もしも第五次聖杯戦争がクラスカード形式で行われていたら (ふりかけ)
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Plorogue

 

 

 

 確実に殺したはずだった。

 

 

 夢幻召喚(インストール)という力を奮うようになってまだ日は浅いが、しかしバゼット・フラガ・マクレミッツは魔術師であり、また封印指定を執り行う執行者でもあった。狙った獲物を取り逃してしまうことの恐ろしさは、誰よりも知っている自負がある。

 故に、標的は確実に殺す。たとえ、巻き込まれたも同然の一般人が相手だったとしても──だ。

 緊張と興奮によって激しく拍動する心臓を、紅い穂先で刺し貫いた感覚は、今もこの掌のなかに鮮明に刻み込まれている。

 リノリウムの床に倒れた少年の身体からごぽりと粘度を持った血液がこぼれ、四肢に込められていた力という力が抜け落ちていく光景もしっかりと捉えた。

 打ち損じなど、奇跡でも起きない限り、あり得ないはずだった。

 しかし、

 彼は生きていた。

 どういう訳か生き延びて、こうしてまた命を奪いに来たバゼットに、全身全霊で抗わんとしている。

 

 ならば、と思う。仕留め損ねたのならば、もう一度殺すだけだ。今度は奇跡など起きないように、全身を徹底的に破壊し尽くして、ヒトとしての原型を留めぬ死体にしてでも。

 奇跡の秘匿。

 たとえ協会の飼い犬風情だろうと、魔術師として在るならば、為すべきことを為すまでである。己の不覚など、あとでいくらでも悔やめる。

 槍を振るい、あるいは薙ぎ、あるいは突き──やがてバゼットは、少年を土蔵のなかに追い詰めた。

 校舎の時とは違って身構えていたせいで少しだけ手間取らされたが、これでなにもかも終わりだ。

 

 土蔵のなかで尻餅をついた少年に、バゼットは躊躇なく槍を振りかぶる。そのとき初めて、一度も合わなかった視線が合った。

 こちらをまっすぐ睨みつける瞳の奥には、いまだに生きることを諦めていない、強い渇望の炎が貪欲に揺らいでいた。良い目をしているなと掛け値なしにそう思う。

 だからこそ、せめて最後まで目を逸らさないと決める。それがいまのバゼットに尽くせる最大の礼儀だった。

 

「───では。その心臓、ふたたび貰い受けます」

 

 視線を離さず、ひと言呟く。

 そして、稲妻の如く光る切っ先が淡々と放たれた。

 狙うはやはり脈打つ心臓。回避不能、決死必殺の一撃。バゼットは今度こそ、逃がれようのない少年の死を見る。

 その直後だった。

 

「な、に───!?」

 

 なにもかもを、かき消すように。

 満ち溢れた黄金の輝きが、視界に映るすべてを飲み込んだ。

 

 

 

 ※※※※※

 

 

 

 ヤバいヤバいヤバい───!

 

 遠坂凛は深山町の空を駆け抜けていた。

 半開きになった唇から零れる吐息は荒く、肌から浮き出る汗の量は雨を超えてもはや滝だ。ぴったりと肌にくっついたシャツが鬱陶しい。毎朝たっぷりと時間をかけて整えているツーサイドアップは、台風に見舞われてしまったような有り様になり果て、普段から張り付けている余裕の仮面はとっくの昔に見るも無残に砕け落ちた。

 しかし、それでも凛は足を止めることなく虚空を走り続けている。

 

 今日、自分という愚か者は過ちを三つも犯した。

 一つ目は、夜の校舎になんて誰もいないと勝手に思い込んでしまったこと。

 二つ目は、校庭で派手に戦り合ったことにより目撃者を出してしまったこと。

 そして、三つ目は───

 

「ああ、もおっ! こんな時までうっかりしなくても良いじゃないわたし───!」

 

 奇跡の秘匿──それは、魔術師として生きる者なら、誰もが必ず心得ている暗黙にして絶対のルールだ。

 だから凛にあの魔術師を責める気はまったくしないし、むしろ当然だとすら思っている。わざわざ助けた自分の方こそ、本来なら責められて然るべきだろう。魔術師として在るならば。

