お姉ちゃんになったお兄ちゃんとイチャイチャしたい。 (雨宮照)
しおりを挟む

『第一章』
恋人になりたい。


「――お兄ちゃん、あなたのことがずっと好きでした!」

 

 言って、しまいました。

 幼いころからずっと隠してきた感情。

 伝えてはいけない想いを、口にしてしまいました。

 目の前では、愛しのお兄ちゃんが目を見開いています。

 驚くのも無理はありません。

 血の繋がった妹から愛の告白を受ければ、誰だってこうなります。

 お兄ちゃんが言葉を失ってしまったため、数秒の沈黙が訪れて。

 それから、彼は口を開きます。

 柔らかそうで、それでいて厚くない唇。

 その中からどんな言葉が紡がれようと、私は受け止めるつもりです!

 そう、覚悟をしていた私でしたが――

 

「――ごめんね、若菜。ちょっと、考えさせてほしいんだ」

 

 お兄ちゃんはすぐに否定することなく、保留してくれました。

 普通なら切り捨ててしまうはずですが、さすがお兄ちゃんです。

 これは、保留期間にどうやってお兄ちゃんをオトすかが鍵になってくるでしょう。

 なぜならこれから結論を出すまで、お兄ちゃんは私のことを意識し続けるからです。

 それならば、と私はすぐに準備に取り掛かろうとします。

 でも、その前に。

「わかりましたお兄ちゃん。検討してもらえること、とっても嬉しいです!」

 抑えきれない笑みで、お兄ちゃんに告げました。

 悩むお兄ちゃんでしたが、そんな姿もかっこよくて素敵です。

 私は告白の舞台、彼の部屋から退出するとすぐに隣の自室に入ります。

 そして、録音機材をセットして――

「若菜のことが好き、若菜のことが好き、若菜のことが…………」

 延々と、自分のことを好きになるよう音声を記録しました!

 これをお兄ちゃんの枕元に夜な夜な設置すれば勝ちも確定です!

 部屋で一人、ほくそ笑みました。

 しかし、お兄ちゃんには早いところ私と付き合ってもらわなくてはいけません。

 気持ち的にはいつまでも待てるのですが、そろそろ期限が……

 遅くとも、今週中には決めていただかないと応募できません。

 私は時間切れを危惧すると、より一層暗示を強化するように、音声を重ねて記録します。

『わわかかななののここととががすす…………』

 もう何と言ってるかは分かりにくいですが、きっと効果も二倍なはず!

 私は安心して息を吐き、お風呂場に移動しました。

 

   *

 

――翌日。

私は、ハンモックに揺られる夢を見て目を覚ましました。

すると、目の前には整ったお兄ちゃんの顔があります。

……あれ? まだ夢の中なんでしょうか?

幸せな光景を前にほっぺたをつねろうと指を出すと。

「おはよう、若菜。昨日の答えだけど……いいかな?」

 その指をお兄ちゃんが掴んで、囁きます。

 瞬間私はそれが夢ではないと分かり、瞬間湯沸かし器のように沸騰します。

 すぐに顔が真っ赤になってしまって恥ずかしい限りです。

 しかし、それに対してお兄ちゃんは何も言いません。

 緊張しているのでしょうか。

 よく見ると若干手先も震えています。

 ……かわいいお兄ちゃんです。

 寝起きの乱れた姿を晒すのは恥ずかしいですが、いいでしょう。

 私は、お兄ちゃんに告白の返事を聞くため、再び彼の部屋に向かいました。

 

「これ、座布団。使って」

 到着すると、お兄ちゃんは黄色い座布団を出してきてくれました。

 これは去年ゲームセンターで獲った景品で、彼はこれを枕にして昼寝をします。

 それを知っているから、私はその座布団をお尻には敷きません。

 顔にくっつけてクンクンと嗅ぎました。

「……え、ええと……」

 すると、それを見たお兄ちゃんが困惑しています。

 お兄ちゃんの甘い香りと、ほのかな温もり。

 きっと、起きてから悶々としてこの座布団を抱いていたのでしょう。

 私は向けられる視線も気にせず、匂いを堪能します。

 お兄ちゃんを見ると、しばらくは私がこうしていることを諦めたようでした。

「お、おーい。若菜、もういいかい?」

「まーだでーすよー」

 十分経って、お兄ちゃんが訊ねます。

 しかし、ごめんなさい。

 あと五分、あと五分だけお兄ちゃんの匂いをぉぉぉぉ!

 視線に感情をこめてお兄ちゃんを見つめます。

 すると、お兄ちゃんの興味はもう別のものに移りかけていて――

「ああっ、ごめんなさいごめんなさい! ちゃんと聞きます!」

「……よろしい」

 危ないところでした。

 いくらお兄ちゃんが好きだからといって、本人に嫌われたら元も子もありません。

 座布団を抱えて正座をすると、話を聞く体勢になります。

「足崩していいのに」

 優しいお兄ちゃんはいいますが、崩しません。

 今日は大事な場面ですし、お兄ちゃんの前ではしっかりした妹でいたいので!

 ……座布団はクンクンしましたけどね!

 

「……で、告白の返事なんだが……」

 早速、本題に入ります。

 真剣な表情のお兄ちゃんがかっこいいです。

 お互いの、唾を飲み込む音が部屋に響きます。

 なんという緊張感でしょう。

 私の小さい胸が張り裂けてしまいそうなくらいです。

「俺は、若菜と――」

 来ました!

 お兄ちゃんの、お返事です!

 結果は、肯定か否定か、マルかバツか――

 

「俺は、若菜と付き合いたい!」

 

 来ました――――――!

 告白大成功です!

 私の初恋が実った瞬間です!

 誰ですか初恋は実らないなんて言った人は!

 私とお兄ちゃんの愛に限ってそんな理論は通用しないんです!

 内心飛び上がりたくなるほど嬉しいですが、まだお兄ちゃんの前。

 私は、正座のまま静かに口角を上げます。

 すると、お兄ちゃんも目の前で照れくさそうに笑顔を浮かべてるじゃありませんか。

 やりました、若菜はお兄ちゃんと晴れて恋人同士になったんです!

「お兄ちゃん、ありがとうございます! 大好きですっ!」

「……俺も、大好きだよ……。て、照れるな……っ」

 恥ずかしそうに赤面するお兄ちゃん。

 なんてかわいいんでしょう。

 手もモジモジさせちゃって、ほんとに!

 舞い上がる私でしたが、いけません。

 喜んでいるだけじゃなくて、伝えなければいけないことがありました。

「……お兄ちゃん、一つ、いいですか……?」

「お、おう、いいぞ。なんでも言ってくれ。若菜は……俺の彼女、なんだし……」

 目を逸らして尻すぼみに小さくなっていく声。

 そんなかわいいお兄ちゃんに、私は甘えることにしました。

「じゃあ遠慮なく言いますね。私は――」

 息を通常より多く吸い込んで。

 たっぷり間を開けて、言います。

 

「――私は、お姉ちゃんになったお兄ちゃんとイチャイチャしたいですっ!」

 

 突如として言い放たれた私の言葉に、ポカンとするお兄ちゃん。

 今日は色んな表情が見られていい日ですね。

「若菜……ちょっといいか……?」

「いいですよ、なんでもいってください。私はお兄ちゃんの彼女ですから!」

 得意げに言う私に、彼は泣きそうな顔で言い放ちます。

「……ちょっと一人にしてくれ――――――――!」

 

 ――ちょっとだけ、キャパオーバーだったようです。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

影響されるタイプ。

「――で、お姉ちゃんになるって……どういうことだ?」

 

 一時間くらい経って、整理がついた様子のお兄ちゃんがやってきました。

 随分悩んでいたようで、髪がボサボサです。

 告白の件といい、今回の件といい、とっても大変そうです。

 元凶の私が言うことでもないですが、もう少し休んだらいいのに。

 でも、それだと本当に間に合わなくなっちゃいますよね!

 ……それにしてもお兄ちゃん、かっこいいなぁ……。

 ボサボサの頭でも、ワイルドなかっこよさが滲み出ています!

 それも、嫌なワイルドさじゃないんです!

ええと、オオカミみたいな落ち着いた野性というのでしょうか。

少しシャイだけど奥に眠る情熱みたいなものを感じて、きゅんきゅんしてしまいます!

観察して身悶えていると、お兄ちゃんがジトっとした目でこっちを見ていました。

あれは、本当は照れてるのに隠して攻撃的になっている目です!

素直になれないお兄ちゃんが、最高に愛おしいですっ!

そんな目で見られたら……ああっ。

 

「……赤ちゃん、出来ちゃいます……」

「なんで⁉」

「……お兄ちゃんが悪いんですよっ」

「なにもしてないんだけど!」

 

 お兄ちゃんが不本意そうな顔で首をかしげています。

 本当に面白い人です!

 こうしている間にもお兄ちゃんは頭を抱えて悩んでいます。

「お姉ちゃんになる……赤ちゃん…………新しい妹……?」

 なにやらブツブツ呟いていますが、聞こえませんね……。

 今度からはよく聞こえるように盗聴器でも仕込んでおきましょう。

 後から聞き返せて便利ですし!

 悪いことに使ったら犯罪ですが、これは問題ないですよね?

