火魅子伝 九洲後記 ( ノーリ)
しおりを挟む

NO.00 序章 ~始まりはここから~

おはようございます、作者のノーリです。現在、定期投稿している作品がありますがその作品の合間にこんなものを投稿してみました。

こちらは今までの私の作品とは違い、クロスオーバーものではなく純粋な二次創作ものです。そしてもう一つ、こちらは不定期投稿になりますのでいつ投稿になるかはわかりません。(一応、書き切るつもりはありますのでそこはご安心下さい。とは言え、予定は未定であって決定ではないのですが)

さて、本作品なのですが、元ネタわかる方いますかねぇ…。この板にこの作品を投稿してる投稿者の方もいらっしゃいませんし…。個人的には大好きな作品で、一応、完結はしてはいないので完結を待ってはいますが、ほぼ無理なのは重々承知している作品です。

で、好きだからこそ色々と妄想が膨らむわけで。物語中のことを書いても良かったんですが、それよりも物語後…つまり戦後のことが書きたかったんです。物語の舞台に残るという前提で、そして幸せに暮らしている彼を書きたかったんですね。もし原作未読で、この作品を読んで原作に興味を持った方がいらっしゃったらぜひ読んでみてください。まだ手には入るでしょうから。

では、不定期故に次の投稿がいつになるかはお約束できませんが、お待ちいただけるのなら首を長くして待っていただけたらと思います。


神の遣い、九峪が率いる軍が耶麻台国滅亡後の九洲にて軍を起こし、九洲より狗根国を追い出すことに成功してはや数年。元、狗根国の将軍であった天目が再興した己の故国出雲、ならびに狗根国とはともに不可侵の条約を結ぶことに成功し、九洲は再び耶麻台国の支配する地になっていた。

勿論、この盟約が紙の上のものであり、何か事が起きればあっさりと反故にされるのは三国も承知のこと。だが、紙の上のこととはいえ三国はとりあえず平穏を取り戻したことになる。そんな中、耶麻台国の復興した九洲では(公表、非公表に関わらず)火魅子の血を引く六人の娘の中から、星華が新たな火魅子となってその地位に就いた。国家と国の象徴を再び戴くにあたった耶麻台国は、その復興を待ち望んでいた国民たちの働きもあり、急速に在りし日の姿を取り戻していく。そんな順調な国家の中で、新たな課題も生まれていた。

それは神の遣い、九峪に関するものである。耶麻台国にあって国の象徴かつ頂点はあくまで火魅子である。が、それに勝るとも劣らない存在が九峪だった。何しろ神の遣いとしてこの地に降臨し、瞬く間に九洲を平定してしまったのだから。その威光、存在は火魅子を凌ぎかねないものになっていた。現に、九峪の率いる軍に身を置いた者の中には、火魅子ではなく九峪個人に心酔し、忠誠を誓う者も多いからだ。能力のある忠臣が増えるのは非常にありがたいことではあるのだが、その対象を巡って国が割れるのは非常に不味いのである。『天に二日なし』とはよく言ったもので、神の遣いと火魅子。この二つの存在が内紛の火種になりかねなくなっていたのだった。

だが、火魅子並びに女王候補だった面々、そして古くから耶麻台国復興に尽力してくれた面々がそれを良しとするわけがない。九峪を含めて善後策を諮り、その結果として九峪は火魅子と結婚することになった。こうすれば夫婦という形になるので、火魅子に対する忠誠は夫である九峪にそのまま向けられるものになり、九峪に対する忠誠もまた妻である火魅子に対するものへとなる。

この案に大賛成したのは勿論火魅子である星華と、彼女に付き従ってきた宗像の三姉妹のうち、亜衣と羽江の二人である。前者は純粋に九峪にベタ惚れだったからであり、後者は主君の幸せを願いつつ、かつ自分たちの立場も確固たるものになるからの賛成だった。だが、この案に待ったをかけた人物がいた。それも一人ではなく何人も。しかもそれは表立っての人数であるので、意思表示をしていないが内心では反対の意を持つ者は同じぐらい多かった。

それは何故か…。勿論、その反対した面々も九峪にベタ惚れだったからである。特に、同じ火魅子候補であった者たちは火魅子の座に執着はしなくとも、九峪までも渡したくはなかった。逆に九峪が手に入るなら火魅子の座は喜んで譲ってもよかったのである。それほどまでに九峪に惚れ込んでいたのだった。火魅子候補でない者も心情では同じだった。

女の情念の戦いとなると一朝一夕で決着がつくわけもなく、この件に関しては紛糾することになる。だが、いつまでもこの件で揉めているわけにもいかない。不協和音が広がってそれが外部に漏れれば出雲や狗根国がいつ動くかもしれないからだ。

そこに頭を悩ませた結果、九峪はとある提案を出した。穴のある提案であり、全員が納得するものではないとわかっていたが、自分に惚れ込んでくれている女性陣のことを考えた結果の提案である。一部から、やっぱりスケベだと後ろ指を指されるのも覚悟の上だった。実際、その思惑が九峪自身に皆無かと言われればそんなことはないからだ。

そして、九峪の出した提案にもっとも反対したのはこれも星華…火魅子だった。彼女の心情を慮れば反対するのも十分にわかる提案だった。他の面々も星華ほどではないが渋面を作った。だが九峪にもこの反応は織り込み済みだったため、最後の手札を切った。認められないのなら誰とも結婚しない。その結果国が割れるなら耶麻台国を出ていく、あるいは自訣するといったものだった。

自身の進退や生命を天秤にかける卑怯な手段であり、激怒されてもしょうがないことだったが、効果は覿面だった。何より、まだ新生して間もない耶麻台国である。九峪を失うことだけは絶対に許されなかったのだ。星華…火魅子もそれは理解しているのだろう。不承不承なのは隠せないながらも、周囲の説得もあり九峪の提案を呑んだ。他の面々も割り切れない気持ちに程度の差はあるだろうが、最後には九峪を失いたくない一心で妥協してくれたのだった。

こうして、九峪を巡る騒乱は幕を閉じ、耶麻台国は新生と繁栄の道を歩んでいったのである。これは平和になった耶麻台国での神の遣い、九峪の日々の様子を記した物語。

 

 

 

 

 

九洲、耶牟原城奥の間の寝所。そこに一人の女性の姿があった。長い艶やかな黒髪を櫛で梳かし、物憂げな表情でほぅ…と溜め息をついている。

彼女の名は火魅子…だがここでは、そうなる前の本名である『星華』で統一する。火魅子…星華は髪を梳きながら寝所にて待ち人を待っていた。星華が九峪と出逢ってから、早十年の年月が流れていた。その間に狗根国を九洲から駆逐し、耶麻台国を復興させ、出雲・狗根国と不可侵の条約を結んだのだ。不可侵条約については情勢が不安定になればその存在が怪しくなるが、狗根国は世継ぎ争いの内乱によりその傷跡の代償がまだ癒えてはいなく、出雲国も単独では九洲に互することはできても勝てるとは踏んでないようで表面上は友好関係を築いていた。

外交関係の平穏に並行するように耶麻台国では内政に注力。大陸からの渡来人の受け入れもあって増えた人口はそのまま生産能力の向上にも直結し、耶麻台国は繁栄の道を歩んでいた。今のところは順風満帆といっていい。狗根国に追われ、食うや食わずの生活で自分たちの生命の保証もないときと比べれば見違えるような現状である。それでも、

 

「ふぅ…」

 

星華の口からは自然とため息が漏れていた。それは勿論、待ち人についての不満だった。と、部屋の引き戸の開く音がする。そして、

 

「やあ」

 

引き戸から九峪が現れて室内に入ってきた。

 

「あ、九峪様…」

 

しかし、星華の表情は晴れない。その表情を見て九峪は少し胸が痛むが、それと同時にいい加減に納得してもらえないかと思っているのもまた事実だった。とは言え、星華の気持ちもよくわかるので文句は言わない。それに、同じ気持ちを抱いているのは星華だけではないのはわかっているからだ。

 

「姫たちは?」

 

そのため、九峪は星華を責めることはせず、いつもならいるはずの存在について聞いたのだった。

 

「今日はもう寝てしまいました」

 

そんな九峪に、ニッコリと微笑みながら星華が答える。

 

「そっ…か。まあ、今日は一日中遊んでたからな」

「ええ、そうですね」

 

そのときのことを思い出したのだろうか、星香がクスッと微笑んだ。

 

「全く、時が流れるのは早いよ…」

 

寝台にゆっくりと腰を下ろして九峪が呟く。九洲に来て十年。まだ幼さの残っていた容貌は逞しさを増し、また一国の最前線にいたこともあってかその面構えは精悍さを増していた。想いを寄せていれば思わず見とれてしまうほどに。

 

「ふふ、いやですわ…」

 

九谷の横顔に魅了されて心臓が早鐘を打ちながら、それを表面に出さないようにして星華が口元を抑えてクスクスと笑った。

 

「え?」

「まだまだお若いのに、そんなことを仰るなんて」

「あー、まあ、そうか…」

 

痛いところを突かれたなとばかりに九峪が後頭部を掻いた。その時に見せたはにかんだ笑顔は昔から変わらず、それがまた星華の胸をキュンと締め付ける。

 

「そうですわ。それに、おわかりでしょう?」

「え?」

「明日から暫くお父様に会えないの、あの子たちもわかってるんです。だから、最後にいっぱい甘えたかったんじゃないですか?」

「ああ、うん。そうだな」

 

その星華の言葉に九峪も少し表情が暗くなる。だが、それを振り払うかのようにピシャリと頬を叩くと、九峪は寝台から腰を上げて星華の元にやってきた。そして、その両肩にポンと手を置く

 

「九峪様?」

 

何を…? という表情で星華が九峪を見上げた。九峪はゆっくりと星華の耳元に顔を寄せると、

 

「寝所に入ってきて、少し星華の表情が沈んでいたようにも見えたんだ。それも同じ理由かな?」

 

と、ズバリ言い当てたのだった。

 

「そ、そんなこと…」

「はは、顔色が変わったな」

「えっ!?」

 

星華が慌てて頬を抑える。と、隙ありとばかりに九峪が星華の膝裏と背中に手を入れて彼女を抱え上げた。俗に言う、お姫様抱っこの体勢である。

 

「あ、あの…」

「いいから」

 

そう押しとどめられ、星華は何も言えなくなってしまった。そしてその代わりとばかりに目を閉じるとその胸板に顔を埋めてスリスリと頬ずりする。その表情は実に幸せそうだった。だが、それも短い時間。目的の場所…寝台にたどり着いた九峪はゆっくりとその上に星華を寝かせた。

 

「九峪様…」

 

これから何が起こるか十分すぎるほどにわかっている星華が期待に胸を膨らませて濡れた目をしている。そんな星華の顎を掴むと、九峪はクイッと上を向かせて

 

「んっ…」

 

口づけをした。舌の交感をし、唾液を交感してくちゅ…ぴちゃ…という粘液の音が寝所を包む。そして、たっぷりとお互いの口内を蹂躙した後、どちらからともなく離れた。

 

「ふぅ…」

 

星華から離れた九峪が口元を拭う。そのときにはもう、九峪の身体は寝かせた星華に覆いかぶさるような状態になっていた。と、

 

「九峪様ぁ…」

 

ドロドロに蕩けた声が熱を帯び、とろんとした目の星華が甘えたような表情になっていた。

 

「もっとぉ…」

「はいはい」

 

星華の様子に苦笑した九峪が再び顎をクイッとあげるとその唇に口づけをした。そして、先ほどと同じぐらいの時間、たっぷりとお互いの口内を貪って離れる。唾液の橋がお互いの口に掛かり、それが途中で切れて星華の口元を汚した。直後、

 

「あっ…」

 

星華の口から切ない吐息が漏れる。それは、九峪の手が自身の胸を掴んでいたからだ。元から星華の胸は豊満だったが、今は更にサイズも増し、それに加えて十代のころにない色香が備わっており男を魅了するには十分すぎるほどの破壊力であった。

 

「表情が沈んでいたのは、明日からのことを考えてたから?」

 

九峪がゆっくりとその胸を揉みしだきながら星華に尋ねる。

 

「あっ…そ、そうです。だってぇ…」

「困った甘えん坊だな…」

 

九峪は苦笑すると星華の首筋に口を滑らせる。星華がそれを感じ、あっ、あっ、と嬌声を上げた。

 

「もう何年もこうなんだから、そろそろ納得してくれないか?」

「な、納得はしてます。で、でも…」

「頭ではわかってても、心では割り切れないってところかな?」

「はい」

 

星華がコクンと頷いた。それは恐らく他の面子も同じだろう。そのことに申し訳なくはあるが、九峪は己の選択が間違っているとは思えなかった。故に、

 

「あっ!」

 

星華の声色が一オクターブ高くなる。今まで衣服の上にあった九峪の手が、衣服内に滑り込んできたからだ。直に胸を揉みしだかれ、星華は性の高まりを感じるとともに九峪に愛されていることに心が満たされていく。

 

「今日は頑張るから、それで勘弁してくれ」

「あ、ああっ、く、九峪様ぁ!」

 

感極まって抱き着いてきた星華をそのまま押し倒し、そしてその衣服をはだけると九峪は夫の務めを果たすべく星華と共に寝台へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

開けて翌日。もう、昼が近くなろうかという時間帯。

 

「それじゃあ、留守の間は頼むな」

「はい。九峪様も」

 

星華が名残惜し気に九峪の手を掴んで別れを惜しむ。さっきまであんなに激しかったのになと思いながら、毎年変わらぬその姿に九峪は苦笑した。そのまま、九峪は視線を動かす。

 

「星華…っと、火魅子を頼む」

「はっ、お任せください、九峪様」

 

伊雅が恭しく頭を垂れた。耶麻台国復興後も重鎮として伊雅は主に軍部の司令として腕を揮ってもらっていた。

うん、と頷くと。今度はその視線を亜衣へと移す。

 

「内政に関しては今のところ問題はないと思うけど、外のことは注意してな」

「はっ、わかっております。何か急変あらば、早馬を走らせます由」

「うん、頼んだ」

「九峪様」

 

会話が一段落着いたのを見計らい、清瑞が九峪に声をかける。

 

「どうした、清瑞?」

「はい、準備整いましたゆえ、ご報告に上がりました」

「そうか。また今回もよろしく頼むな」

「お任せを」

 

清瑞が叩頭すると瞬時に下がり、用意してあった馬に騎乗した。その周りを何騎かの騎馬が囲んでいる。復興後新設され、清瑞が頭領となって発足した乱波集団だった。その中から選りすぐりの者のうち、数名が同じように騎馬に乗って九峪を待っているのだ。

 

「それじゃあな」

「はい」

「お気をつけて」

「ご無事を祈っております」

 

見送りに来た火魅子…星華をはじめとする、耶牟原城の幹部連中に手を振ると、九峪は清瑞たちの用意した騎馬に乗った。そして、馬の腹に蹴りを入れるとゆっくりと進み始める。その隣に並走するように清瑞がつき、そしてその周りを乱波集が囲んだ。

こうして九峪は耶牟原城を後にする。次の目的地はどこなのか、そして何のために耶牟原城を後にするのか。

 

それは後の物語。




「火魅子伝 九洲後記」、楽しんでいただけましたでしょうか。この作品は基本、こういったテイストで進めていこうかと思います。まあつまり、結構エッチい感じの本文が多くなる予定です。

そこでわかる方がいらっしゃれば教えてほしいのですが、エッチい作品とは言え直接描写は控えますので「R-15」のタグのみにしたのですが、「R-18」タグ付けた方がよいでしょうか?
また、直接描写を書かないのであれば、「R-15」でももっと際どい描写でも許されるのでしょうか?

是非、ご意見いただけたらと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

豊後編
NO.01 情熱の伴侶


おはようございます。本作第二話目です。

序章の前書きでも書きましたが、この作品は耶麻台国を復興させた後の九峪の後日譚のお話で、ヒロインたちとのイチャラブをメインテーマにしています。ですので、読んでいる時にこんなんあの子と違う! みたいなことも多々あるでしょうが、作者の妄想を駄文にしたものなので何卒ご容赦ください。
逆に言えば、ご満足いただけなければ早めに手を引いていただくのが賢明かつ精神衛生上良いかと思われます。これも序章の後書きで書きましたが、R-18にならない程度にエッチい内容にしていきますので。そこをご了承の上での閲覧をお願いいたします。

さて、耶牟原城から場所を移して次の地です。原作を読了済みの方ならおわかりでしょうが、ここで待っているのは彼女です。その彼女とのイチャイチャ、甘ラブっぷりを楽しんでいただければと思います。

では、どうぞ。


耶牟原城を出立した九峪一行はゆっくりと南下していく。目指すは隣地の豊後県だ。

九洲から狗根国を追い出した際に九峪が現代の行政を参考に敷いた、いわゆる郡県制を参考にした名残は耶麻台国復興後もそのまま運用されている。そして、そこを治める人員にも大幅な変化はなかった。

 

「大きくなってるかなぁ…」

 

そこにいる顔ぶれを思い出し、九峪は思わず呟いた。

 

「ふふ、もうすぐ逢えますよ」

「そうだな」

 

清瑞と馬首を並べ、周囲を護衛されながら九峪一行は南下する。そして久々の再会を待ち望んでいるのは何も九峪だけではなかった。

 

 

 

 

 

「九峪様、まだかな…」

 

豊後県県都、長湯。耶麻台国が復興し、火魅子が即位した後も引き続きこの地を任されている伊万里はそのときを今か今かと待っていた。そんな伊万里を、しょうがないなあと見つめる二人の側近。

 

「落ち着きなって、伊万里」

「そうだよ。先駆けが知らせてくれただろ? もうすぐ逢えるって」

 

言わずと知れた上乃と仁清である。十年の年月が過ぎ、面影には変わりなくとも二人とも成長していた。今では二人ともそれぞれに夫に嫁ぎ、妻を娶って家庭を構えている。

上乃は色気が増し、身体つきも肉感的になった。でありながら、根っこの部分は変わっていなく、相変わらず明るくて楽天的なために男性将兵からは大人気である。と言っても、彼女自身は夫以外には興味はないが。今では夫婦そろって伊万里にとっては欠かすことのできない側近であった。

仁清も身体つきが逞しくなって大分背も伸びた。今では伊万里や上乃より頭一つ大きくなっている。彼もまた伊万里にとって欠かすことのできない側近として豊後県の運営、治世に携わっていた。と、

 

「おや、お見えのようですよ」

 

九峪一行がこちらに向かってきているのを目敏く見つけた遠州が伊万里にそう告げると、伊万里は顔をパアッと綻ばせて遠州の示した方向に顔を向けた。その様子に遠州は隣に立つ上乃と顔を見合わせるとお互いに苦笑する。まだ九州が狗根国に支配されているときから復興軍の幹部であった遠州は、当時から上乃と恋仲であった。そして終戦後二人は結婚し、今では先述のように夫婦揃って伊万里の重要な側近というわけである。そして、そうこうしている間に九峪一行が到着した。

 

「…っと」

 

九峪が皆の手前で馬から降りる。直後、

 

「とうさま~!」

「ととさま~!」

「ちちうえ~!」

 

九峪に一生懸命駆け寄る三つの小さな影があった。

 

「伊万(いま)! 万里(まり)! 伊里(いり)!」

 

近寄ってくる三人の姿に顔をほころばせると、九峪は膝を折って目線を合わせる。そして、両手を広げて懐を開けた。三人の娘たち…伊万、万里、伊里は三人ともほぼ同時に父である九峪に勢い良く抱き着く。三人とも母親の伊万里の名前からあやかってつけた名前であることは容易にわかる名であった。伊万里としては父であり夫でもある九峪の名前からもあやかりたかったのだが、俺の名前と合わせるとどうも語呂が悪いなと九峪が難色を示したために残念ながら成立しなかったという裏話もあったりしたのだが。

 

「とうさま~!」

「おかえり~!」

「まってた~!」

「三人とも、大きくなったなぁ」

 

嬉しそうに自分にギュッとしがみついてくる三人の愛娘の姿に思わず九峪がニヤついてしまう。そして、そんな九峪から少し下がっている清瑞は僅かながら寂しそうな表情だった。と、

 

「ほら、三人とも、その辺にしなさい」

 

娘たちに少し遅れ、母…伊万里がやってきた。

 

「お父様が動けないでしょ?」

「ええ~…」

「だって~…」

「ひさしぶりなのに~…」

 

言葉通り、せっかくの久しぶりの再会に水を差された三人の娘は不満そうである。が、

 

「そうだな。そろそろちょっと離れてくれると父様も嬉しいかな?」

 

九峪本人にもそう窘められる。

 

「う~…」

「む~…」

「そんなぁ…」

「ごめんな? 後でちゃんと遊んであげるから」

 

父である九峪本人にそう諭され、子供たちは渋々ではあるが九峪から離れた。苦笑しながら折っていた膝を伸ばすと、九峪は伊万里に視線を合わせる。

 

「ただいま」

「お帰りなさいませ」

 

伊万里が深々と頭を下げた。そのときには上乃や仁清たちをはじめとする、九峪を出迎えるために集まった兵士たちも深々と叩頭する。

 

「変わりなかったかい?」

「ええ。でも、色々とご報告することもありますので、積もる話は中で」

「そうだな」

「では、こちらに」

「うん」

 

上乃と遠州に先導されて九峪と伊万里が肩を並べて歩き出す。周囲を兵士たちが囲み、後詰は清瑞たちと仁清だ。そして城へと向かう途上の道のりで、伊万里は無意識のうちに九峪との間の距離を詰めていたのだった。

 

 

 

 

 

同日夕刻。長湯城、奥の間。豊後県の県都である長湯城の一番奥まった部分のことである。普段は利用しない場所なのではあるが、九峪が豊後に滞在している時だけは生活拠点として開放していた。その奥の間の一室に九峪たちの姿がある。

 

「やれやれ、ようやく一息つけるかな」

「お疲れ様でした」

 

首元をパタパタと仰いでそんなふうにボヤく九峪に伊万里がクスッと笑う。あの後、一頻り住民たちからの歓待を受け、留守にしていた間の豊後県での状況や動向などの説明を受け、ようやく解放されたのだった。今からは一家水入らずで夕食である。そして、

 

「えへへ~♪」

 

胡坐をかいている九峪の上にちょこんと乗っているのは伊万である。彼女はニッコニコなのだが、

 

『む~…』

 

その両サイドにいる万里、伊里の二人がとても面白くなさそうな顔をしていた。

 

「二人とも、そう睨むなって」

 

その二人に気付いた九峪がそれぞれの頭をゆっくりと優しく撫でる。

 

「明日は万里で、明後日は伊里の番なんだから」

「わかってるもん…」

「でもぉ…」

 

やっぱり今父親の膝を独占しているのが羨ましいのか、万里も伊里も納得できずにムッとしていた。

 

「ほーら、そんな顔してたら二人ともせっかくの可愛い顔が台無しだぞ? 皆、母様に似て美人なんだから、そんな顔しないの」

「く、九峪様!」

 

思わぬ展開から褒められて、伊万里は顔を真っ赤にしてしまった。未だにそんな反応をする伊万里にいつまでも変わらないなぁ、と内心で思いながら九峪が続ける。

 

「さ、ご飯にしようか。父様はもうお腹がすいたよ」

『は~い』

 

父である九峪に撫でられてようやく機嫌が直ったのか、三人の娘は声を合わせて返事をした。ほどなく母である伊万里も落ち着きを取り戻し、その後は久しぶりの一家団欒の夕食を楽しんだのであった。

 

 

 

 

 

夕食後、奥の間の中で更に奥にある最奥部の部屋。九峪の滞在のときだけは夫婦の寝室にしているこの部屋で、伊万里が用意を整えて待っていた。と、

 

「ふぅ…」

 

やれやれといった感じで溜め息をつきながら九峪が入ってきた。

 

「お疲れさまでした」

 

そんな九峪に伊万里がそう労いの言葉を掛ける。それに九峪も苦笑して応じた。

 

「大変だったみたいですね」

「まあね」

 

その言葉は間違いないといった感じで九峪が大きく頷く。

 

「皆、中々寝てくれなくて参ったよ」

「ふふ、仕方ありませんよ。何せお父様とは久しぶりの再会ですもの」

「そうだよなぁ。毎年のこととはいえ、やっぱりちょっと心が痛むよ」

「あら? こうなったことに後悔してるんですか?」

「そんなことないさ。でも、やっぱり寂しくさせてるのは間違いないからさ、申し訳なく思ってるんだよ」

「でしたら、いつものように可愛がってあげてくださいね?」

「うん、わかってるよ」

 

そこで会話を切ると、九峪は寝台に腰を下ろす。そして、

 

「伊万里」

 

伊万里をちょいちょいと手招きした。

 

「はい…」

 

九峪に招かれた伊万里は頬を赤らめ、目を潤ませながらしずしずと九峪の許に向かう。そして、その隣に腰を下ろした直後、伊万里は九峪にしなだれかかった。

 

「九峪様…」

「うん」

 

九峪がそのまま伊万里を程よい強さで抱きしめる。伊万里はその心地よい感覚に酔いしれながらも、九峪の胸の中を十分堪能した後に顔を上げた。その目は潤み、そして息遣いがかすかに荒くなっている。

 

「ん…」

 

そのまま九峪はゆっくりと伊万里に口づけをした。伊万里もその九峪の行動に応えるかのように積極的に九峪の口内を貪る。静かな空間にお互いの口内を貪るぴちゃぴちゃという水音だけが暫く響き渡った。そしてどれほど時間が経った後だろうか、どちらからともなく身体を離す。

 

「九峪様ぁ…」

 

そのときにはもう伊万里はでき上がっていた。頬の赤みはさらに増し、目をはじめとして表情は蕩け、息遣いが悩ましいものになっている。

その伊万里の姿に情欲を多大に刺激された九峪だったがそれをぐっと抑え、もう一度伊万里を抱きしめるとそのまま共に寝台に寝転んだ。そして体勢を自分を下に、伊万里を上にする。と、

 

「んっ…」

 

伊万里が自分から積極的に口づけをしてきた。伊万里は普段は慎み深く真面目で凛としているが、一度箍が外れると驚くほど積極的になるのだ。自分で意識はしていなくとも、普段抑圧されている欲望が解放されるのだろうか。それとも、愛しい人を独占できるこの瞬間を一秒でも無駄にしたくないという想いの表れなのだろうか。とにかくこの積極性は、火魅子…星華に勝るとも劣らないものだった。

 

「ぷあっ…」

 

暫くして息苦しくなった伊万里が離れる。そんな伊万里を九峪は下から見つめていた。

 

「いつも大変だろう? 三つ子だもんな」

「ええ」

 

伊万里が情欲に侵されながらも優しく微笑んで頷く。その返事に、九谷が苦笑した。

 

「まさか、三つ子とはなぁ…」

「ふふ、そうですね。でも、三人とも可愛いですよ。とっても」

「そっか。…まあ、さっきも言ったけど母親に似て三人とも美人だからな」

「嬉しい…」

 

伊万里が感極まって九峪の胸元にまた顔を埋めた。先ほどは娘の手前もあって我慢していたが、あの時も本当はこうしたかったのだ。そして久しぶりの夜ということもあり、これ以上ないほど火の点いてしまった伊万里はもう我慢できないとばかりに九峪を求める。

 

「九峪様ぁ…」

「我慢できなくなっちゃった?」

「はい…」

「正直だなぁ、伊万里は」

 

九谷が苦笑する。いつもの伊万里を知っているだけに、このギャップがまたたまらないのだ。

 

「だって…」

 

九峪に揶揄されて少し拗ねたような表情をする伊万里。だが直後、

 

「あっ…」

 

感極まった声を上げた。九峪の両手が伊万里の全身をゆっくりと丁寧に愛撫し始めたのだ。

 

「あ…あ…あ…」

 

九峪に…愛する夫に全身を愛撫されて伊万里が歓喜の声を漏らして、今まで以上に九峪にきつく抱き着いた。その結果、九峪の胸板に伊万里の豊満な胸の感触がダイレクトに伝わる。

星華、香蘭と比べれば伊万里の胸のサイズは確かに劣る。本人もそれについては自覚しておりひそかなコンプレックスでもあるのだが、それでも十分巨乳の部類に入るサイズだった。ただ単に星華がそれ以上に大きく、そして香蘭が星華に輪をかけて大きいだけなのだ。要するに比較対象が間違っているだけであり、伊万里も十分、男の情欲に火を点けるだけのプロポーションをしていた。

自分の愛撫によって伊万里が昂っていることを理解した九峪は体勢を入れ替えて自分を上に、伊万里を下にする。そして、そのまま耳を甘噛みした。

 

「ああっ!」

 

悩ましい嬌声が伊万里の口から洩れる。そのまま九峪は伊万里の寝巻をはだけた。そしてゆっくりとその豊満な胸を愛撫すると、頃合いを見て先端の敏感な部分を摘まむ。

 

「っ!」

 

声にならないぐらいの刺激と快感に伊万里がのたうち回った。だがそれも一瞬のことで、伊万里はすぐにぐったりとその身体を弛緩させた。その表情はこれ以上ないほど赤く、息が乱れて悦楽に蕩けている。

 

「相変わらず敏感だなぁ、伊万里は」

 

自分の手で面白いように反応する伊万里に九峪は満足でもあり嬉しかった。と、

 

「く、九峪様ぁ…」

 

悦楽に支配された伊万里が真っ赤な顔になって愛しい人の名前を呼んだ。

 

「お願いします…もう、もう…」

「うん、わかってるよ。正直俺ももう、我慢の限界だから」

「はあぁ、嬉しい! いっぱいいっぱい可愛がってください!」

 

歓喜の涙を浮かべながら首筋に抱き着いてきた伊万里と三度口づけをかわすと、九峪はそのまま伊万里に覆い被さっていった。そしてその夜、伊万里は待ちに待った久しぶりの夫婦の時間に、明け方近くまでその身を快感に委ねたのだった。




物語補足1:年齢設定

本作品では九峪が九洲に召喚されて10年後を舞台にしています。原作の小説やゲームを参考に年齢を設定し、不詳の人物については推測で設定しました。

只深:25
香蘭:26
九峪・伊万里:27
星華・志野:28
清瑞:29
藤那:30

とりあえず主要人物だけ。その他はご要望があれば後々に。この作品では上記の年齢設定ということで物語をお読みください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.02 九峪のいる日常 ~豊後編~

おはようございます。第三話目です。他にも投稿したい作品があったので、どうせだからと同時投稿にしました。よろしければそちらも是非読んでみてください。

原作で九峪に思いを寄せている、あるいはそう思われるヒロイン候補は何人もいますが、その中で個人的にお気に入りなのがここの彼女だったりします。ですので、やっぱり力が入ります。

後日談の二次創作なので、妄想全開でタップリイチャラブしてもらおうと思います。

では、どうぞ。


長湯城奥の間。九峪が再訪して初日の明け方のまだ早朝に近い時間。寝所の中で穏やかな寝息を立てているのは伊万里である。

 

「んっ…」

 

規則正しい寝息を立てている伊万里の表情は、これ以上ないほど穏やかであり満ち足りていた。久しぶりの九峪との再会であり、その初夜で少し前まで何度も激しく愛してもらったことにこれ以上ないほどの喜びを感じているのだろう。その顔は滅多に人に見せないような穏やかで安らいだものだった。

 

「んんっ…」

 

その安らぎを更に求めようというのか、愛しい人…九峪を求めて伊万里は手を伸ばす。しかし、その手は空を切った。

 

(?)

