やさしいせかいになりますように【完結】 (草陰)
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1話 おおむね平和な政庁ライフ

 

 

 

 ――兄に会いたい。

 心が、体が渇望していた。兄の優しい言葉を、兄の優しい抱擁を。

 周囲からは"消息不明だ"と聞かされているが、少女は兄の生存を信じていた。

 出来ることなら自ら探しに行きたい。けれど不自由な身体が、周囲がそれを許さない。

 ならば誰かに兄を探してもらおうにも、いくら皇族といえど、財もコネも実績もない少女に従う人間がどこにいるだろう。

 

 だから少女は必死に模索する。

 兄を探させることが出来るだけの財を、コネを、実績を得られるチャンスを。

 

 それは真っ当な考えではなかったのだろう。

 スッカラカンの人間が博打で一発逆転を狙うような、泥沼の考え。

 けれど少女は見つけた。大きな実績を得られるチャンスを。

 

 それは、ちょうど空席になっていたエリア11の総督という地位。

 立て続けに総督が殺されたことから、皇族にとってそこは一種の鬼門となっていた。

 必然、やりたがる皇族はいない。故に自分のような、何の実績もない小娘でも任せてもらえる可能性は高いだろう。そして、その目論見は当たった。

 皇帝である父が擁立までしてくれたのは予想外だったが、少女は総督となった。

 

 総督となった少女は考える。ここで結果を残し実績をあげれば、大手を振って兄を探させることが出来るだろう。ユフィが成し得なかった行政特区を実現し、統治を磐石な物にすれば、一角の人間として認めて貰えるハズだ、と。

 一人で呼びかけても厳しいだろう、しかし、ゼロがこれに賛同してくれれば或いは。

 

 甘い考えだとは少女も自覚していた。

 ゼロがその考えに乗る可能性は低いし、ゼロなしに日本国民が乗る可能性は更に低いだろう。

 だが、少なからず勝算はあると踏んでいた。そこには何の根拠もない、単なる勘。

 

 失敗すれば、恐らく二度と表舞台に上がれることは無いだろう。

 皇族の中でもヴィ家が厭われていることは知っているし、父がもう一度庇護してくれる証左も無い。離宮に隔離され一生軟禁生活か、あるいはお飾りとして外遊に駆り出される人生か。兄を探すことなど、二度と出来なくなるだろう――しかし、それは今のままでも同じこと。

 

 だから、少女はその勘に賭けた。

 リスクは高い。けれど彼女にとって兄のいない世界に価値は無く。

 それを掴める可能性が僅かにでもあるならば、全てを賭ける理由はそれだけで十分だった。

 

 ――ナナリー・ヴィ・ブリタニアは、こうして一世一代の大博打に打って出る。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 麗らかな午後、政庁の執務室にて。

 教育係と言う名目で付けられた監視役のミス・ローマイヤが目を光らせている横で、私は黙々と点字の付いた書類の処理をしていました。この人と個室で二人きりと言う状況にいい加減ウンザリしつつ仕事をこなしていると、ふと手に止まった一枚の書類。

 にわかに固まる私、ミス・ローマイヤはそんな私へ不審気な声をあげます。

 

「ナナリー総督? なにか不備でもございましたか?」

「……いえ、なんでもありません」

 

 何事もなかったかのようにその書類に判を押し、次の書類へと移りました。

 しかし一度覚えたシコリは胸から消えず、知らず意識は散漫な物となっていきます。

 ――行政特区に纏わるその書類は、私にある人物を想起させました。

 

 ゼロ。

 それはかつての私にとって生命線であり……そして今現在、最も忌々しい人物です。

 

 思えば、初めて会った時からゼロと言う人物は人をおちょくったような行動ばかり取っていました。私の乗っている飛行艇を突如強襲、殺されるかと思えば拉致しようとする。拉致するならするでムリヤリにでも連れていけばいいのにどうでもいい問答はさせられる……ちなみに動揺していてどんな応対をしたか殆ど覚えていません。挑発的なことを言ってなければいいのですけど。おまけに助けに来たスザクさんが無茶したせいで髪――お兄様が綺麗だと言ってくれた――は痛むし。

 あの出会いは私にとって最悪の極みと言って良かったでしょう。

 だからスザクさんが離脱した時、ゼロが紙みたいに飛んでいったと聞いた時は痛快でした。

 

 次に会った時はこちらの呼び掛けに応じてくれたことから、案外チョロいかもしれないと思えばやってくれました1万人のゼロ。こちらの認識も甘かったですが、まさかここまでコケにされるとは夢にも思わず。完全に顔へ泥を塗られた結果に。

 この失敗で総督府内での私の扱いは悪化。目が見えずとも、いえ見えないからこそ、官僚達の不遜な態度がありありと伝わってきます。全員不敬罪でしょっぴいて一族郎党打首獄門に処してやりたい気分ですが、悲しいことに今の私にそこまでの権力(ちから)は無いのです。

 

 おまけにシュナイゼル兄様が何かと口出しするようになってきましたし、それを官僚たちは歓迎している模様。実務能力に欠ける上に、独断専行で引っ掻き回すだけの私に求心力が無いことを仕方ないとは理解しつつも、これは痛い。

 私にとってゼロの評価はもはやストップ安です。大暴落です。

 

 ――だいたい、お兄様と離れ離れになったのはゼロのせいなのです。

 お兄様にたかる邪魔な腹違いの兄と姉を始末してくれたことには感謝していますが、現状を生み出したのもゼロなのです。

 

 機会があればいっそ罵倒でもしてやりたいところですが、お兄様に見られる可能性を考慮すると無理でしょう。仮に密室でやりあったとしても、その映像を密かに記録して、市井に流すくらいのこと平気でやりそうですし。

 それに私の成り上がり計画から考えると、やはりゼロの存在は必要不可欠です。こちらから喧嘩を売るようなマネは出来ません。行政特区と言う試み自体、成功するか否かはゼロありきだったのですから。……失敗しましたけど。

 

 そのゼロは現在中華で大暴れ。

 あくまでもエリア11の総督でしかない私に出来ることはありませんし……。それですら100%権限を行使できるわけではない。歯痒いですね。せめてお兄様の安否だけでも知りたいところですが、それさえも私には知る術がありません。本当に歯痒い。

 

「(がじがじ)」

「総督、爪を噛むのはおやめ下さい」

「あっ……。はい、すみません」

 

 無意識に爪を噛んでいたのか、隣にいるミス・ローマイヤから注意されてしまいました。いけないいけない、気をつけないと。お兄様と再会した時にギザギザの爪なんか見られたら大変です。

 

 心理学的に爪を噛むと言う行為は、心理的な抑圧をそうすることで解消しようとしているとかいないとか。要は現状にストレスを抱いていると言うわけで、せめて何か気晴らしになるようなことが起きるといいのですが……。

 例えばミス・ローマイヤの眼鏡が爆発するとか。ミス・ローマイヤの頭が爆発するとか。

 