 だって、家族ですし……彼氏ですし……。

 ……彼氏ですし!

 嬉しくて、もう一回言ってしまいました。

まったく、私はチョロい妹ですね。

 でも、嬉しくて仕方ないのは事実です!

 ニヤニヤしてしまいますが、気にしないことにしましょう。

 私は改めてお兄ちゃんに向き直ると、説明を開始します。

「私は、お兄ちゃんのことがずっと好きでした」

「あ、ありがとう……」

「ですが!」

 赤くなるお兄ちゃんに、人差し指を立てて近寄る私。

 お兄ちゃんは、これまでと違う私の様子にビクッと反応して見せます。

 小動物みたいでかわいいです。

 これからは少し苛めてみたくなっちゃいますね。

 またニヤけてしまいそうになりますが、それよりも気持ちを伝えることが先です。

 間をおいて、口を開きます。

「ですが、私はお姉ちゃんといちゃいちゃしてみたいんです!」

「だからそれはなに!」

 再び簡潔に気持ちを述べた私に、お兄ちゃんがツッコミます。

 でも、仕方がないじゃないですか。

 これが私の本心なんです。

「最近、小説や漫画でガールズラブとか百合が流行ってるじゃないですか」

「……うーん……まあ、そう言われれば……」

「……で、私ってよく作品に影響受けるじゃないですか」

「……確かに、昔から海賊になりたいとか急に言い出すことがあったかも……」

 昨今、アニメや漫画では多くのコンテンツが取り上げられます。

 登山や釣りなどのアウトドアに関するもの。

 歴史上の出来事をドラマチックに描いたもの。

 そして、ファンタジーや探偵もの。

 これまで私は、それらの作品たちに影響を受けて自己形成をしてきました。

 それをよく知っているお兄ちゃんは、納得してくれるでしょう。

「つまり……どういうことだ?」

 確認するように聞くお兄ちゃんに、私は簡潔に答えます。

「……つまり、そういうことです」

 ……全部把握したとばかりに、顔を覆って天を仰ぐお兄ちゃん。

 諦めがついた様子です。

「お前はまた、そうやって……うわぁ……ぁぁ……」

 何やら、本気で嫌そうな感じを出して唸っています。

 海賊になりたいと言い出したときのことを思い返しているのでしょうか。

 あの時は……お兄ちゃんも私も中学生でしたが、大冒険をしましたからね……。

 海に行って実際の海賊を見つけるまで帰らないと言い張ったのはいい思い出です。

 ……まあ、本当に見つけて仲良くなったんですけどね!

 未来海賊のウィリアムさんは元気にしているでしょうか。

 私が懐かしさに思いを馳せていると、お兄ちゃんが溜息を吐きました。

 説得でもしようとしているのでしょうか。

 お兄ちゃんが口を開きます。

「でも……どうして、百合で俺なんだ? 俺じゃなくても友達の女の子がいっぱいいるだろ。ほら、仲のいい……ミキちゃんだっけ? あの子とか」

 ……出ました。

 絶対言われると思ってたんですよ、この質問。

 私は両手を上にあげて、やれやれとポーズして見せます。

「お兄ちゃん、バカにしないでもらえますか?」

 さすがに無神経なお兄ちゃんに、語気を強めてしまう私。

 

「私は百合とかそういう以前に、お兄ちゃんのことが好きだったんです!」

 

 言い放って顔を見ると、照れた様子のお兄ちゃん。

 なんですか、私ちょっと怒ってたのに。

そんな顔をされては……愛しさが勝ってしまうじゃないですか!

「大体ですね、私は女の子に恋愛感情を抱いたことが今までにはありません。ミキちゃんだって、ずっと一緒にいますけど、あくまで友達として仲がいいんです」

「お、おう……悪かった」

 怒られて、お兄ちゃんがしゅんとしています。

 抱きしめて慰めてあげたいですが、怒っていたのは当の私です。

 私はフォローをすることが出来ず、自分の主張をまとめにかかります。

 

「……つまりですね、私が言いたいのは……大好きなお兄ちゃんだからこそ、お姉ちゃんになっていちゃいちゃして欲しいってことです!」

「……いやごめんまだちょっと分からない!」

 

 これだけ丁寧に説明しても、私の考えはまだお兄ちゃんに伝わりませんでした。

 二人の道のりは、まだまだ険しいみたいです。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

よだれ漬け。

「――ところで、質問なんだけどさ」

 一旦、話を切り上げて。

 軽くチャーハンを炒め、昼食を用意した私にお兄ちゃんが言います。

「なんですか?」

 小首を傾げる私に、お兄ちゃんは疑問があるようで。

「お姉ちゃんになるっていっても……物理的に無理だろう」

 ああ、その話でしたか。

 お兄ちゃんは、自分がどのように性別を変えるのかが気になっていたようです。

「それならば、心配しないでください」

「なにか、いい案があるのか?」

 ふっふっふ。

 私を侮るなかれです。

 目的のためならどんな計画も立ててしまえる女、それがこの私です!

 胸を張る私に、作ったチャーハンを運びながらお兄ちゃんが続きを促します。

 あ、運んでくれてありがとうございます。

 流れを止めないために口には出しませんが、心の中でお礼を言います。

 そして、二人でスプーンと牛乳を持って席につき。

『いただきます!』

 声をそろえて言ってから、私は説明を始めました。

 

「お兄ちゃん。全知全能の神の使い――仙人がいるのを知っていますか?」

「……どうしたの急に。勧誘の人?」

 

 うわぁん。お兄ちゃんが聞いてくれません!

 確かに、知らなければ当然の反応なのかもしれないですけど!

 私は数口チャーハンを口に運び、訂正します。

「この説明だと、ちょっといかがわしすぎましたね」

「そうだろう? もっとかみ砕いて説明してくれ」

 お兄ちゃんは、私の様子に安堵したみたいです。

 胸をなでおろす彼に、私はひとこと加えます。

「仙人の――おじいさんがいます」

「どういうこと⁉ 何の解決にもなってないよ⁉」

 あれ? 私なにか間違えましたか?

 仙人がおじいさんだと言っていなかったから、それで心配したのかと……。

 ほら、だって若い仙人は修業が浅そうですし。

 と思いましたが、問題はそこではなかったようです。

 それでは、こういうことでしょうか?

「その仙人は――白いひげがたくさん生えています」

「だからなに⁉ 俺が心配してるのは仙人の存在自体なんだけど!」

 また間違えたみたいです。

 お兄ちゃんは、難しい人ですね。

 仙人の存在が信じられないのでしょうか。

 私もまだ会ったことはないですが、有名人なのに……。

 驚いてスプーンを持った手が止まるお兄ちゃんを無視して、説明を続けます。

「……で、その仙人がですね? 毎年イベントを開催しているんです」

「なんか胡散臭いな……。で、それはどういうイベントなんだ?」

 訝しげにお兄ちゃんが訊ねてきました。

ふふん。聞きましたね?

 聞いて驚くお兄ちゃんの表情が楽しみです。

 だって、このイベントの賞品は……

なんでも願いが叶う権利なんですから!

 

「へぇ……そ、そうなんだ……」

「アレっ⁉」

 

 な、なんでそんな微妙な反応なんですか⁉

 かなり衝撃的なことを言ったのに、お兄ちゃんに軽く流されました!

 なんというか、お母さんが近所のどうでもいい話をしてる時の相槌みたいです!

 ショックなので脳内でお仕置きしてしまいましょう。

 思い立つと、私は頭の中でお兄ちゃんを裸に剥いて部屋の中央に座らせます。

 そして、その周りを私のよだれで埋め尽くして――

 徐々に私の唾液に溺れていく、お兄ちゃんの姿を楽しむのです!

 どうですかお兄ちゃん、私の体液にまみれて泳ぐのは!

 もう、私のことしか考えられなくなっちゃいますよね?

 足の先から頭の先まで、お兄ちゃんは妹汁に浸かっています。

 それから、お兄ちゃんの耳、鼻、お尻など。

 ありとあらゆる穴を通じて、私のよだれは彼の中へと侵入していきます。

 さらに血管や、食道や、尿道。

 粘液たちは管という管を通って彼の内部を徐々に蹂躙し。

 そうして、最終的には脳みそへと到達します。

 すると、私の体液たちは彼の脳をジャックするのです。

「私のことだけを考えますように」

 彼の聴覚にはこれだけを延々と流し続け。

 彼の嗅覚には私の匂いだけを常に感じさせます。

 そうして、妹漬けになった彼の前に私は同じく全裸であらわれ――

 

「……―い。おーい、若菜―?」

「はいなんですかよだれ漬けお兄ちゃん」

「よだれ漬け⁉ 相変わらずお前の脳内で俺はどんなことに!」

「とろとろしてますよ?」

「うわ! よくわかんないけどなんか嫌だ!」

 

 妄想の中にトリップする私を現実世界に呼び戻すお兄ちゃん。

 あと少し遅かったら帰ってこられなくなるところでした。

 私は頭を小さく振って意識を取り戻します。

 ええと、何の話をしてたんでしたっけ。

 確か、私がイベントの話をして――

「そうですよ、お兄ちゃん! なんでそんなに反応が薄いんですか!」

 思い出しました。

 不老不死になることも、人を生き返らせることも。

 なんだって出来てしまうというのに、お兄ちゃんときたら!

