ネト充のススメ  ジューンブライドイベントと桜井優太のお見合い!? (白翼)
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第1話 リリィと林の偽装結婚⁉

MMORPG Randgrid Onlineは剣と魔法の世界を舞台にしたインターネットゲーム、俗に言うネトゲと言われるものの一種だ。

 

 この世界は買い切りのゲームとは違い、多くのキャラクター1人1人にプレイヤーが存在し、それぞれがそれぞれのネトゲライフを送っている。

 

 そんなアバターの1人、ピンクの長いおさげと白い帽子が印象的なリリィは、郊外のひとけのないエリアの巨木の枝に腰かけていた。

 

 ゲーム上のリリィは同じ表情でずっと同じ場所を見続けている。そんな彼女のプレイヤー、桜井優太はパソコンの前で携帯と睨めっこしていた。

 

「……はぁ」

 

 一人暮らしの部屋に小さなため息が吐き出される。優太は再び携帯の画面を覗くと、上へ下へと世話しなくスクロールした。

 

 画面に表示されているのはRandgrid Onlineの公式TOPページだ。ここには大型アップデートやイベントなどの更新が随時告知される。ネットゲームはリアルタイムに更新できるためその特性を生かし、現実世界のイベントとリンクすることが多い。

 

 お正月やバレンタイン、夏の海開きやクリスマス付近になれば雪などが降り積もることもある。そんな一般のプレイヤーにとっては嬉しいだけのイベント更新が、今の優太を大いに悩ませていた。

 

「6月、ジューンブライド。偽装結婚式イベントか」

 

 優太はイベント告知に改めて目を通した。

 

『怪盗ホワイトからの挑戦状! 偽装結婚で紺碧の指輪を守り切れ‼』

 

【イベント内容】怪盗ホワイトから紺碧の指輪を頂戴すると予告状が届いた。この指輪は商業ギルドの長が代々引き継いできたもの、それを奪われるわけにはいかない。これまで幾度も怪盗の被害にあってきた商業ギルドは、紺碧の指輪を餌に怪盗を捕まえようと計画した。そしてその偽装結婚に選ばれたのは君たち冒険者だった!

 

【イベント期間】前半『6月1日~6月30日』後半『6月15日~6月30日』

 

【イベント報酬】紺碧のウェディングドレス。紺碧のタキシード。さらにシークレットアイテムも⁉

 

 優太はイベントページに目を通し、最後の一文を見てため息をつく。それはこのイベントの参加条件についてだった。

 

「参加条件はLv30以上、さらに男女2人でパーティーを組んだプレイヤーのみ、か……」

 

 それを読み上げると携帯の画面を消し、再びRandgrid Onlineの世界に目を向けた。

 

 今回のイベントはネット上でちょっとしたお祭り騒ぎになっている。男女2人のパーティーでしかチャレンジが出来ないことがその理由だろう。ソロプレイヤーを中心にブーイングが上がるのも仕方がない。だがその声はお祭り騒ぎの3割にも満たないだろう。もう7割を占めているのが報酬アイテムの存在だ。

 

 紺碧のウェディングドレス。今回のイベントのために新規造形されたアバター衣装が、課金アイテムに負けず劣らずクオリティーが高いのだ。さらにシークレットアイテムの存在も今回のイベントの期待値を高めていた。

 

 そんなこともありRandgrid Onlineのパーティー募集掲示板は昼夜問わず賑わっていた。

 

「欲しい。この衣装は正直心の底から欲しい」

 

 出世頭の優太はそれなりに高給取りだ。それに加えてその給料は唯一の趣味であるゲーム、とりわけRandgrid Onlineのガチャに溶かされている。欲しいアイテムが出るまで引く彼だが、ガチャで手に入れられないものはもちろんイベントを走るしかない。

 

 イベントを走る。それ自体は何の問題もない。募集要項の異性キャラクターの存在、それを満たす相方はすでに傍にいるのだから。

 

「結婚式イベントか。……盛岡さんはどう思うかな」

 

 そう言葉にすると青い髪の長身の男性、並びにミディアムヘアの年上の女性の姿が浮かぶ。プレイヤー名『林』、リアルネーム『盛岡森子』。リリィのゲーム内の相方であり、現実世界での友達だ。

 

「友達、いや知り合いか。いやいや、現実でも何度か出かけているわけだし、少なくとも知り合いってことは」

 

 などと彼女との距離について1人で悩んでは突っ込みを入れる。ひとしきりそれを終えると、現実に目を向けた。

 

「正直今までこういうイベントがなかったわけじゃない。でも昔は男キャラの相方もいなかったし、相方のふりをしてくれたカンベさんは見た目装備には全然興味示なかったんだよな。……今なら周りを気にせず堂々とイベント参加できるんだよな。でも結婚かー」

 

 偽とは言え結婚イベントに誘うことを森子がどう思うだろうか。優太にはそれだけが気がかりだったのだ。

 

「少しずつだけど距離が近くなっていると思う。だけどこんなリア充イベントみたいなのに誘って、変に思われても嫌だし。いや、でも、紺碧のウェディングドレスが欲しいだけで下心があるわけじゃ……」

 

 そこまで言葉にするとぴたりと口が止まる。下心があるわけじゃない。その言葉を最後まで口にすることができなかった。

 

 本当にウェディングドレスが欲しいだけなのだろうか。自分はもしかしたら林である盛岡さんと――。

 

林「リリィさん、何か悩んでいるんですか」

 

リリィ「はい、結婚についてなんですけど」

 

林「えっ、えっ、さ、桜井さん、そ、その、けけけけ、結婚するんですか⁉」

 

「えっ、はあっ⁉」

 

 チャット欄を見て素っ頓狂な声を上げてしまう。長年のネットゲーム癖だろう。自然にチャットに反応し何も考えずコメントを飛ばしてしまったのだ。幸いフレンドチャットで飛ばされたそれに反応する他のプレイヤーはいない。優太は画面を右へ左へと見ると、リリィのすぐ隣に林が座っていることに気づいた。

 

リリィ「は、林さんいつの間に‼」

 

林「ちょっと前にログインしたんですけど。返事がこないから離席しているのかと」

 

リリィ「えっ、あ、本当です」

 

 チャット欄には林からのメッセージが何度か届いていた。ずっと考え事をしていたから気づいていなかったようだ。

 

リリィ「ご、ごめんなさい林さん。ちょっと考え事をしていまして」

 

林「そ、そんな何度も謝罪エモートを連打しなくて大丈夫ですよ。ボーっとしちゃうことは誰にでもありますし。……えーっとそれでさっき結婚とか言っていましたけど、もしかしてリアルで」

 

リリィ「ち、違います、違いますよ! 今度あるイベントのことを考えていまして」

 

 イベント。その単語を出すと林の目が光り輝く。

 

