貞操逆転世界観童貞辺境領主騎士 (道造)
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第二王女ヴァリエール初陣編
第1話 プロローグ


チンコ痛いねん。

中世――ではない。

中世を模した、何か。

奇跡も魔法もあるんだよ。

現に奇跡というか、私、地球からこの異世界に転生してるし。

そんな世界に転生したファウスト・フォン・ポリドロは考えていた。

その男の今の思考はこうであった。

――チンコ痛いねん。

いっぱいいっぱいであった。

彼は金属製の貞操帯を身に着けていた。

決して誰かに強いられてではない。

自分の意志で着けたのだ。

そうでなければ――やってられない。

やっていけないのだ。

 

「ファウスト?」

 

隣席に座るヴァリエールが訝し気な声を挙げる。

シルクのドレスで身を包んだ様相であった。

コイツはまあいい。

第二王女ヴァリエールはまあいい。

 

「どうやら相談役であるポリドロ卿には不満があるようだが? 遠慮なく申せ。発言を許す」

 

この国の女王リーゼンロッテ様。

お前なんやねん。

なんでシルクのうっすいヴェール一枚で裸体やねん。

まだ歳も確か32だろう。

そりゃチンコも勃起しようとするわ。

金属製の貞操帯も乗り越えて。

結論。

チンコ痛いねん。

この世界は狂っている。

改めて私――こと、ファウスト・フォン・ポリドロは考えていた。

貞操価値観逆転世界。

男が10人に1人しか産まれない。

そんな世界。

それゆえ、女性が表舞台に立ち、男性が日陰に追いやられる。

いや、強固に守られる。

よくチンコ奴隷として戦場で捕らえられたりもするが。

そんな世界。

嗚呼、そんな頭の悪い世界だ。この異世界は。

 

「ヴァリエール第二王女の初陣であるというのに、親衛隊と私の手札だけというのは?」

「先にも申したでしょう。山賊相手にそれほど武力は必要ない」

 

私はこの世界で異常者である。

女性の裸体モドキ相手に勃起する異常者である。

どうせ転生するなら常識もこの世界に合わせて欲しかったものだが。

神はそれを私に与えて下さらなかったようだ。

出会ってもいない神に愚痴っても仕方ないが。

 

「第一王女殿下、アナスタシア様はかの敵国――ヴィレンドルフ相手に、初陣にて侵攻してきた蛮族1000人を相手どり、彼等を血の海に沈め、逆侵攻を行ったというのに」

 

チンコ痛いねん。

凄いチンコ痛いねん。

ほぼ裸体の女王様から視線を逸らし、第一王女アナスタシアに眼を向ける。

アナスタシアはじっと私の目を見つめ返してきた。

……第一王女は怖い。

私はそう思いながら、仕方なくほぼ裸体の女王へと視線を戻す。

女王は身体を僅かに揺するとともに、その巨乳を揺らした。

エロイ。

 

「第二王女殿下、ヴァリエール様の初陣は山賊退治で御座いますか」

 

顔に朱色が差す。

もはや冷静ではいられない。

チンコ痛いねん。

ほぼ裸同然の女王を言い負かすのが。

それが唯一、この場を乗り越えられる手だ。

感情で痛みを誤魔化すのだ。

 

「……状況が違い過ぎる。山賊を打ち負かすのも重要な務めだ」

「敵国、ヴィレンドルフに攻め込めばよい」

「冗談をぬかすな。ファウスト・フォン・ポリドロ。あの蛮族どもを相手にまた大戦を巻き起こすつもりか」

 

チンコ痛いねん。

テーブルを強く殴打する。

その音は大きく響き渡り、全員が黙る。

女王、リーゼンロッテも。

第一王女、アナスタシアも。

そして私が相談役を務める、第二王女ヴァリエールもだ。

 

「私の力不足とでも?」

 

顔の朱色がいよいよ強くなっていく。

チンコ痛いねん。

充血した血の気が、顔に集まっていく。

これはチンコが痛いわけではない。

怒りの余りに顔が充血しているのだ。

そう言い訳するために。

 

「……そうではない、ファウスト・フォン・ポリドロ」

 

その効果は成し得たようだ。

私を落ち着かせるように、リーゼンロッテ女王は声を静かに、王宮の一室に響かせる。

 

「お前の力を侮っているわけではない。『憤怒の騎士』ファウストよ。貴殿がヴィレンドルフに攻め入れられた緊急時の際、我がアナスタシアの下に付き、獲った蛮族騎士の首は十を超え、騎士団長に一騎打ちの末に――その首を狩り取った。貴殿の力を決して侮っているわけではない」

 

チンコ痛いねん。

思わず絶叫を発したいほどに。

思わず立ち上がりたいほどに。

だが空気は読む。

もう限界点に達しつつあるが。

チンコが痛いんや。

 

「だから、落ち着け」

 

犯すぞお前。

お前のせいでチンコ痛いんやぞ。

なんでヴェール一つで裸体やねん。痴女か。

そう叫びたくなるが。

 

「……了解しました」

 

俺は女王から目を逸らす。

チンコの痛みを和らげるために。

そうして――退室を申し出ることにしよう。

 

「失礼。私の言いたいことは終わりました。これ以上は無用の長物でしょう。退室してもよろしいでしょうか」

 

女王様に許可を申し出る。

 

「許す。退室せよ」

「有難うございます」

 

私のチンコは守られた。

これ以上勃起し続けていたら壊死していたのではないかという私のチンコは守られた。

――それでよい。

私は王宮の間を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は間違えた。

 

「第二王女殿下、ヴァリエール様の初陣は山賊退治で御座いますか」

 

ファウスト・フォン・ポリドロは勿体なかった。

第二王女――スペアであるヴァリエールに付けるには。

ファウスト・フォン・ポリドロは勿体なかった。

 

「……状況が違い過ぎる。山賊を打ち負かすのも重要な務めだ」

 

私は言い訳を吐く。

いや、山賊討伐の軍を起こすのは間違いではない。

間違いではないが――

 

「敵国、ヴィレンドルフに攻め込めばよい」

「冗談をぬかすな。ファウスト・フォン・ポリドロ。あの蛮族ども相手にまた大戦を巻き起こすつもりか」

 

『憤怒の騎士』ファウスト相手には侮辱以外の何物でもないだろう。

すでに敵国――蛮族たるヴィレンドルフ相手に獲った蛮族騎士の首は十を超え、騎士団長を一騎打ちの末に――その首を狩り取った。

そのファウスト相手に山賊相手の小競り合いを要請するのは、侮辱以外の何物でもなかった。

ファウストが相談役を務める、第二王女ヴァリエールの初陣には、山賊風情が相応の相手である。

第二王女ヴァリエールは私にとって、第一王女アナスタシアのスペアでしかない。どうでもいい。

そうファウストは受け取ったのであろう。

拙い。

これは拙い。

ファウストの力量とその相談役としての立場、第二王女ヴァリエールへの卑下。

ファウストが顔色を朱に染め、怒りに身を染めるのも判る。

それが演技かどうかまでは判断がつかないが。

そう、私には判断がつかないのだ。

感情のままに荒れ狂う男性騎士。

戦場でもそうであるがゆえ、『憤怒の騎士』と吟遊詩人に謳われる男。

辺境であるポリドロ領の女領主騎士がもうけた一粒種。

ファウスト・フォン・ポリドロはもはや王家にとっては厄介種の一つであった。

優秀ではある。

現に実績も、先に言ったようにこなしている。

だからこそ厄介であった。

アナスタシアの下に付けるべきであった。

既に、アナスタシアの力量は蛮族ヴィレンドルフ相手に示し、アナスタシアが私の後を継ぐことは確定である。

今更、第二王女――ヴァリエールの派閥が力を強めてもらうのは、国力の無駄遣いだ。

我が国唯一の男性領主騎士……大人しく嫁でも探していれば良いものを。

ファウスト・フォン・ポリドロは既に第二王女の相談役として付けてしまった。

我が娘、ヴァリエールの望むがままに。

それが失敗であった。

ファウストは――アナスタシアの指揮下に与えるべきであった。

そう後悔する。

 

「私の力不足とでも?」

 

力不足ではない。

貴殿の力量は欠片も疑っていない、ファウスト。

だから困る。

何度もいうが、お前はアナスタシアの指揮下に与えるべきであった。

何よりも、アナスタシアがそれを望んでいる。

そう、今も渾身の力で睨みつけている。

アナスタシアが、私の瞳を。

もっとも、顔全体を朱色に染め、憤怒の瞳で私を睨みつけているお前は気づかないだろうがな。

ファウスト・フォン・ポリドロよ。

私はお前が厭わしい。

ヴィレンドルフ相手の闘いで死んでくれればよかったものを。

いや。

半心では、勿体ないという気持ちもあるがな。

そのお前の美丈夫さ故に。

今は亡くなった――我が夫の代わりとしたい。

その気持ちもある。

そうすれば、我が娘アナスタシアに我が首を跳ね飛ばされると判っているがな。

嗚呼。

何ともしがたい。

男の趣味は母娘で似通るものか。

それともアナスタシアは、ファウストに父性を求めているかもしれん。

ああ、ファウストよ。

 

「失礼。私の言いたいことは終わりました。これ以上は無用の長物でしょう。退室してもよろしいでしょうか」

 

お前からの助けの言葉。

それを、頂戴しよう。

 

「許す。退室せよ」

 

私は心のままにそれを命じた。

そうしなければ、心が狂ってしまう。

ファウストは私を魅了する。

あまりにも今は亡き我が夫に、心のそれが似ている。

だから、時々欲しくなってしまう。

だが、今はそれを忘れよう。

アナスタシアがファウストに望む、愛欲のそれ。

その欲望。

――私はそれを是認しよう。

 

「ヴァリエール」

「はい、お母様」

 

我が第二子、スペアである第二王女ヴァリエールは答える。

 

「お前が今回山賊退治に失敗した場合、ファウストはお前の相談役から解任する。そしてアナスタシアの下に付ける。良いな」

「はい?」

 

呆気にとられた顔で、ヴァリエールが口を丸くする。

それでよい。

ファウストをヴァリエールから――スペアから奪い取る。

それでよい。

尤も、ファウストが失敗などするわけあるまいが。

だが、この言葉でアナスタシアの私への信頼は幾ばくか回復しよう。

それでよい。

 

「お待ちください! ファウストは、私の相談役!!」

「あらあら、第二王女ともあろうものが、山賊退治ごときに怯えるとはね、我が妹、ヴァリエール」

 

アナスタシアが煽る。

それでよい。

現実は何も変わらないが。

ファウストを引き連れておいて、どんな盆暗でも山賊退治の失敗など有り得ない。

ヴァリエールの相談役はファウスト・フォン・ポリドロのまま。

アナスタシアの相談役は諸侯。

公爵家のまま。

それでよい。

それで国は回る。

もし、可能であれば、ファウストは我が亡き夫の代わりとして迎えたいが。

それは実務官僚が許さないし、何よりアナスタシアとヴァリエールが許さないであろう。

それでいい。

国は回る。

口を開く。

 

「ヴァリエール、貴女は山賊退治のそれもマトモに成し得ないのか。それを問うているのです」

「私は山賊退治が初陣なんぞ、そもそもお断りしたいところなのですが、それすら成し得ないと思っているのですか?」

「いえ、ファウストを引き連れておいてそれは有り得ませんね。勝利は確実でしょう。ですが、初陣もまだのままでは諸侯はそれすらも疑いますよ?」

 

ヴァリエールは沈黙する。

事実、生じた山賊に領民が困っているのは紛れもない事実なのだ。

ヴァリエールには選択肢が無い。

口をひきつらせて、応諾を返した。

 

「お母様、ヴァリエールは――初陣として、山賊退治の任務を全う致します」

「それでよい」

 

やっと解決の筋道が決定した。

リーゼンロッテ女王はほっと溜息をつき。

アナスタシア第一王女はちっ、と大きな舌打ちを付いた。

 



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第2話 第二王女相談役

そもそもの失敗は、二年前に第二王女ヴァリエールの相談役になったことなのだ。

私は過去を想う。

――貴方、私の相談役になりなさい。

母が亡くなり、代替わりの挨拶に出向いた王都にて。

女王リーゼンロッテへの謁見、その順番待ちを三か月食らっている中で。

――待ち止めを食らうのは、辺境騎士故仕方ない。

そう納得と諦めの中、都合した資金に頭を悩ませつつも王都の貧乏宿で日々を過ごしている中で。

私は、第二王女ヴァリエールとその親衛隊に出会った。

 

「貴方、私の相談役になりなさい」

「はあ」

 

ポリポリと頭を掻きながら、その当時12歳。

わざわざ貧乏街の安宿まで親衛隊を引き連れて出向いてきた、ゲオルギオーネ・ヴァリエール・フォン・アンハルト第二王女の命令を聞く。

 

「何よ、その態度は。私の相談役にしてあげるっていうのよ」

「何よ、と言われましてもねえ」

 

こちとら20歳である。

母が亡くなるまで、その代替わりの座を譲らなかったため、引継ぎが遅れたのだ。

第二王女からの命令。

立場的に断りにくいと知っていても、言い返したくはなる。

 

「それで、私のメリットは何かあるんですかねえ」

「……」

 

黙り込むヴァリエール第二王女。

先ほど断りにくい、とは言ったが。

断れないわけではない。

我がポリドロ領はあくまでも虫の一匹も残らず我が領地の物である。

選帝侯――ここは地球ではないので神聖ローマ帝国ではないが。

帝国の君主に対する選挙権を有する、有力な領主であるリーゼンロッテ女王。

その領地に守られるような辺境にポツンとあるポリドロ領。

私ことポリドロ卿は、契約を為す事でポリドロ領の安全の保障をされている。

すなわち、我が領土を保護するかわりにリーゼンロッテ女王に忠誠を誓い、軍役の義務を果たす事だ。

――私、ポリドロ卿は今年も軍役を果たした。

取るに足らない20匹ばかりの山賊を嬲り殺しにする事であったがな。

ああ、勿体ない。

そう思いながら、何人の美女の首を、この祖先から伝わる魔法のグレートソードで跳ね飛ばした事か。

いや、そんな事よりも――

 

「今週中にはお母様への謁見を済ませてあげるわ」

「その程度じゃ足りません。ついでに言えば――」

 

私の力量も足りません。

そう付け加える。

 

「何故私を相談役などに? 僅か領民300にも満たない辺境の地の領主騎士ですよ、私は」

「……」

 

姫君は答えない。

代わりに、私の腰にぶら下がっているグレートソードを指さした。

 

「貴方、その剣で何人の首を刎ねた?」

「さあ、100から先は数えていません」

 

病気の母の代わりに軍役を務めるようになり、もう5年が経つ。

全てくだらない山賊退治ではあったが、中には騎士崩れの強い奴もいた。

だが、私の力には敵わん。

自画自賛するようだが、これでも剣の腕は王都でも上位だろう。

――推測になってしまうのは、王都の剣術大会には男性に参加資格が無い為であるが。

どこまでも貞操逆転世界観が、私の身には付きまとう。

 

「使える手駒に、先に唾を付けておく。それって悪い事じゃないでしょう?」

「それは光栄です。ですが、私にメリットが無い」

「今後の軍役の際、私の――第二王女の歳費から、僅かばかりながら軍資金を用意しましょう」

 

――金か。

悪くはない提案だ。

兵士、つまるところ領民を動かすにも、金は付きまとう。

領民を動かせば動かしただけ税収は減るのだ。

山賊退治の間、領内の働き手が少なくなる意味でも、動員者には少しくらいは小遣い銭を与えてやらねばならぬ意味でも。

 

「ついでに、その軍役には選択権も。戦場先ぐらいは選ばせてあげられるわ」

「要するに、今後は山賊団のケツを追い回さず、やる気の無い敵国との睨み合いで軍役を全うしたと言ってのけられると」

 

悪くない話だ。

尤も、緊急時には逆に第二王女相談役の騎士として最前線に駆り出されるのだろうが。

それは仕方ない。

緊急の際は、どうせ最前線に駆り出される。

取るに足らない、辺境領主なんぞ立場は弱いしな。

ふむ。

そう悪くない話ではある。

正直、王宮になんぞ興味は無い。

我が領地ポリドロさえ安泰であればそれでよい。

この眼前の第二王女ヴァリエールは、英明と謳われる第一王女アナスタシアに小競り合いをすることすらできまい。

一度会ったが、あれは文字通り格が違う生き物だ。

確かまだ14だったか。

王族としてのオーラを放ちながら、強力な親衛隊を引き連れて市街を歩くアナスタシア姫。

あれで14歳。

とても信じられん。

フリューテッドアーマーを着こなし、そのハルバードを用いて、すでに罪人の斬首も行っていると聞いた。

さすがに初陣はまだらしいが。

――話がそれた。

今は眼前の第二王女ヴァリエールの提案を考慮する。

外観はただの生意気そうなメスガキだ。

12歳にしては頭は回る方だが。

うん。

この女が、王宮内の権力闘争に私を巻き込む事はあるまい。

何せ、その力量が無い。

私は応諾する。

 

「良いでしょう。ヴァリエール姫様の相談役となりましょう」

「助かるわ。それでは」

 

ヴァリエール姫が手を差し出す。

私は膝をつき、その手にキスをした。

これは彼女との契約だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「完全な失敗だったんだよなあ」

 

一年目からして良くなかった。

軍役が、山賊退治から敵国ヴィレンドルフ相手の睨み合いに切り替わり。

僅か20名ばかりの領民を率いて、砦を守っていればそれでよかった。

だが、その年に戦争が起きた。

ここ20年も戦が無かったというのに、突如ヴィレンドルフが攻め込んで来たのだ。

当然、私は戦に巻き込まれることになる。

アナスタシア第一王女とその親衛隊と、その相談役たるアスターテ公爵の軍を合わせ僅か550の兵で、1000に近いヴィレンドルフの蛮族ども相手に戦が始まった。

私もアナスタシア第一王女の指揮下に加わり――そして最前線送りとなった。

必死であった。

童貞のまま死にたくなかった。

神は何故こんな頭のおかしい世界に私を送り込んだのか。

憎くて憎くて仕方なかった。

そして――勃起した。

だが、金属製の貞操帯に、勃起は差し止められる。

 

「チンコが痛いんや」

 

生存本能であった。

死にとうない。

童貞のまま死にとうない。

私は前世でも童貞だったんだぞ。

それだけである。

童貞のまま、死にとうないんや。

私は祖先から伝わる魔法のグレートソードを引き抜き、愛馬のフリューゲルの腹を蹴る。

 

「我が名はファウスト・フォン・ポリドロ。我こそはと思う者はかかってこい!! 闘ってやる!!」

 

一人目の首を取るのは容易であった。

まさか戦場に男が――男娼以外がいるとは思いもよらなかったらしい。

私の声に動揺したその一瞬のすきに、首を跳ね飛ばす。

またフリューゲルの腹を蹴る。

私は騎士数十名に守られた敵騎士団長目掛けて、人馬一体となって駆け出す。

 

「勃起!!」

 

私は卑猥な言葉を口走った。

戦場での錯乱である。

そして今の現状である。

チンコが痛いんや。

二人目、三人目を、言葉と同時に切り捨てる。

 

「ヴィレンドルフ騎士団長、私と一騎打ちせよ!!」

 

相手は応じず、四人目が槍を打ち込んで来た。

グレートソードで槍の穂先を切り落とし、四人目の胴を薙ぎ払う。

チェインメイルなんぞ、魔法が付加されたグレートソード相手にはバターも同然よ。

嗚呼――

チンコが痛い。

その思考とは別に、迫ってくる五人の騎士。

一対一では相手をし切れないと考えたのか、それとも私をチンコ奴隷として捕縛するためか。

――おそらく後者だな。

私はチンコ奴隷になる気はない。

ハーレムは歓迎だが。

衛生観念もロクにない連中に犯されて、梅毒にかかって鼻がもげて死ぬのは御免だ。

私はグレートソードを握っていない左手を振り、合図を出した。

――クロスボウ。

クロスボウから放たれた弓矢が、五人の騎士に突き刺さる。

我が領地はお高いクロスボウを五本も所有しているのだ。

教会は使うの止めろと一々五月蠅いが、知った事か。

私の勝手だ。

命以上に大事な物などない。

そして私のチンコも大事である。

勃起。

ああ、チンコが痛い。

そうして私はチンコを痛めながらも、相手の騎士団長の元まで辿り着く。

私はグレートソードを掲げ、大きく叫んだ。

 

「ヴィレンドルフ騎士団長、一騎打ちを申し込む!!」

「私にはレッケンベルという名があるぞ! 男勇者殿!!」

 

ヴィレンドルフの騎士団長は大きく叫んで答えた。

これは上手くいった。

その確信を持ち、私はグレートソードを静かに斜めに下ろす。

 

「ではレッケンベル殿! いざ勝負!!」

「いいだろう。だが一つ約束しろ」

「何か!」

 

レッケンベルは一度大きく息を吸い込み、そして叫んだ。

 

「私が勝利した場合、お前は私の第二夫人になる!! どうだ!!」

 

ヴィレンドルフ――蛮族特有の価値観。

強き男にはそれだけの価値が有る。

これが我が国――アンハルト王国ならむしろ嫌われるのだが。

基本、我が国は虫唾が走るような、なよなよした男が好まれる。

ヴィレンドルフに産まれりゃよかった。

 

「承知した。私に勝利したならば夫にでも何にでもなってやろう!!」

 

いっそ負けようかなあ。

扱い悪くないだろうし。

相手兜被ってないからわかるけど、ちょっと年増といえ美人さんだし。

鎧着てるから分かんないけど、おっぱい大きそうだし。

チンコ痛い。

 

「でも、負けるわけにはいかないんだよなあ」

 

小さく呟く。

責任がある。

私は地球から転生した異世界人ではあるが、この世界に産んでくれた我が母の一粒種として。

我が領地ポリドロの領主として。

ポリドロ卿としての責任があるのだ。

僅か300人の領民といえど、路頭に迷わせるわけにはいかない。

だから――死んでもらうぞレッケンベル。

私は斜めに構えたグレートソードをそのままに、レッケンベル騎士団長に向けて突撃した。

勝敗の結果は、言うまでも無かろう。

私は今現在も生きているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

「――失敗だった」

 

ヴァリエール第二王女の相談役になったのは明らかに失敗であった。

私はただ呟く。

王宮の一室――先ほどまでリーゼンロッテ女王達と話し合っていた場所を後にし。

王宮内の庭で、相談の結果が――いや、先は見えている。

結局は、今年の軍役として山賊退治に駆り出される事になるだろう。

私はよく整えられた庭先の、花の匂いを僅かに嗅ぎながら。

さっさと自家発電。

要するに、さっきまで脳裏に焼き付いたリーゼンロッテ女王のヴェール一つ越しの裸体をオカズに。

チンコを、我が息子を慰めるべく、宿に帰る事ばかりを考えていたのだが。

庭のガーデンテーブルでお茶を飲んでいたメイド――ではない。

侍女ならぬ侍童というべきか、そんな、なよなよした男の侮辱の言葉が聞こえた。

 

「アレがポリドロ卿? 筋骨隆々のおぞましい姿」

「野蛮な。先代のポリドロ卿は、子を孕めぬからヴィレンドルフから捨て子を拾ってきたのではないか?」

 

どうやら、そういうわけにもいかないようだ。

侮辱されてしまった。

私の事を。

つまり、我がポリドロ領全ての事を。

我が母を、祖先を、領民を、土地を、全てを馬鹿にした侮辱をした。

私のコメカミに、石金を打ち付けたような音が走る。

未だにチンコの痛みの余韻が残るまま、不機嫌な私を相手にした。

そんな愚かな――虫唾のはしる愚かな男達の、鼻の軟骨をへし折るべく、廊下から庭へと私は足を踏み下ろした。

 



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第3話 アスターテ公爵

我が母は変人であった。

この貞操観念が逆転した世界において、私に剣や槍を主とした武術を仕込んだ。

領地の統治と経営を叩きこまれるのは良い。

それは領主として理解せねばならんのは判る。

将来、嫁を――私の代わりにポリドロ卿を名乗る事になる貴族を娶り、支える事になるからだ。

だが、武術や戦術なんぞ何のために覚えるのだ。

15歳の頃、村から出て男性騎士なんぞ一人しかいない、男は戦場になど普通は出ないと知ったときは疑問に思ったものだ。

私はというと、何分物心ついた少年の頃には前世の記憶を思い出していたものだから――貴族の嫡男が、そういった技能を覚えるのは普通だと思っていたから、母にその異常さを訴えることはなかった。

ポリドロ領の男女比、男が30人に女が270人という、その異常さ。

一夫多妻制が当然と言う状況に「ここ絶対頭悪い世界や」という偏見――では全くなかった感想を抱きながらも。

 

「今、貴殿ら何と言った? 私までなら良い。だが私の母まで侮辱したな」

 

ガーデンテーブルに、ズカズカと歩み寄る。

二人の侍童が、まさかこちらが寄ってくるとは思いもよらなかったかのように、カップの茶をこぼす。

まるで股を小便で濡らしたかのような格好で、立ち上がり、言い訳をする。

 

「べ、別に何も言っておりません」

 

繰り返すが、母は変人であった。

父が若くして肺病で亡くなり、貴族の親戚連中から、領内の村長から、その周囲の全てから新しい男を貰うように言われながらも、それを全て拒否した。

産まなかった長女の代わりとばかりに、私に武術と戦術を仕込んだ。

だが、今思えば母は母なりに必死だったのであろう。

母自身も身体が弱く、二度目を産むのは困難だと思ったのか。

それとも、亡き父の事をそれほどまでに愛していたのか。

ベッドに伏せがちな身体を無理に起こし、私に領主としての全てを教え、それゆえに私を産んで20年。

35歳の若さで病で死んだ。

今なら理解できる。

 

「我が母の事を侮辱したか?」

 

母は、自分の知る限り全ての事を私に残そうとしたのだ。

自分は長生きすることができないと知っていた。

だからこそ、短い間――子供である私が大人になるその間に、全てを残そうとした。

私は母の事を、ただの変人だと思っていた。

15歳からは病で完全に床に伏すようになった母の代わりに、軍役を務めるようになったが。

その程度の事が親孝行になったか判らない。

いや、親孝行などできていないだろう。

母が死んでから、やっと気づいたのだ。

例え――私が地球から転生した異世界人でも。

私にとっては。

 

「我が母を、祖先を、領民を、土地を、ポリドロの全てを侮辱したか?」

 

物心ついた5歳の頃から、この世界で生きるための全てを――自分の命を削りながら与えてくれた。

 

「殺すぞお前等」

 

かけがえのない母親であった。

私への侮辱そのものは別に良い。

この王国で、私のように筋骨隆々の武骨な男など、好まれない事は知っている。

だが、母への侮辱は許されない。

手近な男の軟弱な襟首を掴み、それを持ち上げて宙に浮かせる。

 

「わ、私達は第一王女相談役アスターテ公爵の縁者だぞ! それでも」

 

そうかそうか。

だから、第二王女相談役である私に陰口を叩いたのか。

自分の背景があるから、自分には危害が加えられないとでも思っていたのか。

――とんだ勘違い野郎だ。

 

「だからどうした」

 

私は男の鼻の穴に人差し指を突っ込んだ。

 

「や、やめてくれ。謝罪す――」

 

もう遅い。

私は人差し指をそのまま奥まで進ませ、指の根本近くまで鼻の穴に潜り込ませ。

人格を崩壊させるような悲鳴――いや、咆哮が男の声から漏れ出すのを聞いた。

 

「なんだ、なよなよした華奢ではない、野太い声も出せるんじゃないか」

 

私は邪悪に笑う。

鼻から突きさした指先は、男の喉まで届いていた。

真っ赤に血塗られた人差し指を、男の鼻の穴から抜く。

男はどしゃりと音を立てて地面に倒れ、口からは真っ赤な泡のようなものを吐いている。

まず一人目。

私はハンカチで人差し指の血を拭いながら、もう一人の男に視線をやる。

 

「逃げるなよ」

 

もっとも、逃げられそうにも無いが。

もう一人の男は尻もちをつき、小便と糞を漏らし始めている。

腰が抜けたのだろう。

 

「全く、どうしようもない男どもだな」

 

殺しはしない。

だが、タダでは済まさん。

感情的には、母の事だけであるが。

外面的には――貴族の面子にも関わる事だ。

領地の全ての名誉を私が、ファウスト・フォン・ポリドロが背負っているのだ。

侮辱されてそのままに済ますことなどできない。

例えそれが――

 

「何をしている!!」

 

領地規模も兵力も文字通り桁違いの、公爵様相手だとしてもだ。

私は何百回と戦場で聞いた、聞き慣れた声に振り返る。

 

「これはこれはアスターテ公爵。ご機嫌如何?」

「今最悪の気分だ」

 

アスターテ公爵。

アナスタシア第一王女の相談役だ。

領民の数は数万を超え、緊急時でも動かせる常備兵の数は500に近い。

常備兵だけでも我が領民の数を超えている相手だ。

だが――

 

「単刀直入に聞こう、ポリドロ卿。その男達が――私が王宮に侍童として勤めさせている二人が何かしたか?」

「我が母を、祖先を、領民を、土地を、ポリドロの全てを侮辱した。私の事を、先代が子を孕めぬからヴィレンドルフから捨て子を拾ってきたのだろうとぬかした」

「――」

 

口元をひきつらせるアスターテ公爵。

アスターテ公爵は位置していた廊下から庭に下り、小便を垂らしながら腰を抜かしている男に話しかける。

 

「今のポリドロ卿の発言は本当か?」

「い、いえ、私どもは――」

「本当なのだな」

 

アスターテ公爵の顔つきが、まさに鬼のような顔つきに代わる。

鬼神のアスターテ。

そう吟遊詩人に謳われるゆえんだ。

 

「この大馬鹿者が!!」

 

アスターテ公爵はそのブーツで、腰を抜かした男の鼻面に蹴りを入れた。

鼻の軟骨がへし折れる音。

それを小気味よく聞きながら、私はアスターテ公爵の横顔をじっと見つめる。

相変わらず、鬼のような顔つきでも美人だな。

それにおっぱいも大きい。もう凄く大きい。

赤毛の長髪を後ろに流した、超美人さんである。

眺めているだけで、さすがに勃起はしないが。

アスターテ公爵の反応に気が抜け、私はそんな卑猥な事を考える。

 

「失礼した、ポリドロ卿。この制裁を以って詫びとしたい」

「いえ、アスターテ公爵。我々は蛮族――ヴィレンドルフ相手に最前線で闘った仲ではないですか。国力差はありますがね」

「国力差など――私と君は戦友ではないか。気にすることなどない」

 

そう、私とアスターテ公爵の仲は決して悪くない。

一年前のヴィレンドルフ侵攻時に、アスターテ公の常備兵500と私の領民20。

それにアナスタシア第一王女の親衛隊30、計550名。

緊急時故、それっぽっちしか用意できなかった軍で、ともにヴィレンドルフの侵攻を防いだのだ。

それもアスターテ公爵は劣勢の自軍を励ますため、常に私と共に最前線に立っていた。

これで仲が悪くなるはずがない。

第一王女の相談役、第二王女の相談役、その立場の軋轢はあるが――第一王女派が圧倒的に強すぎて気にするほどではない。

問題は――

 

「それにしても相変わらずいい尻をしているな、ポリドロ卿」

 

セクハラしてくることだ。

このアスターテ公爵殿は。

 

「御冗談を。私のような武骨で筋骨隆々の男、好まれない事は知っています」

「問題ない!! 私は尻派だ!!」

 

自由人でもある。

公爵という何をやっても大体は許される立場がそうさせるのであろうか。

 

「おおポリドロ卿よ、いつになったらその身体を許してくれるのだ。互いに血も汗も戦場で絡み合わせた仲ではないか」

 

私だってできるものなら、そのおっぱいを自由にしたいわい。

その胸でチンコ挟んで欲しいわい。

 

「アスターテ公爵、何度も言うように、私の貞操は将来の嫁に捧げられるものであります」

 

一生、一人だけを相手にするなんて、実は嫌だけど。

ハーレムを築きたい。

領民の16歳~32歳の美女を集めてハーレムを築くのが私の夢だった。

だが、少なくともこの国では童貞であることは神聖視されている。

私が淫売であると噂されれば、ポリドロ卿――ひいては領地の名声が落ちる。

結婚の――嫁を娶る条件も悪くなるだろう。

だからできないのだ。

心で血涙を流しながら、私はアスターテ公爵の目をじっと見つめる。

 

「私の婿に来ればいい」

「また御冗談を。立場が――爵位の差があり過ぎます。釣り合いませんよ。それに領地の事もあります」

「愛人では駄目か。何、お前の子供は何人も産んで、一人にはちゃんとポリドロ領を継がせる」

 

それは魅力的な条件だ。

だがその場合、アスターテ公爵の愛人という立場になる。

……いや、それも悪くはないんだがなあ。

 

「ちなみに私はまだ処女だぞ。18歳だからな。20歳になればさすがに子を産まねばならんから男を捕まえる必要があるが、どうせなら見込んだ男が良い」

「知りませんよ」

 

私はヤラせてくれるなら、もう処女でも非処女でも何でもいいのだ。

気になるのは性病の有無だけだ。

アカン。

こんな超美人とセクハラ会話を続けていると、また勃起してチンコが痛くなりそうだ。

というか、すでにちょい勃起している。

売春宿があればなあ、とふと思うが。

この世界には男娼しかいない。

終わっている。

何故ここまで私を世界は苛めるのか。

それが理解できない。

アスターテ公爵は私の目をじっと見据えて呟く。

 

「もう単刀直入に言おう。私は遠回りが嫌いだ。一発ヤラせてくれ。金は払う」

「……」

 

金なんぞこっちが払ってお願いしたいわい。

そのおっぱいを自由にしたいわい。

だけどアカンのや。

立場に差がありすぎるのだ。

セックスしたい。

私の息子は何故ここまで可哀想に生まれたのだ。

前世でも童貞、今世でも童貞。

悲惨すぎる。

私は神を憎む。

日曜には教会に行って、聖歌隊のバックコーラスを背に私はいつも神を呪っている。

もう……ゴールしたい。性的な意味で。

このままアスターテ公爵の誘いに乗ってしまおうか。

いや――その望みはどうやら叶わないようだ。

 

「何を話している! アスターテ!!」

 

アナスタシア第一王女の御出ましだ。

私はちょい勃起していた息子を必死に宥めながら、いつになったら宿に帰れるのか。

いつになったら自家発電ができるのか。

そう思いながら、第一王女相手に膝を崩し、礼を整えながらも大きくため息を吐いた。

 



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第4話 アナスタシア第一王女

父は太陽のような人であった。

父の武骨な、その手でゴリゴリと頭を撫でられるのが何より好きだった。

私こと、アナスタシアの父はアスターテ公爵家の出身であった。

それだけ聞けば由緒ある家柄だと誰もが思うであろう。

そして華奢な姿の、身長の低い美男子を頭に思い浮かべるだろう。

だが私の父は、不細工ではないが、このアンハルト王国の女たちの好みの対象であるかというと。

些か、外れたものであった。

まず背が高い。

そして筋骨隆々の身体をしていた。

屋敷から出してもらえぬ事から、趣味を園芸――公爵家の屋敷の広い庭で、農業をしていたからだろうか。

何、男の貴族の趣味などそれぞれだ。

農業が決して悪いわけではない。

悪いわけではないのだが。

父の手は鍬ダコの豆でいっぱいで、それが私の頭皮に触れてゴリゴリとしていた。

母上の夫の候補は何十人とおり、その何人をも番として選べたと聞く。

何故、母上は――リーゼンロッテ王女は、釣り書きに引っかかっただけの、公爵家がついでに提示しただけの父一人のみを夫としたのであろうか。

疑問である。

事実、当時は法衣貴族共が騒いだと聞いたことがある。

まあ、それはいい。

今は眼前で起きている事に関心を寄せる必要がある。

廊下に立ったまま、庭で立ち止まっているファウストとアスターテに声を掛ける。

 

「アスターテ、今何をポリドロ卿と話していた」

「愛人契約についてですよ」

「愛人契約?」

 

私は怒りを表情に浮かべる。

私の顔を見つめていたポリドロ卿が――ファウストが静かに視線をずらした。

お前、そんなに私の顔が怖いか。

私はファウストを宥める様に、目を閉じる。

昔の――

昔の私は、父の武骨なその手で頭を撫でられるのが好きであった。

父は私を娘として、確かに愛してくれていた。

法衣貴族共がいかに騒ごうが、母上の見る目は正しかったと言えるだろう。

有能であった。

気は短いが、根は優しい。

そして公私を交えない、そんな人であった。

公爵家の伝手を使っての、公爵家のいかなる要求をも、父は拒んだ。

父を通しての木っ端役人たちの母上への嘆願をも、それがあまりに窮に瀕しているなら自ら助けてやったが――母上への直の嘆願だけは、拒んだ。

父は母上や私を、家族を守ろうとしていた。

家庭人であった。

晴れの日には必ず鍬を振り。

雨の日には本を読み。

時折、私の遊びに付き合いながら、頭をゴリゴリと撫でてくれる、豆だらけである父の手が大好きだった。

農業を好む父の手からは、確かに太陽の香りがした。

母上も、父の事を同様に愛していたのであろう。

妹も、父の事を同様に愛していたのであろう。

だからこそ、私はそれが許せなかった。

父の愛を独占したかった。

あの感情はまるで世に言う、初恋であったかのようにも思える。

思考を断ち切る。

再び、現実へと戻る。

私は再び口を開く。

 

「王家は公爵家とポリドロ卿が繋がるなど許す気はない」

「それは何故?」

 

おどけた顔で、アスターテが応じる。

忌々しい顔。

 

「第一王女相談役と第二王女相談役が結ばれるなど笑い話にもならん」

「格好だけでしょう。第二王女派閥なんて有ってなきようなもの」

「その恰好を気にしているのだ。まして、そのセリフを第二王女相談役のポリドロ卿の前で発言するその神経が疑わしい。お前にポリドロ卿は合わん」

 

それだけ言って、口を閉じる。

また思考は過去に舞い戻る。

父は――ある日突然死んだ。

毒殺であった。

母上が怒り狂い、その卓越した手練手管を駆使して犯人を探し出そうとしても――その判明は為されなかった。

父上は決して憎まれるような人ではなかったのに。

今でも母上は、犯人を捜しているが。

きっと、見つからないだろう。

見つかれば、この世の地獄を見せてやるだろうが。

きっと、見つからないのだろう。

私の愛は突然失われた。

母上は、私の事を愛してくれてはいても、公人としての視線は第一後継者へ向けるそれであった。

私の才能への愛。

家庭人としての愛などなかった。

いつしか、14歳の身で市街を練り歩きながらもその威を示す、ただの第一王女に私は成り下がっていた。

母上も、親衛隊も、相談役であるアスターテ公爵も同じ眼をしていた。

私の事を、第一王女アナスタシアとして見ていた。

ただ一人――父上だけが、私をただの娘のアナスタシアとして見ていてくれた。

それに気づいた14歳の時の喪失感は如何程だったのか――その衝撃の余り、今では覚えていない。

覚えていたくない。

何かの影に、幽霊に怯える様に――身を屈めてベッドで泣いたことなど、覚えていたくはない。

そんな私に、とうとう初陣の日が訪れた。

ヴィレンドルフの侵攻であった。

そこで出会った。

思考は、ファウストと初めて会った日に飛ぶ。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ。第二王女相談役であります。以後、お見知りおきを」

 

その男は、父以上に頑健な身体をしていた。

背は2mに近く、筋骨隆々でグレートソードを片手で振り回し。

剣ダコや槍ダコで両手の五本の指が埋め尽くされた。

そんな男であった。

そんな男が――よりにもよって妹、ヴァリエールの相談役として私の指揮下で平伏していた。

そうか、妹よ。

お前は我が父の代わりを見つけていたのだな。

笑えない。

全く笑えない。

笑えないぞヴァリエール。

私の、私達の父上はそう簡単に代わりが見つかるようなものだったか?

違うだろう、ヴァリエール。

 

「今は緊急時です。第一王女アナスタシア様の指揮下に従います。ご下知を!!」

 

私はまず――あの時は怒りも入り混じっていたのだと確かに言える。

全く愚かな判断であったが。

 

「アスターテ公とともに最前線に行け」

 

『試し』をした。

いっそ死んでくれと願った。

 

「……承知しました」

 

ファウストは最前線に赴き、功を成した。

蛮族の中でも中核である、レッケンベル騎士団長を一騎打ちの末に討ち取ったのだ。

私は、静かに――父を亡くして数年ぶりに微笑んだ。

嗚呼――お前は父上の代わりに成り得るのか。

そんな錯覚がふと浮かんだ。

ゆえに、私はヴィレンドルフ相手の戦場で、ファウストによく語り掛けるようになった。

 

「何故目を逸らす」

「……アナスタシア第一王女相手に視線を合わせるなど、恐れ多いことで」

「目を逸らす方が失礼だとは思わんのか」

 

ファウストはポリポリと頬を掻きながら、困ったような表情で呟く。

 

「まあ……ええ、そうですね、はい」

 

素直であった。

父に似ていた。

戦場では『憤怒の騎士』として感情のままに暴れまわるポリドロ卿の素顔は――ファウストは。

平時では、まるで家庭人のそれであった。

自分の頭を抑えながら、申し訳なさそうに頭を垂れる。

母上に勝手な事をして怒られた時のような、父の姿がそこにあった。

違う。

コイツは父上ではない。

違うのだ。

これは錯覚に過ぎない。

そうは思っても、どうしても父上の姿とファウストが重なり合う。

いつしか、ファウストの姿を見れば、それを目で追うようになった。

自分の領民に優しい男であった。

同胞の騎士達に公平な男であった。

アスターテ公爵に我が戦友と公言させる男であった。

お前は――我が父の代わりと成り得るのか?

余りにもその心の成り立ちが父と似ている。

そう思った。

そうして理解した。

私が父に抱いたあの感情は初恋では無かった。

今のこれが、自然とこの男を目で追ってしまう感情が、初恋であるのだと。

そう理解してしまった。

理解してしまったからには欲しくなる。

そう、欲しくなる。

私の思考は再び現実に戻り、口を開く。

 

「なあ、ポリドロ卿」

「はい」

 

ファウストは膝を折り、私に礼を尽くしたまま口を開く。

その顔は私の視線と決して重ならない。

それでも構わない。

 

「第二王女相談役など辞めてしまえ。私の下に付け」

 

発言は私の心の内から、自然と為された。

私のモノに成れ。

それだけだ。

 

「……お断りします」

 

対して、ファウストの躊躇は断りの言葉まで三秒であった。

おそらくその躊躇も、私に配慮してわざとのものであろう。

私は問う。

 

「何故断る? アスターテの言葉ではないが、第二王女派閥などあってなきがごとし。未来などないのだぞ」

「それは――」

 

ファウストは躊躇いながらも。

今度は視線を私に真っ直ぐに合わせ。

こう呟いた。

 

「私にも情というものがありますので。私はヴァリエール第二王女相談役であります」

 

満点回答であった。

股が自然と愛液で濡れそうになる。

嗚呼、我が父と同じ心の持ち主ならそう答えるであろうさ。

ファウストよ。

ファウスト・フォン・ポリドロよ。

お前こそ我が夫に相応しい。

もはやお前以外では、私は嫌なのだ。

何としてでも。

どんな手段を使ってでも、お前を夫――もしくは愛人としてみせる。

何、お前を愛人とし、夫をとらなければいいのだ。

そうすればお前は私だけのものとなる。

アスターテにも邪魔などさせやしない。

ましてや妹、ヴァリエールになどやりはしない。

我が母上、リーゼンロッテにも。

決めた。

お前は私だけのものだ。

 

「そうか、それなら『今は』いい。ヴァリエールに尽くし、初陣である山賊退治を成せ」

「承知しました」

 

膝を折り、平伏したままファウストが答える。

今はそんな関係だ。

だが、いずれ私の視線をじっと見据え、愛を囁かせて見せよう。

この私、アナスタシアの愛人として囲ってみせよう。

嗚呼、ファウストよ。

私はお前が愛おしい。

どこまでも。

どこまでもだ。

私はアスターテの名を呼び、私の後に付いてくるように命じ、その場を立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私こと、ファウスト・フォン・ポリドロは思う。

なんでこんな怖い顔してるんだろうアナスタシア姫。

視線合わせたくない。

鬼神のアスターテ公でもこんな怖くないぞ。

なんというか、オーラがおかしい。

まさに選帝侯の第一後継者というべきか、そのオーラを解き放っている。

無茶苦茶美少女だけど、目つきがどうにも爬虫類系なんだよなあ。

凡才といってもいい主人、我がヴァリエール第二王女とは大違いだ。

私はそんな事を考えながら、アナスタシア姫の言葉を聞く。

 

「王家は公爵家とポリドロ卿が繋がるなど許す気はない」

「それは何故?」

 

アスターテ公爵がからかうように答える。

まあ、大概予想はつくんだが。

 

「第一王女相談役と第二王女相談役が結ばれるなど笑い話にもならん」

「格好だけでしょう。第二王女派閥なんて有ってなきようなもの」

「その恰好を気にしているのだ。まして、そのセリフを第二王女相談役のポリドロ卿の前で発言するその神経が疑わしい。お前にポリドロ卿は合わん」

 

そりゃそうである。

アスターテ公爵は表を取り繕わなさすぎである。

自由人過ぎる。

第一、彼女は尻派だ。おっぱい大きいのに。

私の乳派とは敵対関係にある。

だから法衣貴族共から嫌われるのだ。

法衣貴族はきっと乳派である。

その嫌っている法衣貴族――官僚貴族達は、アスターテ公爵の夫に自分の息子を捻じ込もうと必死だが。

相手は公爵家だからね。

権力に眼がくらむのも仕方ないね。

私は再び、はあ、と溜息をつきながら、嵐が過ぎ去るのを待つ。

そんな事を考えていると、何やらアナスタシア姫は思考しているのか。

少し時間を置いた後、口を開いた。

 

「なあ、ポリドロ卿」

「はい」

 

私は膝を地につけ、礼を整えたまま返事をする。

 

「第二王女相談役など辞めてしまえ。私の下に付け」

 

嫌だよ馬鹿野郎。

お前怖いもん。

アスターテ公爵が、なんで平然とお前の下にいるのか、よくわからんくらいにお前怖いもん。

私は恐怖で舌が攣りそうになりながらも、必死で答える。

 

「……お断りします」

 

アナスタシア姫は再度問う。

 

「何故断る? アスターテの言葉ではないが、第二王女派閥などあってなきがごとし。未来などないのだぞ」

「それは――」

 

何か理由を探せ、私。

さすがに王宮内の権力闘争に興味ねーよ馬鹿と本音を吐くのは拙い。

何か、何か理由を。

――そうだ。

 

「私にも情というものがありますので。私はヴァリエール第二王女相談役であります」

 

満点回答である。

完璧だ。

二の句も告げないであろう。

私はアナスタシア姫の視線をじっと見つめる。

アナスタシア姫はその視線を睨み返し、ニイ、と蛇のように微笑んだ。

なんでそんな風に笑うの?

怖すぎてちょっと勃起したよ?

生存本能であった。

チンコの先がちょっと金属製の貞操帯に当たりながらも、私はその微笑みに苦笑いで返す。

他にとりえる手段があるなら教えてくれ。

 

「そうか、それなら『今は』いい。ヴァリエールに尽くし、初陣である山賊退治を成せ」

「承知しました」

 

『今は』って事は、将来的にはアカンって事やないかい。

完全に目を付けられている。

何が拙かった?

ヴィレンドルフ相手に功を成した事か?

先ほどの王室会議で、ヴァリエール第二王女の初陣に反対した事か?

それともアスターテ公爵殿と仲良くしてた事か?

理由がわからん。

理由が判らんから怖いのだ。

何で私をそっとしておいてくれない。

何故だ。

アナスタシア第一王女とアスターテ公が去っていく中で。

私は膝を折り、礼を整えた姿のまま懊悩した。

 

 



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第5話 アスターテ公爵とアナスタシア第一王女

私は幼き頃より、親から縁戚であるアナスタシア第一王女と比較されて育った。

帝王学を教える母からは、物覚えが悪い子と言われた。

戦術家の教師からは、お前程出来の良い生徒と出会ったことが無いと言われた。

剣や槍の教師からは、この王都で10指の内の一人、その程度にはなれるでしょうと言われた。

そうして育ってきた。

お前は第三王位後継者なのだから、このアンハルト王国をもしもの時に継ぐ、スペアのスペア。

そして次期公爵家を継ぐ身なのだから。

アナスタシア第一王女に負けないように育ちなさいと。

母と父に、そういわれて育ってきた。

そのアナスタシア第一王女は、私の目の前を今コツコツとブーツの靴音を立て歩いている。

私は未だに膝を折り、こちらに礼を尽くしたままであったファウストの姿を最後に振り返り。

ばいばい、と手を振った後に。

ファウストから遠く離れた、廊下の曲がり角で口を開いた。

 

「ねえ、アナスタシア」

「何だ、アスターテ」

「さっきの事なんだけどね」

 

先ほどの事――アナスタシアとファウストの会話内容。

それを思い出しながら呟く。

 

「第一王女相談役と第二王女相談役が結ばれるなど笑い話にもならないって言ったじゃん」

「そうよ。何か間違ってるかしら」

 

そこまではまあいい。

不満はあるが。

 

「その直後に第二王女相談役など辞めて自分に下に付けってどういう事?」

「そのままの意味よ」

 

お前ぶん殴るぞ。

アナスタシアは強いが、一対一の喧嘩ならさすがに私が勝つ。

戦略ではアナスタシア、戦術ならばアスターテ。

街角の吟遊詩人たちはそう謳い――そして私より年配の騎士団長達も、そう判断している。

事実、あのヴィレンドルフの侵攻以来、そう役割が分配されている。

ついでに現場指揮官の憤怒の騎士、ファウスト・フォン・ポリドロ。

あの現場ではそうであった。

今は違うが。

全くもって、ファウストを第二王女相談役として死蔵しているのは勿体ない。

 

「お前がファウストを好きなのは知ってるよ。叔父上そっくりだもんな」

 

ぴたり、とアナスタシアが足を止める。

親族である。

まして、第一王女相談役として2年間も共にしている。

まさか、判らないとでも思っていたのか。

叔父上は、太陽のような人であった。

親族である私にも優しかった。

そしていい尻をしていた。

趣味の農業で鍛え上げられた、いい尻であった。

私が産まれて初めて性的興奮を覚えたのは、多分あの時なのだろう。

 

「貴女は父上をイヤらしい目で見ていたわね、覚えているわ。何度か殺してやろうかと思ったぐらいに」

「思春期だったんだよ。仕方ないだろう」

 

私には本能に目を逸らす事など出来はしなかった。

よく咎められる。

私には貴族として、淑女としての気品が欠けていると。

それを良く言う人は、私を自由人と呼ぶが。

法衣貴族、官僚の役職を持つそれらは揃って眉を顰めて悪く言う。

やれ、公爵家なのにマナーがなってないやら五月蠅い。

息子を捻じ込もうと、夫の釣り書きだけは公爵家に山ほど送り付けてくるくせにな。

相手にはしない。

私という畑に撒く種はアイツに決めている。

 

「単刀直入に言おうか、ファウストを譲れ。お前じゃ立場的にキツイだろう」

「はあ? 貴様、ブチ殺してやろうか」

 

アナスタシアが口調を変える。

二人きりになった時には感情が表に出やすい。

 

「ファウストの――ポリドロ領のことを考えてやれ。お前の立場では、荷が重すぎる」

「どう重いと?」

 

判っている癖に。

 

「仮にお前が上手くファウストを愛人にしたとしよう。そうすればポリドロ領はどうなる。まさか、お前とファウストの娘の一人がポリドロ領を継げるとでも?」

 

何人産む気か知らないが。

上位王位継承権持ちが、僅か300人足らずの辺境領の領主様になれと。

バカげている。

 

「ポリドロ領を、アンハルト王国の直轄領にすればいいでしょうに」

「馬鹿が」

 

アナスタシアは自分の欲望に酔っている。

領主騎士というモノの性質を忘れている。

 

「ファウストが、自分の領民を、自分たちの土地をどれだけ大切に扱っているかぐらい承知だろう。領主騎士というのは誰だってそうだ。虫の一匹も残らず、自分達の物が奪われるのを拒む。一所懸命というべきか。彼らの生活の縁の全てを奪っておいて、幸せになどなれるものかよ」

「……」

 

アナスタシアが黙り込む。

そして反論する。

 

「……貴女だってそうじゃない、第三王位後継者。アスターテの娘にだって王位継承権は発生する」

「確かにそうだが、私の子の血はお前の子よりずっと薄い。私は何人も子を産み――その内の一人をポリドロ領の領主として育てる。お前よりずっと王家の血の薄い、王位の望みなど有りはしないような子をポリドロ卿にする。末っ子にも継ぐ領地があるのは決して悪い事ではない」

 

私とファウストの子だ。

きっと、ファウストは末っ子でも可愛がるだろうな。

 

「私と居た方がファウストは幸せになれる」

「……」

 

アナスタシアが、再び黙り込む。

こんな説得が――

 

「ふざけるな。アレは私の物だ」

 

上手くいくとは最初から思っていない。

私が言いたいのはつまるところ――アレだよ。

 

「だったら勝負してもいいんだぞ」

「――」

 

懐にしまっている懐剣は抜かない。

そういう勝負でないことぐらいは、お互いに判っている。

 

「ファウストに先に愛していると言わせた方が勝ちだ。私達の勝敗は、全てファウストに委ねる」

「……お話にならないわね。私が母上から女王の座を引き継いだ暁には、私が強引にファウストを貰っていく。誰にも譲らない」

「それに何年かかる? 第一、ファウストの――その叔父上のような太陽の心を失ってまで欲しいのか? 先祖代々引き継いだ領地を奪われ、人形のようになったファウストをか? ファウストが領地を捨ててでもお前を愛すると決めたなら何も言わんが。おそらく、そうはなるまい」

「……」

 

アナスタシアは黙り込み、そうして爪を噛む。

私と、おそらくリーゼンロッテ女王とヴァリエール第二王女ぐらいしか知らない、彼女の悪癖だった。

身内の間で返事に窮した場合は、これが顕著に出る。

たとえ、ファウストが自分の事を愛してくれたとしても。

ファウストがその心のありのままで、自分の物になる可能性は非常に少ない。

それにようやく気付いたらしい。

――そう、このタイミングだ。

私は助け舟を出す。

 

「ファウストを共有するつもりはないか?」

「何だと?」

「何、世間では一夫多妻制など当たり前ではないか。貴族でも夫を共有することなど珍しい事ではない」

 

私はファウストとの子が欲しい。

あの尻を撫でまわしながら、あの男を抱いてみたい。

童貞は諦めてもいい。

それは贅沢な事か?

 

「……私と、お前の愛人か?」

「そうだ、私とお前の二人の相手をする愛人だ」

 

第一王女アナスタシアと、アスターテ公爵の愛人だ。

私は口の端を歪めて笑う。

 

「私の子供がポリドロ領を継ぐ。それならファウストも納得する」

「……」

 

アナスタシアはギリッ、と歯ぎしりをした。

考えあぐねているらしい。

 

「ファウストは私だけのものにしたい」

 

口では達者だが、その瞳には確かに迷いがあった。

頑迷なアナスタシアの心に、ヒビが入った瞬間を見た。

 

「無理だね」

 

私は笑って、悪魔のように囁いてやった。

 

「あの男を、ファウストに、二人の女に身を開けと」

 

アナスタシアの言葉はバラバラとなって感情のまま、一つの言葉に成れないでいる。

あの太陽のような男に、二人の女に身を開けと言うつもりか。

自分の筋骨隆々で武骨な身体を自ら恥じ、浮いた噂一つも無い男に、自分の領地のために戦場に身を捧げている童貞のファウストに。

あの貞淑で無垢でいじらしい、朴訥で真面目な、童貞のファウストに、手折られた花のようにその身体を。

 

「そうさ、まるで男娼のように我ら二人に足を開かせろと言っているのさ」

「……」

 

沈黙しているが、お前の心の揺れ動きは判るぞアナスタシア。

私同様、処女をそこらの侍童で切って捨てずにいるのは。

最初の痛みと楽しみを思う存分、ファウストの身体を使って蹂躙するためであろう?

恥じ入る必要はない。

我ら王位後継者達とて、清純な心だけで生きているわけではない。

性欲ぐらいある。

 

「何、童貞はお前にあげるさ。私もその後はたっぷり愉しむがね」

「ファウストの……童貞……」

「そうさ、自分の領地のために、大切に大切に守っている奴の童貞さ」

 

そこを突けばいい。

何、ファウストの弱みなど判っている。

アイツはどこまでもいっても領主騎士だ。

祖先を、領民を、土地を、その全てのためなら嫌な女の股だって舐める。

――そうして股を開くだろう。

 

「私はファウストを汚したくない!!」

「嘘をつけ!! お前はファウストを思う存分凌辱したいと思っている癖に!!」

 

卑猥な会話を、廊下で思う存分話す。

私とて、他の女にファウストの身を汚させる等、業腹ものなのだ。

だが、アナスタシアならいい。

縁戚であり、いずれ女王になるアナスタシアならいい。

何、これはこれで愉しめるさ。

私が一人寂しくベッドの最中に、アナスタシアにファウストが抱かれている事を想像すると、自然と股が愛液で濡れそうになる。

閨の作法は公爵家長女として教わったが、こんな愉しみ方があるとは教師も教えてくれなかった。

 

「恥じらうファウストに、自ら犬のように腰を振らせるのもいいものだ。想像しただけでおかしくなりそうだ!」

「貴様――どこまでも下劣な!!」

 

アナスタシアが顔を赤らめて声を荒げる。

だが、それは怒りに身を染めてではない。

羞恥だ。

心の底の欲望を言い当てられた、羞恥そのもので顔を赤らめている。

なあ、アナスタシア。

お前だってベッドの上でファウストに腰を振らせてみたいだろう?

恥じらうファウストに自ら身を動かさせる。

ああ、本当におかしくなりそうだ。

 

「なあ、想像しただけで素晴らしいだろう。私の提案に従えば、それがすぐにでも手に入るんだぞ。何、ファウストには私が言い聞かせるさ。お前が嫌われるようなことは何も無い」

「……」

 

アナスタシアはもう口をぱくぱくと動かすが、言葉は吐けていない。

ただ顔を真っ赤にするばかりだ。

 

「……判った」

「何だ聞こえないぞ。もっと大声で言え」

「判ったと言ったぞ! ファウストは私とお前の二人の相手をする愛人とする!!」

 

さすが第一位王位後継者。

決断の早さが違う。

戦略では欠かせない要素だ。

私はケラケラと笑いながら、アナスタシアの肩をポンポンと叩く。

 

「さて、とはいえ権力で――力づくでファウストにその足を開かせるというのも面白く無いな。いや、それも興奮はするがな」

「お前は本当に最低の糞ったれ女だ」

 

柄にもないアナスタシアの罵倒を聞きながら、私は、んーと悩む。

今まで2年間、あの朴訥で真面目なファウストに、性的な言葉を並べて顔を赤らめさせるのは楽しかった。

でも、それももうお終いだ。

そろそろ子を孕む年齢でもある。

 

「ま、ファウストの軍役が――ヴァリエール第二王女の初陣が終わってからでいいか」

 

あまり、軍役の前にあの男の心の負担になるようなことはしたくない。

とりあえず、アナスタシアの説得は終わった。

それでよい。

私はぐい、と背を伸ばし、胸板に張り付いたその戦場では邪魔な乳を張り伸ばした。

 



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第6話 イングリット商会と貞操帯

アンハルト王国、王都での居住地。

領地から離れる際は領民20名を兵として動員し、常に引き連れている私は、その住処をかつては貧乏街の安宿としていた。

資金の都合である。

我が領地はそれほど金持ちではない。

特産品もこれといってない。

2年前の、代替わりの挨拶。

リーゼンロッテ女王への謁見のため、その順番待ちを三か月食らっている最中の事はあまり思いだしたくない。

自分を含め21名もの宿代を背負い、滞在資金のやり繰りには苦慮した物であった。

だが、今は違う。

第二王女相談役として、領民20名も難なく収容できる立派な下屋敷が王家に用意されていた。

相談役となった、役得の一つであった。

今現在、私はこの下屋敷を王都での居住地としている。

 

「……さて、そろそろだな」

 

私は屋敷で、客人を待っていた。

待っているのは、我がポリドロ領の御用商人であるイングリット商会である。

御用商人とは言っても、領民300名足らずの我が辺境領に来てくれる商人などイングリット商会を除いてないのだが。

イングリット商会とは、先代――母親の代からの付き合いである。

商会には全ての仲介を委ねている。

先祖代々受け継がれている物。

辺境領地貴族には些か不相応な、魔法の付与されたグレートソードの研ぎ。

自分の代となって新しく新調した物。

2mはある私の巨体を包み込む、チェインメイルの補修。

そして個人的にだが、最も重要な物。

それは――

 

「ファウスト様、イングリット商会が来られました」

 

従士として取り立てている領民がドアを叩き、声を上げる。

 

「入ってもらえ」

「失礼しますよ。第二王女相談役ポリドロ卿」

 

からかうように、イングリット商会の女主人であるイングリットが挨拶をした。

私が第二王女相談役となって以来、彼女はこの呼び方を好む。

 

「よしてくれ、イングリット。第二王女相談役と言っても、派閥も何もないちっぽけな役だ」

「こんなに立派な下屋敷を借り受けておいて、何をおっしゃいます事やら」

 

イングリットは上機嫌で、客室を見渡す。

確かに、屋敷は立派だ。

我がポリドロ領の屋敷が見劣りする――というか実際、この下屋敷の方が立派なのだ。

 

「これを機に、我が商会も規模をより大きくしたいものです」

「……第二王女にも、私にも、そんな伝手はない、諦めろ」

 

イングリットはどこまでも商人である。

利益の機会には目ざとい。

だが、所詮はアナスタシア第一王女のスペアである、ヴァリエール第二王女の歳費など少ない。

イングリットから何か余計な物を買う余裕は無いだろう。

ましてや王家御用達の商人もいる。

付け入る隙間など無い。

それぐらいはイングリットも判っているはずなのだが。

 

「何、私はもっとこの国の大きい部分に関われる方だと貴方を見込んでいるのですよ。ポリドロ卿」

「……」

 

イングリットの目はギラギラと欲で輝いている。

彼女は私に何を見ているのだろうか。

それが私には理解できない。

イングリット商会はちっぽけな商会ではない。

流石に王家御用達の商人程ではないが、多数の職人や鍛冶師への伝手が有り、アンハルト王国内に大きな販路を持つ商会である。

彼女が私ごときに、この田舎領主騎士にそこまで入れ込む理由は何なのだろうか。

――まあ、それはいい。

入れ込まれても、私に損はない。

イングリットが損をするだけだ。

それよりも、だ。

個人的にだが、最も重要な物について話がある。

 

「イングリット、話がある。少し近くに寄ってくれ」

「ええ」

 

イングリットが歩み寄り、私は扉の外で待機しているであろう従士にも聞こえないように、小さく小声で話す。

 

「貞操帯の事だが、もう少し何とかならんのか。勃起すると痛い」

「……また、その話ですか」

 

イングリットはやや顔を赤らめ、私の声量に合わせた声で話す。

 

「以前にも言ったではありませんか。それはポリドロ卿の――その、サイズにフィットするようにオーダーメイドで仕上げた作品。どうにもなりませんと」

「15歳の時に、珍しい男性の鍛冶師まで忍んで足を運んだのであったな。アレは精神的に苦痛であった」

 

貞操帯。

言わずもがな、アダルトグッズである。

それは前世の地球でも、今世のこの頭の悪い世界でも変わりはない。

男の貞操を管理するために売られているものである。

だが、私の目的は違う。

勃起させないために、いや、より正確な目的としては勃起を誤魔化すために着けているのだ。

辺境の我が領内では、なんとかブカブカのズボンを履くようにして誤魔化していたのだが。

領地を出て以降、王宮へ出向く際の礼服、また戦場着ではそういうわけにもいかん。

 

「勃起すると痛いのだ。とても痛いのだ」

「そもそも何故そんなにしょっちゅう勃起されるのですか」

「……」

 

どう喋るべきか。

私は悩みながらも回答する。

 

「私は感情が昂ると、あらゆる場面で勃起するのだ。誰にも言うな」

 

これも一種の恥だが、女性の裸体を見ただけで勃起する、この世界では異常者。

ややもすれば、この世界では淫乱とも捉えられかねん事を発言するよりはマシだ。

 

「……まあ、二つ名の憤怒の騎士らしい在り方とでも申しましょうか」

 

イングリットは顔を赤らめながら、言葉を濁した。

どういって良いのか判らないのだろう。

だが、この貞操帯は、痛い――。

 

「イングリット、くれぐれも私が貞操帯を自分で買った等と漏らすなよ。私が通常の女性の好みから外れていることなど、私自身が一番よく知っている。にも拘わらず、女に襲われるのが怖くて自分で買った貞操帯を、自分に付けてる勘違い貴族等という誤ったそしりを受けたくはない」

「お客様の情報、まして貴族の方々の購入物を漏らすなど恐ろしくてできませんよ。ご安心下さい。その貞操帯を作る際も、秘密裏に行ったではありませんか」

 

まあそうだが。

ここはイングリットを信用する事にしよう。

 

「とにかく、勃起すると痛いのだ」

「……貞操帯自体を、フィットした物ではなくもっと大きなサイズに変更しますか」

「それも拙い。礼服では貞操帯を付けていますとバレてしまう」

 

既に妻帯者ならばそれでも良い。

夫の貞操の管理をするのは、この世界ではさほど異常ではない。

だが、先にも言ったように、独身の私が貞操帯を付けていると世間に漏れるのは拙い。

自分で買った貞操帯を、自分に付けてる勘違い貴族というそしりを受ける。

せめて私がアンハルト王国好みの、紅顔の美少年であったなら自らの貞操を守るため、付けてても何も言われなかったであろうが。

ともかく、貴族は面子商売である。

恥を掻くわけにはいかん。

 

「なれば、今のフィットしたサイズの貞操帯を使い続けて頂くしかありません」

「それしかないのか……」

 

私は項垂れた。

この世界では日々の折々で女性の裸体を目にする。

無論、みんな通常は服を着ているが、裸体になる事は決して恥ずかしい事ではないのだ。

さすがに貴人ともなれば、裸体とはいえヴェールの一枚も羽織るのだが。

昨日、王宮に出向いた際にリーゼンロッテ女王がシルクのヴェール一枚であった件。

まるで頭の悪い世界の――いや、ここは頭の悪い世界ではあるが。

ともかく、何かのエロ小説の挿絵に出てくるようであったあの姿にも女王の悪意は無い。

自分の肉体美を見せびらかしていただけである。

私のチンコは大ダメージを負ったが。

後、自分でも少し反省するほど理不尽にキレてた。

結論。

私に救いはない。

 

「第二王女相談役ポリドロ卿、ここは妻帯者となり、貞操帯を付けていてもおかしくない状態となるのがベストかと」

「それが出来るならさっさと嫁を娶っている」

 

私はモテない。

この筋骨隆々の武骨な身体だ。

ましてちっぽけな辺境領主騎士である。

花の都、王都には法衣貴族達の、家など継げない次女や三女の貴族も多かろうが。

花の都から辺境の領地に赴き、下手すれば軍役を除き一生をそこで過ごすとなると難色を示す相手が多い。

そこまでしなくとも、生きていく術はあるのだ。

一度、第二王女相談役として、ヴァリエール姫にどこか貴族との縁組をと頼み込んだこともあったが。

何か物凄く不機嫌そうな顔で、私がお前に用意できる縁組など何も無いと断られた。

役立たずである。

 

「アスターテ公の愛人では駄目なのですか?」

 

イングリットが突然、突拍子もない事を口に出す。

 

「お前は何を言っている?」

「アスターテ公があのヴィレンドルフの侵攻以来、ポリドロ卿を我が戦友と公言している事。そして口説いている事は吟遊詩人にも歌われていますよ」

「あれはアスターテ公の冗談だ。いや、本気だったとしても、ちゃんと公爵家に相応しい夫をどこぞの法衣貴族か、諸侯からちゃんともらうだろうさ。爵位の差がありすぎる。私は愛人にはなりたくない」

 

アスターテ公の事は嫌いではない。

むしろ好みだ。おっぱい大きいし。

だが、愛人は嫌だ。

別に夫が居る女の愛人は嫌だ。

アスターテ公の末子にポリドロ領を継いでもらうにしても、自分の血を継いでない子に、我が領地であり全てであるポリドロ領を奪われる可能性がある。

そんなのは御免だ。

祖先に、母親に申し訳が立たない。

 

「ポリドロ卿は何か勘違いをしていらっしゃる」

「何を勘違いしているというのだ?」

 

イングリットは言うか言うまいか、迷ったようにして――結局、何かを呟くことは無かった。

 

 

 

 

 

 

下屋敷から外に出て。

イングリットは馬車に入り込んだと同時に、思わず独り言を呟いた。

 

「ポリドロ卿は勘違いしておられる。アスターテ公は、ポリドロ卿が愛人として手に入ったならば夫を取る気等無いというのに」

 

私の掴んだ情報では、そうだ。

アスターテ公爵は、ポリドロ卿を本当に愛しておられる。

それをポリドロ卿に告げなかったのは、情報が正確とは限らないから。

それと――

 

「それを漏らした事が私とバレたら、どうなる事やら。たとえそれがアスターテ公にとって利益がある事でも、喋りたくはないわ」

 

鬼神のアスターテ。

その二つ名を持つ武人公爵の気性は自由人であると同時に、とても荒い。

敵国ヴィレンドルフでの二つ名は皆殺しのアスターテ。

ヴィレンドルフの1000の敵の侵攻を跳ね除け、やがて北方の敵国との睨み合いに位置していたため出遅れた王軍の準備が整い、ヴィレンドルフへの逆侵攻の際。

アスターテ公爵はその鬼の形相で、ヴィレンドルフの民に山賊のような略奪を行った。

女は皆殺され死骸は磔にされ、兵どもが男をナイフで刺しながら死ぬまで輪姦して愉しみ、生き残った少年達は全て奴隷としてアンハルト王国に持ち帰られた。

アスターテ公が略奪した村々の後には、草一本残らなかったと言われている。

あの気性の荒い女にだけは良しにせよ、悪しきにせよ、目を付けられたくない。

あの女が優しいのは、真に自分の味方と認識している相手にだけだ。

下手をすれば、アナスタシア第一王女とポリドロ卿の二人ぐらいの物。

ぶるっ、と少し背筋が震えた。

まるで第一王女相談役である彼女の監視の手が、ポリドロ卿の下屋敷に伸びているように感じた。

いや、事実伸びているだろう。

アスターテ公の手は長い。

対して、あの下屋敷はポリドロ卿を捕まえるための王家が仕掛けた監獄のようにも思えた。

 

「……アナスタシア第一王女」

 

彼女までがポリドロ卿に興味を示している。

法衣貴族――上位の官僚貴族がポロッと漏らした言葉。

それが嘘で無いならば。

 

「第一王女の愛人の御用商人となる、大きなビジネスチャンスではあるのよねえ」

 

イングリットは、何故ポリドロ卿が結婚できないのか。

この女余りの世の中で、武門の家からは決して評価が低くない、ポリドロ卿が何故本当に浮いた噂一つも作れないのか。

アスターテ公爵やアナスタシア第一王女、第一王女派閥が第二王女相談役に嫌がらせをしているから。

下級の法衣貴族の見方はそうではあるが、上級の法衣貴族と、私の見立てではそうではない。

それら全ての考えを、ポリドロ卿には告げぬまま。

アスターテ公にだけは目を付けられない事を祈りながら、イングリットは下屋敷を後にした。

 



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第7話 従士長ヘルガの回想

幼い頃の事でも、あれは村一番の祭りだったと記憶している。

ファウスト様が産まれた日に行われた祭りだ。

ポリドロ領は300人足らずの、誰もが顔見知りの小さな村で。

産まれたファウスト様の顔を見に、領民の全員が領主屋敷に訪れたものだった。

勿論、代々ポリドロ領に従士長として仕える家系の私もその一人であった。

ファウスト様は赤子にしては珍しく、泣かない子であった。

先代ポリドロ卿――マリアンヌ様の初産であったファウスト様は男子であらせられ、末は傾国の男子になるぞ、と我が母などは酒に酔ってはしゃいでいた。

決して裕福とは言えない我が村ながらも、この機会ばかりはと、村長がご機嫌の調子で村の食糧庫を開け放ち。

私達子供も十分にごちそうを味わい、腹を満たした。

――そんな村に影が差し掛かったのは、ほどなくしてマリアンヌ様の夫が肺病で亡くなってからであった。

 

「領民全員の嘆願です。マリアンヌ様、新しい夫を御取りください」

 

従士長である母の、嘆願の言葉であった。

マリアンヌ様がどれだけ亡くした夫を愛していたかは知っている。

だが、致し方ない。

ポリドロ領を継ぐ、長女無くして村の存続は無い。

頭を深く深く下げる母の傍で、私はマリアンヌ様の顔色を窺う。

 

「……」

 

その懊悩する姿は、未だに覚えている。

領主貴族としての義務と、未だ忘れられない夫との、愛の狭間で苦しんでいるかのようであった。

そして――マリアンヌ様は、少しおかしくなってしまった。

懊悩の余り、気が触れてしまったのだろうか。

男であるファウスト様に、槍や剣を教えるようになったのだ。

もちろん、止められた。

村長からも、我が母からも。

亡くした夫の親族からも、

だが、マリアンヌ様はその説得全てを無視して、ファウスト様に剣技や槍術を仕込み続けた。

やがて、誰もが諦めた。

マリアンヌ様は気が触れてしまったのだと。

何、子供の方から――ファウスト様の方から、男の子で他にこんな事してる人はいない、とそのうち怒って止めてしまうよと。

マリアンヌ様はもう駄目だ。

ファウスト様に強い、優秀な嫁が来てくれることを期待しようと。

だが。

ファウスト様の方は愚直に、マリアンヌ様の教えに従っていた。

統治や経営の教育に加えて、この肉体を痛めつける仕打ち。

貴人とはいえ、よく耐えられるものだ。

代々従士長を受け継ぐ誇りを持つ私でも、剣や槍の訓練は辛いのだ。

散々、木剣で打ち据えられ、刃引きの剣で実際に武具を装備して実戦演習する事さえある。

だが、ファウスト様は泣くこともなく、愚直に訓練を続けていた。

泣かない子供であった。

 

「――林檎」

 

ふと呟きながら我に返る。

今はファウスト様と、イングリット商会が、客室にて話し合っている最中であった。

私は扉の前で屹立し、誰も近寄らないように注意を払う。

注意を払いながらも、思考は幼少期の想い出へと飛ぶ。

林檎。

そう、林檎である。

剣や槍の訓練時、昼食にはいつもデザートとして出てくる林檎を、ファウスト様に分けて頂いていた。

たった一つのそれを、ナイフで二つに切り分けて。

――ファウスト様も、丸ごと一個食べたかったであろうに。

そんな事を考える。

ファウスト様は、幼少の頃から我ら領民に優しい御方であった。

固辞する私に、お前も腹が減っているだろうから、と無理してそれを渡した。

そんな優しいファウスト様に、私はいつもお聞きしたいことがあった。

 

「お辛くはないのですか?」

 

と。

決してそんな事、貴人であるファウスト様には口に出せなかったが。

ファウスト様の手は、幼少にしてすでに剣ダコが出来ていた。

――時間は過ぎ、歳を取る。

私はやがて幼年期から時を経て、一人前の従士長へと姿を変えていた。

そして、ファウスト様も姿を変える。

決して不細工ではない。

顔の形は整っている。

従士長として言わせてもらえればむしろ、気高く美しい。

なのだが。

アンハルト王国内の女子達の価値観から言えば、少々背が、いや、あまりにも背が高すぎた。

15歳にして180cmに達していた。

そしてその手は剣ダコと槍ダコで埋め尽くされていて、とても男貴族の手には見えなかった。

だが――

領民には、本当に優しい御方であった。

貴族の男には珍しく、物欲と言う物に乏しい御方であった。

マリアンヌ様が、領地外への軍役の際に申し訳程度に買ってくる髪飾りや指輪等。

そういった物は、全て日々の折々――自領での領民同士の結婚式の際に。

または、近隣の領地に貰われていく、或いは領民のため貰って来た男に対し、全て与えてしまっていた。

その男たちは喜んでいたが、私はファウスト様が男らしさを失っていくようで悲しかった。

それゆえ、一度聞いたことがある。

 

「髪飾りや指輪が、惜しくはないのですか」

 

と。

ファウスト様は答えた。

 

「髪飾りなど、背高のっぽの私には似合わないし、指輪はな」

 

ファウスト様が、その剣ダコと槍ダコでゴツゴツとした指を見せる。

私は発言を後悔した。

街の市場で買ってきた、オーダーメイドではない指輪何てものは、嵌められないのだ。

私はいつしか、先代ポリドロ卿――マリアンヌ様を心の底で蔑視するようになっていた。

我が子が可愛くないのか。

これが息子に対する仕打ちか、と。

そんな事を考えている最中、そのマリアンヌ様が病に倒れた。

元々、身体が弱い方であった。

15歳のファウスト様が、代わりに軍役を務めるようになった。

そして軍役に出る中、妙な質問を私にした。

 

「男性騎士という物は、私以外に存在しないのか?」

 

私は答えあぐねた。

そんな事、常識であろうに、と。

だが、答えを返さなければならない。

 

「蛮族――失礼、ヴィレンドルフでは聞いたことがありますが、アンハルト王国内には存在しませんね」

 

蛮族と同じ。

ファウスト様に対する侮辱ではないかとヒヤヒヤしながらも、答えた私にファウスト様は呟いた。

 

「そうか。そういうものなのか」

 

いっそ、清々しい。

そういった顔であった。

私の言葉への怒りや、自分を男性騎士として育てたマリアンヌ様への怒りといった物は、感じ取れなかった。

そしてまた、口を開く。

 

「もう一つ聞きたいのだが。私が騎士として活躍した場合――」

 

我が母は喜んでくれるであろうか、と。

そんな質問をした。

私はその問いに、答える事が出来なかった。

ファウスト様の御考えが、私には理解できなかった。

狂った母に、愛情を求めているのか。

狂った母に、常識を求めているのか。

どちらともとれない。

――そうして、更に5年の日が過ぎる。

私は一人の夫を姉妹達と共有するようにして迎え、ファウスト様は身長2mに近い青年に成長した。

そして、マリアンヌ様が、ついにベッドの上で血を吐くようになった。

マリアンヌ様との、今生の別れの日が近づいていた。

 

「これで母上とも、お別れか」

 

そうファウスト様が呟きながら、寝室のドアを開く。

その声は、僅かに震えていた。

ドアの先の寝室は、静まりかえっていた。

村長、今は従士長を引退した我が母、そしてファウスト様と私。

そしてベッドで息を引き取ろうとしているマリアンヌ様。

 

「ファウスト」

 

マリアンヌ様が、名を呼ぶ。

ファウスト様はベッドの傍により、もはやロクにスープも飲めなくなり、か細くなったマリアンヌ様のその顔を、優し気に撫でた。

 

「ファウスト。手を」

 

ファウスト様が手を差し出して。

剣ダコと槍ダコでゴツゴツの手を、マリアンヌ様が震える両手で握る。

そして、マリアンヌ様は静かに――本当に静かに最期の言葉を呟いた。

 

「御免なさい、ファウスト」

 

マリアンヌ様が、その手を握りながら、何かに贖罪するように謝った瞬間に。

声が――漏れた。

 

「――」

 

ひい、と。

引き攣る様な、赤子のような、周囲の人の心をかきむしる様な声であった。

嗚咽を漏らした声であった。

ファウスト様が、嗚咽を漏らして泣いていた。

そして感情を取り乱し、嗚咽を漏らしながらも口を開く。

 

「違います。違うのです。母上、違います。貴女は勘違いしておられる」

 

ファウスト様が、逆に贖罪するように首を振る。

マリアンヌ様の手を握りしめながら、ただ言葉を紡ぐ。

 

「私は何も辛くなど無かった。この今世で貴女を憎むことなど無かった。まだ、何も、何も出来ていない。恩返しができていない。もっと貴女と話すべきであった。私はもっと――」

 

ファウスト様が、涙を流しながら、目の前の現実を否定しようと言葉を並べている。

 

「まだ何にも、親孝行ができていないのです。まだ、まだ早すぎます。やっと理解した、私は貴女の事をちゃんと母親として愛して――」

「ファウスト様――」

 

ぐっと、ファウスト様とマリアンヌ様が握りしめ合った、その手。

その手を、外そうとして?

いや、逆に外すまいとして、我が母はそれを握りしめながら呟いた。

 

「ファウスト様」

 

我が母が何か呟こうとするが、震える舌では言葉になりきれず、ただファウスト様の名を呼ぶ。

もうすでに、マリアンヌ様はお亡くなりになられました。

その事実を告げられず、涙を流しながらファウスト様の名を、ただ呼ぶ。

その手を握るファウスト様にはそんな事言われなくても判っているのであろう。

だが、ファウスト様は、マリアンヌ様の遺体に呼びかけ続ける。

 

「まだ何も……まだ、何も……」

 

呆然自失の体で、ファウスト様は泣き続けていた。

私は、その日、ファウスト様が涙を流すのを初めて見た。

そして、この世には親子達当人にしか、そして末期にしかわからぬ愛がある事を知った。

――嗚呼。

ファウスト様の、声が聞こえる。

 

「ヘルガ」

 

ヘルガ。

ポリドロ領従士長、ファウスト様の家臣として存在する私の名前だ。

 

「はい、ファウスト様」

「イングリット殿がお帰りになられる。扉を開けてくれ」

 

私は黙って扉を開け、頭を下げてイングリット殿を見送る。

後は、別な従士が馬車まで見送るであろう。

 

「ヘルガ、ちょっと中に入れ」

「はい」

 

ファウスト様に呼ばれ、客室の中に入る。

椅子に座るファウスト様は、何かに悩んだ様子でおられ。

 

「イングリットは何を言いたかったのであろうか」

 

そう、私に聞いたような、それともただの独り言であるのか。

わからぬ調子で、客室の空間にそれを呟いた。

 

「まあ、何だ。ヘルガ、そこに座ってくれ」

「はい」

 

私は命令通りに、ファウスト様の眼前の椅子に座る。

ファウスト様はその様子を眺めた後に、愚痴るように呟いた。

 

「一体、いつになったら私は結婚できるのであろうなあ」

「ファウスト様の魅力を判ってくださる方は、必ずその内現れますよ」

 

心の底から言う。

全く、どいつもこいつも見る目が無いのだ。

男性騎士と馬鹿にする法衣貴族達。

ファウスト様と私達を死地に送り込んだ王家。

権力を傘に、ファウスト様の尻を撫でようとするアスターテ公爵。

どいつもこいつもウンザリだ。

私にとっての貴人は、この世にファウスト様ただ一人だ。

 

「ファウスト様、早くポリドロ領に帰りましょう。嫁はこの際適当に見繕ってください。致し方ありません」

「……昔と違って、お前は言うようになったなあ」

 

貴人相手だからと、何か一言喋るたびにビクビクしてたのにな。

そうファウスト様が笑う。

私は首を刎ねられてでも直言した方がファウスト様のためになると思っているから、言うようになっただけだ。

 

「手近なところでは、第二王女親衛隊がいるではありませんか」

「まあ……手近なところだなあ。王家や法衣貴族への伝手には程遠いが。第二王女の親衛隊、ほぼ家からも見捨てられた次女や三女、最低階位の一代騎士ばかりであろう?」

 

ファウスト様が答える。

私は直言する。

 

「要りますか? 王家や法衣貴族との伝手」

「……要らないな」

 

冷静な顔で、ファウスト様が答えた。

私の直言は有効だ。

 

「なれば、この度の軍役――ヴァリエール第二王女の初陣で、良さげな美女をちと見繕ってみるか」

「そうしてください」

 

できれば、ファウスト様が代わりに軍役に出る必要など無いよう、ポリドロ卿を名乗るだけの事はあると世間に言わせる強い女を。

私はそう願いながら、椅子から立ち上がる許可をファウスト様に申し出た。

 

 

 

 

 

 

後悔は尽きない。

私の、亡き母親への後悔は尽きない。

病の身体を押しての軍役に疲れながらも、毎年ちゃんと街の市場で土産を用意して帰って来た母親。

ベッドに伏せがちな身体をこらえ、私に統治や経営、剣術や槍術――領主騎士としての全てを叩きこんでくれた母親。

何故、愚かな私はその母の愛を、その末期の際まで理解できなかったのだろうか。

前世持ちだから?