 欲に目が眩まないところは評価できますが、さすがに人間味がありません!

 私は、思わず机に手をついて立ち上がり、お兄ちゃんに激高します。

 するとお兄ちゃんは、両手で私をどうどうと窘めて。

「だってそれ、現実的じゃないだろ?」

 ――と、つまらないことを言ってきました。

 ええい、なんで信じてくれないんですか!

「信じる者は救われるんですよお兄ちゃん!」

「インチキに引っかかったら掬われるのは足元だぞ若菜!」

 食い下がる私に、それでもなお対抗するお兄ちゃん。

そういえばこの人、サンタさんも信じてないんでした!

 夢の欠片もないお兄ちゃんに、私はだんだんと腹が立ってきます。

 こうなったら……!

「お兄ちゃん、私と勝負しましょう!」

「おう、望むところだ! お前の目を覚ましてやる!」

「では……内容は、殴り合いです!」

「……えっ?」

 急に私が発した危険なワードに、呆気にとられるお兄ちゃん。

 最愛の妹を殴るわけにもいかず、狼狽えています。

「ちょっと、それは……」

 ためらうお兄ちゃんですが、作戦通りです。

 今にも中止を言い出そうとするお兄ちゃんに私は近づいて――

 

「どりゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「ぐぶわっ‼」

 

 思いっきり振りかぶった渾身の一撃を、顔面に叩き込みました。

 お兄ちゃんは、鼻の頭を押さえてうずくまります。

 相当痛かったらしく、声も出ない様子です。

 しばらくすると、お兄ちゃんのいる方角からぽたぽたと水が滴るような音がしてきました。

 目を向けると、そこにはお兄ちゃんの鼻から血液が垂れていて。

 それを私は、床に這いつくばって舐めとりました。

 鉄が錆びたような、金属質な風味が口の中に広がります。

 今、私はお兄ちゃんの生の根源を口にしているのですね……。

 考えるだけで、赤ちゃんが出来てしまいそうになります。

 ……でも、ちょっと量が少ないですね。

 こんなものでは、ジュースにするには到底足りないです。

 渇いた私はより多くのお兄ちゃんを得るため、苦しむ彼を立たせます。

 そして、今度は鼻の穴にストローを挿し、直に血液を吸い込みました。

 ドクドクと、波打ちながら口に侵攻してくる液体。

 私は、ジュースをストローで飲んでいた幼い頃を思い出しながらそれを飲み込みます。

 女の子は鉄分を摂らなくちゃいけないって言いますし、ちょうどいいですね。

 満足すると、私はお兄ちゃんの足を高い位置に上げて、横にしてあげます。

 そこで、彼の生命を握っている私はひとこと。

「お兄ちゃん。一緒に仙人のイベントに行ってくれますか?」

 目の前の肉体は、泣きながら首を縦に振りました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

天然幼なじみ。

 それから約三十分後、インターフォンが鳴りました。

 私は食器を洗っているため、出られません。

「すいませーん、お兄ちゃん出てくれますかー?」

 呼びかけると、少し前に体力を回復したお兄ちゃんが自室から下りてきました。

「なんだろう、荷物かな?」

 うちには来客を見られるカメラがないため、予めハンコを持って行くようです。

 やがて玄関から音がして、お兄ちゃんがリビングに帰ってきます。

「お兄ちゃん、何の荷物でし――」

「お邪魔します~」

 私がお兄ちゃんに問いかけると同時、部屋に入ってきたのは悪魔でした。

 緑色と白を基調とした服装で、お嬢様感を醸し出す女。

 彼女は、うちの隣に住んでいる幼なじみの菫さんです。

「な、なにしに来たんですか!」

 私は望まぬ来客に、敵意をむき出しにします。

 昔からよく知っている菫ちゃんですが、私はずっと敵視してきたんです。

 お兄ちゃんの同級生でいつも一緒の彼女は、きっとお兄ちゃんのことが好きなんですから!

 菫ちゃんはかわいいですし、少し天然であざといんです。

 純情なお兄ちゃんは、そういう子にこそ騙されてしまいそうじゃないですか!

「あら若菜ちゃん、こんにちは~。今日はね、カレーを作りすぎちゃって……」

 私の敵意なんて気付かずに、ゆっくりと近づいてくる菫ちゃん。

 カレーを作りすぎて、お裾分けですか。

 ベタなお隣さん作戦で、お兄ちゃんの気を引くつもりですね?

 彼女の見え透いた魂胆に、思わずため息がもれます。

 しかし、次の瞬間。

 彼女が放った言葉は予想だにしていないセリフで――

 

「カレーを作りすぎちゃったから、ご飯をもらいに来たの~」

「……炊けばいいだろ」

 

 これには思わず、優しいお兄ちゃんもツッコみます。

 ……むむう、菫ちゃんの天然具合を舐めてましたね……。

 目の前の幼なじみは、予想をはるかに超えるおバカさんのようです。

「そっか!」と手を叩いて納得する彼女に、兄妹そろって呆れます。

 彼女だけが、この部屋で上機嫌でした。

 

「……仙人のイベント?」

 それからまた十分後。

 私たち三人は、リビングのテーブルで向かい合っていました。

 私とお兄ちゃんが横に並んでいて、菫ちゃんが向かいにいるカタチです。

 話題は、仙人のイベントについて。

 お兄ちゃんが、菫ちゃんに留守を頼んでいるところでした。

「……ああ。しばらく家を空けちゃうから、父さんや母さんになにかあったらよろしくな」

「……それはいいんだけど……」

 快く引き受けてくれた彼女でしたが、なにか引っかかることがあるようです。

 疑問はなんでも言うように、お兄ちゃんが促します。

 すると、菫ちゃんは二つ言いたいことがあるようで、口を開きました。

「えっと、一つなんだけど……本当に、あのイベントに参加するの?」

「お前、イベントを知ってるのか⁉」

 なんと、菫ちゃんは仙人のイベントを知っていたようです。

 内容まではよく知らない私より、彼女の方が詳しいのかもしれません。

 神妙な顔で菫ちゃんが続けます。

「……あのイベント、『仙人主催大神様杯』は……毎年死人も出る危険な大会よ」

『な、なんだって!』

 菫ちゃんによると、大神様杯は会場に辿り着くだけでも非常に困難な大会だといいます。

 毎年死人が出ているにも関わらず問題になっていないのは、全員が神の力で生き返っているから。それだけでも、仙人の力を本物だと考えるには十分です。

「結局生き返るとはいえ……わたし、心配だわぁ」

 困り眉になった菫ちゃんが、私たちを止めます。

 お兄ちゃんも「若菜、本当にやるのか?」なんて、弱腰になっています。

 しかし、私は挑戦しなければいけないんです!

 だって、他にお兄ちゃんをお姉ちゃんにする手段はありませんから!

 私は、お姉ちゃんとの愛に生きるんです――――!

 

嫌がるお兄ちゃんにストローを見せて黙らせ、私は参加を表明します。

 すると菫ちゃんは微笑み、告げてきました。

「はい、二人とも合格。参加資格が与えられたわぁ」

「……へ?」

「わたし、仙人に言われて二人の意欲を調べる係になったのよ~」

 既に、予選は始まっていたみたいです。

 参加を検討している人の知人を予選の審査員に任命し、説明も兼ねて意欲を確かめる。

 ……ついに、大会が身近になってきました。

「お兄ちゃん、頑張りましょうね!」

「あんまりお姉ちゃんにはなりたくないけど……やれるだけやってみるよ」

 二人で、ハイタッチを交わします。

 それから、感極まった私はお兄ちゃんに抱き着いて。

 ぎゅーっと、その温もりを確かめます。

 とってもあったかくて、力が湧いてきますね!

 と、二人でいちゃいちゃしていると。

「えっと、もう一つの言いたいことなんだけど……」

 と、菫ちゃんが口を挟んできました。

 もう、お兄ちゃんとせっかくいちゃいちゃしてたのに。

 でも、さっきから二つ聞く約束をしていたので我慢します。

 すると、次の瞬間彼女は首を傾げながら――

 

「二人の距離感が、いつもより少し近いかなあって……」

 

――と、兄妹でいちゃいちゃする私たちへの意見を言いました。

ふふっ、バレてしまいましたね!

少し悔しそうにする菫ちゃんに、私は勝ち誇ったように言います。

「それは、今朝私とお兄ちゃんがお付き合いすることになったからですね!」

「な、なんですって!」

 私の返答に、衝撃を受けた様子の菫ちゃん。

 みるみるうちに元気がなくなっていきます。

 対する私はニヤニヤが止まりません!

 長年のライバルに、勝利宣言が出来たのですから!

 えへへ、お兄ちゃんはもう私のものですよ~。

 さっきとは違って、私の方が上機嫌になってしまいました。

 菫ちゃんは肩を落として泣きそうになり、お兄ちゃんは慌てています。

 お兄ちゃんは慌てなくてもいいのに。

 他の女のことは放っておいて、私を愛してくれればいいんです。

 まあ、とにかく私の勝ちです。

 今日は美味しくご飯が食べられそうですね!

