隻腕の赫王とお人好し (疾風怒号)
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特別編
特別編:設定資料集(仮)


 

 

 

 

 

ノイル・ウッドベル:等級4(一話時点)

 

 

『隻腕の赫王とお人好し』の『お人好し』にあたる青年、本作の主人公。身長約180cm。外見上の特徴は墨色の髪に藍色の眼、日に焼けた肌。

 

バルバレから竜車で数日ほどの場所にある村の出身。家は商家上がりの一族で、幼少期から行商キャラバンの護衛として雇われたハンターを見る機会も多かった。

体格にも恵まれており、狩猟では大剣を用いて前衛を担当するほか、囮を買って出ることも多く、ランス、ガンランスを持ったタンクが存在しない場合は味方を庇うこともある(その結果としてバルバレのハンター達にお人好しと認識されるに至った)。

 

訓練生時代は太刀を用いていたがその時に担いでいた鉄刀は折れてしまい、現在は彼の借家に保管されている。

 

好物は肉類と『鍋を背負ったアイルーの店で食べる炒飯』、苦手なものはヌメリンギ(昔輸入品を生で食したのが半ばトラウマになっている)。

 

 

【装備】

防具:レイアS一式(一話時点)、リオソウルS一式(幕間2以降)

武器:レッドウイング(一話時点))、レッドウイング改(二話以降)

護石:なし

 

 

 

 

リア・ロクショウ:等級7(一話時点)

 

 

『隻腕の赫王とお人好し』の『隻腕の赫王』にあたるハンター、本作の主人公。身長約175㎝。嘗て黒炎王と紫毒姫を相手取った際、黒炎王の討伐と引き換えに相棒と左腕を失い、その身体に毒と炎による傷を負った。現在はそれを隠すために人前では常に鎧を着込んでいる。故に性別・年齢・出身といった素性が殆ど知られていない。

 

隻腕でありながら高い実力を持ち、各地のギルドを渡り歩いては一人で高難易度に指定された依頼を熟し、暫くするとまた別の地域に渡るという生活を繰り返していた。

元々あまり社交的な性格ではなく、また常に纏った鎧の威圧的な外見も災いしてか、何処に行っても友人が出来ない事を密かに気にしている。現在はバルバレに留まってノイルと行動を共にしているが、その他のハンターとは未だに打ち解けているとは言い難い。

 

 

【装備】

防具:黒炎王・隻一式

武器:飛竜刀(一話時点)、改良型飛竜刀(幕間2以降)

護石:花香石のロケット

 

 

・リアの飛竜刀について

ギルド規格とは違う形で特別に製造された太刀、通常の飛竜刀よりも重い上に重量のバランスが異なる為、両腕ではかえって振り難い。隻腕で用いるための様々な工夫が凝らされ、リアが用いてこそ真価を発揮するようになっている(柄に仕込まれた海綿質、打突武器として使用するための鞘の形状など)。

 

リアは抜刀と同時に刀身を鞘に擦り付け、火炎を暴発させることで威力を高める技術を独自に編み出しているが、これは右腕に著しい負担を掛けるため、一日に二回しか行えない。

 

 

 

 

 

アンゼルム・リッター・■■■■■:等級不明

 

 

リアの嘗ての相棒、故人。黒炎王・紫毒姫と相対した際に死亡した。ガンランサー。

 

 

 

 

アミクス・アウディオ:等級なし

 

 

嘗てのリアとその相棒を知るギルドナイト。若くしてギルドナイトの一隊を任されるエリートであり、3~7話の一件以来、密輸・密造業者の更なる摘発に向けて精力的に活動している。

 

顎鬚がチャームポイントだと本人は思っているが、そのせいで多くの相手に実年齢よりも年上に見積もられている事が多い。

 

 

【装備】

防具:ギルドナイト一式

武器:対人用の刀剣

護石:なし

 

 

 

 

 

 



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AC特別編:隻腕紫電ギャシュリークラム

 

 

 

 

人間は弱い。爪も無ければ牙も無く、空を撃つ翼もしなやかな尻尾も、挙句の果てに身を守る毛皮も鱗も無い。鼻が利くわけでも特別すばしこいわけでもなく、暗所を見通すことも無ければ大きな声で驚かすことも無い。あるのは多少の器用さと、精々が手に持つ道具程度。

 

そんなものが、そんなものがもし、その身一つで竜と相対するのなら。それはきっと、とてもとても悍ましいものだろう。

 

 

 

###

 

 

 

灰色の陽光が差し込む古代林狩猟区の最奥、落ち窪んだ地形の底で断続的な轟音が響く。赤光が瞬く度に巨大なシダ植物が叩き割られ、無残にも倒れ伏して地衣類が覆う地表を抉る。嵐かと見紛う破壊の連続、しかしそれを引き起こすのは一頭と一人、ただ相対する竜と人。たった二つの命がぶつかり合う、ただそれだけで、これだけの惨状。一体どこまで竜を怒らせれば、こんなことが起こるというのか。

 

剣のように鋭く長い尾が、一際太い大樹を圧し折る。赤光と同時に火の粉が舞うのは、その刃が眩く赤熱しているからだ。連続して叩き付けられる剣戟を後退しながら避け回るのは赤い鎧の狩人、追うは燃え立つ焔の具現、赤と青の逆立つ甲殻に身を覆う竜。

 

怒り狂うままに全身から高熱を噴き上げ、暴虐を撒き散らす二足歩行のそれに狩人は遁走を余儀なくされている。垂直に振り下ろされた尻尾の一撃が倒木を磨り潰し、それからすんでのところで逃れた狩人が開けた場所に転がりこんだ。

 

好機と見たか脚を撓めてもう一撃と身構えた竜の動きがひたと止まる。狩人の姿を見失ったのではない。むしろその逆、あれだけ逃げ回っていたニンゲンが脚を止め、腰を落とした前傾姿勢で自らに向き合っている姿を見とめたからこそ、竜はその動きを止めた。狩人が腰に佩いた太刀を握り、僅かじきりと金具を鳴らす。その左腕があるべき場所にはがらんと空白が口を開け、バイザーの奥には剣吞な光が灯る。

 

 

「どうした、来ないのか」

 

 

竜は人よりも優れている、膂力も、治癒力も、洞察や勘の類でさえも。故にその『牙』が、自らのそれと比べればあまりにも矮小なその刃が、自らの命を奪うに足りる代物だということを察知出来た。故に動けない、五体満足ですらない、小さな生物を前に最大限の警戒を強要される。

 

狩人が竜を怒らせるなど、とんでもない。

 

狩人は竜を狩るからこそ狩人と呼ばれる。狩人は竜を怒らせるのではなく、まさしくその命を脅かす。挑発に挑発を重ね、逃げ回って誘導し、『全力で刃を振り回しても良い場所』までたどり着いて、ようやくその牙を剥く。

 

身体を捻って限界ギリギリまで傾ける姿勢は獣に似て、相対する竜は首を巡らせて喉から灼熱の粘液を汲み上げ吐き出す。陽炎立つそれは咽頭の火炎嚢にため込まれた金属、岩盤をも抉る威力の、竜が唯一持つ飛び道具。それが失策だったと気付く瞬間には、既に狩人は駆け出していた。

 

熔けた金属の塊をそれよりも身を屈めることで通り抜け、地面すれすれを滑空するようなスピードで竜の首を間合いの内側に収める。狙うは高熱で柔くなった喉の中心。一撃で喉を斬り裂けさえすれば、例え古龍でも死から逃れる事は不可能だ。多くの狩人がそれを知ってそうしないのは、竜自身ですら急所だと認識出来ている首の真下に潜り込むその行為が、自殺行為に他ならないと知っているからで。

 

事実狩人の狙いを知ってか知らずか、竜は大木のようなその脚を踏み潰さんと持ち上げる。縦に長い巨躯を転回させる四股のような姿勢で振り下ろされたストンプは、果たして狩人の身体を捉えること無く空振りに終わった。地面がぐわりと捲れ上がるのは込められた怪力と、力みが生み出す致命的な隙の表れ。脚を竦ませる振動を跳んで躱した狩人が巌のような甲殻に手をかけてその身体を駆け上がる。

 

バルバレを中心に多くのハンターが行う『乗り』とも、遠く名も知れぬ里に伝わるという『操竜』とも別。ただ『致命傷を与えるため』だけにモンスターの背に登るという血も凍るような暴挙に、狩人は兜の奥で口の端を裂く。剣山のような竜の背中を駆け抜け、鞘から抜き放ってもいない太刀を逆手に握りしめて脳天に一撃。身体ごと突っ込んだかと見紛う強振、隻腕というハンデを体幹そのものを軸とした円運動によって武器へと昇華したその技量に、さしもの竜も首を振りたくって苦悶の声を上げた。

 

 

「流石に、硬いか」

 

 

竜の視線の高さから振り下ろされては骨折程度では済まない、狩人は軽快に飛び退いて頭上の木々から垂れる蔦を掴み、懸垂の要領で身体を持ち上げると、一息に脚を振り上げて爪先に蔦を絡め更に半身ほど登って見せる。そうして半ば逆さ吊りの姿勢になった彼(彼女?)は外敵の姿を見失い右往左往する竜を油断無く観察しながら、最初からこうして高所をとれば良かったかとしばし黙考していたが、やがて感触を確かめるように柄を撫でると蔦を蹴り解いて空中に身を躍らせた。

 

竜がそれに気付き首を擡げた時、とうに狩人は狙いを定めていた。

 

大きく脚を振って身体を捻り、独楽か何かのように回転しながらの高速落下。時計回りのそれは、即ち抜刀の動きに重ねる為のもの。僅かでも目測を誤れば重傷を免れない行為に一切の迷い無く身を投じる、その、悍ましい狂気と勇壮。

 

 

「ゼアァッ!!!!」

 

 

気合一閃に鯉口が鳴く金属音。強靭極まる隻腕が、眩く燃える飛竜刀の刀身が、そして鞘内部で爆ぜた灼熱が、一つの奔流となって『斬竜』の片脚を大きく削ぎ落した。勢いそのまま地面を転がって衝撃を殺し、太刀を納めた狩人の眼前には、丁度バランスを崩した斬竜の首がある。

 

バイザー越しの赤い眼と、未だ何が起こったのか理解していないであろう竜のそれがかち合った。

 

 

「恨みは無い、が、斬るぞ」

 

 

狩人は呟いた。謝罪ではなく、懺悔でもなく、いっそ淡泊なほどの静謐さで。

 

 

 

###

 

 

 

あれだけ暴れまわっていた斬竜は、いまは肉の塊となって虫に群がられている。二日もすれば死骸は菌類に覆われ、豊かな自然環境の糧になるのだろう。痺れて殆ど力の入らない隻腕で納刀した赤い鎧の狩人は僅かばかり思索を巡らせたが、背後に人の気配を感じ取って振り返った。

 

 

「ディノバルドをこうも容易く……。噂に違わぬ実力ですね、『隻腕の赫王』殿」

「……止してくれ、子供は?」

「先ほど全員保護されたそうです。全く、大人の目を盗んで深層シメジを採りにいくなんて……」

「その子たちを叱るのは親御に任せよう、私は戻る」

「あっ、待って下さいよ!」

 

 

マントで空の左腕を隠した火竜の鎧が、だらりと垂れた右腕を庇いながら歩いていく。後方に続く金属鎧の同業者には目もくれない姿は幽鬼のようで、『毒で精神を壊した』という噂が立つのも頷けてしまう。

 

 

「右腕だけでは如何しても二回が限度……、クソ、こんなザマで、紫毒を殺せるものか……ッ!」

 

 

忌々し気に吐き捨てる『隻腕の赫王』、その名をリア・ロクショウと言った。この狩人が大市場バルバレに渡るのは、まだまだ先の話____

 

 

 

 

 









今回はせと。様主催の『モンハン愛をカタチに2021』に飛び入り枠として参加する為に書き上げた短い過去話となっております。隻腕赫王も11月で一周年を越え、多くの読者様に支えられてノイルとリアの物語はここまで続きました。この作品を通じて、少しでも自分なりの『愛』を伝えられたら良いと今は考えております。

また今回の企画を通じて初めて拙作に触れた皆様も、もしよろしければ1話より閲覧して下されば幸いです。現在大幅なリテイク中ではありますが,キリのいい部分で終わっているので中途半端な気分になることは無いかと……。

それではここまで読んでくださった皆様、隻腕赫王を応援して下さる皆様、何よりもモンハンを愛する皆様、ありがとうございました。






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文化祭’22特別編:血煙と豊穣のハンターズ・ディナー

今回は『#モンハン文化祭2022』に参加する為、書き上げた超短編になります。普段小説の類に触れない方でも簡単に読める程度の短さの筈です。

文化祭と言えば秋、秋と言えば食欲、ということでテーマは『食』!ぜひお楽しみください。







 

 

 

 

 

バルバレに収穫の季節が来た。穀物や果物が思い思いに実を結ぶ、豊穣と繁栄の時節。年間を通して温暖な遺跡平原も、今ばかりはいつにも増して日差しも風も柔らかい。これから数か月の間、巨大市場は自然の恵みをうけてより一層の盛況を見せる……筈だったのだが、今年は様子が違った。

 

 

「折角の収穫期だってのに……、これで今月何回目だ?」

「五回目だな、儲かってはいるが使う暇が無い」

 

 

賑わってはいる、確かに賑わっているが、それは商人たちの声ではなく、狩人達とギルド職員の慌ただしい足音が折り重なってそう錯覚させているだけだ。バルバレは今、大発生を起こしたモンスターの対処に追われきりきりまいの有様だった。通常、ハンターが依頼(クエスト)を受注する頻度は一か月に一度か二度、多くて三度ほど。それだけ狩猟によって得られる報酬は多大なものであり、それは同時に常に命の危険が付き纏う証左でもある。

 

大型の飛竜種を一頭狩りでもすれば、それだけで一月過ごして十分お釣りが出る金額にもなる、不要な依頼を受けるのは、無為に命を投げ出す行為にも等しい。余程の事情がなければ、四度を超えて以来を受けることは無いと断言しても良い。

 

その上で、ノイルとリアの財布は既にパンパンに詰まっていた。二人だけではない、遺跡平原周辺の地域全体からの依頼が急激に増加したことで、狩人達の懐はでっぷりと肥えている。そして同時に、()()()も増加の一途を辿った。

 

 

「退いてくれ!!」

 

 

けたたましく車輪を鳴らして、ガーグァが牽く車が通りを駆け抜けていく。微かに鼻孔に入り込むのは濃密な血と腐った泥の臭気。騒がしさとは対照的に道行く者の表情が一様に優れないのは、『それ』を否応なく意識しているからだろう。

 

 

「これで何人だ」

 

 

リアの問いに、ノイルがぺらぺらとノートを捲る。薄汚れたその中に挟まった新しい紙を抜き出し、赤い筆跡を指差した。

 

 

「昨日計上されただけでも二十人はいる、さっき通ったので四人足して、計上されていないのが更に四人と仮定すると……、大体三十人」

「仮定の四人は?」

「知り合いが帰ってきていない、四人組だった筈だ」

 

 

淡泊、簡潔、さらりと数えられる命の数。そんな中でも食事にありつけるか否かも、狩人に『向いているか』どうかの一条件なのではないかと、ノイルは脳の片隅で思考した。

 

 

「こっち水!足りねえぞ!」

「姉ちゃん肉追加!」

「サラダ持ってきて!」

「オーダーまだか!」

 

 

喧々囂々、騒然、喧騒。泥と血と鉄の臭いを掻き消すは油と香辛料の香り、疲労を暈すは酒精、悲嘆を塗り潰すは食の快楽。兜を外さないリアをして口中が湿るを禁じ得ない即席の饗宴が此処にある。知っての通り今は収穫期、竜や獣に阻まれ市場は例年に比べて品薄だが、狩猟区にほど近いこの詰所では話が違う。文字通りの『取り放題』と言ってもそう間違いではない。

 

 

「リア、これいるか」

「ん……、そうだな、二切れほど」

 

 

たっぷりの果実と一緒くたに焼き上げられたガーグァ肉を鉄串で押さえ、ナイフで丁寧に切り分ければだくりと熱い汁が溢れ出す。「あち、あち」と摘まみ上げた一切れを口に放り込むと、思わず頬が緩んだ。

 

 

「……ノイル、それ多めに取っておいてくれ」

 

 

片手で肉を取り分けながらもう片手で肉を頬張る姿は行儀が良いとはお世辞にも言えないが、吸い込むように無言で食事を続けるノイルを見ると、リアをして腹の虫の癇癪を難しかったらしい。皿から目を離さない彼の頬を軽く突いて、葉を重ねただけの皿()()()を差し出す。ノイルが自分の皿から串に纏め刺した肉から立ち昇る湯気が、『私に齧りつけ』と舌先を誘惑しているようにも見えた。

 

 

「次の車出すぞ!!そこ邪魔だ、飯はテーブルで食え馬鹿!!」

 

 

主菜副菜の区別すらなく、ただ腹を満たし喉を潤す狩人達の後ろで、それすら()()()()者が運ばれていく。輝かしき狩人稼業の表裏は、いつでも関わりなき民の眼には届かない場所で顕れる。

 

 

 

 

 



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遺跡平原の女王
1:遺跡平原の女王


 

 

『隻腕の赫王』と呼ばれる一人のハンターがいた。その名の通り隻腕で、赤い鎧に、世界に一振りしかないギルドとは違う規格の太刀を背負っているのだという。

 

 

曰く、飛翔する飛竜の翼を斬り落とした。

 

曰く、潜水した海竜を掴んで引き摺り出した。

 

曰く、古龍を一人で相手取り見事撃退した。

 

 

彼にまつわる噂は枚挙にいとまが無く、それも十分にあり得るものからどう考えても尾鰭が付いているものまで様々だ。しかし一つだけ、数多のハンター達の間で『これだけは確か』と言われる共通認識がある。

 

 

曰く彼は、『黒炎王』を討伐した狩人であり、その番『紫毒姫』に片腕と仲間を奪われた。故に彼は姿を消した紫毒姫を探し求め、各地のギルドを渡り歩いているのだという。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

「なぁ頼む、俺も人数に入れてくれよ! このままだと家賃が払えねぇんだ!」

「入れてやりたいのは山々なんだが……、もう受付嬢に通しちまったからな、そんな事したら俺達が規約違反になっちまうよ」

 

 

多くのハンター達で賑わう、早朝の大市場バルバレのギルド、その食堂の一角に話し込んでいる集団の姿があった。テーブルを挟んで四人のハンターの向かいに座り、机を叩いて訴えの声を上げる若者の顔が歪む。この若者、名をノイル・ウッドベルといい、現在家無しの危機に直面している最中であった。

 

ガーグァのもも肉を齧りながら、一番大柄なギザミ装備の男が彼に向かって指を指して尋ねる。

 

 

「というかお前、金欠って訳じゃなかっただろ、何があったんだ」

「…………スられた」

「は?」

 

 

青く光る鎌蟹素材で作られた、兜の奥の目が丸くなる。

 

 

「財布を盗まれたんだよ! 昨日! おかげでほぼ一文無し! 俺が何をしたってんだ畜生!」

「……どうせお前の事だ、『道に迷った』なんて言われてホイホイ騙されたんだろ」

「正解だよ!」

「お前は超の付くお人好しだからな」

 

 

事の顛末は彼が話した通りだ。勢い良く立ち上がったノイルだったが、やがて元の椅子にヘナヘナと座り込む。彼の訴えを受けていた男も、心底同情したような、『またか』とでも言うような、微妙な表情で肩を叩く。

 

 

「取り敢えず今日受けられる依頼を探せ、他のハンターに頼み込むよりマシだ」

「おう……」

「最悪借してやるから」

「マジか!?」

「本当に最悪の場合、な」

 

 

「まぁ出来るだけ頑張れや」などと口々に言い残して出発口の方向に四人は去っていった。ノイルはその背中を見送りながら、持つべきは友かと呑気に呟く。

 

先程ギザミ装備の男が言ったように、このノイル・ウッドベルというハンターを一言で表すならば『お人好し』という表現がぴったりだろう。その甲斐あって顔はそれなりに広く、まだ若手ながら単独・複数人問わず多くの依頼(クエスト)(こな)してきた。 が、その分面倒ごとやトラブルに巻き込まれる事も日常茶飯事だ。

 

今回の盗難被害はその最たるものだろう、だが彼はその生き方を変えようとはしなかった。

 

 

テーブルに置いていた雌火竜のヘルムと、『レッドウイング』と名付けられた赤い大剣を抱え上げて依頼受付(クエストカウンター)に向かう。顔馴染みの受付嬢に声を掛けると、彼は事情を説明した。

 

 

「ええと、ちなみにおいくら必要なんです…………?」

「聞いて驚け、20万ゼニーだ」

「……支給品、使いますよね?」

「使うだろうな」

 

 

受付嬢は手にした帳簿をぱらぱらと捲り、しばらく考え込んでから紐で纏められた紙束を机に広げる。

 

 

「今用意出来そうなクエストはこの辺りなんですけど……、同行者って…………」

「いない」

「はぁ〜……、どうして今日に限っていないんですか」

「俺が聞きたい所なんだよな……」

「……リオレイアとか、ナルガクルガの単独狩猟とか…………」

「同期三人で行ってギリギリだった相手を俺一人で狩れって?」

「ですよね……」

 

 

二人揃って紙面と睨めっこを続けるが、時間が経つにつれて二人の表情は苦々しいものに変わっていく。彼自身決して弱い訳ではないが、一定以上の危険度を持つモンスターを相手取るのには、数人で依頼を受けるのが基本だ。

 

勿論、規約で許されている以上単独での狩猟に挑む者も一定数いるが、それは自然の恐ろしさを知らぬ愚か者か、自らの力量を過信した愚か者か、余程の実力者だけだ。少なくとも彼はこのどれにも当てはまらないだろう。

 

 

「うーん……、やっぱり、簡単な依頼だけ受けて、残りは借りた方が良いんじゃないですか?」

「いや話聞いてたのかよ」

「そりゃあ、あれだけ大きな声を出していたら嫌でも聞こえます」

「むぅ……やっぱそれしか無いのか…………?」

 

 

彼が諦めて簡単な採集の依頼を請け負おうとした時、にわかに辺りが騒めいた。ノイルよりも先に出入りが見えていた受付嬢が、忘れていたものを思い出すように「あっ」と声を漏らす。

 

潮が引くように割れていく人混みの中から現れたのは、刺々しいシルエットの鎧だった。 燃え立つような赤いそれは睨めつけるような威圧感を絶え間無く発し、だがその左腕が存在するべき空間にはがらんとした虚空だけがある。

 

 

「『隻腕の赫王』…………」と誰かが呟いた。それが皮切りになって、虫のさざめきのような声が集会所に満ちる。

 

 

 

 

___隻腕の赫王っつったら…………

 

 

 

______黒炎王を狩ったっていう……

 

 

 

____見ろ、本当に片腕だぞ

 

 

 

__________本物の気狂いだって噂だ

 

 

 

___毒で精神をやられたらしいが…………

 

 

 

 

様々な憶測が入り混じった騒めきは決して快いものではない。だがそれを気にした様子も無く、彼はしっかりとした足取りで受付に向かって直進してくる。

 

 

 

「……もしかしなくてもこっちに来てますよね」

「来てるな」

「私殺されるんでしょうか」

「そんな訳無いだろ、普通にしろ普通に」

「ノイルさんだって震えてるじゃないですか」

「そりゃ緊張ぐらいするさ」

 

 

二人が小声で話し合う間にも赫王はずんずんと距離を詰める。多くのハンターやギルド職員が見守る中、ついに受付嬢のすぐ前に辿り着いた。

 

 

「一つ依頼を受けたいのだが」

 

 

見た目のイメージよりも高い、アルトとテノールの中間の声が静寂を破った。彼女はしばらく固まっていたが、そこは流石現役の受付嬢、すぐに我に帰り対応する。

 

 

「は、はい! こちらで依頼を受けるのは初めてでし……ッ、でしょうか?」

「そうだ。 ……あぁ、ギルドカードだな」

 

 

そう言って彼は片腕で器用にポーチを漁ると、一枚の薄い板を差し出した。『ギルドカード』と呼ばれるそれは、各地のギルドで統一された手順で発行される一種の免許証のようなもので、1から7までの等級がある。その数字が大きい程位が高く、それによって受注出来る依頼も変わってくる仕組みだ。

 

 

等級(ハンターランク)7、リア・ロクショウ、龍歴院所属……、はい、確かに確認しました」

 

 

カードを返却した受付嬢が「本当にいたんだ」と口中で呟く。横からその様子を見ていたノイルや、その他近くにいたハンターも同じ気持ちだろう。

 

等級を上げるには、ギルドにその功績や実力を認められる事が必要になる。だが、4以上、一般に『上位』とされる位を得るのはそう簡単ではない。理由は幾つか挙げられるが、等級4以上で受け付けられる依頼の対象となるのがギルドによって『他の個体より群を抜いて強力である』と指定された個体である事や、それ以前に強力な個体を日頃相手にするが故に、ギルド側も等級の基準を正確に決めあぐねている事が主だろう。

 

最上位の7ともなれば、皇海龍を討伐した事で有名な『タンジアの狩人』や、近年の天彗龍調査の立役者とされる『龍歴船のハンター』など、各地に数えられる程しか存在しない。

 

ちなみにノイルの等級は4、丁度その環境に身を置き始めた所だ。

 

 

「大抵の依頼は受注出来ると思いますが、何かお決まりですか」

 

 

幾らか震えの収まった声で彼女が訪ねると、赤黒い籠手が机の上で彷徨う。手近にあった、丁度先程までノイルと受付嬢が見ていた紙束を捲ると、その内の一つで指が止まった。

 

 

「これを」

 

 

赫王が指したのは、『リオレイアの狩猟』と記された依頼だった。狩猟地は『遺跡平原』、バルバレから最も近い為依頼も多い土地だ。

 

 

「リオレイアの狩猟、ですか。 同行者は…………」

「必要か?」

「い、いえ、絶対必要というわけでは……」

 

 

おずおずとした受付嬢の問いに、あっけらかんとして彼は尋ね返す。余りに簡単に言い返されるものだから、彼女は完全に萎縮してしまっていた。

 