林「次のイベントの報酬凄くいいですよね! 林ってやっぱり黒系の衣装が似合うと思うんですけど、他の色にも興味はあって。でもリアルの都合であまり課金とかは出来ないなーって思っていたらこのイベントが出てきましたからね! 絶対に逃す手はないですよね。それにそれに――――」

 

 楽しそうに次から次へとイベントのことを話す林を見て、優太は肩の荷がすっと軽くなるのを感じた。

 

「盛岡さんはゲームを純粋に楽しめる人だしな。何だか余計な心配だったかな」

 

 優太はキーボードに手を置くと、カタカタと文章を打ち込んだ。

 

リリィ「でしたらイベント、一緒に参加しましょう。イベント開始後の金曜夜で大丈夫でしょうか?」

 

林「俺はいつでも大丈夫ですよ。ジューンブライドイベント楽しみですねリリィさん!」

 

リリィ「はい。あっ、それじゃあ今日はこの辺で落ちたいと思いますね」

 

林「はい、イベントの時はよろしくです」

 

リリィ「はい! お休みなさい、林さん」

 

林「おやすみです、リリィさん」

 

【リリィがログアウトしました】

 

 優太はゲームとパソコンの電源を落とすと、そのまま電気も消してベッドに潜り込んだ。

 

「結婚式。……本当に楽しみだな」

 

 そう改めて言葉にすると、イベント当日が楽しみだと優太は眠りにつくのだった。

 

【リリィがログアウトしました】

 

「あ、あああ、焦ったー。け、けけ、結婚ってイベントの話か~~」

 

 森子は背もたれに背中を預けると、ズルっと体勢を下にずらしていった。

 

「林がログインした時もチャット送った時もリリィさん反応がなくて、それでもしかしたらあの場所にって思ったら、いきなり結婚って言われて、あー、本当に焦ったー」

 

 郊外の巨木の枝の上。ひとけがあまりないその場所はリリィにとって考え事や悩み事があるときに向かう場所だ。そこにいるリリィを見て何か悩みがあるのだろうと森子は思っていた。

初めは声をかけるべきか少し悩んでいた。三十路でニートの自分に役に立てることがあるのだろうかと、少し卑屈にもなっていた。

 

 だが彼女は盛岡森子として、林として、何度も彼であり彼女に助けられてきた。頼りない自分ではあるが、話すだけでも軽くなる悩みもある。そういった経緯ののちリリィに話しかけたのだ。

 

「でも桜井さんはどうしてイベントのことについて悩んでいたんだろう。今回は募集要項がLv30以上で初心者さんでも気軽にやれそうなイベントだとは思ったけど? あぁ、もしかしたら仕事が立て込んでたり、他に用事があって時間が取れなかったのかも。あちゃー、気軽にイベントのお誘いするべきじゃなかったかなー」

 

 勝手な予想を立てて少しの自己嫌悪に陥る。それからしばらくして森子は携帯でイベント詳細を見た。

 

「結婚式イベントかー、もしかして桜井さん結婚式ってことに遠慮して……いやいやいや、ゲームの話だし。怪盗イベントだし。そんなに気にすることじゃないよね、うん」

 

 誰もいない宙に向かって立て続けに言い訳する。

 

「桜井さんはこのゲームを本当に楽しんでいる人。衣装もたくさん持ってて、今回の衣装も欲しいだろうし。きっと林にお願いするのに気を使っていたんだと思う。……うん、それだけ、それだけ」

 

 これでこの話はお終い。そう思うと同時にカンベからチャットが飛んでくる。

 

カンベ「これからギルドの皆で素材集めに行くんだが林はどうだ?」

 

林「すぐに合流します!」

 

 カンベからパーティー申請が飛んでくるとすぐに加入する。まずはギルドのたまり場に移動しよう。その最中森子の頭に小さな疑問が浮かび上がった。

 

(どうして結婚って言われて、私は驚いたんじゃなくて焦ったんだろう)

 

カンベ「おい林、止まってないで早く来いよ」

 

林「わかっていますって!」

 

 そんな一瞬だけ浮かび上がった小さな疑問は、その小ささに比例しすぐに消えていく。イベントに向けて出来るだけ装備を整えておこう。林は郊外のエリアを抜けカンベ達の元に向かうのだった。

 

 



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第2話 桜井優太のお見合い⁉

 梅崎商事、桜井優太が勤務する会社だ。今日も今日とて仕事に追われあちこちを走り回るのだろうと優太は思っていた。ところが今日は違っていた。明らかに軽めに割り振られた仕事を終えると、その後部長室に呼ばれたのだ。

 

(い、いったいなんだ。特に大きなミスはしてないと思うけど)

 

 優太は所謂出世頭だ。ネットゲームに熱中し、たまの遅刻はあれど、それを補うほど仕事をこなしてきた。そのつもりだ。

 

(大きなミスはない。でも特別に呼ばれるほど大きな仕事をこなしたわけでもない。ああ、こう何も理由がわからないほうが緊張するな)

 

 だが緊張しているだけでは何も始まらない。優太は部長室をノックした。

 

「桜井君か、入ってくれたまえ」

 

「失礼します」

 

 ドアを開け一礼して部屋に入る。部長に席を勧められると優太はソファーに腰かけた。一般の社員のものとは違う、客人用の弾力のいいそれにさらに緊張が増していく気がする。

 

 だが緊張した優太と同じくらい、部長もまた居心地が悪そうな顔をしていた。部長は何もない天井をちらちら見つめ、何か言いだしづらそうに目線を泳がせる。そして視線を合わせることなく困ったように声を上げた。

 

「その、桜井君ね、えーっと、あー、でもこういうのも最近パワハラとかになっちゃうからあれなんだけどね。答えづらかったらそれはそれでいいんだけどね。……君、今結婚を前提にお付き合いしている人とかいたりするかな」

 

 結婚といわれて1人の女性が脳裏を過る。しかしそこには男女の仲は何一つ存在しない。優太は特に後先も考えずに「いえ、そのような女性はいません」と答えた。

 

 それを聞いて、部長の顔がさらに困り果てる。それから諦めの表情をしながら厚手の台紙を差し出した。優太は頭に浮かべながらそれを受け取る。

 

「部長、これは?」

 

「本当に言いづらいんだけどね。……桜井君、お見合いしてみないかい」

 

「へっ、お、お見合い⁉」

 

 弾かれるように台紙を開くと1枚の写真が挟まれていた。赤色を基調とし金色で装飾された着物の女性がそこには映っているのだった。

 

 

 

 終業後に向かった居酒屋。優太の対面に座っている小岩井誉は、ニヤニヤとした顔をゆがませていた。

 

「それでそのまま写真を受け取っちゃったと。さっくらちゃーん、それはちょっと流され過ぎじゃない?」

 

「そんなこと小岩井さんに言われなくてもわかっていますよ! ただいきなりのことで頭が回らなくて。……それに部長さんも何だか居心地が悪そうな感じで、逆に断れなかったんですよ」

 