 そう、私が胸を張ったときでした。

 私の体が、ふわりと宙に浮かび上がります。

「……え……」

 いえ、違います。

 浮かび上がったんじゃありません。

 これは……持ち上げられているんです!

 下を見ると、私を両手で持ち上げた菫ちゃんが全速力で二階に駆け上がっています。

「えっ、えっ!」

 驚いている間に、菫ちゃんは私を抱えて私の部屋に辿り着きます。

 ――そして。

 

「こうなったら……美月くんより先に、若菜ちゃんを食べちゃうしかないわね!」

「なに言ってるんですかアンタ!」

 

 菫ちゃんに、ベッドに押し倒される私。

 段々と衣服を脱がされていきます。

「ほーら、若菜ちゃん。脱がせやすいように万歳して?」

「嫌ですー!」

 ですが私は腕をぴったりと身体にくっつけ、脱がされないよう抵抗。

 絶対に、脱がされてなるものですか!

 私の身体はお兄ちゃんだけのものですっ!

 そうして、格闘すること二分。

 私のガードが突破できないことを悟った菫ちゃんが、額の汗をぬぐいます。

「ふぅ……なかなかやるわね」

「なんなんですか! この犯罪者!」

 混乱しながらも、私は彼女に毒を吐きます。

 すると、菫ちゃんはなぜか舌なめずりをして口角を吊り上げました。

「うふふ……こんなカタチで言うことになるとはね……」

「な、なんですか……」

 怖がる私に、もう一歩近づく菫ちゃん。

 その手は私のスカートを掴んでいて――

 

「わたしは、若菜ちゃんのことが好きだったのよ~!」

「な、なんですってぇ!」

 

 告白と同時、スカートをまくり上げる菫ちゃん。

 まさか、そんなことが……⁉

 ずっとお兄ちゃんのことを好きだと思っていた菫ちゃんが、私のことを好きだったなんて!

 私は驚きが勝って、抵抗することをやめてしまいました。

 すると、その一瞬の隙をついて彼女は猛攻を仕掛けます!

 私の下着を掴んで、一気に――!

 

「若菜ちゃ~ん、その中、お姉さんに見せ……ぐふぇっ!」

「菫ちゃん⁉」

 

 下ろそうとしたところで、白目をむいて倒れてしまいました。

 呆然としていると、彼女の後ろには手刀を構えたお兄ちゃんが立っています。

「お兄ちゃん!」

 私は、満面の笑顔で助けてくれたヒーローの元へ駆け寄ります。

 すると、なぜかお兄ちゃんは照れ臭そうに顔を背けました。

 どうしたんでしょう。

 不思議に思って、先ほどの彼の視線を目で追います。

 すると――

 私の、丸出しのパンツがそこにはありました。

 

「ば、バカぁっ!」

「ぐへぇ!」

 

 咄嗟にビンタを喰らわせてしまう私。

 お兄ちゃんは私を助けてくれたのに、なんということでしょう。

 お兄ちゃんと菫ちゃん、この部屋に倒れているのが二人になってしまいました。

 ……でも、とにかくこれで私たちはイベントの応募を完了できました!

 あとは、出発するのみです!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

『第二章』
快楽の共有。


「出発するっていっても……目的地とかは分かってるのか?」

 一度、お互いの部屋に戻って支度をして。

 リビングで最終確認をしていると、お兄ちゃんが訊ねました。

 彼の服装はTシャツにジャージのズボン。

 冒険に行くということで、動きやすい服装を選んだのでしょう。

 だから、一般的にはオシャレじゃない恰好になっているわけですが……。

 それが似合っちゃうのが、私のお兄ちゃんなんですよねえ!

 少し大きめのTシャツから覗く鎖骨や首筋は色気たっぷり。

 それに、シルエットはスラッとしていてモデルさんみたいです!

 足首だって細くて、その骨が少し浮き出る具合は性癖にぶっ刺さります!

 そんな風にお兄ちゃんの身体を眺めまわしていたからでしょうか。

 無意識に口をついて、私の心の中が空気に漏れだしてしまいます。

 

「はぁ、お兄ちゃんの鎖骨を舐めまわしたいです……」

「……うん、俺の話聞いてた?」

 

……はっ。

いけません、うっとりして別世界に行ってしまっていました。

慣れているのか、お兄ちゃんはさらりと受け流してもう一度質問してくれます。

ふむふむ。目的地……ですか。

確かに、準備をしておきながら目的地を言ってませんでしたね!

私は手元にあった地図を開いてお兄ちゃんに見せます。

 

「ほらお兄ちゃん、見てください。ここが目的地です!」

「どれどれ…………って、ええ⁉」

 

 なにやら、目を見開いて驚いた様子のお兄ちゃん。

 私は首をかしげると、お兄ちゃんの手を引いて歩き出します。

「どうしたんですかお兄ちゃん? ほら、行きますよ?」

 お兄ちゃんの温かい手を自分の指に絡めて、引っ張ります。

 しかし、なぜだかお兄ちゃんはついてきてくれません!

「ええっと……お兄ちゃん、どうして歩き出さないんですか?」

 痺れを切らした私は、お兄ちゃんが止まってしまった理由を聞きだします。

 するとお兄ちゃんは大きく息を吸い込んで――

 

「だってその地図の目的地、ラブホテルじゃないか――――!」

 

 私の罠を、見事叫んでみせました。

 ……むむう、バレなければドキドキできたのに……。

 でも、私の目標は姉になったお兄ちゃんといちゃいちゃすることです。

 こんなところで妥協は許されないんです!

 お兄ちゃんが罠にかからなかったのは残念でしたが、少し安心した部分もあります。

 私はお兄ちゃんに気付かれないよう、ホッと息を吐きました。

 ……では、いたずらも済んだことですし。

今度こそ本当の目的地をお兄ちゃんに伝えるべく、地図を広げます。

「お、どれどれ……今度はちゃんとした地図みたいだな」

 お兄ちゃんが後ろから覗き込んできました。

 息が首筋に当たって少しこそばゆいです。

 そんな彼に真実を伝えるべく、私は後ろを振り返ります。

 ――すると、お兄ちゃんの整った顔が目の前にあって。

 二重の大きな瞳や、きめ細やかな肌に驚いてしまいます。

 ……えっ、私はどうしてこの人の妹なんでしょう。

 ……私はどうして、この人の彼女なんでしょう。

 そんな疑問が湧いてくるほどに美しいです。

 対するお兄ちゃんも突然振り返った私の顔が近くにあることに驚いたようで。

 目を見開いて、硬直しています。

 数秒が経過したでしょうか。

 ドラマでよく見る、時がゆっくりに見えるカット。

 それが現実で起こり得るとは知りませんでした……。

 しかし、このままではマズいです。

 だって、映画やドラマではこの後すぐにお互いが目を逸らして気まずくなります。

 それはそれで甘酸っぱい青春の香りがしていいんですけど。

 でも、私は一歩先に進みたいんです!

 固まっていたお兄ちゃんの顔に赤みがさしてきます。

 頬が紅潮し始め、恥ずかしそうにします。

 そうして彼が顔を逸らす、その瞬間でした。

 ――私は、彼の唇にキスをしました。

 

見開かれていたお兄ちゃんの目が、もっと開かれます。

 恋人同士になってから、初めてのキスです。

 小さい頃には遊びで何度も行なったキス。

 しかし、今日からはその価値が違います。

 初めはチュッと一回。

 しかし、一度離した唇は磁石のように惹かれ合い。

 離れてはくっついて、離れてはくっついて。

 時には暫くくっつけたまま居てみたり。

 時には顔を離してお互いの目を見たり。

 そうして、数分間続けていたでしょうか。

 私の肩に手を置いたお兄ちゃんが、笑顔で聞いてきます。

 

「で、目的地はどこ?」

「実は知りません!」

 

 ニコニコと答えた私に、青筋を浮かべるお兄ちゃん。

 両手を広げてミナミコアリクイの威嚇のようなポーズを取ると……

「こら――!」

 と言いながら、私に抱き着いてきました。

 その大きさと、Tシャツ一枚のはずなのに感じる温もりが心地よくて。

 私は、その身体を思い切り抱き返しました。

 それはもうお互いに、痛いくらいに抱きしめ合って。

 脳がとろけるような快楽を共有し合いました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

思い立ったが吉日妹。

「でも、目的地が分からないんじゃ出発のしようがないな……」

「そうですね……まったく動けません!」

 あの蕩けるようなキスのあと。

 わたしたちは、何をしたらいいのか見当がつかず困っていました。

 本来案内をする役だった菫ちゃんは二階でのびています。

 そうなると、頼れるのは神様だけということに……。

 ……はっ!

 そうですよ、これは神様の試練です!

 つまり、神様がチャンスを与えてくれることも然り!

 ってことは、これを口実にお兄ちゃんを攻め落とせと神様は言うわけですね!

 これを神のお告げと受け取ったわたしは、早速行動に移します。

 わたしは思い立ったが吉日妹なのです!

 略して「キチイモ」です!

 ……なんかやばそうなのでやっぱりやめましょう。

「お兄ちゃん!」

「ん?」

 突然大きめの声で呼びかけたわたしに、お兄ちゃんが不思議そうにします。

 そんなかわいいお兄ちゃんに向けて、わたしは正面から言い放ちました。

 

「お兄ちゃん、ホテルに行きましょう」

「俺ちょっとトイレに行ってこようかな」

 

 あああああああああああああああ!