 

未だ夢の中の住人ではあるが、それでも求めた温もりを手に入れられなかったことに、伊万里はもう一度九峪に向かって手を伸ばした。しかし、結果は先ほどと同じくその手は空を切るばかりである。

 

(あれ…?)

 

おかしい…と、気づいた伊万里が意識をゆっくりと覚醒させて眠い目を擦る。が、その眠気は瞬時に吹き飛んだ。隣に九峪の姿がないのだ。

 

「九峪様!?」

 

驚いた伊万里が一糸纏わぬ姿を晒すことになることも厭わずに上半身を起こすと寝所を見渡す。だが、九峪の姿はどこにもない。

 

「そんな…」

 

つい数刻前までは確かに愛され、九峪自身を自分の最も深い部分で感じていた伊万里はこの事実に愕然とする。九峪愛しさに幻でも見たのかと一瞬考えた伊万里だが、すぐにバカバカしいと首を左右に振った。

 

(そんなわけない!)

 

だが、だとしたら今ここに九峪がいないのはどういうわけなのか。そのことに不安になり、急激に胸が押しつぶされそうになった伊万里は急いで寝巻を着直すと寝所を出た。そして、とりあえず奥の間への入口へと向かう。

 

(九峪様!)

 

愛しい人を追い求め、伊万里の心と足が逸る。そして奥の間の入口を出た伊万里を迎えたのは夜明けの日の出と、

 

『おはようございます、伊万里様』

 

入口の番に立っていた当直の二人の兵だった。

 

「あ、え、ええ、おはよう」

 

九峪愛しさに思わずみっともない姿を見せてしまったかなと、伊万里がコホンと一つ咳払いをして心を落ち着ける。そして、

 

「九峪様は?」

 

と、兵士たちに尋ねた。九峪が奥の間から出るのであれば、ここを通るしかないからだ。

 

「九峪様ならば、湯浴みに向かわれました」

 

兵士の片方が伊万里にそう返す。

 

「湯浴み?」

「はい」

 

もう片方が頷いた。

 

「少し前、こちらに九峪様が見えられまして」

「我々のような者にもご挨拶をいただきました。ありがたいことです」

「そう、それで?」

 

その先を早く教えてくれとばかりに伊万里が促す。

 

「はっ、目が覚めてしまったのでこれから湯浴みに行くと」

「もし伊万里様がこちらに見えられたら、そのようにお伝えするように承っておりました」

「そう…」

 

伊万里が少しだけ拗ねた表情になった。

 

(私も起こしていただいてよかったのに…)

 

九峪にその気はないにしても、置き去りにされた形の伊万里は少なからずムッとしてしまう。そんな伊万里の心の機微がわかったわけでもないだろうが、兵士がその辺りを捕捉した。

 

「は。伊万里様はぐっすりとお休みになられていたので、起こすのが忍びなかったそうです」

「自然に起きられるまで休ませておいてやりたいと。そして、もしこちらにお見えになられたら、先ほども申し上げましたがこのことをお伝えするようにと申し使っておりました」

「そうですか」

 

九峪の気遣いに伊万里の心が震えた。以前、起こしてくれなかったことに対する文句はあるものの、その変わらぬ気遣いに伊万里の心が一瞬で歓喜に燃え上がる。

 

「わかりました、ありがとう。まだ早いけど、この後も引き続きよろしくね」

『はっ!』

 

兵士たちがキビキビとした返事を返すと持ち場に戻った。伊万里も踵を返して奥の間へと戻っていく。浴場は奥の間の一番奥にある。寝所と双璧をなす奥の間の奥の場所だ。

 

(九峪様…)

 

愛しい人の居場所を突き止めた伊万里は心なしか速度を速める。その足が向かうのは当然、寝所ではなく浴場であった。

 

 

 

「ふーい…」

 

長湯城奥の間、浴場。広い湯船につかっている九峪は極楽極楽とばかりに大きく息を吐き出した。九峪の知識を取り入れ、ここは露天風呂の形式をとっている。勿論、現代のような計算されつくされた構造ではないものの、形だけは十分に露天風呂と呼んで差支えのないものになっていた。

 

「あー…」

 

湯船で顔を洗いながら思わず大きな息が漏れた。直後、ふああっと大きな欠伸がその口から漏れる。

 

「あふ…」

 

口を押さえると、九峪は続けて出ようとしてきた欠伸を噛み殺した。が、身体が温まるにつれてその欲求…睡眠欲が徐々に身体を支配してくる。

 

(眠い…)

 

九峪の正直な感想だった。何せ、少し前までは伊万里にせがまれて、彼女が満足するまで夜の営みを行っていたのである。自分の我が儘で彼女たちには普段寂しい思いをさせているため、その要望はできるだけ叶えるのが九峪の責任の取り方だった。とは言え、身体的な疲労はどうしても溜まるわけで。

 

(いつまでも変わらぬ想いで求められるのは男冥利に尽きるんだけど…)

 

近頃は加齢もあってか、少しは手加減してほしいなと思っているのも事実だった。その変な精神状態が影響してしまったのか、営みの後に眠りに就いたものの、大した時間も経たずに目を覚ましてしまった。眠気はあるものの眠りに就くことはできず、どうせなら目を覚ましてしまおうと湯船につかりに来たのである。が、それが逆効果になってしまったのか、全身が温まった影響か、今更になって眠気が出てきた。どうせなら、このままここで軽く仮眠しようか…。少し回らなくなってきた頭で九峪がそんなことを考え始めたときだった。ガラガラガラと引き戸が開く音がする。

 

(え?)

 

眠気故にいい感じで頭が回らなくなってきたから幻聴かなと呑気に考えていた九峪の振り返った視線の先には、

 

「九峪様…」

 

顔を赤らめながら自分にゆっくりと近づいてくる伊万里の姿があった。

 

「あ、伊万里」

 

その姿にドギマギしてしまう九峪。そうなってしまったのは予想外ということもあったが、その美しいプロポーションに見とれていたというのも大きな理由だった。

 

(やっぱり…綺麗だよな…)

 

初めて夜を共にした日から何度となく見てきたその肢体であるが、今もその美しさに衰えはない。どころか、成熟した色香が増して益々色気に磨きがかかっていた。その魅力的な姿に眠気も飛んでしまい、思わずゴクリと生唾を飲み込んでしまう。と、しずしずと近寄ってきた伊万里はいつの間にか九峪の隣までやってきていた。

 

「隣、失礼しますね」

「あ、ああ」

 

雰囲気に気圧された形の九峪が頷くと、伊万里はニコッと微笑んで湯船に身体を沈めた。そして、九峪に寄り添うとその肩に頭を乗せる。

 

(う…)

 

湯の温度とはまた違う伊万里の温もりと、その柔らかで性的魅力が満載の身体に九峪が思わず反応してしまいそうになる。

 

(落ち着け…落ち着け…)

 

伊万里に気付かれないように深く息を吐きだすと、九峪がどうにか自分を落ち着かせようと努める。が、

 

「九峪様ぁ…」

 

それを打ち砕いたのは他でもない伊万里だった。

 

「ん?」

 

内心では飛び上がりそうなほどビックリした九峪だったが、それをおくびにも出さずに振り返った。これまでの経験の賜である。そして、振り向いた先にあった伊万里の顔は紅かった。しかもそれは、湯船の温かさに中てられたからのものではない。上手く言えないが、それとは雰囲気が違うのだ。そして、その理由は伊万里の瞳を覗いたときにわかった。

 

(これは…)

 

紅らんだ顔の伊万里の瞳が揺れている。そして、その表情は何かを求めているように切ない。更に、その息遣いが乱れていた。ここから弾きだされるのは…

 

(まさか…)

 

ある可能性に思い至り、九峪が口を開く。

 

「伊万里」

「はい」

「もし俺の勘違いだったら、遠慮なく言ってほしいんだけど」

「はい」

「もしかして…」

 

そこで九峪が伊万里の耳元に口を寄せる。そして、

 

―――身体に火が点いちゃった?―――

 

と、囁いた。すると伊万里は紅かった顔を更に紅らめ、コクンと頷いたのだった。

 

(マジか…)

 

口には出さなかったが、思わず九峪が絶句する。少し前まであれほど乱れていたのに、もう再点火してしまったのだ。驚きもしたが、それだけ孤閨が長く、それが満たされなかったことの証左でもあるのだ。

 

「……」

 

九峪は己の不明を恥じて苦虫を噛み潰したような表情になって後頭部を掻く。そして、伊万里の片腕をとると自分へと引き寄せた。

 

「あっ…」

 

驚きつつも拒むことなく、伊万里がなすがままに九峪に引き寄せられる。自然、九峪の胸の中に包み込まれるような体勢になった伊万里が九峪を見上げた。そんな伊万里に、

 

「一回だけだぞ?」

 

と、念を押すように九峪が話しかける。

 

「! はいっ!」

 

九峪の返答を聞いた伊万里がパアッと顔を輝かせて頷いた。そんな伊万里に内心で苦笑しながらも、自分も同じ穴の狢かと苦笑していた。少し前までたっぷりと相手をしていたのに、この姿を見てまた猛り始めているのを感じているからだ。

 

(ホント、魔性だよな…)

 

容姿といい、身体つきといい、そう表現せざるを得ない伊万里に対して生唾を飲み込むと、九峪は伊万里に口づける。九峪の首に両手を回してホールドした伊万里がそれに応え、お互いの口内をたっぷりと蹂躙した。

 

「ホント素直だなぁ、伊万里は」

 

自分から離れた後、九峪は伊万里を揶揄するようにそう言う。自分としてももう抑えられないのだが、それを隠すように伊万里をからかった。

 

「いやぁ…そんなこと、言わないでください…」

 

そんな九峪の意地悪などわかるわけもなく、伊万里は紅い頬を更に紅らめながらイヤイヤをするように伏し目がちに何度も首を左右に振る。その姿にたまらなくなった九峪が、程なく伊万里と一つになった。

その後暫くの間、浴場からはくぐもった嬌声が聞こえたのだが、奥の間の更に奥の場所であるここでは、他にそれを聞く余人はなかったのであった。

 

 

 

 

 

長湯城、評定の間。

 

「おはよう」

『おはようございます』

 

姿を現した伊万里に、上乃、仁清、遠州をはじめとする、豊後県を支える文官、武官が揃って立ち上がって頭を下げた。

心なしかいつもより伊万里の肌艶が良いように見え、そしていつもよりも雰囲気が柔らかいように見えるのは気のせいではないだろう。

 

「みんな、朝からご苦労さん」

『ははっ!』

 

そして、その伊万里の後から評定の間に入ってきた九峪に、一同は更に傅くように頭を下げた。

 

(んな仰々しくしなくても…)

 

と苦笑する九峪だったが、もうこれはどうしようもないので諦めることにした。そして、伊万里がいつもの位置…君主としての座に座ったのを確認した九峪がその斜め後ろに大分離れて腰を下ろす。

 

「それでは、本日の朝議を始めましょう」

 

伊万里がそう口を開いたのを皮切りに、豊後県の本日の朝議が始まったのだった。

 

 

 

(様になってきたもんだな…)

 

朝議の中心になっている伊万里を見て、九峪は素直にそう思っていた。最初の頃は右も左もわからなく、何かとオロオロしてよく割って入ったりして随分と頼りなかったが、今は実に堂に入っている。

 

(ま、俺だって最初はそうだったからな…)

 

九洲に召喚されてすぐの頃…それこそ伊万里と初めて出会った頃のことなどを思い出してそんなことを考え、そして成長して豊後県の長として十分に勤めている姿に九峪は万感の思いだった。

今、九峪は県の朝議に積極的に首を突っ込むことはしていなかった。あくまで立場としてはオブザーバー、アドバイザーとして、基本、傍観することにとどめているのだ。それは各知事、あるいはその手足となって働く人物たちの成長を促すとともに、常にその地にいない…言ってみればどこでも余所者である九峪が必要以上に当地に干渉するのは憚られると自分で思ったからだ。

とは言え、九峪の発言力は今も絶大である。九峪に許可を得たい、あるいは視察してほしいといった案件も必ず幾つかはあり、意見を諮られることも少なくない。それについては勿論九峪も口を出していた。しかし九峪の今の基本スタンスは先述の通り傍観とアドバイスなのである。

そして朝議は滞りなく進む。皆も九峪の今のスタンスはもう十分にわかっているため、基本九峪には話を振らない。時々意見を求められるが、それに対して九峪は大まかな筋道を答えるだけである。ハッキリ正確に言ってしまうと、それが採用されてしまうからだ。耶麻台国内において、九峪の発言はそれだけ重要で重いのだ。それこそ火魅子…星華や、火魅子の血を引く各県知事たちの発言よりも。それがわかってるからこそ、九峪は黒子に徹しているのである。

 

「では、本日の朝議はここまで」

『はっ!』

 

そうこうしているうちに朝議が終了し、各々が自分の仕事をするために三々五々評定の間を出ていく。そして程なく、九峪と伊万里の二人だけになった。

 

「ふぅ…」

 

衆人がいなくなったことで張り詰めた緊張が解けたのか、伊万里が肩の力を抜いて大きく息を吐いた。

 

「お疲れ」

 

そんな伊万里を労うために九峪が声をかける。

 

「九峪様」

 

振り返り、伊万里は九峪を見上げた。九峪はニコッと微笑むと伊万里の隣に腰を下ろす。

 

「疲れたか?」

「はい」

 

九峪の問いかけに伊万里が素直に頷いた。そして苦笑する。

 

「やはり私は根っからの山人なのでしょうね。いつまでたってもこういうのには慣れません」

「そうか? 随分と堂々としてたぞ?」

「それはそうですよ。だって…」

 

そこで伊万里の目がまた潤んだ。

 

「あなたが…九峪様が側にいらっしゃるんですもの。無様な姿は見せられません」

「伊万里…」

 

伊万里がそっと目を閉じた。九峪はその頬を優しく撫でると、伊万里に口づけをしたのだった。

 

 

 

 

 

朝議終了後、九峪は伊万里と一緒に昼食をとる。夜を除けば、二人きりなのはこのときだけだ。そして食後の小休止を挟んで午後からは政務の続きだ。

その多寡は日により、多ければ日没までかかるが少なければ夕方前には終わる。では早く終わった場合、残りの時間をどう過ごすかというと、もっぱら子供たちとの時間だった。とは言っても、遊ぶわけではない。ではどうするかと言うと…

 

 

 

「やあーっ!」

「甘い」

 

振りかぶって木刀を振るった万里を、伊万里がこともなげに捌く。

 

「ああ…」

 

落としてしまった木刀を、万里が慌てて拾った。そしてまた構える。

 

「まだやりますか、万里?」

「はいっ!」

「いいでしょう」

「えーいっ!」

 

万里がまた木刀を振りかぶって突進してきた。だが、そんな大ぶりな攻撃が伊万里にあたるはずもなく、勢い余って突っ込んでバランスを崩した万里はそのまま地面につんのめったのだった。

 

「うーっ…」

 

口の中に少量とは言え土が入ってしまったのだろうか、ペッ、ペッと唾を吐いて立ち上がると、万里はまた構えた。その姿に、伊万里は相貌こそ崩さないものの内心で温かく微笑む。

万里がそうやって母である伊万里に剣の手ほどきを受けている傍らで、伊万は上乃から槍の扱いを、伊里は仁清から弓の扱いの手ほどきを受けていた。

こうやって母である伊万里と他、上乃や仁清より武術の手ほどきを受けているのである。まだ幼いながらもゆくゆくは豊後を背負って立つ立場になる。英才教育…というわけではないかもしれないが、早いに越したことがないのもまた事実だった。

そして、その様子をニコニコと九峪が眺めている。普段一緒に居れない分、こうして愛娘たちの成長していく姿を直に見れるのが嬉しいのだ。そこはやはり世の父親の一人と何も変わらないのである。また、娘たちも父にいいところを見せたいのか、それとも見てもらっているのが嬉しいのか、いつも以上に張り切っていた。それがわかる大人組は、その健気さにもほんわかしているのである。そして手ほどきが終わると、今度は父親である九峪の出番だった。

 

 

 

「九個の果物を伊万たち三人で公平に分けるとすると、一人何個ずつになるかな?」

「うんと…えっと…」

「一…二…三…」

「うーん…」

 

初歩も初歩の簡単な割り算だが、それに頭を捻る伊万たち三人。その姿を、九峪がニコニコしながら眺めている。娘たちの様子が気になるのか、部屋の外では伊万里が中を覗いていた。そして、九峪の傍らには助手として遠州の姿もある。

母である伊万里が『武』の面での教師であるならば、父である九峪は『文』の面の教師であった。九峪がいない間の伊万たちの教育は遠州が一手に引き受けているが、九峪のいる間は九峪が教師になるのである。伊万たち三人は遠州からもよく学んでいたが、やはり父親である九峪からの手ほどきだとより嬉しいのか、いつも以上に真剣だった。その姿に、遠州が苦笑したのは仕方のないことである。と、

 

「はい!」

 

ようやく答えに至ったのか、末妹の伊里が元気よく手を挙げた。

 

「はい、伊里」

「さんこ!」

「よくできました」

「えへへ…」

 

父である九峪に褒められた伊里は嬉しさに顔を赤くした。その一方で、

 

『む~…』

 

一人だけ褒められた伊万と万里は面白くなさそうな顔をしている。しょうがないなぁと苦笑した九峪だったが、それを黙殺して続きをすることにした。

 

「それじゃあ、果物がうんと増えて二十七個あります。これを伊万たち三人で公平に分けると、一人何個ずつになるかな?」

「え!?」

「にじゅうななこ?」

「ちちうえ、おおすぎ~!」

「文句言わない。ちゃんと考えればわかるよ。わからなければ質問しなさい」

「えぇー…」

「むぅー…」

「ふにゃあ…」

 

途端にへこんでしまった伊万たち三人に、ちょっとスパルタになったかなと苦笑しつつ、九峪はそれに付き合う。こうして三人の王女たちは母と、そして短い時間ではあるが父に教育を受けて武だけでなく、文の面でもすくすくと成長していくのであった。

こうやって、午後の政務の時間が余った時は子供たちと向き合いながら一日の務めを終えた九峪たちは、一家揃って夕食をとる。そして、一緒に風呂に入って子供たちを寝かしつけると、伊万里にとっては最も待ち遠しいお楽しみの時間の夜がやってくるのだ。

九峪がいるときの豊後県の基本的な日常は、こうやって過ぎていくのであった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.03 長女 伊万

おはようございます。本作四話目になります。不定期投稿なので前回からタップリと間が開いてしまいました。申し訳ありません。

伊万里の待つ豊後にやってきた九峪。そしてそこでのお話は当然彼女とその子供たちが主軸になります。長幼の序ということで、まずは一番お姉さんのこの子のお話になります。こんなふうにまとめてみましたが、楽しんでいただければよいのですが。

ただ勿論、ボリュームは減ったとはいえ今回も九峪と伊万里はちゃんとイチャラブしてますのでご安心を(笑)。

では、どうぞ。


PS:今回に限ったことではないですが、幼さを表現する為に子供たちの口語口調は基本、全て平仮名にしようと思っています。
そのため、いかんせん読みにくくなってしまうかもしれませんが何卒ご了承ください。


九峪が豊後県を再訪して少し経った。毎年のことだが一年ぶりの再訪とあり、その間の豊後県はいつも以上に活気づく。実権は放棄したといってもそこはやはり神の遣い。未だにその知名度や人気、威光は衰え知らずだった。まだ耶麻台国が復興して約十年であるし、年齢的に言っても二十台中盤から後半にかけてと、ある意味一番いい時期であるから当然である。どこに行っても変わらないこういった空気に、九峪はありがたいと思いつつも苦笑するのも毎度のことであった。

さて、一年ぶりの再訪であるが、だからと言って特に目新しいものがあるわけではない。やることはどこでも同じようなもの。しかしそんな中でも変わるものはある。それは『人』…『子供』だった。大人は一年経過してもそうそう見映えが変わるものではないが、子供にとっての一年は大きい。一年前に見た姿とはだいぶ様変わりするものである。それはここでも当然の光景だった。

 

 

 

「本当に、大きくなったなぁ…」

 

とある日の午後、九峪は中庭に設えられた縁側に腰を下ろしてその先にある光景を見た。今日はスムーズに政務が終わったため、こういった日の日常になっている親たち直々の手ほどきの時間である。伊万里と剣の稽古に励む万里、上乃に槍裁きを習う伊万、そして仁清に弓の扱いを教わる伊里と、三人の娘の成長具合に九峪の目尻は下がりっぱなしだった。

 

「はい」

 

隣に侍る遠州が頷いた。遠州自身も戦士としては一流なのではあるが、彼は頭の方の師である。そのため、適材適所という形で武のときは控えているのであった。

 

「流石に伊万里様の血筋です。姫様方は皆筋がいい」

「ははっ、そりゃ確かに伊万里の血筋だな。俺じゃなくてよかったよ」

「! け、決してそのような…!」

 

わざとではないが、結果として失言になってしまったことを悟って遠州が恐縮した。

 

「だからいいって」

 

そんな遠州の姿に九峪が苦笑する。

 

「実際の戦闘じゃ今でも俺がからっきし役に立たないのは周知の事実なんだからさ」

「は、はぁ…」

 

そうは言われてもそうですねなどと同意することもできず、遠州は曖昧に微笑むしかできなかった。そんな遠州の戸惑い思惑はよくわかる九峪もまた、それ以上突っ込むことはしない。そこまでで切り上げると、再び愛娘たちの成長具合に目を細める。父親が見ているということでいつも以上に気合が入っているのだろうか、それともいいところを見せたいのだろうか、三人ともいつも以上に真剣だった。しかしやはり、大人組の中でも主に目が向くのは妻である伊万里になってしまうため、子供たちの中では自然とその相手になっている万里が多く目に入った。と、

 

(ん…?)

 

九峪があることに気付いた。それは、伊万の顔だった。伊万里に剣の稽古をつけてもらっている万里の姿を、何とも複雑な表情で見ていたのだ。

 

(伊万…?)

