお手上げだ、とりあえず話を聞くしかない。

「最初に言っておきます。わたしの存在は、今のこの街で起こっている現象の中でも特に例外的なものです。夢と同程度のあやふさやと認識してください」

声は聞こえる。影もある。ルインは幽霊のように透けてなどいないし、確かにそこに気配を感じるが──。

「……どうして、あたしの前に現れたんだ?」
「はい。それをお話しします。伝えなければならないこと、いえ、違います、死人に口無しというのなら、そんなことは許されませんから……これはお願いです」

真剣な表情をした死人がそんなことを言っている。この大地では割と何が起こっても不思議ではないが、幽霊にこんな話をされることは流石に初めてだ。

「隊長に関することです。……はい、警戒するのも当然ですよね。ですが聞いてください、エフイーターさんしか居ないんです。この呪術は、外界からのみ干渉することが可能なんです。ええっと、端的に表現すると、今このアルゴンは呪われているんです。おそらくはサルカズ由来の呪術系のアーツによる、超強力な広域呪力場が形成されています」
「……まあ、ツッコミ所は色々あるけどさ。もうちょい噛み砕いて」
「エフイーターさんの行動次第で、あの人を救い出せるかもしれません」

より細かい説明ではなく、ルインは最も効果的な言葉を選んだ。焦っていたためだ。奇跡のような状況は長続きするものではないことを理解していた。

エフイーターは息を呑んで続きを促す。

「今、アルゴンは呪われています。その影響のせいで、死んだはずの人々が蘇って帰ってきたり、わたしのような亡霊が現れています」
「……さっきの、グエンのじいさんの息子も──」
「はい、おそらくは。そしてここからが重要な点ですが、それは見せかけです。本当に死人が蘇っているわけではありません。そういう攻撃なんです、じわじわと真綿で首を締め上げて、毒を打って衰弱させていく──動物を捕まえるとき、罠を使ったりしますよね。餌を置いて、誘き出すんです。その餌が精巧で、魅力的であるほど動物は引っ掛かります。わたしたちのような亡霊は、大切な人を亡くした人々にとっては最も効果的な()なんですよ」

多少早口になったが、ルインはそれらの事実を次々と羅列していく。とにかく今はエフイーターに現状を伝えることが最優先だ。

元映画女優は、その人情にあふれた性格故に段々と顔色を変えていく。表情に影が差し、眉を顰め、目つきは鋭くなっていく。

「……なあ、どうしてそんなことが起きてるんだ? どうしてそんなことばかり起きてる? ……なあルイン、おまえはわざわざ蘇ってきてまで、あたしに何をして欲しいんだ?」
「はい──そうですね。あなたは隊長と違って、周りくどいのは苦手でしたね。言います、わたしが現れたのは、あなたに──」

微かな迷いを滲ませて、震える足で踏み出すような言葉、それは。

「あの人を、助けてもらう為です」






ーーー








「……頭の中、今ぐちゃぐちゃになってるからさ。わかりやすく話してくれよな」
「はい、できる限りは。現在この街は一つのアーツ影響下にあります。目的は不明ですが、善良なものではありません。その影響により、死者が蘇っているように見えます」
「ように見える……って?」
「まやかしです。……彼らは、本当の意味で蘇っているわけではありません。会話もできますし、触れれば温度こそありますが──彼らはまやかしなんです。私と同じ陽炎──この国にだけ存在が許されている、過去の形をした空想に過ぎません」
「……じゃあ、何が目的なんだ? 誰がそんなことをしているって?」
「目的はわかりません。誰がやっているかは、大体の目星がついています。あの大木の地──南西にロッカ院という寺院があります。このアーツは、その寺院を起点として発生したものです」

少し、無意識に拳を握る。怒りを向ける相手が現れてくれて、ちょうどよかった。

「そしてここからが重要な点です。隊長がそのアーツに巻き込まれたせいで、記憶を奪われてしまったみたいなんです」
「……それで記憶がないのか。でもどうしてあんな草原に倒れてたんだ? 知ってるんだろ?」
「いえ、それは分かりません。わたしがこうして存在できているのは、この街がアーツの影響下に置かれて、()()()()になっているからです。生者と死者の境界線が曖昧になっているからこうして現れることができ、物事を観測することができています。結構不便なんですけど、なんでもわかってるってわけじゃないんですよ」

本当にさっぱり分からない。頭のいいヤツと話すのはちょっと苦手だったりする。なぜなら何言ってるのか分からないから。

「まあ……隊長、1人で無茶ばっかりやっていたので──色々あったみたいです。エフイーターさんが来てくれてよかったです。話を戻しますね──推測が混じりますが、隊長の記憶は完全には失われていません。今は一時的に封印されているだけっていうか、奪われているだけなんです。このアーツの元を断ち切れば、おそらくは記憶は戻るはずです。お願いです、エフイーターさん。あの人を助けてくれませんか」

薄青色の髪と瞳をしたオペレーターはそう懇願するように言った。偶然にも自意識を獲得できたのはルインだけで、彼女がやらねばならないことだった。

「……なあ、ルイン。助けるって言ったけどさ、それはどういう意味なんだ?」
「それは、……それは」
「助けるってさ、つまりあいつの記憶を取り戻すってことだろ? それは……本当に助けるって言えんのかな。助けるってことはさ、うまく言えないけど……困ってたり、危なかったりする人を掬い上げて、ちゃんと自分の足で歩いていけるようにすることだろ? あたしはさ、あいつが記憶を失ったんなら、それでもいいんじゃないかって思うんだ」

ルインは黙った。それも一つの回答であるためだ。

「どう考えたって、このままあいつが英雄を続けていった先にあいつ自身の未来はないよ。あいつは優しい──きっとこの大地で生きるには優し過ぎたし、強過ぎたし、傷つき過ぎた。ブラストの強さはハンパじゃないよ。でも……ブラストは、お前を守れなかったんだな」

ルインは寂しそうに微笑んだ。

「はい。わたしたちは、隊長を守ることができませんでした。あんな風にわたしたちを失えば、優しいあの人が何を考えて、どこに向かおうとするのか……わからないはず、無かったんですけどね。でも、わたしはあの人に生きて欲しかった。隊長の中に、失ったはずの光を求めていたんです」

懐かしむように。

「わたしの話をしますね。わたしは故郷と家族を天災で失いました。この広大で厳しい大地の中で、帰る場所を失ったんです。でも隊長は、行動隊B2がお前の帰る場所だって言ってくれました。居場所を見失ったら、この場所に帰って来いって。──天災なんかに奪われない、自分たちの居場所なんだって」

嬉しそうに。

「だから、どうしてあの人を見捨てられますか。他人のためにしか戦えない、歪で空っぽで、どこまでも優しいあの人を──どうして、死なせられますか。理由なんてそれだけで十分です、わたしはジフ達とは違います、わたしはあの人に……生き残って、この大地を変えてほしいとは思っていません。わたしはあの人に、生き残って、ただ幸せになって欲しかった。わたしがあの人に与えてもらった温もりを、あの人にも知って欲しかっただけなんです」

他人のために戦うことは簡単ではない。それは単なる優しさから離れて、責任を伴う。他人の人生に責任を持つということだ。

「……今のままの隊長は、確かに全部忘れています。憎しみも悲しみも、全部忘れています。それはある意味では、この上ない救いです。覚えているから苦しいんです。忘れられないから悲しいんです。忘れられるのならあの人はもう……誰も憎まずに済みます。エフイーターさんの気持ちは分かります」

けれど、とルインは言った。

「……わたしたちは失敗しました。わたし達はあの人には相応しくありませんでしたね。わたし達は弱かった。ずっと憧れていました、ブレイズさんのように──肩を並べて戦えないものかと。きっと隊長を救えるとしたら、あの人だけ……」
「ルイン……?」
「エフイーターさん。隊長が記憶を無くしたまま生きていく、そんな未来を完全に否定することは出来ません。ですが、このアーツはこの大地にさらなる悲劇をばら撒くことになります。この大地のどこを死者が蘇ってハッピーエンドになる作品なんて、どこにもないでしょう。悲劇ばかりです──そして、あの人はそれを見過ごせないんです。わたし達はロドスです。隊長の記憶が関係していなくても、この街のアーツを破壊してくれませんか」

段々とルインの姿が薄れていく。偶然から現れたこの奇跡は長続きしない。

「わたしは信じているんです。隊長がいろんな人を助けて、いろんな人に助けられて……最後には、御伽噺みたいなハッピーエンドが来てくれることを──わたしは信じます。あなたに託します。あの人のことを、頼みます」

そう言い残して、ルインはゆらゆらと陽炎のように大気に溶けて、消えていった。

「……でも、本当にそれが正しいのか? あたしには分からない……天秤にかけろってのか。あいつの記憶と、被害者達の悲しみを──このあたしに」

残されたエフイーターはすっきりとはしない表情で呟く。さっきのグエンの息子も──いずれ消えるのなら、意味のない苦しみばかりを残すだけだ。

「なあ、どうしてだ? どうしてロドスに戻ってきてくれなかったんだ? あたしは……そんなに頼りなかったのか?」

仲間だと信じていた。尊敬もしていた。だけどブラストは──。

「……どうして、信念に背を向けた。あの言葉は嘘だったのか? なんであたしを裏切ったんだ、ブラスト……」







記憶──自分であることの証明。

 

知能を持つ生き物は、自分の連続性を持っている。それは昨日の自分と現在の自分が地続きであると表現される。自己連続性は、どちらかといえば自己同一生、つまりはアイデンティティーの概念とほぼ同一ではある。

 

自分が自分であるということ(コジト・エルゴ・スム)。それは自分ではない誰かがいるということ。

 

ステインはその感覚に支配されていた。

 

ステインの生涯は、自他との境界に終始していた。

 

物事には境界線があり、区別されている。そのため、生き物は他の生き物と触れ合ったり、話し合ったり、殺し合ったりすることができる。知能ある生き物にとってそれは喜びであり、苦しみである。

 

ステインは自己連続性に支配されていた。今日の自分が昨日の自分と本当に同じなのかどうか、それに怯え続けていた。

自分が真実何者なのかどうか、ステインは分からなかったのである。自分がどうして自分なのか、自分がどうしてここにいるのか。ステインはそれが理解出来なかった。

 

ステインの真の願いとは、その恐怖から解放されること。

 

誰かと一つになりたいと願いながらも、決してそうならないように呪われた我が身を呪った彼の人生。民族存続のための奴隷として生まれ落ち、全てを呪ったステインの生涯。

 

自分ではない誰かがいる。

 

ステインはその事実が恐ろしくて堪らなかったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

9/3 羅刹と大木

 

 

 

 

 

 

逃げていた。

 

決して逃げ切ることは叶わないと、冷静に考えればわかる事だが──それでも逃げていた。恐れていたのだ。

 

「はっ、はっ──はぁっ、はあッ……、──」

 

どうして居場所が分かったのだろうか。

 

それとも余計なことをしたのがマズかったのだろう。仇討ちなど考えずに、一人で影に隠れてこの国から逃げ出せばよかったのかもしれない。だがステインはこの地以外で生きていくことはできない。ステインはアルゴン以外に生きていける地を知らない。

 

この血脈は、歪んだ呪いによってこの地に縛り付けられている。決してどこかへ行くことは出来ない。

 

額から血を流しながら、ステインは走っていた。いつの間にか、あれほど忌み嫌っていたロカ院へと走っていた。生まれ育った場所。呪い苦しんだ地へ──結局のところ、ステインの居場所はその場所にしかなかった。それが運命なのかもしれない。

 

門をくぐり抜けて、すぐに大木がいつと変わらずそこに在った。なぜだか安堵した。

 

「鬼ごっこは終わりかな?」

 

背筋が凍る。後ろには死神が立っていた。

 

「さて、全く……どうして君は馬鹿だな。リン家の生き残りなんて、別にどうでもいいんだ。放っておくつもりだったよ。犬が主人を殺されれば、怒って当然だろうが……君は事実、奴隷に等しかったはずだ。これでも僕は、助けたつもりだったんだがな」

「はぁっ、はぁっ──お前、俺を始末するつもりか……!?」

「君はリン家子飼いの始末家だったな? いや、君の一族は──というべきか。ただ随分酷い環境だったそうだね。殺人鬼の罵声を浴び、常に貶められ、誰も君のことを認めようとしなかった。だというのに、結局彼らは君という汚れた人間を手放そうとしなかった。必要悪を認めようとしなかったが、結局彼らは君が必要だったんだ。どこにでも掃除をする人間は必要だが、身勝手にも君の一族は奴隷の立場に落とされていた」

 

ステイン(stain)

 

いつの間にかそれが男の名前になっていた。本当の名前がなんだったのかどうでも良くなった時、それが男の名前に変わった。

 

「そして君はその立場に甘んじ続けていたな。一度君の家を調べさせたが、まるっきり貧困層の家だった。リン家の始末家が、まさかあの程度の待遇で使われていたってのは、少々歪んでる。まあそれはいい、一つ質問に答えてもらおう。リン家が崩壊して一ヶ月以上になるが、なぜ今更報復をしようとしたんだ?」

 

男、ステインは背後の大木に触れた。

 

大木とは、永遠の象徴だ。実際のところがどうであれ木の命は長い。人のそれと比べれば、それを永遠と感じても不思議なことではない。

 

だが大木はもはや内側から腐っていた。

 

「……ッ! お前が全てを滅茶苦茶にした! 何もかもを奪っていった! お前こそが真の侵略者だ、この街から消え去れェッ!」

「何、僕がやらなくとも別の誰かがやっていたさ。そうだろ? 根っこが腐った大木は、遅かれ早かれ必ず倒れる。君にとっては信仰なのかもしれないが、僕にとっては単なる事実だ。切り倒さなくてはならない。……しかし、どうしても解せない。やはり、君にとっては余計なお世話だったのか? あのクソじじぃが恨めしく無かったのか? 散々虐げられて来たんだろう?」

 

ステインの家は、それこそ先祖12代に渡ってリン家の懐刀であり、掃除機であり続けて来た。権威を保つための汚れ仕事は全てステインが担って来たのだ。そういう風に育てられ、そういう風に生きてきた。

 

ただ、その仕事は決して評価されることは無かった。本家直属でありながら、分家筋の末端までもがステインを侮り、見下し、恐れてきた。ステインは日陰者だった。素顔を晒すことを禁じられ、他人と話したり、言葉を発する自由でさえ奪われていた。

 

ステインは奴隷だ。

 

誰がどのように見たって、ステインは奴隷だった。

 

「黙れ! お前の言葉は毒だ、薄汚い詐欺師が! お前は盗人で、強欲だ! 全てを騙くらかして奪おうとしている! 必ず報いが訪れる──この名に掛けて、エール……お前を────」

 

何かに取り憑かれたように、ステインは叫んだ。この夜、ステインは初めて何かを叫んだ。

 

「呪ってやる──お前の生涯が苦しみと絶望に満ち、救い難い結末を迎えるように呪ってやるッ! 生涯救いのない運命を辿れ、血と泥に彩られた道を歩け! お前は罪人だ、決して許されることのない大罪人だッ!」

 

その殆ど、ステインは発言に根拠など持っていない。

 

ただ、あまりにもエールに当て嵌まりすぎたために思わずエールは笑ってしまった。それから得心する。

 

「……そうか、分かったぞ。君が本当に恐れていたことが何なのかようやく分かった。つまり、自由になることを恐れていたんだろう?」

 

リンの鎖から解き放たれ、ついにステインは開放されたはずだった。

 

「──ッ!」

「なかなか人間臭いところがあるじゃないか。ふっ……隷属していれば何も考えずに済む。確かに自由というのはなかなか漠然とし過ぎている。要は自分の頭で何かを考えたくなかった。今更になって怖くなったんだ、これからの人生をどう生きていいか分からなくなったから、手軽そうな復讐に手を出したんだ。だがその先のことは考えていなかった」

 

あまりに長い奴隷としての時間は、ステインから自己を奪った。ロボットさながらの人生を続けた結果、ステインは命令がなければ何も出来なくなってしまった。

 

「だから僕が憎いんだろう。そういう意味じゃ、ご主人を奪われて御立腹な忠犬とあまり違いはないな。──だが、僕は軽蔑するぜ」

「お前なんぞに分かったような口を利かれる筋はない。黙れ!」

「君はまさしく奴隷だ。君の体も心も君自身のものではない。なんと無様な姿だろうか? 人の生き方じゃない。君は機械にでも生まれていたほうが良かったな。奴隷であることを受け入れた──君はまさしく、運命の奴隷だ。君はどこにも行くことはできず、君が何かをすることはない。僕は奴隷を軽蔑する。反抗の意思を持たない奴隷は、見ているだけで虫唾が走る。増してやそんな人間に()()()()()をかけられた日には──勢い余って、つい殺してしまいたくなる」

 

エールは薄らと笑みを浮かべた。獣が笑うように。

 

「さあ、最後の足掻きを見せてみろ。人生の清算だ。今から僕は、君の価値を問う。足掻いて見せろよ、さもなくば──君は最後の最後まで奴隷だ。そんなものは死んでいるのと同じだ。僕が殺すまでもない」

「……後悔しろ。お前こそどこにも行くことはない。お前の全ては奪われ、踏み躙られ、塵芥のように消える。俺が──お前を呪うからだ」

 

ステインは装飾的なナイフを取り出した。呪術用の儀式に使うものだ。

 

それを首筋に押し当てて、ステインは狂人さながらに笑う。狂ったように。

 

「……お前の最も大切なものを奪う。この呪術は道連れだ。呪いから逃れることは決して叶わない。お前にとって最も重要なものを自動的に奪う。必ずな」

 

ステインの呪術(アーツ)は相伝式。自分の一部を自ら傷つけることで、相手にも同様の効果を強いる。ただ命までは奪うことは出来ない。だが効果の指定を変更することで、曖昧なものを奪うことも可能だ。

 

ステインにとって、最も大切なものを自ら捨てる。その対価として、相手の最も大切なものを奪う。

 

「忘れるなよ。俺がお前を呪う。お前はこの大地において、永遠に呪われた存在だ」

「……! いいねぇ、やってみろよ。君の価値を見せてみろ」

 

頸動脈を掻き切った。動脈から血が溢れ出て、血液が大地に染み込んで汚していく。

 

ステインは自らの首を掻き切る時、ほんの少しだけ安堵しているようで──。

 

「……何も起こらない? やれやれ、期待して損だったか。戻るか」

 

夜天の元に、全てを呪った男の残骸を残してエールは踵を返した。

 

寺院を出て、アルゴンへと戻る道を歩き──。

 

そして、突発的に襲ってきた頭痛に顔を顰めた。いつもの鉱石病由来の偏頭痛だと思ったが、違った。

 

「──ッ! まさか本当に……恐れ、いったな……ッ! 死して尚、他人を呪うか……。やば、ちょっと──やばいかも……」

 

そして体を支えきれず、エールはそのまま道端に倒れ伏した。

 

──。

 

────。

 

──────。

 

そして、全てを忘れた。

 

 

 

 




前回の投稿からほぼ一ヶ月経ってるってマジ?

・ステイン
リン家に所属していた殺し屋。エールを呪いながら自殺した。

・ルイン
行動隊B2のメンバー。補助オペレーターだった。

・エール
敵を煽りに煽って痛い目を見るまでがワンセット。なかなか学ばないなこいつ……


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羅刹と大木 -了

本日二話目〜

本当はこの話こんなに長くなるつもりはなかったんです。本当です(n回目)


9/5 羅刹と大木

 

 

 

 

『スクラッドの名の下に、我らの繁栄と、幸運ある未来を誓い、ワン・リ・ロゥとグエン・バー・ハンを証人として──アイン・エール、チ・メリィを結ぶ』

 

──出席者の数をぼんやりと数えようとして、100を超えたあたりで数えるのを諦めた。

 

『御霊座す英霊に賜る、日来に祈願致す。此の結を奉り……』

 

あのブツブツ言ってるじいさんは一体何を言っているんだ?

 

さっぱり理解できなかったし、理解しようという気持ちもない。きっと当事者になったとしても分からないだろう。

 

エフイーターは腕組みにサングラスを下ろして、不機嫌そうな表情を保ったまま、最後列のその後ろの壁にもたれかかって前を睨みつけていた。

 

どうでもいい話(あんまりどうでも良くないが)なのだが、ブラストの馬鹿野郎はグエンのじいさんと養子縁組をしたらしい。昨日そういう話をした。婚約に関して、この国では結婚は通常対等な力関係にある家同士で行うものらしく、家族のいない流れ者のエールを貴族と結婚させるにあたってはいろいろあったらしい。

 

特に必要になったのは家の長同士がその結婚を了承し、縁が繋がっていくということ。それがエクソリアにおける風習であったため、グエンがブラストを息子として迎え入れることでいろいろと辻褄を合わせようという話らしい。苦肉の策だ。

 

実に心中穏やかではない。率直に表現してキレそうだ。じっとしていられないが、ルインの話も気がかりだし──。

 

ただ少なくとも、今は黙って式を見続けることしか出来ないわけで。

 

(同僚の結婚式って、もう少し何か感傷とかあると思ってたんだけどな)

 

同僚──共に働き、共に戦う仲間。

 

だが今はどうなんだ?

 

真実を言えよ。薄々気が付いている──ブラストは、自分から繋がりを断ち切ったんだ。ブラストはロドスを捨てた。どのような事情があったって、事実──ブラストはロドスには帰ってこなかった。そうすることも選べたはずなのに、そうしなかった。

 

少し違和感が残っていた。ブラストのことだ。

 

グエンは、ブラストは復讐のためにレオーネを作り上げたと言っていたが、本当にそうなのだろうか。情に厚い──と言うほど、ブラストは他人に感情移入するタイプだったのだろうか。ロドスには優秀で善良な人々がいるが、ブラストはそういう善良さを持ち合わせていたわけでは無かったのだろう。そのぐらいは理解している。

 

(……本当は、何がしたいんだ。本当に復讐のためだけに戦っているのか? あんな体になってまで、仲間の仇打ちのために?)

 

ブラストが、そのことの無意味さを理解していないはずがない。

 

復讐は何も生まない。そんなこと、誰もが知っている。

 

(そういやあいつ、記憶を失ったままなんだよな。……式とかって、結構覚えることあるんじゃないのか? 大丈夫なのかなー……)

 

そんな、若干見当違いなことを考えていた。

 

ごーん、ごーん、ごーん……。体の芯まで震わすような、鐘の音が鳴った。

 

結婚式というよりかは、一つの儀式を見ているようだった。意味ありげな祈祷をしたりだとか──騒がしい国だと思っていたエクソリアのイメージとは異なった、静かで荘厳な儀式。やはり貴族の式だと違うのだろうか?

 

『祖、ヴァン・ク・ロゥの加護が在らんことを──我、ステイナーが一人、嘘偽りなく……』

 

クソ暑い中、分厚い衣装を着込んだお坊さんだか老師だか分からないが、なんかの小道具みたいなのを掲げて呟いていた。奇妙にも、そのぶつぶつ声がエフイーターのところにまで聞こえてくる。

 

『大木よ。今、誓いを果たそう』

 

──太陽が雲に隠れて、一気に視界が暗くなる。眩しさに慣れていたから、緩急で視界がブラックアウトした。すぐに慣れるだろう。

 

『──羅刹よ。契約を果たせ』

 

それまでつづがなく進行していた式が、その一言から始まって崩壊し始めた。

 

何かおかしい。エフイーターは顔をあげて警戒を強めた。今の言葉だけ嫌にはっきりと聞こえる。それに見ろ、あの老師の顔は──なんらかの意思に染め上がっている。あれは普通ではない、何かが起こる。

 

最初の異常は招待客の中から出てくる。

 

正装で席に座り、静寂の中で式に参列していた中から叫び声が上がった。ほぼ同時に二つ、異なる場所から──血飛沫が散っていたので、何が起こったのかを想像するのはそう難いことではなさそうだ。

 

緊張した空気が一瞬で変質し、騒々しく狂乱へと変遷していく。

 

「や、──やめろ、やめてくれ! 兄貴、何をしているんだ!?」

 

太陽に反射した、錆びついた切先が振り下ろされる──光のない瞳にぼやりと影を映して、参列者の一人が今まさに、その弟の喉元を切り裂かんと──。

 

して。

 

「……やぁッ!」

 

トップスピードに乗ったエフイータの踵が、正気を失った男の真横に突き刺さった。異常事態を傍観できる性格ではなく、幸か不幸かエフイーターには戦闘能力があった。

 

──それからすぐに、眼を疑う。

 

乾燥した土を砕くように、蹴り飛ばした男のシャツからボロボロと肉片のようなものが零れ落ちて、べちょりとした湿った音と共に地面に落ちた。

 

「や、やべ……()っちゃった……?」

 

横腹の一帯には、礼服越しにも確認できるほどの大穴が空いていた。エフイーターが蹴り飛ばした場所。蹴りの威力を間違えたか、冷たく嫌な汗が額を伝うがすぐに異常なことに気がつく。人間の体は、いくら拳法の達人がまあまあの威力で蹴ったからといって、肉体が崩れることはない。

 

したがって、事実が示すのは一つ。

 

黄色く濁った白眼、きちんと視界が機能しているかも怪しい。口からはどうにも寒々しい吐息が溢れているような錯覚。

 

──正常な人間というよりは、どちらかというとゾンビ系の映画にでも登場するモブ敵に近い。雑魚敵というものだ。

 

(冗談じゃない。雑魚敵だって?)

 

これは作り物じゃない。映画のフィルムの向こう側じゃない。作られたストーリーじゃない。

 

フィルムのこちら側には、いつだって現実の人々が今日も生活をしている。怯え切った後ろの襲われていた男がぶつぶつ呟いている。

 

「兄貴、まさか……そうだ、そうに違いない……! 俺への罰だ、これは罰なんだな、そうなんだ。そうなんだろ!? これは罰なんだ! はは、ははははは!」

「おい、何か知ってんのか!」

 

暫定ゾンビと呼称するが、このゾンビは一体だけではないらしい。目の前に一体、会場にはざっと見回して──十何体だ?

 

古い寺院の中では、もはや先程までの厳粛な式は崩壊して跡形も無くなっていた。

 

「そうだ、邪魔するなよ! 俺は罰を受けなきゃいけない! 俺たちはみんな罪人なんだ、罰を受けなければならない!」

 

こっちもこっちで正気を失っていた。半狂乱になりながら、どうやらそれ以上面白いことは言いそうになさそうだ。

 

「うっさい、黙ってろ!」

 

イラッとしたので蹴り飛ばした。壁に激突して倒れる。多分しばらくは大人しくなるだろう。

 

「やめて、正気に戻って! 何をしているの!? 私が誰かわからないの!?」

「やめろ、椅子を下ろせ! (まじな)いか!? なぜ今になって──」

 

暫定ゾンビに襲われている連中の言動には引っかかるところは多い。無関係ではないだろう──が、一旦置いておく。

 

相対──確実に、相手を視界に収める。軽く息を吐いて重心を低くして右拳を前に軽く握って構えた。いつもの手甲は装備していないが、さっきの感じなら別に十分だろう。

 

「──ォ、──ァ、ァァ」

 

虚ろな元人間が吐息を漏らす。

 

──死臭が鼻につく。

 

「苦しませるつもりはないよ。一撃で終わらせてやる」

 

成り行きに眼を離していなかった周囲の人々の中で、エフイーターの動きを追えたものがどれだけいただろうか。果たして一人もいなかったかもしれない。

 

一瞬で暫定ゾンビは吹き飛び、並べた椅子に突っ込んでぐちゃぐちゃになった。文字通り、べちゃりと崩れて。

 

「次、どいつだ──そっちだな!」

 

今はこの場を収めてしまうのが先決だ。ゾンビは一体ではないのだから、この調子で十数体程度なら簡単に片してしまえるだろう。

 

次に向き合ったのも、さっきまで座ってた至って普通の人のようだった。さっきと同じ、黄色く濁った目、白い息。意識はあるのだろうか。

 

踏み込んで軽く一撃。大きく押し出されて姿勢を崩すがすぐに持ち直すだろう。だがその決定的な隙を見逃すわけがない。

 

トドメ──の前に、真横から飛び込んできた予想外の人物がエフイーターに飛びかかった。

 

「ダメ! その人を傷つけないで、友人なの!」

 

青い顔をした女性が、勇気を振り絞ってエフイーターの攻撃を阻止したのだ。流石にエフイーターも驚きを隠すことは出来ない。

 

そして大方のことを理解した。

 

「あんた、随分友達の趣味が変わってるぞ。あんなのと一緒にショッピングに行くのか」

 

据えた臭い、よだれの垂れた口元、ふらふらと不安定な挙動で立ち上がり、パニック映画よろしくこっちを睨んでいた。

 

友達にはなれそうにない。

 

「ち、──違う! 何かの間違いよ、こんなのは……何かの呪術よ! 操られているんだわ!」

 

女性の言葉はどちらかと言えば、エフイーターに向けたものではなく、自分自身に言い聞かせるような種類のものだ。原因の矛先を探して、なんとか自分を納得させようとしていた。歪んだ現実を受け止め切れないなら、認識を歪める他ない。

 

「……分かっているんだろ? あれは偶然なんかじゃない……あんたの友達は、一度蘇ったことがある。違うか?」

「……! な、なんで……なんで、それを……!」

「やっぱり……ってことは、あいつらは……元々、人じゃない。そう見えていただけなんだ。そう見ていたかった……。どうして受け入れた? 受け入れちゃいけないことだったんだよ。どれだけ辛くとも──死んだ人間は、甦らないんだ。戻ってきても、それを受け入れちゃいけない。それは歪んでるんだ。だからあんな姿になってまで動かなきゃいけない」

 

ルインの推測通り、あれらは全て生きる屍。永い眠りから叩き起こされて、現世を彷徨う亡霊。

 

「受け入れなきゃいけないだろ……。どれだけ辛くても、受け入れて、前へ進んでいかなきゃいけないだろ。死者と並んで歩くことは出来ない。境界線を無視して歩けば、あんたまであっち側に引きずり込まれて、リビングデッドの仲間入りだぞ」

「わ、分かってる。分かってる! おかしな事だって! でもどうしてそれが悪いことなの!? 私はもう一度だけ会いたいって思っただけ! たったそれだけのことがどうして認められないの!?」

「美味い話には裏があるんだよ。それとも、過去に引き摺り込まれて、一緒に亡霊の仲間入りでもしたかったのか。ちゃんと見送ってやれよ、それが生きてる者の務めだろ……!」

「……っ!」

 

事実を受け入れられなかった女性の頬には涙が伝っていた。

 

分かっていたことだ。分かっていてそっちに流されてしまった。

 

ふらふらと襲いかかってくる暫定ゾンビ──その、なんとも覇気のない顔。不気味な瞳。

 

一撃でぶち抜いた。これ以上、その存在を侮辱されないために。

 

べっちょりとした感触は粘土でも殴りつけたようで、腐った肉体が崩れ落ちる。どうして死んでからもこんな姿にされなきゃいけない。

 

最も悪辣な点──生き返ってきたその人が、親しい人間を襲うこと。最悪だ。誰が仕組んだのか知らないが、本当に最悪だ。その人との思い出を汚し、泥の中に引き摺り込もうとするその精神。

 

襲いかかってくるのを反撃すれば、心に傷を負わせる。かといって黙って殺されればそれで終わりだ。死人を利用している以上、本当に蘇ったわけではない。そんなことがあり得るはずがない。

 

だからこそ、これは悪意に他ならない。他に一切意味のない、純粋な悪意でしか有り得ない。

 

「……ブラストは?」

 

 

ブラストが無関係だと、なぜだか思えない。どうにもこの国じゃ人気者のようだし、何よりもここはブラストの結婚式会場なのだ。何かしらの因果はあるはずだ。

 

主催者席には誰もいない。ということは寺院の中へと逃げ込んだ可能性が高い。他の道は遮蔽物に遮られている、外へ逃げる道は暫定ゾンビで溢れているのだ。

 

(目の前のことを解決していくしかない。今はここの元凶を探さないと──そういえば、ルインのやつが妙なことを言ってたっけな、なんだっけ──虚像? えーっと、よく分からなかったから聞き逃してたけど──)

 

『忘れてはなりませぬ、鏡を割ることです』

 

(……まさか、本当に?)

 

考えるよりも体を動かす方が得意だ。寺の中に何かがある、その直感に従ってエフイーターは走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

羅刹。

 

元は仏教用語。鬼、或いは修羅などと似たような意味かと思われがちだが、実際にはそれらは魔物のことだ。

 

人を惑わし、或いは食うという化け物。怪力であり、足が早く、また非常に大柄。

 

また、人への悪意に満ちているとも言われている。

 

ハンナムは不幸なことに、この化け物に魅入られていたようだ。どうにも巡り合わせが悪いというか、悪い星が頭の上に浮かんでいるというか、運が悪いというか……。

 

「くそ! 一体何なんだ!? エールさんはわけ分からないことになってるし、会場はめちゃくちゃだ! いったいこれからどうなるって言うんだ!?」

 

ここ一ヶ月の苦労は全て水の泡に帰した。こんなことになると誰が予想しただろう。動きの読めないエールをなんとかこの場に引っ張り出してきて、メリィを宥めて、ロゥの機嫌を取りつつ各所とのバランスを取って──何とか、本当になんとかここまで持ってきたのだ。本当はそんな難しい仕事ではなかったはずなのに、これも全部エールってやつの仕業に違いない。

 

走ると床が軋んだ音を撒き散らす。気を抜いていると床を踏み抜いて転びそうだ。だがそこに気をつけている余裕はない。

 

「ァ、ァァァァァァァアアアア────!」

「そしてなぜ俺が追いかけられているんだ!?」

 

ハンナムは代々ロゥ家に仕える使用人の家系である。別にロゥ家子飼いの兵隊などではないのだ。マンガでもあるまいし、戦闘訓練など受けていない。人並みのケンカなら出来るが、ゾンビ相手に戦おうとするほどイカれていなかった。

 

廊下はいくつもの分岐に分かれている。古い寺院の伝統的な木造建築の節々は腐っていた。奥へ逃げる他ない。障子を突き破って出た先には裏庭が広がっていた。炎国から伝わったとされる、風水をテーマにした芸術的な空間。

 

砂利に足を取られて転倒して、そのまま裏庭の岩に衝突した。視界に火花が散った。

 

「ァ、ァァア──!」

 

気がついた時には、二体のゾンビが岩を両手に振り上げていた。思考が白く染まる。落ちてくる岩を見ている──。

 

「邪魔だ!」

 

横からめり込んだ何かがゾンビを攫っていった。目が白黒して、何が起こったのかを確認しようとする。ハンナムは少し間抜けな顔で見上げていた。

 

「どこだブラスト! どこにいる!? ──そこだな、見つけたぞ!」

「は……?」

 

状況に置いて行かれているハンナムは、そのまま置いてけぼりにされたまま──乱入者の視線の先にハンナムも目をやれば、確かに人がいる。さっきは気がつかなかった。

 

「……エフイーター?」

「ブラスト!」

 

エフイーターはそう叫んだ。ブラストと呼ばれた青年の方は首を傾ける。

 

「ブラスト……? 僕のこと?」

「……! 今は、いや……そっちのじいさんは──」

 

青年の隣には静かな表情で目を伏せる老人がいた。寺院の主であり、先ほどまで祝言を挙げていた老師である。

 

嫌な気配を感じた。

 

「"水には水を、土には土を、血潮には墓標を──報復を"」

 

短い装飾的なナイフを自らの手首に突き立て、飛び散った血液を大地にばら撒き。

 

「済まぬな。儂にはどうしても許せんのだ。あやつのことを言えんな」

 

諦観に染まった自嘲とともに、大地が揺れた。

 

「ステイナー。お主が終わらせた、呪われた男のことさえ、お主はもはや覚えておらん。我々は愚かだった。運命という自らへの奴隷にむざむざと成り下り……全てを奪われ、全てを失った。なぜ我々が選ばれた? なぜ運命はお主を選んだのだ?」

 

先ほどエフイーターが吹き飛ばして、人としての原型を失った暫定ゾンビが流動性を獲得してもう一度動き出す。

 

再生する。補強され、継ぎ接いで人になる。土と混ざり、砂利になり、肉が混ざり、肥大化していく。

 

顔面の半分は岩で覆われている。口からは腐った木材がはみ出ている。腐って脆くなった肉体を、粘土細工で補強するように泥が覆っている。

 

腐肉と土と泥と岩をミキサーで混ぜて、無理やりヒトガタを作ったような、悍ましく哀れな化け物が声にならない声で咆哮していた。

 

「じいさん! 何をした! ……まさか、あのゾンビたちもあんたがやったのか……!?」

「左様。儂があやつの呪いを引き継いだ」

「何のために! あんたは自分が何をやったか分かってんのか!? あんたがやったことが──」

 

言葉を遮るように、身長三メートル程度のヒトガタの化け物が異形の腕を振り下ろした。

 

衝撃で大地が揺れる。尋常ではない威力──まともに喰らうのは、絶対に避けなければ。

 

「ここで散ってはくれんか」

 

バックステップとともに意識を戦闘用に切り替えた。

 

ハンナムの方はそれを見ていることしか出来ない。おかしい、どうしてこんなことになっているんだ?

 

「ブラスト、逃げろ!」

「……?」

 

ぼやっとしたままのラストは、ブラストという名前が自身を指すと気が付いていないし、ヒトガタの化け物の脅威にすら気がついているかどうか怪しい。

 

「あーもう、何やってんだ!」

 

駆け出してブラストを担いだ。

 

「え……?」

 

右肩にブラストを抱えて、巨人の攻撃範囲内から離脱。

 

その時に初めて気が付いた。右肩にかかる体重──軽い。失った右腕の分を含めて考えても、明らかに。エフイーターほどの使い手ならばすぐに気がついた。ブラストは──明らかに、以前よりも弱っている。鉱石病によるものだろう。体力を奪っている。

 

「危なくないところに居ろ!」

「え、……分かった」

「よし、あいつをぶっ潰す……!」

 

手甲がない。本領を発揮するにはあの武器が欲しいところだが、悔やんでも仕方がない。

 

「無駄じゃ。人の身に敵うものではない。其奴は大地の化身──怨念の具現化。地面に対して、一体どのように戦うことが出来る?」

「あたしはエフイーターだ────舐めてんじゃねーぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

拳を叩き込む。

 

「──ッ、痛いなあ、もう!」

 

岩を殴りつけたことがあるなら分かるだろうが、普通は拳の方が怪我をする。

 

巨像と戦うのはつまりそういうことだった。

 

「なら本体を叩く──!」

 

この巨像を作り上げているのは奥の老師だ。

 

それを潰せば何とかなるはず、だがそうはさせなかった。

 

巨像が絶妙なタイミングで邪魔をする。地面を叩かれるとうまく踏ん張れない。

 

「……おい、そっちの!」

 

視線は巨像を捉えたまま、エフイーターはハンナムを呼んだ。

 

「え、俺?」

「そうだ! ……頼みがある、あいつをどうにかする方法だ」

「な……お、俺は戦えないぞ!?」

「そんなこと期待してない! 推測だけど、この寺院のどこかにアーツの起点がある。それが今起こってる全ての異常の元凶のはずだ。それをぶっ壊せ!」

「それ……って言っても、それは何なんだ!?」

 

『鏡を割ることです』

 

「……鏡だ! 鏡を探せ! それっぽい鏡を探してぶっ壊せ!」

「………………くそ! やるしかないみたいだな、分かったよ! やれば良いんだろ!?」

 

駆け出したハンナムを見送って、もう一度エフイーターは前を見た。

 

やることは一つ、時間稼ぎだ。

 

「さあ、やってやるよじいさん。うっかり痛い目に遭っても文句言うなよ」

「無駄じゃな。其奴──エールを守りながら、戦えるか?」

「出来るさ、あたしはエフイーターだぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

事態は進行していく。

 

「くそおおおお、来るんじゃねえよおおおおおおお!」

 

実際かなりの恐怖だった。人ではない何かが人の形を取りながら迫ってくるのだ。そしてハンナムは逃げ惑ってばかりいられない。もう何が何だか分からないが、とにかく鏡を探さなくてはならない。

 

障子を蹴破って中に入り、薄暗い室内を見回すが──。

 

(どれがどれだか分からない! つか暗いなここ!)

 

酷い腐肉の臭いを撒き散らして背後から迫ってくる連中の手には鋭い武器。最悪なことに、武器を使えばより簡単に人を殺せることを理解しているらしい。

 

「……次の部屋は、こっちか!」

 

迫ってくる時間と戦いながらハンナムは次へ。恐怖もあるし混乱だらけだ。

 

どの部屋も散らかっている上に薄暗くて叶わない。照明を付ける余裕もないので、ざっと見回していかなければならない。

 

「ァァァァアアアア──」

 

その声から逃げようとして、ハンナムは盛大に足を引っ掛けた。薄暗くて段差に気がつかなかったのである。

 

頭からガラクタの山に突っ込む。額を何か固いものにぶつけてめっちゃ痛いのを堪えて体勢を立て直さなければ。

 

「ぃ、ネ──ェ、アアアア!」

 

ゾンビ映画でうっかり転んだキャラは、大抵こうやって襲われるので足元には注意が必要だ。

 

「うぉおおおおおおおッ!?」

 

壁を背にしているので、ナイフから逃れるには──ハンナムは自らの生存本能に従って咄嗟にナイフを避けた。耳に刃が掠って、白壁に突き刺さった。

 

「ッ、この──どけ!」

 

肩を蹴り飛ばして、無我夢中でナイフを奪って突き立てる。いつの間にか馬乗りになって、頭に思いっきり突き立てると、まるで豆腐に箸を刺すが如く簡単に突き刺さった。普通ならば頭蓋骨が邪魔をして、ナイフなどは決して貫通することはないのだが……。

 

今しがた死闘を制したハンナムにとってはそこまで気が回らず、そしてどうでも良いことだ。

 

「──ッ、はあ、はあ……死ぬかと思った。って、壁が崩れてる……?」

 

ナイフが突き刺さった部分から、軽く壁が崩れている。何となくそれを引き抜いて向こう側を覗き見てみる。

 

その向こうは外に通じてはいない。別の空間が広がっている。そして微かに見えた反射光──鏡が、向こう側にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

「やぁ──ッ!」

 

発勁始動、其は岩をも打ち砕かん──と謳われた、六合拳。その使い手たるエフイーターは一時期、鉄さえも貫かんとまで言われていた。

 

ましてや岩など──と、そう簡単にはいかなかった。

 

「かったいなぁ、あの野郎〜……ブラスト、そこを動くんじゃねーぞ。どうにも周りに妙なゾンビ擬きがウヨウヨしてる。……っていうか、どうしても戦えないのか?」

「ごめん、でも……戦うって言ったって、どうすれば良いのか分からない。それに、ブラストって僕のこと……だよね? 君はやっぱり僕のことを知っているんじゃ──」

「その話は後にしよ。それにあたしの推測が正しくて、さっきのあいつが上手くやってくれれば……」

 

お前の記憶は、元に戻るかもしれない──と。

 

そう言うつもりだった。だが本当にそれで良いのだろうか。

 

「……なあ、記憶を……取り戻したいか?」

「え?」

「お前がそれを望まないなら、あたしは今すぐお前を連れてこの場所を去る。鏡も探さないし、割らせない。あたしはさ、本当にそれが正しいことなのかどうか、未だに分からないんだ──」

 

巨像に動きあり、図体からは想像できないほど機敏な動きで腕を振るい、適当な岩をぶん投げて──まさに殺そうとしてきている。

 

「伏せろ!」

 

頭上を巨岩が通り過ぎて、背後の寺院に激突した。軋む音と揺れる音が合わさってグラついている。裏庭を眺める廊下は半壊していた。

 

「……こんなことばっかりだよ。戦いが嫌いってわけじゃないが、こうも続くとうんざりしてくる──お前だって、記憶を取り戻せばそうなるよ。戦って、殺し合って……一体お前は、どれだけ続けるつもりだったんだ? 少なくともあたしは殺し合いなんてうんざりだよ。でもお前はそうじゃない」

 

老師の方も、全てを巨像に任せっぱなしにするわけではないようだ。単純に土を操るアーツという訳ではなさそうだが──歳を重ねて戦場に出てくる人物には気をつけなければならない。なぜなら、その歳まで生き残ってきたということだから。

 

「──"相剋、虚像来たり。難き刃、砕かれりて、現世に成すは(うつろ)、然して実を結べ"」

 

老師は自らの右手に針を突き立て、貫通させた。

 

代々ステインの名を襲名する、呪われた奴隷の一族。相伝の術式は鏡面──自らの状態を相手に反映させるアーツ。自らの肉を断てば相手の肉を断ち、自らの骨を砕けば相手の骨を砕く。

 

この特性はある一つの思想に基づいている。すなわち、道連れ──使い捨ての暗殺道具。暗殺の証拠を残さないために生まれた、呪いの中から生まれたおぞましい術式(アーツ)。老師の体にはその呪術の痕跡として無数の傷が残されている。その傷の数だけ殺してきたという事実を同時に示していた。

 

老師は先代のステイン。熟練の暗殺者──。

 

エフイーターの右の甲に穴が空いた。

 

「ッ!? 攻撃、どこから!?」

 

巨像が動き出す。

 

ステインの暗殺方は単純で、二つの攻撃の組み合わせだ。この呪術による相手への直接攻撃と、もう一つの別の攻撃。もう一人暗殺者を連れて行ったり、あるいは罠を張ったり──片方に対処しようとすれば、もう片方が襲いかかってくる。単純だが故に強力。

 

巨像とは距離がある。故に巨像が選択したのはまたも投石──、一撃でも掠れば十分。質量と速度を十分に持つというのは、十分過ぎるくらいに強力だ。人の身に当たればミンチには出来るだろう。

 

エフイーターが投石に目をやって、すぐに避けるために走ろうとした。老師が動く──針を掴み、右足へ突き刺した。ちょうどエフイーターの体重が右足に乗った直前を狙って──。

 

転倒まではいかなかった。常人ならその激痛にバランスを崩すだろう。ただ、足はもつれた。それで十分な隙だった。

 

巨石が飛来する。真っ直ぐにエフイーターを目指して、その身を粉々に破壊せんと──。

 

──ブラストと呼ばれた青年が飛び込んで、エフイーターを突き飛ばした。一緒になって地面を転がる。その一瞬後、さっきまでいた場所を巨石が通り過ぎて、地面に突き刺さって抉った。

 

「ブラスト!? お前──」

 

戦えないと思っていた青年が動いてエフイーターを助けた。どうしてか驚いてしまった。

 

「僕は戦えない、けど……君が傷つくのを黙って見過ごせない。なんとなく分かるよ、これは……きっと、そうだな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。戦わなきゃいけないのは僕だ」

「……ダメだ。戦うな、あたしがやる。お前の戦いの果てには何にも残らない──あたしには、お前のやっていることの意味が分からない……! どうしてこんなことをする必要がある!? こんなことをしたって、あいつらは戻ってこない。どうしてだ、どうしてなんだよブラスト」

「えっと、何の話を──」

 

激痛を堪えてエフイーターは立ち上がる。

 

ブラストを庇うように前に出て拳を握る。

 

老師が針を脇腹に突き刺した。エフイーターの体勢が崩れる。これ以上戦うのは危険だ。

 

「……あたしが、やる。あたしが……お前を、救ってやる……。絶対だよ、だから……帰ってきてくれよ、ブラスト────」

 

そんな懇願虚しく青年は前に歩き出した。

 

「やめろ……。もう戦うな、お前が壊れちまう……。復讐なんてやめろよ、まだ……気が晴れないのか……? お前が本当にやりたいことは、そんなことなのか……?」

 

流れ出た血が衣服を汚した。傷口が体を貫通しているというのは尋常ではない。処置をしなければ危険だ。エフイーターはもはや動ける状態ではなかった。それは老師も同様──残るは、巨像。

 

「記憶を失って……分かったことがある。あんまり多くの人と会ってはないけど、分かったんだ。何があったかは分からない。けど──」

 

行くな。

 

()()()側へ行ってはいけない。

 

「僕には、ついてきてくれる仲間がいる」

 

そっち側には何もない。奈落の底へ向かって歩いている。

 

「そっち側に……お前の救いは、何にもないんだよ……。お前自身の願いのために生きろよ……。他人のためになんか、生きるな。仲間なんかのために……戦うなよ……」

「それはダメだよ。だって、僕を信じてくれている。僕は彼らに報わなければ」

 

コツコツと歩いていく。エフイーターは滲む視界でそれを見ていることしか出来ない。

 

巨像との距離が近づく。

 

岩と腐肉で出来た腕が振り上げられる。

 

「ありがとうね、エフイーター。君と過ごした時間、楽しかったよ」

「やめろ──やめろ、ブラスト……。戻ってこい……──」

 

片腕を開いた。青年は真っ直ぐに巨像を見上げ──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こいつを割ればいいんだな! ぶっ壊れろや、クソがぁあああああああああ!」

 

ハンナムは今日までの様々な苦労を込めて、思いっきり鏡に向かって拳を振り下ろした。

 

 

 

 

 

──割れる。

 

呪いが砕ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

巨像が腕を振り下ろして大地が砕けた。青年の姿を完璧に捉えて──潰した。

 

そのはずだった。

 

「薄鈍だな。泥人形……所詮はこんなものか」

 

涼しい顔で巨像の肩に乗っている青年がそう呟いた。

 

「しっかしまあ、やってくれたなステイン。言葉通りとは、どうやら君のことを舐めていたらしい。こんなアーツがこの大地に存在していたなんてね。僕の想像力ってのも、あまり大したものじゃなかったみたいだ」

 

風貌は、さっきまでの青年と同一。しかしどうしてか──身に纏う雰囲気が違いすぎたために、エフイーターは最初別人かと見紛ったほどだ。

 

「が、泥遊びも十分だな。このお祭り騒ぎも結構だが、騒ぎ過ぎるのもよろしくはない。何よりうるさいし……結構グロい見た目してて気持ち悪いし胸糞も悪い」

 

左手の先に高圧の刃を形成。媒体がないために持続性は極めて低いが、腐肉の混ざった岩程度であればそう問題ではないだろう。

 

巨像の首元を一閃──。アーツによる干渉で対象を脆弱化。固体への干渉は得意とするところではないため、結合が崩れるのはごく一瞬だけだ。だがその隙間に合わせることで──岩をも断ち切る。

 

紛れもなく神業だった。

 

頭部がコアだったのか、巨像は崩れ、形を保てなくなり──岩と泥と腐肉に帰る。

 

あまりに一瞬で決着がついた。エフイーターでさえ目を疑っている──。

 

コツコツとエールは歩いて行った。その先には老師が立っている。

 

「ふ……化け物めが」

 

ついに、老師は諦めたような言葉を呟く。

 

「さて、貴方だな。質問は単純なんだが、貴方は誰だ? 何の目的があってこのお祭り騒ぎを起こしたんだ?」

「……あ奴の無念は、誰かが晴らしてやらねば遺恨になろう」

「──無念? 無念ねぇ……。ステイン……ロカ院──そうか、ロカ院はステインの一族の家だったのか。だからこの場所に逃げ込んだ。なるほど、繋がってきたぞ? ロゥがロカ院を選んだのには訳があった。さっきの呪術──応用すれば面白いことが出来そうだ。貴方はロゥを脅して、お祭り会場をこの場所にしたんだな?」

「何もかもお見通し、か? 左様──あやつらが我らの心臓を握っていたのと同様、儂は一つ保険をかけておった。後生使わんであろう罠をな。……こうなることは分かっておった。故に、儂はお主を呪わねばならん」

執念に満ちた瞳がエールを捉える。月日を重ねた暗殺者の瞳が──。

 

「何言ってんだか。襲ってきたのはあっちだし、貴方が諌めてやればこんなことにはならなかった。……まさか貴方も、自由が怖かったとか言い出したりはしないだろうね」

「お主には分からんよ。運命の恐ろしさを知らん。親の気持ちもな。あやつは愚かで哀れだった。救いなどどこにもなかった。どのみち破綻しておった……。我らは、呪われておるが故。この国は呪われているが故……お主のような人間までが現れる」

「その点に関しては同意だね。で、もう一つの方……あの死んだ人間が蘇るアレ。あれはどっちがやったんだ?」

「彼奴よ。彼奴は、この国を呪いたかったのでな。儂も止めはせんだ……。あれは、彼奴の願望だったのかもしれん。彼奴は試したかった、彼奴の愛するものが蘇るかどうかを──だが、母は戻っては来なかった。それは本気で母を愛していなかったことを証明しただけに過ぎんかった……」

 

死者蘇生の呪術はどこまで行っても呪いに過ぎない。実際に蘇ることなどありえない以上、生者の記憶を参照して現れる映し鏡でしかない。

 

材料は泥と腐肉。表面をそれらしいガワで覆って、見せかけの希望を与えるだけの存在でしかなく、またそれ以上の目的はありえなかった。

 

故に、どこまで行っても呪いに過ぎない。

 

「傍迷惑な話だ。自殺なら一人で勝手にやってればいいのに、都合よく僕を利用したつもりだったんだろうが……まあそれはいい。この一件の落とし前を付けよう、老師──決めることは一つだけだ。ここで死ぬか、否か」

「……勝手にせよ。どのみち、お主は興味などなかろう」

「そうだね。まあ……貴方はとっくに死にたがってるようにも見える。苦しませる時間は与えない。それを、僕から送るただ一つの救いとしよう。さようなら──」

 

横一線に首を薙ぎ、首が吹き飛ぶ──はずだった。

 

「やめろ……。殺すな──」

 

エフイーターが腕を掴んで、その執行を止めていた。

 

「……まあ、君にも言いたいことは多少ないでもない、が。それは後だ。今は……とりあえず、邪魔をするな……ってところか」

「じいさん……あたしに分かるように言え。どうしてこんなことをした……」

 

重傷ながら、エフイーターが発する気迫は凄まじいものがあった。言わなければ殴り飛ばしかねない勢いがあった。

 

「子を奪われて何も思わん親はおらん。理由など、それだけで十分──」

 

怒りを堪えようともせずエフイーターは叫んだ。

 

「だったらッ!」

 

どうしてこうもこの大地にはバカばかりなのだろうか。エフイーターの本音だ。

 

「……あんたのするべきだったことは、こんなことじゃなかった……。あんたの子に、墓はあるんだろ」

「我らに墓標などない。我らはその一族であるが故」

「じゃあ作れ。作って──そこを守っていればいい。時々でいい……掃除したり、顔を見せにきたり……供物をしたり、そういうのでいい──。死者のために生きてる人が出来るのは、たったそれだけだ。復讐なんて、本当は自分のためにやりたいだけだ。何が子供のためだ! 本当はあんた自身のために、大勢を巻き込んだだけじゃないかッ! それを復讐なんて言葉で飾るな、正当化なんてするなよ! 卑怯だぞ!」

 

弾劾──老師は言い返さない。何もかもを分かった上で、それでも耐えきれなかった。それだけの話だ。

 

「……あの木だ。あのでっかい木を墓にしろ。腐った大木が朽ちて、この大地に帰るか、あんたが死ぬまで──守り続けろ。それがあんたの罰だ」

 

エフイーターが信じる正義は、本当は何もかもを救うことは出来ない。

 

だからせめて、自分がそうしなければならないということを言い、そうしなければならないことをする。

 

その在り方は──あまりに、眩しく。

 

まるで、目が眩むような心地がする。

 

「この大地に染み込んだ血と苦しみが薄れて、悲しみを忘れられる日が来るまでずっとだ。逃げることは許さない。あんたは一生どこにも行かず、この場所で生きていけ。忘れることも許さない。あの木を見るたびに、あんたの罪を思い出せ。んで……枯れるように死ねばいいさ。息子と一緒に眠ればいい」

 

羅刹──復讐という化け物に取り憑かれた化け物。

 

「その時が来るまで生きてろ。あたしたちは……何があっても、生きていかなきゃいけない。何があってもだ」

 

羅刹はもはや、どこにも行くことはない。

 

悠久を生きる大木がやがて羅刹の罪を忘れ、罰が終わり──。

 

羅刹と大木、共に朽ちて、大地の元へと還るまで。

 

 

 

 

 

 

9/5 羅刹と大木 《了》

 

 

 

 

 

 





「……で、本当の問題はこっちだな。さて、どうしたものか」

ロカ院を出てからの話になる。

昨日の後始末のために色々やらなきゃいけないこともあった。ちょっと久しぶりと感じるアルゴンのレオーネ本部、エールの執務室。

グエンがエフイーターを連れてきていた。

「グエンさん、ちょっと説明してもらってもいいですか。なぜそいつがここに居るのか」
「実は私の家で泊まっていただいておるのです。行く宛もないとのことでしたので──」
「はぁ……。いつこの国に来たんだ。いったいどうなってんだ……」

──おかしい。変だ、その言葉は──。

「おい。まさかとは思うけど……お前、あたしと会った記憶がないのか?」
「……おいおい。冗談は止してくれよ」
「エールさんは昨日と一昨日の二日間の記憶が曖昧になっているようでして……。その記憶の補完のため、エフイーターさんを連れてきたのです」

余計なお世話だった。老人の余計なお世話ほと厄介なものはなかなかない。

「では、私はこれで失礼します」
「ちょっとグエンさん──、ウソだろ……?」

本当に去ってしまった。エフイーターと二人きりである。最悪だった。

「はぁ……まあいいさ。この国に来た理由は置いておく。こっちが重要なんだが、なぜロカ院にいた。なぜ僕を助けた?」
「頼まれたんだよ」
「……頼まれた? 誰に?」
「おせっかいな幽霊にさ。お前を助けろって」

突拍子もないことを言い出した。流石にエールも怪訝な顔をする。

「幽霊? 何の話だ?」
「言っても信じるかなー。信じないよな。まあ言うけど……ルインだよ、ルインが幽霊になって出てきたんだ」

きっとブラストは驚く──というか、どんな反応になるのか気になった。

かなり複雑だろう。幽霊がまだ自分を見守っていたなんて、特にブラストにとっては。

──だが。

帰ってきたのは、想像の遥か上を行く最悪の返事だった。

「……ルイン? 誰だ?」

エフイーターが凍った。それから、信じられないという風に口を開く。

「お前、本気で言ってんのか……!? お前の部下だ、行動隊B2のメンバーの一人だろうが!」
「は……?」

今度はエールが固まる。

「行動隊B2! お前のチームだ!」
「あ、ああ……。知っている。僕が忘れるわけがない──」

エールの顔が恐怖に染まっていく。滅多に見せない表情だ。

「……嘘、だ。僕が……忘れるわけが、ない……。冗談なら、やめてくれ……」

──白く、しろく。

漂白していく。白く──。

「お前、自分の仲間の名前を言ってみろ!」

焦りからエフイーターが叫ぶ。逆効果だった。

「覚えているはずだ、忘れるわけがない、僕が……僕が、あいつらのことを忘れるはず、ない……。嘘だ、そんなはず……」

──思い出せなかった。

もやが掛かっていて顔が見えない。だがいる、居るはずだ。確かに記憶には──彼女がいる。彼女たちがいる。

彼女は軽く手を振って、表情はもう霧がかっていて見てないが、微笑んでいる──。

──漂白していく。記憶を失っていく。これはステインの残した呪い。決して解けない恨みと憎しみ。

「──ああ、誰だ。思い出せない、君は誰だ。僕の記憶に居る──君は、青色の綺麗な髪をしていた。花が好きだった……。君は手間がかかったな、才能が芽吹くまで随分かかったけど……、君は、とても優しい人間だった……。戦いに向いてないと、僕は分かっていたはずだ。君は誰かを傷つけるのには、向いていなかった。知っていたさ、知っていても……君たちに希望を託してみようと、思った……」

ぶつぶつと呟いていた。確かめるように呟いていた。

「君、は──君の、名前は────……」

エールはもはやエフイーターのことが見えてない。記憶の渦に飲み込まれて憔悴すらしている。

「君の名前は、何だった? 僕は、本当に……、忘れて、しまったのか……?」

初めて見せる、ブラストの絶望した顔を見て──エフイーターは、終わりが始まっていることを実感として悟った。

「……ああ、何て──やめろ、忘れるな……──戻ってきてくれ、やめろ──」

それからブラストがか細い声で、囁くように呟いた一言を、きっとエフイーターは一生忘れることが出来ないだろう。

「忘れるな、忘れるな──。思い出せよ、頼む──」

それだけが、エールを支えている。

「僕を、一人にするな────」

陽炎の輪郭はもはや見えなくなっていた。

顔の見えない仲間たちが微笑んで、陽炎の向こうから手を振って、消えて──やがて、見えなくなって行った。




3−1 想起収束_Begin again. 《了》















この話だけで多分八万文字くらい行ってるという事実を前に私は普通に戦慄しました。一体いつになったらブレイズが登場するんだ……。

・エール
ステインの呪いにより仲間の名前を永遠に奪われた。基本的に自業自得定期

・エフイーター
紛れもないメインヒロイン
ヒロインというよりはヒーロー。

・ハンナム
色々大変だった。今回のMVP

・グエン
息子が蘇ったりゾンビになったりしていて色々大変だったが聖人なので大丈夫だった。

・老師
本名不詳。
この話はこの老人の復讐の話でした。多分……

・メリィ
何にも書かれてませんが、裏ではきっと逃げ回っていたはず

・ロゥ
ド戦犯。
さっぱり登場しなかった。

・話のタイトル
最初はなんか語感がいいので適当に決めたんですが、上手い具合にハマってくれてよかった。よかった(安堵)

こんだけ待たせておいてアレですが、また次回の投稿までには時間が空くでしょう(予言)
気長に……
ついでに感想とか評価とかください!