「ふーん、変なのー。あっ、写真見てもいい?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 小岩井は一度お手拭きで手をふくと台紙を受け取る。写真を開くと「おおっ」と声を漏らした。

 

「かなり綺麗な子だけど、随分と若くない?」

 

「まだ二十一歳。……大学生らしいですよ」

 

「えっ、大学生ってなんでまた学生さんがお見合いなんか?」

 

「それは俺が聞きたいですよ。その子、部長の高校時代の部活の先輩の子供らしくて。会社のインターンで俺を見たらしくて、その後何度も何度も俺に会いたいって連絡していたらしいです。学生時代の先輩の子供のことなんで、部長も断りづらいらしくて。……私の顔を立てると思って一度会ってもらえないかって」

 

「で、了承してしまったと」

 

「りょ、了承はしていませんよ! ただ少し考える時間をくださいって言っただけで」

ダメダメ桜ちゃーん。そういうのは引き延ばせば引き延ばすほど断りづらくなっちゃうもんだよー」

 

「そ、それはそうですけど……」

 

 正論に何も言い返すことができない。小岩井は受け取った台紙を返すと、グラスのビールを飲みほしていく。そして「かぁーー」と気持ちよさそうな声を上げたのち、呆れたような声で会話を続けた。

 

「それに桜ちゃん、年下なんて全然好みじゃないでしょう」

 

「えっ、どういうことですか」

 

「またまたー、桜ちゃんはキラキラした若い子よりも、一回り年上の野暮ったい女性のほうが好みなんだろ~」

 

「盛岡さんは野暮ったくなんかありませんよ!」

 

 思った以上に大きな声が出てしまい辺りが一瞬静まり返ってしまう。優太はハッと口を抑え、小岩井は「うちの同僚がすみませんー」と2、3度頭を下げた。

 

 小岩井は変形しそうなほど頬をニヤニヤさせると、おちょくるような声を上げる。

 

「だ、れ、も、もりもりちゃんのこととは言ってないんだけどなー。べっつにー、もりもりちゃんは野暮ったくないしー、ちょっと感情表現が下手だけど、人のことを気遣える素晴らしい女性だよー」

 

「こ、小岩井さんハメましたね」

 

「もぉー、会社ではエリートなのに、こういうところはウブなんだからー」

 

 優太は悔しそうに肩を震わせる。そんな彼を見て満足したのだろう。小岩井は顔を引き締めるとトーンを落として声を上げる。

 

「会社の上司のお願いで断りづらいのはわかるよ。それに社会において八方美人は決して悪いことじゃない。……だけどな桜井。少しは自分に素直になってもいいと思うぜ」

 

「素直って、俺と盛岡さんはそんなんじゃ……」

 

「まあどうするかは桜井の自由だけどなー。別に桜井がお見合いに行ったって、それがもりもりちゃんにバレるわけじゃないし。でもバレなくたってそういうのはずっと心の隅っこに残るもんだぞ」

 

「それは……はい」

 

「はいはい、それじゃあお話は終わり。明日もお仕事だし、今日はお開きにしようかー」

 

 小岩井は椅子から立ち上がると、ヒョイと会計票を持ち上げる。

 

「小岩井さんお金っ!」

 

「今日は俺の奢りだ。桜ちゃんの悩みに区切りがついたら今度は奢ってくれよー」

 

 ふんふふーんと鼻歌交じりに小岩井は会計へと向かう。取り残された優太はスーツの上着に腕を通すと、ポツリと言葉をこぼした。

 

「心の隅っこに残るか……」

 

 ガシガシと髪の毛を掻くと小岩井の後に続くのだった。

 

 

 そんなごたごたがありながらも時間は流れていく。今日は金曜日。優太は夕食とお風呂を完全に済ませるとゲームにログインした。

 

「盛岡さんは。……あっ、もうログインしているみたいだな」

 

林「お疲れ様ですリリィさん! イベント楽しみですね!」

 

リリィ「私も本当に楽しみにしていました。今日はよろしくお願いします」

 

 挨拶を返しながら集合場所に向かう。林は主人が返ってきた犬のしっぽのように手をぶんぶんと振っていた。

 

「盛岡さん、本当にこのイベント楽しみにしていたんだな」

 

 林の挙動を見て心が少し晴れるような気がした。ここはリアルのごたごたから切り離された世界。リアルの悩み事を持ち込んではせっかくのゲームを楽しめなくなってしまう。優太は気持ちを切り替えるとエモートを送り返した。

 

林「今回のイベント、結構ネット上では盛り上がっているみたいですね」

 

リリィ「そうみたいですね。私もネットサーフィンしている時に、何度かネタバレを踏みそうになって危なかったです」

 

林「その気持ちわかります! 俺なんかネットを封印していましたよ。あっ、もちろんゲーム以外ですけどね」

 

リリィ「ふふっ、本当に楽しみですね。林さん!」

 

林「はいっ!」

 

 そこで会話の区切りをつけると、2人はイベント開始エリアへと移動した。

 

 

 イベント開始の第1週の金曜日だからだろう。イベント受注NPCの周りには溢れんばかりのプレイヤーで賑わっていた。優太も森子もPCのスペックは悪くはないが、それでも多少のカクツキを感じながらじわじわと前に進む。

 

林「リリィさんに言われた通り、集合場所をイベント広場にしなくてよかったです」

 

リリィ「この数ですとお互いを探すのも、探してからクリックするのも本当に大変ですからね。それでは林さんイベント受注お願いします」

 

林「わかりました」

 

 パーティーリーダーの林にNPCに話をかけてもらう。だが1分ほど経っても会話が始まらず、もう30秒ほど経つとようやく会話が始まった。

 

林「す、すみません。NPCに話しかけようとしたら、何度も周りの人たちにクリックしてしまって」

 

リリィ「ネトゲあるあるですね。お疲れ様です」

 

林「おつありです。それじゃあ進めていきますね」

 

商業ギルド長「ああ困った、困った。まさかあの怪盗ホワイトに紺碧の指輪を狙われるなんて。……き、君たちはもしかして冒険者かい⁉」

 

 商業ギルド長が困り果てた顔で二人を見る。商業ギルド長はそのままの顔で事のあらましについて説明をしていくのだった。

 



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第3話 胸の奥の小さな痛み

 岩場の多いだだっ広い草原エリア。犬の手袋を装備したリリィが羊に迫る。その装備に反応した羊は反発し合う磁石のようにスッと距離を取った。

 

 林はリリィが追い込んだ羊に近づくと愛用の剣、ではなく毛刈り専用のハサミを構えた。林はクリックを連打するとチョキチョキチョキと羊の毛を刈る。

 

 羊は真っ白なもこもこを全てはぎとられると、画面からフレームアウトしていった。

 

リリィ「ナイス連打です林さん!」

 

林「いえいえ、リリィさんの誘導が完璧だったからですよ」

 

 羊の毛を刈り続けて1時間、林とリリィはどちらからでもなく座り込むと休憩を入れることにした。

 