それがどうした、糞が。

母が、自分への教育を、息子に与えた酷い仕打ちだと後悔しながら逝ったと思うと――自分に反吐が出そうで、死にたくなる。

だが、本当に死ぬわけにもいかん。

母親からもらった大事な身体だ。

私は母から受け継いだ領民を、土地を、ポリドロを、守っていかなければならない。

そのためにも。

 

「第二王女の親衛隊から見繕う……か。本当は辺境に理解のある、武官の官僚貴族の次女辺りと縁を持ちたかったのだが」

 

だが、ヘルガの言う事にも一理ある。

私はもう宮廷闘争には心の底から関わりたくない。

そもそも第二王女相談役になど、なるべきではなかったのだ。

 

「しかし、第二王女親衛隊は――」

 

思わず口ごもる。

アレだぞ。

正直、一言で言ってしまえば――

 

「リーゼンロッテ女王による、スペアに対するミソッカスの廃棄場所」

 

悪口にしかならなかった。

私は閉口しながら、その中ぐらいしか嫁のアテが無い自分に心底ウンザリする。

彼女達に果たして領主など務まるのだろうかと深い疑念を抱きながら、私はベッドに移動し、静かに仮眠をとることにした。



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第8話 親衛隊隊長ザビーネ

「ですので、どうか娼館に行くお金を歳費から出してください、ヴァリエール様」

「この猿どもめ。いや、猿に失礼だ。猿に謝罪しろ、このアホめが」

 

アンハルト王国、王宮。

ヴァリエール第二王女専用に与えられた居室にて、ヴァリエールは自らの親衛隊隊長を罵った。

そう、繰り返すが、相手は親衛隊――自らの近衛騎士を務める騎士たちの隊長であった。

その親衛隊長が、第二王女の歳費から、親衛隊全員が娼館に行く費用を出してもらう事を嘆願していた。

 

「これは必要経費なんです! ヴァリエール様、これは必要経費……避けては通れない歳費であります!!」

「どういう思考回路を用いたら必要経費として、貴女たちが娼館に行く費用を歳費として財務官僚に申請できる筋があるのか言ってみなさい、このチンパンジーどもめが!!」

 

ずっと、こうである。

10歳のみぎりに、親衛隊を母親から――リーゼンロッテ女王から与えられて以来、ヴァリエール第二王女はまるで生来のような胃痛持ちになった。

チンパンジー。

哺乳綱霊長目ヒト科チンパンジー属に分類される類人猿。

この場に第二王女相談役であるファウストが居たならばそう呟いたであろうが、残念ながらこの場にいなかった。

いや、男性騎士が近くに居たら、さすがにこんなふざけた嘆願は為されていないだろうが。

でも、やっぱり嘆願したかもしれない。

だってチンパンジーだものコイツ等。

ヴァリエール第二王女は、息を切らしながら、もうウンザリした様子で金切り声を挙げた。

 

「で、言ってみなさい、何か理由が言えるんでしょうね。ほら、言ってみなさい」

「第二王女殿下ヴァリエール様、訴えるのは大変誠に申し訳なきことながら、誠に非才な身を恥じ入るばかりではありますが――」

 

ヴァリエール第二王女親衛隊隊長、ザビーネ。

チンパンジーに果たして名前が必要なのか?

もういらないだろう、コイツ等には。

名を剥奪する権限は第二王女ごときには無いのか、ヴァリエールはそんな事を考えながらも。

ザビーネの発言の続きを黙って聞くことにした。

ザビーネは、何故かそのヴァリエールの発言をせかす様子を、嘆願が聞き入れてもらえるものと勘違いし、目をキラキラと輝かせながら叫んだ。

 

「第二王女親衛隊15名、全員がなんとこの度、処女であることが判明いたしました!」

「知るか!」

 

ヴァリエールは胃を痛めながら答えた。

知った事では無かった。

本当に知った事では無かった。

ああ、姉さまが羨ましい。

アナスタシア第一王女の親衛隊は同じく、武門の法衣貴族の次女や三女で構成されていたが。

決してこんなチンパンジー共の群れではない、むしろ家からその才能を、将来を嘱望されて親衛隊に入隊したエリート達であった。

姉さまが女王になった暁には、世襲騎士として新たな家を持つことすら許されるであろう。

第一王女親衛隊の隊員数は30である。

対して、第二王女親衛隊の隊員数は15。

数でも露骨に差別されていた。

いや、チンパンジーの数なんか増やしてもらいたくないけどさ。

何故、母上リーゼンロッテ女王はこんなチンパンジーの群れを私に。

そこまで私の事が疎ましいか。

ヴァリエールがそう考えるのは、無理のない事であった。

 

「もうすぐヴァリエール様の初陣なんですよ!?」

「私の初陣と、お前らが処女であるのに何の関係がある。この阿呆ども!!」

 

ヴァリエールは叫んだ。

ワナワナと肩を震わせながら、椅子から立ち上がり、心の底から叫んだ。

対して、ザビーネは答えた。

 

「処女のまま初陣で命を散らすのは騎士としてあまりにも虚しい。この虚しさはどこにある? 処女だから! ならば処女でなくなってしまえばいい! みんなして娼館に行って、男娼でこの処女を切って捨ててしまおう。昨日の初陣前の決起式典でそう全員で話し合い、この嘆願を決意したのです」

「……」

 

もはやヴァリエールは叫び疲れていた。

椅子に、腰を降ろす。

アレだ。

アホだ、コイツ等。

知ってた。

私なんかどうせスペアだものね。

こんな家からも見放された真正のアホ共しか、与えてくれないわよね。

どこか儚い笑顔で、ヴァリエールはそう自嘲した。

そして、小さく呟いた。

 

「……私も、処女だよ」

「おお、ならば」

 

ザビーネはそのキラキラとした、まるで星を散りばめたような眼を大きく開きながら。

叫んだ。

 

「一緒に行きましょう、娼館に!」

「行くか馬鹿者が!」

 

ヴァリエールはとうとう耐え切れず、椅子から立ち上がってザビーネの襟首を掴んだ。

そしてザビーネの首をぶんぶんと振らせ、言い聞かせる。

 

「娼館なんぞ自分の金で行け。自分の金で。な?」

「わ、我ら第二王女親衛隊の隊員たちは隊長である私を含めて、法衣貴族としては全員一代騎士の最低階位。給金など、格式に相応しい生活や従軍準備を整えますと、自分達が食っていけるだけの扶持しか貰っておりませぬ。性病にまでちゃんと気を遣った高い娼館に行く金など……」

「お前等に金が無いのは知っている。だが仮にも騎士だろう! 青い血だろう!? 各領地から宮廷に差し出された侍童を口説けとまでは言わんが、平民の男子一人を口説くくらいなんとかならんのか?」

 

ああ、声帯が切れそうだ。

ヴァリエールは胃をキリキリと痛めながら、今度は声を枯らす心配までしなければならなかった。

 

「我らは騎士! 青い血であります。青い血としては、決して平民と交わること等出来ませぬ!」

「男娼はいいのかよ!」

「男娼は職業だから良いのです!」

 

そんな割り切りはいらなかった。

欲しくは無かった。

ヴァリエールは、ザビーネの襟首から手を放し、自分の顔を両手で覆う。

もう童のように泣いてしまいたかった。

 

「じゃあ、あれよ。ほら、えっと……何だ」

 

何を言おう。

コイツ等馬鹿の癖に、変な騎士としてのプライドはあるからややっこしい。

このチンパンジーどもめ。

ヴァリエールは心中で罵りながら、きょとんとした顔のザビーネを、顔を覆った指の隙間から見やる。

そして心の底からの言葉を口に出した。

 

「もう処女のまま、初陣で全員死になさい」

 

そうしてくれれば、ヴァリエールにとっては何より有難かった。

 

「何故、そんな殺生な言葉を!?」

 

ザビーネは驚愕した。

そんな酷い言葉聞いたことが無い。

そんな面持ちであった。

いや、お前らが親衛隊となってからこの4年の間に、似たような事散々言ってきたと思うぞ私。

もう死ねよ。

死んでくれよ。

私の側近はファウストだけでもういいや。

そう決意させる程に。

この4年は、ヴァリエール第二王女を胃痛持ちにさせただけの、そんな凄惨な4年間であった。

ヴァリエールは思う。

コイツ等騎士より、ファウストの従士長のヘルガの方が絶対有能だよ?

そもそも、コイツ等って騎士教育本当にちゃんと受けたの?

教育放棄されてない?

されてるよね絶対に。

もう面倒になって、皆が皆して、第二王女親衛隊と言う名の姥捨て山に捨てたんだよね。

実は猿山で拾ってきたチンパンジーだったよとか、そんな可能性は残ってない?

ヴァリエールは親衛隊の事を、青い血として以前に人としての出自すら、もはや疑っていた。

だが、そこで立ち止まる。

 

「いや、チンパンジーの方がまだ賢い」

 

ヴァリエールは、チンパンジーの知性を信じることにした。

ウキィ、ウキィと鳴きながら私の前にひれ伏す15匹のチンパンジー。

その方が現実よりも、まだマシだった。

ああ、胃が痛い。

 

「ヴァリエール第二王女殿下、どうか、どうか我々を見放さないでください。親からも見捨てられ、家から追い出されるようにして来た身なのです。どうか!」

 

ザビーネが、ヴァリエールの足元に縋りつく。

ザビーネ達親衛隊と、ヴァリエール第二王女を繋ぐのは王家への忠誠ではない。

いらない子。

必要のない子。

そういった共感であった。

だからこそ、ヴァリエールはザビーネ達、ヒト科チンパンジー属を見捨てないでいた。

だが、もう限界だ。

しかし――そもそもコイツ等、何か勘違いしてないか?

初陣とはいっても、相手はただの山賊だぞ。

私はザビーネに言い聞かせるように口を開く。

 

「そもそも、初陣で死を考える必要はない。補佐してくれるのは第二王女相談役、ファウストだ。100を超える山賊たちの首を刎ね、ヴィレンドルフ戦では蛮族のレッケンベル騎士団長を討ち取った、我が国最強の騎士ではないかとも噂される『憤怒の騎士』だぞ!」

 

そう、ヴァリエール第二王女相談役。

『憤怒の騎士』、ファウスト・フォン・ポリドロ。

あの男が傍にいる限り、ヴァリエールは死ぬ可能性などハナから考えてもいない。

リーゼンロッテ女王や、アナスタシア第一王女ですら考慮に入れていないであろう。

 

「死ぬ可能性を考える暇があるなら、剣の腕でも磨いておきなさい!」

「そうだ、ポリドロ卿がおられましたな!」

 

ぽん、とザビーネは今思いだした、といった風情で手を叩く。

あ、絶対ろくでもない事言いだすぞ、このチンパンジー。

私には判るのだ。

この4年間の経験で。

そうヴァリエールは考えた。

 

「ポリドロ卿に我ら15人の処女の相手をしてもらいましょう。ヴァリエール様もどうで――」

 

そうして、無言で傍に置いてあった花瓶をザビーネの頭に打ち付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ、親衛隊隊長ザビーネ殿は怪我を」

「重症よ。頭の重症」

 

アンハルト王国、王宮。

ヴァリエール第二王女専用に与えられた居室にて、ファウストはポリポリと頭を掻いた。

 

「初陣の打ち合わせをしたかったのではありますが――頭を強く打たれたのでは仕方ありませんね。初陣には間に合うのですか?」

「間に合わせる。だけど今はマトモな話し合いはできないわ。初陣の打ち合わせは私達だけで済ませましょう」

「承知しました」

 

私は頭を下げて礼をし、従士長のヘルガが引いた椅子に座る。

そうして、テーブルに載ったアンハルト王国内の地図を見る。

 

「場所はアンハルト直轄領、その領民100程度の小さな村に派遣した代官の報告によれば、山賊の数は30」

「30相手ならば、私の領民の20と親衛隊の15でなんとかなりそうですね。正直、安全を考えれば敵の倍数は欲しいところでありますが」

「姉さまの指揮下とはいえ、倍数のヴィレンドルフを撃退したファウストがそれを言うの?」

 

ポリポリと。

私はまた頭を掻きながら、呟く。

あの戦はまさに死地であった。

レッケンベル騎士団長を討ち取らなければ、そのまま負けていたであろう。

正直、二度と経験などしたくない。

私は首をぶんと振り、過去を忘れ、話を元に戻す。

 

「この世に必勝など有り得ませんからね。出来れば、領民を領地より呼び寄せたいのですが――」

「すでに村周辺をうろついて、旅芸人や商人を襲っているという話。その時間は無いわ」

「なら、致し方ありませんね」

 

私は領民の更なる動員を断念した。

何、この世というのはままならない事ばかりだ。

それに正直言えば、山賊の30程度なら一人ですら、なんとかできる自信が私には有った。

『憤怒の騎士』という二つ名はその名づけの理由が理由ゆえ――実際は勃起が痛くて顔を赤く染めてただけ。

とにかく恥ずかしい二つ名なのだが、自分の騎士としての戦闘技量がもはや超人の段階に入っている事も自覚していた。

 

「では出立は三日後という事で」

「ええ、兵糧の準備も終わった。水の確保も、地図の道沿い通りに行けば問題無いわ」

「我が領民は軍役に慣れてはいるものの、徒歩のため、進行に遅れが出る可能性がある事をご了承ください」

「……恥ずかしながら、我が親衛隊も全員徒歩よ。馬何て用意するお金が無いの。馬に乗るのは私とファウストだけね」

 

ヴァリエール第二王女が顔を赤らめながら言う。

私は苦笑いした。

貴族とはいっても下の方、最低階位の窮乏具合は知っている。

何も恥ずかしがる必要はない。

馬を全員持っている、第一王女親衛隊の方がむしろ異様なのだ。

それに――

 

「久々に、第二王女親衛隊の方々と御会いするのが楽しみです」

 

私は、2年前に一度会ったきりの少女たち。

まだ幼いとすら感じた少女たちが、18歳という嫁にも娶れる年齢になっている事に胸を膨らませた。

私が狙える、数少ない嫁候補の女性たち。

 

「え、ええ、そうね。ちゃんと、ちゃんとファウストの前ではキチンとさせるからね」

 

何故か、ヴァリエール第二王女は手で胃を押さえながら、私の言葉に答えた。



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第9話 初陣における心構え

「やっぱり駄目だったよ!」

 

第二王女親衛隊隊長、ザビーネはさも残念そうな声で叫んだ。

親衛隊員の一人は答えた。

 

「いや、そりゃまあそうでしょうね」

 

納得できる回答であった。

よしんば、ヴァリエール様が了承したとしても、財務官僚が歳費をこの理由で、娼館に通う費用と言う理由で通すはずがない。

ハナから期待していなかった。

それでも止めなかったのは、もしかしたら……という希望であった。

未だ18歳にして処女たちの希望であった。

もしかしたらを期待してしまった。

それは罪なのだろうか。

 

「だが、代わりにいいことを聞いたぞ。いや、思いだしたというべきか。ポリドロ卿だ!」

「ポリドロ卿?」

 

第二王女相談役。

曰く、ヴィレンドルフ戦役における騎士個人としての最高武功を成した男。

アスターテ公すら詰みだ、と諦めかけた場面で、戦況を個人武勇で覆した男。

この国、唯一の男性騎士。

 

「ポリドロ卿がどうしたんですか?」

「判ってないな、お前等。ポリドロ卿だぞ、神聖童貞だぞ、領主騎士だぞ」

「はあ」

 

言わんとする事がわからない。

この第二王女親衛隊行きつけの安酒場には、15人全員が揃っていた。

せめて初陣前に酒を飲もうと、それぞれ財布の底を漁って銅貨を銀貨に変えて、酒樽を一つ買い切って。

この安酒場を15人で占拠していた。

 

「このアンハルト王国、ひょっとすれば最強の騎士かもしれない男だぞ」

「知ってます」

 

耳にタコが出来る程、吟遊詩人から英傑歌を聞いたわ。

ヴィレンドルフ戦役において、若かりしアスターテ公がヴィレンドルフ相手に唯一犯した戦術面での失態。

一時的な後方地域の崩壊。

より詳しく言えば、戦略拠点であるアナスタシア第一王女の拠点が蛮族の斥候に発見され、静かに浸透してきた30の精鋭による拠点への攻撃。

それによる通信機――魔法の水晶玉の一時的な不通。

水晶玉から響くのは剣戟の音と、死者の絶叫のみ。

まさかアナスタシア第一王女が殺されたのかと、アスターテ公の動揺が指揮下の常備兵に伝わってしまい、部隊は士気崩壊を起こし混乱した。

その動揺を狙い撃つかのようにして、倍数のヴィレンドルフ兵がアスターテ公指揮下の軍を包囲。

その最中、唯一状況を理解したポリドロ卿は、死地から脱出するため僅か領民20名ばかりを率いて50名の騎士団相手に突貫。

道を塞いだ雑兵を自ら剣で薙ぎ払い、騎士9名を打ち破り、蛮族の前線指揮官であった――レッケンベル騎士団長を一騎討ちにて討ち取り、その首を奪い取らず丁重にその場で返却し。

「強き女であった。私はこの戦いを生涯忘れないであろう」という言葉と共に、顔を真っ赤に染めた憤怒の表情で、硬直する敵兵達を無視して自陣に帰還してきた。

前線指揮官が倒れ、蛮族は一時的に硬直、停滞する戦場。

その間に、拠点にて敵を撃退したアナスタシア第一王女との通信は回復し、アスターテ公爵指揮下の常備兵達は士気を取り戻した。

絶対不利の戦況を、その個人の武勇によって覆した男。

そりゃ英傑歌にもなるわ。

そもそも男性騎士と言うのが、吟遊詩人にとって最高の題材すぎる。

 

「でもポリドロ卿は2mの身長で、筋肉質でガチムチの男じゃないですか」

 

一人の親衛隊が口を開く。

私は、余り好みじゃないなあ、の意である。

 

「でも、尻は最高峰だってアスターテ公は公言してるし。判ってないな。男はなんといっても尻だよ、尻」

 

もう一人の親衛隊が口を開く。

私は、尻派であるとの意である。

どうでもよいが、アスターテ公の発言は、本能が抑えきれず実際にポリドロ卿の尻を揉み「ああ、ポリドロ卿の尻は一度揉んだがとにかくよかった。私はもう、尻もみのことときたら、全く夢中なんだ。いよいよこんどは、地獄で尻もみをやるかな」という、怒り狂ったポリドロ卿指揮下の領民に取り囲まれながらの狂気の発言であり、それは吟遊詩人の狂歌だと世間には思われていたが――

全て事実であった。

アスターテ公はポリドロ卿に尻揉み代、謝罪金を支払う事で、地獄からは何とか逃れた。

そして話は親衛隊に戻る。

 

「男はチンコだろ、チンコ。チンコついてりゃそれでいい。もうなんでもいい」

 

更にもう一人の親衛隊が、また口を開く。

彼女は断然チンコ派であった。

つまり、猥談であった。

完全に猥談に進化――いや、退化していた。

この親衛隊はいつもそうだ。

口を開けば猥談ばかり、暇さえあれば訓練所にて剣や槍を振り回している。

脳味噌筋肉であった。

チンパンジーであったのだ。

いや、その表現はチンパンジーに失礼とさえ言えよう。

だが、ザビーネ達親衛隊はそんな世間の評価を一顧だにしなかった。

誇り高いのではない。

ただの恥知らずであった。

 

「もう一度言う、お前等。ポリドロ卿だぞ、神聖童貞だぞ、領主騎士だぞ」

「だから、それがどうかしたのですか?」

 

今まで黙っていた親衛隊の一人が口を開いた。

だから、何が言いたいのか。

それを問う言葉であった。

 

「ポリドロ卿の嫁になれば――この貧乏生活から逃げ出せる」

 

シン、と安酒場が静まり返った。

親衛隊の15人が口を噤んでいた。

そして、それぞれ勝手な思惑を考えていた。

妄想である。

それは、紛れもなく妄想であった。

一代騎士の最低階位の自分が、領主騎士に成れる!

童貞の夫が、手に入る。

それは、自分達にとって夢のまた夢のような話だ。

 

「諸君、私達はわずかに15人。最低階位の一代騎士にすぎない!」

 

だん、と親衛隊隊長であるザビーネが、テーブルを叩く。

テーブルの載ってるエールが僅かに漏れた。

 

「しかし、しかしだ。諸君らは性欲に燃える、自分が一騎当千だったらいいなあと妄想する戦争処女だと私は知っている」

 

あ、エールが勿体ない。

ザビーネはそんな感じで、テーブルにこぼれたエールを舐めようとしながらも。

――自分はこれでも青い血なんだぞ、とそれを止め。

次にテーブルを叩いた時にはエールが漏れないよう、それをグビリと飲み干す。

 

「げぷ」

 

ザビーネはゲップをした。

一気飲みの代償であった。

ゲップを吐き終え、ザビーネはまた喋り出す。

 

「ならば、我ら15人は敵同士。もはやこの場で憎み合う相手となる!」

 

ポリドロ卿の嫁になれるのはただ一人。

当然、我ら親衛隊15人はもはや敵同士であった。

死んでくれ、かつて我が友であった女よ。

お互いに睨み合う。

 

「だがしかし! だがしかしだ! もう一つ手がないでもない」

 

ザビーネは親衛隊を落ち着かせるように次の言葉を吐き、そして提案する。

 

「今からポリドロ卿の所に行って、処女捨てさせてくださいと、全員で土下座してお願いしよう。そうすれば初陣前に処女を捨てる願いだけは叶うかもしれないよ」

「それは嫌です」

 

ある親衛隊員の一人が返した言葉。

それはザビーネを除いた、全員の総意であった。

何だかんだ言ってクソ甘いヴァリエール第二王女殿下に、今度こそ確定でブチ殺されるもの。

そんな総意であった。

ともあれ、初陣である。

初陣では、我らがヴァリエール第二王女殿下と、将来の夫(妄想)であるポリドロ卿にいいところを見せなければならない。

だから、一時的に猫を被っている事にしよう。

出来るかどうかはわからないが。

正直、自分でも自信はないが。

いや、本来の自分の方がポリドロ卿はひょっとして好みなのではないかな。

そんな身勝手な妄想を抱きながら――

15人の第二王女親衛隊は、宴会を御開きにし、安酒場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は姉上が、大の苦手である。

その美貌に相反するような、蛇の、爬虫類じみたその目の眼光が、私を射抜くと動けなくなるのだ。

というか、誰だってそうじゃないのかな。

あのファウストですら、姉上の事は苦手そうにしていた。

 

「ヴァリエール」

 

姉上である、アナスタシア第一王女が口を開く。

 

「何ですか、姉さま」

 

私は、その視線を合わせないようにして答えた。

何故か、私は姉上の――第一王女専用の居室に呼ばれて、長椅子に黙って座っていた。

まさか、いきなり殺されはしないだろう。

殺すなら、もっと前にやっている。

そんな事を考えながら、ヴァリエールはやはりビクビクとした自分の心境を抑えきれないでいた。

 

「今から初陣における心構えを教えます。よくお聞きなさい」

「はい」

 

初陣の心構え?

まさか、姉上が妹に親切心を出した。

いいや、まさかな。

私は子供の頃、何時も姉上の視線に怯えながら、父上の影に隠れて逃げ回っていた。

今思いだせば、それが余計に姉上の怒りを買っていたのであろう。

その事実に気づいたのは、父上が亡くなり姉妹の会話が少なくなってからの話であるが。

 

「戦場では何が起こるか判りません。事前に得た情報に齟齬が生じ、ほんの数時間後には間違っている事があります。後方の安全圏にいると思いきや、突如として敵の精鋭が襲い掛かってくることがあります。――そして」

 

姉上が、目を閉じながら、何かを想いだすように呟く。

 

「自分にとっての愛する人間が、死ぬことすら平然と起きます」

「……」

 

私は沈黙する。

姉上が、愛する人を亡くした?

姉上が愛する人など、この世に我が父一人ぐらいのものだと思っていたのだが。

 

「ヴァリエール、貴女、私の感情が木や石で出来ていると思っているのですか? 父上以外にも愛する人などおります」

 

心中をあっさり見抜かれた。

だから嫌なのだ、姉上と話すのは。

私はオドオドとしながら、姉上に質問する。

 

「姉さまは―、愛する者を戦場で失ったことが?」

「ヴィレンドルフ戦役。そこで、本陣に敵の浸透してきた30の精鋭が押し寄せ、才能ある親衛隊30の内、10名をも失いました。全て、私に忠誠を誓う貴重な人員でした。……使える人材であったのに」

 

いや、それを愛する人と言うのか。

姉上の発言からは、情と言う物がやはり感じ取れない。

本当に愛する人とそれを言うのか?

私は疑問に思いながらも、初陣経験者の貴重な体験談だ。

ファウストからも聴けたが、アイツ初陣から「敵山賊30名の内、20名を自分で斬って捨てました」とか殆ど英傑談のようで参考になんない。

後は山賊と繋がっているらしき怪しい村の村長を拷問して、口を割らせる方法とか。

いや、それは今回使うかもしれないが、そんな知識欲しくはなかった。

ファウストは、真面目で朴訥ではあるが、どこか少しズレている。

 

「まあ、補充はヴィレンドルフ戦役の後の、この二年の間に行えましたので良いのですが」

 

そんな私の思考を無視して、姉上の言葉は続く。

やはり情は感じられない。

姉上は、父上以外の人を本気で愛したことなどあるのだろうか。

良く判らない。

今は自分の相談役のファウストに眼を付けているようだが、それは私と違って――父と似た、面影。

それを求めてのものでは、きっとない。

やはり、我が王国最強騎士である「憤怒の騎士」を指揮下に置きたいからであろう。

そう思う。

 

「ヴァリエール」

 

名を呼ばれる。

 

「貴女は、愛する者が目の前で死にゆく状況下でも、冷静に対処することができますか?」

「……」

 

それは姉上の視線と相まって、まるで詰問のようであった。

私にとって愛する者?

それは一体誰であろう。

チンパンジーたち、第二王女親衛隊か。

それともファウスト・フォン・ポリドロの事か。

判らない。

私には、姉上が何を言いたいのかよく判らなかった。

 

「――私の初陣における心構えの教練は以上です」

「え」

 

もう終わりなのか。

僅か数分で終わった気がするのだが。

私は呆気にとられながら、姉さまの顔を見る。

相変わらず、目が怖い人だった。

 

「ヴァリエール。ここから出ていきなさい。自分の居室に戻りなさい」

「はい」

 

視線を合わせてしまった私は、黙って頷くことしかできなかった。



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第10話 初陣式

「あの子に、初陣における心構えを教えたそうですね」

 

私はカップの中の紅茶から唇を離した後、アナスタシアに話しかける。

ここは王宮の庭先のガーデンテーブル。

目の前には我が娘であるアナスタシアが、いつもの蛇の眼光で私を見据えながら、同じく紅茶を喫していた。

 

「どこからその話を? 母上」

「ヴァリエール本人からですよ。先日初陣に出る前に話しかけたところ、そのような事を」

 

紅茶に口をつける。

そしてそのまま口に含んで、一口分飲み干した後に。

再度、口を開く。

 

「私達の会話から侍童にそれが漏れて、法衣貴族の間では話題になっていますよ。あのアナスタシア第一王女にも、妹にかける情があったのかと」

「失礼な。情はあります」

 

アナスタシアは、いつもの鉄面皮で吐き捨てた。

 

「もっとも、自分でもなんでこのような事をしたのかは判りませんが。私はあの子が嫌いです」

「あら」

 

アナスタシアが、自分の心の内を、その好悪を率直に述べるのは珍しい。

少し、感情的になっているのであろうか。

 

「子供の頃は、いつも私に怯えて父上の影に隠れてばかり。父上が亡くなってからも、いつも私の顔色を窺ってオドオドして。ハッキリ言います。嫌いです」

 

我が娘、ヴァリエールは凡人に育った。

まるで、先に産まれたアナスタシアに才能の全てを奪われたかのようにして。

あの子がもはやスペアとしても相応しくないと、私が女王としての立場からあの子を見限ったのは、あの子が10歳の頃の話である。

アナスタシアのもしもの事があった時――つまり死んでしまった時は、第三王位継承者であるアスターテ公爵にこのアンハルト王国を継いでもらおう。

そう考えてすらいた。

アナスタシアが16歳まで立派に育った今となっては、もはや無用の心配となりつつあるが。

 

「そういえば、あの子はよく幼い頃ベッドに潜り込んで来たわね。懐かしいわ。夫にしがみ付くようにして眠っていた」

 

おかげで、今は亡き夫との夜の営みが、あの子が生まれてからというもの少し減った。

――少し、恨んでいる。

もっとも、あの人が毒殺されるような事がなければ、恨みに思うような事など無かったろうが。

未だに犯人は見つからない。

どうしても、諦めきれないでいるのだが、調査にも人員と費用がかかる。

そろそろ、諦め時か。

憂鬱な溜息をつく。

そして、また口を開く。

 

「貴女、ヴァリエールの事を本当に嫌っているのね」

 

アナスタシアが、私の言葉に回答する。

 

「……さすがに死んで欲しいとまでは思っていません。あれでも父の子です」

 

アナスタシアには、複雑な心境があるようだ。

それはヴァリエールを可愛がっていた亡き夫に対する義理ゆえなのか、それとも妹への家族愛なのか。

それは私にもわからない。

わからない事を、情けない――とは思わない。

私は母親である前に、選帝侯たるアンハルト王国のリーゼンロッテ女王である。

為政者として、統治者として必要な物は情ではない。

むしろ、情への理解は時として邪魔にすらなり得る。

ヴァリエールは能力も平凡ながら、それ以上に情があり過ぎた。

あの子をスペアとして見限ったのも、悪いとは思わない。

私が判断を誤る事は、臣民に対する裏切りである。

限りなく強く、誰よりも賢くならねばならない。

まあ、それはよい。

話を少し変えることにしよう。

この国の未来の事だ。

 

「……吟遊詩人。吟遊ギルドに戦略ではアナスタシア、戦術ならばアスターテ、そう謳わせたのはよかった。これで、自然と序列が決まった」

「あれは、母上の仕業でしたか」

 

吟遊ギルドに金を握らせて、そう謳わせた。

国家中枢を将来担うのはアナスタシア第一王女であり、アスターテ公爵はその手足となって見事に働く者であると。

それが各々が持つ能力からして、正しい姿であると。

そういう風に、国内世論を誘導した。

このアンハルト王国には第二王女派閥が無い代わりに、かつて公爵派閥とも言うべきものが存在した。

アナスタシア第一王女より、アスターテ公爵を王にと言う声は公爵領からも、公爵が抱える強力な常備兵に世話になっている地方領主達からも挙がっていた。

ヴィレンドルフ戦役前には、確かに存在した派閥。

今、それはもう無い。

ヴィレンドルフ戦役後には、完全に第一王女派閥として吸収されていった。

もっとも、それはアスターテ公爵自身が王位など別に望んでいない事が、大きく影響していたが。

それでもきっと――もし、ヴァリエールが王位に就いたとしたら。

 

「ねえ、アナスタシア。仮にヴァリエールが貴方の代わりに王位の座に就いたとして、アスターテは従うと思う?」

「思いません。おそらく国のため公爵領のため、趣味に合わないとブツブツ呟き、嫌々ながらも王位を簒奪するでしょう。ヴァリエールでは勝負にすらならないと思います」

 

そうよねえ。

私は自分の考えをアナスタシアに肯定され、やはり自分の判断は間違いでは無いと納得する。

アスターテ公爵は、ハッキリ言ってヴァリエールの事を見下してすらいる。

嫌いなのだ、凡才が。

逆に、例えばファウスト・フォン・ポリドロのように、星のように煌く才能の持ち主への、嫉妬の欠片すらない好意は、私でも理解できないものが有る。

事実、王位を争うべきアナスタシアへ、アスターテ公爵は好意を昔から寄せていた。

第一王女相談役になるのも、彼女自身から言いだした事だ。

自由人なのだ、要は。

アスターテ公爵の事を一言で表すと、誰もがそうなる。

爵位やしがらみから少し外れたところで、自分が思うがままに自由に生きているのだ。

少し、羨ましく思う。

私も自由になりたいときがある。

――ファウスト・フォン・ポリドロ。

時々、今は亡き我が夫の生まれ変わりではないかと錯覚する時すらある。

事実、ヴァリエールが自分の相談役を見つけたと、ファウストを王宮に連れて来た時は思わず錯覚してしまった。

年齢的に、そんなはずはないのに。

欲しい。

あの男が、ただ欲しい。

 

「……」

 

冷めてしまった紅茶を、最後まで飲み干す。

それは私のゆだった頭を静めてくれた。

手に入るはずもない。

我が娘、アナスタシアがあの男に執着している。

亡き夫の影を、私と同じように見たのか、純粋に愛しているのか。

それは知る由も無いが。

 

「アナスタシア」

 

名を呼ぶ。

 

「はい」

 

それに応じて、アナスタシアがその蛇のような視線を、私と合わせた。

 

「ヴァリエールが初陣から帰ってきたら――貴方にいつ女王の座を譲るべきか、そろそろ決めましょう。おそらくは夫を取るのと同時のタイミングになります。貴女が欲しいのは、ファウスト・フォン・ポリドロ? 正式な夫としては認められないわよ」

「はい。正式な夫とするのは諦めております。そして、どうやらアスターテと共有することになりそうですが」

 

アナスタシアは、私の言葉を当然の事であるかのように応じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見送り一つ無し、か……」

 

姉上の、アナスタシア第一王女の初陣では王都中の住民達が溢れかえらんばかりで、第一王女とそれに従う親衛隊たちを見送ったというのに。

それは無い。

まるでこっそり、隠れているかのように誰の見送りも無しに、私は王都から初陣へと旅立った。

まあ、蛮族ヴィレンドルフ相手の大戦とは違う。

ただの山賊退治で住民の見送りがあるはずもない。

そして、我が親衛隊15名は家に見放されたものばかりだ。

家族の見送りが無い。

ゆえに、見送りが一切無いのも当然である。

 

「リーゼンロッテ女王とは初陣前に会話したのでしょう? アナスタシア第一王女から初陣の心構えを教えて頂いたとも聞きます」

 

慰めるように、私の横で座るファウストが呟く。

母上とは、日常でする、ただの会話だ。

初陣への激励一つ貰っていない。

姉上とは――正直言ってよく分からない。

姉上の会話は、あまりにも端的すぎるのだ。

最後にはまるで会話するのが面倒臭くなったかのように、話を打ち切られてしまった。

だが、ファウストを失望させたくはない。

 

「ええ、そうね」

 

私は自分の顔を、心とは裏腹に笑わせた。

それにしても、だ。

 

「ポリドロ卿の領民より足が遅いってどういう事よ、ザビーネ!」

「装備が重たいんですよ! チェインメイルが特に!」

「チェインメイルなら、ポリドロ卿の従士達も装備してるでしょーが!」

 

我が親衛隊長、ザビーネの言い訳を一言で切って捨てる。

遅いのだ。本当に遅いのだ。

今は予定にすらない休憩中で、ザビーネ達親衛隊は地面にへたり込んでいる。

お前等脳味噌筋肉だろう?

いつもの元気の良さはどうした。

お前等チンパンジーから元気を奪えば、もはや何もそこには残らないぞ。

無だ。

無がそこにあるだけだ。

 

「行軍は、慣れですから。初陣のザビーネ様達が疲れるのは無理もないと思います。何、行軍中に慣れます」

 

ポリドロ領従士長のヘルガが、慰めるように声をかけてきた。

情けない。

本当に情けない。

顔が真っ赤に染まりそうになる。

 

「まあ、初陣ですから」

 

ファウストの慰めの言葉が、虚しく聞こえた。

初陣で20名を斬り捨てた男に言われても、何の慰めにもならない。

全く、もう。

とはいえ、馬に乗っている私も軽く疲れていた。

王都から出たのは、産まれて初めてだ。

それがこんなにも緊張感をもたらすとは。

道行く中にそびえたつ木々に、盗賊が潜んでやしないか。

突然、迷い込んだ熊が襲ってきやしないか。

そんな事ばかり考えている。

臆病なのだ、生まれつき。

子供の頃から、あの恐るべき姉上と、向き合うことすらできなかった。

いつも父上の影に隠れて、そのズボンの裾を掴んで、姉上の視線から逃れていた。

父上が好きだった。

私はファウストの顔を見る。

 

「……? ヴァリエール様?」

 

ファウストが訝し気な声を挙げる。

それを無視して、ファウストの顔を私は見つめる。

落ち着く。

我が父上を想いださせ、落ち着くのだ、ファウストの顔は。

自分の、永遠に失われた幼少時代を思い起こさせる。

――父上の毒殺とともに、永遠に失われた幼少時代を。

うん。

何故、父上は亡くなってしまったのであろう。

何故だ。

誰に殺された。

父上は、誰からも愛された人であった。

法衣貴族にすら、その容貌を揶揄する人はいても、心の底では親しまれていた。

何故だ。

母上が、リーゼンロッテ女王が半ば発狂しながらも、人員、費用問わず探し出そうとしても見つからなかった犯人と原因が、今更見つかるはずもない。

心の底から残念だ。

父上の仇ならば――私ですら、悪鬼になれたかもしれないのに。

そう思う。

この臆病な薄皮一枚を破れたかもしれない。

この、どうしようもない、幼少の頃から張り付いた、臆病な薄皮を。

 

「ヴァリエール様、どうかされましたか」

 

ファウストの言葉に、気を取り直す。

亡き父上の事は仕方ない。

もう諦めてはいる。

そろそろ母上は犯人の捜索を、打ち切るだろう。

冷静になった母上なら、きっとそうする。

凡人の自分でも、それぐらいの事は理解できた。

 

「なんでもない、なんでもないんだよ、ファウスト」

 

世の中は、思うとおりに進まない。

産まれた時から知っている事だ。

この、アナスタシア第一王女に才能の全てを奪われたのではないか、と法衣貴族に揶揄される凡人の私にとっては、生まれた時から知るべきだったことだ。

だが、この張り付いた臆病な薄皮一枚を剥がす事だけは、死ぬまでにしておきたかった。

もし、この初陣が上手くいくのであれば――剥がす事が出来るのだろうか。

ヴァリエールはそんな事を考えながら、身体を少し休めるべく、静かに目を閉じた。



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第11話 初陣失敗?

アホや、コイツら。

ファウスト・フォン・ポリドロは、第二王女親衛隊をやや蔑んだ目で見ていた。

リーゼンロッテ女王による、スペアに対するミソッカスの廃棄場所。

かつて自分でも口にしたように、第二王女親衛隊はそういう奴等なんだと認識していた。

まさか、それ以上に酷いとは思わなかった。

 

「人から聞いた話では! ヴィレンドルフのチンコは特大チンコ! うん、よし! 感じよし! 具合よし!」

 

猥歌である。

第二王女親衛隊15名は、行軍初日でへたりこんでいた元気の無い様子とは打って変わった元気ハツラツの様子である。

コイツ等、行軍に三日で慣れやがった。

私とて最初の初陣での行軍中は、領地から初めて出た気疲れで、動きに精彩を欠いたものだが。

コイツ等、たったの三日で行軍に慣れやがった。

最初だけ躓いただけなのか、それとも精神がどっかイカれてるのかは知らんが。

なんにせよ、繰り返すようだが、第二王女親衛隊は行軍に慣れた。

ヴィレンドルフ戦役にて、騎士団50名に特攻した際、ずっと私のケツに誰一人欠けずついてきた我が領民20名の古強者たち。

その行軍ペースに合わせて行動してくれている。

それはいい。

それは、とてもいい事なんだが。

 

「すべてよし! 味、よし! すげえよし! お前に良し! 私に良し!」

 

親衛隊15名全員による猥歌である。

これには私も閉口した。

行軍中に歌を歌うのは、まだいい。

なんで猥歌やねん。

 

「ザビーネ、その歌を今すぐ止めなさい……」

 

ヴァリエール様は、心の底からウンザリした様子で呟いた。

最前方で歌を歌っていたザビーネ親衛隊長が振り返り、第二王女に言葉を返す。

 

「ヴァリエール様。お言葉ではありますが、行軍中に歌う事は、遥か古代から兵に与えられた権利でありますがゆえに」

 

自信満々の顔で答えた。

アホやコイツ。

そもそも、お前等は一般兵と違うだろ。

一代騎士の最低階位とはいえ、青い血で騎士だろ。

 

「貴女達、兵であるまえに騎士でしょうが。そもそも……ファウストの前でだけは、止めて」

 

ヴァリエール様が私の顔色を伺いながら、嘆くように呟く。

猥歌はピタリと止んだ。

今更、私が、男性騎士が居ることを思い出したのかよ。

 

「あれ、でもファウスト。顔を赤らめてないわね。セクハラに弱いって聞いたけど」

 

ヴァリエール様が、私の顔色を窺いながら呟く。

確かに、世間での私は、アスターテ公爵のセクハラに顔を赤らめる純情な男だと認識されているらしい。

実際はアスターテ公爵の激しいボディタッチ――爆乳を身体に押し付けられた際、勃起したチンコが貞操帯に当たって痛くなって、顔を赤らめているだけだが。

だが、こんな酷い猥歌で顔を赤らめる理由がどこにある。

 

「セクハラと言いますか、なんというか残念具合に声も出ません」

 

正直に、心中の言葉を返す。

 

「御免なさいね、ほんと御免なさいね」

 

第二王女としての立場の違いを無視するようにして、ヴァリエール様は頭をこちらに下げてきた。

いや、貴女は悪くない。

このアホどもが悪いのだ。

私はため息をつく。

 

「ポリドロ卿、失礼しました。では別の歌を……英傑歌なんてどうでしょう」

「それも止めておきましょう。そろそろ目的地に近い」

 

私はザビーネ殿が再度歌いだそうとするのを、止める。

もうすぐ目的の村だ。

 

「敵は――山賊は、村周辺をうろついて、旅芸人や商人を襲っているという話です。これより先は、襲いかかってくる可能性があります。皆さん、警戒を」

 

私は全員に臨戦態勢を命じる。

あと2時間もしない内に、村につく予定である。

私は従士長たるヘルガを呼び寄せ、ヘルガを含めた従士5名にクロスボウの準備をさせる。

私の領地が所有しているクロスボウ5本は、アンハルト王国で広く用いられる滑車で弦を引く方式のものである。

全て、15歳から20歳までの軍役中に敵の所有物から奪い取ったものだ。

敵に用いられた時は脅威であったが、使ってみればこんな便利な物はない。

上手く当たれば、騎士ですら一撃で殺せる。

相手が弓矢を剣で弾き落とす、超人の類でなければだが。

つまり、アナスタシア第一王女や、アスターテ公爵や、私がかつて破ったレッケンベル騎士団長のような。

そして、私のような。

 

「クロスボウの準備が出来たら、村に向けて行軍を再開します」

 

敵数は報告によれば山賊30名。

いつもの軍役と変わらない。

恐らく逃げる山賊たちのケツを追い回すには手間を取らされるだろうが、殺すだけなら楽な作業だ。

まずクロスボウを打ち込んで鼻っ柱をへし折った後、全員斬殺してやる。

今回は初陣であるヴァリエール第二王女、そしてその指揮下の親衛隊に花を持たせなければならないのが面倒だが。

何、行軍の様子を見る限りでは実力は本物のようだ。

山賊程度なら、キルスコアを稼がせてあげられるだろう。

ヴァリエール第二王女にも、捕縛した山賊の首一つくらいは刎ねてもらおうか。

そんな事を私は考えていた――正直、油断していた。

クロスボウの準備を終え、村へと向かう最中。

魔法の眼鏡。

いわゆる双眼鏡。

今回の初陣に際して、王家に申請して借り受けていたそれをヘルガが使いながら、私に対し報告を挙げた。

 

「村が、荒らされている様子があります。いくつか死体も」

 

私は舌打ちをし、荒くれ者とはいえ、たかだか30名の山賊に、王国から派遣された代官に率いられた100名の村人が負けた理由。

それを頭の中で探し始めた。

ともあれ、急ごう。

警戒は緩めないように。

私は全員に、ヘルガの報告を告げた後、更なる警戒を呼び掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな村の、小さな代官屋敷にて。

ヴァリエール様は声を荒げた。

 

「山賊の数が100名を超えているだと。いや、そもそも正確には山賊ですら無いだと! 全く報告と違うではないか!」

「誠に、誠に申し訳ありません」

 

ヴァリエール様の悲鳴のような叫び声。

名と身分を名乗ったヴァリエール第二王女に膝を折り、礼を整えながら代官が謝罪する。

王国から村に派遣されている代官は、腕に重傷を負っていた。

いや、そもそもコイツ何故まだ生きている。

私は疑問をそのまま口に出す。

 

「それは本当の事か? 村が襲われ、死者多数。僅かな財貨、そして男や少年達は全て奪い去られた。この状況で、先頭に立って抵抗を指揮していたはずのお前が何故まだ生きている。その時点で信用ならん」

「貴方は?」

「ファウスト・フォン・ポリドロ」

「……貴方が、あの憤怒の騎士」

 

短く自己紹介。

そして私は横合いから、詰問を続ける。

 

「もう一度聞こう。何故お前は生きている」

「恥ずかしながら、正直に申し上げます。敵のクロスボウで腕を撃ち抜かれ、その後地面に馬から落ちた際に頭を強く打ち、そのまま気絶しておりました」

 

代官が顔を赤らめながら、自分の恥を告白する。

嘘はついていないようだ。

私が軽く頷くと、ヴァリエール様が代官に話の続きを聞き始めた。

 

「……何故、最初の報告と違った。最初の報告では山賊が僅か30名。村周辺をうろつき、旅芸人や商人を襲っているから助けてくれとの報告であった」

「状況が変化した後、再度報告に村人を走らせました。その様子では――」

「届いていない。今頃、報告を受け取った王城では大騒ぎだろう。だが我らは事情が分からん。詳しく話せ」

 

ヴァリエール様が、頭を抱えながらも質問を続ける。

正直言って、横で話を聞いている私も頭を抱えたい状況だぞ、これは。

 

「最初は、確かに山賊30名だったのです。しかし、その山賊団は他の軍勢に吸収されました」

「吸収? 他の軍勢?」

「近隣の、地方領主が有する1000名程度の街で家督争いがあったのです。それも従士達家臣や領民を含めた、血で血を洗うような酷い家督争いが」

 

嫌な雰囲気になってきた。

続き聞きたくない。

ヴァリエール様もそんな顔をしている。

 

「結果は順当に長女が勝ち、次女は敗れたのですが――長女が怪我を負い、混乱した状況下では、その次女の首を刎ねる暇はありませんでした。結果、次女は次女派であった従士や領民達と一緒に手にとれるだけの物を領主屋敷から奪い取って、武装した姿のまま街から逃げ出したのです」

 

ほうら、凄く嫌な話になった。

ヴァリエール様も思い切り顔をしかめている。

 

「そして次女と、その家臣たちは山賊団に遭遇。そこで何があったのか――どんな話が有ったのかまでは判りかねます。ですが、結果的に山賊団は吸収され、結果100名の軍勢が出来上がり、この村に攻め込んで来たのです」

「……何故お前はそこまで詳しい事情を知っている」

「その地方領主の長女に指示された領民が、この村に駆け込んで事情を伝えてきたのです。逃げてくれと」

 

逃げてくれじゃねえよボケ。

お前がキッチリ次女を殺しとけばこんな事態になってないだろうが。

追撃の軍を編成して、キッチリ追いかけて殺しとけよボケ。

第一、下手すりゃ村で生涯を終える様な小さな村の領民が、家を、畑を、全ての財産を置いてそう簡単に逃げられるものか。

私は心中で愚痴を吐き続ける。

 

「気づいた時には、軍勢が村に迫っておりました。私は抵抗しようと、村人を集め、男や少年たちを代官屋敷に隠し、軍勢に挑みましたが――」

「結果、敗れたと」

 

村の惨状は酷い有様だった。

まだ腐臭を放っていない女達の新鮮な死体が散乱し、幾つかの首は子供の玩具のように、地面に転がっていた。

 

「誠に、誠に申し訳ありません」

 

代官は涙を流しながら、もはや膝を折るのもやめ、地面に頭を擦り付け平伏していた。

どうしようもない。

青い血――今では青い血崩れと呼ぶべきだが、領主騎士のスペアとしての教育を受けた首領に、それに付き従う武装した従士や、恐らく軍役経験者の領民達。

それに加えて、盗賊としての経験を持つ山賊団。

しかも数の上ですら負けているのだ。

これで負けても、責められるべき点はない。

責められるべきは、次女を逃がした原因。

この最悪な事態を引き起こした地方領主の長女だ。

王宮に呼びつけられ、女王陛下に散々罵られるのは確定だろう。

小さな村とはいえ、直轄領に手を出されたのだ。

ひょっとすれば、地方領主としての地位も危ういかもしれない。

それはさておき――

 

「どうするか。私はこれからどうするべきなのか。教えてくれファウスト」

 

ヴァリエール様が、懇願する目で私を見ていた。

私の立場は第二王女相談役である。

当然、補佐しなければなるまい。

結論から言おう。

 

「敵の今後の行動を予測します。まずこの直轄領は敵国ヴィレンドルフの国境線に近い」

「というと」

「敵は100名と多数。アンハルト王国領内で成敗される前に、国外への脱出を試みる」

「あの蛮族の国に逃げ込むという事か!」

 

ヴァリエール様の口から、歯ぎしりの音がした。

 

「どうする? 兵力が足りない。援軍は来る?」

「援軍は来ます。必ず来ます」

 

恐らく、公爵領の常備兵200を現在、王都内に駐留させているアスターテ公爵が来るであろう。

アスターテ公爵の元、その強力な常備兵200を相手にすれば、いくら青い血崩れだろうとひとたまりもない。

だが。

出陣準備には時間がかかる。

今頃は大焦りでその準備中であろうが。

 

「ですがおそらく、援軍は間に合わないでしょう。この村で援軍を待つ間に、青い血崩れ達は、蛮族ヴィレンドルフの領内に逃げ込むでしょう」

 

男や少年達、それに領主屋敷から奪った財貨を運んでいるのだ。

その足は遅い。

だが、援軍が来るよりは早い。

必ず、青い血崩れ達は――ああ、面倒くさい。

 

「代官、その次女の名前は何というか判るか」

「確か、カロリーヌと」

 

カロリーヌか。

 

「カロリーヌ達がヴィレンドルフ領に逃げ込む方が、援軍到着よりも早い。その現実があります」

「つまり、私は何とすればよい」

 

ヴァリエール様が、真っ直ぐ私の目を見つめる。

この事実を伝えるのは正直辛いが。

 

「初陣は失敗です。領民20名、親衛隊15名、そして私とヴァリエール様合わせ37名で100を超えるカロリーヌ達青い血崩れを討ち取るのは不可能です。どうか追跡断念の決断を」

 

本当は、自分ならば勝ち目が無いとまでは言わない。

だが、このような不利な戦況下に我が領民を巻き込み、その命を失うのは御免だ。

ヴァリエール様とて、このような戦で親衛隊の命を失うのは本意ではないだろう。

本当に、残念ではあるが。

私は自分の考えを冷徹に、ヴァリエール様に告げた。



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第12話 ザビーネの扇動

まず私の脳裏に浮かんだのは、姉上の言葉であった。

 

「戦場では何が起こるか判りません。事前に得た情報に齟齬が生じ、ほんの数時間後には間違っている事があります」

 

姉上の、戦場での心構えにおける言葉。

あの言葉は、まさに正しかったのだ。

今、それを痛感している。

私は――ヴァリエール第二王女は、歯ぎしりしながら現実を受け止める。

そして相談役であるファウストの言葉を聞いた。

 

「初陣は失敗です。領民20名、親衛隊15名、そして私とヴァリエール様合わせ37名で100を超えるカロリーヌ達青い血崩れを討ち取るのは不可能です。どうか追跡断念の決断を」

 

初陣の失敗。

それは拙い。

お前は知らないだろうが、それは拙いのだファウスト。

お前を、姉上に奪われる。

山賊退治に失敗した場合、ファウストは私の相談役から解任する。

そして姉上アナスタシアの下に付ける。

そう母上から告げられているのだ。

私の心音が、激しく鳴る。

ここで私はお終いか。

そうさ、お終いさ。

凡人には相応しい末路だろう。

そう、心のどこかで囁く声がする。

相談役である、ファウストが反対しているのだ。

そして、その意見はどこまでも正しい。

お前はここでお終いさ。

もう一度、心の何処かが囁く。

相談役であるファウストは姉上に奪われ、私自身は、山賊相手に逃げ帰って来たと事情も良く知らぬ民衆や法衣貴族に嘲笑されることであろう。

俯き、唇を噛み締めながら、王宮を歩く自分の姿が思い浮かぶ。

だが、どうしろと言うのだ?

他に選択肢など無い。

反対するファウストや、私に付き従う親衛隊に無駄に命を散らせよとでも?

それは出来ない。

私には、出来なかった。

――そこが私の限界点。

私は、自嘲する様に笑みを浮かべた。

 

「判ったわ、ファウスト」

 

撤退を、決意する。

この小さな村の、小さな代官屋敷から出て、王都へと逃げ帰ってしまおう。

そして、アンハルト王国の第二王女、使えないスペアとして、姉上が女王の座を引き継いだ暁には僧院にでも籠ってしまおう。

そう考える。

私は代官屋敷から表に出る。

心配そうな顔をしている、ザビーネを引き連れて。

代官屋敷から出ると、そこには――生き残った、この小さな村の住人達が集まっていた。

 

「軍の方々。どうか、どうか、我が夫をカロリーヌから、あの悪鬼どもから連れ帰り下さい」

「いいえ、我が息子をどうか。あの子はまだ10歳なのです、どうか」

「どけ、私がお頼みするんだ……そこをどけ!」

 

嘆願であった。

小さな村の、小さな幸せを奪われた者たちの嘆願であった。

老若問わず、女たちが私にひれ伏して、男達を連れ戻すことを嘆願していた。

私には、それに答えることができない。

できないのだ。

ひっ、と自分の怯えるどこか、薄皮一枚被ったオドオドした臆病な姿が顔を出しそうになる。

そんなこと、無理だ。

私を頼りにしないでくれ。

頭を抱え、縮こまりたくなる。

誰か、止めてくれ。

代官やファウストが、代官屋敷から表に出てきて、騒ぎを止めようとする。

 

「止めんか、止めろ、お前等……」

 

代官の必死な叫び。

 

「……」

 

沈黙し、憐れむように、女たちを眺めるファウスト。

 

「……」

 

そして、最後に、私の背後に付き従っていた親衛隊長であるザビーネが私の前に立ちふさがり、叫んだ。

 

「ガタガタ騒ぐな! この死人共が!!」

 

人の心の底まで響くような、強烈な叫びであった。

事実、私の心には届いた。

――死人。

私にはお似合いの言葉だ。

そう心の中で、自嘲する。

 

「死人……? 死人とはどういう意味で」

 

先ほどまで、私に泣き縋っていた女の一人が声を挙げる。

 

「死人は死人だ。他に何と言い様が有る」

 

不思議そうにザビーネは答えた。

ザビーネは何を言っているのか?

私にもよく理解できない。

 

「お前等、何故まだ生きたフリをしている。何故、あそこに転がっている死体と同じように死んでいない」

 

ザビーネは、村の中に転がる死体に指をさす。

その死体は酷く身体中を殴られ、首を刎ねられ、哀れな亡骸を晒していた。

 

「あの女は――彼女は、最後まで息子を取られまいと抗ったのございます」

「ならばこそ! お前等は何故抗っていない! 何故生き恥を晒している!!」

 

ザビーネの激昂。

ザビーネがここまで怒るのは、初めて見た。

 

「縋るな! 我が殿下に縋るな!! 何もしてない死人共が、我が殿下の足元に縋るな!!」

 

もはや悲鳴のようにまで聞こえる、ザビーネの絶叫。

それは私の心の奥底にまで伝わるようであった。

 

「お前等は死人だ! 最後まで抗わなかった死人が、我が殿下に縋るな!」

「私達が何の罪を犯したと――軍は、私達を守ってくれないのでありますか!?」

 

女たちの悲鳴のような声。

その言葉は正しい。

私達は、彼女達を守るためにここに来た。

 

「守る! 必ず、攫われた男や少年達は我が殿下が救い出す!! いや、助け出したい!!」

 

ザビーネ!?

顔が思わず驚愕の表情に変わりそうになる。

それを、なんとか止めて、ファウストの手を引く。

ザビーネを止めてくれ。

だが、ファウストはそれに応じず、ザビーネの言葉に耳を傾けていた。

 

「だが足りん! 我が軍では、本当に恥ずかしながら力が足りんのだ!!」

 

ザビーネは一体何を言おうとしているのだろうか。

私にはもはや判断がつかない。

 

「嗚呼……せめて、我が軍に力を貸そうという民兵がいれば。自分の夫を、自分の息子を、助け出そうという勇気のある者が居れば。力を貸してくれたら、助け出せたかもしれないのだが」

 

ザビーネはそう呟きながら、指をさす。

指さしたのは、村中に転がる酷く身体中を殴られ、首を刎ねられた。

哀れな亡骸達であった。

 

「お前等死人ではなく! あの勇気ある女のようにな!!」

 

ザビーネは、言いたいことは全て言い終えた。

そういった表情で一つ息を吸い、まるで演説のようであったその発言を終えた。

――女たちは、憤った。

 

「我々は、死人などではない! だが、どうやって抗えたというのです。私達には武器も何も……」

 

言い訳である。

ザビーネはそう斬り捨てたかのように鼻で音を鳴らし、発言を再開した。

 

「農具がある。鍬で頭を殴れば人は死ぬ。ピッチフォークで腹を刺せば人は死ぬ。事実、そうやって一度は抵抗しようとしたのであろうが」

 

ザビーネは、首の無き亡骸が未だに握りしめているピッチフォークを指さした。

そのピッチフォークの先端は、敵の乾いた血で血塗られている。

今や死体となった彼女達は抗ったのだ。

死ぬ最後の寸前まで、力を振り絞って。

 

「お前等は死体だ! そこで夫も息子も失って、老いさらばえて死んでいってしまえ!! 何、今も老い先も変わらんさ!」

 

ザビーネの痛烈な言葉。

それに女たちは更なる憤りを見せた。

 

「ふざけるな……ふざけるなよ!! 何故助けてくれなかった! 何故もっと早く来てくれなかった! もっと軍が早く来てくれれば今頃は!!」

「んー、死人の言葉は聞こえんなあ。もっとちゃんとした言葉が聞きたい。生きてる人間の。息子や夫を取り戻したいという女の叫びを」

 

ザビーネが更に煽りを加える。

もう止めろ。

頼むから、止めてくれ。

そう思うが。

死人。

一度諦めてしまった私は、亡き縋る女達のようで、言葉は一言も出せなかった。

そして、小さな村の、今まで亡き縋っていた一人の女が決意する様に呟いた。

 

「やってあげるわよ」

 

その女は、決意を秘めた眼をしていた。

 

「アンタらが頼りにならないって言うなら! 自分の手でしか取り戻せないと言うなら! アンタらなんかに言われずともやってやるわよ!!」

 

その女は泣き喚きながら、絶叫を挙げた。

 

「今すぐ、あの女に、カロリーヌに、あの悪鬼どもに追いすがって、アイツラを殺して、息子を取り戻してやるわよ!!」

 

ザビーネはそれに回答を返した。

 

「非常に宜しい。酷く宜しい。生者は一人いたようだ。他には?」

 

ザビーネは辺りを見回し、挑発するような、人心を煽る様な言葉を放ち辺りを見回す。

声が挙がった。

小さな村の、小さな幸せを奪われた、女たちの絶叫であった。

 

「やってやるわよ!!」

「青い血崩れなんか怖くない! ぶっ殺してやる!!」

「連れて行って! 私をカロリーヌの目の前まで連れて行ってください!! 軍の方々!!」

 

ザビーネは、先ほどからずっと黙っているファウストに向けて、言葉を紡いだ。

 

「ポリドロ卿、再考願います。民兵を集めました」

「ザビーネ殿、貴女と言う人は……何をするものかと様子を見ておりましたが、悪魔のような方だ。平和に暮らしていた、ただの国民達を、死地に走らせるおつもりか」

「どうせ、この村の者たちに未来はありません。夫や息子を取り戻せない限りは」

 

ザビーネは冷たく回答する。

ファウストは頭をポリポリと掻きながら、うん、と一言呟いた。

 

「老若問わずというのは無理です。いくら死兵も同然の民兵達と言えど、この中からカロリーヌ追撃への行軍に付いて来られるのはおよそ40名」

「それでも、もはや死も恐れない死兵の40名が加わる。戦力計算では、決して悪くはないはず。ましてポリドロ卿がいるならば」

「貴女は、私を、憤怒の騎士を高く見積もり過ぎている」

 

ファウストは苦笑しながら答える。

そして、問題点を挙げた。

 

「ですが、指揮官が足りません。この死兵40名を率いる指揮官が」

「私が指揮いたします! 利き腕はまだ無事です!! どうか汚名返上の機会を!!」

 

代官が、ザビーネの言葉の熱に充てられたようにして絶叫した。

ファウストはその言葉に眼を丸くしながら。

次の問題点を挙げる。

 

「では、次。この戦闘において――くだんの騒ぎの最大原因である地方領主の長女殿には、多額の謝罪金を戦費として私達に支払ってもらうことになりますよ。それこそケツの皮が剥けそうなほど。私は自分のケツも拭けない領主騎士が反吐が出る程嫌いです。容赦はしませんよ」

「それは、私の力で何とかするわ」

 

自然と、口から第二王女の立場からの発言が出た。

私を見て、驚いたようにファウストが目を剥く。

私もザビーネの熱に充てられたのであろうか。

思わず発言してしまった。

 

「なれば、私が言う事はもはや何もありません。時間もない。今すぐ、村に残った糧食をかき集め、民兵達に武器を――農具でも良い。それらを持たせ、行軍を再開しましょう」

 

ファウストは苦笑いをしながら、撤退案を諦めてくれた。

我々は進撃を――初陣を再び開始する。

目指すは、ヴィレンドルフ領に逃げるカロリーヌである。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヴィレンドルフに亡命を」

 

ヴィレンドルフに捧げる、男や少年達は揃えた。

財貨も、領主屋敷から、かつての我が家から逃げ出す際に引っ掴んで来た財貨が有る。

何の問題もない。

 

「ヴィレンドルフに亡命を」

 

再び呟く。

何の問題もない。

私がヴィレンドルフに、100名の軍勢を率いて亡命するには、何の支障も無い。

なに、私は賢くて、数々の戦歴を――あの姉の代わりに、王都から命じられる軍役をこなしてきた歴戦の戦士だ。

ヴィレンドルフでも受け入れられるだろう。

ヴィレンドルフでは強さが全てだ。

何の問題も無い。

ただ一つの問題、それは――私が、家督争いに負けた事だ。

馬車の中で、床を力強く叩く。

激しく揺れる馬車の中では、その振動など誰にも気づかれない。

私が感情を乱したことなど、誰にも気づかれない。

 

「勝てると思っていた。それは間違いか?」

 

姉の代わりに、従士達と共に軍役をこなしてきた。

姉の代わりに、領民達に親身になって統治をこなしてきた。

だから、彼等が私を押し上げてくれた。

あの無能でありロクに領内の統治も軍役もこなせない姉の代わりに、私を。

だが、敗れた。

長女と、次女。

その家督争いの壁は、余りにも高かった。

領地の家臣の殆どが、役にたったこともない姉の味方をした。

家臣たちは、姉を傀儡として扱いたかったのだ。

そして次女が家督を相続する前例も作りたくなかった。

結果、姉を後一歩の所まで追い詰めながらも逃れられ、逆に追い詰められた私達は領地から逃げるようにして飛び出した。

そこで、山賊達と出会い、会話をした。

 

「私達の仲間にならないか? 私に従えば、いい思いをさせてやるぞ? 何、近くに攻め込むのに丁度いい村が有るんだ。お前らが一緒なら簡単に……」

 

山賊への誘いであった。

 

「お前らが従え。山賊風情が調子に乗るな」

 

私はハルバードの一撃で、山賊の頭目の首を刎ね飛ばした。

そして山賊団を手下に加えた。

 

「……ヴィレンドルフに、亡命を」

 

再び、呻くように呟く。

王族直轄領の小さな村を襲い、ヴィレンドルフに捧げる男と少年達は用意した。

もはや、後には引き返せない。

捕まれば、全員縛り首だろう。

糧食も十分に残っている。

財貨は、屋敷から奪った物がまだ残っている。

再起をかけるには十分だ。

私はまだここで死ねない。

こんなところでは死ねないのだ。

私に――こんな私に従って、こんな落ちぶれてしまった私に文句ひとつ言わず、未だに従ってくれている従士や領民達への責務がある。

その責務を果たすためには。

 

「……ヴィレンドルフに、亡命を。私は再び、青き血になる。彼の地で騎士になる。成り上がって見せる。そうでなければ……」

 

私に従ってくれた、従士や領民達に申し訳が立たないのだ。

カロリーヌは、血反吐を吐くような声で呟いた。

その背後には、その背を追いかける者たちがいる事をまだ知らぬまま。

 

 

 



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第13話 リーゼンロッテ女王の憂鬱

ザビーネは悪魔だ。

本物の悪魔だ。

たった数十分の演説だけで、小さな村の小さな幸せを奪われた、生き残った領民達を死地に向かわせた。

行軍を、開始する。

先頭には私ことファウスト・フォン・ポリドロ。

中間にはヴァリエール第二王女親衛隊。

そして最後尾には、代官が率いる死兵40名がゾロゾロと追いてきていた。

 

「ファウスト様、ファウスト様」

「何だ、ヘルガ」

 

私は、傍に控える従士長であるヘルガの言葉に応答する。

何だ、この初陣の再開に文句でもあるのか。

もう駄目だぞ、ヴァリエール様がGOサインを出してしまった。

まあ、ヴァリエール様が、地方領主からの戦――多額の謝罪金を保証してくれたというメリットは新たに出来たが。

ケツの皮まで毟ってやる。

そうでなければ、こんな行軍やってられるものか。

 

「あのザビーネ様って方、お嫁になんてどうでしょう」

「冗談で言ってるよな、ヘルガ。頼むからそうだと言ってくれ」

 

私は苦渋に満ちた声で呟く。

 

「いえ。ファウスト様の仰りたいことはなんとなく、わかるのですが。私個人的には有りだと思うんですよね」

 

なんとなくでも、判っているなら言うなボケ。

そしてお前、ザビーネを、あの悪魔を推すのか。

冗談だろ、他の領民もひょっとして同意見じゃなかろうな。

あの熱に毒されてると言うんじゃないだろうな。

アイツは悪魔だ。

国民の税で食ってる軍人として、絶対に言ってはいけない事を平気で口にした。

ノブレス・オブリージュを全否定しやがった。

それも、私が口にした「悪魔のような方だ。平和に暮らしていた、ただの国民達を、死地に走らせるおつもりか」。

そのセリフに裏の意味を込めて告げた、「お前それでも青い血かよ」という皮肉にすら気づいていないチンパンジーだ。

ああ、頭痛くなってきた。

私はヘルガに説明を開始する。

 

「私のような領主貴族と、法衣貴族、つまり王国の武官とは少し立場は違うが、変わらない点として私達は領民から、法衣貴族は軍人として国民から税を得ている。それで食っている」

「はい、わかります」

 

ヘルガが頷く。

 

「その代わりに、義務がある。領民を守る義務が、国民を守る義務が。判るな」

「はい、わかります」

 

ヘルガが頷く。

そこまで判っているなら――

 

「何故、国民を死地に走らせる。それが軍人のやる事か? 軍人の役割を全否定してるぞ? 自己存在の矛盾を抱かんのか? あの演説は仮にも青い血の、吐いて良い台詞では無かった。青い血の建前すら捨ててしまっては、もはや貴族では、騎士ではない」

「ですが、必要に迫られれば私達もやります。夫や息子を攫われたとならば、我ら領民は闘います。それが我が領地内に限った事であるならば。それが普通ではないのですか? ザビーネ様は何も間違ったことは仰って無いと考えます」

 

あっけらかんと、ヘルガが返す。

その言葉に、きょとんとする私。

そうか、コイツら――我がポリドロ領の領民は、まず軍役の代わりに頂いているリーゼンロッテ女王からの保護。

その保護の契約。

それを受けるよりも先に、「自分達の身は自分で守る」、その心構えが出来ている人間たちであったか。

軍役があり、ヴィレンドルフの国境線からも近い辺境領地の住人と、軍役も無い小さな村の直轄領の住人。

ようするに文化の違いって奴だな。

だから理解できないのだ、ザビーネの鬼畜さが。

もはや、ザビーネのやった事の鬼畜さを説明する気にもなれぬ。

これ以上説明しても、「それは王国民が温いのではないですか。やはりザビーネ様は何も間違っておられません」と言われかねん。

というか、ポリドロ領の領民は全員同じ言葉を返すだろう。

ああ、もう面倒になった。

正直に心境を呟こう。

 

「私はザビーネ殿の事が好かん。その演説家としての能力への評価はするが嫌いだ。そのザビーネ殿がやった事をまだ理解できていない第二王女ヴァリエール殿下も、14歳と言う若さゆえではあろうとも、ザビーネ殿の熱に浮かされるようではな……この先不安だ。これでどうだ」

「はあ、なんとか」

 

ヘルガは、なんとか了解してくれたようだ。

大丈夫だろうな。

本当に大丈夫だろうな。

あの糞アジテーターの熱に、我が領民が感化されていないだろうか。

それを心配しながら、ファウストは行軍を開始する。

 

「全員、進め!」

 

合図を出す。

全員が行軍を開始した。

これでよい。

私が状況に納得するが、再度ヘルガが台詞を吐く。

 

「でも、ですよ。ファウスト様」

「何だ、ヘルガ。まだ何か言いたいのか」

 

私は再度、苦渋に満ちた顔で呟く。

 

「あのまま、縋りつく小さな村の領民を放っておいては、暴動に繋がったのではないでしょうか。なにせ、我々は彼女達を見捨てて帰るわけですし」

「……」

 

その可能性はある。

何せ、今では背後で死兵と化した連中だ。

 

「それに、民兵を徴兵しなければ、攫われた男や少年達を救出できない現実も打開できません。荒ぶる現地住民を徴兵してしまった方がお互いの為になる事を考えれば、悪く無い案だったんじゃないでしょうかね」

「それを、あのチンパンジーが、理解しながら喋ったと思うか?」

 

私とヘルガは、振り向いてザビーネの顔を拝む。

親衛隊の一人と、また猥談をしていた。

 

「思いません」

「そーだろ。絶対そーだろ、私もそう思う」

 

そもそもからして、アイツ最初は民兵を徴兵しようとか全然考えてないぞ絶対。

ヴァリエール第二王女殿下に縋りついている領民達が気に食わなくて、罵倒しただけだぞ。

その演説じみた罵倒の中で気づいたんだよ、アイツ。

 

「アレ? ひょっとしてこのままコイツ等煽れば民兵として徴兵できなくね?」

 

そう考えたんだ。

今、その性格を完全理解した私には、その考えが掌に乗っかったようにして判る。

あの鬼畜め。

鬼畜のチンパンジーめ。

いや、チンパンジーは元々鬼畜じみた性質の持ち主であった気もするが。

今、それはいい。

置いておく。

多分、アイツが親に見放されて第二王女親衛隊に放り込まれたのはそのアホさゆえだけではない。

あまりにも生来の鬼畜さ故にだからだ。

ああいった汚れた作業をこなす人間も、為政者には必要なのかもしれんが。

ひょっとすれば――この第二王女側にとっても、夫や息子を奪われた村人たちにとっても、最適解ではあるかもしれない結果を導き出してはいるが、そこに計算によって為されたロジックは何も存在しない。

文字通りの空白だ、ザビーネは何も考えずに現状の結果を為した。

ハッキリ言おう、アイツは危険人物だ。

その演説力のヤバさを考えると、どこかに隔離しておくべき人間だ。

動物園の檻に閉じ込めて居た方が良いんじゃないのか、ザビーネって名札を首にぶら下げた、演説ができる変わった猿として。

ああ、もういい。

そんな事を考えている余裕は私には無い。

目標はシンプルに。

目指すはカロリーヌ、それがヴィレンドルフの国境線に辿り着く前に追いつく。

そして、それを打ち破る。

私の今の使命は、単純化するとそれだけだ。

物事は何事もシンプルにするのがいい。

余計な事を考えずに済む。

 

「よーし、歌うぞ。カロリーヌまでの行軍は長い。民兵達も、代官もやる気出して歌えよ」

 

親衛隊長ザビーネの声。

それを心の底から恐ろしく思いながら、私は行軍していた。

ああやって、ザビーネは士気を維持していくのだろう。

だんだん、本気であの女が恐ろしくなってきた。

私はそれに口を出さない事にする。

せめて、猥歌だけは口ずさんでくれないように祈りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まだ出陣の準備は整わないのですか!」

「判ってるでしょう。リーゼンロッテ女王様。200もの兵を動かすには、それなりに準備がいるって。何、明日には出ますよ」

 

いくら常備軍。

即応兵とは言っても、言われたその場で行軍を開始できるわけではない。

武器の準備はまだいいとして――兵糧、馬車、予想される敵の行軍ルート。

接敵すると予想されるポイントまでの、我々の行軍ルート。

その程度はいる。

特に最後は重要だ。

道を一つでも間違えたら、ヴィレンドルフの国境線にそのまま突っ込む事になる。

そしてそのまま第二次ヴィレンドルフ戦役の始まり始まり。

そういう状況下だ、今は。

それはリーゼンロッテ女王も理解している。

理解しているはずである。

しているのに、このありさまだ。

アスターテ公爵は、深くため息をついた。

 

「敵の行軍ルートへの先回りは?」

「アナスタシアと一緒に相談しましたよ」

 

私ことアスターテ公爵は、第一王女相談役の立場を利用して既に、その明晰な頭脳と戦略眼を誇るアナスタシアに相談した。

相談役が逆に相談をするとは、立場が違っている気がしないでもないが。

おそらく、地図に記したこの地点が――地方領主の次女、カロリーヌが逃げ込むポイントであろうと私達二人は判断した。

だが、そのポイントは遠い。

おそらく、援軍は間に合わないだろう。

だが、ひょっとしたら――間に合う可能性はある。

ファウストの発案による、カロリーヌへの足止めの可能性。

カロリーヌが欲を出し、他の領地に手を出して、行軍を遅延する可能性。

その他のトラブル、馬車が壊れ、単純なる行軍の遅延。

色々ある。

間に合う可能性はあるのだ。

で、有る以上、面子を考えると援軍を出さないわけにもいくまい。

私は溜息をつく。

 

「何ですか、ため息などついて。今頃我が娘は、ヴァリエールは途方に暮れているでしょうに」

「所詮スペアでしょう。お飾りのスペア。急に、親心出し過ぎじゃありません、リーゼンロッテ女王様」

 

私はもはや身内のノリで、思ったことをそのまま口に出す。

私は自由人だ。

何も怖くはない。

唯一怖かったのは、ファウストの尻を揉んだ瞬間、ポリドロ領――その領民達の顔つきが悪鬼に変わった時ぐらいだ。

アレは本当に怖かった。

地獄に落とされるかと思った。

 

「例えお飾りのスペアでも! 別に私はヴァリエールに死んで欲しいと思っているわけではありません!!」

「アナスタシアと同じことを仰る。別に死んで欲しいわけではない、か」

 

愛されているのか、愛されていないのか。

よくわからない。

私は嫌いだがね。

あの凡才。

平民ならいい、だが青い血での凡才は許されない。

そうアスターテは考えている。

 

「今頃、カロリーヌに襲われてボロボロになった小さな直轄領で途方に暮れてるんじゃないですかね。まさか追跡を試みるなど」

「その可能性があるから焦っているのです。私は以前発言しました! 初陣に失敗したらファウストを第二王女相談役から取り上げるぞ、と」

 

なるほど。

一応、焦る理由はあるわけだね。

だが、動じない。

 

「女王様、ヴァリエールは凡才です。凡才なのです」

 

ファウストは、領主騎士だ。

自分の領民の損害を、その損失をこの上なく嫌う。

あのどうしようもない状況だったヴィレンドルフ戦役と違って、勝ち目があっても領民に多大な被害の出る戦に挑むことは無い。

そしてヴァリエールは凡才だ。

相談役であるファウストの意見には、その意見に従うままに動く。

もし、例外があるとすれば。

 

「あのチンパンジー達。失礼、第二王女親衛隊でしたか。あのアホどもが初陣だからとハリキリすぎて、ヴァリエールに無茶ぶりしなけりゃいいんですけどね」

「恐ろしい事を言うな!」

 

リーゼンロッテ女王が、その自分の身を抱きしめながら呟く。

そして、悩まし気に呟いだ。

 

「あそこまで愚かな――チンパンジーの群れだとは思っていなかったのです。ヴァリエールには家から見離された騎士達といえど、それでも青い血の次女三女を与えたつもりでした」

「ところが、当の青い血の次女三女は猥談を平気で王城内で行い、侍童の着替えを覗き見するエロガキどもでしたよってところですか」

 

私はあきれ顔で返す。

私は凡才が嫌いだ。

ゆえに、あのチンパンジー達も好きではない。

何をするか制御不可能な、無能な働き者など殺してしまうより道は無い。

いや、アレでも戦場での兵としてはこき使えるのか。

まだ初陣未経験者なので判断つかんね。

そういえば、ヴァリエールも初陣だ。

もし仮に、ヴァリエールが初陣を経験したとして、その凡才具合は変わるのだろうか。

あまり期待は出来そうにないが。

一度、これを機会に再査定してみるのも悪くはないかもしれない。

もし、すでに失敗した身であろうとはいえ、この機会を糧に出来ていたならば、少しは変われるであろう。

 

「とにかく! 急ぎなさい。ヴァリエールの事は抜きにしても、我が直轄領を襲い、領民を攫ったであろうカロリーヌにはケジメをつけて死んでもらわねばなりません。王家の面子もかかっています」

「ましてや蛮族ヴィレンドルフに亡命することなど許さない、と。判りましたよ」

 

はいはい、と言った口調でアスターテは言葉を返しながら。

その目は地図上の接敵ポイント、ヴィレンドルフ国境線ギリギリの地点に向けられていた。

 



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第14話 雑魚散らし

「追いついた」

 

先頭を切る、自分の口から漏れ出た声はそれであった。

ヴィレンドルフとの国境線を目前として、カロリーヌにようやく追いついた。

目前の、約100名の敵を視界に入れた。

まだ交戦距離には程遠いが、な。

私の言葉に、ザビーネ達の行軍歌は自然と止み、その瞳の色は戦闘色へと変化を遂げる。

 

「ファウスト、どうするの?」

 

どうするの?と来たか。

一応、最高指揮官は貴女なのだが。

まあ、ヴァリエール様は初陣だ。致し方ない。

私は第二王女相談役であることだし、補佐しなければなるまい。

ただ、こんな時、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵なら、私はこう思うがお前はどう思う?と聞くのだが。

或いは、山賊相手とは言え歴戦の私の意思を尊重して、最初から自由裁量権を与えてくるが。

それを考えれば、アナスタシア第一王女は初陣からイカれていた。

ヴァリエール様が劣っているのではない、アナスタシア様が異常なのだ。

私はそんな雑多な思考を抱きつつ、前方のカロリーヌに眼をやる。

そして呟いた。

 

「おそらく、私達の事は相手も気づいたことでしょう」

「私達と同じように、魔法の眼鏡である双眼鏡持ちだとでも?」

「非常に役に立つ物です。カロリーヌが持っていないはずありません。まして、ここは平野。遠目が利く者なら見える状況下です」

 

私は自信を持って呟く。

私達、追手の存在は、カロリーヌにもはや気づかれている。

そこで、相手の出方次第だ。

総力戦、全員による全力戦闘は勘弁願う。

被害が大きい。

無辜の国民と、自分の領民達を無駄に死なせるのは御免だ。

双眼鏡を使っている、ヘルガの報告。

 

「敵が――敵が、今、二つに別れました」

 

逃亡。

ヴィレンドルフの国境線を目前にして、カロリーヌは山賊を捨て駒にする逃亡を選択した。

少し、有難い。

それぞれ陣形を構築しての、全力戦闘よりはマシだ。

遥かにマシ、いや、自分にとっては都合の良い流れだ。

 

「ヘルガ、我が領民に戦闘準備を整えさせろ」

「はい」

 

私は、ヘルガに命令を下し。

そのままヴァリエール様に指示を飛ばす。

 

「ヴァリエール様、まずは雑魚散らしをします」

「雑魚散らし?」

「この状況で、親衛隊や民兵の出る幕は無いという事です。まずは――ただの殺戮です」

 

私はヴァリエール様に、そう呟いた。

そう、これはただの殺戮だ。

いつもの軍役と同じ、ただの山賊の殺戮だ。

私はニイ、と口の端で笑顔を作りながら、ヴァリエール様にその笑顔を返した。

そして、突撃を開始する。

符丁で合図。

 

「クロス!」

 

従士達5名による、クロスボウの準備。

発射の準備は既に為されている。

後は引き金を引くだけである。

 

「ヘルガ、双眼鏡を戻す前に、もう一度確認しろ。敵指揮官は見えるか?」

「はい、見えます。おそらく山賊ではない。チェインメイルを装備し、兜を被っている事から――おそらく、敵方の従士であります」

 

山賊も、ただ黙って捨て駒にはならない。

そこには必ず、率いる指揮官が居る。

カロリーヌの従士か。

という事は、おそらくあの山賊団、頭目をカロリーヌに殺られて乗っ取られたな。

従士は捨て駒で死ぬこと前提で、山賊の指揮を名乗り出た?

カロリーヌの奴、どうやら一廉の人物ではあるらしい。

そこまで判断する。

分析終了。

 

「従士にクロスボウを放つ必要はない。従士は私が殺す。まずはクロスボウで、敵の弓兵5名を確実に殺る事を心掛けよ」

「判りました。ファウスト様」

 

弓兵は嫌いだ。

矢を払い落とすなど難儀でもないが、気が散ってイラつく。

私はそれだけのために、弓兵を先に殺る。

そんなもんだ。

その程度の存在でいい、山賊なんてものは。

さて、そろそろ接敵だ。

ヴァリエール様率いる親衛隊と代官率いる民兵をやや後方に置き、我らポリドロ領兵20名と私は先陣を切る。

 

「我が名は、ファウスト・フォン・ポリドロ! 死にたい奴から前に出ろ!!」

「――!!」

 

敵陣に怯えが走る。

男性騎士で先陣を切って走り込んでくる者など、アンハルト王国にはファウスト・フォン・ポリドロただ一人しかいない。

憤怒の騎士。

アンハルト王国最強の騎士。

敵にとっては疑う余地もないだろう。

自分にとっては忌み名だが、二つ名を持っているとこういう時に有難い。

 

「落ち着け! 所詮は噂先行、ただの男騎士だ!! 落ち着け!!」

 

敵の頭目。

カロリーヌの従士が山賊達を落ち着かせようとするが、上手くいっていない。

このまま逃亡させることは許さん。

山賊は景気づけに皆殺しだ。

 

「歌え」

 

血の絶叫を。

私は我が愛する領民にではなく、敵の山賊30名にそれを命じた。

クロスボウ。

それが、敵の弓兵と疑わしき5名に発射され、それらは射撃に慣れた従士の技量ゆえに、必中の技と為す。

山賊30名の内、5名があっという間に死んだ。

 

「叫べ」

 

死の絶叫を。

馬に乗っている私が、当然先陣を切る。

いつもの事である。

私は先祖代々受け継がれた、魔法のグレートソードを振るい、動揺していた山賊5名の首を次々に刎ねる。

これで領民と同数。

 

「そして死ね」

 

地面に血だまりを作りながら、倒れ伏していく。

山賊団に、もはや弓兵はいなかった。

これは何よりの事だ。

私は一直線に、山賊の頭目代行を務める従士へと、人馬一体となって進む。

跳躍。

私は愛馬のフリューゲルと共に宙を舞い、チェインメイルを装着したカロリーヌの従士の前に躍り出る。

従士は、突然の事に対応しきれていない。

そして私は愛用のグレートソードで従士の頭頂から、腹の辺りまでを斬り落とした。

従士は、中途半端ながら真っ二つの身体となる。

従士の被っていた兜は完全に割られ、真っ二つとなって地面に転げ落ちた。

 

「お前等の頭目は今死んだぞ!」

 

私の雄叫びが戦場に響き渡り、指揮官を失った山賊の士気は崩壊する。

哀れにも統制を失った山賊達は、或る者は命乞いを、或る者は背を向けて逃げようとしながらも。

一人一人、我が領民に仕留められていく。

槍で。或いは剣で。

手慣れたものだ。

この手の作業は、15歳から20歳にかけての軍役で、本当に流れ作業と化した。

実に手慣れたもので、我が領民は己の作業を――殺戮をこなしていく。

私はそんな事を考えている間にも、従士の傍にいた山賊を一人、二人と斬り殺していく。

その数は数えるまでもない。

キルスコアなんぞ一々面倒くさくて数えていられない。

戦闘は、数分にも満たなかった。

我が領民の被害は一人もいない。

流れ作業だ。

殺戮が終わる。

 

「来世では、花か何かに生まれ変わるといい」

 

そう締めくくりの台詞を吐き、私は地面に転がる山賊の死体を馬の上から見下ろす。

山賊、30名の殺戮が終わった。

僅か数分の作業であった。

従士達は私に命令されずとも、クロスボウの再装填準備、滑車で弦を引く作業を始めている。

後方にいた、ヴァリエール様達親衛隊と、代官率いる民兵40名が追いついた。

 

「ファウスト。その、山賊は?」

 

ヴァリエール様は、つまらない質問をする。

見れば判るだろう。

 

「全員殺しましたよ。見れば判るでしょうに」

「その……何と言うべきか、ファウストの被害は?」

「ゼロです」

 

常にゼロだ。

山賊相手に死んでたまるか。

私が唯一死を覚悟したのは、初陣とヴィレンドルフ戦役のみだ。

山賊なんぞ、鼻歌を歌いながらでも殺戮できる。

コイツ等は雑魚だ。

肝心なのは――

 

「話はここからです。ヴァリエール様。クロスボウの再装填を準備しつつ、カロリーヌへの追撃を再開します。追いつくまでの間に、事前に戦術面における相談を」

「わ、判ったわ」

「カロリーヌは逃亡することが最良と決断しました。おそらく、このままヴィレンドルフへの国境線を越える気でしょう。敵の精鋭70との戦闘時、最悪は途中で私が抜け、単騎で逃げたカロリーヌを追う事になるかもしれません。その間、我が領民の指揮権はヘルガに譲渡します。ご自由にお使いください」

 

ご自由に、とは言っても、無駄死にさせる気は無いがね。

何でもかんでもヘルガが、ヴァリエール様の言う事を聞くわけではない。

領主貴族の従士長は、そういう育ちをしていない。

それは口に出さず、私はカロリーヌの軍勢の方を見やる。

先頭を走る二つの馬車、そのどちらかが直轄領から男や少年達が連れ去られた馬車。

もう一つがカロリーヌ。

さて、どちらが当たりかね。

大きなつづらか、小さなつづらか。

おそらく、私は小さなつづらにきっと良い物が――小さい方の馬車にカロリーヌがいると思うんだが。

そんな思考をしながら、私はクロスボウの再装填を待ち続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前が死ぬ必要はない。山賊などそのまま捨て駒にしてしまえば」

「その捨て駒にするためにも、指揮官が必要なのです。カロリーヌ様ならお判りでしょう」

 

私は従士が、山賊の指揮官を務め、自ら捨て駒に志願した事に唇を噛みしめる。

ここまで。

やっと、ここまで逃げてきたのに。

ヴィレンドルフの国境線は目の前、あと一時間と行けば辿りつくところなのに。

双眼鏡で、先ほどヴィレンドルフの国境線を見た。

その先では、砦の見張り台からこちらに気づいたのか、ヴィレンドルフの騎士達が数十人の兵を連れて国境線で待機している。

あそこが我々のゴールだ。

きっと、亡命は認められる。

この国から逃げ切れるのだ。

 

「最悪、カロリーヌ様お一人で逃げることも御覚悟ください」

「馬鹿を言うな。お前等を見捨てて一人逃げ切り、そこに何の意味があるというのか」

「我々がここまでカロリーヌ様を支えてきた意味が残ります。カロリーヌ様さえ生き残れば、きっと意味は残りますよ」

 

この、大馬鹿者め。

未だに、家督争いに失敗したことを自分達のせいだと思い込んでいるのか。

あれに失敗したのは。

家督争いに失敗したのは。

 

「家督争いに失敗したのは、私自身が愚かなせいだ。しなければよかった。あのような事」

 

後悔。

やっとそれを口に出せた。

家督争いに敗北したのは、全て私の無能さ故だ。

やっと認める事が出来た。

もっと、他の家臣たちに根回しすればよかった。

軍役の際、王家と――リーゼンロッテ女王やアナスタシア第一王女と縁を持ち、私の家督を認めてもらえるように動けばよかった。

もっと、もっと。

もっと、私が。

出てくる、後悔の言葉の種は尽きない。

 

「領民も、我々従士も、軍役で同じ釜の飯を食い、生死を共にした仲ではありませんか。カロリーヌ様の背中を押した我々に原因があります。ああ、もはや時間がありませぬ。これにて、おさらばです。カロリーヌ様」

「待て――待ってくれ!」

 

私の引き留める声を無視して、従士は山賊達の元へと駆けよっていく。

私がヴィレンドルフへの国境線を越え、亡命するだけのために。

領地の家督争いで、何人の従士や領民の命を失った?