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間章 酔っ払いたちの賛美歌
アンブリエル:9/1 ウラヌスのライフル


畳みかけるようにイベント連射してくるYostarくん好き❤️ 死ね❤️

※間話です。



最後のペイント弾が破裂して、兵士は倒れた。

 

戦闘終了。模擬戦の結果は──。

 

「アンブリエル教官! どうでしたか!?」

「……おっけ、悪くないじゃん。真面目に訓練続けてたっしょ、偉い偉い」

 

駆け寄ってきた一人の兵士、手にはボウガン。試験的な混成編成は効果を発揮していた。

 

軍事の専門家ではないが、元特殊暗殺者であったアンブリエルの目からしてみれば、もちろん兵士たちの練度はまだまだと言わざるを得ないが、今の模擬戦は一定の形を成していた。

 

「……!」

「でもあんま浮かれんなし。──総員注目」

 

集まってきた連中にビシッと号令をかけてやると、衣服が翻る音とともに一糸乱れぬ休めの姿を取った。アンブリエルも慣れたものだ。

 

「悪くなかったわよー。ただ反省点はいくつかあるし──まあ、わざわざあたしが指摘せずとも、ちゃんと理解はしてるっしょ。つーわけでこれからも慢心せずに行くこと。今日は午後休だけど、各自武器のメンテナンスは怠んなよー。以上」

 

敬礼と共に解散した。アンブリエルも、いつの間にか軍隊の作法が様になっている。アンブリエル自身も軍人としての自意識に従うようになっていた。

 

敬礼の引き締まった雰囲気が崩れると、皆それぞれわいわいとしながら宿舎へと帰っていく。それを見送って──。

 

「お、いたいた。アンブリエルー」

「ん、チャーミー。おひさ〜」

 

友人であり、同じくレオーネの事務局に勤めるチャーミーが小走りで走ってきていた。

 

「久しぶり。帰ってきてたなら一声くらい寄越しなさいよ」

「後で顔出そうと思ってたとこよー。あ、昼だしご飯食べね?」

「いいけど近場でね。仕事ほっぽって来たんだから、早く戻らないと」

「いっそがしいね〜」

 

アンブリエルは他人事のように笑っている。チャーミーはそんな様子に一発ぱしっと背中を叩いた。気安い仲でしか見られない仕草で、アンブリエルの笑顔にはその嬉しさも混ざっていた。

 

「何食べる?」

「そりゃあ決まってるじゃん。肉っしょ!」

「……あんたねー」

 

割と肉食な友人に呆れつつ、結局肉になった。チャーミーはこう言うところで甘い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エールさん?」

「そ。……あのさ、あたししばらくバオリアにいたから、半分くらい今でも疑ってんのよね。あいつ──婚約してるって、マジ?」

「うん。マジだけど」

 

肉を食いちぎった。最後の希望、何かの間違いであることへの期待があっさり過ぎるほど簡単に潰れる。

 

「……なんで?」

「政略結婚ってヤツよ。噂じゃ向こうから持ちかけられたんだって。すっごいよねー、貴族と結婚って。私らには想像もつかない世界ね。改めてあの人のヤバさ感じたわ」

「……いつ?」

「いつだっけな、明後日……いや、明明後日には式が挙げられるみたいよ。特にその辺りのことは指示が降りてないから、特にイベントとかはやらないみたい。残念よねぇ、一言くらいお祝いの言葉を言いたいけど」

 

チャーミーがごちゃごちゃ言っている前で、アンブリエルはがっくりと肩を落とした。

 

「はあぁぁ…………」

「何、どうしたってのよ。目の前でそんな陰鬱な溜息なんてつかないでよ、幸運が逃げてくじゃない」

「もう逃げられた後よー……。何にも残っちゃいないっての」

「はあ? あんた何言って……いや、待って。まさかあんた、エールさんの結婚がショックなの?」

 

一瞬で表情を切り替えたチャーミーがニヤリと笑った。アンブリエルは顔を上げる元気もない。

 

「あんたの気になってる男ってもしかして、いやもしかしたらもしかするかもとは思ってたけどさ、まさか──」

「……何よ。悪い?」

「な〜に〜よ〜! もっと早く言いなさいよ、そうしたら私だって色々動いてあげたのにさ──」

 

何が色々、だ。言っちゃ何だが、チャーミーとエールの間に接点などそう無いだろう。余計なお世話になることがわかりきってたから隠してきたのに。

 

そもそもこの憎たらしい女の主食は他人の恋愛話(ゴシップ)なのだ。いいように踊り食いされるに決まってる。誰が話すか、と心に決めていたのだ。

 

決めていたのだが。

 

「ふーん、ふぅーん? そっか、そっかー、そうだったんだ〜、ふーん……」

 

ほれ見ろ、このニヤニヤ顔──苛立つ気力も湧かない。

 

「ってかそっか、もしかして失恋ってこと?」

「……そーよ。はぁ、もうマジ無理。ぴえん」

 

ぴえんじゃないが。

 

「てかあんた、もともとエールさんと接点とかあった訳?」

「あったも何も──まあ、あんたには何にも話して無かったから知らなくて当たり前なんだけどさー。まあ色々あったの。もともとあたし、あいつのこと暗殺しようとしてたんだから」

「……!?」

 

まあ色々──色々有りすぎた。思い返せばこの国に来たことが全ての間違いだったのかもしれないが、所詮ラテラーノの飼い犬だった自分に選択肢も意志もなかった。

 

数奇なものだ。本当に人生は何が起きるか分からない。割とポジティブにこの言葉を捉えるようになっていたアンブリエルだが、今ではネガティブな方向で、やっぱりこう考えるようになった。

 

人生は何が起きるかわからない、と。

 

エールがどこの馬の骨かもわからない様な娘と結婚するなどと、誰が想像出来たのだろうか。それとも自分が甘かったのかもしれない。いつかは、という思いに引きずられてずるずると現状に甘んじていたのだ。これはその代償だ。

 

「色々あったのよ、あいつとは──」

 

噛みちぎった肉は、後悔の味がした──などと、少々気取り過ぎた。冗談じゃない。

 

「で、色々あって好きになっちゃったの?」

「……あんたのそういう野次馬根性っていうか、遠慮のないとこ──なんてゆーの? ほんといい性格してるわよねー……」

「あら、ありがと」

「皮肉に決まってんでしょ。褒めてねえっての……」

「私に取っては褒め言葉だし。……まあ色々あったのは本当みたいだし、その辺を根掘り葉掘りは聞かないけど……これからどうするの?」

「どうするって、何よ」

「言葉通りに決まってるじゃない。諦めるのか、諦めないのか、って話よ」

 

思わず眉を顰めた。

 

チャーミーはさっぱり遠慮せずにズケズケ言う。

 

「何よその顔。あんた、もしかしてこれで全部終わったなんて思ってんの?」

「終わった……っていうか」

「だって政略結婚よ? それって別に、恋愛感情とイコールじゃないじゃん。だったら愛人の一人や二人ぐらい囲うスペースくらいはあるでしょ」

「はぁ……あいつに恋愛感情があるかどうか、怪しいところなのよねー……」

「え。もしかして女に興味無いカンジ?」

 

言外に男色(そっち)なのかと問うゴシップ好きの友人。

 

「や……なんつーの? ロボットみたいな感じ」

「え、無機物に愛が向いてるの? それは流石に予想外」

「ちげーっての! どんなフェチよ! あいつの話よ!」

「何、あの人がロボットみたいってこと? そうかなぁ、まあ……多少は、分かんなくはないけど」

 

エールのことである。

 

アンブリエルはあの、ともすれば気味の悪いほど人間味の薄い男を思い出す。

 

「喜怒哀楽がないのよね。そのくせいっつも余裕綽々って顔して──あ、でもいっつもそうって訳じゃないんだけどさー。命がかかってる時とか、重ための決断をする時だけよ、あいつの仮面が剥がれんのは」

 

いまだにあの日を思い出す。あの手を、あの言葉を。

 

アンブリエルは、あの光を忘れない。

 

「……え。あんた……ガチで好きな人じゃん」

「うっさい、茶化すな!」

「や、茶化してないって。なんかちょっと意外っていうか、納得っていうか……。言っちゃなんだけどさ、あんたって本気で誰かを好きになったことなさそうだったから」

「……まー、そうね」

 

この友人は一見して適当そうなゴシップ噂恋愛話なんでも好きの口の軽い女だが、時たま鋭さに驚く。

 

「あたしも、本気で誰かのことを好きになるなんて思っちゃいなかった。事故みたいなモンよね」

「あら、ちょっといい表現するじゃん。事故ね」

「ん。事故よー、事故。予想できるもんじゃなかったっつーの?」

「ふーん……。いいなー、私も彼氏欲しいなー」

「あんたねぇー……」

 

──それでも、多少は心が楽になった。

 

もしかしたら、このちょっと行き場のない気持ちを誰かに吐き出したかったのかもしれない。

 

「いいじゃん。奪っちゃいなよYou」

「あんたねぇー……!」

「やっちゃえって。てか告白ぐらいはしとこうよ、やらない後悔よりやった後悔!」

「他人事だからって好き勝手言い過ぎっしょ! こ、告白ってそんな……」

「え、何もじもじしてんの。今更んなって純情(ウブ)キャラは無理でしょ。恥ずかしがんなって」

「いや恥ずかしがるとかじゃないし! 無理っしょ、軍紀とかあるし!」

「まっさか〜。我らの英雄に告白してはならない、なんてだぁーれが言ってんのよ。つか、今逃すともうチャンスないよ?」

「はあ? どーゆー意味よ」

 

ニヤニヤしているのが非常にムカついた。

 

「エールさん、まだ婚約してるってだけで結婚までは数日あるじゃん。つまりまだセーフ、言い訳になる。ワンチャンオッケーされて愛人ルートいけるよ。ツーチャンで婚約破棄、んで本命ルートいける」

「いーけーるーかー! ワンチャンもツーチャンもあるかー!」

 

が、少々心を動かされたのも事実は事実。

 

「いいじゃん、これから会いに行っちゃいなよ。あの人今珍しく本部にいるってさっき聞いたし、なかなか会おうと思って会える人じゃないって噂じゃん」

「の割には、神出鬼没だけどねー」

「いいのよんなことは。私が言いたいのは、この機会を逃す手はないってこと!」

「……や、むり、ムリムリムリ! 今からコクりに行くって、無理に決まってんじゃん! 何考えてんの、馬鹿なのあんた!?」

「ビビってんじゃないわよ、んな弱腰だからこんなことになってんじゃん。シャキッと腹決めて行ってきなさいよ、女は度胸でしょうが」

「無理、それだけはマジで無理なんだって! こ、コクるつったって、なんて言ったらいいのよそんなん!」

「だから、普通に好きです、結婚してくださいって言ってくりゃあいいじゃんそんなの」

「あ、あ、あんたねぇ……!」

 

想像しただけで震え上がる。怒りと恥ずかしさでこのまま爆発して死にそうだ。というか結婚してくださいって何だ、それはむしろ向こうが言うべきセリフで──

 

「ガツガツ行きなさいよ、あんた可愛いんだから」

「……あんたに言われても嬉しかねーっての」

「照れんなって、可愛い女の子が嫌いな男なんていないでしょ。それとも後悔を残したまま終わんの?」

「それは……」

「でしょ? マジな話、引きずるよ。このままだとあんた──あの時行動してりゃ良かったって思うようになる。ただでさえ私ら、一年後に生きてられるか怪しいんだから」

 

そういう意味で言えば、私も他人事じゃないんだけど。

 

チャーミーはそう呟いて、微かに憂う表情を浮かべた。

 

そう、この国は紛争が続いている。後方での事務仕事が担当のチャーミーでさえ、一ヶ月後、いや……一週間後の生存は保証されていない。バオリアが防波堤になっているため、このアルゴンにまで北部軍はすぐには攻めいって来ることはないだろうが──。

 

「あんたも、あの人も、んで私も。私たちは真っ当な軍人なんだよ。ぽっくり死んじゃうかもしれない、むしろその可能性の方がずっと高い。なら、死に間際の後悔は少ない方がいい、そうでしょ?」

「……急にマジメな話すんなし」

 

もう一度、切り替えるための溜息を吐き出してアンブリエルも呟く。

 

「あたしだって分かってるっての。んなこと……」

「じゃあさっさとしなきゃ。あんたもエールさんも忙しいんでしょ?」

「ん、まーね……また明日になったらバオリアに戻んなきゃいけないし」

「え、それマジ? 何よもう、一ヶ月ぶりの感動の再会だってのにもう行っちゃうの? 慌ただしいなー……」

「しゃーねーことだけどね。……うん、分かった。あたし、これからあいつんところ行ってくるわ」

「……うん。ご飯はあたしの奢りにしたげる。頑張んなよ、アンブリエル」

 

ちょっと照れ臭くなったので、アンブリエルは逃げるように席を立った。それから立ち止まって振り返る。

 

「あんがとね、チャーミー」

「ん」

 

やれやれしょーがねーなって顔で、しかし温かい瞳でチャーミーは頷いた。

 

ちょっとだけウォーミングアップを始めた心臓の辺りが、いやに熱かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「エール、居る?」

 

高鳴る心臓のせいで体の感覚まで狂ってきそうだった。

 

声が上擦っていないか心配だった。いつも通りを意識して、無遠慮に扉を開ける。

 

「ちっ、わーった、わーったよ! やりゃあ良いんだろ! くそ、人遣い荒ぇな──お? なんだ、天使サマじゃねえの」

 

ツノ付き、所々汚れた作業服──サルカズのエンジニア、フェイズが振り返ってこっちを見ている。

 

「……あんたじゃねーっての」

「んだよ、どいつもこいつものっけから酷えなぁ。ちっ……エール! 話は分かったが、しくじっても文句言うんじゃねえぞ!」

 

何やら話をしていたらしいフェイズが奥に向かってそう叫んだ。

 

「期待してるよ」

「……クソが!」

 

酷い調子だ。奥のエールがいつもの微笑を浮かべている。

 

「あーあー、やってられねえぜ。ったくよぉ〜……」

 

ぶつくさ言いながら、フェイズはそのまま扉をくぐって去っていった。

 

ということで、室内には二人が残される──アンブリエルと、エールの二人きりだ。どうしてだろう、今までもそういうことは山ほどあったはずなのに。

 

どうして、心臓はこんなにも静かにしてくれないんだろう。

 

「なんだか久しぶりだね。僕に用?」

 

カラカラに乾いた口は震えて、うまく動いてくれないが、何かを言ってはくれた。

 

「が、頑張って仕事してきた部下に対して、な……なんか労いの言葉はないわけ?」

「うん? ああ……そうだね。ご苦労だった、アンブリエル」

「ん、ん……ま、まあね」

「報告ならレポートに纏めてくれれば構わないよ。確か今日は午後から休みを出しておいたはずだから、休んでくれればいいのに」

 

検討違いな言葉を言うエール。この緊張は気づかれていないのだろうか。

 

「その様子だと、何か不味いことでも起きた?」

「や、ち、違う。特に何か、起きたってわけじゃない……けど」

「歯切れが悪いね。まあ言ってみなよ」

 

こ、この男……! 言ってみなよ、なんてよくもそんな軽々しく言えんな、と。

 

言いたかった。言えなかった。

 

「あ、あのさ。えっと、その、じ──状況は! どうなってる!?」

 

もう訳が分からなかった。一体何を言っているのだろう。あたしは一体どの立場でこんなことを叫んでいるのだ。戦場で駆けつけた援軍とかのセリフだろう。

 

「……?」

 

ほら見ろ、ほら見ろ! 困惑してるじゃん!

 

「あの、その、えっと、えっと! じ──状況は!」

 

だから、何を言っているんだって言ってんじゃん!

 

「状況?」

「そう、状況!」

 

もはやアンブリエルは引くに引けなかった。

 

明後日の方向に全力疾走していたとしても、足を止めれば緊張で倒れてしまいそうだったのだ。

 

「えーっと……」

「状況は!?」

「うん、状況ね。うん……え、何の暗号? 何か符合とか作ったっけ」

「状況は!」

「落ち着きなよ、取り敢えずそこに座るといい。何か飲む?」

「い、要らない、けど……」

 

そんなエールの助け舟に従って、アンブリエルは一旦ソファに腰を下ろした。おかげで少し精神も落ち着いた……気がする。

 

告白する。これから──目の前の男に、好きだと伝える。

 

それがどれだけ困難なことか。まるで外したらこちらが殺される極限の殺し合いをしているような緊張だった。手先までビリビリする。

 

エールもデスクの椅子から立ち上がって、アンブリエルの対面のソファに腰掛けた。

 

近い近い近い近い、ちょっと近い。近いという言葉がゲシュタルト崩壊しそうだ。

 

──別に近くはなかった。客人が来た時の、ごく一般的な距離感だった。だがアンブリエルにとっては、エールの顔が近づくだけでもはや恐怖でしかない。

 

「……なかなかヤバそうだね。しかし状況、状況ね」

 

俯いて赤くなる顔を誤魔化していると、エールが勝手に話し出した。助かったと思った。何がだ。

 

「まあ芳しくはないが、絶望ってほどでもない。偶然も味方している場面も多い、そろそろ大詰めかもしれない」

 

何か話しているらしいが、全て耳から耳へ通り抜けている。アンブリエルはどうやって告白しようか──と、それだけで頭が一杯だった。話を理解する余裕など一ミリもない。

 

「ロゥからの申し出は意外の一言に尽きる。まさかそれほど評価されていたとは──おかげで、これ以上内輪でぐずぐず喧嘩するのは防げるだろう。味方のはずの南部の連中が飽きもせず足を引っ張りに引っ張ってきたが、優秀な部下たちのお陰でなんとかなった。展望は悪くないよ」

 

どうしよう、どうしよう。どうやって切り出そう。どんな言葉で伝えよう。

 

「目下はホークンだな。君も知っての通り、あの場所は必ず墜とす。ホークンを押さえない限り、源石鉱脈は取れない。当然それは向こうも承知だ、厳しい戦いになることは間違いない。今はなんとかして、戦わないで済む方法を探らせてはいるが、それも難しいだろう。恐らく、これまでで最も厳しい戦いになる」

 

直球で好きって言う? でもどうやって、好きですなんてキャラじゃない。きっと口が動かない。てか好きって何、好きだから何なの? そもそも好きって何のためにあるの?

 

いよいよ迷走しているアンブリエルを放って、エールは半分ほど独り言のように語り続けている。物事を口に出すことで整理する、エールの一種の癖だ。

 

「そしてその次──シャンバを取る必要が出てくるか、あるいはその前に講和に持ち込めるか。それがカギだ。シャンバまで取らなければならないとなると、その前に限界が来る可能性が高い。それは僕にとっても同じことだ」

 

──その中に、聞き逃せない単語が混じっていて、アンブリエルの迷走した思考が全て吹き飛んだ。

 

「……げん、かい?」

「ああ。国力が持たない」

「ち、違う。そっちじゃなくて、」

 

アンブリエルはエールのことを真っ直ぐ見ることが出来ない。自分が俯いている自覚もないまま。震える声で問う。

 

「あんたが、限界って……どういうこと」

「……? ああ、まあ……死ぬだろうね」

 

あっさりと言い放たれた言葉が、まるで心臓を貫通したようだった。

 

当たり前のことが当たり前に続いていくなどと、どうして勘違いしていたのだろうか。

 

ああ、どうして──。

 

「な、んで?」

鉱石病(オリパシー)。やはり、こいつがずっと僕の足を引っ張っている」

「うそ……、あんた、今もピンピンしてる──」

 

嘘のような言葉だった。信じたくなかったのかもしれない。そう言って、アンブリエルは顔を挙げると──右目の下に走った黒い結晶を見てしまった。その場所には、以前には何もなかった。頬から迫り上がって来ているような結晶は、まるで同じ人間という生き物に起きていることとは思えず。

 

気がついていなかった、本当だ。一ヶ月も会わないうちに──。

 

アンブリエルはさっきまでの緊張のせいで気がついていなかっただけだ。そんな風に浮かれて、自分のことしか考えていなかった。だから──。

 

──だから、怖くなった。

 

「……なんで、言ってくれなかったの?」

「さあ、それが必要なことだとは思わない。これをわざわざ周囲に知らせて士気が上がるならそうするけどね」

 

話が食い違っている。

 

──思い違いをしていた。

 

エールには、もう後ろなど見えていない。エールが見ているのは未来だけだ。

 

何を舞い上がっていたのだろうか。何を楽しんでいたのだろうか。今のままが永遠に続けばいいなどと弱音を吐いていたのだろうか。

 

告白だと? ふざけるな。自分が決めたのは、そんなことだったのだろうか。あのとき抱いた決意はそんな浮ついたことじゃない。

 

一気に頭が冷え切っていった。同時に自分への怒りも。

 

そんな心境でエールと向き合うと、一つだけ気がつくことがあった。

 

「……ねえエール、あんたさ。髪、伸びたね」

「うん?」

 

今更気がついたように、左手で髪に触れた。言われて見れば確かに……。

 

前髪はそろそろ目に掛かっている。後ろの方は、肩の少し下にまで垂れてきていた。ごっそり纏めて、頭の後ろで括ってある。

 

「そうだね、確かに──」

「髪。あたしが切ったげる」

「ん、いいの?」

 

微笑と共に、エールは聞き返した。

 

「いいよ。ちょっと待ってて、道具とかすぐ持ってくるから」

 

すぐに準備を終えて──。

 

ハサミを入れた。

 

「バッサリ行っちゃう?」

「ん……任せるよ。適当でいい」

「はいはい任せてちょ。かっこよく仕上げたげるから」

 

切る。ぱさっと髪が落ちる。

 

「あんたも忙しいわねー。ちょっとは休んでんの?」

「問題ないさ。幸い、僕にはこうやってお節介を焼いてくれる仲間がいる」

 

切る。丁寧に、丁寧に。

 

「なーにがお節介よ。あんたが身だしなみに気を遣わないからこーやって世話焼いてんでしょうが。感謝しろっての、全く」

 

切る。その業績に相応しい姿になるように。

 

「そうだね。君にも感謝をしなければな。助かっているよ、アンブリエル。ありがとう」

「……何よ、こんな時だけ調子いいわねー」

 

切る。壊れてしまわないように。

 

「本心だよ。……みんなには、苦労をかけている。いつも苦労させて済まないと思っているよ」

 

切る。この想いと一緒に。

 

「ってんならちゃんと態度で示せっての。ほんと、あんたに出会ったのがあたしの運の尽きってカンジ。あーあ、ラテラーノが恋しいわー」

「ひどい言い草だね。そんな君には悪いが、最後までついて来て貰う」

 

切る。

 

どうして、そんな言葉は言えるくせに。

 

「はいはい、あたしはどーせあんたの道具よ。好きなように使えばいいわ」

「それは違う。僕は、君を仲間だと思っているよ」

 

切る。

 

ああ、どうして──そんなことを言うのだろうか。

 

「安心して働いてくれ。未来を掴むと約束するよ、君にも──君の幸せを掴む権利がある」

 

切る。

 

どうにかして、冗談めかしく返せるように。

 

「あんたなんかに言われなくたって、勝手に幸せになってやるっての。余計なお世話ばっか焼いてないでさー、自分の心配した方がいいんじゃね?」

 

切る。

 

「ふふ、なかなか言うようになった。少しだけ安心したよ」

 

切る──お願いだからもうやめて。

 

「まーね。ま、せいぜい頑張んなさいよねー。あたしも、あんたに助けられた分きちっと働くからさ」

「……ああ。そんなこともあったね」

 

切る。

 

ああ、今──あんたはどんな気持ちで、その言葉を言ったんだろうか。

 

「そんなこと、ってあんたねー。大変だったじゃん、死にかけたんだし。あんたもよくあれで死なんかったわよねー、マジで冗談だと思ったもん」

「あれぐらいで死ぬ訳には行かないさ、まだ道の途中なんだ」

 

切る。

 

きっと──あんたにとってはその程度でも、あたしにとっては全てだ。

 

「そうねー。ねえエール」

「ん、何?」

「これからも──」

 

一緒に並んで歩いていく未来など、きっと最初からどこにもなかった。

 

あんたがどう思ってるかは知らないけど、あたしはただの道具だ。あんたに使われることを望んだ道具だ。それでよかった。それで幸せだった。

 

引き金を引けと命じてくれればそうする。死ねと言われればそうする。何でもいいから、近くに居て、一緒の未来を見たかった。

 

残していくのなら──主人を亡くした道具は、一体どうすればいいのだろうか。

 

「……ううん、やっぱ何でもない。ほら、終わったよ。これ鏡ね」

「……おお。すっきりしたね、涼しくなった」

 

髪形自体は依然とそう変わってはいないが、前髪を少し切ったり、髪が纏めやすいように手入れしたりして──まあ、有り体に言えばかっこよくなっていた。アンブリエルの主観であるが。

 

「ありがとう。……っと、しまった。こんな時間か──もう行かなきゃいけない」

「いいよ、片付けはあたしがやっとくから。行ってら〜」

「悪いね。それじゃ」

 

そう言い残すと、エールはすぐに行ってしまった。

 

「……ごめん、チャーミー」

 

一人残されたアンブリエルは呟く。

 

「……あたしには、無理だったわ……っ! っ、……ひぐっ、ごめん……っ、ごめんね……っ」

 

どうしてか流れてくる涙の理由も分からないまま。

 

こんな生き方しか選ぶことのできない、自分を呪って泣いた。

 

「ごめん……っ、あたしじゃ……あんたを救えない……っ、ごめん、ごめん、ごめんなさい……っ、助けられてばっかで、救ってもらってばっかで──っ、あたしは──ッ」

 

好きなどという感情で、エールは救えないだろうから。きっと困ったように笑うだけだから。それ以外に何も出来ないから。何も救えないから、何も出来ないから。

 

「……精一杯、役に立つから……っ! あんたの役に立つ道具になるから……っ、だから──」

 

だから、どうか。

 

どうか──。

 

神様。

 

何一つとして、あの人に恩を返せない役立たずのわたしを、どうか許してください。

 





別名:R6Sコラボおめでとうの回
日本版はコラボ来ないかなって恐る恐るしてましたが、無事開催が決まって良かった(財布が死ぬので良くないけど嬉しい)
間話一発目からこれってマジ? ヒロイン度に対して話が重すぎだろ……
ノリノリで書いてたら後半の重たさがヤバくなってしまった。なんでだろう?

・アンブリエル
一ヶ月近くバオリアにいたために婚約話を見逃してしまった。この話はエフイーターが来る数日前の話なんですが、その時にはもうアルゴンからバオリアに戻って仕事しているため全く登場しませんでした。
かわいい。なんか失恋したみたいになってしまった……。
信じられないかもしれませんが、私はクッソ軽いラブコメを書くつもりでこの作品を書き始めました。

・チャーミー
本名はチャン・リ・ミン。
癒し枠。

・エール
鈍感系やれやれ主人公。そろそろ難聴系にもなるかもしれない。
もしかしたらずっと鉱石病由来の頭痛に耐えていたかもしれないし、そうじゃないかもしれない(村上春樹構文)


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ブリーズ:9/6 医者の不摂生

馬鹿な、連日投稿……だと? ありえん……


 

 

 

 

──これで何連勤目だろう。

 

いや、ぼやくつもりはない。全て自業自得だし、休め休めと言われながらも無理して働いているのは自分なのだ。

 

アリーヤの状態の悪化がひどい。もともと想定通りに行くだろうとは思ってはいなかったが、また何かに巻き込まれて悪化した。

 

「──それで、どうしても覚えられないの?」

「……口に出しても、馴染みがない。上手く言えない──さっき、一通り名前を確認して頭に入れた。覚えたはずだったが、リストから目を外して唱えようとすると、一つとして覚えていない」

 

──仲間の名前を、忘れてしまったという。

 

それならばもう一度覚えればいいと言う話だ。彼の仲間に関して、ブリーズは一ヶ月ほど前に話を聞いている。それぞれがどんな人で、どんなエピソードがあったのかを。

 

「……聞かせてくれ。君は、覚えているんだろう」

「分かったわ。私は頼まれたもの、大丈夫よ」

「……なんの話だ?」

「────、いいえ、なんでもないわ」

 

ああ、また一つ。

 

傷が増えて、穴が空いて、そこから砂時計のようにぼろぼろと崩れ落ちていく。

 

私のことも、あなたはいつか忘れてしまうのだろうか?

 

「でも、少し長い話になるわ。そうね、今夜──空いているかしら」

「……ああ。空けておく」

 

空虚と絶望の入り混じった、かなり精神をやられているらしいアリーヤが、額を抑えながら呟くように言う。

 

「……君には、苦労をかけるな。ブリーズ」

 

アリゾナとは、呼んでくれないのね。

 

「いいのよ。気にしないで」

「……すまない。今夜、また」

 

アリーヤは去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ブリーズは、時々自らが少しずつ砂丘の蟻地獄に落ちていっているような感覚を味わう。

 

あるいは、砂時計のイメージが頭から張り付いて離れない。

 

──頭の中では、今でも砂時計の中で砂が落ち続けている。さらさら、さらさら。さらさら、さらさら。

 

さらさら。さらさら。さらさら。さらさら。前を見ればずっと、砂時計が動き続けている。

 

あとどれくらい砂が残っているかは見えない。分からない。でも下側には随分溜まってしまった。

 

この砂時計はひっくり返すことが出来ない。どう頑張ったって、ブリーズにはそれを逆転させることはできないだろう。

 

ブリーズは日ごとに迷う。彼のことをどっちの名前で呼べばいいのか迷う。

 

ブリーズにとって、彼はアリーヤだ。ずっと変わらない、むしろそれを願っている。でも同時に、彼はエールでもある。あの青年は──もう、変わってしまった。

 

ブリーズは日ごとに恐ろしくなる。もしも彼に"アリーヤ"と呼びかけて、振り返ってくれなかったらどうしよう。

 

ついにその名前すらも忘れてしまったのなら、いったいどうすればいいのだろう。

 

だから怖くて、ブリーズはまるで言い訳をするように、彼をエールと呼ぶようになった。心の中ではアリーヤと呼んで、口ではエールと呼んでいる。それすらも自由に選ぶことのできない蟻地獄の中に、ゆっくりと沈んでいく感覚に抗いながら、確実に沈んでいくのだ。

 

だから、止まってしまうのが怖くて──ブリーズはこの一ヶ月、睡眠時間を除けば一時間だって休んだことはなかった。

 

休んでいる間にも砂時計は落ちているのだ。それで手遅れになったらどうする? ブリーズはずっと考え続け、調べ続け、試行錯誤を続けて──。

 

彼は、ロドスの介入を嫌がるかもしれない。それでも、もはや自分一人でどうにかなる領域ではない。ブリーズはロドスに連絡を取ろうか迷っていた。幸いエフイーターという窓口がある。もしかしたら向こうからやってくる可能性もある。

 

もしも連絡を取れば、ロドスは動いてくれるかもしれない。だがその場合、彼の時間は大幅に制限されることになる。ロドスが彼を治してくれればいいが、それは不可能だ。おそらく、などではなく──焦点は、いかにして延命するか。その一点に尽きる。

 

それはブリーズにとっても同じだ。

 

医者はなんのためにあるのだろうか。

 

彼を救えない医者にどれほどの価値が残っているのだろうか。

 

アリーヤが精神をやられているのと同じくらい、ブリーズも心をやられていることに、ブリーズ自身の自覚はなかった。ただ、なんとかしなければ──と、そればかりを考えて、成果を得られない目の前の現実に毎日のように打ちのめされ──。

 

諦観という名前の絶望が、ゆっくりとブリーズを侵食していた。

 

誰がなんと言おうと、他の患者たちにどれだけ感謝されたり、敬意を向けられたってどうしようもないのだ。

 

ブリーズが本当に助けたいのはアリーヤただ一人で。

 

ブリーズが本当に助けられないのは、アリーヤただ一人だ。

 

本当に助けたい人だけを、ブリーズは助けられなかった。厳しい現実の前に、自らの無力さばかりが投影されて、その形がはっきりと見えていた。私は一体何の為にここにいるのだろうか、一体何のためにこれまでの時間を費やしてきたのだろうか。

 

これまでの全ては、無駄だったのだろうか。

 

それともこれまでの全てが無駄だったのだろうか?

 

ブリーズは少しずつ、憔悴し、絶望という沼に足を取られ始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……化学兵器の、開発?」

「大きな声で言わないでね。噂だよ? それもどこから流れてるか分からないくらいの、眉唾ものの噂」

「それでもあまり、気持ちいいものではないわね」

「そうだね、私だって同感。でも、近々それをやらされるんじゃないかって」

「わ、私たちが? どうして?」

「病気を治しているんだから、その逆も出来るだろって感じらしいよ。……それに、もしかしたら完全にあり得ない話じゃない」

「そんな、私たちは軍医でしょう? 少なくとも、私たちがするべきなのはそんなことじゃないわ」

「私だってそう思うよ。……でも、そうする必要があったとしたら? 簡単な化学反応で作成できるものなら、ここの設備でも十分に作成は可能よ。いわゆる毒ガスなら、気体だから少なくない量を短期的に作成できる」

 

同僚の声に冗談の色は混ざっていない。

 

「……ブリーズが何を考えているのか、私には何となくわかるよ。でも、私はこう考える──私たちがそれをしなかったことが原因となって南部が勝てないかもしれない」

「そんな、飛躍しすぎよ」

「かもしれない。……でも、私たちにはもう手段を選んでいる余裕はない」

「……考えすぎね。私たちがやるべきなのは、目の前のことだけ。それは自分で選んだことではないの?」

「もちろんそうだね。ま、こんなのはただの噂だし、だいたいガス兵器なんて役に立たないでしょ」

 

その通りだろう。実際、そんな動きはその後起こらなかったし、何十個とあるくだらない噂の一つとしていつの間にか消滅していた。

 

ただどうしてか、同僚の言葉──"もう手段を選んでいる余裕はない"。

 

その言葉だけは、嫌に頭に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国際義援が行われるという。ボランティアに近いもので、ブリーズは以前から個人でこの活動を行なってきた。

 

内戦を抱えた国に金銭、物資的な支援を行ったり、或いは医師団が訪れて治療を行なったり、生活のための浄水技術を提供したり、或いは生活水準を向上させるための技術指導を行なったりなど、その活動は多岐に渡り、また危険を伴う。

 

元はといえばエールが今の立場にまでなったきっかけも、この戦争難民支援の任務によるものであり、ブリーズがこの国を訪れたのも似たようなボランティア活動がきっかけだ。

 

そのため、ブリーズは無関心に聞き流せなかった。

 

「グエンさん、これ──」

「はい、見ての通りです。クルビアを中心として、大規模な医療団が訪れるそうですね。詳細は、今渡した資料にあります。周知をお願いできますか?」

「ええ、きちんと知らせておくわ。……でもこれ、この中の協力企業の中に──ライン生命って」

「ええ。これが吉と出るか凶と出るかは分かりません。私はあの企業には懐疑的ですが……」

「……難しい問題ね。もう決定しているの?」

「はい。その辺りは、エールさんがまた何か考えているようですので」

 

前からひとつ気になっていたことを聞いてみた。

 

「ねえ、どうしてグエンさんはアリーヤを放っておくのかしら?」

 

グエンは少し考えて答える。

 

「彼にそれだけの力があるためですね」

「……力?」

「はい。私は、人にはそれぞれ身の丈にあった物事があると考えています。得意とするもの、適応している状況、それらは……例えば、目の前の仕事をコツコツとやっていくことが得意な人がいますし、様々な全く異なる仕事を並行して進めていける人もいます。これは適性であり、後天的には獲得し得ません。これは良い悪いではなく、それぞれに長所と短所が存在します」

「ええ、そうね。理解できるわ」

「その中で、国を率いて戦うことに適性がある。それがどれだけ貴重な資質なのか──これは、口で言っても伝わらないものです。軍隊の中で、司令官の才能とは稀有です。戦術や戦略を学ぶことで後天的にはある程度は獲得出来るものですが、所詮は程度が知れます。そして、その程度のものが上に立ってはならないのです。動機と能力のあるものでなければなりません」

 

グエンは珍しく厳しい意見を口にした。

 

「あなたもそうなの?」

「私はその器ではありませんよ。私は運良く長く生き延びることが出来ただけの凡才に過ぎません。強いていうのなら、彼のような才能を見出して、バトンを渡すこと──私の役目は、精々その程度と言ったところですか」

 

謙遜が過ぎていた。かつては一大政治闘争を引き起こし、通貨危機ですら乗り越えてさせてみせた剛腕である。しかしそれらは付属品に過ぎず、グエンの真の長所はその人徳にある。

 

「彼は、目的のために誰かを犠牲にすることが出来ます。なおかつ争いというものの本質を心得ており、戦いに躊躇がなく、自らも強い。心に下卑たところがなく、そして強い心を持ち、誰かを思いやることが出来る。私は、彼以外にこの大事業をやり遂げられる人間はいないと考えています」

 

過大評価な部分も多いが、多くの点では事実だったし、何よりもその実績が証明している。

 

兵の心をグエンが集め、エールが司令塔として命令を出す。軍隊としてのレオーネはそういった構造を持っている。ちょうど軍師と大将の関係であるように。ただしこの場合、軍師までもが求心力を得ているというのは少々珍しいことである。

 

「……それでも、時々迷うことがあります。エフイーターさんに詰られたように、私のしていることは本当に正しいのだろうか、と」

「けど、もう止まれないでしょう。あの人も、私たちも」

「行くところまで行くしかない、と言うわけですね。話が逸れました、国際医療団に関してです。受け入れの段取りは任せます。彼らへの仕事の割り振りなども、私はほとんど関与する余裕はないでしょうから、とりあえずの責任者をブリーズさんにしようと考えています」

「……ええぇっ!? わ、私が!?」

「私の見立てでは、ブリーズさんには徳があります。周囲の人間に相談すれば、喜んで助けてくれるでしょう。人は、何もかもを一人では出来ないものです。そして誰かに頼ったり、互いに協力することは弱さではなく強さですよ。お任せしてよろしいですかな?」

「う、うう……っ、私以外にも、適任はいると思うわ。来て浅い私じゃなくて、副院長さんに頼むべきじゃないかしら?」

「その副院長さんからの推薦ですよ。ぜひ任せてみたいと」

「……うううっ!」

 

断る口実が失われていった。

 

頼まれれば断れないブリーズ、仕方がないではないか。ここは一つ──

 

「──承知しましたわ。このブリーズ、ご期待に応えて差し上げます」

「ええ、お任せします」

 

もしかして──いいように言いくるめられて、面倒ごとを投げられただけなのではないか、と気が付いたのは、院長室を出てからの話である。ちくしょー!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、そこらへんの調整のために研究や診療は全く進まなかった。

 

気がつけば夜になろうとしている。帰らねばならないが、正直動くのも億劫だった。シャワーでも浴びて、もう泊まり込みで寝てやろうかしら。幸いベッドも余っている。連勤の疲れは、確実に体に溜まっているのをひしひしと感じながら。

 

コンコン。ノックの音──珍しい、そんなことをする人はあんまり居ないのに。

 

「どうぞ、どなたかしら?」

 

患者だろう。症状が悪化したのか?

 

「こんばんは、ブリーズ。女性が約束をすっぽかした時は、知らないフリでもするのが筋なんだろうけど……済まないね。僕には、どうしても必要なことなんだ」

「ア──、エール……。そうだったわね、ごめんなさい。あなたとの約束まで忘れちゃうなんて、 私はもうあなたのことを叱れないわね」

 

今夜の約束を忘れていたブリーズは、それを思い出して謝った。

 

「……それにしても、こんな時間まで仕事をしているのか? 他の病室は全て電気も消えている──」

「き、今日だけよ。いつもは私も帰っているわよ」

 

嘘だ。

 

「……そこの出勤表の君の欄、酷いな。最後に休みを取ったの、一ヶ月以上前? なんだこれ」

 

が、通じなかった。

 

じろりとエールがブリーズを見た。

 

「な……何よ! あなただって人のこと言えないでしょう!? そもそも私、あなたが休みを取っているところ、見たこともないし聞いたこともないわ!」

「……確かに、みんなに苦労をかけている自覚はあったが──これほどブラックになっていたのか。こいつは僕の反省点だぞエール、すぐに手を打つべき──」

「聞きなさいよ……」

 

あなたがそんなだから、私も休めないのよ──と、言えるなら言ってやりたかった。なんだか腹が立ってくる。

 

「あなたこそ休みなさい。いつ倒れたって不思議じゃないのよ」

「僕だって、ずっと働き通しなわけじゃない。適度に休んじゃいるさ」

 

エールはため息をつきながら言う。

 

「嘘ね」

「……何か根拠は?」

「あなた、嘘をつくとき、ある仕草をするのよ」

「鎌をかけているのかな? どの仕草か教えてほしいところだけど」

「内緒。教えちゃったら、もうしなくなるでしょ?」

 

しばらく睨み合った(ブリーズが一方的に睨んでいただけ)後、エールはもう一度短く息を吐いた。

 

「同じことを、昔言われたよ」

「誰に?」

「……多分……仲間に」

 

もう思い出せないのだろう。

 

「あれは鎌掛けだったのかな。でも不思議なことに、確かに僕が嘘をつくと絶対に見破られた。緊張していたつもりもないし、すぐバレるようなことじゃなくても、一回だって嘘を突き通せたことがなかった。どうして分かったのか理由を聞いても、誰一人として答えようとしなかった。君と同じ理由でね。……そんなに分かりやすいものなのかな。自信が無くなるよ」

 

そういう出来事は思い出せても、誰とそれがあったのかは分からない。奇妙な状態だった。

 

「……話を元に戻すけど──約束はちゃんと果たすわよ、あなたの聞きたいことは全部話すわ。ここで大丈夫かしら?」

「……いいや。そうだな──ねえ、一杯付き合いなよ。僕が奢ろう」

「…………えっ?」

 

嘘のような言葉が飛び出してきて、思わず間抜けな顔を晒してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──あら、お洒落な場所ね?」

 

連れて来られたのは、裏手の沿いにある小さな酒場だ。夜からの営業だと言うのにまるでガラガラで、エールが来ると店長はさっさと奥にひっさがってしまった。

 

「……店長さん、行っちゃったけど」

「僕のことが苦手らしくてさ。ここはいつも内緒話をするときに使っていてね、貸し切らせてもらってる」

「隠れた名店ってことなのかしら?」

「そういうことになるかな。……何か呑む? 僕が作ろう」

「あなたと同じものをお願い。……っていうか、作れるの? そもそもあなた、お酒にすっごく弱いでしょう?」

「昔、よくバーテンの真似事をしていた。そうすれば飲まなくて済んだから」

 

主にブレイズへの対処法だった。

 

エールはカウンターに回ると何本かの瓶を掴んで、グラスの中にかき混ぜた。

 

「はい、出来たよ」

「これは?」

「果実酒のジュース割り。名前はない」

「……ふふ、なによそれ、へんなの」

 

変じゃない。一般的だよ。

 

でも変よ。

 

……何だっていいさ。ほら、──

 

乾杯。

 

 

 

 

 

 

 

ブリーズが酔っ払って出来上がるまで、そう大した時間は掛からなかった。

 

実際、柄にもなく緊張していたのだろう。男の人と二人だけで飲む──しかもそれがあのエールである。これでもブリーズはエールに普通ではない想いを抱いているのだ。最近ではもはや、来ていた当初抱いていたロマンティックな思いは消え、ただただ現実の前に押し潰されて消えていた──それが、アルコールによって解放された。

 

「ねえアリーヤ、聞きなさいよ! どうしてあなたは私の方を見てくれないの? 質問の答え方も忘れちゃったの!?」

「……。話は?」

「そんなのいつだって出来るわ! いつでも私のところに来たらいいじゃない、でも今は──いいから私の話を聞きなさい!」

「はいはい、分かってるよ。落ち着きなよ、ほら。水」

「いらないわよ! さっきの、もう一杯出しなさい!」

 

はいはい──。

 

と言いながら、エールはノンアルのジュースを出した。速攻でバレて怒られた。何で分かったんだ?