 完璧にスルーされました!

 いつものことだとはいえ、ここまで無視されてしまうと傷つきますよ⁉

 鬼畜な塩対応に傷ついていると、お兄ちゃんは本当にトイレに行ってしまいます。

 ……むむう。

 玄関に一人になって、少しずつ寂しさがこみ上げてきます。

 こんなときは、お兄ちゃんで妄想しましょう。

 先ほど塩対応だったお兄ちゃん。

 あれが、もっとドSな対応になったら……。

 

『お兄ちゃん、ホテルに行きましょう』

『は? 行くわけないだろ』

『そんなこと言わずに行って下さいよー!』

『……チッ……うるせえな、そんなとこ行かねえって言ってんだろ』

『ひ、酷いですお兄ちゃん……せっかく恋人になったのに……』

『…………ホテルまで、待てるわけないだろ』

『…………えっ』

『我慢できないって言ってんだよ! おら、脱げ!』

『きゃああ、お兄ちゃんのエッチ――――――――!』

 

 でへ、でへ、でへへへへへへへ。

 あのかわいいマスクのお兄ちゃんとドSのギャップ萌えです。

 想像したら、よだれが出てきちゃいました!

 ……幸せです。

 いつもお兄ちゃんが学校から帰ってくるまで妄想していた成果が出ていますね。

 いつでも想像上のお兄ちゃんを作り出すことができます。

 ……でも、やっぱり本物の素晴らしさには勝てません。

 VR映像と本物の体験くらいの明確な差がそこにはあって……。

 

「若菜、ただいま……って、うわぁぁっ」

 

 トイレから帰ってきた本物のお兄ちゃんに、わたしは思わず抱き着いてしまいました。

 お兄ちゃんは驚きつつも、わたしの髪を梳くように優しくなでてくれます。

 と、わたしは撫でられながらある疑問が浮かびました。

「お兄ちゃん、一つ聞いてもいいですか?」

「……ホテルのことじゃなければなんでもいいぞ」

 言ってくれるお兄ちゃんに、質問します。

「トイレから出て、手は洗いましたか?」

「うん、洗ったよ」

「ガッデム!」

 わたしをなでてくれていたお兄ちゃんの手は、洗った直後の綺麗な手でした。

 ちょっとくらい汚れていてもよかったのに!

 残念がるわたしに、お兄ちゃんが困惑しています。

 だからわたしは、この場を収めるため。

 そして、自分の気持ちを抑えるために行動を起こします。

 思い立ったが吉日妹、発進です!

「んちゅ……れろっ……れろれろっ……」

「……なにしてんの⁉」

 突然お兄ちゃんの手を舐め出したわたしに、驚くお兄ちゃん。

そんな彼に、わたしは上目遣いで教えてあげます。

「…………おいしいですよ?」

「……………………」

 お兄ちゃんはそのあとすぐにもう一度手を洗いに行ってしまいました。

 なにがいけなかったんでしょう?

 まあ、わたしにはきっと関係のないことですよね!

 気を取り直して、冒険に出発する気持ちを整えます。

 すると。

「……あれ?」

 なにやら、音が聞こえてきました。

 ヒューッと、指笛のような気持ちのいい音。

 それが、段々と大きくなってきます。

 そして、その音はどんどんと近づいてきて――

 

 我が家の屋根を突き破って、わたしの目の前に落ちました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そらのおとしもの。

「なに! すごい音がしたけどなに!」

 直後、お兄ちゃんがすごい勢いで駆け付けます。

 あれだけの音と振動が伝われば、驚くのも無理はありません。

 わたしだって、今まさに驚いて声が出ないんです。

 だから、お兄ちゃんには目で判断してもらうほかないのですが……。

 お兄ちゃんが、それにゆっくりと近づきます。

 言うまでもなく、頭上から落下した物体にです。

 そして、それを拾い上げてひとこと。

「……なんでうちに鉄のこけしが落ちてくるんだああああああ!」

「知りませんよぉぉぉぉ!」

 あっ、声が復活しました。

 

 ――十分後。

「緊急兄妹会議を開かせてもらう。俺は司会を務める兄の美月だ」

「そしてわたしが書記の若菜です!」

「……いや書いてないで発言してよ」

 こけしをテーブルの中央に置いて、兄妹で向かい合います。

 議題は、もちろんこのこけしが何を意味するのか。

 普通に考えたら飛行機からの落下物などだと考えるのが筋ですが……。

 今は、仙人の試練に関係すると考えるのが妥当でしょう。

 お兄ちゃんが、こけしをくまなく調べます。

「ええっと、ボタンや仕掛けは特になさそうだな……ただのこけしなんじゃないのか?」

「いいえ、そんなはずがありません! だって鉄のこけしですよ? 木製じゃないんですよ?」

「……材質の違いになんの問題が……」

 顔をしかめるお兄ちゃん。

しかし、わたしは試練関係だと主張して、もう少し調べてみることにします。

 とりあえず、お兄ちゃんのように手に取って触ってみましょう。

 ええと、確かにボタンはなさそうですね……。

 それに、鍵穴や爪を引っかけるところもありません。

 むむう……本当にただのこけしなんでしょうか?

 でも、空から降ってきて……こけしで……

「……あ!」

「どうした、なにか分かったのか!」

 ピンと来て大声を上げたわたしに、壊れた屋根を見ていたお兄ちゃんが駆け寄ります。

 ふっふっふ、これはお兄ちゃんにいいところを見せるチャンスです!

 わたしはこけしを掲げると、したり顔で推理を展開しました。

「お兄ちゃん。こけしの名前の由来を知っていますか?」

「ええと……確か芥子坊主っていう髪型から来ているとか……」

「よく知っていますね、さすがお兄ちゃんです」

 急な質問にもさらりと答えるお兄ちゃん。

 やっぱりお兄ちゃんは博識で素敵です。

 歩く百科事典の異名は伊達じゃないですね!

 ……いや、今わたしが適当に名付けたんですけどね。

 そんな異名お兄ちゃんにはないです。

 お兄ちゃんにある異名は「牛歩戦術」くらいでしょうか。

 マラソン大会の時に毎回タイムオーバーで完走できないのでつけられていました。

 ……あ、これだとお兄ちゃんが情けない感じになっちゃってますよね?

 た、確かに昔は遅かったですけど、今は速くなったんですよ!

 ……その話、聞きます?

 あれは、わたしが中学一年生、お兄ちゃんが二年生のころでした。

 わたしがお兄ちゃんのことをお友達に話していたら、馬鹿にしてくる女の子がいたんです。

「あんなお兄ちゃんより、若菜には私の方がふさわしい!」とかいって……。

 それで、かっとなってわたし、言っちゃったんです。

 お兄ちゃんは勉強でも一番がとれて、運動でも誰にも負けないって。

 そしたら、その女の子が勝負しろっていうんです。

期末テストとマラソン大会、両方その子のお兄ちゃんに勝てなければ、若菜ちゃんは私がもらうーって。

わたし、頭に血が上っていたので、売り言葉に買い言葉で勝手に引き受けちゃって……。

そのことを後日、お兄ちゃんに謝りに行ったんです。

そうしたら、お兄ちゃんなんていったと思います?

「若菜のために、嘘じゃなくしてやるよ」って、そういったんです。

 きゃ――――――――――――!

 お兄ちゃんかっこよすぎます―――――――――!

 それから、毎日彼は特訓しました。

 わたしのためだけに毎朝早起きをして、ジョギングをして。

 結果は、負けちゃったんですけどね。

 それでも、現実的な範囲でお兄ちゃんは成長を果たしました。

 なんと、その年のマラソンを完走することができたんです!

 そしたら、相手の女の子も、お兄ちゃんのやる気とわたしを想う気持ちに納得してくれて。

 お兄ちゃんは、わたしを守り抜いてくれたんですー!

 えへへ、えへへへへへ……

 

「えへへへへへへ……」

「……うん、そろそろ帰ってこようか」

 

 ……そういえば、推理の途中でした!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇の抹殺者。

 ええと、こけしの話でしたよね?