 

そんな顔で妹を見ているなんて、どうしたのだろう。すぐに上乃から注意されて稽古に戻ったが、九峪はその伊万の表情に何か引っかかるものを感じたのだった。

 

 

 

 

 

その夜。

 

「くっ!」

「あっ!」

 

夫婦の営みでほぼ同時に絶頂に達した九峪と伊万里の身体が硬直する。そして少し経ち、硬直した二人の身体が糸が切れた人形のように弛緩すると、まず伊万里が寝台に沈んでいった。その後を、九峪が伊万里に覆いかぶさるような形で同じく沈みそうになったが、そのまま押し潰す形になってはまずいという意識が働いたのか、寸でのところで寝台に手を着くと、そのまま反転して伊万里の脇に仰向けに寝そべった。

 

「ふーっ…」

 

行為の後の気怠い、しかし、甘美な快感の余韻を全身に残しながら九峪が頭の後ろで手を組んだ。そして、ぼーっと天井を見ながら昼間の光景を思い出す。

 

(伊万…)

 

どうしてもあの表情が気になった。食事や風呂、寝るときにはそんな表情など少しも見せていない。だが、だからこそ気になる。果たして、何であんな表情で妹を見ていたのだろう。

 

「……」

 

行為の余韻もそこそこに、九峪は娘に思いを馳せた。と、

 

「痛ッ!」

 

いきなり脇腹に痛みが走る。何事かと患部を見てみると、そこには伊万里に抓られた己の脇腹があった。

 

「い、伊万里?」

「九峪様?」

 

恐る恐る妻…伊万里に顔を向けると、ぷくっと頬を膨らませている伊万里の姿があった。

 

「何を考えていらっしゃるんですか?」

「え? いや…」

「まさか…私を目の前にして、他の方のことを考えてるわけじゃありませんよね?」

「いや、違うって!」

「…ホントですか?」

 

伊万里のジト目が九峪を捉える。その姿に愛されてるなぁ…と感じながらも、苦笑を禁じ得ない九峪だった。

 

「あん♪」

 

そんな伊万里を宥めるため、九峪はその肩を抱くと自分に抱き寄せる。伊万里が嬉しそうな嬌声を上げた。

 

「伊万のことを…ちょっとね」

 

そして考えていたことを正直に話した九峪。が、

 

「やっぱり!」

 

その答えを聞いた伊万里は先ほどの嬌声もどこへやら、何故かお冠になった。

 

「伊万里?」

「他の人のことじゃないですか!」

「いや、娘だろ!?」

「いくら娘だって関係ありません! 私が目の前にいるのに…」

(おいおい…)

 

マジかよ…と内心で苦笑する九峪。苦笑したのが内心でだったのには理由があり、それは伊万里が本気で怒っているからだ。確かに他の人物のことを考えてはいたのだが、それでもその対象人物は自分たちの娘である伊万である。他の女性のことを考えていたのならば怒られても仕方ないし、甘んじてお叱りは受けるが、まさか自分の娘が相手でもこんな展開になるとは思わなかった。

 

(男冥利に…旦那冥利には尽きるけど、それでもちょっとなぁ…)

 

考えてほしいと思ってしまうのは仕方のないことであった。とは言え、そんなことは正直に九峪は口に出さない。何故なら伊万里は今もムッとしているからである。そこにこんなことを言ってしまえば、火に油を注ぐ結果になってしまうのは文字通り火を見るより明らかだったからだ。

 

(やれやれ…)

 

どうしたものかと思ったが、機嫌を直してもらうために思い浮かんだ行動がワンパターンな上に我ながらだったので、俺ってやつは…と思いながらも妻を宥めるためにその行動を起こそうとする。が、伊万里がその先手を取ったのだった。あっという間に伊万里が九峪の上に跨ったのである。当然ながら夫婦の営みの直後とあって一糸纏わぬ姿であり、尚且つ先ほどの余韻がまだ身体に残っているだろうにもかかわらずの早業だった。

 

「い、伊万里?」

 

九峪が伊万里を見上げながら口を開く。ガッチリとホールドされている上に、身体的には今でも伊万里の方がよっぽど上なのだ。逃れる術はなかった。

 

「もう一回」

「え?」

「浮気した罰です。もう一回可愛がってください」

 

ニッコリと微笑みながら九峪に迫る伊万里。しかし、その笑みには断ることのできない迫力が宿っていた。

 

「えっ…と…」

 

一瞬、返答に窮した九峪。実は同じことを考えていたので願ったり叶ったりだったりする。そして、同じことが頭に浮かぶあたり、やっぱり似たもの夫婦なんだなぁと思っていた。そのまま九峪は右手を伸ばすと、伊万里の左胸を揉みしだく。

 

「あん♪」

 

少し芝居がかり、鼻に掛かった声が伊万里の口から漏れた。が、いくら芝居がかっていたとしても感じているのは紛れもない事実。程なく左手が右胸に伸び、もう何度となく感触を堪能した伊万里の豊満な胸をゆっくりと揉みしだいていく。

 

「あ…ああ…」

 

望み通り可愛がられて、伊万里が表情から余裕をなくして喘ぎ始めた。その姿に九峪もまた身体に火が点いていき、自身を屹立させる。

 

「今度は、私が上に…」

「ああ、わかったよ。お手柔らかにな?」

「ふふ…」

 

ペロリと舌なめずりをする伊万里のその妖艶な表情に恐ろしくなりながらも、しかし同時にゾクゾクした九峪。久々の再会ということで求めてくるのはもっぱら伊万里なのだが、かく言う九峪自身ももう十二分以上に伊万里にハマっていた。どちらももう、抜け出せないのである。

 

(ま、いいさ)

 

お互い、共に歩む覚悟はとっくにできているのだ。それこそ、天国であろうと地獄であろうと。再び始まった夫婦の営みで乱れる伊万里の姿に九峪は心を奪われながら、この日の夜も更けていったのだった。

 

 

 

 

 

翌日。

 

「ふぅ…」

 

一日の鍛錬が終わった伊万が小さく溜め息をついていた。最近は父である九峪がいるからか政務の進みがいつも以上にスムーズで、そのため父と母両方に勉学を習い、鍛錬をつけてもらう日々が続いていた。

それは勿論嬉しい。特に、中々会えない父親である九峪と共に過ごせる今はとても嬉しい。でも…

 

「う…ん…」

 

伊万の表情はどうにも冴えなかった。勿論、わかりやすく周囲に悟らせるような真似はしないものの、それでも注意深く観察していればそれはわかる。そして、

 

「伊万」

 

それをわかっている人物が今、この豊後にいるのだった。

 

「あ、とうさま!」

 

九峪の姿を見て、伊万がぱあっと表情を明るくした。その姿は年相応の女の子のものではあるのだが、だからこそその表情を曇らせている事情があることを九峪は見過ごせなかった。

 

「きょうもありがとです!」

 

そんな父親の心境など知ることもなく、ペコリと伊万が頭を下げる。

 

「ああ。…万里と伊里は?」

「もうもどりました」

「そっか。伊万は?」

「わたしも、もうもどろうかなって」

「そっか。それじゃあその前に、父様とちょっとお話ししないか?」

「おはなし!? うん!」

 

伊万が顔を輝かせた。九峪が豊後にいるときはいつも甘えてはいるが、そのほとんどはやはり残りの妹二人…万里と伊里も一緒にいるのだ。自分一人が大好きな父親を独占できることはそうないので、伊万に断る理由はなかった。

 

「そっか。それじゃ、ちょっと父様に付き合ってな?」

「はい!」

 

元気よく返事をした伊万を慈愛の目で見つめながら、九峪は伊万を連れてその場から歩き出した。

 

 

 

「さ、どうぞ」

「いただきまーす!」

 

中庭の見える縁側。伊万たち三人が伊万里たちに手ほどきを受けるときに九峪が良く座っているその場所に今、九峪と伊万が腰を下ろしていた。そして二人の間には、ちょっとしたお菓子とお茶がおいてある。九峪が伊万のために用意したものだった。

 

「いっぱい食べていいぞ…と言いたいところだけどもうすぐ夕飯だから、それが食べられるぐらいには抑えてな?」

「はーい!」

 

ニコニコ微笑みながら元気よく返事をして、お菓子にかぶりつく伊万の姿に九峪は苦笑しつつも目を細めていた。そして九峪自身も自分のお茶を手に取ると、お菓子に手を伸ばす。

緊張を解すためだろうか、本題に入る前に九峪は和やかな雰囲気を作った。そして父と娘のこのほのぼのした時間が経過し、十分に伊万の心が解き解れたであろうタイミングを見計らい、

 

「伊万」

 

九峪が本題に入るべく、伊万に話しかけた。

 

「はい。なんですか、とうさま?」

 

父の言いつけを守って夕飯がちゃんと食べられる程度には抑えたのか、お菓子から手を放してお茶に口をつけている伊万が九峪に尋ね返した。

 

「父様、伊万に聞きたいことがあるんだ」

「はい」

「正直に話してくれるか?」

「わたしに、こたえられることなら…」

 

その口調・表情にいつもの九峪とは少し違う空気を感じたのか、伊万の表情が困惑顔になる。

 

「大丈夫だよ、伊万にも答えられることだから…というより、伊万にしか答えられないことかな?」

「???」

 

父である九峪が何を言いたいのかわからず、伊万が首を捻った。が、そんな伊万に構わずに九峪はその先を続ける。

 

「なあ、伊万」

「はい、とうさま」

「…何か、悩んでることでもあるのか?」

「! えっ!?」

 

伊万がビックリして九峪を見た。その仕草、そして表情から九峪はやはり自分の危惧していたことが思い過ごしではないことがわかってしまった。

 

(…こういう、あんまり当たってほしくない予感は外れてくれていいんだけどなぁ)

 

しかし、そこは耶麻台国の神の遣いとして旧耶麻台国をまとめ上げ、狗根国との全面戦争に勝利して耶麻台国を復興させた九峪である。その経験から培った洞察力には衰えはなかった。そして、

 

「……」

 

図星を突かれた形になってしまった伊万は先ほどまでの笑顔はどこへやら、沈んだ表情になってしまう。そんな顔をさせてしまったことに心苦しくなりながらも、しかし聞いてしまった以上はこのままに捨て置くわけにもいかず、かと言って無理やり聞き出すつもりもなかったので伊万がその気になるまで待つつもりだった。が、九峪の予想に反してそのときは意外とすぐにやってきた。

 

「とうさま」

「なんだい?」

「いまは…いまは…ちゃんとかあさまのあとつぎになれますか?」

「…え?」

 

思わず九峪が尋ね返した。いや、言っていることの意味は勿論分かっているのだが、まさかこの年でもうそんなことを考えているとは思ってもいなかったからだ。

 

「…どうしてだい?」

 

変な言い方ではあるが予想外にちゃんとした悩みに、九峪も真剣に伊万に向き合うことに決めたのだった。しかし、

 

「だって…」

 

伊万が言い淀む。しかし、内容が内容だけに九峪も決して急かすことはしない。

 

「…とってもとっても、ちょっとしたことなんですけど」

「うん」

「かあさまにけいこをつけてもらってるのって、まりじゃないですか」

「そうだな」

 

九峪が頷いた。三人の娘たちの得物は伊万が槍、万里が剣、伊里が弓である。そこは自分には門外漢のフィールドであるため、専門家…実際に戦場に出ていた伊万里たちの意見を尊重していた。その、言うなればプロが推奨している得物であれば、それが各自にとって一番良い得物のはずである。しかし、どうやらそれが伊万にとっては重荷…というか、悩みの種だったようだ。

 

「あがのおば…おねえさまにやりをならうのがいやじゃないんです。でも、いつかはわたしがかあさまのあとをつぐんでしょう?」

「そうだな」

 

九峪が頷いた。いくら三つ子であっても長幼の序は確かにある。伊万が長女、万里が次女、伊里が三女である以上、いずれ伊万里の後を継ぐのは伊万になる。現代ならいざ知らず、この時代は長子相続が普通だから当然だった。

 

「でも、せんしとしてかあさまからおしえをうけてるのはまりですよね?」

「うん」

「だから…」

「だから?」

「…わたしがあとつぎでいいのかな…って」

 

そう言って沈んでしまった伊万の姿に、九峪は身を引き裂かれる思いだった。自分の娘が、それもまだこんなに小さい娘がこんな悩みを抱えていたのだ。言い方は悪いが楽隠居して好き勝手している今の自分にそれに答える資格があるのか自問自答したほどだ。いつも側にいないのに、偉そうにしたり顔でこんなことを言っていいものなのだろうかと。だが、

 

(…伊万のためになるんだったら、自分のことはいくらでも棚に上げてやるさ)

 

偽善は百も承知で九峪はそう決心した。願わくばこの子にはこんな大人になってほしくないなと、そして、こういう大人と結婚しないでほしいなと、度し難いことを考えながら。

 

「誰かがそんなこと言ってたのかい?」

「……」

 

黙ったまま、フルフルと伊万が首を左右に振った。そのことにホッとする九峪。まだこんな幼さで、お家騒動などに巻き込ませては伊万にいくら謝っても足りないからだ。

 

「そうか。…なあ、伊万」

「はい」

「伊万は、万里のことが嫌いか?」

「! そんなことないです!」

 

伊万が驚いたように慌てて否定した。

 

「まりはいまのたいせつないもうとです!」

「そうか」

「はい! …でも、かあさまからおしえをうけてるのはまりだから、まりのほうがあとつぎにふさわしいんじゃないかって…」

 

伊万がそこまで言ったところで、突然ふわっとした感触が伊万を包んだ。父である九峪が伊万を優しく抱きしめてくれたのだ。

 

「優しいな、伊万は」

「とう…さま?」

 

突然のことに驚きながら伊万が九峪を見上げる。柔らかく微笑んでいる父の姿に、伊万は嬉しいとも戸惑いともつかない感情を抱きながらどうしていいかわからず、固まっているしかなかった。

 

「…なあ、伊万」

 

そんな伊万を諭すように、九峪が伊万を抱きしめながら語り掛ける。

 

「はい、とうさま」

「何をそんなに悩んでいるんだい?」

「え?」

「今、伊万が悩んでることで、万里に何か言われたりしたのか?」

「いいえ」

「そうだろう? あまり伊万たちと一緒にいれない父様がこんなこと言っても説得力ないけど、三人が仲が良いのはよくわかるよ」

「はい」

「だからさ、少し考えすぎなんじゃないかな?」

「え?」

 

伊万が首を捻る。

 

「万里が頑張っているのは父様にもよくわかるよ。母様から稽古をつけてもらってるから、なおさら張り切ってるっていうのが見ててわかるしね」

「……」

「でもそれはさ、相手が母様であること以外にもう一つ理由があると父様は思うんだよね。伊万にはそれが何かわかるかな?」

「わかりません…」

 

伊万がまたフルフルと首を振った。

 

「それはさ…」

「はい」

「大好きな姉様の役に立ちたいってことなんだと思うな」

「えっ!?」

 

驚いた顔になった伊万を解放し、九峪が正面から伊万と向き合う。そして、その頭を優しくポンポンと叩いた。

 

「万里が頑張っているのはさ、母様から稽古をつけてもらっているのと、単純に剣の稽古が楽しいのと、それといずれは母様の後を継ぐ伊万の役に立ちたいっていうことなんだと思うよ。そうじゃなきゃ、あそこまで頑張れないと思う」

「そうなの?」

「本当のところは万里に聞いてみないとわからないけど、父様はそう思うよ。だって、仲良くなかったり、万里が伊万よりも自分の方が後継ぎだって思ってたら何か言ったりやったりしてくると思うな。でも、そんなこと一回もないんだろう?」

「はい」

「それが答えなんじゃないのかな? 伊万が槍で、万里が剣で、伊里が弓なのは母様たちに何か思うところがあってのことじゃなくって、純粋にそれぞれがこの武器が一番だと思ったからなんだと思う。裏を返せば、みんなで一生懸命頑張れば、いずれは母様や上乃や仁清を超えるかもしれないよ?」

「え? わたしたちが、かあさまたちを?」

「うん」

 

九峪が頷いた。

 

「だからさ、考えすぎないでほしい。父様も母様も、伊万は立派に伊万里の…母様の後継ぎになってくれると思ってるから」

「とうさま…」

「…って、普段は母様に任せっきりの父様が言っても説得力はないけどね」

 

そのお詫びってわけじゃないけど…そう続け、九峪が伊万を抱き上げた。

 

「わ!」

 

突然のことにビックリした伊万だったが、九峪はお構いなしにそのまま伊万を抱きしめる。

 

「父様がいるときは、いっぱい父様に甘えてくれていいんだからな?」

「ほんとう?」

「ああ、本当だ」

「! とうさま!」

 

お許しが出てからだろうか、それとも今まで我慢していたものが決壊したからだろうか、伊万がギュッと九峪に抱き着いてきた。

 

「何だ、いきなり甘えん坊になったな?」

「だって…だって…」

「わかってるって」

 

ポンポンと、あやすように九峪が伊万の背中を叩いた。父の温もりとその確かな存在に、伊万がこれ以上ないほどに相好を崩す。

 

「とうさま~」

「何?」

「だいすき!」

「父様もだよ」

「ほんと?」

「ああ」

「かあさまより?」

「それは…ちょっと答えられないかな?」

「む~…」

 

お望みの返答を聞けなかったことに伊万がムッとした表情になった。そんな愛娘の姿に苦笑しながら九峪が再び伊万の背中をあやすように叩く。そしてそれだけで、伊万の悪くなった機嫌もすぐに直ってしまったのだった。

こうして、父と娘…九峪と伊万は夕飯になる少し前まで、久しぶりに二人っきりの時間を過ごしたのであった。




人物紹介

伊万
万里
伊里

九峪と伊万里の間にできた三つ子の娘。年齢は六歳。名前は文字通り三人とも母親からあやかっての命名となった。

性格は伊万が落ち着いていて、万里が活発。伊里は少し甘えん坊。三人とも母親である伊万里の遺伝子を色濃く受け継いで容姿端麗。将来的には引く手数多の美貌の持ち主になることが予想される。

一番母親の遺伝子を受け継いでいるのが長女の伊万。九峪は見たことがないから判断のしようがないが、上乃と仁清曰く幼い頃の伊万里と生き写しとのこと。髪型も伊万里と同じようにストレートのロング。
伊万とは逆に一番父親の遺伝子を受け継いでいるのが次女の万里。髪型はショートカット。と言っても、肩のところで切り揃えるぐらいには伸ばしている。
容姿的に父と母の遺伝子を平等に受け継いだのが三女の伊里で、髪型は上乃と同じポニーテール。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.04 次女 万里

おはようございます。本作五話目になります。相変わらずの不定期投稿なのですが、ご容赦ください。

今回は次女編のこの子のお話になります。話の筋立てとしては前回とはあまり変わりませんが、楽しんでいただければと思います。そして今回もしっかり九峪と伊万里はイチャラブしてますので、そこはご安心を(笑)。

では、どうぞ。


九峪が見事に(?)父親として長女の伊万のわだかまりを解消してから数日が経った。

今回の訪問時に九峪が伊万から感じた違和感はなくなり、今は以前と同じ様子で日々の鍛錬に励んでいる。と言っても、本当に些細な違和感だったので伊万がそもそもわだかまりを抱いていたなど気づく者はいなかっただろうが。父親であり、そして普段は一緒にいない九峪だからこそその些細な変化に気付いたと言える。母親である伊万里は常に一緒にいたために、逆にその変化に気付けなかったのだ。

 

「さあ、伊万。続きをやるわよ」

「はい、あがのおねえさま!」

「うんうん」

 

元気に鍛錬に励む伊万の姿に、主教官である上乃が満足げに微笑む。上乃自身も遠州との結婚により子を成しているが、まだよちよち歩きの本当に子供なのである。いずれは遠州と共に文武の教育を施すつもりではあるとはいえ、今の段階ではまだ早い。そのため、上乃は今は伊万の専属であった。いずれ来る自分の子供に教育を施す日を夢見ながら、しかし今は目の前の大切な生徒に今日も上乃は手ほどきをしていた。

 

(うんうん)

 

その姿を眺めながら、九峪が内心で満足げに頷く。普段一緒にいられない分、こういうときにはしっかりと父親の役割を果たさなければならない。そして、

 

(今度は、あっちだな)

 

当座、心配のなくなった伊万から目を離すと、九峪はそのまま視線を滑らせる。その先には、

 

「わっ!」

 

母である伊万里にあしらわれ、地に倒れ込んだ万里の姿があった。

 

「うう…」

 

万里がぺっぺっと唾を吐く。倒れた際に口の中に土が入り込んでしまったのだろう。そのまま服の袖で顔に付いていた泥や土を拭った。と、

 

「どうしました、万里?」

 

教官である伊万里が、そんな万里に頭上から言葉をかける。

 

「もう終わりですか」

「……」

 

万里は答えなかった。その代わり、木刀を拾い上げて構え直す。

 

「おねがいします!」

「宜しい」

 

満足そうに頷くと伊万里も構える。その姿に、

 

(実の娘相手なのに、容赦ないなぁ…)

 

と、呆れ半分・関心半分といった心持ちで九峪が伊万里を見ていた。そんな二人の姿に、

 

「おお…」

「流石、万里様」

「伊万里様に生き写しじゃ」

「血は争えませんな」

 

聞こえるとも聞こえないとも言えないような大きさの感想がどこからともなく、しかし確かに九峪の耳に入ったのだった。

 

 

 

 

 

「んっ…」

 

目を閉じて顔を上げた伊万里の顎に手を添えると、九峪はその想いに応えるかのように唇を重ねた。

 

「あっ…はぁ…」

 

息苦しくなりつつも、九峪と口づけをかわしていることに目がとろーんと蕩けてきた伊万里が夢中で続きを求める。そんな伊万里の求めに応じ、九峪も夢中になって伊万里の唇を貪った。淫らな水音が少し続いた後、どちらともなく離れる。

 

「ふぅ…」

「はあぁ…」

 

そしてお互い、新鮮な酸素を求めた。そうしながら九峪は伊万里に視線を移す。その顔が赤くなっているのは決して今の状況だけが原因ではないだろう。現在は夫婦の時間ということで当然夜なのだが、今日は寝所ではなかった。今二人は浴場で湯浴みをしているのである。そのため、体温も当然上昇しているのだが、伊万里の顔が赤いのはそれが原因ではないだろう。いや、従的な原因ではあるかもしれないが、主的な原因ではないはずだ。それが証拠に、

 

「九峪様ぁ…」

 

呼吸が整ったからか、顔を赤らめた伊万里が再び近づいてくる。その表情は更に赤くなり、淫欲にまみれていた。こちらのことが、伊万里の顔が赤い主たる原因だろう。

 

「もう一回」

「はいはい」

 

九峪もその要望を断るなどという選択肢があるはずもなく、再びその唇を奪う。

 

「んっ」

 

伊万里がそのまま九峪の首の後ろに手を回してきた。それに応えるように、九峪は伊万里の背中に手を回す。裸で密着した二人はそのまま、先ほどよりも長時間お互いの口内を貪った。

 

「ぷはぁ…」

 

それでも、やがて呼吸は続かなくなる。そしてそれは伊万里の方だった。肉体的な頑健さ、強靭さでいえば今もって九峪より伊万里の方が遥かに上なのだが、こういった場面で先に音を上げるのは伊万里である。それは何故か。

簡単なことで、九峪が伊万里を求める以上に伊万里が九峪を求めるからだ。一年中、側に誰かしらいる九峪とは違い、伊万里やそれと同じ立場にいる者は自分たちのところにいるときしか九峪とは共に過ごせない。だから再会したときには想いが燃え上がり、その想いが爆発するのである。そのため、肉体的には上な伊万里が先に音を上げてしまうのだ。

 

「はぁ…はぁ…」

 

そしてそのまま、再び新鮮な酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。しかし今回はそうしながらもそれでは終わらなかった。呼吸を繰り返しながらゆっくりと身体を移動させ、九峪の上に跨ったのだ。そしてそのまま九峪の屹立を自分自身にあてがう。

 

「……」

「うん」

 

窺うように伊万里が九峪を見ると、九峪は拒否することもなく頷いた。許可が出たことに伊万里が表情をぱあっと弾けさせ、そして自分の腰を沈めていく。

 

「あ…あ…あ…」

 

自身の内部で徐々に九峪を感じていくことに伊万里が歓喜と快感の声を漏らす。だが、それは九峪も同じこと。

 

「くっ!」

 

奥歯をギリッと嚙み締めて伊万里から与えられる快感を必死に耐える九峪。もう何度も夜を共にしているが、伊万里が与えてくれる快感は衰えることがない。逆に女として美しさに磨きがかかる年代になってきたからか、初めての頃よりも的確に要点をついているようにも思われた。それほどに全方向から間断なく快感が九峪自身を襲うのである。と、

 

「はっ…はぁ…はぁ…」

 

腰を下ろして下半身を密着させた伊万里が倒れ込んできた。そして、九峪に抱き着く。当然、自身の胸板で押し潰される形になっている伊万里の胸の感触もまた新しい刺激になり、九峪はいつ果ててしまってもおかしくなかった。

 

「どうしたんだ、伊万里?」

 

そんな自分を誤魔化すため、九峪が伊万里を覗き見る。が、伊万里は答えなかった。…というより、正確には答えられなかったと表現した方がいいかもしれない。

 

「ーッ!」

 

九峪に声を掛けられたのとほぼ同時に伊万里が眉間に皺を寄せて自身の身体を硬直させた。そして少し後、その身体を弛緩させて力なく九峪に全身で寄りかかる。眉間に皺の寄ったその表情は、今は身体同様にだらしなく弛緩していた。

 

(まさか…)

 

その伊万里の状態に、九峪がある可能性に思い至った。そのため、単刀直入に尋ねてみる。

 

「飛んじゃったのか?」

「ッ!」

 

伊万里は赤くなっている顔を更に真っ赤にしたが、まだ身体に力が入らないのだろう。身体を離すこともできずに力なく寄りかかったままコクリと頷いた。

 

(うわぁ…)

 

出来あがってるなあと思いながら、一方で九峪は納得もしていた。先ほどの快感はいつも以上のもので、経験のない、あるいは浅いときの自分だったら間違いなく果てていたであろう強烈なものだったからだ。それも、伊万里が絶頂に達した故のものだとわかれば納得もいく。

 

(でもまあ、この状態じゃ自分からは動けないよな…)

 

快感に全身を支配されている状態の伊万里を見下ろしている九峪がそう判断した。そのため、今日は九峪が主導権を握ることにする。すんでのところで果てそうだったが時間をかけて何とか持ち直すと、九峪は自分から動き始めたのだ。

 

「あっ!」

 

九峪からの刺激に伊万里が声を上げる。まだ身体に力が入らないのか、それに抵抗もできず、必死にしがみつくことしかできなかった。

 

「そのままでいいよ。俺が暴発するまで、好きなだけぶっ飛んでくれ」

「あ、ああ、九峪様…」

 

愛する夫の気遣いの言葉に胸を打たれ、そして身体に強制的に与えられる暴力的な快感に飲み込まれながら、伊万里は必死に九峪にしがみついた。そして伊万里の口から出る嬌声は、この後もしばらく続くことになったのだった。

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

「はぁ…」

 

寝所にて。浴場で夫婦の時間をたっぷりと楽しんだ九峪と伊万里は肩を並べてお互いの身を寝台に投げだしていた。九峪は伊万里の肩に手を回し、その身体を抱き寄せている。そして伊万里も、それを当然嫌がることはなく受け入れ、寧ろ自分から積極的に身体を密着させ、猫のマーキングのように九峪の身体に自分の身体をスリスリとこすりつけている。

その様子にフッと微笑んだ九峪だったが、天井に目を移す。そしてそこをぼーっと眺めながらあることを考えていた。それは万里のことである。今日の鍛錬で周囲が囁いていたこと、そして万里のちょっと固い表情がどうにも気になったのだ。

 

「……」

 

いずれ娘たちはこの県の跡取りになる。それは自分と伊万里の娘として生まれてきた以上、どうしようもない規定事項である。それ故に、普通の市井に生まれた女の子としての生涯は全うできない。しかしだからこそ、それまでの間は好きなように生きてほしいし、些末なことでは頭を悩ませてほしくなかった。常に一緒にいることはできないが、父親としてそう思うのは当然の感情である。いや、常に一緒にいることができないからこそ、より強くそう思うのだろう。男親だからこそ、娘は息子以上に気にかかってしまうという感情もあるのだろうが。

 

(我ながら度し難いな)

 

実にそう思う。ただ、伊万里の地位を直接継ぐのはよっぽどの何かがなければ長姉である伊万のため、万里と伊里は極端な話、良縁があればそちらに嫁ぐことも可能ではある。結婚が女の幸せなどと言い切るつもりはないが、その点ではまだ長姉である伊万とは違い、選択肢の余地がある万里と伊里は幸せかもしれなかった。とは言え、縁談などまだまだ先の話であるため、万里の固い表情の理由はこれではないのは明白であるが。

 

(聞いてみるか…)

 

九峪は天井から目を離すと、隣の伊万里に目をやった。伊万里は今なお、頬を赤く染めながら夢見心地で九峪の身体にスリスリと自分の身体をこすりつけている。肩に回した手を解き、その長くて艶やかな髪を梳くとくすぐったそうに、しかしうっとりとした表情になって伊万里が大きく息を吐いた。

 

「伊万里」

「はい」

 

愛する夫に名前を呼ばれ、伊万里が九峪に視線を向ける。

 

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「聞きたいこと…ですか?」

「ああ」

「何でしょう?」

 

少しだけ表情を元に戻した伊万里が九峪に尋ねる。

 

「ああ、万里のことなんだけどさ…」

「万里…ですか?」

 

伊万里の問いかけに、九峪がうんと頷いた。

 

「あの子がどうかしましたか?」

「うん。万里に武芸の手ほどきをしているのは伊万里だよな」

「はい。剣の筋はあの子が一番ありますので。…あ、でも、伊万と伊里に筋がないって言ってるわけじゃないですよ」

「わかってるよ」

 

慌てて否定した伊万里に、苦笑しながら九峪が頷いた。

 

「で、その万里なんだけどさ」

「はい」

「最近、変わったところはないかい?」

「変わったところ…ですか?」

 

その九峪の一言に、伊万里が怪訝な表情になる。

 

「うん。おかしなところ、と言い換えてもいいかもしれない」

「……」

 

九峪の言葉に伊万里が眉間に皺を寄せて少しの間考え込んだ。そして、

 

「いえ…」

 

返ってきたのはその返答だった。

 

「申し訳ありませんが、私は何も…。九峪様がお見えになられて嬉しそうにしているのはわかりますが…そういうことではないのでしょう?」

「うん」

 

九峪が頷く。

 

「では申し訳ありません、私には…」

「そうか」

 

伊万里の返答にガッカリしながらも、しょうがないなとも九峪は思っていた。常に一緒にいるからこそ見えなくなることもあるし、久しぶりに会ったからこそ見えることもある。と、

 

「あの子がどうかしたのですか?」

 

心配になったのだろう。伊万里が尋ねてきた。

 

「うん、ちょっとね。だから伊万里は何か感じ取ってるかなと思ったんだけど、そうじゃないなら仕方ない。本人に聞いてみるよ」

「申し訳ありません…」

「いいって。俺のただの思い過ごしかもしれないし」

「そうですか。…では、よろしくお願いいたします」

「うん」

 

頷いた九峪が髪を梳いていた手を放し、再び肩に回した。そして今一度抱き寄せる。それに再び伊万里が心地良さを感じて、うっとりとした表情で目を閉じた。先日の伊万のときのように、娘であっても他の女の名前を出したのに今回は大人しいのはもう十分今日は満足したからなのだろう。その証拠に、伊万里は目を閉じてそのまま眠りに就いてしまっていた。