 

「はっきり言うけど! アリーヤは私のことを舐めているわ!」

「……そんなことはない」

「嘘を吐かないで! 正直どうにでもなるって思ってるでしょう!? チョロい箱入り娘って思ってるんでしょう!?」

「……そんなことはない」

「嘘よ!」

 

嘘だった。正直ちょっと思ってた。

 

「でも別にそれはいいのよ、だって事実だし──問題なのは、どうせ私が何も言わないと思って無茶ばっかりして! 医者の意義を奪わないでほしいわね! どうせあなた、お医者さんなんてごっこ遊びだとかこっそり思ってるんでしょう!?」

「……そんなことはない」

「うーそーよー! 嘘ばっかり! 私には分かっているのよ!? どうしてそんな意味のない嘘をつく必要があるの!? 本当のことを言ったって怒らないわよ! だから正直に言いなさい!」

「本当だよ、君は大切な仲間だ。嘘はつかない」

「嘘はつかない!? 嘘ばっかり! あなたが本当のことを話してくれたことの方が少ないわよ! そんな人なかなかいないわよ!? 誤魔化して、はぐらかして、話を逸らして、それで嘘、嘘、嘘の連続よ! なんで嘘が下手なのにそんなのばかりなの!? あなた、もしかしてすっごいお馬鹿さんなの!?」

「……心外だ。いや、本心だよ」

 

やはり余計な気は遣うものではない。散々な言われようだ。

 

どうにかして止められないものか──。

 

「……残される方の気持ちも、少しは考えて欲しいところね。どうして死ぬつもりの人にあれこれ世話を焼かなきゃいけないの? 自分の体を自分で大切に出来ないなら、医者なんて必要ないじゃない。どれだけ私たちを馬鹿にすれば気が済むの?」

 

『どんだけ俺らを馬鹿にしたら気が済むんすか?』

 

「……すまないとは、思っている」

「だったら反省してちょうだい。いつだって現実を変えるのは言葉じゃなくて行動よ。行動で示せばいいのではないかしら?」

「君は僕に残された貴重な友人の一人だよ。いつも苦労をかけているし、そのことに感謝している」

 

エールはほぼ素面だ。

 

「……何よ。そんなこと言えば私が黙るとでも思ってるんでしょう」

「君に無理をして欲しくはない。本当だよ」

「……何、本当……調子のいいことばっかりじゃない。そういうことを口に出せば、大概上手くいくって思ってるんでしょう、どうせ」

 

『何ですか。どーせ、そうやって甘い言葉を吐いておけば、私なんてチョロいと思ってるんですよね。はいはい、そーですその通りでーすよーだ』

 

「……それは違う。僕は──」

「いいわよ。どうせ私なんてチョロい女なんだから、口先三寸で好きに転がせばいいじゃないの」

「そんな風に言うな。ブリーズ、君は……僕の大切な仲間だよ」

 

かつてのブラストも、似たようなことを言っていた。

 

「…………。騙されないわよ。もう……」

 

ブリーズは酒気か、それとも別の要因による赤顔を伏せてポツリと呟いた。自分に言い聞かせるように。

 

「嫌になるわ。あなたにも、こんな言葉に踊らなきゃいけない私にも」

 

『本当、私たちは単純ですね。そんな風に言われるだけで──』

 

「あーあ、何だか悩んでたのが馬鹿らしくなっちゃったじゃない。ねえアリーヤ、もしかして気を遣ってくれたの?」

「……いいや。ただの感傷だよ」

 

──嘘が下手ね。

 

どうして優しさを捨て切れない、ちぐはぐな顔でそんな風に言うアリーヤのことを──

 

私は、心底愛してしまっているのだ。

 

「……惚れた弱みね。嫌になるわ」

 

ぼそっと、小声で呟けば──

 

「ん、何か言った?」

 

ほら、聞こえてないじゃない。どうしようもないのね、まだ黙っていたことがあったなんて。

 

「お酒をちょうだいって言ったの。いっぱい付き合えって言ったの、あなたなんだから!」

 

『"いっぱい"って言ったよ、私。"いっぱい"なら構わないって言ったの、君だからね』

 

「一杯だよ。いっぱい、なんて──ああ、ひどい間違いだ。どうやら酔っ払いには──」

「何を言っても無駄よ。ほら、隣に座って? レディーがお誘いしているんだから」

「やれやれ、だな。仕方がない、可愛らしいお嬢さんのお誘いには乾杯(完敗)するしかないって訳か」

 

全く笑えもしない言葉遊びばかり、何に役に立つでもないだろうに。

 

……いや、本当に寒いなこれは。二度と言わない。かなり寒気が来た。

 

「……か、可愛らしい……ですって……? ちょっと、いきなりそんなこと、心の準備ってものがあるでしょう!?」

 

え、そっち?

 

エールは軽く笑った。今だけは──本心から出た、本当の笑みだった。

 

ああ、全く──酷い世界だな、ここは。

 

『ほら、グラスを持ってください隊長。今日くらいはいいじゃないですか。俺たちの未来に──』

 

思い出ばかりが反響して、目の前のブリーズが共鳴して。

 

『──未来に」

 

乾杯。

 





※途中から私も酔っ払いながら書いたんで雑になってます。お前まで酔っ払ってどうする

・ブリーズ
かわいい。誰が何と言おうとかわいい。
ダークサイドに落ちかけていましたが無事生還。酒にはそれほど強くない。翌日にこのことを思い出して絶叫するまでがワンセット。
チョロイン←New!

・エール
クソデカ感情狐
やれやれ系ハーレム主人公
曇らせ
アルコールクソ雑魚
難聴系主人公←New!

・スカベンジャー
実はこの後深夜に呼び出されて潰れたブリーズを家まで運んでいた。スカベンジャーはそろそろブチギレていい。

・ライン生命←New!
ク ソ デ カ 不 穏 。
そのうちエクソリア周辺の国地図とかアップします。設定上ではエクソリアはクルビア、サルゴン、ミノス、テスカ連邦に囲まれています。



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"Nuclear Blast"/"Radioactive"

本日二話目……だと!?
本当はこの話はもう少し後に投稿する予定だったのですが、我慢できなくなったので投稿します




blaze:Nuclear Blast.

 

 

 

初めて出会った時のこと──どんなんだったっけ?

 

『……見てんじゃねえよ』

 

ああ、そうだった。第一声がこれ。チンピラじゃん。

 

『ちょっと、それはないでしょ。君もここ(ロドス)に新しく入るんでしょ? 私もだよ』

『お前のことなんか知るかよ、うるせぇな』

『……かっちーん。ちょーっと頭に来ちゃったなー。どーしよっかなー』

『……』

『無視してる? いい度胸だね、私の前で──』

 

ああ、そうだった。

 

『やるか?』

『やるの?』

 

のっけからこうだもん。思い出すと笑っちゃうね。

 

そうだった。私、すっごい痛かったんだからね、君のパンチ。まあ私も、まあまあいいの叩き込んであげたけどね!

 

『──お前ら、一体何をしているんだ!?』

『誰か知らないけど、邪魔をするなよ』

『誰かは知らないけど、邪魔しないで』

『……一体どうなっているんだ? まさか初対面から殴り合う連中がロドスに入ってくるってのか。これはいよいよ、俺も年貢の納め時だな──とにかく暴れるのを止めろ。仲良くしろとは言わんが、黙って待ってるぐらいのことも出来んのか。というか部屋を荒らすな!』

 

そう! Aceともこの時会ったんだよね。ほんと、今だから笑えるけど、当時はひどかったなぁ。

 

『てめぇ……女。ぶっ殺すぞ』

『はっ! 無理無理──だってまるっきりチンピラじゃん、君』

『……ブッ殺す』

『そーれーかーらー、私は女じゃなくてブレイズ。はい、ちゃんと覚えられるかな〜?」

『ハッ! クソ女が──誰がチンピラだと? 僕はブラストだ。もう一度チンピラと言ってみろ、クソ女。泣いて詫びるまで痛めつけてやるよ』

『いやチンピラじゃん。何その三下みたいなセリフ、ドラマの悪役でももう少し気の利いたこと言えるよ。──それと、クソ女だって? 初めてそんな呼び方されちゃった。取り敢えずブチのめして、鼻の形変えてあげる。大丈夫、ちょっと殴るだけだし、それにもう少し良い顔にしてあげるよ』

『やめろお前たち!』

 

あははっ! もうほんと、思い出すだけで恥ずかしくなっちゃうよ。

 

ねえブラスト、君はどう? まだ覚えてる?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

blast:Radioactive.

 

 

 

 

確かにあの時、僕はちょっとおかしくなっていたかもしれない。……いや、僕たち──か。

 

『はい私の勝ち〜! ねえ今どんな気分!? ねえ今どんな気持ち!? いっつもバカにしてるクソ女に負けたチンピラくんは今どんな気持ちなの!?』

『いや──ブレイズよ、勝ち誇るのは分かるが、今にも倒れそうな姿で馬鹿にし過ぎだ。ブラストも人を殺しそうな目をやめろ』

 

……まあ、今更恨んじゃいないさ。僕が勝てば同じことをしていただろうし、結局後になってリベンジして、似たようなこと言ってやったっけな。覚えてるか? お前のあの時の眼、マジでヤバかったよ。

 

ともかく、僕は結構ショックを受けたんだぜ。これでもスラムじゃ負け知らずだったから、万全の状態の一対一で負けたことなんて、ほとんど無かったんだんだからな。

 

『ふ、ふふふふふ……あははははは! はい、私の方が強い! 証明完了──』

『……倒れた。そんなに満足だったのか──しかし、この二人をどうする。ドーベルマン……お前の意見を聞こう』

『……検討もつかん』

 

驚いたよ。所詮僕は井の中の蛙だったんだな。僕の小さな世界の中じゃ、自分より強い人間がいるなんて思いもしなかった。そんなわけはないよな、きっとロンディニウムにも居ただろう。だが僕の世界は、あの時はひどく小さいままだったんだ。

 

『しかし、入隊訓練プログラムの八割は飛ばして良さそうだ。全く、性格に難あり程度ならば、全く問題なく調教してやるものを──こうも強いと、かえって厄介になる。しかもそれが二人だ。他の連中に悪い影響を与えないか、私はそればかりが心配だよ』

『……だが、俺は気に入ったぞ』

『冗談を言っているのか?』

『む、そう見えるか? なかなか跳ねっ返りのじゃじゃ馬共だが、気骨がありそうだ。もしかしたら、良いオペレーターになるかもしれん』

 

特に、戦いで意識を失うなんて──失血によるものとかじゃなくて、純粋に痛みで気絶したのなんて、マジで初めてだったんだ。ほんと、どうかしているっていうか。

 

何より最悪だったのは、医療部のベッドが隣だったってことだ! 勘弁して欲しかったよ、気絶から目を覚ましたら、同じようにしてたお前と目があったんだからな。正直もう殴り合いは勘弁して欲しかったが、どうしてお前はあの時煽ってきたんだ? そんなに殴り合いたかったのか? どうして炎を団扇だかで扇ごうとしたんだか。あれのせいで医療部出禁になりかけたんだぞ、僕もお前も。まるっきり考えなしの馬鹿かよ。馬鹿だったわ。

 

『まさか! 限度があるだろう──Ace、お前のようなエリートオペレーターにでも成れるとでも言うのか。初対面で、同期入社する将来の仲間と……お互いに倒れるまで殴り合うようなバカ共が、少なくともそうはならんことだけは確かだぞ』

『いや。もしかしたら、もしかするかもしれん──どうだ、賭けをしないか』

『すぐに賭けを持ち出すのは、お前の悪い癖だぞ』

『だが、その分面白くなる』

『……内容はどうする?』

『賭けならば大きく張ってこそだ。この二人がエリートオペレーターにまで成長するか、しないか』

 

ああ、そうそう。あの時僕たちの喧嘩の立会人をしていたドーベルマンとAceさんだけど──

 

『いつまでにだ?』

『二年以内に』

『……それでは私が有利すぎる。せめて、どちらかがエリートオペレーターになるかどうかにするべきだな』

『いいや、俺はこっちに賭ける。俺はこいつらがロドスに適応し、変わって行き──エリートになるのなら、二人同時に。どうだ、ドラマチックじゃないか?』

『話にならん。筋書きも酷い、三流映画のようだぞ』

『で、どうする。賭けるか? 気長な賭けだから、もしかしたら忘れてしまうかもしれんが』

『……乗った』

 

──なんて話してたらしいぜ。酷え連中だよ。ドーベルマンもAceさんも、良いように楽しんでたってことさ。僕にとっちゃ笑い事じゃなかったけど。想像も出来ないよな、これが初日だぞ? 二日目からが思いやられるっていうか──。

 

でも、きっと遅かれ早かれこうなっていたんだろうな。

 

でも気になったんだが、あの二人は何を賭けていたんだろうな。まさかビールなんて安いものじゃないだろうし、……あ、待てよ。一週間だけドーベルマンが猫耳カチューシャを付けていた時期があったな。どれだけぎょっとされたり、笑われたりしても、その一週間は外さなかった。もしかして、あれか?

 

だとしたら、ぎゅっと耐え忍んでいたドーベルマンをお前と一緒に大笑い者にしたの、結構悪いことしちゃったかもしれないな。もしかしたら、Aceさんがそれを着けることになってたかもしれないんだし。

 

お前はどう思う、ブレイズ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、そういえば──ドーベルマンが猫耳カチューシャと語尾ににゃんって付けてた時もあったね! もうお腹が割れるかと思ったよ、最後の方なんてドーベルマンも慣れてきて、にゃんにゃん言いながら鞭振るってたんだから。

 

一生分くらい笑ったよ。ほら、重要な会議の時でもそうだったから、ケルシー先生もずっと咳払いしてたし──あれ、今思えば笑うのを堪えていたのかな? みんな笑いを堪えることに必死で、何話したかなんて全然覚えてないんだし。

 

『……はあ? このバカ女と一緒の部隊に仮配属だと!? *Fワード*!』

『*炎国語の聞くに耐えない罵詈雑言*!』

『……想像よりも一段ほど酷い反応だ。お前たちが常に予想を上回ってくれて、私も鼻が高いよ』

 

いつだっけ、一ヶ月保たなかったよね。周りの訓練生、ずっと引いてたもん。近寄り難いっていうか、話しかけることはもちろん、顔を見られるのも避けてた感じあったよね。

 

ひっどいなぁ〜、あの頃の君はともかく、私は周りとは仲良くやっていこうとしていたんだから。

君のお陰で話し相手もできないから、すぐ君に絡みに行って──明らかに悪循環だったよね、あれ。あの頃、一日として生傷が絶えなかった日はなかったよ。君もそうだったよね、顔面とか酷かった。乙女の顔を容赦なく殴るんだもん。まあ私も君の股間蹴っ飛ばしたこともあるからおあいこだね。

 

あの時の君の表情は見ものだったよ、いや本当……ちょっとだけ、いや──かなりスカッとした。君のことがどうしようもなく許せなくなったらどうすればいいか、君のあの恐ろしいものを見る目から教わったよ。まあ幸いにも、その機会は訪れなかったんだけどね。

 

『……Ace? あの髭もじゃ……そんな偉い立場なのか?』

『疑っているな。まあ一度……そうだな、戦ってみればいい。お前たちには、その方がよく分かるだろう。やれやれ、だ。本当は私も、お前たちのようなバカどもにはもっとお灸を据えてやりたかったが……毎日毎日、私が指示した訓練量の二倍をこなしてくるとは……。そんなところでも競い合っているのか。全く頭が上がらんよ。……いや、皮肉だ。言っておくが、今のは全く褒めていないぞ』

 

なんだっけ。喧嘩の罰として甲板を二百周走ってこいって言われたから走ったんだよね。死ぬかと思ったけど──君が二百一周目を走り出すから、私はついに数も数えられなくなったかこのチンピラ崩れはって思って着いていって……結局四百周も走っちゃった。あの日ほど辛かった日はないよ。

 

君は負けず嫌いだったから、きっと私に勝ちたかったんだよね? 安心して、私も同じ気持ちだったよ。

 

だから、君との訓練するのは本当に嫌だったよ。絶対に私よりも一回でも多く回数をこなそうとするから、無限ループみたいに訓練の量が増えていったんだし。腕立てもスクワットも全部──まあ、私も君のこと言えないよね。

 

私、君に先を越されるのだけは死んでも嫌だったんだから。

 

『……しつッ、こい……ッ、なあァ! ついてくんじゃねえ、よ……ッ! はっ、はぁっ……!」

『君ッ、こそ……諦めっ、たら……どうなの……ッ!? もう、足腰も……っ、限界……でしょ……ッ!』

『死にそうな……っ、顔、で……強がる、なよ……ッ!』

『君……っ、こそ……ッ!』

 

強がってたの、明らかにそっちだったよ。うん……今でも譲らないけど、絶対そっちの方が強がってた。

 

言うけど、なんなら私の方が身長高いし、多分私の方が年上だし──明らかに、体の出来は私の方が良かったよね、入ってきた当時は。

 

懐かしいなぁ。訓練終わりなんて、もう自分の部屋にすら帰る体力もなくて……。私、お風呂から上がる体力なくて一回死にかけたんだよ。いやあ、本当にあの時はもうダメだと思った。栓を抜くって発想が出てこなかったら、きっとあの時溺れ死んでたね。

 

ねえ、君もそうだったんでしょ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、冗談みたいな話だけどさ。

 

ふらふらしながら歯磨きしてたらそのまま寝ちゃってさ、鏡に頭ぶつけて割っちゃったんだよ。僕はそのまま鏡の破片の散らばった床で寝てたんだが、もしかしたら僕はあの時死んでいたかもしれない。

 

あの時は破片を散らかしてから床にぶっ倒れたんだが、倒れ方によっては鏡の破片に喉元ぶっ刺してたかもしれないんだから。朝になって起きたら、体の所々に破片刺さってて血が出てた。完全に殺人現場で笑っちゃったよ。誰かがあの現場を目撃してたら、危うくサスペンスドラマが始まるところだった。手がかりは床に転がったままの歯ブラシと、出しっ放しの水道だな。

 

思い返してもゾッとする、本当に冗談じゃないんだぜ。あれ以来、寝るのはベッドかソファにしようと固く心に誓ったもんさ。

 

『まあ、こんなところだろう』

『クソ……髭もじゃの、化け物め……』

『サングラスの、魔人……』

『言いたい放題言ってくれるが、お前たちは今、第一訓練室の床にぶっ倒れて、起き上がれもしないって事実を思い出すべきだな。まあ筋は悪くない。その歳でここまでやれるのは大したものだと褒めてやろう』

 

そうそう、Aceさんだ。

 

いやあ、強かった。なんつーか、僕の戦い方はどこまでいっても喧嘩殺法に過ぎなかったんだなあって。

 

盾なんて役に立たないと思ってたんだよ。だって実際、僕の前でそれが役に立ったことなんてなかったんだからね。

 

『ブラストはあれだな、正直ケルシー先生から聞いていたほどのものではないな。期待外れだ』

 

──とかなんとか言い出しちゃってさ。もうキレちまったね。

 

『ブレイズも、よくその程度の腕前でブラストに自分の力を誇れるものだ。見ていて恥ずかしくなるぞ』

 

っていうかお前、その程度の煽りであっさり立ち上がるなよ。メリケンサックとか取り出しちゃってさ、お前の方がよっぽどチンピラだよ。

 

『ふむ、立ち上がったな二人とも。やる気になったなら、伝えるべきことは一言だけだ。殺す気で来い、どうせ殺せんから安心しろ。ああ、こっちも盾は捨てよう。こいつを構えるのは、少々大人げなかったな』

『……じゃあ、遠慮なく』

『お言葉に甘えて──』

 

そうそう、こんな感じだっけ。

 

『『──ぶっ殺す』』

 

で、あっさりボコされるまでがワンセット、この流れ、このあと何回やったんだっけ? 終いにはAceさんの方が疲れてきて終わったんだ。僕は勝ったと思ったよ。何に対してかは分からないけど。

 

『……いい加減終わらせてくれ。俺はあと何回お前たちを投げ飛ばしたり、叩きのめしたり、床に転がせばいいんだ? とにかく、俺が言うべきなのは、お前らはこの行動隊E2に仮配属になり、そして一人前のオペレーターに育つまで俺がきっちりと面倒を見てやる、ってことだ。……最初に言えば良かったな。この一言のためにいったい何時間を掛けなければならんかったんだ?』

 

でも結局Aceさんはそれを無駄な時間だとは言わなかったよな。まああそこまでコテンパンにされちゃ敵わないよ、流石の僕だって認めざるを得なかった。この世界に自分が強いヤツがいて、そいつに従わないといけないんだって。

 

僕だって、流石に今のままじゃ不味いと思っていた。お前に言っても信じないだろうが、僕は自分を変える為にロドスに行ったんだぜ。冗談だと思ったろ? でも本当の話だよ。

 

『と言うことで、ブラスト。お前の腐った根性を叩き直すための第一歩は、まずは他人に対して敬意を示すことだな。他人を尊重しろ、出来なければここを出ていけ。自分と違う誰かがいるということを認められんヤツは、俺の部下には必要ないからな。手始めに、俺を呼ぶときはAceさんと言うようにしろ』

『……絶対に、断る』

『そろそろお前のことを、多少は理解出来るようになった。ではこうしよう、俺に一撃でも叩き込むことが出来れば、さん付けする必要はない。だがそれすら出来ないうちはお前は半人前だ。そうだな、ここは敢えてお前さんの流儀に合わせて言うが……弱い人間にはそいつを選ぶ権利はない。俺の言葉に従え、ブラスト。お前さんが、これからもオペレーターブラストを名乗るつもりならな』

 

そうだ、ブレイズ。お前、このとき笑ってやがったな? なーに笑ってんだか、お前だって他人事じゃないんだぜ。

 

『そしてブレイズ。お前はブラストのことをきちんと認めろ。この大地には、こういうタイプのバカが山ほどいる。まあこいつ程度の強さに苦戦しているようではどうにもならん。確かにブラストに比べれば、お前は多少はマシな性根をしているようではあるが、所詮は五十歩百歩に過ぎん。俺から金言をくれてやるが、この男を認めることが出来ないようであれば、お前もブラストとそう変わらん。他人を許すことが出来れば、その人物よりも一歩先を行っているということだ。ということは、その逆もある。お前たち二人はそれよりもひどい』

 

……で、結局……最終的に、僕はお前と何回勝負をしたんだっけ?

 

どんだけやったんだっけ。二千? 三千? 分からない、思い出せないな。どうだったっけ? なあ、ブレイズ。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

4000回中、1000回勝ち、1000負け、2000回引き分けだよ。4000回!? 自分で言ってておかしくなっちゃった、頭おかしいんじゃない?

 

PRTSが数えてくれたんだよね。じゃなきゃ私がこんなこと思い出せるはずがないでしょ?

 

『……初任務?』

『そうだ。まあお前たちは黙って見ていろ、これも勉強だ』

 

そうそう、私たちは最初何にもさせてくれなかったよね。特にオペレーター以外の民間人と関わったり、交渉したり、仲裁したりする時なんて口にガムテープ貼られてたんだから。チャックまで縫われてつけられそうになったし、よっぽど警戒されてたんだね。

 

『……』

『……!』

『……、!』

『! ……! ! ッ!』

『やめんか馬鹿ども! どういうわけだ、お前たちは目で会話が出来るのか!? なんのためにお前たちの口を特注のガムテープをぐるぐる巻きにしたと思っている! なぜ会話もなしに喧嘩を始める!? 今度からは縄で縛っていた方がいいのか!? それとも近くにいられないように、超強力な磁石の同極同士でも貼っておくか!?』

『! ! ! !』

『……! っ! っ! !』

『……。もう十分だ、お前たちは一週間メシ抜きにした方がいいようだな。それとも部屋をロックして、出ることも入ることも出来ないようにしたほうがいいか。この恥晒しどもめ、お前たちはよほど俺のことが嫌いなようだ。そこまではっきりとした意思表示をされては俺も応えなければならん。そのガムテープが一週間やそこらで外れると思うなよ』

 

ねえ、今ぐらいになって気が付いたんだけど……あの特注の超強力なガムテープ、誰も外してくれなかったけど、私たち二人で協力すればなんとかなったんじゃない? 両手も縛られたから自力じゃどうしようもなかったけどさ、お互いがお互いのガムテープを外そうとすれば、案外簡単に取れたりしたんじゃない? きっとAceもそれを期待してたんじゃないかな。

 

……いや、やっぱりそんなこともなかったのかな? 少なくとも、私は君のガムテープを外す気なんて一ミリもなかった訳だし。

 

ねえ、君もそうだったでしょ?

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

あのガムテープは悪質だったな。剥がしたときは痛くて、しばらくヒリヒリしてたよ。

 

まさか本当に一週間もあれをつけっぱなしにされるとはね。おかげで両手を縛られたまま生活するのにも慣れたし、その状態で戦う方法もちょっとは理解したよ。あれは実は、体の使い方をより広げるための訓練だったんじゃないかと、今でも僕は疑ってる。だってお前、あの回し蹴りはあの状態での完成形だったろ? いや、かなり感服したんだぜ。こいつ、この状態でここまでやるか、って。

 

『……懲りたか』

『はっ。お陰で両手の重要性に気がつけたよ、鼻が詰まった時の絶望もね。流石に冷や汗を掻いた』

『そうそう! 寝る時なんて大変なんだよ!? 着替えだって大変だし』

『……逆に、なぜその状態で一週間も保ったんだ? 俺には分からん。本当に分からん。その状態で、着替えられるものなのか? 物理的に無理だろう。どうやってそれを外した? やはり協力し合ったのか?』

『誰がこいつなんぞと協力するかよ、死んだ方がマシだぜ』

『そうそう、アーツを使ってなんとかしたんだよ。……でも、こいつも外していたなんて。今ならやりたい放題だと思ったのに』

『……ここまで来ると、俺もお前たちのことを尊敬しなければならないらしいな。お前たちのことを認めていないのは、他でもない俺だったという訳か。恐れ入るぞ、お前たちはじゃじゃ馬などという言葉では表し切れん──90年代を代表する最も偉大なクソガキ共だ、お前たちは』

 

あの時のAceさんの戦慄した顔と言ったら、今思い出しても笑えてくる。いや、本当に申し訳ないと思ってる。本当だよ、きっと信じてもらえないだろうが……反省はしているんだ。同時に感心もしている。Aceさん、よく僕たちを投げ出さなかったよね。

 

『もういい、分かった。俺の負けだ。今日からお前たちを部隊の訓練に混ぜて行うことにする。基礎体力訓練はもう必要ないらしい、お前たちの無尽蔵の元気と体力には、おじさんはもはや敵わんようだ。ただし覚悟しろ。厳しい訓練になるぞ』

『強くなれるならなんだっていい』

『気に食わないけど、右に同じかな』

『……お前たちほど分かりやすく、そして扱いにくい連中はそう居ないだろう。ついて来い、俺の仲間達を紹介しよう』

 

で、今思い出しても不思議なんだけどさ。僕ら、あの人たちとは普通に上手くやれてたよね。

 

なんつーのかな、僕は僕で連携を取れる程度のコミュニケーションは取れたし、お前の方はすぐに打ち解けた。まあ対人能力に関しちゃお前の方が一歩先を言ってたって言うか、これに関しては生来のものだろうね。僕は未だに分からないよ。他人に対していったい何を伝えて、何を伝えないべきなのか。

 

『ははっ、生きのいい新人が入って来たな! まさかこれほど出来るとは、十分な即戦力になるじゃないか。ブラストだっけ? 今のどうやったんだ、まさか視線誘導か!?』

『単純なテクニックだよ。相手の意識を散らせば、その分だけ隙ができる。一定の実力者ほど引っかかる──やり方を知りたいなら教えてやるよ。まあ、あんたらの隊長さんにはさっぱり通じなかったけどな』

『あの人は例外だよ。勝てなかったからって落ち込むな! 歴戦の戦士なんだ、それもこのロドスでも一二を争う硬さの持ち主なんだからな。あ、髭の硬さの話じゃないぞ?』

『……はっ、ヒゲもそうだろ』

『はははっ! こいつー!』

 

……ローグのヤツ、今何してっかな。今頃は任務中だっけ。グレースロートをE2に預けているから、もしかしたら手を焼いているかもしれない。

 

悪いことをしたな。別れの一言でも伝えておきたかった。

 

『ねえブレイズ、あなたのアーツってどういうものなの? さっきの使い方なんだけど──』

『えっとー、実は感覚で使ってて、あんまり自分でも理解してないんだ。……やっぱり不味いかな?』

『ええ、不味いわね。いい? アーツは感覚じゃないわ。そうでないのならアーツ学なんてものは存在しないし、研究者だっていない。あなたのアーツは、それを数学的に理解することで初めて本領を発揮できるようになる。それと新しい武器も必要ね、後で一緒にエンジニア部に行きましょう』

『え、いいの? ありがとうコールスロー! 武器、武器かあ。なんだろう? 私的にはグローブとかがいいと思うんだけど、どんなものがあるの?』

『そうね、チェーンソーとかどうかしら?』

『え、ジョーク?』

『あら、本気よ。何事も試して見なくては分からない。そうでしょう?』

 

後で聞いたんだが、Aceさんはあの時、僕たちが隊員たちと喧嘩騒ぎを起こすんじゃないかって心配していたんだそうだ。失礼な話だよ、野生動物だって無闇矢鱈に戦おうとはしないってのにさ。

 

『……馬鹿な。まともなコミュニケーションを取っている……だと? おかしい、変だ。奴らは言葉を話せるだけの野生動物ではなかったというのか?』

『聞いていたほどじゃない。Ace、さっきの話は本当だったのか? 別に何の問題もないじゃないか。向上心も強いようだし、期待できるかもしれないぞ』

『いや待て、気を緩めるにはまだ早い。もう少し様子を見ておけ』

 

……疑っているんだが、毎回Aceさんがフラグを立てるせいでいつも僕たちはそれを回収しなきゃいけなかったんじゃないか?

 

『さあこっち、ロドスを案内してやるよ。ブラスト、まだここに来て浅いだろ? ついてこい』

『じゃあいきましょうか、ブレイズ。エンジニア部にはこれからもたくさん行くことになるから、迷わないようにね』

 

言うけど、僕はお前とは意識的に距離を取ってた。近づけば喧嘩になることは分かりきってたからね。僕だって問題を起こしたいわけじゃない。だがあの時、僕はお前を目にするとどうにも歯止めが効かなかった。

 

なあ、ブレイズ。なんでだろうな? お前はどう考える?

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

『はっ、はぁっ……、ブレイズ……お前、どうしても僕の邪魔をしたいらしいな……!』

『こっちのセリフだよ……! 私、これからアーツを教えてもらいにいくんだけど、どうして邪魔をするのかな……っ!』

 

今思い出しても不思議だよね。私から手を出すつもりは無かったよ、ホントだって。あの時はどっちがちょっかいを出したんだっけ?

 

君もさ、目が合ったくらいで喧嘩しないでよ。ロドスに来て一ヶ月以上経っていたっていうのに、まだ飽きなかったのかな? ポケモンバトルでもないんだし、そっと横を通り抜けてくってことが出来なかったの?

 

『邪魔なんかするかよ、僕はお前に構ってる時間なんてこれっぽっちもない……!』

『私だってそうなんだけど!?』

 

……いや、この時は……どっちからだっけ?

 

あれ、私からだった? そんな訳ないよね、絶対君の方が先に因縁つけてきたんだから。

 

『見ろ、Scout。あれが俺の部下になるんだぞ。……賭けは俺の負けか?』

『……ご愁傷。止めなくていいのか?』

『いい。俺の部下たちには伝えてある。どうにでもするだろう』

 

コールスローも素早い動きだったよね。ぐいぐい引き剥がされて、エンジニア部までの道のりで一ヶ月分くらいの説教を食らったんだよ、私。気まずかったなぁ、もう絶対喧嘩なんてしないって心に決めてたのにまたやっちゃったんだもん。

 

だから、君とは一応の不可侵条約っていうか、取り決めっていうか……決めたんだったよね。いや、決めさせられたの間違いか。

 

『確認するぞ。一つ、僕とお前は訓練時間外での私闘は絶対にしない。僕から因縁をふっかけたりしないし、もしもそうなったとしてもお前は睨み返してはいけない。大人の対応でスルーすること』

『スルーする? ダジャレ?』

『黙れ。二つ、信じがたいが、僕とお前は同じ行動隊に所属する仲間であり、お互いに思いやりと尊重を持って、信頼関係を築き上げること』

『無理でしょ』

『黙れ。三つ、僕とお前はロドスの信念に同調し、あらゆる任務行動中においてはこれまでの一切を水に流し、お互いに協力し合って目的を遂げること』

『そもそも君と協力する必要ってある?』

『黙れ。四つ、戦闘訓練においては、お互いに切磋琢磨し、よきライバル関係を築き上げていく。この時の()()は、これを積極的に許可する』

『つまり、君をブチのめしていいってことだよね』

『黙れ。五つ、以上の文章は、行動隊E2隊長エリートオペレーターAce、及び行動隊E2の全隊員によって保証されるものである。その中には、当然僕とお前も含まれる。証明として、本書類にはそれぞれのサイン、及びブレイズ、ブラスト両名の血判を押し、Aceの元でこれを保管する。いいな』

 

あそこまでやる必要あった? あんな厳重な書類、私見たことなかったよ。血判なんて押す機会、一生ないと思ってたんだから。

 

横で腕を組んでたAce、私たちが親指を書類に押し付けて、やっと安心したように溜息ついてたよね。懐かしいなあ、まだ私たちがAceの部下だった頃の話。

 

君と私が、まだお互いにいがみ合っていた頃の話だね。

 

そんなこともあったよね、アハハ。

 

ねえ、ブラスト。

 

私ね、あの頃は楽しかったって思うんだ。変かな?

 

でもきっと、君も同じことを思ってるよね。私には分かるんだ。

 

この頃はまだ、間違えて無かった。私はね、本当に間違えたのは、あの時だったと思うんだ。

 

君はどうかな。君は間違いじゃ無かったって思う?

 

……でも、私だって確信があるわけじゃない。

 

だって、あの賭けがどっちの勝ちなのか、まだ結果が出てないんだから。

 

あれ以来、君とあの賭けについて話したことはなかったよね。だからもう、君の方は忘れちゃったのかな? でも私は覚えてるよ。忘れたりしたこともあったけど、君が居なくなって、私は突然思い出したんだ。

 

ねえ、君は今でもそう思っているの?

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

僕は変わった。僕が変わりたいと望んでいたように変わることが出来たのかは分からないが、とにかく僕は変わった。お前のせいだよ。

 

お前も変わった。だがお前は変わりたいとは望んではいなかっただろう。お前はお前の信じるもののために、正しいことをやるためにロドスに来たんだからな。変わるためじゃない。変えるためだったから。僕とは真逆だ。

 

僕はね、何かやりたいことがあったわけじゃなかった。

 

僕はただこの大地が許せなかった。僕から思い出を奪い、約束を奪い、幸福と過去と未来を奪っていったこの大地が本当に許せなかったんだ。

 

そして、全てを憎み続けたままでは何も救うことが出来ないってケルシー先生に諭されて、僕はロドスに来た。

 

なあ、お前には何か許せないものはあるか? 誰かを殺したいほど憎いと思ったことは? 誰を犠牲にしてでも助けたい誰かと出会ったことは? 誰かを殺したことは? 誰かの全てを奪ったことは?

 

僕はあるよ。全部ある。

 

僕は、この大地において何が正しいことなのかを判別することが出来ない。何が正しいことなのかが分からなかったからだ。

 

他人を助けることは、必ずしも正しいことじゃない。裏切られることだってある。

 

他人を守ることは、必ずしも正しいことじゃない。むしろより事態を悪化させてしまうことだってある。

 

それどころか、手を出さない方がうまくいくこともある。いや、その方がずっと多いと思うよ。

 

誰かが誰かを救おうなんて、傲慢で不相応な考えなんだ。だってそうだろ? 別に誰かを助けたって、その誰かが僕を助けてくれるとは限らないんだ。

 

そういう考えが間違っているんだって、お前は言ったよな。

 

だから、僕に何が正しいのかってのを教えたのはお前なんだぜ、ブレイズ。

 

お前は気が付いていないだろうけど。

 

なあ、気がつかなかったろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

私は変わったのかな? ロドスに来て、三年前とは違った考えを持つようになったのかな? あの時出せなかった答えを、今なら出せるとするなら、きっとそれは君のおかげだね。

 

君も変わった。君はきっと、自分を変えたかったんだね。君は君が正しいと思うことが出来るようになるために、君自身がこれ以上間違ってしまわないためにロドスに来たんだ。変えるためじゃない。変わるためだったから。私とは真逆だね。

 

私は、運命っていうものから逃れたかっただけなのかも。

 

私は逃げていただけ。私の過去を、信念を、家族を、奪ってその姿形も見せないままに消えていったあの影から逃げていただけなんだ。

 

いつか必ず戻ってくると誓ったのを言い訳にして、私はロドスに逃げ込んだつもりになっていただけなんだ。

 

ねえ、君には何か大切なものはある? 帰るべき場所は? 守りたい人は? どれほどの代価を払ってでも変えたい何かは? 大切な人の笑顔を守れなかったことは? 信じていた理想が、音を立てて崩れていったことは?

 

私はあるよ。全部ある。

 

私はね、この大地に本当に正義なんてものが存在するのか分からない。本当の正しさも、本当の悪も、それが本当は何なのか分からなかったから。

 

他人を裁くことは、必ずしも公正じゃない。人が人を裁くなら、偏りが生まれる。

 

他人を傷つけることは、必ずしも悪いことじゃない。そうすることでしか変えられない何かが、この大地には存在する。

 

けど何も変えようとしないのなら、ずっと変わらないままだよ。

 

この大地が誰かを傷つけ、傷つけられた誰かがまた誰かを傷つけていくなら、本当に悪いのは誰なの? 一番悪いのは誰なの? 一番の被害者が、一番の加害者なら、私たちは一体どうすればその連鎖を止められるの?

 

そういう考えは本当に正しいのかって、君は言ったよね。

 

だから、私に何が正しいのかっていうのを教えたのは君なんだよ、ブラスト。

 

君はきっと気が付いてないだろうけど。

 

ねえ、気がつかなかったでしょ?

 

 




「……ああ、気がつかなかったさ」

「お前もそうだろ?」

「……うん。知らなかった」

「僕は──今でも、お前が間違っていると思う」

「うん。私も同じことを思ってる。ブラスト。君はやっぱり、間違ってる」













*今回の解説的なものはありません。
間話はまだ終わりではないです。もう数人分は書きます。
なけなしのストックを全部吐いたんでしばらく投稿頻度は死にます。ごめんね。






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グレースロート:10/7 果実酒の作り方

書けたんで投稿します。
きっと性癖に合った話だから、書きやすかったのでしょう……



 

 

 

『君がもしも、これから先──僕のことを微かでも信用できないと感じたら、そのボウガンで僕の頭を撃ち抜けばいい』

 

あんたが言ったんだよ、ブラスト。

 

 

 

 

 

 

10/7 果実酒の作り方

 

 

 

 

 

 

「Ace。あの話は、本当なの」

「何の話だ」

 

Aceはいつも通りの厳つい顔で聞き返した。

 

「とぼけないで。私が知らないとでも思っているの? ブラストのことだよ、任務が組まれるんでしょ」

「俺は知らん。そんな話は聞いたこともない」

「私に知らせるのはリスクがあると判断しているの? まだ私のことが認められない? 私は十分に強くなった。たとえあんたたちが私を認めていなくても──」

 

強い調子で詰め寄るグレースロートに、Aceは平然として言い返す。

 

「そこまで自分で分かっているのなら、その理由もわざわざ俺に聞く必要はないだろう。ブラストに拘りすぎるな。もうヤツはロドスから去り、死んだ。ロドスのオペレーターでない人間が、この大地のどこで何をしようとそいつの勝手だ。わざわざ口を挟んでやるな」

「どうして? 仲間じゃなかったの? エクソリアからの依頼の内容は何? 教えてくれもしないの?」

「質問は一つずつにしろ」

「じゃあその通りにする。エクソリアの、確か……LaoNe(レオーネ)。南部領の統一戦線組織、そこからロドスへ連絡があったんでしょう。その内容を教えて」

「そんな話は聞いたこともない」

「……もういい」

 

かぶりを振ってグレースロートは踵を返した。

 

AceもAceで、やれやれという風にグレースロートを見送った。そして作業室からグレースロートが出て行ったのを確認してから、頭に手を当てて疲れたように息を吐いた。サングラスと、あまり変化のない口元のせいで少々コミカルな図であった。

 

「ブラストめ。立つ鳥跡を濁さずという言葉くらい、聞いたことはなかったものか……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっとぉ〜、フェンちゃん〜! 待ってよぉ〜!」

「急いでクルース! また訓練に遅れたら、ドーベルマン教官にどんな嫌味を言われるか……!」

「う〜!」

 

すれ違って行ったのは誰だったか、予備隊の子たちだっただろうか。まだ少女と表現していい子供たちが必死に走っていった。

 

(……呑気なものだね)

 

どうしてか、そう感じた。グレースロートだって分かっている、今の自分にはそういう日常の些事ですら、許容する余裕が残っていないこと。

 

「──あああっ!? ブラザー、こっちこっち! 何のんびりしてるの、ウィーディーがスパナを投げてきてる! あんなのまともに食らったら、貴重なロドスの財産である僕の顔が額ごと割れちゃうよ!」

「やかましい。割れた方が男前だろう」

「そんな〜! うわ、掠った! ……でも、男前ってのは聞き逃せないな。むしろ一つくらい傷があった方がかっこいいかな?」

「それを心配するよりも先に、足元には気をつけるべきだな。そこの床はよく滑る」

「え? ──うわぁ!?」

 

またバカコンビが何かをやっている。大方ウィーディーをブチギレさせる何かをまたやったのだろう。一週間に一回はやらないと気が済まないのだろうか。

 

冷たい瞳でそっちを一瞥して、またグレースロートは歩いて行った。

 

「ちょ、ちょちょちょ! 待って、待って! 誤解だよ、君が楽しみにしていたプリンの中身を納豆にすり替えたのは僕じゃ──」

「──はあッ!」

 

合掌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん、分かってるよ。大丈夫。次の任務のことは、ちゃんとわかってる。忘れたりしないって」

「本当に大丈夫なの? 私は一ヶ月くらいの長期任務に出るから、寂しくなったらいつでも電話してきていいからね?」

「ブレイズ、お母さんみたい。にゃ」

「ちょっと、私まだママになる気はないんだけど?」

「じゃあ、何になりたいの?」

 

──グレースロートは足を止めた。

 

「……君って、本当に本質を知りたがるよね。そんなの私だってわからないよ」

「わからない?」

「私は何かになりたいんじゃない。やるべきことをやるだけだよ」

「難しい。けど、分かるよ。ブラストを助けに行くんでしょ?」

 

息を殺して柱に隠れた。

 

コツコツと、二人分の足音。

 

「え、知ってたの? 知らせないようにしてたのに……」

「わかるよ。一ヶ月くらい前から、ブレイズ、ちょっと変わったから」

「変わった? どう変わったの?」

「ブラストが居なくなって、しばらく落ち込んでた。でも、また戻った。前よりも何だか、ブレイズはギュッてなってるよ」

「ぎゅ……って。ぎゅって。確かに……ぎゅっ、かなー。でも助けに行くんじゃない。むしろ、ブラストは直接的には関係のない任務だから」

「でも、会いに行くつもりなんでしょ?」

「────。まあね」

 

やっぱりだ。ブレイズなら絶対に参加すると思っていた。

 

「じゃあ、私はこっちだから。それじゃあね、子猫ちゃん」

「うん。頑張って、ブラストと一緒に帰ってきてね」

「……それは、難しいかな──」

 

そう行って、足音はお互いに分かれていった。片方は遠く、片方は近く──

 

「はい、もう出てきていいよ。私に用があるんでしょ?」

「……何? 気づいてたの?」

「子猫ちゃんは多分最初から気がついてたよ。私はもう少し近づかないと分からなかったけど」

「じゃあ、分かってて話してたの?」

「止めたって聞かないじゃん。だったら最初から聞かせた方がいいのに、Aceが譲らなくってさ。まあ、君の方から来てくれたんなら丁度いいか。場所を変えるよ、廊下でする話でもないでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポケットからジャラリと鍵束が鳴った。そのうちの一つを──。

 

「……ここ、ブラストの──自室?」

 

扉に鍵を刺して認証、ロックを解除。

 

「……そのままにしてあるの?」

「うん。私がその分の維持費は負担して、無理言ってそのままにしてあるんだ」

 

──時間がそのまま止まっているようだった。

 

この部屋だけが、半年以上前のあの時のまま。

 

ブラストがあの朝出発して、二度と帰っては来なかったあの時のままだ。

 

机の上には、手書きのノートとペンが残されている。ベッドはあまり使われた痕跡はない。

 

ブレイズはそのままデスクに回って、椅子にどさっと座った。そのままグレースロートに向かい合うと──

 

「さて、何が聞きたい? 小鳥ちゃん」

 

『おや。何か用かな? グレースロート』

 

彼の幻覚が、ブレイズに重なっていた。姿も話し方も全く違う二人のはずのなのに、ブレイズをブラストと見紛った。

 

「……任務の概要と、出発日」

「任務は調査団の護衛。出発日は11月の5日」

「調査隊の護衛?」

「もっと直接的な任務を想定してた? でも違うよ、源石地帯の調査、及び防護保障指導、採掘技術のコンサルタント。それがレオーネから依頼された依頼。私たちはそのおまけ。内戦状態にある国に行くんだから、護衛も付けずには行けないでしょ」

「……じゃあ、ブラストは。あのパンダ、現地にいるんでしょ」

「悩みの種だよ。戻ってきたら懲罰をどうしようか、みんなで会議中。でも取り敢えず今は放っておくしかない。戻って来いって言っても、あっちはそうするつもりはないでしょう。実際、現地からの報告は貴重だし。はぁあ、どうしよっかなー……」

 

──そうやってトラブルと戦いながらどうしようか頭を悩ませている姿は、まるでブラストと瓜二つで。

 

「まあ当然、ブラストもただで放っておくわけじゃないよ。エリートオペレーターとしての責務を裏切って、私たちよりも戦争を選んだ。その過程がどうであれ、私は落とし前をつけさせる気でいる」

「……連れ戻すの?」

「まさか。今更そんなことは出来ないよ。エクソリアみたいにちっちゃい国に対してでも、政治的、軍事的な干渉なんかできる訳ないでしょ。あの馬鹿はもうただの個人じゃなくて、偉めの軍人になっちゃったからね」

 

軍事的な干渉。ブラストに接触するということは、そういった意味を持ち始めていた。グレースロートはまだその実感が湧かない。人一人に会うのに、そんな背景が必要になることが理解できないし、したくもない。

 

「でも干渉し過ぎちゃダメ。ロドスのオペレーターとしてのやるべきこと。やっていいこと。そしてやってはいけないこと。()()()()()()()()()()()()()。分かるでしょ?」

 

『責任と責務がある。僕たちはその中で、自らの道を決めて、その上を歩いて行かなければならない。それが自由ということだよ、グレースロート。そして君はその名前を捨てることもできる』

 

「……どの口で、そんなこと」

「ええっ? ちょ、今の怒るところあった?」

 

──どうして、苛立っているのか?

 

ブレイズはまるでブラストの真似事をしているようだ。本人に自覚があろうと、なかろうと。それが苛立たしい。それともこれは自分の問題なのだろうか。

 

「あのねぇ、何考えてるか知らないけど……はっきり言うよ。君の出る幕はないの」

「あの約束は果たしてもらう。ケルシー先生に伝えて、私を連れて行けって」

「まあ、確かに君の努力を嘘にする気はないよ。少なくとも私はね。でもそれとこれとは話が別」

「話が違う」

「違わないって。ただでさえエクソリアを取り巻く情勢は複雑なの。この依頼は、ロドスにとって無数にある依頼のうちの一つで、特別なものじゃない。取り敢えず、鏡で自分の顔を見てきたらいいよ、そこにあるから」

 

ブレイズは譲らなかった。子供に言い聞かせるような口調で、こっちを真正面から見ようとせず、暇潰しをするように部屋を眺めているだけだ。

 

──腹が立つ。努力して自分の実力はブレイズに認めさせた。エクソリアへの任務があった場合は、ブレイズがケルシー先生に口を利いてくれる約束だったはずだ。

 

それなのにそれを反故にし、自分はエクソリアへ向かうつもりなのだ。都合の良いことばかり並べておいて、結局ブレイズはエクソリアに向かうつもりでいる。

 

「子供扱いしてるの?」

「違うよ。ただ火のついた爆弾を車に乗せていきたくはない。いい? 君は今、オペレーターとしての責務と責任を放り出して、自分一人のために行動しようとしているの。君がやるべきことは他にある。今じゃないの」

「……そんなの、先にその責務と責任ってヤツを放り投げたのは──オペレーターであることを捨てたのはブラストの方じゃないッ!」

 

グレースロートは叫んだ。思わずブレイズも目を白黒させる。

 

「裏切ったんだよッ!? どうしてそんな平然としていられるの──散々偉そうに私に説教垂れておいて、結局全部嘘だったッ! ブラストが全部嘘にしたッ、ロドスを捨てて、信念も言葉も過去も仲間も責任もあんたも私も捨てたんだよッ!?」

 

『……そうだね。確かに、その言葉を否定することはできない』

 

「ぶざけないでッ! 何が仲間のためよ、何が感染者のためよ! 子供を守るだとか、未来を変えるだとか、耳障りの良いことばっかり残すだけ残して全部捨てた……ッ、私はあんたを許さないッ!!」

 

『それが、君の本音?』

 

同じ顔をするな。あんたがブラストと同じ表情を浮かべるな。そんな風に余裕綽綽な表情で私の言葉を受け止めるな。怖気が走る。

 

グレースロートには、真剣な表情で彼女を見据えるブレイズの姿がブラストに見えていた。言葉までがシンクロしている。

 

「もう一度聞くよ。いい? よく考えて答えて。それが短期的な感情の爆発に過ぎないのか、それとも君が本気で考え抜いて、最後に残った本音なのか」

 

『いいかいグレースロート。物事というものは単純なように見えて、非常に複雑な構造を持っている。それが発生するのには、それが発生するに至った経緯があり、その経緯にも原因があって、原因にも理由がある。そしてそれらが複雑に絡み合っている。だから物事を解決したりすることはとても難しいことだ。そして君には二つの手段が残されている』

 

黙れ。

 

『一つは、暴力的な手段による強制的な解決だ。これがもっとも容易く、短期的な解決が可能だ。即効性があるし分かりやすいから、昔はよく僕もこいつを使ったものだが──禍根を残す。それは物事を解消することは出来ても、解決させることは決して出来ない。ただ一つの例外を除いてね』

 

黙れ。

 

『そしてもう一つは、絡まり合った糸を解すように、慎重に解決することだ。時間がかかったり、そのケースごとに全く異なるプロセスを踏まなければならないし、そもそもそれで本当に物事が解決するのかどうかすら分からない。場合によっては、この方法では解決出来ないことが分かるだけという場合もある。むしろそちらの方が多数だ。ただロドスが目指しているのはこちらの方で、本当の意味で物事を理解することができるし、解決する事ができる』

 

黙れ。

 

『だが、本当に難しい。よく考えなければならない。この大地に存在する物事の数はあまりにも多すぎて、それら全てを解決しようと思うのなら、こちらの手段は現実的ではない。結局のところ、外部からの強制力、つまりは暴力による解決になってしまうことばかりだ。つまる所、何も解決することは出来ない』

 

黙れ。

 

『ちなみにだが、さっき言ったただ一つの例外というのは殺してしまうことだ。その物事に関わっている全ての人間を、跡形も残さず、存在していた証拠を全て抹消することだ。次の火種に繋がりそうなものも含めて、完全に破壊して土に埋めてしまうのがいい。やはり死体は山の中に埋めてしまうのがいいだろう。その場合、目撃者も殺して、その目撃者が殺されたこともバレてはいけない。まあ、絡まり合う糸を解すよりかはいくらか簡単ではあるかな』

 

黙れ。

 

『これらが君に残されている手段だ。そして物事にはいくつもの要因が隠されていて、見る角度によって全く違う形を示す。ある人が見れば三角形でも、ある人から見れば四角形だ。ある人から見れば円形かもしれない。もう少し頭を柔らかくして見れば、それは実は紫色をしていることに気がつくだろう。そして、なぜ紫色をしているのか? もともとそうだったのか? それとも赤と青を混ぜたからそうなったのか? 本当にその色を作ろうとしていたのか? 何かの手違いでそうなったのか? だとしたら、それは一体なぜ?』

 

黙れ。

 

『それを解決するにはどうしたらいいのか? 真っ黒のインクで塗り潰して、全てを黒色の中に葬り去って染め上げるか? それとも水で洗い流すか? そうした場合、紙が破れてしまわないか? 破れてしまったらどうなる? では別の色を足すのか? 本来あるべき色を探し出し、その色に染めるべきなのか? だが紫色に何か色を足して白色にすることは出来ない。色に色を足していけば、最終的には黒くなってしまう。そうなってしまえば、絶対に元には戻らない。本来描きたかった絵も、全く別のものに変貌する。だがそれがいい方向に働くこともある。そして最悪の結果をもたらすこともある。だから』

 

「だから君は、()()()()()決めなきゃいけない」

 

──今のは、どっちが話していたのだろうか。今のはブレイズが話していることなのか、ブラストが話していたことなのか。それとも両方?

 

『君の本当の望みが何なのか。君の描きたい絵が何色で、どんな形をしているのかどうか。()()()()()決めるんだ』

 

「そしてそれをするために何が必要なのか。どのようにしてそれをしなければならないのか」

 

『だから、君にとって何か重大なことを決めるときは──()()()()()決めなければならないよ』

 

「君自身が、黒く染まってしまわないために」

 

ブレイズが真っ直ぐにグレースロートに目を合わせて、そう言い放った。

 

「……私は、どうしても許せない。裏切り者に何を言われたって私の意見は変わらない。私はよく考えた。あんたに言われた通りに()()()()()。必要ない考えを捨てて、選んで、私はよく考えた」

 

同じように、人を殺しそうな顔でグレースロートはブラストの亡霊を睨みつけて、執念の滲み出た声で静かに呟いた。

 

「私はあんたを許さない。許すことが出来ない。……あんたが言った通り、私はあんたのことを信用出来ないから、あんたが言った通りに、あんたの頭を撃ち抜いて」

 

濁った瞳が標的を捉えている。

 

「殺してやる」

 

よく考えて、考えて、考えて、グレースロートは──

 

かつてブラストと名乗っていた青年を、殺すことにした。

 

 

 

 

 





※アンケートでもっとも票を集めたロドスでの話です。こんな話になっちゃってごめんね。

・フェンとクルース
うっ(心臓麻痺)
画中人での話を読んでいたら所々で心臓が止まりかけました。

・うに
貴重なコミカル要因

・エリジウム
歩く空気清浄機

・ウィーディー
気がついたら全特化3になっていた
スキル2特化したら攻撃力やばくて草

・グレースロート
よく考えた結果、やっぱりあのクソ狐を殺してやろうと思い立った。
正解です……

・ブレイズ
大人の事情を持ち出してグレースロートを説得しようとした結果、見事に地雷を踏み抜いた。
まるでブラストみたいだぁ……

・ブラスト
この時は多分昼寝とかしてます




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スカベンジャー:7/21 to 9/25 野良犬に首輪はいらない

「……ほら、見てあの人」

「ああ、たまーに見るよな。出入りの業者さんとか?」

「違うよ、そんな訳ないじゃん。あの人、黒い噂が流れてるの。暗殺者なんだって」

「あ、暗殺者? なんだよそれ、レオーネにはそんなヤツがいるのか?」

「だからほら、見てよあの目。怖くない? ──やばっ、目が合った!」

「やめろって! 嘘でも本当でも、近づかなきゃいいだけの話だろう!」

 

 

 

 

私は犬だ。

 

 

命令に従う猟犬だ。

 

 

 

 

 

 

 

スカベンジャー:7/21 野良犬に首輪は要らない

 

 

 

 

 

 

殺し方にいいも悪いもない。なのでどう殺すかは気分次第というところがなくはない。

 

だがそれは昔の話だ。今はなるべく後片付けが楽な殺し方を選んでいる。首筋は確実だが、床が汚れるし返り血がついて面倒臭い。

 

だから今は、なるべく血が飛び散らないように殺すことにしている。所詮仕事だ、楽な方がいい。

 

「……エールの飼い犬か。私を殺したところで、一体何が変わるものか」

「それを考えるのはあんたの仕事じゃない。お前の飼い犬も全て始末した。あの程度じゃ、飼い主の質も知れるな」

「その通りかもしれない。そして、お前のご主人様の質も知れる。いつまでもイタチごっこを続けているのがお似合いだぞ、フリスビーで遊ぶ犬のようにな。楽しいだろう?」

「あんたはもう用済みだ。安心しろ、今日も変わらずゴミ収集車は走っている。腐らないうちに処理してやる」

「……エールに伝えておけ、まだ何も終わってはいないとな」

「知ったことか、クズが」

 

──しまった。

 

言葉に煽られて、つい首を飛ばしてしまった。片付けが面倒だ──部下にやらせることにする。

 

「……私だ。掃除をしておけ。ああ、あの寺の中だ。腐る前に片付けておけ」

 

文句が返ってきたが構わず通話を切った。

 

──この国に来てから、これで合計で何人目だ?