 だが、どうしても見捨てられなかった。

 いますぐ助けろと、頭の中の自分が叫んだ。

 それを抑えつけるのは簡単だったが、従う以外の道などありはしなかった。

 そうして凛は、ン十年モノの魔力が溜め込まれた遠坂家秘蔵のペンダントを手放し、その代わりに吹けば飛ぶような関わりしかない男の命を拾った。惜しいことをしたとは思ったが、後悔はなかった。

 そこで終わっていれば、決して小さくはない代償はあれども、おおむね丸く済んだはずなのだが──

 

「この、バカっ! 魔術師が目撃者の死体を確認しに戻るのは、セオリー中のセオリーでしょうが!!」

 

 痛切な叫びが夜のしじまを打ち破る。

 踏み込みと同時に体重操作と重力調整の詠唱を実行。魔力を帯びて淡い輝きを放つ少女の蹴り足が、屋根の瓦を粉々に叩き割る。無数の破片が宙を舞い、そして凛の身体は天高くへと投げ出された。

 

 眼下に広がった深山町は、すっかり夜の闇に包み込まれていた。今夜は雲が立ち込めているうえに、この高さだ。目撃者などあり得ないだろうが──万が一、という言葉が何のために作られたのか、凛は今夜でよく思い知らされている。

 最悪の場合に陥っても、いけすかないあの兄弟子が何とかしてくれるとは思うが、あまりアレに借りは作りたくない。

 わずかな滞空時間をあまさず利用し、深山町の馴染んだ町並みを一瞬で見渡す。影の帳に隠されてしまった町は輪郭すらもあやふやになっている。

 だが、

 

「見えたあっ!!」

 

 紙に垂らされた一滴の墨汁のような、圧倒的な存在感。

 視力強化を使わずとも、それがいる場所が何処なのか。今から何をしでかそうとしているのか、すぐにわかった。

 間に合うか──いや、違う。

 たとえ運命を捻じ曲げてでも、間に合わせてみせる。

 凛は固い決意とともに、風にはためく赤色に外套のポケットから一枚のカードを抜き出した。

 タロットカードのような姿形をしているそこに描かれているのは、弓を引き絞った女の素っ気ない絵と、弓兵(Archer)の意を冠した無機質な文字列。

 少女の体内に張り巡らされた魔術回路が一瞬で励起し、膨大な魔力が回り始めた。四肢に込められていく力。頭は水で洗い流されたようにクリアだ。これまで感じていた疲労はなく、戦いに対する強い高揚感が全身を包み込んでいる。

 やれる。

 

「───夢幻、」

 

 舌で乾いた唇を湿らせて、戦いを告げる一節を謳おうとした瞬間。

 突如生じた黄金の光が、凛が目指す場所に立ち込める夜闇の霞を深々と切り裂いた。

 月の光のように冴え冴えとしたそれは、瞬き二つで消え去った。しかし凛の目にはまだ、その輝きは鮮明に映し出されて離れないでいる。

 

「───うそ」

 

 やがて、呟いた。

 光が晴れた場所にある気配が、

 もう、一つ───

 

 

 ※※※※※

 

 

 今日はまったく最悪な一日だと、衛宮士郎は心の底から思った。

 

 

 校庭で繰り広げられていた異常な存在の闘争。

 それを目撃してしまったばかりに、心臓を貫かれて死んでしまった自分。

 そのまま死体になり果てるはずが、誰かに助けられて生き返った自分。

 これだけでもう頭がパンクする寸前だというのに、自分という大馬鹿者は、ふたたび殺されようとしていた──しかも、一度心臓を刺してきた相手に。不運も行き過ぎるといっそ笑えるのだと初めて知った。

 二度も同じ人間に殺されるなんてバカげてるし、そんな風に簡単に人を殺そうとするのはもっとバカげている。

 だが、それよりも更にバカなのは、このまま大人しく殺されようとしている自分だった。

 

 まだ死ねない。まだ生きなければならない。助けられたのならば、その義務に応える必要があるのだから。

 それに自分には、まだやらなければならないことがある。何を代えても、成し遂げなければならないことがある。

 負けられない。こんな、何の意味もなく人を殺せる奴にだけは。絶対に──

 しかし穂先はそんな士郎の思いなど無視して、どこまでも無機質に迫り来ていた。原始の恐怖に締め付けられた心臓が、耳障りな悲鳴をあげる。

 それを、握り潰す。

 