何人の重症者をこの行軍中に亡くし、その遺体をその場に見捨ててきた?

嗚呼。

こんな思いをするなら、家督争いなど、最初からやるべきではなかった。

一人一人が死ぬ度に、自分の愚かさが身に染みる。

 

「……マルティナ」

 

一人娘の名を呼ぶ。

この逃亡劇には連れてくることが出来なかった。

今頃、領地で縛り首にされてしまっているであろう。

 

「……ヴィレンドルフに、亡命を」

 

フラフラと、覚束ない足取りで、ただそれだけを呟く。

それだけが、夫を病で亡くし、娘も愚行によって失い、優れた従士を捨て駒に追い込んだ、最後に残った私の目標だ。

直轄領を襲って攫った男や少年達を、ヴィレンドルフに捧げるのだ。

馬車に詰め込まれた財貨を用い、騎士として再起するのだ。

アンハルト王国内の、知り得る限りの情報を売り渡すのも良い。

売国奴と言われようと、知った事か。

もう、私には何も残っていない。

今引き連れた精鋭70名。

軍役を共にしてきた領民を除いては――。

そんな私の耳元に、悪魔のような報告が響く。

 

「カロリーヌ様! カロリーヌ様! 只今、双眼鏡にて敵指揮官が確認できました!」

「誰だ! 見覚えのある顔か? アスターテ公か、それとも……」

「敵は男性騎士。恐らくはファウスト・フォン・ポリドロ。憤怒の騎士です!!」

 

私は思わず、馬車から飛び出し、捨て駒となった山賊達――わが従士の様子を見た。

そこでは、恐らく一方的な殺戮が行われているであろう。

裁きが来た。

悪鬼と化した私を裁こうとしている、憤怒の騎士がそこまでやって来ていた。



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第15話 美しき野獣

ヴァリエール第二王女軍、民兵40、親衛隊15、ポリドロ領民20――対して、カロリーヌ軍は従士を含めた精鋭の領民70。

その両軍は、ヴィレンドルフ国境線前、徒歩にして約30分を目前として接敵した。

 

「クロス!」

 

短い、符丁。

ファウスト・フォン・ポリドロの叫び声。

クロスボウの矢は、カロリーヌ軍の前衛5名に突き刺さり、それを殺傷した。

カロリーヌ軍、残存65名。

数では、ヴァリエール第二王女軍が上回っていた。

兵の質では、カロリーヌ軍が圧倒していた。

軍役経験者の武装した65名で満たされていたからだ。

対するヴァリエール第二王女軍は、初陣も同然の、武装も足りない民兵40と。

武装は足れども、初陣の親衛隊15。

唯一対抗できるのは、カロリーヌ軍を上回る練度を誇るポリドロ領の領民20のみと思われた。

だが、最悪なのは。

 

「お前は背後に下がれ!」

 

そう叫びながら、民兵を庇うようにファウスト・フォン・ポリドロという殺意の塊が、争いの中に飛び出してくるのだ。

まるで、国民は出来る限り殺したくない、という表情で、相対する敵の命は逆に価値なきボロ雑巾のように扱って。

憤怒の騎士は、この狭い戦場を縦横無尽にして、愛馬に跨って突如出現していた。

カロリーヌ軍の敵兵の中に、飛び込むのではない。

民兵を肉盾のように見たてていながらも、突如カロリーヌ軍との戦闘の間に割り込んで、カロリーヌ軍の領兵を殺して回るのだ。

死のルーレット。

カロリーヌが馬車の幌に開けた穴の中から見たその光景は、まさにそれだった。

必然的に、カロリーヌ軍の死者は次第に増えていく。

一対一の状況に持ち込まれては、ファウストに勝てる相手などアンハルト王国に存在しない。

だが、カロリーヌ軍の領兵の士気は未だ衰えていない。

カロリーヌを守ろうとしている。

カロリーヌはもはや、泣きそうであった。

泣くわけにはいかない。

泣くわけには、いかないのだ。

彼女達はカロリーヌのために死にゆく。

もはや、単騎にて逃げるべきだ。

彼女達の貢献に答えるためには、それしかなかった。

だが決断が出来なかった。

そこまでして、カロリーヌを守ってくれている領民を見捨てる決断が。

だが、戦場の時間は過ぎる。

国境線まで後退しながら、ヴァリエール第二王女軍を敵に回す。

その戦場での時間は短い時間であったろうが――

カロリーヌ軍に対する、ファウストのキルスコアはその時点ですでに30を超えていた。

ファウスト本人は一々数えてすらいないが。

もちろん、民兵の死傷者も出ていたが、もはや勝利を確定させるには十分な数の差があった。

 

「後は任せたぞ! ヘルガ!」

 

ファウストは、第二王女ヴァリエールの名前は口に出さなかった。

出すと、最高指揮官であるヴァリエールが狙われるからだ。

そんな小さな計算を抱きながら、ファウストは単騎で駆けだした。

それを止められるだけの数が、もはやカロリーヌ軍には無い。

目の前の敵を、食い止めるのが精いっぱいであった。

来る。

罪を犯した、悪鬼ヘの裁きが。

ファウスト・フォン・ポリドロが来る。

やがて、その殺意の塊が辿り着いたのは、カロリーヌ軍の馬車二つである。

小さな馬車と大きな馬車の二つであった。

ファウストが選んだのは、小さな馬車であった。

グレートソードを片手に、その剣で馬車の幌を薄く切り裂く。

その先に居るのは戦場の音に怯える、男や少年達であった。

 

「ハズレか」

 

ファウストは思わず吐き捨てた。

そして、カロリーヌは――財貨を積んだ大きな馬車は、その馬車の財貨すら投げ捨てて、単騎。

馬と自分の身一つで、カロリーヌは国境線へと逃げ走る。

逃げなければ。

あの裁きの手から。

ファウスト・フォン・ポリドロから。

あの憤怒の騎士から。

必死の形相で、カロリーヌは国境線へとたどり着こうとする。

まだ、まだ間に合う。

国境線にて待機しているヴィレンドルフの騎士や兵士に援軍を求めれば、あの憤怒の騎士、ファウスト・フォン・ポリドロを討ち取る事すら出来る。

カロリーヌはそんな儚い希望を抱きながら、単騎で駆ける。

それを追うのは、男や少年達に、まだ馬車の中に入っているよう言い捨てるファウスト。

未だに、死の絶叫と勝利の雄叫びと剣戟の音、その戦場音楽が鳴り止まぬ戦場を置き去りにして。

ファウストとカロリーヌは、二人して追いかけっこを始めた。

だが、次第にファウストの速度が落ちる。

ファウストの愛馬、フリューゲルはもはや疲れ切っていた。

山賊との戦闘にて、そして先ほどの戦場を縦横無尽に動き回る働きにて。

いくら優秀な騎馬と言えども、限界を来たしていた。

ファウストは、それをもちろん理解していた。

ここまでだ。

ファウスト・フォン・ポリドロは失敗した。

何、攫われた男や少年達を助けた事で最低限の面子は保たれた。

それにまだ、ファウストの予想では、あのカロリーヌの結末は決定していない。

もう充分だ。

ファウストは馬の歩みを止め、ポンポン、と愛馬フリューゲルの背を叩き、その働きを労わった。

アンハルト王国と、ヴィレンドルフの国境線、その目前にして。

ファウストは愛馬とともに立ち止まった。

それを無視して、カロリーヌは国境線を越えていった。

ファウストは、その様子をただ見守っていた。

ヴィレンドルフという、その蛮族特有の価値観から出る美学からの、カロリーヌの結末を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「我が名はカロリーヌ。亡命を求める者なり。そして、救援を願う。我らが眼前に単騎で居るのは、あのファウスト・フォン・ポリドロだ」

 

ヴィレンドルフの騎士が頷く。

 

「戦場は先ほどから双眼鏡にて確認していた。あの容貌、あの剣技、まさにファウスト・フォン・ポリドロそのものよ」

「ならば!」

 

あの憤怒の騎士を殺してくれ。

私の愛する領民を殺した。ファウスト・フォン・ポリドロを。

だが。

 

「だが、あの男は。あの美しき野獣は、我が国境線を越えず、未だあそこに立ち尽くしている」

 

名も判らぬ、総指揮官らしきヴィレンドルフの騎士が指を差す。

憤怒の騎士は確かに、国境線の向こうで私を見据えていた。

 

「ファウストを討ち取りたくないのか!?」

 

私は叫ぶ。

だが、ヴィレンドルフの騎士は動じない。

 

「先ほども言った。あの美しき野獣は、国境線を越えていない。ただお前を待っている」

 

待っている。

誰を?

私を?

 

「お前が、このヴィレンドルフの地から叩き出され、挑みに来るのを待っているのだ」

 

叩き出される。

この私が?

 

「何を言う! 私の亡命には価値が有る。私がどれだけアンハルト王国の情報を握っているか!」

「お前がアンハルト王国の情報をどれほど握っているか、それは知らぬ。ひょっとしたら、我らにとっても価値ある物かもしれぬ。価値が有る物なのかもしれぬ」

 

だが――

ヴィレンドルフの騎士は否定の言葉を浮かべ、首を振る。

 

「あの騎士は、あの、我らの地では美しき野獣と呼ばれる男は、お前をただ待っているのだ。名は――カロリーヌと言ったか? お前との決闘を待っている。我らはそれを邪魔する気などない」

「何故だ、ファウスト・フォン・ポリドロを討ち取りたくないのか?」

「国境線を越えていない者は敵ではない。それより、何よりも」

 

ヴィレンドルフの騎士は、もはや憧憬すら含めた目でファウストを見る。

 

「あの我らのレッケンベル騎士団長と死闘の末、それを討ち果たした、あの美しき野獣を、騎士や兵、その数十人で囲んでそれを討ち取れだと? それは我らへの侮辱か?」

 

蛮族の感性。

強きものを、美しきものと感じる。

そして、ファウストは彼等にとって何よりも美しい騎士なのだろう。

彼等の強き男性への価値観、筋骨隆々の男性を好む価値観。

それらを含めると、ファウストは、ヴィレンドルフにとっては、この世で最も美しい騎士と言えた。

それを取り囲んで討ち取るなど、ヴィレンドルフの美学の範疇外であった。

蛮族めが!

それをカロリーヌは口に出さなかった。

ただ、拳を地面に打ち下ろす。

 

「……私に、何を求める」

「ファウスト・フォン・ポリドロを討ち取れ。あの美しき野獣を討ち取れ。そうすれば、喜んで我らヴィレンドルフはお前を我が国に迎えよう」

「……」

 

ヴィレンドルフは、私が、カロリーヌが、あのファウストに打ち勝つことなど全く期待していない。

ただ、見たいだけだ。

彼女ら騎士が敬意を払う、美しき野獣が、その実力を尽くし私を討ち果たす、その姿が。

 

「判ったよ」

 

ここが終焉か。

なに、私の終わりには相応しい結末だ。

カロリーヌは、そう笑った。

そうして、ヴィレンドルフの国境線から立ち去り、再びアンハルト王国の国境線へと舞い戻った。

嗚呼――

何もかも失った。

何もかも、失ってしまった。

自分の命すら、これで失ってしまうだろう。

これで本当に終いだ。

カロリーヌは、自分自身に対し酷薄の笑みを浮かべた。

そうして、一路、カロリーヌはその馬で、ファウストの元へと駆けよる。

ファウストは、朴訥とした雰囲気を漂わせながら、口を開いた。

 

「逃げ切れるとでも、思っていたのか?」

 

ファウストは不思議そうに問うた。

 

「ヴィレンドルフが、男や少年達を持たぬ、財貨を持たぬ、その忠誠高き精鋭たちを持たぬ、お前ただ一人を受け入れると思っていたのか?」

「……」

 

私は、無言でそれを返した。

そしてハルバードを構える。

 

「馬を降りてくれ、ファウスト・フォン・ポリドロ。私も馬を降りる」

「よかろう」

 

二人して、馬から降りる。

馬上での技量には、自信が無かった。

だが、こうして地面に降り立ったとて、目の前の憤怒の騎士に勝つ自信はなかった。

だが、負けるわけにはいかないのだ。

ただ負けるわけにはいかないのだ。

傷一つくらい、残してやりたかった。

この、ヴィレンドルフに美しき野獣と呼ばれる男に。

ファウスト・フォン・ポリドロに。

 

「お前の得物は、そのハルバードでいいのか」

「そちらこそ、そのグレートソードでいいのか。得物はこちらの方が長いぞ」

「そのくらいハンデだ、くれてやるさ」

「そうか」

 

短い会話。

カロリーヌは、そのハルバードを、ファウスト目掛けて揮う。

カロリーヌは決して弱くない。むしろ強者である。

この世に少なからず存在する、超人の段階まで足を踏み入れていた。

しかし、カロリーヌとファウストの力量差は誰の目にも明らかであった。

……気づいた時には、カロリーヌの腹は、チェインメイルごとファウストの剣にて切り裂かれていた。

 

「……」

 

カロリーヌは、その場で声も無く立ち尽くす。

もう死ぬことは判っていた。

 

「何か、遺言はあるか。思い残しはあるか、カロリーヌ」

 

ファウストは、カロリーヌに情けの言葉をかけた。

カロリーヌは、辛うじて最後に一言呟いた。

 

「……マルティナ」

 

今は縛り首にされて死んだであろう、一人娘の名だった。

ファウストはそれを覚え、心に刻んだ。

腹から臓物を垂れ流しながら、地面に倒れ伏すカロリーヌ。

ファウストは、その姿に少し虚しさを感じた。

 

「最期の言葉なんか、聞くんじゃなかったな」

 

女の名。

声色から判断するに、恐らく幼い子供に向けたような、少女の名。

おそらく、もうどうにもならない言葉であろう。

それを聞くのは、辛い事であった。

そうこう思案する中で、ファウストはカロリーヌの首を持ち帰らねばならぬと判断する。

首を刎ね、持ち合わせた布に包み、丁重に左手で持ち運ぶ。

ふと、気が付くと。

ヴィレンドルフとの国境線上に、ヴィレンドルフの騎士や兵達が立ち並んでいる事に気が付く。

 

「美しい決闘であった。美しき野獣よ。いずれ戦場にて!!」

 

そう叫び、自分たちの砦に踵を返していくヴィレンドルフの騎士達。

ファウストは静かに、相手に聞こえないように言葉を返した。

 

「お前等蛮族の相手は、二度とお断りだ」

 

勝てる勝てないの問題ではない。

ヴィレンドルフ戦役は、ファウストにとってトラウマのようなものであった。

騎士一人一人が、アンハルト王国のそれより強かった。

特にレッケンベル騎士団長は本当に強かった。

ファウストがあの時20歳ではなく、19の頃であれば負けていたであろう。

勝敗を分けたのは、たった一年分の戦歴と鍛錬の工夫の差でしかなかった。

しかし、勝った。

その現実だけは、誰も否定しないであろう。

ファウストは一応、カロリーヌの亡命を認めないでくれた騎士達の背後にペコリと頭を下げ。

ヴィレンドルフとの国境線上スレスレから、再び戦場音楽の中へと舞い戻る事にした。

 

「さて、目標は達成した。だが……」

 

いくら被害が出たかね。

我が領民の練度なら命は大丈夫だろう。

だが、民兵は?

そして親衛隊たちは?

その被害状況はまだ判明していない。

ファウストは舌打ちしながら、あの優しいヴァリエール第二王女様が戦場の現実をついに知る事になる。

それを思うと、少し心を痛めた。



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第16話 ドリーム・イズ・ビューティフル

ファウスト・フォン・ポリドロとカロリーヌ、主役達が去った戦場にて。

第二王女親衛隊は、それぞれキルスコアを叩き出し始めていた。

ファウストが背後に引かせた民兵達は、後方に回り休息を。

代わりにヘルガ達ポリドロ領民20と、親衛隊の15が前線に立っていた。

カロリーヌ領民の精鋭、残存約20名足らず。

カロリーヌ領民は精鋭と言えど一人で、二人を相手どらなければならない状況下に陥っていた。

ポリドロ領民はヘルガの指揮の元、親衛隊の援護役として上手く立ち回っていた。

正直言ってしまえば、戦場は手仕舞いを迎え始めている。

だが、その状況を把握こそすれど、闘っている当人たちは必死であった。

 

「殺した! 次!」

「すぐに側面からの援護に回れ! 我が親衛隊、一兵たりとも死ぬでないぞ!」

 

親衛隊長、ザビーネの叫び声。

僅か一人、キルスコアを稼いだ後、ザビーネはそのまま後方に回り親衛隊の指揮を執っていた。

私の傍には同じくキルスコアを稼いだ後、私の護衛に回った親衛隊が一人だけ残って居る。

 

「姫様、御気分が優れないようで」

 

残った親衛隊員、ハンナが私の顔色を見ながら呟く。

 

「……民兵が何人も死んだわ。十名を超えるかもしれない。ファウストが、あれだけ頑張ったのに」

「仕方ありません」

 

ハンナは冷酷とも取れる声で呟く。

 

「ここは戦場ですので」

「戦場……」

 

そうだ、ここは戦場なのだ。

判ってはいる。

あの直轄領の小さな村で、執拗に痛めつけられた首の無い死体を見た時から、それは理解している。

理解していなかったのは憤怒の騎士と呼ばれるファウストの、まるで浮世離れした強さと。

私が、この死の絶叫と、勝利の雄叫びと、剣戟音が鳴り響く戦場音楽に慣れない。

その二つの事である。

正直に言えば、怯えている。

私の臆病な、この私を覆い尽くす薄皮一枚は、まだこの戦場に至っても剥がれてはくれない。

誰かが、私を狙ってくるのではないか。

誰かが、私の命を狙って襲い掛かってくるのではないか。

前線からやや離れた後方に居ても、その恐怖は晴れない。

 

「親衛隊は――私の親衛隊は、誰も死なないわよね」

「我ら親衛隊は、それほど弱くありません。これでも青い血です。平民のそれより技量も武装も違います」

 

ハンナは、私を落ち着かせるように呟く。

事実、まだ一兵も欠けていない。

第二王女親衛隊は、ヴァリエールが考えているより遥かに強かった。

初陣ゆえ最初は手こずったものの、キルスコアを獲得してからは、いつもの訓練の動きを取り戻している。

このまま、終わればいいのだが。

そう思った瞬間、一人の女が、親衛隊とポリドロ領民が囲う敵陣の中から飛び出してきた。

手にしている武装は。

クロスボウ。

あの、ファウストが教会からの苦情を無視して使う、強力無比な武器。

 

「――見つけたぞ! お前が総指揮官だな!」

 

クロスボウを持つ女は、頭を酷く打たれたのか、血を垂れ流している。

その目は、狂気に染まっていた。

私は怯えて、立ち尽くす事しかできない。

「後方の安全圏にいると思いきや、突如として敵の精鋭が襲い掛かってくることがあります」。

姉上の初陣の心構え。

その言葉が脳裏によぎる。

 

「その命、道連れに頂いていく!!」

 

クロスボウの射線。

その中に、私が入った。

殺される。

私は身じろぎする事すら出来ない。

 

「ヴァリエール様!!」

 

傍にいたハンナが、私の身代わりにクロスボウの射線上に立つ。

重い引き金を引く音が、聞こえた。

肉盾となったハンナの、装備したチェインメイルが表と裏で二度、貫かれる音。

ハンナの身体が、クロスボウの矢に貫かれた。

ハンナは、そのまま地面に倒れ伏した。

 

「ハンナ!」

 

私の絶叫。

すぐにハンナの元に走り寄るが、その反応は無い。

完全に気を失っている。

 

「貴様!」

 

私はクロスボウを持った女を睨みつける。

女は、にへら、と気持ち悪い笑顔を浮かべた。

そして、両手を広げながら呟く。

 

「ここまでか。殺せ!」

「言われずとも!!」

 

私は剣を抜き放ち、クロスボウを持った女に走り寄る。

その感情は、親衛隊を――ハンナを倒された怒りで満たされていた。

激昂である。

 

「貴様が。貴様が、ハンナを!!」

 

第二王女ヴァリエールの、産まれて初めての激昂であった。

臆病な薄皮など、もはや忘れさられるように剥がれていた。

まずは眼を抉った。

次の一撃で、耳を切り離した。

倒れ伏す女を相手に、その顔を踏みつけて歯をへし折った。

やがて、女はピクリとも動かなくなった。

その身体を、勢いよく胸を刺し、とどめの一撃を終えた。

 

「お前が――お前が、ハンナを」

 

やがて、冷静に戻ったヴァリエールは、今、自分が人を殺したのだと自覚する。

キルスコア、1。

そんなものはどうでも良かった。

 

「ハンナ!」

 

血塗られた剣をその手に、ハンナが倒れ伏す後方へと走り寄るヴァリエール。

その足は、今、人を殺したのだと、やっと激昂から醒めたようにガクガクと震えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は夢を見ていた。

童の頃の夢であった。

「男の子が欲しかったのに」、と何度も言われた。

父からも、母からも、姉妹からも。

そう男の子が産まれる世界では無いというのに。

産まれるのは、たった10人の内の1人きりだ。

自分はそこそこの青い血、世襲貴族の家に産まれた四人目で――つまり、自分は要らない子だった。

スペアのスペアのスペア。

誰からも期待されない、要らない子であった。

それゆえ、粗雑に扱われた。

騎士教育も一応は受けたが、一度でもミスをすると馬鹿な子ね、とよく叱責を食らい、すぐ諦められた。

ゆえに、中途半端な騎士教育となった。

ただ、剣術や槍術だけは不思議とよく出来た。

姉の誰よりも。年齢の差も覆して。

それゆえ逆に嫉妬を買った。

食卓では、私の食事はいつも他の姉妹より一品少なかった。

まあ、それはいい。

良い想い出など、子供の頃に無いのだ。

やがて14歳となり、私は家から放逐されるようにして投げ出された。

 

「今からお前は、第二王女ヴァリエールの親衛隊となるのだ」

 

有難い話だ。

これで、お前等と、憎むべき家族と顔を合わせずに済む。

もはや、家族に愛情など無かった。

憎むべき敵であった。

私は王宮に向かい、そこで騎士としての儀式を受ける。

初めて出会った、10歳のヴァリエール第二王女。

私より、4歳幼かった。

だが、こちらも騎士教育など中途半端な14歳だ。

騎士叙任式など、上手くできるだろうか。

正直、不安だった。

 

「教会、寡夫、孤児、あるいは異教徒の暴虐に逆らい神に奉仕するすべての者の保護者かつ守護者となるように」

 

ヴァリエール第二王女の祝別の言葉。

そうして、肩を剣で叩かれる。

 

「……」

 

言葉が出なかった。

正直、思いだせなかった。

何と答えるんだっけ?

正直、私の知能はチンパンジーであった。

私が黙っていると、第二王女ヴァリエール様はクスリと笑った。

 

「いいのよ、黙っていて。私もスペア、貴女もスペア。これから一緒に頑張りましょう」

 

ヴァリエール様は、騎士の誓いも満足に果たせない私を相手に、静かにほほ笑んだ。

それからは――楽しかった。

楽しいとしか言いようが無かった。

今までの14年の、あの何とも言えない、もはや悪夢のような14年の事など薄れる程に。

親衛隊は、皆、馬鹿である。

親衛隊は、皆、気持ちいいくらいの馬鹿ばかりであった。

私は初めて、第二王女親衛隊で仲間と、友達という物を認識した。

同時に、こんな私みたいな馬鹿がこんなに沢山いたんだと言う複雑な気持ちにもなったが。

親衛隊長のザビーネは酷かった。

特に酷かった。

私達と同じ、一代騎士の最低階位。

その癖して、演説の一番上手い私が隊長になる、と言って聞かなかった。

どんな理論だよ。

あんまりにも聞かん坊で、否定しようとすると暴れる物だから、ヴァリエール様が泣く泣く折れた。

 

「私は、本当は貴女を、ハンナを親衛隊長にしたかったのよ?」

 

ヴァリエール様の、そんな言葉が嬉しかった。

家では褒められたことなど、無かった。

嗚呼、ザビーネの奴は本当に酷かった。

いつぞやは、侍童の着替えを覗きに行こうなどと計画を持ち出した。

私は反対しようと思った。

しかし、出来なかった。

その時、16歳の女としては男性の身体に興味が無いわけでは無かった。

知識では――親衛隊長ザビーネの語る、どこから手に入れてきたのかもしれぬ、その猥談で心を弾ませながら得ていたが。

実際の、男性の裸体など拝んだ事は無かった。

 

「お前も興味あるだろう、なあ、ハンナ」

 

興味が無いと言うと、嘘になる。

やがて、我ら第二王女親衛隊15名はぞろぞろ連れ立って、侍童の着替えを覗きに行った。

無論、見つかった。

そもそも、15名による集団覗きに無理があったのだ。

何故誰も止めなかった。

我々はチンパンジー並みの知能なのか?

そう自分でも疑うほどであった。

だが。

その事件を起こしても、ヴァリエール様は我々から親衛隊の役職を奪わなかった。

 

「私が、お母様に頭下げといたから。それでこの話はお終い、と言いたいところなんだけど」

「それで終わらせてくれませんか?」

「終わるわけないでしょう。この馬鹿ども。チンパンジー! そこに全員正座しなさい!!」

 

親衛隊15名、全員床に正座させられて叱られた。

あれは良い想い出だ。

子供の頃と違う。

敬愛するヴァリエール様に叱って頂いた、まるでご褒美のような良い想い出だ。

楽しかった親衛隊の日々。

ハンナは夢を見ていた。

きっと、ヴァリエール様は女王になど成れないだろう。

第一、優しいあの人に女王は似合わない。

それでいい。

ヴァリエール様は、私達だけの主人でよい。

他には、誰もいらない。私達だけのご主人様だ。

我ら、第二王女親衛隊全員、今は一代騎士の、最低階位の貧乏騎士だけど。

いつか世襲騎士にまで階位を上げて。

親衛隊の皆で金をかき集めて、いつもの安酒場で樽を一つ買い切るように。

皆一緒の、なんとか青い血の夫をとり。

子供を作って。

それで、自分の後を継いでもらって。

それで、それで。

ハンナは夢を見ていた。

だが、夢から覚める時が訪れた。

呼び醒ましたのは、男の声であった。

 

「他にも重傷者がいます。私はその治療のため、領民たちの指揮を行います。王女さまはどうか、そのお膝元の彼女の傍に。後は、私が役目を引き継ぎます」

「ハンナが! この子が一番重症なのよ! ファウスト。お願いよファウスト! この子を!」

「ヴァリエール第二王女殿下」

 

ああ、ヴァリエール様が泣いている。

なんで泣いてるんだろう。

ポリドロ卿が、ぐっと何かをこらえた表情で、辛そうに私を見て呟いた。

 

「家臣の死を看取る事だけは、その役目ばかりは、主君の勤めであります」

 

ポリドロ卿がそれだけ言って、馬に乗ったまま、背を向けて立ち去る。

なんだ。

死んでしまうのか、私は。

この夢は終わってしまうのか。

その現実を、ポリドロ卿とヴァリエール様の会話で理解する。

 

「起きた? 起きたのね? 生きられるわよね、ハンナ」

「しんえいたい――しんえいたいが王女さまをまもるのは、とうぜんのこと」

 

呂律が上手く回らない。

何故か、凄く眠たい。

このまま、もう一度目を閉じて眠ってしまいたくなる。

でも、起きていないと。

ヴァリエール様を、なんとか泣き止ませないと。

 

「ヴァリエール様」

「なに? ハンナ。貴女ったら本当に馬鹿で、私の盾なんかになって。何もいい事なんかないのに」

 

眠い。

なんでヴァリエール様は泣き止んでくれないんだろう。

 

「いえ、でも、これは名誉だから。名誉の負傷なんだから。お母様に頭を下げてでも、きっと貴女の階位を上げて、もっといい暮らしをさせて。それで、それで……」

 

もう、我慢できないかもしれない。

御免なさい、ヴァリエール様、いつも怒らせてばかりで。

多分、眠りに就いたら、また貴女は怒るでしょう。

だから、その前に一言だけ――

 

「わたしはね。ヴァリエール様の事、大好きだったんですよ」

 

せめて、この想いだけは伝えておきたい。

私は王家への忠誠等ではなく。

青い血の騎士としては恥ずかしながら、そんなものは欠片も無く。

ヴァリエール様個人の事が大好きであったから忠誠を誓っていたのだと。

ああ、眠い。

目を閉じる。

 

「ハンナ! 目を開けてよ!!」

 

ヴァリエール第二王女の嘆願するような絶叫。

その目はもう二度と、開かない。

――ハンナは、最期にすう、と一息吸った後、永遠の眠りに就いた。

もう夢は見れない。

ヴァリエール第二王女の、目を醒ませと言う怒りの――悲鳴のような泣き声が、辺り一帯を包んだ。

 

 

 

 



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第17話 譲れないもの

あれから、一晩が経った。

泣きながら、亡くなった民兵である妻や母の死骸に縋りつく、少年や男達。

せめて死者をこれ以上増やすまいと、重症者の治療に領民を働かせるファウスト。

 

「泣くな、ハンナは責務を全うしただけだ。泣くなよ」

 

そうブツブツ自分に呟きながら、親衛隊で一番仲の良かったその亡骸の手を握って、昨夜眠っている時からも一日中離さないでいるザビーネ。

そしてファウストから、しばらく休んでいるように諭された私。

私は、ハンナの死から未だ立ち直れていなかった。

初めて人を殺した衝撃からも。

私は、全てを忘却するようにして――ファウストの気遣いで、しばらく一人にさせてもらっていた。

無論、ハンナの死に衝撃を受けた親衛隊は、全員私を守ろうとして、同時に仕事に専念することで何かを振り切るようにして、周囲を警護していたが。

足を崩し、全身の力を抜く。

 

「泣くなよ、泣かないでくれ。頼むから。ハンナは立派に務めを果たしただけなんだから」

 

ザビーネが、また昨晩と同じくハンナの手に頬擦りをしながら、泣き出した。

ザビーネが自分自身に、必死に言い聞かせようとする言葉は、全て無意味になっていた。

おそらく、ザビーネは今回の戦を後悔している。

彼女が民兵を駆り立てなければ、この戦に挑まなければ、ハンナは死ななかったであろう。

だが、それは結果論だ。

小さな村の国民達、その全てを見捨てて逃げ出した、撤退した際の場合でしかない。

親衛隊の誰も、私も、ザビーネがハンナを殺した等とは思わない。

あれだけ仲が良かったハンナを。

ハンナとザビーネは、無二の親友だった。

ザビーネは、ハンナの手に、もはや言葉は無意味となった涙をこぼし続けている。

私はぼーっとその光景を見て、止めないでいる。

泣けばいい。

存分に、泣いてあげればいい。

私は、もう既に全身の水分が抜け出るかと思うほど泣いてしまったから。

私の代わりに、ザビーネが泣いてあげればいい。

そう思う。

私はその光景を見ながら、そんな事を思った。

遠くから、かすかに音が聞こえる。

馬のいななき、蹄と、人の足。

軍靴の音。

私は思わず立ち上がり、最も頼れる相談役の名を呼ぶ。

 

「ファウスト! ヴィレンドルフかも――」

「いえ、姫様。ヴィレンドルフではありません」

 

ファウストは落ち着いて、その自分の首にぶら下げた双眼鏡。

――カロリーヌから鹵獲した戦利品。

それを使用し、音がする方角へと視線を向けた。

 

「アレはアスターテ公爵旗。援軍です」

 

来るのが遅い。

あと一日早ければ、ハンナは。

愚痴にすぎないのは判っている。

仮定にすぎないのも判っている。

間に合わなかったのが仕方ないのも、判ってはいるのだ。

だが、そう思わざるをえなかった。

私は、考える。

何をすればいいのか。

 

「ファウスト。手間をかけるようだけど御免なさい。私は――」

 

ファウストに判断を仰ごうとして。

それは、止めた。

何故だか、自分でこなそうと思った。

 

「ファウスト、命じるわ。今からアンハルト王国第二王女ヴァリエールとして、この戦の勝者として、援軍たちを迎える。準備して」

「――承知しました」

 

ファウストが、膝を折り、私に礼を整えながら答えた。

何だ、結局ファウスト任せなのは代わりないじゃないか。

違いは、頼んだか、命じたかだけだ。

でも、違うのだ。

頼んだか、命じたかでは、大きく違うのだ。

私は今まで、ファウストに頼み縋るだけの人物であった。

そんな事を、自分の心中で呟きながら。

私は、アスターテ公爵を迎えることにする。

ファウストが代官に援軍が来たことを伝え、志願民兵達、そして男や少年達をまとめておくように命じた。

逆に重傷者は前面に、一刻も早く衛生兵による治療の準備を。

次に、ポリドロ領民に、迎える準備を整えるように従士長であるヘルガを呼びつけ、話を進める。

私はせめて、自分の指揮下である親衛隊に出迎える準備を命じようと。

親衛隊は全員――ザビーネは、駄目だ。

アイツには時間が必要だ。

私と同じく、立ち直る時間が。

ザビーネには、ハンナの亡骸を守る任務を与える。

親衛隊長の復帰を諦め、代わりに親衛隊の一人に親衛隊長代理を命じる。

元々、ハンナと同じく親衛隊長候補に挙げていた子だ。

大丈夫とは、我が親衛隊の平均水準から見て、とても言えないが。

それでも、やってもらわなければならない。

援軍の、先触れの兵。

それが騎馬に乗って到着する。

 

「我らアスターテ公爵軍、援軍に参った。状況を確認したい!!」

「我が名は第二王女ヴァリエール! 戦は終わった。カロリーヌは我が相談役ファウスト・フォン・ポリドロが見事仕留めた! 敵軍は殲滅した! 今は戦後の始末中である。協力してくれた志願民兵に重傷者が居る! 衛生兵はいるな!」

 

先触れの兵に向かって、私は叫ぶ。

その斥候騎士は戸惑いながらも、私の言葉を受け止めた。

 

「しょ、承知。状況は確認しました。我がアスターテ公爵軍は後30分で到着します。衛生兵もおります。しばしお待ちを! 私は状況の報告に戻ります」

 

斥候騎士が、踵を返して、段々と近づきつつあるアスターテ軍の元へと騎馬で駆けていく。

私はふう、と息をつきながら、アスターテ公との遭遇を思うとうんざりする。

怖いのだ、あの目が。

私を凡才であると、ハッキリと嫌いだとその目で訴える、あの目が。

アスターテ公爵は。

凡才である、青い血を酷く嫌う。

それは公然とした現実であった。

さてはて、今の私はどうであろう。

数的には不利な戦に望み、国民を――民兵達に10名の死亡者を出し、親衛隊の一名を失い、ファウストを馬車馬のように働かせた。

それでも、勝利した。

結果としては、青い血としては申し分ない結果なのだろう。

たったそれだけの犠牲で、勝利した。

何と素晴らしい、周囲はそう褒め称えてくれるであろう。

だが、私はそれを認められないでいるのだ。

私自身が、ヴァリエール第二王女という人物が、その結果に相応しいと思えないでいるのだ。

そんな私を、アスターテ公爵はどんな目で見るのであろうか。

不安であった。

恐怖であった。

第一王女相談役。

そう自ら名乗り出た、あのアスターテ公爵の目を見ていると、自分が自分の価値を。

その存在意義を疑われている様な気がして。

――いけない。

私は。

私は、あのアスターテ公爵に、立ち向かう。

敵対するのではない。

はっきりと、その目を見据える存在にならなくてはならない。

何なのだろう、この感情は。

何処から湧いてくる感情なのか、それはわからないが。

何となく、そう考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

アスターテはヴァリエール第二王女が大嫌いであった。

何せ、凡才である。

平民ならばよい。

それは許せる。

青い血の凡才は、アスターテにとって最も嫌う生き物であった。

 

「志願民兵10、親衛隊――騎士1名の犠牲で、敵の精鋭70と山賊30。計100を殲滅、と」

 

アスターテは、報告書にペンを走らせ、その紙をむしり取る。

 

「これ、リーゼンロッテ女王様宛てに、早馬で届けといて」

「承知いたしました」

 

アスターテの側近が頭を垂れ、その報告書を受け取る。

アスターテ公が開いた陣営内。

そこでは慌ただしく兵達が走り回り、民兵の治療に務めていた。

配下の騎士は、全員私の警護に務めている。

 

「さて、ヴァリエール第二王女殿下。初陣の結果、見事な戦績。ご気分は如何?」

「……全て、志願民兵と部下の親衛隊。そして何よりファウストのおかげよ、私は何もしていないわ」

「まあ、そうでしょうけどね」

 

あっさりと頷く。

正直言って、ほぼファウストの戦果であろう。

ファウストの尻を拝みに――いや、民兵の治療を引き継ぐ際にファウストと話したところ、多分今回のキルスコアは40くらいとの事であった。

あの男、キルスコアを一々数えていないためか、数を少なく見積もる傾向が有るため、確実に一人で半分殺している。

あの憤怒の騎士が、敵国ヴィレンドルフに産まれなくて何より。

雑考。

それを取り止め、またヴァリエールの顔を見る。

はて、ヴァリエールという凡才はこのような目をしていたであろうか。

私や、アナスタシアの眼前ではじっと、何かに怯えて俯くような少女であったはず。

ふむ。

少し、話をしてみようか。

 

「ヴァリエール第二王女。小さな陣幕に移ろう。少し二人だけで話をしたい」

「……わかったわ」

「もちろん、親衛隊は陣幕の外に張り付かせておけよ。ここはヴィレンドルフの国境線。何が起こるかわからん」

「……そうね」

 

私とヴァリエールは、小さな陣幕に入る。

そして粗雑な二つの折り畳み椅子に座り、私はヴァリエールに問う。

 

「自分の身代わりに親衛隊を失った。そしてその敵討ちに人を一人殺した。その気分はどうだ、ヴァリエール第二王女」

「……誰から聞いたの」

「ファウストからだ。こっそり、どうか御配慮願えますようにと、頭を下げて頼まれた」

 

私は、ヴァリエールの顔を下から覗き込むように眺める。

 

「もちろん、その場では応じたさ。実際は配慮なんぞしないがね」

 

ファウストに嫌われるのは死んでも御免だ。

了承はした。

そうしてもいいとすら思った。

だが気が変わってしまった。

私は今のヴァリエールに興味津々である。

コイツ、少し変化した。

私の目を今もまっすぐ見つめている。

時折、凡才なりにこういう奴もいるのだ。

何が変わった?

 

「実際どうだった? 人を殺した気分は?」

「ハンナは私のために誇りある死を遂げた。私は冷静にその仇を取った。その行為は、青い血として、恥じぬよう務め上げたと思ってるわ」

「ふむ」

 

嘘だな。

強がりというやつだ。

多分、半狂乱になって、親衛隊の仇を討った。

アナスタシアですらそうだったと聞く。

ヴィレンドルフ戦役――初陣では突然の襲撃に混乱し、親衛隊が殺された怒りで半狂乱となって敵を殺しまわり、一時私との通信が途絶えた。

女王リーゼンロッテの初陣もそうであったと聞く。

私自身、初陣では家臣を殺された怒りで、半狂乱となりながらも敵を殺したものだ。

そういう血族なのだ、私達は。

 

「なあ、ヴァリエール第二王女殿下」

「何、どうせ血族なんだし、この場ではヴァリエールと呼んでいいわよ」

「ではヴァリエール。お前は今回、ファウストのおかげとはいえ、立派な戦績を残した。これでは諸侯も法衣貴族達もそう馬鹿にはできない。お前は今後、何がしたい」

 

問う。

お飾りのスペアでは、もはやなくなってしまったヴァリエールに問う。

お前は今後何がしたい?

何を望む?

 

「……親衛隊」

「親衛隊?」

「あの子たちを、全員世襲騎士に育て上げる」

 

奇妙な返答であった。

私はお前が今後何がしたいかを聞いているのだ。

部下の今後を聞いているのではない。

 

「いや、まて。育て上げる? どういうつもりだ?」

「私は女王の座に興味なんかない。成れるとも思っていない。相応しいだなんて、もっての他。だけど、私にもね――」

 

ヴァリエールは握り拳を作りながら、そのぎゅっと握りしめた手の中に何かを見つけたようであった。

 

「私にも、家臣がいるのよ。今の今まで気づかなかった。馬鹿でしょう。私。凡才と貴方に見下されるのも無理はないわ」

 

あはは、と乾いた笑いを挙げながら、ヴァリエールは答える。

 

「いずれ姉さまが女王になり、私は僧院に行き、それで私の人生はお終い。ずっとそう思っていた。でもね、私にもたった一つだけ譲れないものがあったのよ」

「それは……何かな」

 

私は、酷く興味を持って、その答えを待つ。

 

「あの子たちだけは――私の親衛隊だけは育てて見せる。各地に軍役、交渉、その他雑用でも何でもいい。あの子たちの階位を上げ、経験を積ませてあげられるなら何でもいい。その指揮官として赴いて、青い血としての義務を果たすわ」

「……」

 

変な女だ。

変わった成長の仕方である。

アスターテはそう素直に感じた。

偶然のような功績に恵まれ、欲望に溺れる者がいる。

家臣達の死を悲痛に思い過ぎて、狂った者が居る。

平民を、領民を愛しすぎて、その損失に耐えきれなかった者がいる。

青い血とは、これでなかなか悲惨な末路を辿る物が多い。

だが、ヴァリエールは違った。

親衛隊の未来以外の何もいらないと言うのだ。

ただそれだけのために、今後の青い血としての務めを果たしていくというのだ。

もちろん、それに付随する青い血の義務は、そのためにも果たして行くのであろうが。

変な女だ。

そう言わざるをえなかった。

情があまりに深すぎると、こういう成長の仕方もするのか。

 

「ヴァリエール第二王女殿下」

「何よ、急に改まって」

「私は正直、今まで貴女の事が大嫌いでした」

 

その言葉に、ヴァリエールは微笑む。

知ってるわ、そんな事くらい。

そんな表情であった。

 

「しかし、今の貴女はそこまで嫌いではありません」

「好きになってはくれないのね」

「青い血の王族としてはおそらく――いや、完全に間違っていますので。貴女はどこまでも凡人です」

 

そうよね。私もそう思うわ。

ヴァリエールがそうやって微笑む。

ヴァリエールはアスターテの言葉に答えず、ただ微笑みだけで肯定を為した。

本当に、変な成長の仕方をしたものだ。

アスターテはそう思いながら、話を打ち切り、一人先に陣幕を出る。

そして再び、ファウストの尻を拝みに行くことにした。



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第18話 戦後処理はこれから

王城内を歩く。

私ことヴァリエールは、戦地での処理を終え、王都アンハルトに帰還していた。

もちろん、第二王女親衛隊たち――ハンナの亡骸と一緒に。

その埋葬は親衛隊と、相談役であるファウストと私。

その16名の参列者のみで、静かに行われた。

お母様が、貴女を守ったからには相応の格式でと、法衣貴族の武官達。

女王親衛隊を含めたそれで、厳かに行おうと提案してくれたが。

それを、ハンナが喜んでくれるとは思えなかった。

私と親衛隊たちは、仲間内だけで葬儀を執り行う事を望んだ。

そうする事が、ハンナは一番喜んでくれるだろうと考えたのだ。

何より話が大きくなり、状況に掌返したハンナの家族が墓参りに訪れるなど、ハンナは決して喜ばないだろう。

むしろ、怒られてしまう。

 

「ザビーネ」

「なんでしょう、ヴァリエール様」

「ハンナの事は吹っ切れた?」

 

傍にいる、ザビーネに声を掛ける。

ザビーネは悲しそうな顔で、軽く首を振った。

まだ、完全には立ち直れていないようだ。

 

「姫様。あの小さな村の直轄領の人達に関してですが」

「それは貴女の知ってる通り、アスターテ公に。それから、お母様にも頼んだ。何も心配いらないわよ」

 

ザビーネが死地に駆り立てた者たち。

重傷を負いながらも、志願民兵を指揮し、青い血としての名誉を回復した代官。

生き残った重傷者を含む志願民兵計30と、救出した男に少年達。

そして10の亡骸は、アスターテ公が輸送してくれるとの事であった。

カロリーヌが抱えていた財貨や領民の武装は、全てアスターテ公が回収した。

やがて、直轄領の遺族への補償に充てられるとの話である。

女の数こそ減ってしまったが、男と少年達は取り戻した。

いずれ、お母様から命令を受けた官僚貴族が、減ってしまった人数分の移住者を見繕い、毎年少しづつ様子を見ながら村民の数を増やし、小さな村の小さな幸せを取り戻すであろう。

もっとも、死者たちへの悲しみが癒えるまで。

カロリーヌが破壊した村の痕跡が消えるまで。

大分、時間がかかってしまうであろうが。

 

「そうですか」

 

きっと、ザビーネが立ち直るよりも時間がかかるだろう。

そのザビーネだが、今回、階位が二つ昇位した。

他の親衛隊も全員、階位が一つ昇位した。

今回の功績ばかりは、直轄領を襲い、男や少年達を攫い、財貨を奪い、ましてヴィレンドルフにそれらを売り渡し亡命しようとした売国奴。

そのカロリーヌ討伐の功績としては、昇位にふさわしいと判断したとお母様が言っていた。

ただし、ザビーネの二つ昇位については、少しファウストが口を挟んだが。

民兵を徴兵したのは隊長であるザビーネの功績と聞いていますが、と不思議な顔をするお母様。

 

「あの状況では最適解であった。最適解であったのは結果から見ても明らかではあります。それは認めます。ですが、進言したい事が」

 

ファウストは、あのザビーネの演説に対して、自分が思っていたことを素直に語り、苦言を呈した。

お母様はその内容に頬をひきつらせ、言われれば私もアレは青い血としては拙かったと思い返す。

しかし、勝てば官軍である。

お母様は吟遊ギルドに命じて、ザビーネの熱い鼓舞に応じて民兵達が自ら志願したと英傑詩を作り上げ、今回に関しては適当に誤魔化しておく、と答えた。

まあそれ以外に他はない、というファウストの何かを諦めた表情は今でも思いだせる。

結果、ザビーネの二つ昇位に関しては変更が無かった。

次回は本気でファウストを怒らせかねないので、ザビーネには言って聞かせなければならない。

もっとも、言わずとも二度と同じことをするとは思えないのだが。

ザビーネは民兵を駆り立てて死人を出した事を、ハンナの死を、心から悔いている。

吟遊ギルドに命じられた吟遊詩人たちが王都中で謳い出すであろう、その捏造された英傑詩を聞いて、更に心を痛める様な事が無ければよいのだが。

きっと、無理だろうな。

ザビーネの顔色は冴えない。

夜、ちゃんと寝れているのであろうか。

私も時々、あの戦場音楽や、自分が殺した女の顔を夢に見て、ベッドから飛び起きることがある。

やがて、それも時間とともに収まるのであろうが。

 

「……」

 

そういえば、今回のファウストの功績に対しては何が与えられるのであろうか。

ファウスト無くして、今回の勝利は無かった。

ヴィレンドルフ戦役では、ファウストはその大きな功績に対しては少し満たない金銭を褒美として望み、お母様や法衣貴族には欲が無い男だと言われたものであるが。

ファウストの今回の功績に対する褒美の発表は、未だに公表されていない。

いや、待てよ。

ひょっとして、私の歳費からちゃんと出さないと拙い?

ファウストは第二王女相談役として参加してくれたのよね。

だから、私から褒美を出すのが当然で、だからこそお母様も未だ何も言ってくれない――

うんうんと、頭をうならせる。

私に与えられた権限での少ない歳費では、とてもファウストが満足いくような報酬は出せないぞ。

また後で、お母様に相談しなければ。

今回に関しては、正直、国の歳費から出してくれ。

或いは、私の歳費をこの際増やしてくれ。

国の面子を守ったんだから、それぐらい良いだろう。

そう願う。

そんな事を考えながら、王城の廊下を歩いていると。

 

「あら、ヴァリエール。こんにちは」

「姉さま。えっと……こんにちは」

 

私は姉さま――アナスタシア第一王女に声を掛けられ、その眼光に硬直する。

駄目だ。

アスターテ公とは視線を合わせられたのに、姉さま相手だとさすがにキツイ。

そもそも、本当に目つきが悪いのよ姉さま。

あのファウストですら、視線を合わせるのを嫌がるのよ。

私だって、怖がるくらいは許されるわね。

でも、駄目だ。

第二王女として、親衛隊に恥じないように青い血として立つと決めたのだ。

視線を合わせなければ。

 

「ヴァリエール、挨拶ぐらいはマトモにできるようになったのね。とても良い事です」

「えっと……有難う、御座います?」

 

私は困惑する。

今のは、姉さまが、少しは私の事を認めてくれた言葉と受け止めてよいのだろうか。

 

「貴女に、少し聞きたいことがあります」

「はい」

 

姉さまが、私に聞きたい事?

それは何であろうか。

 

「私が貴女に教えた、初陣における心構えは役に立ちましたか?」

「……」

 

初陣における心構え。

一つ、戦場では何が起こるかわからない。事前に得た情報に齟齬が生じる事。

一つ、後方の安全圏にいると思いきや、突如として敵の精鋭が襲い掛かってくること。

もう一つは――自分にとっての愛する人間が、死ぬことすら平然と起きるということ。

 

「戦場は、全て姉さまの仰る通りの事が起きました。ですが、役立てる事はできませんでした」

「そうですか。ファウストやアスターテによる、それぞれの報告は読みましたが、それにしたって余りにも酷い状況だったようです。気にする事はありません」

「いえ、役立てることが出来ず、申し訳ありません」

 

素直に、謝罪する。

あの時の姉さまの気持ちはよく判らなかったが、姉さまなりに気遣ってはくれていたのだ。

 

「ヴァリエール」

「はい、姉さま」

 

姉さまが、その蛇のような眼光で、じっと私の瞳を見つめる。

 

「貴女は――愛する者が目の前で死にゆく状況下でも、冷静に対処することができましたか?」

「……いいえ」

 

アスターテ公には強がりを言ったが、今回は正直に答える。

私にはできなかった。

それは王族として失格なのだろうか。

 

「なれば、それは良い事です」

「は?」

 

思わぬ、姉さまの言葉にきょとんとする。

姉さま、何が言いたいのだ。

 

「初陣で愛する者が殺された場合、半狂乱に陥って、敵目掛けて暴れまわる。それは我が血族の特徴です」

「……」

 

それでいいのか、我が血族。

本来、冷静であるべきじゃないのか。

それこそ、緊急時なのだから。

 

「私は、正直貴女が本当に我が血族の血を引いているのかと疑っていました」

「……」

 

私、そこまで姉さまに嫌われてたのか。

嫌われているのは知っていたが。

正直、愕然とする。

 

「ですが、違ったようです。見直しましたよ、ヴァリエール」

「あ、有難うございます」

 

今度こそ、私にもハッキリわかるように姉さまは褒めてくれた。

一応、誇りに思っていいだろう。

その内容は、正直言って私には微妙に思えるのだが。

 

「さて、私の話したい事は終わりとしたいところですが、ヴァリエール。まだ言いたいことが」

「はい」

 

少し、胸を張りながら答える。

この様子だと、そう無体な事は言われないだろう。

 

「貴女、余計な事してくれましたね。貴女の功績のせいで、私の女王就任が少し先に延びました。リーゼンロッテ女王曰く、宮廷内のバランスを考えろ、との事です。大人しく逃げ帰ってくれれば良かったものを」

「……」

 

無茶苦茶に無体な事言われた。

知るか、そんなの。

私の功績を全力で否定しにかかるなよ。

 

「ヴァリエール。死んでは何も意味が有りませんよ。生きてこそ花は咲きます。我々王族は、その立場として、最高指揮官として絶対に死んではならないのです。貴女がもし死んでいた場合、例え闘いに勝利したとしても、王家は初陣の補佐を務めていたファウストに対し何らかのペナルティ、罰を与える事も考慮に入れなければなりませんでした」

「それは判っております」

 

姉さま、その言葉通りにとると、最終的に心配しているのは私じゃなくて、ファウストの方じゃないのか。

そんな疑念を抱く。

 

「それと最後に二つ」

「まだ何か?」

 

私は正直ウンザリしていた。

これ以上、一方的に責められるのは嫌だぞ。

私はそう考えるが。

 

「一つは、よく生きて帰りました、私の妹」

「……」

 

私は、喜びよりも驚愕する。

そんな言葉が、姉さまの口から飛び出すとは思わなかった。

あの鉄面皮の姉さまが。

法衣貴族から、本当に自分と同じ血が通っているのか、と疑われる姉さまが。

あの鬼そのものの視線で子供のころから私を睨みつけてきていた、あの姉さまが。

これは快挙である。

快挙そのものである。

 

「もう一つは、ヴァリエール。直に、アスターテが、私の相談役が直轄領に村民を送り届け、ついでの仕事をこなして帰ってきます。用意しておきなさい」

「用意? ついでの仕事とは?」

 

私は思わず、心の底で全身全霊を籠め、これは快挙であるぞ、と快哉を挙げていたが。

もう一つの話に、疑念を浮かべる。

何の用意だ。

ついでの仕事とは?

 

「まだ、戦後処理は終わっていません。今回、貴女を追い詰めた最大の原因。売国奴カロリーヌの姉である、ヘルマ・フォン・ボーセル。家督相続を勝ち取り、ボーセル領の領主となったヘルマ。それは結構。だがその際、カロリーヌとその配下を逃した。結果、カロリーヌは山賊を指揮下に置き、我が王家の直轄領を襲った。その手抜かりへの追及がまだです。アスターテは直轄領に寄るついでに、ヘルマを王都に連行して帰ります」

「……」

 

ハンナの死に衝撃を受けすぎて、忘れていた。

それがまだ残っていたか。

我々が苦境に追い込まれた、最大の原因。

完全に思いだした。

そもそも、今回の原因である地方領主の長女たるヘルマ・フォン・ボーセルへの多額の謝罪金――戦費の請求を、ファウストから依頼されていたのであった。

それこそケツの皮が剥けそうなほど、私は自分のケツも拭けない領主騎士が反吐が出る程嫌いです。

それがファウストの言い分であったか。

 

「まあ、貴女がヘルマを問い詰めるのではありません。母上、リーゼンロッテ女王が王としてヘルマを問い詰めます。ですが、貴女は関係者であり、その迷惑をこうむった者なのです。その裁定に不満があれば、意見を述べる。その資格があります」

「私の……意見」

「その罪と罰への裁きは、王の間で、上級法衣貴族、そして諸侯やその代理人を集め行われます。全員は忙しくて参加できそうにありませんがね。貴女は相談役であるファウストと、同席しなさい」

「判りました」

 

最後の発言、それを終えて、姉さまが背を向けて廊下を立ち去る。

私は怒るべきなのだろう。

あのような事が無ければ、私はただの山賊退治を済ませ、おそらく親衛隊全員そろって王都に帰還していた。

まあ、あくまで仮定の話で、戦場では何が起こるか判らないが。

怒りはどうにも湧いてこない。

あの、憎むべきであろうカロリーヌに対してもそうなのだ。

もはや、何事も片付いてしまった。

そんな心境であった。

だが、まだ終わりではない。

終わりではないのだ。

 

「御免、ファウスト。領地に帰りたがっているところ悪いけど、もう少しだけ力を借りるわ」

 

私は、王家から与えられた下屋敷で今頃、私は何時になったら今回の報酬を貰い、何時になったら領地に帰れるのだ?と愚痴っているであろうファウストに心の中で詫びた。

 

 



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第19話 ヘルマ・フォン・ボーセルの弁明

王の間。

リーゼンロッテ女王が王座に座るその席で、上級法衣貴族と諸侯たち、そしてその代理人たちは、互いに向かい合うようにして立ち並んでいた。

この場は、ヘルマ・フォン・ボーセル。

領民1000名を超える街の、家督相続戦を勝ち抜いた地方領主。

その罪、カロリーヌを逃した手抜かりを裁くべき場である。

法衣貴族と、諸侯たちは、ファウストの見解で言うと検察と弁護人。

その立場として立っていた。

法衣貴族は、この機会に問題を起こしたボーセル領を取り潰したい。

そして直轄領としたい。

その思惑が有った。

法衣貴族たちは、さながら検察である。

その発言は、要約するとこうである。

 

「ボーセル領は取り潰しとすべきである!」

 

諸侯たちはその真逆である。

幾ら寄親とはいえ、いくら主君とはいえ、リーゼンロッテ女王が地方領主を取り潰す。

過去にも無いわけではないが、前例を増やす事だけは阻止したかった。

自分達の立場と考えてみれば、これだけ防ぎたい事態は無い。

さながら、諸侯たちはヘルマの弁護人であった。

その発言は、要約するとこうである。

 

「謝罪金をポリドロ卿と王家に支払う。それで済ませるべきであろう」

 

両者はその互いの立場を認識しながら、相対し、王の間に立ち並んでいた。

もちろん、彼女達の考えをリーゼンロッテ女王は理解している。

 

「双方、控えよ。全てはヘルマ・フォン・ボーセルの弁明を聞いてからの決断とする」

 

両者を、その威厳ある声によって押し止める、リーゼンロッテ女王。

その右傍に控えるのは、第一王女アナスタシア、その相談役アスターテ。

その左傍に控えるのは、第二王女ヴァリエール、その相談役ファウスト。

これにて、役者は揃うことになった。

後は、ヘルマ・フォン・ボーセルの登場を待つばかりである。

どんな弁明を述べるのか。

どんな反論を為し、自領への被害を防ぐのか。

愉しみである。

ファウスト・フォン・ポリドロはやや愉悦を含みながら、その裁きの場を待っていた。

そもそも、ファウストにとっては今回の軍役は気に食わない事ばかりであった。

地方領主であるヘルマが逃した、カロリーヌによる初陣規模の拡大化。

結果的に見れば仕方ないとはいえ、ザビーネの青い血の本分を忘れたような演説。

志願民兵10を失い、親衛隊1を損失した戦場での結果。

何より、カロリーヌの最期の遺言。

マルティナという名は誰の事か、それはアスターテ公に事前に聞いた。

カロリーヌの一人娘の事であると。

不愉快であった。

やはり、聞くべきでは無かった。

今頃、縛り首にされていることであろう。

頑是ない子供が、縛り首にされる事。

それが青い血の子供であろうとはいえ、それはファウストの――前世の価値観とは相いれぬ事であった。

だが、終わってしまった以上は仕方ない。

自分には、ファウスト・フォン・ポリドロという一介の辺境領主にはもはや何もできないのだ。

そう考える。

やはり、ヘルマ・フォン・ボーセルは裁きを受けるのに相応しい人物である。

おそらく、諸侯の弁護により取り潰しとまでは行かないが、多額の謝罪金が私や王家に支払われるであろう。

ファウストはそう結論付けた。

 

「ファウスト、何を笑っているの?」

「これから、ボーセル卿に突きつける謝罪金、その報酬を期待しているのですよ。軽蔑しますか?」

「いいえ、ファウストにはそれを望む権利があるわ」

 

これは意外だ。

ヴァリエール様は、私のその考えをあっさり肯定した。

少しばかり、成長なさったようだ。

初陣を通して、何かを掴んだのであろうか。

そんな考えをしている間に、ついにこの裁きの場に当事者が訪れた。

 

「ヘルマ・フォン・ボーセル、御前に」

 

ヘルマ・フォン・ボーセル。

カロリーヌとの家督争いを勝ち抜いた、その姿が現れてみるに。

何というか――病弱。

それ、そのものの姿であった。

まず、杖をついていた。

右足に重傷を負っていた。

おそらく、カロリーヌの攻撃によるものであろう。

だが、それを別として、ヘルマのその姿は病弱そのものであった。

顔は青白く、その手足は枯れ木のように細かった。

まるで、死の際の母親マリアンヌのような。

このような人間が、長生きできるわけがない。

そんな容貌であった。

リーゼンロッテ女王も、その容貌を見て愕然としている。

 

「ヘルマよ。家督争いの際に、カロリーヌから受けた傷が、まだ癒えぬのか?」

「……いえ、陛下。元より、この身はこの容貌でございます。失礼を」

 

ヘルマが、その病弱な容貌で答える。

……よく、カロリーヌの手から逃げられたものだ。

私が抱いた疑問を、そのままリーゼンロッテ女王が口にする。

 

「何故、お前はカロリーヌから逃げ切れた? 報告では……」

「死ぬべきでした」

 

ヘルマは答える。

リーゼンロッテ女王は、その返答に驚愕する。

 

「何!?」

「あのまま、私などは妹――カロリーヌに殺されてしまうべきだったのです。命惜しさ故、屋敷に設けられたセーフルームに逃げ込み、怯えながら、家臣達が妹を撃退するのを待っておりましたが」

 

ヘルマが、その病弱の身体ながら、言葉と瞳に熱を灯しながら呟く。

 

「私など、あのままカロリーヌに殺されてしまうのが最高の結末であったのです」

「待て、ヘルマよ。私はそなたの領地の事情を知らぬ。他の皆もだ」

 

リーゼンロッテ女王が、そのまま独白を続けそうなヘルマの言葉を止める。

法衣貴族達や、諸侯やその代理人が、ざわつく声が聞こえる。

 

「詳しく、詳しく事情が聴きたい。ボーセル領に何が有った? それを聞かねば判断が出来ぬ」

「……なれば恥を、我が領地の、そして私の恥をお話いたします」

 

ヘルマは、その言葉に応じて語りだす。

 

「そもそも、私が、この長女であるヘルマが病弱に生まれ落ちた事がボーセル領最大の不幸で御座いました」

 

ヘルマが、回想するように呟く。

 

「対して、次女であるカロリーヌは丈夫な身体に産まれました。私の代わりに、領民に愛され、よく領民の間に混じっての統治を行い、そして16歳の頃から10年間、病弱な私の代わりに軍役を従士達とともに10年務めてまいりました」

 

カロリーヌ指揮下の領民の忠誠心は異常であった。

殲滅するまで、一兵も逃げぬ兵であった。

カロリーヌをヴィレンドルフに逃がそうと、必死の形相で闘っていた。

思わず、戦場の事を回想する。

そして、納得した。

10年来の関係。

あの時、カロリーヌを一廉の人物と感じたのは間違いではなかったのだと。

 

「おそらく、母上も、本来はカロリーヌに家督を譲るつもりであったのでしょう。私には統治も軍役も果たせませんので。ですが、それを存命中に明らかにすることはありませんでした」

「何故?」

 

リーゼンロッテ女王の問い。

本当である。

それは何故か?

 

「今となっては判りませぬ。母上は卒中で急死しました故。病弱な私を憐れんでいたのか、カロリーヌに何か私には判らぬ問題があったのか。思えば、カロリーヌの軍役に陪臣達を同行させず、軍役の間は領地の統治に仕事を回している事も不思議でありました。私には、本当に母上の心が判りませぬ。生前に後継者をカロリーヌに決めて下されば……このような事には」

 

返答は、空虚としか言いようがない回答であった。

全ては闇の中、か。

 

「私はカロリーヌが当然、家督を継ぐものと、産まれてこの方考えておりました。後継権は放棄するつもりでありました。何度も言いますが、私には統治も軍役も果たせませんでしたので。ですが、カロリーヌはそうとは考えていなかったようであります。あくまで、自分はスペアであると。今となっては後悔が尽きぬ話ではありますが、そう考えていたようなのであります」

「家族による、事前の話し合いは無かったのか?」

 

また、リーゼンロッテ女王の問い。

 

「妹は、カロリーヌは、統治や軍役をスペアの自分に押し付ける、病弱な長女の私を酷く嫌っておりました故」

 

悲し気に、ヘルマが呟く。

一人息子であった、私にはその事情は分からない。

そういうものであろうか、と思うばかりだ。

逆に、法衣貴族や諸侯たちの幾人かは苦渋に満ちた表情をしている。

何か共感する点があるのであろうか。

我が傍のヴァリエール様も、同様の表情をしている。

……家督争いによる軋轢は、どこの家にもあるという事か。

 

「ともかく、カロリーヌは今思えば、将来を悲観していたのであります。亡き夫との一人娘、マルティナの行く末はどうなるのか。カロリーヌのみに忠誠を誓ってやまない、従士達や領民の扱いはどうなるのであろうか。領民1000名――それを超えるボーセル領にとって、彼女達は精鋭であれども少数派でございました。ひょっとすれば、母上の死により、邪魔者として殺されるものと疑心暗鬼になっていた可能性さえあります。あくまで推測にすぎませんが」

「……」

 

リーゼンロッテ女王は、黙してそれを聞き入れる。

ヘルマの独白が終わるのを、ただ待っていた。

 

「結局、我が母上の死と共にカロリーヌは暴発いたしました。我が妹、カロリーヌは軍役を共に――同じ釜の飯と、死を共にしてきた従士達や領民とともに領主屋敷に押し寄せ」

「結果は?」

 

結果は判りきっているが、リーゼンロッテ女王は尋ねた。

 

「先に申した通りでございます。私はそのまま殺されるべきであったのを、命惜しさにセーフルームに逃げ込み、やがて陪臣達である騎士やその兵士たちが、カロリーヌの軍勢をなんとか押し返しました」

 

ヘルマが、心の底から残念そうに呟いた。

 

「しかし陪臣達のそれは、忠義ではありませぬ。忠義ではないのです。ただ、長女が後を継ぐべきであるという慣例に固執し、自分達家臣が私ヘルマを傀儡とし、ボーセル領を自由に支配するという欲望あってのことでありました」

「……」

 

リーゼンロッテ女王はもはや、言葉も出なかった。

そんな愚かな話があるものか。

そんな表情であった。

その先に、何の未来があるのか。

ボーセル領の人命は結局、100を超えて失われたと聞く。

軍役をこなしてきた従士、領民の精鋭たち。

それを失い、今後どうやって軍役をこなしていくつもりなのか。

カロリーヌを押し返したからには、陪臣達が今後こなすことも不可能ではないのだろうが。

それとて、ノウハウはゼロから始めることになり、何よりも100名の人的資源を失ったのだ。

反乱を起こされた時点で、正直詰みかけている。

ボーセル領としての明るい未来は、もはやそこにあるのか?

そんな表情をリーゼンロッテ女王が浮かべる。

それを、ヘルマは敏感に感じ取ったようであった。

病弱ではあれども、愚鈍ではないようであった。

 

「そこに、未来はありませぬ、なれど、人とは緊急時と成れば目の前の事しか見れぬものであると愚考致します」

 

ヘルマの発言。

実際、ボーセル領ではそれが起こったのであろう。

ヘルマの話は続く。

 

「カロリーヌは、我がボーセル領から追いやられました。その際、領主屋敷から従士や領民が金目の物を奪い去り、馬車二つを奪い、軍役を共にしてきた従士と領民70名で、我がボーセル領から逃れました」

「その後、山賊30を吸収したという事か」

「話を聞く限りでは、リーゼンロッテ女王の仰る通りでございま――ゴホッ」

 

ヘルマが咳をついた。

ゴホン、ゴホン、と鳴る音は如何にも苦し気で、その咳に血の痰が混じっていたとしても私は驚かなかった。

事実、同じ容貌であった私の母親マリアンヌが咳をついた際には、血の痰が混じっていた。

 

「失礼しました」

「気にするな、話を続けよ。ゆっくりでよい」

「承知しました」

 

ヘルマが、話を続ける。

 

「山賊を吸収したカロリーヌはその後、誠に弁解しようのない行為に出ました。敵国ヴィレンドルフへの手土産のため、あろうことか王家の直轄領を襲い、男や少年達を攫いました」

「……そこから先は、ファウスト・フォン・ポリドロの報告書で知っている。その略奪には成功し、そのままヴィレンドルフに亡命しようとしたのだな」

「はい。全てを失った――少なくとも我が妹であるカロリーヌはそう考えた。その最期の終着点は、つまるところ亡命以外に何もなかったのでありましょう」

 

これで、話は繋がった。

 

「カロリーヌ追撃の軍を出せなかったのは?」

「家臣がその領外への出陣を、命を賭けての追撃を拒みました。一度領外に出れば、軍役経験者であるカロリーヌのテリトリーです。自分の命が脅かされると考えたのでしょう。私ヘルマは、直轄領に逃げるよう指示を出すのが精一杯でした」

「もはや、お前の家臣の低能さには呆れてものも言えんな」

 

結論から言おうか。

つまり、お前が死ねばよかったんだよヘルマ。

私は冷たい思考を走らせる。

お前自身も認めている事だ。

だが、さすがにそれを口にする事は――

 

「ヘルマよ」

 

リーゼンロッテ女王が、語り終えたヘルマに問いかける。

 

「何故、お前は死ななかった」

 

直球であった。

ファウストですら、さすがに口にはできない言葉を、リーゼンロッテ女王はあっさり口にした。

カロリーヌが勝利していれば、少なくとも直轄領は襲われなかった。

10年もの間、軍役に、国家に貢献してきたカロリーヌが死ぬこともなかった。

陪臣達も、ヘルマが討ち取られた以上はカロリーヌに従ったであろう。

ヘルマの命などは、度外視していた。

死ぬべき時に死ね!

それが青い血の生き方ではないか。

それがリーゼンロッテ女王の出した結論であった。

だが、ヘルマの答えもそれに即したものであった。

 

「……最初に、恥を話すと申しました。それが全てでございます。今考えれば、私が死ぬべきでございました」

 

緊急時故、思わず命惜しさの行動に出てしまったという事か。

それに関してはどうしようもない。

私は思わず、舌打ちが出そうになり、それを止めた。

この王の間に、さすがにそれは相応しくない。

全てを正直に告白したヘルマにも。

 

「リーゼンロッテ女王様、お願い申し上げます」

「何か」

 

リーゼンロッテ女王は、周囲にその不機嫌をまき散らし始めていた。

その主君の怒気を読み取り、高級官僚貴族も、諸侯たちも何も言えないままでいる。

そんな空気の中で。

ヘルマは、血を吐くような声で絶叫した。

 

「妹、カロリーヌの遺児、マルティナの家督相続を御認め頂けるよう、お願い申し上げます。もはや、我が領地には、ボーセルには、その道しか残されていないのです!」

 

その絶叫による嘆願は、驚愕の内容であった。

カロリーヌの一人娘、マルティナはいまだ生きている?

何故?

すでに縛り首になっているべきではないのか?

そう困惑の空気が王の間を立ち込める中、ヘルマは叫び続ける。

法衣貴族と、諸侯たちのざわつく声を無視しながら。

 

「何卒――なにとぞ、マルティナの命をお許しいただき、その家督相続を。我が領地、ボーセルにはもはやそれ以外の道が!」

 

売国奴であり反逆者であり、家督争奪の敗北者であるカロリーヌの遺児、マルティナをボーセル領の跡継ぎとするという、矛盾した言葉を。

ボーセル領の家督争奪戦の勝利者、いや、間違って生き残ってしまったヘルマは、血の痰を吐きそうな顔で叫び続けた。



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第20話 窮鳥懐に入れば猟師も殺さず

リーゼンロッテは怒気を、意図的にまき散らしていた。

そうして法衣貴族や諸侯、その代理人たちを黙らせていた。

しかし、頭は冷静である。

その頭から出た結論は――取り潰しだ。

相手は地方領主、ボーセル領の土地はあくまでもボーセル家のものである。

だが、知った事ではない。

不手際に不手際を重ね、我が娘ヴァリエールを本当に死ぬ寸前にまで追いやった。

それを機に、初陣でヴァリエールは思わぬ成長を見せたようであるが。

だが、それは今は関係ない。

今は我が娘の事は関係ない。

この場の私はアンハルト王国に君臨するリーゼンロッテ女王である。

被害を受けた娘の事すら計算の一つに過ぎず、今考えることは我が王家が如何にボーセル領を取り潰し、直轄領として組み入れるか。

その結論にまで持っていくのが、課題であった。

しかし、もはや課題を達成するには容易い様だ。

余りにも愚か。

ゆえに、ボーセル家は取り潰しとする。

それがリーゼンロッテが出した結論である。

 

「ならん」

 

そうして言葉を吐く。

 

「カロリーヌは罪を犯した。その子も同罪である。未だ縛り首にしていない事に驚いた程だ。その子供、マルティナと言ったか? それを次期ボーセル領の家督相続人とする? 馬鹿も休み休み言え」

「私は見ての通り、病弱ゆえ。恥であるがゆえ領内には隠しておりましたが、夫こそいるものの、まだこの身体がマシだった頃に産んだ子は死産でございました。もはや、ここまで病に侵された身体では、二度と子を孕むことなど出来ぬでしょう」

 

ヘルマが、また勝手な事を言う。

だから、それを領内に漏らしておけば、このような事にならなかったであろうが。

将来的にはカロリーヌの子、マルティナの相続が確定する。

それさえ知っていれば、カロリーヌは反逆など起こさなかった。

 

「もはや、ボーセル家を継ぐ血族はマルティナを置いて他におらぬのです」

 

その心配をする必要は、もはやない。

お前の心配など無意味。

ボーセル家は取り潰しだ。

心の冷たい部分でそう考える。

 

「結論から言おう、ボーセル領は、ボーセル家は……」

 

諸侯やその代理人達は反対するであろうが、この状況でねじ伏せるのは容易い。

さっさと終わらせてしまおう。

 

「お待ちください。リーゼンロッテ女王陛下。決断を下す前に、もう一人、会わせたい者がおります」

 

右傍に控えていたアスターテ公爵の声が、王の間に響く。

その顔つきは真剣そのものであったが――この場では、余計な事でしかない。

 

「会わせたい者?」

「カロリーヌの子、マルティナを連行しております。どうか、一度御会いになってください」

 

何を今更。

反逆者で、亡命を企んだ青い血の子など、縛り首が相当。

今更会ってどうするというのか。

だが、アスターテの言葉である。

会ってみるのも一興か。

 

「良いだろう。呼べ。時間はかかるか?」

「すでに控室で待たせております。時間は取らせません」

 

そう呟いて、アスターテが衛兵に命じ、控室に待機させておいたらしいマルティナを呼び寄せる。

さて、どんな子供か。

そこまで考えたところで、はて、アスターテの性格からすると。

 

「……」

 

衛兵に連れられ、王の間に現れたのは手鎖を付けた齢8~9の少女であった。

その瞳は叡智を感じさせ、なるほど、アスターテが。

あの才能狂いが気にかけるわけだと思った。

どうやら、この子の助命だけは許せとの事か。

 

「……」

 

それにしても、この子何故黙っている?

助命嘆願はせんのか? と少し悩むが、はた、と気づく。

 

「許す。発言を許可する、マルティナ」

「有難うございます、リーゼンロッテ女王」

 

膝を折り、手鎖の姿のままながらも礼を整えて、私に言葉を紡ぐマルティナ。

発言許可を待っていたのか。

本当に賢い子らしい。

 

「リーゼンロッテ女王、恥ずかしながら、嘆願が一つございます」

「何かな」

 

これなら、この子の命ばかりは助命してもいいという気にもなる。

平民に落とし、その牙を抜き、最低限の生活援助を行うだけになるであろうが。

大した手間ではない。

だが、そのマルティナから出た言葉は、驚くべき言葉であった。

 

「私の死刑は、ファウスト・フォン・ポリドロ卿による斬首を望みます」

「……は?」

 

私は、思わず女王としての仮面を脱ぎ捨てて、素の言葉が出た。

 

「我が母の罪は明白。王家への反逆者にして亡命を企んだ女です。で、ある以上は、私の死刑も当然でしょう。なれど、罪人とはいえ親は親。せめて、親と同じ死に方を望みます。せめて最期は、青い血として誇りある死に方がしたい。縛り首は恥なれど、あの憤怒の騎士、ファウスト・フォン・ポリドロ卿に討たれ、母と同じ運命を共にしたとあれば恥ではありませぬ」

 

もはや、それを望む姿すら恥かもしれませぬが。

そう、齢8~9にも満たぬマルティナが呟いた。

聡い子だ。

本当に聡い子だ。

殺すには惜しい。

アスターテめ、才能を愛する、悪い癖が出たな。

 

「ひょっとすれば、同じ死に方をすれば、黄泉路で母と再会できるやもしれませぬ。どうか、どうかご慈悲を」

 

私にこの子の助命を、青い血として助命を、心の何処かでアスターテは願っているのであろう。

だが、そう上手くいかせるものか。

この子は逆に賢すぎた。

再起し、王家に反逆する危険性がある。

危険性は全て潰すのが私の主義だ。

 

「衛兵。ポリドロ卿に、グレートソードの帯刀を許可する。今すぐ持って来い」

「は、はい! 承知しました」

 

私を甘く見るなアスターテ。

この子の青い血としての名誉は守ってやろう。

だが殺す。

この子にとっても、それが幸いだ。

リーゼンロッテは、そう考えた。

それが何よりの間違いであった。

リーゼンロッテは、ファウストのその姿形に執着すれど、その性格を詳細までは知らぬ。

憤怒の騎士、戦場にて勇猛果敢なその姿を描いた英傑詩、戦果報告でしか知らぬ。

しかし、アスターテはヴィレンドルフ戦役を共にし、その王都での下屋敷の生活を監視し、その性格をどこまでも理解していた。

その差が、この場にて出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふざけるな。

 

「ポリドロ卿、王の間ではありますが、グレートソードの帯刀を許可します」

 

本当に、ふざけるなよ。

ファウスト・フォン・ポリドロは静かにブチ切れていた。

私に、齢8~9の子供の首を刎ねろだと。

これが他人の事であれば、良かった。

ファウスト・フォン・ポリドロは傍観者でいられた。

ファウストは、正直に言ってしまえば凡人とは程遠い。

筋骨隆々の鍛え上げられた身体、亡き母親から受けた騎士教育。

アンハルト王国の女子にこそモテぬものの、青い血としての誉れ。

その具現化そのものであった。

だが、その出生には僅かながら雑念がある。

どうしても前世からの雑念が混じる。

これがただの傍観者であれば、ファウストはまだ我慢できたかもしれない。

所詮は他人事であると見捨てることが出来た。

青い血として、罪人の子である、一人の少女が死に行く姿を心の底から憐れみながらも、その死体をせめて安らかに弔う事を進言する。

その程度で済ませたのかもしれない。

だが、当事者となってしまったからには、話は全く別であった。

ファウストの脳に、血が滾る。

ふざけるなよ、リーゼンロッテ女王。

 

「断固拒否する。このファウスト・フォン・ポリドロにこの頑是ない子供の首を刎ねろと申すか!!」

 

激昂した。

衛兵が恐れおののき、グレートソードを床の絨毯に取り落としそうになるほどの激昂であった。

ファウストの顔面は、その憤怒の騎士の名と同じく、真っ赤に染まりきっていた。

その場にいる全員。

リーゼンロッテ女王、法衣貴族、諸侯とその代理人。

アナスタシアにヴァリエール、ヘルマにマルティナ。

それらは驚愕の顔を浮かべていた。

ただ一人、アスターテ公爵がこの場にそぐわぬ表情で、口笛を吹いた。

ふざけているのかアスターテ公爵。

貴女なら、私が激昂するのも判っていそうなものを。

 

「リーゼンロッテ女王、断固拒否します。いえ、もはやそれだけでは勘弁ならぬ! 我が手以外でもその子を殺すことは、もはや誰にも許さぬ!!」

 

ファウストは頑固であった。

亡き母親から受けた騎士教育としての青い血と、前世からの道徳価値観が奇妙なバランスを保ち。

ギリギリのラインで構成していた我慢の分水嶺が、完全に壊れた。

もはやこの世界の青い血にとっては、何が何やらよく判らぬ頑固な憤怒の騎士と化していた。

 

「ポリドロ卿! 落ち着かれよ!!」

 

諸侯の一人が叫ぶ。

 

「これが落ち着いていられるものか! 何故誰もその子を助けてやらぬ!! 何故頑是ない子供の首が刎ねられようとしているにも関わらず、誰も止めようとせぬ!!」

 

もはや無茶苦茶であった。

ファウストは自分でもそれを理解しながら――自分ですら見捨てようとしていた癖に。

そんな内心の何処か冷たい自分、傍観者のそれとは違う、無茶苦茶な台詞を吐いた。

もはや、それは理性ではなく感情からの言葉であった。

 

「その子自身が、マルティナが、何の罪を犯したというのか。母の罪を自分の罪と誤解し、その贖罪をせんとする哀れな少女ではないか!! 私の青い血の誉れとしては、もはや許せぬ!!」

 

そうだ、これは誉れなのだ。

青い血と今は薄き前世の道徳感が混ざり合い、歪な誉れと化しているのだ。

それをこれ以上汚されるのは、もはやファウスト・フォン・ポリドロの存在そのものを揺るがす行為であった。

ファウストは歩く。

その先祖伝来の魔法のグレートソードを抱える衛兵を。

傍にいるヴァリエールを。

それを無視し、ただただ歩き、やがて手鎖を嵌めたままのマルティナに近づき。

その手鎖を、その超人としての力任せに千切り捨てた。

 

「ファウスト!」

 

やがて、驚愕から正気に戻ったヴァリエール様の叫び声が響く。

ヴァリエール様、お許しください。

もはや、ファウストは、このままではいられぬのです。

そう、心の中で謝罪する。

私が今、どうしたいのか。

自分でも判らないが。

判っていないのだが。

感情のままに、その奇妙な青い血の誉れはそこに姿形として表現された。

膝を折り、礼を整え、リーゼンロッテ女王に進言する。

 

「リーゼンロッテ女王」

「……どうした、ファウスト。何か私の決定に異議でもあるのか」

「今述べました言葉通りであります。マルティナの助命嘆願を願います」

 

リーゼンロッテ女王は硬直していた。

今、彼女が何を考えているのかはわからぬ。

だが、やる事は――やってしまった事は変わりなかった。

 

「ファウストよ、いや、ファウスト・フォン・ポリドロよ。今、お前が何をしたか判っているのか? 我が王命に反したのだぞ」

「それが例え主君でも。私の誉れに関わる事であれば、私は断固として拒否いたします」

 

静かに、返答をした。

リーゼンロッテ女王は呟く。

 

「その子の幸福がこの先あると思っているのか? 領地の反逆者にして、売国奴の娘だぞ。もはや青い血どころか、その義務を捨て、平民としての幸福すら望めぬやもしれぬ。後ろ指を刺されながら生きることはこの先間違いない。ここで名誉をもって殺してやるのが、その子の幸福やもしれんぞ」

「私は、青い血として今世で死ぬべき時に死ねぬのは一生の恥。なれど、生きてこそ、その先の可能性もあると思っているのです。……これでは返答に乏しいでしょうか」

 

我ながら、無茶を言っている。

こんな言葉でリーゼンロッテ女王を説得できるものなのだろうか。

 

「その子が、マルティナが、お前を将来恨むやもしれぬ。何故、あの時殺してくれなかったのか。そう恨みの言葉を放ちながら、刃を向けるかもしれぬ。お前はどうする?」

「判りませぬ。マルティナを斬り捨てるのか、その刃を黙って受けるのか。それすら判りませぬ」

 

曖昧な言葉を返す。

判らないという返事を、正直に行う。

 

「ましてや、仮に――仮にだぞ。マルティナが、ボーセル領を継いだとしてどうなる。100名以上の死者を出したカロリーヌの子供への恨みは消えぬ。マトモな統治など行えるものか。その辺はどう考えておる」

「……」

 

もはや、返事のしようもなかった。

その統治判断においては、ファウストの言葉の及ぶところではない。

いや、仮初の言葉であれば何とでも返せる。

だが、それは不正直、それこそ青い血の誉れに関わる。

リーゼンロッテ女王陛下の言葉は一貫として正しい。

そうファウストは考えてしまった。

そんな理屈、ファウストも十分承知の上で発言している。

しかし、もはやファウストには自分で自分を制御する事が出来ぬ。

傍観者ならばよかった。

だが窮鳥懐に入れば、もはやファウストがマルティナを見捨てることは不可能であった。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロよ。お前の誉れはどこまでも清い。眩しいほどに。だが、その誉れだけでは世は治まらぬと知れ」

 

リーゼンロッテ女王が、言葉を締めた。

ああ、我が言葉は届かぬか。

なれど。

それでも、私は。

 

「リーゼンロッテ女王」

 

ファウストは膝を折る事すら止め、その両足を綺麗に折り畳み、頭を地に擦り付けた。

平身低頭していた。

法衣貴族達と、諸侯、その代理人が集まる満座の席で。

ファウストは、前世の世でいう土下座をしていた。

アンハルト王国最強騎士の、見る者全ての哀れさを誘う、乞食のような姿であった。

 

「ファウスト、止めよ!!」

 

リーゼンロッテ女王が玉座から思わず立ち上がり、それを止めるよう絶叫する。

 

「止めませぬ! 我が言葉を聞き届けて頂くまで。どうか、どうかマルティナの事をお許しください!」

「判った! 止めよ! もうお前の誉れは十分理解した! だから、その姿を今すぐ止めよファウスト!!」

 

リーゼンロッテ女王が、言葉を撤回する。

マルティナの斬首を撤回する。

ファウストは膝を折りたたんだまま、頭を上げ、黙ってリーゼンロッテ女王と視線を合わせた。

 

「ファウストよ、お前という奴は……。何のため、お前をそこまで」

 

リーゼンロッテ女王は、言葉足らずであった。

女王が何を言いたいのか、ファウストには判らなかった。

これで、全ての問題が解決したわけではない事は承知している。

ひょっとしたら、リーゼンロッテ女王の言い分が全て正しいのかもしれない。

だが、マルティナの助命嘆願だけは少なくとも、これで成った。

ファウストにとっての誉れは、それで満足だったのだ。

誠にもって泥臭い、英傑詩のような格好良さとはかけ離れた誉れであった。

 



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第21話 ファウストの自戒

プラスに考えよう。

これで一つ、ファウスト・フォン・ポリドロに貸しが出来た。

ファウストは義理堅い性格だ、その貸しは無駄にはならない。

ファウストに首輪を一つ付けたと考えれば、賢しい小娘一つ生かしたところで損ではない。

保護契約の軍役以外でも、第二王女相談役としての立場以外でも、これでファウストに頼みごとが出来る。

リーゼンロッテ女王は、プラス思考で考えることにした。

そうでなければやってられなかった。

何で私がこのような仕事を――リーゼンロッテ個人が、好きで子供を殺したいと思っているのか。

女王だから仕方ないのに。

ファウストの性格の奥底を、その誉れを見抜けなかった――アスターテの策略に引っかかった私が悪いのか?

