異世界出稼ぎ冒険記 IFルート (黒月天星)
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その一
本編第十二話の最後からの分岐となります。
◆◇◆◇◆◇◆◇
異世界生活十五日目。
『ねぇ。トキヒサちゃん。もしこれからの予定が決まっていないなら………………アタシと一緒に行かない?』
以前イザスタさんから言われた誘いの言葉を、俺はふと思い出す。あれからもう十日か。それなりに経ったものだ。
あの時俺は誘いを受けるべきだと思った。断る理由も特にないし、そのこと自体は今でも間違っていないと思う。ただ、
『……すみませんイザスタさん。今はその誘いは受けられません』
『あら……どうしてか聞いても良い?』
『急な話でしたから、心の整理をする時間が欲しいんです。……すみませんが、次に看守さんが来るまでに決められそうにありません』
『そう。まあ確かに急な話だもの。仕方ないわねん。……良いわ。明日まで待つから、その時お返事を聞かせてちょうだい。アタシは一足先に出所するけど、その時に言ってくれれば良いから』
時間内に決められなかった俺を、イザスタさんは咎めなかった。むしろ急かしてしまったとばかりに申し訳なさそうな顔をした。謝るべきはこっちだというのに。
そしてその日の夜、イザスタさんは自身の出所をディラン看守に申請した。
結果として、翌日ネズミ凶魔の襲撃があった時、俺はイザスタさんに着いていくことが出来なかった。申請をしていない以上、イザスタさんはともかく俺は囚人のまま。外に出ればスライム達が俺を取り押さえることになるからだ。
『トキヒサちゃんはここでスライムちゃんと一緒に待っていて。この凶魔がどこから来ているかちょっと調べてくるわ。……大丈夫! ちゃっちゃと片付けて戻ってくるわ。戻ってきたら……その時に昨日のお返事を聞かせてねん!』
そう言ったイザスタさんはとても張り切っていた。もしかしたら無事事件を解決し、良いところを見せようとしていたのかもしれない。そうすれば俺が一緒に行くことを了承してくれると。そんな事をしなくても、俺の返事はとうに決まっていたというのに。
だが、それきりイザスタさんは戻ってくることはなかった。
後でやってきたディラン看守によれば、凶魔を呼び出していた悪党を撃退したものの、そいつは去り際に空間に裂け目のような物を創っていったという。
そこに吸い込まれた少女を助けようと自身もまた裂け目に飛び込んでいって、今もまだ連絡がなく行方不明らしい。イザスタさんは俺なんかよりよっぽど善人じゃないかと思う。
そして襲撃の二日後、俺は普通に出所することとなった。イザスタさんが、俺に内緒で出所用の金をディラン看守に払っていたのだ。おそらく俺の答えによっては、サプライズ的に出所という流れにしたかったのだろう。
俺が考えた上で誘いに応じることを読まれていたのも、別に悔しいとは思わない。イザスタさんならやりそうだ。
肝心のイザスタさんが居なくなった後、金をネコババすることも出来ただろうに、ディラン看守は俺の出所の手続きを済ませてくれた。
実はイザスタさんが裂け目に飲み込まれる寸前、俺のことを宜しくと頼んでくれたらしい。どこまでも頭が上がりそうにない。
あの最初の誘いに応じていたら。もしイザスタさんと一緒に牢を出てネズミ凶魔の出どころを探っていたら。あるいは俺も助けになれたかもしれない。時々そんなことを考える。
「……もしそうなら、どうなっていたかなぁ」
「お~い雑用! 早く次の皿を洗え。まだまだ沢山あるんだぞ!」
「あいよっ! ただいま」
考え事をしていて手が止まっていたらしい。だけど全てはたらればだ。今は料理長が怒りだす前に早いとこ仕事をやらないとな。
ここは王城の厨房。俺はいま絶賛雑用係として皿洗い中だ。
人間兵士だろうが文官だろうが貴族だろうが腹が減る。城に出入りする人は当然多く、その人達の食事の量となると毎日膨大だ。そして食事をすれば当然片付けが必要であり、俺の目の前には食器が山と積まれている。
俺は目の前にある大量の食器を一枚ずつごしごしと洗う。俺に料理の才能はないし、最初の頃はあまりの多さに苦戦したもんだけど、何日もやっていれば要領も分かってくる。今では鼻歌を歌う余裕も出るくらいだ。
少しずつ食器の山は切り崩され、遂に自分の分の最後の一枚を洗い終わった。……う~むピカピカだ。我ながら上手くなったものだ。
「料理長。食器洗い終わりました」
「ご苦労さん。……そろそろ時間だな。今日はもう上がんな。いつものように裏に賄いを用意してあっから」
「はい。ありがとうございます。それではお先に失礼しますね」
戦うコックさんって感じの厳つい風貌をしている料理長だけど、王城の料理長だけあって料理の腕は間違いなく達人だ。賄いとは言えその料理は絶品。
俺はしっかりと一礼すると、他の人達に挨拶しながらウキウキ気分で従業員用の食事スペースに向かった。
「ああ。食った食った」
俺は用意された自室に戻り、備え付けられたベッドにダイブする。
たらふく夕食の賄いを食ったことによる満腹感と、今日一日たっぷり働いた疲労感。そしてそこまで柔らかくはないものの、牢屋とは比較にならない寝心地の良さについウトウトしてしまう。
このまま寝たらきっと気持ち良いだろうな。……寝ちゃおうかな。いやしかし明日の用意とか……ダメだ。瞼が重くなってきた。
コンコンコン。
「……は~い。今行きま~す」
扉をノックする音に目が覚め、ベッドの誘惑を振り切って立ち上がる。
眠気が飛んだのは良いのだけど、良い気分でウトウトしていた所を邪魔されたという気持ちもなくはない。感謝八割逆恨み二割の気持ちを込めて、やや乱暴に扉を開ける。
「トキヒサ・サクライ。報告の時間だ。……一緒に来てもらおうか?」
そこに立っていたのは頬の少しこけた神経質そうな男。以前牢屋で俺の取り調べをした役人のヘクターだ。
「ああ。もうそんな時間でしたか。……疲れてるからもう少し休んじゃダメ?」
「良いから来い。閣下はお忙しいのだ。待たせるな」
拝むように頼んだのだがバッサリと断られた。取り付く島もないのは最初に名前を聞いた時から相変わらずか。数日の付き合いだけどまだどうにも仲良くなれそうにない。
「まったく。分かりましたよ。……だけど今戻ったばかりだから、身だしなみを整える時間くらいくれませんか? すぐ済みますから」
「…………仕方ない。急げよ」
俺が着ている服がヨレヨレになっているのを見て取ったのか、ヘクターは渋々扉を閉めた。……ふぅ。じゃあ目上の人に会う訳だし、少し着替えるとするか。
俺は以前支給された、雑用に向いているけどちょっと汚れて皴になりつつある服を脱いで畳み、代わりに一張羅であるこの世界に来た時の服に着替える。
アンリエッタとの通信機を鏡代わりにし、身なりを軽く整えれば準備万端。
「貴重品……と言ってもカギ以外特にないし、荷物は置いていっても良いか」
部屋の隅に置かれた私物のリュックをチラリと見て、そのままカギだけ持って部屋を出る。
「お待たせしました」
「早く行くぞ」
扉にカギをかけていると、ヘクターはそのままさっさと歩いていく。ちょっ!? ちょっと待ってよ! なんでこうせっかちなんだよ。俺は慌ててヘクターの後を追った。
コンコンコン。
「ヘクターです。トキヒサ・サクライをお連れしました。閣下」
「入りたまえ」
「はい。失礼します」
ノックの返事を待ち、ヘクターは静かに扉を開ける。偉い人ともなると、自分から立って迎えるという事はあまりしないのだ。俺はヘクターの後に続いて部屋に入る。
部屋は豪華とは言わないけどいかにも高級そうな調度品ばかり。その部屋の主、王補佐官なんて大層な肩書を持った爺ちゃんのウィーガス・ゾルガさんは、こちらに目を向けることなく“光球”の明かりを頼りに何か書き物をしていた。
わざわざ光球にしなくても、蝋燭か何かで良いような気もするんだけどね。前にそう聞いたら、こっちの方が光量を調節できるから書類が見やすいらしい。そんなもんかねぇ。
「ご苦労だったヘクター。……私は少しその者と話がある。席を外してもらえるか?」
「しかし閣下。私はっ!?」
「……ヘクター」
ヘクターは何か言おうとしたが、ウィーガスさんに再度言われるとそのまま一礼をして部屋を退出した。……出際にこっちを睨まないで欲しい。言ったのはこの爺ちゃんだからねっ!