「──負けて、たまるか」

 

 身体の裡から湧き上がる衝動に任せて、士郎は力の限り叫ぶ。

 

「お前みたいな奴には、絶対に───!」

 

 そして、黄金の風が吹く。

 狭い土蔵のなかを、どこからか湧き上がった輝きが隙間なく満たした。

 

「まさか、あなたが七人目の───!」

 

 女があげた驚愕の声は、いまの士郎には聞こえない。それどころではない光景が、すぐそばにあったからだ。

 襲いくる槍を遮るように、なす術もない士郎を守るように、目の前に少女が立っていた。

 吹き起こる風のなかから現れた小さな体軀を包むのは、威容ある鉄の鎧。真砂のように滑らかな頭髪は、ぶ厚い雲の隙間から差し込むわずかな月の光を逃さず取り込み、金色に淡く煌めいている。

 こちらには背中を向けているために、その顔や表情を窺うことはできない。しかし士郎は、少女の美しさにひたすら見惚れていた。先ほどまで感じていた死への恐怖と闘争心などすっかり忘れて、少女の清廉たる有り様に心を奪われていた。

 不意に、少女が振り向いた。

 何の言葉を発さないまま、翡翠を嵌め込んだ瞳を、静かに士郎へと向けている。

 おそらくは、一瞬。一秒にすら満たない時間の切れ端のなかに置き去られた光景。

 

 けれど、その姿ならば。

 たとえ地獄に落ちようとも、衛宮士郎は鮮明に思い返せるはずだった。

 

「───」

 

 焦がれるように、導かれるように。

 士郎は少女に手を伸ばし──

 

 

 

 そして、魔術師の手のなかに、

 最後のクラスカードが握られた。

 

 

 

 



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第1話「READY STEADEY GO」


第1話です。よろしくお願いします!


 

 

 俺が光のなかに伸ばした手は、少女の手甲に覆われた手ではなく、薄く長い一枚のカードを掴み取っていた。

 

 

 そこに描かれているのは、両手で剣を掲げ持った厳めしいフルメイルの騎士と剣士を意味する「Saber」という文字列だ。

 その場に残されていたのはたったそれだけで、ほんの数秒前まで俺の目の前にいた少女は痕跡など一つとして残さず、まるで蜃気楼のように消えてしまっていた。

 

「一体なにが、どうなって……」

 

 こぼして当然の独り言は、鋭く重い風切り音によってあっけなく阻まれる。

 

 ──正面からの、刺突。

 

 それがわかったのは、いわゆる走馬灯というヤツのおかげなんだろうか。ついさっきまでは、地を這う影にさえ追いつけなかった敵の動きが、いまは手に取るように見えていた。

 紅い穂先は、俺の心臓に目掛けて放たれている。それを見た途端、消えていた怒りがふたたび湧き上がり、闘争心の火種に火がついた。

 

「───っ!」

 

 俺は槍から視線を外さないまま、手に握り締めたままの得物──強化魔術を施したポスターを一気に跳ね上げた。

 さっきのやり取りでボロボロに折れ曲ってしまったそれは、これできっと粉々になるだろうが、それでも軌道を変えることぐらいは出来る。

 つまり、動けなくなるような致命傷は少なくとも避けられる……かもしれない。

 まったくノープランもいいところだったが、とにかくいまは生き延びることだけを考えろと自分を叱咤する。

 上段に跳ね上がった得物は狙い通り、襲いくる槍の柄を叩いて、心臓を狙う道筋から辛うじて外した──

 

 だけに、留まらず。

 あろうことか、敵の武器を軽々と弾き飛ばした。

 

「なっ───!」

 

 漏れた驚きの声は、果たしてどちらの物か。

 自分で言うのもアレだが、俺の使える魔術──『強化』と『投影』は、そこまで磨き上げられた代物ではなかった。ハッキリ言ってしまえば未熟極まりない。

『投影』はガワだけで中身がカラッポという有り様だし、いまはもういなくなってしまった養父の──衛宮切嗣の教えに従って、『強化』だけは鍛練を続けているが……それでも成功率は半分といったところだ。