 

「なぁ、アンタ」

 

 

と、そこにノイルが声を掛ける。

応対に困った受付嬢から見れば渡りに船、火やられに水場だが、次の瞬間彼女は再度混乱の真っ只中に突き落とされる事になった。

 

 

「その依頼、俺が受ける所だったんだ」

「ノイルさん!?」

「シッ。 等級7でも、流石に横入りってのは道理が通らないよな?」

「あぁ、そうだったのか、それはすまない事をした」

 

 

辺りの全員が疑問と驚愕の眼でノイルを見るが、あくまで軽い調子で彼は続ける。

 

 

「いやいや、別に責めたい訳じゃないんだ。アンタ、ここに来るのは初めてなんだろ? なら俺を同行させてくれないかと思ってね」

「それは有難いが……、良いのか? 君が一人で行っても……」

「冗談、等級7ハンターの狩りを間近で見るまたと無い機会だ、逃す手は無い。 アンタはここいらの土地勘を俺から借りられる、俺はアンタの狩りを見てみたい、利害は一致していると思うんだが、どうだ?」

 

 

ノイルの言っている事は嘘ではなかった。格上のハンターの狩りに同行して立ち回りを学び、新たな知識を得る事も、新たな土地に赴いたハンターが、元からいたハンターにその土地の事を教わる事も珍しいことではない。そして彼は口には出さなかったが、この依頼の報酬金が有れば、彼の家賃程度なら賄う事は容易いだろう。

 

赫王はしばらく黙考していたが、やがて頷くと右手を差し出した。

 

 

「分かった。 狩りに同行してくれ」

「話の分かる人で良かったよ。 俺はノイル・ウッドベル、宜しく」

「リア・ロクショウだ、宜しく頼む」

 

 

受付嬢の困惑を他所に、二人は硬く握手を交わす。

遠巻きに眺めていたハンター達も正気を疑うような目線をノイルに向けていたが、そのうち一部は「まぁノイルの事だからな」と笑い飛ばしてそれぞれの用事に戻ってしまった。

 

彼らは知っている、ノイルの考えの半分は自らの利益を求めているが、残り半分は全くの善意で出来ているという事を、そしてその善意は、例え赫王が相手でも等しく向けられるという事も。

 

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

その後、出立はその日の三日後に決まった。

 

あの後ギルドから飛ぶように家に帰り、大家に依頼書を突き付けて何とか家無しの危機を回避すると、残っていたなけなしの持ち金で準備を整えて、約束通りまだ日の登らない早朝にギルドに向かう。久し振りに自分より等級の高い、それもバルバレに名高い『我らの団の狩人』と同等の等級7のハンターに同行するとなれば、心臓が痛いほどに高鳴るのを抑えられなかった。

 

 

「や、三日振りかな」

「待たせたか、悪い」

 

 

食堂には既に、先日と同じ赤黒い鎧に加えて、同じような素材で拵えられた太刀と皮の荷物入れを背負ったリアの姿があった。表情はヘルムに隠れて読めないが、心なしか声は楽しげだ。

 

 

「構わないさ。 何と言っても、新しい土地で狩りをするのが楽しみでね、思っていたよりも早く起きてしまった」

「……アンタ、案外普通の人間なんだな」

「私は普通の人間だ、少なくとも心はね」

 

 

「片腕は無いがな、あははははは!」と付け加えて笑い飛ばす『隻腕の赫王』、恐らくかの黒炎王の素材で作られたのであろう鎧を揺らして笑う姿は、どうやってもその名に付いて回る恐ろしげな噂とは結び付かなかった。

 

受付嬢に依頼書を通して内容を相互に確認し、判を押したそれを預ければ遂に出発の準備が整う。荷物を積み込んだ竜車に乗り込めば、御者のアイルーが威勢の良い掛け声と共に、繋がれたアプトノスに鞭を振った。

 

 

 

 

 

 

「もし、良ければでいいんだが」

「何かな」

「『黒炎王』について、教えてくれないか?」

 

 

遺跡平原までの、正確に言えばギルドに定められた狩猟区までの道のりはそれなりに時間が掛かる。大剣を磨くのに飽きて仕舞えば、彼に対して話題を振るのは当然の流れだ。太刀を抱えて項垂れていたリアが、その頭を俺に向ける。

 

 

「構わないが、余り語れる事は少ないよ。 彼はただのリオレウスだったからな」

「ただの?」

「あぁ。……確かに、彼は比類無く強い個体だった、けどそれだけ、毒は強力で、炎は辺り一面を焼き、閃光玉に目を潰されても当たり前のように飛び続ける、ただのリオレウスさ」

「それは…………『ただのリオレウス』とは言えないだろ」

 

 

そういうと、彼はくつくつと喉の奥で笑った。

 

 

「噂みたく、不死身だったり首だけで動いたりはしないという意味さ」

「それは……」

「噂というのは恐ろしいものだよ」

 

 

車の外に顔を向けながら発された何処か諦めたような声音に、思わず言葉に詰まる。先日、彼がギルドに来た直後の騒めきを思い出して顔を顰めた。それを知ってか知らずか、彼は明るい声を上げて向き直る。

 

 

「じゃあ、こちらも一つ聞こうか。 君はどうしてハンターになろうと思ったんだ?」

「俺か、俺は…………」

 

 

すかさず過去の記憶に思考を飛ばす、何だったか、最初はかなり簡単な思い付きだった筈だ。

 

 

「……よく覚えてないけど、俺の村には一人ハンターがいた。多分それだ、よく遊んで貰ってた…………気がする」

「憧れ、か」

「有り体に言えばそうだな」

「私も同じだ。 身近にハンターがいると、どうしてもな」

 

 

得物を懸架する為のベルトを締め直して、リアはそう言った。バイザーの奥に一瞬だけ見えた炎色の瞳が細まっていた気がする。だがそれを確かめる間もなく、御者が「到着しましたニャ!」と声を上げ車体が停止した。

 

 

「続きは後だな、御者と俺でキャンプまで案内するから、付いて来てくれ」

「相分かった、頼む」

 

 

案内と言ってもキャンプまではそう掛からない。荷物を積み下ろしてから竜車を所定の位置に停め、ここまで自分達を牽引してくれたアプトノスを連れて野道を進めば、ほんの30分程で特徴的な黄色いテントが見える。そのすぐそばを赤いレンガの遺跡を貫く形で小川が流れ、その他諸々最低限の設備が並んでいた。

 

 

「此処が?」

「あぁ、今使われてるベースキャンプだ。 此処から北東一帯が狩猟区になるから、出来る限り狩猟対象はその範囲内で仕留める」

「その辺りは他とも変わらないか、地図は?」

「御者から受け取ってくれ、準備が終わったら狩猟区内を一回りしよう」

 

 

そう言って、大剣を背負い直したノイルが見上げる空は雲一つなく晴れ渡り、木立の隙間を縫うように風がそよぐ。『始まりの風芽吹く地』と呼ばれるフィールドに、二人は高揚するままその心を向けていた。

 

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

遺跡平原・狩猟区4番エリア、複雑に絡み合った起伏の激しい地形に隠れるようにして、二人の姿があった。彼らが目線を向ける先には、全身を美しい若葉色の甲殻と鱗で包んだ影。人間達が『雌火竜(リオレイア)』と呼ぶ飛竜の姿がある。

 

一対の翼と強靭な脚、先端から出血毒を垂らす尻尾を携えた姿は、多くの狩人が恐れ敬ってやまない『陸の女王』そのものだ。 だがその様子は二人が知るそれとは、いささか以上に違っていた。

 

まず最初に身体の損傷。力強さは失っていないが翼膜は所々破れ、甲殻や鱗で堅牢に守られている筈の体表には傷が目立つ。次にその振る舞い、リオレイアは縄張りに侵入するものにこそ容赦しないが、飛竜の中では比較的温厚な部類とされる。では二人の前に陣取る個体はと言えば尾で辺りの瓦礫に当たり散らし、脚は忙しなく地を掻き、口端からは雌火竜の所以たる炎がちら付いていた。

 

 

「どう考えても冷静じゃない、あれじゃ街道に被害が出る訳だ」

「背中を見ろ、爪の痕がある。……別の個体と争っていたのだろうな」

 

 

二人の見解はおおよそ一致していた。同種同士の争いが起こった結果勝った個体が安息を手にし、負けた個体は命こそあれ住処を追われざるを得なくなった。そうして新しい住処を探す内に活動範囲が広がり、街道を利用してバルバレに向かう行商人などに被害が出る。ハンターにとっては見慣れたパターンだ。

 

 

「……どうする、今日仕掛けても構わないが」

「止めた方がいい、この辺りの地形は崩れ易いんだ。 やるなら3番エリアの辺りに来るのを待つか、上手く誘導したい。それに……」

「もう一体が気掛かり、か」

「あぁ、狩猟区内にいるかどうかは五分五分だろうけど、このまま一回りして確認するべきだ」

「確かに、それが先決だな。行こう」

 

 

怒り散らすリオレイアを横目に、二人はこそこそとその背後を通り8番エリアに向かう。そのまま当初の予定通り狩猟区を一通り見て回ったが、結局勝者であるもう一頭は影も形も見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

既に日が沈み、月が中天に浮かぶ頃。焚き火と油ランタンだけが静かに照らすキャンプの一角に設けられた簡素なテーブルの上で、大地図を広げた二人______ノイルとリアが顔を突き合わせていた。

 

 

「じゃあ、もう一度確認するぞ。 今日一日狩猟区を探し回って、『リオレイアが二頭以上存在する』事を示す痕跡は見当たらなかった。踏み消されたマーキングや争った痕も含めて、な。 つまりあのリオレイアが争ったのは狩猟区の外で、この狩猟区にはあの個体しか存在しない。少なくとも、日中の時点では」

 

 

ノイルの言葉にリアが頷く。 無論、態々説明されるまでもなく理解しているが、これはあくまでも『確認』 共通認識を作る事で咄嗟のミスを防ぐ事前準備の一つだ。

 

 

「手負いの個体が寝床にしているのは6番エリアの東、あの翼じゃあ飛ぶのには苦労するだろうから、高低差の大きい5・7・9番エリアには近付けない筈」

「それを踏まえて明日は行動範囲の特定か、狩場にしているエリアが狩猟区内に有ればいいが……」

「なければ誘導、それも無理なら仕方がない。……その場で狩る」

 

 

マップ上をなぞっていたノイルの指先が、たんとその中心を叩いた。

 

 

「誘導するルートは」

「場所にもよるけど、やりようは幾らでもある」

「任せても?」

「勿論だ」

 

 

互いを確かめ合うような目線がかち合う。僅か半秒ほど静止してから、ふっと空気が緩む感覚。 「じゃあ、決まりだな」と装備を外したノイルが投げ出すように椅子に腰掛ると、それにリアも倣う。

 

炎が薄く照らす『黒炎王』の鎧を眺めながら、ノイルはふと気付いた。 そういえば、自分は一度も彼が鎧を外すところを見ていない、兜ですら外していないのではないか。それに思い返してみれば、何かを口にしている所も見ていない。今日一日何も口にしていないのでは?

 

 

「なぁ」

「ん?」

「アンタ、装備は外さないのか」

 

 

率直に疑問をぶつけると、彼は一瞬きょとんと___顔は見えないが___して、その後すぐにまた笑った。

 

 

「あまり顔、というより肌を見せたくなくてな。 ほら、火傷と毒の痕があるから」

「あー……、悪い」

「気にしないでくれ、傷を負ったのも元々は私の未熟さが原因だ。 ちゃんと飯は食べるし、寝る時は外すから、大丈夫」

 

 

顔や身体に傷痕が残る事はハンターならよくある。実際、俺も訓練生時代にケチャワチャという牙獣に斬り裂かれた背中の傷が未だに残っているし、同じような傷痕を良く思わず普段から隠している奴も身近にいた。顔に原型を失いかける程の裂傷を負った事を気に病んで、そのままハンターを辞めてしまった同期の女の事もよく覚えている。 余りに思慮が足りなかったと、己の浅慮が恨めしいばかりだ。

 

 

「そうか……、じゃあ、先に休むかな。 起きてられたら、食うものも食えないだろ」

「良いのか?」

「問題無い」

「なら、お言葉に甘えさせて貰おうか」

 

 

また薄く笑った彼に背を向けて、ランプを枕元に掛けると質素なベッドに潜り込む。拙いことをしてしまった自覚はあるが、覆水盆に返らず、今となってはどうする事も出来ない。気まずい気持ちを抑え付けるように目を固く瞑ったが、その日は中々寝付く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

二日後の早朝、大剣の刃に砥石を滑らせる音が辺りに響く。まだ日の昇らない平原は風もあって肌寒く、ノイルは既に兜を除く装備を身につけていた。

 

その後ろで、しゃっとテントが開く音がする。振り返ればいつも通り鎧に身を包んだリアが出てくる所だった。

 

 

「おはよう、随分早いな」

「これでも緊張してるんだよ、大型を狩るのは半年振りだ」

「そこは任せてくれ、昼までに終わらせよう」

「……本気か?」

「狩りに関してはいつでも本気だ」

 

 

二日間狩猟対象に定めたリオレイアを追い回して誘導の必要性は無いと判断したものの、『半日で終わらせる』とは相当な馬鹿だと普段なら笑っていただろうが、眼前の狩人はあくまで大真面目に発言しているようだった。 事実、彼の身体能力には眼を瞠るものがある事は嫌というほど知らしめられたせいで、それを行き過ぎた冗談と判断する事も出来ない。襲ってきたジャギィを全て徒手で気絶させた時などは流石に言葉を失った。

 

 

「準備は?」

「終わらせた」

「分かった、研ぎ終わったらすぐに出よう」

「了解した。私も最後に狩りに出て久しい、腕が鳴るよ」

 

 

そう言ってリアは、背中ではなく腰に佩いた大太刀を揺らした。

 

 

「……それ、本当にギルド規格じゃあ無いんだな」

「鎧も含めて特注品だ。というか、ギルド規格には加工出来なかったらしい」

「というと?」

「加工屋が言うには強靭すぎるんだと、鎧は兎も角、太刀の形にするには苦労したそうだ」

「そのついでに腰にも懸架出来るようにしたって訳か」

「私は何も言っていないがな、『その腕だと背負うのは苦労するだろうから』と言って聞かなかった」

 

 

呆れたように首を振る仕草を見せながら、彼がノイルの隣にどかりと座る。この場にはいない誰かに苛立っているような、そんな雰囲気が厳しい鎧の隙間から漏れ出してくるようだった。

 

 

「私は、腕を失った事を苦に思った事は無い。多少不便な時はあっても、太刀が振り辛かろうと、それはそれで良かった。

 私は失ったのではない、『得た』のだ、隻腕を、新しい境地と目標を。 それをあんな……」

「おい」

「…………すまない、愚痴を言う場では無かったな」

 

 

気付けば、刃を研ぐ手を止めて彼の肩に手を置いていた。 リアの言いたい事は大体解る。要するに、隻腕を憐まれる事も、その事で他人に慮れる事も彼にとっては苦痛でしかなかったのだろう。彼の人となりを把握したと思い上がるつもりは無いが、言い草からしてそうなのだとは推測する事は出来た。

 

 

「それじゃあ、狩場で見せてくれよ。その『新しい境地』って奴を」

「……中々どうして、上手く焚き付けてくれる」

 

 

磨き終わったレッドウィングを提げて立ち上がると、兜の奥で赤い眼を見開いたリアに手を伸ばす。それを受けて同じく立ち上がった彼が、勢いよくバイザーを下ろした。苛立った素振りはなりを潜め、今は狩人らしい溌剌とした気勢が溢れている。

 

 

「ならば期待に添えるよう、最大限努力するよ」

「ここからはアンタが頼りだ、そうでないと困る。 ……行くか」

「ああ、そうしよう」

 

 

頷き合い、数日前と同じように固く握手を交わすと、二人は腰にポーチを括り付けて歩き出す。丁度地平線から太陽が身を乗り出し、平原を黄金色に染め上げ始めたばかりだった。

 

 

 

 

 

 

その二時間後、二人の姿は8番エリア北西の小高い崖上にあった。その眼下には狙い通り、獲物を探して闊歩する狩猟対象(リオレイア)の姿がある。先日に比べて幾らか傷は癒えているが、それでも飛翔せずに歩行してここまできた事を考えると、完治には程遠いのだろう。

 

 

「風は南西から北東へ、天気は晴れ、狩猟区内に対象以外の大型モンスターの痕跡は見られない。

 ……よし、始めるぞ」

 

 

若草色の兜を被りバイザーを下ろしたノイルが呟く。その隣で屈んでいたリアが頷き、太刀の鯉口を僅かに鳴らした。

 

 

「打ち合わせ通りに、な」

「問題無い、行ってくる……ッ!」

 

 

リオレイアが丁度崖下に差し掛かったタイミングで、ノイルが先に地を蹴った。宙に身体が舞い、思わず息を呑む平原の黄金が眼に入ったのも束の間、重力の腕に引かれ地面に向かって落ちていく。奴が頭上を覆った影に気付き、目線を上げるがもう遅い。背に負っていた大剣を片腕で握り、自由落下の勢いと身体を捻って得た遠心力を刀身に乗せて、女王の脳天に叩き込む。

 

ゴッ……!!!! と鈍い音が、未だ待機したままのリアの耳にまで届いた。

 

続いて絶叫、突然頭頂に強烈な一撃を見舞われたリオレイアが、身体を振り乱し暴れ回る。訓練所で習った通りに身体を回転させて着地を決めたノイルが、翼を擦り抜けてその眼前に躍り出た。

 

 

「来いよリオレイア、無礼を働いた下郎は此処に居るぞ……!」

 

 

余りの衝撃に揺らいだままの視界に映る、自らと同じ色の狼藉者。既に頭殻を砕かれたリオレイアが、そんなものをただでおく筈が無い。すぐさま怒りの咆哮を上げると、一直線に彼を追い始めた。 勿論黙って轢き潰されるのが彼の仕事ではない、素早く大剣を背に納めて走り始め、目指すのは比較的近隣に位置する3番エリア。遺跡平原狩猟区に於いて、最も起伏が小さいエリアとされる場所だ。

 

木立を潜り抜け、岩山を乗り越えてそのまま転げ落ちる。そうしている内にも、苦労して通り抜けた障害物を全て撥ね飛ばしてリオレイアが迫っていた。

 

それでもノイルが追い付かれる事は無い、彼にはこの狩場に通って培った土地勘と、ここ数日で出来る限り綿密に取り決めたルートがある。もしこの役目がリアであったなら、幾ら彼が等級7とはいえ此処まで上手くはいかないだろう。

 

岩の隙間を、獣人の寝床を、蔓草の獣道を、その他多くを潜り抜け、遂に3番エリア、黄金色の草原へと転がり込む。その瞬間背後から()()()()音が鳴り、それを聞いたノイルは後ろも振り向かずに身体を斜め横に投げ出した。

 

凡そ半秒後、先程までノイルがいた場所が火炎の奔流に巻き込まれ、爆発した。

 

雌火竜のブレス。可燃性の粉塵を空気と混ぜ込んで発火させ、球状に吐き出すそれが土砂を盛大に巻き上げる。直撃すれば、幾ら耐火性の高い装備を着込んでいても重傷は免れない威力に総身が震える思いだった。爆風に煽られるままに転がり、地面を叩いて起き上がれば、憤怒の炎を滾らせたリオレイアが地を掻いている。

 

ずん、ずん、と鈍重に、だがそれ故に隙の無い動きで距離を詰められる。それに従ってノイルも少しずつ後退していくが、その内に後が無くなるのは誰の眼にも明らかだ。

 

 

「……!」

 

 

そして、遂に彼が立ち止まる。 かと思えば、今度は逆にリオレイアに向かい真っ直ぐ走り出した。これにはリオレイアも僅かに困惑の唸り声を上げると、小さな外敵を確実に屠るためにブレスの体勢をとる。

 

先程は驚かされたが、今更遅れを取る事など有り得ない。そのような矮小な()で、真正面から対抗しようなど片腹痛い!

 

もし奴に人間の思考があれば、こんな事を考えていただろうか。 だがそれは思わぬ形で裏切られる事になる。

 

 

「間に合ったッ!!!!」

 

 

開かれた顎門の前に現れたもう一つの人影が、あろう事かその鼻先を、納刀したままの太刀に有りったけの力を込めて横あいから殴り付けたのだ。当然、そんな事をされれば狙いは逸れる。外敵を消し炭に変える筈だった火球はあらぬ方向に吹き飛び、再び土砂を巻き上げるだけに終わった。 

 

堪らないのはリオレイアだ、ただでさえ少なくないダメージを負っていた頭部に渾身の一撃を受け、大きく仰け反りたたらを踏む。 ふらつきながらも二人目の外敵を睨み付ける視線の先で、赤い鎧の狩人は静かに構えた。 殴打の為に取り外した得物を腰に再度マウントし、柄に隻腕を添えて腰を大きく落とす。

 

 

「君が突っ込んでくれたお陰で殴れたよ、ナイスガッツだ」

「アンタなぁ……、あぁいや、違うな、助かった、ありがとう」

「礼を言うのはまだ早い。 君にはかなり助けられたからな、今度は私が助ける番だ。

 ……『隻腕の赫王』の狩りを、見せてあげよう」

 

 

少し楽しげな声を上げて、リアはゆっくりと身体を捻った。

 

 

「アンタもしかして、その渾名結構気に入ってるのか?」

「うぅむ……、そうかも知れないな! さぁ、無駄話は後だ、打ち合わせ通りに、な?」

 

 

彼の言葉に頷いてノイルはその場から離れ始める。 それを眼で追おうとしたリオレイアに、石ころが投げ付けられた。苛立たしげに唸り見返した先で、赤黒い兜の奥の眼が、鋭い視線を投げかけて止まない。挑戦的に細まったその炎色の輝きは、女王の闘争本能を燃え上がらせるには十分な火種になる。

 

 

「私が相手だ」

 

 

静かに呟かれたその意味を知ってか知らずか、いや、知る由も無いだろうが、兎も角リオレイアは駆け出した。 『この小さな生物を殺せ』と、本能が肉体にそう命じたのだ。 それに対してリアは動かなかった。身体を屈めた状態のまま微動だにしない。それこそ、側からその様子を見守るノイルが叫び出しそうになる程に、全く彼は動かない。そうすれば当然、狩人と女王の距離は詰まっていく。

 

そして、リオレイアが次に選んだ行動はこうだった。翼を目一杯に開き、身体を逸らせて顎を引く。連動して尾が振り下がり、それと同時に地面を蹴って跳び上がる。

 

それは『サマーソルト』とハンター達の間で広く呼称されるものだ。翼で産み出した揚力に遠心力を乗せ、毒液の滴るメイスのような尾で対象を叩き上げるそれは、圧倒的な威力と出血毒の凶悪な相乗効果によって、リオレイアを陸の女王たらしめる要因の一つとなっている。

 

人間などそれを喰らえば菓子のように粉砕され、掠っただけでも御体満足でいられるかどうか怪しい程だ。その予備動作を見とめてなお構えを崩さずにいる目の前の人間に、リオレイアは困惑を抱きこそすれ容赦などしない。

 

岩山をも砕く尻尾が唸りを上げ、擦れた地面を抉りながらリアに迫る。

 

 

「リアッ!!!!」

 

 

我慢の限界を超え、思わずノイルが叫んだ次の瞬間______

 

 

 

 

 

______凄まじい金属音と吹き上がる火焔を伴って、()()()()()()()が吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

「……は…………?」

 

 

愕然とするノイルの眼の前に、ずどんっと音を響かせて若草色の肉塊が落下する。振り撒かれた夥しい血の花の先、燃えるように輝く刀身を振り抜いた姿勢で静止するリアと、尻尾を切断された事でバランスを崩し、地面に墜落するリオレイアの姿があった。

 

 

「ノイル!」

 

 

呆気に取られていた彼だったが、他ならぬリアの声で我に返り茂みから駆け出す。冷静とは言い難い精神状態だが、この状況が確かに『打ち合わせ通り』である分、硬直する事なく動き出せていた。

 

 

(『気を引いて動きを止める』って、こんな無茶苦茶な事をするとは思わないだろ普通……!)