その様子に苦笑しながら九峪は伊万里に布団をかける。そして自身もその布団に潜り込んだ。そうしながら目を閉じて眠りに就く前に、九峪はもう一度昼間の万里の様子を思い出していた。

 

(万里…)

 

思い過ごしだったらいいんだけどな…そんなことを考えながら、九峪もそのまま就寝の床に就いたのだった。

 

 

 

 

 

「よし、今日はここまで」

『はい!』

 

明けて翌日、お勉強の時間が終わり三人の娘が声を揃えて返事をした。流石に三つ子だからか、こういうタイミングというか息がピッタリになることが多い。そのことに九峪が内心でクックッと笑っていると、伊万と伊里が立ち上がった。そして、キャッキャと楽しそうにお喋りをしながら部屋を出ていく。しかし万里はそのまま動こうとはしなかった。

 

「? 万里様、どうかされたのですか?」

 

その様子に、九峪の補佐役である遠州が尋ねた。と、

 

「いいんだ、遠州」

 

答えたのは九峪だった。

 

「九峪様?」

「万里とちょっと話したいことがあってね。残ってもらったのさ」

「成る程、そういうことでしたか」

 

納得した遠州が腰を上げた。

 

「それでは、私もお邪魔でしょうからこれで」

「ああ、すまない。明日もよろしくな」

「はい。では、失礼いたします」

「うん」

「えんしゅう、またあしたね」

「はい、万里様」

 

万里ににこやかに微笑みかけ、そして九峪と万里に恭しく一礼をすると、遠州もまた伊万たちの後を追うかのように部屋を後にした。部屋には九峪と万里が残された形になる。

 

「さて…」

 

部外者がいなくなったところで九峪は万里に視線を向けた。伊万里の産んだ三人の娘の中では、顔立ち的に一番九峪の遺伝子を色濃く受け継いでいることもあって、やはり気にかけてしまう回数が自然と多くなってしまう。

 

(本当はこれじゃいけないんだけどな…)

 

扱いに差をつけないように十分に気をつけることを自戒して九峪は万里に声をかけようとした。と、

 

「ととさま」

 

タイミングが良いのか悪いのか、図ったように万里の方から声をかけてきたのだった。

 

「何かな?」

 

機先を制される形になった九峪だったが、それは表情に出すことなく万里に尋ねる。

 

「おはなしってなんですか?」

 

万里の口から出てきたのは当然の疑問だった。自分にだけ話があると言われればそう思うのは当然のことだろう。

 

「うん、万里」

 

九峪が頷くと、娘の名前を呼ぶ。

 

「はい」

「父様の思い違いだったら遠慮なく言ってほしいんだけど」

「はい」

「最近、何か気にかかることでもあるのかい?」

「……」

 

その一言に万里の表情が固まってしまい、そして口を噤んでしまった。その様子に、やっぱり何かあったのかと九峪が内心で渋面を作る。

 

(さて、どうしたものか…)

 

どうやってそれを聞き出そうかと思案を始めたが、それはいらぬ心配だった。

 

「…きらい」

 

ぼそっとだが、しかししっかりと万里が自分の意思を口にしたからだった。

 

「え?」

 

その一言は九峪の耳にも届いていたが、聞き間違えたかと思って念を押した。と、

 

「…ねえさまのわるぐちをいうひとが、きらい」

 

今度はもう少し補足して自分の意思を述べたのだった。

 

「どういうことだい?」

 

聞き捨てならないその一言に、九峪も再度尋ね返す。

 

「ねえさまのわるぐちいうひとがいるんです」

「そうなのかい?」

 

九峪の問いかけに、万里がコクリと頷いて返した。

 

「悪口って…どんなの?」

「…ねえさまが、かかさまのあとつぎにふさわしくないって」

「え? そんなことを?」

「……」

 

再び万里がコクリと頷いた。

 

「それで、まりがかかさまのあとつぎにふさわしいって…」

「…その人たちは、どうしてそんなことを言ったんだい?」

「わたしが、かかさまからけいこしてもらってるからって…」

「…え?」

 

一瞬、九峪は万里が何を言っているのかわからなかった。そんなことで? という感情しか浮かばなかったからだ。だがそれは、九峪の聞き間違いではなかった。

 

「ねえさまはかかさまのあとつぎなのに、かかさまとおなじけんじゃなくってやりをつかうから、かかさまのあとつぎにふさわしくないっていってました」

「そう」

「わたし、ねえさまとあらそうきなんかないのに…」

「…そっか」

 

万里の吐露した心中を聞き、九峪がそっけなく答える。そっけなく答えたが、九峪の心中はかなりお冠だった。勿論、余計なもめごとを作ろうとする、火のないところに煙を立てようとする連中の下卑た思惑に対しての怒りもある。現状に満足していない連中が、その現状を変えるために内紛を利用しようとするのはよくある話だ。確かにそれも問題だがそれよりも、

 

(子供に余計なもの背負わせやがって…)

 

そっちの方が九峪にとっては腹立たしかった。先日も思ったことだがいずれ娘たちは伊万里の後を継ぐことになる。だからせめて子供の時分は自由にのびのびと育ってほしかった。しかし今、その子供を利用しようとしている不心得者がいるようだった。九峪は昨日の稽古のときに聞こえた、万里を称賛する声のことを思い出していた。

 

(お家騒動は珍しいことじゃないけど…)

 

問題がないのにわざわざ起こすようなことでもない。それでも起こす…起きるではなく、“起こす”のは、それによって利を得る者がいるからだ。とは言え、じゃあその人物を厳罰に処せるかと言うと必ずしもそうとは言えないのも痛いところであった。領国経営の観点から見れば、欠かすことのできない人材だった場合は強引な手段をとるわけにもいかない。その結果、豊後の治世が破綻しては元も子もないからだ。あるいは、自分のその立場をわかっていて、手出しできないだろうと高を括っているのだとしたら尚更手に負えないが。

 

(それでも、少しは痛い目を見てもらわないといな)

 

目の前の愛娘を見る。まだ六歳の…九峪が生きていた時代でいえば小学校に入る前の子供に、大人の世界の事情を押し付けたくはない。内紛を煽っている(かもしれない)立場の人物が誰かは知らないけど、落とし前は取らせることを九峪は誓っていた。

 

「良くわかったよ」

 

事情徴収を終えた九峪が、努めて明るい表情と穏やかな口調で万里に話しかけた。そして、

 

「万里」

 

九峪が万里の名前を呼んだ。そして、ちょいちょいと手招きする。

 

「?」

 

何だろうと首を傾げた万里だったが、とりあえず立ち上がると九峪の…父の許へと向かった。すると、ポンポンと九峪が自分の足を叩いた。現在の九峪は胡坐を搔いているためこの状態でのこの仕草はここに座れという意味なのだろう。

 

「えと…」

 

万里が少し戸惑いながら九峪の顔を見た。九峪は変わらずニコニコと笑っている。

 

「父様の膝の上は嫌かい?」

「そんなことない!」

 

フルフルと首を振ると、慌てて万里が九峪の膝の上に座った。そして九峪は、その万里を包み込むように後ろから抱きしめる。そして、ポンポンと優しくその頭を叩いた。

 

「辛かったかい?」

「え?」

 

今一つ言葉の意味がわからず、万里が首を傾げた。そんな万里に微笑むと、九峪は言葉を続ける。

 

「ごめんな、万里にそんな想いさせちゃって」

「ととさま…」

「その、伊万の悪口言ってた人には父様が後で注意しておくよ。だから、万里はもう心配しなくていいからね」

「ほんとう?」

「ああ、本当だよ」

 

そして九峪は、万里を抱きしめたまま身体を軽く前後に揺らし始めた。万里をあやすかのように。

 

「万里は姉様想いのいい子だな。父様は嬉しいよ」

「ほんと? わたし、いいこ?」

「ああ。父様の自慢の娘だ」

「えへへ…」

 

九峪に手放しで誉められたことに万里が相好を崩す。そして、ギュッと九峪に抱き着いた。

 

「ととさまぁ」

「うん?」

「だいすき」

「父様もだよ」

「うれしい!」

 

九峪の返答を聞いた万里が更にギュッと九峪に抱き着いた。その万里を包むかのように九峪も更に抱きしめる。そしてその穏やかな時間は、夕飯の時間になって迎えがくるまで続いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.05 三女 伊里

おはようございます。本作六話目ですね。相変わらずの不定期投稿なのでまたたっぷりと間が開いてしまいましたが、ご容赦いただければ。

今回は三女編のこの子のお話になります。ちょっと前二人とは話の展開を変えてみました。楽しんでいただければいいのですが。

では、どうぞ。


万里の抱いていた悩み、蟠りを解いてから数日後のある日。この日は政務が滞りなく終わったため、伊万里と九峪による鍛錬があった。

 

「一、二、一、二…」

「いち、に、いち、に…」

 

城の中庭。いつものところに腰掛けて娘たちの様子を見守っている九峪から少し離れたところでは、伊万が上乃とともに掛け声をかけながら槍を振っている。他方、

 

「かかさま、もういっぽん!」

「いつでも」

「やあっ!」

 

伊万里を相手に、万里が打ち込み稽古をしている。その二人の様子に、ぎこちないところはない。

 

(うんうん…)

 

愛娘たちの様子が戻ったことに九峪は内心で満足そうに首肯していた。伊万と万里はそれぞれお互いに思うところがあったようだが、今は解消されている。その証拠に、休憩時間などでは以前のような仲の良い光景が見られるようになったのだ。

 

(あの子たちに何も落ち度はないんだけどな…)

 

気負いや柵、周囲の大人たちの勝手な思惑で余計な重荷を背負わせていたことに九峪はもう何度目になるかわからない申し訳なさを感じていた。己が選んだ生き方のために、父親とはいえ常に側にいてやることができない自分のふがいなさが一番悪いのは間違いない。だが当時は、こうしなければ収まりがつかない状況でもあったのもまた紛れもな事実だったのだ。勿論、沢山の美女たちと関係を持てるというスケベ心も当然あったが。

 

(全く…我ながら度し難いよな…)

 

台替わり…というか、実権は各知事や女王にとっくの昔に譲った身ではあるが、それでも九洲…耶麻台国において神の遣い…九峪の威光や威名には衰えはない。狗根国から九洲を取り戻し、耶麻台国を復興させた張本人であり、それがまだわずか十年前のことなのだから当然と言えば当然のことなのだが。しかしそのために、こういった当事者たちが望んでもいないような余計な厄介ごとが起こることもあるのだった。とはいえ、今回の行幸に関していえばもう大丈夫そうだった。

 

(大人になれば否でもこういったことには首を突っ込まされるんだから、せめて子供の時分ぐらいは好き勝手に過ごしてもらいたいもんなのにな…)

 

上手くいかないよなぁ…と心中で嘆息し、そして誰にも悟られないように小さく溜め息をついた。と、

 

「うん、大分腕を上げましたね」

 

仁清のそんな声が聞こえて顔を上げる。そこには、もう一人の愛娘である伊里に弓を教えている仁清の姿があった。

 

「ほんと!?」

 

仁清に褒められ、伊里がパアッと顔をほころばせる。

 

「ええ」

 

その反応に嬉しくなったのだろうか、仁清もまた笑顔を見せた。

 

「伊里様は流石に筋がいい。やはり伊万里…っと、伊万里様の御息女です。血は争えませんね」

「ははうえ、そんなにすごかったの?」

「ええ」

 

仁清が頷いた。

 

「もっぱら頼みにしていたのは剣ですが、弓の扱いも一流でした。昔の話にはなってしまいますが、伊万里様は実に山人らしい山人でしたよ」

「そうなんだ…」

 

あまり聞いたことがなかったのか、母親のそんな一面を聞いて伊里が表情を輝かせた。

 

「ねえねえじんせい、もっとははうえのおはなしきかせて」

「はい…と言いたいところなのですが…」

 

仁清が言葉を濁らせる。

 

「? どうしたの?」

 

その仁清の姿に伊里が首を捻った。

 

「…いえ、ただ今は鍛錬の時間ですので、それはまた今度に」

「ええーっ?」

「申し訳ありません、伊里様」

「ぶうっ!」

 

頬を膨らませて抗議をする伊里。その姿に苦笑しながらなんとか宥めすかして鍛錬を再開させる仁清。その様子に微笑ましくも苦笑した九峪だった。何故苦笑したのかというと、伊万里が自分の名前を出したあたりか仁清を睨んでいたからだ。余計なことは言わないようにという無言の圧というやつである。それを感じ取ったからこそ仁清は口を噤み、そして九峪もそれがわかったからこその苦笑だった。

 

(あんなにプレッシャーかけることないのになぁ…)

 

とはいえ、そんなことを馬鹿正直に言ったら今度はこちらに飛び火しそうなので右へ倣えして口を噤む。そうしながら、九峪は伊里の様子を見ていた。

 

(伊万と万里は余計なもの背負いこんでたけど…)

 

見る限りでは、伊里にそういった様子は見えない。そのことにホッとしつつも、伊万と万里だけに個人的な時間を割いたのもまた事実なので、そのうち伊里にも父娘の時間をとるかなと考え、九峪は引き続き鍛錬を見学したのだった。

 

 

 

 

 

同日夜、寝所。

 

「……」

 

九峪が頭の後ろで手を組んで天井を眺めながらあることを考えていた。それは伊里についてである。鍛錬の後の勉強、そして夕食、入浴、睡眠といつものルーチンをこなしている間、伊里の様子を特に窺っていたのだが普段と全く変わる様子がなかった。つまり、伊里には現状で何か起こっているわけではないのだろう。それはありがたい。それはありがたいのだが…

 

(もう少し甘えてくれてもいいと思うんだけどな…)

 

九峪としてはそれが不満だった。いつもと変わらないということはつまり普段通りということであり、この場合の普段通りとは父親がいない日常ということになる。それに対して何も変わらないということは、少なくとも伊里にとっては九峪のいない日常に違和感はないということとも考えられた。

 

(伊里…お父さんは悲しいぞ…)

 

一年のうちに数か月しか一緒にいないのに何を言っていると言われても仕方ないことではあるのだが、それでも父親として子供に見向きもされないというのはそれはそれで非常に悲しいことである。

 

(少しは父親らしいことしてやらないとな…)

 

このままではどんどん伊里の中では父親認定が薄くなってしまいかねない。そういう意味での焦燥感というか恐怖感を感じながら、九峪は近いうちに折を見て時間を取らなければと改めて決意していた。と、

 

「んっ…」

 

すぐ側で寝息が聞こえ、慌てて九峪が視線を移した。隣にいる伊万里は寝息を立てた後少し身じろいだものの、起きる様子もなく気持ちよさそうに眠っている。その様子に九峪はホッと胸を撫で下ろした。

本日も当然お勤めという名の夫婦の営みはあった。何しろ一年で数か月しか一緒にいられないため、どうしてもその期間は求められることになるのだ。仕方のないことではあるので九峪としては断る選択肢はない。だが、耶麻台国にきてからかれこれ十年は経ったというのに九峪とこの時代の人間たちの体力差は一向に縮まらなかった。そのため、夫婦の営みでもほぼ毎回こちらがギブアップするのだが、今日に限っては珍しく伊万里の方が先に力尽きてしまって眠りに就いたのだった。

 

(珍しいこともあるもんだよな…)

 

こういったことが今までもなかったわけではないが、それでも数にしたら両手で余るぐらいの回数しかなかったため九峪は驚いていた。まあその分、こちらも今日はゆっくりと休めるので有難くはあるのだが。

 

(ハッスルし過ぎたのかねぇ?)

 

満足そうな表情を浮かべながらぐっすりと眠っている伴侶の姿を見ながら九峪はそんなことを考えていた。普段の政務に加えて娘たちの鍛錬、それに何より九峪との再会で、自分は抑えているつもりでもボルテージが上がっていたのかもしれない。そのため、知らず知らずのうちにいつも以上に体力を使ってしまい、ここでスタミナが切れてしまった。そんなこともまあ、考えられないことはなかった。

 

「……」

 

そんな、勝手な推論を考えながら伊万里に視線を移した九峪だったが、やがてその一糸纏わぬ肢体を抱き寄せると、自分も同じように目を閉じた。

 

(明日はまた、搾り取られることになるのかね?)

 

身体の密着している面から感じられるその体温を感じながらそんなことを考え、九峪もやがて眠りに落ちたのだった。

 

 

 

 

 

翌日。

 

「ふう…」

 

中庭で伊里が一人額に滲んだ汗を拭っていた。今日も政務が順調に終わったため、伊万里たちによる鍛錬があった。それが終わり、九峪との勉強も終えたのだが、今日はそれでも時間が少し余ったため夕食までに思い思いの時間過ごすことになったのだ。そして伊里は再び中庭に戻り、再び弓の訓練に励んでいたのである。

 

「ううん…」

 

不満げな表情で首を捻る伊里。昨日は仁清にああは言われたものの、今日は昨日から一転して調子が悪かった。的に当たる矢は二回に一回ぐらいしかない。

 

「はぁ…」

 

どうにもひどい結果になってしまったことに溜め息をつきながら、放った矢を拾いに歩き出した。と、

 

「伊里」

 

不意に、名前を呼ばれた。

 

「え?」

 

名前を呼ばれるとは思わなかったため驚いて振り返る。そこには、九峪の姿があった。

 

「あ、ちちうえ!」

 

父の姿に、伊里がぱあっと表情を輝かせた。そんな伊里に手を挙げて九峪は近寄る。

 

「熱心だな」

「えへへ」

 

父である九峪に褒められた伊里がはにかんだ。

 

「まだ続けるのかい?」

「たんれんのこと?」

「ああ」

「ううん…」

 

伊里がプルプルと首を左右に振った。

 

「あまりちょうしがよくないので、きょうはもうおわりにしようかなって」

「そうか。それじゃ、片づけを手伝おうか」

「いいの?」

「ああ」

「ちちうえ、ありがとう!」

 

元気よく答えた伊里の頭をポンポンと軽く撫で、九峪は矢を拾いに行った。その後ろを、伊里もトコトコとついていく。そして二人は手分けをすると、伊里が射た矢をすべて回収したのだった。

 

 

 

「これで全部かな?」

 

最後の一本と思われる矢を回収した九峪がキョロキョロと周囲を見渡した。一応、目につくところにある矢は回収したはずだが、見落としがあるかもしれない。と、

 

「えっと、あと、あっちに…」

 

何かを思い出した伊里が慌てて走り出す。その先には小さな茂みがあった。

 

「?」

 

どうしたのかと思った九峪が首を捻っていると伊里がその茂みの中へ突っ込む。そして、すぐにそこから出てきた。その手に、一本の矢を持って。

 

「何だ、そんなところにもあったのか」

「えへへ」

 

自分のところに戻ってきた伊里にそう尋ねると、今度は少し恥ずかしそうな表情になる。

 

「じつはいっぽんへんなところにとんじゃって…。ぜんぶおわったらひろおうとおもっていたから…」

「そうか」

 

納得した九峪の横で、伊里がその拾ってきた矢を回収した矢弾の中に戻す。

 

「これで全部かい?」

「うん!」

 

元気よく返事をした伊里に九峪は顔をほころばせると、その矢弾を一つに束ねた。

 

「ちちうえ、ありがとう!」

「おっ、ちゃんとお礼を言えるな? 偉いぞ!」

「えへへ…」

 

褒められ、撫でられた伊里は顔を赤くしてまた表情を綻ばせた。

 

「もう少ししたら夕飯だけど、まだちょっと時間があるな」

「そうだね」

「ああ。ということで、父上と少しお話でもしないか?」

「え? う~ん…」

 

九峪からそう振られ、伊里は少し考えこむ。

 

(伊万と万里は喜んで応じてくれたのに…)

 

その反応に、やはり伊里は自分に対する優先度は低いのかと思わされ、九峪は内心で滝の涙を流していた。が、

 

「たまにはいいかな」

 

そう結論づいたらしく、伊里がトコトコと歩き出した。

 

「お、おい、伊里」

 

その後ろを九峪が追う。九洲を救った英雄ではあるが、このときばかりはその勇姿の片鱗も見えなかった。やがて伊里はいつも九峪が腰を下ろしている縁側のそばまでくると、いつもの九峪と同じようにそこに腰を下ろす。少しおいて追いついた九峪もまた腰を下ろした。と、

 

「伊里」

「ん?」

 

到着早々、九峪が伊里に視線を向けると口を開く。

 

「なに? ちちうえ?」

「父上は悲しいぞ?」

「? なにが?」

 

何のことを言っているのか本当にわからないのだろう。伊里はきょとんとした表情で首を傾げていた。

 

「父上を無視してさっさと行っちゃうなんて…」

「えぇ~…」

 

さめざめと泣き真似をし始めた九峪に、伊里は慌てるどころかイヤそうな表情を浮かべた。

 

「そんなことでなかないでよ。おとななんだから」

「うっ」

 

マセているというか大人びているというか妙に冷静というか、とにかくどう表現していいかわからないが予想外の伊里の反応に九峪は言葉を詰まらせた。

 

(泣き落としも効かないのか…)

 

強敵だなと内心で冷や汗をかきながら泣き落としをやめる。

 

「いや、すまなかった」

「すぐあやまるんならやらないの」

「む…」

 

泣き落としが効かないどころか窘められ、九峪もタジタジである。上二人が、言ってはなんだが扱いやすかったのとはまるで真反対な末娘に、どうしたものかと九峪は頭を捻った。と、

 

「それで?」

 

間髪を入れずに伊里が尋ねてきた。

 

「ん?」

「どうしたの? おはなしなんて」

「あー…その…な…」

「うん」

 

伊里がコクンと頷くと、九峪の次の言葉を待つ。だが残念ながら、九峪には妙案がなかった。もう少し時間があれば色々と考えられたが、予想外の反応を見せられた上に態勢を立て直す時間も与えられなかったとあって、話に入るいい切り口が思い浮かばなかった。

 

(ええい、ままよ!)

 

仕方ないと九峪は割り切りった。そして、

 

「なあ、伊里」

「うん」

「伊里は、父上に何か話しておきたいことないのか?」

「え?」

 

と、話を切り出す。だがその言葉に、また伊里がきょとんとした表情になった。

 

(無茶苦茶だな…)

 

その伊里の姿に、九峪も内心で冷や汗をかいている。自分から話でもしようと振ったのに、相手にそんなことを聞いてどうするんだと改めて後悔していた。まあそれだけテンパっていたとも言えるが。さてでは、話を振られた伊里はというと、

 

「……」

 

最初こそきょとんとした表情をしていたが、すぐにその表情は胡乱気なものに変わった。そしてジト目になる。

 

(う…)

 

近年ではあまり感じることもなかった嫌なプレッシャーを感じ、九峪の表情が歪んだ。勿論、それは内心でのことであり、表面には出していないのだが。と、

 

「ちちうえ」

 

徐に伊里が口を開いたのだった。

 

「は、はい」

 

何故か敬語になって返答する九峪。だが、そんな九峪に構わずに伊里は先を続ける。

 

「すわってください」

「え?」

 

その伊里の言葉に九峪は首を傾げた。というのも、もう既に座っているからである。それなのに座れとは…

 

「いや…」

 

どう返答したらいいかわからずに口ごもる九峪。と、

 

「ちゃ・ん・と、すわってください」

 

噛んで含めるように伊里がそう続けた。その口調、そして雰囲気に、九峪は慌ててその場に正座して座り直した。

 

「ええっと…」

 

迫力に押されて思わず正座した九峪の正面に、伊里が仁王立ちする。それも、手に腰を当てた状態で。その愛娘の姿に遥か昔のことになってしまうが、教室で教師に怒られているときのような感覚を感じていた。と、

 

「…いいたいことはあるけど、まずはじめに」

「は、はい」

「あねうえたちとおなじようになるとおもったの?」

「え?」

 

再び九峪が首を傾げる。その様子に、やれやれといった感じで伊里が盛大に溜め息をついた。

 

「あねうえたちともなにかおはなししたんでしょ? ふたりともようすがかわったもん」

「あー、うん」

「それで、わたしともおなじようにおはなししようとした。でしょ?」

「うん、まあ…」

 

そう答えた九峪の鼻先に、伊里がビシッと人差し指を突き付ける。

 

「あねうえたちがよろこんだからって、わたしもおなじようになるとおもったの?」

「う…いや…まあ…」

「まったく…」

 

完全に見透かされる形となった九峪に、伊里が今度はむくれた。

 

「いい、ちちうえ?」

「は、はい」

「あねうえたちがちちうえとおはなししてよろこんだからって、わたしもそうだとおもったらおおまちがいだからね!」

「はい!」

「まったく…あねうえたちだけなく、ははうえもちちうえにはあまいからしかたないけど、わたしはちがうから!」

(うわあ…)

 

まさかこんな展開になるとは思ってもみなかった九峪だったがどうしようもない。が、

 

(いや、待てよ…)

 

この伊里の反応に九峪はふと我に返った。

 

(考えようによっては、自我が順調に芽生えているともとれるか。まだ六歳だと思っていたが、もう六歳ともいえるわけだし。そう考えれば、この反応も着実に成長している証でもあるのか)

 

立場上、いつも一緒に入られないため再会するたびに成長に驚かされるが、これもその一環と言ってもいいのかもしれない。六歳といえば、個々の性格に筋道も見えてくるころだ。たとえ三つ子の姉妹であっても、似るべきところと似ないところはハッキリと現れ始めてくる。そう考えれば、この状況も喜ばしいとも言えた。

 

(間近でその成長を見れないのは残念だけどな)

 

それでも成長の証であることに間違いはない。そのことに思い至った九峪が思わずクスッと微笑んでしまった。と、

 

「なにがおかしいの!」

 

それを目の当たりにした伊里が真面目な話をしているのに笑われたと思ったのか、語気を強める。

 

「い、いや、違うんだ!」

 

慌てて否定しようとするが、火が点いてしまったのか伊里は聞く耳を持ってはくれない。

 

「だいたいちちうえは…」

 

怒った表情もまだあどけない伊里だったが今の九峪にそれを指摘できるわけもなく、平身低頭、やり過ごすしかなかった。しかしその後も収まらず、伊里の九峪に対するお説教は結局、夕食の時間になるまで続いたのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.06 妻 伊万里

おはようございます、お久しぶりです。いつもの不定期投稿は相変わらずですがご容赦ください。

今回で豊後編は終わりです。最後ということで最後を飾るのは当然ここでの主役であり、九峪の妻のうちの一人である彼女です。最後なのでこれまで以上に濡れ場の量が多くなりました。なので、もういっそのこと18禁にしてしまおうかと少し悩んでいる今日このごろです。(笑)

では、どうぞ。


九峪が豊後に赴き、久しぶりに妻である伊万里と三人の娘、伊万、万里、伊里との再会を果たした。彼女たちにとっては実に一年ぶりの再会である。

逢えない時間を取り戻すかのように伊万里たちと三人の娘は九峪と濃密な時間を過ごした。しかし、時間は誰の上にも平等に流れる。そして平等に流れる以上、再びの別れのときもまた避けることができないのは道理であった。

 

 

 

 

 

「……」

 

豊後県県都、長湯城の最奥。九峪と伊万里の寝所にて、伊万里が櫛を手に髪を梳いている。時間は夜。これからはお楽しみの時間なのは間違いないのに、その表情は杳として冴えない。どころか、沈んでいた。

 

「……」

 

これじゃ駄目だと伊万里自身もわかっているものの、その表情は一向に冴えない。髪を梳くその手が、自分のものではないように重かった。と、

 

「ふぅ…」

 

戸を開けて、九峪が戻ってきた。それに一瞬身体をビクッと震わせる伊万里。だがすぐに振り返ると、

 

「お帰りなさいませ」

 

と、微笑んで会釈をした。

 

「いや、参ったよ」

 

そんな伊万里に、九峪が苦笑しながら近づいた。

 

「三人とも、中々離してくれなくてさ」

「でしょうね。容易に想像はつきます」

 

自分のすぐ側に腰を下ろした九峪に対し、伊万里はクスッと微笑んだ。

 

「一年会わなかったから当然肉体的な成長は見て取れたけど、中身はまだまだ子供だなぁ…」

「それはそうですよ。明日にはまたお父様とお別れなんですから」

 

