DUNGEONS & LIARS - 迷宮が暴く君の嘘 - (日下部慎)
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B0F - 前日譚 / 或るパーティーの話
第0話


 どうやら俺は異世界に来てしまったようだ。

 

 いつも通りに寝て起きたら変な所にいて、なんだかよく分からんモルモットみたいな扱いを受けたと思ったら、冒険者と一緒にダンジョンへ潜って探索しろという。

 

「いや、さすがに? スマホもパソコンもない世界に用はないんだけど?」

 

 当然、俺は日本へ帰らせろと要求した。

 

「すまないが、元の世界には帰れない。少なくとも私はその方法を知らないのでな、諦めてくれ」

 

 そう返してきたのは、冒険者の中でリーダー格の女だった。

 

 女の名前はトゥニス。

 長身でやたらスタイルが良く、凛としたというか、豹みたいなイメージ。

 オレンジ色の髪と瞳で、長い髪を後ろで縛っていた。

 あと露出が多くてエロい。誘ってんのか?

 

「どうか私たちにご協力くださいませ……無理を承知でお願いいたします」

 

 そう言って頭を下げてきたのは、杖を持った少女。

 オルティと名乗った少女は、トゥニスとは逆に、ゆったりとした白い服で清楚感があった。

 こちらは赤い目に朱色の髪。肩口までの癖っ毛だ。

 

 ……丁寧に頼まれると断りにくい。

 でも無理って分かってるなら、最初から頼まないで欲しいんだが?

 

「……嫌なら断れば。べつに、ダンジョン行かなくても生きていける」

 

 ぼそっと呟いたのは、一番小柄な少女。

 最初にイクスと名乗ったきり、ほとんど喋らず、俺と目を合わせようとしない。シャイなのか。

 紫の瞳に、水色のショートヘア。

 服はローブというのか、大きな布をかぶっており、布から出た生足とか、ぴっちりしたスパッツがちらちら見えて気になる。

 

 この3人が、俺をダンジョンに連れて行こうとしている冒険者パーティーだ。

 

 女3人の中に男が1人。

 これはいい。かなりの好材料だ。一瞬でOKを出してもいいくらいの良環境。

 だがしかし、ひとつの懸念材料があった。

 

 ――女3人と一緒にいるからって、本当にそういうイベントって起きる?

 

 甘酸っぱかったり、甘々だったり、ふたりきりでイチャイチャしたり、ひょっとしたら全員から迫られたり、エロエロなトラブルがあったりとか、そういうのを俺は求めているわけだ。

 これが一生ただの荷物持ち、男として意識されることもなく、道ばたの石ころと同等の扱いではたまらない。

 

 そんなわけで、俺は警戒しつつ情報を集めることにした。

 そもそも何で俺はこの世界に呼び出されたのよ?

 

 俺の疑問に答えるようにトゥニスが言う。

 

「ダンジョンを踏破するには、地球人の協力が不可欠だ。地球人の持つ“運量”がなければ、ダンジョンを探索することはできない」

 

「運量?」

 

 なんだその宗教の勧誘に使われそうなワードは。

 

 横からオルティが割り込んで説明してくる。

 

「運量とは、幸運を量的に表したものです。より正確には、未来の不確定要素を自らの望む方向へ導く事を可能とする地球人固有の力……及びその力を測る単位の事ですわ」

 

「……えー……なんだって?」

 

 何のこっちゃ分からず首をひねる俺に、トゥニスが助け舟を出す。

 

「簡単に言うと、地球人は運量というものを持っていて、それを使うと幸運を起こしたり、不運を避けることができるのだ。未知の地下遺跡を進むには、何よりも幸運が必要になる。だが、我々は運量を持たない。運量はおまえたち地球人しか持っていないのだ」

 

「いや、幸運を起こすって。そんな事できたら苦労しねーんだが?」

 

「うむ、そのようだな。地球人は運量を操る技術を持たないと聞いている。しかし、この世界には運量を使って幸運を起こす術があるのだ」

 

「……まじで?」

 

「ああ。そうだな、試しにやってみるといい」

 

 うさんくさい話だ。

 そんな事できたらソシャゲでガチャ回す時に使うわ。

 っていうか、スマホねーじゃん!

 やっぱ元の世界に帰らなきゃダメじゃん!

 

 とはいっても、それは幸運を操るというのが本当だったらの話だ。

 本当かどうかは、やってみれば分かる。

 ここは素直に従ってみることにした。

 

「そうですわね。それではまず、《エグゼ・ティケ》……と唱えてみてください」

 

 呪文か。

 俺はオルティの指示に従って呟いた。

 

「……エグゼ・ティケ」

 

 すると――

 

「うぉ……」

 

 俺の体から金色の光が……!

 

「ままま、まーじかこれ!」

 

 やっべえええええええええええドッキリじゃなかったあああああああああ!!!

 

「これマジ!? え、どうすんの? どうすんのコレ!?」

 

 興奮してキョドる俺を落ち着かせるように、オルティが次の指示を出す。

 

「その状態で、願いを言葉にしてください。それで幸運が発動します」

 

「簡単すぎない? 大丈夫それ?」

 

 下手なこと言ったらやばそうなんだけど。

 俺の不安を察してか、トゥニスが口を挟む。

 

「運量の消費は願いが簡単なほど少ない。逆に、無理のある願いは心量を浪費してしまうか、発動しないので気をつけてくれ」

 

 ……っていうと、これで元の世界に戻るっていうのは駄目くさいな。

 案外よくできてやがる。

 ちょっとテンション下がった。

 

「まずは小さくて簡単な願いでお試しを」

 

 と、オルティに言われたものの。

 いや、願い事って言われてもなぁ。

 大きな願いはダメっていうと、結構限られてくるわけで。

 そもそも何が小さくて何が大きな願いなのか、まずそこがよく分からない。

 

 悩んでいるとトゥニスとオルティがアドバイスをしてくる。

 

「あまり悩まなくていいぞ、適当でいい」

 

「そうですわ、思いついた事で構いません」

 

 イクスは何も言わずに横目でこちらを眺めていた。

 心なしか、その目は退屈しているような、「さっさとやれ」と視線で言っているような気がした。

 

 しかし思いつかない。

 思いつかない時は思いつかない。そういうものだ。

 だが急かされ続けるのも耐えられない。

 なので俺は思いついた事をそのまま言うことにした。

 

 

「パンツ見たい」

 

 

 空気が凍った。

 そして、次の瞬間だった。

 

 トゥニスのベルトが切れてショートパンツがずり落ち、

 隙間風が吹いてオルティのスカートがまくれ上がり、

 イクスのスパッツが破れた。

 

「おぉ……」

 

 この瞬間――

 

 俺は、この世界で生きていこうと決めた。

 

 

 そしてこの瞬間、俺はかつてないほどに集中力が高まっていた。

 時が止まる……そう感じるほどに。

 なにしろ数秒だ。

 数える余裕もない短い時間のうちに、3つの箇所を目に焼き付けなくてはならないからだ。

 

 肉感的で野性味のある美女のトゥニスは、その抜群のプロポーションを見せつけるかのような、薄くて面積の少ない赤のショーツ。

 

「……お」

 

 少し目を見開いた程度で、下着を見られても平然としているのは、慌てることの許されない戦士ゆえか。まるで落としたペンを拾うかのように、自然な動作で足元に落ちたショートパンツを引き上げた。

 

 突然衣服が破れたイクスは、クールな素振りから一転、ひどく狼狽していた。

 

「――わ、ちょ、これっ……!」

 

 身をよじり、破れたスパッツを掴んで、体を隠そうとする。

 素早い反応により、その小さくて細身な肢体はすぐにローブの後ろに隠れてしまったが、その僅かな間にも俺の目は捉えていた。破れた黒いスパッツの奥にあった、同じく黒い色をした一枚の布を。

 下着とスパッツが同じ色だった事を、果たしてどう捉えるべきか?

 残念に思う気持ち……それは確かに……わずかに生じたかもしれない。

 だが、それよりも重要な事柄があった。

 それは「下着を穿いていた」という事。

 これによって、ひとつの存在が確定する。

 

 そう、“ライン”である。

 

 スパッツに浮き出るパンティライン。これが保証されたのは大きい。そのラインの有無は瞬間的な破壊力に関して、無視できない差異を生じる。一説によれば、このラインが一つの到達点である……とも言われている。

 

 縮こまって半眼でこちらを睨むイクスに、俺は心のなかで謝罪し、また感謝した。

 

 そしてオルティ。

 そのスカートの下には、白くて厚手の、子供っぽい下着が隠されていた。

 

 王道はいい。

 不変的な良さがある。

 王道には王道たり得る強さがあるのだ。

 

 その後に両手で股を押さえるのも良い。

 顔を真っ赤にして、涙目になって、プルプル震えて睨みつけるさまは、実にマーベラスかつアメージング。

 

 素晴らしい。

 素晴らしい状況だった。

 

 そう……今こうして、目の前のオルティが、両手で掲げた杖を振り下ろすまではね。

 

「何やってんのよ、このバカぁーーっ!」

 

「ウギャア!」

 

 いでぇ!

 本気で殴りやがった!

 

 しかも二度、三度、四……ちょっ、おま、マジ痛い痛い痛いシャレにならないやめろおおおおおお!!

 

「まあまあ、落ち着け落ち着け」

 

 ようやくトゥニスがオルティを引き剥がしてくれる。

 オルティは羽交い締めにされながらも、フーッ、フーッと獣みたいな息を吐いて、こっちを睨みつけてる。こわい。

 

「なんなの、このバカ! 信じらんない! 別のやつに変えられないの、これ!?」

 

「残念だが地球人の再召喚は認められていない。諦めろ」

 

 その後もギャーギャーとわめくオルティ。

 トゥニスはそれを諭しながら、部屋の外へ連れ出していった。

 

「いでぇ~……いでえよ~……」

 

 俺はというと、杖の殴打をガードした両腕が痛くて痛くて泣きそうだった。

 というか涙出た。

 

「……ちょっと見せて」

 

 言われて顔を上げると、イクスが俺の殴られた額を近くでじっと見てくる。

 無表情だが整った顔が近付く。かわいい。

 イクスは小さく頷くと、次はこっちの腕に手を触れた。

 小さい手が冷たくて気持ちいい。

 

 そしておもむろに、ギュッと腕を掴まれた。

 

「あぎゃあぁぁわででででで!!!」

 

 激痛が駆け巡る。

 俺はエビのようにのたうち回った。

 

「ん、大丈夫。折れてない」

 

 イクスはそう言って立ち上がり、サッとこちらに背を向けると、部屋の外へと歩いていく。

 え? このまま? 放置?

 

「いや、折れてないからってさぁ~……痛すぎなんだけどこれ? 何かその、治療的な……ね?」

 

 俺の人道的支援を訴える呼びかけに対して、イクスは肩越しに振り向いて答えた。

 

「……自分が悪いんでしょ」

 

 言い返せる言葉はなかった。

 バタンと扉が閉まる。

 

 そうして俺は暗い部屋にひとり残された。

 

「いでぇ~……いでえよ~……」

 

 宿屋の一室に力ない声が響く。

 

 そうして俺は一晩中、腕の痛みにうなされ続けたのだった。

 

 

 

----------------------------------------

 

 翌日の朝になって。

 

「さあ、それでは参りましょうか、皆様」

 

 そんなわけで、女3人に連れられてダンジョンの前まで来たわけだが。

 

「なんでコイツまた猫かぶってんの?」

 

 俺はオルティを指さして他の2人に尋ねる。

 答えたのはトゥニスの方だった。

 

「ああ、オルティは書物にある知識を鵜呑みにする癖があってな。おおかた冒険者ギルドで売っていた『地球人完全攻略手引書』でも読んだのだろう」

 

「なにそれ読みたいんだけど?」

 

 超気になる。

 地球人は物腰の柔らかい女性を好む傾向がある――とか大真面目に書いてあんの?

 

 ちょっくらオルティに聞いてみよう。

 

「おーい。その本、今持ってる?」

 

「……ありませんわ。探索の邪魔になりますもの」

 

「じゃあ、なんて書いてあったか教えてくれない? なあなあ? なんて書いてあったん? んー?」

 

 俺は何度も首をかしげながら、オルティの顔を覗き込んだ。

 次第にオルティの顔が赤く染まり、杖を握る拳がプルプルと震えだす。

 

「ぅ……うるっさい! さっさと行くわよ!」

 

 オルティは杖を振り回してダンジョンに向かっていく。

 アメリカ人っぽく肩をすくめる俺。

 気にも留めずについていくトゥニス。

 後ろから冷たい視線を注いでくるイクス。

 

 こうして俺たちは、暗く深い未踏の地へと足を踏み入れた。

 

 

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「地下1階はすでに探索され尽くしている。何かあっても無視して次の階層へ進もう」

 

 未踏の地じゃなかった。

 

「イクス、3階まで先導を頼む」

 

「うん、わかった」

 

 身軽な格好をしているイクスがスカウトというのかシーフというのか、斥候の役割をするようだ。

 

 トゥニスは露出は多いが所々に金属の鎧を身に着けて、やたら大きな剣を背負っている。戦闘担当だろう。

 

 オルティはゆったりした衣服で杖を持っている。見るからに魔法使い枠。

 

 そして俺の役割は――

 

「……ここ、幸運つけて入ってみて」

 

 あっという間に辿り着いた地下3階で、先導していたイクスが振り向いて言ってきた。

 

 どうやら彼女らにもよく分からないものを、“運量”で解決するのが俺の役目らしい。

 俺はあらかじめ言われていた通りに運量を使う。

 

「エグゼ・ディケ」

 

 呪文を唱えると俺の体が金色に光り……

 

「幸運よ、俺の身を守ってくれ」

 

 光が収まる。

 これが願いが受理された合図らしい。

 

 そうしてイクスが指した扉を開け――

 

 ガシュッ!

 

 数十本もの槍が、俺の周囲に突き立っていた。

 

「は……ホワアアアアッ!? なんだぁ!?」

 

 超びっくりした。

 すっげーーーびっくりした。

 突き立った槍は、その一本がほんの少しでもずれていたら、俺の体は串刺しになっていただろう。

 

 トゥニスが近づいて見分する。

 

「ほう……体を貫く場所だけ、穴から槍が出てきていないな。都合のいい所だけ詰まるか、あるいは誤作動か。面白いな」

 

 おもしろくねーよ、こっちは死ぬかと思ったわ。つーかちょっとちびったわ。

 

 オルティは俺の首から下がってる札を覗き込む。

 

「ふうん、今ので700ちょっとしか減らないんだ」

 

 これは召喚されて最初に渡されたものだ。

 俺の運量の残りが表示されている。

 10000から減って、今は9269になっている。

 

「オルティ、まだ近付くと危ない。あなたも早く出て」

 

 槍の檻から俺を引っ張り出そうとするイクス。

 

 そして俺は気付いたね。

 気が付きたくなかった真実に。

 

「ひょっとして俺の役目って、こういう体当たりの爆弾処理?」

 

 イクスを見る。

 イクスは無言で目をそらした。

 

 オルティを見る。

 何を今さらという顔をしている。

 

 そしてトゥニス。

 

「うむ、理解が早くて助かる。では、この調子で行こうか」

 

「ざっけんなーーーっ!! こんな九死に一生スペシャルに何度も出演してられっか! 出演料よこせやコラ!」

 

 っていうかバンジージャンプ?

 運量を命綱にしたバンジージャンプだろこれ!

 

「ふむ、出演料……見返りか。そうだな、これならどうだ?」

 

 言って、トゥニスは俺の顔を掴むと、自分の胸の谷間に引き寄せた。

 

「――ぉぶ?」

 

「ほれほれ、これならどうだ?」

 

 トゥニスはその豊満な乳房で俺の顔を挟み込み、何度も揺すってくる。

 これは……伝説にその名を聞く……ぱふぱふ!

 

「お……お……おぉ……」

 

 力が……抜けていく……そうか、これが……。

 

「……よし、このくらいでいいか。では次からも頼んだぞ」

 

 俺は頭がぼーっとしていて、頷くしかできなかった。

 いいように使われている。という事は分かっていたが、なんというか、まあ、その……別にいいかな、とね。うん。

 

 オルティとイクスから冷たい視線が注がれている気がしたが、気のせいだと思うことにした。

 

 そうして俺たちは暗い通路を進む。

 途中、何度か見たことのない生物をトゥニスが大剣でぶった斬ったり、嫌がる俺がオルティに蹴り飛ばされ罠の中に突っ込まれたりしながら、順調に探索は進んでいった。

 

--------------------------------------

 

 地下4階――。

 

「オクシオ・ビウヌ!」

 

 オルティが唱える魔法の詠唱が、高らかに響き渡っていた。

 

「タセバ・ノウシ・ドーヤエウ・ティヨ・ナウェラウー・タナ・トウペネ!」

 

 オルティの持つ杖の先が鈍く輝く。

 同時に、微弱な振動が、予兆のように大気を震わせる。

 

「控えろ、跪け! 我が諧声玉音(かいせいぎょくおん)の前に、有象無象よ須く惶懼(こうく)すべし! 止まれ――ニューヨ・イルノ・トゥニディ!!」

 

 魔法の詠唱が完了した。

 すると俺たちの周囲を取り囲んでいた爬虫類の群れの動きが、目に見えて遅くなる。

 そこへトゥニスが切り込むと、手にした大剣を豪快に振るって、瞬く間に殲滅していった。

 

 一匹残さず斬り倒したトゥニスは、額の汗を拭いながら、大きく息をつく。

 

「ふー……さすがにきついか。運量も少ない、このあたりが潮時だな」

 

「賛成だ! よし帰ろう、今すぐに!」

 

 俺は光の速さで手を挙げた。

 運量は残り2000を切っている。

 これまでに何度死線をくぐり抜けたことか。

 スプラッター映画で運良く最後まで生き残る主人公の気分だった。

 

 オルティも続けて賛同する。

 みんな疲労の色が濃いようだ。

 

「そうね、心量もだいぶ減ったし。ねえ、少しちょうだい」

 

 “心量”。

 運量と同じく数値化されているもので、運量と一緒に金属の札に書かれている。

 この心量を消費して魔法を使うらしい。いわゆるMPだな。

 

 しかしこの心量、ちょっとややこしい。

 俺ら地球人と異世界人とで、色々と違うのだ。

 

 まず心量を保有できる量は、異世界人の方が多い。俺は最大で100もないのに、彼女らは500。

 だが地球人は時間が経てば勝手に心量が増えるのに、異世界人は勝手に増えず、神への祈りや捧げ物、そして地球人から受け取るしかないという。

 めんどくさい話だ。

 

 地球人は運量で幸運を使い、

 冒険者は心量で魔法を使う。

 

 これがダンジョン攻略の役割分担とのこと。

 で、俺の心量は少ないけど、自動で回復する予備タンクみたいな扱いだった。

 

「エグゼ・アストランス……トゥニス、オルティ、イクス……20」

 

 教わった通りに呪文を唱える。

 すると俺の体から青白い光が浮き出て、3人に向かって飛んでいく。

 何十個もの小さな光の玉は、まるで蛍の大群のようだ。

 

 それと同時に激しい虚脱感に襲われる。

 あるべきはずのものが、体の中からごっそり抜け落ちてしまったような不安と恐怖。

 さらには、寝起きのように頭がぼーっとして、うまく働かなくなる。

 

「ぐえぇ……きついんだがコレ」

 

「出しすぎ。3人に20で、60でしょ。残り27しかない」

 

 イクスが俺の札を見て注意する。

 それよりも俺は、心量を渡す方法が変な呪文って事に問題あると思うよ。

 口移しとかさ、なんならもっとディープな渡し方でもいいじゃん? あ、でも相手が男だとヤベエな。

 

「ふむ、少し回復させた方がいいな。揉むか?」

 

 俺は言われるままに手を伸ばして、トゥニスの乳を掴んだ。

 心量が27から29に上がった!

 

「む、上がりが悪いな。飽きたか」

 

 そりゃあ、ここにきてから数えきれないほど揉んでますからね。ええ、いくら揉んでも飽きないと思ってましたよ、最初はね。

 

「仕方ない――」

 

 トゥニスが顔を上げて残り2人を見る。

 

「私は絶っっっ対、嫌だから! ほっとけば勝手に回復するんだからいいでしょ!」

 

「……早く帰ろう。長居するのは良くない」

 

 残念無念、またの機会ということで。

 行きはイクスが先導したが、帰りは罠の心配がないのでダンジョン内を徘徊する生物を警戒して、トゥニスが先頭を歩く。

 いくらか進み、曲がり角に差し掛かったところで、トゥニスが何かに気づいて片手を挙げた。

 

 すると、トゥニスの背中から銀色の金属が突き出てきた。

 ……曲がり角の先にいる何者かに、腹部を剣で刺し貫かれたのだ。と気がつくのに、俺は相当な時間を要した。

 

「ぐ……逃げろ、お前ら!!」

 

 トゥニスが言うと同時に、曲がり角の先からライオンのような大型の獣が現れ、唸り声とともに襲いかかってきた!

 

 俺は恐怖にかられて逃げだした。

 

「ちょっと! 運量で止めて!」

 

 オルティに言われて、俺は呪文を唱える。

 

「エグゼ・ディケ! ………止まれ!」

 

 獣は地面のくぼみに足をとられて転倒した。

 ……が、すぐに体を起こして、再びこちらへ向かってくる。

 

「止めるだけでどうすんのよ、バカ!」

 

「お、お前が止めろって言ったんだろ!」

 

 通路を走りながら、オルティと言い合う。

 そうこうしている間も獣は迫る。

 獣の走りは思ったほど早くはないが、追いつかれるのは時間の問題だ。

 

「オルティ」

 

 イクスがナイフを見せながら言う。

 

「ごめん。次はやる」

 

 それを聞いてオルティは走りながら詠唱を始める。

 

「オクシオ・ビウヌ! タセバ・ノウシ・ドーヤエウ・ティヨ・ナウェラウー・タナ・トウペネ……ニューヨ・イルノ・トゥニディっ!」

 

 追ってくる獣の走りが鈍る。

 すかさず放ったイクスの投げナイフが、獣の前足と目に突き刺さった!

 悲鳴をあげて走りを止める獣。

 そこへイクスが駆け寄り、とどめの短剣を振るう。が――

 

「だめ! イクス、下がって!」

 

「……!?」

 

 なんと獣がもう1匹現れ、イクスに飛びかかった!

 獣は小さなイクスの体にのしかかる。

 イクスは短剣を取り落とし、獣の前足に体を押さえつけられ逃げることもできない。

 

 食われる――

 

 そう思った時、俺は口を開いていた。

 

「エクゼ・ティケ……!」

 

 だが、どう願う?

 「止まれ」は駄目だ。すぐ動き出すだけ。

 具体的に? 心停止しろ? 心筋梗塞? それすぐ止まるの? というかこれ願ってちゃんと効くの?

 な……何がいいんだか分からねえーーー!!!

 

 イクスに覆い被さる獣が、口を開くのが見えた。

 鋭く太い牙から唾液が滴り落ちる。

 

「っ……消えろ!!」

 

 たまらず叫んだ。間に合わなくなる前に。

 すると突如としてイクスと獣がいる場所の地面が崩れ、階下へと落ちていった。

 イクスは……完全に落ちるのは免れたようで、穴の縁に手をかけて這い上がろうとしている。

 

「はぁ……」

 

 ほっと胸を撫で下ろす。

 

 そして自分の胸からかかっている札を見た。

 運量の残りは――3。

 

「…………………」

 

 隣のオルティは、ぜーはーと荒い息をついている。走りながら長い呪文を一息で唱えたせいだろう。

 

 そうして俺は見た。

 片目を潰された獣が、敵意に満ちた唸り声をあげて、こちらへ狙いを定めるのを。

 

 ――走った。

 オルティを連れて一心不乱に、暗澹たる闇の中をひた走る。

 獣は前足に刺さったナイフのせいか、距離を詰めては来ない。しかし確実にこちらを追跡していた。狩猟者だった。

 

 そして俺達が着いた先は行き止まりだった。

 

 オルティが早口に叫ぶ。

 

「心量渡して! 早く!」

 

「いくつ……?」

 

「全部!」

 

 俺は全力疾走の直後で息を切らしつつも、言われた通りに唱える。

 

「はぁ……エグゼ・アストランス……オルティ……25」

 

 青白い光が俺の体から出ていき――

 

 

 ――――あ?

 

 

 

 …………………………………………。

 

 オルティが俺の胸ぐらを掴んで揺さぶっている。

 

「全っ然、足りない! ああもう、どうするのよ……!」

 

 しらんがな。

 

「えっと、心量の上げ方……たしか本には……」

 

 オルティはスカートの下にあるパンツをスーッと下ろして脱ぐと、両手でクロッチ部分を広げて見せてくる。

 

「こ、こう……?」

 

 うーん。

 

「って、全っ然上がってない! なにそれ!? こんな思いしたのに、なんで!?」

 

 そんなこといわれてもなー。

 今そんな気分じゃないっつーか……まー……なんもかんも、どーでもいいっつーかなぁ……。

 

 獣の姿が見えた。

 でも起き上がるどころか、指一本動かすのもやりたくない。だるい。めんどくせぇ。食い殺すなら勝手にしてくれ。

 

「このゴミ! 役立たず! うあああああ、こんなことなら最初から薬でもなんでも飲ませておけば……!」

 

 なおもオルティは(わめ)いてるけど、どうでもいい。

 いや薬って言った今?

 どゆこと? まぁいいか別に……。

 

 目の前で獣の(あぎと)が開く。

 視界の端には4つの長大な牙。奥には深く、赤黒い口腔。

 

 それが、俺の見た最後の光景だった。

 



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B1F - 暗澹たる坑道
第1話


「おい、聞いたか? また新米のパーティーがダンジョンで全滅したってよ」

 

「ケッ! どうせ地球人を運量の詰まった袋と勘違いして使い潰したんだろ。冒険者ってなァ、運量を効率的に使えて三流、心量をうまく使えて二流、そして地球人がいなくてもダンジョンに潜れるのが一流だ」

 

「じゃあ俺らは?」

 

「四流」

 

「違いねえ! ア~~ッヒャッヒャッヒャッ!」

 

「ギャーーーーハハハハハ!!」

 

 そんな馬鹿笑いが、真っ昼間から酒場の外まで響き渡っていた。

 

「そういやぁ、また新しい冒険者が地球人を召喚したみたいだな。さっきそこで見たぜ」

 

 中年の冒険者たちは水のように酒をあおりながら、与太話に花を咲かせている。

 

「やめろやめろ! どうせ4階から先には進めっこねェんだ!」

 

「違いねえ。しかも新米連中も、ガキが混ざった女3人。地球人の方も細っこいメガネの優男ときた。ありゃ無理だな」

 

「かァ~! もしその新人が4階まで行けたら、おれァこの店の酒を樽でオゴってやるぜ!」

 

「お、言ったな。マスター、聞いたか! こいつの言葉、覚えといてくれ!」

 

 眼帯をした厳つい酒場の主人が、飲んだくれの冒険者にジロリと目を向けた。

 

「てめえらはそんな事より、ダンジョンに潜って稼いできたらどうだ? いつまでツケを溜め込むつもりだクズども」

 

「まったくだ! ギャーーッハッハッハ!!」

 

「いや、違いねえ、違いねえ! アッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

 笑い声と、嘆息。

 冒険者の集う酒場『納骨亭』は、今日も平和だった。

 

 

 

 サーダ自由共和国――通称『中立国』。

 この国では現在、国政としてダンジョン踏破を志す冒険者を広く募集し、その支援を行っている。

 『ダンジョン』と言われるものの多くは、滅亡した先史文明の遺産が眠る古代遺跡。

 地上に残る遺跡は既にその多くが暴かれているが、地下遺跡は様々な危険が伴うため、ほとんどが手付かずの状況だった。

 しかしながら、ダンジョン攻略によって生まれる報酬は莫大。

 現代では世界最大の支配領域を誇る大帝国も、300年前にダンジョンを踏破した冒険者によって作られたものである。

 かくして一攫千金を夢見る冒険者たちが集い、さらにはそれを相手とした商売人が次々と流れ込むといった形で、かつては寂れた片田舎だったこの街は、今や活気と騒乱に満ちた一大商業都市を形成していた。

 

 

 そうした街の一角、住宅街にある貸家のひとつ。

 今日も新たに召喚された地球人の少年が、彼を引き取った冒険者パーティーと顔合わせをしていた。

 少年は先ほどまで異世界の風景を見るためメガネをかけていたが、今は外していた。そこまで視力は悪くないので、普段はかけていないのだ。

 

 場を取りまとめるのは、ひときわ目立つ金色の鎧を着込んだ少女。

 リーダーを務めているが、年の頃は17~18。

 凛々しい顔つきと立ち振る舞いで、オレンジ色の瞳に、腰まで伸びた茶色い髪を複数に分けて編み込みにしていた。

 

「それでは自己紹介……の前に、まずはパーティーを代表して私からお礼を言わせて貰います。

 我々の呼びかけに応じて、ダンジョン踏破の難路に参画して頂き、ありがとうございます」

 

 そう言って、(うやうや)しく一礼する少女。

 

「いやあ、他に選択肢なさそうだしね」

 

「それは……申し訳ありません。私達はどうしても、貴方がた地球人に頼る他ありませんので」

 

「あ、ゴメンゴメン。別に責める気はないんだ」

 

 若干気まずい空気が流れたところで、横から声がかかる。

 

「そんなに肩肘張らなくてもいいんじゃない? あなたが緊張してたら彼も……えっと、ヒロ……だったかしら? お名前」

 

 声をかけたのは色気のある大人の女性。

 赤色の瞳に、波のある薄桃色のロングヘア。

 その衣装は踊り子といった職種の者が着るもので、大きく胸元が開いており、はち切れんばかりの豊満なバストが自己主張していた。

 

「えーっと……たしか苗字が先なんだよね? この世界」

 

「ええ、そうよ」

 

「じゃあクラマ=ヒロが僕の名前だね」

 

「どう呼べばいいかしら? クラマ? ヒロ?」

 

「クラマでよろしく」

 

 彼――クラマは、悩むことなく即答した。

 

「そういえば名前の交換もまだでしたね。軽い自己紹介も兼ねて、1人ずつやっていきましょう」

 

 金鎧の少女がそう言って、周りも頷く。

 

「それでは私から。私の名はパウィダ・ヴォウ=イエニア。ラーウェイブ王国の第19王女で、騎士団に所属しています」

 

「第19……そりゃあ、すごい王様だね」

 

 クラマは王女という言葉よりも、こちらの方に衝撃を受けた。

 

「ええ、陛下……父上は子沢山であらせられます。19王女ともなれば継承争いとは無縁ですので、私もこうして自由に動けています」

 

「なるほど。騎士ってことは、戦いは任せていいのかな」

 

「そうですね。誰かを守りながらの戦いには慣れてますので、安心してください」

 

「分かった。よろしく、イエニア」

 

 クラマが右手を差し出すと、イエニアは少し驚いた表情を見せた。

 

「あ、握手ってしないのかな、こっちでは。いや、それとも名前呼びがダメだった?」

 

「ああ、いえ……こちらこそよろしく、クラマ」

 

 イエニアはすぐに気を取り直してクラマの手を握って、明るい笑顔を見せた。

 

「ところで、なんで部屋の中で鎧着てるの?」

 

 クラマは素朴な疑問を口にした。

 

「鎧を脱ぐと目立てませんから、仕方ないです」

 

「なるほど。……………なるほど?」

 

 意味が分からずクラマは首をひねった。

 しかし疑問は未解決のまま、自己紹介は2人目に移ってしまった。

 

「それじゃ、次は私でいいかしら?」

 

 先ほど横から口を入れてきた、大人の女性だ。

 

「名前はレイフ。苗字はないわ。出身は……って、国の名前を言っても分からないわよね?」

 

 レイフは困ったような照れ笑いを浮かべる。

 

「そうですね。それより得意な事とかを聞きたいかな」

 

「あら、敬語なんて使わなくていいのよ? 私にだけ敬語だと、年増扱いされてるみたいだもの」

 

 レイフはそう言いつつも、特に気にした様子もなく、あっけらかんと笑う。

 

「オッケー、わかった」

 

「う~ん、でも得意な事ねぇ。私の得意な事っていったら……」

 

 レイフはクラマの前まで歩くと、両手を広げてクラマの顔を抱きしめた!

 

「こういうことー♪」

 

「ちょっ、ちょっとレイフ!?」

 

 突然の出来事にイエニアが慌てた声をあげる。

 クラマは豊満な乳房に顔を挟まれ、声を出すことができなかった。

 その大きさはクラマが顔の向きを変えても、全方位が乳で塞がれるほど。

 おそらく胸部全周100cm近く……カップサイズで言えばHはあるだろう、とクラマは肉に埋もれながら推察した。

 

「心量の回復は任せて? お姉さんがいろんなこと教えてあげるから……って」

 

 

> クラマ心量:75 → 52

 

 

 クラマの首からかかった札を見ると、心量が急激に低下していた。

 

「ええーっ!? どうしてぇ!?」

 

 レイフが乳を離すと、クラマは魚の濁ったような目をしていた。

 

「ど、どういうこと? 私、何かおかしな事した…?」

 

「窒息したのでは? それに人前で女性が男性に胸を押し付けるのは、おかしな事だと思います」

 

「いや……大丈夫。大丈夫だよ……」

 

 クラマは力なく大丈夫と繰り返す。

 訳が分からずレイフがおろおろしていると……

 

「ねえ、もういいのかしら? わたしの番はまだ?」

 

 ずっと待たされていた3人目が、しびれを切らして声を出した。

 

「あっ、すいません。大丈夫ですよパフィー。自己紹介をどうぞ」

 

 イエニアに促されて、パフィーと呼ばれた少女は椅子から降りる。

 

「やった! もう、わたしもクラマとお話したくて待ち遠しかったんだから!」

 

 パフィーはタッタッと軽やかな足取りでクラマの前に立った。

 とても小柄な少女で、12~13歳あたりの年頃。

 フリルがたくさんついた深緑色の可愛らしいドレスを着こなし、色鮮やかな黄色の瞳は幼さ故の好奇心に輝いて、クラマをまっすぐに見つめている。

 パフィーは挨拶をする前に、フリルのスカートを軽くつまんで、上品に一礼した。片側でまとめた翠緑の髪が肩口で揺れる。

 

「はじめまして。わたし、パフリット。みんなはパフィーって呼ぶわ。よろしくね、クラマ!」

 

 まばゆい純真な笑顔が、パッと花開いた。

 

 

> クラマ心量:52 → 63

 

 

 クラマの心量が回復した。

 

「……………………」

 

 レイフは壁に頭をついて落ち込んでいる。

 

「れ、レイフ、大丈夫ですか?」

 

「ふ、ふふ……大丈夫、大丈夫よ……ちょっと女としての魅力に自信をなくしただけだから……」

 

「自分にはそれしかないって、前に言ってましたよね!?」

 

 そんなイエニアとレイフのやりとりを見て、パフィーは怪訝な顔で首を傾げていた。

 

「どうしたのかしら?」

 

「いや、気にしなくていいよ。僕も気にしない。それよりパフィーの得意なことは何かな?」

 

「ダンジョンでは私の魔法が役に立つと思うわ。それとね、それとね、たくさん本を読んだから、知識には自信があるの! 分からない事があったら、わたしになんでも聞いて?」

 

「それは頼もしいね。何でも聞くからよろしく、パフィー」

 

 2人は笑顔で握手を交わした。

 

「……で、最後に僕かな」

 

 全員がクラマに目を向ける。

 レイフもなんとか持ち直したのか、ふらつきながらも2本の足で立っている。

 

「といっても、特に言うこともないんだけどね。名前はさっき言ったし。歳は17歳」

 

「17……!?」

 

 イエニアが驚きの声をあげる。

 クラマも何に驚いたのか分からなかった。

 そんな2人に応えたのはパフィー。

 

「それはね、地球とこっちでは、歳の数え方が違うのよ。向こうでの17年は、こっちだと5ロイと半分。イエニアと同じくらいね」

 

「あ、なるほど。そうなんですね」

 

「へえー、パフィーは物知りだなあ」

 

 クラマが褒めると、パフィーは誇らしそうに胸を張った。

 軽く中断されたが、クラマは気を取り直して自己紹介を続ける。

 

「さて、他は……特技も……これといってないし。帰宅部だし、成績も普通。視力も0.5だし。うん、何もないね!」

 

 参った参ったと頭をかくクラマは、まるで他人事を語るようだ。

 

「まあ、自分自身の特徴というのは、えてして気づかないものです。ここは地球とは違いますし、そちらでは普通の事でも、こちらでは別といった事はあるでしょう。時間をかけて理解していきましょう、お互いに」

 

「上手くまとめてくれるね、イエニアは」

 

 場の空気も、一旦区切りをつけてまとめようという頃合いだった。

 

「それでは、後は何か聞いておきたいことはありますか?」

 

「聞きたいこと……」

 

 とぼけたそぶりをしていたクラマが、急に真面目な顔つきになった。

 思いつかないのではなく、言い(よど)んでいる様子だ。

 

「いや、これは、なんていうか……今さらなんだけどさ……ううん……」

 

「何でしょう。何でも構いませんよ、言ってみてください」

 

「うん、まあ、言っちゃうとさ。僕にはダンジョンに潜る目的がないんだ」

 

「あ、それは……」

 

「いや、それはいいんだ。やらないっていうわけじゃない。さっきも言ったけど、他に選択肢はなさそうだし」

 

 クラマはこの世界に召喚されてから、今日で10日目になる。それまでずっと病室のようなところに閉じ込められていた。

 周囲のスタッフ達と会話はできたのでクラマは情報収集に努めていたが、彼らに何度聞いても言葉を濁して答えてくれない事があった。

 いつの間にか胸に出来ていた、手術痕だ。

 この世界の住人は、何かを隠している。クラマはある程度の予想をしていたが、それを確認する術はなかった。

 

 そういう事で、クラマはこの世界の人間を信用していなかった。

 下手な動きはせず、彼らの言うことに従いながら、情報を集めるしかない。

 

 そしてそれは勿論、目の前の彼女達にも同様だ。

 クラマにとってみれば、信用して良い対象ではない。

 故に手術痕のことも話してはいない。

 

 信用するためには情報だ。

 相手が何を考え、何のために動いているのか。それを見極める必要がある。

 

「……だから、僕はみんなの目的を知りたい。何のためにダンジョンに行くのかが分からないと、探索に集中できないと思うんだ」

 

 クラマの訴えに対して、イエニアは深く頷く。

 

「分かりました、貴方にはお話しましょう。私の目的は、不治の病に罹った母のために、ダンジョンに眠ると言われる『奇跡の薬』を持ち帰ることです。あの壮健で優しかった母が、日に日におかしくなって……今では私の顔を見ても、罵声か食器を投げるだけ。宮廷医師も魔法医も、治療することができずに匙を投げました。私は1日も早くダンジョンの奥から、薬を持ち帰らなくてはならないのです」

 

 イエニアが言い終えると、パフィーが続く。

 

「わたしはね、先生の遺言で、ダンジョンの奥にある『真実の石』を探しにきたの。他の冒険者の手に渡ると大変なことになるって……。やさしくて、いろんなことを教えてくれた、大好きな先生がわたしに託したものだから……それに、真実の石があれば、先生を襲った犯人が分かるかもしれない。だからどうしても手に入れたいの」

 

 そして最後にレイフ。

 

「私はこう見えても昔……ある貴族と婚約者してたのよ。けど、その国の国王が強欲でね。冤罪で彼を裁判にかけて、資産を没収。陥れられた彼は失意のうちに処刑された……。そう、私の目的は復讐よ。でも相手は一国の王。私なんかじゃ触れることもできないわ。だから踏破すれば国をも買えると言われるダンジョンへ、一攫千金を狙いに来たの。どう、他の2人と違ってろくなもんじゃないでしょう?」

 

 語り終えた3人がクラマを見ると――

 

> クラマ心量:63 → 78

 

「く……く、うぅっ………そんな事が……!」

 

 クラマは号泣していた。

 

「ようし分かった!! 僕がみんなを連れてダンジョンを攻略してやるからな! 任せてくれ!」

 

 3人は互いに顔を見合わせた。

 

「え、ええ……」

 

「いやあ……頼りになるわね、これは」

 

「あ、ありがとう! クラマ!」

 

 こうして冒険者たちは新しい仲間を迎え、その日はささやかな歓迎会が開かれた。

 

 

 

 これは、この地に召喚された1人の少年と、彼を取り巻く冒険者たちが織り成す、絆と嘘の物語である。

 



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第2話

 この世界に来てから10日間の間に、医療スタッフらしき人達から聞き出せた情報は、以下の通り。

 

・自分はダンジョンを攻略するために召喚された。

・自分の他にも喚び出された地球人はたくさんいる。

・ダンジョン踏破のために、地球人だけが持つ“運量”が求められている。

・運量は幸運を起こす力。

・時間の経過で運量は回復していく。

・“心量”という魔法を使う力もある。

・心量はどちらの世界の住人も持っているが、地球人は量が少ない。

・地球人が自力で心量を生み出せるのに対して、この世界の人間は神から授かる。

・地球人は、この世界の人間に自分の心量を分け与えることができる。

・粉薬や飲み薬を山ほど飲まされたのは、この地で生活できるように免疫をつけるため。

・召喚されてから目覚める前に、体内の洗浄と病原菌の駆除が行われた。

・この世界(国?)では姓が先で名が後。

・地球人召喚施設責任者のディーザは、冒険者ギルド経理役のコイニーと不倫している。

・コイニーの友人である冒険者ギルド受付のリーニオは、非常に酒癖が悪い。

 

 以上。

 以下は推測と考察。

 

・昔から多くの地球人が召喚されているから、日本語が通じるのだろう。

・彼らは日本語を「地球語」と言っていた。もしかして召喚されるのは日本人だけ?

・心量の譲渡と心量を神から授かるのは

 

 

----------------------------------------

 

 ……と、ここまで書いて、クラマはノートに走らせていた筆を止めた。

 窓の外で人の足音がするのに気付いたからだ。

 もう誰もが寝静まる深夜。酒場から響く馬鹿笑いも聞こえない。

 クラマはランタンを掲げて、2階の窓から外を覗き込んだ。

 

 果たして家の裏手にいたのは……なんと、メイドさんであった!

 暗くてクラマの目では細かく見えないが、飾り気のないシックなエプロンドレスを着ていることは分かった。

 クラマは様子見などすることもなく、いきなり声をかける。

 

「やあ、こんばんは」

 

 しかしメイドはそれに応えず、背中を向けて駆け出した。

 

「とうッ!」

 

 なんとクラマは、躊躇せずに2階の窓から飛び出した!

 

「――えっ!?」

 

 まさか追ってくるとは思っていなかったのだろう。メイドが驚きの声をあげる。

 

「待てぇい、不審者……って、速っ!」

 

 メイドの走力は明らかにクラマより上だった。

 そして傍から見れば、深夜に女性を追いかけるクラマこそが不審者だった。

 

「くっ、エグゼ・ディケ……止まれ!」

 

 クラマは運量を使用する!

 願った通り、メイドは何かに足をとられて停止し……しかしそれだけ。メイドはすぐにまた走り出した。

 

「う、だめかこれ……!」

 

 なら他の願いで、というのをクラマは思い留まる。

 自分の首からかけた金属札を確認すると、運量がおよそ200ほど減っていた。

 200回復するのにどの程度の時間を要するのかクラマには分からなかったが、明日はダンジョンに潜ることになっている。あまり減らすことはできない。

 

 クラマは素直に諦めて、走り去るメイドを見送った。

 そして帰ろうと(きびす)を返したところ。

 そこでばったりイエニアと遭遇した。

 

「え、クラマ……? どうしたのですか、こんなところで?」

 

「いやあ、家のそばで不審なメイドさんを見つけたもんで。あ、メイドで分かる? 女中さん?」

 

「それは分かります。しかし不審なメイド、ですか……」

 

 イエニアは少し思案してから、

 

「まあ、メイドなら危険はないでしょう。あまり気にしないように。それより明日はダンジョンですから、早めに寝ておきましょう」

 

 そう言ってクラマに帰宅を促した。

 

「そうだね、そうする。……ところで、なんで寝る時間なのに鎧を着てるの?」

 

「鎧でないと目立てませんから」

 

「…………なるほど」

 

 一体いつ脱ぐのだろう、とクラマは気になった。

 

 そうして部屋に戻ったクラマは、先ほど使用した願いの内容と消費した運量、場面の詳細をノートに記載してから床についた。

 

 

 

 

 

----------------------------------------

 

 そして翌朝。

 

 本日はダンジョン探索当日。

 空は快晴、雲ひとつない青空だった。

 

「さあ、準備はできましたね皆さん! 今日は我々が前人未到のダンジョンへと足を踏み入れ、踏破へと向かう記念すべき第一歩です! 油断せず、気を引き締めていきましょう!」

 

「おお~、いえいえ~」

 

 イエニアのスピーチに、クラマは拍手する。

 

「おー!」

 

 パフィーは飛び上がって拳を突き上げた。

 そんな微笑ましい光景の後ろで、ひとり溜め息をつくレイフ。

 

「みんな元気ねえ~」

 

「レイフ、テンション低くない? アゲアゲでいこうぜ~!」

 

「あなた1日で馴染みすぎじゃない? いや、私もテンション低いわけじゃないのよ。ただ荷物が重くって」

 

 そう言うレイフは、パフィーが丸ごと入りそうな荷袋を背負っていた。

 

「重そうだね。僕が持とうか?」

 

「そうして欲しいところだけど……」

 

 そんなクラマとレイフのやり取りを、イエニアが止める。

 

「仕方がありません、ダンジョンではこれが彼女の役割ですから。今のうちから慣れてもらわないといけません」

 

「そ。何もできないお荷物だから、荷物持ち」

 

 レイフは自虐しながら舌を出して笑う。

 

「それとマッパーですね、彼女は」

 

「マッパー?」

 

 聞きなれない言葉にクラマは聞き返す。

 

「地図を書く人のことです。地下深くの迷宮では、帰り道を失うことが最も怖ろしい。地味ですが重要な仕事です」

 

「ああ、それは確かに」

 

 クラマは頷いた。

 そこへすかさずレイフが補足。

 

「マッパーだけど、真っ裸になったりしないわよ?」

 

「いや、分かってます」

 

「あ、でも心量が少なくなったら……」

 

 囁くように言いつつ、レイフはクラマに妖しい流し目を送る。

 その言葉の続きをイエニアが大きな声で遮った。

 

「お話はその辺にして! ダンジョンへ行きますよ! はい、クラマはこれを」

 

 イエニアはクラマに長い棒を差し出す。

 

「これは?」

 

 非常に長い。3メートル近くはある木の棒だ。

 

「あなたには、パーティーを先導して罠の発見や解除を担当して頂きます。怪しい所があれば、棒の先でつついて調べてから近づくようにしてください」

 

 なるほどな、とクラマは感心した。

 確かに幸運に任せて罠に突っ込むよりも、回避できる罠は避けた方が運量の消費は抑えられるだろう。

 

「オーケー分かった。でも、どこが怪しいか見分けられるもんかな?」

 

「そこは私達も見ていきます。たとえ罠を見過ごしたとしても、それはあなたひとりの責任ではありません」

 

「ふうーむ……」

 

 クラマはなにやら思案している。

 それを迷いと受け取ったイエニアは、安心させるように言葉を続ける。

 

「それに、今日は地下1階より先には進みません。1階は既に他の冒険者たちに探索され尽くしていますから、危険もないでしょう。まずはダンジョン内での歩き方、独特の空気に慣れてから、本格的な攻略に移ります」

 

 要するに今日は練習ということだ。

 クラマは思考を終えて、顔を上げる。

 

「うん、とりあえず行ってみようか!」

 

 長く険しい、ダンジョン踏破への第一歩が始まった。

 

> クラマ 運量:10000/10000

> クラマ 心量:97

> イエニア心量:350/500

> パフィー心量:422/500

> レイフ 心量:473/500

 

 

 

 

 

「あー、オタクら初めての人ね。ハイ、じゃー、ココに代表の人がサインして。ハイ、ハイ、ハイじゃー行ってらっしゃっせー」

 

 ……と、こんなやり取りを警備員と行い、トンネル状の入口から洞穴に入る一行。

 

「いやあ、まさかこんな手続きが必要とは」

 

 なんとなくクラマは、開幕から風情を台無しにされた気分であった。

 イエニアがそれに答えてくれる。

 

「このダンジョンは法的には国が所有し、冒険者ギルドに管理が委託されている施設……ということになっていますからね。ダンジョンから帰った際に、持ち帰った品物を彼らギルド職員が査定して、手数料5割を引いた上で換金してくれます」

 

「5割? 多くない?」

 

 驚くクラマ。

 レイフもそれに同意する。

 

「ボッタクリよねえ」

 

「……まあ、一介の冒険者では行うことのできない地球人の召喚を、冒険者ギルドが代わりに行い、冒険者へ提供……パーティーの一員として加えていますから。召喚のコストを考えれば、これでもむしろ安いのかもしれません」

 

「なんだか複雑な感じだね」

 

 イエニアは言い方に気を使っているが、これは人身売買だな、とクラマは思った。

 

 話しながら進んでいると、一行は地下へと降りる梯子(はしご)を見つける。

 まず先にイエニアが梯子を伝って降り、それから後に続いて一人ずつ地下ダンジョンの中へと降りていった。

 

 

 

「ああ、明かりはついてるんだね」

 

 地下1階へ降りると、意外なことに照明の光がパーティーを出迎えた。

 通路は高さ、横幅ともに3メートルほど。

 壁、天井ともに剥き出しの土で、まさに穴ぐらといった風情だった。

 

「照明があるのは始めのうちだけのようです。ランタンを持って後ろをついて行きますので、光が足りなければ言ってください」

 

 そう言ってイエニアとパフィーがランタンを用意する。

 

「では進みましょう。私が指示を出しますので、クラマは先行して罠を探してください」

 

 こうして探索が始まった。

 イエニアの言った通り、先へ進むと壁に嵌め込まれたランプはなくなり、洞窟を満たす闇が徐々にその濃さを増していく。

 暗くなるにつれ、通路の狭さも相まって、クラマは強い閉塞感を覚えていた。

 その中をクラマは目を凝らしながら、怪しそうな所がないかと注意しながらゆっくり進んでいく。

 

 ダンジョンの空気に慣れる、と言ったイエニアの言葉の意味をクラマは実感していた。

 地上では感じられない独特の重圧、緊張感は想像以上だった。

 

 

> クラマ 心量:97 → 90

 

 

 しかし――

 

「ああそこ、そこです、そう……そう……いいですよクラマ、そこはもっと奥……ん……あー、いい! いいですよ、上手ですクラマ」

 

「…………………」

 

 クラマはどうも、いかがわしい事をしている気がして仕方がなかった。

 

 

> クラマ 心量:90 → 93

 

 

 最初は長くて重くて使いにくかった3メートル棒にも次第に慣れて、クラマは滞りなく探索を進めていく。

 クラマは途中、機会を見つけては色々な場所で運量を使っていく。

 しかしイエニアの言った通り、探索され尽くしている地下1階には、これといった罠もなければ宝箱もなかった。

 あるものと言えば――

 

「シャアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 見たことのない大型の爬虫類が現れた!

 トカゲのようだが前足が異様に大きく、鋭い鉤爪が生えている。

 そいつは狭い通路を塞ぐように屹立(きつりつ)し、クラマ達を威嚇する。

 

「皆さん、下がってください!」

 

 クラマは言われた通りに下がり、同時にイエニアからランタンを受け取る。

 後ろから見ると、イエニアと背を伸ばしたトカゲは丁度同じくらいの顔の高さだった。

 

「大丈夫なのか……?」

 

 こんな大きな動物と、人間が正面から戦えるのか? 目の前で見て、クラマは不安になる。

 クラマの横でパフィーが解説する。

 

「クリッグルーディブ……爪トカゲね。獰猛で怪力。毒はないけど、彼らは汚物に爪をひたす習性があり、爪で傷を受けると破傷風の危険があるわ。洞窟などの暗がりを好んで、毎年、何人もの冒険者が犠牲になっている指定害獣ね」

 

 どうやらクラマが思った以上に危ないヤツのようだった。

 

「心配は無用です! 私の剣の冴え、お見せしましょう!」

 

 やけに活き活きとしているイエニアを、クラマは固唾を呑んで見守る。

 じりじりと爪トカゲに近付いていくイエニア。

 その爪が届く距離に入った瞬間、爪トカゲは恐るべき俊敏さで、弾けたように動き出した!

 

 長大な爪が闇を切り裂く!

 

 だが、その爪はイエニアには届いていない。

 イエニアは剣を使って、刃を払うようにトカゲの爪を受け流している。

 

「たああぁっ!」

 

 もう一方の手に持った盾で、イエニアは爪トカゲの顔面を殴った!

 よろめく爪トカゲ。

 が、再び爪を振るって襲いかかる!

 

 それもまた剣で逸らされる。

 そして同じようにイエニアは盾で殴打。

 

「はあっ!」

 

 側頭に命中。

 よろける爪トカゲ。

 また爪を振り上げる爪トカゲ。

 剣で逸らすイエニア。

 

「せいやっ!」

 

 三度、盾で殴られる爪トカゲ。

 爪トカゲは倒れた。

 

 爪トカゲの失神を確認したイエニアは、振り向いて後ろの3人に向かって手を振った。

 

「見ましたか、皆さん! 私の活躍を!」

 

 なんとも言えない空気が漂う。

 あまりに淡々とした戦闘。

 率直な感想を言うならば――“地味”であった。

 

「……うーん……剣の冴えとは一体?」

 

 イエニアは剣によって敵の攻撃を無力化していた。

 確かにそれは間違いない。

 間違いではないのだろうが……どこかクラマは釈然としなかった。

 

 そんな微妙な空気にも、パフィーとレイフは慣れた様子だ。

 

「わたしもよくわからないけど、騎士の中では、剣を使わなくても戦いのことを“剣”って呼ぶ風習があるみたい。『お前の剣を見せてみろ』って槍使い同士が言うお話を読んだことがあるわ」

 

「そういう文化もあるのか、面白いね」

 

「ちょっと残念なところはあるけど、あれで強いのよねえ。本当に」

 

 クラマ達がそんなことを話していると、イエニアが爪トカゲを担いで皆のもとへ戻ってきた。

 

「それでは少し戻って、広い場所で解体しましょう」

 

「かいたい」

 

「ええ、1階では売れるものは残っていませんので。こうした動物の肉や鱗などを持ち帰って、お金に換えます」

 

「なるほどね……」

 

 神妙な顔をしているクラマの様子を見て、レイフが思い出したように言う。

 

「あ、地球の人ってこういうの苦手なのよね? いや私も得意じゃないからイエニアに任せきりだけど」

 

「わたしもちょっと苦手……」

 

「ひとりで出来ますから大丈夫ですよ。皆さんは周囲を警戒しながら待っていてください」

 

「いや、僕もやるよ」

 

 クラマの言葉に、イエニアは少し驚く。

 

「……そうですか?」

 

「うん、慣れておかないとね。こういうのも」

 

「分かりました。それでは教えてあげましょう」

 

 仄暗いランタンの光の中で、クラマはイエニアからトカゲの解体方法を学んだ。

 

 

> クラマ 心量:93 → 85

 



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第3話

 爪トカゲの解体を終えて探索を再開していると、クラマはふと思いついた。

 

「そういえばさ。危険な動物がいたら、僕が運量で倒せばいいんじゃないかな? 心臓マヒさせるとか」

 

 それに対してパフィーが答える。

 

「それね、だめなんだって」

 

「そなの?」

 

「うん。知性ある生物はヨニウェの殻によって物質的・霊的に守られているの。でも、こういうお話は分からないわよね?」

 

「帰ったら詳しく教えて欲しいな。とりあえず、動物には運量を直接使えないって事でオーケー?」

 

「ええ、オーケーよ」

 

 クラマはなんとなく、この世界ではたくさん地球人が召喚されているのに、いまだにダンジョンが攻略されていない理由が分かったような気がした。

 今こうしてダンジョン内で、色々と運量を試してみて実感できた事なのだが……

 

 運量は使いにくいのだ。それも、かなり。

 

 簡単な願いをしたつもりでも一気にごそっと運量を持って行かれることがあり、減り方がうまく予測できない。

 長いダンジョンの中で切らさずに使うのは難しそうだった。

 早いうちに、効率的な使い方を覚える必要がある。クラマはそう感じていた。

 

「あっ、みんなー! ちゅうもーく!」

 

 レイフが突然、手を挙げた。

 

「私たちが今いる場所が、ちょうど家の真下よ」

 

「へえー、よく分かるね」

 

「どう、すごいでしょ?」

 

 ダンジョンに潜ってから数時間は経つ。

 ここまで暗くて複雑な道を進んできたので、クラマは既に方向感覚すらなかった。

 クラマが感心していると、レイフはいたずらっぽく舌を出した。

 

「なーんてね。実は他の冒険者から、1階の地図をもらってたの。だからカンニング」

 

「そっか。先に入ってる人がいるなら、地図も誰かが作ってるはず」

 

「でも一晩だけじゃあ、1階の地図しか写させてもらえなかったのよね。1階だけに1回ってね」

 

「このひとは、下ネタかエロい事を喋ってないと生きていけないんすかねぇ!?」

 

「あら失礼しちゃう」

 

 と言いつつも、レイフは笑っている。

 そんな2人のやり取りを見て、パフィーは首をかしげる。

 

「1階で1回って、どういうことかしら?」

 

「――ハイみなさん! この辺で休憩にしましょう! パフィー、レイフ、食事の用意をしますよ!」

 

 イエニアは強引に話を切り替えた!

 全員ハーイと返事をして、それぞれに支度を始める。

 

「ふぅー、どっこいしょ」

 

 レイフはずっと背負っていた大きな荷袋を降ろす。

 荷袋を開くと、中から調理器具や携帯食料、ロープ、水袋、小型ハンマーなど、様々なものが詰め込まれていた。

 

「よく背負ってたねー、こんなの」

 

「そうなのよ、もうくたくた。後はみんなおねがーい」

 

 レイフはぐったりと横になってしまった。

 代わりにパフィーが近付いてくる。

 

「一緒に支度しましょ、クラマ! わたしが教えてあげる!」

 

「うん。よろしくパフィー」

 

 パフィーと2人で荷袋を漁るクラマ。

 

「……なにこれ?」

 

 クラマが手に取ったのは、先から糸の出た玉ねぎのようなボール。

 

「それは煙玉よ。その線を引き抜くと、煙が出てくるの。たいていの獣は怯んでくれるから、便利なのよ」

 

「ほうほう」

 

「それよりクラマ、お鍋を取ってくれる?」

 

「ハイヨー」

 

 パフィーの指示に従って、クラマは食事の準備を進める。

 暗い地下洞窟の中だが、2人の間は和気藹々として明るい空気が広がる。

 2人が鍋を火にかけたところでイエニアが顔を出してきた。

 

「深くまで潜ったら、こうした調理はできないでしょうけど。獣を呼び寄せますし、何より水は貴重です」

 

 確かに水の重要性はクラマも実感していた。

 緊張のせいか、探索中はひどく喉が渇く。

 

「それでは今日は、先ほど倒した爪トカゲ(クリッグルーディブ)の肉を入れましょう」

 

 一口サイズに切った肉を、イエニアが鍋に投入した。

 調味料を入れて、待つことしばし……

 

「ごはんのにおいねー?」

 

 完成を知らせるようにレイフが起き上がった。

 

「はい、どうぞ」

 

 イエニアがよそって、それぞれに配る。

 肉と調味料を入れて煮込んだだけの簡素な鍋料理だが、その味は果たして――

 

「うーん……うむぅん……」

 

 まずくはなかった。

 しかし味が……というか、何か色々と足りない感をクラマは感じていた。

 肉も固い。良い言い方をすれば歯応えがある、と言えなくもなかった。

 

「あらあら、微妙な顔」

 

「地球人は食べ物にこだわるらしいわ。クラマもそうなのね」

 

「そうなんですか? こんなにおいしいのに……」

 

 クラマはなんとも言えなかった。

 なんとも言えないので、クラマは今後の課題として心に留めておくことにした。

 

 

 

 食後はしばらく休憩の時間がとられた。

 その間にクラマは、あらかじめパフィーに頼んでおいた『探索中に消費した運量の数値と願いの内容、その場面の詳細』が書かれたノートを読み込む。

 

「……パフィーは本当に頭がいいなあ」

 

 クラマの思惑を把握して、ツボを押さえたシチュエーションの記録がされている。

 まだまだデータは足りないが、少しでも傾向を掴み取ろうとクラマは目を走らせた。

 

 

 休憩時間終了。

 探索を再開しようという時、クラマは皆の心量が目に留まった。

 

 

> クラマ 運量:10000 → 7012/10000(-2988)

> クラマ 心量:85 → 75(-10)

> イエニア心量:350 → 329/500(-21)

> パフィー心量:422 → 397/500(-25)

> レイフ 心量:473 → 450/500(-23)

 

 

 クラマが首からネックレスのように金属の札をかけているのと同様に、イエニアは手甲に、パフィーは胸当てに、レイフはズボンのベルトに貼り付けていた。

 

「結構みんな心量が減ってるね」

 

「ええ、心量は普通に生活しているだけでも少しずつ減っていきますから。しかし慣れない環境にいると、それだけで減りは大きくなります」

 

「普通は1日で10減るくらいよね」

 

 自分の腰を覗き込みながら言うレイフ。

 レイフは今、昨日のダンサー衣装と違って、普通に露出を控えた作業着を着ていた。

 しかし一方、パフィーは昨日と変わらぬフリルのドレスだった。

 今さらながらにクラマは尋ねる。

 

「パフィーは動きやすい服の方がいいんじゃないの?」

 

 それ以前に、危険だ。

 イエニアが難しい顔で答える。

 

「そうなのですが……魔法には極度の集中が求められますので、本人が集中しやすい格好でないと、魔法の成功率が落ちてしまうのです」

 

「なるほど。でもやっぱり危険じゃないかな」

 

「ええ。1階では問題ないでしょうが、階層の状況によっては、着替えてもらう場合もあるでしょう」

 

 クラマとイエニアのやり取りを聞いて、パフィーがしゅんとする。

 

「ごめんなさい。わたしが慣れてないから……」

 

 クラマは膝をついてパフィーに目線を合わせ、優しく肩に手を乗せて言う。

 

「大丈夫。慣れてないのは僕もだから、これから一緒に慣れていこう」

 

「クラマ……うん! わたし、がんばるね!」

 

「ああ、期待してるよパフィー」

 

 クラマが腰を上げると、今度はレイフが難しい顔をしていた。

 

「……どしたの? 変な顔して」

 

「いえ? 私は別にいいのだけど……子供好きの男の人って、どうなのかしらね?」

 

「なにか重大な誤解がある気がするね!」

 

「だって心量回復してるし……ねえ?」

 

> クラマ 心量:75 → 78(+3)

 

「いやいやいやいや、かわいいものを見て心が癒されるのは、至極当然のことではないかな?」

 

「ふうん? ……そうね?」

 

 レイフはまったく信用していない様子だ。

 

「はいはい、雑談はそれまでにして進みますよ」

 

 もはや恒例となりつつあるイエニアの軌道修正を受けて、探索は再開された。

 

 

 

 

 

 探索と休憩を繰り返し、やがて一行は地図の最奥地点に辿り着いた。

 かなり広い空間。

 かつては祭祀場として使われていたようで、奥には祭壇があり、いたるところに柱が立っていて視界は悪い。

 

「ここにも何もありませんでしたね」

 

 クラマ達はひととおり探索したが、持ち帰れそうなものは何もなかった。

 

「さて、まだまだ行っていない所はありますが、今日のところは来た道を戻って帰りましょう。皆も疲れたでしょう」

 

 

> クラマ 運量:7012 → 6489/10000(-523)

> クラマ 心量:75 → 66(-9)

> イエニア心量:329 → 307/500(-22)

> パフィー心量:397 → 371/500(-26)

> レイフ 心量:450 → 427/500(-23)

 

 

 まだ余裕はあったが、同じ距離を戻るとなると、半分まで減ってからでは遅いのがダンジョン探索というもの。

 一行は大部屋から通路へと引き返すが……

 

「……クラマ?」

 

 クラマが考え事をして遅れていたので、イエニアが声をかける。

 

「ああ、ごめん。ちょっと運量の使い方を思いついたから、使ってみていいかな?」

 

 後は同じ道を戻るだけなので、運量が必要になる場面もないだろう。と、イエニアは許可を出す。

 

 クラマは考えていた。

 運量を使用するにあたって、おそらくポイントになるのは「具体性」と「直接的な目標を避ける事」だ。

 例えば「罠が発動しないで欲しい」よりも「経年で罠が壊れて作動しないで欲しい」と具体的理由を示した方が運量の消費が少なく、さらには「罠のある場所に小石が2個落ちていて欲しい」と願い、最初から罠のある場所を回避した方が、少ない運量で「罠にかからない」という結果を得ることができる。

 

「エグゼ・ディケ――」

 

 金目のものが欲しい時に「宝箱が欲しい」では、大量の運量を消費して空の宝箱が手に入るだけだろう。

 つまり、もっと別の言い方をする。

 

「――普通では気が付かない事に、気付きたい(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 運量を使った後に、運任せ。

 これがクラマの導き出した答えだった。

 

 そこで突然、通路と繋がっている大部屋の入口、その真上から、パラパラと砂が落ちてきた。

 クラマが見上げるが……上の方は真っ暗で何も見えない。

 

「あれ、なにか……ありそうですね」

 

 夜目が効くイエニアがよく目を凝らして見て『何かあるかも』程度のもの。

 また、そこは柱が邪魔して物理的に視界に入りにくい場所でもあった。

 

「登ってみましょう」

 

 イエニアはレイフの荷袋から鉄釘を2本取り出すと、土の壁に突き刺して器用に登っていく。

 

「ちょ……鎧、鎧脱がなくて大丈夫?」

 

「平気です! この鎧、見た目よりもかなり軽いんですよ!」

 

「いやいやいや、軽いったって……」

 

 クラマの心配もなんのその、あれよあれよという間にイエニアは壁を上っていく。

 

「いやあ……びっくらこいた」

 

「どうですか皆さん! 私、目立ってますか!?」

 

 金色の鎧は薄暗い中でも、はっきりと存在感を放っていた。

 クラマは上方に向かって声を張り上げる。

 

「最高に輝いてるよー!」

 

「ありがとうございまーす!」

 

 クラマが上にいるイエニアに手を振っていると、パフィーの目が揺れているクラマの札に留まった。

 

「あら? クラマ、これ……」

 

「うん?」

 

 パフィーに言われて自分の札を見ると……

 

 

> クラマ 運量:6489 → 0/10000(-6489)

 

 

 運量が切れていた。

 そして上からイエニアの声が聞こえてきた。

 

「あっ、卵があります! これは……すごい! フォーセッテの卵ですよ!」

 

 どういう事かと、クラマはパフィーに解説を求めた。

 

「フォーセッテは風来の神の眷属と言われている、とても希少な鳥よ! 希少すぎて生態がほとんど分かっていないし、卵となるとさらに貴重で、取引が行われた記録すらないわ!」

 

「おおーっ! まーじかー!」

 

「まじよ、まじ! すごいのよ!」

 

 飛び上がって喜ぶ2人。

 そんな2人に向かってレイフが言う。

 

「あのね、みんな? とても楽しそうなところに、申し訳ないのだけれど」

 

 クラマとパフィーの視線がレイフに向く。

 レイフは人差し指をそっと上に向けて……

 

「なんだかすごい怖い目で睨まれてない?」

 

 クラマとパフィーは指の先を見上げる。

 見ると、イエニアの真上に煌々と輝く2つの光。

 うっすらと見える巨大な鳥のシルエットで、それが両目の輝きだと知ることができた。

 

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 まるで地獄から噴き出たような咆哮!

 鳥類とは思えぬ重低音の雄叫びが大気を鳴動させる。

 

「うわーーーーーーーーーーーーッ!」

 

「イエニア! 降りて降りてー!」

 

 イエニアはガーッと鉄釘を壁に滑らせて、一気に壁を下る。

 ガシャンと金属音をたてて地面に膝をつくと、すぐさま立ち上がった。

 

「逃げますよ!」

 

 一同、全速力で通路へ走る。

 上空からは全長5メートルはあろうかという緑色の鳥が降りて……いや、落ちてきていた。

 巨鳥はボールのような丸々とした体に、大きな翼を取り付けたような体型。

 一見して羽の大きなひよこのような可愛らしいシルエットだったが、凶悪な眼光に、ノコギリじみたクチバシが、ファンシーなイメージを消し飛ばしている。

 

 ズズンと地響きをたてて地面に着地する鳥。

 巨鳥は大きな翼を横に広げると、大気のうねりを巻き起こしながら豪快な羽ばたきを見せる!

 

「おうわっ!?」

 

 走って通路へ逃げ込んだクラマだが、猛烈な突風を受けて転倒する。

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 クラマが体を起こすと、目の前には巨大なクチバシ広がり――

 

 ガヂィィィッ!!!

 

 間一髪、足の先から数センチのところでクチバシが閉じる。

 

「イエニア……ありがとう」

 

 すんでのところでクラマを引き寄せたのはイエニアだった。

 

「立てますか? まずは離れましょう」

 

 緑の巨鳥はその巨体が仇となって、通路までは入って来られない。

 ただ小さく唸り声を漏らしながら、鋭い眼光でクラマを睨みつけていた。

 

 

 

 ……そうして鳥の目が見えなくなるほど離れてから。

 

「卵があれば親鳥がいるのは当然でしたね。危ないところでした」

 

「あの鳥は倒せないの?」

 

 クラマが尋ねると、イエニアは即答した。

 

「無理ですね。分厚くて固い羽と皮、それに脂肪のために、剣も打撃も通りにくい。そもそも前に立った時点で、あの羽ばたきで全滅です。壁に張り付いた血の染みになりますよ」

 

「うへえ。じゃあ魔法とかでも無理?」

 

「準備があれば、魔法で倒せる可能性もなくはないのでしょうが……」

 

 イエニアはちらりとパフィーを見る。

 

「無理だと思うわ。羽ばたきされると詠唱が止まってしまうもの。風も届かない遠くからだと効果は弱くなってしまうし……」

 

「それじゃあしょうがないね。諦めよう」

 

「魔法もそんなに色々できるわけじゃないの。ごめんなさい」

 

 クラマはよしよしとパフィーの頭を撫でた。

 

「ん……」

 

 パフィーは嬉しそうに目を細める。

 と、そこでクラマは思い出す。

 

「……ところで卵は?」

 

 クラマの言葉を受けて、イエニアは腰の後ろにあるポシェットを探る。

 彼女が取り出したのは……緑色の卵。

 

 4人は、イエーイとハイタッチを交わして喜んだ。

 

 

 

 

 

 それから地上への帰り道で――

 

「そういえばクラマに魔法を見せていませんでしたね。道中、機会があればやってみましょう」

 

 と、イエニアが提案してしばらく歩くと、一行は獣の亡骸を発見した。

 

「丁度いいですね。パフィー、あれの調査をお願いします」

 

「ええ、まかせて」

 

 パフィーは亡骸の前に立ち、呪文を唱える。

 

「オクシオ・オノウェ! イーオ・ツニウ・ツウィポウェ・ツウゥ・イィーフ・ドゥシー」

 

 パフィーが装着している胸当てから、淡い光が浮かぶ。

 詠唱が進むたびに、クラマは波のような響きを感じていた。

 パフィーは詠唱を続ける。

 

「どうして彼は死んでしまったの? 手が汚れているのは誰かしら? いつまで待っても、答えはいつも向こう側。さあ、5つめの扉を開きましょう。――オクシオ・センプル!」

 

 詠唱を終えた瞬間、見た目こそ変わらないものの、クラマの感じていた波長が一気に広がり……そして消えた。

 

 

> パフィー心量:371 → 343/500(-28)

 

 

「……終わったのかな?」

 

「ええ、調査は完了したわ。この子はおよそ1ヤーウ前……地球の単位だと3時間くらい前に、遭遇した冒険者に斬られて死んでしまったみたい」

 

「そんな事まで分かるの?」

 

「情報を構成する第五次元オノウェを操作して、必要な情報を検索するの。でも古い情報は精度が落ちるし、調べたいことをきちんと指定しないといけないから、なんでもすぐに分かるというわけではないけれど」

 

 運量の使い方と似ているな、とクラマは思った。

 パフィーの説明にイエニアが補足する。

 

「近付くことさえできれば未知の罠でも解除法を得られる可能性がありますし、他にも魔法によるオノウェ調査はいくらでも使い道があります。ダンジョン探索においては、魔法使いに最も求められる役割ですね」

 

「でもね、過信しちゃだめよ。禁止されている事だけど、オノウェを乱して調査を困難にすることもできるから。その時は魔法使い同士の技量の勝負になるわ」

 

「……なるほどね」

 

 古い情報は難しい、指定が必要、妨害の可能性がある、それと心量の消費という縛りはあるが……その有用性は計り知れない。

 運量と、魔法による情報検索。この2つがダンジョン探索のキーになりそうだと、クラマは予感した。

 

「さて、解体しましょうか」

 

「かいたい」

 

「見たところ、まだ使えるところがたくさん残っています。あまり狩りの得意でない冒険者のようですね。あ、クラマはどうします?」

 

「やります」

 

「大丈夫ですか? 顔色が少し……」

 

「ダイジョブだよー、ゼンゼン問題ナイヨー」

 

 

> クラマ 心量:66 → 61(-5)

 

 

 

 

 獣を解体した後は、何事もなく帰り道を進んで、ダンジョンの入口へと到着した。

 ようやく長い探索が終わると安堵する一行。

 ……だが、しかし。この時の彼らは予想だにしていなかった。

 梯子を登って地上に出た彼らの前に、重大なアクシデントが待ち受けていることを……。

 

 

> クラマ 運量:0 → 72/10000(+72)

> クラマ 心量:61 → 57(-4)

> イエニア心量:307 → 300/500(-7)

> パフィー心量:343 → 333/500(-10)

> レイフ 心量:427 → 418/500(-9)

 



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第4話

 クラマたち4人が梯子(はしご)を登って地上に上がると、洞窟の入口が木材の山で塞がれていた。

 ダンジョンの出入口を塞ぐバリケード。

 そのバリケードの内側には2人の男と1人の少女がおり、外に向かって声を張り上げていた。

 

「不当な搾取はやめなさーい!!」

 

「やめろー!」

 

「冒険者の権利を守れー!!」

 

「おー!」

 

「基本的人権を尊重しろー!!」

 

「そうだー! ……ところで基本的人権って何ですかい、アネゴ?」

 

「うっ! それは……人として……人としての権利よ!」

 

「なるほど!」

 

 ……こんな調子で中学生くらいの少女が音頭を取って、中年男2人が掛け声を合わせていた。

 

「えーっと……これは何なのかな?」

 

 また違う世界に入り込んでしまったような気がして、クラマは困惑を隠せない。

 そんなクラマの声で、叫んでいた3人の男女が振り向いた。

 互いに何を言おうかと思考を巡らせる一瞬、その空隙の間に――

 

「クラマっ!!」

 

 イエニアが叫ぶと同時に、クラマは背後から何者かに抑え込まれていた。

 

「へっへっへ……こいつの命が惜しければ、俺っち達に従ってもらおうかい?」

 

「く……」

 

 クラマを人質に取られ、イエニアは剣の柄に触れていた手をゆっくりと外した。

 先程まで叫んでいた少女が喝采をあげる。

 

「でかしたわ、次郎!」

 

「うっす。ちぃっとばかし小便に行ってたのが、いいタイミングでしたわ。ナイス小便! って感じっスね」

 

「そういうこと言わない! 次郎はもっとデリカシーを持って!」

 

「サーッセン」

 

 拘束されたクラマはイエニア達から引き離されて、バリケードの側にいる3人の所へ連れて行かれた。

 クラマはどこから尋ねたものかと思ったが、まずは小さな疑問から聞いてみた。

 

「えーっと……次郎サン? って、地球人じゃないよね?」

 

 四人一組だから冒険者パーティーで間違いないだろう。

 そして先程叫んでいた内容とからして、少女が地球人……それもおそらく日本人だろう……と、クラマは当たりをつけた。

 見た目も少女は黒髪に黒目。他の男3人は髪も目もカラフルだ。

 しかしそれでは、この世界の人間が次郎と呼ばれているのには違和感がある。

 

「この名前っスか? これはアネゴがつけてくれたんスよ。俺っち達の名前が分かりづらいっつって」

 

 次郎の言葉に他の男2人も頷いて言う。

 

「アッシはソードマン一郎でさぁ」

 

「拙者はマジカル三郎でござる」

 

「……そう。うん、ありがとう」

 

 クラマは何とも言いにくかった。

 いきなり始まったわけのわからない状況。

 それでもクラマはなんとか事態を把握しようと頭を働かせていると、少女が声をあげる。

 

「ちょっと! こいつ地球人なんだから、運量使わないように口を押さえておかなきゃダメじゃない!」

 

「でもアネゴ、こいつ運量ないっスよ」

 

 

> クラマ 運量:73/10000

 

 

「あ、そう? ならいいわ」

 

 あっさりと前言を覆す少女。

 クラマはそんな少女を観察した。

 

 見慣れたアジア人の顔立ち。

 体つきも顔つきも幼く、やはり中学生くらいだろうとクラマは思った。

 快活そうで、もっと言えば気が強そう。

 かなりの癖っ毛で、髪は肩にかかるのを拒絶するかのように、くるりと跳ねている。

 髪の先だけ黄土色になっているのが特徴だった。

 

 まずはクラマが先に口を開く。

 

「僕の名前はクラマ=ヒロ。君は?」

 

「サクラよ。タイシャク=サクラ」

 

「よろしく、サクラ。……でだ。ちょーっと僕には状況が分からないんだけど、説明プリーズ」

 

「見て分からない? ストライキよ!」

 

「ストライキ」

 

 ストライキとは、労働者が業務を休止・阻害することで、労働条件の改善を訴える行為である。

 

「こんなスマホもカラオケもギターもない世界に連れてこられて! 土下座されたから仕方なくダンジョンに潜ってみたら何? 税金5割!? おかしいでしょ絶対!? やってられないわよ! そうよね、みんな!?」

 

「アッシはアネゴについて行くだけでさぁ」

 

「こんなんじゃ街で適当にギった方が……いや、なんでもねっス」

 

「拙者、サクラちゃんがいれば何でもいいでござる」

 

 いまいち意志統率が成されていないパーティーだった。

 クラマはひとまず話に同意していく。

 

「……まぁそうだよね。5割は多いよね。うん」

 

「でしょ? せめて2割、いや1割に変えるように、こうやって薄汚い政府に要求してるの!」

 

 そう言って、サクラはあまり大きくない胸を張る。

 

 ……クラマの見たところ、男たちはサクラの主張する内容はどうでも良くて、ただサクラを盲信しているだけのようだった。

 つまり会話するのはサクラだけで良いので、その点は楽であった。

 

 そこで口を挟んでくるのは、イエニアだ。

 

「確かに上納金に不満を持つ冒険者は多いでしょう。しかし、要求するにしてもこの方法は危険に過ぎます。この国の法律では、意図してダンジョンの運営を妨げる行為は理由の如何を問わず重罪。期間の定めのない禁固刑です」

 

「えっ? ちょっ……みんな知ってた?」

 

 サクラが後ろの3人に聞くと、一郎と三郎はきょろきょろと顔を見合わせる。

 次郎だけが知っていたようだった。

 

「いや、まっ、そのための地球人。運量じゃないっスか、アネゴ!」

 

「そ、そう。そうよ! 外の兵士達だって、私の運量を恐れて近寄れない。それに、あなた達だっているじゃない!」

 

 と、サクラはイエニア達を指さした。

 苦々しい顔をするイエニア、パフィー、レイフの3人。

 クラマが人質に取られている以上、彼らに逆らうことはできない。

 

 クラマはここにきて理解した。

 自分達が今、これ以上ないほど壊滅的に悪い状況にあると。

 

 

 ――意図してダンジョンの運営を妨げる行為は“理由の如何を問わず”重罪――

 

 

 理由の如何を問わず(・・・・・・・・・)

 やむを得ない理由などは考慮されないという事だ。

 つまり、サクラの命令に応じて彼らを手伝ってしまえば、有無を言わさず共犯として処罰される。

 

 もちろん、このストライキは成功しない。

 サクラは運量を過信しているが、そこまで便利なものではない事を、クラマは知っている。

 

 クラマはイエニア達を見た。

 皆もこの状況が理解できているようで、苦しげな顔をしている。

 

 今、イエニア達の目の前には選択肢が3つある。

 

1.『サクラの言う通りにして、犯罪者になる』

2.『クラマを見捨てて逃げる』

 

 そして3つめは――

 

「……………………」

 

 額に脂汗を滲ませたイエニアが、いつでも抜剣できるように、手の位置をわずかに上げた。

 

3.『危険を覚悟でクラマを取り戻す』

 

 

 クラマにとって、その3つの答えはどれも最悪だった。

 そして切羽詰まったイエニアの様子を見て、クラマは悟った。

 この状況を動かせるのは、自分しかいないのだと。

 故に、クラマは動いた。

 

「……サクラ。運量があれば大丈夫だと、本当に思ってるのか?」

 

 突然名を呼ばれたサクラは驚いて、まじまじとクラマを見た。

 言われた内容に驚いたのではない。

 それまで肩の力の抜けた気安い感じで喋っていたクラマが、自分をまっすぐに見据えて、低いトーンで静かに語りかけてきたからだ。

 その雰囲気の違いを感じ取って、サクラはたじろぐ。

 

「だ、大丈夫でしょ。さっきから外の連中、近づいてこないし」

 

 それは応援が呼ばれるまでの間だけだ。

 運量が相手でも、人数がいれば押し切れる。

 クラマはそれを分かっている。

 しかしそんな言い方をしては、目の前の少女を納得させるのには弱いだろうとクラマは考えた。

 そこでクラマは言い方を変える。

 

「いや、制圧するのは簡単だ。向こうは冒険者のパーティーを2つ雇うだけでいい」

 

「あ。……で、でも、こっちにはあんたもいるじゃない!」

 

「僕は運量ないよ」

 

 

> クラマ 運量:74/10000

 

 

「こ、この役立たず!」

 

「そうだね、ごめんね。……で、多分もう向こうはその準備をしてる。外の警備員は、それを待ってるだけだ」

 

 サクラ達は不安げに顔を見合わせた。

 

「あ、アネゴォ、まずいっスよ!」

 

「どうしやすかい、アネゴ」

 

「ブタ箱は嫌でござる」

 

「お、落ち着きなさい! 大丈夫よ! 今ならまだ来てないし、運量があれば逃げるくらい……」

 

「逃げるのは無理だよ」

 

 クラマはサクラの甘い目論見をぴしゃりと否定した。

 

「なんでよ。そんなのやってみなきゃ」

 

地球人の体には、(・・・・・・・)発信器が埋め込まれてる(・・・・・・・・・・・)

 

「――はぁ!?」

 

 サクラが素っ頓狂な声をあげる。

 それと同時にイエニア達3人も、クラマの発言に目を見開いて驚愕していた。

 

「嘘でしょ!? ねえ、どうなのあんた達!?」

 

「あ、アッシはそんな話は知らねぇ。聞いたこともねぇ」

 

 残る男2人も首を横に振る。

 

「ほら、誰も知らないって! だいたい、なんであんたがそんなこと知ってるのよ。そこがおかしいでしょ」

 

 サクラは言いながら動揺した気持ちを落ち着かせる。

 そうなのだ。万が一、クラマの言うことが本当だとしても、そんなことを知るはずがない。誰も教えるはずがないのだから。

 しかしクラマは当然の事のように答えた。

 

「気付かなかったのか? 地球人の胸には、召喚される前にはなかった手術の痕がある」

 

「え……うそ?」

 

 そこでサクラはこの世界に来てから、姿見で自分の体を見ていないことを思い出した。

 

 クラマの言葉を確かめるために、サクラはシャツを引っ張って、自分の胸元を覗き込んだ。

 周りの男3人もサクラの胸元を覗き込んだ。

 

「なに覗いてんの! バカ!」

 

 サクラは3人にビンタを張った。

 その様子を眺めつつ、クラマは彼女にアドバイスを送る。

 

「たぶん女の人の場合は、乳房の下にあるんじゃないかな」

 

 クラマの言葉を受けて、サクラはシャツをまくり上げて、自分の胸の下を覗き込んだ。

 周りの男3人も下からサクラの胸を覗き込んだ。

 

「覗くな!」

 

 3人はサクラに蹴られた。

 

 

 

 ……紆余曲折ありつつも、サクラは自分の体に手術痕らしき傷跡があるのを確認した。

 予想だにしていなかった事態に、サクラはわなわなと震えている。

 

「ほんとにあった……いや、でも発信器があるって決まったわけじゃ」

 

 甘い希望にすがろうとするサクラに、間髪入れずにクラマは告げる。

 

「オノウェ調査をすればいい。それで確認できる。魔法使いがいるなら、できるだろう?」

 

 離れて見守るパフィーが、目をぱちくりさせる。

 つい先刻教わったばかりの情報を、当たり前のように使いこなすクラマに驚いていた。

 また、それとは別にイエニアは思い詰めたような顔をしていた。

 

 サクラ達のパーティーは慌ただしく相談する。

 

「どうしやすかい、アネゴ?」

 

「拙者、オノウェ調査は得意でござる。人の私生活を調べるのに便利であるゆえ」

 

「……いいわ、やって」

 

 サクラに言われてマジカル三郎が詠唱を行う。

 

「オクシオ・オノウェ! チセウィハ・アヴィウハ・アセフ・イッツースディ・イウェハシ……サクラちゃんのおっぱいの奥に発信器があるのかーーーっ! 我に教えたまえぇぇーーっ! オクシオ・センプル!」

 

「なにその詠唱!? ほんとに必要!?」

 

 しかし胸の奥から広がる波動は、魔法が成功したことを示していた。

 三郎はうつむき、しばらく沈黙した後……静かに口を開いた。

 

「……真実にござる」

 

「う、うそ……」

 

「間違いないでござる。サクラちゃんのおっぱいの奥に発信器が」

 

「わかった。黙って」

 

「パイ……」

 

 三郎を無視してサクラは必死に考える。

 発信器があるなら逃げ切るのは絶望的だ。土地勘もないし、仲間の3人は頼りにできない。

 運量で発信器を壊すことも考えた。だが、壊せる保証はないし、ここで運量を使ってしまったら逃げるのに使う量が足りるのか? どれだけ運量を残せばいいのだろうか? いや、逃げるのは諦めて別の方法があるのではないか?

 

 ……等々、サクラがぐるぐると頭の中を回転させているところへ、クラマはすぐ側まで近づいて囁くように告げる。

 

「僕が召喚施設にいる間に調べた中に、対地球人の始末屋という記述があった。ひょっとしたら、もう動いているのかもしれない……」

 

「う……嘘でしょ……あの中で……運量の使い方知ってるわけ……」

 

「太ってた眼鏡のスタッフ、クリプトは口が軽くてね。仲良くしたら色々教えてくれたよ。施設責任者のディーザが、冒険者ギルド経理のコイニーと不倫してることも……。後はディーザと少し取引してね、彼にとっては大した事ではなかったらしい」

 

「じゃ、じゃあ本当に……?」

 

 ほとんどが嘘である。

 しかし今のサクラには、どれが本当でどれが嘘なのか、ひとつひとつ精査していられるほど、思考領域に余裕がなかった。

 

 一番大きかったのは、「知っているはずがない」とサクラが信じていた事を、味方である三郎の調査によって覆されてしまった事だ。

 嘘だと思っていたことが本当だった。

 これによって、その後に続くクラマの言葉に対して、「嘘だ」と決めつけることのできない心理状態が作られてしまった。

 

 その上でクラマによって大量に投下される、虚実織り交ぜた情報。

 すでに拠り所を失っているサクラの思考は掻き乱され、疑心暗鬼の海を漂う。

 

「ど、どうしたら……あたし……」

 

「どうするんスかアネゴォ!」

 

「あ、アネゴ、どうしやす。指示をくだせぇ」

 

「イーーーーーッ! 捕まる前にサクラちゃんのおっぱい揉みたいィィーーーッ!!」

 

 一部の者は口調が保てなくなるほどに絶望していた。

 

「お、落ち着きなさい! だっ、大丈夫よ、大丈夫! あたしが……あたしがなんとかするから! なんとか………」

 

 そうは言いつつも、サクラは頭を抱えた。

 なんとかなるわけがない。

 そんな都合の良いアイデアが、そう簡単に浮かぶはずがないことは、サクラにも分かっていた。

 

 

「じゃあ、僕がなんとかしよう」

 

 

「え……?」

 

 サクラが頭を上げると、目の前で人差し指を立てて、片目を閉じて微笑むクラマの顔があった。

 

 

 

 

 

 その場の全員の視線がクラマに集中する中で、イエニアは尋ねた。

 

「どうするつもりですか、クラマ?」

 

 すでにクラマを拘束していた次郎の手は離れている。

 場のペースは完全にクラマが握っていた。

 皆の視線を受けながら、全員に向かって、クラマは答えを告げる。

 

「掘ろう。上まで」

 

「う……」

 

 イエニア達はその一言で察した。

 サクラ達は何のことか分からず、怪訝な顔をする。

 

「え、なに? どういうこと?」

 

「ええと、それはね……レイフ、地図貸して?」

 

「あ、ええ……わかったわ」

 

 クラマはレイフから地下1階の地図を借りると、その一点に人差し指をあててサクラ達に説明する。

 

「ここの真上が、僕らが泊まってる貸家だ。ここから家の中まで、上に向かって掘り進む。……どうだろう、イエニア。パフィーの魔法と、サクラの運量で、いけるかな? なんなら、そこの梯子を壊して持っていってもいい」

 

「それは……多分……いや、できます」

 

 イエニアが想定するに、そう難しくもなく、問題なく可能であった。

 だが、いくつかの問題がある。

 

「待ってください。さすがに時間がかかります。それにこの場を離れれば、すぐにでもバリケードを壊して追ってくるでしょう」

 

「うん、そうだね」

 

 クラマは頷き、そして言った。

 

「だから、僕がここで時間を稼ぐ」

 

 全員が息を呑んだ。

 

「降りるのを見られなければ、中は迷路だし、かなりの時間を稼げると思う」

 

「だ、だめよそんなの!」

 

 声を張り上げたのはパフィーだった。

 イエニアも同じ思いだ。

 

「そうです、それに――」

 

 それに……なぜ、見も知らぬ彼らのために、そこまでしなくてはならないのか?

 

 イエニアは、その言葉を飲み込んだ。

 それは彼女が騎士である以上、決して口にしてはならない言葉である。

 

 何かを言いかけて口をつぐんだイエニア。

 止まってしまった空気を、レイフが引き戻す。

 

「……さて、結局どうするのかしら? 厳しいけど、考える時間はないのよね。どうするにしたって、早く決めないと」

 

 クラマは己の答えを提示した。

 イエニアに決断が求められている。

 

 問題は他にもあった。

 発信器の性能が分からない。個別認識が可能で、今この時も位置を特定されているかもしれない。

 そうであれば終わりだ。

 だが、その可能性は低いとも、イエニアは考えていた。

 50人を越えるこの街の地球人すべてに、そこまで高価な魔法具を用意できるとは考えにくい。

 

 しかし、可能性が低いからといって、パーティー全員の破滅を賭けていいものか……?

 はっきり言ってしまえばクラマの拘束が解かれた今、サクラ達を叩きのめして衛兵に突き出せばいい。

 サクラ達のその後を思うと後味は悪いが……自分が手を汚せば、少なくとも自分たちパーティーの安全は保証される。その手段、技量がイエニアにはあった。

 

 葛藤。

 己がどうするべきか。

 イエニアはパフィー、レイフ、そしてクラマの顔を順に見て……結論を出した。

 

「やりましょう」

 

 そこからは早かった。

 イエニアはサクラ達も含めて全員に指示を出して、梯子から地下へ降りさせていく。

 クラマもパフィーが降りる前に心量を譲渡し、パフィーは魔法でここでの会話の内容を隠蔽した。

 

 

> クラマ 運量:74 → 76/10000(+2)

> クラマ 心量:57 → 20(-37)

> イエニア心量:300 → 269/500(-31)

> パフィー心量:333 → 266/500(-67)

> レイフ 心量:418 → 415/500(-3)

 

 

 最後にイエニアが降りる前に、クラマは言った。

 

「ありがとう」

 

「……いえ。無茶はしないでくださいね」

 

 クラマは頷いて、地下に降りるイエニアを見送る。

 

 

 

 そうして、クラマはひとり残された。

 

「さあて……どうしたもんかなあ」

 

 クラマはしばらくサクラ達の真似をして、バリケードの奥から消費税削減やベーシックインカム導入を大声で訴えていたが、やがて様子が変わったことに警備員も気がつく。

 

「おい、何かおかしくねぇか」

 

「確かに。声がひとりしか……」

 

 警備員たちは警戒しながらバリケードに近づいていく。

 ……すると白い煙がバリケードの隙間から漏れ出してきた!

 そして中から叫び声。

 

「ウワァーーーーーーーッ!! 火事だあああーーーーーっ!!!」

 

「な、なんだと!?」

 

 もうもうと立ち込めてくる煙に、警備員は後ずさる。

 

「ヒィィィ~! 焼けるぅぅ~~~! 死ぬ~~~! 助けてくれェェ~~~~い!!」

 

「お、おい! 水だ! 水持ってこい!」

 

 奥から警備員がバケツのような大きい容器を引きずってくる。

 

「よし、そっち持て! せーのでぶっかけるぞ!」

 

 それをバリケードの隙間から見てとったクラマは、バリケードを飛び越えて外に出た!

 

「せーの……」

 

「ぶええええええええええええ!! だずがっだあああああああああああああ!!!」

 

 バッシャーン!

 クラマのタックルで地面に水がぶちまけられる!

 

「うわっ! し、しまった、水が……おい、水汲んでこい!」

 

 言われた男は駆け出そうとする。

 が、それをクラマの目が捉える!

 

「……!」

 

 クラマは走り出そうとした男の足を掴んで、引きずり倒した!

 

「うおぁ! 何をする!」

 

「怖かったよおぉぉーーーーー!! オトーチャーーーーーーーーン!!」

 

「わかった! わかったから手を離せ! な!」

 

 そんなドタバタをクラマと警備員は繰り返す。

 ……そうして、およそ1時間ほど過ぎた頃。業を煮やした警備員たちによって、クラマはロープでぐるぐる巻きにされた。

 消火活動に専念する警備員。

 そこで頓狂な声をあがった。

 

「……あれっ!?」

 

「どうした?」

 

「いや、これ……」

 

 バリケードの中から拾い上げられたのは、ずぶ濡れの煙玉(・・・・・・・)だった。

 

 警備員たちの目線がクラマに集まる。

 

「……おっと?」

 

 突き刺すような視線の中で、クラマに出来たのは、ただ愛想笑いを浮かべることだけだった。

 



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第5話

 時刻は夜。

 あれからひととおりの尋問を受けたクラマ。

 彼は今、薄暗い留置場の一室に閉じ込められている。

 

「召喚施設を出て1日でココに来た地球人はオマエが初めてだよ。スゲェな」

 

 両手両足を縛られて石の床に放り出されているクラマに、看守の男が話しかける。

 

「いやあ、それほどでも」

 

「ふてぶてしいヤロウだ。そんなに殴られて、まだ懲りねえか」

 

 看守の言う通り、クラマの顔には殴られた痣がいくつもあった。

 

「そんなコトないよー、もーしないから、ここから出してー」

 

「出せるかッ。オマエ自分の立場ワカってんの? ダンジョン経営の妨害は、冒険者なら無期禁錮だけど、地球人の犯罪者は例外。お上の判断で処分していいってなってるんだぜ」

 

「えええええええええええええ!? そんなー! 地球人差別だ! 弁護士を呼んでくれー!」

 

「そりゃそーだろ。口さえ開けりゃ運量次第で何でも出来る連中だ。捕まえておける檻なんてねぇからな」

 

「あれ、それだと魔法使いはいいの?」

 

「アイツらは魔導具がなけりゃ何もできねぇからな。むしろ楽なもんだ」

 

「ほほー」

 

「言っとくけど、保釈金はその辺の冒険者には払えっこねぇ金額だからな。お仲間がどうにかしてくれるって考えはムダだぜ」

 

「……らしいね。さっき耳にタコができるほど聞いたよ」

 

 ふと、看守の男はクラマの首にかかった金属札を見る。

 

 

> クラマ 運量:148/10000

> クラマ 心量:72

 

 

「まぁオマエは運がいいよ。こんな運量じゃ縄も外せねぇからな。これがもっと多かったら、捕まった時点で殺されてたろうな」

 

「そうだね。おかげでこうして楽しくお喋りできる」

 

「楽しくネェっての! どうしてそんな余裕なんだオマエ。何か逃げる策でもあんのか?」

 

「いやあ……」

 

 策などなかった。

 外ではイエニア達が、なんとかしようと頑張ってくれているかもしれない。

 だが、クラマの選んだ選択肢は、今この場所こそが終着点だった。

 

「変なヤツだ。どっかオカシイんじゃねぇか?」

 

「いやいやいや、普通だよ普通。どこからどう見ても普通でしょ? ね?」

 

「地球人のフツーなんて知るかッ」

 

 看守はそう言って、お喋りは終わりだとばかりにクラマから背を向けて、書類に筆を走らせた。

 

 

 

 それから約1時間後……

 

 

 

「って言ったんだよ、僕はね。でもマザキの奴は僕の想像の範疇を遥かに超えてたね。彼はなんて返してきたと思う?」

 

「オイオイ、もったいぶるんじゃねぇよ、早く言え!」

 

「そう、奴は――下着のラインがあれば、中身の是非は問わない。既にその役割は果たした――と」

 

「そいつ哲学者かよ……」

 

 看守はゴクリと喉を鳴らした。

 

「僕にも理解しきれない。深海のごとき深みにいるね、彼は。でもそれだけじゃないんだ。彼のすごいところは……」

 

 そこで、バンと音をたてて勢いよく扉が開かれた!

 

「何をしている、貴様ら」

 

 入ってきたのは痩せた中年の男。

 黄土色の髪を後ろに撫でつけ、オレンジ色の瞳にメガネをかけている。

 クラマは初めて見る男だった。

 

「ディーザ様。いやコレは……コイツがうるさいんでちょっと」

 

 看守はバツが悪そうに誤魔化している。

 クラマはその名に覚えがあった。

 地球人召喚施設長ディーザ。

 こいつがディーザか、とクラマはしげしげと眺める。

 

「ふん、ろくに仕事もせずに囚人と談笑か。まぁいい、こいつを運び出せ。あぁ、念のために口枷を噛ませておけよ」

 

 どうやら、どこかへ連れて行かれるらしかった。

 が、クラマにとって口を塞がれるのは非常にまずい。万が一でも逃げ出すチャンスが、完全にゼロになるからだ。

 

「やあやあディーザさん、会いたかったよ」

 

「なんだ? 私は貴様の名前すら知らん」

 

「いやあ、女の人にモテる男だって聞いてさ。是非その秘訣を教わりたくて」

 

「くだらん。どこから出た妄言だ」

 

「そうなの? いやあ、僕も綺麗な人と付き合いたいなあ。例えば……冒険者ギルドの経理役とかね」

 

 その瞬間、ディーザが手を伸ばし、クラマの顎を砕かんとばかりに握りしめた。

 

「誰から聞いた、その話」

 

「いぎぎ……さ、さあ……だれだっけなぁ……」

 

 ディーザはしばらく間近でクラマを睨みつけていたが、やがて地面に叩きつけるように放り出す。

 

「ふん、吐かないなら別に構わん。言わなくても結果は同じだ。オノウェ隠蔽の痕跡があったらしいが……私なら拾い上げられる」

 

 言って、ディーザはクラマに背中を向けると、後ろに控えていた看守へ怒鳴りつける。

 

「おい! さっさと口枷を嵌めろ! 使えんやつめ」

 

 言われて看守は口枷を持ってクラマの所へ歩いてくる。

 

「そういうワケだ。悪ぃなあ、これも仕事でよ」

 

 クラマは顔をそらして抵抗をする。

 ディーザの言葉と雰囲気から、今より悪い所へ連れて行かれるのは明白だった。

 それならいっそ、今ここでなけなしの運量を使って、逃亡の可能性に賭けるべきか……?

 思考を巡らせている時間はない。クラマは口を開いて――

 

「釈放だ!!」

 

 突然、丸々と太った中年男が現れた。

 紫の瞳に、密度の薄くなった薄紫色の頭。

 男は一目で富裕層と分かる豪奢な身なりをしている。

 

「ヒウゥース様……何故ここに」

 

 先ほどまで傍若無人な振る舞いをしていたディーザが、男の前では(かしこ)まっている。

 

「聞こえなかったか? 釈放だ! 保釈金が支払われた」

 

「まさか……」

 

 ディーザと看守の目が驚きに見開かれる。

 しかしディーザは納得がいかないようで、ヒウゥースと呼ばれた富豪の男に己の意見を告げる。

 

「地球人の犯罪者は危険分子となります。そもそも、保釈金を出してきたのは彼を受け持った冒険者でしょう? ならば騒動に加担していた仲間のはずだ。その者も捕まえて処罰すべきです」

 

「ディーザ! だからお前は……ダメなんだ! ない! ないんだよ! 商才が!!」

 

 大仰に手を振って力説するヒウゥース。

 

「しかし……」

 

 なおも反論しようとするディーザ。

 その肩に、ヒウゥースは手を置いた。

 

「支払ったのはラーウェイブの王女だ。貧しい小国だが、繋がりさえ出来れば金を作る方法はある。それに本人も、騎士でありながら見目麗しい姫君。いくらでも使い道が浮かんでくるわい」

 

 どのような使い道を思い浮かべているのか、ニターッと口元を釣り上げるヒウゥース。

 ディーザはなおも不服のようだったが、それ以上の反論はしなかった。

 

 そこへ、部屋の外から争うような声が届いた。

 

「……そっちはダ……待っ……」

 

 再び扉が勢いよく開かれる!

 

「クラマ! どこですか、クラマ!」

 

「イエニア……!」

 

 入ってきたのはイエニアだった。

 クラマの姿を見つけたイエニアは安堵の表情を浮かべて……その顔についた痣の数々を見て、鋭い眼差しに変わった。

 イエニアが入ってきた後から、制服を着た職員が遅れて入ってくる。

 

「ダメですって、立入禁止ですよ! ……あ! ヒウゥース議長、ディーザ施設長……こ、これは……」

 

 職員は中の有様を見て、完全に腰が引けていた。

 その一方でイエニアは、敵意すら籠もった目でヒウゥースを見据える。

 

「これは失礼しました。追加で科料をお支払いしましょうか?」

 

 ヒウゥースはイエニアの視線の険しさなどどこ吹く風で、ニコニコしながら返答する。

 

「いいえ結構! おい、そこのお前、彼の縄を解いてあげなさい」

 

「へい」

 

 看守がクラマの拘束を解いて、クラマの手足が自由になった。

 クラマが立ち上がるのを、イエニアが支える。

 

「それでは行きましょう、クラマ。歩けますか?」

 

「ああ、大丈夫」

 

 体中が痛くて仕方がなかったが、そんなことはおくびにも出さずにクラマは返答する。

 そうして、イエニアはクラマを連れて留置場から出ていった。

 ヒウゥースは終始笑顔を崩さず、ディーザは鋭い視線でクラマを睨み続けていた。

 

 

 

 

 

 留置場から出ると、外ではパフィーとレイフが待ち受けていた。

 

「クラマ!」

 

 パフィーが勢いよくクラマに抱きついた。

 

「お、っと、と……」

 

 クラマが勢いに負けて倒れそうになる。

 留置場での尋問と長時間の拘束で、まともに歩くのも難しいほど憔悴していた。

 

「あっ……ごめんなさい。大丈夫……?」

 

「うん、大丈夫、大丈夫」

 

 クラマは心配そうに見つめるパフィーに笑ってみせる。

 そうして顔を上げて、皆の顔を見てクラマは言った。

 

「みんな、心配かけてごめん」

 

 それに対してパフィーは大きく首を振る。

 

「ううん、いいのよ。クラマが無事なら」

 

 レイフは宵闇で薄暗い中、クラマの顔をじっと観察して……ふっと笑って言った。

 

「ま、そんな男前の顔で言われちゃ、こっちも何も言えないわね」

 

 クラマの顔はいくつもの殴られた跡が変色して、膨れてきていた。

 

「今日のところは早く帰りましょう。後始末は終わっていますので、ゆっくり休んでください」

 

 イエニアに促されて、4人は帰路につく。

 

 こうして長かったダンジョン探索の1日目が、ようやく幕を閉じたのであった。

 

 

----------------------------------------

 

 貸家に戻ってすぐベッドに横たわったクラマだったが、寝付けないでいた。

 顔の上に乗せた手ぬぐいを取って、サイドテーブルに置かれた水桶にひたして絞り、再び自分の顔に乗せる。

 そうして天井の木目を眺めていると、クラマは部屋の外から微かに足音が近づいてくるのに気がついた。

 

 クラマは顔を上げずに、目の端だけで出入口を見る。

 すると仕切りになっている垂れ幕を手で避けて、そろそろと入ってくる人影があった。

 

 レイフだ。

 

 彼女は物音をたてないようにクラマのベッドに近付くと、そろりそろりと、ベッドに乗り上げ……

 

「なにをしているの」

 

 クラマの声でレイフが止まる。

 レイフは少しだけ硬直したが、すぐに妖しい笑みを浮かべた。

 

「なにって……夜這い?」

 

 クラマは頭を動かして、自分の上に乗ったレイフを見る。

 レイフはクラマに覆い被さるように、四つん這いの姿勢で見下ろしている。

 今現在、クラマの眼前には、重力に引かれて最大限にその大きさを主張する、たわわに熟れた2つの果実があった。

 

「………………」

 

 クラマが何も言わないでいると、レイフはフフッと笑ってベッドから降りた。

 

「冗談よ。あなた、私には興味ないものね」

 

「いや! やはり誤解がある。アレはそういうことではなくてですね」

 

「まあ、それはいいとしてね。今日はあなたにちょっと話があって」

 

「あんまりよくないんだけどなぁ……」

 

 クラマのか細い訴えを無視して、レイフは静かに語り出した。

 

「あなたには教えておいた方がいいと思ってね。今日、あなたを留置場から出すために払った保釈金の額」

 

「……!」

 

 クラマは視線で話を促す。

 

「50万ロウ。だいたい、一般的な冒険者の稼ぎ2年から3年分ね。これだけで、そこそこ立派な家が建つわ」

 

 クラマには、この国の住宅事情や冒険者の懐事情が分からないので、日本円に換算するのは難しかったが、とにかく相当に高い金額だということは把握した。

 

「これをイエニアがひとりで全部出したの。でも、彼女は言わないだろうから」

 

 クラマにもなんとなく分かる。

 少なくとも、イエニアからクラマに教えることはないだろう。

 

「おそらく、彼女がダンジョン攻略のために祖国から持ってきた軍資金のほとんどを使ったはずよ。あんまりお金のある国じゃないから」

 

「………僕に、そんな価値があるだろうか」

 

「あら、それを聞いちゃう?」

 

 レイフはいたずらっぽくクラマを見つめた。

 

「いや……」

 

「ふふ、まあ地球人を失ったパーティーは再召喚が認められるけど。それとは関係なく、彼女はあなたを見捨てることができなかった。そして彼女の立場では、サクラたちを切り捨てることもできない状況だった。実質、彼女に選択権はなかったのに、仲間を危険に晒して責任だけを負う形になってしまった」

 

「ああ」

 

 分かっていた。

 そういう状況になると分かって、その流れを作ったのは、他ならぬクラマ自身だったからだ。

 

 そんなクラマの考えを知ってか知らずか、レイフは続ける。

 

「でもね、別にあなたを責めてるわけじゃないの。あなたもイエニアも、お互いに自分のやるべきだと感じた事をやっただけ。それが結果としてパーティーに不利益を生んだり、全滅したとしても……別にいいのよ」

 

「いや、それは」

 

 さすがに全滅は駄目だろう。

 クラマはそう思って目で訴えたが、レイフはそれに微笑みで返した。

 

「いいのよ、それが仲間だもの」

 

「………………………………」

 

 クラマは何も言えずに、レイフの目を凝視した。

 と、レイフは困ったように照れ笑いを浮かべる。

 

「なんて。かっこいいこと言っちゃった。まだ仲間としての信頼関係も築けてないのにね」

 

 レイフの言葉が、ちくりとクラマの胸に刺さった。

 信頼関係を築けていない。

 それはそうだ。

 なぜならクラマ自身が、彼女達のことを信用していない。

 だから留置場に入れられた時も、助けが来るとは考えていなかったし、それに――

 

「クラマ。胸の傷のこと、隠してたでしょ?」

 

 クラマの心臓が強く鼓動を打った。

 

「それは――」

 

 クラマが何かを言おうとするのを、レイフが制する。

 

「ああ、うん、ごめんなさい。分かってるのよ、クラマの立場からだと、私たちを信用できないのは当たり前だもの。何も悪くないのよ。……むしろね、これに関しては私たちの方に問題があるのよ」

 

「問題……?」

 

「ええ。まぁ、その……ぶっちゃけると嘘ついてるからね、私たち。色々と」

 

 てへへ、と困ったように笑うレイフ。

 クラマもまさか直球で嘘を告白されるとは思っておらず、返事に詰まる。

 

「だから、私たちを信用して……なんて口が裂けても言えないのよね。だからね、ひとつだけ、私からお願いしたいことがあるの」

 

「お願い?」

 

「そう、お願い。聞かなかったことにしてもいい、私の個人的なお願い」

 

 何だか分からなかったが、クラマは頷いた。

 

「あなたのできる範囲で、イエニアのことを気遣って欲しい」

 

「イエニアを?」

 

「そう。彼女、見た目しっかりしてて、強い力を持っているけど、まだあなたと同い年くらいの女の子なの。慣れないリーダー役で、普段しない気遣いと、仲間の命を預かるプレッシャー。そして、失敗は絶対に許されない使命がある。……かなり無理してるのよ、あの子」

 

「そうか……そうだね。うん、わかった」

 

 そう、彼女達はそれぞれ、目的があってダンジョンの踏破を目指している。

 そしてそれを成功させると、クラマは約束しているのだ。

 

「目的があるのはパフィーも、レイフもそうだし。約束したからには頑張らないとね」

 

「あ、私はいいのよ別に。たいした理由じゃないし」

 

 ケロッとそんな事をレイフはのたまった。

 

「え、いいの?」

 

「ええ、いいのいいの。イエニア達に比べたらどーだっていい事だから」

 

 からからと笑うレイフに、クラマはどうにも上手く返す言葉が見つからなかった。

 

「じゃ、こんなところでね。ごめんなさい、長いこと付き合わせちゃって」

 

 そう言って背を向けたレイフを、クラマは引き止めた。

 

「あ、そうだ。睡眠薬ってないかな?」

 

 レイフは立ち止まって肩越しに振り返る。

 

「睡眠薬? ああ……そんな腫れだものね。眠れないわよね」

 

「いや……普段から寝付きが良くなくて」

 

 地球ではほぼ毎日、睡眠導入剤を使用していた。

 レイフは少し思案して、

 

「うーん……薬は持ってないけど、代わりのものなら……」

 

 そう言って、少し足を開いて、下腹部のあたりでもぞもぞと手を動かしている。

 暗くて背中を向けているのでクラマにはよく見えない。

 

「んっ……しょ……あっ」

 

 そして振り返ったレイフは、刃のない短剣の柄部分だけを手にしていた。

 

「これね、魔法具っていって、魔法使いでなくても決まった詠唱をするだけで魔法を使えるものなのよ」

 

「うん、わかった。それはいいけど、今どこから出したの?」

 

「うふふ。で、魔法具ごとに決まった魔法しか使えないんだけど、これは心量が100以下から最大で200以下の生き物を眠らせることができるのよ。心量の少ない地球人はほぼ必ず眠ってしまうから、ダンジョンでは使えないんだけどね」

 

「うふふじゃないよ。ツッコミをスルーしないでくださいよ」

 

「そんな、代わりに突っ込みたいだなんて。疲れてるのに、若いわね~」

 

「もういい! もういいでーす! いいからその魔法を使ってみてくださーい!」

 

 そんなクラマの熱烈なリクエストに応える形で、レイフは詠唱を始めた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ホエーウー・ユヒ」

 

 レイフの持つ短剣が、淡い光を帯びる。

 ダンジョンの中で見たパフィーの胸当ての光と同じはずだったが、なぜだかクラマには、目の前の光がどこか暖かさを持つように思えた。

 

「眠れ、眠れ、夜のとばりは舞い降りた。

 まぶたは落ちる。だれもが同じ。

 枕をならべ、夢路をたどり、いざないましょう」

 

 まるで子守唄だった。

 魔法の効果からしても、その感想は間違っていないのだろう。

 

「ねんね、ねんねこ、夜のおとどに包まれて。

 ゆりかごの中で、まどろんで」

 

 とても優しくて、慈愛に満ちた、穏やかな調べ。

 まだ魔法の効果は出ていないのに、頭がぼんやりしてくるのをクラマは感じていた。

 

「眠れ、母の胸に」

 

 ――落ちていく。

 

 急速な睡魔は抗うこともさせずに、瞬く間にクラマの意識を黒く塗りつぶしていく。

 完全に意識が途切れる寸前、意識と無意識の狭間でクラマは、

 

「どうして(つくろ)えなかったのだろう」

 

 そんな言葉を、思い浮かべていた。

 



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第6話 - 青の挿話

 トゥニスは人の話し声で目が覚めた。

 

『逃げられただとォ!? きさま、逃げられましたで済むと思っとるのか!?』

 

「いやあ、返す言葉もございませんなァ」

 

 近くで男が、通信系の魔法具を使って何者かと会話しているようだった。

 声を聞きながらトゥニスは現状を把握しようと努める。

 

 最初にあったのは、固く冷たい石畳の感触。

 自分が後ろ手に縛られて石の床に横たわっていることを自覚する。

 次にあったのは脇腹の痛みだった。

 体をよじって見ると、包帯が巻かれており、それで自分が剣で腹を刺し貫かれたことを思い出した。

 

「ま、捕まえた者は逃亡者の似顔と一緒にそちらへ送りましたので。こちらも探しますから、そちらで入口の検問を手配して頂けますかな」

 

『おい待て、ひとり足りん。残りもこっちへ――』

 

「ああ~~~~イカンイカン、心量がなくなるぅぅぅ~~~! という事で、申し訳ないが失礼」

 

『ふッ、ふざけるな、ワイトピート、きさまッ……!』

 

 通信相手の言葉を無視して、男は大きな貝のような魔法具を放り投げた。

 

「さあ~て……」

 

 そうして、男はゆっくりとトゥニスへと振り向いた。

 

「やあ、おはよう。もう目が覚めるとは、なかなかタフなお嬢さんだ」

 

 低めで渋い声。

 トゥニスは顔を上げて、男を観察する。

 明るい橙色の髪で、髭の整えられた紳士風の男だった。

 

 トゥニスはさらに部屋を見渡す。

 3人の男達が壁を背にして直立しており、紳士の男を警護するように取り囲んでいた。

 そしてトゥニスの傍には、片目と前足に包帯を巻かれた、毛に覆われた大型の四足獣。

 部屋は光量が少なく、それ以上の細部は判別できなかった。

 

「……お前が、私を刺した男か?」

 

 開口一番、トゥニスがそう尋ねると、男は驚きの表情を露わにした。

 

「ほう、どうして私だと?」

 

 男達がトゥニス達を襲った時には、防毒マスクと兜を着用しており、声も発していなかった。

 

「体格と骨格、それと立ち方、息遣いによる雰囲気だな。お前、軍人だろう。それもかなりの手練。それに……」

 

「ふむ……それに?」

 

「周りの連中は素人だな。こいつらに私を刺せるとは思えん」

 

 トゥニスが刺された時は、曲がり角の先にいる人物に手を挙げて挨拶をされ、それに応えて手を挙げた瞬間を狙われた。

 しかし不意打ちとはいえ、それなりに修羅場を潜っているトゥニスが、何の反応もずに刺されるのは普通ではない。

 眼前にいる敵の立ち振る舞いから“敵対する気配”を感じ取ることができなかったことは、これまでトゥニスにはなかった。

 

 強い、というよりも得体が知れない。そんな印象をトゥニスは抱いていた。

 

 トゥニスの分析を聞いた男は、カッと目を見開いて――

 

「ぬわーーーーっはっはっはっはっ!!!」

 

 両手を叩いて大笑した。

 

「素晴らしい! 聞いたかね、諸君! 今回の獲物は大当たりだぞ!」

 

 男は初老に差し掛かろうという年齢にそぐわぬテンションの高さで、全身で楽しさを表現している。

 そうして笑顔のままで、横に立っている男の肩に手を置いて言う。

 

「コーベル君! 怒ったかね?」

 

「いえ、自分は……」

 

「いいや、怒って当然さ。きみが私のもとへ来てから、昼夜をおかず鍛錬しているのを私は知っている。今は苦しいだろうが、きみなら優れた戦士になれるだろう。期待しているよ」

 

「は――はいッ! ありがとうございます!」

 

 コーベルと呼ばれた若い男は、背筋をぴんと伸ばして畏まった。

 

 紳士の男はトゥニスに向き直る。

 

「……と、このように私は優秀な部下に恵まれているのだが……悲しい……とても悲しいことに、きみのお仲間の手によって、我々の大事な仲間がひとり欠けてしまってね」

 

 男はトゥニスの傍まで歩いてくると、その横にいる獣に手を伸ばし……その体をひょいっと持ち上げた。

 だらりと獣の身体が伸びる。

 まるで紙のように。あるいは布のように。

 

 それは中身を取り除かれた剥製だった。

 

 男は獣の剥製を、うつ伏せに臥したトゥニスの背中にそっと乗せると、耳元で囁く。

 

「そういうわけで、きみには彼を失った補填をして貰わなければならない」

 

 そうして男は獣の頭部とトゥニスの顔を突き合わせ、

 

「ガンバッテネー」

 

 と、パクパクと獣の口を開閉しながら言った。

 

「私の仲間はどうした」

 

 トゥニスは男の悪趣味を無視して訊く。

 もっとも、先ほどの通話でおおよその予測はできていたが。

 しかしトゥニスがここを脱出した後、どこを探せばいいのかを特定しておくことは重要だった。

 

 紳士の男は、持っていた獣の頭部を無造作に放る。

 ゴン、と音をたてて頭が転がった。

 

「ふぅむ、それをきみに教える理由が私にあるかね?」

 

 トゥニスは答えられない。

 男の言う通り、今のトゥニスに交渉できる材料はなかった。

 

「フフ、しかし……そうさな。ひとつだけ、確かなことを教えてあげよう」

 

 男は近くの椅子にどっかりと腰を下ろし、優雅に足を組む。

 そうしてトゥニスの正面から、告げた。

 

「きみたちの冒険は、ここで終了した」

 

 青い瞳が、爛々とした輝きを放って見据えていた。

 



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B2F - 獣牙潜む海蝕洞
第7話


 初めてのダンジョン探索、そして留置場から帰還した翌朝。

 クラマ達は全員で朝食をとった後、サクラ達の処遇についての話し合いとなった。

 

「まずは反省してください。それから、二度とああいった騒ぎは起こさないように。いいですね?」

 

「はい……ごめんなさい……」

 

 昨日の威勢とはうってかわって、サクラはシュンとして頭を垂れる。

 サクラの仲間3人もそれに追従した。

 

「面目ねぇ……」

 

「すいやせんっした」

 

「同上でござる」

 

 イエニアは彼らのパーティーリーダーであるクラマに対して、厳しい声色で言葉を続ける。

 

「不平、不満はあれど、あなたもパーティーの主導者なら軽率な行動は慎むべきです。あなたが抱えているのは、自分ひとりの命ではないのですから。仲間の生死を預かる責任は、そう軽いものではないはずです」

 

「まあまあまあ、彼女も反省してるみたいだし、その辺で、ね?」

 

 その場をとりなそうとするクラマ。

 だが……

 

「あなたもです、クラマ! 無事に帰れたから良かったものの、とても危険な立場にいたのですよ! 分かっているのですか!」

 

「うへあ。すみませんでした……」

 

 火に油を注ぐ結果となった。

 クラマは深々と頭を下げて陳謝した。

 イエニアの説教がヒートアップしてきたところで、レイフが声をかける。

 

「あ、お茶が入ったみたいよ?」

 

 パフィーが台所から木製のトレイを持って現れた。

 

「お茶が入ったわー♪」

 

 クラマが手伝って、それぞれの前にカップを運ぶ。

 皆が一息ついて落ち着いたところで、今日の行動について取りまとめた。

 

 まず昨日の騒ぎについて、当局が真犯人であるサクラ達を把握しているのかどうかを調査する。

 それが終わるまでは、サクラ達4人はこの家から外に出てはいけない。

 そして調査を行う者以外は、昨日簡易的に行ったダンジョン内の隠蔽を、今日一日かけて念入りに行うことになった。

 

「それでは、私は冒険者ギルドを見に行きます。パフィー、レイフ、こちらは任せましたよ」

 

「ええ、任されたわ」

 

「あ、ついでにクラマも連れて行ってくれる?」

 

 レイフはクラマの顔に人差し指を向けて、言った。

 

「お医者に」

 

 クラマの顔は腫れがさらに大きくなっていた。

 

「そうですね。大丈夫かとは思いますが、念のため診てもらいましょうか。行きましょう、クラマ」

 

「ウイーッス。みんなー、いってきまーす!」

 

「いってらっしゃーい!」

 

「はい、行ってらっしゃい」

 

「おみやげにタピオカミルクティ~!」

 

 奥から変な声が混ざってきていた。

 なのでクラマは大声で返した。

 

「イエニアさ~ん! あいつ反省してないっすよ~!」

 

「ひええ~! ごめんなさ~い!」

 

 慌てたサクラの声。

 クラマが後ろを向くと、イエニアは外に出て嘆息していた。

 

「はぁ……遊んでないで行きますよ」

 

「ハイ。ゴメンナサイ」

 

 そうして2人は街へと繰り出した。

 まずは街の病院へ――

 

 

 

 イエニアがクラマを連れてきたのは、通りから外れた目立たない場所にある、小さな診療所だった。

 イエニアの調べでは、他にも大きな病院はあるが、ここの医師が最も腕が良いとのことだ。

 

 医者は若い女医で、名前をニソユ=ニーオといった。

 ベージュ色のショートボブ。オレンジ色の瞳にメガネをかけて、ボタンも襟もない白衣を着用している。

 スレンダー体型で、愛想を振り撒くこともなく、淡々と診察する。

 クラマの印象は“クールビューティー”の一言だった。

 

「……骨は大丈夫だね。視界にも異常なし……口の中はかなり切れてるけど、縫うほどじゃないね。一応、薬は塗っておこうか。治りは早い方がいいでしょ?」

 

「うん、おねがいします。……あっ! あだっ! いたたたた、しみる!」

 

「こら、動かないの。男でしょ?」

 

「いや! 僕は男女平等主義でして。それに女性の方が痛みに強いという噂があだだだだだ」

 

「はいはい、すぐ終わるから我慢しなさい」

 

 クラマは痛みから逃れるために、なにか気を紛らわせるものを探した。

 するとニーオの黒いホットパンツから伸びた、すらりとした生足に目が留まる。

 

 

> クラマ 心量:82 → 86(+4)

 

 

「ん? 心量が上がったわね。あなた被虐倒錯の()があるの?」

 

「いやいやいや、こんな美人の女医さんに診てもらえるなんて嬉しくて」

 

 ニーオはジロリとクラマを睨む。

 

「私、口が軽い男は嫌いなの。だいたい、付き添いの子もいるのに、そういうこと言う?」

 

 ニーオの言う通り、クラマの後ろではイエニアが椅子に座って診察を見守っている。

 イエニアはなんとも難しい表情だ。

 

「まぁ……こういう人ですから。私にもだいたい分かってきました」

 

「そ。苦労してるのね」

 

「あれ? なんか僕がしょうもない奴みたいな流れ?」

 

 クラマをフォローする人間は、この場にいなかった。

 釈然としないクラマに構わず、治療は続く。

 

「……さ、これでいいでしょ。後は熱を持ったら冷やして。数日待って腫れが引かなかったらまた来て。他に何かある?」

 

「いや、あー……ついでに質問してもよろしいでしょうか?」

 

「なあに、改まって。暇だからいいけど」

 

「こういう怪我って魔法で治せないのかなと」

 

 ニーオの肩がピクリと反応した。

 

「ああ……そっか、召喚されたばかりでまだ聞いてないのね」

 

 イエニアが申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「すみません、話しそびれていまして」

 

「いえ、いいのよ。私は魔法は使えないけど、医療魔法の知識はあるから教えてあげる。慣れてる冒険者でも、間違って覚えてる事あるからね」

 

 お願いします、とイエニアが言い、ニーオがそれに応える。

 

「まず地球人に多い勘違いだけど、怪我に限らず“癒やす”という事は魔法では出来ない。これは漠然として定義できないからよ。とはいえ、事実上それに近い事はできる」

 

 なんとなく授業じみた雰囲気になってきたので、クラマは居住まいを正した。

 ニーオ女医は講釈を続ける。

 

「じゃあ魔法に何が出来るのか? といったら、魔法の特性について1から講義する事になって、今日中に終わらないから割愛するわね。今日のところは、冒険者がパーティー内の魔法使いに期待できる事を挙げていくから覚えておいて」

 

 クラマとイエニアは頷いて傾聴する。

 どこまでリスクを承知で行動できるのか、という事になるので、クラマにとっては重要な事柄だった。

 

「まず代謝の促進による疲労回復と負傷の治癒。これは老化が早まるのと、状態が悪いと壊死するから気をつけて。

 次に血流の停滞による止血。包帯だけじゃ止まらない血も止められる可能性がある。でも加減を間違うと脳に血が届かず貧血になる。

 最後にこれが最も重要で、解毒。体内の毒素を無害になるまで分解するのだけど……難しいから使えない魔法使いも多い。仲間の魔法使いに確認しておいて」

 

 イエニアがそれに答える。

 

「解毒は魔法具で用意していますので、大丈夫です」

 

「ああ、それが一番いいわね。賢いわ」

 

 ニーオはそこで一息ついて、足を組み直した。

 

「こんなところね。専門の魔法医なら、もっと色んなことができるけど……根本的には通常の医療と変わらない。どう、がっかりした?」

 

 意地悪そうな笑みを浮かべて、ニーオが言う。

 クラマは答えた。

 

「いや、充分です。ありがとうございます」

 

 そう言って頭を下げるクラマを、ニーオは興味深げに見る。

 

「ふーん、地球人はみんな落胆するんだけどね。あなた、変わってるわね」

 

「やだなあ。普通ですよ、フツー」

 

 そうして診察は終了し、会計を済ませたイエニアが外に出る。

 クラマも続こうとしたところで、ひとつ思い出した。

 

「あっ、そうだ。睡眠薬ってないですか?」

 

「睡眠薬? あるわよ」

 

 ニーオは薬包をいくつか袋に入れてクラマに渡す。

 

「初診特典でサービスにしとく。でも寝てる子を相手にするのは、健全じゃないわよ?」

 

「どうしてそういう目で見るかなあ……でも、ありがとう。何かあったら、また来るよ」

 

「もう来ないようにしなさい。お大事に」

 

 クラマは診療所の扉を開けてイエニアと合流すると、次は冒険者ギルドへと向かった。

 

 

 

 

 

 このアギーバの街は、元々は寂れた農村地であったが、現議長ヒウゥースが主導したダンジョン探索支援政策によって、近年になって急激に経済成長を遂げた街である。

 そのため木製の簡素な家屋と、石造りの厳つい建築が混在するという、節操のない街並みとなっていた。

 

 中でも、その経済力を象徴するかのような施設が、冒険者ギルドであった。

 クラマの抱いたイメージは「ヨーロッパの銀行か大使館」。

 小奇麗で洒落た外観の3階建て石造建築。

 施設内では各種手続きの他、探索に使用する道具の販売および貸し出し、武具の整備代行、冒険者の斡旋、ダンジョン以外の冒険者への依頼の仲介、引退者への仕事の紹介、さらには診察室に訓練場、遊技場から室内プールまで、ありとあらゆる設備が取り揃えられている。

 なお、サービスはすべて有料である。

 

 クラマとイエニアは手分けして聞き込みすることになった。

 とりあえずクラマは受付の女性と話をする。

 

「こんにちは。こちらが冒険者ギルド受付になります。本日はどういったご用件でしょうか?」

 

 しっかりした営業スマイルに、テンプレ通りの挨拶。

 クラマは少し日本にいた頃を思い出した。

 

 雑談を交えながらクラマが聞き取りしたところ、昨日の騒動はクラマが犯人ということで、ギルド職員には周知されているようだった。

 

「みんな噂してたんですよ。どんな凶悪な地球人だ、って」

 

「えぇー? こんな人畜無害な僕を? そりゃあナイでしょー」

 

「あはは、そうですね。でも凶悪な冒険者もいますから、気をつけてください。例えばそこの……」

 

 受付嬢のリーニオは、傍にある掲示板を指した。

 そこにはいくつもの似顔絵が描かれている。

 

「ダンジョンに潜伏している可能性のある、指名手配中の凶悪犯がこちらです」

 

「どいつも凶悪な面構えだね。……あれ、この子は?」

 

 クラマが指したのは、ライトブルーの髪に紫色の瞳をした少女の似顔。

 

「それは今日追加されたばかりですね。なんでも、仲間を皆殺しにして逃走中で――あっ!」

 

 リーニオは説明している途中で何かに気付き、クラマの後ろの方へと声をあげた。

 

「だめですよ、ロビーでの飲酒は禁止です!」

 

 クラマが振り向くと、後から入ってきた冒険者2名が、酒の入った陶器を手にしてくつろいでいた。

 

「固いこと言いねぇ! どーせお前さんらのお偉方も、今ごろ執務室でいいことしてるんだろーが!」

 

「違いねえ! ア~~ッヒャッヒャッヒャッ!」

 

 冒険者はリーニオの注意も意に介さない。

 酒を飲みながらロビーに居座り、2人の冒険者は雑談している。

 

「……で、警備にたてついた地球人があの坊主ってのは、マジな話か?」

 

「マジだね、あの膨れた顔を見ろって。……ん? どこ行った?」

 

「え、だれだれ? 誰の話?」

 

 いつの間にかクラマは男2人の間に入り込んでいた。

 

「うおっ!? おめぇーの話だよ!」

 

「うーん、なんか有名になっちゃってるなぁ。これはまさか――」

 

 はっとした表情で、クラマは呟く。

 

「僕のイケメンに、この世界が気付いてしまったのか……!?」

 

「ギャーーーハハハハ!! ボコボコに膨れたツラで、なに言ってやがる!」

 

「アッヒャッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

 

 

 ――それからしばらくの後。

 

 ひととおり聞き取りを終えたイエニアがロビーに戻ってくると、見知らぬ冒険者と肩を組んで談笑するクラマの姿があった。

 

「何をしているんですか……」

 

 イエニアに気付いたクラマは、冒険者たちに別れを告げて、イエニアと共に施設の外に出た。

 冒険者ギルドの扉を開けて面に出たイエニアは、クラマに忠告をする。

 

「ああいうガラの悪い冒険者には、あまり近付いてはいけませんよ。何をされるか分かりませんから」

 

「そうかなぁ。でも色々教えてくれたよ。罠の見分け方とか」

 

 クラマは聞き取りした内容をイエニアに話した。

 イエニアは頷きながら聞く。

 

「ご苦労様でした。私はこれから買い出しに行きますが、クラマはひとりで帰れますか?」

 

「あれ、冒険者ギルドで買わないの?」

 

 イエニアは首を横に振った。

 

「ギルド内の価格はすべて割高ですから」

 

「ナルホドね……じゃあ、ついて行っていいかな」

 

「買い物にですか?」

 

「うん。荷物持ちくらいはできるだろうし、それに今の僕じゃ何か手伝おうとしても、買い物もひとりじゃできないからさ。面倒かもしれないけど、買い物のついでに色々教えて欲しい」

 

「面倒ということはありませんが……そうですね、わかりました。今日は市場を回りながら、色々と教えていきます。ついて来てください」

 

 そうして、2人は街で最も大きな市場へと向かった。

 

 ……その後、2人は日が沈みかける頃まで街を歩き回った。

 街の案内も兼ねて様々な場所に足を運び、ダンジョンの必需品、その使い方から手入れに至るまで、イエニアはひとつずつクラマに教えていく。

 イエニアの足取りは早く、重い荷物を持ってもまったく歩調が変わらない。

 クラマは置いて行かれないよう、必死になってついて行った。

 

 

 

 

 

「ええと……さすがに気張りすぎましたね。すみません」

 

 きまり悪そうに振り向くイエニアの視線の先には、今にも崩れ落ちそうなほどに膝を笑わせながら、大荷物を抱えるクラマの姿。

 

「ゼー……ヒュー……コヒュー……」

 

「荷物は私が持ちましょう。貸してください」

 

 そう言うイエニアも、クラマと同じだけ荷物を持っている。

 

「ダイジョブ……ダイジョブヒィ……」

 

「どう見ても大丈夫じゃありません。私が持ちます」

 

 クラマからひょいっと荷物を奪うイエニア。

 

「おぉ……いやー、すごいなあ。イエニアは」

 

「鍛えてますからね。でも、私なんてまだまだです。騎士団の中では、末席の駆け出しですから」

 

「どんな魔界なんですかね、その騎士団ってヤツは」

 

 あははと笑って返すイエニア。

 

「……でも、あまり無理はしないでください。私が女だからと気にしないで、もっと頼ってくれていいんですよ」

 

 イエニアの言葉に、クラマは口をへの字に曲げて苦い顔をした。

 

「うーん……そうなんだけどさ。やっぱり厳しいなあ」

 

「……? 何がですか?」

 

 小首を傾げるイエニアに、クラマは少し俯き加減に吐露する。

 

「僕のせいで、イエニアには色々と迷惑かけちゃってるからさ。だから出来ることを増やして、少しでもイエニアの負担を減らそうと思ったんだけど……だめだなあ」

 

「いえ、負担だなんて……」

 

 自分は自分のやるべき事をしているだけ。あなたは気にしないでください。これが私の役割ですから。

 ……といった言葉がイエニアの脳裏に浮かんだが……なぜだか、それを口にするのは躊躇われた。

 自分の心にうまく理由をつけることができないでいるイエニアに、クラマは二の句を続けた。

 

「イエニア、きみの方こそ無理してない?」

 

 イエニアは、ぎゅう、と心臓を掴まれたような気がした。

 何事かを、言い返さなくてはならない。

 咄嗟に口を開きかけ……しかしその気勢は、ふたりの間に降りる夕闇の中へ紛れて消えた。

 真正面から自分を見つめ返す、真摯な眼差しに気がついてしまったからだ。

 

「私は……大丈夫ですよ」

 

 かろうじて絞り出せた言葉。

 その不自然な間に、イエニアは目眩のする思いだった。

 彼はどう思ったかと、鼓動の一拍ごとに胸の内のもやが大きくなるのを感じる。

 イエニアにとっては、とてもとても永く思える時が流れて……

 

「うん。それならいいんだ」

 

 日の陰る夕暮れ時でも、クラマの強い視線がイエニアにはよく見えた。

 

「僕はこれから先、たくさん皆を頼ると思う。だから、僕も皆から頼られるようになりたい。まだ全然だけど……僕が頼れるようになったら、きみも僕のことを頼って欲しい」

 

 返答を自分の中に探して、イエニアは気がついた。

 クラマを相手にする際に、自分が抱く漠然とした不安、その正体に。

 

 ――彼の前で嘘をつきたくない。

 

 秘匿、脚色、虚偽、虚飾。

 自分の言動は何もかもが嘘にまみれている。

 そんな現状への拒否感が、彼女の心を苛んでいた。

 だが、今さらやめることなど出来はしないということも、イエニアは理解していた。

 

「……ええ。期待していますよ、クラマ」

 

 だから精一杯の虚勢を張って、イエニアは微笑んだ。

 それを受けたクラマも緊張を解いて、相好(そうごう)を崩す。

 そうして、どちらともなく2人は歩き出した。

 

「しかしまずは、その膨れた顔を治すことですね」

 

「おっと、こりゃ参ったね。せっかくイエニアとのデートなのに、恥をかかせちゃったかな」

 

 と、イエニアの人差し指が、クラマの額を突っついた。

 

「あたっ」

 

「そういうところですよ! 診療所でも言われたでしょう。女の人への軽口は、もう少し控えてください」

 

「いやいやいや、僕は本心からね……おうっ」

 

 つん、つん、と怪我をしていない場所を選んでイエニアはクラマの額をつつく。

 

「そういえば朝は半端に終わりましたね。この際です、あなたには言いたいことがあります」

 

「ハイ。ハイ。スイマセン」

 

 クラマは貸家に戻るまで、歩きながらイエニアの説教を聞かされたのだった。

 



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第8話

「ただいまー」

 

「おかえり~」

 

「おかえりなさい!」

 

 買い出しから帰宅したクラマとイエニアの2人を、レイフとパフィーが玄関に出てきて出迎える。

 クラマ達が荷物を持って一緒にリビングに入ると、中ではサクラたち4人が何も置かれていないテーブルを囲んでいた。

 

「おそーい。いつまで遊んでたのよ」

 

 テーブルに突っ伏して足をぶらぶらさせるサクラ。

 その様子を指さして、クラマは隣のレイフに問いかける。

 

「この娘、いきなり馴染みすぎじゃない?」

 

「そうねぇ。でもそれ、あなたが言う?」

 

 

 ……などと楽しくお喋りをしつつ、買ってきた食材をレイフとパフィーが調理する。

 それから全員で談笑しながら夕飯。

 素朴な家庭料理で空腹を満たして、みんなで片付けを終えて……そうしてパフィーが淹れてくてたお茶に口をつけながら、夜の話し合いが始まった。

 

「まずは報告します。冒険者ギルド内では、サクラ達の事は知られていないようでした。ただ、警備隊の管轄はギルドではなく行政ですから、警備隊に手配されているかを調べるのは、少し時間がかかるかもしれません」

 

「じゃあ私が調べてみるわ。そういうのは得意だから」

 

 レイフが挙手して言った。

 イエニアが頷いて、後の調査はレイフに任せることになる。

 

「調査後のことも少し考えておきましょう。彼らをずっとここに置いておくわけにもいきませんし」

 

 イエニアの言葉にサクラが答える。

 

「外に出ても大丈夫なら出ていくわよ。もともと使ってた貸家もあるし。ダメなようだったら……どうしよう?」

 

 どうしよう、と振られても、周りは困った顔をするしかなかった。

 そこへクラマが手を挙げる。

 

「それなんだけどさ。ダンジョン攻略を協力できないかな?」

 

 建設的な提案。

 と思ってクラマは言ったのだが、見ると皆一様に渋柿を口に含んだような面持ちだった。

 

「あれ? だめ?」

 

 事情の分からないクラマにパフィーが説明する。

 

「あのね、クラマ。ダンジョン内で複数のパーティーが協力して動くのは、冒険者ギルドの規約で禁止されているの」

 

「え? なんで?」

 

 理解しがたい話だった。

 パフィーの回答も歯切れが悪い。

 

「うん……それに登録してダンジョンに挑戦できるのは、1パーティーにつき4人まで。うち地球人は1人まで。負傷等による交代は1人までと決められていて、これに対する明確な理由は、公には説明されていないの」

 

「うーん、わけがわからないね。攻略させる気あるのコレ?」

 

「ないんでしょうね、それは」

 

 横から答えてきたのはレイフだ。

 

「この街ってね、数年前までは小さな田舎町だったの。でも現評議会議長のヒウゥースが冒険者の誘致を始めてからというもの、あっという間に大都市の仲間入り。これには以前から手広く商売を広げていたヒウゥースの経営手腕によるものが大きいとされているわ。最近では観光地としての開発も進んでるみたいね」

 

「それってーのは要するに……最初から街興しが目的ってこと?」

 

 レイフは肩をすくめる。

 

「……っていうのが、冒険者の間でまことしやかに流れてる噂。ま、本当に攻略したパーティーが出たとして、冒険者なんていうならず者たちが、お行儀よくギルドに5割を上納するとは思えないしね。運営してる側にとっては、実際にダンジョンを攻略されたら困るのは確かでしょうね」

 

「……なるほどね」

 

 クラマはそう言ったきり、黙り込んで何事かを深く思案する。

 その間にパフィーは説明を補足する。

 

「でもね、協力禁止とはいっても、ダンジョンの中で偶然居合わせた場合の、一時的な協調行動は認められているわ」

 

「そうね。だから実際のところは、おおっぴらに協力してます~、って言わなきゃ問題ないはずよ。他のパーティーに見られた時に、すぐ離れるとかして誤魔化せばね」

 

「でもでも、ばれたら10万ロウの罰金よ。密告の報奨金をねらう冒険者もいるから、あぶないわ」

 

 レイフとパフィーがそれぞれに意見を言い合い、サクラはそれを眺めて興味なさげに頬杖をついている。

 

「……ま、協力したってあたしたちじゃ3階にも行けないし。ぶっちゃけ足手まといになるわよ?」

 

 サクラはそう言って、テーブルにべたっと突っ伏す。

 その格好のままサクラはぶつぶつと愚痴を言い始めた。

 

「しかしねー……やっぱりこっちの世界も、世の中お金なのね~。ハァ~、夢がないわ~」

 

「お金は……でもアネゴ……お金は、おっかねぇっすよ」

 

「い、一郎ォ!? それは……!」

 

「地球語ジョークでござるよ!? まさかそこまで使いこなすとは……一郎のインテリジェンス、甘く見ていたでござる」

 

「オヤジギャグ! バカ! おもしろくないから、それ!」

 

 場が騒然としてきたところで、それまで沈黙していたイエニアが手を叩く。

 

「はいはい、これ以上何もないなら、今日はもう終わりにしましょう。クラマは……クラマ?」

 

 イエニアはクラマが妙な顔をして自分を見ているのに気付いた。

 困ったような、申し訳ないような、それでいていたずらっぽく誤魔化すような、なんとも言えない半笑い。

 

「ごめんね」

 

「?」

 

 クラマの言葉の意味が分からず、頭に疑問符を浮かべるイエニア。

 そうしてクラマは、全員に向けて言った。

 

「うん、やっぱり協力しよう。でもサクラ達にはここにいてもらって、僕達だけがダンジョンに潜る」

 

「え? ここで何するの? 料理?」

 

「それもいいけどね。本命はこっち」

 

 と言って、クラマは人差し指で真下を指した。

 

「サクラ達には、地下から戦利品をここまで引き上げてもらう」

 

 全員が呆気にとられていた。

 その中でいちはやく衝撃から立ち直り、応答したのはレイフだった。

 

「え~っと……それってつまり……このまえ掘った穴を使って、入口で払う上納金から逃れるってこと?」

 

 クラマは満足そうに頷く。

 

「そう。せっかく苦労して手に入れたものを、半分も持っていかれるのは馬鹿らしい。ただ、全部引き上げたらダンジョンを出る時に怪しまれるから、自分達で使えるものと、お金に換えるのが簡単なものだけだね。残りは普通に入口へ持っていく。使えないものの換金と販売手数料と考えれば、5割もそう高くない」

 

 予想外の提案に皆が戸惑い、思案している中で、クラマの発言は続く。

 

「もちろん引き上げ作業中は冒険者が通らないように、僕らで周囲の見張りをする。オノウェ調査の対策はパフィーと三郎さんの意見を聞きたいな。1階に来た新人が運量で偶然見つける事の対策は、サクラの運量で対抗すればいいと思う」

 

 そこまで言い切ったクラマは、一呼吸置いて全員を見渡す。

 皆の視線が集まっているのを確認すると、ゆっくりと人差し指を立てて――

 

「向こうが汚い真似をするなら、こっちも素直にやる事はない。ズルしていこう」

 

 ニヤリ、と口の端を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 抜け道を使うというクラマの提案に、サクラとパフィーは賛成。レイフとイエニアは保留という形で、翌日に結論を回すことになった。

 

 話し合い終了後、オノウェ隠蔽に関してクラマはパフィーと三郎に尋ねたところ、

 

「拙者、女の子の情報を得るためオノウェ調査は磨いてきたでござるが、隠蔽の経験はないでござる」

 

 ということなので、やるならパフィーの担当になる。

 

「うん。任せてくれていいわ」

 

 と快く受け持つパフィーだったが、三郎は懸念を表す。

 

「オノウェ隠蔽は大罪でござるよ。見つかればタダでは済まないでござる」

 

 そうなのか、とクラマが尋ねると、パフィーは少しの静黙を経て、笑顔を見せた。

 

「わたしは大丈夫よ。みんな頑張ってるから、わたしもみんなの役に立ちたいの!」

 

「そっか……ありがとう、パフィー」

 

 自然とクラマの手はパフィーの頭を撫でていた。

 背後では三郎が、天使だ天使だと震える声で繰り返していた。

 

 

 

 

 

 それぞれ自室に戻り、夜も更けてきた頃。

 ノートにこれまでの情報を整理していたクラマの所へ、意外な人物が訪ねてきた。

 

「旦那、ちょっとよろしいですかい」

 

 声を受けたクラマは、メガネを外して振り向いた。

 

「一郎さん。どうしたんですか、こんな時間に。……てゆーか旦那ってなに?」

 

 クラマの見たところ、一郎の年齢はクラマの2倍以上はあった。

 

「嫌でしたら変えやすが」

 

「や、べつに嫌なわけではないけど。……それで、何の用ですか?」

 

 神妙な佇まいをしていた一郎だったが、クラマに促されると、やおら頭を垂れた。

 

「アネゴを助けてくれて、ありがとうごぜえやす」

 

 クラマは慌てた。

 

「え? いやいやいや……そんな、いいですから。頭を上げてください」

 

 言われて一郎は下げた頭を戻す。

 

「いえね、旦那には一度、改めて礼を言っとかにゃならんと思いやして」

 

 どうやら一郎は、恩義だとか、そういった事にこだわる性格らしかった。

 クラマはそれから、一郎が「自分たち」ではなく「アネゴを助けてくれて」と言ったところが気になった。

 

「いやあ、ずいぶん慕われてるんだなあ。サクラは」

 

「えぇ、まぁ、アッシらはアネゴに救われたみたいなところがあるんで」

 

「そうなの?」

 

「元々、アッシは冒険者じゃなくて漁師だったんでさぁ、ダンジョンに潜るのは無謀だったんすよ」

 

 一郎はクラマに己の身の上を語った。

 

 漁師であり料理人であった彼は、この歳でようやく一人前と認められて船をひとつ任されるようになった。

 しかし大勢の部下をまとめるプレッシャーに耐えられずに、逃げ出してしまう。

 そうして放浪していたところを、居酒屋で会った次郎に儲かる場所があると誘われて、この街へやって来たのだった。

 次郎と三郎も似たようなもので、皆それぞれに自分の居場所から逃げてきた、負け組の集いであった。

 船の上での暮らししか知らない彼は、船を降りてしまってからは、人生の目的も、楽しみ方も分からず、ただ漠然と流れのままにダンジョンの中で朽ち果てるのだろうと考えていた。

 

 そんな時に現れたのが、サクラだった。

 

 彼女は子供ながらに強力なリーダーシップを発揮し、腑抜けた彼らを強引にグイグイと引っ張っていった。

 サクラの言う事、やる事はいつもムチャクチャだったが、そんな彼女の後ろをついて、一緒に馬鹿騒ぎをするのが、一郎は楽しかったのだ。

 

「人に話すにはみっともねえ話ですがね、アネゴに出会ってから今までが、アッシの人生の中で一番楽しかったんですわ」

 

 親子ほどに歳の離れたサクラが、彼らのリーダーを務めていた経緯が分かって、クラマは色々な疑問が腑に落ちた。

 しかし一郎は先日、サクラの無茶に付き合って本当に危険な事態になったことで、自分らがしっかりサクラを守らなければと思うようになったと語る。

 

 なお、一郎次郎三郎という名前もサクラが名付けたもので、それぞれの妙な口調も、「あんたたち分かりにくい!」という理由でサクラが割り振ったとのことだ。

 

「ムチャクチャだなあ……ってことは、ちゃんとした本名があるんだよね?」

 

「えぇ、アッシはテデス、次郎はチナエ、三郎はニシイーツって言いやす」

 

「じゃあテデスさんって言った方がいいのかな」

 

 クラマが訊くと、彼は首を振った。

 

「いや、今のアッシはソードマン一郎でさぁ」

 

 言って、一郎はくしゃっと顔を崩して笑った。

 つられてクラマの顔も綻ぶ。

 

「なるほどね。じゃあ、これからもよろしく。一郎さん」

 

 クラマが手を差し出すと、一郎は両手で握り返した。

 

「えぇ、それじゃあアッシはおいとましますや。長ぇことつまらねぇ話に付き合わせちまって、すいやせんでした」

 

「そんなことないよ。話を聞けてよかった」

 

 そうしてクラマは立ち去る一郎を見送る。

 人に歴史あり。その言葉の意味を、一郎の背中を眺めてクラマはしみじみと実感したのであった。

 



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第9話

 人も草木も寝静まる、日本であれば丑三つ時と言われる頃。

 しんと静まり返った住宅街の一角を、ひとりのメイドが歩いていた。

 彼女はもうじき待ち合わせの場所に着こうという時であった。そこでふと物音がした気がして、彼女は振り返った。

 背後には――何もいない。

 だが、ぐるりと視線を回して……それに気付いた。

 背の低い小屋の上に“それ”はあった。

 黒々とした夜空に浮き上がる、顔。

 屋根の上から彼女を見つめている顔は、不細工な泥人形のようにでこぼこで、奇怪であった。

 まるで殴られた腫れが引いていないような顔……。

 

 そう、クラマである。

 

「みぃつけた」

 

 ニタァ、とクラマが笑ったと同時にメイドは逃げた。

 クラマは小屋から飛び降りてメイドを追う!