そうしてヘクターが居なくなり、部屋の中には俺とウィーガスさんの二人だけとなる。相変わらずこの爺ちゃんは書き物ばかりで、ペンを走らせる音のみが静かな部屋を支配する。
……気まずい。何か話があるから呼んだんじゃないのっ!? この爺ちゃん威圧感が半端ないんだもの。早いところ終わらせてくださいよっ!
「…………まずは今日の報告を聞こうか」
「報告って程のことはないですよ。いつものように周りの人達の手伝いをしてるだけです」
牢獄の襲撃の後、俺は紆余曲折あって、現在目の前にいる偉い爺ちゃんの部下のような仕事をしていた。
襲撃の後出所出来たのは良かったのだが、町中にも凶魔が暴れ回ったらしく見て回るどころではなかったのだ。
イザスタさんと一時的に拠点とするはずだった宿、“笑う満月亭”も一部が破壊されて休業状態。他に泊まるあてもなく、どうしたものかと途方に暮れていた所、やってきたさっきのヘクターに連行されてウィーガスさんの前に突き出された。
『ようこそトキヒサ・サクライ。いや、こう言い直そうか。“『勇者』のなりそこない”よ』
ウィーガスさんは何故か俺が異世界から来た者、こちらで言う『勇者』であると知っていた。理由を聞くと出現した場所や身なり、ヘクターによる質問の内容や牢獄で採取された血なんかを調べて推測したらしい。
なりそこないという言葉にはやや引っ掛かるが、実際時間がずれて国の召喚に間に合わなかったのは確かだ。その意味ではなりそこないと言っても間違いではない。
『さて、長話は好かないので単刀直入に聞くとしよう。トキヒサ・サクライ……
俺の中のウィーガスさんのイメージが、油断ならない黒幕系爺ちゃんに固定された瞬間だった。
第一話いかがだったでしょうか? この作品ではもしもこうだったらの話を書いていく予定です。
あくまで筆休めの外伝なので不定期更新ですが、好評でしたら今のストックを終わらせた後また続きを書く所存です。
皆様の反応を何かしら頂ければ幸いです。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その二
◇◆◇◆◇◆◇◆
最初に会った時のウィーガスさんの言い分はこうだ。
いわく先日起きた王都襲撃事件により、現在の『勇者』達は肉体的及び精神的に大きなダメージを負っている。元々個人的にはあまり期待していなかったが、このままでは完全に役に立たなくなる可能性が高い。
最悪広告塔の仕事もこなせないとなると、国民の士気に関わる一大事。よって“今の『勇者』が役に立たなくなった場合のスペア”として俺に目を付けたと。
『……失礼ですが、冷血とか冷酷とか言われたことありません? 俺はまだ良いけど仮にも『勇者』にその言い草とか。……道具じゃないんですから』
一応目上だしどう見ても偉い人だ。下手ながらも敬語で、しかしちょっとだけムカッと来たのでそれも込めて言ってやる。
『国営に関わる者なら大なり小なり同じような考え方をすると思うがね。……それに私は言い伝えなど信じていない。『勇者』というのもかつての偉人の称号の流用に過ぎない。……まだ何も成していないのに『勇者』等とは片腹痛いわ』
ウィーガスさんはどこか皮肉気に、それでいて力強くそう断言した。
国教に『勇者』のことが盛り込まれているのに言い伝えを信じないっていうのは結構問題じゃないかと思うのだが、それを黙らせられるからの今の発言なのだろう。そうでなかったら
横で静かに佇んでいるヘクターは何も言わない。今の発言に何も思っていないのか、下手に口を挟むべきではないと考えているのかは分からないな。
『無論君が『勇者』となった暁には、国の運営に大きな影響がない程度であれば全ての行動を容認しよう。金、女、名誉、その他望む全ての物を出来得る限り提供しようではないか』
『だけどその代わりに道具、というよりウィーガスさんの都合の良い『勇者』になれって? お断りですね。……用がそれだけならこれで失礼します』
『貴様……閣下の誘いを断ってどうなるか分かっているのかっ!?』
俺がさっさと退出しようとするとヘクターが何か言ってきた。確かにウィーガスさんが一声かければ、俺なんかどうとでも出来るだろう。権力っていうのは強いからな。
衛兵に囲まれたりしたらすぐに捕まるだろうし、また牢獄に逆戻りというのもあり得る。今度はイザスタさんも居ないのだ。金で出所という事も出来ないだろう。それに……もう人の金で助けてもらうつもりもないし。
念のため入口までの道筋はさっき覚えたけど、正直追手を出されたら逃げ切れる自信はない。それに何とか逃げ切れたとしても、下手したらもうこの辺りで働けないかもしれない。
断った場合のデメリットがもう山の如しって感じで数えるのもメンドクサイ。普通にここは了承した方が良いのはまず間違いない。……だけど、
『正直金とか女とか名誉とか言われてもピンと来ないんですよ。金は欲しいけどそんなやり方じゃあアンリ……知り合いは納得しないだろうし、女の子は嫌いじゃないけど今はそういう時じゃないし、名誉も特に要らない。そして肝心なことは……
こういうタイプは役に立たなくなったら平気で使い捨てたりするタイプだ。そんなのに従っていたら後が怖い。そういう訳で逃げるが勝ち。多少失礼ではあるけれど、さっさとお暇すべく身を翻す。俺は部屋の扉に手をかけ、
『イザスタ・フォルス……と言ったかな?』
『……っ!?』
ウィーガスさんのその言葉に、俺は扉に手をかけたまま立ち止まる。なんでイザスタさんの名前がここで出てくるっ!?
『牢獄では隣の牢だったようだな。数日間だが交友があり、そして先日の襲撃事件の際に行方不明に。なにやら君の出所に必要な代金を支払ったとか……再び会いたいとは思わないかね?』
『…………もうちょっと詳しい話を聞かせてもらえますか?』
◆◇◆◇◆◇◆◇
という事があり、ひとまず目の前の爺ちゃんに協力することになった訳だ。……あくまでひとまずだからねっ! 正直俺をいつ切り捨ててもおかしくないからねこの爺ちゃんっ!
どこへ行ったか分からないイザスタさんの捜索をダシにされるとこちらとしても断りづらい。おまけにもし俺が引き受けなくても、ディラン看守の方で普通に捜索してたんじゃないかと話している最中に気がついた。……なんか悔しい。
悔しいからついでに冗談で、『勇者』になったら一千万デンくらいくれるかと聞いたら、「それだけの国益を出せるというのなら検討しよう」と大真面目に返された。……一千万デン分の仕事って何をすりゃ良いんだよ!?
とまあ色々言ったものの、協力といっても特に凄いことをしているではない。
「え~っと、朝は城内の清掃や資材の搬入の手伝い。昼から町の復興作業の手伝い。夕方からは城の厨房で皿洗い。……今日はざっとそんな感じですかね」
今俺が報告で挙げたのは、どこも今日手が足りていなくて行った場所だ。襲撃のせいで怪我人続出、町はボロボロ、どこもかしこも大忙しだ。ウィーガスさんはそういった場所に俺を派遣している。
……どうやら俺に何が出来るのかを探っているようだが、おかげですっかり雑用係として認知され城のあちこちに顔見知りが出来た。
まあいざという時のために繋がりがあるのは良いけどさ。少ないながらも給料も出るし、朝昼晩と食事もあるから待遇自体は悪くない。城内に個室も用意してもらったしな。
「ふむ……では加護の方は何か分かったことは?」
「今のところは何も。……“適性強化”っていうのは自分の魔法の威力が上がったらしいですけど、元々の金魔法の威力が分からないし比較の仕様もないですね。他に金属性を使える人を探してきて比較した方が早いと思います」
それと以前採った俺の血から能力やら何やらを調べたらしいのだけど、それでも全てが分かるわけじゃない。実際加護の名前が“適性昇華”というのは分かったけど、既にある“適性強化”とどう違うのかは現在すり合わせ中だ。
あと俺の魔法適正が金属性というのも判明した。金を投げると爆発するっていうのは結構驚きだが、そんなものどこで使えば良いんだとツッコミを入れたくなる。……瓦礫を吹っ飛ばすのに役に立ったぐらいかな?