 

 

内心で吐き捨てながらも、血液を撒き散らして立ち上がったリオレイアの膝目掛けて刃を横薙ぎにぶつける。甲殻を砕く、硬くも小気味良い感触が両手に伝わる。右脚の痛みに奴が振り向こうとした所に、リアの太刀の先、納刀された鞘の鐺が突き込まれ注意が逸れた。その隙にノイルが間合いの外に抜け出し、大剣を背負い直す。

 

これは本来二人では行いようの無い戦法だった。一人一人が互いをカバーし合う形で別々のタイミングと方向から攻撃を加え、狙いを絞らせないように立ち回る。だが普段ならば、人間の力などたかが知れている。一人が攻撃した所で、単純威力の高い大剣やハンマー、ヘビィボウガンのクリーンヒットでもなければ、モンスターは気にも留めず狙った相手を先に片付けようとするだろう。

 

その一人が、『一撃で尻尾を斬り飛ばしでもしない限り』は。 

 

大量の血を浴び全身深紅に染まったリアの一挙一動に、リオレイアの意識は引き付けられている。 そしてリアに引き付けられるという事は、即ちノイルに隙を晒すのと同義だ。

 

翼をはためかせたリオレイアが跳び上がると、体格を活かして頭上より急襲する。それに対してリアは殺到する鋭い爪を身体を捻って交わすと、納刀したままの太刀でノイルが大剣を打ち込んだ場所を寸分違わず打ち据え、痛みに耐えかねて姿勢を崩した所に、今度は逆側に回り込んでいたノイルの大剣が叩き付けられる。

 

リオレイアからすれば堪ったものではない、先程から打ち込まれる刃は着実に傷を増やしていくが、眼の前の赤い相手を無視すれば、今度こそ命を刈り取られる事は分かり切っているのだから。加えて、切断された尻尾からの出血がそれに拍車を掛ける。このままでは討ち取られてしまうのは時間の問題だろう。

 

そこで、リオレイアは賭けに出る事にした。無論、竜がそんな概念を持ち合わせる筈は無いが、危機から抜け出す為に更なる危機に身を投じるその行動は、『賭け』と呼んで相違ない。

 

 

「んなっ!?」

「ちィ……ッ!」

 

 

最初に、彼女は全ての竜たるプライドをかなぐり捨てて走り出した。赤にも緑にも眼を向けず、真っ直ぐに開けたスペースに向かって突き進む。既に多量の出血を強いられ、多くの傷を負った身体では満足なスピードを出す事は出来ない。背後からは二人の人間が、特にあの赤い方が追い掛けて来ている。

 

だが、()()()()()

 

丁度双方の距離が縮まり始めたタイミングで、リオレイアは残った全ての力を掻き集めて踏み止まり、『素早く反転してから』再度走り始めた。先のような走行ではなく、明確な殺意を孕んだ突進。まさに起死回生の一撃とも言うべきそれは、少なくとも赤い人間は確実に捉えている。

 

追撃する側から一転攻撃される側に回った人間は、しかし尾を斬り落とした時とは違い速度を落とさず駆けていた。 その意気や良しとでも言うかのように女王が吼える、両者の距離が急速に狭まり、激突まで最早数秒の余地も無い。

 

永遠に近く引き延ばされた交錯の一瞬、両者の視線が確かにぶつかり合う。 …………その次の瞬間には、狩人の右腕が閃いていた。

 

 

 

 

 

 

夢でも見ているかの様だ。 それが、その光景を唯一観測していたハンター、ノイル・ウッドベルの抱いた正直な感想だった。

 

リアとリオレイアが衝突すると思われたその刹那、あの金属音と火焔が再び巻き起こり、気付けばリオレイアの頭が吹き飛んでいたのだから当然とも言える。前のめりに(くずお)れる巨体をすり抜けて、振り上がった太陽色の刀身を納刀する『隻腕の赫王』の姿は妙に様になっていて、まるで飛竜が翼を畳むような、そんな印象を彼の心に焼き付けた。

 

 

「ふぅ、……疲れた」

「リア!」

「あぁノイル、お疲れ様」

「お疲れ様って言うか……、何と言うか……」

 

隣にある、断面を晒す首無しの死体を横目に言葉を探すが、高揚のような、畏怖のような、奇妙な感情が胸中に渦巻き、上手く形にする事が出来ない。

 

 

「…………何と言うか、凄かったよ、アンタ」

 

 

何とか絞り出したのは笑ってしまう程に陳腐な称賛だったが、当のリアは満足げだった。金属のバイザーを跳ね上げ、その奥の眼を糸のように細めている。

 

 

「私一人ではこうはいかない、君が同行してくれたお陰だ。 ありがとう」

「礼を言うのは俺の方だ。 良い経験になったよ、参考にはならないだろうけどな」

「ははは、違いない」

 

 

そう言ったリアが、蹲み込んで女王の死体に手を添える。まだ僅かに温かいそれには早くも屍肉食の虫が集り始め、遠巻きにジャギィの群れが彼らを眺めていた。視線をずらして切断面を見れば、真下から(はす)に骨ごと両断しているのが見て取れる。 凡そ人間業ではない、きっと『斬る』攻撃が特徴とされるナルガクルガやディノバルドでもこうはならないだろう。

 

隣にいる狩人の、等級7たる実力の証左を目の当たりにして、背中に冷たいものが走った。

 

 

「素材は貰っていかないのか?」

「……いや、幾らか頂戴していく」

 

 

リアの声を受けて腰に括り付けていたナイフを抜き、甲殻の並びに沿うように刃を入れて剥ぎ取った。傷の無いものを見繕って甲殻3つと鱗を少し、抜け落ちた棘も幾らか回収して布に包み、ベルトに引っ掛ける。

 

 

「待たせたな、戻ろう」

 

 

リアに声を掛けてその場から離れると、争うようにしてジャギィ達が死体に群がるのが見えた。明日になれば女王の血肉は余す事なく他の生物の糧となり、残った骨や甲殻も、土に埋もれて大地に還るのだろう。

 

平原の風はいつの間にか落葉を吹き上げる程に強くなっていて、辺りの木立をざぁざぁとさざめかせている。

 

 

「なぁ、リア」

「どうした」

「後でまた、アンタの話を聞かせてくれ」

「……良いとも、私が話せる限りはな」

 

 

何の気無しの頼みだったが、竹を割ったような快諾が返ってくる。どうやら、帰り道でも退屈はしなさそうだ。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

「……って事は、アンタは1日に2回しか剣を振れないのか!?」

「少し違う。 それはあくまで、君が見たような全力の一撃に限った話だ。普通に振る分には人並みに触れるとも」

 

 

ランタンが柔らかく照らす竜車の中、兜を脱いだノイルと、やはり被ったままのリアが話に花を咲かせていた。

 

 

「じゃあ、アンタは1日2回までなら、竜の首をすっぱり落とせる訳だ」

「まぁ……、上手くいけば、な。 今回はリオレイアが冷静でなかったから行動が読み易かったのと、君がいるお陰でしっかり準備時間を取れたのが大きいから、いつもならこう上手くはいかない」

「って言われても、あんなもの見せられるとなぁ…………」

 

 

「第一、首を骨ごとぶった斬るなんて聞いた事ない」とノイルがぼやくと、リアは膝下に置いていた太刀を少しだけ抜いた。 赤銅色の刀身が、光に照らされて鋭い光沢を放っている。

 

 

「そもそも、この刀が特殊なものだからな。 飛竜刀は分かるか?」

「昔の得物だ」

「なら話が早い。 この刀はそれと同じ様に炎と高熱を発するが、それが強過ぎて、素早く抜くだけで炎が噴き出すじゃじゃ馬だ」

「あぁ、何となく分かった、それを上手く制御出来れば、抜刀速度が上がるって寸法か」

「…………驚いた、分かるのか?」

「尻尾と頭を落とした時、鞘口から炎が出てるのが見えた。 今思えば、そういうカラクリだったんだな。理屈が分かっても再現は出来ないだろうから、アンタ、本当に凄いよ」

 

 

モスジャーキーを齧りながらうんうんと頷くノイルを見て、リアは兜に隠した顔一杯に喜色を浮かべていた。太刀を収めると、彼を眺めてぼんやりと言葉を吐き出す。

 

 

「君は、良い人だな」

「……急にどうした?」

「いやなに、私などに此処まで良くしてくれる人と会える機会は、中々少なくてな」

「良くも何も、俺は普通にしているだけだぞ?」

「その『普通にしてくれる人』と出会えないと言っているんだ」

 

 

くつくつと笑うリアに、ノイルは困惑した様子だった。何故自分が『良い人』と評されているのかが分からないようで、困ったように視線を逸らす。それがまた面白いのか漏れ出すような笑い声が、暫く車内に響いていた。

 

その内に竜車が止まり、行きしなと同じように御者から「着きましたニャ!」と声が掛かる。荷物を下ろして乗り場から集会所に向かえば、既に傾き始めた陽光が差し込む室内で、多くのハンターや職員が二人を注視していた。丁度数日前、リアが此処に来た時のように。

 

 

「……熱烈な歓迎だ」

「君は意外と前向きだな?」

 

 

だが二人がそれを気にする事は無かった、ノイルはそもそも人の眼を気にするタイプでは無い上に、リアに至っては慣れたもの。彼らが真っ先に取った行動はと言えば、狩猟の立ち会い人の役割も兼ねる御者を伴って受付嬢に報告を済ます事だ。

 

 

「…………はい、確かに確認しました。 ノイルさん、リアさん、リオレイアの狩猟、お疲れ様です!」

「ま、殆どリアの手柄だけどな」

「おいおい、そういう言い方は良くないだろう」

「実際そうだろ?」

「私は君に助けられたが?」

「……こほん! 備考欄にあった『同種によるものと推測される損傷』なんですが、こちらは後日お話を伺うかも知れません、そこはご了承下さい」

「おう、了解」

「相分かった」

 

 

受付嬢の言葉に頷いた二人に、「報酬金です」とこんもり膨らんだ革袋が手渡される。

 

今回狩猟したのは大型モンスターに属するリオレイア、危険度も高く設定されているが故にその金額は中型モンスターと比べて大きく跳ね上がり、2で割ってたとしても中々のものだ。具体的に言えば、ノイルの家賃と月の食費、ついでに防具の整備費を賄っても少しお釣りが返ってくる。

 

袋の重みをその手に感じ笑顔を隠しもしないノイルに、同じく革袋を腰に提げたリアが手を伸ばした。それの意味する所を理解したのか、彼がその掌を取る。幾度目かになる握手を、硬く、強く交わし、ついぞ外される事の無かった兜越しに視線がぶつかった。

 

 

「良い狩りだった、また機が有れば同行させてくれ」

「望む所だ。アンタにそう言って貰えるなら、光栄だよ」

 

 

僅かな騒めきをバックに言葉を交わし、パッと身体を離す。

 

 

「それじゃあ、私は先に失礼するよ。 また会おう」

「ああ、今から次が楽しみだ」

 

 

弾むような声音を一言投げかけあって、そのまま二人は別れた。足早に集会所を後にしたリアと、食堂に向かったノイル。片や夕闇に紛れるように、片や多くの狩人に揉まれるように。

 

 

「おいノイル!大丈夫だったのかよ!?」

「早く聞かせろ!どんな奴だったんだ!」

「殴られたりしてない?」

「グラビモスを素手で狩ったってマジなのか!」

「だァーーーーッお前ら!話してやるから座らせろ!!!!」

 

 

赫王がいなくなった途端に、集会所はいつも通りのの喧騒を取り戻す。 

 

 

(アイツが此処に混じっていたら、もっと良いだろうに)

 

 

彼はそれを心地良く思うと同時に、頭の片隅で、あの鮮烈な狩人に想いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





初めましての方は初めまして、そうでない方はこんにちは、疾風怒号です。

最初にこの小説ページを開いて頂き、そして後書きまでたどり着いて頂きありがとうございました。
この小説は、MH3gからモンハンを始めた超新参が書く、ノイルとリアという二人のハンターを主軸にした物語です。不定期更新ですが、もし気に入って頂けたのなら次回を気長に待って頂けると幸いです。

余談になりますが、このお話における『お人好し』とは、『大人しくて善良な人』『心優しい』と言うよりは『善意を人に利用される奴』『騙されやすい人』『愚直な人』という意味合いの方が強いです。



次回、『黒炎の嫡嗣と絶対強者』






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黒炎の嫡嗣と絶対強者
2:黒炎の嫡嗣と絶対強者


 

 

 

暖かな風が吹き渡る遺跡平原。その地の大部分は名前の通り金色の草原で占められているが、ギルドが定めた狩猟区を含む一部の土地は、険しい山岳と古代の遺跡が折り重なり、起伏の激しい地形を形作っている。その頂点近くに位置する、少し開けた場所。そこに一体の牙獣が寝転がっていた。

 

橙と黄色の鮮やかな毛皮に、発達した前脚から伸びる爪。普段は蔦や崖に引っ掛ける道具として使われるそれで腹を掻きながら、大きないびきを立てるその牙獣の名は『奇猿狐』ケチャワチャ。遺跡平原に生息する中型種だ。

 

そんなケチャワチャの大きな耳が、何かの足音を捉えた。 どすどすどすどす、という振動が伝わり、仰向けの身体を素早く起こして辺りを見渡す。音が止む気配は無く、寧ろ徐々に接近してくる。 振動が激しい鳴動に変わり、地面を伝って身体をも揺らすほどになった時、足音の主が崖下から飛び出した。

 

ケチャワチャよりも遥かに大きく逞しい身体、小麦色に美しい水縹のラインが走る体表。翼を備えた前脚を地面に突き立て、全身にはち切れんばかりの力を漲らせて立つ竜の姿がそこにはあった。 爛々と光る眼に睨め付けられ、鋭い牙の生え揃った幅広い顎門をガチガチと鳴らすその姿を見て、その場に止まる程奇猿狐は豪胆ではない。すぐさま踵を返し、坂になった反対方向に逃げ出そうとする。

 

 

______ゴアアァァァァァアアアッッッ!!!!!!!!

 

 

 

次の瞬間、辺り一帯に凄まじい轟音が響き渡った。その正体は、一杯に息を吸い込んだ竜の咆哮。発達した聴覚を持つケチャワチャは鼓膜を思い切り殴り付けられる様な衝撃に襲われ動きが止まる。それを見るが早いか、竜は全身の筋肉を総動員して跳び掛かった。

 

単純な体長だけでも二倍近い相手に避ける間も無くのし掛かられ、牙獣の身体から嫌な音が鳴る。どうにか逃れようともがくケチャワチャが竜の顔面に粘液を吐き掛けるが、まるで意に介さない。それどころか大きく持ち上げた前脚を叩き付け、自慢の鉤爪をへし折ってみせた。

 

それからの結末は語るまでも無いだろう。哀れ奇猿狐は殴殺され、竜の胃袋に収まった。満足げに勝利の咆哮を上げるその竜が見下ろしていたのは『狩猟区』と呼ばれる辺りだったが、それを知る者は、今はまだいない…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『若武者』?」

「そう、『若武者』のリオレウス。 なんでも、恐ろしく強い未成熟個体らしい」

「んで、その若武者が何なんだ?」

「ギルドから直々に調査依頼が出ていてな、その内一枚を確保したんだが……受注条件が『二人以上』なんだ」

「あぁ、なるほどな……、すいませーん、焼飯おかわり!」

 

 

眩しい太陽が照りつける昼下がり、バルバレの一角にある飯店にノイルとリアの姿があった。ノイルはラフな服装で昼食を頬張り、対照的にリアは黒炎王の鎧で全身を包んでいる。客席テーブルの群れの向こう側に設置されたキッチンでは、背中に大きな鍋を背負ったアイルーが辣腕を振るい、辺りは多くの客で賑わっていた。

 

 

「別に良いけど、そっちこそ俺で良いのか?」

「……察してくれ、バルバレには君しか知り合いがいないんだ」

「お、おう…………」

 

 

どんよりと頭を抱えて首を振るリアは、大層な異名からイメージされる姿とは似ても似つかない。思わず同情の視線を向けていたノイルだったが、すぐに悪戯を思い付いた子供のような笑みを浮かべた。

 

 

「じゃ、他に知り合いがいたら俺を誘ってないって事だな」

「な!?」

「あーあ、悲しいなぁ……」

「ちょ、ちょっと待てノイル! それは違う、私は」

「冗談だよ、いつ行くんだ?」

「……………………君が良いなら明日にでも」

 

 

不貞腐れてそっぽを向くリアに苦笑しながら、彼は「分かった、じゃあ明日の朝一にギルドだな」と応える。リアもリアで本気で拗ねた訳ではないらしく、それにひらひらと手を振って返す。二人の初対面、そしてリオレイア討伐からはや二ヶ月。彼らの間柄は、『友人』と呼んで差し支えないものに変わっていた。

 

 

 

 

 

 

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話は大きく変わるが、この世界には『飛竜種』と呼ばれる生物が存在する。彼らは名前の通り翼を以って大空を飛び廻り、それ故に多くの地域で多種多様な姿に分化し生息している。

 

例えばリオレウスとリオレイア。雌雄で体色が大きく変わる特徴があり、赤い甲殻のリオレウスは空を、緑の甲殻を持つリオレイアは地を支配すると言われる、有名にして強力な『火竜』

例えばナルガクルガ、闇に紛れる体色と刃のように鋭く進化した翼、伸縮する尻尾が特長で、素早い身のこなしと鋭敏な感覚を駆使して獲物を狩る、まるで暗殺者のような『迅竜』

例えばディアブロス、強固な甲殻と猛々しい双角、ハンマー状になった尾を持ち、飛行能力と引き換えに得た地中に潜航する能力と超スピードの突進で外敵を圧倒する『角竜』

 

彼らは概して強大な力を持ち、いずれの環境に於いても生態系の頂点に近い捕食者と言える。では、飛竜種の中で最も恐ろしいのはどれか?『黒き神、白き神』とまで称される双璧は一旦置いておくとして、数ある飛竜のその中で『奴』の名を挙げる者は多い。

 

 

『げに恐ろしきは絶対強者』と。

 

 

 

 

 

 

翌日の遺跡平原、狩猟区の北西に位置する森林で、二人と一頭が命懸けの鬼ごっこに汗を流していた。

 

 

「聞いてない聞いてない聞いてない聞いてない!!!! 聞いてないぞリアァァァア!!!!」

「私だって聞いていない!!!! だが話は後だ! ここでコイツと戦うのは不味い!!!!」

 

 

逃げているのは二人のハンター、追いかけているのは……小麦色の飛竜、『轟竜』ティガレックス。しかも大きい、一般的なティガレックスの体長は19メートル前後とされているが、この個体はそれよりも一回り大きく、20メートルは悠に超えているだろう。そのティガレックスが、木々や遺跡をぶち壊しながら顎門を開いて突っ込んでくるのだ。お世辞にも広いとは言えない辺りの環境や木の根やレンガでごたごたした足場も相まって、逃走以外に選択肢がある筈もない。

 

 

「前方に崖! と蔦!!」

「俺に任せろッ!!」

 

 

小高い段差を飛び越え、蔓草をナイフで斬り裂いて遺跡の隙間を走り抜けていくリアとノイル。彼らが目指すのはまっすぐ南、第3エリアに程近い南東部程ではないが、比較的平坦で開けた土地の多い方面だ。

 

とにかく有り余るパワーで障害物など存在しないかのように走り回り、相手を轢き潰しては殴打する荒々しい戦闘スタイルが特徴のティガレックスは、リオレイアなどの他の大型種よりも更に『狭い場所で相手取ってはいけない』モンスターとされる。脚を止めれば轢殺され、障害物に阻まれても轢殺されるのだから、こういう風に遭遇してしまえば真っ先にそうする必要があった。

 

 

「リオレイアの比じゃない……!」

 

 

背中に見えない圧力を感じながらノイルが呟いた。あの陸の女王ですら余りに大きな障害物やレンガの構造物などは避けていたが、このティガレックスは違う。元から『避ける』という概念など持ち合わせていないとでも言うかのように、真っ直ぐ、常に最短距離で追いかけてくる。

 

唯一の救いは、そのティガレックスが時々不安定な足場で体勢を崩してくれる事だ。そのお陰で、何とか二人はリードを維持出来ている。 そして遂に、前方数十メートル先に、木立を切り裂く光が見えた。

 

 

「見えた! 平原に出たら散開、コイツを追い払う!!!!」

「合点承知だァッ!!!!」

 

 

恐怖と緊張とその他諸々の感情が混ざり合い、妙なテンションになった二人が狙い通り平原に飛び出す。転がって受け身を取りつつ言葉通り左右に散開、丁度その間に巨大な体躯が滑り込み、勢い十分なまま向かいの壁に激突した。タル爆弾もかくやという爆音が響き、赤いレンガの壁がガラガラと崩れ落ちる。

 

うず高く積み上がったその残骸を吹き飛ばして、『絶対強者(ティガレックス)』が咆哮を上げた。

 

ティガレックスが『轟竜』と呼ばれる所以は、ひとえにこの咆哮にある。他の飛竜と比較して原始的な骨格を持つこの竜はブレスを吐く事は出来ないが、ただ一つ肺活量だけは他の種の追随を許さない。その肺活量をフルに活用して放つ咆哮は『音』の範疇を超え、物理的な破壊力を伴って天地に轟く。 故に、その名は『轟かせる竜』とされた。

 

 

「ぐ……ッ、う…………!」

「…………ッ!!!!」

 

 

十分に離れていたにも関わらず、頭を殴り付けられるような感覚に耳を塞ぐ。当のティガレックスはすぐに襲い掛かるような事はなく、悠々と身体を揺らすと、どちらを狙うか決めあぐねたように唸った。

 

薄暗い森林から平原に出た事で、逞しいその身体がよく見える。甲殻を持たない代わりに全身を包む鱗、地面を深く抉る爪、興奮しているのか小刻みに震える体表には、幾つもの傷痕が刻まれているのが見て取れた。爪の痕、牙の痕、焦げたような痕まで、それだけでこの個体が相当の死地を潜り抜けてきた猛者だと理解できる。 少なくとも下位に分類される個体ではない、上位か、それ以上として例外的に『G級』と認定され得る個体だろう。

 

 

「追い払えばいいんだよな!」

「逃げてもいいぞ?」

「冗談!」

 

 

足元の石を拾い上げ、轟竜の鼻先に向かって全力投球。一直線に飛んだそれがばしッと直撃した瞬間、鎖から解き放たれたように奴が走り出した。狙いは勿論ノイル、一歩ごとに地面を揺らしながら這うように突進する。ほぼ直角に開いた大口が目前に迫り、あと一歩で接触するという瞬間に浮き上がった右前脚に向かって身体を投げ出し、前転で衝撃を殺してから素早く起き上がって距離を取った。

 

獲物を見失ったティガレックスだったが、今度は壁に激突する事なく地面を荒く削りながらその場でUターン、暴走する竜車じみた動きでノイルを追う。

 

 

「リア!」

「……成る程、了解した」

 

 

自らに背を向けて走る狩人をティガレックスが猛追する。そしてその姿がもう一人の狩人に近付いている事に気付くと、彼はこれ幸いと四肢に力を込めて撓ませた。岩壁をも粉砕する怪力を活かした跳躍によって巨躯が空を舞い、二人まとめて挽肉にせんと前脚を一杯に開いて押し潰す姿勢をとる。

 

 

「行けるか」

「無論だ、君は避けると良い」

 

 

すれ違いざまに一言交わしてノイルが横に跳躍すると同時にリアが身体を屈め、太刀の柄に手を添えた。

 

ティガレックスの身体が彼に届くその一瞬、狩人の身体が前傾しながら大きく捻られる。ほぼ地面と並行にまで倒され、仰向けに近い姿勢となった身体が鱗に覆われた巨躯と交錯し、轢かれる事なく背中から着地。少し不格好に転がって受け身を取りティガレックスを見ると、下顎から胸元に掛けて出血した奴が転げている所だった。

 

何か特別な事をした訳ではない、太刀を振り抜かず、半ばほどまで抜いた刀身を『滑らせた』だけの事。大きく斬り傷をつけた分流血量は派手だが、決して傷は深くないだろう。その証拠に奴は既に起き上がり、また突進の体勢に入っている。

 

その眼が睨み付けているのは真後ろにいるリアではなく、横に回避したノイルだ。

 

唸り声を上げながらティガレックスが走り出す、自らの流血に危機感を覚えたのかスピードは先程よりも数段上だ。。アレで本気ではなかったという事実を突き付けられ冷や汗が流れるが、こちらも伊達にハンターを続けている訳ではない。一度目と同じように斜めに身体を投げ出し、受け身から間髪入れずに体勢を____________

 

 

「屈め!!!!」

 

 

リアの声が聞こえると同時に、視界の端に土色の影が映る。それを何かも確認せずに足を滑らせて身体を地面に倒した。背中のすぐ上を太い何かが通り過ぎる気配。恐らくは奴の尻尾。

 

単純な突進では避けられる事を学習し、ノイルが回避行動を取ると同時にその場で回転したのだ。そして身体が回ったのなら、当然頭が反対方向を向く事になる。咄嗟に地面を蹴って転がったノイルが一瞬前にいた地面が、丸ごと奴の口に収まった。

 

 

「…………!」

 

 

土砂の塊を噛み砕き、やがて吐き出した姿に震え上がるような怖気を催す。震え掛けた足に鞭打って立ち上がり、顎門に獲物を捉えられなかった事に気付いた轟竜が次々に振るう爪を避け回っていく。右の爪を捻って躱し、左の爪を転がって躱し、同時に振り下ろされる両爪を身体を逸らせて躱し、そうして出来た僅かな隙にさっと身体を反転させ、()()()()()()()()()()()()()()()()駆け出す。

 

 

「そっちは壁だ!」

「分かってる!」

 

 

焦ったように叫んだリアに叫び返している内に、壁はすぐ目前に迫ってきた。背後には追い回すティガレックス、一見して左右以外に逃げ場は無いが、そうすれば先程のように追撃を受ける事は必至。 ではどうするか。前後左右どこにも逃げ場が無いのなら、『上』に逃げるしかない。

 

 

「おおぉぉッ!!!!」

 

 

遺跡平原のレンガ壁は、実はそこまで精緻に積み上げられている訳ではない。元はどうであったのかは知らないが、蔓草が蔓延った壁面は陥没と隆起、隙間が目立つ。そして蔦が絡み付いた構造物というものは、見た目以上に頑丈だ。 つまりどういう事かと言えば、『少し頑張れば簡単に登れる』という事である。

 

 

右手を突き出したレンガに掛けた、ティガレックスが迫る。

 

左手を窪みに突っ込んで身体を持ち上げる、ティガレックスが迫る。

 

右足で蔦を踏み付けて跳び上がった、ティガレックスの鼻先が靴底に擦れる。

 

 

残った左脚が壁を蹴り、完全に宙に浮いたところで奴が壁に激突。デジャブを感じる光景を横目に背負った大剣に手を掛ける。 何時ぞやのように身体を捻り、落下の勢いと遠心力を伴った刃を奴の背中、一対の突起物の丁度中間に叩き込んだ。

 

そのまま腕を畳んで大剣の背に体重を乗せると、血を焦がす音を立てて火竜の骨髄が仕込まれた刀身から炎が噴き出し、しっかりと奴の鱗を喰い破った刃が筋肉を焼く。背の痛みに瓦礫の山を弾き飛ばしながら暴れる轟竜の背から飛び降りて、大剣を背負い直そうとした瞬間に奴の四肢が撓んでいる事に気付き咄嗟に大剣を盾にするが、それは遅く、なにより竜にとっては余りに些細な抵抗だった。

 

ゴッと鈍い音が頭に響いたかと思えば、既に自らが空中に舞っている事を知覚した。尻尾を振り上げた姿勢の奴の姿が急速に遠ざかっていく。構えた得物が軋む音、耳元で風が蟠る音を聞き、横方向一直線になった景色に意識を向ける間もなく、不時着じみた形で地面に叩き付けられる。

 

一拍遅れて奔る、全身の神経を滅茶苦茶に掻き回すような痛みと痺れ。脳を揺さぶられたのか歪む視界に、大口を開けたティガレックスが見える。一撃喰らわせて、注意を怠った結果がこれだ。もしくは、『絶対強者』たるタフネスを嘗めていたツケか。どちらにせよすぐには動けない、どうにか衝撃を最小限に…………