 

32……いや、3。33人目か? よく律儀に覚えているものだ。

 

まだ血の気が失われ切っていない男の首から上が、死んだ後も恨めしそうにこっちを睨んでいた。下らない──すぐに背を向けて、今日はさっさと寝るとするか。

 

「……後、どれだけだ。あと何人殺せば、私は──」

 

私は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8/8

 

 

 

 

 

 

 

「……なんだと?」

「だから、君には伝えておかなくてはならないと判断した。これから一年も経たないうちに、僕は全ての記憶を失うだろう。その可能性が高い」

 

その態度と言葉の重さが釣り合わず、思わず馬鹿なことを言い始めたとつい思った。

 

「だから、君の任務は君自身で判断して進めていかなければならない場面が増えてくる。イェ・リ・シンの処遇は、まだ決めかねている。僕はそいつすら忘れていくかもしれない。もちろんある程度の対策はするが、即決が求められる場面になった時、僕の判断はもう役に立たないと思え」

「つまり、私に──お前の代わりになれ、と言っているのか?」

「そこまでは言わないが、近いことはやってもらいたい。君も理解している通り、君の仕事は、これ以上身内に足を引っ張られないために行っていることだ。この国じゃ、小さな火種が大爆発の原因になりかねない。……だから、君が代わりにやってくれ。今はまだ影響は薄いが……すぐに僕はだんだんと様々なことを忘れていくだろう」

「お前、それで──、……どうするつもりだ。あんたは──」

「何、時間制限がついただけだ。今更どうということもない」

 

──目的以外の全てを犠牲にすると、そう言った。

 

記憶を無くすということは自分を失っていくことだ。それで構わないのか? 記憶を失えば、何のために目的を達成したかったのかすら忘れてしまうのに。

 

「あんたは……それで、いいのか?」

「これ以外に道はない。もとより破滅は覚悟の上だ。人よりも大きな何かをやり遂げようと思うのなら、人よりもより多くのものを失う。この世の全てはトレードオフだ。小国とはいえ、国の運命を決めようなんて傲慢な考えだよ。手に負えるものじゃない、だがやらないわけにはいかない。もう引っ込みもつかない」

 

そこに悲観も諦観もない。ただ平然といつも通り、日々の仕事をこなすように。

 

エールは慣れた手つきで、片腕だけで煙草を咥えて火をつけた。本部の屋上には、ほぼエール専用になっている喫煙所がある。最も、この国にはそんなものは必要ないのだが。

 

ここからは街が見渡せる。アルゴンの、どこまでも続いていきそうな白い街並み。雑多で汚く、そして活気に溢れた街。

 

曰く、国の経済状況を理解するのは、建物の高さを見るといいと言う。10階建てのビルが平然とある街と、最も高くてせいぜい3階程度しかない街の経済状況は全く違う。龍門の摩天楼と比べれば、こんな街は砂場遊びで作ったようなものだろう。

 

だが、人々が生きている。

 

「僕はね、やはりこの国が嫌いだよ」

 

スカベンジャーも、なんとなく風景を眺めている。

 

「エクソリアは奴隷の国だ。ウルサスに支配され、内乱を引き起こされ、紛争を百年間も飽きずに続けていた。そのせいで経済的な発展が出来ず、この国は時代に取り残され、今では世界有数の弱国だ。ウルサスの前は古代王国アガモンへの朝貢を続けざるを得ず、その際も都合の良い防波堤として削られ続けていた」

 

時々、どこからそんな知識を得ているのか気になる時がある。スカベンジャーはそんなことに興味を持ったことはなかった。

 

「だがその奴隷の国に、とんでもない爆弾が見つかった。運命ってのはつくづく皮肉だが、どうしてこんな辺境の小国に良質で大量の源石が見つかるんだろうな。酷い話だとは思わないか? この戦争の縮図ってのは、結局はいじめっ子といじめられっ子が一人ずついるだけだ。エクソリアという国はどこまで行っても、哀れで悲しい奴隷の国──」

 

先日起きたリン家との抗争は、ある一つのテーマに基づいていた。そのいじめられっ子であるエクソリアが、今まで通りにいじめっ子のいう通りにするか、それともいじめっ子に逆らうのか。こう表現すると、所詮は戦争などと単純なところに帰結するように思う。

 

「……いいや、愚痴だな。こんなものは」

 

珍しく疲れたように、エールは紫煙を吐き出した。

 

「君には、いくつか謝ろうと思っていることがある」

 

手すりにもたれかかって、エールは街を見下ろしたまま言う。

 

「しばらくすると、僕は彼女──ミーファンのことを忘れてしまうだろう。もう名前程度しか思い出せないんだ。彼女の名前もその存在も、すでに無数に生み出された犠牲者たちの山に埋もれていく」

 

スカベンジャーはエールの背と、街の風景をぼんやりと捉えて立ったまま。

 

「だから、彼女のことを本当に覚えていられるのは、きっと君だけになってしまうな」

 

ミーファンの血縁者は皆命を落とした。彼女が末裔であり、そして命を落とした。彼女を殺した人間は、まだ生きている。

 

「……それがどうした?」

「君の戦いと、痛みと……そして孤独は、いつまでも君自身が一人で抱えることになる。すまなかったな、君の孤独を、僕では分かってやれない」

 

まるで冗談の気がない言葉──そうだった。この男はこんなことを真剣に言うような人間だった。

 

「余計なお世話だ。そんなもの、あんたが謝るようなことじゃない。私の抱える全ては私のものだ。……口を挟むな」

「……ふ、そうだったね」

 

疲れたように口元を緩めた姿に、スカベンジャーが何を思ったのかは定かではない。別に理由などないのかもしれない。

 

「一つ、寄越せ」

「……、ああ。ほら」

 

エールが少し嬉しそうに笑って、煙草の箱を向けた。そこから一本取ると、慣れない手つきで口に挟む。

 

使い古されたライターに火を灯して、火を着けてやった。

 

「──ごほっ、げほっ……」

「ふふ……初めは咽せる。口の中に、煙を溜めて冷やすんだ。それから肺に入れると良い」

「……うるさい」

 

だが言われた通りにそうした。

 

二人分の煙が空気の中へ溶けていく。

 

「それにしても、初めて吸うの? 意外だな」

「……前から思っていたが、お前はお喋りが過ぎる」

「そうかな? 君の方こそ、結構お喋りなところはあると思うけどね」

「誰が。もしそうだとしても、お前ほどじゃない────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/24

 

 

 

 

 

 

 

 

「エール。何をしている、ホークンへ向かうんじゃなかったのか?」

「……そうだったっけ?」

「……チッ! お前、昨日自分が言っていたことも忘れたのか。完全にボケ老人だぞ」

「む。この若々しい姿を見て酷い言い草だ。……目的は?」

「リ・チェ市長に会う。最後の交渉だ。ヤツは未だに揺れている。あるいは無血開城の可能性もある。会合はホークンの高級料亭で行われるはずだ、すぐに出るぞ──お前自身が書き残していたメモがあったはずだ。それを読め、ポケットに入っているはずだ」

 

どうにも呆然としているというか、何も考えていないような──エールはそんな不思議な表情のまま左腕でカーゴパンツのポケットを探った。

 

びっしりと隙間なく文字が連なるメモ帳を、ちょうど三十秒ほど眺めていたエールだが、少し目を閉じると──。

 

「うん。思い出したよ、そうだったね」

 

本当にこんなので大丈夫なのか? この国はもう終わりなんじゃないか──と、毎回思う。スカベンジャーはいつも頭痛がしそうだ、が。

 

「──行こう。ついて来いスカベンジャー」

 

開いた瞳の色を確認して、ようやく一安心といったところだ。毎度驚かされる、まるでメモの中から継承しているようだ。

 

断続的な連続性──エールは、常に昨日からの自分のメッセージを受け取って、日々生まれ変わり続けている。

 

そしてその度に、少しずつ研ぎ澄まされているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

「ホークンに部下を潜入させているんだろう。報告を」

「……そのことは、お前には伝えていなかったはずだがな」

「うん? ああ……今の君なら、当然やっているはずだと思っただけだよ。君も随分らしくなってきたじゃないか」

 

軍事用の無骨な車両に乗り込みながら、軽口を叩くように。運転席に座るのも慣れてしまった。まるっきり介護だ。

 

「大きな変化はない。北部は沈黙を保っている、越境警備隊にも動きはない。ヤツが未だに揺れ惑っているのは、どうやら信用していい情報だ」

「どうかな。僕はあまり期待しちゃいないよ」

「なら、なぜわざわざ敵地へと行く必要がある」

「場合によってはその場で殺すためかな」

「……お前、一体何を考えている?」

「あ、今のは冗談だよ。うそうそ」

「……もういい」

 

──付き合い切れない。

 

だがこうやって木偶の棒よろしくスカベンジャーは介護職員になっている。記憶喪失への対策のためにメモを残そうとも、そのメモの存在すら忘れてしまうような馬鹿だ。大体どうして私なんだ? 使える部下など、他にいくらでもいるだろうに──。

 

「あ、そうだ。途中アルゴンへ寄るだろう? 用事を思い出したんだ、止まってくれ」

「……待っていれば良いんだな」

「うん。……あ、そうだ。せっかくだし君も付き合わない?」

「飯なら一人で食ってろ」

「ご飯じゃないよ。実はアルゴンには腕のいい彫り師がいるって聞いてさ」

「彫り師? 刺青か」

「そう。前からやってみたかったんだよね、タトゥー。いいデザインを思い付いた」

「……勝手にやっていろ。私は興味などない」

「そう? 似合うと思うけどなぁ」

 

誰がだ。

 

──自分という存在が、日毎に失われているにも関わらず、エールの軽口は日に日に増していくばかりだ。口調も段々と軽くなったり、あるいはその存在感すら──。

 

「……お前は、怖くないのか?」

「何が?」

「自分では気づくはずもないが、お前は……まるで、一日ごとに死んで、そして蘇っているようだ。一週間前のお前と、今のお前は性格が違う。それすらも覚えていないのか」

「だって覚えてないもんね。でもそれは普通のことさ。そりゃあ、一週間前の自分の存在くらいは覚えているかもしれないけど、一週間前の朝ごはんとか何食べたかなんて覚えてないでしょ? でも何も問題ない。日常的なところでは、自覚的に思い出せるのはせいぜい一時間前のことぐらいだよ。記憶に連続性がなくとも、体には存在する。心臓はずっと動いているのさ」

「イカれてる」

 

異常だが、そう言われてみると妙に納得してしまうような自分もいて、やりくるめられた気がして腹が立つ。

 

「忘れたいことと忘れたくないことがある。だが……古い小説の一つがこんな始まり方をする。曰く──」

 

"なぜそんなに飲むのだ"

 

"忘れるためさ"

 

"何を忘れたいのだ"

 

"……。忘れたよ、そんなことは"*1

 

「思わず唸ったものさ。シニカルで破滅的だが、どうにも僕はこの一節が気に入った。何を忘れたいかすら忘れてしまった。忘れたいことを忘れられたんだ、だがその忘れられた事実すらも忘れたい。酔っ払いの考えにしては、どうにも哲学的過ぎるとは思わない?」

「……ただの酔っ払いの戯言に過ぎないな」

「どうかな? 君だって他人事じゃないと思うよ」

 

車の窓に流れる風景にも見飽きていたが、横でぺちゃくちゃとうるさい酔っ払いの戯言にもうんざりである。

 

緑と荒地、時々見える巨大な結晶垂。天災に汚染された自然がこの国の自然であり、どうしてか妙に緑深くて抒情的──と、見る人が見ればそう見えるが、スカベンジャーにとってはただの色の配色でしかなく、それ以下ではあってもそれ以上ではなかった。

 

「だってそうだろう? 忘れたことも忘れたなら、何一つとして覚えていないってことだ。悪魔の証明が言うように、君はもしかしたら何かを忘れて、それすらも忘れてしまった可能性を決して否定することはできないんだぜ。だって忘れてしまったのだから」

「お前に言われるようじゃ、私も末期だ」

 

大体そっちの方こそ──。

 

「自分の心配でもしていろ。例えば聞くが、お前は自分の名前を言えるか?」

「エール。この名前はなかなか忘れないし、そう周りがそう呼んでくれるからね」

「じゃあその前の名前は」

「前? 前って?」

「もういい、分かった」

「え。……じゃあなんだ、僕は忘れたことも忘れられたんだな」

「はっ、良かったな。忘れたかったんだろう?」

「どうかな。"忘れたよ、そんなことは"」

 

一節に擬えた、少し遊んだ言葉でエールは軽々しく笑った。

 

「だが、君だって忘れているかもしれない」

「何の話だ?」

「今の話だよ。君にだって、前の名前──本当の名前があるはず。スカベンジャーが本名じゃないだろ?」

「名前などなんでもいい。親から付けられた名前と、自分で決めた名前に差などない、他人と自分の区別がつけば良い。名前など──"忘れたよ、そんなことは"」

「お。案外ノリがいい」

「……黙ってろ。飛ばすぞ」

 

ちょっと恥ずかしくなったのは内緒である。

 

どこまでも果てのない草原の道を、源石エンジンを回しながら車両は走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鉱石都市『ホークン』。その名に相応しい鉱石──源石産業の街。

 

ここの街は特に酷い。粉塵が常に大気に舞い、空気が霞みがかっている。地質が硬く、乾いたような地面の色と、高低差のある建物。山の麓に建築された街は数十年前までは単純な鉄鉱系の街に過ぎなかった。だが二年ほど前からこの街は変わった。元からひどく汚い都市だったが、最悪に変わった。

 

「……これは、酷いな」

「窓を閉めるよ。この街の粉塵──何が混ざっているのか分かったものじゃない。空気系にフィルターを入れてくれ」

 

その言葉を裏付けるように、この街の鉱石病感染率は飛び抜けて高い。自覚症状のあるなしに関わらず、鉱石病の痛みに苦しみながら、十分な医療設備もないままに労働を強いられていた。

 

発展途上の街では、安全など度外視されている。そもそもそういった概念があることを知らないが如く、命の安全と引き換えにして作業効率だけを追い求めている死人の街。それがホークン。

 

あるいは、この大気に舞う粉塵には、本当に未精製源石が混ざっているのかも──。

 

「……最悪だな。よくここの連中は、文句の一つも言わないのか?」

「工業において、生産性と安全は引き換えだよ。……だが、酷いな。想像以上だ、現実は想定を容易に飛び越えてくるが、それにしたってこれは酷過ぎる。そこの人、腕に結晶が出てる──あっちは……末期症状? あれは──」

 

──この世の終わりと言われても、そう疑問は抱かない。道端に倒れているのは鉱石病の痛みに耐えかねてそうしているのだろう。

 

「……すぐに目的地に向かおう。報告は当てにならなかったな。君の部下もすぐに引き上げさせた方がいい」

「勝手に上がっているだろう。……というか、知らなかったのか? お前が?」

「……」

 

ホークンが変化したのはこの1、2年程度だ。それは数年前に北部にホークンを奪われてからの変化だった。

 

当然、レオーネもスパイは送り込んでいた。だがその尽くが戻ってこなかったことから、それ以上の調査は辞めにした。国境の封鎖は厳重であり、見つからずに潜入するにはジャングルを越えていくしかないが、それもまた非常に危険を伴ったためだ。

 

「……この都市を、落とす──か」

 

病人の街、工業の街、最悪の地。呪われた労働者たちの、呪われた街。

 

「こんな場所を奪い取ったところで、わざわざ毒物を食うのと何が変わるわけではないだろう。下らない……」

 

あのスカベンジャーですら、多少の嫌悪感を滲ませている。

 

「とにかく行くよ。まずはここのトップの面を拝んでやらないと──」

 

そしてこの街のために戦争をするか、しなくていいのかをはっきりさせなくてはならない。スカベンジャーだって、その程度の意識は持っていた。

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

いわゆる高級料亭というのは、どうにもベクトルが違うというか──。

 

「ようこそ来られた。ホークンへようこそ」

 

──ただ、粉塵の影響はない。全面張りのガラスから霧がかって汚れた街と労働者たちを見下ろす立場に立つことを高級と呼ぶのであれば、まさしくここは高級店と言って差し支えない。

 

ぶかぶかと太って、弱々しい表情でこっちを値踏みしている男が、この街の市長──リ・イェ・ハン。通称リ・イェ。何ともらしいというべきか──。

 

「お招き感謝します──と、言うつもりはありません。初めに伝えておきます。僕と彼女は一切の飲食をするつもりはありません。理由は分かっていますね」

「もちろんですとも……。ですが、そちらの方は──ああ、猟犬の。噂は聞いていますよ、レオーネの番犬殿ですな。ほっほっほ──」

 

見下したような侮蔑の視線が遠慮なくスカベンジャーに注がれる。思わず殺してしまいそうだ──エールがそれを手で制す。

 

「はい。彼女が僕の右腕です」

「ほっほっ──文字通りの?」

「ええ。失った右腕が惜しくはないのは、代わりがあるからです」

「ほほっ! ご冗談がお好きですな──そのような下賤の者が右腕とは。()()()()()関係なのですかな?」

 

──スカベンジャーは、殺意が漏れ出さないようにするのが手一杯だった。今すぐに殺さないのは、リ・チェの利用価値がまだ優っているからだ。これはエールの仕事で、自分は付き添いに過ぎない。出しゃ張るべきではない、どれだけ殺したいと思っていても──。

 

「……初めに、伝えておくべきことを間違ってしまいましたね。一つには、まず──」

 

微笑を浮かべたままの顔でエールは、あるいはそのまま殺してしまいそうな殺気を──

 

()()()()()()()()()()()()()。あなたは、まだ何かを選べる立場だと思っているのか?」

 

真正面から、針のような殺気を叩きつけた。

 

修羅場を潜ってきた戦士の殺気は、時に首元にナイフを突きつけられているような錯覚を起こす。エールのそれともなれば尚更で──。

 

「いいか? よく観察して、よく調べて、()()()()()。果たしてどちらにつくべきが最善であるか。どうすれば生き残れるのか。勝ち馬に乗りたいのなら、まずはそれが誰なのかを知らなくては」

 

息が出来ない。瞬きが出来ない。目を逸らせない。体が動かせない。

 

生命としての恐怖が縄になって、全身を縛り付けているかのように──リ・チェの体を締め上げる。

 

「そのためにまず、()()()()()()()()()()()。理性と品性に従って、一言一言()()()()()()()。もしも、あなたがそれも出来ないような肉達磨に過ぎなかったとしたならば」

 

ガラスの下、いくらか切り立った地にある料亭から見下ろすことの出来る汚れた都市、ホークンの労働者たちが忙しなく動いている。働かなければ彼らに待つのは当然──だが、身を粉にして働いたとして、彼らに未来があるかどうかは怪しい。

 

最も、彼らよりも死に近い場所はここかもしれない。

 

「その首の上側は、必要ないかもしれないな?」

──殺される。

 

一つの生命としての警報が鳴り続けていた。その警報は心臓の鼓動となって現れ、無意味に躍動している。

 

「さあ、話し合いましょう。我々は良き友人になれる。そうでしょう?」

 

──この悪魔と言葉を交わさなくてはならないというのか。

 

「あなたの運命は、あなた自身が決める──この街の運命と同様に。くれぐれも、口を滑らせないようにしなくては」

 

カラカラに乾いた口で、地雷原を歩く時のような無意味な慎重さで、リ・チェは答え始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

帰りの道すがら、しばらくの間スカベンジャーは口を開かなかったし、エールも同様だった。

 

ホークンを抜けて、越境し──口を開いたのは、それからしばらくしてだった。

 

「良かったのか?」

「……さあね。ヤツは小物だ。そういう手合いがどっちに転ぶかは最後の最後まで読めない。だが出来る限りのことはした。あとは賭けだ」

「……本当に勝算はあるのか?」

「ある。十分なベッドはした。あとはカードが裏返されるのを待つだけかな」

 

ほとんど脅しているようにしか思えなかった。だがそれが効果的だったのか? まだ結果は出ていない──ヤツが寝返るかどうかの回答が来るまでは、時間を待たなくてはならない。

 

──ただ、こんな話題など本当はどうでも良かった。

 

「……何のつもりだった」

「何のこと?」

「あんなものは完全に脅しだ。震え上がったネズミこそ、どこに逃げていくか分からない」

「だが、ヤツは()()()()()()()()()()()。どちらがより都合のいい逃げ道か、多少頭が回るネズミなら気がつくはず──彼が()()()なのか。賭けてみない?」

「……私が相手にならなくても、お前はもう賭けてる」

「ありゃ。確かにそうだ」

 

リ・チェは悪知恵が働いた。そのために自らはホークン陥落後も市長の座に留まり続け、源石鉱脈が生み出す莫大な富の一部を掻っ攫うことが出来た。

 

だがどこかのタイミングで、リ・チェはやり過ぎてしまった。北部へ流さなければならない源石の一部をピンハネして、さらに高額にして南部にすら密輸し始めた。

 

リ・チェは元南部領のホークン領主でありながらそれを裏切り北部につき、今度は北部にすら追われることになる。この男がどちらに転ぶのか──その結果次第で、エクソリア全土の運命は変わる。

 

「……あんなクズばかり、どうしてか上に居座っている。あの男が無事に寝返れば、またヤツを生かしておくのか?」

「少なくとも終戦までは生かしておいた方がいい。あんな男でも、居なくなればホークンに大きな混乱が起こる。悪政もまた秩序の一つなんだ。それでも混沌よりは、いくらかマシなものだと思うよ──ああ、それとも殺したかった?」

 

揶揄うような調子で、結構恐ろしいことを平然と口にするあたりこの男は狂っている。ここで肯定すれば、あっさりと"じゃあやっぱり殺そう"とか言い出しそうだ。

 

「……お前はどうなんだ」

「別にどっちでもいい。利用価値があるうちは殺そうとは思わないし、僕の個人的な感情でも同じだ」

 

掴みどころのない返答を返すエールに、いい加減我慢ならなくなって問いただすように言う。

 

「じゃあ、なぜ私を庇った?」

「庇った──最初の時のこと? まあ確かに、そうとも言うのかな」

 

あからさまな侮蔑の視線をぶつけられても、スカベンジャーは何もする気はなかった。殺してやりたかったが、理性はそれを許可しなかった。

 

それをすると、横のバカの妨げになってしまうから。

 

「ま、あれぐらいで許してやってくれ。どうしても殺したいってのなら、最後の始末は君に任せるけど」

「……あれぐらいで殺すの何のやっていればキリがない。侮蔑にも慣れた」

「前から思っていたんだが、君は実は卑屈なんだな?」

「下らない連中に何を思われようがどうでもいい。私のことでどうこう言われてもいちいち気にするな。前から思っていたが、お前は余計なお世話を焼き過ぎる」

「さあね。だが仲間を侮辱されて、黙ってはいられないものさ」

 

──そういうところだ。

 

「あんたはただの雇用主で、私はただの掃除屋だ。仲間ヅラをするな」

「釣れないねぇ……。今更ただの掃除屋なんて立場じゃないだろうに」

 

そうエールが言うように、スカベンジャーへの報酬の額は月毎に跳ね上がっていった。その苦労と仕事に見合うだけの、一国の存亡に関わるのに相応しいだけのそれが龍門幣で支払われている。

 

以前であれば、もうとっくにこの国を去っていたはずだ。十分稼いだと判断して、この危険な情勢にある国から脱出するように、また別の寝ぐらを求めて彷徨う──そうしようと思っていた。もはやロドスを裏切った自分は帰る場所もない。

 

そのはずだった。

 

「頼りにしているのさ。僕はマジな方で、君を右腕だと思っているんだよ。文字通りね」

「……最悪だ。最悪に不吉だ。二度と口にするな……」

 

一回右腕を物理的に失った男の右腕になど誰がなりたいものだろうか。前科がある──もう一度失われるかもしれない。そんな結末は御免である。

 

「ははは。出来るだけ言わないように努力するけど、多分明日になったら忘れてるよ」

「……後で手帳を貸せ。忘れても思い出せるように、きっちり書いておいてやる」

「何、君が望もうと望まずともそうなるよ。君のいる場所は特等席なんだ、いっそ羨ましいね?」

「何の話だ!」

「劇を理解するのには、見るだけではなく実際に演じてみるのがいい。この国が迎える結末を、役者の一人として見届けられる。そしてその中に、君が追い求める答えがある」

 

茶化すような口ぶりだが、妙に核心的で分かったようなことばかりだ。こんなのをずっと横で聞かされる身にもなってみろ、いい加減うんざりする。

 

「……お前の軽口に付き合うのも疲れた。少しくらいは黙れ。一ヶ月前のお前はいくらかマシだった」

「記憶にございません。それ実は僕じゃないんだよね」

「はぁぁぁ──」

 

ここまで来ると、舌打ちするのもエネルギーの無駄だ。

 

そして別に嘘を言っているわけでも、ふざけているわけでもないと言うのが一番の問題だ。

 

「記憶がないことの問題点は過去の失敗から学べないことだ。自分の右腕を失った原因くらい覚えてろ……」

「記録は付けているはずだよ。まあその紙はここにはないから思い出せないんだが、想像くらいは付く。原因は……そうだな、君が横に居なかった。それぐらいだな」

「私は一体、何回"冗談じゃない"と言えばいい。お前は誰かと肩を並べて戦えない人種だ」

「その理由は?」

「お前は……誰かと共に戦うには、凶暴過ぎる。お前は獣だ。人間の真似をしている猛獣──仲間を持たず、番もいない。一人で戦うのが、最も強く、そして厄介な……化け物だ、お前は」

 

あの時、スカベンジャーは本当に天災が突如現れたと勘違いした。

 

そしてその後、それがたった一人によって引き起こされたアーツによるものだと知った時、スカベンジャーは諦めたのだ。こんな化け物がいるのなら、多少この大地がクソでも仕方ないと。

 

「そうかなあ……。そもそも僕って強いの? 主観じゃあ戦ったこともないんだし」

「はっ……体が覚えているだろう。さっきの殺気を自分で理解してないのか? ヤツの顔は見ものだった」

「さっきの殺気? ギャグ?」

「黙れ!」

 

もう台無しだ。シリアスが続かない。

 

「嘘だって。揶揄っただけだよ、叫ばないで」

 

もう黙ることにした。何も反応しなければ、このバカも喋りようがないだろう。いちいち律儀に反応してやるから図に乗る。

 

だからもう軽口には付き合わないことにして、多少は運転の方にも集中しよう──と言っても、どうせ代わり映えのしない景色が続くだけなのだが。

 

「まあまあ。君があくまで自分のことを野良犬だと思っているのなら、当然それも君の勝手だ。忠犬も猟犬も君の性ではないだろう? やはり野良犬だ。今は餌を与えられているだけだが、君はやはり本質的には野良犬と表現するべきなのだろう」

 

……我慢だ。いちいち叫んだって仕方ないし、青筋が浮かんでも耐えろ。この男の場合、バカにしようとしているのではなく本気でそう言っているのだ。だから問題なのだが。

 

「おっと、誤解するなよ? 僕は愛玩動物全般が嫌いだが──野良はいい」

 

聞く人間が聞けばキレる一言を混ぜながらエールは続けて言った。

 

「都市に生きる野良も、野生に生きる動物も──飼われれば確かに安全だ。生存のためには合理的だし、ペットとして生きる道もあるんだろう。市場も存在するし、これに関しては人間側が飼いたい場合の方が圧倒的に多いから、こういうのを極論って言うんだろうが……」

 

気がつけばその言葉に意識を取られているのが気に食わない。おそらく喉にでも悪魔を飼っているのだろう。

 

「ビル街の裏路地で寝ている汚い野良犬は、誇り高い生き方をしている。明日死ぬとも分からない暮らしと引き換えであるかのように、彼らは誇りある姿で生きているのさ。人によっては惨めな姿でもね」

「……じゃあ、ペットはどうなんだ?」

 

結局反応してしまった。お喋りなのはどっちか分からない。

 

「あんなものは奴隷だな。生きてる価値ないんじゃない?」

 

一般的な価値観に照らし合わせて、おそらく最悪の答えを軽々しく口にする。エールはそんな人間性を持ち合わせている。

 

「だが、あんたもかつては飼われていた」

「そうみたいだね。けどこうやって野良犬をやってるんだし、やっぱり合わなかったんじゃないかなぁ。まあ何はともあれ──誇り。誇りだよ」

 

エールは楽しそうに語り続けた。

 

「自らに恥じない生き方をすること。後悔しない生き方をすること──特に、僕たちのような野良にとって、それだけが全てだ。このクソ溜めばかりの大地で、誇りを持って生き、誇りを持って死ぬこと」

「……そんな下らないものに、私まで一緒にするな。お前だけでやってろ。何が誇りだ、そんなものは何の役にも立たない。それこそ犬にでも食わせておけ」

「いいや。スカベンジャー……その名前と、その野良犬としての生き方にに誇りを持ちなよ。誰がそれを見下し、侮辱しても関係などない。僕が保証しよう、君は誇り高い。まあ犬っつっても君はザラック(ネズミ)なんだけどね、ははは」

 

最後の一言が致命的に余計だった。

 

もうこいつは何も喋らない方がいい。特にこのバカを信じ切っている南部の連中の前では、一言だって喋らせない方がいい。最悪この戦争が終わる可能性もある。

 

「もうお前は黙れ。一ヶ月ほど前の、お前の情けない姿をビデオを撮っておけばこんな時にお前を黙らせることが出来た……チッ!」

「だからそれ僕じゃないし。別人だって」

「うるさい。バカが感染る。もう私に話しかけるな。黙れ」

「どうせ暇なんだ、もう一時間ばかり付き合いなよ」

「……この国に来たのは間違いだった」

 

本当に鬱陶しそうに──まるで、撫でられるのを嫌がる野良犬のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

9/25

 

 

 

 

 

 

 

 

「……。何だと?」

 

──その報が飛び込んできたのは、リ・チェからホークンを南部領に対して解放することを確約する連絡が来た次の日のことだった。

 

「言った通りだ。ヤツは殺された。……見込みが外れた。彼がその辺りのことでヘマをするようには思えなかった──少なくともその時の僕は、そう判断していたようだね」

「諜報に情報を掴まれたのか。間抜けが……」

 

流石にがっくり来た、と言うのは誇張しすぎだろうが、結局無駄骨になってしまった。

 

「どうかな。裏切る以上は、彼は絶対にそれがバレてはならなかったんだ。万全を期したはずだし、そもそも都市としてのホークンはその動きは見せなかった。……彼の裏切りは、南部ですらまだ極秘も極秘──ましてや北部には、以前のような情報網は残っていない」

「運が悪かった可能性もある」

「否定しない。その場合、本当に運が悪かったのは彼じゃなくて僕の方だな」

 

軽くため息を吐いてエールはぼやいた。

 

「賭けは僕の負け、かぁ……。勝てると思ってたのになー……」

「はっ……舐めていたのはお前の方だったな」

「どうかな、それを決めるにはもう少し考えないと。……舐めていた、違う。きっと舐めていたわけじゃない。何かを見落としている。何か……」

 

ぶつぶつと呟きながら思案している。

 

「……何かを、見落としている? 可能性は──あるな。ある。スカベンジャー、何か気になることを言え。ずっと前のことでもいい。何でもいいから言え」

「私をAIか何かだと勘違いしているらしいな」

「いいから言え。どんな些細なことでも、下らないことでもいい。むしろそれだ、直接的に関わることじゃない方がそれらしいかもしれない」

「チッ……」

 

結構真面目な雰囲気だったので、仕方なくスカベンジャーはいう通りに過去を漁ってみた。

 

しばらく考えて、いくつか言う。

 

「……ここ最近、街の経済発展が妙に進んでいる気がする。気のせいかもしれないが、新しい建築が妙に多い。気のせいかもしれないが」

「悪くない。次」

「……メシの値段が上がっている。来たとき、食堂の一食は確か……20ギル。だが今は30ギルにまで値上がりした……確か、そうだった」

「インフレ。だが戦争状況下だぞ? ……これに関して、後で確認を取れ。それと重要な質問だ、その感覚──さっきの経済発展の感覚は、いつぐらいから始まっていた?」

「……8月、いや……9月。分からん、思い出せない」

「これも後で確認しておくか。だがこれだけじゃピースが合わない、もう一つ……何か、何でもいい。人、出来事、物。8月よりも前のことでもいい」

「7月半ばから……お前は、リン家と戦争をしていた。もう覚えちゃいないだろうが……だが、そんな前にまで遡ったところで何がある」

 

口ではそう言いながら、スカベンジャーは妙な寒気がした。嫌な予感の兆候がした。

 

エールはぶつぶつと呟いている。

 

「そこか? いや、別の可能性──全部潰していくしかないか。初めはそこから、──その騒動に関わった人物、出来事、それらが今も続いていると仮定して、そこに誰かいる可能性。レオーネへのスパイになりかねない人物? いや、それはこの一件とは連続していない、そっちじゃない。どこだ。どこに居る? 誰かがいる、誰だ」

 

ぶつぶつ。

 

誰がいる。誰かがいる──。

 

「一つ……思い出した。だが……」

「言ったはずだ。どんな些細なことでもいい」

「……リン家壊滅の後、一人だけ……行方不明になったヤツがいる。名前は……確か、(フォン)

「続けて」

「お前が、6月頃にあったバオリア防衛戦の最中に拾ってきた、四龍(スーロン)とか言うチンピラ共のリーダーをしていた男のはずだ。私も詳しいことは知らんが、リン家の騒動で四龍(スーロン)はフォンを残して壊滅した。その過程に関しても私はほとんど知らない」

「行方不明はどういう意味? 瓦礫に埋もれたかもしれないってこと?」

「違う。瓦礫の山から這い出て、そのままどこかへ消えていった」

「僕もその場所に居た?」

「居たも何も、あの屋敷の全てを瓦礫に変えたのはお前だ。敵も味方も容赦なくな」

 

エールの表情が変わる。デスクから紙束を引き出して、次々と放り投げながら何かを探して、まるで自問自答するように聞く。

 

「何かその時、言い残していった」

「なぜ分かった? 思い出したのか?」

「内容は……何だ? 何を言った?」

「うろ覚えだが……この世界を変えてやる、いや……破壊してみせる。そうだ、思い出した、"世話になったな、エール。オレはお前とは違うやり方で──"」

 

この世界を破壊して見せる。

 

「……すぐに彼の記録を調べよう」

「まさか、ヤツがやったと考えているのか? そんなバカなことはありえない。所詮はクズ共のリーダーで、多少は頭が回る程度だろう。レオーネを離れて、何か人脈を持っていたわけでもないただの感染者が──」

 

以前のエールが残したメモの中、それはずっと以前、三ヶ月ほど前の、まだエールが記憶を失っていなかった時期に残していた貴重なメモ。

 

"得難い才能。彼を本当の意味で仲間に出来たのならば道は大幅に広がる。貴重な友人。思想、能力。指導者としての能力、行動力"。

"敵対すると厄介なことになる。可能性は低い"。

 

「僕と同じだ」

 

言い切った。もはや確信となっている。

 

「……そいつは可能性の一つに過ぎない。別の可能性を当たっていく」

「必要ない。彼に集中して探れ。銀行にも探りを入れろ。全体的な金と人の流れを探らせろ」

「そこまでするのか?」

「彼がハズレだとしても、このインフレは気になる。……フォン。君か?」

 

事態が動き出した。

 

それは運命。その終わり──始まったのならば、それを終わらせなくては。

 

どこかで猫が鳴いている。

 

猫が鳴いている────────。

*1
中島らも「今夜、全てのバーで」序文より抜粋。




※今回のエールの発言はキャラの発言です。断っておきますが、私には動物愛護団体に権利を売るつもりは一切ないです。私は猫画像をひたすらいいねするAiです。

・エール
記憶がやばい。
月毎の精神状況と記憶状態まとめ
7月:リン家壊した時の源石が引き金になって記憶喪失が始まる。軽症。シリアス度が高い。
8月:軽症。シリアス度が多少薄まったりしなかったりした。
9月:ステインの呪いにより一度完全に記憶を失い、その後仲間達の名前を忘れた。その後は加速度的にボケてバカになった。精神ヤバかったけど忘れていったので今回の話みたいな感じになった。
ペットのアンチ。ぐう畜←New!

・スカベンジャー
野良犬。
かわいい。個人的にはずっと野良犬のままでいて欲しいが、正直ちょっとぐらいデレてもいいんじゃないかと思う。コーデまだ?

・リ・チェ
暗殺された。
かわいそう……

・フォン
久しぶりに名前だけ登場した。
(フォン)になったのはマジで偶然です。おそらくは炎国出身。

次で最後の間話の予定です。


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フォン:奴隷たちのハレルヤ

とても今更なんですが、この作品は独自設定、捏造、独自解釈が含まれております。用法容量を守った上でうんたらかんたら



7/21

 

 

 

 

「や」

 

本当はまだ包帯も取れないはずのエールが、どこにでもいるような格好をして軽く手を振った。

 

「……来たか。しかし……どうして死んでいない? 本当にあの傷でそのまま指揮を取っていたのか?」

「まあNHIの連中も手強かったが、僕の本命はバオリア(こっち)だ。……なんとか、守り切ることが出来た。正直もうダメだと思ったけど、運が良かった」

「……代償がそれか。疑問だが、お前は左腕を肩から先、まるまる失った。──怖くないのか?」

「ないよ」

 

即答。

 

全くの嘘も動揺もなく、まさしく本心のように。

 

「傷つくことは別にいいさ。それよりも怖いことがある」

 

涼しげな音がグラスから響く。蒸留酒のロック──感染者である二人は、アルゴンでもかなりの高級バーに居た。

 

フォンはグラスを傾ける。

 

「何か頼むか?」

「水でいいよ。病院を抜け出してきてるんだ、あまりやんちゃ出来ないし、何より僕は酒が苦手でね」

「……意外だ。お前のような獰猛さを持つ戦士は、大抵酒を好むものだと思っていた」

「どうも僕は酔っ払いすぎる。ここまでくると逆に酔えない、すぐに意識が飛んでしまう」

「そんなにか?」

「そんなにだよ。このせいで苦労したこともある。それに一つ訂正するが、僕は戦士じゃない」

 

エールは常に微笑を浮かべていたが、少しだけ苦笑いが混ざった。

 

「少なくとも、戦士じゃない。僕は他人のために戦ってる訳じゃないからね」

「そういうものか?」

「どうだろ。自分が何者なのかなんて、大した問題じゃないと思ってる」

「……それもどうなんだ? 自分が何者なのか、何のために生きているのか。それは重要なことだ。オレは常に、自分が誰なのかどうかを考えている」

「……そういうもの?」

「さあな、分からん」

 

どうにも対照的な二人だったが、だからこそどこか似通っていた。

 

「本題に入ろう。君たちはレオーネの傘下に入る。それで納得しているんだね?」

「……助けられた身だ。文句は言わん、多少はマシな雇い主が見つかっただけ幸運と言えるだろう。それと……一つだけ言っておくが、オレはまだオレの理想を諦めてなどいないし、オレたちはオレたちの理想を諦めてなどいない」

「いいさ、好きにするといい。……そうだな、ところで君たちは傭兵としての位置付けに近くなるだろう。それも、僕の私兵としての位置付けにより近い」

「構わん。オレたちもこの国に帰属意識など持っていない。その辺りが妥当だろう。で、仕事はなんだ?」

「まだ決めてないけど……いずれ、この国の二代貴族のうちの一つと戦う時が来る。君たちはその時に、キーの一つになるかもしれない」

 

フォンも荒事に慣れた身ではあるが、エールほどの器量を持った人間にはなかなか出会わない。広すぎる視界を持った人間は、時たまホラ吹きと見分けが付かないのだ。フォンはエールがどちら側なのか、未だに判断しかねている。

 

貴族と争うことを前提にしている人物は、いったいその視界に何を捉えているのだろうか? そんなことを考えるのはラリったジャンキーか、酔っ払いか──それとも、本当の気狂いか。

 

「……お前ほどの人物が、一体何を目的にしている? お前はエクソリア人じゃない、ヴァルポ族などこの国には居ない。一体どこの出身だ。ヴィクトリアか? イェラグか?」

「まあ、君には言っても構わないかな。ウルサスだよ」

「……バカな」

 

フォンの驚きに満ちた顔が、十分に事態を物語っている。

 

「育ちはヴィクトリアと言って差し支えないけどね。……僕はこの戦争の先に()()

があると思っている」

「……何か? それは何だ」

「それはまだ分からない。だが、十分な価値を持つ何かだ」

「訳が分からんな。分かるのは、お前がイカれているということだけだ」

「心外だな。僕の目から見れば、君だってそう変わらないよ。感染者の国──冗談だと思ったよ。それを国とは呼ばないんじゃないかな」

「……そうだったな。ふ」

 

噛み殺すような笑い声がフォンから漏れた。

 

エールもつい可笑しくなった。

 

「数々の人と出会ってきたけど、君のようなヤツは初めてだ。ははっ──どうやら似ているらしいね?」

「同感だ。ッくくく……面白いヤツだな、お前は。──オレの仲間にならないか? お前が居るなら、オレの理想は現実となるかもしれん」

「それはこっちのセリフだよ。スーロン、ただのチンピラ集団かと思ったら……なかなかどうして、よく統制された戦士たちだ。あれほどの組織を作り上げる手腕と、その戦場指揮能力、先見の眼は……どうしたって、欲しい」

「ふっ……過大評価だな。オレはただのチンピラに過ぎん」

「まさか。ただのチンピラが数千人を纏め上げる組織を作れない。あれ、二年間で一国の中で最も大きなギャングになったんだんだってね」

 

末端構成員まで含めるとスーロンは二千人ほどいた。中核となるメンバーはたった50名ほどの感染者たちではあったのだが。

 

「感染者になる前は何をしていたんだ?」

「ただの運送業者だった」

「……冗談でしょ?」

「本当だ。で、お前はどうなんだ」

「そうだな、ただのチンピラ崩れ……かな」

「……冗談だろう?」

「本当だよ」

 

"エール"はそうだ。嘘ではない。エールにとっては本当のことだ。

 

「色々あったことは、認めるけどね」

「興味深いな。なぜ今の地位にまで成り上がった? お前の目的は、この内戦の果てに何かを探すことか」

「平たく言えばそうなる。……そうだね、でも……違う目的も入っている」

 

自分でもよく分からない何かを無理矢理に言葉にして、エールは言う。

 

「たぶん、復讐だと思う」

「復讐だと? 何のだ」

「……何だろうね。特的の物事とか、個人とか、国とか……そういうものに対してじゃない。もっと漠然とした……この大地ってものへの復讐、だと思う」

「益々……おかしなヤツだな。お前が何かを憎んでいるところなど、なぜだか想像も出来ないが」

「この話を誰かにするのは、これが初めてだ。だから……この感覚を上手く言葉にすることが出来ない。ただ、この大地に生まれてきたことを……僕はとても恨んでいる」

 

エールは煙草を取り出して火を着けた。

 

「仲間を奪われたんだ。あるいは、これが僕の運命なのかもしれない。ただもしもそうだとしたら、僕の運命に仲間を付き合わせてしまったことになる。それだけが、申し訳ない」

 

君も吸うか?

 

一本貰おう。

 

「オレも多くの仲間たちを失ってきた。あの戦闘ほど、訓練を受けた部隊というものの恐ろしさを実感したことはなかった。仲間が消え、新しく出来て、また消えていく──感染者となり、荒野に放り出され、そこで野垂れ死ぬことが出来なくとも、アテのない放浪の旅を強いられる」

 

煙草臭い煙を吐き出して、フォンもそう語った。今更そんな過去に特別な感情など抱いてはいない。

 

「だからオレは、この長い長い旅の果てに、オレたちの楽園を作り上げたい。仲間と共にな」

「君にとって、仲間とは何だ?」

「友だ。見ている方向は違っていても、同じ道を歩いている。オレは──何度、彼らの存在に救われたかどうか分からん。特にセイは、オレが感染者になった時からの仲間だ。ヤツはバカだが、オレにはない体力があった……何度ヤツに助けられたことか」

 

フォンはエールを観察するように見据えた。

 

片腕を失い、所々に結晶の浮き出た、人の形をした化け物を──。

 

「仲間を失えば、オレもお前のようになるのかもしれんな」

「どうだろ。みんながみんな、復讐を考える訳じゃない。むしろ少数派だよ、積極的な復讐を起こすのは。誰かに対して復讐を起こすってことは、それ以外の全てを捨てるってことだろう。それまでの生活や信条、一切合切を捨てて……ただ自らだけのために。それは未来ある生き方じゃなくて、死人の生き方だ。もう死んでいるのとなんら違いはない」

「自分のことを言っているのか?」

「多少は。ただ最近は少し違うことを考えるようになった。僕はこの復讐を始めてから、誰かのために何かをしようなんて一度たりとも考えたことはなかった。けどおかしな事に、いつの間にか英雄だとか救世主だとか呼ばれるようになっていて、戸惑ったよ。僕にそんなつもりはなかったし、今だってこの国を救うために戦ってる訳じゃない。縁のない国を、僕個人が助けようとする理由なんてない。だけど……もしかしたら、僕にも未来があるのかも知れないって、そう思うようになった。ついて来てくれる仲間たちがいるんだ。可笑しいと思う?」

 

行動原理の破綻した個人に、なぜだかついてくる仲間たち。誰にしたって正気ではないが──。

 

ただ、フォンはそれが理解できた。

 

「……オレと同じだな」

 

灰皿に燃え滓を落とす。

 

「オレも、自分一人が生き延びられればいいと思っていた。徒党を組んだのは、その生存確率を上げるためだけだったんだがな。その中核となって組織を動かしていれば、中心の方は多少安全だとたかを括って──そしていつの間にか、道具としか見ていなかった連中の表情を、なぜだか気にかけるようになっていた。連中を仲間だと思うようになっていた」

「君の理想は、何が原点にあるんだ?」

「ただの願望だ。この大地のどこかに、オレたちが満たされる場所があるはずだとな」

「クルビアには行ったことが?」

クルビアは感染者にも寛容な国だ。ある程度の資金を元手に自活して生きていくことが出来る。感染者になった人間が目指すのは、クルビアか炎国だ。そこまで辿り着く前に、大抵は死ぬが。

 

「あるが、その後滞在拒否されて追い出された」

「あれ。何やったの? 感染者ってだけなら追放なんてされないでしょ」

「L.G.Lインダストリの化学プラントを爆破した……いや、待て。連中が面倒なものを製造していると分かったからだ。証拠も全て当局には提出したし、最善の行動をしたと証明はされている。その後L.G.Lは凍結が決まった。オレの計画では、それでオレたちはクルビアでの市民権を獲得できるはずだった」

「……マジで言ってる?」

「そういう取引を持ち掛けて、了解は得ていた。だが……何が気に入らなかったのか……やはり爆破はやり過ぎだったのか。とにかく見通しが甘かったようで、結局テスカまで逃れてきたという訳だ」

「呆れるよ。今度は連邦捜査局に目をつけられた訳だけど……どんどん敵ばっかり増やしてない?」

「そうでもない。十分な経験と力を蓄えることが出来たし、結果的には上手くいっている。感染した時は思わずこの世を呪ったが、オレの運もそう悲観するほど悪くなかった。今もこうして酒が飲めている。オレは確実に理想に近づいている」

 

表情の変化に乏しいフォンだが、理想という言葉を口にするときだけ、その口元を緩めた。

 

理想──この大地においては、最も現実とかけ離れた言葉だ。

 

それを最も理解する立場にありながら、フォンはまるで世間知らずの空想家のようだった。エールの方も似たようなものではあったのだが。

 

「理想……ね。だがエクソリアに期待はしない方がいい。少なくとも終戦までは、考えるべきはどう生き残るかだけだと思うよ」

「その言葉はそっくりそのまま返す。お前の方こそ、まるでこの戦争が終わることが分かっているようだ」

「そりゃあ終わるよ。どのような形であれ、必ず終わりは来る」

「違うな。お前は勝ちを確信している──いや、少し違う。お前は、お前が望む結末が必ず来ると確信しているのか? ──オレとて、お前の実績は知っている。だが北部の背後には帝国がある。その理由までは検討が付かんが、奴らが本腰を入れればすぐにカタが付くぞ」

「その通りだね。だが、本当にそうなれば、の話だ。そしてそうはならない。君なら分かるだろ? もう百年前じゃない。今は黄金の90年代──イェラグとクルビアを結ぶ山脈、そしてカジミエーシュ。今どき征服も侵略も流行らないさ」

 

いつも通りの、指導者としては軽すぎる口調で話すが、フォンは軽く笑って言い返す。

 

「それは連中を甘く身過ぎている。敵の敵は味方という言葉があるが、戯言だ。敵の敵は敵に過ぎん。そして、それはわざわざ敵と呼ぶほどのものでない場合、ただの路傍の石のように蹴り飛ばせば済む話だ。今のクルビアは火薬庫であり、そしてエクソリアには火の雨が降っている。忠告するぞ。クルビアには関わるな。そしてサルゴンも役には立たんし、テスカ連邦などエクソリアに劣らない田舎の弱国だ。今必要なのは陰謀ではなく、もっと根本的な部分だろう」

「興味深いな。では、何をするべきだと?」

「オレならば──そうだな。国境を緩める。感染者の受け入れを行い、工業を発展させ、ギル紙幣の価値を高める」

「……なるほど? 面白い考えだ、だがそうするには時間が足りないんじゃないか?」

「どの道を辿ろうとも変わらん。今打てる奇策などせいぜいクラッカー代わりにしかならんだろう。所詮戦争など物量の問題だ。どちらの山の方が大きいか──何をするにしても、だ」

「なるほど。確かに、先日の一件で君が末端構成員を動かしていれば話は大幅に変わっていたな」

「連中が一手上手だった。もう一年後に来てくれていれば、盛大に歓迎してやれたんだがな。多くの仲間が散った」

蒸留酒を傾けながらフォンは何かに思いを馳せているようだった。

 

「だからこそ、オレたちは笑って歩いていかなくてはならない。どのような苦難が横たわって居ようと、この道の果てに笑うのはオレたちだ。そしてそこで笑うのがオレでなくとも構わん。意思を継いだ仲間たちであれば、例えオレがそのために犠牲になろうとも何も問題はない」

「……本心で言っているんなら敬服するよ。だがそのために犠牲になるのは他者だ。君が目指しているのは共生か? それとも勝利か?」

()()()()()。オレはこの大地の全てを手に入れる」

 

あっさりと言い放った言葉は奔放で、野心に溢れていた。そしてその言葉に似つかわしい、静かにぎらつく両眼の輝きを持っていた。

 

「……──。そんなことを口にする男が居るとはね。それを嘘にしてほしくはないな。僕はそうなった景色を見てみたい気もする──失望したくはないよ」

「言われずとも。それで、お前は? お前は復讐を果たすのか?」

「いいや。君なら分かるだろう、僕は……まだ、探している。この大地のどこかにいるはずの誰かをずっと探しているんだよ。待っているんだ、会いに来てくれるのを」

「……正気であれば……恐ろしいほどのロマンチスト、だな」

「ただの願望だよ。一種の夢──それを待ち望んでいるけど、来たら来たで寂しい」

「本当に来ると思っているのか?」

「分からない。だけど、待っている」

 

フォンも半分ほど呆れて、残ったもう半分で面白がった。

 

「女か?」

「……まあ、そういうことになる」

「ははっ、恐ろしいほどのロマンチストだ! まるでリターニアの御伽噺のようだぞ! はっはっは──」

「む……秘密にしといてよ。笑われるとは思ってたけど、いざそうなると結構恥ずかしいものがある」

「分かった、お前の名誉のためだ。だがお前が将来、詩や唄になったとき、こういうエピソードがあれば盛り上がりは十分だろう。お前が死んだ後になら、言いふらしても構わんだろう?」

「勝手にしたらいい。だが古今東西の英雄詩の一つになるなんてゾッとしないな。不吉だ」

 

歴史上活躍した英雄たちの中でハッピーエンドを迎えたものは、片手で数えられるほど少ない。偉業を成し遂げようとも、めでたしめでたしとはならないのである。そのジンクスに則ると、英雄というものの末路はあまり明るくなさそうだ。

 