林「いやー、ここ最近のゲームじゃこんなに連打しないですよー」

 

リリィ「私もこんなシビアな判定のゲーム久しぶりです」

 

林「それにしても。……偽装の結婚式のためのドレスを自分たちで作るなんて、今までにないイベントですよね」

 

リリィ「本当にそうですね。行動も攻撃的なものでなく少しコミカルですし。羊の毛はいまいくつドロップしました?」

 

林「さっきので18、あと2つでこのイベントは終わりですね」

リリィ「これは。……なかなか大変でしたね」

 

 大変だというにはいくつかの要因があった。まず1つめに装備が固定され、Lv30にレベリングがされているということ。これにより全てのプレイヤーが同じ条件でミッションを進めることになる。

 

 2つめは逃げ回る羊が多くいるマップに、大量のプレイヤーがいること。これによりイベント広場ほどではないが、多少のラグがでてしまい操作がしづらい。

 

 3つめに林とリリィの意思疎通方法がチャットしかないということだ。そのためリリィが羊を追い込んでも林が取りこぼすことが何度かあった。

 

 いや、正確に言えば2人の意思疎通方法はチャットだけではない。お互いの電話番号を知っているので、話そうと思えば話すことができる。

 

 無料通話ツールが多い昨今ではそうしてネットゲームをしている人も少なくはない。だが優太と森子が通話を繋ぐことはなかった。

 

 それは気恥ずかしさももちろんあったかもしれない。だがことゲームにおいて優太はあまりリアルを持ち込みたくなかったのだ。通話をしてしまえばそれは林とリリィの冒険ではなく、優太と森子のやり取りになってしまう。

 

 そんな効率を度外視した気持ちが心どこかにあったのだ。

 

「いくらラグがあるといっても1時間で目標ドロップ数までいかないか。……盛岡さん大丈夫かな」

 

 眠気覚ましのコーヒーを口に運ぶ。画面に映る林はもちろん疲労の色などは見せない。だが森子自身はどう思っているのか、優太はそれが少し怖かった。

 

 今回のイベントの試みは優太の中では正直好感触だった。時間のかかるアイテム収集もネットゲームの醍醐味だと、根っからのゲーマーである彼には染みついているからだ。

 

「でもこれだけ収集して最終的にもらえるのは、見た目装備だけなんだよな。……カンベさんならこの時点で危なかったかもな」

 

 カンベはこの手の男女イベントを避けているイメージがある。さらに性能重視で見た目にはほとんど興味を持っていなかった。

 

「まだ土曜日も日曜日もあるし、もし盛岡さんが辛いようなら」

 

『今日はこの辺にしておきますか?』とタイピングをする。そしてエンターを押そうとしたその瞬間だ。

 

林「今回のイベント、すっごく面白いですね‼」

 

 優太の指がピタリと止まる。林は笑顔のエモートを連打し会話を続ける。

 

林「羊狩りのマップ今回専用ですよね! 女性装備の犬の手袋も毛刈りのハサミはグラが綺麗ですし、なんて言っても毛を刈り取られた羊がすっごく可愛くて! 今回のイベント本当に当たりですよ!」

 

 その言葉を聞くと、優太は書いていた文章をバックスペースする。そして新たな文章を打ち込んだ。

 

リリィ「はい! 私もこういった収集作業かなり熱中するほうなんです!」

 

林「そうですよね、そうですよね! あとなんて言うんでしょう。こう1人で黙々とドロップ品集めているんじゃなくて、誰かと協力して集めるっていうのが、達成感といいますか協力プレイしているぞって感じですっごくやりごたえがあるんですよね! あと2つアイテム集めて早く次のイベントに行きたいですね!」

 

 林の言葉を聞いて、今までの悩みがストンと落ちていくのを感じる。

 

「ああ、そうだ。ゲームをゲームとして楽しみ尽くしている林さんだからこそ、俺は相方になりたいって。……そう思ったんだよな」

 

 林の中身が森子だと知らなかったあの頃。性別も歳も何も知らず関係ない。この人と一緒にゲームを楽しみたいというあの頃の思いが、ふと優太の中に蘇っていった。

 

 優太は残りのコーヒーを一気に飲むと、両頬を軽く叩いていった。

 

リリィ「ラストスパート頑張りましょうか!」

 

林「はい、リリィさん!」

 

 この人とならどんなイベントでも楽しめる、楽しめないわけがない。リリィは再び犬の手袋を構えると、羊に向かい駆け出していくのだった。

 

 

 

 土曜日の午後3時。一度睡眠を挟んで進めていたイベントミッションも終わりが見えていた。林は依頼を受けたイベントNPCに再び話しかける。

 

商業ギルド長「もう頼んでいたものは入手してきたのか!……………私は少しばかり君たちを侮っていたようだ。頼む、紺碧の指輪を守ってくれ!」

 

【ミッションコンプリート! 後半は6月15日アップデート後となります。引き続きジューンブライドイベントをお楽しみください!】

 

 メッセージウィンドウに表示された文字を見ると、2人はラグでカクツクフィールドから離れる。そして彼らのギルド『@家パーティー』のたまり場へと移動した。

 

 イベントフィールド特有のラグから解放されると、2人はハイタッチのエモートを連打する。

 

林「お疲れです!」

 

リリィ「お疲れ様です!」

 

林「いやー、しかし今回は色んなことをさせられましたね!」

 

リリィ「本当ですよね! 羊の毛刈りが終わった後に、染色の薬草取りに、装飾品作りの鉱石取り」

 

林「今まで通りずっと採取するかと思ったら、鉱石を取った瞬間ボス戦になるとは思いませんでしたよ。レベリングでスキルも初期スキルしか使えなかったので焦りましたね」

 

リリィ「林さん、ずっと棒立ちでしたからねー」

 

林「面目ないです。スキルのショートカットいじってなくて、初めは『えっ、なんで技がでないの!』ってゲームがバグったかと思いましたよ。リリィさんはスキル変えていたんですね」

 

リリィ「レベリングされるって話だったので専用ショートカットを作っておいたんです。すみません、林さんにも伝えておけばよかったですね」

 

林「いえいえ、俺も今回は採取クエストだけだと思っていましたから! でもこういう時に備えてショートカットは何パターンか作っておいたほうがいいですね」

 

リリィ「ですね。それにしても最後にギルド長からあんな話を聞かされるなんて。お祭りイベントかと思っていましたけど、今回ストーリー的にかなり重くなりそうですね!」

 

林「本当にそうですよね! 俺、もう先が気になって気になって仕方なくて! ああ、早く次のアップデート始まらないかなー」

 

 チャットの文字だけでも本当に楽しみだと伝わってくるようだった。そんな純粋にゲームを楽しんでいる森子の反応を見て心が和むのを感じた。

 

 優太は背もたれを使いぐーっと背伸びをする。

 

「一度睡眠は入れたけど、結構一気に遊んだからな。コーヒーでも入れるか」

 