 

「今日は逃がすかっ! エグゼ・ディケ――古木の枝よ、腐朽と振動によって折れろ!」

 

 

> クラマ 運量:1454 → 1416/10000(-38)

 

 

 クラマの願いに従い、メイドの前方にあった木の枝が折れる。

 するとそれに連動して、大きな網が広がった。

 

「……!」

 

 メイドは避ける間もなく、網に絡め取られた。

 無論、この網はクラマが木に仕掛けていた罠である。

 前回の失敗とダンジョンでの調査結果を踏まえて、少ない運量で捕まえるために考えたのが、この方法だった。

 

「クックックッ……これで煮るなり焼くなり剥くなり好きに……お?」

 

 網に近づいたクラマは、網の目を破って伸びてきた手に掴まれて、地面に引き倒された。

 

「ぐえっぶ!」

 

 そしてそのまま間接を押さえて捻り上げられる!

 

「ぎぃええええええええ痛い痛い痛いやめてえええええええ」

 

「なぜ追ってきたのですか?」

 

 クラマの背後から、冷たく凛とした声。

 メイドはクラマ背中にのしかかったまま、問いかけてきた。

 

「いや、なぜ、って……うぅん……」

 

「こうして返り討ちに遭う可能性に思い至らなかったのですか? 相手がその気なら、このように……」

 

 クラマは首元にひやりとした感触を覚えた。

 メイドが取り出した刃物が、クラマの首筋に押し当てられている。

 

「終わりです。運量を使う暇もありません。……もう一度聞きます。なぜ追ってきたのですか? まさか根拠もなく自分は大丈夫だとでも思っているのですか?」

 

 向こうがどれだけ本気なのかは分からない。

 おかしなことを言えば、今すぐに首をかき切られて絶命することは有り得た。

 夜風の冷たさと、背後からする声の冷たさと、首元に触れる冷たさを感じながら、クラマは口を開いて言った。

 

「いやあ、綺麗なメイドさんが歩いてたから、連絡先を聞いておかなきゃいけないと思ってね」

 

 果たして呆れているのか、怒っているのか。

 抑え込まれているクラマには窺い知ることはできなかったが……

 

「あなたは……」

 

 彼女が何を言おうとしたのか、最後まで聞くことができなかった。

 

「どうかしましたか!?」

 

 という、イエニアの声に遮られたためである。

 現れたイエニアは手にした照明で2人を照らす。

 

「ティア、いったい何が……え、クラマ……?」

 

 2人の顔を見比べて戸惑っている。

 いつになく平静を欠いたイエニアに、クラマは尋ねる。

 

「えー、ふたりはお知り合い?」

 

「え、いえ……まあ………」

 

 しどろもどろになっているイエニアに、メイドが告げる。

 

「申し訳ございませんが、先にこの網を解いて頂けないでしょうか」

 

 そう言ってメイドは、クラマにあてた刃物を仕舞う。

 イエニアが慌ててメイドに絡まっている網を解いて、それと一緒にクラマも開放された。

 

 

 

 

 

 照明の灯りを受けて、クラマは改めてメイドの姿を眺めた。

 紺色のシックなメイド服で、セミロングの髪はほぼ黒に近い青。

 紫色の瞳は起伏を抑えていて、感情が外から読み取りにくい。

 そして肩にかかった白いケープのために分かりにくいが、かなり着痩せして見えていることを、クラマの眼識は看破していた。

 分かりやすく言い換えるならば、おっぱいが大きかった。

 

「わたくし、イエニア様の従者を勤めさせて頂いております、ティアと申します。どうぞお見知り置きください」

 

「あ、はい、これはどうもご丁寧に」

 

 つい先刻まで間接を極めてのしかかっていた事など、まるで無かった事のように挨拶してきたメイドに、クラマも思わず頭を下げて応じた。

 イエニアがティアに関してクラマに説明する。

 

「彼女には街で情報を集めてもらっていました。私がこの街の事情に詳しいのは、彼女のおかげです」

 

「そうだったのか。でも、なんで今まで出てこなかったの?」

 

 クラマの当然の疑問。

 それにティアが回答する。

 

「一緒にいては、有事の際にサポートが不可能になる事が考えられますので、リスクを抑えるためです。あらかじめ申し伝えていなかった事でご気分を害してしまったようでしたら、申し訳ございません」

 

「いやいや、そんな気にしてないから大丈夫。いやー、なるほどね」

 

「畏れ入ります」

 

「それじゃあやっぱり、僕が出てきたのは迷惑だったかな」

 

「いえ、元から明日にはご挨拶する予定でした」

 

「あ、そうなの?」

 

 ティアの言葉にクラマだけでなく、イエニアも意外そうに見る。

 

「ええ、当初の予定とはだいぶ事情が変わりましたので。隠れているよりも、表に出て全面的にサポートするべきとの判断です」

 

 多分その予定を崩したのは自分なんだろうなあ、とクラマは思い当たったので、なんとも言えなかった。

 

「それから、地下1階への穴を利用することについては、わたくしも賛成です。ただ、決定するのは皆様ですので、よくお考えください」

 

 ティアはそれだけ言うと、クラマが何かを言うよりも先に、失礼しますと一礼して夜の闇へ消えた。

 残されたクラマとイエニアの2人。

 妙に気まずい空気の流れる中で、クラマが先に口を開く。

 

「いやあ、王女様の付き人ともなると、しっかりしてるんだねえ」

 

「あれでも私と同い年ですよ」

 

「えっ、そうなの?」

 

 衝撃の事実だった。

 それはすなわち、クラマとも同い年ということだった。

 

「うーん、パフィーといい、この世界の人たちは若くても大人だなあ」

 

「あなたが若く見えるだけですよ」

 

「いやいやいや、これでもダンディズムを目指してますから。ヒゲとか似合いそうじゃない?」

 

「どの口が言いますか。まずはその軽口を減らして言ってください」

 

 冗談を言いながら、和やかに笑う2人。

 談笑が収まったところで、改めてクラマは口を開く。

 

「イエニアさ」

 

「はい」

 

「また負担かけるような事してごめん」

 

 イエニアは返答に詰まって、思案する。

 その間にクラマは続けた。

 

「さっきのティアとも、あのことを話し合う予定だったんでしょ?」

 

「……ええ、そうですね。彼女は言うだけ言って帰ってしまいましたが。でもクラマ、気にしなくていいんですよ。気付いたことを言わない方が、むしろ後々の負担になりますからね」

 

「そうだね……うん」

 

 そうしてクラマとイエニアも貸家に戻って、部屋の前でお休みを言って別れた。

 睡眠薬を飲んだクラマは眠りに落ちる前にベッドで横たわりながら、「どうしてティアはイエニアと落ち合う前から会議の内容を知っていたんだろう」といったことを考えていた。

 

 

 

 

 

「というわけで、皆様よろしくお願い致します」

 

 翌朝。

 朝一番に現れたティアは皆に向けて挨拶をすると、そのまま朝食の支度を始めた。

 しばらくすると食卓に野菜を中心とした料理が並び、全員で囲んで朝食となった。

 

「あのさ、言っていい?」

 

 歓談しながら和気藹々と食事をしている中で、耐えかねたといった具合にサクラが声を発した。

 

「――狭くない?」

 

 狭かった。

 テーブルには皿が乗りきらず、料理に手を伸ばせば隣の人間に肘が当たる。

 食卓を囲んでいるのはクラマ、パフィー、レイフ、イエニア、サクラ、一郎、次郎、三郎、そしてティア。

 合計9人が、本来5~6人用のテーブル席に着いているのだから、あまりに当然すぎる話であった。

 

 しかし今さら感の溢れる話なので、乗ってきたのはレイフだけだ。

 

「狭いわよね~。何度クラマの肘に胸をつつかれたことか」

 

「なるほど確かにそういった事実があったことは認めるけど、僕は不可抗力を主張したい!」

 

「まぁ私から押しつけたんだけどね」

 

「トラップ仕掛けるのやめて」

 

 レイフはけらけらと笑ってから、少しだけ真面目なトーンに戻す。

 

「でも今日からもうサクラ達は戻って大丈夫よ。昨夜のうちに手配が回ってないのを確認したから」

 

 素早い仕事に感嘆の声が上がる。

 

「すごいね。どうやって調べたの?」

 

 そんなことを尋ねたクラマに、レイフは目を細めると、舌先をちろりと出して唇を濡らし、そっと囁いた。

 

「聞きたい……?」

 

「……いや、大丈夫です」

 

 だいたい分かってしまったので、クラマは賢明な判断により質疑を中断した。

 

 食事を終えた一同は、今後の動きについて話し合った。

 しばらく後、話し合いがまとまったところで、イエニアが音頭を取る。

 

 

「それでは次の探索は、クラマの運量が回復する8日後! それまで各自、準備を整えてください」

 

 運量の回復量は、1日に1000。

 地球人の運量が10000付近まで回復してからダンジョンに潜る。

 このサイクルが、どのパーティーにも共通するダンジョン探索の基本であった。

 

 それぞれが当日に備えて動き、そしてすぐにその日はやってきた。

 

 

> クラマ 運量:9516/10000

> クラマ 心量:97

> イエニア心量:428/500

> パフィー心量:493/500

> レイフ 心量:415/500

 

 

「さあ、それでは行きましょう! 準備はいいですね、皆さん!」

 

「ザッツ、オーライッ!」

 

「おーらい!」

 

「元気よね、ホント」

 

 元気に掛け声をかけて、ダンジョンの入口へ向かっていく。

 この日のためにクラマはしっかりと心量も上げてきていたので、気合は充分。

 

 心量についても、ここまでの期間にクラマは調べていた。

 心量は人によって、またその時によって差が激しいのに、あまり振る舞いに違いが出ているように見えない。

 それについてパフィーに尋ねると、

 

「心量は精神力を量的に表したもので、残りが多いほど強い集中力を発揮できて、少ないほど集中できなくなるの。そして集中力を発揮するごとに削れていくわ」

 

 つまり気分やテンションの高さを表すものではないらしい。

 しかし低すぎると集中力がなくなり、思考から運動まで、全てのパフォーマンスが低下してしまう。

 

 ちなみに地球人の中でも心量はかなり個人差があり、クラマは通常70~90程度だが、サクラはたいてい100を超えている。

 何もなければ80~100あたりに収まるのが、地球人の平均だという。

 また、地球人には心量の上限はない。だが、

 

「でも、200を超えた事例はほとんど報告されていないわ。公に確認されたのは、数えるほどよ」

 

 とのことだ。

 ともあれ今のクラマにできることは、高いパフォーマンスを発揮するために、ダンジョンに向かう前には心量を高くしておくという事くらいであった。

 

 

 

 ダンジョンへ入る際にクラマが見知った警備員に手を振って笑いかけると、ムッツリとした顔を返された。

 

「覚えられてるわね~、手配犯」

 

「いやー参ったね、ハッハッ」

 

 今ではクラマの顔は腫れが引いて、うっすらと痣が残る程度にまで治っていた。

 

「あまり目立つ事は控えてください。保釈金で罪が消えたわけじゃありませんからね」

 

 この国の司法では保釈金の支払いがされると、その時点で捜査は中止され、判決を保留とする制度を採用している。

 保釈金が帰ってくるのは、無罪であるという証拠を被疑者が出してきた時のみ。

 カネさえ払えば刑罰から逃れられるという、圧倒的に金持ち有利の法制。

 こうしたお金で解決する法律が増えたのは、現評議会議長ヒウゥースが国政を握ってからの事であった。

 

 しかしながら無罪となったわけでなく保留しているだけなので、もう一度犯罪を犯して捕まった場合は、過去に保留となった事件も捜査が再開され、刑が加算される仕組みとなっている。

 つまり次に何か騒ぎを起こして捕まればアウトという事である。

 

「ウィッス、肝に銘じております」

 

「目立つ必要のある時は私が目立ちますから」

 

「……それはいいの?」

 

「私が目立つのはいいんです。さあ、それより今はダンジョンに集中しますよ。今日は地下2階を攻略します」

 

 前回の探索とは違い、今回は地図を頼りにまっすぐ下りの階段へと向かう。

 地下1階は滞りなく進み……そして一行は次のフロアへと足を踏み入れた。

 

 

> クラマ 運量:9516 → 9571/10000(+55)

> クラマ 心量:97 → 94(-3)

> イエニア心量:428 → 423/500(-5)

> パフィー心量:493 → 489/500(-4)

> レイフ 心量:415 → 411/500(-4)

 

 



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第10話

 地下1階は人工的に掘り進められた炭坑のようなイメージだったが、対する地下2階はまさに天然の洞窟であった。

 壁も足場もすべて岩で出来ており、通路の大きさも不規則。

 高低差も激しく縦横無尽に入り組んだ、自然の力によって作られた迷宮であった。

 

「うわああ~……聞いてはいたけど、これはきっついわね~」

 

 マッパーのレイフが激しく嫌な顔をする。

 クラマもこんな所の地図を書けと言われたら、自分だって頭を抱えるだろうと思った。

 

「ここはかつて神の怒りに触れた古代人が滅ぼされた《神の粛清》の折に、天の滝によって大小様々な穴を穿たれた山脈が、長い時間をかけて埋もれたものと考えられています」

 

「神の粛清……天の滝ってのはあれだよね、空に4つある」

 

 この世界では、東西南北の空に地面から巨大な管が伸びており、その頂点から滝のように地面へと水が落ちてきていた。

 地球では有り得ない異様な光景であり、クラマが「ああ、違う世界に来たんだなあ」という実感を抱いたのも、外に出てこの天の滝を目にした時であった。

 

「そういえば、クラマにはこの世界の神について話していませんでしたね」

 

「帰ったら、わたしが教えてあげる!」

 

「うん。お願い、パフィー」

 

 クラマがパフィーと約束を取り付けると、改めてダンジョン攻略へと向かう。

 

「マップはある程度は妥協をして、目印をつけて進んでいきましょう」

 

 イエニアが壁に剣で印を刻みつつ、1階と同様にクラマが先行して探索する。

 でこぼこの岩場に注意を払い、クラマは慎重に進んでいった。

 歩きながらイエニアが探索の注意点を述べる。

 

「2階も1階と同じく、冒険者の出入りが多いので人工的な罠はほぼないでしょう。しかし滑りやすい岩もあるので、足元には気をつけてください」

 

「わかった」

 

 クラマは棒を小脇に抱えて片手を空けておき、必要な時のみ両手で持つようにする。

 

「それから、こんな地形ですから探索も隅々まで行われていません。1階と違って危険な生物が潜んでいる可能性もあります」

 

 その他にも適宜イエニアはアドバイスを挟んでいく。

 まずは何事もなく進んでいく探索。

 ……そうしていると不意に、クラマはあるものに気がついた。

 

「みんなストップ。レイフ、ちょっと(あみ)貸して」

 

 クラマはレイフから投網(とあみ)を受け取ると、やおら靴を脱ぎ、棒の先端に取り付けた。

 棒の先についた靴を手前からぺた、ぺた、と少しずつ奥へ進ませる。

 クラマのいる位置から2メートル半ほど靴が進んだところで……

 

「キィィィィイイイッ!! ギッ! キィッ!」

 

 まるでガラスを引っ掻いたような耳障りな鳴き声とともに、何もなかったように見えた壁から何匹もの小動物が飛び出し、棒の先端についた靴に飛びついた!

 

「よしきた! そらっ!」

 

 クラマは構えていた網を投げる!

 投網は見事に獲物を捉え、クラマは計4匹の小動物を捕獲した。

 

「クラマ、すごーい!」

 

 背後の3人から歓声が上がった。

 イエニアは網の中でぐったりしているそれらを確認する。

 

「これは……サイヨロアーピント。別名、隠れ岩ねずみですね。鍾乳洞などの岩場に生息して、壁に擬態して通った生き物を襲う獰猛な生物です。よく気が付きましたね」

 

 深く感心しているイエニアに、クラマは答える。

 

「うん、壁の両側に細いフンがいくつか落ちてるでしょ? それがあったらこいつに注意しろって、ギルドにいた冒険者の人達に教わったんだ」

 

「そうでしたか……冒険者はライバルとなる他の冒険者には、タダで情報を与えることを嫌うものですが……珍しいですね」

 

 レイフもしげしげと隠れ岩ねずみ(サイヨロアーピント)を眺める。

 

「へえ~、目も耳も鼻もないのね。そんなに危ないやつなの、これ?」

 

「ええ。集団で狩りを行い、獲物が人間であればまずアキレス腱を強靭な顎で食いちぎり、逃げられなくしたところで、2~3日かけてゆっくりと全身を貪っていきます」

 

「うわぁ……」

 

 生きたままじわじわ食われることを想像したのか、レイフは引きつった顔で後ずさった。

 

 捕獲した隠れ岩ねずみはイエニアがしっかりしめてから、レイフの荷袋に入れられた。

 野生動物に詳しいイエニアによると、

 

「皮を剥けば、似ても焼いても全身あますところなく頂けます。滋養強壮にもいいんですよ」

 

 とのことだった。

 

 それからもクラマは他の冒険者から得た知識で危険を避け、運量の消費を少なく抑えて探索を進めていった。

 

 

> クラマ 運量:9572 → 9527/10000(-45)

> クラマ 心量:94 → 89(-5)

> イエニア心量:423 → 416/500(-7)

> パフィー心量:489 → 484/500(-5)

> レイフ 心量:411 → 404/500(-7)

 

 

 

 

 

 クラマは慎重に、注意深く探索を続ける。

 しかしどれだけ気をつけようとも、危険な生き物との遭遇が避けられないのがダンジョン探索というものである。

 パーティーは遭遇した獣と戦闘になった!

 

「イエニア!」

 

 クラマはイエニアに声をかけてから、手にした棒をイエニアの後ろから思いきり突き出した!

 

「ギャウ!」

 

 鳴き声をあげて怯んだのは、2メートル近い巨体の、6本足の獣。

 獣はアリクイのような顔で、2本の足で直立している。

 目を突かれた獣が怯んだ隙に、イエニアは盾を構えながら詠唱を行う!

 

「オクシオ・ビウヌ! サウォ・ニノ・シニセ・ノウツ――ファウンウォット・シヴュラ!!」

 

 

> イエニア心量:416 → 386/500(-30)

 

 

 詠唱が完了した瞬間、イエニアの盾に燃えるような赤い紋章が浮かび上がる!

 

「クラマ!」

 

「おおっ!」

 

 イエニアに呼びかけられたクラマは、もう一度イエニアの後ろから棒を出して突く!

 ……が、獣は学習したのか前足を上げてそれを阻む。

 さらには圧倒的なパワーで押し返してきた!

 

「ふんっぐぐぐぐ……!」

 

 クラマは負けじと押し返そうとするが、獣の前足はぴくりとも動かない。

 

「もういいですよ、クラマ」

 

 凛と響くイエニアの声。

 獣がクラマに目を向けている間に、イエニアは獣の腿に乗り上げていた。

 相手の足に乗り上げたことで身長差が埋まる。

 イエニアの前には獣の頭部。

 ――唸る剛腕!

 イエニアの手にした盾、それが颶風(ぐふう)のごとき唸りをあげて、獣の側頭部へ直撃した!

 

 ガァァァァアン!!!

 

 破裂音にも似た轟音が鳴り響く!

 フックの要領で大きく遠心力をかけた、イエニア必殺の一撃。

 打撃など効果があるとは到底思えない獣の巨体であったが、ゆらり、ゆらりとその体を揺らし……最後に身を投げ出すように倒れた。

 

 ズズン……と地響きを鳴らして倒れる巨体。

 仲間達から安堵と喜びの声があがった。

 

「すごいわ、ふたりとも!」

 

「さっすがねぇ~。クラマも頼りになるじゃない」

 

 仲間の称賛に応えるよりも先に、イエニアは剣を抜いて獣の首を切り裂き、とどめを刺した。

 イエニアは大きく息を吐く。

 クラマはそこに声をかけた。

 

「お疲れ、イエニア。どうだったかな?」

 

「ええ、いい感じでしたね。ただ、突きを止められてから粘るのは、押し返されて壁と挟まれる危険があるので、すぐに引いて手数で気を引く方がいいですね」

 

「ふーむ、なるほど」

 

 クラマとイエニアは連携について軽く話し合う。

 イエニアとの話を終えたクラマは地面に投げ出された棒を拾い上げると、既に持っている棒と先端を合わせてひねる。

 すると2本の棒が合体し、長い1本の棒になった!

 

「よく考えますよね、そういうの……」

 

 若干呆れの混じったイエニアの感嘆。

 クラマはフッと笑うと、棒を構えて声高に叫んだ!

 

「これこそは、古代ギリシアはマケドニアが当時世界最強を誇ったファランクスより着想を得た、ランス・オブ・ピリッポス・ザ・セカンド!」

 

 だが棒であった。

 

「でも作ったのはパフィーですよね?」

 

 そして作ったのはパフィーであった。

 クラマが自分も戦闘で何か出来ることはないか……とイエニアに相談した結果、すったもんだがありつつも最終的に出た結論が、棒であった。

 剣道の経験もないクラマが、剣を持っていきなり戦えるわけがない。

 そもそも刃物は素人が扱うと、誤って仲間や自分を斬ってしまう危険が大きい。

 ……という説明をされてもしつこく食い下がるクラマに折れたイエニアは、先程のようにイエニアを盾にしてクラマが後ろから棒でサポートするという案を採用することになったのであった。

 

 イエニアから戦闘の許可を得たクラマはパフィーと相談して、探索用の棒を分割・連結して、戦闘にも使えるように改造してもらった。

 この長物を分割・連結する事と、味方の背後から長い武器で攻撃するというアイデアは、先ほどクラマが言っていた通り、マケドニア王ピリッポス2世が考案した長槍・サリッサによるファランクス戦術をもとに考えたものだった。

 もっとも、本来は槍を分割して持ち運び、戦闘時には繋げて使用するものであるが……残念なことにそれはダンジョン内で使うには長すぎた。

 

 そうしてクラマは、3日前からこの棒を使って、毎日イエニアに稽古をつけてもらっていた。

 

「何度も言いますけど、忘れないでくださいね。あなたが武器を持つのは敵を倒すためではなく、パフィーとレイフ、そして自分を守るためですよ」

 

「うん、わかってる」

 

 イエニアの念押しにクラマは頷く。

 話が終わったところで丁度いい時間だったので、一行はそのまま食事休憩に移ることにした。

 倒したばかりの獣は、イエニアの主導によってシンプルなブロック肉のバーベキューとなった。

 

 作り方は以下。

 1.適当に切った肉に調味料をまぶす。

 2.肉に鉄串を刺す。

 3.火の上で回しながら焼き上げる。

 4.完成!

 

 食欲をそそる焼肉の香りが広がった。

 クラマは豪快にブロック肉へとかじりつく!

 

「はぐ、あむ、ん………………………」

 

 固い。しかしあれほどの筋肉の塊なのだ。仕方ないとクラマは考えた。

 だが。だがしかし。口の中に広がる、強い臭み。こればかりは如何(いかん)ともしがたかった。

 

「どうしました、クラマ。食が進んでいませんよ」

 

 イエニアは肉の固さも匂いも物ともせずに、がつがつと食いちぎっている。

 

「あ~、やっぱりダメみたいねぇ」

 

「わたしもこの臭みはちょっと……」

 

 クラマだけでなく、パフィーもこれには不満顔である。

 

 次の探索までに、必ず何らかの対策を講じる。

 そうクラマは固く心に誓った。

 固い肉にかじりつきながら。

 

 

【クラマのメモ】------------------------

イーノウポウ(別名:舌伸び大熊)

 

 地下2階で遭遇。洞窟や山岳地帯に生息し、微生物から大型の獣まで何でも食う悪食。

 熊の体にアリクイの顔。二本足で直立する。ごつい体格で、大きいものは全長3メートルを超える。

 六本足を器用に使ってどこにでも入り込んでいき、細長い舌を伸ばして微生物を舐めとったり、小動物を捕食する。唾液には麻痺毒の成分が含まれており、獲物を逃がさない。

 爪や牙だけでなく、舌による攻撃にも警戒する必要がある。

 

 肉は臭みが強い。そして固い。

 体の大きさのわりに食べられる部分は少ない。

 毛皮は高く売れる。

----------------------------------------

 

 

 食後の休憩時間にて。

 クラマは今の戦闘で気になったことがあった。

 

「そういえばさ、イエニアの盾って魔法で硬度を強化できるんだよね?」

 

「ええ、そうです。陳情句(ちんじょうく)まで入れれば、熱や冷気、腐食液に至るまで、あらゆる外敵からの脅威を遮断できます」

 

 魔法については、クラマもあれから簡単に説明を受けていた。

 魔法は詠唱によって発動し、詠唱は「始動句(しどうく)」「律定句(りつじょうく)」「陳情句(ちんじょうく)」「発動句(はつどうく)」の4つから成る。

 「オクシオ・○○」の部分が始動句。〇〇の部分は魔法の種類で変わる。

 その後に続く、長くて意味の分からない呪文が律定句。これで具体的な魔法の効果を決める。

 次に続く日本語の部分が陳情句で、これは魔法の効果を高めるもの。省略しても構わない。

 そして最後に発動句。これを言うことで魔法が発動する。

 

 本来はこの他に「心想律定(しんそうりつじょう)」といって、律定句の部分を空間的にイメージする必要があるのだが……これを省けるようにしたのが、魔法具というアイテムである。

 代わりに魔法具では、あらかじめ決められた魔法しか使えない。

 それでも、それまで極度の集中を要するために戦闘時にはほぼ使用が不可能だった魔法を、限定的とはいえ戦闘中にも使用できるようにした魔法具の存在は大きい。

 

 現在このパーティーが保有している魔法具は3つ。

 1つ目はイエニアの盾。魔法によって防御力が上がる。

 2つ目はパフィーの胸当て。解毒と、火炎による攻撃の2つが使用できる。

 3つ目はレイフの短剣。心量の低い者を眠らせる魔法が入っている。

 

 心量の低い地球人はほとんど魔法を使用できないが、いざという時のためにクラマも詠唱は暗記している。

 

 ……というわけで、クラマは尋ねた。

 

「盾で殴る時に使っても、あんまり意味なくない?」

 

「……………………」

 

 沈黙。

 もしや何か聞いてはいけない事だったのだろうか?

 クラマが様子を窺っていると、イエニアはゆっくりと口を開いた。

 

「クラマ、効率ばかりを求める風潮はいかがなものかと思います」

 

「うん」

 

 あ、やっぱり効率悪いんだ。と思ったがクラマは口に出さなかった。

 

「それに、この盾は誇りある王国騎士として叙勲した折に賜る正騎士の証。たとえ剣と命をなくそうとも、盾と誇りを失うなと言われています」

 

「へえ、じゃあ他の騎士もこうやって盾を使って戦うんだ」

 

「……………………」

 

 再びの沈黙。

 イエニアはとても言いにくそうにしている。

 

「……イエニア?」

 

 クラマが呼ぶと、イエニアは伏し目がちに語った。

 

「……他の騎士たちは皆、様々な武器を巧みに操り流麗に戦います。彼らは幼い頃から騎士となるべく武芸百般を身に着けますから。このように地味な戦い方をするのは私だけです」

 

「そっか。お姫様だもんね」

 

 イエニアの気さくな態度のために忘れそうになるが、19番目の王女とはいえ、彼女はれっきとしたお姫様なのである。

 姫として育っていたのが、事情により騎士とならざるを得なかったのだろう。とクラマは得心した。

 

 イエニアの事情はクラマには分からない。

 クラマは何度かイエニアに過去の事を尋ねていたが、いつも適当にはぐらかされていた。

 なので、このようにイエニアの方から語ってくれるのは珍しい。

 以前よりもイエニアとの距離が縮まっているのを、クラマは感じていた。

 

「はーい、時間よー! みんな休憩終わりー!」

 

 パフィーが休憩時間の終わりを告げる。

 しかしそこには地面をごろりと転がって抗うレイフの姿が!

 

「えぇ~、もうちょっとだけ……だめ?」

 

「だめー! 起きなさーい!」

 

 そんな微笑ましいやり取りを眺めながら、クラマとイエニアも探索再開の準備にとりかかった。

 



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第11話

 クラマ達はそれからも滞りなく地下2階の探索を続けた。

 何度か休憩を挟んで、およそ夕刻に差しかかる。

 しかしダンジョン内では日が差さないため、時間の感覚が薄くなる。

 時間の経過が分からない中での探索は、クラマから予想以上に体力と精神力を削っていった。

 

 

> クラマ 運量:9527 → 9370/10000(-157)

> クラマ 心量:89 → 81(-8)

> イエニア心量:386 → 371/500(-15)

> パフィー心量:484 → 474/500(-10)

> レイフ 心量:404 → 385/500(-19)

 

 

 クラマの疲労を見てとったイエニアが提案する。

 

「今回はクラマの運量も多く残っているので、夜営の練習をしましょう」

 

 こうしてダンジョン内で一夜を過ごすことに決まった。

 一行は周囲を警戒しやすい場所に陣取り、夜営の準備を行う。

 

「はぁ~、もー疲れたわ~」

 

 荷物を置いたレイフがぐったりと横になる。

 疲労が溜まっていたのはクラマだけではなかった。

 荷物持ちに加えて難度の高いマッピングにより、レイフは心身ともに消耗していた。

 疲労困憊といったパーティーの様子を見て、イエニアは言う。

 

「外の時間ではまだ寝るには早い頃ですが、みんな疲れたでしょうから、交代で休みにしましょう」

 

 2人ずつ交代して就寝と警戒をしようという事になるが……そこでクラマが提案した。

 

「運量で獣に見つからないようにすれば、見張りなしで休めるんじゃないかな?」

 

 なるほど、といった目で皆がクラマを見る。

 しかし寝ている間に運量が切れる可能性もないとは言えない。

 そのため、1人ずつ交代で警戒を行うことになった。

 

「エグゼ・ディケ……寝ている間に野生動物に見つからないように」

 

 クラマの体が金色に光り……そして収まる。

 これで準備は完了した。

 

 まずはイエニアが見張りを行う。

 交代順はクラマ、パフィー、レイフ。

 順番が決まるや否や、レイフはいちはやく毛布にくるまって寝始めた。

 

「おやすみなさ~い」

 

「あっ、だめよレイフ。毛布は一枚しかないんだから!」

 

「ん~? スピュ~……」

 

 パフィーが声をかけた時にはもう寝ていた。

 

「よっぽど疲れてたんだなあ……」

 

「しかたないわ。レイフには、わたしたちのぶんの荷物も持ってもらってるもの」

 

 そう言いながらパフィーは、レイフが被った毛布をシワのないように伸ばす。

 

「よいしょ……うん、これなら3人なんとか入れるわ!」

 

 パフィーはレイフに背中を押し付けるようにして、毛布に潜り込んだ。

 そうして横になった状態で、毛布に隙間を開けてクラマを誘う。

 

「さあ、クラマ。いっしょに寝ましょ?」

 

 クラマは躊躇して、二の足を踏んだ。

 毛布にしっかり入ろうとすれば、中で密着することになってしまう。

 

「どうしたの、クラマ?」

 

 パフィーの純真な瞳がクラマを見つめる。

 

「……いや、それじゃあ僕も失礼して……」

 

 クラマも毛布に入り、クラマとレイフでパフィーをサンドイッチする形になった。

 やはり狭い。が、パフィーは気にせずニコニコしていた。

 

「うふふ、こうやってみんなで寝るの、久しぶり!」

 

「前は誰かと一緒に寝てたの?」

 

「ええ、私の他にも先生には弟子がたくさんいたから。……あ、クラマ。肩が出ているわ。もっと詰めて?」

 

 クラマが詰めると、完全に隙間がなくなって密着する。

 パフィーが苦しいのではないかとクラマは心配したが、むしろ喜んでクラマの胸元に顔を埋めてくる。

 

 小さな体。

 クラマは改めてパフィーの幼さ実感していた。

 そして脳裏によぎる。

 もし誰かに「こんな小さい子をダンジョンに連れて行って大丈夫なのか」と言われたら、自分はどう答えたらいいだろう……と。

 

 しかし丸一日ダンジョンを探索して疲弊した体は、クラマに深く思索することを許さなかった。

 クラマは横になった途端、泥のように夢の中へと滑り落ちていった……。

 

 

> クラマ 心量:81 → 85(+4)

 

 

 しばらくするとクラマはイエニアに起こされ、見張りを交代する。

 イエニアは見張り時の注意をいくつかクラマに告げてから、パフィー達の側で横になる。

 鎧を着たままでは狭い毛布には入り込めないので、仕方がなかった。

 

 

 

 暗闇の中でランタンの灯りを頼りに、クラマは見張りをする。

 見張りを開始してから小一時間ほど経過した頃。

 コツ……コツ……と暗闇の奥から物音が聞こえてきた。

 クラマは運量を確認するが、減っていない。

 皆を起こすべきだろうかとクラマは思案する。しかし、まずは軽く見える所だけ確認してみようと考える。

 メガネを取り出して装着。

 足音を殺してゆっくりと。

 そ~っとランタンを前に掲げて、物音のした方を照らす。

 

 ……何もなかった。

 

 目を凝らして見えたものといえば、やや遠くにいくつかの小石が落ちていたくらい。

 クラマはしばらく暗闇と睨めっこしていたが、何かがいそうな気配はなかった。

 

 そうしてクラマが(きびす)を返した時だった。

 

「……え?」

 

 眠っている皆の枕元。

 荷袋をあさる人影があった。

 

 そいつはクラマの声に気付くと、バッと弾かれたように飛び退いた。

 

「みんな、起きて!」

 

 クラマは叫びながら考える。

 運量を使って捕まえるべきか?

 だが、その人影はまるで雲のような身軽さで、岩から岩へピョーンと飛び移る。

 

「うっそでしょ……!」

 

 クラマが運量を使う暇もない。

 人影は瞬く間に闇の中へと消え去っていった。

 

「…………忍者?」

 

 およそ人間とは思えぬ身軽さだった。

 クラマに分かるのは、ランタンの仄暗い光に映った相手の漠然とした姿。

 薄青色の髪と、体を覆うローブ。小柄な体格は、おそらく少女のものと思われた。

 

「クラマ……? どうしたの?」

 

「何かありましたか?」

 

 クラマの声で起きてきたイエニアとパフィー。

 レイフはまだ寝ていた。

 

 クラマは2人に先ほど起きたことを説明して、荷袋の中を確認する。

 すると持ってきた携帯食料と、捕らえた隠れ岩ねずみがない。また、4つあった水袋もひとつになっていた。

 

「水がなくなったのは痛いですね。これでは探索を続けられません。レイフが起きたら、すぐに帰還しましょう」

 

「見張りを減らしたりしなければ……」

 

 クラマはいいアイデアだと思ったのだが、裏目に出てしまい後悔する。

 

「いえ、他の冒険者の存在を考慮に入れなかった私のミスです」

 

「しかたないわ。みんな賛成したんだもの。暗い顔しないで?」

 

「……うん。ありがとう」

 

 クラマがガックリときている理由は他にもあった。

 携帯食料の中にあったドライフルーツは、貧しい食生活の中の唯一の癒やしだったからだ。

 次は必ず捕まえる。

 クラマはそう決意した。

 

 

 

 

 

 起床時間になったところでレイフを起こし、一同は帰還を開始した。

 

 

> クラマ 運量:9370 → 9163/10000(-207)

> クラマ 心量:85 → 82(-3)

> イエニア心量:371 → 367/500(-4)

> パフィー心量:474 → 472/500(-2)

> レイフ 心量:391 → 390/500(-1)

 

 

 帰り道はマッパーであるレイフの指示通りに進んでいく。

 

「えーっと、こことここが繋がってるから……」

 

「確かこの付近でイーノウポウ……舌伸び大熊と戦ったはずです」

 

「あ、そうそう、そうね。だからこっち……」

 

 レイフが地図をめくりながら歩く方向を変えた時だった。

 つるりと岩の上でレイフが足を滑らせる!

 

「あいたっ! ――あら? あ、ちょ、っと」

 

 尻もちをついた先は傾斜になっており、レイフはそのまま坂を転がり落ちていく……!

 

「ひゃああああああああ!?」

 

「レイフ!!」

 

 クラマ達の目の前でレイフは岩肌を滑り落ち、闇の底へと消えていった……。

 

「追いかけましょう。でも足元に気をつけて」

 

 3人は滑らないように注意しながら、レイフを追って坂を降りる。

 斜めになった岩は、だいぶ長い坂道になっていた。

 傾斜を下りきったところで、3人はレイフの姿を発見した。

 

「あいたた……いやぁ目が回ったわ」

 

 レイフの無事を確認して、一同は胸を撫でおろした。

 

 

 

 坂の下は狭い穴ぐらだった。

 圧迫感のある狭さにクラマは地下1階の通路を思い出すが、高さも横幅もそれよりだいぶ狭い。

 イエニアはレイフに手を貸して引き起こしながら言う。

 

「岩は滑りやすいですから、気をつけてくださいね」

 

「ごめんなさい。でも、こういう所の奥にお宝があったりしないかしら?」

 

「そんな都合のいいこと……」

 

 イエニアがランタンで周囲を照らす。

 すると、目の前に、あった。

 長い顔に毛皮を纏った大きな体。

 

 舌伸び大熊(イーノウポウ)である。

 

「――っ!?」

 

 全員が息を呑んだ。

 いきなり目の前に獣が現れた事もあるが、さらにその巨体。

 昨日ここで遭遇したものよりも、二回りは大きい。

 成体だった。

 

「走って!」

 

 こんな狭い場所では戦えない。

 捕まれば押し潰されるだけだ。

 4人は全速力で穴ぐらの中を走った。

 舌伸び大熊は獰猛な唸り声をあげると、クラマ達を追ってきた。

 

「ヴヴッ……ゥオオオッ!!!」

 

 逃げる。

 狭い穴の中を走って逃げる!

 足の遅いパフィーをイエニアが小脇に抱えた。

 幸いにも穴ぐらが狭すぎて、舌伸び大熊は全力で走れていない。

 このまま広い場所に出れば……という時だった。

 

「あっ!」

 

 レイフが岩の出っ張りに足をとられて転倒する。

 

「レイフ……!」

 

 イエニアが振り返る!

 その時、イエニアは見た。

 既に反転して駆け出している、クラマの後ろ姿を。

 

 

 

 走りながらクラマは唱える。

 

「エグゼ・ディケ――」

 

 クラマの目に映るのは、倒れたレイフの足に、異様に長く伸びた大熊の舌が絡みついているところだった。

 

「――喉の奥まで突き刺され」

 

 唱えて、狙いを定めることを放棄する。

 クラマはただ、渾身の力で真っ直ぐに棒を突き出した!

 

 

> クラマ 運量:9163 → 9057/10000(-106)

 

 

 グボォッ、と吸い込まれるように長大な棒が大熊の口に飲み込まれる!

 同時に伸ばした舌も口の中へと巻き戻されていく。

 レイフが大熊の舌から開放されて、大熊は苦痛にのたうった。

 

「レイフ! 立てるか?」

 

 クラマは倒れたレイフに声をかける。

 だが……

 

「う……あれ、体が……」

 

 レイフは立ち上がることができない。

 クラマはハッとして思い出した。パフィーに教わった事を。

 ――舌伸び大熊の唾液には麻痺毒の成分が含まれている――!

 クラマはレイフを担ぎ上げる!

 そして顔を上げると……既に立ち直っている大熊が、目の前でこちらを見下ろしていた。

 大熊は眼前の獲物へと動き出す。

 

「う……!」

 

 絶体絶命。

 その時、大熊の前に金色の鎧が立ちはだかった!

 

「イエニア!」

 

 イエニアは答えず、代わりに唱えた。

 魔法の発動句を。

 

「――ファウンウォット・シヴュラ!!」

 

 

> イエニア心量:367 → 337/500(-30)

 

 

 駆けつけながら詠唱していたイエニアは、発動句を叫ぶと同時、盾の一撃を叩き込む!

 空洞に響く銅鑼(ドラ)のような盛大な打撃音!

 大熊の動きが止まる。

 しかしそれも、一時的に怯ませるだけであった。

 以前とは体格のまるで違う成体。しかも正面からの打撃では、脳を揺さぶることができない。

 打撃で倒すことは不可能だった。

 

 イエニアもそれは承知の上だ。

 大熊が動き出すよりも先に、クラマに代わってレイフを背負い、走り出す!

 そして――

 

「クラマ、伏せて!」

 

 イエニアの指示から、ひと呼吸の後。

 岩窟に満ちた陰湿たる暗闇を、駆け抜けた紅蓮の炎がまばゆく照らし上げた。

 

 

----------------------------------------

 

 少し前。

 クラマを追って駆け出す前に、イエニアはパフィーに指示を出していた。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 指示を受けたパフィーはすぐさま詠唱を開始する。

 危険はある。

 危険な指示だと分かってはいたが、安全な作戦などを立てている時間はない。

 パフィーは唱える。

 

「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ」

 

 ――クラマが大熊に棒を突き込んでレイフを救出した。

 ――しかしレイフが動けず逃げられない。

 

「燃える、燃える、燃え落ちる。やさしい音の古時計。たくさん描いた似顔絵も。いじわる好きの影鳥も。今ではみんな、すすのなか」

 

 ――イエニアが盾殴りで大熊を怯ませる。

 ――ダメージはない。

 ――イエニアがクラマからレイフを引き受けた。

 

「さあ、4つめの扉を開きましょう」

 

 ――イエニアが叫んで、クラマ達は壁に寄って身を伏せる。

 

「フレインスロゥア」

 

 

> パフィー心量:472 → 422/500(-50)

 

 

----------------------------------------

 

 イエニアに言われて地に伏せたクラマの目に映ったのは、一直線に伸びた真っ赤な炎。

 炎はパフィーの胸当てから噴き出していた。

 噴き出す炎は止まらない。激しい劫火は濁流のように通路を埋め尽くす!

 クラマの耳には獣の叫び声が届いていたが、炎の熱気から身を隠すのが精一杯で、振り向いて確認することはできなかった。

 

 体の傍を通る熱気に耐えきれなくなった頃……ようやく炎の勢いが収まった。

 クラマは背後を覗き見る。

 そこには体毛が燃え落ち、ところどころが黒炭と化して、こんがりと焼き上がって倒れ伏す大熊の姿があった。

 

 クラマは安堵に息をついて、伏せていた体を起こす。

 

「ふー……」

 

 その時、遠くからパフィーが叫んだ。

 

「クラマ、息を吸っちゃだめ!」

 

「え……?」

 

 クラマが頭に疑問を浮かべた次の瞬間、その視界がぐにゃりと()じ曲がった。

 起き上がろうとしていた体がぐらりと揺れる。

 

 一切の抵抗などできず、そのままに。

 奈落に落ちるようにクラマは意識を失った。

 

 

> クラマ 運量:9057 → 9058/10000(+1)

> クラマ 心量:82 → 63(-19)

> イエニア心量:367 → 332/500(-5)

> パフィー心量:422 → 415/500(-7)

> レイフ 心量:390 → 386/500(-4)

 



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第12話

 クラマが目を開けると、不安げなパフィーの顔が視界いっぱいに広がった。

 

「クラマ! 大丈夫!? どこかおかしいところはない? 頭痛とか、手足の痺れとかない?」

 

 クラマが目を覚ました途端に早口にまくしたてるパフィー。

 そのパフィーの肩にイエニアが手を置いて(いさ)める。

 

「パフィー、落ち着いてください」

 

「あ、う、うん……」

 

 動転しているパフィーに代わって、イエニアが横たわるクラマに語りかける。

 

「クラマ、苦しかったら答えなくて大丈夫です。何があったか思い出せますか?」

 

 言われてクラマは倒れる直前のことを思い出す。

 

「たしか……大熊から逃げて……パフィーが魔法で火を……」

 

 クラマは話ながら思い出す。

 パフィーの火の魔法で大熊は倒したが、その直後に起き上がろうとしたら倒れたのだった。

 

「酸素欠乏症よ」

 

 そう告げたのはパフィー。

 落ち着きを取り戻したパフィーは、いつも通りの冷静さでクラマに解説をする。

 

「わたしが使った火の魔法で酸素が消費されて、一時的に周囲の酸素濃度が下がったの。普通はこんなことはないんだけど、狭すぎたから……」

 

「酸素欠乏症……酸欠か」

 

 クラマは学校で聞いた話を思い出していた。

 火災が起きた際の死亡原因として最も大きいのは、火に焼かれることではなく、実は酸欠や一酸化炭素中毒によるものなのだ……と。

 パフィーは心配そうにクラマの顔を覗き込んで言う。

 

「酸素が不足したのは短期間で、すぐ広い場所に運べたから大丈夫だとは思うけど、頭痛とか吐き気があったら教えて?」

 

「ああ、いや……大丈夫だよ」

 

 言って、クラマは起き上がろうとする。

 それをパフィーが止めた。

 

「あっ、体を起こしちゃだめよ! そのときは大丈夫でも、あとから後遺症が出てくることがあるから。念のために、安静にしておいて。ね?」

 

 クラマはパフィーに従って、起こしかけた体を再び横たえた。

 

「ふぅー………」

 

 薄暗い天井を見上げて、息をつく。

 すると、クラマの視界にレイフの顔が映り込んだ。

 いつになく暗い顔。

 普段の緩くおちゃらけた様子とは違って、レイフは申し訳なさそうに、その表情を曇らせてクラマに謝った。

 

「ごめんなさいね、私が下手やったせいで」

 

 クラマはそれに対して、いたずらっぽく笑った。

 

「ううん、謝らないで。……仲間でしょ?」

 

 レイフは不意を打たれたように目を見開くと、

 

「ふふ、そうね」

 

 と、どこか嬉しそうな照れ笑いで返した。

 

 

 

 

 

 その後、パフィーが「運量で酸欠の後遺症を予防する」ことを提案した。

 全員がそれに賛成。

 運量の性質からすると、運量を使うのは後遺症が出るかどうか判明する前、できるだけ早いうちがいいと思われる。

 そういうわけで、クラマはこの場ですぐに運量を使用した。

 

「エグゼ・ディケ……酸欠の後遺症が残らないように」

 

 

> クラマ 運量:9157 → 0/10000(-9157)

 

 

「うおわ! まーじか」

 

 予想以上に大きく消費されて驚くクラマ。

 だが、クラマはすぐに自分のミスに気がついた。

 この願い方では、自覚もできないほどの小さい症状も含めた全てが該当してしまう。

 さすがにそれは不自然すぎたという事だろう。

 クラマはまだ少し頭がぼーっとしているように感じた。これも後遺症なのか、寝起きのせいなのかは、いまいち判然としなかった。

 

「念のため、まだ少し休んでいきましょう」

 

 というわけで、クラマはそのまま岩の上に横になる。

 すでに体の下には毛布が敷かれていたので、つらくはなかった。

 休んでいる間、クラマは気になることを皆に尋ねてみる。

 

「そうだ、レイフ。舌伸び大熊から受けた麻痺毒は大丈夫なの?」

 

「ああ、心配いらないわ。パフィーの胸当てに入ってる魔法具で解毒してもらったから」

 

「そういえばあったね、解毒の魔法具」

 

 

> パフィー心量:415 → 385/500(-30)

 

 

 すると横からパフィーが申し訳なさそうに言う。

 

「うん……この魔法具は、現時点で発見されてるあらゆる毒物を無害になるまで分解できるのだけど……酸素欠乏症は毒じゃないから治せないの……」

 

「そっか、確かにそりゃそうだ。……って、あらゆる毒物を分解って……それって相当すごい事なんじゃないの?」

 

「ええ、そうよ! この魔法具は先生から……ええと……そう、先生の形見なの!」

 

「……そうか……それは悪いことを聞いちゃったかな……」

 

「あああ、きっ、気にしなくていいのよクラマ! そうだ! クラマに魔法具の作りを教えてあげる! ほら見て、ここが外れるようになっててね、中に本体となる魔導結晶が……」

 

 パフィーは自分の胸当てを外してクラマに見せた。

 

 

 

 ……そうしてしばし、講義と雑談に興じるクラマ達。

 そうしていると……不意に、なにやら下の方から人の話し声が聞こえてきた。

 他の冒険者からの盗難に遭ったばかりなので、一同は警戒する。

 

「クラマはそこにいてください」

 

 イエニア達が岩の隙間から覗き込む。

 するとそこには、冒険者パーティーと思しき4人の男女がいた。

 男が3人、女が1人。

 クラマが出遭った盗っ人とは違う人物だった。

 

「ん~……? あの顔は確かー……」

 

 レイフは男1人を除いた、残る3人に見覚えがあった。

 

「夜の歓楽街でよく見る顔ね」

 

 ごく普通の冒険者といった出で立ち。

 だが、そのパーティーには明らかに普通ではない箇所があった。

 

 ――首輪に紐で繋がれた男が、他3人の前を歩かされている。

 

 男はボサボサの髪に、髭も伸び、薄汚れた粗末な服。

 まるで浮浪者のようだった。

 ふらふらとおぼつかない足取りで歩いていた男だったが、突然立ち止まって地面に膝をついた。

 膝をついた男に向かって、手綱を握った男が怒鳴り声をあげる!

 

「なに止まってんだコラ! さっさと歩けや!」

 

「う、うう……」

 

 首輪をつけられた男は、振り向いて背後の男にすがりつく。

 

「も……もういいだろ! く、くすり……早く薬をくれよぉ!」

 

「うるっせえ殺すぞ!」

 

「ぎゃ! ……ぐ、ぅぅえ……!」

 

 強烈な蹴りを腹に受け、首輪の男は地面を転がった。

 そのまま起き上がれずに、ゲェゲェと口から胃液を出して痙攣する……。

 しかし倒れた男を見る周囲の反応は冷たかった。

 

「オイオイ、ほんとに死んじまうぞ」

 

「い~んじゃないのォ~? 地球人が死んだらギルドが再召喚してくれるんでしょ~?」

 

「そういうこった。オラ! サボってんじゃねえぞ! 薬が欲しけりゃ、運量でいいもん見つけろやカス!」

 

 もがき苦しんでいる男を心配するどころか、道端に落ちている生ゴミでも眺めるかのような視線を向ける冒険者たち。

 あまりに非道。

 その醜悪極まる一部始終を、彼らの死角となる上方からイエニア達は目撃していた。

 

「なんて事を……!」

 

「ひどい……ひどいわ。こんな……」

 

 地球人に依存性のある薬物を使用し、道具のように扱う冒険者がいるらしい……という噂は、イエニア達も聞き及んでいた。

 実際に繁華街の路地裏では、そうしたものが堂々と売られているのをイエニアは目にしている。

 似たような効果で依存性のないものがあるにもかかわらず、だ。

 

 イエニアは歯噛みした。

 本当ならば今すぐにでも飛び降りて、下にいる連中を叩き伏せたい。

 それは騎士たる者として当然の責務でもある。

 

 しかし戦闘には危険が伴う。

 相手の技量も――立ち振る舞いから自分より格下だろうと感じているが――定かではない。

 しかもクラマの運量も切らしており、安静にしなければいけない状態だ。

 ここで飛び出すのは、賢明とは言えない。

 

 ……もしも彼女ひとりなら、迷わず飛び出していただろう。

 だが今の彼女は、仲間たちの命を預かるパーティーリーダー。

 責任感と正義感。

 その板挟みによる葛藤が、彼女の体を強く縛りつけ、その心を苛んでいた。

 

 拳を強く握りしめ、煩悶するイエニア。

 レイフはその様子を心配そうに見ていたが……そこでふと彼女は気がついた。

 

「あら? クラマ……クラマ? どこ?」

 

 横になっていたはずのクラマの姿が、いつの間にか見当たらなくなっている。

 イエニアとパフィーも周囲を見渡す。

 が、いない。どこにも。

 そこでパフィーがまた別の事に気がついた。

 

「あっ! わたしの胸当てがないわ!」

 

 説明のために外してクラマの枕元に置いていた胸当て。

 その胸当ても消えている。

 それだけではなかった。

 レイフはイエニアに尋ねる。

 

「ねえイエニア。あなたの盾、どこ?」

 

「え……?」

 

 言われて見れば、イエニアの盾もない。

 3人は顔を見合わせた。

 

「まさか……!」

 

 3人は再び、岩の隙間から下を見る。

 果たしてそこでは、彼女たちの予想通りの光景が繰り広げられていた……!

 

 

> クラマ 心量:63 → 220(+157)

 

 

----------------------------------------

 

「オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 ダンジョン地下2階へ降りるにあたって、クラマはあらかじめパフィーと陳情句の詠唱について検証していた。

 

「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ」

 

 まず基本として、陳情句は効果の拡大を神に願うためのもので、その句は唱える者によって異なる。

 法則は細かく解明されていないが、基本的には長くて凝っているほど効果が高まるとされている。

 

「燃え落ちろ、焦熱地獄、あるいは煉獄より来たれ、浄化の炎」

 

 その上で、パフィーと検証した結果……詠唱時間に対する効果上昇の効率を考えると、ごく短い一節を4~5つ繋げるのが良い……という結論になった。

 

「おまえたちの軌跡はここで途絶えた」

 

 さらにその上で、何かしら“独自性のあるフレーズ”を混ぜることで、効果の上昇率が跳ね上がる。

 

「フレインスロゥア」

 

 

 

 突如として現れた炎の奔流。

 慌てふためく冒険者の悲鳴と怒号が、広い空洞内に響き渡った。

 

「きゃあ~~~!! 何これぇ~!?」

 

「魔法だ! 魔法で攻撃されてる!」

 

 広々とした空間を所狭しと暴れ回る炎は、まるで怒れる大蛇のようであった。

 命からがら炎の射程距離外まで逃げ延びた冒険者たちは、炎の発生源――クラマの姿を認める。

 クラマの顔は盾の影に隠れて、冒険者たちからは見えない。

 

「ちくしょう、いきなり何だってんだ! おい、やり返してやれ!」

 

 言われるまでもなく冒険者のひとりは詠唱を始めていた。

 クラマの炎が消えるとほぼ同時、冒険者の詠唱が完了する。

 

「巨石によりて潰れろ! トナホ・トラッグ!」

 

 床の一部が大きく剥がれ、大きな岩石がクラマに向かって一直線に飛来する!

 岩石はクラマへ命中!

 

「よォし当たった! 避けられもしねえのか、ウスノロが! ……んん?」

 

 クラマは倒れない。

 よろけてすらいない。

 何事もなかったように、瓦礫の間に立っている。

 クラマが前方に構えた盾には、真紅の紋章が浮き上がるように輝いていた。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 淡々としたクラマの詠唱が、冒険者たちの耳に届く。

 

「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ。フレインスロゥア」

 

 そして再び、クラマが掲げた胸当てから炎が噴き出した!

 伸びた炎は冒険者たちの鼻先をかすめ、その前髪を焦がす!

 

「うおぁ! あちいッ!」

 

「なに!? こいつ何なのよ~!?」

 

 クラマは答えない。

 ただ黙って一歩ずつ、ゆっくりと冒険者たちに歩み寄る。

 クラマの歩みと共に、掲げた胸当てから噴き出る炎の蛇が冒険者たちへと近づいていく。

 

「く、来るなッ! おいてめえ! 運量でなんとかしろ! 助けろ!」

 

 冒険者は倒れている地球人へ命令する。

 しかし倒れたままの男は、蹴られた腹の痛みで声もあげられない状態だ。

 

 助けは来ない。

 炎は一歩、また一歩と冒険者へとにじり寄る。

 魔法の終わりを待つこともできない。

 炎の噴射が終わる前に、クラマは詠唱を再開する。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー。ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ……」

 

 そして炎が消えると同時――再び発動。

 

「フレインスロゥア」

 

 繰り返す。

 何度でも。

 お前たちを呑み込むまで終わらぬとばかりに、悠然と、確実に炎が迫り続けていく。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 そして、もう一度。

 

「ヤハア・ドゥヴァエ・フェエトリ……」

 

 繰り返す詠唱。

 止まらぬ炎。

 

「う、う……うわああーーーーーーっ!!!」

 

 得体の知れない恐怖に耐えかねた男のひとりが、ついに背中を向けて逃げだした!

 すると、それまで抑揚なく無機質に唱えていたクラマは突如として声色を変える!

 

「逃げ惑え! 地獄へ落ちろ! 灼熱の燃え盛る紅蓮の猛る業火の紅に染まる赤い焼却炉はすぐそこだ!」

 

「やばい、陳情句だ!」

 

「やばいやばい! 待って待って待ってよ~!」

 

 残る2人も先に逃げた男を追って、ばたばたと足音をたてて逃げていった。

 

「フハハハハ! くらえ、我が必殺の! アルティメット・カイザー・ダーク・レコンキスタ・フレアァーッ!!」

 

 クラマは腰を落として、両手の手首を合わせ、何かを撃ち出すように開いた両手を前へ突き出すポーズをとった。

 

 もちろん何も出ない。

 

「出ないか……」

 

 出るわけがない。

 そもそも何かが出たとしても、標的となる冒険者たちの姿は、もはやどこにも見当たらなかった。

 

 ……とはいえ、きちんとした詠唱を行ったとしても、魔法は発動しなかったのだ。

 炎の魔法を発動するだけの心量は、もうクラマには残されていない。

 

 

> クラマ 心量:220 → 190(-30)

> クラマ 心量:190 → 140(-50)

> クラマ 心量:140 → 90(-50)

> クラマ 心量:90 → 40(-50)

 

 

 疲労感がクラマの肩にのしかかっていた。

 心量が50付近になると、倦怠感や集中力の低下が自覚できるようになる。

 

「ふぅ……やれやれだね」

 

 クラマは大きく深呼吸をして、額の汗をぬぐった。

 そうして振り返ると、慌てて降りてくるイエニア、パフィー、レイフの姿。

 クラマは自身の手にした盾と胸当てに目を向ける。

 

「…………………」

 

 クラマは梅干を口に含んだような、何とも言えない顔でひとりごちた。

 

「やっぱり怒られるよねえ、これ……」

 

 

 

 

 

 その後、クラマは降りてきた3人と一緒に、倒れている地球人の男性を介抱した。

 男性がたどたどしく語るには、2ヶ月以上前に召喚された彼は、先ほどの冒険者たちに引き渡されて、それ以来ずっと家畜のように扱われていたという。

 口枷を嵌められ、薬を嗅がされて、狭くて汚い個室とダンジョンを行き来する日々。

 勝手に喋ったら殺すと脅されて、この世界のことを何ひとつ教わっていない彼には、誰に助けを求めたらいいかも分からなかったという。

 

 

> クラマ 心量:40 → 64(+24)

 

 

 そこまで語ったあたりで男性は落ち着きをなくし、薬を求める発言を繰り返すようになったので、レイフの魔法具によって眠らせることになった。

 

 

> レイフ 心量:386 → 186/500(-200)

 

 

 クラマは薬物を解毒の魔法で抜けないかと提案した。

 しかしパフィーは難しい顔をして答える。

 

「こうした薬物は本来、治療に使われるものよ。だから毒物として登録されていない可能性が高い。それに……薬物依存は、急激に使用量を減らすと重篤な危機に陥る場合があるの。まずはお医者さんに見せた方がいいわ」

 

 兎にも角にも、すぐに地上へ戻るべきということであった。

 男性に与えたために、水の残りもない。

 イエニアが男性を担いで、一行は帰還の路を急いだ。

 

 

 

 幸いにも特に障害もなく地上へと帰還したが、帰りの道中は誰もが陰鬱な表情で、気詰まりするようなよそよそしい空気が漂っていた。

 

 男性の処遇にも一悶着あった。

 普通なら当然、冒険者ギルドに預けるしかない案件である。

 彼を預け、事の次第をギルドに報告し、件の冒険者を罰してもらう。

 イエニアもそう提案したが、クラマがそれに反対した。

 結果としてイエニアがあっさり折れた形になったが、言いたいことを耐えているのが見て取れる様子だった。

 

 そうして荷物と一緒に地下1階の抜け道から地上に引き上げられた男性は、ティアと一郎によって診療所へと運ばれた。

 

 ダンジョン出入口での手続きも終えて、パーティーが貸家に戻って、諸々の後片付けを終えたのが正午近く。

 そのまま全員で昼食――という流れにはならなかった。

 

「あ~……あたしら用事を思いついたから! じゃっ、またね~」

 

 ピリピリしたイエニアの様子を察したサクラ達は、逃げるように自分らの貸家へと帰っていった。

 

「……昼食をとったら、部屋に戻って休みましょう。みんな疲れたでしょう」

 

 というイエニアの言葉により、食事を済ませた彼らは、それぞれが自室へと戻っていった。

 



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第13話

 部屋に戻ったクラマはベッドで横になっていた。

 彼は眠るでもなく、天井の木目をじっと見つめている。

 そんなクラマのもとへ、珍しい人物が顔を出した。

 

「クラマ様、少しよろしいでしょうか?」

 

「あれ、ティア? 戻ってたんだ」

 

 クラマは横になった体を起こす。

 イエニアお付きのメイドであるティア。

 出会いが出会いだったからか、彼女の方からクラマに話しかける事はほとんどない。彼女がクラマの部屋に顔を出すのも初めてのことだった。

 ティアは出入口の仕切りとなっている垂れ幕を避けて部屋に入ってくる。

 彼女は小袋を手にしていた。

 

「ただいま診療所より戻りました。お休み中でしたら、時間を改めて参りますが」

 

「ああ、うん、大丈夫。眠れなかったし」

 

「でしたら丁度よかった。診療所の医師よりクラマ様にと、こちらを預かっております」

 

 そう言ってティアは小袋をクラマに手渡す。

 中を確認するクラマ。中身は以前にも貰った睡眠薬だった。

 

「なんて気の利いた人なんだ……代金は?」

 

「無料だそうです。その代わり、近いうちに顔を出すように、あのスカした少年に伝えておいてくれる? ……とのことです」

 

「なんて優しい人なんだ……了解、明日になったら行くよ。ところでスカした少年って誰だろう?」

 

「さあ、わたくしは存じませんが」

 

 そんなとぼけたやりとりをしてから、ティアは診療所に連れて行った男性について、女医のニーオから聞いたことをクラマに話す。

 

 

・使用された薬物は、この街で売っているものでほぼ間違いない。

・健康面では栄養を摂って休めば問題ない。

・依存症からの離脱は困難で、地獄のような禁断症状が数日間続く。

 

 

 ……とのことだった。

 それを聞いたクラマがティアに尋ねる。

 

「彼がいつから復帰できるかは、聞いてない?」

 

「いえ、伺っておりません」

 

「そっか……」

 

 そう言ったきり、なにやら深く思案するクラマ。

 そのクラマの様子を、ティアはしばらくの間じっと見つめて……おもむろに口を開いた。

 

「クラマ様」

 

「うん?」

 

「もしや、仲間を増やす方針で動かれていますか?」

 

 クラマがティアの目を見る。

 一瞬。

 ほんの一瞬だけ、緊張感が走った。

 しかしクラマはすぐに頬の力を抜いて笑った。

 

「仲間はたくさんいた方がいいよね。その方が楽しいし」

 

「……仲間を増やすことについては、わたくしも賛成です。しかし我々は非常に危うい立場にあります。出過ぎたことを申し上げますが、仲間にする相手は慎重にお選びくださいますよう、お願い致します」

 

 ――パーティー外の仲間を増やす行為は禁止されている。

 

 下手に仲間を増やしてしまうと、密告の報奨金に釣られて裏切る者が出ないとも限らない。

 故にリスクが大きい。

 ……だが現状、クラマ達はすでになし崩し的にサクラ達を仲間に引き入れてしまっている。

 

 仲間にする相手は慎重に――

 と、ティアは丁寧な物腰で語っているが、要するにこれは警告だ。

 サクラ達のように、信用できる相手かどうか見定めていないうちから仲間にするのは危険だと。

 ティアの言うことは、もっともな忠告であり、当然の懸念であった。

 クラマには返す言葉がない。

 彼らは信用できるよ……とも言えない。

 クラマ自身、まだ次郎や三郎の人となりについては、しっかりと把握できていないのだ。

 

 そこでようやく、ティアが全員の揃う場所ではなく、わざわざクラマの部屋まで話しにきた理由を理解した。

 サクラ達のいる前で、彼らを信用していないと取られかねない事を話すわけにはいかない。

 

「うーん、ティアも大変なんだなあ……」

 

 でも大変な事にしているのは自分なんだよなあ……と思うので、クラマは何とも言いにくい。

 

「イエニア様に代わって気を回すのもわたくしの務めですので、お気遣いなく」

 

「そう? でも今回のは大丈夫だと思うよ。あの人の治療費もたぶんいらない」

 

「……そうなのですか?」

 

 ティアは珍しく驚いた表情を見せた。

 クラマは頷き、自らの予想の根拠を語る。

 

「うん。治療は大変だろうけど、ニーオの立場からすると、地球人を個人で所有したような形になったからね。本来はダンジョン踏破のためにしか使えないものを、治療費の代わりにって事で色んなことに使えるんだ。彼の治療費は、彼自身の運量で払ってお釣りが来ると思うよ」

 

 さらに続けて、クラマは手にした睡眠薬をティアに見せながら言う。

 

「これをタダでくれたのも、そういう事だろうし。それに……たぶん運量は、ダンジョンに潜るよりも、治療に使う方が向いてる」

 

 クラマが今日、自分の治療に運量を使って思い至ったことだ。

 たとえば仮に、何かを治そうとして運量を“使いきれなかった”のなら、その時点でその箇所には何の問題もないと保証される。

 診察がより正確になり、経過観察の必要もなくなる。

 ニーオの指示で運量を使えれば、クラマには思いつかない活用法がいくらでも出てくるだろう。

 現在の医学では不可能な難病の治療や、新薬の開発にも可能性がある。

 使い方次第。しかしその恩恵は計り知れない。

 

「近いうちに来いっていうのも、運量のことを聞くのが目的だろうね。患者の今後について話すなら、イエニアを呼ぶだろうから。……明日はパフィーも連れていった方がいいな……」

 

 そうして再び思索を始めたクラマ。

 その横顔を、ティアがじっと見つめる。

 先ほどまでの冷たく探る視線とは異なって、クラマを見つめるティアの瞳には好奇の色が含まれていた。

 

「クラマ様がそこまでお考えの上とは、敬服いたしました。わたくしの浅慮で差し出がましいことを申してしまい、お恥ずかしい限りです」

 

「え? いやいやいやいや、そんな深く考えてないからさ。こっちの方が恐縮ですよそんな」

 

 丁寧に頭を下げられて、クラマの方が慌てる。

 

「それに、まあ……やらかしたのは間違いないしね。イエニアには謝らないと……あ、そうだ! ティアの方からイエニアにとりなしてもらえないかな? イエニア、だいぶ怒ってるだろうからさ」

 

 クラマは駄目で元々のつもりで言ってみたのだが、意外な答えが返ってきた。

 

「ええ、構いませんよ。お任せください」

 

 そう言ってティアは笑顔を見せた。

 控えめな微笑だったが、クラマが彼女の笑顔を見たのはこれが初めてだった。

 これまで見せてきた雰囲気とは違った可憐で柔らかな笑顔に、クラマは一瞬ドキッとする。

 

「それでは失礼いたします」

 

 ティアは丁寧に一礼をして、クラマの私室を出た。

 

 

 

 

 

 そして夜。

 場所はリビングルームの一角。

 そこでは腕を組んで仁王立ちをするイエニアの前で、正座しているクラマの姿があった。

 

「クラマ、私はとても怒っています」

 

「はい」

 

「どうして何も言わずにひとりで突っ込んだのですか! 人としてあの場面を見過ごせないのは分かりますが、相談もなしに独断専行する理由にはなりません! 分かるでしょう!」

 

「返す言葉もございません……」

 

 クラマは平身低頭して謝ったが、烈火のごときイエニアの怒りはまるで治まる気配がなかった。

 

 ティアがとりなしてくれたはずが、一体これはどういうことか。

 クラマは頭を下げながら、ちらりと横に目を向ける。

 椅子に腰掛けたティアと目が合った。

 ティアはにこっと笑顔を返した。

 

 ……どういうことなのか。

 その笑顔の理由。少女の気持ちは、ついぞクラマに推し量ることは叶わなかった。

 

「何をよそ見しているのですか! きちんと聞いていますか!?」

 

「ははぁーっ、申し訳……申し訳も……!」

 

 イエニアの説教は、夜が更けるまで続いたのであった。

 

 

 

 

 

 すったもんだがありつつも、パフィーのとりなしによってクラマは解放されて、時刻は深夜。

 今、クラマはひとり、貸家の屋根の上で腰を下ろしていた。

 周囲の住宅街は灯りが消えて静まり返っている。

 遠くを見やれば、未だ賑わう繁華街の灯り。

 そして空を見上げると、まるで壁紙を貼り付けたかのような一面の暗黒。

 

 この世界には、月も、星もなかった。

 

 太陽は中天に座して動かず、その輝きの強さを変えるだけ。

 今のように太陽の光が消えれば……空に映るものは何もなくなる。

 月明りがなくとも点在している街灯のために視界は確保されていたが、夜空を見上げても星が見えないのは寂しい。そうクラマは感じていた。

 

 そんなクラマのもとへ、もうひとつの太陽が現れた。

 

「あら、奇遇ね」

 

 ランタンを持ってひょっこり屋上に顔を出したのはレイフ。

 この家では普通に階段を登って屋根に上がれる造りになっていた。

 

 レイフはランタンを置いて、クラマの隣に腰かける。

 

「なーんて。クラマが登ってるのが見えたから、ついて来たんだけど」

 

 一瞬でネタバレをして舌を出すレイフ。

 

「イエニアに怒られて落ち込んでるかなと思ったんだけど、違った?」

 

「いやあ、あれはどう考えても僕が悪いしね」

 

「そうね、イエニアが怒るのも分かるわ。でもクラマにも理由があったんでしょ?」

 

 クラマの理由。

 後先を考えずに飛び出した理由は、確かにあった。

 しかしそれは、人に話せるような正当な理由ではなく……

 

「私にはクラマの理由は想像つかないけど、人にはどうしても我慢できない事ってあるもの。私だって、やめろって言われても、気持ちいい事はやめられないわ。しょうがないわよね?」

 

「いや、それは、まあ……」

 

 答えにくい。

 返答に詰まるクラマを見て、レイフは冗談めかして笑う。

 それから少しトーンを落として言った。

 

「私がイエニアのフォローをクラマに焚き付けてしまったわけだけど……クラマ、あなたも無理しなくていいのよ?」

 

 それを聞いて、クラマは自分の頬に手をあてた。

 

「……そう見える?」

 

「ううん、そう見えないから。だから私たちに心配かけないように、無理させちゃってるのかなって」

 

 無理をしているという自覚は、クラマにはなかった。

 ただ、自分がやらなければならないことをしているだけ。

 

「こう見えて一応、私が年長者だからね。つらかったら、いつでも頼ってきていいんだから。まあ……私が頼りないから、無理させちゃってるのかもしれないけどね」

 

 言って、レイフは照れ笑いをした。

 

「いや、そんなことは……」

 

 クラマは以前から、うっすらと感じていた事だが。

 なぜかレイフと2人きりになると、普段通りの受け答えができなくなる。

 いつものような笑い顔、いつものような軽口が出てこない。

 

「……僕は……昔からこうだったんだ。自分がやるべきだと思ったことを止められない」

 

 自然とクラマの口から、自身を語る言葉が口をついていた。

 

「はじめのうちは偉い、勇気がある、ってみんな褒めてくれたけど……そのうちそれが、空気が読めないとか、危ない奴だとか言われるようになって……いつの間にか、周りの人から避けられるようになってた」

 

 クラマの独白。

 レイフは口を挟まず、耳を傾ける。

 

「こっちに来てからは、うまくやれてた気がしたけど……やっぱり、こっちでも同じことをやってしまった」

 

 そう言って、クラマは自嘲気味に大きく溜め息をついた。

 そのまま真っ黒な空を見上げて言う。

 

「レイフ、僕はさ……元の世界に戻りたいって思えないんだ。確かに周りからは浮いてたけど、別にいじめとかはなかったし、友達だっていた。父さんも母さんも、こんな僕に良くしてくれてたし……でも、なんでかな。今ごろ向こうではいなくなった僕を心配して、探してくれてるんだろうって……分かってるのに……どうしても、それに対して申し訳ないと思えないんだ」

 

 クラマは空を見つめ続ける。

 そこには何もない。

 ただひたすら、光の刺さぬ暗闇が広がっていた。

 

「僕は……自分のことが一番、信用できない」

 

 夜の風が吹く。

 クラマの手は小刻みに震えていた。

 

 

 

 ――あんたは人間じゃない!

 

 眠るたび、繰り返し見る悪夢。

 まるで呪いのようだ。

 違う世界に来ても、逃れることができない。

 

 ――人間なら、人間らしく、人のことを――

 

 

 

 不意に、手の震えが止まる。

 上から温かな手が重なっていた。

 

「……レイフ」

 

 空から視線を戻したクラマに、レイフは優しく微笑んだ。

 

「クラマ。別にね、人と違ってたっていいのよ」

 

「え……」

 

「人間っていうのね、どうやったって、完全に分かり合うことなんて出来ないのよ。信頼していた無二の親友に裏切られた。そんな話はごまんとあるわ」

 

 それは寂しい話だと、クラマは思った。

 

「でもね、クラマ」

 

 そう言ってレイフは腰を上げて膝立ちになると、クラマの頭の後ろに手を回して、抱きしめた。

 

「ちょ、れ、レイフ――」

 

「どう、落ち着かない?」

 

 頭の上から聞こえてくる声に、クラマは抵抗をやめた。

 優しい抱擁だった。

 不思議といやらしい感じもしない。

 温かくて、気持ちが安らいでいくのを、クラマは感じていた。

 

「たとえ相手のことがよくわからなくても、人は肌で、言葉で、行動で、いろんなものを相手から受け取ることができるわ」

 

 “他人のことが分からなくてもいい”

 その言葉がクラマの心に、溶け込むように沈み込んでいった。

 

「私もあなたから、いろんなものを受け取っているわ。あなたがいつも頑張ってるのを見て、感謝してるし、自分もみんなのために何かをしようっていう気持ちになる。私だけじゃなく、きっとみんなもそうだと思う」

 

 そう言うとレイフはクラマから手を離して、元のように座った。

 

「どうかしら? あまり答えになってないかもしれないけど……」

 

「いや……そんなことないよ」

 

「そう、少しでも気分が楽になったなら良かったわ。……あ!」

 

 

> クラマ 心量:73 → 78(+5)

 

 

「心量上がってるじゃない! あぁ~良かった。私、クラマには嫌われてるかと思ってたんだから!」

 

 からからと笑うレイフ。

 何度も蒸し返すあたり、だいぶ根に持っているのが窺えた。

 

「あ、あれはレイフがあんなこと言うから……」

 

「あんなことって?」

 

 

> クラマ 心量:78 → 75(-3)

 

 

「あっ、下がった! どういうこと!?」

 

 釈然としない様子のレイフを、夜中に騒ぐと近所迷惑だからと言ってクラマは誤魔化した。

 

「いや、でも話を聞いてくれてありがとう。こんなこと話せる相手いなかったから」

 

「どういたしまして。告解を聞くのは久々だったから、シスターだった頃をちょっと思い出したわ」

 

「えっ!?」

 

「あら、驚くこと? 修道女が体を売るなんて、どこの国でもよくあることよ。まあ、私はその頃はまだそういう事してなかったけど……」

 

 クラマはなんとも言えない顔をする。

 今までとは別の意味で、また反応しづらい雰囲気になってきたのを感じていた。

 

 そしてそれは案の定。

 ニマーっとした横目でレイフが見つめてくる。

 

「あらぁ? ひょっとしてそういうコト、興味ある……?」

 

「いや、今日はありがとう! もう遅いから寝るね! おやすみ!」

 

「はい、おやすみなさい」

 

 クラマはいそいそと階段を降りていった。

 ひとり屋上に残されたレイフは、遠くに見える繁華街を眺める。

 

 昔の話に触れたことで、レイフは思い出していた。

 クラマには言わなかったが、かつて婚約者を殺された復讐のため……という彼女の目的は、とうの昔に風化してしまっている事を。

 

 ――自分のことが一番、信用できない。

 

 その言葉に悩まされた時期もあった。

 自分はこんなに薄情な人間だったのか。

 彼を想う自分の気持ちが偽りだったのか。

 日ごと薄れていく復讐心と、その不安から逃れるために肉欲に溺れた日々。

 自分は所詮、そんな人間なのだと見切りをつけて、それなら適当に終わればいいと思って、この街にやって来た。

 

 だが、イエニア、パフィー、そしてクラマと出会い、彼らと共に過ごすうちに、レイフの心にも変化が生じていた。

 

「はぁ……せめて足手まといにならないようにしないとね……」

 

 誰もいない屋根の上。

 そんなことをひとりごちて、レイフはランタンを拾い上げると家の中へと戻っていった。

 



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第14話 - 青の挿話2

 薄暗い石造りの地下室に、男の息遣いが響いていた。

 

「フゥーーーーッ……ハァァーーーーーァ……」

 

 男は逆立ちした状態で、腕立て伏せをしている。

 明るいオレンジ色の髪と髭の男は、初老に近い年齢とは思えぬ鍛え上げられた上半身を晒していた。

 浮き出た汗が腹筋を伝い、喉元を通り過ぎて、髭の中に消える。

 男は深い息遣いと共に、少しずつ腕を折り曲げ……鼻先が床に触れたら、今度は逆に伸ばしていく。

 回数をこなすよりもこうしてゆっくりと行うことで、筋肉に負荷がかかり、トレーニングになるのだ。

 

「ッフ―――――おや?」

 

 男の青い瞳が、自分の側に立った人物を捉える。

 が、トレーニングを中断したりはしなかった。

 腕立て伏せを続けながら男は喋る。

 

「どうしたかね、コーベル君。こんな老人の体を見ても……――ッハァーーー……面白くは……なかろうンヌッ、フゥゥーーーーーッ……」

 

「い、いえッ! そのような事はございません! ワイトピート様の美術彫刻のごとき雄壮なお体を拝観でき、幸甚の至りであります!」

 

「フーーーー……そんなに見られると……ッハァーーーー……恥ずかしいではないか……フフ」

 

「も、申し訳ございません!」

 

 コーベルと呼ばれた青年は慌てて顔を伏せた。

 彼の瞳の色も、初老の男――ワイトピートと同じく青色である。

 

「何か報告があるのだろ、うッ――フ……ゥゥゥーーー……気にせずッ……話すといい……よッ……!」

 

「はッ! 10日前に捕らえた女ですが、心量が20を下回りましたので、ご報告致します」

 

「ほう――詳しく話したまえ」

 

「はじめは罵倒や噛みつき、隙を見て脱走を試みていましたが、徐々に反応が弱まり、2日前より全く反応を返さなくなりました。心量も回復しておりません。“祈り”をやめたものと思われます」

 

「ッハァーーーーーーッ……まだ服従していないのだな? フゥーーーー……」

 

「は、はッ……! 申し訳ございません! 近いうちに必ず……」

 

「いや、頃合いだ。私がやる」

 

 そう言うとワイトピートは地面に足を下ろし、疲れを感じさせぬ優雅さをもって頭を上げた。

 汗を拭って衣服を着込むと、早足に歩き出す。

 

「あっ! お待ちください、まだ後始末が……!」

 

「フフ、それでいい。コーベル君、きみには食事の支度を命じる。とびきり美味いのを頼むよ」

 

 ワイトピートは区画を2つほど抜けて、トゥニスを監禁している部屋を訪れた。

 彼が手を触れると、扉はひとりでに開く。

 そうしてトゥニスを捕らえた監禁部屋に足を踏み入れたワイトピート。

 そこで彼が見たのは――陵辱された跡が体中のいたるところに残された、一糸纏わぬ姿で床の上に放り出されているトゥニスの姿であった。

 それを目にした瞬間、ワイトピートは大きく声をあげる。

 

「おお! なんということだ!」

 

 トゥニスに駆け寄ったワイトピートは、彼女の体にこびりついた体液で汚れるのにも構わず、しっかりと抱き抱えた。

 トゥニスの瞳からは光が消え失せ、何も反応を返そうとしない。

 男はトゥニスの耳元で囁く。

 

「すまなかった……こんな事になっていようとは。もう大丈夫だからな」

 

 それからワイトピートは彼女の体を用意した熱い濡れタオルで拭き、上等な衣服を着せると、自らの腕で抱き上げて別室へ運んだ。

 トゥニスが運び込まれた新しい部屋。

 そこは地下だというのに壁に埋め込まれた光源で明るく、絵画や観葉植物がセンスよく配置された、貴族の私室と見紛うような部屋だった。

 

 さらにワイトピートは豪勢な食事を運んでくると、自らの手で食器を持って、トゥニスの口へと運ぶ。

 甲斐甲斐しい介護を受けるトゥニスは、始めのうちは無反応だったものの、何度か口元にスープを運ばれるうちに、少しずつ自ら口を開いて介護に応えるようになった。

 

 ……時間をかけて食事を終えた後。

 ふかふかのベッドの上に腰かけるトゥニスの肩を、ワイトピートは優しく抱きしめた。

 

「もう安心していいぞ。ここには他に誰も来させないからな……私がきみを守る」

 

 そう言って、徐々にしっかりと、互いの肌の温もりを感じ取れるほどに、熱く抱擁する。

 そうしていると次第にトゥニスの瞳が揺れ……ぽろりと涙が頬を伝った。

 

 

 抱きしめたトゥニスの死角で、ワイトピートはほくそ笑んでいた。

 心量10~20の間。

 これが、これまでワイトピートが数多くの人間に試してきた中で導き出した、“最も人の心に手を加えやすい期間”であった。

 心量が低いほどに、人の思考能力は低下する。

 だが10を切ってしまうと、状況の理解を放棄し、何をしても反応しなくなる者が多い。

 故に10~20の間が、最も簡単に洗脳できるラインとなる。

 

「ゃ……めろ………」

 

 数日ぶりに、トゥニスは声を発した。

 トゥニスの手がワイトピートの胸板に触れる。

 

「やめ、ろ……おまえは……!」

 

 震える手で、弱々しくワイトピートを突き放そうとしていた。

 ワイトピートはそれに逆らわずに身を離す。

 

「すまない……また来るよ」

 

 そう言ってワイトピートは食器を持って部屋から出ていった。

 

 部屋に残されたトゥニス。

 

「く……ぅ………私は……私は……!」

 

 トゥニスはベッドの上でひとり、自らの身体を掻き抱いて、震える声で嗚咽した。

 



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B3F - 死臭蔓延る地下牢
第15話


 クラマ達のパーティーが二度目のダンジョン探索を終えた、その翌日。

 朝食を終えたクラマは朝一番で、パフィーを連れて診療所へと足を向けた。

 

「ここがティアの言ってた診療所ね。こんな朝早くに大丈夫かしら?」

 

「大丈夫、大丈夫。コンコンコーン、こんにちはー! 入りますよー!」

 

 クラマは診療所の扉を開いて中に入る。

 狭い診療所だ。待合室から少し顔を出すと、そこはもう診察室になる。

 ……が、診察室には誰もいなかった。

 

「あれえ? 留守かな?」

 

 首をかしげるクラマ。

 すると診察室の奥にある扉がおもむろに開き、女医のニーオがのっそりと顔を出した。

 ニーオの格好は普段の白衣ではなかった。

 濡れた髪に、大きめのシャツ一枚だけという、煽情的な姿。

 シャツの下の裾からは輝くような白い太腿がすらりと伸びて、強烈にクラマの目を引いた。

 さらにはシャツが肩からずれて、鎖骨が大きく露出している……。

 

「ああ……悪いわね、水浴びしてたところだから。少し待っててくれる?」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 クラマは心から感謝した。

 

 

> クラマ 心量:81 → 86(+5)

 

 

 

 ニーオが奥に引っ込んでから、待つことしばし。

 髪を乾かして白衣を纏ったニーオが、カルテを片手に戻ってくる。

 ニーオはいつも以上に気だるげで、よく見れば目の下にくまができていた。

 

「いやあ、すみません。忙しくしちゃって」

 

「別にいいわよ。患者は待ってくれないのが、この稼業だもの。……ふゎ、まあ眠くなるのはどうしようもないけどね」

 

 あくびを噛み殺しながら、ニーオは新たに判明した男性の情報を話した。

 

 

 男性の名前は「ダイモンジ=ダイスケ」。

 地球基準で29歳。

 目を覚ましたダイモンジからニーオが聞き取りしたところ、彼に使用された薬物はこの街で売られている《合成ヴァウル》で間違いない。

 この合成ヴァウル、非常に強い身体依存が特徴の薬物で、世界中を探しても市場での売買が禁止されていないのはこの国くらいのもの。

 不幸中の幸いか、彼に薬を使った冒険者は貧乏性だったようで、だいぶ薄めて使用されていた。そのため、おそらく10日ほどあれば普通に生活できるようになる。

 ただし後遺症は残る。

 また、その後も長い治療が必要になる。

 先ほど目覚めたダイモンジが暴れたので、薄めた薬を使って落ち着かせた。こうして少しずつ薄めていくのが、今後の治療方針となる。

 そして、そのせいでほとんど寝てないから眠い。……とのことだ。

 

 

「魔法で解毒しなかったのは正しい判断だったわ。この子が指示したんだって?」

 

 ニーオはクラマの隣で椅子に座ったパフィーに目を向ける。

 パフィーは頷いて答えた。

 

「ええ、本で読んだことがあったから。解毒がかえって危険な場合もあるって」

 

「へえ~……よく勉強してるのね。ちょっとお話、聞かせてもらっていいかしら?」

 

「いいわ。わたしに分かることなら、なんでも聞いて?」

 

 そうしてニーオとパフィーは、なにやら魔法と患者の治療に関して、意見交換を開始した。

 

「渇望を一時的に抑えるのなら第六次元魔法で可能だけど、精神依存を根本的になくすには第七次元の範疇になるの。でもこれは人格に直接作用するから危険だし、わたしもあまり自信がないわ」

 

「偽薬効果を高めるやり方は駄目かしら? それか精神への直接作用ではなく、アゴニストとして脳への物質的干渉は可能?」

 

 専門用語が2人の口から洪水のように溢れ出る。

 これっぽっちも会話についていけないクラマ。

 

「…………………………」

 

 仕方がないのでクラマは、ニーオの乾ききっていないうなじや鎖骨、日に当たらないため白くて綺麗なふくらはぎを鑑賞して時間を潰すことにした。

 

 

> クラマ 心量:86 → 89(+3)

 

 

 ニーオとパフィーの熱い議論は、およそ30分ほど続いた。

 つい先程までの眠そうな顔とは一転、ニーオは意気揚々とした張りのある表情を浮かべている。

 

「ありがとう、とても参考になったわ。専門の魔法医に匹敵する素晴らしい知識量ね」

 

「どういたしまして! わたしもお医者さんのお話が聞けて、とても有意義だったわ!」

 

 医者と魔法使い、分野は違えど学者肌同士で気が合うのか、すっかり意気投合した2人の様子。

 パフィーを連れてきて良かったと思うクラマ。

 そのクラマに向けて、これまた一転してじっとりとした視線をニーオは向ける。

 

「……で、そこのいやらしい目つきをしてるのにも話があるんだけど?」

 

 誰のことだろう? と言わんばかりに、クラマは周囲をきょろきょろと見渡した。

 コツン、と木製のボードで頭を小突かれる。

 

「こら、眠いんだからふざけないの。真面目な話してるんだから」

 

「へーい、すんませーん」

 

 先に仕掛けてきたのは向こうなんだけどなあ。……と、多少の理不尽を感じつつも、クラマは大人しくニーオに向き直った。

 椅子に腰かけているニーオは足を組むと、まっすぐクラマを見据える。

 

「面倒だから単刀直入に言うけど、運量の使い方について、あなたの知ってることを教えてくれない? 報酬として情報ひとつにつき……」

 

「いいよ。何でも聞いて」

 

 ニーオがぴたりと止まった。

 そして眉根を寄せて、睨むような目つきをクラマに向ける。

 

「……あなたね、自分の言ってること分かってる? 魔法に関する知識は私には使えないからいいけどね、運量は別よ。運量の使い方を知ることは直接私の利益になるんだから、釣り上げるなりして出し惜しみなさい」

 

 なんという親切か。

 わざわざ自分の不利益になることを忠告してくるニーオ。

 やっぱりいい人だなあ、とクラマは思った。

 そんなニーオに対してクラマは、微塵も考えるそぶりを見せずに、自らの答えを返す。

 

「そうなんだけどね。でも、彼の治療に役に立つことなんだから、教えない理由はないよ」

 

「………………………………」

 

 ニーオは眉根を寄せたままクラマを凝視していたが……やがて諦めたように溜め息をついた。

 

「はぁ……まったく。分かったわ、じゃあ貴方の知ってることを教えて頂戴」

 

 クラマは自分がこれまでに調べた運量の法則性を、周到にもあらかじめ持参してきたノートのメモ書きを見せつつ詳しく説明した。

 先日までクラマはダンジョンへ潜るために運量を温存しなければならなかったが、サクラの加入によってデータが飛躍的に増えていた。

 

「……というわけで、全体を通した僕の印象としては、運命を変えるというよりは、誰も予定を入れていない少し先の未来をずらすようなイメージかな。同じ願いでも、人や動物が意識していないものほど動かしやすい。曖昧で分かりにくいかもしれないけど……」

 

「いえ……充分よ。ありがとう」

 

 ニーオ礼を言うと、足を組み換え、深く考えるしぐさをする。

 それからチラッとクラマを見て、もう一度大きく溜め息をついた。

 

「……ま、いいかな。ついでと言っちゃなんだけど、この子とノート、少し貸してくれない?」

 

 言って、パフィーの肩に手を置くニーオ。

 クラマはパフィーの顔を見る。

 パフィーはクラマに向かって頷き、了承の意を示した。

 

「オッケー。それじゃあ一応、僕の心量を移しておくね」

 

 言って、クラマは心量譲渡の呪文を唱える。

 

「エグゼ・アストランス。パフリット、40」

 

 

> クラマ 心量:86 → 46(-40)

> パフィー心量:395 → 425/500(+40)

 

 

 クラマの体から何十個もの青白く小さな光の玉が飛び出して、パフィーの体に入り込んでいった。

 同時に倦怠感がクラマの体を襲う。

 

「……ふぅ」

 

 疲労感にクラマは深く息をついた。

 その様子を、ニーオはなにやら難しい顔をして眺めていた。

 

「ねえ、あなたたち……それって外から見てると……」

 

 と、言いかけてニーオは口元を手で覆った。

 

「……いや、何でもないわ」

 

 果たして何を思い浮かべたのか。

 パフィーは小首をかしげる。

 クラマは特に追求することなく席を立つと、2人に手を振って診療所を後にした。

 

 

 

 

 

 パフィーを診療所に置いて、ひとり貸家に戻ってきたクラマ。

 

「ただいまー」

 

「あ、クラマ。早かったですね。ひとりですか?」

 

 すると丁度イエニアの時間が空いていたので、戦闘の訓練を行うことになった。

 付近の空き地へ向かう2人。

 

 今日は防御と回避の訓練。

 先に綿を詰めた訓練用の棒を互いに持って、イエニアが繰り出す攻撃をクラマが捌く。

 イエニアはクラマが対応できるかどうかのギリギリの所で加減しながら、突き、払い、叩きと……様々な攻撃を不規則に放つ。

 ところどころで指導を挟みながら、小一時間ほど繰り返したところで2人は休憩に入った。

 

「ぜぇー……はぁー……あいててて……」

 

 クラマは汗だくになって地面にへたり込む。

 対するイエニアは、さすがに汗を流してはいるものの、その呼吸は乱れていない。

 

「攻撃はまだまだですが、回避は素晴らしいですね。反応と、動体視力がいい」

 

「そなの? あんまり目は良くないんだけど」

 

 クラマの視力は両目ともに0.5。

 良くもなければ悪くもない。

 本を読む時や細かい作業をする時にだけ眼鏡をかける程度だ。

 

「視力と動体視力は違うものです。しかし一番凄いのは、こちらの攻撃に対して物怖じせずに、しっかり最後まで動きを見ていることですね。戦い慣れていない人の多くは、最初にここでつまずくのですが」

 

 そうやってクラマを褒めるイエニアは満足げで、とても機嫌がいい。

 

「これからダンジョン内で罠が増えていきます。自身の力で罠を回避できるかどうかで、運量の消費が大きく変わりますから、これは大きな長所ですね」

 

 そう言うとイエニアは土で汚れるのも気にせず、クラマの隣に座った。

 傍に来たイエニアの頬には、汗で濡れた髪が張り付いている。

 活き活きとした表情をクラマに向けるイエニアには、健康的な眩しさがあった。

 

「ダンジョンでは防ぐことのできない致命的な攻撃をしてくるものも多いですから、できるだけ回避を心がけてください」

 

 ふと、イエニアはそこで、クラマがじーっと自分の顔を凝視しているのに気がついた。

 

「……クラマ? 私の顔に何かついてますか?」

 

 そこでイエニアは、隣のクラマと肩が触れそうなほどの距離に近付いていたことに気がついた。

 そうなると、途端に意識してしまう。

 

 思えば彼女は、同世代の異性とまともに話した経験というものが、これまでの人生であまりなかった。

 異性の話し相手といえば、一回り以上に歳の離れた大人か子供。

 後はせいぜいが兄弟くらい。

 恋愛経験というものが一切ない人生だった。

 かといって年頃の少女がロマンスに憧れないわけもない。

 

「あ、あの……クラマ……? え……ええと、その、あの……?」

 

 じっとこちらを見つめてくるクラマに、イエニアはどんどん落ち着きをなくして、しどろもどろになる。

 このままではひどい醜態を晒してしまうような気がする。

 しかし急に距離を取るのも不自然だ。どうしようかとイエニアはそこかしこに視線を彷徨わせた。

 ……そこでクラマが口を開いた。

 

「いやあ……この前のダンジョンでは、無茶しちゃって申し訳ないなって」

 

「………………」

 

 その台詞を聞いたイエニアの顔が、徐々に仏頂面に変わっていく。

 

「また蒸し返すんですか。お説教が足りませんでしたか?」

 

「あれ、イエニア怒ってる?」

 

「怒っていますとも! まったくもう……」

 

 イエニアはむくれた顔から、大きく息を吐いた。

 

「はぁ……あなたが無茶をするのは、もう分かりましたから。だから無茶しても大丈夫なように、しっかり鍛えることにしました」

 

 そう言ってイエニアは立ち上がる。

 

「休憩は終わりです。稽古を続けますよ!」

 

 それから正午近くになるまで、イエニアの厳しい訓練は続いた。

 何かの鬱憤を晴らすかのようにイエニアの指導は激しかったが、しかしその表情は活き活きとしていて、その声色はとても楽しげであった。

 



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第16話

 クラマがイエニアとの稽古を終えて貸家に戻ると、居合わせたサクラと一郎に昼食へ誘われた。

 イエニアは予定があるというので、クラマ、サクラ、一郎という珍しい取り合わせで街へ繰り出す事となった。

 時刻は正午過ぎ。

 3人は木造の古びた家々が立ち並ぶ裏通りを、和やかに雑談しながら闊歩(かっぽ)する。

 

「ホントにそんなおいしい店があるの?」

 

「ええ、これでも元は料理人でさぁ、アッシの舌を信じてくだせぇ」

 

 今回の主題は、こっちの世界の料理に不満のあるサクラを、一郎が見つけたオススメの食事処へ連れて行こうという主旨であった。

 たしかに食事に関しては、クラマも満足してはいなかった。

 一番料理のできそうなティアは常に忙しくしており、メイドなのに料理をしない。

 一郎は元料理人であるが、魚料理専門だった。しかし天の滝から遠いこの街では、魚がなかなか手に入らない。

 それ以外の面々の料理は……はっきり言って雑であった。

 煮るか、焼くか、そのままか。

 味付けは各人が調味料を好きに振る。

 彼らが雑というよりも、これがこの世界におけるスタンダードであった。

 

 一郎の後について歩いていると、クラマはふと民家の裏にある小屋に目が留まった。

 格子状の木の板で造られた虫カゴの中に、拳大(こぶしだい)ほどの昆虫がたくさん入っている。

 目を引いたのは鮮やかな青色だったからだろう。体の作りは、細長くて角がない大きなカブトムシといった風体だった。

 クラマの視線に気付いた一郎が声をかける。

 

「イルラユーヒが気になりやすかい、旦那。ひとりで勝手に繁殖するんでペットには向きやせんぜ」

 

「へえ~、単為生殖か。面白いね」

 

「なにそれキモッ! 虫なんて見てないでさっさと行くわよ!」

 

 虫は見ないで行け――

 その言葉に一郎の脳細胞が活性化された!

 

「虫は……無視しろってことすかねぇ! アネゴ!?」

 

「バカ言ってないで早くしなさい!」

 

 一郎にとっては渾身の地球語ジョークであったがしかし、残念なことにネイティブにとってはありふれたオヤジギャグなのであった。

 

 ……と、そんなふうに騒ぎながら一同は到着する。

 そこは『納骨亭』という名の酒場だった。

 店内はあまり広くなく、昼時だけあってテーブルのほとんどが埋まっている。

 客層は身なりを見るに、大半が冒険者のようだった。

 半分以上の客が昼間から酒を飲み、馬鹿笑いや品のない冗談が飛び交う。

 いかにもな“酒場”といった情景に、クラマとサクラは少しだけ感動していた。

 

 一郎を先頭にして中に入る3人。

 彼らは空いている丸テーブルのひとつを囲むと、一郎に注文を任せることにした。

 待つことしばし。

 すると、ウェイトレスの女性が元気よく料理を運んできた。

 

「おまたせしました~!」

 

 この店唯一のウェイトレスは、髪も瞳も金色で、クラマよりも2~3歳ほど年上と思われた。

 明るい笑顔のかわいらしい女性だった。

 

「残りのご注文は後からお持ちしますね」

 

 そう言ってウェイトレスは次の注文を取りに行った。

 ウェイトレスの後ろ姿を見送り、クラマはテーブルに向き直った。

 

「……さて」

 

 運ばれてきた皿に目を向ける。

 緑の葉の上に、寿司くらいの大きさの青白い塊が乗せられ、ピンク色のソースがかかっていた。

 

「へー、ちょっとオシャレじゃない」

 

 荒くれどもの集う酒場には似つかわしくない、綺麗な盛り付けだった。

 クラマとサクラのために、一郎が食べ方の説明をする。

 

「こいつはエイサーの葉にくるんでも良し、分けても良し、好きにかぶりついてくだせぇ。えいさぁ! って具合に、えぇ」

 

「そういうのいいから」

 

「下の葉っぱがエイサーの葉なんだね。この青白いのは何なのかな?」

 

 クラマは青白い塊をフォークで刺して、目線の高さまで持ち上げて眺めてみる。

 その塊は、片側に6つの出っ張りがあった。

 クラマの脳裏に、地球にいた頃の記憶が甦る。

 どこかで似たようなものを見た気がする。

 そう、あれは確か……

 

「そいつはイルラユーヒの幼虫でさぁ」

 

 口元までフォークを運びかけたサクラの手が止まる。

 

「幼……虫……?」

 

「イルラユーヒってさっきの……」

 

「近くの民家で養殖してやしたね。コイツはどう食ってもウマイんですが、ここみたいに素揚げを熱いうちにかぶりつくのが最高でさぁ! しかも酒にも合うときた! ささ、おふたりとも、えいさぁっと!」

 

「………………………………」

 

 

> クラマ 心量:52 → 49(-3)

> サクラ 心量:112 → 95(-17)

 

 

 サクラは震える手でフォークを皿の上に置いた。

 

「…………や……」

 

「や?」

 

「やだーーーーーーーーーーーーーー!!!」

 

 サクラは逃げだした!

 

「あ、アネゴ!? アネゴーーーーーっ!」

 

 止める暇もあらばこそ。

 一郎の呼びかけも虚しく、サクラは振り向くことなく店の外へと走り去っていった……。

 テーブルには取り残された男が2人。

 追いかけて店外に出ていくわけにもいかず、気まずい空気が辺りを漂う。

 

「すいやせん……なんだか……悪いことしちまったみたいで……」

 

「そうだねー。地球……ってゆーか日本じゃ、虫って食べないからねえ」

 

 日本でも地域によってはイナゴ等の虫が食される所もあるし、海外では普通に昆虫食の文化もあるらしい……とはクラマも聞いてはいた。

 しかし、いざ目の前にすると、なかなかに強い抵抗があった。

 

 一郎は申し訳なさそうにクラマに頭を下げる。

 

「本当にすいやせんでした。アッシが代わりに食いやすんで、旦那は他のやつを……」

 

 一郎のその言葉を、クラマは遮った。

 

「――いや、食べるよ」

 

 はっとして一郎が顔を上げた。

 そこではクラマが貫くような鋭い視線で、目の前に掲げた幼虫を見据えていた。

 

「一郎さんが頼んでくれたものだからね。食べるよ、僕は」

 

「だ、旦那……!」

 

 青白い塊が、ゆっくりとクラマの口へ近付いていく。

 そして広げた口の中に半分ほど入り……噛み千切られた!

 ブルン! と残された幼虫の半身が震える。

 

 クラマは固く目を閉じ、まるで苦虫を噛み潰すような……そう、苦虫を噛み潰すかのような表情で一噛み、二噛み……。

 最後にゴクリと飲み下して、

 

「うまい!!」

 

 

> クラマ 心量:49 → 61(+12)

 

 

 弾けたように叫んだ。

 クラマのその反応に、一郎は満面の笑みを浮かべて喜んだ。

 

 

 

 2人はそうして、サクラが残したぶんも綺麗に平らげた。

 料理の正式名称は『イルラユーヒの素揚げ・ニニオソースがけエイサー巻き』。

 クラマの感想は、イルラユーヒの食感はエビを少し柔らかくした感じ。噛むと汁がたくさん出てきて口の中に広がるので、口の中が旨みでいっぱいになる。

 卵に香味野菜と植物油を混ぜ合わせたという特製のニニオソースが味つけをして、味つけが強いようならエイサーの葉で巻いて食べれば、サッパリと整えてくれる。

 酒に合うという一郎の話はクラマには分からなかったが、これはいくらでも食べられそうだと思った。

 

 その後も運ばれてきた料理に、一郎の解説を受けながらクラマは舌鼓を打つ。

 ……そうした時だった。

 

 

「きゃっ! 何するんですか、お客さん!」

 

 クラマと一郎が悲鳴に目を向けると、ウェイトレスの女性が2人連れの冒険者に絡まれていた。

 

「オイオイ、尻を掴んだだけじゃねえか」

 

「こんくらい冒険者相手の酒場なら当たり前だろォ? もっとしっかりサービスしてくれや」

 

「うちはそういう店じゃありませんから……やっ、やだ、どこ触って……っ」

 

 嫌がるウェイトレスにしつこくセクハラを続ける冒険者。

 その様子を見て一郎は溜め息を吐いた。

 

「ああいうの、どこでもあるんすよねぇ。冒険者って奴ぁ、社会からあぶれた無法者が大半すから。旦那も絡まれないように気をつけてくだせぇ」

 

 テーブルに向き直る一郎。

 すると、つい先ほどまでそこにいたクラマの姿がなかった。

 一郎はきょろきょろと周囲に目を向ける。

 

「あれ、旦那? 旦那どこに……って」

 

 クラマはいつの間にか移動し、ウェイトレスに絡む冒険者の腕を掴んでいた。

 

「なんだァ? てめェ」

 

 冒険者は、自分の腕を掴んだクラマをジロリと睨みつけて凄む。

 

「いやあ……彼女が嫌がってたからさ」

 

 クラマは機嫌を伺うような愛想笑いを返した。

 冒険者の男は、後ろにいる連れに顔を向ける。

 彼らは視線を交わすと肩をすくめて、小馬鹿にした笑みを浮かべると……前触れもなくいきなり拳を振り上げた!

 

 ……しかし男の拳は空を切る。

 クラマは咄嗟に下がって回避していた。

 

「な……なに避けてんだコラァ!」

 

 理不尽な逆上!

 男は不意打ちのパンチが避けられたことに怒り、さらに拳を振るってくる。

 二発、三発と拳を繰り出すが、男の拳がクラマに触れることはなかった。

 イエニアの突きに比べたら、男にパンチはあまりに遅く、予備動作も大振りで非常に分かりやすい。

 

「くっそが! 避けるんじゃねェっつってんだろ! クソガキャア!」

 

「いやいや避ける、避けますよそりゃ。……あ」

 

 クラマの背中が壁に当たる。

 何度も避けているうちに、壁際に来てしまっていた。

 クラマは壁から離れようとする。

 ……が、そこで男に襟首を掴まれた。

 もう逃げられない。

 

「旦那!」

 

 一郎が飛び出そうとしたその時だった。

 

 

「おい」

 

 

 低いが、妙によく通る声だった。

 その声に拳を上げていた男は振り向く。

 見ると、奥で料理していた酒場のマスターがカウンターに姿を表していた。

 

 厳つい風貌の男だった。

 肩幅が広くがっしりした体格。

 薄紫色の髪を後ろになでつけ、紫色の瞳は右側が眼帯で塞がれている。

 マスターはさして興味なさそうなそぶりで、グラスを拭きながら告げる。

 

「ケンカしてえなら余所でやれ。ここはメシを食う場所だ」

 

「あぁ!? うるっせえなオッサン、奥に引っ込んでやが――」

 

 ズダン! と冒険者の男の顔をかすめて、包丁が壁に突き刺さった。

 男の頬を一筋の血が流れる。

 

「れ……え……?」

 

「この店はな、てめえら冒険者がダンジョンに潜る前に、最期のメシを食わせてやる場所だ」

 

 低く、しかし無視できない迫力をもって語る酒場のマスター。

 そのひとつしかない目がギロリと動き、眼光が冒険者の男の身を刺し貫いた。

 

「だが……てめえらがここで骨を埋めたいってんなら、俺は別に構わんぞ」

 

 気圧された男は膝を震わせながら、ぱくぱくと魚のように口を開いて何かを言い返そうとしていたが、隣で騒動を気にせず飯を食っていた男が声をかけた。

 

「おい、ひとつ忠告しておくけどよ。周りを見た方がいいぜ」

 

 その言葉に冒険者たちは周囲を見渡した。

 クラマも周りに目を向ける。

 すると――

 

「おれらのアイドルに……何してくれとんじゃ……小僧が……」

 

「虫の餌にしたろうか……?」

 

 そこには今にも襲いかからんばかりの殺気に満ちた瞳の群れが!

 いつの間にやら、店内で酒をあおっていた冒険者たちが集まり、周囲を取り囲んでいた。

 

「う、うう……うわぁーーーーっ!!」

 

「おま、また先に逃げっ……! ちくしょう! こんな店、二度と来るかぁ!」

 

 ……2人の男は、情けなく悲鳴をあげて逃げだした。

 逃げ出していく人の多い酒場だなあ、などと思いながらクラマは皺の寄った衣服を正す。

 するとクラマは、今度は自分が周囲の冒険者たちに取り囲まれていることに気がついた。

 

「おう兄ちゃん! 地球人のくせによくやるのう!」

 

 クラマはむさ苦しい男たちに肩や背中を叩かれ、口々に賞賛された。

 

「いやあ、それほどでもないですよ」

 

「ガハハ、謙遜しよる! まさかこのわしが地球人に先を越されるたぁな! 兄ちゃん、こいつはわしのオゴリだ!」

 

 そう言って髭の冒険者はクラマの口に酒を突っ込んでくる!

 

「もがもがもが、んぐ……ぷはーーーっ!」

 

 クラマは大勢の冒険者にもみくちゃにされ、そのままテーブルをかき集めて即席の宴会が始まった。

 真っ昼間からの馬鹿騒ぎは、マスターが「仕込みの時間だから出ていけバカども」といって男たちを追い出すまで続いたのであった。

 

 

 

 

 

 ……冒険者たちが追い出された後の納骨亭。

 まだ残って話している者も数人いたが、食器はすべて下げられている。

 酒場の中央では、テーブルに突っ伏したクラマが一郎に介抱されていた。

 

「大丈夫ですかい、旦那」

 

「だめだ~、パフィ~、解毒してくれ~い……」

 

 クラマはさんざん飲まされてまともに歩けない状態だったので、マスターの厚意で少し休ませてもらっていた。

 そこへウェイトレスの女性がグラスを持って現れた。

 

「あの……酔い覚ましの特製アイードジュースです。どうぞ」

 

 クラマは手渡された橙色の液体を一息に飲み下した。

 苦みを濃くしたグレープフルーツのような果実の味の中に、これまた強い甘さが加わっている。どろっとした喉越しもあって、ジュースというより薬のようだというのがクラマの感想だった。

 

「ぐええ……まずいー、にがいー、でもなんか頭スッキリしてきた。ありがとう」

 

「いいえ、お礼を言うのはこっちの方です。庇ってくれてありがとうございました」

 

 それから少しの間、クラマはウェイトレスの女性と話した。

 彼女は明るい笑顔でテフラと名乗った。

 テフラは両親ともにこの街で生まれ育った生粋の現地民で、家族はこの付近でイルラユーヒの養殖業を営んでいるという。

 彼女がこの酒場で働いているのも、この店のマスターがイルラユーヒの買い付けに来たのがきっかけだった。

 

「へえ……マスターはこの街の人なの? なんかそれっぽくないけど」

 

 クラマは酒場のマスターのことも聞いてみた。

 

「それが、実は私もあんまり知らないんです。政府の冒険者誘致政策から、この街にやってきた人なので」

 

 彼女がマスターについて知っていたのは、ヤイツノという名前。

 あとは元冒険者らしい……という事だけだった。

 あまり自分のことを語りたがらない男のようだ。

 

「何回聞いても、はぐらかして答えてくれないんですよね」

 

 テフラは口を尖らせてそう言った。

 そこへ噂をすればといった感じに、奥からマスターが顔を出す。

 

「テフラ、調味料が足りなくなった。買い出しを頼む」

 

「あ、はーい! それじゃあ失礼しますね」

 

 テフラはマスターからメモを受け取って、店の外に出ていった。

 そうしてマスターがクラマを見やる。

 

「……うちの看板娘が世話になったな。口は軽いが、よく働いてくれる。こんな寂れた場末の酒場には、勿体無い娘だ」

 

 クラマは心の中で頷いた。

 こんな通りから外れた目立たない場所で働くにはもったいないくらい、テフラはかわいい。

 そして胸も大きい。

 しかしそれはそれとして胸の内に仕舞っておいて、クラマは別の言葉を口から吐き出した。

 

「いやあ、そんな事ないですよ。この店の料理はもうホント最高でしたから」

 

 隣の一郎もそれに同意する。

 

「えぇ、アッシも料理人のはしくれとして尊敬しまさぁ」

 

「……そうかい、ありがとよ」

 

 マスターは礼を言いながらも、仏頂面で顔を背ける。

 気難しい性格が、そのしぐさひとつひとつに表れていた。

 

「俺は仕込みに戻る。お前らも落ち着いたら帰れ」

 

 そう言って背を向けるマスターを、クラマは呼び止めた。

 

「すみません、折り入ってお願いがあるんですが」

 

「……あぁ? 何だ?」

 

「僕に料理を教えてもらえないでしょうか?」

 

 クラマは頭を下げて頼んだ。

 しかしクラマに乞われたマスターは、露骨に嫌な顔をする。

 

「教えてくれっておめぇ……そういう事はしてねえんだ。俺のガラでもねぇ」

 

 そう言って奥に戻ろうとするマスター。

 そんなマスターの言葉に、店の隅に残っていた男のひとりが口を挟んできた。

 

「ハン、人にものを教えるのなんざ、アンタが一番得意な事だったじゃねえか」

 

「セサイル、てめぇ」

 

 マスターは声をかけてきた男を睨む。

 セサイルと呼ばれた男は、長身のハンサムだが、野性的な雰囲気のする男だった。

 くすんだ黄色の髪に、黄色い瞳。

 先ほどの騒動の中でも気にせず食事をしながら、暴れていた冒険者に忠告をした男だった。

 セサイルはテーブルに足を乗せて、小馬鹿にするようにマスターに言う。

 

「いっつも人には『受けた恩を忘れるな』なーんて言っといてよぉー、ありゃあ一体なんだったんだ? オレの空耳だったかぁ?」

 

「うるせえ、黙れ」

 

 マスターに凄まれても、セサイルは臆することなくカッカッと笑っている。

 しかし言い返す言葉もないようで、マスターは舌打ちしてクラマに言う。

 

「……チッ、しょうがねえ。おい、軽く教えてやる。入ってこい」

 

「はい!」

 

 クラマはマスターを追って厨房へ向かう。

 途中、クラマがセサイルに向けてグッと親指を立てると、セサイルはひらひらと手を振って返した。

 

 

 

 そうしてクラマは納骨亭のマスターより、ダンジョン内での調理のいろはを教わることとなった。

 

「お前は別に料理人になりたい訳じゃないんだろう。ダンジョン内での調理に限るなら、薬味、香辛料を思いきり使っていけ。凝った料理は“上”に戻ってから作ればいい。まずはシンプルにいけ」

 

「押忍! 師匠!」

 

「師匠はやめろ」

 

 その教えは効率的かつ実践的であった。

 クラマがすぐに使えるように、要所を押さえて具体的に話してくれる。

 端的に言って、教え上手だった。

 

「いやあ、分かりやすいっす。自分で調べたんですか、こういうのって?」

 

「まあな。……俺も昔は冒険者でな。料理なんざまるで興味なかったが、組んでた奴らは自分でメシを作りたがらねえ。仕方なくいつも俺がやってたんだが……そのうち面白くなってきてな」

 

 ひととおり教え終わったあたりで、ぽつぽつとマスターはかつてのことを語りだした。

 

「そうして旨いメシを作れるようになってきた頃に、思ったんだよ。あいつらが死んじまう前にも、もっと旨いメシを食わせてやりたかった……ってな」

 

 クラマの方からは眼帯で目は隠れていたが、その横顔からはいくらかの後悔が滲んでいるように見えた。

 

「冒険者って奴らはろくでもねえクソッタレばかりだが、旨いメシを食った時だけは、どいつもこいつも一丁前に感謝の言葉を吐きやがる」

 

 その気持ちはクラマにもよく分かった。

 豊かな食事は心を豊かにするということを、クラマはこの世界に来てしみじみと感じていた。

 

「だからこの街で冒険者を集めてるって聞いてな。バカどもが死ぬ前に一度くらいは、旨いメシを食わせてやろうと思って来たんだよ。そうしたら何だ? どいつも奥まで行かずに戻ってきて、何度もメシを食いにきやがる。バカッタレどもが」

 

 などと悪態をつくマスター。

 しかしそんな言葉とは裏腹に、その口元は笑っているのがクラマには分かった。

 

「……フン、無駄話をしちまった。ほら出ろ、今日はもう終わりだ」

 

「ウッス! ありがとうございました!」

 

 そうしてクラマはマスターに頭を下げて、厨房からカウンターに出る。

 するとまだ店の中にいたセサイルが笑いかけてきた。

 

「カッカッ、ずいぶん熱心に教えてたじゃねえか。この教えたがりめ」

 

 クラマの後から出てきたマスターはそんなセサイルを指さして、クラマに向けて言った。

 

「よし、次はあいつにダンジョンでの動き方を教えてもらえ」

 

「オッス! よろしくオナシャッス!」

 

「はぁ!? ちょっと待てよ、なんでオレが!?」

 

 慌てて椅子から転げ落ちそうになるセサイル。

 それをマスターはジロリと睨みつけた。

 

「あぁ? てめぇ、いつから俺に意見できるようになった?」

 

「ぐっ……! いや、オレはもうアンタの生徒じゃ……」

 

「なんだ、溜まったツケを今すぐ払いたいってか。そりゃ感心だ」

 

「チッ! クラマっつったかお前、外に出ろ! オレが特別にダンジョンの歩き方を教えてやる!」

 

「ウィッス! アザーッス!」

 

 そうしてクラマはさらに続けて、セサイルからダンジョン探索の心得を学んだ。

 

 

 

 

 

 ……なんだかんだと色々あって、クラマと一郎が帰宅する頃には、すっかり日が暮れていた。

 2人は並んで夜道を歩く。

 

「いやあ、申し訳ないね一郎さん。こんなに遅くなっちゃって」

 

「いえ、旦那の役に立てたようで何よりでさぁ」

 

 歩きながら2人は、仲良く料理の感想なぞを言い合った。

 

「チェーニャ鳥は卵が凄いんすよ。次に来た時に頼みやしょう」

 

「へえ、卵か。それは楽しみだね。……ん?」

 

 クラマは妙な引っかかりを感じた。

 ……なにか忘れているような……?