違うだろ。

絶対違う。

これ全部アスターテが悪い。

助命したければ、お前が言えば済む話であったろう。

アスターテ公爵がその権限と立場で、マルティナにおける全責任を背負うと言うのであれば、私は応じた。

わざわざファウストを使うな、あのメスガキ。

内心で、私人としてのリーゼンロッテが愚痴を吐く。

ファウストの嘆願により荒れていた場は静けさを取り戻し、今は私、リーゼンロッテ女王による裁定待ちであった。

あまり、長く引っ張る気も無いのだ。

状況は少し変わったが、結論から言ってしまおう。

 

「ヘルマ・フォン・ボーセル、決断した。覚悟して聞け」

「はい」

「ボーセル領は全て接収し、直轄領とする。この決定に変更は無い」

 

ヘルマは項垂れ、杖を取り落とした。

この点だけは、譲る気はない。

 

「女王様、恐れながら、ボーセル領は我ら先祖代々の土地……」

「変更は無いと言った。そのような言葉が通じる状況だと思っているのか?」

 

私はヘルマに問う。

 

「従士や領民100名以上を死なせ、軍役面で優れた家臣は全員カロリーヌに引き連れられ、我が娘である第二王女ヴァリエールの手により全員討ち死に。残る家臣はお前の言葉によれば、お前を傀儡としたい佞臣ばかり。この状況下で、死にぞこないのお前が、領地をマトモに運営できるとでも? ハッキリ言おう。ボーセル領は詰んでいる。荒廃したボーセル領からどんな災厄が飛び出すかわからん。座視できぬ」

「……私が死ぬのは構いません。お望みとあれば、この場でこの命を絶ちましょう。どうか、マルティナに家を継がせる、そのお慈悲を」

 

お前の命など、どうでもいい。

ファウストの下げた頭に比べると、何の価値もない。

だが――

バランスを考える。

 

「最初はボーセル領を直轄領とし、マルティナは死罪と考えていた。ボーセル家は御家断絶、未来など無かった。だが、ポリドロ卿に感謝しろ。あのようなマネまでして、その命を助けたのだ。その未来くらいは保障してやる」

 

正直、諸侯やその代理人をねじ伏せるのは容易いことだが。

バランスを考えよう。

家まで潰す必要はない。

 

「ボーセル家に、官僚貴族――世襲貴族としての最低階位を与えよう」

 

この辺りが丁度良いバランスであろう。

家までは潰さない。

これならば、諸侯たちも辛うじて納得しよう。

本音では気に食わないだろうがな。

 

「……」

 

ヘルマは黙って項垂れている。

納得はしていないだろう。

取り潰しとあれば、領主騎士には最後の一兵まで闘う連中もいる。

だが、その抵抗のための軍事力すら、今のボーセル領には少ない。

反発する陪臣達を、ちょいと潰して終わり。

その程度だ。

 

「納得したか?」

 

ヘルマに問う。

イエス以外の返答は求めていないぞ。

 

「……承知致しました。以後、ボーセル家を、マルティナの事をよろしくお願いします」

「まだ、マルティナに任せるわけでは無いぞ。家を継ぐのはお前だ」

 

まあ、その病弱な様子では直に死ぬであろうがな。

後、やるべきことが二つ、残っている。

 

「それで、今回の第二王女初陣の功績についてだが――ポリドロ卿」

「はい」

 

左傍にヴァリエールと共に控えている、今は落ち着きを取り戻したファウストに声を掛ける。

 

「お前が、ボーセル領からの謝罪金を期待していたのは知っている。それは王家が代わりに支払おう。一括払いが良いか、10年の分割払いが良いか、後で決めておけ。分割払いの方が額は多いぞ」

「……リーゼンロッテ女王、私は今しがた、王命に逆らった身で」

「功は功として認めねばならぬ。私に恥を掻かせるつもりか?」

 

そう、功績は功績として認めねばならん。

だが――

 

「そして、罪は罪として問わねばならん。ファウストよ、お前は王命に逆らった」

「……はい」

「お前には一つペナルティを与えねばならぬ。残念ながらな」

 

さて、どうするか。

正直、重いペナルティを与えて、ファウストへの貸しを目減りさせたくはない。

そうだな。

丁度いい、目の前の面倒事を片付けるようにしよう。

 

「マルティナを、お前の騎士見習とせよ。マルティナが家督を継ぐまで、王家に忠誠を誓う騎士として立派に育て上げるのだ」

「はい?」

 

ファウストが呆気にとられた顔をする。

なんだその顔。

むしろ当然の流れであろうが。

 

「リーゼンロッテ女王、申し上げますが、私はカロリーヌを討った男。マルティナにとって言わば母の仇でございます。ここは是非アスターテ公にお預けを」

 

ファウストは、私の右傍に立つアスターテの顔をチラリと見た。

まさかお前、マルティナの助命のため、私を利用したんじゃないだろうな。

そういう、今更ながら、何かに気づいた疑惑の視線であった。

そうだ、ファウスト。

悪いのアスターテだぞ。

もっと睨みつけてやれ。

心の中に住む、私人としてのリーゼンロッテが応援を開始する。

ま、それはいい。

アスターテが今後、どうやってファウストの機嫌を直すかに、ご期待だ。

絶対苦労すると思うがな。

 

「では、マルティナに直接聞くとしよう。マルティナよ、正直言って、お前は曰く付きの厄介者だ」

「承知しております」

 

マルティナは冷静に答える。

 

「聡いお前には今更言うまでもなく――そもそも、先ほどファウストに全て言ってしまったが。領地の反逆者にして、売国奴の娘だ。後ろ指を刺されながら生きる事になるだろう。その騎士見習いとしての引受先など、お前をここに連れてきたアスターテ公爵か、お前を助命嘆願したポリドロ卿ぐらいのものであろう」

「でしょうね」

 

マルティナは、やはり冷静に答える。

言われなくても判っている、そういう顔はしない。

全くの無表情であった。

何を考えているのか、よくわからん。

 

「それでは、そんなマルティナに尋ねよう。お前はどちらの元に騎士見習いとして頼む?」

「ポリドロ卿――ファウスト・フォン・ポリドロ卿にお頼みしたいと考えております。ご迷惑でなければですが」

 

……マルティナは、そう判断するか。

まあ、判ってはいた。

ファウストは、それが理解できないようだが。

 

「マルティナ、いや、マルティナ嬢。私は男手一つ。まして男としての家庭教育をよそに、騎士教育に専念してきた男だ。お前の面倒を十分に見る事など……」

「逆に、そのための騎士見習いでありましょう。貴方の面倒は私が承ります」

 

マルティナが、まっすぐファウストの目を見据えながら言う。

 

「正直に言います。私はこの場で死ぬつもりでありました。貴方に誇りを汚されたと言ってもいい」

「……そうか」

「貴方の誉れは、私には正直よく判りませぬ。私の命など救っても、貴方に何の得もない」

 

ファウストが肩を竦めながら、小さく呟く。

 

「迷惑だったか」

「そう言っております。ですが、気が変わりました」

 

マルティナは、無表情であった表情をやや緩めながら、呟いた。

 

「どうせ拾った命なら、その拾った相手にとりあえずついて行ってみよう。そう気が変わりました」

「……そうか」

 

ファウストは、どことなく嬉し気であった。

自分の行動が、身勝手な迷惑ではなく、是認された。

それが嬉しかったのであろう。

思った以上に面倒な男だ。

私が勝手にイメージしていた、それとは違う、思った以上に複雑な男であった。

だが、嫌いではない。

女王としては決して認められず、私人としては、だがな。

そうリーゼンロッテは考えた。

そして口を開く。

 

「では決まりだ。マルティナはポリドロ卿預かりとする。何か反論はあるか? 諸侯に法衣貴族達」

 

一応、意見を求めねばならぬ。

まあ、回答は決まっているがな。

 

「領地は失えど、家を残すというのであれば、私達は何も。むしろ的確な判断でありましょう。さすがリーゼンロッテ女王」

 

諸侯の一人が先陣を切って、私を褒め称える。

 

「そこが良い落とし所と考えます。さすがリーゼンロッテ女王」

 

法衣貴族の一人も、また答えた。

双方、言いたいことは他にもあるだろうが、まあ納得の結末であろう。

マルティナを死罪とし、ボーセル領は直轄領として没収。

それが王家にとっての最大利益ではあったのだがな。

まあ、世襲貴族の位一つ程度、くれてやっても構わん。

それよりも、ボーセル領の立て直しだ。

利益をしっかり吐き出すまで、幾分か時間がかかるであろうなあ。

いくら人材と投資が必要になる事やら。

それは同時に、役目の無い法衣貴族の職を埋める事にもなるが。

まあ、ともかく法衣貴族に任せる仕事ではある。

私は命令するだけ。

それでよい。

 

「これにて裁定は終了とする。全員、王の間から退出せよ。ヘルマとマルティナは、しばらくアスターテ公爵の世話になるように。折を見て、王都に新たな居住地を見つけ、ポリドロ卿にマルティナを騎士見習いとして出せ」

「承知しました」

 

誰かの応諾の声が、王の間に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

廊下。

第一王女アナスタシアとその相談役アスターテ。

第二王女ヴァリエールとその相談役ファウスト。

その4人が連れ立って歩いている。

アナスタシアは、ファウストの頭を地に擦らせたアスターテにブチ切れていた。

この後、二人きりの居室で問い詰めることになるだろう。

アスターテは、ファウストと目を合わせないようにしていた。

とりあえず、時間を置くべきだと判断したからだ。

ヴァリエールは、ファウストを心配そうに見つめていた。

その行動原理が、いつも冷静なファウストに余りに似合わなかったからだ。

そして。ファウストは――

 

「……」

 

呆けたように、ただ道を歩いていた。

失敗した。

失敗した。

失敗した。

私は失敗した。

その思いがある。

自分の、マルティナの助命嘆願に後悔はない。

青い血としての騎士教育と、前世の日本人的道徳感が悪魔合体を果たした、この誉れに後悔はない。

あの場で動かなければ、自分のアイデンティティが崩壊していた。

だがしかし。

だがしかし、だ。

やり方って物があるだろう、馬鹿が。

自分を罵る。

お前は小さな村とはいえ、300人の命と名誉を預かる領主騎士であるのだぞ。

何をやっているのか。

暴走などせず、冷静になってマルティナの斬首を否定し、助命嘆願を行うべきであった。

決して勢いでやって良い行為では無かった。

後悔が募る。

自分は決して世にいうヒーローではない。

ただの一介の、決して裕福ではない辺境の、300人足らずの弱小領主騎士である。

だが、同時に300人の命と名誉を背負っているのだ。

自分は一人ただ暴走のまま死ぬことが許される立場などではない。

自戒せよ! ファウスト・フォン・ポリドロ!!

そう、自分の心の内に向かって叫ぶ。

だが――同時にこうも考える。

 

「まあ、別に……」

 

失ったものも特にないよな。

そう気楽に考える。

予定であった謝罪金は貰える事となった。

これで余り裕福でない我が領民の食卓に、今後は一品料理が追加される事になるだろう。

マルティナが騎士見習いに来ることは少々気まずいが、カロリーヌの遺言もある。

それは決して嫌な事ではない。

それよりなにより、我がファウスト・フォン・ポリドロには失うものがあまり無い。

あの土下座によって失ったものが無いのだ。

元より、貴族のパーティー等に呼ばれた覚えなど無いから、今後の貴族としての活動に影響はない。

貴族として、私の暴走が舐められる汚点となるかもしれないが、そもそも私は弱小領主騎士である。

個人武勇としては別だが、領主騎士としては最初から弱小として舐められている。

悲しいくらいに、影響が無かった。

それを考えると、ファウストはもはや全てがどうでもよくなってくるようであった。

ファウストは知らない。

貴族のパーティーに呼ばれないのは、アスターテ公爵やアナスタシア第一王女が、ファウストに余計な虫がつかないように睨みつけているからであると。

ファウストは知らない。

諸侯や高級官僚貴族からは、弱小領主騎士として舐められているどころか、将来の女王アナスタシアやアスターテ公爵の愛人候補として見られている事に。

この世には知らない方が幸せという事もあった。

ファウストは、何も気づかないまま、うん、と背を伸ばし、待機していた従士長ヘルガと王門で顔を合わせ、王城から立ち去って行った。

愛する領民が待つ、王都の下屋敷へ向かって。

これで我が領地、ポリドロ領に帰れる。

そんな事を考えながら。



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第22話 真正のアホだろお前

アナスタシアの居室。

ボーセル家の結末が決定され、ファウスト達と別れた後で。

 

「ブチ殺されたいのか、お前は」

「違う」

 

第一王女、アナスタシアの居室にて、アスターテ公爵は詰められていた。

個人武力ではアスターテが有利である。

だが、そういう問題ではない。

今の完全にブチキレモードに入ったアナスタシアに、アスターテは勝てる気は欠片もしなかった。

我が血族の怒り、その血がバーサクモードに入った時の戦闘力は異常である。

バーサクモードに入ったアナスタシアは、そのハルバードでヴィレンドルフの精鋭を、一撃で同時に三人斬り捨てたと聞く。

齢にして14歳の身でだ。

私もキレれば対抗できるが、今その心境ではない。

 

「何故、ファウストにあのような真似をさせた。お前は何がしたかった」

「途中で! 途中で助けに入るつもりだったんだよ!!」

 

アスターテは弁明を行う。

途中で助けに入るつもりであったのだ。

アスターテの考えではそうであった。

 

「まさか、ファウストがあんなにブチ切れるとまでは思ってもみなかったんだよ!!」

「ファウストだぞ! 憤怒の騎士だぞ!! それが予想できなかったとでも」

「予想できなかったんだよ!!」

 

ドン、と机を叩きながら、弁明を続ける。

これは、アスターテの策略であった。

ファウストは、決して齢8,9の子供の首を刎ねる事などできないであろう。

優しい男である。

どこまでも領主貴族であるとはいえ、優しい男である事に変わりはない。

傍観者としてなら、青い血としてマルティナの死を見過ごしたであろう。

だが窮鳥懐に入れば、もはやそれを殺せない。

むしろそれを守ろうとして、助命嘆願を願うに違いない。

その予測をしていた。

その予測は確かに正しかった――だが。

 

「助命嘆願までは予想していた。だけど、あんなにブチ切れるとは思ってなかったんだよ!! 頭を地に擦り付けてまで頼み込むなんて、誰が想像できる!!」

「そもそも、お前は何がしたかった!? マルティナの助命か!?」

 

ドン、とアナスタシアが机を叩きながら叫ぶ。

それもある、が。

 

「それはある。あんな才能の塊だ。私としては是非助命したかった。私の手の元に置きたかった。陪臣として、側近として育てようと考えた。だが、それは公爵家の権限でできた」

「それはそうだろう。お前の立場であれば、お前が全責任を持つのであれば母上もそれを認めたであろう」

「それは判ってる。そうしてもよかった。だが、私の心に悪魔の囁きがよぎったんだよ!!」

 

弁明を続ける。

アスターテは、アナスタシアへの弁明を続ける。

そうしなければ――絶対ないとは判っていても、本気で殺されそうな雰囲気であった。

 

「悪魔の囁き?」

「あ、これ、私へのファウストの好感度稼ぎに利用できるんじゃないって」

「アホかお前」

 

アナスタシアの怒気は終沈した。

アスターテはアホではない。

むしろ、その智謀においては輝きを見せる女だ。

だが――

 

「どこをどうやったら、ファウストがお前を好きになるのだ」

「まず、最初の気づきはファウストが、マルティナの名を尋ねて来た時だ。どうやら、マルティナの名はカロリーヌの遺言であったらしい。そうファウストから聞いた。私は正直に、事前に得ていた資料から答えた。それはカロリーヌの娘の名前であると」

 

カロリーヌの遺言。

最後に告げたのは、ただ娘の名のみであったか。

 

「それで?」

「次に、そのマルティナを我が馬車で連行していて、その賢さに眼を剥いた時、頭によぎったんだよ!!」

 

目の前の女は、性欲に溺れた一人の女にすぎないようにも見えた。

アナスタシアは、少しアスターテへの評価を落としながら会話を続ける。

 

「マルティナに母を討ったのは誰かを問われ、そのファウストの素晴らしさと、美しさを語っている内に、悪魔の囁きがよぎったんだよ。あ、マルティナを誘導して、ファウストに首を刎ねるよう言わせようって」

「いくら聡いとはいえ、8,9歳の齢の思考を誘導するなど、お前には容易い事であったろうよ。そして、それはファウストも今頃気づいているだろう。ファウストは政治面においては視野が狭いが、頭が悪い男では決してない。むしろ賢い。それで? 続きは?」

「……」

 

アスターテは頭を抱えて呻いている。

どうやら、「ファウストも今頃気づいている」は会心の一撃であったらしい。

ファウストは愚かではない。

冷静になれば、マルティナが思考誘導されてあの発言をしたことぐらいには、容易く気づく。

印象は、もはや――

 

「ファウスト、怒ってるかな?」

「怒っているに決まっているだろう。もはや、お前の印象は最悪だ」

 

ファウストはペナルティまで食らったのだぞ。

いや、それだけでは足りない。

リーゼンロッテ女王は、ファウスト相手に一つ貸しが出来た。

そうファウストも母上も、理解しているであろう。

その貸し、私に譲ってくれないものかね。

……無理か。

 

「とりあえず、何か換金性の高い贈り物でも送っておこう。すぐ売りとばされるだろうけど、これで領民の食事に一品追加できると、ファウストなら喜ぶだろう。いや、下屋敷に訪れ、ちゃんと直接謝るのも一緒に? 何かそれらしい言い訳も考えないと……いや、いっそ正直に言った方が心象的にマシか?」

「お前の今後のフォローなんぞどうでも良いわ。で、何がどうしてファウストがお前を好きになるのだと考えたのだ」

 

正直、ファウストにとってのアスターテの印象が悪くなろうが、アナスタシアには関係ない。

どうでもいい。

知りたいのは、アスターテが何を考えていたかだ。

 

「マルティナ、ファウストに首斬られたいとワガママ言う。ファウスト困る。ファウストは絶対やらない」

「ああ、絶対困るな」

 

何故かアスターテは端的な言葉で喋り出した。

 

「窮鳥が懐に入ってしまった。優しいファウストは見過ごせない。助命嘆願に入る」

「情の深いファウストならそうするであろうな」

 

それに応じる形で、アナスタシアは答える。

 

「だが助命を絶対認めない非道なリーゼンロッテ女王、まるで悪魔のような女」

「おまえの方がよっぽど酷いと言いたいが、まあいい、次」

 

母上、今頃内心ではアスターテにブチきれてるだろうなあ。

後で、コイツ頭下げに行かせんと。

 

「嘆くファウスト。私公爵家として横やりを入れる。ファウストを助ける」

「ああ、助けてあげると喜ばれるな」

 

その時点で行動の稚拙さに、ファウストにはバレバレな気もするが。

 

「私、マルティナ助命する。感動するファウスト。ファウスト、涙を流して大喜び」

「ああ、きっと優しいファウストなら大喜びするだろうな」

 

お前、いつまでその喋り方するつもりなんだよ。

アナスタシアはややウンザリしながら、根気強く応じる。

 

「後で感謝の言葉を私に述べるファウスト。好感度アップ間違いなし。私の股は愛液で濡れる」

「うん、そこまでは判る。お前の股が愛液で濡れているかどうかは知った事じゃないが」

 

やや都合が良すぎる展開ではあるが、まあ有り得ない展開ではない。

 

「私の優しさに感動してチンコ立てるファウスト。私の股は愛液で濡れている。合体」

「真正のアホだろお前」

 

真正のアホだろお前。

言葉でも心中でも、浮かべた言葉は同じだった。

真正のアホだコイツ。

なんで普段は嫌味なほど頭いいのに、ファウスト関係だとこんな性欲直結型になるんだコイツ。

いつかはファウストの領民の前で、ファウストの尻を揉んで謝罪金支払ってたよな。

それはファウストが優しかったので嫌悪には至らんかったが。

今回の件は――

 

「お前、今回の件で間違いなくファウストに嫌われたぞ」

「何でさ、何でこんなに上手くいかないのさ! なんでファウストあんなキレたの!? そこまではいい、何で頭を地に擦り付けてまで助命嘆願したのさ!!」

「それは知らん。私も戦場外のファウストは温厚な人物だと思っていたが……」

 

戦場で何かあったか?

カロリーヌを、ファウストが一騎打ちで討ち取った際の遺言。

もし生きていれば、その一人娘であるマルティナの事を必死に頼まれていたとか。

そうでなければ、ファウストがあそこまで、無様なまでに動く理由が――駄目だ、それでも足らん。

ファウストが頭を地に擦り付けてまで助命嘆願した理由は、ファウストの誉れのみだ。

その基準は余人の知るところではない。

 

「でもさあ、あの時のファウスト――」

「何だ」

 

アスターテが後悔に足をジタバタさせながらも、思い返すように呟く。

 

「美しかったよなあ。思わず口笛拭いちゃったよ」

「……」

 

それには同意だ、とあの時のファウストの姿を思い浮かべるアナスタシア。

子供が癇癪を起こしたようにして、マルティナの斬首を拒むファウスト。

もはやマルティナの死すら許せないと、満座の席で言い放つファウスト。

母上に対して膝を折り、無理な嘆願をひたすら言いつのるファウスト。

もはや言葉に窮し、恥も外聞も投げ捨てて、頭を地に擦り付けるファウスト。

その全てが――

 

「見苦しくは感じなかった。これは恋のせいだろうな」

 

アナスタシアが、思わず、自分の恋心を口走る。

アスターテは答えた。

 

「恋のせいだな。ファウストのあの姿は、高級官僚貴族や諸侯、その代理人を通して、広く人々に伝わるだろう」

「……評判が落ちるか」

「これが単なる貴族のやった事なら、見苦しいの一刀両断だったろうさ」

 

アスターテは、ジタバタさせていた足を長椅子に戻し、冷静に答える。

 

「だが、ファウストは違う。アンハルト王国最強騎士で、燦然と輝く武功持ちの騎士だ。その英傑のしたことだ」

「人、それぞれの反応になるだろうな。賛否両論だろう」

 

頭を地に擦り付け懇願した。

それを見苦しいと感じるか。

そこまでして少女を救いたかったのかと感じるか。

王命に反発したのを、不忠と見るか。

例え王命でも譲れないものが有ると、誉れと見るか。

ただの騎士なら見苦しいの一言。

ファウストがやったというのなら、英傑がその誉れゆえに頭を地に擦り付けて懇願したというなら、話は違う。

本当に、価値観は人それぞれであろう。

討論の種になり、パーティーで言い争う貴族や――安酒場で言い争う平民の姿が脳裏に思い浮かぶ様だ。

何せ、齢8,9の子供の首を刎ねるなど、誰だって本音では嫌だ。

それが王命であり、首を刎ねられる子供にとっては名誉ある行為でもだ。

各々の立場や思想の違いによってでしか、結論が出ないものだろう。

 

「我がアンハルト王国ではそうなるであろう。ヴィレンドルフでは?」

「蛮族では――あの国では、それこそ全肯定だろ」

 

もっとも強きものが、幼きたった一人の少女の、しかも一騎打ち相手の娘の助命嘆願がために王命に反し、どれだけ無様を演じようとも、それを覆したのだ。

それがあの国にとって、誉れでなくて何なのか。

 

「面倒くさい連中だ」

「面倒くさい連中だよなあ」

 

アスターテが調子を取り戻したのか、ケラケラと笑う。

 

「ヴィレンドルフの和平交渉、未だ成り立たぬ。逆侵攻でやりすぎた。お前のせいだぞ、皆殺しのアスターテ」

「違いますー。アレはやられたことをやり返しただけなので、私は何も悪くありませんー」

 

アナスタシアはアスターテに愚痴を吐くが、飄々としている。

ヴィレンドルフとの和平交渉。

ヴィレンドルフ戦役後における、不戦条約の締結。

未だ、ままならぬ。

北方に張り付けている王軍を、ヴィレンドルフの国境線に回すわけにはいかぬ。

また公爵軍500と親衛隊のみを引き連れ、あの強力な蛮族を相手にする?

初陣は最悪だった。

何が悲しくて倍軍1000を相手に立ち回らねばならんのだ。

あれをもう一度繰り返すと考えると、背筋がゾッとする。

 

「……ヴィレンドルフとの和平交渉は、必ず成功させねばならん」

「あの蛮族ども、契約だけは死んでも順守するからな。和平交渉さえ成れば、その和平期間は絶対争いにならない」

「そのためには」

 

アナスタシアは少し言い淀み、これだけは言いたくなかったが、という表情でまた口を開いた。

 

「最悪、和平交渉の使者として、ファウストに動いてもらわねばならぬ」

「……冗談だろ」

 

アスターテもまた、それだけは嫌だと言う顔で返した。

 

「絶対犯されるよ? 絶対ヴィレンドルフの淫獣どもに犯されるよ? ファウスト」

「ヴィレンドルフは蛮族と言えど、強者に対する振る舞いにだけは見るものが有る。無体な事はしないと考えるが……」

 

それでも絶対はない。

だから、これは最後の手段だ。

本当に最後の手段だ。

ヴィレンドルフが最大の敬意を示す男、皆殺しのアスターテなどと呼ばれる目の前の淫獣とは違い、ヴィレンドルフへの逆侵攻にも参加していない騎士。

彼女達が今でも誇りとする騎士、レッケンベル騎士団長を正々堂々一騎打ちで討ち取った、彼女達曰く与えるべき二つ名は「美しき野獣」。

そのファウスト・フォン・ポリドロに和平交渉の使者として赴いてもらう。

アナスタシアは、その最終手段に手をつけるべきか本気で悩んでいた。

 



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第23話 ザビーネの口説き

安酒場。

王都にある、貧民街に近い安酒場に今、ファウスト・フォン・ポリドロは居た。

 

「ふむ」

 

椅子に座りながら、自分の木製コップに注がれたエールを眺める。

先日、今回のカロリーヌ討伐の功績として、第二王女親衛隊の昇位式典が行われた。

ザビーネは二階位昇位、他の親衛隊員は一階位昇位することとなった。

この安酒場での集いは、それを祝うものではない。

亡くなった親衛隊員、ハンナのための集いであった。

私はその席に呼ばれていた。

 

「杯が、15個揃わないと寂しいのだ。どうにも寂しいのだ。ヴァリエール様を安酒場に誘うわけにもいかぬ。領地への帰り支度で忙しい中、誠に申し訳ないが、ハンナの死の追悼と思い、来てくれないか」

 

そうして、昇位式典の帰りにザビーネに声を掛けられた。

断る理由は無かった。

こっちは第二王女相談役として、ハンナの葬儀に参加した立場でもある事だし。

……ハンナは、親衛隊の役目を務めた。

今回のヴァリエール様初陣で、その務めを果たした紛れもない英傑であった。

 

「諸君、我らの同胞であるハンナは逝った。ヴァリエール様の盾となって。その身代わりとなって」

 

ザビーネが、テーブルの上に靴を脱いで立ち上がり、演説を開始する。

酒場から文句は出ない。

この安酒場は、今日は親衛隊の貸しきりだ。

酒樽一つ、15名全員の財布の中身を持ち寄って。買取られた。

王家から謝罪金も出る事だし、ここの支払いは私が持とうかと言ったが、これは親衛隊の習わしらしい。

ハンナも今までそうしていたから――今回も是非、そうしたい。

そうまで言われては、言えることは何もない。

 

「なんと羨ましい死に方だろうな。その死に方を決して……」

 

ザビーネが、演説を途中で止める。

泣いていた。

ザビーネは、あの危険人物は泣いていた。

私の見込み違いだったのであろうか。

あの危険人物は、人としての情を解する者であったようだ。

 

「決して、忘れないぞ」

 

ザビーネは、途中で演説の台詞を変えようと判断したらしい。

それがあからさまではありながら、全員――ザビーネを除いた親衛隊13名と、私ことファウストは黙って拝聴する。

 

「決して忘れる物か。あの侍童の着替えを全員で覗き見しに行き、結果失敗し、ヴァリエール様に怒られ。私の脛をさんざん蹴っ飛ばしながら、お前のせいでヴァリエール様に怒られたじゃんと怒りをぶつけてきたハンナを。アレは痛かった。凄く痛かったぞ。お前だって同意したじゃん」

 

何やってんだ、第二王女親衛隊。

 

「猥談に興味を一番強く示し、私が男体の仕組みを詳しく話す度に、続きは、続きは、という目で急かしてきたハンナの事を。アイツは猥談が本当に好きな奴だった。我らの中で一番ドスケベだった」

 

本当に何やってんだか、第二王女親衛隊。

 

「忘れないぞ。アイツ、今頃ヴァルハラで名誉ある戦死を遂げたとエインヘリャルとしてワルキューレに呼ばれている頃であろうよ。だが、我々は忘れないぞ。アイツが、私達と同じく、どうしようもない愚か者。周囲に、法衣貴族に嘲笑われる一名であった事を。死ぬまで忘れてやらないぞ」

 

第二王女親衛隊長。

ザビーネ殿は、泣きながら演説していた。

 

「いいか、我らもいつ死ぬかなど判らん。我ら第二王女親衛隊はこれからもヴァリエール様のために働くのだ。死ねと言われれば死にに行き、生きろと言われれば何としても生きるのだ」

 

ザビーネ殿は、ただひたすらに泣いていた。

涙をそのままにして、演説を続ける。

世間では、今回の立役者。

民兵を鼓舞し、志願者を集め、ヴァリエール様の初陣を勝利させた英傑詩の主人公として扱われてるのにな。

本人にとっては、それはもはや苦痛の栄光でしかないだろうが。

一生、忘れられないであろうな。

ザビーネの評価を、見直す事にする。

以前にヘルガに愚痴った言葉を撤回することにしよう。

もはや、ザビーネは嫌いになれるような相手ではない。

 

「ヴァリエール様に了解も取らず、勝手に死んでんじゃねえよ、馬鹿野郎が」

 

最後は、演説ですらなかった。

吐き捨てる様な、それでいて最高の親愛を込めた言葉であった。

 

「もういい! つまらぬ演説は終わりだ! ハンナの、今後のヴァルハラでの巨人相手の闘いに栄光あれ! 献杯!」

「献杯!」

 

ザビーネの演説が終わるとともに。

私を含めた、残り14名の「献杯!」の言葉が空に踊った。

私はハンナという人物の事を良く知らない。

ただヴァリエール第二王女殿下を身を挺して守った、立派に務めを果たした女であるという知識のみだ。

だが、その人生は、おそらく第二王女親衛隊として生きた中は、少なくとも幸せだったのであろう。

そう感じる。

私は、エールを勢いよく飲み干す前に。

 

「ザビーネ殿」

「ああ、ポリドロ卿。今日は本当に来てくれて有難う」

 

ザビーネとお互いの杯、木のコップを重ね合わせる。

 

「あまり、楽しい席では無いだろう。無理を言った。今日は本当に来てくれて有難う」

「いえ、私もハンナ殿の葬儀に参加した立場ですので」

 

いい女だった。

惜しいな。

生きていれば、嫁に欲しかった。

もはや叶わぬ願いであるし、ヴァリエール様の身代わりとなって死んでいなければ、こう思う事も無かったであろうが。

さて。

今回、実は従士長であるヘルガから「第二王女親衛隊で一番いい女見繕ってきてください。ザビーネ様とか私はイチオシです」と後押しされて来たわけであるが。

完全に、そんな雰囲気ではないぞ。

そして、私自身もそんな気分にならん。

今日はハンナ殿の追悼だ。

それでよい。

私の嫁探しは、今年は諦めることにしよう。

 

「こちらに座っても」

「どうぞ」

 

ザビーネが向かいの席に座る。

第二王女親衛隊は各々、ハンナについての昔話を語っている。

……ザビーネは混ざらなくてもよいのだろうか。

 

「ザビーネ殿、私は一人でも大丈夫だ。私の相手などせず、他の親衛隊と一緒にハンナ殿の話をしてきても……」

「アイツ等とはいつでも喋れる」

 

ザビーネは自分の杯のエールを一口あおり、ぷは、と息を吐いた後に、こちらを向く。

 

「ポリドロ卿はもう領地に帰ってしまうのであろう?」

「そうだな、領地に帰る」

 

軍役は果たした。

ヴァリエール様の初陣も立派に果たした。

領地の保護契約の義務も、第二王女相談役としての役目も、完全に終えているのだ。

もはや、王都に用は無い。

領民達も、家族が待っている。

さっさと帰って、領地の殖産活動に励まねばならぬ。

我が領地はお世辞にも裕福ではないが、今回王家からボーセル家の代わりに支払われる褒賞金により、今後10年は潤う事になる。

その間に減税政策を敷き、領民を働かせ、畑を少しでも広げるのだ。

一面が美しい黄金色に染まる麦畑が、目に浮かぶようである。

 

「一つ聞きたい。カロリーヌの子、マルティナを助命したのは何故か」

「……不服か?」

「いや、ハンナの仇は、ヴァリエール様がその場で仇を討ち取った時点で終わっている。不服等は無い」

 

ザビーネが質問をし、私の言葉に対して首を振る。

今回の初陣を最悪の展開に陥れた原因、カロリーヌの娘を何故救うのか。

それが気に食わなかったのかと考えたが、そうではないらしい。

確かに、仇討ちはヴァリエール様がその手を自ら下した時点で終わっている。

 

「私が聞きたいのは、ポリドロ卿の誉れに関してだ。どーしても判らん。理解できんのだ。今回、ポリドロ卿に何の得があった。むしろ王家に借りを一つ作ったのではないか」

「……」

 

沈黙で返す。

やはり、ザビーネは馬鹿なようで賢い。

まあ、何の教養も無い、愚かな演説家などそうはいないか。

コイツ、何故家から放逐され第二王女親衛隊に入ったのだろう。

今、冷静にこうやって会話すると、とても頭が悪い女には見えないのだが。

やはり性格が鬼畜すぎたからか?

もはや、その印象は薄いが。

彼女もこの初陣で成長したという事であろうか。

 

「……答えてはくれないのか」

「いや、答えよう」

 

私の沈黙を、黙秘とザビーネは見做したようだが。

正直に答えよう。

どうせ、酒の席だ。

正直に答えても、私が何の損をするわけでもない。

 

「……親の罪を幼き子が背負う世の中は、例え青い血でもおかしいとは思わないか」

「……」

 

結局はそれだけ。

マルティナが幼い子供でさえなければ、私はその首を、むしろ騎士の情けとして刎ねたであろうが。

この母親から騎士教育を受けた青い血の誉れと、前世の日本人的道徳感が悪魔合体した、それが出した答えは。

その誉れの結論が出したのは、それだけ。

 

「それがどうしても気に食わなかった。それだけだ」

「それだけか」

「それだけさ」

 

ザビーネはきょとん、とした瞳で呟く。

 

「やはり、ポリドロ卿は奇妙な男だ」

「自分でもそう思う」

 

この世界で狂っているのは自分の方だ。

その常識は抱いている。

だが、その純粋な青い血の世界ではどうしても生きられぬ。

何、それなりに折り合いをつけて生きていけるさ。

私はそう気軽に考える。

 

「だが、嫌いではない。案外、気が合うのかもしれないな、私達は」

「口説いているのかね?」

 

ザビーネの言葉に、からかうように返す。

まるで口説き文句のようであったから。

 

「そうだと言ったら?」

「……」

 

私は硬直する。

まさか、本気で口説いているのか私を。

この世界――少なくともアンハルト王国では。

筋骨隆々で背の高い私など、女性の好みの主流からは外れているはずなのだが。

まさか。

 

「私の財産が目当てかね。言っておくが、手に入る立場は人口300名足らずの小さな村の小さな領主騎士だぞ」

「それは一代騎士からやっと2階位昇位したばかりである私には目を眩ませるほどの立場だがね。今回はそうではない。純粋にポリドロ卿が好みだと言っている」

 

マジか、コイツ。

私は思わぬ返答に固まる。

ヘルガよ、我が従士長ヘルガよ。

何か私、お前のイチオシを口説くどころか、逆に口説かれてるみたいだぞ。

口説かれるのは初めてではないがな。

アスターテ公爵からは、それこそ毎日のように口説かれていた。

ただし、愛人枠としてだがね。

そうそう、アスターテ公といえば、今回の件だ。

あの女、予測するにマルティナを、私に首を刎ねさせるように嘆願させるべく思考誘導しやがった。

土下座したのは自分の責任だが、私が助命嘆願することも予測していたであろう。

マルティナを助命させたかったにしても、あまりにやり方が汚すぎる。

よくもヴィレンドルフ戦役からの付き合いである私を嵌めてくれたな。

私は血も汗も絡み合わせた、戦友だと思ってたのに。

この屈辱は忘れん。

だが、あの爆乳は惜しくもあるが。

それは前世感覚をもった男であるがゆえ、致し方なし。

まあいい、今はそれは忘れよう。

 

「ポリドロ卿は……私のような女は好みではないかな」

「……」

 

そもそも私は、肉付きの良い女だったら誰でも好みです。

オッパイ星人なのです。

ザビーネのように、服の造形からもわかる形のいいロケットオッパイの持ち主なら超好みです。

この世界、顔面偏差値無駄に高い女しかいないし、もうオッパイ大きけりゃ誰でもオールオーケー。

そう正直に呟きたくなるが、この世界ならドン引きされるであろう。

完全な淫売としか、とらえられぬ。

それに、まあ立場がある。

領主貴族の嫁として、私の代わりに軍役を果たしてくれるレベルの人材である必要が最低限ある。

あれ、今のザビーネなら悪くない?

ヘルガにもオススメされてるし。

悩みながらも、適当に言葉を濁す。

 

「嫌いではありません」

「よかった。心の底から嬉しいよ、ポリドロ卿」

 

何なのだこれは。

どういう状況なのだ、これは。

何故私は、あの一度は鬼畜チンパンジーと看做したザビーネに口説かれている。

そして私は何故、その口説きに心惹かれている。

教えてくれ、誰か。

私はどう答えたらいいのだ。

私はどうしたらいいのか。

童貞に、この場での適切な所作を求められても困るぞ。

 

「ポリドロ卿。私は最愛の友人であるハンナを失ってしまった。だが、第二王女相談役としての、貴方と縁を持った。これはハンナが取り持ってくれた縁なのかもしれない。第二王女親衛隊隊長として、そしてザビーネ個人としても、これからもよろしく頼む。願わくば、女と男として親しい関係もな」

「え、ええ。こちらこそ。これからもよろしく」

 

ザビーネと私は握手をする。

その手は、剣ダコと槍ダコでお互いゴツゴツとしていたが、不思議とザビーネの手は柔らかい感じがした。

駄目だ。

私はザビーネに心を、少し囚われ始めている。

普段全くモテないからだ。

そうなのだ、きっと。

或いは、アスターテ公に手酷い裏切りを受けて心が傷ついたばかりだからか。

あの爆乳は裏切ったのだ。

私は懊悩しながらも、ザビーネの口説き文句に、そして服の造形からはっきりと判るロケットオッパイに心を惹かれ。

金属製の貞操帯の下で、股間をふっくらと膨らませた。

心の中で、静かにいつもの祝詞を呟く。

股間の痛みを取り除くための、嘆願の祝詞。

チンコ痛いねん。

 

 

 

 

 

 

第一章 完



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ヴィレンドルフ和平交渉編
第24話 トンボ返りの王命


第二王女ヴァリエール様の初陣、通称「カロリーヌの反逆」から一か月。

ファウスト・フォン・ポリドロは無事、領民達と共にポリドロ領に帰り着き、日々を過ごしていた。

やがて、王都に居を構えたボーセル家の跡継ぎ、マルティナを騎士見習いとして迎え。

今は、その騎士教育中であった。

馬房にて、愛馬フリューゲルの世話を今後は担当してもらう事となる。

フリューゲルの世話は大好きだから、自分でもやるがね。

 

「これが我が愛馬フリューゲルだ」

「凄く大きい馬ですね。さすがアンハルト王国最強騎士の馬だけあります」

「15歳の時、フリューゲルは当時3歳であった。その頃から巨体であった私をよく支えてくれた」

 

私の宝物。

髪飾りや指輪などは全て領民に与えてしまったため、亡き母親から贈られた物では唯一残っている物である。

いや、我が愛馬フリューゲルを物扱いするのは自分でも嫌だが、他に例えようがない。

何と呼べばよいのかなあ、親愛を込めて呼ぶべきコイツを。

ヴィレンドルフ戦役の時など、フリューゲルが優秀でなければ私はレッケンベル騎士団長に負けていたであろう。

私の筋骨隆々の2m、そして軍装を整えた重量を物ともせず、跳躍すら容易く行う。

まさに、愛馬。

そう呼ぶのがふさわしい馬だ。

私の顔にフリューゲルが鼻を摺り寄せてきて、私も頬を擦り付け、お互いにその感触を楽しむ。

 

「……賢い馬ですね」

「ああ、本当に賢い。馬は賢い生き物だ」

 

マルティナがその様子を見ながら、呟く。

フリューゲルの事を褒められると、もう自分の事のように嬉しくなってしまう。

ああ、それにしても、フリューゲルも、もう10歳となってしまった。

正直、フリューゲルはまだまだ活躍してくれるであろう。

フリューゲルは特別製だ。

だがしかし、だ。

 

「今後の世話を喜んで担当します。しかし、この馬、フリューゲルは結構いい歳ではないのですか」

「そうなんだよ」

 

マルティナが、我が心中を見抜いたように呟く。

いいかげんフリューゲルにも嫁を見繕ってあげなければならない。

できれば、新しい馬を買うのではなく、このポリドロ領にて血を繋いで欲しいのだ。

私の命の危ういところを綱渡りで繋いできてくれた愛馬だ。

しかし、我が財政に新しい牝馬を買う余裕等―――いや、カロリーヌの反逆で受け取った報酬金を用いれば。

駄目だ、アレは領民の減税のために使うと決めてしまっているし。

悩む。

 

「そろそろ新しい馬を用意すべきです、と進言したいところですが」

 

マルティナが口淀む。

まあ、この賢い子なら、私の返事くらい判るであろう。

 

「我がポリドロ領の財政ではなあ。フリューゲルが何より良く食うしなあ」

 

まあ、フリューゲルは働いているんだから、その分食って当然なんだが。

馬の購入費はかかるが、それよりなにより維持費がかかる。

これがまた、よく食うのだ。

フリューゲルが餌をよく食べる光景は微笑ましくあるが、財政的には痛々しい。

このファンタジー中世時代のエンゲル係数は高い。

結論、二頭、三頭と維持するとなると我が領地の財政が……

 

「何とかしないとなあ」

 

前から考えてはいる事なのだ。

悩みの種である。

頼みの第二王女ヴァリエール様にお願いしても、何とかなるとは思えんし。

馬を新しく買うのが一番早いとは理解しているのだが。

やはり、愛馬フリューゲルにはその血を継がせてあげたい。

どうしたものか。

そう、横のマルティナと一緒にうんうんと悩んでいると――

 

「ファウスト様、使者が訪れました」

「またか。手紙だろう?」

 

従士長のヘルガが訪れ、使者が来たことを伝える。

アスターテ公の弁明の手紙。

王都から離れ、領地に帰った後に、アスターテ公が何を考えていたかを正直に書いた手紙を受け取った。

上手い嘘を吐かず、正直に話した方が私の心証が良いと判断したのであろう。

その感想は?

正直に言おう、真正のアホだろ、あの人。

いや、私のこの性格は良く理解してくれていると思うし、私がこの世界の普通の男の感性なら、それで落ちていたかもしれんから。

あながち、単純なアホとは言い難くはあるが。

私が助命嘆願のために暴走し、土下座まですると読めていたなら、それは智謀の持ち主ではない。

ただの狂人と呼ぶべきであろうし。

だから、まあ正直に言ったのは感心しよう。

暴走も土下座も私自身がやったことだし、その点を恨むのも筋違いだ。

だが許せん。

 

「アスターテ公の手紙は一応開封して読む。だが送り返せ」

「宜しいのですか?」

「構わん」

 

私の貞操を狙ったことはまあいいのだ。

そのために子供の、マルティナの命を、道化のように弄んだ事が許せん。

幼い子供の思考を誘導し、マルティナの首を私に刎ねさせるよう嘆願させたことが許せんのだ。

それだけが唯一許せん。

私は横のマルティナを眺めながら、幼いその身体を見つめる。

だが、そのマルティナは――

 

「あの、アスターテ公の事ですが、私を思考誘導させた事についてですが」

「何だ。私は許すつもりは無いぞ」

「私はもう許すも何も、別に恨んですらいないのですが」

 

はい?

私は呆気にとられた顔で、マルティナの顔をまじまじと見つめる。

 

「いや、マルティナ。お前は、その命をいい様に弄ばれたのだぞ。憎くないのか」

「ファウスト様、貴方は、貴方の行動を利用されたことについて、アスターテ公にお怒りですか」

「いや、それについては怒ってない」

 

誘導されたとはいえ、それについては自分の行動が稚拙であったのだ。

先ほども考えたが、暴走も土下座もアスターテ公を恨むのは筋違いという物であろう。

だが――お前は怒ってもいいだろう。

 

「ならば、それと同じなのです。私も怒ってはいませんよ」

「マルティナ。お前は幼い子供なのだ。その命をアスターテ公の都合で、アスターテ公のいい様に駒のように扱われた。ならば怒るべきなのだ」

「ファウスト様。私はあの場でファウスト様に首を刎ねられて死んだとしても、本気で悔いはなかったのですよ」

 

マルティナは、いつもの澄ました顔で呟く。

 

「それに、ファウスト様から話を聞くところによれば、元々助命してくれるつもりだったようですし、陪臣として取り立ててくれるつもりであったとも聞きます。あの場で死ぬべきであった私の命を、あの時点では唯一救おうと考えてくれた方です」

「それは……まあ、そうだが」

 

私も、自分に関係なくマルティナの首が刎ねられるようであれば。

この青い血としての騎士教育と、前世の日本人的道徳感が悪魔合体を果たした、この誉れはマルティナを思い切り見捨てていたであろう。

気まずくなって、思わずマルティナから視線をそらす。

私はヒーローでは決してない。

たとえ思惑があっても、マルティナの命を最初から救おうと考えていたのはアスターテ公のみだ。

それは確かに事実だ。

 

「それを憎むのは、恩知らずであると思うのです。それはもはや、私の感情とは度外視で考えるべき事柄でありますし、私の感情としても憎んでは別にいないのです」

「……」

 

マルティナは本当に賢い。

悟っているとすら言っても良い。

アスターテ公がその才能を惜しみ、助命することを本気で望むだけの価値はある子供だ。

本当に9歳児か、この生き物。

ボーセル領を継いでいれば、さぞかし良い領主になったであろうに。

私はマルティナの境遇に同情する。

周囲の大人が馬鹿者だらけで、この子の運命は狂ったのだ。

……私の騎士教育など拙い物であろうが、何とかこの子を立派に育て上げて。

領地の反逆者にして、売国奴の娘。

そういった風評被害に負けない騎士にしてみせよう。

そう心に誓う。

ま、それはいい。

 

「うーん」

 

アスターテ公はあれから毎週、換金しやすい贈り物。

金品と一緒に、弁明と謝罪の手紙を送ってきている。

私の考える最大の被害者、怒っている原因であるマルティナにそうまで言われてしまうと、ちと考え直すところがある。

許すべきなのか?

 

「ファウスト様、そもそも、アスターテ公と仲が悪くなって貴方に何かメリットがあるのですか? 相手は銀山すら抱える、領民数もその内10万を超えるとさえ言われている公爵家の御領主様ですよ」

「う、それを言われると弱い」

 

そもそも、領地規模とその権力に差がありすぎる。

アスターテ公が気安く、領民300ぽっちの私の事を我が戦友、と公言してやまないのが異常なのだ。

そして、そんな相手が、こうして何度も謝罪の手紙を送って来ているのも、また異常。

いや、アスターテ公が私のケツに異常な執着を。

私を愛人として欲しがり、私の貞操を狙っている事は知っているのだが。

私のこの前世有り感性だと、別にそれはいいんだよなあ。

ポリドロ領を我が子が継いでくれない可能性があるから、立場的に愛人だけは困るのだが。

マルティナに尋ねる。

 

「……私の心が狭く思えるか?」

「いえ、利用されたんだから怒ってもいいとは思いますよ。ですが、ファウスト様の心の器はそれほど小さい物ですか? 相手は金品を送り、謝罪の手紙も何度も送ってきているのに?」

「うーん」

 

アスターテ公は正直に非を認めた。

金品も謝罪の手紙も、何度も送って来た。

もはや許すべきなのか?

悩みどころだ。

そういえば。

 

「公爵領は馬の産地としても有名だったな」

「というか、何でもありますよ公爵領。フリューゲルの仔の繁殖を依頼しますか?」

 

マルティナが、打てば響くように言葉を返す。

そこを落とし所とすべきか。

手紙にてアスターテ公にもう許す事を伝え、その代わりにフリューゲルの繁殖を依頼しよう。

そして仔馬が産まれ、3歳までアスターテ領で育ったら、それをタダで譲り受けよう。

もう、これでよいか。

アスターテ公はヴィレンドルフ戦役での、大事な戦友だ。

だからこそ一時は本気で憎んだものだが、その過去を否定するのも、また嫌なものだ。

私は溜息を吐く。

 

「ヘルガ、予定変更。使者に手紙を受け取るように伝え、今回は返信を書くから屋敷で少し待ってもらえるよう伝えよ。我が領地の恥にならない程度の、供応の準備もな」

「承知しました。それは承知しましたが……今回は別件が」

「別件?」

 

アスターテ公の手紙の使者ではないのか?

他に用件などあるはずも。

 

「王都から呼び出しが掛かっています。王族案件です」

「断れ」

 

ブチ殺すぞ馬鹿。

領地の保護契約の義務も、第二王女相談役としての役目も、今年の分は完全に終えているのだ。

何故一か月もせん内に、王都に呼び出しをかけられねばならぬ。

私は疲れたのだ。

マルティナの騎士教育もあるし、ポリドロ領の統治もあるのだ。

何故にこのような目に遭わねばならぬ。

 

「使者など来なかった。山賊に途中で襲われたのであろう。そのように取り計らいますか?」

 

ヘルガが剣呑な視線で、私の顔色を窺う。

使者を殺すか。

そうしたい。

そうしたいが、今回の使者にはアスターテ公への返事を持って帰ってもらわねば困る。

それよりなにより。

 

「公爵家クラスなら、使者など来なかった。その対応も可能かもしれんがね」

 

領主騎士とはいえ、私は領民300ぽっちの弱小領主騎士だ。

政治的立場などゴミ屑のようなものである。

ええい、畜生め。

どうしようもあるまい。

殺すわけにはいかん。

 

「用件は聞いたか?」

「重要案件故、使者にも知らされていないようです。ただ王都へ訪れよ。今回は第二王女初陣以上の兵を引き連れて、と」

「どう考えても、絶対ロクでもない案件だろ、それ」

 

不安要素しかないじゃないか。

断りたい。

クッソ断りたい。

何で私なんだよ。

私には断る権利が明確に存在するはずだぞ。

使者に断りの手紙を持たせて。

 

「ファウスト様、断る権利は確かにありますが、この場合は直接会って断らなければ失礼になります。間違いなく王命です」

「……」

 

マルティナが横で、私の考えを完全に否定する。

判ってるよ此畜生。

結局、王都に出向くしかないのか。

それも、前回以上の兵を引き連れて。

兵数は――30程度でいいか。

 

「ヘルガ。本当にすまんが。本当にすまんが今回もハードな状況になるのを覚悟してくれ」

「我々従士や領民は、ファウスト様にただ付いて行くのみであります。すぐに招集をかけます」

 

ヘルガには、幼い一人娘がいる。

今は夫を同じくする姉妹の子と一緒に、養育を頼んでいるが。

今回の軍役――その間に、その愛しい一人娘に、ヘルガは顔を忘れられていた。

ヘルガは膝を地面に崩して泣いていた。

今はなんとか思いだして貰えたが。

あれ、今回も繰り返す事になるのか。

正直キッツイぞ。

主に私の心が。

 

「ファウスト様、今回、私もついて行きますので」

「マルティナ、お前は領地でゆっくりしていてもいいんだぞ」

「主人に従うそれも、騎士教育の一つでありますので」

 

まだ9歳児をこんなハードな状況に従わせるのは困るが。

それで、その間のマルティナへの騎士教育が手抜かりになるのも、心苦しい。

連れていくしかない、か。

 

「ふざけんなよ王家」

 

私は愚痴を吐きながら、静かに何かを諦めた。



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第25話 交渉役任命

チンコ痛いねん。

だから、何度も心の中で――言っているのは通じんか。

いくら、クローズドな場とはいえ。

何でシルクのヴェールを一枚羽織っただけの姿で現れるねん、お前。

母親であるリーゼンロッテ女王と同じタイプかお前。

そうファウスト・フォン・ポリドロは心の中で罵った。

裸体にシルクのヴェール一枚を羽織っているだけの、アナスタシア第一王女を。

その長椅子の横に座るアスターテ公爵が、まずは口を開いた。

 

「まずは、先に話をさせてもらうぞ。ファウスト、マルティナの件は本当に申し訳なかった」

 

私は、ファウスト・フォン・ポリドロは領民30名を連れ、再び王都に訪れていた。

そして王宮に訪れたその足で向かった場所。

アナスタシア第一王女の居室、そのクローズドな場で思う。

チンコ痛いねん。

詫びを入れたいと思うなら、アナスタシア第一王女にその恰好止めさせろや。

お前の顔を目にするたびに、その横の人物の美乳が目に入ろうとするんや。

というか、どうしても視線がそっちにいくんや。

王家一族の特徴たる赤毛のアナスタシアの長髪が、なんとか乳首を隠してくれてはいるが。

逆にそこだけ見えない方が、興味を「そそる」。

金属製の貞操帯に、勃起が衝突し、痛みを発生させ、眩暈を起こす。

何で私がこのような目に。

 

「謝罪は結構です。手紙でも使者の早馬で、すでに伝えたはずです。もう許したと」

「そうは言っても、直接の謝罪とは別だろう。あらましは、すでに伝えたとおりであるが、本当に申し訳なかった。ファウスト」

 

アスターテ公爵が頭を下げる。

どうでもいいから、アナスタシア第一王女を止めろや。

そんな事はもうどうでもいいんや。

こっちは本気でチンコ痛いんやぞ。

 

「……怒りは、妥当であると思う。だが、その怒りは何とか諫めて欲しい」

 

アスターテ公が顔を悲痛の色に染めたまま、謝罪する。

ああ、私の顔、また憤怒の色に、真っ赤に染まっているのか。

これは違うぞ。

言い訳一つすらできんが、それは違うのだアスターテ公爵。

もうお前は許している。

 

「これは貴女への怒りでは無いですよ、アスターテ公爵」

 

勘違いされているなら、丁度良い。

この怒りは、アスターテ公爵への物ではない。

凄いチンコ痛いからだ。

後は、人を都合の良い駒のように考えている王家への怒りだ。

こっちだって都合があるんだぞ、王家よ。

いや、アナスタシア第一王女よ。

今回、お前の用件だって聞いたぞ。

何でか、ヴァリエール第二王女も傍にいるがな。

 

「その、ファウスト……お願いだから落ち着いて」

 

お前はちゃんと礼服着てるから落ち着けるよ。

そもそも貧乳だしな。

美乳のアナスタシア第一王女と、爆乳のアスターテ公とは違うのだ。

お前等何がしたいんだ。

そんなに私のチンコを痛めつけて楽しいか。

私はヴァリエール第二王女へと視線を向けた後。

横合いから、アスターテ公の声を聞く。

 

「お前の要求は全て受け入れよう。お前の愛馬フリューゲルの繁殖は我が領地にて承ろう。今回の役目を終えてからになるがな。そうそう、単に優秀な牝馬への種付けではなく、他の沢山の牝馬にも種付けするがいいよな? その中で、一番優秀であった仔馬をファウストに贈ろう。もちろん、他の牝馬への種付け料も支払うぞ? 何せアンハルト王国最強騎士の、最強馬の種だしな。相当な額を支払うぞ」

「それで不満はありません。フリューゲルも子孫が増えて喜ぶでしょう」

 

お前にこの場で種付けしてやろうか。

心の中で罵りの声を挙げる。

こっちはチンコ痛いんやぞ。

ぷい、と顔を背けながら。

アスターテ公の横の人物の美乳を目にしないようにしながら、横に座るヴァリエール第二王女のみを見つめる。

我が心の平穏は、この場でこの人物だけだ。

 

「あの、ファウスト。何で私を見つめるの?」

「この場にては、私が相談役を務めるヴァリエール第二王女以外に目を向けたくは無いのです」

 

これで、私の不機嫌具合はアナスタシア第一王女に伝わるか。

それは微妙であるが。

少なくとも、私は今、アナスタシア第一王女の顔に、その下にある美乳に視線を向けたくはない。

チンコ痛いねん。

 

「アスターテ公爵。お前の謝罪である一件、その話は終わりか」

 

アナスタシア第一王女が、アスターテ公爵へ話を向ける。

 

「はいはい、話は終わりましたよ。後は王家からの話をば。私は最初に言っておきますが、反対の立場ですからね」

 

アスターテ公爵が、その爆乳をぶるん、と揺らしながら、両手を空に向ける。

やめろや。

本気で犯すぞお前。

この貞操逆転世界観にて、例え男が女を犯すのが異様な光景だとしても。

私はもはや、そんな事知った事じゃない。

本気でお前等を犯すぞ。

チンコ痛いねん。

今の私は何をするか自分でも判らんぞ。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロよ。話がある」

「はいはい。謹んでお断りいたします」

 

私はアナスタシア第一王女の話を、謹んでお断りした。

内容は聞かない。

聞くまでもない。

私は領地の保護契約の義務も、第二王女相談役としての役目も、完全に終えているのだ。

王家のワガママなど聞く理由が無い。

 

「せめて、話ぐらいは聞いてから断れ!」

「聞きたくないんですが」

 

アナスタシアがその美乳をヴェール一枚ごしに晒しながら、私の顔を見つめてくる。

私といえば、珍しくそのおっかない視線に目を重ねた。

そうしなければ、アナスタシア第一王女の美乳が視界に入るからな。

 

「用件は、はっきり一言で言おう。ヴィレンドルフ王国との和平交渉だ。その使者をお前に任せたい」

「何で私が? それは法衣貴族の仕事でありましょう? いえ、よしんば領主騎士に任せるにしても、私では格が低すぎます」

 

何が悲しくて、アンハルト王国とほぼ同国力を有する同じ選帝侯たる、ヴィレンドルフ王国との和平交渉の使者に立たねばならないのだ。

それは法衣貴族の仕事であろう?

決して領民300名足らずの地方領主の行う仕事ではない。

下手すれば、相手は馬鹿にされたと考えて私の首を刎ねるぞ。

そして再戦争だ。

いや、ヴィレンドルフの価値観から、それは無いと私も知っているがな。

私はあの国で英傑に値する。

粗雑に扱われる事は決してあるまい。

 

「法衣貴族は役に立たん。梨の礫だ。ヴィレンドルフは、我々アンハルト王国の王軍の大半が北方の遊牧民族対策に充てていることを知っている。ヴィレンドルフ方面が脆弱になっている事を知っているのだ。相手にはせん」

「……」

 

聞きたくない言葉を聞いた。

これが他人事であればよかった。

で、あるが、他人事ではないのだ。

騎士見習いとして同席させている、マルティナへと視線を向ける。

マルティナは沈黙している。

この場における発言権は無いからだ。

正直、何かアドバイスが欲しかった。

私は政治的見地に乏しいからだ。

 

「……」

 

私は必死に考える。

我が領地たるポリドロ領は、蛮族ヴィレンドルフの国境線にほど近い。

だからこそ、こうやって軍役を必死に果たし、アンハルト王国との保護契約を保持してきたのだ。

我が領地が、蛮族に襲われる?

それだけは御免だ。

我が領地は、わが命に代えても守るべきものだ。

私にはポリドロ領の領主騎士として、亡き母親から、その祖先から引き継いできた立場として、領地を守る義務がある。

 

「ファウスト、これはお前にとっても関係がある話、だとは思うのだが……」

「思うのだが?」

 

私は語尾を強くし、訴える。

だからといって、総責任を。

ヴィレンドルフ対策への総責任を任される立場では決してないはずだ。

これは王家と法衣貴族が解決すべき問題のはずであろう。

そうでなければ私が領地の保護契約のために、必死に軍役をこなしている理由が無い。

 

「もちろん。もちろんだ。当然の事ではあるが、お前の動員した領民の全て、今回は30名であったか? その動員費用の負担は我が王国が背負うし、そのヴィレンドルフの和平交渉が成り立った際の報酬も考えている」

「ほう」

 

その額はいくらかね?

下手な金額では、私はそう思うが。

横のアスターテ公爵から紙を渡され、その試算額に目を疑う。

これ、カロリーヌ反逆の報酬金より多額じゃねえか。

 

「ほう」

 

私は思わず声を挙げる。

悪い額ではない。

もはや我が領地の10年減税どころか、我が世代においては、ずっと領地の減税政策すら行えるほどの額だ。

まあ、それが当たり前になると次代が困るのでやらんけども。

額としては、正直眼が眩む程の額だ。

そう、眼が眩む。

勃起すら萎えて、チンコの痛みが治まるほどに。

それは良い事であるが。

いやいや、待て待て。

それだけ厄介な、難事であるという事だぞ、今回の役割は。

 

「事前に交渉した、法衣貴族達による反応はどうだったのです」

 

私は状況を冷静に判断する。

アナスタシア第一王女は答えた。

 

「弱き者どもから出た、弱き者どもの言葉は信用できぬ。領地を立ち去るがよい。そう、取り付くしまもない有様であった」

「……」

 

要するに、何一つ進展していないと。

だよねー。

ヴィレンドルフにとっては有利な状況だからね。

いくら、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵と私が、1000の倍軍を追い返したとはいえ。

あれは、本当に三者の能力が総合的に重なり合って奇跡を為した、偶然の出来事だったからね。

前線指揮官であるレッケンベル騎士団長を良いタイミングで討ち取れたから勝ったようなもの。

次は成功しないと思うわ。

多分、負ける。

そう感想を抱く。

アスターテ公が逆侵攻を行い、たまりかねたヴィレンドルフがようやく停戦条約を結んだのだ。

今はその停戦条約の期間中であるが。

いかん、それはもうすぐ切れる。

あと半年も残っていないではないか。

残念ながら、ファウスト・フォン・ポリドロは馬鹿ではなかった。

国が置かれている状況にも、ヴィレンドルフに国境線が近い自領の状況も理解していた。

このままだと、詰む。

しばし、悩む。

このままだと、我が領地もヴィレンドルフに、あの蛮族の侵攻に遭う。

それは困る。

アスターテ公爵の常備兵500と、リーゼンロッテ女王の軍は、その保護契約をしっかり守ってくれるであろう。

ヴィレンドルフに対抗してくれるであろう。

ではあるが。

正直、期待できるものではない。

今度こそは負ける。

その予測が、三者の間ではすでに雰囲気が漂っていた。

あれは、ヴィレンドルフ戦役で勝利できたのは、もはや偶然の産物としか思えない。

三者の誰が欠けていても、負けていた。

そんな地獄の戦であった。

 

「私にどうしろというのです」

 

目を瞑り、アナスタシア第一王女の美乳が目に入らないようにして呟く。

 

「最初に言った通りだ。ヴィレンドルフに赴き、和平交渉を成してくれ。最低でも10年は欲しい」

「10年……こちらが譲歩できる条件は?」

「そもそも攻め込んで来たのはあっちで、勝利したのはこっちだ。そして停戦した。譲歩できる点などほぼない。せいぜい、アスターテ公爵があちらの村々に攻め入った時に奪った少年達を返すぐらいか?」

 

その条件で交渉しろってのかよ。

キツイなあ。

勝った以上、条件をそう簡単に譲歩できないというのは判るが。

ああ、面倒臭い。

だけど、なあ。

やるしかねえよなあ、コレ。

そして、多分、私以外に、妙にヴィレンドルフで英傑視されているらしい私以外に、交渉できる人材もアンハルト王国にはいないんだよなあ。

それが理解できるのが、この身の最大の不幸だ。

ファウストは、ちっ、と舌打ちをつく。

 

「承知しました。他に手は無い。だからこそ私を呼んだのでしょう」

「引き受けてくれるか」

 

ほっ、と息を突きながら、アナスタシア第一王女が胸を実際に撫で下ろす。

だから、ヴェール越しに、その美乳に触れるのは止めろ。

勃起するだろ。

 

「引き受けましょう。但し、報酬の方は宜しく。あと、交渉が確実に纏められるとは到底保証できません。その際の、ヴィレンドルフ対策も同時に考えておいてください」

「もちろん、それは承知している。あの遊牧民族どもめが居なければ、このような事には」

 

ヴィレンドルフも同じように、北方の遊牧民族に困らされていたはずであるが。

確か伝え聞く話では、私が一騎打ちにて討ち果たしたレッケンベル騎士団長が、遊牧民族をボロ屑のように叩きのめして、国家全体に余裕ができたらしいんだよなあ。

結果、余った戦力で我がアンハルト王国に攻め込んできて、ヴィレンドルフ戦役が巻き起こった。

良い迷惑だ。

 

「ヴィレンドルフへの使者は私のみですか?」

「できれば、私が行きたいところであるんだが……」

「さすがに御身が行くわけにもいかんでしょう」

 

第一王位後継者が敵地へと?

悪いジョークだ。

だが、私だけでは名が弱い。

アンハルト王国最強騎士とはいえ、僅か領民300足らずの弱小領主騎士では弱い。

アスターテ公はヴィレンドルフで「皆殺しのアスターテ」として悪名高いので無理。

誰か、適当な――

 

「私が立候補するわ」

 

私の横で、ヴァリエール第二王女が手を挙げた。

ああ、だからこの人も呼ばれてたのか。

 

「ま、そうなるであろうな。今のヴァリエール姫なら、役目も果たせるだろ」

 

アスターテ公が溜息を吐く。

正使がヴァリエール第二王女で、副使が私ことファウスト・フォン・ポリドロか。

これで表向きの格好はついたな。

 

「だが、私は今でも反対なのは、お忘れなく。ファウストを敵地にやるなど」

「お前の反対の立場は判っている。私も本音では反対だ。だが、他にどうしようもないのだ」

 

アナスタシア第一王女が答える。

いや、実際どうしようもないよなあ、これ。

心の中で同意する。

心底、行きたくないけど。

私は自分の副使としての立場に反対しながらも、アナスタシア第一王女の判断には同意するしかなかった。

ああ、ヴィレンドルフ行きたくねえ。

最後に、もう一言だけ心の中で呟いた。



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第26話 全身鎧の下賜決定

「無茶苦茶怒ってたな。いや、最後には落ち着いて話を聞いてくれたし、聞き入れてもくれたが」

「私の事も許してもらえたから、とにかくよかった」

 

アナスタシア第一王女の居室。

ファウストと、その騎士見習いのマルティナ。

そしてヴァリエール第二王女が席を立ち、ヴィレンドルフへの遠征準備を開始するため去った後に。

アナスタシアとアスターテは、深く深くため息をついた。

 

「やっぱり、1か月で辺境領からとんぼ帰りは怒るか。とはいえ、もはやこれ以上ヴィレンドルフの案件を棚置きしておくわけにもいかん」

「今更だが、やはりどうしようもないのか。法衣貴族ども、ちゃんと仕事してるのかよ」

「してるさ。ちゃんと人選も私がした」

 

母上、リーゼンロッテ女王からは、ヴィレンドルフ対応は私に一任されている。

できるだけヴィレンドルフが侮らないような、交渉も武芸も出来る上級法衣貴族。

その武官を送り付けたが、やはり「弱き者の言葉など聞かぬ」扱い。

もはや、ぐうの音も出ないくらいの「強き者」を送り付けるしかない。

ファウストは、ヴィレンドルフでは間違いなく強き者に値するだろう。

心配なのは――アスターテが、私の心中を読んだように呟く。

 

「ファウスト、襲われるだろうなあ。いや、ヴィレンドルフが寝込みを襲うとは思っていないが、正面から決闘を大量に挑まれるだろ」

「挑まれるだろうな。それをクリアしてもらわねばならんが。まあ、その辺は心配無用だろう」

 

それが一騎打ちであるならば、100連戦して100勝するのがファウスト・フォン・ポリドロという男だ。

アイツが負ける姿など想像もつかない。

本人曰く、ヴィレンドルフの英傑、レッケンベル騎士団長だけは本気でヤバかったと呟いていたが。

今はその英傑も、ファウスト自身の手で倒された。

問題は無い。

 

「でもさあ、ファウスト。それだけじゃないだろ。あの筋骨隆々の姿。身長2mを超える大柄な体躯。そして英傑としての武力。どれをとってもヴィレンドルフの女好み。絶対口説かれまくるぞ」

「完全無欠のセックスシンボルみたいな扱いだろうな、ヴィレンドルフでは。何と言うか、歩くセックス? だからこそ、丁重に扱われる事を期待して送り出すわけだが……」

 

正直、ファウストの貞操が心配である。

だが、ファウストは身持ちの固い男。

そう簡単に、誰かに股を開くとは思わん。

でも、心配ではある。

その身が誰かに汚されるかと思うと、発狂しそうになる。

だが、もうどうしようもない。

すでにファウストをヴィレンドルフに使者として送る話は決定してしまった。

ドアから聞こえる、ノックの音。

 

「誰だ」

「私です。お茶をお持ちしました」

「ああ……丁度、喉が渇いていたところだ。入ってくれ」

 

第一王女親衛隊の親衛隊長が、部屋に入ってくる。

その手のプレート上には、二人分の茶が用意されていた。

机の上にそれが置かれ、お互いにカップを手にする。

アスターテが茶の香りを楽しみながら、再び口を開く。

 

「けっきょく、どうなのよ。ヴィレンドルフは停戦期間終了と同時に、ウチに攻め込んでくると思うか」

「何とも言えん。レッケンベル騎士団長不在の影響がよくわからんのだ。ヴィレンドルフの女王の内心が掴めぬし、内偵もイマイチ……戦争準備はしていないようだが。あの国は戦を起こすとなると、国民が即応するからな。すぐ戦時体制に入れる国だ。油断は一切できん」

 

ファウストは、本当に良い仕事をしてくれた。

レッケンベル騎士団長。

まさに悪名高いヴィレンドルフの怪物と呼べる代物を倒したのだ。

今のヴィレンドルフ女王、それが第三王女であった時代はその相談役となり、遊牧民族対策に奮戦。

いや、奮戦どころか叩き潰してしまった。

部族の幾つかは、族滅にまで至らしめたと聞く。

その手段は、遊牧民族のコンポジット・ボウの射程すら超える、魔法のロングボウによる族長、次に弓手の射殺。

その後は自らが陣頭に立ち、騎兵突撃による一方的な遊牧民族の虐殺。

話を聞けば、やり方はまあ判らんでもない。

ヴィレンドルフの騎兵は、正直言ってアンハルト王国のそれより強力だし。

だが、言うは易く行うは難し。

当国ではマネが出来ぬ。

そもそもワンショットワンキルで、レッケンベル騎士団長がその弓矢を戦場で外した事は一度も無いとまで、ヴィレンドルフ方面から流れてきた吟遊詩人の英傑詩では謳われている。

この世にはたまに出るのだ、ファウストのように訳の分からないレベルの超人が。

ファウストが殺してくれて、本当に良かった。

 

「レッケンベル騎士団長は武力にも優れていたが、戦略にも、政治的にも優れていた」

「ああ。第三王女であった女を教育、強力に補佐し、女王にまで押し上げた女だしな」

 

蛮族、ヴィレンドルフの女王は。

いや、ヴィレンドルフという国家全体の、青い血の後継制度は長姉相続ではない。

その限嗣相続は決闘で決まる。

姉妹同士が決闘しあい、勝った物が全てを得るのだ。

負けた方の姉妹は大人しく家長となった者の補佐をするか、それとも家を出ていくかだ。

それで恨みっこなし、といういっそ清々しさを感じさせるほど、というか。

よくそれで国がまかり通っているよな、と疑問を感じさせる制度だ。

文化がアンハルト王国と、余りにも違い過ぎる。

まあ、補佐をする者は食べてはいけるし、家を出ていくことを選んだ相手にも、もはや青い血は名乗れずとも食べていく道ぐらいは保障する。

その程度の義務が相続者にはあるというか、普遍化した常識が存在し、それを外れた者は青い血としては見なされない。

そういう、我が国から見れば妙ちくりんな価値観で国家が形成されている。

まあ我が国と同じく、ヴィレンドルフの代替わりは早い。

およそ長姉が20歳前後になった際には当主としての相続が行われる。

よって、長姉が勝ち、末子であればあるほど負ける可能性は自然高くなる。

幼いからだ。

だが、ヴィレンドルフの女王は末子、第三王女でありながら勝利した。

当時14歳であったらしいが。

これもレッケンベル騎士団長の薫陶あってのものであろうな。

そう考える。

ともかく、ヴィレンドルフ戦役を思い返すと、気持ちがしんどくなる。

 

「なあ、アスターテ。お前、ヴィレンドルフ戦役で何べん死んだと思った」

「想像もつかない。アナスタシアの本陣が襲われた時が一度目、それで焦って常備軍の統率を乱したときが二度目。そこから先は、ファウストの一騎打ちの勝利後のことは、終始有利に進めたつもりであるが、というかそうじゃなきゃ勝ててないんだが」

 

アスターテが、茶を一口飲み。

合間をおいて、答える。

 

「まあ、30回は、あ、これ自分死ぬんじゃないかなと思った。ファウストと一緒に最前線だったし」

「そうか」

 

アナスタシアが死ぬと考えたのは、本陣が攻め入れられた時。

その時と、度々最前線のアスターテとの通信が不通になった時。

ひょっとして私はこの初陣で死ぬんじゃないかな、と覚悟した。

考えれば数え切れない。

よく勝てたもんだな、あの戦役。

――だから、次は勝てない。

勝てるイメージが、私やアスターテ、そしてファウストの三者にはどうしても浮かばないのだ。

だが、しかし、だ。

 

「本当に、ヴィレンドルフの女王が何を考えているのか判らん。相談役であったレッケンベルを失い、もはや我が国と戦をする気等無くしているのか。それとも復讐に心を燃やしているのか。北の遊牧民族対策は、何部族か族滅するにまで至ったとはいえ、完全に終わったわけではない。そちらへの対策は今後どうするつもりなのか」

 

何も判らない。

ちゃんと内偵はしているのではあるが。

今の状況では、法衣貴族が女王との謁見すら叶わず、ほぼ門前払いの時点では。

何も判らないのだ。

 

「案外、こっちのリアクション待ちという事も有り得る」

「というと?」

 

アスターテの意見を聞いてみる。

 

「ひょっとして、ファウスト・フォン・ポリドロ待ちだったとか」

「まさか」

 

我々が上手く踊らされたというのか。

その可能性は考えないでもなかったが。

そこまでファウストに執着するものか?

 

「判らないぞ。ファウストという人物は、ヴィレンドルフの価値観にとっては本当に特別な存在だ。容姿は完璧、闘う姿は美しき、非の打ち所がない完璧な玉のような存在だ」

「その玉を通して、我々のリアクションを図っていると?」

「アンハルト王国、侮りがたしと受け取れば、戦争回避。所詮噂先行、このような物かと受け止められれば、戦争再開」

 

バカげた話だ。

アスターテ公が下手な口笛を吹きながら、おちゃらけた姿で言いつのる。

 

「でもさあ、案外間違ってない予測だと思うぞ。全てはアンハルト王国のリアクション待ち。それから全て決める!」

「ヴィレンドルフ側も、こちらの行動が予測つかないということか?」

「そう言う事。何だかんだ言って、我々は勝利した。私はヴィレンドルフに皆殺しのアスターテなんて言われる程の報復も果たした」

 

土地を奪い取るのではない。

アスターテはヴィレンドルフの村々を襲い、ありとあらゆるものを略奪し、更地にした。

そのヴィレンドルフでの悪名は計り知れない。

まあ、アンハルト王国も、ヴィレンドルフに似たような事やられてるから、正当な報復ではあるんだが。

 

「今、アンハルト王国は北方の遊牧民族対策に、王軍の多くを割いている。各地方領主の軍役もだ。だからヴィレンドルフ対策に軍の多くを割くことはできない」

「それはヴィレンドルフも知っている事だ。だから私は再戦を恐れている」

「だけど、ヴィレンドルフではレッケンベル騎士団長がボロ屑のようにそれを叩きのめした経緯もあり、アンハルト王国がそれをできないとまでは考えない」

「ふむ」

 

私達がヴィレンドルフの全てを理解できないように、相手もアンハルトの全てを理解できないだろう。

それは判る。

 

「つまり?」

 

私はアスターテに尋ねる。

 

「だから、リアクション待ち。全てはファウスト・フォン・ポリドロに掛かっている。ヴィレンドルフ女王はその姿を見て、今後の全てを決める。あながち、この予想は間違ってないと思うんだよねえ」

「うーむ」

 

案外、そうなのかもしれない。

相手の頭の中までは、例え希少な魔法使いでも読めない。

判断材料があるとすれば――それは英傑レッケンベルの保護下に置かれていた。

その幼少期から構築されたヴィレンドルフ女王の価値観。

 

「我がアンハルト王国の英傑、ファウスト・フォン・ポリドロを見て、それから何もかもを決めると」

「そうさ。私ならそうする」

 

アスターテは、仮に自分がヴィレンドルフ女王ならばそうする。

その思考をトレースして、そこに至ったか。

我が相談役、我が片腕アスターテよ。

今回は、お前の智謀を認めるとしよう。

 

「では、なおさらファウストにみすぼらしい格好をさせるわけにはいかんな」

「あのチェインメイル姿か?」

 

格式ばかりに気を取られ、金のない貴族など珍しくもない。

そして弱小領主騎士であるファウストは本当に裕福ではない。

だからチェインメイルなど着ている。

 

「私の歳費で、アイツ用のフリューテッドアーマーを製作しよう。宮廷魔法使いによる、軽量化や強度の付加も」

「間に合うのか? 使者に向かわせるには時間が……」

「鍛冶師など何人使ってもいい。一か月で間に合わせる」

 

無茶苦茶な。

アスターテがそんな顔をする。

だが、これは必要な事だ。

ファウストを、我が国の英傑をチェインメイル姿でヴィレンドルフ女王に会わせるのは、アスターテの話を考えると拙い。

我が潤沢な歳費を用い、鎧一式を仕立てる。

これは好都合だ。

その事情が事情故、財務官僚にも文句を言わせず、ファウストの好感度を買える。

 

「アナスタシアさあ、これでファウストの好感度が買えると思ってないか。いや、確かにファウストの好感度はお金で買えるんだけどさあ。その心の深層までは売ってくれないんだよ」

 

王家の、第二王女相談役としてファウストに与えられた下屋敷。

そこを常に監視し、ファウストの嗜好と傾向を隅から隅まで理解してる――くだんのマルティナ助命の際にはそれでも読み間違えたが。

そのアスターテが、忠告する。

だが、しかしな。

 

「これは必要なことだと思うし、それにだ。私なんかファウストに嫌われてないか?」

「いや、戦友だとは思われてると思うよ。死地の最前線に送った相手とは言え、アナスタシアも苦労してないわけじゃないし。だけど、お前さあ、怖いんだよ」

「怖い? 何が?」

 

アスターテの言いたいことが判らん。

 

「目が怖い」

「それだけで嫌われるわけがないだろうが!」

「実際、妹のヴァリエールに最近まで怖がられてたじゃん!」

 

ああ言えば、こう言う。

 

「それはヴァリエールに問題があるのだ! 本当に子供の頃から私を怖がりよって! 最近は姉さまと逆に妙に懐いてくるようになって可愛いが」

「あ、可愛いんだ。姉妹仲が改善されたのは何よりだけどさあ」

 

アスターテが呆れた顔で、私とヴァリエールの姉妹仲に口を挟む。

ほっとけ。

同じ父の、血の繋がった妹なんだ。

そうと一度認めてしまえば、可愛くないわけないだろ。

別に王位を争う気は、ヴァリエールには無い事がアスターテの報告で知れているわけだし。

将来は、僧院になど追いやらず、ちゃんとどこかの嫁に送りだしてやりたい。

それが私のせめてもの愛情だ。

 

「まあいいや。もういいよ。とにかく、魔法のフリューテッドアーマーなんか与えた日にゃ、そりゃファウストは大喜びするよ。でもそれで股を開いてくれるとまでは思わない方がいいと思うよ」

「思うか!」

 

どんなハレンチな事を考えてるんだ。

私はこれをいい機会にして、ファウストの好感度を稼ぎたいだけ。

そしてヴィレンドルフとの和平交渉を上手く運びたいだけ。

ただそれだけだ。

アナスタシア第一王女は、はあ、と溜息をつき、すっかり冷たくなったカップの茶を飲み干した。



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第27話 マジックアーマーの製作風景

第一射は、600m先、丁度立ち塞がる騎士を斬り捨てた辺りであったと思う。

飛んできた矢のそれを、半ば反射的にグレートソードの柄で防いだ。

防がなければ、私の装備しているチェインメイルの胸元を射抜き、私は死んでいたであろう。

やや残る腕の痺れが、その矢の強烈な威力を示している。

 

「そっちか」

 

私は方角を掴んだ。

あそこに、私が葬るべき敵、討ち取る事でこの死地からの脱出を可能とする前線指揮官は居る。

そう戦場の嗅覚が促した。

愛馬フリューゲルも鼻先を向け、あっちだ、あっちだ、と促している。

戦場のフリューゲルは私より賢い。

それも、騎士と騎馬、互いの意見は一致しているのだ。

フリューゲルのそれに、黙って従う。

私は吶喊する。

第二射。

それを、グレートソードで切り払う。

邪魔だ。

この弓手、相当の腕前だぞ。

問答無用と言った感じで、強烈な矢を私の額目掛けて射抜いてきた。

だが、無駄。

矢を切り払うなど、超人の常識よ。

これ位できなければ、戦場で生き抜いていけるものか。

私は過去の軍役で、当たり前のように山賊がクロスボウを所持していた事を回想する。

なんで山賊風情がクロスボウ持ってんだ。

ひょっとして、家督を継げなかった青い血崩れだったのか?