「……くすっ」

「どうかなされましたか?」

「いえ、何でもありません」

 

 危ないところです、うっかり笑みが零れてしまいました。

 咄嗟に皇族スマイルで躱しましたが、また小言を聞かされるハメになるところでした。

 ――皇族に復帰してまず驚いたのは、こういう分かりやすい嫌味な人物がいたことです。

 世界名作劇場とか、ああいう世界にだけいるものだと思っていただけに、実物と遭遇した時は少し感動してしまいました。まぁ、それもすぐに鬱陶しいだけになったんですけど。

 

 基本的にこの人が言うことはどれも正論なんですね。教育係として派遣されただけのことはあって。けど、こっちはそんなのとっくに承知の上で突っ走っているわけで、いちいち鬱陶しいんですよね。私に対する反感みたいなものもありありと感じますし。仕方ないとは分かりつつも、あまりいい気はしません。ですが、同時に監視役でもある彼女にこれ以上の悪印象を抱かれれば、総督の任から解かれる可能性が高くなりますし。何だかんだで仕事の上では大分助けられていることもあり、ある程度折り合いを付けなければなりません。

 

 というわけでやむなく小言を耳にする毎日です。これくらいのことで現状を維持できるなら安いものなのでしょう。しかしウザイものはやっぱりウザイわけでして……。本当に何か不慮の事故にでも巻き込まれて死んでいただけないでしょうか。

 

 たとえば爆弾テロに巻き込まれて爆死とかどうでしょう。

 イレブン(敢えてこう呼びます)の皆さん、一つ政庁に爆弾テロなんかいかがでしょうか? ミス・ローマイヤの部屋は東棟にありますので、その辺りにどうぞ一発。AM4:00ぐらいが狙い目ですよ。まあ彼女を殺したところで独立運動にはなんの意味もないですけど。

 

 そんなこんなで今日も私は平和です。

 お兄様もまた平穏無事な一日を過ごしていることを祈っております。

 

 

 

 

 

 



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2話 政庁ライフとはなんだったのか

 

 

 

 総督としてなにより求められるのは、優れた統治能力です。

 政治にも軍事にもうとい私にとって唯一の希望は、ゼロという日本人にとってのカリスマにおもねる事でした。基本はユフィ姉様(「いつかやらかすと思っていました」※モザイク付き)の平和路線を踏襲しつつ。私の庇護欲をそそる(らしい)見た目で、健気なこといっておけばゼロだって心も動くんじゃないかと思っていましたが、さすがに甘すぎたのでしょう。

 一度ユフィ姉様の甘言に騙された以上警戒はしているだろうし、ゼロが心を許さないのは当然の帰結でした。

 

 いっそ色仕掛けでも仕掛けていれば……ハァ(自分の体を触ってため息をつく)。

 実際に自分の体を見たことはないけど、触ってみてロクに凹凸が感じられないあたりから、女としての魅力のなさは理解しています。幸いにして顔は良いらしいので、ゼロが特殊な性癖を持っていれば或いはいけたかもしれませんね。体を差し出して総督としての地位が確約されるのであれば安い物なのかもしれません。お兄様なら汚れてしまった私でもきっと受け入れて――って、何を考えているんですか、私は! 少しおかしなことを考えてしまいましたが、こんなことを考えてしまうほど今の私は追い詰められているのです。

 

 ――総督としての実権を、シュナイゼル兄様にとられてしまいました。

 

 件の「1万人のゼロ」の頃からなにかと口出しするようになってきていましたが。

 超合集国の成立以降、ついに立場が完全に逆転してしまったのです。

 

 シュナイゼル兄様が出張ってきたのは、主に軍事的な理由です。超合集国の成立により、ユーラシア大陸における多くの国々が協力体制を敷いたこと。また地政学的な観点と、組織の中枢を占めるのが日本人であることから、遠からず日本が戦場になるだろうと言うのが大勢の見方でした。こうなれば私のような素人に任せてはおられず、実力者であるシュナイゼル兄様が本格的に出張ってくるのは本国と総督府の意向でもありました。

 1万人のゼロでの失敗の負い目があり、実力の無さも重々承知していた私に、これに反論する術はなく……。今の私は完全にお飾りであり、政庁の一室に軟禁状態で、あまつさえ一部の付き人以外との接触すら許されない始末。

 出来ることはなく、流されるままの自分に焦る毎日。

 とりあえずスザクさんが捕虜にしたらしいカレンさんを適当な話し相手に据えてはみたものの、あまり楽しいものでもありません。並行して政治の勉強は続けてはいますが、果たしてそれを生かせる未来があるのかも怪しくなってきました。

 

 次に日本が戦場になれば、今度は大きな動乱になるでしょう。それこそブラックリベリオンのような。スザクさんを信じるのであれば、今のお兄様の立場は非常に際どいところにあります。それこそ、総督である私と会えないほどに(再会してからのスザクさんの態度を思うと、むしろスザクさんが会うことを妨害しているって線も疑っているのですが……それは置いときましょう)。

 だからこそ総督としての地盤を固め、お兄様を守れるだけの立場になってからお迎えにあがるつもりでしたのが、今となってはそれも叶いません。今度こそ戦火に呑まれてお兄様は死んでしまうかもしれないし、或いはドサクサ紛れに暗殺されてしまうかもしれません。それどころか、ブラックリベリオンの前例から考えれば私自身の安全の保障だってありません。

 

 一世一代の博打は失敗。お兄様と今後会える可能性は低い――。

 お先は真っ暗――いえ、元から真っ暗でしたね。

 そう、絶望ならとっくにしているのです。母を失い、足を失い、視界を失い、父に日本へ捨てられた、あの時に。だからお兄様が生きている限りは、せめて会える可能性に賭けようと思います。たとえわずかでも……、ね?

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 ――色々あってシュナイゼル兄様に助けられました。

 東京が戦場になったり、フレイヤとかいう新型爆弾で焦土になったりしましたが、当然ながら私の関与できる余地はありませんでした。

 とにもかくにも、お兄様がご無事であればいいのですが……。

 

 …………あれ? そういえば。

 

「あの、シュナイゼル兄様、ローマイヤさんは?」

「……残念ながら、彼女はフレイヤに巻き込まれて死んでしまったよ」

 

 マ ジ で す か !

 思わぬ吉報に飛び跳ねたい気分でしたが、足が悪いことを思い出して断念しました。

 この時ほど私の足を撃ちぬいたテロリストを憎んだことはありません。

 

 そんな悲喜劇を内面で繰り広げている私を尻目に、シュナイゼル兄様は話を続けます。

 実はゼロがお兄様だそうで……え?

 

「ショックだったようだね。無理もない」

 

 呆然としている私を見て、シュナイゼル兄様はそう言います。

 確かにショックは受けていますが、恐らくこの人が考えているのとは違います。

 

(あの忌々しいゼロが、お兄様だっただなんて……!)