 

 

「ノイルッ!!!!」

 

 

…………視界の端に、こちらに向かって走ってくる姿が見えた。転げそうな程の前傾姿勢で隻腕を伸ばしている。

 

もしかしたら届くかもしれない。そんな曖昧な思考で、彼に倣って手を伸ばす。だが、明らかに奴の方が速い。自分がどれくらい吹き飛んだのかは分からないし、歪む視界では目測も定かではないが、そんな確信があった。

 

そして、その確信を挫くがごとく咆哮と、燃え盛る火焔がぶち撒けられる。見上げた視界に映ったのは、翼を広げた飛竜の影だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………リオ……レウス……?」

 

 

その姿を最初に見とめたのは、ティガレックスとノイルから少し離れていたリアだった。はためく翼に長い尻尾と毒爪、遙か高みから一方的に火球を吐いて轟竜(外敵)をうちのめす姿は、確かに『空の王者』と名高いリオレウスのそれ。 にも関わらず彼が『アレはリオレウスだ』と確証が持てなかったのは、その所々の差異が原因だった。

 

翼膜には通常個体とは違う金に近い山吹色の紋様が走り、槍のような突起を備えた尻尾先端には、その突起を囲うように4、5本の棘が生えている。全身の甲殻が丸みを帯びているのは未成熟個体の特徴だが、反比例するように翼を縁取る翼爪だけは成体以上に発達していた。 何より目立つのはその体色、通常赤と黒で構成される筈の身体は、僅かに紫色のグラデーションを描いている。

 

その飛竜の眼にはティガレックスしか映っていないらしく、自らの真下で倒れているノイルには見向きもせずに火球を撃ち続ける。本当なら今すぐに助け出したいところだが、当のティガレックスが炎に包まれながら暴れまわっているせいでそれも出来ない。それどころか、巻き上がる炎の渦に煽られて近付くことすら難しい始末。今のリアには、二頭の争いを眺めることしか許されないようだった。

 

そうこうしている内に炎に耐えかねたのか、ティガレックスが前脚に備わった翼を撃って飛び上がった。飛行というよりも跳躍に近い動きだが、その身体は赤い飛竜に届く高度にまで届いている。

 

それに対してリオレウスと思しき飛竜は身体を捻りながら上昇。噛み付きを躱して一声吼えると轟竜の首を掴んで急降下し、地面を削りながらその巨体を叩き付けた。苦悶の悲鳴を上げるティガレックスに追撃のブレスを放ち、仰け反った所に翼を畳んだタックルで大きく突き放し、さらにブレスを叩き込む。 それは未成熟な個体でありながら、狩人ですら見惚れる程の鮮やかな連撃だった。 体格のハンデを一切感じさせない豪快さと、まるで歴戦の古強者のような巧妙さが食い違う事なく同居するその戦い振りは見事という他無かった。

 

本当なら観察を続けておきたいが、今はそうはいかない。奴らが睨み合っている内にノイルに駆け寄り、肩を貸して助け起こす。

 

 

「大丈夫か!」

「……」

 

 

返事は無かったが、代わりに弱々しいサムズアップが返ってきた。僅かに苦笑しながら平原を急ぐ。握った手を固く握り返してくる感触からして、意識はあるようだった。

 

 

「…………悪い」

「何を言う、君は良くやったとも。

 特に防御と受け身は見事だった、私が君なら死んでいたかも知れない」

「……はは、なら光栄だ」

 

 

背中越しに振り返った先で、二頭の飛竜が激しい争いを繰り広げている。かなりの距離をとった今、吹き上がる土煙で詳しくは分からないが、相当に苛烈な応酬が繰り広げられている事は確かだ。

 

 

「兎に角、全くの予想外だが当初の目的は達成出来た、このまま帰還しよう」

「……アイツが?」

「あぁ、正直眉唾物だと思っていたが、依頼書にあった特徴と合致する。

 アレが『若武者』と見てほぼ間違いないだろうな」

 

 

いつも通りの、だが少し上擦った声でリアは言った。何故だかそれが、()()()()()()()に感じて思わず視線を持ち上げたが、未だに歪む視界では、あの炎色の眼を覗き見る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

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ごり、ごり、ごり、と薬草をすり潰す音が静かな自室に木霊する。胡座をかいた脚で小さな石鉢を押さえるその向いには、烈火のような造形の鎧が、正確にはそれを身に付けた友人の姿があった。

 

 

「リア、そこのアオキノコ取ってくれ」

「あぁ」

 

 

手渡された鮮やかな青色のキノコをナイフで刻み、布に包んで搾る。空を溶かしたような液体がじわりと滲み、石鉢に注がれていく。

 

それを粉々になった薬草と混ぜ合わせ、さらに馴染むまですり潰し、粉砕し、攪拌した。それを布を掛けた鍋に流し入れ、固形物を濾し取ってからこじんまりとしたかまどに火を点ける。一煮立ちするまでには暫く掛かるだろう。 鍋に蓋をして、火の中に燃石炭のかけらを放り込んで、座ったままのリアに向き直る。

 

 

「悪いな」

「いや、押し掛けたのは私だ、気にしないでくれ」

 

 

申し訳なさそうな感情が滲み出した声音、少し距離が空いているのでいつにも増して表情が読めないが、纏う雰囲気は硬い。率直に言って、『嫌な予感』がする。 そんな考えをおくびにも出さないノイルが座椅子を引っ張り出して腰掛けるのを待ってから、彼はポツポツと話し出した。

 

 

「……この前、ティガレックスに遭遇したのは覚えているな?」

「勿論」

「その個体と下位ハンター4人が遭遇、交戦。 犠牲者が2人出た」

 

 

あぁ、なるほど、大体読めた。読めてしまった。

 

 

「それで奴と一戦交えてるアンタに、ギルドから依頼が届いたと」

「君は話が早くて助かるよ」

 

 

一枚の紙を差し出しながら、リアは兜の奥で薄く笑った。 受け取った紙には『轟竜の狩猟』と大きく赤いインクで記されている。依頼条件は等級(ハンターランク)4以上、その下には『狩猟環境不安定』と『緊急依頼指定:リア・ロクショウ』の文字が躍っていた。

 

 

「正確にあの個体にやられたと確定しているのがその4人というだけで、ここ数日で『体格の大きい刃傷のあるティガレックス』に遭遇、又は襲われた報告が相次いでいるらしくてな、これ以上事が大きくなる前に討伐しようという運びになったらしい。

 

 それに、奴を含めた大型モンスターと交戦すると、高い確率で『若武者』が乱入してくるらしい、彼はあくまでもモンスターを標的にしているようだが、観察対象である事は確か、その為にも…………」

「それは結構なんだが……、まぁ、此処にわざわざ来たって事は、そういう事だよな」

 

 

苦笑するノイルに対し、リアは別の紙面を手渡す。これは依頼を受けたハンターが同行者に渡す半券のようなものだ。 普通、同行者の参加も依頼受付でそのまま受理されるので見る事は無いが、今回は集会所の外で話をしているから、別途俺がこれを持って行かなければならない。そんなものを手渡したリアは、つまり「狩りに同行してくれ」と言っているのと同じだ。

 

 

「御名答と言っておくよ。 無論、これは私の依頼だ、だから君は受けなくても」

「いや、受けるよ」

「……本当に?」

「こんな時に嘘を吐いてどうする」

 

 

今度こそ屈託の無い様子で破顔すると、彼は背後に立て掛けてある大剣を指差した。前までは赤地に黒だった刀身の所々を若草色のパーツが彩っている。恐らくは雌火竜の素材で補強したのだろう。

 

 

「こんな事もあろうかと剣も強化した、やらないと損だろ」

「集会所で見ないと思ったら、そういう事だったのか……。 分かった、来てくれるんだな?」

「おう、リベンジマッチだ!」

 

 

勢いよく腕を組み合わせたのも束の間、火にかけ続けられていた鍋からぼこんと間抜けな音が鳴る。

 

 

「げ、やばい」

「あー……! 噴きこぼれてる…………」

 

 

引き締められた筈の空気は、そんな不注意で瞬く間に綻んでしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「条件?」

「あぁ、タダで同行して貰うのも何だかと思って」

「つってもな、報酬は美味いし、ティガレックスの素材なんて売っても高いし、ギルドから直接出た依頼だから契約金も安いし、これ以上何か載せたら俺にバチが当たりそうだよ」

「好条件なのは私もそう思うが、ここのところ君には助けられっぱなしだ、何か返したくてな」

「俺、助けてるか……?」

 

 

無事に鍋の中に残っていた内容物を蜂蜜と一緒に二等分して壺に入れ、揃って混ぜ込みながら二人は話し込んでいた。内容は上記の通りだが、善意五割感謝五割で話を進めるリアと、困惑気味に応対するノイルのテンションは対照的だ。

 

 

「何を言う、この前も言ったが私には友人がいない、近寄ってくる人もいない、話しかけても避けられる」

「胸張って言う事じゃないな」

「……だが君は違う、私に同行を申し出て地理まで教えてくれた」

「うん、まぁ……、アンタ、あのままだと困ってただろ」

 

「そこだ」 リアはびしりと指を突きつける。 「君は私が『困っていたから』助けてくれたのだろう?」

 

「そ、そうだな」

「その上、君は幾度も狩りに付き合ってくれた、それで私がどれだけ助かったか!」

「おう…………」

 

 

すっかりヒートアップしたリアに、ノイルは気圧されていた。「最初に話しかけたのは割と打算が入っていた」とか、「アンタが受ける依頼は大概報酬金の払いが良いから」とか、そんな事を言っても彼は止まらないだろう。この調子だと「純粋な好意より打算が入っていた方がかえって信用できる」などと滅茶苦茶な事を言いかねない。そう思える程の力説っぷりだった。

 

 

「アンタの言いたい事は分かった、だから一旦落ち着け」

「ふぅ……、はぁ、すまない、熱くなった」

 

 

冷静さを取り戻したのか、リアはかぶりを振って居住まいを正す。

 

 

「じゃあ、何だ、俺がアンタに何か頼めばいいのか?」

「平たく言えばそうなるな」

「頼み事、かぁ……」

「何でもいいんだ」

「言ったな?」

「待ってすまない常識の範囲内にしてくれ」

 

 

慌てて言い募るリアを横目に、ノイルは大真面目に悩んでる。いつもなら飯でも奢れと言う所なのだが、この様子だとそれで満足するかが怪しいし、何より人前で兜を外さない彼にそんな事を頼むのは余りにも忍びない。 しかしだからと言って妙案がすぐに思い浮かぶ訳でもなく、彼は納得のいく答えを導き出すのにたっぷり十分を要した。

 

 

「……決めた」

「よし、何でも……、ごほん、常識の範囲内で来い」

「例の依頼が終わったら、俺に太刀の扱いを教えてくれ」

 

 

隻腕の赫王はぽかんとしていた、バイザー越しの眼が丸くなる。

 

 

「そんな事でいいのか?」

「俺からすればかなり大きな決断だ。 それに……」

「それに?」

「……これはアンタのお陰だよ、太刀なんて二度と使わないと思っていたのに」

 

 

ノイルは黒い短髪を掻きながら、細まった目を逸らしてこう言った。

 

 

「アンタに、リア・ロクショウに焚き付けられたんだ、俺は」

 

 

 

 

 

 

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_____前回の事で理解していると思うが、ティガレックスとの戦闘で追い掛けっこを行うのは最大の悪手であり最後の手段だ。

 

_____だから今回は、『そうなる前に』奴を狩る必要がある。

 

_____する事は分かるな? 君と私だからこそ出来る戦法だ、寧ろ本題はその後と言っても良い。

 

_____轟竜を可及的速やかに狩猟し、その後飛来するであろう『若武者』に備える。

 

_____速やかに撤退し、安全かつ確実に帰還すること、これが今回の最終的目標(メインターゲット)だ。

 

 

 

 

昨日未明に発された、自らの相方であり友人でもある狩人の言葉を脳内で反芻しながら、ノイルは連なった蔓草で身体を覆い隠していた。僅かな息遣いだけが空気を揺らし、赤煉瓦の遺跡柱に背中を預け、その柱を挟んだすぐ向こうを闊歩する狩猟対象(ティガレックス)を仔細に観察している。

 

前回のエンカウントから既に一週間以上が経過しており、その身体には多くの刃傷や弾痕、爪痕が刻まれていた。報告通り、ハンター・モンスターを問わず多くの敵対者を退けてきたのだろう。活動範囲もほんの数日で大きく拡大し、今では狩猟区内に大きく踏み込んでいる。

 

現在地は9番エリア、高低差のある地形に植物が絡み合う事で二層構造を創り出した奇妙な土地だ。

 

 

「リアと離れてから……、そろそろ一時間、……やるか」

 

 

言い聞かせるように呟いて、彼は腰のベルトから小さな刃物(投げナイフ)を抜き出す。赤い粘液状の物体を纏ったそれは、ニトロダケとトウガラシの粉末をネンチャク草のペーストに混ぜ込んで塗り付けた特別製だ。刺さればギザついた刃も相まって激しく痛み、粘液が眼に入れば失明は免れない。 竜に対して何処までの効力を発揮するかは未知数だが、少なくとも注意を引くのは十二分だろう。

 

 

「落ち着いて、落ち着いて…………、今……ッ!」

 

 

ティガレックスがふとノイルとは逆の方向を向き、荒い鼻息を吹いたその瞬間に陰から踊り出し、足音に振り返った鼻先目掛けてナイフを三本投擲した。刃が空気を斬る音。続いて、ざくりと鱗を突き破る異音と轟竜の絶叫が響き渡る。

 

物理的圧力を伴う轟音の暴力に身体を打ち据えられながらも、奴が痛みにのたうち回っている内に走り出すノイルの動きに淀みは無かった。崖を這う蔦にさっと手を伸ばし、ひょいひょいと軽妙な動きで登っていく。丁度彼がその崖を登り切り、一度大きな息を吐いたところで漸くティガレックスは冷静さを取り戻す。顔面に突き刺さった『何か』が異常に痛むが、生死に関わるほどの傷ではなく、また毒の類でもないと彼の捕食者たる経験が声高に叫んでいた。

 

奴は鋭い感覚を総動員して一瞬の内に狩人の姿を見つけ出すと、両腕をばたつかせて一直線に走り出す。勢いを全く緩めず崖面に激突したかと思えば、なんと無理矢理に爪を突き立てて崖を登り始めた。

 

 

「それぐらいはやってくるか……!」

 

 

力押しで重力を無視して迫る姿には戦慄を禁じ得ないが、今更驚く程の事でもない。寧ろ予想の範疇ではあった。だからこそ彼は狼狽えず、また走り始める。進行方向は真っ直ぐ南、リアが待機する4番エリア。

 

一度走り始めれば、そこまではほんの数分で辿り着く。起伏の激しい地形の上部、そこに太刀を携えた相方の姿が見えた。彼もティガレックスを引き連れたノイルに気付いたようで、二、三度手を振って移動を始める。ポイントは侵食を受けた岩石によって形成された天然の橋、その下にぽっかりと口を開く穴の前だ。

 

 

「頼んだッ!」

「任せろ」

 

 

交差する二人、その丁度2秒後にティガレックスが穴の前に現れた。ノイルを追おうと前ばかり見ていた奴の視界に、身体を屈め太刀の柄に隻腕を添えた赤い狩人が映る。鯉口から僅かに火がちらつき、奴が直観からか経験からか、驚異を感じ取り巨体を捩ろうとした次の瞬間には、爆発と見紛う火焔と共に眩い刃が振り抜かれていた。

 

正に紫電一閃。 研ぎ澄まされた刃は真っ直ぐに轟竜の首を捉えている。だが……

 

 

「(浅い……!)」

 

 

納刀し跳び退いたリアの眼前に、丸太のような前脚が突き立てられる。 確と届いた筈の斬撃は、強靭極まる筋肉に阻まれ首を落とすには至らなかった。己の未熟を恨む気持ちが湧き上がるが、その隙も与えんとばかりに我武者羅に振り回される爪と尾が、辺りを滅茶苦茶に打ち砕いていく。

 

 

「斬り損ねた!!!!」

「早くこっちに!!」

 

 

衝撃に耐えられず石橋が崩れ落ちる。その瓦礫の隙間を縫って抜け出したリアをノイルが受け止めて素早く立たせると、腕を引いて斜面を登っていき、一際大きな起伏の頂点で振り返った。眼下には斬り裂かれた首から夥しい血を垂れ流しつつも、未だ衰えの無い様子で二人を睨み付ける轟竜が立つ。

 

 

「全く、滅茶苦茶な野郎だ」

「……次は逃がさない」

「それは心強い、頼むぞ」

 

 

二人に狼狽は見られない、ただ事前の打ち合わせ通りに行動を起こすのみ。ノイルは残り四本の投げナイフを指に挟んで斜面を下り、リアはティガレックスに対して大きく回り込むように走り始める。リアが奴に刻んだ傷は間違いなく致命傷だ、だがその致命傷を、絶対強者は自身のタフネスだけで耐え抜いた。此処で逃せば必ず奴は生き残ってみせる、そんな確信が狩人の脳裏にはあった。

 

二手に分かれた外敵を前にティガレックスの視線が彷徨う。しかし、突如として己の首に新たに奔った激痛に否応なく意識を引っ張られた。その主は、先程も小賢しい刃物を投げ付けてきた緑色の人間。一瞬にしてティガレックスの怒りは頂点に達し、眼が血走り、激憤によって励起され増大した血流によって前脚が赤く脈打つ。

 

 

 

 

______ゴルアアァァァァァアアアアアアッッッ!!!!!!!!

 

 

 

 

「……追い込まれてから本気を出すんじゃ、世話が無いな」

 

 

地面にヒビを走らせていく咆哮に耳を塞ぎ、おどろおどろしい姿に気圧されながらも目線は狩猟対象から離さない。大振りの爪を後退して躱し、尚且つ突進に踏み切らせない間合いを保って誘導していく。前脚による攻撃は威力を増し、一発一発事に地形を無残にも破壊する、擦りでもすれば体勢を崩され次弾で肉塊に変えられてしまうだろう。

 

それでもノイルの動きは変わらない。寧ろ奴の一撃を受けた経験が、彼の中で活きていた。

 

 

「(攻撃を見てからでは遅い、一挙一動から次の行動を読み取れ、でなければ死ぬ)」

 

 

怒りに狂った竜の行動は大振りで分かりやすく、また誘導もしやすい。特に気性の荒いティガレックスが追い込まれたとなれば、その要素も一際強い。……本来ならそのような竜の眼前に立つなど自殺行為にも等しいが、彼は伊達に一ヶ月間、等級7(リア)の狩りに同行していない。もはや囮役は慣れたものだった。

 

振り下ろされる爪から一際大きく跳び退いて、ノイルはポーチから一つの物体を取り出す。掌よりも少し大きい金属製の円盤。中心にかけて膨らみを持った形状のそれを片手に預け、残っていた二本の投げナイフをティガレックスに投げ付けて走り出した。

 

全力で前脚を伸ばせば、届くか届かないかといった具合の距離が開く。飛び掛かるには近く、一度立ち止まって突進の姿勢をとる冷静さを駄目押しのナイフに奪われた。よって轟竜が選んだ行動は、やはり前脚による叩き付け。その予兆を見てとると、ノイルの口角が兜の奥で吊り上がった。

 

 

「割と高いんだ、しっかり味わえ」

 

 

彼が一瞬だけ出費に思いを馳せ、地面に円盤を叩き付けてその上部を回す。バチン!となった音を聞きながら身体を後方に投げ出し、そうして一瞬前まで彼がいた場所、円盤のちょうど真上にティガレックスの豪腕が叩き込まれた。 その瞬間、轟竜の屈強な肉体が硬直し痙攣を始める。突き込まれた前脚の下から金色の光が這い回り、奴を蝕んで動きを止めた。

 

ノイルが持ち出した円盤を、正しくは『携帯シビレ罠』という。ギルドによって製造された支給品であり、中でも値が張る部類だが効果は強力無比の一言に尽きる。一定以上の衝撃……例えば『モンスターに踏みつけられる』などの強い衝撃を受けると上部から棘が飛び出し、筋肉を硬直させる電撃を放つという効果を持つ簡易トラップ。 効果時間は数秒から十数秒、何度も使えば耐性を身に付けられる、そもそも効かないモンスターが存在するなど欠点も多いが、今回はその内どれの心配も無い。

 

ティガレックスにこれは通用する、これを奴に使うのは一度目、そして、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「頼んだ」

「あぁ」

 

 

ティガレックスとノイルの間に、回り込んできたリアが滑り込んだ。

軽く気負わず、自然に太刀を握り構える。

 

硬直はまだ解ける様子が無い、身体を震わせる轟竜から眼を離さずにじきりと身体を捻ると、鯉口から炎の爪先が覗く。全身の筋肉が捩り、撓み、凝縮された力が解放される瞬間を待ち侘びて震えた。

 

……やがて、その身体が静止する僅かな間隙の後、一気呵成にその身体が駆動する。

 

 

「ゼアァッ!!!!」

 

 

踏み込んだ脚が引き金となって、『捻り』に込められた力を乗せて刃が閃く。鞘口から吐き出された火焔が柱のように噴き上がり、斬撃のスピードを物語っていた。

 

炎の奔流に煽られて、寸断された竜の首が舞う。地表から約十数メートル打ち上げられたそれは、断末魔を叫ぶ事も許されず岩肌に落下した。遅れて首なしの巨躯が崩れ落ち、辺りに濃厚な血臭が漂い始める。 一方のリアは、太刀を取り落として膝を突いていた。

 

 

「リア!」

「…………すまない、張り切り過ぎた。 太刀を納めてくれるか?」

 

 

そう言った彼の隻腕は、それこそ電流でも受けたかのように震えている。成程、これでは得物も満足に握れないだろう。 言われた通りにし、彼を助け起こしてから辺りを見渡す。彼方此方で岩肌が砕け、壁面は抉れ、地面が大きく隆起している場所もある。咆哮の事も考えれば、少なくとも狩猟区全域には音が届いていた事は間違いない。

 

 

「動けるか?」

「……少し休めば問題無い、三分くれ」

「分かった、俺は素材を頂いてくる」

 

 

腰からナイフを抜いて鱗を剥ぎ取り、少し離れた場所に落ちた頭から牙を頂戴した。いつも通り皮袋に包んでリアの元に戻り、僅かな焦りを感じつつも成功を喜び合う。 想像よりもずっと消耗していた彼を再度助け起こしながらキャンプに戻る方向へ眼を向けた時、『それ』は現れた。

 

大きな翼をはためかせて血臭を吹き飛ばし、ティガレックスの死体に着地する赤い飛竜。狩人を前にして咆哮も上げず、まるで撤退する事を知っているように落ち着いた様子で二人を眺めるその姿は、数日前に目撃した『若武者』のそれだった。

 

 

「…………随分早いご到着だ。 ……リア?」

 

 

顔を引き攣らせるノイルとは対照的に、リアはその身体を震わせていた。それは痙攣でも恐れでもなく、紛れもない闘気、だが溌剌とした狩人のそれではない、どろりとして粘ついた明確な殺意。

 

 

「確信した、……相手を品定めするその癖、翼の紋、()()()にそっくりだ。やはり『彼女』が逃げ去ったのは、孕んでいたからか。 口惜しいな、二度を振るった後でなければ、素ッ首斬り落としてやるのに……!」

 

 

滾るような憤怒を滲ませ、だがそれを無理矢理に抑え込んだ声音で彼が唸る。それに応えて若武者が一声鳴いた。何処か喜んでいるように口端で炎が揺れ、翼が何度も空を撃つ。

 

 

「おい、リア」

「…………大丈夫、大丈夫だ。 このまま撤退しよう」

「馬鹿言え、コイツを追い払って」

「心配無い。今すぐ私達が撤退するなら、この個体は襲ってこない」

 

 

リアの有無を言わせない物言いに、ノイルは言葉に詰まった。まるで、この個体を長年追って来たかの如き勝手知ったる仕草に困惑が深まる。 彼の言葉を肯定するように、若いリオレウスは二人を威嚇せずに翼を動かしているだけだった。それは死合う直前に相手を観察する剣士にも見えて、睨めつけられる身体に怖気が走る。

 

 

「戻ろう、君も満足に動き回れる身体ではないだろう」

 

 

震える手でリアが肩を掴む。表情の読めない顔とリオレウスの間で視線を彷徨わせてから、ノイルは首を縦に振った。

 

油断なくゆっくりと引き下がると、若武者の青い双眸と視線がぶつかった。蒼穹をそのまま閉じ込めたような瞳が暫く彼を見据えていたが、その内に興味を失ったのか、ティガレックスの死体を鷲掴みにして飛び上がる。翼を広げて二人の頭上でぐるりと一回りして、狩猟区の外に向かって飛び去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い竜車の中、樽やら荷物やらで狭苦しくなった車内で身を寄せ合いながら、二人は手を握り合っていた。それは一先ずの生存に対する喜びであり、単純な労いでもある。横倒しになった木箱に足を投げ出しながら、兜を外したノイルが口を開く。

 

 

「……流石に、持ち込み過ぎたなかな」

「いいじゃないか、積み下ろしは私も手伝うよ」

 

 

積み込まれた荷物の正体は、罠や簡易的な爆弾を作り出すための樽、厳重に密封された火薬やその他の道具類だ。それだけ、今回の狩りをどれだけ警戒していたかが分かる。尤も、その殆どが使われること無くキャンプで放置されていたが、それは結果論というもの、備えはあるに越した事は無いのだ。

 

 

「まぁ、それはいい。怪我もなかったし、ティガレックスもしっかり狩猟した。ただな」

 

 

何処となく重い空気がのしかかるのを感じながら、ノイルの眼がじろりと動いた。言いたい事は分かる、大方、先程のリオレウスについて聞きたがっているのだろうとリアはすぐに思い至った。

 

 

「……」

「…………」

「あぁ分かった、分かった話すから、だからそんな目で私を見ないでくれ」

 

 

手を上げて降参のポーズを取りながらリアが苦笑する。僅かに身を乗り出していたノイルが肩の力を抜くと、彼はごくゆっくりと語り出した。

 

 

「あのリオレウスは、黒炎王と紫毒姫の仔だ。それは間違いない。 黒炎王の翼には金色の紋があって、翼爪の形状もよく似ている。未成熟でありながら成体と同じかそれ以上の飛行能力は父親譲りか。体表が紫を帯びているのも、幼い頃から紫毒姫の毒の影響を受けて育った結果と思えば納得できる」

「……理屈は通っているとは思うが、よく断定できるな」

「君が『彼ら』と相対すれば分かる」

「笑えない冗談だ」

 

 

皮袋に詰まった水を一口煽ってノイルが天井を見上げる。乱れたままだった髪を撫で付け、目線だけを隣に向けた。

 

 

「アンタが態々そんな嘘を吐く人間だとは思ってない。 ……だから、まぁ、なんだ、俺は黒炎王と紫毒姫については、何も言えないし、言うつもりも無い。 でも無理だけはしないで欲しい。もしアイツを狩るつもりなら、俺も同行させてくれ」

「珍しいな、君が自分から同行を申し出るなんて、初対面の時以来か?」

「茶化すなよ。 あの時のアンタは……アレだ、かなり危なっかしくて、怖いと思った。 だから…………」

「『無理をするな』と?」

「そう、それ」

 

 

その言葉を最後に、車内に沈黙が降りる。風の音しか聞こえなくなった事が不安を煽ったのか、ノイルが向き直った時、リアの隻腕が伸びて彼の頭を掴む。「何を」と言い掛けたノイルを無視してその手は髪を撫で、些か乱暴な手つきに頭がぐわんと揺れる。

 

 

「私は仲間には恵まれるらしいな」

 

 

散々人の脳を揺さぶって満足したのか、そう呟いてリアは手を下ろした。

 

 

「君を見ていると、昔の相方を思い出す」

「そいつはどうも、 ……あ痛てて……」

「だからという訳では無いが、まぁ、奴を狩る時も君に頼もう」

 

 

そう言ってノイルの胸を小突いたリアの眼は、いつになく柔和に歪んでいる。 それ以上の会話は起こらなかったが、空気が重く滞ったような雰囲気は、風に溶けたようにすっかり消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





MHX時代からの妄想、『黒炎王と紫毒姫の仔』を形にしたいが為にこれを書いたまであります、疾風怒号です。二つ名モンスター、いいですよね、浪漫です。これは余談ですが、作者が一番好きな二つ名モンスターは天眼でした。


次回、『斬り裂け、原生林の蜘蛛糸』 お楽しみに!