 つまりどちらも、生命を賭けるには少々どころではないくらい心許ない──はず、なのだが。

 一瞬の空白が生まれ、最初に目に飛び込んだのは、ガラ空きになった敵の胴体。

 正気を先に取り戻したのは、幸運にも俺だった。

 

「う、ぉおあ───!」

 

 がむしゃらに叫びながら、

 敵の胸を、勢いよく蹴りつけた。

 

「───!」

 

 精々が押し飛ばす程度の効果しかないと思っていた。

 いたというのに。

 足裏から爆発にも似た轟音が炸裂し、敵の身体は風に吹かれた木の葉のように、土蔵からあっという間に吹き飛ばされた。

 

 静寂が戻って来ても、俺は呆気に取られたままだった。起きた出来事がどうしても現実とは思えなかった。

 ……ひょっとして夢でも見ているんじゃないだろうか? それとも実はすでに死んでしまっているとか? そんな不吉な考えをよぎらせて、思わず親指と人差し指で頬を強くつねってみる。

 

「いっ!」

 

 痛い。すごく痛い。めちゃくちゃに痛い。

 つねった箇所を優しくさすりながら思う。ということは、少なくとも寝ぼけているわけではないらしい。それじゃあ一体、さっきの光景はなんなのか──

 俺がますます疑問を深めていると、指先にかすかな違和感を覚えた。

 まるで……鉄で作られた硬いなにかに、包まれているような──

 不意にがちゃり、と金属が擦れ合う音が聞こえて、

 

「……な、んだ。これ……!?」

 

 今度こそ、驚きで思考が止まった。

 

 入り口の上にある小窓から差し込む月光に照らした俺の手は、無骨な鉄の籠手によって隠されていた──いや、手だけではない。

 俺の身体はあますことなく、青い布と銀色の鎧に包まれてしまっている───

 さらに、先ほど槍を弾き返してくれた、手のなかの頼れる得物。

 それは丸めたポスターなどではなく、不可視の繭によって覆われた長剣だった。

 

「……ヤバい、頭がどうにかなりそうだ」

 

 堪え難い頭痛を抑えるように、自由の利く左手で顔の上半分を隠す。けれど本当は頭痛なんて一つもなかったし、むしろ気持ちいいくらいに澄み切っていた。それが余計に混乱を加速させる。

 

 その時、土蔵の外で誰かが立ち上がろうとしている音が聞こえた。

 

 漆喰を素材とした土蔵の壁はかなりの分厚さを誇っているため、外の音は滅多に聞こえてこない。俺が魔術の修練場としてここを使っているのは、そういう理由もある。

 だから、誰かが立ち上がった程度の音なんて、絶対に聞こえて来るはずがないのに──

 

「───クソ! ダメだダメだっ。考えるのは後にしろっ!」

 

 余分な思考を切り捨てて、口から吐き捨てる形で頭を整理する。とにかくいまはここから離れなくちゃいけない。思考を一色に染め上げながら、土蔵の入り口から飛び出した所に、

 振り下ろし。

 

「ぉ、お───!」

 

 中途半端に避けず、怖気付いて退がらず、覚悟を決めて前進したのが功を奏した。身を低く屈めて、長物を振り回せない至近距離に突入する。

 そして踏み込んだ勢いのままに、俺は雄叫びをあげながら振り払うような斬撃を繰り出した。

 まったく我ながら見るにたえない──藤ねえが見たら嘆き悲しみ拗ねてしまいそうなぐらい、乱暴で力任せな太刀筋だ。

 事実、敵は容易に軌道を見抜くと、即座に槍を引き戻してバックステップ。実に容易くあっけなく回避してみせた。

 

 だが、

 その斬撃は、斬撃だけに留まらなかった。

 

 不可視の刀身が風を引き裂きながら進んでいる最中だった。俺と相手との間にあるわずかな隙間に、一瞬のひずみが生み出され、

 そして、風が破裂した。

 

「───!」

 

 巨人に殴り飛ばされたように壮絶な勢いで吹き飛んでいく影を前に──俺は、がむしゃらになって駆け出した。

 颶風と化した身体は、数メートルの距離をわずか一秒ほどで打破。一瞬で近づいた女から神速の突きが放たれ、同時に懐へとたどり着いた俺の刃がそれを出迎えた。

 