 

 ショックです。果てしなくショックです。

 ですがそう考えると、あの人をおちょくっていたとしか思えない行動も辻褄があってしまうのです。あの拉致未遂も、1万人のゼロも、私と鉾を交えたくなかったからあんな迂遠なことをやったのではないか――自意識過剰? お兄様と私の絆を考えれば妥当な考え方だと思いますね(キリッ

 

 でも、案外正鵠を射ていると思うのですよ。

 お兄様は遅かれ早かれブリタニアへ反逆の狼煙を上げたでしょう。

 しかし本来であればもっと上手く、慎重に狡猾に組織を作り、信頼を築きあげ。

 黒の騎士団の裏切りのような憂き目に合うことはなかったハズです。

 

 なのに、ここまで事を焦ってしまったのは何故か?

 常に私と言うハンデを背負い、お兄様の心は知らず摩耗していったのだと思います。だから事を焦り、先の見えない未来を一刻でも早く切り開こうと考えたのではないでしょうか。それだというのに私ときたらお父様やスザクさんに良いように利用されて……。あまりにも情けないです。

 

 ……ただ、あまりにも事が性急に過ぎるのと、少しばかり運が良すぎるようにも思えます。いえ、お兄様の溢れんばかりのカリスマを思えば、日本どころか世界、いえ天上の神々ですら平伏するだろうと私は信じて疑っておりません。

 

 ですが……と、疑問を抱く私に、シュナイゼル兄様は言いました。

 

「ナナリー、これを聞いて欲しい」

 

 カチリと音が鳴ったと思うと、そこから流れてきた会話を前に、私は言葉を失いました。

 

「ショックかもしれない。けれど、これがゼロの、一連の出来事の真実だ」

 

 スザクさんはお兄様がゼロであると知っていたこと。

 ユフィ姉様の件でスザクさんとお兄様との間に確執があったと言うこと。

 全てを理解していた上で、スザクさんが私を謀っていたと言う事実。

 お兄様と電話した際の不自然な態度のワケもようやく理解できました。

 よくも平気で私の近くにいれたものですね、スザクさんっ……!

 

 ……まあ、それはさておき。"ギアス"、ですか……。

 シュナイゼル兄様の補足によれば、なんでも"催眠術のようなもの"らしいですが。確かにそのようなものがあれば、あの異様なまでの勢いも納得でき……いやごめんなさい。やっぱり無理です。無理。

 と言うより、いい年した殿方が揃いも揃ってこれを信じてると言う事が私は恐ろしいです。明らかにユフィ姉様の凶行をお兄様が無茶な言い訳してかばってるだけじゃないですか、これは。こうして人は都合の良い方向に物事を解釈していくのですね……(ホロリ)。もはや兄様などと敬称を付けるのもおこがましい。これからはシュナイゼルと呼ばせていただきます。

 

 常識で考えてそんな便利な力があるわけないでしょう……。

 あるとすれば黒の騎士団の塵埃共があんなあっけなく裏切るわけがありません。

 私なら間違いなく「何があっても決して逆らうな。と言うか奴隷になれ」と命令しておきますもの。聡明なお兄様がそれをしないとは考えられません。

 そして「敵に捕まったら舌を噛んで死ね」と言い含めておきます。どんな拷問で自白を迫られるか分かったものではないのですから。

 ですが捕虜となったカレンさんと会話した限り、普通に自分の意思で受け答えしていましたし。そんな気配は微塵もありませんでした。

 

 それでもあると言うのなら。黒の騎士団が裏切ったことをもっと訝しむべきです。

 いつでも背中から刺せる状況じゃないですか。

 

 ……或いは。

 優しいお兄様のことですから、「仲間にギアスはかけられない」と情けをかけたのかもしれません。だとすれば、ますます許すまじ黒の騎士団……!

 

 もっとも前提がおかしい以上、何をか言わんやですが。

 よしんば、よしんばですよ。

 ギアスと言うものが存在したとしても、どうせ何か特定の条件があるのでしょう。

 例えば「効果には制限時間がある」とか、「一人一回のみ」とか、「目を見た相手にのみ有効」とか、「生命に関わる命令はかけられない」とか、そんなところでしょうか。

 少なくとも決して万能な能力でないことだけは分かります。万能であればシュナイゼルが今こうしていること自体おかしいのです。

 私ならクロヴィス兄様を足がかりに、片っ端から皇族にギアスをかけ、ブリタニアを内部から骨抜きにしていきますもの。

 

 ユフィ姉様にその「ギアス」をかけて日本人を殺させたって言うのも私からすればありえません。認めたくないところですが、お兄様は本当にユフィ姉様のことを大事にされていましたから。

 仮にかけたとしても、意図的にではなく、何かトラブルが起きて「かかってしまった」と考えるのが妥当です。たとえば冗談で「日本人を殺せ」と言ったら、うっかりギアスを使ってしまったとか、そんな感じでしょう。

 お兄様は昔からおっちょこちょいなところがありますし……。それがまた普段とギャップを感じさせていいんですけどね☆

 

 結局のところ、お兄様がどうしてあれほどの勢いであれだけの事を成し得たのかは分かりません。確かに「ギアス」があれば何もかも説明が付きますが、いささか荒唐無稽にすぎます。いっそ「奇跡が起こった」で括った方がよほど信憑性はあります。

 

 ただ一つだけハッキリしているのは、あれだけ大切にしていたユフィ姉様を撃ち殺さなければならなかったお兄様の心痛は、察するに余りあると言う事だけです。筆舌に尽くせない。そんな言葉だけではとても語り尽せぬ苦悩に苛まれたであろうことは想像に難しくありません。

 

 何もかも私のために……と言うのは、お兄様に対する侮辱でしょう。

 お兄様はお兄様なりの覚悟を持って戦い抜き、それはきっと常に安全圏にいた私には、決して分かりえないものです。けれど、その道を選んだ理由には間違いなく私の存在があって、選ばせてしまった責任は確かにあるのです。

 

 私は必死に考えます。

 ここでシュナイゼルが動いた意味を。ここでこの話を、ゼロの正体を私に明かした意味を。東京での決戦から間を置かず、未だゴタゴタが続いているであろう中、直々に出向いた理由を。

 

 "好意から"と言う線はまず無いでしょう。

 だとすれば、あまりにも気配が冷たすぎます。

 これに限らず、シュナイゼルからはおよそ他者へ対する「情」と言ったものを感じたことはありません。これは皇族復帰後、何度か会話を重ね、私自身が身を持って実感したこと。

 衝撃的な事実だから、少しでもショックを和らげる為に時間を割いてくれたと言うのも、先の考えからありえません。

 

 あくまでも"必要だからやっている"……。そう、この人の基本スタンスはこれです。事務的……、とも違います。いつも通り冷めている一方で、薄らと私に期待しているような気配がありますし。今のこの人の根底にあるのは、もっとこう、目的のためなら手段を選ばないよ、うな……っ。脳裏に、さっき聴かされた録音データが過ぎりました。あれは、確か、スザクさんの言葉。

 

 ――人間じゃない! 君にとっては、シャーリーもユフィも、野望のための"駒"にすぎないのか!