そう疑問に思うが、今はどうでもいい。

クロス。

そう絶叫する、私の声。

我が領民の従士達5名が、今までの軍役で、山賊から鹵獲してきたクロスボウの矢を敵に解き放った。

チェインメイルをぶち抜き、倒れ伏すヴィレンドルフ騎士の5名。

やはりクロスボウは強力だ。

第三射。

鬱陶しい。

グレートソードの柄で受け止める。

第四射。

第五射。

第六射。

第七射。

第八射。

いいかげんにしろよ。

山賊の矢など鬱陶しいだけだが、この矢は力強く、恐ろしい。

私はそれをグレートソードの刃で、柄で、それを打ち払う。

カイトシールドなんぞ持たずとも、私にはそもそもそれが必要ない。

先祖代々受け継がれた、グレートソード一本のみで矢は跳ね返せる。

この弓手、化物だな。

私と同じ超人の類か。

その感想を抱きつつ、やがて無駄だと悟ったのか。

――いや、単純にこの矢を放つ先に行きついたのか。

やがて、私とその領民達は、敵騎士団の中枢に辿り着く。

 

「ヴィレンドルフ騎士団長、一騎打ちを申し込む!!」

 

私の名乗り声。

それに応じたロングボウの射手、ヴィレンドルフ騎士団長――レッケンベル。

嗚呼、彼女は確かに強かった。

間違いなくヴィレンドルフの英傑であった。

およそ生涯に相手をした騎士の中で、間違いなく最強であった。

後一年。

後一年早ければ、私の方が負けていたであろう。

たった一年の鍛錬と工夫の差で、私が勝利した。

あるいは、彼女の才能が指揮官としての軍事に偏っているのではなく。

私のように武力に全振りであれば。

負けていたのは私の方であったであろう。

才能の多寡は、おそらく彼女の方が多かった。

そんな事を、横にいるマルティナに呟く。

 

「英傑詩そのもののお話で、まさに英傑同士の勝負と言えますが。何故そんな話を突然」

「いや、暇でな」

 

私は今、王都の鍛冶場にいた。

マルティナを騎士見習いとして引き連れて訪れた、鍛冶場にてマルティナにヴィレンドルフ戦役の――レッケンベル騎士団長が如何に強敵であったかの話をする。

その目の前で、パチパチと拍手をする商人。

イングリット商会。

アナスタシア第一王女は、私用のフリューテッドアーマーを準備するにあたって、私の御用商人であるイングリット商会を指名してくれた。

なかなかの気配りを見せてくれる。

イングリットは大型注文にご機嫌だ。

 

「いやー。手配の値段の方は大分勉強させて頂きましたが、フリューテッドアーマー一式の手配となるといい値段になります。それを先払いで支払ってくれるとは。さすが第二王女相談役ポリドロ卿」

「今回の支払いは、全てアナスタシア第一王女様の歳費で出るわけだから、第二王女相談役は関係ないけどな」

 

そうイングリットに返す。

まさか、アナスタシア姫が私用のフリューテッドアーマーを買ってくれるとは思わなかった。

それも、費用は今回の成功報酬とは完全に別口で。

さすが第一王女の歳費、潤沢さが第二王女とは違う。

今回ばかりは、さすがに素直にアナスタシア姫に感謝する。

この2m超えの巨躯を包むチェインメイルも、いささか綻び始めていたところだ。

まあ、副使として舐められる格好は拙いか。

ヴィレンドルフ以外なら礼服でいいんだが。

ヴィレンドルフにおいて、武官は甲冑こそが礼服だ。

格好がつかんと拙い。

 

「それにしても、一か月での突貫製作となると、鍛冶師もいつもの一人では足りません。いつものグレートソードとチェインメイルの整備をしている男職人以外にも、多数の女職人を使う事になりました」

「別に構わん。イングリットの紹介だ。腕はしっかりしているのであろう」

 

我が股間に装着している貞操帯。

それを作り上げた男鍛冶師に、いつもは我が愛用のグレートソードやチェインメイルの整備を頼んでいるのだが。

今回ばかりはそうはいかぬ。

たった一人で鎧一式を準備できるほどの時間は無い。

女鍛冶師によって集られ、全身をぺたぺた触られながら、サイズを採寸された。

その手は鍛冶師らしく分厚く、鎧鍛冶師としての熱量を感じさせた。

 

「サイズはもう測り終えたのだから、帰ってもよいのではないか?」

「いえいえ、時間がありませんので。まだまだ身体に合わせて調整していかねば」

「そういって、一週間もの間、鍛冶場に日参している」

 

まあ、仕方ない。

そうは思っているのだが、時間のとられ具合には閉口している。

横に付き従うマルティナに、ヴィレンドレフ戦役における回想を語ってしまうくらいに。

手持無沙汰なのだ。

チラリ、と横を見ると、暇な私とは打って変わって忙しそうに宮廷魔法使いが魔術刻印を、鎧の素材となる板金に刻み込んでいる。

呪文付加――エンチャントの準備である。

そういえば魔法使い、産まれて初めて見たな。

魔法使いは、この世界では貴重な存在である。

完全に先天的な能力であり、後天的に開花することは無い。

1万人に一人、そのくらいの割合か。

その程度しか存在しない。

だが、魔法は確かに存在する。

この腰にぶら下げた、先祖代々伝わる魔法のグレードソードのように。

 

「私、魔法使いの方、初めて見ました」

 

マルティナが呟く。

1000人規模の街に住んでいた、マルティナの立場でもそうだろうな。

魔法使いは公爵家を例外として、その能力が認められると問答無用で宮廷に召し上げられる。

その魔法使いの探し方はいたって単純。

魔法のオーブ、水晶玉に手をかざすだけで、その水晶玉が輝き反応するか否か。

水晶玉は、各地方領の教会に保管されている。

もちろん、我が領地ポリドロの教会にも保管されている。

無論、言うまでもないが私に魔法使いの才能は無い。

物心つく、5歳の時に確かめた。

300人ぽっちの領民にもおらん。

まあ、居ても王宮に召し上げられるんだが。

但し、高額な報酬金が領地にも家族にも支払われるんだけどな。

そして、魔法使い本人の待遇も違う。

まず、奴隷であろうが平民であろうが、問答無用で世襲貴族の新当主扱いの待遇。

むろん、泣こうが喚こうが、スパルタ教育で魔法使いとして、貴族としての教育が始まる。

ぶっちゃけ、私が受けた騎士教育並みのキツさではないだろうが。

私は亡き母親を一切恨んでいないがな。

まあ、ともかく。

魔法使いは希少なのだ!

その魔法使いが目の前にいる。

是非とも話をしてみたいが

 

「この板金、絶対切断したりするなよ! しないで鎧造れよ! したら殺すぞ! 人がこの一週間、睡眠と食事の時間以外は削って魔術刻印刻んだんだからな! 判ってんだろうな!!」

 

むっちゃキレてる。

女魔法使いさん、無茶苦茶キレておられる。

 

「一か月は無理だろ! 一か月で鎧の全部の板金に一人で魔術刻印刻めって――いや、加工時間考えたら半月もねえじゃん! ふざけんなよ王家! 人には出来る事と出来ない事ってのがあるんだよ!」

 

むっちゃキレておられる。

これは話しかけるの無理だな。

お前のせいでこうなってんだぞと詰め寄られたら反論できん。

藪蛇を食らうのは御免だ。

 

「アタシ、飯食ってくるからな。それまでに次の板金用意しとけよ!!」

 

ぷんすか、と怒りながら。

女魔法使いは、私の目の前を立ち去って行った。

彼女の名前も知らない。

まあいいや、関わる事もあまりない人種だ。

魔法使いはそれだけ希少だ。

 

「むっちゃキレてましたね」

「むっちゃキレてたな」

 

マルティナの言葉に、私は頷く。

どだい、一か月でエンチャント付加したフリューテッドアーマーを製作しろと言うのが無茶苦茶な要求である。

アナスタシア第一王女の要求だから、みんな仕方ないんだろうがね。

その原因の一人としては申し訳なく思う。

だが、仕方ないのだ。

ヴィレンドルフでの武官は鎧こそ礼服。

決して舐められるわけにはいかない立場なのだ。

上物のスーツを用意していかねばならぬ。

そして和平交渉を成立させるのだ。

何、その成功確率を上げるためなら、鎧一つ安い物だ。

おそらくアナスタシア第一王女はそうお考えだろう。

それに巻き込まれてる鍛冶師や魔法使いはお疲れ様です、というしかないがね。

私は深く深く、ため息を吐いた。

 

「魔法使いには色々聞いてみたいことがあったんだがね」

「何についてか、お聞きになっても?」

 

イングリットが、私の目の前で不思議そうな顔をする。

……隠す必要はない。

 

「その……物語のように、火や光・煙を扱わせたら随一の花火使い、まるで超自然現象を扱い、敵を討ち果たす事などあるのかなと」

 

魔法使いの存在はヴェールに包まれている。

その存在が放つ力はいかに。

ひょっとして、私の戦闘能力すらあっさり上回るのでは。

そんな期待を、前世を持つ私としては。

この中世ファンタジーの世界には、魔法使いには期待をしてしまう。

 

「……私の聞く話では、ありえませんね」

 

イングリットが残念そうに答えた。

小さく、首を振る。

 

「魔法使いの仕事は通信機である魔法の水晶玉、双眼鏡などの補助具、マジックアイテムの製作に。今回やるような武具へのエンチャントが主な仕事ですね。空想物語のように、超自然現象を手に取るように操り、敵を討ち果たすのは残念ながら有り得ません」

 

イングリットは言いつのる。

 

「ましてや、超人。世間ではそう呼ばれますが、ポリドロ卿のような存在。そんな存在に立ち向かう事など出来はしませんよ。まあ、魔法使いは希少ですけどね。魔法力も知識も要します。例に挙げたような補助具、通信機や双眼鏡等、戦局すら左右するような物を造り出しはします。ですが、直接戦闘力はもたないのです」

 

イングリットの断言。

少し、残念である。

前世の世界で読んだような、古典ファンタジーのような力は持ち得ない存在であるようだ。

まあ、一軍に匹敵するような魔法使いなど史書でも出たことは無い。

判ってはいたが、少し悲しい。

何せ、魔法だ。

未だ微かに現代日本人としての残存、価値観が残るわが身としては、期待しても仕方ないではないか。

自分にそう言い訳する。

 

「まあ、判ってたが、そうか。残念だ」

 

イングリットには心のままに正直に答える。

本当に残念だ。

どうしても我が心には「指輪物語」が残っているのだ。

仕方ないではないか。

そんな言い訳を自分にする。

 

「今回のフリューテッドアーマー、どんな感じになる」

「大変言いにくい話ではありますが、兜に関しましてだけはバケツ型でもよろしいでしょうか?」

「バケツ?」

 

できればヘルメットタイプの、何もかも弾き逸らす形がいいんだが。

この世界には初期型ながら、傭兵が使う銃もある。

 

「いわゆる、グレートヘルムですね。実際には、その下に更にコイフ、チェインメイルの頭版を被って頂くことになるかもしれません」

「嫌だな、それは。フリューテッドアーマーにバケツヘルムはダサくないか?」

 

それに視界が狭くなる。

チェインメイル装備の利点。

それは、視野の広さと、軽重量にある。

兜を被らない事によるもの。

そしてグレートヘルムの欠点。

それは視野の狭さと、肩と首に圧し掛かり、攻撃速度すら遅くさせる重量にある。

 

「……正直、複雑な構造となる兜までは製作する余裕がなく。それに正直、英傑ポリドロ卿には完全鎧が必要なのでありましょうか。兜のみは着脱式で、正直無い方が、戦場での戦いをより容易にするのでは?」

「知った風な口を利く」

 

私はイングリットに呆れたように声を出すが、まあそうかもしれん。

元々、戦場ではチェインメイルでも十分と感じる程なのだ。

レッケンベル騎士団長との戦闘では、あれほど全身鎧が欲しいと感じた瞬間は無かったが。

グレートヘルムか。

着脱可能なら、選択肢としては悪くないかもしれん。

 

「グレートヘルムの欠点である重量も、魔法使いのエンチャントで解決です。今回はポリドロ卿の事を考え、判断させて頂きました。是非頷いて頂きたい」

「いいよ、それで。後でちゃんとしたフリューテッドタイプの兜も製作可能なんだろ?」

「はい。容易に交換可能です。ポリドロ卿が旅だった後で、ちゃんと製作しておきますよ」

 

後で取り戻しが利くならばよい。

まあ、必要とするとは思わんのだが。

私はとりあえず応諾し、そしてまた退屈な時間が出来た事に溜息を吐いた。

話相手がマルティナしかいない。

騎士の心構えなど一々説く必要のある子どもではないのだぞ。

私はさて、鍛冶場にてマルティナの剣術指南でもおっぱじめようかと真剣に考え始めた。



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第28話 アンハルト王国に過ぎたるもの

アンハルト王国に過ぎたるもの。

美と憤怒の化身、ファウスト・フォン・ポリドロ。

その姿は凛々しく、振り上げたる剣の重きは女も唸る怪力無双。

駿馬を駈り、戦場を侵すは猛火の如し。

鍛え上げられた体躯は怒りの血潮で太陽の如し。

その光に魂を溶かされた者は、その美しさに戦を忘れ、忘我の内に死ぬだろう。

 

ファウスト・フォン・ポリドロ。

憤怒の化身。

ファウスト・フォン・ポリドロ。

猛火の化身。

ファウスト・フォン・ポリドロ。

我らがヴィレンドルフに相応しき永遠の好敵手よ。

 

「また、ファウスト・フォン・ポリドロの英傑詩か。最近流行っているな」

「実際、使者として来ることが決定しましたからね。話題にもなるでしょう。吟遊詩人も商売です、抜け目がない」

 

ヴィレンドルフ王都。

その街中を歩きながら、街頭で謳う吟遊詩人を見やるのは、会話する二人。

ヴィレンドルフの貴族、武官と文官。

役目は違えど、二人は親友であった。

家も親しく、互いのどちらかの家に男が産まれたならば、夫に出していたであろう。

残念ながら、お互いの家族は姉妹しかいないが。

何、将来は同じ男を夫に獲るのも良いだろう。

そんな事を考えながらも――文官が首を傾げる。

 

「実際、どのようなものでしょうね。身長2m超え、筋骨隆々の姿、気高き顔立ち、それより何より、我らが英傑レッケンベル騎士団長を倒した。もはや想像がつきませぬ。本当に人ですか?」

 

先ほどの英傑詩に謳われるような存在。

もしすべてが本当であるならば、それは人ではない。

超人どころか、魔人か何かだ。

いや、事実、我らの英傑レッケンベル騎士団長は一騎打ちの際、求愛し、勝てば第二夫人となれと望んだと言われているが。

どこまで本当なのか――まあ、それは聞けばわかるのだ。

なかなか、横の武官からは聞けないが。

 

「お前も知っての通り、私はアンハルト戦役――敵国ではヴィレンドルフ戦役と呼ばれており、勝者の呼ぶそれが正しいのかもしれんが。私はレッケンベル騎士団長の御傍にいた」

「はい」

 

やっと、その話が聞けるか。

聞きたくて仕方なかった。

この親友は、ヴィレンドルフ戦役の事となると急に口を閉ざしてきた。

何度尋ねても、だ。

おそらくは、戦役参加者に箝口令が敷かれていたのであろう。

それはもう解かれたということか。

文官は、頭の中で宮廷側の考えについて思考を飛ばす。

レッケンベル騎士団長の死を、アンハルト王国が貶めることは無かった――ファウスト・フォン・ポリドロが礼に則り、その場で賞賛と共に、その首を返却した以上は。

強き者を褒め称えるのは、我らヴィレンドルフの文化だ。

何故、箝口令が敷かれていたのだろうか。

 

「あれは、お前の言うように人の猛々しさではない。まさに魔人だ」

「やはり魔人、ですか。超人ではなく」

「美しき野獣、そういう呼び名のな。超人ではなく魔性の者の類よ」

 

武官は、突如足を止め、横の酒場に目をやる。

 

「一杯飲もうか」

「いくらでも。話が聞けるなら今日は私の奢りです」

「ならば、大量に飲むぞ。今日は仕事も無い」

 

遠慮なく武官は酒場のドアを開け、そこの小さなテーブルの椅子に腰かける。

 

「エールを二つ!」

 

そう店主に叫び、武官は話を再開する。

 

「まず目を剥いたのは、戦場にてその男が、我が騎士団の一人を倒しながら名乗りを上げた時だ」

「我が名はファウスト・フォン・ポリドロ。我こそはと思う者はかかってこい!! 闘ってやる!! でしたか」

「箝口令を敷いた意味が無い。宮廷は何故あのような無駄の事を」

 

話の腰をいきなり折ってしまったようだ。

英傑詩、レッケンベル騎士団長との一戦から聞いた話であったが。

ちっ、と武官が舌打ちをする。

 

「知っているならまあいい。私はその時、レッケンベル騎士団長の御傍にいた。遠目からも判る巨躯で、戦場に響き渡るその叫びの大音声。下位貴族のようなチェインメイルを纏っていながらも――その姿は太陽のように美しかった」

「美しかった、ですか」

「ああ、魔性の美しさというのか。顔を憤怒の色に染め、混乱したアンハルトのモヤシ兵どもの中で唯一人、アンハルト軍がレッケンベル騎士団長の策で、死地に追い込まれている状況を理解していた」

 

まるで水没する船から逃げ出そうとする猫。

もっとも、それは猫ではなく虎であったが。

エールが二つ、テーブルに届く。

 

「反射的であったのだろうな、レッケンベル騎士団長はその魔法のロングボウの矢を、その太陽のような男の胸元目掛けて放った」

「そして?」

「弾かれたよ。グレートソードの柄の部分でな」

「柄!? レッケンベル騎士団長の矢をですか!?」

 

今まで北方の蛮族、略奪民族を幾つも族滅させてきたレッケンベル騎士団長の矢。

ワンショットワンキルの伝説を持つ矢だ。

その伝説を、あっさり覆したのか?

 

「その後もファウストは三人ほど斬ったか? よく覚えていないな。レッケンベル騎士団長の矢をその後も第二射、第三射、第四射と片手間に弾いていった印象があまりに強い」

「矢避けの呪文でもかかっているのですか、ファウストは」

「かもしれぬ。私は、神がそういう運命を与えたと言っても驚かぬ」

 

武官がエールを完全に飲み干した。

お代わりを酒場女に頼みつつ、武官は会話を再開する。

 

「それだけで尋常ではない超人と判る。だが、何より凄まじかったのは、レッケンベル騎士団長の眼前――我々の目の前に現れてからよ」

「どういった人物だったのですか?」

「英傑詩そのままだったのよ。違いと言えば、その男に見合わず、あまりにその軍装がチェインメイル姿と貧相だったことぐらいか。魔術刻印を刻まれたグレートソードが異彩を放っていた事が目立つぐらい――いや」

 

武官が首を振る。

 

「そのチェインメイルのみの姿すら美しかった。兜も盾も無し。軍装はチェインメイルとグレートソードと、ヴィレンドルフでも稀にしか見ぬであろう優れた駿馬のみ。たったそれだけで、あの魔人はレッケンベル騎士団長の前に現れたのよ」

 

武官はまだ気づいていないが。

気づけば、酒場全員が黙り込み、彼女の話に聞き入っていた。

酒場の女店主さえもだ。

 

「あの魔人は言ったよ。グレートソードを大きく天に掲げ、太陽の下で、ヴィレンドルフ騎士団長、一騎打ちを申し込む!!とな」

「レッケンベル騎士団長は何とお答えに?」

「たった一つの約束と共に、それに応じた」

 

武官が、エールの二杯目を空にした。

お代わり!と空の杯を掲げて、力強く叫ぶ。

慌てて女店主自らが、代わりのエールを持ってきた。

この武官の言葉を止めたくないのだ。

 

「その約束とは?」

「私が勝利した場合、お前は私の第二夫人になれ、それだけだ」

「英傑詩そのままではないですか。それほどまでに美しかったのですか」

「美しいなんてものではなかったよ。魔人といったろ」

 

武官が、私の顔に顔を近づけ、その間近で呟く。

 

「正直、私も股が濡れたよ。このような美しい男がこの世に存在したのかと」

「そこまで?」

「そこまでだ」

 

近づけていた顔を離し、また会話を再開する。

今の呟きは、いくら顔を近づけていても、酒場全員の客と店主の耳に届いたが。

幼き頃から声がデカいのだ、この武官は。

 

「何と言えばいいのだろうな。あの美しさは。チェインメイル越しでも判る筋骨隆々の、幼き頃から鍛え上げられたと判る身体。その真っ赤に染まった気高き顔。一騎討ちを挑む前に、周りをジロリと睨みつけ、押さえつけるその目。私は生まれて初めて人から見下ろされる経験をしたよ」

 

武官は身長1m90cm程。

ファウストと、その乗馬がどれだけ大きいかがよく判る。

 

「美しかった。本当に。一度でいいからあのような男を抱いてみたいものだが……まあその機会は」

「そこら辺はどうでもいい。レッケンベル騎士団長との勝負はどうであったのです?」

 

聞きたいのは、そこだ。

武官が言葉を止められ、少し機嫌を損ねた様子でエールをあおる。

周囲の人間も、固唾を飲んで見守っている。

 

「美しかったよ。それだけだ」

「はあ?」

「他に何と言い様がある。その光に魂を溶かされた者は、その美しさに戦を忘れ、忘我の内に死ぬだろう。ほれ、さっきの英傑詩にもあったろう」

 

武官がからかう調子で呟く。

コイツ。

――コイツ、その記憶を話すつもりは無いな。

思わず、言葉を崩す。

 

「お前なあ、私は親友だぞ、語ってくれてもいいだろう」

「どーしよーかなー」

「からかうのはやめろ。喋らないなら、奢りは無しだぞ」

 

私は自分のエールに口づけしながら、不快そうなジト目で武官を見る。

 

「仕方ない。喋ろう。まずはレッケンベル騎士団長が、私に魔法のロングボウを預け、自らのハルバードを持って来させた」

「あの、レッケンベル騎士団長が遊牧民族を何十と斬り殺したと聞く業物か」

 

魔法のロングボウと同じく、宮廷魔法使いにエンチャントされた品。

切れ味の強化と、堅牢さが増していると聞く。

 

「得物の長さは、レッケンベル騎士団長が有利であった。鎧も。噂では300人足らずの弱小領主騎士と聞く、チェインメイル装備のファウストとは違い、全身が魔術刻印で埋め尽くされたプレートアーマー。私はな、いくらファウストが美しくとも、魔性の者と思えど、それでもレッケンベル騎士団長の勝利を疑ってなかったんだよ」

「そりゃそうだ」

 

装備が余りに違い過ぎる。

実績も。

ファウスト・フォン・ポリドロなんて名前、ヴィレンドルフ戦役で初めて聞いたのだ。

後になって、軍役で100名以上の山賊を斬り殺してきた事も英傑詩で聞いたが。

それ以上の実績を、レッケンベル騎士団長は積んでいる。

 

「だが、互角だった。途中まで互角だったんだよ勝負は」

「どういう勝負だったのだ。そこが聞きたい」

「ファウストのグレートソードは魔法が掛かっているとはいえ、同じく魔法のエンチャントが施されているレッケンベル騎士団長のプレートアーマーは切り裂けず。同時に、レッケンベル騎士団長の攻撃は、殆どがファウストのグレートソードで凌がれた」

 

何十合、何百合と打ち合ったのか。

もはやそれすら覚えておらんよ。

武官が、またエール!とお代わりをせがむ。

女店主が、慌ててまたお代わりを持ってくる。

 

「時々、レッケンベル騎士団長が勝利した、と錯覚したときすらあった。ファウストの装備するチェインメイルがハルバードに触れ弾け飛び、血の雫とともに鎖が周囲に散乱する事すらあった。だが傷は浅く、致命傷には至らなかったのだ。ファウストはギリギリの攻撃範囲を見極め、その攻撃を受けていた」

「……ファウストは、本当に魔人なのだな」

 

レッケンベル騎士団長。

死して名を遺す、我らの英傑よ。

厄介な略奪者、北方の遊牧民族の族長や弓手をその魔法のロングボウで打ち抜き、自分が最前衛を務める騎馬突撃で、幾つもの遊牧民族を族滅させてきた女よ。

あの英傑の名は、1000年経ってもヴィレンドルフに残るであろう。

 

「レッケンベル騎士団長の敗北原因は、疲れだ」

「疲れ?」

「何百合と及ぶその打ち合いに、プレートアーマーで全身を包んだレッケンベル騎士団長の疲れだ。いかにヴィレンドルフきっての超人と言えど、そのスタミナが持たなかった」

 

レッケンベル騎士団長も、また人の子であったか。

 

「対して、ファウストはチェインメイルの身軽な姿であった。そして何より、若かった。いや、年齢を理由にするのはよくないな。レッケンベル騎士団長は逆にその老練さゆえに、あそこまで持ったのだ。そして――」

 

瞑目する様に、武官が目を閉じる。

 

「プレートアーマーの接合部、魔術刻印の無いその首元目掛けて、ファウストのグレートソードが届いた」

「それがレッケンベル騎士団長の結末か」

「そうだ」

 

ふー、と武官がエールの残量を気にしながら、語り終える。

箝口令が解かれた。

ようやく人に話す事が出来た。

そういった面持ちであった。

 

「……ファウストは、そのグレートソードを我々を眼前にしながらも鞘に納め、大事そうに両手で地面からレッケンベル騎士団長の首を持ちあげ、副官は誰かと聞いた」

「お前の事だな」

「そうだ、私だ」

 

レッケンベル騎士団長の副官。

その騎士副団長こそが、目の前の武官である。

 

「ファウストは言ったよ。強き女であった。私はこの戦いを生涯忘れないであろう。そうして、その首を大切に両手で丁重に返してきた」

「その場で斬り殺される事すら恐れず、か……」

「ああ、恐れずだ。あの男が我らヴィレンドルフの価値観を理解しているとはいえ……」

 

我らが英傑、レッケンベル騎士団長を殺された。

怒りの余りに、その横やりをする無粋な馬鹿が現れないとも限らなかった。

だが、ファウスト・フォン・ポリドロは一切恐れなかった。

 

「それで、そこまでか」

「ああ、それで話は終わりだ。奴は私達と同じく一騎打ちを見守っていた領民を引き連れ、自軍へと帰っていった」

 

杯の中身は空になっている。

だが、今の武官はエールの追加を頼もうとしなかった。

 

「凄まじいものだな、ファウスト・フォン・ポリドロという男は」

「魔性の男だと言ったろう?」

 

話は終わりだ。

だが、一つ気になる事がある。

 

「レッケンベル騎士団長の遺体は、その後どうなった? 我々がその死を知ったのは、ヴィレンドルフ戦役後であった」

「負け戦である。その遺体をパレードとともに葬る事は避けられた。我らが英傑に、負け戦の原因になったとはいえ非難する愚か者などいるはずもないのにな」

 

武官は、ちっ、と舌打ちをつきながら、空になっているエールを見る。

お代わり!

その声に、女店主が反応し、代わりを持ってきた。

 

「レッケンベル騎士団長の遺体は、その家族と、我ら騎士団と、ヴィレンドルフ女王で静かに、但し格式を以て葬られた。いずれ、お前も墓に参るといい」

「ああ、我らが英傑だものなあ……」

 

文官がエールを飲む。

何か、しんみりとしてしまった。

打ち破ったファウストは賞賛されるべきだ。

だがレッケンベル騎士団長を失ったことは悲しい。

 

「その後、レッケンベル騎士団長の家族はどうなったのだ? 家督は姉妹が継いだのか?」

「いや、レッケンベル騎士団長は家族からも誇りであった。その一人娘に家督を譲りたいと姉妹達が懇願し、一応は姉妹が代理をすることとなったが、継ぐのは一人娘――ニーナ様だ」

「ニーナ様か」

 

それは何よりだ。

あのレッケンベル騎士団長の血を継ぐ娘だ。

きっと未来は英傑になるであろう。

 

「では、遅れたが、我らが英傑レッケンベル騎士団長に献杯を」

「そして未来の英傑、ニーナ様に乾杯を」

 

ヴィレンドルフ武官と文官の二人は杯を合わせ、そのエールを一気に飲み干した。



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第29話 欠陥品のカタリナ

私が――ファウスト・フォン・ポリドロが和平交渉へ向かう事を、アナスタシア第一王女と約束してから一か月が経過した。

そして、ついに待ちかねた鎧が完成したのだ。

それまでは鍛冶場に日参していた。

マルティナには結局、暇すぎるので、毎日剣術鍛錬を施していた。

 

「どうでしょうか、第二王女相談役ポリドロ卿」

 

イングリットの声。

少々狭い視界のグレートヘルムの中から、その顔を見る。

やはり視界が狭い。

だが、頑健である。

試しに自らのグレートソードでバケツヘルムに一撃くれてみたが、ビクともしなかった。

宮廷魔法使いの魔術刻印は、良好にその働きをもたらしているようだ。

その宮廷魔法使いが、私に歩み寄る。

 

「ついでだ、これもくれてやるよ」

 

馬具、と見て良いだろう。

馬の鞍のような、それでいて我が愛馬、フリューゲルの身体を覆い尽くすかのような幅広い厚手の布。

それにはビッシリと魔術刻印が記されている。

馬鎧のような頑丈さを感じる、真っ赤な厚手の布であった。

 

「お前の馬、放牧されてるのを観に行ったんだよ。フリューゲルと言ったか。あれは本当にいい馬だった。いざという時は、その布がお前の馬を守ってくれるだろう。大事にしろよ」

 

全身鎧の板金に、半月で魔術刻印を刻んで暇してると思ってたが。

我が愛馬フリューゲルの装備を整えてくれていたのか。

すまん、女魔法使い。

口悪くてやたらキレてるから、貴女の事を心から誤解していた。

私は女魔法使いに黙って頭を下げる。

これで、装備は私の分も、フリューゲルの分も、完璧に整った。

なお、フリューゲルであるが、現在は王都の外の牧場内に放牧され自由に駆け回っている。

すぐにでもアスターテ公爵領に、繁殖のため送ってあげたかったのだが。

今回の和平交渉が優先である。

繁殖に送るのはその後だ。

見栄えの良い馬くらいならアスターテ公爵が用意してくれたであろうが、じゃあそれが愛馬フリューゲルを超えるかとなると、私にとってはあり得んので仕方ない。

 

「だが、そのバケツヘルムはやはり無いな。まあフリューテッドヘルムもこの後作るんだが……」

 

やはりイマイチであるか、この兜。

いや、グレートヘルムが格好悪いのではない。

フリューテッドアーマーとの兼ね合いが、イマイチ、何かバランスが合わないというべきか。

不釣り合いなのだ。

でも、良い装備だぞコレ。

視界が狭い以外は、頑丈さも完璧だし。

 

「私は気に入ったのだが」

「いや、やはりちゃんとした兜も作るよ。アンタが旅だった後にだけどさ」

 

女魔法使いがそう呟いた。

それが無駄にならない事――レッケンベル騎士団長の仇だ、と言わんばかりに私が殺されない事を祈っていてくれ。

まあヴィレンドルフの文化的に、それは無い事は重々承知しているのだが。

何事も例外はある。

その覚悟はしておくべきだ。

 

「皆、お疲れさま」

 

私は心の底から、鍛冶師の全員、女魔法使い、商売も忙しいであろうに一か月付き添ったイングリット、そして今、大の字になって地面に寝転がっているマルティナに声を掛けた。

 

「ようやく、この地獄の日々が終わるのですか?」

 

マルティナが声を挙げた。

剣術鍛錬で、疲労困憊の声であった。

楽しい日々だったろ。

私は少なくとも楽しかった。

マルティナを虐めることがではない。

この子、成長速度が異常に早いのだ。

聡いだけではない。

次の日は、私の裏をかくように新たな攻め方を、その試行錯誤を繰り返しながら挑んでくる。

そこらの雑兵、山賊どもを相手どるより私にも勉強になった。

僅か9歳の身でありながら、だ。

マルティナは大成するぞ、カロリーヌ。

私はかつて自分が破った、今は――きっと天国にもヴァルハラにも行けなかったであろうマルティナの母、カロリーヌに呼びかける。

お前の事は別に好きではないが、その遺言、死に際に名を呼んだ娘であるマルティナの事だけは任せておけ。

必ずや騎士として大成させてみせる。

そう誓う。

 

「すぐ旅立つのですか、第二王女相談役ポリドロ卿」

 

イングリットが恭しく、声をあげる。

 

「いや……さすがに一週間は休ませてくれ」

 

正直、疲れた。

まあマルティナの相手以外に何をしてたわけでもないし。

領民は下屋敷にて待ちくたびれているであろうが。

第二王女ヴァリエール様への報告と、その親衛隊の準備の確認もある。

後者は心配していないが。

一か月も有ったのだ、準備は万端であろう。

それに、我が愛馬フリューゲルだ。

牧場から私自ら連れ戻し、相手をしてあげなくてはならない。

自由にしてあげていたと言えば聞こえはいいが、私の手自らの世話もほったらかしにしていたのだ。

機嫌を損ねていないだろうか。

 

「その後、旅立つとしよう。ヴィレンドルフ王都へ向けて一路前進だな」

「行進ルートは?」

「何故、そのような事を気にする?」

 

私は疑問に思う。

イングリット商会の気にするような事ではあるまい。

 

「いえね、もし和平交渉が成り立てば、最低10年は巨大な交易路が確定するわけですよ。先んじて、そこを確保したいという考えは、商人として間違ってますかね」

「交渉失敗の可能性もあるぞ」

「これは投資です。失敗を恐れて投資はできませぬ。可能であれば、行進に付き添わせて頂きたいと」

 

イングリット商会の長が語る。

例え失敗しても、私はその損害を補填せんぞ。

それでいいなら好きにするがいい。

私はそう考えながら、静かにため息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「箝口令を解いたか。よろしい。確かにこのタイミングだ」

「このタイミングですな。アンハルト王国のモヤシどもに、ファウスト・フォン・ポリドロを使者として送る事を譲歩させましたから」

 

ヴィレンドルフ戦役、その戦場にいた者には箝口令を敷いていた。

特に、ファウスト・フォン・ポリドロのその目撃者には。

それはレッケンベル騎士団長の名誉のためでもなく。

国民が、ファウスト・フォン・ポリドロという男の実像に惑わされるためでもなく。

たった一つの要求。

ファウスト・フォン・ポリドロを和平交渉の使者として送らせる事、そのためだけにだ。

 

「こちらの要求、それが相手側に読まれては、それを起点とした譲歩を迫られる。その点はよかった。確かに、もはや箝口令の必要はない」

「相手から言いだせば、弱みにはなりませぬからな」

 

二人。

ヴィレンドルフの王の間。

その王座に座る、ヴィレンドルフ女王。

齢にして22歳。

そして、王座の前に立つ老婆。

ヴィレンドルフの軍務大臣であるそれが、上手くいったとばかりにカラカラと笑う。

 

「お前の手腕を認めよう。箝口令を解いたのも、確かにこのタイミングでよい。これによる我が国民の変化は?」

「英傑詩が真実であった、いや、ファウスト・フォン・ポリドロという男が、それ以上の玉であることを認めることになりましょう」

「これにより、ファウスト・フォン・ポリドロへの国民の暴発は防げるか?」

 

ヴィレンドルフ女王が、やや慎重に尋ねる。

軍務大臣である老婆は、またカラカラと笑った。

 

「元々、その可能性は低いのです。我が国民の気性に合いませぬ。まして、これ以上ないくらいに正々堂々とレッケンベル騎士団長を討ち取ったと知った以上、暴発することは我らが英傑レッケンベル騎士団長の名誉を汚す事になります。これにより、国民の暴発の可能性はゼロとなりました」

 

で、あろうな。

レッケンベルよ。

私は悲しい。

お前が死んで、齢20にして産まれて初めて「悲しい」という感情を知った。

なんという感情を味わわせるのだ、レッケンベルよ。

私はお前が死んだと聞いた時、騎士団が慣れない敵地の野原で必死に花をかき集め、丁重に包んだその首がまず送り付けられた時に。

そして鎧を着たままの遺体が引き続いて届いた時に。

産まれて初めて、人目も憚らず泣き喚いたのだ。

私が5歳の時、お前はまだ15歳であったよな。

諸侯でもなく、領主騎士ですらない、官僚貴族の軍人の相談役。

その時は騎士団長ですらない、一軍人。

ただの世襲騎士、武官の一人。

それがお前であった。

私はその時、兵すらロクに持たぬお前に失望すらしなかった。

所詮、第三王女に与えられる相談役などこのようなものであろうと。

 

「……レッケンベル」

 

その名を呟く。

お前はこのような、人としての欠陥品。

他人の抱く感情というものを、よく理解できない人間。

父にすら愛されず、母すら産まれた時に、その出産で殺した出来損ないの第三王女に、良く尽くしてくれたな。

母親殺しの第三王女と呼ばれたこの私を、一切見下す事などなく相談役として仕えてくれた。

何故なのであろうな。

人として欠陥品の、私ではよく判らない。

未だにお前の真心が、私にはよく判らないのだレッケンベルよ。

死してからこそ、思う。

もっと、お前の話を聞くべきであった。

もっと、お前に話しかけるべきであった。

お前の軍事的功績。

略奪者たる遊牧民族達を、族滅に追い込んだ事。

お前の政治的功績。

第三王女に過ぎぬ私を、ヴィレンドルフ女王にまで押し上げた事。

お前の輝かしい功績。

それらは私には、正直どうでも良いことであったのだ。

私にとって必要だったのは、ただかけがえのないお前という存在だ。

 

「嗚呼、レッケンベルよ。何故お前は死んだのだ」

「憎みますか、ファウスト・フォン・ポリドロを」

「判らぬ。憎しみという感情など知らぬ」

 

軍務大臣の言葉に正直に答え、またレッケンベルに想いを馳せる。

お前が判らぬよ、レッケンベル。

超人たるお前であれば、英傑たるお前で在れば、もっと賢い生き方が出来たはずだ。

ヴィレンドルフの価値観、誰もが前線を駆ける英傑たれと望む価値観。

それをお前は持っていた。

だが、私は持っていなかった。

だって、私は欠陥品だから。

なのに、何故あれ程までに優しくしてくれたのだ。

何故、あれ程までに尽くしてくれたのだ。

私には判らぬ。

もっとちゃんと言葉で言い聞かせてくれなければ、判らぬではないか。

私は愚かなのだ、欠陥品なのだ。

理屈ならば判る。

だが、お前の行動は利益という理屈ではなく、愛情という感情の名のそれを持って私に示していた。

そう、お前の一人娘のニーナ嬢からも告げられた。

貴女は母、レッケンベルから愛されていたと。

私はそれにふさわしくない、愚か者なのだ。

何故、あの時、遊牧民族の討伐により余裕が出来た余剰を持って、アンハルト王国への進撃を認めてしまったのか。

 

「では、この老婆を憎みなさるか。カタリナ様。ヴィレンドルフ女王、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ様。アンハルト王国侵攻を進言したのは私めであります」

「決定したのは私だ。その決定をお前に押し付けなどするものか」

 

理屈で答える。

最高責任者である、女王である私に責任が求められる。

レッケンベルが死ぬなど、誰が予想できた。

未だあの東方から北方沿いにやってきた遊牧民族達に手をこまねいて、アンハルト正規軍の大半をそちらにやっている。

もはや公爵軍の常備兵500しか、ヴィレンドルフ国境線には向けられぬと知って。

それを英傑レッケンベルが倍軍の1000を率い、前線指揮官として務めるのだ。

誰が負けるなどと予想できた。

理屈で言えば、負けるなど有り得ないはずであった。

だが負けた。

ファウスト・フォン・ポリドロという、ただ「武」という名の一文字を以って、レッケンベル騎士団長を一騎討ちにて討ち果たした男により。

そして、アナスタシア第一王女という戦略の天才と、アスターテ公爵という戦術の天才、二人の英傑の手によって。

何故負けた。

我々は、決して弱くなどなかった。

だが負けた。

現実は受け入れなければならない。

アンハルト王国は強い。

同じ選帝侯の立場である、そもそも弱くは決してない。

それは理解していたのだが――

 

「この老婆、イザという時の敗戦の責任を取る覚悟はできております。この場にて美味しいワインを飲めと言うならば、その覚悟も」

「毒入りワインなど、アンハルト王国の文化ではないか。わが国ならば、その腰の懐剣で喉を掻き切って死ね」

「それゆえ、屈辱なのでありますよ。それを受ける覚悟もできております」

 

もうよい。

老婆の戯言に飽いた。

我々は負けた。

それが結論だ。

戦略を、一度最初から見直す必要があるのだ。

レッケンベル騎士団長の損失を、もう一度我が国家は見つめなおす必要があるのだ。

そのためには。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロという人物を一度拝む必要がある」

「その人物を通して、アンハルト王国を眺めますか」

「あの国では、ファウスト・フォン・ポリドロという英傑が軽んじられている風潮がある。なれば重畳」

 

ぐっ、と握り拳に力を籠め、軍務大臣の眼前に差し出す。

 

「取り込んでしまえばよい」

「そう簡単にいきますかな? 相手は先祖代々の領地と領民に執着を持つ、領主騎士でありますぞ」

「ポリドロ領は我がヴィレンドルフの国境線に近い。そこまで攻め込めば嫌とは言うまい。いや、言えまいよ」

 

敵方の詳細な地図。

それはヴィレンドルフ戦役時に入手した。

あのファウスト・フォン・ポリドロの領地は国境線に近い。

ファウストの弱点は掴んでいる。

 

「逆に、ファウスト・フォン・ポリドロという人物が重用されていると感じれば?」

「アンハルト王国にも見るところがあるということだ。再侵攻を断念することも考えよう」

 

そもそも、レッケンベルの損失がやはり大きい。

遊牧民族もいずれレッケンベルの不在を知れば、再度北方からの略奪者がまたやってくるであろう。

だから。

 

「まずはファウストという玉を通して、アンハルト王国を見極める。話はそれからだ」

「そうでございますな……」

 

カラカラ、と老婆がまた笑った。

ヴィレンドルフ女王、カタリナは笑えない。

喜びという物を良く知らないのだ。

だが、老婆の笑いに応えるため、愛想笑いするように、顔を無理やり歪ませた。



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第30話 ザビーネを殴ろう

「私のポリドロ卿が会いに来てくれない件について」

「知らないよ」

 

安酒場。

貧民街に近い安酒場、第二王女親衛隊が酒樽一つ買い切って貸しきりにしている、その酒場にて。

第二王女親衛隊隊長、ザビーネは憤っていた。

 

「女と男として親しい関係もって言ったんだよ、私は! そしてポリドロ卿もこれからもよろしくって言ったんだよ!」

「もー、耳が腐るほど聞いたよその話は」

 

憤るザビーネ。

だが、それに対する親衛隊たちの反応は冷たいものであった。

酒に酔い、机に顔を突っ伏しながら、手だけを上げて横に振る。

 

「いや、そもそも、ヴァリエール様の昨日の話聞いてた? 壮行会はこれから行うって。まあ、王宮の一室でささやかに行うものらしいけど。ヴァリエール様とポリドロ卿、そして第二王女親衛隊だけでささやかに」

「聞いてたさ。だが、一か月も前から、ポリドロ卿は王都に滞在しているではないか。一度くらい顔を会わせてくれてもいいではないのか?」

「なんか、ヴィレンドルフ対策でポリドロ卿に惨めな姿をさせるわけにはいかないって、フリューテッドアーマーの製作に忙しいって聞きましたよ。ずっと鍛冶場に詰めてたとか。製作費は全額、第一王女の歳費から出るそうです。羨ましい」

 

まだ酔いつぶれていない、親衛隊の一人が声をあげる。

この話は、王宮の侍童が喋っているのを小耳にはさんだものだ。

つまり、新情報である。

 

「その話、知らない。いつ聞いたの」

「ごく最近です。その侍童、ポリドロ卿の筋骨隆々の姿を嘲笑っていたのでヴァリエール様に報告しておきましたが」

 

最近、ヴァリエール様と第一王女アナスタシア様は仲がいい。

ヴァリエール様から、その侍童については報告が行き、おそらくアナスタシア様はその侍童を派遣した領地に激怒とともに叩き返すであろう。

いい気味だ。

そんな事を考えながらも、親衛隊の一人はザビーネの言葉に耳を傾ける。

 

「早く言ってよ! それ知ってたら、鍛冶場に押しかけてたよ! 相談役として与えられてる下屋敷を尋ねても、領民はどこに行ったのか口を濁すしさ! 私、これでも第二王女の親衛隊長なのにだよ!」

「いや、知ったの最近ですし。そこを押しかけて邪魔するのも悪印象では? 鎧の製作となると、鍛冶師の秘事、その隠している技術にも触れますし」

 

鍛冶場に詰めて、ポリドロ卿が何をしてるのか判らないが。

ひょっとしたら忙しいのかもしれないし。

その状況に押しかけて行ったら、好感を持たれるどころか逆効果ではないか。

そう親衛隊の一人は考える。

実際には、暇で暇で仕方なかったファウストは、ロケットオッパイであるザビーネの訪問を歓迎したであろうが。

それは第二王女親衛隊の誰にも判らない。

 

「私はどうすればよかったのだ?」

「何をするにも今更では? というか何がしたいのですか?」

「ナニがしたい。つまりエッチだ。この一か月で享楽的な関係を結びたかったのだ」

 

アホだコイツ。

親衛隊の一人は、会話するのやめようかなと思った。

我ら第二王女親衛隊14名。

男と縁など無い。

そもそも、相談する相手が間違っているのだが。

まあ、他に縁も無し。

この手の話を未だ14歳であるヴァリエール様に相談するのも間違っているであろう。

以前、高級売春宿に通うための料金を、そのヴァリエール様の歳費にタカろうとしたがな。

まあ、それはとりあえずいい。

今は地団駄を踏む――ザビーネは自分の考えることが上手い事進まないと、このような行動にでる。

酷い時には地面を転がる聞かん坊である。

まるでチンパンジーである。

パパとママはしっかり躾をしてくれなかったのであろうか。

……されてないな、この第二王女親衛隊全員が。

誰一人としてマトモな騎士教育を受けていないはずだ。

悲しい話だ。

だが、ここまで醜くはない。

ザビーネほど醜くはない。

親衛隊の誰しもが、自分はアレよりマシと思っていた。

 

「とにかく、私はポリドロ卿とエッチがしたいんだよ!!」

「知らねえよ」

 

酒を未だに飲み続けている、親衛隊の一人が答えた。

 

「相談する相手が間違ってるんだよ。ここに居る全員が恋愛経験のない処女だよ。何が言いたいんだよ」

「ヤラせて欲しいんだよ!!」

「聞けよ。せめて相談してるなら話聞けよ」

 

ザビーネは、話を聞かない。

床に寝転がりながら、足をじたばたさせている。

大分酔ってるなあ。

それにしてもザビーネ、ポリドロ卿みたいな男がタイプだったのか。

いや、そうと知ったのは実際に話してみて、あ、この人と気が合う、となんとなく直感だったらしいが。

ザビーネの求める、エロエロで退廃的な日々が、あの生真面目なポリドロ卿と送れるものだろうか。

はなはだ疑問である。

まあよい。

ともあれ、我々は鎧を新調したポリドロ卿と一緒に旅立つわけであるが。

 

「ザビーネさあ、ヴィレンドルフで何が起こると思う?」

「何だ、突然」

「あの国さあ、男に対する価値観が私達と全然違うじゃん」

 

線は細く、背は小さく、大人しい。

アンハルト王国に見られる、男の好まれる特徴。

それとは真逆。

身体は筋骨隆々、背は高く、性格は猛々しく。

ヴィレンドルフ王国に好まれる男の特徴。

ポリドロ卿はその全てを満たしている。

おまけに、顔は決して悪くない。

むしろ顔はいいんだ、顔は。

アンハルト騎士の、国民の一人としては、どうしてもポリドロ卿は好みのタイプとはいえないが。

いや、言い訳のように言うが、我が国きっての英傑だとは認めているぞ。

性格の良さも認めている。

だが、ともあれ、前述したようにだ。

 

「ヴィレンドルフ王国では、ポリドロ卿、ガチでモテるよ。しかもあの国の英傑レッケンベル騎士団長を正々堂々討ち果たした男。非の打ち所がない、傾国の男だよ。どうすんのさ」

「どうすんのさ、とは」

「いや、ポリドロ卿奪われてもいいの? 別に今のところ、アンタのじゃないけど」

 

一騎討ちの求婚。

レッケンベル騎士団長がそうしたように、それをなぞっての一騎討ちが大量に挑まれることになる。

いや、それに負けるポリドロ卿ではないが、単純に口説きにかかる女もいよう。

ほっといてもいいのか?

そう尋ねるが。

ヒラヒラと、床に寝転がったままザビーネは手を振る。

 

「アスターテ公にいくら愛人にと望まれたところでそれを断ってる男が、敵国ヴィレンドルフに口説き落とされる? 考えが甘いよ」

「というと?」

「ポリドロ卿にとって最重要なのは、先祖代々の領地と、自分に命がけで従ってくれる領民。その二つ。それを奪おうとする奴なんか、誰も許さないよ。ヴィレンドルフの人間が、それをどうやって保障できるのさ」

 

ザビーネは、よっこいしょ、という言葉と共に立ち上がる。

 

「ま、ヴィレンドルフ女王クラスであればできるのかもしれないけどね」

「出来る奴がいるじゃないか」

「ヴィレンドルフ女王が?」

 

はん、と鼻で笑いながら、ザビーネが答える。

 

「冷血女王カタリナ」

「?」

「ヴィレンドルフでの呼び名だよ。英傑レッケンベルとは違い、ヴィレンドルフでの、その評判は宜しくない。我が国のアナスタシア第一王女よりも冷血で――なにより恐ろしい、そう言われている」

 

コイツ、どうやって敵国の情報を抜き出しているのだろう。

自分も一応騎士の立場だが、そんな話聞いたことも無い。

ザビーネが我々三女や四女の出来損ないの集まりとは違い、実は長女であったという噂は本当なのだろうか。

確かに、教養だけはコイツ妙にあるのだ。

ちゃんと騎士教育に近い、何かを受けた節がある。

それが無ければ、演説などできない。

その性格故――家督を継ぐ見込み無しとして見捨てられた。

我が国の諜報を担う家系に生まれたという噂。

……官僚貴族が宮廷にて漏らした、馬鹿馬鹿しい噂話。

その能力や諜報ルートは今でも生きているのだろうか。

だから、ザビーネは今でもあんなに情報通なのでは。

まあ、肝心のポリドロ卿の情報だけは今回手に入らなかったようだが。

 

「アレはヴィレンドルフではない。誉れを持たない。理屈でしかモノを解そうとしない何か。そう言われてるんだ。14歳の相続決闘にて当時20歳の長女を、その決闘に用いた刃引きの剣で喉を突き、地面に崩れ落ちたところで頭を蹴り殺した。まあ、幼いカタリナ女王を虐めていた陰険な長女で、才能には乏しかったそうだがね」

 

ザビーネは語る。

 

「更には、それを咎めた父親を殴り殺し、悲鳴を挙げて抑えにかかる決闘の見届け人達にこう述べた。この場で最も強い奴がヴィレンドルフを継ぐ、私はレッケンベルからそう教えられたぞ、と」

 

ザビーネは自分の杯に樽からエールを注ぎ、それをグビリと飲み干しながら。

また話を再開する。

 

「誰も二の口を継げなかったそうだよ。ヴィレンドルフの第二王女に至っては、相続決闘を勝ち目無しと自ら放棄した。ヴィレンドルフ女王、カタリナは狂っている。理屈だけで生きてるモンスターだ。母親殺しに父殺し、姉妹殺しの三冠達成者。そんな化物が、ポリドロ卿のような人間に魅了されるか? 私はそうとは思えないね」

「……私はその逆であると思うのだがな」

 

アスターテ公が我が戦友にして、太陽。

そう称する男。

何度も言うが、アンハルト王国の国民としては、男としての魅力は判りがたいのだが。

あの騎士としての心根の美しさには、第二王女親衛隊と相談役の立場から、少ししか触れ合いを持たない我らでも判るのだ。

ましてヴィレンドルフでは、絶世の美男子なのだろう。

案外――

 

「ポリドロ卿という人間が、騎士が、化物の心を斬り殺してしまうかもしれんぞ」

「化物を倒すのはいつだって人間だ、か。騎士らしい言葉ではあるかな」

 

はん、とザビーネは鼻で笑う。

 

「とにかく、私のポリドロ卿がヴィレンドルフの女に心奪われる事は有り得ない。ポリドロ卿は実のところ女男の関係ではウブで、可愛い男と見たが、その心の奥底。根底だけは揺るがない。領地と領民だけは手放せない。ゆえに、敵国の女に心揺るぐなど有り得ない事――」

「……和平交渉の条件に、是非ヴィレンドルフの女をポリドロ卿の嫁にと望まれたらどうするんだ」

 

ピタリ、とザビーネが止まる。

それは想定してなかった、という顔だ。

 

「いや、そんなの有り得る?」

「絶対ではないが、超人の子からは超人が産まれやすい。優秀な子種が欲しいと、ヴィレンドルフが望み嫁を差し出し、出来た長姉以外の子をヴィレンドルフに譲る。そういう交渉条件の成立は有り得るのでは?」

「利敵行為じゃん。そんなのアンハルト王国が、ヴァリエール様が認めるわけないぞ」

 

ザビーネが、聞いて損したとばかりに顔をそっぽ向ける。

だが――

 

「さて、どうだか。今回の交渉、正使はヴァリエール様だが……」

「実際の交渉はポリドロ卿だと?」

「違うか?」

 

ヴィレンドルフ戦役に参加したのはポリドロ卿。

そして第二王女相談役、ヴァリエール様の知恵袋もポリドロ卿だ。

ヴァリエール様は初陣を通して、成長なされた。

アナスタシア様とも和解され、今ではアナスタシア様自らがヴァリエール様に教育を施すようになったとも聞く。

だがしかし。

 

「決してヴァリエール様の事を貶める訳ではないが。実際の交渉はポリドロ卿が執り行う。相談役として後ろから口を挟む、それは事実だろう? そして、アンハルト王国の状況は、一騎士の私から見ても良くない」

「ポリドロ卿が、或る程度の条件ならば、和平交渉のためならそれを飲み込むと?」

「宮廷の空気、悪くないか? 馬鹿な私でもそれを肌で感じるぞ」

 

親衛隊の一人、それがゆえに一代騎士に過ぎぬが王宮への登城権を持つ私、それですら、宮廷の空気が悪いのを感じるのだ。

ヴィレンドルフへの再侵攻の不安視。

今度こそは万全の体制で迎え撃つ、とはいかないのだ。

未だ遊牧民族との、北方での戦争は治まらぬ。

それが解決しない限り、またアスターテ公爵の常備軍500で迎え討つ事になりかねない。

いや。

 

「今度は、我々も第二次ヴィレンドルフ戦役に参加させられるかもしれないな。そして死ぬかも」

「……だからといって、ポリドロ卿が、いや……あの男は口でなんだかんだ言っても、他人のために身を削ってしまうタイプか」

「ザビーネほど飲み込めていないが、そういう性格な気がする」

 

ザビーネは頭を抱える。

 

「私はさあ、ポリドロ卿とエッチがしたい、ただそれだけなんだよ」

「知らないよ」

 

また話が最初に戻ったぞ。

酒入ってるしな、仕方ないね。

 

「享楽的な、退廃的なエッチだけの生活に溺れたい、ただそれだけなんだよ。一日三回は最低したいんだよ」

「知らないよ」

 

それザビーネの自家発電の回数じゃないのか。

 

「どうしてこの世はこんなにも儚い」

「あのさあ、物憂げにつぶやいてみても、現実は何も変わらないからね」

 

ともかく、ザビーネはヴィレンドルフを甘く見過ぎなのだ。

ポリドロ卿の貞操が、あの蛮族の、ポリドロ卿こそ理想の男性と崇める国でどうなるか。

どんな運命を辿るのか。

それはまだ、誰にも判らない。

第二王女親衛隊の一人はそんな事を想い。

 

「それはそうとお前等全員恋愛経験ゼロで、まだ処女なんだよね。私はお互い恋する人が出来たよ。ポリドロ卿っていうの。羨ましい? ねえねえ、羨ましい?」

「黙って死んでろ」

 

挑発してくるザビーネを一発殴ってやろうと、親衛隊13人全員が椅子から立ち上がった。



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第31話 心を斬れ

本日はアンハルト王国王都、出立前の最後の日となる。

ヴィレンドルフ和平交渉のための壮行会。

第二王女ヴァリエール、そしてその第二王女親衛隊、そして私ことファウスト・フォン・ポリドロ。

その16名で壮行会がささやかに行われる。

はずであった。

が。

 

「何故おられるのですか、お母様」

「逆に、何で来ないと思ったのですか? 大事な国事を前に、貴女達に対して何も無しというわけにもいかないでしょう」

 

そう答えながら、リーゼンロッテ女王はワインを口に嗜む。

さすがにクローズドな場ではないので、いつものスケスケなシルクヴェール一枚の姿ではない。

ちゃんとドレス姿で正装している。

背中を開けたオープンバックドレスのうなじが私を誘惑してくるが、ちゃんと前は閉じている。

私はおっぱい星人である。

うなじには耐性があるのだ。

ちゃんとうなじ注意ヨシ!と魔法の指差し呼称確認を心中で呟くと、全てはするりと片付きまする。

でもおっぱいだけは駄目だ。

アカンのや。

私はその巨乳にチンコを痛くしない事に、安心をする。

 

「しかし、ヴィレンドルフ対策は姉さま――アナスタシア第一王女に一任していたはずでは」

「もはやその状況ではありません。確かにアナスタシアの面子を潰す事になるため、表向き言葉を挟むのは控えてはおりましたが、そんな状況ではないのです」

 

リーゼンロッテ女王は、その妖艶な目で私を見た。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ」

「はい」

「この交渉一つ潰れたところで、我が国は滅びません。ですが、ヴィレンドルフの侵攻が再び始まれば、ヴィレンドルフ国境線の多くの地方領、ポリドロ領を含めて切り取られる恐れがあります」

 

理解しているよ。

だから受けたんじゃねえか。

こんなの詐欺だぜ。

脳裏にいくつもの悪態が思いつくが、アンハルト王国としてはやることやってるので文句は言えない。

それでも打てる手がこれしかなかったのだ。

この交渉を成功させたときの高額な報酬も、私の新品のフリューテッドアーマーも、全てはそのために準備されているのだ。

 

「ヴァリエール、この交渉を成功させたなら、貴女の親衛隊全員の昇位も考えております」

「本当ですか、お母様!?」

「さすがに一か月、帰り道含めて二か月も経たないでの更なる昇位は財務官僚が五月蠅いので、一年経ってからの約束手形になりますがね」

 

その宣言を聞き、歓声を挙げるのはさすがに女王の前で失礼、と大声を上げようとしたザビーネの口を押えに掛かる親衛隊たち。

よかったな、第二王女親衛隊。

それでだ。

褒美の約束は増やしてくれても別にいいんだが。

 

「ポリドロ卿、ヴァリエール、話が有ります。少し壮行会から席を外して、私の居室まで来なさい」

 

ほら来た。

厄介事の雰囲気だぞ。

いや、交渉条件の打ち合わせか。

現状、アスターテ公が攫ってきた少年の返還、それ以外は手土産無しで行けと無茶言われてるんだが。

リーゼンロッテ女王には何か策があるのだろうか。

三人して、リーゼンロッテの居室に足を進めようとする。

警護の兵を呼ぶ必要は必要ないか。

女王親衛隊の二人の気配が、チラリと廊下から感じ取れた。

ともあれ飲み食いを我慢している親衛隊に「先に始めておきなさい」とだけ声を掛け、リーゼンロッテ女王は歩き始める。

それに、ヴァリエール様と私も続くことにした。

廊下に出る。

 

「居室に着くまで、肝心な話はしませんが。そうそう、世間話でもしましょう」

「はあ」

 

リーゼンロッテ女王とその親衛隊の二人、それが先頭を歩きながら、私とヴァリエール様に話しかける。

リーゼンロッテ女王のからかい声。

 

「貴女達、まだ純潔? まあ聞かなくても知ってますけど」

「放っておいてください」

「同じく」

 

ヴァリエール様は14歳。

侍童を食い散らかすにはまだ早い。

そして私は22歳。

いいかげん結婚しないと、この中世ファンタジー世界では拙い年齢。

まあ、女のそれと違って、男の年齢条件は割と緩いんだが。

領地の事を考えると、早く跡継ぎが欲しい。

特にポリドロ領の後継者は私一人で、私が死んだら即領地は王家に没収。

絶対に死ぬわけにはいかん。

早く、私の代わりに軍役を務められる。

もしくは、私が軍役に行く間、領地経営の出来る嫁を娶らねばならん。

 

「アナスタシアと言い、ヴァリエールといい、頑固ね。まあ、私も亡き夫と出会うまでは純潔だったけれど」

 

面倒臭いのよねえ、侍童に手を出すのも。

各領地から、高級官僚貴族を誑し込むように採用枠に送られてきて、さらには王配の座まで狙っている。

中央に近づけば近づく程、各地方領主にとっては利益がある。

そうリーゼンロッテ女王が呟く。

ハニートラップ。

ハニトラ要因か。

その割には練度が低い。

先日も、私を嘲笑っていた事が第二王女親衛隊の一人にバレて、ヴァリエール様からアナスタシア第一王女様経由で伝わり、アナスタシア第一王女を激怒させ、領地に送り返されたと聞いたぞ。

王族に睨まれ、嫌われた侍童。

何が災厄をもたらすか判らない。

その侍童の未来は暗いだろう。

まあ、わざわざ侍童を各領地から雇用しているのだ。

男を侍らせる、その意味では宮廷ほど相応しい場所は無い。

しかし、私が笑われたところで何がアナスタシア第一王女を怒らせたのだろう。

まあ、ヴィレンドルフ戦役の戦友だしなあ。

あれでも、私の事を気遣ってくれているという事か。

眼力、すげえ怖いけど。

 

「亡き夫を、彼を、ロベルトを、夫に決めたのは見合いの釣り書きの第一印象じゃなかったのよねえ」

 

リーゼンロッテ女王の会話。

今は亡き王配の話。

ほんの少しだけ興味がある。

 

「彼もまた、侍童として宮廷に送られてきた一人だったわ」

「御父様は、公爵家出身なのにですか? 家に大切に育てられていたものとばかり」

「そうよ。公爵家出身で、家からハニトラなんか求められてもいない、筋骨隆々の姿の人だったわ」

 

だから好きになったのかもしれない。

そんな事を、リーゼンロッテ女王は呟く。

そして庭を指さした。

庭の一角に設けられた、美しいとしか言いようがないバラ園。

 

「ほら、私の夫が作り上げた、バラ園よ」

「あのバラ園、御父様が造り上げたのですか? 確か違う物と」

「夫が侍童として、宮廷に上がっていたのは二年に過ぎなかった。だから、やったのは基礎のみ」

 

ヴァリエール様の言葉に、リーゼンロッテ女王の頬が、緩む。

 

「私だけが知っていた秘密よ。アナスタシアも知らない。どうやら、公爵領にあったバラ園を再現しようと思ったけど、時間が全く足らなかったらしいのよねえ」

 

リーゼンロッテ女王が笑う。

 

「馬鹿な人。一応、宮廷には上がって侍童を務めたぞ、という実績作りに宮廷に務めただけなのにね」

 

罵りの言葉。

それには最高の愛情がこもっていた。

 

「私は、あの人が庭で、高級貴族の女を誑かすどころか、汗だくになって土や花を弄っている姿を見るのを、この廊下で眺めるのが何より好きだった」

 

リーゼンロッテ女王が、何かたまらない感情になったらしく、胸元を押さえながら目を閉じる。

 

「だから、私はあの人を夫に選んだ」

 

そして目を開き、憎々し気に呟いた。

 

「でも、殺された。この宮廷の誰かに、5年前に」

 

王配、ロベルト。

その名の続きには、おそらくかつては公爵家であるアスターテの名が、今ではアンハルトの名が冠されるのであろうが。

今はただのロベルトと呼ぼう。

それが、リーゼンロッテ女王と、今は亡き王配ロベルトへの敬意に繋がる気がする。

今でも、王宮では王配暗殺者の捜査が行われていると聞く。

同時に、女王もそれをすでに諦め、捜査の打ち切りを考慮に入れているとも。

5年か。

それだけ時間が経てば、もはや犯人は見つかるまい。

 

「……少し、気が変わりました。私の居室ではなく、バラ園で話をしましょう。人払いを」

「リーゼンロッテ様。代わりの警護は」

 

人払いを頼まれた、女王親衛隊の二人がやや疑問の声を呈するが。

 

「ポリドロ卿がいるでしょう? 無手でも2,3人の暗殺者に負けやしないわよ」

「ま、そうですね」

 

あっさりと納得した。

それなりに王家から私は、信頼されているらしい。

まあ、グレートソードこそ持ってないが、懐剣の一つは腰に下げているのだがね。

例え精鋭の暗殺者でも、10人までなら余裕で殺せる。

それがリーゼンロッテ女王やヴァリエール様を庇いながらでもだ。

 

「では、周囲の人払いをします。バラ園にお入りください」

「行きましょうか、ポリドロ卿、ヴァリエール」

 

リーゼンロッテ女王は、私達二人に声を掛けた。

その声に誘われる様に、庭へと降り、バラ園へと足を向ける。

黙って歩を進める。

フェンスのアーチをくぐり、入り込んだその中は。

ローズフェンスに彩られたそこは。

 

「美しい!」

 

思わず声をあげる。

花に興味など無かった。

前世でも、今世でも。

だが、これは――美しい光景というしかなかった。

赤いレンガが敷かれた道を包む、ローズフェンスのバラの花々には。

美しいの一言しか出なかった。

 

「気に入って頂けたようで、何より嬉しいわ」

 

リーゼンロッテ女王が、本当に嬉しそうに声をあげる。

 

「貴方は男だけど、花には興味なんて無いと思っていたから」

「……薬効のある花以外に興味はありませんでした。しかし、今日初めて純粋に花の美しさに興味を持ちましたよ」

 

ローズガーデン。

そこを歩くのは、前世でも今世でも初めてであった。

このように美しいものだとは。

 

「僅か100mばかりの散歩道。このローズガーデンにあるバラの小径を案内したいところだけど。それは話の後にしましょう。中央にガーデンテーブルがあるわ」

 

リーゼンロッテ女王に誘われ、中央に言葉通り設置されているガーデンテーブル。

そこに三人して腰を掛ける。

 

「ヴィレンドルフとの交渉、それは正直難航すると思うわ」

「……承知しております」

 

ヴァリエール様が、私の代わりに答える。

ああ、難航すると思うよ。

ヴィレンドレフ側に、和平交渉を結ぶ意思が最初からあるのかどうかすら疑問だ。

 

「最大の交渉点、英傑レッケンベルの首もファウストがその場で返してしまった」

「……申し訳ありません」

 

私が頭を下げる。

 

「いいのよ、返さなければ、それを取り戻そうと今頃ヴィレンドルフは死に物狂いでアンハルトに襲い掛かっていただろうし。貴方の判断は正しかった。それに……一騎討ちの遺体をその場で返還したことは、騎士の誉れよ。貴方の行動を咎める連中など、愚かな侍童くらいのもの」

 

レッケンベルの遺体が手元にあれば、和平交渉は容易く結べたであろう。

だが、それ以前に停戦自体が成り立たなかったであろう。

二人、妄想とすら言ってもいい、無駄な事を考える。

 

「話を戻しましょう。ヴィレンドルフとの交渉点。私は女王カタリナの心にあると考えている」

「心、ですか?」

「あの女は私と違って愛など知らない。貴方がローズガーデンの美しさを知らなかったように」

 

リーゼンロッテ女王は、私の美しい!、と口走ったその例えを口にする。

冷血女王カタリナ。

その逸話については、王家から情報が回って来ていた。

父殺し、姉妹殺しの二冠。

母親殺し――そう呼ぶのは違うであろう。

命がけの出産で母が亡くなったのを、ヴィレンドルフでは、そう呼ぶのか。

私は少し不快に思う。

未だ我が亡き母親への後悔は晴れない。

 

「ポリドロ卿。女王カタリナの心を斬りなさい」

「心を、ですか」

「そう、心よ」

 

私は少し戸惑いながら、返事をする。

 

「貴方の全てがアンハルト。それをカタリナ女王は上から覗き込む。そして判断するわ。戦争再開か、和平か」

「私個人の在り方が、そこまで関わるのですか?」

「関わるのよ。全てのヴィレンドルフは、貴方をアンハルト代表として見る」

 

リーゼンロッテ女王は、私の瞳をじっと見つめる。

その目は怖くない。

アナスタシア第一王女のあの眼力は、誰に似たのだろう。

父親ロベルトではあるまい。

隔世遺伝か?

 

「あの、お母様。正使は一応私なんですが。まあ一応なのは私も判ってるんですが」

 

おそるおそる、ヴァリエール様が手を上げ、批難の声をあげる。

 

「そこのところ踏まえて行動しなさい。そしてヴァリエール、貴女はとにかく殺されないように気を付けなさい」

「そこは死んでも役目を全うしろと言ってください。それがお母様の愛情なんだと最近判りましたけども」

 

ヴァリエール様がブチブチと呟く。

リーゼンロッテ女王は、優し気に声を掛けた。

 

「本当は、貴女をヴィレンドルフにやりたくないのよ。ファウストも……だけど」

 

私もやりたくないのか。

まあ、死ぬ危険性も僅かとはいえあるしな。

ヴィレンドルフの価値観で私が殺されるなどあるまいが、女王カタリナは違う。

ヴィレンドルフの異物だ。

どうなるかなど、予想できない。

 

「ポリドロ卿。もう一度言います。女王カタリナの心を斬りなさい。交渉の突破点は、交渉条件などではない。その心のみにあります。レッケンベル騎士団長――家族のようなその存在を失ってなお、歪まず冷静さを保っている心を揺り動かしなさい」

「承知しました」

 

私はガーデンテーブルから腰を上げ、膝を折り、礼を正す。

心を斬れ?

どうやってやんだよ。

お前の話抽象的すぎんだよ。

乳揉むぞ。

心中ではその無茶ぶりそのものな、リーゼンロッテ女王の台詞に、悩まされながら。

ファウスト・フォン・ポリドロはこっそり溜息をついた。

 



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第32話 汝は英傑なりや?

もう一度。

それも三か月も経たない内に、ここに来るとは思わなかった。

ヴィレンドルフ国境線。

アンハルト王国とヴィレンドルフ王国の境目。

それも、私があのカロリーヌを討ち果たした場所。

 

「ここで、私の母カロリーヌと、ファウスト様が一騎討ちをしたのですね」

「ああ」

 

背後。

私の背中にしがみ付き、フリューゲルに二人乗りしている少女。

マルティナの、感情の読めない言葉。

それにどう答えていいのか少し悩んだ後、静かに頷いた。

 

「我が母は強かったですか」

「弱くはなかった。超人に一歩足を踏み入れては居た人物だろう」

 

弱くはなかったのだ。

更には人望も有った。

カロリーヌ指揮下の領民は、殲滅されるまで、一人として逃げなかった。

最後の一兵まで死兵となって戦っていた。

戦場でも認めたが、一廉の人物ではあった。

何だろうなあ。

ボーセル領の末路、その内実、すれ違い、それを考えると、どこか虚しくなる。

カロリーヌは視野があまりに狭かった。

そして、何よりも運がなかったのだ。

何かの拍子一つで、今頃マルティナをボーセル領の後継者とする幸せな未来が待っていた。

そう考える。

 

「我が母は愚かでした」

「母親の悪口は言うもんじゃないぞ。我が領内でよければ墓だって――」

「ファウスト様は、優しすぎるのです。墓などいりませぬ。ファウスト様が、批難をされます」

 

だろうな。

愚かな言葉を呟いた。

売国奴の墓は立てられない。

立てたところで、その墓に名を刻むことは許されない。

死骸も、その墓の下には眠っていない。

だが、マルティナだけは。

 

「マルティナ。子供が母を貶すのは、正直心苦しい。止めてくれ」

「ファウスト様が、そう仰るのなら」

 

子供が、その母親を貶すのは、傍から見てて辛いものが有るのだ。

その咎が、子供に及んだ経緯があるにしてもだ。

私のワガママかな、これは。

いや、事実そうなのだろうな。

私はまた、虚しさを覚える。

 

「ファウスト様、先触れを済ませてきました」

 

従士長のヘルガが、息を切らせて帰ってくる。

ヴィレンドルフ国境線、その向こう側から。

 

「回答は?」

「ポリドロ卿の到着を、心からお待ちしていた、との事です。感触としては悪くありませんでした」

「そうか」

 

まあ、悪くないならば良い。

さて、と。

私は後方で馬車を何台も引き連れている、イングリット商会へ声を掛ける。

 

「イングリット! 馬車でマルティナを預かっていてくれ!!」

「ファウスト様、私は貴方の騎士見習いですよ? 常にファウスト様の御傍に」

「正直、子供と馬に二人乗りでは様にならん。納得してくれ」

 

マルティナは商会の馬車に、一時隠しておこう。

別に争い事になる心配はしていないが。

私の予想が確かならば、面倒事にはなる。

どの道、マルティナを背中に乗せているわけにはいかん。

 

「承知しました」

 

不承不承ながら、マルティナが頷いて馬から降りる。

フリューゲルが、マルティナがその身体から降りるのを補助する。

私はそのフリューゲルの首を優しく撫でた。

機嫌は直ったようだ。

この愛馬ったらもう、一か月放牧してたせいか、私の顔を見るなり突進してきて、顔を摺り寄せてきたが。

その後は私の服を噛んで引っ張って、地面に引きずり回そうとした。

悪かったよ。

本当に賢いな、フリューゲルは。

怒るお前も可愛い。

私が愛馬の可愛さに、現実逃避している間にも――

 

「ファウスト。こちらの準備もオーケーよ」

 

ヴァリエール様が、声を掛けてくる。

第二王女親衛隊の準備も整ったようだ。

全員整列している。

 

「では、ヴァリエール様。我ら全員に行進の命令を」

「判ったわ。全軍、行進!」

 

ヴァリエール様と私。

その両名が馬を並べて先頭を進み、その背後を横一列に並んで、第二王女親衛隊と我がポリドロ領の領民達が進む。

更にその背後には、イングリット商会の、交易品を満載にした数台の馬車。

もう商売始める気なのか、イングリットよ。

そうそう、『アレ』はちゃんと大事にとって維持しているのだろうな。

私は『アレ』について思いを馳せる。

ヴィレンドルフ女王、カタリナへの贈呈品。

色々考えたが、これぐらいしか思いつかなかった。

カタリナ女王の心を斬り殺す方法など、全く思いつかん。

出たとこ勝負だ。

そんな思考をしている間にも、国境線の向こう。

騎士としては間違いなく第二王女親衛隊より、あちらの方が強い。

おそらくはヴィレンドルフ戦役経験者であろう。

そんな十数名のヴィレンドルフの騎士達が待ち構えていた。

 

「アンハルト王国正使、第二王女ヴァリエールである!!」

「アンハルト王国副使、ファウスト・フォン・ポリドロである!!」

 

名乗り。

国境線の前、数メートルまで近づいて、我々が名乗りを上げる。

が。

 

「ポリドロ卿! 兜を脱がれよ!!」

 

返って来たのは、ヴィレンドルフ騎士指揮官の名乗りではなく。

兜を脱げとの台詞であった。

 

「似合わぬか? これでも気に入っているのだがな!」

「似合わぬ。その巨躯、その馬、間違いなくファウスト・フォン・ポリドロ卿であろう!! だが、そのグレートヘルムは、その見事なフリューテッドアーマーには、余りにも似合っておらぬぞ!!」

 

カラカラとした、笑い声。

侮蔑の笑い声ではない。

友人の、少し間抜けな姿のそれを笑うような声であった。

私は苦笑する。

気に入ってるのになあ、このバケツヘルム。

視界狭いけど。

私は兜を脱ぎ、その下に隠された苦笑を見せる。

少し、ヴィレンドルフ側全員が黙り込んだ。

そして私の顔を黙って凝視している。

 

「よろしい! 全くもって宜しい! 英傑詩以上の美男子である!」

「アンハルト王国では全くモテんがな! 未だ嫁も来ぬ!!」

「ならば! 我が国に来ればよいのだ! ファウスト・フォン・ポリドロほどの美男子であれば、我が国の誰もが歓迎するぞ! 舌に生唾絡めて、領民全ての女が待っておる!!」

 

勧誘と来たか。

まあ、最初のやり取りとしては感触は悪くない。

なんか、指揮官が落馬しそうなくらい前のめりに身を乗り出し、私の顔を凝視しているが。

 

「そうだ、私などどうだ! 今の夫を捨てても良い!!」

「生憎、人妻には手を出さん主義だ!」

 

軽口をまだ続ける。

おそらく、この指揮官が先導してヴィレンドルフ王都まで案内してくれるのであろう。

ここで印象は良くしておきたい。

 

「残念! お前と会うのが我が夫と出会う前であったならばな。心の底から残念に思う!」

「夫は大事にすべきだぞ!」

「そうだな! だが惜しい!」

 

素直に諦めろよ。

本当に人妻は駄目なんだよ。

略奪愛は御免だし。

以前、レッケンベル騎士団長の第二夫人として求められたが、あの場合は緊急時だ。

そうそう、未亡人はアリだぞ。

むしろ興奮する。

どうでもいい、性癖。

それを考えながら、ファウストは愛馬フリューゲルを歩かせる。

 

「では、諦めてもらったところで、国境線に入らせてもらうぞ」

「待たれよ!」

 

指揮官が声を張り上げる。

そして、背後の全身鎧姿である騎士達に顎を向けた。

 

「ここに数名の、選ばれた志願者がいる。貴公が本物のファウスト・フォン・ポリドロ卿というのなら何の志願か判るな!」

 

やはり、そうくるか。

 

「ああ、判ってる。一騎討ちであろう? 刃引きの剣の用意は? 和平交渉で死者は出したくない」

「すでに二つ用意している。休憩時間は好きなように! 馬に乗るか、降りるかもそちらの希望! 但し、我が志願者が貴方を破りし時は、その者の夫となってもらいたい!! 我が国に来いとまでは言わん。しかし、長姉以外の子供は譲ってもらうぞ!! 未来のヴィレンドルフの英傑の子を!!」

 

宜しい。

全て予想通りの展開である。

馬は降りるか。

万が一にもフリューゲルに傷を付けたくはない。

まあ、新しく作られた馬具、まるで馬鎧のような魔術刻印総入りの赤い布に覆われた、フルアーマーフリューゲルが傷つく事など有りはしないと思うのだが。

念には念を入れておく。

 

「ちょっと待って! ファウスト、この勝負受けるつもり!? 私達は和平交渉に来たのよ! それに、貴方が勝っても何も得る物が」

 

慌てるヴァリエール様。

事前に、こうなる展開が予想される事を話しておくべきであったか。

まあ、説明するのは先でも今でも変わらん。

 

「レッケンベル騎士団長」

 

私は一人の、ヴィレンドルフきっての英傑の名を口にする。

 

「ヴァリエール様。レッケンベル騎士団長は、あのヴィレンドルフ戦役において、有無を言わさず私を騎士団で取り囲み、殺す事も出来たのです。しかし、それはしなかった」

 

バケツヘルムを被り、その接合具を付け直しながら、ヴァリエール様に説明する。

 

「ヴィレンドルフの英傑だからです」

 

説明は一言だ。

たったそれだけの理由で、レッケンベル騎士団長は我が一騎討ちを受けた。

それが、ヴィレンドルフの文化、価値観であるがゆえということは知っている。

だが。

 

「私は、アンハルトの英傑です」

 

例え、この筋骨隆々の姿をアンハルト国民の周囲に侮蔑されようとも。

領民300人ぽっちの弱小辺境領主騎士であろうとも。

それだけはアンハルト王国の誰もが認める事実だ。

 

「相手が一騎討ちを避けなかったのです。私が避けて良い道理はないと考えます。これが和平交渉であろうとも、それがどんな時、どんな場所、どんな状況で在ろうとも。ヴィレンドルフ騎士との一騎討ちより、私は逃げない。もし逃げれば、ヴァルハラのレッケンベル騎士団長が、あんな男に私は負けたのかと嘆くでしょう。レッケンベルとの闘いは、私の誉れであります。これだけは譲れない」

「よくぞ!」

 

感じ入った。

指揮官が私とは逆に兜を脱ぎ、私の顔を凝視しながら、まさに感じ入ったという様子で絶叫する。

 

「よくぞ言ってくれた! まさに英傑詩の通りよ! 我らがヴィレンドルフに相応しき永遠の好敵手よ!!」

 

指揮官が、両手を広げて絶叫する。

そして、背後の騎士達に呼びかけた。

 

「お前等はあの美しき野獣に勝てぬであろう。それは判っている。だが、己に恥ずかしい闘いはするな!」

「承知!」

 

騎士達の内、一人が前に歩み出た。

私はグレートヘルムの接合具を嵌め、完全に兜を被り終える。

そして静かに歩み寄るヴィレンドルフの兵から刃引きの剣を受け取り、その具合を確かめる。

うん、悪くない。

これなら、手加減すれば殺さずに済むであろう。

 

「では、始めるとしようか」

 

ポンポン、とフリューゲルの腹を叩く。

愛馬フリューゲルは私の意を解し、やや不機嫌でありながらも、その身を私の近くから離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これ、本当に和平交渉?」

「ヴァリエール様。ヴィレンドルフが相手と言うなら、この方法が正しいのでは?」

 

私の独り言。

その呟きに、背後にいる親衛隊長であるザビーネが答える。

丁度いい、一騎討ちが終わるまで会話しよう。

 

「野蛮、というのは少しだけ違うわね。でも、何か間違っている気がするのだけれど」

「違和感は感じますが、私のポリドロ卿が納得するなら仕方ありません」

 

いつからお前の物になったのか。

ザビーネの発言に若干の違和感、それを覚えながらも。

私はザビーネに再び問う。

 

「……いつから、ファウストと付き合うように? それを咎める気はないけれど」

「いえ、正確にはまだ付き合ってはおりませぬ」

 

それで私のポリドロ卿とかぬかしてたのか。

ザビーネのいつもの酷い妄想である。

私はそう見切った。

 

「ですが、この和平交渉の旅路で、一発ぐらいエッチに及ぶ機会はあるでしょう」

「そんな暇ないわよ」

 

本当にあるわけないでしょ、そんな暇。

ヴィレンドルフの連中に、警護の名の元に厳重に見張られる毎日がこれから続く。

ガツン、と板金鎧がぶつかり合う音。

私は相手の全身鎧にその身をぶつけ、組打ちに持ち込んだファウストを見やる。

ファウスト、格闘術もできるのか。

というか、あの2mを超える巨躯ではそれ自体が武器か。

相手はひとたまりもあるまい。

 

「あ、投げた」

「投げましたね」

 

ファウストが、全身鎧を装備した身長180cmに近い敵女騎士を、勢いよく投げ飛ばした。

背中を強打し、身動きが取れないでいる敵騎士。

ファウストはその騎士に歩み寄り、カツン、と首元に刃引きの剣を軽く当てた。

 

「勝者! ファウスト・フォン・ポリドロ卿」

 

敵指揮官が勝敗の結果を下す。

ファウスト、初陣の現場にて嫌というほど判ってはいるけど強いなあ。

2mの巨躯、その外見以上の馬鹿力と、敵100名相手に50名以上を殺して回る体力オバケ。

一対一に持ち込めば、必ず負けないと本人すら自負する、その神に与えられたような戦闘における才能。

果たして勝てる人間がこの世に存在するのだろうか。

 

「一騎討ちで負ける心配、はしなくても良さそうなんだけど……ファウスト、それがどんな時、どんな場所、どんな状況で在ろうともって言ったわよね」

「言ってましたね」

「この旅路で、こんな事が幾度も起きるの?」

 

まだ、国境線手前。

ヴィレンドルフに国境入りすらしてないのだぞ。

こんな事がヴィレンドルフ国内では何度も続くのか?