「そうです、お兄ちゃん。こけしの由来は芥子坊主だという説が有力です」

「急に戻ってきたな……で、それと何の関係が?」

「ふっふっふ。しかしですね、他にもこういう説があるんですよ!」

「他の説?」

 不思議がるお兄ちゃんに、わたしは俗説の一つを聞かせます。

 それは、こけしの名前が『子消し』に由来するというもの。

 貧困のために間引きされた子供たちを弔うためにこけしが作られていたという説です。

 話し終わると、お兄ちゃんは神妙な顔で俯いています。

 確かに心苦しい話ですもんね……。

 心優しいお兄ちゃんは、心を痛めてしまったのでしょう。

 でも彼は、一つ息を吸い込むと、気丈に振舞って見せました。

 わたしまで寂しい気持ちにさせたくなかったのでしょう。

 そんなお兄ちゃんが、訥々と話し始めます。

「そっかぁ……でも、それでなにが分かるんだ?」

 疑問を呈するお兄ちゃん。

 確かに、この話が降ってきたこけしと結びつかないのは当たり前です。

 しかし、今は普段の状況とは異なります。

 仙人のイベントにエントリーした以上、刺客に狙われるのは必然で……。

 

「そこにいるんですよね、こけしの能力者が!」

「こけしの能力者⁉」

「そうです! わたしたちを襲ったのは、数々の子どもを消し去ってきた闇の抹殺者・コケシオトシストに違いありません!」

「……コケシオトシストってなんだ! ネーミングセンスが馬鹿だ!」

 

 声を荒げてツッコむお兄ちゃん。

 まだ分かっていないようですね、この世の真理が。

 海賊に遭遇した時も、お兄ちゃんはコスプレに違いないとしばらく吠えていました。

 本物だと判明してからも、ずっとありえないといい続けていましたが……。

「そろそろ自分が常識人ポジションじゃないことに気付いてくださいっ!」

「ええ! 俺が間違ってるとでも⁉」

 心底納得がいかないという風に驚いてみせるお兄ちゃん。

 これはもう一度、その目で確かめてもらうしかないですね……。

 つまり、先ほどのわたしの推理が当たればいいわけです!

 さあ、出てきてください刺客の方!

 その姿を、我々の前に晒すのです!

 

 わたしが心の中で念じると。

 屋根に空いた大きな穴から、全身真っ黒の男が降ってきました。

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!」

 しかし、高いところから落ちてきたため、足の裏がジンジンしているようで。

 彼はしばらく、足を抱えてうちの床を転げまわりました。

 わたしもお兄ちゃんも、おバカな動物を見る呆れた目をしています。

 ……いいですね、わたしもお兄ちゃんにあの目で見られたいです。

 思っていると、痛みが治まったらしい真っ黒の男が立ち上がり、名乗りを上げました。

 

「俺は『仙人主催大神様杯』の参加者の一人、コケシオトシストだ!」

「うわ、本当にその名前なのかダサッ!」

「ダサいっていうな! 一週間くらい考えたんだぞ!」

 

 激高するオトシストさん。

 しかし、お兄ちゃんは怯む様子もありません。

 それどころか、ファイティングポーズで威嚇しています。

「……まあいい。屋根を壊した以上、お前は俺たちの敵。その名前と同じように無様に倒してやるだけだ!……コキオロシストの俺がな!」

「コキオロシスト……ふふん、貴様も能力者というわけか……。他人をこき下ろせばこき下ろすほど強くなる。面白い能力じゃねえか!」

「いいや、俺に能力はない! ただ言ってみただけだ!」

「なんなんだお前は!」

 目の前で繰り広げられる緊迫の舌戦。

 日頃わたしや菫ちゃんの相手をしているお兄ちゃんが優勢のようです。

 しかし、ここは真剣勝負の場。

本番は口喧嘩などではなく、命を懸けた拳のやり取りです。

いくら口論に強くても、知恵や力がモノを言います。

両者そのことには気付いているのでしょう。

オトシストさんはなにやらズボンのポケットに手を入れ、武器を準備し。

お兄ちゃんも、ゆっくりと四肢の筋肉をコントロールしていきます。

言葉を交わしながらの睨み合い。

一触即発の空気が漂います。

それから十数秒後。

先に動いたのは、オトシストさんの方でした

ポケットに忍ばせていた鉄のこけしを手に持ち、屋根にあいた大穴から空中へと放ちます。

それは数秒後、放物線を描き、位置エネルギーを蓄えながらお兄ちゃんの頭めがけて降ってきて……。しかし、お兄ちゃんの位置だと屋根が邪魔で見えていません!

「お兄ちゃん、逃げて!」

 わたしは、咄嗟に叫びました。

 その声が聞こえたのか、彼はこけしの姿を目で追うことなく後ろに飛び退きます。

 すると、直後お兄ちゃんのいた場所に鉄のこけしが降ってきて――

 なんと、床を突き破って家の下にある地面にまで到達。

 頭を下にして、逆さまに突き刺さりました。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やる気の源は欲望。

「はっはっは! どうだ兄妹よ。これが俺の秘儀、こけし落としだ! こけら落としじゃないぜ? こけし落としだ! はっは!」

 もともと当てるつもりはそこまでなかったのでしょう。

 威嚇射撃の成功に、オトシストさんが気分よく笑います。

 それに対してわたしたちは、汗びっしょりで心臓バクバクです。

 だって、普通の中学生と高校生が能力者と対峙しているわけですから。

 喧嘩もしたことのないわたしたちが、異能バトルで緊張しない訳がありません。

 だけど、あきらめたわけじゃないですよ?

 わたしはこの戦いをはじめとするすべての試練に勝利し、仙人のところへ行くんです!

 そして、お兄ちゃんを……念願の、お姉ちゃんにします!

「ほらほらどうした? 手が出せないか? そうだろうな、だってこけしが降ってくるんだから! 傘や本で防ごうにも、屋根があるから落下地点も見えないし、分かったところで貫通するかも分からない。さあ、大人しく負けを認めてイベントから下りてもらおうか!」

 相変わらず調子に乗ったオトシストさんが挑発してきます。

 ……やはり、降参させることがとりあえずの目的でしたか……。

 ただ、それが分かったところでわたしたちにはどうすることもできません。

 だって、彼はこけしを落とす能力者。プロのコケシオトシストなのだから……。

 しかし、全く勝ち目がないことはないでしょう。

 漫画やアニメでは、主人公たちが思わぬところからアイデアを得て、格上の相手を倒していきます。だから、今すべきことは冷静になることです。

 だから、わたしはお兄ちゃんの陰に隠れつつ突き刺さったこけしに近づいて――

 それを拾い上げ、観察しました。

 未だにぎゃあぎゃあと騒いでいるオトシストさんは完全に自分の世界に浸っていて、こちらのことなど見ていません。

 ええと、このこけしはどうやら能力で具現化されたものではないようですね……。

 職人の手によって大切に作られた、緻密で精巧なこけしのようです。

 そして、名前の通りオトシストさんはこけしを落とすことしか出来ず、投げる能力には秀でていないらしい……となると、この作戦が使えるのでは……?

「お兄ちゃんお兄ちゃん」

「ん……? 若菜、どうしたんだ?」

 彼に対抗する術を思いついたわたしは、早速お兄ちゃんに伝えるべく小声で呼び寄せます。

「お兄ちゃん、大切な話があるのでもう少し近くに来てください」

「ああ…………、これでいいか?」

「はい! ありがとうございますっ」

 近くにきて、話しやすいように腰をかがめてくれるお兄ちゃん。

 わたしの口元に、お兄ちゃんの耳があります。

 ……どうしましょう。

 オトシストさんに勝つ方法とか、どうでもよくなってきましたね……。

 いやいや、ダメですよわたし!

 目先の欲にとらわれちゃいけません!

 我慢した先の喜びのため、今こうして闘っているんじゃないですか!

 お兄ちゃんの耳の穴を前にして悶絶するわたしですが、ここは自分を律しないと。

 だから、ちょっとだけ。

 戦闘の邪魔にならない程度に、欲望を満たします。

「………………お兄ちゃん、ぱくっ」

「…………んわぁっ! なにしてんだいきなり!」

「……なにって、お兄ちゃんのお耳をくわえてしゃぶってるんれふけど……」

「やめろ! ふやけて水餃子みたいになったらどうするんだ!」

 驚いたらしく、大きな声を出してしまうお兄ちゃん。

 わたしの前にお兄ちゃんの体の部位を差し出すのは、空腹の猛犬の前に和牛を置くのと同じような行為だと分かっているはずなのですが……。

 まあいいです、本題をはやく伝えましょう。

 お兄ちゃんの耳をしゃぶって、元気が出てきたところです。

 と、わたしが意気込んだそのときでした。

「なにをこそこそ話しているんだ! 降参するのかしないのか、早く決めないともっとこけしを落としちゃうぞ~!」

 ついに、オトシストさんに気付かれてしまいました!

 ピンチです! 作戦を伝えられませんでした!

 次のこけしを構えて、臨戦態勢に入るオトシストさん。

 その目はまっすぐに、振り返ったお兄ちゃんの姿をとらえています。

 ……あれ、ってことはわたしのことは気にしていないようですね?

 試しに、わざと大振りにラジオ体操をやってみせます。

 しかし、彼はまったく気に留めた様子を見せません。

 ……しめました! しめしめです!

 これって、わたしがステルス機能を持っているようなものじゃないですか!

 それならば、お兄ちゃんに作戦を伝えなくともなんとかなるかもしれません!

 だって、わたし自ら決行すればいいんですから!

 決心すると、一度廊下に出て庭にある倉庫に向かうわたし。

「……少しでも動いたらこけしを落とす」

 声が聞こえてきますが、わたしが動いていることには気付いていないようです。

 それに、少しでも動いたらという彼の言葉。

 これはお兄ちゃんに向けられたセリフですが、つまり敵は今お兄ちゃんの行動を注視しているということです!