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幕間・其の一
赫王の教導






2話と3話の間の、ちょっとしたお話







 

 

 

 

 

夢を見た、夢を見た。 歪んで捻じ曲がって、狂い果てて、それでも記憶に焼き付いた光景が。

 

青い空に映える深緑と紫色の姿、拷問器具を彷彿とさせる凶悪な形状の尾が振り抜かれ、眼の前で友人『だったもの』が砕け散る。跪いた状態でそれを眺めているのが、私だった。

 

びちゃびちゃと耳障りな音を立てて、身体に血と臓物が降りかかる。杖代わりに地面に突き立てる折れた太刀と、千切れ飛んで焼け焦げた自らの左腕が、歪みきった視界の中で鮮明に写る。 必死に吐き気を堪えて立ち上がろうとする私の眼の前に、その飛竜は降り立った。

 

毒々しくも鮮やかな体色に、発達した翼と尻尾。片目を抉られておきながらも確と大地を踏み締めるその姿は…………

 

 

「殺してやる…………ッ、殺してやるぞッ! 紫毒姫!! 殺してやるッ!!!!」

_____あぁ、そんなに叫んでも傷口が開くだけなのに、馬鹿だな、私は。

 

 

一方の紫毒姫は、そんな叫び声に応える事はなく、脚を引き摺って後退し始める。

 

 

「……おい待て、何処に行くつもりだ……! 待て! 待てよ!」

_____無駄だ、奴はもう私を殺す気なんて無い。

 

 

姦しく吠え続ける外敵(人間)を一瞥して、王を喪い傷を負った女王は翼を広げた。己の半身とも言える番を討たれてなお、悼まず、悔やまず、ふらつきながらも堂々とその翼で空を叩く。 それは当たり前の行動だった、番を失い片目を失い、だがそれでも二人いた外敵の内、余力のあった方を仕留めて追撃の可能性を絶った彼女が取る行動の最適解は、その場から離れ身篭った我が子を守る事だろう。

 

 

「待て……ッ、待てよ…………、ぁあクソ、紫毒姫! 覚えていろ、必ず!!必ず殺してやるッ!!!!」

 

 

その背に投げ掛けた叫びは、しかし空に虚しく吸い込まれる。残ったのは血溜まりと肉片、その只中で立ち尽くす私だけ。相棒を喪い、左腕を失い、片目の光を失い、長く連れ添った愛刀すら壊れて、…………今になってようやくその事実を認識したように、頬に熱いものが流れた。

 

猛火に焼けた左肩が痛い、激毒に侵された右眼が痛い、けれどもそれ以上に、『彼』を喪った心が痛かった。

 

 

「………… すまない、アンゼルム、あぁ!痛い!クソ……!」

 

「私が、必ず……ッ、必ず仇を…………!」

 

 

 

 

 

「私が……………………!」

 

 

がばり、と毛布を蹴り飛ばして跳ね起きる。熱い朝日が窓から差し込んでいて、少々寝苦しく思った。 上体を起こして思わず溜息を吐く、ここ最近はずっとこう、一時期治まったかと思えば、またすぐに夢を見始めるようになった。

 

 

「……痛い」

 

 

傷痕が大きく残る肩口を撫でて呟く。視線を横に向ければ、赤い鎧と大太刀が此方を睨み付けるように鎮座していた。嘗て相手取った飛竜の王が宿るそれが、未だ怒りに震えるが如く硬質的な光を反射する。その表面を撫で付けてベッドから降り、棚に掛けたロケットを握り締めた。

 

 

「大丈夫、忘れていないから。 私が貴方の仇を討つから……」

 

 

独りごちた言葉は、何処か自分自身に言い聞かせるような空虚さを伴って響いて消える。

 

 

「だからそれまでは待っていてくれ、アンゼルム。 全てが終わったら、花香石を供えに行く」

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

巨大な移動市場であるバルバレの朝は早い。日の登る前から店支度が始まり、朝日が登ると同時に商いが始まれば、日が落ちてもその喧騒は尽きない程。そんな騒がしさが風に乗って届くマーケットの外れ、まだ低い太陽が照りつける中、とある家の庭にノイルとリアの姿があった。

 

 

「……アンタ、やっぱり金持ちなんだな」

「そんな事はない、たまたま安売りされていただけさ」

「安売りしてたからって理由で家を買える人間を、世間じゃ金持ちって言うんだよ」

 

 

一般的な住宅、況してや自分の借家より一回りも二回りも大きい庭付きの家、それが現在のリアの拠点(マイホーム)だった。……少なくとも、上位に昇格したばかりの自分では到底手が出ないだろう。とノイルはリアを見やった。 いつもの様に鎧で全身を覆っている彼はそんな思いは露知らず、家の中から長い木の棒や板を運び出している。その内何本かを地面に突き刺して固定すると、満足げに頷いて向き直った。

 

 

「さて、じゃあ……太刀を教えるって事なんだが、まぁ、私から教えられる事は少ない。

 取り敢えず、()()でこれを斬ってみてくれ、一本ずつで構わないから」

 

 

リアはそう言ってノイルが手に持つ、布に包まれた太刀を指差す。硬く締められた結び目を解くと、濃紺の中から小麦色と水縹のコントラストが美しい鞘が顔を出した。『抜く』のではなく顎門が開くように鞘と刀身が『分離』すれば、刃を挟み込むように牙が並んだ、太刀と言うには余りに荒々しい姿が露わになる。

 

 

「また凄い刀だな、それは」

「銘は『一虎刀』。 家で埃被ってたのがこれになるんだから、加工屋ってのは凄えな」

 

 

狩猟したティガレックスの牙がそのまま使われたその太刀は一見粗雑に見えるが、その実、刃そのものは鋳溶かした鉱石類を精錬して打ち上げた見事なものだ、ノイルの口振りから推察するに、元々あった太刀を打ち直したものなのかも知れない。太刀そのものの形状を考慮しても、生木を斬る程度なら簡単に出来るだろう。

 

 

「(正しく扱えれば、の話だが)」

 

 

ノイルが両手で太刀を構え、腰を落として構える。それそのものは訓練所で教わる基本的なものだ。体幹にブレは無く、『練気』というには遠いが、十分な気勢が漲っている。だが……

 

 

「ふッ!」

 

 

斜に振られた刃は、棒の中程で止まった。

 

 

「はァッ!」

 

 

二度目、中程で止まる。

 

 

「……らァッ!」

 

 

三度目、身体ごと捻った一撃はやはり止まる。

 

最終的に、木の棒は根負けしたように五度目でへし折れた。斬れたのではなく、折れたのだ。僅かに息を荒げるノイルの肩を叩いて、リアが一虎刀を借り受ける。斬れない理由は彼から見れば明白だった。

 

 

「ノイル、君は根本的に太刀を扱うのが下手だ、だが改善は出来る。 ……少し話をしようか」

 

 

一虎刀で片手間に、それも先程よりも太い木を両断しながらリアは言う。

 

 

「まず最初に、太刀と大剣の違いを理解しよう。 大剣と太刀の間にある最も大きな差異は何か、という話だ」

「鋭利さか?」

「いいや、もっと単純なものだ」

「……『重さ』か」

 

「そう!」リアが食い気味に応える。「それさえ分かっていれば大丈夫」

 

「大剣は重さを乗せて叩き斬るもの、だが太刀にそこまでの重さは無い。なら力任せに振っても?」

「斬れない、考えてみれば当たり前だな」

「その通り。 さて、ではここで問題が発生する、『重さが無い刃で物を斬るにはどうするか』だ」

 

 

刀の切っ先を残った棒に向けてリアはゆるりと身体を引き、あの竜の首を落とした一撃に近い姿勢を取りながら語り続ける。

 

 

「答えは簡単、重さを『伝える』んだ」

「伝える……?」

「そう、重さは重心と言い換えても良い。 身体の重さを、預けた重心を刃に伝える事、それが出来れば岩盤だって斬れる」

 

 

ごくゆっくりと踏み込んだ彼の身体が、緩慢なモーションで動く。

 

 

「右脚で踏み込んだ時、重心は右脚にある。その重さを刀身へと伝達させるんだ。

 こんな風に、前に、前に持っていく。前に行き尽くしてこれ以上は倒れると思ったら、今度はその重さが体幹を通って肩に移るイメージで……」

 

 

ノイルが喉を鳴らした。スローモーションで動き始めた隻腕が、いや、身体全体が、一つの流動体のように滑らかに駆動していく。最早舞うような優美さ、一抹の艶かしさすら伴って、一虎刀が悠々と空気を裂いていく。

 

 

「肩に移った重心は、刃が動くにつれて上腕に、肘に、尺骨と橈骨の隙間を貫いて手首、そして指を伝って刀身、その先に…………」

 

 

つぅ、と切っ先が棒の表面を撫でた、刃が完全に振り抜かれると、彼の身体は極端な前傾姿勢で静止する。微かに震えるその全身に、一体どれだけの力が込められているのか想像もつかない。

 

やがて、細く長い息を吐いて彼は姿勢を直すと、兜の上から頭頂を掻いた。

 

 

「その、教えると言ったのは私だが、そうまじまじと見られるとだな……」

「あ、いや、悪い。見惚れてた」

「では早速真似してみようか!」

「本当に早速だな…………」

 

 

「最初はゆっくりでいい」と言ったリアに従って、太刀を上段に構える。彼曰く、上から振り下ろした方が『重さを前に伝える』感覚が掴みやすいのだそう。見様見真似だがゆっくりと、何度も、丁寧に繰り返して、時折リアからアドバイスを受ける。そうこうしている内に、太陽は中天に差し掛かっていた。

 

 

「うーむ、身体が出来上がっている分呑み込みは早いか、後はひたすら反復練習しかないな」

「やっぱりそうなるか、少しでも速く動こうとするとてんで駄目だからな……」

「ちなみにだが、私はこれを()()()()()()扱えるようになるまで十年掛かった」

「ングフ…ッ、げほッ……、じゅ、十年ってアンタ……」

「五つの頃から剣を握って、身体に完全に染み付いたのが十五の時だからな」

 

 

さらりととんでもない事を言い出すものだから、思わず水を咽せてしまう。それは道理で難しい訳だ。

 

 

「だが、単に『扱う』だけなら一年で出来た。恐らく君なら、一年と経たずにある程度は習得出来ると私は思う。全ては君の努力次第だ」

「努力、ね……。まぁ、折角一振り作ったんだ、やれるだけやるよ」

 

 

高いのか低いのかよく分からない評価を頂いた所で、市場の方向から正午を示す大銅鑼の音が届いた。いんいんと残響を残す音に呼応して、突然腹の虫が泣き叫ぶ。

 

 

「…………」

「聞かなかった事にしてくれ」

「くふ、ふふ…………っ」

「笑うな」

 

 

リアが子供のようにくすくすと笑うと、彼は一冊の本を投げ付けてきた。見慣れない文字で表紙にタイトルが刻まれたそれは、恐らくシキ国の古い文字だろう。

 

 

「私と、私の父が鍛錬に使っていた物だ、少し古いが注釈を書き込んである。使うといい」

「良いのか?」

「勿論、私にはもう不要な物だからな。それとコレを」

 

 

続いて指が弾いたのは、小さく畳まれた紙幣が二枚。

 

 

「奢りだ、コレで何か食べろ」

「……散財の趣味があるのか?」

「私は『金持ち』だからな」

 

 

わざと先程と同じような口調でリアは言った。バイザーの奥の眼がにこりと歪む。

 

 

「見てろ、いつかアンタより稼いで奢り返してやるよ」

「……それは嬉しいな。 いつか飲みに行こう、美味い店を頼むよ?」

 

 

そう宣ったリアがノイルの胸を小突く。先日の事も併せて考えると、機嫌の良い時の癖らしい。特に彼の素顔に興味がある訳でも無かったが、リアとしては兜の有無が一定の『距離感』になっているのだろう。本人は何も言っていないけれど、漠然とそんなイメージを抱く。

 

 

「あぁ、幾らでも案内してやる」

 

 

だから笑った。喩えそれがいつ叶うか、実現するのか分からない約束だとしても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()事が嬉しかったから。

 

 空はまだ晴れている、けれど、夜には雨が降るだろう。冷たく湿気を孕んだ重い風が、平原の方角から吹き付け始めていた。

 

 

 

 

 

 

 



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斬り裂け、原生林の蜘蛛糸
3:面倒事の影在り





今回より、投稿ペースを上げる代わりに1話ごとの文字数を短く形にする事になりました。2話までの形式が気に入られていた方にはご迷惑をお掛けします、ご了承下さい。







 

 

影蜘蛛(ネルスキュラ)と呼ばれる生物がこの世界には存在する。大規模な洞穴や湿潤な密林などに生息し、竜種にも匹敵する体躯を誇る、現時点で唯一ギルドに登録されている鋏角種だ。

 

雷に弱い身体を保護する為に獲物である毒怪鳥の皮を被るほか、強度の高い粘着糸、伸縮・展開する牙と背中の棘からは猛毒が滲み、外敵の意識を素早く奪う睡眠毒まで備えるなど、厭らしく奇異な生態を数多く持つ文字通りの怪物。多数の状態異常を駆使し、狡猾にして冷酷に獲物を追い詰めるその姿から、『影に潜む蜘蛛』という意味でその異名が付けられるに至っている。

 

そしてその生態ゆえ、時折行商隊などに被害を齎すのが影蜘蛛というモンスターだ。

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

「私を名指しで……か」

「はい、何処から聞き付けたのか、『赫王を出せ』とのお達しです」

「……まぁ、良いだろう、依頼内容は?」

「原生林で足止めを喰らった行商隊の救出、及び障害の排除ですね、口振りから察するにかなり大口の取引なんでしょう」

 

 

 

大市場バルバレの中心地、多くのハンターで賑わう集会所のカウンターで、受付嬢とリアが話し込んでいた。二人はここ暫くの内に彼の相方を通じて打ち解けたようで、顔を近付けて突き合わせている。差し出された依頼書を一瞥して名指しされた当の本人は、厳しい兜の奥で顔を顰めた。

 

 

「影蜘蛛の影有り…………」

「どうかしましたか?」

「いや、……この依頼を断る理由が出来てしまっただけだ。

 というか、何故人数指定が入っているんだ、依頼人……この商人は馬鹿なのか?」

「それ、私も言おうと思ってました。竜車が四台もあるのに……、明らかに不自然ですよ」

 

 

猜疑心を隠そうともしないリアに、受付嬢が同調する。

 

 

「一応マスターにも聞いて貰ったんですけど、規約違反では無いから、断りたいなら規約通りに断れば問題無いって」

「そうだな……、依頼人本人に話を通す事は出来るか?」

「分かりました、至急至急って言ってましたから、すぐに飛び付くと思いますよ」

「悪いな、助かる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……というのが昨日の話なんだが」

「分かったまず一つ言わせろ、どうして俺を呼んだ?」

「私一人では不安だからな、こういう擦り合わせは初めての経験なんだ」

「…………相手が明らかにおかしい事を言い出したら口を出すけど、それ以外はアンタに全部任せる」

「それで十二分だ、ありがとう」

 

 

翌日集会所とは別の棟、こういった依頼人とハンターとの対談に使われる部屋に通された二人。片方は依頼を受ける側のリア、もう一人は巻き込まれたノイルだ。 ノイルにしてみれば、手伝って欲しい事があると呼び出された三十分後にこの状況、表情に困惑がありありと浮かんでいる。先程の不機嫌そうな声音を一旦収めながら、リアの脇を小突いた。

 

 

「俺の経験則だが、ハンターを名指しで指定する依頼人はやめとけ。アンタ一人を名指ししてきたなら間違いなく『アンタ個人』が狙いだ、断った方が良い」

「それを決めるのは私だ。 だが……君の言う通りだな、私が出す条件が一つも通らなければ、その時点でこの依頼を断ろう」

 

 

今この瞬間、向かいのドア前にいるかも知れない依頼人に間違っても聞かれないよう、抑えた声量で二人が話す。凡そ彼らの見解は一致しているようで、軽く拳を打ち合わせて視線を前に戻した。その瞬間がちゃりと音が鳴ってドアノブが周り、のっそりと恰幅の良い男が部屋に入ってくる。

 

何の事はない肥満体の中年、それがノイルの抱いた正直な感想だった。身体を締め付けないゆとりのある緑の長着に、ギラついた装飾品の数々、火の点いていないキセルを咥えたその姿は、ステレオタイプな大商人の姿そのもの。その姿通りに低い声で、男が話し出した。

 

 

「お待たせしてすいません、(わたくし)ファルサと申す物です」

「リア・ロクショウだ。宜しく、ファルサ殿」

「……隣の方は?」

「彼は私の信頼する友です。

 なにぶん私はこのような場に不慣れなもので、何か不手際があってはいけないと思い、勝手ながら呼ばせて頂きました」

 

 

ファルサと名乗った男は怪訝そうな眼でノイルを見ていたが、すぐにリアに視線を戻す。

 

 

「そういう事でしたか! いやはや失礼したしました」

「いや、此方こそ申し訳ない」

 

 

ノイルは黙って頭を下げるだけに留めている。明らかにおかしな点がない限り口を出さないと言ったのは自分であるし、此方に見向きもしなくなったファルサの様子から見て、『リア・ロクショウに勝手にくっ付いてきたハンター』に興味が無いのは明白だからだ。そもそもの話、商人が名のあるハンターを名指しで指定する理由などコネ作りか、個人との取引を望むかのどちらかでしか無い。

 

明確に禁止されている訳ではないが、上質な素材の寡占などに繋がるとして褒められた事ではないとされている。ルールには守るがマナーは守らない、これはそういった類の行動だ。

 

 

「ではファルサ殿、本題に入るとしよう。私は何も貴方と親睦を深めに来た訳ではない」

 

 

挨拶と社交辞令も程々に、リアが幾らか冷ややかな声で切り出した。

 

 

「本題、と言いますと?」

「私はこの依頼を受けようと思っている、キャラバン隊の捜索・救出、そして障害の排除、どちらも急務だろう」

「おお! それでは……」

 

「だが貴方がそうしたように、此方も条件がある」ファルサの声を遮って、リアが隻腕の指を二本立てた。

 

「条件とは?」

「一つ、人数指定を解除すること。二つ、キャラバン隊の人数・構成・積荷を依頼書に明記する事。 この二つさえ守って頂ければ、私"達"は依頼を完遂してみせる」

 

 

リアが横目で押し黙ったままのノイルを見た。『私達』というのに既に含まれているのを察して溜息が出そうになる。それを堪えて、ノイルはせめてもの抵抗として眼を逸らした。

 

 

「そうですか、ですが此方としては……」

「貴方が何を思って人数指定を設けたのかは聞かない。だが此方も命と生活が懸かっている、これ以上は譲歩する気は無い」

「……分かりました。すぐに手配しましょう」

 

 

承諾の返答は、何処か忌々しげな雰囲気を纏って室内に溶けた。その意味を探る間もなく、その場はお開きになる。退出するファルサの背中を見送って、リアはどっかりと椅子に座り込んだ。弛緩し切った身体を無防備に投げ出し、首だけをノイルに向ける。

 

 

「……どうだった?」

「どうだったも何も、コレ、俺要らなかったんじゃないか?」

「何を言う、これでも怖かったんだぞ。何度も言うがこういう事は初めてなんだ。だから君の評価を聞きたい」

「あの手の商人は下手に出たら負けだ、その点譲歩出来ない点をはっきり示したのは…………」

「つまり?」

 

 

ずい、と椅子越しに身体を乗り出してリアが迫る。それに気圧されながらも、ノイルは目を逸さなかった。

 

 

「あー……つまり、百点満点だよ、最高だ」

「よし!」

 

 

リアがぐっとガッツポーズを決めて、子供のように喜びを表現した。……そんなに嬉しい事なのだろうかとノイルは少し妙に思う。尾鰭のついた噂と引き換えに名声と地位、多額の報酬金を得たリアが、それこそ子供のように誰かに、この場合は自分の評価を求める事に、不思議という程では無いが違和感を覚えた。特段それがどうという訳でも無いが……。

 

 

「アンタ、本当に変わってるな」

「ん、そうか?」

「あぁ、変わってるよ」

「褒めてるのか?」

「褒めてねぇ」

 

 

じとりとした目線をむけて、ノイルはきょとんとしたリアの額にデコピンを一つ飛ばす。

 

 

「人を勝手に計算に入れる奴は、変な奴って言われても文句は言えないぞ」

「……でも君は来てくれるだろう?」

「そういう所だって」

 

 

少しずれた兜を被り直す音が聞こえる。慣れた様子で肩に隻腕が置かれると、細まった赤い目がノイルを見つめていた。

 

 

「じゃあ、来てくれないのか?」

「前みたく素直に頼めたら行ってや「私は君に同行して欲しいが」……分かった行くよ、行くから手を離せって痛てててて!!!!」

 

 

ぎりり、と握られた左肩の異音。思わずノイルが両腕を上げて降参のポーズを取る。

 

 

「けど、2人で行くつもりか?!」

「不安なのか?」

「不安というか、()()()()()。 キャラバン隊の捜索なんて引き受けるのは初めてだ」

「君が不安なら、他のハンターに呼び掛けても構わないが……、なぁ?」

 

 

肩を押さえながら眉を顰める顔を見て、リアは肩を竦めた。彼の言わんとする事はノイルにも分かる、『隻腕の赫王』に同行するような物好きが存在するのか、という話だ。口に出しはしないが、正直な所そういった類の豪胆さを持ったハンターには心当たりが無い。

 

自分がリアと同行するようになったのも、元はと言えば打算込みのきっかけありきだったのだから当然とも言える。あの時金に困っていなければ、きっとリアに同行を申し出てはいなかった筈だ。

 

 

「……はは、すまない、意地悪だったかな」

「そういうつもりじゃ」

「分かっているよ、だからそんな顔をしないでくれ」

 

 

ノイル本人が思っているよりも、彼の顔は思い詰めたように強張っていた。その頬を指で柔らかく摘みながらリアが薄く笑う気配を纏う。

 

 

「私は気にしていない、分かるな?」

「…………あぁ、分かった」

 

 

子供に言いつけするように念押しするリアに、ノイルは思わず苦笑した。まるで母親か何かのようで無性に懐かしくなる。緩まった頬を歪めて隻腕を握ると、その表情はいつものそれに戻っていた。

 

 

「出発は?」

「早ければ明日の昼前には、私は準備がほぼ済んでいる」

「一日くれ、装備を受け取りたい」

「相分かった」

 

 

短い確認ののち、頷き合って二人は部屋を後にする。その歩みに淀みはなく、背には快活な気勢が溢れていた。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

同時刻、原生林狩猟区のはずれを一頭の竜が濡れた地面を疾走していた。

 

黄土と薄い緑の体色、頭部から伸びる大きな一対の鶏冠。細長いマズルの先にはナイフのような牙が覗いている。細身だが筋肉質な身体を駆動させるのは、鳥竜種に分類されるゲネポスの内で群れのリーダーとなる大柄な個体、ドスゲネポスだ。

 

だがこの個体は群れのリーダーでは無かった。『ドス』としてはまだ若く、群れから独り立ちをして自らと同じく若い雌を探す、言うなれば群れのリーダーと『なり得る』個体だろう。そんなドスゲネポスが、脇目も振らずに何かから()()()()()()。その息は荒く、ぎょろりと張り出した眼は神経質に揺れ動いている。

 

 

ねじょり

 

 

不意にそんな音が鳴り、ドスゲネポスがつんのめって脚を止めた。否、強制的に止めさせられたのだ。彼の足先には白い粘液状の物体が纏わりついており、耳障りな音を立てて動きを阻害している。焦るドスゲネポスが脚を引っ張るが、餅のように伸びるそれは中々剥がれなかった。