 互いの一閃。

 

 鋼と鋼が高速でぶつかり合った音が、静かな夜の帳を破き去るかのように燦然と響き渡った。

 そして激突は一合だけに留まることなく、二合、三合──と加速度的に積み重なっていく。

 二つの刃風が交わり、一つの巨大な塊となって、空気を切り裂きながら目まぐるしく疾走する。切っ先と切っ先が触れるたびに無数の火花が咲き誇り、刃のあげる金切り声にも似た咆哮が辺りに巻き散らされる。

 

「───ッ!」

 

 振るわれる武器の捌きは、互いに精妙にして豪胆。闘いに次ぐ闘いのなかで生み出された、抗う外敵を完膚なきまでに斬り伏せ、勝利する為の技術の結晶───

 それが俺には不思議だった。いや、恐ろしささえ感じていたかもしれない。

 校庭での様子を見る限り、女は殺し合いに慣れた様子だった。だから、こうして動けるのもまあ理解できると言えば理解できる。

 

 だけど俺は──衛宮士郎は、いくら魔術を使えるとはいっても、それ以外はなんの変哲もない一般人なのだ。

 戦場に身を置いた覚えなんてないし、もちろん誰かと殺し合うまで険悪になったこともない。

 戸惑う思考を置き去りにして、俺の身体は絶え間なく闘い続ける。

 

 不安定な姿勢のまま槍を突いた相手よりも、両足をしっかりと踏み込んでいた俺の膂力のほうが今度こそ上をいった。

 確かな手応えとともに、轟音を立てて視界の隅に遠ざかっていく槍。俺は振り切ったあとに、柄を握る手の方向を変えて、すぐさま返しの横薙ぎを敵の細い胴に目がけて送る。

 しかし女はそれを、弾かれた槍の遠心力を利用した空中への旋転で、見事に回避してみせた。

 ぎゅる、と虚空で独楽のように回る女の背中すれすれを、俺の剣はあえなく通り過ぎていく。

 

「なッ」

 

 驚愕を顕にしている隙をつき、降り立ち背中を向けた敵の脇から伸びるような軌道で放たれた石突きが、俺の鳩尾を鋭く穿った。

 鎧越しでも伝わる強大な衝撃に、意識が一瞬掠れる。

 その刹那の硬直を、やすやすと見逃すような相手ではなかった。

 

「シィ───!」

 

 裂帛の気合いが聞こえ──

 次の瞬間、俺の身体は遠く離れていた土蔵の壁に叩きつけられていた。

 

「か───は、ぁ」

 

 まるで先ほどの意趣返しのように、振り向きざまの前蹴り───辛うじて、それだけはわかった。

 重量を増した内臓。背中に走る激痛。肺のなかにあった空気が残らず口から吐き出る。上手く呼吸が整えられない。まるで水のなかに沈み込められてしまっているよう──

 それでも壁に手をついて、無理やり立ち上がらせた。ぜひぜひ、と咽せつつ、吹き飛んだ方向へと急いで顔を向ける。

 距離を取られた。それに──

 

 敵は、まだ健在だ。

 

 いや、それどころか無傷に近い。みっともなく喘いでいる自分とは違って、身体についた砂埃をゆっくりと払い除ける余裕まで見せている。

 その物腰は一見すると隙だらけだが、よく目を凝らしてみればいつでも戦闘に移行できる、獣のようなしなやかさが湛えられているのがわかった。

 

「……なるほど、風を纏った不可視の得物ですか。少々、やり難いですね」

 

 精密な機械を連想させる、ひどく淡々とした口調だった。微塵も揺らがない鉄面皮も相まって、本当のロボットのように見える。

 俺は自分にすら見えない切っ先を確かに相手に向けながら、口元の涎をぬぐってひと言だけ尋ねた。

 

「───アンタ、一体なんなんだ」

「……ふざけているのですか?」

 

 敵は問い掛けに答えることもなく、気に喰わない物を見たように眉間にシワを寄せた。

 不機嫌さを隠そうともしないその様子に、自然と俺の言動にもトゲが浮き出る。

 