そう言った伊万里もまた、その事実に心がジクジクと痛んだ。そう、九峪が豊後に滞在するのは今日まで。明日には次の地…火向へと出立するのである。つまり、今回九峪と肌を合わせられるのも今日が最後だった。明日になれば、次はまた一年後なのだ。

 

(一年…)

 

その事実に、また伊万里の心が悲鳴を上げる。そして、精一杯の微笑みも消えてしまった。

 

「あー…」

 

それに目敏く九峪が気付く。こういうところに目端が利くのは流石に耶麻台国を率いて狗根国に勝利した神の遣いであったが、今の伊万里にとってはその視野の広さはありがたくなかった。

 

「……」

 

九峪がしまったというような表情になって自分の頭を掻く。耶麻台国復興以降、この生活を続けてからいつも最後はこうなるのだから今回も当たり前の反応といえた。それは逆に言えば、思いを寄せられている女性たちに未だに愛されているということなのだが、だからこそ別れの前にこんな顔、想いをさせてしまうことに思わぬことがないわけはなかった。

 

(それでも…)

 

それでも、こうするしかないのだ。一人に絞れない自分の優柔不断さが原因とはいえ、一人に絞ったらそれ以外の全員は報われない。ならばこうするしかないと自分で決めたのだから。

無論、想いを寄せてくれている女性たちみんなといい想いをしたいというスケベ根性もあるし、自分がそこまで求められてると思うのか、自惚れるなと叱責されることだってあり得た。しかし良いのか悪いのか、今のところ自分に好意を寄せてくれている女性陣は皆今も自分を慕ってくれているし、そのような叱責を受けることもなかった。そして身体の関係を持ってからの年月は個々人によって違うが、それでも女性陣の九峪に対する想い、熱量は九峪に恋い焦がれたときから変わってはいなかった。だからこそ、別れの前日はいつもこんな顔をさせてしまうのだが。

 

(俺ってやつは、いつまでもこういうところはどうしようもないな…)

 

二十代後半になったのに、女性の心情の機微については未だに敏くない自身に辟易しながら九峪は伊万里に近づいた。そして、その身体を優しく抱きしめる。

 

「あー…そのー…」

 

無論そんな男なのでこんなときにふさわしいセリフなど浮かぶわけもなく、

 

「毎度のことだけど、ゴメン」

 

そう、詫びる他はなかった。

 

「…わかってます」

 

そんな九峪に対し、伊万里は顔を俯けたまま答える。

 

「わかってるんです。こうなるのはいつものことなんだから」

「うん」

「でも…でもやっぱり、寂しいんです」

 

そして伊万里はその想いを体現するかのように電光石火の早業で九峪の首に腕を回し、その唇に口づけをした。

 

『んっ…』

 

二人の吐息が重なる。九峪は驚きながら、伊万里は惜しむかのように。その吐息の意味は違いながら、しかし二人の想いは重なる。九峪も伊万里の身体を抱きしめる腕に少し力を加え、そしてお互いの口内を貪った。たっぷりと時間を費やしてピチャピチャという小さな水音が寝所に響き渡り、そしてどれぐらい時間が経ってからだろうか、どちらからともなくゆっくりと離れた。

 

「ふぅ…」

「あぁ…」

 

互いの口と口を結ぶ唾液の橋がツーっと途絶える。そして、

 

「今夜はずっと、私を抱いてください。来年逢えるその日まで、また私が頑張れるように」

 

伊万里は熱っぽい表情、仕草、吐息、視線、その想いの全てを載せて九峪の胸の中に飛び込んだ。

 

「っと!」

 

何とか抱きとめようとした九峪だったが、いかんせんフィジカルの差は未だに埋めがたく、残念ながら押し倒されてしまった。そして、

 

「九峪様ぁ…」

 

熱に浮かされたように伊万里が九峪に襲い掛かったのだった。

 

 

 

「あっ…ああ…く、九峪様」

 

寝台にて伊万里が嬌声をあげている。自分の眼下で淫らに乱れる伊万里の姿に九峪はいつも通り興奮を覚えていた。こうして今回最後になる伊万里との夫婦の営みを始めてからどれくらい経っただろうか。すでに結構な時間が経っているはずだが九峪はちっとも治まらなかった。

それは、今夜の夕食がこれ見よがしに即効性がある上に精が付くもので固められていたというのもあるし、忌瀬に処方してもらっている精力剤のおかげというのもあるだろう。だがそれと同じぐらい、伊万里との営みが自分を興奮させてくれるからというのもあった。

初めて伊万里を抱いてからもう何年経っただろうか。そして、何度伊万里の中で、伊万里と共に果てたことだろうか。覚えているわけもない。だが年月も回数も覚えていないほど抱いてきたおかげで、何処をどうすれば伊万里がどんな反応を返すのかはもう十分にわかっていた。もっとも、それは伊万里だけではない。同様の関係にある他の女性陣もそうなのだが。と、

 

「くっ!」

「あっ!」

 

またも九峪と伊万里はほぼ同時に果てた。そして身体に力の入らなくなった九峪がそのまま伊万里にのしかかる。呼吸が乱れている伊万里も身体に力が入らないのは九峪と同様だったが、それでも条件反射なのか無意識なのか、それとも九峪を離したくないのか、伊万里の手は九峪の後ろに回り、ぎゅっとその身体を抱きしめていた。

抱きしめられたことで、九峪は伊万里の柔らかい身体を押し付けられることになる。特にその豊満な胸の感触に、果てたばかりではあるが九峪はまたムラムラしてきた。男としては当然なのだが、それでも大分長い時間夫婦の営みをしてきたのにまだ性欲が治まらない。

 

「……」

 

伊万里に応えるように九峪も伊万里の背中に腕を回す。そして、未だ夢見心地の伊万里の頬に優しく口づけをした。

 

「あっ…」

 

そのくすぐったい感触はわかってもそれが何なのかは理解していないのか、伊万里が小さくさえずる。その反応を楽しむかのように九峪は軽い口づけを小刻みに繰り返しながら頬から滑るように移動していき、そして、

 

「んっ…」

 

口へと到達した。九峪が舌でちょんちょんと伊万里の口内をつつくと、夢見心地が冷めやらぬ伊万里であったが条件反射のように口内を開き、そして九峪の舌に己の舌を絡ませた。それがスイッチになったかのように、伊万里が九峪に応える。今日何度目になるかわからない濃密な口づけをたっぷりと交わし、九峪は伊万里から離れた。そして伊万里の頬に優しくその手を当てる。

 

「伊万里」

「九峪様…」

 

うっとりとした表情で己の頬に当てられた手を自分の両手で包む伊万里。そんな伊万里の姿に満足しながら慈しむようにその頬をゆっくりと撫でると、同じようにゆっくりとその手を離した。その九峪の手を追いかけるように己の手を伸ばそうとした伊万里だが、

 

「ああっ!」

 

それは叶わず、伊万里の嬌声がまた寝所に響いて身体をのたうち回らせた。九峪が伊万里の胸の先端を口に含んだからだ。ゆっくりとなぞるように舌を絡ませ、そうしながらも左手はもう片方の胸の先端をいじり、そして右手は股間に這わせていた。

 

「ああっ! あっ! あああっ!」

 

伊万里の嬌声に加えて淫らな水音が寝所に響き渡る。そしてその音が聴覚から再び二人を燃え上がらせる。

若鮎のように肢体をビクンビクンと寝台の上で何度も跳ね上がらせながら伊万里は何回も果てていく。だが、何度も果てているのに身体の奥に燻ぶった肉欲の炎は一向に消えない。理由はわかっている。九峪自身を感じられていないからだ。確かに何度も絶頂して果てているものの、一人でのこれでは孤閨をかこつのとそう変わらない。身体の中に九峪を感じ、そして共に達して果てたいのだ。だから、

 

「く、九峪様ぁ…」

 

伊万里が普段の彼女からは考えられないほどの弱々しい声を上げる。

 

「ん?」

「お願いします…。もう…もう…」

「どうしたんだ?」

 

しかし九峪は応えない。伊万里が何を求めているのか十分にわかっている。わかっていてわざと応えないのだ。焦らしているのである。武では今も伊万里に遠く及ぶべくもないが、寝所での勝負は九峪に軍配が上がっていた。まして伊万里はその奥ゆかしい性格故に自分から口に出して求めることはあまりない。だが、

 

「もっと…抱いて! 私を滅茶苦茶にしてください!」

 

あまりないだけで、限界を突破してしまえば堰を切ったように求めだす。そして箍が外れてしまえば、普段の伊万里からは考えられないような顔を見せる。普段が真面目だからこそ、反動は大きいのだ。

 

「こ、これ、早く!」

 

伊万里が九峪の股間に手を伸ばし、九峪自身を手にして懇願したのだった。もうこれ以上待てないとばかりにはぁはぁと息を荒くしながら情欲に支配された表情で九峪を求める。

 

(ッ!)

 

股間を刺激され、九峪も表情を歪めた。伊万里を焦らしてはいたものの、興奮していたのは九峪も同じである。少々の刺激でまたすぐに果ててしまいそうなほどに九峪も昂っていた。

 

「ああ」

 

だが男としての矜持か、それともこの場ぐらいは自分が優位に立ちたいのか、努めて平静を装いながら九峪が答える。傍から見れば九峪が無理しているのは丸わかりなのだが、それでも今の伊万里にはそれがわかるわけもなかった。今の伊万里を支配しているのはただ九峪と共に絶頂を迎えたい、それも何度もという肉欲だけだった。九峪を誘うように伊万里は己の体勢を整える。

 

「早く、早くそれを下さい!」

「わかってるって」

 

急かす伊万里を九峪が抑えながら伊万里の股の間に己の身体を割り込ませる。そして、伊万里の秘所に己の股間をあてがうと一気に腰を押し込んだ。

 

「ああっ!」

 

散々焦らされた甲斐あってか、伊万里は貫かれた衝撃だけで果ててしまう。少しの間身体をブルブル震わせて硬直し、そして弛緩させた。

 

「あ…ああ…あああ…」

 

口の端から涎をたらしながら顔を紅潮させ、舌を出してだらんと緩んだ悦楽の表情を晒す伊万里。こんな顔は九峪以外には見ることができないだろう。それがわかる九峪はそのことに情欲の火を燃え上がらせ、伊万里を征服していく。

 

「伊万里!」

「あ…」

 

激しく律動を開始する九峪。伊万里は未だ身体を弛緩させているため、まだ反応が鈍い。しかしそれも少しのこと。

 

「あ…ああ…あああっ!」

 

すぐに感度を取り戻して燃え上がり始める。九峪と伊万里は再び互いの情欲をぶつけ合った。

 

「伊万里!」

「く、九峪様、もっとぉ!」

「ああ!」

 

伊万里の腰を掴むと律動を力強くする。それに反応して伊万里が寝台の上で淫らに跳ね上がる。

 

「あああっ! あああああっ!」

(ッ!)

 

伊万里も九峪から与えられる極上の快感に酔いしれているが、それは九峪とて同じこと。伊万里から与えられる極上の快感にいつ果ててもおかしくはなかった。だがそれでも、焦らされていた分絶頂に達するのは伊万里が早く、そして多い。

 

「ああっ!」

 

何度目になるかわからない絶頂に伊万里が絹を裂くような叫びをあげる。何度となく果てているので本来ならば疲労しても良さそうなものなのだが、元山人という経歴と今回の逢瀬での九峪との最後の夜ということもあり、伊万里の身体はまだまだ満足していなかった。

 

「うあっ!」

 

少し遅れて、九峪も絶頂に達する。伊万里より少し余裕があったとはいえ、よく耐えたという表現がピッタリかもしれない。それほど伊万里から与えられた快感は極上だったからだ。

 

「っ!」

 

そのまま倒れそうになった九峪が思わず手をつく。寝台と思ったそれだったが、寝台とは違った柔らかさと、そして寝台にはない温かさが九峪の掌に伝わった。

 

「あ…」

 

伊万里が声を上げたので九峪が顔を上げると、自分の手が伊万里の胸に置かれている光景を目の当たりにしてしまった。

 

「もう…九峪様ったら…」

 

息も絶え絶えだった伊万里が窘めるように口を開く。その表情は怖気が走り、そして再び昂らせるほど淫らだった。

 

「まだ可愛がってくれるんですね」

「あ、いや、その…」

「ふふふ、まあ、違ったと言っても逃がしませんけど」

 

そして伊万里は自分の足を九峪の腰に絡める。

 

「伊万里?」

「逃がしませんから。まだまだ夜は長いですわ」

「えぇ…」

「ふふ、そんな顔をしてもダメです」

 

伊万里は妖艶にそう笑うと九峪の両手を取って己の胸に導いた。そうしながら、自らは九峪の首に自分の腕を絡め、上半身を起こすとそのまま口づけをする。

 

「んっ!」

 

伊万里のその行動に目を剥いた九峪だったが、首筋をガッチリホールドされているために離れることなどできもしない。さっきまでのお返しとばかりにたっぷりと口内を蹂躙される。ならばと九峪は己の手を動かして伊万里の豊満な胸を揉みしだいた。

 

「んんっ!」

 

今度は伊万里が目を剥いた、だが、それも一瞬。すぐに目をとろんとさせ、同時に顔を紅潮させて鼻息も荒くさせていく。お互いに再び身体を昂らせ、そして、

 

「ぷは…っ」

 

伊万里が九峪から離れた。九峪の口内を蹂躙していたせいか、また唾液の橋が架かっていたがすぐにそれも途切れる。

 

「あふ…ん」

 

そして悩ましい吐息が漏れた。九峪の両手が未だ伊万里の胸を蹂躙していたからだ。

 

「もう、九峪様ったら…」

 

伊万里はそれに気分を害することもなく、妖艶な笑みを浮かべる。

 

「本当に胸がお好きなんですから」

「否定はしないよ。ただ、付け加えるんなら、好きな女性のってつくけどね」

「本当かしら?」

 

九峪の訂正に伊万里がクスッと微笑む。

 

「試してみるかい?」

 

それに応えるように九峪が言った。と、

 

「ええ」

 

伊万里が頷き、そしてまた寝台に横になる。

 

「もっと一杯、私を愛してください。それで確かめさせて」

「…こりゃ、一本取られたか」

「ふふふ…」

 

楽しそうに笑う二人。だがすぐに見つめ合い、そして、

 

『んっ…』

 

再び口づけをかわしたのだった。

 

「さあ九峪様。たっぷりと私の身体を味わって? まだ時間はありますから。それで今の言葉に偽りがないか確かめさせてください」

「了解」

 

そして再び、九峪が伊万里へと覆いかぶさっていく。直後、再び伊万里の嬌声が寝所に響き渡ることとなった。別れを惜しむかのような最後の夜の夫婦の営みはこの後も、夜が白み始めるまで続いたのだった。

 

 

 

 

 

夜が明け、そして別れのとき。伊万里をはじめとする豊後県の重臣たちすべてが九峪一行の見送りのために城外に出てきていた。住民たちからも別れを惜しまれたが、それは城内にとどめられた。今ここにいるのは正真正銘九峪たち一行と伊万里たち豊後県の重臣だけである。それに加えて、

 

「……」

「……」

「……」

 

九峪と伊万里の三人の娘…伊万、万里、伊里もいたのだが、三人とも口を開こうとしない。ジッと黙って、恨めしそうな寂しそうな表情で九峪を睨みつけるだけだった。

 

「姫様」

 

そんな三人を慮ってか、遠州がいつものように優しい口調で伊万たちに話しかける。

 

「九峪様にご挨拶は宜しいのですか?」

 

膝を降り、目線を同じ高さにしてそう促す。

 

「そうですよ?」

 

そこに仁清が加勢する。

 

「次に九峪様がいらっしゃるのはまた来年なのです。それまではお会いできないんですから」

 

遠州と同じように仁清もそう促した。だが、

 

『……』

 

三人ともブスッとした表情のままで変化は見られない。

 

「あなたたち「いいんだ、伊万里」」

 

流石に母親としてその態度を注意しようとした伊万里を九峪が押しとどめる。

 

「でも…」

「いいから」

「…はい」

 

そう言われてはそれ以上口を差し挟むことができず、伊万里は軽く頭を下げて一歩退いた。それを合図にしたかのように九峪が娘たちの許に歩み寄る。怒られると思ったのか、三人はビクッと身を竦ませ、そしてお互いをかばうかのようにその身を寄せ合った。

 

「……」

 

そんな娘たちに九峪は何も言わず、遠州と同じように膝を折って目線を合わせる。そして、

 

「ごめんな」

 

謝ると、三人の頭を優しく撫でたのだった。それが、三人の娘たちのやせ我慢を崩壊させるスイッチになった。

 

「とうさまー!」

「ととさまー!」

「ちちうえー!」

 

伊万、万里、伊里の三人が次々に九峪の首筋に飛び込んで抱き着く。みんなわんわん泣いてしまっていた。

 

「……」

 

やれやれといった感じで九峪が顔を上げると、伊万里、上乃、遠州、仁清が微笑ましい表情でその光景を見ている。子供たちとしてはしっかり父を見送らなくてはという思いも当然あったのだろうが、そこはやはり子供。そういった感情よりお別れする寂しさの方が上回ってしまっていたのだ。それでも何とか頑張っていたものの、さっきの九峪の行動がとどめとなって堰が崩壊してしまっていた。

 

「まったく…」

 

窘めるように、しかしあくまでも優しく九峪が三人に声をかける。

 

「もうお姉ちゃんなのに、困った子たちだな」

「だって…だって…」

「次会えるの、また来年なんでしょ?」

「そんなのやー!」

 

愛娘たちに泣きながら拘束され、九峪の心が苛まれた。伊万里に顔を向けると、娘たちのように行動にこそ移さないものの、先ほどの伊万、万里、伊里と同じような表情になっている。その姿がまた九峪の心を苛む。

それでも、いつまでもこうしているわけにはいかない。次の地が待っているからだ。

 

「ごめんな」

 

だからこそ、九峪は娘たちに誠心誠意謝るしかない。その背中をゆっくり優しく撫でていくと、やがてしゃくりあげる頻度、度合いが少なくなってきた。

 

「また来年になったら、一杯遊んであげるからな」

『……』

 

それでも、三人は一向に九峪の首筋から離れようとしない。そんな九峪と伊万たちを見かね、上乃、遠州、仁清が三人を諭す。

 

「伊万様、その辺にしてあげなさい。私はそんな泣き虫に手ほどきをした覚えはありませんよ?」

「あがの…」

「万里様、お父上が困ってらっしゃいます。お父上を困らせるような真似、万里様はこれ以上なさいませんよね?」

「えんしゅう…」

「伊里様、それぐらいにしてあげてください。あまりわがまま言うと、つぎの手ほどきは厳しくしますよ?」

「じんせい…」

『さあ』

 

上乃、遠州、仁清が声を揃えて伊万たちに九峪から離れるように促した。上乃たちに促され、渋々ではあるが三人は九峪から離れる。無論その顔は不満を隠そうともしていないが。しかし上乃たちもその仏頂面を咎めることはしない。わかっているからだ、大人の意見に子供が納得することなどないということが。自分たちが幼い頃もそうだったのだから。

それでも何とか三人を九峪から引き剝がすことに成功した上乃、遠州、仁清の三人が九峪に視線を送る。九峪は伊万たちにはわからないように三人を拝んだ。

 

(すまん)

(((いえいえ)))

 

会話こそなかったが視線でそう言葉を交わし、九峪がゆっくりと立ち上がった。そして、伊万里に視線を向ける。

 

「伊万、万里、伊里のこと、よろしく頼むな」

「はい、お任せください、九峪様」

 

伊万里が会釈した。本当は自分だって九峪には行ってほしくない。だが、それは自分の我が儘であることはわかっている。そして、九峪が自分の生き方を決めたとき、それでもいいからと結婚した時点でこうなることもわかっていた。だから止めはしない。今は寂しくても、年が変わればまた逢えるのだから。そして、そのときにはまた目一杯愛してもらうのだから。

 

「それじゃあ。三人ともちゃんと母上の言うことを聞いていい子にしてるんだよ?」

「うん…」

「わかった…」

「はい…」

「よし、いい子だ」

 

九峪が三人の頭を順番に撫でる。そして、

 

「それじゃあ」

 

簡単な別れの挨拶を告げるとその身を翻した。九峪はそのまま真っ直ぐ進み、少し離れたところで待っていた清瑞たちと合流すると用意してあった馬に跨って進みだしたのだった。清瑞たち護衛の者がその周囲を囲むように出立するその光景を、伊万里と三人の娘たちはその姿が見えなくなるまで見送ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後年の豊後県について

 

九峪と伊万里の間に生まれた三人の姉妹はこの後もすくすくと成長をしていく。そして三人の齢が二十歳前になったある日、三人の成長を一番傍で見てきた伊万里が代替わりしても支障がないと判断し、豊後県は速やかに伊万里から次代への代替わりを果たしたのだった。

 

長女、伊万…母の命によって次代の豊後県の当主に就任。自身の才覚に加えて万里、伊里という二人の有能な妹の補佐もあり、先代の母、伊万里の治世より更に豊後県を発展させることになる。

次女、万里…幼い頃からの才能が開花し、将としての才覚を発揮。軍事面で姉であり主君でもある伊万にとって欠かせない存在となる。豊後県での外敵による海岸線からの侵略がないのは、もっぱら万里の働きによるところが大きい。

三女、伊里…幼い頃からの得意分野に磨きをかけ、軍師として才能を開花させる。政務、外務において伊万にとって欠かせない存在となる。姉である伊万の良き相談相手にもなり、豊後県を更に豊かにすることに大きな貢献を果たした。

 

また、三人とも母である伊万里譲りの容姿のため求婚相手には事欠かず、多くの男性から引く手数多であった。後年、民衆から『豊後の華』とも称されることになった三人の恋物語については、こことは違う何処かで。

 

 

 

追記

妻、伊万里…伊万に豊後県の当主の座を譲り、譲位後の県内の政情が安定したことを確認すると、伊万里はさっさと隠居してしまう。そして数日の後には姿をくらましたのであった。もっとも、何処へ行ったのかは公然の秘密である。

 

その件について娘たちの談話

 

「母様がまだ十分現役でも務まるのにさっさと隠居したのは、絶対に父様と一緒に暮らしたかったからだよ」

「間違いないな。だから、とっとと姉様に地位を譲って父様のところへと向かったのだろう」

「今頃遠慮なく父上に甘えてるんでしょうね。いつまでもお熱いんだから。羨ましいけど困ったものよね、ほんと」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

火向編
NO.07 一心同体の影


おはようございます、お久しぶりです。色々あって暫く執筆から離れていましたが、またつらつらと再開しようと思います。いつもの不定期投稿は相変わらずですがご容赦ください。

今回から火向編になります。この二次創作は小説準拠なのでここで待っているのは彼女。しかし、彼女は九峪の妻ではありません。ではどういう流れになるかというと…。そこは本文を読んでいただければと思います。勘のいい方はタイトルでわかっちゃうかもしれませんが。
また、本作は久しぶりの執筆なので表現がR15ですまなくなっちゃってるかもしれませんが、そう感じられたらご指摘いただければ。

では、どうぞ。


豊後を旅立った九峪一行は一路豊後を南下していく。最後まで悲しげな、諦めきれない表情をしていた伊万里と三人の娘たちに後ろ髪を惹かれる想いはありながらも、予定を変更するわけにはいかない。この先にはまだ九峪を待っている数多くの人がいるからだ。

そんな複雑な心境を抱えながらも、表面上にはそのことを億尾にも出すことなく九峪は馬に跨ってその手綱を捌く。次の目的地は火向。待ってるのは志野である。と言っても、志野は立場こそ伊万里と同じだが自分の妻ではない。だがそれでも、かつての戦友と久しぶりに顔を合わせるのだ。気分が高揚するのは仕方のないことだった。

その九峪の隣で馬首を合わせるのは今も専属の護衛である清瑞。そして、九峪と清瑞の周囲をぐるりと車座のような形で乱破が囲んで警戒していた。ここは耶麻台国内であり、対外戦争自体はもう何年も前のことだから厳重過ぎる警戒ともいえるが、九峪の、余人にとっては代えがたい立場であることを考えれば仕方のない処置とも言えた。と、

 

「ははうえ」

 

清瑞の隣に近寄ってくる幼い声が九峪の耳朶を打った。と同時に、一瞬だが清瑞のこめかみがヒクついた。が、声の主は元より九峪もそのことに気付くこともなく、その幼い声の主は清瑞の隣に馬首を並べる。

 

「せんぽうたいからのでんれいです。このさきのみちすじにきけんなところはなく、ふしんなけはいもないとのことです」

「そうですか、わかりました」

 

清瑞が一つ頷く。そして、

 

「清雅(きよまさ)」

 

と、その幼い声の主の名前を呼んだ。

 

「はい」

 

少年…清雅が顔を上げる。と、その直後、パーンという乾いた音が周囲に響いた。

 

『!』

 

突然の耳慣れない音にぎょっとしながら音源に目を向ける乱破たち。そこには、自分の頬を押さえている清雅と自分たちと同じように驚いている九峪の姿があった。そしてその頬は真っ赤になって熱を帯びているのが一目でわかった。

 

「は、ははうえ?」

 

清雅は何故こうなったのかわからず、ただ痛みと熱を帯びた頬を押さえながら清瑞を見上げた。と、

 

「何度言ったらわかるのです」

 

清瑞はいつも以上に怜悧で冷徹な眼差しで清雅を見下ろした。

 

「任務中は母でも子でもないと。任務中は私のことは何と呼べと教えました?」

「! し、しつれいしました! とうりょう!」

 

そう諭され、ようやく自分がなぜこのような目に遭ったのかがわかり、清雅は慌てて頭を下げた。その光景を九峪は頼もし気ながら、しかし一方で悲し気な表情で見つめている。

 

「お前ももう、年の頃は七つを数えるのです。いつまでも同じことを言わせないように」

「はい、すみません」

 

再度、深々と清雅が清瑞に頭を下げた。

 

「よろしい」

 

その姿に、清瑞がコクンと首肯する。

 

「では持ち場に戻りなさい。そして、引き続き周囲への警戒を怠らないこと。わかりましたね?」

「はい」

「結構。他の皆にも同様に、周囲への警戒を怠りなくと伝えなさい」

「はい! しつれいします、とうりょう、くたにさま!」

 

清雅は九峪と清瑞に頭を下げると持ち場に戻った。清瑞の指令は持ち場に戻った清雅から即時に他の乱破たちに伝えられ、乱破たちの間にピリッとした空気が走った。

 

「…少し、厳しすぎるんじゃないか?」

 

一連の行動を目にした九峪が清瑞に馬を寄せると、声を潜めながらそう指摘する。が、

 

「そんなことはありません」

 

清瑞は一向に意に介さず、涼しい表情だった。

 

「けどなぁ…」

 

納得いかないのか九峪が食い下がる。が、

 

「甘やかした結果、生命を落としてしまうことになるよりは余程ましでしょう」

「……」

 

そう言われては九峪にそれ以上この件で口を差し挟むこともできず、元の位置に戻ったのだった。

 

(はぁ…)

 

内心で溜め息をつきながら清雅と清瑞の様子を窺う。清瑞の様子には変わりはないが、清雅も清瑞に頬を叩かれたことについては何も蟠りがないように見受けられた。

 

(……)

 

当事者の二人がこうであるならばこれ以上九峪の出る幕はない。忸怩たる思いは抱えつつも、九峪は引き続き護衛の一段と共に火向に向かったのだった。

 

 

 

 

 

「九峪様、お待ちしておりました!」

「やあ、志野」

 

火向県県都、川辺。出迎えた志野に九峪が手を挙げて答えた。元々芸人である志野は若かりし頃から魅力的な色気があったが、今は年輪を重ねてその色気に更に磨きがかかっていた。復興戦争当時の九峪であればどうしようもない劣情を催すほどの色気である。が、火魅子…星華や伊万里といった面々と夫婦…男女の関係になっている九峪には大分女性に対する免疫ができていた。そのため、下心という意味で言えば若かりし頃より余裕をもって志野と向き合うことができるぐらいだった。相変わらず目のやり場に困る露出の高い衣装だが、そこに好色な目を向けずに済むぐらいには九峪も男としての余裕や経験を積んだのだった。と、

 

「九峪様」

 

当然のように隣にいる珠洲が口を開いた。

 

「よう、珠洲。お前も元気そうだな」

「ん」

 