 

結局、粘液から逃れるのにはたっぷり数分を要する事になる。息を酷く荒げながら彼が遁走を継続しようとした時、後方、斜め上より白い物体が迸った。

 

その正体は大量の糸、ネンチャク草以上の粘性を持つ糸の塊が瞬く間にドスゲネポスを縛り上げ、地に伏せさせる。全身が粘糸に絡め取られてしまえば、自慢の麻痺毒も役立たずだ。それを知っているが故に、鳥竜は死に物狂いでもがく。

 

 

かさかさかさ

 

 

奇妙な音と共に影が走った、だが糸によって身体と視界を固定されたドスゲネポスは、その姿を捉える事は出来ない。

 

 

かさかさかさかさかさかさ

 

 

奇妙な音は回り続ける、縦横無尽、自由自在、岩に壁に天井に。

 

 

かさかさかさかさかさかさかさかさかさ……、かさり。

 

 

そして、その音が丁度獲物(ドスゲネポス)の真上で止まる。不吉な影が落ち、その瞬間、哀れな食料は諦めたように抵抗をやめた。

 

ばきゃばきゃ! と異様な怪音が響くと、ドスゲネポスの両の瞳に、粘液の滴る牙が映る。長く伸びたそれがゆっくりと開き、やがてその角度が直角に近くなった瞬間、湿った空気を切り裂いて毒塗れのギロチンが落とされた。

 

 

 

…………沈み潜む暗殺者の牙が、大量の猛毒と夥しい出血に濡れた肉塊を挟み込んだまま収納されていく。牙獣のような騒々しさも、竜の如き荒々しさも不要、鋏角種(かれら)はただスマートに、喰らい、増やす事だけに進化の方向性を向けてきたのだから。

 

いっそ無機質な程の進化、それが持つ本質を狩人はまだ知らない。

 

 

 

 

 



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4:口は災いの元故に

 

 

 

「私はね、蜘蛛が苦手なんだ」

 

 

原生林狩猟区の端、それがベースキャンプに到着したリアの第一声だった。泉のほとりに設けられたテントに荷物を置いて振り返る。

 

 

「……依頼書には『影蜘蛛の影あり』って書いてたよな?」

「書いていたとも。 あのかさかさした細い脚がどうにも苦手でね………」

「いやいやいや、『苦手でね』じゃないだろ」

 

 

と言いつつもノイルの声に深刻な色は無い。仮にリアの蜘蛛嫌いが狩猟に支障をきたす程の物なら、彼はきっとこの依頼を一も二もなく断っているだろう。そう思っているが故に心配は無かった。

 

 

「で、蜘蛛嫌いがどうしたんだよ」

「いや……どうという訳でもないんだが、嫌いだという話だ」

「怖気付いた……って事じゃないだろうな」

「まさか、その逆だよ」

 

 

赤く陽光を反射する太刀を背負ってリアが笑い、辺りを圧迫するような雰囲気が滲み出した。

 

 

「克服出来たら良いな、と。 それだけさ」

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

原生林とは、バルバレから遠く南東に位置する広大なフィールド一帯の事を指す。年間を通して温暖湿潤な気候と起伏に富んだ地形、豊かな水源や古代の化石などが広く知られ、竜種を含めた多くの生物が生息する事でも有名な地帯だ。

 

地理上大陸の端に位置する為元々人の行き来はごく僅かとされていたが、バルバレギルドを含む各ギルドによる開拓事業が進行した事、また原生林を東に抜けた『真の大陸の東端』に複数の村や集落が発見された事から交易が始まり、今では小規模とはいえドンドルマやタンジアにまで交易ルートが繋がっている。そんな集落の中には龍人一人と多くのアイルーで構成された村もあるというのだから驚きである。

 

 

「…………で、そのアイルーだらけのチコ村を発見したのが、かの『我らの団』だな」

「君は随分とその……『我らの団』が好きなんだな」

「アンタにもあのハンターが下着一丁でダレン・モーランを撃退する瞬間を見せてやりたいよ」

「流石に大き過ぎる尾鰭じゃないか?」

「いいや、バルバレにいるハンターに半分は見たことがある筈だ。

 大砂漠から飛び出す豪山龍と、帰還した撃龍船から出てきたインナー姿の男!あれは本当に痺れた!」

 

 

狩猟区に入ってからというものの、二人の話題はこの話で持ちきりである。現在地は1番エリア。山岳部から落ちる大量の水が浅く流れる平坦だが特異な土地だ。このような場所は原生林の中でも標高が低く、なおかつ土壌が粘土質で極端に水捌けが悪い地帯に幾つも存在する。ハンターとしての視点で見るならば、流水に脚を取られかねない為に余り良い場所とは言えない。

 

その証拠に、会話を交わしながらでも二人は背中合わせに立ち周囲を警戒している。それに加えて予めの目的地に向かって進んでもいるので普通なら転げそうな所だが、そこは伊達に依頼をこなしていない。危なげなく、また油断も無かった。

 

 

 

閑話休題。この世界における『遠隔連絡手段』は主に二つある、一つは大陸全体に張り巡らせれた交易・輸送路を利用した郵便システム。バルバレでも手紙や封筒を鞄に一杯に詰めて走り回るアイルーの姿を見る事が出来る。もう一つは『鳥』を利用した伝書。そして、今回原生林で立ち往生したキャラバン隊がファルサに連絡を取った手段もコレだ。そういう訳で飛ばされた伝書には、勿論自分達が何処にいるかも記されている訳で。

 

 

「いやー……助かった! 一時はどうなる事かと!」

「遅れてすまない、リア・ロクショウだ」

「ノイル・ウッドベル。 ……アンタらが依頼にあったキャラバン隊で間違いないな?」

「あぁ、儂が一応の隊長という事になる。 申し遅れた、儂はフギオーという。お二人とも、本当にありがとう!」

 

 

所変わって第5エリアの端、岩陰に身を潜めていた行商隊一行と無事合流する事が出来た。

 

そのリーダーと思しき初老の男に倣って、後ろに控えていたメンバー達も口々に礼を述べ頭を下げる。ノイルは困惑気味だが、リアは慣れた口調で確認を継続した。

 

 

「怪我人は?」

「二人いるが問題無い、しっかり歩ける」

「……竜車は四台だと聞いていたが」

「三台は蜘蛛野郎にアプトノスごとやられたよ……、残ったのは先頭にいた1号車だけだ」

 

 

「分かった、残った荷物はドラグライトとマカライトだけか」と締め括って、リアが少しの間黙考する。この際『何に襲われたのか』という事は大して重要ではない。一先ずは全員を安全な場所まで……つまりキャンプまで送り届ける事が最優先だ。

 

地形の関係上、崖を直接降りる必要のある第5〜第3エリアのルートは使えない。歩けるとはいえ怪我人を抱えており、そもそも竜車が残っている為、行き道に使った第5〜第4エリアの起伏が激しい道も避けたい。となれば必然的に残るのは第2エリアを経由して第1エリアに戻るルートなのだが、これは比較的起伏が緩やかな代わりに遠回りになる、何より…………。

 

 

「そっち側はネルスキュラが出張ってくるかも知れないからな……」

 

 

ネルスキュラは洞窟などの薄暗く天井のある場所を好み、そこに巣を作るのが常。原生林に於いても、それは折り重なった樹木が鬱蒼と茂る上層を住処とする事から窺えるだろう。しかし何事にも例外は存在するもので、時折他のエリアに降りてくる事もある。その中でも降りてくる確率の高い場所が、大量に繁茂した蔓草によって二層構造が作られている第2エリアという話だ。

 

 

「いや、他に道がある訳でも無し」

 

 

リアがかぶりを振ってフギオーに道のりを説明し始める。横で聞いていたノイルも竜車の周りにいた行商隊に声を掛け、出発の準備を整えさせた。結局の所、原生林に生息するモンスターはネルスキュラだけではないのだから、何処を選ぼうが危険性はそう変わらない。それならばさっさと行動した方が良い、というのが全員に共通する思考だろう。

 

 

「ノイル」

「どうした」

「もし大型種が出てきたら、私が残って時間を稼ぐ、良いな?」

「……了解、任せてくれ」

 

 

迅速に支度を終えたキャラバン隊を横目に、いつも通りに握手を交わす。パッと離した手で互いの胸を小突くとノイルは先頭に、リアは最後尾に向かった。此処からが、依頼(クエスト)の本番になる。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

「アンタら、どうして態々狩猟区を通ろうとしたんだ。 素直に交易路を使えば、こんな事にはならなかっただろう」

「儂らもそうした方が良いと言ったんだがなぁ、何せファルサの奴、こんな美味しい取引を他に晒す訳にはいかないって躍起になりやがって、そしたらこのザマよ。……全く、欲張ると碌な事にならん」

「あの商人か、……アンタらも大変だな」

「アイツは金払いは良いんだが何せ欲張りだ。詳しくは知らんが違法スレスレの取引にも手ェ出してるらしいから、兄ちゃんも気を付けろよ」

 

 

名指しでリアに依頼を出した時点で気を付けている、という言葉をノイルは呑み込んだ。キャラバン隊の先頭、竜車に繋がれたアプトノスを引くフギオーと話す内、あのでっぷりと肥えた依頼人に対する悪感情が背中に這い回るのを感じる。そもそもギルドと各国が提携して定めた輸送路を使用せずにこの事態を招いた事も勿論だが、竜車に積み込まれた物がその際たるものだ。

 

金属と干し草の匂いに混じって僅かに鼻を刺す、間違えようの無い独特な臭気。恐らくはモンスターの捕獲に使われる麻酔薬(ギルドによって所持が制限されている品物)。それが竜車の中に積み込まれている。大方鉱石を詰めた箱の底に忍ばせているのだろう、ハンターなら誰もが嗅いだ事のある臭いを誤魔化し、重い鉱石の下に仕込む事で監査を逃れる為だ。

 

 

「欲張り、ね」

 

 

捕獲用麻酔薬の製造はハンターですらおいそれと出来る事ではない上に、狩猟時にも厳しい持ち込み制限が課せられる、もし無許可で持ち込みでもすれば、降格処分は勿論、最悪ハンターとしての権利を全て剥奪される事もあり得る程。それだけ『モンスターを生かしたまま捕らえる』事に関して慎重な姿勢が取られていると言う事だ。

 

故にコレは密輸、立派な違法行為となる。依頼書に明記させた積荷にも麻酔薬云々の事は書かれていなかった為、ほぼ限りなく黒の可能性が高いとノイルは見た。フギオー達は雇われの身だが、口振りから推測してファルサとは付き合いが長い。よって密輸行為に加担している事に気付いているか否かは判断出来ない。

 

 

「(今は依頼を完遂する事が先決か)」

 

 

一瞬だけ唇を噛んで、ノイルは依頼に集中する事を決めた。今すぐ荷物を暴いて問い詰めたいと思うが、それはバルバレに戻った後で幾らでも出来る。だから今は安全を確保する事が先決だと彼は判断を下したのだ。

 

 

「蜘蛛野郎に出会っちまったのが運の尽きだなぁ、だから俺はやめとけって言ったんだが……」

「今更言っても仕方ないだろう。心配すんな、俺はともかくリアは滅茶苦茶強いから、大抵の相手は追い払えるぞ」

「カカカッ! そりゃあ心強い、頼むぜ兄ちゃん達!」

「おう。 とは言っても、出逢わないのが一番だけどな」

 

 

 

そう言って頭を掻いた次の瞬間、最後尾から悲鳴が上がった。

 

 

 

「…………悪い、余計な事言った」

「儂はこのまま進む! 兄ちゃんは後ろを!」

「分かってる、避難してくる奴らを頼む」

 

 

抱えていた兜を被ってノイルが最後尾に走る、そこにいたのは行商隊の一人を前脚に捉えんとする異形の姿。紫の皮に同じく紫の棘、その隙間から覗く体表は骨の色で、爛々と光る青い単眼の下に備わった顎がにちゃにちゃと気味の悪い音を立てている。落ち着きなくガサガサと動く多脚、小ぶりな頭に膨れ上がった胴体を持つその姿は、紛れもなく巨大な蜘蛛だ。

 

湾曲した鋭い前脚を、行商人の前に躍り出たリアが太刀の鞘で横殴りにして逸らす。驚いたように飛び退いた『影蜘蛛』が、身体を持ち上げて金切り声を上げた。体格と不釣り合いな俊敏さといい、毒々しい体色といい、その全ての要素が生理的嫌悪を掻き立て止まない。

 

 

「リア!」

「予定通りに! なに、心配するなすぐに追いつく!!」

「……頼んだ」

「あぁ、任せてくれ!」

 

 

事前に決めた通り、転げていた男を引き起こしたノイルが他の行商隊も連れて竜車の方向へ走っていく。より多い獲物を狙って影蜘蛛が飛ばした粘着糸の弾丸を、火炎を伴う斬撃が消炭に還した。

 

 

「……無視は困るな」

 

 

抜き放たれた灼熱色の刃が、僅かに残った糸屑すら焼き尽くす。

 

 

「彼らを喰いたいなら私を殺してからにして貰おうか、影蜘蛛(ネルスキュラ)

 

 

発された言葉の意味を、本能しか持ち得ないネルスキュラが理解する筈もない、ただ、彼はその本能によって理解したのだ。コイツは殺さなければならない『敵』だ、と。 ネルスキュラの折れ曲がった腹部から太い糸が伸び、リアのはるか後方に接着する。次の瞬間影蜘蛛の巨体が浮き上がり、恐ろしい程の速度で突っ込んでいく。

 

次いで激突音、原生林の一角が戦場と化した事を知らせる号砲が辺り一体に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 






お待たせしました。次回でやっと戦闘に入れそうです…………。お気に入り登録してくださった皆様、本当にありがとうございます、今はそれだけがモチベーションの源です。

感想等、いつでもお待ちしております、というか感想下さい()











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5:分断戦線異常アリ

 

 

 

先に仕掛けたのはネルスキュラだった。遥か遠方に糸を飛ばし、それを一気に巻き取る事による擬似的な突進。人間一人に対する攻撃としては些か以上に過剰な威力だが、大抵の生物はこれで肉片と化すのだから、早く逃げた獲物を追いたいのであろう彼にとっては間違いとも言えないだろう。

 

"炎を吐く獲物の一匹"はそれを避けたようだったが、初動としてはまずまずだ。と影蜘蛛は判断したのかも知れない。

 

対して浮き上がった巨体の真下をスライディングで潜り抜けたリアは、土煙を切り裂いてその後脚に、正確には後脚に纏わり付いた紫紺の皮に太刀を突き刺した。耐火性のない毒怪鳥(ゲリョス)の皮が刀身を這う炎に焼き焦がされ、瞬く間に燃え広がる。身体から剥ぎ取られて月日の経過したゴム質の皮は、風と日光に連続して曝される事で乾燥し非常に燃え易いのだ。

 

それを知ってか知らずかネルスキュラは慌てて飛び上がり、湿った地面に燃焼した部位を擦り付けて消火してみせた。皮は一部分が焼失してしまっているが、それでも大部分が健在。寧ろ興奮したように朱色の前脚を擦り合わせ、単眼が赤く染まった頭を振り乱して金切り声を上げる。

 

 

「火が点いたのは、皮じゃなくて怒りか」

 

 

太刀を脇構えに直したリアに、鋭い鎌のような前脚が殺到した。滅茶苦茶に振り回しているように見えて、その実常に獲物の逃げ道を塞ぎ続ける冷徹で巧妙な連撃。硬く軽い外骨格の内側に詰め込まれた筋肉と、節足動物特有の神経節による反射神経が産み出すそのスピードは、並の人間では眼に捉える事すら難しい。

 

尤も、今現在ネルスキュラと相対しているのは、並の人間ではないのだが。

 

リアの身体が流動するように蠢き、するすると爪の間を潜り抜けていく。屈み、回り、踏み付け、時に逸らし、追い回されながらも延々と回避を続ける。こうなっては堪らないのはネルスキュラの方だ、彼に感情の類があるのかは分からないが、少なくとも赤く輝く眼を見る限り、リアが前脚の包囲網から抜け出す度に興奮が増していくようだった。

 

それが頂点に達したのか、多脚を踏ん張ったネルスキュラが身体を捻る。前脚の向きを横一文字に揃え、風切音を立てて地面と水平に振り抜かんと振り被ると、それを見たリアの視線が、向きが変わった事によって剥き出しになった関節部に吸い込まれた。

 

ごうッと迫る二つ鎌を前に素早く納刀、地面にしっかりと脚を付けて身体を屈める。衝突まで半秒、目前にまで肉薄した前脚の内、下段に滑り込む右手に全神経が集中し………………

 

 

次の瞬間、鞘に押し込められていた刃が閃いた。灼熱が地表より跳ね上がる軌道を描いて柔らかな関節部を焦がしながら喰い破り、それと同時にリアの身体が大きく反り返る。バイザーすれすれを致死の鎌が通り過ぎ、両者の身体が交錯すると、前脚の片割れを斬り飛ばされたネルスキュラが驚愕の叫びを上げた。

 

リアは身体が大きく仰け反ったその隙を逃さず懐に潜り込むと、中脚の関節に刀身を突き込む。外殻と外殻の僅かな隙間に体内から切っ先を当て、丁度女帝エビのツメをもぎ取るように柄を捻って押し込めば、ぶちぶちと嫌な音を立てて関節が捥げ始めた。

 

 

「恨みは無いが、依頼を優先させて貰う____!」

 

 

悲鳴を上げる蜘蛛を無視して太刀を引き切ると、僅かな筋繊維だけで繋がっていた中脚が千切れ飛ぶ。体液の焦げる嫌な臭いを感じながら太刀を納めて懸架ベルトから取り外し、振り回される鎌を(はす)に構えた鞘で受け流した。 狙いが甘く体重も乗らない苦し紛れの一撃、況して片方を失った前脚なら、彼にとって軌道を逸らす程度訳は無い。続いて向き直った事でガラ空きになった頭に向かい、太刀をくるりと持ち替えて(こじり)を叩き込む。

 

甲殻が軋む音が僅かに鳴り、ネルスキュラが慌てたようにがさがさと引き下がった。

 

 

「……ッは、ぁ…………。 ここいらで逃げてくれたら良いんだが……」

 

 

呟いたリアを他所に、立て続けに脚を二本失った事で極度の興奮状態に陥った影蜘蛛が巨体を起こして揺り動かし、尖った腹の先を2、3度しゃくる。それが毒針による睡眠毒散布の予備動作である事は、多くのハンターが知っている。

 

 

「すまないノイル、追い払うにはもう少し時間が掛かりそうだ!」

 

 

そう言ったリアが火炎を振り回せば、針から噴き出した薄水色の毒液が火炎に巻き込まれて焼失した。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

ほぼ同時刻、狩猟区第二エリア。先行したノイルとフギオー率いる一団は丁度そこに脚を踏み入れた所だった。リアと別れてからそろそろ十五分が経過する。怪我人は勿論、フルスピードで走り続けたアプトノスにすら疲労の色が滲み始めている。

 

 

「フギオー」

「どうした兄ちゃん、小便か?」

「違う、竜車に一人二人乗れるスペースの余裕はあるか? 怪我人が遅れ気味だ」

「……詰めれば三人乗れる、連れてきてくれい」

「助かる!」

 

 

岩陰に竜車を止め、最後尾にいた怪我人を竜車に乗せる。そのついでに全員に水を配り、ほんの僅かだが休憩を取ってからまた出発し始めた。あと三十分程度歩けば頭上を遮る蔓草もなくなり、比較的平坦な土地に入るので移動も容易な筈だ。そういった旨を行商隊に伝え、何とか進行ペースを維持させる。

 

 

「この調子で行けば……、早く戻って来いよ、リア…………」

 

 

そう呟いた最後尾のノイルの頭上に、影が過ぎる。

 

 

「…………おい、まさか」

 

 

一瞬遅れて見上げた先に黒い多脚の異形、進行方向はキャラバンと同じ……つまりは、先頭側。それを見てバイザーを下ろし走り出すまでの僅かな時間に、多くの思考が浮かんでは消える。

 

 

 

(こんなに早く?)

 

             (リアはどうした?)

(別個体)

 

  (先頭)

                      (番)

        (解毒薬)

 

(怪我人は)

             (進行速度)

 

(俺が相手を?)

 

          (とにかく護衛を)

 

 

 

戦闘から叫び声が上がる。蔓草から飛び降り、突然目の前に現れて両前脚を振りかざす影蜘蛛に気圧され、行商隊がにわかに浮き足立った。フギオーが隊員に呼びかけ隊列を反転させようとするが、それよりも捕食者の行動の方が遥かにスムーズで無駄が無く、速い。

 

このネルスキュラはその神経節細胞で覚えていた、獲物の群れを急襲した時、その場で最も『よく通る声を出す個体』を最初に殺せば全体の統率が崩れる事を。それは黄土色の小さな竜の時も、目の前にいる小さな生物も一緒だ。

 

軽く硬く、何より鋭利な前脚が振り上げられ、後方を向かせたアプトノスに鞭打とうとしたフギオーに狙いが向けられる、天頂に向かって差し出されるような姿勢から、その両刃が振り下ろされ________

 

 

「眼を塞げ!!!!」

 

 

________その直前に、小さな球体が投げつけられた。竜車とネルスキュラの丁度間の空間に飛び出したそれは、一瞬後にガシュ!と音を立てて炸裂した、…………太陽にも迫る閃光を伴って。

 

視界を焼き尽くされた影蜘蛛が、滅茶苦茶に鎌を振り回して仰け反る。その隙に先頭に躍り出た若草色の鎧が左中脚の先に全体重を乗せて赤い大剣を叩き込むと、嫌な音を立てて跗節が千切れ飛んだ。

 

 

「離れて岩陰に!コイツは(ハンター)に任せろ!」

 

 

ノイルが鋭い声を飛ばし、ようやっと冷静さを取り戻した行商隊が動き始めると同時に、ネルスキュラの視界も徐々に戻り始めたようだった。連続して叩き付けられる前脚を走って距離を取る事で回避し、次に撃ち出された粘着糸も油断無く躱す。 

 

ネルスキュラが絶対に後方のキャラバンを狙わぬよう、常に自らを狙うように敢えて離れず、一歩間違えれば即あの世行きの間合いに身を置く、張り詰めた糸を爪弾くような緊張感に精神を焦がしながら、噴出された睡眠毒を浴びないように一歩飛び退いた。その先を読んで繰り出された前脚の一撃を大剣を盾に受け止め、大きく弾き飛ばされながらも踏み止まる

 

 

「(…………軽い。重いが、同サイズの他種よりも攻撃が軽い)」

 

 

受け止めた衝撃で両手に痺れが残るが、武器を握るのに支障を来す程ではない。素早く鋭い攻撃は脅威だが、『しっかりと防いだ時』に限って言えば、リオレイアやティガレックスの方がずっと恐ろしい。

 

 

「寧ろ問題は、それ以外と俺の体力……っ!」

 

 

追撃の二連撃、右左と打ち込まれる鎌を擦りながらも何とか躱し、ノイルはふと自らの身体を見下ろした。陸の女王の緑の色彩に混じって、きらきらと浮かぶ銀の煌めき。一本摘んで指を開けば、粘ついた感触に背中が粟立った。 粘着糸の切れ端が身体に纏わり付いている。今は特に何ともないが、これが幾重にも重なれば……………………。

 

 

「こんな至近距離で戦ってりゃ、当たり前か…………!?」

 

 

脳裏を掠めた不安を振り払うように影蜘蛛に向かって一直線に駆け出す。応えるように金切り声で叫んだネルスキュラの六つの眼が、矮小な外敵に怒るかの如く、赤い光を放った。

 

 

 

 

 

 







戦闘シーンはやはり難産……、圧倒的難産………………ッ!
書くのは楽しいのに文章がくどくなったり薄くなったりと大変でした。

前回感想を下さった方、お気に入り登録して下さった皆様、ありがとうございます。お陰様で今もモチベを保てていますので、感謝してもしきれません。

それでは次回で会いましょう、疾風怒号でした。






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6:斬り裂け、原生林の蜘蛛糸

 

 

 

あれから何どれ程の時間が経過しただろうか、一時間?数十分?まさかまだ数分?