 少し離席することを林に伝えるとキッチンに向かう。やかんに水を入れ温めている間、彼はボーっと空を眺めていた。

 

「いい天気だなー。時間はまだ3時を少し過ぎたくらいかー」

 

 今回のイベントは少し面倒な場面はあるが、そうであっても初心者にも優しい難易度だった。本当は日曜日まで何とか終わらせようという心つもりだったが、それは杞憂に終わっていた。

 

「ほんと、いい天気だな……」

 

 インスタントのコーヒーの粉を入れお湯を注ぎこむ。それを机に置くと優太はパソコンの前に戻らずスマホを手に取った。

 

「イベント前半お疲れさまってことで、どこか出かけませんか? いやお疲れさまってそんな疲れるようなイベントじゃなかったけど。でもまた天気がいいからっていうのもどう思われるかわからないし。……ただ盛岡さんに会いたいからって言ったら、なんて返してくれるんだろうな」

 

 ゲームの林にではない。林の向こう側にいるリアルの森子に向けて、優太は何度も何度も文章を打ち込んでいく。しかしその文字を書いては消し、書いては消し、それを送信することはなかった。

 

「俺は盛岡さんと会って、何をどうしたいんだろうな……」

 

 彼女と出会ったのはこのゲーム内だ。何度も死に戻りしている初心者さんがいるなと声をかけたのが始まりだ。

 

 ゲームのスタンスが合うことから相方になってほしいと願い、その相方が会社のマニュアルを作った人物であり、肘鉄を食らわせてしまった人で、そしてあのゲームのユキだった。

 

「俺は、俺は…………」

 

 優太は思いのままにメールの文章を打ち込む。そして今ある思いをそのまま伝えようとした。その時だ。

 

――ピリリリリリ

 

 突然の着信に送信を押す指が止まる。メールを確認すると部長からのメールが入っていた。

 

『以前のことでまた話したいことがある。申し訳ないが月曜日に時間を作ってもらえないだろうか』

 

 その文章を見て優太の思考が停止する。あわよくばあの場限りの話で流れてくれないだろうか。そんな調子のいいことを心のどこかで願っていたのだ。しかし彼の考えとは裏腹に少しずつ事は進んでしまっているようだ。

 

 頭を仕事モードに切り替えると当たり障りのない無難な返信をする。そして、次の瞬間小岩井の言葉が頭に浮かび上がった。

 

「どうするかは俺の自由か。……あっ、そうだ、盛岡さんのこと随分待たせちゃっ

ているな」

 

 再びパソコンの画面に目を向ける。するといつの間にかライラックが近くにおり、オープンチャットで林と会話していた。ライラックは林に今回のイベントのことを聞いていたようだ。

 

 優太は先ほどまでスマホに打ち込んでいたメールを消去する。そしてキーボードに指を添えると新たな文字を打ち込んだ。

 

リリィ「お、お待たせしました! 急に仕事先から連絡が来てしまいまして! あとライちゃんもこんにちはです!」

 

林「お疲れ様ですリリィさん!」

 

ライラック「リリィちゃんおつ~」

 

リリィ「それでダンジョンに行くんでしたっけ?」

 

ライラック「もし2人の時間が合えばお願いしたいんだよねー。水属性の杖の強化をそろそろしておきたいなって思って」

 

林「ずっと強化したいって言っていましたもんね。あとはアタッカーが誰かいれば、あっ、カンベさんもログインしたみたいですよ!」

 

リリィ「私も水属性の素材欲しかったのでちょうどよかったです」

 

 そう文章を打ち込むと優太は深くため息をつく。小岩井に言われたように八方美人は決して悪いことではない。それにライラックの力になりたいことも、皆でダンジョンに向かうことも、イン率が少ない優太にとってはどれも魅力的なことだった。

 

「だけど。……何だろうな、この感じ」

 

 本当の自分はこの後何を望んでいたのだろうか。言葉にできなかった思いがほんの少し胸の奥に突っかかっていくのを感じるのだった。

 



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第4話 私の想いを俺の言葉に乗せて

 

 月曜日。優太はため息交じりに部長室から出る。6月の休日のどこかで例の女性に会ってほしいという話だ。本当は断るべきだった。しかし申し訳なさそうに何度も何度も頭を下げる部長を前にその言葉を口にすることができなかった。

 

 別段本格的なお見合いをするわけでない。ただ会って少し話をするだけでそれ以上何かがあるわけでない。たったそれだけでお互いの面子が保たれるならそれがいいだろうと納得することにした。

 

 そしてそんないざこざがあろうとも仕事は待ってくれはしない。優太は仕事に没頭することで余計なことを考えないようにしていた。

 

 金曜日。仕事帰りに小岩井に飲みに誘われたが、例の話を突っ込まれそうで断ってしまった。コンビニで買ったおにぎりを食べながら帰宅すると、その日はゲームにインすることなく眠りについてしまう。そうしてあっという間に1週間が経ってしまった。

 

 土曜日のRandgrid Onlineのゲーム内。郊外の巨木の枝にリリィは座り込んでいた。ゲームアバターは感情の見えない顔でずっと空を見続ける。

 

 そんなリリィと同じ景色を見ながら、優太は小さくため息をついた。

 

「休みの日に一度集まるって。それって今度の土曜日の可能性もあるんだよな」

 

 今度の土曜日にはすでにイベントの後半がアップデートされている。前半のことを考えれば、森子と共にストーリーを進める流れだろう。

 

「イベント前半のことを考えると金曜日の夜だけで終わらないと思うし。……もしそうなったら日曜日に変えてもらうしかないよな」

 

 急な仕事が入ってその日は無理になりました。そう伝えれば全ては丸く収まるだろう。事実その予定は部長からであるし、そうでなくても森子がそれを知る術は存在しないはずだ

 

「それに盛岡さんはゲームとリアルの線引きをしっかりしている人だし。変に勘ぐったりしないよな」

 

 それはわかっている。事実きっとそうなのだろう。だがそれならどうしてこんなにも心が落ち着かないだろうか。自分は何を望んでいるのだろうか。

 

「……ああ、今日は駄目だな」

 

 何となくログインをしたがゲームをするテンションではない。優太はマウスを動かしログアウトの画面を開こうとする。その時だ。

 

【林がログインしました】

 

林「リリィさんいた! 今どこにいますか??」

 

 ログインと同時に個別メッセージが飛んでくる。それに驚き誤クリックをすると、ログアウト画面が消去された。

 

「も、盛岡さん? どうしたんだろう慌てた様子で」

 

 とりあえず集まるのならギルドのたまり場がいいだろう。これからいつもの場所に向かいます。そう優太が打ち込もうとした時だ。リリィの足元に青い影がちらついた。

 

林「リリィさん!」

 

 ログインしてほんの数秒、林は迷うことなくこの場所に飛んできた。一体どうして? まだ居場所は伝えていなかったはずだ。それに林は何を慌てているのだろうか。

 