 

「旦那、どうかしやしたか?」

 

「ああ、ううん、なんでもないよ」

 

 思い出せないことなら大したことではない。

 そう思い直して、クラマは皆が待つ貸家への帰途についた。

 



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第17話

 納骨亭から帰ってきたクラマは、遅めの夕食をとって、それから湯浴み。

 お風呂から上がった彼を、リビングでパフィーが待ち受けていた。

 

「待ってたわ、クラマ! 今日は何のお話が聞きたいかしら?」

 

 ここ最近では、就寝前にこのリビングでパフィーから講義を受けるのが、クラマの習慣のようになっていた。

 今日も例に漏れず、2人きりでパフィーの話を聞く。

 講義といっても堅苦しいものではなく、和やかな空気でこの世界の事を語って聞かせる、雑談の延長のようなものだった。

 ちなみに寝る前なので2人とも寝間着である。

 

「そうだね……前に言ってた、神様の話を聞きたいな」

 

「わかったわ。それにはまず基礎として、神様とわたしたちの心量の関係からね」

 

「この世界の人たちは、心量を神様からもらうんだよね」

 

「そうよ。地球人は自分で回復できるけど、わたしたちは“祈り”か“奉納”か、あるいは地球人からの譲渡でしか心量を回復できないの」

 

「ふぅーんむ……祈りと奉納っていうのはどういうのかな」

 

「祈りは神様への祈り。……ちょっとやってみるわね」

 

 パフィーは目を閉じて、祈りの言葉を囁く。

 

「ヴィル・ウーセバエニウディー……神様、神様。今日もわたしに心量をくださいな」

 

 するとパフィーの周囲にどこからともなく光の玉が表れて、パフィーの中に入り込んでいった。

 

 

> パフィー心量:279 → 299/500(+20)

 

 

「結構、簡単なんだね」

 

「そうね。凝ったこと言っても量は変わらないから。それじゃあ次は奉納ね。……ヴォトン・ウーセバエニウディー」

 

 そう唱えると、やおらパフィーは用意してきた小瓶を取り出した。

 中には飴玉ほどの大きさの白い玉が2つ。

 

「片方は甘~いお菓子。もう片方は、とってもとってもにがい栄養剤。さあ、どっちか好きな方を選んで?」

 

「どういうこと!? にがいのは苦手なんだけど?」

 

「わたしも苦手。でも、これが心量回復に必要なの。残った方をわたしが食べるから」

 

「そうなのか……」

 

 何だか分からなかったが、そう言われては拒否できない。

 クラマは注意深く2つの玉を観察する。

 しかし外からでは、違いがあるようには見えなかった。

 試しにクラマは手を伸ばして2つの上を交互に行き来させ、パフィーの反応を窺ってみた。

 

 パフィーは緊張した面持ちでクラマを見つめている。

 だが、クラマの手の動きに反応するそぶりはなかった。

 

 ……どうやら心理戦の介さない、完全なるフィフティ・フィフティなギャンブルのようだった。

 クラマは意を決して片方を選ぶと、口の中に放り込んだ!

 パフィーが動向を注視する中、クラマはゆっくりと口の中で噛む。サクッとして柔らかかった。

 

「……………………甘い」

 

「え」

 

 濃厚なクッキーのような甘さがクラマの口の中に広がった。

 飲み物は欲しくなるが、なかなかにおいしい。

 

 とすると当然、残りは――

 

「ううううぅぅぅぅぅぅ……」

 

 相当に苦手なのだろう。頭を抱えて残った玉を見つめるパフィー。

 

「…………………」

 

 クラマは残りの玉をつまむと、ひょいっと自分の口に放り入れた。

 

「あっ」

 

 呆気にとられるパフィーの前で、クラマはもぐもぐと噛んだ。

 そして……

 

「ぐええああああー! にがいぃぃ! にがすぎるぅぅぅぅ!」

 

「な、なにしてるのクラマ! ほら水、お水よ!」

 

 パフィーが持ってきた水を飲んで、クラマは一息ついた。

 

「ふぇあああー……この想像を絶する苦み。宇宙の起源を垣間見たね。まだ口の中に銀河が瞬いている」

 

「しっかりして、この世界に宇宙はないのよ。それとねクラマ、そういうことしちゃだめよ。これは心量を回復する儀式なんだから」

 

「う……そうだよね、ごめん」

 

 クラマは己の軽率な行動を謝罪した。

 しかしパフィーはそれほど怒ってはいないようだった。

 

「……クラマ、わたしをかばってくれたのよね?」

 

「そんなことないヨー、にがいの好きだから食べたかっただけだヨー」

 

「もう、嘘ばっかり! ……ふふっ、でもね。わたし、クラマのそういう優しいところ好きよ!」

 

 そう言ってパフィーは嬉しそうにはにかんだ。

 

 

> クラマ 心量:69 → 71(+2)

 

 

「うーん、でもこれじゃ、わたしの心量が回復……あら?」

 

 

> パフィー心量:299 → 485/500(+186)

 

 

「すごい、たくさん回復しているわ! 1回につき最大で200だから、かなりの量よ。神様はああいうのが好きだったみたい」

 

「そういうもんなの?」

 

「ええ、神様が好むものを披露して、その見返りに心量を授かるのが奉納なの。ただ、同じことを繰り返すと貰える心量が下がっていったり、同じことをしても人によって差がついたり、明確な規則は見つかっていないのだけれど」

 

 運量と似て曖昧なところがあるようだった。

 

「神様にも気分があるんだろうね」

 

 例えば女性の下着姿を見るにも、シチュエーションによって、また相手によっても興奮の具合は違う。

 そういうものなのだろう、とクラマはひとりで勝手に納得した。

 

 そんなことを考えていると、クラマはなにやら思い悩んでいるパフィーの様子が目についた。

 

「どうしたのパフィー」

 

「……ううん、やっぱりだめよ! わたしもちゃんと食べるわ!」

 

 と言って、パフィーは鞄から白い玉を取り出し、自らの口の中へ放った。

 ぐっ、と口の中で一噛みした後、その動きが止まる。

 しばしの硬直。

 やがてパフィーの体がプルプルと震えだした。

 

「ハイハイ、水! 水持ってきたから、ホラ!」

 

 今度はクラマが水を持ってくることになった。

 

 

 

 パフィーが落ち着いてから話に戻る。

 

「祈りの効果があるのは1日1回まで。奉納は1回やると10日過ぎないと次にできないわ。基本的にみんなダンジョンに入る前に心量を上げておくから、ダンジョン内ではクラマからの譲渡しかないって考えておいてね」

 

 そうやって心量について補足してから、次にパフィーはこの世界の神話を語る。

 

 

 ――曰く、この世界は6柱の神が創生した。

 神は世界の外にいながら空を創り、大地を創り、太陽を創り、あらゆる動物、植物を創り、最後に自らの教えを広める者として人を創った。

 それぞれの神は同じ数だけ人の種を蒔いた。

 死した人の魂は自らを生んだ神のもとへ還り、新たなる人の命へと宿る。

 繰り返す生の中で、神の教えを忠実に守り、その魂に宿る業を神の色に染め上げた者が、やがて神の座へと至るであろう――

 

 

「神様にはそれぞれを象徴する色があるの。わたしたちの瞳は信奉している神の色で、髪の色は魂を創った神の色。髪の明るさや鮮やかさは、前世の業で決まっているわ」

 

 神の話だと思って聞いていたら、いつの間にか髪の話になっていた。

 

「……わかりにくかったかしら?」

 

「んーにゃ、たぶん大丈夫。でも前世があるってことは、昔の記憶があるの?」

 

「ううん、ないの。ただ輪廻と魂の業の存在は証明されているから、神の意に沿うように生きる人もいれば、どうせ前世が分からないからって気にしない人もいるわ」

 

 業とかどうとかはクラマにはよく分からない話だったが、とりあえず信奉している神によって髪と目の色が違うのは分かった。

 

「……ってことは、自分を創った神を信奉してない人もいるわけだ」

 

 まずパフィーからして目は黄色。髪は緑だ。

 イエニアはオレンジ色の目に茶色の髪だが、オレンジの濃さを変えれば茶色になる。

 赤い瞳とピンク髪のレイフも同様だ。

 

「ええ、人はみんな生まれた時から自動的に自分を創った神を信奉してるのだけど……自分の意志で改宗もできるわ。ただ、改宗した後は1ロイ……1000日の間、新たに改宗ができなくなるのだけど」

 

 だいたい3年間。

 そう簡単にほいほい信じる神は変えられないということだ。

 

「じゃあ、具体的に神様を紹介していくわ。有名な想像画があるから、それを見ながらね」

 

 パフィーは画集を持つとテーブルをぐるっと回って、クラマの横に来る。

 そしてクラマの膝の上に、その小さなお尻を乗せた。

 

「さ、一緒に見ましょ?」

 

 無邪気な笑顔でクラマに背中を預けてくるパフィー。

 最近はこの体勢がパフィーのお気に入りだった。

 クラマはダンジョン内で一緒に寝た時のことを思い出す。

 こうした触れ合いを求めるのは、やはり人恋しい気持ちがあるのだろう。

 レイフと屋根の上で話してから、クラマはそういう事もよく考えるようになった。

 

「まずは風来の神、シンラエウーユバウー。唯一の失われた神。何よりも自由を愛し、束縛を嫌う。古代人類が滅亡した《神の粛清》の後、神としての役目を捨てて地上に下ったとされる」

 

 パフィーが開いた本には、緑が鮮やかな風景画が描かれていた。

 しかし風景だけで、神らしきものの姿は描かれていない。

 代わりに中心付近には、何かがそこにいたような足跡だけがあった。

 パフィーは次のページをめくる。

 

「次に芸術の神、フェギナシド。芸術をこよなく愛し、特に真新しさのある創造的活動を求める」

 

 本には道化のような格好をした紫色の少年が何人も描かれ、それぞれが絵画や本、楽器などを手にしている。

 

「祭の神、ウーセバエニウディー。とにかく派手なもの、陽気なものを好む。賭け事や争いも好み、戦の神とも呼ばれる」

 

 描かれているのは黄色い兜、マント、斧を装備した上半身裸で筋骨隆々の男。絵の中の男は怪物を踏みつけ、周囲では群衆が拍手喝采をしている。

 イエニアに最も合っていそうな色だとクラマは思ったが、黄色はパフィーの色だ。

 

 画集からパフィーに目を向けたクラマ。

 クラマはそこで、とんでもない事に気がついてしまった。

 ゆったりしたパフィーの寝間着。

 クラマの角度からだと、少女の胸元が丸見えになっていた。

 寝間着の下に肌着はつけていない。

 そこには素肌の、ほんの少しだけ膨らみ始めたばかりの、少女の胸があった。

 

「………………」

 

 

> クラマ 心量:71 → 74(+3)

 

 

 クラマはメガネをかけた。

 小さくて見づらい画集の解説文を読むためであり、他意はなかった。

 

「クラマ、どうかした?」

 

 パフィーが見上げてくる。

 

「なんでもないよ」

 

「そう? じゃあ次、博愛の神、イイーユリセウェ。公平な分配と公正な裁きを至上としており、私的な理由による贔屓や搾取は認めない」

 

 描かれているのはオレンジ色の光に満ちた無数の腕を持つ女神が、縱橫に整列した老若男女に何十本もの輝く手を伸ばした姿。

 オレンジ色はイエニアの色だった。

 パフィーはページをめくり、次に続ける。

 

「美と官能の神、ヒシディユビウヌ。女性の美しさを求める愛の探求者」

 

 赤い衣を纏って湯浴みしている美しい女性の姿が描かれている。また、その姿を窓から覗いて顔を赤くする別の女性の姿も描かれていた。

 赤色はレイフの色だ。

 これ以上なくレイフの色であった。

 

「そして最後に……あら?」

 

 最後のページをめくる途中で、何かに気付いたパフィーは動きを止めた。

 

「クラマ、ポケットに何か入れてるでしょう」

 

 パフィーはクラマの太股の上で、お尻の下の感触を確かめるように体をゆすった。

 

「いや……いやいやいやいや、何もないから。気にしないでパフィー」

 

「うそ! ぜったい何かあるもの!」

 

 パフィーはクラマの膝から降りて、クラマの内股を手で探る。

 

「ちょ、ちょっちょっちょっ……! 待った、ちょっと待ったパフィー!」

 

「ほら、やっぱり何かある! いったい何を隠して……あら? ポケットの中じゃない……? ここは……」

 

 ぴた、とパフィーの探る手が止まった。

 やがてパフィーの体がふるふると震えだす。

 それからぎこちない首の動きで、ゆっくりとクラマに顔を向けた。

 その顔は耳まで赤くして、半泣きになっていた。

 

「パ――」

 

 クラマが何かを言おうとした瞬間、パフィーが脱兎のごとく駆け出した!

 

「ひやあぁぁあ! どすけべ! どすけべだわー!!」

 

「ど、どすけ……!?」

 

 慌ててパフィーを追いかけようとしたクラマは、ソファーに足をひっかけて転倒した。

 痛みをこらえて顔を上げると、そこには――

 

「……みたわよ」

 

 壁から半分だけ出したレイフの顔。

 クラマは何か弁明を行おうと、口を開けて必死に思考を巡らせた。

 だが……どれだけ考えても現状を覆す一発逆転の言葉は浮かばない。

 最終的に喉から絞り出されたのは、ただの一言だった。

 

「チガウンダ……コレハ……」

 

 これほど無意味な言葉を発したのは生まれて初めてだった。

 赤子の産声よりも意義のない言葉は、リビングの中を流れて何処にも響かずひっそりと消える。

 クラマは床に膝をついたまま、がっくりと肩を落とした。

 

 

> クラマ 心量:74 → 66(-8)

 

 

 

 

 

 テーブルの上には、開かれたままの画集。

 そこに描かれた絵は、刃物を手にして力なく膝をつく男。その男の側に寄り添い両手を上げた、頭からローブを被る顔のない人物。背景は不吉で禍々しい雰囲気で描かれ、これらすべての色彩が青。

 ただひとつ、膝をつく男の前に倒れ伏した女性の胸に、赤い点が浮かんでいた。

 

 絵画と一緒に書かれた説明文は以下。

 

「悲劇の神 ツディチスユア

 救いのない物語、悪意の嘲笑、人の心の闇を好む。

 一般的には『邪神』と呼ばれ、信徒は人類社会に害を及ぼす危険な存在である。」

 



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第18話

 ――翌朝。

 クラマとイエニアとレイフとパフィーは食卓を囲んでいた。

 ティアは早朝からどこかへ出かけていた。

 基本的に朝食はパーティーごとに。昼食はそれぞれ好きな場所で。そして夕食はサクラ達もこっちに押しかけてくるのが、いつものパターンとなっている。

 今日も一見して普段通りの食事風景だが……

 

「あ、パフィー。調味料取ってくれるかな」

 

「………………うん」

 

 パフィーは調味料の入った小瓶を掴まず、指先でそろそろとクラマの方へ押し出す。

 

「ありがとう、パフィー」

 

「………………うん」

 

 明らかにおかしい。

 よそよそしい。

 その様子をイエニアは奇異の目で眺め、レイフはにやにやしながらクラマの顔を見ていた。

 食事を終えたところでクラマはパフィーに声をかける。

 

「パフィー、このあとちょっと時間あるかな」

 

「ごっ、ごめんなさい忙しいの! じゃあね!」

 

 パフィーはばたばたと慌てた様子で駆けていった。

 

「おぉ……」

 

 がっくりとうなだれるクラマ。

 見かねたイエニアが口を開いた。

 

「昨夜何かあったようですが、パフィーに何かしたんですか、クラマ」

 

「何もしてないよ! ただ、その……ボタンの掛け違いというか、少し誤解が」

 

 そこへ横からレイフの揶揄する声が。

 

「誤解ぃ~? ほんとに誤解かしらね~?」

 

「誤解ですぅー。僕はロリコンじゃないですー」

 

「ふぅん? ……説得力って知ってる?」

 

 そんな2人の様子を見てイエニアはため息をついた。

 

「だいたい何があったか分かりました。クラマ、誤解ならきちんと話し合って解いてください」

 

「うん、わかってる」

 

「誤解でないなら、人としてきちんとしてください」

 

「その仮定いる?」

 

 ともかくも、次にダンジョンへ潜るまでには何とかするということで、その場はお開きになった。

 

 

 

 その日の夕方。

 クラマはティアと一緒に、人混みで賑わう市場を歩いていた。

 当初はイエニアと来るはずだったのだが、予定が合わずにティアが代役を務めることになった。

 

「たまには休んだ方がいいんじゃないの?」

 

 とクラマが言うと、

 

「いいえ、お気になさらず。わたくしにとっても、この方が都合がいいので」

 

 とのことだった。

 

「むしろクラマ様のご予定に空きがないのが、予定が合わない原因かと存じますが」

 

 以下がここ最近におけるクラマの1日の予定である。

 

・イエニアと修行。

・パフィーの講義。

・サクラと運量調査。

・市場で買い出し。

・冒険者ギルドで最新情報をチェック。

・ニーオの診療所に顔を出す。←New!

・納骨亭で料理を習う。←New!

・セサイルからダンジョンの知識を教わる。←New!

 

「それ以外にも何か諍いがあれば介入しておられるようですから、時間はいくらあっても足りないでしょう」

 

「え? そんなことまで知ってるの?」

 

「このあたりでは、だいぶクラマ様のお顔は知られていますよ。最近、面白い地球人の若者がいる……とのことで」

 

 ティアの言う通り、何か困っている人がいたり、人が争っているような事があれば、クラマはその都度首を突っ込んでは、事態の解決に奔走していた。

 

「いやあ、本当はひっそりと生きたいんだけどねえ……おっ、アピリンおばちゃん! 腰の具合はもういいの?」

 

 と、クラマは市場で野菜を広げている中年の女性に向かって、片手をあげて話しかけた。

 

「おう、クラマかい! アンタがあの診療所を紹介してくれたおかげさね。まるで20年は若返ったみたいだよ! 昨夜は旦那もベッドで喜んでたわ、アッハッハッ!」

 

「そんな事までは聞いてないんだよなあ。でも調子が良さそうでよかった。旦那さんにもヨロシクね」

 

「おう! アンタも腰には気をつけな! アンタが腰をやったら、隣の子も悲しむからね!」

 

「そういうんじゃないからやめて!」

 

「アッハッハッ! 悪かったね、お詫びにこれでも持っていきな!」

 

 おばちゃんから放り投げられた野菜をキャッチして、クラマはその場を後にした。

 ティアも野菜売りのおばちゃんに軽く会釈して、クラマについて歩く。

 

「いやー……ごめんね、なんか。いい人なんだけどね、アピリンおばちゃん」

 

「いえ、気にしておりません。市井に活気があるのは良いことだと思います」

 

 その後もクラマは行き交う人達と挨拶を交わしながら市場を歩いていたが、やがてティアの先導により、2人は人通りのない路地裏へと入り込んだ。

 

 ひとたび通りから外れると、そこでは足の踏み場もないほどに大小様々なゴミが散乱していた。

 ゴミを避けつつ、クラマとティアは路地裏を進む。

 また、ゴミだけでなく、浮浪者と思われる男達とも何度か通り過ぎた。

 彼らは一様にクラマ達を見つめるが、何もしてくることはなかった。

 ティアは先導して前を歩きながら、後ろのクラマに向けて話しかける。

 

「こうした路地裏では違法取引が日常的に行われていますが、今回ご案内するのは《固定魔法品(エンチャント)》を中心に扱う商人です」

 

「エンチャント? ……おっと、大丈夫?」

 

 クラマはゴミに足をとられて転びそうになったティアを抱き留めた。

 ティアはすぐにクラマから体を離して、頭を下げる。

 

「……大変失礼いたしました」

 

「いえいえ、お構いなく」

 

 ティアは足元に注意して歩き始めた。

 クラマは自分の手のひらを見つめる。

 そして思い出す。一瞬だが、その手に掴んだ感触を。

 ――やはり、大きい。

 

 

> クラマ 心量:77 → 81(+3)

 

 

 ティアは歩きながらクラマに固定魔法品の説明をする。

 通常、魔法というものはその効果が永続せず、時間とともに弱まる。

 しかし固定魔法品は、失われた古代の技術により、永続的に魔法の効果を発揮する物品である。

 

「ひょっとしてこれも?」

 

 クラマは首から下げた金属の札を見せた。

 

「いえ、運量・心量の計測器は冒険者ギルドが製造しているものですので、《固定魔法品(エンチャント)》ではありません。現代の技術で最高硬度を誇るユユウワシホで造られています」

 

「あ、そうなんだ」

 

 確かに失われた技術で造られたものだったら、数が限られてしまうので支給品には向かない。

 クラマは納得した。

 

 そんな話をしながら2人は進む。

 路地裏を進むうちに喧騒が徐々に遠のいていく。

 日も陰りだした夕刻。街の明るさから切り離されて、クラマはまた別の世界へと入り込んでしまったような錯覚を覚えた。

 入り組んだ道をだいぶ進んだ奥。

 そこに、ゴミの中で店を広げる男がいた。

 

「……またあんたかい。新しいモノは入ってないよ」

 

 義手、義足にゴーグルをつけた男は、ティアを見るなりそう告げた。

 ティアは男に返答する。

 

「今日は彼に品定めして頂くために来ましたので。商品の説明をお願いできますか?」

 

 ティアに言われた男はゴーグル越しにクラマを見た。

 クラマは笑顔で手を振る。

 

「……ケッ、まぁいい。気になるモンがあったら聞きな」

 

 クラマはゴミのようにゴチャゴチャに並べられた品を見た。

 刃物や手甲はいいとして、鉄の箱や変な形をした棒など、なんだかよく分からないものが大半だった。

 クラマは気になるものをひとつずつ質問していき、男が答える。

 

「それは投影箱。ここに嵌め込んだガラスの模様が壁に映し出されるやつだ。そっちはチリ取り虫。地面を勝手に走ってチリを吸い取ってくれる。造りが虫みてえだろ」

 

 などと説明を聞いていくが、いまいち探索で使えそうなものは見当たらない。

 それでも一つずつ道具を掘り起こして見ていくクラマ。

 ふと、その手に触れたもの。

 クラマはそれを目にした瞬間、脳裏にピンときた!

 

「むむっ? こ……これは……!」

 

 クラマが手に取ったのは、先端が柔らかくてイボイボのついた、短剣くらいの長さの棒。

 

「そいつを手に取るたぁお目が高い。下の突起を押し込んでみな」

 

 クラマは言われた通りに押し込んだ。

 すると棒が突然、激しい振動を始めた!

 

 ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴッ!!

 

「ケッケッケッ……何に使うか分かるか?」

 

「えぇっ? 見当がつかないね! ティアは分かる――」

 

 と、振動する棒を掲げてティアを見上げたクラマだったが、自分を見下ろすティアの薄い微笑みを見て固まった。

 

「クラマ様、あまり時間は多くありません。探索に有用なものをお探しくださいませ」

 

「うん……すみません」

 

 クラマはスイッチをオフにして元の場所に戻した。

 しかし今のような反応を返すということは、ティアにも使い方が想像ついたんだなあ、とクラマは思った。

 思ったがしかし、決して口には出さないクラマなのであった。

 

「といっても他にはもう……ん? これは何かな?」

 

 クラマが拾い上げたのは、切れ目がたくさん入った銀色の鞭だった。

 

「銀の鞭だな。断層ごとに固定化の魔法がかけられてるらしく、傷つくことがない。そのくせ柔らかくて、しかも振ると伸びる」

 

「ほほおう」

 

 クラマが試しに振ってみると、体積を無視したかのように、想像以上に伸びた。

 

「これは……薄い破片を組み合わせて……内側の破片が遠心力で出ていくのか……」

 

 クラマは鞭を持ってぶつぶつと独り言を呟いていたが、やがてひとつ頷くと、ティアに顔を向けた。

 

 

 

 

 

 路地裏から大通りに戻ったクラマとティア。

 クラマの腰には皮のホルダーに入った銀の鞭が下げられていた。

 

「本当にそれだけで良かったのですか?」

 

「うん、他のは高いしね。てゆーか半分くらいは騙されてるよ、アレ。投射箱なんて単なるピンホールカメラだし」

 

「そうなのですか?」

 

 クラマは一点の穴に光を通して対面側に像を映し出すピンホールカメラの原理を説明した。

 

「……もっと詳しくご教授頂けますか?」

 

 妙に食いついてくるティア。

 その後もティアに根掘り葉掘り聞かれ、クラマはダ・ヴィンチが写生に利用したカメラ・オブスクラから、ヨーロッパで流行したファンタスマゴリア、フィルムカメラの仕組みまで細かく語ることになった。

 ひととおり聞き終えたところで、ティアは頭を下げてクラマに礼を言う。

 

「大変参考になりました。クラマ様は博識でいらっしゃるのですね」

 

「いやーこれくらいフツーだよフツー」

 

「お礼に、先ほどの破廉恥な振る舞いは忘れることに致します」

 

「い、いやあ……そんなのあったっけ。忘れちゃったなあ、僕は」

 

「ええ、わたくしも忘れました」

 

 そうして2人は帰り道……ではなく、ティアはまた違う場所にクラマを連れてきた。

 繁華街の近く、冒険者向けの宿屋が立ち並ぶ地域。

 冒険者ギルドに斡旋された即席パーティーや、私生活に干渉されることを嫌う冒険者は、貸家ではなくこうした宿屋に宿泊している。

 

「クラマ様、先日ダンジョン内で争いになった冒険者のことですが……」

 

 と、ティアが切り出した時だった。

 宿と宿の隙間から、見知った顔が現れる。

 

「旦那、丁度いいところに。調査が終わったところっスよ」

 

「メイドをはべらせるクラマ殿……うらやましいでござる」

 

 次郎と三郎であった。

 ティアは怪訝な顔でクラマを見上げる。

 

「クラマ様、彼らに何を……?」

 

「うん、このまえ遭った、地球人を薬漬けにしてた冒険者がどこに泊まってるのかをね……彼らに頼んで調べてもらってたんだ」

 

 ティアはそれを聞いて、自分の額に手をあてた。

 クラマはそのまま言葉を続ける。

 

「被害者の地球人……ダイモンジさんをギルドから隠してる僕らとしては、あの冒険者を通報できない。でも野放しにしたら、また次の犠牲者が出るかもしれないし……彼らを辿って、僕らの不正が暴かれる可能性がある。だから僕らの手で何とかしないといけない」

 

 いくらか、クラマは意図的にぼかした所があった。

 ……地球人を隠すのは自分たちが利用するためだ。

 ……「何とかする」というのは、この街から存在を消すということだ。

 

「平和裏にやるには、みんなの協力が必要なんだよね」

 

 ティアが見上げるクラマは、普段通りのゆるい笑顔でそのように告げた。

 



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第19話

 男の名はヌヴィといった。

 彼はしばらく前からこのアギーバの街で、ダンジョン踏破を目指す冒険者として活動していた。

 パーティーメンバーの2人は、この街に来る前から徒党を組んでいる間柄だ。

 だが、宿はひとりずつ別々に部屋を取っていた。

 女を部屋に連れ込んだ時に周りが騒がしくては、たまったものではないからだ。

 

 ヌヴィは今、自分の部屋へ帰る道を歩いている。

 目につくものに悪態をつき、路端へ唾を吐きながら。

 彼は荒れていた。

 理由は今しがた打ってきた賭け事で負けが込んだから……という、それだけではなかった。

 どうもここ最近、やる事なす事にケチがつく。

 気に入った巨乳の踊り子を誘ってみれば袖にされ、苦労して口説いた冒険者ギルドの経理役は偉いさんのお手つき。

 挙げ句の果てには、美人のウェイトレスがいるとの評判を聞いて足を運んだ酒場では、変な小僧に邪魔された上に、頭のおかしな店主に包丁を投げつけられる始末。

 その時にできた頬の切り傷はまだ治っていない。

 

「あああ~~~~、くそがっ!」

 

 ヌヴィは地面を転がった酒瓶を蹴り飛ばした!

 背後から彼のパーティーメンバーのひとりである、魔法使いのリスウが声をかける。

 

「オイオイ、そんなことで足を痛めたらつまらんぞ」

 

「うーるせっ! くそがよォ~~……あの野郎、見つけたらぶっ殺してやる」

 

 そう、思えば先日のダンジョン探索で、わけもわからず襲われたのがケチのつけ始めだった。

 

「またその話か。ろくに顔も覚えてないのに探しようがない。諦めろ」

 

 クラマに炎の魔法で追い立てられて逃げ出した彼らだが、その時のクラマはイエニアの盾で顔を隠していたので素性が分からない。

 

「うるせェ! 盾はどっかで見覚えあんだよ……くそっ」

 

 苛立ちを隠そうともせずに、ぶつくさ言いながら深夜の街を歩くヌヴィ。

 ついて行くリスウは冷めた顔だった。彼は金にならない事には関わらない主義である。

 リスウは彼らしい建設的な提案をする。

 

「そんな事より、思ったんだがよ。今申請してる次の地球人を受け取ったら、別の街に行くのはどうだ? ダンジョンなんかより宝石店に潜った方がよっぽど稼げるんじゃねえか」

 

 それを聞いたヌヴィはぴたりと足を止めて、背後に向き直った。

 

「お前、天才かよ……」

 

「フッ、褒めるな。地球人を街の外に連れ出すのは禁止されてるが、それこそ運量で何とかなるだろ」

 

「確かに! よォし! そうと決まれば飲み直すかァ!」

 

 ヌヴィは先ほどまでの苛立ちを忘れたかのようにはしゃぎ、リスウと肩を組む。

 静寂に沈んだ通りに、2人の男の笑い声が響く。

 彼らが歩いている場所は繁華街の中心から少し外れており、周囲に立ち並ぶ店はいずれも営業終了し、戸締まりがされていた。

 

 そんな静まり返った道の途中。

 

「……ん?」

 

 男たちは道の真ん中に、ぽつんと女が立っているのに気がついた。

 女は真っ黒な服を着て、闇に溶け込むように佇んでいたので、彼らはすぐ近くに来るまで気付かなかった。

 女好きのヌヴィは一も二もなく話しかける。

 

「どうした姉ちゃん、人待ちか? こんな所にいたら危ないぜ、俺の部屋に泊まっていけよ」

 

 何の捻りもない直球の誘い言葉。

 その短絡的なところがナンパの成功率を下げていることに、彼自身は気付いていない。

 それはともかく、女から返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「……あなた方に御用があってお待ちしていました」

 

 しかしその台詞とは裏腹に、女は彼らに顔を向けない。

 口調も事務的で淡々としており、感情が見えない。

 

「あァ? 俺らに用?」

 

「はい。彼が、もう一度どうしても会いたいと」

 

 そう言って、女は手を向けて指し示す。

 男たちは指された方を見た。

 そこは立ち並んだ店と店との間。路地裏へと続く、真っ暗な細道。

 

 暗い。だが目を凝らせば、人影があるのに気が付くことができた。

 そいつは、ずり……ずり……と足を引きずりながら、少しずつ近付いてくる。

 それにつれて、その姿が徐々に明らかになっていく。

 

 

 ぼさぼさの黒い髪。

 薄汚れたボロボロの服。

 闇に溶け込む漆黒の髪は、地球人の証だ。

 

 

「お、おい、あれ……」

 

 彼らは、その姿に覚えがあった。

 名前は忘れたが、薬漬けにして、ダンジョンに置き去りにした地球人の男。

 

 男は路地裏から這いずるように近付いてくる。

 その喉奥から、絞り出すような、か細く震えた声が届いてきた。

 

「……く……り…………くす、り……を……お、ぉぉ……」

 

 ……まさかひとりで戻ってきたのか? と彼らは思いかけたが、そんなはずはない。

 ダンジョンから出れば警備隊がいる。そうすれば保護されるはずだ。突然こんな所に現れるわけがない。

 では目の前の男は何だ?

 

「おい! 何だこりゃあ!」

 

 ヌヴィは傍の女に怒鳴りつける。

 しかし、既にそこには何もいなかった。

 どこに行ったのか、と周囲を見回そうとしたその時だった。

 

 突如、路地裏の男の両腕に火がついた!

 

「あ、あ、あ、あああああああああああ!!!」

 

 耳をつんざくような絶叫。

 そして男は燃え上がる両腕を突き出し、2人に襲いかかってきた!

 

「うおおおおおおおお!? なんだコイツ!?」

 

「やべえ、やべえやべえ! 逃げろ!」

 

「ああああああああああああああああ!!!!」

 

 男たちは脇目も振らずに駆け出した!

 とにかく目の前で起きたことが何なのか分からない。

 正体不明の恐怖から逃れるために、一心不乱に走る……!

 

「はあっ……! はあっ……! ちくしょう! なんだ!? なんだってんだ、ちくしょう!」

 

 そうして走って、走って、走り回って男たちが逃げ込んだのは……彼らとつるんでいる女性メンバーである、プルヌの部屋だった。

 彼らの部屋に行くより、こちらの方が近かったのだ。

 

 そこは冒険者向け集合住宅の一室。

 男たちが扉をダンダンと繰り返し叩いていると、扉が開き、仏頂面のプルヌが顔を出した。

 プルヌの返事も聞かずに、男たちは我先にと部屋の中へ飛び込んだ。

 

「なに~? 何なのも~、これから寝るとこだったんだけど~?」

 

 寝ぼけ眼で文句を言うプルヌ。

 ヌヴィとリスウは先ほど起きた出来事を口々にまくしたてた。

 

「ハァ~? ワケわかんないんだけど? あんたらクスリやってる~?」

 

「やってねえよ! マジだっての!」

 

「あ~ハイハイ、眠いんだからさっさと帰って~」

 

 プルヌはあくびをしながら2人を追い出そうとする。

 するとそこで、床に這っている1匹の虫に目が留まった。

 ……いや、1匹だけではない。

 気付けば、周囲のいたるところから虫が這い出てきている……!

 

「は? ちょ……ちょっと、なにこれ? なにこれぇ~!?」

 

 慌てるプルヌ。

 絶句する男たち。

 這い出る青い甲虫はその数をどんどん増やしていき、見る見るうちに壁や天井を覆い尽くし……やがて部屋は一面真っ青の異様な空間へと変貌した。

 

「ひぃっ!」

 

「う、うわ、うわうわわわ……!」

 

「ぎゃああー! なんじゃこりゃあー!?」

 

 3人は悲鳴をあげて飛び出した。

 ほうほうの体で部屋から逃げ出した3人。

 外に出た彼らは、口々にわめき立てる。

 

「なんなの!? なんなのよ、あれ~!?」

 

「知らねーよバカ! 俺が知るか! 知るわけないだろバカ、俺が!」

 

 そうやって大声で口論していると、隣の部屋からスキンヘッドで筋肉質の男が出てきた。

 安眠を妨害された男は、頭皮に血管を浮かべて怒鳴り声をあげる。

 

「うるせーぞ、てめーら! 夜中に騒ぐんじゃねー!」

 

 しかし今の3人にとっては怒り狂う男も仏に見える。

 3人は助けを求めるように、その男に事情を話した。

 まとまりのない言葉を口々にまくしたてる3人を、男は訝しむ目で見下ろす。

 

「あぁ? クスリやってんのか。ったく、最近の若い奴らはこれだから……」

 

 だが死んだはずの男が手を燃やして追ってきたとか、黒い女がいつの間にか消えただとか、部屋中に数えきれないほどの虫が這い出てきたとか言われても、事情を知らない男がまともに取り合うはずもない。

 男は3人の言葉を与太話と一笑に付す。

 薬なんてやってない、本当に起きたことだと口々に訴える3人。

 男は最初こそ話を聞いていたが、次第にめんどくさくなったのか、ため息をついて提案する。

 

「グダグダ言ってねーで中を確かめりゃいいじゃねーか。開けるぞ」

 

 そう言って男は3人の返事も待たずに、無造作に部屋の扉を開けた。

 するとそこには……

 

「……虫なんていねーじゃねーか」

 

 言われて、3人も恐る恐る中を覗き見る。

 ……確かに、何もなかった。

 あれだけ這い回っていた虫が綺麗さっぱり消え去っている。

 扉を開けた男は、深い深いため息をついた。

 

「ハァ~……お前らな、安モンのクスリなんて使ってっからそうなるんだ。合成ヴァウルだろ? 自分じゃ気付いてなかったんだろうが、前々からお前らの隣を通るたびに匂ってたんだよ。ったく、よく知らねーうちは正規のモン使っとけ、な?」

 

「い、いや、俺らは……使ってたのは俺らじゃなくて……」

 

「分かった分かった。おれぁ寝るからな。次に騒いだら絞め殺すぞ」

 

 ……3人は何も言えなかった。

 隣の部屋に戻っていく禿げ頭の男を、無言で見送る。

 

「……………………………………」

 

 それから3人は恐る恐る、もう一度顔だけ出して中を覗いてみたが……やはり虫はいない。

 さりとて中に戻ろうという気にもなれず、しばらく顔を見合わせた後に、男2人のどちらかの宿で今夜は過ごそうということになった。

 

 

 

 リスウの部屋は狭くて3人も泊まれないのでヌヴィの部屋へ。

 3人は口数少なく歩いた。

 何がなんだか分からない。

 しかしとにかく今は、何も考えずに休める場所が欲しかった。

 

 

 

 やがて3人は、ヌヴィの部屋の前に到着した。

 ヌヴィは扉を開けて中に入り、2人がそれに続く。

 中に入ったヌヴィはきょろきょろを目を走らせて警戒しつつ、これ以上何も起きないでくれと願いながら寝室へと向かう。

 

 果たしてその希望は、彼が寝室へと足を踏み入れた瞬間、脆くも打ち砕かれた。

 

「あ……あ、ああ………?」

 

 ――部屋の中央で、首に縄をかけられた男が吊るされていた。

 ボサボサの黒い頭。

 汚れたボロボロの服。

 入口から背を向けていて顔は見えないが、見覚えのある男の風体。

 入口で硬直しているヌヴィの背後から顔を覗かせた2人が、ヒッと声をあげた。

 

 その声に合わせたように、ぶつりと縄が切れた。

 がたがた、と男の体が壊れた人形のように床に落ちる。

 しかし、それは人形ではない。

 その証拠に、ずるずると不器用に手足を動かして、床の上を這いずってる。

 

「ぅ………ぅ……………な………で………」

 

 男の口から漏れ出てくるのは、地の底から響いてくるような恨みがましい声。

 地面を這いずる男は、やがて入口の3人の方へと頭を向けると……

 

「なんで……なんで逃げたああああああ!!!」

 

 絶叫し、虫のように這い寄ってきた!

 

「きゃあああああああああああああああ!!?」

 

「うおおおおおお!! やばい、逃げろ!!」

 

「お、おまえら待て! 俺を置いて行くな!」

 

 3人はもつれ合いながら競うように出口へと向かい、玄関から外へ逃げだした。

 

 

----------------------------------------

 

「……………………」

 

 3人が逃げだした後、寝室で這いずる男はスッと立ち上がると、外へ向かって悠々と歩きだした。

 

「お、っと」

 

 足を滑らせて転びそうになった。

 見ると廊下が濡れている。

 3人のうちの誰かが失禁したのであろう。

 

 水たまりを避けて、玄関へと向かう。

 男が玄関から外に出ると、そこでは黒い服の女が待ち受けていた。

 女は礼儀正しく一礼してから、口を開いた。

 

「お疲れ様でした、クラマ様」

 

 黒い服の女はティアだった。

 クラマはボサボサの頭を整えながら、ティアと、その後ろにいる一郎、次郎、三郎に向けて言う。

 

「うん。まだしばらく監視する必要はあるけど、ひとまず今日は終わりだね。みんなお疲れ様、手伝ってくれてありがとう」

 

 ……そう。今回の顛末は、すべて彼らが仕組んだものだった。

 

 診療所から服を借りたクラマがダイモンジの役を演じて、男たちを脅かす。

 両手から出た火は、油を染み込ませた手袋を着火した。

 三郎の魔法で熱の伝達速度を遅くして手を守り、男たちが逃げた後はすぐに消火したが、完全には守れずクラマの腕はひりひりと傷んでいる。

 クラマは最初、油の性質を低温でも燃えるように変えようと提案した。これは「ナフサ」というマジックにも使われるオイルをクラマが知っていたから出てきた発想だが、それは三郎の技量では不可能だったので、代わりにこのような形になった。

 そして男たちを脅かした後は、あらかじめ女の部屋の中に隠れていた一郎と次郎が、男たちが来ると同時に部屋へ虫を放つ。

 虫は納骨亭のテフラに頼み、彼女の実家で養殖しているイルラユーヒを借りた。

 女の部屋から3人が逃げた後、一郎と次郎が急いで虫を回収したが、何匹かは回収しきれず今も部屋の奥に残されたままだ。

 最後にヌヴィの部屋に先回りしたクラマが寝室で待ち構える。

 次郎と三郎の事前調査によって、3人が宿泊している部屋の位置関係や間取りが分かっていたので、彼らの行動を予測して待ち受けることができた。

 

「へへっ、上手くいきやしたね、旦那」

 

「次郎さんと三郎さんの調査のおかげだけど……まあ脅かすには最初のインパクトだよね。腕が燃えてるやつが迫ってきたら、そりゃびびるよね」

 

 最初に騙せれば後はいくらでも。

 これがクラマの経験則であった。

 

「よーし、それじゃあ報酬として、三郎さんにはオノウェ調査でサクラの私生活を探る権利を。ただし第三者に広めないこと」

 

「やったでござる」

 

「次郎さんには、彼らの部屋を漁る権利を」

 

「イヤッホォォゥ! 話が分かるっスよ旦那ァ!」

 

 次郎は意気揚々とヌヴィの部屋に駆け込んでいった。

 すると中からドタッとすっ転ぶ音が。

 

「あいてぇ!? 廊下が濡れてやがる!」

 

 続いてそんな声が中から聞こえてきた。

 

 

 

 クラマは時間を見つけては次郎・三郎の2人と対話し、観察して、その人間性を把握していた。

 次郎はこの街に来れば儲かると聞いて、その辺の居酒屋で出会った一郎と三郎を誘ってこの街に来た。

 彼は職業シーフであった。

 スリ、鍵開けが得意な窃盗犯で、前科もある。

 しかしそのわりに小心者で、人の影に隠れたがる。いわゆる子分気質であった。

 サクラの下についているのも、サクラの無駄なリーダーシップと行動力ゆえの事だろう。

 つまり次郎には、リーダーとしての堂々とした態度と、金銭的なメリットを与えてやればいい。

 

 三郎はもっと単純だった。

 彼は女性の私生活を探るためだけにオノウェ調査の魔法を鍛え、それで何か悪さをするでもなく、ただその情報をもとに自慰にふけるという、たいへんに高尚な趣味を持っていた。

 そうして引きこもっていたが、その事実が両親にばれて勘当されるという悲劇に見舞われて今に至る。

 目下、彼の嗜好はサクラに向いている。彼はその特徴的な趣味さえ認めてやれば、無害で、協力的で、正直者で純粋な男だった。

 

「次郎さーん、そろそろ行くよー! 次郎さんが戻ったら三郎さん、オノウェ隠蔽をお願いします」

 

「了解でござる」

 

 そして三郎はクラマの勧めでオノウェ隠蔽をパフィーから教わり、完璧ではないが使用できるようになっていた。

 

 

 指揮を執り、周囲の者を従えるクラマ。

 その様子を眺めていたティアが、口を開いた。

 

「お見事でした、クラマ様。しかしひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「なにかな?」

 

「彼らを脅かすことに失敗した場合は、どのようにされるおつもりでしたか?」

 

「うーん、それね。実を言うと、あんまり自信なかったんだよね」

 

「……そうなのですか?」

 

「うん。この世界は幽霊とかお化けっていなさそうだから、いけるかもとは思ったけど……」

 

 それどころかクラマが見てきた感じでは、モンスターとか魔物とかいった概念もなさそうだった。

 ティアはクラマの言葉に少し補足を付け加える。

 

「魔法使いの犯罪者によって死者が自我を持って動いたりする事はありますが……一般の冒険者が目にする機会は少ないでしょうね」

 

「そうは言っても、追い詰められるとキレて殴りかかってくる可能性とかあるしね。できれば穏便に出ていってもらいたかったから、色々と仕掛けを打ったけど……だめなら普通にやればいいだけだしね」

 

「普通にやる、とは?」

 

 ティアが首をかしげてクラマの顔を見る。

 クラマは曖昧な笑みを浮かべて、言った。

 

「ティアが考えてるのと、たぶん一緒じゃないかな。あんまり選択肢は多くないし」

 

 敢えてぼかした答え。

 ティアはそれで解答を察して、得心した。

 

「……なるほど、分かりました」

 

 そうしてティアはクラマから視線を外して、一歩下がった。

 

「ご回答頂きありがとうございました。隠蔽も終わったようですし、戻りましょう」

 

 言って、ティアは帰り道を歩きだす。

 クラマ達もその後を追って歩く。

 そうしてティアは先を歩きながら、背後にいるクラマに向かって告げた。

 

「今後、こうした事があれば、あらかじめ相談しましょう。わたくしが見当たらない時でも、イエニア様に仰って頂ければ都合をつけますので」

 

「わかった、そうする」

 

 なんとなくぼかしているが、要するに悪巧みをする時は声をかけろということだった。

 ティアにはまだ不明な点が多いが、こうして秘密を共有できる関係になったのは、2人の仲が前進したと考えていいのかもしれない。

 そんなふうに好意的に考えながら、クラマは帰途についた。

 

 

 

 

 

 翌朝、ひとつの冒険者パーティーがアギーバの街を去った。

 隣町へと繋ぐ駅馬車を管理している厩の厩務員は、やけに怯えた男女の3人組が馬車へと乗り込むのを目撃したという。

 リビングでティアからその報告を受けたクラマは、にっこりと微笑んで、火傷の跡が残る手でティーカップを傾けたのだった。

 



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第20話

 クラマはそろそろパフィーと仲直りをしなければと考えていた。

 そういうわけでクラマは夕食後にサクラを連れて、2人でパフィーの部屋の前まで来ていた。

 

「別にいいけど、なんであたしなの?」

 

「歳が近いからさ、話しやすいと思って」

 

「そこまで近くもないけど……」

 

 日本の基準であればパフィーは小学6年生、サクラは中学2年生、クラマは高校2年生である。

 

「細かいことはいい、突入だ! うぇーい! パフィーこんばんうぇーい!」

 

「えっ!? なにそれ、都内の高校生ってそういうノリなの!?」

 

 異様に高いテンションでパフィーの部屋に突撃したクラマ。

 サクラはクラマの後を追って部屋に足を踏み入れる。

 すると、それに気付いたパフィーが慌てた声をあげた。

 

「クラマ? あっ、入ってきちゃだめ!」

 

 パフィーの部屋で2人の闖入者(ちんにゅうしゃ)が目にしたもの、それは……

 

 

「ウェェェェェェイ」

 

 

 緑色の小鳥だった。

 パフィーが体で覆い被さって隠そうとしているが、腕の間からひょっこりと小鳥が顔を出し、変な鳴き声を漏らしていた。

 よく見ると、近くに割れた緑色の卵の殻もある。

 

「こいつはまさか……地下1階の?」

 

 ダンジョン地下1階の最奥で発見したフォーセッテという希少な鳥の卵。

 クラマは今の今まですっかり忘れていた。というより、イエニアあたりが換金したのだろうと勝手に思い込んでいたのだ。

 

 パフィーはあわあわと狼狽えて、腕の中から逃げ出そうとする小鳥を捕まえようとしている。

 

「パフィー……ひょっとして、隠してたの?」

 

 パフィーの体がびくっと震える。

 やがて上目遣いでおそるおそる見上げてきた。

 

「う、うん……ごめんなさい……」

 

 クラマは膝をついて緑の小鳥に手を差し伸べた。

 

「大丈夫だよ。取って食べたりしないから」

 

 小鳥は握り拳くらいの大きさで、ひよこに似ている。ひよこと比べて大きな違いといえば、クチバシがギザギザな事と、翼が大きい事だ。

 クラマの声に応えるようにパフィーの腕から抜け出す小鳥。

 小鳥はクラマに向かって跳んだ。

 ――そしてクラマの額を鋭いクチバシで突っついた!

 

「ギャーーーーーーッ!」

 

「ヴェオオオオオオ!」

 

「あーっ! な、なにしてるの! だめよ!」

 

 クラマを威嚇しながらつついてくる小鳥を、パフィーが引き剥がす。

 

「ご、ごめんなさいクラマ。普段は大人しい子なんだけど……」

 

 クラマから離れてパフィーの腕の中に戻った小鳥は、威嚇をやめて大人しくなった。

 その様子をサクラは小馬鹿にするように笑う。

 

「ぷぷーっ。普段の行いが出てるんじゃない? それか男嫌いの鳥とか」

 

 言って、クラマに代わって今度はサクラが小鳥に手を差し伸べる。

 

「ヴェオオオオオオ!」

 

「ひぎゃーーーーっ!?」

 

 サクラも額を激しくつつかれた。

 再びパフィーが引き剥がす。

 額をつつかれたサクラはよほど痛かったのか、涙目になっていた。

 

「な、なんなのよこいつ~」

 

「なんだろうね、日頃の行いか、あるいはサクラが実は男だったのではないかな?」

 

「ひっぱたくわよバカちん!」

 

「バカちんはさすがに?」

 

「……………」

 

 サクラは目をそらした。

 失言に気付いたので見逃して欲しい、という態度であった。

 寛大なクラマは『サクラバカチン事件』としてそっと記憶に銘記し、代わりにひとつの違和感を問う。

 

「サクラ、なんか運量減ってない?」

 

「へっ?」

 

 

> クラマ 運量:3357 → 3238/10000(-119)

> サクラ 運量:8017 → 7885/10000(-132)

 

 

 サクラだけでなく、クラマの運量も減っていた。

 

「これは……」

 

 小鳥に視線が集まる。

 サクラは試しにもう一度手を近付けてみた。

 

「ヴェオオオオオオ!」

 

 

> サクラ 運量:7885 → 7848/10000(-37)

 

 

 触れてもいないのに近付いただけで、みるみるうちに運量が減っていく。

 クラマ達は顔を見合わせた。

 どうやらこの鳥は、地球人の運量を吸うようだ。

 

「すごいわ! こんな話、どこの文献にも載ってない! 世紀の大発見よ!」

 

 パフィーは跳び上がって喜んだ。

 ……が、クラマとサクラは渋い顔だ。

 近付いただけで貴重な運量を奪われるなど、迷惑極まりない。

 しかも地球人を目の仇にして襲いかかってくる。

 特にクラマの運量を吸われてはたまらないので、パフィーはひとまず鳥籠に小鳥を入れて部屋の端に置いた。

 

「ウェェェェェェイ……」

 

 改めてクラマは卵を手に入れた当時のことを思い返してみる。

 あの時、運量を使用してから運量の減りを確認するまでに、2~3くらいは回復するだけの時間はあった。

 それなのに札に書かれた運量が0のままだったのは、よくよく考えてみるとおかしい。

 上にいたあの親鳥に吸われていたのだろう、とクラマは今さらながらに納得した。

 

「まあ……きちんと隔離すれば大丈夫かな。でもイエニアにはどう話すかなあ」

 

 ダンジョンの獲得物を隠匿していたとなれば、イエニアのお説教は必至である。

 パフィーも不安顔だ。

 なんとか説教を回避する方法はないものか、とクラマが思った時だった。

 

「どうかしましたか? あ、その鳥は……」

 

「あ」

 

 騒ぎを聞きつけてイエニアがパフィーの部屋に顔を出した。

 

「なになに、乱交?」

 

 さらにはレイフまで現れた。

 突然の乱入者に対して、クラマの動きは素早かった。

 クラマはクローゼットを動かし、部屋の入口にバリケードを設置する!

 

「ちょっ……なんですかクラマ、これは」

 

「え~、要求する! ここであった事について、怒らないと約束したまえ!」

 

 クラマは両手をメガホン状にして、入口に向かって声を張り上げた。

 

「なんですかそれは。怒るか怒らないかはそちら次第です」

 

「要求を飲まなければ、ここを通すわけにはいかない! こちらにはストライキの専門家もいる、諦めて要求を受け入れろ!」

 

「専門家って、あたしのこと!?」

 

 驚愕のサクラ。

 この悪ふざけ、一体どうしたものかとイエニアが頭を悩ませていると、その隙に後ろからレイフが身を乗り出した。

 

「班長殿! 相手は幼女2名を監禁し、人質に取っております! このままでは幼女の貞操が危険です!」

 

「班長とは私のことですか?」

 

「あたしは幼女じゃないんですけど!?」

 

 イエニアとサクラのツッコミを無視して、クラマはレイフに言い返す。

 

「人聞きが悪い! 後ろの2人は協力者であり共犯者。我々は一蓮托生、一心同体であり、ここを通りたくば僕とサクラを倒してからにしてほしい!」

 

「いつの間にか共犯者にされてた……んー、まあ、クラマにそういう風に思われるのは、別に嫌じゃないけど……」

 

 サクラはそんなことを言って、いじいじと髪の毛の先端を弄くっている。

 それに対して再びレイフが応戦。

 

「ハイそこのデレデレしてる子はいいとして! もうひとりの子とは、ちょ~っと距離感があるんじゃないかしら!?」

 

「うっ……!」

 

 クラマが言葉に詰まる。

 クラマの後ろにいるパフィーとは、事実として物理的な距離も離れている。

 普段ならばパフィーは、こうしたノリには誰よりも乗ってくるところだ。

 しかし今はこうして、一歩引いて大人しくしている。

 

「クラマ……いいのよ、そんな。わたしが悪いんだから……」

 

 味方の援護もなく進退窮まったクラマを、レイフがさらに畳みかける!

 

「どうやら反論できないようね、この変態どすけべロリコン地球人! いくら自分が幼女を好きでも、あなた自身はパフィーから嫌われてることを自覚しなさい!」

 

「ち、違うもん! わたし、クラマを嫌いじゃない!」

 

 突然、パフィーが大声を張り上げた。

 そうしてパフィーは、クラマに背後からぎゅっと抱きついた。

 

「パフィー……」

 

「ごめんなさい、クラマ……わたしのせいで迷惑かけて」

 

「そんなことないよ。悪いのは僕だから」

 

 クラマはパフィーの頭に手を置く。

 パフィーは顔を上げ、クラマを見つめて言う。

 

「あのね、わたし……先生からすけべえな男は最低だから近付いたらいけないって教わってたの。でもレイフに相談したら、スケベな男の方が自分に正直だから信用できる、って」

 

「あれ? これは僕がスケベな事は確定な流れ?」

 

「2人の言うことが相反しているのは、きっと正解がない事なのよね。それなら、わたしは自分の好きなものを信じたい……」

 

 パフィーも気まずいままでは駄目だと思って、色々と考えていたのだ。

 ただ、考えをまとめる時間、自分の気持と向き合う時間、そして思いを伝える機会が必要だった。

 ここでようやく機会を得たパフィーは、包み隠さず思いのたけを告げる。

 

「だからクラマを信じるわ! クラマのことが好きだから!」

 

「パフィー……!」

 

 がしっ! とクラマはパフィーの肩を抱きしめた。

 

「えへへ……」

 

 嬉しそうにはにかむパフィー。

 残った3人の女性陣は、無言で視線を交わす。

 イエニアはやれやれといったふうに肩の力を抜き、レイフはニマニマしており、サクラは「あたしなんでここにいるんだっけ?」と首をかしげた。

 

 一件落着したふうな雰囲気が立ち込めたところで、イエニアが話をまとめるために口を開く。

 

「えー……まあ、誤解は解けたようで何よりです」

 

 それでクラマは気がついた。

 解決はしたが、誤解は解けていないことに。

 しかし蒸し返す空気でもないので口を挟めなかった。

 

 それからクラマはバリケードを片付け、パフィーがフォーセッテの卵を隠していたことを皆に謝って、パフィーが希少なフォーセッテの生態を調査してまとめた資料をお金に換える……という方針で話がついた。

 

「それでは私は部屋に戻ります。皆もあまり夜更かししないように」

 

「バイバ~イ♪」

 

 用事が済んだイエニアとレイフが部屋から出ていく。

 去り際に手を振るレイフに、クラマはグッと親指を立てた。

 レイフは親指と人差し指で輪っかを作り、もう一方の手の人差し指で穴を抜き差しするジェスチャーで返してきた。

 クラマは上に立てた親指を下に向けた。

 

 

「ウェェェェェェイ」

 

 

 部屋の隅でフォーセッテが鳴いた。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、クラマとパフィーは仲直りできて一件落着。

 役割を終えて帰ろうとするサクラ。

 その背に向けて、パフィーが残念そうに声をかけた。

 

「もう帰っちゃうの? ねえ、今日は一緒に寝ましょう? いいでしょ?」

 

 特に断る理由のないサクラは、快く承諾する。

 

「いいわよ」

 

「やったあ!」

 

「よーし、今日は一緒に寝ようか」

 

 パフィーとクラマは両手でタッチする。

 その流れにサクラは首をかしげた。

 

「え? なんでクラマも? おかしくない?」

 

「3人一緒に寝られるなんて、今日は賑やかね! うれしいわ!」

 

 パフィーの純真な笑顔に、サクラは何も言えなくなる。

 代わりに隣で何か粉薬を飲んでいるクラマに言った。

 

「……なに飲んでるの?」

 

「睡眠薬。サクラも飲む?」

 

「いらない……」

 

 

 

「ウェェェイ」

 

 

 

 ……灯りを消した部屋で、大きめのベッドに3人が横たわる。

 クラマとサクラの間にいるパフィーはにこにこ顔で、両側の2人と布団の下で手を握っている。

 

「おかしい……絶対おかしいと思う、これ……」

 

 サクラは布団で顔を半分隠しながら、ぶつぶつと呟いていた。

 一方のクラマとパフィーはダンジョン攻略について話している。

 

「魔法具に入ってる魔法って変えられないのかな?」

 

「できるわ。でも心想律定を入れ込む魔導結晶に容量があって、入れ直すたびに容量が減ってしまうの。レイフの魔法具なんかは、これ以上減ったら何も入らなくなってしまうわ」

 

「じゃあさ、提案があるんだけど……」

 

 ……などと話している様子を、サクラは呆れた顔で眺める。

 

「こんな時でも、そういう話なのね……」

 

 仕事中毒者(ワーカホリック)ってこういう事かしら、とサクラは思った。

 

 

 

 

 

 しばらくするとパフィーが寝息をたて始めた。

 サクラはパフィーを挟んだ先にいるクラマが気になって眠れない。

 部屋の隅では小鳥も寝静まっており、目が冴えたサクラには静寂が逆に耳に痛い。

 そんな気を紛らわすために、サクラはクラマに話しかけることにした。

 

「……ねえ、前から思ってたんだけどさ。パフィーみたいな小さな子を危険な場所に連れていって大丈夫なの?」

 

「それを言えば僕もサクラも子供だよ」

 

 クラマは間髪入れずに答えた。

 

「あたしはそこまで子供じゃないし」

 

 パフィーとサクラのどちらが子供か、と問われれば難しいところだった。

 クラマからすれば、どちらも同じ子供だ。

 むしろパフィーの方が分別があり、空気を読んだ言動もできるぶん、大人であるとも言える。

 だが人は誰しも、「自分はもう一人前」という認識をしたがるものだ。

 たとえ世間的には子供に属していても、子供扱いされたくないという思いがある。

 サクラの立場では、子供扱いされたくないから自分は大人。でも自分より下は子供。

 しかしこれがクラマに視点を移せば、サクラもパフィーもどちらも子供、という図式になる。

 

「立ち位置の問題なんだよね。僕からしたらサクラもパフィーも子供だし、レイフからしたら僕ら全員子供だ。でもレイフに君たち子供だからダンジョンに来るなって言われても、納得できないよね」

 

「それはそうだけど……大人だからって強いってわけじゃないし」

 

「そう。パフィーもそうなんだ。下手な大人よりパフィーは能力がある。その自覚もあると思う。そのパフィーの立場で考えてみて。子供だから駄目って言われて、納得できると思う?」

 

「……まあ、できないだろうけど……」

 

 理屈はわかるが腑に落ちない。

 これはサクラの中にある倫理観。「子供は守るもの」という認識から生まれる感情によるものなので、最初から理屈でどうにかなるものではないのだ。

 

 しかしサクラはまだそこまで客観的に自分を見つめて、自分を納得させるという方法を得意としていない。

 布団の中で、渋い顔をして頭を悩ませるサクラ。

 そこにクラマの呟き声が届く。

 

「大丈夫だよ……いざという時は僕が守るから……もちろんサクラも……」

 

「あ、あたしは別に守ってもらわなくても……」

 

 と言い返してみたものの、サクラはすでにクラマの機転で窮地を救われているので、説得力がなかった。

 サクラもそれを分かって、言葉を濁した。

 

 そうしてサクラが黙ってしまうと、再び静寂が訪れる。

 時おり小鳥の寝言のような唸りが聞こえてくるだけで、時間だけが過ぎ去っていった。

 今のやり取りで余計に目が覚めてしまったサクラは、まったく眠れる気配がない。

 その頭の中では、先程のクラマの言葉が繰り返し響いていた。

 

 ――大丈夫だよ、僕が君を守るから……

 

 なんてことを言うのだろう。

 サクラは信じられない思いだった。

 まさか自分がそんなことを言われる日が来るとは思ってもいなかった。

 クラマはサクラが理想とする高身長ヴィジュアル系イケメンには程遠いが、最近ではサクラも「少しは妥協してもいいかな?」などと考えるようになっていた。

 

 思えばクラマは初対面で地球人という以外に何の関わりもない自分を、危険を顧みずに助けてくれた人物である。

 なので多少の恩返しというか、クラマがその気なら、こっちも妥協して付き合ってやってもいいというか、そもそも危険を冒して助けるとか、実はクラマは自分に一目惚れしてるんじゃないのとか、そしたらどうしよう、自分は別にいいけど周りの子たちはどうなのとか、目が冴えたサクラの脳内では連鎖的にどんどん想像が進行していく。

 

 年頃の男の人と(パフィーが間に挟まっているとはいえ)同衾するという特殊な状況が、元からあまり冷静でないサクラの思考から、さらに冷静さを奪っていた。

 布団をかぶって悶々とするサクラ。

 やがて耐えきれず、サクラは口を開いた。

 

「……ねえ、パーティーの人達のことは、どう思ってるの?」

 

「……ん……」

 

 クラマは身じろぎした。

 サクラは返事を待たずに続ける。

 

「レイフは歳が離れすぎてるわよね。パフィーは……まさか本当にロリコンじゃないわよね? イエニアが一番年齢的に……かっこいいし、落ち着いてるし、よく一緒にいるわよねクラマ。でもイエニアってあたしより胸が――」

 

「ウェェェイ!」

 

「わっ! びっくりした……鳥の寝言か……」

 

 サクラは大きく息を吐いた。

 それでもまだサクラの心臓は大きく高鳴っている。

 

「……ねえクラマ、さっきあんた、あたしのこと子供って言ったでしょ。そりゃ確かに大きさは平均以下だけど……だからって、そんなに子供ってわけじゃないんだからね」

 

「………………」

 

「な、なによ。信じてないの? ど……どーしてもってんなら、確かめてみる……?」

 

 とんでもないことを言っているという自覚はあったが、クラマがどう答えるかが、今現在のサクラにはどうしても気になって仕方がなかった。

 仮にこれでクラマが乗ってきても、いやクラマならまず間違いなく乗るだろう、しかしそれは自分が頼んだわけではない。クラマがやりたくてやる事なのだから、別に自分から誘ったとかそういう事ではない。

 などという完璧(ざんねん)な理論がサクラの頭には出来上がっていた。

 

 サクラはクラマの返答を待つ。

 ……だが、どれだけ待っても反応がない。

 しばらくじっと待っていたサクラだったが、あまりの無反応ぶりに次第に腹が立ってくる。

 こっちはこんなに緊張して言ってやってるのに。

 まさか聞こえないふりなんていう、優柔不断で卑怯な対応か。そんなものは断固として許せない……と。

 実際のところ不安な心を誤魔化すために怒りに置き換わっていることを、サクラは自覚できていない。

 そして、とうとう業を煮やしたサクラは、クラマの上に乗りかかった。

 

「ちょっと! 黙ってないでなんとか言ってよ!」

 

 そのサクラの行動に対してクラマは……

 

 ――寝ていた。

 それはもう完全に寝ていた。

 揺すっても叩いても目覚めぬ、熟睡であった。

 

「あーーーーーーーー……」

 

 サクラは思い出してしまった。

 クラマがベッドに横になる前に、睡眠薬を飲んでいたことを。

 

「うあああああああああ……」

 

 サクラはクラマから降りて布団に潜り込むと、布団を自分の顔に思いきり押し付けた。

 じたばたと足をばたつかせる。

 顔は火が出るように熱く、全身が汗でびっしょりだった。

 

 

 

 サクラは結局、夜が明けるまで一睡もできず……クラマに勧められた時に睡眠薬を飲まなかったことを強く後悔したのであった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、それぞれに慌ただしい日々が過ぎ去っていき、前回の探索から10日後。

 クラマ達の、3度目のダンジョン探索の日がやってくる。

 



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第21話 - 紫の挿話

 あれから何日経っただろう。

 20日? 30日? 日の光の差さない地下では、時間の経過が分からない。

 ここでは定期的に鳴る腹の虫だけが、時が経つのを教えてくれる。

 

 くぅぅぅ。

 おなかが鳴った。

 また食べ物を探しに行かないと。

 でも3階から下はひとりじゃ狩りができない。

 2階から上も、最近は冒険者っぽくない装備の連中が目を光らせてて怖い。

 どこかでまた油断してる冒険者を探さないと。

 10日くらい前に盗んだ食料と水はとっくに尽きていた。

 罠にかかった小動物を生のままかじるのはもう嫌だ。

 吐き気をこらえて血の一滴まで絞り出して飲むのに、慣れてきてる自分がまた嫌になる。

 

 くぅぅぅ。

 つらい。ひもじい。

 どうしてわたしがこんな目に。

 やっぱり何も知らない地球人を、自分たちのために利用しようなんて考えが悪かったのか。

 わたしは反対してたのに。

 でも最後には同意したから、わたしも一緒か。

 

 みんなは無事だろうか。

 トゥニスは腹を刺されていたから難しいだろう。

 地球人と逃げたオルティは……分からない。

 でも、これだけダンジョンの中にいて、一度も会わないのだから多分もう……。

 あの地球人も、わたしたちが喚び出さなければこんな事にはなってなかっただろうに、本当に悪い事をした。

 

 でも今はそれより自分のことが問題だ。

 ダンジョンの奥で変なやつらに襲われて、助けを求めて地上に出たら、今度は警備員が襲いかかってきた。

 それ以来ずっとダンジョンに籠もって、小動物を狩ったり、他の冒険者の荷物から食料を盗んで飢えをしのいでいる。

 他の冒険者に助けを求めることも考えたが、どのみち地上に出るには検問を通らなくてはならないのだ。

 それに身を隠して冒険者たちの話を聞くに、どうやらわたしはギルドから指名手配されているようだった。最悪だった。

 

 いつかは逃げるチャンスがあるかもしれない。

 みんなはまだ生きてて、襲ってきたやつらに捕まってるだけかもしれない。

 だったら、わたしが助けないといけない。

 そう思ってこれまで頑張ってきた。

 だけどもう限界だ。

 

 外に出るあてはない。

 いつまで耐えればいいのか分からない。

 今にも襲われて獣の餌になるかもしれない。

 頑張って生き延びたとしても、永遠にここから出られないんじゃないだろうかという気さえする。

 ……でも、多分そうはならない。

 

 今日、心量が尽きた。

 これまで生き延びるために頼ってきた魔法も、もう使えない。

 

 くぅぅぅ。

 おなかがすいた。

 心も体も、わたしの中はからっぽだ。

 

 松明もない。

 真っ暗闇の中を、這いずるように歩いた。

 

 ――諦めたらいけない。

 わたしが助けないと。

 みんなを助けないといけないのだから。

 だけどもう、本当に本当におなかがすいて。

 おなかを切れば、おなかがすくこともないんじゃないかとか。

 足の肉でも切って食べてもいいんじゃないかとか。

 そんなことばかり頭に浮かぶ。

 

 涙も出ないくらいにカラカラで。

 わたしが助けなきゃいけないのに。

 みんなを助けなきゃいけないのに。

 カサカサの唇から漏れたのは、別の言葉。

 

 

 

「だれか……たすけて……」

 



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第22話

> クラマ 運量:9196/10000

> クラマ 心量:92

> イエニア心量:495/500

> パフィー心量:472/500

> レイフ 心量:441/500

 

 

 諸々の準備を整え、三度ダンジョンへと降りるクラマ達。

 今までと同様にクラマがパーティーの先頭を進んで、イエニア、パフィー、レイフがそれに続くという構図。

 幅狭い坑道の地下1階。

 獣多き海蝕洞の地下2階。

 これらをパーティーは難なく歩を進め、地下3階へと降り立った。

 

 

> クラマ 運量:9196 → 9083/10000(-113)

> クラマ 心量:92 → 89(-3)

> イエニア心量:495 → 489/500(-6)

> パフィー心量:472 → 467/500(-5)

> レイフ 心量:441 → 433/500(-8)

 

 

 

 そして新たなステージへ。

 地下3階は、これまでとはまた雰囲気がガラリと変わっていた。

 不揃いの赤い石が敷き詰められた壁面。

 古めかしくて狭い通路。

 ひどく陰鬱で、息苦しい空気がフロア全体を漂っていた。

 

「……地下牢(ダンジョン)か」

 

 そんな呟きがクラマの口をついて出た。

 「ダンジョン」とは本来、「地下牢」を意味する言葉である。

 地下3階の雰囲気は、まさに中世ヨーロッパの地下建築といった様相だった。

 

 探索を始める前にクラマが皆に向けてピッと手を挙げた。

 

「ハイ、報告があります。ワタクシ、今回はカンニングいたしました!」

 

 ここ数日間、納骨亭でセサイルから地下3階の情報を仕入れていたことを皆に告げる。

 おー、と3人から感嘆の声があがった。

 

「セサイル……あの人ですか。意外ですね。あまり人にものを教えるようなタイプではないと思っていましたが」

 

「ていうか、今回“も”よね? 前も他の冒険者から先に教わってたでしょ」

 

「でも油断しちゃだめよ! 何か必要なことがあったら遠慮なく言ってね!」

 

 クラマは頷いて、地下3階の探索を開始した。

 ――カツン、カツン。

 石畳を進む4人の足音が反響して、迷宮の奥へと澄み渡っていく。

 

 

 

 ダンジョン地下3階ではこれまでと違って、一瞬で人を即死たらしめる機械仕掛けの罠が張り巡らされていた。

 その危険極まりない罠に対し、クラマがセサイルから教わった対策は実に簡単なものだった。

 

『確かに危ねえが、ここは冒険者は何度もここを往復してんだ。そうなりゃ当然、罠のある場所には目印をつけてる』

 

 ……とのこと。

 目印は光に当たると反射して発光しているように見える、ウェユートバドという獣の毛皮だ。

 これが罠のある近くの壁に打ち付けられているのだ。

 

「あら! 楽でいいわね!」

 

 このフロアは地下2階の鍾乳洞と違ってマッピングも簡単なので、レイフもご機嫌であった。

 クラマは油断せずに長棒を構えて進みながら、後ろに向けて話す。

 

「でも4階から先は駄目なんだって。なんか、目印をつけてもいつの間にか消されたり、分からなくされてるんだとか」

 

「へぇ~、不思議なこともあるのねぇ」

 

 

 

 クラマは目印を頼りに、ひとつひとつ罠を回避して進んでいく。

 ――蜘蛛の巣状に刃が張り巡らされた落とし穴。

 ――仕掛けを踏むと壁から出て両足を切断する刃。

 ――手をつくとトラバサミに挟まれ、そのまま小さな壁の穴に全身を引きずり込む壁。

 いずれも残虐極まりなく、落ちている人骨が目印の代わりになっている場所も多々あるほどだった。

 

「うぇ~、嫌すぎるわねこれ」

 

 罠そのものの恐怖に加えて、密閉された地下に充満する血臭、そして罠に落ちた死体から漂う腐敗臭が鼻をつく。

 探索を進めるうちに、最初はご機嫌だったレイフの顔がどんどん引きつっていった。

 

 そうして歩いていると、不意に金属音が鳴った。

 ――キン、キン……。

 クラマが気付いて足を止める。

 音の発生源は、クラマの手元。

 棒にくくりつけた糸から垂らした、2つのコインから。

 クラマはこのフロアの探索を始める際に運量を使って、「目印の消えている罠が近くにあったら、危険区域に入る前にコインがぶつかって音が鳴って欲しい」という願いをかけていた。

 これまでに何度か鳴っていたが、運量は消費されておらず、ただ歩いているうちに揺れて鳴っただけだった。

 しかし今回は……

 

 

> クラマ 運量:9083 → 9031/10000(-52)

 

 

 運量が消費されていた。

 これは、ダウジングの手法からクラマが考案した新しい方法であった。

 通常、ダウジングでは振り子や曲がった針金などが使われるが、クラマはダンジョン内での気付きやすさを考慮してコインを使用することにしたのだ。

 

 立ち止まったクラマは、メガネをかけて周囲を観察する。

 すると前方右側の壁についているドア。その手前の天井に、いくつもの穴が開いているのに気がついた。

 クラマは棒の先にラバーを取り付ける。

 前回、大熊と一緒に焼けてしまった棒の代わりに新しく(パフィーが)作り、クラマの発案によって先端を付け替え可能になるよう(パフィーが)進化させた棒。名付けてファランクス・オブ・アレクサンドロス・ザ・サード……略して“棒”であった。

 クラマは棒を操り、遠くから器用にドアノブを回す。

 その瞬間、数十本もの鉄の槍が天井の穴から突き出した!

 

「よし。パフィー、この付近に他にも罠が残ってないか調べてくれる?」

 

「ええ、わかったわ! オクシオ・オノウェ! イーギウー・ダジェエヨ・ナウェ・ユイーネバエハ・ギヒ・イウェハシ……真っ赤な布団に眠る彼。寝ようと誘う鉄の腕。他にも腕は伸びてるかしら? さあ、5つめの扉を開きましょう。――オクシオ・センプル!」

 

 

> パフィー心量:467 → 439/500(-28)

 

 

 パフィーが魔法によって周囲の罠を探知する。

 

「……大丈夫よクラマ、近くに他の罠はないわ!」

 

「ありがとうパフィー。じゃあ、皆ついて来て」

 

 クラマの後についてイエニア、パフィーが槍衾(やりぶすま)の横を通過する。

 最後にレイフだが……

 

「あら? あらあら? ちょっ、引っかかって……!」

 

 横歩きで通り抜けようとしたところで、背中に荷袋を背負っているレイフは、胸部前方に搭載した脂肪の塊が引っかかって通れずにいた。

 どうやら早く通ろうと焦って、荷袋を下ろせばいいということに気付いていないようだった。

 

「……………………」

 

 3人は無言で顔を合わせた。

 そうしていると、降りた槍が天井の穴に戻る。

 ――ジャキッ!

 

「うひゃあっ!? うわわわわ……」

 

 レイフは慌てて罠を抜けた。

 

 

 

 ……3階の探索を始めてから、およそ2時間ほど。

 ダンジョンに入ってからは計4時間が経過。

 そろそろ疲労でクラマの集中力も落ちてくる頃なので、落ち着ける場所を見つけて食事休憩に入る。

 

 

> クラマ 運量:9031 → 8428/10000(-603)

> クラマ 心量:89 → 88(-1)

> イエニア心量:489 → 485/500(-4)

> パフィー心量:439 → 434/500(-5)

> レイフ 心量:433 → 426/500(-7)

 

 

 全員が輪になるように座って、レイフが降ろした荷袋から携帯食料を広げた。

 

「ひゃあー、疲れたわ~!」

 

「レイフ、お行儀が悪いわ! 横になりながら食べたらいけないのよ!」

 

「いいじゃな~い。はむはむもぐもぐ……」

 

 だら~っと床に寝そべって携帯食料にかじりつくレイフ。

 他の3人もそれに続いて、広げた食べ物を口に運んだ。

 彼らが頬張っているのは乾燥ウォイブと呼ばれるもの。原料は違うが、だいたいパンと同じようなものだ。

 乾燥させれば長時間保存ができ、携帯にも便利。

 水をかければ、もちもちした餅のような食感になる。

 この世界では多くの国で主食として愛されている食べ物で、焼く、揚げる、鍋に入れるなど、国によって様々なバリエーションの調理法がある。

 レイフは水でふやけすぎてベトベトになったウォイブに苦戦しながら喋る。

 

「うわわわっと……んぐ。そういえば、ここは獣が出ないのね」

 

 3階に降りてからこっち、罠の処理ばかりで一度も獣とは遭遇していなかった。

 イエニアはガリガリと固いままの乾燥ウォイブをかじりながら答える。

 

「罠が危険すぎますからね。何度か小動物の気配はしましたが」

 

「はぁ~……ああいう罠は見るだけで嫌ね。スイッチさえ押さなければ動かないって分かってても」

 

 レイフは心底嫌そうにため息をついた。

 そこにクラマが横から口を挟む。

 

「そうなんだよね。ここの罠って、怖がらせるために作られてると思う。お宝も眠ってないだろうし、できるだけ罠を避けて下の階を目指した方が良さそうだね」

 

 そう言いながら、クラマは水でふやかしたウォイブに塩をつまんで味を調えている。

 イエニアはクラマの言葉に頷く。

 

「確かにおおよそ探索されているでしょうから、拾得物はあまり期待できませんね」

 

「それもあるし……なんていうかな。このフロア自体が侵入者の行く手を阻もうっていう気がなさそうなんだよね」

 

「どういうことですか?」

 

「罠を避けてて思ったんだけどさ。ここにある罠はどれもこれも凶悪だけど、多くて2人くらいしか巻き込まないし、先に誰かが引っかかれば残りの人は先に進める仕組みになってる。罠としてみたら、全然機能的じゃないんだよね」

 

「それは……確かにそうですね……」

 

 イエニアはこれまでに見た罠を思い出して、同意する。

 クラマはさらに考察を続ける。

 

「それにさ。罠を張って大切なものを隠してるなら、自分は通れなきゃならない。罠をオフにできないと危なすぎる。……けど、これまで色んな冒険者がここを通って探索してるのに、いまだに罠が作動したままだ。さすがに罠をオフにする機能がついてないと考えるのが自然だよね。つまりここを作った人間は、ここを自分で通る気がないんだ」

 

「なるほど。……では、こことは別に、宝へ向かう別のルートがあるという可能性はありませんか?」

 

「あるかもしれないね。1階の時みたいに、誰にも知られていない場所が。……でも、探すにもある程度の目星がついてないとなぁ……パフィー、できる?」

 

 クラマはパフィーに疑問を投げた。

 パフィーは乾燥ウォイブを少しずつ水につけて、お行儀よく食べている。

 

「ううん、難しいと思うわ。仮にできたとしても、ものすごく心量を消費してしまう。ここが何の施設で、隠されているものが何なのかが特定できていればいいのだけれど」

 

 魔法による調査は、何を調べたいのかが漠然としていると駄目だということだった。

 

「じゃあ、こうしてみよう」

 

 クラマは棒を地面に立てると、呪文を唱えた。

 

「エグゼ・ディケ。この施設に隠されている裏道があるとして、このフロアをくまなく探索すれば発見することが可能かどうか? 可能であれば右へ、不可能なら左に倒れて」

 

 そう言って、クラマは棒から手を離す。

 棒は左に倒れた。

 

 

> クラマ 運量:8428 → 8204/10000(-224)

 

 

「ダメみたいだね。ってことで、大人しく次の階に進もう」

 

 先ほどのコイン・ダウジングと同様、サクラの運量を使って調査することで新たに発見できた、二択の裏技である。

 もちろん何でも調べられるわけではなく、ポイントは「時間をかければ今の自分たちでも可能なこと」だ。

 今の自分達ではどうやっても調べられないことは特定できないが、調べても意味のないことを調べるという無駄な時間を省くことができる。

 

 それを聞いてレイフは、もう一度大きなため息をついた。

 

「ふわぁ~。それじゃあ、ここを作った人は単なるド変態のサディストだってコトね」

 

「そういう事だね」

 

「そーゆープレイはお断りなのよーーー」

 

 レイフは子供のようにゴロゴロと床の上を転がった。

 そんなレイフにパフィーは近付いて尋ねた。

 

「ねえレイフ、そういうプレイって何かしら……?」

 

 クラマとイエニアは、ハッと顔を見合わせる。

 そして2人は迅速にレイフの口を塞ぐと、パフィーから引き離した!

 

「もがもが……こ、こういうソフトな拘束プレイなら……むぐ」

 

「さあ! 休憩はもういいでしょう! 皆さん、準備しますよ!」

 

 そうして、パーティーは探索を再開。

 クラマはこれまでに得た知識・経験を駆使して、次々に罠を攻略して奥へと進んでいく。

 目と鼻の先をノコギリの刃が通り過ぎようと、腐敗した冒険者の亡骸があろうと、狼狽することなく体を張ってパーティーの安全を確保する。

 まるで熟練の冒険者に率いられるような頼もしさを、イエニア達は感じていた。

 

 

 

 探索の最中、クラマ達は奇妙な一行に遭遇した。

 

 5人組で、全員が同じ灰色の、同じ装備。

 ガスマスクと頭がすっぽり覆われる兜、チェインメイルを装備した一団だった。

 彼らを目にしたイエニアがクラマに告げる。

 

「救助隊ですね。彼らは冒険者ギルドの職員で、冒険者からの救助要請があると出動します」

 

「へえ、そんなサービスもやってたんだ。……でもお高いんでしょう?」

 

「ええ、かなり」

 

 ……と話していると、救助隊の隊員もクラマ達に気がつき、手をあげて挨拶してきた。

 そうして彼らのひとりがクラマに声をかけてくる。

 

「お! 納骨亭にいた兄ちゃんじゃねぇか!」

 

「え、誰?」

 

 マスクのせいで全く分からなかった。

 

「おう! ちょっと待ってろ、今外すからよ」

 

「おいバカ、ダンジョンの中じゃ外すなって言われてんべよ」

 

「おおっと! そうだった、そうだった」

 

 別の隊員に止められて手を止める。

 

「わしらはこれから帰るとこだからよ、気ぃつけてくれや! 突き当たりの右奥の部屋は毒ガスが出るから入るんじゃねぇぞ!」

 

「うん、ありがとう」

 

 そうしてクラマ達に軽いアドバイスをして、救助隊は立ち去っていった。

 彼らが横を通り過ぎる際、生々しい血まみれの死体が肩に担がれているのがクラマの目に留まった。

 救助隊が見えなくなってから、イエニアが口を開く。

 

「救助隊といっても、ダンジョンから戻った冒険者の要請を聞いてから出動たところで、とても間に合いません。実際のところ彼らの仕事は、遺体と遺品の回収になるようです」

 

「なるほどね……」

 

 クラマは得心して、探索を再開した。

 

 

 

 それからだいぶ探索は進んで、そろそろ夜営の準備をしようかという頃。

 依然として様子が変わらぬ赤い迷宮。

 しかし変化というものは往々にして、突如として訪れるものである。

 その時のクラマ達もそうだった。前触れもなく突然と、石の通路を反響して、何処からか人の声がクラマ達の耳に届いた。

 

「誰かーーーーっ! 助けてくれーーーー!」

 

 クラマ達は互いに顔を見合わせた。

 目線で合図すると、クラマ達はその叫び声の発生源へと向かう!

 クラマ達が進んだ、その先に待ち受けていたのは……

 

 

> クラマ 運量:8204 → 7898/10000(-306)

> クラマ 心量:88 → 87(-1)

> イエニア心量:485 → 482/500(-3)

> パフィー心量:434 → 429/500(-5)

> レイフ 心量:426 → 420/500(-6)

 



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第23話

 クラマ達のパーティーが悲鳴を聞きつけて駆けつけた先。

 そこは学校の教室くらいの広さをした、少し開けた空間だった。

 

「あ! 誰か来た!」

 

「おおーい! 助けてくれ~~~い!!」

 

 部屋に足を踏み入れたクラマは、人の声がする上方を見上げた。

 そこでは壁に備え付けられた金属の梯子(はしご)の上に、4人の男女が避難していた。

 男2人に女2人の冒険者パーティーだ。

 

 そして彼らを下から見上げる10数匹の、人間と同サイズの爬虫類――爪トカゲ(クリッグルーディブ)

 

 クラマは状況から推察する。

 おそらく上にいる冒険者たちは爪トカゲから逃れるために梯子を登ったが、こうして待ち構えられてしまい降りられなくなった。

 爪トカゲは冒険者を追い詰めたが、その異様に長い爪のために梯子を登れず、獲物が降りてくるのを待っている。

 ……といった感じだった。

 

 そんな現場に乗り込んだクラマ達に対して、爪トカゲの群れがその狙いを変えるのは必然の出来事であった。

 10数体の爪トカゲが、一斉に振り向いた。

 

「――下がって!」

 

 イエニアが叫んだ。

 いかに数が多くても、通路まで戻れば一度に相手するのは2匹程度。

 無傷でとはいかないだろうが、解毒の魔法もある。

 まだ何とかなる範囲……のはずだった。

 

 レイフが通路ではなく、反射的に部屋の端へと逃げてしまわなければ。

 

「え? あっ……!」

 

 不手際に気付いて切り返しても、もう遅い。

 最も手前にいた爪トカゲが、すでにレイフの目前に迫っていた。

 

 ――ドッ!

 鋭く長大な爪が肩に突き刺さる!

 ……しかしそれはレイフの肩ではない。

 咄嗟に割って入った、クラマの肩だった。

 

「クラマ……!」

 

 クラマに押し倒される形で倒れたレイフ。

 そのレイフの瞳に、もう一方の腕を振り上げる爪トカゲの姿が映った。

 

「クラマ! 後ろ!」

 

 レイフが叫ぶ。

 だがクラマはレイフを庇って動けない。

 槍のごとき長爪がクラマの首筋に振り下ろされる!

 

 ……だがその寸前、イエニアの投じた剣が爪トカゲの首を貫いていた。

 

「ギャウァッ!」

 

 血しぶきをあげて倒れる爪トカゲ。

 まず一体減らした。しかし、倒したのは10匹以上もいるうちの1匹に過ぎない。

 倒れた爪トカゲと入れ替わるように、何匹もの爪トカゲがクラマとレイフに迫る……!

 

 レイフの悲鳴。

 それを、咆哮が掻き消した。

 

「お――あああああああああああああ!!」

 

 イエニアが雄叫びをあげた。

 そのまま盾を前方に構えて突撃する!

 爪トカゲの群れに、横合いからの猛烈なチャージ! イエニアはクラマに迫ろうとしていた3匹を押し倒しながら、2人の前まで駆けつけた。

 

「イエニア! ごめんなさい……!」

 

「話は後です! 私の後ろに下がってください!」

 

 パーティーの先頭に立って、盾となるイエニア。

 パフィーもしっかりとついて来ている。

 これで4人は部屋の角で固まって、爪トカゲの群れに包囲される形になった。

 

「く……!」

 

 イエニアは切羽詰まった顔を見せる。

 この状況はまずい。

 いかに手練れのイエニアといえど、一度にここまで大量の獣を相手にはできない。

 逃げ場もなく、味方を庇いきれない。

 まさしく絶体絶命――!

 

 その時、クラマが叫んだ。

 

「イエニア、上だ! 2人を上に!」

 

 上、と言われてイエニアの目が一点に向いた。

 部屋の奥で4人の冒険者が梯子を使って上部に逃げているのと同様に、自分たちの側にも金属の梯子があった。

 しかし今から梯子を登って逃げられるのか?

 ――トカゲ達が迫ってきている。

 考えている時間はない。イエニアは盾を捨て、パフィーとレイフを掴むと飛び上がるように梯子に足をかけた。

 そしてパフィーを上に放り投げ、レイフを担いで登る。

 

 ……イエニアの気持ちが逸る。

 レイフを担いで上がる4~5秒。この間に、下に残したクラマがトカゲの爪に引き裂かれ、惨殺されているのではないかと。

 そんな悪い想像を振り切って、イエニアはレイフを投げ込むようにして押し上げた。

 

「クラマ……!」

 

 イエニアが振り返った時、爪トカゲ達を押し留めていた木の棒が弾けたように割れるのを見た。

 クラマは部屋の角と棒で三角形を作るように、棒を横に突っかけてトカゲ達の侵攻を防いでいた。

 その防壁の役割を果たした棒も破壊されると、雪崩のように爪トカゲがクラマに押し寄せ――

 

 それより先にクラマは動いていた。

 腰に下げた銀の鞭。これを上に向かって振り上げる!

 

 目の前に飛んで来た鞭の先。

 それをイエニアは掴む。

 そして力いっぱい引き上げた!

 クラマの体が宙に浮く。

 間一髪、爪トカゲの波に押し潰される寸前で、クラマは空中に身を逃れた。

 

 引き寄せたクラマを、しっかりと抱きとめたイエニア。

 こうして4人はなんとか当座の危機を脱することができた。

 

 

 

 部屋の上部はかなり広く、下を見下ろせるように豪華な椅子が並べられていた。

 しかしそんな周辺の作りを見分するよりも先に、クラマは仲間に指示を出す。

 

「レイフ、水を出して! ひとつ残して全部! パフィーは詠唱を。あれを使うよ」

 

「ま、待ってくださいクラマ。先に手当を」

 

 クラマは肩を刺されている。

 しかもこれは汚物にまみれた爪トカゲの爪なので、解毒もしなければならない。

 しかしクラマは首を振ってそれを否定した。

 

「あいつらがこの下で固まってる今がチャンスなんだ」

 

 と、クラマは下にいる爪トカゲの群れを指す。

 すぐ下では、あと一歩のところで獲物を取り逃した爪トカゲの群れが、恨めしそうに頭上のクラマ達を見上げていた。

 イエニアもそう言われては、クラマを信じるしかない。

 パフィーは既に詠唱を始めている。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー……ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ・イートウ」

 

 パフィーの胸当てが淡く輝く。

 そこへレイフが荷袋から水を取り出した。

 

「イエニア、下の連中に水をぶちまけて」

 

 イエニアは怪訝な顔をしつつも、クラマに言われた通りに水袋に入った水をばら撒いた。

 下にいる爪トカゲ達と、その床下が水浸しになる。

 クラマはそこへ、先端に鉤爪を取り付けた鞭を振るう!

 鉤爪は手前にいた爪トカゲの背中に突き刺さり、刺されたトカゲはギィッと鳴き声をあげた。

 

「ここにはない、どこかの光。あるはずなのに、だれも知らない、世界のひみつ。今だけ顔を覗かせて。自然の中の、4つの力の、そのひとつ」

 

 パフィーが両手を前に差し出す。

 それに合わせてクラマは銀の鞭の根本をパフィーの手の前に合わせた。

 そうして、パフィーの詠唱が完成する。

 

「さあ、4つめの扉を開きましょう。――ディスチャージ!」

 

 

> パフィー心量:429 → 404/500(-25)

 

 

 パッ、と下で光が散った。

 火花と言うには大きな瞬きが、部屋を満たす。

 それと同時に不快な音が鳴り響いた。

 

 ――ヂィィィイッ!!

 

 突然のことに驚いて耳をふさいだイエニアとレイフ。

 それはほんの一瞬の出来事で、すぐに収まった。

 ……イエニア達は恐る恐る下を覗き込む。

 そこには折り重なるように倒れて、ビクビクと痙攣する爪トカゲ達の姿があった。

 

 

 

 電撃。

 クラマが火炎放射の代わりにパフィーへ魔法具の設定を頼んだのが、これであった。

 パフィーはその豊富な知識により知っていたが、この世界では電気の存在を知る者は少ない。この世界には雲がなく雨も降らず、雷が存在しないからだ。

 また、知っている者でも普通は攻撃に使おうとは考えない。

 魔法の作用範囲は狭い。魔法で作ったものを遠くへ飛ばすことはできるが、発生させられる距離は非常に短かった。

 どうしても使うなら槍で鍔迫り合いの際に使用する程度だろうが、木は電気を通さないので全て金属製、なおかつ手元は絶縁体、という特別仕様にする必要がある。

 しかも継続的に電気を流すとなると、相当な心量が消費されてしまって、とても割に合わない。

 しかしクラマは、違法露店で銀の鞭を見て、これは使えると思った。

 銀の電気伝導率は、あらゆる金属の中で最大である。

 長く伸びる鞭は、遠くの敵へ減衰することなく電気を届かせることができる。

 後は手元の握りをゴムにして、感電を防ぐ。

 これに一瞬だけ電気を通すことで、少ない心量の消費で、大型獣をも一瞬で仕留める必殺の一撃が可能となった。

 

 

 

「もう降りても大丈夫。イエニア、すぐ起き上がるかもしれないから、とどめをお願い」

 

 今回は銀の鞭から直接当てたわけではないので、威力は弱まっているはずだった。

 ひょっとしたら倒れた爪トカゲがすぐ起き上がってくる可能性がある。

 とどめは必要だった。

 クラマに言われたイエニアは、若干不安そうな顔をしながらも水浸しの床に降りて、一匹ずつ爪トカゲの首を狩った。

 

 その間、上ではクラマがようやく手当を受けることができていた。

 上半身の服を脱いだクラマに、パフィーが包帯を巻く。

 レイフがパフィーの胸当てを借りて解毒の魔法を使用した。

 

 

> レイフ 心量:420 → 390/500(-30)

 

 

 パフィーは心量の使い道が多いため、緊急時でなければ、レイフが代わりに魔法具を使用することになっていた。

 

「これでよし……あっ!」

 

 包帯を巻き終えたパフィーが声をあげた。

 パフィーの視線の先はクラマの足。

 ふくらはぎのあたりが引き裂かれ、血まみれになっていた。

 鞭で引き上げられた際に、トカゲの爪が届いていたのだ。

 

「な、なんで言わないの!」

 

 パフィーが慌てて手当をする。

 

「いやあ、気付かなかったね。でも言われてみると……あ、急に痛くなってきた。いたたた、いた、あ、パフィーそれちょっとマジいだだだだだあいいぃぃぃ!!」

 

 パフィーは止血剤を振りまいて、傷口をギュッと縛った。

 緊急事態においてはアドレナリンやエンドルフィン等の脳内物質の働きにより痛覚が抑えられるが、気が緩むと同時に痛覚は復活する。

 クラマはしばらくの間、ギャーギャーと騒いでのたうち回った。

 

 

> クラマ 運量:7898 → 7900/10000(+2)

> クラマ 心量:87 → 89(+2)

> イエニア心量:482 → 466/500(-16)

> パフィー心量:399 → 390/500(-9)

> レイフ 心量:420 → 406/500(-14)

 



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第24話

 爪トカゲの群れを始末した後、クラマ達は部屋の上に避難していた冒険者パーティーから話を聞いた。

 彼らは地下4階まで潜っていたが、帰還中に爪トカゲの群れと遭遇して逃走。

 爪トカゲはこの地下3階まで追ってきて、なんとか梯子を登って安全圏に逃れたものの、逃走中に運量と心量を切らしてどうにもならなくなったという。

 

「やー、どうもありがとうございました。もうダメかと思いましたよー」

 

 大柄な女性がお礼を述べてくる。

 女性だが身長も肩幅もクラマより一回り大きかった。

 青色の髪にオレンジの瞳。

 ケリケイラと名乗った彼女は、他の3人を紹介した。

 

 背が低く横に広い中年男性のバコス。

 彼は自分の身長よりも大きなハルバードを手にしている。

 

「おう、どっかで見たツラだと思ったら、ギルドで馴れ馴れしく話しかけてきた小僧じゃねえか」

 

 それと同じく中年男性で、背が高くひょろ長いナメロト。

 こちらは探索用の軽装をしている。

 

「いやバコスよ、その前にも俺は見てるぜ。こいつらが4階まで行ったら納骨亭の酒をオゴるって言ったろ?」

 

「は? はァん? ……ま、まだ4階に入ってねェからノーカンだろォ!?」

 

「アッヒャッヒャッ! 見苦しい野郎だ! このすぐ下が4階だってのによ!」

 

 男2人はギャーギャーとわめき始める。

 そんな2人を放置して、ケリケイラは最後のひとりを紹介した。

 ケリケイラの後ろから出てきたのはクラマと同年代の少女だった。

 

「……ありがと。助けてくれて」

 

 背中に垂れる長いストレートの黒髪をした少女は、クラマ達とは目を合わせずに言った。

 その様子をケリケイラがからかう。

 

「もー、相変わらずシャイですねヒメは~」

 

「ヒメじゃない! ちゃんとメグルって呼んでよ!」

 

 すかさず後ろの男たちから、「ヒメが怒ったぞ!」「ギャーハハハハ!」とヤジが飛ぶ。

 

「ヒメじゃない!」

 

 騒がしくも和気藹々としたパーティーのようであった。

 それからケリケイラ達の提案により、軽い酒宴が開かれることになった。

 クラマは「酒宴?」と首をひねったが、彼らは当然のようにダンジョンに酒を持ち込んでいた。

 訝しむクラマにイエニアが補足する。

 

「アルコールは気付けや消毒、火の燃料にも使えますから、持ち歩く冒険者は多いですね」

 

「ほほー、なるほどねぇ」

 

 そういえば山岳救助犬は、遭難者の気付けのためのブランデーを首輪につけている……という話を以前どこかで耳にしたことをクラマは思い出した。

 

 何はともかく酒宴である。

 冒険者たちは意気揚々と宴の準備に取りかかった。

 幸いにも部屋の上部分はかなり広く、宴を開くには充分なスペースが確保できた。

 宴の酒と食料は、後はもう帰るだけだからとケリケイラ達が出し、ついでに彼らから水も分けて貰えた。

 負傷しているクラマは、パフィーの膝枕を満喫しながら宴の準備を見守る。

 そこへイエニアが近付き、クラマに耳打ちした。

 

「クラマ、協力者を増やすという事ですが、彼らはまだ……」

 

「あ、うん。分かってるよ。後でちゃんと相談してからだね」

 

 ティアからイエニアに話が通っていたのだろう。

 仲間を増やすのはいいが、相手は慎重に選ぶこと。

 ここにはいないティアから、さりげなく釘を差されたような気分のクラマであった。

 

 

 

 そうして、ささやかな宴が始まった。

 皆それぞれに歓談しながら、酒をあおり、広げた食料から各々好きなものをつまんでいく。

 ダンジョン内であるため携帯食料が中心だったが、暗く陰鬱なダンジョンの中では、こうして笑い合うことのできる時間は心が癒された。

 

「おら飲め坊主! 今日は俺のオゴリだ!」

 

「だめよ、クラマ! お酒なんて飲んだら傷の治りが悪くなるわ!」

 

 クラマに酒を飲ませようとしてくるバコスを、パフィーは断固として阻止した。

 クラマはひらひらとバコスに手を振って言う。

 

「だってさ。今度また納骨亭でね」

 

「しょうがねェな……代わりに嬢ちゃん飲むか!?」

 

 パフィーまで誘いだしたバコス!

 それをメグルが呆れたような半眼で睨んで注意する。

 

「ちょっとそこ、なに未成年にお酒飲ませようとしてるの」

 

「なんでェ、俺がこれくらいの歳の頃には、水より多く飲んでたってのによ」

 

「アッヒャッヒャ! お前と一緒にすんなっての!」

 

 陽気な男たちであった。

 そんなこんなで、皆それぞれにお酒も回って、最初はパーティーごとに別れていた席の並びも適当にばらけてきた頃――

 

「おう! 誰か芸しろ芸!」

 

 パンパン、とバコスが手を叩いて(はや)したてる。

 こういう時にする事といったら――と、クラマがレイフに目を向けた時。

 意外な人物が口を開いた。

 

「宴会芸ですか……いいでしょう。不肖このわたくしが、一番手を行かせてもらいます」

 

 なんとイエニアだった。

 ……しかし、よくよく考えれば意外でもない。

 普段の真面目な言動から忘れられがちだが、目立つのが好きなイエニアならば、むしろこの流れは当然と言えた。

 

 全員の視線がイエニアに集まる。

 イエニアはおもむろに盾を取り出した。

 

「盾の上で逆立ちをします」

 

 そう言うとイエニアは、垂直に突き立てた盾を両手で掴む。

 その両足が地面から離れ、ゆっくり天井へと向かって伸びていく。

 やがてピンと綺麗な倒立が完成したところで……周囲から拍手が上がった。

 

「やっべぇー! まーじかよー!」

 

「は~、鎧つけたままで。すっごいわねー」

 

 イエニアはしばしの間、その状態で静止してから、地面に足を戻した。

 両手を顔の高さまで上げ、澄ました顔で拍手に応えるイエニア。

 その様子はどことなく得意げに見える。

 そうして周囲の拍手が収まったところで――

 

「それでは二番手! 不肖このわたくしが行かせていただきます!」

 

 再び手を挙げたイエニア。

 まさかの連投……!

 今度は、先ほど破壊されたクラマの棒を取り出したイエニア。

 皆が見守る中で彼女は、掴んだそれを前に掲げると……

 

「――ふッ!」

 

 バキィッ! と音をたてて、イエニアの手の中にあった棒がバラバラに砕けた。

 

「僕のアレクサンドロスが……」

 

 クラマはここにマケドニア王国の崩壊を見た。

 

 周囲からは再び驚嘆と称賛の声があがる。

 クラマも凄いと思った。

 凄い。たしかに凄い。

 しかし同時に思った。

 なんか凄いわりに見た目は地味だな……と。 

 

 そうして拍手が収まると、イエニアが口を開く。

 

「では三番手も! 不肖このわたくしが――!」

 

「おい誰かコイツを止めろ!」

 

 馬鹿笑いと言い合いで混迷とする場。

 するとそこへ、すすーっと足音を忍ばせて、イエニアの背後にレイフが近付いていく。

 そして次の手番を主張しているイエニアの後ろを取り……

 

「だめよイエニア、みんなが求める宴会芸っていうのはね……」

 

「はい? ……レイフ?」

 

 イエニアが後ろを振り向くよりも早く、レイフは手を動かした!

 

「こういうことー♪」

 

 ガシャッ、と音をたてて鎧の腰から下の部分が外れて落ちた。

 鎧の下から姿を現したのは、薄くて無地の、短パン型の黄色い肌着。

 色気も何もあったものではない、地味で野暮ったいイエニアの下着であった。

 

「……へ?」

 

「オッホォー! いいぞ姉ちゃん! よくやった!」

 

「ア~ッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

 男達から、レイフを賞賛する歓声と口笛が鳴り響いた。

 

「な……な……なにするんですか! レイフ!」

 

「いやーん、ごめんあそばせー♪」

 

 犯人を捕まえようと後ろに手を伸ばすイエニアに、笑って逃れるレイフ。

 そこにクラマの声が飛んだ。

 

「いいぞー、レイフー! もっとやれー!」

 

「く、クラマ……!」

 

 クラマの声に気付いて、イエニアは下着を手で隠した。

 ほとんど隠せてはいなかったが。

 

「だ、だめです! クラマは見ないでください!」

 

「え? 僕だけ? なんで?」

 

「なんでもです!」

 

 理不尽。

 しかしクラマはその理不尽に立ち向かわんと、声をあげた。

 

「それはおかしい! イエニアは公平・公正を良しとする博愛の神を信奉していたはず! すなわち、この僕にも平等に見る権利はある!!」

 

 ビシィッ! とクラマは真っ直ぐに指さした。

 完璧に論破されたイエニアは悔しさに顔を赤くする……のではなく、恥ずかしさで真っ赤になった顔で叫んだ。

 

「そういうのはいいですから、もう! 怒りますよ!」

 

 

 

 ――当然、後で怒られた。

 イエニアが外れた鎧をつけ直した後、クラマとレイフは烈火のごとく怒るイエニアに、揃って謝り倒したのであった。

 

 そうした一部始終を眺めて、パフィーは言った。

 

「やっぱりクラマは、すけべえなのね」

 

 

 

 

 

 酒盛りはそれからも続き、次第にパフィーが眠気にうとうとし始めた。

 それに気がついたイエニアが、パフィーを端の方へと運び、毛布にくるんで寝かしつける。

 残りの人達は、踊りを披露するレイフを中心にして盛り上がっていた。

 今は珍しくクラマの傍に誰もいない。

 それを見計らったように、それまで端の方で静かに食事をしていたメグルが、クラマの隣に来て座った。

 

「ねえ、あなた有名人だよね?」

 

 開口一番、メグルはそんなことを言った。

 

「いやあ、なんだか街では顔が知られちゃってるみたいだね。そんな変な事してないのになあ」

 

「そうじゃなくて。1年くらい前に、テレビに出てたでしょ。線路に落ちた女の子を助けたとかで、警察に表彰されてた」

 

「うーん、他人の空似じゃないかなー」

 

「クラマ=ヒロよね? 新聞にも載ってたから、漢字も覚えてるよ」

 

「女子高生が新聞まで読み込んでいるなんて、日本の未来は明るいね。いや、異世界に来てしまったわけだから、日本の未来は暗くなってしまったかな! いやー、参った参った」

 

「っていうか、その助けられた女の子って私なんだけど」

 

「…………………」

 

 ぴたりとクラマの軽口が止まった。

 その沈黙を、メグルも若干気まずそうにしながら話を続ける。

 

「……まあ、見た目はこっち、あれだから……分からないのもしょうがないけど」

 

 メグルはドライフルーツを一粒だけ口に放って、言う。

 

「これで2回目なんだよね、私。あなたに助けられたの」

 

「よくあることだよ。そんなに気にしないで」

 

 にこっと笑うクラマ。

 メグルはその顔に何か納得したように、小さく息をつく。

 

「そうなんだろうね、あなたにとっては。あなたと同じ学校の子に聞いたけど、いつでもそんな感じって言ってたし」

 

 そうしてメグルは、これまで微妙に外していた視線を、クラマの目に合わせた。

 

「……ねえ、どうしてそういう風にできるの?」

 

 言ってから、メグルはクラマに合わせた視線を再び下に落とす。

 それから体育座りをするように、自分の膝に手を回した。

 

「私には絶対むり。頼まれたから仕方なくダンジョンに来てみたけど……もうやだ。こんなの……怖いよ……」

 

 そこで、メグルの膝が小さく震えているのが、クラマの目に留まった。

 クラマは少し思案して……メグルの顔に手を伸ばした。

 

「あ……」

 

 クラマは両手をメグルの頬に添えて、互いの額をコツ、と合わせた。

 

「大丈夫。僕がなんとかするから……危険な所まで行かないようにして」

 

 そう言って、顔と手を離す。

 メグルは目を見開いていたが、すぐにジト目で睨んだ。

 

「……それ、前にもやったでしょ」

 

「あれ、そうだっけ?」

 

 あっけらかんと笑うクラマに、メグルは深いため息をついた。

 

 

 

 ――もう大丈夫だよ。

 

 背中を押されてホームから線路に落ちたあの時。

 足がすくんで動けなかった自分を、颯爽と上から飛び降りて退避スペースへと運び込んだ彼。

 怖くて震える自分を安心させるように、顔を近づけて、微笑んだ。

 あの時の安心感が、記憶の奥から蘇る。

 

 

 

「はぁ……ま、いいか。よくわかんないけど、奥に行くなってことでしょ? そうするよ。危ないのはもう嫌だから」

 

 そう言うメグルの表情は、それまでの憂鬱そうだった気色が抜けて、どこかさっぱりした様子だった。

 

「とにかく、ありがとう。前の時はちゃんと言えなかったから、そのぶんもね」

 

「いえいえ、どういたしまして」

 

 メグルは腰を上げて、元の場所に戻る。

 しかしその前にと、足を止めてクラマへ振り返った。

 

「ねえ、あなたは怖くないの?」

 

 メグルの問いかけに、クラマは答えた。

 

「僕は……やるべき事をやるだけだから」

 

 果たして、それは答えになったのか。

 メグルはそれ以上は聞かずに、酒宴の席に戻っていった。

 

 

> クラマ 運量:7900 → 8008/10000(+108)

> クラマ 心量:89 → 94(+5)

> イエニア心量:466 → 464/500(-2)

> パフィー心量:390 → 389/500(-1)

> レイフ 心量:406 → 405/500(-1)

 



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第25話

 酒が尽きるとともに宴は終わり、メグル達のパーティーは帰り支度を始めた。

 彼らはだいぶ飲んでいたはずだが、

 

「あァ? こんなもん水と同じだ」

 

 とのことだった。

 当人の言う通り、足取りもしっかりしている。

 去り際にケリケイラがクラマの前に来て、妙なデザインをしたベルトのバックルを渡した。

 

「冒険者の遺品から見つけた魔法具です。容量は残り少ないみたいですけど……お礼に渡せるものが、そんなものしかないので」

 

 黒い炎を(かたど)った禍々しいデザイン。

 クラマの好みだった。

 

「ありがとう。いいの?」

 

「いいんですよー、私が持ち帰っても、ろくなことに使いませんからねー」

 

 そう言って、彼らは笑顔で去っていった。

 その後、クラマはケリケイラから渡された魔法具をイエニアに見せる。

 

「魔法具ですか。まあ、彼らが持ち帰ると5割引で換金されてしまいますからね。私たちが持ち帰れば自分たちで使用できますので、元の持ち主にとってもその方がいいでしょう」

 

 確かに、と納得すると同時にクラマは少し引っかかった。

 ダンジョンでの拾得物はすべて地上で換金。

 じゃあ、どうしてケリケイラは「持ち帰ってもろくなことに使わない」なんて言い方をしたのだろう……?

 

 

 

 

 

 メグル達のパーティーが去った後。

 パフィーはすでに眠っており、イエニアとレイフは酔いが残り、クラマの怪我もある。

 というわけで、ここで一晩休んでいくことになった。

 

 比較的安全な場所だが、念のため交代で見張りをする。

 ……しかし見張りの隙をついて、暗闇の中からひっそりと忍び寄る影があった。

 その人影は音を立てずにクラマ達の荷袋へと近付き、手早く開いた。

 すると――

 

「えっ? わあぁぁぁーーーー!?」

 

 人影は網に絡め取られて、宙吊りにされた!

 それまで寝たふりをしていたクラマが、バッと起き上がる。

 

「確保! 確保ぉーーーーーーーーっ!!」

 

「な、なに? なにこれ!?」

 

 じたばたともがく窃盗犯。

 だが、絡まった網からは逃れられない。

 クラマの声に他の皆も集まってきた。

 イエニアがランタンで下手人の姿を照らしあげる。

 果たして犯人は、薄汚れたローブを身にまとった、紫の瞳とライトブルーの髪をした少女であった。

 レイフは少女の姿を見上げて言う。

 

「んー、見覚えがあるわね。ギルドで手配されてる殺人犯じゃない? ほら、あったでしょ。仲間殺しの……」

 

 レイフの言う通り、少女の人相は冒険者ギルドにある手配書の似顔と一致していた。

 イエニアが吊り下がった少女に向けて問いかける。

 

「という事ですが、どうなのですか?」

 

「………………」

 

 少女はその頃には暴れるのをやめて、すっかり大人しくなっていた。

 代わりに、問いかけに対して何も答えない。

 すべてを諦めたように、焦点の定まらぬ瞳でだらりとしている。

 その後もイエニアは少女に向かって名前や、いつからここにいるのか等、色々と尋ねてみたが一切の反応がなかった。

 

「ううん……心量は……少ないですね。しかし受け答えできない程ではないはずですが」

 

 少女の心量は残り34。

 会話できないほどではないが、動いたり考えたりするのが、だいぶ億劫で苦痛に感じる範囲だ。

 これ以上減ると行動不能になるので、魔法具も使えない。

 少女が逃げるのを諦めているのは、そのあたりが理由だろうと察せられた。

 

「何も言わないのであれば、ギルドに引き渡すしかありませんね」

 

 仲間を3人殺した指名手配犯。

 捕まればどうなるかは、法律やギルドの規約を聞かずとも、クラマにも予想ができた。

 クラマはしばし思案したが……やがて口を開いた。

 

「パフィー、調べてもらっていいかな」

 

「……いいわ。やってみる」

 

 本来なら、何も考えずにギルドに引き渡していい案件である。

 そうすればお金も入って、懐も潤う。

 わざわざ探索の貴重なリソースを消費することはない。

 ただ、イエニアもレイフも、この調査に異を唱えることはなかった。

 

「オクシオ・オノウェ……ユハイーオハ・ユナ・ヒシイーガ・サワツニシ・サハ・ビージャーボ・ナアシイーオ・セウィウ……ひんやり、すずしい、土の底。眠ってしまったお友達。ちちち、ちちちと、子守唄。あなたのおくちが、奏でたの? さあ、5つめの扉を開きましょう。――オクシオ・センプル」

 

 

> パフィー心量:389 → 344/500(-45)

 

 

 パフィーの魔法が成功。

 皆に向かって結果を告げる。

 

「違うわ。この人は仲間を殺してない」

 

 パフィーの言葉を受けて、全員が顔を見合わせた。

 ……また難しいことになった。

 つまりは冤罪ということだが、果たしてこれを証拠としてギルドに連れて行っていいものか?

 冒険者ギルドに対するクラマ達の不信感は強い。冒険者に重い制限を課して、あえて攻略させないようにしているギルドのことだ。公明正大な組織とは考えにくい。

 また、クラマたち自体に後ろめたいところが多々あるため、こうした火種を公の場所に持って行きたくないという思いもある。

 

「……やはり、まずは詳しく話を聞いてからですね」

 

 イエニアは少女を吊り上げた網を降ろした。

 そうして自由になった少女に、再び問いかける。

 

「手荒な扱いをして申し訳ありませんでした。それで、どうでしょう。何があったか話して頂けますか?」

 

「………………」

 

 やはり少女は答えない。

 網から抜けた彼女はイエニアから距離を取ろうとしており、警戒しているのが窺える。

 少女のボロボロになった髪の毛や顔つき、衣服を見れば、かなり長いことダンジョン内に潜伏していたことが分かる。

 ひとときも休まる事のない過酷な日々の中で、警戒心が強まるのは無理からぬことだった。

 どうしたものかとイエニアは考える。

 そんな時……

 

 くぅぅぅ。

 

 かわいらしい音が鳴った。

 目の前の少女の腹の虫だった。

 

 続く静寂。

 目を見合わせる一同。

 それから少女に集う視線。

 少しだけ気まずげに視線をそらす少女。

 その静寂を、クラマが切り裂いた。

 

「食事にするぞォーーーーーーイ!!!」

 

 部屋中に響き渡る大声で、クラマはそう宣言した。

 

 

 

 そんなわけで、食事の支度である。

 今回は携帯食料ではなく、ここぞとばかりに納骨亭マスターの教えを発揮するべく、クラマが鍛えた腕を振るう。

 まずクラマは鍋に油をひいて、火にかける。

 続いて取り出したのは、とれたての爪トカゲ(クリッグルーディブ)肉であった。

 使用する部位は、爪トカゲの肉の中では比較的柔らかい、背中から脇腹にかけての部位。

 クラマはなんとこれを宴会が始まる前から、お酒の中に漬け込んでいた!

 臭みが強くて固い爪トカゲの肉だが、酒に漬けることで臭みが取れ、柔らかくなる。

 クラマはそれに調味料を揉み込んで、下味をつけてから焼く。

 両側を軽く、表面の色が変わるあたりまで。

 表面を焼いておくことで、煮込んだ際に肉の旨みが外に溶け出さず、しっかり中に閉じ込めておくことができる。

 焼き上がったところでクラマは水と、爪トカゲの上腕の骨、それと小さく切った腹の皮を入れて煮込む。

 爪トカゲは、この上腕の骨が最も良いダシが取れるのだ。

 腹の皮だが、爪トカゲはあまり腹をつけて歩かないため柔らかく、少し煮込めば食べることができる。

 ここで本当なら野菜を一緒に煮込みたいところだが……ダンジョンの中では持ち合わせがない。なのでクラマは少しだけ持ってきた香草と、干しキノコを入れた。

 臭みを緩和するために持ってきた香草だが、今回は運良く酒も手に入ったので、奇しくも臭み対策は万全となった。

 最後にクラマは、納骨亭マスターから譲り受けた、秘伝のタレを投入!

 これはマスターがダンジョンによくいる獣に合うようにと試行錯誤の末に作られた代物で、十数種類の調味料とスパイスを混ぜ合わせたものだ。

 味は甘めの味噌に近く、ピリッと辛い。

 スパイスは臭みを消したり食欲を増進したりするだけでなく、解毒作用もありダンジョン内でも安心だ。

 非常に濃厚で、ほぼ固形に近いそれを鍋に入れてかき混ぜ、後は待つのみ。

 

 ……芳ばしい香りが漂ってくる。

 

「クラマ、ねえまだ?」

 

 レイフが落ち着きなく急かしてくる。

 クラマは答えた。

 

「まだだよ、あと少し」

 

「……もういいんじゃない!? ねえ、どう?」

 

「マダダヨー」

 

 宴からそれほど時間が経っていないのに、食い意地の張ったレイフであった。

 なるほど、その食欲からくる栄養はすべて胸の方へと流れているのだなあ、とクラマは人体の神秘に感心した。

 

 

 

 ……そして。

 

「できました~!」

 

「ひゃっほ~!」

 

「やっほー!」

 

 レイフとパフィーから歓声があがる。

 クラマは湯気をかきわけて鍋から骨を取り除いてから、鍋の中身を取り分けた。

 レイフは少し離れた場所でチラチラと鍋を見ている少女に、湯気と香り立つ器を手渡した。

 

「はい、どうぞ」

 

「……………」

 

 少女は無言で受け取る。

 

 器が行き渡り、待ちに待った食事の時間が始まった。

 クラマはまず、立ち上る湯気から香る薫りを楽しんでから、スープをすする。

 

「……うん!」

 

 かーっと胸の中に温かさが広がった!

 ダシの利いたスープに混ざったスパイスが食欲を掻き立てる。

 これによって心身ともに準備を整えたクラマは、ついに本丸へと侵攻を開始する。

 ――そう、肉である。

 やや大きめのブロック肉。

 もうもうと湯気をあげるそれに、クラマは大きく口を広げて歯を立てた。

 

「はぐ……ん」

 

 ぐっ、と力を入れるまでもなく、簡単に歯が沈み込んでいく。

 それでいて歯応えがある。

 口に入れても臭みはなく、むしろ濃厚で芳醇な肉の味と香りが口いっぱいに広がっていく……!

 

「うまーーーーーーーーーーーーい!」

 

 クラマのオーバーリアクション!

 しかしクラマだけではなかった。他の面々も同様の反応を見せる。

 

「おいしーい!」

 

「これは……なかなか……はふ、はむっ」

 

「いやー凄いわー、これは重たい鍋を背負ってた甲斐があったわ~」

 

「いやそれは大変申し訳ないと思っているよ……」

 

 みんな笑顔で、それぞれに箸を進めている。

 

「この皮もコリコリしていいわね。あー、お酒飲みたくなってきた~」

 

 腹の皮はモツのような食感だった。

 そんな和やかな空気で盛り上がるクラマ達を観察していた少女だったが、やがて恐る恐るといった感じに、小さな口に肉を運んだ。

 

「――!」

 

 一口、二口、噛む。

 はむ……はむ……ごくり。

 

「ぅ…………」

 

 すると突然、少女の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 

「あら、大丈夫?」

 

 レイフがその肩に手を置いた。

 少女は顔を隠すように俯いて、小さく首を縦に振った。

 そうして何度も柔らかな肉を頬張る。

 

「うぅ……おいひぃ……おいひいよぉ……」

 

 泣きながら咀嚼する彼女に、レイフは軽く背中を撫でて優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 ……その後、鍋が空になって食事が終わったところで、少女は自分のことを語りだした。

 彼女の名前はイクス。

 だいたい30日くらい前に、3人の仲間とともにこの街へ来たという。

 冒険者ギルドに登録して、召喚された地球人を連れてダンジョンに潜ったが、地下4階で何者かに襲われた。

 イクスは魔法具を使ってその場を逃れたが、仲間達の安否は不明。

 助けを求めに地上に戻ったら、なぜか警備隊に捕まりそうになったので、再びダンジョンに入ってこれまで逃げ続けてきた。

 

「わたしが逃げずに戦えば……助けられたかもしれないのに……わたしのせいで……」

 

 俯いてそんなことを言うイクスの肩に、レイフが両手を回してぎゅーっと抱きしめた。

 

「そんなことないわよー、あなたが生きててくれて良かったわ。よく頑張ったわね」

 

「…………ん」

 

 イクスはレイフの胸に顔をうずめた。

 状況が把握できたところで、クラマが口を開く。

 

「さて、どうしたもんだかね」

 

 イクスの情報だけでは、彼女のパーティーがいったい何に襲われたのだかも、いまいちよく分からない。

 獣と、それを操っていた人物がいるっぽいような話で、なんとも曖昧だった。

 

「パフィー、調べられるかな?」

 

 クラマはパフィーに尋ねてみるが、パフィーは難しい顔だ。

 

「……4階の、その襲われた場所まで行けば、いけるかもしれない。今の状況じゃ厳しいけど……試してみる?」

 

 クラマはイクスを見る。

 イクスはレイフの腕の中で、じっとクラマを見つめていた。

 

「そうだね。念のため、やってみてくれる?」

 

「わかったわ」

 

 そうしてパフィーは、イクスが何に襲われたかを魔法で調査した。

 

 

> パフィー心量:344 → 247/500(-97)

 

 

「……だめ。ひとつだけ分かったけど、イクスを襲った獣が死んでしまったということだけ」

 

「ということは……」

 

 クラマとイエニアは視線を交わして、互いに頷いた。

 

「4階に行くしかない、と」

 

 単純だがハッキリした結論を得て、ひとまずそこで今回の探索を終えることになった。

 イクスはクラマ達の貸家に連れ帰ることになり、こうしてまたひとり、新しい仲間が増えたのであった。

 

 

 

 ダンジョン地下4階。

 ここが冒険者たちにとっての、ひとつの境界となっていた。

 地下4階に降りると、そこからの生還率が極端に落ちる。

 故に多くのパーティーは地下深くへの探索を諦め、1階と2階を行き来して、狩人のような生活をしている。

 

 死の色濃い、彼岸に佇む領域。

 クラマはまだ知らない。

 そこには、クラマにとっての“運命”が待ち受けていることを――

 



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第26話 - 橙の挿話

 ここは地上、アギーバの街。

 喧騒から外れた田園地帯の一角に、地球人召喚施設があった。

 その二階にある執務室。

 そこは華美な装飾や調度品の一切ない、極力無駄を省いた機能的なオフィスだった。

 およそこの街で事実上二番手にある権力者の執務室とは思えぬ、簡素な内観。

 日常の多くを過ごす、個人の作業室や私室……これらは意識せずとも、使用者の心の内面が現れてくるものだ。

 この虚飾を廃した仕事場も、やはり例に漏れず、部屋の主が抱える性質をよく写し出していると言えよう。

 

 今の時刻は夜。

 すでに日は沈んでおり、室内を照らすのは机に置かれた頼りないランタンの灯りのみ。

 薄暗い執務室。ここで部屋の主――地球人召喚施設長のディーザは、椅子に腰掛けていた。

 

 そのディーザの腰の上に、ひとりの女がディーザと向かい合うようにして跨っている。

 女はケリケイラだった。

 ケリケイラは全力で走った後のように、荒い息を繰り返し吐き出している。

 額にはいくつもの玉になった汗が浮き出て、頬には濡れた髪が張り付いていた。眉根は悩ましげに寄せられていて、熱に浮かされたような瞳は涙に潤んでいる。

 

「どうした。終わりか?」

 

 ケリケイラの様子とは対象的に、冷えきったディーザの声。

 必死に息を整えながらケリケイラは答える。

 

「はぁっ! はぁっ! はぁーー……っ……も、申し訳っ……ありません……」

 

「無能め。いいか、無能な貴様は有能な私を楽しませなければならん。これが公平という事だ……分かるな?」

 

「……は……ぃ………」

 

 息も絶え絶えのケリケイラを、まるで些事と言わんばかりに一瞥もくれないディーザ。

 ディーザはその体勢のままで、やおら神へと捧げる奉納の序献句を唱え始めた。

 

「ヴォトン・イイーユリセウェ! 見よ、公平と公正を司る博愛の神よ! 私はどのような者であっても、無能者からは平等に搾取する! そう、このようにただデカイだけで、魅力の皆無な無駄飯食らいであっても! 故に我が精神は……公平の極みである!! 博愛の女神よ、認めよ!」

 

 ディーザの体が大量の光の粒に包まれた。

 

 

> ディーザ 心量:212 → 404/500(+192)

 

 

「ははははは!! どうだ、認められた。これでまた、私の公平さが証明された」

 

 神が認めた以上、ディーザの言葉は真実である。

 すなわち彼は、相手が無能である以上、その容姿、年齢、性別に関わらず、同じように扱うことを己に課しているという事。

 彼は、彼自身の価値観において、まさしく嘘偽りなく公平であった。

 ディーザは満足げに笑うと、ふうと静かに息をつき、

 

「……重い! どけ!」

 

 自分の上に乗ったままのケリケイラを、床に突き飛ばした。

 

「あうっ!」

 

 背中を強く打って悲鳴を漏らすケリケイラ。

 しかしディーザはまるで気にも留めずに、今度は魔法の詠唱を開始した。

 

「オクシオ・オノウェ! ヨハイーオハ・ユナウー・ツハー・ナ・イテナウィウェ・シーヌ・ジェヴェーシー……公正な裁きのため。この者の嘘を暴け。報せよ。一片の狂いなく……オクシオ・センプル!」

 

 

> ディーザ 心量:404 → 389/500(-15)

 

 

 ディーザが唱えたのは、心音と感情の揺らぎを感知して、対象の言葉に嘘があれば気が付けるようになる魔法。

 また、喋らない者に対してもこちらから言葉を投げかけることで、心に動揺がないかと調べることもできる。

 

 魔法というのは同じ効果を得られるものでも、唱える者によって詠唱が違ったり、また、微妙に差異があったりする。

 個人で使うぶんにはそれでもいいが、公的機関で使用するとなると、その時々によって差が出てしまうのはよろしくない。

 そのため《魔法使い相互扶助組合》から、公に使用するための詠唱が公開されている。

 多くの国の公的機関がこれを採用しており、公職につく魔法使いは必ず習得している。

 

 今、ディーザが唱えたものがそれにあたる。

 取り調べ等では必ずといっていいほど使われる、定番の魔法であった。

 懐疑主義者のディーザは、私生活でもこの魔法を好んで使用する。

 

「よし、報告しろ」

 

 ディーザが言うとケリケイラは起き上がって告げた。

 

「はい。地下4階まで行きましたが、逃亡した冒険者は見つけられませんでした」

 

「無能者め。見つからないで済むと思っているのか!」

 

「申し訳ありません」

 

「……他に報告することはあるか?」

 

「ありません」

 

 そこでピクリ、とディーザの眉が動いた。

 

「嘘だな。僅かだが心音と感情波に乱れがある。些細な事だが本当ならば報告すべき、と貴様が感じる事があるという証左だ」

 

 氷のように冷えきった目が、ケリケイラを射抜いた。

 

「………………」

 

 ケリケイラは無言。

 そんな態度にもディーザは慣れた様子で、ふん、と軽く鼻を鳴らして鍵のかかった机の引き出しを開けた。

 顕になったのは、きれいに整頓され、みっちりと敷き詰められた、いかがわしい道具の数々。

 口枷、目隠し、鞭、首輪、荒縄、針、張形、貞操帯、浣腸器……等々。

 

「覚えの悪いグズめ。躾け直してやろう」

 

 ディーザは無造作に、その道具箱へと手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 執務室の窓から、微かに日の光が差し始めた頃。

 ディーザは汚れた道具を布で丁寧に拭っていた。

 

「助けてもらった礼に魔法具を譲ったなど……つまらん事を隠しよって」

 

 ディーザは手を止めずに、ちらりと横に目を向ける。

 固い床の上でうつ伏せに臥したケリケイラは、ぴくりとも動かなかった。

 

「しかしあの地球人……クラマ=ヒロといったか……」

 

 以前にも問題を起こした地球人。

 ダンジョンの出入口を封鎖した事件はダンジョン関係者には周知されており、ディーザも記憶している。

 おおかた、クラマの名前を出すことで事件を蒸し返され、彼が再び目をつけられるのを避けたかったのだろう……と、ディーザはケリケイラの考えを推測した。

 

「浅はかな……やはり無能。いや、待て。魔法具……?」

 

 ディーザは机の上の書類に手を伸ばした。

 彼の記憶によれば、今日のダンジョン換金報告書には魔法具の記載はなかったはずだった。

 冒険者がダンジョン内で手に入れたものは、その全てを冒険者ギルドが換金する。つまり冒険者が何を手に入れたかは、あまさずこの報告書に記されているのだ。

 ディーザは改めて確認したが……やはり魔法具の記載はない。

 そして地上に帰還したパーティー代表者としてイエニアの名前もある。

 という事は、まだダンジョンに潜ったままという事もない。

 だが、手に入れたはずの魔法具が書類に記載されていない。

 

「不正の疑いがあるな」

 

 ならば、調べねば。

 そう呟いたディーザは、綺麗に磨いた不揃いの玉の繋がりを、引き出しに仕舞い込んで鍵をかけた。

 

 

 

 

 

 ――公平、公正であれ。

 代々、名誉ある元老陪審官を務めるジェブド家に生を受けた彼は、一日に一度は必ず、そう言われて育った。

 私を滅して公に捧げられる存在となれ――

 その言葉に、若き彼は反発した。

 

「なぜ優秀な自分が、そんな誰でも出来る事をしなくてはならないのか」

 

「なぜ誉れ高き役職をこなして、こんな質素な暮らしをしなくてはならないのか」

 

「なぜ――」

 

 疑問の答えはなかった。

 

 ――ただ、そうあるべし。

 

 古いものほど尊ばれる公国においては、定められた慣習を破る事はすなわち“悪”だった。

 周囲の愚鈍な者達よりも明らかに優れた自分が、使い捨ての歯車のように社会のシステムに組み込まれ、朽ち果てる時を待たねばならぬという事実に絶望した。

 

 当然の帰結として、彼は家を出た。

 世界で最も勢いがあり、実力主義とされる魔導帝国イウシ・テノーネへと。

 頑迷固陋、旧態依然とした祖国とは違う。そこは刺激に満ちた世界だった。

 そこで彼は存分に秀才ぶりを発揮した。

 魔法詠唱学を学び、様々な詠唱を開発し、若くして帝国魔法研究所の副所長にまで上り詰めた。

 己の優秀さは自明であったが、いかんせん実績を積むには時間が足りない。

 まだまだ受け取った報酬は己の能力に見合うものではない。

 そこで彼は、自主的に不足分を補填することにした。

 

 “自分よりも無能な者から回収すればいい。”

 

 なかなかの妙案であった。

 やはり自分の発想力は並ではない、と彼は自画自賛した。

 

 こうして彼は、自身の目に映った「無能者」から、物質的・精神的な形を問わずに、手当たり次第に“回収”していった。

 

「まだ足りない。ここまでいけば、私の優秀さと釣り合いが取れるか……? 駄目だ。もっと、もっと――」

 

 ――公平、公正であれ。

 

 いつしか己の言動が、かつて死ぬほど毛嫌いしていた父親と一致していることに、彼は気がついていなかった。

 

 

 そして当然の帰結として、その生活は崩壊した。

 彼は、上手くやっていたはずだった。

 崩壊のきっかけは、自分よりも若く、才能も、実績も、人望もある新所長の一言だった。

 

「あなた、自分で思うほど大した人間じゃありませんよ」

 

 頭が真っ白になった。

 気付けば彼は、若い女所長に馬乗りになって拳を打ち付けていた。

 鼻が潰れた半裸の女は、自分の腕の下で、心の底からつまらなそうな視線で見上げていた。

 

 彼はその目に耐えられずに、逃亡した。

 そしてすぐに警察当局に追われる身となった。

 余罪など腐るほどあった。

 そうした経緯で国外へ高飛びしようとした彼に、同じく国外への亡命を予定していたヒウゥースが声をかけた。

 奴隷商のヒウゥースとは、何度か取引をして、それなりに親しい仲であった。

 

 それから彼は、ヒウゥースの右腕として、表と裏の業務を補佐するようになった。

 金儲けのことしか頭になく、実務は杜撰なヒウゥースには頭を悩まされた。

 しかしそこは、己の優秀さを存分に示せる恰好の場でもあった。

 

 こうしてディーザが二度の出奔を経て、新しく降り立った新天地。

 それがこのサーダ自由共和国、アギーバの街だ。

 ここでは今までと違って、自分を阻む目の上の瘤が存在しない。

 ヒウゥースが少し苛立たしいが、いざとなればいつでも排除することは可能。その準備をディーザは進めていた。

 ついにこの手に掴んだ理想の箱庭。

 ならず者の冒険者、生贄の地球人などに壊されてはならない。

 その決意を確固として塗り固めるため、彼は必ず一日に一度、自分に言い聞かせる。

 

「私の公平、公正のために」

 

 彼はひとり、砂上の楼閣を進み続ける。

 



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B4F - 邂逅せし廃工場
第27話


 クラマ達がダンジョン地下3階から戻ってきた、その翌朝。

 朝食を終えたクラマは診療所へ行くために、玄関に来ていた。

 そこで見送りに来たパフィーと問答になる。

 

「だめよ! クラマの頼みだから言う通りに詠唱を入れたけど、クラマが持っていたら絶対に無茶なことに使うもの!」

 

 先日手に入れた魔法具。

 昨夜のうちにクラマが提案した新しい魔法をパフィーに入れてもらっていた。

 だが、パフィーはその魔法具を頑としてクラマに渡さなかった。

 

「そんなことないよー、信用ないなあ。ねえ、イエニアも何か言ってあげて」

 

 クラマは付き添いのイエニアに話を振る。

 それに応えてイエニアは言った。

 

「分かりました。新しい魔法具は、そのままパフィーが管理していてください」

 

「ええ、任せて!」

 

「あれぇー?」

 

 イエニアの言葉に力強く頷くパフィー。

 2人の意思疎通は万全だった。

 そんなやりとりを経てからクラマが出発しようとしたところで……奥からそっとイクスが顔を出した。

 イクスに気付いたクラマは声をかける。

 

「あれ、イクス。どうかした?」

 

「……食事はクラマが作らないの?」

 

「ああ、当番制だからね。今日はレイフの番だから」

 

「そう……」

 

 イクスはそれだけ言って姿を消した。

 それを見てイエニアが思い出したように口を開いた。

 

「そうだ、イクスの服も買って帰りましょう」

 

「あ、そうだね。途中の道に服屋があったから、帰りにでも寄っていこう」

 

 そうして、クラマとイエニアはパフィーに見送られて街へと繰り出していった。

 

 

 

 

 

 ――ニーオの診療所。

 

「傷は広いけど、そこまで深くないみたいね。一応ひとりで歩けるようだし。わりかし早く治るとは思うけど……しばらくは松葉杖を渡すから、使って」

 

 クラマは女医のニーオから、爪トカゲに受けた傷の診察を受ける。

 

「肩の傷も化膿してる様子もないし……ま、これは解毒魔法のおかげね」

 

 お医者さんから大丈夫というお墨付きをもらって、ひと安心のクラマとイエニア。

 後は包帯の代わりに軟膏の塗り込まれたシートを張りつけ、傷口を乾燥させない等のアドバイスを受けて、診察は終了。

 それで帰ろうとしたクラマ達だが、ニーオに引き止められた。

 

「ああ、ちょっと時間あるかしら? あなた達に是非とも会いたいっていう人がいてね」

 

「おっと? 僕のファンかな?」

 

「……かもしれないわね。はい、もう入っていいわよー!」

 

 ニーオの声を受けて診察室の奥の扉から出てきたのは……予想通りというか、案の定の人物だった。

 先日ダンジョンから保護した地球人男性。

 ダイモンジ=ダイスケだ。

 

「ああ……君たちが助けてくれたんですね……本当にありがとう……」

 

 深々と頭を下げた彼にクラマとイエニアは少し面食らった。

 病院に運び込んだ時はガリガリに痩せ細っていたので、目の前にいる恰幅のいい彼と頭の中で一致しなかったからだ。

 逆に言えば、それほどまでに過酷な生活だったという事でもあった。

 

「いやあ、それほどでもないですよ。ねえ、イエニア」

 

「ええ。我々は当然の事をしたまでです」

 

 それからクラマ達はダイモンジから話を聞く。

 

 彼は、日本ではオーダーメイドの衣装製作で生計を立てる個人事業主だった。

 母の影響で子供の頃から裁縫ばっかりやってきたので、格闘技どころかケンカもした事がなく、ダンジョン探索なんてどだい無理な話。

 この地に召喚された彼がそれを口にして伝えた時の、冒険者たちの呆れた顔と半笑いは今でも目に焼き付いているという。

 

「それで……助けてくれた君たちに……恩返しできないかと思って……こんなものを作ってみたんだ」

 

 そう言ってダイモンジが出してきたのは、一枚の白いコートだった。

 

「まだ作りかけだけど……防刃コートを作ってみたんだ。最初は鎖帷子を考えたけど……重くなると探索の邪魔になると思って……」

 

 クラマがダイモンジから受け取ると、確かに軽い。

 今は冒険者用のチェインメイルの中で最も軽いものを着用しているが、それに比べても遥かに軽かった。

 しかも滑らかで手触りが良く、光沢のあるような感じで高級感がある。

 

「おお……! なんかすごい……!」

 

「中で四層に編み込んであるんだ……元は防弾ベストに使われた技術なんだけどね……こっちでも絹と似たような……弾力のある素材があったから……高貴な身分の人が肌着に使っているようだけど……」

 

「ふむ、高貴な人の下着」

 

 この前に見たイエニアの下着は、まったくそんな感じはしなかった。

 クラマはイエニアの顔を見る。

 ……イエニアは目を閉じていた。

 黙して語らず。

 賢明なイエニアは、この話題に対して反応をすること自体が己の敗北であることを、しっかりと心得ていた。

 

 ダイモンジの話へ、ニーオが横から補足する。

 

「素材はアイーツセヤ……大橋蜘蛛の糸ね。私も試してみたけどメスも通らないし、柔らかいからサンドバッグに最適。ありがたく使わせて貰ってるわ」

 

「それはいいですね! 私にもひとつ欲しいくらいです」

 

 イエニアが突然話に乗ってきた。

 クラマとダイモンジが顔を見合わせる。

 

「こっちの世界の女性はみんなこんな感じなんでしょうか……?」

 

「この2人が特別だから安心していいですよー」

 

 イエニアとニーオが、男2人をジロッと睨んだ。

 

「キャー、コワーイ!」

 

 クラマはダイモンジに抱きついた。

 心の底から呆れた溜め息をついた、イエニアとニーオであった。

 

 

 

 その後、クラマは防刃コートの作りに関する要望をダイモンジに伝えた。

 コートが完成したら、クラマのところへ持ってきてくれるという事になった。

 

 

 

 

 

 そうしてクラマとイエニアの2人は診療所を出た。

 イクスの服を買い、帰宅の途を歩く2人。

 クラマは松葉杖をつき、イエニアがそれに付き添って歩いている。

 その彼らの前方に予期せぬ人物が現れた。

 

「あれ? なーんか見たことある人がいるね」

 

「え?」

 

 クラマの視線を追って、イエニアもその姿を認める。

 その人物はこの街……いや、この国の最高権力者。

 評議会議長・ヒウゥースだった。

 ヒウゥースは相も変わらず丸々と肥え太り、成金趣味が丸出しの出で立ちをしていた。

 

「なぜこんなところに……」

 

 イエニアはその姿に訝しむ。

 こんな何もない裏通りに現れるような人物ではない。

 クラマ達を見つけたヒウゥースは、にこやかに話しかけてきた。

 

「おお! これはこれは王女殿。このようなところで会うとは奇遇ですな! 王女殿におかれましては、ご機嫌も麗しく……」

 

「イエニアで構いません。世辞も結構です。今は王女ではなく冒険者としてここにいますから」

 

「ほほっ、これは失礼」

 

「では、申し訳ありませんが、急いでいますので」

 

 と、関わり合いになりたくないという態度を隠そうともせず、さっさと通り過ぎようとするイエニア。

 その行く手をヒウゥースが大きな体で阻んだ!