「ふざけてるのは、そっちだろっ! いきなり人を刺して──殺しておいて、そりゃあなんなんだって聞きたくもなる……!」

「───では。逆に問いますが、あなたこそなんなのですか?」

 

 手持ち無沙汰になったのか、女は携えた槍を器用に振り回し始めた。

 さっきの戦闘で立ち込めた砂埃のなかでも、紅槍は鮮明な輝きを保ち続けている。それは女の意志の揺らぎのなさを示しているように俺には見えた。

 

「あなたのいまの口振りだと、自分がこの戦争とはまったく無関係の人間だと仰られているように、私には聞こえるのですが……それでは、あなたのその姿は一体なんだというのです?」

 

 そう指摘されたが、こっちこそそれを知りたい。

 どうして俺がこんな姿になっているのか。

 いつの間にか手に握られていたカードはなんなのか。

 そして──一瞬でかき消えた、幻のような金色の少女は、一体。

 数え切れないほど疑問の泡が頭に浮かんでは消えて、ふたたび俺の口からこぼれたのは、

 

「──そんなの、アンタに教える義理はない」

 

 ───互いの断絶を示す、決定的な拒絶だった。

 

 当たり前だ。なんてったってこっちは一度、問答無用に殺されてるんだから。和解の余地なんかある訳がない。

 

「そうでしょう。……元より私とあなたの間に交わせる物は、たった一つしかありません。

 言葉ではなく、殺意──それが私たちが互いに交わすべき物です」

 

 相手はその答えを予想していたらしく、振り回していた槍をぴたり、と止めた。

 鋒の先にあるのは、俺ではなく地面。沈み込んだ体勢は不動。常に放たれていた殺意が、こちらに無防備に向けられた背筋に収縮していく。

 気づく。

 あの、構えは───

 そして、比喩なく世界が凍りついた。

 

「ッ───!」

 

 大気に満ちる空気も、魔力も、すべてが分け隔てなく女の持った紅く光る槍に集められていく。

 だが、暴力的な勢いでかき集められていく魔力よりも、その最奥に潜む物こそを警戒すべきだと、研ぎ澄まされた俺の直感がけたたましく告げた。

 理由も根拠もないそれは、ほとんど予知と言ってもいい直感。

 

 あの槍は。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()穿()()と───。

 

 二度目の死を目前にして、ずきり、と心臓が痛む。いますぐ動いて、何か行動を起こさなければならないことはわかる。

 けど、動けなかった。

 初めて戦いを目にした時のように、俺はなす術もなく固まるしかなかった。

 自分を心底情けなく思っていたとき、ふと心のなかで声が聞こえた。

 

 ───こんな物を、誰かにも味わわせるのか?

 

 いいや。

 そんなの、許せない。許すなんてできるわけがない。だって俺は正義の味方になりたいんだから。

 救いを求めている誰かがいるのなら、必ず立ち上がって助けにいくのが、衛宮士郎の夢だ。もちろん実現不可能だってことは、誰よりも俺自身が一番わかっている。

 

 ───誰かを助けるということは、同時に誰かを助けないということでもある。

 かつて、爺さんはそう言った。

 忘れもしない。真っ暗な夜空に浮かんだ、輝くような月を見て、子供だった俺を諭すかのように、そんなコトを言う自分を後悔するかのように、衛宮切嗣はそう言った。

 その様子がたまらなく寂しく見えたから───俺は誓ったのだ。爺さんの夢を叶えると。正義の味方になってみせると。

 だから。

 恐れを踏み潰し、迷いを噛み切り、躊躇いを投げ捨てて。

 俺は、中段に構えた。

 

「……ほう」

 

 女の目が細められる。てっきり逃げ出すとばかり思っていたと言わんばかりの目に、手足に込められた力がさらに増す。

 

 心臓を狙われている───ならば、好きなだけ狙わせてやればいい。

 だが、ただでは済まさせない。狙いがわかっているなら、覚悟はできる。

 たとえ相討ちになってでも、ここで仕留めてやる───!