 優太の中で様々な疑問が浮かび続ける。しかしそんな優太の考えなど知るはずもなく、林は梯子を昇るとすぐにリリィの隣に座った。

 

林「えーっと、あのー、そのですね」

 

 そう打ち込みしばらくの間無言が続く。林の顔は無表情のままだ。だがそれでも画面越しの森子が何かを考えていることは手に取るように伝わってきた。

 

 そんな状態が3分ほど続く。優太は『どうかしましたか?』と文章を打とうかと考えたその時だ。

 

 

林「……もしかしてリリィさん何か悩み事がありますか?」

 

 的確な言葉に一瞬呆気にとられる。だがすぐに正気に戻ると、ふるふると首を左右に振った。

 

リリィ「ああ、この場所に居たからですか?」

 

林「いやもちろんそれもあるんですけど。あっ、えっと、俺の勘違いだったらほんと、何言っているんだーこいつって思ってもらっていいんですけど。……ジューンブライドイベント開始の辺りから何か悩んでいるのかなって思っていまして」

 

「――――ッツ!」

 

 今度の言葉は完全に的を射ていた。キーボードに添えた指が小刻みに震えるのがわかる。優太はその状態のままメッセージを打ち込む。

 

リリィ「ご、ごめんなさい、ゲームに集中できてなくて」

 

林「ゲームに集中できてないって、そんなことありませよ! むしろ俺のほうがスキルの設定できてなかったりでご迷惑をおかけしまして」

 

リリィ「いえいえ、そんなことないですよ」

 

林「いやいやいや」

 

リリィ「いえいえいえ」

 

 お互い謝罪のエモートを連打する。そんな今の状況を見て、優太の顔から少しだけ笑みがこぼれた。肩の荷の重しが軽くなったのを感じるとそのまま会話を続けた。

 

リリィ「実は会社のほうで少々面倒なことがありまして、それで悩んでいたんです」

 

林「やっぱりそうでしたか。イベント当日何か元気がないような気がしていまして。あと、仕事の電話が来たって言っていた時に、いつもとチャットの雰囲気が違うなって感じていまして」

 

リリィ「駄目ですよね。リアルの悩みをゲームに持ち込んじゃって。せっかく楽しむためにゲームをしているのに」

 

林「そなjなことありませんよ“」

林「そんなことありませんよ!」

 

 噛んでしまったきめ台詞を即座に打ち直す。何とも林らしく、文章を見直すことなく直に感情を伝えてくれたことがこれでもかというほど伝わってきた。

 

林「確かにリアルはリアル、ゲームはゲーム、私もそう思います。でもゲームをプレイしているのはリアルの私たちです。それにゲームに持ち込んでしまうほど桜井さんにとって辛い悩みだってことですよね」

 

 私という一人称、桜井さんという言葉から画面越しの森子の姿を思い浮かべる。画面越しでは当たり前のように顔色すら窺うことすらできない。気のせいだと流すことだっていくらでもできたはずだ。

 

 だとしても林は、森子は、会話をやめなかった。

 

林「私が困っていた時ギルドの皆さんは相談に乗ってくれました。桜井さんに至っては待ち合わせの日付を間違えた私のために息を切らして駆けつけてくれました。それにまだ私がユキだった時は、何度も、何度も、何度も桜井さんは私を助けてくれました。だから桜井さんが困っているのでしたら、私は桜井さんの力になりたいです‼」

 

リリィ「……林さん」

 

 そこまで話し終わるとしばらく間が出来てしまう。優太はなんて言葉を返すべきかと必死に考えていた。だがそれよりも早く林は謝罪のエモートを連打した。

 

林「って、こんな三十路ニートに何ができるって話ですよね! ごめんなさい、ごめんなさい。リアルはリアル、ゲームはゲームと言っておきながらいろいろずけずけと」

 

リリィ「そ、そんなことありませんよ。林さんの言葉、本当に嬉しかったです!」

 

林「いえいえ、そんなそんな。本当にごめんなさい」

 

 そう言って林は何度も何度も謝罪エモートを連打した。だが事実、森子の言葉に優太は本当に心救われていた。

 

 だがどれだけ文字を打ち込んでも林は謝るのをやめない。『リリィ』の言葉では『森子』には届かなかったのだ。

 

 優太はパソコンから離れると携帯をつかむ。そして最近登録したばかりのその番号に電話した。

 

 ワンコール、ツーコール、スリーコール。しばらくの間着信音が鳴り続ける。その着信は十五秒ほどしてようやく繋がった。

 

『さ、桜井さん……?』

 

 電話越しの森子の声は困惑の色があった。優太は森子が次の言葉を話す前に、まくしたてるように思いを伝える。

 

「俺は本当に嬉しかったですよ。盛岡さんが俺の不調に気づいてくれて、本当に、本当に」

 

『でも私、桜井さんに余計なことを』

 

「そんなことありません。……それとも、俺がハースの時にユキさんの相談に乗っていたのはご迷惑でしたか?」

 

『そ、そんなことありません! あの時は桜井さんが話を聞いてくれたから、だからしっかりと仕事をやり終えて会社を辞めることが出来たんです! そうじゃなかったら、私は途中で逃げ出してしまっていたかもしれません』

 

「俺も盛岡さんと同じですよ。盛岡さんが気づいてくれるまで、心のどこかできっとどうとでもなるだろうと半分諦めていたんです。でも盛岡さんのおかげで決心がつきました。すみません、今日は一旦ログアウトさせてもらいますね。ちゃんと自分の意思で決着をつけようと思いますので」

 

 取り繕った言葉でない。濁りのない真っすぐな言葉を聞くと、森子の声色も明るくなった。

 

『わかりました。桜井さん、ファイトですよ!』

 

「それと盛岡さん」

 

『はい?』

 

「後半のイベントも全力で楽しみましょうね!」

 

『……はいっ!』

 

 森子との通話を切るとそのまま電話帳の部長のページを開く。優太は一度大きく深呼吸をすると、着信を入れていくのだった。

 

 

 

 次の週の木曜日。先週と同じ居酒屋で優太と小岩井は晩酌をしていた。

 

「おねーさーん、生中追加ねー」

 

「ちょ、ちょっと小岩井さん飲み過ぎじゃないですか!」

 

「だって今日は桜ちゃんの奢りだもーん。まだまだ飲むからなー」

 

「……はぁ、まあいいですけどね」

 

 優太は呆れながらも変に気を遣わられず、しっかりと『奢られて』くれる小岩井に感謝する。小岩井は届いた生中を半分ほど飲み干すと、ご機嫌な様子で声を上げた。

 

「いやーしかしその女子大生も相当やんちゃだったんだねー」

 

「……本当にそう思いますよ」

 

「桜ちゃんとお見合いするために大学の彼氏4人を振って修羅場になるって。ってか4人同時に付き合える手際があるのに、どうして4人同時に振って問題にならないと思ったんだろうなー」

 