軽くぺこりと頭を下げる珠洲。復興戦争当時は小生意気な子供であった珠洲も九峪や志野たちと同様の年数を積み重ね、志野の傍らでその補佐をしていたこともあって世間にもまれ、年齢相応の態度や姿勢を取れるようには成長していたのだ。

九峪としてはそのことに喜びを感じる半面、昔の小生意気な珠洲の姿を思い出して懐かしさも感じていた。と、

 

「え…」

 

その視線に気づいたのだろうか、珠洲がイヤそうな表情になる。

 

「何ニヤニヤしてるの? 気持ち悪いよ」

「す、珠洲!」

 

慌てて志野が窘めるが、九峪は九峪でこいつはこれぐらいでちょうどいいよなとも思っていた。難儀なものである。

 

「ああ、悪い悪い」

「…ふん」

 

軽く手を挙げて謝る九峪に珠洲がプイッとそっぽを向いた。その態度に内心でクツクツと笑いながら他の面々にも目を向ける。

 

「織部、重然、愛宕。みんなも息災なようだな」

「どうも、九峪様」

「ご無沙汰しておりやす」

「見ての通りですよ」

 

三人がそれぞれ返答した。石川島という九洲沖合のとある小さな島を根城にしていた義賊の娘だった織部。その織部は志野と同じ一座の団員だった縁で、そして重然は織部の父親の部下であり、愛宕はその重然の部下だったことからその流れで今も志野に協力していた。

 

「さて、積もる話と行きたいところだけど、ここじゃなんだな」

 

一通りの顔見知りとの挨拶を終えた九峪が志野へと振り返った。

 

「出迎えてもらって早々で悪いけど、案内してくれるかい?」

「はい、九峪様」

 

頷いた志野(と、珠洲)が九峪を先導するかのように歩き出す。その後に九峪と清瑞の一隊。そして後詰を織部たちが務めて、九峪は川辺城へと入ったのだった。

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

川辺城執務室。湯呑みから口を離した九峪が大きく息を吐いた。

 

「お疲れ様でした、九峪様」

 

その姿に、志野が楽しそうに微笑んだ。成長したのはわかっているが、それでも根っこの部分は初めて逢ったときから何も変わらない、飾らない九峪の姿に志野は嬉しく思っていた。

 

「いや、基本俺は報告を聞いただけだからさ」

「ふふふ…」

 

そんな九峪の返答に、志野がクスクスと微笑む。

 

「でもま、一年前と特に変わりないようで何よりだよ」

 

九峪が湯呑みを床に置くと周囲に視線を送った。九峪の知識から九洲でも大分椅子やテーブルが製造されて活用されるようになったが、従来の敷物を敷いた車座でのスタイルも未だ廃れることはなく、今日のこの場もその形でこの一年の火向の政務報告を聞いていた。

 

「やっぱり、有能な人材の頭数が多いだけあるな」

「いや~、照れるねぇ」

「ありがとうごぜえやす」

「やった! 九峪様に褒められた!」

 

お褒めにあずかった織部、重然、愛宕が面映ゆくも誇らしげに照れた。が、九峪は噓は言ってはいない。多少、誇張したところはあるが志野をはじめとした火向の幹部連中が有能なのは事実だった。その面々が毎日頑張ってくれているのだ。発展はすれど衰退や混乱が発生するわけはなかった。今回九峪が聞いた政務報告も、それを裏付ける内容だった。

 

「相変わらず、火向の政情は安定しているのを確認できて良かったよ」

「ありがとうございます」

 

志野も嬉しそうに頭を下げた。何も言わないが珠洲も叩頭する。

 

「それで九峪様、陳情させていただいた件ですが」

「ああ、早速手配するよ。清瑞」

「はい」

「火向の政務報告書を耶牟原城へと届けるように手配してくれ。予算については国庫と相談になるが、出来る限り陳情に沿った内容で決済するように添えてな」

「かしこまりました」

 

九峪の指示に頷くと、清瑞が瞬時にその場から姿を消した。

 

「…相変わらず、見事な手並みですな」

 

跡形もなく消え去った清瑞に、重然が感嘆の溜め息を漏らした。

 

「おかげでこっちは助かってるよ」

「でしょうなぁ」

 

九峪の返答に、したりしたりといった感じで重然が頷いた。

 

「九峪様」

 

そこで、今度は織部が九峪に話しかける。

 

「ん?」

「こちらへの御滞在は、今年もいつも通りのご予定で?」

「ああ、そのつもり」

「ええ~」

 

その返答を聞いた愛宕が不満そうな表情を見せる。

 

「もうすこしあたしらに時間割いてくれてもいいじゃないっすかぁ!」

「耳が痛いね」

 

不満そうな愛宕に九峪が苦笑する。

 

「お、おい、愛宕!」

 

そこに、慌てて重然が割って入った。

 

「お前、九峪様になんて口の利き方を!」

「だってお頭ぁ…」

「だってじゃねえ!」

 

重然が顔を真っ赤にして愛宕に怒鳴った。が、

 

「いいって」

 

九峪は気分を害した様子もなく苦笑しながら重然を宥める。

 

「愛宕の言ってることはもっともでもあるんだから」

「い、いや、しかし…」

 

九峪に宥められて恐縮しきりといった感じの重然だったが、それでも愛宕の言動は許せなかったのか納得いかない様子だった。

 

「はいはい、そこまで」

 

と、見計らったかのように志野がぱんぱんと手を叩きながら割って入る。

 

「愛宕さん、気持ちはわかりますけど九峪様は他にも回らないといけませんから。それに、薩摩では香蘭様がお待ちですし」

「ぶー、わかってるよぉ」

 

愛宕が頬を膨らませ、不承不承ではあるが納得した。九峪のこの九洲全土への巡察は各県の実情などを実際にこの目で確認することが目的だが、もう一つ大きな目的がある。それが家族と共に過ごすことだった。そのため、各県でも九峪の妻がいる耶牟原城、豊後県、薩摩県での滞在は必然的に長く期間を取っており、その反面、それ以外の地での滞在は短かくしているのだった。政務報告と、どうしても必要な箇所の現地視察ぐらいで、それが終わったら慌ただしく去る。それが、前述の三か所以外での九峪の巡察のルーチンだった。

 

「では九峪様、今回もいつも通りに?」

「ああ。慌ただしくて悪いけど」

「いえいえ。その代わり、ご滞在中はしっかりと働いていただきますよ?」

「怖いな」

 

苦笑した九峪に、志野をはじめとした火向の幹部一同が楽しそうに笑みを見せたのだった。

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

政務報告後、毎回恒例の歓迎の宴が開かれて楽しい時間を過ごした九峪が湯浴みを終えて川辺城の奥の間にある寝所で横になっていた。

一年ぶりの再会はやはり嬉しく、そして楽しい。誰も欠けずにこうしてまた顔を合わせることができたことに感謝しながら、楽しいときを思い出してその余韻に浸る九峪。本来ならばここの長である志野が使用するべきこの場所なのだが、旅芸人として育ってきた性が抜けないのか、私生活は今でも一座の中で行っているのだ。もっとも、流石に立場が立場なので街中に一座を構えるわけにはいかず、城内の敷地を間借りしてそこに一座を構えるという形になっているが。

ともあれ、そんな事情もありこの奥の間の空間は普段は使用することなく、このような時に介抱するだけの形になっていた。警備を担当するのは火向の兵士たちとそして、

 

「九峪様」

 

寝所の戸が開き、清瑞が入ってきた。当然、清瑞をはじめとする乱破も九峪の警備を担当するのだが、一般の者が担当できるのはこの奥の間に続く入口の場所まで。九峪の寝所の警備については清瑞の専任事項となっており、他の者は火急の用件のとき以外は内部に入ることは固く禁じられていた。それを考えれば清瑞がこうして姿を現すのは不思議なことではない。しかしその出で立ちはいつもの乱破装束ではなく、九峪と同じような寝巻を羽織っていた。そしてこれもまた九峪と同じく湯浴みを終えているのだろう、ほのかに火照っていた。

 

「清瑞」

 

清瑞の姿を確認した九峪が上体を起こして寝台に腰掛ける形になる。清瑞は戸を閉めると、いつもより心持ち足早になって九峪へと近づいた。そして、九峪の隣に同じように寝台に腰を下ろす。と、それを合図としたかのように九峪が清瑞を抱き寄せた。

 

「あっ」

 

短く声を上げたがまるで抵抗することなく清瑞が九峪にもたれかかる。そして九峪の成すがままにその胸に顔を埋めていた。目を閉じ、うっとりとしているその表情は、決して普段の清瑞を知る者からは想像できない表情だった。そう、九峪の前だけでしか見せない表情なのである。九峪は清瑞の顎に手をかけるとその整った顔をクイッと持ち上げる。そして、徐に口づけをした。

 

「んっ…」

 

九峪に応えるように清瑞が九峪の首に手を回す。しばらくの間淫らな水音が寝所に響き渡った。

 

「ぷあ…っ」

 

やがて、どちらからともなく顔を離す。

 

「今夜から、また可愛がってくださいね」

「ああ」

「嬉しい…」

 

清瑞が再びうっとりとした表情になった。そのまま九峪が清瑞を寝所に押し倒す。普通に考えれば清瑞が九峪に組み敷かれることはあり得ないのだが、このときだけは別だった。乱破の清瑞ではなく、一人の女性の清瑞として九峪に向き合っているからだ。

 

「んっ…」

 

清瑞に覆い被さった九峪が再び口づけをする。清瑞もそれに当然のように応え、腕をその身体に回して密着させた。

思えば九峪ともっとも古い付き合いになるこの世界の人間が伊雅、そしてこの清瑞だ。最初は清瑞が九峪に反発していたが共に時間を過ごすことによって少しずつその関係も変化していった。九峪と清瑞の二人だけのことではないが、生死を共にすることでお互いの想いや感情は刻々と変化していく。更に清瑞は一時期生け捕られて天目のところに拘束され、その間九峪の側に居れなかったことがまた九峪への想いに気付かせ、そして拍車をかけたのだろう。それを考えれば遅かれ早かれこのような関係になることは必然とも言えた。

ただし、清瑞は一介の乱破である。復興戦争を終えた後に伊雅の口から自身の出生について聞かされたのでそれを名乗り出ることはできたが、そのときにはもう既に立場や体制はほぼ固まっているため名乗り出たところでそれがどうなるものでもなかった。しかし、九峪への想いは如何ともしがたかったので、引き続き乱破として九峪の側に仕えることを選んだのである。

表出している立場や身分から星華、伊万里、香蘭とは同格にはなれないが、それと引き換えに九峪とはもっとも長く同じ時間を共有できる立場になることができた。清瑞にはそれだけで十分だった。他の連れ合いがいるときにはその人物に譲るが、それ以外の時間は全て自分が九峪を独占できる。それを選んだだけだったからだ。

これまでは星華、伊万里がいたため清瑞は控えていた。だが志野は九峪とは男女の関係にない。だからこそ、今は自分の出番なのである。毎度のこととはいえ控えていた間に募る思いは、こうやって独占できたときに爆発するのだ。

 

「ふっ…ふっ…ふうぅ…」

 

口づけの間に鼻を鳴らし、息を荒くしながらもひたすら九峪を求める清瑞。独占欲が取り立てて強いというわけでもないのだろうが、側仕えという立場から星華たちと九峪が過ごしている間もその様子を遠ざけることができないため、解放されたときは余計に歯止めが利かなくなるのだろう。貪るように九峪を求めていた。

 

「ぷは…っ」

 

やがて、九峪がその攻めに耐えきれなくなり清瑞から離れる。といっても、離れることができたのは顔だけで、しっかり背中に回した腕でガッチリと身体は固定されているのだが。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

しかし清瑞も夢中になっていたため、九峪が離れた直後、肩で呼吸をしながら荒い息を繰り返す。そんな清瑞の様子に困りながらも愛おしくなり、九峪は今度はその首筋に口づけをした。

 

「あっ!」

 

ぼーっとしたところに不意打ち気味に吸い付かれ、いつもより感じてしまったのだろう。清瑞が思わず両手の拘束を緩めてしまった。と、今がチャンスとばかりに九峪は片手を清瑞の胸に、片手をその股間へと滑らせた。

 

「ああっ!」

 

首筋も含めて三か所からの刺激に清瑞のソプラノボイスが一オクターブ上昇する。その様子を窺った九峪が、手を緩めずに追撃をかける。

 

「あっ、あっ、あっ!」

 

九峪から与えられる快感に昇り詰めていく清瑞。星華、伊万里と続いていて自分が独占できる期間が大分空いてしまったためその上乗せもあるのだろう。程なく、

 

「あああっ!」

 

一際甲高い声を上げて清瑞の身体がしなった。そして少し後に、グッタリと身体を弛緩させて寝台にその身体を投げ出した。

 

「お、随分、感度がいいじゃないか」

 

ぐったりした様子の清瑞を揶揄するかのように九峪が清瑞を覗き込んだ。それに対して、

 

「あ、あ、当たり前じゃないですか」

 

清瑞が夢見心地の表情になりながらも答えた。

 

「どれだけ私がお預け食らってたと思うんですか。九峪様は不自由しないからいいですけど、こっちの身にもなってください」

「…そうだな、悪い」

 

痛いところを突かれた九峪が素直に謝る。己の優柔不断で自分に思いを寄せてくれている女性陣には随分と不自由をさせているのだ。相手をしたときの昂ぶりが予想以上のものでも、それは自分が蒔いた種である。であれば、それに全力で応えるのが義務というか礼儀というものであろう。

 

「わかればいいんですよ、わかれば」

 

波が引いて落ち着いたのか、清瑞が微笑んだ。但し、久しぶりの情事で身体に火が点いてしまったのか、その笑顔から淫蕩な笑みは消えていない。その表情にゾクッとした九峪だったが、気づいたときは遅かった。あっという間に身体の位置を入れ替えられ、上下が逆転していたのである。即ち、今度は九峪が清瑞に組み敷かれる状態になっていた。

 

「ふふ…」

 

清瑞が淫蕩な笑みそのままに九峪の股間に片手を伸ばす。そうしながら、もう片方の手で九峪の胸板をまさぐっていた。まるで、先ほど自分がやられたことのお返しのように。

 

「き、きよみ…」

「んっ」

 

九峪が清瑞の名前を呼ぶより早く清瑞が行動を起こした。そのまま顔を近づけると九峪の唇を己の唇で塞いでしまったのだ。そうしながら、両手の動きは止めていない。股間と胸板をまさぐり、九峪をどんどんと昂らせていく。そして、十分な準備が整ったのを肌で感じた清瑞がようやく九峪から離れた。

 

「ぷはっ!」

 

息を荒くしながら口元を濡らした唾液を袖口で拭う清瑞。その表情は実にやる気マンマンといった感じで、表情から見ればどちらが攻めでどちらが受けかわからないほどである。

 

「んっ」

 

清瑞は少し腰を浮かせて自身の股間に九峪自身を宛がう。そして、そのままゆっくりと腰を沈めていった。

 

「っ!」

「はあぁ…」

 

お互いが感じる久しぶりの相手の感触に九峪は歯を食いしばり、清瑞はうっとりとした吐息を漏らしながら表情を淫らに歪ませた。清瑞はそのまま前傾姿勢になると九峪に覆い被さってその首筋に己の腕を回す。

 

「き、清瑞」

「もう離さないんですから…」

 

見方を変えれば狂気ともとれるような淫らな表情を浮かべながら清瑞は律動しだした。そうしながら九峪の頬といい首筋といい唇といい、口づけの雨を降らせていく。そしてさらに自信を主張するかのように己の胸を九峪の胸板に圧しつけて微細に動かし始めた。

 

(うわっ!)

 

三点から感じる極上の責めに、九峪はすぐに果ててしまわぬようにするのが精一杯の防戦一方だった。

 

「九峪様、九峪様、九峪様ぁ…」

 

九峪の名をしきりに呼びながら、しかし清瑞の律動のペースは緩まることなく、それどころか激しさを増していく。九峪はわざとではないにしろ、自分に思いを寄せてくれている女性陣を結果的に弄んでいる罪の代償を、文字通り身体で支払うこととなっていた。

こうして久しぶりに共に過ごす夜を迎えることとなった清瑞にいいように攻められ、この日の九峪はこのまま一夜を明かすことになるのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.08 清雅

おはようございます。本作品は久しぶりの投稿ですが、不定期投稿なのでご容赦。

火向編二話目。では、どうぞ。


「う…」

 

明けて早朝、九峪が呻きながらゆっくりと目を覚ました。ぼんやりと見えてくる天井に、自分がどこにいるのかようやく思い出してくる。

 

(そうか、ここは…)

 

昨日、一年ぶりの火向に到着したことを思い出した九峪が伸びをしようと手を動かそうとする。が、

 

「あん…」

 

すぐ側から可愛い声が聞こえ、慌ててその声のした方向を見た。そこには清瑞が満たされた顔で安らかに寝息を立てている姿があった。と同時に、左腕に清瑞の身体の重みを感じ始める。

 

(…そうだったな)

 

その姿を見て、九峪は意識を失う前のことを完全に思い出していた。昨夜は清瑞に貪欲に求められ、そのまま精も魂も尽き果てて気を失うと言っていいような状態で眠りに就いたのだった。ここしばらくは火魅子…星華と伊万里との夫婦の営みの日々だけだったため、久しぶりに九峪を独占できることに清瑞が己を抑えられなくなった結果の出来事だった。

恐ろしいとは思いつつも、暫く時間が経てばまたこの温もりが恋しくなるのだから清瑞も他の妻たちに負けず劣らない魅力の持ち主である。そんな清瑞も久しぶりの九峪との逢瀬で張り切り過ぎたのか、彼女にしては珍しく深く眠りに就いていた。乱破として、護衛としてはあるまじき失態とは言えるが先述のように久しぶりの逢瀬だったこと、ここが火向の県都である川辺城の最奥部であること、そして何より信頼できる者たちがこの場所を護っていることで安心したのだろう。そのため、普段の清瑞が見せそうもないような穏やかな、そして甘えるような表情で九峪に抱き着いて深い眠りに就いていたのだった。

 

「……」

 

そんな清瑞を起こしてしまわないように慎重に慎重に九峪が身体を離す。他の妻たちもそうだが乱破だからだろうか清瑞は特にこういった変化に敏感なため、ちょっとでもしくじればすぐに目を覚ましてしまうだろう。それはそれでしょうがないことではあるのだが、せっかくこうやってぐっすりと眠っているのだから自然に目を覚ますまでゆっくりと眠っていてほしかった。その想いが功を奏したのか、九峪は何とか清瑞を起こさずに寝台から抜け出すことに成功する。

 

「ううん…」

 

寝台から起き上がる時に少し大きめの寝言が聞こえたので起こしてしまったかと冷や汗を掻いて振り返った九峪だが、幸いなことに清瑞はまだ目覚めていなかった。

 

(良かった…)

 

ホッと胸を撫で下ろした九峪がその後も清瑞を起こしてしまわないようにソロリソロリと足音を忍ばせ、何とか寝所を脱出することに成功した。

 

「ふぅ…」

 

寝所を抜け出した九峪が少し離れて思い切り伸びをする。そして、身体を解すようにコキコキと肩を鳴らした。廊下の隙間から所々日の光が射しているのがわかる。

 

「いい天気のようだな。仕事日和ってわけか」

 

早速今日から火向各地へと巡察へ回ることになるだろう。通年のこの各県への訪問は仕事と同時に家族と過ごすことも大きな目的になっている。そのため、どうしても伴侶や子供たちたちがいない県での滞在期間は短くなってしまうのだ。だからこそ、その短い期間は他のところ以上に精力的に仕事をこなさないといけない。

 

「今日も一日、頑張ろうかね」

 

そう呟くと、九峪は用を足すのと顔を洗うために王城の外へ出た。と、

 

「くたにさま」

 

そこには寝ずの番の姿があった。偶然かそれとも必然か、そこにいたのは清雅だった。

 

「清雅」

「おはようございます」

 

己の名前を呼ばれた清雅が恭しく頭を下げる。

 

「ああ、おはよう」

 

その姿に感心しつつも同時に寂しさと申し訳なさを感じた九峪だったが、それは表に出さずに続けた。

 

「今日の番は清雅だったのか」

「はい。ほんとうはふたりなのですが、もうひとりがいまかわやにいってまして」

「そうか。お勤めご苦労さん」

「ありがとうございます」

 

九峪に誉められた清雅が嬉しそうに微笑んで再度頭を下げた。その姿に今度は九峪も嬉しさを隠せなかった。が、これも表に出さない。

 

「でも、くたにさまのしんじょはとうりょうがまもってますから、ごしんぱいなく」

「そ、そうだな」

 

清雅の無垢な言葉に九峪がちょっとだけ言葉を詰まらせる。まだ子供の清雅は清瑞が忠実に任務をこなしていると思っているのだろう。だがその実は、仕事と私事が半分ずつだったりするのだが。その辺り、清雅以外の乱破衆は当然心得ているので余計なことは言わないし清雅にも吹き込まない。それが何よりありがたかった。

 

「まあとにかく御苦労さん。交替になったらしっかり休んでくれよ」

「はい」

「よし、いい返事だ。それじゃあ俺は顔を洗ってくるから」

「わかりました、おきをつけて」

 

そう言って頭を下げる清雅に軽く手を振ると、九峪はその場を後にした。

 

 

 

「あー…さっぱりした」

 

清雅と朝の挨拶をかわした後厠に行ってから顔を洗い、眠気を飛ばした九峪が寝所に戻りながら呟いた。

 

「さて…」

 

寝所の引き戸に手をかけた九峪が音をたてないようにゆっくりとそれを開けていく。が、少し動かしたところで、

 

「九峪様」

 

中から声が聞こえてきた。声の主は当然、清瑞である。

 

(ああ、起きてたのか)

 

その声を聞いて清瑞が目を覚ましてしまったことがわかった九峪は、一変して普通に引き戸を開けた。

 

「おう、清瑞。おは…」

 

軽く朝の挨拶をしながら寝所に戻った九峪だったが、それ以上言葉を続けられなかった。何故なら入口入ってすぐのところで清瑞が腕を組んで仁王立ちしていたからである。

 

「き、清瑞?」

 

早朝から剣呑な気配を感じた九峪がおっかなびっくり清瑞に話しかける。と、

 

「閉めてください」

 

仕事モードの雰囲気になっている清瑞が九峪にそう伝えた。

 

「え?」

「いいから、早く閉めてください」

「ちょっと待て、それって「いいから」はい…」

 

有無を言わせぬ態度と口調に九峪が冷や汗を掻きながら慌てて引き戸を閉める。と、引き戸を閉めた直後、

 

「どういうおつもりですか?」

 

ずいっと九峪に顔を寄せて清瑞が詰め寄った。

 

「な、何が?」

 

ビックリしながら九峪が聞き返す。

 

「私を置いてお出掛けとは、どういうおつもりかと聞いているんです」

「え、いや、お前良く寝てたし…厠と顔洗いに行っただけだし…」

「あのですね、九峪様」

 

九峪の返答を聞いた清瑞が少し苛立たし気に口を開く。

 

「どこの世界に護衛に気を使う主人がいるんですか。御身に何かあったらどうするおつもりなのです」

「いや、大丈夫だろ。ここは九洲だし、それに戦争が終わってもう何年経ってると思ってるんだよ。今更「言い訳は結構」」

 

九峪の言い分を最後まで聞く前に清瑞が遮った。

 

「いや、でも…ごめんなさい」

 

それでも反論しようとする九峪だったが、清瑞からじろりとねめつけられてそれまでの勢いは何処へやら、小さくなって謝っていた。

 

「全く…」

 

呆れたように溜め息をつく清瑞だったが、実はこれは照れ隠しである。九峪が自分を気遣ってくれたことはたまらないほど嬉しかったが、それ以上に乱破でありながら深々と眠ってしまって己の護衛対象であり何よりも大切な良人の側にいられなかったことに深い自責の念を抱いているのだ。しかし性格からそれを素直に認められずこうして、表現は悪いが九峪に八つ当たりしているのである。

とは言え、いつまでも自分の八つ当たりを正当化するわけにもいかない。九峪が自分を気遣ってくれたことの歓喜をこの身で感じているのもまた紛れもない事実。だから、清瑞は少々強引にこの場をまとめることにした。

 

「んっ」

 

いきなり顔を寄せると、九峪に口づけをしたのである。

 

「んっ!?」

 

予想しなかった展開に九峪が驚いて離れようとするが、そのときには清瑞の両腕はもう九峪の首筋に回っており離れることができなかった。十年ほど耶麻台国…九洲で過ごしてきたとは言え、元々この世界で生まれ育った人間との肉体的な性能差はやはり埋めがたく、ガッチリホールドされた九峪はなすすべを持たない。そして、

 

「ふー…ふー…ふー…」

 

清瑞はそれをいいことに九峪の口内を思うがままに蹂躙する。その感触と、ピチャピチャという濡れた音が耳に届き、否が応でも気持ちは盛り上がる。だがこれから迎えるのは朝であり夜ではない。そのため、熱烈な口づけを楽しみながらも少しして清瑞は九峪から離れたのだった。名残惜しい気持ちは多分に持ちながらも。

 

「ぷあっ! き、清瑞…?」

 

解放された九峪が酸素を求めて呼吸を荒くする。

 

「ふふ…」

 

それに応える清瑞は口元を拭うと妖艶に微笑んだ。そのあまりの色気に九峪がゾクッと背筋を凍らせたのは内緒である。

 

「今はこの辺で勘弁してあげますよ。その代わり、今日の夜は覚悟しておいてくださいね」

「わ、わかった」

 

蛇に睨まれた蛙のごとく、九峪はコクコクと頷くしかなかった。正直な話、これ以上盛り上がったら歯止めが利かなくなってしまうのだろう。九峪も、そして清瑞も。それを止めるギリギリの線での中断だった。

 

「では」

 

九峪から離れた清瑞は軽く一礼するとその場から姿を消した。何とか身体と気持ちと落ち着けた九峪が、着替えて寝所から出てきたのはそれから少し経ってからのことだった。

 

 

 

 

 

火向に到着して翌日、九峪は志野に連れられてさっそく精力的に動いていた。この訪問では九峪の妻や子供たちがいない県での滞在期間は短く、割を食っているという表現がピッタリと言っていい。だからこそ九峪はその限られた時間で己の役割を果たすべく、妻や子供たちのいる県以上に精力的に働く必要があった。

九峪がこの生活スタイルを確立してからもう何年も経っていることもあり、知事や幹部たちも手慣れたもので九峪が動きやすいよう、処理がしやすいように巡察の順序や報告・陳情の内容がまとめられている。そのことにいつも深く感謝をしながら、今回もこの一年の間で溜まった仕事を片付けていく。各知事には県内での自治権・行政権などは勿論与えているが、どうしても九峪へと諮りたい、お伺いを立てなければいけないような事案も発生してしまうのだ。そして、それは仕方のないことだった。

そんな九峪を当然のように護衛するのが乱破衆。戦争が終わって危険度も著しく低くなったため、九峪のこの巡察に従う人員はこれでも大分減らしている。どうしても年間通しての仕事になってしまうため、乱破衆各個人の家庭的な事情もあり、志願と持ち回りを上手く融合させた人員選抜を毎年行っていた。そんな中で毎年当然のように従っているのが清瑞である。

乱破衆の頭領という立場故に当然のことではあるのだが、九峪が九洲に来てからの一番の古株の護衛ということと、何より清瑞自身が九峪との時間を確保したいという理由がもっとも大きいものだった。そうなると当然、

 

「清雅、先導して次の目的地までの安全を確保しなさい」

「はい、とうりょう」

 

その子である清雅も清瑞に付き従って過ごすことになった。まだ幼い清雅であるが、本人としては母と共に過ごせることと、厳しくも愛情のある教育を母自ら手ほどきされることに満足しているようで、愚痴や不満を漏らすことは少なくとも九峪の知る限りではなかった。清雅の立場で言えば、いずれは清瑞の後を継いで乱破衆の頭領になるのだから今はその勉強中ということで当然なのかもしれない。しかし、

 

(清雅…)

 

九峪としては清雅に対して複雑な心境を抱くのは仕方のないことであった。と、そんなことを考えていた九峪の首筋にいきなりふーっと吐息がかけられた。

 

「ひえっ!?」

 

予想しなかった事態に九峪が普段出しそうもない悲鳴を上げた。その声が予想外に大きかったためか、予想以上に周囲の注目を集めることになった。

 