ヴァリエールは憂鬱に、ため息を吐いた。



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第33話 空虚な王座にて

「何をやっているのだ」

 

イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフこと。

ヴィレンドルフ女王カタリナは言葉を紡いだ。

国境線の騎士共が勝手な事をしているのだ。

 

「相手は和平交渉に来たのだぞ。理解しているのか。いや、理解していてこのような事をしているのか」

「理解していてやっております。最初の一騎討ちは誠に勝手な判断と言えますが」

 

老婆。

軍務大臣のそれが、冷静に答える。

 

「通信機――水晶玉の報告によれば、国境線の騎士達による一騎打ちの申し込みを受けた際、その口上にてファウスト・フォン・ポリドロが『それがどんな時、どんな場所、どんな状況で在ろうとも。ヴィレンドルフ騎士との一騎討ちに私は逃げない。もし逃げれば、ヴァルハラのレッケンベル騎士団長が、あんな男に私は負けたのかと嘆くでしょう』と。それゆえの騎士達の暴走です」

「レッケンベル、か」

 

その名を聞くたびに泣きそうになる。

私は喜怒哀楽と呼ばれる感情の内、唯一『哀』の名を知った。

それが抑えられなくなりそうになる。

 

「仕方ないのか」

「仕方ありませぬ。その口上を聞いた時点で、もはやこれはヴィレンドルフの国中に伝えねばならぬ、と記録係が魔法の水晶玉を使い、各地にその記録を伝えました。記録係の騎士といえどもヴィレンドルフの騎士」

「舐められてはならぬ、という事か?」

 

私には理解できぬ。

素直に、想定を軍務大臣に尋ねる。

 

「その全く逆です。もはや、この口上を聞いて、立ち上がらなければ失礼に当たる。ヴィレンドルフの全てを受け入れてくれたファウスト・フォン・ポリドロに報いねばならぬのだ。その心構えで当たっております。そして、レッケンベル騎士団長への想いからです」

「レッケンベルへの想い?」

「レッケンベル騎士団長への追悼です。未だ誰もが、彼女の、英傑の死を認められずにいるのです」

 

騎士、兵、国民の多くが、レッケンベルの遺体を見ていない。

我が国の英傑であるのに、負け戦であるからと、定例通りパレード無しの葬儀をしてしまったからだ。

その野花に包まれた、いつものように糸のような細い目をし、うっすら微笑んだレッケンベルの死に顔を。

憤怒の騎士の猛攻により、鎧に多くの刃跡を刻みつけられた、その戦場姿のままの遺体を。

レッケンベルよ。

私は悲しい。

私は既に、お前の死を認めてしまった。

そして、その葬儀にて、お前の一人娘、ニーナ嬢から与えられた言葉。

カタリナ女王は、母に確かに愛されていた。

その愛情が理解できない。

私は出来損ないだ。

お前無しでは、出来損ないの女王なのだ。

私はもはや、お前の死を悲しむだけの存在になりつつある。

その残火はただ、冷血女王カタリナの名の元に政務をこなすだけの生き物だ。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロに挑むことがレッケンベルの追悼に繋がると言うのか」

「これほど見事な騎士に敗れたなら仕方ない。その納得を誰しもが求めているのです。ファウスト・フォン・ポリドロに誰もが挑み、誰もが負けねば納得に辿り着けないのです。死して二年を過ぎても、レッケンベル騎士団長は、あの英傑は、未だ皆の心の中に眠っているのです」

「納得、か」

 

ならば、私も納得しよう。

ヴィレンドルフとは、その騎士とは、その兵とは、国民とは、未だ、なのだ。

未だ英傑レッケンベルの死を受け止めきれずにいる。

ならば認めてもらおう。

放置すればよい。

 

「なれば、我が国ヴィレンドルフ騎士の全てに、ファウスト・フォン・ポリドロに対する一騎打ちの許可を与える。国境線の騎士達の暴走も追認しよう」

「宜しいのですか」

「それがヴィレンドルフなのであろう?」

 

理屈は理解できる。

そういう国なのだ。

感情は理解できぬが。

ヴィレンドルフとは、そういう国であるのだ。

ならば、それを追認しよう。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロは今どこにいる?」

「国境線の一騎討ちにて、選抜された国境線の精鋭騎士6名を休憩無しに撃ち破り、その後入国。アンハルト国境線、前線指揮官の先導を元に……情報の遅れはありますが、続きを言っても宜しいでしょうかな?」

「構わぬ。水晶玉の通信にも、数に限界がある。王都までの道程の、全ての地方の領主が水晶玉を有しているわけではない」

 

コクリ、と軍務大臣が頷いた。

どうでもいいが、この老婆何歳なのだろうか。

私がレッケンベルと初めて出会い、それに立ち会った5歳の時から老婆な気がする。

まあ、本当にどうでもいいが。

 

「その王都までの進路、道程、ありとあらゆる小さな村、街、地方領主が持つ領地、直轄領、諸侯領その全てにおいて一騎討ちを行っております」

「結果は? 聞くまでもないが」

「全勝です。直轄領の代官、地方領地の領主、諸侯領、その領地の大小に関わらず、その土地を代表する全ての騎士と、選抜された騎士が挑み、それらを相手取って休憩無しの一騎討ちにて全勝を果たしております」

 

で、あろうな。

そうでなければ、レッケンベルに勝てるはずもない。

ああ、アイツは真の英傑であった。

 

「それで、彼女達は納得したのか?」

「これで納得したでしょう。嗚呼、レッケンベル騎士団長は確かに死んでしまわれたのだなと。やがてそれが国中に伝わり、誰もが納得せざるを得ないでしょう」

「そうか」

 

少し、悲しい。

ヴィレンドルフ戦役から2年と少し、それが経っても納得いかなかった騎士共が。

ついにレッケンベルの死を受け入れてしまった。

それが悲しい。

 

「今、ファウスト・フォン・ポリドロは幾度一騎討ちを行った?」

「68です。68戦68勝。情報は遅れておりますので、まだ現在進行形で増えておりましょうが」

「そうか」

 

ここに辿り着くまでに。

私の目の前、この私の座る玉座の眼前に辿り着く前に。

100戦100勝でもしそうな勢いだな。

 

「英傑とは何なのだろうな。何故、レッケンベルやファウストのような存在がこの世に現れるのだろうな」

「それは摩訶不思議、まるで魔法のような現象であります。まさに神が認めたと言わざるを得ません。但し、カタリナ様の挙げたその両名ともが、1000年に1度ようやく現れる逸材でありましょう」

「この選帝侯、ヴィレンドルフの100万を超える全ての領民から1000年に一度現れる、たった1人か」

 

それを失ってしまった。

レッケンベルの喪失は大きい。

あれで遊牧民族、略奪者共は情報を重視し、勝てない相手とは争わない。

だから、レッケンベルに族滅され、勢いを失った北方の遊牧民族達は攻め込まなくなった。

なれどレッケンベルの喪失を知れば、いずれ我が国への略奪を再開するであろう。

帝国。

神聖グステン帝国。

選帝侯たるアンハルト王国、そしてヴィレンドルフ王国が選挙権を有する、その帝国からの通達。

双方戦争を直ちに止め、北方の遊牧民族の族滅に協力せよ。

それは今まで、両国ともに無視してきた。

そんな事指図される覚えはないからだ。

我々の国の事だ、我々は好き勝手生きていく。

それで今までは良かった。

だが。

 

「神聖グステン帝国の報告、どう思う?」

「気になりますか、遠い遠いシルクロードの先、東方の事が」

「うむ」

 

神聖グステン帝国からの報告。

東方で一つの王朝が滅んだと聞いた。

滅ぼしたのは、遊牧民族。

より詳細に言えば、遊牧国家と言うべきか。

ともあれ、遊牧民族共が纏まり、国家と化し、一つの国を滅ぼした。

奴らは部族連合を組み、襲ってくることはままあったが。

遊牧民族同士でお互いに抗争し、いわば国家としての纏まりが無かった。

それが纏まったという。

考える。

考えよ、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。

東方からその遊牧国家が我が国に襲い掛かってくる可能性は?

答えは否だ。

遠すぎる。

拡大には時間が、そう、時間がかかるであろう。

遊牧民族共はそう簡単に纏まらぬ。

が。

 

「遊牧民族はそう簡単に纏まらぬ。しかし、現実には纏まったから、王朝を一つ滅ぼした」

「纏まれば強いでしょうな」

「東方の大草原にて、水場の争いで永遠に殺し合い、豪雪、低温、強風、飼料枯渇、ありとあらゆる艱難辛苦に遭い、この世でもあの世でも地獄に落ちていれば良いものを」

 

厄介である。

遊牧民族が纏まれば、非常に厄介な存在となる。

神聖グステン帝国の報告は、おそらく事実であろう。

我が国にも数名、武将、東方の騎士とも言うべき存在が流れてきているのだ。

この国では、武力さえあれば、軍事的階級として認められると聞いた。

聞いたからこそ、滅んだ国から遥々西方まで来たのだ。

いずれ奴らはやってくる。

復讐がしたい。

と。

 

「神聖グステン帝国の報告は虚偽ではない。それは判っている」

「それをアンハルト王国は未だ知らぬでしょうな」

「あの国は身分制度が硬直化している。無論、魔法使いや超人は別としてだが……」

 

アンハルト王国に流れた武将など、一人もいないであろう。

国の内情を知れば、全ての東方の武将がこちらに集まる。

さて。

 

「この情報、事実東方の武将が流れてきている情報を、アンハルト王国に教えるか教えないか」

「……アンハルト王国が、神聖グステン帝国の報告を信じないほどに愚かでありましょうか」

「いや、そこまで愚かだとは思っていない」

 

信じてはいるだろう。

だが実感は湧かぬであろう。

我が国のように、東方の武将が、その武力によって名を為し、脅威を訴えない以上。

そういうものだ。

 

「さてはて、どうしよう」

「未だ、和平交渉にすら迷っている状況でありますからな」

「そうだな」

 

どうしよう。

言葉で迷いを口にする。

遊牧民族が、その遊牧国家がいずれアンハルトとヴィレンドルフの北方に押し寄せてくるのであれば、手を組まざるをえない。

だが、信頼のおけない味方、実力のない味方程厄介な物はない。

まして身内ではないのだ。

ヴィレンドルフ単体で立ち向かった方がマシかもしれぬ。

アンハルトを侵略し、地力をつけたヴィレンドルフにて。

 

「……やはり、ファウスト・フォン・ポリドロに全てが集約する」

「そうなりますか」

「私は、ただ待つ」

 

ファウスト・フォン・ポリドロをこの玉座にて待つ。

それだけだ。

この玉座の眼前にして、ファウスト・フォン・ポリドロという玉を見据える。

そして捉える。

アンハルト王国の今を。

それだけだ。

 

「カタリナ女王、それはそれとしてですが」

「何か」

「そろそろ、夫を……後継者を作ってもらわねば困ります」

 

またその話か。

私は後継者など作る気はない。

 

「まだ、姉が存命だ。夫も取っている。その子を我が後継者とすればよい」

「……あれは不出来です。カタリナ女王の母上は、それは見事な女王でございましたが、夫と長女、そして次女は不出来で御座います」

「私との相続決闘を拒んだ事が原因か?」

 

尋ねる。

長女と父はこの手で殺した。

次女は、長女とは違い、私に嫌がらせすることもない、ただただ凡庸な人間であった。

ふるふる、と首を軍務大臣が振る。

 

「不出来でございます。ただただ不出来でございます。カタリナ女王との相続決闘を拒み、命を惜しんだ事も多少は原因ではありますが……次代のヴィレンドルフ女王の母、それとしては余りに不出来で御座います」

「その子が有能という事もあるやもしれんぞ。あれでもヴィレンドルフ王家の血だ」

「子を奪い、カタリナ女王の元で育てれば或いは……」

 

そうすれば認めるという事か。

断る。

 

「断固として断る。そんな面倒は御免だ」

「ならば、せめて子を成されませ。夫を取らずとも構いませぬ。そこらの侍童を相手に純潔を切り捨てて」

「……」

 

私は沈黙する。

面倒だ。

それがゆえ、世間では珍しく22歳まで独身、純潔を保ったままでいるのだ。

私が男を愛する事などあるのだろうか。

きっと有りはしまい。

有りはしないのだ。

レッケンベルがもし男であったなら、と思うが。

それはくだらぬ妄想だ。

嗚呼。

何もかもが空虚だ。

私の世界には誰もいなくなってしまった。

レッケンベルよ。

お前がいなくなったことが、私は悲しい。

ただ悲しいのだ。

 

「嗚呼」

 

空虚。

もはや老婆の、軍務大臣の言葉すら届かぬ。

空虚な世界の、空虚な王座にて彼の男を待つ。

待つ?

ひょっとして、私は何かを期待しているのだろうか。

私のレッケンベルを破った男に。

ファウスト・フォン・ポリドロに。

私は目を閉じ、老婆の嘆く声を無視したまま、玉座で少し眠りに就くことにした。

今はこの手に無くしてしまった。

レッケンベルとの、子供の頃の想い出を夢見られる事を祈りながら。

 



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第34話 かくしごと

「いつまで」

 

ヴァリエール第二王女は、目の前の光景に呟いた。

鳴り響く剣戟音。

 

「いつまで続くの? これ」

「知りませぬ」

「いや、ファウストが原因なんでしょうが」

 

ファウストは私の問いに、すげなく答えた。

今、目の前で争っている騎士二名。

それにファウストは混じっていない。

今、目の前の騎士二人が争っている原因はファウストだが。

ファウスト・フォン・ポリドロに挑む一騎討ちの権利。

それを争って、目の前の騎士は争っているのだ。

 

「いい加減引け! 地方領主風情が! お前などポリドロ卿に挑むには地力が足らん!!」

「法衣貴族の、アンハルトのようなモヤシ騎士が。領地の全てを背負い、軍役を積んだ私に敵うとでも思うたか!!」

 

アンハルトのモヤシとか言われてるし。

いや、お前等に言われたら、アンハルトはモヤシ呼ばわりでも仕方ないわ。

私達は代わりに、お前等の事を蛮族って言うけど。

そろそろ飽きたのか、ファウストが二人に近づく。

 

「もう宜しいか? 互いに数十合斬り結んだが、刃引きの剣ではやはり決着がつかぬようだ。面倒なのでお二人とも、一騎討ちのお相手をしよう」

 

結局、そうなるのか。

ファウストが叩きのめした方が早い。

早いのだが。

 

「ポリドロ卿がそう仰るならば。但し、この女が一合で叩きのめされ、ヴィレンドルフの恥を晒すかと思うと」

「当方にも異論無し。この女が、ポリドロ卿の一騎討ち相手に相応しいとは到底思えませんが」

「ぬかせ」

 

ヴィレンドルフ騎士、二人の口喧嘩がまた始まる。

さっさとブチのめしてしまえ、ファウスト。

もういっそのこと、二人纏めて相手にしてもいいぞ。

私は溜息をつく。

国境線での、全身鎧の精鋭6名の騎士相手に、ファウストは余裕をもって立ち回った。

慣れないフリューテッドアーマー姿ゆえか、数合は身体を剣で打たれたが、その身体にはダメージが及ばない。

魔術刻印入りの鎧を着用しているとはいえ、痛いはずなのだが。

その巨躯は容易くダメージを跳ね除けてしまう。

どの勝負も、数分の内に終えてしまった。

国境線の指揮官が感服し、やはり貴方は今更言葉にするまでも無いが英傑だった。

そう述べ、私達一行を王都へと先導。

してくれてはいるのだが。

その道程の中で、一騎討ちをどいつもこいつも挑んでくるのだ。

ファウストはそれを一切断らない。

私に告げた口上通り、正々堂々それを受けて立つのだ。

直轄領の代官、地方領地の領主、諸侯領、その領地の大小に関わらず、その土地を代表する全ての騎士と、選抜された騎士。

それに加えて、王都では一騎討ちを申し込む暇も無かろうと、態々近郊の地方領まで出向いてくる王都の武官達。

そう、もうすぐ終わる。

この騒がしい一騎討ちの申し込みもようやく終わるのだ。

この街を抜ければ、もうすぐ王都だ。

 

「ヴァリエール様、ファウスト様の心配はなさらないのですか。一応聞きますが」

「一応答えとくわ。必要あるの?」

 

騎士見習い。

ファウストの従士、マルティナ・フォン・ボーセルの発言。

それに返事をする。

今まで何戦したと思っている。

97戦だぞ、97戦97勝。

目の前の二人で、99戦99勝となる。

ああ、いっそ100戦100勝とキリ良くならないのが残念だ。

もっとも、ファウスト本人は一々数も数えていないだろうが。

別に相手を見下しているわけではない。

そういう性格なのだ。

一々、キルスコアや一騎討ちでの勝利数など数えていないのだ。

勝って当然。

その結果は、向こうから訪れて当たり前の物。

そのように受け止めている。

ヴィレンドルフの各領地では、一騎討ちの様子を克明に記していたが。

アレが伝説となり、ファウストと一騎討ちを果たした相手の誉れとなるのであろうか。

英傑とはこのようなものだろうか。

凡人中の凡人たる私にはわからない。

一応、王宮でのスペアとしての高等教育も、最近ではアナスタシア姉さまからの指導も受けてはいるんだけど。

やはり凡人。

辿り着ける領域には限界がある。

私には理解の及ばない範疇だ。

まあよい。

 

「それでは、どちらからお相手を――ああ。結構です。また争いになっても面倒だ。こちらが決定を」

 

ファウストがグレートヘルムの接合具を嵌めながら、言葉を紡ぐ。

さっさと終わらせてしまえファウスト。

道中の、私の全ての心配は無用であった。

ファウストが負ける事など有りはしない。

きっと、ヴィレンドルフの女王、カタリナも自身の英傑はそのように考えていたんだろうなあと思う。

レッケンベルは負けたが。

ファウストという、この世の武の顕現に。

もっともファウスト曰く、レッケンベル騎士団長という英傑が居たのです。

私より強い女もこの世のどこかにきっといるでしょう。

ヴィレンドルフには残念ながら、もうおらぬでしょうが。

そう呟いていたが。

私には想像もつかない。

ヴァルハラのワルキューレに、生前から唾を付けられている連中の考えは理解できない。

 

「それでは正々堂々、勝負と参りましょうか」

「我が領地、その領民、全ての誇りを賭けて貴方に挑む」

 

最初の相手は地方領主と決定したか。

まあ良い。

ぶちのめされる順番が後か先かだけだ。

その決闘風景は見るまでもない。

お慰みの数合の打ち合いの元に、相手にファウストの膂力を理解させ。

背中から落とすように投げ飛ばして、首に刃引きの剣を当てて終わりか。

そのまま押し倒し、やはり首に刃引きの剣を当ててKO。

ファウストなりの気遣いだ。

ファウストの膂力を以ってすれば、一発KOも可能であろうに。

私は再び悩む。

ファウストの行動ではない。

ファウストは、相手の名誉を立てて一騎討ちに望んでいる。

それは手加減であるが、手加減と呼ぶべきではないだろう。

そこは悩まない。

では、何に悩んでいるかというと。

 

「カタリナ女王の、心の斬り方ねえ」

 

それだ。

こんな一騎討ち、積み重ねても何の意味もない。

ヴィレンドルフの騎士達の心証は良くなるだろうが。

和平交渉の結論は全て、ヴィレンドルフの女王であるカタリナが為す。

考えろヴァリエール。

私が正使として、ただのお飾りで来たのはわかっている。

事実、このヴィレンドルフの誰にも相手にされていない。

私は、ただのお飾りだ。

だが、それで終わってしまえば、余りにもファウストに申し訳ない。

この交渉が成功すれば、親衛隊の階位も上げてくれるとお母様が、リーゼンロッテ女王が約束してくれてるのだ。

せめて、その働き分はせねばならない。

 

「マルティナ、カタリナ女王の和平交渉なんだけどね」

「はい」

 

私は迷わず、9歳児の力を借りることを選んだ。

ええい、批難する事なかれ。

私は凡人なのだ。

人様の力を借りて何が悪い。

そう心で、どこかから聞こえる批難の声を無視する。

 

「お母様が仰った台詞なんだけどね、和平交渉を成立させるためには、カタリナ女王の心を斬れ、だってさ。マルティナはどう思う?」

「事前に、ファウスト様がカタリナ女王の事を調べ、その資料集めを私も手伝わされました」

 

マルティナは、事情をわきまえているようだ。

 

「王都に与えられた下屋敷にて、ヴィレンドルフからやってきた吟遊詩人からカタリナ女王の英傑詩を聞いたり。レッケンベル騎士団長とのエピソードを聞いたり。交渉役の官僚貴族のそれから、少しでもヴィレンドルフ側から入手した情報を集めたり、まあ、正直」

 

マルティナは語る。

ファウストも、水面下で色々動いてくれていたようだ。

が。

 

「何の成果も得られませんでした」

 

それが答えだろう。

私もそうだった。

お母様、リーゼンロッテ女王の知能を以ってしても、抽象的な事。

カタリナ女王の心を斬れ。

それしか言えず、その心の斬り方は教えてくれなかった。

冷血女王。

感情など知らず、ただ淡々と理屈の上に政務をこなし、それゆえ有能である。

人でなしのカタリナ。

その忌み名すら持つ、ヴィレンドルフの女王。

別に嫌われているわけではない。

ただ、余りにも血が通っていない。

有能さは国中の誰もが認めている。

ヴィレンドルフの価値観を尊重してくれてはいるが、それを心から理解してくれるわけではない。

その、僅かな反感から、騎士達からの蔑みがあるのだ。

2年前まではその反感の全てを跳ね返す、レッケンベル騎士団長が居たのだが。

今は、いない。

 

「ただ、ファウスト様は、少しばかり、ほんの少しばかりですが、得心したようでした」

「カタリナ女王の心の斬り方が判ったと?」

「いえ、さすがに」

 

マルティナは首を振る。

まあ、さすがに判らないか。

 

「ねえ、私に何か役に立てることはないのかしら」

 

尋ねてみる。

9歳児にそれを尋ねることになるとは。

だが、今、目の前でファウストが闘っている以上。

この子がファウストの代理である。

そしてこの子は聡い。

恥を捨て、聞いてみるのも悪くはあるまい。

 

「お飾りの正使では不服ですか?」

「不服ね」

 

正直に答える。

せめて、何か役に立ちたい。

お飾りとはいえ、せめて一助は為したい。

カタリナ女王の心を斬る剣の、一研ぎくらいにはなりたいのだ。

そんな事を考える。

 

「では、ですよ。もしファウスト様が後で、その、何ですか」

「後で?」

 

何か言いあぐねたように、マルティナが呟く。

 

「後で、リーゼンロッテ女王陛下に無茶苦茶怒られる事になった時、一緒に謝ってもらえますか」

「うん?」

 

マルティナの言わんとする事が判らない。

ファウスト、何か怒られるような事をしたのか。

ああ、いいや。

聞いてみよう。

 

「ファウスト、何か怒られるような事したの」

「しました。話を聞くに、リーゼンロッテ女王陛下は酷くお怒りでしょう」

 

それがファウスト様には理解できていないようで。

いや、悪くはない手なのか。

その行為だからこそ意味があるのか。

いや、しかし、だからといって。

堂々巡り。

そんな思考らしきものを繰り返しているように、マルティナが独り言を呟く。

酷く、気になる。

 

「内容、教えてくれない? 謝るのはいいわ。第二王女親衛隊が馬鹿やらかすから、お母様に謝るのは慣れてるし。でも、こっちにだって心構えが必要なのよ」

「それは御教えできませぬ」

 

マルティナが首を振る。

 

「それは何故?」

「ヴィレンドルフ王の間、騎士達が立ち並んだ満座の席でのヴァリエール様のリアクションを含めてが、カタリナ女王への贈答品だからでございます」

「何を言っているのか、正直よく判らないけど」

 

私は、遠くで馬車に乗っているファウストの御用商人。

イングリット商会の長、イングリットの様子を眺める。

 

「あのイングリットという商人が、後生大事に守っている馬車の中に秘密があるの?」

「はい、アレがあります」

「アレ、ねえ……」

 

イングリット商会の警備兵。

それは交易品ではなく、その馬車のみをガチガチにガードしている。

たまにイングリットが緊張した様子で馬車の中に入り、なにか安心したような顔で出てくる。

一体、何を積んでいるのか。

何を隠しているのか。

 

「まあ、そういう話なら詳しく聞かないでおくわ。私は一緒に謝ればいいのね?」

「そうして頂けると、とても助かります」

 

マルティナは、ふう、と少しため息を吐いた。

そして、前をまっすぐ見る。

剣戟音が終わり、鎧同士がぶつかり合う音。

勝負がついたか。

ファウストが、相手の領主騎士を押し倒していた。

その首にはしっかりと刃引きの剣が当たっている。

 

「98戦、98勝。ファウスト・フォン・ポリドロの勝利!!」

 

私達を案内してくれている国境指揮官が、勝利の声を挙げた。

 

「貴方は決して弱く無かった。ですが、私の方が強かった」

「慰めなどいらんよ。手加減されてたことぐらいは判るさ」

 

ファウストが、相手に慰めの声を掛けるが、敵は喜びの声で答えた。

 

「無理はない。やはり貴方は英傑だった。レッケンベル騎士団長が負けるのも無理は無かったのだ」

 

そして、何かに納得したかのように、何かに惜別の念を送るかのようにして、レッケンベル騎士団長の死を受け入れた。

ファウストに負けた誰もが、同じことを言う。

これは彼女達にとって儀式なのだ。

レッケンベル騎士団長への追悼儀式。

98回も繰り返されると、凡人の私でもそれがよく判る。

 

「手を」

「ああ」

 

ファウストが領主の手をしっかりと握り、身体を起こさせる。

アンハルトとヴィレンドルフ。

敵同士ではあるが、そこには確かに騎士としての誉れがあった。

それにしてもだ。

やはり、何もできないのは情けない。

だから、せめて私はマルティナに頼まれた通りの事をこなそう。

 

「頼んだわよ、ファウスト」

 

私は凡人だ。

やはり、カタリナ女王を相手に回すと、相談役のファウストに頼る事しかできない。

私はファウスト・フォン・ポリドロの99戦目の一騎討ちが始まるのを眺めながら、この男がカタリナ女王の心を斬れることを静かに祈った。



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第35話 歓迎パレード

ヴィレンドルフ王都。

その幅広く設けられた、王宮まで一直線の長い長い目抜き通りにて。

ヴィレンドルフの民衆は今か今かと待ち構えていた。

アンハルト王国からの使者。

ファウスト・フォン・ポリドロを、である。

誰もが英傑詩を耳にタコが出来る程聞いていた。

人とは思えぬほどの美しさ、もはや魔性の域。

太陽のごとき、筋骨隆々の姿。

身長2mを超える大男。

全て、ヴィレンドルフの価値観では肯定されるもの。

そして、使者としてヴィレンドルフに訪れる事が決定してからも、新たに紡がれる物語。

国境線から始まる、ヴィレンドルフの英傑レッケンベル騎士団長が逃げなかったのだから私も逃げぬ、その口上が幕を切って落としてからの99戦に及ぶ一騎討ち。

王都までの道程で行われたそれの相手は、それぞれ軍役でも名のある騎士で、ヴィレンドルフにとって脆弱な騎士など一人もおらぬ精鋭揃いであった。

しかし、ファウスト・フォン・ポリドロは全てに勝利した。

慣れぬ敵国での旅路、列を組んで為す一騎討ち志願者に、休憩抜きでの連戦の条件で、である。

にも関わらず、99戦99勝。

もはや伝説上の生き物である。

ああ、そうか。

レッケンベル騎士団長は、やはりヴァルハラに旅立たれてしまわれたのだ。

確かに死んでしまわれたのだ。

国中がそう納得せざるを得ない結果を示した。

ならば――

ならば、認めよう。

そして、称えよう。

そうでなければ、レッケンベル騎士団長の誉れに傷がつく。

あの英傑に、ヴァルハラにて恥をかかせるような真似をヴィレンドルフの民として、してはならぬ。

この街道にて、大声を張り上げて、歓声で迎えるのだ。

レッケンベル騎士団長を倒した、敵国の英傑を。

そう、誰もが考えていた。

そして待ち望んでいた。

英傑の到着を。

 

「来たぞーーー!!」

 

誰かが叫んだ。

先頭では、ヴィレンドルフ国境線の指揮官が英傑を先導している。

槍の穂先にヴィレンドルフの国旗を付け、それを馬上で掲げていた。

その後には正使であるヴァリエール第二王女、それが乗った馬が続き、それを警護するように第二王女親衛隊が歩いている。

国民にとって、それらはどうでもよかった。

肝心なのはその次――であったのだが。

 

「うん?」

 

皆が首を傾げた。

確かに、噂通りの姿である。

2mを超える巨躯。

その魔術刻印が念入りに刻まれた見事なフリューテッドアーマーの下には、ヴィレンドルフの女たちを熱狂させる筋肉がミッチリ詰まっているのであろう。

それはわかる。

腰に、とても大きな、常人では振り回す事など出来ぬであろうグレートソードもぶら下げている。

次に馬。

大きく、見事な駿馬であった。

馬鎧のような魔術刻印総入りの赤い布に覆われたその馬は、まさに英傑が乗る馬に相応しく、その瞳は下手な人間を超えるほどの理知を感じさせた。

だが。

だが、しかしだ。

 

「バケツ?」

 

誰かが呟いた。

何故、頭だけグレートヘルムなのだろう。

グレートヘルムの名も良く知らぬ人間にとっては、日常使いのバケツにもよく似たそれ。

その連想しかできなかった。

その見事なフリューテッドアーマーには、余りにも似合っていなかったのだ。

 

「顔を見せなよ!」

「そうだ、顔だ!」

 

ブーイングにも似た、それがファウスト目掛けて飛び交い始める。

その身体は良い。

ヴィレンドルフ好みの良い身体をしている。

きっと尻も良いだろう。

だが、顔を見ない事には始まらないぞ。

これはレッケンベル騎士団長を称える追悼ではあるが。

同時に、一目その顔が見たい。

あのレッケンベル騎士団長に、第二夫人にと望まれた、その顔が見たい。

それが見たくて集まった側面もある。

群衆は声を張り上げ、それぞれは言い方が異なりながらも、その意味は同じである。

 

「その似合っていないバケツヘルムを脱いで、顔を見せろ!!」

 

その群衆の声に応えるのは。

大音声の笑い声。

本当に大きな、戦場でもこのような声をするのか、と群衆に感じさせるような笑い声であった。

それをファウストが発する。

 

「いいだろう! 顔を見せよう!!」

 

行進が、その声に応じるかのように一時止まる。

先頭を馬にて歩く、国境線の指揮官が気を利かせてその槍を下げ、行進を止めたのだ。

カチャカチャと、バケツヘルムの接合具を外す音。

群衆は固唾を飲んで見守る。

そして、ファウストがバケツヘルムを脱ぎ、脇にそれを抱える。

それを見た群衆は。

 

「――」

 

誰も声にならなかった。

これが人の顔か?

魔人か何かではないのか?

もちろん、それは悪い意味ではなく――

 

「美しい」

 

誰かがその言葉を発するとともに、行進を、このパレードを見守る何千人もの女達の内、何百人かの股が愛液で濡れた。

あれは人なのか?

アレが、アンハルト王国では、その筋骨隆々の体付きと背の高さ故に、醜いなどと揶揄されるのか。

誰もが不思議に思う。

ヴィレンドルフではその真逆である。

 

「あまりにも美しい」

 

少し困ったように、照れたように、笑っている。

普段は木訥なのであろう。

その人柄が容易に見て取れる、その表情。

身長2mを超える見事としか言いようがない、その周囲全てを見下ろすような巨躯も。

フリューテッドアーマーの下に眠っているであろう、そのミチミチに詰まった筋肉も。

その何もかもが。

ヴィレンドルフの女を魅了してやまないシロモノだった。

 

「――」

「――」

 

一時、空気が止まる。

その空気を破るようにして、もう良いであろう、と。

国境線の指揮官が、空気を読むようにして、その槍の穂先を上げた。

行進が、このパレードが再開される。

再び歩き出す、ファウスト・フォン・ポリドロと、その馬フリューゲル。

それはヴィレンドルフにとって完全な美を示していた。

群衆は。

 

「美しい。さすがレッケンベル騎士団長を破った英傑よ、その姿までもが、その容姿までもが!!」

 

腕を広げ、感に入ったと全力で褒め称える上物の服を着た上級市民。

 

「私と一騎打ちをしてくれ、頼む! 頼む! 一度で良いのだ!」

 

従士が四人がかりでパレードに割り込むのを必死で止める、鎧姿の世襲騎士。

 

「これこそ……これこそが、まさに美術だ。生きた芸術作品だ」

 

必死の表情で、2階の窓からファウストを眺め、スケッチを開始する芸術家。

賛美の限りを尽くしていた。

万語の限りを尽くして、ファウスト・フォン・ポリドロを褒め称えていた。

この記録は、1000年経っても残されるであろう。

ファウスト・フォン・ポリドロの道中。

国境線からその全てに付き添い、その全てを記録した記録係の騎士が、そう呟いた。

王宮まで一直線の長い長い街道。

その中を歓声で包まれながら、パレードは続く。

それは最後尾のポリドロ領民30名、それらが、やっと我が愛する領主様が認められたぞ。

その誇らしさで満面の笑みを浮かべた連中が後を続きながら。

王宮に近づき、堀を橋で越え、跳ね橋が上がり、その城の門が閉じられるまで歓声は続いた。

いや、それが終わっても歓声は止む事は無い。

まるで神が造り上げたような、優れた芸術作品を見た。

その様子で、隣同士となった女どもと、目にした美しさを称える声は止まなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、城内に入ったファウスト達一行は。

 

「ヴィレンドルフに産まれりゃよかった」

「ファウスト様、冗談でも言って良い言葉ではありません」

「いや、言いたくもなりますよ、こうもアンハルトと反応が違うようでは」

 

私に続いて、マルティナ、従士長ヘルガの言葉であった。

私は苦悶の表情で呟く。

 

「なんでヴィレンドルフだとこんなモテるのに、アンハルトだと全くモテないんだ。世の中おかしいぞ」

「いっそ、領地ごとヴィレンドルフに亡命しますか?」

「領地が歩けるものなら、そうしたい」

 

ヘルガと軽口を叩く。

少しくらい文句言ってもバチは当たらないだろう。

そんな顔を二人でするが。

 

「ファウスト様、ここにはヴァリエール第二王女も、その親衛隊もおられるのですよ。聞こえでもしたら」

「判った。もう言わない」

 

マルティナの咎める声に、私は黙り込む。

ザビーネ。

第二王女親衛隊長、ザビーネ。

服の上からでもよく判るロケットオッパイを持つ、今のところ唯一私にマトモに興味を持ってくれる女性よ。

彼女に嫌われるのは避けたい。

ロケットオッパイは惜しい。

惜しいのだ。

しかし、ついにザビーネとの接触の機会は与えられなかった。

フリューテッドアーマーに一か月に及ぶ鍛冶場への日参。

その後はカタリナ女王の情報収集に追われ、壮行会ではリーゼンロッテ女王の邪魔が入る。

国境線に入ってからは言うまでもなく、決闘の日々。

これでどうやってザビーネと、ロケットオッパイと接触せよというのだ。

込み入った話などする暇もなかったぞ。

精々挨拶を数度交わした程度だ。

世の中間違っている。

まあいい。

所詮こんなものよ。

世の中は都合悪く私に回ってるものよ。

ファウスト・フォン・ポリドロは静かに何かを諦めた。

気分を切り替える。

いよいよ、カタリナ女王との謁見である。

 

「ヘルガ、イングリット商会から、例のアレは受け取ったか」

「はい、ここに」

 

布に覆われたアレ。

無事に引き渡しを終えたイングリットは、今まで生きてきた中で一番緊張した運搬物でしたと言っていた。

さもあらん。

 

「ファウスト様、絶対これリーゼンロッテ女王に怒られますからね。一応、ヴァリエール様に一緒に謝ってもらえるよう頼んでおきましたけど」

「そんなに悪い事か」

「悪いに決まってるでしょう!」

 

マルティナの咎めの言葉。

確かにリーゼンロッテ女王は怒るだろう。

だが、怒られるだけで済むだろう。

その程度の事だと思うんだがなあ。

 

「さて、謁見だ。変なところはないか」

「そのグレートヘルム以外は特に。帰ったらちゃんと交換してもらいましょうね」

 

気に入ってるのに、このバケツヘルム。

何が皆気に食わないんだ。

もうこれでいいだろ、視界の狭さも直感でだいたいカバーできる。

一騎討ちでも役に立ったぞ。

無くても勝てたけどさあ。

それにしても、ヴィレンドルフの騎士はやはりアンハルトの騎士より練度が高いな。

国からの精鋭が集まっていたとはいえ、一騎討ちを99戦もするとそう思わざるを得ん。

だが、超人に一歩足を踏み入れた程度が精々の集団。

レッケンベル騎士団長のような、まさか私が負けるのか?というギリギリ感を、あの緊迫感を味合わせる騎士は居なかった。

 

「グレートヘルムは、ヘルガが預かっておいてくれ。お前は謁見の間に入れん。別の待合室にて、もてなしを受けることになる」

「承知しました」

 

グレートヘルムをヘルガに渡す。

 

「マルティナは騎士見習いとして、従士として傍についてきてくれ。カタリナ女王への贈答物を持ってな」

「本当に渡すんですね。まあ今更止めませんけど」

 

マルティナは、何かを静かに諦めた顔で呟いた。

 

「さて、カタリナ女王の心をこれで斬れるものかね」

 

そうとは思えない。

しかし、これ以外に思いつかなかった。

情報収集を念入りに行ったが、レッケンベル騎士団長とカタリナ女王とのエピソード。

吟遊詩人の語るそれから着想を得たのは、これだけだった。

 

「とりあえず、笑わせてみるかね」

 

すまない、ヴァリエール第二王女。

先に案内され、ヴィレンドルフ国境線を踏み入って以来、初めて正使としての待遇で歩き始める。

そんなヴァリエール様の小さな背中を見た。

少々、道化を演じてもらう事になるが、私に貴女への悪意はないのだ。

私にはこれしか思いつかなかった。

カタリナ女王から、一笑をとる。

それにはこれが必要で、ヴァリエール様のリアクションも必要なのだ。

 

「しかし、レッケンベルか」

「何か?」

「いや、何。レッケンベル殿は、本当にカタリナ女王の事を愛していたのだろうな、と」

 

マルティナが抱える、布に包まれたそれを見る。

吟遊詩人に知り得る限りのカタリナ女王とレッケンベル騎士団長の英傑詩、その全てを謳わせ、休憩を挟んだ。

そんな時であった、二人の珍妙なエピソードを聞いたのは。

あのレッケンベル騎士団長が、ただ一度だけ、カタリナ女王とともに宮廷から咎めを受けた事がある。

政治も、軍事も、戦闘も完璧。

その全ての才を合わせると、私を上回っていたであろう超人。

そんなレッケンベル殿がだ。

その心境は、エピソードからも察するにあまりあるところがある。

 

「愛してたんだろうなあ、本当に」

「私には、理解できませぬ。カタリナ女王は与えられただけの愛情をレッケンベル殿に、何か返せたのでしょうか。レッケンベル殿が一方的に忠誠を誓い、功績を捧げ続けただけでは」

「マルティナ」

 

私は少し咎めるように、マルティナの名を呟く。

 

「見返りが不要とは言わない。だが、見返りを求めるだけなのは愛とは呼ばない。そして、死ぬ寸前まで近づいてから、いや、死んでからやっと気が付く愛すらある」

「それは実体験ですか」

「そうだ。そして、死んだ者はそれで充分なのかもしれない。死んだ後にやっと愛情に気づいて、相手が死してなお想う事で、亡き相手に届く愛があるのかもしれない」

 

そうとでも思わないと、やっていられない。

母上。

私は貴女に何も、生きている間、親孝行ができなかった。

だが、貴女の残した領民と、領地ぐらいなら守る事が出来るだろう。

そうだ。

そのためにも、ヴィレンドルフとの和平交渉を成立させる必要があるのだ。

先を歩く、ヴァリエール様が振り向こうともせず、声を私にかける。

 

「いよいよ行くわよ、ファウスト」

 

私は息を大きく吸い、ヴァリエール様に答える。

 

「承知」

 

その声は、ヴィレンドルフ王宮の廊下に静かに響いた。



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第36話 花泥棒

何も感じなかった。

人として思えぬほどの美しさ、もはや魔性の域のもの。

太陽のごとき、筋骨隆々の姿。

身長2mを超える大男。

ヴィレンドルフが称える、その全て。

その価値観が想像しうる限りでの最高の美。

それでも届かぬ美しさ。

その具現体。

ファウスト・フォン・ポリドロ。

私はその姿を見ても、何も感じなかったのだ。

 

「今回の交渉の正使。アンハルト王国第二王女、ゲオルク・ヴァリエール・フォン・アンハルトです」

 

確か、ヴァリエール第二王女は14歳と聞いた。

未だ幼いとすら感じる、正使であるヴァリエール第二王女がドレスの裾が地につかぬよう両手でそれを持ち上げ、膝を曲げての辞儀を行う。

若いな。

私の14歳。

丁度、私が相続決闘を果たし、女王になった頃であったか。

その頃、レッケンベルは24歳であったな。

過去に想いを馳せる。

次いで、挨拶。

 

「交渉の副使。ファウスト・フォン・ポリドロ」

 

兜だけが無い甲冑姿のまま膝を折り、礼を行う。

王の間に静かに、だが響き渡る声であった。

満座の席。

アンハルト二人の使者を囲むように立ち並ぶ騎士の数人が、僅かに身をよじらせた。

股に、違和感を覚えたのだろう。

理屈ではわかる。

この男は、ヴィレンドルフではこの世で一番美しい男なのであろう。

だが、それだけだ。

ファウスト・フォン・ポリドロに対し、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフは何も感じない。

何も感じることが出来なかった。

僅かに、何か心の底で、かすかに燻る何かで、きっと期待していた。

ファウスト・フォン・ポリドロという、我が相談役レッケンベルを倒した男に何かを感じ取れるのではないか。

憎しみ。

その感情でも良い。

この大いなる、レッケンベルを失った悲しみに抗える何かを。

だが、何も感じられなかった。

ああ、そうだろう。

所詮こんなものよ。

私は冷血女王のままであろう。

その冷静な、理屈だけの女王に私は戻る。

もはやレッケンベルへの悲しみすら、今は忘れよう。

ただヴィレンドルフの利益だけを考えよう。

このファウスト・フォン・ポリドロを玉として見立て、アンハルト王国の今を見据えよう。

ポリドロ卿を見つめる。

その姿形。

噂のように、冷遇されているようには見えない。

少なくとも、王家からはそうであろう。

見事な、魔術刻印総入りのフリューテッドアーマー。

ポリドロ卿の経済事情、領民300名足らずの弱小領主が用意できる代物ではない。

幾つか傷が付いてはいるが、それは真新しい。

恐らく、今回の和平交渉にあたって王家が用意したものであろうと予測する。

少なくとも、ポリドロ卿はアンハルト王家からは認められている。

だが。

 

「ヴァリエール第二王女、そしてファウスト・フォン・ポリドロ卿。長旅にて疲れる中、休憩を挟まず王宮まで訪れたその誠意は受け取ろう」

「有難く思います」

「して、ヴァリエール第二王女。貴女を侮るわけではないが、ポリドロ卿と少し話がしたい、良いか?」

 

私はヴァリエール第二王女に要求する。

相手は断れない。

 

「どうぞ。ご存分に」

「有難う」

 

ではポリドロ卿と話す事にしよう。

さて。

単刀直入に言おう。

じっくりと話し込むことにしよう。

勝負だ、ファウスト・フォン・ポリドロ。

私の問い全てに答えて見せよ。

一つでも答えを誤れば、第二次ヴィレンドルフ戦役の始まりだ。

 

「私に仕える気はないか? ポリドロ卿」

「ちょ、ちょっと」

 

誘い。

私はまず誘惑をかける。

ヴァリエール第二王女の声は無視する。

ポリドロ卿の答え。

 

「お断りいたします。例えどのような待遇でも、私が貴方に仕えることは無い」

「何故か?」

「私は第二王女ヴァリエール様の相談役であります」

 

本来は朴訥な性格と聞いている。

それでいて、ハッキリと。

ファウスト・フォン・ポリドロは告げた。

 

「レッケンベル騎士団長は貴女の騎士団長でありましたが、貴女の幼少期。その頃はただの一介の世襲騎士の家督を継いだ一人の騎士に過ぎませんでした。なれど、貴女の相談役でした」

「確かにそうだ。良く知っているな。それが?」

「仮に、アンハルト王家が、昔の一騎士に過ぎなかったレッケンベル騎士団長に多大な報酬を見せて誘いをかけたとて、答えは同じだったでしょう。私はカタリナ第三王女の相談役である故、その誘いはお断りすると」

 

なるほど。

理屈だ。

王女の相談役と見込まれた者が、その誘いは受けないか。

だが、我が国と違ってアンハルト王国の限嗣相続は決闘ではない。

 

「一つ、さらに聞く」

「何なりと」

「ヴァリエール第二王女が、アンハルト王国を継ぐ目は恐らく無い。何故それでも仕えるのだ」

 

お前に何のメリットも無いではないか。

それを尋ねる。

 

「判りませぬか」

 

ポリドロ卿が、眉をひそめて答えた。

 

「判らぬ」

 

正直に答える。

 

「私にも、情と言うものがありますので」

 

その答えは、私には判らぬものであった。

情。

理屈では無いと言うのか。

何だコイツは。

まるで――まるで。

まるで、レッケンベルと会話しているようではないか。

 

「その情がどこまでヴァリエール第二王女に伝わっているか、私にはよく判りませぬ。果たして、それに応えてくれるのかも」

 

やや苦笑。

それを加えながらも、ポリドロ卿の言葉は続く。

嗚呼、レッケンベルよ。

ポリドロ卿と話していると、何故かその名前が頭に思い浮かぶ。

 

「なれど、それと私の情とはまた全く別な話であります」

 

レッケンベル。

その名が私の悲しい心を包み込む。

唯一「哀」しか知らぬ。

この私の感情はそれだけだ。

 

「カタリナ女王陛下。私は貴女の事を良く知りませぬ。貴方の事は今回の交渉の前に知りました。吟遊詩人から話を聞き、そのレッケンベル騎士団長とのエピソードを知りました。ですが」

 

ポリドロ卿が一呼吸置く。

 

「ですが、たったそれだけです」

 

たったそれだけ。

確かに。

人伝てに聞いただけの話。

それでは、その人間の本性までは判るまい。

理屈だ。

 

「故に、私と貴女は話し合う必要があると思うのです。カタリナ女王陛下」

「よろしい」

 

私は答えた。

応じよう。

元より申し込んだのは私だ。

お前との一対一の対話に応じよう、ファウスト・フォン・ポリドロよ。

 

「では、話を続けよう。ポリドロ卿。お前の領地はヴィレンドルフ国境線からほど近い」

「よくご存じでいらっしゃる」

「ヴィレンドルフ戦役にて、国境線近くの街を亡ぼした際に地図を手に入れた」

 

小さな舌打ち。

それは、おそらくポリドロ卿の口からは発されていないであろう。

だが、確かに聞こえたぞ、お前の心の舌打ちが。

 

「私がお前の領地近くまで、第二次ヴィレンドルフ戦役を起こし、踏み込んだとする。お前はどうする?」

「死兵と化しましょう」

 

ほう。

 

「死兵と化し、貴女の騎士数十名を破り、大往生を遂げましょう。先祖代々引き継いだポリドロ領の領地にて」

「命が惜しくは無いのか」

「惜しいです」

 

やや、予想と違う返事。

命は惜しいのか。

我が英傑レッケンベルに一騎討ちを挑むくらいの猛者だ。

命が惜しいとは。

 

「私の血が伝わらぬ。先祖代々継がねばならぬ、私の子々孫々に繋いでいくはずの領民、領土、それを守るための血が繋がらぬ。そのために命が惜しいです」

「その命を繋ぐ存在が、子さえいれば、命は惜しく無いと」

「その通りです」

 

まるで領主騎士の模範解答だ。

理屈は理解できる。

 

「ヴィレンドルフに頭を垂れる、その気は、領地に足を踏み入れられてまで無いと?」

「むしろ、我が領地を寸土たりとも削り、足を踏み入れ侵略する者には容赦しませぬ」

「ふむ」

 

裏を考える。

ファウスト・フォン・ポリドロは領主騎士である。

アンハルトの英傑ではあるが、利益を考える。

いや、利益と言っては失礼か。

己の財産である領土と領民を死ぬまで抱え込むものである。

今までの話から察するに、ポリドロ卿は全て本音で語っている。

再び、裏を考える。

ファウスト・フォン・ポリドロは、自分の領地にさえ踏み入れなければ敵対しない?

ポリドロ卿の軍役。

おそらく、我らヴィレンドルフが国境線に足を踏み入れなければ、来年の軍役は北方の遊牧民族相手になるであろう。

軍役さえ終われば、アンハルト王国の領地の保護契約。

それをアンハルトは実行せねばならない。

そして、ポリドロ卿は軍役を終えているゆえ、ヴィレンドルフとの国境線上での戦いには現れない。

その僅かな隙間を狙い。

ポリドロ領を放置し、それ以外の領土を奪い取る。

いや。

再び考え直す。

 

「問おう。ポリドロ卿よ。来年の軍役は、北方の遊牧民族相手になるかな?」

「この和平交渉がまとまればそうなりましょう」

「ポリドロ卿は、遊牧民族相手に勝てる自信がおありかな?」

 

有るだろうな。

無駄な事を聞いた。

 

「一度の衝突で族滅させて見せましょう。ヴィレンドルフの英傑、レッケンベル騎士団長のように」

 

そうなるか。

なれば、アンハルトは北方から王国の正規軍を、ヴィレンドルフ国境線に戻す。

そうすれば兵力は互角。

ヴィレンドルフ全力の兵力を投じても。どちらが勝つかなど判らなくなる。

手詰まりか。

英傑ファウスト・フォン・ポリドロは、その領地を取り囲まなければ、私に頭を垂れぬ。

だが時間を置けば、北方の遊牧民族を族滅にかかる。

和平。

その言葉が少し、ほんの少しだけ頭に思い浮かぶが。

まだ話は続くぞ。

ポリドロ卿よ、私は感情が無く、物事がよく判らぬ故、しつこいと物を尋ねる度に父に何度も殴られた女だ。

殴らなかったのはレッケンベルだけだ。

根気よく、感情が無ければ理屈で、私に何度も言い聞かせるように。

これはやっていいことで。

これはやってはいけないこと。

それを教えてくれたのは、この世でレッケンベルただ一人だ。

理屈で私を女王としてやっていけるようにしてくれたのは、レッケンベルだ。

姉を殺したのも、父を殺したのも。

やっていいこと、と教えたのはレッケンベルなのだぞ。

私とレッケンベルは、甘くは無いのだ。

どこまでも理屈を追及して見せる。

そしてアンハルトの穴を突き、お前を従え、アンハルト王国の領土を削ってみせるぞ。

そんな考えを巡らせるが。

 

「カタリナ女王陛下。ここに貴女への贈答品があります。会話に夢中で忘れておりましたが」

「贈答品?」

 

まあ、国家間の交渉なのだ。

それぐらいはあるであろうな。

ファウストの横で、同じように膝を折りながら、布に包まれた何かを大事そうに抱えている。

前情報ではマルティナ・フォン・ボーセルと言ったか。

一騎討ちで破った売国奴の女領主騎士の遺児を、頭を地に擦り付けてまで助命嘆願した。

その子供。

あくまで意地を張り、面子を捨ててまで王命を覆したその姿。

ヴィレンドルフでは美しき姿として称えられているが。

私には理解できぬ。

 

「では、お渡しします」

 

マルティナが、布に包まれた何かを大事そうに抱えながら、私に歩み寄る。

周囲の近衛騎士が警戒するが。

相手は9歳児。

私も帯剣している。

その布の下に懐剣があっても、斬り殺せば済む話。

 

「控えろ」

 

私は布の中身を確かめようとした近衛騎士に命を下す。

その間も、マルティナは黙って歩み寄る。

そして目の前に辿り着き、その布を剥がした。

 

「これは」

「バラでございます」

 

深紅のバラ。

本日、鉢植えから切ったばかりと思われる、新鮮な切り花。

贈答品としては、余りに質素である。

アンハルト王国にも、ヴィレンドルフにも、その花の贈答に特別な意味は無い。

精々、女が男に求愛するときに使われるぐらいか。

男からこれを貰っても、とは思うが。

 

「ヴィレンドルフの吟遊詩人、それから珍妙なエピソードを聞きました」

「ほう」

 

マルティナから、花を受け取る。

一応、使者からの贈答品だ。

如何に質素でも、受け取らなければならない。

ヴィレンドルフの吟遊詩人から聞いた?

何を?

 

「ファウスト!」

 

その思考を中断するように、ポリドロ卿を咎める声。

ヴァリエール第二王女の悲鳴。

 

「そ、それ! ひょっとしてアンハルト王宮のバラ園から」

「はい、盗みました」

「盗みましたじゃないわよ!! しれっとした顔して答えるな!!」

 

ヴァリエール第二王女が顔を真っ青にして、ここがヴィレンドルフの王の間であるというのに、場もわきまえずに絶叫する。

 

「それ、御父様が造ったバラ園のバラで、お母様が死ぬほど大事にしてるって判ってるでしょ!! 貴方も美しいって褒めてたじゃない! それを何で!!」

「はあ、だからこそ価値があるかと思いまして」

「いや、価値はあるけど! 黙って盗んじゃ駄目でしょう! 盗んじゃ!! お母様に何て言い訳するのよ!!」

 

どうやら、毒殺されたと噂のリーゼンロッテ女王の、王配が大切に育てたバラらしい。

それを盗むとは。

それが何で、私への贈答品に相応しいと。

いや。

以前、一度だけ。

一度だけ、このような事が有った気がする。

思い出せ、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。

これは。

これは、レッケンベルとの、幼き頃の大切な思い出であったはずだ。

 

「どーすんのよ! お母様、今頃バラ盗んだ奴を死に物狂いで探し回ってるわよ! どうやって謝罪するのよ!!」

「一緒に謝ってくれると、マルティナからお聞きしました」

「言ったけど! 確かに言ったけどもさ!! こんな話だとは思ってないわよ!!」

 

五月蠅い。

煩わしい。

私がレッケンベルとの想い出を回想しようとしている。

その邪魔をするな。

私は、聴覚を無理やりにでも遮断する様に。

目を閉じ、静かに大切な子供の頃の想い出を回想しようとした。



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第37話 バラのつぼみ

レッケンベルは時に優しく、時に厳しい人だった。

いや、それは嘘だ。

厳しい事などあったのだろうか。

レッケンベルが与えてくれたそれに、厳しい事など一つでもあったのだろうか。

剣や槍、弓の訓練で手がタコで一杯になった時も。

刃引きの剣で私が怪我をした時も。

それが果たして、本当に厳しいと言える事などあったのだろうか。

全て、私を鍛えるために、仕事の暇を見繕っては必死でやってくれた事だ。

レッケンベルよ。

貴女の愛情が未だに判らない。

回想。

初めて会った時の事を、回想する。

 

「クラウディア・フォン・レッケンベルと申します。カタリナ第三王女」

「私の相談役になったって、何も良い事など無いわよ」

 

15歳のレッケンベル、そして5歳の私。

立ち合いには老婆の軍務大臣がいた。

 

「失礼ながら、カタリナ第三王女は感情がよく判らないとお聞きしました」

「『りくつ』は知ってる」

「そうですか」

 

ぽんぽん、と何故かレッケンベルが私の頭を優しく撫でる。

そして、膝を折ってしゃがみこみ、私の顔と視線を合わせる。

 

「では、理屈は私が引き続き教えます。それと一緒に、感情も覚えていきましょうね」

「『かんじょう』って覚えられるものなの」

「さあ、私にもよく判りません」

 

特徴的な糸目。

糸のように細い目で、レッケンベルが微笑む。

 

「まあ、やってみましょう!」

「はあ、まあ好きにすればいいけど」

 

私は何故かやる気になっているレッケンベルに、やる気無さげに頷いた。

可愛くない子供。

理屈で、あの頃の私はそう感じる。

同時に、嗚呼、レッケンベルはあの頃からレッケンベルだったんだな。

そう思える。

そして、軍務大臣があの頃から、私を女王にしようと企んでいた事を。

レッケンベルの才能を見抜き、私に教育を施そうとしていたことを。

それを想い出した。

日々は過ぎる。

過ぎてしまう。

幼年期は過ぎていく。

やがてレッケンベルはその実力を持って、ヴィレンドルフの周辺国家との戦では必ず手柄首を上げ、そして騎士の大会――トーナメントでは必ず優勝し。

誰もがその実力を認めざるを得ず、何時の間にやら騎士団長になっていた。

私が10歳で、レッケンベルが20歳。

レッケンベルは夫を取り、一人の子を為した。

私は相談役の出産なのだからと、出産から時間をおいてレッケンベルの屋敷に訪れた。

というか、レッケンベルがさっさと来いと私を呼んだ。

 

「私の子です。名前はニーナ。ニーナ・フォン・レッケンベル」

 

それは赤ん坊だった。

当たり前ではあるが。

 

「抱いてあげてください」

 

はい、とベッドに身を横たえるレッケンベルの手から赤子が渡され、私はそれを受け取る。

何という事もない。

ただの赤子だ。

 

「何も感じませんか?」

「感じない」

 

いつもの、レッケンベルの問い。

何か行動するにつけて。

何か機会があるにつれて。

レッケンベルは尋ねる。

 

「何か感じませんか?」

 

そう尋ねる。

答えはいつも一緒だ。

 

「何も感じない。ただ」

「ただ?」

 

レッケンベルが、ベッドの上から何故か前のめりになって、私に顔を近づける。

私の答え。

 

「この子が、母親殺しにならなくてよかったと思う」

 

私のようにならなくてよかった。

出産の時に母親を殺し、父からは憎まれ、姉からは苛められる。

そんな存在にならなくてよかった。

レッケンベルが死ななくて、良かったとは思う。

 

「そうですか。それだけですか」

 

レッケンベルは、酷く残念な顔で頷いた。

理屈なら判る。

それはレッケンベルに厳しく教育されたから。

この場合、お祝いの言葉を述べるべきなのだろう。

 

「レッケンベル、出産おめでとう」

「はい、お姉ちゃんが喜んでくれましたね。ニーナ」

「お姉ちゃん?」

 

妙な言葉。

私とニーナの間に、血の繋がりは無い。

 

「姉妹のようなものです。貴女も私の子供です」

「私はレッケンベルの子供ではない」

「似たようなものです。私は5歳の頃から貴女を育てたつもりですよ。あの父親も姉も、てんで役立たずですから」

 

レッケンベルが、何か酷く気に食わないと言った風情で呟く。

 

「だから代わりに、私が家族のつもりです。お嫌ですか?」

「嫌かどうかもわからない」

「じゃあ、今日から家族という事で。決定しました」

 

私の話、ちゃんと聞いてた?

判らないと言っているのに。

レッケンベルは全てを無視して、私を強引に家族だと言い切った。

私が何かを言っても、レッケンベルは時に強引に物事を進めてしまう。

どうせ私は反抗しないだろう。

そう勝手に決めつけて、行動を起こしてしまう。

事実、そうではあるのだが。

 

「ニーナ・フォン・レッケンベル。強くなりなさい。お姉ちゃんのように」

 

レッケンベルは赤子をあやす。

私は強いのだろうか。

レッケンベルを相手にしていると、自分が強いと言う自覚にはどうしても恵まれないのだが。

まあ、レッケンベル相手に10本中1本でもその歳で取れるなら、むしろ誇るべきです。

そう老婆から、軍務大臣から言われた。

あの軍務大臣は、私とレッケンベルの前に時々現れ、様子を見に来る。

まるで、私達二人にヴィレンドルフの将来が掛かっているとでも言うように。

いや。

事実、私は女王となり、レッケンベルは英傑となった。

軍務大臣には、当時から全てが見えていたのであろうな。

そんな回想。

想い出は尽きない。

いつまでも浸っていたい。

しかし、時間は過ぎていく。

ああ。

そうだ。

バラのつぼみ。

バラのつぼみだ。

やっと想い出せた、ファウスト・フォン・ポリドロが何が言いたいのかを。

再び、当時の回想を続ける。

 

「カタリナ様、何をご覧になっているのですか」

「バラのつぼみ」

「はて」

 

糸目。

糸のように細い目をしたその顔が、私の背後から覗き込む。

私が12歳でレッケンベルが22歳。

この時、すでに遊牧民族の討伐で、レッケンベルは名を挙げ始めていた。

というか、一方的な殺戮を始めていた。

もはや、レッケンベルは英傑としての位置を固め始めており、誰にも文句を言わせる雰囲気ではなかった。

私はいずれ、相続決闘にてレッケンベルの言うがままに。

姉と、ついでに父も殺し、このヴィレンドルフの女王となる。

そんな決意を固めていた頃であった。

姉と父は無能だ。

存在自体がもはや、歳費を食いつぶすだけの害悪である。

この国は、私が継がねばどうにもなるまい。

今は高級官僚貴族、それに母親の元相談役にして親族である公爵が、王家の代理を務めているが。

王位を空席として7年は長すぎた。

レッケンベルが馬車馬のように働き、政治・軍事・戦場の三点。

その全てにおいて才を見せ、外敵を打ち払っているから何とかなっているようなものだ。

特に、北方の遊牧民族に対してはレッケンベルがいなければ、話は進まない。

だから、それに集中して欲しいのだが。

レッケンベルは、私の教育がまだ終わっていないと言う。

 

「確かに、バラのつぼみですね」

「まだ咲かないのかしら」

「まだ咲きませぬ」

 

レッケンベルが、呟いた。

続けて、私の顔を何故か見つめながら呟く。

 

「まだ、開花の時期ではないのでしょうから」

「いつ咲くの?」

「おそらく、咲かないでしょう。その季節外れのつぼみは」

 

はあ、とレッケンベルが息を吐く。

その息は白い。

季節は冬であった。

 

「この温度では難しいかと。せめて切り花にして、室内にでも持ち込まなければ」

「そう」

「花も人間も一緒です。環境がおかしいと、咲かないものですよ。逆に、環境さえしっかりしていれば、花は必ず咲きます。ええ、咲かせて見せます」

 

レッケンベルは、何かに決意をこめた表情で呟くが、ふと、何かに気づいたかのように。

おそるおそる、私に尋ねてくる。

 

「あの、カタリナ様。もしかしてですよ」

「何?」

「その花が、咲くところがみたいのですか?」

 

レッケンベルが、真剣な目で尋ねる。

花が咲くところ?

そういえば、何故私はバラのつぼみなど、ずっと眺めていたのだろう。

 

「見てみたい」

 

あの時、私は何故、バラのつぼみなどに執着したのであろうか。

どうでもよい。

世の中の全てが曖昧で、酷く濁っていて、父の憎しみも、姉の嫌がらせもどうでもよい。

そのはずであった。

ただ、この曖昧な世界で、レッケンベルだけが執拗に私に絡んでくる。

熱心に、貴女が女王になるのだと、次期の女王としての教育を行ってくる。

それが鬱陶しいわけでもなく、ただ私は優秀な生徒として、それに黙って従う。

それで私の生活は、何の不都合も無かった。

なのに。

 

「見たいんですね! 本当に見たいんですね!!」

「う、うん」

 

ぶんぶん、と私の肩を掴み、振り回すレッケンベル。

その顔は何故か嬉しそうで、私はその勢いに押されて頷く。

 

「ならば、盗んじゃいましょうか!」

「はい?」

 

理屈ではない。

いくら王宮の庭の物とはいえ、勝手に盗んじゃだめだろう、レッケンベル。

人の物を勝手に取ってはいけません、と教えたのはお前ではないか。

これは厳密にいえば王家の物といえるが、私の私物では無いし。

急にバラを盗まれては、造園職人も困るであろう。

 

「この一角のバラのつぼみの枝、全てを盗んでしまいましょう。そして、カタリナ様の部屋をバラで一杯にしてしまいましょう」

「ちょっと、レッケンベル?」

 

いや、そこまで欲しくはない。

ただの一輪の花で良いのだ。

私はこの一輪のバラのつぼみが、季節外れのバラのつぼみが、果たして咲くかどうか気になっただけで。

別に、一輪を枝ごと盗むぐらいならバレないだろうし、それで。

 

「カタリナ様の親衛隊を集めます。全員でとりかかりましょう」

「あの、レッケンベル?」

 

そんな大がかりな事したら、絶対バレるだろそんなの。

本当に一角のバラ園の、花という花の全てを強奪するつもりか。

 

「暖かい部屋の中では、きっと綺麗なバラが咲きます。部屋が綺麗なバラで一杯になります。素敵な光景になりますね」

「いやいや」

 

レッケンベルは完全にその気になっている。

何が彼女の心をそこまで揺り動かしたのか。

私には判らない。

 

「さあ、このレッケンベル。張り切ってまいりましたよ!」

 

どうしてこうなった。

結果から言おう。

私とレッケンベルは、宮廷の庭のバラを荒らした咎めを受け、何故だか私達担当となっている軍務大臣から酷く怒られた。

まあ、レッケンベルを叱れる度胸のある人間など、あの老婆以外にいなかったからだろうが。

ああ、想い出した。

あの時、怒られながらも、レッケンベルは酷く笑っていた。

ニヤニヤとしていて、嬉しさを抑えきれないと言った感じで。

何故だ。

その答えを。

その答えは、尋ねれば判るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ファウスト・フォン・ポリドロよ」

「はい」

 

バラの香り。

それが私の胸元の切り花から漂う中、尋ねる。

 

「お前は私とレッケンベルが起こした騒ぎを知っていると言った。それゆえのバラの贈呈なのだろう。その意図は理解した。だからお前に問う。何故、レッケンベルはあの時、バラを盗んだのだ」

「お分かりにならないと?」

「判らぬ」

 

答えよ、ファウスト・フォン・ポリドロ。

ポリドロ卿は少し沈黙し、そして答えた。

 

「私は、カタリナ女王陛下がせがんだから、レッケンベル殿はバラを盗んだと聞きました」

「まあ、少し違うが間違ってはいない。バラ園の一角ごと盗むとは思わなかったが」

「レッケンベル殿は、恐らく嬉しかったのでしょう」

 

嬉しい?

何がだ。

 

「カタリナ女王陛下、貴女は何かレッケンベル殿に物をせがんだ事は?」

「それは」

 

無い。

何一つとして無かった。

生活に必要なものは王宮が全て用意してくれた。

それ以外の生活に必要でもない雑貨は、レッケンベルが全て贈り物として用意してくれた。

今では使えないガラクタとなってしまっても、未だに捨てられない。

 

「欲しい、というのは、その欲求は感情の一つです。レッケンベル殿はそれが」

 

黙り込む私に、ポリドロ卿が言葉を投げかけ続ける。

 

「嬉しくてたまらなかった。そう私は考えます。だから、バラ園の一角をごっそり盗み取るなんてマネを、いや、おそらくではありますが、勝手な予想を続けても」

「続けよ」

 

私はポリドロ卿に話を続けさせる。

予想でも何でも構わん。

私は少しでも、あの時レッケンベルが何を考えていたのかを知りたいのだ。

 

「レッケンベル殿は、カタリナ女王陛下の笑いを引き起こそうとしたのではないでしょうか」

「笑い、とは」

「バラ園の一角全部を盗みとるなんて馬鹿げた暴挙、やるもんじゃない、馬鹿な事をするな、そういう笑いです」

 

ポリドロ卿の予想。

嗚呼。

あの時のレッケンベルの行為には意味が。

 

「後々一緒に怒られることまで予想済み。それを覚悟の上で、馬鹿げたことをやった。私はそれを――」

 

意味が、あったのか。

 

「レッケンベル殿の愛情であったと考えます」

 

ポリドロ卿の最後の言葉を聞き。

私の心の何処かで、燻る何かが弾ける音がした。

あの時、私の部屋を花瓶で一杯にしたバラのつぼみ。

あれは、すべて綺麗に咲いた。

脳裏に浮かぶのは、それを眺めながら、ニコニコしていつもの糸目で笑うレッケンベルの姿。

いや、あの時、レッケンベルはバラではなく。

咲いたバラを見つめる、私を眺めていたのだ。

 

「嗚呼」

 

口から驚きが漏れる。

馬鹿なやつがいた。

理屈でそう思う。

 

「愚かな」

 

そうだ、馬鹿で愚かだ。

何と愚かな。

何と馬鹿で愚かな私なのだ。

私はポリドロ卿にそれを言われるまで、何一つ気づけなかった。

 

「何故、何故」

 

ここまで、ここに至るまで。

あのレッケンベルの愛情を理解できなかったのだ。

もはや取り返しは付かない。

レッケンベルは死んでしまった。

もはや、何の恩返しもできない。

何に報いる事もできない。

 

「何故、私はここまで愚かなのだ」

 

嗚咽。

玉座にて、涙がポタリと胸元に落ちた。

それがバラの切り花に落ち、それはまるで朝露の雫のようになった。

やがて、通り雨のように、バラに水滴が降り注ぐ。

カタリナ女王は、人目をはばからず、その場で泣き出した。

イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフはこの日、ついにレッケンベルの愛情を理解した。

 



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第38話 愚か者の身の上話

王の間に、カタリナ女王の嗚咽だけが響く。

こうなるのは予想外であった。

私は、カタリナ女王から一笑を取るつもりであった。

私とヴァリエール第二王女のコント。

吟遊詩人から聞いた、カタリナ女王とレッケンベル騎士団長のエピソード。

それをなぞるようにして、カタリナ女王の前でそれを演じ。

 

「ああ、レッケンベルと共にバラを盗んだ事。そんな事もあったな」

 

その想い出からくる笑い。

それを取るつもりであったが、想像以上にカタリナ女王の心に深く切り込んだようであった。

カタリナ女王は、おそらく今の今まで、レッケンベル殿の深い愛情を理解できなかった。

私はそれに、深い共感を覚えた。

ひょっとしたら、似ているのかもしれない。

私とカタリナ女王は。

 

「嗚呼、嗚呼、嗚呼」

 

カタリナ女王は未だ泣き止まぬ。

ヴァリエール第二王女はオロオロとしている。

それはこの王の間で立ち並ぶ高級官僚貴族、そして騎士達も同様で、どうする事も出来ない。

いや、ただ一人。

老婆。

それが、カタリナ女王の近くに歩み寄り、声を掛ける。

何歳になるかもわからない、ヴィレンドルフで一番侮ってはならない老獪な人物と言われる軍務大臣。

ヴィレンドルフに来る前に、アナスタシア第一王女から聞いた情報。

それを思い出す。

 

「カタリナ女王。客人がお困りです」

「嗚呼、判っている、判っているのだが」

 

カタリナ女王が、両手を顔から外し、その顔を上げる。

 

「涙がどうしても止まらぬ。何故、私はレッケンベルの愛情に、何一つ答えてやる事が出来なかったのだ」

 

笑いを取るどころか、泣かせてしまった。

私はもはや、何かを言うべきではないのかもしれない。

まして、そのレッケンベルを殺した立場である。

ひょっとしたら、怒らせる事になるかもしれぬ、余計な事なのかもしれぬが。

私の言葉は何故か止まらぬ。

 

「カタリナ女王陛下」

「何だ、ファウスト・フォン・ポリドロ。まだ何か言うべきことがあるのか?」

「はい」

 

私は膝を折ったまま、首だけを頷かせる。

 

「少し、身の上話をしてもよろしいでしょうか?」

「身の上話?」

「一人の愚か者、母親の愛情を死に際まで理解できなかった者の話です」

 

カタリナ女王の涙は止まらない。

やや卑屈にすら感じる声色で、カタリナ女王は応じる。

 

「それは私の事か? この、レッケンベルの愛情を死後2年経ってから、やっと気づいた私の事か?」

「身の上話と、先に申しました。これは私の話であります」

「お前の?」

 

そう、私の話だ。

一人の愚かな男の話。

 

「今の、カタリナ女王陛下の涙を止めることに、お役に立てればと思います」

 

ずっと胸に秘めている。

未だに後悔は尽きない。

我が母の話だ。

ここに居る愚か者の身の上話だ。

 

「良いだろう。お前の話を聞こう。この涙を止めて見せよ」

「承知」

 

カタリナ女王の許可を得る。

私は一人、身の上話を始める。

 

「我が母はマリアンヌ・フォン・ポリドロと申します。私を長男として産み、その後夫を亡くし、それからは独り身を貫きました」

「……新しい夫は取らなかったのか? アンハルト王国の文化は知っている。領地を相続する長女無しでは」

「新しい夫を取るのが領主貴族としての義務でありましょう。ですが、そうはしなかった」

 

従士長ヘルガから聞いた話。

 

「我が母は病弱で、次の子を産むのが難しいと思ったのか。それとも、新しい夫を拒む程、亡き父を愛していたのか。そのどちらかは判りかねますが。どちらにせよ、それはしなかった」

 

母上の考えは、未だに判らない。

死んでしまったからには、尋ねることは今更できない。

 

「そして、いつしか私に槍や剣を教えるようになりました」

「アンハルト王国の文化では」

「はい、異常であります」

 

はっきりとそう答える。

ヴィレンドルフ王国でも、もちろん10人に1人しか生まれない大切な男子だ。

それは家の中で大切に扱われ、育てられる。

そして、護身用に剣の使い方を教え、身体を鍛えさせることはむしろ好まれる。

しかし。

 

「アンハルト王国の文化では、明確に異常であります。男など鍛えてなんになるのか、あまりに酷です、息子が可愛くないのですかと、そのように侮蔑を受けました」

「で、あろうな」

「いつしか、懊悩の余り、気が触れてしまったのだ。そのように扱われる様になりました。夫の親族との縁も途切れ、周辺領主との縁も途切れ、母は鼻つまみ者。アンハルト貴族の誰からも相手にされないようになりました」

 

これも、従士長ヘルガから聞いた話。

母が亡き後に全てを知った。

ヘルガの、自分ですらマリアンヌ様を侮蔑していた、この場で斬り殺して頂いても構わないと言う懺悔の告白。

嗚呼、母上は。

どこまで苦しんでいたのであろうか。

 

「ですが、母マリアンヌは、私へ槍や剣を厳しく教えることを止めませんでした」

「お前の才能を見抜いていたのであろうな。当時はこの世でたった一人だけ、将来超人に、英傑になると確信して」

「そうであったと考えます」

 

そうでなければ、母上は途中で訓練を止めていたのかもしれない。

私に将来、良き嫁が来るように奔走していたのかもしれない。

やはり、亡き母親に尋ねることは今更出来ぬが。

 

「私は、当時、それが、その厳しい訓練が当たり前のことであると考えていました」

「辛くは無かったのか?」

「少しも」

 

辛かったのは、母上の方であろう。

周囲の理解も得られず、どれだけ苦しかったことか。

 

「母の苦しさの一つも理解せず、病弱な母がその重たい身体で、どんな身を引き裂く思いをしながら、私を鍛えているかを」

 

母上の苦しみ。

当時は何一つ考えた事も無かった。

 

「少しも理解せず、辛くもなく、ただこれが領主騎士としての教育なのだな、と当たり前のように考えていたのです」

 

前世というものがあったから。

領主騎士の教育が厳しいなど、当たり前のものと受け止めていた。

まして、超人のこの身である。

 

「私は愚か者でした。時には、まれではありますが、母に勝利して無邪気に喜ぶことすらありました。病弱な母を木剣で打ち据えて。なんと愚かな。あの時の母の、痛みにこらえながらも笑顔を浮かべる顔が今でも忘れられません」

「お前の母、マリアンヌは本当にその時、嬉しかったのではないのか」

「それが何の言い訳になりましょう」

 

母の身体を慮るべきではなかったのか。

病弱な事は知っていたではないか。

超人として産まれたこの身に、驕っていた愚か者。

それが私だ。

 

「母は、その病弱な身体を押して、領主としての、貴族としての役目を続けました。私への教育も怠らず、軍役に毎年赴き、おそらくは周囲の貴族達からの侮蔑の目を受けながらも」

 

苦労したであろう。

母の軍役の多くは、ただの山賊退治であったと聞く。

だが、どうしても他の貴族と顔を会わせざるをえない。

その時の、口には出さねど腹の底では笑っていたであろう他貴族の侮蔑。

母はどれほど苦しかったであろうか。

 

「母は、軍役で他の街に出かけた際には、必ず私に土産を買ってきました。髪飾りや指輪でした」

「良き母であったのだな。私もレッケンベルから軍役帰りには贈り物を受け取った。今でも大事に保管している」

「そうです。ですが、当時の私にはそれが理解できなかった」

 

例え、この剣ダコと槍ダコでゴツゴツとした指には嵌められぬ指輪でも。

この2mの身長では人の目に映らぬような髪飾りでも。

例え前世の感覚で、それを付ける事を忌避していたとしても。

母から与えられた贈り物なのだぞ。

 

「全て、領民に与えてしまったのです。カタリナ女王陛下のように大事に保管する事などせず、今では母から贈られた物は何一つ残っておりませぬ」

 

母から贈られたもので残っているのは、12歳の頃に贈られた、物とはもはや同列に語れぬ愛馬フリューゲルだけ。

それ以外は何も残っていない。

なんと親不孝者なのだろう。

 

「それは、お前が領民想いであっただけで」

「申し上げます。それが母に対し何の言い訳になりましょうか」

 

母は何も言わなかったが、自分の買った贈り物が、全て領民に与えられた事ぐらい知っているだろう。

自分が息子に買った贈り物を、何故か領内の男が嬉しそうに付けているのを目にする。

それが母の心を、どれだけ傷つけた事か。

愚かすぎて、死にたくなる。

感情が昂る。

 

「母マリアンヌの身体は、私への教育、毎年の軍役、そして周囲からの侮蔑でボロボロに。私が15歳の頃には病に倒れました」

「ポリドロ卿よ。お前は」

「カタリナ女王陛下、今はただお聞きください。貴女以上に愚かな男の身の上話を!」

 

私は絶叫する。

カタリナ女王の涙はすでに止まっていた。

代わりに、自分の目から涙があふれ出る。

 

「そうして、更に5年の日が過ぎました。私が20歳の頃、母マリアンヌの姿は、もはやロクにスープも飲めなくなり、か細くなっておりました」

 

話を続ける。

もはや、誰も止めようとしない。

 

「そのベッドの上での最期の言葉は、『御免なさい、ファウスト』でした。私は、母を、自分の息子に過酷な運命を与えたと、酷い後悔の念と共に死なせてしまった」

 

嗚呼、何故。

何故、母上に謝罪など。

謝らせなどしてしまったのか。

私は何も。

 

「愚かな私は、その時に至るまで、母が死ぬまで、母親の愛情に何一つ気づけずにいたのです。ただ当たり前のように、神から与えられたような力に良い気になって、その力で母親に何一つ親孝行も出来ず」

 

母が倒れ、代わりに軍役を果たした五年間。

出来たのはそれくらいの、後継者として当たり前の事。

何の足しにもなりはしない。

 

「私は貴女の事をちゃんと母親として愛している。愛しているのだと。その一言すら告げられなかった」

 

微かに、すすり泣く声が聞こえる。

ヴィレンドルフの貴族たちの静かにすすり泣く声であった。

そして。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロよ。お前は私なのだな」

 

再び、静かに泣き出した、カタリナ女王の涙。

嗚呼、我が母のために泣いてくれるのか。

なれば、この愚か者の身の上話をした価値はある。

 

「我々は共に愚か者だ。ファウスト・フォン・ポリドロ」

「そうです。しかし、私はこう考えるのです、カタリナ女王陛下」

「何か」

 

カタリナ女王が、玉座に座ったまま尋ねる。

 

「愛は、見返りを求めるだけなのは愛とは呼ばないのです。貴女はレッケンベル騎士団長から。私は母マリアンヌから愛されました。かの二人は、見返りなど求めていたのでしょうか」

「求めていなかった、か」

「死んだ者はそれで充分なのかもしれない。そう考えます。そして」

 

そして。

亡き者に我々が出来ることは。

 

「相手が死してなお想う事で、亡き相手に届く愛があるのかもしれませぬ」

「あるのだろうか。もはや我らの想い人はこの世から旅立ってしまった。ヴァルハラや天国はあまりに遠い」

「私はあると考えています。そうでなければ」

 

そうでなければ。

 

「余りにも悲しすぎるではありませんか。そう考えます」

「そうか」

 

カタリナ女王が、その涙を指で拭いて。

玉座から立ち上がる。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ」

「はい」

 

私は膝を折ったまま、その声に返事する。

カタリナ女王はつかつかと歩み寄り、私の前で贈答品、バラの切り花を私の眼前に差し出す。

 

「クラウディア・フォン・レッケンベル。その墓地を訪れて欲しい。そして、この花束を、お前から捧げてくれ。お前にはその権利がある」

「私はレッケンベル騎士団長を撃ち破った男です」

「レッケンベルを甘く見るなよ、ファウスト・フォン・ポリドロ。私がどれだけレッケンベルの傍にいたと思っている」

 

カタリナ女王は、私の手に花束を握らせた。

 

「お前が自ら花を捧げねば、レッケンベルに私が怒られる。そう思っての事だ」

「承知」

 

短く答えた。

カタリナ女王はそうして玉座に戻っていき、再び座る。

 

「皆の者、騒がせたな。交渉を再開する。ファウスト・フォン・ポリドロ、お前との話は一旦終わりだ」

「はい。後はヴァリエール第二王女とお話を」

「判っている」

 

本来、カタリナ女王と話すべき正使。

それに視線を向けて、カタリナ女王は交渉を再開する。

 

「ヴァリエール第二王女。10年の和平交渉、受けても良いぞ」

「本当ですか!」

「ああ、本当だ。それで条件だが」

 

カタリナ女王は私を指さし、呟いた。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロの子を私の腹に宿せ。それが条件だ」

「はあ!?」

 

ヴァリエール第二王女の声。

それが王の間に響き渡るが、ヴィレンドルフの上級貴族や騎士達はピクリとも動かない。

むしろ、この展開に納得がいくという表情であった。

私はというと。

 

「何故?」

 

カタリナ女王の心が判らぬ。

笑わせる、という最初の思惑こそ外せど。

カタリナ女王の心はガッチリ掴んだと思った、リーゼンロッテ女王の言うとおり、心を斬れと言う役目を果たした。

後は、ヴァリエール第二王女が話を進めるだけ。

そのつもりであったのだが。

 

「いや、本当に何故?」

 

カタリナ女王が、何故自分の子種など欲しがるのか。

ファウスト・フォン・ポリドロにはさっぱり見当がつかなかった。

 



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第39話 和平交渉成立

私には。

ファウスト・フォン・ポリドロには理解しがたい状況が続いていた。

私の子種が欲しい?