 

 

「……ッち、ぃ…………!」

 

 

赤い眼のネルスキュラが攻撃を繰り出す度に鎧が削れ、同時に体力の減少を感じる。一撃をレッドウイングでいなす度に、ガリガリと集中力が擦り減っていく。概ね囮としての役割は果たせていた、今のところ目立った被弾も無い。だが、それでも…………。

 

身体が、重い。

 

腕を、脚を、首を動かす度に発生する粘つくような抵抗に持久力(スタミナ)がごっそりと持っていかれる、腹の毒針から噴出した睡眠毒の残滓に飛び込めば、幾ら呼吸を制限しようが少しずつ意識に靄が掛かるように蝕まれていく。 『常に間合いの内側にいる必要性』が、状態異常の蓄積という形でノイルを苛み始めていた。

 

本来ならとっくに閃光玉でも何でも使って撤退している状況。かつて地底洞窟で相手取ったネルスキュラでも、四人がかりで対峙してなお3回の撤退を余儀無くされた事を考えれば、この状態は異様とも言える。泣き言の一つや二つ零したって文句は言われないだろう。寧ろ単独狩猟において、その重量故に待ち伏せや高所からの奇襲を主な攻撃手段にする大剣使いが怒った影蜘蛛相手に三度のクリーンヒットを決めただけ表彰ものだ。

 

真上から振り下ろされた朱色の鎌を斜め七十五度に突き立てた大剣で受け、地面に激突したその横腹を蹴って続く第二撃から逃げる。起き上がろうとした身体のすぐ横を糸玉がかすめ、一瞬体勢が揺らいだ所に毒針が突き立てられた。ネルスキュラの毒針に雌火竜の鎧を貫通する程の強度は無い、だが、被弾の瞬間に噴き出す毒液は別。

 

 

「う、ぁ……」

 

 

大きくノックバックした事で吸い込みはしなかったが、意識に掛かる靄が一気に重さを増し、眼球が泳いで目蓋が一瞬落ちる。その隙に自らの遥か後方に伸びた糸に、彼が気付く筈も無い。

 

 

「危ねぇぞ兄ちゃんッ!!!!」

「……!…………」

 

 

剣を杖になんとか立ち上がったノイルの視界に、凄まじいスピードで地面スレスレを滑走する影が映る。それが何か認知する間も無く、彼は石ころのように弾き飛ばされた。

 

 

 

「          」

 

 

 

ぶつり、と意識が途絶え、次に感じたのは湿った地面をバウンドし勢いのまま岩肌に叩きつけられる衝撃。全身が砕け散ったかと錯覚する程のそれを受けて意識を保っていられたのは奇跡だ。………尤も、その代償は大きい。

 

一つ、得物が遠く離れた壁面に突き刺さっている。再び手に収めるには時間が必要だろう。

 

二つ、右肩(利き腕)の脱臼と左足(軸足)の骨折、怪我ならそれ以外もあるだろうがこの二つは致命的だ。

 

三つ、回復薬などの各種道具を詰めたアイテムポーチの破損。これもハンターとしては致命的。

 

もっと言えば防具各部も破損している上に、内臓が傷ついたのか口の中が血塗れで息苦しい。その上で冷静さを保っていられる原因は、きっと身体に残留している睡眠毒のお陰で、感じる痛みが何処か遠くの事のように感じているせいだ。麻酔薬に近い作用を持っていると聞いた事はあるが、ここまでとは。

 

それでも尚ずきずきと痛む身体を起こそうとして身体が満足に動かない事に気付く。纏わり付いた粘着糸の所為で手脚が異常に重い、油を注し忘れたブリキの玩具みたいに、錆び付いた関節を無理矢理動かすような感覚。

 

 

「は、ははは、……く、そ…………」

 

 

自らを見下ろす影蜘蛛の姿を前に、血塗れの口から掠れた笑いが溢れた。酷使され続けた膝が震え、嘔吐感と悪寒に歯を喰い縛って立ち上がる。その原動力は狩人の矜恃か、生への渇望か、はたまた両方か。

 

そんな彼を確実に仕留める為、暗殺者は自らの武器を展開する。口腔内に収納された伸縮自在の牙、致死性の高い猛毒に塗れた牙が、生卵を叩き割るような音を立てて伸び上がり、今にも崩れ落ちそうな獲物に狙いを定めた。このまま一撃を与えれば、毒による出血多量や血圧低下を待つまでも無く、彼は肉片と化すだろう。

 

 

「……いい、やってみろ、ゲホッ……っはは、やってみろ!

 俺を殺してみろ!怖くなんてねぇぞ!やってみろよ蜘蛛野郎ッ!!!!」

 

 

得物が何事か囀っているが今更気にする事も無い。もしくはそんな思考すら無かったのか、あくまで冷徹にネルスキュラは動き始めた。毒牙が大きく開き、丁度その中程にノイルを捉える。誰もが一秒後に訪れる惨状を幻視した、その場にいる誰もが。

 

たった一人、全身を体液に濡らし、その場に降り立った赤い狩人を除いて。

 

 

 

「後は、私に任せろ」

 

 

 

ノイルにとっては聴き慣れたアルトとテノールの中間の声。既に両の牙が動き出した中、リアが太刀の柄に手を添えて両者の間に滑り込んだ。

 

 

ネルスキュラの毒牙は普段は蛇腹状の構造を折りた畳んで収納されているが、使用時には体内から一気に体液を送り込む事で紙風船のように膨らみ、展開される仕組みになっている。その過程で毒が充填され、構造の隙間から滲み出す事で外敵や獲物に致命傷を与えるという訳だ。

 

そのような仕組みなのだから、当然強度はそこまで高くない。牙として打ち付けられる内側にこそ硬い甲殻とノコギリのような突起が備わっているが、それ以外の場所は展開・収納の妨げにならないように柔軟な体組織でのみ構成されている。故に…………

 

 

リアが火焔と共に振り抜いた、竜の首すら落とす刃によってその牙が両断されたのは、ある意味必然であった。

 

 

スローモーションの世界の中で『それ』を見たのは、ノイル・ウッドベルただ一人。 いつものように、すっかり見慣れた構えから動き出した刀身が向かって右の牙を斬ると同時に、踏み込んだ右脚を軸に反転し左脚で杭を打つが如き二度目の踏み込み。失ったエネルギーを軸足を入れ替えた事によって発生した『捻り』で補い、空間に炎で斜めの軌道を描いた刃がもう片方の牙を斬り飛ばす。そんな光景。

 

刹那の内に連撃を行う技量、文字通りの電光石火、時間をコマ送りにしたかのような埒外のスピード、この二つを両立させる根本的な膂力。三つの要素が精緻に組み合わさった妙技は、毒の飛沫と烈火の花弁が舞う中にあって、恐ろしく映えて見えた。

 

 

 

____ギッ、ギシャシャシャシャシャシャッ!!!!

 

 

 

自慢の武器を真っ二つにされたネルスキュラが、毒の混じった体液を振り撒きながら引き下がる。暫くの間、赤く無機質な眼で二人を睨め付けていたが、流石に毒牙を損傷させられたのには堪えたのか、蔓草に糸を飛ばして何処かへ行ってしまった。

 

 

「……すまない、『すぐに追いつく』と言ったのに」

 

 

その姿が木立に隠れてすっかり見えなくなるまで見送ってから、リアが膝を突いていたノイルに肩を貸す。彼は何事か言おうとしていたが、そこにフギオーを含めた行商隊が駆け寄って来た。

 

 

「ハンターさんよ、話は後にして兄ちゃんを運ぶぞ! あンの蜘蛛野郎、兄ちゃんを轢き飛ばしやがった!」

「…………分かった。 荷台は開けられるか?彼を寝かしてやりたい」

「よく積めりゃ、あと一人くらい入る筈だ。オイお前ら、ボーッとしてる暇があったら担架持って来やがれ!

 車輪も交換しろ! さっさとズラかるぞォ!!!!」

 

「「「アイサー!!!!」」」

 

 

フギオーの号令で男達が素早く行動を始める。遽に騒がしく、慌ただしくなる辺りをぼんやりと眺めながら、ノイルの意識はゆっくりと暗闇に落ちていった。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

三日後、原生林狩猟区とバルバレを繋ぐ交易路、鬱蒼と繁っていた木々が疎らになり始めた地域を二台の竜車がゆっくりと進んでいく。二台の竜車の先頭、その中に寝かされていたノイルが緩慢な動作で首を動かした。

 

 

「……眼が覚めたか」

「…………リア、ここは……?」

「竜車の中、原生林から出発して二日経つ」

「……俺、ずっと寝てたのか」

 

 

「無理もない」とリアがノイルの額に手を当てる。二、三度撫でてから、ぱっと手を離した。

 

 

「よし、熱は下がっている。吐き気はあるか?」

「無い、いや、無いけど……」

「無いけど?」

 

「…………何で俺、目隠しされてるんだ」

「目隠しではない。毒の飛沫に眼をやられて、失明する所だったんだぞ」

 

 

ノイルが顔に巻かれた布に触れると、引き剥がそうとするその手を塞ぐように握り込んでリアが応える。失明と聞いてはノイルも笑っていられないようで、両手をそっと下ろした。

 

 

「肩は嵌め直して、左脚は当て木。一応だが解毒薬も飲ませた。

 あくまでこれは応急処置だから、後でしっかり医者に掛かって貰う」

「そっか。 ……なぁ、リア」

 

「何だ」

「ありがとう、助かった」

「……どうしたしまして。 とは言うが、私一人では行商隊は無事では済まなかった、礼を言わせてくれ」

「依頼を受けたハンターなら当然だ、お互い様だろ?」

 

 

ノイルはリアと比べて等級こそ低けれど上位に位置するハンターだ。それなりの数の修羅場も潜り抜け、幾度と無く死線を乗り越えてきた。それを踏まえた上で彼はこう溢した、「怖かった」と。

 

 

「蜘蛛嫌いになりそうだろう? あの糸の感触は一度食らうと忘れられるものじゃない」

「……知ってるなら教えてくれたら良かったのに、滅茶苦茶怖かったんだぞ」

「君、自分で『怖くない』って言ってたじゃないか」

「アレはアレだ! 鼓舞だ、自己暗示だ!」

 

 

「聞いてたのかよ」と顔を朱色に染めたノイルの胸を何時ぞやのように小突いて、リアが彼に凭れるように肩を組んだ。暫く機嫌良くくつくつと笑う声が聞こえていたが、不意にそれを収めて耳打ちする。

 

 

「臭いに気付いたか?」

「……やっぱりアンタも分かったか」

「当然だ、伝書は昨日御者に頼んで飛ばしてある」

 

 

依頼は無事に完遂したが、その依頼理由が非合法ならば話は別。特に決して軽くない怪我を負った以上、互いの無事も素直に祝っていられない。「勿論、行商隊には気付かれないように」と付け加え、健在を確かめるようにノイルの肩を強く抱いたリアの声は、吹雪のように冷たかった。

 

バルバレまで残り二週間。その間気を張りっぱなしというのは、二人にとって些か以上に酷な話だ。

 

 

「…………それはそうと、アンタ何で兜外してるんだ」

「暑いからだ、今は……別にいいだろう?」

「アンタが良いなら構わない」

 

 

 

 








戦闘シーン描き終えの舞、楽しいけど費やすカロリーががが…………。

前回に引き続き、お気に入り登録や読了報告などありがとうございます。やはり反応を頂けるとモチベがムンムン湧いてきますね!

『斬り裂け、原生林の蜘蛛糸』は次回で完結する予定です。ご期待下さい。それでは次回で会いましょう、疾風怒号でした。






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7:人は蜘蛛より竜よりも

 

 

 

 

大市場バルバレ、その一角にある豪奢な宿の一室が剣呑な空気に包まれていた。床に跪かされた恰幅のいい男を囲むように深紅の制服に身を包んだ者達が並び、先頭に立った一人が羽飾りの付いたハットに隠れた眼を眇め、細身の(対人用)片手剣を喉元に突き付ける。

 

彼らは『ギルドナイト』と呼ばれる集団だ。ギルドからの命令を受けて様々な任務や調査をこなす、ギルド以外の如何なる介入も受け付けない独立機関にして規約違反者の取り締まりも行う憲兵のような一面も持ち、場合によっては違反者の暗殺も辞さないという噂がまことしやかに囁かれる者達。

 

そんなものに囲まれてしまえば、商人生活の長いファルサは大人しく従うしかない訳で。

 

 

「ファルサ・ランポで間違い無いな?」

「はぁ……」

「……宜しい。貴様には現在、禁輸品密輸及び密造加担の疑いが掛かっている、ギルドまで同行願おうか」

 

 

何の事やらという顔をしていたファルサだが、先頭の男が一枚の書状を取り出した瞬間に弛んだ頬を引き攣らせて青褪める。

 

 

「ま、待ってください! こんな物は何かの間違いだ!私めがそのような事をする筈が」

「お前の依頼を受けたハンターから『麻酔薬の匂いがする』と報告があったのでな、悪いが今朝がたギルドマスターと共に確認させて貰ったよ、鉱石類の底に隠していたな? キャラバン隊は何も知らないようだったが拘束済みだ。……観念しろ」

 

 

既に逃げ場が無いと知ってか、ファルサが顔を歪めて歯軋りする。それを涼しい顔で受け止めて男は顎をしゃくった。それを受けて数人のギルドナイトが彼を取り押さえ、後ろ手に縄で縛る。暫く大人しく縛られていたファルサだったが、ギルドナイト達の後方にいる隻腕の人影を見つけると、歯を剥き出して叫んだ。

 

 

「リア・ロクショウッ!! 裏切ったな!折角私が『紫毒姫』の情報と甲殻を持ってきてやったというのにぃ!!!!」

「貴方の提案を受けた覚えは無い。私は昨日貴方を訪ねて言った筈だ、『今白状しなければ、此方も相応の対応をする』と」

 

「はッ! その下らんプライドで、金と!仇敵の素材と!相棒の仇を討つチャンスを棒に振るというのか!馬鹿らしい、野蛮な狩人め!貴様など、その残った片腕も食われるがいいわ!」

「…………貴様の所為で私の大切な友人は重傷を負い、キャラバン隊にも負傷者が出ていた。同じ目に遭わないだけ幸運だと思え」

 

 

赤い兜の奥から、リアは冷ややかな目で彼を見ていた。つかつかと歩み寄ってファルサの胸ぐらを掴むと、ぐっと引き寄せて眼を射抜く。

 

 

「私は貴様のような者と取引を行う事は決して無い、どんな物をちらつかされようが私は貴様のような卑怯者には堕ちない、狩人(ハンター)を嘗めるなよ、違法商人風情が!」

 

 

吐き捨てたリアがぱっと襟から手を離して、横目でギルドナイトを見た。少し照れたような、気恥ずかしいような雰囲気で俯き、ひらひらと手を振って後ろに下がる。

 

 

「……すまないアミクス、少し取り乱した」

「お前の気持ちは分かる、何も言わねぇよ」

 

 

そう言った男____アミクスが再度顎をしゃくると、怒鳴られ茫然としていたファルサが連行されていく。彼はまだ何事か言い募っていたが耳を貸す人間がこの場にいる訳もなく、あえなくギルドナイト用の竜車に連れられていった。

 

 

「……しかし驚いた。君がバルバレに居たとはな、ユクモで別れて以来か?」

「それを言うなら、俺もお前がハンターを続けているとは知らなかったよ」

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

 

「…………それじゃあ、やっぱりアイツ密輸業者だったのか?」

「業者と言うのは少し違う、初犯だそうだ。やり口が杜撰な訳だな」

「ハンターの鼻を嘗めてんだよ、ああいう輩は」

 

 

不機嫌に呆れたようなノイルの声に、「同感だ」とリアが応じた。中天の太陽が差し込む彼の部屋は、ハンターが依頼から帰還した直後特有のがらんとした雰囲気に包まれている。原生林に向かう前に不要な物は全て捨て、必要な物は全て鍵の付いたボックスにしまったのだから当然だ。

 

 

「結局帰ってからはアンタに任せっきりだったな、悪い」

「怪我人を働かせる訳にもいかないさ、二人で動けば良いという訳でもなし」

「にしてもなぁ……」

「申し訳無く思うなら、大人しく怪我を治すんだな。 あ、これはお見舞いの品だ」

 

 

リアが背後に置いていたズタ袋を差し出す。受け取ったノイルが中身を覗くと、彼は眼を瞬かせた。

 

 

「……ドラグライト鉱石、こんなに沢山……良いのか?」

「私が買った訳じゃない、フギオーから君によろしくと言われてね。私のはこっちだ」

 

 

鉱石が詰まった袋を置いて、今度はリアが差し出したものを受け取る。薄い器を大きい竹の葉で幾重にも包んだそれは、まだ湯気の立つ炒飯だった。油っぽい香ばしい匂いが部屋に漂い、腹の虫が咆哮を上げる。

 

 

「アンタ、これ」

「『鍋を背負ったアイルーの店』だろう? 行きしに見つけてね」

「悪いなぁ、貰ってばっかりだ」

 

 

申し訳なさそうな口調だが、対照的にノイルの声音は弾んでいる。続いてレンゲを受け取ると、手を合わせるのももどかしく口に運んだ。

 

 

「別に焦らなくても、いつか返せばいいさ。……にしても、美味しそうに食べるじゃないか」

「実際美味いからな、んぐ、アンタはもう食ったのか?」

「あぁ、家で済ませてきた」

「そっか、所でさ」

 

水筒の水を一口呷ったノイルが、レンゲを置いてリアの後ろを指差す。

 

「何で俺の部屋にギルドナイトが?」

「お前にギルドから連絡があるからだよ」

「アミクス、いたのか」

「え、アンタら知り合いか?」

 

 

困惑する彼を他所に、アミクスと呼ばれた男は炒飯を頬張ったままのノイルに一枚の書状を手渡す。そこには長々と前振りの文章が記されていたが、伝えたい内容は概ね()()だ。

 

『上位ハンター、ノイル・ウッドベルを等級(ハンターランク)5から等級7に昇進するものとする』

 

じ上位ハンターの飛び級昇進なんて聞いた事がない。流石にこれには落ち着いて食事していられないと、彼は本調子ではない左脚を庇いながら立ち上がり、書状を指差して口を開く。

 

 

「いやいやいやおかしいだろ! 等級5になったのだって先月だぞ!?」

「落ち着け、こっちのを二人とも読むんだ」

「私もか?」

 

 

アミクスは赤い制服の懐からもう一つ別の紙を取り出した。一番上には等級制改訂の赤文字、これまでは上位個体の中から例外的に認定されていた『G級』を正式に『上位よりさらに強力な個体群』として設定し、それに伴って等級の上限も従来の7から12に変更されるとの事だった。 そしてリアはと言えば、バルバレギルドではなく龍暦院所属になる為、一旦バルバレから離れなければならないという。

 

 

「これはまた大胆な……、龍歴院も含めて、ハンターを擁する組織全てで決めたのか」

「そういう事だ、俺も驚いたよ」

「こんな事ならバルバレギルドに移籍すれば良かった……、依頼自体は受注出来るから油断していたよ」

 

 

つまりこれは、ノイルの働きが元々の等級7に相当すると評価されたという事でもある、二人の会話を気にも留めず書状を握り締めた彼の背が震え、困惑が極まっていた先程とは打って変わって血液が炭酸に置き換わったような興奮が全身を貫く。それが歓喜か衝撃かも分からないまま、彼はベッドから立ち上がる。

 

 

「リア」

「何だ?」

「俺、絶対アンタに追い付くよ」

「…………それは楽しみだ」

 

 

「先に怪我を治したらどうだ?」と呟いたアミクスの頭にチョップを叩き込みながら、リアは兜の奥で破顔した。等級制の改訂、『G級』の正式認定、これまでのシステムとは大きく異なる変革を前に、二人はまた新たな世界の足を踏み出す…………のかも知れない。

 

 

 

 

 









何とか5話構成に収める事が出来ました、疾風怒号です。これにて『原生林の蜘蛛糸』編は完結になります。狩猟描写よりも世界観の補完としての色が濃かったかも知れない…………。

次回、『凍霞に騎士の舞う』 お楽しみに!







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幕間・其の二
赫王の独り言、或いは手紙・前





明けましておめでとうございます、疾風怒号です。

新年一発目は幕間、又の名をお茶濁し。ふんわり雰囲気で楽しんで頂ければ幸いです。それではどうぞ!







 

 

古代林狩猟区、第六エリア。一人の狩人を取り囲む複数体の鳥竜が騒いでいた。ぎゃんぎゃん、ぎゃあぎゃあと喧しく、子供かチンピラのように囃し立てる。

 

対して囲まれている狩人は、あくまでも沈黙を保ったまま腰を落としていた。以前は鎧らしい堅牢な装甲にすっぽりと覆われていた脚部は、地面を掴み易いよう薄手だが靭性に長ける貫と脛当てに分割され、腰に懸架した大太刀に添えられた隻腕にも同じような改修が加えられている。

 

鎧には元々の燃え立つシルエットを損なわないまま全身に加工が施されているようで、僅かに身動ぐ度に全てのパーツが音もなく可動する様は、まるで身体と一体化しているかのようだ。

 

本来左腕があるべき、がらんとした空間を包む黒い布は、得物が鞘越しに発する熱に煽られてふぅわりと浮き上がる。握り締められ、今は微動だにしないその細身の刃に一体どれ程の熱量が閉じ込められているのか……。

 

 

慌てる事も、動く素振りもない人間(えもの)を見てより一層の騒ぎ声を上げた鳥竜を、人は『マッカォ』と呼ぶ。若葉色の体色と赤い頭部から生えた真っ黄色の飾り羽、第三の後脚として機能する発達した尻尾が特徴で、この古代林では一般的な群れを成す捕食者だ。そして包囲網の奥で一際大きな叫びを上げるのが、群れのボスである『ドスマッカォ』。 他の個体と比べて一回りも二回りも大きい体躯に飾り羽の王冠を揺らし、忠実な部下を飛び掛からせるタイミングを今か今かと見計らっている。

 

本来ドスマッカォは統率者としての力が弱く、狩りに於いても粗雑な連携しか取れない種とされているがこの個体は違った。多くの群れを吸収して部下を従え、時には敢えて外敵と一騎討ちを演じる事で実力を誇示し、特に忠誠心に優れる古株の個体を常に侍らせるまでの力を得た老獪な個体が彼だ。

 

故に依頼を受けた狩人は一切の油断なく構える。彼の一党は大きく()()()()()のだ、肥大した鳥竜の群れは、時にこうして環境を乱す原因となり得る。その証拠としてここ数ヶ月の古代林では草食種の個体数が減少傾向にあり、連鎖して行動範囲を拡大した捕食者同士の衝突が激化、近隣の集落や調査に出掛ける龍歴院職員にも被害が出始めていた。

 

人がその身一つで竜と相対するなど、凡そ正気の沙汰ではない。しかし、()()()()()()狩らねばならず、そこに情け容赦がある筈も無く。短く吐くは鋭い呼気、長の一声で跳び上がり襲い掛かる先頭四匹の影を見とめては腰を捻り、火花散らして鯉口が鳴いた。

 

 

「ゼアァッ!!!!」

 

 

地を叩く踏み込みと同時に隙間風じみた音を残して青色混じりの炎が奔り、空中に浮かぶ四つの痩躯を焼き焦がす。斜めに弧を描いて振り撒かれた火焔を突き破って、視界を奪われたまま立ち尽くすドスマッカォに紫電が迫った。だが跳狗竜も然る者、グローブ状に発達した前脚を交差させて剣尖を受け流す。木にナイフを突き立てたような異音。

 

確かな、しかし命を奪うには余りにも僅かな出血が飛び、彼は大きく跳び退いた。

 

細長い瞳孔がきろりと狩人を観察する。噴き出した火焔、赤熱し未だ残滓を纏う()、視界を奪われていたとは言え一瞬で距離を詰め、間合いに入り込んだ健脚、そして全身を焼かれて未だに転げ回っている部下達が映り、すぐさまドスマッカォはけたたましい号令の声を上げた。

 

声を受けて比較的軽傷だった二頭が、残った二頭をそれぞれ咥えて引き下がる。即ち撤退、徒らに戦力を消費するよりも、自らが直接討ち取った方が良いと判断したらしい。

 

 

「好都合だ」

 

 

それを見て刀を収めて発された呟きの意味を、ドスマッカォが理解する事は無く。狩人は幾度かの改修を経て、大鉈のように重厚なシルエットに変化した鞘を腰のラックから取り外して上段に構えた。 がちんと響いた金属音は、きっと開戦の合図だったのだろう。暫くの間、だだっ広い平原に土を抉る音が鳴り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「各可動は問題無し、大殿油の加熱システムは……少しムラがあるか、酸素ビンは良い感じ、斬れ味も想像以上、寧ろ私の腕が追い付いていない…………と」

 

 

龍歴院のとある一室、整備作業を終えた装備が並ぶ一室に人影があった。隻腕の肘で器用に紙を押さえ、つらつらと文章を書き込んでいく。微妙にインク染みを作りながら書かれたそれを眼前に掲げて一通り眼を通し、満足したのかベッドに身体を投げ出した。

 

 

「しかし、よくも私の思いつきを形にしてくれたものだな、ベルナの爺様は。

 その分値は張ったが……、まぁ、どうせ使い道のない金だ、せめてぱっと使うのがいいだろう」

 

 

照明としては些か心許ない天井のランプに手を翳しながら、狩人は独り言を零し続ける。どうせ誰にも聞かせる事も無いと放置していたら、いつの間にか染み付いた癖だ。直す気も無い上に、考えを纏めようとすれば便利なのだ、直す意味も見出せない。それに一人きりの沈黙は、きっと私には耐えられない。

 

 

「イキツギ藻は何とか取り寄せるとして、問題は籠手だな、今日一日でインナーが焦げてしまった。…………"彼"の翼膜が残っていたな、明日持って行こうか……、太刀の調整にも時間が欲しい……あぁ駄目だ、早くバルバレに行きたい!墓参りも!」

 

 

こうしている間にも時間を無為に消費している気がして、立て掛けてあった得物を握って軽く振る。吸い付く様な握り心地、並の太刀の二倍近い重さに、少しだけ心が落ち着いた。

 

 

「そういえば銘を考えろと言われていたな、銘か……、確かに、いつまでも『これ』では格好が付かない。 そうだ、手紙がてらノイルに聞こう、うむ、それが良い」

 

 

『善は急げ』と巷では言う、ならば私もそれに倣おう。さて、封筒はどこにやったか…………。

 

 

 

 

 

 



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赫王の独り言、或いは手紙・後

 

 

 

 

狩人が武器を選ぶ理由は多くある。

 

『身近な先輩がそれを扱っていたから』

『一目見てビビッと来たから』

『自分の能力に合っているから』

 

結局のところ、武器を選んだ理由などどうでも良い事だ。上手く扱えれば生き残り、怠れば死に、よしんば上手く扱っていても死ぬときは死ぬ。ハンターとはそういう職業であると誰もが知っているし、多くの人間はそれに納得している。して不合理と理不尽の集合体とも言える『自然』を相手にする仕事だ、個人の理由が言い訳にも、人を責める口実にもならない事は、当たり前と言ってしまえばその通りだろう。

 

それでも、自分は未だにこう思うのだ。『彼女を殺した原因は、きっと自分の軽率な選択(が太刀を手に取った事)だ』と。 もしもあの時、自分が大剣を選び取っていれば、ランスに一目惚れしていれば、きっとあんな事にはならなかった筈だと。

 

そんな後悔が何の役にも立たない事は百も承知、だがしかし、そうでなければ耐えられない。彼女を殺したのは自分であるのに、許されてしまった事を到底認める事は出来ない。何が悪運、何が不幸、自然が不合理と理不尽の塊であるならば、それを跳ね除けてこその狩人ではなかったのか!