「事前に知れてよかったですよ。下手しなくてもその人たちに恨まれる可能性はあったので」

 

「でも桜ちゃんと付き合うためにしっかり全員振ろうとしているあたり、誠実何だか不誠実何だかなー。で、部長はなんだって?」

 

「今回の件のおかげで学生時代からの縁が切れて助かったって言っていましたよ。なんでも娘さんの父親が運動部の先輩だったらしくて、社会人になった今でも先輩風吹かせてどうしよもない要求をしてくることが多かったらしくて」

 

「部長もなまじ運動部だったせいで、変な習性が染みついちゃっていたんだろうなー。で、部長からは何か言われた?」

 

「何から何まで迷惑かけて申し訳なかったって。俺は大丈夫ですよって言ったんですけど、あまりにも謝罪が凄かったので、ちょっと1つお願いしちゃいました」

 

「おっ、桜ちゃんワルだな~」

 

 そう言う小岩井だが優太が部長の弱みに付け込んだとは思っていない。今優太が飲み代を奢っているように、それは部長の心の負担を失くすための小さなお願いだった。

 

 小岩井は残りのビールを全て飲み干すと口元をニヤニヤとさせた。

 

「で、ワルの桜ちゃんは部長にどんなお願いをしたのかな~」

 

「本当に些細なことですよ。……でも俺にとっては掛け替えのないことです」

 



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最終話 また出会うことが出来たから

 

 次の日の金曜日。リリィがログインすると林はすぐに声をかけてきた。

 

林「お疲れ様ですリリィさん。今日は随分と早いログインでしたけど、夕飯とかはしっかりとりましたか?」

 

リリィ「おつありです林さん。大丈夫です、今日はぴったり定時で上がらせてもらいましたのでご飯もお風呂もバッチリです!」

 

林「それはラッキーでしたね! それじゃあ後半イベント頑張って行きましょうか!!」

 

リリィ「はいっ!」

 

 会話を終えると林からPT勧誘が飛んでくる。リリィが『承認』ボタンをクリックすると2人はイベント後半に挑んでいった。

 

 

 レベルキャップは30のまま、2人はイベントを進める。冒険を楽にするパッシブスキルも、使い慣れたアクティブスキルも今はない。

 

だが、いやだからこそ林とリリィはこのイベントを楽しんでいた。

 

 そしてイベントもクライマックス。2人はイベント専用装備、紺碧のウェディングドレスと紺碧のタキシードに身を包み戦闘態勢に入る。

 

リリィ「ボスのスキルチャージに合わせて補助魔法をかけますから」

 

林「同じタイミングで防御スキル発動しますね!」

 

リリィ「はいっ!」

 

 偽装結婚として選ばれた幻想的な教会でイベント最後のボスと対峙する。

同じレベルで初めてのボスと戦う。そんな今の状況に優太はリリィとして思い描いていた願いが1つ叶った気がした。

 

リリィはこのゲームを林よりもずっと先に始めている。レベル差もあることから、ずっと林のことを補助していた。今でこそレベルの差はほとんどなくなったが、それでもふと頭を過ることがあった。

 

「盛岡さんと初めからこのゲームをプレイ出来ていたら、どんな冒険になっていたんだろうなって。……それがいま叶っているんだな」

 

 低レベル帯特有のカツカツの戦闘、さらにイベント限定で情報のないボスは2人の息が合わなければクリアーが難しい。それに加えて2人はボイスチャットを繋げていない。普通ならば意思疎通をするのも難しいはずだ。

 

だが2人が積み重ねてきた相方としての時間と経験は着実にボスを追い込んでいった。

 

リリィ「攻撃補助、詠唱終わりました!」

 

林「タイミングばっちりです。行きます‼」

 

 リリィの呪文に合わせて林の攻撃スキルが放たれる。攻撃力上昇にクリティカルによる防御無視で放たれたそれは、ボスのHPを完全に削り切っていった。

 

林「お疲れ様ですーーーーー‼」

 

リリィ「やりましたね林さん‼」

 

 ボスがはじけ飛ぶとその中から奪われた紺碧の指輪が現れる。2人がそれを取ると、最後のイベントが始まっていった。

 

 紺碧の指輪のイベントが終わる。2人はボス戦で着ていた紺碧のウェディングドレスと紺碧のタキシードのまま、教会を右へ左へと移動しスクリーンショットを何枚も取っていった。

 

それに満足するとその場に座り込み、今回のイベントの感想を話し合っていた。

 

林「いやー、でも怪盗の正体がまさかでしたね」

 

リリィ「今回のイベント、メインストーリーには関りがないですけど、だからこそこんなに自由なストーリーに出来たんでしょうね」

 

林「ほんと余韻がやばいです。あー、この教会から出ちゃうとイベント終了なんですよねー。何だか出るのがもったいないですね」

 

リリィ「本当に、本当にそうですね。……もっといろいろ感想話したいです」

 

林「ですねー。正直いくら時間があっても足りないくらいですよ」

 

 このままずっと林と、そして森子と話していたい。そう思っていても、強制退室の時間は徐々に迫っていた。

 

林「そういえばイベント報酬にシークレットのものがありましたよね。もうアイテム欄に入っているんでしょうか?」

 

リリィ「そう言われてみればそうでしたね。ちょっと確認してみましょうか」

 

 アイテム欄を確認すると装備中の『紺碧のウェディングドレス』が改めて報酬として入っており、さらにその隣には指輪の装飾品が存在していた。しかしそのアイテムは灰色で表示されており、装備不可となっていた。

 

リリィ「あれ、何かおかしいですね? バグとかでしょうか??」

 

 優太は疑問のままに指輪をクリックする。

 

【紺碧の指輪】『この指輪を交換し合った男女は永遠に結ばれるという伝説の指輪、のレプリカ品。このイベントを一緒にクリアーした大切な人へと送ってください。男性専用装備(交換条件:紺碧の指輪(女性専用)との同時トレード)』

 

リリィ「えっ」

 

林「あっ」

 

 森子も説明文を読んだのだろう。同時に声をあげてしまう。ここまで異性を意識したイベントでは流石に炎上してしまわないだろうか。そんな照れ隠しの現実逃避が頭に浮かぶ。

 

リリィ「え、えーっとこれは」

 

林「い、いやー凄いですね。ほんとリア充ならぬネト充専用イベントですよね。……えっとどうしましょうか?」

 

 何と答えていいだろうか。そうリリィが悩んでいるとチャット欄に運営からの赤文字が書き込まれる。

 

【イベントフィールドからの強制退出まで残り3分です】

 

 もうすぐこの教会からでなくてはいけない。そう意識し心が焦ると、優太は勢いのままにタイピングした。

 

リリィ「せっかくですし、ここでアイテム交換しませんか? 偽装結婚もバージンロードを歩く手前まででしたし」

 

林「そ、そうですね。せ、せっかくの専用フィールドですもんね。交換しましょう、しましょう!」

 