「それにそんな器じゃない。グエンさんがいるから好き勝手やれてるだけで、そうじゃなかったらとっくに追い出されてるさ」

「……グエン・バー・ハンはそれほどか?」

「器というならね。僕から見れば、まるでエクソリア統一のために生まれてきたような人だよ。背景、動機、それと能力──全て一級品の英傑だよ」

「さてな。案外ヤツがあの歳まで生き延びてきたのは、お前のような英雄を自分の代わりに仕立て上げてきたからかもしれんぞ?」

 

英雄というのはとにかく長生きができない。少なくともそう呼ばれるようになった後は。

 

その逆は必ずしも成立するわけではないが、まるで運命に生贄を捧げるようにしてそれらの呪いから逃れてきたかもしれない──と、フォンはエールを揶揄った。

 

「簡単に調べたが、ヤツの息子や古い友人は皆命を落としている。最近のものもあれば、二十年ほど前のものもあるが、やはりヤツだけは矢面に立ちながらも絶妙に生き残っている」

「大したことじゃない。利害は一致してるんだし、そう簡単に死なないのはむしろ安心する材料だよ」

「お前のように、自分の死を害とも思わんバカにとってはそうなのだろうが、少なくともオレなら近寄らん。平和への捨て駒など、数ある結末の中でも特に最悪の部類だ。今からでも気は変わらんのか? 四龍に来い、歓迎するぞ」

「……半年ほど前に、君と出会ってみたかった」

「……残念だ。本当に」

 

──フィルターだけの残ったタバコには、火はもう残っていない。

 

エールはもはや道を決めている。もしも仲間を失ったあのとき、グエンではなくフォンに出会っていたのならば、或いは──。

 

どのみちそれはもしもの話に過ぎず、栓なき話である。

 

「ところでさっきの──君がもしも、この国を動かす立場に立ったなら、何をするって話だけど」

「そんな話だったか?」

「僕はそのつもりだったよ。とにかく、興味深いことを話していたよね。もう少し詳しく聞いてみたい」

「所詮素人考えでいいのならな。だが交換条件で、お前がどのようにそこまでの強さを手に入れたのかを話せ」

「そんなことでいいのなら、どれだけでも」

 

自分にとってはそれほどでもないことが、他人にとっては大きな価値を持つ。特にこの二人の場合は──。

 

「さて、この国を動かす立場に立ったなら、か……。オレなら、徹底的に時間を稼ぐ」

「だが、それが出来ない事情がある」

「ふむ……それならば、時間を奪う」

「……?」

「すでにそれを持っている連中が、それを差し出すようにする。そうだな、相手にもタイムリミットをつければいい。幸いなことに北部の連中は、その体の内側に一つ爆弾を抱えている。捨てたくとも捨てれない爆弾──シャンバには、独立した少数民族がいる。オレの記憶が正しければ、ヤツらはかなり北部政府と仲が悪かったな?」

「……シャンバラ族! まさか、交渉するの? 少数民族というのは非常に厄介なんだろ?」

「交渉などせずとも動かせる。武器を売りつけてやればいい、それも大量で、簡単に扱えるものであればなおいい。故に考えるべきは、どのようにしてシャンバまでの道のりを確保するか、だ」

 

テロリズムの誘発。それは高圧状態に置かれたガスにマッチを放り込むようなもの。

 

敵も味方も全てを吹き飛ばす爆弾、その思考は手段だけを追い求めていた。目的のために他者に武器を与え、動かし──それで殺し合いが起ころうとも、何も関係ないというように。

 

「行うべきは、いかにして北部を干すのか。その一点──内側を爆破するなら、外側を囲って逃げ道を塞ぐ必要があるが、エクソリアに限ってはそのジャングルが邪魔をするはずだ。オレはこの国に関してはあまり情報を持たんが、ホークンは必ずしも取る必要はないだろうな。最も戦略的な地点はシャンバ──あの場所だ。擬似的な要塞と言っていい。あの場所を取り返すことが出来ればどうにでもなるだろうな。逆になぜあの地を奪われたのか不思議なほどだ。八百長でもしているんじゃないか?」

「流石にそんなことはないと思う。だから僕もずっと不思議に思っているんだ。どうしてこうも、過去の南部軍はあっさりと負け続けたのか」

 

──実際に、フォンが冗談のように口にした八百長、そちらの方が事実だった。エールはまだこの事実は知らないが。

 

「やはり貴族が怪しいだろうな。こういう妙な事態が発生している時、大抵は別の何者かが絡んでいる。それもいないのであれば、敵は内側だ。そしてもしも本当に内側に癌があるなら、適切なタイミングで取り除く必要がある」

「……君は、一体どこまで見えているんだ? どこからか情報を得ているのか?」

「優秀な仲間がいるだけだ。オレも情報を手に入れるためならばそれなりの代価は払ってきたし、今もそうしている。"知っている"ということは重要なことだ」

 

フォンにとって重要なことは、知っておくということ。それが正しい情報であれ誤ったものであれ、まずは知ること。そしてそれが正しいかどうかを知ること。そうすれば、次に起こることが予測できる。

 

例えば、ある一人の男がいるとしよう。その男は恨みを買っていて、殺してやりたいと大勢の人間が思っている──ことを知っているならば、ここに行動の余地が生まれる。そのための手段を与えて、男を殺させることも出来るし、逆に男を助け出すことも出来る。利益を生むことも可能だ。

 

重要なのは、その事実を知っておくことだ。それを知らなければ何も出来ない。何かが起こったことすら分からない。

 

この世の全てを知っているということは、この世の全てを操れるということと同義──フォンの力の価値はその部分にある。

 

「最も、知らなかったせいでテスカでは無様を晒したがな」

「だね──だけど、まさかラテラーノが出張ってくるなんて予想は、流石に立てられなかっただろう?」

「ああ。手に入る情報には限りがある。そして一つの取るに足らない要因でも、それが予想もしない結果に結びつくこともある。お前が銃器を求めていたことなど知らなかったし、サンクタの連中があそこまで銃器というものに執着していたことも知らなかった。つくづく人生には何が起こるか分からない」

 

──全くもって同意だ。

 

ぐうの音も出ないほど同感するしかない。あまりにも分かりみが深すぎてため息が出た。

 

「しかし、面白いことを考えつくな……。少数民族を使う、ね」

「簡単にしか見ていないが、レオーネは北部と戦うには小さすぎる。だからこそ強引にでも組織拡大を急いでいるのは分かるが……本当に手段を選ばないのなら、外側の勢力に働きかける方法もある」

 

まるで授業でもするような調子でフォンはそう言い出した。

 

「面白そうだ。教えてくれる?」

「そうだな、オレもさまざまな場所を巡ってきたが、強い力を持つ勢力というのは、金と武力を持っている連中のことだ。いつの時代も、どの場所でもそうだ。特にエクソリアのような、十分に文化の発達していない国では、アウトローの自警団から始まったギャングスタが根強い。特に流れ者ではない地元の連中の場合は警戒が必要だ。そういう場合、大抵は地域との太い繋がりを持っているから、潰すにしても繋がりを得るにしても慎重さが欠かせない──お前は、とっくに知っているだろうが」

「いいや、参考になるよ」

「そうか? まあ続けるが──どこの時代、どこの場所にいても必ずそういう連中はいる。こんな大地だからな。自分のところに十分な兵と金がないなら、そういう連中を上手く使う必要がある。敵とも味方とも取れん駒の使い方は、関わらないように遠ざけておくか、うまく敵にぶつけるように動かすか……この二つだけだ。何をするにしても、足元は掃除しなければな」

「けど、君なら感染者の受け入れを行うんだろう? その場合、移民がそんな勢力に加わりかねない」

「それは移民の受け皿が用意されていない場合に限った話だ。国営企業でも公共事業でもなんでもいいが、とにかく労働者を確保しなければな」

「……地道だね」

「オレなら、少なくともやる気はしないな。下らん話だが、この類の話には幸運という言葉が付き纏う。どれほど謀を弄したところで、天災一つでも降ってきたらそれで全てお釈迦というものだ。時勢と運──これを持っているならバカでも勝てる。だが運が無いヤツはどれほど頭が回ろうが強かろうが負ける」

「身も蓋もない……」

「お前とて、幸運というものを感じたことがない訳ではないだろう。ここに至るまで、何か運命じみたものを一つでも感じなかったか?」

「そりゃあるよ。当たり前だ──」

 

エールにとってのそれは、グエン・バー・ハンという人物に出会えたことであり、アンブリエルというサンクタからもたらされた情報であり、フェイズというサルカズのエンジニアがレオーネに転がり込んできたことだ。これらだけではない、数えようと思ったら両手両足の指の数全てを使わなければならない。

 

そして、それら一つが欠けていればそこで終わっていたかもしれないのだ。

 

「オレは、やはりそれが運命であるように感じる」

「僕はその言葉が嫌いだよ。そりゃ、運もあるだろうけど……やるべきことはやらなければならない」

「ならばお前はやはり、いずれクルビアに関わるかどうかを決断しなければならないだろうな」

「……どうしてクルビアなんだ?」

「決まっている。金で動くからだ」

「それはそんなに重要な要素なの?」

「ああ。積んだだけの働きが期待できる。RaT(レイジアン)FD(フォード)、旧BWW、つまり現BSW、R.L(Rhine Laboratory)──クルビアの上場企業リストに名前が載るものは、何もかも全てだ。利益だけで動く連中というのは信用できる。そして信頼する必要がない」

「なら、どうしてさっきクルビアに関わるなと言ったんだ?」

「リスクが存在するからだ。それも特大のリスクがな──国外事業に関する重大な案件は、必ず一つの政府機関を通さなければならない。全委員の過半数による承認が必要だ。そしてこれは民間に業務委託されている。LSC──Lotus Strategic coordinator。国営から分離した半政府組織であり、持ち株の一割は現レイジアン役員が保有している」

「……なんかややこしくなってきた?」

「ああ。その辺りの事情は複雑で、正直全て語るのも面倒だ。知っておかなくてはならないことは、クルビアへの干渉は逆説的にこのLSCを通さなければならないということだけだな」

「聞いたことがない。LSC? なぜ君がそんなことまで知っている?」

「LGLとやり合った時に少しな。そしてこのLSCというものが非常に厄介だ。クルビアは常に技術発展を推進している。外交に関してもそうだ──つまり、より成果を挙げた企業が、単なる企業に止まらない権力を手にする可能性が出てくる。一言に産業と括って、医療や軍事、科学技術などさまざまなジャンルが存在しているにも関わらず、それらを競争させ、更なる経済発展をもたらすためにな。故に、条件さえ整えば干渉は容易い。そしてそれ故に危険でもある。例えばライン生命統括課は、その単体で従業員2万人を従えるライン生命グループの中でもトップクラスの子会社だが、その最奥を知る者はとっくにその身を従えているか、喋る舌を失っているかのどちらかだ」

「穏やかじゃないな……」

「戦争でも科学でもそうだが、有能すぎるものほど危険だ。そして、クルビアに関わる上でこれらは決して避けては通れん──というよりも、お前の目的がクルビアの軍事力にある以上、このLSCが同時に目的でもある」

「……クルビアってのは、そんな国だったのか」

「ウルサスを例に取るとその特徴ははっきりする。あのクソ熊どもにとって、侵略は手段であり、戦争は目的だが、クルビアにとっては両方とも手段だ。利益のみがあの国を動かす力であり、利益のみがあの国を動かす方法となる。問題は二つ──クルビアを一枚噛ませるとなると、莫大な金、或いはそれだけの利益を差し出す必要がある。それが一つ目だ。そしてもう一つ、連中に全てを食い荒らされるかもしれないリスクに対してどのように対処するのか、これが二つ目だ。これはとびっきりの全てを賭けたギャンブル(オールインゲーム)になる」

 

フォンはすでにそれらの片鱗を経験している。企業体というものの生態を──企業という人格の()()と、どのようにしてそれらを手に入れ、そして食い荒らすのかを。

 

「負けるとどうなる?」

「全てを奪われる」

「じゃあ勝てば?」

「自由を得る。そうなることでお前が何を得られるかは知らんが」

 

どのみちエクソリアという国は吹けば飛ぶような弱国である。クルビアという怪物を利用するには相応のリスクが付き纏うのは当然であり、時期と方法を間違えれば未来はない。

 

「よく考えて決めることだな。クルビアに関わる道はどちらかと言えば邪道だ。真正面から地道にやっていくのが後腐れない」

 

結局のところは他人事であるフォンが気楽そうに言った。エールを見て楽しんでいるようにも見えた。

 

「それと、あまり鵜呑みにはするな。何かを決めるときは、徹底的に周囲を調べなければならん──いや。お前には、無用の言葉か」

「買い被り過ぎだよ。僕は戦う以外に能はない」

「……そう、それだ。お前の突出して高い戦闘能力──訓練され、武装した集団に対して、個人で勝てるなど馬鹿げた話だが、実際にお前はやってのけた。もしも連中を二分していなければ、あのときオレたちに生存の目はなかっただろう。あの時、お前にはロクな武装もなかった。噂に聞く教皇騎士、或いはそれ以上の──」

「生き残ったのは地形と運、それ以上のことはない──工場っていう遮蔽物の多い場所で、各個撃破がしやすかった。もしもだだっ広い荒野で真正面から戦ったらまず勝ち目はなかった。実際死にかけたし。結構大変だったんだよ?」

「十分に化け物だな。以前から興味があった。化け物というのは、なぜ化け物なのか。それは生まれつきなのか、それとも才能があれば誰でも至るものなのか」

 

それは単なる興味ではなく、長い間ずっと考えてきたものだ。フォンは戦術や戦略、情報によって困難を乗り越えてきた。それはフォンにはエールのような個人で全てを解決できるような戦闘力がなかったから。

 

それでいいと、フォンは思っている。誰しも自分の武器があり、よく研いだナイフは一本あればそれでいい。

 

だが、興味があるのだ。

 

「オレはそういうものと戦ってみたい」

 

もしも同じだけの才能があり、力量であったのなら、勝敗を分けるのは相性と状況だ。つまり公平な状態である。

 

「興味がある。オレとそいつが、全てを賭けて戦ったのならどちらが勝つのか」

 

男は誰しも、一度は考える。もしも戦ったら、どちらが勝つのか? それは生存のための思考ではなく、より下賤で俗物的な思考だ。だが心を動かすのには十分とはいかないまでも、さざ波は立つ。

 

「つまり、僕と戦いたいってこと?」

「まあそうなる。戦ってみたい、だな」

「つまり……んー、殺し合いってことだよね」

「まあ、そうなるな」

 

殺意ではなく、純粋な興味による殺し合い。実現したのなら二人とも狂人だろう。

 

「遠慮願おう。今は味方なんだ」

「オレも本気で言っているわけではない。ただ……いずれそうなった時は、遠慮はするな。お前と殺し合ってみるのは、少し面白そうだ」

「ま、否定はしないけど──」

 

フォンは、エールも程度の差はあれど同じことを考えていることが分かった。戦ってみたい。全力を尽くして、別に憎み合う理由などなくとも戦ってみたい。それは格下に抱く感情ではない。格上と相対したならばそんなことは考えず、ただ生存を目指すだろう。だから──きっと、自分と似たような相手だから、試してみたいのだ。

 

「運が悪ければ、いや、良ければ機会が巡ってくる。約束しよう。もしもその時が来たのなら、存分に殺し合おうか」

「お前の目的は別にいいのか?」

「僕と君が殺し合うとするなら、きっと僕の目的はその先にある。君がもしも、君を殺さなければ僕は僕の目的を達成できないという風に仕込めば、案外あっさりその機会は回ってくるだろうね」

「積極的にそういう状況を作る気はない。だが、この大地は何が起こるかわからん──オレも約束をしよう。もしもそうなった時には、オレも全てを賭けてお前を殺そう」

 

別に、どちらが強いのかはっきりさせたいだけなら他にも手段はあるだろう。何も殺し合う必要などどこにもない。損しかない──が、それを分かっていながらフォンはそう宣言した。

 

あるいは、この時からその予感を感じ取っていたのかもしれない。

 

一つ、フォンは思いついた。

 

「関係のない話だが、一つ賭けをしないか? コインを投げて、どちらの面が出るのか──シンプルな賭けだ。表が出たらオレ、裏が出たらお前の勝ち。どうだ?」

「賭けは苦手なんだよ。運勝負はよく負ける」

「賭けを最も楽しむコツは、よく準備をすることだ。偶然の要素をできる限り排除し、イカサマでも仕込みでもなんでもやり、そしてその上で拭いきれない不確定要素が残る。ちょうどこのコインのように」

「どっちが投げるかで変わってこない? 技術があれば結果を操作できるかも」

「では第三者に投げさせよう。バーテンを呼ぶ」

「店員にも何か仕込んでるんじゃない?」

「では店を出て、適当なヤツを捕まえて頼むのはどうだ? そこまで行けば、オレの仕込みという線は薄くなる」

「そのぐらいなら、確かに純粋な運になりそうだ。それで、本当にやるの?」

「ああ。オレのジンクスでな──この勝負でオレが勝てば、その後大抵碌でもないことが起きる。その確認だ」

「……何かのアーツ?」

「ジンクスだ。オレが気がついていないだけで、アーツかもしれんがな。さて、お前は乗るか?」

「まー……いいよ。別に誰かにコインを投げてもらいたいわけじゃない、こんなのはただの何もない賭けでしょ?」

「ああ。オレとお前の、どちらの方が運がいいか……そんな下らない有意義なゲームだ」

「そう。ちなみに君が負けた場合は、何が起こるの?」

「より碌でもないことが起きる」

「……やらない方がいいんじゃない?」

「いいや、やる。一つの儀式だ」

「なら、表にしよう」

「ではオレは裏だな。さて」

 

フォンは親指で5ギル硬貨を弾いた。甲高い音を立てて回るコインを掴むと、少しニヤリと笑って問う。

 

「さあ、どっちだ?」

 

開いた手のひらのコインは──。

 

 

 

 

 

 

 

 

12/10 奴隷たちのハレルヤ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、はい、……はい。全て指示通りに。はい……フォン、全部の準備が整いました。予定通り、本日午後二時をもってLLLを開始します。問題ありませんね」

「ああ。始めろ」

 

──無数の紙束には、びっしりと文字が押し込まれている。それらは全てフォンの思考の残骸であり、何百というパターンを想定する過程で生み出された副産物だった。

 

「……源石鉱脈、呪われた金の山──運命というのは皮肉なものだな。要らないと突き返した呪いの宝を、これでもかと押し付けてくる。ホークンに火の雨が降る。お前は必ず来るだろう。そしてその先へ進む。お前は進まなければならない」

 

粉塵が舞っている。鉱石都市ホークン、その奴隷たちの街を見下ろす。

 

「……さあ、始めよう。エール、お前はどっちに賭ける?」

 

不敵に呟いた言葉は誰に聞かれることもない。

 

遠景は天災の足跡をなぞっている。この大地に降り注ぐ苦難の雨、それらが風化するまでには途方もない時間がかかる。

 

フォンは笑った。

 

「いつかの約束を果たそう。お前の答えを教えてくれ」

 

戦争が始まる。

 

運命が訪れる。

 

その運命を背負った者たちが、まるで祈るようにして笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




間章 酔っ払いたちの賛美歌《了》




・フォン
オリキャラ。
もしかして:類は友を呼ぶ

・クルビア
やばそうな国
もう何も分からへん……(作者の偽りない本心)

オペレーションオリジニウムダストによって無事本作の設定がいくつか死にました。特に銃器の設定周りが終わりました。火薬とか存在せんのかい!
全然関係ないんですけど、タチャンカって名前の響きがすごくかわいい気がします。

次から新章です……の前になんかここまでのまとめとか投稿します……


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年表とプロファイル

正直かなり勇気を出して投稿します。
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【基礎情報】

 

【コードネーム】ブラスト

【性別】男

【戦闘経験】9年

【出身地】ウルサス

【誕生日】非公開

【種族】ヴァルポ

【身長】170cm

【鉱石病感染状況】

メディカルチェックの結果、感染者に認定。

 

【能力測定】

 

【物理強度】優秀

【戦場機動】卓越

【生理的耐性】優秀

【戦術立案】標準

【戦闘技術】卓越

【アーツ適性】優秀

 

【個人経歴】

ロドスのエリートオペレーター。潜入任務、撹乱、及び強襲作戦にて高度な戦闘能力を見せている。現在は行動隊B2の隊長として部隊行動に従事している。

 

【健康診断】

 

造影検査の結果、臓器の輪郭は不明瞭で異常陰影も認められる。循環器系源石顆粒検査の結果においても、同じく鉱石病の兆候が認められる。以上の結果から、鉱石病感染者と判定。

 

【源石融合率】15%

長い間治療を受けておらず、結晶が背筋にかけて分布している。

 

【血液中源石密度】 0.20u/L

源石製品を扱う機会が多いが、彼はある程度の防護措置を取っている。だが作戦行動では安全性よりも任務達成を優先するため、症状の進行は低いとは決して言えない。

とはいえ、某エリートオペレーターとは異なりブラストはある程度の安全性は優先して確保している。ただし部隊行動という点と、隊長という立場がなければどうなるかは分からない。

 

あの人まともなフリしてるだけだから、気をつけた方がいいよ。

──術師オペレーターI.Y

 

【第一資料】

一見すると好青年であり、また話をするとその印象は裏切らない。仲間を想い、確かな理想を抱き、日々訓練と任務に励む百点満点中百点のエリートオペレーター。それがまず、初対面で大半のオペレーターが抱く印象だろう。

だが彼の訓練に興味本位で付き合うのはお勧めしない。最悪入院する羽目になるからだ。これは実戦寄りの模擬戦闘などを行なった結果としてそうなるのではなく、純粋な有酸素運動や、筋力トレーニングの結果、大抵は息をする余裕も無くなって酸欠で気絶するか、疲労によって倒れる。そうなったオペレーターは、三日ほど自力で歩くことができないだろう。当然オペレーターも素人などではなく、少なくともドーベルマンの元で相応のしごきを経ているか、あるいは任務行動に関して十分な基礎体力は持っている。その上で、大半の人間は筋トレという単語を聞くだけで嫌になって、しばらくトレーニングルームに近づくことすら嫌がるようになった。

諸事情により彼の訓練を受けることになった十名ほどの新人たちへのインタビューで、新人オペレーターたちは、一時期彼の殺害を本気で計画していたことがわかった。

 

あの馬鹿に付き合わされるこっちの身にもなってみてよ。想像してみて? もうオーバーワークなんじゃないかって感じで、ダンベルを持ち上げる手は限界を越えて千切れそう。この時点でも現代身体理論に喧嘩を売ってるのに、そこから今までやった量の三倍やれって言い始めるの。それを何セットやるんだか分からないよ、終わる頃には……ああもう、思い出したくないこと思い出しちゃった!

──好き好んで訓練に付き合っている某猫耳オペレーターB

 

【第二資料】

 

【アーツ概要】

「空気流体力学と応用真空理論の組み合わせかな。えーっと、つまり厚さ数ミクロンの真空を形成する。……僕は何を言っているんだ?」

一見理論的な説明に見えるが、実は本人もよく分かっていない通り、かなり感覚に左右されている。ブラストはロドスに入ってからアーツの訓練を始めたため、その輪郭をぼんやりとしか掴んでいない。

とはいえ実戦においてはかなりの効果を発揮していることは確かだ。真空の刃というものが一体どの程度の威力を発揮するのかはかなり疑問の残る点ではあるが、外部からのカートリッジで補強することで、ブラストは空気の刃を形成し、扱うことができる。実戦においては目に見えず、またその薄さ故のメリットを活かして有利に戦闘を行うことが出来る。

ブラストのアーツの本質的な部分はいまだにはっきりしていない。辛うじて気体に働きかける何かであることが判明している程度で、本人のアーツ歴の短さもありその真価は未知数だ。

個人的な所感を言うならば、別にアーツとか要らないのではないだろうか。

 

より皮肉なことは、対人戦闘に関してブラストがこのアーツそのものではなく、その扱いに習熟していることだ。あの馬鹿にとっては、所詮アーツは一つの手段に過ぎず、そこいらの棒切れと何も変わらない……と、いいんだが。

──Ace

 

【第三資料】

 

【権限記録】

強すぎることで発生する問題というのは、意外と珍しいことではない。強すぎる軍隊は警戒を引き起こし、何もしなくとも紛争のきっかけになることはある。平和のための抑止力から、紛争の元凶へと変わるラインがあり、その手の問題の解決は難しい。危険な武器はそれだけ強力と表現してよく、取り扱いには注意しなければならない。何事も注意し、対策することである程度の抑止は可能だ。ほとんどの場合、それらは組織構造を持っているためだ。

ただし仮に、10万の大軍に一人で正面から突っ込み、敵大将を討ち取ってくるような個人がいるとしたならばどういうことが起きるだろうか。死を覚悟し、最初から差し違えるつもりであれば確実に敵軍に多大な被害をもたらせる人物が居るとするならば何を意味するのか。注意するが、この時点で比較対象が個人や部隊ではなく、軍という単位になっている。10万という単位に対して、もちろんそれらを全て相手取ることは不可能だが、それらの障害を単騎で乗り越えて目標を達成できるとするならば、それは一体どういうことだろうか。

ブラストは弱さを選んだ。

エリートオペレーターの責務に変えて、自らの本性を鎖でぐるぐる巻きにし、仲間と共に戦うためにこちらを選び、またロドスもそれを受け入れた。

 

俺が何を言いたいのかは大体想像がつくだろう。最後まで反対していたのは、俺とお前だけだからな。懸念は最もだ。あの事件の、あの結果は……全く想像が付かなかった。あいつは獣だ。根っこの部分にあるのは牙と爪で、それでも手を取り合えるかどうかは分からない。だが、俺はやはりそっちに賭けることにした。後はお前だけだ。

──二人のエリートオペレーターの会話

 

 

【第四資料】

 

【エリートオペレーター記録】

 

1 感染者。

2 性格:

冷静、ロジック重視、馬鹿。

3 身分関連:

ウルサス、ヴィクトリア。

4 感染者関連:

侮蔑、革新、破壊。

5戦術要旨:

突出した個人、暗殺、足手纏い。

6◾️◾️の可能性

極めて高い。要注意。

7 B分類事項:

不許可。概要のみ許可。

8 指揮権限:

ケルシー、アーミヤ

 

 

【昇進記録】

「手枷、足枷、首輪、それと脳に爆弾。その上から拘束服で縛る。それはそういうことだ。それを受け入れるのか? 受け入れることが出来るのか?」

「分からない。だが僕は……」

「分かっている。私たちが許容出来るリスクには限りがある。この場所に君が求めるものなどないのかもしれない」

「だけど、あいつがそれを持っていないなら、きっとこの大地のどこを探したってない」

「結果で示せ。君が本当の意味でロドスのオペレーターになるということは、これまでの全てを捨てるということだ。君の根幹にあるのは、どこまで行っても憎しみに過ぎない」

「なら、取り繕う。それらしいガワで覆って、見えないようにして、この嘘を最後まで貫き通して本物にする」

「ならば、嘘にしないことだ。そして同時に嘘を吐き続けるということでもある。そのための責務と信頼は、重りとしてロドスが君に与えられる唯一のものだ。おめでとう、Blast。今日から君はエリートオペレーターだ」

 

 

[ブラストの証]

折り目の付いた旅行雑誌。特にシエスタ特集のページには、無数の付箋と、数人の文字が書き込まれている。

 

[採用契約]

嘘をつく時、左耳を触っていることには気が付かないのだろうか?

エリートオペレーターBlast、全てはたった一つのために。

 

 

 

年表

 

1074年 アルカーチス・イリイエ・トルスロイがチェルノボーグで生まれる。

1083年 アルカーチスは両親を殺してロンディニウムへ逃亡する。

1083年9月 アリーヤとアリスが出会う。

   11月某日 アリーヤはエールを名乗り始める。

1091年〜1092年 ドクターがアーミヤと一緒にバベルに入った。

1092年 日付不明 Wがヘドレチームに入った。イベント「闇夜に生きる」

1093年4月某日 エールとグレース・アリゾナが出会う。

   5月某日 エールがベクタに反抗し、ロンディニウムを去る。アリゾナはリターニアをはじめとする各国へ。

1093年6月 ブラスト、ブレイズがロドスに同時入社する。

   4-8月頃 テレジアが死亡する。

   7月。ブラストとブレイズはAceの部隊に仮配属される。

   9月 ある事件。グレースロートがブラストに助けられる。

1093年〜1094年の間 レユニオンがとある村を通り、タルラが変わった。

1094年1月 ブラストはグレースロートの面倒を見るようになる。

1095年2月 ある内乱。 死者31名、生存者はブラスト1名。

   4月 ブレイズ、及びブラストがエリートオペレーターに昇進する。行動隊B2が結成。

   12月24日 ロドスでのクリスマスパーティー。

1096年3月 エスペランサ村の封鎖。二名が殉職。

   4月某日 行動体B2全滅。

   5月 レオーネ誕生。バオリア奪還戦

   6月 バオリア防衛戦、エールとアンブリエルはテスカ連邦へ。

   7月15日バオリア掃討戦、リン家崩壊。四龍はフォンを残して全滅。

     28日 南部エクソリア大統領選挙:グエン・バー・ハンが当選。

   8月22日『大洪水』

   9月3日 フェイズがクルビアへの辞令を受け取る

     4日 エフイーターが記憶喪失の青年を拾う。

     5日 エールとメリィの結婚式が行われる。青年は記憶を取り戻す。

     25日 ホークン市長リ・チェとの交渉。

     26日 リ・チェが暗殺される。

     29日 南部に国際義援医療団が来訪する。医療団は戦争終結まで南部に留まる。この時期にエフイーターを介してレオーネからロドスに依頼が渡される。

   10月5日 ホークン争奪戦が始まる。

     7日 グレースロート間話。

   11月4日 ホークン奪還戦が終結。ホークンは南部領へ。

     5日 ロドス小隊がエクソリアへ出発した。

   11月某日 ブレイズとエールが"再会"する。

   12月10日ー12日 シャンバ封鎖会戦。フォンとエールの戦争。

   12月13日 戦争終結。エール、フォン、フェイズが死亡。

   12月15日 統一宣言。統一エクソリア共和国が誕生する。

   12月23日 チェルノボーグ事変。ゲーム本編が開始。

     |  メインストーリー1〜8章。

1097年1月4日 タルラとアーミヤの決戦。チェルノボーグ事変は一旦の収束を見せる。

1097年6月21日 ある逸話。

 

 

 

 




あまりにも話が進まないので展開を先出ししていくスタイル。自分の首を絞めていくとも言います
年表の作成に関してはあるネットの記事を参考にしました。すごい情報量だった……。
プロファイルは特殊タグとか使って色々やってみたかったのですが、やる前から面倒になったのでそのままです。後から地図的なものを追加する予定です。

展開のネタバレになるので、年表を公開するかどうかはかなり迷いました。賛否両論あるとは思います。が、こうすることで私の怠ける口実が失われ、更新ペースが早くなる……かもしれない可能性も、決して否定することはできなくなくもないかもしれない……こともないかもしれないです。
次から新章です……


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IFルート:アンブリエル 楽園_No pain life.上

お ま た せ 。
あと一週間くらいでこの作品が一周年を迎えます。これはその前祝いです。ぜひ楽しんでもらえたら幸いです。


「おはよ」

 

──気だるい朝の憂鬱は、朝の挨拶で目を覚ますのがいい。

 

エールが微笑んでいる。優しくほっぺのあたりをとんとんと叩いて、目を開けようともしない堕天使を優しく見守るように、目を覚ますのを待っている。

 

まだ霞む視界の中、アンブリエルはその視界がぼんやりと脳に染み込んで馴染んでくるのを待っている。あるいは、それを言い訳にしてもう少し眠ろうとする。

 

「ほら、起きなきゃ。朝ごはん、昨日話してたジャムあるよ。美味しく出来たんだ、食べてみて欲しい」

「……ん、ん……今、何時……?」

「7時21分──今22分になったところだね」

 

壁掛け時計を見ながら答えられた言葉──ああ、今日も太陽は登っているのか。毎日ご苦労様だ、一日くらい休んだっていいだろうに。

 

「……起こしてちょ」

「仕方ないなぁ、もう」

 

やれやれって感じで、エールは片腕だけでアンブリエルの上半身を起こした。二人分のベッド、それはもう少しで今日の朝の仕事を終えそうだった。ベッドの主人が身を起こせば、夜になるまでベッドに仕事はない。

 

「ん、ありがと」

 

そうやってちょっと嬉しそうにエールを見上げると、エールも嬉しそうに視線を落として、そっと互いに笑い合った。

 

静かで満たされた、優しい朝を手触りで確かめるような、今日という一日が確かにそこにあることを確信するような──それはきっと、幸福と名づけるに相応しい。

 

「おはよ、エール」

「おはよう、アンブリエル」

 

その存在を確かめるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アンブリエルIFルート:楽園_No pain life.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お弁当を作っておいたから、出るときには忘れないようにね」

「ほーい。ん、そういえば今日はロスエルズの途中で市場に寄る用事があんだけど、なんか要るモノある?」

「……いや。えっと、特にないかな。大丈夫だよ」

「はいよ。ん……ジャムうま。やっぱ砂糖の質だったっぽい?」

「そうみたい。今度からはちょっと黒っぽい砂糖はやめた方がいいね。えっと、ヨルカさんだっけ。またそこのお店から買ってきてくれたら、もっと美味しいものが作れるよ」

「ま、期待してるわよー。しっかし、あんたもサンクタ仕込みの腕が身に付いてきたんじゃねー? まさか甘いものにはうるさいあたしの舌を満足させるなんてねー……」

「うん。迷惑かけてるんだから、ちゃんと恩返ししなきゃね」

 

朝の食卓には、豪勢までとは言わないもののそこそこのものが並んでいた。トーストにジャム、それにコーヒーさえあれば朝の食事としては十分に満たされたものだろう。

 

ちょっと顔を曇らせながら言うエールを咎めるように、アンブリエルはちょっと厳しく、そして優しく諭した。

 

「迷惑なんて言わないの。あたしが好きでやってるんだから、罪悪感なんていらないっての。往診の日でしょ? 今日」

「うん。今日の3時」

「だったらちゃんと治されときなさい。大人しく治療されとけ。それがあんたの仕事なんだから」

 

そう聞いたエールは、曇り顔を引っ込めて、ちょっと間を置いて頷いた。

 

「うん。仕事、今日も頑張って」

「任しとき、きっちり稼いで来るかんね。──ん……そろそろ出るわ」

 

時計を見たアンブリエルがトーストを口に詰め込んで、食器を重ねて台所まで持っていく。慣れた動作だ。

 

それから小さなポーチと肩に掛けた大きなガンケースを背負って玄関まで歩いていく。それをエールは、カップを傾けながら見送る。

 

「いってらっしゃい。あ、帰ってきたら一緒に買い出しに行こう」

「ん。さっさと済ませてくるわ」

 

いつも通りの、いつもの日常。

 

恐ろしいほどに満たされた、静かで平和な日々の暮らし。

 

アンブリエルは幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

クルビアは金があれば何でも買える。あるいは、金に換えられるものがあれば生きていける。アンブリエルには元レンジャー4としての突出した狙撃技術からなる銃の腕が備わっていた。

 

それは金に換えるのには十分であり、少々のルールを知っていればすぐに仕事は回されるようになった。いくらかの苦労はあったものの、そんなものは些細なことだった。

 

最も手軽に始められる商売。早い話は殺し屋だ。

 

ラテラーノにいた頃から潜入捜査だかをやったことがある。現地に溶け込んで、裏社会で仕事を得る。黒ずんだ天使の輪っかと、突出した狙撃スキル。誰がどう見たってその筋の者であり、長距離狙撃は暗殺に向いている。

 

「……標的の沈黙を確認。ちゃんと見てたー?」

『確認した。……目撃者二名を確認。そちらも処理しろ』

「はぁ? だるっ。話違う。追加料金ね。つかちゃんと見張っとけ」

『いいからさっさとしろ。逃がせば面倒なことになる』

「ちっ……」

 

スコープ越し──目の前の状況を把握しきれていない男女。カップルだろうか? 不幸なことにデート中に目の前で人が死ぬところを目撃してしまったらしい。

 

標的は開けた場所にはいない。目撃者を減らすために入り組んだ道の上で殺した。目撃者二名への射線は──。

 

「……渋っ。ま、多分当たるっしょ。てか当たれし」

 

乱雑に重なったエアコンの機材や、無意味に張り出した屋根、ガラクタを飛び越して──風速は2m。方向は北、今日は乾いた空気だ。多分ヘッドショット──片方に当たるのを確認する前に二発目を放つ。標的がそれを見て逃げないように。

 

「……やべ、しくった! 片っぽ、女の方のヘッショミスった。ごめんちょー」

『まともな言葉で話せないのか?』

「遮蔽物が多くてもう狙えねー。この位置からは無理だわ」

『……了解。こちらで対処する』

「あーい。じゃ、おっつー」

 

クルビアの裏社会は放射状に連なった蜘蛛の巣。誰彼構わず引っ掛けて餌にする。今日も世界は平和だ。

 

腕利きのスナイパーはその手を汚して、かろうじて残っていた少々の倫理観をトブに捨てる代わりに札束を手にするのだ。

 

別に、殺した人間の名前なんて知りもしないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

アンブリエルが全てを捨てて、エールを連れて逃げ出してから二ヶ月。

 

冷え込む時期になっていた。外出するときにはコートが欠かせない。もうじき雪が降るかもしれない。クリスマスは──まあ、まだ遠くもないし、近くもない。

 

「ん、何見てんの?」

「ほらこれ、見てよ。ボリバル産のドライフルーツ、結構お得みたい」

「……今月結構キツいんだけど」

「え、どうしてもダメ? これで蒸しパン作ったらかなり美味しいのが出来ると思うんだけど」

「………………。しょーがねーなー、次はないかんね!」

 

葛藤に敗北したアンブリエルを見て、エールは嬉しそうに笑った。

 

活気に溢れたクルビアの市場、夕暮れに沈んでいく人混み。クルビアは人種のるつぼ、善人も悪人も、感染者も非感染者も共存する──ここはクルビア。

 

全てから逃げたアンブリエルの存在は、雑踏に埋もれるようにしてこの国に許されている。誰しも抱えている過去と罪があり、皆それを知っている。だからこそ、その悪徳の中に自らを誤魔化すように──。

 

真っ白な髪に隻腕という少々異様な風貌のエールも、黒く染まった天使の輪を頭上に浮かべるアンブリエルも、このクルビアでは許されている──なんとなく、そんな感じがする。

 

「てかなに、ガチで料理ハマってんじゃん。よく片手で出来るよね、包丁とか使えんの?」

「うん、案外出来るよ。ちょっと大変な時はあるけど」

 

エールは混じり気のない微笑みを浮かべて並んだカゴの売り物を物色している。

 

だがそんな平和な景色を見ても、心のどこかでは警戒が抜けない。誰かが裾にナイフを隠して機会を伺っている可能性が付き纏っているのだ。だからどこまで行っても他人には薄い疑いの目を向け続けている。クルビアの辺境、移動都市ですらない小さな町の中で、まるで過去から隠れ潜むように。

 

「えっと、調味料は切れてなかったはずだし、はちみつも買ったし、あとは……あと何か買うものあったっけ?」

 

主婦、子供、仕事帰りの労働者──時たまスーツの男が混じると、警戒は怠れない。

 

「ねえ、ちょっと?」

「……ん、ごめん。ぼーっとしてた」

「何か他に要るものあったっけって」

「んー、トイレの電球の予備とか?」

「もうカゴに入れてるよ」

「じゃあそんぐらいじゃね?」

 

エールは頷いて会計の方へ歩いて行った。アンブリエルもその後をついていく。片腕のエールをサポートするために、基本的には横についていくことにしている。

 

日暮れが近い。夜になる前に帰ろう。

 

市場を後にして、道端に停めておいた車の鍵を開けた。オンボロの軽バンで、所々錆びついた中古だ。慣れた手つきでエンジンをかけてアクセルを踏む。ここから家まで大体20分といったところか。

 

家はこの辺境の町のさらに辺境にある。インフラも怪しいような場所であり、周りには森林が広がるばかりの寂れた場所だ。夜になると灯りはその家だけになり、かなり雰囲気がある。年代物の物件だが、状態のいい掘り出し物だった。幸運なことに二束三文で借りている。

 

街灯もなにもない静かな場所では、太陽が落ちれば完全な闇だけがあるだけだ。さっさとしないと最悪家の姿も見失う。買い込んだものを詰めた段ボールを抱えてドアを開いて電気をつけた。

 

「あ、お風呂は沸かしてあるから入っちゃって」

「ん。ご飯は?」

「今から。仕込みは済んでるからすぐ出来るよ」

 

移動都市のような利便性のない辺境では源石に頼り切ることはできない。風呂も半分ほどは前時代的な釜焚きとガスを組み合わせたようなものになっていたりする。ボタン一つで湯が沸く環境ではなく、薪割りのような重労働をするたびに世間と隔絶されているような感覚を味わう。

 

ここへ来た当初、完全に生活インフラが死んでいた家を復活させるために走り回ったことを思い出しながら湯に浸かっていた。茹だった頭でぼんやりと余計なことばかりを考えている。

 

(つか今月どうすっかなー、もうちょい仕事受けりゃあ済む話なんだけど、目立ちすぎんのはダメなんよねー。でもなー……)

 

ほとんど余計な考えであることは確かだった。なにせもう何十回同じことを考えて、検討して、もう結論自体は出ている。それでもぐるぐると同じことを考え続けている。

 

意味のない話だ。

 

その日も同じように、エールが作った夕食をもぐもぐと食べて、ベッドでしばらくダラダラした後寝た。

 

ちなみに夕食はザラニアだった。日々進歩していくエールのレパートリーと腕前に驚きながらも、また明日が来るのを楽しみにして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……苗木?」

「そう。買ってきたんだ、見てよこれ」

 

古い木造の家には庭が付いている。いや、庭というよりはもはや自然そのもの──仕切りもないので、広大な森林は全て庭と呼べるかもしれない。

 

ともかく、荒地だったこの場所はエールとアンブリエルによって少しずつ整理され、一定のスペースを経ている。玄関からは裏手にある農地と呼べるかもしれない。

 

そこには二つの苗木があった。ポットに入ったままの、腰ほどまでの高さがある小さな木。

 

育った木と比べてその幹はあまりに細く、指のようだった。簡単に折れてしまいそうだ。エールはその二つを前にして自慢げに微笑んでいる。

 

「林檎の苗木だよ。育てば実をつける」

「え、実をつけるっつったって……どんだけかかんの? こんなチビッコ──」

 

そう引き気味に話すアンブリエルの言う通りだった。頼りないほど小さいこの苗木が育って身をつけるようになるまでに、一体どれだけの時間が必要なのか。

 

「大体5年かかるんだって。意外と短いよね」

「え、5年で実がなるの? マジ?」

「うん。林檎は他家受粉だから、一つだけ植えても受粉できない。だから苗木は二つ植える。片方が枯れてしまうリスクもあるけど、まあ3つ以上植えるスペースはないから二つだけ。ちゃんと枯れないように世話をしないとね」

「ふーん……。5年ね、長ぇなー」

 

楽しそうに、期待するような面持ちでエールはスコップを手に取って作業を始めた。苗木を植えるのだ。

 

「ここは日当たりがいい。きっと大きく育って、いい林檎の実をつけてくれる」

 

そう子供のように無邪気な期待を寄せて、本当にエールは楽しそうだった。夢中になっているようだ。

 

それ以外にもエールは農業に夢中になっているようだ。農地を拡大したいとずっと言い続けて、日々作業している。

 

元は荒地だったため、野菜を育ててみてもまだ上手くはいかない。経験も土地の質もないこの最果ての地での農耕は簡単ではない。

 

だがエールはその失敗すらも楽しんでいた。何もかもが楽しく、いつか収穫できる日が来ることをワクワクしながら待っている。

 

「ああ、楽しみだな──」

 

ただ純粋に、まるでこの世界の全てを楽しむように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『仕事の依頼がしたい』

 

ボイスチェンジャーを通した、電話越しの言葉だった。

 

「……いや、まあ話くらいは聞くけどさー。なんで声変えてんの? つかあんた誰? 誰から番号を聞いた?」

 

家で寛いでいた時にかかってきた電話だった。エールは農作業で外にいる。

 

声を変えているのなら、その理由はいくつか思い浮かぶ。要は匿名で依頼がしたいのだろう。虫のいい話だ。

 

『こちらにも事情がある。いちいち語って聞かせることは出来ない。すぐに依頼の話をする、断るつもりはあるか?』

「そりゃ、あんた次第って感じねー。誰を殺したいの?」

『……クルビア北部に休養しているジィ・ラ・ファンという男がいる。暗殺してくれ』

 

──背筋が凍って、一気に気分が冷え切った。

 

「……その名前、エクソリア人っしょ。面倒ごとはごめんなんよね、わりーけど断るわ」

 

アンブリエルは逃げてきたのだ。その国から逃げ出して、隠れ潜んで見つからないように細心の注意を払ってきた。そのためにこんな片田舎のようなところに引っ込んでいる。

 

偶然かもしれない。だが、もう関わりたくなかった。

 

『アンブリエル中級工科士官』

 

頭が真っ白になった。気がつけば叫んでいた。

 

「────ッ!? あ、あんた誰!? なんであたしを知ってんの!? まさかB.l.o.o.dの、追ってきたっての!? こんな、クルビアのしょぼい片田舎にまで──!?」

『私は依頼をするだけだ。一応言っておくが、断っても構わないぞ?』

 

安っぽいボイスチェンジャー越しの穏やかな声が、まるで挑発でもしているようだった。恐れ、焦燥──。

 

「脅し、てんのね。そう……──どうしてこんな、もう放っておいてよッ! あたしは機密を漏らしたりしてない、寝返ったわけでもない! これ以上あんたらに迷惑は絶対にかけないッ! 黙ってクルビアなんかに亡命したのは本当に申し訳ないって思ってる。本当なら殺されたって文句なんて言えない、あたしはそれだけのことをした。あんたは南部の、レオーネの工作員なんでしょ。違う!?」

 

ほとんど反射的に"追ってきたのだ"と思った。

 

冷静に考えて、今の南部にそんな余裕はないと分かるはずなのに──だが、それしかないとも思った。スッと手先が冷えていく感覚。

 

『お察しの通りだ。ジィはレオーネを裏切り亡命した──お前と同じ、裏切り者だ。クルビア北西に駐留している都市にいる』

「……それをやらないと、どうするって言うの」

『別に何も』

 

嘘だ。嘘に決まっている──そうでないのならどうして、こうやって接触を図ったのか説明がつかない。揶揄っている、あるいは意趣返しをしているのか。

 

震える声で、アンブリエルは小さく呟いた。

 

「……やる。やれば、いいんでしょ」

『そうか。詳細情報は後ほど送る。では、くれぐれも気をつけてな?』

 

乱暴に通話を閉じて端末を投げ飛ばした。壁にぶつかって床に落ちる。

 

「どの口で……!」

 

クルビアの北西は遠い。今までのように一日で終わって帰ってくることはできない。エールに事情など話せるわけがない。だが今の状態のエールを一人にすることなど、怖くて出来ない。だがやらなければ、きっと報復がされる。レオーネからの制裁が、きっと何もかもを奪っていく。

 

アンブリエルは、この大地の何もかもからエールを守り切ると決めたのだ。

 

例えエールが戦いを求めていようとも、レオーネがエールを求めていようとも──それでも、守り切ってみせると。

 

誓ったんだ。

 

「……あたしが、守る、から……ッ!」

 

あいつを傷つける全てから、あいつを守ると────。

 

アンブリエルに残った、もはやたった一つだけになった信仰だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

長旅に固まった体を解す。運転席の硬いシートには苦労した。やはり安物の中古車など買うものではない、安いなりに相応の理由があるのだ。

 

入都許可証のバーコードをゲートリーダーにかざす都、道路を塞ぐバーが持ち上がった。都市外壁と荒野の境界線、移動都市に車で入るためには都市の下層部から繋がる連絡通路を通っていく必要がある。

 

車の窓を閉めて、またエンジンを踏み込んだ。クルビアの移動都市には興味があったが、まさかこんな形で初めて訪れることになるとは思っていなかった。

 

移動都市ラジエストン。無数の罪を乗せて走る鉄の棺桶。

 

「……さっさと済まさねーと。現地の協力者は──っと」

 

待ち合わせの約束をしている。ボイスチェンジャーの人物が用意していた情報提供者だそうだ。そんなわけで車を走らせている。

 

──巨大な移動都市の上を車で走るというのも奇妙な感じがする。なぜなら移動都市は一種の車なのだ。その上を同じ車で走っているのは、今更ながら変な感じだ。

 

寂れた一角にあるのはヴェイプという手工店。そこを訪ねろとのことだった。年季の入った店舗故か所々錆びていて、扉を開くと耳障りな音を出して軋んだ。

 

「ちわー。だっか居ますかー」

 

……返答はない。

 

遠慮のないアンブリエルは、ズカズカと作業場に上がり込んだ。古びた町工房といった趣の、埃の積もった暗い場所だ。古びた年代落ちの工作機械たちが、錆びだらけの姿で主人を待っているようだった。

 

表面が破れて綿の飛び出した粗大ゴミ同然の椅子に腰掛けて一息。まるっきり廃墟だ。

 

「……あ、あの」

 

幼い声が突然聞こえてきた。反射的に振り向くと──。

 

「だ、だれ……ですか……!?」

 

警戒と不安の入り混じった少女の瞳が揺れていた。

 

この廃墟の住人だろうか。それにしてはずいぶんと可愛らしい。

 

震える声で、それでも弱気なところを見せないように振る舞っているのが一目瞭然で、ここまでくると本当に可愛らしい。アンブリエルはそのような態度を取られている自身に呆れ、ふっと微笑んだ。

 

「だいじょーぶ。あたしは怪しい堕天使じゃないわよ」

 

全く警戒が緩まないばかりか、少女の視線はより厳しく、そして不安の色を強くしただけだった。

 

「はろー。お父さんとか居る?」

「……。で、出て行って……ください。ここはわたしの家です、出て行って……っ!」

 

正論だった。

 

どうしようか少し迷ったのち、口を開く。

 

「ごめんねー。あたし、この家に用があんだわ。それが済んだらすぐ出てくから、それで勘弁してくんねー?」

「よ、用って……なん、ですか」

「んー……」

 

伝えられていることは、ターゲットの名前とこの手工店に情報提供者がいるという二点だけだ。こんなちびっ子がいるなんて知らなかった。

 

「そーね、お父さんとかお母さんだと思うんだけど、その人に会いにきたの。居る?」

「……いません。わたし一人だけです。きっと、場所を間違えてると思います」

「でも、ヴェイプってここでしょ? 古びた町工房だって聞いてるわ」

「……」

 

否定は返ってこなかった。やはりここで合っているらしい。

 

「おっかしーなー……。ねえ、あんた名前は?」

 

依然として怯えが混ざったままの視線にいい加減居心地が悪くなってきたので、場を和ませる意図も込めてそう言った。

 

「そんな怯えないでよ。取って食おうってんじゃないんだし……あたしはアンブリエルよ」

 

──クルビアに来てから、仕事の時は最低限偽名を使うようにしていた。

 

なので、本名を使ったのはアンブリエルなりの、最低限度の礼儀のつもりだ。

 

「……フォトン……って、呼ばれて、ます」

「そ。フォトンね、可愛い名前じゃねーの。わりーけど、あたしもやることがあんのよねー。だから出ていけない。ここにはあんた一人だけしかいないの?」

 

フォトンはゆっくりと頷いた。

 

「ふーん……。あー、どうしよ」

 

情報提供者からの手がかりがなければターゲットであるジィ・ラ・ファンは見つけられない。移動都市は広いので、その中から一人を探し出すのは困難だ。砂漠の中から一粒の石ころでも見つけるようなもので、よほどの幸運がなければまず不可能だ。

 

出だしからつまづいたアンブリエルは、これからの行動方針に迷った。

 

──と、その時。

 

ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ──と、静かな空間に響き渡った空腹のサイン。出どころはアンブリエルではないので、消去法で一つ。

 

ちょっと恥ずかしそうにしているちびっ子、フォトンであった。

 

「……え? なに、腹減ってんの?」

 

肯定も否定の言葉もなかった。

 

「メシは? もしかして、食べてないの?」

 

……肯定も、否定の言葉もなかった。

 

 

 

 

 

まるでこれまでの空腹を取り戻すように、フォトンは全く食事の手を緩めなかった。

 

適当に入ったチェーン店らしいファストフード。頬杖を着きながら、アンブリエルは少女をぼんやりと見守っていた。

 

ちょうど食べ終えて、水で口の中を流し終わったフォトンが満足げに息を吐いた。

 

「……その、ありがとう……ございます」

「ん。ちょっとは落ち着いたみたいねー……。てかなに、メシとか食ってなかったわけ?」

「その……外に出るの、怖くて」

「ふーん……?」

 

フォトンは浅黒い肌を持ったフェリーンだ。薄々勘づいていたが、クルビア人の特徴ではない。些細な発音のニュアンスには聞き覚えがある。

 

「あんた、エクソリア人よね?」

 

びくっとフォトンが体を揺らした。それから俯いて視線を合わせようとしない。

 

「事情があんのは見りゃわかるわよ。で、パピーもマミーもいねーってなると……子供だけでも、安全なとこに逃がそうとしたって訳かねぇー……。後から追いつくからっつって、一人だけクルビアに来たんでしょ。で、あの店に何らかの縁があって、最低限の寝床だけは確保されてる。けどパパたちはいつになっても来なくて、ここの通貨も持ってないからメシも買えない……とか?」

 

適当な推測を並べてみた。

 

今のエクソリアから脱出を図ろうとするのは、そう不自然な考えではない。共通語を話しているところから察するに、フォトンも南部に住んでいた。もはやエール無き南部に希望などない。

 