 

 "駒"……、そう、"駒"です。

 恐らくシュナイゼルは、私を何らかの駆け引きの"駒"として使うつもりなのでしょう。総督の地位を途中で解任させられ、何の実績も後ろ盾も持たず。まして皇族の中でも爪弾き者であるヴィ家の私が"駒"として役立つ相手がいるとすれば、それはお兄様以外にありえません。

 

 だとすれば、シュナイゼルは私にどのような反応を求めているか。

 答えは簡単です。

 "いつもの私"であれば、この話を聞いた時、こう反応するでしょう。

 

「人の心を操るギアス……。そんなもので、ユフィ姉様を……?」

 

 騙され続けた事へのショック。非道な手段をとったお兄様への怒り。それでもやはり、お兄様を信じたいという想い。いくつもの感情がない混ぜになった、そんな反応。刹那、シュナイゼルの気配がにわかに緩んだのを感じました。

 

「そう、ルルーシュは人の心を操り、利用してきた。これは許されざることだ」

 

 いつも通り冷め切った気配から発せられる、欠片も思っていないはずの言葉。

 ですがこの言葉は"いつもの私"の混迷した感情をさらにかき混ぜることでしょう。

 シュナイゼルの思い通り、私はますます葛藤するそぶりを見せます。

 すべては一つの目的の為に。

 

 ――私は、お兄様にこれ以上の苦しみを背負って欲しくありません。

 ユフィ姉様を失い。友人を失い。私を失い。黒の騎士団を失い。居場所を失ったお兄様が次に取る行動は、きっと――

 

 だから、覚悟を決めます。

 そのためならば、私は喜んで道化を演じると。

 

 さあ、シュナイゼル兄様。化かし合いをしましょう。

 私の仮面とシュナイゼル兄様の仮面、一体どちらの仮面が先に剥がれるでしょう?

 

 

 

 

 



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3話 急転直下というか

 

 

 

 

 最高評議会はひどい有様でした。

 それまでのブリタニアとの関係を考えれば、多少なりとも厳しい追及が上がる可能性も想定していましたが……。まさか一国の皇帝を事実上の軟禁状態にした上、あんな不躾な態度で臨むとは思いませんでした。

 

 あくまでエリアを開放したのはブリタニア側の善意であり。決して立場が逆転したのでなく対等な関係になっただけですのに、何を勘違いしたのでしょうか?

 ああなるのは当然の結果ですし、仮にあの場で行動に出ずとも、ブリタニアの世論は間違いなく沸騰したことでしょう。

 

 とは言え、各国の代表を軟禁し、日本を再占領までしたのはいささかやりすぎと言いますか。これまでの行動や、ブリタニアの立ち位置から考えると不自然と言いますか……。

 

 やはり、お兄様は……。

 ……。

 

 ともかく、各国の代表が軟禁された以上、超合集国に加盟している国々は動かざるをえない状況になりました。けれど内心では各国共に黒の騎士団へ対して「余計なことをしやがって」と言う気持ちも強そうです。

 本来ならしなくてもいい戦争を引き起こしたのですから。超合集国側は勝っても負けても禍根を残す事になりそうですが……。まぁ、そんなことはどうでもいいですね。

 

 これから起こることに比べれば、超合集国の行末なんて使ったあとのお砂糖のスティック容器くらいどうでもいいです。

 ゴミ箱にポイです、ポイ。

 

 ――これから待っている、お兄様との電話会談を前に興奮が止まらないのです。

 思わずニヤケそうになる口元を必死に堪えます。

 

「それじゃあナナリー、繋げるよ」

「……はい、シュナイゼル兄様」

 

 いよいよその瞬間、私は気を引き締めます。シュナイゼルが何かを押す音と同時に、ブンと目の前から音が鳴りました。モニターの点く音でしょう。

 

「他人を従えるのは気持ちいいかい? ルルーシュ」

「シュナイゼル……」

 

 お兄様……! 懐かしい声が、愛しい声が、耳から脳へと駆け抜けます。

 すぐにでも声をかけたい衝動を必死に堪えつつ、場の音声を、雰囲気を必死に拾います。

 

 開口一番、挑発的なシュナイゼルの物言い。

 返すお兄様の声からは、多少の苛立が感じられつつも冷静なものでした。

 淡々と、けれど緊張感に満ちた短い応酬。ようやくその時がやってきました。

 

「……違うな。間違っているよ、ルルーシュ。ブリタニアの皇帝に相応しいのは……彼女だ」

「な、ナナリー……!?」

 

 画面の向こうから絶句する声が聞こえてきました。

 ――嗚呼! 嗚呼! お兄様が! 私に! ――私に声をかけてくれた!

 圧倒的な歓喜に打ち震えそうになる体を、上擦りそうになる声を自制しつつ、私は何とか口を開きます。

 

「お兄様、スザクさん。私は……お二人の敵です」

「生きていたのか……」

「はい。シュナイゼル兄様のおかげで」

「シュナイゼル……」

 

 声色からお兄さまの動揺した気配がとてもよく伝わってきます。

 死んだと思った最愛の妹が生きていたのです。動揺だってするでしょう。ましてや不倶戴天の敵の手中にいるのですから。嗚呼。お兄様にこんな顔をさせてしまうなんて。私だって本当は、今すぐにでもお兄様の下に戻りたいのに。

 だけれど、私は心を鬼にします。

 

「ナナリー、君はシュナイゼルが何をやったのか分かっているのか?」

 

 と思ったら、私達兄妹水入らずの会話に、横からスザクさんがしゃしゃり出てきやがりました。まさか「テメーはお呼びじゃないんだよ。とっとと失せろ」などと言うわけにもいきません。テンションが上がりすぎて少しおかしくなってる自分を抑えこんで、努めて冷静に応じます。

 

「何のことですか?」

「……! フレイヤ弾頭のことだ……。あれでペンドラゴンは壊滅した。たくさんの人が死んだんだぞ」

 

 怒りを押し殺したような声で、スザクさんは言います。

 責めるような、いえ、正しく私を責める言葉を前に、私は困惑し、言い淀みます。

 

 ――フレイヤって何でしたっけ?