「な、な、なっ…」

 

慌てて振り返ると、そこには悪戯っぽい笑みを浮かべて口元を隠しながらクスクスと笑っている志野の姿があった。

 

「志野ぉ…」

「ふふふ、すみません」

 

志野がコロコロ笑いながら軽く頭を下げた。

 

「でも九峪様、そんな顔しちゃダメですよ」

「そんな顔?」

 

九峪がペタペタと自分の顔に触れる。

 

「どんな顔してたんだ、俺?」

 

すると志野は声を潜め、

 

(清雅くんが心配で心配で仕方ないって顔ですよ)

 

と、そっと耳打ちしたのだった。

 

「えっ…」

「時機を見て…でしたはずでしょう? それまではちゃんと公私のけじめはつけないといけませんよ。清瑞さんの血を引いてるんですから、勘の鋭さは一級品のはずですから、そんな顔してたらいずれ本人にもバレちゃいますよ?」

「う…そうだな。気をつけるよ」

「はい♪」

 

楽しそうに微笑みながら身体を離した志野に、面目ないといった感じで照れ笑いする九峪。その表情や仕草、二人の雰囲気から微笑ましい光景ではある。が、それも色眼鏡をかけて見ていなければの話しなわけで。

 

「ははうえ?」

 

二人の姿を目の当たりにした清瑞の雰囲気が若干変わったことに気付いた清雅が清瑞を、見上げる。が、反応がない。言ってしまってから頭領ではなく母と呼んでしまったことに気付いた清雅がしまった、という顔をして慌てて口を塞いだのだが、それですら清瑞は気付いていないようだった。

 

「???」

 

清瑞の視線の先…仲の良さそうな九峪と志野の姿はとても好感の持てるものだった。しかし、母である清瑞はその二人の姿に何故か剣呑な雰囲気を醸し出している。

 

「???」

 

どうしてだろうと考えた清雅だったが、その理由はいくら考えてもついぞわかることはなかったのだった。

 

 

 

 

 

「九峪様」

「はい…」

 

その日の夜、川辺城の王城最奥の寝所にて。当然のようにそこには九峪と清瑞の姿があった。年頃の男と女が寝所に…それも体の関係がある二人が二人きりとなれば当然甘い雰囲気に包まれていても良さそうなものだがそんなことはなく、九峪は寝台の上で正座をさせられていた。そして、その九峪を清瑞がねめつけている。

 

(なんか、今朝と全く同じ構図だな…)

 

今朝のことを思わず思い出していた九峪だったが、そこに思いを馳せる余裕はない。何故なら、

 

「昼間は、志野様とずいぶん仲が良かったですねぇ?」

 

とこのように、詰問されているからである。浮気を見つかった旦那というわけではないのだが、せっかく今は自分が独占できる時間というだけあって、普段蓋をしている清瑞の想いに歯止めが利かなくなっているようだった。

 

「いや、ちょっと窘められただけだよ」

「へえ、そうですか。あんなに身体を寄せ合って親密に?」

「他の連中の耳に聞かせたくなかったことだと志野が判断したからああなっただけだってば」

「ふーん…」

 

清瑞はいたぶるようにチクチクと尋問する。清瑞としても本当のところはわかっているのだが、それでも目の前で自分の良人が自分以外の、それも自分と同格の立場である妻ではない女性と親密にしている様子を見せられるのは面白いものではない。そのため、その憂さ晴らしというわけでもないが九峪に教育中というわけである。とは言え、せっかくの逢瀬の時間をこんなことで費やしたくないのもまた事実。

 

「全く…」

 

呆れながらも清瑞がつかつかと九峪に近寄り、その身体を寝台に押し倒した。いつもは押し倒す側の九峪なのだが、今は攻守交替して押し倒される側になっていた。

 

「あの…清瑞?」

「んふふ♪」

 

舌なめずりしながら微笑んで見下ろしてくる清瑞をみて、思わず『蛇に睨まれた蛙』という単語が頭の中に浮かんできた九峪だった。そして、それを現実とするかのように、

 

「今朝言った通り、覚悟してくださいね♪」

 

実に楽しそうに清瑞がそう言うと、九峪の首筋に顔を寄せた。そして、昨日以上に濃密で長い閨の時間が始まったのだった。

 

 

 

 

 

「なあ、清瑞…」

 

長い長い閨での攻防がやっと収まり、清瑞から解放された九峪がその清瑞に話しかけた。

 

「はい」

 

九峪に身を寄せてその胸にスリスリと顔を擦り付けていた清瑞が顔を上げる。満たされたその表情には先ほどまでの不満の色はなくうっとりとしていた。が、

 

「清雅のことなんだけど…」

 

その一言に、蕩けていた清瑞の表情が戻る。

 

「あの子がどうかしましたか?」

「うん。いや、何かしでかしたとかじゃないんだ。ただ…」

「はい」

「もう少し、甘えさせてやってくれないか?」

「……」

 

その九峪の言葉に返答せず、清瑞はジッと聞き役に徹している。

 

「今の俺が言えた義理じゃないのは百も承知。あの子のことをお前に全て任せているのも申し訳ないと思ってる。でも父親としてあの子に接することができないから、どうしても気になって…」

 

清瑞の様子を窺いながら九峪がポツリポツリと心情を吐露していく。そう、今の発言の通り清雅の父親は九峪である。九峪が表向き正妻としているのは火魅子の血を引く各県の県知事の中の、それを望んだ者たちだった。個人名を上げると星華、伊万里、香蘭の三人である。だが、それ以外にも九峪を伴侶としたいと思う者は少なからずいた。九洲の総大将であり、長い時間苦楽を共にすることによってその人間性や、自分たちとは違う物の見方・価値観などに惹かれ、耶麻台国復興を果たしたときには相当数の人間が九峪に惹かれていたのだった。

そうなってしまったことに当時相当悩んだ九峪だったが、最善ではないものの次善として採ったのが今の形態である。その代わり、表向きは妻を火魅子の血を引く三人で公表していた。それ以外の者とも関係がある、関係することができるとわかったら、内外にいらぬ波風を立てることになるのが手に取るようにわかるからである。最高幹部クラスの者たちにとっては公然の秘密というやつだったが、それ以下には徹底して緘口令を敷いていたため、九洲の民衆や各地の豪族クラスでも九峪の妻は火魅子の血を引く三人だけと思われていた。

それでも、その辺の機微に敏感な人間は九峪の周辺の人間関係が怪しいのは何となくわかっていたようだが、余計なことを口走ったり、妙な動きをする者はいなかった。何故なら、ポッと出の豪族や地方の有力者が九峪との関係を強化するために縁者を輿入れさせようにも、正妻としている三人やそれ以外の妻たちがそれを許さなかったからである。長い時間を共に過ごし、積み重ねてきたものがあったからこその今の結びつきであり、彼女たちからしてみれば九峪の妻の座を政争の道具や権力確保の手段とされたらたまったものではない。自分たちと、それ以上に九峪を冒涜しているようなものである。許すはずもないのは火を見るよりも明らかというものだった。

そんな手前、九峪は正妻としている三人以外との間に生まれた子供たちについてはノータッチとするしかなかった。厳密には立場を考慮しての関わりはしていたが、親子として触れ合うことはできなかったのである。そして、清雅もその一人だった。とは言え、この清雅こそ公然の秘密の最たるものと言ってもいいかもしれない。清瑞にとって良人としての選択肢は九峪以外になく、何より命名した“清雅”という名前からもそれは窺い知ることができた。表向きは父である伊雅から一時拝領したということになっている。それも間違いではないだろうが、それ以上に九峪の名前…“雅”比古からの拝領であるというのは、九峪の本名を知る者は容易に思い至ることができたのだった。そんな事情もあって、どうしても父親として清雅と関われない九峪は甘くなってしまうのである。清雅だけではなく、同じ立場の子供たち全員に共通するのだが。と、

 

「九峪様」

 

九峪のその発言に色々思うところがあったのだろうか、暫くしてから清瑞が口を開いた。

 

「ん?」

「相変わらず、お優しいですね」

「な、なんだよ、急に」

 

清瑞の返答が予想しなかったものだったため、思わず顔を赤くして口ごもってしまう九峪。そんな九峪にふふ…と微笑むと、

 

「ご心配なく」

 

と、清瑞が返した。

 

「え?」

「九峪様がご存じなのは任務中の私たちのことだけでしょう? 家や、あの子と二人になったときはちゃんと母親をしていますから」

「そうなのか?」

「ええ。あれでもあの子、家では甘えん坊で困るんですよ。まだまだ子供ですね」

「そうか…」

 

クスクスと笑う清瑞の姿を見て、九峪がその発言に救われたようにふーっと大きく息を吐いた。清瑞がすぐわかるような噓を言うとは思えなかったし、楽しそうに笑うこの姿からも本当のことなのだろう。残念なのは、その姿を父親として見ることができないことだが、それは仕方のないことと割り切るしかなかった。

 

「あの子が一人前になるまで、もう暫くお待ちくださいな」

「ああ、わかってる」

 

九峪が頷いた。これもまた取り決めの一つである。父親が九峪であることは当人の子供たちには内密にはしているが、いつまでもそれが隠し通せるものでも通すつもりもない。基本はいずれ機を見て打ち明けることにはなっていた。それは各々のタイミングに任せているが、やはり子供が成人、あるいは親目線で一人前になってからというのが大体の線引きのようだ。

 

「…そうだ」

「ん?」

 

九峪が清雅に対してそれなりに後ろめたさを感じていることを知った清瑞があることを、思いつく。どうしたんだろうと思った九峪が清瑞に顔を向けると、

 

「ねえ、九峪様?」

 

清瑞が顔を上げて九峪を覗き込んでいた。

 

「どうした?」

「清雅のこと、そこまで気にかけてくれているんですか?」

「当たり前だろ?」

「私のことも?」

「な、なんだよ、急に」

「い・い・か・ら。どうなんです?」

「…いやまあ、そりゃ当たり前だよ。複雑な立場にしちゃったし、それを受け入れてくれたし、感謝してる」

「そうですか」

 

九峪の返答を聞いて満足げに微笑む清瑞。感謝をしているし気にもかけているが、それは清瑞だけではなく同じ立場を受け入れてくれた正妻以外の三人に対しても同様だったりする。だが、それを口に出したら清瑞の機嫌を損ねることになりかねないのでそこは胸に留めておいた。それぐらいの気遣いは九峪にもできるようになったのである。と、

 

「でしたら、それを行動で示してもらえませんか?」

「行動って?」

 

どうしろというのだろうと首を傾げた九峪の耳元に、清瑞が顔を寄せた。

 

「私まだ、清雅一人だけしかいないじゃないですか」

「ああ」

「あの子ももう七つですし、そろそろ、二人目が欲しいかなって」

「ゑっ!?」

 

九峪が驚いたのとほぼ同時に清瑞が九峪の首に手を回して己に向かって引っ張った。

 

「うわっ!?」

 

強引に引っ張られた九峪は不格好ながら清瑞の上に覆い被さる形になり、清瑞が手を離した。直後、九峪が慌てて身体を離すと己の下には一糸纏わぬ姿の清瑞が期待に目を輝かせている。

 

「さあ、九峪様…」

 

そうして、清瑞は九峪の腕を取ると己の胸にそれを導いた。

 

「あん♪」

 

弾むような嬌声に思わず九峪がゴクリと生唾を飲み込む。先ほどまで何度となく抱いたというのに、また劣情を催すのは今の発言のせいだろうか、それとも愛故にだろうか、はたまた何度味わっても飽きないその魅力的な肢体ゆえだろうか、九峪にはわからない。わかるのは、蜘蛛の巣にかかった獲物のごとく、己がフラフラと清瑞に搦め取られていくということだけだった。

胸に導かれた手をゆっくりと動かしながらもう片方の手は股間に伸び、そして口は空いている胸へと吸い付く。

 

「ああっ、九峪様!」

 

三点からもたらされる快感に、清瑞が快感に顔を歪めながら大きな歓喜の声を上げた。

 

「清瑞!」

「はあっ、九峪様! 好き! 大好き!」

「~っ!」

 

そのストレートな告白に最後の理性が切れた九峪が再び清瑞に覆い被さった。そしてこの日、二人は結局この後も長い長い夜を過ごすことになったのだった。




人物紹介

清雅

九峪と清瑞の間にできた息子。年齢は七歳。名前は両親から一文字ずつ。(表向きには祖父である伊雅からの拝領となっているが、九峪と清瑞の関係をわかっていて九峪の本名を知る者たちにとっては公然の秘密)

母親である清瑞の教育の賜か、七歳にしてはとてもしっかりしており素直。現時点では将来は清瑞の後を継いで乱破衆の後を継いで乱破衆の頭領になる予定。
耶麻台国は女系国家のため、傍系とはいえ火魅子の血を引いていても王座には無縁の存在になるだろうというのも理由の一つ。

容姿的には今のところ母親である清瑞よりの容姿。但し、声質や髪質など、あまり目立たないところで父親である九峪の特徴がチラホラ見られるようになってきている。
立場的に父親が九峪とは本人に明かされていないため表向きは母一人子一人だが、その分母親である清瑞を深く敬愛し尊敬している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

NO.09 揺らぎ揺らいで

おはようございます。前回の続き、今回で火向編は終了です。で、今回の主役ですが、まあ、立場的には当然の立ち位置にいるあの人です。読了後、読者の皆様がどのような感想をお持ちになるか、今話は特に気になります。よろしければご感想を。

では、どうぞ。


火向に来訪して数日。九峪は相変わらず忙しい日々を過ごしていた。滞在日数が少なくなる火向ではどうしても予定が厳しくなってしまう。九峪もそれは了承済みだし、志野たちも心得ているので厳選はしているのだが、それでも時間は足りないと言っていい。

耶麻台国の復興を果たしてから何年も経ったが、今なお九峪の威光、存在は絶対的で、元々のこの世界の人間ではないからこその着眼点や発想は耶麻台国の更なる発展に欠かせないのだ。そのため、どうしても九峪案件は出てしまうことになる。

それでも時間は止まることなく流れ続ける。が、ここ数日でようやく先の見える状況になってきていた。

 

(七・八割方は片付いたかな…)

 

当初の予定とこれまで片付けてきた案件の内容を頭の中で比較し、概算だがそう考えられる状況まで終了したことで九峪がふぅ…と一息ついた。そして馬上で片手で手綱を握りながら、もう片方の手でトントン、トントンと器用に己の肩を叩く。と、

 

「あらあら…」

 

隣で馬首を並べながらその様子を見ることになった志野がクスクスと笑った。

 

「ん?」

 

不意の含み笑いに、どうしたのだろうかと九峪が志野に振り返る。

 

「お疲れですか? 九峪様」

「ああ、まあね」

 

志野の質問に正直に九峪が頷いた。もう長年の付き合いである志野に、今更格好つけても仕方がない。

 

「寄る年波には勝てないのかねえ」

「あら…」

 

その九峪の表情に志野の表情が笑顔のまま凍り付いた。そして、周囲からわからないように脇腹を小突かれる。

 

「痛…っ!」

 

予想外の攻撃にビックリした九峪が志野に振り返ると、

 

「九峪様…私たちも九峪様と同じだけ齢を重ねているってこと、忘れてません?」

 

いつの間にか笑みを収めていた志野が底冷えのする声でそう言ってきた。

 

「え?」

「九峪様と同じだけ私たちも加齢しているのです。女性に対して年齢を話題にすることがどれほど配慮のないものか、おわかりになりませんか?」

「いや、別にそんな意図は…」

 

ないんだけどと続けようとした九峪に、

 

「わかってます」

 

志野が先に制した。

 

「え?」

「九峪様がそんなつもりがないのはわかってます。もう何年の付き合いになると思ってるんですか。でも、九峪様がそういった方だとは知らない者も当然まだたくさんおりますし、今言いましたけど女性はそういった話題に特に敏感なのは九峪様も御存じでしょう?」

「ああ、まあ」

 

九峪が頷く。

 

「ですから、妙な誤解を受けることがないように発言には気をつけてくださいな。神の遣いである九峪様に狼藉を働く者がいるとは思えませんが、万一刃傷沙汰になっても知りませんよ?」

「こ、怖いこと言うなって」

 

志野の忠告を聞いて表情を引きつらせた九峪に、志野がまたニッコリと微笑んだ。

 

「ふふ、すみません。でも、忠告ですよ」

 

志野はそう言ったが、実際には少し違う。忠告なのは間違いないのだが、やっぱり先ほどの発言に少しムッと来たのもあって釘を刺す兼、意地悪といった気持ちがなかったわけでもないのだ。とはいえ、こんな話ができるのも心許せる間柄というのもあるが。と、

 

「痛ッ!」

 

九峪は今度は志野とは逆方向の脇腹を小突かれる。

 

「え?」

 

表情を歪めてそんなことを言った九峪に驚いて志野が向こうを見た。と、

 

「鼻の下、伸ばしすぎ」

 

九峪の向こうにいたのは珠洲だった。

 

「珠洲!」

「おいおい、勘弁してくれ…」

 

九峪が苦笑して振り返った。先ほどの話でもないが九峪たちと同じだけ齢を重ねた珠洲は昔ほど九峪に敵愾心を抱いているわけではない。普通の対応ぐらいはできるようになったがそれはあくまでも平常時のこと。志野が絡むと未だにこういったことになることもあるのだ。

 

「近づきすぎ」

「そうか? そんなつもりなかったんだけど…」

「自覚なしでやってるとしたら、性質が悪い。ちょっとは弁えて」

「珠洲ったら、もう…。九峪様、すみません」

 

志野が頭を下げた。

 

「あー、いいっていいって。さっき志野も言ってたけど、もう付き合いも長いしな。わかってるって」

「そう。だから志野は黙ってて」

「珠洲!」

 

志野がもう一度珠洲を窘めるが、珠洲は一向に意に介する様子はない。

 

「九峪様、奥方様がたくさんいるでしょ?」

「ああ、まあ」

「まだ足りないの? 本当にスケベなんだから…」

「……」

 

珠洲のその発言に志野がとうとう声も出せなくなっていた。大分成長したはずだが、この物言いはまるで昔の珠洲のようだった。一連の珠洲の態度に頭を痛めながらもどうしたのだろうと訝しむ志野だったが、九峪は意に介した様子はない。

 

「おいおい、人を何だと思ってるんだよ?」

「神の遣い」

「だろ? だったら「と同時にただのスケベ」おい…」

 

意に介した様子もなかった九峪だったが、大分鋭くなっていた久しぶりの珠洲の毒舌に流石に絶句してしまった。が、珠洲は全く気にする様子はない。と、

 

「九峪様、そろそろ次の目的地に着きやすぜ」

 

先方隊の重然が伝えに戻ってきた。

 

「ご準備を」

「あ、ああ、そうか。わかった」

「? どうかしやしたか?」

 

九峪の様子が微妙におかしいことに気付いた重然が首を傾げた。

 

「いや、ちょっと強行軍が続いたから肩が凝ったみたいでさ」

「左様で。では、夕食の後にでもお揉みしましょう」

「ああ。頼む」

「では」

 

一礼して先方隊に戻っていった重然の姿を見て毒気が抜かれたのか、九峪が大きくふーっと息を吐く。

 

「…まあなんだな。とにかく日程も後少しだ。もう少し同行よろしくな」

「は、はい」

「ふん…」

 

頭を下げる志野とそっぽを向く珠洲の対照的な二人に、九峪は苦笑するしかなかった。

 

 

 

 

 

(全く、珠洲は…)

 

とある場所にて、一人志野は考え込んでいた。今は行軍中の小休止で、めいめい好きなように束の間の休憩を楽しんでいる。その中で志野は一人、先ほどの珠洲のことを思い出していたのだ。

 

(昔ほどではないにせよ、未だに九峪様にあんな態度をとるの、どうにかならないかしら…)

 

珠洲も誰彼構わずあんな態度をとるわけではない。それに、最初の頃と比べてもこれでも大分マシになったのだ。とは言え、これまで珠洲の首と胴が繋がっているのは相手が九峪だったからで、これが他の人間…例えば天目あたりだったらとっくの昔に珠洲の首と胴はオサラバしていただろう。無論、あれも珠洲のコミュニケーションの一つかもしれないが、方法が方法なだけに傍から見ている立場としては心臓に悪い。

 

(九峪様が今更珠洲の態度一つで手心を加えたり態度を翻すとは思わないけど、それに甘んじてていいって話でもないのよね。とにかく、一度諭す必要があるかしら…)

 

そう結論付けた志野は珠洲と話し合おうと決め、小休止を終えて集合場所に戻ろうとした。と、

 

(…ん?)

 

何かを感じ取った志野が静止する。それは気配だった。それも動物のものではなく、明らかに人の気配が二つ、山の奥へと向かっていく。

 

(地元の猟師とか山人かしら…)

 

恐らく九分九厘そうだろうと志野は判断する。耶麻台国を復興させてもう何年も経つため、今更九洲に刺客がいるとは考えにくい。だが万が一にも九峪の生命を狙う刺客である可能性がないわけでもない。そう判断すると、志野は己の気配を悟られないように注意しながら、その気配が何なのかを確認するために歩き出したのだった。

 

 

 

(何だ…)

 

二つの気配に気取られることのないように注意してその後を追った志野が、ようやくその姿を確認して肩を落とした。何故ならそこにいたのは九峪と清瑞だったからだ。ガックリしたのだがそれと同時に、刺客ではないことにホッとしていた。

 

(それにしても…)

 

遠目ながら二人の様子を確認できた志野は、その二人の様子にどうしたのだろうと思っていた。何故なら清瑞が厳しい目で九峪を睨み、九峪は木を背にして縮こまっていたからだ。木を背にする…というよりは追い詰められているといった表現の方が正しいかもしれない。そんな状況、雰囲気に見えた。

 

(まあだからこそ、未だに清瑞さんに気取られずに済んでいるとも言えるけど…)

 

しかしそれは護衛としてどうなんだろうと思わないでもない志野だった。とにかく気配の元が誰なのか確認はできたので戻ろうとした志野。が、位置関係でいえばそれほど離れていない距離のため、二人の会話が耳に入ってくることになった。

 

「九峪様」

「な、何だよ」

「先ほどは随分、志野様と仲良くされていましたねぇ?」

「お前には、あれがそう見えたのか…?」

「ええ。とっても」

 

自分の名前が話題に上ったことで思わず志野は足を止めてしまう。そして、悪いとは思いながらもその会話を聞いていた。

 

「志野と珠洲に釘を刺されただけなんだが…」

「へぇ、そうですか」

「…なあ清瑞、どうしたんだよ?」

「何がです?」

「なんか、火向に来てから当たりが強くなっている気がするんだけど…」

「それはそうですよ」

「え?」

 

九峪が不思議に思って顔を上げた直後、清瑞は九峪に迫って口づけをしていた。

 

「んっ!」

(!!!)

 

九峪と、不可抗力ではあるが他人の逢瀬を覗き見ることになってしまった志野が驚いて硬直してしまう。九峪は何とか清瑞を押し戻そうとするが、力で九峪が清瑞に勝てるわけもなく、結局、清瑞の気が済むまで口内を蹂躙されることになった。救いなのは、その時間が短かったことだろうか。

 

「ふー…」

 

少ししてから清瑞が九峪から離れる。そして、二人の間にかかった唾液の橋を拭った。

 

「清瑞?」

「臣下としてはこの言葉は不適切なのは重々承知しています。ですが言わせてください」

「うん」

「…せっかく今は火魅子様も伊万里様も香蘭様もいらっしゃらないのに、志野様と仲睦まじい様子を見せられて、私、とても悲しいです」

「いや、別に仲睦まじいわけじゃ「言い訳はいいんです」はい…」

 

ピシャリと指摘され、九峪はそれ以上何も言えなくなる。そして、

 

(……)

 

志野は何故か九峪が今言った、『仲睦まじいわけじゃ』という一言に、何故か言いようのない寂しさを感じていた。そんな間でも、九峪と清瑞の甘い? 会話は続く。

 

「わかってますよ、九峪様と志野様の間にそういった感情はないのは」

「うん」

「だから、今ここでは私が九峪様を独占できると思ったのに…」

「いや、独占してるじゃん」

「そうですけど! …それでも、志野様ほどの方との親密な関係を見せられたらいい気分はしません」

「そうは言われてもなぁ…」

 

九峪が頭を掻く。仕事である以上はどうしても知事職の人間と密接にかかわるのは仕方のないことだ。清瑞もそれはわかっているし、これまでもこんな感じだったのである。今更改めてそんなことを言われても…というのが九峪の正直な感想だった。そんな中、

 

(……)

 

志野もまた、二人の言動を見て良くわからない感情に支配されつつある自分に戸惑っている。が、当然そんな志野を置き去りにして清瑞の愚痴とも嫉妬ともつかない暴走は続く。

 

「だから、これはその代償だと思ってください。そして、九峪様が悪いと思っているのでしたら、甘んじて受け入れてください」

「え」

 

直後にまた清瑞に口づけされる九峪。小さな水音が辺りに響くことで気分が高揚してしまったのか清瑞の鼻息が荒くなっていく。

 

「ぷはっ!」

 

少し後、ようやく九峪が再度清瑞から解放された。

 

「ふふふ、九峪様ぁ」

「お、おい清瑞、いくら何でもこれ以上は…」

「わかってますよ」

 

表情をとろんとさせながらも九峪が何を言いたいのか分かったのか、清瑞が頷く。

 

「え?」

「これ以上になっちゃうと身体に火が点いちゃいますし、そうなっちゃうと休憩時間だけじゃ済みませんから、今はこれで我慢します」

「そ、そうか」

 

ホッとする九峪。が、

 

「でも、最後にもう一回♪」

 

直後に清瑞に三度口づけをされることになったのだった。

 

「……」

 

もう好きにしてくれとばかりに諦め、受け入れた九峪を蹂躙しながら清瑞が九峪の首に手を回す。そうしながら、一瞬だけ視線を外した。

 

(!)