そういう部分をなんとなく察して、アンブリエルがフォトンを連れてきたのは細やかな罪滅ぼしのつもりだった。まあ罪滅ぼしにしては、あまりにも身勝手で無責任だが。

 

「……お金は、持たされました。けど……外、出るの……怖くて……」

 

フォトンは言外にそれ以外の部分を肯定しながら、不安を絞り出すようにぼそぼそと呟いた。

 

「それに、お父さんとの約束は、明日……です」

「約束? 迎えに来てくれんの?」

「……。明日、必ず……来てくれるって、言って……」

 

あるいはこれは、よくある話なのかもしれない。親はなんらかの事情でエクソリアを離れられず、子供だけを先に脱出させて後から合流する。こうしておけば、少なくともエクソリアで一緒に死ぬことはない。最悪子供だけでも生かせる、が。

 

「……ま、引き取り先もないってわけね。で、明日になったらパピーは来る……」

 

とすると、大体の行動方針は定まったように思える。フォトンの父親がおそらく情報提供者なのだろう。ずいぶんとまた回りくどいことをさせる任務だが、事情があるのだろう。どうせやることは変わらないのだ。

 

「決めたわ。明日まであたしが面倒見たげる」

「え……?」

「メシぐらいちゃんと食えっての。部屋の隅で座ってたって、何にもいいことないわよ」

 

──或いは。

 

アンブリエルはこの哀れな少女に、部屋の隅にうずくまってスナック菓子で空腹を誤魔化していた自らの過去を重ねたのかも知れなかった。

 

「だいじょーぶよ。あたしはあんたのお父さんに用があるだけなんだし、何にもしないわ。それとも、今日の晩御飯は要らない?」

 

フォトンは二日間飲まず食わずだったことを否が応でも思い出さねばならず、結局拒みきれなかった。

 

決まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水道も出ない廃墟に呆れ果て、アンブリエルはフォトンを連れて街に出た。せめてシャワーくらいは浴びたかったので適当なホテルに拠点を移し、ボロボロの服を着ていたフォトンに適当な服を買い与えて、シャワーを浴びさせ、あれこれと世話を焼きながら明日が来るまでの暇潰しをしていた。

 

「……あの、どうして……こんな、良くしてくれるん、ですか……」

 

ドライヤーでフォトンの髪を乾かしていると、ぽつりとそう聞こえてきた。

 

「ただの暇つぶしよ。あたしも暇だし、別にいいわよ。ほっとくのも気分悪いしさ」

 

櫛でフォトンの髪を梳かしながら、アンブリエルは言った。

 

「はい、終わり。ちょっとは可愛くなったっしょ」

 

鏡を見せると、フォトンは驚いていた。アンブリエルがきっちりと髪やら肌のケアをした結果、フォトンはいくらか見違えた姿になっていた。

 

「……あ、ありがとう……ござい、ます」

 

緩めないようにずっと張り詰めていた何かが、そこで初めて千切れたのだろう。フォトンは堰を切ったように話し出した。

 

「わ、わたし……怖くて、一人ぼっちで……っ、お父さんが、本当に来てくれるのか、こなかったらどうしようって、誰も知らないし、見たことない場所で、ずっと一人だったらどうしようって、怖くて、不安で、寂しくて……っ!」

 

ちょっと驚いた後、アンブリエルはそれもそうかと納得して優しく微笑んだ。当然だろう。移動都市など南部にはない。その上、あんな廃墟で、頼れる人がいないまま数日間を過ごしたのだ。空腹も相まって相当に心細かったのだろう。

 

「明日も、お父さんが来なかったらどうしようって、今も……怖いよ……っ! お父さん、お父さん……──っ!」

「だいじょーぶよ、お父さんは来てくれるわ。約束したんでしょ?」

「は、はい……っ! 約束したんです、絶対来てくれるって……迎えに来てくれるって、約束したんですっ!」

 

声には涙が混ざっていた。これは安堵か、それとも恐怖の現れだろうか。どっちとも判別できない曖昧な涙を流すフォトンを、アンブリエルは優しく抱きしめた。

 

たとえ不安でも、それを内側に溜め込んでおくよりは出してしまった方がいい。

 

「大丈夫、大丈夫。上手くいくわよ。お父さんは来てくれるし、なんかあってもあたしが何とかしてあげる。大丈夫よ──」

 

そんな堕天使を見上げて、フォトンはくしゃっと顔を歪めて、顔を押し付けて大声で泣きじゃくった。

 

そして泣き疲れて眠るまで、アンブリエルは優しく頭を撫でていた。

 

──例え、フォトンがクルビアまで逃れて来なければならなかった理由が、アンブリエルによって引き起こされたものであったとしても、アンブリエルはフォトンを抱きしめ続けた。

 

大丈夫、大丈夫。

 

きっと上手くいく、と。

 

こんな安っぽく、優しい嘘で、救われる子がいるのなら──。

 

 

 

 

 



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IFルート:アンブリエル 楽園_No pain life.下

 

 

翌朝、アンブリエルはフォトンを連れて手工店ヴェイプ改め廃墟に戻ってきていた。

 

フォトンの信じる約束通りならば、今日中にフォトンの父親がフォトンを迎えるためにこの場所へ来るはずだ。

 

元は手工店としての作業スペースだったであろう場所に残された椅子に座って、アンブリエルとフォトンは待っていた。

 

10時を回った。ドアが開く気配はない。

 

11時を回った。誰も来ない。

 

12時を回った。フォトンはずっと黙って待っている。

 

13時を回った。フォトンは何かに耐えかねて、立ち上がった。

 

「……わたし、外に出ます。お父さんが、見つけやすいように」

 

アンブリエルも、何となくそれに続いて軋むドアをくぐる。

 

人の気配がしない、寂れた店先にはアンブリエルが乗ってきた小さなバンが停めてある他には、シャッターばかりが閉まっている無人街が広がっているばかりだった。

 

これで人通りでも合ったのなら、多少はフォトンを安心させることが出来たのだろうが──。

 

フォトンはじっと待っている。その間アンブリエルは暇だったので、ポケットに突っ込んだままの拳銃を弄っていた。くるくると回したり、なんとなく装飾を眺めていたり──。

 

或いは車の中から、ターゲットの情報が載っている紙を取り出してきて目を通したり。顔写真がクリップで留めてある。ボイスチェンジャーの依頼主から送られてきたものだ。

 

「……アンブリエルさん、何を見ているんですか?」

 

不安を紛らわすためだろうか、フォトンが顔写真を眺めていたアンブリエルのところまで戻ってきてそう聞いた。

 

「んー、まあちょっとね」

 

まさか殺し屋をやっているとは言えないので、情報の書いてある書類は見せられないが、適当に誤魔化すために顔写真程度ならば構わないだろうと判断して──。

 

「ま、ちょっとお仕事があんのよ」

 

顔写真を見せた。元レオーネで、自身と同じ裏切り者のジィの写真だ。アンブリエルの目標(ターゲット)である。

 

「……! お、お父さんだ! やっぱり、お父さんに用事があったんですね!」

 

────────。

 

(……ああ、そう。そういうこと……。"情報提供者"、ね。いい趣味してるわ)

 

静かに、アンブリエルは空を仰いだ。

 

「アンブリエルさん、どうかしましたか?」

 

昨日と変わって、すっかりと警戒を解いたフォトンに視線を落として、優しく微笑んで頭を撫でた。

 

「何でもないわよ。……」

「そうですか……? えっと……」

 

──足音が聞こえる。

 

灰色の地面を走る靴の音が聞こえる。

 

「……!」

 

フォトンが反射的に振り向いた。

 

「フォトン、フォトン! 無事か!? おい!」

「お、お父さん! お父さん! お父さん、お父さん──っ!」

 

やけにゆっくりと、その親子が抱き合う瞬間を眺めていた。

 

「よかった、無事だったんだな! よかった、よかった……! 約束、ちゃんと守ったぞ……!」

「うん、うん、うん……、よかった、よかった……お父さん……っ!」

 

抱きしめ合って、互いの無事を喜び合っている。とても、感動的な光景だ。

 

「アンブリエルさん! 会えました、約束、ちゃんと守ってくれました!」

 

振り向いて、嬉しそうに叫ぶフォトン。アンブリエルへの感謝の感情を混ぜて、本当に嬉しそうに叫んでいた。

 

こつ、こつ。

 

靴が地面を叩く音、灰色の地面を歩く音。アンブリエルの足音。

 

「……フォトン、そっちの方、は──……」

 

死神の、足音だ。

 

「堕、天使……ピンクの髪、おまえは──、おまえは、あ、あぁ、……ああ、何てことだ」

 

その絶望した顔には見覚えがある。ついこの前、鏡の向こうで見た顔だ。

 

「アンブリエルさん? どうしたんですか?」

「ああ、神よ──。何でだ。なんで、なんだ。どうして俺なんだ。どうして、この子なんだ。どうして……こんな、運命なんだ」

「お父さん、この人はアンブリエルさん。昨日会って、色々助けてくれた人だよ!」

「……ああ、惨いな。この子には、どうして未来が許されないんだ。どうして、こんな」

 

────静かに。

 

アンブリエルは、リボルバーの照準を付けた。

 

「え?」

 

ジィはフォトンを抱きしめて、ゆっくりと両手を離す。瞬間、右腕を背中に回してナイフを取り出し、最後の抗いをせんとしている。それを見逃すほど甘くはない。もう意識は冷え切っていた。

 

「お父さん?」

「逃げろフォトン。どうか幸せに」

 

そして、命の弾ける音を聞いた。

 

「え?」

 

硝煙の匂いがする。

 

額に穴が開くのは、頭を丸ごと吹き飛ばすほどの威力がなかったからだ。

 

「……お父さん?」

 

だから、ゆっくりと倒れていった。最後にフォトンに手を伸ばして、頬のあたりに触れた後、あっさりと腕が落ちていった。

 

この灰色の地面に、命の色をした一輪の花が咲いている。

 

「おとう、さん?」

 

鮮やかなほど赤い、かつて生命だったものの残骸が、移動都市の隅に花を咲かせた。

 

10分もしないうちに、その赤は汚れて、そのうちに枯れて腐るだろう。

 

「……アンブリエル、さん?」

 

リボルバーからは煙が上っていた。これはフェイズの試作品、アーツに頼らない最初のリボルバー。

 

フォトンは呆然として、アンブリエルと、物言わぬ屍になった父親の間で、しばらく視線を行き来している。

 

「……なんで?」

 

アンブリエルは静かに見下ろしている。

 

「なんで?」

 

アンブリエルは何も言わない。

 

「お父さんを、殺したの?」

 

フォトンには分からなかった。理解できなかったのだ。

 

銃口から上る煙が消えた頃に、ようやくフォトンは表情を変えた。

 

「……かえして」

 

驚きから困惑へ。

 

「かえしてよ」

 

困惑から悲しみに。

 

「かえして」

 

悲しみから怒りに。

 

「返して……!」

 

怒りから憎しみに。

 

「返してよぉッ! お父さんを返してッ!」

 

憎しみは力を生む。体を動かす原動力となる。たとえそれに、一切の意味など残ってはいないとしても、体を動かしてくれる。

 

「お父さんを返してよぉぉぉおおおおッ!!!」

 

もはや遺品となったナイフを掴んで、フォトンは駆け出した。

 

アンブリエルは一切の焦りや動揺もなく、切先を構えて走ってくるフォトンの両手を掴み、勢いを利用して投げ飛ばした。所詮子供だ。不意打ちでもさればければ、何が怖いというのだろうか。アンブリエルは軍人だった。

 

エール以外の全てを捨てて逃げた軍人だった。

 

「ッ、う、うぅぅぅぅ……ッ! なんで、なんで……」

 

地面へ激しく衝突して、その痛みですぐに動けなくなった。涙が流れるのはその痛みゆえか、或いは悲しみや怒りによるものか。

 

「何で、ですか。なんで、お父さんを殺したん、ですか……」

 

それでも立ち上がろうと、痛みに耐えていた。フォトンはもはや何が原因なのかも曖昧になった涙をぼろぼろと流しながら、その瞳の中に憎しみを宿している。

 

「……この世界は残酷よね」

 

こつ、こつと。アンブリエルは立ち上がろうとするフォトンの元へ歩いていき、かがみ込んで視線を合わせた。

 

憎しみに染まった少女の瞳を前にして、正面から向き合った。

 

「あたしは、この大地の誰を殺してでも守り抜きたい人がいんの。それがたとえ、誰かの大切な人で、誰かの幸せだったとしても関係ない。何を踏みにじったっていい。どんな尊いものを奪ったっていい。あたしはあの光を守るためなら、何だってやる」

 

リボルバーのトリガーに指を掛けて、くるりと回転させた。ちょうど銃口がアンブリエルに向き、取手がフォトンの方を向く。

 

「……なんの、つもり……ですか」

 

フォトンはその銃に視線を落として、何も言わないアンブリエルをじっと待った。

 

「フォトン。あんたには、三つ選択肢があるわ」

 

アンブリエルはそう言い放った。

 

「一つ目。何も出来ずに、このままどうにかして生き延びていくか」

 

指を一つ立てる。

 

「二つ目。そこのナイフで自分の首を掻き切って、ここで自殺するか。あたしのおすすめはこれ」

 

指を二つ立てる。

 

「三つ目。ここで、あたしを殺して復讐を果たすか。この銃を取りなさい」

 

指を三つ立てる。

 

フォトンは僅かに困惑したのち、リボルバーを掴んだ。

 

「そう。両手でしっかりと構えなさい。軽く肘を曲げて、そう。そうやって、しっかりと頭を狙って、トリガーに指を掛けなさい……そう。いい子ね、筋がいいわ。指を引けば弾は出るし、あたしは避けないから死ぬ。そこの、あんたのお父さんみたいにね」

 

──フェイズが作り上げたその銃は、使い手を選ばない。

 

サンクタでなくとも扱える。それはアーツに頼るものではない。

 

誰にでも扱える。男も女も、大人も子供も、種族を選ばない。

 

フェイズの罪は重いと思う。きっとこれから先、あのサルカズがどれほどの善行を積もうとも地獄行きは揺るがないだろう。

 

────小さな子供が"それ"を構えている光景を見れば、きっと誰だって同じことを思うはずだ。フェイズは史上最悪のエンジニアだと。最悪の武器を作り上げたと──そう、思うはずだ。

 

「よく考えて選びなさい。どれを選んでも後悔するから、ちゃんと自分が納得できる選択肢を選ぶこと」

 

フォトンの銃撃姿勢を直したアンブリエルは、フォトンの腕から手を離して、正面からその銃口に向き合った。

 

フォトンは途切れない涙を放ったまま、憎しみの渦巻く両眼でアンブリエルを睨みつけたまま、まだトリガーは引いていない。

 

アンブリエルはそれ以上何も言わなかった。

 

小刻みに銃口の先が揺れている。フォトンの手先が震えているのだ。人を殺すのが今更になって怖くなったのだろうが、それでも銃を下ろそうとはしない。

 

フォトンは目を閉じなかった。

 

涙で霞む視界に、父を奪った仇の姿を捉えて──。

 

何度も、何度も指先に力を入れて、何度も何度もトリガーを引こうとした。

 

何度も、何度も──。

 

どれだけの時間そうしていたかは分からない。だが、最後にフォトンはリボルバーを取り落とした。地面に落ちて硬い音が鳴った。

 

「……そう。優しい子ね」

 

アンブリエルはリボルバーを回収しないまま立ち上がって、車のドアを開いた。

 

それからゴソゴソと小物入れを漁って、龍門幣の札束を放り投げた。

 

「そんだけあれば当面はしのげるから、どうにかしなさい。その後は……まあ、好きに生きるといいわ」

 

フォトンは虚ろな表情で呟く。

 

「……どうしろって、言うんですか?」

 

憎しみが過ぎ去って、残っているのは空虚で冷たい現実だけだった。

 

「好きなように生きりゃいいわ」

「……生きて、どうしろって言うんですか?」

「そんなの知らないっての。自分で考えなさい、あんたの人生よ」

「生きて……それで、何になるんですか?」

「それも分からない。みんな分からないわよ、そんなこと」

 

フォトンには何も残っていない。今しがた、アンブリエルが全てを奪っていった。過去も未来も、たった一つだけ存在していた光も、たった一つだけ残った憎しみさえ消えた。

 

「行きたいところに行きなさい。やりたいことをやんなさい。やりたいようになんなさい。育ちたいように育ちなさい。言いたいことを言いなさい。生きたいように生きなさい。この大地において、生きるも死ぬも、奪うも殺すも、与えるも貰うも、捨てるも拾うも、嘘も真実も、選ぶも選ばないも──その一切合切の何もかも全てが、あんたの自由よ。この大地のどっかに、あんたの答えに相応しい現実が待ってるわ」

 

その果てに絶望し、死ぬのも自由だ。この大地の厳しさに勝てず、ゴミのように朽ちるのも自由だ。もう一度アンブリエルを探し出し、復讐に人生を費やすも自由だ。それでも這いつくばりながら、幸福を追い求めるも自由だ。

 

アンブリエルは車に乗り込んで、エンジンを掛けてアクセルを踏み込んだ。

 

フォトンは父の亡骸の横で静かに佇んだままだったが、やがてエンジンの音も遠くに消えて聞こえなくなり、父の体が冷え切っていることに気がつくと立ち上がった。

 

そしてリボルバーと札束を拾うと、ゆっくりと歩き出し、やがてどこかへ消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

「ジィを始末したわ。これでいいんでしょ」

『了解。そのまま西側三番ゲートの横まで来い』

 

黙って従うことにした。

 

それから交通網に紛れてオンボロ車を走らせて、荒野へと降りるゲートの一つまで辿り着き、車を停めた。

 

背後に近づいてきた気配に気がついて振り返り、そこにいた人物の顔を見て、アンブリエルは驚いて笑った。

 

「あんただったのね、チャーミー。似合わないことするもんよね」

 

レオーネにいた時の親友、チャーミーが立っていた。

 

「……久しぶり、って。そう言うべき?」

 

口を一文字に閉じたままのチャーミーは、そう言われてようやく反応した。

 

「私さ」

 

僅かに迷っていたような表情をしていたチャーミーは、決意を決めて話し出す。

 

「あんたに会ったら、何話そうか考えてたのよ」

「そ。何を話すかは決まった?」

「や、まだ決まってない。っていうか話すことなんて何にもないのよ。お互いそうでしょ?」

「……そーね」

 

移動都市の端にはチャチな柵が付いていた。

 

もうじき夕暮れになろうという時間。柵から身を乗り出せば、眼下にはどこまでも広がる荒野が見えた。

 

「エールさんは、元気にしてる?」

 

そんなことを言い出すものだから、つい笑ってしまった。

 

「話すことなんてないんじゃなかったん?」

「いいじゃん別に。義務みたいなモンよ」

「はいはい。エールね、まあ元気にしてるよ。最近は農業にハマっててさ、りんごの木とか植え出したんよねー。"これはいいりんごの苗木だ"とか言っちゃってさー、いやいやあんた素人でしょっつって」

 

荒野を見下ろすアンブリエルに並んでチャーミーも柵に肘をかけた。

 

「へー、りんごの木? すごいことするわね」

「っしょ? でさー、りんご植えてから実をつけるまで5年かかんだってさ。5年よ、5年。気長すぎっしょ、どんだけ先の話よって感じっしょ? てかそんだけじゃなくてさー、どっから揃えたんだかわかんないけど鍬とかスコップとか揃えてきて、何でもかんでも野菜の種あったら買ってきて、もうマジの農家になる気満々って感じでさー」

「えー、うそ。エールさんが? 農家?」

「マジよマジ、片っぽ腕ないくせに張り切っててさ。料理とかにも手ぇ出すし、なんかガチっててさー。朝早いし、夜も早寝だし。超健康生活っつーの? ちょっと感心しちゃったわ」

「へぇー、あのエールさんがねー……。想像つかないわ。てかじゃああんたは何してんのよ。あんたも一緒にクワ振んの?」

 

いやいやんなわけないじゃん、と笑いながら首を振った。

 

「あたしはんな泥臭いのやだし、ちゃんとお仕事してんのよ」

「お仕事ってあんた、殺し屋なんてやってんじゃないわよ。あんたも一緒に農家やりなさいよ、労働の苦労を知った方がいいわ」

「ぜーったいやだ。農家とかマジ無理だし」

「なーんですって? 私の親とかバリバリの小作人なんですケド。つか私とか小さい頃からみっちり農民やってんだけど。バカにしてる?」

「チャーミーは泥臭いの似合うわよねー」

「なーにー? バカにしてんじゃないわよ、農家がいなくなったら誰も生きてけなくなるっての。小作人舐めんなし」

「バカにしてないって。ご飯食べられんのは、ちゃんと作ってる人がいるから。じょーしきっしょ」

「あら。分かってんじゃない」

 

お互いにどこか懐かしい会話だった。気安い距離感で、どうでもいいような話をずっとして。ダラダラと会話をずっと続けていよう。

 

「……あんたは、どうなの?」

「何? どうなのって」

 

チャーミーは分からないフリをした。

 

きっと分水嶺なのだ。ここで戯けて誤魔化せば、きっとチャーミーは何も言わないだろう。そんな気がした。だからアンブリエルは。

 

「今の……レオーネのこと」

 

振り返らずに逃げたのだ。アンブリエルは逃げ出したのだ。燃え上がる建物を放ったらかして、ただ遠くに逃げたのだ。

 

エクソリアの情勢の情報を、アンブリエルは意識的に避けていた。知ってしまうことが怖かったのだ。

 

「聞くの?」

 

友人の言葉には、その気遣いと、少しの恨み節が含まれているような気がした。

 

「もし私が、もうそろそろレオーネが崩壊するって言ったら、あんたは戻ってくんの?」

 

言葉に詰まった。なぜなら、アンブリエルには今更何か言う資格などないのだ。

 

「あんたがエールさんを連れて行ったせいで、みんな死んでるって言ったら、あんたどうするつもりなの?」

 

そうだ。その事実を知ることが怖かった。だがあの時からすでに八方塞がりだったのだ。

 

「……意地悪するつもりはないって、安心しろし。戻ってこいなんて言わないから」

 

緊迫した雰囲気を緩めるようにそうチャーミーは自嘲気味に言うが、アンブリエルは顔を伏せたままだった。

 

「元々、あの人に頼り切ってたのがおかしかったのよ。内戦は私たちエクソリア人の問題で、エールさんがやるべきことじゃなかった。そんな重たいもの、わざわざあの人が背負うこともなかったのにね。だから正直、あんたがあの人を連れて逃げ出して、ちょっとホッとした」

 

ふと、その友人の顔を見た。

 

「これは私たちの問題で、私たちの責任で、私たちの戦争なのよ」

 

──あの調子者だったチャーミーの瞳は、いつの間にか鋭く尖っていた。戦いを知っているものの顔つきだ。甘さを消した、一人の戦士の顔だった。

 

無論、文官であるチャーミーまでが戦場に出るようになっていればお終いである。だからこれは、きっとそういう心構えの話だ。

 

「知らないなら、きっと知らないままにしときなさい。んで、エールさんがいなくてもなんとかなるだろうって思っときゃいいわ」

 

チャーミーのそれは優しさなのだろうか? アンブリエルには判断が付かなかった。その優しい言葉は皮肉と区別がつかない。

 

「……あたし、今でも……本当にこれでよかったのか……分からない」

 

だから、その気遣いに耐えかねてそう口にしてしまった。

 

「……これで、正解だったの? 本当にこれが、あいつの幸せなの? あたしはあいつの思いを全部奪った。あのまま前へ進んでいったら、きっとあいつには何も残らない。きっと酷い死に方をするって、きっと何にも報われないって──そう、思ったから」

 

行動のきっかけがあった。

 

エールの部屋に訪ねて行って、会った時──もはやエールは、アンブリエルのことを覚えていなかったのだ。

 

二週間会わなかった。たったそれだけ会わなければ、もうエールは他人を覚えていられないのだと、そう気が付いた瞬間からアンブリエルはエールを連れて遠くへ逃げることを決意した。

 

執務室の机で寝たままのエールを抱えて、車に乗せてそのまま逃げた。

 

──そして、揺れる車の中で目を覚ましたエールには、それまでの記憶の一切を無くしていた。何も覚えていなかった。アンブリエルのことも、レオーネのことも、自分自身のことも、何も。

 

「あたしは、どこで間違えたんかな。どうすれば、あいつは心の底から笑ってくれたんかね。どうするのが最善だったんだろ。それとも最初から正解なんてなかったとか?」

 

きっとそうだ。

 

──アンブリエルとエールが出会って、救われたあの時からこうなる運命は決まっていた。アンブリエルがエールを救うことは不可能なのだと、きっとあの瞬間から決まっていたのだ。

 

エールは死ぬ。鉱石病によって、必ず死ぬ。だが例え、鉱石病がなかったとしてもエールは早死にしていただろう。きっと死に場所を求めていただろうから。

 

「……あたしは、これが正解だとは思わない。けど、あのままレオーネに居るってことも正解だとは思わないの。きっとエール自身はそれを望んでいたとしても……あたしは、受け入れられなかった」

 

いつの間にか、握る拳に力が入っていた。

 

「……あいつに幸せになって欲しかった。あいつを守りたかった。そのためならなんだってやるつもりだった。それだけがあたしに残されたものだって、そう信じてた。だから、あたしは──」

 

『かえしてよ』

 

「あたし、は──」

 

『返してよぉッ! お父さんを返してッ!』

 

自分の大切な人を守るためなら、誰かの大切な人を奪ってもいい。生きるとはそういうこと。

 

ジィは全く自分と同じ境遇だったと言っていい。娘を逃すために、そのほかの全てを捨てて逃げ出した裏切り者だ。

 

きっと罰が下ると思う。ジィはともかくとして、フォトンに罪はないはずだ。彼女はこれからどうなるのだろう。生き延びることができるだろうか──とか。こんなことを思う資格などないのに。

 

「どうすれば、良かったの?」

 

何も分からない。正解などどこにもない。どれを選んでも、何かが壊れてしまう。

 

「じゃああたしは、何をすれば良かったの? 何もしない方が良かったの?」

 

『僕と共に戦えッ! この世界を変えるぞッ!』

 

あの時の顔を覚えている。ずっと覚えているのだ。

 

あんな風に──なりたかった。エールは英雄だった。憧れていたのかもしれない。ただ恩を返したかったのかもしれない。横にいたかっただけなのかもしれない。きっと全部だ。

 

「ねえ、教えてよチャーミー。あんたは、あたしに何をさせたかったの?」

 

アンブリエルを探し出して、わざわざ脅迫までしてジィを殺させたのはチャーミーだ。単なる恨みだと思っていた。裏切りに対する報復──それしかないと思った。

 

「私は……きっと、知りたかったのよね」

 

曖昧な言い方だった。

 

「知りたかったって、何が知りたかったのよ」

「んー、なんていうか……知りたかったって言うよりは、納得したかったんだと思う」

「……納得?」

「そ。なんて言うのかしらね……あんたがエールさんを連れて行った代償って、なんだかんだ言ってもかなり大きいわけよ。ああ、安心して。エールさんが消えた原因なんて、みんな分かってないし、暗殺だって思い込んでるから」

 

だがチャーミーは直感的に思い当たった。アンブリエルも同時に消えていたからだ。

 

「でさ。なんつーの? そんだけデカい代償を払ったんなら、ちゃんとその分報われてほしいのよ。じゃなきゃ釣り合いが取れないじゃん。あたしらは大変なことになって、んであんたとエールさんも幸せじゃありません、とか。そういうの嫌なのよ。あたしらは大変なことになったけど、あんたとエールさんは幸せに暮らしました、とかなら……私の中で、納得できるってわけ。じゃあ仕方ないねって」

 

チャーミーは全て本心を話し、アンブリエルは黙ってそれを聞いていた。

 

「──だから、私は知りたかった。あんたがそれ以外の全部を捨ててでも、幸せになる覚悟を持っているかどうか」

 

だから、ああやって突きつけたのだ。

 

エールを守るためならば、あの子の幸せを奪えるか、と。そしてアンブリエルはその銃弾を以って答えた。その後ろにフォトンを一人残して。

 

「……テストは合格?」

「うーん、分かんない」

「わ、分かんないってあんた、そりゃないっしょ!? じゃなきゃあたしは何のためにあの子の未来を奪ったの!?」

「だって分かんないでしょ。そりゃ、あんたに覚悟があんのは分かったわよ。けど、他人の幸せを奪えるからって、他人を幸せに出来るってわけじゃないでしょ?」

「……そりゃ、そうだけど」

「だから、あんたに聞くわ。……っつーか、最初からこう聞けば良かったか。私も馬鹿よね──ねえ、アンブリエル。一つだけ質問に答えなさい」

 

チャーミーは、この時だけはただどこまでも純粋に、友の幸せを願った。罪に汚れた姿で願った。

 

「あんた、幸せになれる?」

 

──なんて残酷な質問だろうか。

 

それを答えるには、あまりに時間が経ち過ぎている。もはや戻れないのだ。アンブリエルもチャーミーも、その両手は血で汚れ、もはや罪を重ね過ぎていた。

 

「────」

 

だから、いまだに優しい友人を見ていると、アンブリエルはいつの間にか涙を流していた。嗚咽の混じった声で、精一杯の勇気で──。

 

「うん。なるよ」

 

そう答えた。精一杯の笑顔を浮かべて、何によるものかも分からない悲しみと、胸に込み上げてくる感情のままに。

 

「そう。なら……良かったわ」

 

チャーミーはそんな友人を一度だけ力強く抱きしめて──。

 

それから、腕を解いた。

 

「さよなら、アンブリエル。あんたと出会えて良かったわ」

 

踵を返してチャーミーは背中を向けた。

 

「あたしも、チャーミーが友達で良かった」

 

その背中に向かって、感謝の言葉を──。

 

「そ。……元気でやんなさい。じゃね」

 

無骨な車両の運転席に入って、それがゲートを通って荒野へと消えていくのを見送って、アンブリエルはもう一度だけ呟いた。

 

「……さよなら」

 

──きっと、もう二度と会うことはないだろう。

 

そしてまた一つ、アンブリエルは過去を捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ。おかえりなさい、アンブリエル」

 

──呑気に掃除とかしてた。雑巾掛けをしている。

 

「……え? 何で覚えてんの?」

 

一週間も家を空けていたのだ。正直、絶対に自分のことなど忘れていると思っていた。それを覚悟していたため、一気に気が抜けてしまった。

 

「覚えてんの……って。僕は忘れないよ、君のこと」

「……ホントに?」

「ホントホント。それより、君が居なかった間にもまたちょっと野菜が育ったんだ。ちょっと農園に来てよ、見せたいものがあるんだ」

「え、何よ──」

 

適当な言葉で誤魔化されたのだ。だからアンブリエルは気がつかなかった。

 

楽しそうに、林檎の苗が何センチ育ったとかを延々と語るエールに呆れて、ただ安心してしまった。

 

それから1週間が経たないうちに、エールが倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エールッ!」

 

部屋に飛び込んだ時、エールは真っ白なベッドに寝ていた。側に医者が来ている。

 

「ねえ、エールは!? 何があったの!?」

「落ち着いてください、静かに……」

 

真っ青な顔色をしているエールに気がついて、すぐにクールダウンする。

 

「往診中に突然意識を失ったんです。そのまま吐血して──」

「詳しいことは分からないの!?」

「落ち着いてください。本格的な設備があれば別ですが、ただの往診ではそこまで詳しいことは分かりません。ですが、ここから移動させても体力が持つかどうか……」

「……ッ、何、そんなやばいの」

「以前からこういったことはありませんでしたか?」

「なかった。少なくとも、あたしの前では──」

 

本当に、なかったのだろうか。

 

仕事で家を空けている間、エールは一人だけだ。その時に何かあっても分からない。もしかして、心配をかけないように──例え体に激痛が走っていても、涼しい顔で堪えていたんじゃないか? 掃除をしていたのは、吐血の汚れを残さないため?

 

「意識は、あるの?」

「朦朧としているようです。かなり危ない状況です。一人にしておくのは危険ですが、ここから私の診療所となると時間がかかります。手持ちの薬で何とか手を打ってはいますが──」

 

今すぐ診療所に運ぶべきだが、車での移動が負担になるかもしれない。判断に迷っていた。そのくらい衰弱していたのだ。

 

「……ぅ」

 

わずかな呻き声。

 

「エール! エール!? 大丈夫、大丈夫なのッ!?」

「……アンブリ、エル……──」

 

聞き取るのも難しいような、掠れた声でそう言った。

 

「だい、じょうぶ……だから、ね」

「……ッ、くそ、くそっ……! 死ぬんじゃないわよエール、あたしを残しておさらばしようなんて、絶対ダメだからね……ッ!」

「ひとりに、しないよ……──」

 

──その日は、持ち直した。

 

意識が完全に回復し、飯は自力で食べ、歩こうとしたので全力で止めた。

 

たびたび、こういうことが起こった。

 

アンブリエルが市場に買い出しに行こうとして、エールがそれを見送った。玄関の先までエールが来て、微笑みながら行ってらっしゃいと言った。

 

アンブリエルも笑い返してドアを閉じた。ドアを閉じた瞬間に、向こうからどさっという重たい音が聞こえて、焦ってドアを開いたらエールが意識なく倒れていた。

 

段々と衰弱していった。

 

死期が近いと、誰が見ても分かった。

 

意識が回復して、エールが目を開けて、アンブリエルが必死に呼びかけていた。

 

「起きろ、起きなさいバカエール! 目を覚ましてよッ!」

「……ん、君、は──」

 

エールは。

 

「だれ────……?」

 

アンブリエルの存在を忘れていた。

 

記憶の消失とリンクするように、症状は悪化していった。

 

記憶は不安定なようだった。一時は忘れていても、またその日の夕方には思い出している。

 

アンブリエルはずっと家にいるようになった。

 

エールは寝室で、カリカリと何かを書いている。日記のようだったが、エールはそれをアンブリエルに見せたがらなかったので、何が書いてあるのかはわからない。

 

左手一本で器用に書いている。確か利き腕は右だったと思うが、その辺は器用だった。

 

「ねえ、アンブリエル。一つ頼みがあるんだけど」

「ん。何?」

「農園の様子を見てきて欲しいんだ」

 

エールはそう言った。

 

「なーに? また林檎の苗木?」

「うん。……また、大きくなったかなぁ。ちゃんと育ってるといいなぁ」

「はいはい、分かったわよ」

 

穏やかに微笑んでアンブリエルは席を立った。

 

部屋を出て、裏口を開いて、裏庭の農園に出る。小さいながら、よく手入れされた畑だ。何種類もの野菜が植っていて、また実をつけているものはない。

 

林檎の苗木は2本。言われてみるとちょっと伸びているような気もするが、毎日見ていると違いは分からない。最初の状態を写真にでも撮っておけば良かった。

 

苗木は元気そうだった。

 

今日も太陽の光を浴びて、またちょっとずつ大きくなろうとしている。

 

「……うん。大丈夫そうね」

 

その生命力に満ち溢れた様子は、まるでエールの生命力と引き換えであるかのように────。

 

「戻んないと」

 

ゆっくりと、アンブリエルはエールの元へと帰っていった。

 

カーテンから差し込む午後の光が、優しく部屋に差し込んでいる。

 

「……もう。何寝てんのよ」

 

エールは目を閉じていた。眠っているようだった。人をお使いにやっておいて、その隙に眠るとはいい度胸である。

 

ベッドの横の椅子に座って、穏やかに眠るエールを優しく見下ろす。

 

「林檎、元気だったわよ。人参の葉もちょっとずつ育ってる。ちゃんと毎日雑草抜いてたおかげね。やっぱり根菜は育ちがいいわ」

 

エールの手を握った。

 

「そうそう、ソラマメ用の柵、買ってきといたから後でつけとくわね。あれ付けたら一気にそれっぽくなるっしょ。あとは冬を越せるかが鍵よねー。やっぱそこを越せるかどうからしいわよ、林檎の苗木もそうなんだって。根がちゃんと張り切るまでの三ヶ月で、ちゃんと育つか決まるらしいわ。でも構い過ぎるのもダメだから、信じて待つのが一番なんだってさー……」

 

エールの手が、段々と冷たくなっていくのを感じていた。

 

「……一緒に、見たかった。あんたと一緒に、林檎の実が成るとこ、見たかった」

 

満足したような、穏やかな顔で、エールは永遠の眠りについていた。

 

「もっと一緒に、いろんなことしたかった。もっといろんなこと、話したかった」

 

声だけが静かに響いていく。

 

「あんたの料理、もっと色々食べたかった。今度からはちゃんとあたしも手伝うわよ。一緒に作って、一緒に食べよう」

 

ぼろぼろと流れる涙が頬を伝って、シーツにシミを作っていった。

 

「……もっと、一緒に……あたしは、あんたと一緒に──この場所で、いつまでも一緒に暮らしていたかった……っ」

 

──ああ。

 

この日が来た。

 

あたしはこれから耐え切れるだろうか。

 

あんたのいない暮らしに耐え切れるだろうか?

 

想像した。何度も想像した。一人で起きて、一人で朝ごはんを食べて──この家で、たった1人で。

 

「……無理よ」

 

耐えられるはずがなかった。

 

「あんたがいない世界になんて、何の価値も……」

 

無理だ。

 

無理だ。無理だ。無理だ。絶対に無理だ。絶対に耐えられない。もうアンブリエルにはエールしか残っていなかった。

 

そうだ、分かっていたことだ。エールを救うつもりが、救われていたのはずっとアンブリエルの方だった。何も出来なかった。アンブリエルは、何一つ──。

 

ふと、エールが書きかけていた日記が目に入った。生きている間は見せてくれなかったけど、今では──。

 

そのノートを手に取って──。

 

「……そっか。そう、だったんだ」

 

事細かに書かれていた。

 

その一日に何があって、どんな気持ちだったか。アンブリエルは笑っていたか、怒っていたか。

 

それが一日一日、欠かさず毎日──。

 

「……このノートに全部、書いてたんだ。だから、あたしのこと……覚えて、たんだ」

 

厳密には、エールはもはや朝に起きるたびに全てを忘れていた。そして横にあるノートを手に取り、自分の名前を知って──。

 

「……あたしに笑っていて、欲しくて」

 

最初のページに書いてある。アンブリエルは自分を助けてくれた人だから、助けたいと。

 

このノートは手紙だ。明日には全てを忘れている自分に向けて書く手紙だ。毎日毎日、それを書いていた。その上で、ずっとエールは、ただアンブリエルに笑っていて欲しくて────。

 

涙がずっと溢れている。

 

視界の文字が歪んで読めそうにない。

 

無理だ。

 

無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。無理だ。

 

────エールがいない世界にこれ以上耐えられない。もう、無理だ。

 

ふらふらと立ち上がって、リビングのテーブルに置きっぱなしにしていた拳銃を手に取った。もう精神の限界だった。

 

その銃口を自分のこめかみに当てて、アンブリエルはついに自分を殺す勇気を出して──。

 

『きっと大きく育って、いい林檎の実をつけてくれる』

 

思い出してしまった。

 

『ああ、楽しみだな──』

 

拳銃を取り落とした。力なく膝をつく。

 

小さな窓から裏庭が見える。冬を控えた野菜がある。

 

林檎の苗木は、まだ幼いままだ。

 

「……育て、ないと」

 

誰かが世話をしてやらないと、農園は三ヶ月もしないうちに雑草に埋もれて、原型も無くなってしまう。エールが毎日毎日手入れをしていたそれが、跡形も無くなって消えて──。

 

「……生き、ないと。生きて……実を、つけるまで……」

 

他に出来る人は誰もいない。あの林檎の苗木を育てられるのはアンブリエルしか居ないのだ。他は全て捨ててきたから。

 

「……やる。あんたの代わりに……見届けるわよ。あの苗木が育って、実を……つけるまで」

 

震える声、震える体。

 

「あんたの、分まで──」

 

そして、アンブリエルは立ち上がった。

 

いずれ楽園に辿り着く、その日を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

IFルート:アンブリエル 楽園_No pain life 《了》

 

 

 

 

 





前回の投稿がいつだったか見てみたら8月でした。ウマ娘が全部悪いです。

・アンブリエル
堂々のメインヒロイン。
きっと林檎の苗木がなかったらあっさり自殺してました。この後のことは大体想像に任せます。私はハッピーエンド信者なので(嘘偽りない本心)、なんだかんだで新しい友人だとか知り合いだとかに恵まれて、多少賑やかな未亡人生活を送ると信じています。バッドエンドの方は適当に妄想しといてください。

・林檎
やはりアップル……アップルは全てを解決する……
私はipad信者です
なんですかね、楽園=アダムとイブ=林檎……っていうのはやっぱり安直だったかなと反省。でもわかりやすいモチーフだからやりやすかったです。

・チャーミー
シリアスから逃れきれなかった一般覚悟ガンギマリウーマン
エクソリア南部はおそらく滅びますが、国が滅んだって民族が滅ぶわけじゃないしまあ何とかなるでしょ……(楽観)

・フォトン
本名はホア・ラ・ファンと言います。
これマジ? この大地に散らばる苦難の数々が一度に襲って来すぎだろ……

・エール
最近MTR(看取らせ)という単語を知りました。おまえ記憶を無くした途端にぐう聖になるよな、なんで?(素朴な疑問)
ずっと死ぬ死ぬ詐欺をやっていましたが、ちゃんと死亡。死亡確認! ヨシ!

次からようやく新章です。投稿頻度もエールくんと一緒に死んだので許してください。




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3-2 報日洛火_Love Like Lie.
冥界と豊穣の神 -1


 それの名を表す名詞は数多い。そして彼の存在についての解釈もまた幅広い。神話学者に言わせれば、神話とは不変であり本質であるという。千年経っても消えなかった物語のこと。

 

 死と恵みは表裏一体。そこに古代の人々の価値観(あるいは望み)が現れている。生と死を繰り返すサイクルは農業に繋がった。終わりは始まり、始まりは終わり。生命とは『線』ではなく『円』──

 

 エクソリア南部、旧リン家の秘密倉庫には、エクソリアギルにして約400億の偽札が眠っている。ハノルという人物はそれを『プルトン』と呼んだ。

 

 それは冥界と豊穣の神と呼ばれている。

 

 そして今ではその行方を知るものは、風破浪(フォン・ポーラン)という青年のみ。

 

 終わりと始まりを司る偽札の山。それがフォンに残ったたった一枚の手札。

 

 爆弾を携えて青年は歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 冥界と豊穣の神

 

 

 

 

 

「急げ、こっちだ! 走れ──早くしろ、何をしている!」

 

 ツ、ツ──、ツ──ガー、ガー。

 

「応答しろ、応答しろ! 何が起きてるのか報告しろ!」

 

 パンパンパン、バン! 

 

 砂嵐を返す無線機に向かってがなり続けていた男はついに見切りを付けて顔を上げた。額には汗が滲み、口元はこの最悪の状況を言い表す言葉を探している。

 

「ダメだ、屋敷はもう落ちてる!」

 

「交戦するしかない……!」

 

「だから連中はどこから来ている!? なんで誰も応答を返さない!?」

 

「無理だ! 逃げるしかない、早くしろよ! 置いてくぞ!?」

 

「馬鹿がッ! 敵の方角も分からない状態で──おい待て!」

 

 1人が軍刀を手に逃げ出していく。男の忠告など耳に入るはずがない。男たちの思考は砕けた石のようにバラバラで、そして脆く、混乱と焦燥の中にある。

 

 恐怖を堪えきれなかった者の末路は一つだ。

 

 バン、バン! バン!!

 

「……クソッ!!」

 

 不明な敵。不明な方向。不明な状況。爆発音と銃声はあらゆる方向から聞こえてくる。もし、すでに包囲されているのだとしたら──それ以上は無意味な思考だ。男はそう結論づけるが、"もしすでに自分たちが包囲されているのだとしたら"、と考えることをやめることは出来なかった。

 

 ガー、ガー! ガー……ピッ。

 

「! 応答しろ、こちらイェハン! 何が起きている!?」

 

 反応のない無線機に信号。仲間のものだ。

 

『だッ、助けてくれ、助けてくれ!! 頼む、早く来てくれ、増援ッ、増援を送ってくれ!』

 

「どこにいるッ! どこから来ている! 敵は誰だ、どこにいる!?」

 

『助け──ぁぁあああああッ!! ……』

 

「何があった!? 無事なのか!? 応答しろ、応答しろッ!!」

 

 不吉な予感。薄々分かっている、無線機の先で喋っていた仲間はもう──

 

『……お前がリーダーか?』

 

「ッ、誰だ!!」

 

『はっ……お前、猟犬に向かって獲物が名前を尋ねるのか? 欠伸が出る……』

 

 猟犬。

 

「……貴様、エールの差し金か! 犬っころが、俺たちを追い詰めたつもりでいるのか!?」

 

『私が犬なら、お前たちはネズミだ。お前たちはもう戻れない。戻る場所はない』

 

 ドガン、ドガン! バン、バン!!

 

 建物が崩落していく。爆発しているのだ。

 

 拠点となっていた屋敷はすでに崩落し、アルゴンの森の中に沈んでいく。そしてこのガレージにも振動と音が伝わり、脳神経は危険を訴え続けている。

 

『どこにも逃げる場所はない。そこが終点だ』

 

 信号が切れた。

 

「…………どうする、どうすれば……」

 

 この1秒1秒が生と死を分ち続けている。そのボーダーラインははっきりとは見えないが、断ち尽くせば死ぬだけだ。

 

 周囲を見渡した。男と同じようにまだ意味のない思考を回す者、絶望を呟く者、叫び散らす者。

 

「脱出しましょう」

 

 その中で1人の女性がはっきりとした口調で言い出した。

 

「一か八かに掛けてジャングルへ逃げる。もうそれ以外に助かる道はないわ」

 

「フェリア……! だが!」

 

「時間がない。私はもう行くけど、あなたたちは?」

 

「……!!」

 

 足音が迫る。爆発音が迫る。もはや選択肢などなかった。

 

「脱出するぞッ!」

 

 

 

 

 

 

 足元の悪いジャングルを駆け抜ける。生い茂った植物が視界を覆い尽くして前も見えない、しかし走るしかない。どこから銃弾が飛んでくるか分からないこの密林をただ駆ける。

 

 ただ1人だけ、フェリアという女性だけがはっきりとした眼差しで前を見据えていた。しかし表情は硬い。これが最悪の賭けであることを、ただ1人だけ正確に理解しているからだ。

 

「いいんだな、こっちで合ってるんだよな!?」

 

「声を出さないで。見つかれば終わりよ」

 

「……クソォ……!」

 

 大地に深く根を張る密林、登って降りて──岩肌の混じる危険な足場。右には崖が聳え立って、左には原生林が広がる。

 

 敵の姿は──見えない。

 

 タッタッタ、タッタッタ──バン、バンバン! 

 

「ぐあぁッ! い、痛い──ああああああああ!!」

 

「テイ!! 大丈夫か、どこをやられた!」 

 

「ッ──バカ、何してるの!? 置いて行きなさい!」

 

 足が止まった。それはもはや致命的な隙となる。更にここら一体は比較的視界が開けていて平地が広がっている。隠れられない。

 

「鬼ごっこは終わりか?」

 

「ッ!!」

 

 後ろではなく前。灰色の髪をたなびかせた猟犬がつまらなさそうな表情で立っている。

 

 ガサ……。

 

 周囲の葉っぱが擦れる音が無数に聞こえる。人影が無数に見える。赤い瞳を揺らして──

 

「貴族上がりのエリートなら、さぞ手練れなのだろうと思っていたが、この程度だったとはな」

 

 彼女は猟犬。

 

 英雄の影に潜み、そして命令通りに狩りをする。その両手は血に塗れ、両足で死体の山を踏みつけ、その瞳は静かに獲物を見据えている。

 

「……b.l.o.o.d。レオーネの暗部……!」

 

「流石に知っているか。まあいい、手早く済ます。逃げられても面倒だ」

 

 密林に潜む暗殺部隊が獲物たちの喉を見据えている。それぞれが得意とする殺しの手法で、速やかな目標の達成をするために。

 

 もう、終わりだ。絶望が心を埋め尽くす中で、ただフェリアという女性だけが行動を起こしていた。腰のポーチから取り出して、即座にピンを抜いたその兵器は──

 

 キィ────ィ──────ィ────!

 

 辺り一体を光が包んだ。クルビアから購入した閃光発音筒(フラッシュバン)が瞬いた。

 

 猟犬たちの眼を眩ませ、そしてようやく平衡感覚を取り戻す頃には──

 

「……1人だけ逃したか。追え」

 

 蹲る男たちを放って、フェリアだけの姿は無くなっていた。

 

 猟犬たちが走り出す。狩りはまだ終わっていない。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 ステラ軍学校。

 

 かつては旧南部軍学校と呼ばれた、将校を育成するための学校。100年の内乱が続いていたエクソリアでは、戦争とはあまりに身近なものだった。

 

 リン家とロゥ家の勢力争いというものは幹部将校の育成から始まっていた。ステラ専門学校はリン家の影響下にあり、傘下の貴族の子息は大抵この学校へ行き、卒業後は軍属になったり、あるいはそれぞれの家が運営する関連企業へ入社した。

 

 ステラ・ギ・リンというかつてのリン家当主を記念して設立されたという、名誉ある学校──しかしリン家が壊滅したことで、ステラ軍学校は選択を余儀なくされた。すなわち、レオーネに与するか、抵抗するか。

 

 大多数はレオーネへの編入を受け入れた。レオーネは人手不足故、知識を持つ軍人見習いを歓迎し、すぐに組み込まれた。反発もなかったわけではないが、結局のところ彼らは同じエクソリア人だった。

 

 後にはレオーネに吸収されることを拒んだ少数の者たちだけが残った。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……!」

 

 ──逃げていた。

 

 過去から、走って──背を向けて、向き合うこともせずにただ逃げた。息が切れる。訓練を重ねても、死の危険が緊張を招き、余計な思考がスタミナを奪う。

 

 逃げたからだろう。過去は猟犬に形を変えて追ってきた。

 

 この大地に生まれ落ちたことは不幸だ。エクソリアに生まれた人々はもっと不幸だ。そしてエクソリアの貴族に生まれた者はもっと不幸で、そしてリン家の傘下にあった貴族はもっと不幸だ。

 

 終わりゆく国。終わりゆく人々。終わりゆく未来。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ……! 私は、私は、まだ……!」

 

 貴族に生まれれば食うに困らない。代わりに失うものは心の安寧。生きてきて気の休まる時間などただの1秒もなく、迂闊な言動は破滅を招く。貧困の中にあるエクソリアの人々はパンを奪い合うが、貴族たちは金を奪い合う。そしてその戦いに負ければ、どちらも待つのは破滅で、違いなどたったそれだけだ。

 

 人は終わりを前にして手を取り合うことなど出来ない。事実としてそれは出来なかった。

 

「嫌だ……! 私は、まだ……!!」

 

 岩を踏み、蔦を掴み、崖側を走る。踏み外せば、アルゴンの外に広がる広大なジャングルに落下していくだろう。

 

 どちらにしろ死ねば終わりだ。猟犬に喉を噛みちぎられ、弾丸で頭を貫かれるのも。この泥のような緑色の海に滑落して死ぬのも。

 

 死ねば終わりだ。

 

「死にたくない、はぁっ、はぁっ……! 私は、まだ何も……!」

 

 この大地に生まれ落ちたことは少なくとも幸運ではなかった。力がないことを呪った。だから願ったのだ。"力を"、と。

 

 背後から猟犬たちが迫る。追いついてこないのは──きっと、楽しんでいるのだろう。この狩りを──いつでも撃てるぞ、と笑っている。そうでなければとっくに殺されていると、心のどこかで理解していた。

 

 足音が聞こえる。道は細まり、岩肌を伝う蔦を掴み、ただ走る。

 

 ──狼に追われた羊はただ走ることしか出来ない。逃げた先が袋小路でも、断崖絶壁でも、罠が張っていようとも、ただ逃げることしかできない。

 

 バァン!!

 

「……ッ、ぅ、ぁ……ぁあ、ああああああああッ!!」

 

 弾丸が体を貫通したからといって、足を止める理由にはならなかった。フェリアは──死にたくなかった。死にたくなかったから、それが例えどれだけ遅い歩みだとしても、足を止める理由にはならなかった。

 

 小石が踏まれて転げていく、音が聞こえる。

 

 風の音、葉が揺れる音。広い空の下。振り返れば、無数の猟犬が不気味で獰猛な笑みを浮かべて追って来ている。

 

「……死なない。こんなところで死にたくない」

 

 痛みで朦朧とする。

 

「死なないッ! 私は────ッ!!」

 

 そう叫んだ瞬間、巨大な爆発音と共に崖が崩れる。それは猟犬たちにとっても、フェリアにとっても予想外の事態。

 

 舞う粉塵と共に、猟犬たちとフェリアの間にあった道が分断され、無数の岩石が降り注ぐ。そして巨大な崖崩れがフェリアをも巻き込もうとした時、誰かがフェリアの体を抱えて走っていくのを感じていた。

 

 激痛と共に堪えていた意識はもはや限界で、彼女の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 フェリア・リ・トゥ。

 

 年齢は22歳。性別は女性。エクソリア人特有の褐色の肌。種族はリーベリ。

 

 しかし彼女はどちらかといえば、一般的なエクソリア人からはかけ離れている。なぜなら、トゥの性を持つものは貴族であることを意味するためだ。

 

 トゥ家は少し複雑な経歴を辿っている──元々は、北部からの移住民族だった。100年に渡る戦争の中で、北部と南部では様々な交渉があった。例えば人質、あるいは移住、あるいは内輪揉めのために南部に逃げる必要があった、とか。

 

 トゥ家は100年前、南北戦争勃発の折に北部を脱出し、南部へと住み着いた。そしてリン家の庇護下に入り、幾つも存在する貴族の一つとしてこれまで存続してきた。

 

 当時の当主が行った決断が正しかったのか、はたまた間違っていたのかは現段階では判断がつかない。ただ一つはっきりしているのは、トゥ家は『裏切り者』であるということ。それは北部にとっても、南部にとっても。

 

 この『裏切り者の末裔』という自身の根源的なアイデンティティーを抱えて、フェリア・リ・トゥは育った。

 

 そして庇護者であるリン家が崩壊したことで、フェリアはついに何者でもなくなった。

 

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 

 痛みには慣れているつもりだった。

 

「……っ、いっ……つ……う」

 

 目を覚まして最初に感じたのは痛覚。脇腹のあたりが焼けるように痛く、体を起こすのも苦痛。しかし──同時にそれで思考が覚醒する。

 

 ──ここは?