何故そうなる。

眼前では、カタリナ女王とヴァリエール様がハードな交渉を続けている。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロの子を私の腹に宿す。それが条件だ。何度も言わせるな」

「いえ、しかしですね。ファウストは、ポリドロ卿は我が国と保護契約を結んでいるだけの領主であり、我が第二王女相談役といえども、アンハルト王国にそれを強制する権限などなく」

「だれが強制しろと言った。もうよい。ポリドロ卿と直接話す」

 

ヴァリエール様はあっさり敗れた。

ヴァリエール様の役立たず。

そう心で罵ってみるが、言ってる事は間違ってないよな。

私がカタリナ女王と話さないといけない内容だ、これは。

というか、本当に話を聞かねば判らん。

何をカタリナ女王が考えているのかが、わからん。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロよ。私に抱かれるのは嫌か?」

 

カタリナ女王は立ち上がり、その赤毛の長髪に、ドレスからはちきれんばかりのムチムチボディを晒している。

文句なしの美人でもある。

そのオッパイは大きい。

いえ、嫌ではないです。

全然不満なんか無いです。

けどさあ。

 

「カタリナ女王、私は和平交渉に訪れたとはいえ、隣接する仮想敵国の英傑、そしてヴィレンドルフの英傑にして貴女の親代わりと言ってもいいレッケンベル殿を撃ち破った男であります」

 

私は理屈を吐く。

駄目な条件揃いすぎだろ。

 

「それに何か問題が? レッケンベルを撃ち破ったのは、正々堂々の一騎討ちであったのだ。まして、お前はその死を悼んでくれさえした男だ。そこに恨みは無い。それどころか、ヴァルハラで今も眺めているであろうレッケンベルは、私が子を孕んでも良いと思える男を見つけた事に喜んでくれるであろう」

 

サラっと、カタリナ女王は私の理屈を流した。

いや、問題ありだろ。

私はそう思うが。

 

「軍務大臣。何かポリドロ卿の子を私が孕む事に問題があるのか?」

「何一つ有りませぬ」

 

カタリナ女王の言葉に、老婆がニコニコと顔をしぼめて答える。

 

「ああ、やっとカタリナ様が、次代の女王を産む覚悟を固めて下さった。その安心で胸が一杯でございます。本音を申せば、ポリドロ卿には我が国に王配として来ていただきたい。ですが、それはさすがに望み過ぎでありましょうからな。妥協すると致しましょう」

 

ほっほっほっ、と老婆が微笑む。

ほっほっほっ、じゃねえよババア。

それでいいのか。

ヴィレンドルフの流儀は知っているが、さすがに上級貴族達が反対――してくれると思ったが。

 

「あのポリドロ卿を抱き、子を孕むなど」

「何と羨ましい」

 

漏れ聞こえる声から判断するに、全然反対してねえ。

あるだろ、普通反発とか。

お前等も自国の男と結ばれて欲しいとか、自分とこの男を差し出して派閥を強化したいとか。

あるだろ、そういう願望が。

そんな私の考えを無視して、カタリナ女王は尋ねる。

 

「この王の間に居る全ての貴族、騎士に問う。私がファウスト・フォン・ポリドロの子を孕むことに反対の者はいるか?」

 

カタリナ女王が満座の席の全員に問う。

いくらヴィレンドルフの流儀が流儀とはいえ、他国の男はな。

正面切って問われれば、誰か反論位はするだろう。

この世界は絶対王政の国ではない。

封建国家である。

この場にはヴィレンドルフの諸侯も揃っている。

誰かしら反対するだろう、そう思うが。

 

「カタリナ女王、我が公爵家にもファウスト・フォン・ポリドロの子種を譲っていただくことは……」

「同じく、我が家の長女にも」

「我が家にも……」

 

わあ、わたくし大人気。

止めろやお前等。

貞操観念逆転世界とは言え、何故こうも私の子種を求める。

ヴィレンドルフだからか。

この国では私は絶世の美男子だ。

そして、この国では強き者を崇める。

そして超人の子は、超人の素質を受け継ぎやすい。

何となく、そこらへんの理屈で納得する。

強引に納得する。

 

「却下、ファウスト・フォン・ポリドロは私のものとしたい。軍務大臣の言うとおり、本音では王配に欲しい。だが、ポリドロ卿にも領地・領民がアンハルトにて待っていよう。これでも妥協しているのだぞ」

 

その心配りは嬉しいのだが。

貞操帯の下にて今は縮こまっている、もう一人の私も不満は全くないのだが。

ヴィレンドルフの女王に抱かれるとだ。

 

「カタリナ女王陛下、恐れながら申し上げます」

「何だ」

「カタリナ女王陛下に抱かれると、私の結婚相手を見つけるのが絶望的となります」

 

ただでさえ、アンハルト王国ではモテないのだ。

公然と口説いてくる相手など、私を愛人に欲しいとアピールするアスターテ公爵。

そして、唯一私を直接男として口説いてきたザビーネ殿ぐらいのもの。

敵国の女王の、情夫となったと噂されれば、おそらく私の輝かしい結婚生活は絶望的となる。

もう嫁など絶対来ぬ。

 

「私はアンハルト王国では全くと言って良いほどモテませぬ。敵国の女王の情夫になったとなると……」

「それはアンハルト王国が愚かなのだ」

 

ふん、と鼻でカタリナ女王が笑い捨てる。

一刀両断である。

その愚かなアンハルト王国の使者なんですけど、私。

 

「国の英傑に、わきまえた嫁の一人も斡旋できぬ。ましてや英傑を国民や貴族が冷遇? アンハルト王国はどうなっているのか。正直疑問に思うぞ」

「私もその辺は不満が無いとまでは言えませぬが……」

 

国から、嫁の一人くらい斡旋してくれよ。

私、ヴィレンドルフ戦役では死ぬような思いしたぞ。

ヴァリエール第二王女の初陣も、私には難行ではないとはいえ、他人から見ると無茶ぶりだったぞ。

そして本当の無茶ぶりは、今回のこの和平交渉だ。

私、頑張ってるぞ。

何故、王家は嫁の一人も斡旋してくれないのだ。

アンハルトの貴族はパーティー一つ呼んでくれやしない。

アンハルトの貴族の女と、嫁を見繕うため出会う機会なんぞ一つも無かった。

言われてみれば、ファウスト・フォン・ポリドロは不服であった。

その原因はアンハルト王家からファウスト・フォン・ポリドロが余りにも愛され過ぎたから。

王家が嫁を斡旋してくれないのは、ファウストをアナスタシア第一王女とアスターテ公爵の愛人にするつもりだから。

貴族のパーティーに参加できないのは、アスターテ公爵が余計な事をされないよう睨みつけているから。

要するに、全てファウストの自業自得であった。

何もかもがファウストの責任とは言えないが、露骨な好意の視線を向けているリーゼンロッテ女王、アナスタシア第一王女、アスターテ公爵。

それらに全く気付かないのは、ファウストが恋愛糞雑魚ナメクジであったからだ。

今回の、カタリナ女王からの好意の件も含めて。

ファウストには、墓穴を自分で掘る癖が存在した。

だが、今の状況とは関係ない。

故に、話は続く。

 

「ヴィレンドルフから、わきまえた嫁を一人選抜する。熾烈な争いになろうが、ちゃんとお前の要求も踏まえた女を用意する。これでどうだ」

「いえ、ですから敵国から嫁を貰い受けることは」

「和平交渉を結んだなら敵国ではない。和平交渉、別に10年でなくともよいのだぞ。20年でも30年でも。なんなら、ポリドロ卿が死ぬまででも良い」

 

私はカタリナ女王の勢いにたじろいだ。

アカン、このままでは押される。

反論が思いつかない。

どうすべきか。

貞操帯の下に眠るもう一人の私は、もういいじゃないか。

そんな諦めというか、本音を口走る。

カタリナ女王は正直好みである。

いや、待てファウスト・フォン・ポリドロ。

お前にはザビーネというロケットオッパイが口説いてきてるじゃないか。

比較する。

ムチムチボディのカタリナ女王と、ロケットオッパイのザビーネ。

甲乙つけがたし。

私の貞操帯下に眠る、もう一人の私はそう判断した。

ゆえに、沈黙する。

どいつもこいつも役立たずである。

やはり、私が最後に頼りにできるのは私の地頭だけである。

この現世では余り役に立たぬどころか稀に混乱させるが、前世の教養だけは妙にある私の脳味噌よ。

答えを導き出せ。

出した答えは――

 

「カタリナ女王陛下は、私を愛しておいでなのですか?」

 

逆に尋ねてみる。

これである。

 

「……判らぬ」

 

カタリナ女王の正直な答え。

 

「ただ、慰め合いたいだけかもしれぬ。褥で、お前を抱きしめて泣きたい。ただそれだけなのかもしれぬ」

 

哀願するような目。

それで私を見つめながら、カタリナ女王は独り言のように呟く。

 

「だが、それは間違いか。ポリドロ卿。私と褥で傷を慰め合うのは嫌か?」

 

全然嫌じゃありません。

貞操帯の下の、もう一人の私自身がムクリと反応した。

落ち着け、もう一人の私自身よ、ここでチンコ痛くなるのは御免だ。

考えろ、ファウスト・フォン・ポリドロ。

もうゴールしてもいいよね、そんな考えもうっすら浮かばないわけではないが。

なんとかこの場を切り抜けるのだ。

再び、出した答えは。

 

「嫁を娶ってから、カタリナ女王と褥を共にする。というのでは如何かと」

 

一時保留であった。

断れば、和平交渉は成り立たぬ。

第二次ヴィレンドルフ戦役の幕開けである。

もう一回やったら、ほぼ確実に負ける戦の始まりである。

やっても負けて、私がヴィレンドルフの王宮に引きずられていくだけである。

だから、もはやカタリナ女王の申し出は断れぬ。

一時保留しかできない。

 

「嫁を娶ってからか。その嫁を言い聞かせるのに、どれくらい時間がいる。 また、お前が嫁を娶るまで何年かかる? 長くは待てぬぞ」

 

その一時保留案に、聞く耳を入れてくれるカタリナ女王。

やはり理不尽な人間ではない。

私は考える。

 

「2年、待てませんか」

「2年か……その頃、私とお前は24歳だな」

 

逆に言えば、私も待ててそれぐらいだ。

アンハルト王国からの斡旋、或いは私がザビーネ殿を口説き落とすか、逆に口説き落とされるか。

待ててそれだけだ。

もし、ザビーネ殿が嫁に来てくれなかった場合。

その代わりすらアンハルト王国が何も手配してくれないようなら、いっそカタリナ女王を抱く。

そしてヴィレンドルフから嫁を手配してもらい、ポリドロ領を継ぐ子供を産んでもらう。

それ以外、思い浮かばぬ。

和平交渉の仲介役となるのだ。

私がヴィレンドルフから嫁を貰っても問題はあるまい。

このぐらい計算含みでなければ、正直もうやってられぬ。

 

「よかろう」

 

カタリナ女王は頷いた。

 

「待つとしよう。我が居室のベッドでお前を抱く日を、ただ待ち続けることにしよう」

「納得いただけたなら、幸いです」

 

もうこれ以上、交渉の余地はない。

先ほどからずっと黙りっぱなしのヴァリエール様も、それくらいは判っているのか、頭を抱えている。

ヴァリエール様、貴女が悪いわけではない。

これは交渉役がアナスタシア第一王女でも、アスターテ公爵でも、交渉条件揺るがないわ。

カタリナ女王に一切譲る気ないもの。

 

「よし、決まりだ。二年後、いや、来年も必ず訪れよ。ファウスト・フォン・ポリドロよ。二年もお前の顔を見れぬのは辛い」

「承知しました」

 

来年も来ることになるのか。

いや、決して嫌いじゃないんだよ。

男と女としては嫌いじゃないんだよ、カタリナ女王の事。

でも、自分としては権力を背景にして押し切られた気がしてならぬと言うか、現実はそうである。

貞操帯の下のもう一人の私は嫌がらないが。

頭蓋骨の中に住む、脳味噌の中の私は何か少し腑に落ちん。

まあ、どうしようもないか。

溜息をつく。

 

「これにて交渉成立だ。10年の和平交渉を受け入れよう。アンハルト王国の希望によっては和平期間の延長も考えよう。ヴァリエール第二王女、無視したようで済まなかったな」

「はい」

 

ヴァリエール様は、ああ、もう何もかもファウストに押し付けてしまった、そういう表情であるが。

貴女にはリーゼンロッテ女王に、バラを盗んだ件で一緒に謝ってもらわねばならぬ。

まだ仕事は残っているのだぞ。

そんな落ち込んだ気持ちになられては困る。

 

「ポリドロ卿、いや、これからはただのファウストとして呼ばせてもらうぞ。我が情夫、いや、愛人となるのだからな」

「承知」

 

私は何かを諦めた。

 

「一秒の時間の別れも惜しいが、とりあえずファウストはレッケンベルの墓地に花を捧げに行ってくれ。そこで、今日はどこに泊るか。私の寝室でも良いが――楽しみは先で良い」

 

カタリナ女王は朗らかに笑いながら、目線を、立ち並ぶ騎士の列。

その末席、およそ年齢は12歳ぐらいであろか。

その少女に視線を送り、言葉をかける。

 

「ニーナ・フォン・レッケンベル。お前の母、クラウディア・フォン・レッケンベルの墓地へと案内し、そのまま第二王女殿と、ファウストをお前の屋敷に泊めてくれ」

「承知しました。我が屋敷であれば、ポリドロ卿も安らげましょう」

 

え、この少女、レッケンベル殿の一人娘か。

事前に情報は得ていたが、ちっとも安らげない。

ちっとも安らげないぞ、自分が一騎討ちで殺した娘さんの屋敷で一泊だなんて。

これでマルティナにも結構気を遣った生活を送ってるんだぞ。

お前等、私の心境に少しは気を配ってくれ。

 

「それでは、これにて交渉を終えるとしよう。後はヴィレンドルフの王都を楽しんでくれ」

 

ちっとも楽しみにできないんですが。

 

「ああ、ニーナ・フォン・レッケンベル。最後に一つ。お前の母、クラウディアの用いた魔法のロングボウ。あれをファウストに貸してやってはくれまいか? 遊牧民族相手に死なれでもしたら私が困る」

「さて、果たしてアレを引けるものか。引けるものでしたら、お貸しするのもやぶさかではありませんが」

 

何か勝手に話進んでるし。

あの、ヴィレンドルフ戦でも私が食らった強弓か。

そりゃあ、おそらく来年の軍役である遊牧民族戦で使わせてもらえるなら有難いが。

 

「それでは、交渉を完全に終わりとする。皆、大儀であった」

 

カタリナ女王の言葉と共に。

和平交渉はこれにて纏まり、終結となった。

ファウスト・フォン・ポリドロの微妙な感情をその場に置き去りにしながらではあったが。

ともかく、和平交渉は終わった。



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第40話 憎まれる覚悟

墓地。

クラウディア・フォン・レッケンベルの墓前。

その墓前には、大量の花が捧げられている。

ああ、レッケンベル殿は本当に国中から愛されていたのであろう。

花の質で判るのだ。

平民が小遣い銭で花売り娘から買えるような質素な一輪の花から。

貴族が大枚はたいて買ったような、豪勢な花束まで。

全てが揃っている。

それが一目で判る様子であった。

私が倒した、そのヴィレンドルフきっての英傑の墓の前に膝を折り、アンハルト王宮から盗んで来たバラの花を捧げる。

リーゼンロッテ女王の大切にしている亡き王配のバラ、その価値は捧げられた花の中でも高い方だと思う。

きっと、レッケンベル騎士団長はヴァルハラで大爆笑していよう。

それはよい。

それはよいのだが。

私を貫く視線、それが背後からでもよく判る。

この超人的感覚では、手に取るように判るのだ。

ニーナ・フォン・レッケンベル。

レッケンベル騎士団長の忘れ形見、その一人娘。

彼女はカタリナ女王との謁見を終えてから、墓に案内するまでの間、一言も喋らなかった。

こっちも同様である。

語り掛けることはできなかった。

自分が戦場で殺した相手の、一人娘にどう語り掛けて良いか判らなかったのだ。

目を瞑る。

今はただ、レッケンベル騎士団長の冥福を祈る。

ヴァルハラで確実にエインヘリヤルとして歓迎されたであろう、彼女の冥福を祈るのも変か。

ヴィーグリーズの野にて、敵である巨人どもを相手にまわしての活躍を、代わりに祈る事にしようか。

私は瞑目し、祈りを続ける。

それが数分経った頃であろうか。

私は立ち上がり、ずっと私の背後を貫いていた視線の主に声を掛けた。

 

「行こうか。ニーナ嬢の屋敷に」

「王都を見て周る気はありませんか? カタリナ女王はそのように」

「いや、目立つのは御免だ。なにせこの体格なのでな。このような背の高さの男、目立って仕方ないだろう」

 

フリューテッドアーマーはすでに脱ぎ終えた。

おそらく、帰路につくまで着用することは無いだろう。

今は用意しておいた礼服で、ニーナ嬢に相対している。

 

「そうですか、では我が屋敷に案内します。再び、馬車にお乗りください」

「判った。マルティナ、行くぞ」

「了解しました」

 

第二王女、ヴァリエール嬢はこの場に居ない。

今日はもう何もしたくない、と憔悴しきった顔で、第二王女親衛隊を引き連れニーナ嬢の屋敷に先に向かった。

可哀想に。

いや、心労の一つ、バラを盗んだのは私のせいだが。

後はカタリナ女王との交渉で気疲れしたのであろう。

ヴァリエール様は初陣で成長した。

私から見ても、そう感じ取れる。

だが、才能としてはやはり凡人なのだ。

女王の気に当てられるのは厳しかったか。

そんな事を思いながら、馬車に乗る。

馬車に乗るのはニーナ嬢、マルティナ、それに挟まれて私。

まだ幼いともいえる少女二人に挟まれる、身長2m超えの筋肉モリモリマッチョマンという構図。

奇妙な光景であった。

 

「マルティナ・フォン・ボーセル殿」

「はい」

 

私という巨大な肉塊の存在を無視して。

ニーナ嬢が、マルティナに声を掛ける。

 

「憎しみはないのですか?」

 

その発言は、唐突であった。

意味は理解できる。

母親を殺した、ファウスト・フォン・ポリドロという人物が憎くはないのか。

そういう意味であろう。

 

「ありません」

 

マルティナはあっさりと答えた。

 

「母は売国奴でありました。貴女の母のような、国中がその死に涙する英傑とは違うのです」

「だが、母親であった」

「それがどうしました」

 

ニーナ嬢の問いに、マルティナが跳ね除ける様に答える。

 

「母親です。しかし、売国奴でした」

「お前は、あの謁見の場にいた。ファウスト・フォン・ポリドロ卿の、母君マリアンヌ殿への慟哭を聞いた。何も感じなかったのか。お前の母は、お前を愛さなかったのか」

 

ニーナ嬢の、再びの問い。

私を引き合いに出されたが、私は口を挟む気にはなれない。

黙り込み、マルティナの答えを待つ。

 

「母は、カロリーヌは、私を確かに愛しておりました」

「なら」

「なれど、ファウスト様を憎みなどしませぬ。あまりに筋違いであります」

 

マルティナが、ニーナ嬢を無視する様に顔を背けていたのを止め、ニーナ嬢の目を見つめる。

 

「貴女は、ファウスト様を憎んでおいでですか」

「侮辱するな! 憎んではおらぬ!!」

 

揺れ動く馬車の中、その小さな背でニーナ嬢が立ち上がる。

 

「正々堂々だ! 正々堂々、ポリドロ卿は我が母上を討ち取ったのだ。そしてその遺体を丁重に返却し、その闘いを生涯忘れないとまで言ってくれた。この王都までの道中にて、我が母上への弔いのようにあらゆる騎士の一騎打ちを断らず、ここまで来たのだ! それを、それを」

 

ニーナ嬢が、感情的な声を張り上げるが。

やがてそれは途中で止まり、ニーナ嬢の従士であろう馬を引いていた者が馬車の中を覗き込む。

ニーナ嬢の叫び声が聞こえたのであろう。

馬車は一時、停止する。

 

「失礼します。ニーナ様、何か」

「何でもない。馬車を止めないでくれ」

 

ニーナ嬢は座り込み、口を閉じる。

従士は馬車の中に突っ込んだ首を引き戻し、再び馬を操る。

馬車が動き出した。

 

「憎む事など。憎める要素など、どこにもないのだ。憎めば、ヴァルハラにいる母上が激怒するであろう」

 

ニーナ嬢の、自分に言い聞かせる様な呟き。

嗚呼。

ニーナ嬢は、悩んでいるのだな。

ならば黙ってはおれず、口を開く。

 

「ニーナ・フォン・レッケンベル殿。貴女の名前を、私は何とお呼びすればよろしいか伺っても?」

「……ただのニーナでいい」

「では、ニーナ嬢。私を憎むと言う感情は悪い事ではありません」

 

言い聞かせるように、呟く。

憎まれたくはない。

好んで憎まれたくはないんだがなあ。

この子には、私を憎む資格があるのだ。

だから。

 

「憎むという事も、愛するという事も、執着から産まれます」

「執着?」

「執着です。例えば、私は領地に執着しております」

 

先祖代々の領地。

ポリドロ領。

大した特産品も無い、どうという物もない領地だ。

300人ぽっちの領民が食べて行き、そして少ないながらも食料を輸出して金銭を得られる程度の領地。

だが。

私が先祖代々、いや、母マリアンヌから受け継いだ領地なのだ。

その墓地では、母の遺骸が静かに眠っている。

 

「私は、その執着を肯定します」

「どういう意味で肯定すると?」

「貴方が母君、クラウディア・フォン・レッケンベルを心から愛しておられたならば」

 

一つ呼吸を置き。

続き、呟く。

 

「貴女には、私の首を討ち取る権利がある」

 

ああ、言ってしまった。

言わずともよい台詞を。

 

「私に、ポリドロ卿を憎めと言うつもりか?」

「少なくとも、私は憎まれて当然の立場の人間だと自覚しております」

 

この国では誰もが私を賞賛する。

騎士の誉れであると。

亡きレッケンベルも喜んでおられるだろうと。

だが、果たしてそうなのだろうか。

本当にそれが正しいのだろうか。

愛する母親が殺されたのだ。

それが私の立場ならば――そんな相手、憎んで当たり前ではないか。

ニーナ嬢の心境を想う。

ヴィレンドルフの誰もが、私、ポリドロ卿を肯定する。

ヴィレンドルフの価値観は、私を、ポリドロ卿を憎む相手ではないと肯定してしまう。

母親を殺されたニーナ嬢は、たまらなかったのではないだろうか。

自分の憎しみの感情は間違ったものであると。

そう、周囲から決定されてしまった。

だが、良いのだ。

私は今まで殺してきた敵の親族に憎まれる覚悟を持って、ここに居る。

 

「覚悟が出来たなら、いつでも、挑んでおいでなさい。喜んで、とは申しませぬが相手を致します」

 

私は優しく、ニーナ嬢に語り掛けた。

ニーナ嬢は、少し沈黙した後。

 

「もう、いい。私のこの感情が、おそらく、憎しみという感情が」

 

ニーナ嬢が、まだ未成熟のささやかな胸を押さえる。

 

「間違っていないと肯定されたならば、それで良い。おそらく、私とポリドロ卿が争う未来はないであろう。今回定められた10年の和平交渉は、きっと延長される」

 

そして、何かを静かに諦めた。

そういう表情で、呟いた。

 

「だが、ポリドロ卿。刃引きの剣で良い、殺し合いでなくともよい。いつか私が16歳を迎えたら、闘ってはくれないか。ヴァルハラから眺めている我が母上に、自分が如何に成長したかを見せたいのだ」

「承知」

 

私は短く答えた。

さて、ニーナ嬢と二人で話し込んでしまったが。

 

「マルティナ」

 

騎士見習い、我が従士に声を掛ける。

 

「何でしょうか」

「マルティナの母親、カロリーヌと私は一騎打ちをした」

「知っております」

 

であろう。

だが、まだお前に伝えていない事がある。

 

「死の間際のカロリーヌに、何か言い残す言葉があるかと私は問うた。帰って来た言葉は『マルティナ』の一言だけであった」

「……それが、どうしました」

 

マルティナが不機嫌そうにそっぽを向く。

 

「お前も、私を憎んでよいのだ」

「私は貴方に、その頭を地に擦り付けさせて、命を救われた身です。恩知らずにはなりたくありませぬ」

「あれは、お前を救いたかったのではない」

 

そうだ。

厳密にいえば、マルティナ個人を救いたかったのではない。

たまたま、自分の懐に窮鳥が飛び込んでしまっただけ。

戦場でもない平時で、子供の首など自分の手で斬れるはずもない、そんな前世の価値観の暴走。

相手が誰でもリーゼンロッテ女王に懇願し、助けたであろう。

 

「自分の酷く歪んだ誉れがそうさせただけだ。だから、マルティナがそれを気にする必要はない。何度でも言う。憎んでよい。私はその覚悟の上で人を殺している」

「いつまで、その様な生き方を続けるおつもりですか」

「私が死ぬまで。恐らくは誰かに殺されるまでだ」

 

きっと、ベッドの上では死ねまい。

それは覚悟している。

それは別に良い。

私が欲しいのは、我が領地を受け継いで、立派な領主騎士として生きてくれる跡継ぎだ。

それさえ作れば、人生に悔いはあれど、死んでしまっても構わないと覚悟はできる。

 

「ああ、それにしても嫁が欲しい」

 

少女二人を無視する様に、愚痴る。

いつになったら私は結婚できるのかね。

 

「……ポリドロ卿にも好みがおありかと思いますが、どのような女ならその身を抱かれると?」

 

それに反応する、ニーナ嬢の質問。

私は答える。

 

「純粋であれば、それでよい」

 

オッパイが大きければそれでよい。

処女、非処女など問わぬ。

誰を過去に愛そうが、どんなに男女経験があろうが構わぬ。

むしろ未亡人は興奮する。

 

「純粋?」

「そうだ。純粋だ。ああ、男女経験がという意味ではないぞ」

 

最後に、そのオッパイの大きい女が私の傍にいて、子を産んでくれればそれでよいのだ。

それが私の純粋という言葉の意味である。

どこまでも純粋な私の感情。

巨乳への憧憬。

それが私の恋愛定理である。

 

「まだ、ニーナ嬢には早いかもしれないがね」

「でもファウスト様童貞ですよね。恋愛経験ゼロですよね。そんなドヤ顔で恋愛語られても」

 

マルティナの強烈なツッコミ。

事実ではあるが、そう言われても。

アンハルト王国では不人気な容姿の私が嫁を娶るには、童貞であるという貞淑さが必要なのだ。

モテないから、恋愛ができない。

そして恋愛がよく判らないから、ますますモテない。

そしてモテないから、結婚するためには童貞を必死で守らざるを得ない。

負のループである。

 

「私の、ヴィレンドルフ人の目から見て、ポリドロ卿がモテないというのは正直理解しがたく、貴方が語る純粋という言葉の意味もよく判らないのですが。まあ、よしとしましょう」

 

コホン、と咳をつき。

ニーナ嬢は、微笑んだ。

 

「ポリドロ卿、私は貴方を憎んでおりました。ですが、男としての価値を見出してないとまでは言っておりませぬ。私が16歳の時、勝負にて勝利した暁には、その肌身を私に許していただきたいものです」

「12歳のマセガキの言葉としか思えないね」

 

私は軽くあしらう。

私はロリコンではない。

大きいオッパイを信仰しているのだ。

つまり熱愛者なのだ。

私は良き騎士であり、勇敢な戦士であり、そしてオッパイの熱愛者であって、立派な領主騎士なのだ。

是非とも、そこのところを理解してもらいたいものだ。

だが、もしニーナ嬢が、その未成熟なオッパイが成長したのならば。

その時は相手をするのもやぶさかではない。

まあ、わざと勝負に負けてやる様なマネは、騎士として死んでもせんがね。

ファウスト・フォン・ポリドロはポリドロ領の名誉のため、無敗である必要があるのだ。

少なくとも、私の跡継ぎが産まれるまでは。

 

「ニーナ様、屋敷に到着しました」

 

馬車が止まる。

その屋敷は法衣貴族のそれとしては巨大であり、確かに第二王女親衛隊14名を招くスペースもありそうであった。

クラウディア・フォン・レッケンベルが如何に王家から重用され、愛されていたかがうかがい知れる。

正直、大臣が住むような屋敷だろコレ。

さすがに我が領民30名は、王都の宿屋を手配してもらえるようお願いしてあるが。

 

「では、屋敷にお入りください」

 

私は先に馬車から降りたニーナ嬢に従い、マルティナを引き連れて屋敷内に入る事にした。



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第41話 ヴァリエールの憂鬱

正式名称ゲオルク・ヴァリエール・フォン・アンハルト様。

短く言うとヴァリ様は死んでいた。

ここはレッケンベル屋敷、その別邸。

親衛隊全員が入れる豪華な客室のベッドと一体化し、ヴァリ様は二度と立ち上がれなくなったのだ。

 

「死にたい、本気で」

 

ベッドに埋もれながら、ヴァリ様が呟く。

靴ぐらいは脱いだ方が良いと思うのだが。

 

「落ち着いてください、ヴァリ様、もといヴァリエール様」

「ヴァリ様って何?」

 

親衛隊の一人、つまり私は心の中でヴァリエール様の事を親愛の意味をこめ、ヴァリ様と呼んでいたが。

それがつい口に出てしまったようだ。

顔を突っ伏し、ベッドに埋もれたままのヴァリ様の声に応える。

 

「ヴァリエール様、何もそう気落ちせずとも。和平交渉は成功したわけですし」

「そうね。ファウストを犠牲にすることで成功したわね。私何もやってないわよね」

 

第二王女相談役、ファウスト・フォン・ポリドロ卿。

あの方は、そもそもヴァリ様に交渉能力を余り期待していない。

ヴァリ様に出来ることと出来ない事を、完全に見切っておられるのだ。

あの敵国の首脳陣が集まった満座の席で、いくらリーゼンロッテ女王陛下の亡き王配が大事に育てたバラを盗まれたからといったところでだ。

アナスタシア第一王女やアスターテ公爵なら、やりやがったあの馬鹿、と内心思いながらもスルーしたであろう。

ヴァリ様以外にあそこまで演技ではなく、本気で慌てられるものかと。

つまり、ポリドロ卿はヴァリ様を道化にしたわけであるが。

それに対してはあまり腹が立たない。

カタリナ女王の心を溶かし、和平交渉を成立させるためには必要な行為であった。

つまるところ、ポリドロ卿がどこまで予定通りに事を進めたかは尋ねなければ判らないが。

結論として、ポリドロ卿は全てを上手い事運んだ。

全ては成功したのだ。

但し。

 

「もう、後でお母様に怒られるとかどうでもいいわ。ファウストに全てを背負わせてしまった」

 

ポリドロ卿の貞操を犠牲として。

アンハルトではモテない英傑、一部の貴族からは心無い侮蔑すら受けるポリドロ卿とて、何も好き好んで見知らぬ、どうでもいい女に股を開く事を好む性癖は無いだろう。

感情が昂った時こそ雄弁に喋るが、普段は朴訥で真面目一辺倒。

22歳にして未だ純潔であり童貞を守り続けるポリドロ卿だ。

敵国の女王相手とは言え、ただの種馬になるなど嫌で仕方ないだろう。

まあ、カタリナ女王の事を嫌いではなく、同じ境遇による同情位は寄せていると判断するのだが。

その程度は私の、騎士教育もマトモに受けていない第二王女親衛隊たちの知能でも理解できる。

だが、結論を言おう。

ポリドロ卿は自分の身を切り売りして、和平交渉を勝ち取った。

 

「これ、ひょっとしてファウストの評判が落ちるのかしら」

「ポリドロ卿の評判も落ちますが――アンハルト王家の評判も落ちます」

 

ザビーネの横やり。

その顔は少し青白い。

惚れた男が、他所の女に股を開く事になれば顔も青くなるか。

一夫多妻制、一人の男を多数の女で共有することなど珍しくもない話だ。

そこまで顔を青くしなくてもいいと思うが。

純潔が、ポリドロ卿の童貞が欲しいなら先に奪えばよい話であるし。

 

「まず、ポリドロ卿が心無い愚か者に笑われるのは間違いないでしょう。あの男、モテないからとついに敵国の女王に身を売り渡したぞ、と言いだす愚かな者が必ず現れます」

「……そんなバカな奴が居るのを見かけたら、すぐに報告しなさい。その場でブチのめしても王家は許すわ。それが貴女達より爵位が上の相手でもね。歯が折れる程遠慮なく顔を殴りなさい」

「言われるまでもなく」

 

ポリドロ卿は初陣を補佐し、ハンナの死を心から悼んでくれた戦友である。

ザビーネが答えたように、言われるまでもなくブチのめしてやる。

ポリドロ卿への侮蔑は、我らへの侮蔑も同然だ。

ヴィレンドルフ戦役を共にした第一王女親衛隊、そして公爵軍の騎士達もそうするであろう。

そしてアナスタシア第一王女も、アスターテ公爵も、そのブチのめす行為をお認めになる。

おそらくはリーゼンロッテ女王さえも。

 

「続き、よろしいでしょうか」

「いいわ。ファウストが今回の行為で、国のためその身を売ってくれたと思うどころか侮蔑する奴が居るって事は判る。次に、王家の評判が落ちるって?」

 

ヴァリ様は、顔をベッドに突っ伏したまま喋り続ける。

未だ立ち上がる元気が湧いてこないようだ。

目的である和平交渉は成立した。

しかし、ヴァリ様のダメージは大きい。

 

「今度はポリドロ卿を侮蔑などしていない、その救国の英傑としての功績を純粋に認めているマトモな貴族達からの評価です。ポリドロ卿が自ら進んでその身を犠牲にした部分が有るとはいえ、王家は全ての負担をポリドロ卿に押し付けてしまいました」

「そーよねー、私なんにも出来なかったもんね」

 

ヴァリ様への、ザビーネによる追撃。

少しは言葉を選べ、馬鹿。

ヴァリ様の身体がズブズブと、ベッドに沈み込んでいくようにさえ見える。

 

「何故王家は何もしてあげられなかったのか。その貞操を敵国の女王に売り渡させるなど、あってよいものか。アンハルト王家は救国の英傑であるファウスト・フォン・ポリドロ卿にちゃんと報いているといえるのか。超人であると言え、僅か300人の弱小領主騎士に、そこまで契約外の仕事を押し付けて恥を知らないのか。そういう不満が、王家と保護契約を結んでいる領主騎士、そして良識を持った法衣貴族の間に芽生えます。御恩と奉公の仕組みが成り立っておりませぬゆえ」

「――」

 

だから、言葉を選べザビーネ。

ヴァリ様が完全に沈黙したではないか。

ピクリとも動かぬ。

もはや死体にしか見えぬ。

 

「私はどうすればよかったのか?」

 

誰に尋ねるわけでもなく、ヴァリ様が呟いた。

それは誰にも答えられない。

実際、傍にいられなかった我らにはどうしようもなかった。

ヴァリ様の御傍にいたのは親衛隊長であるザビーネのみ。

我々は、王の間の入り口でたむろするのが許されるだけであった。

お前、そこまで気づいていたならなんとかならんかったのか。

そういう視線を、我ら第二王女親衛隊13名はザビーネに集める。

それに気づいたのであろう。

ザビーネは、青白い顔を真っ赤に染め、チンパンジーのように怒鳴った。

 

「じゃあ、お前等ならなんとか出来たって言うのかよ! あの交渉の主役は、カタリナ女王とポリドロ卿、その二人だけだったんだよ。誰にも邪魔できない空間が出来上がってたんだよ!!」

 

そりゃまあ、そうだけどさ。

お前の、ザビーネの緊急時にはよく回る頭と演説力は、こういう時のためにあるんじゃなかったのか。

私は考える。

我々は和平交渉を達成した。

いや、違うのだ。

ファウスト・フォン・ポリドロという英傑が和平交渉を達成したのだ。

後世にはそうとしか残らないであろう。

それはそれでよいのだが。

リーゼンロッテ女王から和平交渉の暁には、我ら第二王女親衛隊全員の一階級昇位が約束されているのだ。

何もしてない私達は、まるで立つ瀬がないぞ。

 

「何とかならんかったのか?」

 

つい、口に出してしまう。

まあザビーネから返ってくる言葉は判っているが。

 

「何とか出来るなら死ぬ気で立ち回ってたわ! 最初から全てのヴィレンドルフはポリドロ卿目当てで、カタリナ女王に至っては、最後にはポリドロ卿以外の全ての人間が銅像かなんかにしか見えてなかったろうさ。私達なんか最初からお呼びじゃないのにどうしろと?」

 

だろうな。

ザビーネは、ポリドロ卿に惚れてるしな。

敵国の女王がポリドロ卿に惚れて子種を要求した時なんぞ、血の気が沸騰したろうなあ。

むしろ、このチンパンジーが騒ぎ立てなかったのを褒めてあげるべきなのだろうか。

まあ、あれだわ。

ポリドロ卿は罪深い。

ふとそんな事を考える。

あそこまで冷血女王の心を見事に溶かし、そして母親への血を吐くような後悔の告白によりカタリナ女王を共感させ、惚れさせたのだ。

あれは罪深い男だ。

アンハルト国民としての感性を持つ、ポリドロ卿の容姿を好ましくないと感じる、この私ですら惚れそうになった。

罪深い男だ、ポリドロ卿は。

あそこまでされて堕ちない女が、この世にいるものだろうか。

だからだ。

 

「ヴァリエール様、私達はこれでも私たちなりに頑張ったほうなんですよ」

 

私はそんな言葉を、ヴァリ様にかける。

むしろ、あそこまでやらかしたポリドロ卿が悪くね。

カタリナ女王を惚れされる必要って何処かにあったの?

そんな自己弁護的解釈に陥りそうになる。

私達は和平交渉に来たのであって、魔性の男ポリドロ卿の口説きのテクニックを見に来たわけではない。

ポリドロ卿も本来の目的、途中で忘れてなかったか。

血を吐くような後悔の告白に至っては、絶対感情的になってて口走ったぞアレ。

絶対に計算でやったことではない。

だからこそ、魔性の男なのだろうが。

 

「これで、これで頑張った方」

 

ヴァリ様が、ムクリ、とベッドから起き上がる。

多少はダメージから回復したのであろうか。

そして私達の方をくるりと向き、問うた。

 

「私はどうすればファウストに報いてあげられるのかしら」

「それを今から考えましょう」

 

前向きにいきましょう、前向きに。

とりあえずは。

 

「まずは、バラの花を盗んだ件を、ポリドロ卿と一緒にリーゼンロッテ女王に謝る事でしょうね」

「それは確実よね。次。ザビーネ、貴方の知能で何か出しなさい」

 

ほら、とヴァリ様が、未だにショックが収まらないのか青白い顔をしているザビーネに顔を向ける。

 

「ご褒美として、親衛隊長ザビーネの身体をベッドで無茶苦茶にしてもいいよと言う」

「それファウストにとって何かメリットあるの? 全部貴方の願望じゃないの?」

 

なんで男が女の身体を貪る事がメリットになるのか。

死ね、ザビーネ。

ポリドロ卿は淫売ではない。

性欲の化物なのでは決してない。

時々感情的になる憤怒の騎士ではあるが、普段は真面目で朴訥で純情な男だ。

 

「ちゃんと答えなさい」

「まず、今回、ポリドロ卿に約束されている和平交渉における高額の報酬金。その増額をすればポリドロ卿は喜ぶ、とは思うのですが」

「思うのですが?」

 

ザビーネは一つ言い辛そうに、呟いた。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ卿は金で貞操を売り払った。そう見る輩が多くなります」

「お金以外の何かの報酬を、王家が与える必要があるってわけね」

「そうしなければ、ポリドロ卿を優遇せねば、拙いですよ」

 

ザビーネは、更にもう一つ、本当に言い辛そうに呟いた。

 

「拙い、とは」

「ポリドロ卿。明確に先ほどのカタリナ女王の問いかけに不満を漏らしておりました。思い出してください」

「あ……」

 

ヴァリ様の顔が青くなる。

確か、『国の英傑に、わきまえた嫁の一人も斡旋できぬ。ましてや英傑を国民や貴族が冷遇? アンハルト王国はどうなっているのか』、そのカタリナ女王の問いにポリドロ卿が返した言葉は。

『私もその辺は不満が無いとまでは言えませぬが……』であった。

明らかに、ポリドロ卿はアンハルト王家に不満を抱いている。

そりゃ、ここまで契約にもない事に、こき使われていればその気持ちもわかるが。

ここで救国の英傑ポリドロ卿に、ヴィレンドルフに寝返りでもされたらアンハルト王家最大の恥である。

歴史書に残るぞ。

 

「ど、どうしよう。私、今からファウストに今回の件について謝るべき?」

「いえ、ポリドロ卿は、別にヴァリエール様については怒ってないと思いますが」

 

そりゃヴァリ様何も悪くないものね。

今回の和平交渉への派遣を決めたのは、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵の二人だし。

ポリドロ卿はヴァリ様を道化にしたし、この後盗んだバラの件についても一緒に謝ってもらうつもりだし。

ヴァリ様の事は別に嫌ってはいないだろう。

だが、何か。

何か金銭以外でポリドロ卿に報いねば、本当に拙い気がするのだが。

 

「ここは、敵の言葉、カタリナ女王の言葉に乗じましょう。ポリドロ卿が何を求めているのかは結論が出ています」

「えーと、わきまえた嫁? そういや私、一度ファウストにどこか貴族との縁組をと頼まれた事あったけどさあ。ミソッカスの私に、ファウストに見合う貴族の嫁なんか用意できるわけないって断っちゃったのよね」

 

大分昔の話だけどさ。

ヴァリ様が回想するように呟き、そして頭を抱える。

 

「今でも、ファウストに見合う貴族の嫁なんか用意できないわよ! 私、多少はミソッカスの評判改善されたけどさあ、初陣からちょっとしか経ってないし、まだ貴族のツテなんかないわよ!!」

「ヴァリエール様」

 

ザビーネが、ヴァリ様の前に立ち、キラリ、と歯を光らせた。

 

「私など、どうでしょうか」

「あ、ファウストに申し訳なくて死にそうになるから却下で」

「何故!」

 

何故、じゃねーよ馬鹿。

ポリドロ卿が欲しがってるのは、今までの功績、そして今回の功績に見合う、外に出しても恥ずかしくない嫁だろう。

お前、どこに出しても恥ずかしい嫁じゃないか。

多分、ポリドロ卿はザビーネなんか求めていない。

ザビーネが散々、私達は両想い、口説くことに成功したとなんかほざいてたけどさ。

救国の英傑ポリドロ卿は、おそらくモテないがあまり、一時ザビーネなんてチンパンジーに傾いてしまっただけ。

まさか本気で惹かれているとは思えない。

ザビーネの恋は、残念ながら片思いで終わるだろう。

 

「いや、本当にどーしよー」

 

ベッドの上から降りぬまま。

いいかげん靴ぐらいは脱いだ方がいいですよ、という声を出しそうになりながら。

その代わりの言葉を言おうとして、止めた。

出そうとした言葉は。

いっそ、王位継承権を放棄して、ヴァリエール様がポリドロ卿に降嫁してはどうでしょう。

良い案かとは思ったのだが。

まさか、救国の英傑相手とは言え、領民300名の弱小領主相手に降嫁はな。

そもそも、ヴァリ様がポリドロ卿の事をどう考えているか判らない。

そう考えて、止めておいた。

ヴァリ様がポリドロ卿を好きなら、親衛隊全員で後押しするのだがなあ。

ヴァリ様が頭を抱えて悩む姿を可愛く思いながら、親衛隊の一人は深く深くため息をついた。



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第42話 遊牧民族国家

レッケンベル邸の庭は広い。

政治・軍事・戦場。

三つの場において抜群の働きを示したレッケンベルには、最上の屋敷が用意されていた。

その庭は、弓の演習場まで設けられており。

的までの間合いは、およそ600m。

 

「的まで、遠いな」

「遊牧民族のコンポジット・ボウ。その射程を上回るためには、この距離が必要なのです」

「フリューゲル。よろしく頼むぞ」

 

私は、レッケンベル邸まで従士長ヘルガが連れてきてくれた愛馬のフリューゲルに跨り。

そしてニーナ嬢から、クラウディア・フォン・レッケンベルが愛用した魔法のロングボウを受け取る。

 

「さて」

「ドローウェイトは果てしなく重いです。母上、クラウディアは、このロングボウへの魔術刻印にドローウェイトの緩和ではなく、威力と飛距離を求めました」

「で、あろうな」

 

私は、肘の位置まで弦を引く。

重くはない。

常人には引けない重さであろうが。

私にとっては重くない。

 

「引けるんですね。さすが我が母上を破った超人」

「引けるな」

 

私は弦を引く。

ヴィレンドルフ戦役を思い出す。

クラウディア殿は、確か胸元までこの弦を引いていた。

私はどこまで引けるものか、確かめてみる。

耳の位置まで。

ここまで引ける。

 

「ポリドロ卿?」

「一度、この耳まで引いてでの、その威力を確かめたい」

 

600mの距離であれば、胸元までで良いのであろう。

だが、この魔法のロングボウのポテンシャルを引き出してみたい。

何故だか、ニーナ嬢は嬉しそうに笑って答えた。

 

「どうぞ」

 

私はフリューゲルに乗ったまま、弓矢を放つ。

その弓矢は標的目掛けて飛翔し、そのまま標的の中央に当たり。

そのまま標的の表に、突き刺さるのではなく貫いた。

これが敵兵相手ならば、重騎兵相手でも鎧に風穴を空けられるであろう。

 

「超人は、皆同じ事ができるものですか?」

 

600m先。

私の視力ならば鮮明に見える標的には、同じく貫いた跡が多数存在していた。

おそらくはクラウディア殿も、同様の事をしていたのであろう。

ニーナ嬢の問いに答える。

 

「練習が必要です」

 

止まった的ではない。

走るフリューゲルに乗馬したまま。

動標的に、同じく馬に乗った遊牧民族に当てるには多少の練習が必要であろう。

そして、その場合は胸元まで引くに留めるのがベストか。

私は、実戦におけるクラウディア殿の行動から学ぶ。

 

「私はカタリナ女王に、引けるものならロングボウをお貸しすると約束しました。16歳になった頃に取りに伺います」

「それまでお借りしよう。メンテナンスについても教えてくれ」

 

御用商人であるイングリットに、また整備を頼む品が増えた。

整備費はかかるが、致し方ない。

来年の軍役は、山賊相手ではない。

おそらく遊牧民族だ。

ヴィレンドルフとの和平交渉が成り立った今、選帝侯たるアンハルト王国にとって周辺国家など物の数ではない。

ただ唯一残った北方の脅威。

アンハルト王国は、ほぼ全力を投じて遊牧民族を捻り潰す。

正直面倒くさいから参加したくないし、第二王女相談役としての特権を使ってだ。

小さな山賊相手で軍役を済ませてもよいのだが。

 

「ま、無理か」

 

あまりにも名が高まり過ぎた。

ファウスト・フォン・ポリドロ卿は何故この戦場におらず、小さな山賊等を追いかけまわしているのか。

そう言われると面倒臭い。

何より、ヴァリエール様は第二王女親衛隊を引き連れて、遊牧民族退治に向かうであろう。

場合によってはアナスタシア第一王女やアスターテ公爵も出向くかもしれない。

出張らざるをえん。

ああ、面倒くさい。

それを考えると、敵の部族長を一撃で仕留める事を可能にするロングボウが手に入ったのは僥倖である。

クラウディア・フォン・レッケンベルが遊牧民族相手に用いた戦術。

部族長を射抜き、次に弓兵を射抜く。

それを参考にさせてもらうぞ。

パルティアンショットなんぞ不可能にしてやる。

しかし、弓矢の数が欲しいな。

弓矢を多数携えた、補充が出来る騎兵が横に欲しい。

それも信頼できる相棒が。

そんな事を考えていると。

 

「もし、我が国にクラウディア・フォン・レッケンベル、或いはファウスト・フォン・ポリドロがいれば」

 

屋敷の方から、語り掛ける様に、それでいて独り言のように呟く。

 

「我が国が滅ぶことは無かったのでしょうか」

 

背の高い、そして黒髪の女が現れた。

それはアンハルト人でも、ヴィレンドルフ人でもない。

明らかに東方人と判る、鼻が低い、だが美しい容貌の持ち主であった。

そのバストは豊満であった。

私と彼女の視線が合う。

彼女はペコリ、と大きく頭を下げた。

その両手には、私と同じくロングボウを携えている。

その刻まれた魔術刻印も、私の持っている物と同様である。

 

「あれは母上の所有していた、スペアです。カタリナ女王が彼女に貸し与える様にと」

「彼女は東方から?」

「はい、遠い遠いシルクロードの先から参られたそうです」

 

えへん、とニーナ嬢が未成熟な胸を張って誇らしげに語る。

曰く、東方の武将、いわゆる我が国における騎士であった。

国が滅んだ故、放浪するようにしてシルクロードを愛馬と共に歩み、このヴィレンドルフに流れ着いた、と、

 

「カタリナ女王への御目通りが叶いまして。今では、レッケンベル家の食客としての立場を頂いております」

「ロングボウの貸与を許されるとは、要するに」

「はい。この弓で、レッケンベル殿の代わりに遊牧民族を仕留めよという事でありましょう」

 

レッケンベル殿の代わり。

それが弓矢の腕においてのみ、と仮定しても相当な実力者であろう。

 

「腕が見たいな」

「雪烏」

「?」

 

私の声に応え、彼女が名を呼ぶ。

一瞬、何事かと思うが。

近くでしゃがんでいた白い馬が立ち上がり、こちらへと駆けてくる。

ああ、馬の名前か。

彼女が白馬に跨り、私と同じくロングボウの弦を引く。

その動きは強烈なドローウェイトを全く感じさせず、軽やかである。

耳元まで弦を引きのばし、矢を放つ。

それは私が放った矢と同じく、標的を貫いた。

 

「御見事」

「これしか取り柄がないものですから」

「失礼。お名前を聞くのが遅れました。ご存知のようですが、私はファウスト・フォン・ポリドロと申します。貴女の名前は?」

 

彼女は少しためらった後。

短く、その名前を呟いた。

 

「ユエ、と申します。こちらでは月という意味の名です」

「失礼ですが、家名は?」

「家名は」

 

彼女は少しだけ悲しそうに。

何かを想い出しているかのように、唇を噛みしめながら答えた。

 

「家名は、国が滅んだ時に捨てました。家を守れなかった故に」

「失礼。先ほども言っておりましたが」

 

ニーナ嬢も、国が滅んだと言っていたな。

何故?

まあ、遠い遠いシルクロードの先の事などよく知らぬが。

 

「ぶしつけな質問をします。国が滅んだとは?」

「遊牧民族に、いえ」

 

ユエ殿が、少し遠い目で答える。

 

「遊牧国家とも言うべきものに滅ぼされました」

「遊牧国家?」

 

まさかな、とは思う。

この世界は、前の世界との類似点がある。

子供が10人生まれたら、その内女は9人で、男は1人しか生まれない。

男女比1:9の頭悪い世界。

私はその世界に転生した。

もし神という者がいるなら、随分と趣味の悪い事をするものだ。

そして魔法もあれば奇跡もある。

伝説にも事欠かない。

だが、この世界には、私が以前存在した前世との類似点が確かに存在するのだ。

私が住んでいるのは、中世ファンタジーじみたヨーロッパに近しい地域で。

神聖グステン帝国という、神聖ローマ帝国の真似事ともいえる物が存在し。

アンハルトとヴィレンドルフは、7人いる選帝侯の内の2人である。

そして。

アンハルトとヴィレンドルフは、北方の遊牧民族の略奪に悩まされている。

大草原が広がる、集約農耕の展開が困難で、牧畜には適するがただそれだけ。

定住には苦しむ乾燥地帯がそこにある。

だから思うのだ。

まさかな、と。

だから、尋ねる。

 

「その遊牧国家とは、騎馬民族国家と解釈しても」

「騎馬民族国家。そういう呼び方もできます。遊牧騎馬民族国家。老いから若きにまで馬を巧みに操る遊牧民族集団。だが、それだけではありません。奴等は機動戦が得意なだけではなく、城塞都市を攻略する術を備えてきた。我々は為す術もなく敗れました」

 

無駄な質問だった。

言い方を変えただけ。

落ち着け、ファウスト・フォン・ポリドロ。

だが、情報は少し得られた。

仮に、この世界にだ。

敵と考えると、想像すらしたくないモンゴル帝国。

その真似事じみた国家が存在してもだ。

西征してくるとは限らぬ。

来ても、何十年後の事。

いや。

そう決めつけるのは、愚かな判断だ。

私では判断できぬ。

情報が欲しいな。

私以上の知恵者に、権力者に上げるための情報が。

リーゼンロッテ女王、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵に上げる情報が。

だが、ここでユエ殿から滅んだ国、その王朝の名を聞いたところで違う名前であろう。

かつて前世で金王朝が屈服し、モンゴル帝国がドイツ・ポーランドを攻めるまで何年かかった?

いや、それを思い出しても今世では役に立たん。

さてはて。

どうしたものか。

ただ、その前に一つ聞きたい。

ニーナ嬢へ尋ねる。

 

「これは、和平交渉成立のお祝い、つまりプレゼントか? カタリナ女王から何か指示があったか?」

「私には答えられませぬ」

 

その返答は、答えたも同然だ。

カタリナ女王からの、遊牧騎馬民族国家が攻めてきたときの共闘提案。

私とユエ殿を、レッケンベル邸にて引き合わせたのはその準備の前段階。

今そこまで脅威が迫ってきているかもしれない。

その情報の融通。

おそらく、私が知らないだけで神聖グステン帝国は、遠い遠いシルクロードの先の情報を手に入れているであろう。

そして選帝侯たるアンハルトにも、ヴィレンドルフにもその情報は伝わっているはずだ。

だが、滅びた王朝から武将が流れてきた事を、アンハルトは知らぬ。

脅威が真剣に伝わっておらぬ。

それを、直言できる私の立場から伝えよという事か。

そこまでは理解できる。

 

「ポリドロ卿。もしアンハルトの対応に不満があれば、いつでもヴィレンドルフにおいでください。貴方となら闘える」

 

ユエ殿の言葉。

アンハルトが対策にモタモタしているなら、見捨てて逃げて来いとも裏では言っている。

そうカタリナ女王は誘っている。

領地を見捨てて逃げられるはずも無いがな。

 

「好意だけ受け取っておきます。騎馬民族国家の話を詳しく」

「いいでしょう」

 

ユエ殿が、突然吹いた風に、黒い長髪をゆるやかになびかせる。

さて、どこまで情報が得られるものか。

そして、その情報が役に立つかも判らん。

だが、全てを伝えねばならぬ。

今頃、アンハルトの権力者トップスリーは何をしていることやら。

思考を飛ばすが、もうすぐ帰還するのだ。

無意味な事は止めておくことにしよう。

そんな事より、もう一人、話をここで聞いておかねばならん人間がいる。

 

「ヴァリエール様は?」

「別邸に案内しましたが、まだ表には出てこられないようで」

「呼んできますので、ヴァリエール様と共に是非話をお聞きしたい」

 

私はニーナ嬢にそう呟く。

 

「あの方、何か役に立つのですか? 交渉では道化と化しておられましたが」

 

ニーナ嬢は、ややヴァリエール様の能力に懐疑的なようだ。

道化は私がやらせたのだ。

すまん、ヴァリエール様。

 

「必要です。少なくとも、一緒にリーゼンロッテ女王に報告してもらわねばなりませぬ。私は領民300名の弱小領主騎士ですよ」

 

私は第二王女相談役として、リーゼンロッテ女王に直言できる立場にあるが。

それはヴァリエール様の傍にいる時のみ。

ヴァリエール様がその場にいなければ、或いはリーゼンロッテ女王自らの許可が無ければ、直言はままならぬ。

 

「アンハルトは面倒くさいですね。だから嫌いです」

「国の成り立ちが違うのですよ」

 

それぞれの国で、良いところもあれば悪いところもある。

私は超人なので、ヴィレンドルフの方が生きやすいがね。

何もかもが思う通りに行く人生というのも、それはそれでつまらん。

私はそんな事を考えながら、ニーナ殿に先導され、別邸へと三人で歩きだす。

さて、ヴァリエール様は今何をなされているか。

そんな事を考えるが。

 

「命令。ザビーネをリンチしなさい」

 

レッケンベル家別邸の庭にて。

ヴァリエール様は、親衛隊全員にザビーネ殿のリンチを命じていた。

 

「何が? 何が悪かったというのです?」

「アンタがファウストと結婚しろなんて訳の分からん事いうからでしょ! しかも貴方を第二夫人にってどういう事よ」

「訳の分からない事ではありません。道理です。これは道理の元に考えた上での判断で」

 

一体何を話していたのか。

とりあえず、ニーナ嬢とユエ殿の目の前では、みっともないので止めようと思うが。

 

「その判断の結果。私はただ敬愛するヴァリエール様とポリドロ卿の三人で、ベッドの上で快楽を愉しみたかっただけなのです」

 

ほっとこう。

何かリンチされても当然の発言をしたらしい。

あの初陣を越えても、ザビーネ殿は未だチンパンジーのままか。

ファウスト・フォン・ポリドロはザビーネの評価を、少し下げたが。

ザビーネはロケットオッパイの持ち主のため、ファウストの評価は未だ甘いままであった。



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第43話 和平交渉成立への反応

アンハルト王城、その王城の一室にある会議室。

その巨大なテーブルの周囲には十数名の法衣貴族。

重要なこの場には選ばれた上級官僚貴族達が座り、リーゼンロッテ女王の眼前にある水晶玉の報告を見守っている。

魔法の水晶玉。

その通信相手はリーゼンロッテ女王の娘、ヴァリエール第二王女ではない。

敵方である、ヴィレンドルフの交渉役である。

 

「それでは、和平交渉は無事成立したと」

「ええ、条件はきっちり守って頂きますが。念を押しておきます。条件はキッチリ守って頂きます。そして、ファウスト・フォン・ポリドロ卿に2年待っても正妻がいない場合、ちゃんとヴィレンドルフから嫁を貰って頂きます。これは『契約』ですよ」

 

ヴィレンドルフにとっての『契約』の二文字。

それは死より重い。

ヴィレンドルフは死んでも『契約』をしたことだけは重んじる。

死を以ってしても、それを違える事は許されないと言う文化が有る。

だから、ヴィレンドルフが『契約』の名を挙げた以上、この和平交渉は必ず守られるであろう。

アンハルト側がその『契約』を遵守する限りは。

ヴィレンドルフの国境線から兵を引いても、もはや何の問題もない。

それはいいのだが。

問題は、契約内容である。

リーゼンロッテ女王は考える。

ファウスト・フォン・ポリドロ。

ファウストは、己の貞操を切り売ることで、ヴィレンドルフからの和平交渉を勝ち得た。

それが何より問題だ。

 

「それでは、通信を終えます。水晶玉に与えられた魔法力も無限ではないものでして」

「ああ、契約はアンハルト王国、リーゼンロッテ女王の名にて遵守する」

 

通信を終える。

ポリドロ卿が身を売る事になってしまった。

アナスタシアやアスターテは激怒するであろう。

正直、私も愉快ではない。

公人としての立場からも、私人としての立場からも。

到底、愉快に聞こえる話ではない。

リーゼンロッテ女王は考える。

どうやってファウストに報いれば良い。

カタリナ女王の心を斬れとは言ったが、まさかそこまで心を掴むとは思っていなかった。

冷血女王カタリナの心の氷を溶かしきり。

可能であれば王配にと望まれるまでに至るとは。

そこまでは予想できなかった。

私の失策だ。

 

「水晶玉をしまえ」

「畏まりました」

 

ポリドロ卿のフリューテッドアーマーの製作にも参加した女宮廷魔法使いが、水晶玉を布で覆う。

そして、両手で大切そうにそれを持ち上げ、姿をドアの向こうに消した。

失策を後悔しても仕方ない。

これはポリドロ卿の責任ではない。

全ては正使であるヴァリエール、そして使者を命じたアナスタシア、ひいては女王である私の責任となる。

ポリドロ卿に、一方的に負担を押し付けてしまった事となる。

その貢献に報いねばならない。

だが。

ファウストの嫁、その嫁を誰にすればいいのだ?

ファウストがアンハルトで嫁を見つけられず、ヴィレンドルフから嫁を貰う事。

それだけは死んでも許されない。

我が国が、救国の英傑であるファウスト・フォン・ポリドロにわきまえた嫁すら用意できず。

ヴィレンドルフから用意された嫁を貰う。

それも、本来ならばヴィレンドルフの王配にふさわしいのだ、という扱いで。

繰り返すが、それだけは死んでも許されないのだ。

アンハルト王国の恥そのものである。

 

「良かったではないですか」

 

横から飛ぶ声。

若い女の声であった。

確か、新顔。

そう、家督相続のため先日謁見し、それを認めた女である。

 

「これで、我が国は何の損失も無く和平交渉を成立させました。いやー、何より」

 

アホか、お前は。

何の損失もなく?

成立しないよりは遥かに良い。

だが、損失は多大だ。

何度も言うが、ファウストに全てを押し付けてしまった。

王家が、その全ての負担を救国の英傑であると同時に、たかだか300名の弱小領主騎士に過ぎぬファウストに押し付けた。

マトモな法衣貴族も、諸侯もそう見る。

その不信をどうやってカバーするのだ。

今後、どうファウストに報いてやるつもりなのか。

全員が注視している。

これぐらいはチンパンジー、もとい第二王女親衛隊でも判る事であろう。

お前は何を言っているのだ。

いや、そもそもコイツ。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロも良くやってくれたものです。まあ、あの醜い姿の男はヴィレンドルフでは人気者です。彼も幸せではないですかな」

 

その場にいる、その新顔を除く上級官僚貴族の全員が眉を顰めた。

真正のアホなのか、コイツは。

親から家督相続の際に、王城に上がる前に何も聞かされていないのか。

いや、聞かされずとも、家督相続者の長女とあれば知っているべき事であろう。

ポリドロ卿は、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵の愛人に内定している事を。

その二人から恋慕を寄せられている事を。

鈍い女でなければ、それぐらいは容易に判る事だ。

少なくとも、この重要な場にいることが許される上級官僚貴族であるならば。

それぐらいは承知していて当然の事。

いや、そもそもだ。

何故、今回の和平交渉にて功を成したポリドロ卿の事をそこまで侮蔑できる。

醜い姿の男だと。

この女、ポリドロ卿を醜い姿の男だと確かに言ったぞ。

いや、確か、お前の親は、お前がここに顔を並べていられる家督相続の理由はそもそも。

全員が呆れかえる中で。

 

「お前の親は、本来ヴィレンドルフの交渉役であったな。そしてお前は、代わりに和平交渉に立ったポリドロ卿の事を醜い姿の男だと呼んだ」

 

リーゼンロッテ女王が、微笑みながらポリドロ卿を醜い姿の男と呼んだ女に声を掛けた。

その場にいる貴族の全員が恐怖した。

壁際に立っていた女王親衛隊は、すでに王命を受けるまでもなく、女の背後に立っている。

いや、王命はすでに為されている。

リーゼンロッテ女王の微笑みという形によって。

 

「はい、それが何か。良かったではないですか、あの醜い姿の男と引き換えに和平交渉が成り立ったならば。あの筋骨隆々の姿、全くもって――」

「それが何か? それが何かと? それも、もう一度」

 

リーゼンロッテ女王の微笑みが、より深みを見せる。

普段、あまり表情を変える事が無いリーゼンロッテ女王。

その表情を崩した事など、最近ではポリドロ卿が頭を地に擦り付けた助命嘆願事件くらい。

その笑みの意味を、この場にいる上級官僚貴族達は理解していた。

リーゼンロッテ女王の笑みとは。

 

「もう一度、醜い姿の男と言ったな」

 

怒りの表現である。

真に激怒した場合のみ、それが表情に顕著に現れる。

上級官僚貴族にとっては、それが何より恐ろしい事態であることを理解していた。

理解していないのは。

 

「な、なにを」

 

女王親衛隊の二人に両手を押さえつけられ、顔面をテーブルに叩きつけられた新顔の女のみ。

今回のために新調したのであろう女の礼服に、鼻血が飛び散った。

 

「これが我が国の現状か。法衣貴族、上級官僚貴族ですら新顔はこの始末。救国の英傑ファウスト・フォン・ポリドロの功績を認めず、その容姿のみで心の底から侮蔑し、その他国への身売りをよかったよかったと手を叩いて笑う始末」

 

リーゼンロッテ女王の微笑みが、どんどん深くなる。

女王親衛隊は、その意味を十二分に理解していた。

16年前の初陣の頃から共にした、間柄である。

親衛隊は、女の顔をテーブルに何度も叩きつけた。

悲鳴が女の口から上がる。

 

「口を閉じさせよ。耳障りだ」

「はっ」

 

親衛隊が、ハンカチを口に押し込む。

そして女の顔を、テーブルに叩きつける作業を再開した。

リーゼンロッテ女王の微笑みが、周囲の上級官僚貴族に向けられる。

その視線は一巡した後、ピタリと一人の貴族の顔で止まる。

どういうことだ?

リーゼンロッテ女王は言葉ではなく、その視線のみで問うた。

貴族は答えた。

心中で、とばっちりだ、という悲鳴を挙げながらも。

 

「その女は新顔ゆえ、アナスタシア第一王女やアスターテ公爵からの好意がポリドロ卿に向いている事を理解しておらず」

「理解していないのも問題だが、それだけではないだろう」

「はっ、私の記憶が確かならばですが。この新顔がこの場にいる理由は、この者の母親がヴィレンドルフとの和平交渉失敗の責を取り、家督相続が行われたゆえに」

 

そうであろう。

この新顔が、この重要な場に席を与えられた理由はただ一つ。

母親が失敗してしまった交渉の、その顛末を見届けたいであろうと言う配慮からであった。

自分の母親が失敗した事に、ポリドロ卿が身売りしてくれて、ああよかった、これで何もかも解決だと?

何ほざいてやがんだコイツは。

まずは手放しでポリドロ卿を褒め称え、それに報いるための報酬を、と私に陳情しても可笑しくないところだ。

それを醜い姿の男呼ばわりだと?

真剣に頭がイカレてやがるのか?

リーゼンロッテ女王の心は、その微笑みの表情とは反対に荒れていた。

 

「尋ねよう。全員に尋ねよう。若い世代のポリドロ卿への侮蔑は、この様に酷いものなのか? それとも、私が配下に期待しすぎなのか? それほどまでに皆、愚か者揃いなのか?」

「いえ、違います。我が家では、ポリドロ卿をヴィレンドルフから国を守った救国の英傑であると、娘たちにも、しかと教えております。もし娘がポリドロ卿を侮辱するようなら、その場で首を刎ねて頂いても女王陛下を御恨みしませぬ」

「では、何故このような状況が起こるのか」

 

これは真剣な話なのだぞ。

嘘誤魔化しは許さぬ。

リーゼンロッテ女王は微笑み、その威圧を続ける。

 

「しかし、しかしながらでありますが。その新顔のように、何故あのような醜い姿の男が英傑などと、侮蔑する声も少なからずあるのも事実」

「それは法衣貴族のみか?」

「で、あろうかと。アンハルトと土地の保護契約を結んでいる地方領主の全員は、ポリドロ卿の扱いに不服を持っているものと……」

 

不服を持たれた方が、この様な愚か者が目の前でうろつくより、まだマシだ。

親衛隊に、視線をくれる。

テーブルに、顔を叩きつける音が止んだ。

 

「コイツの母親は有能であったのか?」

「間違いなく。アナスタシア第一王女からヴィレンドルフ相手の交渉役にも選ばれた、交渉も武芸も出来る見事な女で御座いました。和平交渉失敗の責を取り、家督相続を行った事からも明らかであると」

「では、単純にこの新顔が母の言葉も理解できぬほど愚かなだけか。家ごと潰してやろうとも思ったが。この顔をもはや見たくない。連れ出せ」

 

へし折れた鼻からの血で顔を真っ赤に染め、痛みで気絶した女が親衛隊の二人に担ぎ上げられる。

 

「改めて家督を相続し直すように言っておけ。その愚かな女の顔は二度と見たくないと言葉を添えてな」

「承知しました」

 

親衛隊が、ドアの向こう側に去る中で。

リーゼンロッテ女王はその場の全員に告げる。

その微笑みは未だ消えることが無い。

 

「再度、ポリドロ卿の扱いを救国の英傑であり、今回の和平交渉の立役者であることを周知徹底させよ。次に侮辱した者は、侍童であろうとその場で首を刎ねて良い」

「承知しました」

 

リーゼンロッテ女王の微笑みに、その場にいる貴族全員が震えた。

まさか、自分の身内にあのような愚か者はおるまいが。

念には念を入れて、親族、寄子含め徹底させねばならぬ。

巻き添えで家が潰れるのは御免だ。

 

「しかし、リーゼンロッテ女王」

「何だ」

 

一人の貴族が、リーゼンロッテ女王の微笑みに恐れながらも声をあげる。

年老いた、重鎮の一人であった。

 

「ポリドロ卿への報酬を如何致しましょう。もはや生半可な報酬では、諸侯も、法衣貴族も、マトモな知性を持つ者こそが納得しかねます。木っ端貴族の娘をポリドロ卿の嫁にあてがうのは、もはや許されませぬ。ポリドロ卿自身の感情もあります」

「わかっている」

 

リーゼンロッテ女王から微笑みが消える。

ここからは切り替えていかねばならぬ。

まず、一番最初に思いつくのが。

 

「ヴァリエール」

 

その名をポツリ、口に出す。

誰でもまず考え付く事だ。

ヴァリエールに王位継承権を放棄させることは元々からの既定路線。

僧院に入れたがっている第一王女派もいるようだが、それは私もアナスタシアも、もはやしたくない。

ヴァリエールは可愛い娘で、アナスタシアも妹であることを自覚したようだ。

王領から小さな領地を切り取り与え、そこで静かに余生を送ってもらうつもりであった。

たまに子供の顔でも見せに来てくれれば良い。

それでいいはずだった。

 

「よいお考えです」

 

年老いた貴族が、私のポツリと呟いた一言に反応し、全てを理解する。

ヴァリエールをポリドロ卿に降嫁させる。

ヴァリエール・フォン・ポリドロ卿としての新たな人生を送ってもらう。

しかしだ。

アナスタシアとアスターテがそれで納得するかどうかは疑問だし。

それにだ。

低身分の貴族が王家に取り入った。

その見方が強まる。

アナスタシアとアスターテの愛人としてでも、大分無理があるのだ。

ファウスト・フォン・ポリドロとはヴィレンドルフ戦役における救国の英傑である。

だからこそゴリ押しで、アナスタシアが女王を継いだ後でも、愛人ならばギリギリいけると考えた。

今回、更にヴィレンドルフの和平交渉で国家への功績を挙げたとはいえ、王家からの降嫁は無理がありすぎないだろうか。

正直、悩む。

それより何より。

 

「ヴァリエールだけにはやりたくないな」

「は?」

「何でもない」

 

ヴァリエールは可愛い娘だ。

可愛い娘であるが、私と亡き夫、ロベルトがベッドにて仲良く寝ようとする中で。

幼い頃はベッドに忍び込んできて、ロベルトにしがみ付いて寝ていた子だ。

私は嫉妬した。

可愛い娘であろうとも、私ではなく何でお前がしがみついて寝ているのかと。

そして、ポリドロ卿はロベルトに似ている。

二度も奪われるのか。

 

「発言を訂正する。少し、考えさせてくれ」

 

まあいい、今決める必要はない。

何より、ヴァリエールの意思も考えねばならん。

それにファウストの意思も確かめねば。

先祖代々続いた血統に王家の血を入れ、ファウストの亡き母マリアンヌ時代に断たれてしまった貴族世界との縁を取り戻す。

それを考慮すれば、断るとは思えんのだが。

一応な、一応。

そう自分に言い訳をしながら、リーゼンロッテ女王は結論を先延ばしにした。



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第44話 仮想モンゴル

レッケンベル邸。

血痕が地面に僅かに残された、その別邸の庭にて。

ガーデンテーブルが用意され、着席するのは4名。

私ことファウスト、ヴァリエール様、ユエ殿、そしてニーナ嬢。

ハンカチで血は拭いたものの、顔が打撲傷で膨らんだままのザビーネを背後に立たせながら。

ヴァリエール様は呟いた。

 

「再度確認するけど、その遊牧騎馬民族国家とやらは本当に西征してくるの?」

「あの、未だ名も決まっておらぬ国家の欲望は果てしなく、我が王朝を亡ぼしただけでは満足に足りないでしょう」

「貴女の仕えた王朝を滅ぼし、それを征服することで欲が満たされるという事は?」

 

ヴァリエール様が、冷静に答える。

私、ファウストは母マリアンヌからの騎士教育は受けたが、得られたのは超人騎士としての力と、300名足らずの地方領主としての軍術と統治のそれ。

王族としての高等教育を受けた、ヴァリエール様の知識にはこの世界で届かぬ。

ヴァリエール様が、呟きを繋げる。

 

「かつて、複合弓と優れた馬術による伝統的な騎乗弓射戦術を用いて覇権を築いた民族は過去にもいた」

 

前世で言う、フン族がこの世界にも存在したのであろうか。

 

「確かに人間の形をしてはいるが、野獣の獰猛さをもって生きている者たち。その再臨だとでも?」

 

ヴァリエール様は、思考を続けながら茶のお代わりをザビーネに要求する。

その態度は威風堂々としている。

この王族としての高等教育の点ばかりは、私を上回る。

その知識に、自信をもって臨んでいるのだ。

いつもこうだと、第二王女相談役として有難いのだが。

凡人姫と呼ばれど、決して無能ではないのだ、無能では。

まあ、カタリナ女王の前で道化にした私の言ってよい台詞ではないかもしれぬが。

 

「私はこの西洋の事を良く知りませぬ。しかし、少なくとも、それよりも最悪と言えましょう」

 

ユエ殿が答える。

その顔は苦渋に満ちていた。

 

「知性は持つのです。そうでなければ、高原を統一できたりなどしませぬ」

「高原を統一? まだ、アンハルトとヴィレンドルフの北方で略奪を繰り広げている遊牧民族は統一されていないわ」

「ヴィレンドルフでは我が母が族滅させましたよ。またどこからともなく生えるでしょうが。脆弱なアンハルトと一緒にしないでいただきたい」

 

ニーナ嬢の苦言。

彼女にとって、母親クラウディア・フォン・レッケンベルが略奪に勤しむ北方の遊牧民族を族滅させたのは誇りの一つなのであろう。

 

「悪かったわ」

 

だから、ヴァリエール様も反論はしない。

事実、その通りであるし。

 

「続き、よろしいでしょうか?」

 

ユエ殿が、場の空気を切り裂くようにして発言する。

 

「よろしく頼むわ。高原を統一したと発言されましたけど、アンハルトの北方の遊牧民族とはまた違うの?」

「違います。シルクロードの東の東、滅びた我が王朝の北にある大草原。その高原を統一したのです。彼女は」

 

ユエ殿が、顔を両手で抑える。

私もそれを聞いてモンゴルを想起させ、頭を抑えたくなるが辛うじてそれを堪える。

 

「我が国の歴史も、思い起こせば北方の遊牧民族の略奪に苦しんだ歴史でした。だが、それが纏まるとは思っていなかった。水場の争いで永遠に殺し合い、豪雪、低温、強風、飼料枯渇、ありとあらゆる艱難辛苦に遭い、この世でもあの世でも地獄に落ちている遊牧民族。そのように侮蔑していたのです」

 

文化とはなんぞや?

突然であるが、脳裏にその言葉が思い浮かぶ。

前世のドイツ語では「耕す」という意味も持つこの言葉。

突き詰めれば、皆の腹を満たす食料をどうやって得るか、に繋がると私は考える。

領民300名足らずの領地の支配者であり、その腹をどうやって満たすか常に考えている私なりの考え。

ようするに、弱小領主の暴論そのものではあると理解しているが。

言語、宗教、音楽、料理、絵画、哲学、文学、ファッション、法律。

その全ては規律を保ち、秩序を守り、各々の責任を果たす。

肉体的に、精神的に飢えを満たすためのもの。

そうではないのかと考える。

では、食料に飢え、水にまで飢え、家畜の乳で喉を潤す遊牧民族の文化とは何ぞや。

農耕民族以上の強さ、それだけである。

全てはそこに帰結する。

純粋なまでにそれを追い求める。

農耕民族から略奪し、それで腹を満たす。

少なくとも、この世界の遊牧民族の略奪とは、生存競争のそれそのものである。

失敗は冬での飢え死に、凍死、部族同士の共食いを意味する。

だから、ファウスト・フォン・ポリドロという農耕民族である一人の弱小領主には、遊牧民族が恐ろしかった。

前世では到底理解できなかった恐怖である。

 

「しかし、彼女達はまとまった。一人の超人の出現によって」

 

ユエ殿は、目を閉じて答える。

名もなき遊牧騎馬民族国家。

遊牧民族の王、彼女の中ではその国の名は既に出来上がっているのだろう。

だが、我らはその名を東洋の王朝が滅んだ状況になっても未だ知らぬ。

ごり。

自分の手がガーデンテーブルをこすり、武骨な音を立てる。

前世でのモンゴル帝国は、略奪王チンギス・カン。

一人の英傑ユニットの出現によってもたらされた。

この世界も同様であろう。

超人と魔法と奇跡。

前世とこの世界との相違点。

それが何をもたらす?

仮に、略奪王チンギス・カンが超人だとして。

いや、アイツ前世でも超人だった気がする。

人類史上最高の種馬説があった気が。

いや、それは副産物であって、主要な議題ではない。

考え直せファウスト・フォン・ポリドロ。

何か前世から有益な知識は無い物か。

 

「名をトクトア。称号と合わせてトクトア・カン」

 

やっぱりモンゴルかよ。

カンの名を聞いた瞬間に、私の背筋に冷たいものが走った。

勘弁してくれ。

頭を抱えてそう呻きたくなるが、それは出来ない。

アンハルトの英傑として、ポリドロ領の面子を守る領主騎士としてそれは許されぬ。

辛うじて堪える。

私がアナスタシア第一王女から頂いたフリューテッドアーマー、最後の騎士鎧とも呼ばれる『それ』が完成したのは、前世では16世紀初頭。

もうモンゴル帝国は内部分裂で解体に向かっている時期だろうに。

何故今頃になって現れる?

遊牧民族の族滅を果たしたクラウディア・フォン・レッケンベルといい、私といい。

今世紀は超人の当たり年か?

これは不遜な考えではないと思う。

なれば、私のする事は何か。

何が出来るか、それを必死になって考える。

その思考を無視する様に、ユエ殿はヴァリエール様に語り掛ける。

 

「彼女は略奪者でありましたが、今までのように単純な略奪を行うに留まる事はありませんでした。情報戦を仕掛けてきたのです。事前に都市に超人、それがいるかの把握。敵情視察、調略。私の元にも、トクトア・カンの使者が尋ね、私を勧誘することがありました。私はその使者の勧誘を断わり、丁重に返しましたが。今思えば、その場で首を刎ねればよかった」

 

だから、お願いだからユエ殿。

私のモンゴル帝国知識と、この今世での現実を一致させようとするのは止めてくれ。

ニーナ嬢の、横やりが入る。

 

「ユエ殿、貴女が指揮する軍隊ですらも負けたのですか? 私にはそれがとても信じられません」

「私は負けておりませぬ。私が住んでいた都市での局地戦では勝ちました。我が弓矢で、一昼夜に及び何百という相手を射抜き殺しました。奴らは素直に撤退しました」

 

さすがに超人だね。

で、それで何で負けたの?

理由は想像つくけど。

 

「ですが、敵対されなければ、どうしようもありませんでした。トクトア・カン率いる遊牧民族は、私のような超人が位置する都市を無視し、麻の如く土地を割いて侵略してきました」

 

局地戦で勝てないなら、他に行く。

全体で勝てばよい。

なるほど、理屈だ。

 

「城塞都市、それは機動性が武器の遊牧民族に絶対の楯となり立ち塞がってきました。我ら農耕の民を守ってきました。だが、トクトア・カンには通じませんでした。城塞都市を攻略する術を備えてきた」

「それは? 遊牧民族が城塞都市を攻略する術など持つわけないでしょう?」

 

ヴァリエール様が当たり前の疑問を呈する。

当然そう思うだろう。

私も、前世の知識が無ければそう思うよ。

 

「裏切り者が居たのです」

 

ユエ殿が、ガーデンテーブルを力強く叩いた。

居るんだろうなあ、どの世界にも。

 

「私の属していた国の名前、フェイロンと言いますが。ああ、この国でも伝説にある飛龍、天空を雄飛する龍という意味です」

 

飛龍、この世界だと一匹ぐらいホントにいたんだろうなあ。

中世ファンタジーだし。

私は飛龍の伝説を信じている。

まあ、生涯にこの眼で目撃する機会はないであろうが。

 

「フェイロンの技師が、トクトア・カンの勧誘に応じ、引き抜かれました。投石機技師の中にはフェイロンだけではなく、更にパールサと呼ばれる他国の技師もいたようです」

 

まんまペルシアじゃねえかボケ。

トレビュシェットが使われているのだろうか。

想像は悪夢に達している。

神聖グステン王国に、何かこれに対抗する、私などのように武力に偏った超人ではなく、知力に偏った超人は産まれていないだろうか。

助けてアルキメデス。

私は前世での古代超人数学者に、頭の中で助けを求めた。

神は答えを何も返してくれなかった。

もし、私をこの狂った世界に転生させた神がいるものならば。

少しぐらいサービスしてくれてもいいんじゃないのか。

お前、神なんだから罰が当たるもんじゃないだろう。

そう思う。

 

「一か月の攻防が行われましたが。城塞は砕かれ、逃げ惑う市民は捕縛され、男は縛られた妻の目の前で犯され、男も女も殺されました。市民は一方的に虐殺されました。王家は屈服したものの、王族に連なる全てが殺されました。そうして、王朝が滅びました」

 

まあ殺すわな。

後々面倒になる王族だけでなく、特に意味もなく、戦に関係ない市民も一人残らず皆殺し。

虐殺は遊牧騎馬民族の常套手段である。

奴等は皆、血に飢えているのだ。

 

「私が居住していた都市も、王家の屈服と共に降伏しました。私はその屈服と同時に、都市から逃れました。何百もの敵を殺した私を生かすとは、とても思えなかったので。特に目立った装飾をしていた敵方の将軍は狙って殺しましたし」

 

ユエ殿、やっぱり弓の腕は尋常じゃないのな。

ピンポイントで、敵方の将軍を狙って殺せるのか。

 

「最初は我が家の親族全員を逃そうとしました。ですが、もはや都市が敵軍に覆われ、全員が逃れられる状況ではありませんでした。親族一同が告げました。我々は最後まで闘う、死ぬまで抵抗する。だが、お前は我が一族の英傑だ。お前だけなら逃げ出せる。我ら一族の血を絶やさぬために生きてくれと、そう皆が」

 

ユエ殿がガーテンテーブルに置いた手。

その手が、もはや堪え切れなくなったかのように、力強く握りしめられ。

ガーデンテーブルに叩きつけられる。

超人の力で、音を立てて軋むガーデンテーブル。

 

「私は親族一同を見捨てて。トクトア・カンが包み囲んだ都市から、命からがら逃げ出しました。愛馬の雪烏がいなければ、それすらできなかったでしょうが」

 

よく逃げ出せたものだ。

いや、この超人に国から与えられた愛馬の脚力には、騎馬民族といえども追いつけなかったのか。

 

「シルクロード、その道は未だに少数の商人が行き来していました。そして、旅すがら商人から聞きました。西洋には、たとえ東方人でも力量さえ示せるならば軍事階級に昇り詰められる国があるぞと」

 

それがヴィレンドルフか。

 

「長い長い旅路でした。そして辿り着き、この弓の腕を国の衛兵に見せ、やがて審査を経てカタリナ女王への御目通りが叶いました。そして、遊牧騎馬民族国家の脅威を訴えました」

 

良くやってくれたもんだと思う。

そうでなければ、少なくとも領民300名足らずの弱小領主騎士。

このファウスト・フォン・ポリドロの耳には情報が入らなかった。

リーゼンロッテ女王は、脅威を各地方領主に伝えるのではなく、伝えずに民心を安定させることを優先したであろうしな。

まあ、賢い御方だ。

何の手も打たない、という事はなかったと思うが。

 

「アンハルト王国ヴァリエール第二王女殿下。どうか、貴女からも、アンハルト王国にその脅威をお伝えください。やがて奴等はやって来ます。国の財産、市民の命、その略奪のために」

「話は分かったわ」

 

ヴァリエール様が頷く。

そして、私の方を見た。

 

「ユエ殿の話、それをそのまま率直にお母様に伝えるつもりだけど、ファウストはどう思う?」

「それが正解です。私も口添えします」

「ファウストが? 貴方、国の政治には口を挟みたがらないじゃない」

 

状況が許さねえんだよなあ。

本当に判らん。

悩み悩んだが、遊牧騎馬民族国家が西征してくるのか?

してこないのか?

それすら判断が及ばぬ。

前世と今世は類似点がある、だが全く同じではない。

不用意な発言をするわけにはいかん。

だが、備えは絶対に必要なのだ。

 

「必要とあらば、この命を投げ出し、遊牧騎馬民族国家に立ち向かう所存」

「そこまで?」

 

そこまでなんだよ。

この世界、ヨーロッパという概念すらまだない西洋国家群。

封建制度が未だまかり通る、中央集権化も未成熟の国家。

それを固めねば、遊牧騎馬民族国家には絶対勝てない。

最低でも、アンハルトとヴィレンドルフ。

その連帯だけは強固にしておかなければ。

いや、それだけでも全然足りねえんだけどさあ。

我が領地が、ポリドロ領の領民が、遊牧騎馬民族国家に踏み散らされ、歴史の露と果てるのだけは避けたい。

我が母の墓地が騎馬に踏み荒らされ、歴史の波に流されて判らなくなってしまう事。

それだけは許されないのだ。

ファウスト・フォン・ポリドロは、ただただ弱小領主としての立場から、そして転生者としての立場から。

仮想モンゴルが、西征してくることを恐れていた。



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第45話 ファーストキス

ヴィレンドルフ王城、王の間にて。

私は膝を折り、カタリナ女王に礼を行う。

 

「もう帰ってしまうのか? まだよいではないか。和平交渉の内容は魔法の水晶玉を連携させ、すでにアンハルト王国に届けてあるのだぞ?」

 

カタリナ女王の言葉。

正直、ゆっくりしたい気もしているのだが。

 

「領民を早く領地に帰してあげたいですし。それに、例の件が」

 

アンタがプレゼントとして寄越した爆弾を、一刻も早くリーゼンロッテ女王にぶん投げたいんだよ。

どうせユエ殿の件については話してないだろ。

神聖グステン帝国からシルクロードの先の先、その王朝が滅びたぐらいの情報はアンハルト王国にも伝わっていても、その脅威まで伝わっているとはどうしても思えん。

領民300名の弱小領主騎士には手には余る情報だ。

 

「したい話は山ほどある。お前がどのように育ったか、どのように生きて来たのか。それを知りたい。同時に私の事も知ってもらいたい。私がどのように育ったか、どのように生きて来たのか。それは罪か?」

 

カタリナ女王が、何かを強請る猫のように、首を横にコトンと揺らす。

王の間には強いダマスク香が漂っている。

大量のバラの花が王の間に飾られているからだ。

帰ると昨日告げたばかりなのに、これだけのバラを集められるとは。

さすが選帝侯、財力が違う。

というか、アンハルト王国より中央集権的なんだよなあ、ヴィレンドルフ。

その分、王家に諸侯たちが求める力の要求も強いが。

そんな、どうでもいい事を考える。

それよりも、カタリナ女王の言葉に回答せねばなるまい。

 

「私も是非、カタリナ女王陛下の人生と、私の人生を共有したいところです。しかし、我が国にとって危急の事態なれば。直接、リーゼンロッテ女王と話をしなければなりませぬ。貴女も悪いのですよ、カタリナ女王」

「ユエの話か。正直に言ってしまおう、ファウスト・フォン・ポリドロ。私はお前を粗雑に扱う愚かなるアンハルトが、状況を知ったところで対応を練るとは思っておらぬ。ヴィレンドルフでは、私達なりの考えをすでに神聖グステン帝国に伝え、もしもの際の救援要請もしてあるがね」

「……カタリナ女王陛下、それでも」

 

それでも足りぬのだ、カタリナ女王。

貴女が有能で、すでにやるべきことをやっているのも理解できる。

だが、甘い。

 

「それでも足りぬ、と申し上げます。ヴィレンドルフとアンハルトが連帯して立ち向かい、神聖グステン帝国の救援があってもまだ足りませぬ」

「国家存亡の危急の事態となれば、ヴィレンドルフは1万の軍を編成できる。アンハルトも同様であろう。その2万に神聖グステン帝国の救援を加える。それでも?」

「足りませぬ。非才なる私の予想では、になりますが」

 

情報が足りぬ。

何故、神は武力だけではなく知恵の果実を、私に与えてはくれなかった。

ヴィレンドルフもアンハルトも、そりゃやろうと思えば合わせて2万の兵を動員できるであろう。

農兵を無理やり動員すれば、それ以上の数だって可能だ。

だが、その兵は優れた兵と劣った兵が混在した物となる。

いくら将が有能でも、兵の劣質は連携を乱す。

対して、仮想モンゴルの兵は戦闘経験の豊かな騎馬民族の兵だ。

何より、機動力が違い過ぎる。

平地では勝負にならぬ。

機動力を発揮できぬ、森や沼地に誘い込まなければ。

だが、大軍にての会戦により勝負を決し、それも市民に被害を出さずとなれば、どうしても平野での勝負になる。

思い出せ。

前世の知識を絞り出すように、頭を押さえる。

前世でのヨーロッパの敗北、ワールシュタットの顛末だけはよく覚えている。

当時、ヨーロッパにおける騎士の戦術は敵の中心への猛攻撃だった。

「斬首戦術」と呼べば聞こえはいいし、騎馬による突撃は強力な手段であるから、それは否定しないが。

モンゴルはその突撃に対し、偽装撤退させた両翼の軽装騎兵による騎射、要するに殺し間、疑似十字砲火と呼ぶべき陣形を平地にて成立させ、ドイツ・ポーランド連合軍を混乱に陥れた。

後は騎士団の背後に煙幕を焚いて、後方の歩兵と分断させる。

そしてモンゴルの重装騎兵が混乱した兵を撃ち破り、ハイ、おしまい。

要約すれば、実に簡単な内容だからな。

よく覚えている。

そんなモンゴル最強のパターンが完全に入った展開で死ぬのは御免だ。

この世界には魔法・奇跡・伝説の類はあれど、仮想モンゴル戦を覆す何かのキーが今現在そこには見えない。

なれば。

 

「何もかもが足りませぬ。遊牧騎馬民族のパルティアンショット、少数なれば対応できましょう。クラウディア・フォン・レッケンベル殿が北方の遊牧民族を族滅に追いやったように。ですが」

「敵も同数となれば、超人数人が戦場を左右するには至らぬ、か」

「はい。無論、超人は必要でありますが」

 

超人数人が戦況を覆せるレベルの戦ではないのだ。

数万単位が激突する大戦となる。

今、何が足らぬ?

急作りの数万の軍勢をまとめ上げるだけの、強烈なカリスマ持ちの指導者か?

今までの戦争の概念を覆すだけの、相手にこの戦法を取るなど予測もさせないような戦術を繰り出す戦術家か?

指揮官の数人が戦場で倒れても、その代理がすぐに成り代わり戦場で混乱しない連携システム?

或いは決して途切れることの無い兵站?

それとも多彩な戦術を可能にする兵科の種類? 