ちょっと金がかかるけど、その分は先に言っておいたら出してくれるので助かった。
「なるほど。……よろしい。では後で報告書を作成しヘクターに提出したまえ。この書類が終わり次第目を通しておく」
「へいへい。それじゃあこっちも部屋に戻らせてもらいます。ウィーガスさんも早めに終わらせて休んでくださいね」
「善処しよう」
毎日書類の山とにらめっこしているからな。無理しないでちゃんと休まなきゃ。
油断ならない系爺ちゃんではあるが一応仕事やら寝床を世話してもらってるので気遣ったのだが、相変わらず返事だけで手はペンを走らせたまま。
……その内ホントに倒れるんじゃないかと少し不安だ。なんか差し入れでもするべきだろうか?
「失礼しました」
俺はそのまま部屋を出て、外で難しい顔をしながら待っていたヘクターが入れ違いに中に入る。こっちの報告はそれなりに時間が掛かるからな。今の内に部屋に戻って報告書を書いておくか。
大体だけどこれが毎回の流れだ。
毎日ウィーガスさんの指示した人手の足りない場所で手伝いをし、夜にヘクターが呼びに来てそれに連れられて部屋に行き、仕事の内容や能力について分かったことなどを報告。
それが終わったら自室で細かい報告書を書き、ヘクターに提出してから明日に備えてぐっすり寝る。
イザスタさん関係の方はしっかり捜索していると確認を取ってあるし、何か進展があればディラン看守から知らせてもらう手筈になっている。進捗状況を聞かれなかったから言わなかったとかやりそうだからなあの爺ちゃん。まだディラン看守の方が信用が置ける。
『勇者』関係のことは今の所特別な指示はない。一応仕事に必要ということもあって、簡単な読み書きや魔法の練習くらいはしているけど、誰かに会えとか何をしろとかも特になしだ。
一見拍子抜けのようにも見えるけど、考えてみたらない方がこちらとしては良い。
召喚される前はまだ有りだったけど、今更『勇者』として皆からチヤホヤされるってのもなんか違う気がするし、そもそも俺はあくまでウィーガスさん風に言えば“スペア”である。本来なら使われない方が良い流れな訳だ。
『勇者』達の肉体的、精神的フォローも現在向こうでやってる真っ最中であり、それが無事に済めば良い。そうなったら俺はお役御免自由の身……だと良いんだけど、どうにも少し雲行きが怪しい。
城の外はともかく中には『勇者』についての多少の噂が流れるのだけど、それによると『勇者』達の調子が思わしくないらしい。肉体的にはほぼ治ったようだけど、精神的に結構参っているとか何とか。どうしたもんかねぇ。
『いっそのこと、当初の予定通り『勇者』になる手で行った方が良いかもね。そうすれば『勇者』権限で多少は動くことも出来るでしょう?』
「それはそうなんだけど……今この状況で『勇者』になっても厄介ごとの気配しかないんだよなぁ」
毎日の日課として、寝る前にアンリエッタとの通信も欠かしていない。自分一人だけで悩んでどうにかなるというのはあんまりないからな。話す相手が居るっていうのは大切だ。
アンリエッタは相変わらずふんぞり返って終始上から目線。まあこれが基本なのだと分かっていれば腹も立たないが。
「襲撃のせいでまだあちこちピリピリムードだし、なったらなったであの爺ちゃんに良いように使われるのはほぼ間違いない。何せそのためだけに今はあまり役に立たない俺を囲い込んでいるぐらいだしな」
『国の外に出るのも難しいでしょうね。今は近くに居ないみたいだけど、時々監視役らしきものが周りをうろついているし』
俺は気がつかなかったのだが、アンリエッタが言うには仕事中や勉強中に時折そういうのが来ているらしい。こっそり逃げ出しても連れ戻されるってことか。
その後自室を貯金箱であちこち調べて、監視用の仕掛けが無いと確認出来たのが救いか。
「牢獄から出れたと思ったら、今度は国に捕まっているってオチかい。まったく嫌になるな」
『嫌になるのはコッチよ。雑用の給金程度じゃ目標額には程遠いし、このやり方じゃ評価になり得ないわ。せめてもっとこう……アイツが好みそうな起伏のある稼ぎ方じゃないと』
そうなんだよな。こっちとしても働くのは嫌いじゃないけど、折角異世界に来たんだから冒険がしたいという気持ちも当然ある。
牢獄で襲ってきたネズミ凶魔みたい狂暴な奴もいるかもしれないけど、他にワクワクして心躍るような何かもきっとあるはずだ。
そのためには、この場所にずっと留まっている訳にはいかない。
「でもひとまずはあの爺ちゃんに従って地盤固めだな。少なくともイザスタさんの情報が入るか探しに行く金が溜まるまでは」
『そうね。……それじゃあ頼むわよトキヒサ。ワタシの手駒。しっかり課題をクリアしてよね』
「分かってるって。アンリエッタの方も何か分かったことがあったら知らせてくれよな。……頼りにしてる」
アンリエッタがほんの少しだけ顔を赤くしたかと思うとそのまま通信は切れた。……まさか照れたんじゃないよな?
そうして今日も一日を終え、俺はベッドの中に潜り込み、目を閉じると疲れからかすぐに意識が遠くなっていった。……また明日も働かないとな。
たった一つ選択が違うだけで、大分ルートの違いが出てきます。まあそれは時久に限らず、普通に生きている大抵の人にも当てはまることですが。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その三
異世界生活十六日目。
「…………っと。ふぅ。これで大体終わりかね」
今日の午前の仕事は城内の清掃作業の手伝い。割り当てられた通路をモップ掛けし終わり、俺はそのままググっと背筋を伸ばす。
たかが掃除と言わないように。城内ときたらとにかく広い。俺に割り当てられた分だけでも相当なものだ。……まあ他の人は俺より割り当てられた場所が広いんだけどな。これが毎日とは実に大変だ。
「さあて。終わったことを報告して、昼飯でも食べに行くとするか」
時間も良い具合だ。腹も減ってきたし、そうと決まれば善は急げ。さっそく行こうと掃除道具を抱えた時、通路の先の丁字路をメイドさんが数名何かを運んでいるのが見えた。……何やら美味そうな匂いがするな。
「すみません。それ何ですか?」
「……? ああ。こちらは『勇者』様のお食事ですよ。お部屋にお運びする途中です」
つい気になって声をかけてみると、メイドさん達は隠すことなく気楽に話してくれる。へえ~これがねぇ。俺は料理をチラリと見る。
鳥肉っぽい物のローストにソースを絡めたものをメインに、周りには品良く野菜を散りばめてある。横には魚の切り身を浮かべたスープに、瑞々しいサラダ。
焼きたてであろうパンとデザートに果物の盛り合わせまである。実に豪勢だ。……使用人の分とはえらく違う。当然だが。
「凄く美味しそうですね。だけど四人分にしちゃあ少なくないですか?」
「これは御一方のものですから。それぞれ『勇者』様の好みに合ったお食事をご用意しておりますので」
料理の内容は各自別々ってことか。使用人用の食事は、日によってメニューは違うけど基本同じだからなぁ。まあ美味いから良いんだけどね。
「こんなのが毎回食べれるとは『勇者』様が羨ましいですね。さぞかし『勇者』様も喜んでいるんじゃないですか?」
俺の立場は雑用係。『勇者』を呼び捨てにするわけにもいかないし一応様付けする。あと『勇者』になりたいとはあまり思っていないが、食事に関して羨ましいのはホントだ。美味い食事は心に余裕を持たせるからな。
そういった気持ちを素直に言ったのだが、何故かメイドさん達の表情が曇る。何か気に障ったのだろうか?
「そう……だと良いのですが。……っと。こうしてはいられません。急ぎ昼食をお運びしなくては」
「なら俺も運ぶの手伝いますよ。丁度仕事も終わったところだし、時間を取らせましたから」
考えてみれば、毎日仕事ばっかりで肝心の『勇者』はまだ見たことが無かった。これを機にどんな人か見てみるのも悪くないかもしれない。……ちょっと日本が恋しくなって話を聞きたいと思っていることも否定はしないけどな。
メイドさん達は最初そんな事はさせられないと渋っていたが、ここで時間をかけている訳にはいかないと思い直したのか了承してくれた。よっしゃ。荷運びならお任せくださいって!
こうして俺は、メイドさん達と一緒に『勇者』に食事を運ぶのだった。
「……ごめんなさい。食欲ないんです。……持って帰ってくれませんか?」
食事を運んだ俺達への対応は、扉越しに返されたその言葉のみだった。声からして女性のようだけど、姿すら見せないとはどういう了見だ?