 

「目が覚めたか。大した生命力だ。いや……エクソリア人に共通する性質か?」

 

 男の声。

 

「誰!? っ、ぅ……!」

 

「無理に動くな。峠は越したらしいが、まともな処置とは言えん。安静にしておくことだ」

 

 視界だけで男を探す。ちょうどこの部屋に入ってきたところらしいが──黒髪のフェリーン。当然見覚えなどない。

 

「ここはアルゴンの民間治療所だ。ジャングルではまだお前の死体探しが続いている」

 

「……あなたは、誰?」

 

「お前の味方……に、なるかもしれない男といったところか」

 

「……どういう意味?」

 

「そのままだ」

 

 初めに考えたのは反レオーネ派の構成員だ。フェリアが居たグループは貴族の子息たちが集まっていた。何か力を借りるためにフェリアを助けた──というものが浮かんだ。

 

「オレは元レオーネの別働隊だ。目的のために、お前の力を借りたい」

 

 エクソリア人ではない。肌の色、言葉のイントネーション、そして何よりこの男の纏う雰囲気はエクソリア人ではありえない。

 

「この大地に果てしない戦争を振り撒く。協力しろ」

 

 結局のところ、フェリアの想像力というものは大したものではなかった。

 

 薄暗く、ひんやりと冷たい死の気配。破壊と暴力に慣れ親しんだ、死神の気配。それはどのような過程を辿ろうと、必ず大きな破壊をもたらすと確信させる──そう、あのエールから感じたものと同じ、恐ろしい瞳。

 

 フォンという男のことを、フェリアはまだ何も分かっていなかった。

 

 

 

 

 

「……一体、何を言ってるの?」

 

「フェリア・リ・トゥ──お前にはまだいくつかの選択肢が残っている。すなわち、正体を隠して逃亡するか、あるいはレオーネへの抵抗を続けるか、あるいは投降するか。最も最後の選択肢はお勧めしないが」

 

「…………私に、何をして欲しいの?」

 

「アルゴンの貴族の中に潜入してもらいたい」

 

 ──緊張が走った。

 

 この男は少しイカれている。

 

「もう一度戻れって言うつもり!?」

 

 傷口に響くのも忘れてフェリアは怒鳴った。バオリアはレオーネの本拠地──猟犬の住処だ。あの恐怖はとても忘れられるものではない。

 

「死ねとでも言いたいわけ!? トゥ家に──まして、私はもう手配されているんでしょう!?」

 

「エールとて貴族に公には手は出せん。トゥ家は表立ってはレオーネへの協力を表明している。お前たちが狙われたのはオレも予想外で、対応が遅れた。正直に言うが、お前が生き残ったのは奇跡だな。よく足掻いた」

 

 当たり前のように、男はフェリアのことを知っているらしい。レオーネに統合されることを拒んだ貴族の子息たちが徒党を組み、レオーネへのクーデターを企んでいたことは事実だ。しかし──エールの対応はあまりにも早かった。

 

「ヤツは今大統領選挙を控えている。グエンの当選はほぼ磐石と言えるが、リン家崩壊に伴う貴族体制の再編は予断を許さない状況だ。その状況の中で貴族の反乱分子を明確な証拠なく消しにかかることなどないと、オレもたかを括っていた」

 

 ロゥ家とレオーネ。その二つが今の南部を支配する勢力であり、これ以上の反乱はもはや無意味だし、それ以上の粛清もまた無意味──と言うのが、フォンの見立てだった。

 

 あるいはこれは警告なのかもしれないが──

 

「ともかく、軍としては表立っては貴族に手は出せん。その逆も同様だが……お前を逃したのは手痛い失敗だった。ヤツは一度で決めなければならなかった」

 

 フェリアたちはレオーネに従属することを拒んだ。その時点でマークはされていたのかもしれないが、レオーネによる襲撃はずっと警戒してきた。拠点の場所や、集合している時間など──それらは徹底的に秘密にしてきた。

 

「……どうやって、エールは私たちを見つけたの?」

 

「完璧な隠蔽など存在しないが、それでも不可解なほど情報が漏れている時がある。その時はまず、身内を疑った方がいい」

 

「……! まさか、裏切り者がいたの……!?」

 

「オレがお前たちのことを知ったのもその筋だ」

 

「そんな……」

 

「そいつは元々レオーネと取引していた可能性が高い。俗に言う潜入員となり、反乱分子を一掃するために情報を流していた──あるいは、単純に裏切ったか。真相までは分からんが、結果は同じだ」

 

 『裏切り者』という言葉はフェリアにとって特別な意味を持つ。

 

「……私に、何をさせるつもり?」

 

「南部と北部の間になんらかの重要な取引があったはずだ。それを探れ」

 

「取引……?」

 

「オレの予想が正しければ、この内戦は最初から出来レースだった可能性が高い」

 

「……は?」

 

「お前が知らんというのも妙な話だがな。貴族全員が知らされていた訳ではないのか」

 

 リン家壊滅の中にフォンは北部軍の姿を見ている。使用している兵器、言語──不可解な内戦情勢と合わせれば推測は容易だ。問題はそのタネ、すなわち──

 

 取引の内容とは何だったのか? フォンはそれを知らない。

 

「最も、検討はついているがな。ともかく情報を集める必要がある」

 

「待ちなさい。出来レースというのは、どういう意味」

 

「言葉通りだ。ここ数年で南北戦争が過激化したのは、背後にあるウルサスの意思に他ならん。推測するに、南部に何らかの利権が発生した可能性が高い。特に南部には古代遺跡も多い。未知の古代兵器が見つかった可能性もある」

 

「……つまり、私たち貴族が……売り渡したというの? 人々を……」

 

 それは裏切りだ。

 

「調べれば分かることだろうが、今のオレは目と耳を失ったも同然なのでな。こうしてお前に頼んでいる」

 

「……私は貴族よ。見返りを要求する」

 

 睨み合いともつかない静かな相対。フェリアの声は少し小さかった。

 

「意外だな。命よりも大切なものがあったのか?」

 

「……」

 

「もはや南部エクソリアの貴族は権力と武力を奪われた案山子も同然だ。義務を果たさないなら貴族ではない。戦わないなら軍人でもない。連中はもはや何者でもない──だが、もし望むなら戻るのもいいだろう。だがお前には選択肢がある──」

 

 裏切りだ。

 

 この男に従うこともまた裏切りだ。

 

「選べ」

 

 変わり続けるエクソリアの中では誰しもが選択を迫られる。誰しもがこの戦争に無関係ではいられない。

 

 フェリアもまた──

 

「……あなた、名前は」

 

 結局のところ、フェリアにはもう戻る道はないのだ。

 

「フォン。好きに呼べ」

 

 もう戻る道などない。

 




お久しぶりです!!!!!!!!!!!!
恥ずかしながら戻って参りました!!!!!!!!
前回の投稿がいつだったか見てみたら一年半前でした。マジで言ってる?
一年半も経ってるんでちょい文体(セリフごとに空白開けてるとか)が変わってます。そのうち作品全体を工事する予定です

ともかくのんびりやっていくんでよろしくです!!!! 待ってくれてた人たちごめーーーーーん!!!!!!


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冥界と豊穣の神 -2

 

 

 

 

 エクソリア南部首都:アルゴン。緑の大地に広がる根無草の都市。テラでは非常に珍しいただの都市──移動都市を持たず、天災に対しては『大移動』という原始的な手段で対抗している。そのため、過去に4回の移転を行ってきた。

 

 北エクソリア開放戦線:レオーネの本拠地──現在は来たる大統領選挙へ向けての活動が続いている。リン家の崩壊に伴う上流階級の空洞化、そしてその空白を埋めるレオーネの活動は不安定ながらも新たな秩序を作っている。

 

 グエン・バー・ハンの当選はもはや出来レースもいいところだった。しかしそれで何の問題もない。エクソリアは共和国──これが『人々の意思』ということは、もう十分なほど示されている。

 

 リン家の傘下にあった貴族の中に反乱の意思は全くなかった訳ではない。

 

 フェリアたちがレオーネ暗部の強襲を受けたのは、その意思を挫くための見せしめ──フェリアたちの画策していたクーデターなど、全てお見通しであったことを示すためのもの。次はお前だ、というエールの明確な意思表示。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 フェリアがトゥ家に戻ったのはその2週間後。

 

「……フェリア……生きていたのか……!?」

 

 トゥ家はかつてシャンバの管理をしていた一族だ。詰まるところ実質的な領主。最も広大なシャンバの領地は分割され、貴族ごとに定まった領地が与えられ、トゥ家はその末席に名前を連ねていた。

 

「ただいま戻りました。お父様」

 

 しかし現在、シャンバは北部に奪われ、そしてトゥ家はシャンバを見捨てた──

 

「もはや、死んだものと……」

 

「……私以外は皆死にました」

 

 今はアルゴンの中で新たな利権を得るために奔走しているが、結果は芳しくない。

 

「レオーネか?」

 

「おそらくは。どこからか、私たちの情報が漏れたようです」

 

「……ともかく、生きて戻ったのは何よりだ。追手は振り切っているんだろうな?」 

 

「はい。私が生きていることは、知られてはいないはずです」

 

 元ステラ軍学校の学生の一部が集まってクーデターを画策していた。そしてそれは──その学生たちの親である貴族の意向に他ならない。目的はレオーネの監視を逃れるため。

 

 フェリアも同様に、このトゥ家当主であるジョシュア・リ・トゥの命令に従っていた。

 

「傷はまだ、完全に癒えてはいません。当面は動きは控えます」

 

「それがいいだろう。ともかく、今は休むがいい」

 

 彼らが企んでいたクーデターとは、突き詰めればエールの暗殺であり、グエンの失脚。もう一度北部との契約を遂行しようとする、旧リン家勢力の動きである。最もそれは始まる前から終わりを告げたのだが──

 

「……はい。ご配慮に感謝いたします」

 

 フェリアとジョシュアの間には主従関係だけがあった。多くの貴族がそうであるように──愛と呼べるものはなく、隷属という鎖だけが彼らを繋ぐ縁だった。

 

 フェリアが部屋を出る時には、ジョシュアは既に机に視線を戻して作業を再開していた。それを冷たい瞳で一瞥だけして、フェリアは足を進めた。

 

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 フェリアは『千年都市』シャンバにて生まれ育った。

 

 古来から交易の拠点として栄えていたシャンバには、一つ厄介な存在があった。シャンバラ族と呼ばれる民族のことだ。

 

 彼らは何者にも従わず、そして強靭で硬い意思と肉体を持っていた。特に彼らは貴族というものが大嫌いで、シャンバでは衝突が絶えなかった。

 

 トゥ家の仕事は、シャンバを治めていた大貴族とシャンバラ族との折衝にあった──『裏切り者』の一族だったトゥ家が押し付けられた、危険で面倒な役目。他貴族からの嘲りに屈辱を忍んだ。

 

 フェリアの心の中に積もっていった黒い感情は──恨みだ。

 

 父であるジョシュアの言う通りにステラ軍学校へ入隊し、良好な成績を残し、そして将校となり戦争で成果を上げる。そうすることでトゥ家の地位は向上する──フェリアは家のための道具となった。

 

 若くして病気で亡くなった母がジョシュアにどのような影響を与えたのかは分からない。

 

 母の死は病気ではなく、実際には他殺だった可能性があった──そのことがジョシュアにどのような影響を与えたのか分からない。

 

 トゥ家の力がもっと大きければ、母を救えた可能性があった──そのことが、ジョシュアにどのような影響を与えたのかは分からない。

 

 フェリアはずっと恨んでいた。

 

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「突然の訪問、失礼いたします。フェリアと申します」

 

「フェリア? ……あぁ、なんだか聞いたことがあるわね。確か……シャンバの小さな番犬さんだったかしら? ごめんなさいねぇ、リン家の方々とはどうも疎くって」

 

 さるアルゴン貴族の一つ。奥方というのは大概暇なものだ。フェリアの目論見通り、豪勢な客間に通されることが出来た。

 

「それにしても気の毒ねぇ。まさか、あのリン様が野蛮なレオーネなどに殺されてしまうなんて。本当に痛ましいわぁ」

 

 嬲るような、気に触る口調。わざとやっているのだろう、それくらいは分かっている。

 

「あなた方も大変なのでしょう? エールなどに与する屈辱、同じ貴族として胸が痛み入ります。是非とも手を差し伸べて差し上げたいのですけど、私たちも忙しくって」

 

 ──ロゥ家傘下の貴族たちは当たりくじを引いた。リン家が持っていた利権をレオーネと折半して、更に権力を強いものとした。

 

「いいえ、お気遣い感謝いたします。ですが、初めからレオーネに平伏していたロゥ様と比べれば、最後まで抗ったリン様はご立派でしたかと」

 

「……口の利き方、お母様に習わなかったのかしら? ああ……そういえば、随分前に亡くなられていたのでしたね。それでは仕方ありませんわ、あなたのお母様に免じて今の無礼を見逃すことと致しましょう」

 

 貴族はプライドだけで生きている。口喧嘩だけで生きていると言ってもいい。舐められることは命に関わる。

 

 フェリアの心中は穏やかではなかったが、喧嘩をしにきたわけではない。

 

「それで、何用かしら? 風の噂では、あなたは()()に襲われて死んだと聞いていたのですけれど」

 

「幸運にも生き残りました。()()()には、いずれ報いを受けさせるつもりです」

 

「ふぅん……?」

 

 リン家とロゥ家の仲の悪さは、そのまま傘下にも引き継がれている。直接的な殺し合いになっていないだけで、水面下での争いはずっと続いてきた。

 

「本日は、少しお話を伺いたく参りました」

 

「お話、ね。いいわ──そうだ。そういえば、まだお茶も出していなかったわね。持ってきなさい」

 

 薄気味悪い微笑みを浮かべた女が使用人にそう言った。

 

「いいえ、お気遣いなく。私は構いませんので」

 

 ロゥ家傘下の貴族など敵もいいところ。敵に出された飲み物など何が入っているか分からない──自分以外は誰も信用してはいけないのだ。

 

 母は結局それで死んだのだと、フェリアは今でもそう思っている。

 

「話というのは──」

 

 ゴトリ、と。フェリアは手に持っていたケースをテーブルに置いた。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 小国とはいえ、アルゴンは国の首都。膨れ上がった難民により人口は数十万ほどになっており、その分土地も広大だ。人の数だけ影があり、影があれば身を隠せる。

 

 ただのなんでもない宿屋にフォンという男は身を寄せていた。

 

 壁には数十枚の紙と、大判のエクソリア地図。そこには無数の書き込みがしてある。おそらくは炎国語なのだろう、フェリアには読めない。

 

「ここへ来たということは、何か進展があったのか?」

 

「……あなたの推測通りだった。南部には、巨大な源石鉱脈が見つかった……」

 

「ほお? なるほど、源石(オリジニウム)か。となると質もかなりのものだろう。お前がそれを知らなかったことから考えて、おそらくはハノルの独断か。取引は北部から持ちかけられたのか? いや、ヤツの性格から考えて……」

 

 たったそれだけの情報から、瞬時にフォンは思考を巡らせていく──それを警戒するように、フェリアはフォンを睨んでいた。

 

「ともかく、取引が上手く行って何よりだ」

 

「……」

 

「アギリア家はいくつかの兵器製造メーカーを持っている。レオーネ兵器開発部の内部情報は喉から手が出るほど欲しかっただろう」

 

 情報を組み合わせて使い、そして新たな情報を得る。フォンのやり方は単純で、手慣れていて、そしてどこか恐ろしい雰囲気が漂っていた。

 

「もっとも、別の企業にも同様の情報は流しておくがな。連中に出しゃばられても、それはそれで面倒だ」

 

「あのケースに入っていた札束は? あなたのお金?」

 

「いいや。あれらは全て偽札だ。巧妙な偽造はされているがな」

 

 この男と話していると、山ほどの疑問が湧いてくる。

 

「……あなたは、何者なの? 何が目的なの?」

 

「前にも言ったが、オレはレオーネの元別働隊だ。運が悪ければ、お前を殺していたのはオレたちだったかもな」

 

「……レオーネを、裏切ったの?」

 

「いいや。別れただけだ」

 

 フォンはエールを知っている──この国の人々は皆エールを知っている。だが違う、そういう一方的な知っているということではなく、直接話し合うような立場にあったと推測できる。

 

 その点もまた疑問だ。何もかもが疑問だ。何もかも隠されていて、フェリアにはまだ何も見えていない。

 

「……トゥ家に、源石鉱脈の情報が流れて来なかった理由は?」

 

「その時──リン家壊滅以前は相当秘匿されていたはずだ。情報はレオーネからロゥ家経由で流れて行ったのだろう。無理もない。まぁ、そのうちレオーネから一般に公開される日が来てもおかしくはない」

 

 ──話しても問題ない範囲だけを話しているのだろう。ペラペラと喋っているように見えても、その奥にはもっと隠された情報がある。フォンはそれらを全て握っている。

 

「しかしこれでは火種にならんな。ヤツと戦うには心許ない。次の情報が必要だ」

 

「……あなたは、エールを殺すつもり?」

 

「結果としてそうなるかもしれん。だが……オレが望むのは、その先に起こるものだ」

 

 ──この大地に果てしない戦争を振り撒くと、フォンはかつてそう言った。

 

 常人ならばただの酔っ払いの戯言だ。だが、このフォンという男が口にするならば、それは冷ややかな現実味を帯びている。それが恐ろしくもあり、同時に魅力的でもあった。

 

「次の仕事を頼みたい」

 

「……私はまだ、あなたに協力すると決めたわけではない」

 

「それでいい。オレの記憶が確かならば、トゥ家は元々シャンバラ族に関わっていたな。そのあたりの事について、なんでもいい。できる限りのことを調べて来てくれ」

 

「……分かった」

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 それから先も、フェリアとフォンの協力関係は続いた。

 

 グエン・バー・ハンが正式に南部大統領に就任し、そしてレオーネの次の軍事目標は鉱石都市:ホークンであることが噂され始め、新たな戦乱の気配が漂い始めるまで、フェリアはフォンの命令通りに様々な情報を集めていた。

 

 そしてフェリアの負った傷が全て癒えようとしていた──

 

「……フェリア。お前、最近妙なことをしているようだな。何をしている」

 

 ジョシュアの言葉は半ば予想していた。

 

「……私なりに、トゥ家のために動いているのです」

 

 だからそう言った。

 

「余計なことはするな。お前は、ただ私の命令通りに動いていればいい」

 

 命令──幼い頃から、全ての会話は命令だった。フェリアの意思など関係なかった。

 

 ジョシュアに失望されたくなかった。だから全ての命令に従ってきた。

 

「……申し訳ありません」

 

 だが今では別の人物がフェリアに命令を与えている。

 

 ジョシュアとフォンの違いは、フェリアに選択の余地を与えているか、いないかだ。

 

 フォンは選べと言う。言葉にしなくとも、それを行うかどうかはお前の自由だと、そういうサインを発している。

 

「傷ももう癒える頃だろう。レオーネの作戦本部にお前のポストを用意できる。2日後から、そこで能力を発揮しろ」

 

「……レオーネに? そんな、ですが……」

 

 ジョシュアの命令は──意外なものだった。フェリアは珍しく困惑を表に出す。

 

「口答えするな。お前は私の言う通りにしていろ」

 

「それは……分かっています。ですが、どうやってレオーネの地位を手に入れたのですか?」

 

「……お前が知る必要はない」

 

 意外だったのだ。トゥ家は裏切り者の末裔として、様々なところから嫌われてきた一族だ。シャンバやクロッカなど、遠方からの疎開貴族はただでさえ利権に食い込めず苦労している中で──しかも、トゥ家はリン家の傘下だったのだ。

 

 あれほどまでに直接的にレオーネと対立し、最後にはエールによって壊滅させられた。

 

 ステラ軍学校のレオーネ編入は、レオーネからの最後通牒にも等しい。それをトゥ家が断ったことなど向こうも承知だ。

 

 ──故に、レオーネの上層部である作戦本部に、フェリアの椅子が用意されることなどあり得ないのだ。

 

「すでに話は付いている。お前が殺される心配はない。分かったならば返事をしろ」

 

「……はい。承知しました」

 

 拭いきれない疑問が残りながらも、フェリアは結局その命令に従った。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「ほお……? ハハ、なるほど。トゥ家が……お前はそれでいいのか?」

 

「……私は命令に従うだけ」

 

「では、オレとの協力関係も終わりか。世話になったな」

 

 あまりにもあっさりとそれを手放すフォンに、フェリアは少し呆気に取られた。

 

「止めないの?」

 

「人の心を変えることは出来ん。人の意思はそいつ自身にしか決められん。お前の道はお前が決めるものだ。そうだろう?」

 

「私は……命令に従っているだけよ」

 

「そうすることがお前の意思ならば、そうしたらいい。だが……クク。気が変わったならいつでも来い。ヤツ──エールがそうであるように、オレもまた人手不足なのでな」

 

 そしてフォンは懐からある物を取り出した。

 

「餞別だ。こいつをくれてやる」

 

「……これは、銃?」

 

「役に立つだろう。持っていけ」

 

 銃はレオーネの武力の象徴だ。

 

 引き金を引くだけでいい。それで人を殺すことが出来る──フェリアも触ったことぐらいはある。

 

「トゥ家──ジョシュア・リ・トゥに、お前は結局オレのことを話さなかった。その点に感謝して、せいぜいお前の今後の幸運でも祈るとしよう」

 

 フォンと別れることに未練がないわけではない。この男の危険さも有能さも薄々は感じ取っている。そしてその内側にいることで得られるであろう利益もなんとなく想像がついている。

 

「……仮に、私が話していたとしても、あなたには何の影響もなかった。違う?」

 

「さてな。それを知りたかったのなら、試してみる他に方法はない。今からでもやってみるか?」

 

 冗談を言って軽く笑うフォンと言う男はどこまで行っても底が知れなかった。そういうところが恐ろしく──同時に、フェリアが求めてやまなかったものでもあった。

 

 だからフェリアはまだ迷っている。

 

 

 



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冥界と豊穣の神 -3

 アルゴンに無数に存在する喫茶店。エクソリア人のコーヒーに対するこだわりは凄まじい──戦時下であっても朝昼晩のコーヒーを欠かさない人々も多い。

 

 そんな店に入って、道ゆく人々をなんとなく眺めるのが、フェリアは好きだった。

 

「ハハハ、それでそいつなんて言ったと思う!? あいつさぁ──」

 

「そこのお兄さん、今日は珍しく芋が安いよ! 買ってきな!」

 

「何が安いだ! ぼったくり店はさっさと閉店しろ!」

 

「おい邪魔だ! 前の人どいてくれ、車が通らねえよ!」

 

 ──喧騒。この国は騒がしくて、太陽の色がする。どれだけ苦しくても人々の笑顔は失われない。

 

 あの中の1人になって、同じように──暖かい家族と、苦しくても自由な人生を手に入れる夢想をしていた。

 

 騒がしいエクソリアのことが好きで、そして自らを縛るエクソリアが嫌いだ。

 

 好き勝手に行き交う喫茶店。煙草の煙、話し声。

 

 ゴトリ──1人で座っていたフェリアの隣に誰かが座った。エクソリアでは見知らぬ誰かが勝手に話しかけてくることも全く珍しいことではない。

 

 隣に座った人物に何となく視線をやる──

 

 灰色の髪、鋭い目つき。ザラック、レオーネの軍服。

 

「──ッ!?」

 

「動くな。また逃げられても面倒だ」

 

 脳裏に焼きついている。この女の顔は忘れられない。あの日──フェリアの運命が、少しずつ傾き始めたあの日に見た、レオーネの暗殺部隊……おそらくは隊長クラス。

 

 暗殺者が気だるげな顔で座っていた。

 

「……わ……私を、始末、しに来たの……?」

 

 心臓が激しく動き始める。少しの間忘れていた、死の恐怖がフェリアを襲っていた。なぜ、なぜ、なぜ──見つかった。見つかってしまった。

 

「レオーネは……トゥ家との、約束で……私を、殺せない……そうでしょう……?」

 

 貴族として生きてきた中で身につけたハッタリ。あるいは、フェリアはその可能性に懸けるほかない。この暗殺者の実力は嫌というほど知っている。曲がりなりにも軍人としての訓練を受けていたフェリアたちをあっさりと蹂躙した。

 

「……フン。別に殺しに来たわけじゃない。あの時お前を逃したのは確かに私のミスだが、その始末を付けるつもりもない」

 

「じゃあ……なぜ……」

 

「勘違いするな。お前を見つけたのはただの偶然だ。お前が呑気に街を歩いているところを、私たちの情報網が捕らえた。それだけだ」

 

 今すぐに殺される心配は無くなったらしいが、それでもフェリアの表情は硬いままだ。

 

「……じゃあ……私に、何の用……?」

 

「……」

 

 つまらなさそうに街を眺めていた暗殺者の瞳がフェリアへ向いた。

 

「ジョシュア・リ・トゥを殺せ」

 

「……は?」

 

 ──運命とは突然やってくるものだ。

 

 あるトランスポーターの言葉を借りるならば、「その日」は突然やってくる。

 

「私に、父を殺せと言っているの……? なぜ? 私が、それに頷くとでも?」

 

「チッ……。くだらん取引だ、何もかも……」

 

 こんな世界で生きているならば、信じていたものや、暮らしてきた場所が突然壊れることがある。そしてそれは唐突にやってくる。

 

「レオーネも急造品だ。そのせいで貴族連中が入り込んでくる。トゥ家にもたらされた取引も、そのせいだ。だがそんなものは、あのバカには必要のない」

 

 あのバカという言葉が何を指すか分からないが、この暗殺者はそれらレオーネには必要のないものを処理していくのが仕事なのだろう。

 

 エールの欠けた右腕を補う存在。それがこの暗殺者の女。

 

「……別に、私が殺してもいい。だが……個人的に気に入らない。だからこの役目は、お前に譲ってやることにした」

 

「譲る? 何を言っているの? トゥ家はレオーネと取引をした、それを反故にするというの?」

 

 ジョシュアがレオーネと何の話をしたかまでは知らない。だが……レオーネの裏切りを見過ごすわけにはいかない。

 

 暗殺者は嘲る。

 

「お前は何も分かっていない。はっ……その取引が何だったのか、教えてやろうか?」

 

 それは、

 

「旧ステラ軍学校の連中のことをレオーネに売ったのはジョシュアだ」

 

 ──視界が眩んだ。

 

「……何を…………言っているの…………?」

 

「貴族の息子たちが、クーデターを企んでいる──と、ご丁寧に集会の予定まで添えてな。その見返りとして、ヤツはレオーネの上層部にポストを要求した」

 

 フェリアにとっては信じ難い真実。

 

「ヤツは貴族でありながら貴族を売った。親でありながら子であるお前をレオーネに売った。私も裏に住み着いて長いが、ヤツほどのクズはなかなかいない。お前が生きて戻った時、ヤツは心底驚いただろう。それこそ、殺したはずの娘が生きて帰ってきたんだからな」

 

「嘘を……そんな、わけがない…………」

 

「そして今度は、ヤツ自身が得られるはずだったその席を娘に譲った。随分虫のいい話だ。殺そうとしておいて、結局ヤツはお前を殺さなかった。生きていると分かれば、真実を隠したまま都合のいい駒としてレオーネに送り込もうとしている」

 

「…………!!」

 

「おかしいと思わなかったか? 反レオーネで固まっていたはずの旧ステラ軍学校の連中は、決して裏切ることなどない。そんな面倒なことをするならば、最初からレオーネへの編入を受け入れた方が早い」

 

『完璧な隠蔽など存在しないが、それでも不可解なほど情報が漏れている時がある。その時はまず、身内を疑った方がいい』

 

 フォンの言葉を思い出す。

 

 あれから裏切り者の存在を疑ったことはあった。だが、結局怪しかった仲間はいなかった。裏切る理由も分からなかった。あの裏切りで得をした人間も見つからなかった。

 

「レオーネにこれ以上余計な貴族は必要ない。まして、娘を売り渡すようなゴミはもっと必要ない。ジョシュアはそんなことにも気が付かない無能だ」

 

 フェリアの中にあった何かが壊れていく。

 

「譲ってやると言ったのはそういう意味だ。ヤツを殺した後は好きにしろ、追う気もない。ただし、二度と私に面倒ごとを処理させるな。次はない」

 

 ふらり、と。フェリアは立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 貴族にしては小さな家だ。

 

 リン家のようなヴィクトリア調の豪華さもない、伝統的なエクソリア貴族の家だ。

 

 ジョシュアは書斎で何かを調べているようだった。だが、そんなことはもうどうでも良かった。

 

「……フェリアか。何か用か? 私は忙しい。急ぎでないなら後にしろ」

 

「一つだけ……答えてください、お父様。あなたは、私の家族で……ずっと、このトゥ家の繁栄のために生きているんですか?」

 

「突然、何を言う? 当然のことを答えさせるな」

 

 ジョシュアは顔も上げない。

 

「答えてください。私を裏切ったんですか?」

 

「なに……?」

 

 初めてジョシュアが顔を上げた。

 

「愚かなことを聞くな。このトゥ家を守り、存続させることが私の使命だ。裏切りなどという唾棄すべき行為など、私が行うわけがない」

 

「……じゃあ──」

 

 信じていたかった。

 

 それがフェリアを縛るものだとしても、ジョシュアはただ1人の家族であり、父だ。

 

「じゃあ答えなさいッ!! レオーネに何の情報を差し出したのかッ! その対価に何を得たのかッ!! この私に言いなさいッ!!」

 

「……」

 

「私はずっとあなたの命令に従ってきた!! それが身を守るための、ただ一つの方法だと信じて──あなたは私のお父様だから、きっと私を守ってくれると信じていたッ!!」

 

 腰のホルダーに手を伸ばす。 

 

 フォンに渡されたクロッグには一発の弾丸が装填されている。

 

「お母様が最後に、お父様の言うことをよく聞いて生きなさいと言い残したからッ!! 私はその言葉を守ってきた!! 信じてきたッ!! だけど……!!」

 

「私にそれを向けるなッ! 父親に、武器を向けるなど──」

 

「黙れッ!!」

 

 引き金にはすでに人差し指が置かれている。照準は既に合っている。

 

「答えろ、ジョシュア・リ・トゥ! レオーネに、私を売り渡して、殺そうとしたの!? 私を裏切ったの!?」

 

 誰も信じてはいけないと教えられた。

 

「……強くならなくては、この大地では生きていけんのだ……!」

 

 ──そのジョシュアの言葉が聞きたくて、そして聞きたくなかった。

 

「フリーダを守れなかったのは、トゥ家が弱かったからだッ!! 弱いものは奪われる! トゥ家は強くならなくてはいけない! レオーネの上部に食い込み、失われたトゥ家の強さを取り戻すのだッ!! そして、そのためにお前がいるッ!!」

 

 もうとっくに壊れていた。

 

 母を亡くしたあの日から何もかも変わってしまっていた。それを分かっていながら、フェリアは分かっていないフリをした。

 

「成果を上げろ、フェリア!! 私たちは、強くなくては生きていけないのだッ!! 私を裏切るな、フェリア!!」

 

「黙れッ!! この……裏切り者が!! トゥ家は北部を裏切って逃げた!! シャンバを捨てて逃げ出した!! リン家は南部を裏切った!! あなたは私を裏切った!! 何もかも嘘に塗れてる!! だけど──もう私は!! もうこれ以上私自身を裏切らないッ!!」

 

「やめろ、フェリア! 私は、まだ死ぬわけには──」

 

 

 パァン!!

 

 

 硝煙が上った。そして流れた血が、床にゆっくりと赤い模様を作っていく。

 

 静寂の中で、フェリアの両目から涙が流れていた。それは怒りであり、悲しみであり、後悔であり、喜びであり、絶望であり、同時に希望だ。

 

 破壊とは解放だ。隷属の鎖から解き放たれるには壊すしかない。殺すしかない。

 

「はぁッ……はぁッ……! これで……」

 

 これでフェリアを縛るものは何も無くなった。もはやフェリアに命令を下す者は居なくなり、血の繋がりも途絶え、1人になった。

 

 殺した。自分の意思で、自分の手で、父を殺した。最後の(よすが)を断ち切った。これで──もう戻る場所は無くなった。

 

 自分の中にあった何かが決定的に変容し、もう二度と元の自分には戻れない。人を殺すとはそういうことだ。この殺人という事実はフェリアの中で、永遠に罪を叫び続けるだろう。そして消えることはない。

 

 これで、良かったのか──?

 

 父だったものを見下ろして、フェリアは少しだけそう思った。後悔はない。だが──こうする他になかったと割り切るには、フェリアの中でジョシュアはあまりに大きな存在だった。

 

「そうだ。それでいい」

 

 背後から突然声がして、フェリアは振り返って銃を向けた。

 

「自らの道は、自らの意思で決めるべきだ。たとえその選択が、あるいは裏切りと呼べるものでもな」

 

 ──黒い男。フォンが立っている。

 

 意外なことに、フェリアはフォンの存在が意外ではなかった。どこに居ても不思議ではないし、きっとフォンには全て分かっているのだろう。

 

 何となく感じ取っていた。それはエールから感じ取ったものであり、そしてフォンからも感じ取ったものでもある。それは破壊の気配、全てを破壊して──全てを荒野に帰そうとする、解放者(救世主)の気質。フェリアを隷属から解放してくれる破壊(救い)

 

「……あなたは、知っていたのね。全て……」

 

「ああ、知っていた。そしてこうなるだろうと思っていた」

 

 あっさりと答えるフォン。つまり、最初からジョシュアがフェリアを裏切っていたことを知っていた。その上で──敢えてフェリアには真実を告げず、そして自らの手で選択をさせたのだ。

 

「その銃は役に立ったか?」

 

「……返すわ」

 

 元ある場所へ。アルゴンにたった一丁だけ存在するオリジナルのクロッグ17の握りを確かめて、フォンは銃を仕舞った。

 

「これも全て、あなたの計画?」

 

「さてな。ただ一つ言えるのは──あの襲撃でお前が生き残ったのは、オレも予想外だった。あれはお前自身の切り拓いた道だ」

 

「……そう」

 

 フェリアが何を思ったのかは定かではない。だがもう、その瞳からは涙は流れていなかった。

 

「運命とは予測できるものではない。だが同時に、運命に隷属する者は破滅する。そして運命に抗うものは、苦難の道を往くことになる。オレも、そしてお前も──」

 

 そう言いながら、フォンはジョシュアの死体へと歩いていき、そして直前まで座っていた机に目を落とす。一冊の本が開いたまま置いてあった。

 

「……シャンバ。塔と……そして……? これは……」

 

 文字に目を滑らせて呟いていくフォンの口元は少しずつ歪んでいく。

 

「鍵……クク、ククク……なるほど、なるほどな。ハハハ、なるほど! 運命は予測できるものではないな。これがあるいは、お前の……そして、オレの運命か!」

 

 ──また新たな情報を得たようだ。フォンはいつになく上機嫌に笑い、そしてフェリアを見る。

 

「──オレと共に来い、フェリア。世界が変わる様を見せてやろう」

 

 人の形を悪魔が笑っている。

 

 フェリアはまっすぐに視線を返して──

 

「……見せてもらうわ、フォン。あなたの運命の先に、何があるのか」

 

 その手を取り、そしてジョシュアの死体を背にして歩き出した。

 

「ちなみに、どこへ行くのか聞いていい?」

 

「クルビアだ。忙しくなる」

 

 先はまだ見えずとも、手に入れた自由の赴くまま──果てを目指す。

 

 

 

 

 

 冥界と豊穣の神 了

 




この章では数人の間幕っぽいオムニバスストーリーをお届けするぜ! 今回はフォンくん(26)とフェリアちゃん(22)の話でした。

・フェリア
 フォンの計画通りにまんまと手駒にされてしまった

・フォン
 本来なら旧ステラ軍の貴族子息を丸ごと手に入れようとしていたが予定が狂った。結果はオーライかもしれない。新しい仲間ができてよかったね!

・暗殺者の人
 フォンの存在を見落とすという特大ガバを犯す。一体何ベンジャーさんなんだ……
 女の子には結構甘い。

・ジョシュア
 力を追い求めるうちに、いつしか手段と目的が入れ替わり、そして本当の望みも忘れてしまった悲しきおじさん。死亡確認!

・冥界と豊穣の神
 プルート、もといプルトン。エクソリアでは巨大な偽札の山を指すがさっぱり登場しなかった。こんなはずでは……

 そんなわけで次の投稿までしばらくお待ちを……


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貧困という名の猛毒 -1

前回投稿4月で草
現実の忙しさから解放された私に敵はいないc


 ホークン争奪戦──あるいは占領戦だったかもしれない。元ホークン市長リチェの暗殺、そしてホークンへ集結するレオーネの軍隊と、その面前でホークン市民への演説を行った、北部軍の無謀とも呼べる勇気。

 

 あるいは彼も死ぬことはわかっていたのかもしれない。

 

 ともかくホークンをレオーネが占拠したことでこの地は奪還された──そして、残虐な破壊を受けた街だけが残った。ここは鉱石都市ホークン──血が滲み、灰が舞う呪われた都市。

 

 

 

 

 

 貧困という名の猛毒

 

 

 

 

 

「孤児院?」

 

「ええ。嘆願書が届きましたの」

 

 ことの発端はホークン終戦にまで遡る──

 

「少年兵たちを収容している孤児院があったそうなのですが、経営状況が苦しく……ロゥ家に助けを求めてきたのです」

 

「へー……」

 

 市街地戦に至ったホークンの破壊状況は凄まじい。どちらの軍にも街を気遣う余裕などなかった。爆発と銃撃戦の跡が至る所に残っており、片付けられ損ねた誰かの腕だったものが転がっていることもある。

 

「それを君が?」

 

「お祖父様からの最終試験なのです。この試験に合格することで、私はようやく一人前として認められますの」

 

 エクソリアの貴族社会を牛耳る存在であるロゥ家だが──その跡取りは未だ定まっていない。直系が望ましいのだが、当主であるワン・リ・ロゥの息子は貴族として欠陥品だった。体が弱く、そして精神的にも弱かった。最終的には自ら家を出て、身分を捨てて民間の一企業で働いているらしい。

 

(わたくし)は父とは違うのだと示すいい機会となったのです。上手くいけばそのま当主として認められるかもしれませんのよ?」

 

「へー、すごいね」

 

「何を他人事のように。エール様がその席に座ってくだされば、私もこんな苦労をする必要はないのですけれど」

 

「え? なんで?」

 

「……はぁ」

 

 暖簾に腕押し。

 

 実に11月の半ば。年の終わりが段々と見え始める時期のことだ。尤も、常夏のエクソリアにおいては季節感もあったものではない──が、年末という区切りは確かに存在している。

 

 レオーネは戦争の早期終結させる方針だ。具体的に言うならあと半年以内。それ以上は国力が保たない公算だ。

 

「最近のエール様は張り合いがありませんわね。やはり、鉱石病(オリパシー)というものの影響なのですか?」

 

「多分?」

 

「奇妙な病気ですのね……」

 

「なんかそうみたいだね」

 

 相変わらずエールの右肩の先はひらひらと袖が揺れている。そしてそれを気にするそぶりも見せない。それは生まれた頃からそうだったかのように自然だ。

 

 記憶の喪失──ステインの残した呪いと鉱石病(オリパシー)が混ざり合い、それはただの病気では収まらない症状の進行を見せていた。どちらかといえば現象に近い記憶の喪失。

 

 どうやら記憶を失うと性格も変わるらしい。

 

「しっかりしてくださいまし。あなたはエクソリアの英雄にして、私の最愛なる夫なのですから。その名に相応しくあるべきでしょう?」

 

「……そうだっけ?」

 

「そうなのですっ! もしもまた"忘れた"などと仰るようでしたら、私にも堪忍袋というものがありますのよ」

 

「ごめんって。気をつけるよ」

 

 メリィが少しエールを睨むと、いつものように面倒くさそうな苦笑い──こっちは相変わらずだ。

 

「……。もしもあなたが私を忘れてしまったら、私とて悲しむのですよ?」

 

「そうならないように願うよ」

 

 まるで心のこもっていない言葉にメリィはため息をついた。

 

「エール様は、孤児院というものをどのように考えているのかしら?」

 

「え? あー、うん……特には何も」

 

「……無関心とは、エール様らしくありませんわね」

 

「無関心……じゃないと思うんだけど、それは多分僕が解決するべき問題じゃないと思うし」

 

 エールは読んでいた手記を閉じた。雑な文字で書かれたページには、以前のエールが書いた、いや──残した文字列が残っている。それは以前の自分が書き残したもの。あるいは、見ず知らずの他人の苦悩。

 

「国内の問題への対処も、レオーネの仕事ではありませんの?」

 

「何言ってるの。次期ロゥ家当主なんだろ? 君が対処するべきじゃない?」

 

「それは……確かに、そうかも知れませんが……」

 

 孤児院の問題はメリィにとっては『試験』だ。それ以上ではない。

 

「まあ行ってみようよ。僕も行くからさ」

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 元々として鉱脈は繋がっていた。黄鉄が産出する地域は貴重だ。それが産業として発展するのにさほど時間は生じなかった。

 

 しかしそれらの資源はクルビアを始めとする諸外国に輸出するために採掘していたのも同然で、設立された会社の持ち株の大半は大抵サルゴンかクルビアに握られていた。つまり、採掘の権利すら自分たちで持ってはいなかった。資本主義が意味するのはそういうことで、労働環境が改善されないのも同様の理由だ。

 

 過酷な労働。低賃金と、無意味も同然の福利厚生。ホークンは奴隷の街。肉体労働する以外に道が無くなった落伍者たちの墓場。

 

「……ここが、ホークンですのね──」

 

 どれぐらい車を走らせたのだったか。アルゴンからの長旅を終えてメリィは疲れが顔に出ないように堪えた。

 

「それにしても、どうして軍用車両というのはこうもシートが固いのですか? 揺れもひどいものでしたし……はぁ。次のためにもっと高級な車両を用意してもらわなくてはなりませんわね……」

 

 箱入り娘の感想はさておき……ホークンは鉱山に造られた街だ。錆色のダクト、道を覆うレールはそのまま坑道へと続いている。復興の途中であるためか、鉱山労働者たちは破壊された鉱山設備の復旧作業を続けている。

 

「それと、孤児院まではまだかかりそうなのですか? (わたくし)、これ以上は耐えられそうにありません」

 

「……黙って座ってろ。チッ!」

 

 ちなみに車両の運転についてだが──メリィは当然するはずがない。エールは片腕がないので同様に無理。では誰がここまで車両を転がしてきたのかというと、消去法でスカベンジャーとなる。

 

「なんでこんなことまで私が……」

 

「まあ、口の悪い。エール様、側に置く者としてこのようなネズミはどうなのでしょう? もしよろしければ、ロゥ家から使用人を出しますわよ?」

 

「まあまあ、そう悪く言わないで。彼女、実は結構優しいところもあるんだよ」

 

「……もう黙ってろ。お前ら二人ともだ」

 

 ハンドルを握るスカベンジャーの気苦労は絶えない。継続的に失われていくエールの記憶を補完する役割はなし崩し的にスカベンジャーが担うこととなり、本当に面倒ごとには欠かない──

 

「そういえばさ、僕は何しに来たんだ?」

 

「チッ……義援団来訪に備えてホークンの内情を把握しておく必要がある……と言っていたのはお前だ」

 

「そうだっけ?」

 

「そうだ」

 

 恐ろしいほど硬いシートから伝わる揺れは留まるところを知らない。うっかりすると揺れで舌を噛みそうになる。まともな整備からは程遠い剥き出しの大地はその凹凸ぐあいを乗客たちにしっかりと伝えている。

 

「ったく……相変わらず酷いな、ここは──」

 

 駐屯するレオーネの兵士たちもホークンの復旧作業に駆り出されている。口元を覆う布で粉塵の防護を行ってはいるものの、あの布切れでどこまでの防護性能を得られるかは疑問だ。

 

 倒壊した精錬所の塔、道に散らばる鉄くず。激しい戦闘の後が採掘場を覆っている。

 

源石(オリジニウム)が発掘されているのは、もう少し先のエリアでしたか?」

 

「……もっと先だ。だが箱入り娘は見ることもないだろうがな」

 

「あら。もしかしてそれ、(わたくし)のことを指しておりますの?」

 

「勝手に想像してろ。……見えてきた、あれだ」

 

 ガタ。少し大きな揺れが車内を襲った。

 

 

 

 

 

 -

 

 

 

 

 見つけてはいけないものを見つけてしまった。開いてはいけない箱を開いてしまった。それはまさしくパンドラの箱だった。流れ出る厄災は、今はまだ目に見えずとも──いずれはこの河を真っ黒に塗り尽くし、全てを奪っていくだろう。

 

 源石(オリジニウム)鉱脈など見つけるべきではなかったのだ。そしてエクソリアに鉱石病(オリパシー)が流れ出す。

 

 これが大地の意思。大いなる大地の、軋むような試練であり、そして罰。

 

 厄災の流れ出た後に残った、僅かな光を放つ希望。それはまだ見つかっていない。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

 

 そこはかつては南部軍第四基地と呼ばれていた。

 

「……メリィ?」

 

 出迎えたのは、太陽の光が染み込んだような髪色の女性だった。若く、そして黒い肌。少しやつれて疲れたような顔で、そう綺麗とは言えない装い。

 

 彼女の名前は、

 

「……! ジュエン? ジュエンですの?」

 

「メリィ……メリィ? 本当に、来てくれるなんて……」

 

「あなたこそ、まさかこんなところで会えるなんて……。ジュエン、あなたの髪……相変わらず、美しい色ですわね。そのおかげですぐに分かりましたの」

 

「ありがとう。またメリィにそう言ってもらえて、私も嬉しい。本当よ」

 

 突然駆け出して、施設の女性と笑顔で言葉を交わすメリィ。エールとスカベンジャーは顔を見合わせた。彼女たち、知り合い? 私が知るか。

 

「とにかく、お久しぶりですわね。ヴィクトリア以来ですから……もう二年ほど経ちますのね」

 

「そう……もう、二年も。ねぇ、メリィ」

 

「なんですの?」

 

「──あなたも帰ってきたのね。私たちの故郷(エクソリア)に」

 

 旧友との再会がもたらすものは喜びばかりではない。なぜなら、その過去の喜びなど、過去の苦しみに比べてあまりに小さく、そして脆いものばかりだからだ。

 

 抱えるには多すぎるものを伴い、背負うには重たすぎるものを纏い、語るには長すぎるほどの物語を携えて──彼女たちは再会した。

 

 

 

 

 

 

 旧南部軍がホークンから撤退した後、駐屯基地は多少はまともな廃墟として使われていた。撤収は素早いもので、高価な機材や武器などは根こそぎなくなっていたが、少なくとも屋根や壁は残っている。

 

 鉄柵に囲われた広大な駐屯基地の大半はすでに荒地に変わっていはいるが、元々そこにあった旧南部軍の影を残している。

 

 破壊され尽くしたホークンでは、まともな屋根のある場所は貴重だ。さっきの女性──ジュエンはホークンに残された戦災孤児を集めて、なんとか面倒を見ているんだとか。

 

 しかしジュエンとメリィが知り合いだったとは知らなかった。彼女たちは積もる話もあるようで、中に入って話している。再会に水を差す気はなかったエールは、面倒くさそうなスカベンジャーを伴って、とりあえずその辺を歩いていた。

 

「……。……」

 

 崩れかけた壁に座り込んだ少年が、どこか虚な目でエールを見ていた。

 

 ホークン争奪戦、後の歴史では第二次ホークン占領戦と呼ばれることになった、あの戦争は悲惨だった。旧南部軍による見せかけだけの第一次ホークン占領戦とは違って、両者は本気だった。

 

 レオーネには余裕など欠片も無かった。北部軍は絶対にホークンを失うわけにはいかなかった。ただ殺し合い、壊し合った。街への配慮などする余裕もなかったし、北部軍はホークンに取り残されていた子供まで使って勝とうとした。

 

 最後には結果だけが残った。

 

 ちら、と少年の方に目をやる。目が合った。

 

「……やあ、こんにちは」

 

 虚ろな瞳がエールを写している。苦痛と絶望が少年の全てを押しつぶし、奪っていった。故に少年の中には何も残っていない。

 

「おまえ、エールだろ。知ってる……」

 

「へぇ。どうして知っているんだい?」

 

「……大人たちが話してた。エールが救ってくれるって言いながら、みんな死んでったけど」

 

「それは申し訳ないね。これからやってくってことで、許してくれない?」

 

 少年の隣に座り込んだエールを、スカベンジャーが面倒くさそうな表情を浮かべながら見下ろして、ため息を吐いて歩いて行った。彼女の方は付き合う気はないらしい。

 

「……何しに来たんだよ。おれたちを救ってくれるんじゃなかったのかよ」

 

「まあまあ。少なくとも君はまだ死んでない」

 

「……おれだけだ。死んでないのは──」

 

 ホークンの今を象徴するような子供だ。腕に浮き出た鉱石結晶、ボロボロのサンダル、黒い肌。瞳に映る壊れた街、壊れた未来、壊れた世界。

 

「みんな、あいつらに殺された。採掘場に行って帰ってきたヤツは1人もいない。最後には……爆弾持たされて、殺さなきゃ殺すって言われて──みんな、死んだよ」

 

「じゃあ君だけが生き残ったのか」

 

 ちら、と孤児院を振り返る。メリィの話によれば、数十人ほどの子供がいるらしいが……全員が深い心の傷を抱えている。慢性化した痛みが精神と肉体を壊し、ボロボロになりながら膝を抱えている。

 

 付け加えるならば、彼らはまだ生き残ったわけではない。遠くないうちに命を落とす可能性も残っている。腕に浮き出た結晶はその証だ。

 

「憎いかい? この世界が──」

 

「……憎いに決まってる。父さんと母さんを殺して、おれたちの街を壊して、奴隷みたいに扱って殺した北部の奴らも、こんなふうになるまで助けに来なかったおまえも」

 

「やれやれ。君が死んでから来た方がよかったかい?」

 

「……」

 

「……冗談だって」

 

 ほんとロクでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 ようやっと昔話が終わったらしい。

 

「お待たせいたしましたわ、エール様。つい話し込んでしまって……」

 

「全くだよ。それで、そっちが?」

 

「ええ。紹介いたしますわ。(わたくし)の古い友人であり、現在この孤児院の院長を務めているジュエンですの」

 

 鋭い瞳だった。それは周囲に流されることをやめ、自らの意思で現実に立ち向かう人の目だった。

 

「ご挨拶が遅れてすみません、エール──救い人(ソトラ)よ。ジュエン・リ・ホウトと申します。ジュエンとお呼びください」

 

「そんなに硬くならなくてもいいって。エール……えっと、エール・バー・ハン……いや、違うんだっけ?」

 

「エール・リ・ロゥですわ! まったくもう、遠慮なく名乗って頂いて構いませんのよ」

 

「だってさ。よろしくね」

 

「はい」

 

 絶望が過ぎ去った街にあって、彼女の顔はまだ希望を失っていなかった。それにしてはやけに恭しいエールへの態度だったが、すでに日々の連続性が失われているエールにとっては大した疑問にはならない。

 

「本当に感謝しているのです。これで少なくともあの子たちは、今すぐに死ぬことはありませんから」

 

「ひどい状態だったんだってね?」

 

「食料事情が悪化してからは、特に。病気で亡くなる子が多く、私が子供たちを引き取ってもすぐに数が減っていきます。あの鉱石病(オリパシー)に苦しむ子供たちに、私はなにもしてあげられませんでした」

 

「そう──鉱石病(オリパシー)にかかった子供たちのうちで、誰か死んだ子は?」

 

「幸いなことに、まだ……しかし時間の問題です」

 

 ホークンへの援助は──滞っている。山岳地帯にあるホークンへは交通の便が悪く、近くの都市から距離もある上、援助のための人員が足りていない。というよりも、より重要な問題へと対処せざるを得なくなっているためだ。

 

 リソースは有限だ。そしてそれは、より大きなものの存続のために使用されるべきだ。

 

「……レオーネがホークンを後回しにしている理由について、私は理解しているつもりです。その上で、私はこの訪問に、ホークンに対する支援の意思を見出しています。この認識に差異がないことを祈りますが……」

 

「放っておくつもりはないよ。確か……えっと、なんだっけ……」

 

 どこからかぬるっとスカベンジャーが現れて、普通に何も思い出せないエールの代わりに言葉を繋げた。

 

「数日以内にクルビア企業の連中がホークンへ支援に来る予定だ。どこまで信用できるかは知らんが、この街も少しはマシになるだろうな」

 

「そうそれ! ごめんね、レオーネにはこれ以上の支援を直接行う余裕がないんだよね」

 

「ロゥ家としても同様……ですが、懐かしき我が親友を見捨てるつもりはありませんの。安心なさい、ジュエン。あなたと、あなたが大切に思う子供たちは(わたくし)が救って差し上げますわ」

 

「……ありがとうございます。エール様、それにメリィも……」

 