 

「いえいえ、ここで会ったのも何かの縁! なに、お時間は取らせませんよ。貴女にとっても良いお話がありましてね」

 

「しかし……」

 

 イエニアはちらりとクラマを見る。

 ヒウゥースにはクラマの釈放の件で、お目こぼしを貰った経緯がある。

 つまり借りのある状況だ。

 彼の機嫌を損ねた場合、悪くすれば適当な理由をつけて再逮捕……などといった事も有り得る。

 イエニアとしては非常に断りにくかった。

 そんなイエニアに、ヒウゥースはどんどん話しかけてくる。

 

「いやなに、実はダンジョンの宣伝のために、新しいポスターを作ろうと考えていましてな。宣伝であるからには、見栄えのいい人物画が不可欠! しかし国外にも通じる喧伝力となると、見栄えの他に肩書きもなくては……と、そんな無理難題に頭を抱えていたのですよ」

 

 クラマやイエニアにも話が見えてきた。

 つまりは、ポスターのモデルになれということだ。

 

「そう! そんな時に偶然出会えるとは、これ以上ない適任者に! これも私の信奉する芸術の神の思し召しですかな、ほっほっ」

 

 なんとも白々しかった。

 多忙を極める一国の首長であり商売人が、こんな街中をのこのこ歩いているはずがない。

 最初からこのために出向いてきたのだ。

 だとすると余計に、この話は断りにくい。

 イエニアはどうにかうまく断れないものかと思案して答えた。

 

「……それなら場末の酒場によくいるセサイルの方が適任では? 旧四大国のひとつソウェナ王国最後の将、“赤熱の双剣”、“怒れる餓狼”英雄セサイルの武勲と勇名を知らぬ者はいないでしょう。小国の第19王女に過ぎない私などより、よほど」

 

「ハハッ、ご謙遜を! 聞けばイエニア殿は騎士団に入って2年目にして、御前試合に優勝して騎士団最強の称号を得たとか。決して英雄セサイルに見劣りは致しません。それに宣伝に使うのならば、やはり女性がいい!」

 

「う……それは………」

 

「もちろん引き受けて頂ければ、報酬はお支払いしますとも! これは冒険者としての依頼としてお考え頂きたい!」

 

「………………」

 

 悩めるイエニアの横で、クラマはヒウゥースに対して感心の思いを抱いていた。

 評議会議長というのは、制度の違いはあれど、他国であれば国王に相当するものだ。

 それが相手に王女の肩書きがあるとはいえ、わざわざ足を使って出向いて、丁寧な言葉遣いで話を提示してくる。

 ひなびた田舎街を瞬く間に巨大商業都市へと変えた、敏腕経営者。

 権力者である以前に、根っからの商売人。

 それがクラマの察したヒウゥースの人物像だった。

 

 その一方で、どうやら断りきれぬと悟ったイエニアは、不承不承と口を開く。

 

「はぁ……仕方ありませんね……」

 

「おぉ! やって頂けますか! であれば、丁度すぐ近くに懇意にしている画家がおりますので、そちらへ!」

 

 偶然近くにあるという体で、ヒウゥースはイエニアを連れて行く。

 クラマもそれについて行った。

 そこは古い家に、新築のアトリエが併設された広めの家だった。

 家の中に通されると、イエニアの前に立ったヒウゥースが、その目の前に布切れを掲げて告げた。

 

「さ、それではこれに着替えを」

 

「――はい?」

 

 イエニアの目の前に掲げられたもの。

 それは水着だった。

 しかも、とびきり布地の少ない、たいへんセクシーな水着であった。

 

「ちょっ……ちょっと! 聞いていませんよ! 水着だなんて!」

 

「おっと! これは説明不足でしたかな。モデルといえば水着、これは業界では常識ですからな、説明するまでもないかと。ハハッ」

 

「っ……そういう事でしたら帰らせてもらいます! 行きますよ、クラマ!」

 

 イエニアは怒りをあらわに背を向ける。

 しかしそこはヒウゥースも商売人。諦めずに食い下がる。

 

「ままままま、落ち着いて! お連れの方も見たいでしょう、彼女の水着姿を!」

 

 突然ヒウゥースから振られたクラマは、即答した。

 

「見たい」

 

 イエニアの足がぴたりと止まった。

 ヒウゥースが歓喜の声をあげる。

 

「そうでしょう、そうでしょうとも! その調子で、是非あなたの方から彼女に説得を!」

 

「イエニアの水着、見たいな~」

 

「く、クラマ……!」

 

「モデルになれば目立てるよね~」

 

「うっ、それは……そう、ですが……」

 

 思わぬところから出現した伏兵……!

 予期せぬ裏切りに、イエニアはくらりと目眩がした。

 

「ほほっ、正直なのはいいことだ! あなたとは気が合いそうですな!」

 

「いやあ、男ならこのくらい当然。普通でしょう」

 

 そうして、なぜか意気投合した2人の大合唱が始まる。

 

「み・ず・ぎ! み・ず・ぎ!」

 

「あっそ~れ、み・ず・ぎ! み・ず・ぎ! ハイッ!」

 

「あっソイヤ! ソイヤ! そ~れそ~れそ~れそ~れ!」

 

「みずぎ! みずぎ! みずぎ! みずぎ! ハイ! ハイ! ハイ! ハイッ!」

 

 なにやら異様な盛り上がりを見せる男性二名。

 放っておけばどこまでも加速していきそうな勢いだ。

 最初はたじろいでいたイエニアだが、やがて彼女は目を閉じ……ダンッ! と勢いよく剣の鞘を床に突き立てた!

 

「――水着は、着ません!!」

 

 断固とした意思表示をもって返す!

 その瞳には、絶対に譲れぬという思いが見て取れた。

 

「うむぅ……仕方ありませんねぇ」

 

 どうあっても無理と悟ったヒウゥースは素早く金額の交渉に切り替えて、モデルは鎧姿のままということで話を決めた。

 その切り替えの早さにクラマはまたも感心した。

 

 

 

 そうして、イエニアは画家のアトリエに通される。

 下書きだけでいいからすぐ終わるとのことで、クラマは隣の部屋で待たされることになった。

 

 そうしてクラマは部屋でひとり。

 クラマはそっと隣の部屋に聞き耳をたてていた。

 するとそこで扉が開いて、見知った人物が入ってきた。

 

「……何してるんですか?」

 

 壁に耳をつけているクラマに、呆れたように声をかける女性。

 ケリケイラだった。

 クラマは壁に耳をつけたまま答える。

 

「いや、芸術と称していかがわしいことが行われているのではないかとね!」

 

「あはは、真面目な人だからそれはないですよー」

 

 ケリケイラはクラマにお茶のカップを手渡して、隣に座った。

 クラマはそんな彼女に、当然の疑問を投げかける。

 

「ケリケイラはどうしてここに?」

 

 彼女は笑って答えた。

 

「地球人の運量が溜まるまで暇じゃないですかー。だから普段は配送の仕事をしてるんですよ。この家の主人は買い物を全部配送で注文するんで、一番のお得意様ですねー」

 

 ネット通販か、というより生協の宅配かな? とクラマは考えた。

 クラマは壁から耳を離して、手渡されたカップに口をつけた。

 ずず、とお茶をすするクラマ。

 対するケリケイラは、どこか違うところを見ながら言った。

 

「……このまえ渡した魔法具、ちゃんと換金できました? いや、かなり容量が少なかったんで、心配になって」

 

「ごめん、ダンジョンから帰る途中で落としちゃって」

 

「そ、そうだったんですかー」

 

「うん。せっかく貰ったのに、ごめん」

 

「あああ、いやいや! いいんですよー、そんなこと。元から拾い物ですしねー」

 

 ちょっと微妙な空気になったところで、ケリケイラが話題を変える。

 

「足の方は大丈夫ですか?」

 

「ああ、うん。そんなに深くないって」

 

「それは良かった。ところで、あの3人の誰と付き合ってるんですかー?」

 

「――ぼふッ」

 

 クラマは鼻からお茶を噴き出した。

 

「けほっ! おふッ! ……いきなり来るね。なんだって、そんなことが気になるんだい」

 

「やー、うちのヒメ……メグルが気にしてたもんで。なんかそっちの貸家の場所を調べてましたよー」

 

「まじで?」

 

「まじで」

 

 急な来客には注意するようイクスに言っておかないとな……と、クラマは考えた。

 

「それで誰と付き合ってるんです?」

 

 再度の問い。

 それにクラマは真面目な顔をして答えた。

 

「誰と……というか全員?」

 

「はい?」

 

「むしろ僕のハーレム? 酒池肉林? みたいな?」

 

「あっはっは、またまたー」

 

「いやいやいや、昨夜もイエニアが離してくれなくてねー、いやあ参った参った」

 

 ……などと話し込んで時は過ぎ。

 コンコン、と扉をノックしてイエニアが顔を出した。

 

「お待たせしました。帰りますよ、クラマ」

 

 部屋を見たイエニアはケリケイラに気付いて、軽く挨拶をする。

 そうしてクラマとイエニアは、画家の家を後にしたのだった。

 

 

----------------------------------------

 

 クラマ達が帰った後。

 アトリエとはまた反対側の、クラマがいた隣の部屋。

 ケリケイラが扉を開けると、そこでは暗い室内にディーザがひとり佇んでいた。

 

 彼は最初から隣の部屋に潜んでおり、クラマの言動に嘘がないかどうかを、魔法で検知していたのだ。

 結果――

 

「……心音と感情の揺らぎはなかった。貴様との会話の中で、奴は一切嘘をついていない」

 

 ケリケイラはディーザに気付かれないよう、小さく安堵の息をついた。

 ディーザは思ったような結果が出ず、苛立った気配を見せる。

 怪しい、と感じている。しかし結果が提示された以上は、それに従わなくてはならない。ただ「怪しい気がする」という理由で動いては、他の冒険者との公平性を欠いてしまう。

 

「……杞憂か。いや、いやいや……奴はすでに問題を起こしている危険分子には違いない。……そうだな。おい、それとなく奴を見張っておけ。何か不審な点があればすぐに報告しろ。また隠し事をすれば……分かっているな?」

 

 ディーザの目が射抜く。

 ビクッ、とケリケイラの肩が震えた。

 

 それからディーザがケリケイラを押しのけて部屋を出ていった後。

 ケリケイラは薄暗い部屋の中、虚ろな視線を彷徨わせて、呟いた。

 

「私……私は………」

 

 顔を覆う。

 その手は小刻みに震えていた。

 



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第28話

 ヒウゥースから頼まれたモデルの仕事を終えて、画家の屋敷を出たイエニアとクラマ。

 この後の流れは決まっている。

 クラマはイエニアの様子を窺っていた。

 

「……クラマ」

 

 ――来た!

 

「はい」

 

 当然、お説教の時間である。

 ヒウゥースと一緒になって囃し立てた水着コール。

 あそこでヒウゥースに乗った時点で、イエニアの説教は覚悟の上である。

 クラマは心の準備をしながら、そっとイエニアの様子を窺う。

 ……しかし、イエニアの反応は、クラマの予想とは違っていた。

 

「………………その……ええと……」

 

 イエニアは非常に言いにくそうにしている。

 何だろうと首をひねりながらクラマが見守っていると、イエニアはやがて、ぼそりと呟くように言った。

 

「……そんなに見たいですか? 私の水着……」

 

「見たい」

 

 クラマは即答した。

 それは反射と呼んで差し支えなかった。

 脊髄反射にも似た、クラマの衝動的反応だった。

 

「そっ、即答ですか……」

 

「うん。だって見たいし」

 

「う、あ……そ、そう……ですか……」

 

 イエニアはなにやら目をそらして口の中でモゴモゴと呟いている。

 今回はお説教はナシかな? とクラマが安堵した時だった。

 

「あっ、いたいた! クラマ! イエニア!」

 

 声の方を見ると、パフィーが人ごみの中で手を振っている。

 パフィーだけではなく、レイフ、サクラ、一郎も一緒だった。

 クラマは4人に声をかける。

 

「珍しい取り合わせだね。買い物かな?」

 

「ええ、アッシは荷物持ちでさぁ」

 

 答える一郎。

 パフィーはイエニアの前までぱたぱたと走ってきて尋ねた。

 

「イエニア、イクスの服は買った?」

 

「ええ、ちゃんと買いましたが」

 

「ちょっと見せて」

 

 イエニアが購入した荷物をパフィーが確認する。

 ひととおり見た後、パフィーは顔をあげて言った。

 

「やっぱり! これじゃあ全然足りないわ!」

 

「えっ、そうですか?」

 

「必要最低限じゃだめよ。イクスは家の中から出られないんだから、お洒落したり、家で楽しめるものも買ってあげないと」

 

「うっ……」

 

 お洒落に関して年下の子供に説教をされて、何も言い返せないイエニアであった。

 確かにそうした事には疎いんだろうなあ……と、クラマはこれっぽっちも飾りっ気のないイエニアの下着を再び思い出していた。

 

 そこへ、レイフがひらひらと手を振って言う。

 

「こんなことだろうと思ったのよね~。まあ、ひとり遊びできるモノは私が選んでおくから、安心してちょうだい」

 

「これっぽっちも安心できないんだよなあ、その言葉。なんでだろうなあ」

 

 クラマの言葉にレイフは両手の拳を前に出し、人差し指と中指の間からニュッと親指を突き出すジェスチャーを返した。

 不安しか感じられない動作だった。

 

 一方、イエニアはそんなやり取りも目に入らない様子で、じっと思案していた。

 やがて意を決したように口を開く。

 

「……すみませんが一郎さん、クラマを家までお願いできますか?」

 

「ええ、アッシは構いやせんが」

 

「私は彼女たちの買い物についていきます。クラマは先に帰っていてください」

 

 いかなる風の吹き回しか。

 サクラと一郎が首をひねるかたわら、パフィーとレイフは何かに納得したように頷いている。

 そうして、女性たちは雑踏の中へと消えていった。

 人ごみの中に残された男たち。

 

「……なんだか寂しいもんですねぇ、旦那」

 

「いや、寂しくなんてないよ」

 

 一郎の言葉に、クラマはフッと笑う。

 

「一郎さんがいるからね」

 

「旦那ぁ……!」

 

 男2人も仲良く街を闊歩するのであった。

 

 

 

 

 

 クラマは家に戻る前に納骨亭でセサイルに教えを受けたり、居合わせたバコスやナメロトに昼食をおごってもらったり、迷子の子供の親を探したりしてから、貸家に戻った。

 そして夜……。

 

 

「――狭いわ!」

 

 揃って食卓を囲む夕飯の最中、サクラがそんな叫びをあげた。

 5~6人用のテーブルを囲んでいるのはクラマ、パフィー、レイフ、イエニア、サクラ、一郎、次郎、三郎、ティア、そして新たに加入したイクスで計10人。

 あまりに狭すぎた。

 すでに限界を突破していた。

 

「ごめん。わたしのせいで……」

 

 イクスがうつむき加減に顔を伏せた。

 慌ててサクラがフォローする。

 

「あ! 違う違う、イクスを責めてるんじゃないから!」

 

 そこへ、ここぞとばかりに男たちが囃し立てていく。

 

「あーあー、新人が入った途端にパワハラかぁ~」

 

「アネゴ……」

 

「かぁーっ! 失望したっスよ俺っち!」

 

「おっぱい小さい同士、仲良くして欲しいでござる……」

 

「パワハラじゃない! でも三郎のそれはセクハラだから!」

 

 と、そんなふうに騒いでいるところへ、イエニアから冷静なツッコミが入る。

 

「そもそも、サクラ達がここへ食事をしに来るのが原因なのでは?」

 

 正論であった。

 とはいえ反論もある。

 すかさずクラマが擁護した。

 

「いやあ、でも一郎さんがおかずの種類を増やしてくれるから成り立ってる説があるからね。あ、ティア。そこのイルラユーヒ炒めのお皿取って」

 

「どのお皿でしょう」

 

「ティア、あなたの一番手前にあるイルラユーヒが2つ残っているお皿ですよ」

 

 イエニアに教えられて、ティアはどうぞとクラマに皿を渡す。

 サクラはその皿を恐怖の眼差しで見つめている。

 

「クラマはよく食べれるわね、あんなの……」

 

 サクラの隣にいるイクスが、フォークに刺さった青白い幼虫を見せながら言う。

 

「……食べないの?」

 

「絶対やだ!」

 

「そう……」

 

 視線を落とすイクス。

 イクスの落胆した様子を見て、サクラは何か悪い事をしたような気がしてしまう。

 テーブルの奥ではクラマがウマイウマイと、わざとらしい大声を出して炒めた幼虫を食べる。

 

「うー……」

 

 サクラはなんだか自分だけが取り残されているような空気を感じた。

 迷っている様子のサクラに、イクスがもう一度声をかけた。

 

「おいしいよ?」

 

「う……うぅ……」

 

 クラマと同様に、サクラもこちらの世界に来てから美味しいものに飢えていた。

 誘惑、孤立、罪悪感、焦燥、そして嫌悪。

 様々な感情がないまぜとなった葛藤。

 そうした果てに……サクラはとうとう震える手で、その物体を口に入れた。

 身震いするような悪寒を必死に押さえこんで、咀嚼。

 ……そして、サクラは言った。

 

「おいしいーーーーーやだーーーーーーーー」

 

 それは善きも悪きも織り込んだ、なんとも複雑な感想であった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで食事が終わり。

 食器を片付けてクラマが部屋に戻ろうとしたところで、その背中にイクスの声がかかった。

 

「……クラマ」

 

「うん? どうかした?」

 

 振り向いたクラマに、イクスが尋ねる。

 

「明日はクラマが作るの?」

 

「食事の当番? いや、明日はパフィーだけど」

 

「そう……」

 

 イクスはそれきり何も言わない。

 ただ、じーっとクラマを見つめている。

 

「ええと……他に何か?」

 

「べつに、ないけど」

 

 何も用事はない。

 用事はないが、イクスはクラマの顔をじっと見つめてくる。

 

「……………明日は僕が作ろうかなあ」

 

「そう」

 

 その言葉を聞くと、イクスはスッと引っ込んでいった。

 残されたクラマは漠然と思った。

 ひょっとして、このまま僕が専属料理番になる流れなのではないか……と。

 

 

 

 

 それからクラマはいつも通りにパフィーの講義を受けて、サクラと一緒に魔法の練習をしてみるも全く使える気がしなかったりと色々あって……。

 

 

「う~っ、いててて……」

 

 クラマは浴室にいた。

 一面が木で出来た浴室は、温泉旅館を思い起こすような、なかなかに風情のある空間であった。

 肩と足の傷を庇いながら、クラマは自分の体を洗う。

 

 そうしていると不意に、脱衣所の方から物音がした。

 何かなと思って目を向けると、磨りガラスの奥には特徴的な影。

 鎧を着たイエニアのシルエットだった。

 クラマは怪訝に思って声をかける。

 

「イエニア? どうかしたの?」

 

「……クラマ、傷の具合はどうですか」

 

「全然大丈夫だよ。お湯が染みて痛くて死にそうなくらいさ!」

 

 イッツジョーク。HAHAHA。……とアメリカンに笑っていると、脱衣所の方からガチャガチャという金属音がしてきた。

 続いてゴトッ、と重いものが床に置かれる音。

 クラマが扉を見やると、磨りガラスの奥のシルエットには、鎧を脱ぎ去ったイエニアの輪郭が映し出されていた。

 

 はて、これは……と無言で注視するクラマ。

 シルエットはゆっくりと扉へと近付き、扉の前でしばらく停止した後……おもむろに扉が開かれ、その姿を現した。

 

 

 そこにいたのは、水着姿のイエニアだった。

 

 

 水着は上下に分かれているタイプで、バスト部分は白のハイネック。

 胸元を首まで広く覆った、露出の少ない形である。

 

 ショーツ部分は2枚の重ね穿きだった。

 青を基調とした爽やかな柄のビキニの内側に、白のTバックショーツがちらりと見える。

 重ねて2枚穿いているので守りが堅いという体裁を持ちつつ、その内側への想像力を掻き立てる前衛的な構造だった。

 

 間近で見るイエニアの体は、鍛えているだけあって健康的で、瑞々しさがあった。

 肩や二の腕、太股、腹筋などにはしっかり鍛えた跡が浮き出ており、ところどころに傷跡も見られる。

 水着のチョイスはそれらをあえて隠さず、修飾するようであった。

 布地を多く守りの姿勢を見せながらも、攻める所は攻める。

 イエニアの格好良さと可愛らしさを、見事に両立させていた。

 

 そんな姿でクラマの目の前に立った彼女は、普段の凛とした佇まいとはうってかわって、ひどく緊張した面持ちだった。

 

「あ、あの……そんなに見ないでください」

 

 イエニアはクラマの視線から目をそらし、両手で体を隠そうとする。

 しかし見るなというのは、クラマにとってみれば無茶な話だった。

 イエニアは申し訳なさそうに言葉を続ける。

 

「水着を見たいと言っていましたが……失望したでしょう? レイフと違って、私の体は女らしさが微塵もありませんから……」

 

「そんなことない。綺麗だよ」

 

 クラマの直球の返しに、イエニアは狼狽えた。

 

「え、あ、いや、それは……ありがとぅ、ござぃ、ます……」

 

 イエニアにしては珍しく、しどろもどろな対応。

 およそ今まで生きてきた中で、異性から一度も言われた記憶のない言葉である。その動揺は無理からぬことであった。

 どう返したら良いか分からぬイエニアは、朱に染まった顔で、ちらりとクラマの様子を見る。

 にこっと笑って返すクラマ。

 ……その顔。表情を見て、はっとイエニアは気がついた。

 

「い、いや! 分かってますよクラマ! あなたは誰にでもそう言うのでしょう!」

 

「えぇー? いやいや、そんなことないよー」

 

 そんなことないわけがない。

 と、気を取り直したイエニアは、クラマの背後へと回った。

 

「怪我で体を洗いにくいでしょうから、今日は手伝いに来たんです」

 

「水着を自慢しに来たんじゃないの?」

 

「いえ、それは……まあ………ち、違いますよ」

 

 イエニアは喋りながら、液状の石鹸を布に垂らして泡立てる。

 

「それに……水着はサクラが選んでくれたものですし……」

 

「あ、そうなんだ」

 

 確かに言われてみれば、日本人っぽいセンスだとクラマは納得した。

 イエニアはクラマの背後から足の方へと手を伸ばして、傷に触れないよう、丁寧に泡のついた布でこすっていく。

 体勢としては、かなり無理がある。

 クラマの足を洗おうと手を伸ばせば必然、体は密着することになる。

 イエニアの胸がクラマの背中に押し付けられた。

 

「よっ、と…………あっ」

 

 自分の体が押し付けられていることに気付いて、慌てて体を離すイエニア。

 その感触にクラマは、あることを思い出していた。

 

 イエニアが着ているハイネック型の水着。

 これはクラマの知識によれば、肩幅を小さく見せる効果があり、また、胸パッドをたくさん入れられるタイプの水着であった。

 水着を選んだのはサクラだという。

 背中に押し付けられた感触に、クラマはサクラの優しさを垣間見た。

 

 

 背後からクラマの体を洗うイエニアは、想像以上のやりにくさにどうしたものかと逡巡していたが……やがて意を決して、クラマの背中を離れた。

 イエニアがクラマの背後から、前に回る。

 そうして極力クラマの下半身へ視線を向けないようにしながら、足の先にまで手を伸ばしていく。

 

「あ~、いい。いいよー、イエニア。そう、そこ……もっと強くしていいよ。そう! そうそうそう……いい! 上手上手……あー、気持ちいいね~」

 

「……あの、クラマ……痛くないかどうかだけ教えてくれればいいのですが……」

 

 イエニアに注意されて口を閉じるクラマ。

 そうすると今度は、浴室の中をイエニアの微かな吐息と息遣いだけが聞こえるようになる。

 

「んっ……しょ………ふぅ………ん……」

 

 無言だと集中できるのか、イエニアの動作にも次第に熱が籠もってくる。

 それにつれて吐息も徐々に大きくなり、浴室を水っぽい音色が反響していった。

 足だけで終わりではなく、イエニアは再びクラマの背後に戻ると、背中、肩、腕と続けていく。

 

 それまで熱心に洗体していたイエニアだったが、不意にクラマに向かって話しかけた。

 

「……こうして見ると……傷、多いですね……」

 

 クラマの腕や背中には、いくつもの傷跡があった。

 

「そうかな。冒険者の人たちの方が多いと思うけど」

 

「それはそうですが……地球では、あまり争い事がないと聞いていましたので」

 

 地球というより日本の話だった。

 

「手の火傷は、こっちに来てからですね。私の知らないところでも……あなたはどこにいても、そうなのですね……」

 

 その口調からは、若干の批難が混じっているように感じられた。

 

「私は望んで騎士になりましたが、あなたはどうしてそこまで、人のために体を張るのですか?」

 

「うーん、僕もこっちの世界に生まれてたら、騎士になってたかもね」

 

「それは無理でしょう。騎士には多くの規則がありますから、クラマはすぐに除籍されるでしょうね……一応、うちの騎士団には例外がひとりいますけど……あ、いや、ふたり……かな……」

 

「例外多くない?」

 

「……色々あるんです」

 

「色々ですか」

 

「はい……」

 

 イエニアはクラマの両手を洗い終わって、次は胸へと手を伸ばす。

 するとイエニアの顔がクラマの耳元に近付き、吐息が直接、クラマの耳へと届いてくる。

 背後から抱きしめるような形で、イエニアの両手がクラマの胸板を這う。

 

「……ただ……私はもう、騎士ではないのかもしれませんけど……」

 

 どういうこと? とクラマが尋ねると、イエニアは自嘲するように答えた。

 

「爪トカゲの群れから逃げる時に、盾を捨ててしまったから……」

 

 クラマは以前にイエニアが言っていたことを思い出す。

 彼女の盾は正騎士の証であり、たとえ剣と命をなくそうとも、盾と誇りを失うなと言われている……と。

 しかし一時的に床へ投げただけで、盾はすぐに回収されている。

 

「いやいやいや、それはノーカンじゃない? さすがに厳しすぎるでしょ」

 

 イエニアはクスリと笑う。

 

「ふふっ、そうですね。ちょっとした冗談です」

 

 こうした冗談をイエニアが言うのは珍しかった。

 ……イエニアの手はクラマの胸板からお腹の方へ下がる。

 後ろから鼻歌のようなリズムが漏れてきているのに、クラマは気がついた。

 

 浴室で2人きりという、いつもと違う状況がそうさせるのか。

 気付かぬうちに、普段は見せない別の一面が表に出てきているようだった。

 

 イエニアは詩の一節を吟ずるかのように、クラマの耳元で囁いた。

 

「でも……たまに思うんです。私が騎士じゃなかったら……飾りのない、ただの自分として出会えていたら……」

 

 その声は次第に懺悔じみた色を帯びる。

 まるで、秘した胸の内を告白するかのように――

 

「……偽らずに、あなたと向き合えたら……」

 

 

 

 その時。

 それは、まるで図ったようなタイミングだった。

 

 ――コン、コン。

 

 脱衣所の扉が叩かれる。

 イエニアは電気に打たれたようにビクッ! と跳ねた。

 脱衣所の外から声が聞こえてくる。

 

「ご入浴中、申し訳ございません。クラマ様」

 

 届いてきたのはティアの声。

 

「……!!」

 

 イエニアが今までに見たことのないくらいに狼狽している。

 クラマはとりあえず外のティアに返事をした。

 

「どうかしたー?」

 

「探し物をしておりまして。脱衣所に入ってもよろしいでしょうか?」

 

 クラマはイエニアを見た。

 イエニアはぶんぶんと首を横に振っている。

 クラマは答えた。

 

「いいよー、どうぞー」

 

「~~~~~!?」

 

 慌てふためくイエニア。

 イエニアはきょろきょろと周りを見るが、隠れる場所などない。

 磨りガラスの外から脱衣所の扉が開く音。

 イエニアは咄嗟に湯船の中に飛び込んだ!

 そのすぐ後に、脱衣所へ踏み込んだティアが呟いた。

 

「おや、この鎧は……」

 

「ああ、それね。僕が来た時には置いてあったんだ」

 

「左様ですか」

 

「うん。ティアは何を探してるの?」

 

 クラマの質問。

 それに対してティアは、脱衣所と浴室を隔てる磨りガラスの目の前に立って答えた。

 

「イエニア様を探しております」

 

 ちゃぷん、と湯船に水が跳ねる音がした。

 

「そっかー、どこにいるんだろうね」

 

「クラマ様」

 

 磨りガラスの目の前に直立したティアのシルエットは、そこから微動だにしない。

 

「はい」

 

「ラーウェイブ王国の王女たる御方が、よもや婚姻関係にない殿方に対して、自ら肌を晒すような真似などなさる事は決してないと、わたくしは固く信じております」

 

 コポコポコポ……と空気が浮いてくる音が湯船から聞こえてくる。

 クラマはわずかに思案し、ティアの言に対して、こう返した。

 

「それはつまり……イエニアの素肌を見たら、結婚しろっていうことかな?」

 

 ゴボゴボゴボッ!

 湯船から人が溺れるような音がした。

 

「いいえ、そういう事ではございません。……ただ念のため、浴室の中を拝見してもよろしいでしょうか?」

 

 クラマは答える。

 

「うん、いいよー」

 

 湯船の中が一転して、しんと静まり返った。

 緊張した空気。

 静寂が、湯気の立つ浴室の中を反響する。

 しかし、それも数秒のことだった。

 

「……いえ、やはりやめておきます。失礼いたしました。引き続き、ごゆっくりお寛ぎください」

 

 そうして、ティアは脱衣所から退出していった。

 しばらくして。

 湯船の中からざぱ、とイエニアが立ち上がる。

 クラマが見上げると、イエニアは両手で自分の顔を覆い隠していた。

 

「……先に出ます」

 

「あ、うん」

 

 ずーんと沈んだ足取りで、イエニアは扉に向かう。

 そして去り際に一言。

 

「すみませんでした。ここでのことは忘れてください……」

 

 なんだかひどく落ち込んだ様子で、よろよろと外へと出ていったイエニア。

 残されたクラマはというと……

 

「いや、忘れてくれと言われてもなあ」

 

 まったく忘れられそうになかった。

 言われた言葉も。

 イエニアの水着姿も。

 



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第29話

「ついにできた」

 

 ……と、パフィーの部屋でひとり呟いたクラマ。

 彼がつまんだ指先からは紐が垂れ下がっており、緑の小鳥がだらーんと吊り下げられていた。

 一見すると犬の体につけるハーネスに近い。

 しかし小鳥に装着されたそれは、羽とクチバシが開かないように塞いでいる、要するに拘束具であった。

 

「クックックッ……貴様は風来の神の眷属という話だったな。ならば神話より魔狼フェンリルを拘束した魔法の紐からとって……名付けてグレイプニール零式!」

 

「ンンンンンンン!」

 

 小鳥は身体の自由を奪われながらも、血走った目でクラマをつつこうと体を揺らしている。

 

「フハハハハ! 無駄よ無駄よ! 我が拘束術、貴様ごときに解けるものではないわ!」

 

 小鳥を相手に勝ち誇るクラマ。

 足の怪我のためにあまり外へ出られないクラマは、昼間からこうした事に勤しんでいるのであった。

 そこへ部屋の外からレイフの声がかかった。

 

「クラマいるー? お客さんよー?」

 

「はーい」

 

 クラマは小鳥を鳥籠に戻して、玄関に向かった。

 

「ンンンンンンン!」

 

 

 

 

 

 お客さんというのは、先日のダンジョン地下3階で出会ったメグルであった。

 メグルは女性にしては若干背が高めで、綺麗なストレートの黒髪に合わせて落ち着いた雰囲気もあって、ただ佇んでいるだけでも絵になった。

 クラマは玄関で待っている彼女に声をかける。

 

「あれ、どうしたの。何か用かな?」

 

「別に。何もする事なかったから、顔出してみただけ。……なんかケリケイラには、すっごい気をつけるように言われたけど。……何かやったの?」

 

「いや、ぜんぜん心当たりないね」

 

 先日画家の家でケリケイラと話した時には普通だったので、クラマには心当たりはなかった。

 まさかパーティーの女性陣との間でハーレムが形成されているというジョークを真に受けるとも思えない。

 それはともかくとして、クラマは玄関先でメグルと雑談に興じた。2人は主にこの世界へ来た感想などを語り合う。

 

「こっちの生活にはもう慣れた? 僕は食べ物がどうしても慣れなくて、自分で料理覚えちゃったね~」

 

「わかる。ごはんとみそ汁が欲しくなるよね」

 

 などと、いい雰囲気で語り合っていると……。

 

「………………………………」

 

 ……それを家の外、柱の陰からじっと見つめる影がひとつ。

 サクラである。

 サクラは談笑している2人を見て、思った。

 

 ――またクラマが女の人と仲良くなってる!

 

 衝撃に打ち震えていると、サクラの存在に気付いたクラマに声をかけられた。

 

「サクラー? そんなところに隠れてどうしたのさ」

 

「うえっ!? べっ、べべべべ別に隠れてないし!?」

 

 サクラは挙動不審な反応を示しながら姿を現した。

 そしてクラマの後ろに隠れるようにして、警戒心もあらわにメグルをじっと見上げる。

 

「……どちら様?」

 

「サクラには言ってなかったっけ? このまえダンジョンで会った地球人のメグル」

 

「このまえ会ったっていうか、前から知ってはいたけど」

 

「えっ!?」

 

 こちらの世界に来る前からの知り合いという衝撃の事実に、サクラは動転した。

 

「なにそれ!? ど、どどっ、どういうこと!?」

 

 クラマはサクラに2人の馴れ初めを語った。

 学校からの帰り、駅の線路に落ちたメグルをクラマが助けた時の事を。

 話し終わったクラマにメグルはぼそりと呟いた。

 

「……やっぱり覚えてたんじゃん」

 

「そういうわけでね! まあ知り合いっていっても、一度会っただけだからね!」

 

 強引に誤魔化すクラマだったが、サクラにその声は届いていなかった。

 ここにきて強力なライバル出現。

 メグルに対するサクラの警戒心は頂点に達していた。

 

 そんなサクラにメグルは言った。

 

「でもあの3人の他にも、こんな可愛い子もいたんだ。薄々思ってたけど、あなたってアレよね」

 

「――えっ、かわいい?」

 

 サクラが敏感に反応した。

 

「なによもう、いい人じゃない! ほらほら、こんな外で立ってないで、中に入って! パフィーの部屋にいるから、クラマはお茶淹れてきて!」

 

 一瞬で豹変する態度!

 サクラはメグルの腕をとって、家の中へと連れ込んでいく。

 クラマはそんなサクラの後ろ姿を眺めて呟いた。

 

「なんというちょろさ、そして行動力。これには一郎さんも父性に目覚めますわ。……ところでメグル、アレってなに?」

 

 メグルはサクラに引っ張られながら、クラマに顔を向ける。

 

「……言っていいの?」

 

「あ、嫌な予感がするから言わなくていいです」

 

 そのクラマの返事に対して、メグルはピッと人差し指でクラマを指して、言った。

 

「女たらし」

 

 メグルはサクラと一緒に家の中に消える。

 家の外でぽつんと取り残されたクラマは、ひとり呟いた。

 

「そんなことないよー?」

 

 その言葉に同意する者はおらず。

 ただ風だけが、彼の虚しい言葉を何処か遠くへ運び去る優しさを見せた。

 

 

 

 

 

 クラマがお茶を淹れてパフィーの部屋まで行くと、2人の話は盛り上がっていた。

 

「やっぱそう! そうでしょ!? どこにもないのよブリーチ! も~先っちょだけ色が変わったままだからおかしくて……」

 

「いいじゃん、かわいいよ」

 

「そっ、そう!? そっかな~」

 

「こっちの世界の人は髪を染めても、すぐ戻って意味ないらしいんだよね。まあ、私はそれよりパーマかけられないのがあれかな」

 

「えぇー!? もったいないよ! せっかくサラサラで綺麗なのに!」

 

 ……などと、異世界の不満で盛り上がる女子高生と女子中学生。

 

「お茶だよ~」

 

 そして、そんな空気にも臆せず突撃していくのがクラマという男である。

 小さな丸テーブルを囲んで、一同はお茶をすすった。

 そうしてサクラはカップから口を離して言う。

 

「うーん、お茶はパフィーのが一番ね。パフィーいないの?」

 

「今日は街の図書館に行ってるね」

 

「ふーん、勉強熱心ね~。あたしは本とか見るだけでダメ」

 

「眠くなるよね」

 

 うんうんと同意するクラマに、メグルは嫌疑の目を向ける。

 

「あなたは勉強できるから違うでしょ」

 

「え、そうなの!?」

 

 驚くサクラ。

 メグルはクラマを指さして言う。

 

「このひとの通ってた高校って都内でも有名な……」

 

「あ~っ! そういえばパフィーが作ったお茶菓子あったんだ~! サクラちょっと下から持ってきてくれないかな!?」

 

「え、なんで。自分で行ってよ」

 

 サクラに拒否されると、クラマは足を押さえて床を転げ回った!

 

「あぁ~、足が~、足が痛い~、けどサクラが言うならしょうがないか~、足が悪くなってもサクラの言う事ならな~」

 

「うっ……い、行くわよ! ちょっと待ってなさい!」

 

 渋々といった感じにサクラは席を立って階下へと向かった。

 サクラが部屋を出た後、まるで問題なさそうにすっくと立ち上がるクラマを、メグルは見上げて言う。

 

「……昔の話されるのは嫌なの?」

 

「そんなことないよ。ああそうだ、いいもの見せてあげる」

 

 と、クラマは鳥籠に入った緑色の小鳥、拘束されたフォーセッテを取り出してメグルに渡した。

 

「ンンンンンンン!」

 

「なにこれ? なんでこんな縛ってるの?」

 

「凶暴なんだそいつ。メグルにも反応してるから、やっぱり地球人が嫌いみたいだね」

 

「ンンンンンンン!」

 

 フォーセッテは狂ったようにメグルの手をつついているが、クチバシを覆う拘束具のおかげで無傷。

 メグルはフォーセッテを自分の目線に上げて、目を見つめる。

 

「怖くないよ……大丈夫だよ」

 

 優しくフォーセッテの頭を撫でるメグル。

 

「ンンンン……ンン……ン……」

 

 するとフォーセッテは徐々に目蓋を下げていき……やがてコトリと手のひらの上で転がった。

 

「……寝てる」

 

「かわいーじゃん」

 

 新たな生態の発見だった。

 その後、お茶菓子を持ってきたサクラと共に、しばらくジャパニーズトークに花を咲かせた。

 夕方近くになるとサクラは用事があるからと言って出ていき、メグルも自分の貸家に帰る。

 

 

 

 

 

「……で、松葉杖ついてる人が送っていくってのはどうなの?」

 

「いやあ、僕も外に出る用があったから」

 

「ふーん」

 

 自分達の貸家に戻るメグルを、クラマが送り届けていた。

 すると、その道の途中。横道から突然、人の群れが通り過ぎた!

 

「どいたどいた!」

 

「うわっ、とぉ!」

 

 クラマが道ばたに転倒した!

 通り過ぎたのは一様に同じ装備をした5人の集団。

 冒険者ギルドの救助隊だった。

 

「わりぃな兄ちゃん! 急いでるんでよ!」

 

 男たちはそれだけ言って走り去っていった。

 道の脇で尻もちをついたクラマに、メグルは手を差し伸べる。

 

「……大丈夫?」

 

「うん、ありがとう」

 

 メグルが手伝ってクラマを立たせる。

 クラマが立ち上がったところで、メグルは救助隊が通り過ぎた先を見つめて口を開いた。

 

「救助隊か……バコスとナメロトは、救助隊に入ろうかなって言ってるんだよね。なんか話してるのを聞いたら、救助隊は地下3階までしか行かなくていいとか言っててさ。実際は救助じゃなくて遺品回収しかやらないから、すっごい楽なんだって」

 

「らしいね」

 

 クラマも救助隊についてはいくらか話を聞いていた。

 どうやら救助隊はダンジョン地下3階まで進んだところで攻略を諦めた冒険者が、よくスカウトされるのだという。

 肩書きは冒険者ギルド職員となるので給料が良く、装備も支給されるので赤字になることがない。冒険者を引退する者にとっては人気の就職先であった。

 メグルは憂鬱そうにため息をついた。

 

「はぁ……また運量が溜まったらダンジョン行かなきゃいけないんだよね。私もダンジョン行くのやめたいけど、ケイラが反対してるし……」

 

「ケリケイラが? そうか……」

 

 メグルの言葉を聞いて、クラマは考えるそぶりをする。

 そんなクラマの反応にメグルは怪訝な顔をする。

 

「……どうかした?」

 

「ううん、なんでもないよ。僕もダンジョンに行くのはやめない方がいいと思う」

 

「ふーん……」

 

 理由なくダンジョンに行かないでいると、冒険者ギルドから罰金が課せられてしまう。

 過去にどうしてもダンジョンに行きたくない地球人が、ギルドに泣きついたという話はあるが……その地球人がどうなったかまでは、クラマがいくら調べても、誰も知る者はいなかった。

 

 そうこう話していると、メグル達の貸家に到着。

 

「じゃ、僕はここで」

 

「うん。送ってくれてありがとう。あんまり仲間を困らせないようにね」

 

「ハハハ、いや参ったね!」

 

 そうしてクラマと別れて貸家の玄関から中に入ったメグル。

 それを出迎えたケリケイラは、持っていた荷物を放り出してメグルのもとに駆け寄った!

 

「だだだだ、大丈夫でしたかヒメ!? クラマさんと2人きりになったりしませんでした!?」

 

「ヒメじゃない。なんでそんな慌ててるの。2人きりになったけど何もなかったよ」

 

「そうですか……それは良かった」

 

 ほっと胸を撫で下ろすケリケイラ。

 その様子にメグルは首をかしげる。

 確かにメグルの目から見てもクラマは女たらしな所はあるが、ケリケイラの反応では、まるで女と見るや誰でも彼でも襲いかかる淫獣のような扱いだった。

 

「やっぱりクラマと何かあったの?」

 

「いえー……それは……あれ? ヒメ、なんか運量少なくないですかー?」

 

「え?」

 

 メグルが自分の札を確認すると、2000近くあったはずの運量が、ほぼゼロに近くなっていた。

 

「何に使ったんです?」

 

「あれ? 使ったかな……? んんー……?」

 

 思い返してみても、運量を使用した記憶はどこにもなかった。

 

「しょーがないですねー、次の探索の予定は後ろにずらしましょう」

 

「あ、うん……」

 

 どこか釈然としなかったが、探索までの日取りが伸びたことをメグルは喜んだ。

 

 

 

 

 

「ンンンンンンン!」

 

「あっ! こんな口枷つけて! かわいそう!」

 

 その日の夜。

 クラマと一緒に外から帰ってきたパフィーが、自分の部屋で拘束されたフォーセッテを見つけると、慌ててその拘束を解いた。

 

「ウェェェイ」

 

「いやあ、誰だろうねこんな事したの」

 

「クラマしかいないわ!」

 

「ヴェオオオオ!」

 

 隠す気のないクラマの白々しさを、パフィーとフォーセッテが揃って批難する。

 そこへイクスがひょっこりと顔を出してきた。

 

「クラマ。ご飯、まだ?」

 

「あっ、今行くよ」

 

「わたしも手伝うわ!」

 

 クラマとパフィーは1階に降りて台所に立った。

 ふたりは仲良く夕飯を作り、その後ろでイクスも無言で皿を用意する。

 しばらく経って料理が完成すると、自分の部屋にいた仲間を呼んだ。

 皿を並べているとサクラ達もやって来たので、一緒に食卓を囲む。

 

 その日の献立はチェーニャ鳥をメインに据えて、唐揚げに卵のスープ、それから鳥肉と卵焼き、焼きウォイブで野菜を挟んだハンバーガー風。

 

「はい、めしあがれ」

 

「めしあがれー!」

 

「あらー、おいしそうね~!」

 

 歓声があがって、皆が箸を進める。

 

「唐揚げは初めて作ったけど、どうかな」

 

「うんまぁ~い! ニニオソースが抜群に合うっスねぇ~!」

 

 大絶賛の次郎。

 皆口々に、美味しい美味しいと同意する。

 そんな中でイクスは一心不乱に食事へ集中していた。

 

「イクス、どう?」

 

 クラマの声にイクスはぴたっと手を止めて顔をあげた。

 そしてコクリと首を縦に振ると、再び食事に戻る。

 その姿は一生懸命に食べ物を頬張る小動物のようだった。

 その隣でサクラが不満を漏らす。

 

「唐揚げにはレモンでしょ。レモンないの?」

 

「ああ、代わりになりそうなのは一応あるよ」

 

「もー、最初にかけておいてよー」

 

 あ、これ渡しちゃ駄目なやつだ。とクラマは思った。

 

 

 

 

 

 歓談しながら和やかに食事は進んで、そうして食後。

 サクラ達は自分らの貸家に戻り、片付けを終えたリビングにはクラマとイエニア、パフィー、レイフ、イクスが残る。

 そこへ何処かから帰ってきたティアが顔を出した。

 

「遅くなりまして、申し訳ございません」

 

 ティアが到着したところで、会議が始まった。

 今回はイクスのパーティーについて詳しく聞くのが目的だ。

 イクスは皆に向けて語る。

 

「わたしたち3人は、ここに来る前から組んでたパーティーだった。初めて会った時は10人くらいの洞窟探索の募集で一緒になったんだけど、わたしたち3人だけが生き残って。そのあと、なんだかんだでパーティーを組むことになったの」

 

 大剣使いのトゥニスに、魔法使いのオルティ。

 とりわけリーダーのトゥニスは、相当な手練れだったという。

 

「感覚が鋭くて、トゥニスが不意打ちを受けてるのは、それまで見たことがなかった。本人は“敵意の動きが分かる”って言ってた。感覚派だから、理屈をこねるのが好きなオルティとはいつも喧嘩してたけど」

 

 そう言うイクスの口ぶりには、親しみが込められていた。

 

「ふたりとも生きてないかもしれないけど……生きてるなら助けたい。それを手伝ってくれるなら、なんでも協力する。……あと、あの地球人も」

 

「地球人はどんな人?」

 

 クラマが尋ねると、イクスはクラマを見上げて言った。

 

「クラマと似てる。同じくらいの歳の男で、名前はアンジ」

 

「アンジ……苗字は?」

 

「えっと……忘れた。ごめん」

 

「……何か特徴とかは? 背丈とか、体格とか」

 

 クラマの矢継ぎ早の質問に、イクスは数少ないアンジとの記憶を掘り起こす。

 

「……身長はクラマより少し高い。でもクラマより細かった。あと、特徴は…………すけべだった」

 

 その言葉に反応するイエニア、レイフ、そしてパフィー。

 

「あ、それはクラマと似てますね」

 

「そっくりじゃない。ねえ?」

 

「……地球人って、みんなすけべえなの?」

 

 突然の集中砲火を受けたクラマ。

 クラマはやおら立ち上がり、弁明に走る。

 

「ちょ、ちょちょちょ、ちょーっと待った! 僕はそこまでの変態ではないよ! 一緒にしてもらっては困る!」

 

「スケベとしか言ってないのに。でもスケベだってこと自体は認めたみたいね」

 

「その件に関してコメントは控えさせていただくよ」

 

 クラマはキリッとした顔で椅子に座り直した。

 場が混迷としてきたところで、イエニアが仕切り直す。

 

「後は当時の状況を、可能な限り詳しく教えてもらえますか?」

 

 言われてイクスは覚えている限りを話した。

 イクスが語り終えた後……

 

「……分かりました。それでは、私たちはその3人の救出を手伝う。そしてイクスは私たちの探索を手伝う。という事で、皆さんいいでしょうか」

 

 全員が頷く。

 クラマは表情に不安げな色の残るイクスへと、力強く告げた。

 

「大丈夫、絶対に助けるから。僕に任せて」

 

 まっすぐに見据える真剣な眼差し。

 イクスは半ば諦めかけていたが、クラマのその言葉に、希望が湧き上がるような気がしていた。

 クラマを見上げていたイクスは、俯いて言う。

 希望とともに湧き出た涙を隠すために。

 

「……うん。ありがとう……」

 



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第30話

 相も変わらず晴れ晴れとした、アギーバの街の昼下がり。

 クラマは今、貸家近くの空き地にいた。

 ここは普段、クラマとイエニアが鍛錬をしている場所である。

 そこに今日はひとり、普段と違う人物がいた。

 

「よぉーし、準備はいいな?」

 

 セサイルだ。

 彼は刃を潰した模擬刀を二本、両手に携えている。

 

「ええ、いつでも構いません」

 

 答えるのはイエニア。

 これから彼ら2人による手合わせが始まる。

 クラマは少し離れた場所に座って、その様子を見守っていた。

 

 事の発端は、クラマの付き添いでイエニアが納骨亭に顔を出したことだった。

 もう松葉杖も不要なほどに回復し、付き添いは必要ないとクラマは言ったのだが、イエニアは頑として譲らなかった。

 そんなわけでイエニアを伴い納骨亭へと入ったクラマは、いつも通りに入り浸っていたセサイルを発見。

 そしていつも通りにしつこく教えを請うたクラマ。

 そこでセサイルは、これ以上教えて欲しければ授業料としてイエニアと手合わせをさせろと言い出したのだ。

 イエニアもこれを受け、今に至る。

 

「突然の不躾な申し出、快く応じられたことに感謝する。過ぎ去りし勇名なれど、今は亡きソウェナ王国へと、我が剣の誉れを捧げん。……てなわけで……いくぜ?」

 

「ええ。ラーウェイブ王国騎士団の名のもとに、パウィダ・ヴォウ=イエニア、参ります!」

 

 互いの名乗りを開始の合図として、試合が始まった。

 

 まずは挨拶とばかりに、真正面から刃が衝突する!

 響く金属音。傍目にも分かる強烈な衝撃。

 初撃は互いに譲らぬ、互角の立ち会いだった。

 そして二度、三度、四度。

 繰り返すうちに、次第に2人の対決の構図が浮き出てきた。

 双剣のセサイルは角度と方向を変えて、手数をもって攻める。

 対するイエニアは剣で弾き、弾けないものは盾で止め、相手の体勢が崩れるカウンターの機会を待つ。

 奔る剣閃、舞い散る火花。

 十合、二十合と続けるうちに、やがてクラマの目にも、形勢の傾きが見え始めた。

 

「くっ……!」

 

「どうした、まだまだ行くぜ!!」

 

 押しているのはセサイル。

 押されているのはイエニアだ。

 

 カウンター狙いとはいえイエニアも最初のうちは剣による反撃や、攻撃のための踏み込みも見せていたのだが……それが徐々に少なくなっていく。

 攻めの姿勢を見せることで生まれる双方の隙。そこから派生する読み合いで、どちらの技量が上かを測る戦いのプロセス。

 しかし実力差があれば、そこへ辿り着く以前に圧殺されることとなる。

 今の2人の状態が、まさにそれだ。

 

「そろそろ終わりにするか。――おらぁっ!」

 

 ×字に交差させた双剣の、猛烈な打ち下ろし。

 そのタイミング。

 それまで防戦一方だったイエニアは、思いきり前へと踏み込んだ!

 

「っぁぁああっ!!」

 

 渾身の盾アッパーが、宙を滑り落ちる双剣へと正面から打ち出される!

 

 ――ガァンッ!

 

「うおっ……!?」

 

 弾かれる双剣。

 上方向に弾かれた剣に引かれてセサイルの重心が上がる。

 隙だらけの体。

 待ちに待った好機、見逃すはずもない。

 すかさずイエニアは必殺の盾殴りを繰り出した!

 

 セサイルの眼前に迫る盾。

 それをセサイルは……両手で掴んだ。

 そのまま盾の勢いに逆らわずに後ろへのけぞりつつ、同時に片足をイエニアの太股の付け根に押し当て、掴んだ盾をひねって後ろへ投げ飛ばす!

 

 ――巴投げ。

 

 ガシャン! と背中から地面に落ちるイエニア。

 

「っ――は……!」

 

 衝撃に息が詰まる。

 イエニアが起き上がろうとする前に……カン、と鎧の胸部で音が鳴る。

 セサイルの剣に叩かれる音だった。

 その気になればどこでも斬れたという合図。

 それが、試合終了のゴングの代わりとなった。

 

 はぁー、っとイエニアは大きく息をついた。

 

「参りました」

 

「おう、お疲れさん。付き合ってくれてありがとよ」

 

 ゆっくりと体を起こすイエニア。

 パチパチパチ……と横からクラマの拍手が鳴った。

 

「いやあ、惜しかったねー」

 

 そんなクラマの言葉に対して、イエニアは困ったような顔をした。

 

「ありがとうございます。でも実際は軽くあしらわれたようなものです。最後のあれも、誘いだったのでしょう?」

 

 イエニアはセサイルに目を向けた。

 セサイルは頷いて答える。

 

「まあな。アンタの守りがやけに堅いもんだからよ。……とはいえ、お互い様だろ? ラーウェイブの姫騎士といえば、黄金の鎧に漆黒の槍。比類なき槍使いと耳にしてる」

 

「……ダンジョン内では長い槍は不利になりますから。黒槍は置いてきました」

 

「なるほどな。残念だが、本気の手合わせはまた今度にするさ」

 

 そうして3人は納骨亭へと戻る。

 道中、とりとめのない雑談をしながら。

 

「しかし世の中、上には上がいるんだねえ。セサイルより強い人っているの?」

 

「さてな。だいたい、1対1で勝てる方が強いなんて事はねえよ。戦場じゃあ、自分と相手だけじゃなく、もっと広い目を持つ必要がある。このあたりはダンジョンでも同じ事だな」

 

 そう言うセサイル自身、1対1の試合よりも戦場やダンジョンを得意としていた。

 

「ダンジョンの師匠の話は説得力があるね!」

 

「オレは弟子にしたつもりはないんだがな……」

 

 現在、クラマの師匠はイエニア、パフィー、納骨亭のマスター、セサイルと4人もいる。

 師の多い男だった。

 クラマの節操のなさをイエニアが代わりに詫びる。

 

「うちの人がご迷惑をかけて申し訳ありません……ところで貴方のパーティーはダンジョンの何階まで進んでいるのですか?」

 

「あー……まぁ、5階まではひとりで潜ったけどよ」

 

「そうですか、5階……えっ!? ひとりで!?」

 

 イエニアは仰天する。

 しかしセサイルは自慢するでもなく、なんとも言いにくそうにしている。

 

「うちのパーティーは……ダンジョン向きじゃなくてな。まぁ……ギルドの斡旋なんて、そんなもんだろうけどよ。冒険も戦場も知らねえ引退した組み技格闘チャンピオンに、名場面に立ち会うのが目当ての吟遊詩人。極めつけに、召喚した地球人はペンより重いものを持ったことがないときた。……まぁ無理だわな。ギルドも攻略させる気ねぇし、とっくに攻略は諦めてる」

 

 一気に不満を垂れてくるセサイル。

 奔放なように見えて彼は彼で、なかなか溜め込んだものがあるようだった。

 

「なるほど……しかしそれなら、どうしていつまでもこの街に?」

 

 イエニアの言う事ももっともだった。

 さっさとパーティー解散して別の街に行く方が、セサイルにとっては良さそうに見える。

 

「……街の外に地球人を連れ出すのが禁止されてるからな」

 

「ひとりで行けばいいんじゃないの?」

 

 クラマの口から出た疑問。

 それに対してセサイルは眉根を寄せて、露骨に嫌そうな顔をして答えた。

 

「てめえの都合で地球人を喚び出しておいて、役に立たねえのが来たからトンズラ……ってのは、あまりに無責任すぎんだろうがよ。せめてこっちの世界で、ひとりでも生きていけるようにしてやらねえと……おい、なんだそのツラ。オレが何かおかしいこと言ったか?」

 

「んーにゃ。なんでもないにゃー。師匠はいい人だにゃー」

 

「なんだその口調は。バカにしてんのか? ええ、おい?」

 

 若いながらも義理堅い男、セサイル。

 かつては一軍の将だったという、彼の歴史が垣間見えた。

 

 そうこう話しているうちに、3人は納骨亭へ到着。

 店内に足を踏み入れると、朗々とした声が彼らを出迎えた。

 

「おお! 勇者セサイルよ! 麗しき騎士王女との決闘に、私を呼んで頂けないとは! ああ、ああ、今! 私の心は、地底湖よりも深い悲しみに打ち震えている……!」

 

 まるで歌劇でも始まったかのように芝居がかったセリフを吐く男。

 セサイルのパーティーメンバーのひとり、吟遊詩人のノウトニーである。

 生粋の芸術家を表す、紫の長髪と同じ色の瞳。

 ノウトニーはオカリナに似た涙滴状の楽器を取り出し、悲しげな曲を吹いてみせた。

 なお、彼の演奏は思わず聞き惚れるほどに上手く、それがまたなんとも腹立たしかった。

 

「お前がいると気が散るからだよバカ野郎」

 

「一理あります。しかし、ああ、ああ! そんな時のための我が魔法具! 思い出せないとは、悲しいまでの記憶力……!」

 

 などと大げさに嘆いてみせるノウトニー。

 そこへ横から別の声がかかる。

 

「ちょっとうるさいです。静かにしてもらえないすか」

 

 ノウトニーに苦情を入れたのは、一番奥のテーブルで紙にペンを走らせている女性。

 セサイルのパーティーに入れられた地球人女性だった。

 歳は30付近。髪はボサボサで、縁の大きな四角いメガネをかけている。

 化粧っ気は微塵もなく、サイズの合わないぶかぶかの服を着込んだ、見るからにインドア派の女性だった。

 そんな彼女の手元をクラマは覗き込む。

 

「マユミさーん、続き描けたー?」

 

「うぇ、だっ、からっ……描いてる途中はあんまり覗き込まないでって……!」

 

 マユミと呼ばれた女性は、慌ててテーブルの上を隠した!

 紙に描かれているのは、複数の分割線の中にいくつもの絵が描かれ、そこに言葉が入れられた、言葉と絵が融合された特殊な様式の芸術作品――要するに漫画。英語で言うとコミックであった。

 

「ごめんごめん、じゃあ代わりにこっちを……」

 

「わ、わあっ! そっちもだめっす……!」

 

 ちょっかいをかけるクラマに、ぎゃあぎゃあと騒いで反応するマユミ。

 なにやら親げな2人の様子を見て、イエニアは思った。

 

 ――またクラマが知らない人と仲良くなってる!

 

 本当に、少し目を離した隙に知らない誰かと仲良くなっている男であった。

 クラマは衝撃を受けているイエニアを手招きして呼び、マユミに紹介した。

 

「彼女が僕のパーティーメンバーのイエニア。ちょっと冗談を言うと朝まで説教が続くから気をつけてね!」

 

「初めまして。ラーウェイブ王国正騎士、パウィダ・ヴォウ=イエニアです、よろしく。そしてクラマには後で話があります」

 

 クラマはそっぽを向いて口笛を吹いた。

 イエニアが名乗ると彼女も答える。

 

「あ、ども。ヒラガ=マユミです」

 

 イエニアはマユミから、クラマと知り合った経緯を聞いた。

 マユミは日本にいた頃、漫画家を目指していたものの30を過ぎても連載が取れず、アンソロジーで数ページ掲載された程度。プロを目指すのをやめるべきかと日々悩んでいると……突然この世界へと召喚されたという。

 異世界に降り立って歓喜したのは一瞬だった。

 この世界の現実は厳しい。

 特にマユミは腰痛持ちのたるんだ体でダンジョンなど行けるわけもなく、宿屋に引きこもっていたとという。

 

「――ってセサイルから聞いて、行ってみたんだ」

 

「コッチはいい迷惑でしたよ。……まあ、やる事もなかったからいいんすけど」

 

 強引に部屋へ入り込んだクラマに説得されて、マユミは少し前から外に出てくるようになったのだった。

 今では、この世界に漫画文化を普及するという目標を掲げて、この納骨亭の隅っこのテーブルを根城に活動している。

 

「なるほど。ところどころ分かりませんが、よく分かりました。つまりは、クラマがここでもご迷惑をおかけしたということで……」

 

「あれぇー? そういう話だったかな?」

 

「そーすねー。人の話を聞かない人っすからねー」

 

 集中的に批難され、クラマは異議を唱える。

 

「すぐ女の人は結託する! そういうのはよくないと思うなー! ねえノウトニー、そう思うよね?」

 

 そう言って、ノウトニーの肩にがっしりと腕を回したクラマ。

 

「ああ! かつてこれほどまでに説得力の欠如した言葉があったでしょうか!」

 

 ……そんなふうにクラマ達がとりとめのない話をしていると、カウンターの奥からマスターが口を出してくる。

 

「おい、てめえら。騒ぐのは構わんが注文もしろ。ここを何の店だと思ってやがる」

 

 はーい、と返事をして軽い食事を注文する。

 ちなみにセサイルは自分の話が出たところで、そそくさと店を退出していった。

 待つことしばし。

 やがてクラマ達のテーブルへ、看板娘のテフラが料理を運んできた。

 

「……焼きウォイブにボイシーとラインチのサラダです」

 

 ぷくーっと膨らんだ餅パン(ウォイブ)と、果物入りのサラダがテーブルに置かれる。

 盛りつけも綺麗で、いつも通りに食欲をそそる料理の数々だった。

 クラマはさっそく餅パンにかぶりつこうとする……が、そこでふと、テフラの様子がいつもと違って元気がないのに気がついた。

 

「テフラ、浮かない顔だね。何かあった?」

 

「そ、そうですか? いえ、まあ……」

 

 問われて言い淀むテフラ。

 少しの逡巡の後、彼女は口を開いた。

 

「実家が、なくなりそうなんです」

 



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第31話

 テフラは次のように語った。

 

 テフラの家は何世代も前から、この地でイルラユーヒの養殖業を営んできた。

 しかし今、その家が借金の取り立てによって奪われようとしている。

 その借金は当人がこさえたものではなかった。

 先日、賭場で借金をして大負けをした別の地元住民がいたのだが、テフラの父親がその連帯保証人になっていたのだという。

 そして借金を背負った住民が夜逃げをしたため、連帯保証人である彼女の父に支払いの義務が発生してしまったのだ。

 

「それは残念ですが、仕方ありませんね……保証人というのは、そういうものですので……」

 

「いいえ、違うんです! 父に聞くと、確かに賭場には付き添いで行ったけど、借用書にサインまではしてないって!」

 

 その話が本当ならば、文書の偽造ということになる。明確な犯罪だ。

 

「しかし筆跡が違えば無効となるはずですが」

 

「それが……間違いなく父の筆跡だったそうです。でも、父は絶対に書いていないと……」

 

「それは……」

 

 苦しい話だった。

 いくら当人が書いていないと言っても、そこに文書が存在する以上は、それが証拠だ。

 こうなってしまうと、どのような方法によって本物と思しきサインを作り上げたのか、その証拠をテフラの父の側から提出しなければならなくなる。

 重苦しい空気の中で、クラマが口を開いた。

 

「オノウェ調査で調べられないかな?」

 

 それに対してノウトニーが回答する。

 

「ああ、極めて残念ですが……ここでは無理でしょう。こればかりは一流の魔法使いであろうとも……。あるいは、そう……手元にその借用書と、手口の目星があれば話は別ですが」

 

「借用書はどこに……?」

 

 クラマがテフラに目を向ける。

 テフラは俯き気味に答えた。

 

「金貸しの人達が金庫に保管して、彼らに必要のある時にしか出さないそうです」

 

 空気がどんどん重くなっていく。

 聞けば聞くほど手詰まりだった。

 誰も口を開かなくなったところで、暗い空気を払拭するように、テフラがぱっと明るい声と笑顔で言った。

 

「すみませんでした、変なこと言ってしまって! 大丈夫ですよ、家がなくなっても働き口はありますから!」

 

 見るからに痛々しい空元気。

 テフラはクラマ達に頭を下げ、別の注文を取りに行った。

 その後、運ばれた料理を平らげると、クラマとイエニアも納骨亭を出た。

 クラマがわざわざ納骨亭に戻ったのは、これからマスターに料理を教わる予定だったのだが……。

 

「イエニア、先に家に戻……う」

 

 言いかけたところで、じーっと不機嫌な顔を近付けられる。

 

「行きたい場所があるなら言ってください、私もついて行きますから」

 

「……うい」

 

 

 

 そうして、その日は街中の様々な場所に足を運んで、聞き込みをして回った。

 すると予想以上に容易く話を聞くことができた。

 

「おう、その話かい! 最近になってやってきた悪徳高利貸しが、地元民から土地を巻き上げてるって話さね。いや気の毒だねえ、ヌアリさんとこも。アタシの知ってるだけで5軒目だよ! このまえ宿屋のリバリーが裁判を起こしたけど、負けちまってね。今は路地裏で残飯漁りしてるとか。アンタも金貸しには気をつけな! 隣のお嬢ちゃんとイイコトできなくなるよ!」

 

 クラマは市場のアピリンおばちゃんから話を聞いて、次は路地裏へ。

 そこで先の話にあったリバリーという男を見つけた。

 悪臭を放ってみすぼらしい布きれに身を包んだ男は、クラマが話しかけても無視を決め込んでいたが、近くで買った串焼きを渡すと饒舌に語り出した。

 

「奴らは裁判の当日まで借用書を外に出したりしない。そこで裁判の当日にオノウェ調査をしろって言っても、裁判所は用意しちゃくれねえ。俺は冒険者ギルドの紹介で用意したが……くそっ、あの役立たずのデカ女が! そいつの名前? ケリケイラってやつだよ」

 

 クラマはリバリーに礼を言うと、路地裏を出てメグル達の貸家へ向かう。

 しかし都合の悪いことに留守であった。

 代わりにクラマは、話の中で出てきた冒険者ギルドへと足を運ぶ。

 クラマは受付のリーニオから話を聞いた。

 

「裁判への魔法使いの紹介ですか? ええ、そういうこともありますけど……私が選んで紹介しているわけじゃないので、正直あまり詳しくは。ええ、魔法使いにも得意不得意がありますから。ですので魔法使いの紹介は、地球人召喚施設長のディーザ様の指定になりますね」

 

 冒険者ギルドからはそんな話を聞くことができた。

 それからクラマは同じように保証人となって資産を奪われた人達へと、ひとりずつ会いに行く。

 すると、いくつかの共通点が浮き彫りになってきた。

 

・賭場に行ったのは、高利貸しから借金のある別の地元民に誘われたから。

・誘われる賭場は、いずれも同じ会員制の場所。

・賭けに負けて大損した本人は、全員が別の街へ移住。なぜか高利貸しも警察もそれをスルー。

 

「借金をギャンブルで返そうって話はよく聞くが、あいつはそういう奴じゃねぇんだ……誰よりも真面目に働いてよ、休憩時間にゃ毎日、子供と女房の自慢してきやがる……正直うざったかったけどよ……ひとに借金だけ押し付けて、何も言わずに消えちまうような奴じゃないはずなんだ……」

 

 保証人となって資産を奪われた者のひとりは、そのようなことを語った。

 そうして、聞き込みが一区切りしたところで、イエニアがクラマに告げる。

 

「この国の法では、利息はいくら高くても違法ではありません。合法ですから、堂々と取り立てることができます。当然、夜逃げしないように駅馬車には手配が届くはずです。しかし今回のケースでは、借金をした地元の方々はいずれも駅馬車を使って、別の街へ家族ごと移動している……これは不自然です。金貸しを生業とする者が、そんな不手際を何度もするとは思えません」

 

「うん。多分その時点で、既に借金がなくなってたんだろうね」

 

「借金がなくなっていた……?」

 

 妙な言い回しだ。

 借金が勝手になくなるはずがない。

 クラマは飛躍した話を、少し噛み砕いて説明する。

 

「なんで夜逃げするのに邪魔が入らなかったのか? って事の答えだね。借金があるなら金貸しは逃がさない。じゃあ金貸しが何もしないで逃がしたって事は……? 夜逃げした彼らには借金がないと解釈する他ないよね」

 

「ちょっと待ってください。それは……高利貸しと夜逃げした人達がグルだという事ですか?」

 

「……っていうことだろうね。グルというよりかは、たぶん取引かな。借金をチャラにして夜逃げを見逃す代わりに、他の地元住民を連帯保証人にする手伝いをしろ……ってところじゃないかな?」

 

「しかし連帯保証人のサインはしていないと」

 

「うん。だから偽造だろう。どうやってかは分からないけど……どう考えても怪しいのは、被害者全員が連れて行かれたっていうカジノだね」

 

 そういうわけで、クラマ達は問題の賭場のある繁華街へと足を運んだ。

 そこで聞き込みをすると、高利貸しの連中が件の賭場の裏口から入っていくのを見たという証言が出てきた。

 

「やっぱり高利貸しと賭場がグルっぽいね。証拠は何もないけど……」

 

 何か手がかりはないものかと、クラマ達がさらに聞き込みを続けていると……

 

「おお! よもやこのような場所で会おうとは! ああ、偶然とは時として運命の流れを感じるものです!」

 

 なんとノウトニーが現れた!

 彼は芝居がかった身振り手振りを混じえて続ける。

 

「おおっと! いや、私としたことが! 夜の繁華街を並び歩く男女に声をかけてしまうとは! いいや、申し訳ない! これは無教養な盾持ちのごとき野暮! 不躾の極み!」

 

「いやあ、そう見える?」

 

「違いますから! 今日は別の用事で来ています」

 

「フフフ、いや失礼。ちょっとした冗談ですとも、ええ。貴方達も聞き込みでしょう? 例の悪徳高利貸しの件についてを……ね」

 

 どうやらノウトニーもクラマ達と同じように、あれから調査していたようだった。

 丁度いいので互いに情報を交換する。

 クラマ達の話を聞いたノウトニーは、のけぞって驚きを露わにした。

 

「これはこれは……わずか半日でよくぞそこまで調べ上げたものです。私など、声をかけただけでおおよそ立ち去られてしまうというのに! ああ、なぜなのか!」

 

 さもありなん。というクラマの感想であった。

 

「私から差し上げられる情報といえば、ひとつしかありません。例の高利貸しが会員制の高級賭場に出入りしているという話ですが……どうやら彼らは賭場の金庫に書類を保管しているようです」

 

 賭場の金庫ならば、それは警備に関しては信頼できる。

 

「賢いですね。賭場と繋がりがあって使用できるなら、事務所に置くよりも遥かに安全でしょう」

 

「そのぶん、やましいことがありそうな……って感じだけどね」

 

 そうして情報を得たクラマ達は、ノウトニーと別れた。

 

 

 

 

 

 そうして目ぼしい場所からの情報収集を終えたクラマ達。

 その頃には既に夜も深くなってきていた。

 貸家に戻る前に、クラマは最後にテフラの家に向かった。

 以前、クラマ達が冒険者を脅かすためにイルラユーヒを使った関係で、テフラの両親とは面識がある。

 

 テフラの父・ヌアリは玄関先の、イルラユーヒの飼育小屋の前にいた。

 彼はやってきたクラマに気がつくと、人の良さそうな微笑みを浮かべたが……その顔には憔悴の色が濃く浮き出ていた。

 テフラの両親は日本語を話せない。

 この街では地球人相手の商売が多いので多くの人達が話せるが、この世界全体としては、日本語を扱えるのは人口の3割程度である。

 

 今はイエニアがいるので通訳は可能だ。

 しかしクラマはカタコトの現地語で、身振り手振りを合わせて彼と会話した。

 

 彼は絶対に自分は借用書にサインをしていない! と強く主張しながらも、家族に申し訳ないと悔やんでいた。

 彼も賭場と高利貸しの噂は聞いていたものの、子供の頃からこの街で生まれ育った幼馴染の誘いは断れず、ついて行ってしまったという。

 クラマは彼の背中に手を回して慰めながら、ひとつだけ確認した。賭場の会員登録の際に自分の名前を書いた事を。

 

 

 

 

 

 テフラの家を離れて、クラマとイエニアの2人はようやく貸家への帰り道を進む。

 静かな仄暗い夜道を奏でる2人の足音。

 しばらく無言で並び歩く2人だが、やがてイエニアが口を開いた。

 

「……状況から考えれば、賭場と高利貸しが裏で繋がっていると見てほぼ間違いないでしょう」

 

「そうだね」

 

「しかしこの件はギルドも……いや、行政すら裏で噛んでいる可能性があります。この街の賭場や金貸しは、いずれも評議会議長ヒウゥースの傘下にありますから……」

 

 ギルドや行政が絡んでいるかどうかは、あくまで可能性であり想像の域を出ない。

 だが可能性の段階であっても、クラマ達にとってはこの件に関わること自体が大きなリスクとなる。

 

「クラマ……」

 

「うん、わかってるよ。みんなを巻き込めないからね」

 

 そう言って、クラマはイエニアに微笑みかけた。

 イエニアは何も返すことができない。

 それからは家に着くまで何も言わないまま、2人は道を歩いた。

 

 

 

 

 

 夕食を終えて、深夜。

 人も街も、もうじき眠りにつこうという頃。

 住宅街の外れにある小さな貸し倉庫で、ティアが着替えをしていた。

 ここはクラマ達のパーティーとは別に、ティアが独自に借りている隠れ家。いわゆるセーフハウスであった。

 中は簡素なもので、食料と毛布、後は壁に立てかけられた槍と盾くらいしかない。

 普段のメイド服から黒を基調とした動きやすいパンツルックへと着替えたところで、入口からノック。そして返事を待たずに扉が開く。

 振り返るティア。

 そこに立っていたのはクラマだった。

 

「やあ、話があるんだ」

 

「……クラマ様」

 

 なぜこの場所を、などとは聞かなかった。

 街中に親しい知人のいるクラマなら、この場所を探り当てることなど容易い事だろう。

 ティアは無言で頷き、招き入れる。

 狭くて暗い小屋の中で、クラマの持ち込んだ計画に耳を傾けた。

 

 暗い小屋の中でティアに向けて語るクラマ。

 テフラの両親を助けたいという事。

 しかし聞き込みによる情報収集は手詰まりで、これ以上は借用書を入手して、直接調査する他ないという事。

 そのために高級賭場の金庫から借用書を盗み出す計画、その概要。

 クラマの計画を最後まで話を聞いたティアは、しばし目を閉じて黙考し……目蓋を開くと同時に告げた。

 

「クラマ様、それは我々にとってあまりにリスクが大きく、それに見合うメリットが見当たりません。我々には、何をおいてもやらなければならない使命がございます。そのような危険を冒すことはできません」

 

 ティアはこの提案を拒否。

 冷徹かつ非情な言葉。

 しかしイエニアの従者という立場からすれば、至極真っ当な答えであった。

 クラマはそんなティアへと静かに尋ねる。

 

「使命……っていうのは、イエニアのお母さんのために薬を手に入れること?」

 

「はい」

 

「そっか……」

 

 クラマは顎に親指と人差し指をあてて、考える仕草をした。

 

「……聞いた話だと、イエニアのお母さんは心の病らしいね。でも《奇跡の薬》っていうのは微生物の発育を阻害する薬品……多分これは抗生物質かな。この薬じゃ治せないはずなんだけど」

 

 その言葉にティアが息を呑む。

 目を見開いてクラマを凝視するティア。

 彼女は見つめるだけで言葉を返すことができない。

 その無言は、クラマの言葉に対する肯定を表していた。

 つまり自分達の嘘を認めたという事である。

 

 イエニアの母親に関しては、クラマが先日ヒウゥースと会った際、イエニアが画家のアトリエに入った時にヒウゥースから聞き出していた。

 奇跡の薬に関しては簡単で、ニーオに尋ねたら詳しく教えてくれた。

 

 クラマはパフィーの嘘に関しても、すでに裏を取っていた。

 パフィーは師匠が殺されて《真実の石》を探していると言ったが、彼女の師匠は生きている。

 パフィーの師である《イードの森の魔女グンシー》は“三大魔法使い”と呼ばれるほどの有名な人物で、つい先日グンシーに会ったという冒険者がいた。

 また、《真実の石》とは魔法のアイテムを指す言葉ではなく、グンシーのさらに師である《陽だまりの賢者》が弟子たちに禁止した、地質学的調査のことを指す。

 

 いずれもきちんと調べれば判明してしまう程度の簡単な嘘だが……この世界の歩き方も知らない地球人が、ダンジョン探索と並行してそこまで調べるとは思わなかったのだろう。クラマはそう想像した。

 ……おそらく短い付き合いになる、という見通しもあったのだろう。

 長いダンジョン探索の中で間違いが起きずに、一度目のトライで最奥まで行ける可能性は低い。

 地球人が死ねば再召喚できるのだから、地球人を犠牲にしてでも自分達はなんとか生き延び、ダンジョンの作りを覚えて何度も挑戦するのが正道のはずだ。

 込み入った嘘をつく気にならないのも頷ける。

 

 ただ、レイフの言葉からは、今のところ何も嘘が見つかっていないのだが。

 

「事情があるんだろうから、そこを問い詰める気はないよ。でも君たちが目的のために僕を利用するのなら、僕の目的にも付き合ってくれるのがフェアなはずだ」

 

 黙り込んだままのティアに、畳みかけるように言う。

 これは交渉だ。

 クラマは己のカードを切った。

 対するティアは……

 

「……今まで嘘をついていた事は、誠に申し訳ございません」

 

 彼女は深く頭を下げて、謝罪した。

 そして、告げる。

 

「しかし、彼女たちを巻き込むことは承服できかねます。ただ……」

 

 ティアはそこで一呼吸を置いた。

 その表情は動きが少なく感情が分かりにくいが……少し迷っているように、クラマには見えた。

 そうしてティアは告げる。

 

「彼女たちへと類が及ばない限りは、貴方が独自に動くことには目を瞑ります」

 

 クラマはティアの目を見る。

 彼女は微動だにせず、彫像のように固い眼差しで見つめ返してきた。

 

 ――ティアらしくない。

 クラマはそう思った。

 なぜなら、この回答は答えとして成り立っていない。

 クラマがどう動こうが、そんなことは元からティアに制限される謂れなどないのだ。

 

 クラマは裏の意味を考える。

 相手にメリットを提示しない交渉。

 これはすなわち、ここが妥協できないラインであり、踏み越えれば実行力を行使するという事だ。

 

 つまり、とてもとても乱暴で端的な言い方をしてしまえば、

「お前が勝手に死ぬのは構わない。彼女たちを巻き込むなら、お前を殺す」

 ……という事だ。

 

 視線が――互いの思惑を乗せて――交錯する。

 その繋がりを先に外したのはクラマだった。

 目蓋を閉じて頷き、ティアに向き直る。

 

「分かった。みんなは巻き込まないよ。これでいいかな?」

 

 そこにはいつもの通りに、優しい顔をしたクラマがいた。

 ティアはもう一度、頭を下げる。

 

「ありがとうございます。ご希望に添えず、申し訳ございません」

 

「ううん、いいよ。大丈夫……気にしてないから」

 

 そうして、クラマはティアに背を向けた。

 

「じゃあ――おやすみ」

 

「お休みなさいませ、クラマ様」

 

 パタン、と扉が閉じる。

 暗く、何もない小屋の中。

 流れ込んだ静寂が隙き間なく満たしていく。

 

 

 

 暗い小屋の中でひとり。

 聞こえるのは自分の呼吸と、衣擦れの音だけ。

 ティアはこれほどの静けさを感じたことは、今までになかった。

 

 本来はこれから外に出て色々なことを調査する予定だったが……なぜだか、この小屋から外に出る気がしなかった。

 仕方なくティアは一つだけある椅子に腰かけた。

 

 目を閉じ、思い出す。

 自分がここにいる理由。

 自分の信じる正しさを。

 

 

 ――使命がある。

 

 

 王命ではない。

 王の反対を振り切って、2人はこの地にやってきた。

 道中で樹海に立ち寄り魔女の愛弟子を借り受けた。

 それは、およそ不可能と思える困難な目的のために。

 

 突破口を探して様々な場所に忍び込み、情報を集めてきた。

 しかし乗り越えるべき障害は高く、手がかかる気配もない。

 

 そこへ楔が打ち込まれた。

 

 使い捨てにと考えていた地球人。

 クラマという予定外の要素によって、遥か遠くにあった目的地への道が開けつつある。

 しかしクラマという存在は劇薬であった。

 閉塞した状況を一気に進めると同時に、全て御破算にする危険性を孕んだ男。

 

 ……ここで切るべきだ。

 今の自分が執るべき行動。

 目的を果たすための最善。

 手が汚れる覚悟は、とうの昔にしている。

 

 ……しかし。

 

 ぎゅっと目を閉じ、思い出す。

 自分が抱く使命は何だった?

 自分はかつてどう思い、どう生きようと決めたのか。

 

 

 

 

 

「正しきを成せ」

 

 それは、幼い頃に読んだ建国王の英雄譚。

 

 ラーウェイブの建国王は、どんな時でも盾を手放さず、全ての力なき人々の盾となり、草木のような優しさと危険を恐れぬ勇気をもって人々から慕われた、理想の英雄だった。

 しかしただひとり、建国王のすることに、いつも異を唱える者がいる。

 王の幼馴染である女騎士、ヴィルスーロだった。

 彼女はほとんどの逸話で王に難癖をつけては失敗を繰り返す、懲りないトラブルメーカーとして描かれる。

 だが、ヴィルスーロのする事には信念がある。彼女には己の信じる正しさがあると、いくつもの英雄譚を紐解き、気付いたのだ。

 ヴィルスーロは潔癖だった。虐げられる者がいるなら、今すぐにでも動くべき。誰も行かないのなら自分ひとりでも。

 その時も同じ。建国王の反対を振り切って、隣国との国境線へと単身飛び込んだ。

 だがそこは微妙な中立地帯であり、貴重な鉱物の産出地であり、繊細な外交によって統治権の交渉を進めている最中であった。

 隣国は強国。王は、民を巻き込む争いを起こしたくなかった。

 王は葛藤した。

 そのとき、王の師である養父が告げた。

 

「お前が盾を取ったのは、誰を守るためだった」

 

 ……と。

 そう、幼少の頃に王が初めて盾を持ち、敵に立ち向かったのは、幼馴染のヴィルスーロを大熊から守るためだった。

 王は決断し、騎士団を率いて国境線へと向かった。

 虐げられていた民は救い出された。

 ……ヴィルスーロの高潔な魂と引き換えに。

 

 幼馴染の亡骸を抱えて王都へ帰還した王は、自らの手で手厚く葬り、その上にヴィルスーロの像を建てることを命じた。

 王はその材質に、切っても叩いても決して壊れず、火に熔けず、水にも錆びない、永遠にその姿を保ち続ける金属を指定した。

 その難題に陽だまりの賢者ヨールンが応えて、現代でも最高の硬度を誇る金属、ユユウワシホが開発された。

 

 ヴィルスーロの像は今でも王城の正門にある。

 その台座には、こう刻まれている。

 

「正しきを成せ」

 

 

 

 

 

 ティアは考える。

 自分はヴィルスーロになっても構わないという思いで、この街へとやって来た。

 今も己の信じる正しさのために、全力を尽くしている。

 

 ……しかし。

 

 今の自分はヴィルスーロなのか。

 それとも、ヴィルスーロに反対した建国王なのだろうか……?

 



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第32話

 クラマは丸一日かけて準備を行い、そして深夜。

 作戦決行の時はすぐにやって来た。

 

 ターゲットは冒険者ギルドやヒウゥース邸に並ぶ程の豪奢な建築物……会員制高級賭場『天国の扉』、その3階金庫室に保管されている借用書である。

 改めて外から見ると非常に大きな建物で、ざっと敷地面積は東京ドーム1個分。

 真夜中だというのに数多くの照明と反射材によって、きらきらと光り輝いている。

 繁華街に賭場はいくつかあるが、この賭場が最も派手で、最も大きく賭けることができた。

 その代わり新たに会員となるには、既存の会員の紹介に加えて、住民票や冒険者ギルド登録証などの身分証の提示が必要になる。

 

 そんな賭場の裏口に、3人の黒ずくめの男たちがいた。

 クラマ、次郎、三郎である。

 それぞれ真っ黒の服に、覆面で顔を隠している。

 3人は植木の中に隠れ潜み、息を潜めて警備員が過ぎ去るのを待つ。

 警備員の姿が見えなくなったところで、クラマは口を開いた。

 

「さあ、ミッションスタートだ」

 

 その言葉を皮切りに、植木の中から躍り出る3人の男たち!

 素早く壁の前に来た3人は、まず三郎が四つん這いになって土台となり、クラマがその上に立って、クラマに肩車をされた次郎が通気口の蓋を取り外す。

 人ひとりがなんとか通れる穴。

 3人はダンジョンよりも遥かに暗くて狭い穴を、ねずみのように這いずって侵入した。

 

 3人の先頭を進むのはクラマ。

 クラマは建築を請け負った地元の業者から、間取り図と空調換気設備図を入手し、潜入ルートを頭に叩き込んでいた。

 頭の中にある地図を頼りに、ずりずりと這い進む。

 やがて前方に光が見える。

 出口となる穴の先へと辿り着いたクラマは、極力顔を出さないように外を覗き込んだ。

 

 そこは賭場の中央ホール。

 きらびやかな装飾の中を大勢の人達で賑わっていた。

 非常に広く、天井が高く、開放的なホール。

 クラマがいるのはその上方。

 天井近くにある壁穴の中であった。

 

 配置は完了。

 後は静かにその時を待つ……。

 

 

 

 

 

 高級賭場『天国の扉』は、本日も盛況であった。

 ここには現地の住人、冒険者、他の街から立ち寄った資産家など、様々な人が訪れるが、奥のVIPルームと中央ホールで客層が切り分けられていた。

 中央ホールでは現地民と冒険者が様々な賭け事に興じている。

 そこでは広いホールの中にディーラーが複数いて、客がやりたいギャンブルを選ぶことができる形だ。

 その日も人々は皆それぞれに、勝った負けたと言って盛り上がっていた。

 そんな時……

 

「ちょっとお待ちよ! そりゃイカサマじゃないかい!?」

 

 ホール中央で大音量が響き渡る。

 突如として声をあげたのは、恰幅のいい中年女性――市場で野菜を売っているアピリンおばちゃんだ。

 嫌疑をかけられたディーラーは、笑顔を崩さずなだめる。

 

「そのような事はございません。落ち着いてよく……」

 

「いいや、アタシの目が黄色いうちは誤魔化せないね! 知ってんだよ、アンタらがアタシら現地の人間からボッてるのはね!」

 

 不穏なことを騒ぎ出した客に対して、警備員が反応する。

 しかし警備員が動くより先に、すぐ近くにいた客が叫んだ。

 

「おっ、おれも聞いたぞ! この賭場が金貸しとグルだって話!」

 

「わしも知っとるぞ!」

 

「なにぃ! どういうことだ!?」

 

 周囲にいた人達が口々に賛同し始める。

 どよめきが波紋となってホール内に広まっていった。

 

 ディーラーは警備員に目配せをする。

 頷いた警備員は動き出した。

 負けが込んだ客が騒ぎ出すなど、彼らにとって日常茶飯事に過ぎない。

 営業を妨害する客は、すみやかにご退場願うまで。

 だが……

 

「おおっと! すまねぇ手が滑った!」

 

 なみなみと酒の入った陶器が床に落ち、破片と酒が周囲に広がる。

 その他にも……

 

「よし当たりだ! ……ん? なんだこの虫? どっから入って……あーっ! 俺のチップ!」

 

 別の場所では虫が大量発生して大騒ぎ。

 さらにまた別の場所では――

 

「あぁ~っ! あたしの指輪がないよ! ちょっとあんた、探しておくれ!」

 

 警備員に食ってかかる老婆。

 

「なっ……なんだこれは……」

 

 中央ホールのいたるところで同時に問題が発生。

 かつてない事態に、ディーラーと警備員は呆然となって周囲を見渡していた。

 

 

 

 

 

「なーんか中が騒がしいっすねー」

 

 一方その頃、正面入口ではマユミが会員登録をしていた。

 受付の女性が丁寧に答える。

 

「稀に騒ぎ出す方もいらっしゃいますが、すぐに警備員が対応いたしますので、ご安心ください。……さて、後はそちらにサインを」

 

 差し出された入会契約書を手に取るマユミ。

 そこへ酔っ払った男が近寄ってくる。

 その男は一郎だった。

 

「あぁ~飲みすぎたぁ~気持ちわる……うぇええええええええゲロゲロゲロ」

 

「ぎゃーっ!? 跳ねたぁー!?」

 

 慌てて受付が対応する。

 一郎を受付が介抱している間、奥から呼ばれたもうひとりの従業員がマユミの対応を行う。

 

「失礼しました。こちらの方で会員登録の続きを……」

 

「あれ? あー、スイマセン。契約書がどっか行っちゃったんすけど」

 

「あ、ではもう一枚お持ちします」

 

 

 

 

 

 ――賭場『天国の扉』の外。

 溢れる人混みの中、入会契約書をひらひらと掲げて眺めるノウトニーの姿があった。

 

「ああ! 語り部たる詩人が、自ら策に手を貸してしまうとは! このような事……しかし、ああ、しかし! ……たまには悪くない」

 

 ノウトニーは涙滴状の楽器を取り出して吹いた。

 

「しかし、しかし……警告はしましたが、今日は“彼”が警備に入っている日。はち合わせすることがなければいいのですが……果たして、どうなることやら」

 

 そう言ってノウトニーは、そびえ立つ『天国の扉』の外観を見上げた。

 

 

 

 

 

 騒然とした『天国の扉』中央ホール。

 どこから手を付けるべきか分からず固まっているディーラーと警備員たちのもとへ、支配人の男が駆けつけてきた。

 

「何をしている! お前たち、まずはVIPを2階にお連れしろ!」

 

 まだ年若い支配人だが、堂に入った風に毅然として指示を出していく。

 指示を受けてその場にいた警備員が、中央ホールにいる有力者を警護しながら誘導する。

 すると当然、ホールの事態を治めるための人手が不足する。

 

「おい、休憩室と裏から人を集めろ!」

 

 支配人の指示を受けて、警備員が走った。

 

 

 

 

 

 クラマの眼下、中央ホールでは阿鼻叫喚の騒ぎが繰り広げられている。

 

「よーし、きたね。2人とも行くよ!」

 

 この騒ぎに乗じて動く。

 まずクラマは運量を使用する!

 

「エグゼ・ティケ……僕らが向こう側に着くまで、誰も上を見上げないように」

 

 続いて魔法の詠唱。

 

「オクシオ・シド……サウォ・ヒシハ・セエス・レエダエ・タナハ・セエスナ……フレイニュード・アートニー」

 

 

> クラマ 心量:85 → 55(-30)

 

 

 クラマは宙に浮いたような感覚を覚える。

 これはイクスの魔法具の効果。

 貸家を出る前にイクスの部屋から拝借してきたものである。

 内部に空洞がある金属製の背中当て。魔法によってこの空洞内の空気を操り、外部の空気と融合させようとする。そうすることで背中当て内部の空気が外部へ向けて移動しようとして、結果的に浮力を得るという仕組みである。

 

 クラマはダクトの外へ躍り出た。

 そこから天井付近のパイプまで跳ぶ!

 コートの下に着込んだ背中当ての効果によって、クラマは羽根のように軽やかに跳躍。パイプを掴み、その上に乗った。

 それからクラマは銀の鞭を元いた場所へと伸ばす。

 伸ばされた鞭を掴んだ次郎を、続けて三郎を引き上げた。

 3人はパイプを伝って反対側の壁まで辿り着くと、再びダクトの中へ。

 

 

> クラマ 運量:10000 → 9663/10000(-337)

 

 

 狭いダクトをずりずりと這いずる。

 ねずみの真似事をしばらく続けて、一同はようやく廊下に出た。

 騒ぎの音は遠い。

 しかしホールの上空という無茶なショートカットをしたおかげで、目的地は近い。

 

「いやぁ~、キツイっスねぇ~、これは」

 

「落ちそうな気がしてキンタマ縮み上がったでござる」

 

「――しっ!」

 

 物音に気付いたクラマが2人を制止する。

 曲がり角の先から足音と人の話し声。

 音は3人の方へと近付いてきていた。

 クラマ達は顔を見合わせる。

 通気口に戻っている時間はない。3人は周囲を見渡して……大きめのダストボックスを発見した。

 

「おい急げ急げ! 女子トイレから煙が出てるってよ!」

 

「おれらも避難した方がいいんじゃねー?」

 

 話し声と足音はすぐそこまで来ている。

 3人は一も二もなくダストボックスに飛び込んだ!

 

「ぐえぇぇ~……狭すぎっス」

 

「だ、誰か拙者のタマ、タマを……あっ」

 

「しー、静かに」

 

 密着して息を潜める男3人。

 すぐ傍を数名の警備員が通り過ぎ……ようとしたところで、そのうちのひとりが立ち止まり、手にした木の容器をダストボックスへ投げ入れた。

 

「いでっ」

 

「……あん?」

 

 怪訝な顔をした警備員が近付いてくる。

 クラマは次郎の口を手で塞いだ。

 カツ、カツ、と近付いてくる足音。

 ドッドッドッと早鐘のような互いの心音が聞こえる。

 警備員はダストボックスを覗き込み……

 

「おい、急げって! 支配人にどやされるぞ!」

 

「あー、わかった、わかったって」

 

 警備員はどたどたと走り去っていった。

 危うく難を逃れたクラマ達。

 周囲から警備員がいなくなったところで、もそもそとダストボックスから這い出る。

 3人は残飯にまみれていた。

 

「ま~じ最悪っスね」

 

「……この世の地獄でござる」

 

 

> 次郎  心量:418 → 414/500(-4)

> 三郎  心量:352 → 334/500(-18)

 

 

 三郎は前かがみになって暗い顔をしていた。

 そこから逐一、三郎がオノウェ隠蔽しながら目的地へと進んでいく。

 

 

> 三郎  心量:334 → 246/500(-88)

 

 

 内部の警備は明らかに手薄になっていた。

 クラマ達は警備員と遭遇することなく、金庫室の前まで到着する。

 

 この世界においては、ダイヤル式の金庫というものに信用が置かれていない。

 なぜなら暗号などは魔法によって解読されてしまうからだ。「扉を開けるために必要な数字」などは、最もオノウェ調査が容易い部類の情報だ。

 故に必然として、金庫は人の手によって守らなければならない。

 

「……5人か」

 

 曲がり角から一瞬だけ覗き込んだクラマが呟く。

 案の定、武装した人間が金庫室の扉を守護していた。

 おそらくは専任の金庫番。

 どれだけ騒ぎたてようが、彼らがここを動くことはないだろう。

 ここだけはどうしても、打ち倒して突破する必要がある。

 クラマの背後で固唾を呑んで見守る次郎と三郎。

 ……彼らは戦力にならない。

 最初から「戦いは全部クラマひとりでやる」という話で連れて来ている。

 

 クラマは目を閉じて、息を整えた。

 ……敵の配置は記憶している。

 クラマは小声で詠唱を開始した。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー……ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ・イートウ……」

 

 金庫番の兵士がざわめき立つ。

 たとえ聞こえないほどの小声で呟いても、詠唱が始まれば周囲の第六次元(イテナウィウェ)に揺らぎが発生し、独特の振動波をもって感知されてしまう。

 しかし向こうが発生源を特定しようと、視線を巡らせる間に、こちらの詠唱は完了している。

 クラマは曲がり角から飛び出した!

 驚いた顔をする相手へと向かって、銀の鞭を奔らせる!

 宙を切り裂いて向かうのは一条の鞭……ではない。

 兵士へ向かったのは7つの線。

 銀の鞭の半ばから、取り付けられた6本の鉄線が枝分かれするように伸びていた。

 鞭が標的に届いた瞬間、クラマは懐からパフィーの胸当てを取り出して叫ぶ。

 

「ディスチャージ!」

 

 

> クラマ 心量:55 → 30(-25)

 

 

 ビクッ! と兵士たちが跳ねた。

 電撃に打たれた兵士たちは、体の自由を失ってばたばたと倒れていく。

 陳情句によるブーストなしなら、爪トカゲ(クリッグルーディブ)のように黒焦げになったりはしない。しばらく動けなくなる程度だ。

 

 だが、倒れたのは5人のうち3人だった。

 都合よく全員に鉄線が当たるほど固まってはいなかったのだ。

 

「なんだてめぇ!」

 

 言うが早いか、兵士のひとりは手にしたクロスボウをクラマに向けて発射した!

 時速250kmで飛来する矢。

 人間の反応では避けられるはずもない。

 クラマに出来ることは、相手が引き金を引く前から両腕を上げて首と頭を守ることだけだった。

 高速の鉄杭。

 それは躊躇なく容赦なく、クラマの胸に突き刺さった!

 

「――っ!」

 

 胸部の中心に矢の直撃を受けたクラマは、崩れる落ちるように、ゆっくりと前のめりに倒れ伏した。

 



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第33話

 倒れたクラマを見下ろし、兵士は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 

「ふん、強盗か。バカな野郎だ」

 

 その後ろで、もうひとりの兵士が倒れた仲間の肩をゆする。

 

「しかしどんな魔法を使いやがった? おい、お前ら大丈夫か?」

 

 ひとりが仲間を介抱している間に、クラマを撃った男が倒れたクラマの様子を窺う。

 男はクロスボウを構えたまま、うつ伏せになったクラマに近寄いていく。

 

「即死したか? 他に仲間がいるか吐かせたかったが……」

 

 男はクラマの体を仰向けにしようと足を伸ばす。

 

「オイまだ生きてるか――」

 

 ――その、伸ばした男の足がクラマの手に掴まれた。

 さらに次の瞬間、男はクラマに足をひねり込まれて転倒していた!

 

「っだ!? てっ、テメエなんで動け……!」

 

 それを言い終えるより先にクラマは男の背に乗り上げ、腕を掴んでねじり上げる!

 ごりっ、という音とともに、男の肩が外れる。

 

「あっ……ぐがぁぁぁあ!!」

 

 激痛に喉を震わす番兵の男。

 男の肩をクラマが外した時には、すでに奥にいた最後のひとりが異変に気付いて迫ってきていた。

 

「ってめえ、なにしてやがる……!」

 

 クラマが乗り上げた男から離れるよりも、迫ってくる兵士の剣が早い。

 打ち下ろされる白刃!

 クラマは避けられない! 男の剣をその身に受ける……!

 

 ……だが、クラマの体は斬れていない。

 男が振り下ろした刃はクラマの肩に当たって止まっていた。

 

「――ちっ! 何か着込んでやがるか……!」

 

 チェインメイルか何かを下に着ていると推察して、男は剣を引く。

 だが遅い。

 その時には既に、クラマの手が男の腕に伸びていた。

 刃を体で受けるのはクラマの予定通り。

 クラマは最初から避けようとせずに、男の振り下ろしと同時に、相手の腕を掴みに行っていた。

 クラマは両手で相手の腕を掴んだまま、相手の脇の下をくぐる。

 すると自然と、関節を極める形となった。

 勝負ありである。

 

 

 

 こうして残った番兵もクラマによって制圧された。

 クラマは倒れた5人に猿轡をして縛り上げると、待機している次郎と三郎を呼び込んだ。

 

「旦那ァ! 大丈夫なんスか?」

 

 次郎の言葉に、クラマはフッと笑った。

 

「このコートはダイモンジさん特製の防刃コートでね。あのくらいの攻撃は大丈夫……じゃないんだよなあコレ! いっっっったいんだけどマジでぇーーー!?」

 

 クラマはゴロゴロと地面をのたうち回る。

 確かに剣で斬れず、破れもしなかったが、衝撃まで遮断できるものではない。

 矢を受けた胸は強烈なパンチを受けたようで、剣を受けた肩は鉄の棒で殴られたのと一緒だった。

 

 なお、ダイモンジのコートはクラマの嗜好を反映して、白と黒のリバーシブルとなっていた。

 今は黒のコートだが、内側は白い。

 

「……まあ、それはそれとして急ごう。ここからは時間との勝負だ」

 

 クラマの指示により次郎は扉の鍵を開け、三郎はオノウェ隠蔽を行った。

 

 

> 三郎  心量:334 → 279/500(-55)

 

 

 その間にクラマは減少した心量の回復を図る。

 おもむろにポケットの中から布を取り出すと、覆面の上からそれを被った。

 穴の空いた三角形の布。

 パンツだ。

 それはパフィーのパンツであった。

 

 

> クラマ 心量:30 → 38(+8)

 

 

「心が……安らぐ……」

 

 クラマはパフィーの優しさに抱かれているような気がした。

 もちろん気のせいだった。

 このような事に使われる優しさは存在しない。

 しかしその気のせいによって回復されるのが心量というもの。

 クラマは寝ているパフィーの部屋から胸当てを拝借した際に、念のためにとタンスを漁って勝手に借り受けてきたのであった。

 ドロワーズの下にもパンツを穿くんだなあ、とクラマは感心したものだった。

 

 クラマは次にイエニアが着ていた水着のビキニとTバックショーツのセットを取り出した。

 それを繋げて首にかける。

 すると前掛けのような形となった。

 

 

> クラマ 心量:38 → 42(+4)

 

 

「……よし」

 

 だいぶ気力が戻ってきた。

 クラマはグッと拳を握る。

 地球人はこの世界の住人と違って心量を任意に回復できるのが便利ではあるが、このあたりが能動的な心量回復の限界だった。

 あらかじめ用意されたものでは大して回復しない。

 たくさん用意しても、連続して回復するのは2回が限度。

 3回目以降はほとんど回復しない。

 こうした能動的な回復は一時的なドーピングのようなもので、結局のところ心量回復に最も効果的なのは、時間をとって休むことであった。

 

 そのパンツドーピングを行っているクラマに、横から三郎が口を挟んだ。

 

「クラマ殿ばかり……羨ましいでござる」

 

「分かった。じゃあ三郎さんの報酬はこれで」

 

「できれば使用済みの新品が欲しいでござる……」

 

「使用済みの新品とは何ぞや」

 

 クラマと三郎が禅問答をしている間に次郎の解錠が終わり、金庫室の扉が開かれた。

 目的の金庫室へと足を踏み入れた3人。

 クラマは金庫室の中を見渡した。

 中はそれなりに広い。テニスコート3個分くらいはあった。

 中央には彫像や鎧などが置かれ、壁にはたくさんの棚。

 棚の中には宝石がびっしりと並んでいた。

 

「ウッヒョー! 宝の山だーっホホ~イ!」

 

 次郎が跳び上がって喜ぶ。

 が、今回の目的はお宝ではない。

 

「これは中を回って確認してられないね。三郎さん、探知できるかな?」

 

「無論。オノウェ調査において拙者の右に出る者はござらぬ気がする」

 

 自信のあるのかないのかよく分からない言葉だったが……果たして三郎は、見事に魔法で借用書が仕舞われている場所を特定してみせた。

 

 

> 三郎  心量:279 → 253/500(-26)

 

 

「ここでござる」

 

「ありがとう、三郎さん。……よし、あった。それじゃあ出ようか」

 

 そして金庫室を出る前に、ここでもオノウェ隠蔽を行っていく。

 

 

> 三郎  心量:253 → 212/500(-41)

 

 

 手早く目的を終えた3人は金庫室から出る。

 ……その前に、クラマは次郎に向かって手のひらを差し出した。

 

「はい、盗ったものを出して」

 

「うっ! す、少しくらいなら……ダメっスかね?」

 

「駄目なんだよなあ。ここばっかりは、どーしてもね。はい、靴の中に隠したのも出して。後でちゃんと報酬は出すからね」

 

「うう……盗んだ宝石を元に戻すのは、まるで身を切られるような思いっスねぇ……」

 

 そんなこんなで、仕事を終えた3人は金庫室を後にする。

 これでミッションはクリア。

 あとは脱出するだけだ。

 

 そうして3人が通路の曲がり角を曲がった時だった。

 通路の先。

 そこには仁王立ちで彼らを待ち受ける、ひとりの男の姿があった。

 

「やっぱりいやがったか。こういう所じゃ、表で騒いでるうちに裏から……って、コソ泥のする事は相場が決まってんだ」

 

 男はニヤリと笑みを浮かべる。

 大柄で、筋肉質で、スキンヘッドの男。

 クラマは見かけた事があった。セサイルのパーティーメンバーのひとり、元組み技格闘チャンピオンのベギゥフだった。

 クラマは作戦開始前にノウトニーが言っていたことを思い出す。

 

『間の悪いことに、今日は彼が警備に入っている日! 彼は請け負った仕事はどのような理由があろうと、絶対に投げ出さないという固い信念の持ち主! 融通といった言葉を彼方に投げ飛ばしている男です。事情を話したところで、彼の協力を得ることは不可能。ゆめゆめ、中で出遭わないよう気をつけてください』

 

 出遭ってしまった。

 脱出まであと一歩というところで。

 帰りは行きと違ってロープを使って窓から降りればいい。

 しかしそのためには、目の前の男をどうにかしなくてはならない。

 クラマは次郎と三郎に小声で告げる。

 

「……僕が足止めする。2人は先に逃げて」

 

 迷ったような様子を見せる次郎と三郎。

 

「大丈夫。ひとりの方が逃げやすいから」

 

 クラマが安心させるように言うと、次郎・三郎の両名は頷いた。

 

「よし……走って!」

 

 言うと同時にクラマは銀の鞭を振るう!

 伸びた鞭がベギゥフの腕に巻き付いた。

 その隙に次郎と三郎がベギゥフの横を通り過ぎようと走る。

 片腕に鞭が絡まった程度で動きが止まるわけではない。ベギゥフは2人に目を向けて……

 そこでクラマは唱える!

 

「オクシオ・ヴェウィデイー! ヤハア・ドゥバエ……」

 

 その瞬間、ベギゥフの体が爆発的に跳ねた!

 次郎と三郎に行きかけた視線をクラマに戻し、頭から突っ込むような低い姿勢で突撃してくる!

 まるで弾丸のようなタックル。

 一瞬でクラマの眼前に到達したベギゥフは、その勢いのままクラマを地面に押し倒す!

 

「っぐ……!」

 

 当然、クラマの詠唱も中断される。

 あっさりと他の2人を捨てて、魔法の詠唱を止めに来る。

 ベギゥフは対魔法使いの戦闘を心得ていた。

 

「……残りは逃げたか。薄情な仲間だなぁ、おい? こっちはひとり捕まえりゃいいから楽だけどよ」

 

 ベギゥフは倒れ込んだまま正面からクラマに抱きついている。

 その両腕はクラマの背中に回っており、クラマの両腕を封じている。

 クラマは拘束を解こうと、両腕に力を入れた。

 

「く……おぉぉぉぉっ……!」

 

 だが筋力に差がある。

 南京錠でもかけられたかのように、ベギゥフの拘束はびくともしない。

 

「頑張るねぇ、おれが離すと思ってんのか?」

 

 筋力・体重ともに負けているクラマが、完全にクラッチされてしまえば逃れる術はない。

 だが、完全ではなかった。

 2人の体の間にある銀の鞭によって、わずかな隙間ができている。

 ベギゥフはそれも含めて強く力を込める。

 クラマは左腕に渾身の力を振り絞った!

 

「お、あ、ああああああああ!!!」

 

「ちっ……!」

 

 クラマの左腕が拘束から引き抜かれる!

 そして、腕を引き抜いたそばからすぐに。

 まったく躊躇うことなくまっすぐに。

 クラマの左手の親指が、ベギゥフの目蓋に触れた。

 

「おぉっ!?」

 

 バッと体を離すベギゥフ。

 なんとか拘束から逃れたクラマは、荒い息を吐きながら立ち上がった。

 

「はー、はーっ……はーっ……!」

 

 息を整えながら、クラマはベギゥフに目を向ける。

 ベギゥフはすぐに襲いかかって来ることはなかった。

 しかし彼はその表情、身に纏う空気に変化が生じていた。

 まだベギゥフは構えてもいないというのに、その立ち姿から出る威圧感が増大している。

 

「……変態ヤローと思って気が緩んだか。おれの悪い癖だ。試合じゃねぇわな、これは」

 

 言って、ベギゥフはパンツを頭に被ったクラマを見据えた。

 ベギゥフの表情からは、最初にあった緩みが消えている。

 今やその瞳からは感情というものが感じられない。

 ただ、掴んだものを破壊するだけ。それ以外の思考を捨てた、機械じみた目。

 ベギゥフは、わずかに腰を落として構える。

 

「次は折るぜ。お前が動かなくなるまで」

 

 ――本気にさせてしまった。

 目を狙ったのは拘束から逃れるためとはいえ、その代償は大きい。

 2人の間には体格や力だけでなく、技量においても圧倒的な差があった。

 さらに言うなら、剣の一撃を受けた肩が先ほどからズキズキと痛む。

 せめて魔法を使えれば……というところだが、それを許す相手でないのは実証済みであった。

 

 万事休す。

 圧倒的窮地。

 そんなクラマの前に、颯爽と人影が現れた!

 

「そこまでよ!」

 

 そんな言葉とともに、ひとりの人物が高い天井から飛び降りてきた!

 ダンッ! と音をたてて、クラマとベギゥフの間に着地する。

 警戒するベギゥフ。

 

「なんだぁ? お前らの仲間か!?」

 

 クラマにも分からない。

 こんな伏兵は用意していない。

 突如として現れた人物に、クラマも目を向けた。

 

 ぴっちりした黒のボディスーツ。

 クラマは一瞬、男性かと思った。

 マスクで目元は隠れていたが、露出した金色の髪は男性としても短いくらいで、とても平坦な胸部をしていたからだ。

 しかしよく見れば全体的な体のラインと、それから先ほどの声から、その人物が女性だということは分かる。

 クラマはその姿を観察して……そして呟いた。

 

「……誰?」

 



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第34話

 ベギゥフの横を抜けて窓まで辿り着いた次郎と三郎。

 2人はその窓からロープを下ろして、建物の外に降りていく。

 先に次郎が地面に降りて、三郎を促す。

 

「ぃよっと! よォ~し、まだ警備員来てないな! 三郎、早く降りろ降りろ!」

 

「ヒ……ヒィ~……」

 

 三郎は怯えながらも、なんとかロープ一本で降りきった。

 

「うう……腕が……足も……ガクガクする……おれもうだめ……」

 

「ちゃんとござるって言え! キャラ守れ!」

 

 そんなふうにバタバタと夜の闇へと消えていく次郎と三郎。

 そうして建物の裏手には人の姿が消え、静寂が訪れる。

 するとそこへ小さな人影が現れる。

 その人影は次郎と三郎の2人が降りてきた窓の下へと歩いていき――

 

「オクシオ・オノウェ……ササシウィ・イーバイーボ・オノウェ・ウーヴォウ・チナエ・ニシイーツ……走って逃げたねずみたち。あしあと消すのは忘れたけれど、朝になったら霜の下。さあ、5つめの扉を開きましょう。――オクシオ・センプル」

 

 

> パフィー心量:441 → 407/500(-34)

 

 

 オノウェ隠蔽を行ったのはパフィーだった。

 そしてパフィーに続いて、物陰からイクスが歩いてきた。

 イクスはパフィーの前に来ると口を開く。

 

「……クラマは?」

 

「ううん、まだ出てこないみたい……」

 

 パフィーは不安げな顔で建物を見上げた。

 それを見てイクスが言う。

 

「わたしが行こうか?」

 

 次郎と三郎が下りたロープを伝えば、魔法具がなくてもイクスなら上がっていける。

 しかしパフィーは首を横に振った。

 

「だめよ。わたしたちは中に入ったらいけないって。オノウェ隠蔽も確実なものじゃないから……」

 

 それに対してイクスは怪訝な顔をする。

 

「なんで気付かれないように隠れて支援するの?」

 

「わたしも納得いかないわ! これじゃあ、クラマ達を使い捨ての駒にしてるみたい! ――どうなの、イエニア!?」

 

 パフィーは振り返って言う。背後のイエニアへと。

 イエニアの来た方向の植木の中には、ぐるぐるに縛られた警備員たちが転がされている。

 また、建物の正面側からは「金持ちを許すなー!」などと声高に叫ぶサクラの声が聞こえる。

 サクラに関しては、隠れて支援するという趣旨を理解しているのか不明であった。

 

 パフィーの眼差しを受けてイエニアが答える。

 

「はじめにパーティーを組んだ時に伝えた方針そのままです。あなたも納得したはず」

 

「でも! それじゃあクラマが……」

 

 パフィーは俯き、ぎゅっと自分のスカートを握る。

 それ以上は言葉が出てこなかった。

 そんなパフィーの様子を見ても、イエニアの表情は揺らがない。

 

「あの人なら大丈夫です。きっと」

 

 そう言って、彼女はそびえ立つ壁を見上げた。

 

 

 

 

 

 クラマは目の前に現れた謎の女とベギゥフの戦いに、目を見張っていた。

 見覚えのない女だったが、彼女はどうやらクラマを助けてくれるらしい。

 クラマの代わりに彼女がベギゥフと戦いを繰り広げていた。

 

「ふッ! はあっ!」

 

 女の戦いは拳闘スタイルだった。

 左の鋭いジャブ、フックでダメージを与えながら間合いを測る。

 ベギゥフは伸ばしてきた手を掴もうとするが……女の拳は想像以上に重く、速い。

 

「ちっ、結構痛えもんだな打撃ってのは」

 

 組み技を専門とするベギゥフは、打撃を受けた経験はそこまで多くない。

 その多くない経験の中で言うと、目の前の女の拳は過去の誰よりも鋭かった。

 

 ただし、威力はそれほどでもない。

 あくまで女にしては重くて強いという事。

 ならばダメージを覚悟で一気に詰めれば、と思うところだが……先程からほとんど使われていない右拳に、ベギゥフは不穏なものを感じていた。

 

 ベギゥフは何度も打たれた顔面の痛みが疼く。

 ほとんど手打ちの左ですら、芯まで届くこの威力。

 もし腰を入れた右をまともに受ければどうなるか――

 

 ベギゥフの口の端が釣り上がる。

 ……試してみたい。

 自分は避けられるのか。あるいは受けきれるのか。

 冒険者となってからは久しく感じていなかった、近い土台にいる強敵との闘争。

 ベギゥフの全身が震えた。

 それは、筋肉の歓喜であった。

 鍛えた肉体と技を存分に使える悦びが、ベギゥフの脳を支配する。

 その興奮が脳内物質の分泌を促し、肉体に刻まれた痛みを彼方へと追いやっていく――

 

 

 

 戦況は、一見すると一方的に殴っている女の優勢。

 しかしクラマの目には、互角の攻防に見えた。

 ベギゥフは組み技特化。その性質上、たった一度掴んでしまえば、その瞬間に勝負が決まる。

 むしろ攻めあぐねているのは女の方だった。

 大きく踏み込んで拳を放てば、腕を掴まれるか、懐に入られてしまう。

 自然、その打撃は牽制に留まり、「倒しきる一撃」が出せないのだ。

 

 これが通路でなくもっと広い場所だったなら。

 時間を長くかけても構わない状況だったなら。

 そう、時間をかければ向こうは応援が来る可能性がある。これは心理面で大きなファクターだった。

 

 ……自分が動くしかない。

 クラマはそう判断した。

 だが、あの2人の戦いには割って入れない。

 下手に近付けばベギゥフに掴まり、人質になって終わりだ。

 鞭での支援も、あれだけ動きが激しいと女に当たる可能性がある。

 

 クラマは思考を回転させる。

 今の自分に出来る最善の事。それは――

 

「オクシオ・シド! サウォ・ヒシハ・セエス・レエダエ・タナハ・セエスナ……!」

 

 魔法の詠唱!

 勿論その声は2人に届く。

 大きく反応したのは、ベギゥフの方だった。

 魔法の標的となるのは自分なのだから、警戒するのは当然だ。

 その足が止まり、クラマの方に目が行く。

 

「フレイニュード・アートニー!」

 

 

> クラマ 心量:42 → 12(-30)

 

 

 魔法を発動させる発動句。

 クラマがそれを唱えた瞬間、女が踏み込んだ!

 相手の意識がクラマの魔法に向いた今が好機……!

 これを逃がす手はない。

 全力で踏み込み。

 速度と体重を乗せて、温存した右拳を繰り出す!

 

「はあああああああああっ!!!」

 

 ベギゥフは女の踏み込みを見て、咄嗟に顎と頭部をガード。

 だが、女の狙いはそこではなかった。

 

 ――貫く衝撃。

 

 女の拳が、ベギゥフのがら空きの腹部に突き刺さる!

 

「く――お……っ!」

 

 鈍器で打たれたか、とベギゥフは錯覚した。

 それほどの衝撃がベギゥフの腹から背中までを突き抜ける。

 彼の瞳は眼球が飛び出すかというほどに見開かれ、全身が硬直する。

 

 その目が、ぎょろりと動いた。

 

 瞳孔が女に向けられる。

 ひきつるように、わずかに歪む口の端。

 

 ベギゥフは倒れなかった。

 鍛え上げられた腹筋、それだけではない。

 クラマの詠唱によって生じたベギゥフの隙……それは隙ではなかった。隙に見せかけた、誘い。

 ベギゥフの位置から詠唱は止められない、またベギゥフには魔法の効果も分からない。

 故にベギゥフは魔法への対応をすっぱりと諦め、女に攻めさせるよう、あえて隙を作って見せたのだ。

 その駆け引きに、彼は勝った。

 

 女の腕が掴まれている。ベギゥフの手で。

 女は咄嗟に下がった。掴まれた手から逃れるために。

 同時にベギゥフも前に出る。

 もはや駆け引きは要らない。体重で押し倒すだけ。

 上から女に覆い被さるベギゥフ。

 女は背中から地面に倒され――

 

「ぬっ……?」

 

 その最中、女の足がベギゥフの股の付け根に当てられた。

 女は逃げるのではなくベギゥフを掴んで引き込みながら、股の付け根にあてた足を思いきり押し上げた!

 

 ――巴投げ。

 

 ベギゥフの巨体が宙を舞い、廊下の反対側へ転がり落ちた!

 

「ぐぅっ! くそっ、投げもあるのか!」

 

 受け身をとったベギゥフが立ち上がろうとする。

 そこへ――

 

「こっちだ!」

 

 上空からクラマの声。

 見れば天井に空いた穴からクラマが、銀の鞭を女の方へと伸ばしている。

 女は跳び上がり、その鞭を掴んだ。

 クラマは思いきり鞭を引き上げる!

 

「逃がすかっ!」

 

 地面を蹴って駆けるベギゥフ。

 その手が女の足に伸び……宙を掴んだ。

 

 間一髪、ベギゥフに捕まる寸前で、女は空中に身を逃れた。

 引き寄せた女を、しっかりと抱きとめたクラマ。

 そうしてクラマと女は危機を脱した。

 

 

 

 

 

 届かぬところに引き上げられた獲物を、ベギゥフは見送り……力なく座り込んだ。

 

「……っかぁ~~! やられたかぁ~~!!」

 

 天を仰いで、両手で顔を覆う。

 駆け引きには勝ったが、あと一歩で掴みきれなかった。

 悔しい。が、妙に清々しくもあった。

 次にやればどうなるか分からない。久々に堪能した、きりきりとした緊迫した戦い。心地よい疲労感がベギゥフの体を満たしていた。

 最後の投げも手を離すつもりはなかったが、直前のボディブローが効いていたようで力が入らなかった。

 走るのが遅れて逃したのも、そのせいだ。

 ――そこで気がついた。

 

「そうだ……逃がしちまったんだ……!」

 

 自身が警護の任務に失敗したことに。

 ベギゥフは苦しげに頭を抱えた。

 

「ぐぅぅぅぅ……またおれの悪い癖が……!」

 

 あまりに戦いが楽しくて、仕事であることを忘れてしまった。

 時間をかけられて嫌なのは相手なのだから、決着を急がず時間を稼ぐことに徹すれば……と激しく悔やんだ。

 しかし、楽しかったのだ。

 いやしかし、楽しさに我を忘れてはならない。

 

「くそぉぉぉっ! 反省だっ!!」

 

 元組み技格闘チャンピオン、ベギゥフ。

 根っからの格闘好きであり、そして真面目な男であった。

 

 

 

 

 

 ――天井から忽然と女が現れたのだから、天井に抜け穴があるはず。

 そこから間取り図を見た時の記憶を辿ると、このあたりに天井点検口の表記があったのをクラマは思い出した。

 それを踏まえて見上げると天井に扉を見つけることができた。

 そこでクラマは魔法で跳躍力を高めて跳んだのだった。

 

 そうして屋根裏から屋根の上に、屋根の上から建物の外へと降りた2人。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 クラマが礼を言うと、正体不明の女は背を向けたまま答える。

 

「あなたを助けたわけじゃないわ。目的が同じだから、手伝っただけよ」

 

 そう言う女の姿、声。

 やはりクラマの記憶にある人物とは一致しない。

 

「そっか。ああ、そうだ。自己紹介もしてなかったね。僕はクラマ。きみはどう呼べばいいかな?」

 

「名乗るほどの者じゃ……いや」

 

 女は少し思案して、若干ためらいがちに告げた。

 

「……エイト。それが、私の名前」

 

「エイトか。うん、ありがとう。エイト」

 

 クラマがにっこりと笑うと、エイトはマスク越しにも分かるほどの苦渋の表情をする。

 そしてエイトは我慢できないとばかりに、クラマに詰め寄った。

 

「……あのね! こういうのはやめなさい、本当に!」

 

 言って、彼女はクラマが被っているパンツと、首にかけた水着を剥ぎ取った。

 一緒に元からクラマが被っていた覆面も脱げる。

 

「あ、忘れてた。いやあ、自分と一体になるほどフィットしてたんだなあ」

 

「そっ……っ……!」

 

 何かを言おうとして必死に堪えるエイト。

 どうやら、意外と感情的になりやすい人物のようだった。

 彼女はふーっと大きく息を吐いて落ち着くと、改めてクラマに背を向けた。

 

「とにかく、その借用書を早く届けてあげなさい。じゃあね」

 

「あーっと待った!」

 

 颯爽と立ち去ろうと地を蹴ったエイトの足首をクラマは掴んだ。

 

「うわっ! わっ、わっ……! そ、そういう危ないことはやめて!」

 

「ごめん。ごめんついでに、ひとつだけお願いしたいことがあって」

 

「え……?」

 

 エイトが振り向く。

 するとそこには、にこにこしたクラマの笑顔があった。

 



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第35話

 このアギーバの街で悪徳高利貸し、などと呼ばれている貸金業者『幸福屋』。

 その経営者は、名をツィギトという。

 この街に来てからというもの接待を受けすぎて腹のたるみが気になる彼であるが、元々は首都でシーフギルド――いわゆる暴力団に相当する組織――の構成員だった。

 シーフギルドと繋がりの強いヒウゥースによってツィギトはスカウトされ、この街で金貸しとして活動することになった。

 

 彼がヒウゥースから課せられた仕事は、地元民から「合法的に土地を譲り受ける」こと。

 ……この業界には言外の意味というものがある。

 要するに、「表向き合法に見えるように騙して奪い取れ」……ということだ。

 口に出してこう言わないのは、万が一に備えてオノウェ調査で証拠を掴まれる事を警戒しているからだ。

 これはすなわち、ツィギトが下手を打てば「私は何も命令してない。奴が勝手にやったことだ」と容易くヒウゥースから尻尾を切られるという事でもあったが、上手く立ち回ることができれば己の裁量において好きに出来るという事でもある。

 

 彼は首都で「悪辣」とまで評された手腕を発揮し、次々と地元住民から資産を奪い取っていった。

 彼が相手にするのはいつも決まって教養のない田舎者。

 元は貧相な田舎街だったこのアギーバでは、あまりに容易い仕事。

 順調に資産を増やし、このままいけば評議会入りも夢ではないと思えるほどに、順風満帆であった。

 

 今日、この日までは。

 

 

 

 ぺり、ぺり……という奇妙な物音でツィギトは目を覚ました。

 ここは彼の寝室。

 目覚めた彼は、真っ暗なはずの室内に明かりが灯っていることに気がついた。

 ツィギトは光源に目を向ける。

 そこには机に座って、ランタンの光を頼りに、何らかの作業を行っている男がいた。

 ぎょっとしてツィギトは声をあげる。

 

「な、なんだお前は!」

 

 ……男は答えない。

 ツィギトの問いを無視して作業を続けている。

 腹を立てたツィギトは大声で警備を呼んだ。

 

「おい! 誰か! 侵入者だ!」

 

 反応は……ない。

 ツィギトはもう一度叫ぶ。

 しかし、いくら待っても警護の者が駆けつけてくる様子はなかった。

 

「……来ないよ」

 

 作業中の男が口を開いた。

 ツィギトには聞き覚えのない、若い男の声。

 男は言葉を発しながらも作業する手を止めていない。

 

 ぺり、ぺりり……。

 

「な……何なんだお前は。さっきから何を……」

 

 と言ったところで、ツィギトは目の前の男のしている作業内容に気がついた。

 

 ――ひとつの紙を、2つに裂こうとしている。

 

 縦や横に破るのではなく、厚みを半分にするように割り裂いて、見かけ上はまったく同じ紙を作り出す。

 

「あ………あ、ああ……!」

 

 ツィギトはその光景に愕然として震えた。

 やがて繊細な作業を終えた男――クラマは振り返り、2枚に増えた紙をツィギトに見せて言った。

 

「いやあ、念のために用紙を取ってきてもらって助かったね。まさかこんな方法でサインを複製してたなんて」

 

 書いた覚えのないサインが借用書にある。

 それを聞いてクラマはカーボン紙などを使って下の紙に写す、あるいは紙を重ねて上からなぞる、ひょっとしたら魔法でどうにか……などと、いくつか予想していた。

 しかし先ほど盗み取ってきた借用書を三郎にオノウェ調査してもらったところ、そのいずれも引っかからない。

 

「オノウェ調査は時間が経つほどに難しくなる。裁判の当日に行うには、もう相当な難度になっているらしいね。そのサインがどのように複製されたかという具体的な方法を指定して、Yes/No形式で調べなきゃならないほどに」

 

 裁判の日取りは理由をつけて引き伸ばすことができるし、元は田舎街だったここの地元住民には、優秀な魔法使いを用意するあてなどない。

 そして冒険者ギルドを介した魔法使いの紹介は、ヒウゥースの息がかかっている。

 この用紙裂きのトリックを見破らない限り、ツィギト側が裁判で負ける要素がないのだ。

 

「ば……ばかな……どうして……どうしてその方法が分かった……!?」

 

「父が絵画のコレクターでね。中にはそういう珍しい贋作の作り方もあるって……小さい頃に聞いたことがあったんだ」

 

 それもノウトニーから渡された入会契約書を実際に手にして、妙に厚い気がして思い至ったものだった。

 考え抜かれた詐欺の手口を完全に暴かれたツィギト。

 彼はがっくりと項垂れてから……やおら顔を起こし、もう一度声を張り上げる!