「昨日もそのようなことを仰って召し上がらなかったではありませんか。食事を摂らなくてはお身体に差し障ります」
「そうですよ『勇者』様。お願いですから少しだけでも召し上がってください」
「…………あとで頂きます。ですから、今は放っておいてください」
「……分かりました。お食事は扉の前に置いておきますので、出来れば温かいうちにお召し上がりください。……失礼します」
口々に説得を続けたメイドさんだったが、『勇者』が一向に出てこないので遂に根負け。持ってきた食事を扉の前に置き、静かにその場を一礼して立ち去る。……『勇者』は気になったが、俺もメイドさん達と一緒に下がる。
それにしても何だアレ? 引きこもりか? 『勇者』が引きこもりなんて聞いたことないけどな。昨日『勇者』が精神的にまいってるって聞いたけどまさかここまでとは。
「この度は申し訳ありませんでした。折角手伝っていただいたのにこのようなことに」
「あの、俺『勇者』様って初めて見るんですけど、あの方はいつもああなんですか?」
「……襲撃の前はああではなかったのですけどね。子供を守って大怪我をなされて、やっと数日前に完治されたのですがそれ以来私共を避けるようになってしまって」
メイドさん達が深々と頭を下げてくるが、どう見てもメイドさん達のせいではない。だけどその時『勇者』に何かあったのかね? 怪我でトラウマにでもなったとか。
「最近はめっきり食欲も無くなってしまって、私共もどうすれば良いのか」
「なるほど。……でも今回は扉の前に置いてあるわけだし、腹が減ったら自分で取りに来るんじゃないでしょうか?」
「それなら良いのですが」
メイドさん達は皆本当に心配しているようだ。この様子からして、少なくともあの部屋の『勇者』はそれなりに慕われているみたいだな。
俺はそのままメイドさん達と別れ、仕事の報告をすべく使用人用の詰め所に向かう。しかし報告の時、そこで掃除道具をさっきの通路に置きっぱなしにしていたことに気がついた。
掃除道具を片付けないと仕事が終わったとは言えず、仕事が終わらないと昼飯にありつけない。早いとこ戻って探してこよう。
「え~っと、どこ置いたっけかな? ……おっ! あったあった!」
急いでさっきの通路にとって返し、見つけた掃除道具を手に取ってふと先ほどのことを思い出す。
扉の前においてちゃんと蓋もしてあるけど、食事を通路に置きっぱなしというのは何というか落ち着かない。そしてこういうのは、一度気になりだすとどんどん気になっていく。
「ちょっと様子を見に行くか」
仕方ない。ちょっと見てすぐに帰ろう。誰か不埒な奴が盗み食いしないとも限らないしな。……俺みたいな丁度昼時で腹ペコの奴とか。そうしてまた『勇者』の部屋の前まで見に行ってみたのだが、
「…………まるで手を付けてないじゃないか」
そこにあったのは先ほどとまったく同じ手つかずの料理。蓋を取って中身も一応確認してみたが、肉の一切れたりとも減っていない。スープもちょっと冷めている。
なんて勿体ない。このまま放っておいたら捨てられ……いや。上手くいったらディラン看守の伝手で、牢獄の囚人達に特別メニューとして振る舞われるかもしれない。それならまだマシか?
しかしこの一人分の量が行き渡るとは思えないし、そもそもこのまま捨てられる可能性の方が高い。目の前のこんな美味そうなものがこのまま捨てられるなんてことが許されるのか? いや、許されるはずはないっ!
ならどうするか? 簡単だ。
俺は周囲をきょろきょろと見渡し、念のため耳を澄ます。……近くに人影なし。誰かの歩いてくる物音もなし。ふっふっふ。人は居ないな。絶好のつまみ食いチャンスだ。
「……待てよ」
俺はゆっくりと料理に手を伸ばしてそのままピタリと止める。
……さっきここの部屋の『勇者』は扉越しにあとで頂くと言っていた。もう既に三十分以上経ってはいるが、もしかしたらそのあとでが一時間ぐらいかかるのかもしれない。そうだとしたら食べるのはマズイ。
これはあくまで、このままだと食べられずに捨てられる料理をその前に美味しくいただく為であって、人が食べようとしていたものを横取りするのが目的ではない。
食べるという結果は同じでも、大義名分があるかないかはかなり違うのだ。……主に罪悪感の有無で。
「もう一度だけ聞いてみるか。……あのぉ。すみません。『勇者』様いらっしゃいますか?」
「…………何ですか?」
軽くノックをして中の様子を伺うと、中から小さく返事があった。寝ているってことじゃなくて一安心だ。
「お加減は如何ですかね? どうやら食事にも一切手を付けていないようだし、もしや体調が悪くて食欲がないのかなあって」
「…………そうなんです。お腹が減らなくて。……食事を下げてもらっても良いですか?」
やはり食べないか。……ならもったいないお化けが出る前に、俺が頂いちゃっても良いのかね? 俺は内心ちょっぴりルンルン気分でさらに訊ねる。
「じゃあ……すみませんが、俺がちょっと摘まんじゃっても良いですか? 実は昼飯をまだ食べてなくてもう腹ペコなんですよ。『勇者』様が食べる品なんてこんな機会じゃなければ食べられませんから。どうかお願いしますよ。この通りです」
扉越しで見えないかもしれないが、俺は両手を合わせて拝むような仕草をする。その後数秒ほどの沈黙の後、
「……良いですよ。私は要りませんから」
「おうっ! ありがとうございます!」
よっしゃっ! 言質取った。もうこっちのもんだ。俺は料理の蓋をゆっくりと取り、そのかぐわしき匂いを胸いっぱいに吸い込む。
匂いだけで口の中に涎が量産されていく。空きっ腹に腹の虫がグルグルと鳴り、早く寄こせと催促する。まあもうちょっと待てよ。これから腹いっぱいになるまで詰め込んでやるからな。
備え付けられているナイフとフォークを手に取り、まずはメインの肉を一口大に切り取る。……食べる前に分かる。これは美味い。口に放り込めばどれだけの至福の瞬間が味わえることだろうか。
「では遠慮なく……いただきま~」
グゥ~~っ!
至福の時間はどこからともなく聞こえてきた腹の虫の音で中断された。……一応言っておくが俺の腹の虫ではない。となると、
「……す、すみません」
やはりと言うか何と言うか、扉の向こうからどこか恥ずかしそうな声が聞こえてきた。……ちくしょう。こんな状況で食べられる訳ないじゃないかっ!
さようなら至福の味よ。俺はどこか諦観の境地に至りながら、ゆっくりと肉の刺さったフォークを下ろした。
人の食事をつまみ食いしようとする時久。……ただ一つ擁護するのなら、彼にとってはつまみ食いよりも、食べ物を粗末にする方が悪いことだった……ということです。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その四
俺がフォークを下ろすと、どこか気まずい沈黙が周りを支配する。……扉越しで直接見えている訳ではないが、相手が恥ずかしがっているんじゃないかなぁぐらいは雰囲気で何となく察する。
さて、この状況で俺が取るべき行動は。
「……とりあえず中に入って良いですか?」
「えっ!? そ、そんな……困ります」
「腹の虫が鳴いている人の前で自分だけバクバク食えるかいっ! 腹ペコに『勇者』だろうが何だろうが関係ないっ! 良いから早くここを開けてくれ」
「は、はい~っ!」
こうなったら『勇者』の腹の虫を宥めた上で余り物だけでも頂いてやるっ! ガチャリと扉から音がするのを聞いた瞬間、俺は素早く扉を開けて突入する。勿論我らが昼食達も一緒だ。
部屋の中には俺とそんなに歳の違わなさそうな女性が一人。この人が『勇者』か? まあ良い。今はそれよりもまずこっちだ。
「昼食デリバリーですっ! さあさあ食事を広げるから場所を開けて開けて。おっ! そこのテーブルの上なんて良いな」
「えっ! 男の人っ!? あ、あの……ちょっと」
部屋は中々に豪華。少なくとも俺の用意された部屋の倍……いや、三倍は広いな。俺の部屋もあの爺ちゃんが気を利かせて他よりちょっとだけ良い部屋だが、それに比べてもとても良い部屋だ。
……なんかちょっと家具が倒れてたりカーテンが破れたりと荒れているようだが、そんなのは昼飯の前には些細なことだな。
俺は丁度良さそうなテーブルを見つけると、軽くナフキンの一枚で拭いてその上に昼食を手際よく並べていく。食事の配膳なら手伝いで教わったこともあるからな。多少偉い人向けであろうとも何とかなる。……と思う。
「お待たせしました。ちょっとスープが冷めちゃってるけどそこは勘弁な。さあ。椅子にどうぞ『勇者』様」
ひとまず見た目だけなら何とか整い、ついでに何故か倒れていた椅子も起こして『勇者』を座らせる。
「あの、だから私……食事は」
「あれだけ盛大に腹の虫が鳴っていて、腹が減っていないなんて言わせないですよ。さあ食えっ! そして余った分を俺にくださいお願いしますっ!」
「ですから、このまま食事を持っていってもらえば差し上げますから」
「だから腹ペコの人から食事をぶんどれないんですってっ! せめて腹の虫を宥めるくらいには食べてもらわないと俺の精神衛生上良くないのっ!」
我ながら変なテンションになっている自覚があるが、普段はもうちょっと紳士的かつ穏やかな方なんだ。……ホントだぞ。少し腹が減って気が立っているだけだ。
だというのに、『勇者』は食事をじっと見つめるっきりで手を出そうとはしない。これはいったいどうしたことだ?