 ボロ小屋と呼んで差し支えないような駐屯基地を背にして、ジュエンは深々と頭を下げた。

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 数日後、国際義援団の先遣隊がアルゴンに到着したとの知らせが入った──クルビアの化学企業と医療企業が中心となって、医療だけに留まらない総括的な技術支援を行う。

 

 今回の一件が実現したのはエクソリア政府によるクルビア政府への要請だが、少し視点を高くして見ればクルビア政府の意図は明確だ。

 

 ──『投資』である。

 

 

 

 

*

 

 

 

「ローレンス・ジェネラルラボ、第二支店所属。クルビアより参りました、工学技師のジェイムズと申します」

 

 こう、見るからに胡散臭そうな男だった。エクソリアできっちりとネクタイを締めている時点で相当怪しい出で立ちだ。クルビアの企業職員は営業スマイルが張り付いているものだが、それにしてもわざとらしいスマイル。

 

「軍病院のアリゾナよ。一通り義援団(あなたたち)の対応を任されているわ。それなりに偉い人たちに顔は効くから、私のことは案内役兼各所への窓口だと思って頂戴」

 

「把握しました。よろしくお願いします、アリゾナ氏」

 

「氏、とか付けなくてもいいわ。とりあえずは──この荒れ果てたホークンを、少しでもマシにしてくれるのよね?」

 

「誤解されては困ります。私の仕事は、破壊された水道の補修と聞いていますが」

 

「合ってるわよ。その辺りが分かる人は前の戦いで軒並み死んでしまって、人も物資も全く足りないのよ。だから正直、かなり期待しているわ」

 

 ホークン奪還戦から2週間が経過していた──支援部隊による配給は行われているが、それも十分な量が行き渡っているとは言えない。瓦礫に埋もれた死体は無数にあり、怪我や疫病により

動けない人々もいる。軍病院の出張は自然なことだった。

 

「それで、いちお〜う確認したいんだけど……義援団って、あなた1人なのかしら?」

 

「連絡に不備があったようですね。移動中のトラブルで、義援団の本隊は足止めを食っており、ホークンへの到着は数日ほど遅れる見込みです。私はサルゴンでの仕事を終えてこちらへ向かったため、図らずも先遣したというわけです」

 

 南部エクソリアにおいて最も支援を必要としているのは間違いなくホークンだ。山間部に築かれたこの街は、爆発により崖が崩れたところもある。最悪なことに、水道や発電所などの主要施設まで大きな被害を被っている。

 

「数日後にはホークン(ここ)に義援団が到着するという認識でいいのよね?」

 

「その認識で構いません。それでは、当面の仕事場への案内をお願いします」

 

 

 

 

 荒れ果てた都市に高い日差し。エクソリアの気温は生易しくなどない。外国人が暑さにやられることは日常的なものだ。

 

「話には聞いていましたが、それにしても暑いですね」

 

「水分補給はこまめにすることを勧めるわ。けど、肝心の水道が壊れてるおかげでそれも難しいけれど」

 

「では、ホークンではどこから水を?」

 

「川から汲んで来ているのよ。10km近い道を往復して、毎日毎日」

 

 もっとも、そのような水を飲むことをお勧めはしない。水は泥や微生物で汚れているし、はっきり言って何で汚れているかもわからない。それでも飲むしかない。死ぬよりはマシだ。

 

「軍病院には飲料水の備蓄があるわ。水筒を貸すからそれでお願い。それと……迂闊に出歩くと襲われる可能性が極めて高いわ。日中でも油断しないで」

 

「自衛の手段は心得ています。ご心配なく」

 

「何よりね」

 

 かつては道だったような場所を無骨な軍用車が進んでいった。道端に座り込んだ人々がそれをじっと眺めていた。

 

 



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貧困という名の猛毒 -2

「それで、一体いつまでホークンに滞在しますの? まともなホテルもないような場所に、何日も居たくはないのですが」

 

「……何日いるの?」

 

「ホークンを見て回るだけなら二日もあれば十分だ、どうせ何も残っちゃいないからな。別にお嬢様の方は、今すぐに帰ってもらっても構わんがな」

 

 スカベンジャーがハンドルを握る車両は、採掘場の視察のためにホークンの北へと向かっていた。

 

「冗談はよしてくださいまし。それでは(わたくし)の帰りの車がないですわ」

 

「世間知らずのお嬢様でもその程度は頭が回るか。本気にして頂ければ、私の仕事もかなり楽になったんだが……」

 

「……ザラックというのは皆、こうも礼儀に欠けるものですの?」

 

「はっ、好きに言ってろ。少なくとも私は礼儀のあるなしで苦労したことはない」

 

「今されているように見えますわよ?」

 

「こんなものは苦労に入らない。あんたの軽口は可愛いもんだ、お嬢様」

 

 立場的な視点では、メリィはエクソリアの最高権力者にほぼ等しいのだが、スカベンジャーの立場もまた唯一無二だ。エールが絶大な信頼を寄せる懐刀であり、最近ではエールの代行者として各所への指示出しなども行っている。

 

 そのためスカベンジャーは、メリィがこれまで接してきた人々のように、口の利き方に気をつけるということがない。心なしかスカベンジャーも、メリィを揶揄うのが楽しそうに見える。

 

「……ところでエール。採掘所にロドスが来るってことは、クルビアの連中とロドスが鉢合わせることになるが……問題はないのか?」

 

「え? あー……ロドス、ロドス……って何だっけ。まあよく分からないけど、多分大丈夫じゃない? 多分彼女も来るだろうし」

 

「……彼女? 誰のことだ?」

 

「えっ、知らない……彼女って誰?」

 

「お前が言ったんだよ。チッ……まあいい。どうにでもなるだろう」

 

 楽しいホークン観光は続きそうだ。

 

 

 

 

 

「ジュエンとは古い付き合いでしたの。南部中央学園が、今はもう消滅したステラ軍学校と双璧を成すロゥ家傘下の貴族たちの学校だったことはご存知でしょう? リン家と違って、ロゥ家ではそこまで血筋は問いませんの。優秀だと認められれば、貧しい家の生まれでも入学することが出来たのですわ」

 

 車の移動中というのは余りに暇だ。スカベンジャーとの軽口にもうんざりしたのか、メリィがラジオ役をしてくれている。

 

「当時、ヴィクトリアとの新たな交易ルートの構築を行う計画があったのです。そして選ばれた学生たちは、この計画に参加することを条件に、ヴィクトリアへの留学を行うことが出来たのです。留学にかかる費用は全てエクソリア政府の支援により賄われ、破格の条件でしたわ。もっとも、南部中央学校の学生で資金に困るような人物など限られていたのですけれど」

 

 ちなみにエールは半分くらい寝ているが、後部座席に座っているのでメリィは気がついていない。

 

「当然、ヴィクトリアへの留学は誰もが希望しました。最先端の学びはエクソリアにとって何よりも必要なもの。その名誉ある役目を決めるのは当然、能力ですわよね? 最終的に学園内で最も優秀だった2名の学生が選ばれましたの」

 

「……能力の基準は何だったんだ?」

 

「学力はもちろん、運動能力、アーツ、一般教養など、多岐に渡りましたわ。そして総合的成績の上位2人というのが、私とジュエンでしたの」

 

「……」

 

「何ですの、その目は。言っておきますが、私はこれでも名誉あるロゥ家の跡取りですのよ? その名は飾りではありませんの。例え戦闘になっても、あなたよりは強いと確信しております。もし機会があれば、私のアーツをご覧に入れて差し上げますわ」

 

「そりゃどうも。その時は是非とも頼みたいもんだ。それでもう1人ってのが──」

 

「ええ。ジュエンでしたの」

 

 ──エクソリアで最も貧しいのは一般的な農家だ。農村で伝統的な稲作などを行っている家庭は、もはや前時代的と言って差し支えない生活をしている。ジュエン・リ・ホウトはその中から成り上がってきた、優秀という言葉では表現し切れない人物だった。

 

 物心つく前から専属の教師がいるような貴族の子息の中に混ざって、ジュエンは常にトップだった。貴族に生まれにはない貪欲さが、おそらく彼女を動かしていたのだろう。

 

「私がどれだけ努力しても、結局最後までジュエンには届きませんでしたわ。私がこれまでの人生で唯一負けを認めたのは、後にも先にもジュエンだけでしょう。学力でも、アーツ戦闘でも。初めの頃はジュエンを見下していましたが、ヴィクトリアへ留学する頃にはもはや親友と呼んで差し支えはありませんでしたのよ」

 

 そして訪れたロンディニウムにて交易ルートの構築というプロジェクトを手伝う傍ら、2人はヴィクトリアの大学で最先端の研究環境に身を置いていた。

 

「ジュエンは工学、特に源石(オリジニウム)工学。そして私はアーツを中心に広く浅くといったように。今思い返しても、本当に楽しい時間でしたわ。それぞれの専門の学術的な議論をしたり、世界情勢やエクソリアの今後について熱く語り合ったり……ジュエンは粗方を学び終えると先にエクソリアに戻りましたの。私はもう二年ほど大学に残って……エクソリアに帰ってきたのは、ハヶ月ほど前になりますわね」

 

 メリィがエクソリアに帰ってきたのは今年の三月ごろだ。その時期は第一次ホークン争奪戦が起こった時期で、南部エクソリアの消滅はもはや秒読み段階だった。そして同年五月にアルゴンにてレオーネが結成されてからの半年は、エクソリアにとって激動と言って過不足ないだろう。バオリア奪還戦、そして第二次ホークン争奪戦。

 

「ジュエンがエクソリアに帰ってきたのは約四年と半年前。ホークンにて、大学での研究を元に源石(オリジニウム)の精錬工場を設立しましたの。先進工業国に少しでも追いつくために……。ですが──」

 

 車窓越しに見える荒れ果てたホークン。かつてパイプ管だったもの。かつて何かの工場だったもの。かつて人間だった白い破片。腐った死体が放置されている場所もある。

 

 ジュエンがホークンの発展を願って捧げた全ては壊れてしまった。

 

「……あの子の心境を思うと、胸が痛くなりますの。友人として……ジュエンの危機に何も出来ませんでした。私がエクソリアに戻ってくる頃には、もう全てが決まった後で──」

 

「例の出来レースの話か。あの件、あんたはどう思ってるんだ」

 

「理解は出来ますわ。しかし他にやり方はあったでしょう。わざわざ戦火を振り撒くようなやり方は、ウルサス流と言えばそうなのでしょうが……酷く趣味が悪いですわね。挙句、負けそうになったら嫌がらせのようにホークンを破壊するだけして撤退していくような……野盗にも劣るやり方ですわ」

 

「珍しく気が合うな。同感だ」

 

 かつての願いの残骸。

 

「このホークンでは、生き延びるだけでも精一杯でしょう。そんな中で孤児たちを集めて面倒まで見て……ジュエンには頭が下がりますわ、本当に」

 

 正直、ジュエンはもう死んだと思っていた。第一次ホークン争奪戦において、市民が逃げる暇などなかったと言っていい。捕えられ、過酷な労働に従事させられていたと聞く。ジュエンは工学技術者として北部軍への協力を余儀なくされていたと語った。

 

 第二次ホークン争奪戦の最中、隙を見て逃げ出し、戦火に巻き込まれないために鉱山地帯へと逃げ込んだようだ。そして戻ってくる頃には全てが壊れていた。

 

「本当はジュエンだけでもアルゴンに来て欲しかったのです。だけど……故郷を離れるわけには行かないと譲りませんでしたわ。子供達を見捨てて行けない、と」

 

「……バカな話だ。あのガキども、もう長くは持たないだろうに」

 

「どういう意味ですの?」

 

「揃って鉱石病(オリパシー)に感染していた。まともな医療も飯も寝床もないんじゃ、合併症でも発症してすぐに死ぬだろう。今のホークンじゃ、寝込みを襲われるか、病気に苦しんで死ぬか……」

 

 メリィはどこか納得していないらしい。

 

「……エール様もあなたも感染者なのに、こうして生きているではありませんの?」

 

「私も後ろで寝てるバカも、専用の治療は受けている。それでも症状が現れる時はある。頭痛なり耳鳴りなり、人によりけりだがな。それでも薬があるかないかじゃ、生き延びることができる時間はかなり違う。……前から思っていたが、あんたは鉱石病(オリパシー)ってものがどういうものなのか、イマイチ分かってないみたいだな」

 

 ──それは死に至る病。

 

 テラにおいて源石(オリジニウム)製品の流通量は、そのまま技術力と経済力を意味する。エクソリアでは源石(オリジニウム)製品の流通が近年まで極めて少なく、鉱石病(オリパシー)とは無縁な場所だった。だが今ではもう、そうではなくなった。

 

 国を体に例えるならばホークンは病巣だ。

 

「ふん、まあいい。どうせ嫌というほど知ることになる。感染者を巡る問題で解決したものなど、一つたりとも存在していない。果たして感染者という存在を、あんたが抱えられるのか見ものだな」

 

「見くびられたものですわね。確かに(わたくし)は、鉱石病(オリパシー)についてはそう詳しくはありませんが……」

 

「──それ以上はやめておけ。どうせあんたも、発言を後悔することになる」

 

 車両の源石(オリジニウム)エンジンは調子良く唸っていた。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「お初にお目にかかります、レオーネ特別顧問、エール様。ご挨拶申し上げます、工学技師のジェイムズと申します」

 

「よろしく頼むよ。なんか先に来ちゃったんだって?」

 

「ええ、先んじて作業を始めております。本来ならこちらから挨拶に出向くべきでしたが、申し訳ない。ちょうど良い機会だと思いまして」

 

「いいよいいよ、やることも終わって暇だったし」

 

 レオーネのトップの口調が軽すぎてブリーズは不安になった。

 

 ブリーズがホークンに仮設された軍病院でひたすら民間人の治療に当たっていたところ、ジェイムズがエールに挨拶をしたいと言い出す。別件でエールがホークンに来ていることは軍病院にも共有されていたので、ブリーズが運転してエールをジェイムズの仕事場である水道局へと連れて来た訳だ。

 

「それでどんな感じ?」

 

「そうですね。現在は交換するべき部品のピックアップを行っているのですが、ハッキリ言って一から作り直した方が早いでしょう。どれだけ早く見積もっても、インフラの復旧には一年を要すると推測されます」

 

 クルビアの有名企業が中心となって結成されたプロジェクトグループは、医療義援団と名はついているものの、その目的はホークンを復興させることにあった。エクソリアには現在ホークンを復興させる余裕などなく、国外に頼る他に選択肢もない。

 

「いやあ、なんだか申し訳ないね。ほとんどタダで手伝ってもらっちゃって」

 

「お気になさらず。これは双方にとっても利のある話……公正な取引ですので」

 

 この一件で、エクソリアはクルビア政府に大きな借りが出来る。見返りは当然、この地から発掘される膨大な源石(オリジニウム)だ。南部政府、およびレオーネは将来的に発掘される源石(オリジニウム)の輸出先を今後20年間クルビアだけに絞ることで合意した。

 

 これにより、クルビアはエクソリアの源石(オリジニウム)を独占することになる。その代償として、この荒れ果てた都市の復興を全面的に支援する。義援団はその先駆けだ。

 

 ──しかしそれにはある前提条件が付き纏う。

 

「クルビア政府は巨額の投資を行いました。それが回収されることを、私もいちクルビア人として願いますが、こうしてエール様にお会いして確信しました。取引は果たされるだろう、と」

 

「ええ? 照れちゃうなぁ」

 

 この南北戦争において南部が勝利すること。半年前までは絶望的とも言えることだったが、今は違う。クルビア政府にこの危険な投資を行わせるだけの可能性を示した。

 

 最もそれだけが理由ではない。もっと単純な理由として、戦争大好きウルサスの支配領域が広がるのはどの国にとっても好ましくないのだ。そしてクルビアが最もそれを嫌がった。それだけの話だ。

 

 取引を受け入れた時点で、エクソリアの内紛は少しずつウルサスとクルビアの代理戦争という一面を見せ始める。それは他国の思惑に翻弄され続けてきたエクソリアの歴史そのもので、決して手放しに希望を見出せるものではない。ウルサスに支配されるくらいなら、クルビアの資本主義に支配された方がまだマシ──その程度に過ぎないのだ。

 

 それでもグエン・バー・ハンは──南部エクソリアはそれを選択するしかないのだ。

 

「あ、そうだ。聞いてるとは思うけど、採掘場に関してはロドス? っていう企業になんか依頼してあるんだよ。その部分だけは共同でやって欲しいんだけど……」

 

「把握していますよ。それを聞いた時は少々驚きましたが……これほど鉱石病(オリパシー)に対して注意を払っている国は初めてかもしれません。やはり、あなたが感染者であることと関係が?」

 

「ある……のかな? まあ、問題ってのは未然に防ぐのが一番安上がりだよ。そうじゃない?」

 

「大いに同感です。何事も、安く上がるのが一番です」

 

 全くもって、ブリーズも同感だった。エールが言うとまるで説得力がなかったが。

 



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貧困という名の猛毒 -3

 ブリーズが冷や冷やしながらエールとジェイムズを見守っている同時刻、ジュエンの孤児院にメリィは居た。

 

「メリィ、来てくれたの」

 

「ええ。バオリアに戻ったら、やらなければならないことが大量にありますの。ですから、しばらく会えなくなると思って……」

 

「……そうね。そういえば、あの二人は?」

 

 指しているのはエールとスカベンジャーのことだ。

 

「まだやることがあるそうですわ。1時間ほど後に迎えに来る予定ですの」

 

「……そう」

 

「浮かない顔ですわね。何かありましたの?」

 

 ジュエンらしくないような、どこか落ち着かない表情だった。

 

「子供の一人が……今朝から調子が悪いみたいで。咳が止まらなくて……こんなに暑いのに、寒くて凍えているの」

 

「……病気ですの?」

 

「ええ。前々から体は酷い状態が続いていたけれど……軍病院はもうパンク状態が続いていて治療は受けられないし、まともな物資も薬も手に入らない。私があの子にできることは、何もない」

 

 ジュエンの表情は暗い。

 

「ねえ、メリィ……少し歩かない?」

 

 

 

 

 

 瓦礫の混ざった砂の道、人通りは無いに等しい。数週間前は、食料を求めて彷徨う人々がいたのだが、それも段々と減っていったし、残りの人々は軍病院が仮設されている中央部へと向かったのだろう。

 

「……どちらへ向かっていますの?」

 

「さっき話した子供のところ。今は……少し遠い場所で寝ているから」

 

「遠い場所? どうしてわざわざ……」

 

 前を歩くジュエンにメリィは聞いた。ジュエンはそれには答えず、空を見上げて言う。

 

「メリィ。鉱石病(オリパシー)という病が一体何なのか、私たちは知らなかった。今もそれが何なのか分からないまま……ただ、()()()()にあるのを眺めている──」

 

「……ジュエン?」

 

「メリィ。あなたは感染者についてどう考えている?」

 

「……正直なところ、私の認識はまだ甘いようですわね。バオリアに戻り次第、必要な知識を収集するつもりではあるのですけれど……」

 

「そう。ええ……そうね。ヴィクトリアでは、結局その存在も聞かなかった……というより、皆関心がなかったし、南部エクソリアにそんな病気は存在していなかったもの」

 

 緩い坂を登る。ホークンのすぐ側には山岳地帯が広がっていて、道が繋がっていた。

 

 ジュエンはただ歩いていく。メリィも黙って着いていく。

 

「……小屋?」

 

「ええ。こっちよ、メリィ」

 

 緑の色が濃くなり始めた坂の上に、小さな掘立て小屋がある。偶然戦火に巻き込まれずに済んだ貴重な建物の一つだ。元の持ち主の方はジュエンも知らない。おそらくもう居ない。

 

「あの子の望みで……なるべく高くて、綺麗な場所がいいって。私が運んできた」

 

 扉を開ける。藁で組んだ伝統的な(むしろ)、壁に掛かった草刈り鎌、少し冷えた空気の感触は、ジュエンにとっては慣れ親しんだ農村の家の作りだ。きっと元の持ち主は山仕事をしていたに違いない。

 

 薄く引かれた布の上に、10代の少年が目を閉じて横たわっていた。

 

「ジュエン。その子、もしかして……」

 

「……えぇ。もう、死んでるわ」

 

 浅黒い肌はエクソリア人の特徴。黒髪と同じ色をした源石(オリジニウム)結晶が体の至る所に飛び出ている。

 

「車の音を聞いて、あなたが来たと思って……ほんの十分も目を離していなかった。だけど……見られたくなかったのね。死ぬ瞬間を」

 

 祈るように目を閉じたジュエンを、メリィは何も言えずに見ていた。

 

「……命に相応しい結末が訪れる。それがこの大地の慈悲なのだと、経書には記されている。戦争と病に苦しみ、若くして命を失ったこの子は──こうして死ぬのが相応しいと、この大地が判断したということ。この子の魂は大いなる川の向こうへ渡り、在るべき場所へと帰る」

 

 ジュエンが呟くことは、エクソリアの信仰──大地に対する信仰の中で紡がれてきた言葉。全てはこの無慈悲な大地が決めることで、人々はそれを受け入れる他にない。

 

 この諦観に染まった信仰はまさにエクソリアに相応しい。自分の国のことを自分たちで決めることが出来たことなどただの一度もない、弱者のための信仰。

 

「この子供の魂は救済されますわ。それが死後であることに、納得はいかないかもしれませんが……」

 

「そうね。死んでから救われたって遅いでしょう。生きている内に救われたいと願うのが当然。だけどそうはならなかった。ならなかったのよ、メリィ」

 

 ──ガラスにヒビが入るような、小さな音が響く。それと共に、少年の頬から生えていた源石(オリジニウム)結晶が小さく割れた。

 

「……この音は?」

 

「感染者が死んだ後、その身体がどうなるか知っている?」

 

「いえ……まさか、これが?」

 

 小さな音は加速する。ぴき、ぴき……と、それはまるで生き物が動く音にも似ていた。体表に現れた源石結晶は、割れるたびに少しずつその面積を増やしていった。

 

 湖を凍らせるように、表面を覆い始めているのだと、メリィにも分かった。結晶の成長は加速度的だ。一瞬のうちに黒い部分は増えては割れて、まるで振動しているようですらあり──

 

「……なんですの? これは……一体、何が……」

 

 メリィの声色には怯えが混ざっている。恐怖とは未知のものだ。

 

 生物が死後、このような変化を起こすところなど見たことがない。いや、そもそもメリィは死体を見ることすら初めてだ。意思を持っているかのような振動音が怖かった。気持ち悪かった。

 

「目を逸らさないで。メリィ。エクソリアに、こうやって死ぬ人々が現れ始めているということをあなたは知るべき──あなたこそ、知らなければならない」

 

 振動している。それにもう命が宿っていないことなど信じられない。何か──巨大な恐怖が取り憑いているとしか考えられない。

 

 ジュエンの言葉には何か決意のようなものが混ざっていた。真っ直ぐにメリィを捉える瞳が、どこか恐ろしくて思考が纏まらなかった。

 

「そして私は問わなければならない。あなたが創る未来の行方を──この絶望の果てに、あなたが望むものが、一体何なのか答えて貰わなければならない」

 

「──口と目を塞いでいろ」

 

 大剣を構えたスカベンジャーが入り口から飛び込んで、瞬きの内にメリィを抱えて飛び退いた。

 

「え……? あ、あなた──」

 

「喋るな。口を塞げ。息を吸うな」

 

 脇にメリィを抱えた暗殺者が大地を賭ける。とにかく遠くへ、あの山小屋から、少しでも遠くへ。混乱するメリィのことなど気にも掛けずに。

 

「一体、何が……」

 

 咄嗟に背後を振り返ったメリィのことを誰が責められよう。その両眼で見えた光景──目が眩むような美しい光と共に聞こえた何かが爆発する音。

 

 あの小屋の窓から弾ける黒い粒子が夜空の星のように点滅し、大気へと広がっていく。爆弾でも仕掛けてあったのか? 一体何が爆発した? 思考は巡るも、メリィから見た小屋は本当にただの山小屋だった。

 

 目で見える現実と思考の推測が結び付かない。

 

「……」

 

 小脇に抱えられていたメリィは、スカベンジャーが走り終わると共に解放されたが、うまく立てずに座り込んでしまう。

 

「……何ですの? あなた、なぜここに? あれは一体何ですの? 一体……」

 

「口を閉じて、そのまま動くな。今理解しておくべきことは、あんたはたった今殺されかけたということだけでいい」

 

 視線はずっと山小屋から溢れた煙幕に注がれていた。本来ならばメリィが決して見ることはなかったスカベンジャーの姿。背丈ほどもある大剣を握り、殺気を纏った臨戦体勢の、暗殺者としての姿。

 

「……殺されかけたというのは酷い言い方ね。まるで感染者になった瞬間、死んだも同然だとでも?」

 

「同然だろう。特に──この世間知らずのお嬢様に関しては、な」

 

 空へ消える粒子の中から現れる影はジュエンを置いて他にはいない。しかしメリィは未だに見えた光景が何なのか理解出来ていなかった。正しくは、理解したくなかった。

 

「お前は既に敵だ。ジュエン・リ・ホウト──さっさと始末してやる」

 

 何も分からないメリィを放ったまま、戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 暗殺者が踏み込んだ。まずは小手調べとばかりに距離を詰める。そして──炎が昇った。

 

「……! 炎のアーツか。はっ……」

 

 道を塞ぐように上がった炎がスカベンジャーの邪魔をする。それはジュエンの意思に沿って、そのまま敵へと襲いかかる。

 

「下らない。この程度の炎──」

 

 戦闘経験に裏付けされた的確な動き。炎を避け距離を詰める。術師に対しては身体能力に任せて接近戦に持ち込むのが基本だ。大抵の場合、術師は肉弾戦には弱い。そのため、戦い慣れた術師ほど近づかせないためのなんらかの工夫があるが──ジュエンにはそれがない。それが罠の可能性もある。

 

 しかし戦士としての勘として、戦い慣れた敵ではないとスカベンジャーは判断した。

 

 避ける暇などない大剣の一閃。首を掻き切って終わりになるはずだった。

 

「──当千(blade)

 

 金属同士が衝突する甲高い音が響き渡る。ジュエンの手には白銀に輝く剣が握られていた。返す刀で、逆にスカベンジャーを狙う斬撃に飛び退く──

 

「……どこから取り出した? それに、今の反応速度……お前、何か妙だな」

 

 剣は想像以上に重量がある。素人が振るっても大した脅威にはならない。扱うためには訓練が必要だ。

 

「ちぐはぐだ。慣れたヤツなら、初めからボディガードを想定しておく。邪魔されるだろうことを想定し策を用意しておく。だがお前はあっさりとこの箱入りの()()に失敗した。慣れていないヤツがやるような失敗だ。だが……なんだ? その不釣り合いな身体能力に、突然現れた剣……」

 

 高い身体能力があれば、素人でも話は別だ。訓練不足を補うだけのものがあれば、確かに武器は脅威となる。

 

「……まあいい。どうせお前の結末は一つだ」

 

 警戒はする。だが──殺し切れる。大剣を構え直した。

 

「ま、待ちなさい! あなた、一体何をするつもりですの!?」

 

 邪魔が入った。

 

「見ての通りだ。理解はしなくてもいいが、黙って見ていろ」

 

「……! ジュエン! ジュエン、これは一体どういうことですの!? さっきの爆発は一体何!? 分かるように──私に分かるように説明してください!」

 

 メリィが叫んだ。それはどこか悲痛で、説明してと叫ぶ割に理解を拒むかのような。それも仕方ないことだ。理解すれば壊れるものがある。

 

「感染者が死んで時間が経つとああなるの。全身が加速度的に結晶化して──塵になって、そして光へと変わる。後には何も残りはしない」

 

「……あれが……人の死に方だとでも? あんなものが……一体、なぜ!?」

 

「それが分かりゃ苦労しない。鉱石病(オリパシー)について分かっていることは、ほぼないと言っていい。誰も真面目にあんなものを研究していない。……例外はあるが、それでも成果はない。あの粉塵を吸い込めば確実に感染する。そして、そいつも同じように死んで()()なる」

 

「そんな……どうして。どうして……ジュエン、どうして……!」

 

 どうしてこんなことを、と問う。少し考えれば分かることだ──ジュエンはあの粉塵の中から姿を現した。

 

「メリィ。あなたはどう思った」

 

「どうって、何が!」

 

「人の体が鉱石へと変わっていくことなどおかしいと思う? 感染するかもしれないと分かっていても、感染者と同じ場所で生活出来る?」

 

「どういう意味ですの……!?」

 

「メリィ。私も感染者よ」

 

「……っ!」

 

 既に頭の中では分かっていた。あの粉塵の中から現れた時点で……ただ理解を拒んでいた。友人があんな訳のわからない死に方をするところなど想像もしたくなかったのだ。

 

「もう長くは生きられない。だけど、死ぬ前にやるべきことがあった。あなたよ──メリィ・リ・ロゥ。この国で最も立場の高い貴族の一人娘……あなたの意思を、問わなければならない」

 

「意思……私の……?」

 

「あなたの描く未来。あなたがこのエクソリアに生きている人々をどのように扱い、そしてどのような未来を作るつもりでいるのか」

 

 未来という言葉ほど絶望に汚れた言葉はない。人はいずれ死ぬもので、もう死に方が決まっている場合は余計にそうだ。

 

「感染者になる前からずっとそうだった。上流に生きる人々は、まるで私たちが違う生き物であるかのように扱ってきた。見下し、搾り取り、まるで私たちに意思や命がないかのように扱ってきた。実際はそうではないのに」

 

「……ええ。語りましたわね、あるべき貴族の姿について……何度も、何度も」

 

「統治者が甘くてはならない、とあなたは言ったわ。そして外敵から人々を保護する義務があるのだと……しかし、現実には誰も私たちを守ってくれなかった。この国家的な極限状態にありながらも、貴族たちは自分たちの利益にしか興味はなかった。私たちのために剣を掲げてくれたのは、どこから来たのかも分からないような、隻腕の感染者だけだった」

 

 誰だって良かった。

 

 救ってくれるなら誰でも良かったのだ。

 

「だから私はあなたに問わなければならない──月日を共にした友人として、一人のエクソリア人として、一人の感染者として。ねえメリィ、あなたはどうして私を助けてくれなかったの?」

 

 ジュエンの炎はゆらゆらと紅く揺れている。

 

「……ジュエン……(わたくし)は……」

 

「耳を貸すな箱入り。恨み辛みも結構だが、所詮はそれまでだ。自分のことぐらい自分でなんとか出来なければ、どこで野垂れ死ぬかも選べない。それがこの大地のルールだ」

 

「そうね。だから人々は国を作り、大いなる荒野へと対抗するための文明を作り上げた。そして統治を行う人物が現れ、階級が作られた。指導者として、集団を統治する人物が必要だった。それはただの役割だったはず、だけどいつしか軋みが生まれるようになった。今ではそれは疑問に変わった」

 

 炎は怒りの暗示でもある。これはジュエンの──虐げられてきた人々の怒りの炎。

 

「エクソリアに貴族は本当に必要なのか? 答えは明白で、救い人(ソトラ)の行動が物語っている。リン家が崩壊したところで、実際のところ私たちへの悪影響など一つもない。あなたがロゥを名乗るなら、エクソリアにはあなたが必要だということを証明する必要がある」

 

「ただの悪口にしては随分お行儀の良いことだな……御託はもういいか? そろそろ聞き飽きてきた」

 

「邪魔をしないでもらいたいわね、スカベンジャー……救い人(ソトラ)の懐刀。あなたが現れることまで考えが至らなかった。あなたの言う通り、慣れないことは難しいものね」

 

「こっちからしてみれば簡単過ぎることだったがな。国の要人に護衛を付けない方がどうかしてるし──あんたがこの箱入りを恨んでいないと考えないのは、よっぽどの馬鹿だ。こいつを一人にしておけば尻尾を出すと思ったし、事実そうなった」

 

「……レオーネに敵対する意思はない。だけど、邪魔をするならば……容赦はしない。──黄影(pyrite)ッ!」

 

 ジュエンの姿が掻き消えた。次の瞬間、火の粉が舞い散ちる。剣と大剣の衝突、咄嗟に受けたのはスカベンジャーの長年の勘によるものだ。それがなければ、既に勝負は決しているだろう。

 

 大剣を切り払う。距離を取れば炎が襲いかかり、詰めれば白銀の剣が振るわれる。

 

「その、身体能力……ジュエン、あなた……どうやって……?」

 

 メリィが知るジュエンは、優秀な学生ではあったがそれ以上ではなかった。瞬間移動とも見紛う瞬歩、大剣を弾き飛ばす腕力はメリィが知るものではない。何かが変だ。

 

 木々の揺れる中、無数の撃ち合う音が響く。メリィの目では追いきれない──ジュエンの姿を捉えられない。前後左右から無規則に襲いかかる斬撃に、スカベンジャーもなんとか対応していくが、なんとなく対応しきれなくなっているように感じる。

 

 逸れた刃がスカベンジャーの頬を僅かに裂く。直後、彼女に炎が襲いかかった。

 

「……!」

 

 爆炎の爆発が起こした熱波に肘を上げて顔を守った。薄目を開ける──炎の跡には誰もいない。

 

「スカ、ベンジャー……?」

 

 その向こうで、ジュエンが剣を杖にして苦悶の表情を浮かべている。炎の温度のせいか額には汗が浮かび、肩で息をしていた。それは不可解な身体能力の代償に見える。

 

「はぁッ、はぁッ……ッ、やった…………──ッ!?」

 

 ジュエンの上から飛んできた何かを、反射的に剣で薙ぎ払った。それは──スカベンジャーの大剣だった。だが大剣しかない──スカベンジャー本人はどこにいる? ジュエンは見回すが──

 

「こっちだ、間抜け」

 

 ナイフが彼女の背中を貫いた。

 

「う、ぐ……!? こ、の……!」

 

 剣を切り返して反撃するが、既に暗殺者は退いている。そして、その運命を告げた。

 

「心臓を貫いた。遺言は今のうちにしておくことだな」

 

「……、…………」

 

 ジュエンの口から赤い液体が溢れた。激痛が襲う中、視線はスカベンジャーを捉えたまま──腰のポーチから注射器を取り出した。シリンダには、透明な液体が入っている。

 

「…………芽生(deepness)、私には……やらなければ、ならないことがある……だから、力を……」

 

 心臓に突き刺して、その液体を体に注入する。大いなる代償とともに傷は塞がり、地面に突き刺さった白銀の刃が真っ赤に染まり始め、炎の勢いが増していく。

 

「ジュエン! なぜ……一体、あなたは私に何をしようとしたのですか!?」

 

「答えて、もらう──……あなたと私は()()なのか……それとも、()()のか……」

 

 ジュエンが炎の色に染まった白銀の剣を大地から引き抜いた。渦巻く炎が収束し、拡散していく。鮮血の色、浮き上がった血管、それは異様な姿で、壮絶な迫力を纏っていた。

 

「……私の、運命──」

 

 炎が上がって、消えた時にはジュエンの影はもはやない。それを認識した次の瞬間、スカベンジャーの体から血飛沫が上がった。赤い液体が宙に待って、地面に落ちる頃には暗殺者は吹き飛んでいた。何が起きたのか全く分からなかった。

 

「……え?」

 

 地面に転がったスカベンジャーはうつ伏せのまま、土を血で汚しているだけで、力なく倒れるばかりだ。

 

 それを見て、剣を握るジュエンとの間にもはや何も障害物はないのだ、と気がついた。

 



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貧困という名の猛毒 -4

 こめかみに浮き出た血管が不気味に浮き出てていた。心臓を貫かれてなお生きている彼女の髪は、少しずつ白くなっている。かつての友人の姿は変わり果てたまま、瞳に宿った決意はかつて見たものと同じ。だから恐怖した。

 

「……感染者になれば……あなたも同じ──痛みを理解できる……同じにならなければ、理解、出来ない。私とあなたは()()()()()──から……──」

 

 遠くない内に死ぬことが決まっているとするならば、あなたは何を望む?

 

 ジュエンにとっては金や名誉、力などもはや意味のないものだった。最後の最後まで望むものは理由、そして意味。人生の意味──塵となって消える自分の何かが、この大地に残って、繋がっていくこと。

 

 メリィとジュエンの繋がりは、かつては友情であり尊敬だった。

 

「私は……ジュエン、本当にあなたのことを親友だと思っていましたの。本当よ……あなたに憧れていたときすらあったのです……」

 

「……そう。私に対しては、そうなのでしょう。だけど、他の人に対しては違う……あなたは、泥で汚れている弱者の手を握ることが出来ない──あなたは、貴族だから」

 

「それは……」

 

「変わらなければならない……変わらなければ、同じことが続くだけ──だからメリィ、変わってもらう。今、ここで」

 

 ホークンに無数に転がっていた源石(オリジニウム)の破片、その一つがジュエンの手には握られている。感染するのは非常に簡単だ。その尖った破片で持って、かすり傷の一つでもつければいい。

 

 破片を持つ腕をジュエンが振り上げた。メリィはどうすることも出来ないまま、それを眺めて──

 

「──何をしている……ッ!」

 

 乾いた発砲音が響き渡った。御守り代わりに持っていたハンドガンをスカベンジャーが発砲したのだ。発砲の訓練を受けていないスカベンジャーの照準は正確ではなかったが、注意を向けることには成功する。

 

 吹き飛んだ時に額を石にぶつけて切れた血管から血が止まらない。痛みに歯を食いしばりながらも、なんとか立ち上がったスカベンジャーがジュエンを睨みつけている。

 

「選べ……今、ここで……ッ! 黙って受け入れるか、戦って……そいつを殺すか……ッ」

 

 出血が激しい。スカベンジャーはもはや満身創痍、立ち上がるだけで限界だ。ジュエンはそれを一瞥して、メリィを見下ろした。

 

「……受け入れて、メリィ……抵抗するなら……もう手加減が、効かない──戦えば、きっと私は、あなたを殺してしまう──」

 

 ジュエンの瞳は決意で固まっている。その身体の中で響く声に抗いながら、メリィの言葉を待っている。それはかつての親友としての、最後の義理だった。

 

「一つだけ……聞かせてくださいまし。ジュエン──私を恨んでいるのですか?」

 

「……ええ、恨んでいる。私は──ずっと、ホークンの……エクソリアの発展を願ってきた。そうすることが、私の使命なのだと思って……全てを捧げた。けれど、あなたたち貴族はそれに応えてはくれなかった……この街を、守ってはくれなかった──」

 

 炎は怒りの暗示だ。

 

 それは虐げられ、踏み潰されてきた人々の怒りの総意だった。

 

「この国を変えていける立場に生まれながら……あなたは未だ、何も為さずにいる──進むべき未来の形を、示せずにいる……だから、私が代わりに示すの。この国に、どれだけの痛みと苦しみが積み重なっているのかを、あなたが理解し……そして、変えていかなくてはならないということを──」

 

 同じにならなくては理解できない。痛みを知らない誰かに、痛みとは何なのかを教える方法として、最も簡単で単純な手段がある。同時に、そうすることでしか教えられないのだ。

 

 もっと遠回りで、穏便に済む方法はきっとあった。だが全ては遅かった。手を取り合う道はあった。だがそうはならなかった。

 

「……ジュエン……私は……」

 

 全てが遅かったのだと分かってしまった。

 

「わた、くしは…………、…………」

 

 メリィがどれだけ言葉にしようとしても、それ以上の言葉は出てこない。ジュエンは静かに首を振ると、源石(オリジニウム)の破片を振り下ろす──

 

 

 

「はーいそこまで。やめようねー」

 

 

 

 場に似つかわしくない呑気な声が響いた。

 

「何危なそうなもの持ってるの。ほらしまってしまって。っていうか、君なんかすごいことになってない?」

 

「……救い人(ソトラ)? なぜ、ここに……」

 

「いやー、急に呼ばれちゃってさ。スカベンジャー、無事ー……じゃ、なさそうだね」

 

 自分がしくじった時のことも考え、無線通信で早めにエールを呼び戻しておいたのが正解だった。ギリギリのタイミングだったが、何とか間に合ったらしい。

 

 それを確認すると、スカベンジャーは珍しく安堵のため息を吐いて気を失った。

 

「まあ……とりあえず武器を下ろしてもらえない?」

 

「なぜ、邪魔をするのです──救い人(ソトラ)よ。あなたならば、理解出来るはずです──苦しみの元凶が何なのか……どうすれば、私たちが救われるのか……」

 

「その手段がこれかい? まぁ……分からなくはないけど、どっちにせよあと数ヶ月もしないうちに戦争は終わるんだし。君の目的を果たすのは、その後にして欲しいんだけどなぁ」

 

 エールが軽い調子で言うと、ジュエンは苦しそうに顔を歪めた。

 

「……まだ、耐えろと言うのですか」

 

「まあ、そうなる……のかな? それに、メリィは一応僕のお嫁さんなわけだし、手荒なことはしないで欲しいんだけどね」

 

「耐えて──耐えて、耐えて……まだ、耐えろと言うのですか……」

 

 ジュエンのアーツ、その炎が呼応して燃え盛った。

 

「私は……私たちは──散々、耐えてきましたよ。イニア・バー・ハンが暗殺された時も、戦時特例法が成立した時も、ホークンが北部の手に落ち、そしてこの地の人々が虐殺され、そして同胞の死体が転がる横で働かされてきた時も……ずっと耐えてきたのです」

 

 ジュエンは生き残った。

 

「軍が民衆を守ろうとしたことなど……一度もなかった。貴族の傲慢と横暴に、家族を奪われ、友を奪われ、過去も未来も等しく奪っていった──救い人(ソトラ)よ、この地は壊れて……もう二度と、元に戻りはしないのです」

 

 それは幸運だったのだろうか。

 

「なぜ──全てを……奪われなければ、ならないのですか。平穏な暮らしを、望むことすら……叶わないのですか。私たち民衆ばかりが代償を払うのは、不公平ではないですか」

 

 ジュエンは貴族が憎かった。本当の元凶はウルサス帝国なのだと理解しながら、メリィが憎かった。仕方がないことなのだ。

 

「私は……永遠に、奴隷だった──この地に縛られ、どこにも行けないまま……」

 

 メリィはただ見上げて、その言葉を聞いていた。何も出来ないまま、何も言えないまま、最後まで何も選ぶことが出来ないまま。止めることも戦うことも選べないまま、ただ見上げていた。

 

「エール──我らの解放者(ソトラ)よ。私の怒りを……奪わぬよう、願います」

 

 復讐の炎は消えない。壊れた過去を元に戻すことが出来ないからだ。ジュエンの身体を蝕む鉱石病(オリパシー)、遺産の代償は激しい──もはやジュエンの身体は数時間もすれば臨界点を迎え、侵食が始まるだろう。

 

 故に彼女は、もう止まることはない。

 

「その怒りは君のものだ。奪わないし、その方法もない。だからまあ、僕が引き継いで、在るべき所へ帰すとしよう」

 

 隻腕の英雄が剣を構えた。それはかつてアーツユニットと呼ばれていたもので、今では機能を失ったただの頑丈な鉄の塊になった。

 

「……では、受け止めてください。英雄よ──我が親友が、この炎に焼かれぬように」

 

 当千(blade)が真紅に染まった。その刃は持ち主に呼応し、意思を持つかの如く赤く染まる性質を持つ。刀身が赤く染まるごとに、持ち主の身体能力を何倍にも跳ね上げる。刃を持って判決を下す復讐者の力。

 

 対するはエクソリアの英雄。失った事実すら失い続けたが故に身軽になった。融合した源石(オリジニウム)は奇跡的なバランスでアーツ適性を跳ね上げ、天性の戦闘能力は枷が外れている。故に勝負は一瞬だった。

 

 一閃。

 

「……あぁ……救い人(ソトラ)よ──あの人よりも前に、あなたが……私の前に、現れてくれていたなら……」

 

 芽生(deepness)の再生能力を以ってしても傷の修復は間に合わない。ジュエンの生命力はすでに限界が訪れていた。

 

 膝を付くジュエンの前には──メリィが、呆然としながら彼女を見ていた。

 

「きっと、最初から……こうなることは、決まっていた」

 

 未だ選べもしない、甘い箱入り娘を見て優しく微笑んだ。

 

「……あなたを、呪うという運命……私は、その奴隷──」

 

 この大地に生まれ落ち、そして苦しみながら死んでいく生の意味を残す。黒く汚れていようとも、残り続ける。なぜならメリィとジュエンはエクソリアを通して繋がっているのだから。

 

「メリィ。あなたの運命に、苦難と絶望が在らんことを、サンクルーラン(彼岸の境界)の向こう側から願い続けている」

 

 メリィの頬に手を伸ばして優しく触れた。指に付いた血が頬に残る──それを見て、満足そうに彼女は息絶えた。

 

 メリィの心を削り取って残った傷痕、それだけが彼女の居た証。

 

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 

「君も薄々は感じていたと思うが、メリィ──あの子は頭は良いんだが……存外甘いところがあるんだよ」

 

 窓から入る風がカーテンを揺らしていた。年老いて嗄れた老人の声だ。

 

「ジュエンという娘をメリィに近づけさせたのは失敗だったと考えていてね。友情という下らないものに影響されてしまうのではないかと心配していたんだが、見事に的中してしまった」

 

 外はいつも通りの炎天下だ。老人はベッドに横たわっていた。ワン・リ・ロゥ──病衣に身を包み、身体には点滴が繋がれている。顔の皺はずっと濃くなり、穏やかな表情とは裏腹に顔色は悪かった。

 

「あの娘を自らの手で処分することで、メリィはそれらと決別し、ロゥ家に相応しい人物になる──これでも私は人の親でね。あの子の将来は心配なのだよ」

 

「そりゃ結構だな。だがお前の孫は、最後まで何も選べないままだった。甘ちゃんだ、ロゥ家の後継が聞いて呆れる」

 

「……エール君はどうしているかね?」

 

「健康診断だ。心配せずとも、もうあんたのことなど覚えちゃいない」

 

 訪問者はスカベンジャーだけだった。身体にはまだ傷の跡が残っている。

 

「それにしても、君の傷も心配だね。レオーネに休みはないのかい」 

 

「誰かさんのおかげで忙しい。ゆっくり寝ている暇もないんだよ、お前と違ってな」

 

「はは、元気だね。若いということは本当に素晴らしいことだ。歳を取ると身体が弱って敵わない。どれだけ権力や富を手にしようとも、老いからは逃げられない。本当に残酷なものだ」

 

 スカベンジャーが暗器を取り出した。今回の目的は暗殺だが、そのまま病気で死んだことにすると後が楽だ。なので今回は毒を塗った針となる。

 

 それを見て、ロゥがふっと笑う。

 

「そんなことをせずとも、見ての通り私はもう長くはないよ。延命を試みてはいるが、あと一ヶ月も保たないだろうね」

 

「一ヶ月というのは、お前に残された時間としては長すぎる。それに病気で死ぬのは、お前のようなヤツには贅沢すぎる。お前が誰と、どんな取引をしたのか……ホークンで起こったことを考えれば、いちいち聞くまでもない。これ以上の面倒を増やさないために、今ここで死ね」

 

「もはや遅いさ。あの青年の中に私は火種を見た。そして──薪はエール君だ。その景色を見られないのは、実に残念だがね。……ああ、最後に遺書の一つでも残していいかな? メリィを次期当主に指名しておかなくてはね」

 

 ゆっくりと体を起こして、ロゥは筆を手に取った。それが終わり、スカベンジャーが去り、後には老人の死体だけが残った。

 

 

 

 

 

-

 

 

 

 

 

「フォン。あのジェイムズとかいうのからレポートが届いているわ。確認をお願い」

 

「来たか、見せてくれ」

 

 クルビアの辺境、ある移動都市──最先端技術で作り上げられた鋼鉄の都市。クルビアらしい機能的なディスプレイをフォンが覗き込んだ。

 

「……アーカーシアズの遺産まで使っても、ヤツに傷一つ付けられんか。しかし力自体は十分……それが分かっただけでも十分ということにしておこう」

 

 それにしてもこの摩訶不思議な板はどういう仕組みなんだろうかと、フェリアはクルビアに来てから頭を捻ってばかりだ。

 

「フェリア。シャンバの動きを報告しろ」

 

「問題ないわ。詳細は報告書に纏めているから後で読んでおいて。ところで、義援団の連中は本当に信用できるの?」

 

「クルビア政府との取引は依然として有効だ。少なくとも、最低限の指示くらいは聞くらしいが……連中はLSCとは別の組織だ。信用など論外だな。連中には別の思惑があるし、そもそも大してシャンバに興味もあるまい」

 

「そう。ところで……良かったの? メリィ・リ・ロゥを殺しておくつもりだったのでしょう?」

 

「遺産のテストさえ出来たならあとは努力目標だ。どの道エールが居た時点で無理だろう。ジュエン・リ・ホウトは十分よくやってくれた」

 

「彼女、能力は高かったんだし……引き込んでも良かったと思うけれど?」

 

「奴自身の選んだことだ。これでいい」

 

「そう。それで……次の悪巧みは何?」

 

「クク……よく聞いてくれたな。次は──」

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 貴族の仕事は単純で、より多くの富を得るための利権を確保し、それを継続させることだ。面倒ごとは全てレオーネに対処させればいい。

 

「お、いたいた。君がメリィだよね、ちょっと頼みたいことがあってさ」

 

「……エール、様」

 

 ロゥ家が構える豪邸の中心、かつての持ち主の趣味だった大量の本棚と、古い書籍の壁。一国の今後を決めるに相応しい高級な家具で揃った執務室だ。ワン・リ・ロゥが座っていた椅子にメリィは座って、何をするでもなく虚空を眺めていた。

 

「元気なさそうだね。どうしたの?」

 

「……」

 

 エールの顔に浮き出た黒い石がなんなのか、メリィは既に知ってしまった。エールに対して感じていた憧憬と忌避感が混ざり合い、もはや自分がどう感じているのかも分からなくなった。

 

 もうすぐ死ぬと分かっていながらエールは進むことをやめない。ジュエンもそうだった。何を望んでいたのだろう、何を望んでいるのだろう。

 

 メリィ自身は何がしたいのだろう。

 

「……分からないのです」

 

 エールは首を傾げた。

 

「……繁栄が幸福をもたらしてくれると信じていました。けれど、お祖父様が病気で倒れ……ロゥ家傘下の貴族たちが、これまでお祖父様に求めていたものを、私にも求めるようになりました。利益……そう、利益なのです」

 

 この世界の全てから光が無くなってしまったような感覚になった。前がどちらなのか、今どこにいるのか、何があるのか何も分からなくなった。

 

「私も、より多くのそれを集め、繁栄することを望んでいました。自らの手で、この国をコントロールすることが、ロゥ家に生まれた私の使命。先祖より受け継がれてきた、この偉大なロゥ家を存続させ続けること。それが私の生まれた意味であり、望みなのだと……」

 

 メリィは光を失ってしまった。

 

「ジュエンの……声が、聞こえるのです。私を呪う彼女の声が……最後の姿が頭から離れないのです。エール様、教えてくださいまし。私は……どうすれば、この声から解放されるのでしょう。どうすれば、この恐怖が過ぎ去ってくれるのでしょう……」

 

 それは自然なことかもしれない。人は光を求めるものだ。

 

「君は解放されたいのかい?」

 

「……弱者の声を聞け、と彼女は叫びました。私は……彼女の言う通り、民衆のために尽くすべきなのでしょうか。そうすれば、解放されるのでしょうか……」

 

 人々は養分に過ぎない。搾取しなければ貴族という構造は成り立たない。

 

 貴族という鎧を捨て去ればどうなるのか、想像もしたくない。

 

「怖いのです……私は間違っていたのでしょうか。私も──感染者に、彼女と同じになるべきなのでしょうか……? 教えてくださいまし、エール様。私は一体、何を為すべきなのですか……!?」

 

 縋った。考えることを放棄し、決断を委ねた。

 

「エクソリアを統一し、解放する。苦難を乗り越え、苦しみから人々を解放すれば、そのジュエンって人も許してくれるよ」

 

「……そう、なのですか?」

 

「ああ。そうすれば君は救われる。夜明けまでの道のりは僕が導こう。ついて来てくれるかい?」

 

「エール、様──」

 

 不安定な足取りでメリィは立ち上がった。

 

「……このメリィは、エール様に従います。あなた様の仰ることであれば、なんだってこなして見せますわ。ですから……どうか、お側に居させてくださいまし……」

 

 暗闇の中に光る灯火。今にも壊れて消えてしまいそうな、暗がりの中の灯火に向かって、メリィは手を伸ばした。

 

 

 

貧困という名の猛毒 了

 




半年経ってんのいっそわろけてきました
こんなペースですがなんとかやっていきます……
今回はメリィちゃん(25)のお話でした

・メリィ
 時々口調がスカイフレア先輩と被るので書きにくかったです。

・ジュエン
 恨み脳髄に至り復讐、最低限の目的を果たしてお陀仏。決してメリィを殺すつもりはありませんでした。

・フォン
 ロゥと裏で結託してメリィをいじめた今回の元凶。
 楽しそうに悪巧みばかりしている。

・ロゥ
 フォンから持ちかけられた取引を了承し、メリィをホークンへと送り出した。心配事を残しながらも満足そうに死んだのであんまり殺された感がない。死亡!

・スカベンジャー
 どう考えても働き過ぎている。休みはない(無慈悲)

・エール
 何も覚えていないのでシリアス度が著しく低い
 オリ主の姿か? これが……

・アーカーシアズの遺産
 ちょっとエールくんが物理的に強すぎるので登場させざるを得なかった新たなオリ設定。お手軽に誰でも強くなれるけど使ったらすぐ死んじゃうぞ! オリ設定とかもういらねーよこれ以上余計な設定とかいらんねんとか私ですら思います。どうなってんだよ!

(現実が忙しいのもありますが物語のスケールに私の腕前が追いついていない感じがあります。投稿頻度が遅れるのは絶対そのせいです。別にゼルダとかイカで撃ち合うゲームをやっているせいでは)ないです


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