 

「け、警備は何をしている! 侵入者だぞ!」

 

 ……しかし、やはり無反応。

 

「無駄だよ。彼らには少し眠ってもらった」

 

 ツィギトが見上げる先には、ニヤリと口の端を吊り上げて笑うクラマの姿。

 警備はエイトによって近くの部屋で縛り上げられている。

 エイトはぶつぶつと文句を言いつつも、クラマが頼み込んだらやってくれた。親切な人だった。

 

 しかしそんな裏事情を知らないツィギトにとっては、警備はすでに皆殺しにされ、次は自分の番だとしか思えない。

 絶望と恐怖におののくツィギト。

 その彼にクラマは近付いて言った。

 

「大丈夫。あなたを殺す気はないよ。……今は、まだ」

 

 “今は”という言葉を強調。

 そしてクラマはツィギトの肩を抱いて、その耳に囁く。

 

「しかし“彼”はどうだろうね。あなたの失敗を庇ってくれるような、いい上司かな?」

 

 そんなことは絶対にない。

 自分に不利益があると分かれば寸分の迷いなく切り捨てる男。それがヒウゥースだった。

 

「僕らはただ、あなたにこの街からいなくなって貰えればそれでいい。……たとえ、どんな姿であっても」

 

 その言葉に、ツィギトは否応なしに惨殺された己の姿を連想してしまう。

 

「あなたに残された選択肢は3つだ。犯罪者として裁きを受けるか、この地を離れて逃げるか、あるいは……」

 

 ツィギトから身を離したクラマは、右手を挙げた。

 ――ドッ! と次の瞬間、枕に包丁が突き刺さった!

 屋根裏に潜んでいた一郎の仕業である。

 

 ヒッ、とツィギトは悲鳴をあげた。

 クラマはツィギトに背を向け、窓の方へと歩いていく。

 

「――明日まで。明日中に用意して街を出ろ。もし明後日になっても、この街にいたら……」

 

 クラマは背を向けたまま横顔だけをツィギトに向け、2枚の用紙をぴらりと見せた。

 

「次に盗むのは紙じゃない」

 

 言って、クラマは窓から外に出た。

 ツィギトはそれを魂の抜けたような表情で、呆然としたまま見送った。

 

 

 

 

 

「ここまでする必要あった?」

 

 外でクラマと合流したエイトが尋ねた。

 クラマはそれに答える。

 

「うーん……理由は色々あるけど……彼を放っておいて、ヒウゥースに始末される展開が嫌だったんだよね。そうなるとヒウゥースの目も警察の捜査も、こっちだけに向いてしまうから。彼には逃げてもらって、分散に協力してもらいたい」

 

「……ふうん……」

 

「それと彼が始末されて、仮に自殺として処理されたら、その後がちょっとよく分からなくなる。ヒウゥースに資産を取られて、訴訟を起こしても被害者に資産が戻って来ないかもしれない。それなら彼が姿を消して会社の引き継ぎや警察の捜査でゴタゴタしてる間に、被害者のみんなには一斉に訴訟を起こしてもらいたい」

 

「………………」

 

「まあ……他にも……えーっと……何だっけ?」

 

 こめかみに指をあてて思い出そうとするクラマ。

 エイトは押し黙る。

 

 やるなら徹底的に、最後まで。

 そのためにリスクを冒すことは恐れない。

 クラマのそんな考え方が見て取れた。

 

「……なるほど、よく分かったわ。じゃあ、私は本当に帰るから。あなたも早く帰りなさい」

 

 そんな妙にフレンドリーな言いようをして、彼女はクラマの前から立ち去っていった。

 

 ……果たして彼女は何者だったのか?

 

 しかし今のクラマには、そこまで考えることはできなかった。

 心量は残り20を切っている。

 酔っぱらったような霞のかかった頭で考えるのも、もう限界だ。

 今すぐ寝たい。いや、もう寝よう。

 それはなんとも素晴らしい名案だった。

 遠くから一郎の声が聞こえていたが、クラマはそれに反応する気も起きず、そのまま眠りの中に落ちていった。

 

 

 

 

 

 一方、その頃。

 賭場『天国の扉』では一向に騒ぎの収まる気配がなかった。

 あまりにもホールに人手が足りない。

 業を煮やした支配人の男は、自ら警備員の休憩室へと向かった。

 バン! と休憩室の扉が開かれる。

 

「お前ら! 何をして――うっ!」

 

 扉を開くと同時に広がる、青臭さと汗臭さの入り混じった匂い。

 中ではぐったりと倒れた警備員の上に、ひとりの女が馬乗りになっていた。

 ――レイフである。

 見れば休憩室の中には他にも数人の警備員が、似たように半裸で床の上に転がっていた。

 

「無理……もう無理……」

 

 男たちは口々に、そのようなうわ言を呟いている。

 扉を開けて現れた支配人へと、レイフが艶めかしい流し目を向けた。

 

「あら、次はあなたが相手してくれるのかしら?」

 

 妖艶ながらも、品の良さを感じさせるレイフのしぐさ。

 支配人は一瞬、立ちくらみをしたような感覚を覚えるも、ぐっと拳を握って壁に叩きつけた。

 

「ええい、商売女が! 出て行けっ!」

 

 響く怒鳴り声。

 レイフは休憩室から蹴り出された。

 

 

 

 

 

 翌日、悪徳高利貸しのトップが慌ただしく街を出ていったという噂が広がり、これ以降、彼の姿がこのアギーバの街で目撃されることはなかった。

 それと同時に高利貸しへと地元住民数名が一斉に訴訟を行い、他の街から取材が来るほどの騒ぎになったという。

 

 

 

 納骨亭には元気を取り戻した看板娘のテフラと、心なしか機嫌の良さそうなマスターがいた。

 そして珍しく顔を出してきたベギゥフが、やたらと強い仮面の女の話を語った。

 対するノウトニーは笛を吹き、マユミは適当な相づちを打って漫画を描き続けた。

 

 

 

 クラマ達はとりたてて何も変わらず。

 ただ、クラマがパフィーに「魔法で声を変えたりできるの?」と尋ねたところ、

 

「えっ!? それは……できると思う、けど……あっ、今日は用事があるの! またね、クラマ!」

 

 とのことだった。

 クラマはお茶をすすって、ひとりごちた。

 

「なるほどなぁ……」

 

 こうして社会を乱す謎がひとつ明るみに出て、代わりに小さな謎が顔を覗かせた。

 遠からず、すべての解は出るだろう。

 クラマはひとつ積み上げて、そうして次は地に潜る。

 

 運命の時が、近付いていた。

 



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第36話 - 橙と青の挿話

 ディーザは苛立っていた。

 この街で最も大きな高級賭場が金庫破りを受けたと聞けば、それで盗み出されたのは書類のたった一枚だという。

 しかもそれは不正の証拠。

 そして書類が盗み出されたと同時に、不正の実行犯が忽然と姿を消した。

 これが無関係であるわけがない。

 万が一、あの男にやらせていた詐欺行為とヒウゥースとの繋がりが暴露されたら――

 

「くそっ、これでは私も巻き込まれる」

 

 頭が痛かった。

 調べなければならない事、処理しなければならない事が山積みだ。

 ディーザのストレスは頂点に達している。

 

「おい! まだ調査は終わらんのか!」

 

 賭場『天国の扉』の金庫室前でディーザは怒声をあげた。

 支配人を務める若い男が、恐縮して頭を下げる。

 

「も、申し訳ございません。どうやらオノウェ隠蔽の気配があるらしく……」

 

「無能者め。貴様、後で私の執務室に来い」

 

「うっ! そ、そればかりはご容赦を……!」

 

 ビクリと震える支配人。それを棘の刺すような視線で支配人を見るディーザ。

 支配人の男は何も言えずに、唇を噛んだ。

 

「どけ。私がやる」

 

 そう言って、ディーザは昨夜ここで起きた出来事について、魔法を用いて調査した。

 オノウェ調査と隠蔽の対決では、より技量の高い側に軍配が上がる。

 ディーザは三郎よりも魔法使いとして遥かに格上だった。

 ディーザの魔法により三郎の隠蔽は暴かれ、昨夜の一部始終が明らかになる。

 

「またあの地球人かっ……!」

 

 ディーザのこめかみに青筋が浮く。

 昨夜のクラマは覆面をしていたが、ディーザのオノウェ調査はその奥までつまびらかにした。

 それからクラマと一緒にいた次郎と三郎の顔も。

 すでにディーザはケリケイラを使った事前調査で、クラマとよくつるんでいるサクラたちパーティーのことも把握している。

 ところが最後に出てきた女だけは、ディーザの記憶に思い当たらない。謎の女だった。

 ともあれ、これで侵入者の身元が割れたわけであるのだが……

 

「……………………………………」

 

 

 

 

 

 ディーザはそれから地球人召喚施設の執務室へ戻り、今後の考えをまとめる。

 なぜなら、すぐに動けない諸所の問題があったからだ。

 

「クラマ=ヒロ……何故こいつは……引っかからない……」

 

 何度も問題を起こしつつも、するりとこちらの手をすり抜けていく男。

 今回もそうだった。

 賭場の金庫室に侵入したかと思えば、盗んでいったのは一枚の書類だけ。

 勿論それも立派な犯罪だ。さらに言えば不法侵入、警備員への暴行、そしてオノウェ隠蔽と、引っ立てる要素は揃っている。

 ……しかし状況が良くない。

 その行動は完全に不正を暴き、地域住民を救う義賊のそれだ。

 昨夜の賭場の状況を鑑みるに、クラマ達は地域住民の協力を得ている可能性が高い。

 そこへきて地域住民を食いものにしていた悪徳高利貸しの失踪、住民の集団訴訟が重なって、近隣の街から記者が取材に来るという情報もある。

 こうなってはヒウゥース側も迂闊に動けない。

 仮にクラマを捕まえ、それで民衆から暴動が起きたりなどすれば、近隣の街からこぞって記者が押し寄せ、スキャンダルを暴きたてようとしてくるだろう。

 それはまずい。

 非常にまずい。

 

「だから危険因子は早いうちに処理しろと言ったんだ……」

 

 ディーザは汚れた玩具を拭き取りながら呟いた。

 最悪なのが、ヒウゥースとの繋がりを高利貸しが暴露しており、その証拠までも掴んでいた場合。

 ここで捕まえれば、当然その証言も記者たちに向けて発信される。

 それはヒウゥースにとって最も避けたいところ。

 評議会議長であるヒウゥースを追い落とそうと、叩ける材料を探している政敵はごまんといるのだ。

 案の定というか、ヒウゥースは既に記者の接待へと動き出している。

 こういう時は本当に行動が早い。

 となれば、ヒウゥースには事を荒立てる気はないと見ていいだろう。

 それはすなわち、この状況ではディーザもクラマを捕らえるために動くことができないということを意味している。

 

「何故だ……何故こうなった……?」

 

 こんな事態を引き起こした原因。

 その鍵となったのは……今朝になって姿を消した、高利貸しのツィギト。

 このタイミングで消えたことで、ディーザの動けない状況が出来上がっている。

 

「………………」

 

 しばし黙考するディーザ。

 彼はやおら引き出しの奥から、今まで使ったことのない魔法具を取り出した。

 それを使用して、何処かへと通信をする。

 

『アローアロー、こちら髭のダンディ。合言葉をどうぞ?』

 

「私だ。ヒウゥースの右腕と言えば分かるか?」

 

『きみかね、相変わらず遊びのない男だね。きちんとストレスは発散できているかね?』

 

 ディーザは向こうの言葉を無視して己の用件を告げる。

 

「とあるパーティーを、ダンジョン内で始末してもらいたい」

 

『はて? 私はきみらの手下になった覚えはないのだがね。ヒウゥース君の頼み事ならともかく、きみの命令を聞くいわれはないはずだが』

 

「最近、冒険者を素通りさせているそうじゃないか。逃がした冒険者も死体の確認が出来ていない。決まり事を守らねば、協力者とは言えない。違うか?」

 

『ははは、これはしまったな! うん、よかろう、やろうじゃないか。哀れなターゲットの特徴を教えてくれたまえ』

 

 そうしてディーザはクラマ達の情報を伝えて、ダンジョンに潜る日が確認できたら再び連絡すると伝えて、通信を切った。

 ふう、と大きく息をついてディーザは椅子に背を預ける。

 これでいい。

 ケリケイラを使えば、クラマ達がいつダンジョンに潜るかを特定することはできる。

 

「表で処理できないなら地下……ふん、元からそういう話だったな。この街の計画は」

 

 ディーザは自嘲気味に笑った。

 冷静になって考えれば、それで良かったのだ。

 無理に公権力を使って事を荒立てる必要などない。

 始末をつけるのは地下。

 ここは、そういう街なのだから。

 

「くくっ……己の分を弁えぬ者には死を。ふふっ……ふっはっはっはっ……」

 

 ひとしきり笑うと、ディーザはケリケイラに指令を次の伝えるために執務室を後にした。

 

 

----------------------------------------

 

 ディーザの通信があってから数日後。

 ここはダンジョン地下4階。邪教の信徒が根城としている秘密の隠れ家。

 再びディーザから連絡があり、標的がダンジョンに入ったとの報告が入る。

 それを聞いたワイトピートは、通信用の魔法具を置いて椅子から立ち上がった。

 

「というワケで、久々の仕事だ。準備はいいかね、諸君?」

 

「はっ! 完了しております!」

 

 背筋を伸ばして返事をする3人の男たち。

 いずれも揃ってワイトピートと同じ青い瞳。

 すなわち彼ら全員、邪教の徒であった。

 そのうち、ひとりの表情に翳りがあるのにワイトピートは気がついた。

 

「どうしたかね、コーベル君。何か気になる事でもあるかな?」

 

「いえ、そのようなことは……」

 

 敬愛するワイトピートに話を振られて恐縮するコーベル。

 ワイトピートはコーベルの肩を叩いて、正面から目を合わせて言った。

 

「コーベル君! 嘘はいけないな。ああ、嘘はいけない。それとも、私にも言えない事かね?」

 

「も、申し訳ございません! その……我々、悲劇の神の信徒が、あのような連中の指示に従う必要があるのかと……ただ悪意を広め、悲劇を振り撒くことが我々の目的であるはず……」

 

 コーベルが抱くワイトピート達への不満。

 その言葉に、ワイトピートは大仰に両手を広げて応える。

 

「コーベル君、きみは正しい! しかしだ……フフ、これも若さかな。この歳になると、ひと工夫を加えたくなるのさ」

 

「それは、どういった……?」

 

 ワイトピートはニヤリと笑みを浮かべる。

 まるで、悪だくみをする子供のように。

 

「彼らの“頼みを聞く”という体が必要なのだよ。恩を売るという形だ。そうすることで、こちらの頼み事も通りやすくなる。ビジネスライクな関係から一歩進んでね。……そうすると、どうなると思う?」

 

 いきなり問われ、コーベルは答えに窮した。

 

「も……申し訳ありません……自分には……」

 

 縮こまって恥じ入るコーベルの背中を、ワイトピートはバンバンと叩いた。

 

「はははは! すまなかったね、意地の悪い言い方をして! つまりだね、私の目的はたいして未来などない冒険者連中ではない。この国のトップへ登りつめ、さらなる野望を抱いて邁進する男……そう、ヒウゥースだよ」

 

 3人の男たちの目が、驚愕に見開かれた。

 

「彼がその野望の頂点に達しようという時……そこへ考え得る限り、最大の悲劇を叩き込む! 今はその布石を撒いている途中なのさ。……どうだい、面白そうじゃないかな?」

 

「お……おおお! 素晴らしい! なんという遠大な計画……そうとは気付かず、自分はなんと浅はかな……!」

 

「ははは、今まで言っていなかったからね。驚くのも無理はない」

 

 口々に自分達のリーダーを美辞麗句で褒め称える3人の男たち。

 ワイトピートは笑顔でそれに応え、そして思った。

 

 ――こんな簡単な嘘に騙されるとは、なんて扱いやすい連中なのだろう。

 

 しかし、そうなるようにこれまで動いてきたのはワイトピート当人であった。

 彼らの心を掴むために、彼らの人間性を分析して、彼らの望む言葉、望むものを与え続けてきたのだから。

 

 

 

 悲劇の神の信徒、ワイトピート。

 彼はその髪の色が示す通り、生来からの信徒ではなかった。

 彼の人生は、常に違和感がつきまとっていた。

 

 ――何かがおかしい。

 

 違和感に気付いたのは、物心ついてからしばらく経った後のことだった。

 その違和感を具体的に表現することは難しかった。

 強いて言うなら、そう。

 この世に生きているのが自分だけであるかのような。

 精巧な人形の群れに放り込まれてしまったような。

 周囲の人間と自分が同じ人間であると、どうしても彼には思えなかったのだ。

 

 もちろん、生物として何も変わらぬことは理解している。

 ただ、どうやら周りの者は、誰かが痛がっていたら自分の痛みのように顔をしかめて、誰かが嬉しい時は自分の心も温かくなるらしい。

 

 そのように感じたことは一切なかった。

 

 なんとも言い得ぬ孤独感を抱いた若い頃の彼は、神父の勧めによって改宗を試みた。

 博愛の神から祭の神へ。

 しかし違和感は拭えず、次に芸術の神へ。

 さらには美と官能の神まで。

 それでも違和感は払拭されなかった。

 

 孤独感から周囲との摩擦を感じていた彼は、環境を変えるために高等教育へ進まず、軍に志願した。

 そこでの彼は非常に優秀だった。

 飛ぶ鳥も落とす勢いで昇進し、しかしその道行きは、捕虜に対する非人道的な扱いが明るみになったことで閉ざされた。

 軍法会議にかけられた彼は、兵士14人を殺害して脱走した。

 

 その後は、しばらく逃亡生活に明け暮れる事となる。

 当局の捜査の目をかいくぐって逃亡を続けるワイトピート。

 ある日その彼の前に、青い瞳の女が現れた。

 

「おまえは生まれながらの悪魔だ。人の群れの中に居場所はない」

 

 女はワイトピートを勧誘した。

 彼は女の誘いを受けて邪神の信徒となった。

 この世に悪意と悲劇をもたらす悲劇の神。

 ああ、これこそ自分が探し求めていたものだった!

 そのように考えた彼は、邪神の徒を率いて、あらゆる非道な行為に手を染めた。

 充実していた。それまでの人生で満たされなかった歓喜、充足感に打ち震えた。

 天職だ。そう思った。

 ……しかし。

 

 違和感はそのままだった。

 

 周りの信徒たちは、いずれもそれまでの報われない人生から来るストレス、鬱憤、コンプレックスで歪んだ者達だった。

 他人の幸せが壊れるさまを見て、自分のそれまでの人生を慰める。

 怯える無様な姿を眺めて、普段は怯える立場の自分を忘れ去る。逆転のカタルシス。

 そういったものを求めていた。

 

 ……そうではないのだ。

 

 そうではない。ワイトピートはそうではなかった。

 悲劇はただ単に楽しいものだった。

 そこに自分の人生を重ねる必要はない。

 仲間内で固まり、しきりに背徳感を共有しようとする信徒たちからは、やはり疎外感しか得られるものはなかった。

 

 ――私に同類などいない。

 

 奴隷の卸先として縁のあったヒウゥースに誘われて来てみたが、こんな地の底に潜る奇特な冒険者連中の中にも、やはり自分と同じような者はいなかった。

 どこまでいっても自分はひとり。

 理解者など得られない。

 

 

 

「……頃合いか」

 

 静かに呟いたワイトピートに、3人の部下が居住まいを正して向き直る。

 ワイトピートは彼らに向けて言った。

 

「それでは気を取り直して行こうじゃないか! 今回から加わった、新しい仲間と共に!」

 

 ワイトピートの視線の先。

 3人の男から少し離れるようにして、ひとりの女が壁に寄りかかっていた。

 

「……仲間扱いをするな。私は別に……お前の頼みだから、聞いてやってるだけだ」

 

 トゥニスだった。

 その青い瞳がワイトピートを睨む。

 

「はっはっは、こんな所でのろけられても困ってしまうな!」

 

「っ……!」

 

 トゥニスは何か言い返そうとしたが途中でやめて、ふいっとそっぽを向いた。

 そうしてワイトピートは全員に背中を向けると、バッと右手を挙げてみせた。

 

「では、いざ行かん。彼らの冒険を終わらせに」

 



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第37話

> クラマ 運量:10000/10000

> クラマ 心量:89

> イエニア心量:494/500

> パフィー心量:450/500

> レイフ 心量:495/500

> イクス 心量:471/500

 

 

 クラマ達がダンジョン地下4階へ挑戦する日がやってきた。

 準備を万端に整え、いつも通りに入口で手続きをして、いつも通りに地下深くへと潜っていく。

 イクスはあらかじめ貸家に開いた穴から直通で地下に潜り込んでいる。

 待ち合わせ場所は、イクスがクラマ達に捕まった3階の小部屋上部。

 ダンジョンに降りたクラマ達は滞りなく歩を進めて、集合場所へと到着した。

 

「おっ、いたいた。おーい、イクスー!」

 

「……ん」

 

 集合場所でイクスを見つけてクラマが手を振ると、イクスも小さく手を挙げて応えた。

 この地点からダンジョン地下4階はすぐそこ。

 しかし新しい階に挑戦する前に、イエニアの提案により休息をとる。

 

「ここまでにだいぶ歩きましたので、充分に準備を整えてから4階へ進みましょう」

 

 一同は食事や水分の補給を済ませると、改めて地下4階へ向けて出発した。

 

 

> クラマ 運量:10000 → 9813/10000(-187)

> クラマ 心量:89 → 87(-2)

> イエニア心量:494 → 488/500(-6)

> パフィー心量:440 → 435/500(-5)

> レイフ 心量:495 → 490/500(-5)

> イクス 心量:471 → 467/500(-4)

 

 

 地下4階への階段は探すまでもなくすぐそこにあった。

 わりと広めの階段を、一列になって降りていく。

 

 これまでの1階から3階は小手調べだ。

 すでに隅々まで探索し尽くされている。

 だが、この地下4階からは違う。

 ここから先は、これまでと比べて極端に生還率が落ちると言われている。

 真のダンジョン探索が始まるのだ。

 果たして鬼が出るか蛇が出るか……。

 自然と緊張感が辺りを漂う。

 ……だが……

 

「……長くない?」

 

 最後尾のレイフから、そんな言葉が口をついた。

 レイフの言う通り、階段は長かった。

 しかも途中でカーブしたり幅が狭くなったりする。

 先頭を歩くイクスが答えた。

 

「あと半分くらいかな」

 

「そんなにぃ~?」

 

「でしたら、4階に着くまで荷物は私が持ちましょう」

 

「あ、いいの? ありがとー」

 

 イエニアがレイフから荷物を引き取る。

 その間、クラマは考えていた。

 このダンジョンの規則性のなさについて。

 

「……パフィー、このダンジョンってさ。ひとつのダンジョンじゃないよね?」

 

 唐突にクラマは問う。

 後ろを歩くパフィーは少し驚いてから答えた。

 

「そうね、複数のダンジョンが繋がっているものと考えられるわ。元々、ダンジョンというのは地下に埋もれた古代遺跡。意図的に地下に作られたものじゃないのよ」

 

 この階段はダンジョンの一部ではなく、後世の人々がダンジョンに潜るために作られたものということだ。

 これまで下に潜るための階段は梯子状のものだったので、その違いにクラマは納得した。

 しかしそれは同時に、別の事実を浮き彫りにする。

 

 『最奥にお宝が眠っている』というわけではないという事だ。

 

 もちろん人の手がつかない古代の遺跡なら、あらゆるものに歴史的価値があるだろう。

 しかしそれが役に立つものかどうかは、また別の話だ。

 極端な話、最奥の遺跡が古代のエロ本専門店(アダルトショップ)という可能性すらある。

 それはそれで役に立つのだろうが、多くの人が古代遺跡に期待するものとは少しだけ違っている。

 

 ――自分は何のためにダンジョンに潜っているのか。

 

 クラマは思う。

 それは彼女達と約束をしたからだ。

 必ずダンジョンの奥に連れて行くと。

 ……では、彼女達がダンジョンに潜る目的は?

 彼女達のついた嘘は暴いた。

 しかし、それを受けてもなお、ティアが真実を語ることはなかった。

 それはすなわち、「クラマに知られてはいけない目的がある」ということだ。

 

 ――だとしたら、自分は……。

 

 

 

「ついたよ」

 

 直線的な緑の模様がついた、白い壁。

 イクスがそれに手を触れると、壁がシャッと裂ける。

 ……いや、壁が裂けたのではない。それはドアだった。

 中から薄ぼんやりした光が漏れている。

 果たしてこの中に、求める答えがあるのか。

 クラマは不確かな光に誘われるように、ダンジョン地下4階のフロアへ足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 そこは地下3階と同じく、しっかりとした壁と道のある人工の施設だった。

 しかし地下3階の造りとは大きく違っていた。

 地下3階は中世ヨーロッパの地下牢を連想させる石を敷き詰めた様式だったが、こちらはなんというか……“近代的”という印象をクラマは受けた。

 途中で区切られていない、しっかりとした一枚の白い壁、そして床。

 白い壁にはいくつもの緑の線が入っている。

 近代的というよりはむしろ、“未来的”というのか、サイバーチックな雰囲気が漂っていた。

 そのフロアについて、パフィーが解説する。

 

「これは地上の遺跡にも多く残っている建築様式ね。《神の粛清》以前のものにはオノウェ調査がきかないから、まったくと言っていいほど解析は進んでいないのだけど……」

 

 未知のものだが、珍しくはないらしい。

 兎にも角にも新しいフロアを探索……というところだが、今回の探索からひとつ大きな変更点があった。

 ここからはクラマではなく、イクスが先頭を進む。

 

「わたしは一度来たことあるから。だいたいわかる」

 

 とのことだ。

 代わりにクラマには別の役目があった。

 

「エグゼ・ディケ……付近に僕ら以外の人が近づいてきたら、コインがぶつかって音を鳴らして欲しい」

 

 地下3階でも使用した形式の、運量の使い方。

 棒にくくりつけた2つのコインが音を鳴らしたら確認するというやり方だ。

 そして今回はそれだけではない。

 さらにもうひとつ。

 

「エグゼ・ディケ……僕ら全員が罠の被害を受けないように」

 

 ここは運量の消費を承知で、あえて範囲を広く設定した。

 このフロアにイクス達を襲った危険な“何か”が潜んでいるのは分かっている。

 となれば、それと対峙する前に戦力を削られるわけにはいかない。

 運量は生物に直接作用しないという性質上、戦闘には不向きなので、探索で出し惜しみはしない。少なくなったら、無理せず地上に戻ればいいのだから。

 ……というのが地下4階での方針だ。

 クラマが運量の使用を終えたところで、イクスがクラマ達に告げる。

 

「じゃあ行くよ。ついてきて」

 

 全員が頷いて、地下4階の探索が始まった。

 

 

 

 

 

 ――カッ!

 

 飛来した矢が白い壁に突き刺さった。

 それは、イクスが投擲したダガーによって糸が切られて発動した罠だった。

 イクスは他にも罠がないかと注意深く周囲に目を向ける。

 

「……ん、大丈夫」

 

 イクスはダガーを拾って進み、クラマ達もそれに続く。

 探索を開始してからこれまでに、6つの罠を彼らは抜けてきていた。

 扉を開けると中から飛んでくる矢。

 置かれた食料を動かすと上から落ちてくる毒液。

 棚に置かれた本を取ろうとすると手を挟むトラバサミ。

 うつ伏せに倒れ、動かすと槍が飛び出る死体。

 作動用の糸を切ると横から飛んでくる振り子の刃。

 椅子を動かすと発生する毒ガス。

 

 イクスもこれらすべてを看破することはできず、いくつかはメンバーが巻き込まれそうになって運量が消費されていた。

 

 

> クラマ 運量:9813 → 8032/10000(-1781)

 

 

「………………………」

 

「クラマ、どうかした?」

 

「いや……やっぱりなって思って」

 

「え? 何が?」

 

 この地下4階は、ダンジョンとしてはおかしな点がいくつかある。

 ひとつは、施設の備品や書類などが一切見当たらないことだ。

 途中で机や棚、ロッカーのようなものを見つけてきたが、出てきたものは罠ばかり。

 地下3階までは「先に入った冒険者に探索され尽くしている」という触れ込みだったが、この地下4階はそうではないはずだった。

 まだ入り口が近い場所なので先人に持ち去られている可能性はあるが……それならそれで、別のおかしな点が浮上する。

 

「イクス、この階の罠って全部こんな感じなのかな?」

 

「……こんなってどんな」

 

 イクスは足を止めてクラマに聞き返した。

 

「いや、なんか……3階は部屋自体、壁自体が罠とか多かったけど……この階って、後から作られたような罠しかないなって思って」

 

 クラマの言葉にイクスは少し思案してから答える。

 

「……そう、だね。建物自体の罠は、ないと思う。たぶん」

 

 仕掛けられている罠は、いずれもブービートラップと呼ばれるものだった。

 人が触れそうな所、近付きそうな所に仕掛けて、かかった者を殺傷する罠。

 言ってみれば標準的な罠だが、それだけにおかしい。

 

 ――『なぜ入口近くにこんな罠が残っているのか?』

 

 こんな一度発動、あるいは解除したら二度と使用できなくなる罠が。

 

「遺跡の備え付けじゃなく、遺跡に来た人間が、後から来た人間を殺すために仕掛けた罠……」

 

 という事はすなわち……。

 

「やっぱり、いるね。冒険者を襲う人間が、この階層に」

 

 キン、キン……!

 コインがぶつかる音。

 クラマの手元にある棒にくくりつけられたコインから。

 クラマは運量を確認した。

 これが鳴るということは――

 

 

> クラマ 運量:8532 → 8473/10000(-59)

 

 

 いる。

 近くに何者かが。

 

 各自、周囲を警戒する。

 すると通路の奥、曲がり角の先から、何人かの足音が近づいてくるのが分かった。

 

「……下がってください」

 

 イエニアが前に出て先頭を張る。

 周囲に緊張感が走った。

 全員が固唾を飲んで見守る。

 そのまま待つと……クラマ達の前方に人影が姿を現した。

 

 曲がり角から顔を出したのは、髭を生やした壮年の男。

 

「おや……珍しい。他のパーティーですか」

 

 紫色の瞳に黄色い髪の、学者風の男だった。

 その後ろから姿を現した仲間のひとり、長身の優男が、クラマの顔を見るや陽気な声をあげる。

 

「おっ! 最近よく見る顔じゃないの。もうここまで降りてきたのかい」

 

「教授。それにリックアンサ」

 

 クラマもにこやかに手をあげて応えた。

 イエニアがクラマに問う。

 

「クラマ、知り合いですか?」

 

「うん、冒険者ギルドによくいるよ。四番街の酒場の二階に住んでる人たち」

 

 素性の知れた冒険者であった。

 イエニアは最低限の警戒をしつつも、彼らと談笑して情報交換を行う。

 

「5階はやばいよぉ? 食人植物に気をつけな!」

 

「私の髭も多少むしられてしまいました。……ところで少しよろしいですかな。ひとり人数が多いようですが……」

 

 クラマ達の肩がぎくりと震える。

 冒険者ギルドの規定では、ひとつのパーティーに4人までとなっている。

 5人連れのクラマ達を見れば、疑問が出るのは当然だ。

 クラマが彼らの疑問に対して答える。

 

「あ、この子は仲間とはぐれたそうで、保護してるんですよ」

 

 と言って、イクスを指す。

 

「ふむふむ、なるほど……おや? その顔……」

 

 何かに気付いて、イクスの顔を覗き込もうとする冒険者の男。

 その瞬間、イクスは身を翻して逃げ出した!

 

「あっ! 待て!」

 

 イクスは魔法具を発動して身を軽くすると、瞬く間に姿を消した。

 

 

> イクス 心量:467 → 437/500(-30)

 

 

 そしてクラマは何も知らない体でクラマは疑問符を並べる!

 

「え? なに? どういうこと?」

 

「彼女は指名手配されている仲間殺しの凶悪犯です。危ないところでしたよ、君たち」

 

「えぇーっ!? そうだったの!?」

 

「ちゃんとギルドの掲示板はチェックしときなさいよ。危ないぜぇ?」

 

「いやあ、気付かなかったね。ありがとー」

 

「オウ。じゃ、俺らは帰るからな。気ぃつけろよー」

 

 そうして手を振りながら彼らは地上に続く道へと歩いていった。

 クラマも彼らの姿が消えるまで手を振り返す。

 それから、しばらく経って……

 

「……行った?」

 

 壁の影からイクスがひょこっと顔を覗かせた。

 



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第38話

 地下4階で予期せぬ他の冒険者パーティーとの遭遇。

 これを受けてクラマ達は今後どうするか話し合った。

 結果、イクスはパーティーから少し離れてついて来ることになった。

 今回はなんとか誤魔化せたものの、さすがに続けて一緒にいるところを他のパーティーに目撃されるのは良くない。

 

「イクスのおかげで、だいたい罠の傾向は分かった。ここからは僕に任せて」

 

 というわけで選手交代。

 ここから先はこれまでの階と同様に、クラマがパーティーを先導していく。

 クラマは宣言通り、イクスほどではないにせよ、そつなく探索を進める。

 長棒を駆使して罠を察知し、その都度解除する。

 

 

> クラマ 運量:8473 → 6617/10000(-1856)

> クラマ 心量:87 → 84(-3)

> イエニア心量:488 → 481/500(-7)

> パフィー心量:435 → 430/500(-5

> レイフ 心量:490 → 485/500(-5)

> イクス 心量:437 → 433/500(-4)

 

 

 そうして探索を進めていると、かなり広い場所に出た。

 初めて見る場所ではあったが、クラマはその室内の様子からなんとなく用途を推察することができた。

 

「これは……工場かな」

 

 ベルトコンベアのような低い橋が、部屋の中をいくつも走っている。

 ただし動く気配はない。

 こびりついた汚れから、使われなくなってから相当な期間が経っているのが分かる。

 

「ん? あれは……?」

 

 動かぬ機械の代わりに、部屋の中で蠢く者達がいた。

 それは長くて鋭い爪を持つ二足歩行の爬虫類。

 爪トカゲ(クリッグルーディブ)である。

 

「またこいつらか!」

 

 しかしイクスやセサイルから聞いた前情報から、この階層に爪トカゲの群れがいることは分かっていたので驚きはない。

 クラマ達は慌てず臨戦態勢をとる。

 迎え撃つようにパーティーの先頭に躍り出たのは、当然イエニアだ。

 

「下がりながら迎え撃ちます!」

 

 そう言った直後、爪トカゲの群れは一斉に襲いかかってくる!

 その数、10以上。

 イエニアは盾と剣を駆使して、通路を下がりながら応戦する!

 だが、いかんせん数が多い。

 通路もそこまで狭いわけでもなく、一対一で対峙できない。

 通路に溢れた爪トカゲが、イエニアの横をすり抜けようとして――

 

「くらえっ!」

 

 そこへすかさずクラマの突き!

 クラマの手にした棒が爪トカゲの顔をしたたかに打つ。

 

「ギィッ!」

 

 もんどりうつ爪トカゲ。

 ……が、それで動きが止まったのは、ほんの数秒。

 クラマの突きでは、大型の猛獣に対して大きなダメージを与えることができなかった。

 イエニアが交戦中で、巻き込みの危険があるので電撃も使えない。

 では、クラマには何も出来ることはないのか……?

 

「オクシオ・イテナウィウェ!」

 

 否!

 クラマは迷わず唱えた!

 

「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……」

 

「クラマ、それは……!」

 

 パフィーが制止しかけて……しかし途中で言葉を止めた。

 クラマの腰、ベルトにつけたバックルが輝きを放つ。

 そう、これはケリケイラから譲り受けた魔法具。

 パフィーがこの魔法具の中に新しく魔法を入れていたが、クラマに持たせると危険という判断から、ダンジョンの外ではパフィーが預かっていたものだった。

 クラマの新たなる武器が、ついに解禁される。

 

「――ジャガーノート!」

 

 

> クラマ 心量:84 → 59(-25)

 

 

 発動句と同時、クラマは再び突きを繰り出した!

 ドゥッ! と、先程とは違った重く鈍い音がパーティーの耳に届く。

 

「グィアッ!」

 

 クラマの突きを受けた爪トカゲは奇声をあげて地面を転がった。

 倒れた爪トカゲは泡を噴いて痙攣している……。

 そのまま起き上がることができない。

 一撃だった。

 

 

 《ジャガーノート》。

 これは精神・感情を司る第六次元(イテナウィウェ)を操る魔法。

 精神状態を操作し、アドレナリンを分泌。

 心筋収縮力が上昇、血流増大、気道拡張、これによる運動機能の一時的向上。

 そして無意識にかかった筋肉へのリミッター解除。

 

 

 クラマは今、体の内側が燃えるように熱くなっているのを感じていた。

 ドッドッドッと鐘のように鳴る心臓の鼓動。

 口からは体内で熱せられた呼気が白煙となって吐き出される。

 クラマは魔法による精神状態の変化、そして体の変化に思考が引きずられないよう、ひと呼吸を置いて向き直る。

 

「ふーーーーっ………よし。いくよ、イエニア!」

 

「ええ!」

 

 クラマとイエニアが連携を開始。

 イエニアの攻撃の隙を後ろからクラマがカバーし、一体、また一体と爪トカゲを打ち倒していく。

 

「うわ~、すごいわねぇ」

 

「本当、息ぴったりね!」

 

 後ろのレイフとパフィーが感嘆の声を漏らす。

 クラマとイエニアが連携の練習を始めてから、それほど長くはない。いや、むしろかなり短いと言っていい。

 しかし2人は息の合った動きで、爪トカゲの群れを次々と仕留めていった。

 

 実際、それほど形のできた連携ではなかった。

 技量において、クラマはイエニアについていけない。

 ミスも多く、そのたびにイエニアの鎧が不快な爪音を鳴らす。

 だがイエニアはそれが気にならなかった。

 後ろの仲間が何度もミスをしている。なのに、それが怖くない。

 イエニアにとっても初めてで、不思議な感覚だった。

 

 信頼。

 仲間がミスをしないのを信じるのではなく、「仲間のミスで傷を負っても構わない」という思い。

 “仲間”とは何か。イエニアは、騎士団では漠然としか抱いていなかったその言葉の意味を、このダンジョンの中でようやく理解できた気がした。

 

 

 

 やがて最後の一匹をイエニアの盾パンチが吹き飛ばし、戦闘が終了した。

 地面には大量の爪トカゲが死屍累々。

 その中で額から汗を流し、荒く息をつくクラマとイエニア。

 2人はどちらともなく手を上げ、爽やかな笑顔でハイタッチした。

 

 

 

「クラマ、大丈夫!?」

 

 パフィーがクラマに駆け寄ってくる。

 

「ああ、うん。大丈夫、だいじょう……」

 

 そう言うクラマの手から、ポロリと棒が滑り落ちた。

 クラマの手は小刻みに震えている。

 

「う……」

 

 安心して気を抜いたと同時に、クラマの全身を激しい疲労感が襲った。

 膝から力が抜けて、ガクッと倒れそうになる。

 

「クラマ!」

 

 咄嗟に手を伸ばしたパフィーによって支えられる。

 

「あ、っと……ごめん、ごめん」

 

 クラマはパフィーに笑いかけた。

 そんな痩せ我慢も、首まで汗びっしょりで、まともに立てないほどに膝を震わせているようでは無理があった。

 クラマの激しい動悸は未だに収まらず、頭の全体が圧迫されているような頭痛もしている。

 

 ジャガーノートの反動だ。

 地上で一度テストはしていたが、実戦での消耗は予想以上に激しかった。

 

「どこか休める場所を探さないと……」

 

 と、パフィーが周りに目を向けた時だった。

 その目が通路の奥へ釘付けになる。

 クラマもそちらを見やると、奥の方からゆっくりとこちらへ迫ってくるものがあった。

 クラマはそれを見て、ぽつりと言う。

 

「……カバ?」

 

 それはカバに近かった。

 足が短く、ずんぐりと大きな体。そして大きな顔。カバと違ってその体は赤い。

 そいつは奇妙な唸り声をあげて近付いてくる。

 

「ンーーーーーー……ンンオオオーーーー……」

 

「下がって! 危険な相手です!」

 

 イエニアが非常に強い警戒の色を見せる。

 

「ンンンオーー………………」

 

 その獣はある程度まで近づいたところで、ぴたりと唸り声を止め――

 

「ブルオオオオオオオオオオオッ!!!」

 

 突如、狂ったように襲いかかってきた!

 

「くっ……!」

 

 イエニアは踏み込み、打ち下ろすように盾の一撃を与える!

 敵の突進が加速する前に止めようというイエニアの考えだが……

 

「ブルッ……ルオオオオオッ!!」

 

 止まらない。

 まるでダンプカーのようにイエニアを押しのけ、突き進む!

 

「このっ……止ま、れっ……!」

 

 盾越しに押し返そうとするイエニアだが、わずかに勢いが弱まる程度。

 獣の突進はまるで止まる気配を見せない。

 イエニアで止められないのでは、対抗する手段はひとつしかない。

 パフィーは既に詠唱を開始している!

 

「オクシオ・ヴェウィデイー! ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ・イートウ……」

 

 だが、まだ発動できない。

 目の前の猛獣は人間よりも大きく、分厚い皮と皮下脂肪に守られている。

 脂肪は電気をほとんど通さない。

 威力を高める陳情句が必要だ。

 

 しかし、陳情句を唱える暇もなかった。

 敵の勢いは止まらず、もう目の前まで押し寄せてきている……!

 低い威力でも、今すぐ発動するべきか?

 迷うパフィー。

 その耳に届いた、クラマの声。

 

「パフィー、続けて」

 

 次の瞬間、背後からパフィーの横を白銀の刃が通り過ぎた!

 

 ドドドッ!

 

「ブギュルッ、ルオッ、オオオオッ!!!」

 

 ダガーの投擲!

 何処からか飛来した3本のダガーは獣の顔に突き刺さり、そのうち1本が目を刺し貫いていた。

 痛みに暴れる獣。その勢いでイエニアが壁に叩きつけられた!

 

「ぐ! う、っ……」

 

 衝撃に苦悶の声を漏らすイエニア。

 その間にパフィーが詠唱を紡ぐ。

 

「ここにはない、どこかの光。あるはずなのに、だれも知らない、世界のひみつ。今だけ顔を覗かせて。自然の中の、4つの力の、そのひとつ。さあ、4つめの扉を開きましょう」

 

 同時に、クラマが力を振り絞って銀の鞭を飛ばす。

 そして――パフィーの詠唱が完了する!

 

「ディスチャージ!」

 

 

> パフィー心量:430 → 405/500(-25)

 

 

 パッ! と大きな火花が散った。

 火花の後、獣は大きく口を開けたまま静止する。

 一瞬の出来事に、鳴き声をあげる暇もない。

 ……やがて少しずつ周囲に漂ってくる焼け焦げた匂い。

 見れば獣の体からは煙が漏れ出し、銀の鞭が触れていた場所は真っ黒に炭化していた。

 そうしてしばらくしてから、獣は思い出したかのように、ゴロリとその巨体を横に倒した。

 

 ふーっと安堵の息をつく一行。

 クラマは後ろのイクスに向かって手をあげた。

 

「イクス! よくやってくれた!」

 

 ダガーの投擲によってパーティーの窮地を救ったイクス。

 イクスは特に返事することもなく、「じゃ」とでも言うように片手をあげて去っていった。

 あまりにもクール。

 しかし、その表情は心なしか得意げに見えた。

 

 

 

 

 

 その後、クラマ達は罠のない部屋まで戻って休憩をすることになった。

 クラマは早速、食事の準備を始める。

 

「おっ、クラマのごはんね! 待ってました!」

 

「わぁい! クラマ、わたしも手伝うわ! なんでも言って?」

 

「私も手伝いましょう。もちろんレイフも」

 

「はあーい」

 

 疲労の激しいクラマはパーティーの皆に手伝ってもらって、料理を進める。

 まずは倒したばかりの獲物の肉を、イエニアにみじん切りにして挽肉状態にしてもらう。

 次にパフィーに指示を出し、刻んだ香草、香辛料、さらにチェーニャ鳥の卵とウォイブの粉を挽肉に混ぜ込んでいく。

 それを拳程度の大きさに分けて、少し平たくして、後はクラマがフライパンで焼きあげ……

 最後にレイフが皿を手に待つ!

 

 ――パーティー4人の共同作業による、ダンジョン風ふっくらハンバーグ、完成!

 

「やったあ! とってもおいしそう!」

 

「本当、いい匂い。手伝ったおかげで、いい感じにお腹もすいてきたわね!」

 

「あの、レイフは何かしましたか……?」

 

 挽肉にすることで固い肉でもおいしく食べられるという、クラマのアイディアであった。

 ただしイエニアの存在が必須の料理である。

 固い獣の肉を専用の道具もなしにミンチにする作業は、結構な重労働であった。

 そうして完成したところで、クラマは部屋の外に向かって言う。

 

「ごはんだよー」

 

 壁の影からイクスがひょこっと顔を出した。

 

 

 

 そうして5人揃って楽しい食事の時間。

 ソースは卵に香味野菜と植物油を混ぜ合わせたニニオソースと、納骨亭秘伝のタレを薄めたものの二種類を用意した。

 パフィーはニニオソースをかけ、レイフは両方のソースを混ぜるという新しい試み。

 イクスはハンバーグを2つに分けて、それぞれに別のソースを使用した。

 そしてイエニアはソースをかけずに、そのまま食べた。

 

 「失敗した~!」とかいうレイフの悲鳴を聞きながら、クラマも食べる。まずはソースをかけずに。

 口に入れるとウォイブの粉を入れたせいで、普通のハンバーグよりも食感がもっちもっちしていた。

 

「……うん。これはなかなか」

 

 独特だが悪くない。香辛料のおかげで臭みも気にならない程度に抑えられていた。

 次に秘伝のタレをかける。

 

「おっ、これは……!」

 

 すると臭みがほぼなくなって、非常に食べやすくなった。ピリリと辛みもあって、食が進む。

 最後はニニオソースをかける。

 

「うん、うん。なるほどなるほど……」

 

 こちらはソース自体の香りが強く、かなり誤魔化している感はあったが、それだけに普通の美味しさがあった。

 仕込みの段階でしっかり臭みを取れば、もっと良くなりそうだとクラマは思った。

 

「……ん?」

 

 ふと、イクスにじっと見られていることにクラマは気がついた。

 その手にある皿は空になっている。

 

「イクス、まだ食べる?」

 

「……ん」

 

 イクスは小さくコクリと首を縦に振った。

 そこにすかさず、横から追従する者が現れる!

 

「ええ、育ち盛りの人達には、これだけでは少ないでしょう。しかし安心してください。挽肉は私が作りますので、クラマは料理に専念してください!」

 

 クラマの返事も聞かずに、意気揚々と挽肉作りを始めるイエニア。

 どうやらイエニアにも足りなかったようであった。

 

「じゃあ、今度はつみれ汁にしてみようかな」

 

 こうしてゆっくり食事に時間を取って、クラマも体と心を休めることができた。

 

 

> クラマ 運量:6617 → 6719/10000(+102)

> クラマ 心量:59 → 67(+8)

> イエニア心量:481 → 476/500(-5)

> パフィー心量:405 → 401/500(-4)

> レイフ 心量:485 → 480/500(-5)

> イクス 心量:433 → 430/500(-3)

 



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第39話

 楽しい食事タイムを終えたクラマ達は、ダンジョン地下4階の探索を再開する。

 クラマが先頭で、イエニア、パフィー、レイフが続く。そして少し離れてイクス。

 パーティーがしばらく進むと、通路の先が鉄格子で塞がれている場所に来た。

 鉄格子の隙間から覗き込むクラマ。

 すると鉄格子の奥には非常に広い空間が広がっており、下一面は水の張ったプールになっていた。

 藻にまみれて、ほぼ黒くなるほど濁ったプール。

 クラマが眺めていると、爪トカゲ達がプールの中へ仲間の死体を放り込んでいるのが見えた。

 

「なんだこれ……水葬?」

 

 クラマはそう思ったが、さらによく見ると、プールの端から這い上がってくる爪トカゲの姿も見える。

 

「蘇生? いや……これは……」

 

 這い出てくる爪トカゲは、いずれも体の小さい子供だった。

 まさか、とクラマの脳裏に閃いた。

 

 ――生産されている?

 

 その光景をパフィーが解説する。

 

「古代の錬金術施設ね。生き物の死体を自動で再構成する……同じような施設は地上の遺跡でもいくつか見つかっているわ」

 

「自動で、って……それは相当すごいんじゃないの?」

 

「ええ、現代の錬金術じゃ再現不可能な技術ね。でも解析も一向に進まなくて、だいたい見つかり次第封印されているとか」

 

「そりゃあ化け物が無限に生み出されたら困るよねえ。しかしこのサイバネティックな施設の作りといい、古代人ってやつはとんでもない技術を持ってたんだね」

 

「そうね……これは仮説だけど、現代に生きる生物の半分以上の種が、古代人が“造り上げた”ものだと主張する学者もいるわ」

 

 古代の錬金術。

 クラマの認識では、目の前の光景はSFのそれに近い。

 「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」という有名なSF作家の言葉をクラマは思い出していた。

 

「このダンジョンに爪トカゲが多いのはこのせいか」

 

「どうかしら。可能性はあるけど、ここから上まで登っていけるものかしら?」

 

 その点はパフィーも何とも言えない顔だ。

 クラマはそのプールを鉄格子ごしにじっと見る。

 中の様子を眺めたまま、口を開いた。

 

「あのさ、この設備を止める方法って――」

 

 と言いかけた途中で、真横でイエニアが仁王立ちしてこちらを見ているのに気がついた。

 

「クラマ、私たちの目的はダンジョンの奥に潜ることです。害獣の駆除ではありません」

 

「うん」

 

「危険は冒さず、次の階への道を探すことが先決です。いいですね?」

 

「だよね」

 

 クラマの同意を受けて、イエニアは身を翻す。

 

「それでは、いつまでも見ていないで行きますよ」

 

 そうして数歩進んだところで、イエニアは不意に後ろを振り返って言った。

 

「……ひとりで行ったりしたらだめですよ!」

 

「大丈夫だって。信用ないなあ」

 

「当然です。クラマは信頼してますが、信用はできません」

 

「どういうこと……?」

 

 クラマは首をひねった。

 イエニアはそんなクラマをしっかりと目の届く場所に置くように、自分の前に立たせる。

 そんな2人の様子をレイフは一歩引いて眺めていた。

 細めた視線は微笑ましく見守るような……どこか遠い所にあるものを見るようだった。

 レイフが遅れているのに気付いたパフィーが声をかける。

 

「……レイフ? どうしたの?」

 

「ああ、なんでもないわ。うん。ふふふ」

 

 その笑顔の意図が分からず、パフィーもクラマと同様に首をひねる。

 レイフは何かを納得したように何度も頷きながら、3人の後ろへ続いていった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく探索を続けた一行は、何度目かの行き止まりに突き当たった。

 

「……5階への階段は見つかりませんが……このあたりで一度、3階まで戻って夜営にしましょう」

 

 途中で何度か爪トカゲとの戦闘があって疲労も溜まっている。

 全員がイエニアの言葉に頷いて、来た道を戻る。

 

 

> クラマ 運量:6719 → 4471/10000(-2248)

> クラマ 心量:67 → 61(-6)

> イエニア心量:476 → 428/500(-48)

> パフィー心量:401 → 334/500(-67)

> レイフ 心量:480 → 433/500(-47)

> イクス 心量:430 → 384/500(-46)

 

 

 無機質な通路を進む。

 コツ、コツ、コツとしばらく固い床を叩く足音だけが響く。

 帰りは地図を頼りに来た道を戻るだけだ。

 そうそう歩みの邪魔は入らない。

 そうして、3階への階段までの道のりを半分ほど進んだ頃。

 

「え~っと……手前の道は行き止まり。もうひとつ奥を左ね」

 

 一同はレイフの作成したマップに従いながら歩いている。

 クラマは背後の安全も確保するために、脇道などがあればその都度、潜んでいるものがいないかどうかも確認していく。

 その時もクラマは、脇道の先に何もないのを確認して……

 

 キン、キン……。

 

 突然、クラマの手元にあるコインが鳴った。

 クラマは首から下がった札を確認する。

 

 

> クラマ 運量:4471 → 4410/10000(-61)

 

 

「みんな、待った」

 

 近くに人がいる。

 パーティーに緊張が走った。

 また他の冒険者か、それとも違うものか。

 各々が周囲から近付いてくる物音を聞き取ろうと耳を澄ませる。

 

 ……が、一向に何かが近付いてくる気配はない。

 

 イエニアがクラマと視線を交わして、パーティーの先頭に出る。

 その際、クラマは通り過ぎるイエニアにひとつ耳打ちをする。

 イエニアは少し驚いた顔をしたが、小さく頷いて前に出た。

 

 イクスの話によれば、地下4階で何者かに襲われたのは曲がり角。

 今、クラマ達の少し前には曲がり角が見える。

 イエニアは警戒しながら、ゆっくりと進む。

 クラマも三代目となる棒――サリッサ・オブ・ザ・ディアドコス――をあらかじめ戦闘用に分割して備えた。

 パフィーとレイフも固唾を飲んでイエニアの進みを見守る。

 

 曲がり角まで、あと三歩……

 

 二歩……

 

 一歩。

 

 曲がり角の先が、イエニアの視界に入る。

 そこでイエニアが目にしたのは――

 

 ……救助隊であった。

 グレーで統一されたガスマスクに兜、チェインメイル。

 冒険者ギルドが支給する共通の装備なので、一目で分かる。

 先頭にいる男は曲がり角で出会ったイエニアに左手を上げて挨拶をして、右手で剣を突き刺した。

 

 自然な動作。

 まるで挨拶ついでに握手でも求めるかのような。

 予備動作も力みもなく、するっと意識の外からイエニアに刃が滑り込んでいく。

 

 ――ギィンッ!

 

「……む?」

 

 突きを出した男から訝しげな声が漏れる。

 男の不意打ちはイエニアの盾で防がれていた。

 

 防げた理由は、あらかじめ警戒していたこと――だけではない。

 クラマが直前にイエニアへ耳打ちした内容。

 

『救助隊の格好をしてたら気をつけて。4階には来ないはずだから』

 

 クラマは別に見抜いていたわけではなく、可能性のひとつとして指摘しただけだが、それが功を奏した。

 あらかじめ心構えをしていなければ、救助隊に挨拶をされたら、イエニアも反射的に挨拶を返してしまったかもしれない。

 目の前の敵に対して、その隙は致命的だ。

 

「下がりますよ!」

 

 イエニアは後ろの仲間に指示を出す!

 敵の数は3人。

 最初に不意打ちを仕掛けてきた男の後ろから、同じ格好をした2人の男が通路の両サイドに広がって襲いかかってくる!

 

 イエニアはそれに対して下がってスペースを作り、3人を同時に相手する状況を避ける。

 下がれば必ず敵のどれかが突出する。

 こちらはそれを相手にすればいい。

 連携を重視してスペースを保ったままじりじり押し上げてくるようなら、その時は電撃の魔法の出番だ。

 これが、イエニアが瞬時に頭へ浮かべたプランだった。

 だが……

 

 ――キィィィーーーン……!

 

 白と緑の通路に、白銀の欠片が飛ぶ。

 

「な……!?」

 

 イエニアが驚愕を漏らす。

 受けに使った剣が、半分に断ち切られたのだ。

 

「くっ!」

 

 代わりに盾で防ぐ。

 剣は断ち切られてしまったが、盾では防げる。

 それも当然。魔法具でもある正騎士の盾は、現代の技術で最高の硬度を誇るユユウワシホで作られているのだから。

 しかしイエニアの剣も決してなまくらというわけではない。

 相手の持つ剣……サーベルが、異様なほどの切れ味を有している。

 それに加えて非常に高い技量と、それを扱う膂力。

 イエニアは強い焦りを覚えた。

 

 ――強い! まずい、これは、私より……!

 

 幸いにも、強いのは初手で不意を突いてきたひとりだけ。

 他の2人は大した使い手ではない。

 イエニアは下がりながら代わる代わる前に出てくる敵の攻撃を捌きつつ、分析した。

 敵3人のうち2人の技量が低いおかげでなんとか凌げているが、完全に防戦一方だった。攻め手に移ることができない。

 守っているだけでは、突き崩されるのは時間の問題だった。

 

 そこへ通路に響き渡る、その声。

 

「打ち崩せ! ――ジャガーノート!」

 

 

> クラマ 心量:61 → 36(-25)

 

 

 黒い炎を象った魔法具が輝き、発動するクラマの魔法。

 アドレナリン分泌。

 運動機能上昇。

 筋肉のリミッター解除。

 ……簡単だが陳情句が入ったため、さらにβエンドルフィンが分泌された。

 これにより鎮痛効果……痛みを感じにくくなる。

 

 体の内側が燃えるような熱量を感じながら、クラマは鋭く息を吐き、狙い澄ました棒の突きを繰り出す!

 クラマの一撃はイエニアの傍をすり抜け、男の胴体を穿つ!

 

 ――ドウゥッ!!

 

 鈍器で打たれたかのような鈍い音をたてて、男の体がくの字に折れる。

 

「ぁ……が、か……!」

 

 チェインメイル越しでも貫く圧倒的な衝撃。

 クラマの一撃によって、男のひとりが地面に倒れ伏した。

 

 これで2対2。

 状況は一転した。

 今こそ攻勢に移る時!

 

「右の方は私が抑えます。クラマは先に左を!」

 

「ああ、分かった!」

 

 まずは弱い方から先に狙って数を減らす。

 敵は相当な猛者だ。だが2対1になれば……。

 秒刻みで流動する戦況の中、イエニアは常に勝ちへのルートを思い描き、選択していく。

 

 だが、その道筋が閉ざされるのは一瞬だった。

 

「え? きゃあっ!」

 

 背後から悲鳴!

 咄嗟に振り向いたクラマとイエニアの目に入ったのは、剣の柄で殴られて倒れるレイフの姿。

 そして背後の脇道から現れた、2人の救助隊……の姿をした敵だった。

 

「な……!」

 

 何故。

 クラマと、そしてイエニアは驚愕した。

 その脇道には、何もないのを確認していたのに。

 

 ――そして、その驚愕が致命傷になる。

 

 その男は一切の躊躇も呵責もなく。

 水が高きから低きへ流れるがごとく、ただただ自然に一刀を振るう。

 落ちる白刃。

 その刃は金色の鎧ごと、イエニアの体を斬り裂いた。

 

「あ――」

 

 一拍遅れて噴き出る血潮。

 がらん、と落ちる金色のプレート。

 クラマの視界に広がった衝撃的な光景。

 しかしその敵は、クラマに驚愕する暇も声をあげる暇も与えてはくれなかった。

 イエニアを斬ったそばから続く動作で踏み込んだ男は、クラマの棒を断ち斬る。

 反射的に下がろうとするクラマ。

 それより男が速い。

 追いすがるように突き出された男の剣。

 その刃はダイモンジの防刃コートも容易く突破し、クラマの脇腹に突き刺さった。

 

 そして、それでも目の前の男は止まらない。

 

 実直と言えば実直だった。あまりにも。

 男は淡々と、ただひたすらに、己の目的に従って体を動かしていた。

 男の剣はクラマの腹から抜かれ、続けて肩口へと振り下ろされる。

 速い。イエニアの剣より速い。

 クラマには避けることができず――

 

「あああああああああああ!!!」

 

 雄叫び、そして轟音。

 クラマに迫る男は、その横っ面を殴られて壁まで吹き飛んだ!

 爆音とも思えるすさまじい音を響かせ、吹き飛んだ男はその勢いで壁を破壊。男の上半身が壁の中に埋まる。

 そうして男に代わってクラマの視界に立つのは、盾を持つイエニア。

 

「イエニ――あ……」

 

 イエニアの胸から下は真っ赤に染まっていた。

 その足元には血だまりが出来あがっている。

 ガシャ、と崩れるようにイエニアは血だまりの中に膝をついた。

 

 手当て――止血を。

 

 果たして間に合うのか。

 この出血量は尋常ではない。

 一刻を争うその時に……背後ではパフィーが襲われていた。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー! ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ……きゃ……!」

 

 詠唱を始めたパフィーが蹴り飛ばされる!

 そいつは追い打ちとばかりに、パフィーの小さな体へ短槍の穂先を突き出した!

 

「――っ!」

 

 クラマは銀の鞭を飛ばし、その短槍を弾く!

 だが、パフィーの傍にはもうひとり。

 振り下ろされる大剣。

 伸びきった鞭では間に合わない。

 クラマは駆けた。

 筋力増強の効果はまだ残っている。

 矢のように駆けたクラマは、半ばから折れた棒を大剣使いに突き出した!

 

 ――が、クラマの突きは大剣の腹で防がれ、相手はさらに返す刀で斬りつけてきた!

 

 ……クラマは失態を悟った。

 相手の動作がスムーズすぎる。

 それは最初からパフィーを斬るつもりがない、クラマに対する誘いの動きだった。

 

 大剣の一撃を受けて、クラマの体が吹き飛び、壁に叩きつけられる!

 

「あ、っぐ……!」

 

 βエンドルフィンの効果で痛みはほとんどない。

 だが衝撃に肺が圧迫されて、呼吸が止まって咳き込む。

 この敵の大剣ではダイモンジの防刃コートは破れなかったが、全身を打たれた筋繊維と内臓へのダメージは大きく、さらに先ほど腹を貫かれた失血もある。

 満身創痍で膝をつくクラマは、それでも駆けつけたパフィーを背中に庇った。

 その体勢のまま、クラマは周囲に目を向ける。

 

 イエニア、レイフは倒れ、こちらは腹を貫かれたクラマ。無傷なのはパフィーだけ。

 対する相手は無傷の3人。そして、さらに……

 

 がら……がら……と瓦礫が崩れる音。

 

「フ……フ、フ、っくくく……」

 

 壁に埋まった男が立ち上がろうとしていた。

 

「く、はははは……なんとも……いや、なんとも……こんな強烈な打撃をもらったのはいつ以来……はは、いや記憶にないな……!」

 

 男は足元がふらついてはいたが、それでも自分の両の足で立ち上がった。

 その兜とガスマスクは片側が砕け、顔の半分が露出している。

 オレンジ色の髪と、青い瞳が見えた。

 

 しかし今のクラマには、男の素性など知っても意味はない。

 ただ状況が絶望的。それだけだった。

 クラマが頭を働かせても、現状を打開する答えがない。

 可能性があるのは、筋力増強の効果が残っているうちに、運量やパフィーの魔法をうまく組み合わせて――というところだったが、あまりに目が薄い。

 問題は、目の前の大剣使い。

 イエニアのパンチを受けて起き上がった男ほどではないだろうが、こちらもかなりの難敵だった。

 クラマの目には隙らしい隙が見えない。

 

 もうひとつの問題は、動けないイエニアとレイフ。

 人質にされる立ち位置となってしまった。

 クラマは確信していた。

 あの男なら、やる(・・・・・・・・)

 

 ガスマスクが壊れて露出した青い瞳。

 クラマはその眼を見た。

 ……(うろ)

 男の眼球には、人の姿が映っていない。

 人を人として見ていない。

 クラマはそのような目に見覚えがあった。

 

 男は仲間の誰が死のうと己の目的を果たすだろう。

 ……だが、クラマはイエニアが、パフィーが、レイフが……仲間が欠けることが前提の選択をすることができない。

 どうしてもできないのだ。クラマには。

 それだけは。

 

 

 つまり詰みだ。

 

 

 現状で出来るクラマの最善は投降だけ……だった。

 そこへ――

 

「ぐあっ!」

 

 男の悲鳴。

 それと同時に、カン、という金属音。

 

 飛来した2本のダガーがクラマの目の前にいる2人のうち、短槍使いの足に突き刺さっていた。

 大剣使いにも刃は飛んだが、大剣で弾かれて地に落ちた。

 

 ダガーを投擲したのはイクスだ。

 イクスは状況を見て、自分が出遅れたと知って歯噛みした。

 と同時に、大剣使いに目を留め、凝視する。

 

「え、その剣……トゥニス……?」

 

「イクス……か……!?」

 

 ガスマスク越しで表情は分からないが、体の動きから大剣使いの動揺が見てとれた。

 その時。

 カラカラ、と音をたててクラマの目の前に転がってきたものがあった。

 イエニアの盾だ。

 

 クラマはイエニアに目を向ける。

 俯いているイエニアの表情は分からない。

 ただ、血の気の失せた唇が動いた。

 

 ――パフィーを、頼みます。

 

 声は届いてこない。

 だが、そう言ったようにクラマには見えた。

 クラマは目の前に転がった盾を拾う。

 

「――逃げるよ」

 

 クラマはパフィーとイクスに告げた。

 そして返事を待たずにパフィーを抱えて走る!

 

「待て――!」

 

 大剣使いが阻もうとする。

 が、ダガーの投擲が大剣使いの行く手を阻んだ。

 

「くっ!」

 

 その隙にクラマは走り抜けた。

 そしてイクスはクラマと並走しながら詠唱を唱える。

 

「――フレイニュード・アートニー!」

 

 ローブの下に着た背中当てが浮力を得て、イクスはクラマからパフィーを受け取って駆ける!

 逃げるクラマ達を追いかけようとした大剣使いだが、追いつけないと知ってすぐに諦めた。

 

 

 

 

 

 ……そうして、クラマ達の姿が見えなくなったのを見届けたイエニアは、血だまりの中へと倒れ伏した。

 



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第40話

 地下ダンジョンの上に蓋をするように広がるアギーバの街。

 暗く険しい地下ダンジョンと違い、今日も地上ではたくさんの人々が穏やかな暮らしを謳歌している。

 夕暮れ時の大通りでは買い物帰りの奥様が談笑し、子供達が笑顔で走り回る。

 そんな平和でゆったりとした空気は、大通りから外れた路地裏でも同様だった。

 

 ここは未だ客の入りが少ない納骨亭。

 納骨亭では昼から営業しているが、酒場だけあって賑わいを見せるのは夜になってからだ。

 今はテーブルやカウンターにぽつりぽつりと、予定のない人達が居座っている程度。

 その予定のない者達の中に、セサイル、マユミ、ノウトニーの3人の姿もあった。

 彼らは同じテーブルを囲んではいたが、セサイルは無言で酒を飲み、マユミはテーブルにへばりついてペンを走らせ、ノウトニーは楽器を奏でる。まったく関連のないそれぞれの行為。マイペースな人々であった。

 

 そんなゆったりとした空気の中。

 しかしひとりの人物の登場によって、突如として慌ただしいものとなった!

 静かな納骨亭に突風のように駆け込む人物。

 それは――

 

「セサイル様! セサイル様はいらっしゃいますか!?」

 

 ティアだった。

 彼女はここまで全力で走って来たのだろう、激しく息を切らせている。

 また、普段の落ち着きようとはうってかわって、大声をあげて店内をせわしなく見渡す。

 その目はすぐに奥のテーブルにいるセサイル達を発見した。

 彼女は早足に彼ら3人の卓まで詰め寄る!

 そしてバンッ、とテーブルに手をかけ、セサイルに正面から顔を突き合わせた。

 

「火急につき用件から失礼致します。我々のパーティーの救助をお願いしに参りました」

 

 それに対して驚きの声をあげたのは、隣で聞いているマユミだ。

 

「ええっ!? クラマ達が!?」

 

 マユミもクラマとは知らぬ中ではない……どころか、この世界でまともに話せる唯一の相手と言って良かった。

 そんなクラマが窮地とあっては彼女も気が気ではない。

 

「せっ、セサイル……!」

 

 マユミはセサイルに目を向ける。

 しかしセサイルは動き出すそぶりを見せず、テーブルに肘をついて椅子によりかかったまま、静かにティアを見つめ返して言った。

 

「……救助なんて間に合わねぇだろう。今日は地下4階まで行ってんだろ?」

 

 冷静な意見だ。

 だがティアは間髪入れずに言い返す。

 

「はい。それでも、無理を承知でお願い致します」

 

 深々と頭を下げるティア。

 それに対するセサイルの答えは……

 

「そうかい。じゃあ、幾ら出せる?」

 

 そのセサイルの言葉に、マユミが横から突っかかる。

 

「報酬なんていいじゃないすか! 助けてあげれば……!」

 

 さらにはノウトニーもその流れに乗る。

 

「急を要する事態にも金銭の交渉が先とは! ああ、なんという非英雄的行為!」

 

「うーるせぇバカども。お前ら冒険者を何だと思ってやがる。こちとら慈善事業でやってんじゃねぇんだ。冒険者にものを頼むって事は、仕事を依頼するって事なんだよ」

 

 セサイルの言う通り、この世界の冒険者とはそういうものだった。

 冒険者が揃ってダンジョンに挑んでいるこの街は、少しばかり特殊な環境にある。

 通常、冒険者というのは依頼をこなして報酬を得て、その稼ぎを路銀として旅を続ける者達のことだ。

 

「うぅ……でも……」

 

 セサイルの主張にマユミは言い返そうとしても言葉が出ない。

 なにしろ実際のところ危険を冒してダンジョンに潜るのはセサイル本人なのだ。

 この平和な地上でぬくぬくと待っているだけのマユミが言葉を挟めようはずもない。

 ノウトニーも悲しげに首を振る。

 

 近くでは、彼らのやりとりを看板娘のテフラが固唾を飲んで見守っていた。

 テフラはカウンターの奥にいるマスターへ何度か目を向けるも、元冒険者のマスターは黙したままだった。

 誰もセサイルの言葉に異を唱えることができない。

 それは当のティアも同様。彼女はセサイルの言葉に頷き、そして告げる。

 

「申し遅れましたが、正式な依頼と取って頂いて構いません。もちろん救助が間に合わなくても、報酬はお支払い致します」

 

「おう。で、報酬は?」

 

 報酬。

 彼女達が国から持ってきた軍資金はクラマの保釈金で使い切っている。

 だが、ティアは迷わず答えた。

 

 

「わたくしに出来る事なら、何でも」

 

 

 その答えにセサイルは目を見開き、周囲がざわめいた!

 セサイルはまじまじとティアの目を見返す。

 聞き返すまでもない、それは本気の目だった。

 ふーっと息を吐いてセサイルは椅子から立ち上がる。

 

「いいぜ、やってやる」

 

「なんと……仲間を救わんとするために、その身を捧げるとは……」

 

「そんな……セサイル……」

 

 マユミはどこか恨みがましいような、不安げな目でセサイルを見る。

 そんな視線も意に介さずに、セサイルはティアを伴って納骨亭を後にした。

 

 

 

 

 

「お引き受けくださいまして、ありがとうございます」

 

「なあに、あんたほどの人物にそこまで言われちゃ、断るわけにもいかねえ」

 

 セサイルはそう言って、ティアに意味深な目を向ける。

 亡国最後の将、セサイル。

 こう見えて彼は王侯貴族との付き合いが深い。

 彼は上から下まで幅広く、様々な身分の人間と接してきた経験がある。

 故に相手の立ち振る舞い、雰囲気から、どのような人生を歩んできたかをおおよそ察することができるという特技があった。

 そのセサイルの見立てによれば……

 

「――あんた、メイドじゃあないだろう」

 

 ティアはその問いには答えない。

 代わりに別の言葉を告げる。

 

「申し訳ございませんが、お話は後で。先を急ぎます」

 

「おう、そうだな」

 

 セサイルも深くは詮索しない。

 そうして2人は並んでアギーバの街を駆けた。

 

 

----------------------------------------

 

 そして一方、地下深くのクラマ達は――

 

「オクシオ・ヨニウェ……サウォ・ナアウェ・アーラエ・ヨサエ・ジェエラエ・アスセ・フェラエ・ヌウチセ……全方位警戒、集音。重要度差別開始。……アートニー・フーロウ」

 

 

> イクス 心量:384 → 364/500(-20)

 

 

 安全と思われる場所まで避難したクラマ達。

 イクスはまず奇襲防止のために、立哨(りっしょう)の魔法を使用した。

 浮力を得て体を軽くする『フレイニュード・アートニー』の他にもうひとつイクスの魔法具に入っている、『アートニー・フーロウ』。

 これは知性を司る第七次元(ヨニウェ)を操る魔法。

 この魔法は使用者が無意識のうちに重要と感じる音を拡大し、重要でないと感じる音を遮断する。

 イクスが長い間ダンジョンの中で逃げ延びることができたのは、ひとえにこの魔法のおかげであった。

 

 そうしてイクスが周囲を警戒。その間、パフィーがクラマの手当てを行う。

 クラマは重傷だった。

 サーベルで貫かれた脇腹は、一刻も早い治療が必要だ。

 コートに描かれた大きな赤い円は、いまだに広がり続けている。

 

「包帯、包帯は……あっ、レイフの荷袋の中……!」

 

 手元に包帯がない。パフィーは焦る。

 

「これ、使って」

 

 そこへイクスが自分のローブを切って手渡す。

 

「あ、ありがとう!」

 

 パフィーは早速、クラマの脇腹に包帯代わりのローブを巻いてゆく。

 その様子はいつになく落ち着きがなく、傍目にも強い動揺が見てとれた。

 しかしそれは無理からぬことであった。

 普段の大人びた言動から忘れがちになるが、パフィーはまだ年端もいかない少女。

 パーティーの要であったイエニアが倒れ、さらには親しいクラマが目の前で命の危機に瀕しているという状況。ショックを受けるのは当然だった。

 

「た、たぶんこれで大丈夫……大きな血管は避けてるみたいだから……安静にしてれば……」

 

「パフィー……少しいいかな」

 

「な、なに、クラマ!? どうかした!?」

 

 クラマは横になったままパフィーに頼み事をする。

 

「魔法で止血して欲しい」

 

 パフィーの見立てでは致命傷ではないという。

 だがクラマとしては、今は少しでも失血を減らしたかった。

 

「わ、わかったわ! 任せて!」

 

 クラマに言われたパフィーは、すぐに止血魔法の詠唱を行う。

 

「オクシオ・ビウヌ! ユトゥノハ・イーオ・スデデヌ・ソネゥレエ・ノウニウ……オクシオ・センプル!」

 

 傷口周囲の血流を停滞させる魔法だが、しかし……

 

「……あ、あれ? どうして……!?」

 

 魔法は発動しない。

 詠唱に失敗すると効果は発動せず、心量も消費されない。

 パフィーの唱えた言葉に間違いはなかった。

 失敗したのは詠唱の内容を立体的に思い描く「心想律定」だ。

 魔法具を使わない魔法の詠唱では、口から発した詠唱と、この心想律定の脳内イメージが一致しないと発動に失敗する。

 

「も、もう一度……! オクシオ・ビウヌ! ユトゥノハ・イーオ・スデデヌ・ソネゥレエ・ノウニウ! ……オクシオ・センプル!」

 

 再度の詠唱。

 だが、やはり不発。

 

「どうして……わたし、こんな失敗したことないのに……!」

 

 《森の魔女》の弟子達の中でも、パフィーは特に詠唱の失敗が少なく、それが彼女のささやかな自慢でもあった。

 失敗の理由が分からず、泣きそうな顔で狼狽えるパフィー。

 その目が、イクスの手で塞がれた。

 

「……落ち着いて」

 

「え、あ、イクス……?」

 

 イクスはパフィーの後ろから手を回して目隠しをしていた。

 

「わたしがパーティーを組んでた魔法使いはよく失敗してたけど、そういう時は目隠ししてやり直してた」

 

 パフィーはその言葉に、自分が魔法の修練を始めた頃のことを思い出していた。

 心想律定に慣れないうちは、目隠しをして練習をする。

 視覚情報を遮断することで、より深く己の内に埋没するためだった。

 

 そして前が見えないパフィーは、自分の頭に優しく手が置かれたのを感じた。

 この手の感触には覚えがある。

 クラマの手だ。

 パフィーの耳に、クラマの穏やかな語り声が聞こえてくる。

 

「大丈夫だよ、パフィー。失敗してもいいんだ」

 

「え……? だ、だめよ、魔法の詠唱は絶対に成功するって思ってやらないと……」

 

「うん、そうだね。でも、仮にパフィーが失敗して取り返しのつかない事になったとしても、僕は恨んだりしないよ。イエニアもレイフも、きっとそうだと思う」

 

「それは……」

 

「パフィーはどうだろう? 僕らのミスでパーティーが壊滅したとして、どう思う?」

 

「………………」

 

 パフィーは想像する。

 文句のひとつやふたつは言うかもしれない。

 しかし、自分が仲間を恨んだりということは考えられなかった。

 

「だから、いいんだ。ただ自分のやるべき事をやればそれでいい。その結果がどうなったとしても」

 

 そう言って、クラマはくしゃっとパフィーの頭を撫でた。

 

 

 

 ――己の成すべきことを見極めなさい。

 

 パフィーは師の言葉を思い出す。

 

 ――心量は無限じゃない。魔法の用途は限られている。だから魔法使いは魔法に頼ってはいけない。するべき事を見定めて、正しく選択するのが最も大事なこと。そのためには知識が必要になるから、今のうちに知識を溜め込んでおきなさい。

 

 敬愛する師の教え。

 それはパフィーがいつでも心掛けていたことだったが……。

 イクスとクラマのフォローで、思い出すことができた。

 

 

 

「……うん」

 

 パフィーは頷き、大きく息を吸った。

 

「もう一度やるわ。――オクシオ・ビウヌ」

 

 落ち着き払った声。

 先刻までの動揺は何処かへと消え去り、普段通りのパフィーがそこにいた。

 

「ユトゥノハ・イーオ・スデデヌ・ソネゥレエ・ノウニウ――オクシオ・センプル!」

 

 

> パフィー心量:334 → 318/500(-16)

 

 

 魔法が発動。

 クラマの傷口付近の血流が緩やかになり、止血が早まる。

 

「傷自体はこれで……でも失血は戻らないわ。だから……」

 

 パフィーは水袋を取り出して、近くにあった手ごろな容器に移した。

 それは真っ赤な液体。爪トカゲの血液だ。

 パフィーはそれを銀の鞭でよーく掻き混ぜる。

 

「銀は消毒作用があるから便利ね。解毒魔法の消費を抑えられる」

 

 しばらくしてパフィーが銀の鞭を引き上げると、鞭の先には繊維状の固形物が絡みついていた。

 

「血液は棒で掻き混ぜると、消化に悪い成分を取り除くことができるの。こうすると簡単に完全な栄養食が出来上がるのよ」

 

 普段の調子の戻ったパフィーは、持ち前の智慧を披露してくれる。

 そうしてパフィーはクラマに液体の入った容器を差し出した。

 

「血液は催吐作用があるから、少しずつ飲んで?」

 

「うん」

 

 この手のものも、クラマはもう慣れたものだ。

 特にイエニアを手伝って獣の解体をしたことで、グロテスクなイメージには耐性がついていた。

 クラマは渡された容器に口をつける。

 口内に広がる濃厚な鉄の味。

 

「血液を飲んだからといって、そのまま吸収されるわけじゃないけど……鉄分の補給は重要よ」

 

 クラマは時間をかけてちびちびと飲む。

 その間に3人は、これからの事を相談する。

 

「こういう時は救助隊を呼ぶのが普通だけど……」

 

 パフィーはそう呟いたが、詮ないことを言っているのは本人も承知していた。

 ギルドの救助隊は地下4階には来ない。

 それに、襲ってきた敵は救助隊の格好をしていた。それは襲撃者がギルドと通じている可能性を示唆している。

 

 それ以前の問題もある。

 そもそも、2人はまだ生きているのか?

 特にイエニアの出血量は尋常ではなかった。

 仮にあの襲撃者が、残った2人を殺すつもりがなかったとしても……

 

「……助けに行っても、イエニアはもう……」

 

「パフィー、ふたりが助からないという可能性は捨てよう。必ず助ける、そう考えて動くんだ」

 

「あ………う、うん、そうよね!」

 

 自分に言い聞かせるようにパフィーも同意した。

 続けてクラマは、先ほどの戦闘で気になったところがあったのでイクスに話を振る。

 

「ところでイクス、今の戦闘でトゥニスって言ってたけど……確かその名前は……」

 

 それはイクスのパーティーメンバーの名前だ。

 イクスはクラマに目を向けて答える。

 

「気にしないで。今はわたしもこっちに集中する。なんでトゥニスが向こうにいるか分からないから、考えても仕方ない」

 

「そっか……分かった」

 

「とにかく今は早く上に戻った方がいい。ここはいつ敵が来るか分からない」

 

 その提案に対して、クラマは首を横に振った。

 

「いや、ここで待とう」

 

「そうね……クラマの傷口が塞がって、体力が回復するまで……」

 

「いや、もう歩けるから大丈夫だよ。でも……」

 

「でも……?」

 

 怪訝な顔で聞き返すパフィー。

 クラマはイエニアの盾を手元にたぐり寄せて、言った。

 

「来るはずなんだ。さすがに……今度ばかりは」

 

 そう言って、クラマはぎゅっと胸元に盾を抱え込んだ。

 パフィーとイクスは頭に疑問符を浮かべて顔を見合わせた。

 

 

 

 

 

 ……クラマ達の会話を、ティアがどこかで聴いているのは分かっていた。

 あれは夜中にティアを追いかけ、初めてクラマがティアと会話した時。

 “イエニアがこれからティアに話すはずの内容”をティアは既に知っていた。

 それ以外にも、イエニアに話せばティアといつでも連絡がついたりする事から、この2人の間には何らかの通信手段があるのだろうとクラマは考えていた。

 

 クラマはずっと、頑なに外そうとしないイエニアの鎧がそれだと思っていた。

 だが先ほどイエニアが盾を滑らせてきた時、クラマの脳裏で繋がるものがあった。

 薄暗い小屋の中だったが、確かに記憶している。

 まったく同じ盾が、ティアが隠れる小屋の壁に立てかけられていたことを。

 

 おそらくこの盾に通信や発信機の機能がある。

 でなければ、瀕死のイエニアがわざわざ盾をこちらによこした意味がない。

 今の会話も、きっとティアに届いているはずだ。

 そして、ティアがイエニアを見捨てる事はない。

 ティアがイエニアを助けるためには、今すぐ降りてくるしかない。

 時間が経てば経つほど無事でいられる可能性が落ちていくのだから。

 だから待つ。

 降りてきたティアが見つけやすいように、このまま動かずに。

 

 普通ならば、生き残った者の安全を優先する。

 しかしティアは、たとえパーティー全滅の危険があろうとイエニア生存の可能性に賭けるはず。

 その点においてクラマとティアの考えは一致している。

 

 ……これがクラマの読みだった。

 この読みが正しいか否か。

 果たしてその答えはすぐに出た。

 

 

 

 

 

「ここにいましたか、皆様」

 

 しばらく待つと、メイド服の上から鎧を着込んだティアが、セサイルを伴って姿を現した。

 クラマは身を起こしつつ、わずかに口の端を歪めて言う。

 

「来たね」

 

「ええ、お待たせいたしました」

 

 ついにダンジョン内で姿を見せたティア。

 彼女の左手には、イエニアと同じ正騎士の盾。

 そして右手には、漆黒の槍を携えていた。

 



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第41話

 規則的な緑の線が入った、一面の白い壁。

 ここはダンジョン地下4階にある、通常の手段では入ることのできない隠し部屋。

 ワイトピート率いる邪教の徒の隠れ家である。

 その中にいくつかある、監禁部屋の一室にて。

 邪教の徒に運び込まれたイエニアとレイフは後ろ手に手錠をかけられて、地面に転がされた。

 

「あいったたた……もう、乱暴ねぇ」

 

「ぅ……」

 

 イエニアは地面に投げ出されても、ほとんど反応を示さない。

 出血多量により意識は混濁しており、薄く開いた瞳は虚ろで、焦点を結んでいなかった。

 イエニアの体には申し訳程度の包帯が巻かれてはいたが、もっと本格的な治療が必要なのは明らかだった。

 レイフは上半身を起こして、部屋にいる3人の男に声をかける。

 

「ねえ、あなたたち。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかしら?」

 

「あぁーん?」

 

 手前の男が反応した。

 レイフは男に向けて、媚びるような上目遣いを向けて言う。

 

「この子にしっかりした治療をしてあげられないかしら? そうしたら……とっておきのサービス、してあげるんだけど……ね?」

 

 レイフはちらりと唇から舌先を覗かせ、男たちに向けて意味深な微笑みを見せた。

 同時に足を崩してしなを作り、わずかに肩を張ることで豊満な乳房を揺らして強調してみせた。

 洗練された男を誘う動作。

 男たちの目も、レイフの体に釘付けになる。

 が……

 

「プッ……ハハハハッ! まーまーまーまー、そのうち自分からやりたくなってくるから、焦んなって!」

 

 さも可笑しそうにヘラヘラと笑う男たち。

 まるで緊張感のない、あまりに気楽な場の空気。

 その連中の様子を見て、レイフは悟った。

 彼らにとって、こうした事は一度や二度ではない。日常に近い出来事なのだと。

 自分たちの絶対的優位を自覚しており、目の前の獲物がこれから自分らの「思い通りになる」ことを――おそらくは過去の経験から――確信している。

 ……こうなれば、どのような交渉も成立し得ない。

 レイフは苦々しく奥歯を噛んだ。

 

「まーしかし、言うだけあるよなぁ、コレは」

 

 そう言って男のひとりが懐からナイフを取り出すと、軽い手つきでレイフの上半身の衣服を下から上に切り裂いた!

 レイフの胸部を押さえていた布が取り払われ、弾かれたように豊満な乳房がまろび出る!

 

「ウヒョー、でっか! 今までの中で一番じゃね?」

 

「たまんねー、とりあえず挟んでみっか」

 

 下卑た笑いを浮かべて、品のない言葉を口々に吐き出す男たち。

 その態度はワイトピートがいる時とは大違いだった。

 それもそのはず。彼らは敬愛するワイトピートの前では、気に入られたい一心で猫を被っているのだ。

 ワイトピートと出会う以前の彼らは、貧民街で窃盗や恐喝を繰り返すギャング気取りの若者であった。

 やがて地元のシーフギルドに目をつけられて、捕まった彼らはそこで殺されかけたが、そこを運良く通りかかったワイトピートに救われた。

 そして、その悪辣かつ伊達男の振る舞いに魅了されて配下となったのだ。

 元軍人のワイトピートに合わせて彼らも軍人の真似事をしているが、ワイトピートの目を離れれば、こうして元のチンピラに戻ってしまう。

 とりわけ、その傾向が顕著なのが……

 

「ハァァァァ~~~~……まァたババアかよ。いいかげんにしてくれやマジでよォ」

 

 レイフの乳房を見ようともせず頭を掻く男。

 コーベルである。

 

「肝心のやつを逃がしてんじゃねェよクッソババアが! ああああーイライラしてきた」

 

 そう言ってコーベルは手近にあるバケツを蹴り飛ばした!

 ガランガランと部屋の隅をバケツが跳ね回る。

 

「出たー、ロリコンコーベル」

 

「そうカリカリすんなよ。ほら、そっちの女はお前好みじゃね? 真っ平らじゃん、胸」

 

「あァ?」

 

 仲間に言われて、コーベルはイエニアに目を向けた。

 鎧を脱がされて素肌の上に包帯を巻かれたイエニア……その胸を見る。

 起伏の少ないなだらかな平面が、呼吸のたびに浅く上下していた。

 

「筋肉つきすぎだろ。あー、でも……あーーーーーー……顔隠せばイケるか」

 

 コーベルはやおらバケツを拾うと、イエニアの顔に被せた。

 そうして、彼女の胴に跨って馬乗りになる。

 

「お! 案外いけるかもしれん。包帯の中に突っ込んでみるか」

 

「おいおい、そんな事したら死ぬぞそいつ」

 

「知るか。この傷ならどうせ死ぬだろ。お前らもやってみろよ、グズグズの傷口でこすると、ぬめりがあって病みつきになるぞ」

 

 そんな事を言いながら、カチャカチャとズボンのベルトを外そうとするコーベル。

 ――そこへ横から飛んできた声。

 

「女の人が怖いの? あなた」

 

 ぴた、とコーベルが手を止める。

 そして彼はゆっくりと、声の発生源――レイフに目を向けた。

 

「……あァ?」

 

「ふふふ、だって小さな女の子じゃないと安心できないんでしょ? 分かるわ~、自信がないのよね、男として。うんうん」

 

 にやにやと笑いながら、小馬鹿にするような目をコーベルに向けるレイフ。

 言われたコーベルの顔が石像のように固まり、瞳孔が開いていく。

 

「あら、怒った? ああ~、ごめんなさいねー、図星刺しちゃって。でも大丈夫! 私のおっぱいで挟んでも先が出てこないくらい小さくても、私は別に気にしたり――」

 

 レイフが喋っている途中で、コーベルはレイフに馬乗りになって殴りかかった。

 

「っだるおォ!! くそっラァ! あァッ!?」

 

 意味の通じない怒声をあげて、コーベルは押し倒したレイフの顔面を何度も何度も殴りつける!

 手錠で手を塞がれているレイフは、防ぐこともできずに殴られ続けた。

 

「おい、その辺にしとけって! せっかくの上玉なんだからよ!」

 

 と言って仲間がコーベルをレイフから引き剥がす。

 

「あーあ、ボコボコじゃん。こんなんじゃ俺らも萎えちまうじゃんよー」

 

 レイフの顔を見た男がコーベルに文句を言う。

 しかし興奮したコーベルには周りの言葉も届いていないようで、奇声をあげて暴れ回る!

 

「アアアアアアアアアーーーーークソアアアアアアアーーーーッ!!!!」

 

「だめだこりゃ。外つれてけ、外」

 

 ……そうしてコーベルは仲間のひとりの手で部屋の外に連れ出された。

 部屋にひとり残った男は、倒れたレイフを見て顔をしかめる。

 

「はぁー……ったく、俺らのことも考えろよなー。しゃーねえ、俺もあいつのアイデアを借りるとすっか」

 

 そう言って男は、イエニアに被されていたバケツをレイフの頭に被せた。

 

「さーて、それじゃあ使わせてもらいますよっと」

 

 言うが早いか男はベルトを外し、自らのズボンを下ろした。

 レイフの意識は鮮明にあったが、繰り返し殴られた痛みに口を動かすこともできず、ただ男の行為をその身で受け止める事しかできなかった。

 

 

----------------------------------------

 

 ワイトピートは己の私室でひとり、手鏡を相手に睨めっこをしていた。

 

「ふぅ~む……やはり似ている……むむ……」

 

 こじんまりとした小部屋だった。

 部屋にはいくつもの調度品が配置されているが……その規則的な配置とは裏腹に、調度品の統一感がなく、どこか歪な雰囲気があった。

 その中にいるワイトピートはすでに救助隊の装備を脱ぎ去っている。

 私服でくつろぐワイトピート。

 その彼のもとへと、トゥニスが尋ねてきた。

 

「おい、話がある」

 

「おお、きみから会いに来るとは珍しい! 嬉しいよ、私は」

 

 トゥニスはその軽口には応じず、鋭く睨み据えるような目で訊く。

 

「……あの女たちも、私のようにするのか?」

 

 あの女たち。

 その言葉が先ほど捕らえたイエニアとレイフを指していることは、わざわざ問い返すまでもなかった。

 ワイトピートは手鏡を机上に置いてトゥニスの問いに答える。

 

「ふむ。そうだと言ったら、きみは怒るかね?」

 

「別に。お前がそういう人間だということは承知している。だが、あいつらに任せておいたら死ぬぞ。お前の部下は自制心を忘れたトカゲの群れだ」

 

 その言葉にワイトピートは手を叩いて大笑する。

 

「ぬあっはッはッはッ!! これはひどい、せめて人間として扱ってあげる気はないのかね!?」

 

 ワイトピートはひとしきり笑ってから、椅子に座ったままトゥニスに向き直った。

 

「しかし誤解しないで欲しいな。捕らえた冒険者は可能な限りの悲劇を演出し、“奉納”するのが本来のやり方だ。我々の心量回復のためにね。……そう、きみは特別なのさ。きみの美しさに、私が惚れ込んでしまった」

 

 いきなり紳士の口から情熱的な言葉を捧げられたトゥニスはしかし、不機嫌そうに目を細めた。

 

「どうせ、あの騎士の女が仲間になれば同じ事をのたまうのだろう、その口は。お前は優秀な部下が欲しいだけだ。あの能無しどもに愛想が尽きている。違うか?」

 

「まさか! 彼らはよく働いてくれているよ。いや、しかし……きみが我々を恨むのは当然だ。仲良くしてくれなどと言うのは、少々虫が良すぎる話か……すまない」

 

 そう言って、ワイトピートはしょんぼりとしょげて頭を下げた。

 

 

 

 トゥニスはワイトピートの言葉を信じていない。

 彼は根っからの嘘吐きだ。

 口当たりの良い言葉とで人をたぶらかす、真性の詐欺師。

 控えめに言って、その人間性はクズにあたる。

 信用できる要素など何処にもない。

 

「……で、どうする? 放っておくのか?」

 

「ふむ。きみがそう言うのなら、私から彼らに伝えておくとしよう。代わりにひとつ頼まれてくれるかな?」

 

「なんだ?」

 

「第四区画に罠を設置して貰いたい」

 

 第四区画は、先ほどの襲撃に際して“表”との出入りに使用した通路だ。

 トゥニスはワイトピートの意図を問う。

 

「……どういうことだ?」

 

「近いうち……明日か明後日には、逃げた者達が集めた冒険者の一団か、あるいはギルドからの討伐対がここへ来るはずだ。今のうちに備えておかねばな」

 

「そうか。……改めて聞くが、本当にあの連中は追わなくて良かったのか?」

 

 襲撃した相手を逃せば、大事になるのは目に見えている。

 追跡困難だからといって、早々に諦めたりせずに捜索するべきだったのではないかとトゥニスは考えていた。

 

「いいのさ。いずれ必ず来るものが、いま来ただけのことだ」

 

 地下に籠もって降りてきた冒険者を襲撃。

 そのような事が取りこぼしも目撃者もなく、延々と続けていけるわけがない。

 元より無理のある計画。

 そしてそれは、この計画を立案した者も承知している。

 すなわち予定調和であった。

 

「ここが襲撃された際、少しでも危ないと思ったらすぐに逃げたまえ。きみだけでもね」

 

 その言葉にトゥニスは眉をひそめる。

 

「あの3人には伝えないのか?」

 

 ワイトピートは椅子から立ち上がった。

 そしてトゥニスの前に立ち、肌を重ねるほどに近付いて囁く。

 

「言っただろう、きみは特別だと」

 

 ワイトピートはそのまま、トゥニスの唇へと自らの唇を重ねた。

 深く、貪るような情熱的なキス。

 ワイトピートは舌を差し入れると、トゥニスの舌と絡めて――

 

 ガリッ! と差し入れた舌を噛まれてワイトピートは唇を離した。

 

「おおっと! これは熱烈な挨拶だ……」

 

 ワイトピートの口内を血の味が広がる。

 トゥニスは鋭く一度ワイトピートを睨みつけると、

 

「罠を作ってくる」

 

 とだけ言って、部屋を出ていった。

 

「フフ……さて」

 

 改めて椅子に座り直すワイトピート。

 監禁部屋へ忠告に行くつもりなどない。

 あれはトゥニスの機嫌を取るためだけの嘘だ。

 

「果たしてどちらが来るかな? 願わくば……」

 

 ワイトピートは机の上に置いた手鏡を拾い上げると、もう一度その鏡面を覗き込んだ。

 

 

----------------------------------------

 

 そして一方、クラマ達。

 地上から地下4階へと駆けつけたティアと、クラマは話す。

 ティアとセサイルはここに来る途中で戦闘のあった場所へ寄ったが、そこにはイエニアやレイフはおらず、血痕しか残されていなかったという。

 ティアが話し終わったところで、後ろに控えたセサイルが口を開く。

 

「まぁ生き残りがいただけでも上々だ。その襲ってきた奴らってのが何だか分からねぇが、ダンジョン内で人探しをするには人手が足りねぇ。まずは上に戻ってからだな」

 

 というセサイルの正論。

 それをクラマは却下した。

 

「いや、時間が経つほどオノウェ調査の精度は落ちる。追跡するなら今しかない」

 

「おいおい……相手の素性も分からねぇのに、これだけの数でか? そりゃ危険が過ぎるだろ」

 

 それに対して横からティアが回答する。

 

「そのための貴方です、“赤熱の双剣”セサイル様。依頼は『我々のパーティーの救助』です。途中で戻られるようでは、報酬はお支払いできかねます」

 

「チッ、報酬相応って事か……まぁ、そんなウマい話はねぇわな。しょうがねえ」

 

 セサイルは頭をかきつつ納得して、イクスに目を向けた。

 

「ところでそこの嬢ちゃんは何だ? どこぞの掲示板で見かけたツラだが」

 

「彼女は協力者です、我々の。これもまた他言無用でお願い致します」

 

「ハァ……抜け道は掘るわ、指名手配犯と組むわ……とんでもねぇ不正行為の塊だなお前ら……。だが正解だ。本気でダンジョンの踏破を目指すなら、それくらいしないといけねぇ。ま、目をつぶるくらいならいくらでも構わんぜ。それくらいの報酬だからな」

 

 クラマは以前、レイフに聞いた話を思い出した。

 クラマ釈放のための保釈金で、イエニア達の資金がほとんどなくなったという話。

 一体どの程度の金額をセサイルに提示したのか気になるところだったが……今はそこを問い詰めている暇はない。それより先にするべき事がある。

 

 クラマ達5人は戦闘があった場所へ戻った。

 そうしてパフィーがオノウェ調査の魔法で、彼らの行き先を探る。

 

 

> パフィー心量:318 → 291/500(-27)

 

 

 時間も経っていないので、魔法による調査は容易く成功した。

 そして、判明したその行き先は……

 

「ここ……のはず、だけど……」

 

 パフィーが指し示したのは戦闘のあった地点の少し後ろ。

 すぐ先が行き止まりになった道。

 戦闘中に背後から2人の増援が現れた場所である。

 

「やっぱり隠し通路か。パフィー、隠し通路の位置と、開け方を調べて」

 

「わかったわ」

 

 まずパフィーは隠し通路の位置を特定する。

 

 

> パフィー心量:291 → 268/500(-23)

 

 

 奥の行き止まりから少し手前あたり。

 見た目はまるっきりただの壁だ。

 そしてパフィーは続けて、隠し扉の開け方を調べる。

 

 

> パフィー心量:268 → 190/500(-78)

 

 

 その方法も判明する。

 だが……

 

「だめ……開けられない。これは登録した人間が手を触れることで開く仕組みだわ」

 

 まさかの生体認証だった。

 途方に暮れるパフィーの前に、ティアが出る。

 

「皆様、少し下がってください」

 

 言って、ティアは盾を背中にかけて黒槍を両手に持つと、槍の穂先を壁にそっと押しあてた。

 その槍の穂は、独特の形状をしていた。

 四つの切っ先を束ねたような形で、通常なら尖っているはずの先端は、逆に円錐状にくぼんでいた。

 クラマは槍というより、どことなく砲身に近いイメージを受けた。

 パフィーが下がると、ティアは詠唱を始める。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー……サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……其は正義の使途、悪を潰やすヴィルスーロの槍よ。今こそ激憤の咆哮を上げよ――ヨイン・プルトン!」

 

 

> ティア 心量:488 → 438/500(-50)

 

 

 ――爆音、衝撃。

 槍の先端より発生した爆発が、通路内に轟音と突風を巻き起こす!

 離れていてもたたらを踏むほどの強烈な衝撃波。

 もうもうと立ちこめる煙が収まるとそこには……人が余裕で立って通れるほどの大きな穴が、壁を打ち破って穿たれていた。

 

「ヒュ~……こいつはすげぇ」

 

 セサイルが口笛を吹いて感嘆する。

 すさまじい威力だった。

 

「さあ、行きましょうか」

 

 一同はそうして、壁に開いた大穴から、隠された場所へと侵入した。

 捕らわれたイエニアとレイフ……仲間を救うために。

 



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第42話

 仲間を救うため、敵の隠れ家へと侵入したクラマ達。

 壁に開いた大穴を抜けると、まず最初に長い階段があった。

 5人の先頭をクラマが行く。

 

「時間が惜しい。突っ切っていくから、ついて来て! パフィーは道を調べてくれる?」

 

「わかったわ!」

 

 そう言ってクラマは運量を使用して「罠の無力化」と、「侵入が察知されない」という2つを願って走る!

 時間を惜しむ故の大雑把な願い。

 やはり罠が設置されていたのだろう、進むたびに運量がごりごりと削られていく。

 

 

> クラマ 運量:4502 → 996/10000(-3506)

> パフィー心量:190 → 139/500(-51)

 

 

 階段を降りきってから、何度か道を曲がったところで運量が残り1000を切る。

 

「間に合うか……?」

 

 このまま運量が尽きるまで行くべきかどうか。

 この辺で運量の使用を中止しておいて、いざという時のために残しておくべきか。

 あるいは片方だけ切るべきか。

 正解が分からない。

 運量は複数の願いを同時に使用すると、どこで減っているのかが分かりにくいため判断に困る。

 迷うクラマに、パフィーが告げた。

 

「クラマ、あと300メートル!」

 

 わざわざ地球の距離単位に変換して言ってくれるのが、今のクラマには有り難い。

 

「…………」

 

 このペースでは目的地まで運量はもたない。

 だがこの程度の距離なら、たとえ途中で見つかっても目的地に着く前に囲まれる事はないはず……。

 クラマはそう判断して「侵入が察知されない」方の願いを解除した。

 罠だけ無力化して突き進む!

 

「デル・ティケ! 侵入が察知されない願いを取り消し!」

 

 と、クラマが唱えた直後だった。

 

「なんだお前らは!?」

 

 願いを中止して早々に発見された。

 大剣を背負った女――トゥニスがクラマ達の前に立ちはだかる。

 背中から獲物を抜いて構えたトゥニス。

 その姿を見たイクスが叫ぶ。

 

「トゥニス!」

 

「むっ、イクスか……!」

 

 トゥニスとイクスの視線と声が交錯する。

 しかし構えた大剣に交わされたのは、別の手から伸びた刃。

 

 奔る双剣。

 ぶつかる剣戟。

 

 瞬時に躍り出たセサイルが、その双剣をもってトゥニスの大剣を抑え込んでいた。

 

「お前らは先に行け。オレもすぐに後を追う」

 

 気負いもなく、軽い口調で言ってのけるセサイル。

 その余裕すら見える横顔を信じて、クラマは先を急いだ。

 

「……………」

 

 イクスはトゥニスに目を向けて立ち止まりかけたが、すぐに迷いを振り切って、クラマの後を追った。

 今はこちらに集中する。

 そう言った自らの言葉を偽らないために。

 

 

 

 

 

 クラマ達4人が過ぎ去った後、トゥニスは気合を込めてセサイルを押し返した!

 

「はっ!」

 

「おっと……」

 

 セサイルはそれに逆らわず、自ら下がって距離を取り直す。

 トゥニスはつい先刻、ワイトピートに告げられた言葉を思い出していた。

 

「明日か明後日には来る……か。ふ、あの男にも読み違いがあったか。いや、あの言葉が本当かどうかも……考えるだけ無駄か」

 

 なにやらぶつぶつと独り言を言いだした相手に、セサイルは呆れて言葉をかける。

 

「おいおい、なに言ってんだか分からねぇが、敵を前にしてずいぶんと余裕じゃねぇか」

 

「なに、気にするな。余裕はお互い様だろう。私を前にして、すぐに後を追うなどと」

 

 言われてセサイルは、ニィッと犬歯を見せた。

 

「確かめてみるか?」

 

 その言葉と同時に、空気が変わる。

 セサイルの立ち姿から強烈な威圧感が発散された。

 気配なく刃を滑らせるワイトピートとは対照的。

 爛々と輝きを放つセサイルの瞳は、獲物を前にした肉食獣のそれだ。

 相手の気配を感じ取ることに敏感なトゥニスは、その荒ぶる気質を前にして――(わら)った。

 (たぎ)る戦士の血。

 死力を尽くす激闘への期待を抑えられない。

 

「ああ、お前の剣を私に見せてくれ」

 

「ハッ、上等だ! 後悔するんじゃねえぞ!」

 

 瞬間、セサイルは猛獣のごとき跳躍をもって躍りかかった。

 地下深くの通路にて、ふたりの戦士の魂が幾つもの火花を散らし、眩く激突した。

 

 

----------------------------------------

 

> クラマ 運量:1196 → 668/10000(-528)

 

 

「はー、はー……こ、ここよ……この扉の奥……!」

 

 全力で走り続けて息も絶え絶えのパフィーが、一枚の扉を指さした。

 ついに目的地へ辿り着いたクラマ達。

 クラマは扉を調べたが、取っ手もドアノブもない。

 案の定ここも生体認証が必要な自動ドアのようだった。

 その扉の前にティアが歩み出る。

 

「皆様、下がってください。爆破します」

 

 言って、ティアは黒槍の先を扉に押し当てた。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー……サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……ヨイン・プルトン!」

 

 

> ティア 心量:438 → 388/500(-50)

 

 

 槍の先端より噴出した爆轟が扉を吹き飛ばす!

 クラマ達は立ち込める粉塵を掻き分けるように部屋へ突入した。

 

 幸いなことに、敵は部屋の中にいなかった。

 

 いるのは床に転がった2人の女性。

 

 イエニアとレイフ。

 

 

> クラマ 心量:36 → 257(+221)

 

 

「ひ、ひどい! イエニア! レイフ! 大丈夫!?」

 

 パフィーが倒れた2人に駆け寄る。

 レイフの周りには破り捨てられた衣服と、様々な体液が散乱していた。中には血も混じっている。

 一見するとレイフの状態は酷いが、目立った外傷は殴られた顔の痣くらい。

 逆にイエニアの方は深刻だった。乱暴に巻かれた包帯からは血が滲み出ており、今すぐにしっかりとした処置が必要だった。

 パフィーは医療の専門家ではないので確かなことは言えなかったが、おそらく輸血もしなければ助からないだろう……と思えた。

 ともかくパフィーは、まず止血を始める。

 

「ティア、包帯ある!?」

 

「はい、こちらはお任せください」

 

 答えたティアが、イエニアの体にしっかりと包帯を巻き直す。

 その間にパフィーは止血魔法の詠唱を始めた。

 

 パフィーとティアが作業をしている隣。

 クラマは倒れたレイフの前に来た。

 レイフは意識があったが、乱暴された体は痛みにうまく動かせないようで、ぎこちなく身をよじってクラマに目を向けた。

 レイフの美貌にはいくつもの痣ができ、目蓋は腫れ上がり、口の端から一筋の血が流れている。

 しかしそんな状態にもかかわらず、レイフは痛む頬を動かして笑顔を作ってみせた。

 

「あら、クラマ……遅かったじゃない……女を待たせるなんて……ふふ、悪い人ね」

 

「すまない。遅くなった」

 

 クラマは膝をついて自らのコートをレイフに被せた。

 いつも通りのクラマだった。

 声色も、しぐさも、誰の目から見ても普段通りのクラマにしか見えなかった。

 

 だから――それは小さな違和感だった。

 詠唱を行っている最中のパフィーが、目の端で捉えたクラマの行動。

 そのコートは彼にとっての防具であり、敵地の中で脱ぐのは合理的ではない。

 だが詠唱中のパフィーはそれを指摘することができない。

 そこへ……

 

「来た! 男が3人、全員武器を持ってる!」

 

 見張りをしているイクスからの声。

 クラマは立ち上がった。

 普段と変わらぬ動作で。

 普段と変わらぬ声でパフィーとティアに告げる。

 

「ふたりとも……イエニアとレイフを頼んだ」

 

 カラン、とクラマはイエニアの盾を落とした。

 クラマの手に武器はない。

 防具であるコートも。

 クラマは徒手のまま入口へと向かって歩く。

 

 歩くたび、クラマの首から下がった金属の札が揺れる。

 それは運量、そして心量の計測器。

 そこに出ている数値を目にしたパフィーは、激しい焦燥に駆られた。

 しかし詠唱中の動揺は許されない。

 パフィーは逸る気持ちを必死に抑え込んで、詠唱を続けた。

 

 部屋の中に響き渡るパフィーの詠唱。

 それに、もうひとつの詠唱が重なった。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……打ち崩せ。万象五行を圧倒する力。境界を踏み越えて、その先へ」

 

 クラマの詠唱だ。

 唱えると同時に、彼のベルトについたバックルが輝きを放つ。

 黒い炎を象った魔法具が。

 

「おまえたちの軌跡はここで途絶えた――ジャガーノート」

 

 

> クラマ 心量:257 → 232(-25)

 

 

 クラマの心拍数が上昇。

 体の内側が熱くなる。

 まるで体の奥で小さな灯火がついたかのように。

 

 外から数人が慌ただしく走る音と、男の声が聞こえてくる。

 クラマは入口に向かって歩く。

 歩きながら、唱えた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……打ち壊せ。万象五行を圧壊する力。境界を踏み越えた、さらにその先へ」

 

 二度目の詠唱。

 輝く黒い炎。

 

「おまえたちの命運はここで途絶えた――ジャガーノート」

 

 

> クラマ 心量:232 → 207(-25)

 

 

 炎が、広がる。

 クラマの体の中で。

 灯った火は烈火の如く勢いを増して、己の身を焼き切りながら、渦を巻いて全身へと燃え広がっていく。

 それは黒い、黒い、果てしなく黒い炎だった。

 

 詠唱を終えたパフィーがクラマの背に向かって叫ぶ!

 

「だめ、クラマ! 誰かクラマを止めて!」

 

 言われて振り向いたイクス。

 そのイクスの体が、クラマの顔を見た瞬間にビクッと震えて硬直した。

 何か、ヒトではない恐ろしい何かを目にしたかのように。

 

 そうして三度、クラマの口が開かれた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……打ち殺せ。万象五行を圧殺する力。境界は壊れた、もはや先も後もない」

 

 黒い炎が包み込んでいく。

 体の隅々まで。

 やがて全身を毛の一本までも隙間なく満たした時――

 

「おまえたちの命はここで途絶えた――ジャガーノート」

 

 

> クラマ 心量:207 → 182(-25)

 

 

 そこには、ヒトの姿をした別のモノがいた。

 

 

 

 

 

 監禁部屋の入口に辿り着いた男たち。

 2人が入口の左右を固めて、中央のひとりを先頭にして中へ突入する――その手はずだった。

 しかし彼らが突入する寸前に、入口からひとりの男が現れた。

 クラマだ。

 

「投降か? 残念だがおまえら――」

 

 ――暴風が通り過ぎた。

 

 ……そうとしか認識できなかった。傍にいた彼の仲間には。

 聞いたことのない異音とともに、局地的に発生した暴風が入口にいた男を吹き飛ばし、横の壁に叩きつけた……そのように見えた。

 

 実際はクラマが無造作に振るった裏拳だった。

 クラマの拳で壁に叩きつけられた男は、あらぬ方向へと首が捻じ曲がっていた。

 ……その被害は、攻撃を受けた男だけではない。

 クラマは突き出したままの己の右腕を見る。

 攻撃したクラマの腕も、おかしな方向に折れ曲がっていた。

 

 そこへ――ドッ、という衝撃。

 衝撃の元。

 クラマは自分の脇腹に目を向ける。

 そこでは槍の穂先が突き刺さっていた。

 

「ハッ、ぼうっとしやがって、バカが!」

 

 横合いから突き出した槍を握って、嘲笑する男。

 男はさらに傷口を抉ろうと力を込める。

 ……が、何故か槍が動かない。

 いや、それどころではなかった。

 信じられない光景を目にして、男の顔が驚愕に歪んでいく。

 

 めり、みり……。

 

 脇腹に突き刺された槍の穂先が、ひとりでに押し出されていく。

 脳内麻薬により増強された異常なまでの筋肉の膨張。

 筋肉に押し出される圧力によって、脇腹に突き入れられた槍が、体の外へと押し戻されているのだ。

 やがて完全に槍が抜け……残ったのは穂先についたわずかな血と、穴の開いた服。

 筋肉の膨張に加えて、陳情句で追加されたセロトニンの止血効果によって、傷口は完全に塞がっていた。

 

 槍を刺した男は、あんぐりと大口を広げて一部始終を見ていた。

 

「は、はぁ? ば……ばけも……」

 

 その言葉を最後まで言うことはできなかった。

 クラマの繰り出した前蹴りが男の腹に直撃!

 体をくの字に折って吹き飛ぶ男。

 男は30メートル先の壁に激突し、崩れ落ちた。

 

 そして、残るはひとり。

 

「あ、あ……?」

 

 目の前の事態を受け入れることができずに、呆然とクラマの背中を眺める男。

 クラマの口から真っ白な煙が吐き出される。

 肺を通った空気が、体内の高温で熱せられた結果だ。

 クラマはゆっくりと振り返ると、肩越しに背後の男へと目を向けた。

 向けられた黒い瞳。

 その眼には、目の前の男の姿は映っていなかった。

 ただただ黒く……ぽっかりと空いた穴のように。

 

「な……なんだ……なんなんだテメエは!!!」

 

 直後、男は天井に頭から突き刺さった。

 クラマの蹴り上げによって。

 

 

 

 

 

 圧倒的な暴力。

 抗うこともできずに蹂躙された、惨憺たる光景。

 

「ほう、これは……」

 

 その惨状を眺めて、笑みを浮かべる男がひとり。

 遅れて姿を現したワイトピートだ。

 彼は今しがた己の部下を天井に埋めたばかりのクラマの後ろ姿を、興味深げに観察する。

 

「ふぅむ、身体強化の目的で精神を操るとは……面白い発想だ。心量上昇による身体機能向上とは、また質が違うな。だが、それにしても……」

 

 ワイトピートはクラマに打ち倒された男たちを、ちらりと横目で見た。

 ヒトの手で起こされた光景とは思えない。

 これだけの力があるなら、先刻の戦いであのような結果になっていなかったはずだが……

 

「前に見た時とは、まるで別物だな。重ねがけか?」

 

 軍の特殊部隊に所属していたワイトピートは、対魔法使いの素養もある。

 彼自身は魔法使いではないが、魔法使いの使用した詠唱から、おおよその効果を把握することができた。

 そこから分析を行うワイトピートに、クラマが目を向ける。

 その黒い眼を見たワイトピートは恐れることなく――嗤った。

 

「ふ、やめたまえ。その体はもう限界だろう。それ以上続ければ――」

 

 台詞を中断して、ワイトピートは両腕を胸の前で交差させた。

 その腕の上からクラマの膝がめり込む!

 

「ぬっ、ぐぅっ……!」

 

 みしり、とガードした腕の骨が悲鳴をあげる。

 さらに蹴りの勢いでワイトピートの体は宙を飛び、数メートル離れた場所に着地した。

 ワイトピートの顔が苦悶に歪む。

 クラマの蹴りを受け止めた左腕の感覚がない。

 折れてはいないものの、しばらくは使いものにならなかった。

 

「んんぬ……! はは、これでも鍛えているのだがね……いや、しかし……」

 

 ワイトピートが見下ろす先。

 そこではクラマが膝をついていた。

 

「残念だが、きみはちょっとばかり鍛え方が足りなかったようだね」

 

 クラマは身を起こそうと足に力を入れる。

 が、その半ばでガクリと崩れて地面に倒れてしまう。

 

「……?」

 

 βエンドルフィンの効果によりクラマは痛みを感じない。

 痛覚がないということは傷を負っても動ける反面……自分の体の異常に気が付けなくなるという事でもあった。

 

 限界を超えた代償。

 敵を破壊すると同時に、クラマの体も壊れていた。

 

 ワイトピートは腰から下げたサーベルを抜いた。

 

「だが、まあ、よくやったと言えるだろう。きみにやられた彼らは、もう使いものになるまい。これはどこかで戦力を補充しなけれ――ば――」

 

 喋っている途中で、その顔が徐々に喜悦に歪んでいった。

 ワイトピートの視線の先。

 クラマが立ち上がっていた。

 

「来るか……そう、そうだろうな」

 

 ぎ、ぎ……と足を軋ませながら、クラマは一歩ずつワイトピートに向かって歩いていく。

 

「フフ……ハハハハハ!! そうだ、止まるわけがないな! さあ来たまえ! 見せてくれ! きみの力を最期まで……!」

 

 剣を構えてクラマを迎え撃つワイトピート。

 ……しかし、それに答えたのは、背後からの声だった。

 

「そうかい、じゃあ行くぜ?」

 

「ぬ――!?」

 

 閃く双剣。

 耳をつんざく剣戟の響き。

 

 背後からの攻撃!

 間一髪で奇襲を防いだワイトピートは、大きく跳躍して距離を取った!

 ワイトピートの背後より現れたのはセサイル。

 セサイルは額から血を流していたが、余裕のある表情を見せる。

 

「たいした反応だ。こんな強えヤツが地下に隠れていやがったとはな。一度サシでやり合ってみてえところだが……」

 

 セサイルの視線の先。

 クラマの前に、黒槍を手にしたティアが立ち塞がっている。

 

「ティア……」

 

 クラマの喉から言葉が漏れる。

 ティアは背後のクラマには振り返らずに、ワイトピートから視線を離さず答えた。

 

「遅れてしまい申し訳ありません。後はお任せください」

 

 ティアの実力のほどは誰にも分からない。

 しかしその落ち着き払った様子からは、ある種の威厳にも似た緊張感を周囲の者に抱かせた。

 

「……おおっと、これは参ったな」

 

 そんな中にあってもワイトピートは、肩をすくめておどけてみせた。

 隙といえば隙。

 だが、不用意に間合いの中へ踏み込むことのできない不気味さを、セサイルもティアも感じていた。

 

「まさかこれほどの隠し玉があるとはね。ハハハ、これはどのみち無理というものだ。――うむ! しからば諸君! さようならだ!」

 

 ワイトピートが告げた直後、その周囲にもうもうとした煙が広がった!

 煙玉だ。

 

「ちっ! 逃がすかよ!」

 

 セサイルの双剣が閃く!

 しかし銀光が切り裂いたのは白い煙。

 

「ぬっははははは!! さらば諸君! また会おう!」

 

 明朗な高笑いが煙の奥へと遠のいていく。

 勝手の分からぬ施設内では、深追いするのはあまりに危険すぎる。

 見事に逃げられてしまった。

 セサイルは頭を掻いてぼやく。

 

「ったく、さっきの女といい、とんでもねえな。こりゃあ場数を踏んだパーティーも行方不明になるわけだ」

 

 ティアはその言葉に頷き、そしてその場のセサイルとクラマに向けて言う。

 

「とにかく、すぐ地上に戻りましょう。イエニア様の容態は一刻を争います。クラマ様も……クラマ様?」

 

 ……と、そこで異常に気付いたティアが、クラマの顔を覗き込む。

 クラマの反応はない。

 その様子を見て、セサイルが呟いた。

 

「……こいつ、立ったまま気ィ失ってやがる」

 

 その後、部屋から出てきたパフィー達と合流して、一行は隠れ家から脱出する。

 セサイルがクラマとレイフを、ティアがイエニアを背負って、ダンジョンの上へと急いだ。

 こうして、いくつもの被害を生じながらも、ようやく彼らは地上への帰還を果たしたのだった――

 



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第43話 - クラマの話

 

 ・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ――あんたは人間じゃない!

 

 

 ああ、まただ。

 またこの声。

 あの日から、眠るたびに繰り返し見る悪い夢。

 物心ついたばかりの小さな頃だったのに。

 いや、むしろまだ幼い子供だったからか。

 この言葉を姉に言われてからというもの、よほど疲れていないと睡眠薬なしには眠れなくなってしまった。

 今は病院から出られなくなってしまった、実の姉から。

 

 ……向こうとしては、他愛のない悪口だったのかもしれない。

 元から癇癪の激しい人だった。

 思い返せば、彼女はもっと口汚い罵倒を普段から飛ばしていた気もする。

 

 しかしこの時の、この言葉だけは、なぜだか僕の心の奥に深々と突き刺さって、あまつさえ根を張り、それ以降の僕の行動を規定した。

 

 

 ――人間なら、人間らしく、人のことを助けたりしたら!?

 

 

 それからの僕は、目の前に人を助けるチャンスがあると見れば、助けることを我慢できなくなってしまった。

 そう、本当は。

 本当の本当を言うと……僕は彼らを助けたくなんかなかった。

 ただ、やらなければならない。

 僕はやるべき事をしただけであって、電車に轢かれそうな子を助けた時も、川で溺れている人を見て飛び込んだ時も、下級生をいじめるジークンドー部の部長と殴り合いになった時も、脱法ハーブの売人の溜まり場へ乗り込んだ時も、別にやりたくてやったわけではなかった。

 もっと言ってしまえば、人助けが良いことだとすら、僕は思っていない。

 

 

 

 そう、はじめて彼女達と会ったあの時も。

 

 ――分かった、僕がみんなを連れてダンジョンを攻略して――

 

 ……守るつもりのない口先だけの約束。

 これだけじゃない。

 僕が吐く言葉は、その場を取り繕う空言ばかり。

 

 彼女たちへの自己紹介も視力以外は全部嘘だった。

 特技は特にない? 嘘だ。たくさんある。

 マラソン大会では陸上部の次につけるくらいだし、少林寺拳法の黒帯も持ってる。雑学も得意だ。市の美術展で賞を取ったこともある。

 それと部活は3つ掛け持ち。

 成績も都内のいわゆる有名校の中にあって、いつも上位一桁。

 父は現職の大臣で、母は海外で活動するオーケストラ指揮者。

 

 ……自分より凄い人なんて探せば何人もいる。

 ただ、多くの人から見れば「普通」ではないことは理解していた。

 それでも自分は普通の人間なのだと思いたくて。

 自分は普通だと自称した。

 浅はかな嘘をついてまで。

 

 

 

 彼女たちが僕に語った嘘など、些細なものだ。

 

 他でもない僕自身が、誰よりも嘘にまみれている。

 

 だから僕は……自分のことが一番、信用できない。

 

 

 

 でも……

 

 けれど……

 

 

 

 ――別にね、人と違ってたっていいのよ。

 

 

 

 その言葉が嬉しかった。

 

 ずっとずっと、「人らしさ」を探し求めて生きてきた。

 だけど何人助けても、そんなものは手に入らなくて。

 顔で笑って、いつでも心は削れてた。

 きっと他人から見たら、くだらない、取るに足りない事なのだろうけど……

 

 嬉しかった。

 

 本当に嬉しかったんだ。

 

 だから、それからの僕は、本心から彼女たちの力になりたいと願った。

 どこもかしこも嘘にまみれた僕だけど。

 彼女たちと一緒にいるのが本当に楽しくて。

 かけがえのない仲間だと思ってる。

 

 それだけは、どうか、信じて欲しい。

 

 

 

 

 

「だが、おまえさんが隠しているのはそれだけではないだろう?」

 

 

 

 

 

 誰だ。

 

 ひとの夢の中でポエムにツッコミを入れる鬼畜外道は。

 

「そりゃあ悪かったね。けど、おまえさんを治すには心の奥底まで覗き込む必要があったからね」

 

 聞いたことのない老婆の声だ。

 治すとは一体?

 

「思い出しな、おまえさんが何をして倒れたか。一番ぶっ壊れてたのは体じゃない、脳みそだよ」

 

 ……なるほど。

 脳内麻薬の出しすぎか。

 

「分かりが早いじゃないか。本当ならこんな莫迦(ばか)は放っておくんだがね。かわいい愛弟子(まなでし)がどうしてもって言うもんだから仕方がない」

 

 愛弟子。

 こんな他人の夢の中に入り込むような仕業ができるのは魔法使いしかない。

 愛弟子とはパフィーのことだろう。

 つまり、あなたはパフィーの師匠である“イードの森の魔女”グンシー。

 

「ふん、よく調べてあるじゃないか」

 

 隠さないのか……。

 

「真実を隠すという行為が嫌いでね。あたしは誰かさんと違って」

 

 耳に痛いことを言うおばあさんだ。

 

「そう思うなら、いつかあの子らにも打ち明けてやるんだね。……まあ、おまえさんの闇は少しばかり深すぎた。あたしは復元のために全部見てしまったから、なんとも言えんさね」

 

 復元のために全部見た。

 魔法で精神を復元したということか。

 そして僕の心の中を全部見られてしまったということか。

 恥ずかしい。

 

「厳密には精神とは違うんだがね。人格を司る第七次元メンタル……いやヨニウェを操る魔法だ。魔法は次元が高いほど難しい。パフリットには、まだ荷が重い」

 

 メンタル……。

 まあいいか。

 助けて頂いてありがとうございました。

 それじゃあ助けてもらったついでに、隠すのが嫌いなおばあちゃんに質問してみようかな。

 

「カッ! 分かっていたけど図々しい男だね! それとおばあちゃんはやめな。生身のあたしを見たら腰抜かすよ!」

 

 ごめんごめん、グンちゃん。

 

「カァーッ! 頭ン中焼き切られたいのかい! あたしは男が嫌いなんだ! 特に女たらしの男がね! 覚えておきな!」

 

 はい。ごめんなさい。

 

「本当は一部焼き切ってやろうかと思ってたんだけどね。だが、本当に誤解だったようでそこは安心したよ。老婆心から忠告するけど、みんな本当に誤解しているから、さっさと解いた方がいいよ」

 

 …………はい。

 

「はいじゃない! 誰が老婆かっ!」

 

 えぇーっ!?

 

「ふん、まあいい。それで何が聞きたいんだい」

 

 とんでもない人だなあ。

 じゃあ聞くけど、近くで僕らのこと見てたの?

 

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。あたしは本物のグンシーじゃない。第七次元魔法で作った人格のコピーだ。これまでずっとパフリットの中に入っていたのさ。おかしいと思わなかったかい? あの歳にしては知識が豊富すぎると」

 

 いや、それについては特に……普通に納得してた。

 

「……まあ、パフリットに求められた時だけ起きて、知識を与えてやってただけだからね。あたしが表に出ていた事はないよ」

 

 そうなんだ。

 てっきり、いざって時にはパフィーの代わりに魔法を使ったりするのかと。

 

「それも考えてたさ。ただ、あたしの心量は補充できないからね。……それも今、おまえさんを治すのに使ってなくなっちまった。もうパフリットの中にも戻れない。このままおまえさんの中で10日ほどしたら、心量がなくなると同時に消え去る存在さ」

 

 ……すみませんでした。

 

「カッ! 謝るくらいなら最初から無茶するんじゃないよ! それに謝る事でもないさね。コピーの人格を作った時点で、いずれ消え去るのは分かってるんだ。むしろ知識を授ける以外でパフリットに頼み事されるなんて初めてだったから、おまえさんには感謝してるくらいだよ」

 

 そうなのか。

 意外だ。

 僕らといる時は、結構ちょくちょく頼み事とかしてたと思うけど。

 

「おまえさんには想像つかないかもしれないがね。あの子は出来が良すぎるんだよ。何ひとつ文句を言わず、師の言うことを聞いて……優秀な弟子だが、子供らしさの欠片もなかった。それが、おまえさんたちと会ってから変わったんだ。人並みに我が侭を言えるくらいにね」

 

 と言われても、僕は別に大した事してないと思うんだけどなあ。

 

「人の心を変える事ってのは、えてして余人にとっては小さくて、くだらない事なのさ。おまえさんには分かるだろう」

 

 確かに、それは……そうだね。

 

「……で、他には何か聞きたいことはあるのかい」

 

 うーん……イエニアとティアの目的とか知ってる?

 

「確かに隠し事は嫌いだが、それはあたしが答えるわけにはいかないね。あの子とおまえさんの問題だ。ただ、ひとつ言うなら……彼女らが喋れないのは、おまえさんのせいでもある。あまり問い詰めないことだね」

 

 端的にアドバイスしてくれるね。

 そうか、僕の問題か……。

 

「日頃の行いさね。カッカッ」

 

 いじわるばあさん。

 

「カァーッ!!」

 

 あたまいたい!

 ごめんなさい!

 

「生意気言うんなら、もう帰るよ! こうして話してるのだって、あたしは心量を食うんだ!」

 

 すみませんでした。

 じゃあ、あとひとつだけ。

 ……あなたの目的は?

 

「……おまえさんが知っても仕方がないが……まあいい。あたしの師……“陽だまりの賢者”ヨールンが、ここのダンジョンの奥にいると分かってね。あのゴミクソペドフィリアをブチ殺しに来たのさ」

 

 ゴミクソペドフィリア……。

 

「あたし自身が行こうとすると、すぐ察知されて逃げられちまう。どうしたもんかと思っていたけど、丁度いい具合にウェイチェ坊やの娘が来て、手を貸してくれと言うもんだからね」

 

 ウェイチェ坊や?

 

「ああ、イエニアの父親の名前さね」

 

 イエニアの父というと、ラーウェイブ王国の王様か。

 王様を坊や扱いかあ……………何歳ですか?

 

「カッ! 今のが最後の質問だったはずだよ!」

 

 そうでした。

 

「ふん……最後に念押ししておくけど、二度と精神操作魔法の重ねがけなんて莫迦な真似はしない事だね。もう治せる心量がないから、次やったら確実に廃人だよ」

 

 うん、わかった。

 

「なんて軽い返事だ。あの子らが心配になる気持ちがよく分かるよ」

 

 そんなあ。

 

「甘えた声を出すんじゃない! 男のくせに!」

 

 怪奇! 脳内差別ババア!

 

「カァァァーーーーッ!!!」

 

 ぎぃええええええええええ!?

 ごめんなさいごめんなさいすいませんでした!