腹が減っていないという事はない。さっきの腹の音もそうだけど、それは『勇者』の食べたそうな目を見れば分かる。これは腹が減っていないんじゃなくて、
じゃあ何故手を出さない? まさか給仕をしてもらわないと食べられないとか? それならメイドさん達が来た時頼めば良いだけだしな。
「凄い猫舌ってことはなさそうだし、食べられない物とかは事前に言っておけば避けてくれそうだし……一体どうしたら食べてくれるんですか?」
「…………ベてください」
「何ですって?」
その時彼女はこちらに向き直り、どこか暗い瞳と口調で言った。まるで見定めるかのように。
「どれでも良いから先に食べてみてください。……毒があるかもしれないですけど」
つまりは俺は毒見役か。そこで俺は『勇者』のことをよく見る。……身体はほんの僅かに震え、表情から何となく読み取れるのは疑念と、恐怖と……それらと同じくらい大きな申し訳なさ。それなら、
「じゃあ遠慮なく。いただきま~す!」
俺は椅子をもう一つ持ってきて座ると、猛然と料理達に襲い掛かった。まずパンをナイフで二つに割って中にサラダを軽く敷く。勿論たっぷりとソースを絡ませてからだ。次に鳥のローストを乗せ、もう一つのパンで挟み込む。
これでお手軽だが高級なサンドイッチの完成だ。俺はそれに大口を開けてかぶりつく。……おぅ。一噛みごとに口の中に幸せが拡がる。
肉のギュッと凝縮された旨味も、野菜の瑞々しくシャキシャキとした食感も、そしてそれを引き立てるソースの味も。……どれもがそうそう味わったことの無い逸品だ。
「美味いっ! これは絶品だ。こんなのを毎日食べれるってのは贅沢だぞ」
俺がムシャムシャと美味そうに食べているのを見て、『勇者』は少し不思議そうな顔をしていた。どうしたのだろう?
「……ためらったりはしないんですか? 普通毒があるかもしれないなんて言われたらすると思うんですけど」
「そりゃあ入ってないって分かっていたからさ。それに信じているからな。いろんな人を」
俺はこれまでいろんな場所で働いてきた。当然『勇者』の食事を作ったであろう厨房の面々も知っている。
あそこの人達は皆料理人として誇りを持って働いていたからな。自分の作った食事に毒を盛るなんてことは考えられなかった。味見も出す前に済ませるから、毒を入れたらすぐにバレる。
じゃあ運んでいる途中に毒を入れる? それもまずない。さっき運んでいるメイドさん達を見ていたが、何かを入れたりする様子は見られなかった。俺が来る前に毒を入れたとしたら、そもそも俺に運ぶのを手伝わせたりしないはずだし。
まあ最大の理由としては、サンドイッチを作りながらこっそり足元に貯金箱を出して料理を査定して、毒の有無を確認していたからなんだけどな。使わなくても九割方大丈夫だけど、最後の一押しとして確認しておくに越したことはない。
……出てきた値段に一瞬ビビったのは内緒だ。使用人用の食事の十倍近くって何さっ!
「さてと。こうして俺が飯が美味いことを証明したわけだし、もうそろそろさっきから鳴ってるその腹の虫を宥めたって良いんじゃないか? それとも今度はスープやデザートも頂こうか?」
「…………いえ。ありがとうございます。……そうですよね。毒なんて入っているはずないんですよね。……いただきます」
『勇者』はどこか意を決したような顔でスプーンを手に取り、スープを掬い取って口に含む。……そしてごくりと音が聞こえたかと思うと、先ほどとは打って変わって凄い勢いでスープを飲み始めた。
これならもう毒見は必要なさそうだな。……ちょっと名残惜しいけど。
「……ふぅ。ご馳走様でした」
「お粗末様でした。しかし綺麗に平らげたなぁ。全然余ってない」
静かに両手を合わせる『勇者』を横目に、ほぼ余さずさっぱりなくなった昼食の皿を見てそうぼそりと呟く。
『勇者』は聞けば昨日からまともに食べていなかったようで、その分を埋めるかの如く凄い勢いで食べていき、もう果物の欠片くらいしか残っていない。
「あの……すみません。全然余らなくて」
「ああ別に良いって。元々貰えたら良いなぁ位で考えてただけだから。……それにサンドイッチはとても美味かったし。ありがとうな」
とは言ってもサンドイッチ一つではやはり物足りない。本当にとても美味かったのだけどね。仕方が無いので残った果物の欠片を口に放り込んで少しでも腹の足しにする。
これは後で厨房に行って何か分けてもらった方が良さそうだ。
「今から誰かに頼んで、お代わりを用意してもらいましょうか?」
「いやそれは良いよ。元々これは『勇者』様のためのものだし、さっきは毒見役ってことで先に頂いたけど、本来は余った分を貰えればそれで良かったわけだしな。……あっ!? いつの間にかタメ口になってた。申し訳ございません『勇者』様」
「いえ。良いんですよ。むしろ今のままで。……皆私達のことを『勇者』様って呼んで、どこか線を引いている感じがしますから」
それはこの国だとしょうがないかもしれない。やっぱり国教に『勇者』のことが絡んでいると、どうしたって敬われたりするわけだ。本人のせいじゃなくてもそういう扱いになるんじゃもうどうしようもない。
「そっか。じゃあタメ口でいっか。……この分だと『勇者』様って呼ぶのも避けた方が良いかな? なんて呼べば良い?」
「普通に名前で。私は……ユイ。ユイ・ツキムラと言います」
「月村だな。……俺は時久。よろしくな月村」
これが……『勇者』のスペアである俺と、正しく『勇者』である月村の初めての出会いだった。
このルートでは優衣の精神がやや不安定になっています。理由は……まあ頼れるあの人が居ないからという奴です。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その五
「時久さん……ですか? 変わったお名前ですね。……あっ!? 別に悪いって言っている訳ではないんですよ」
「そうかな? 自分じゃそうは思わないけど」
慌てたようにぶんぶんと手を振る月村。まあちょっと古めかしい名前だとは俺も思っているけどな。よく聞くキラキラネームとかじゃなくて良かったとも思うけど。名前は一生ものだからね。安易な名付けはいけません。
ちなみに俺はこの城では名前だけ名乗っている。ディラン看守もそうだったけど、名字を名乗るとよく没落貴族と勘違いされるからだ。個人的にはそれでも良いのだけど、何故かウィーガスさんに止められている。
「さあてと。じゃあそろそろお暇するとするか」
俺はゆっくりと立ち上がる。とりあえず当初の目的である食事は頂いたし、『勇者』の一人の顔も見ることが出来た。
まだ少々小腹が空いているが、そこはあとで厨房に寄れば余り物くらい分けてもらえるだろう。という訳で自室に戻ろうとしたら、
「あ、あの……もう少しだけ、お話しませんか?」
引き留められた。……腹ごなしに話がしたいという事だろうか? 俺は腹ごなしどころかまだ腹が減っているのだが。
だけどそう言う月村の顔を見て考えを改める。それはどこか張り詰めた顔で、放っておくとどうにも良くなさそうな気がしたからだ。
……仕方ない。幸い今日は午後からの仕事がいつもより始まりが遅く、ここで多少話をするくらいの余裕は十分ある。俺は再び椅子に座り直して雑談に興じることにした。
「えっ!? 月村って俺より年上なのっ!? じゃあやっぱり敬語の方が良いかな?」
「年上って言っても一つだけですから。普通に話してくれた方が良いですよ」
月村はちょっと慌てながらそう言うが、見かけからして俺と同じか年下だと勝手に思っていた。
俺と同じかほんの少し上くらいの身長に、肩まで伸びた艶のある黒髪。化粧っ気のない線の細い顔立ち。だけどどこか伏し目がちでオドオドした態度から、どことなく小動物のような印象を受ける。しかし実際は十八歳で俺より年上だというから驚きだ。
それからしばらく俺達は当たり障りのない話をした。好きな食べ物とか、互いの仕事のとかな。さっきの食事にもあったけど、こう見えて肉が大好きらしい。それにしちゃあ線が細いけどね。
『勇者』の仕事に関しては本人もよく分かっていないようだった。あまりその話題は話したくなさそうだったのですぐに切り上げたけど、向こうはどうやらこっちの雑用係の方に興味があるみたいだ。単に手が足りない所を手伝う仕事ってだけなんだけどな。
それからしばらくして、もうそろそろ良いだろうと俺は本題を切り出す。さっき見も知らない俺を引き留めるくらいだ。何か話したいことがあるのだろう。何で俺なのかは知らないけどな。
そしてそれは……きっとさっきのような雑談とは違う何か。
「それで月村。答えたくないなら答えないで良いんだけど、さっきはどうしてあんなことを? 毒とはまた穏やかじゃないな」
「それは……」
月村はそこで黙り込む。……自分の食事に毒が入っているなんて普通は思わない。少なくとも俺と同じ日本出身でそんな心配をする奴はそうは居ないだろう。
だけどさっきの言葉によると、月村は昨日からまともに食事を摂っていない。仮にそれが毒が入っているかもしれないという疑念からだったとする。じゃあなんでそんな話になったのか?