 

 ……あぁ、そう言えば通信を繋げる直前、何か投下してましたね。

 お兄様と会話が出来ると言うチャンスを前に、すっかり忘れてました。

 

 確か東京でも投下され、夥しい数の人々が被害にあわれたとか。

 正直なところ、顔も知らない赤の他人が何万何億死んだところで痛む心を私は持ち合わせてはいません。ですが、それを言えば優しいお兄様はきっと悲しんでしまうことでしょう。

 

 だから、私はこう答えます。

 ニッコリと笑顔を浮かべて。

 

「幼いころ、お兄様はよく私にお花のかんむりをつくってくれましたよね」

「なにを……」

「花を摘んだとき、罪悪感を覚えましたか?」

「「なっ……!?」」

 

 モニターの向こうで、お兄様とスザクさんが絶句する気配が伝わってきます。

 

「これは必要な犠牲なのですよ。世界が平和になるための、通過儀礼なのです」

「……自分たち以外の人々を恐怖で縛り付けることが、平和だとでも言うのか?」

「そうです。自らの頭上に浮かぶダモクレスを恐れ、崇め、人々の心が一つになったその時こそ、この世界に真の平和が訪れるのです」

「……ッ! 神にでもなったつもりか、ナナリー!」

 

 スザクさんが叫びます。

 いいですねそのセリフ。まるで魔王を前にした勇者のセリフみたいでグッドです。

 私も思わずテンションが上がってきました。

 

「いいえ、これからなるのです! 私と! シュナイゼル兄様が! 世界に! 遍く人々に! 永久不変! 揺るがぬ安寧を齎すことによって!」

 

 両手を掲げ、恍惚とした様子で私は言います。気分はアジテーター。

 嗚呼、モニター越しからも伝わる、お兄様の強烈な熱視線。

 お兄様の視線を、感情を、この私が独占しているのかと思うと身の昂ぶりが止まりません。これで一体どんな表情をしているのか分からないことだけが残念です。

 

「と言うわけで、降伏していただけませんか? あっ、欲しければブリタニアは差し上げますよ。たかが一国、要りませんので」

 

 最後通牒です。

 もっとも、お兄様は絶対に降伏なんてしないと思ってますけどね。

 

「一体ナナリーに何をした、シュナイゼル……!」

 

 ……あらら、お兄様に無視されてしまいました。それどころか、さっき感じていたのはどうやら勘違いだったようです。あの強烈な視線は、シュナイゼルに注がれた物のようでした。思わず嫉妬しちゃいます。

 

「僕はな」

「私は何もされてませんよ、お兄様。ただ……童貞のお兄様では到底与えられないようなご寵愛をいただいただけです」

 

 あっ、今、何かが割れる音がしました。

 

「……シュゥウウナァアァァアアイィィィゼルゥゥゥウウゥウゥウウゥウウウウ!!!」

「ちょ、ルルーシュ!? し、C.C! 見てないで取り押さえてくれ!」

 

 モニターの向こうからドスンバタンと音が聞こえてきます。

 

「貴様ナナリーを傷物にしたのかー!」

「落ち着けルルーシュ!」

 

 お兄様は叫び声も素敵です。子宮に響く声と言うのは、こういうことを言うのですね。

 お腹に手を当てうっとりすると、何故だかますます音が激しくなってきました。

 

「と、とにかくだ! こちらは絶対に降伏なんかしない!」

 

 スザクさんの声。私は応じます。

 

「分かりました。つまりはこちらと戦う意思がある、と言うことですね」

「そうだ!」

「では戦場でお会いしましょう、お兄様、スザクさん。それまでごきげんよう」

 

 プツンと言う音と共に、モニターから音が消えました。

 音が消え、私たちの部屋に静寂が落ちます。重々しい雰囲気。ネリ姉様とカノンさん(そういえばいましたね。忘れてました)からは、困惑した雰囲気が漂ってます。

 その場にいる誰も口を開かない中、シュナイゼルが声を上げました。

 

「……どうやら、利用されていたのは私の方だったみたいだね」

 

 その言葉に、私はくすくすと笑みを浮かべながら答えます。

 

「だとすれば、どうなさいます? ここで私を始末しますか?」

 

 そんな私の言葉に、シュナイゼルは朗らかに笑いながら答えます。

 

「ナナリー、君もなかなか意地が悪いね。そんなことをしても意味が無いと分かっているんだろう?」

 

 ――そう、元より、フレイヤを投下した時点で退路は断たれていたのです。どんなに言い繕うとも、何百万と言う命を一瞬にして葬り去ったのは事実なのですから。それをシュナイゼルの手により、さも「正義の一撃」とばかりに演出されつつあっただけなのです。

 

 しかし先の私とお兄様の会話は、まず間違いなく録画されている筈です。

 となれば、あれだけ野心を露にした映像をプロパガンダに利用しない手はありません。直前の帝都への奇襲攻撃と相まり、私たちに対する世間の心象は限りなく最悪の物となるでしょう。

 

 シュナイゼルに至っては、年端もいかぬ、それも盲目の少女を篭絡した鬼畜男と言うレッテルを貼られたことでしょう。総督時代に何の実績を残せず失意のまま軟禁されたと言う事実も、衆目の下世話な想像力を掻き立てる一要素となるハズです。これで私の首を差し出したところで、何一つ事態は解決するどころか、逆にもっと心象を悪くするであろうことは想像に難しくありません。

 

 ならばシュナイゼルが取り得る術はただ一つ。

 このまま私を皇帝に擁立したまま、戦い、勝つのみです。

 

「お兄様は強いですよ。シュナイゼル兄様」

「知ってるよ、ナナリー」

 

 私の挑発的な物言いに、シュナイゼルは涼しげに切り返します。

 

「だけどね。私はそのルルーシュに、一度だって負けたことはないんだよ」

「なら、これが記念すべき初黒星となるのですね」

 

 くすくす、ははは、と室内に笑みがこだまします。

 これで私とシュナイゼルは運命共同体。

 片や破滅。片や世界。望むものは正反対ですけれど。

 

 さぁ、お兄様。早くいらしてください。

 そして願わくば、その手で私を――

 

 

 



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4話 それではごきげんよう

 

 ――断続的に響き渡る爆発音。

 音は徐々に近づき、そして私のいる部屋も大きく揺れるようになってきました。

 スピーカーから流されていた艦内放送もすっかり途絶え、目に見えずともシュナイゼル陣営の逼迫した様子が伝わってきます。

 

 フレイヤの無効化。

 恐らくはシュナイゼルにも想定の範囲外だったに違いありません。

 

 故にフレイヤ頼りで薄いどころか皆無と言ってもいい防衛網を突かれ、ここダモクレスへの侵入を許してしまった。それも乗り込んできたのはただの兵士でなく、EUで暴れまわり、ナイトオブラウンズを一人でほぼ殲滅した、あのスザクさんです。

 こうなってしまえば誰にも止めることは出来ないでしょう。今のダモクレスに、スザクさんの足止めを出来るレベルの騎士はいません。超合集国はブリタニアに足止めされ、援軍に期待は出来ないでしょう。そもそもの戦力はブリタニアの方が精強なのですから。

 

 この勝負、シュナイゼルの敗北です。

 

 ですが今の私にとって、そんなことはどうでもいいことでした。

 スザクさんが吶喊してきたと言う艦内放送が聞こえてきたその時、同時に流れてきた言葉。『敵の大将機の侵入も確認』――お兄様の機体が、スザクさんと共に乗り込んできた――その言葉が、私の心を期待で埋め尽くします。

 

 扉の開く音が聞こえました。

 コツコツと、床石を叩く音が響きます。断続的に艦内に響く轟音。けれど、その音は驚くほど鮮明に聞こえます。フレイヤの発射スイッチ――もっとも、本当にそうなのかは知りませんが――を両手で持ち、車椅子に座った私に向かって、一直線に向かってきます。そしてその音は、私の数メートル前で、止まりました。次いで、"カチャリ"と、わざとらしく撃鉄を上げる音。