 よって、敵は周りの変化に鈍感になっていると考えられます。

 ……やるなら、今のうちのようですね。

 わたしは倉庫から縄を持ってくると、それを短くまとめて持ち。

 そして、リビングへと戻ります。

 しかし、入るのは玄関ではなく、勝手口。

 オトシストさんの、背後です。

「分かった、分かったからこけしを下ろすんだ……!」

「いいや、それは降参を聞いてからにしよう。ほら、敗北を宣言したまえ……」

 わたしの動きに気付いて、会話を伸ばしてくれているお兄ちゃん。

 再び戦場に戻ったわたしと目が合います。

 少し不安そうですが、期待の滲んだ瞳。

 ……これは、普段以上の力が湧いてきそうです!

 お兄ちゃんの瞳に励まされ、より一層気合いの入るわたし。

 縄を構えて……近づいて……一気に……

 

「とりゃ――――! こけしマニア、確保ぉ――――!」

「えっ……うわっ! ぎゃあああああああああああああ!」

 

 作戦成功ですっ!

 以上、こけしを上に投げられなければ落とすのも無理だよね! 作戦でした!

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お前も蝋人形にしてやろうか。

「くっ……殺せ……」

 それから数分後。

 お兄ちゃんが緊縛を強化してくれたので、オトシストさんは身動きが取れません。

 こちらを睨みつけながら、女騎士みたいなことを言っています。

 しかし、わたしが火のついたロウソクをちらつかせると観念したように下を向きました。

「お前……ほんと容赦ないな……」

 お兄ちゃんが、若干引いています。

 でも、こうするのが手っ取り早いじゃないですか。

 仕方ないですよね? 効率的ですよね?

 心外だったわたしは、お兄ちゃんにロウソクの先を向けます。

 すると彼はジトっとした汗をかきながら肯定してくれました。

 えへへ、お兄ちゃんは物分かりがよくて素敵ですね!

「お前ら、それでよく仲良く兄妹やってられるな……」

 そんな光景を見てオトシストさんが呆れています。

 むう。まだ自分の立場がわかっていないようですね……。

「お兄ちゃん……いいですか?」

「……うん、仕方ない」

 わたしが尋ねると、お兄ちゃんは汗を振りまきながら許可をくれました。

 そんなにわたしが持ってるロウソクが熱かったんでしょうか。

 まあ、いいです。

 許可も下りたことですし、オトシストさんに自分の置かれた立場を教えてあげましょう。

 わたしは、キッチンに行ってもう一本ロウソクを持ってきます。

 そして、その一本に火を移して……生きているロウソクを二本にします。

「ちょっ……お前、なにする気だ……⁉」

 オトシストさんが、身体をぐるぐる巻きにされたまま狼狽えます。

 そんなに、わたしが怖いですか?

 うふふ、やっと状況が理解できたんですね。

 でも、それだけじゃ足りません。

 トラウマとして、しっかり心の奥底に刻み付けなければ。

 自分は敗者であり、わたしたち兄妹によって生かされていると!

 

 ――ズボッ。

 

 わたしは、両手に持っていたロウソクをそのままオトシストさんの顔の下に滑り込ませ。

 そして、思いっきり彼の鼻の穴に突っ込みました。

 

「うぎゃああああああああああああああああ!」

「あはっ、死にそうです! あははは」

 爛れる顔の肉を見て高笑いをするわたしと、顔をしかめるお兄ちゃん。

 こんな素敵な見世物もなかなかないですね!

 嫌そうな顔をしているお兄ちゃんがとっても可愛いです!

 庇護欲を掻き立てられる反面、少し意地悪したくもなってしまう表情です。

 ……ちょっとだけ、いたずらをしちゃいましょうか。

 わたしはオトシストさんの鼻に刺さったロウソクを引き抜くと、再び両手で持ちます。

 そして、ゆっくりと後ろを振り返って……。

「若菜……ッ⁉ 嘘だろ、おい……こっちを向くな!」

「……こっちを向くな? 酷いですねお兄ちゃんは。彼女に対してそんなこと……」

「ち、違うんだ! ええと、手に持ってるものを捨てて……そしたら、撫でてやる!」

「撫でてやる……? むう……ちょっと気に入らないけどいいです」

「そ、そうか。よかっ……」

「……片方だけにしてあげます」

「やめてええええええええ!」

 ……まあ、やりませんけど。

 だって、お兄ちゃんの素敵なお顔が爛れちゃうのは嫌ですもん。

 このロウソクは……そうですね。

 オトシストさんにでも食べて処理してもらいましょう。

「はい、あーん」

「あー……ん……オエッ……」

「うふふ」

 恍惚の表情で捕虜の食事を見守ります。

 真っ赤な蝋が舌に付くのも気にせず、無我夢中ボリボリ齧っています。

 わたしに抵抗の意志がないと示すために、ボリボリボリボリ。

 ボリボリボリボリ……ボリボリボリボリ……。

「もういいですっ!」

「グェッ……」

 うるさいので、顔を一発蹴らせてもらいました。

 お兄ちゃんがまた顔を歪ませています。

 ……まあいいです。

 そろそろお説教も終わりにして、オトシストさんに話を聞いてみましょう!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夢の帰結。

「……それで、オトシストさんはどうしてこのイベントに参加しようと思ったんですか?」

 残りのこけしを全て取り上げ、抵抗の意志がないことを確認し。

 縄を外したオトシストさんに、疑問を投げかけます。

 だって、気になるじゃないですか。

 一人前の大人が旅に出て、そこまでして叶えたかった夢ですよ?

確かに、富や名声を手にするために参加するのが一般的で、彼もその一人かもしれません。

だとしたら、そこまでワクワクする要素はないです。その通りです。

でも、手合わせして、縛り上げて。

さらに、傷の炎症が治るまでの時間を一緒に過ごして。

……その結果、なんとなくこの人はただのつまらない人間じゃないような気がしたんです。

そのような信頼感を寄せていたからでしょうか。

見つめると、オトシストさんは照れ臭そうに口を開きます。

……かみ砕かれた蝋が少し飛び出してきました。うわぁ。

わたしたち兄妹が引いていることにも構わず、オトシストさんは話し始めます。

 

「……俺の実家は、先祖代々のこけし職人だったんだ……。

 でも、時代とともにこけしは人気がなくなって、売れなくなってな……。

 だから、この大会で優勝して、こけしの人気を再燃させたかったんだ……!

 みんながこけしの魅力に気付く世界を、実現させたかった……」

 

 話しているうちに、言葉に熱がこもります。

 やがて声は震えだし、瞳も潤み。

 神に懺悔するかの如く頭を下げてうなだれます。

 

「……だけど、結果はこのザマだ……。

大切なこけしをぞんざいに扱って、投げて落として。

……こけしの品位を、地に落とすような愚かなことをしちまった……。

二重の意味で、こけしを落としちまったんだ……。

コケシオトシストって、そういうことだったのかなあ。

……今になって反省してるよ。後悔もしてる。

……でも、こけしドリーム、掴みたかったなぁ……」

 

こけしを落とす話をしながら、肩をがっくりと落とすオトシストさん。

彼の纏うオーラは悲しげで、寂しげで。

このままでは、この先前を向いて歩いていけそうにありません。

わたしはお兄ちゃんと顔を見合わせて、考えます。

この人を、今後どうしていきたいかを。

オトシストさんは、うちの屋根を壊して二階も突き破った悪い人です。

それに、先ほどまではわたしたちの夢を壊そうとする敵でした。

しかし、目の前の彼は変わり果てた姿になっていて。

……主に鼻の穴がやけどで爛れて、変わり果てた姿になっていて。

……そんな人を放っておけるほど、わたしたちは悪人じゃありません。

だって、昨日の敵は今日の友ですから!

オトシストさんにも、前を向いて進んでいって欲しいです!

視線オトシストには、なって欲しくないです!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紅のエゴイズム。

顔を見合わせたお兄ちゃんに、視線でそれらを全部伝えて。

それから、最後にもう一つ視線を送ります。

『キスしても、いいですか?』

 すると、お兄ちゃんは真顔で全部に頷いて。

それから、最後にもう一つ大きく笑顔で頷いてみせました。

……これは、なにも理解していない反応ですね!

……まあいいです!

勝手に接吻の許可をもらったということにしてしまいましょう!

 

「…………ちゅっ」

「…………なんで⁉」

 

 いきなり唇を奪われたお兄ちゃんが後ろに飛び退き、目を白黒させています。

 唇を押さえて、なんと可愛らしい……!

 恍惚の表情を浮かべるわたしに、お兄ちゃんが引きつった笑みを浮かべます。

「ええと、愛してくれてるのは分かったから……今はオトシストをなんとかしようよ」

 そう諭すようにいいますが、そんなことで懐柔されるわたしではありません!

「いいえ、お兄ちゃんはわかっていません! わたしの愛はこの程度ではありません!」

 口に出すと、わたしはユラァとした歩みでお兄ちゃんに近づきます。

 オトシストさんが「あれは伝説の歩行術……!」などと驚いていますが、無視です。

 とにかくわたしは、もっとお兄ちゃんとチューしたいんです!

 舌なめずりをして、一歩二歩。

 愛する人の前に辿り着くと、両手を広げて。

「お兄ちゃん、覚悟――!」

 と、意気込んで飛びつきました。しかし。

「…………っ⁉」

 掴んだのは虚空。彼の残り香だけでした。

 お兄ちゃんが、消えた……?