「…………あの、その」
「何で毒が入ってるなんて思ったのか知らないけど、言いにくいんなら言わなくても良い。ただ、食事はちゃんと食ってくれ。メイドさん達も心配してる」
「……本当に、そうなんでしょうか?」
「何が?」
また月村の瞳が暗く陰る。だがそれは一瞬のことで、すぐにまた申し訳なさそうな顔をする。
「頭では分かってはいるんです。ここの人達はそんなことしないって。……だけど、ふと思ってしまって、怖いんです。この前の襲撃で酷い怪我をして、やっと治ったと思ったら急に周りの人が、何でもないことが怖くなって」
「何でまた? 怪我を治してもらったんだろう? それなのに怖くなるっていうのは」
「襲撃の時、私の付き人の方に化けて襲ってきた人が居たんです。それもあって、また身近な人に化けているんじゃないかって……考えてしまって」
月村の言葉をまとめると、つまりはこういう事だろうか?
前の襲撃の時身近な人が別人だったことが気になって、今でもまたそんな事が起こるんじゃないかって不安。また襲われるんじゃないかって疑念。それが合わさってもう頭ん中がぐちゃぐちゃになっていると。
「なるほど。何となく言いたいことは分かった。……なあ月村」
「何でしょうか?」
「……お前バカだろ? 俺にそう言われるなんて相当だぞ」
「バ、バカって!?」
正直に思ったことを言うと、月村は驚いた様子で反応する。もしや慰めてもらえるとか思っていたんじゃないだろうな。
「あのな。詳しくは知らないけど、怪我したってのは同情する。身近な人に化けていたから怖いってのも分かる。……
「そ、それは……」
ほら口ごもった。誰かに相談できているんならこうはなっていない筈だからな。
「付き人さんやメイドさんがダメならもっと偉い人だ。偉い人ならガードが固くて化けづらいだろうし『勇者』なんだから話くらいは聞いてくれるかもしれない。対応策だって考えてくれるかもだろ? それも嫌だって言うなら同じ『勇者』の誰かでも良い。少なくともこんな所で食事も摂らずに引きこもっているよりは大分マシだ」
「だって……だって、私みたいな役立たずが、他の皆さんの手を煩わせるわけには」
「何をもって役立たずって言うのかは知らないけどな、本当に役立たずなら皆してこんなに気を遣ったりはしないよ。……それに怪我だって子供を守って負ったって聞いたぞ。それだけでも凄いことなんじゃないか?」
月村はどうも自己評価がとことん低いようだ。まあ見るからに荒事は向かなそうだし、『勇者』としての役割が戦闘のみであったのなら役立たずと言われてもおかしくはない。
しかし仮にウィーガスさんが『勇者』を広告塔として使いたいのなら、こういう性格の方がむしろ使いやすい。噂で聞いただけだけど、人助けが本当なら立派な行動だ。能力的に役立たずであっても広告塔としては上々だと思う。
ちなみに本当に役立たずならあの爺ちゃんのことだ。クビにするなり立ち直れるようカウンセラーでも付けるなり何らかの手を打つはず……待てよ。もしかして
「それでもまだ怖いってんなら……また俺が毒見役になってやるよ。だからさっきも言ったけど、食事だけはきちっと摂りな。きちんと栄養を摂らないと頭が回んないからな。相談云々はそれから改めて考えよう」
「…………分かりました。じゃあ、お願いします。……私が、周りの人が怖くなくなるまで」
これでも勇気を振り絞っているのだろう。そう答えた月村はまた身体が震えていた。だけど自分の意思でしっかりと出したその答えに、目の前の人は文字通りの意味での『勇者』なのだと感じる。
「そっか。じゃあ早速夕食もご馳走にゲフンゲフン……いや、毒見させてもらおうかな」
「ふふっ。ではいつもより多めに頼んでおきますね」
やっと普通に笑った。食事の時も雑談をしている時も、どこか無理したような顔だったからな。やはり美少女は笑っている方が良い。
「ちなみに、なんで俺を引き留めて話をしてくれたんだ? 初対面の相手なんだから警戒ぐらいするだろ? 周りが怖いって言うなら尚のこと」
「け、警戒してたのに時久さんが無理やり入ってきたんじゃないですかっ!? それで勝手にテーブルに食事を広げちゃうし、毒があるかもって言うのにためらわずに食べちゃうし。……もうここまで来たら、顔を知っている人より初対面の人の方が裏切られてもショックが少ないだけ話しやすいかなって」
「なんか無茶苦茶な理論じゃないかそれっ!?」
裏切られること前提で話さないでほしい。どうにも月村は基本ネガティブというかそういう気があるから不安だ。『勇者』としてこれから大丈夫だろうな?
そうしてなんやかんや俺達は夕食の約束をし、また後でご馳走が食えるとルンルン気分で自室に戻ろうとして、
「……っと。そうだ。雑用の仕事が遅くなった時のためにこれを渡しておくよ。小腹が空いたら摘まんでくれ」
扉を開ける時、ふと思いついて胸ポケットから取り出した品を投げ渡す。持った感じ溶けたり形が崩れたりもしてなさそうだから大丈夫だろう。月村は一度取り損ねてお手玉するも何とかキャッチする。
「おっと。そろそろ次の仕事の時間だ。そんじゃまた夕食時に。あっ! 怖くなくなって先に食べててもそれはそれで良いぞ!」
「はい。…………これってっ!? 時久さん。貴方はもしかして」
何か月村が言っていたような気がするが、流石にもうあんまり余裕はない。厨房に寄る時間もないな。そのまま俺は急いで自室へ戻っていった。さあてまたお仕事頑張りますか!