 

「ナナリー」

 

 ――夢にまで見た、お兄様の声。

 スピーカーを通したものでなく、正真正銘の肉声。私は歓喜に震えそうになる身体を、なんとか押しとどめます。お兄様から漂う。威圧的な気配。それは今まで感じたことのない。覇王としてのお兄様の雰囲気。声を上げようとするお兄様の機先を制し、私は口を開きます。

 

「どうして、気付けなかったのでしょうね」

「……?」

「歩調も、歩幅も、以前、飛空艇で遭遇したゼロと同じ。たしかに少しちがうけれど、冷静に聞き取れば、それが偽装だとすぐに分かったハズなのに。目先の事に囚われて、そんなことにすら気付けなかったなんて。私は本当に妹として失格です。だけど――許してもらえますか? お兄様?」

 

 私はニコリと、笑みを浮かべます。

 ギュッと、何か――恐らく銃を――握る音が聞こえてきました。

 お兄様は、今度こそ声を上げます。

 

「……シュナイゼルは落ちた」

「そうですか」

「お前も、もう終わりだ。ナナリー」

「そうですか」

 

 そっけない様子の私に、お兄様から発せられる、威圧的な気配が増します。

 全ては順調に進んでいるようで、私は思わず笑みを深めます。

 

「……」

 

 ……? 少しだけ威圧的な気配が揺らいだ気もしますが、私は続けます。

 

「これから私はどうなるのでしょう? ――まぁ、形ばかりの裁判にかけてから処刑、というのが妥当なところでしょうか。フレイヤの無差別投下に、加えてあの映像……ふふふ。史上最悪の虐殺皇女として、後世の歴史書に刻まれること間違いなしですね」

 

 私は心の底から楽しそうに"嗤い"ます。

 敗けたシュナイゼルを。死んでいった人々を。世界を。お兄様を。

 そして自らの行いを、これから訪れる自らの終わりを。楽しそうに。楽しそうに。

 さあ、お兄様。私を憎んでください。呪ってください。そうして、この首を――

 

「――公開は、していない。」

「え?」

「あの映像は、公開していない」

 

 瞬間、威圧的な気配が消えました。

 

「お前がシュナイゼルに洗脳されたことは、誰も知らない。あんな発言をしたことも、誰も知らない。フレイヤの発射スイッチを押したことも、誰も知らない」

 

 代わりに出てきたのは――憐憫。そこには私へ対する怒りも、悪意も、何もなく。

 ……お笑い種でした。歩調にばかり気を取られて、今度は感情の機微に気付かなかったのです。洗脳。そう捉えてしまったのですか。嗚呼、お兄様。それだけ私のことを信用していてくださっていたのですね。とても嬉しいです――だけど今回ばかりは、その信用を恨みます。

 

「ナナリー、お前は罪を背負って生きていくんだ。これから、ずっと」

 

 ――罰は、俺が受けるから。

 

 それは本当に本当に小さな、お兄様の呟き。

 思わず、握っているフレイヤの発射スイッチを落としそうになりました。

 

「……そうですか。そういうことですか」

 

 ――やはり"そうする"おつもりだったのですか。お兄様。

 俯き、沈黙する私をどう捉えたのかは分かりませんが、お兄様は続けます。

 

「さぁ、ナナリー。スイッチを渡すんだ」

「わかりました。それではどうぞ、お兄様」

 

 そう言ってフレイヤの発射スイッチをほうり投げます。

 お兄様から漂う、緊迫した気配。ですが、銃の引き金を引く気配はありません。

 咄嗟に撃たれることも覚悟していましたが、そんなことはなかったようです。

 ……少しだけ残念でしたが、わずかでも気を引くことには成功しました。

 私はその隙に、懐からスッとそれを取り出します。ニコリと、微笑みを浮かべ。

 

「それではお兄様。ごきげんよう」

 

 ナイフを喉に押し当てました。

 ほんの少し力を入れるだけで、気持ちのいいくらいスルッといきました。懐からナイフを取り出し、喉を切る――われながら鮮やかな手際だと自画自賛です。何度も練習したので数秒もあればやれるとは踏んでいましたが、正直なところ、本当に成功するかは不安でした。なにせお兄様と別れてからの私はと言えば失敗ばかり。不安がついて回るのも当然、そうでしょう?

 勢い良く噴出す血。ちゃんと頸動脈も切れたようで、ますます安心です。生ぬるい感触が手に伝わります。ふふふ、こんな私でも血はちゃんと温かいんですね。急速になくなっていく身体の感覚。ガシャンと言う音が聞こえました。どうやら、私が車椅子から落ちた音のようです。感覚を失った手から、ナイフが落ちる音も聞こえました。

 

「ナナリー!」

 

 朦朧とする意識の中、お兄様の駆け寄る音が聞こえます。抱きかかえられると、すぐ目の前に男性の顔が見えました。黒髪に、整った顔立ち。印象的な紫色の瞳。……見えた? これまで開かなかった瞳が、あっさりと開いていることに気が付きました。だとしたら、この男性は――嗚呼。嗚呼。嗚呼! 嗚呼!! 嗚呼!!!

 

「これ……が、お兄様の、お顔……だった、んですね。ずっと、見たかった……」

「ナナリー! なんで、なんで、こんな!」

「泣か、ないで……お兄、様。これで、いい……んです。これ、で」

「いいわけないだろう! いいわけがっ……! お前が死んだら、俺はどうすればいいっ……!」

「生き、て……ください。しあわ……せ、に、なってく、ださい」

「お前のいない世界で……どうやって幸せになれっていうんだ! ナナリー!」

「しあわ、せに……なって……。おにい、さま。だい……すき……」

「……ナナリー? ナナリー! おい嘘だろ冗談だって言ってくれよ……ナナリー……ナナリぃぃぃぃいいいいい!」

 

 ――お兄様はきっと、どうしたって自分のことが許せないのだと思います。

 

 私が泣き叫んで懇願するくらいじゃ、もうお兄様は止まらないでしょう。

 そしてお兄様を止めたいのであれば、今お兄様を後押ししている方々も同時に納得させなければなりません。しかし、残念ながら私にそういった方々を納得させられるだけの理屈は立てられないでしょう。怨恨。忠義。義務感。惰性。愛。どんな感情であれ、これだけのお膳立てに付き合うのですから、よほど深い動機があるはずです。理屈などというものはとうに超越している――ならば、私もまた理屈の埒外から攻めるしかありません。

 

 死に際の懇願で死を思いとどまってくだされば万々歳。

 一方で、これが引き金となってしまう可能性だって十二分にあるでしょう。

 

 だから、これは博打です。正真正銘。人生最後の大博打。ベットするのは私の命。

 

 もっとも、私にとってお兄様のいない世界に未練なんかありません。このまま捕まり、お兄様の死に様を見せつけられるくらいなら、一足先にあちらでお兄様を待ってる方がお得です。