 

「あたしはもう寝るよ! おまえさんも寝な!」

 

 もう寝てるんだけどなあ……。

 なんともはや。

 

 とにかく、いろんな人に迷惑をかけてしまったようだ。

 もういいかげんに僕も……変わっていかないと。

 パフィーには心配をかけてしまった。

 イエニアは無事だろうか。

 レイフは……

 

 ……そう。

 そうだな……そう。

 

 誤解を、解いておかないと。

 



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第44話

「ん…………」

 

 目覚めたクラマが最初に目にしたのは、見慣れぬ木の天井。

 最初に耳にしたのは、小さな寝息。

 最初に感じたのは、腹の上に乗った重さだった。

 

 クラマは自分の体に目を向ける。

 すると自分のお腹を枕にして寝息をたてる少女の顔が目に入った。

 

「パフィー」

 

 パフィーは椅子に座ったままクラマの腹に顔を乗せ、静かに寝息をたてている。

 クラマが動いたことで、パフィーの体が揺れる。

 

「ん……んん……?」

 

 そうして、パフィーが目蓋を開いた。

 

「ぁ……クラマ……クラマ!? 起きたのね! ……あっ!?」

 

 と、一気に覚醒したパフィーは、慌てて頭を起こして椅子から立ち上がった。

 

「ご、ごめんなさい! おなかを怪我してるのに……! 痛くない!? 大丈夫だった!?」

 

 おそらく看護の最中でうたた寝してしまったのだろう。

 クラマは感謝の気持ちとともに、大丈夫と笑顔で返した。

 

 痛くないかと言われたら痛かったが、腹だけでなく全身のありとあらゆる所がくまなく痛い。

 しかしクラマは痛みを外に出さないように笑顔を作ってみせた。

 パフィーは一拍置いてから、不安げな表情でクラマに詰め寄る。

 

「クラマ、記憶にどこかおかしなところはない? 自分の名前は? わたしが誰だか分かる?」

 

 大きく見開いた瞳がクラマを真っ直ぐに見つめる。

 クラマはそれに頷いて答えた。

 

「ああ……大丈夫だよ。パフィー」

 

 パフィーを安心させるように、クラマはパフィーの頭に手を置いた。

 すると安堵に気の緩んだパフィーの瞳から、じわりと涙が溢れる。

 

「よかった……クラマ、本当によかった……!」

 

 そうして、パフィーはクラマの胸に顔を埋めて抱きついた。

 

「パフィー……」

 

 そのパフィーの様子から、自分はよほど危険な状態だったのだろうとクラマは推察した。

 

「……ごめん。心配かけたね」

 

「ううん……いいの。クラマが無事ならいいのよ」

 

 それからクラマはしばらくそのままパフィーの頭を撫で続ける。

 改めて周囲を見ると、見たことのない小さな個室。

 花瓶と戸棚、そして自分が寝ているベッドの他には何もない。

 見覚えはないが、ニーオの診療所だろうとクラマは思った。というか、他に考えられない。

 そうしてパフィーが落ち着いたところで、クラマは質問する。

 

「パフィー。イエニアとレイフは……?」

 

 クラマの問いにパフィーが答える。

 

「大丈夫よ、ふたりとも。イエニアは危なかったけど、輸血が間に合って……今は隣の部屋で寝てるわ。レイフはもう起きて大丈夫みたい。……呼んでくる?」

 

「いや、いいよ。大丈夫なら良かった。それより……」

 

 ガチャ、とドアノブが回った。

 入ってきたのはメイド服。……ティアだ。

 

「お目覚めでしたか。ニーオ女医を呼んで参ります」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 クラマはティアを引き留めた。

 

「パフィーとティア、ふたりに相談したいことがあるんだ」

 

「わたしたちに?」

 

「相談……でございますか?」

 

 パフィーとティアは怪訝な顔でクラマを見つめる。

 その2人に、クラマは告げた。

 

「――僕の中にある発信器を取ろうと思う。サクラのもね」

 

 言って、親指を自分の胸に突き立てた。

 部屋の中に緊張が走る。

 パフィーは無言で視線を落とし、ティアがクラマの言葉に答えた。

 

「そうですね。この街から出るには発信器は外さなければいけません。逃走用の馬は用意してありますから、ラーウェイブまで行ければ――」

 

「……え? ちょ、ちょっと待って。どういうこと?」

 

 ティアの言葉にクラマが首をひねる。

 そのクラマの反応に、ティアとパフィーもまた怪訝な顔をして見返してきた。

 ……どうやら互いの話が噛み合っていない。

 クラマは頭の中を整理しながら話す。

 

「え~っと……まずさ、あの地下にいた連中は何だと思う?」

 

 突然話が飛んで面食らうティアとパフィー。

 ティアは少し思案してから答える。

 

「彼らは皆、青い瞳をしていました。邪神……悲劇の神の信徒で間違いありません」

 

「うん。で、その彼らはダンジョン内で冒険者を襲っていて、そして恐らく冒険者ギルドと繋がってる。……だよね?」

 

「……はい。まだ確証はありませんが、その可能性は非常に高いと思われます」

 

「つまり単なる追いはぎとかじゃなくて、組織だった犯罪……それも冒険者ギルドという、この国のトップが関わる組織が裏についてるわけだ。僕らを襲った奴ら失敗した事は、バックにいる黒幕にも伝わるよね」

 

「そうでしょう。すぐに伝わるかどうかは判りかねますが」

 

「とすると、次に僕らがダンジョンに潜れば、口封じのために今度は別の刺客を放ってくる可能性が高い。……いや、ひょっとしたら地上にいる間にも狙われるかもしれない」

 

「……………………」

 

 ティアもパフィーも何も言わない。

 その沈黙を肯定と取って、クラマは続けた。

 

「発信器を取れば、そのことを気付かれる可能性もあるけど……ここから先は、体に発信器なんてつけてたら戦えない。今ここで取っておく必要がある」

 

 言い終えたクラマ。

 それにしばしの沈黙を挟んで……ティアが答えた。

 

「……早合点をしてしまい申し訳ございません。先ほどパフィー様と、皆様をどうやって逃がすか打ち合わせしておりましたので」

 

「僕は、最後まで降りる気はないよ」

 

「はい。失礼いたしました」

 

「で、でも! ちょっと待って!」

 

 それまで黙っていたパフィーが、そこで口を挟んだ。

 

「クラマ、自分の体の状態は分かってる? イエニアもだけど……すぐに治る傷じゃないわ。それに……そもそも、発信器を取るということは胸を開くのよ? 大きな手術になるから、しばらく動けなくなるし……」

 

 クラマの体の状態。

 それは先ほどから身じろぎするたびに全身に走る激痛から、だいたい分かっていた。

 特に折れた右腕。まるで心臓の鼓動のように、ズキンズキンと断続的に痛みを伝えてくる。

 

「それも含めて相談したい。パフィー、代謝を早めて傷を治す魔法があったね。あれは傷が多い方が効率的なんじゃないか?」

 

「あ……う、うん……確かにクラマを治すなら全身へ魔法をかけることになるから……胸を開いた後でも、消費する心量は変わらないわ。……でも……」

 

 肯定しつつも、言葉を濁すパフィー。

 クラマの言う通り、魔法で代謝を早めて回復を促すことはできる。

 しかしそれは寿命を削るのと同意だ。

 心情的には、できることならやりたくない。

 

 しかし現状はそうも言っていられなかった。

 時間が経てば経つほど、クラマ達の規約違反が露見して逮捕される危険は増す。

 特に地下で冒険者ギルドに繋がりのある者に襲われるという事態があった後だ。

 自分たちが襲われたのは恣意的(しいてき)なのか、それとも無差別だったのかは分からないが……もしかしたら今すぐにでも、適当な理由をつけて逮捕しに来る可能性もないとは言えない。

 常識的に考えれば、このままダンジョン探索を続けるのは危険だ。

 ……だが、ティアには「危険だからやめる」という選択肢はない。

 だからティアとパフィーは、ダンジョン攻略を一時中断してクラマやサクラ達を街から逃がす方針で話し合っていたのだ。

 

 しかしクラマは続けるつもりだ。

 そして、ティアもそれを受け入れている。

 そんな彼らに対してパフィーは……

 

「……わたしは反対よ」

 

「パフィー」

 

 クラマは願いを訴えるようにパフィーの名前を呼ぶ。

 だがパフィーはここで珍しく語気を荒げた。

 

「だめよ! わたしたちのわがままでクラマを危険な目に遭わせるなんて! どうしてティアは平気なの!?」

 

 ティアは答えない。

 揺らがない。まるで彫像のように。

 クラマは再度パフィーに声をかけた。

 

「パフィー、違うんだ」

 

「っ……!」

 

 パフィーはクラマの言葉から逃げるように、部屋の外に駆けだしていった。

 

「パフィー! っ、づづづづぁ……!」

 

 起き上がろうとしたクラマは、激痛に身をよじる!

 ティアはクラマをベッドに押し戻して、毛布を掛け直しながら告げた。

 

「まずは安静になさってください。どのみち街から逃げるにしても、体を動かせないのでは難しい。魔法での治療は必須です。……パフィーには、わたくしから話しておきます」

 

「……ああ」

 

「それとニーオ女医を呼んで参りますので、そのままお待ちください。それでは失礼いたします」

 

 と言って、ティアはお辞儀をして去っていった。

 

 

 

 

 

「……あなたね、本気で言ってる?」

 

 あれからすぐ、ニーオがクラマのもとへやって来た。

 そうしてひととおり診察を終えたところで、クラマが言い放った言葉を受けて、ニーオ女医はこうして眉根を寄せて詰め寄っているのであった。

 

「発信器が埋め込まれてるって……まぁ……嘘じゃないんだろうけど……」

 

 ニーオは頭痛を堪えるように頭に手を置いて、大きな大きなため息をついた。

 

「しかも何? 言うに事欠いて、すぐ取り出して欲しい? あなたね、自分の体の状態わかってる?」

 

「ニーオ先生の腕を信じてますから。……あれっ!? もしや先生の腕ではお出来にならない……?」

 

 ニーオはギロリとクラマを睨みつけた。

 そしてクラマの口周りを掴んでギリギリと締めつけながら言う。

 

「二度と私を挑発するんじゃない。分かった?」

 

「ひゃ、ひゃ~い。ごえんなひゃ~い」

 

 ニーオはクラマから手を離す。

 そしてどっかりと椅子に腰を下ろすと、足を組み、片目を閉じて思案した。

 

 ……別に、拒否したっていい。

 しがない個人経営の診療所だ。患者を選ぶ権利はある。

 無茶な手術を提案する患者。

 しかも、こんな手術を行えば冒険者ギルド……要するに、この国を牛耳る権力者から目をつけられる危険がある。

 断った方がいい。

 断った方がいいが……借りがあった。

 クラマにダイモンジを預けられたことで、診療所の経営はかなり助けられている。

 さらにはダイモンジの運量を活用するための貴重な資料の提供。

 これらの見返りを、クラマはほとんど受け取っていない。

 

 ニーオはちらりとクラマに目を向けた。

 

「あなた……まさか最初から……」

 

「ん?」

 

 首をかしげてニーオを見返すクラマ。

 ニーオは問いかけをやめて、代わりに別の言葉を告げた。

 

「まあ、いいわ。まずはパフィーに相談して、それから考えることにする。いいわね?」

 

「うん」

 

「あと手術を希望するなら、痛み止めは出せないけど」

 

「げ」

 

「嫌? 嫌ならしょうがないわね。この話はなかったことに」

 

「だ、大丈夫。大丈夫です。うん。がんばる」

 

「まあ、我慢できなかったら呼びなさい」

 

 そうして話は終わり。

 椅子から立ち上がると、クラマに背を向けて出口へと向かうニーオ。

 立ち去ろうとした彼女の背に、クラマの控えめな言葉がかかる。

 

「はい。……無理言ってすみません」

 

 ニーオはぴたっと止まった。

 そして肩越しに振り向くと、クラマに言葉を返した。

 

「無理かどうかを判断するのは私の仕事。ワガママを言うのが患者の仕事よ」

 

「……うん。ありがとう」

 

 

 

 

 

 ……ニーオが去ってから小一時間ほどしたあたり。

 ベッドに横になったまま痛みにうなされるクラマ。

 そんなクラマの病室へと、パフィーが静かに顔を出した。

 気付いたクラマが声を出す。

 

「パフィー」

 

 パフィーはクラマの呼びかけに答えず、俯いたまま室内に足を踏み入れた。

 狭くて薄暗い個室。

 ひとつだけ開いた小窓からは、日の光が差し込んでこない。

 薄闇の中を、沈んだ表情で、一歩ずつ歩く。

 やがてクラマの枕元に到着したパフィー。

 彼女はその場にじっと佇んでいる。

 クラマは待った。パフィーがその口を開くのを。

 ……彼女の心の準備が整うのを。

 

 長いようで短い時間。

 やがてパフィーは、か細い声で呟いた。

 

「……先生とは、お話した?」

 

 先生。

 パフィーの言う「先生」とは医者のニーオではなく――

 

「うん。パフィーがここに来た理由も聞いたよ。まだ僕の中にいると思う。……呼びかけても返事しないけど」

 

「そう……」

 

 パフィーは少しだけ目を閉じて……開く。

 そして言った。

 

「手術と治療に協力するわ。それから、クラマがダンジョンに潜るのも」

 

「いいの?」

 

「ええ。元々、わたしたちが言い出したことだもの。今さら止めるなんて……身勝手すぎるわ」

 

 ふと、ベッドに横になったままのクラマは、パフィーの握った拳が震えているのに気がついた。

 暗がりの中で、パフィーの顔を見上げるクラマ。

 パフィーは泣きそうな顔でクラマを見つめていた。

 

「パフィー……」

 

 クラマが名前を呼ぶと、パフィーは突然クラマの胸にすがりつき、(せき)を切ったように声をあげた。

 

「ごめんなさい……! わたしたちのわがままで、嘘をついてまでクラマをダンジョンに行かせたのに……わたし、今度は自分のわがままで、クラマに行ってほしくないなんて……!」

 

 パフィーの両手がぎゅっと毛布を握る。

 泣きじゃくるような訴え。

 それは懺悔。告解であった。

 ずっとずっと胸に抱き続けてきた、クラマに対する罪悪感。

 張り裂けるような胸の内をパフィーは吐露する。

 

「でも……でもね! 本当に怖いの。今度こそクラマがいなくなるような気がして……! だから……それで……」

 

 クラマはパフィーの独白を聞く。

 そして把握した。

 ――これは自分のせいだ。

 自分が無茶をする姿を見せすぎたために、危険なイメージを抱かせてしまった。

 

 パフィーは声を出し疲れて息をついた。

 そこで少し落ち着いてきたようで、若干トーンを落としてクラマへと語る。

 

「わたし……自分がこんなに自分勝手な人間だったなんて、知らなかった……するべきことは分かってるのに……嫌で嫌で……そんな、わがまま言ったらみんなを困らせるのに……」

 

 パフィーの声が震えている。

 彼女自身も、自分の中の葛藤に混乱しているようだった。

 

「こんなこと今までなかったのに……わたし……自分が信じられない……」

 

 消え入りそうな声で囁かれたパフィーの言葉。

 

 

 ――自分のことが一番、信用できない。

 

 

 クラマはパフィーを抱きしめた。

 

「それは違う、パフィー」

 

 普段と違う、クラマの硬く鋭い声色。

 折れていない左腕で、クラマは強くしっかりとパフィーを抱きしめる。

 

「やるべき事と自分の心が一致しないのは、当たり前の事なんだ。だから――」

 

 ――だから何だ?

 

 クラマは己に問う。

 やるべき事にかまけて、自分の心を蔑ろにしてきたのは他でもない自分自身。

 自分の気持ちを大切にしろ……なんて。

 今さらどの口が言えるのか?

 欺瞞、まやかし、偽り、虚説。

 その場しのぎの慰めの言葉。

 ここでもまた嘘で切り抜けるのか?

 

「クラマ……?」

 

 見上げるパフィーの瞳。

 すがりつくような、不安に揺れる眼差し。

 

 ――違う!

 

 クラマは己を叱咤した!

 今ごろ嘘の一つや二つ、何を恐れてる!

 大事なのはそうじゃない。

 嘘吐きなら嘘吐きらしく。

 いつも通りに恰好つけた言葉を吐いてみせろ!

 

 ……クラマはパフィーを抱きしめたまま、口を開いた。

 

「――どっちも大事なんだ。自分の気持ちは大切だけど、それしか見ないのでは破綻する。やるべき事をやるのは重要だけど、気持ちを無視したら続かない。これはどっちが嘘でも本当でもない、どっちも必要なものなんだ。けど、必ず両方を満たせるわけじゃないから、自分で丁度いいバランスを考えないといけない」

 

 喋りながら、クラマは思った。

 ああ、そういう事だったのか……と。

 ろくに考えずとも、ぺらぺらとよく回る口が。

 奇しくも勝手に答えを見つけてくれた。

 さすがにこれには、クラマにも苦笑しか浮かばなかった。

 

 クラマはひとつ背負っていた重しが外れて、心が軽くなったような気がした。

 軽くなった心は、口の回りも軽くする。

 クラマは続けて腕の中のパフィーに向けて語った。

 

「だからね、パフィー。わがままを言っていいんだよ。いや、もっとわがままを言って欲しい。パフィーは今、自分の心の変化に戸惑ってるんだと思う。でも変わることは悪いことじゃない。僕も……みんなのために変わっていきたい」

 

「……クラマも?」

 

「うん。すぐには変われないかもしれないけど……だから、次に僕が無茶をしようとしたら、パフィーに止めて欲しい」

 

 パフィーはクラマの顔を窺う。

 それから少し思案するようにして……目を閉じ、ひとつ頷いた。

 そうして最後にクラマへ顔を向ける。

 

 大輪の花のような、眩い笑顔を。

 

「そうね、わたしよりクラマの方がわがままだもの! わたしもわがまま言わなきゃ不公平よね!」

 

「おおっと! こいつは一本取られた」

 

「うふふふっ!」

 

 ふたりは笑い合い、薄暗い病室の中で明るい花が咲いた。

 

 

----------------------------------------

 

 クラマ達が地下4階から脱出した、そのすぐ後のこと――

 ワイトピートは3人の部下を床の上に並べていた。

 

「ふむ、イーウシエ君は即死か……ペシウヌ君、コーベル君はまだ息はあるが……さてさて」

 

「どうするつもりだ、これから」

 

 背後からの声にワイトピートは振り返る。

 そこには右足に血の滲んだ包帯を巻いて、大剣を杖のようにして寄りかかって立つトゥニスがいた。

 

「おお、トゥニス……手ひどくやられたじゃないか」

 

「ああ。あの双剣の男、あれは私には手に負えん。まともに戦えば、間違いなくお前よりも強いぞ」

 

「うむ、そうだろうね」

 

 そのワイトピートの淡白な答えに、トゥニスは眉根を寄せる。

 

「否定しないのか?」

 

 そんなトゥニスの問いに、ワイトピートは笑って答えた。

 

「ははは、私より強い者など、この世界にはごまんといるよ」

 

 トゥニスの経験上、男というものは強さを比べられることに敏感だった。

 たとえ表面上は平静を装っても、誰かより弱いと言われれば、ささくれ立った気配が体から漏れ出してくる。

 ……だが、その気配がワイトピートにはなかった。

 

「あれほど日頃から鍛えているのに……おかしな男だ」

 

「ん? それは強い方が便利だからね。強さ比べに興味がないだけさ」

 

 そんな会話をしながらワイトピートは生き残った2名に手当てを行う。

 そうして手当てを終えると、2人を左右の肩に担ぎ上げた。

 

「よいっと! さあて……ここからは大変だよ。罠と猛獣に溢れたダンジョン内で、怪我人を抱えながら口封じの追っ手を撃退するミッションだ! ふふふ……これぞ因果応報だね?」

 

 まともな話ではない。

 しかもそれを笑顔で話すとなると、常軌を逸している。

 トゥニスは気を失った2人の部下に目を向けて告げた。

 

「そいつらはもう戦えない。……たとえ怪我が治っても、まともに歩けるようになるかも怪しい。ここでとどめをくれてやった方がいいだろう」

 

 残酷だが、冷静な指摘だった。

 しかしそれに対してワイトピートは……

 

「なんてことを言うんだ! 彼らは今まで私に尽くしてくれた大切な仲間……いわば家族も同然! 見捨てることなど出来はしない!」

 

 その言葉にトゥニスは答えられず、黙った。

 彼女はそれから地面に残る、首が曲がった部下の亡骸に目を向けた。

 

「……あいつの墓はどうする?」

 

 そう言われてワイトピートは首をかしげつつ、トゥニスの目線の先へと振り返り――

 

「いや、不要だ。死体に用はない」

 

「………………」

 

 今度こそトゥニスは完全に閉口した。

 そうして彼らは過酷なダンジョンの中に身を投じた。

 彼ら行く末に希望はない。

 辺り一面に絶望しか見えない状況で……

 

 ワイトピートは笑っていた。

 

 その瞳から、かつてない爛々とした輝きを放ちながら。

 



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B4F retry - 収束せし揺籃歌
第45話


 ニーオによるクラマの手術は、無事成功した。

 クラマの心臓の影に隠れるようにして出てきたのは、小さな小さな石。

 これ自体は何の変哲もない石だった。

 パフィーの見立てでは、石には“印”としての意味しかなくて、魔法具によって石のある場所を感知するのだろう……という事だった。

 

 手術が終わって全身麻酔から目覚めたクラマは、少し拍子抜けした。

 覚悟していた胸の痛みやら、吐き気やらといったものがない。

 これは術後すぐにパフィーが代謝を早める魔法を行っていたためだった。

 なるほどこれは召喚された直後に手術されてても気付けないわけだ、とクラマは感心した。

 

 その後はパフィーの指示で食べた。

 たくさん食べた。

 特に肉を。

 代謝を早めて体を治す。それには体の“素”になるものが必要になるからだ。

 クラマはとにかく食べて、食べて、食べまくった。

 

 たくさん食べて、パフィーの魔法治療を受けていると、みるみるうちに自分の体が回復していくのをクラマは実感していた。

 2日もすればひとりでベッドから降りられるようになり、4日もすれば折れた骨は繋がり、立って歩けるまでになった。

 その間に髪も伸び、見舞いに来たメグルに切ってもらうという一幕もあった。

 

 見舞いは、いろんな人が来た。

 クラマから2日遅れて手術を受けるサクラは、その直前に顔を出し、

 

「ほんとに痛くないの!? ほんとにほんと? べ、べつに怖いわけじゃないんだけどね!?」

 

 などとクラマの前で騒いでから手術室に引きずられていった。

 一郎や次郎……特に一郎は頻繁にクラマの病室に顔を出した。三郎はイエニアやサクラの治療を手伝っているとのことで来なかった。

 他にはノウトニーやマユミ。納骨亭から、マスターの手料理を持ってテフラも訪れてきた。

 それからメグル達のパーティーに、アピリンおばちゃんなど街の人まで。

 毎日代わる代わる誰かしら来るので、昼間はほとんど常に誰か人がいるような状態だった。

 

 クラマの快復は順調だった。

 しかしそれは、パフィーの心量を引き換えにしている。

 クラマは自らの心量をパフィーへ移していた。

 だがそれだけでは足りない。

 見舞いに来るメグルやマユミから心量を受け取っても、まだ充分とは言えない。

 もっと心量を高めなければならない。

 そこで発案されたのが――

 

 

 

 

 

「あのさ。助けてもらったお返しをしたい……とは思ってたけどさ」

 

 ベッドの上で上半身を起こしているクラマの前に、メグルが立っていた。

 メグルは呆れたような、微妙に蔑むような視線でクラマを見下ろして言う。

 

「こんなところでコスプレさせられるとは思わなかったんだけど?」

 

 ――そう。

 メグルが着ている服は普段とは違う。

 それはナース服であった。

 しかもひどく薄地で、ミニスカートの。

 

 メグルのストレートに伸びた黒髪に、白いナース服がよく映えていた。

 改めて見るとメグルはとても整った顔立ちをしている。

 真っ直ぐで綺麗な黒髪も相まって、どこか日本の古いお姫様のような雰囲気があった。

 体系も背がやや高めで、全体的に細くてスマート。

 街を歩いていればモデルとしてスカウトされそうだった。

 その長くて細い脚は否が応でも目を引く。

 太腿には当然と言わんばかりにガーターベルト。

 ニーソックスとミニスカートの隙間から覗く肌色が目に眩しい。

 

 メグルは自分を見つめるクラマを半眼でじろりと見返して尋ねる。

 

「……なに、好きなの? こういうの」

 

 ナース服が好きかということを、クラマはこれまでの人生でとりわけ深く考えたことはなかった。

 この衣装はダイモンジがいつの間にか製作していたものだ。

 しかし今、クラマはダイモンジに感謝していた。

 

 そして、その場にいるのはメグルだけではない。

 納骨亭の看板娘、テフラもメグルの隣にいる。

 

「あの、もう少し大きいサイズありません? 少しきつくて……」

 

 テフラは水色のナース服だった。

 こちらは微妙にフリルがついて、ガーターベルトもない。靴下も短く、生足が強調される作りとなっている。

 細部の違いにダイモンジの拘りが窺えた。

 

「ごめんね、サイズはどれも一緒だって」

 

「うう……そうなんですか」

 

 そう言ってテフラはしきりに胸のあたりを気にしている。

 なるほど確かにきついだろう、クラマは納得した。

 テフラは胸のあたりが一杯に張って、仕方なくボタンをひとつ外している状態だ。

 その胸元には、窮屈そうな谷間が見える。

 

 メグルとはまた違った方向で、こちらもモデル体型だった。

 メグルが和なら、こちらは洋といった具合だ。

 2人並ぶとコントラストが映える。

 

 クラマは感謝した。

 ありがとう、ダイモンジさん。

 本当にありがとう。

 

 ――はは……これくらいお安い御用だよ……。

 

 そんなダイモンジの囁き声が聞こえたような気がした。

 

「うーん、それじゃあ私はだめですねー」

 

 部屋の隅にはケリケイラもいた。

 確かに大柄なケリケイラでは、きついどころか着る事すらできない。

 ちなみにケリケイラはメグルが来る時は常に同行し、まるでクラマとメグルを2人きりにさせないよう監視しているかのようであった。

 

 ……そして、最後にもうひとり。

 

「ところで、あなたは入らないんですかー?」

 

 ケリケイラが部屋の外に向けて声をかける。

 すると外から慌てた声が返ってきた。

 

「無理無理無理! 私には絶対無理すから、こういうの!」

 

「わざわざ着替えて部屋の前まで来ておいて、今さらですねー。皆さん待ってますよ。はい、覚悟を決めましょー」

 

「ぎゃああああああ!? 待って待って待ってー!?」

 

 そうやって騒がしく引きずり出されたのは……マユミであった。

 彼女も例によってミニスカナース服。

 マユミが着ているのはピンク色だ。

 メグルやテフラとの違いは、上下に分かれているへそ出しスタイルな事だ。

 しかし目を引くのはへそよりも……むっちりとした下半身。

 慢性的な運動不足、そして30を過ぎた年齢により蓄積された――それは敢えて率直に言ってしまえば――贅肉であった。

 サイズオーバーでパンパンのミニスカート。

 そこから伸びるむちむちした太腿。

 さらには腰の上には、微妙に腹の肉が乗り上げている。

 ……そのわりに胸の方はそこまででもない。

 

「う……あぅ……」

 

 ケリケイラによって無理やり部屋に入れられたマユミは、自分を見ているクラマの視線、すでに中にいるメグルとテフラ、そして最後に自分の体を見比べて……

 

「うぐぅぅぅ……こんなの罰ゲームだぁ~!」

 

 と言って、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 クラマはしゃがみ込んだマユミに目を向けながら、上半身を傾ける。

 ……と、その目がメグルの手で塞がれた。

 

「何を見ようとしてるの?」

 

 無論、ミニスカでしゃがんだマユミのパンツである。

 しかしクラマは流れるように嘘をついた。

 

「いや、体がうまく動かなくてさ。ふらついてしまった」

 

「ふーん。スケベとは聞いてたけど、本当なんだ」

 

 クラマの嘘は見破られた。

 そこへケリケイラがクラマの方へやって来た。

 しゃがみ込んだままのマユミのために、ケリケイラが提案する。

 

「じゃあ、見られなければいいんじゃないですかねー? クラマさんはこうしてー……」

 

 ごろん、とケリケイラはクラマをうつ伏せになるよう転がす。

 

「おうっ」

 

「はーい、皆さん上に乗ってくださーい」

 

 ケリケイラに言われてメグルとテフラが、ぎこちなくベッドに乗り上げた。

 最後にメグルもクラマの足の付近に乗る。

 

「じゃあ皆さん、マッサージ始めてくださーい」

 

 ……そう。

 彼女達がこのような格好をしているのは、単なるコスプレショーに興じているわけではない。

 壊れたクラマの体をマッサージでほぐして回復を助ける――それが今回の主題であった。

 そのついでに衣装を変えて心量回復も兼ねよう! ……という、非常に合理的かつ効率的なクラマのアイディアによるものだった。

 女性3人の手が、クラマの腕を、肩を、背、腰、脚にくまなく触れ、揉み解していく。

 

「お……おぉ……おぉぉぉ~…………」

 

 極楽浄土(エルドラド)

 クラマは地上の楽園をその身に感じ取っていた。

 気の抜けた声を漏らすクラマの肩回りを揉みほぐしながら、メグルが尋ねる。

 

「……ねえ、このくらいの力加減でいいの?」

 

「んん……んおぉ~……おぉん……」

 

「あの、ちょっと声がきもいんだけど?」

 

 それに対してテフラが、クラマの腰に両手の親指を立てて上から圧力をかけながら言う。

 

「あはは……しょうがないですよ。それくらい気持ちいいってことで」

 

「……なんか慣れてない? マッサージ」

 

「はい。子供の頃からおじいちゃんやお父さんによくやってたんで、得意なんですよ。今度やってあげましょうか?」

 

「んー……うん、今度ね」

 

 などと女性2人はクラマの背中の上で交友を深めていた。

 一方のマユミはというと……

 

「へぁ~……つかれた。マッサージって思ったより重労働なんだ……」

 

 クラマの足の間で座り込むマユミ。

 そんなマユミにケリケイラが横からアドバイスをする。

 

「そうですねー、足の裏に乗るっていうのもありますよー」

 

「……ほむ」

 

 言われた通りに立ち上がって、クラマの足の裏に乗ったマユミ。

 

「そうそう、その土踏まずの部分にカカトを乗せるようにしてー……左右の足で交互に体重をかけて……」

 

「おおー、これはらくちん」

 

 楽なやり方を発見してご機嫌のマユミ。

 だったのだが……

 

「……あの~……その~……ちょっといいかなあ……?」

 

「はい~?」

 

 遠慮がちに上がったクラマの声。

 クラマにしては珍しく、とてもとても言いづらそうな様子で、その言葉を告げた。

 

「……あのね、その、大変ありがたいんだけどね。足の裏がね……なんというか、ちょっと…………重くて」

 

「―――――」

 

 マユミがぴたりと停止する。

 マユミだけではない。その場の全員が止まっていた。

 

 そろそろとクラマの足の裏からマユミは降りて……

 

「う……うぐぅぅぅぅぅ……!」

 

 頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 あまりにも哀れな光景に、誰もフォローの言葉を入れることができなかった……。

 なお、この日を境にマユミの長く険しいダイエットへの道が始まったわけだが……それはまた別の話なのであった。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで、女性達によるクラマの心量回復マッサージが終わった後。

 ケリケイラは帰り際、クラマに何事かを言おうと口を開いた。

 ……が、途中でやめて、「気をつけてくださいね」とだけ告げると、メグルと一緒に去っていった。

 

「……わかりやすい人だなあ」

 

 女性たちが帰った後の病室で、クラマはそんなことを呟いた。

 ……例の悪徳高利貸しの調査をしていた際に、冒険者ギルドが裁判へ推薦する魔法使いにケリケイラの名前が出てからというもの、クラマはケリケイラの動向を注意して観察していた。

 そうして見ると、何やらクラマ達の内情を探るような言動が多いことに気がついた。

 また、そうした話を振る時のケリケイラは決まって相手の目を見ずに、どこか遠くを見ながら喋っていた。

 ……嘘をつくのが下手な人だった。

 さらに冒険者ギルドで受付嬢から資料を見せて貰うと、公的機関やヒウゥースの関わる企業が相手の裁判では、ケリケイラが斡旋される確率が異様に高いことが分かった。

 

 ケリケイラはこの国の権力者――ヒウゥースやディーザの手下だ。

 

 これがクラマの結論だった。

 そして恐らく、ケリケイラ自身はそれを望んでいない。

 節々(ふしぶし)から見える態度。

 それからダンジョン内でクラマに魔法具を譲った際の「私が持ち帰ってもろくなことに使わない」という言葉が、それを示している。

 以上によりクラマがパーティーに提案した方針が、これだ。

 

 “こちらの黒い部分は、ケリケイラの目に触れないように。”

 

 大怪我をしたのは、逆に都合が良かった。

 手術をしても不自然にならない理由ができた。

 クラマが発信器を取り除く手術をしたことは関係者には口止めをして、サクラは病院の奥で隔離している。

 

 ……だが、秘密というものは、易々と隠しおおせるものではない。

 クラマはそれを理解していた。

 自分たちの不正が明るみに出る前に、できるだけ早くダンジョンの攻略を進めなければならない……。

 

 

 

 

 

 その日の深夜。

 真っ暗闇の病室。

 灯りは消され、窓から光も入らない。

 暗闇の海へと沈み込み、誰もが寝静まった静謐の街。

 クラマも街の人々と同じく眠りに落ちている。

 そのクラマの病室へと、ひとつの人影が音もなく侵入した。

 熟睡しているクラマの枕元へ立ったそれは、クラマの首元へ両手を伸ばして――

 

 ゆさゆさ。

 

 肩に手をかけて揺すった。

 しかしクラマに起きる気配はない。

 

「……………」

 

 ぺちぺち。

 

 頬を軽く張った。

 やはり起きる気配はない。

 

「…………………」

 

 一向に起きないクラマに業を煮やしたその人影は、クラマの顔に手を伸ばすと、左右の頬を思いきりつねりあげた!

 

 ぎゅう~っ!

 

「ぁいひゃい!」

 

 たまらずクラマは飛び起きた!

 クラマは痛む頬をさすりながら、自分を起こした人物を見上げる。

 

「イクス、もうちょっと優しい起こし方をだね」

 

「……起きなかったから」

 

 イクスはふいっと顔を横に向けた。

 なかなか起きないのは睡眠薬のせいなので仕方なくはある。

 無理やり起こされた今のクラマは、頭の中がぐらぐらしていた。

 クラマは頭の揺れを押さえ込むように手を当てながら、イクスへ尋ねる。

 

「……それで、僕に何の用かな?」

 

「トゥニス――このまえダンジョンにいた、わたしの仲間について」

 

 地下で冒険者を襲撃していた連中に混ざっていた、イクスの仲間の大剣使い。

 地下で見た限りでは、彼女は例の連中に協力していたのは間違いない。

 しかも瞳の色は(だいだい)から、連中と同じ青色に変わっていた。

 邪神――悲劇の神の信徒へと改宗した証だ。

 イクスはクラマの枕元で言う。

 

「何か理由があって協力させられてるんだと思う。他の仲間を人質にとられてるとか。……だから、できるだけ早くダンジョンに行って、トゥニスを探して話をしたい」

 

 つまりイクスの主張としては、この前の敵地突入ではイエニアとレイフの救出を優先したので、今度はこちらを優先して欲しいということだ。

 イクスからすれば当然の要求だった。

 彼女がクラマ達に協力しているのは、彼女の仲間を探すためなのだから。

 クラマは頷いて答える。

 

「そうだね。次の探索では、彼らを探すのを優先していこう」

 

 それに――とクラマは考える。

 気を失う前、最後に対峙したあの男。

 あの紳士風の男も、おそらく一緒にいるだろう。

 ……あの男を野放しにしておくのは危険だ。

 クラマはそう考えていた。

 

 話がまとまったところで、イクスはクラマに背を向けた。

 

「……それだけ確認したかった。じゃあ帰る」

 

 その背に向けてクラマが言う。

 

「ついでに、早く探索を始めるために協力していかない?」

 

「……? いいけど。わたしに何かできることがあるなら」

 

 良い答えだった。

 クラマは早く探索したいという彼女の希望に応えるため、彼女が協力する方法を提示した。

 

「パンツを脱いで、僕にください」

 

「………………たぶん聞き間違えたと思う。もう一回言って」

 

「この場でパンツを脱いで、僕に手渡してください」

 

 言い直させたら注文が増えた。

 クラマは続けて、魔法治療のために心量を補充する必要があることを説明した。

 説明を聞いて押し黙るイクス。

 ……イクスは苦悩していた。

 しかし羞恥と目的を天秤にかけるのならば、答えは決まりきっていた。

 その苦悩の表情は、暗い闇に遮られてクラマには分からない。

 

「………………ひとつだけ言っていい?」

 

「なにかな?」

 

「……変態」

 

 侮蔑の混ざった罵倒の言葉。

 クラマは何故だかその言葉に、胸の高鳴りを覚えた。

 何かに目覚めそうな感覚だった。

 

 そして、決心したイクスは、自らの穿いたスパッツへと手をかけた。

 輪郭くらいしか判別できない闇の中。

 別に見られているわけではない。

 ただ目線が向けられているだけ。クラマの目には映っていない。

 そうとは分かっていても――下着ごとスパッツを下ろしていくにつれて、言いようのない気恥ずかしさ、居心地が悪くなるような感覚をイクスは感じていた。

 

「……っ」

 

 意を決して下まで降ろす。

 ぱさ、と重力に導かれて布が床へと落下した。

 イクスはスパッツの中から一緒に脱いだパンツを引き抜くと、クラマの前に差し出した。

 クラマはその柔らかな布――脱いだばかりでほんのり温かさの残った下着――を手に取った。

 

「ありがとう、イクス」

 

 ――ああ、これって……お礼を言われる事なんだ。

 

 イクスはそんな他人事のような感想が浮かんだ。

 そしてイクスは手に残ったスパッツを穿く。

 ……普段と違う感覚。

 いつもは下着越しだが、肌に直接当たって擦れる慣れない感触。

 それは否が応でも、自分が下着を脱いで男に手渡したという頓狂な事実を、改めてイクスに意識させた。

 

 恥ずかしい。

 というか何やってんだろう自分、という思い。

 そもそもなんで、クラマはこんな布を欲しがるのか。

 体を触るとか、もっと言えば直接的な性交渉……そうした要求をするべきじゃないかと思う。

 むしろこれなら、胸を揉ませろと言われた方がまだマシだった気さえする。

 そして自分には揉めるほどに胸のボリュームがないことに気付いて、さらに陰鬱な気持ちになる。

 

 そうした、あれやこれやの思いが頭の中でぐちゃぐちゃになった結果――

 

「…………じゃあ、帰る」

 

 イクスは考えるのをやめた。

 すべて忘れて帰って寝ようと思った。

 

「うん、気をつけて」

 

 クラマが手を振る。

 夜目の利くイクスには、ひらひらと揺れる自分のパンツが見えた。

 それを見てイクスの頭に疑問が浮かんでしまう。

 

「……それ、何に使うの?」

 

 貰ったパンツの用途。

 クラマは手にしたパンツを両手で広げて思案し、口を開く。

 

「そうだね、まず目を閉じて――」

 

「――待って。言わないで。やっぱり聞きたくない」

 

「イクスの顔と、この温かさを思い出して……」

 

「っ……!」

 

 クラマが言い終わる前にイクスは逃げ出した!

 

「ふうむ」

 

 ひとり残されたクラマ。

 夜はまだ長いが、目が冴えてしまって眠れなくなった彼は、手に入れたパンツの用途について深く思索することにした。

 

 

----------------------------------------

 

 地球人召喚施設の執務室。

 所員がすべて出払った深夜の施設で、ディーザはケリケイラから報告を受けていた。

 

「――ということで、おそらくは10日ほどで彼らは復帰する見込みになります。報告は以上です」

 

 ディーザは報告を行うケリケイラを見据える。

 

「ふん、今回は隠し事もないようだな。無能なりに学習したか。……もう行っていいぞ」

 

「はい、失礼します」

 

 ケリケイラが退出した後、ディーザは頭を押さえて大きく息をついた。

 胃がきりきりと痛む。

 ディーザは机の引き出しを開けて胃痛薬を取り出し、水差しを口につけて飲み下した。

 そして右拳を机に叩きつける!

 

「くそっ! 一体どうしろというのだ、これは……!」

 

 地下で始末するはずだった冒険者は大怪我を負って帰還した。

 始末を依頼した連中とは連絡がつかない。

 ……これは依頼が失敗したことを意味している。

 しかもおそらく交戦し、敗北するという形で。

 

 非常にまずい事態だった。

 敗北したワイトピート達から、裏にいる自分らの存在が知られてしまった可能性がある。

 ケリケイラを使って調べさせたところでは、そうした事はなさそうという報告だったが……無能者の報告では安心できない。

 

「こうなったらヒウゥースに……いや……」

 

 ヒウゥースは相変わらず、記者への接待にご執心だ。

 事を荒立てようとはしないだろう。

 下手に相談などして、「今は動くな」などと言われては何もできなくなってしまう。

 怪しい地球人――クラマ=ヒロの件については、自分で解決する他ない。ディーザは改めてそう考えた。

 

 悪い報せばかりだったが、幸いな点もあった。

 例の地球人は魔法治療を行い、早期にダンジョン探索へ復帰するという話だ。

 つまり、始末するチャンスはすぐに来る。

 

「やりようはある……」

 

 ダンジョンで使える戦力はワイトピート達だけではない。

 むしろ、あんな連中は体裁を整えるための“張りぼて”に過ぎない。

 ヒウゥース達はギルドとは無関係に独自の私兵を所持していた。

 彼らはヒウゥースがこの国に亡命してくる以前からの私兵で、冒険者を装ってギルドに登録しているが、平時はギルドを通した依頼という形でヒウゥースの屋敷の警護を行っている。

 ……だが、それとは別にディーザも自身の私兵を用意していた。

 

「……仕方あるまい。使うか、あいつらを……」

 

 いずれヒウゥースを追い落とす時のために隠しておいた私兵だが、そう悠長にしていられない状況になった。

 

 ディーザはこれからの自分の動きを頭の中で組み立てる。

 まずヒウゥースにワイトピートが冒険者に敗北した事だけを伝え、ワイトピート達の始末はヒウゥースから私兵を出させる。

 それから例の地球人がダンジョンに降りるのに合わせて、自らの私兵を行かせる。

 ダンジョンの奥で地球人を始末し、あわよくばヒウゥースの私兵も同時に消す……。

 ヒウゥースの私兵はこちらの私兵を知らないが、こちらは向こうを知っている。これほど有利な戦いはない。

 

「……ふ、固まってきたか」

 

 むしろ上手くすれば、これはヒウゥースを追い落とすチャンスかもしれない。

 度重なる現地住民の裁判、こうした不信感と状況を上手く利用すれば……と、ディーザの思惑が広がっていく。

 

「奴に代わって一国の首長か。悪くない」

 

 来たるべき己の未来を想像して、ディーザはひとりほくそ笑んだ。

 



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第46話

 クラマの入院中、色々な人が病室へ見舞いに訪れたが、どういうことかレイフだけは姿を見せることがなかった。

 さすがに気になったクラマは、訪れたパフィーにレイフの様子はどうかと尋ねてみたところ……

 

「あ……レイフは……う、うん。大丈夫。顔の腫れも引いてきたし、もう普段通りよ。……でも……」

 

 パフィーは言葉を濁す。

 しばらく悩んでいたが、やがてかぶりを振った。

 

「ううん。これはクラマがレイフから直接聞いた方がいいと思う。私は……いいか悪いか、分からないから……」

 

 核心をわざと外した、意味深な言葉。

 クラマはそれに、ただ分かったとだけ答えた。

 

 

 

 

 

 それから3日後。

 日常生活に支障がない程度まで回復したクラマは、ついに退院する運びとなった。

 この後は貸家に戻って、次の探索の準備をしながらリハビリしていく予定だ。

 

 診療所を出るその前に、クラマはまずサクラの病室に顔を出した。

 クラマの顔を見たサクラは開口一番、

 

「嘘つき! 痛くないって言ったじゃない! このバカ! アホちんこ!」

 

 アホちんこはライン超えてきたな、とクラマは思った。

 サクラの魔法治療は三郎が行うことになっていたが、慣れない代謝促進魔法に三郎が手間取っているうちに、サクラの目が覚めてしまったらしい。

 クラマは涙目で騒ぐサクラの頭を撫でて落ち着かせた。

 するとサクラはすぐに大人しくなった。

 ついでにサクラの心量も上がった。

 クラマはサクラの将来が心配になった。

 

 

 

 そうして次に、クラマはイエニアの病室へと足を運んだ。

 クラマが扉を開けて中に入ると……

 

「――クラマ?」

 

 ベッドに横になっていたイエニアが、クラマの来訪に気付いて身を起こした。

 イエニアの着ているゆったりとした病衣。

 その首元から鎖骨にかけて、ちらりと刃物による傷跡が見えた。

 

「傷……もう塞がったんだね」

 

 言われてイエニアは、傷跡を隠すように襟元を正した。

 

「ええ、私も三郎さんに魔法治療をして貰いましたので。少し遅れますが、私もすぐに戻ります。クラマは先に戻って待っていてください」

 

 いつも通りの、凛として頼もしいイエニアだった。

 クラマは枕元の椅子に腰かけて、しばらくイエニアとふたりで雑談に興じた。

 治療魔法を受けた感想。

 見舞いに来た人たちから聞いた話。

 病院食の味と量。

 

「いやー、いくらおいしいって言ってもさ。しばらくチェーニャ鳥の卵は食べたくないね!」

 

「クラマは我が侭です。私はたくさん食べることができて、夢のようでしたよ」

 

 などと楽しく歓談していたが、やがて話に区切りがついて、どちらともなく会話が止まる。

 

「じゃあ、僕はそろそろ……」

 

 と、クラマが腰を上げた時だった。

 

「……? イエニア?」

 

 椅子から立ち上がりかけたクラマの袖が、イエニアの手で掴まれていた。

 

「あ……」

 

 それはイエニアにとっても無意識の事だった。

 イエニアは驚いた顔を見せて、すぐに顔を伏せる。

 ……だが、クラマの袖を掴む手はそのままだった。

 

「どうかした、イエニ――」

 

 ふと、そこでクラマは気がついた。

 イエニアの肩が微かに震えていることに。

 

「……イエニア」

 

 クラマは椅子に座り直して、イエニアの肩に手を置いた。

 イエニアの気持ちはクラマには分からない。

 だが、人は触れ合うだけで安心を得られるということを、クラマは知っていた。

 クラマはもう一方の手で、イエニアの手を握る。

 イエニアの震えが止まってくれるように。

 彼女の不安が消え去るように。

 そうしているとやがて、イエニアは俯いたまま、ぽつりと呟いた。

 

「……怖かった」

 

 その声は、クラマが初めて聞く、イエニアのか細い声だった。

 細かく震える唇。

 イエニアの震えは収まるどころか、次第に大きくなっていった。

 

「わたし……怖かった……怖かったんです。斬られるのは……死ぬのは覚悟してた。でも……」

 

 少しずつ声色も大きくなる。

 嗚咽じみた訴えが、あの毅然としたイエニアの口から漏れ出してくる。

 

「でも、あいつらは違った……! 私、意識はあったんです……目は掠れて見えなかったけど……周りの声は聞こえてた。彼らは私を殺す気がなかった……ただ、おもちゃにして、それで死んでも構わないっていうだけで……! もう少しで……もう少しで私、あいつらに……!」

 

 クラマはイエニアを抱きしめた。

 イエニアの震えが体を通して伝わってくる。

 その震えを自分の体で受け止めるように。

 クラマはぎゅっと強く、抱きしめた。

 

「…………………クラマ………」

 

 クラマは何も言わない。

 何も言わない方がいいと思った。

 言葉がなくても伝えられることはある。

 だから、中身のない言葉で彼女の存在が損なわれないように。

 ただ黙って、抱きしめた。

 

「…………ありがとう、クラマ」

 

 いつしか、イエニアの震えは止まっていた。

 その声も――いつもと少し違うが――震えはない。

 イエニアはそのまま、クラマの耳元で囁くように言った。

 

「私が乱暴されそうになった時……レイフが庇ってくれたんです。彼らの矛先が自身に向くように、わざと挑発して……」

 

「レイフらしい」

 

「ええ、そう思います」

 

 クラマはイエニアから体を離した。

 そこにはもう、背筋を伸ばしてクラマをまっすぐに見つめる、普段通りのイエニアの姿があった。

 そうしてイエニアは、クラマの目を見て告げた。

 

「レイフと話をしてください。私からは……何も言えません。勝手かもしれませんが……私はクラマの判断に任せたい」

 

「分かった」

 

 クラマは頷いた。

 

 

 

 

 

 イエニアの病室を出たクラマ。

 色々回って皆に挨拶を終えると、彼は診療所を後にした。

 久々に屋外へと降り立ったクラマは、目蓋に強い日の光を感じながら、ぐーっと強く伸びをした。

 

「さて――行くか」

 

 クラマは久しぶりの拠点、自分達の貸家へと戻っていった。

 

 

 

 帰り道の途中で街の人から何度も話しかけられた。

 なんだかんだで家に着いたのは夕方。

 貸家に戻るとイクスが出迎えた。

 クラマは帰り道に買った食材を使って夕飯の支度をする。

 パフィーが戻り、レイフが戻り、ティアが戻った。

 皆で食卓を囲む。

 イエニアはいないが、それ以外は普段通り。

 特におかしな事もなく、食器を洗い、お風呂に入り、そして夜が来る。

 

 

 

 

 

 夜が来た。

 

 暗闇の(とばり)が降りきって、黒い黒い、何もない黒が空一面を覆う頃。

 人も小鳥も寝静まり、夜のしじまが世界のすべてを抱きしめる頃。

 

 しかし、そこに日の光があることを知っている。

 クラマの焦がれる暖かな日差しが待っている。

 

 クラマは階段に足をかけ、一歩一歩と、空へと近付いていく。

 ついには階段を登りきる。

 そうして、クラマは貸家の屋上に顔を出した。

 

 

「あら、奇遇ね」

 

 

 クラマの太陽がそこにいた。

 

「ここから登っていくのが見えたからね」

 

 その答えに、レイフはふふっと笑った。

 レイフは屋根の上に座って遠くを眺めている。

 クラマはランタンを置いて、レイフの隣に腰を下ろして訊いた。

 

「何を見てるの?」

 

「いいえ、特に何も。私はただ、あなたが来るのを待ってたんだもの」

 

「そっか。僕もレイフに用があるんだ」

 

「あら、クラマから私に?」

 

「うん……」

 

 クラマは座ったまま空を見上げた。

 広がるのは、もはや見飽きた黒。

 

「……やっぱり月は出てないかぁ」

 

 当たり前である。

 

「つき?」

 

 この世界には月も星も存在しない。

 分かりきったことを今さら確認しながら、クラマは呟いた。

 

「僕が生まれた国ではこういう時、月が綺麗ですね……って言うんだよね」

 

「ふうん?」

 

 レイフもクラマに釣られて夜空を見上げた。

 ふたりで何もない空を見上げながら、クラマはレイフに向けて語る。

 

「地球ではね、夜は太陽の代わりに月が照らすんだ。太陽よりはずっと小さい光だから、夜はやっぱり暗いんだけど……それに満ち欠けっていって、毎日少しずつ形が変わっていってね。それから月の他にも、小さな星が見渡す限りに広がってて……天気がいいと、空いっぱいに宝石が輝いてるみたいになるんだ」

 

 レイフの見知らぬ世界の話を力説するクラマ。

 その横顔を眺めながら、レイフは言った。

 

「なんだか幻想的ね」

 

「……言われてみれば確かに」

 

 よもやファンタジー世界の住人に言われるとは思わなかった言葉に、クラマは苦笑した。

 クラマは地球に戻りたいと思ったことはない。

 だが、クラマの心象では、この世界には足りないものが多すぎる。

 月はない。星もない。雲も、雨も、強い風もなければ四季もない。

 戻りたくはないが、欲しいとは思う。

 

「レイフにも、いつか地球の星空を見せたいな。イエニアとパフィー……みんなにも」

 

 そう言って空から視線を落とし、レイフに目を向けるクラマ。

 クラマと目線が合ったレイフは、困ったような照れ笑いをした。

 

「ふふ、いいわね。私も見てみたいけど……」

 

 そして、レイフは告げる。

 

「私は、パーティーを抜けるから」

 

 ―――――――。

 

 空白の時間。

 パフィーとイエニアの態度から既に予想はできていたので、クラマはことさら聞き返したりはしなかった。

 それにどう返すべきかも、クラマはあらかじめ考えてきていた。

 だが……言葉が出てこない。

 クラマは返す言葉を言えずに、固まってしまった。

 ぐっと奥歯を噛み、拳を握るクラマに向けて、レイフは続ける。

 

「みんなの足手まといにならないようにって、弓を練習してみたり、よその冒険者から短剣の使い方を教わったりしたけど……ダメだった。危険が迫ってくると、どうしても目を閉じて縮こまっちゃう。目の前が真っ白になって、何も考えられなくなるのよね」

 

 以前にクラマとの訓練でイエニアも言っていた。

 戦い慣れていない者は、恐怖のために、相手の攻撃を最後まで見続けることができないと。

 

「奥に進めば、もっと危険が増えていくんでしょうし……私だけならいいけど、このままだと私のせいでパーティーが全滅するだろうから」

 

 正論だった。

 否定できる要素がない。

 レイフがピンチになれば、クラマは必ず助けようとする。

 それが続けば、いずれは破綻するのは目に見えている。

 クラマが答えられないでいると、レイフはそこで軽く息を抜いて、クラマに向けて微笑みかける。

 

「ふふっ、そんな顔しないで。パーティーを抜けたからって、別に会えなくなるわけじゃないわ。みんなが良ければ、このままここにいてもいいわけだしね?」

 

 自分はそんなに酷い顔をしているのか、とクラマは思った。

 だが、いつものように表情を繕えなかった。

 格好つけた軽口も、今ばかりは出てこない。

 

 冷静に考えてみれば。

 レイフには抜けてもらって、新しくメンバーを募った方がいい。

 秘密を共有するため厳選する必要はあるが……既に候補は何人かいる。

 ダンジョン攻略のためにはそれが合理的で、当然の判断だった。

 クラマもそれは理解している。

 その上でクラマは、口を開いた。

 

「駄目だ。抜けたら駄目だ」

 

 レイフの言葉は否定しない。

 否定できない。

 ただ、駄目だと主張した。

 レイフはそんなクラマに優しく諭すように言う。

 

「だめよクラマ。約束したでしょう、彼女たちをダンジョンの奥まで連れて行くって」

 

「……レイフとも、約束した」

 

「ごめんね、あれは嘘なの。だから無効」

 

「それならイエニアとパフィーだって無効だ」

 

 すでにイエニアとパフィーの嘘は暴かれている。

 そうとは知らないレイフは少し驚いた顔を見せたが、すぐに別の答えに変える。

 

「でも、イエニアとパフィーにはダンジョンに潜る理由があるわ。私にはもう理由がないの。クラマには復讐のための資金集めに来たって言ったけど……私はもう復讐する気なんてないのよ。ただ、自暴自棄になって来ただけ。でもみんなとパーティーを組んで、みんなと暮らして……それじゃいけないと思って。私の馬鹿な考えに、みんなを巻き込みたくないの」

 

 レイフはパーティーの皆と仲間意識が芽生えた結果……仲間のために、自分がパーティーを抜けるという結論に至った。

 つまりここでレイフを引き留めるということは、「自分のせいで仲間が」という不安と罪悪感を背負っていくことを強要するという事である。

 不合理なだけでなく、それは残酷な事だ。

 

 だが、クラマは引かない。

 どこまでも食い下がっていく。

 

「……でも、仲間のために全滅してもいいと言ったのはレイフだ」

 

「それは互いにやるべき事をした上で、そうなっても仕方ないという事よ。パーティーのためには、私が抜けるのが私のやるべき事。そうでしょ?」

 

「………………」

 

 クラマには返せる言葉がなくなってしまった。

 話は終わりとばかりにレイフは腰を上げ……しかしその手をクラマは掴んだ。

 

「頼む。行かないで欲しい」

 

 レイフは怪訝な顔をする。

 

「どうしてそこまで私がパーティーに残ることにこだわるの? 一緒にダンジョンに行かなくても仲間でいられるのに。サクラ達だってそうでしょ?」

 

「………それは……………」

 

 レイフにとっては当然の疑問。

 しかしそれは、クラマにとっては答えることのできないもので……

 

「……僕も、嘘をついている」

 

 クラマは、訥々(とつとつ)と語り出した。

 己の重ねてきた嘘の数々を。

 

 自分の特技、経歴。

 守るつもりのない口約束。

 嘘を言わない日はなかった。

 すべてを事細かに覚えているわけではないが、ひとつひとつを、できるだけ漏らさぬように語っていく。

 

 ……かなり長い時間、語ることになった。

 思いつく限りを喋ったクラマは、ゆっくりとレイフから離れる。

 そして、その後に言った。

 

「……だけど、僕が隠してるのはそれだけじゃない」

 

 そう告げたクラマの瞳は、果てしなく虚ろで、光の差さぬ闇のようだった。

 まるで空の暗闇に溶け込むかのように――

 

「でも……それは言えない……それだけは、どうしても……」

 

 苦悶に震えるクラマ。

 ……クラマの抱える闇。

 まさにそれこそが、クラマがレイフを引き留める理由であり――だからこそ、クラマには明かすことができない。

 それを言ってしまえば、パーティーそのものが破綻してしまうから。

 

 故に、クラマは理屈を語れない。

 クラマに出来ることは……恥も外聞もない、幼稚な泣き落としだけだった。

 しかし……

 

 ――駄目だ、これは。

 

 クラマは焦っていた。

 泣き落としのために自らの嘘を告白した。

 そこまではいい。

 どうしてそこで、「でも言えないことがある」になるのか。

 懺悔するなら全てを曝け出さないと。

 なぜ馬鹿正直にそこまで言ってしまうのか。

 明らかに交渉のやり方を間違えている。

 クラマは己の失敗を自覚し、絶望した。

 

 ……しかし、思い起こせば最初からそうだった。

 レイフとふたりきりになると、思ったことが言えない。

 普段通りの態度がとれない。

 それだけではない。

 レイフの性的な誘いや冗談に対して乗っていけずに、すぐに逃げ出してしまう。

 他の人が相手なら、いくらでも変態行為を要求できるのに。

 心量回復のために下着を盗んだ時もそうだ。レイフの下着を盗むのは躊躇われた。

 

 ここまでくれば、もういいかげんクラマも自覚せざるを得ない。

 ……自分にとって、レイフが特別な存在なのだと。

 

 口を閉ざして俯いてしまったクラマ。

 レイフはそんなクラマに対して確認をした。

 

「う~ん……その、どうしても言えないこと……っていうのが、私を引き留める理由?」

 

「うん……」

 

「理由は言えないし、私が抜ける方がいいのは分かるけど、抜けないで欲しいって?」

 

「……………うん」

 

 消え入りそうなクラマの声。

 細かく確認されればされるほど、自分がバカなことを言っているのが浮き彫りになって苦しくなる。

 なるほどなるほど……とレイフは頷き、そして言った。

 

「クラマって頭いいしわりと何でもできるけど、肝心なところでダメよね」

 

「……それはけっこう自覚してる……」

 

 クラマの喉奥から絞り出すような返答。

 一方のレイフは、口をへの字に曲げて考え込んでいた。

 

「ん~……よく分かんないのよねぇ。パフィーに抜けて欲しくないとかいうのなら分かるんだけど」

 

「ちょっと待って。そうだ。そう、それ」

 

 クラマは掴んでいた手を離し、ビシッとレイフを指さした。

 

「うん? それって? どれ?」

 

 思い出したように話に乗ってきたクラマ。

 実際、クラマは忘れていた。

 クラマもレイフに用があってここに来たのだ。

 

「僕はその誤解を解きに来たんだ。あのさ、レイフ。僕のことロリコンだと思ってるでしょ」

 

「え? そんなこと言われても……ねえ?」

 

 状況証拠は揃いに揃っている。

 クラマはその積み重なった誤りを正すため、これまで固く閉ざされてきた真実の扉へ、ついにその手をかけた。

 

「パフィーを膝の上に乗せて僕がボッ……したと思ってるでしょ」

 

「え? なんて?」

 

「…………僕が勃起したと」

 

「よろしい、被告はしっかり事実を述べるよーに。で、違うの?」

 

 確かに、そう思われても仕方のない状況だった。

 しかし真相は違う。

 

「あの日はパフィーと一緒に神々の想像画を見ていたんだ。そしてあの時、パフィーがめくったのは美と官能の神のページ」

 

「あ~、あれね。そんなにいやらしい絵だったかしら?」

 

 湯浴みをしている女性と、それを窓から覗いて赤面する女性の絵だ。

 それだけ? と問うレイフに対し……クラマは身を切るような思いで答えた。

 

「……その時ね、思ったんだ。レイフが信奉する神だなって。……で……レイフはどうやって“奉納”してるんだろう……って想像して……」

 

「…………あ~……」

 

 その時は丁度、心量を回復する神々への“奉納”についてパフィーから説明を受けたばかりだった。

 そこから思わず想像してしまうのは避けられない。

 

 クラマはレイフから自分の顔を隠すように、目元に手を置いていた。

 服の内側にびっしりと汗をかいているのが分かる。

 ……だから言いたくなかったのだ。

 あなたのことを考えて勃起しましたよ、などと本人に向かって軽々しく言えるはずがない。

 これにはさすがのレイフも少し気まずげな顔をする。

 

「ん~……でもちょっと待って。それじゃあ、どうしてあの時……初めて会った時に、私のおっぱいプレスサンドで心量が下がったの? まさかほんとに窒息?」

 

「おっぱいプレスサンドっていうんだあれ……いや、あれはレイフがお姉さんとか言うから」

 

「ああ……」

 

 先ほどクラマが語った地球での経歴。

 その中で、姉に言われた言葉がトラウマになっているという話が出ていた。

 

「最近はいくらかマシになってきたけどね。正直、できれば思い出したくない」

 

「そう……それじゃあ、ラーウェイブなんて行ったら地獄ね」

 

「そうなの?」

 

「だって、イエニアの姉が十何人もいるのよ?」

 

「それは絶対行きたくないね」

 

 などと軽く脱線しつつ、後は残った細かい嫌疑を消化する。

 

「パフィーを見て心量が上がるのは?」

 

「かわいいからです。以上!」

 

「開き直ってきたわね。それは納得できるけど」

 

 口頭弁論を終えたレイフは大きく息を吐いた。

 

「ふぅ~ん……なるほどね。誤解だったのは分かったけど……そしたら今度は、イエニアが大変ね」

 

「ちょっと待った。そこも誤解があるんじゃないか。僕が好きなのは――」

 

 と、言おうとした口が止まる。

 レイフの人差し指が、クラマの唇に当てられていた。

 驚いて目を見張るクラマ。

 レイフはそんなクラマに、顔を近づけて囁いた。

 

「分かったわ、パーティーを抜けるのはやめる。その代わりに……今の言葉の続きは、ダンジョン攻略が終わってから聞くわ」

 

 そう言って、レイフはいたずらっぽく微笑んだ。

 

「う……!」

 

 クラマは言葉に詰まった。

 ここでそう言われては、何も言うことができない。

 

 これは言葉の人質。

 完全に言質を取られた形だ。

 クラマが告白の続きをしたければ、パーティーが全滅しないように今まで以上に頑張れということ。

 ……クラマのやる事は変わらない。

 ただ、告白してスッキリしてから自己犠牲に走るような格好つけが封じられただけ。

 

 やられた、とクラマは思った。

 客観的に見ればクラマは目的を達成したので、交渉は成功だ。

 しかし……

 

「ふふっ、しっかり私を守ってね。王子様?」

 

 ランタンの微かな灯りに照らされた笑顔。

 童女のようにきらきらと煌めいて、遊女のように妖しく揺れる。

 その笑顔に、目を奪われる。

 

「……わかった、僕にまかせて」

 

 のしかかる圧倒的な敗北感。

 クラマはどこかで聞いた言葉を思い出した。

 “恋愛は惚れた方の負け”

 確かにその通りだ。

 そして同時に思った。

 なんて役に立たない言葉なのだろう……と。

 

 

 

 

 

 それからしばらくは、そのまま屋上で色々なことを話し合った。

 入院中の出来事。

 次の探索について。

 行政への不信感が広がる街の様子。

 レイフが探索中に落ち着いて行動できるように、セサイルや納骨亭マスターに相談しようという提案などなど……

 

「あいつら私の名前がレイフだからって、レイプするなんて……ねえ?」

 

「いや、そういうのはちょっと」

 

「クラマはレイフをレイプしたくない?」

 

「そういうのはちょっとね?」

 

 ……そんなこんなで。

 やがて話すこともなくなり、ふたりはどちらともなく立ち上がる。

 階段へと向かっていくレイフ。

 その背にクラマは声をかけた。

 

「……レイフ。僕は隠し事したままで……本当にいいのかな?」

 

 それは後ろめたさから、思わず口をついて出た言葉だった。

 その疑問の答えは既に出ている。

 イエニアが隠し事をしていても、それとは関係なしにクラマは信用している。

 これはクラマの心の弱さから出た、泣き言に等しい言葉。

 質問を投げかけられたレイフは、人差し指を自身の頬に当て……首をかしげて告げた。

 

「実はね、私もクラマにまだ嘘をついてるの」

 

 ここにきて思いもよらない言葉が飛び出してきて、クラマは面食らう。

 レイフは可愛らしい照れ笑いを浮かべて言った。

 

「クラマが教えてくれたら、私も教えてあげる」

 

 返事に窮するクラマを置いて、レイフはひとり階段を降りていった。

 

 

 

 残されたクラマは難しい顔をしている。

 ここにきて新たな謎を残してきた。

 果たしてレイフのついた嘘とは――?

 ……しかし、それはそれとして。

 

「手玉に取られているなあ」

 

 さすがと言うべきか。

 レイフは“男をその気にさせる”ことに長けている。

 クラマは今さらながらに、レイフがパーティーメンバーに選ばれた理由を痛感していた。

 要するに「がんばれ」の言い方がとても豊富なのだ、彼女は。

 

 いいように操られている感はあったが、クラマはそれが嫌ではなかった。

 むしろ心地良かった。

 

 クラマは空を見上げる。

 空の中心。

 そこでは微かな光を伴った太陽が、夜の終わりを告げるように姿を現していた。

 



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第47話

 クラマから2日遅れてイエニアが退院。

 これでクラマ、イエニア、パフィー、レイフのパーティーメンバーが久方ぶりに一堂に会することになった。

 それにティアとイクスが加わって、その日はクラマが腕によりをかけた豪勢な晩餐となった。

 

「ふっふふふ、快気祝いだからね。少し奮発してしまったよ」

 

 今日の目玉はチェーニャ鳥のロースト。

 思い切って一羽を買って丸焼きに挑戦した。

 こんがりと焼き色のついた香ばしい鳥の丸焼きを中心に、色とりどりの料理が並ぶ。

 全員が食卓に着いたところでイエニアが音頭をとった。

 

「えー、皆さん。入院中は大変ご心配をおかけしました。おかげさまで、このたび無事に退院することができまして、特に治療にあたってくれたパフィーには……」

 

「イエニア、長いわ! ごはんが冷めちゃう!」

 

「うっ! そうですね……」

 

 イエニアはコホンと咳払いをして、手にしたグラスを掲げた。

 

「それでは細かいことは抜きにして、乾杯!」

 

「かんぱーい!」

 

「いえーい!」

 

 全員が盃に口をつけ、料理に手をかける。

 といっても、お酒を飲むのはレイフとティアのふたりだけ。

 レイフはドゥエという麦から造られる蒸留酒を好む。アルコール度数は50%程度と高い。しかしあまり癖がなく、多くは果汁などと混ぜてカクテルの材料とされる……のだが、レイフは平気でそのまま口にする。

 ティアはウィーバーという果実酒から造られる蒸留酒を必ず食事の伴にしている。上品な香りが特徴で、度数は40%程度とドゥエよりは若干低い。

 しかし飲むとすぐに顔が赤くなるレイフに対して、ティアは一切酔いが回った様子を見せない。しかも水のようにグイグイ飲み干していく。恐るべきザルである。

 

 クラマはしっかりこの2種類のアルコールを用意していた。

 さらに酒のつまみとして、この世界では比較的珍しいチーズも少量だが食卓に並べていた。

 ティアはチーズへと手を伸ばし……

 

「最後の一個、も~らいっ♪」

 

 その寸前でレイフの手がかっ攫っていった。

 

「――!?」

 

「むぐむぐ……意外とおいしい! さて、みなさんにご報告がありまーす!」

 

 手を挙げて注目を集めるレイフ。

 彼女は普段の軽い調子で皆に告げた。

 

「パーティー抜けるって言ったけど、やっぱり抜けません! お騒がせしましたー♪」

 

 イエニアとパフィーは一瞬だけ手を止め、すぐに食事を再開して言う。

 

「そうですか、それは良かったです。子守りの仕事がなくなってしまうとパフィーが嘆いていましたから」

 

「そうよ。レイフが書いた地図の修正作業がないと、わたしがダンジョンでやる事なくなっちゃうわ!」

 

「あらら? これは私が子守りされてる感じ?」

 

 まるで大した事はなかったとでも言うかのように。

 3人は冗談を交えて笑い合った。

 ……一方、イクスは絶え間なく料理を口に運び続け、ティアはチーズの消えた皿を見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 和やかで楽しい食事の時間を終えて。

 ティアに呼び出されたクラマは、近くの空き地にいた。

 昼間によくイエニアと訓練する場所である。

 

「お待たせ致しました」

 

 夜の闇からティアが姿を現す。

 その手には訓練用の棒が2本と、黒槍が1本。

 ティアは棒の1本をクラマに渡して、槍を地面に突き立てた。

 

「不躾かと存じますが、よろしければ稽古にお付き合いください」

 

「いいけど……暗くない?」

 

 街灯があるとはいえ時刻は夜。

 視界はかなり悪い。

 

「ダンジョンの中では視界が良い場所の方が稀ですから、暗所での戦闘に慣れておく必要があります」

 

「確かに」

 

 納得してクラマは構えた。

 ティアからこうした誘いを受けるのは初めてだ。

 どういった風の吹き回しか分からないが、クラマにとってみれば新しい事を覚えるチャンスである。

 ティアも構えをとって、ふたりは相対した。

 

「イエニア様との稽古で基本は出来ているかと思いますが、まずは確認から。こちらが隙を作りますので、攻めてきてください」

 

「オッケー、いくよ!」

 

「ええ、どうぞ」

 

 ――そうしてティアによる指導が開始された。

 わざと隙を見せてクラマの打ち込みを見る事から始まり、次に隙をなくして打たせ、最後にお互い好きなように打ち合う……と、段階を経て移行していく。

 

 ティアによる指導のさなか、クラマはある種の感動を覚えていた。

 彼女の動きはあまりに合理的、そして体系的だった。

 クラマがそれまで戦いの中で考えていたのは「攻撃のチャンスを見つける、または作る」事だった。

 しかしティアの棒術――おそらく本当は槍術――は常に次の展開を見据えて、有利を取り続ける動き。

 相手の動きを予想するのではなく、この状況でこうすれば必然的に相手はこうする……といった詰将棋に似た戦闘理論。

 しかもそれが非常に分かりやすく、スポンジに水が染み込むようにクラマはその理論を吸収していった。

 

 訓練用の棒を何度も打ち合わせながら、クラマは思った。

 これはイエニアよりも強いのではないか? いや、あるいはセサイルよりも――?

 

 ――コツン。

 と、クラマの額にティアの持つ棒が当たる。

 

「このくらいにしておきましょう。お疲れ様でした、クラマ様」

 

「ふーーーーーーっ……お疲れ様。ありがとう、ティア」

 

 小一時間ほど打ち合って稽古は終了した。

 久々に体を動かした事と、視界の悪い中で普段より集中力を使った事で、クラマの全身を強い疲労感が襲う。

 ティアも軽く額に浮いた汗を拭って言う。

 

「体が治りきっていないのに無理をさせてしまい申し訳ございません。戻る前にしばらくお休みになってください」

 

「うん、そうする。手加減してくれたから、リハビリには丁度良かったけどね」

 

 と言ってクラマは草の上に足を伸ばして座り込む。

 対してティアはハンカチを敷いて、その上に行儀よく腰を下ろした。

 クラマは乱れた息を整えつつ、ティアに話しかける。

 

「いやーーー……強いね。どうしたらそんな強くなるの」

 

「わたくしは……少し特殊ですから。クラマ様の参考にはならないかと」

 

「そうなの?」

 

「ええ。……幼い頃のわたくしは、周りの子が出来ることが出来ませんでした。周囲の会話についていけず、不注意で物を壊してしまうことが多々ありました」

 

 クラマの疑問に応える形で、ティアは自らのことを語り出す。

 

「お前は欠陥品だと母にはよく怒鳴られ、わたくし自身もそう思っていました。……そんな時に出会った“魔女”から、自身に適した学習法を教えて貰ったのです」

 

「うん? その魔女って……ひょっとしてパフィーのお師匠様の?」

 

 この世界で“魔女”と言えば“イードの森の魔女”グンシーを指す……という話をクラマは以前に聞いたことがあった。

 ついでに言えばグンシーの人格のコピーは、まだクラマの頭の中にあった。

 クラマの問いかけにティアは頷く。

 

「はい、そうです。彼女のおかげで、その後はわたくしも人並みの生活ができるようになりました。……今でもたまに、会話の中で何を指しているか分からなかったり、足元に落ちているものに気付かなかったりしますけども」

 

 クラマはティアの行動を振り返って思い出す。

 言われてみれば確かに、そんなような場面を見かけたこともあった気がした。

 

「わたくしの学習法は、ひとつのことを突き詰めるのに向いていました。ですので剣、あるいは槍を用いての1対1の戦闘では誰にも負けない自信があります」

 

「ほうほう……なるほど」

 

「しかしその代わりに……“自分の中で理論が固まっていない事に対応できない”という致命的な欠点がありました。“なんとなく”で動けないのです。戦場でのわたくしは、まったくの役立たずでした」

 

 なるほど、それは特殊だとクラマは納得した。

 頷くクラマを横目に、ティアは続ける。

 

「わたくしがパーティーに参加していない理由……以前、外から助けに入るためのリスク回避だと申し上げましたが……それだけではないのです。わたくしはダンジョンの中では、まともに戦えません」

 

 クラマは前にセサイルが言っていたことを思い出した。

 

 ――1対1で勝てる方が強いなんて事はねえよ。戦場じゃあ、自分と相手だけじゃなく、もっと広い目を持つ必要がある。ダンジョンでも同じ事だ。

 

 そうは言っても、普通は1対1で強ければ戦場でも強い。逆も然りだ。

 向き不向きによるちょっとした偏りがある程度で、強いやつはどこでも強い。

 しかしティアの場合は、その偏りがものすごく極端に出てしまうのだろう。

 

「彼女――イエニア様には戦場でだいぶ迷惑をかけました。話が噛み合わずに何度も喧嘩しましたし」

 

「えぇ~? ほーんとにぃ?」

 

 主従たるイエニアとティアが喧嘩。

 なかなか想像しにくい絵面だった。

 ティアは苦笑して答える。

 

「ええ。でも彼女もひどいんですよ。こちらが理由を説明しても、反論もなしにあれは駄目、これは駄目って。強引な人なんですから」

 

 珍しくティアの口から愚痴らしきものが飛び出してきた。

 ……ティアは自分と似ている、とクラマは思う。

 目的は教えてくれないが、おそらくティアは自分が正しいと信じる事のために動いている。

 クラマも正しい事を止められない。

 しかしながら同時に、自分とティアの根本にあるのは、まったく違うものだともクラマは感じていた。

 ティアは信念に基づいて長期的・客観的に正しいことを成そうとしているが……クラマの行動は非常に短期的。発作のように目の前の“正しさ”へ飛びつくものだ。

 似ているようでその実、深いところで真逆とも言える2人だった。

 

 クラマがそのようなことを考えていると、ティアはおもむろに草の上から立ち上がった。

 ティアの話を聞く間に、クラマの息は整った。

 そろそろ貸家に戻る頃合いだ。

 ティアは尻の下に敷いたハンカチを折り畳んで言った。

 

「勝手なことを申し上げますが……わたくしどもの目的は、クラマ様にはお話しすることはできません。その代わりといっては何ですが……」

 

 ティアは地面に突き立てていた黒槍を引き抜く。

 そしてそれを、クラマに向かって差し出した。

 

「この槍をクラマ様にお預けします」

 

「え? いいの?」

 

「はい。今のクラマ様なら、刃のついた武器も扱えるはずです」

 

 クラマは黒槍を受け取った。

 ……ずしりと重い。

 しかしこの重さは、武器の威力を支える根幹でもある。

 

「ありがとう。大切に……いや、(つつし)んで(たまわ)るよ」

 

 半端に畏まってみせるクラマ。

 ティアは本日二度目の苦笑を見せた。

 それでは帰ろう、と歩き出そうとしたところで、ティアが口を開いてクラマを呼び止めた。

 

「クラマ様」

 

「うん?」

 

「レイフ様へとパーティーを抜けるように勧めたのは、わたくしです」

 

「……………」

 

 唐突な告白。

 しかし、それほど衝撃的ではなかった。

 むしろティアならそうするだろうな、とクラマはすんなりと納得していた。

 目的のためには自分が嫌われ者になろうと、誰かに憎まれようと最善を尽くす。

 それがティアのやり方であり、生き方だ。

 クラマは振り返って答えた。

 

「ありがとう。僕はただ……何も考えずにカッコつけてるだけだからね。ティアがそうしてくれてるおかげで、なんとか破綻しないで済んでる」

 

「いえ、そのようなことは……」

 

「でも、僕は僕のやり方でやってみせるよ」

 

 クラマの言葉に少し目を見開いたティア。

 彼女は軽いため息をつくと……それから、珍しく柔らかな表情で微笑んだ。

 

「まさか、わたくしよりも我が侭な人がいるとは思いませんでした」

 

 呆れたような台詞に、クラマは肩をすくめておどけてみせた。

 



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第48話

 天気は当然ながら雲ひとつない快晴!

 晴れ晴れとした気持ちの良い朝。

 クラマ、イエニア、パフィー、レイフの4人はダンジョン入口前に集合していた。

 

「さあ、それでは本日で5回目のダンジョン探索です! 準備はいいですか、皆さん!」

 

「はーい!」

 

「オゥケーイ! シャゲナベイベェー!」

 

「なんだか久しぶりねぇ、この感じ」

 

 イエニアが復帰してから2日が経って、その間に準備を整えた彼らは、こうしてダンジョン探索再開と相成(あいな)ったのだった。

 ……実のところクラマとイエニアは全快したわけではない。

 パフィーの心量も全快には程遠い。

 しかし今回はトゥニス捜索を優先するために、探索の再開を早める事にしたのであった。

 

 

> クラマ 運量:10000/10000

> クラマ 心量:101

> イエニア心量:492/500

> パフィー心量:265/500

> レイフ 心量:470/500

 

 

「……あら? クラマ、今日は心量が高いのね。昨日わたしに譲ってくれたのに。何かあったのかしら?」

 

 パフィーがクラマの心量に気付いて尋ねてきた。

 クラマの平均心量は地球人の中でも低い方だ。

 これまでもダンジョン探索前には心量を上げる努力をしていたが、クラマの心量が100に届いていたことはなかった。

 それが今回に限って100の大台を突破している。

 パフィーが疑問に思うのも当然のことだった。

 しかしそれに答えたのはクラマではなくレイフであって。

 

「夜のマッサージが効いたみたいね? うふふ」

 

「そうだね夜にマッサージをしたなら、それは確かに夜のマッサージで間違いないね! うん!」

 

 レイフの意味深な言いように、クラマは訂正なのか肯定なのかよく分からない反応を示した。

 そんな話の流れにパフィーは不満顔だ。

 

「またわたしの知らない符丁(ふちょう)を使って。いいわ、あとで調べるもの」

 

 そしてダンジョンに潜る前から頭を押さえるイエニア。

 あれほどのことがあったというのに、この普段通りのお気楽な流れ。呆れるやらほっとするやらで、イエニアは複雑な気持ちだった。

 

「もはやこの流れは止められるものではありませんね……ともあれ心量があるのは大いに結構です。気を引き締めていきましょう!」

 

 そして普段通りにイエニアが音頭を取り、こうして5度目のダンジョン探索が始まった。

 

 

 

 ダンジョン地下1階、地下2階はもはやクラマ達にとっては庭のようなもの。

 何度か獣と遭遇しつつも、クラマとイエニアの連携により問題なく撃退。

 さらに地下3階へと進む。

 地下3階もクラマが危なげなくパーティーを引率して、前回と同じイクスとの合流地点へ。

 合流地点に到着すると、すでにイクスがいた。

 イクスは後から来たクラマ達に告げる。

 

「ここに来るまでに少し回ってきたけど、3階には上がってきてないと思う」

 

 クラマも念のため運量ダウジングで「地下4階をくまなく調べればトゥニスを発見可能か」を調べた。

 新たな長棒(ファロス・オブ・プトレマイオス・ザ・ソテル)が導き出したダウジングの答えは「Yes」。

 これにより地下4階にまだトゥニスが居ることが確定する。

 イエニアは頷いて、皆に向けて言った。

 

「今回の目的はイクスの仲間を探すこと。急ぎたい気持ちは分かりますが、戦闘になる可能性がありますから、しっかり休憩してから行きましょう」

 

 

> クラマ 運量:10000 → 9179/10000(-821)

> クラマ 心量:101 → 97(-4)

> イエニア心量:492 → 483/500(-9)

> パフィー心量:265 → 258/500(-7)

> レイフ 心量:470 → 463/500(-7)

> イクス 心量:403/500

 

 

 食事と休憩、それからレイフの作ったマップを見直して探索の目星をつけてから、クラマ達は再びダンジョン地下4階へと足を踏み入れた。

 

 

----------------------------------------

 

 ディーザはその報告を受けて手にした書類を取り落とした。

 バラバラと紙の束が宙を舞う。

 

「もう出発しただと!? 貴様、3日後の予定だと言っていただろうが!」

 

 場所は地球人召喚施設、施設長ディーザの執務室。

 クラマ達がダンジョンに向かったという報告をケリケイラから受けて、ディーザは怒鳴り声をあげていた。

 ディーザの前に立つケリケイラは大きい体を小さく縮こまらせる。

 

「昨日彼らから聞いた話ではそのはずだったのですが……」

 

 ……というケリケイラの話。

 ディーザは思考を巡らせる。

 思いつきで急にダンジョンへ潜る冒険者など存在しない。

 なにせ自分の命がかかっているのだ。準備とコンディションの調整を怠る者はいない。

 つまり彼らが今日ダンジョンへ潜るのは予定通りであって。

 それはすなわち――

 

「貴様が内通者(スパイ)だと気付かれていたという事だ……! この無能者めが!」

 

 ディーザはケリケイラを憤怒の眼差しで睨みつける。

 

「そ、そんな……!」

 

 心当たりのないケリケイラは慌てた。

 しかし状況から見れば、それ以外には考えられない。

 ディーザはケリケイラを睨み据えながら低く呟いた。

 

「何をしている……」

 

「え? な、なにって……えーっと、そのー……?」

 

 ダンッ! とディーザの拳が机を叩いた。

 

「さっさと奴らと連絡を取れ! すぐに後を追わせろ!」

 

 ケリケイラへの仕置きは後回し。

 今は街に散らばる配下をダンジョンへ向かわせるのが先決だった。

 怒鳴りつけられたケリケイラは執務室から駆け出していき、ディーザは歯ぎしりをして机にもう一度拳を打ちつけた。

 

 

----------------------------------------

 

 そして当のクラマ達。

 地下4階をしばらく進んだところで、クラマは呟いた。

 

「言われてた通り、罠がなくなってるね」

 

 正確には「少なくなっている」だった。

 代わりに罠の残骸がそこかしこに放置されている。

 

 昨日クラマが冒険者ギルドに立ち寄ったところ、前回の探索で出会った学者風の冒険者がいた。

 クラマが彼らに話を聞くと、彼らがあれから再びダンジョンに潜ったところ、地下4階の罠が妙に少なかったという。

 地下4階の罠は解除してもすぐに再び設置されていたり、以前はなかった罠が増えていたりしていたのだが、使用済みの罠がそのまま野晒しになってたことを彼らは(いぶか)しんでいた。

 

 イエニアがクラマの言葉に相槌を打つ。

 

「ええ。これまでは、あの邪神の徒が罠を設置していたのでしょう。地下4階では壁につけた目印が消されるというのも、彼らの仕業だったと考えれば説明がつきます」

 

 SFチックな施設のわりに、設置された罠がクロスボウなどのブービートラップというのも納得だった。

 

「でもでも、罠が少ないからといって油断しちゃだめよ。まだ残ってるかもしれないんだから!」

 

「そうだね。いつも通り慎重にいこう」

 

 

> クラマ 運量:9179 → 9128/10000(-51)

> クラマ 心量:97 → 96(-1)

> イエニア心量:483 → 481/500(-2)

> パフィー心量:258 → 255/500(-3)

> レイフ 心量:463 → 461/500(-2)

> イクス 心量:403 → 400/500(-3)

 

 

 そうしてクラマ達が進んだ先は……例の連中が潜んでいた隠し部屋。

 

「まだここにいるとは考えにくいけど……他の潜伏場所の手がかりとか、ひょっとしたら奥に隠し通路があったりするかもしれない」

 

 トゥニスの手がかりを求めて中を見て回るクラマ達。

 通路を散策していると、まず目についたのは……放置された死体だった。

 場所は、イエニア達が捕まっていた監禁部屋の前。

 クラマが首の骨を折って殺害した男と見て間違いなさそうだった。

 “間違いなさそう”というのは、ほぼ破れた服と骨しか残っていなかったからだ。

 

 おそらく獣に食い荒らされたのであろう。

 ずたずたにされた衣服と腐敗臭。パフィーとレイフは顔をしかめた。

 

 

> イエニア心量:481 → 480/500(-1)

> パフィー心量:255 → 252/500(-3)

> レイフ 心量:461 → 457/500(-4)

> イクス 心量:400 → 399/500(-1)

 

 

「僕らが壁を壊したから、あそこから獣が入り込んだんだろうね。注意していこう」

 

 クラマ達は死骸の傍を通り過ぎて進む。

 そうして次の部屋に入ろうとするが、扉が開かなかった。

 というかドアノブ自体がない。

 

「これは……そうか、自動ドアか」

 

 呟くクラマにパフィーが答える。

 

「オノウェ情報を登録した人間が触れると開くタイプのドアだわ。どこかに登録できる場所があるはずだけど……」

 

「では、先にそれを探しましょうか」

 

 とイエニアが言って別の場所に移ろうとする。

 が、クラマはそこで皆を引き留めた。

 

「……ちょっと待っててくれないかな?」

 

「?」

 

 疑問符を浮かべる一同。

 クラマは少し手前に戻り、そしてすぐに帰ってきた。

 その手に握られているのは……骨。

 

「く、クラマ、それは……」

 

「うん。そこに落ちてた人の骨。一応、試してみようかと」

 

 言いながら隣を通り過ぎるクラマに、思わず一歩引いてしまうパーティーの面々。

 クラマが扉に骨を当てると、果たして扉はすんなりと開かれた。

 振り向き、後ろの皆に笑顔を見せるクラマ。

 

「よかった、これで探索を進められそうだね」

 

 

 

 その後、クラマは骨鍵を使って次々と扉を開いていき、2時間以上かけてくまなく探索するも、手がかりとなるものは見当たらず……。

 見つけたものといえば数匹の爪トカゲ。

 クラマはティアの黒槍を手にして、狭いダンジョンの中でも立ち位置に気をつけながら器用に使い、イエニアと協力することで難なく撃退した。

 

 

> クラマ 運量:9128 → 9200/10000(+72)

> クラマ 心量:96 → 95(-1)

> イエニア心量:480 → 473/500(-7)

> パフィー心量:252 → 247/500(-5)

> レイフ 心量:457 → 450/500(-7)

> イクス 心量:399 → 395/500(-4)

 

 

 あらかた探索し尽くした最後の部屋。

 クラマ達が足を踏み入れたそこは、シックな雰囲気のある小さめの部屋で、奥にはもうひとつ扉があった。

 統一感のない調度品が規則的に配置された、どこか(いびつ)な雰囲気のする部屋だった。

 クラマ達は高く売れそうな獣の剥製(はくせい)などを荷袋に放り込んでから、奥の部屋へと進もうとしたが……

 

「あれ? 開かない」

 

 その扉は、骨鍵を使っても開かなかった。

 

「ここだけ別のセキュリティ……怪しいね」

 

「とはいえ、どうやって開いたものか……」

 

 頭を悩ませる面々の中で、クラマは口を開いた。

 

「これで壊すしかなさそうだね」

 

 と、黒槍をトンと地面に立てる。

 皆もそれに頷いて同意した。

 同意を得たところでクラマは、黒槍をレイフに手渡した。

 

「あ、あら? 私?」

 

 こうした余裕のある場所では、最も心量の余るレイフが使用するのは当然の話であった。

 

「大丈夫。僕も槍を支えておくから」

 

 クラマはレイフと一緒に、扉へ突き立てた槍を持つ。

 

「ヨイン・プルトンの衝撃は相当なものです。私も持ちましょう」

 

 そう言ってイエニアも掴む。

 

「あっ! じゃあわたしも!」

 

 さらにパフィーまで参加した。

 合計4人がひとつの槍を持つことになった。

 

「どういうことなの……」

 

 果たしてどういうことなのか。

 その場の流れとしか言いようがなかった。

 ついでに言えば、その様子を部屋の外の通路からイクスがじっと眺めていた。

 

「な、なんか変なことになっちゃったけど行くわよ! オクシオ・ヴェウィデイー! サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……ヨイン・プルトン!」

 

 

> レイフ 心量:450 → 400/500(-50)

 

 

 轟音と共に部屋の中へ吹っ飛んでいく扉。

 巻き起こる風が収まるのを待ってから、一同は部屋の中へと入る。

 

 

 そこには、異様な光景が広がっていた。

 

 

 六畳くらいの小さな部屋。

 部屋の壁にはびっしりと棚が敷き詰められている。

 その棚には数多くの――ざっと数えて300は超える――ガラスの小瓶。

 液体に満ちた小瓶の中。

 ひとつの小瓶に一個、眼球が入っていた。

 

「こ、これは……」

 

「標本……? いえ、でも、これは……」

 

 様々な動物を保存する標本。

 そうした学術的なものであれば、どれだけ良かったことか。

 この部屋で大量に保存されているものは違う。

 赤、橙、黄、緑、青、紫、そして黒。

 色とりどりの眼球は、それが紛うことなき人間のものであるという事を示していた。

 さらには――小瓶の隣。

 そこには、眼球よりも更に色とりどりの髪の毛が、ひと(ふさ)ずつ置かれていた。

 眼球とセットの毛髪。

 そして最後に、それらの背景となるように後ろへ貼られた紙。

 

 そこに書かれているのは日付、人名、年齢、性別、職業、出身、簡単な経歴が上半分。

 下半分は、彼らが捕らわれ、死に至るまでに行われた凶行の数々が記されていた。

 それらは報告書のように淡々と事実だけが記載されていたが……それが逆に、人の倫理観を嘲笑うかのような内容の異常さを際立たせていた。

 

(いぶ)った恋人の陰嚢(いんのう)を……な、なにこれ……!? こ、こんな……こんなのって……!」

 

 文の内容を目にしたパフィーが青ざめた顔で震える。

 遅ればせながらレイフはパフィーの目を遮って、部屋の外に連れて行った。

 

「邪神の信徒というのは……まさかこれまで……」

 

 そう言うイエニアの顔色も悪い。

 義憤、嫌悪、吐き気……それらがないまぜになって表情が歪む。

 

「クラマも早く出ましょう。ここにいても良い事は……」

 

 言いかけたイエニアが止まる。

 目を見開いて瞳と髪、文章のセットを見つめるクラマの横顔。

 その口元が……笑っているように見えたからだ。

 

 ポン、と肩に手を置かれてイエニアはビクッと跳ねた。

 手を置いたのはクラマだ。

 クラマはいつも通りの――柔和な表情でイエニアに言う。

 

「僕らも戻ろう。ここには手がかりは何もない」

 

「え、あ、ええ……そうですね……」

 

 クラマは何も変わらない。

 普段通りのクラマだ。

 今のは気のせいだったのだろう、と納得してイエニアはクラマの後に続いて外に出た。

 

 ただ、クラマがイエニアの横を通り過ぎた時、クラマの首から下がった札がちらりと目に入った。

 

 

> クラマ 心量:95 → 187(+92)

 



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第49話

 邪教の信徒の隠れ家、その最奥にあった悪趣味極まる小部屋。

 部屋を出たクラマ達は別の部屋に移って、パフィーが落ち着くまでしばらくそこで待機した。

 

 

> クラマ 運量:9200 → 9222/10000(+22)

> クラマ 心量:187 → 182(-5)

> イエニア心量:473 → 452/500(-21)

> パフィー心量:247 → 210/500(-37)

> レイフ 心量:400 → 372/500(-28)

> イクス 心量:395 → 392/500(-3)

 

 

「パフィー、本当に大丈夫?」

 

「ええ! 心配かけてごめんなさい。もう大丈夫よ」

 

 そうして気を取り直した一行は探索を再開した。

 探索を終えた隠し部屋から出て、通常の地下4階へ。

 そこから先は地道に足で探していくことになった。

 

 

 

「……いやあ、なかなか見つからないねえ」

 

 しかしそう簡単にはトゥニスの足跡は見つけられなかった。

 探索を始める前に行ったクラマの運量サーチで、この階層をくまなく探せばトゥニスを発見できることは分かっている。

 クラマ達はそれを信じて、ひたすら探索を続けた。

 

 残っているいくつもの罠を回避して、遭遇する様々な獣を撃退し、何度も休憩を挟みつつ進んでいく。

 途中で地下5階への階段も発見したが、スルーして4階の探索に戻った。

 

 

> クラマ 運量:9222 → 8344/10000(-878)

> クラマ 心量:182 → 129(-53)

> イエニア心量:452 → 390/500(-62)

> パフィー心量:210 → 169/500(-41)

> レイフ 心量:372 → 314/500(-58)

> イクス 心量:392 → 339/500(-53)

 

 

 やがてクラマ達は、以前に見た爪トカゲ生産プールの近くに来る。

 そこで当てのない探索に変化が訪れた。

 

「ねえ、なんだかこのあたり罠が多くない?」

 

 レイフの指摘。

 彼女の言う通り、この付近に来てから罠の量が急激に増えた。

 先頭のクラマは長棒で罠を探りながら答える。

 

「そうだね。明らかに罠が密集してる」

 

「という事はつまり……」

 

「うん。この近くにいる可能性が高い。気をつけて行こう」

 

 クラマの言葉に3人は頷いた。

 一同は警戒を強めて通路を進む。

 

 

----------------------------------------

 

 その様子をワイトピートはモニター越しに眺めていた。

 ニィッとワイトピートの口の端が歪む。

 

「フフ……とうとうここまで来たか。もう目と鼻の先だね」

 

 ここは施設内をモニターできる監視室。

 爪トカゲ生産プールが隣にあるので食料には不自由せず、なおかつ扉は生体認証が必要なので獣や冒険者に襲われる心配もない。隠れるにはうってつけの場所だった。

 そこでモニターを眺めて笑みを浮かべるワイトピートに、部屋にいるトゥニスが話しかける。

 

「なぜヒウゥースの追っ手よりあいつらが先に来るんだ。お前、ヒウゥースの追っ手が来るからここも長くもたないと言っていたじゃないか」

 

 トゥニスの言う通り、ワイトピートはここに来た当初そう言っていた。

 ヒウゥースはダンジョン内の完全な地図を所持しており、中の仕掛けも熟知している。すぐに隠れ場所は暴かれる……はずであった。

 トゥニスの指摘に対して、ワイトピートは両手を広げて肩をすくめた。

 

「さて、なぜだろうか。想像はできないこともないが、分かったところでどうにもなるまい。解なき妄想よりも今は、来客の応対について考えようではないか」

 

「そうだな……どのみち追っ手が来たら、こいつらがいる限り逃げられない」

 

 そう言ってトゥニスが横目でちらりと見た先。

 10日前から一向に容態の良くならない死にかけの2人が、毛布にくるまって苦しげに唸っていた。

 クラマに殺されかけた2人の男。

 彼らは魔法使いを擁していないため、治癒を促すこともできない。

 以前トゥニスが話した通り、この2人がワイトピート達にとっての大きな足枷となっていた。

 

「なに、この場所を選んだのはモニターで監視できるという理由だけではない。ここから裏道を通って、近付いて来る者達の背後を取れるからさ。きみにはその役を頼もう。私はここで彼らを出迎える」

 

「分かった。あの双剣の男が来ていないのなら、それで何とかなるだろう」

 

「うむ。念のため、これも持っていきたまえ」

 

 ワイトピートはブローチつきのマントをトゥニスに手渡した。

 

「これは?」

 

「自分の出す音を少なくする魔法具さ。奇襲がしやすくなるだろう」

 

「他にもいろいろ溜め込んでそうだな」

 

「はは! それはそうさ。冒険者から奪った品はヒウゥースに譲ることになってはいたが……そんな向こうばっかり得をするルールをわざわざ守ってやることはない。もっとも、今まではほとんど使えなかったがね」

 

 ワイトピートらは冒険者を襲う際には救助隊の装備をしていなければならず、襲撃時に持っていけるものは限られていた。

 そして、魔法は使用すると近くの人間に感知されてしまう。

 感知されないほどの遠くから使用していても効果が持続し、なおかつ救助隊の装備の中に忍び込ませられる魔法具というと……残念ながら今まで冒険者から奪ったものの中で、そんな都合の良いものはなかった。

 

 しかし、ワイトピートにとってはそこは大した問題ではなかった。

 かつて帝国軍特殊部隊に所属していた彼は、対魔法戦闘を心得ている。

 彼にとって戦闘における魔法とは大規模戦で行使されるものであって、少数戦闘の場で戦局を左右するものではなかった。

 特に奇襲する側にとっては、全く恐れるものではない。

 彼自身は魔法使いではないが、詠唱を聞けばある程度の効果を予測することができる。そのように訓練を受けている。

 奇襲が成功すれば、相手が詠唱できるのはせいぜい一度きり。

 奇襲を許し、パーティーが半ば崩れた状態では、魔法の一発で形勢逆転することは難しい。

 なぜなら、ワイトピートが詠唱から魔法の効果を予測できるからだ。

 さらには奇襲が成功したという前提ならば、負傷した相手の仲間を盾に使うこともできる。

 故に魔法は逆転の一手にならない。

 

 ……以上の理論を実践し、ワイトピートはこれまでにあらゆる冒険者を狩ってきた。

 しかし仮に、少数戦で奇襲される側が魔法を効果的に使えるとしたら……仮に、奇襲が通用せず、さらにワイトピートの追撃も完璧に凌げる優秀な前衛がいたら……?

 

 すなわちそれが、クラマ達のパーティーだった。

 

 とはいえ、これだけ条件が揃っていたクラマ達でさえ敗北したのだ。

 自らは魔法を用いずに、魔法使いを倒す。

 ワイトピートはその方法を確立していた。

 

「フフ……しかしこの私が、魔法具を使って戦う時が来るとはね。ははは、よりどりみどりだ! 年甲斐もなく心が躍るね」

 

 いくつもの魔法具を手にして、子供のようにはしゃぐワイトピート。

 その様子を見てトゥニスはため息をついた。

 

「私はもう行くぞ。遊んでいないでお前も準備しろ」

 

 そう言って彼女はクラマ達の背後をとるべく裏道への扉をくぐって行った。

 トゥニスの足音が段々と離れていき……やがて聞こえなくなる。

 それからしばらく経ってから、ワイトピートは静かにひとりごちた。

 

「そうだね。では、私も準備を始めるか……」

 

 そうして、ワイトピートは床の上で苦しみにあえぐ2人の部下に目を向けた。

 

 

----------------------------------------

 

> クラマ 運量:8344 → 8219/10000(-125)

 

 

 いくつもの罠を抜けた先に、その扉はあった。

 壁面とあまり変わらぬ、白と緑のサイバーチックな扉。

 取っ手はない。ドアノブもない。

 クラマは骨鍵を取り出した。

 扉を開ける前に、背後の仲間たちを見る。

 イエニア、パフィー、レイフ。

 クラマの視線に対して、彼女たちは一様に頷き返した。

 扉に向き直ったクラマは、そっと扉に骨をあてた。

 固唾を飲んで見守る一同。

 

 そして扉は開かれた。

 

 開いた扉の先から光が漏れる。

 中からホールのような大部屋が姿を現した。

 その、入口から向かってまっすぐ正面に、男はいた。

 

 ワイトピート。

 

「ようこそ! よく来たね諸君、歓迎しよう!」

 

 心の底から嬉しそうな声が響き渡った。

 



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第50話

「私の名はワイトピート! 覚えておいてくれたまえ。短い付き合いになりそうだが……フフ」

 

 クラマ達の前に現れた男は、優雅に自己紹介を行った。

 一見して人当たりの良い初老の紳士という立ち振る舞い。

 しかし先ほど目にした凄惨な小部屋のせいか、それともどこか虚ろな青い瞳のせいか、イエニア達の目には悠然と佇む男が薄気味悪い怪物にしか見えなかった。

 

 クラマ達が足を踏み入れた大部屋に立ち込める不吉な空気。

 そんな中で最初に口を開いたのは――クラマだった。

 

「いや、あなたのことは別に聞いてないです。トゥニスって人を知らない?」

 

「………………」

 

 場の空気を無視した気楽な物言いに、呆気にとられる一同。

 これにはイエニア達だけでなく、ワイトピートも意表を突かれていた。

 しかしすぐに立ち直った彼は苦笑をもって返す。

 

「クッ、クク……なるほど、そう来るかね。それでは私はこう返そう! 『彼女の居場所を知りたければ、この私を倒してみせるがいい』……と」

 

 クラマは顔をしかめる。

 

「厄介なおじいさんだね。お孫さんに構ってもらえないからって、若者に絡むのはどうかと思うんだ。年配の方には、若者を導く良い規範となって頂かないとさ?」

 

「うむ、良いことを言う! しかしあいにく私に孫はいなくてね、息子ならいたが……片目と髪の毛だけ(・・・・・・・・)になってしまったよ(・・・・・・・・・)

 

「―――!」

 

 クラマの背後で息を飲む音。

 緩んだ空気が一瞬にして凍りついた。

 

「おっと、その反応! 見てくれたようだね、私の展示室(ビューイングルーム)を。どうかね、感想などを頂ければ嬉しいのだが」

 

 ワイトピートは首を傾けて、クラマ達を覗き込むように窺い見る。

 その台詞、しぐさ、その表情。

 何もかもが、隅々まで悪意に満ち満ちていた。

 男の発言には答えない。答える意味もない。

 代わりにイエニアの喉から絞り出すような声が漏れる。

 

「クラマ……この男は野放しにはできません……!」

 

「そうだね。それは、初めて見た時から思ってた」

 

 クラマの表情も、先ほどまでの緩い雰囲気は消え去っている。

 そして真っ直ぐにワイトピートの瞳を見据えて、告げた。

 

「こいつは消さなきゃいけないってね」

 

 その言葉にワイトピートの顔が歪む。

 怒りではない。

 それは狂喜。

 応じるのは歪んだ笑みと、高らかな笑い声。

 

「ははははははは!! 来たまえ、冒険者よ! きみたちを阻む障害はここにいるぞ! ――だが、もっとも……」

 

 ワイトピートは手元の紐を勢いよく引いた!

 

「すぐに終わってしまうかもしれないがね?」

 

 上空で破裂音。

 次の瞬間、部屋中を白煙が覆い尽くした!

 

「うっ、これは――」

 

 粉塵爆発? とクラマは一瞬思ったが、それはない。これでは向こうも一緒に巻き込まれる。

 そもそも粉塵爆発は実験でも再現率の低い現象だ。意図して狙うものではない。

 ならばただの煙幕で、これに乗じて接近してくるか……と考えたところで、白煙を挟んだ先から響いてくるワイトピートの声。

 

「オクシオ・ユデ!」

 

 詠唱!

 視界を封じてからの、魔法による奇襲攻撃!

 しかし、魔法攻撃に対してはイエニアの盾がある。

 前に出たイエニアが唱えた!

 

「オクシオ・ビウっ……は――ゴホッ! ゴホッ!」

 

 突然咳き込むイエニア。

 

 ――煙だ。

 

 クラマは驚愕した。

 この煙は視界封じなどではない。

 “詠唱封じ”だ。

 

 クラマは白煙の奥、ぼやけた視界の先に見た。

 ガスマスクを装着している男の姿を。

 

 クラマ、刹那の思考。

 

「――エグゼ・ティケ」

 

 瞬時の判断!

 クラマは運量の使用を選択。

 全身が金色の光を帯び、願い受け入れる準備が整ったクラマ。

 願いを唱える前にクラマはコートの袖を口に当てる。

 運量の使用ならば魔法の詠唱と違って、多少不明瞭な言葉でも問題ない。

 

 そしてクラマは全力で集中した。

 相手の詠唱を聞き取ることに。

 

「フェセワハ・ヒシハ・ユデ・イッツレセ――」

 

(袋の中の水を圧縮……)

 

 詠唱を聞いて頭に浮かぶ。

 クラマはパフィーに教わって、魔法の詠唱に使われる古代語の単語をほとんど暗記していた。

 そのためクラマもワイトピートと同様、詠唱を聞けばおおよその効果が分かる。

 

 クラマは考える。

 相手の魔法を妨害するために何をするべきか。

 瞬時に判断するため、クラマは煙の中で耳を澄ませる……。

 

「タセバ・ジャエトラエ!」

 

 クラマは手元の棒を掴む。

 ワイトピートは手にした水袋つきの杖を掲げる。

 

「貫きたまえ! 切り刻みたまえ! 終焉に向かい解き放たれよ、一切轢断の刃……!」

 

「相手の魔法からこちらが被害を受けないように……」

 

 クラマは手にした棒を投擲!

 

「――ギノー・セノ!!」

 

「――当たって逸らせ!!」

 

 

> ワイトピート心量:495 → 445/500(-50)

> クラマ 運量:8228 → 2711/10000(-5517)

 

 

 クラマの体を覆った金色の光が消えて、願いが受理される。

 ワイトピートの杖からは圧縮された水が射出!

 しかしその時、クラマの投げた棒がワイトピートの頭に当たって、その体勢を崩す……!

 

「ぬうっ!?」

 

 投射された水の刃はクラマ達から逸れて、白煙と壁を切り裂いた!

 

 シュイイイイイイイイッ!

 

 聞き慣れない音が大部屋の中を駆け抜ける。

 咄嗟の機転によって敵の魔法攻撃を防いだクラマ。

 部屋の上方向は白煙が届いていないため、“それ”を目にすることができた。

 

 壁と天井を両断するかのごとく走る長大な切断痕。

 ワイトピートの魔法具から放たれた水の刃は、まるでバターのように易々と壁を切り裂いていた。

 攻撃が不発となったワイトピートはしかし、余裕をもって笑う。

 

「はは、運量か! ズルイなあ地球人は! 次は警戒するとしよう……オクシオ・ユデ!」

 

 再度の詠唱開始!

 白煙、そしてガスマスクによる劣悪な視野。

 これが重なった上で、5000以上の運量を減らされた。

 先ほどワイトピートは「次は警戒しよう」などと運量を警戒していなかったような言い回しをしたが、それは嘘っぱちだ。

 ワイトピートは運量の起こす「不運」に警戒を怠っていない。

 相手が警戒するほど、奇襲に対応する能力が高いほど、行動を妨害するための運量の消費は跳ね上がる。

 ワイトピートの行動を運量で縛るのは困難だった。

 

「くっ……!」

 

 クラマは歯噛みした。

 ワイトピートとの距離が遠い。

 駆け寄っても相手が陳情句を省けば、先に魔法を撃たれてしまう。

 クラマに出来る事といったら、もう銀の鞭での妨害しかない。

 だが鞭は前の戦闘で相手に見られている。

 クラマは妨害が成功するビジョンが浮かばなかった。

 

「フェセワハ・ヒシハ・ユデ・イッツレセ・タセバ・ジャエトラエ……」

 

 迷っている暇はない。

 それしかないなら、やるしかない。

 そう考え、クラマが前に出ようとした時だった。

 

 突風。

 イエニアの盾が周囲の空間を薙ぎ払う!

 その剛腕により盾を振り抜いた結果、白煙が前方上空へと吹き飛んでいく。

 代わりに通路側の空気が流れ込んで、周囲の煙が薄まった。

 

「オクシオ・ビウヌ!」

 

 ここにきてイエニアの詠唱。

 しかし相手の詠唱からは、だいぶ遅れている。

 

「貫きたまえ、一切轢断の刃! 彼らの終焉に向かって今、再び!」

 

「サウォ・ニノ・シニセ・ノウツ――」

 

 イエニアの詠唱が遅い。

 これでは魔法の効果を引き上げる陳情句が間に合わない。

 向こうも当然、待ってくれるはずもなく……ワイトピートの詠唱は完了した。

 

「ギノー・セノ!!」

 

 

> ワイトピート心量:445 → 395/500(-50)

 

 

 放たれる超高速の水刃!

 その速度は音速の3倍に達し、金属鎧をも容易く切り裂く。

 迫り来る死の刃に対してイエニアは――

 

「ファウンウォット・シヴュラ!」

 

 

> イエニア心量:390 → 360/500(-30)

 

 

 陳情句なしで魔法を発動。

 イエニアが構えた正騎士の盾。

 その正面に真紅の紋章が浮かび上がる。

 

 

 盾に守られる花をモチーフとしたこの紋章は、騎士王国ラーウェイブの国旗にも採用されている。

 建国王の遺志を継ぎ、身を盾にして民を守る。

 ラーウェイブにおける騎士とは全国民の誇りであり――

 正騎士の盾とは全ての騎士の象徴である。

 

 

「なんと!?」

 

 ワイトピートはガスマスク越しに目を見張った。

 鉄をも穿つ水の槍が、イエニアの盾によって完璧に防がれていた。

 第一次元魔法によって強化された正騎士の盾は、この世で最も硬いとされるユユウワシホの硬度を凌駕する。

 

 ……やがて、水刃の放射が止まる。

 イエニアの盾は傷ひとつついていなかった。

 

「おお……」

 

「すごい……!」

 

 イエニアの背後に隠れる仲間達から、感嘆と安堵の息が漏れる。

 しかしワイトピートは慌てない。

 手にした杖を背後のダストシュートに投げ入れ、すぐに別の魔法具を取り出した。

 なお、煙がだいぶ収まってきたのでガスマスクも杖と一緒に投げ捨てた。

 

「はは、大したものだ! しかし、こちらはどうかな?」

 

 太鼓のような大筒を脇に抱えたワイトピート。

 彼は不敵な笑みを浮かべて新たな詠唱を始める。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー!」

 

「オクシオ・ビウヌ!」

 

 イエニアも同時に詠唱を開始。

 ここにきて互いに真っ向から、小細工なしの魔法合戦となった。

 詠唱と同時に淡い輝きを放つ大筒と盾。

 周囲に広がる魔力波。

 ワイトピートとイエニア。

 2人の朗々たる詠唱が大部屋に響き渡る。

 

「サハ・ネオハ・チスヨ・ラエサエアー・ホネ・サエトウ・イートゥリ……!」

 

「サウォ・ニノ・シニセ・ノウツ!」

 

 ワイトピートの詠唱。

 それを聞き取ったクラマとパフィーが顔色を変える。

 

「イエニア、この魔法は……!」

 

 慌てて動こうとしたクラマ。

 その出足をイエニアの手が制した。

 

 イエニアは落ち着き払っていた。

 背後でクラマやパフィーが動揺する気配を見せても、泰然としたまま真正面の敵と対峙する。

 ……クラマはイエニアの背後から見た。

 威風堂々とした立ち姿。

 自信に満ちた横顔。

 そして微塵も揺らぐことなく紡がれる詠唱。

 

『心配いりません、大丈夫です』

 

 そんなイエニアの思いが肩越しに伝わってきた。

 ならば何も言わない。

 クラマはイエニアを信じる。

 そして2人の詠唱は魔法の内容を規定する律定句から、魔法の効果を高める陳情句へと移行する。

 

「さあ終わりの刻だ! 終焉の光……一切衆生、ここに灰塵と相成らん! ははははははっ! そう! きみたちの冒険は、ここで終了だッ!!」

 

「朽ちない城はない。(まか)らぬ者はいない。されど其は不滅なりしもの。王の遺志、騎士の誇り、我らが絆。……高く貴き心よ、牢固たれ!」

 

 陳情句の終わりは同時。

 ワイトピートとイエニア。

 互いの魔法が、ついに相対する。

 

「レイト・ギノフィル!!」

 

「ファウンウォット・シヴュラ!!」

 

 

> ワイトピート 心量:395 → 295/500(-100)

> イエニア   心量:360 → 330/500(-30)

 

 

 解き放たれる破壊の力――!

 ワイトピートの持つ大筒に光が満ちて――わずかな溜めの後、それは猛威を現した。

 放たれたのは熱線。

 前方への指向性を持った超高熱、超高密度の熱光線である。

 

 ゴアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!

 

 獣の咆哮にも似た怪音を轟かせ、光の奔流がクラマ達のパーティーを飲み込んだ!

 大筒の口径より何倍も太い熱線。

 その大きさは人の全身を飲み込んで余りある。

 放たれた極太の熱線は地面をも抉り、白煙を消し去り、壁を貫き、圧倒的な破壊エネルギーと熱量によって、向かった直線上のすべてを塵も残さずに蒸発させた。

 

 

 

 

 

 クラマは信じられない光景の中にいた。

 自分達の周囲を包む眩い光。

 触れればそこに存在した痕跡すら残さず消滅させる、一切壊滅の光の中にありながら、そこは驚くほど穏やかだった。

 破壊の力が及ばないばかりではない。

 熱気の余波もなければ、瞳を焦がされることもない。

 

 クラマ達を守るのは先頭に立つイエニア。

 彼女の掲げる盾……その前方の空間に大きく、青い紋章が輝いていた。

 

 

 

高く貴き心、牢固たれ(ファウンウォット・シヴュラ)

 

 これは個体・停止を司る第一次元を操る魔法。

 通常の発動においては盾を硬化するだけだが……陳情句を入れた場合、盾の前方における第一次元から第四次元までの全ての運動を停止させる。

 すなわち、この盾の背後へ攻撃が通ることは“原理的に有り得ない”。

 

 陳情句が完全ならば、竜の咆哮(ドラゴンブレス)をも防ぐことができると言われている。

 

 

 

 クラマはかつてイエニアと交わした会話を思い出す。

 

『そういえばさ、イエニアの盾って魔法で硬度を強化できるんだよね?』

 

『ええ、そうです。陳情句まで入れれば、熱や冷気、腐食液に至るまで、あらゆる外敵からの脅威を遮断できます』

 

 ……あらゆる脅威を遮断する。

 そこには偽りも脚色もなかった。

 

 

 

 

 

 周囲を流れる美しい光の奔流。

 その中で、クラマは目の前に立つイエニアの背中を眺めた。

 

 

 

 ――正騎士の盾。

 

 この盾は、9つしか席のない正騎士に任命される折に、国王の手から直接賜る王国伝来の魔法具である。

 

 “たとえ剣と命をなくそうとも、盾と誇りを失うな。”

 

 これはただ単に騎士としての心得を説くだけのものではない。

 小国であり資源にも乏しいラーウェイブ王国だが、世界最大の帝国と隣接しているにもかかわらず、これまで侵略されずに存続してきた。

 その理由のひとつが、正騎士の存在であった。

 王国騎士の頂点に立つ彼らは一騎当千の戦士であるだけでなく――その盾の護りは、帝国がどれだけ強力な魔導兵器を開発しようと、決して打ち崩されることがない。

 

 王国を守護する9人の絶対防衛戦線。

 それが王国正騎士である。

 

 

 

 

 

 ……光が収まる。

 破壊が過ぎ去った後、大部屋の様子はすっかり変わり果てていた。

 ワイトピート前方の地面はスプーンでくり抜いたように綺麗に抉れており、熱によって熔けた床が湯気を放っていた。

 そして抉れた地面の先。

 クラマ達が入ってきた通路は、元の倍以上に広がっていた。

 無論、扉も壁ごと蒸発して消えている。

 

 そんな圧倒的な破壊の痕跡の中心で。

 クラマ達4人とその足元の地面だけが、何事もなかったように無傷だった。

 

 静寂の中、イエニアが静かに口を開いた。

 

「……まだ続けますか?」

 

 見下ろすようなイエニアの視線。

 それに対してワイトピートは自嘲気味に笑った。

 

「ハハ……いや、これは無理だ」

 

 そう言ってワイトピートは大筒の魔法具をダストシュートにIN。

 続いて彼は後ろの壁に向かって跳ぶと、上から垂れ下がったロープを掴んであっという間に登っていった。

 登った先には、もうひとつのフロア。

 壇上のある体育館のような、一段高いフロアのある造りをした部屋だった。

 ただしよじ登れるほど低くない。

 両側の階段を通らなければ上の段まで上がれない。

 

 ワイトピートはロープを使って登りきると、自分がショートカットに使用したロープを切断。

 これでクラマ達が上がって来るまでの、いくらかの時間を稼いだ。

 

「ははは! 時間はあったからね、いろいろ準備していたのさ。このように!」

 

 と言って、ワイトピートが下にいるクラマ達に向かって見せたもの。

 それは――首に縄のかけられた2人の男。

 ワイトピート自身の部下だった。

 

 ぎょっとして見上げるクラマ達。

 首に縄をかけられた男たちは重篤ながらも意識はあり、苦しげに呻き声をあげていた。

 

「わ……ワイトピート様……こ、これは……一体……?」

 

「く……ぐるし……」

 

 ワイトピートは頷き、声高らかに宣言した。

 

「ヴォトン・ツディチスユア!!」

 

 それは、“奉納”の開始を告げる言葉。

 “奉納”は自らが信奉する神へと何らかの行為を捧げることで、心量の回復を図る儀式である。

 ワイトピートが信奉するのは悲劇の神。

 となれば、これから捧げられるのは何なのか。

 否が応でも想像できた。

 

「コーベル君! ペシウヌ君! ……きみらはよく働いてくれた。特にコーベル君は私の右腕となることを夢見て、常日頃から頑張っていたね」

 

「は、はい……だ、だから、おれ、自分は、頑張って……その……っ!」

 

 必死に抗弁しようとするコーベルに対して、ワイトピートはにっこりと笑った。

 

「ははは、頑張ったからといって何だというのかね? 私は今まできみを、使えない道具としか思っていなかったよ」

 

 コーベルとペシウヌの顔が固まった。

 ワイトピートは大笑して2人を嘲る。

 

「ぬっははははははははっ!! どうかね、敬愛する相手に裏切られた気分は!? 是非とも感想を聞かせて欲しいものだ! ……喋れるものならね?」

 

 ワイトピートはそうして手元のレバーを引いた。

 すると2人の首にかかった縄が上に引かれて、首吊りの形になる。

 両手両足を縛られた男たちは体を振ってもがくことしかできず、徐々に首が締まり、足が地面を離れていくのに抗うことができなかった。

 

 通常、絞首刑は首に縄をつけた状態で落下させるため、一瞬で意識を失う。

 しかし彼らに行われているのは逆に縄を引き上げる方法であり……しかも椎骨動脈の圧迫で意識を失わないよう、ワイトピートは縄を調整していた。

 結果、男たちは顔面を鬱血させてもがき苦しむ。

 地獄のごとき苦悶の中、男たちは怨嗟の呻きを漏らす。

 

「グッ……グゾッ、ヂグヂョオ、オッ……!」

 

「ゴッ、ゴ、ゴロズッ……! ゴロジデヤ……ア……!」

 

 2人ともに、目の前のワイトピートへ噛みつかんばかりに憎悪の眼差しを向ける。

 つい先刻まで自分に尊敬の目を向けていた男たち。

 その変わりようを見て、ワイトピートは……

 

「ハハハハハハハハハハハハハ!!!」

 

 天に向けて高らかに笑った。

 そして、イエニアが階段を登りきったのもその時だった。

 

「外道! その振る舞いもそこまで――」

 

「ふむ」

 

 上部フロアにイエニアが着いた瞬間、ワイトピートは真一文字に剣を振るった。

 

「あっ」

 

 ヒュッ、と軽い風切り音。

 次いでボトッ、ゴトッと下のフロアで鈍い音。

 

 男2人の頭部が、下のフロアに転がった。

 

「………………」

 

 絶句するイエニア。

 上から突然落ちてきた生首に、ヒッと悲鳴を漏らすパフィーとレイフ。

 クラマだけが、転がった生首に目を向けずにワイトピートを真っ直ぐ見据えていた。

 

 

> イエニア心量:330 → 328/500(-2)

> パフィー心量:169 → 163/500(-6)

> レイフ 心量:314 → 309/500(-5)

 

 

「フフ……やはりその目……。いや、今はこちらが先だな。さあ悲劇の神、ツディチスユアよ! 此度の採点や如何に!?」

 

 その呼びかけに応えるように、大量の青白い光の玉が出現し、ワイトピートの体に入り込んでいった。

 

 

> ワイトピート心量:295 → 424/500(+129)

 

 

「……ふうむ、低いな。まあ、客観的に見れば好き勝手にしてきたゴミが相応しい末路を遂げただけ……悲劇とは言い難いか。死に際の演出も悪かった。寄られてしまったから仕方がないとはいえ……いや残念だ」

 

 まったく他人事のように評論するワイトピート。

 そうして彼はフッと笑う。

 

「しかし、これだけあれば充分だ。オクシオ・イテナウィウェ!」

 

 ワイトピートの詠唱開始。

 精神・感情を司る第六次元魔法。

 これは盾で防ぐことができない。

 

 詠唱を中断させようとイエニアが迫る!

 ワイトピートは後ろに下がりながら、ダガーや煙玉など、手持ちのありったけを投げつけながら呪文を唱える。

 

「イーギウー・ドフウ・ツゥーラエ・イーペイ」

 

 その詠唱にハッとするパフィー。

 

「まずいわ! 相手の詠唱を止めて!」

 

 パフィーの言葉を受けて猛然と敵に詰め寄るイエニア。

 だがワイトピートが早い。

 彼は陳情句を省いて、そのまま魔法を発動する。

 

「――タエロイノ」

 



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第51話 - イクスとトゥニスの挿話

 ワイトピートから与えられた隠密用の魔法具を使用して、トゥニスは白と緑の通路を駆ける。

 

(なるほど、これはいい魔法具だ……)

 

 トゥニスの耳には、通路を駆ける自分の足音が聞こえない。

 ともすれば調子が狂ってしまいそうなほどに。

 自分が出す音が聞こえないという慣れない状況で慎重になりつつ、トゥニスは走る。

 おそらくすでにワイトピートとの戦いを開始している、クラマ達を背後から奇襲するために。

 

 ……が、しかし。

 その走りが道半ばで急停止した。

 トゥニスが顔を上げて認めた先。

 そこでは、通路を塞ぐように小さな人影が待ち受けていた。

 

「――イクス」

 

「聞こえてたよ。だいぶ前からね」

 

 イクスの魔法具。

 それは「身軽になる」魔法の他にもうひとつ、「警戒するべき音を大きく拾う」魔法が入れられている。

 イクスはこれを、クラマ達が罠の多い区域に入った時からずっと使用していた。

 

 

> イクス 心量:349 → 329/500(-20)

 

 

 トゥニスが魔法具によって自身の出す音をどれだけ小さくしようとも、完全に消さない限りはイクスの警戒網から逃れることはできない。

 

「……なるほど、お前がいたな」

 

 歩いて近付いて来ようとするトゥニスに、イクスは下がって一定の距離を保つ。

 当然ではあるが、イクスも警戒している。

 目の前の仲間――トゥニスが、まだ仲間なのか。

 それとも、既に……

 

「トゥニス」

 

 イクスの呼びかけ。

 それに対してトゥニスは立ち止まり、聞き返した。

 

「なんだ?」

 

「オルティたちを人質にとられてるの?」

 

 イクスの問いに、トゥニスの表情は一瞬だけ翳りを見せたものの……やがて彼女はまっすぐにイクスを見つめると、堂々とした口ぶりで答えた。

 

「いいや、私は自分の意思であの男に従っている」

 

 イクスはトゥニスの目を見返した。

 かつてはオレンジ色だった、別れている間に変わってしまった青の瞳。

 

「……無理やり改宗させられたんでしょ? 先に行ってる彼らが、あの男を倒す。そうしたら一緒にオルティ達を探そう」

 

 すがるような、一縷(いちる)の望みに賭けるその言葉。

 しかしトゥニスは苦笑をもって返した。

 

「ああ、お前は正しい。私はあの男の手管で心を縛られ、都合よく操られているに過ぎん。私がたまたま戦力になりそうだから引き入れた。あの男について行けば、いずれ必ずゴミのように捨てられて私は死ぬ」

 

「じゃあ……」

 

「だがな、イクス」

 

 イクスの返しをトゥニスはぴしゃりと止めた。

 そして臆面もなく彼女は告げる。

 

「私はあの男を愛している。自作自演、人身操作による作り物の感情だとしても……私は別に構わない」

 

 騙されていてもいい。

 都合のいい女でもいい。

 今ここにある心に素直に生きる。

 

 イクスには理解できなかった。

 それは間違っていると思った。

 しかし……自分にはトゥニスの考えを変えられないという事だけは理解できた。

 苦しげな表情を見せるイクスに、トゥニスは自嘲に満ちた笑みを浮かべて話す。

 

「私も意外だったよ、自分がこんな女だったなんてね。いや実際、昔の自分が今の私を見たら、男に依存する情けない女だと蔑んでいただろう。まったく、人は変わるものだ……良くも悪くも」

 

 皮肉げに語る顔、口調、雰囲気。

 それらはまぎれもなく、イクスの記憶にあるトゥニスと一致している。

 それでようやくイクスは納得することができた。

 トゥニスの意思が本物であり……自分と彼女の進む道が別れたのだと。

 

「そ、っか……」

 

 イクスはダガーを握って構えた。

 

「じゃあ――わたしの敵だ」

 

 それを受けてトゥニスも大剣を構える。

 

「先に……これだけは教えておこう」

 

 戦いの前にトゥニスは告げた。

 

「オルティ達を探すのなら、ヒウゥース邸の地下を調べろ。この街とダンジョンの秘密がそこにあると、あの男は言っていた」

 

「わかった、ありがとう」

 

 素直に礼を言うイクス。

 く――とトゥニスは笑う。

 今日一番の皮肉に満ちた笑みだった。

 

 

 そして、ふたりの戦いが始まった。

 

 

「しかしなイクス、お前が私に勝てると思うのか!?」

 

 トゥニスの大剣が豪快な風切り音を鳴らして一閃する!

 だが、その剣が切り裂いたのはローブのみ。

 

「それはこっちのセリフ」

 

 イクスは避けながらトゥニスの背後に回り、反撃の刃を返す!

 死角から振るわれた短剣!

 トゥニスはそれを、大剣の腹で防いでみせた。

 

 ファーストコンタクトはお互い不発。

 イクスはそのまま大剣の間合いの外に逃げた。

 トゥニスの追撃は――ない。

 離れたところでイクスは告げた。

 

「そんな足で勝てると思ってるの?」

 

 イクスの指摘通り。

 トゥニスの右足には包帯が巻かれている。

 セサイルにやられた右足が、まだ治りきっていなかった。

 

「なに、丁度いいハンデだろう」

 

「そ。じゃあ、もう少しハンデもらうよ。オクシオ・シド!」

 

 イクスの詠唱。

 本来は相手の詠唱は止めに行くものだが、トゥニスの足では下がるイクスを追えない。

 代わりにトゥニスも詠唱で後追いする!

 

「オクシオ・ビウヌ!」

 

「サウォ・ヒシハ・セエス・レエダエ・タナハ・セエスナ……フレイニュード・アートニー」

 

「サハ・ソーハ・ツネゥラエ・フェノニ・イナフ・ハサテ! イフノウィード・ガーブ!」

 

 

> イクス 心量:329 → 299/500(-30)

> トゥニス心量:202 → 177/500(-25)

 

 

 お互い陳情句を省略。

 イクスの魔法は陳情句で持続時間しか変わらないので、かけ直しが可能な状況では陳情句は省く。

 トゥニスは詠唱開始が遅かったので、イクスの魔法発動に合わせて自身も早めた形だ。

 

 浮力を得て、より身軽になったイクスが通路を飛ぶ!

 矢のように宙空を駆けるイクス。

 トゥニスの頭上を通り過ぎざま、短剣を閃かせる!

 

「――くっ!」

 

 その軽やかな動きに反応できない。

 トゥニスの肩が浅く切り裂かれた!

 

「……まるで鳥だな」

 

「こんなこともできるよ?」

 

 言って、今度は壁を蹴るイクス。

 壁、天井、床。

 狭い通路を自由自在に、様々な角度で跳ね回る!

 それはさながらピンボールであった。

 

 イクスのスピードと独特の動きに、足に傷のあるトゥニスは対応しきれない。

 目では動きを追えているため深手は避けているが、浅い傷が徐々に積み重なっていく。

 

 形勢はイクスに大きく傾いている。

 トゥニスは防戦一方で、身をひねり、大剣を使って攻撃を防いでいる。

 重くて振りの遅い大剣ではイクスを捉える術がない――そう思える状況だったが……。

 突如、イクスの動きが鈍る。

 

「うっ――!?」

 

 戸惑い、そして急停止。

 隙だらけの体を晒したイクス。

 当然それをトゥニスが逃がすはずもない。

 大剣が肉を抉り、鮮血が飛んだ。

 

「うぁっ……くっ……!」

 

 イクスが地面を転がる。

 咄嗟に回転しながら後ろに跳んだが、回避しきれなかった。

 地に伏したイクスの右太腿は、大きく斬り裂かれていた。

 

「これで五分になったな」

 

 悠然とイクスを見下ろすトゥニス。

 半身を起こして見上げるイクス。

 

 五分になったというのは皮肉。

 スピードでしか勝てないイクスが機動力を奪われた以上、もはや勝負あった。

 

「やはり実戦経験が足りないな。悪くはなかったが……私と、この“とりかごの剣”を甘く見るな」

 

 トゥニスの大剣。

 魔法具でもあるこの剣は、「振り切った剣の残像に質量を残す」という魔法が籠められていた。

 これにより剣を振ってから戻すまでの隙を補うことができる。

 また、残った質量は切れ味も残るため、敵を誘う罠としても機能する。

 セサイルとの立ち合いではこれを仕掛けたものの、額を浅く抉る程度に留まり倒すことはできなかった。

 

 イクスもこの魔法の存在は分かっていた。

 しかし、剣の軌道は見えているのだから、要するに剣を振った後の場所に近付かなければいいだけだと考えていた。

 だが、いざ相手にすると、イクスの想像以上にトゥニスは巧みに剣を操り、この残る質量を使ってイクスが跳ぶ方向を制限してきた。

 トゥニスの言う通り、イクスは甘く見ていた。

 

「まあ、短期戦を挑んだのは正しい。体を軽くしたといっても、あんな動きは長くはもつまい。それに時間をかければ私も慣れる」

 

 イクスは膝をついたままトゥニスの言葉を聞く。

 その太腿から下は流れた血に濡れている。

 そんなイクスに、トゥニスは背を向けて告げた。

 

「魔法具を外しておけ。新しい仲間達の断末魔を聞きたくはないだろう」

 

 そうしてトゥニスがクラマとワイトピートが戦う大部屋に向かって歩を進めようとした時だった。

 ヒュ、と小さな風切り音。

 

「む――ッ!?」

 

 反射的に身を翻すトゥニス。

 しかし飛来してきたそれを避けきれず、トゥニスの脇腹にダガーが突き刺さった!

 

「ぐうっ、イクス――!」

 

 振り向くトゥニス。

 イクスは立ち上がっていた。

 苦痛に顔を歪ませ、膝を震わせながら。

 

「行かせない……彼らのところには、絶対に……!」

 

 そのイクスの表情、悲壮とも言える必死さ。

 長くパーティーを組んできたはずだが、それはトゥニスの初めて見るものだった。

 

「イクス……なぜ、そこまで……」

 

「彼らは……仲間を助けてくれるって約束してくれた……何も持ってないわたしのために……」

 

 一歩、また一歩。

 イクスは足を前に進めた。

 太腿の傷口から血が噴き出るのも構わずに。

 

「待て、イクス。それ以上は――」

 

「わたしは……二度と仲間を裏切ったりしない……!」

 

 何故そこまでするのか。

 浮かびかけたその疑問が腑に落ちた。

 

 イクスを突き動かしているもの。

 それは後悔だ。

 パーティーが壊滅したのは自分のせいだと。

 自分がしっかりしていれば、こんな事にはならなかったのに……と。

 

 後悔を抱く者にとって、肉体の痛みは心の痛みを誤魔化す鎮痛剤である。

 苦痛でイクスは止まらない。

 むしろ、今の彼女はさらに痛みを求めて進み続けるだろう。

 

 だがトゥニスからすれば、それは間違いだ。

 不意打ちを受けてパーティーが壊滅したのは、先導するパーティーリーダーであり、なおかつ戦闘担当であったトゥニスの責任に他ならない。

 

「イクス……」

 

 しかし、今さら前言は覆せない。

 自分は男のために仲間を捨てた女である。

 何も言う資格はない。

 だから――トゥニスは構えた。

 

「いいだろう……受け止めてやる。来い!」

 

 トゥニスの言葉を受けて、イクスは飛んだ。

 落ちるように。

 奈落へと突き進むように。

 その胸を焦がす熱から逃れるため。

 白と緑の通路の中を、イクスは飛翔した。

 これまでよりも高く、強く。

 

 赤い翼を広げて。

 



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第52話

「――タエロイノ」

 

 

> ワイトピート心量:424 → 404/500(-20)

 

 

 その魔法が発動した瞬間、その場にいる全員が立ちくらみのような感覚を覚えた。

 

「う……」

 

「これは……?」

 

 

> クラマ 心量:129 → 65(-64)

> イエニア心量:328 → 164/500(-164)

> パフィー心量:163 → 82/500(-81)

> レイフ 心量:309 → 155/500(-154)

 

> ワイトピート心量:404 → 202/500(-202)

 

 

 パフィーがその場にいる全員に向けて叫んだ!

 

「これは心量を半分にする魔法よ!」

 

 その言葉にワイトピートは頷いて応える。

 

「そうとも! さて、これでもまだ前のように魔法の重ねがけが出来るのかな?」

 

 出来る。

 ジャガーノートの心量消費は、その絶大な効果に比べて低い。コストパフォーマンスが抜群だ。なので、まだ2回までなら使用できる。

 ……が、心量とは別の理由でクラマには出来ない。

 

『二度と重ねがけなんて莫迦(ばか)な真似はしない事だね。次やったら確実に廃人だよ』

 

 このように、ありがたい忠告を受けている。

 ジャガーノートは慎重に使わなければならない。

 クラマは詠唱しない。

 代わりに、まずはイエニアがワイトピートへ突っかけた!

 

「覚悟は出来ていますね!」

 

「無論、きみらと別れる覚悟はね……!」

 

 打ち下ろされる刃!

 それを迎え撃つワイトピートのサーベル。

 ……が、予想された打ち合いは起きなかった。

 刃が当たる直前、イエニアが剣を止めた。

 

「むう!?」

 

 そして刃と刃が触れたところで、剣を押し出すと同時に逆の手で盾を振りかぶる!

 

「せあぁっ!」

 

「ぬ――!」

 

 宙を巻き込む颶風(ぐふう)

 そのイエニアの剛腕を、ワイトピートはすんでのところで(かわ)した。

 

「おおっとっと……! ふ、さすがに対策されたか」

 

 前回、イエニアは立ち合いの直後に剣を断ち切られてしまったために、不利な戦いを強いられた。

 しかし相手の剣が優れた切れ味を持っているとはいえ、イエニアの用意していた剣も決してなまくらではない。

 よほどタイミングを合わせて、互いの剣速が乗っている状態でなければ、そうそう正面からの打ち合いで剣を断ち切られる事など有り得ないのだ。

 

「考えとしては間違っていない。だが……」

 

 ワイトピートがサーベルを振るう!