それにしてもあんなに反応してくれるとは。……月村も好きだったのかね? あの
時久。見事『勇者』の毒見役に出世(?)しました。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その六
午後の仕事は昨日に続いて町の復興作業の手伝い。初めの頃に比べれば大分落ち着いたけど、それでもまだあちこちに瓦礫やら何やらが残っているので忙しい。
「は~いもうちょっと離れて離れて。……もう良いかな? それじゃあ金よ、弾けろっ!」
俺は景気よく経費で渡された銀貨を放り投げ、周囲の人が今にも倒壊しそうな家から十分に距離を取ったのを確認して起爆させる。ボンっと音を立てて爆発した銀貨の衝撃で、倒壊しそうだった家は轟音を立てて完全に倒壊した。
放っておいていつ崩れるか分からないよりは、敢えて強い衝撃を与えて都合の良いタイミングでわざと崩した方が安全だ。……家の持ち主には気の毒だけどな。補償とかちゃんと出るよねこれ。
「協力感謝する。ある程度離れた所からこれだけの威力を出せる術者はあまりいないからな。非常に助かっているよ」
「そうでなくても今はどこも手が足りないですからね。俺みたいなのでも役に立てばよかったです」
今日の仕事の上司である役人さんが、喜色満面といった様子で俺の手を握る。壊すだけで良いならお安い御用だ。
こういう瓦礫撤去なんかは本来土属性持ちにお呼びがかかるのだけど、どちらかというと今は仮住居の作成なんかに回っていて動けない。
火属性や水属性は壊した後で延焼や水没の危険があるし、風属性はどちらかというと壊すより吹き飛ばすといった感じなので下手すると周りに二次被害が出る。光属性はそもそも数が少ないし、どちらかといえば怪我人の治療の方に回っている。
それに術者が建物に近すぎると巻き込まれる危険があるし、距離が離れれば離れる程精度や威力に影響する。人数を増やせば出来ないことはないけど、それだけのために人数をあまり割くこともできない。それで困っている所に俺が派遣されたって訳だ。
幸い金属性は一定額以上の金さえあれば威力は申し分ない。それに最近新たな発見で、投げてから少しの間なら任意で起爆出来ることも分かった。
こうして俺は作業終了の指示が出るまで、魔法の練習も兼ねて経費の金を投げまくった。金属性は魔力消費自体は少ないとはいえ、流石に長いことやったから身体が怠いし肩も痛い。
細かい瓦礫なんかはまた明日やるらしく、役人さんにまた明日も来てくれと頼まれたが、そこに関してはウィーガスさんの指示次第なので約束は出来なかった。雑用係はこういう時ツライ。
今日の仕事はこれでおしまい。あとは月村と夕飯の約束と、ウィーガスさんに仕事の報告。明日の準備をしてからアンリエッタと話をして寝るだけだ。
時間は……ちょっと押してるかな。待ってるかもしれないから急がないと。……まあ一人で先に食べれるならそれはそれで良いことなんだけどな。俺は作業員の人達への挨拶もそこそこに、月村の部屋に急いだ。
コンコンコン。
「お~い。時久だけども、入って良いか?」
「……はい。どうぞ」
その言葉と共に鍵の開く音がしたので、俺はゆっくりと中に入る。中では月村が、まだ手付かずの食事をテーブルに広げて待っていた。……やっぱりまだ食べてなかったか。
「こんばんは。……遅かったですね」
「待たせてホントゴメン。仕事が押しちゃって。……先に食べていてくれても良かったんだぞ」
「まだちょっと怖いから待ってたんじゃないですか」
月村がどことなくジト~っとした視線をぶつけてくる。女性を怒らせるとろくなことにならないというのは世の真理なので、両手を合わせて拝み倒し何とか許してもらう。
「じゃあ早速毒見をお願いします。ちゃあんとお願いして量を増やしてもらいましたから。……ちょっと変な顔をされましたけど」
「そりゃあ昨日まで食欲なかった人が、急にいつもより多く催促したら不思議がられるだろうよ。俺のことはちゃんと説明したのか?」
「それはその、何となく言いづらくて」
確かにいきなり毒見役に食事を食わせるから量を多めにしろとは言いづらいよな。そこの上手い言い訳も考えておくべきだった。……あと何故月村はもじもじしているのだろうか?
まあそこら辺はあとで考えるとして、今は食事の方が優先だ。目の前の月村からは早くしろとばかりの催促の視線が突き刺さる。
「ゴホン。……じゃあ気を取り直して、頂きま~す!」
「はい。どうぞ」
わざわざ用意してくれたのか、俺用の食器に食事を適当によそう。今日のメインは何かの魚のムニエルか。まだ温かみがあるが、時間が経てば経つほど月村の分が冷めてしまうので急いでいただかねば。
「…………どうですか?」
「うんっ? ああ。めちゃ美味いよこのムニエル! 皮もパリッとしてるし、身も引き締まってて」
「いや、味が良いのも大切ですけどそうではなくて」
「へっ!? ……ああ毒見の方ね。勿論忘れてないともさ。うん。……特に変な味もしないし、身体が痺れたり気持ち悪くなったりもしないな」
つい美味い美味いと食べていたけど、主目的は毒見の方だった。このままじゃ女性の部屋に乗り込んでタダ飯を食っただけの男になってしまう。しっかり毒見をしないとな。
さらに他の種類をまんべんなく少しずつ食べていき、念のため少し時間をおいたが特に体調の変化もない。そうして毒見役を全うし、ようやく月村も食事に手を付け始めた。
「どうだ? 美味しいだろ?」
「はい……って、何で時久さんが自慢げなんですか?」
「そりゃあ俺の同僚が作った品だからさ」
何ですかそれと月村がクスリと笑い、俺もそれを見てつられて笑う。やはり食事時は誰かと一緒が良いもんだ。一人で食べるのは味気ないもんな。
そうして二人で食事をしながらのんびりと雑談を交えていく。それにしても、昼間あった時に比べて月村の感じがちょっと変わったかな? 昼間はどこか無理をしているような感じだったが、今は少し落ち着いている。やはりちゃんと食事をしたのが効いたかな?
「そう言えば……これ」
食事中、急に思い立ったように月村が何か差し出してくる。これは、
「うん? ああ。昼間に渡したブ〇ックサンダーじゃないか。結局食べなかったのか?」
「はい。それで聞きたいんですけど、時久さんって……もしかして日本人なんですか?」
「そうだけど。言ってなかったっけ?」
「聞いてないですよっ!」
いやまあ言ってなかったというか。言わなくても気付いていると思っていたんだよ。だってここらの人で黒髪黒目の人って珍しいし、名前だってもろに日本風だろ? 少し古風かもだけど。
そんな風に反論すると、名字を名乗らなかったからこっちの人かと思ったらしい。まあ日本人は皆名字持ちだもんな。月村がフルネームを名乗ったのに対し、俺はウィーガスさんに言われたこともあって名前だけ名乗った。だから名字が無いと判断したのかもしれない。
「じゃあ時久さんも『勇者』なんですか? だけど私達が最初に来た時は居なかったような」
「それは……なんて言えば良いか」
これはどこまで言って良いことだろうか? あんまりアンリエッタのことを言いふらすのはマズそうだよな。……かと言って『勇者』とも名乗りづらい。俺はあくまでスペアだもんな。
それに、上手くは言えないのだけど、今の月村に『勇者』の話はマズい気がする。なので何とか誤魔化すべく口を開きかけ、
コンコンコン。
突如として扉をノックする音が聞こえてきた。よっしゃ! 誰だか知らないけどナイスタイミング!
「誰か来たな。俺以外にも約束とかしてたりした?」
「いいえ。食器を片付けるにしては時間が大分早いし、まだ本調子ではないってここ数日分の用事もキャンセルしてもらっているから、訓練に呼びに来るってこともないはず。……誰でしょう?」
アポなしの訪問か。まさか月村の言ったように誰かが狙ってきたってことはないだろうけど、ちょこっとだけ気を引き締める。
「はい。どちら様ですか?」
「ボクだよ。明だけど……もう夕食は済ませちゃったかな?」
月村が扉に近づいて声をかけると、扉越しに男とも女とも取れない声が返ってきた。誰だろうな?