 

 と考えていけば、一番効率の良い選択肢なんですよね。自害って。ただ、悲しませてしまうことは覚悟していたつもりですが、実際に泣いているお兄様をみたら、私も……なんだか、涙が出てきちゃいました……。

 

「ごめ……ん、な……さい、お兄様……」

 

 嗚呼……急速に意識が閉ざされていくのが分かります。

 お兄様の手の中で逝けるなんて、こんな贅沢な死に方でいいのでしょうか――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ゼロレクイエムは成った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

~ある学生の手記~

 

 

 

 

 世界に悪意を振りまいた、悪逆皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、ゼロの手によって死んだ。奇しくも、その日が実の妹である、ナナリー・ヴィ・ブリタニア皇女を手にかけたのと同日であったのは、運命のイタズラだろうか。

 

 次期ブリタニア皇帝となったシュナイゼル皇子は、直ちにブリタニアによる支配体制を解き、各国との友好平和路線を打ち出した。当然ながら旧被支配地域との間に"しこり"は残っていたが。ひとまずはルルーシュ帝という巨悪の死と、ゼロの監視によって、世界は一応の結束を見せたのである。ルルーシュ帝の忌日は記念日として制定され。平和への祈りを捧げるセレモニーを行うのが、今に続く恒例となった。

 

 これは余談だが。毎年行われるセレモニーのその日。ブリタニアの歴代皇族が眠る墓所に、ルルーシュ帝そっくりの男性が、ライトグリーンの長髪女性を伴い。ナナリー皇女の墓に花を添えていくという話が長年語り継がれている。

 ありがちな都市伝説として片付けるのは簡単だが、この話には一つだけ不思議なことがあった。毎年ナナリー皇女の墓前には、本当にいつの間にか、生前彼女が好んだ白い花と共に、一枚のメッセージカードが添えられているそうだ。

 そのメッセージは――

 

 

 

 

 

「やさしいせかいになりますように」(※ただしお兄様と私にだけ)

 

 

 

 

 

 

 

 



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おまけ
虐殺皇女たちのお茶会


 <わーにんぐ!>

 おおむねサブタイトルのとおりです。
 おまけです。蛇足です。本編のイメージがそこなわれるかもしれません。
 ご注意を。


 そこはこの世ならぬ世界。生と死の境界。と住人たちは思っているが、違うかもしれない。ただ一つ確かなのは、そこには死者が生者として存在していること。

 無限に広がるその世界の一角に、離宮があった。手入れの行き届いた庭園に、テーブルを挟んで椅子が二つ。その二つの椅子に、二人の少女が向い合って座っている。目の前に置かれたティーカップからは、湯気がユラユラ。

 

「結局、お兄様は悪人になってしまわれました。なにも知らない連中から悪し様にいわれるお兄様……。嗚呼、連中を一族郎党フレイヤの炎で焼き払ってやりたい!」

 

 いきどおっているのは、中学生くらいの少女。

 ウェーブがかかった茶色の長髪をしている。発育はあまりよくない。

 

「でも良かったじゃない。ナナリーの願いどおり、今もああして生きてるんだから。それに、CCさんとお幸せそう」

 

 対して、おだやかな笑みを浮かべるのは、高校生くらいの少女。

 ピンク色の長髪を左右に結って、うしろに流すという独特の髪型をしている。

 先の少女に比べると非常に発育がいい。

 

「お兄様が生きていてくださったのはうれしいですけれど……。なにが悲しくて他の女性との睦事を見なければならないんですか!」

 

「まあまあ。愛する男女がいっしょに暮らせば、そうなるのは必然でしょう? もっとも、まだバージンのナナリーには目の毒かもしれないけれど」

 

「うるさいですよユフィ姉様! もう! つい最近までユフィ姉様だってそうだったくせに!」

 

「ふふ。スザクも私のために貞操を守っててくれてたそうですよ。ふふふふ……」

 

「チッ、またノロケだしましたよ……」

 

 桃色空間に突入したユフィを、ナナリーは忌々しげに見つめる。

 最近スザクがこっちの世界に来てからというもの、眼の前にいる腹違いの姉ときたら、隙さえあればノロケ出すからたまったもんじゃなかった。

 

「でも、そんなのほんとうに信じてるんですか? 殿方なんて女性がすこしそれらしい素振りをみせれば、簡単に乗せられてしまう生き物だというのに」

 

 知ったような口を叩くナナリーだが、生娘である。

 

「まあ、他の殿方ならそうでしょうけど……。私のあいてはスザクですよ? 死ぬまで仮面を着けてゼロを演じきった。あの頑固一徹スザクですよ?」

 

「……そういわれると」

 

 わずかに気勢をそがれるナナリー。

 あのスザクならありえない話でもなかった。本当に生涯童貞を貫いていた可能性が高い。

 

 ――ちなみにスザクの死因は老衰。享年118歳の大往生であった。

 ゼロレクイエム後、事実上の世界の監視者となったゼロことスザクは多忙を極めた。にも関わらず120年近く生きての大往生である。死の前日まで公務に取り組み。その身体は老体にも関わらず、背骨は真っ直ぐで、発声もしっかりしたもの。その堂々とした立ちふるまいときたら「中の人は20代」といっても通じただろう。

 あまりの規格外さに「もしかしてこの人は死なないんじゃないか」とわりと本気で思いつつあっただけに、死んだときは「あ、この方も人間だったんですね」とナナリーは安心したものだった。

 

「まぁ、たしかにすこし手馴れた感じはしましたけれど……」

 

「ほらやっぱり!」

 

 ユフィの言葉に、我が意を得たりとばかりに大声をあげるナナリー。

 120年近くを俗世で生きて童貞なんてありえるはずがない――ちなみに当のナナリーは120年近く生きてきて未だバージンである。

 

「でも、そうだとしても最後の最後には私を選んだわけでしょう? ふふ、ほかの女性達には"練習台ご苦労様"とでもいうべきかしら」

 

 ほがらかな笑みを浮かべるユフィだが、その瞳にはスザクを通りすぎていった女達へ対する嘲りの色があった。

 

「スザクさん! ここに腹黒皇女がいますよ!」

 

「ナナリーにだけはいわれたくないですわ」

 

 たがいに紅茶を飲み交わす腹黒姉妹。ブレイクタイム。

 

 

 

 

/虐殺皇女たちのお茶会/

 

 

 

 

 ほとんど同時にソーサーにティーカップを置くと、ユフィが口を開いた。

 先ほどとはちがい、にわかに真剣な気配をただよわせる。

 

「ねぇ、ナナリー」

 

「なんですか?」

 

「あまりいいたいくないのだけれど――、いい加減ルルーシュ離れしたらどうかしら?」

 