 

許さない、許されてはいけない。一生涯十字架を背負い潰れるか、それこそスリか夜盗に何もかも奪われて破滅して仕舞えば良い。報いを受けろ、報いを受けなければ。

 

などと、そんな事を考える余裕のある内は、きっと俺にはまだ生きる余裕がある。俺が報いを受けるとすれば、それはきっとこんな事を考える余裕も無く、全てを失い失意のまま、ボロボロになって命尽きるその瞬間だ。

 

そうであって欲しい。否、そうであると……今も赫星に願う。

 

 

 

 

 

###

 

 

 

 

 

快晴の遺跡平原は今日も騒がしい。かなり前から山岳部に居座っている『若武者』……今は『焔叉迦(ホムラシャカ)』と呼ばれるようになったリオレウスが()()縄張りに入り込んだジャギィの群れを襲ったらしく、頭領を殺され瓦解した残党が麓の平原部に落ち延びてきたのだ。暫くの間、依頼受付にはジャギィの撃退依頼が貼り出され続けるだろう。

 

奴はここ数ヶ月で目覚ましい成長を遂げていた。ティガレックス討伐直後から山頂付近に寝床を確保して一帯を支配、今のところ遺跡平原の生態系の頂点に君臨し続けている。リアの言った通りに彼が黒炎王と紫毒姫の倅なのかどうかは知らないが、ギルドはその存在を特異なものとして認めたようで、1ヶ月ほど前からバルバレで初の『二つ名』を彼に与え、不用意な、正確に言えば特殊な許可を得ない上での接触を厳禁とした。

 

若いリオレイアが観測された時には番いになるかと噂が立ったが、あろう事か寝床に降り立ったその個体に攻撃を加えて追い払ったというのだから面白い。野生生物としては不都合な程のプライド、通常個体よりも遥かに強い毒性の爪、高い飛行能力に強力な火炎、これだけの要素が並べば確かに異質だ。

 

尤も当の本人は滅多に姿を現さない上に、普段の捕食行動を除けば縄張りに侵入した中〜大型モンスターにしか攻撃しない、即ち環境を乱すような真似はしないが為に狩猟対象には指定されていない、精々が定期的に観察の依頼が出る程度か。

 

 

「……二つ名、か」

「どうしたノイル、考え事か?」

「何でもない」

 

 

どうしてこんな事を考えたのかと言えば、焔叉迦と同じように『二つ名』を持つ狩人から届いた手紙を開いたからだ。キャンプの前に設置した焚き火にスープを入れた小鍋を置き、丁寧に蝋で閉じられた封筒を鞄から取り出す。

 

 

「手紙?」

「あぁ、手紙だ。本当は家で読むつもりだったんだけどな」

「良いんじゃないか? どうせバルバレに帰るのは明日だ」

「なーに話してんの!……って、手紙?」

 

 

同行者の茶々を適当に受け流しつつ、三つ折りになっていた手紙を開いた。

 

 

 

『ノイル・ウッドベルへ

 

変わりは無いだろうか? こちらは最近よく冷え込むようになった、バルバレは年中温暖な方だから少し恋しいと思う。 無事に等級の更新は完了したよ、新しい等級は11。12は古龍撃退・討伐級のハンターに勲章と一緒に授与されるそうだ、気の遠い話だな。

 

 

本題に入ろう。

 

君には申し訳ないが、少しバルバレに戻るのが遅くなりそうだ。本当ならこの手紙が届く頃には龍歴院を出立するつもりだったのだが、どうしても装備に調整したい部分が出来てしまってな、あと一月こちらに残る事にするよ。 情けない話だが妥協するのも趣味ではない、折角戻ったのだから突き詰められるだけやってみようと思った次第だ。

 

そこでなんだが、一つ頼みがある。私の剣を君は何度も見ていると思うが、あれの銘を考えてみて欲しい。加工屋の爺様は『お前さんが考えろ』と言うんだが、いかんせん私はその手のセンスに自信が無くてな。一度考えるだけで良いから、何か案を出してくれないだろうか。この前君に本を渡したと思うが、その後ろに薄い辞書のようなものが挟んであると思う、是非参考にしてくれ。

 

 

手紙を出しておいて頼むだけというのも忍びないので、今のうちに土産の話でもしておく。龍歴院近くの村があるんだが、そこはムーファという家畜の乳で作ったチーズが特産品なんだ。これをとろかして蒸した野菜やキノコに掛けると絶品でな、一つ買って帰るので楽しみにしていてくれ。

 

短い手紙になってしまったが伝えたい事はこれだけだ。一ヶ月後に会おう、また君と狩りに出られる事を楽しみにしている。

 

 

 リア・ロクショウより』

 

 

内容はこの通りだった。気安い癖に妙に律儀というか、リアらしい手紙だと思う。頼み事は追々考えるとして、重要なのはバルバレに戻って来るのが一ヶ月遅れるという部分。

 

 

「帰って来ると思って新調したんだがな……、まぁ、いいか」

 

 

手紙から目線を逸らして下を見ると、腰から下を深い蒼の鎧が覆っている。もう一つの空の王者と名高い蒼火竜、リオレウス亜種の素材だ。少し前に狩猟区に入り込み、当時リオレイアを追い払ったばかりで気が立っていた焔叉迦と鎬を削り、そして敗れた個体から造られた防具。

 

偶然居合わせた"G級"ハンター二人と狩りに出たのが記憶に新しく、ヘビィボウガンと操虫棍の鮮やかなコンビネーションに見惚れてしまったのを思い出した。

 

 

「……お前、随分赫王サマと仲良いんだな」

「『乗り掛かった船』って奴だよ、別に入れ込んでる訳じゃ……」

「最近ずっとあの人と狩りに出てたもんね」

 

 

迅竜の装備を着込んだ男の言葉に、入れ込んでいる訳じゃない、とは言い切れなかった。事実目標にしている部分はある上に、依頼を別にしても行動を共にする事も多い。今は家に置いてある一虎刀も、彼に言われた通りほぼ毎日振っている。太刀は二度と握らないと決めていた筈の俺が、だ。

 

 

「それに、アイツの顔すら見た事無いぞ、俺」

「マジか」

「大マジ」

「それはそれでどうなんだろう……」

 

 

言い訳のような言葉に反応して、俺と同じように上半身の防具だけを外した女がライトボウガンを弄りながらそう言った。俺もそう思わなくはない、だが彼の事情を考えるとそうも言っていられないだろう。理由を話してくれただけ重畳だ。

 

 

「隠される物には、隠されるだけの理由がある。……詮索するのも良くない」

「それは勿論だけど、どんな人かも分からないんでしょ?」

「ギルドのお偉いさんは知ってるんじゃないか? 教えては貰えないだろうけどな」

 

 

「詮索は良くないと言ったろ」と喉元まで出かかった声を噛み殺して目頭を揉む。変だ、友人の事とは言え、少し前ならこの程度気にしなかった筈だ。何故にこんなにも気分が悪い。

 

 

「私はちょっと嫌だなぁ、顔も見せて貰えないのって、冷たい感じがする」

「ま、距離を置かれてるって言うか、信用されてないイメージはするよな。なぁノイル。 ……ノイル?」

 

 

今、俺は酷い顔をしている。きっとテツカブラのような怒り顔だ。口を引き結んだ不機嫌な表情をしてしまっている。「お前達がリアの何を知っているんだ」なんて臭い台詞をまた噛み殺して顔を掌で覆い、いつも通りの『ノイル・ウッドベル』に戻ろうとする。

 

 

「…………悪い、欠伸が出そうだった」

「オイオイ大丈夫かよ、もう寝るか?」

「馬鹿言え、スープがまだだ」

「またモスジャーキーのスープでしょ、塩分高いんだからやめなって」

 

 

一秒だけ待って両手を下ろした。上手く笑えた気がしないが、少なくとも眼前の顔馴染み二人は誤魔化せたらしい。もしかしたら暫く離れていたお陰かもしれない。『人混みに入ればすぐに紛れて誰も分からない』とまで言われた平凡で印象の薄い顔立ちに今だけは感謝する。 リアと接している時間が長過ぎたんだ、と自分に言い聞かせて小鍋をかき混ぜると、胡椒辛い匂いが鼻を刺す。嗅ぎ慣れた匂いだ、新人の頃に教えて貰ったこれを飲むと、狩りの後で昂った心が不思議と落ち着いたものだ。

 

だが今回は、騒ついた感情がいつまでも蟠って消えない、いつまでも不快な感覚を抱いたまま、テントに備え付けられたベッドに身体を投げ出し、無理矢理目を瞑る。……しかしそれでも、ヤスリを押し当てられるような感覚は消える事は無かった。

 

 

 

 

 

 








おめでとう! 若武者は焔叉迦に進化した!(

冗談はさておき皆様こんにちは、疾風怒号です。焔叉迦のネーミングは八大竜王の『徳叉迦(タクシャカ)』から取っています。視線で人を殺すとされ、原典を辿るとあのアルジュナの孫を噛み殺したとか言われてるアレですね。

次回からはお茶濁しせずにしっかり続編を書きますので、楽しみにお待ち下さい。それではまた次回!






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往クモ帰ルモ合縁奇縁
8:いざ往くも、影分かつ








色々書きたいことが渋滞している新章です。短いプロローグですがお楽しみください。







 

 

 

 

 

「旅行?」

「ああ、リアが帰ってくるのが一月遅れるからな。……墓参りも兼ねて、ユクモに行ってみようかなって」

「ミセルさん……ですか」

「上位ハンターになったら行くって、決めてたからな」

 

 

珍しく雨模様のバルバレ、集会所に併設された食堂兼酒場も今日ばかりはいつもの喧騒は鳴りを潜め、ほどほどに賑わっていた。腰から下に防具を、上半身に木綿の服と垂皮竜のポンチョを纏ったノイルの背中には、レッドウイングを含めて大きな荷物がくくられている。

 

 

「もう三年になるんですね」

「『まだ』三年だ、何も出来ちゃいない。アイツの太刀も返しにいかないと」

「太刀と言えば、お揃いだったのに、打ち直して良かったんですか?」

「捨てた訳じゃない、大丈夫だ」

 

 

レッドウイングと同軸に括り付けられた二振りの太刀、片方は一虎刀、もう片方は、半ばで折れ飛んだ抜き身の鉄刀。長く磨かれず曇った毀れ刃を指先で撫ぜてノイルは振り返った。

 

 

「アイツの言葉通りだけど、俺の為でもある。いつまでも縛られてる場合じゃないからな」

 

 

その言葉に受付嬢が応えなかったのは、彼が思う以上に張りつめた声音を感じ取ったからだろう。

 

 

「……良い心がけですけど、ノイルさんはそれより手荷物の心配をするべきですね」

「な!?」

「知りませんよ、そんな大荷物持ってギルドカードとか落としても」

「あのなぁ……、ああもういい!行ってくる!」

「お土産期待してますねー!」

 

 

投げやり気味に歩き出し、背中越しに手を振ったノイルを見送って、受付嬢は細く息をついた。()()()()()()()に関わることとなれば、普段の気さくさが嘘のように彼は意固地で、少し自己中心的になる。

 

 

「あんなことされたら、私が薄情みたいじゃないですか」

 

 

普通、狩人は同業者が狩場で死んだ『程度』のことを引き摺りはしない。友人だろうが恋人だろうが、それはそれ、これはこれ。いつまでも未練や約束を抱えて生きようとするような奴は、どこでも早死にするものだ。口約束を本気にして、ああやって墓参りまでしようとするのは、やっぱり彼がどこまでも『お人好し』だからなのだろう。

 

 

「ほんと、ミセルちゃんは幸せものですね」

 

 

大陸中、延いては世界中にその名が知られる温泉地、ユクモ村。ほぼ年中湯煙と喧騒の絶えない通りは、行き交う人々でごった返している。

 

 

「悪いね兄ちゃん!こんな重いもの持たせて!」

「いやいや、上に向かうついでだよ」

「上ってことは兄ちゃん、旅行かい?」

「ああ、ユクモと言えば温泉だろ?」

 

 

荷運び手伝いの駄賃に頂いたメンマの小瓶を右手で弄びながら、折れた太刀を腰に括ったノイルが歩いていく。発酵させた特産タケノコの塩漬けを水に戻し、肉と炒めて食べると絶品なのだと力説されたのを思い出し、ふとほろ苦い笑みが零れた。

 

 

 

###

 

 

 

「お前さん、陸路で一人旅なんて珍しいなァ」

「そうだな、私自身初めての試みだよ。いい土産話が出来た」

「このままユクモに向かっていいのか?」

「ああ、私はそこで降りるよ」

 

 

緋色のハット、同色の服装。肩に猛禽の類を止まらせた壮年の男がポポがゆったりと牽く車内に振り返る。片腕と脚で器用に太刀を磨く人影は視線に気付いたのか、不思議そうに首を傾げた。赤い鎧、長大な太刀、垂皮竜のマントとフードで身体を隠すように覆った若い狩人だ、下顎左方から伸びる爛れた傷痕は潜り抜けた死線の証明だろうか、僅かに除く瞳と低い声からは性別を判別するのは難しい。

 

 

「どうかしたのか?」

「いや、お前さん、ユクモからは歩くつもりか?」

「まさか、飛行船でバルバレに帰るつもりだ」

「おおそうか!近頃バルバレにも繋がったんだったか!」

 

合点がいったと頷いた男に、人影が聞き返す。

 

「ああ、あと半月で着かないといけないから……、貴方たちは?」

 

目深に被ったフードの奥からの声に、男は顎を擦って視線を上向ける。

 

 

「そうだなァ、一先ずユクモでポポを休ませてからバルバレに向かって……、そこで二人仲間と合流して、その次はナグリ村に____」

 

 

男がそこまで言いかけたところで、突然車体が大きく揺れた。思わず尻餅をつきそうになった男の手を、人影が掴んで支える。

 

「どうした!」

「ジャギイだ」

 

男の問いにポポの手綱を握っていた竜人が応える。幌の隙間から様子を窺えば、なるほど特徴的な紫の影が見えた。が、どうにも様子がおかしい。狩人の耳に届く足音が『多すぎる』。普通、少なからず整備された道に迷い出てくるジャギイの数など精々が2~3匹、それも群れの中で特に若輩の、経験の浅い個体に限られる。だがこれは違う、茂みの中から更に近付いて来る。

 

「ポポを走らせるんだ!」

 

男と竜人の間にあった逡巡を切り裂くように狩人が叫ぶ。同時に懐から取り出したナイフを構え、ポポの巨体を睨みつけていた三匹の内、進路を塞ぐ一匹に投げ付けた。

 

「群れが来る、早く!」

「……わかった」

 

短く答えて、竜人は手綱を強くしならせた。走り出す前に一拍置いて放たれた投擲物は狙い違わずジャギイの足元に突き立ち、大きく飛び退かせた。その隙を突くようにポポの蹄が地面を蹴った。一瞬遅れて茂みから飛び出して来た数頭のジャギィがポポを追うが、投げナイフを警戒してかやや遠巻きの追跡だった。そのままその姿が見えなくなったことを確認して、狩人は太刀に添えていた手を離した。

 

「ここいらで停めるつもりだったが……、このまま村まで行く」

「だなァ。日暮れまでに着けるか?」

「どちらにせよ、此処に留まるよりはいい。お前も、それでいいか?」

 

竜人の言葉に狩人が首肯する。ポポの手綱を握る手に力を込め、竜人もまた表情を引き締めた。

 

 

 

 

 



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9:悔恨清算如何せん?

 

 

 

 

 

「もう三年だな、ミセル」

 

 

ユクモ村の外れ、ガーグアに車を牽かせて一時ほどの墓地にノイルの姿があった。腰から下だけを防具に覆った装いで苔生した墓石の前にどかりと座り込み、布に包まれた太刀を静かに置く。

 

 

「預かってたものを返しに来た。俺の太刀は打ち直したんだ、良いだろ」

 

 

墓石からの返答は無い。ただ、気心の知れた友人にそうするように、彼一人が滔々と言葉に悔恨を乗せて、しかし割り切った声音で語る。

 

 

「まぁ、今は大剣を使ってるんだけどな。……遅いなんて言わないでくれよ、言いたくなるのは、分かるけど、お前を見殺しにしたくて、太刀を選んだわけじゃないんだ」

「俺だって思う、あの時……大剣ランスでもなんでも担いでいたら、お前は死ななくて良かったんじゃないかって」

「大丈夫、約束はちゃんと守る。最近相方が出来たんだぞ、等級も上がって上位になった、お前がいなくても上手くやってるよ」

「墓参りか」

 

 

唐突に背後から降りかかったのは、低い男の声だった。眼の覚めるような赤い制服。目元を隠す羽飾りのハットから見覚えのある髭面が覗いている。視線を宙に彷徨わせたノイルが名前を忘れていたことは見通されていたらしく、彼はばつが悪そうに頭を書いた。

 

 

「アミクス・アウディオだ」

「ああ、そうアミクス。……のぞき見か?趣味悪いぞ」

「馬鹿言え、俺も同じだ」

 

 

『同じ』というのは、墓地を訪れた理由を指すのだろう。アミクスは帽子を脱いでノイルの隣に腰を下ろすと、一息ついて視線をやった。

 

 

「ハンターか?」

「昔のな。俺を庇って死んだ」

 

 

重い口振りだったが、彼の表情は変わらない。

 

 

「その調子じゃ、とっくに踏ん切りはついてるみたいだな」

「そうじゃなきゃ、やっていけない」

「……リアとは上手くやってるか」

「ああ」

「そうか。今は別行動か?」

「先月からずっとそうだよ。一月遅れるって手紙が届いたから、ここに来たんだ」

 

 

沈黙が流れる。次の話題を切り出したのはノイルだった。

 

 

「リアの相方って、どんなハンターだったんだ」

「気になるか」

「とても」

 

 

アミクスはそれ以上応えずに立ち上がると、座ったままのノイルを見下ろして黙考し、ややあって「付いて来い」とだけ呟いて墓所の奥へ歩きだした。それに従って歩く内に、辺りの景色はみるみる内に深緑に覆われていく。このまま進めば奥まった外れに出るだろう。

 

 

「ノイル、お前はリアから何処まで聞いてる?」

「全く何も」

「だろうな、お前から訪ねても無いんだろう」

「……本人に聞くべきだって、そう思うか」

「いいや?俺に聞こうがアイツに聞こうが同じだ、お前になら……ああまでリアと打ち解けた男になら話せる。アイツだってお前が聞けば話すさ」

 

 

迷いの無い声音と歩調のまま、アミクスは長虫の這う柵扉を押し開けた。落ち窪んだ小さなスペースに、錆びついた銃槍と盾が突き刺さっている。墓標の代わりなのだろうそれは所々が歪み、痛々しい爪痕が深く刻まれていた。

 

 

「インペリアルガーダー、アイツの得物だ」

 

 

手に持っていた花を墓前に置いて、アミクスが振り返る。

 

 

「ガンランスか、珍しいな」

「普段から使い込んでいるのは、俺はアイツ一人しか見たことが無い」

 

 

ガンランス。文字通りランスに砲撃機構を組み込むという突飛な、或いは狂気的な発想を実現させた重量級武装。ノイルにとっては近接武器でありながら味方を巻き込みかねない砲撃を扱う都合上、使い手も使う場面も選ぶ曲者という認識のそれは、同時に奇妙に思い出深いものでもあった。

 

 

「そんな変人、俺だって一人しか知らないな」

「例の相方か」

「いいや、兄貴だよ」

「……初耳だな」

 

 

意外そうに眉を上げたアミクスに、ノイルが苦笑する。

 

 

「リアにだって言ってないからな。知り合ったばかりの相手に、『死んだ兄の墓を探す為にハンターになりました』なんて言われたら、困るだろ?」

「ハンターが何処で死んだかなんて、調べようがない」

「ああ、うん、それはそうだけど。……それは、分かってる。だから何と言うか、俺は明確な理由があってハンターを続けてるわけじゃない。兄さんに花の一本でも供えてやりたいのも、俺の代わりに死んだ奴の分もハンターを続けるのも、ただこの仕事を続けたいから続けているだけなのも、全部本当で」

 

「今の相方といたいからってのも、ある」

「……お前、思ってたより良い奴だな」

 

 

照れて頬を掻くノイルを見て、無表情だったギルドナイトは初めて頬を緩めた。

 

 

「お前みたいな奴がリアの傍にいるなら、アンゼルムの奴も安心出来るだろうよ」

「…………なぁ、」

「ん?」

「そのアンゼルムって奴、『アンゼルム・リッター』って名乗ってなかったか?」

 

 

 

※※※

 

 

 

白昼の渓流に、電撃を纏う刃が舞う。一息の内に三度振るわれたそれは迅竜の鱗を鋭く削ぎ、血が焦げる臭気を立てる。痛みと這いまわる電流に身を侵されて悲鳴を上げて苦し紛れに振るった尾は、もう一人が掲げた盾に難なく逸らされ、その隙に体勢を整えた狩人がその巨躯を踏みつけて跳び上がり向かいに着地、振り返りざまに閃いた白刃は竜の後脚を正確に引き裂いた。

 

狩人の攻め手は途切れない。銃槍の砲口が爆炎を噴き太刀の狩人を追わんとした竜の頬を焼く。火炎を振り払って開かれた顎からは盾を掲げて逃れる。

 

 

「シィ……ッ」

()ァ!」

 

 

連携に言語は不要、首が伸びきった迅竜の横面に銃槍が叩き付けられたのとほぼ同時、またも三度振るわれた太刀が左後脚の筋を断って動きを止める。食肉を解体するように容易く行われたそれが、常軌を逸した技量の上に成立するものである事は、茂みの中からその光景を観測するギルドナイトの眼からしても明らかだった。

 

 

「砲!」

 

 

声を張り上げて合図を出したのは白鎧、太刀の狩人。銃槍の切っ先が竜の頭の直下に突き立てられ、青白い炎が噴き出す。甲高い機構の呻き、滾る熱量を盾で遮って銃爪(ひきがね)を引き、きっかり一秒後。通常の砲撃を大きく上回る量の装薬を一度に爆ぜさせる狂気的一撃、竜撃砲が迅竜の頭部を下顎から滅多打ちにし、大きく跳ね上げた。

 

炭化した組織片がはらはら落ちる。

 

 

 

「なぜ、」

「ああ、やっぱり、()()なんだな」

 

 

しばしの夢想から引き戻され瞠目するアミクスとは対照的に、ノイルは平常心を保っているように見えた。

 

 

「右耳が欠けてただろう」

「……」

「キノコが苦手で、辛い物が好きだったか」

「……何故、お前がアイツを知ってる?」

「俺の兄貴だからだよ」

 

 

平然と、或いは淡々とした無感動な声音。

 

 

「アンゼルム・R(リッター)・ウッドベルは、俺の兄だ」

 

 

 

竜は生きている、虫けらと同じように。故に逃避も行う、人と同じように。

浮き上がった身体をそのまま反転させて、迅竜はその場から逃れようとした。当然狩人に見逃してやるつもりは無い。迅竜からすれば不可思議極まりなかっただろう。何度も退け、殺し、時に喰らった小さな生物に、自らが完膚なきまでに追い込まれているのだから。

 

地に前脚が着くよりも先に、太刀の狩人が回り込んで構えている。自由落下は止まらない。自ら飛び込んでくる頭に向かい刃が閃き、その眼窩に深々と突き立った。

 

血飛沫、劈くような悲鳴が上がる。

 

 

 

「……、因果なもんだ」

「疑わないんだな」

「アイツに弟がいたのは、俺もリアも知ってる」

 

 

困り果てたふうに、午睡の夢を振り払うようにかぶりを振ってギルドナイトは呟く。故友の弟が目の前に立っている事実を、どうにか飲み下そうとしているようだった。

 

 

「ああ、そう言えばそうか。手紙、送ってたな」

「手紙だけじゃない、口を開けばお前のことばかり話していた」

 

 

ノイルが口を開く度に、記憶の中で風化しかけていたアンゼルムの声と符号する。よくよく見れば藍色の瞳も、はっきりとした目鼻立ちも瓜二つで、何故今まで気が付かなかったのかとアミクスは自嘲気味に笑った。似ても似つかないのは、髪の色ぐらいか。

 

 

「リアは、気付いてるのか?」

「無いな。もしそうなら、お前の目の前で頭を下げている筈だ」

「頭を……?」

「リアはな、アンゼルム・リッターを殺したのは自分だって言って聞かなかった」

 

 

「今でもそうだ」とアミクスは続ける。

 

 

「リアが狩人を続けているのは、何も紫毒姫を追っているってだけの話じゃない。あの女はな、他ならぬお前(アンゼルムの弟)に会う為に各地を渡ってるんだ」

「……いや、何で」

「言っただろう。リアはアンゼルムが死んだのは自分の責任だと考えてる。……()()()()()んだとよ」

 

 

ノイルにしてみれば唐突な物言いだった。無論、友人の死を悔やむ気持ちは痛いほどに分かる。アミクスの言うことが何処までリアの本心なのかも分からない。しかし、それでも、おかしな話であった。

 

 

「リアも兄さんも、ハンターだろ。俺は、何を許せばいいんだ」

 

 

狩人はその半分以上が狩場で命を落とす。五体満足でその一生を終えることが出来る者すら一握りの幸運の持ち主とさえ言われる世界だ。自然を相手にするというのは、そういう事だ。普通、狩人は同業者が狩場で死んだ程度のことを引き摺りはしない。大概がそうだ。

 

『人の死』などという余りにありふれたものを背負い続けて、剰え遺族に許されるがために探し求めるなど、正気の沙汰ではない。許す、許さない、の話ではなく。そもそも、誰もリアを恨んでなどいないというのに。

 

 

「俺だって分からない。リアがどんな言葉を求めているのかも分からない。ただ、アイツがそう言ったのは確かだ」

「……そうか」

 

 

もう動かない迅竜の頭から太刀を引き抜いて、空いた平手を立てて祈った白鎧の狩人が、夢想の中でその兜を脱ぐ。ああそうだ、あの日、初めてあの二人を見た時も、こんな透き通った晴天だったか。ゆきいろの髪を解いたリアが、弾けるように笑いかける。

 

そんな顔が見れなくなってしまったのは、やはり、アンゼルムが死んでからだ。

 

 

「俺は、リアの寄る辺にはなってやれない。お前からすれば唐突で、勝手な頼みかも知れないが」

「ああ」

 

 

遮るような即答、からりと晴れた声音。

 

 

「リアの友達からの頼みなら、断れない。許すことは出来ないけど、どうにかする」

「……お前、本当にお人好しだな」

「よく言われるよ」

 

 

 

 

 



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