 そう言うと林からトレード申請がされる。お互いに『紺碧の指輪』を提示すると了承ボタンを押した。するとチャット欄にイベントテキストが追加された。

 

【このイベントを終えた2人へ 永遠の祝福があらんことを】

 

 その言葉とともにステンドグラスから眩い光が差し込む。さらに2人を祝福するかのように教会の鐘が鳴り響いた。

 

予想外のイベントに2人はぽかんとしてしまう。

 

リリィ「これって特殊イベントですかね?」

 

林「ですよね。こんな演出普通のフィールドじゃ出来ないですし」

 

リリィ「……ラッキーでしたね」

 

林「……ええ、ラッキーですね」

 

 これではまるで本当の結婚式だ。いやジューンブライドイベントなのだから、これが正しいイベントの終幕なのだろう。

 

チャット欄を見ると強制退出まであと1分を切っていた。優太はリリィに紺碧の指輪を装備させると林の目の前に立った。

 

リリィ「林さん、林さん」

 

林「何ですかリリィさん?」

 

リリィ「これからもどうか。……よろしくお願いしますね」

 

林「……はいっ!」

 

 そんな2人のやり取りが終わると画面が強制的に移り変わる。2人は教会を後にすると通常フィールドへと戻されていった。

 

「…………よしっ」

 

 その時間の間、優太は1つの決意を固めていくのだった。

 

 

 

 

 教会から強制退出させられる。その間、森子は自身の顔を手でパタパタとあおいでいた。

 

「な、なんか顔が凄く熱くなっている気がする。……ってか今回のイベント色が濃すぎるでしょーー!」

 

湯だった顔を冷やすためにお茶を手に取り中身を飲もうとする。

 

――プルルルル、プルルルル!

 

「ぶっ、ぷはっ」

 

 吹き出しそうになるのを何とか耐える。森子は机に置かれた携帯を手に取るとその表示名を見た。

 

「桜井さん……? えっ、なんで、どうして⁉」

 

 何か粗相をしただろうか。おっかなびっくりのまま着信をとる。

 

「もしもし……桜井さん?」

 

『いきなり電話して申し訳ありません盛岡さん。……さっきイベントの感想を話すのにいくら時間があっても足りないって言っていましたよね』

 

「え、ええ、そうですね。まだまだ全然話足りないくらいです」

 

『……そうですか』

 

 そこで一度言葉が切れると、電話越しに呼吸を整えている音が聞こえる。優太は何か覚悟を決めたように言葉を続けた。

 

『もしよろしければ明日どこかでイベントの感想を話し合いませんか』

 

「えっ、どこかでってことはゲーム内でなく」

 

『リアルのほうです』

 

はっきりそう言われると森子の心臓がドクンと高鳴りをあげる。そしてそれを境に何度も何度も力強く心音をあげていった。先ほどのイベントの余韻もあるのだろう。この誘いがどうしてもそういうふうにしか聞こえなかった。

 

きっと普段のネガティブな森子なら口にすることはなかっただろう。だがこの時の彼女はイベントの熱に少し浮かされていた。

 

「桜井さん、それってもしかしてデー」

 

『い、いやー、あの。今回盛岡さんには仕事の悩みでアドバイスもらいましたし、イベントの感想を話しながらお礼を出来たらなーって思いまして。いや、ほんとそれだけで、その、深い意味はないんですよ』

 

 捲し立てるように話す声を聞いて、森子の緊張の糸が少しだけほどけていく。先ほどの優太のように小さく深呼吸をするとできるだけ声を落ち着けた。

 

「私なんてそんな大してお役に立ててないですし」

 

『そんなことありませんよ。盛岡さんがいたから俺は吹っ切れることができたんです。だから、その、お礼だと思って奢られてもらえないでしょうか』

 

「本当に大したことをしてないんですけどね。……でもそうですね、それで桜井さんの負担が軽くなるのでしたら、どこかで感想会しましょうか」

 

『――――ありがとうございます! それじゃあ場所とかはまた改めてメールしますね』

 

「はい、楽しみにしています」

 

 ピッと着信を切ると携帯を机に置く。森子は熱くなる頬に両手を添え、ベッドの上でのたうち回った。

 

「わ、私は何を勘違いしているんだー! デートなんて、デートなんて‼」

 

 抱き枕を抱え何度も何度もベッド転がり回る。

 

 その身もだえは5分後に終わりを見せる。だが、そのすぐ後に優太と出かけることを意識するとさらに10分追加されていった。

 

 

 水の中にいるような独特の浮遊感。ハッキリとしない意識がなく全身の動きが鈍く感じる。

 

「ああ、これは夢の中か」

 

優太は夢の中でそう意識しながら、黒の帽子をかぶったアバターを見ていた。その姿はよく覚えている。あれはネット内のもう1人の自分、ハースだ。

 

 夢の中のハースはずっと同じ空を見上げている。そして大きなため息をついていた。

 

「もうずっとログインしてこないな。……大丈夫かなユキさん」

 

 もっとどうにか出来たのではないか。何か力になれたのではないだろうか。ユキがログインしてこない日々、彼はずっとそれだけを思い続け後悔していた。

そうしている間にも時間は流れ、このゲームの運営期間が終わった。結局ゲームが終わる瞬間もユキはログインしてくれなかった。

 

「俺は知っていたのに、なのに俺は自分が楽しむばかりで何も。……もうゲームなんてしないほうがいいのかな」

 

 そんなふうに俯いているハースの前に2人の人物が現れる。1人は優太、そしてもう1人はリリィだ。2人はハースの腕をそれぞれ掴むと、悲しんでいる彼を起き上がらせる。そして悲しむハースに向けて優太は笑いかけた。

 

「もう大丈夫だから。……俺はまた出会うことが出来たんだよ」

 

 その言葉を聞いて夢の中のハースは笑みを浮かべる。それにつられて優太とリリィも笑顔になった。

 

――ピピピピピ!

 

 その瞬間、けたたましいアラームが部屋中に響き渡る。優太はベッドから手を伸ばすと、携帯のアラームを止めた。

 

「……時間は。うん、予定通りだな」

 

 ベッドから起き上がると出発の準備を始める。着替えをしながら自然と鼻歌交じりになった。

 

 今日はリリィとしてでなく、ましてやハースとしてでもない。桜井優太として盛岡森子として出かける日だった。

 

「楽しみだな。盛岡さんとの感想会」

 

 集合時間にはまだ十分時間がある。だが居ても立ってもいられず優太は家を飛び出した。

 

見上げると空は快晴の青空だった。だがその空を物思いに見つめることもうなかった。

 

 悩んでいる時間よりもいまは1秒でも長く森子と話がしたい

 

優太は快晴の空から視線を下すと集合場所へ走って向かっていくのだった。

 




これにて今回のお話は最終話となります。

感想などをいただけましたら本当に幸いです。

またSNSなどで広めていただけましたら、本当に嬉しい限りです。

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