 100年越しの恋が叶ったユフィは、まさに幸福の絶頂にあった。

 世界は色を変え。なんてことのない日々でさえもいまはまぶしく愛しい。

 そんなとき、ふと腹違いの妹の姿が目に入った。

 薄暗い部屋。地上の様子を覗けるテレビを一日中ニヤニヤしながら見つめる腹違いの妹の姿は、人として、女として色々見るに耐えない有様だった。それも実の兄の姿を一日中眺めているのである。年頃の娘が一日中テレビを見てるだけでも不健康だというのに、よもや近親願望でもあるまいか。胸によぎる不安。

 ――どげんかせんといかん。

 どうして大分弁なのかは本人にもわからないが、とにかくユフィは決意した。腹違いの妹を、ナナリーに真っ当な道を、女としての幸せを掴ませてあげようと――。ナナリーからすれば余計なお世話もいいところだろうが、えてして、自分が幸福な人間とはおせっかいなものである。

 すました様子のナナリーに気づかれないよう、"ぎゅっ"とこぶしを握るユフィ。

 

「いくらここじゃ時間の感覚が希薄だからといっても、いつまでもルルーシュをながめてばかりいるのも……。ねぇ、誰でもいいから気になる人とかいないの? 本当にすこし、気になるだけでもいいから」

 

「いませんね」

 

 キッパリだった。とりつくしまもない。

 しかしユフィもその返答は想定済みだったため。さして困った風もなく話を続ける。

 

「じゃあ、あの、ロロって子は?」

 

「ロロ……?」

 

 ぴくりと、ナナリーの眉が動いた。

 にわかに思案している表情を浮かべると、ふいに「――あぁ」と声をあげる。

 その目がすっと細められたことに、ユフィは気がついた。

 

「私がいない間、お兄さまの弟を詐称していた不届き者ですね。まだ生きてるんですか? えーっと……ララ? とかいう私のパチモン。こちらに来て早々に因縁をつけられたものですから、どれだけ己が罪深く惨めな存在であるかを懇々と説教してさしあげたんですが。それっきり姿を見せないものですから、てっきり贖罪のために自害でもしたのかと……。まったく――、私に成り代わろうだなんておこがましいにもほどがあります。身のほどを知れといいたいですね」

 

 ナナリーの吐く情け容赦ない毒に、さすがに今度はユフィも引き気味だった。

 もう答えは見えていたが、話を続ける。

 

「そ、そうだったの。あのね、そのロロが『彼女は僕の新しい一面に気づかせてくれました。もし許されるのであれば、またお会いしたいと伝えていただけますか?』ってお願いされてたんだけど……」

 

「却下です。コーンポタージュで顔を洗ってから出直してこいと伝えてください」

 

「わ、わかったわ」

 

 頬を引きつらせながら、ユフィは応じる。心の中では、隣人たるロロ――当時どこにも行き場のなかった彼を隣人として迎え入れた――に黙祷を捧げていた。

 ふう、とため息をつくナナリー。

 

「ユフィ姉様のいいたいことはわかります。要は殿方に興味を持て、といいたいのでしょう? 断っておきますが、私だって殿方に対して興味の一つや二つくらいありますよ? これでも年頃の女の子なんですから」

 

「そうなの?」

 

 わずかに身を乗り出すユフィ――120年近く生きてきて"年頃の女の子"もないだろという感じだが、そこには触れない。女はいつでも乙女。ロロはズタボロだったが、異性そのものには興味を持っていてくれたのか。

 

「はい。ただ――、お兄様のように知性があって包容力があって時々おっちょこちょいで容姿端麗でスタイル抜群でセクシーな殿方がいないだけで……」

 

「……あのね、ナナリー」

 

 ユフィは頭痛をこらえるように額を押さえる。

 ナナリーはきょとんとした様子で応じた。

 

「はい、なんですか?」

 

「理想を持つな……とまではいわないけれどね? その……、もうすこし下げたらどうかしら? それこそルルーシュと付き合うしかないじゃないの」

 

 「兄妹じゃ無理なのよ?」と、ユフィは爆弾を投下した。はっきりと「兄妹で結ばれることはない」と言ったのだ。それはユフィにとってもっとも気になる点であった。単なるドが過ぎたブラコンなのか、本物なのか。

 ナナリーのルルーシュ狂いはよく知っている――生かすために自決までした――だけに、これまでは含ませることすらしてこなかった。

 果たして、鬼が出るか蛇が出るか。ユフィはゴクリと唾を飲み込む。

 

「それくらいわかってますよ」

 

 が、ナナリーの反応は実にあっさりとしたものだった。思わず拍子抜けするユフィ。

 

「そもそも――」

 

 ナナリーは穏やかな微笑みを浮かべた。思わずユフィがハッとするくらいに、愛情深い笑み。瞳はどこか――きっとルルーシュのいるところだろう――遠くを見つめ。慈しむように、言葉を紡ぐ。

 

「お兄様は――、いつだって私を守ってくださり。いつだって私を想ってくださいました。それこそ自分の人生すら犠牲にして。だからこそ、私はお兄様に対して敬愛の念を抱くことはあれども――。お兄様の迷惑になるような感情は一切ありません。ありえません」

 

 そうして向けられる、透明な瞳。まるでなにもかもを見透かしたような、あまりにも純粋な色を前に、ユフィは胸を突かれたような思いがした。

 ナナリーは口元にほほ笑みを浮かべると、ティーカップを掴み、紅茶を口に含む。ゆっくりとソーサーにティーカップ置くと、口を開く。

 

「ユフィ姉様だって、ネリ姉様とそうなりたいなんておもわないでしょう?」

 

「いや、たしかにおもわないけれど、そのたとえはどうなのかしら……?」

 

 首をかしげるユフィ。

 が、すぐに先の言葉を反芻し、はっとする。――迷惑になるような? じゃあ、仮に迷惑にならないと思えば――とまで考えて、ユフィはやめた。

 それは邪推ってものだろう。さっきあんな顔をした少女が、兄好きが高じて、自らの命まで差し出した少女が"ありえません"と言うならば、そういうことだ。

 ナナリーは両手の指を絡め、空を見上げながら嘆くようにいう。

 

「はぁ、どこかに、お兄様くらい知性があって包容力があって時々おっちょこちょいで容姿端麗でスタイル抜群でセクシーかつお兄様な殿方はいないのでしょうか……」

 

「(こりゃ死ぬまで相手なんて見つかりませんわ。あ、もう死んでましたっけ)」

 

 どうあれ、ナナリーが異性と付き合うことは今しばらくなさそうだ。

 髪の毛を右手の指にくるくる巻きながら、ナナリーはぼやく。

 

「お兄様のことを考えていたら、むしょうにお兄様にお会いしたくなってきました。……うーん。お兄様には会いたいけれど、できればここに来て欲しくない……。ジレンマです」

 

 なにはともあれ。

 ナナリー達はそれなりに楽しくやっていた。ルルーシュもCCとよろしくやっているらしい。

 そんなこんなで、今日も世界は平和だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

/終わりったら終わり!/

 

 

 

 




 今度こそ本当の本当におわり。
 てなわけで、おまけにして蛇足編でした。


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