 

 ――ギィンッ!

 

 盾で防ぐイエニア。

 しかしワイトピートはそれで止まらない。

 傍目にも分かるほど重く、苛烈な斬撃を立て続けに繰り出す!

 

「くうっ……!」

 

 盾だけでは凌ぎきれない。

 反撃しなければ、いずれ圧殺される。

 イエニアはわずかな隙をついて剣を振るった!

 

 ……が、ワイトピートの剣に弾かれる!

 弾かれる直前、イエニアは自らの剣を引いていた。

 しかしそれでも剣の刃はわずかに欠け……さらには、打ち負けたことでイエニアの体勢が崩されてしまう。

 

「ははは! 当然こうなるな!」

 

「く……!」

 

 やはり形勢不利。

 クラマはパフィーに目配せをした。

 頷いたパフィーは詠唱を開始する。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー! ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ・イートウ……」

 

「……!」

 

「む……?」

 

 その詠唱に、剣を打ち合わせている2人が敏感に反応する。

 そして律定句の終わりと同時にイエニアが下がり、クラマは銀の鞭をワイトピートに飛ばした!

 

 電撃の魔法。

 どんな敵も一撃で倒すこの魔法。

 切り札と成り得るが扱いにくいこれを、前線で味方が交戦中でも使えるように、クラマ達はあらかじめ打ち合わせをしていた。

 人間相手ならこの魔法は陳情句が不要であるため、律定句が終わった瞬間に敵から距離を取ると。

 そうして伸ばした鞭が当たった瞬間に、パフィーが発動句を唱える。

 相手の武器で鞭を弾かれても、鞭が武器に触れてさえすればいい。巻きつけるように鞭を飛ばすのはクラマも相当練習をした。

 難しいのはパフィーの発動句のタイミングであり……

 

 それは、ワイトピートも見抜いていた。

 

 ワイトピートは詠唱を聞いた瞬間、剣を打ち合わせている相手が下がることを推測。

 そして彼は大胆にも目の前の相手から意識を外す!

 飛んでくる鞭に視線と意識を集中。

 さらに剣や盾の追撃がないという予測から、大きく鞭の方へと踏み込んで――迫り来る鞭を叩き切る!

 

 次の瞬間……

 

「ディスチャージ!」

 

 

> パフィー心量:82 → 57/500(-25)

 

 

 パフィーの魔法が発動!

 しかし、その時にはワイトピートの剣は銀の鞭から離れており……断ち切られて短くなった鞭も、標的まで届かなかった。

 驚愕の声をあげるパフィー。

 

「う、うそ……どうして!?」

 

「……見切られた」

 

 悔しさに歯を噛むクラマ。

 付け焼刃の工夫では、この男には通用しない。

 実戦経験に差があることをクラマは痛感した。

 ……ならば仕方がない。

 クラマは唱えた。

 あの魔法の詠唱を。

 

「オクシオ・イテナウィウェ!」

 

 技量で劣るのならば、駆け引きなど不要な力で圧倒すればいい……!

 クラマのベルトが光を放つ。

 

「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ!」

 

 詠唱を行うクラマを、パフィーは心配そうに見つめる。

 だが、ここで止めることはできない。

 目の前の男を倒すには、他に方法がないのだから。

 

「打ち崩せ! 万象五行を圧倒する力。境界を打ち壊し、おまえの軌跡を破壊する」

 

 クラマの詠唱が完了するまでの間、イエニアが必死に敵の猛攻を押し留めていた。

 瀑布(ばくふ)のように繰り出される怒涛の斬撃!

 しかしイエニアとて、守りの技量では引けはとらない。

 粘り強く敵の猛攻を押し留め……そして間に合った。

 

「行くぞ――ジャガーノート!!」

 

 

> クラマ 心量:65 → 40(-25)

 

 

 解き放たれる。黒き炎の力。

 クラマは黒槍を掴んで地を蹴った。

 獣のように駆け、飛び跳ねるように標的へと迫る!

 

「おおおおおおおぉっ!!」

 

 繰り出す直突き!

 禍々しいフォルムの黒槍を牙のように突き立てる!

 

「ぬううううぅっ!?」

 

 舞い散る火花。

 耳をつんざく金属音。

 クラマの一撃を刀身で受け止めたワイトピートは、予想以上の重さに膝を曲げる。

 その隙にイエニアが剣を突く!

 

「はあっ!」

 

「うおおおお!?」

 

 のけぞって身を躱したワイトピート。

 そのまま転がるように離脱し、距離を取った。

 すぐに起き上がったワイトピートは、顔を上げて2人を見据える。

 

 ワイトピートに見えたのは、盾を構えたイエニアが前、そのすぐ後ろから槍を構えるクラマ。

 左右にわずかにずれて並んだ彼らは、まるで盾と槍を構えたひとりの戦士のようだった。

 

「行きますよ、クラマ」

 

「いつでもいいよ」

 

 こうして2対1の戦闘が開始した。

 

 幾重にも重なる槍と剣、剣と剣、剣と盾の攻防。

 優劣はすぐに出た。

 何度も立ち位置を変え、飛び跳ね、相手に隙を作ろうと必死に動くワイトピートに対し……クラマとイエニアはまるで崩れる様子を見せなかった。

 鉄壁、そして堅牢。

 

「ぬううぅぅぅ……よもやこれほどとは……!」

 

 ワイトピートの目には移動して迫る要塞のように見えた。

 

 

 

 一方、イエニアもかつてない安心感を背中から感じていた。

 ついこの間まではイエニアに着いていくだけで精一杯だったクラマが、今では対等に肩を並べている。

 まるで長いこと(くつわ)を並べた戦友のごとき息の合い方だった。

 

 

 

 クラマは体が軽いと感じていた。

 重い金属の槍が、筋力増強魔法(ジャガーノート)の効果で普段から手にしている木製の棒と変わらぬように扱える。

 だが、そうした物理的な軽さだけではない。

 体がスムーズに動く。

 次に何をするべきか、どう動くべきかがハッキリと頭に浮かぶ。

 理由は分かっていた。

 ティアとの特訓の成果だ。

 彼女は訓練の形で、イエニアとの付き合い方を教えてくれていた。

 

 これならいける。

 クラマがそう思った時だった。

 

 

 

 ……その男には“前触れ”がない。

 

 何らかの決意、覚悟。

 意を決した時に自然と体から表れる“気配”。

 人間なら必ずあるべきものが完全に消失している。

 それがワイトピートという男だった。

 

 その時も、影のようにぬるりと意識の隙間を抜けてきた。

 ワイトピートはクラマの突きに脇腹を抉られながらも、構わず内側に踏み込む。

 フォローのためのイエニアの剣はサーベルで受け止め――

 

「ぬぅぅああああああッ!!」

 

 剣と槍を同時に弾き飛ばした!

 

「うっ……!」

 

 ほぼ重なるように一体となっていたクラマとイエニアの陣形を、力業(ちからわざ)で強引に崩したワイトピート。

 イエニアから引き剥がされたクラマ。

 そこへすかさずワイトピートは詰め寄った。

 ワイトピートは鋭く踏み込みながら、懐からナイフを取り出し突き出す!

 身をひねって躱すクラマ。

 ……その、クラマが避けると同時。

 ワイトピートが突き出したナイフの刃が飛んだ!

 

 帝国軍特殊部隊が好んで使う、バネ仕掛けで刃の飛び出すナイフだ。

 だが、その狙いはクラマではない。

 切っ先は奥にいるレイフに向いて――

 

「――!」

 

 咄嗟にクラマの体が動いた。

 宙を舞う血潮。

 地に落ちる赤い点。

 

 刃が突き立ったのはレイフではなく……クラマの手のひらだった。

 

「っく……!」

 

「ク……クラマ!!」

 

 レイフとパフィーの口から悲鳴が漏れる。

 βエンドルフィンの効果によりクラマに痛みはない。

 しかし痛恨。

 これではもう、十全に槍を握れない。

 

 そしてワイトピートは、衝撃を受けるクラマを放置する男ではない。

 まるでナイフを突き出すところから一連の流れのような、流麗迅速な前蹴りがクラマの顎を捉えた!

 

「……!」

 

 苦悶の声も出せずに、吹き飛ぶように後方へ倒れるクラマ。

 だが次の瞬間、ワイトピートの体も吹き飛んでいた!

 それはイエニアの盾殴り。

 クラマはワイトピートに蹴られ、ワイトピートはイエニアに殴られ、それぞれ別方向に向かって倒れた。

 

「クラマ、大丈夫ですか!?」

 

 イエニアの呼び声。

 クラマはそれに答えることができなかった。

 痛みはない。

 痛みはないが……クラマは視界が揺れて焦点が定まらない。

 思考がうまく働かず、平衡感覚が狂って立ち上がることができない。

 

 ワイトピートは、脳内麻薬分泌による身体強化の弱点を的確に突いてきた。

 たとえ痛覚を遮断しようと、ダメージを受けないわけではない。

 脳が揺さぶられてはダウンするしかない。

 こればかりは肉体を如何に強化しようと無関係だ。

 

 一方のワイトピートは、すぐに立ち上がっていた。

 頭部を狙ったイエニアの盾パンチ。

 しかしワイトピートは直前で肩を入れて、頭部への直撃を防いでいた。

 面積の大きい盾では人間の小さい頭部を狙いにくい。

 ましてや長身のワイトピートだ。

 これもまた盾殴りの弱点を突かれた形だった。

 

「皆さん、下がってください!」

 

 イエニアの撤退指示。

 こうなっては完全に不利。

 せめてクラマが戦えるようになるまで、何処かに退避する必要がある。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 イエニアがクラマ達を守る位置取りをしたその時。

 後ろに下がりつつワイトピートが詠唱を開始していた。

 その手には黒光りする球体。

 

「っ……!」

 

 イエニアは歯噛みした。

 敵との距離をあけすぎた。

 今から詰めたのでは、先にワイトピートの詠唱が完了してしまう。

 

「……オクシオ・ビウヌ!」

 

 対抗して唱えながら、イエニアは走った。

 発動はされてしまうが、陳情句を中断させることはできる。

 

「サハ・ノジャエ・イービナ・バエシ・アヤセ」

 

 だが、その詠唱を聞いてパフィーが叫んだ。

 

「受け止めたらだめ! 重し(・・)よ!」

 

 イエニアの目が驚愕に開かれた。

 そこへ間髪入れず――

 

「イーベケフト」

 

 

> ワイトピート心量:202 → 177/500(-30)

 

 

 ワイトピートの魔法が発動。

 イエニアに向かって射出される黒い球体!

 

「くっ!」

 

 イエニアは瞬間的に横へ飛んで回避した。

 球体の射出速度があまり速くないのは幸運だった。

 

 ……だが、果たしてそれは幸運だったのか?

 イエニアの目の前で、ワイトピートの口元が吊り上がった。

 球体は飛来する。

 倒れたクラマに向かって。

 

「しまった、クラマ……!」

 

 悲痛なイエニアの呼びかけ。

 しかしもう遅い。

 今のクラマには回避など不可能。

 球体はまっすぐクラマに迫り――

 

 その直前で覆い被さったレイフの太腿に直撃した。

 

「うっ……!」

 

「レイフ!」

 

 球体が当たったレイフの太腿。

 そこには、太腿と同化するようにひっついた黒い球体があった。

 

「な、なにこれ、重っ……!?」

 

 球体はとてつもない重量だった。

 レイフは立ち上がるどころか、球体を引きずることすらできない。

 そしてフロアに響き渡る、落ち着いた紳士の声。

 

「ふむ、狙いとは違ったが……まあ、誰に当たっても一緒だな。撤退の判断が早いのは良いことだ。が……」

 

 それは絶望を届ける宣告。

 

「残念、私からは逃げられないよ」

 



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第53話

> クラマ 運量:2713/10000

> クラマ 心量:40

> イエニア心量:164/500

> パフィー心量:57/500

> レイフ 心量:155/500

 

 

 クラマは脳震盪で動けず、レイフは足に重りをつけられ動くことができない。

 パーティーは半壊し、逃走も封じられた。

 絶体絶命の窮地。

 イエニアは動けないレイフの前に立ち、ワイトピートの凶刃を正面から受け止めていた。

 

「ぬはははは!! さあ、一人でどこまで粘れるかね!?」

 

「く……! ぐぅぅっ……!」

 

 さしものイエニアといえど、一人ではワイトピートの猛攻を捌ききれない。

 それでも彼女は必死に立ち向かった。

 仲間を守るために。

 一太刀ごとに、その身を削られながら。

 

 

 

 

 

 イエニアが身を盾にしてワイトピートを押し留めている間。

 その間にパフィーは、下部のフロアまでクラマを引きずって退避していた。

 パフィーは頭部にダメージのあるクラマを動かしたくはなかったが、そうも言っていられる状況ではなかった。

 

「うんしょ、うんしょ……はあ、はあ……!」

 

 下部フロアへ到着。

 床の上で仰向けに寝かされたクラマ。

 まずパフィーは、クラマの手に刺さったナイフを引き抜く。

 ……そこで気がついた。

 

「あっ! こ、これ……!」

 

 ナイフに付着した紫色の液体。

 毒だ。

 

「な、なんてこと! オクシオ・ユデ……バセ・ペーシウ・エーディウフ・フェオエヤハ・テポノ……デトークシファイ!」

 

 

> パフィー心量:57 → 27/500(-30)

 

 

 パフィーの解毒魔法。

 これにより、事実上パフィーは何も出来なくなった。

 この心量では魔法の使用はおろか、注意力が必要とされるあらゆる行為が危険だ。

 

 ワイトピートの対策は徹底していた。

 身体強化したクラマには頭部を狙うだけでなく、毒まで仕込むという念の入れよう。

 幸運と言えるのは、ワイトピートが所持していた毒は体組織を破壊したり、後遺症が残ったりする類のものではなかった事だ。

 これはワイトピートの任務が冒険者の殺害ではなく、生け捕りだった為である。

 

 クラマは徐々にはっきりしてきた意識で考える。

 現状の把握。

 そして現状を打破するために、自分が何をすべきかを。

 仰向けに寝かされたクラマは、天井を見つめながら考える。

 

 レイフが重りをつけられ、逃げられない。

 しかし魔法は時間が経てば解ける。

 魔法が解けるまでこのまま粘る……?

 難しいと言わざるを得ない。

 しかも魔法が解けたところで、結局ワイトピートを相手にしながら逃げなければならない。

 無理だ。明らかに無理がある。

 

 色々考えても結論はひとつ。

 ワイトピートを倒さなければならない。

 

 では、どうやって?

 

「……………………………」

 

 クラマの使える武器は――

 

 半分に切られた棒。

 同じく半ばで切られた銀の鞭。

 防刃コート。

 身体強化の魔法具。

 上のフロアに転がっているティアの黒槍。

 

 ……後はパフィーの胸当てを借りるくらいだ。

 この上でクラマは全員の心量を思い返す。

 

 

> クラマ 運量:2713/10000

> クラマ 心量:40

> イエニア心量:164/500

> パフィー心量:27/500

> レイフ 心量:155/500

 

 

 戦闘行為は、ただそれだけで心量を消費する。

 ワイトピートの猛攻に晒されているイエニアやレイフは、厳密にはもう少し低いかもしれない。

 また、クラマの立場ではワイトピートの心量を正確に知る術はない。

 そこはこれまでの立ち回りから予測するしかなかった。

 

 ――遠く、剣戟が響く。

 

 今もイエニアは戦っている。

 イエニアひとりでは、あの敵は抑えられない。

 こうしている今にもイエニアの防御が突破され、あの鋭いサーベルで斬り裂かれるかもしれない。

 あの時、目にした光景がもう一度――

 

「……オクシオ・イテナウィウェ」

 

 呟く詠唱。

 黒い炎が、光り輝いた。

 

 もはやこれしかない。

 辿り着いた答えは、ジャガーノート重ねがけ。

 まだ一度目の効果が残っているうちに。

 前回は三連続の重ねがけだった。

 では二連続なら、大丈夫なのではないか……?

 

「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……」

 

 そんな都合のいい、淡い期待を胸に、クラマは最期かもしれない詠唱を――

 

「だめっ!!」

 

「むぐぅー!?」

 

 唱えられなかった。

 クラマの口がパフィーの手によって塞がれたためである。

 

「もがむが……ぱ、パフィー、何を……!」

 

「だめよ! 絶対だめ! 許さないんだから!」

 

 パフィーは普段見せないような必死さで、クラマの口を力いっぱい押さえつける。

 クラマはパフィーの手を引き剥がして弁明した。

 

「い、いやパフィー。駄目と言われても他に方法が……」

 

「だめよ、わたしは絶対に止めるから! だって、クラマと約束したもの!」

 

「―――――あ……」

 

 ……約束。

 そう、次にクラマが無茶をしようとしたら止めるようにと頼んだのは、クラマ自身。

 仰向けに寝ているクラマは見た。

 涙を流して自分を見つめるパフィーの顔を。

 

 ……約束をした。

 今までの、守る気のない空約束とは違う、本当に守ろうと思った約束を。

 

 

 

 

 

 ――ふふっ、しっかり私を守ってね。王子様?

 

 

 

 

 

「……足りない」

 

 ぼそりと呟いた。

 

「え……? どうしたのクラマ。足りないって、何が?」

 

 聞き返すパフィー。

 クラマは答えた。

 

「パフィー、キスしてくれないかな」

 

「…………………………うんん?」

 

 パフィーは首をかしげた。

 クラマはいきなり何を言っているのか。

 聞き間違いか。

 それとも、とうとう狂ったのか。

 わけもわからず、固まった表情のままパフィーは思考をぐるぐると巡らせた。

 

「心量が足りないんだ。あの男を倒すには」

 

 クラマにそう言われて、パフィーはようやく得心した。

 

「そ、そうなのね……危険な方法じゃないの?」

 

「戦闘だから危険じゃないわけはないけど、まあ……」

 

 クラマはパフィーの目を見つめて、告げた。

 

「大丈夫、勝てるよ」

 

 そのクラマの目には、パフィーは何度か見覚えがあった。

 何か悪だくみを思いついたような、どこか子供っぽい目つき。

 これまで幾度となく逆境を覆してきた、いつも通りのクラマがそこにいた。

 

「……分かったわ。それじゃあ、その……き、キス? するのね? わ……わたしでいいのかしら?」

 

「正直言って、心量の回復量は僕にも分からない。やってみないことには」

 

 分かっていることは、今までと同じような事……慣れている事だと回復量は少ない。

 つまりパフィーのパンツではもう駄目だという事だけだ。

 あまりに突飛な展開に動揺していたパフィーであったが、彼女は意を決してクラマを見つめる。

 

「それじゃあ、いくわね。……目を閉じてくれる?」

 

「うん。あ、できれば膝枕しながらお願い」

 

「こ、細かいのね……」

 

 クラマは妥協をしない男だった。

 パフィーはクラマの頭の上に位置取り、頭の下に太腿を差し挟んだ。

 そしてゆっくりと体を丸め込むようにして、瞳を閉じたクラマに顔を近づけ……

 

 その小さな唇が、クラマの額に触れた。

 

「…………………」

 

 クラマが目を開く。

 目の前には顔を真っ赤にして、あたふたと慌てて、ぱくぱくと口を開閉させるパフィーがいた。

 

「ご、ごめんなさい! もう一回……つ、次はちゃんとするから! だ、だから目を閉じて、ね?」

 

 口付けする箇所を、直前で唇から額に変えてしまったパフィー。

 パフィーらしからぬ失態であった。

 彼女自身もそれを自覚し、やり直しを要求する。

 

「パフィー」

 

「あ、う、うん! なに!?」

 

「大丈夫、足りたよ」

 

「…………え?」

 

 

> クラマ 心量:40 → 51(+11)

 

 

 能動的な心量回復方法としては、これはかなり高い回復量だった。

 果たして躊躇わずに唇にキスをしたのと、どちらがより多く回復したのか?

 それは解かれることのない、永遠の謎である。

 

「そ、そう……それは、よかった……わね、うん」

 

 パフィーは自責と、どこか釈然としない思いで複雑な心持ちだった。

 ともかく心量は回復した。

 横になって休んだおかげで視界もはっきりしている。

 若干ふらつきながらも、クラマは立ち上がった。

 

「ほ、本当に大丈夫なの? わたしは何かすることない?」

 

「ああ……そうだね。じゃあ念のために……」

 

 クラマは一歩ずつ、自分の体の状態を確かめながら歩きだした。

 未だ響く剣戟の音を目指して。

 

「できるだけ離れておいて」

 

 そう言ってクラマは階段を登った。

 登りながら懐からケースを取り出す。

 クラマは取り出した眼鏡をかけた。

 

 やがて上部フロアに到達したクラマ。

 少し離れた場所では、魔法具の重りに引かれて地面に膝をつくレイフと、レイフを背にしてワイトピートの剣を捌き続けるイエニアがいた。

 

 

> イエニア心量:164 → 161/500(-3)

> レイフ 心量:155 → 153/500(-2)

 

 

 ワイトピートのサーベルに削られ、イエニアの剣は既に半分ほどの長さ。

 鎧もいたるところが破損し、大小さまざまな切り傷が露出していた。

 

 クラマの手から眼鏡ケースがすべり落ちる。

 

 

 

 

 

 イエニアは相当な善戦をしていた。

 動けないレイフを背にして守りながら、一歩も引かず、ただの一度も後ろに攻撃を流さない。

 その異様な堅牢さに、ワイトピートは少々苦い顔を見せる。

 一言で言えば、イエニアは慣れてきていた。

 ワイトピートという男が持つ特性に。

 

 ワイトピートには“気配”がない。

 イエニアにとっての“気配”とは、いわゆる第六感的な、説明のつかない代物ではない。

 「気配を読む」とは、経験によって裏打ちされた無意識上の判断である。

 それは視線の動き、動き出す前の肩のいきり、重心の移動、呼吸の変化……等々。状況を総合的に見て脳が自動的に発する危険信号の一種だ。

 しかし、ワイトピートの動きはそれに引っかからない。

 イエニアがこれまで戦いの中で積み上げた経験から判断できる、「これから動こうという事前情報」をワイトピートは出してこないのだ。

 

 だからイエニアは戦い方を切り替えた。

 ひたすら相手の体の動きだけを見て、攻撃を予測せず、自分の重心をニュートラルに保って確実なものにのみ反応する。

 直観に頼らない。

 ただ、確定する理屈のみに殉じる。

 ……実は、この戦い方はティアの戦い方の真似である。

 数えきれないほどティアと手合わせをして、完膚なきまでにやられてきた。

 見飽きるほど見てきたティアの動きをイメージすることで、うまく体が動くような気がした。

 

 だが、この戦い方は格下相手の戦い方。

 格上を相手にこれをやっても、ただ敗北を先延ばしするだけ。

 事実、剣も鎧も徐々に削られていた。

 そう遠くないうちに敗北を喫することは確定している。

 

 

 

 

 

 ワイトピートは元来、特に意識せずとも訓練相手から「やりにくい」と言われていた。

 詳しく尋ねてみたところ、誰しもが攻撃直前に発散されるはずの、「攻めよう」という気配が感じられないのだという。

 その特性を理解して、訓練によって突き詰めた結果が、今のワイトピートのスタイルだった。

 

 これによりワイトピートは、対面した相手にもほぼ100%の確率で奇襲できるようになった。

 ……相手がこれに慣れたら不利になるのは分かっていた。

 しかし目の前の女騎士には地力で勝っている。

 さらには、背後の仲間を守る位置を保たなければならないというハンデつき。

 思いのほか時間はかかっているが、このまま問題なく押しきれる。

 

 そうして、もはや数えきれないほどの打ち込みがなされた頃のことだった。

 

 ――カラン。

 

 ケースが床に落ちる音。

 その場にいる全員の意識が向く。

 

 そこには、階段を再び上がったクラマが立っていた。

 

「……!」

 

 ワイトピートは刹那に思考する。

 彼の経験上、基本的に地球人は弱い。

 だが、同時に危険な存在でもある。

 地球人の心量は少ないが、何かの拍子に突然跳ね上がることがある。

 とりわけその可能性が高いのが、仲間が殺された時。

 大きく下がる者もいるが、大きく上がる者もいる。ここは個体差が非常に大きかった。

 さらには戦闘で使いにくいとされる運量も、無視できるものではない。

 まさしく不確定要素の塊。

 それが彼にとっての地球人だ。

 

 すなわち、倒すのならば地球人から。

 これが対地球人戦闘における基本原則である。

 

 クラマがどのような考えをもって階段を上がってきたのかは分からない。

 この場で判断できるのは、クラマとワイトピートの間に黒槍が落ちている事で……それを拾わせるべきではないという事だ。

 

 ワイトピートは駆けた。

 躊躇なく、先ほどまで切り結んでいたイエニアを無視して、現れたクラマのもとへ。

 

 およそ10歩ほど。

 ワイトピートがクラマに届くまで。

 鍛え上げられた強靭な脚力は、魔法の詠唱も許さず一足飛びにクラマへ迫る!

 

 クラマの眼前に迫った彼は――直前で小さく跳んだ。

 その足があった場所、床に折れた剣が刺さる!

 ……それはイエニアが投じた剣。

 ワイトピートはタイミングを見て一瞬だけ振り向き、当然来るであろうと予測した妨害を回避していた。

 

「う――クラマ、逃げて!」

 

 イエニアの悲痛な叫び。

 しかしもう遅い。

 既にワイトピートは死を運ぶ一刀を、クラマの首元に突き出していた。

 

 一撃で殺す。

 目の前の少年は、地球人の中でも極めつけの危険人物であると、ワイトピートは把握していた。

 下手に追い込むと何をしでかすか分からない。

 こういう手合いは一撃で絶命させるのが最善だと、彼は経験から知っている。

 

 故に、その一刀は最大最速。

 次の動きを考慮に入れずに、全力で放った一撃だった。

 防げる黒槍は手元にない。

 放たれる最速の突き、避けられるものでもない。

 必中必殺の暴威。

 死神の鎌にも等しいそれに対して、クラマは――

 

 

 

 

 

「エグゼ・アストランス」

 

 その呟きは、逃げて、というイエニアの声に掻き消された。

 そしてクラマは見据える。

 眼前に迫り来る死神を。

 

 ワイトピートの剣は、クラマには避けられない。

 手先などと違って、体の軸というのはそう素早く動かすことができない。

 ワイトピートの剣速に反応して、その軌道の範囲外まで体を逃がすのは、とうてい間に合わない。

 だが……

 

 ――クラマは動体視力が素晴らしいですね。

 

 ……見える。見えるはずだ。

 クラマは硝子(レンズ)越しの鮮明な視界の中で、全神経を己の目に集中させた。

 

 まばたきすらも置き去りにする極小の一瞬。

 その中で、はっきりと捉えた。

 眼前に迫る白銀の軌道を。

 

 

 

 

 

 剣が止まる。

 クラマの首元、その直前で。

 クラマの手の中にある金属の札によって。

 

「そ、れは――!」

 

 それは冒険者ギルドが全ての冒険者に対して支給している、運量および心量の現在値を表示する計測器。

 かつてクラマが路地裏で銀の鞭を購入した際、ティアの口から説明された事がある。

 

 ――いえ、運量・心量の計測器は冒険者ギルドが製造しているものですので、固定魔法品(エンチャント)ではありません。現代の技術で(・・・・・・)最高硬度を誇る(・・・・・・・)ユユウワシホで造られています。

 

 ワイトピートの剣は鋭く硬い。

 鉄製の武器防具を軽々と断ち切ってしまう。

 だがそれは魔法で強化しているわけではない。

 ならば、この世界で最も硬い金属を貫ける道理はない。

 

 しかしクラマは防いだだけ。

 次にワイトピートが剣を振るえば、即座に首を刎ねられる。

 せいぜい2秒か3秒。

 ほんのわずかだけ引き延ばされた命。

 

 だから、その前にクラマは動いた。

 この後の2秒で、すべてを決める。

 

「――レイフ。51」

 

 心量譲渡。

 「運量の使用」「心量の能動的回復」……これらに並ぶ、地球人のみが使用できる特別な能力。

 

 クラマの体から51個の小さな光が湧き出る。

 それらはワイトピートの横をするりと通り過ぎ――イエニアの後ろで膝をついているレイフの中に入り込んでいった。

 

 ワイトピートは見た。

 目の前に突き出された札。

 そこに表示される数値の変動を。

 

 

> クラマ 心量:51 → 0(-51)

> レイフ 心量:153 → 204/500(+51)

 

 

「オクシオ・イテナウィウェ!」

 

 即座にフロアに響くレイフの声。

 そして糸の切れた人形のように、前のめりに崩れ落ちるクラマ。

 

「お――おぉ――!」

 

 それは歓喜か戦慄か。

 傍目には判別がつかない、しかし鬼気迫るワイトピートの形相。

 

 クラマが見せた圧倒的逆転劇の道筋。

 しかし、まだ終わりではなかった。

 詠唱を終えるまでには時間がある。

 ワイトピートの足なら余裕で間に合う。

 問題は、当然立ちはだかるイエニアの存在。

 あの鉄壁の守りを、果たしてこの短い間に突破できるのか?

 

 それは「面白い挑戦」だった。

 ワイトピートにとってみても、困難な課題。

 しかし不可能ではない。むしろ五分(ごぶ)以上、とワイトピートは判断した。

 

 ここまでは万全を期して、隙を見せずに正面から圧殺する戦法をとってきた。

 ワイトピートにとってその戦い方は正道ではない。

 リスクを承知するなら一瞬で勝負を決められるネタを、彼はいくつも手に持っている。

 しかも相手は剣を手放した。

 これなら倒しきれずとも、すり抜けて後ろを狙うことすら可能だ。

 

 果たしてどの手が有効か。

 脳内で瞬時にいくつもシミュレートさせながら、ワイトピートは駆け出し――

 

 そして、何かに足をとられて地面に転がった。

 

「!?!?!?!?」

 

 信じられない出来事。

 あのワイトピートですら混乱し、動転するほどの。

 なぜ、いったい何に足をとられたのか??

 ワイトピートはわけもわからず、とにかく自分の足元を見た。

 

 やはり、信じられないものを見る。

 

 倒れ伏したクラマの手が、ワイトピートの足首を掴んでいた。

 

「ば、馬鹿な! そんなことが……そんなことがあるか!!」

 

 心量ゼロで動ける人間は存在しない。

 こんなことは有り得るはずがないのだ。

 愕然とするワイトピートの耳に、その声が届いた。

 

「ホエーウー・ユヒ」

 

 ごくごく簡単な詠唱。

 簡単なだけに、その内容がワイトピートには明確に分かってしまった。

 

「眠れ、眠れ、夜のとばりは舞い降りた。まぶたは落ちる。だれもが同じ。枕をならべ、ほの暖かい地面の底へ私はいざなう」

 

 ワイトピートは己の足首を掴む手を振り払う。

 振り払うが……

 

「ねんね、ねんねこ、夜のおとどに包まれて。来たれ、ゆりかごの中に」

 

 もう、何をどうやっても間に合わない。

 

 そうしてレイフの詠唱が完了した。

 

 

「眠れ、母の胸に」

 

 

> レイフ 心量:204 → 4/500(-200)

 

 

 それはとても優しく、慈愛に満ちた声だった。

 

 

 

 ……いったい何を間違えたのか。

 これまでに蓄え込んだ、ありったけの魔法具を投入した。

 相手の魔法具にも対策した。

 罠を張り、策を練り、地の利を活かした。

 向こうに協力者がいることは分かっていた。それを抑えるためにトゥニスを裏から差し向けた。

 手間暇かけて今日まで生かしておいた奉納品(しょうもうひん)まで使って。

 後から思い返せば非効率な動きもいくつかあったが、少なくとも彼らと対峙してからは、常に最良の選択を()り続けてきたはずだった。

 

「なぜ……」

 

 ワイトピートは最後まで敗北の理由を探し……

 しかしその答えに至ることなく、抗うこともできずに意識を黒く塗り潰された。

 



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第54話

 ……さて、うまくいっただろうか。

 

「安心おし。眠りの魔法は発動した。おまえさんの勝ちだよ」

 

 僕の?

 ふっ……いや、違うね。僕の、じゃない。これは……

 

「おまえさんたちの勝利だね」

 

 いいセリフを横から取ってくのやめてもらえないかな!?

 

「はん、もったいぶるのが悪いのさ。あたしにゃ、もう時間がないもんでね」

 

 ああ……ここまで消えないでいてくれて良かった。

 

「分かってて合わせたんだろう、あたしが消える前に。探索の日取りを早めて。まったく、本当に人使いの荒い男だね」

 

 ……まあ、ここで嘘をついてもしょうがない。

 探索を早めた理由のひとつではあるね。

 パフィーの心量が少ないぶんを、あなたの知識で補うことを期待した。

 結果として、知識を貰うんじゃなくて心量が0になった僕の体を動かしてもらう形になったけど……。

 

「戦いはあたしの領分じゃあないからね。……それより、よく覚えていたね。あの娘の魔法具の効果を」

 

 レイフの魔法具、『眠れ、母の胸に』。

 消費心量200。

 心量の低い周囲全員を眠らせる魔法。

 陳情句なしなら心量100以下の者が、陳情句が完璧ならば心量200以下の者が対象となる。

 

「こっちからしたら向こうの心量は見えないから、だいぶきわどい賭けだったね」

 

 そうかな?

 相手が心量を半分にした魔法は、律定句に範囲指定がなかった。

 つまり使った自分も半分になってるんだ。

 最大値の500あったとしても、これで250。

 その前に何度か大きい魔法を使っていたし、“奉納”の内容は僕の目から見てもお粗末だった。

 あの時点で高くても200付近だったはずだ。

 そこから重りを飛ばす魔法を使ったのだから、すでに200は確実に下回っているはず。

 

「……そうさね。しかし陳情句が完璧に成功して、200だよ。届かないかもしれないとは思わなかったのかね?」

 

 可能性はあるね。

 でもまあ、それは別にいい。

 

「別にいい?」

 

 うん。レイフが失敗して全滅しても、別に構わない。

 

「……そうかい。いや、野暮なこと聞いたね」

 

 などとグンシーは自嘲気味に呟いたのであった。彼らの絆の深さを垣間見た彼女は、自らの若い頃を思い出していた……。

 

「変なナレーションつけるんじゃないよ!」

 

 ごめんちゃい。

 

「ふん……もうあたしの若い頃を語れるほどの心量は残ってないよ。残念だが、そろそろお別れだ」

 

 そっか。寂しくなるね。

 

「ここのダンジョンでの用事が終わってまだ生きてたら、イードの森まで会いに来な」

 

 いいの?

 

「ま、あたしの記憶は本体には行かない。その時は初対面になるけどね。パフリットと一緒なら会えるだろうさ」

 

 記憶は本体に戻らない。

 ここにいる彼女は、本当の意味で消滅するというわけだ。

 ……イードの森の魔女、グンシー。

 

「なんだい、改まって」

 

 ありがとう。

 あなたに会えて良かった。

 

「……ふん。あんたの中は居心地が最悪だったけど、消える前の思い出作りとしちゃあ悪くなかったよ」

 

 最期まで憎まれ口を貫く姿勢は変わらない。

 しかしその声も次第に小さく……

 

「最後にパフリットと少し話せた……それに……前も言った……感謝するの……こっちの…………ありが………………」

 

 

----------------------------------------

 

「……て………きて……! 起きて、イエニア!」

 

「う……」

 

 パフィーに体を揺り動かされて目が覚めたイエニア。

 イエニアの周りではクラマ、レイフ、そしてワイトピートが眠りこけていた。

 ワイトピートは縄で後ろ手に縛られている。

 これはクラマの指示でレイフの魔法の効果範囲外に離れていたパフィーによるものだ。

 

「勝ったのですね……よかった」

 

 イエニアは状況を把握して立ち上がった。

 そうして、これからどうするかをパフィーと話し合う。

 

 クラマとレイフは心量がないので起こしても動けない。

 しばらくここで待機するしかない……というのが結論だった。

 しかし気になるのはイクス。

 後ろをついて来ていたはずだが、最後まで姿を現さなかった。

 

「ひょっとして、あのレーザービームに巻き込まれて……」

 

「ま、まさかそれは……」

 

 ふたりは大部屋の入口を見る。

 奥まで続く破壊の爪痕。

 トンネルのようになってしまった通路の姿に、冷や汗が流れる。

 

「…………確認しに行きましょう」

 

「わ、わたしも行くわ!」

 

 熱線により抉り抜かれて変わり果てた通路を、ふたりは足を滑らせないよう進んでいった。

 

 

 

 

 

 通路を戻ったイエニアとパフィーが目にしたのは、蹴とばされて地面を転がるイクスの姿。

 そして、それを取り囲んだ大勢の男たちだった。

 

「ぐぅっ! う、ぅぅ……!」

 

 うめき声を漏らして震えるイクス。

 すでに体中が傷だらけの、まさに満身創痍。

 起き上がることすらできない様子だった。

 

 そして男たち。

 数は8人。

 格好からして冒険者と見て間違いなかった。

 

「イクス!」

 

 パフィーの声に男たちの目が向く。

 

「なんだぁ? この娘のお仲間か?」

 

「いやいや違うだろ。あっちが本来の標的だ」

 

 などと男たちはイエニアとパフィーを見て話している。

 イエニアは無駄だとは分かっていたが、男たちに向けて言った。

 

「その子に何をしているのですか。ダンジョン内での冒険者同士の争いはご法度ですよ」

 

 イエニアの言葉に対し、男たちは互いに顔を見合わせると、鼻で笑った。

 

「ハッ、こいつは賞金首じゃねぇか。“善良”な冒険者が、ダンジョン内でギルドの依頼をこなしてるだけじゃん?」

 

 その言葉には含みがあった。

 周りの男がクスクスと笑う。

 

「ま、俺らにとっちゃアンタらの首も同じなんだけどな!」

 

「いやいや違うだろ。あっちの首の方が何倍も高い」

 

「そういやそうだった!」

 

 ハッハッハッと笑いが巻き起こる。

 

「く……!」

 

 イエニアは歯噛みするが、剣の柄に手をかけることができない。

 目の前の男たちは弱くない。

 地下4階まで来られるあたり、当然ではあったが。

 さらにイクスを人質にされる位置取りとあっては、どうする事もできなかった。

 

「とまあ、そういうワケで……」

 

 男たちの目がイエニアとパフィーを射抜く。

 獲物を狩る獣の視線だ。

 

「抵抗しないで捕まってくれると助かるんだけどなぁ?」

 

 その目は「楽しいから抵抗してくれ」と言っていた。

 

「イエニア……」

 

「パフィー、彼らの言う通りにしてください」

 

 イエニアは抵抗せずに捕まることを選んだ。

 

 

 

 

 

 イエニアとパフィーは後ろ手に縄をかけられ、大部屋に連れて来られた。

 大部屋の床には眠ったままのクラマとレイフ。

 ……イエニアはすぐに気がついた。

 

「う……」

 

 ワイトピートがいない。

 代わりに小さな血だまり。そして人の手首が残されていた。

 男たちがそれを見つけて声をあげる。

 

「なんだぁ? この手首は」

 

「おいッ! こっちには生首も転がってるぞ!」

 

 男たちはクラマとレイフを縛りながらイエニアに訊く。

 

「なんだこいつら? ってゆーか、なんだこの部屋? ムチャクチャじゃねぇか」

 

 そう言いたくなるのも無理もない惨状だった。

 水の刃で大きく切り裂かれた壁、天井。熱線でくり抜かれたように穿たれた出入口と通路。そして地面に転がった2つの生首。惨憺たる有り様であった。

 イエニアは男たちの中に魔法使いらしき者がいるのを見て、適当な嘘で誤魔化すのは得策ではないと判断した。

 

「彼らは邪神の使徒。悲劇の神の信者です。この部屋を破壊したのも彼らの魔法具です」

 

 イエニアの言葉を聞いて男たちは話し合う。

 

「ホウ……手間が省けたって所か? 邪魔な奴らって言われてたよな」

 

「そだな。この生首も持ってきゃ、報酬上乗せできるかもしれん」

 

「おい待て、本当にこの部屋を壊したのは、そっちの連中なのか」

 

「どういうことよ?」

 

「そのヤベー魔法具をこいつらが持ってるんじゃないかって事だよ」

 

 男たちの目がイエニアとパフィーに向く。

 

「……嘘だと思うなら魔法で判定してはいかがですか」

 

 イエニアの返答に魔法使いらしき男が口を開いた。

 

「そんな無駄な事はせん。お前らが危険な魔法具を持っていようと、詠唱を始めたら首を飛ばせば良いだけだ」

 

 男の指摘通り、この状況での魔法の使用は無意味。自殺行為だ。

 

「ええ、それに、その魔法具はダストシュートに捨てられてしまいました。……ときに貴方たちはギルド所属の冒険者ですね。見覚えがあります。誰からの依頼を受けて私たちを?」

 

 イエニアは聞かれてもいない事をぺらぺらと喋りだす。

 とにかくイエニアとしては時間を稼ぎたかった。

 なんでもいいので会話を続ける。

 そうしなければ、目の前の連中は……今にも自分達の首を刎ねてきそうな、剣呑な空気を発していたからだ。

 男のひとりがイエニアの問いに答える。

 

「……言うと思うか?」

 

「察しはつきます。一国の首長たる者が冒険者を頼るとは……兵隊の都合に苦労しているようで」

 

「ぷっ、へへ、そうか……」

 

「……?」

 

 男たちの妙な反応。

 イエニアの言葉に対して、誰もがニヤニヤと口元を緩ませている。

 この反応……彼らの雇い主はヒウゥースじゃない?

 ならいったい誰が……とイエニアの中に疑念が膨らむ。

 

「クク……まあ何だっていいだろう。ここで何を聞いても結果は一緒だ」

 

 そう告げる男の凄惨な表情。

 イエニアは察した。

 この男たちは「生死不問で連れて来い」ではなく、おそらく「地下で全員始末しろ」と言い含められている。

 

 イエニアは自分の盾や武器の位置を再確認した。

 全員で逃げるのは不可能だ。

 かといって立ち向かうのも無理。

 となれば、自分ひとりでも逃げなければならない。

 ひとりでも逃走すれば、向こうは残ったクラマ達を殺すのが難しくなる。

 なぜなら、逃げた者をおびき出すための人質、撒き餌に使えるからだ。

 

 イエニアは床に落ちた手首を見た。

 最悪、自分の手首を斬ってでも――

 そう覚悟を固めた時だった。

 

 大部屋の入口、裏手、さらに壁と思われた場所が突如として開き、大勢の男たちが一斉に雪崩れ込んできた!

 

「な、なんだてめぇら……ぎゃっ!」

 

 問答無用で斬りかかってくる男たち。

 いたるところで斬り合いが始まり、大規模な乱戦になる。

 響く怒号と剣戟、そして血しぶき。

 瞬く間に大部屋は阿鼻叫喚の舞台と化した。

 

「パフィー! もっと近くに!」

 

 いった何が起きたのかイエニアにも分からなかったが、とにかく巻き込まれないように仲間と固まろうとする。

 その時、ざりっと背後で音がした。

 

「縄は切ったぜ。嬢ちゃん、仲間を連れて逃げな」

 

 背後から聞き覚えのある声。

 セサイルだった。

 

 

 

 

 

 クラマとティアはダンジョンに入る前に話して、あらかじめ予想を立てていた。

 ダンジョンに潜った自分たちに向けて、刺客が放たれるだろうと。

 その予想通り、クラマ達からだいぶ遅れてダンジョンに入っていった2組の冒険者パーティーがあった。

 ティアの依頼を受けたセサイルは隠れてそれを尾行。

 しかし手練れの8人パーティー相手に向かい合うのは無茶が過ぎる。

 さらにセサイルはダンジョン内での尾行の最中、別の怪しい一団も見つけてしまい、迂闊に手を出せない状況になってしまった。

 それがこうして乱戦となったことで、ようやく紛れて近付くことができたという訳だった。

 

 

 

 イエニアは盾を拾い上げた。

 そして仲間を確認する。

 しかし……

 

「ちょっと待ってください、クラマが!」

 

 視線の先には床に倒れ、眠ったままのクラマ。

 

「今は無理だ、諦めろ。いったい誰が連れてくってんだ」

 

「う……」

 

 セサイルの両手は抱え上げたレイフとイクスで塞がっている。

 乱戦を抜けるには、仲間を守る者が必要だ。

 イエニアは苦渋に奥歯を鳴らした。

 

「……行きます。皆さん、ついて来てください!」

 

 イエニアは皆に告げると、盾を振るって乱戦の中を突破した。

 

「クラマ……必ず……必ず助けますから……!」

 

 騒音に掻き消された言葉を、その場に残して。

 



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第55話

 ディーザが執務室で書類仕事をこなしていると、突如その扉が乱暴に開かれた!

 

「ディーーーーーーーザッ!!」

 

 ディーザの前に現れたのは憲兵を引き連れたヒウゥース。

 ヒウゥースはディーザを見るなり、ニカッと笑みを浮かべた。

 

「ヒウゥース……様! なぜここに……!」

 

「ディーザァァァ……! 悲しい、私は悲しいなァ! あれほど目をかけていたお前を! 自身の右腕を! 自ら処断しなければならないとは!」

 

 そう告げるヒウゥースのそぶりは全く悲しそうには見えない。

 むしろ楽しそうに明々朗々とした声を執務室に響かせる。

 

「な……いったい何を言っているのか、私には……!」

 

「ディィィーーーザ!! ない! ないんだよ、お前には! そう……人望が!!」

 

 言って、ヒウゥースは逮捕状を取り出すと、大声で読み上げた。

 

「公人がギルドを介さず冒険者と私的な契約を交わした罪! また、その冒険者に命じて他の冒険者へ危害を加えようとした罪! そして……評議会議長の殺害および国家転覆を企てた罪! すべて! 簡単に! ……喋ってくれたよ、お前が地下に送り込んだ冒険者たちがねぇ……!」

 

「ぐ……ば、ばかなッ……!」

 

 ディーザは愕然とした。

 手下をダンジョンに送り込んでから一日と経っていない。

 地下で何か冒険者どもがポカをして捜査が行われたならば、こんなに早く逮捕状が出るわけがない。

 いや、そもそもそうなったらディーザの耳に入らないわけがない。

 ……これらの状況から導き出される答えはひとつ。

 最初からすべてディーザの企てはヒウゥースにバレていて、手下を地下に差し向ける決定的証拠が出るまで泳がされていたという事だ。

 開いた口の塞がらないディーザに向けて、ヒウゥースは大きくため息をついた。

 

「ふぅー……その反応……うまく隠していたつもりだったのか……甘い! 甘いんだよ、ディーザ! いくら地位と仕事を与えてやったところで……はした金を掴ませ! 恨みを買い! どうして裏切られないなどと考える……?」

 

「ぐ、ううううぅっ……!」

 

 ディーザは職務遂行能力が非常に高い。

 稀有に有能な人物である。

 しかし、彼に恨みを持つ者は多い。

 その特殊な平等観により、不当な“取り立て”を受けた者は数知れない。

 価値観が人と違っているが故に、ディーザは自らの行為に疑いを持たない。

 自身の横暴な振る舞いをやましいと感じていない。

 ……そこで、口止めとして握らせる金額に齟齬が生じてしまうのだ。

 ディーザにとっての「妥当な額」は、“悪事が露見する事によるリスク”としか相殺されない。

 相手に握らせる額に、“ディーザに踏みにじられたプライド”の分が入っていないのだ。

 裏切り、密告は必然だった。

 

「……けるな」

 

「んん~?」

 

「ふざけるなッ! 貴様、今まで何もせずにのうのうと……! 私がやらねば誰があの地球人、クラマ=ヒロを止められる!? 貴様の無能のツケを私が請け負っただけだろうが!!」

 

 ディーザの反論。

 それに対してヒウゥースは呆れたように首を振った。

 

「やはり駄目だなお前は。こういう時はな、とりあえず捕まえてしまえば、後は適当な余罪を繕ってどうにかなるのだよ」

 

「ぐ、最初に釈放したのは貴様だろうが!」

 

「あれは取引さ。しかし、それ以降も怪しい動きをするようであれば遠慮することはない」

 

「だが、だが今は隣町の記者に注目されている……下手な動きは……」

 

「記者? んん?」

 

 にや~っと得意げな顔を見せるヒウゥース。

 

「私の“友人”のことかね? いいや、ここ数日ですっかり仲良くなってしまってね。もう古くからの親友のようだ! 彼らとは、今後ともいい付き合いをしていけると思っているよ……!」

 

「ッ……!」

 

 ディーザの背筋に震えが走る。

 ここのところ頻繁に行われていた、記者に対するヒウゥース直々の接待。

 あれはただ「大人しくしてもらう」などといった程度のものではなかったのだ。

 邪魔者を排除するのではなく、自らの勢力の内に取り込む。

 この感覚がヒウゥースの抜きん出ているところだった。

 

 現在の情勢を見て必要なところに惜しげもなく資金を注ぎ込み、敵対者に先んじて動き、場を制する牽引力。

 自らの行動の枷となる要所を的確に把握し、解決する経営センス。嗅覚。

 

 一代で国内第一位の財を築いた怪物経営者。

 ヒウゥースという男を甘く見ていたことを、ディーザは痛感した。

 

「ば……ばかな……無能は私……いや、私は無能では……」

 

「連れて行け」

 

「はっ!」

 

 ヒウゥースに命じられた憲兵たちがディーザを拘束した。

 

「やめろ貴様らーっ! 私を……私を誰だと思っている!? 離せっ! ふざけるなーっ!」

 

 両腕を後ろに回され、じたばたと見苦しく両足をばたつかせながら、ディーザは屈強な男たちに引きずられていった。

 それと入れ替わりで執務室に入って来た男が、ヒウゥースに耳打ちをした。

 

「ほう? ようやく起きたか、あの地球人が……」

 

 ヒウゥースは貫禄のある笑みを浮かべると、外に向かって歩きだす。

 

「では私が直接、話を聞いてみるとするかな。ディーザとは違うところを見せてくれよう」

 

 

----------------------------------------

 

 地球人召喚施設から、馬車に乗って留置場に来たヒウゥース。

 馬車を降りたヒウゥースはすぐさま取調室に顔を出す。

 圧迫感のある狭苦しい部屋。

 中には記録係の男と尋問係の魔法使い。

 そしてその2人とは小さな机を隔てて向き合う形で、椅子に縛りつけられたクラマがいた。

 

「久しぶりだねえ、クラマ=ヒロ君。あれから元気にしていたかな?」

 

「おかげさまで。あなたのおかげでイエニアの水着姿を拝めたからね、感謝してますよホント」

 

「ほ! それは羨ましい! それなら感謝の心で取り調べに協力して貰えるとありがたいのだが……」

 

「え? 協力? してるしてる。何でも答えるよ僕。どんどん聞いて」

 

 そのクラマの返答に、怪訝な顔をして尋問係の魔法使いに目を向けるヒウゥース。

 

「そうなのか? ヤイドゥーク」

 

「あー、ヒウゥース議長閣下。そいつがですねー……なんと申し上げましょうか……まあ、もう一度やるんで見ててください」

 

 どこか気だるげな細身の男、ヤイドゥーク。

 彼はヒウゥースがこの国に亡命する以前、帝国にいた頃からの側近のひとりである。

 決して表には出て来ないが、ヒウゥースにとっての本当の右腕は、ディーザではなく彼であった。

 ヤイドゥークは取り調べ用の心音・感情検知魔法を詠唱した。

 

「……オクシオ・センプル、っと。それじゃあ、これで嘘ついたら分かるんで、もう一回質問に答えてちょうだいよ」

 

「はいはい、もう一度ね」

 

「えー、まずは……冒険者ギルドの規約に違反する行為をしている?」

 

「ありえないね。僕はそういう不正が嫌いなんだ」

 

「心音、感情に揺らぎなし……と。んじゃ次。冒険者ギルドや政府の内情について調べたことがある?」

 

「あるよ。ディーザってやつは冒険者ギルド経理役のコイニーと不倫してるんだよ、ここだけの話。あとコイニーの友達でギルド受付をしてるリーニオは、酒癖が悪い。めっちゃ悪い。やばいよ。気をつけて」

 

「酒癖悪いってのはよく聞くわ。ま、それはともかく……ディーザも今となっちゃあ、この留置場のお仲間だけどな。……で、これも揺らぎなし。んじゃ次の質問。後ろめたい事があるなら今のうちに言うよーに」

 

「イクスのパンツを穿いてしまったことは秘密にして欲しい……でも直接じゃないんだ! ズボンの上からだから……本当に」

 

「これも揺らぎなし。……そのイクスってやつは賞金首だけど、なんで一緒にいた?」

 

「賞金首だとは気付かなかったね! おなかすいてたところに出会って、ご飯をあげたら餌付け成功したみたいで、なんかついて来た」

 

「揺らぎなし……と。こんなもんですわ。どーも何を聞いても引っかからんもんで」

 

 お手上げですわ、とばかりに肩越しに振り向いて両手を広げるヤイドゥーク。

 するとヒウゥースはそれまで顔に張り付けていた笑みを捨てた。

 ズン、と椅子に腰を下ろして、机越しにクラマへ顔を突き合わせる。

 

「頭を働かせて……嘘にならない答え方を探して尋問を切り抜ける。なかなか聡い地球人だ」

 

 ヒウゥースの鋭い眼光がクラマの両目を射抜く。

 

「だが、それもここまでだ。ヤイドゥークよ、ここからは質問ではなく、直接オノウェ調査をしろ」

 

「了解」

 

 直接オノウェ調査――!

 これは効率をまったく度外視した、取り調べにおける最終手段である。

 一度の魔法で一つの情報が開示される。

 そこに“答え方”などの駆け引きは通用しない。

 ただ調べる側の知りたい事がそのまま返ってくる。

 

 単純であるが故にそれは絶対で、疑いようのない真実が暴かれる。

 満を持してヒウゥースが暴いた情報、それは――

 

「お前たちのパーティーがこの街で何を企んでいるか、だ」

 

 そこにヤイドゥークが口を挟む。

 

「議長閣下、そいつはかなり心量を食いますが……」

 

「出来んのか?」

 

 訊かれたヤイドゥークは気負いもなく答えた。

 

「いや、出来ますよ。俺なら」

 

「ならば構わん。やれ」

 

「了解……」

 

 そうしてヤイドゥークは呪文を唱えた。

 魔法の力をもって、今ここに真実が明らかになる。

 

 が……

 

「……あ~……議長閣下、該当なしです」

 

「なに? どういうことだ?」

 

 ヒウゥースの疑問にヤイドゥークは頬を掻きながら回答した。

 

「つまりですね、こいつらは何も企んでないか……あるいは、そいつが何も知らされてないかって事ですね」

 

「ばかな、そんなことがあるか!」

 

「はあ。俺にそう言われましても」

 

 ヒウゥースはギッとクラマを睨んだ。

 クラマは目を丸くして首をかしげている。

 

「……ならばこれでどうだ。ここの地下ダンジョンの秘密を知っているか?」

 

 新たなヒウゥースの指定。

 ヤイドゥークはその指定の通りに、オノウェ調査を行う。

 だが……

 

「知らないようですね」

 

「くっ! なら私の屋敷の地下にあるものを知っているか!?」

 

 ・・・・・

 

「知らないみたいです」

 

「何なら知っているんだ貴様は!!!」

 

 ダンッ!!

 ヒウゥースの拳が机を叩いた。

 なんのことかな? と言わんばかりに首をかしげて色々な角度からヒウゥースを眺めるクラマ。

 そんなクラマに代わって、ヤイドゥークが口を開いて答えた。

 

「はあ……何も知らないとしか」

 

 クラマ達のパーティーがこの街の秘密を暴こうと嗅ぎ回っているのは間違いない。ヒウゥースは冒険者ギルド職員を通じてそうした情報を得ている。

 そして、目の前の地球人がパーティー内における中心人物であることも調べがついている。

 地元住人を扇動し、高級賭場(カジノ)の金庫室へと侵入して、悪徳高利貸しの悪事を暴いた張本人であることも。

 それが何も知らされていない下っ端だったなど、有り得るわけがない。

 

「そんなわけがあるか……!」

 

 机の上で拳を震わせるヒウゥース。

 机の向こう側で大きくあくびをするクラマ。

 ボリボリと頭を掻くヤイドゥーク。

 

「……で、どうします? こいつ」

 

 ヤイドゥークの問いに、ヒウゥースは静かに立ち上がって答えた。

 

「釈放はない。必ず何かを隠しているはずだ……何をしてでも吐かせろ」

 

「……了解」

 

 そうヤイドゥークに言い残して、ヒウゥースは取調室を後にしていった。

 ヒウゥースの姿が消えると、ヤイドゥークはクラマに向き直り、肩をすくめてこう告げた。

 

「ってなわけだ。あんたには気の毒だけど、こっちも仕事なもんで。恨まないでくれよ?」

 

 そうして何人もの屈強な男が扉を開いて現れ、クラマを別室へと連行していった。

 



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第56話

 時刻は夜。

 数時間に及ぶ“尋問”をその身に受けたクラマは、薄暗い留置場の一室にいた。

 

「2回もココに来た地球人はオマエが初めてだよ。何なのオマエ。おれのこと好きなの?」

 

 鉄格子の中にいるクラマに話しかける看守。

 クラマは両手両足を縛られて、石の床の上に転がされていた。

 そんな状態でもクラマは笑みを浮かべて答える。

 

「そうそう、きみに会いに来たんだよ実は」

 

「バーッカ! 男に言われたかねェわ、気持ち悪ぃ!」

 

 そんなことを言いつつも、看守の男はどこか楽しそうに口元を綻ばせていた。

 

「ったく、本当に懲りねえヤロウだな。そんなになってまでよ」

 

 看守は倒れたクラマをちらりと見る。

 以前ここに来た時とは違って、クラマの顔に殴られたような跡はない。

 しかしその代わりに、後ろ手に縛られた両手の先……その指先には、爪がひとつも残っていなかった。

 

「いやあ、初めてじゃないしね、こういうの」

 

「どういう暮らしをしてきたんだよ……そんなアブネェ世界なのかよ、地球ってのは」

 

「いやいや、普通だよ普通」

 

「オマエが普通だったらヤベエだろ! どんだけ荒廃してんだ!」

 

「アッハッハッ」

 

 そんな調子で看守と談笑するクラマ。

 しばらくすると時計を見た看守が思い出したように言ってくる。

 

「おっと時間だ。おら、適当に願いを吐きだせ」

 

 看守は定期的にクラマの運量を空にするよう指示を受けていた。

 

「そうだなあ……エグゼ・ティケ。この留置場にあるランタンの灯りがどれかひとつ消えますように」

 

 

> クラマ 運量:51 → 0/10000(-51)

 

 

「地味な嫌がらせしやがって。めんどくせぇ。しっかし普通、地球人の犯罪者が来てもここまでしねぇんだけどな。だいたい口を塞いでどっか連れてっちまう」

 

「そうなんだ。そういえば前もどこかに連れて行かれそうになったなぁ……どこに連れて行かれるか知ってる?」

 

「知らね。ここから出された地球人は二度と姿を見かけねぇからな。どっかで殺されて埋められてるって噂だ」

 

「へえ~……」

 

 そんなクラマの様子に看守は違和感を覚えた。

 

「……オマエ、なんか暗くね?」

 

「え? そう?」

 

「前はどーにでもなれって感じで、ノーテンキ丸出しだったろうが。オマエみたいなのは珍しいから、よーく覚えてんだよ」

 

「そう……そうだね。確かに前はどうなっても良かった。でも……」

 

 クラマが以前ここに捕まった時は、自分がどうなろうとも構わないと思っていた。

 だが今のクラマの心境は、その時とは違う。

 

「僕は……こんなところで終わるわけにはいかない」

 

 クラマは静かにそう呟いた。

 

 

 

 

 

 とはいえ今のクラマに出来ることなど、定期的に吐き出す運量で施設内に小さな隙を作ろうと試みるくらいしかないわけで。

 “尋問”による炎症で熱を帯びてくる体を冷たい床に押し付けながら、クラマは脱出の機会を窺う。

 

 

 それからしばらく経って――

 看守はだいぶ長いことクラマと話していたが、今は机に向かって書類仕事をしている。部屋の扉が開かれ、別の看守が入ってきた。

 クラマは脱出の方法を考える。部屋に入ってきた男が机にカップを置く。

 看守との話でこの施設の間取りはだいたい把握できたが、結局のところはこの鉄格子の扉を開けなければどうにもならない。「おつかれさーん」「おーう」看守はぐいっと飲んだ。

 今のクラマにできることは、体力を回復して機会を待つこと。看守の男が机に突っ伏していびきをたて始めた。

 イエニア達が仮に保釈金を用意できても、それではもう釈放されない。後から入ってきた男が看守の腰に下げられた鍵の束を奪う。

 ならばここに直接助けが来るはず……いや、既に近くへ来ているかもしれない。クラマは耳を澄ませた。男はガチャガチャと音をたてて扉の鍵を開けた。

 それにしても耳障りな音だ、とクラマは思った。さっきから近くでガチャガチャと。これでは周りの音を聞き取ることができない。鉄格子の扉を開けた男はクラマに声をかけた。「おお……なんと痛々しい。もうご安心を、この私が助けに参りましたゆえ」

 そんなことよりクラマは静かにして欲しかった。

 

「……って、ちょっと待った。ノウトニー?」

 

「そうですとも! ああ、このまま朝を迎えるまで独り言に興じなければならないかと、恐々としてしまいましたよ」

 

 クラマは仰天した。

 看守の制服を着たノウトニーが突如として目の前に現れたのだから。

 

「ふふ……驚いておりますな、無理もない。これは我が魔法具、ピックドウォーブ・アトゥーヒによるものです」

 

 ノウトニーは懐から涙滴状の楽器を取り出して、クラマに説明する。

 

第三次元(シド)を操り周囲に存在を溶け込ませる魔法です。……といっても、姿を消すわけではありません。意識の焦点が向きにくくなる魔法と言いましょうか……誤解を恐れず大雑把に言えば、誰も気にせぬ脇役……いや、端役のような存在になるのです」

 

「ほほーん、それはすごい便利だね」

 

 そういえばさっきから視界の端に何か映っていたな……とクラマは今になって気がついた。

 しかしこんなことができるのであれば、どこにでも侵入したり、または奇襲したりもできるのでは? とクラマは思いついたが……

 

「そう思うでしょう。しかし実のところ、万能には程遠いのです。魔法の効果中でも一度その存在を意識してしまえば、効果は一気に薄れます。今は普通に会話できているでしょう?」

 

「確かに、そういえばそうだね」

 

「また、しっかりと周囲に溶け込むには変装と演技力が不可欠。私には演劇の経験がありますが……それでも警戒されている場所では安心できません。それから、オノウェ調査にも無力です」

 

 だいぶ繊細な扱いが要求される魔法具のようだった。

 

「……が、しかし私にとっては最高の魔法具なのですよ! これのおかげで私は獣に襲われることなく、戦士たちの活躍をすぐ傍で目に焼き付けることができるのですから!」

 

 吟遊詩人ノウトニー。

 なるほどまさしく彼のためにあるような魔法具だ、とクラマは得心した。

 そうしてノウトニーはクラマの縄を切り、クラマはノウトニーの肩を借りて立ち上がった。

 

「さてさて、話し込んでいる場合ではありません。手早く脱出すると致しましょう」

 

「そうだね。でもその前に……」

 

「その前に?」

 

 怪訝な顔で聞き返すノウトニー。

 それに対してクラマは……

 

「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いいかな?」

 

 にっこりと笑って、そう言った。

 

 

 

 

 

 ティアはこの街に来てからというもの、たいへんな苦労を重ねてきた。

 寝る間を惜しんで様々な場所に潜入し、情報収集に明け暮れる毎日。

 正体を隠して、地道に地道に少しずつ……。

 怪しまれないよう、証拠を残さないよう腐心して、慣れない潜入捜査を続けてきた。

 しかし警備は固く、支援もなく、敵地のただ中では有効な手立てもない。

 手詰まりとも言える状況だった。

 それでも堅牢な城壁に穴を穿つべく、小さな事からこつこつと積み上げてきた。

 

 だというのに。

 

「たっだいま~」

 

「おかえりなさい、クラマ!」

 

「おうっと……」

 

 パフィーの突進を受け止めるクラマ。

 留置場に入れられたクラマは、ノウトニーの協力によりパーティーのもとへと帰還した。

 しかし、その背後にいる人物に場が騒然となる。

 

「く、クラマ、その人は……!」

 

 イエニアも驚き、警戒する。

 

「ああ、なんか留置場にいたから連れてきたんだ」

 

 平然とそんなことを言ってのけるクラマ。

 全員の視線を集める、その男。

 

「……何を見ている、貴様ら」

 

 この街における二番手の権力者。

 地球人召喚施設長、ディーザであった。

 

 

 

 地道なティアの苦労。

 それをぶっちぎって結果を持ってくる、クラマの剛腕。

 もう何度目になるか分からないが、それでもティアはくらりと眩暈を覚えた。

 

 

 

 

 

 貸家のリビングルームにはクラマのパーティーと、それからセサイルのパーティーが揃っていた。

 サクラ達は診療所にいるので、ここにはいない。

 

 一同はまずディーザから話を聞くことにした。

 それにより、ワイトピートとの戦いを終えたクラマ達を襲ったのがディーザの配下で、更に後からそれを襲撃してきたのがヒウゥースの配下だったことが分かった。

 

「後から現れた人たちは冒険者ではなさそうですね。冒険者の集う場所で見た覚えがありません」

 

「奴らはヒウゥースが帝国で奴隷商をしていた頃からの、直属の配下だ。裏の仕事を専門にしていて、表向きの役職を持つ者は少ない」

 

 代表してイエニアがディーザと話している。

 そこへ横からレイフが口を挟んだ。

 

「なんだかいろいろ教えてくれてるけど、信用して大丈夫なの? この人が雇った冒険者に私たちは襲われたんでしょ?」

 

 それに答えるのはクラマ。

 

「ヒウゥースに切られた彼には、僕らに協力するしか生き残る道がないからね」

 

 そう言うクラマはパフィーから手当てを受けている。

 両手に加えて両足の爪まで剥がされていたクラマに、パフィーは丁寧に包帯を巻いていった。

 さらにクラマの上半身の服を脱がすと、クラマの背中は鞭で打たれたミミズ腫れが幾重にも走っており、胸部には焼きごてを押し付けられた跡があった。

 

「ひどい……」

 

「……!」

 

 これにはイエニアも目を見張る。

 

「あはは、大丈夫、大丈夫。これくらい」

 

 見かねてレイフやイクスも手当てを手伝う。

 ティアが話を戻すために口を開いた。

 

「信用ができないのであれば、取引と考えれば良いかと。彼はこちらに情報を提供する、我々は彼の身の安全を確保する。その方針でいかがですか?」

 

 ティアの提案に、ディーザはメガネをクイッと押し上げながら返答した。

 

「ふん……忌々しいが仕方あるまい。今は貴様らに協力してやる」

 

「なんでこんな偉そうなんだこいつ? ちっと絞めていいか?」

 

「ぐわああああああ何をする野蛮人めが!」

 

 絞めていいかと聞きながら答えを待たずに関節を極める男。ベギゥフである。

 そのドタバタした騒ぎをセサイルの声が遮る。

 

「おい、静かにしろ」

 

 セサイルは窓から外の様子を窺っていた。

 彼は鋭い視線で窓から目線を離さず、皆に告げる。

 

「囲まれてるぜ。憲兵がざっと20人……ってところか」

 

「え……」

 

 その言葉に一同がざわつく。

 

「対応が早すぎるな。こいつはどうやら、泳がされたか」

 

 セサイルの分析に、ティアが言葉を繋げる。

 

「なるほど。オノウェ調査でも尋問でも思った結果が出ないので、あえて逃がして匿った者達を共犯者として一網打尽に……という腹のようですね」

 

「おお! どうりで警戒が薄いと思いました……ハハハ、向こうもなかなか面白いことを考えるではないですか!」

 

「ちょ、面白くないでしょ! ど、どうするんすかこれ……!?」

 

 慌てて取り乱すマユミ。

 突然の窮地、その中で……イエニア、パフィー、レイフ、そしてティア。

 彼女らは当然のように、一様にクラマへと目を向けた。

 

 集う視線。

 パフィーの手当てを受け終わったクラマは、ひとつ頷くと、落ち着き払って口を開いた。

 

「うん。じゃあ、こうしよう」

 



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第57話

「隊長、裏口もすべて、包囲完了しました」

 

「……よし、突入するぞ! 続け!」

 

「はっ!」

 

 クラマ達の貸家へと突入した、完全武装の憲兵たち!

 玄関に足を踏み入れた彼らの耳に、男の声が一階奥から届いた。

 

「やばい、もう来た! みんな早く!」

 

 憲兵は目線で合図し、声のした部屋に踏み込む!

 するとそこには――床に開いた穴から上半身だけを出したクラマの姿が。

 

「き、来たぁ! やっぱり全員で降りるなんて無理だったんだって!」

 

 情けない声をあげて騒ぎたてるクラマ。

 それを確保するべく、憲兵は手を伸ばす!

 

「ウワァーッ! もうだめだ、捕まるぅ~!」

 

 憲兵の手がクラマに触れる直前。

 ストン、とクラマの頭は憲兵の手をすり抜けて、穴の中へと落ちていった。

 

「……ちっ!」

 

 舌打ちする憲兵。

 

「どうします、隊長?」

 

「ひとりは屯所に戻ってダンジョン探索の物資と増員を手配! ひとりは冒険者ギルドへ指名手配と人集めを……あと2人がここに残って、人が入らないよう封鎖! 残りは全員降りて奴らを追うぞ!」

 

「はっ!」

 

 隊長の指示に従って素早く行動に移る憲兵たち。

 15人の憲兵が順々に、床に開いた穴からダンジョンの中へと降りていった。

 

 

 

 

 

「……行ったみてえだな。残ったのは2人か」

 

 そうセサイルが呟いたのは、貸家の屋上。

 全員がダンジョンに降りたと見せかけて、セサイルのパーティー4人とティア、そしてディーザを合わせた計6名が、この屋上に隠れてやり過ごしていた。

 ダンジョン内に逃げたのはクラマ、イエニア、パフィー、レイフ、イクスの5人だけだ。

 

 

『この大人数じゃ、憲兵を振り切っても逃げ込める場所がない。二手に分かれよう。ダンジョンの中と外に』

 

 

 ……これがクラマの提案だった。

 振り分けは、全員がダンジョンに慣れているクラマのパーティーがダンジョン内へ。

 ダンジョン慣れしていないセサイルのパーティーと、ティア、ディーザが地上。ティアは正騎士の盾でイエニアと連絡をとれるのもポイントだ。

 ひとまず憲兵の目を誤魔化したセサイル達。

 しかしこの後どうするかという課題が残る。

 

「さぁて、どうするか。俺らの宿には戻れねえだろうしな」

 

 クラマ達とセサイルの関わりは調べられていると考えるのが無難だ。

 なので、どこか別に隠れられる場所を探さなくてはならない。

 そこへティアが皆に告げる。

 

「ご心配なく。こんな事もあろうかと、セーフハウスをいくつか用意してございます」

 

「用意がいいじゃねえか。オーケー、それでいこう。案内してくれ」

 

「はい、かしこまりました。皆様、ついて来てください」

 

 そうしてティアを先頭に、屋根の上からゆっくりと降りていく一同。

 外にいる憲兵に見つからないよう、暗闇の中を抜き足、差し足……。

 というところで、不意にマユミの足元でバキッ! と音が鳴った。

 音に気付いて見上げる憲兵!

 

「ん……? あっ、なんだあいつら! 上に残ってたのか!」

 

 あえなく見つかってしまった。

 

「こっ、この中じゃ私は軽い方でしょ!? なんでぇぇ!?」

 

「一点に負荷をかけない重心の移動っつーのがあってだな……まあいい、逃げるぞ!」

 

 見つかってしまっては、もう忍び足をする意味もない。

 セサイル達は一斉に屋根から飛び降りる。

 涙目のマユミを引っ張り、彼らは憲兵の追跡を逃れるべく夜の街を駆けた!

 

 

 

 

 

 闇夜の街を走り続け、これならなんとか憲兵を撒けそう……とセサイル達が思いかけた頃。

 道の先で待ち構えている者達がいた。

 その姿を見たディーザが叫ぶ。

 

「あれは……ヒウゥース直属の部隊だ!」

 

「逃げそうな場所に配置してやがったか。ったく、どんだけ段取りがいいんだよ」

 

 軽快に皮肉を吐きながらも、セサイルは苦い顔をする。

 遠目からでもセサイルの目には判別できた。

 敵の立ち姿、その雰囲気から、その辺の冒険者よりもだいぶ手強い連中だということを。

 走りながら、どう乗り切るかと思案するセサイル。

 ……そんな時だ。

 そのセサイルの隣をベギゥフが追い抜いた!

 

「おれは、たるんでいた」

 

「あん?」

 

 前触れもなくいきなり語り出したベギゥフ。

 次の瞬間ベギゥフは、猛然とダッシュをかけて敵陣に突撃した!

 待ち受ける敵から、当然のように突き出される剣の刺突!

 ベギゥフはそれを紙一重で回避。

 そして回避と同時に、突き出された敵の腕を両足で挟むように飛びつき、相手を地面に転がした!

 すぐさま相手の腕を離して立ち上がるベギゥフ。

 ……しかし、相手は起き上がれない。

 

「ぐわああぁぁぁっ……!」

 

 悲痛な呻きが夜の街を通る。

 ベギゥフに転がされた相手は、肘から先がおかしな方向に折れ曲がっていた。

 

 ベギゥフは相手を転がすと同時に、関節を極めてその腕を一瞬にして折っていた。

 あまりにも鮮やかな関節技。

 その一連の動作には一分の淀みもなく、無駄なく、機械のように精密だった。

 セサイルがヒューッと口笛を吹く。

 

「あのバカ、何があったか知らねぇが本気になりやがった。ダンジョンじゃ組み技が使えねぇってんで腐ってやがったのによ」

 

「全盛期にはまだ遠い……が、丁度いい! お前ら、おれの勘を取り戻すのに付き合ってもらうぞ!」

 

 ベギゥフは腰を低く落として構えをとる。

 その筋骨隆々の肉体から発せられる威圧感と、それと相反するように冷え切った氷の眼光。

 ヒウゥースの配下たちはベギゥフに気圧され、思わず一歩引いた。

 

「あいつの手が届く範囲に入った時点で終わりだ。人間の形をしてる以上、抗う術はない」

 

 そう言ってセサイルも敵陣に切り込む!

 セサイルとベギゥフの2人は数の差をものともせずに、真正面から圧倒していく。

 

「うおおっ、なんだこいつら! 強いぞ!?」

 

「ふははははっ! これはいい練習相手だ! 相談もなしに勝手にでかい依頼を受けやがった時は、どうしてやろうかと思ったが!」

 

「またその話か。悪かったっつってんだろ、報酬がデカすぎたんだよ」

 

 などと会話を繰り広げながら、セサイルとベギゥフのコンビは次々に敵を薙ぎ倒していった。

 相手も決して弱くはない。

 この街の冒険者と比べれば上位に入るだろう。

 しかしこの2人、とりわけセサイルの実力は格が違った。

 そうして全ての敵を打ち倒した時……

 

「うわあっ! き、貴様、何をする!?」

 

 後方にて突如あがった悲鳴。

 なんと片腕を折られた男が起き上がり、ディーザの首元に剣を突きたてていた。

 セサイルは隣のベギゥフに目を向ける。

 

「おいおい……ちゃんとオトすか両腕折っとけよ」

 

「まだ勘が戻らんのだ。おまえが練習に付き合わんのが悪い」

 

「練習で迷わず折りにくるバカに付き合ってられるかバカ!」

 

 そんな話をしている2人にディーザが叫ぶ。

 

「貴様ら何をしている! 早く私を助けないか!」

 

 助けたくねぇ~。

 セサイルとベギゥフは互いにそう思った。

 

 が、だからといって見捨てるわけにもいかない。

 ティアはセサイル達に謝罪する。

 

「申し訳ございません、気がつくのが遅れました」

 

「いや、このハゲも悪い。さて、どうしたもんか……」

 

「ハゲのせいじゃない! 悪いのはおれだ!」

 

 ハゲと己の同一化を否定するベギゥフ。

 ……軽口はともかく困った状況になった。

 ここで時間をかければ憲兵が集まってしまう。

 憲兵から依頼を受けた冒険者が敵になる可能性もある。

 すぐにディーザを取り戻してこの場を離れなければならないが……

 

 と、思案していたところへ、響いてきたのは馬が大地を駆ける足音。

 セサイル達からすれば、人質となったディーザ達の奥から。

 地響きとともに迫ってくる馬。

 その上に乗り手綱を握るのは――ケリケイラだった。

 

「いぃぃーーーやっはーーーーー!!」

 

 馬で通り過ぎざま、ケリケイラのラリアットがディーザもろとも敵兵を吹っ飛ばした!

 

「ごばぁーーーーーーっ!?」

 

 強烈なラリアットを受けたディーザは、空中できりもみ回転した後、セサイル達の前に顔面から着地した。

 

 

 

 

 

 ケリケイラの腰に手を回し、馬に同乗しているメグルが叫んだ。

 

「ねえ、今のって賞金首が人質にとられてたんじゃないの!? 吹っ飛ばしちゃったらだめなんじゃない!?」

 

「あれー? そうですかねー? まあいいでしょー!」

 

 そんな適当なことをのたまうケリケイラ。

 その表情、その声は、今までメグルが見てきた中で最も爽やかで、最も嬉しそうな様子であった。

 

 

 

 

 

 ……地面に倒れ、口から泡を噴いて痙攣するディーザ。

 それを見下ろすセサイルら一同。

 

「なんだったんだ今のは」

 

「どっかで見たような気がするが……」

 

 なんともいえない気分で顔を見合わせる男たち。

 誰もが呆気にとられる中で、ティアは冷静にディーザを抱え上げて言った。

 

「今のうちです。行きましょう」

 

「……おう、そうだな」

 

 ベギゥフがティアからディーザを受け取って担ぐと、一行はティアの用意したセーフハウスへ向かう道を急いだのだった。

 



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第58話

 クラマ達はダンジョン地下1階、地下2階、そして地下3階を一足飛びに駆け抜けて、地下4階へと降り立った。

 これまで何度も行き来してダンジョンの進み方を知り尽くしているクラマ達とは違って、憲兵の多くはダンジョンに足を踏み入れること自体が初めてである。

 地下4階に入る頃には、クラマ達は追っ手を完全に振りきっていた。

 

「このあたりで一旦落ち着きましょう」

 

 というイエニアの言葉に皆が賛同して、休める場所を探して休憩に入った。

 地下1階から長いこと走り通しで、全員が肩で息をしていた。

 とりわけクラマの憔悴がひどい。

 

「はー、はー……クラマ、大丈夫?」

 

「ああ……うん、だいじょう、ぶ……」

 

 その様子は大丈夫にはとても見えなかった。

 足の爪を剥がされただけでなく、足を機械で圧迫する拷問も受けていたクラマは、本来は立っているだけでもつらい状態だ。

 イエニアの肩を借りてここまできたが、傍目から見てクラマはもう限界だった。

 

「さすがに4階には本格的な装備もなしに入っては来ないでしょうから、しばらくはゆっくりできるはずです」

 

 そうしてクラマ達は座って体を休めた。

 クラマは靴を脱いで、血の滲んだ包帯を取り換える。

 念のためレイフがパフィーの魔法具を借りて、解毒魔法で化膿対策を行う。

 

「…………………」

 

 痛々しい拷問の痕。

 パフィーの手当てを受けるクラマの様子を、イエニアは目を細めてじっと見つめていた。

 

 クラマだけでなくイクスも足を負傷しているが、イクスは浮力を得る魔法具を使用しているので、走ることによる負担はほとんどない。

 それから水分補給や軽く食事もとって、全員が落ち着いたところで、イエニアが静かに口を開いた。

 

「クラマ、私はあなたに言わなければならない事があります」

 

 そう告げたイエニアの神妙な声。

 覚悟を決めた眼差しに、全員がただ事ではない気配を感じ取った。

 

「今まで隠し続けていた我々の秘密をお話しします」

 

 イエニアの宣言に、パフィーが心配そうに訊く。

 

「いいの? イエニア……」

 

「許しは得ていません。しかし私にはもう、これ以上クラマを騙し続けることができません」

 

 クラマに向き直るイエニア。

 彼女は包帯の巻かれたクラマの手をとって、まっすぐにクラマの目を見つめて告げた。

 

「クラマ、驚かずに聞いてください。私は本物のラーウェイブ王国第19王女、パウィダ・ヴォウ=イエニアその人ではありません」

 

「だよね」

 

「…………………………………………え?」

 

「ティアだよね、本物って多分」

 

 ……などと当然のように言ってのけたクラマ。

 予想だにしていなかった返しに、イエニアは目をぱちくりさせた。

 

「違ったかな?」

 

「え? え~……あ、はい。そうです、けど……………えぇ?」

 

 頭が真っ白になって、しどろもどろになるイエニア。

 見かねてレイフが助け舟を出した。

 

「クラマはいつ気付いたの?」

 

 その問いにクラマが答える。

 

「いや確証はなかったけどさ。最初に会った時から、ちょっと変だなと思ってて」

 

 最初に会った時。

 クラマ、イエニア、ティアの3人が初めて顔を合わせたのは、深夜にクラマがティアを追い回して、逆に取り押さえられた時のことだ。

 イエニアが驚愕の声をあげる。

 

「あんな前からですか!?」

 

「うん。あのときティア……じゃなくてイエニアが……ええと、どう呼ぼうかこれ」

 

 ティアが本物のイエニアだとすると、果たしてどちらの名で呼ぶべきかという問題が生じる。

 呼び名に悩むクラマにレイフが提案。

 

「今まで通りでいいんじゃない? とりあえずは」

 

「そうだね。ええと……あのときイエニアはティアと夜中に会って話し合いする……って事だったらしいけど、ティアに話し合いをするそぶりがなかったんだよね。イエニアの意見を聞かずに、ティアが今後の方針を告げてどっか歩いて行っちゃって。一応みんなで話し合って決めて……とは言ってたけど、姫様の意向を聞かずに一方的に自分の意見を言って消える従者ってのはおかしいなって。そこでちょっと違和感があった」

 

「…………………」

 

 あまりに細かな違和感を語りだすクラマに、言葉を失う一同。

 

「もちろんその時点では、ちょっと変わった主従だなとしか思わなかったけど……入れ替わりを疑うようになったのは、イエニアが御前試合で優勝して騎士団最強の称号を手に入れた、って話をヒウゥースから聞いた時だね」

 

「ああ……あれは……」

 

 イエニアはここでようやく合点がいった顔をする。

 

「それよりも前に、騎士団の中では自分はまだまだ……って事をイエニアが言ってたし。謙遜ってことも考えられたけど、入れ替わりを前提に思い返してみると腑に落ちることが多かったからさ」

 

 床についても寝つきの悪いクラマは、考える時間が多かった。

 改めて疑ってかかると、出会った頃にイエニアの名前を呼んでも反応が悪かったり、わりと頻繁に言葉遣いが崩れたり、イエニアが雑な食事を好むのに対してティアが上品なものを好んでいたり……等々、小さな違和感は無数に見つけることができた。

 とはいえ、この程度では疑いを抱くにはあまりに弱い。

 ただ、ヒウゥースからモデルの依頼を受けた際。

 あの時のクラマ達の立場では、ヒウゥースの依頼は断りにくかった。にもかかわらずイエニアは、水着を着るのを強硬に拒否した。

 家の中でも頑なに鎧を脱ごうとしなかったのも、当時は「目立ちたいから」という言葉で納得してしまっていたが、これらを合わせて考えると別の答えが浮かんでくる。

 なぜならイエニアとティアには大きな違いがある。

 それは――胸の大きさ。

 ふたりは背丈・年齢ともに近いが、そこだけは大きく異なっている。

 

「入れ替わりを僕がほぼ確信したのは、盾と槍だね。セサイルがイエニアを黒槍使いだと言ってて、ティアは黒槍を持ってダンジョンに現れた。それと一緒に正騎士しか持っていないはずの盾も」

 

 そして先日の夜の稽古で、ティアはその類稀な槍術を見せつけ、さらにはクラマに向かって一対一なら誰にも負けないとまで言い放った。

 ここで今まで黙って聞いていたイクスが疑問を投げかける。

 

「でも目と髪の色は? イエニアとティアは色が違うでしょ」

 

 当然、真っ先に浮かぶ疑問だった。

 小国とはいえ騎士であり王女。

 直接目にしたことはなくとも、その容姿くらいは知っている者がいても不思議ではない。

 影武者をするなら、髪と目の色が違っていては話にならない。

 

 そして、この世界では瞳や髪の色を誤魔化すことはできない……という前提があった。

 コンタクトレンズは存在せず、髪を染めても何らかの力が働いて、すぐに戻ってしまうという。

 

「うん。まず目は改宗だよね。目立つのが好きなイエニアならオレンジじゃなく黄色い祭の神になるだろうし、博愛の神はティアの方がしっくりくる。髪の方は……かつらじゃないかな?」

 

 と言ってクラマはイエニアを見た。

 イエニアは何も言わず、ゆっくりと頭に手を当てると……ぺり、ぺり、とそこから音が鳴る。

 

 ばさりと茶色い編み込みの髪の毛がイエニアの頭から剥がされた。

 そうして現れたのは、とても短い金色の髪。

 その金色の短髪は、クラマには見覚えがある。

 深夜に忍び込んだ高級賭場で。

 

「その通りです。このかつらはイエニア様の……ティアの髪をそのまま使用しています」

 

「じゃあ、ティアの髪もかつらなんだね」

 

「はい、そうです」

 

「……エイトって本名?」

 

 クラマは尋ねる。

 一瞬、気まずい顔をしたイエニアだが……すぐに取り澄まして答えた。

 

「はい。……あの時にはもう気付いていたのですね」

 

「うん。確証はなかったけど、そうだろうなと思ってた。ティアにしては胸……あいや、体型が合わないし、ニーオ先生って線も考えたけど足の太さが違うし、そもそもニーオ先生が積極的に僕らを助けるのは理由が薄い。実際の戦闘を見てもイエニアしかないなって」

 

「そうですか……気付いて、いたのですね……」

 

「うん」

 

「気付いていたのですか……」

 

 イエニアはそっと両手で自分の顔を隠した。

 その体がプルプルと震えだす。

 よく見れば耳が真っ赤になっている。

 イエニアは震える声で呟いた。

 

「こんな……こんなはずじゃ……なかったのに……!」

 

 そんな背中をパフィーがポンポンと叩いて慰める。

 

「よしよし」

 

「う、うぅ……」

 

 イエニアは顔を覆った手を下ろして、クラマをじっと見た。

 まだ顔は赤いまま。

 ちょっとだけ涙の滲んだ、どこか恨みがましい目で。

 

「……クラマ。私は今、とても悲しいです」

 

「うん」

 

「あのですね、私はね、この日のためにね……ずーーーーーーっと打ち明けるのを我慢してきたのですよ」

 

「うん」

 

「いつか打ち明けられる日を想像して、頭の中で練習したりも……まあ、なかったわけではありません」

 

「そうなんだ」

 

「それがこんな結末では、あまりにあんまりだとは思いませんか? 率直に言って悲しい、私はとても悲しいです」

 

「いや、なんというか……ごめん」

 

 なんだかクラマはとても悪いことをしたような空気を感じて、思わず謝った。

 イエニアは大きくため息をついて、力なくうなだれた。

 

「いえ……クラマは悪くありません。恨みがましいことを言ってしまって申し訳ありませんでした……しかし……しかし……うううぅぅーーー……」

 

「よしよし」

 

 イエニアの背中を叩くパフィー。

 

「うう……うああーーーーー、どうして~~~……」

 

 とうとう耐えきれずに、イエニアは倒れるように頭を抱えて蹲ったのだった。

 

 ……とはいえ、クラマに本名を告げたということは、実のところあの時点ではもう隠し通す気もなかったという事でもある。

 王国に8人しかいない正騎士。

 どこかでその名をクラマが知ってもおかしくはないのだから。

 

 しかしそれはそれとして、あまりに残念な種明かしであったからか。

 本気で凹んでいるイエニアの様子に、なんとも気まずい空気が流れる。

 クラマは流れを切り替えようと、イクスに話を振った。

 

「イクスもあんまり驚いてないけど、知ってたの?」

 

「……ううん。驚いたけど、納得した。前にカジノの裏で集まったとき、パフィーがティアのことイエニアって呼んでたから」

 

「ほほう、そんな事が」

 

 高級賭場『天国の扉』へクラマ達が潜入した際に、影ながら支援していた彼女たち。

 その際にちょっとした問答があった。

 あのときパフィーが「ティア」ではなく「イエニア」という本来の名前で呼んだのは、「メイドのティア」ではなく「第19王女パウィダ・ヴォウ=イエニア」として、あなたは仲間を使い捨ての駒として扱うことを是とするのか……という意味が込められていた。

 

 そんな話をしている間に回復したイエニア。

 彼女は気を取り直して、外したかつらをつけ直した。

 

「それでは私たちの……いえ、ティアの目的をお話ししようと思います」

 

「ようやく来たね。やっぱりあれ、僕が尋問を受けることを予想してたの?」

 

 ティアが今の今まで、ずっと己の目的をひた隠しにしてきた理由。

 先日の尋問では、クラマが本当に何も知らなかったために、相手のオノウェ調査に引っかかることもなかった。

 イエニアはクラマの言葉に頷いて同意する。

 

「はい。元々、パーティーを組んだ地球人に我々の目的を話す予定はありませんでした。しかし何度かダンジョンに潜ってクラマの人となりを知って……私やパフィーはクラマに本当のことを告げようとティアに提案したのですが……」

 

 イエニアの言葉をパフィーが横から継ぐ。

 

「納得できなかったけど、結局はティアの予想通りになったのよね。クラマは絶対にどこかで捕まる、って」

 

 そう言うパフィーは頬を膨らませて、今でも納得いかなそうな表情だ。

 クラマがレイフに目を向けると、レイフは困ったように笑う。

 

「私は賛成も反対もしなかったわね。感情的には思うところはあるけれど、ティアは賭けているものが違うもの。それに……誰かを犠牲にするっていうのは、その判断を下す人間も同時に苦しむものだから……私はティアを責められないかな」

 

「そうだね。僕もティアが悪いとは思わない」

 

 クラマはレイフの意見に頷いた。

 そして話はイエニアに戻る。

 

「どのタイミングで捕まるかまでは予想できなかったようですが……クラマの突発的な行動から、いずれ法に触れて再逮捕されると、ティアは読んでいました」

 

「いやあ……否定できないね、なんとも」

 

 いつか夢の中でパフィーの師に言われた言葉を思い出す。

 彼女らがクラマにその目的を明かせないのは、クラマ自身のせいだと。

 

「さて、それで我々の目的ですが……ひとことで言うと、地球人を救う事です」

 

「いきなり大きな話になった」

 

「正確には、このアギーバの街で召喚され、利用されている地球人を救うため……ですが」

 

「地球人を利用。たしか最初はダンジョン踏破のために地球人が必要ってことだったよね。……でも実際は攻略させる気がなくて、ダンジョン探索支援は街興しのための名目でしかない……って話だったけど」

 

「はい。その側面もあるのでしょうが、地球人召喚には、もうひとつ隠された目的があります」

 

 粛然として語るイエニアの佇まいから、場の緊張感が高まるのをクラマは感じた。

 周囲のパフィーやレイフも真剣な眼差しを向けている。

 

 地球人召喚の隠された目的。

 この街に潜む裏の顔。

 ダンジョンに押し込められた真実。

 

 すべての根底が、ついに明かされる時が来た。

 

「まず前提として、地球人の召喚は国際法により禁止されています。異世界の民とはいえ人間を勝手に連れてくるのは人道に反する……ということで」

 

「そりゃまあ、そうだよなぁ」

 

 クラマはむしろ召喚されたことに感謝しているくらいだが、他の地球人から話を聞くに、帰りたいと思っている者の方が多いようだった。

 

「しかしこの国際法は、その成り立ちからして四大国が自分達の都合のいいルールを小国へ押しつけ、大国としての地位を盤石にする目的で作られたものです。地球人召喚を禁止しているのも、地球人の運量により国家間のバランスが崩れる事を懸念したのでしょう」

 

「うーん。なんというか、どこでもあるんだねえ、こういう話は」

 

 既得権益を確保するため力のある者がルールを決めて、ルールを納得させるために建前を掲げる。

 だが、たとえ建前であろうとも、正しい事なら異を唱えるわけにもいかない。

 

「国際法そのものが間違っていると言う気はありません。しかし問題は、現状それが守られていないことで……」

 

「普通に召喚してるからね、この街で」

 

「その通りです。ダンジョン攻略のためという名目で、堂々と。そして明らかな国際法違反であるにもかかわらず、四大国は見て見ぬふりをしています。……これは、この国と四大国との間で、裏取引が行われているからです」

 

 裏取引。

 地球人を違法に召喚している国と、大国との間で交わされた密約。

 ここにきてようやくクラマにも察しがついてきた。

 

「その取引っていうのは、つまり……」

 

 と言って、自分自身を指さすクラマ。

 イエニアは神妙な顔で頷いた。

 

「……そうです。この街で召喚された地球人は、四大国へ密売されているのです」

 

 これにショックを受けたのはイクスだった。

 

「そんな……」

 

 元々、地球人を召喚するということ自体に難色を示していたイクスである。

 さらにその上、知らず知らずのうちに非人道的な犯罪に加担していたという事実にイクスは強い衝撃を受けた。

 イエニアは続けて、踏み込んだ説明をする。

 

「地球人の召喚には大規模な施設と十数人の魔法使いによる長時間の詠唱が必要になります。隠そうとしても、魔力波によって必ずばれる。四大国が自ら制定した法を犯して裏で行うことは、内外の批判を受ける危険があり難しい……。そこで、中立国であるこの国が代わりに召喚を行い、四大国はそれを裏で買い取るという形にしたのでしょう」

 

 イエニアの説明通りならば、この街の目的はダンジョン攻略ではなく街興し――でもなく、ダンジョン攻略のためという名目で地球人を召喚し、それを売り払うことにあったのだ。

 人身売買。

 だいぶ昔、この世界に召喚された当初に、まるで人身売買されているようだとクラマは感じたことがあった。

 その直感が当たっていたというのは、なんとも皮肉なものだった。

 

「そういえばダンジョン探索を拒否した地球人がどうなるか……僕もちょっと調べたけど、ギルドがどこかに連れていった後にどうなるか、知ってる人がいなかったんだよね」

 

「はい。ヒウゥース邸に送られるようですが、ギルド職員もその後のことは知らないようでした」

 

「っていうと、この階で冒険者を襲っていた連中の目的も……」

 

「ええ、地球人を捕らえることが目的でしょう。地上で堂々と拉致することは難しいですからね。ダンジョン攻略という建前を隠れ蓑にして、人の目が届かない地下深くに向かわせ……そこで狩る。おそらく邪教の信徒はヒウゥースの配下というわけではなく、ヒウゥースが地球人を得て、邪教の信徒は他の冒険者を得て悲劇の神への供物とする。互いに利のある協力関係だったのでしょう」

 

「ナルホドね……ズルして儲けるために、いろいろ考えてるわけだ。まったく、たいした商売人だねホントに」

 

 ふと、クラマは心配そうな目でこちらを見るパフィーの視線に気がついた。

 クラマはパフィーを手招きした。

 近付いてきたパフィーを、クラマは膝の上に乗せる。

 

「わ。な、なに? クラマ?」

 

 そうしてクラマは、ぽんぽんとパフィーの頭を叩いた。

 

「大丈夫だよ。召喚された理由なんて何でもいい。そのおかげで皆と出会えたんだからね」

 

「クラマ……」

 

 臆面もなく、さらりとそんな事を言ってのけるクラマ。

 全員の顔に照れと、呆れと、安心感が入り混じって、張り詰めていた場の空気が緩まった。

 クラマはそれからイエニアに目を向けて言う。

 

「それに、それを何とかしようっていうのが目的なんでしょ?」

 

「ええ、そうです。今話したことは各国の首脳にとっては半ば公然の秘密でしたが、ティアはこれを良しとせず、四大国と中立国の癒着と国際法違反……これを糾弾するべきだと国王に詰め寄りました」

 

 国王に対しても迷わず進言する。

 ティアの正義と信念が垣間見える話だった。

 

「……しかし遺憾ながら、我がラーウェイブ王国は力の弱い小国。そのようなことをすれば、すぐ隣にある帝国からの圧力がかかるのは必至。最悪の場合は戦争となって、王国そのものが消されてしまう可能性すらあります。帝国だけならまだしも、四大国すべてを敵に回してはひとたまりもありません」

 

 仮に戦争にならなかったとしても、世界トップ4の大国から一斉に経済制裁を受けたのでは、もはや国家として立ち行かないだろうとクラマにも想像できた。

 

「小国は見て見ぬふりをするしかないのです。……ですが、彼女は納得しなかった。自分ひとりでも不正を暴くと言って、国を飛び出しました」

 

「……すごいなあ」

 

 その揺るがぬ信念に感嘆するクラマ。

 イエニアはそれに、怒ったような、不満のある顔を見せた。

 

「それはそうですが、無鉄砲すぎます。なので私も放っておけずについて来て……彼女が前々から縁のあったイードの森の魔女の所に行って、弟子であるパフィーを借り受けてこの街に来たのです」

 

「なるほどなあ。でもその時点で3人いたんだよね。そこからまた人を増やしたんだ?」

 

「はい。初めティアはこの3人でパーティー登録しようとしていましたが、私が止めました。さすがに姫様を矢面に立たせるわけにはいきません。……ダンジョンの中で何をやらかすか分かりませんし」

 

 愚痴っぽく語るイエニア。

 その話にパフィーがからかうように口を挟んだ。

 

「すごかったのよ、ふたりのケンカ。ぜんぜん会話にならないんだから」

 

「わ、私はおかしなことは言っていませんよ。向こうが頑固すぎるんです。放っておくと立場を弁えずに危険な役をやりたがるんですから」

 

 そうやってティアに対する不満を漏らすイエニア。

 しかしその口調、表情には親しみが込められているのがクラマ達にも分かった。

 皆に微笑ましい目で見られているのに気付いて、イエニアは咳払いをする。

 

「……ん、こほん。それでは話を戻しますよ。私とティアの目的というのは、この街で行われている地球人売買の事実を明るみにして、これ以上の被害者を出さないようにすること。そのためにティアには裏で証拠集めに動いてもらっていました」

 

 ティアが普段なかなか姿を見せず、いつでも忙しそうにしているのはそういう事だったのである。

 そこでクラマは気がついた。

 

「でも証拠はもう集まったよね? ディーザを証人にできるから」

 

 それに対して言いにくそうに口を開くイエニア。

 

「いえ、それが……ここからが本題なのです。先ほども言った通り、我々が証拠を集めて糾弾しても、大国の報復措置により我々の王国もただでは済みません。我々だけならともかく、王国の民まで被害を被るのはティアとしても本意ではありません」

 

 イエニアの言葉にパフィーが補足を入れる。

 

「国際法といっても、それを捜査する警察も、裁くための裁判所もないの。だから、ただ小国に圧力を与える口実としてしか機能してないって批判されているのよ」

 

「そういうことか。難しいね」

 

 浮き彫りになってきた真の敵。

 それは言うなれば、社会そのものであった。

 この世界における国際情勢。

 ただ正しいことを行うだけでは立ち行かない、複雑な現実社会としての問題がそこにあった。

 

「執拗に食い下がるティアに、王は条件を出しました。それは……証拠だけでなく、世界中の世論情勢が後押しする衝撃的な内容の提示。……これが我々に課せられた難題です」

 

 これが、ようやく明かされた彼女らの目的。

 クラマがクリアしなければならないミッションの正体だった。

 

「……………………」

 

 口を閉じて思案するクラマ。

 代わりにイクスが口を開いて意見した。

 

「無理じゃない? どうするの?」

 

 率直な意見。

 率直ながら、それは当然の感想であった。

 あまりにも無理難題すぎる。

 イエニアもそれは否定しない。

 

「私も無理だと思っていました。ですので、最初は様子見しながら時間をかけて動く予定でした。……いえ、あえて言わせてください」

 

 イエニアはクラマに向き直って姿勢を正した。

 彼女は改まった様子で告げる。

 

「一度目の地球人召喚は、情報収集の時間を得るための捨て石にする予定でした。いざという時は見捨てても構わない。本命は二度目以降の召喚で、一度目の召喚ではまともにダンジョンを攻略するつもりはありませんでした。戦えないレイフをパーティーに入れたのも、一度目はダンジョン攻略を捨てて地球人との付き合い方を学ぶためです」

 

 苦しげに告白するイエニア。

 クラマの膝の上にいるパフィーも、泣きそうな顔で縮こまる。

 

「ごめんなさい……」

 

 クラマとレイフの視線が合う。

 照れ笑いを浮かべるレイフに、クラマは苦笑を返した。

 そして、パフィーの頭をわしゃわしゃする。

 

「ん……」

 

「わりと無理のある計画だと思うけどねえ、ふたりの性格的に」

 

「できると思っていたのです、その時は。小を殺して大を活かす決意……泥にまみれる覚悟はしていたはずなのですが……」

 

 クラマの顔をちらりと見るイエニア。

 

「………………」

 

 その視線に、にこっとクラマは笑顔を返した。

 イエニアは何とも言えない微妙な顔でため息をつく。

 

「はぁ……まったく、本当に……。まあ、見通しが甘かったのは間違いないのでしょう。それで、その無理難題を具体的にどうするかという事ですが……」

 

「私も知らないのよね、それ。どうするのかしら?」

 

 レイフも興味津々の様子。

 イエニアはそこで自らの盾を前に出して見せた。

 

「この正騎士の盾には、ふたつの魔法が籠められています。ひとつは外敵からの攻撃を防ぐ防護の魔法。もうひとつは、正騎士の盾を持つ者同士で連絡を行う通信の魔法です」

 

 正騎士の盾で通信ができるというのは、クラマも予想していた通りだった。

 

「この通信魔法は、通常は音声のやり取りのみですが、陳情句を入れることで風景の送受信も可能となります」

 

「ああ……そうか。なるほどね」

 

 クラマの中でひとつの記憶が繋がった。

 映像の送受信。

 世論を変えるミッション。

 そこに加えて、以前ティアと出かけた際の記憶。

 かつて路地裏で銀の鞭を買った後、その帰り道で画像を拡大投影する幻灯機やカメラの仕組みについて、執拗な質問攻めを受けたことがあった。

 

「あれー? 分かったのクラマ?」

 

 こちらの顔を覗き込んでくるレイフに、クラマは答えた。

 

「うん。暴露放送だね。全世界に向けて」

 

 驚いた顔を向ける一同。

 イエニアも例外ではなく目を剥いた。

 しかしクラマがどうして分かったのかはともかくとして、なんとなくクラマなら分かっていても不思議じゃないような気がしたので、イエニアはすぐに驚きから立ち直ったのだった。

 

「えー……その通りです。盾の通信魔法で映像を送信し、世界各国で人の多い場所に映し出す。すでに6人の正騎士はティアが設計した映像の拡大投影機を持って、各国の都市部で待機しています」

 

 他の正騎士が動いているということは、国王の許可を得ているということだ。

 後顧の憂いはない。

 あとは生放送を開始して、ヒウゥースを炎上させるだけ。

 

「いやあ……なんというか、すごい段取り力を感じるね。ここまでティアの作戦通りに来たわけだ」

 

「ええ。しかしティアの力だけでは、ここまで来られなかったでしょう。クラマのおかげで先へ進めない閉塞状況を打破できたと、彼女は言っていました」

 

「そうかな?」

 

「はい。それと同時に、クラマのせいでストレス性の胃痛が日常になったとも」

 

「オゥ……」

 

 クラマが自分の額に手を当ててのけぞる。

 イエニアはクスリと笑った。

 すぐに気を取り直したクラマは、イエニアに向かって尋ねた。

 

「さて、それで具体的にはどうするのかな? ショッキング映像の撮影会は」

 

「はい。これまでの情報から、ヒウゥース邸の地下に地球人が捕えられていることが分かっています。ですので、そこへ踏み込んで放映……という事になるかと思いますが……」

 

「具体的なプランはまだ?」

 

「ええ……警備が厳重なので。良い潜入方法がないか、ディーザから聞き出せればいいのですが」

 

 突入するだけなら、ティアの黒槍があればできる。

 壁を破壊して入ればいいのだから。

 しかし、世間に衝撃を与える映像を流すとなると、ある程度まとまった放映時間が必要だ。

 仮にその間を凌ぎきったとしても、放送している間に憲兵を集められてしまうと脱出は難しい。

 そんな自爆特攻のような計画では、セサイル達の協力も得られないだろう。

 

「……地下にあるんだよね? じゃあダンジョン地下1階から行くのは?」

 

「それもひとつの手かと。しかしヒウゥース邸は屋敷の中にも警備がいますから、地下であっても壁を破壊するとなると、やはり放送中に囲まれることに変わりはありません」

 

「微妙な賭けになるか。地上からうまく忍び込めるようならそれでいいし、最後の手段かな」

 

「ええ。とりあえず今は……」

 

「ティアからの連絡が来るまで、ダンジョン内を逃げ延びること……だね」

 

 イエニアは頷いた。

 

 

 

 

 

 こうして長く長く暗闇に覆われていた謎が、クラマの前に明らかとなった。

 ついに開示されたパーティーの最終目的。

 それはダンジョンの踏破ではなかった。

 クラマが打ち勝つべきは、この社会。

 

 世論を変える。

 世界中の人々の心を変える。

 

 言うなればそれは、世界を変えるということである。

 

「いや、たいへんな話になってきた」

 

 クラマは苦笑しつつひとりごちた。

 自分ひとりを変えることすら、ままならないというのに。

 本当にそんなことが可能なのかどうか。

 

 

 

 目標は見えたが先行きは見えず。

 果たして彼らの進む先に光明があるのか。

 

 ……いずれにしても幕引きは近い。

 それぞれが歩んだ運命の軌跡は、じきに結末に向かって収束しようとしている。

 

 さて、残った謎はただひとつ。

 

 

 

 ――僕は、どうしてここにいるのだろう?――

 



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第59話

「はぁ~? 貸家の床を掘って地下に降りていっただとぉ~!?」

 

 ここはヒウゥース邸の3階、ヒウゥースの寝室。

 室内には家具のひとつひとつに至るまで色とりどりの宝石が散りばめられ、意匠の凝った装飾が設えられている。

 壁に立てかけられた子供の落書きのような絵画は、時価にすると平均的な冒険者が生涯で稼げる金額のおよそ10倍。

 他にも近年になって発見が報告されていない幻の一角獣、エフェクアの頭蓋骨も。

 全体の調和や統一性を考えずにひたすら高価なものを詰め込んだ、まさしく「成金趣味」という単語を切り取って形にしたような内装であった。

 

 そして今、一角獣の頭蓋骨のかかった壁の前。

 キングサイズのベッドに寝そべる寝間着のヒウゥースが、部下から報告を受けていた。

 

「はい。彼らはダンジョン内と地上の二手に別れたようで、地上では我々の実行部隊が交戦しましたが一蹴され、見失いました」

 

 淡々と報告する女性は、冒険者ギルド経理役のコイニー。

 ディーザの不倫相手だった女性だ。

 ……しかしそれは仮の姿。

 彼女の正体は、ヒウゥース直属の配下であった。

 

 それから部屋にはもうひとり、ヒウゥースの腹心であるヤイドゥークの姿も。

 ヤイドゥークはテーブルに乗っている残り物をボリボリと頬張りながら、ヒウゥースと一緒に報告を受けている。

 

「やりますねぇー、奴さんたちも。こう、掴んだはずなのに、手の中からするりと抜けていく感じ。なんとも捉えどころがない」

 

 言葉のわりに緊張感が欠けているヤイドゥーク。

 彼は自分の手が汚れるのも気にせず、コイニーに睨まれているのも気付かず、一所懸命に木の実を剥いている。

 

 余裕の態度はヒウゥースも同様だった。

 報告された逃亡手段には仰天したものの、すぐに落ち着きを取り戻して、どっしりと構え直している。

 

「ふん、全員で一気に街の外へ逃げなかった時点で、先が見えとらん。街の門番には通達してあるな?」

 

「はい」

 

「なら、まずダンジョンの出入り口を封鎖。地球人に埋め込んだ発信器から、魔法で探知しろ」

 

 ヒウゥースの指令にヤイドゥークが答える。

 

「そう言うと思って、ここに来る前に地上の絞り込みは命じときました。今ごろ反応のあるポイントと照らし合わせて、連中が隠れられる場所を地図に書き込んでる頃でしょ」

 

「フハッ、相変わらずお前は仕事が早い。よし、それが終わり次第、憲兵を向かわせろ!」

 

「はっ。それでは失礼します」

 

 コイニーは一礼して退室した。

 ヒウゥースは広大なベッドに見劣りしない丸々とした巨体をベッドに沈ませると、天井を眺めてほくそ笑んだ。

 

「ふふん、要らぬことを嗅ぎ回ったばかりに哀れな連中よ。どこに逃げようと地球人を連れている以上は、逃げることも隠れることも不可能よ。フフ……ククク……ファ~ッハッハッハッ!」

 

「じゃ、俺もやる事あるんで失礼」

 

 ヤイドゥークは食べ残しの皿を小脇に抱えて出ていった。

 

 

 

 

 

 ……そして翌日。

 

「チェックされたすべての場所に踏み込みましたが、発見できませんでした」

 

「なぜだ!?」

 

 再び寝室にてコイニーの報告を受けるヒウゥース。

 そしてやはり食べ残しの果物をしゃくしゃくと齧りながら、ヤイドゥークは答えた。

 

「あの魔法具はディーザの設計ですからねぇ。探知の裏をつく方法を知ってるんじゃないっすかね?」

 

「ぬぬぅぅ……どうにかならんのか」

 

 ヒウゥースの問いにヤイドゥークはポリポリと顎を掻く。

 

「いやぁ……キツイっす。彼、魔法使いとしちゃそこそこですけど、詠唱開発は一流なもんで。さすがは元帝国魔法研究所の副所長、ってとこですかね」

 

「ち、見苦しい悪あがきを。なら普通に足を使って探せばいいだけだ。憲兵を総動員して住民へ聞き込みをさせろ!」

 

 それからヒウゥースは、果物の種をゴミ箱へ吐き出しているヤイドゥークに向けて訊いた。

 

「ダンジョンに逃げた方はどうなった」

 

「いや、こっちも見つからないんですわ。単純に人手が足りないっすね。4階にいるのは分かってるんですが、そこまで行ける憲兵が少ないようで」

 

「むぅ……人手不足か」

 

「憲兵はダンジョンに潜った経験なんてないですしねぇ。難しいでしょう」

 

「…………………」

 

 たるんだ顎に触れて思案するヒウゥース。

 そこへ直立したコイニーが口を開いて告げた。

 

「ヒウゥース様、もうひとつご報告が」

 

「なんだ、言ってみろ」

 

「ダンジョンを封鎖したことで、冒険者たちから不満が出ています。これでは日銭を稼げない、ダンジョンで稼げないことによる損失を補償しろ……などと言って、押しかけた冒険者でギルドのロビーが塞がれています」

 

 問題というのは、えてしてこのように連鎖して生じるものだ。

 それに対してヒウゥースはすぐさま対応策を打ち出す。

 

「丁度いい、ギルドを通して依頼を出せ! ダンジョン内に逃げた連中の捜索を、冒険者どもに手伝わせればいい!」

 

 憲兵がダンジョン慣れして追えないのなら、ダンジョン慣れした者を向かわせれば良い。

 クラマ追跡の人手不足と、仕事のない冒険者の不満。

 これら双方を一挙に解決する一石二鳥の妙案であった。

 

「承知しました。それでは失礼します」

 

 頭を下げて部屋を出るコイニー。

 

「じゃ、俺も眠いんで失礼」

 

 コイニーの後を追うように、ヤイドゥークは置いてあった果物を小脇に抱えて出ていった。

 

 

 

 

 

 ヒウゥースの部屋から出てきたヤイドゥーク。

 それを、先に部屋から出ていたコイニーはジロッと睨んだ。

 

「あんた食べ物を勝手に持ち帰る癖、いいかげん直しなさいよ」

 

 ヒウゥースに報告している時とは一転した、ぞんざいな口調。

 相手によって自在に態度を変えるコイニーではあるが、こうしたあけっぴろげな態度で話すのはヤイドゥークが相手の時だけだった。

 ヤイドゥークとコイニー、ふたりは元奴隷仲間だった。

 ヒウゥースから裏の仕事を任される直属の配下たちは、その多くが元奴隷である。

 中でもヤイドゥークとコイニーは最古参の同期。

 意識としては同僚というより、家族に近かった。

 立場上はヤイドゥークの方が上だが、こうしてふたりきりになると口調に遠慮がなくなるのであった。

 

 素行を注意されたヤイドゥークは、しばらく考え……手にした果物をコイニーに差し出した。

 

「……食う?」

 

「バカ、誰も催促なんてしてない」

 

 と言いつつも、コイニーは奪い取るように果物をひっ掴んで、しゃくりと齧った。

 

「ん、おいし」

 

「だろ? いいもの食ってんだよ、あのオッサン」

 

「だからって勝手に持ってきていいって事にはならないけどね」

 

 シャクシャクと果物を齧りながら、ふたりは廊下を歩く。

 

「……ディーザが連中の仲間になるとは意外だったわね。しかも向こうには“怒れる餓狼”セサイルがいる……ここの警備、気をつけなさいよ」

 

 コイニーの忠告。

 ヤイドゥークはそれに対して、冴えない口調で異論を返す。

 

「んー……そっちは警戒しなくていいだろ。ディーザが何を知ってるかはこっちも分かるから、対策は立つ。“英雄”セサイルも数で囲めばいい。問題になりそうなのは……アイツじゃねえかなぁ」

 

「あいつ?」

 

「クラマとかいう地球人……アレはちょっと得体が知れない。証言の内容も、拷問中の態度も……どっかオカシイ。見てて違和感しかない。こっちの予想できないおかしな事をやらかすとしたら、多分アイツだ」

 

「……………」

 

 コイニーは珍しく真面目なヤイドゥークの横顔を見た。

 果物を食べ終えたヤイドゥークは、ひらひらと手を振ってコイニーに背を向けた。

 

「まぁ、適当にやるさ。最低限の給料分はね」

 

 そうしてヤイドゥークの姿は、薄暗い地下室へと沈んでいった。

 

 

----------------------------------------

 

 追っ手を振り切ってティアのセーフハウスに逃げ込んだセサイルたち。

 元からティアひとりが潜伏するために用意したものなので、小屋は狭い。

 ティア、セサイル、ベギゥフ、ノウトニー、マユミ、そしてディーザの6人は、狭苦しい中で顔を突き合わせるような状態だった。

 そんな中で、ディーザが呪文を唱える。

 

「……オクシオ・センプル!」

 

 ディーザの魔法。

 定期的にディーザが使用する魔法により、マユミの中にある発信器の機能を無効化していた。

 ティアは丁寧に礼を言う。

 

「ディーザ様が発信器を無効化できて助かりました。有り難うございます」

 

「ふん、地球人召喚魔法の詠唱も、探知魔法具も、すべてこの私が作り上げたものだ。この程度のことは造作もない。……が、このままではすぐに心量が尽きるぞ」

 

「はい、承知しております。我々には時間がございません。一刻も早くヒウゥース邸へ忍び込んで、目的を果たさなければ……」

 

 首尾よくヒウゥース邸に潜入し、放送ができれば、後は逃げればいいだけだ。

 そのためにはディーザからの情報提供が不可欠となる。

 

「ディーザ様、ヒウゥース邸の地下に忍び込むために、何か良い方法はありませんか?」

 

 ティアの質問。

 ディーザは即座に答えた。

 

「そんなものあるわけがないだろう。お前たちは馬鹿なのか」

 

「……………………」

 

 にべもなく否定され、ついでにさりげない罵倒まで受けて、呆気にとられる面々。

 ディーザは周囲の視線などまるで気にせず言葉を続けた。

 

「あの屋敷に常時詰めている使用人と警備員の計101人は、その全てがひととおりの訓練を受けた戦闘員だ。多くは奴隷の身分から引き揚げられた者達で、恩義からか何なのか知らんが、ヒウゥースへの忠誠心と指揮が異様に高い」

 

 それがティアを大いに悩ませた点だった。

 警備の隙をついて侵入するのに、最も効果的な方法は警備員の買収である。

 しかしヒウゥースがこの街に来てからというもの、外部から使用人や警備員を雇ったことがなく、聞き込み調査をしてもヒウゥース邸に勤める使用人たちの素性は知れず、隙と言える隙が見当たらなかった。

 

「そしてヒウゥース邸の地下には、連中を統率するあの男が入り浸っている。帝国時代からのヒウゥースの腹心……ヤイドゥークという魔法使いの男だ」

 

 聞いたことのない名前が挙げられ、セサイルが口を挟んだ。

 

「あんたがヒウゥースの腹心じゃなかったのか」

 

「……表向きはそうだったがな。私とヒウゥースは互いの利害が一致し、有能な私が組織のナンバーツーまで上り詰めただけのこと。本来、私と奴とは単なるビジネスパートナーに過ぎん」

 

「そのヤイドゥークってのは、どんな奴なんだ?」

 

「詳しくは知らんが、元はヒウゥースが何処かから買い取った奴隷だったそうだ。私ほど能力のある男ではないが……魔法の精度と危機管理と指揮能力だけは一流だ」

 

「……だけ?」

 

 だけ、とは一体。

 セサイルは言葉の定義を問い質したいところだったが、ディーザはそんな機先を制する怒鳴り声をあげた。

 

「それよりこんな場所で何をしている!? 発信器を無効化しようが、憲兵が捜査をすればすぐに見つかるんだぞ。さっさと街の外に脱出しろ! 私を連れてな!」

 

 正論といえば正論だったが、ティアはそれを否定する。

 

「……地下に潜った彼らを置いては行けません」

 

 とはいえ、ヒウゥース邸に潜入できないとなれば、もはやこの街に留まるのは危険しかない。

 

「ええい、こんなところにいつまでもいられるか! もう干しウォイブは食い飽きた! さっさと私の食事を調達して来ないか、この無能者どもが!」

 

「やっぱこいつ絞めていいか?」

 

「ぎぃええええええええ野蛮人ぎえええええ」

 

 果たしてどうするべきか。

 ティアの決断が迫られている。

 クラマ達と合流して国外へ逃亡するか。

 それとも合流を待たずに、先にこちらだけでも離脱するか。

 あるいは状況が変わることに期待して、このまま粘るか……。

 

 そこへティアの盾に通信が入った。

 連絡を受け取ったティア。

 その目が驚愕に見開かれる。

 

「え……? そんな、まさか……!」

 

 

----------------------------------------

 

 ダンジョン地下4階をクラマ達は逃げ回っていた。

 逃走開始から数日が経過した。

 ダンジョンでの生活経験のあるイクスのおかげで助かっているが、その心量も残りが心もとない。

 また、少しずつ増えてきた追っ手たちによって、ダンジョン内の逃げ道が狭められていることもまた、由々しい問題だった。

 

「見覚えのある顔が増えてきたね」

 

 クラマ達は通路を走りながら会話する。

 

「ええ、憲兵だけでは我々を捕らえられないと見て、ギルドを通して指名手配してきたようですね」

 

「はぁ~、やらしい事してくるわね~。しかし私たちもこれで、晴れてお尋ね者ってコトね」

 

「じゃあ、これでわたしたちもイクスとお揃いね! 賞金首仲間よ!」

 

「……ん」

 

 先頭を走るイクスが、わずかに口元を綻ばせて頷いた。

 

「そりゃ助かるね。他の冒険者と遭遇した時に、誤魔化す手間が省ける」

 

 クラマの小粋なジョークも飛び出すが、それほど笑っていられる状況でもなかった。

 ……逃げ続けるのも限界だ。

 後方から追ってくる足音は振り切れる気配がないし、前方向からも人の声が届いてくる。

 包囲網が狭まり、追い詰められた。

 追っ手の声が白と緑の通路に響く。

 

「いたぞ!」

 

「追いついた! 挟み込め!」

 

 そしてとうとう、通路の前後から挟まれた。

 もう逃げられない。

 

「くっ、仕方ありません。囲まれる前に反転して――」

 

 剣を抜くイエニア。

 クラマは記憶を呼び起こすと……やおら壁に目を向けた。

 

「ここは……! オクシオ・ヴェウィデイー!」

 

 黒槍を掴んで詠唱を始めるクラマ。

 詠唱の間にも、間近に迫ってくる憲兵と賞金狙いの冒険者たち。

 彼らの手が届くより先に、クラマの詠唱が完了する!

 

「サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ――轟け! ヨイン・プルトン!」

 

 

> クラマ 心量:95 → 45(-50)

 

 

 直後、爆轟と鳴動!

 クラマが破壊したのは壁。

 敵が来る直前に、クラマたち一同は壁に開いた穴へと逃げ込んだ!

 

「ちぃっ、追いかけろ!」

 

 憲兵のひとりが穴の淵に手をかけ、くぐって通り抜けようとした時。

 ぬうっ、穴の向こうから緑色の顔が出てきた。

 

 小さくて丸いつぶらな瞳。

 びっしりと覆われた鱗。

 出会い頭に顔を突き合わせた憲兵は、しばらく固まった後……

 

「うおわァ! 爪トカゲかよっ!!」

 

 慌ててのけぞる憲兵。

 さらに穴を通って、次々と爪トカゲ(クリッグルーディブ)が通路に溢れだしてきた!

 

「ゲェーッ! 爪トカゲの巣だァァァッ!!」

 

 大量に現れた爪トカゲの群れに通路は騒然となり、なし崩し的に激しい乱戦が開始された。

 

 

 

 イエニアを先頭にして爪トカゲの群れの中を一気に駆け抜けたクラマ達。

 爪トカゲ生産プールの場所を覚えていたクラマの機転により窮地を脱したが、しかしそこで終わりではなかった。

 獣の群れを振り切った先に現れたのは、憲兵でも冒険者でもない第三の敵。

 ヒウゥース直属の配下たちだった。

 

「くっ、数が多い……!」

 

 ざっと10人近く。

 まともに相手ができる数ではなかった。

 地図を手にしたレイフが叫ぶ。

 

「逃げ道はこっちしかないわ!」

 

 レイフの差す方。

 そこは地下5階へと向かう道だった。

 顔を見合わせるクラマとイエニア。

 クラマが頷き、イエニアもそれに頷き返す。

 

「みんな、こっちだ!」

 

 クラマが先頭を走って仲間たちを導く。

 こうしてパーティーは、怒涛の勢いでダンジョン地下5階へと突入した。

 



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B5F - 酸鼻極む人喰い樹林
第60話


 ヒウゥースの配下に追われて、ダンジョン地下5階へ逃げ込んだクラマ達。

 地下5階は密林だった。

 先の見えないほどに立ち並んだ木々。

 木々には毒々しい極彩色の果実が競うように実をつけて、見る者の目を妖しく眩ませる。

 南国のジャングルを思わせる様相。

 その中で、パーティーの先頭を行くクラマは思わずたじろいだ。

 道と言える道がなく、どこを進んだらいいか分からない。

 

「……イクス、ここの植物は知ってる?」

 

「ごめん、わからない」

 

 しかし考える暇もなく、後ろから大勢の足音が近付いてくる。

 クラマは悩むことなく即断した!

 

「パフィー、何かあれば教えて。――エグゼ・ディケ! パーティー全員が危険な植物の罠に触れないように!」

 

 

> クラマ 運量:2018/10000

 

 

 クラマは運量を使用すると、黒槍で足元に生い茂る草を切り払って密林の中を突き進んだ。

 だが草を刈りながらの走りでは、どうしても遅くなってしまう。

 クラマ達が少し進んだところで、背後から切羽詰まった声が届く。

 

「クラマ、追いつかれます!」

 

 最後尾でしんがりを務めるイエニア。

 その目の前まで追っ手が迫ってきていた。

 

「よぉし! 取り囲め!」

 

「くっ、仕方ない。みんな下がって!」

 

 クラマが迎え撃とうとした、その時だった。

 地面から伸びている、ゆらりゆらりと揺れる大きな葉。

 クラマ達を囲むべく横に動いた男がその葉に触れた瞬間、ヒュッと音をたてて葉が回転した。

 

「……あ?」

 

 ずる、と男の上半身が下半身から滑り落ちる。

 胴を真っ二つに切断された男は、最後まで何が起きたか分からず呆気にとられた顔をしていた。

 それから数秒ほど遅れて男の下半身が倒れる。

 ……哀れな死体の傍には、先端を赤く染めた葉が、ゆらゆらと揺らめいていた。

 

「ひ……!」

 

 突如として目の前で起きた惨劇に、敵味方問わず青ざめる。

 追っ手のひとりが後ずさり、ドンと木に肩をついた。

 

「馬鹿、離れろ!」

 

「え? うおわあああああぁぁぁ!!?」

 

 悲鳴とともに男の体が宙に浮く!

 男の足首に巻き付いた蔓。

 これが男を逆さ釣りに引き上げたのだ。

 足を掴まれ上空へ引き上げられた男は、逆さにした巨大なチューリップのような果実に、バクンと下半身を挟まれた!

 

「たっ、助けてくれええぇ!」

 

 助けてくれと言われても、手の届く高さではない。

 誰もが何もできずに見上げるしかなかった。

 

「あ、ああ……なんだこれ、熱い……あっ、ああああ! 熱い! 誰か、助け、あ、いやだあああぁぁぁ!! ぎぃ、あづ、あああああああああああぁぁ!!!」

 

 体の奥底から絞り出されたような悲痛な絶叫が、地の底の樹海に響き渡った。

 そして――ボトリ、とその体が地面に落ちてくる。

 二度、三度とバウンドして草の上を転がった男。

 未だ小さく痙攣する男の体は、そこにあるはずの下半身が消え失せていた。

 

「う、うおわあああッ!!」

 

「落ち着け! 不用意に動くんじゃないッ!」

 

 悲鳴と怒号。

 騒然となる場で、硬直したパーティーに届くクラマの声。

 

「みんな、今のうちに逃げるよ!」

 

 皆が振り向くと、そこでは既にだいぶ先まで進んで安全を確保しているクラマの姿があった。

 

「……行きましょう、皆さん!」

 

 どこか釈然としない微妙な間はあったが、イエニアの声に促され、一同はクラマの後について密林の奥へと入り込んでいった。

 

 

 

 しかしあれだけの事がありながら、追跡者たちは諦めることがなかった。

 植物の罠にかかって、ひとり、またひとりとその数を減らしながらも、執拗にクラマ達のパーティーを追い続ける。

 そして追っ手の半分以上が脱落した頃、クラマ達は再び追いつかれて対峙した。

 

「クラマは後ろで皆を守ってください!」

 

 イエニアが前に出る。

 この木々が立ち並ぶ地形では、イエニアとクラマの連携がとれない。

 イエニアが前に立って攻めて、クラマが後ろの仲間を守るという、昔ながらの立ち位置になった。

 ただし以前とは少し違う。

 今はイクスも仲間にいるのだ。

 

「大丈夫、イエニアはわたしがフォローできる」

 

 イクスはダガーを取り出し、イエニアに向かう敵へと投擲して支援する。

 

 戦いはクラマ達のパーティーが優勢だった。

 植物の罠を恐れて、クラマ達を包囲する位置取りができない相手に対して、クラマ達は運量の加護があるので安心して戦える。

 そこにイクスの支援も加われば、イエニアは複数から同時に襲いかかられる心配もしなくていい。

 こうなれば負ける要素はない。

 

 おおよそ大勢が決した頃、追っ手のリーダーが不穏な動きを見せる。

 

「……お前たちで盾の女を止めろ」

 

 指示を出す低い声。

 追っ手のリーダーは地球基準で30歳前後で、精悍ながらも顔にはいくつもの火傷痕がある。

 男は自分の指示に部下が頷いたのを確認すると、その紫色の瞳をイエニアの後ろにいる4人に向けた。

 

「行け!」

 

「はい、隊長!」

 

 部下がイエニアに向かう。

 それと同時に、リーダーの男は外側を回り込んでイエニアの後ろを目指す!

 植物の罠による死を恐れぬ、まさしく決死の突撃だった。

 

 当然、クラマはそれを迎え撃つ。

 木々の間を抜けてクラマの前に立った男は、剣の一撃を打ち下ろす!

 

「おおおおおおおっ!!」

 

「く……!」

 

 金属のぶつかる音が響く。

 クラマは相手の剣を黒槍で受け止めた。

 剣を押し込む男と、押し返すクラマ。

 その最中にクラマは口を開いた。

 

「……提案なんだけどさ」

 

「なんだ? 貴様は殺す」

 

「なんでそんなに殺気だってるのかな!? このまま帰ってくれないか、って言おうとしたんだけど!?」

 

 男の目には一切、遊びというものが見られなかった。

 実直を絵に描いたふうな男の視線を、クラマは間近に受ける。

 

「ヒウゥース様には恩義がある!」

 

 男はクラマの腹に蹴りを入れた!

 

「ぐぁっ……!」

 

 蹴り飛ばされるクラマ。

 草の上に倒れたクラマは、仲間を守ろうとすぐに身を起こす。

 が、立ち上がる前に追撃の剣が振り下ろされた!

 

「死ねっ!」

 

 それをなんとか槍で防ぐクラマ。

 同時にクラマは驚いていた。

 この敵はせっかくクラマを仲間から引き剥がしたというのに、あえて倒れたクラマを追ってきた。

 クラマはそれで察した。

 この男の標的は他でもない、自分なのだと。

 男はクラマに馬乗りになって告げる。

 

「あのヤイドゥークが言った。ヒウゥース様の計画を妨げる者があるとすれば、それはディーザでもセサイルでもない……クラマ=ヒロという地球人だと!」

 

 体重を乗せて押し込んでくる剣を、クラマは黒槍で必死に押し留める。

 

「過分な評価に痛み入るね……! 僕の見立てじゃ、あのヒウゥースって人は部下の献身に報いるタイプには見えないけど……?」

 

「知ったことではない! 恩とは押し付けるもの! ならば義理を返すのも俺の勝手だ!」

 

 剣を押し付ける力がより強くなり、白い刃がクラマの鼻先に迫る。

 

「く……! 見上げた忠誠心だけど……僕の方こそ知ったこっちゃないんだよ……ねっ!」

 

 クラマは相手の脇腹を蹴る!

 それと同時に槍を押し返して立ち上がった。

 

「おのれ小癪な!」

 

 押し返された勢いで男は地面に転がる。

 男はすぐさま立ち上がろうとするが……

 

「ぬ――!?」

 

 何かに足をとられてガクッとバランスを崩した。

 いや、足をとられたのではない。

 足場がそこになかったのだ。

 

「な、なんだとぉっ!?」

 

 地面があると見せかけて、それはまるで突き出した板のように、植物だけが地面から宙に伸びていたのだ。

 下は崖。

 男の体が沈み込んでいく。

 

「く……!」

 

 そこで、男の手がクラマの腕を掴んだ。

 

「え? ちょ、待っ――!」

 

 男に引き込まれたクラマ。

 踏ん張って耐えようとするも、地面は滑る植物。

 クラマはそのまま男と共に、植物の床を突き破り、真っ暗な谷底へと落ちていった。

 

「う、嘘!? クラマ!? クラマーーーーーーっ!!!」

 

 灯りの届かない深い谷底に、パフィーの引き裂くような叫びが木霊した。

 

 

> クラマ 運量:2018 → 1578/10000(-440)

 



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第61話

 暗く深い谷底へと落下したクラマ達。

 生い茂る植物が緩衝材となったおかげで最悪の事態は免れていたが……。

 

「いってててて……」

 

 全身の打ち身、擦り傷の痛みを堪えながらクラマは身を起こす。

 クラマは自分が落ちた上を見上げた。

 崖はかなり高く、上がよく見えない。

 また傾斜がきつく登れそうになかった。

 崖から落ちた際に傾斜をかなり転がったため、落ちた場所からは相当離れているようだった。

 上からパフィー達の声も聞こえない。

 ひとまずクラマは暗い中を半ば手探りで黒槍を探す。

 

「……あった」

 

 運良くすぐに見つけることができた。

 クラマは黒槍を拾い上げると同時に、すぐ傍で折れた棒も発見した。

 

「ああ……僕のプラエトリアニ・オブ・ザ・パテル・パトリアエが……」

 

 壊れた棒の前で膝を折って嘆くクラマ。

 その鼻先に、剣の切っ先が突きつけられる。

 一緒に落ちたヒウゥース配下の男だ。

 クラマは目の前の男を見上げて声をあげた。

 

「えぇ~? まだやるの? 協力して元の場所に戻ろうよー」

 

「黙れ! もとより己の命など惜しくはない。俺の使命はここで貴様の息の根を――」

 

「ちょ、ちょっちょっちょっーと待った!」

 

「なんだ? 命乞いなど俺には……」

 

「後ろ! 後ろ見て後ろ!」

 

「なに……?」

 

 男が振り返る。

 するとそこには――何もなかった。

 視界の劣悪な薄暗い谷底。

 男は注意深く見るが、どれだけ目を凝らしても先には暗闇が続いているのみ。

 

「おい、何が……」

 

 と、再びクラマの方へ男が顔を向けた時、そこにクラマの姿はなかった。

 男が目を離した隙にクラマは脱兎のごとく駆け出していた。

 

「きっ……さまァァァァァァ!!!」

 

 男は憤怒の形相でクラマを追いかけた!