「ううん。まだ途中だけど」
「良かった。じゃあボクも一緒に食べて良いかな? 勿論自分の分は持ってきてるよ。少し話したいこともあって」
「え~っとその……どうしましょうか?」
月村の最後の方の言葉は、声を潜めて俺に向けられたものだ。どうしましょうって……どうしよう。
「明っていうのは私と同じ『勇者』の一人で、ここにきてしばらくの間は時々話をしていたんです。私が怪我してからは色々あって話も出来なかったですけど……でも悪い人じゃないんですよ」
他の『勇者』か。まあ色々あってて所が気にかかるけど、月村の反応から見るに信用してないって感じじゃなさそうだ。
月村以外の『勇者』にも会ってみたいとは思っていたし、食事をしながらなら話が弾むかもしれない。
「俺は別に構わないけど?」
「私が気にするんですっ! 考えてみたら、こんな時間に男の人と二人っきりで食事とか、誰かに見られたら誤解されるって言うか……」
「誤解って……そんなわけないじゃないか。ただの毒見役ですって言えば良いんだ」
「お~い。どうしたんだい?」
そうこうしている内に、扉越しにどこか訝しむような声が聞こえてきた。そりゃあ急に声が聞こえなくなったら気にもなるよな。
「もう開けちゃえ開けちゃえ。俺のことは適当に言ってくれれば良いから」
「適当って……もう分かりましたよ。は~い。今開けるからちょっと待ってね」
内側から月村が鍵を開ける。そして扉を開けると、そこにはどこか中性的な雰囲気を持った美少年……いや、美少女? どっちだ? とにかくそういう人が立っていた。あれが明という人らしい。
明は部屋の様子をチラリと見て、
「…………どうやらお邪魔したみたいだね。どうぞごゆっくり」
そのまま静かに扉を閉めた。
「……いや待って明っ! それ誤解っ! 誤解だからぁっ!」
そうして何とか月村が明に追いつき、誤解を解くまで少しの時間が掛かった。……何とも締まらない初対面になってしまったな。
男女が二人っきりでディナー。……これってデートじゃないかしら? 月村はそう考えてしまってちょっとテンパってます。時久は普通に知り合いの部屋にタダ飯を食いに来た認識ですが。
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『もしも時久がイザスタと一緒に行くことを選ばなかったら』その七
『……ププッ。ダメ……もう無理。あ~っはっはっは!!』
「笑い事じゃないってのっ! まさか普通に逢引きと勘違いされるとか……」
その日の夜中、自室でいつものようにアンリエッタに今日のことを報告する。だがいきなりアンリエッタときたらこの通りの大爆笑。いやそこまで人の不幸を笑うことないだろうに。こっちはこっちで大変だったんだぞ。
『まあそこはすぐに誤解が解けたから良いじゃないの。結局その後どうなったの?』
「見てたなら知ってるくせに。自己紹介の後明も含めて皆で夕食会だよ。まあ明はどちらかというと、
初対面で少し話しただけだったけど、明は実に気の良い奴だった。物腰は穏やかだし、きちんと説明すれば話が分かるタイプって奴だ。そもそも月村を訪ねてきたのも、月村が最近食事もろくに摂らずに引きこもっているのを心配してのことのようだし。
持参した食事はどれも、腹持ちよりも栄養を重視したものばかり。食べ盛りの人が食べるにはやや物足りないが、身体の調子の悪い女子学生が食べるなら丁度良いくらいの品だ。最悪月村が夕食を食べていないようであれば、自分の分を渡す算段だったのだろう。
「まあ月村がしっかり自分の分を食べていたのを見て安心したんだろうな。すぐに持ってきた分を食べ終わって、少し雑談をしたらそのまま引き上げていったよ」
『そのようね。それで……アナタは何てユイに紹介されたんだったかしらねぇ?』
「だからニヤニヤ笑いながら言うの止めろって。ただの雑用係……
自己紹介の時、流れとは言えなんでまたあんな風に説明しちゃったかな月村め。ただの毒見役か雑用係って言ってくれればよかったのに。あれを聞いた時の明の顔といったら……非常に複雑な顔をしてたぞ。
普通偉い人の付き人というのは、それなりに厳しい基準の下で選ばれる。能力は当然として素性などもばっちり調べられるのだ。それなのに俺ときたら、能力はそんなに期待できない上に素性も確かじゃない。というか別の世界だ。調べようがない。
「さらに困ったことに……その月村が適当に言ったことが普通に通りそうなんだよっ! あの爺ちゃんも余計なことを」
『というより、
夕食の後でのウィーガスさんへの報告の時、なんと向こうからそのことについて言及してきたのだ。どうやら部屋でのことを監視か何かしていたらしい。
おまけにわざわざ「付き人の件はこちらで手を打っておく。欠員に一人ねじ込むことなど造作もないことだ。……なに。君は何も心配することはない」なんて顔色一つ変えずに言ってたもんな。
考えてみれば、今日メイドさん達が通りかかるのを見たのはあの場所で掃除するようウィーガスさんから指示を受けたからだし、珍しく午後の仕事は始まりが遅かった。
俺が『勇者』に興味を持っていることは当然向こうも知っているし、おまけに話をする時間まであるとなれば食いつく可能性は充分だ。
『ユイは精神的にまいっていた。それは食事を摂ることにさえ支障が出るレベルで、このままじゃ『勇者』として使い物にならない。だからウィーガスは何か刺激を与えるためにトキヒサとバッタリ会うよう仕組んだ。といった所かしらね?』
「……俺はカウンセラーじゃないってのに。最悪もっと悪化することだってあり得たんだぞ」
『それならそれで良いと考えたんじゃない? もし失敗して月村が本当にどうにもならなくなったとする。そうしたらその代わりにアナタを据えれば良いもの。アナタなら大なり小なり責任を感じてその分は協力しようとするだろうしね』
あの爺様ならやりそうだなホントに。……やはり好きになれない。そんなのが一応の上司かと思うと嫌になるな。俺は頭を軽くかきむしる。
「まあなったらなったで、礼儀作法とかはよく分からないけどやれるだけのことはやるさ」
『そういう所は律義よねぇ。あくまで雑用係と兼任という所もアナタらしいわ。むしろ相手側から雑用係を辞めさせに来るかもよ』
「そりゃあ向こうから辞めろと言うんだったら仕方がないけどな、そうじゃないなら続けさせてもらうだけだ。どこもかしこも手が足りてないんだから」
とは言ったものの、結局の所仕事の配置はウィーガスさん次第なんだよな。付き人に専念しろと言われたらそれまでだし。せめてやりかけの分くらいは終わらせたいんだけどな。
『まあ前向きに考えたら? 雑用係から『勇者』の付き人に出世ってことで。給料も上がるかもしれないわよ?』
「その分諸々のしがらみが増えて身動きとりづらくなるっての。……だけど、月村を放っておく訳にもいかないしな」
あの爺ちゃんの思惑に乗るのは癪だが、このまま放っておいたら月村にどんな影響があるか分からない。今日見た感じだと明も気にかけてはいるようだが、何だかんだ二人は今日まで話せなかったみたいだしな。またしばらく会えないなんてことになったらマズい。
俺はカウンセリングにかけては門外漢だけど、こういう場合誰でも良いから話し相手が多いに越したことはないと思う。少なくとも一人で溜め込むだけよりはまだマシだろうから。
「街の復興はまだまだだし、城の中の人手が足りないし、他の『勇者』のこともまだ知っておきたいしとやることが多すぎる。おまけに月村の付き人もやらなきゃいけないとなると大忙しだ」
『それでも投げ出すつもりは無いんでしょ?』
「自分の中で納得がいくまではな。……“相棒”が聞いたら呆れそうだけど、俺は関わった人が嫌な目に遭うのはなんか嫌なんだ」
たった一日手伝っただけの関係もある。少し一緒に食事をしただけの人もいるな。月村なんかまさにそれだろう。……こっちとの共通点といったら同郷であるということぐらい。だけど、助ける理由なんかそれだけで十分だ。
「それに、どうせならまたイザスタさんに会った時に言いたいじゃないか。あの時一緒に行けなかった代わりに、俺はこれだけのことをやりました。イザスタさんの払ってくれた出所代のおかげですって。
イザスタさんは多分無駄とかそんなことは思っていないだろうけど、
そんなままじゃいられない。例えイザスタさんが認めても、他ならぬ俺自身が認められない。
『……はあ。アナタも大概難儀な性格をしているわね』
「男はね、美女や美少女の前だとカッコつけたがるもんなんだよ。これもまた」
『ロマンって言うんでしょ? 分かってるわよ。……まあそれだけの寄り道をしてなお課題を達成出来れば、それだけ評価が高くなるか。こうなったらきちっとやり遂げなさいトキヒサ』
「分かってるって。きっちりアンリエッタの分も稼いでやるよ」
『ワタシの手駒なら当然ね』
そうして俺達の通信は終了した。
やることは多く前途多難。だけど、そんなのは異世界じゃなくても普通にあることだ。今自分に出来ることを一つ一つやっていこう。いつかまた、イザスタさんに会った時に胸を張れるように。
「そう言えば、一つ聞き忘れたことがあったんだ」
『何よ改まって』
俺は先ほどの一度目の通信の終了の後、すぐさま
「俺がこの世界に跳ぶ直前、見せてくれた映像があったろ? あれって起こりえる可能性の高い未来って話だったよな?」
『そうね。絶対じゃないけど、邪魔が入らなければおおよそこんな感じになるという未来。実際はあの中に割り込ませる予定だったのに惜しいことをしたわ』
「だよな。……となると俺が来る直前に未来が変わった訳か。何とも妙な話だな」
俺が来たことでとか、行く時の誰かの妨害の余波でって言うんなら分かるんだけどな。実に不思議だ。
『ちょっと待って。いったい何の話?』
「いやな。夕食の時からどうにも違和感があったんだけど、今にして気付いたんだ。
『メンバー?』
アンリエッタが首を傾げる。そうしていると普通に外見通りの女の子みたいだ。中身は守銭奴だが。
「そう。『勇者』のメンバー。……だって今日初めて会ったけど、
悪い奴ではないのだろう。それは話をして俺が感じたイメージだ。だけど……それじゃあアイツはいったい誰なんだろうな?
ひとまずですが、これでこのIFルートは終了となります。あくまでIFなので続きを書くかどうかは未定ですが、もしこのルートの続きが読みたいというコメントなり評価なりが来たら書くかもしれません。
ここまで付き合っていただいた読者の皆様に感謝を。
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