 

 俺の決意に呼応するかのように、風の鞘に包まれた剣がひと際大きな唸りをあげる。緊張感はいよいよ増し、いまにも破裂しかねない巨体に膨れ上がっている。

 沈黙は、数秒続き、

 そして──

 

刺し穿つ(ゲイ)────!」

 

 女が槍を掲げて、

 

「お、お────ッ!」

 

 俺が一歩を踏み込んだ。

 

 瞬間だった。

 

「─── Vier Stil Erschiesung……!」

 

 高らかな詠唱が響き渡り、目映い閃光が視界を一瞬で埋め尽くした。

 立ち止まり、咄嗟に目を腕で覆った。続いて、数歩先に突然豪雨が降り注いだような爆音が鳴り響く。

 やがて、音と光は止んだが、俺の目のなかにはまだ、磨き抜かれた宝石のような輝きが強く焼き付いたままだった。

 

「な、にが……」

 

 俺は鼻先に漂う吹き散らされた地面の匂いを怪訝に思いながら、腕をおそるおそると下げる。

 

 そこには、

 凛と背筋を伸ばして立つ、真っ赤な背中があった。

 

「───取り込み中のところ悪いけど、邪魔させてもらうから」

 

 風を孕んでたなびくのは、擦り切れたような赤色の外套。ツーサイドアップに結ばれた髪は夜に溶け込むように黒く、

 その姿は、遠目でハッキリと見えなかったもう一つの影──校庭で超常の戦闘を繰り広げていた影の姿によく似ていた。

 そして俺は、その背中と声には驚くぐらい覚えがあった。

 

「……とっ」

 

 遠坂、凛───?

 

 度重なる衝撃のおかげでぱくぱくと口を動かすことしかできない木偶人形となった俺を一瞥だけしてから、遠坂は前に向き直った。

 弓矢のように真っ直ぐな視線の先には、乱入者に対して顔を顰めている敵の姿がある。

 

「なぜ、ここに?」

「ここにいる理由なんてそんなの、聖杯戦争の真っ最中だからに決まってるじゃない。マスター同士が戦うのは当たり前でしょう?」

「……彼との戦闘を邪魔した理由は?」

「さあ? わたしは言うつもりなんかさらさら無いし。あなたが当てられるとは思えないし……そうね、無理やり聞き出してみるってのはどう?

 この状況で、そんなことをできる余裕がまだ残っていれば、の話だけど」

 

 そう吐き捨てると、挑発するように遠坂は頭を上に傾けてみせた。

 我らが穂群原学園で全校生徒のマドンナ的存在として扱われているとは、とても思えない態度と言動だ。けれど俺には、彼女のその姿は決して装った物ではなく、ありのままを表しているように見えた。

 敵は槍を握る手を固まらせたが、なにかに思い当たったようにすぐに力を緩ませた。

 

「多勢に無勢……と言わせたいのでしょうが、あなたはそこの彼が戦力になると本気で思っているのですか?」

「そこまであなたを見縊ってないわ。けど、役に立ってくれそうな肉壁とは思わない?」

「はあ!?」

 

 ちょっと待て。いま聞いてはならないような言葉を聞いてしまったような……!?

 叫んだ俺に構わず、遠坂と女は視線をぶつけ合わせている。

 最初に逸らしたのは、相手の方だった。

 

「──わかりました。ここは大人しく退きましょう。元々、目的は偵察のみでしたから」

「そ、物分かりがよくて助かるわ」

「ですが」

 

 そこで言葉を切った女は、射殺すような目つきをして、

 

「───次は、必ず仕留めます。それを、お忘れなきように」

 

 確かな重圧を持った言葉を置き去りにして、女は姿を消した。最初に俺を襲ってきたように、音も立てず。

 それを見届けたせいで、俺のなかにずっと張り詰めていた緊張の糸が、ぷつん、と音を立てて切れた。

 視界が暗闇に呑まれていく。全身の力が博打の金のように溶けていく。なす術もなく身体が仰向けに倒れていく。

 

「────って、ちょ────え────やくんっ! えみ────!」

 

 なにもかもが遠ざかっていくなかで、いまさらになって気付いた。頭上に広がる夜の空。そこに浮かんだ、満天の月。

 

 ああ、今夜はこんなにも、

 月が綺麗な、夜だったのか───

 

 

 

 

 そして、俺の意識は消え失せた。

 

 

 

 

 



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