 目の前で起きた超常現象に、わたしはその場から動けなくなります。

 すると、耳の中に吐息交じりの官能的な声が押し込まれました。

「若菜、その唇は二人きりの時に取っておけよ。終わったら俺のこと、好きにしていいから」

 ゾクゾクッ――!

 わたしの理性の電線に、一瞬で致死量の電流が流れました。

 身体中から溢れそうになる「好き」が体内に蓄積して。

 ストレージの容量不足でショート寸前、爆発寸前の鉄でできた風船。

 愛に狂ってしまう、欲に苛まれてしまう。

 しかし同等の圧力で抑え込む人間としての最後の砦。

 隙間のない部屋の中で増殖し続ける液体を扉ひとつで抑え込んでいるかのような限界。

 愛に狂ってしまう、欲に苛まれてしまう。

 最上の天国でありながらその悦びにこそ苦しめられるという地獄。矛盾。

 脳の新領域の発見。拡張。宇宙の始まり。終焉。

目玉の奥に血液が集中して眼球が押し出されそれでも飛び出さない絶妙な感覚。

人間は好きな人の言葉一つでこうもおかしくなってしまうものなんですね。

あと一歩間違えれば、人間をやめていました。獣になり果てていました。

それでも辛うじて意識を保つことができたのは。

お兄ちゃんにより好かれたいというこれまた沸騰した紅のエゴイズムで。

だからわたしは、虚勢を張ってみせました。

「……お兄ちゃんを好きにしていいというのは魅力的ですが……断ります」

 わたしの回答が意外だったのか、お兄ちゃんは喉の奥で小さく息を吸い込みます。

 心なしか吸い込んだ空気の分だけ悲しさが部屋に漂います。

 しかし、摂取した酸素がお兄ちゃんの血管を巡り切らないうちにわたしは言いました。

「終わったら、お兄ちゃんがわたしを好きにしてくださいね!」

 そのときのお兄ちゃんは、幼い頃のあの日以来の素敵な笑顔でした。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

たった一つの選択肢。

「……終わった?」

 わたしたちの愛のぶつかり合いが終わって。

 すると、オトシストさんがおそるおそる話しかけてしました。

 そういえば、オトシストさんの話をしてたんでしたね!

 彼は「なんなんだ……伝説の歩行術に、それをまくほどの独自の歩行って……」と、なにやらブツブツ呟いています。

 この世の理不尽さに直面したかのような悲壮感が漂っていますがどうしたんでしょう。

 こけしドリームを掴めなかったことを嘆いているのでしょうか?

 ……まあ、とにかく彼の件を片付けちゃいましょう!

 さっさと家に帰して、わたしはお兄ちゃんに好きにされるんです! いぇい!

 

「ええと、うどんにコシは必要かって話でしたよね!」

「いや全然そんな話してなかったけど⁉」

「そうでした、動物解放論についてでしたよね!」

「そんな話もしてなかったよ⁉ お前ほんと俺に興味ないね⁉」

「いえいえ、そんなことないですよ?」

「おお、少しは俺やこけしに興味を持って……」

「ひじきの漁獲量ランキング第十六位くらいの興味はあります!」

「全然ないじゃないか!」

 

 むむう。

 相性が悪いのでしょうか、全然話が進みませんね。

 オトシストさんは不機嫌なわたしの様子にも気付かず「ひじきって漁獲量で表すのか……」と感心したように頷いています。

 まったく、よく独り言の出る人ですね。

 一人暮らしが長いと独り言が癖になるといいますが、彼もそうなのでしょうか。

 ……そんなことはともかく、今やるべきことは彼を家に帰すことです!

 お兄ちゃんにこれまでの話の流れを耳打ちで教えてもらうと、わたしは話を元に戻します。

「そうそう、こけしドリームでしたよね! 覚えていましたとも」

 そんなわたしにジト目を向けるオトシストさんですが、関係ありません。

 ここは真摯に向き合って、前向きな気分で帰してあげましょう!

 わたしはオトシストさんから没収した鉄のこけしを取り出します。

 そして、隅々まで眺めると呟きました。

「いい仕事してますねえ~」

「なんだ、金額でも出すのか!」

「いえ、出しませんけど?」

「紛らわしい!」

 変なところで吠える彼を無視して、わたしはこけしを眺めます。

 鉄でできたこけしというのは初めて見ましたが、すごいですね……。

 工場の製品のような緻密な出来に、人の手で作ったときにしか現れない温もり。

 表面は塗るわけにもいかず顔を彫り込んであるのですが、またこれがいい表情です。

「おい、どうしてそんな俺の武器を見て……」

 真剣に鑑賞するわたしに戸惑いを見せるオトシストさん。

 まさか、本当に気付いていないというのでしょうか。

 確かに、自分のことを客観的に見るのは難しいことですが。

 だとすれば、他人が気付かせてあげないといけません。

 自分自身に対する評価の低さを、改めてもらいましょう!

「オトシストさん!」

「お、おう」

 急に名前を呼ばれた彼は、ビクッと跳ねて返事をします。

 そんな彼に、わたしは真剣な目で問いかけました。

「……こけしは、好きですか?」

 すると、オトシストさんは何かを振り返るかのように目を閉じて考え始めました。

 こけしに出会った日のこと、職人になった日のこと、そしてこの大会に参加した日々。

 いろいろな思い出が頭の中に渦巻いて、それら全てを仕分けているのでしょう。

 でも、わたしは分かっています。

 これだけ真剣に向き合えるものがある人は、この世に何人いるのか。

 それは決して多くはないはずです。

 だとすると、これだけ長時間悩み続けられる人間が出す答えなんて――

 

「俺は、こけしが大好きだ」

 

 ――たった一つしかないのですから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

他者の評価と自己評価。

「だったら、大丈夫です」

「大丈夫って……」

 彼の答え、決意を聞いたわたしは優しく。

 そして強く、客観的に見た彼の評価を教えてあげることにしました。

「だって貴方は、こんなに頑張っているじゃないですか」

「俺が、頑張ってる……?」

「はい! こうしてこけしを広めるために行動したり、こけしの未来を真剣に考えたり」

「でも、それだって結果が出てるわけじゃないし、それに卑怯な手を使って……」

 両手を横にだらっと垂らして、自信なさげに俯く彼。

 確かに、彼がやったことは一見努力もせずに結果だけを得ようとするいけない行為です。

 しかし、それはこけしを想ってのこと。だったら、努力の一環ですよ!

「……あなたの鉄のこけし、見せてもらいました」

 わたしは続けます。

「職人としての確かな腕と、伝統と自分らしさを重ね合わせる発想力。とっても、素晴らしいと思いました。正直、今すごく貴方の他のこけしも見てみたくなっています」

 鉄を使ってこれだけの作品を作れる職人が、本来の木でこけしを彫ったら。

 入り口は新しさへの興味かもしれませんが、出口には王道が広がっています。

「現に、ここに心を動かされた人間、若者が一人いるんです! それを生んだのは、間違いなく貴方の努力です! だから、大丈夫だと言っているんです!」

「……俺のこけしが、心に刺さったっていうのか……?」

「そうです! だから、貴方は大丈夫! 信じたことを続けて、時に新しいことにチャレンジして。そうして努力を続ける限り、絶対に心動かされる人間が出てきます! だって、貴方は頑張っているんですから!」

 

 わたしが柄にもなく言い切ると、沈黙が空間に蓋をしました。

 その間にお兄ちゃんがオトシストさんの縄をほどいて、自由の身にします。

 しかし、オトシストさんは膝をついたまま動きません。

 正座のような体勢で自分の掌を見つめてじっとしています。

 そして、しばらくすると顔を上げて。

「…………ありがとう」

 と、小さく呟いてみせたのでした。

 

 それから彼は大会からの辞退を宣言し。

 そして私たちに神殿への地図を残すと、東北の自宅へと帰って行きました。

 ……いえ、その前に病院に行ったんでしたっけ。

 大会のバトルに関係する怪我は神の力で治るようですが、あれは関係ない趣味の拷問で負った火傷ですからね……。

 まあ、兎にも角にもこれでわたしたちは仙人の居場所を特定することが出来ました!

 それに、オトシストさんとの一件が終わったということは!

 ついに、わたしはお兄ちゃんからのご褒美をもらえますー!

 

「さあ、お兄ちゃん! このわたしをお好きなように――!」

 

 わたしは小さな両手を広げて目を瞑り、お兄ちゃんを待ち構えます。

 普段わたしは猛攻を仕掛けていますが、攻められるのは珍しいこと。

 ……とっても、ドキドキします。

 しかし、待てど暮らせどお兄ちゃんが近づいてくる様子は微塵もなく。

 唇を尖らせたわたしは、痺れを切らして閉じていた目を開けます。

 するとそこにお兄ちゃんの姿はなく、存在していたのはわたしのリュックサックで。

 

「若菜―? 早くしないと置いてくよー?」

 

 玄関でお兄ちゃんは、ちゃっかり出かける用意を済ませていました。

 もう! 楽しみにしてたのに!

 しかし、後から聞くとお兄ちゃんが言っていた「終わったら」はすべてが終わったあとのことを指していたようで――

 

 それならば、逃げるものでもないしいいかと、わたしは我慢するのでした。

 ……まあ、わたしからはいっぱいキスさせてもらいましたけどねっ!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。