 

その視線が自分を捉えたように感じた志野が硬直する。だがあくまでもそれは本当にほんの一瞬だった。が、清瑞のその視線を受けたかもしれない志野は言いようのない不安とざわめき、モヤモヤに駆られ、九峪たちに気付かれないように今度こそゆっくりとその場から離れたのだった。

 

 

 

 

 

数日後。

 

「それじゃあな」

 

城外に見送りに来た志野たち一行に声をかける九峪。

 

「はい、お疲れ様でした」

 

志野がいつものように柔和な笑みを浮かべながら九峪にペコリと頭を下げる。無事今年の火向での視察を終え、九峪一行はこれから旅立つところであった。次に向かうは九洲の最南端、薩摩の地である。

 

「ああ」

 

頷くと、九峪は志野の後ろに目を向ける。そこには珠洲や織部たちといったいつもの馴染みの連中が当然のようにいた。

 

「志野のこと、頼むな」

「わかってますって、九峪様」

「お任せを」

「でも、どっちかって言うと志野様が私らを頼るより、私らが志野様を頼ると思いますけど」

「はは、違いない」

 

そこで皆で笑う。が、そんな中で一人、珠洲だけは表情を崩さずジッと九峪を見ていた。

 

「どうしたんだよ、珠洲」

 

無論、それに気づいている九峪が珠洲に声をかける。

 

「なんか今年は例年以上に俺への当たりがキツくないか?」

「へえ、自覚あるんだ」

「え?」

「す、珠洲!」

 

まさかの一言を口走った珠洲にギョッとする火向の幹部たち。志野が慌てて窘めるが、珠洲は気にする様子もなく九峪に近づくと、

 

「耳貸して」

 

と、一言言った。

 

「え?」

「だから、耳貸してってば」

「……」

 

何だろうと不審に思いながらも九峪が馬から降りて珠洲に耳を寄せる。すると、珠洲は九峪に何やら耳打ちした。

 

「! おい…」

「わかった?」

「…ああ」

 

九峪は頷くと再び馬上に跨る。そして、

 

「考えておく」

 

と、一言眼下の珠洲に伝えたのだった。

 

「わかった。ちゃんと考えてよね」

「ああ」

「よし」

 

九峪の言質を取った形になった珠洲が満足したのか、グッと拳を握ると引っ込んだ。

 

「あの…九峪様?」

 

が、置き去りにされた形の他の面々には何のことやらさっぱりわからず、不思議な顔をして首を傾げている。もっとも半分は珠洲の、見方によっては無礼な振る舞いに九峪が機嫌を損ねなかったようでホッとしたという安堵もあるのだろうが。

 

「いや、何でもないよ」

「はぁ…」

 

九峪の回答に納得していない返答を返す志野だが仕方ない。この一連のやり取りを目の前で見せられ、それで『何でもない』と説明されてもまるで説得力はないのだから。だが九峪がそう言う以上、それで納得するしかない。神の遣い相手に詰め寄るなど、普通は誰もできやしないのだから。

 

「んじゃ、またな」

「はい、お気をつけて」

「ああ、互いにな」

 

そう声を掛けられて叩頭した火向の幹部衆に背を向けると、九峪は馬を進ませて遠ざかっていった。志野たちが顔を上げると、九峪が護衛の乱破衆たちと合流して清瑞と馬首を並べているところを見ることになり、それがまた何故か志野の心をざわつかせた。

 

(どうしたのかしら…)

 

湧き上がってきた妙な感情に戸惑う志野の後ろで、織部たちがほうっと大きく息を吐く。

 

「やれやれ、今年も何とか無事に終わったな」

「全くで」

「なんすか二人とも、まるで九峪様が迷惑みたいじゃないですか」

「ば、バカ野郎! そんなわけあるか!」

「そうだぜ。ただ、九峪様に何かあったりしたら一大事だろうが。そんな事態にならなかったことに安心してるんだよ」

「心配し過ぎっすよ。もう耶麻台国が復興して何年経ってると思ってるんすか」

「まあ、そっちの線もあるけどよ。不慮の事故とかに巻き込まれる可能性もないわけじゃないだろ?」

「そんなの、そう簡単に起きないっすよ」

「そういう気の緩みが、取り返しのつかない事態を招くんだぜ? なあ、重然」

「へい、お嬢。全くその通りで。愛宕、おめえももういい年なんだ。ちっとはその辺り考えろ」

「ぶ~」

 

不満げに頬を膨らます愛宕に、織部と重然は顔を見合わせると仕方ないヤツだと言わんばかりに苦笑した。

 

「さて、戻るか」

「ですな。今日はもう目ぼしい仕事はありやせんが」

「まあ、ここ数日働き詰めだったんだ。今日ぐらいはのんびりしてもいいんじゃねえか? いいだろ、座長?」

「…え?」

 

志野が呼ばれたことに気付いて織部たちに振り返ったのは、少し間を置いたタイミングだった。普段から打てばすぐに響くような反応を返す志野だけに、織部たちは珍しいものを見たといった表情で志野を見る。

 

「座長、どうかしたのか?」

「いえ、別に」

「ホントっすか?」

「ええ。…で、仕事のことだったわね。今日はもうのんびりしてくれていいわ。疲れたでしょ」

「さすが志野様」

「それじゃ、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」

「先、帰ってていいっすか?」

「ええ、そうしてくださいな」

「んじゃ座長、お先」

「失礼しやす」

「しま~す!」

「ええ」

 

織部、重然、愛宕が軽く頭を下げてその場から去っていく。志野は手を振ってその後ろ姿を見送った。と、

 

「志野」

 

今まで一言も喋らなかった珠洲が志野の許にやってくる。

 

「珠洲、どうしたの?」

「聞きたいことがある」

「? 何かしら?」

 

いつもの珠洲とは少し違う雰囲気に、志野が心中で構える。と、

 

「志野は婿を取らないの?」

 

珠洲が、まさかのことを聞いてきたのだった。

 

「…え?」

(今、なんて…?)

 

一瞬、珠洲の言葉の意味がわからなかった志野だが、言葉を反芻していき、志野は徐々に今珠洲が言ったことを理解した。

 

「な、な、何を…」

 

そして戸惑う。何を言われるか構えてはいたものの、全く予想しなかった方向からの攻撃に口をパクパクさせるしかなかった。と同時に、ある人物の顔が頭に浮かんできて、そしてそれを自覚して顔が赤くなってしまう。

 

(や、やだ…)

 

その変化に気付いたのか気づいてないのかはわからないが、珠洲が言葉を続ける。

 

「九洲のことはハッキリ言って私にはどうでもいい。けど、志野ももういい年。同年代の知事は家庭を持って子を成しているから、志野がそこについて考えていて興味があるなら…」

「ちょっと、珠洲…」

 

『いい年』という表現に引っかかった志野が少し顔をヒク付かせて注意しようとしたが、珠洲は素知らぬ顔で続ける。

 

「前座長の…志都呂のことがまだ心の中にあるの?」

「!」

 

懐かしい名前に志野が身じろぎする。だが、その名前を言われるまでここ暫く、その存在も思い出さなかったのもまた事実だった。それだけ、志野は今忙しいとも充実しているとも言える。昔のことを思い出す暇もないほどに。

 

「私は個人的には志野が結婚することは反対。いやらしい男たちに志野を渡したくはない」

「珠洲…」

「…でも、志野の気持ちは別。志野がその気があるなら、仕方ないとも思っている」

「うん」

「それで、どうせそうなるんだったら、私の知らないいやらしい男よりも、良く知ってるスケベな男の方がまだマシ。それだけ」

「! それって!」

 

その一言に、志野が先ほど珠洲が九峪に耳打ちしていた光景を思い出していた。

 

「まさか、珠洲!」

「私は何も言ってない。全て、決めるのは志野だから。よく考えて」

「あっ、珠洲!」

 

自分の言いたいことだけ言うと、珠洲はその場を走り去った。その後を追おうと思えば追える志野だったが、何故かその足を進めることはできなかった。

 

 

 

(そんなこと言われたって…)

 

取り残された志野は一人そう思いながら佇む。と同時に、今回の訪問で九峪と過ごした際に九峪に対して、折に触れて今まで感じることのなかった表現できない感情を抱いたのもまた事実だった。

 

(……)

 

何なのだろう、この感情は。いや、わかっていたのかもしれない。ただ今まで、それを直視することをしていなかっただけ…。いやいや、そんなことはなくてただの気の迷い…。でもでも、清瑞さんとのあの山中でのやり取りを見ていて心がざわめいたのは確かだし…。

 

「……」

 

志野が自問自答しながら考える。しかし、その回答が出るまでにはまだ暫くの時間を要することになる。そして結局、あのときに珠洲が九峪に何を耳打ちしたのかは、ついぞ当事者の二人以外の誰も知ることはなかったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

薩摩編
NO.10 一直線は変わらない


おはようございます、今回から薩摩編となります。ここでの主役はあの女性ですね。彼女で火魅子の血を引く九峪の妻は最後になります。各地の妻、家族と過ごすという名目はここで一応果たされてしまうのですが、この後については一応プロットとして考えておりますのでそこについてはご安心を。とは言え、執筆した内容が受け入れられるかどうかはまた別問題ですが。

では、どうぞ。


火向を発った九峪たち一行は次なる地へと馬を進める。次なる地は薩摩。九洲を統治する火魅子の血を引く各県知事のうち、九峪と婚姻を結んだ相手である最後の人物、香蘭が統治する地である。ここを超えれば残すは藤那の治める火後と、只深に任せてある火前のみ。即ち、巡察の大きな目的の一つである家族との時間を過ごすこともこの地で一段落ということになる。

 

(とは言え、ある意味一番手ごわいのが最後なんだよなぁ…)

 

九峪が薩摩で待つ香蘭の顔を思い出しながらそんなことを考えていた。

 

(真打ちやラスボスってわけじゃないけど、最後が香蘭になるってのは出来過ぎな感じもするけどな。…ま、頑張るか)

 

色々な意味で今までの地以上に頑張らなければいけないのだが、それはとりあえず置いておいて、香蘭だけでなく子供たちをはじめとする他の薩摩の面々についても思いを馳せる。

 

(皆、元気かな?)

 

そんなことを考えながら馬を進ませていると、

 

「九峪様」

 

不意に、清瑞に声を掛けられた。

 

「ん?」

「先方隊から伝令が入りました。鹿児島までの道筋に危険はなし。安心して馬を進めてくださいとのことです」

「そうか」

「また、鹿児島では既に香蘭様以下、皆様がお待ちとのことです」

「はいよ、ありがとさん」

「いえ」

 

軽く叩頭して少し下がる清瑞。薩摩に入ったので火向に滞在していたときのような態度は取っていなかったが、それはあくまでも表面上である。

 

(九峪様…やっぱり浮かれてる)

 

今の簡単なやり取りで清瑞はそれがわかった。ある意味、九峪とは公私ともに一番長い清瑞だからこそ些細な変化の違いで九峪の考えていたことがわかったとも言える。それは清瑞も重々わかっているのだが、それでもやはり自分以外の女に思いを馳せているのがわかってしまったことは面白くない。

 

(薩摩を超えたら、またお仕置きしてやる…)

 

身分、立場や序列は重々わかってはいるのだが、それでも自分がすぐ側にいるのにも関わらず自分以外の女のことに思いを馳せている九峪に対して、一人ドス黒い嫉妬の炎を燃やしながら清瑞は細い目になって九峪を睨んでいた。図らずもそんな清瑞の変化を肌で感じ取った清雅は、鹿児島まで内心ビクビクドキドキしながら過ごすことになったのだった。

 

 

 

 

 

鹿児島に無事到着した九峪一行。ゆっくりと九峪が馬を降りて一年ぶりのこの地に降りる。

 

「ちちうえ!」

「ちちうえ!」

 

馬を降りた自分に駆け寄ってくる子供たちの姿を目に留め、柔和な笑みを浮かべながら手を挙げる九峪。が、

 

「く・た・に・さ・ま・ーっ!」

「わっ!」

 

子供たちの姿が見えたと同時に物凄い勢いで誰かに抱き着かれ、九峪は勢いそのまま倒されていた。

 

「痛ってて…」

 

痛みに顔を顰めながらも誰の仕業だ…と考えることもしない。耳に入ってきた良く知っている声色と、そしてこの地でこんなことをやるのは一人しかいないからだ。

 

「九峪様、九峪様、九峪様ーっ!」

「おいおい、香蘭…」

 

半ば呆れながらも、九峪が自分に抱き着いてきた人物…火魅子の血を引く妻の一人であり、この薩摩の地の頂点である香蘭に視線を向けた。自分に抱き着いてきた香蘭は久しぶりの再会というのもあるのだろうが、ウットリとした表情で熱のこもった視線を九峪に向けている。

 

「お前も少しは落ち着…んっ!?」

 

そんな香蘭を諭そうとした九峪だったが、最後まで言葉を続けることができなかった。そして、周囲も香蘭の行動に固まってしまう。何故なら香蘭が、有無を言わさず九峪に口づけをしたからだ。

 

「ん…あむ…はぁ…」

 

衆人が見ているにもかかわらず熱烈に九峪を求める香蘭。その、突如始まった強烈なラブシーンにある者は目をそらし、ある者は目を閉じ、そしてある者は開き直って微笑ましい目を向けるなど思い思いの行動をとっていた。ちなみに清瑞はムッとしながらも、我が子である清雅の視界を塞いで父親の醜態(?)を見せないようにしていた。父の威厳は保てるし、母の面目躍如にもなるという一石二鳥の行動である。と、少しして香蘭が九峪から離れた。

 

「はあっ…」

「こ、香蘭、お前な…」

「えへへ」

 

予想外の強烈なお迎えに文句を言おうとする九峪だったが、そうしようとする前に香蘭が九峪にギュッと抱き着いたのだった。

 

「お、おい」

「九峪様、九峪様、九峪様ぁ、待ってたのことよ!」

「わかった! それはもうよくわかったから、いい加減一旦離れてくれ」

「えぇ~! 香蘭、まだ足りないのことよ?」

「足りないって…お前な…」

 

熱烈歓迎はありがたいのだが、それでもこんな状況でいつまでもここでこうしているわけにもいかない。どうしたものかと九峪が逡巡していると、

 

「いい加減になさい!」

 

救いの声は二人の頭上から向けられた。そして怒号の直後、派手な打撲音と共に香蘭の全身からがくっと力が抜けていた。

 

「全くこの子は…」

 

呆れた表情で香蘭を見下ろしていたのは香蘭の母親である紅玉である。実力行使の結果、強引に香蘭を黙らせてくれたようだった。

 

(怖…)

 

一応は助けられた形の九峪なのだが、我が子に対しては相変わらず容赦のない紅玉に久しぶりに背筋が凍ったのは内緒である。

 

「すまないけど、この子を運んで頂戴」

 

九峪がそんなことを考えているなどとは露にも思わず、香蘭を力技で黙らせた後、紅玉は後ろに振り返って側にいた兵士に頼んだ。

 

「はっ」

「かしこまりました」

「お願いね」

 

担架のようなものに乗せられ、香蘭が退場していく。せっかくの一年ぶりになる再会だというのに台無しだが、ある意味香蘭らしいと言えば香蘭らしいとも言えた。

 

(やれやれ…)

 

度肝を抜かれる展開ばかりだったがようやく落ち着き、九峪が立ち上がると身体に着いた砂や土を掃い始めた。そんな九峪に、

 

「申し訳ありません、九峪様」

 

と、紅玉が頭を下げる。

 

「いや、ちょっと驚いたけど、気にしないでいいよ。紅玉さんが謝ることじゃないから」

「ですが、母親としては娘があれでは…。しかも今は立場もありますし…」

「わかるけどね」

 

九峪が苦笑する。

 

「まあ確かに時と場合は弁えてほしいけど、ああいうところがなくなったら香蘭らしくないとも言えるしさ」

「…喜んでいいのか、悲しむべきなのか、親としては複雑です」

 

紅玉の返答に、九峪はアハハと乾いた笑いを返すしかなかった。が、いつまでもこうしていても埒は明かない。紅玉は振り返ると、香蘭に出し抜かれたため呆然としていた二人に声をかけた。

 

「香九(こうく)、紅峪(こうや)、お父様にご挨拶なさいな」

「は、はい、おおかあさま!」

「わかりました!」

 

紅玉に紹介された二人…九峪と香蘭の息子である香九と紅峪がトテトテと九峪の許に近寄ると、揃って頭を下げる。

 

「お、おひさしぶりです、ちちうえ!」

「おまちしておりました!」

「ああ、久しぶり、大きくなったな、香九、紅峪」

 

相好を崩しながら屈んで目線の高さを合わせると、九峪は二人の息子に向かって胸を開く。そこでようやく年相応の笑顔を見せた二人が、我先にと九峪の胸元に飛び込んできた。

 

「ちちうえぇ」

「ちちうえぇ」

「本当に大きくなったな、二人とも。それに元気なようで何よりだ」

「はい、はい」

「ちちうえも、おげんきで」

「ああ」

 

一年ぶりの親子の対面に、九峪にギュッとしがみつく二人の息子。その光景にほっこりとする周囲だったが、

 

「二人とも、とりあえずその辺になさい」

 

紅玉にそう言われ、二人が従った。一年ぶりの再会なのに二人が素直に引き下がったのにはちゃんと訳がある。

 

「さ、玉蘭(ぎょくらん)、蘭玉(らんぎょく)、あなたたちも」

 

紅玉が後ろに振り返ってそう声をかけた。紅玉の後ろには、その陰に隠れるようにしてぎゅっと紅玉にしがみついていた二人の女の子の姿があった。こちらは玉蘭と蘭玉。先の香九、紅峪と同じく九峪と香蘭の娘である。

 

「え、えっと…」

「とうさま…?」

 

紅玉に促されたためおっかなびっくりといった感じで、モジモジしながら九峪に声をかける玉蘭と蘭玉。そんな二人に、

 

「お前たちも大きくなったな、玉蘭、蘭玉」

 

先ほどと同様に、胸を広げて迎え入れる体勢を作る九峪。だが二人は、香九、紅峪と違って駆け寄ってこない。

 

「?」

 

その、予想していたものとは違う反応に首を捻る九峪。紅玉も、

 

「どうしたのです?」

 

と、不思議そうに眼下の玉蘭と蘭玉を見ている。

 

「え、えっと…」

「その…」

 

相変わらずモジモジしながら紅玉にしがみついている玉蘭と蘭玉の二人に、九峪がちょっと芝居を打つことにした。

 

「そっか…」

 

広げていた手を戻すと、九峪がガッカリと肩を落とす。

 

「父様嫌われちゃったか…悲しいなぁ」

『え!』

 

九峪が言った思わぬ一言に玉蘭と蘭玉の二人が声を揃えて驚いた。そして、慌てて釈明する。

 

「そ、そんなことないもん!」

「そうだよ! ずっとまってたの!」

「でも、こっちに来てくれなかったしなぁ…」

「それは、だから…」

「とうさまとあうのひさしぶりなんだもん…」

 

自分たちが九峪を嫌っていると誤解され、慌てて玉蘭と蘭玉が必死に弁解する。勿論、九峪としてもそんなことは百も承知で、わざとこんな言い回しをしている。そして、それに気づいてる紅玉がクスクス笑いながら二人の背中を押した。

 

「二人とも、早くご挨拶をなさいな。お父様が悲しんでますよ?」

「は、はい、おおかあさま」

「わかりました」

 

舞台を用意され、背中まで押してもらった形の玉蘭と蘭玉がようやく動き出し、そして九峪の前までやってきた。

 

「あ、あの、とうさま…」

「うん」

「おかえりなさい…」

「うん、ただいま」

 

そしてゆっくりと慈しむように九峪が玉蘭と蘭玉の頭を撫でた。それがスイッチになったかのように、二人は先ほどの香九、紅峪と同じように我先にと九峪に抱き着いたのだった。

 

「とうさま、とうさま、とうさまぁ…」

「ヒック…ヒック…」

「ああもう、泣かないでくれって…」

「だって…だって…」

「とうさまがわるいんだもん…」

 

そう言われては反論することはできず、九峪は二人が泣き止むまであやすことしかできなかった。暫く時間をかけ、ようやく二人が泣き止んだところで折り曲げていた膝を伸ばして立ち上がる。そのときには二人の娘はもう九峪にベッタリになっていた。

 

「あらあら…」

 

あまりの変わり身の早さに苦笑する紅玉。そうしながら、県知事の代理としての仕事もこなすべく、深々と九峪に頭を下げた。

 

「ようこそおいで下されました、九峪様」

「うん。毎年のことだけど、ここにいる間はよろしく頼むよ」

「お任せを。何分あの子は、今年もあの調子なので」

「…ホント、ごめん」

 

九峪が苦笑しながら返した言葉に、紅玉が首を左右に振った。

 

「九峪様が悪いわけではありませんから。寧ろ、申し訳ない限りで」

「あー…とりあえずこの話はもうよそうか。これじゃいつまで経っても堂々巡りになりそうだ」

「お気遣い、感謝します。さ、中へ。具体的な仕事は明日からということで、本日はごゆるりと過ごされてください」

「ああ」

 

そして九峪は義理の母親である紅玉に先導され、子供たちと共に鹿児島へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

その夜。

 

「ふぅ…」

 

寝台に腰を下ろし、一息つく九峪。一年ぶりの九峪の鹿児島来訪ということもあり、今宵は盛大な宴が催された。薩摩の頂点が大陸出身の香蘭ということもあり、こういう場合には大々的、大らかな雰囲気になるのは向こうの気質というものであろうか。更に宴の前には久しぶりに子供四人と一緒に湯浴みをすることにもなり、その際に四人が九峪を取り合ったのもまた記憶に新しい。

そんな四人は今、紅玉が一手に引き受けている。これは九峪がここにいる際の規定事項であった。この地で夜に九峪を独占する特権を持つのはただ一人だけ。

 

「九峪様ぁ♪」

 

その人物、香蘭はベッタリと九峪に抱き着いて甘えた声を出している。しかもこれが寝所についてからのものではなく、寝所に向かう際の道のりからこの状態だったのだ。感情をストレートに表すのは昔からなのだが、正直なところ時と場合も考えてほしくもある。その反面、

 

(でも、変に遠慮するとそれはそれで香蘭らしくもないんだよなぁ…)

 

とも思っており、九峪としては香蘭の行動は痛し痒しだった。ただその中でも、所構わず引っ付くのだけは止めてほしいとは思っている。それも結構切実に。理由は香蘭が嫌いとか振る舞いにうんざりしたとかいう後ろ向きなものではなく、ただただ困るからだ。何がと端的に言えば、その身体がである。

復興戦争当時から香蘭のスタイル、プロポーションは妻にした女性たちの中でも一際群を抜いていた。今は年齢相応の色気がそこに加わり、尚且つ他の女性陣が羨み、嫉妬するスタイル、プロポーションには更に磨きがかかっている。そんな身体を何かあるたびに度々押し付けられ、更に四六時中好意を向けられては、ムラムラして仕方ない。

だが当の香蘭はただただ九峪愛しさの一点から、逢えない間の時間を取り戻すかのようにこのような真似をしている。それは九峪もわかりすぎるほどわかっているので、香蘭の行動を無下にすることもできないのが頭の痛いところだった。そのため、そのムラムラを解消できる今からの時間は九峪にとってももってこいではあるのだが、大きな問題が一つあった。

 

「九峪様」

「ん?」

 

そのことに思いを馳せていた九峪だったが、今の香蘭の声色が今までと少し変化したように感じ、眼下の香蘭を覗き込む。と、

 

「香蘭、もう我慢できないね」

 

目を潤わせながら、そのまま香蘭が九峪を押し倒した。

 

「あーっと…香蘭?」

「九峪様ぁ」

 

この後の展開が容易に予想できるため、表情を凍り付かせながら香蘭を覗き込む九峪。そして九峪を押し倒して微笑む香蘭は、その笑顔だけ見ればいつもと変わらなかった。ただ一つ、その目に淫蕩の炎が宿っていることを除けば。そして、それを理解した九峪がこの後の展開も悟って背筋をゾクッと震わせる。

 

「ふふふ、もう逃がさないね」

「えーっと…」

 

渇いた笑いを浮かべるも、今の九峪には実質それしかできない。火魅子の血を引く者だけではなく、耶麻台国の全幹部の中でも単純な力では今でもトップクラスの香蘭を跳ね除けることなど九峪には土台無理な話である。そんな九峪との力関係を十分に理解している香蘭が思い切りよく寝巻の前をはだけた。当然、九峪の視線は露になった香蘭のその胸に集中する。

 

(相変わらず、すっげー迫力…)

 

もう何度も見て、触って、味わった香蘭の胸だったが、今になっても全く飽きることはない。元から耶麻台国の女性幹部たちの中でもトップクラスの大きさだったが、初めて逢った当時から比べても間違いなく香蘭の胸は成長していた。それが香蘭の元々の成長によるものなのか、それともこれまで九峪に丹念に可愛がられた結果によるものなのかはわからないが、とにもかくにも息を呑むほどのその巨大な胸は相変わらずの迫力で九峪の視線と視界を奪う。

 

「ふふふ」

 

目に宿る淫蕩な炎はそのままに妖艶な笑みを浮かべると、香蘭はその胸で九峪の顔を押し潰した。

 

「んっ!?」

「はぁ…九峪様…早くいつものように可愛がってほしいのこと」

 

自分の胸の下で短く呻いた九峪を窒息させないように香蘭が少しだけ離れる。そうしながらも九峪の顔を自分の胸で挟み、九峪の性感を高めるようにその柔らかな感触を存分に活用したのだった。

 

「香蘭」

「九峪様、早くぅ」

「……」

 

せっつかれた九峪がまるで催眠術にでもかかったかのようにその頂点を口に含む。その瞬間、

 

「はあん…」

 

香蘭が敏感に反応した。その反応を窺いながら九峪は香蘭の望み通り、その頂点を舐め、しゃぶり、舌で転がしながら、両手で両方の房全体をゆっくりと可愛がっていく。

 

「あ、あ、あっ!」

 

九峪の行為に香蘭の快感が一足飛びに高まっていき、口をついて出ていく声が高く、大きくなっていく。そして少し後、一際甲高い嬌声を上げると、糸の切れた操り人形のようにガクリと九峪の上にのしかかってきたのだった。

 

「おっと」

 

慌てて九峪が受け止める。先ほど同様に胸に押し潰されて呼吸困難になっては困るために身体をずらし、取り合えず自分の頭部が香蘭の胸の下敷きになることは回避した。そして香蘭を、自分の胸の上にその肢体が重なるように調整して抱きかかえ直す。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

久しぶりの快感が脳天を突き破ったため、九峪が自分の下でそんな真似をしているとは思ってもいない香蘭が息を荒くさせながら大きな呼吸を繰り返していた。約一年ぶりの情事ということもあり、とんでもない快感が全身を駆け抜けたのだ。だが、この程度で終わるわけも終わらせるわけもない。それは香蘭もそうだし、九峪もそうだった。

 

「はうっ!」

 

不意に股間に感じた強い快感に香蘭がまた短い嬌声を上げ、身体を捩る。香蘭の拘束から一応逃れた形の九峪の手がもう伸びていたのだ。全ては香蘭の望みを叶えるため。そして、このときを待ち続けていた香蘭にとってもこの快感は甘美なものだった。

 

「あ…あ…あ…」

 

九峪の身体の上で全身を投げ出しながら、ビックンビックンと小刻みに震える香蘭。股間から断続的に全身に響き渡っていく強烈な快感に成す術なく、ドロドロに蕩けた顔で嬌声を上げることしかできなくなっている。真っ赤に染まったその顔は淫らながら、とても幸せそうだった。

 

(ーっ!)

 

その、一年ぶりに見る香蘭の淫らな姿にリミッターが飛んだ九峪が体勢を入れ替えた。普通に考えれば香蘭が九峪に組み敷かれるなんてことはないのだが、唯一の例外が閨の時間なのだ。

体勢を入れ替え、組み敷いた香蘭の姿を改めてまじまじと見つめる。どの妻たちもスタイル、プロポーションは抜群だが、その点でのトップとなるとやはり香蘭だろう。何しろ、出るところの出具合が凄い。他の妻たち以上のボリュームで自己主張するその胸は、何度見ても飽きることはなく興奮が冷めることもなかった。

 

(元々格闘家で今でも身体を動かすことは好きだし鍛錬を欠かさないからなんだろうけど、それでもこのボディラインを維持できてるってのは凄いよなぁ…)

 

素直に感心しつつも、その身体を堪能できることに九峪は毎度感動を禁じ得ない。しかし、その感慨にふけることができたのもここまでだった。不意に、九峪の股間に刺激が走ったのだ。

 

「うっ!」

「ふふふ、九峪様ぁ…」

 

とろんとした表情はそのままに、香蘭が甘えた声を出す。それだけで、今の刺激は香蘭の手が伸びたことによるものだと九峪が理解した。そして香蘭が上下に己の手を律動させ始める。

 

「ちょ、ちょっと待った、香蘭」

 

ゆるゆるとした律動だったが、刺客的にも触覚的にも味覚的にも香蘭の胸を堪能し、それで興奮が高まっていたため、ちょっとの刺激でも果ててしかねない。それがわかったからか、

 

「はいのこと」

 

香蘭は素直に九峪の言うことを聞いて手を離した。

 

「はぁ…はぁ…はぁ…」

 

九峪が呼吸を整える。もう数えられないぐらい情事の経験はあるが、それでも果てるときはあっという間に果ててしまう。そしてまさに今がその危機だった。だが香蘭が思いもせず素直に九峪の願いを聞いてくれたため、何とか暴発することなく一旦、快感の波を引かせてゆくことができた。

 

「九峪様」

 

そんな九峪を見上げていた香蘭が、頃合いを見計らって九峪に声をかける。

 

「ん?」

「香蘭、なぜ今九峪様の願い聞いたかわかる?」

「え?」

「香蘭、九峪様にあのまま気持ちよくなってもらっても良かった。でも今夜は、再会後の初夜。だから…」

 

香蘭がゆっくりと股間を開く。

 

「九峪様、香蘭と一緒に気持ちよくなって?」

「こ、香蘭…」

 

ストレートな香蘭の誘い文句とその肉感的な体つき、そして淫らな仕草に九峪は、一度は退かせた快感の波のボルテージが再び高まっていくのを感じていた。

 

「九峪様、香蘭のこと、沢山愛してほしいのこと」

「こ、香蘭!」

 

九峪がなんとか我慢できたのはそこまでだった。ここまで求められてはその気にならない男などいない。ましてや香蘭ほどの女性なら尚更である。

 

「きゃん! 九峪様ぁ♪」

 

嬌声を上げながら再び寝台に組み敷かれる香蘭。そして直後に寝台の軋む音と男女の嬌声が一晩中寝所に響き渡ることになったのだった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。