トクトア・カンは全てを持っている。

仮想モンゴルであれば全てを備えている。

今の、このファウスト・フォン・ポリドロの身には何一つ持っていないものだ。

私には、先祖代々のグレートソードと、レッケンベル家から借り受けたロングボウ。

そして母から産み落とされ育てられた、この超人の身体と。

守るべき領民300名と、その弱い立場。

ただそれだけだ。

それだけで、モンゴルに立ち向かう事を考えなければならない。

もちろん無謀だ。

だから、とりあえず上に脅威を伝える。

それが今、最優先にすべきことだ。

 

「帰ります。帰ってこの脅威を伝えます」

「そうか。私もお前の言葉はよく受け止める。考えることにしよう。お前の御用商人、名は何と言ったか」

「イングリットです。イングリット商会」

 

イングリット商会。

今回、ファウスト・フォン・ポリドロの御用商人として、金看板を得たとはしゃいでいた。

冷血女王カタリナの、その「心を溶かすバラ」の運搬を立派に務めたのだ。

アンハルト王宮からの盗品ではあるが。

和平の約定が続く限りは、大手を振ってヴィレンドルフで商売できるであろう。

まあ、その程度の恩恵はあってしかるべきだろうな。

 

「今後の連絡はイングリット商会に頼むことにしよう。アイツは信用できるのであろうな」

「先代以前の頃からの付き合い故、間違いなく」

「お前もユエから聞いたであろうが、トクトア・カンは情報調略が上手い」

 

カタリナ女王は手で自らの顎を撫ぜながら、呟く。

 

「まず間違いなく、シルクロードの商人からこちらの情報を得ているであろう。パールサの商人は特に怪しい」

「でしょうな」

 

ペルシア人やアラブ人などのイスラム教徒。

そのイスラム商人が、モンゴル帝国の隆盛には関わっている。

死んでしまえ金の亡者共が。

 

「かといって、流通を止める事も出来ぬ。ならば、私も情報を盗む」

「カタリナ女王が?」

 

私は訝し気な顔をする。

そうしてくれればありがたいが。

 

「シルクロードとの商人の流通は無いがな。人は流れてくる。ユエのような人間が何人も流れてくる。トクトア・カンへの復讐、それだけを誓った連中がな」

「それが内通者という可能性もあります。人選にはお気を付けを」

 

それぐらい、カタリナ女王なら見抜けそうだがな。

後、今も横にいる軍務大臣を務める老婆にも。

 

「私がそれを見抜けぬと思うか? どちらかと言えば、アンハルト王国を疑え」

「我が国のリーゼンロッテ女王も、アナスタシア第一王女も英明な君主であります」

「それは疑っておらぬ。私は、お前を、英傑を軽んじるその配下どもが内通者にならぬか疑っておる。馬鹿はどこまでも馬鹿だから馬鹿なのだ」

 

至極名言である。

何の技術も持たぬ内通者をトクトア・カンが戦後、優遇するとはとても思えぬが。

馬鹿はどこまでも馬鹿だから馬鹿なのだ。

 

「気を付けろ、ファウスト・フォン・ポリドロ」

「承知しました」

 

馬鹿は斬ろう。

忠告するどころか、逆に忠告されてしまったな。

アンハルト王国に内通者がいる心配を、今からしなければならない。

 

「それでは、最後の儀式としようか?」

「儀式?」

「何、和平交渉の契約。2年後に支払われるそれの前払いだ」

 

カタリナ女王は僅かに顔を染め、手をちょいちょい、と猫のようにこちらに手招きした。

 

「?」

 

私は懐疑の面持ちで、失礼、と一声上げて立ち上がる。

前払いとは何ぞや。

 

「私に口づけせよ、ファウスト・フォン・ポリドロ」

「何故?」

「私がやってみたいからだ」

 

カタリナ女王は正直であった。

ストレート剛速球、猫まっしぐらであった。

どうも、この人の行動はちょくちょく猫らしさを感じさせる。

姿形はムチムチボインの美女なのだが。

 

「私はファーストキスがまだなのですが」

「私もだ。お互い初めてで丁度良いではないか」

 

はて、困った。

前世でもキスの記憶が無い。

私は恋愛糞雑魚ナメクジであった。

 

「キスのやり方が判りませぬ。歯が当たるかもしれませぬが」

「歯ぐらいひっこめろ馬鹿。家族とキス位しなかったのか。私は子供の頃、レッケンベルに頬に毎日されてたが」

「母親から、頬に数度。それだけは覚えております」

 

歩み寄る。

誰も止めぬ。

私は前に居たヴァリエール様と、その横で何か物凄く渋い顔をしているザビーネ殿を通り過ぎ。

ぴたり、と玉座の前、カタリナ女王の前で立ち止まった。

それを見て、カタリナ女王が立ち上がり、こちらに歩み寄る。

 

「これは契約だ。ファウスト・フォン・ポリドロ。2年後は私の腹に、必ずやお前の子を為せ」

「努力します」

 

それは嫌じゃないんだよな。

嫌じゃないんだよ。

私はオッパイ星人である。

オッパイの熱狂者である。

カタリナ女王はオッパイが大きい、つまり正義である。

ゆえに、嫌では決してないのだ。

問題はだ。

恋愛糞雑魚ナメクジの私が、キス一発でカタリナ女王にノックアウトされないかだ。

惚れてしまうかもしれない。

カタリナ女王との、これは恋愛ではなく。

同じ傷を持ち合う者同士の、傷の舐め合いのようなもので。

決して愛情では。

 

「一分待ったぞ」

「まだ、心の準備が」

「もう待てぬ。しゃがめ。お前の背は高い」

 

私は身長2m以上のその巨躯を、地面に近づけるべくしゃがみこむ。

そして、カタリナ女王から口に接吻を受けた。

ファーストキスである。

お互い、やり方など判らぬ。

舌が、絡み合う。

触手のように、ああ、これがキスという物なのかと。

初めて理解したように、口内で舌を絡み合わせる。

生暖かい鼻息が顔に触れ、カタリナ女王の瞳と目が合う。

瞳が美しい。

そう心から思った。

お互い、言葉は無い。

数分、経ったろうか。

やがて、カタリナ女王の方から顔を離した。

 

「頭がくらくらする」

 

こっちもだ。

カタリナ女王の顔は真っ赤に染まっているが、こちらも同様であろう。

良く考えれば、ここは上級官僚貴族や諸侯が集まる満座の席の、王の間であった。

勢いでやってしまったが、これで良かったのであろうか。

いや、それより何よりも。

私はやはり恋愛糞雑魚ナメクジである。

カタリナ女王に情を感じてしまった。

キスひとつで、愛を感じてしまった。

元より契約を裏切るつもりは無いが、これで何が有っても彼女を、カタリナを裏切れない。

 

「契約の前払いは果たされた! これにて真なるアンハルト・ヴィレンドルフの和平交渉成立とする!」

 

ヴィレンドルフの老婆、軍務大臣が声を張り上げる。

老婆らしくない、大声で歓喜にはしゃいだ声であった。

雰囲気と余韻が台無しだ。

私は口の表面を拭う。

口の中に、カタリナ女王の唾液が残る。

だが、不快ではない。

キスとは、本当に奇妙なものだ。

どしゃり。

突然の音に振り向くと、何故かザビーネ殿が泣きながら地面に崩れ落ちていた。

ここはヴィレンドルフの王の間だぞ。

カタリナ女王に失礼ではないか。

まあ、誰も気にしていないようだが。

 

「ファウスト、来年だぞ。来年。必ず顔を出しに来い。手紙も毎月出すように。私も出すからな」

 

玉座に座り直し、カタリナ女王が顔を赤く染めたまま告げる。

 

「承知」

 

私はそれに短く答えた。

カタリナ女王に背を向け、王の間の赤い絨毯を踏みしめ、ザビーネ殿が死んだように倒れオロオロとしているヴァリエール様を残念に思いながら。

ザビーネ殿を担ぎ上げ、王の間からの退室を試みる。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ」

 

背後から、声が掛かった。

カタリナ女王の声だ。

 

「嫉妬深い、哀れな女と思われるのは嫌だ。だから、そのまま振り向かず行ってくれ。これが本当に最後の言葉だ。また会おう、ファウスト」

「ええ、カタリナ様。またお会いしましょう」

 

私は振り向かない。

カタリナ女王の言葉があったからではない。

振り向いたら、もう一度キスしたくなってしまうような気がしたからだ。

一歩一歩、赤い絨毯を踏みしめながら、隣に歩くヴァリエール様と一緒に。

そのまま、ヴィレンドルフの王の間を後にした。

 

 

 

第二章 完



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ファウスト・フォン・ポリドロ暴走編
第46話 アンハルトの英傑


アンハルト国民の目にとって、ファウスト・フォン・ポリドロの姿は異形に映った。

背の高い男はいる。

基本、男は家事と育児を行うものとする見方が強いが、あえて信念をもって選んだ鍛冶師等の職業柄、筋骨隆々の男もいる。

それぞれ、それを好みとする女がアンハルト国内にいないわけでもない。

それらは、別に特異な好みと呼ぶほどではなかった。

現に、アンハルト王国リーゼンロッテ女王陛下は、背の高い筋骨隆々の男であるロベルトを王配として選んだ。

当時、貴族にも国民にも、何故あのような美しいとは言えない男を?

そういった疑念は持たれたが。

ともかく、それ自体は個性として認められ、異常性癖と言われるほどではなかったのだ。

背の高さも、筋骨隆々の姿も。

ただ、両方を持ち合わせ、その通常の基準をあっさり超越する姿の男をその目にするのは、誰もが初めてであった。

身長2mオーバー、体重は130kgを超え、そのチェインメイル越しでもよくわかる隆々とした筋骨、それも特別性の鋼のような肉体を持った男の姿。

その男、領主騎士たる彼が乗る馬も巨躯であった。

いくら軍馬、グレートホースと言えども、その馬の平均的な体高はせいぜい1m50cmにも満たないのが殆どである。

だがポリドロ卿の愛馬、フリューゲルの体高は2mをゆうに超えていた。

その愛馬に、身長2m超えのポリドロ卿が乗馬しているのである。

そして顔だけは拙くない、気高いとすらいっても過言ではないその顔で、その眼光は軍事階級にして領主騎士としての鋭さを帯びていた。

話を最初に戻そう。

アンハルト国民の殆どが、そのファウスト・フォン・ポリドロの姿を異形と認識した。

紅顔の美少年を良しとする文化価値観から、とうてい美形とは呼べず、相容れないものと判断したのである。

よって、ヴィレンドルフ戦役にて敵将クラウディア・フォン・レッケンベルを一騎打ちにて撃ち破り、その他多くの騎士を倒した。

その個人武勇により第一戦功とみなされ、救国の英傑と呼んで何ら差し支えないポリドロ卿。

それをヴィレンドルフ戦役における戦勝パレードにて、歓声を挙げて祝福して出迎える事を戸惑った。

戸惑いは躊躇いであり、同時に侮蔑を招いた。

その侮蔑は、酒場での女達の陰口を招いた。

あのような男だてらの騎士モドキが英傑とはな。

その周囲に座っていたテーブルの女が立ち上がり、その陰口を叩いた女の面を殴り倒した。

その倒れた身体を踏みつけ、さらに蹴りを鳩尾に入れる。

 

「今、ポリドロ卿を侮辱したな?」

 

ヴィレンドルフ戦役帰りの兵、公爵軍に属する正規兵の女であった。

アンハルト王国軍、公爵軍500、第一王女親衛隊30、ポリドロ領民兵20、合わせ550。

対してヴィレンドルフの正規兵は1000を超えていた。

倍の軍を相手に回しての野戦であった。

公爵軍正規兵500は、その腰まで泥沼に浸かった闘い、ヴィレンドルフ戦役にて300まで数を減らしていた。

そんな中、最前線にて武の体現にして無双を誇るポリドロ卿の姿は何よりの救いであった。

この兵も、戦場にて命を拾われた一人であった。

 

「もう一度言おう。平民風情が、我らが英傑たるポリドロ卿を侮辱したな? ここで死ぬかお前」

「衛兵、衛兵ーー!!」

 

酒場の女主人の叫びに、衛兵が駆けつけて危うく殺人が回避される。

そんな事が数回起こった。

もっとも、その兵達は牢屋に閉じ込められるどころか、上司に怒られる事すらなかった。

むしろ褒められ、即座に動いたことを称えられた。

場所が酒場のため剣を有しておらず、止めを刺さなかった事だけは叱られたが。

対して、その陰口を叩いた女達には罰が与えられ、しばらく牢に閉じ込められた上に罰金を科された。

地獄の戦場を共にした、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵。

その戦友二人の存在が、ポリドロ卿への侮辱はその場で死に値する行為とみなしていた。

むしろ、陰口を叩いた女への処罰が甘いとすら考えていた。

だが、これはポリドロ卿の評判にとっては救いではない。

いつしか、ポリドロ卿の事は箝口令のようになった。

表立って陰口を叩かれる事は無くなったが、褒め称えられることも特に無かった。

だが、英傑詩だけは沢山謳われた。

 

 

おお、アンハルトの女たちよ、我の語るをお聞きください

ヴィレンドルフ戦役、そこで起きた一人の男騎士の一騎打ちの話です

男はポリドロ領を所有する領主騎士にして、賢く勇敢で

第二王女ヴァリエールの相談役なる

ファウスト・フォン・ポリドロ

振り上げたる剣の重きは女も唸る怪力無双。駿馬を駈り、戦場を侵すは猛火の如し

味方が混乱した状況下、死地と化したその場にて素早く己が身を敵陣に投じた

彼の男は熱狂者なり

雑兵を自らの剣にて薙ぎ払い、領民僅か20名を率いてヴィレンドルフの騎士団50名に突貫せり

騎士9名を撃ち破り、雷風の如き弓矢を打ち払いて、辿り着いたは騎士団長レッケンベル

クラウディア・フォン・レッケンベル

ヴィレンドルフ最強の英傑騎士なり

相対して双方名乗りを上げ、打ち合うは何百合……

 

 

ポリドロ卿の英傑詩はアンハルト中の吟遊詩人に、男騎士にしてアンハルト王国最強、その題材の素晴らしさから一時流行色になるほど謳われたが。

アンハルト国民のウケは、あんまり良くなかった。

一時期は王国民の耳にタコが出来る程、そのレッケンベル騎士団長との一騎打ちが確かに謳われたが、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵の英傑詩の方が人気を博した。

戦略ではアナスタシア、戦術ならばアスターテ。

誰もがそれを褒め称えた。

だが、そこに武勇ならばファウスト・フォン・ポリドロという、その名が挙がる事はなかった。

結論から言ってしまうと。

ファウスト・フォン・ポリドロは一種禁忌の存在として扱われるようになってしまった。

もっとも、その名が忘れられたわけではないが。

そう、忘れられたわけではない。

誰もが覚えていたし、マトモな頭を持つ人間の誰もが、それに対しての口を噤んでいた。

そして、ファウスト・フォン・ポリドロはその後も活躍し続けた。

最近では、第二王女相談役としての活躍が著しい。

ヴァリエール第二王女の初陣にて、敵兵100の内の半数以上を討ち破り、ヴィレンドルフに逃げ込もうとした売国奴たるカロリーヌを討ち果たした。

その活躍と同時に、その売国奴であるカロリーヌの娘マルティナの助命嘆願のため、リーゼンロッテ女王陛下、諸侯や上級法衣貴族を並べた満座の席で、頭を地面に擦り付けた。

平民たちは今まで口を噤んでいたのが、まるで嘘であるかのように囀りだした。

安酒場にて、お互いの意見を言い合う。

 

「あの男騎士、アレで可愛いところがあるじゃないか。女顔負けの騎士とは言え、やはり男か」

「そもそも、助命嘆願とはいえ貴族たるものが頭を地に擦り付けるとはどうなのか。相手は救いようもない売国奴の娘だぞ」

「そこが可愛いんじゃないか。戦場の相手の首は刎ねられても、子供の首だけは刎ねられぬというのが」

 

喧々囂々。

平民たちは、あの頭に焼き付いて離れない、異形な男の奇妙な英傑譚。

それについて、思いだすにつけては酒場の論争の一つとして挙げるようになった。

ポリドロ卿の行動への疑問はあっても、その誉れが正しいか否かであって。

そこに侮蔑は無かった。

貴族も同様であった。

 

「ポリドロ卿の気持ちは判らないでもない。8,9歳の賢い、将来ある子供の首を刎ねるのだぞ。誰だって嫌だ。何のために死刑執行人がいるのか」

「しかし、王命だぞ。まして当事者たるマルティナはそれを望んでいた。将来など無い。それを考えるなら首を刎ねてやるのがお互いの名誉というものではないのか。まして頭を地に擦り付けるなどと」

「ポリドロ卿はそのマルティナを騎士見習いとして引き取り、将来への責任もとってるではないか! あの必死に頭を下げた姿を醜いなどというならば、例え友人たる卿であっても許さぬぞ!」

 

喧々囂々。

会話のレベルに、貴族としての名誉絡みが関わる事を除いては、貴族の会話も大差なかった。

ともあれ、アンハルト王国の平民も、貴族も、皆がファウスト・フォン・ポリドロについて語るようになった。

一時期の箝口令のような空気は払拭されていた。

そして自然、耳にタコが出来るほどに聞かされた吟遊詩人の英傑詩が思い起こされる。

そうしている間にも、時間は過ぎる。

二か月も経たたない内に、ファウスト・フォン・ポリドロがカロリーヌ騒動の衝撃も抜けきらぬまま、ヴィレンドルフへと旅立った。

第二王女相談役として、そしてヴィレンドルフ和平交渉の副使として。

耳聡い商人といった平民達、下級上級問わず貴族達、マトモな頭を持っている誰もが、理解していた。

あ、事実上の正使はポリドロ卿だ、これ。

今までの和平交渉が全て失敗し、すわ二回目のヴィレンドルフ戦役が始まるのかと国中の緊張が高まっている中で。

誰もが祈っていた。

 

「頼むからポリドロ卿、交渉を成功させてくれ」

 

と。

次は絶対勝てない、そんな悲壮な雰囲気が漂っていた。

特に、ヴィレンドルフの国境線近くに領地を持つ、地方領主達はわが身の事である。

ある地方領主と家臣達などは教会で、毎日欠かさず神ではなくポリドロ卿への祈りを捧げる有様であった。

次は本当に勝てない。

あの勝利はマグレである。

アナスタシア第一王女とアスターテ公爵の手前、誰もが口にはしないが地方領主達はそう思っていた。

そして、朗報が伝えられた。

ポリドロ卿、和平交渉成立の報である。

誰もが安堵した。

そして、同時にその報告の条件に首を傾げた。

ヴィレンドルフ女王カタリナの腹に子を宿す?

つまり愛人契約であり、ポリドロ卿はその身をヴィレンドルフに切り売りした?

聡い者こそ、真っ先に狼狽した。

法衣貴族も、諸侯も同様である。

はて、これに対してアンハルト王国はどう報いるべきか。

これは、特に地方領主にとっては他人事ではない。

御恩と奉公、封建制は双務的な関係によって構築されるものである。

元々、他に方法があるか? との問いには誰も答えられぬものの、領民300の弱小領主騎士に選帝侯同士の和平交渉の実質的交渉役を任せると言うのは無茶ぶりである。

誰もが眉を顰めた。

どうするんだ、これ。

ポリドロ卿に、同情や義憤を感じたといった単純な事ではない。

ルールを守ってもらわねば、ポリドロ卿がそれで良いと頷いても、他は納得できない。

よって、ポリドロ卿には国家からの熱い賞賛の言葉と同時に、それ相応の報酬が与えられなければならない。

土地。

とてつもなく価値がデカい物。

血統。

これ程までに功績を成し得たポリドロ卿に木っ端貴族の娘を与えるのは、もはや許されぬ。

それ相応の青き血を与える必要があるだろう。

金銭。

価値が無いとは言わないが、あんまりではないか。

ヴィレンドルフ戦役でも、カロリーヌ騒動でも、ポリドロ卿が与えられたのは金銭である。

ここまで馬車馬のようにこき使いながら、金で全てを済ませるつもりか。

そんな感想を皆が抱く。

詰んでいた。

要するに、土地か血縁。

どちらか、或いは両方の選択を、アンハルト王国リーゼンロッテ女王は迫られていた。

愚かな者は未だにファウスト・フォン・ポリドロを醜い姿の、王家に上手くこき使われている者と侮蔑し。

賢き者は、如何にしてファウスト・フォン・ポリドロの功績に対し、王家が報いるのかを注目する中で。

その当事者であるポリドロ卿はアンハルト王国への帰路についていた。

 

「あと一週間ぐらいで帰れそうですねえ。帰りは一騎討ちなかったですし」

「帰りも一騎討ちするつもりだったの?」

「相手がそれを望むなら」

 

ファウストはヴァリエールの言葉に対し、あっさり頷いた。

望まれれば、また100人抜きを行うつもりであった。

 

「いくら何でも、ヴィレンドルフの次代を担う王の父親に一騎討ちを挑む程ヴィレンドルフも……いや、ありえるか。あの国だとそれもまた名誉?」

「あり得るでしょう? 掛かって来ないのがむしろ私には意外でした」

「いや、さすがに帰路は無しだろと遠慮してくれたんじゃない。ヴィレンドルフにもそれぐらいの配慮あったんでしょうよ」

 

ヴァリエールはヴィレンドルフの国境線。

今まで付き添ってくれたヴィレンドルフの国境線、そのヴィレンドルフ騎士達に見送られながら別れを終えて。

やっと役目を終えたと息を吐きながら、まだ旅路は終わってないと気を引き締め直す。

 

「お母様、盗んだバラの事怒ってるでしょうね」

「一緒に謝るのよろしくお願いしますね」

「ファウスト、貴方ねえ。いや、謝るけどさあ」

 

ヴァリエールとファウストはまだ気づいていない。

もうリーゼンロッテ女王はバラの事なんてどうでも良い状況に追い込まれている事に。

 

「私、謝る事だけが仕事みたいになってるのよねえ」

 

ヴァリエールはまだ気づいていない。

ファウストに与える報酬、その候補の一つとして自身が上がっている事に。

 

「私、リーゼンロッテ女王に盗んだバラの件では謝罪しますけど、今回の報酬はちゃんと貰いますからね」

 

ファウストはまだ気づいていない。

その報酬は確実に貰えるだろうが、もはやお金だけでカタがつく状況下ではない事に。

 

「ポリドロ卿。アンハルト王都に辿り着いたら、二人でデートしましょう。デート」

 

第二王女親衛隊長ザビーネは気づいている。

ヴィレンドルフ女王カタリナとの濃厚なキスの一件で、ファウストの中でのザビーネに対する優先順位が極端に下がった事に。

 

「まあ、何もかも王都に帰ってからの話よね。疲れてるけどもうひと踏ん張り行きましょう」

 

アンハルト王国第二王女ヴァリエール。

彼女は最後に言葉を締め、王都に向かって静かに馬の歩みを促した。

 



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第47話 小領主の限界

アンハルト王都。

その幅広く設けられた、王城まで一直線の長い長い目抜き通りにて。

王都に駐留している公爵軍200に加え、同じく王都に駐留している諸侯の兵200が並んで道を空け、アクシデントが起こらぬよう目を光らせている。

パレード。

ヴィレンドルフとの和平交渉を無事成立させた、正使ヴァリエール第二王女と、副使ファウスト・フォン・ポリドロを出迎えるためのパレードの準備である。

目抜き通りの中央を開け放つために、兵達は並んでいた。

アンハルト国民は、兵達の前で行儀よくパレードの開始を待ち構えている。

王都の城門を抜け、その光景を見ながら私は呟く。

 

「ヴィレンドルフ戦役を思い出すな」

「ポリドロ卿は称賛されなかったと、従士長のヘルガ殿から聞きましたが。その功績に何一つ見合わぬ、侮辱に近い出迎えであったと」

 

愛馬フリューゲルの背に乗るマルティナ。

その言葉を聞きながら、ヴィレンドルフ戦役後のパレードを思い出す。

ああ、嫌な思い出だ。

異形な物を見る目。

不細工な男を見る目でもない、蔑むでもなく称えるでもない。

アンハルトにおける異物を見つめる目だ。

あの粘りつくような冷たい視線だけは非常に不快であった。

まあ、どうでも良いのだが。

貴族は面子商売で、舐められたら相手を殺してでも面子を勝ち取るしかない。

私はポリドロ領の領主としての面子があるのだ。

領地の名誉全てを、この背に背負っているのは事実。

しかしだ。

私が最低限守らなければならないのは、領民300名の弱小領主騎士としての面子である。

正直言って、面と向かって侮蔑されたのでもなければ、そこまで気にする必要はない。

面と向かって侮蔑されれば、仕方なくそいつを半殺しにするが。

正直、それすら面倒臭いんだよなあ。

溜息をつく。

もう一度言おう、アンハルトでは私は異物だ。

それは私自身が何より理解している。

 

「まあ、今回もヴィレンドルフ戦役と同様であろう。期待はしていない」

「私は馬から降りた方がよろしいでしょうか? さらにファウスト様の評判を落とすことに」

「いや、背中に引っ付いていなさい」

 

これも経験だ。

マルティナも、将来世襲騎士の地位が約束された身の上とはいえ、売国奴の母を持つ脛傷持ちである。

この先辛い道が待ち構えている事ぐらいは承知しているであろう。

マルティナは私の騎士見習いである。

こういう経験も、必要であろう。

少しでも血となり肉となってくれればそれでいい。

私は振り返り、領民達を見る。

領民達は槍や剣を抜き、クロスボウの弦を滑車で引く準備を――まてオイ。

 

「何をやっている、ヘルガ達」

「殺す準備です。今度こそ、ファウスト様を侮蔑する輩どもは一撃で仕留めますので、ご安心を」

 

何も安心できない。

安心できる要素が何一つ無い。

 

「逆だろ逆。剣をしまえ。槍の穂先を布で包め。クロスボウは馬車にしまえ」

「御言葉ですが、ファウスト様。我がポリドロ領の名誉に関わる事でございます故」

 

ヘルガが三歩前に歩み出て、領民達を代表するように私に訴える。

それは、涙声混じりの訴えであった。

 

「ヴィレンドルフ戦役後のパレードを思い出してください。あの泥沼の死地にて救国の英傑たる活躍を見せたファウスト様を、あのアンハルト王都の市民たちは褒め称えすらしませんでした。それどころか異物を見るような目を。あの戦役に参加した領民20名は、今でも奴らを叩きのめさなかった事を後悔しております」

 

今回引き連れた領民30名の内、当時戦役に参加していた20名がぶんぶんと首を振る。

我が領民達は私に絶対の忠誠を誓ってくれている。

私が死地に飛び込めば誰一人欠けることなく、その後を付いてきてくれる。

自慢の領民達ではあるが。

 

「しなくていい。しなくて」

 

手を振りながら、否定する。

何が悲しくて、その可愛くて仕方ない領民の手をわざわざ血に染めさせねばならぬ。

まして、今回は戦友たる公爵軍がパレードの仕切りをやってくれている。

私を侮蔑するようなアホがいれば、公爵軍がその場で捕まえて牢屋送りにしてくれるであろう。

考えた事をそのまま口に出す。

 

「今回の仕切りは公爵軍だ。死地を共にした彼女達が、私への侮蔑を許すと思うか?」

「それは、確かに」

 

ヘルガが頷く。

判ってくれたなら幸いだ。

だが、ヘルガは穂先が剥き出しの槍を突き上げ、答える。

 

「しかし、わざわざ戦友たる公爵軍のみに手を委ねるのもどうかと。今度こそは勇猛果敢なる我ら領民の手で、アンハルト王都の市民に目に物を見せてやらねばと」

「ヘルガ。確認するが、私ことファウスト・フォン・ポリドロはアンハルト王国に領地の保護を約束して頂き、忠誠を誓っている身である。主従関係にある。判っているよな」

「判っております。そして私達はファウスト様に絶対の忠誠を誓っておりますが、アンハルト王国に忠誠を誓った覚えは一度としてありませぬ。臣下の臣下は、臣下ではありませぬ」

 

理屈上はそうだけどさあ。

いかん、頭が痛くなってきた。

下手にヴィレンドルフで私が歓迎された分、我が領民のアンハルト王国への敵対心が高まっている。

これはどうしたものか。

仕方ない、一度怒鳴りつけるか。

そう判断して声を張り上げようとしたが、そこで横合いから口が挟まる。

 

「ヘルガ、我が市民の、そして貴族達の、アンハルトの国民達によるファウストへの扱いに不満を抱いているのは承知しているわ。何より私自身が不満に思っているから」

「ヴァリエール様」

 

ヴァリエール様である。

ヘルガが、振り上げていた槍を降ろす。

 

「私も同様、やっと初陣を果たしてそこそこ認められるようにはなったけど、まだまだ貴族の間ではミソッカス扱い。そんな私の頭で足りるかどうか判んないけど」

 

ヴァリエール様が、従士長とはいえ一平民に過ぎないヘルガに、頭をぺこりと下げた。

 

「私の下げた頭に免じて、今回は大人しくしてもらえないかしら」

「お止めください、ヴァリエール様。貴女にそう言われては、私どもは何も出来なくなります。何もかも、承知しました故」

 

ヘルガが腰を折り曲げてヴァリエール様に頭を下げ、大人しく領民全員に指示を飛ばす。

 

「全員、槍の穂先を包み、剣を鞘に納め、クロスボウを馬車に戻せ」

 

領民が速やかに指示に従い、パレードへ向かう隊列を整え始める。

動きはいいんだ、動きは。

私と同じく何度も軍役に赴いた、歴戦の猛者たちだけはある。

が、どうにも血の気が多い。

 

「隊列の順は、私の横にファウストが並んで、次に第二王女親衛隊、最後にヘルガ達領民で良いわよね」

「はい。問題ありません」

 

ヴァリエール様の言葉に、感謝の意を含んだ声で答える。

思えば、ヴァリエール様も初陣の頃と比べると成長なされた。

初陣前は、このような真似も出来なかったであろう。

 

「さて、パレードに行くとしましょう。私達の方の準備もいいわよね、ザビーネ」

「はい、ヴァリエール様を一度でも侮辱しようものなら、その市民を殺す準備は」

「ねえ、貴女達はさっきまでの会話をちゃんと聞いてたの?」

 

第二王女親衛隊がしぶしぶ剣を鞘に納め、槍の穂先を布で包みだす。

我が領民の血の気の多さも大概であるが。

親衛隊のヴァリエール様への狂信も、大概である。

 

「初陣では、見送りも、出迎えも無しだったのよねえ。パレードなんて初めてだわ」

 

ヴァリエール様がしみじみと呟く。

今回は、ヴィレンドルフとの和平交渉を成功させたのだ。

私はともかく、ヴァリエール様は報われて欲しいものだが。

 

「是非とも歓声で迎えて欲しいものです」

 

私は全員の隊列が組み終わったのを見届け、愛馬フリューゲルの首を優しく撫でる。

フリューゲルはそれに応じ、ゆっくりと歩き出した。

 

「そう願うわ」

 

同じく、ヴァリエール様の馬も同時に歩き出す。

我が愛馬フリューゲルと、ヴァリエール様の馬が並んで目抜き通りに入る。

待ち構えていた市民達がザワザワと騒ぎ出し、兵達は並んだまま警戒を強める。

警戒心を強めすぎている。

肌でそう感じる。

はて、公爵軍は判るが、諸侯の兵達まで警戒を強めているのは何でだ。

このパレードの失敗だけは許されない。

何事かあれば、身を挺してもアクシデントを止めなければならない。

そういった緊張感だ。

そういった感情を、騎士としての直感で感じる。

何事か、私達がいない間に王都で起こったのであろうか。

首を捻る。

判らない事は、背中にいる9歳の知恵袋に聞こう。

 

「マルティナ、兵が緊張している。何故か分かるか?」

「いや、そりゃそうでしょう。何間抜けな事言ってんです。ヴィレンドルフとの和平交渉を成立させたんですよ、ファウスト様とヴァリエール様の御二方は。そのパレードが失敗でもしたらどうするんです?」

「どうなるんだ?」

 

パレードのため、似合わぬと散々苦情が入ったグレートヘルムは脱いでいる。

フリューテッドアーマーに、先祖伝来のグレートソードを帯剣した武装状態。

その姿に、マルティナを背中に乗馬させている。

背後のマルティナの表情は窺えぬ。

 

「判りませぬか。アンハルト王国は、ファウスト様のこれ以上の不興を買う事を恐れているのですよ」

「ふむ」

 

どうなるか、への答えではない。

不興を買う、と言われても、私はパレードに何も期待していないのだが。

ファウスト・フォン・ポリドロはアンハルト王国の市民に何も期待してはいない。

まあよい。

愛馬フリューゲルの首を優しく撫ぜる。

我が愛馬よ、つまらぬパレードなどさっさと通り抜けてしまおう。

まあ、ヴァリエール様への歓声には期待するが。

パレードが始まる。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ卿、万歳!!」

 

声は市民からではなく、まず公爵軍の200の兵から起こった。

あの顔は見覚えがある。

ヴィレンドルフ戦役にて最前線を共にした、戦友の一人。

私はニコリと顔を緩め、お互いに会釈を交わす。

 

「ヴァリエール第二王女殿下、万歳!!」

 

やはり声は市民からではなく、公爵軍に相対する兵から起こった。

諸侯の兵からである。

顔は知らぬが、事前に歓声を上げるよう言い聞かされているのであろう。

良い判断だ。

誰かが言いださねば、市民からの歓声は始まらぬ。

こういう時、ちゃんと市民にもサクラ、盛り上げ役の偽客を混ぜておくべきなのだがな。

いや、リーゼンロッテ女王の事だから、手抜かりは無いはず。

 

「ファウスト・フォン・ポリドロ卿万歳! ヴァリエール第二王女殿下、アンハルト万歳!」

 

ほら、そこかしこから、偽客である市民からの声が聞こえた。

さすがリーゼンロッテ女王。

こういうパレードにも、ちゃんと余念がない。

後は盛り上がるかだが。

 

「アンハルト万歳!」

「アンハルト万歳!」

 

二千は超えているであろう市民達が歓声を上げ始める。

リーゼンロッテ女王の工作は無事、成功したか。

自分は歓迎される方なのだが、ほっとする。

もし失敗して先ほど口にしたような展開、私を侮辱した市民を公爵軍の兵が殴りつけて連行するような事態になれば、もはや目も当てられぬ。

パレードは失敗。

私も、ヴァリエール様にも面子があるのだ。

 

「兵が最初に煽り立て、市民に混ぜた偽客が歓声を上げ始める。まあリーゼンロッテ女王の手腕は御見事と言えますが」

 

マルティナの冷たい声。

本当に賢い9歳児だ。

まあ、どこの国でもやってる事だ。

小さからず、大きからず、どこでも。

訓練された観衆による扇動、意思統一。

この世で最も見事な扇動とは何か。

ふと、前世でナチス・ドイツの宣伝相ゲッベルスが行った総力戦演説を思い出す。

ん?

総力戦演説?

そうだ、総力戦演説だよ。

3つの命題の提示。

ナチス・ドイツは3つの命題を総力戦演説にて提示した。

①ドイツが敗退すれば、ヨーロッパはボリシェビキの手に落ちる事。

②ドイツ人、及び枢軸国のみにヨーロッパを脅威から救う力がある事。

③危険はすぐそばにあり、迅速に対応しなければ手遅れになる事。

これは応用できないか?

私はあの総力戦演説を真似なければならない。

リーゼンロッテ女王に、どうやって仮想モンゴル、トクトア・カンの脅威を伝えるか。

どうすれば脅威を理解してもらえるか。

それをこの帰還中、ずっと悩み続けていたのだが。

ヒントは我が前世の知識にあった。

まさか、王都でのパレードの途中でそれを思いつくとは。

ファウスト・フォン・ポリドロの愚か者め。

時間が足らんわ。

頭をガリガリと掻く。

 

「あら、柄にもなく照れてるの、ファウスト」

 

市民の歓声に、笑いながら手を振って答えるヴァリエール様。

それがこちらを振り向き、私の仕草を照れてるものと勘違いした。

全然違うわポヤポヤ姫。

その14歳美少女貧乳の笑顔は可愛いが、私の今の心境には何の慰めにもならん。

もはや市民の歓声も耳に入らぬ。

ああ、せめてヴァリエール様に訓練された観衆の一人として、仕込みを入れる時間があったならば。

もう一人でやるしかないのか?

パレードの後、リーゼンロッテ女王に今回の和平交渉の正式報告に上がるまで、少し時間がある。

リーゼンロッテ女王に出会う前、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵に観衆役としての誘導を仕込む時間はあるか?

いや、そもそも、あの賢い二人を私ごときが誘導できるものか。

普通に全身全霊で説得するのと変わらん。

そして、領民300名の弱小領主騎士にして、母の代から親戚づきあいも絶たれ、貴族間の付き合いなど無い私には固まって訴える術、他に訓練された観衆を用意すべき手立てが無い。

ああ、クソッタレが。

矮小なるファウスト・フォン・ポリドロよ。

前世からのせっかくの知識を、思い通りに扱えぬ。

それがお前の限界だ。

私をこの狂ったファンタジー世界に転生させた神がいるならば、そう愉悦気味にそう呟かれた気がした。

知恵者が欲しい。

策士が欲しい。

軍師も策略家も欲しいが、何より私には傍にいて一緒に考えてくれる知恵者が要るのだ。

この前世の知識だけでは、何の役にも立たぬのだ。

自分の不甲斐なさを思い知らされる。

 

「ファウスト様、パレードが終わります。気に食わないのは判りますが、そう渋い顔をせず、最後位は笑顔で締めくくられませ」

 

背後のマルティナから声がかかる。

そんなに渋い顔をしていたか。

まずはこのパレードを終え、リーゼンロッテ女王に全身全霊の演説を以て、法衣貴族や諸侯の満座の席でトクトア・カンの脅威を訴える。

それしかない。

それだけしかできない。

誰にも聞こえぬ舌打ち、それを口内で起こしながら、私は顔を無理やり笑顔に作り変える事にした。



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第48話 正式報告の前準備

アンハルト王宮、その第一王女アナスタシア居室。

 

「で、パレードの様子はどうだった?」

 

第一王女相談役たるアスターテ公爵がワイングラスにワインを注ぎ、それを口に含む。

まだ昼であるが、酔いたい気分であった。

要するにヤケ酒である。

正妻問題。

もはや、ファウスト・フォン・ポリドロが独身であることは許されない。

当初のアンハルト王家の計画では、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵の愛人となり。

アスターテ公爵の末子をポリドロ領の領主とする、その予定であったのだが。

ファウスト・フォン・ポリドロはそれを知らない。

ヴィレンドルフ女王、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフ。

その愛人の立場となり、アンハルト国内の地方領主から最大の注目を集めている。

今のファウスト・フォン・ポリドロはそれを知らないのだ。

 

「最初は和やかに笑顔をお見せになりました。ヴィレンドルフ戦役を共にされた公爵軍の兵が立っていましたので」

「ああ、ウチの兵相手なら会釈ぐらいはしてくれるだろうさ」

 

第一王女親衛隊長。

パレードの様子を、より正確にはポリドロ卿の様子を見届けていたその口から、アナスタシアとアスターテ二人に対する報告が為される。

 

「ですが、途中、国民からの歓声が上がると同時に渋い顔をされました」

「まあな」

「そうなるでしょうね」

 

報いなかった。

アンハルト王国の市民は、ヴィレンドルフ戦役後のそのパレードにおいて、救国の英傑にして武功第一を誇るファウスト・フォン・ポリドロに何も報いなかった。

ヴィレンドルフ戦役は局地戦である。

あくまで、アンハルトとヴィレンドルフの国境線にて起きた戦争に過ぎない。

だが、一つ穴が穿たれればアンハルトの土地欲しさにヴィレンドルフの各地方領主が参戦し始め、国が窮地に陥りかねなかった。

重要な戦であった。

それでも、憤怒の騎士ポリドロ卿を市民が歓声で迎えることは無かった。

殺してやろうか。

地獄のヴィレンドルフ戦役を共にしたアナスタシア第一王女とアスターテ公爵はそう考えたが、侮蔑をした市民には罰を与えられども、何もしなかったことを罪とする事はさすがの二人にも出来なかった。

苦い苦い想い出である。

その武功に与えられた報酬はポリドロ卿自身が望み、リーゼンロッテ女王がそれに応えて与えた金銭のみであった。

だが、どうでもよい。

ファウスト・フォン・ポリドロの良さは、あの地獄を経験した我らのみが理解できていればそれでよい。

なに、我ら二人がポリドロ卿を独占することを考えれば、この環境はむしろ丁度良い。

そうとまで考えていた。

が、状況は変わった。

 

このまま座視していた場合、ファウストにはヴィレンドルフからの正妻が与えられる。

そして、アナスタシア第一王女とアスターテ公爵の野望は水泡に帰す。

アスターテは語る。

 

「ファウストはヴィレンドルフとの実現困難とも言える和平交渉を達成し、その代償に貞操を切り売った。これに王家が報いるには? アンハルト王家と保護契約を結んでいる地方領主の誰もが納得する、その報酬とは?」

「土地か血統。或いはその両方。土地は駄目だ。王領の土地を切り取るのは構わないが、飛び地になる。ファウストは嫌がるであろう」

 

ワイングラスから、ワインを一滴残らず飲み干す。

アスターテ公爵は再びワイングラスにワインを注ごうとしたが、それを止め、瓶からワインをラッパ飲みし始めた。

 

「では血統。つまり結婚といっても、相手誰にすんだよ」

「ヴァリエールが相応しいでしょうね。いえ、相応しいと言うか一番マシだわ」

 

アスターテに相対するアナスタシアが、舌打ちをした。

血統。

もはやポリドロ卿に与える血統は、王家とその親族に連なる血でなければ。

 

「私では駄目か?」

「無理よ。私か貴女の夫、王配か公爵家の夫はさすがに無理」

「今回の功績を以てしても?」

 

アスターテ公爵がワインのボトルを放す。

手の甲で唇に残った僅かなワインを拭う。

何とか、自分の夫に出来ないかと思索する。

王位継承権。

第三王位後継者の私より、第二王位後継者のヴァリエールが相応しい理由は?

 

「わざわざ私の口から言わせないでよ。ヴァリエールは所詮私のスペア。数万を数える領民を持つ公爵家を継ぐ貴女とは違うわ」

 

アナスタシアがため息混じりに、アスターテに答える。

 

アスターテは口内で舌打ちしながら、視線を第一王女親衛隊隊長に向ける。

そして、会話の秘匿性の高さから、給仕の代わりを務めている彼女に声を掛ける。

 

「アレクサンドラ、お前はどう思う」

 

第一王女親衛隊長、アレクサンドラ。

身長は190cmと高く、その身は全身に特別製の筋肉をうっすら帯びている。

そのバストサイズは豊満であり、侍童が姿を見ると騒ぎ出すような麗人であった。

ある世襲貴族の次女で、アナスタシア第一王女自らスカウトしてきた超人。

昨年行われたアンハルト王家主催のトーナメントでは優勝もしている。

発狂した王族、バーサク状態に入ったそれを除けば、アンハルトではファウストに次ぐ実力第二位を誇る。

もっとも、その実力差はファウストに大きく空けられているが。

 

「それは私に、ポリドロ卿の嫁に行けという事でしょうか? それならば喜んで」

「違うわ馬鹿者」

 

アスターテはげんなりとした顔を見せる。

ヴィレンドルフ戦役。

腰まで泥沼に浸かったその戦場にて、ファウストの武勇に魅せられた女は想像以上に多い。

 

「きっと良き超人の子が産まれると思いますのに」

「童貞を私にくれるなら、お前ならば正妻にしても良いと考えるが。状況がそれを許さん」

 

アレクサンドラの、次代の超人を産むぞとの言葉。

アナスタシアによる、その言葉の否定。

アナスタシアは、アスターテからワイン瓶を奪い取り、その手のワイングラスにワインを注いだ。

舐める様に、それを嗜む。

 

「血統。それも誰が見ても、ファウストに報いたと言える血統。それが条件だ」

「じゃあ、やっぱりヴァリエールしかいないか」

「いない。ファウストの童貞はヴァリエールに言い聞かせて、私に譲らせよう」

 

アナスタシアは、ファウストの童貞に固執する。

それだけは誰にも譲れなかった。

あの貞淑で無垢でいじらしく、朴訥で真面目な童貞のファウストに、その身体を手折られた花のように、自ら自分に開かせる。

それがアナスタシアの私人としての第一の欲望であった。

第二は、ファウストに耳元で愛を囁く事。

第三は、ファウストの子を産む事。

アナスタシア第一王女は、ファウスト・フォン・ポリドロにどこまでも惚れ抜いていた。

 

「ヴァリエールは納得するかな?」

「納得させる。なにせ、ヴァリエール本人は未だ、自分は将来僧院に行くものと思い込んでいる。弱小地方領の領主とはいえ、僧院に行くよりはよっぽどいいでしょうよ」

 

何せ、僧院とは違って自由の身だ。

アナスタシアは、ファウスト・フォン・ポリドロを求める。

それはそれとして、今は妹であるヴァリエールが可愛くないわけでもなかった。

 

「だが、ファウストは?」

 

アスターテは、アナスタシアに奪われたワイン瓶の残量を心配しながら口を開く。

それを察したアレクサンドラは、代わりのワインを取ってこようと二人から離れた。

アナスタシアは、舌打ちで答える。

 

「……納得するだろう。ファウストは、先代にして自分の母であるマリアンヌの汚名を濯ぐ事を望んでいないわけではない。王家の血をポリドロ家の血に組み込めるならば、それは達成したも同然」

「まあ、理屈はわかるけどね」

 

8歳差。

ファウスト22歳、ヴァリエール14歳。

貴族の結婚と考えれば珍しい話ではないし、むしろファウストが婚期を少し逃している。

立場を考えれば、ファウストは否と言うまい。

普通に考えれば。

だが。

 

「私さあ、ファウストは何か納得しない気がするんだよね」

「何故? ヴィレンドルフの女王カタリナに心を惹かれたとでも?」

「それとは少し違う」

 

アスターテが唇に指を触れながら、考える。

何か、ズレてる気がする。

アスターテは生まれつき、直感に優れた人間であった。

動物的嗅覚と呼ぶべきか、第六感と言うべきか。

ヴィレンドルフ戦役においても、その直感を用いて部下を生き延びさせた。

自らも命を長らえた。

だが。

 

「うーん、何と言ったらいいか。ヴァリエールはファウストの好みじゃない? そんな気がする」

「好みじゃない?」

「うん、そう」

 

失敗するんじゃないかなあ。

これは願望じゃなくて、直感でそう思う。

アスターテはそう語る。

私の妹が不服かと、イマイチ納得のいかない顔でアナスタシアは答える。

 

「じゃあ、どうすんのよ」

「いや、まあ説得するしかないだろ。ついでに、私達の愛人になるよう勧めよう」

「ファウストに、今更囲い込みかよと取られない?」

 

ヴィレンドルフに取られそうになったから、ファウストを囲い込もうとした。

一歩出遅れた。

ヴィレンドルフ女王、イナ=カタリナ・マリア・ヴィレンドルフに一歩出遅れた。

アンハルトに伝播した英傑詩を信じるならば、ファーストキスまで奪われた。

アナスタシアは奥歯を噛みしめながら、引きつった苦笑いを浮かべる。

 

「ファウストが、カタリナ女王をここまで魅了するとは思ってもいなかった。あの女は知る限り、ヴィレンドルフの美的感覚を持たない。ファウストの容姿を見たところで愛するとは思わなかった」

「判る女には判る。そう言う事だ。ファウストの心の美しさを知れば、心惹かれる女は沢山いる」

 

我々二人のように。

だが、何はともあれ。

アンハルト王家も、そして私達二人も追い詰められた。

ここが勝負どころだ。

 

「とにかく、説得だよ。ファウストの正妻はヴァリエール。正妻が決まり、ポリドロ領の跡継ぎを産む相手が決定すれば、私達二人の愛人になる事も嫌とは言うまい」

「貞淑で無垢でいじらしいファウストの事よ。カタリナ女王の件は別枠として、正妻のみに身を捧げると言いださないかしら」

「アナスタシア、お前は何も判ってない」

 

アスターテが首を振る。

ファウストの事を何にも判ってない。

そんな顔で、愉悦気味に語りだす。

 

「ファウストは、貞淑で無垢で、私が身体をくっつけて、耳元で愛の言葉を囁くだけで顔を真っ赤に染めるいじらしい男だ。だがな、アイツは絶対ベッドの上では淫乱だ」

「お前は何を言いだしてるのか。18歳の腐れ処女に何が判ると言うのか」

 

呆れ顔で答えるアナスタシア。

だが、アスターテは一顧だにしない。

 

「私には判るんだよ! あの真面目そのものの朴訥な表情の裏には、女達に好き放題されたいという願望が眠っているんだって!! 尻触っても決して嫌そうじゃなかったもん!! その後、私は領民に殺されかけたけど」

「もう完全にお前の願望だろ。お前の」

 

昼は貞淑、夜は淫乱な男。

ファウスト・フォン・ポリドロにはそうであって欲しいとは思う。

私とベッドを共にするときには激しく乱れて欲しい。

それはアナスタシアもそう思う。

だが、それは私達処女二人の勝手な言い分という物であろう。

妄想にも等しい。

アナスタシアは軽く首を振り、馬鹿な妄想を打ち払う。

トントン、と。

丁度妄想を打ち払うと同時に、ドアからノックの音がする。

 

「失礼します、アナスタシア様、アスターテ様」

「何だ、アレクサンドラ。勝手に入れよ」

 

さっさとワインの代わりを持ってきてくれ。

そう言いたげに、アスターテがノックに返事をする。

 

「いえ、ワインを取りに向かった道すがら、ポリドロ卿と出会いまして。アナスタシア様とアスターテ様に話があると、こちらまで」

 

アレクサンドラの言葉。

それに、二人は顔を見合わせる。

はて、何の用か。

とりあえずアスターテの猥談は聞かれなくて何よりだったが。

 

「ドアを開けてもよろしいでしょうか」

「少し待て。ファウストは一人か?」

「いえ、従士としてマルティナ嬢をお連れですが」

 

少し、考える。

何の要件だ?

リーゼンロッテ女王への今回の和平交渉の正式報告、それまでには旅の垢を落とすという名目で今日一日の休みが与えられている。

パレードを終えた後、その貴重な一日を潰してまで私達に何か話したいことがあるのだろうか。

 

「マルティナ嬢には、部屋の前で待機してもらえ」

「はい、私も同様に致します。ポリドロ卿のみ中へお入りください」

 

ドアから身長2m超え、鋼のような肉体を持つ男騎士の姿がぬっと現れる。

その男は開口一番、こう呟いた。

 

「アナスタシア第一王女、アスターテ公爵、しばらくぶりです」

「まだ一か月も経っておらんがな。待ちわびたぞ。和平交渉の件はご苦労であった」

「まあ、私の横に座れよ」

 

ポンポン、とアスターテが自分の座る長椅子の横を叩く。

ファウストは頑丈な長椅子を軋ませる事なくそこに座り、その巨体を揺すりながら呟く。

 

「リーゼンロッテ女王に報告に上がる前に、お二人に話が有って参りました」

 

ファウスト・フォン・ポリドロのその表情は、いつもの朴訥な様子とは違い、真剣そのものであった。



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第49話 たった一つの愚かなやり方

テーブルの上には、新しいワイン瓶。

そして私用に新しく用意された、ワイングラスが乗っている。

 

「まあ、まずは飲めよ。喉の滑りも良くなるぞ」

「昼から酒など飲んでいる場合では――まあいいです。頂きます」

 

アスターテ公爵が、グラスにワインを注ぐ。

それが十分に満たされた後、私は舐める様にそれを口に含んだ。

美味い。

私が普段飲んでいる安酒とは違う。

が、ワインの味を楽しんでいる暇などは無い。

今日は二人に話があって来たのだ。

 

「まずは御二人に問います。ヴィレンドルフが今回の和平交渉に応じた理由をご存知だったのですか?」

「ふむ。それはつまり、お前が達成した和平協定に、お前以外の要因があるのではという事か?」

 

ご存知『だった』のですかという問い。

それにアナスタシア第一王女が答える。

私はリーゼンロッテ女王の助言に従い、カタリナ女王の心を見事斬った。

それは理由の一つだ。

他にも理由はある。

 

「はい。どこまで『理解』しておられるのか。是非とも二人にお伺いしておきたい」

 

理解。

その言葉を強調させて呟く。

 

「英傑レッケンベル不在による王家の力の弱体化。特にレッケンベルが族滅させた、北方の遊牧民族がいずれまたどこぞから生えて、押し寄せてくる。それの対策があるな。今回の和平交渉、ヴィレンドルフ側はお前の――カタリナ女王が、お前の子を孕むという以外にもメリットはあった」

 

アナスタシア第一王女が、苦々しい声で語る。

それも理由の一つだ。

だが、他にもっと重要な理由があるだろう。

 

「お答え頂けませぬか?」

「何が言いたい?」

「知らないはずはない。領民300名の弱小領主である私と違って、貴女方二人が知らないはずがない。その口からお聞かせいただきたい。これはヴィレンドルフ戦役の戦友であるファウスト・フォン・ポリドロとしての頼みですが」

 

まずは相手の口から吐き出させる。

この二人、脅威をどこまで理解している?

大陸の東の果て、遠い遠いシルクロードの先にいるトクトア・カンの脅威を。

アナスタシア第一王女とアスターテ公爵はお互いに顔を見合わせ、はあ、と一つため息を吐いた。

 

「戦友の頼みとあらば、口を割らざるをえまい。神聖グステン帝国からの報告、東方で一つの王朝が滅んだ。それは知っている。神聖グステン帝国は我ら両国の和平交渉にも仲介人を送るつもりであった。両国で協調し、戦に備えよ、脅威に対抗できる防波堤を構築せよと」

 

うん?

コイツは意外だ。

神聖グステン帝国、随分と先を見通している。

 

「アンハルトは、神聖グステン帝国からの仲介に応じなかったのですか? それならば私などに頼らずとも」

「ヴィレンドルフがまず拒んだ。面子上、アンハルトも弱みを見せないため断らざるをえなかった。お前を使者に送る事が決定した後で気が付いたが、ヴィレンドルフはお前を引きずりだしたかったのであろう」

 

なるほど。

今考えれば、カタリナ女王は私を通してアンハルトを見通していた気がする。

カタリナ女王との会話を思い出せば、アンハルトには随分と幻滅していた様子であったが。

私の扱いがアンハルトで悪いからであろうな。

 

「ですが、とりあえず和平協定は成立しました。ならば」

「まずは北方の遊牧民族だ。それを族滅させ、今後はヴィレンドルフと協調路線を取る事になるであろう。神聖グステン帝国のいう事を聞くのは少々癪だが」

 

癪だとか言ってんじゃねえよ。

独立国家であるアンハルトが帝国の命令を聞くのが嫌なのは判るが、今回ばかりは帝国がどこまでも正しい。

そこまで先を見通せる人間がいるのか?

転生前の神聖ローマ帝国ではどうであった?

どこからモンゴルの西征を予測していた?

西洋史の学者でも研究者でもなく、早世した私には判らん。

 

「神聖グステン帝国の忠告に従うべきです」

「無論、それは理解している。だからヴィレンドルフと協調路線を取ると言っているではないか」

 

苦々しい顔で、アナスタシア第一王女が呟く。

そうしてくれるのは嬉しいが、そうではない。

私の言いたいことが理解されていない。

いや、全てを理解してくれという方が無理なのは判っている。

既に動き出しているカタリナ女王ですら、完璧には理解していないのだ。

トクトア・カンを、仮想モンゴルを撃ち破る事を可能にするためには。

想像を超える、全面的徹底的な総力戦が必要になるのだ。

それも、アンハルトやヴィレンドルフだけでは数が足りぬほどの総力戦だ。

神聖グステン帝国からの援軍だけでは到底足らず。

最低でもアンハルトとヴィレンドルフは嫌々ではなく、蟠りを無くし、苦難を共にする覚悟が必要なのだ。

連帯しなければ、100%勝てない。

相手の仮想モンゴルと西洋では、戦のやり方、その何から何までが違う。

勝てないのだ。

私は内心、絶望しながら頭を抱える。

 

「あー、つまり、何か、ファウスト。私達二人が知らない情報を、お前はヴィレンドルフで手に入れてきたと」

 

隣に座るアスターテ公爵が、空になった私のグラスにワインを注ぎながら。

いつもの飄々とした顔ではなく、やや真剣な面持ちで応じる。

流石に話が早いな。

ヴィレンドルフから手に入れてきた情報、それはある。

それを理由にするか?

まずは会話だ。

 

「カタリナ女王の配慮でユエ殿という、東方の武将に会いました。滅んだ王朝から命からがらに脱出した超人の一人です」

「シルクロードを通ってわざわざヴィレンドルフまで?」

「あの国では、実力さえあれば軍事階級に昇り詰めることができます。今はレッケンベル家の食客と言っておられましたが」

 

おそらく、あの実力ならば将来はニーナ・フォン・レッケンベルが成長するまで、騎士隊長の代わりを務めることになるだろう。

今は功績待ちと言ったところか。

 

「東方の武将が落ち延びて、ヴィレンドルフで復讐の機会を狙っている。そう解釈しても?」

 

アナスタシア第一王女が、苦々しい顔から真剣な顔つきに変わる。

そうだ、その顔が見たかった。

ヴィレンドルフ戦役にて、私と公爵軍を自由自在に操った女よ。

アンタのヤバイ薬を半分キメてるのかと思うかのような、冴えた頭脳が今は必要なんだよ。

頼むから、本気で私の話を聞いてくれ。

 

「遊牧騎馬民族国家か。名は判らんのか?」

「国名は不明。王の名前はトクトア・カンと」

「トクトア・カン」

 

その名を呼び、しばし時間が過ぎる。

アナスタシア第一王女の頭の中で、私の知らない神聖グステン帝国から流れて来た情報がただひたすら流れ、熟考に熟考を反芻し、キッチンで洗った後の皿のように重ねられ続けている。

そして、アナスタシアの中で一つの結論が出される。

 

「何年で来るかファウストには判るか?」

「不明」

 

簡素な答え。

1234年、金王朝が滅ぶ。

1241年、ワールシュタットの戦い。

前世では僅か7年。

このファンタジー世界、魔法による伝達機能が発達した今の時代では、それより早いかもしれない。

どう考えても、不確定な情報すぎて今は口にできない。

だが。

 

「お前の予測で良い。言え」

「少なくとも7年より短いかと」

 

アナスタシア第一王女の知能は、私の焦りを読み取っている。

そして、そこには何かしらの根拠があると見込んだ。

嘘は吐けぬ。

 

「そう考える理由は?」

「……」

 

無言。

答えられぬ。

前世から推測しました等と、狂気の発言は許されぬ。

ならば。

 

「超人としての直感ゆえ」

「根拠が弱いな。情報があれば、即動けたのだが」

 

アナスタシア第一王女が、眉を顰めた。

仕方ない、今の私にはこう答えることしかできぬ。

だが、それでも縋りつく。

 

「ファウストよ、残念だが推測で王家は動くことが出来ぬ。お前の事は信頼している。だが、それだけの事で国が動くことは出来ぬのだ。総力戦の準備となれば、国民に多くの負担を強いる」

「ですが、それでは遅いのです!!」

 

長椅子から立ち上がり、訴える。

アナスタシア第一王女、アスターテ公爵の両名はその私の行動を読んでいた様子で、全く動じない。

 

「錯覚と誤った希望はお捨て下さい!!」

「必死に国家総力戦の準備をして敵が来なかったら? よかった、トクトア・カンは来なかったんだね。それで済む話ではない。王家の権限と財源にも限界はある」

 

アナスタシア第一王女が冷たく突っぱねる。

続いて、アスターテ公爵が続ける。

 

「いつ来るか判らない敵というのは難儀なものだ。いつ来るか、それが確定してるならば良い。士気は持つ。だが何年も国家の総力戦準備を整えるというのは難しい。人はダレる。必ずやる気を無くす。機能不全に陥る。お前の述べたような錯覚と誤った希望を必ず抱く。トクトア・カンが来るなど、シルクロードの先から遊牧騎馬民族国家がやってくるなど、誰が言いだしたのだと、その内吊し上げが始まる。その時に」

 

椅子に座り、注いだワインを飲むよう促される。

それ、高いんだぞ。

場にそぐわぬような朗らかな声をわざと途中で上げ、アスターテ公爵が続ける。

 

「その時に、吊し上げを受けるのはお前だ。ファウスト・フォン・ポリドロ。私達二人はそれを心配している」

「元より名誉など私には必要無い! 何と罵られようが構いませぬ!!」

 

声を荒げる。

だが、アスターテ公爵の忠告には従おう。

椅子に座り、ワイングラスを少し舐めて口に含む。

 

「それだけでは済まぬのだ、ファウスト。お前に罰を与えねばならぬ」

 

悲し気に、アナスタシア第一王女が呟く。

 

「国を想っての忠言、誠に有難く思う。だがな、ファウストよ。おそらくお前は母上に明日の和平調停の正式報告の際に、それを訴えるつもりなのであろう。止めておけ」

「何故ですか」

「お前を失いたくない。国家総力戦の準備が無駄になれば、お前を」

 

殺さねばならぬ。

名誉を失うだけでは済まぬ。

領土も奪われ、領地は王領となるであろう。

アナスタシア第一王女は口にもしたくないのか、それを告げなかった。

 

「……」

 

私は沈黙し、歯ぎしりでそれに答える。

どうすればいい。

アナスタシア第一王女と、アスターテ公爵の言葉は正しい。

どこまでも悲惨なぐらいに正しい。

私は英傑ではない。

以前、ヴィレンドルフの騎士達相手にはアンハルトの英傑であるなどと啖呵を張ったものだが。

アンハルト王都の市民からは英傑と認められていないだろう。

ヴィレンドルフの地における、レッケンベル騎士団長程の強固な立場にはないのだ。

ここに居るのは、ただ王家と縁があるだけの領民300名の弱小領主騎士がただ一人。

私はその現実に項垂れながら、言葉を続ける。

 

「総力戦の準備を明日から、等とまでは言いませぬ。命令の上意下達、それがこの封建的主従関係において、即座に行われるように、情報と認識をアンハルト諸侯において共有させることが必要なのです。そうでなければ、騎馬遊牧民族国家には勝てませぬ」

「許さぬぞ、ファウスト・フォン・ポリドロ」

 

必死な表情であった。

アナスタシア第一王女とアスターテ公爵が表情を歪め、二人して私に詰め寄る。

 

「アンハルト国内に無用な混乱を招くことは許さぬ。お前が吊し上げを食らう事など決して許されぬ」

「私は明日、リーゼンロッテ女王に諸侯、そして高級法衣貴族が並ぶ満座の席で、トクトア・カンの脅威を訴えるつもりです」

「聞け、ファウスト! 我らの忠告が聞けぬのか!!」

 

アナスタシア第一王女とアスターテ公爵が必死に食い止める。

だが聞けぬ。

心の底から、私の事を想っての言葉だとは理解できる。

なにせ、戦友だ。

お互いの血と汗が混ざり合うのを気にせず、甲冑姿で、まだお前は生きているかと互いを戦場で抱きしめ、その生を確認し合った仲だ。

だが、それでも。

それでも、私は。

 

「今日は、お二人にリーゼンロッテ女王への嘆願における援護をお頼みするつもりでした。だが、御二人は正しい。そして間違っているのは私です」

 

狂っているのは私の方。

ここで馬鹿げた行動を取っているのは私の方。

この世界で仮想モンゴルが西征してくるなど、まだ何の根拠もない。

だが、もはや。

もはや、ここで訴えねば間に合わぬ気がするのだ。

私の前世の知識と直感がそう告げている。

 

「それを承知で、明日はリーゼンロッテ女王に訴えます。覚悟と準備は済ませるつもりです」

「準備?」

 

失言。

これは言うべきではなかった。

拙いな。

頭を下げる。

 

「もはやこれまで。話は終わりました。狂った男の戯言と思い、お忘れください」

「馬鹿な事を言うな。お前がその気ならば、私達とて協力を。お前が吊し上げる事などないよう、もっとオブラートに包んだやり方でだな」

「それでは足りませぬ。誰もが目を醒ます、強烈な一撃を放つ必要があるのです」

 

私は、頭を下げながら決意を固める。

あの手段しかない。

もはや、私に残されたのはたった一つの狂気の手段しかありえない。

この微妙な魔法が存在するファンタジー世界で、私の決意を示すために残された、たった一つの方法。

それによって私の覚悟を見せる。

吊し上げ等食らう前に、私の覚悟という物を見せてやる。

何、陰腹位は斬ってやるさ。

こんな国など正直愛してはいない、私を醜い姿の男と見下すクソッタレの国ではあるが。

別に王家の面々、リーゼンロッテ女王やアナスタシア第一王女、アスターテ公爵、ヴァリエール様が嫌いなわけではない

それより何より。

 

「アナスタシア第一王女、アスターテ公爵、私はね。遊牧騎馬民族国家が我が領地に踏み入り、母の墓地を踏み荒らして歴史の波に流されて判らなくなってしまう事。それだけは何があっても許せないんですよ」

 

自分に与えられたグラスのワインを飲み干す。

再び叫び出す二人。

もうその声は聞こえない。

歌のようにすら思える。

ファウスト・フォン・ポリドロにとってその二人の必死な哀願じみた声は、凱旋歌にも聞こえた。

これは領民300名足らずの愚かな領主騎士が、リーゼンロッテ女王に遊牧騎馬民族国家の脅威を判らせる、たった一つ残された賢いやり方なのだ。

いや、賢くはないか、むしろ愚かだ。

私は口端を笑わせながら退室し、第一王女親衛隊長アレクサンドラと談笑していたマルティナの手を引き、アナスタシア第一王女の居室を後にした。



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第50話 ケルン派という宗教

馬車内。

貸し馬車屋から借り受けた馬車である。

従士長であるヘルガが馬を操り、御者役を務めている馬車内。

馬車内には簡素な長椅子が固定されており、そこに私とマルティナが横に並んで座っている。

先に話を切り出したのは、マルティナであった。

 

「交渉は?」

「失敗した」

「でしょうね。元より無理なのです。この状況でアナスタシア第一王女とアスターテ公爵を説得するなど」

 

マルティナが溜息を吐いた。

私は無理を承知で頼んだ。

だが、現実を突きつけられただけであった。

私には力が無い。

より正確に言えば、力と成り得る情報元が無い。

説得力の根源と言えるものが何もないのだ。

 

「ファウスト様。何も今から急いで国家総力戦など訴えずとも良いと私は考えます」

「今からでなければ、何もかも間に合わぬと私は考える」

 

マルティナの言葉。

それを否定で返す。

 

「何をそこまで、根拠は?」

 

マルティナの問い。

それに、少し沈黙で返す。

外に出せぬ私の根拠は、余りにもユエ殿のトクトア・カンの話と、前世でのモンゴル帝国のそれが似通っているから。

弱いな。

アナスタシア第一王女の言葉でも明確にされたが、なるほど確かに、トクトア・カンの西征、モンゴル帝国のヨーロッパ西征が再現されるという話は、今の段階ではどこにも根拠がない。

この転生者の知識を持ってしてもだ。

だが、遅い。

余りにも遅すぎるのだ。

マルティナに返事をする。

 

「マルティナ、我々が遊牧民族に対抗するには何が足らぬと思う?」

「パルティアンショットに対する対抗策でしょうか。身近なところでは、クラウディア・フォン・レッケンベルが単純にその射程距離を超えるロングボウにて、それを撃ち破りましたが」

「そうだ、遠距離武器による損害に皆が浮き足立ち、高速移動に敵の戦列が対応できずに戦闘隊形が乱れる」

 

より長い槍、攻撃手段を持っている方が勝つ。

条理だ。

遥か太古から、それは変わらぬ。

私のポリドロ領民も、軍役の際は小規模のテルシオを編成している。

従士5名に持たせたクロスボウの他に、6mほどの特注の槍であるパイクを装備させている。

貧乏領地なので、全員に装備させるとまではいかず、剣を装備した者もいるがな。

 

「マルティナに問う。平野における闘争とは何ぞや」

「格闘戦であります。騎士である騎兵が、歩兵を蹂躙する重要な兵器であります。母カロリーヌからはそう教わりました」

 

中世における闘争とは、前世現代での進化した機動戦とは違い、運動戦に尽きる。

非力な火力しか持たぬ時代、敵味方が同数ならば優れた移動能力を持つ方が必ず勝つ。

そしてトクトア・カンの仮想モンゴル帝国は全員騎馬だ。

対してアンハルト・ヴィレンドルフ連合軍2万は騎士である数千と、領主騎士が率いる平民歩兵。

そして、その指揮系統はてんでバラバラである。

臣下の臣下は臣下ではない。

封建的主従関係におけるそれは、モンゴル軍に対し致命的である。

このファンタジー世界における通信機、水晶玉がある事で指揮系統のみは機能しているが。

それでも、領民は他の領主の指示にはまず従わない。

それこそ、王の命令すら従わぬ事がある。

つまり、連携しないのだ。

対して仮想モンゴル帝国はどうだ。

ユエ殿のかつて仕えた王朝フェイロンを滅ぼした手段は、話から聞くにモンゴル帝国そのままだ。

 

「マルティナ。遊牧民族は部族制のため、指揮官が倒れてもすぐに次席指揮官が指揮をとるシステムを取っている。そして長が命じれば、号令一つで連携して突破、迂回、包囲、機動の3要素を容易に行う。トクトア・カン率いる仮想敵国は、数万単位の軍でそれを可能にする」

「封建制の領主達にはマネできないシステムですね」

 

ヴィレンドルフ戦役では前線指揮官たるレッケンベル騎士団長を一騎討ちで倒した際、ヴィレンドルフ全軍の行動が一時停止した。

それにより勝利できた。

そんなもの、仮想モンゴル帝国相手には望めない。

 

「ユエ殿からは詳細な話を聞いている。トクトア・カンの率いる軍はおよそ10万人。全てが騎馬兵だ。さすがに全員が西征してくる事は有り得ない。だが、来るのは私の予想ではおよそ7万。これも確実性は無いが」

 

西方遠征軍はモンゴル兵5万に、2万人の徴用兵、さらに漢族とペルシア人の専門兵。

ワールシュタットの戦いではおよそ2万の騎兵、そうであったはず。

前世の知識故、このファンタジー世界における確実性など何もないが。

うん? ペルシア?

この世界ではパールサだったか。

ホラズム・シャー朝はまだ滅んでいないのか、それとも攻め込まれている最中であるのか。

予想がつかないが、まあどうでも良い。

今の私に情報は手に入らぬ。

アナスタシア第一王女ですらその情報は持っていない。

持っていれば、もっと私の話に聞く耳を持ってくれたであろう。

これに関しては、パールサ商人を通して情報を探ると言っていたカタリナ女王からの私信を待つしかない。

或いはリーゼンロッテ女王が、神聖グステン帝国から得た情報を私に漏らしてくれるか。

 

「なあ、仮に戦ったとして勝てると思うか?」

「勝てませぬ。ですが、やや想定が絶望的すぎやしませんか?」

「ユエ殿の話によれば想定ではない。そしてユエ殿の王朝は、トクトア・カンが束ねる10万を軽く超える兵数であった。それでも負けた。数だけの問題ではない絶望だからこそ焦っている」

 

前世のチンギス・カン、その存在は世界のバグそのものだ。

第五の天使がラッパを吹いた。

私は天から一つの星が地上に落ちたのを見た。

その星に、底なしの深淵の穴を開いた。

すると、大きな竈から出る煙のような煙がその穴から立ちのぼった。

その穴から〔立ちのぼる〕煙のために、太陽も中空も暗くなった。

ヨハネの黙示録、七つの災厄の5番目。

蝗害。

それにも例えられる存在だ。

対抗手段は今から考えねば。

時間だ。

中央集権化などしている暇など、どこにもない。

何十年かかると思ってんだ。

命令の上意下達。

トップダウンでの命令に、領主騎士が、平民歩兵が黙って従う。

最低でもそれが求められるのだ。

そうだ、最低だ。

 

「何で糞みたいな最低の基準のために私が命張らなきゃならんのだか」

「命を張るつもりですか」

「もう、どうしようもないのだ」

 

軍権の統一。

中央集権化の時代にならねば、これも無理であろう。

だが、一撃で良い。

ただの一戦においてのみ、軍権を統一させる。

それだけならば可能なはずだ。

いや、可能にしなければならないのだ。

頭の血は巡る。

ドクトリン開発。

ワールシュタットにおける、モンゴル帝国のまるで教科書のような見事な兵法。

その想定を王家経由で神聖グステン帝国に伝え、後はお任せするしかない。

神聖グステン帝国には私などより遥かに知恵者がいるようだ。

脅威に対抗できる防波堤を今から構築せよ。

今の段階で転生知識も無しに、そこまで読み切っている天才が神聖グステン帝国には居るのだ。

その女に、後は任せよう。

 

「ファウスト様」

「何だ」

 

私の思考を無視するように、マルティナが呟く。

私の懊悩を無視するようにして。

 

「逃げませんか?」

「何?」

 

マルティナの言葉に、目を丸くする。

何を言っているのだ、この9歳の少女は。

 

「私はファウスト様の決意を翻意させようと考えていました。それなりに考えました。シルクロードの東の東の果て、そこからトクトア・カンが攻めてくるはずなどないと説得しようと考えました」

「奴らは必ず攻めてくる。必ずだ」

「その確信はどこから来るのです? ですが、そう確信出来ているなら逃げましょう。この世界の果てまで」

 

遊牧民族の特性からだ。

奴等は略奪と虐殺しか知らぬ。

それだけ。

たった、それだけだ。

それだけが、奴らの文化なのだ。

滅ぼした王朝フェイロンの豊かな土地、そこから得られる徴税に満足して略奪を止める。

そこで満足して停滞する。

それは農耕民族の考え方なのだ。

私は前世では理解できなかったそれに、教科書で学んだそれに、やっとこの異世界で気が付いた。

知性はあるが理性は無い、略奪と虐殺だけを文化にした集団だ。

前世の歴史から見るに、遊牧民族の文化とはそうとしか呼べぬ。

誰も信じぬであろう。

この世界では私だけ、そして神聖グステン帝国の一部のみがトクトア・カンの侵略を確信している。

 

「さきほど逃げると言ったが? 何処へだ? 何処にも逃げ場など無い」

「神聖グステン帝国の奥深くにです。ファウスト様は超人です。どこでも厚遇される」

「マルティナ」

 

私は優し気に声を掛けた。

ああ、マルティナの9歳児とは思えぬ知能を持ってさえそうなのか。

神聖グステン帝国で世界は閉じている。

この世界の英国に、島国に逃げよとまでは言わぬか。

少し、おかしくなってしまって笑顔が浮かぶ。

マルティナが膨れっ面になった。

 

「何故笑っているのです」

「そこは、島国まで逃げよと言って欲しかったな」

「言葉も通じぬ島国に? 存在だけは辛うじて聞き及んだ事はありますが」

 

地理は知らぬであろう。

まあ。この異世界の地理は前世と似たようで、少し歪んでいるがね。

位置的にはドイツ・ポーランドに近いと言っていいだろうか。

このアンハルト・ヴィレンドルフの両国の北方には草原地帯が広がっている。

なかなか愉快な地形をしているものだ。

 

「また笑う」

「悪い」

 

膨れっ面のマルティナに、謝罪を返す。

今の笑いは、お前への笑いではなく、このファンタジー世界における地形の歪さを笑ったものであるが。

何はともあれ。

 

「私は逃げんよ」

「それは何故? まあ聞くまでもありませんが」

「領民と領地に、全ての財産が残っている。私一人ならば母の遺骸を掘り起こし、逃げられるかもしれんが」

 

母は嘆くであろう。

何故我が領地を見捨てたと。

 

「祖先が人を縛り、大地が人を縛っている」

「ですね」

「だが、私はそれを否定しない」

 

祖先が人を縛り、大地が人を縛っている。

これはナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーの演説の一句であったな。

どうしようもねえ。

どうしようもねえんだよ。

アドルフ・ヒトラーの演説は、実に核心を突いている。

それは農耕民族たる我々が縋りつく全てなのだ。

これだけは手放せないものなのだ。

 

「さて、ではマルティナにも納得してもらったようで、行くとしようか」

 

私はわしゃわしゃと、マルティナの金髪を撫でる。

子供の髪質だけあって、それは手に心地よい感触を与える。

その手を跳ね除け、少し怒りながらマルティナは呟く。

 

「何処へ行くんですか」

「教会」

 

私は短く答えた。

マルティナは、教会に行く用件が思い浮かばないようで、少し戸惑う。

 

「教会? 神頼みですか」

「そうさ、神頼みさ」

 

文字通り、神頼みなのさ。

ここが魔法も奇跡も伝説もあるファンタジー世界で良かった。

おかげで、私の覚悟が示せる。

陰腹を斬る事に変わりはないがね。

そうでもしなければ、誰も認識してくれないのだ。

理解してくれないのだ。

いや、そこまでしてさえ、理解してもらえないかもしれない。

それでもやらざるをえないのだ。

私は狂っている。

狂っているのだろう。

もっと良い手段があるのではないか、もっと知恵者に知恵を強請るべきではないか。

そう思う。

だが、アナスタシア第一王女も、アスターテ公爵も、聡い9歳児のマルティナも、私の求める答えは返してくれなかった。

不定の狂気に陥った、私の取り得る手段はもはやこれしか無いのだ。

 

「ファウスト様、教会から嫌われてませんでしたっけ? 教皇が禁止を命じたクロスボウを好んで使うから」

「それでも、我が領民300名の領地に、教会はちゃんと有ったであろう」

「まあ、確かにありましたが。アレはねえ」

 

アレ。

マルティナがそう呼ぶ教会派閥の、王都に所在する大教会。

その前に、馬車が辿り着く。

 

「ファウスト様、大教会前に到着しました」

「お疲れ様」

 

私は従士長であるヘルガに答え、馬車を降りる。

ケルン派。

この大教会は、ケルン派と呼ばれる一神教の小派閥の教会である。

実際、小派閥らしく大教会とは言っても小さな教会だ。

この異世界は、やはり一神教が大勢を占める世界ではあるのだが。

そもそも、今世の西洋では教義の解釈違いで、または礼拝作法の違いで、異様な数に別れている。

ヴァルハラ、北欧神話のその思想が混ざっているのが、この世界の一神教だ。

訳判らんだろう。

クリュニーだのシトーだの前世に似通った教派までは判る、それ以上の事は判らぬ。

ハッキリ言ってしまおう、この世界の一神教の教派の全てを把握するのは諦めるべきだ。

宗教は複雑怪奇にして面倒臭い。

まあ、魔法のような偉業、要するに奇跡を達成した聖人が過去におり、一神教が大勢を占めている。

それさえ理解できていれば、私はそれでいい。

そしてケルン派である。

一言で言おう。

敵の山賊から鹵獲したクロスボウ、これについて我がポリドロ領にいるたった一人の神父、いや、この世界では神母に聞いたところ。

 

「ガンガン使っていきましょう。これは神の恵みです」

 

と答えたのがケルン派だ。

教皇がクロスボウ禁止してる世界の真っただ中での、神母の発言である。

頭おかしい。

まあ拒否されても、領民の犠牲者数を減らすために私はクロスボウをガンガン使ったけどな。

 

「お前は馬車に残れ、マルティナ」

「私も行きます」

「来るなと言っている」

 

お前はケルン派司祭との会話の最中に、必ず邪魔をするであろう。

それは今の狂いつつある私でも判っている。

だから邪魔なんだ。

 

「これは騎士見習いへの命令だ。マルティナ。馬車に居ろ」

「……承知しました」

 

マルティナは断れない。

さて、行くか。

私は馬車を降り、ヘルガにマルティナを見張っていろと命じ、ヘルガさえも断ち切る。

この場からは私一人である。

さて、狂気が勝つか、理性が勝つか。

リーゼンロッテ女王への上奏を行う前に、狂気の準備の下ごしらえと行こうか。

私はクスクスと笑いながら、教会の中へと入って行った。



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第51話 弾丸は一発しかない

シスターは居ても、ブラザーはいない。

いきなりそんな思考が頭に浮かんだ。

神聖グステン帝国のグステン教皇、そして司教、司祭、さらには神父。

それらの事をファーザーと呼ぶことは無い。

というか、前世での神父はいない。

この世界では、その役職が神母と呼ばれる。

つまり全員が女である。

そもそも一神教を興した前世でのキリスト的存在からして、この異世界では女であるのだ。

そして男の信徒たるブラザー、いわゆる修道士は通常教会にはいない。

なにせ貞操観念逆転世界であり、出産男女比率が1:9まで追い込まれている世界である。

男が10人以上の子を作らねば世界は詰まり、人口は減少の一歩を辿る。

人類が滅亡するのだ。

よって、余程特殊な事情が無い限り、教会に修道士がいる居ることはまず有り得ない。

まあ、世情ゆえ致し方なし。

何故だか、シスターの修道服だけは前世のそれと似通っている謎があるが。

この狂った世界で、ベールで覆ったそれを着て神への純潔を象徴し、肌の露出を抑える必要が何処にあるのであろうか。

まあ、あんまり気にしない方が良いのであろう。それは。

どうでもよい、どうでも。

今はただただ、ここに訪れた目的の事だけを考える。

 

「司祭の元までご案内いたします。そして報謝には心から感謝を」

「領民を含め世話になっている立場であるのに、少ない金銭で申し訳ない」

「いえいえ、ポリドロ領の領民全員は数少ない我がケルン派の信徒であります。それだけで、ポリドロ卿は我が司祭に御会いになる権利があります」

 

歓迎はいつでもしてくれるんだけどね。

はあ、と溜息をつく。

ケルン派。

前世ではどこぞのドイツ地方における絵画の総称であった気がするが、この世界では神聖グステン帝国、グステン教皇を崇める小派閥の教派の一つだ。

小派閥といっても、派閥が出来上がるくらいには大きい。

そして信仰対象にも違いはない。

最大の違いは、前世におけるシトー会やクリュニー会。

自ら農具を手に取り、労働と学習を重んじて農民の開墾を指導したシトー会。

戒律のうち祈祷を重んじ、豪華な典礼を繰り広げ貴族的とも言われたクリュニー会。

それらとは全く違う存在。

というか、この異世界の宗教教派はどいつもこいつも、皆好き勝手やってると言うか。

そもそもの一神教自体が北欧神話を強く取り入れ、戦士の死後はヴァルハラにエインヘリャルとして迎え入れられるという思想が存在するというか。

あれだ、もう私にはわけわからん。

一言で言おう。

この異世界の宗教は、いろいろ狂っている。

ゆえに詳しく知りたくなかったし、同時にその機会も無かった。

私はもう領土に前の前の前の前の前の代から領地にへばりついている教会、ケルン派の事しか良く知らぬ。

母マリアンヌは、言った。

ウチの教会は頭おかしいけど、まあそういうものだと納得しなさい。

そう呟いた。

他所の領地の皆様にも、ケルン派を酷く毛嫌いする皆様にも、その説明で納得してもらいたいものだが。

それは無理であろう。

私はそれで諦めたのだ。

そう、諦めた。

 

「それはさておき、ポリドロ卿。今現在のクロスボウは何挺ありますか?」

「山賊どもから鹵獲した、5本であります」

「それは素晴らしい」

 

何が素晴らしいのか。

このケルン派では、教皇が禁忌としているクロスボウを戦場で用いることを推奨している。

平民でも騎士が殺せる武器、なんて素晴らしい物だと。

アカンやろ。

少なくとも前世においては、チェインメイルを装備した騎士相手でも平民が容易く殺せる武器だからこそ、クロスボウを禁止したんだぞ。

いや、この異世界である現世でもそうだ。

何故ケルン派は逆張りする。

母マリアンヌは、かつて言った。

ウチの教会は本当に頭おかしいけど、まあそういうものだと納得しなさい。

納得できませぬ、母上。

明らかにアカンだろ。

コイツ等、教皇の方針に真っ向から反発しとるぞ。

何故教派として存続が許されてるのかすらわからん。

いや、教皇の方針をガン無視してる騎士の私が言ってよい言葉ではないかもしれぬが。

そもそもクロスボウの使用に関しては、アンハルトもヴィレンドルフも、神聖グステン帝国の殆どの騎士が誰も守ってない。

だって相手が使うから、こっちも使わないと領民が死ぬもの。

私個人はクロウボウぐらい普通に剣で叩き落とすから死なないけど。

 

「最近は火器も発達してきました。音だけと言われた昔とは違い、騎士の甲冑の胸当ですら貫通するようになりました。どうです、あのマスケット」

 

シスターが、教会の中央に飾ってあるマスケット銃を指さす。

マクシミリアン甲冑。

前世ではそうとも呼ばれた、自身のフリューテッドアーマーの胸当を撫でる。

さすがに超人の私でも、銃弾を剣で弾くのは難しい。

不可能とまでは言わないが。

だが。

 

「確かに火器の進化は目を見張るものがあります。ですが、この魔術刻印が刻まれた鎧は撃ち抜けないでしょう」

「それは反則ですよねー」

 

シスターが朗らかに笑う。

今まで、頭おかしい、頭おかしい、と何度か繰り返し言ったが。

結論から言ってしまおう。

マスケット銃を教会中央に飾っているように、ケルン派は火力を信仰している。

異端の敵を打ち払うには、まず火力を。

味方を救うためには、敵を一兵でも多く殺せ。

それが教派の主張である。

まあ、言いたいことは判る。

だが、宗教家がそれを言うのはどうなのだろうか。

これは前世の感覚からの違和感なのだろうか。

いや、でも前世での騎士修道会は、修道士が騎士やってたし。

この異世界での騎士修道会も、当然のごとく修道女が騎士をやっている。

懊悩。

前世の知識、現代人としての道徳的価値観、現世での騎士としての誉れ。

それが頭の中で混ざり合って、だんだん頭痛が酷くなるがまあ良い。

今回の目的は、ケルン派の教派としての教義戒律云々を問うために来たのではない。

 

「それで、司祭はどちらに?」

「今は懺悔室にて、信徒の告解を受けている最中です。すぐお戻りになられると思いますので、こちらへ」

 

教会の一室。

シスターに連れられ、その一室に入る。

私は自分の身長2mの寸法には見合わない小さな椅子に座り、彼女を待つ。

その向かいには、大きな司祭の机が設置されている。

この大教会の司祭とは面識があった。

もう2年ほど前になるか。

ヴァリエール様の相談役になる前、ポリドロ領の代替わりのため必要なリーゼンロッテ女王への謁見を、三か月もの間待たされている中で。

なんとかこの順番待ちを先送りにして謁見できないかと、この大教会の司祭に頼み込んだ事がある。

 

その時は、苦渋の表情で断られた。

ケルン派は小派閥ゆえ、国家の政治に干渉できる能力は無いと。