 

「よくも騙したな貴様! 止まれ、逃げるな!」

 

「いやいやいや、逃げる。逃げるよね普通。それとも止まったら許してくれる?」

 

「許すわけがあるか! たわけ!」

 

「だよね。だから僕もこうして逃げているわけで……っと?」

 

 その時、クラマの足に何かが絡まった。

 それはワイヤー。

 植物ではなく人工のワイヤートラップだった。

 

「はぁ!? なんっ……でぇえ!?」

 

 あらかじめ植物の罠は運量で避けていたのだが……人の手による罠は願いの対象に入れていなかった。

 クラマは足をとられた勢いのまま、盛大に地面を転がった。

 

「くうっ……!」

 

 クラマは黒槍で足に絡まったワイヤーを切断する。

 が、その間に追ってきた男に追いつかれてしまった。

 

「フゥーーーーッ……小賢しい奴め。だがもう逃がさんぞ、覚悟を決めて神妙にしろ」

 

 クラマの前で剣を構える男。

 片膝をついたまま男を見上げるクラマは……

 

「あ……」

 

 大きく目を見開いて、男の背後を指さした。

 

「ちょっ……後ろ後ろ!」

 

「貴様……二度も同じ手を食うと思っているのか」

 

「いや嘘じゃないって今度は! ホントにホント! ヤバイって後ろ!」

 

「見苦しいぞ貴様! 今、引導を渡してくれる!」

 

 男が剣を振り上げる!

 その上げた手が、コツンと何かにぶつかった。

 

「なんだ……?」

 

 振り返る男。

 そこいたのは、人間よりも遥かに大きな昆虫。

 ずんぐりとした巨体に、深緑色の甲殻。

 その背中には植物の葉に似たトゲがびっしりと生えており、口からは蟹の足のような歯が外に飛び出て妖しく蠢いていた。

 

「お……うおおおおおおおおおおっ!?」

 

 ふたりは全速力で駆け出した!

 

「なにあれ!? この世界ではあんなのが普通なの!?」

 

「普通ではない! あれはこのダンジョン特有の古代種……緑迷彩大甲虫だ!」

 

 走りながらクラマは背後を見る。

 

「だめだ、追いつかれる! 戦うしか……」

 

「奴の甲皮は鉄よりも硬い! 生半可な武器では傷ひとつつけられんぞ!」

 

 とはいえ、このまま走って逃げ切れるものでもない。

 クラマは覚悟を決めて、足を止めて振り返った。

 気付いた男が叫ぶ。

 

「無理だ、やめろ!」

 

「……生半可な武器じゃないんでね」

 

 ティアから授けられた黒槍を構えて、クラマは迫り来る甲虫を迎え撃つ!

 渾身の力で突き出される、漆黒の穂先。

 歪な四つの刃は甲虫の頭部に突き刺さり、その巨体を止めた。

 

「刺さった! けど……」

 

 甲虫は止まらない。

 槍が体に刺さろうが関係なく進み、槍の穂先をずぶずぶと沈み込ませながらクラマに迫ってくる。

 昆虫は痛覚を持たない……昔そう聞いたことがあるのを、クラマは思い出していた。

 

 クラマの眼前に迫る甲虫の顔。

 甲虫の口から飛び出た脚のように動く歯。

 それらが大きく広がって、クラマの顔を掴もうと伸びる!

 ……だが、その歯はクラマに触れる直前で断ち切られた。

 

「槍を離して下がれ! 今ならそいつは早く走れん!」

 

 断ち切ったのはヒウゥース配下の男の剣だった。

 しかしここで槍を離して逃げれば、次の脅威が現れた時に使える武器がなくなってしまう。

 出来ることならそれは避けたい。

 クラマはなんとかしてこの場を乗り切りたいが……さりとて都合よく妙案も浮かばなかった。

 黒槍の魔法を使用するには心量が不足しているのが致命的だった。

 

「く……!」

 

 槍を捨てて逃げるしかない。

 クラマがそう結論付けたその時だった。

 ――声が届く。

 何処かで聞き覚えのある、頭に響く低い声が。

 

「いいや、そのまま掴まえていてくれたまえ」

 

 その声がした次の瞬間、シュカッ! という軽快な音と共に、甲虫の背で閃く白銀の軌跡。

 一刀のもとに巨大な甲虫が二つに断ち切られた。

 続く地響き。ズシンと地面に落ちた甲虫の半身。

 

 そして、クラマは見た。

 甲虫の背に悠然と降り立つ男の姿を。

 

「……ワイトピート」

 

 クラマは呻くようにその名を呼んだ。

 

 邪神の徒。

 悲劇の神の信奉者にして、彼らの裏切り者。

 死と不吉を周囲すべてに巻き散らさなければならない、災禍の中心人物。

 青い瞳のワイトピートが、そこにいた。

 

「やあ諸君! 奇遇だね、このような所で会おうとは!」

 

 来客を歓迎するかのように両手を広げるワイトピート。

 右手にはサーベルを持ち、左手首から先は失われている。

 

 その剣呑な両の手とは裏腹に、彼が見せる笑みは爽やかで、あきれるほどに優雅で紳士的だった。

 



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第62話

 どこからともなく現れ、クラマ達の窮地を救ったワイトピート。

 彼は巨大甲虫の背から軽やかに降り立つと、サーベルを鞘に仕舞って、片膝をついているクラマに手を差し伸べた。

 クラマは目の前に差し出された手に自らの手を伸ばし……その手をパシッと払った。

 

「あんたは信用できない」

 

「はははは、これは嫌われたものだ」

 

 ひとりで立ち上がり、ワイトピートを睨み据えるクラマ。

 過去に敵対したとはいえ、助けてもらった相手に対してクラマらしからぬ余裕を欠いた態度であった。

 クラマは普段と違った固く冷えた声でワイトピートに問う。

 

「なぜ僕らを助けた?」

 

「なぜって、人を助けるのに理由がいるかね?」

 

「……………」

 

 あまりに白々しい台詞(セリフ)

 この件について、この男と問答しても無駄だとクラマは判断した。

 沈黙したクラマに代わって、ワイトピートは傍にいるヒウゥース配下の男に向かって声をかけた。

 

「きみは確かヒウゥースのところの……ガーブ君だったかな? いい面構えをしている……きみのような部下を持つヒウゥースは幸せだな」

 

「貴様は邪教の徒か。まだ生きていたとはな」

 

 フレンドリーに接してくるワイトピートをヒウゥース配下の男……ガーブは警戒する。

 ガーブは察していた。たとえ片手の先を失っていても、目の前の男は自分よりも強者であると。

 

 いきなり現れておきながら、圧倒的な存在感で場の主導権を一手に握ったワイトピート。

 彼は緊張をほぐすように笑いながら他の2人に話しかける。

 

「ふふ……そう警戒しないでくれたまえ。私は君たちと仲良くしたいのだから」

 

「仲良くだと?」

 

 聞き返すガーブ。

 ワイトピートは待ってましたとばかりに揚々と答えた。

 

「そうとも! こんなところでいがみ合ってどうするのかね!? 我々はこの地に蔓延る危険な生物から身を守り、地上へと帰還するために力を合わせる必要がある! ……そうではないかね、諸君?」

 

 うさんくさい。

 非常にうさんくさいが、言っている内容は正論だった。

 ただしガーブにとっては、実のある提案ではない。

 彼の目的は生きて帰ることではなく、クラマを始末することなのだから。

 ガーブがこの提案に乗る理由はない。が……

 

「そうだね。あんたは信用できないが、協力するのには賛成だ」

 

 クラマの回答。

 これによって、ガーブがクラマに攻撃を仕掛けることができなくなってしまった。

 ワイトピートが協力者を求めている以上、それに協力する意思表示を示したクラマは一時的とはいえ仲間となる。

 今、この場でクラマと敵対すれば、同時にワイトピートも敵になる。

 そうなっては勝機はない。

 

「……くっ」

 

 ガーブは断腸の思いで首を縦に振った。

 

「いいだろう、身の安全を確保するまでは協力しよう」

 

 もちろんこのような口約束に強制力などない。

 機会があれば反故にしてクラマを仕留める。

 そういう腹づもりである。

 皆それぞれに思惑を抱えながらも、ここに3人の男たちによる即席のパーティーが結成された。

 

「うむ、うまく話がまとまったようで私は嬉しい! それではいざ行かん! 我々の希望に満ちた明日へ!」

 

 ツッコミはない。

 ひとりテンションを空回らせるワイトピートについていく形で、男たちは緑の谷底を歩きだした。

 

 

 

 妙なハイテンションと読めない腹の内はともかくとして、協力者として見たワイトピートは、この上なく頼りになる存在であった。

 

 ワイトピートの指示によって、クラマ達は危険な生物を撃退しながら谷底を進んでいく。

 跳躍から押し潰そうとしてくる平らな甲虫は、クラマの槍を地面に突き立てて止め、ガーブとワイトピートが腹を斬り裂いて倒した。

 大きな鉈を頭上に構える四角い箱のような昆虫は、クラマとガーブが左右に踏み込んで鉈を振らせたところを、ワイトピートが正面から真っ二つに斬り裂いた。

 花に擬態した頭部を地中から出して口を広げるワームは、クラマの銀の鞭を垂らして咥え込んだところを、全員で引いて釣り上げた。

 

「フィーッシュ! いいぞいいぞぉー! やるじゃないか諸君、こいつは大物だ!」

 

 ワイトピートは釣り上げた虫を素早く仕留めて捌くと、切り身を四角い容器に詰め込んだ。

 

「迂闊に触れてはいかんよ、こいつは毒持ちなのでね」

 

 そうしてワイトピートはしばらく進んだところで咲いていた白い花に、剣の切っ先でちょいちょいと触れた。

 すると、ぴゅぴゅっと白い液体が花弁から吐き出された!

 

「おっと、気をつけたまえ。この花は触れると白い毒液を吐き出す。……が、この毒は先ほど倒した毒虫の中和剤にもなる。こうして漬ければ……はむっ、むぐ……ううむ、ピリッとして旨いっ!」

 

 地下ダンジョンの隠れた美食に舌鼓を打つワイトピート。

 彼はクラマとガーブにも切り身を手渡した。

 2人は警戒しながら受け取る。

 が、事ここに至って「どういうことだ」とか「大丈夫なのか」だとか、いちいち問い質そうとはしなかった。

 

 戦闘ではこのフロアに出現する昆虫たちの習性・弱点を把握し、的確に指示を投げる。

 また、 植物の生態についても詳しく、ダンジョン地下5階に不慣れで不安なクラマ達を、明るく飄々と導く。

 2人とも思うところはあれど、ワイトピートのリーダーとしての資質は疑いようがなかった。

 

「フフフ……実は前々から、ここにはよく出入りしていてね。さすがにこの下には数えるほどしか行っていないが」

 

「知ってるよ。捕らえた冒険者に、ここの虫の卵を植え付けたりしてただろう」

 

 クラマの冷たい声。

 地下4階で見たワイトピートの“展示室”に記載されていた事だ。

 

「ハッハッ、さて何のことかな?」

 

 にこやかな笑顔でとぼけるワイトピート。

 クラマも深くは追求せず、白い液体をつけた虫の切り身を頬張った。

 舌に触れるとぴりぴりする。

 それを無視して一気に頬張ると、すーっとした爽やかな香りが口内に広がった!

 食感は柔らかくて歯ごたえのあるキノコに近く、噛むとじわりと甘みが滲み出る。

 あまり舌に馴染みのない独特の味だが……

 

「うまい!」

 

「む……悪くない」

 

 まさか調理なしでもこれほど美味しいものがダンジョンに眠っているとは……と、クラマは深い感銘を受けた。

 

 

> クラマ 心量:45 → 58(+13)

 

 

 2人の反応にワイトピートもにっこりと顔を綻ばせる。

 

「そうだろう、そうだろうとも! こんな地下にいては楽しみがないからね! 試行錯誤して研究したのさ!」

 

 毒虫を生で食べる方法など、どのように研究したかは訊かない。

 訊く必要がない。

 余計な疑問は省いて3人はその場で休息をとり、それぞれ空腹を満たして心身の疲れを癒やした。

 

 

 

 それから再出発して、しばし進んだところで。

 

「この先の坂を登れば戻れるはずだ」

 

 振り向いたワイトピートが後ろの2人に向けてそう言った。

 

「名残惜しいが仕方がないな。フフ……もう少しきみらと組んで冒険をしてみたかった……が………」

 

 わずかな安堵とともに一同がその坂を見上げると……

 そこには巨大な羽虫の群れが。

 現れた3人の男へ、数十個の複眼が一斉に向けられた。

 

「……逃げるぞ」

 

 ぼそりと呟くワイトピート。

 後ろの2人は返事を返さない。

 ただ一目散にきびすを返して駆け出した!

 

 背後からは薄い(はね)を高速振動させる飛翔音。

 蠅の羽音を数倍に大きくしたそれが、津波のように迫ってくる……!

 その音に掻き消されないよう大声でワイトピートが叫ぶ。

 

「捕まるなよ! 奴らは針を刺し、獲物の体に卵を産みつける!」

 

 谷底を駆け抜ける一同。

 一匹や二匹ならともかく、剣や槍では大量の敵を相手にはできない。

 逃げるクラマ達だが、羽虫の大群は諦めるそぶりを見せずに追ってくる。

 

「く……!」

 

 やがて最後尾を走るクラマが追いつかれる。

 その背に突き立てようと、羽虫が尻と口から産卵管を突き出す!

 

「ぬぅあっ!」

 

 白刃一閃。

 ガーブの剣がクラマに迫った産卵管を切り落とす!

 

「走れ!」

 

 クラマに向かって叫ぶガーブだが、そのガーブ自身の背にも別の羽虫が迫る!

 クラマは黒槍で羽虫を薙ぎ払う!

 

「はあぁっ!」

 

 中空に散らばる羽虫の欠片。

 が、これで危機を脱したわけではない。

 むしろ足を止めたおかげで羽虫に囲まれ、より窮地に追い込まれた。

 互いに背中を合わせるようにして羽虫を牽制するクラマとガーブ。

 羽虫はどんどん追いついて数を増やしてくる。

 このままではジリ貧だ。

 そこへワイトピートの指示が飛ぶ。

 

「こっちだ、突っ切って来い!」

 

 羽虫を切り払いながら退路を示すワイトピートに従い、2人は手にした武器を振るって道を切り開いて走った。

 ワイトピートの指示する場所に辿り着く。

 そこには地面に人が通れるくらいの穴が。

 ……迷っている暇はない。

 クラマは真っ暗な穴の中へと、その身を投げ出した。

 



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B6F - 幻想復する魔窟
第63話


 クラマが目を開けるとそこは洞窟だった。

 湿った土の地面と壁。

 天井は見上げるほどに高い。

 そして、ところどころに露出している七色に輝く岩石が、暗い洞窟の中に最低限の視界を提供していた。

 

 羽虫の群れから逃げて穴に入ったクラマは、そのまま滑り台のようにここまで降りてきた。

 クラマは自分が出てきた穴を見るが、塞がれてしまって戻れそうになかった。

 後から降りてきたワイトピートが、土のついたズボンをはたきながら言う。

 

「ふぅー、参った参った。ここまで来てしまうとはね……いや面倒なことになったものだ」

 

 すぐ傍にはガーブもいる。

 クラマはワイトピートに尋ねた。

 

「ここがどこか知ってるのか」

 

「うむ、知っているとも! ここは地下6階……このダンジョンの最下層だ」

 

「最下層……ここが」

 

 思ったよりも最下層が近くてクラマは驚いた。

 それと、思ったよりも最下層が普通の洞窟だった事も。

 

「まあ、普通の4人パーティーでは、なかなかここには来られまい。あんな罠にしか見えない穴に入ろうなどと、考える者はいないからな」

 

「それは確かに……」

 

「よしんばこの場所を見つけたとしても、地上へ戻ることはできんからな。ここが最下層だという情報が出回ることはない」

 

「……戻れないのか?」

 

「おっと、安心したまえ。ちゃんと戻るための道はある。戻れない理由は他にあって……ま、今の我々には関係ない」

 

 いまいち要領を得ないが、とりあえず戻れるということでクラマは安心した。

 ワイトピートはそこで意味深な視線をガーブに向ける。

 

「もっとも、私よりも彼の方が詳しいだろうが」

 

「……そうなの?」

 

 クラマは尋ねるが、ガーブは無言。

 代わりにワイトピートが答える。

 

「いや、地下5階で苦戦していたようだからな……。もしかしてきみは、以前の探索には参加していなかったのかな?」

 

「以前の探索? どういうことだ」

 

 またしても意味深な言葉が飛び出し、クラマはワイトピートに問う。

 クラマに聞かれたワイトピートは事もなげに答えた。

 

「ああ、ヒウゥースは既にこのダンジョンを踏破している」

 

「……そうだったのか」

 

 クラマはガーブを見る。

 彼はじっと黙しており、ワイトピートの言葉を否定しなかった。

 無言の肯定。

 ワイトピートはそのまま言葉を続ける。

 

「この街に冒険者の誘致を始めるよりも前の事だ。大量の奴隷を投入した人海戦術で、ヒウゥースはこのダンジョンを隅々まで探索し尽くした。フフフ……そう、故にお宝など残っていないのさ、このダンジョンには。……がっかりしたかね?」

 

 がっかりといえばがっかりだが、クラマはこれまでに宝らしい宝がまったく出てこない理由が判明して納得した。

 お宝どころか、地下3階や地下4階は書棚の隅まで空っぽだったのだ。

 金に換えられそうなものは、何もかも持ち運ばれた後だったのである。

 ……そこでガーブがようやく口を開いた。

 

「以前の探索に参加した者は、ほとんど生き残っていない。俺は探索記録に目を通しただけだ」

 

「ハハハ、ヒウゥースはさぞがっかりした事だろう! 己の財産である奴隷の大半を失ってまで暴きだしたものが、利用価値のない危険なだけの猛獣小屋とは! とんでもない大赤字に、鼻血が出ただろうな!」

 

 さも愉快そうに笑うワイトピート。

 しかしすぐに姿勢を正して、クラマに向き直る。

 

「フッ……しかしそこはさすがと言ったところか。中身のないダンジョンを使って、大国を相手に新たな奴隷市場を開拓するとはね。抜け目がないというか……まったく、転んでもただでは起きない男だ」

 

「地球人を召喚して四大国に売るのは、最初から計画されてたんじゃなかったのか」

 

「ほう、そこまで知っていたかね。そうとも、本来はヒウゥース自身がダンジョンを踏破し、その恩恵を持ち帰る予定だった。あの魔導帝国を建国した、伝説の冒険者のように」

 

 この世界における最大の国力を誇る、魔導帝国イウシ・テノーネ。

 その興りは、地球単位でおよそ300年ほど前にダンジョンを踏破した男が、それにより持ち帰った莫大な利益によるものである。

 ……という話をかつて耳にしたのを、クラマは思い出していた。

 ということは、ヒウゥースの目的というのは――

 

「いつまで話し込むつもりだ。さっさと出口に行くぞ」

 

 と、話を切り上げて歩きだすガーブ。

 ワイトピートはクラマに肩をすくめてみせた。

 先頭をきって歩きだしたガーブだが、数歩踏み出したところで、目の前にいるものに気付いてその足を止めた。

 

「ヴルルルルルル……」

 

 岩の裏から現れたのは黒い犬。

 しかし普通の犬ではなかった。

 頭部が3つ。

 いずれも瞳には獰猛な狂気を湛えており、その視線は一斉に目の前の獲物――ガーブに向けられた。

 

「ヴルッ! グルオォォォォッ!!」

 

 吠えたて、口の端からよだれをこぼしながら、三頭一身の犬はガーブに跳びかかった!

 

「ちいっ!」

 

 ガーブは剣を抜いて突く!

 突き出された剣は黒犬の頭のひとつを貫いた。

 脳天を貫かれた頭はぴたりと停止する。が、残る2頭は止まらない。

 頭のひとつが、ガーブのふくらはぎに喰らいついた!

 

「ぐあぁっ!」

 

 ガーブの苦悶の声。

 すかさず横から詰め寄ったワイトピートが、黒犬の胴をサーベルで刺し貫く!

 しかし痛みを感じていないのか、黒犬は怯まない。

 ガーブの足に食いついたまま暴れ続ける黒犬に、ワイトピートは背中から飛び乗り、その残った双頭を両脇に抱えて締め上げた!

 

「ふんっ……ぬううおおおおっ!!」

 

 力の限り、ぎりぎりと黒犬の首を絞めつける。

 狂ったように暴れ、もがいていた黒犬だが……やがて口から泡を噴いて、力を失い倒れた。

 ワイトピートは腕についた毛をポンポンとはたき落としつつ立ち上がる。

 

「フゥーーーーッ……突然出てくるとは心臓に悪い。……噛まれた足は大丈夫かね?」

 

 ガーブはズボンをまくり上げて、噛まれたふくらはぎを露出させる。

 そこには牙による大きな穴が開いていた。

 

「ぐうぅ……」

 

 ガーブは包帯を取り出して自らの足に巻く。

 その悲痛な表情を見るに、お世辞にも大丈夫とは言い難い様子だった。

 足の負傷は探索にあたって致命的だ。

 戦闘に参加できないだけでなく、移動するだけで常に誰かひとりの労力を奪う。

 それが分かっているからこその、ガーブの悲痛な表情。

 仲間であれば、負傷した者を支える労力は惜しまない。

 しかし彼らは違う。

 ただの一時的な協力関係に過ぎず……むしろ根本的には敵だ。

 

「……………………」

 

 包帯を巻き終えたガーブは深く息を吐き、沈黙した。

 この包帯にも意味はない。

 彼はここでリタイアするのだから。

 

 ガーブは諦念を湛えた顔を上げる。

 ……するとクラマはその腕をとって自分の肩に乗せ、背中に手を回してかつぎ上げた。

 

「よっこいしょっと」

 

「な……なんだ? 何をする!?」

 

 自分を起こすクラマの意図が分からず困惑するガーブ。

 クラマはそれに微笑みながら答えた。

 

「まあまあ、遠慮しないで。困った時はお互い様だよ」

 

「ッ……!」

 

 笑顔を浮かべるクラマに、ガーブは何も言えなかった。

 ワイトピートは楽しげに口を開く。

 

「うむ、良い心構えだ! そうとも! こんな時だからこそ、我々は協力し合わなければな!」

 

「アンタは声が大きすぎるから、黙って先導してもらえないかな」

 

「フハッ、これはしたり。それでは行くとしようか」

 

 そうしてクラマがガーブに肩を貸し、ワイトピートの先導によって彼らは出口に向けて歩きだした。

 



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第64話

 一体三頭の黒犬を撃退したクラマ達。

 負傷したガーブの手当てを行い、洞窟から脱出するべく歩みを進めた3人の男たち。

 彼らは次に、鳥の上半身と獣の下半身を持つ怪物と遭遇した。

 

「クワアアァァァァァァァッ!!!」

 

 洞窟内の空気を引き裂くかのような甲高い鳴き声!

 異形の怪物は大きく翼を広げて威嚇しながら、クラマ達に襲いかかった!

 クラマの倍近くある巨体。

 そこから繰り出されるクチバシの突きは、爆撃のように地を穿ち土砂を巻き上げる!

 さらに巨大で禍々しい鉤爪は、一振りで壁面を大きく削り取った。

 

「近づけないでしょこれ! どうすんの!?」

 

 クラマが叫ぶ。

 槍で突こうにも、前足の鉤爪が危ない。

 間合いに入った時点で槍ごと吹き飛ばされる未来がクラマの脳裏に浮かぶ。

 クラマと同じく間合いの外から様子を窺うワイトピート。

 ワイトピートは周囲の状況に視線を巡らせ、その頭脳は怪物を倒す青写真を描く。

 

「うーむ、5秒ほど奴の動きを止められないかね?」

 

「止めろったって……!」

 

 こんな怪物の間合いには入れない。

 現在の装備で最も射程の長い武器は……鞭だ。

 クラマは鞭の柄を握る。

 だが自分の方に向かって来る相手に鞭を絡めたところで、止めることはできない。

 鞭で止めるなら、自分以外の者が狙われている時だ。

 

「………………」

 

 クラマは足音をたてないように敵の視界の外に移動した。

 そこで敵の鳥獣が標的に定めたのは……

 

「クアアァァァァァ!!!」

 

 離れた位置で柱に手をついて立っていたガーブだった。

 

「うおおおおおおおおっ!?」

 

 地響きをたてて突進、そこからのクチバシ突き!

 ガーブは咄嗟に剣を構えて防いだ。

 が、突進の勢いは殺せず、地面に押し倒されたガーブ。

 すんでのところで横にした剣をクチバシに挟んで押し留めているが、それが精一杯だった。

 動けないガーブに鳥獣は前足を上げて、鉤爪の攻撃に移る!

 

 その上げた前足に絡まる銀の鞭。

 

「……クァ?」

 

「くおおおおぉぉなんてパワーだこいつ……!」

 

 前足が振り下ろされないよう、クラマは必死に綱引きをする。

 しかし鳥獣の前足は想像以上のパワー。

 ほんの少しでも力を緩めると振り回されそうなところを、クラマは必死に力を込めて踏ん張る!

 

「おいーっ! まだかーっ!」

 

「オッケーだ諸君! 素晴らしい足止めだった!」

 

 賛辞の声は上空から。

 そこには壁を蹴って駆け上がったワイトピートが、落下してきていた!

 ワイトピートは高所から降下しながら、サーベルを一閃!

 銀の刀身は鳥獣の首を一刀両断した。

 転がる頭部。盛大に噴き出す血液。

 真っ赤な血が、地面とガーブの体を汚していく。

 クラマはすぐさまガーブに駆け寄った。

 

「大丈夫か!?」

 

「ああ……なんとかな」

 

 ガーブは体の上に乗った鳥の頭部を地面に放ると、よろけながらもひとりで立ち上がった。

 なんとか協力して怪物を倒した一同。

 クラマは鳥獣の足から銀の鞭を解きながら、ワイトピートに尋ねる。

 

「出口はまだ先なの? こんなのばっかり出てきたら、きついんだけど」

 

 クラマの問いに、ワイトピートはサーベルを鞘に納めながら答えた。

 

「うーむ、ここからだと先は長いな。しかし根を上げるのはまだ早いぞ! まだまだ序の口だからね……このグリフォンや、先ほどのケルベロスなどは」

 

「……え?」

 

 言われてクラマは倒れた怪物を見る。

 鷲の上半身と翼、そしてライオンの下半身。

 たしかに伝説上の怪物、グリフォンの特徴そのままだった。

 

「なんで……」

 

「どうかしたかね?」

 

「あ、ああ……いや……」

 

 釈然としない思いを抱えたまま、クラマはワイトピートの後について歩きだした。

 

 

 

 

 

 そうして、また少し進んだ頃。

 クラマ達の前に新たな敵が現れた。

 

 前方は獅子、胴部は山羊、そして尻尾は蛇。

 それらがひとつに合わさり、それぞれの頭部を持つ奇怪な四足獣。

 

「……キマイラ」

 

 クラマの口から呟きが漏れた。

 

「ほう! 知っているのかね」

 

「まあ、ね」

 

「ならば話は早い! 奴は強いぞ! 特に口から吐き出す火炎に気をつけたまえ!」

 

 ワイトピートの言葉に申し合わせたように、獅子頭が大きく口を開いて火の玉を吐き出した!

 クラマは飛んできた火球を回避。

 地面に当たった火球はジュワッと水分を蒸発させて、熱気と湯気を周囲に拡散させる。

 相当な熱量だった。

 こんなものを人間が受けたらひとたまりもない。

 軽く触れただけでも致命傷になるだろう。

 

 クラマとワイトピートはキマイラの突進を避けつつ、回り込みながら攻めの機会を窺うが……獅子の頭部と同じく口から火を吐く山羊と蛇が邪魔で、なかなか有効な攻撃を与えることができない。

 そうした立ち回りを続けるうち、ついにキマイラが吐いた火球がワイトピートを捉える!

 

「むうっ……!?」

 

 ワイトピートは避けられないと知るや、咄嗟にサーベルを突き出した!

 

 ジュワァッ!!

 

 蒸発音。

 少し遅れて広がる、鉄の焼ける溶接の匂い。

 ワイトピートは無事……だが、火球を受け止めた刀身は、跡形もなく熔け落ちてしまった。

 

「ぬかった、これはいかん!」

 

 緊急事態――!

 ここにきて、最大の武器を失う。

 その瞬間、クラマは半ば反射的に唱えていた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ! ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ……!」

 

 もはや出し惜しみしている余裕はない。

 怪物も詠唱時の魔力波を感知するのか、キマイラはワイトピートからクラマに振り返り、標的を変えてくる。

 喉奥の火球を見せつけるかのように3つの口腔を広げ、クラマに跳びかかる!

 対するクラマは陳情句を省いて一気に詠唱を完了した!

 

「ジャガーノート!!」

 

 

> クラマ 心量:58 → 33(-25)

 

 

 ベルトの黒い炎が輝く。

 駆け巡るアドレナリン。

 心筋収縮力上昇。

 血流増大。

 気道拡張。

 運動機能向上。

 筋肉のリミッター解除。

 

 クラマは燃えるような熱が湧き出てくるのを感じる。

 体の内側に大量の燃料を投じられ、加速する肉体をクラマは操作する。

 

 クラマは眼前の怪物を見据える。

 3つの口から撃ち出される火球!

 その軌道を見切ったクラマは、逆に前へと踏み込む!

 火球をかわし、そして続く突進を紙一重ですり抜けたクラマ。

 目前にはがら空きの胴部。

 怪物の背中についた山羊の頭と目が合った。

 クラマはその山羊の頭へと、黒槍の突きを放つ!

 

「おおおぉっ!!」

 

 貫く黒槍!

 並んだ4本の刃は山羊の頭部を完全に破壊した。

 しかし足を止めたクラマに、尻尾の蛇がその顎を広げて食らいつく!

 

「くっ!」

 

 喉元に食いつこうとするそれを、クラマはのけぞって躱した。

 クラマの体勢が崩れる。

 そこへ獅子の前足が体ごと覆い被さり、クラマを押し倒した!

 

「ぐっ、は――!」

 

 相撲取りを超える重量にのしかかられて、クラマの息が詰まる。

 しかし息を整える暇もない。

 クラマの目の前いっぱいに広がる獅子の口――!

 

 それをクラマは両手でキャッチした。

 

 右手で上顎、左手で下顎を掴んで、目の前で閉じようとする口を押し広げるようにして止める。

 ジャガーノートの筋力増強があって初めて可能となる芸当だった。

 

「くぅおおおおおおぉぉぉぉ……!!」

 

 みしり、と自分の手首が嫌な音をたてるのをクラマは聞いた。

 そこでさらにもっと嫌なものを見る。

 それは、獅子の喉奥へと徐々に溜まっていく炎の渦。

 

「……!」

 

 クラマはバタンと獅子の口を閉じた!

 そして今度は逆に口が開かぬよう、両手で上下から挟み込んでホールドする。

 

 暴れ回る獅子の頭と前足。

 しかしクラマも離すわけにはいかない。

 獣の前足が自分の体を蹴るのに耐えて、必死で獅子の頭を掴む。

 そのクラマの目の端に、不吉なものが見えた。

 

「うっ……!?」

 

 それは、怪物の後ろから伸びてくる蛇の頭。

 今、この状態では対処できない。

 無防備なクラマに蛇の頭が忍び寄り……

 

 ダンッ! と投じられた剣が、蛇の体を貫き地面に張り付けにした。

 

「――ガーブ!」

 

 剣を投げたのはガーブ。

 その機、勝利への道筋をワイトピートは逃さない!

 

「いよォし! でかした!」

 

 即座に駆けるワイトピート。

 地面に突き立った剣を引き抜いたワイトピートは、蛇の体を両断!

 さらに続けて獅子の首を貫いた!

 

「ギャオオオオオオオオォォッ!!」

 

 首を貫かれた怪物は、恐ろしい力を発揮してクラマの拘束を振り切ると、咆哮をあげて暴れ狂った!

 ワイトピートはすかさずその背に乗り上げた。

 そして首元に刺さった剣をひねり込む!

 

「ガ……ア……ッ!」

 

 ギヂィッ! と音をたてて獅子の首は切断され……ついに怪物は倒れた。

 動きを止めた怪物に、おそるおそるガーブは近付いて訊く。

 

「……やったのか?」

 

「はは、いや倒せるものだな。3つに合わさった獣より、息の合った3人の連携が勝利を掴む! ……といったところかな?」

 

「………………はぁ……」

 

 クラマは答えず、大きく息を吐いて呼吸を整えた。

 しかしながらワイトピートの言の通り、こと戦闘において、ここにいる3人の息が合っているというのは、たいへん遺憾ではあったがクラマも感じていた。

 イエニアとの連携のような練習して詰めた一体感とは違って、それぞれが素早く、そして明瞭に判断を下して行動する流れ。

 連携するというよりは勝手に連携になる、奇妙な信頼感があった。

 

「うーむ、しかし消耗が激しいな。長居はしたくないが仕方がない……このあたりで小休止としようか」

 

 ワイトピートの提案を受けて、3人はしばし体を休めることにした。

 

 

 

 

 

 安全な場所というものはなかったが、クラマ達はひとまず大きな岩の陰に身を隠した。

 ワイトピートは岩を背に座るクラマとガーブに、懐から取り出した水色の葉を差し出す。

 

「地下5階で採れる葉だ。これで水分補給しておきたまえ」

 

 クラマは受け取った葉を見る。

 大きな舌のような、ぷりっとした肉付きのいい葉だった。

 

「私は先の道を少し確認しておこう。何かあったら大声で呼んでくれ。すぐに駆けつける」

 

 そう言い残すと、ワイトピートの背中は暗い洞窟の奥へと消えていった。

 残されたクラマとガーブのふたり。

 

「…………………………」

 

 気まずい静寂。

 距離を保って座る両者の間に、なんともいえない微妙な空気が流れている。

 手持ちぶさたのクラマは、とりあえず手にした葉を齧った。

 

 シャクッ!

 

「……!」

 

 歯を入れた途端に、口の中にジュワーッと広がる甘みのある水分!

 そしてサクサクと軽い食感。

 クラマとしてはスナック菓子を思い出す感覚だった。

 あまりの食べやすさに手と口が止まらない!

 

「こ、これはうまい!」

 

 

> クラマ 心量:33 → 39(+6)

 

 

 夢中になってシャクシャク食べるクラマを見て、ガーブも手にした葉に口をつける。

 

 シャクッ!

 

「む……!」

 

 ガーブも思わず唸って目を見張る。

 その反応に気付いたクラマ。

 互いに目が合う。

 クラマはふにゃっと崩れたような、気の抜けた笑顔を返した。

 

「……ち」

 

 ガーブは隠れて小さく舌打ちをした。

 そして気まずげに目をそらす。

 

 

「ありがとう」

 

 

 前触れのない突然の言葉。

 ガーブは我知らず、一度外した視線をクラマに戻していた。

 

「……何がだ」

 

「いやあ、2回も……さっきのを入れれば3回も助けてもらったからさ。……いい人だよね」

 

 ガーブは今度こそはっきりと聞こえる舌打ちをした。

 

「ちぃっ……! 俺がいい人だと? そんなわけがあるか」

 

 彼は顔を歪めて、吐き捨てるように言った。

 

「俺はこれまで、数えきれないほどの罪なき者を捕まえ、従わなければ手にかけてきた。俺が捕えた者は奴隷に仕立てられ、売り払われると知りながらな。そこには正義も大義もない。ただ、ヒウゥース様の利益……それだけのために」

 

 ガーブは自虐し、己の手のひらを見つめる。

 彼の目には、洗っても落ちない穢れがその手に染みついているように見えるのか。

 少なくともクラマには、そのような汚れは見えなかったが。

 

「いや……いい人だよ、やっぱり。自分の悪いところを批判するのは、そこに良心があるからなんだよね。悪いことを悪いと感じるのは、良心がある証拠だ」

 

「前提がおかしいだろう、それは。どんな人間でも多かれ少なかれ良心は存在する。それを無視するか、しないかの違いがあるだけだ。良心を持っていれば善人……などという理屈が通るなら、この世に悪人は存在しなくなる」

 

「はは、そうだね」

 

 クラマは笑った。

 いつも通りに、朗らかに。

 

 ガーブはその笑顔から目をそらして、己の考えを語る。

 

「ふん……しかし根本的には善人も悪人も存在しないというのは、その通りだ。善悪として語られるものの正体は、利害と思想の対立。そこにそれぞれが、自身の所属する側を“善”として……対立する側を“悪”と呼称しているに過ぎん」

 

 そう語るガーブは、虚空を鋭く睨み据えていた。

 達観したガーブの善悪論。

 絶対的な善……または悪など存在しない。

 道徳すらも数ある思想のひとつと見なす、非常に俯瞰的なものの見方であった。

 

「そうだね、確かにそれは間違いないと思う」

 

 クラマもそのガーブの考えに同意する。

 しかし彼の理屈が正しいと認めた上で、言った。

 

「でもさぁ、僕は……べつに“世界中のみんなが善人だ”って事にしてもいいと思うんだよね」

 

「……………………」

 

 ガーブはクラマを見た。

 クラマの様子は何も特別なことはない。

 茶化すでもなく、憤るでもなく、ただただ自然体だった。

 ……それがなぜ寂しそうに見えたのかは、ガーブにも分からない。

 

「……まるで花畑にでも住んでいるかのようだ。そんなに平和なのか、地球という所は」

 

「あはは、平和かと言われれば平和だね。僕の住んでた国は特に」

 

「お前の国に奴隷はいなかったのか?」

 

「んー……労働環境向上の目的で一般労働者を『奴隷』と比喩表現する事はあるけど……」

 

 本来、奴隷とは古来の身分制度における階級のひとつである。

 ――身分制度。

 そう、奴隷とは法律で定められた合法的な存在なのである!

 しかしいつしか、奴隷制度によらない非合法の「人身売買による強制労働者」――要するに「奴隷扱いされている者」も、一緒くたに奴隷と呼ばれ、混同されるようになった。

 

 西暦1862年、リンカーン大統領が有名な『奴隷解放宣言』を発した。

 それを端緒として、世界各国で奴隷制度の撤廃が進められた。

 現代においても正式に奴隷制度を採用している国家というのは……クラマの記憶にはなかった。

 

「僕らの世界じゃ奴隷はいない、っていうことになってるね、一応」

 

 奴隷と人身売買はイコールではないが、事実上の奴隷売買と呼べるものは世界中のいたるところで行われているのを、クラマは現職の大臣である父の口から聞いている。

 そんなクラマが言外に匂わせた含みを、ガーブは敏感に感じ取った。

 

「ふん……どこの世界も同じか。俺はな、3ロイ前までは奴隷だった」

 

 1ロイは地球単位で3年ちょっと。

 3ロイでおよそ10年だ。

 

「お前は奴隷に対して、どういったものをイメージしている?」

 

「えー? うぅーん……人権がなくて道具扱いされる人、かなぁ」

 

「ジンケン? ジンケンとは何だ?」

 

「あ、ええっとー……」

 

 世界史上で人権思想が流行したのは、わりと近代に入ってからだったことをクラマは思い出した。

 そして説明しようとしたところでクラマは、人権という言葉を聞いたこともない人に対して、この多岐に渡る概念を短い言葉で言い表すことが困難であることに気がついた。

 

「……人が生まれながらに持ってる権利……かな?」

 

 結果、口から出てきた答えはサクラに毛が生えたレベルであった。

 悲しみと恥じらいに縮こまるクラマに気付いているのかいないのか、ガーブは真剣な空気を崩さす話を続ける。

 

「権利がない、か……帝国の奴隷法は逆だ。奴隷の所有者が購入した奴隷に対して、就労を強制する権利を持つ」

 

「……それだけ?」

 

「ああ、それだけだ。法規上はな」

 

「大雑把すぎない、それ? 抜け道いくらでもありそう」

 

 ガーブは鼻で笑って頷いた。

 

「ふん、その通りだ。わざと解釈を広げられるように作ったんだろう。使用者が『こういう仕事だ』と言えば実際のところ何でもありだった。お前たち奴隷は死ぬことも仕事だと……まったく笑わせる」

 

 大きな火傷痕が残るガーブの顔が、クラマの目に入った。

 

「まあ、実際はそんな劣悪な扱いを受けることは稀だ。暮らしぶりに余裕のある者ほど、第八次元(サ・ディウェ)が穢れることを嫌う」

 

第八次元(サ・ディウェ)……たしか……魂に刻まれる業の記憶……だっけ」

 

 第八次元サ・ディウェ。

 クラマは以前に少しだけパフィーに説明されていた事だが、この世界では人の魂は輪廻転生を繰り返し、その行いが転生後も魂に記録されている。

 ただし転生以前の記憶を引き継がないため、神の教えに従って清く正しく生きるかどうかは、人それぞれ……ということだった。

 

「ああ。だが俺はそこまで運が良くないらしくてな……俺を買った女は、自分の目の前で奴隷同士に殴り合いをさせるのを至上の趣味としていた」

 

「うへえ。そりゃーキッツイね」

 

「しかも一方が完全に壊れるまで止めるのを許さず……逆らう者には苛烈な制裁を下していた」

 

 そう言いながら、ガーブは自分の顔についた火傷の痕を人差し指でなぞった。

 

「逆らったんだ」

 

「……倒れて動けない相手を壊すことに、意義を見出せなかっただけだ。だが、今思えば……あの女は奴隷が反抗するのを待っていたのだろう。殴り合いの観戦よりも、俺の顔に薬品を垂らしている時の方が明らかに活き活きとしていた」

 

「歪んでるなあ。どうしてそんなヒドいことして平気なんだろう」

 

「さてな。むしろ平気ではないから、やるんじゃないか? 奴は体に不具を抱えていた。そして殴り合いで壊され、体の一部が使い物にならなくなった奴隷に対して……奴は優しかった。おそらく、奴にとって加害とは、他人に優しくするために必要な儀式だったのだろう」

 

「ナルホドね。優しくするために傷つける、っていうのは屈折の極みって感じだけど……傷つけた後に優しくするのは罪悪感から来る反動もありそうだね」

 

「想像でしかないがな。やっていることはクズでしかない。俺はあの女を擁護するつもりはさらさらないが……こんな奴でも、お前の理屈で言えば“いい人”になるんだろうな」

 

 皮肉混じりの目を向けるガーブ。

 クラマも何とも言えない苦笑で返した。

 

 そしてクラマは思った。

 ――ああ、この人は本当に向いてないんだなあ。……と。

 

 善悪の所在を否定しながらも、悪行を忌み嫌い、手の汚れた自分を責める。

 せめて先ほど話で出てきた女性のように、倒錯的な享楽としてしまえば、いくぶん楽になるものを。

 彼はあまりに真面目で、潔癖すぎる。

 それ故に――クラマは、彼に好感を抱いた。

 

 クラマはガーブの剣に目を向けた。

 あぐらをかいて地面に座る彼は、鞘に納めた剣を抱きかかえるように自分の肩へ立てかけている。

 

「その女も、もっと大きなクズに飲み込まれてしまったがな。帝国では力を大きくして目立った振る舞いをすると、理由をつけて皇帝に財産を没収される事がままある。結局、その時まで不具にならず、五体満足でいられた奴隷は俺だけだった」

 

 魔導帝国の皇帝については、レイフからもいくらか話を聞いていた。

 これまでの話を聞く限りでは、相当な暴君というイメージをクラマは抱いている。

 

「そこで俺はヒウゥース様に買い上げられたが……ヒウゥース様は帝国の貴族連中と違って、奴隷だからといって区別をしなかった。そして奴隷の中で能力のある者は、その借金を肩代わりして一般市民へと身分を引き上げ、直属の配下に取り立てた。……ヒウゥース様は『投資だ』と言っていたが」

 

「へぇえー……なぁるほどねぇー」

 

 投資。

 成程いかにもこれは商売人のヒウゥースらしい考え方であった。

 同時にクラマは、彼らのヒウゥースへの忠誠心の高さに納得した。

 金で忠誠を買えるものなら、遠慮なく買う。

 合理的な話だった。

 

 クラマが驚いたのは、ヒウゥースがそれを包み隠さないところだ。

 自らが“悪”であることを隠さず、そんな悪人の自分について来いという露悪的な振る舞い、スタンス。

 ……政治の世界では、稀にそうした人物が出てくる。

 経営者でありながら評議会議長という、政治のトップにも立つヒウゥースの政治力にも、ようやく合点がいった。

 

 しかし目の前のガーブを見るに、こうして忠誠を植え付けられても、生まれ持った良心――心の性質はどうにもならないということでもあった。

 

「……お前は俺が“いい人”だと言ったな」

 

 洞窟を覆う薄闇を隔てて、ガーブはクラマを鋭く見据えている。

 

「だが、俺にとっては上の樹海で死んだ部下達の方が、俺なんかよりも遥かにいい奴らだった。鋼刃の葉で切断されたディペハーは、普段は大人しい男だが、仲間が困っている時はいの一番に声をあげて手を貸す男だった。食人樹に喰われたウーリネは、酒癖も女癖も悪かったが、誰よりも新人の訓練に熱心だった。若い連中は生き残るために、まず最初に盾の扱いから覚えるべきだ……と提案したのもあいつだ」

 

 ガーブは語る。

 喪った仲間との思い出を。

 クラマは相づちもせず、頷きもせず……ただ、聴いた。

 

「恨み言を云うつもりはない。お前にも事情があるのは分かっている。だが、俺は……俺を信じてついて来た俺の部下の死を、無意味なものにする事はできん」

 

 これは決意表明。

 長々と自らの過去や、胸の内を語ったのは、ただこの一言を告げるために必要な前振りだった。

 

「クラマ=ヒロ。ここを出たら俺と戦え」

 

 そして、クラマもそれに応える。

 

「いいよ。上でどっちの仲間が残ってても、手出しはさせない。……それでいいかな?」

 

「ああ、それでいい」

 

 それで、話は終わった。

 初めから相容れるはずのなかった2人の男。

 奇妙な巡り合わせによって重なった2つの軌跡は、互いの了承をもって有るべき場所に引き戻された。

 

 もはや語るべき事もない。

 薄闇の洞窟は(せき)として声なし。

 しめやかな空気の中で、クラマはふと、思い出したように口を開いて言った。

 

「……ああ、そういえば前にヒウゥースが献身に報いるタイプじゃないって言ったけど……あれは嘘だよ。多分、そういう人の気持ちを大事にするタイプだと思う」

 

「誰にものを言っている。お前よりも俺の方が遥かに詳しい」

 

「あはは、そうだね」

 

 クラマは笑った。

 そして、ガーブの喉元が、ぱっくりと切り裂かれた。

 

 噴き出す鮮血。

 

 ぴっ、とクラマの頬に血がかかる。

 

 およそ10秒近くもの長い時間、開いた喉から血液を迸らせたガーブは、やがて壊れた人形のように力を失い……洞窟の地面にその体を横たえた。

 ぴくりとも動かないガーブ。

 その傍に立つ男がひとり。

 

「やあ、遅くなった。充分に休めたかね?」

 

 片手に小さなナイフを握ったワイトピートはそう言って、ガーブの手に残ったままの血塗れの葉を拾い上げると、しゃくっと歯をたてて齧った。

 

 

> クラマ 心量:39 → 97(+58)

 



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第65話

 つい先程までクラマと会話していたガーブは、今や物言わぬ骸と成り果て、湿った土の上に力なく横たわっている。

 下手人たるワイトピートは、無遠慮にガーブの剣を拾い上げて自らの腰に下げた。

 そうして彼は何事もなかったかのように、「では行こうか」と言って歩き出し――

 

「なぜ殺した」

 

 その背にかけられた言葉。

 ワイトピートは立ち止まり、振り返る。

 彼が目にしたのは、立ち上がって自らを見据えるクラマ。

 事ここに至ってもワイトピートは普段と変わりなく、朗らかに回答した。

 

「なぜってそれは、私の剣が熔けてしまったからさ。負傷して動けない彼にも囮としての役割はあるが、さすがに私が剣を持った方がいいだろう」

 

「……それだけの理由で?」

 

 クラマが続けて訊くと、ワイトピートはかぶりを振って否定する。

 

「いいや、理由は他にもある。きみの心量回復のためさ。……どうだったかね? 協力して危機を乗り越え、親しくなった者が目の前で殺害されるシーンは。今度こそ感想を聞かせて貰いたいのだが」

 

「ああ……」

 

 この男の目論見通り、クラマの心量は急上昇した。

 その演出に、心が揺さぶられたのだ。

 クラマは目の前の男に尋ねる。

 

「どうして、そんなことをして平気なんだ?」

 

 クラマの目から見て、ワイトピートという男の言動には、およそ“良心”と呼べるものが欠落しているように見えた。

 ガーブの話に出てきた嗜虐趣味の女性は、他者を傷つけることで、それを己に投影して自ら心の傷を塞いでいた。

 しかしこの男は違う。

 例の残忍な“展示室”では、そういった加害者の心の傷が投影されるような、嗜虐の法則性がなかった。

 それこそ、単なる思いつきが並べられているような。

 

 ワイトピートが部下2人を殺した時にしてもそうだ。

 殺した後のやたらと淡白な言動からしても、殺し方にこだわりというものが感じられなかった。

 

 “殺す方がいいから殺す”

 

 ワイトピートの振る舞いには、こんな気軽さがあった。

 

「ふむ、答えてはくれないのかね。……まあ、いいさ。どうしてこんなことをして平気なのか、という問いについてだが……平気だから、(・・・・・・)するのではないか?(・・・・・・・・・)

 

「……そうか」

 

 クラマの思った通りの答え。

 人が、する必要のない残虐な行いをする訳は、それが己の内にある昏い傷穴を一時的にせよ塞いでくれるからだ。

 端的に言うなれば、嗜虐という道具を用いた歪んだ治療行為である。

 

 だがワイトピートに、そのような傷はない。

 あえて残酷な行いを選んでいる以上は、そこに自分なりの価値を見出しているのは間違いない。

 しかしそれは彼にとって、何も特別なことではないのだ。

 食事をして腹を満たすのとまったく同じ次元で人を殺傷し、虐げる。

 

 これが“悪人”でなくて何だというのか。

 

 良心を抱かぬ完全な“悪”。

 これがワイトピートという名の怪物の正体である。

 

 

「しかし、きみはどうかね?」

 

 

 ワイトピートの問いかけ。

 その言葉に、クラマの肩がピクリと震えた。

 

「……なにがだ」

 

「私がナイフを持って彼の背後から近付いてきているのは、きみの目からは丸見えだったろう。なぜ彼に警告しなかった? ……いや違うな、フフ……きみはなぜ、私に気付いてから、彼に意味のない話を振った?」

 

「……それは……」

 

「なぜ……私が彼を殺すサポートをしてくれたのかな?」

 

 クラマは硬直した。

 言葉を返せない。

 体を動かすことができず、ワイトピートの青い目から視線を外せない。

 

 心臓が、握られていた。

 

 ……突然、ワイトピートは肩を揺らして笑いだす。

 

「く……くはははは……ははッ……」

 

 もうこらえきれない、これ以上は耐えられないと。

 含み笑いは徐々に広がり……やがて臨界を超えて爆ぜた。

 

「あーはははははははははははははは!!! ふはッ、はは、うあっははははははははははぁあーっ!!!」

 

 ワイトピートという男は、陽気な笑みが特徴の男だった。

 だがこの時の笑いは、これまでに彼が見せてきた笑いとは違っていた。

 今までの作られた笑いとは違う。

 腹の底から湧き上がるに任せた、剥き出しの笑い。

 

 その笑顔は派手な笑い声とは裏腹に――ひどく酷薄で、のっぺりとした能面のようだった。

 

「……なにがおかしい」

 

 クラマは喉奥から言葉を絞り出す。

 

「ああ可笑(おか)しいさ! 傑作だ! では訊こうか……! きみは、どうして私が部下の首を刎ねたとき、転がった首に目を向けずに私から目を逸らさなかった!?」

 

「それは……そうするべき……だろう」

 

「そうとも! 敵の前で目を逸らしてはいけないな! 偉い! ……だが、なぜ眉ひとつ動かさずにそんなことができる!? 人の生き死にに慣れた女騎士でさえ目を細める、残酷な光景に! 平和に暮らしてきた地球人のきみが!? ははっ、まともではないな!」

 

 ワイトピートは問い詰めながら、一歩ずつ、ゆっくりとクラマに近付いてくる。

 クラマはその歩みを拒むかのように、否定の言葉を返す。

 

「僕は……普通の人間だ……」

 

「“それ”がきみの心の拠り所かね? しかし自らが普通の人間だというならば、答えてみたまえ。次の私の問いかけに」

 

 踏み込んでくる。

 クラマへと。

 それは、死を告げる死神のように。

 

「……きみは、恐怖を感じたことがあるか?」

 

「―――――――――――」

 

 これまでの話の流れと、まるで関連のない問いかけ。

 しかしそれが、それこそが……クラマの心臓を貫く致命傷だった。

 

「………………やめろ」

 

 ワイトピートは止まらない。

 

「嘘をついて心が痛んだことは? 傷つき、悲しむ者を見て胸が締め付けられたことは!? 後は、そうさな……複数の異性と関係を持つことに罪悪感や、背徳感を抱いたことはあるかね?」

 

 すでに貫かれたクラマの心臓をワイトピートは抉り、裂き、切り刻んでいく。

 これは、あの時とまったく同じ感覚だった。

 

 

 ――あんたは人間じゃない!

 

 

 あの時も、そしてこの時も、クラマの持ち得る思いはひとつだけ。

 

 

 

 

 

『なぜ、それを知っている』

 

 

 

 

 

「……目だよ。その目を見た時から私は気になっていた。きみの目は、とてもよく似ていると」

 

 いつの間にか、ワイトピートの顔がクラマの目の前にあった。

 至近距離で互いの瞳を突き合わせて、ワイトピートは言う。

 

「――鏡に映る私の目と」

 

 正しくはない。

 まず色が違う。

 目蓋の形も違う。

 しかしどういうわけか、その瞳から受ける印象……雰囲気。

 そうしたものが、まったくもって瓜二つなのであった。

 

 クラマから否定の言葉は出ない。

 なぜなら、クラマが初めてワイトピートと出会った時。

 イエニアの盾殴りでワイトピートのガスマスクが破損し、その瞳をクラマが目にした時。

 まったく同じ感想を、クラマも抱いたからだ。

 

 鏡の前で、何度も見た覚えのある瞳だと。

 人を人と思わぬ、非人間の目だと。

 

「やめろ……」

 

「私の“展示室”を見てどう思った? かわいそう? 気持ち悪い? それとも許せない? いいや、違うな……きみはこう思ったのではないか?」

 

「く……あ………」

 

「これが作られた現場に、自分も居合わせたかった……と」

 

「黙れ……!!」

 

 クラマは黒槍をワイトピートの喉に突きつけた。

 しかしその切っ先は細かく震え、クラマの顔色は死人のように血の気が引いていた。

 

 ワイトピートは槍を突きつけられても微動だにせず……天使のような穏やかな顔で、死神のような言葉を口にした。

 

「クラマ=ヒロ。きみは私の同類だ」

 

 

 

 これで終わり。

 最後のひとつが開かれた。

 



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クラマ
第66話『クラマ#01 - 迷宮が暴く僕の嘘』


「きみは私の同類だ」

 

 ……ああ、そうだ。その通り。

 僕の本性はあの青い瞳の男、ワイトピートと同じ。

 僕は他人の感情に共感したことがただの一度もない、生まれもっての非人間だった。

 

 べつに感情がないわけじゃない。

 殴られれば僕だって怒る。

 大事なものをなくせば、当然悲しい。

 

 でも友達が殴られても怒りが湧いたことがない。

 虫の死骸と人の死体に、大きさ以外の違いを感じたことがない。

 

 自分がどうも周りの人と違うようだと勘付いてからは、ずっとひた隠しにしてきた。

 ……いや、一度だけ、友達だと思っていた人に相談したことがある。

 すると翌日から彼は僕を避けるようになり、代わりに僕の机の中にゴミが入るようになった。

 僕はクラスの中で発言力の強い数人を味方に引き入れて、友達だった彼に捏造した罪を着せて、クラス全員の前で弾劾し、彼の居場所を排除した。

 

 人望を手に入れるのは簡単だった。

 人の嫌がることを進んでやって、耳障りのいい格好良い言葉を堂々と吐いて、自分の頑張りを派手に脚色して見せつけて、最後におどけて貧乏くじを引くだけだ。

 人望があれば、多少のミスはなかったものとして見過ごしてもらえた。

 後で知ったが、バイアスというらしい。

 人は自分が信じたいものを信じる傾向にあるもので、いつの間にやら確たる証拠が出ない限りは僕を疑わない……という空気が出来あがっていた。

 そうして最終的に、僕を敵に回した彼は学期の途中で転校していった。

 

 空き家となった彼の家の前を通って、僕が思ったことは……「この事は誰にも言わない方がいいんだな」だった。

 「悪い事をした」とか「寂しい」だとかは思わなかった。

 悪い事をしたのは彼の方で、僕はそれを排除しただけだし、その時にはもっと多くの人と仲良くなっていたから。

 ただ、“友達”の定義は僕の中で少し変わった。

 

 

 

 そうして僕は自分の本性を隠しながらも、姉の言葉に従って、人間らしく人の役に立つよう努力した。

 そうすれば彼らに近づけるかもしれないと思って。

 

 でも世の中そう都合よくなかった。

 むしろ近付くどころか、人間らしい振る舞いをすることに何も感じぬ自分の姿が見えるばかりで、僕と人との間にある溝の大きさを浮き彫りにし続ける毎日だった。

 

 ただ、姉の教えを守り続けたことで、ひとつだけ得られたものがあった。

 人助けのために危険な場所へ飛び込む。

 これは成功すれば感謝されて恩を売ることができるし……。

 失敗すれば、とても楽しかった。

 

 

 

「私が……いや我々が悲劇に惹かれるのは、単純に悲劇というものが優れた構造を持つのではないか? と、私は考えている」

 

 ワイトピートは僕に槍を突きつけられながらも、泰然と構えたまま持論を語る。

 

「破滅に向かう人間の姿は非常にドラマティックだ。その言動や表情も似たようで人それぞれ違う……。手を加えることで、さらに示唆の富んだものになる。飽きないのだ。これまで366の悲劇を作り出してきたが、未だに飽きる気配がない」

 

 そうか、それは……それはそれは……羨ましい。

 僕はそう思った。

 

「きみと私の立ち位置はまったくの逆だが、おそらくはこうだろう。私はこの手で積極的に悲劇を作り出して鑑賞する。きみは作り物ではない新鮮な悲劇を間近で見て、さらには自らもそれに加わることで、よりダイナミックに感動を味わっているのだ。あるいは、そう――」

 

 ワイトピートは全てを見透かした目で告げた。

 

「己自身が悲劇の主役とならんがために」

 

 ……そう。

 僕を信頼してくれる仲間たちにも打ち明けることができずに、みっともなく嘘をつき続けた。

 この僕、クラマ=ヒロの正体を。

 地球にいた時から17年間ずっと隠し続けてきたけれど……こうしてダンジョンに潜り、この男と出会ったせいで、ついに暴かれた。

 

 これが、迷宮が暴いた僕の嘘。

 

 

 

 だって、知られてしまっては立ち行かない。

 「きみたちと仲良くなってから破滅するのが僕の目的です」などと、口にした時点ですべてが終わる。

 受け入れる、受け入れないの話ではない。

 そんなものは、もはやパーティーとして……仲間として成立しない。

 第一、この話を聞いて乗ってくるような心中希望者がいたとして、互いに心構えが出来てしまっては台無しもいいところだ。

 結局どうあっても話すことは出来はしない。

 僕の望む破滅とは仕組まれたものでなく、少なくとも僕にとっては、避けることのできない非業の運命でなくてはならないのだから。

 

 

 ダイモンジさんが冒険者に虐げられているのを見た時、僕が抱いた感情は怒りではなく感動だった。

 薬物で地球人を言いなりに!? そうそう、これ! こういうのがないと始まらない! ……と。

 この世界に召喚されてからこっち、僕はそういうシチュエーションを待ちわびていた。

 だから、冒険者に腹を蹴られてゲェゲェ胃液をもどすダイモンジさんを目撃して……僕は、歓喜に震えていたのだ。

 

 そして今、ガーブが殺されたのも同じだ。

 

「私はガーブ君のことを前々から知っていたからね。おおよそ、思った通りに動いてくれたよ。悲しいかな、彼がこの仕事に向いていないのは分かっていた。優しすぎるんだな、彼は。……そこが部下には慕われていた所なのかもしれないがね」

 

 ガーブは優しい。そして真面目すぎた。

 彼は「世の中に善も悪もない」と考えることで、自らの悪行に対する罪悪感を誤魔化していた。

 でも根本的に、人を売り買いして邪魔者を秘密裏に消すような汚い仕事をするには、善悪についてしっかり定義するほどに思慮深くてはいけないんだと思う。

 「そんなのどうでもいい」と一蹴するくらいのバカでないといけないのだ。

 

「私は彼を、人間としては嫌いではなかったよ。忠誠心と罪悪感の板挟みに苦しんでいる彼は、良い機会があれば殺してあげたいとは考えていた」

 

 この男に同意するのは癪だが、僕もそう思っていた。

 もう少しワイトピートが来るのが遅ければ、きっと僕がやっていただろう。

 彼が僕に告げた決闘の申し出に対して、今ここで戦う意思はないと思わせるために、わざわざ「地上へ出てから一対一で」という条件をつけたのだから。

 遅かれ早かれ彼とは殺し合う運命にあるのだから、少しでも早く彼を楽にしてあげたかった。

 だから、彼の背後に忍び寄るワイトピートに協力したのだ。

 

「フフ……どうやらきみも同意見のようだな」

 

 わかったふうに。気に食わない。

 まったくお前の言う通りだ。

 

 ……きっと、お互いに分かっていた。

 初めて会ったあの日から。

 

 そして僕は予感していた。

 この男の青い瞳を見た時に。

 この男は僕と同じもの。

 同類であるがゆえに、自分でも受け入れられずに目を逸らしていた、僕の本性を暴かれる気がした。

 だから、この男は消さなければならないと感じていたのだ。

 

 そしてそれは叶わず、暴かれた以上はもはや槍を突きつける意味もない。

 僕は黒槍を力なく下ろした。

 ワイトピートは迎え入れるように両腕を広げて、告げた。

 

「ようこそ。いや、初めまして、かな? 我が同胞よ」

 

 そう言って僕を見つめる彼の瞳は、死人のように虚ろで優しかった。

 

 

 

 

 

 僕は口を開いた。

 

「それで、あんたは何がしたいんだ。僕を邪神の信者にしたいのか?」

 

 彼は苦笑を浮かべて首を横に振った。

 

「フッ、教団に入っても仕方がない。奴らは人間の断末魔や命乞いに、背徳的な興奮や抑圧から解き放たれるカタルシスを求めて活動している。私は……我々は違う。結果、やることは同じだとしても、彼らと価値観は共有できない」

 

「だろうね。いくら邪神、悲劇の神を信奉しているとはいっても、仲間殺しまで奨励されるわけがない。あんたは邪神の徒っていう反社会勢力の中でも、さらに異端なんだ」

 

「ああ、そうとも!」

 

 くそ。

 嬉しそうにするな。

 

「ま、そもそも地球人が邪神の徒になることもできんしな」

 

「そうなのか」

 

「知らなかったのかね? 地球人は改宗が出来ない。形だけの入信ならできるが、瞳の色は変わらず、祈りや奉納もしても神から心量を授かることはできない」

 

「……そうか。なら何なんだ? あんたの目的は」

 

「ふむ、そうさな……」

 

 ワイトピートは考えるしぐさをする。

 だが、あれは考えてはいない。

 考えるポーズだ。

 僕にはわかる。

 そして溜めを挟んでタイミングを見計らってから、奴は言った。

 

「答えはすでに言ってしまったのだがね……私はただ、きみと価値観の共有がしたいだけだ」

 

「価値観の共有……?」

 

 それはつまり……

 

「つまり、そう! 私と友達になろう!」

 

 ………………。

 

「なろうではないか!」

 

 ………………。

 

「……だめかね?」

 

 ワイトピートは小首をかしげてこちらを覗き込んだ。

 僕は即答する。

 

「だめだ」

 

「なぜかね!?」

 

「なぜもクソもあるかあ! 何度もこっちが死ぬような事しといて、なんでそんな事が言えるのか!」

 

「ははは、私なりのコミュニケーションさ。命の取り合いをした者にのみ生まれる友情……そういうのどうかね?」

 

「どうもなにもクソだね。何より『自分なりに』とかそういう枕詞(まくらことば)をつければ、何しても許されると思ってそうなところが最大限にクソだね」

 

「これは手厳しいな。それでは、どうしたらきみは私と友達になってくれるかな?」

 

「どうしたらもこうしたらも……僕は友達いるし。ひとりしかいないけど。べつに新しく欲しくないし」

 

「そうか……残念だ」

 

 ワイトピートはがっくりと肩を落とす。

 そして、パッと顔を上げて聞いてきた。

 

「……ところでそれは誰かな?」

 

「誰かな? じゃないよ。殺す気でしょ教えたら」

 

「ははは、バレたか」

 

 爽やかに笑うんじゃないよタコ。

 

「それに地球人だしね」

 

「おお、なんということ……! それでは、その友人も召喚されているという、淡い希望に賭けるしか……!」

 

 まあ、されてるけどね。多分。

 

「物騒なこと言うのやめなよ。そんなだから友達できないんだよ?」

 

「むぅおっ……!」

 

 僕の言葉にワイトピートはショックを受けたように頭を抱えた。

 

 ……だめだ、良くない。

 気付くとこの男のペースに引っ張られてしまう。

 まともに相手をしないようにしていたのに。

 こいつの話しやすい飄々とした立ち振る舞いは、僕と同じく計算された作りものだと分かってるのに。

 分かっていても抗いがたい。

 これが年季の違いというやつか。

 

「うーむむ……我が半生を費やしたコレクションを見せてあげたというのに! ガーブ君の悲劇も演出して見せて! これでもまだ足りないというのかね、このよくばりさんめ!」

 

 などとぬかしている輩に、馬鹿正直に応答しても良いことはない。

 僕は冷静さを取り戻すよう、軽く頭を振った。

 

「はぁ……とにかく、僕はあんたの仲間になる気はないよ。悪いけどね」

 

 僕がそう言うと、ワイトピートはふっと笑った。

 ……不気味な笑いだった。

 

「……? なにがおかしい?」

 

「フッ、分かっていて言っているのか……いや、仲間になる必要はないさ。むしろ対立していた方が我々にとっては都合がいい。……そうだろう?」

 

「………………」

 

 こいつ……。

 

「親愛のしるしに、きみが最も望むものを送ろう! それが我々の友情を示す、はじめての共同作業となるだろう……!」

 

 こいつは……!

 

 

 

 ――そのとき、咆哮が響き渡った。

 

 初めて耳にする獣の雄叫び。

 地下洞窟の暗く湿った空気を瞬時に吹き飛ばす、低音ながらに透き通った音の風。

 その瞬間、すべてを忘れて振り向いた。

 

「お……」

 

 そこに立っていたのは、見上げるほどの巨体。

 緑色の鱗に覆われた体。

 大きく広がった巨大な翼。

 鋭く太い牙と爪。

 

 翼を持った爬虫類。

 それはまさしく――

 

「ドラゴンじゃん!!」

 

 僕の叫びに応えるように、その竜は雄叫びをあげて向かってきた!

 



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第67話『クラマ#02 - 不可侵なりし幻想の王』

 突如として現れた巨大なドラゴン。

 そいつは僕を目がけて唸りをあげて突進してきた!

 

 でかすぎる――避けられない。

 そう思った時、視界がぶれた。

 ワイトピートに腕を引かれた僕は、間一髪のところでドラゴンの爪をすり抜けた!

 

「いかんぞ、こればっかりは戦える相手ではない」

 

 耳元で告げるワイトピートの顔にも、余裕の色が見られない。

 ……この世界にドラゴンがいるという話は聞いていた。

 それによると、その鱗はいかなる武器も通さず、その爪は鋼鉄の鎧をも貫き、その吐息を受けて形を保てるものはこの世に存在しない……とのこと。

 この世界において最も強いとされる生物。

 それがドラゴンだった。

 

「逃げろ! 奴は逃げる相手にはブレスは吐かん! ……言い伝えが間違っていなければな!」

 

 ワイトピートに言われて走る。

 樹海で谷底に落ちてからこっち、もう何度目になるか分からぬ全力疾走。

 ……確かにワイトピートの言う通り、話に聞くドラゴンブレスは来なかった。

 だが、その移動速度はこちらよりも遥かに早い。

 走りながらちらりと背後を見ると、竜の巨体は大きく羽ばたいて宙に浮きあがっていた。

 飛翔からの突撃が来る……!

 

「オクシオ・イテナウィウェ!」

 

 唱える。

 当然、もうこれを使うしかない。

 僕は可能な限りの早口で一気にまくしたてる!

 

「ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ! ジャガーノート!!」

 

 

> クラマ 心量:97 → 72(-25)

 

 

 輝くベルト。

 黒い炎に導かれ、僕の身体は限界を超えて奔る!

 背後から滑空してくる巨体、それを僕は横っ飛びに回避した。

 一秒前まで自分がいた場所を通り抜ける緑の巨躯。

 それだけで巻き起こる――突風!

 相手の体に触れてもいない、ただ移動した際に起きた風。

 それに巻き込まれただけで、僕は大きく吹き飛ばされて地面に転がった。

 

「っつ……!」

 

 体の痛みを無視してすぐに起き上がる。

 前方では地に降りた巨体が、洞窟内に行き渡る地響きと、濃霧のような砂煙を巻き上げていた。

 

 ……スケールが違う。

 これは今まで倒してきた獣とは違う。

 人間が戦える相手じゃない。

 

 しかし、かといって……

 

 ドラゴンがゆっくりと振り向いた。

 そいつは品格すら感じさせる悠然さをもって、じっと獲物を見定める。

 

「……オクシオ・ヴェウィデイー」

 

 逃げられないなら、やるしかない。

 僕は黒槍を抱えて詠唱する。

 僕が持つ、最大火力を。

 

「サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ピセイーネ……」

 

 ドラゴンは僕に目を向ける。

 詠唱による魔力波を感じ取っているのか。

 すぐに襲ってこないのは、未知のものゆえ警戒しているのか。

 分からない。

 分からないが、僕にできるのは呪文の続きを唱える事だけだ。

 

「正義の使途、悪を潰やすヴィルスーロ……きみの矛先を今だけ変えてくれ……」

 

 ここだ。

 詠唱の途中だが、もう行かなくては。

 槍を握って覚悟を決める。

 見つめる竜と、視線が合わさった気がした。

 

 僕は両足に力を込めて――駆けた! 竜の懐へ!

 

「おおおおおおおおおおおっ!!!」

 

 筋力増強、限界突破した肉体は、電光石火の速度をもって闇を貫くように駆け抜ける!

 竜の腹は目前! あとは残りの詠唱を――

 

 そのとき、視線を感じた。

 

 一瞬だけ映った。僕の視界の端に。

 ……竜の眼が。

 上からじっと僕を見下ろしている――

 

「――っ!?」

 

 僕は足の筋肉が千切れるかという勢いで急停止した。

 直後、目の前を横切る緑の壁……!

 いや、壁じゃない。

 それは尻尾だ。

 迫ってくる僕を迎撃するように、僕の進路にあらかじめ置かれた尻尾による薙ぎ払い。

 あと一歩止まるのが遅かったら、今ごろ僕の体はサッカーボールのように吹き飛んで、全身の骨がバラバラになっていたところだった。

 

 しかし……こいつ。

 

「まさか……」

 

 僕は頭上を見上げた。

 こちらを見下ろした竜の目。

 静かに見つめるその瞳、そこに浮かぶ光は爬虫類のものではない。

 

 まさか……誘われた……!?

 

 僕はガツンと衝撃を受けた気分だった。

 目の前の竜は、獣じゃない。

 理性をもって思考し、こちらと相対している……!

 

 考えてみれば、あの巨体。あの頭部。

 脳の容量は人間よりも遥かに大きいはずだ。

 ……もちろん脳の容量と知能の間に明確な相関関係はない。

 そうだったなら、象は人間よりも遥かに賢いことになる。

 しかし――この怪物にそんな常識が通用するだろうか?

 こいつは、これまで僕が見てきた生物とは違う。

 もし人間と同等以上の知能を持っていたならば、こちらに打つ手が――

 

「ぬぅぅうんっ!!」

 

 ワイトピートが振りかぶって剣を投じた!

 ドラゴンの目を狙ったそれは、閉じた目蓋によって弾かれた。

 が、ワイトピートはその隙にドラゴンの体を階段のように駆け登る!

 

「迷うな! そのまま行け!」

 

 叫んだワイトピートは、竜の頭に乗り上げるとナイフを振り下ろした!

 

 ――ガイィンッ!!

 

 突き立てたナイフの刃が折れる。

 

「ちぃっ!」

 

 頭に乗ったワイトピートを振り落そうとするドラゴン。

 振り落されまいとしがみつくワイトピート。

 

 ――そうだ。

 未知の敵に対して慎重になりすぎていた。

 僕は、そう。

 いつだって、やるべきことを、やるだけだ。

 

「返せ、激憤の咆哮を!」

 

 詠唱の続きを唱えて走る!

 ドラゴンの意識がワイトピートに向けられている今が、きっと最初で最後のチャンス。

 僕は槍を胸に抱えるようにして、低く、地を這うように走る。

 頭上を通る暴風。

 あと数センチ姿勢が高ければ、僕の頭が吹き飛んで首から離れていた。

 避けたのだから、気にしない。

 目に見えるのは、目前にある竜の腹。

 槍の穂先を突き立て、叫ぶ。

 

「――ヨイン・プルトン!」

 

 

> クラマ 心量:72 → 22(-50)

 

 

 轟音、爆炎、震える大気。

 指向性を持つ高速爆轟による超火力。

 

 

『ヨイン・プルトン』

 これは発生させた爆発衝撃波を、特殊な槍の構造により生じるモンロー効果で威力を増幅し、それと同時に指向性を持たせて叩きつける魔法である。

 その威力は分厚い鉄扉をも容易く粉砕する、およそ対人戦には不必要な過剰火力。

 すなわち、こうした怪物を倒す目的で作られた魔法に他ならない。

 

 

 圧倒的破壊力を持つ機槍の咆哮が、竜の土手っ腹に穿たれた。

 轟音が止み、爆煙は次第に晴れ、そして僕の目の前に広がったのは……

 

 何も変わらぬ、綺麗な鱗の生えた竜の腹だった。

 

「――おい」

 

 ちょっと。

 ちょっと待て。

 こんなことがあるか?

 まったくの無傷は……さすがに?

 

 竜の腹を凝視する僕の耳に、上空から声が届く。

 

「むううぅっ!? しまった――」

 

 顔を上げると、ワイトピートが竜の手に捕まっていた。

 そしてそのまま――バクリと口の中に放られる。

 ……抗う暇もなかった。

 目の前の地面に落ちてバウンドする人間の足。

 

「これは――」

 

 もう一度見上げた僕は、見下ろす竜と目が合った。

 そいつはゆっくりと深く息を吸う。

 すると薄く開いた口の奥で、真紅の光が満ちていくのが見えた。

 光は地鳴りのような異様な鳴動を奏でながら広がっていく。

 

「ドラゴンブレス……!」

 

 ――絶望。

 これは、そう形容する他なかった。

 この世のすべてを消し去る竜の息吹。

 眼前に迫った究極の破壊を前にして、僕は呆然と立ち尽くす――

 

「お――おおおおおお――!!!」

 

 ……わけがないんだよなあ、残念だけど!

 僕は!

 僕が持って生まれたこの体は!

 物理的に機能が壊れて止まるまで、十全に動けるように出来ている!

 ……それが幸か不幸か知らないけれど。

 恐怖や絶望で僕の体は止まりはしない……!

 

 そう、だから走った!

 まずはドラゴンの足元、死角になる場所へ!

 放たれた紅蓮の吐息は僕の髪とコートを焦がす。

 紙一重でブレスを回避した僕は、背後から広がる熱気から逃げ延びるように、そのまま全力で洞窟を駆け抜ける!

 本気の本気の全力疾走。

 魔法でリミッターを振り切った筋肉が、肺が、心臓が、全身が悲鳴をあげるのを無視して、ただ走れと己の肉体に指令を出した。

 

 だが――背後から羽ばたく飛翔音。

 

 筋力を上げたところで走って逃げられるものじゃない。

 それは分かってる。

 考えろ。

 生き残るためにどうするべきか?

 今、ここでするべきことは、ただひとつ。

 

「エグゼ・ディケ――」

 

 運量の使用。

 それで、どうする?

 どう願う?

 まず残りの運量は――

 

 

> クラマ 運量:1655/10000

 

 

 ……少ない!

 この量でどうやる?

 

『ドラゴンが僕を見失う』

 

 だめだ。運量は生物には直接作用しない。この願い方では、叶えるために僕やドラゴンの周囲が変化することになる。それでは動かなければならないものが多すぎる。運量が足りない。

 

『逃げ込める道を見つける』

 

 悪くないが大雑把すぎる。その逃げ道にも、見つけ方にもあてがない現状では、運量がまったく足りない。

 

 背後の飛翔音が一度大きくなって、離れた。

 これは――高く飛んで滑空する準備だ。

 

 時間がない。

 今すぐ決めなければならない。

 

 ……立ち返れ。

 そうだ、僕は知っているはずだ。

 運量の使用量削減の極意、それは――

 

 運量を使った後に、運任せ。

 

「僕が生き延びる可能性が高い方向へ穂先が向いてくれ!!」

 

 過去最速の早口で唱える!

 と同時に、ティアの黒槍を放り投げた。

 

 地面に槍の石突きが当たって、わずかに跳ねた後に転がる。

 穂先が向いた先は――右。

 僕はその方角へと進路を変えて走った!

 

 ……黒槍は拾わない。

 拾う暇がない。

 

 僕が進路を変えた直後、背中に暴風!

 ドラゴンが滑空して通り過ぎた余波だ。

 僕はそれに吹き飛ばされて、転がり、そして――沼地に突っ込んだ!

 

「っ、ぶぁっ……!」

 

 深い!

 足がつかない!

 ちょ、ちょっと待て……!

 生き延びるといっても、これでは延び幅が短すぎる……!

 即死が溺死に変わっただけだ!

 

 もがけばもがくほど沈む。

 駄目だ。

 体が全部。

 首まで。

 これは、もう――

 

 

> クラマ 運量:1578 → 0/10000(-1578)

 



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第68話『クラマ#03 - 陽だまりの賢者ヨールン』

 必死になって逃げて、逃げて、逃げ続けて。

 そうして生き延びた先に何があるのだろう。

 

 もう終わりまでの流れは出来ている。

 僕が戻らなくても、きっと大筋の流れは変わらないだろう。

 ティアに求められた僕の役割は果たした。

 ここまで頑張ったなら、おっぱいを揉ませてもらってもバチは当たらないくらいに。

 

 しかし。

 イエニア、パフィー、レイフ。

 僕が戻れば必ず彼女たちに害を成す。

 彼女たちのことを考えるなら、僕は戻らない方がいい。

 僕と密接に関わった人ほど不幸になる。

 そういう生き物なのだ、僕は。

 

 絶望というならとっくの昔にしている。

 自分がおかしいと気付いた時からずっと。

 ……しかし僕はせいぜい気付いてから10年そこら。

 この何倍もの歳月をひとりで歩き続けた男がいた。

 ワイトピート。

 彼は未来の僕だ。

 終わりの見えない絶望の道を歩き続けた結果……あのようになった。

 

 僕が生き残り、彼女たちのもとに戻ればおそらくは……遠くない未来に、あの“展示室”に彼女たちも並ぶことになる。

 ……戻るべきじゃない。

 

 でも……

 

 だけど……

 

 僕はどうしても、彼女たちのもとに帰りたい。

 

 

 

 

 

 ……そうして僕は、目が覚めた。

 目に映った景色は鍾乳洞。

 さっきまでいた地下6階とは、また少し違った風情の洞窟だった。

 周りを見ると、湖が広がっていた。

 地底湖。

 湖からは湯気があがり、暖かな熱気が広がってくる。

 まるで温泉のようだ。

 

「ここはいったい……」

 

「あっ、起きましたね! 大丈夫ですか?」

 

 鈴のような少女の声。

 目を向けると、湖の淵にパフィーと同じくらいの年頃の少女が立っていた。

 瞳の色は紫。

 そして暗めの紫色の髪は編み込まれて、頭の左右に2つの輪っかになっている。

 背筋がよく、どこか気品を感じる落ち着いた立ち姿の少女だった。

 

 そして、少女の隣に座して、湖に釣竿を向けている青年がひとり。

 白に近い緑色の長髪をした青年は、こちらに赤い瞳を向けて口を開いた。

 

「平気じゃろう。沼で溺れたというのに胃にも肺にも泥が入っておらん。奇特な奴じゃ、みずから息を止めて窒息するとはな」

 

 その喋りに面食らった。

 声も姿も若いのに、まるで年寄りのような話し口調。

 こちらに青年を向ける青年の顔は、やはり若い。

 それも、これまで見たことのないような美青年だった。

 透き通る白い肌に、鼻筋の通った均整のとれた面貌。

 洞窟の暗闇をその(おもて)で照らし出すような、光り輝く絶世の美男子だ。

 ここに僕がひとりじゃなくて仲間と一緒だったなら、「僕の次にイケメンだね」などと小粋なジョークを飛ばしていたところだ。

 

 僕は立ち上がって、ふたりに向けて歩く。

 ……すると突然、青年の足の上に乗っていた黒い何かが、ダガガッと勢いよく跳び出した!

 

「ヤイ! ヤイ! ヤイィィ……!」

 

 奇妙な声? を発して、その黒いモノは鍾乳洞の陰に隠れた。

 ……一瞬だけ、ちらっと見えたその体。

 なんだろう。

 なんとも形容しがたい。

 その形も、走り方も、僕が知るどの生物とも似ていない。

 というかアレは生き物なのだろうか……?

 青年はその黒いモノに向かって優しく呼びかける。

 

「おお……怖がらずともこやつは神じゃない。心配いらんですよ」

 

 しかしその黒いモノは隠れたまま出てこない。

 ……なんだか分からないが、危険はなさそうだ。

 ひとまず気にしないでおこう。

 僕は青年と少女に向かって口を開いて言った。

 

「地球人のクラマ=ヒロです。助けてもらったみたいで、ありがとうございました」

 

 まずはお礼から。

 礼儀は通さないとね。ワイトピート以外の人には。

 対して青年は、湖に垂らした釣り糸に目線を戻して答えた。

 

「ああ、儂に自己紹介などはせんでええ。そこで寝とった間に、おぬしが召喚されてからの事はすべてエーテル調査で見たからの」

 

「……エーテル?」

 

 疑問符で返す僕を見て、隣から少女が口を挟む。

 

「お兄様、彼らに合わせてオノウェと言った方がいいんじゃないですか?」

 

 なるほど、僕にオノウェ調査をしたのか。

 でも僕が召喚されてからの事すべてを見た……?

 パフィーですら……いや、パフィーよりもオノウェ調査が得意な三郎さんですら、3日も経ってしまえば絞り込みのキーワードなしにはろくに調べることができないのだけど……。

 

「ふん、意外そうな顔をしおって。儂にかかれば100日くらいの記憶を抜き取ることなど造作もないわ。おぬしがこっちの世界に来て最初についた嘘を教えてやろうか?」

 

「いや、結構です」

 

 わざわざ僕に対して嘘というワードで牽制してくるあたり、どうやら“分かっている”相手だった。

 そうするとこれは、とんでもない技量を持つ魔法使いだ。

 あっさり受け入れたのは、僕に心当たりがあったからだ。

 それはすなわち……

 

「あなたがヨールンですか」

 

 パフィーの師匠であるイードの森の魔女グンシーの、そのまた師匠。

 グンシーがパフィーをこの地に派遣して探していた男。

 陽だまりの賢者ヨールン。

 グンシーは確か、このダンジョンの地下に賢者ヨールンがいると言っていたはずだ。

 彼は皮肉げに口の端を歪めて答える。

 

「いかにも。あのババアに見つかったということは、ここも潮時じゃな」

 

 そうか、この人がゴミクソペドフィリアと噂の……。

 いや、それにしてもだ。

 

「まさか最下層と言われた地下6階の下に、真の最下層があるなんてね。これは見つけられないわけだ」

 

「ん? ここはダンジョンではないぞ。あのダンジョンの最下層は、おぬしのいた6階で間違いない」

 

「え?」

 

「ここは天の太陽と地の太陽に挟まれて生まれた、地底の大空洞。この空洞は世界の端から端まで繋がっておるから、ダンジョンと呼ぶにはいささか広すぎるじゃろうな」

 

「天の太陽……地の太陽……」

 

 世界の端から端まで繋がる地底の大空洞。

 スケールの大きな話に圧倒される。

 天の太陽というのは、おそらく地上で普通に見える太陽だろう。

 この言い方では、地の底にも同じものが?

 

「おぬしに必要のない事じゃから、誰も教えなかったようじゃな。どれ、儂がひとつ、この世界について教授してやろう。……天の滝のことは覚えておるな?」

 

「ええ。空に4つある、ものすごい勢いで水が落ちてる滝ですよね」

 

 地上に出れば必ず目にする壮大な滝。

 あれを見るたびに僕は、この世界が地球とは違うのだと改めて意識するのだ。

 

「天の滝から地表に落ちた水は、いくつもの川に枝分かれして、この世界に行き渡る。この川に沿って人は寄り集まって、街を作っておる。おぬしの世界と違ってここは雨が降らない。故に、川の流れが文字通り生命線なんじゃ」

 

 そのあたりは知ってる。

 どの家でも川から水を汲むのが一番大事で、大変な仕事。

 うちはイエニアがいて正直助かってる。

 水を汲みに行けば分かるが、この世界では水の扱いが厳しい。

 汲んでいい場所には監視員がついて、汲み方も決められてる。

 仮にこの、すべての人間の生命線である川が汚れでもしたら、それこそ個人の問題では済まされない。

 国際問題に発展する可能性が普通にある。

 

「水はやがて隙間を通り地に沈んでゆくが、天にしか太陽がないのであれば、すべての水はいずれ地の底で凍りついてしまう。この世界は地熱が生じるほど質量もないし、太陽も動かぬからの」

 

 そうだ。この世界の太陽は動かず、地上で丁度いいくらいの熱を放射してくれている。

 という事は、これだけだと地下は極寒地獄になるはずなんだ。

 

「そこで神は地の底にも太陽を置いた。これにより地上から降りてきた水は地の太陽に熱せられ、蒸発して浮き上がる。そうして、その間に出来たのが……この湯湧き上がる地底湖よ」

 

「そ、そうか、つまり……やっぱりここは温泉だったって事か!!」

 

「……そうじゃな」

 

 ようやくこの世界の観光っぽいスポットを見つけた気がする!

 薄暗い鍾乳洞の温泉……これはこれで(おつ)なものかもしれない。

 いつかみんなを連れて来てみたい。

 ここなら男湯と女湯の区別もないしね!

 合法的に混浴を楽しめる!

 

「……ま、とりあえずまとめるとじゃな。この地底湖に溜まった水をホースで吸い上げて、また上から落としてるのが天の滝というわけじゃな」

 

「なるほど、ありがとうございます」

 

「礼には及ばん。こんなもんは誰でも知っとることじゃからの」

 

 よくよく考えれば、僕はこの世界に召喚されてからこっち、ずっとダンジョン探索を第一にしてやってきた。

 ……いやカジノに忍び込んだり紆余曲折あったけれども。

 それはともかく、ダンジョン探索に傾倒したせいで知識に偏りがある。

 この世界の人間なら誰でも知ってることでも、いまだに知らなかったりしている。

 地上に戻れて、この件が落ち着いたら……パフィーに膝枕されながらゆっくり話を聞きたいなぁ。

 

「こんなところにおったら暇で暇で死にそうでな……挨拶代わりのサービスと思うてくれればええ。ついでに、この儂が陽だまりの賢者ヨールンと知って聞きたいことはあるかの?」

 

 べつにない。

 せいぜい上に戻る方法を知りたいくらいだ。

 とはいえ質問があるかと言われたら、何か訊いてみるのが世の習い。

 まずは話を合わせよう。

 

「グンシーから相当悪く言われてましたけど、あなたグンシーの師匠ですよね。弟子と仲が悪いんですか?」

 

「儂に対して言い方に気を遣わんでええぞ。おぬしが脳内であのババアとした会話も知っとる。ゴミクソペドフィリアか……カカッ、まったくその通りじゃな」

 

「隠さないんですね」

 

「己の趣味嗜好を隠してなんとする。こうして儂の愛を受け止めてくれる者もおるしな」

 

 そう言って隣の少女の腰を抱き寄せるゴミクソペドフィリアこと賢者ヨールン氏。

 少女もまんざらではないようで、嬉しそうに頬を染めた。

 

「あっ、いけません、お兄様……人前でそんな……」

 

 イチャイチャしだした。

 というかお兄様ってなにさ?

 気になったなら聞いてみよう。

 

「お兄様?」

 

「うむ、儂の妹というわけではないが、この体とは兄妹の関係だったのでな」

 

 ……この体。

 彼の弟子であるグンシーは、自分の人格をコピーして他人の中に入れていた。

 であれば、これは……

 

「他人の体に乗り移ってるのか」

 

「やはり(さと)しいの」

 

 ヨールンはにやりと笑った。

 

「元の持ち主の人格は?」

 

「邪魔だったのでな、潰してしもうた。何も悪い事はしとらんかったが……ま、儂の入れ替えの時期に、若くて健康なイケメンだったのが不運じゃな、かっかっ」

 

 陽だまりの賢者ヨールン。

 この世界の歴史では、地球時間で千年以上も前から生きているらしい。

 伝説の魔法使いとしてどの国の教科書にも必ず載っている彼は、こうして体を換えて生き永らえてきたのだろう。

 ヨールンはその美貌を僕に向け、紅玉(ルビー)と見紛う燃えさかる瞳を、秘めるように妖しく細めて言った。

 

「――で、それを知っておぬしは何とする?」

 

「え? 僕はそんなことより、地上への戻り方を教えてもらいたいんだけど……」

 

 ぶっちゃけ興味ない。

 ヨールンは僕の答えを聞いて大笑した。

 

「かかか! さすがは生まれもっての精神病質じゃの。儂も長く生きるうちに良心が薄れていったが、さすがに本物は違うの」

 

 ………………。

 そうか、知ってるのか。

 まあ記憶を直接覗いたなら分かるだろうな。

 

「帰り道は教えてやろう。じゃが、数年に一度の珍しい来客じゃからな。道を教える対価に、儂の話し相手になって無聊(ぶりょう)を慰める……これでどうじゃ?」

 

「わかりました。ただ、僕がどれだけ寝ていたのかを教えて欲しい。戻った時に何もかも終わってたんじゃ何にもならない」

 

「心配せんでええ、その辺の事情も分かっとる。たいして時間は経っとりゃせんよ」

 

 そうだった。

 オノウェ調査で僕の記憶を調べたのなら当然、僕の方の事情も熟知してる。

 ……でも、それなら話し相手になれといっても、何も話せる事がないような?

 

「ま、おぬしの話にはたいして興味はない。おぬしのような者を相手にするのも、儂は初めてではないしの」

 

 異世界の人間である僕の話に興味がない……。

 やはり知っている。この男は、地球のことを。

 それも、これ以上興味が沸かないと言ってしまえるくらいに詳しく。

 ひょっとすると僕よりも地球に関する知識がある……という可能性すら感じさせる雰囲気がある。

 

「じゃからおぬしの知りたいことを教えてやろう。何でも訊いてみるが良い。ただし……儂が答えるのは、おぬし自身には役に立たない事に限るがの」

 

「はい? どういうこと?」

 

 僕自身に役に立たないことしか教えないって?

 この男が何をしたいのかさっぱり分からない。

 

「儂がどうしてこんな地の底で隠遁を決め込んでいると思う? 儂はな、常に監視されておる。これ以上歴史の表舞台に関わると、奴らに消されてしまうのじゃよ」

 

「奴ら?」

 

「神――などと自らを称しておる者達」

 

「神……」

 

 この世界を創ったという6柱の神。

 どうやら彼には含みがありそうな言い方だったが……?

 

「恩知らずな連中よ。奴らの注文通りに詠唱学や錬金術を発展させてやったというのに……知りすぎれば今度は消しにかかる。魔術の腕で越えても、しょせん人形の身では奴らに抗えんのが歯がゆいところよ」

 

 何を言ってるのか分からない意味深な愚痴。

 要領を得ないので、気になったところから聞いてみよう。

 

「人形って?」

 

「儂を含め、この世界の住人は神に造られた。それだけでなく、奴らは自らと同じ色をした目から、こちら側を覗き込む。そして時にその体を操り、この世界の歴史を操ってきた……。まあ、奴らの被造物とは違うおぬしら地球人は、奴らに操られることはないから心配せんでええ。……それだけ警戒もされとるがの」

 

 監視されているというのはそういうことか。

 文字通り、視界を()られているのだ。

 この口ぶりからすると視界だけでなく声も。

 そこで僕は気がついた。

 

「っていうことは……世界中の女の子の私生活を覗き放題ってこと!?」

 

「そうじゃ」

 

「ずるくない?」

 

「ずるい」

 

 ふたりの意見が一致した。

 男ふたりが思いを重ねたところで、ヨールンに背中を預けたままの少女が口を開いた。

 

「でも祈りや奉納の序献句は、神の視線を引くために唱えるものなのでしょう? ということはつまり、神といえども世界中を同時に見ているわけではないのですよね。それなら神にも知らない事の方が多いのでは」

 

「なにを悠長なことを言っとるか。儂は常に見られておるから、おぬしとの事も全部見られとるんじゃぞ」

 

「えっ……ええええええーーーっ!?」

 

 真っ赤になって慌てふためく少女。

 いったい何をしてたんだろうね、この人たちは。

 ふたりがイチャイチャしだしたので、僕はすかさず別の質問に移る。

 

「じゃあ、そこに隠れてる黒いのは何? さっきからずっと気になってたんだけどさ」

 

「魔物」

 

「え……」

 

 魔物?

 ……最初はこういう世界なら普通にあると思っていた、その言葉。

 しかしながら今まで一度も聞いていなかったので、てっきり僕はこの世界には魔物なんていないと思ってた。

 そんな僕の心中を知ってか知らずか、ヨールンは澄ました顔で続けた。

 

「――と、呼ばれている。じゃが、あまり失礼なことを言ってはいかんぞ。彼は、儂らこの世界の住人全員の先輩なんじゃからな」

 

 先輩とは。

 

「どゆこと?」

 

「この世界にはかつて、神に逆らい滅ぼされた文明があった。彼はその生き残りじゃよ」

 

「へえ~、そうなんだ。あの姿は元から?」

 

「……おぬしの性質は分かってはおるが、そう平然とされると面食らうのう」

 

 ヨールンはちょっと面白くなさそうな顔だ。

 そんなこと言われても困る。

 

「普段はもっと周りに合わせるんだけどね。あなたの前で猫かぶってもしょうがないから。“彼”の姿に普通の人が恐怖とか不快感とかを感じるだろう、ってのは分かるよ」

 

「さもありなん。かつてはヒトでありながら、彼らはもはや人間どころか生物ではない。さりとて機械でもなく、その形貌は奇怪。神が遣わした天使の魔の手から逃れるには、そのように“成る”しか道が残されていなかったのだ」

 

「天使の魔の手とは、また妙なワードを繰り出してきたね」

 

「あらゆる生物を虐殺するモノなぞ、そちらの方が遥かに魔物と呼ぶに相応しかろうよ」

 

 物騒な話だ。

 おそらく、かつて神が古代文明を一掃したという《神の粛清》を指しているのだろう。

 どうやら天使という兵器を用いて古代人を虐殺したらしい神。

 賢者ヨールンが神や天使を憎む……あるいは毛嫌いしているのは伝わってきた。

 

 でも僕はぶっちゃけたところ、この世界の成り立ちとかにはそれほど興味がない。

 そんなことより今日の自分やパーティーの仲間たちの方が大切だ。

 ……そういう、僕にとってどうでもいい事だからこそ、教えてくれてるんだろうけど。

 ただ、ちょっと思いついた事があるので聞いてみる。

 

「ねえ、この世界の神様って、地球人なの?」

 

「――!!」

 

 ヨールンは素早く僕のもとに駆け寄り、僕の口を塞いできた。

 そのままじっとヨールンは周囲を警戒。

 何もないのを確認して、口を開いた。

 

「……それは奴らが何よりも隠していることじゃ、二度と口にしてはならん」

 

 えぇ~? 早く言ってよ~。

 

「おぬしが操られることはないが、奴らはおぬしの周りにいる者を操り、その言葉を聞いたすべての者が殺されるじゃろう」

 

 僕が頷くと、ヨールンは僕の口から手を離した。

 そして再び釣竿を手にして座り込んで言う。

 

「……が、儂がこうして要らんことを語っているのも、そういうスリルを味わいたいからでもある。長く生きるのにもだいぶ飽きとるからな。どうやらここで言うぶんには奴らも見逃すようじゃし、せっかくだからおぬしがそう思った理由を聞こうか」

 

「え? 僕はそんなリスクを冒したくないんだけど?」

 

「言わなきゃ帰り道は教えてやらん」

 

「うーっわ! 老害! 老害だこれ!」

 

 分かっていたけどクソヤロウだこいつ!

 僕が言うのもなんだけど。

 地上に帰るためには逆らえない。僕は仕方なく自分の考えを語った。

 

「しょうがないなぁ……じゃあ言うよ。まず地球人と神には共通点があるよね? 心量を他人に……この世界の住人に譲り渡せるっていう。この世界の人間は神に祈りや奉納を捧げて、代わりに心量をもらう……これって地球人が使える心量の譲渡とよく似てるよね」

 

 そういう目で見ると、神が自分好みの“奉納”を求めている理由も頷ける。

 好きなものを見ると僕ら地球人は心量が高まる。

 だから神も自分好みの奉納で心量が高まって、その見返りとして心量を分けているのではないか? という推察だ。

 僕らの使える心量の譲渡とは、規模はまったく違うけれど。仕組みはきっと一緒だ。

 

「そうじゃな……で?」

 

「で? って言われても、あとは疑問を補強するおまけだけど……とりあえず、きっかけはあれだよね。さっき僕から逃げた“彼”にあなたが言ったでしょ、『こいつは神じゃない』って。なんでそんなこと言うのか? 神と勘違いするほど僕が神に似てないと、そんな言葉は出て来ないよね。神に滅ぼされかけた“彼”が神を見て怯えるのは当然。じゃあ、僕を見て逃げるのは……そういうことなんじゃないの?」

 

 ひととおりの推理を伝えた僕は、ヨールンの様子を見る。

 僕の話を聞いた彼はというと――

 

「……ん? なんじゃ? 儂は肯定も否定もせんぞ? おぬしが勝手に言っとるだけじゃ」

 

「うーわ! うーーーーっわ! 人にだけリスク負わせて高みの見物! 最低野郎だこいつ! ねえ、これどう思う?」

 

 僕は少女に話を振った。

 彼女は頷いて答える。

 

「はい。賢くて、とても素敵だと思います」

 

「あ、そうですか」

 

「ははは、()いやつめ」

 

「あっ、お兄様、そんなところ……!」

 

 そんなところだかどんなところだか知らないけれど、まともに相手するとこっちが損をするということは分かった。

 

「しかし、だとするとおぬしは良いのか?」

 

 ヨールンが少女の体をまさぐりながら聞いてきた。

 

「良いのかって、何が?」

 

「この世界の住人は、すべて神に造られた人形。作り物の心臓では魔力を生み出すことができず、外から補充しなければすぐに停止する……生物として不足のある存在よ」

 

 ……魔力って心量のことか。

 そして“人形”とは、ただ神に操られるというだけでなく……言葉通りに、彼らは人形なのだと。

 

「儂らは自ら増えることもできん。肉体も脳も設計図に沿って工場内で造られ……おぬしら地球人とは肉体の組成も異なっておる。そこで生産されたものが、男女のつがいへと配布されるのだ」

 

 生産――配布。

 まるで機械のような言いようだ。

 いや、機械のよう……ではなく、人の形をした機械だと言っているのだ、彼は。

 そしてこんなことを伝えてくる彼の意図は、こちらの変化を見逃さぬよう探るように覗き込んでくる目を見れば分かる。

 彼は自分や、隣にいる少女のことを言ってるんじゃない。

 僕の仲間。

 イエニア、パフィー、レイフ。

 彼女たちも、人の手で造られた人形だが……その事実を知った今、お前はどうするのかと訊いているのだ。

 

 ……思えば納得できる話はいくつかある。

 鎧を着たまま崖を軽々と登っていくイエニア。

 彼女の体は筋肉質だったが、それにしても、その筋肉量に対して力が強すぎる。

 また、脳の作りも。

 この世界の人は心量が平気で500近くになる。

 しかし僕は心量200を超えたことがあるが、アレはまともな精神状態ではいられない。

 10年かけて自分の振る舞いを客観視する癖をつけている僕ですら、渦を巻く激情に流されてしまいそうになる。

 あれの倍以上の高揚状態にもかかわらず、彼らは表面上おかしな点が見られない。

 その精神構造はちょっと想像できない。

 魔法の使用に関してもそうだ。

 詠唱を立体的に心に思い描く心想律定を――おそらくビジュアルプログラミングのようなものだと思うのだけど――僕もパフィーに教わって練習してみたが、まったく出来る気がしない。

 脳の構造が違うと言われれば、このあたりも納得できる。

 

 彼女たちは……この世界の住人は、人間じゃないのだと。

 

「それでも、造りに違いがあるだけで人間には違いないと思えるかもしれぬ。……じゃがな、違うんじゃ。これは本来、言うことではないが……運量とは意思の力。心量ではない。運量こそが、意思持つ生物の証明なんじゃ」

 

 彼の言葉を理解するには、僕には知識が足りない。

 ただ、伝えたいことは分かる。

 彼らが人間じゃないという事実だ。

 

 理解できないが……きっとそれは正しいのだろう。

 

「儂らはおぬしらと違って、内面的な経験を持たぬ。見た目が精巧な、AIを積んだ機械と同じよ。おぬしが絆と思うておるのは錯覚に過ぎぬ」

 

 陽の届かぬ地の底で、かつて陽だまりの賢者と呼ばれた男は語った。

 

「おぬしは地上に帰りたいと言ったな。だが、よく考え、己の胸に問いかけよ」

 

 僕を見据えるその瞳。

 紅玉の瞳が、無機質に輝いていた。

 

「地上の仲間が人間ではないと知っても、なお――おぬしは本心から、仲間に向けて笑いかけることが出来るのか?」

 



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第69話『クラマ#04 - 賢者の依頼:愛の証明』

「なるほどね。それが何か?」

 

 深遠なる賢者ヨールンの問いかけ。

 それに対して、僕は逆に聞き返すことで回答とした。

 

「……まあ、おぬしならそう言うであろうとは思っておったが」

 

 僕の答えを受けて、ヨールンはつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「いや、まあ、言いたいことは分かるよ。あなたは知ってるかもしれないけど……これは哲学的ゾンビの問題だね」

 

 哲学的ゾンビ。

 言葉の通り哲学で語られる話で……かいつまんで言うと、意識を持たないけど人間と変わらない行動をとるゾンビは、人間と何が違うのか? という問題だ。

 ゾンビで考えるよりも、高度な人工知能とした方が想像しやすいかもしれない。

 

 区別のつかない作り物を、本物と区別するかどうか。

 ぶっちゃけて言ってしまえば、ほとんどの人は最終的に「区別する必要なし」という答えに行きつくと思う。

 ただし、そこに至るまでの過程がこの問いかけの本質だ。

 大半の人は「考えるだけ無駄」と一蹴してしまうだろう。

 それは実際として正しい。

 世の中には不真面目でいいかげんでも良いこともある。

 おそらく理解力が高く、自分と真剣に向き合う人ほど思い悩む。……ガーブのように。

 最終的に「区別できない違いは無視する」という答えを出しても、そこに「違いがある」と認識してしまうと、その解答は痛みを伴う。

 正しさと向き合わなければ気が済まない自分のサガを、理屈で無理やり押さえつけることになるからだ。

 

 僕も答えは同じ。

 けれども、その過程が違った。

 僕はそんな葛藤を経るまでもなく最初から、自分と他人が別の生き物だと区別していた。

 もちろん僕は「地球人グループ」の一員で、「異世界人グループ」とは別だということは理解してる。

 でも僕の中の実感では……「僕」と「それ以外」にしか別れていないのだ。

 今の話を聞いた後でも。

 

「愚問じゃったな。つまらん」

 

「ひとにリスク負わせておいてこの言い草! 権力を与えたらダメなタイプの人だねコレは」

 

 この賢者、ナチュラルに性格が悪くて手に負えない。

 でも、そのぶん彼は思いのほか分かりやすそうだ。

 美青年の姿に老人の喋りというミスマッチに始めは面食らったが、赤い目の色から分かる通りに、彼はおそらく快楽主義者だ。思考は読みやすい。

 

 それより僕は、隣の少女がよく分からない。

 彼女の兄の体をヨールンが乗っ取っている。

 その兄は別に悪い人間ではなかったという。

 だというのに、彼女はまるで恋人のように兄の体を奪った男に寄り添っている。

 ……かなり不気味だ。

 ひょっとしたら納得できる理由があるのかもしれないけど、触らぬ神に祟りなしだ。

 この疑問はうっちゃって次の話に行こう。

 

「……一応聞いておくけど、さっき言った話は他の人達は知ってるの?」

 

 僕の質問にヨールンは首を横に振った。

 

「いいや、儂とイードの森のババアだけじゃな、知っとるのは。こんな事が表沙汰になったら、また《神の粛清》じゃろう。そうならんように、地質学的調査は儂の名で禁止したが……さて、今はどうじゃろうな。長いこと地上に出ておらんから、よう分からん」

 

 なんか結構ヤバイ話をしてるっぽいぞ。

 神の匙加減ひとつで人類滅亡とかマジ勘弁なんだけども。

 ……まあ、核戦争の脅威みたいなもんかな。

 ここで僕が心配してもしょうがない。

 

 とりあえず、ここでヨールンが語った話は、一般には知られていないということだ。

 つまり、この世界の住人は普通に自分を人間だと思っている。

 

 ……考えてみれば、おかしな話だ。

 僕は自分を人間じゃないと思っていた。

 けれども事実として僕は紛れもない人間で……僕なんかよりも遥かに人間らしいみんなが、人間じゃなかったなんて。

 皮肉というのか何というのか。

 

 それと――もうひとつ。

 この哲学的ゾンビ問題、「意識(クオリア)を持たずに人間の振る舞いをするモノ」という命題の前提になる概念――「意識」について。

 僕はこれまで、「意識」というのは人の脳が言語を認識するために起きる錯覚であり、人は漠然と概念的に「意識」という言葉を使用するけど、僕は本質的に「意識というものは実在しない」と考えていた。

 だからこの哲学的ゾンビ問題、これを僕は単なる思考実験としか捉えていなかったのだ。

 だがヨールンはそれが想像上の概念ではなく、実在し証明できるものだと語った。

 これにより、僕の思想がひとつ覆された。

 意識持つもの――生物――人間。

 

 人間とは何か。

 

 ……まあ、今はいい。

 哲学に向き合うのはまた今度。

 それより今は賢者ヨールンから少しでも情報を仕入れておく場面だ。

 

「僕の話はつまらないってのが分かったところで、今度はこっちから聞いていいかな?」

 

「そういう返しができるあたり、普通に話すぶんには面白そうじゃがの。まぁ聞いてみるがええ。答えるかどうかは質問次第じゃ」

 

「うん。じゃあ、僕がさっきまでいたダンジョン地下6階……あそこは何なの?」

 

 ダンジョンがフロアごとに、まるっきり別の施設を繋げたものだというのは分かっている。

 だから、それまでのフロアと全く趣が違う作りになっていても気にはしなかった。

 

 ……けど、6階には他と違う違和感があった。

 それは遭遇した獣の名だ。

 これまでの階層で遭遇してきた獣たちは……クリッグルーディブ、フォーセッテ、サイヨロアピーント、イーノウポウ……と、今まで聞いたことがない、この世界独自の名称だった。

 しかし地下6階は違う。

 ケルベロス……グリフォン……キマイラ……そしてドラゴン。

 いずれも聞き覚えのある伝説上の生物だった。

 これが何を意味するのか……?

 

「あそこは神が作った“資料室”じゃ」

 

「……資料室?」

 

「虹色の水晶があったじゃろう? あれは近くにいる者の脳に働きかけ、恐ろしい生物の姿を見せる。これを模したものを作れという、儂らに対する課題だったと儂は思うておる。以前はこやつらが地上に大勢いたが……《神の粛清》で、ほぼ絶滅したようじゃな」

 

 ほぼ……か。

 そういえばドラゴンの名前はイエニアから聞いた記憶がある。

 ドラゴンは《神の粛清》も生き残ったのか……いや、いや待て。

 そんなことより気になることがある。

 

「脳に働きかける? それはつまり――あの洞窟で見たのはみんな幻覚ってこと?」

 

「ふむ――そう思うか?」

 

 思えない。

 だから驚いてる。

 いや、確かにそれなら怪物が群れずに一匹ずつ出てきた事とか、他所から生き物が入り込むことがなさそうなのに色んな種族が残ってる事とか、あのフロアの生態系の不自然さには筋が通るけど……。

 

「ミラーリング・クリスタルが見せるのは怪物の姿のみ。それ以外はおぬしの脳が勝手に補完したものじゃ」

 

「――なるほど? って、ちょっと待って。ちょーっと整理する時間が欲しいんだけど?」

 

 えーっと……僕が水晶に見せられたのは怪物の姿だけ、と。

 それじゃ洞窟の外観や僕ら3人の動きは、幻じゃなく本物だということだ。

 

 ……暗示の力というのは、僕らが思うよりも遥かに強い。

 単なる鉄の棒を焼きごてだと信じさせて押し付けると、火傷のような水ぶくれが生まれる事があるという。

 目隠しをした男の手首に痛みを与え、そこに水滴を垂らし続けると……失血したと思い込んで勝手に死んでしまったという話もある。

 身近な話では、かき氷なんかは全部同じ味なのに、見た目の色と香りのせいで味が違うように錯覚する。

 

 目の前で起きた出来事があまりにリアルすぎて、にわかには信じがたいが……。

 ……よ~~~~く思い起こせば、確かに……そういえば確かに……おかしな事も……あったか。

 ケルベロスに噛まれたガーブの足の傷。

 そうだ、僕はあの時、大きな穴がぽっかり空いているように見えた。

 なんで穴が見えた?

 本当は血が出て穴なんて見えないはずだ。

 あの時は何も疑問に思わなかったが……僕の脳が作り出した映像なら、僕が疑問に思わないのは当然か。

 

 ……ともあれ、納得できなかろうが受け入れるしかない。

 しかし、そうか……

 

「それじゃあ、あそこで人が殺し合いをすれば当然……幻じゃないから本当に死んでるわけだ」

 

「無論」

 

「そっか……」

 

 まあ、仕方ない。

 どのみち僕が殺すつもりだった人だ。

 

「そろそろ理解は追いついたか? さて、他に聞きたい事はあるかの?」

 

「うーん、僕がこのダンジョン降りた時は目ぼしいお宝ってなかったんだけど、元々は何かあった?」

 

「それは教えられんな」

 

「そうかぁ……じゃあ、この国には良識派の評議会議員っているの?」

 

「それも教えられんな」

 

「……遠くの人を操れる魔法具って、どのくらい使い続けられるものかな?」

 

「教えられんな」

 

「何なら教えられるのさ!?」

 

 こいつ役に立つことはガチで教えない気か……!

 

「どうした? もう聞きたいことはないのか?」

 

 PRGのNPCみたいなこと言い出したぞ。

 いや、みたいじゃなくて正しいのか。

 ともあれ、だいたい聞きたいことは聞いた。

 

「そうだね。そろそろ地上に戻らないと」

 

「いいじゃろう。だが、儂からひとつ頼みがある」

 

 ひとつじゃないよね? ふたつめだよね?

 頼みじゃなくて条件ですよねそれ?

 後出しで条件を追加。こっちが断れないと分かってやってるところが非常にタチが悪い。

 こういう手合いは、無駄に条件を増やされる前にさっさと会話を負えるのが、被害を少なく切り抜けるコツだ。

 

「わかった。その条件っていうのは?」

 

「物分かりが良くて結構。おぬしに頼みたい事というのは……」

 

 賢者ヨールンは傍にいる少女の腰に手を回して抱き寄せると、その口からとんでもない事を告げた。

 

「この娘を儂から寝取って欲しい」

 

 ――まじでか。

 

「え……えええええええっ……!?」

 

 少女が驚きの声をあげる。

 当たり前だ。

 少女の正常な反応を見て僕は少し安心した。

 

「い、嫌ですお兄様! お兄様は私を捨てるのですか!?」

 

 嫌がる少女。

 ヨールンは少女の肩に手を乗せて諭す。

 

「そうではない。よいかヤエナ……儂がこの地底湖に隠遁するようになって、数えきれぬほどの夜を越えてきた。故に、もはやここで出来る事はやり尽くしておる。そこへ、こうして都合の良い若者が現れた! この機を逃すわけにはいかん。儂には新しい刺激が必要なんじゃ……分かるな?」

 

 はい、どうも。都合のいい男です。

 ヤエナって名前だったのね、この子。

 

「そ、それは……私も薄々は、お兄様の勃ち……あいえ、元気がないのは察しておりました。お兄様が、私をもう愛していないから……そのようなことをしなくてはならないのですか……?」

 

 ()ちが悪いって言いそうになったよね今。

 僕の聞き間違えや勘違いでなければ。

 

「逆じゃよ、ヤエナ。寝取られというのは、愛が大きいほどに意味がある。これは儂とお前の愛の証明じゃ」

 

 どうでもいいけど寝取られっていうか、寝取らせだよね。

 どうでもいいんだけどさ、僕からすれば。

 

「し、しかし彼にも都合があるのでは……好きでもない女を抱くなんて……」

 

 その辺に考えが及ぶんだったら、最初から素直に帰り道を教えるよう説得して欲しかったなー。

 

「大丈夫じゃ。こやつは何人の娘と同時に関係を持とうと、罪悪感を覚えたりはせん。そういう男だということは分かっておる」

 

 ……そうなんだけどさ。

 さすがにバレたら良くない事だとは分かってるよ? 僕だって。

 

「……分かりました。お兄様と私の愛の証明……私、立派に勤め上げてみせます!」

 

 ああ、僕に確認はしないんだ。

 

「ヤエナ……!」

 

「お兄様……!」

 

 ふたりは固く抱き合った。

 ……いやあ、僕に拒否権がないのは分かってるから、口は挟まなかったけども。

 さて、これはどうしたもんだか。

 

 

 

 

 

 賢者ヨールンと涙の抱擁を交わした少女ヤエナは、食料などの準備を終えて、改めて僕の前に立った。

 

「わたくし、ヤエナと申します。魔法はあまり得意ではありませんけど……邪魔になる事はないと思います。よろしくお願いしますね」

 

 朗らかな笑顔を僕に向ける少女。

 この娘は本当に状況が分かっているのだろうか。

 とりあえず僕も笑顔で手を差し出した。

 

「うん、こっちこそよろしく。いざとなったら僕が守るから、心配しなくていいよ」

 

 ヤエナと僕は握手した。

 どうにも大変なことになってしまったが、仕方がない。

 道さえ分かれば途中で置き去りにしてもいいわけだし。

 ヨールンが僕に向かって告げる。

 

「道はその娘が知っておる。名残惜しいが、また会う時もあるじゃろう。おぬしが生きておればな」

 

 微妙に不吉なことを。

 どうやら彼とはここでお別れのようだ。

 僕は別れの挨拶をする。

 

「あはは、そこはなんとか頑張ろう。ありがとうございました。それじゃあ、またどこかで」

 

 ヤエナもヨールンにぺこりとお辞儀をして、僕と一緒に歩きだす。

 ――と、このタイミングかな。

 

「そうだ。最後にひとつ聞いていいかな?」

 

 僕は肩越しに振り返る。

 

「……なんじゃ? 言うてみい」

 

「この世界の人って、レシピ通りに造られるんだよね? それってさ、僕みたいな異常者の設定も入ってるのかな?」

 

 最後にひとつと言うことで断りにくい空気ができる。

 それと、終わったと思って気が抜けた瞬間だから、僕の役に立つかどうかの判断を間違う可能性も期待してみたが、どうかな……?

 

「……ああ、入っておる」

 

「そうなんだ。ありがとう。……じゃあ、今度こそさようなら」

 

 僕は手を振ってから、ヨールンに背を向けた。

 

 ……さて、これが役に立つのかどうか。

 最後のこれだけじゃない。

 賢者ヨールンといえど、未来まで見えているわけじゃないだろう。……たぶん。

 これまでに語られた中で、僕の役に立つ情報が混じっているかもしれない。

 それをじっくり精査しながら、帰り道を行くとしよう。

 

「クラマさん、こっちですよ。滑りやすいから足元には気をつけてくださいね」

 

 ……それと、この子の扱いも。

 



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第70話+第71話 - 賢者の挿話と診療所の挿話

 クラマとヤエナが去った後、2人の姿が消えても賢者ヨールンは虚空の先を見据え続けていた。

 闇の中でも燻ることなく煌めく紅玉の瞳。

 まるでそれは嵌め込まれた宝石のようだった。

 しかし――

 

 

「いつまでも人形のままでいられるか……」

 

 

 ソレは聞こえるはずのない声。

 男の口は動いていない。

 当然だ、紡がれた声色はしわがれた老人のもの。

 ここには青年の形をしたモノしかいない。

 いや、もうひとつ……

 

「ィ……ィィ……ァィ……」

 

 クラマがいなくなったのを見計らってか、鍾乳石の陰からソロソロと姿を現す黒いもの。

 ――魔物。

 ヨールンは魔物に手招きをすると、近寄ってきたそれを両手で頭上に高く抱え上げた。

 

 元は人間――いや、神の造りし“人形”であったもの。

 今やそれは顔もなく、手もなく、足もなく、ただ体の軋みで鳴き声のような癇に障る音を奏で、棒状の器官を突き出す勢いで移動を行う奇怪極まる物体。

 知性を捨て、尊厳を捨て、さらには有機体であることすら捨て、このようなものに成り果ててまで生き永らえて――果たしてそこに希望はあったのか。

 今となっては何も語れぬ当人にしか分からない。

 魔物と呼ばれることになった、《神の粛清》を経た古代人たち。

 

 魔物を頭上に掲げた賢者ヨールンが口を開いた。

 

「先輩……」

 

 美しい青年の声には、どこか遠い郷愁を思い起こすような、優しさと悲哀があった。

 賢者ヨールンは魔物を自らの膝の上に乗せ、再び釣り竿を地底湖に向かって構える。

 

「小賢しく……常軌を逸した奴じゃが……あのくらいでなくてはならん」

 

「ィ……ィィ……」

 

 膝の上の物体に、その言葉が通じているのかいないのか。

 

「さて、うまく動いてくれるかの……儂の可愛い人形たちは……」

 

 賢者は魔物を優しく撫でて、語りかけるように呟いた。

 

 

----------------------------------------

 

 

 草木も寝静まり、夜陰ますます深まりゆくという頃。

 住宅街の裏通りに紛れるように、小さな個人経営の診療所が佇んでいる。

 クラマ達が贔屓にしているニーオの診療所だ。

 

 その病室のひとつでサクラ、一郎、次郎、三郎の4人が集まり声をひそめて相談していた。

 

「……で、やっぱりクラマ達と連絡はとれないの?」

 

「すいやせんアネゴ」

 

 クラマ達のパーティーがダンジョンに潜ってからというもの、ここ数日間ずっと連絡がとれないことにサクラ達は焦れていた。

 それだけならば探索が長引いているのだろうと考えることもできた。

 だが、先日クラマ達の貸家が憲兵の手で封鎖されているのを目撃して、彼らは強く動揺していた。

 クラマ達と彼らはもはや一蓮托生である。

 憲兵にクラマ達の貸家が押さえられたとなれば、床に開けた穴を使って不正を働いていたことは当然、明るみに出る。

 クラマ達が捕まれば、協力者であるサクラ達にも類が及ぶことは必至。

 これは由々しき事態であった。

 

 病室に集まった彼らの表情は一様に不安げだ。

 ベッドの縁に座るサクラも険しい顔で、落ち着きなく何度も足を組み直している。

 

「あたし達に何かできることないの?」

 

 そんなサクラの問いに答えるのは次郎。

 

「へえ。クラマの旦那からは、何かあっても下手に動かず待ってるように……って言われてるっスからねぇ」

 

「う~~~~……ならしょうがないけど……。そうだ一郎、今日は外の様子を見に行ってたんでしょ? 何かなかったの?」

 

「えぇ、それが冒険者ギルドに行ったら、彼ら全員が指名手配されてやして。似顔つきで、掲示板に手配書が」

 

「はぁ!? なにそれ、まずくない!?」

 

「そりゃあ……まずいですわ」

 

「まずいっスよ、アネゴォ!」

 

「お、おおお落ち着きなさい! あ、あたしがなんとかするから大丈夫よ!」

 

 そう言うサクラの声も不安に震えている。

 リーダーがそんな様子では周囲も落ち着けるはずもなく、次郎が慌てて意見する。

 

「お、俺っちたちだけでも逃げた方がいいんじゃないっスか!? アネゴは発信器を取ったから、この街から出ても大丈夫なんスよね!?」

 

「そ、そうだけど……だめよ。クラマ達を置いていくなんて」

 

「あの人らも先に逃げてるんじゃないっスか? ひょっとしたら俺っち達は見捨てられたのかも……」

 

「やめろ、次郎」

 

 一郎がぴしゃりと次郎を止める。

 

「クラマの旦那がおれらを見捨てるわけがねぇ。おかしなことを言うのはやめろ」

 

「なんでそう言い切れるんだよ!? 見捨てたんじゃなくても、先に街から出て連絡がとれないって事もあるだろ? そしたら待つだけバカじゃんかよ!」

 

 一郎と次郎は自分に課せられた役作りも忘れて、素の口調で言い争う。

 

「そしたら、ここにいりゃ向こうから連絡つけてくれる。おれらが見捨てられることはねぇ。信じろ」

 

「じゃあ信じて来なかったらどうすんだよ!?」

 

 ヒートアップしてきた2人。

 それをサクラが一喝する!

 

「ああもう! 一郎次郎、うるさい!」

 

 2人の男はぴたりと言い争いを止める。

 室内が静かになったところで、それまで口をつぐんできた三郎が、ぼそりと呟いた。

 

「……あの男は危険から逃げるような男じゃないでござる」

 

「…………………………」

 

 誰も反論はなかった。

 それが間違いなく真実であると、その場の誰もが知っていたからだ。

 ……しかしながら次郎は少し気になった。

 「クラマは逃げ出さない」と語る三郎の表情、そして声色が……希望や妄信などの明るいものではなく……ひどく暗く、否定的なニュアンスに思えたからだ。

 その理由は次郎には見当がつかない。

 三郎は続けて口を開いた。

 

「どのみちアネゴの治療も終わってないでござる。しばらくはここで待機するしかないでござるよ」

 

 それにもまた、否定の言葉はなかった。

 ハァーッとサクラがため息をつく。

 

「しょうがないわねぇ……じゃあ、当面はここで待機。一応逃げる準備もしておく。それでいいわね?」

 

 サクラが場をまとめて、全員が頷いた。

 ……と、そこへ診察室の方から何やら言い争うような声が届いてきた。

 

「……何かしら? こんな夜中に」

 

「ちょっと見てきやす」

 

 一郎たちは廊下に出て、診察室のドアをそっと開けて隙間から中を覗き込んだ。

 するとそこでは――

 

 

 

 

 

 武装した憲兵数人が、どやどやと無遠慮に診察室へ足を踏み入れた。

 診察室でカルテのチェックをしていたニーオは、急な来訪者に向けて顔を上げて対応する。

 

「急患――じゃなさそうね。何かしら? とっくに営業時間は過ぎてるんだけど」

 

 憲兵のひとりが前に出てニーオに告げる。

 

「クラマ=ヒロという地球人を知っているな」

 

「……………はぁ」

 

 ニーオは無駄だろうなと思いつつも、一応弁明してみせる。

 

「たしかに患者として来たことはあるけど……それが何? 地球人は治療しちゃいけないなんて法律、この国にあった?」

 

「我々と来てもらおう」

 

 憲兵は聞く耳持たない、ただこちらの言うべきことを言うだけ、という感じだった。

 

「せめて理由くらい聞かせてくれない? あの子が何をして、私が何を疑われてるのか」

 

「クラマ=ヒロは複数の冒険者ギルド規約に違反した指名手配犯だ。お前はその協力者の疑いがかけられている」

 

 ニーオはやれやれという風に頭を掻いた。

 やっぱり裏目に出たか、と。

 あんな男と関わったばっかりに、とうとう手に縄がつくことになってしまったようだ。

 ……とはいえ、ニーオに後悔はなかった。

 医者として――人を助けるために。

 それができる場所を求めて、帝国からこの地に身一つでやってきたのだ。

 クラマという爆弾に関わったのは不運だったが、たとえ何度繰り返しても自分は同じ事をするだろう……。

 ニーオはそう考えている。

 

「……ま、もしまた無事に会えたら……ぼったくるネタにはなるかな」

 

 ニーオはそんな独り言を言って椅子から立ち上がった。

 ――そこに、声がかかった。

 

「ちょっと待ってください」

 

 扉を開いて現れた男。

 ニーオは目を見開いて驚いた。

 そこに立っていたのは、この診療所で薬物治療のかたわら助手を務めている地球人……ダイモンジ=ダイスケだ。

 現れたダイモンジに憲兵が反応する。

 

「地球人の男……? 誰だ?」

 

 ニーオは憲兵に向けて言った。

 

「この地球人はただの患者。関係ないよ」

 

「そういうわけにもいかないですよ、先生……このまま連れて行かれたら……戻って来られないんじゃないですか……?」

 

 この街を牛耳るヒウゥースの評判を聞く限り、ダイモンジの言うことは間違ってなさそうだった。

 答えられずに苦い顔をするニーオ。

 そんなニーオの様子を見て、ダイモンジは拳をぎゅっと握った。

 

「それじゃあ引くわけにはいかない……!」

 

「震えてるじゃない。無理しないの。確かあなた、人を殴ったこともないんでしょ?」

 

 ニーオの指摘は当たっていた。

 生まれてこのかた、ダイモンジは他人に対して拳を振り上げた経験がなかった。

 扉を開けて姿を現した時から、ダイモンジの体は恐怖に震え、体中に汗が滲み出ている。

 

「そうですね……でも……」

 

 喧嘩などしたこともない。

 今すぐにでも逃げ出したい。

 そんな思いを後一歩のところで必死に押さえこんで、その場に立つダイモンジ。

 彼はゴクリと喉を鳴らして、言った。

 

「ここで何もしないで見過ごしたら、僕を助けてくれた彼に顔向けできない……!」

 

 どうあっても引くつもりはないと、不退転の決意を見せる。

 そんなダイモンジの顔を見て、憲兵は話し合う。

 

「令状にはありませんが……」

 

「面倒だ。邪魔するなら一緒に連れていくぞ」

 

 動き出そうとする憲兵たち。

 ダイモンジはその前に唱えた。

 

「エグゼ・ディケ! 向こうからこっちに触らせない……!」

 

 憲兵がダイモンジに殺到する!

 ……だが、ある者はダイモンジに触れる直前で転倒し、またある者は壁にあるものが落ちてきたりと、奇妙な不運に阻まれて触れることができない。

 

「よし……!」

 

 憲兵がドタバタ劇を繰り広げている間にと、ダイモンジはニーオを連れて診療所の外へ出ようとする。

 が……扉に向かう道は憲兵の体で阻まれている。

 

「エグゼ・ディケ! 囲みを突破して外へ……!」

 

 唱えて突破しようと走る!

 しかしどうしたことか、扉を阻む憲兵は微動だにせず、逆にダイモンジを捕まえてきた。

 ダイモンジの首からかかった札にある運量の数値。

 その残りは――0であった。

 

「ぐぁっ!」

 

 頭を掴まれ、上から地面に押さえ込まれたダイモンジとニーオ。

 ふたりは床に顔を押しつけられたまま、顔を合わせる。

 

「う……す、すみません……役に立たない男で……」

 

「まったくね。痛い思いしただけじゃない」

 

「は、はい……」

 

 ニーオの辛辣かつ正当な評価に、ダイモンジは縮こまった。

 

「……ま、啖呵を切った時だけはサマになってたわよ」

 

「ニーオ先生……」

 

「でも、そういう事するならもう少し痩せなさい?」

 

「はい……」

 

 程よくふくよかなダイモンジの頬肉が、床に押し付けられて面積を広げていた。

 

 

 

 

 

 ……その様子を、扉の隙間から見た一郎、次郎、三郎の3人。

 

「どどどどうするよ……!?」

 

 次郎が声を震わせながら2人に訊く。

 同じく冷や汗を流して震える三郎が呟いた。

 

「い、今のうちに逃げ……」

 

 そこに口を挟んだのは一郎。

 

「……助けないと」

 

「バカおめえ無理に決まってんだろ! こっちにゃ怪我人もいるんだぞ!」

 

 その指摘に一郎は唸る。

 次郎の言う通り、彼らに憲兵を撃退する力などない。

 

「ぐっ。アネゴを連れて窓から――」

 

「ひぃ、来たっ……!」

 

 一郎たちがいる廊下と診察室を繋ぐ扉が、バーンと大きな音をたてて開かれる!

 扉の前で覗いていた男3人は、弾かれたように廊下に尻もちをついた。

 それを見て憲兵が声をあげる。

 

「お前らだな! 指名手配犯の協力者!」

 

「隊長、間違いないっす。昼間に冒険者ギルドで嗅ぎ回ってた奴ですよ」

 

 憲兵の言葉に、一郎の顔がひきつる。

 そして近付いてくる憲兵。

 一郎たち3人は、おたおたと床を這いずるように下がった。

 逃げようとした一郎が憲兵に腕を掴まれ――

 

「ちょっと、何やってるのよ!」

 

 廊下に響き渡る甲高い少女の声。

 病衣を着たままのサクラだ。

 

「……!」

 

 一郎の目が見開かれる。

 それまで憲兵から逃れようとしていた一郎だったが、しかし急に毅然として立ち上がり、両手を広げて通路を塞いだ。

 

「アネゴ、ここはアッシが抑えやす! 逃げてくだせえ!」

 

 通路に仁王立ちする一郎。

 サクラには背を向けているが、その顔には決死の覚悟があった。

 その一郎の背に、サクラの声が飛ぶ。

 

「なに言ってんの! あんた達を置いて行けるわけないじゃない! あたしがこのパーティーのリーダーなのよ!」

 

「アネゴ……!」

 

 一郎の胸中に複雑な思いが沸き起こる。

 そんなことを言わずに一人でも逃げて欲しいという思いと――

 そんな彼女だからこそ、守りたいという思い。

 

 いずれにしても、その場を引くという選択肢だけは、一郎の中にはなかった。

 

「……さっさと引っ立てろ。奥の奴は地球人だ。面倒だから先にな」

 

「はっ!」

 

 いかに覚悟を決めようとも、力のない身にとって現実は残酷なものだった。

 一郎は憲兵に蹴り飛ばされて廊下を転がる。

 そして憲兵は容易くサクラを拘束した。

 

「ちょっ、離して! 離せ、このっ――むぐっ!」

 

 抵抗するサクラの口を、憲兵が塞ぐ。

 口を塞いでしまえば面倒な運量を使われる心配もない。

 安心して連れて行ける……と気を抜いた瞬間だった。

 

「はオゥッ……!」

 

 サクラを捕まえた憲兵の体がくの字に折れる。

 その股間にサクラの膝がめり込んでいた。

 

「お、おい! 大丈夫かッ!」

 

「くお……おォん……うおぉん……」

 

 股間を押さえて崩れ落ちる憲兵。

 代わりに別の男がサクラに手を伸ばす。

 しかし今度は、サクラを捕まえようとはしなかった。

 代わりに――殴る。

 男の拳がサクラの横っ面を打ち抜いた!

 

「おらァッ!」

 

「あうっ……!」

 

 男の容赦ない一撃。

 少女の軽い体は、吹き飛ばされるように地面に転がった。

 

「ぅ……あ……」

 

 地面に倒れたサクラは意識こそ残っていたが、体が動かず起き上がれないようだった。

 それに拳を構えたまま、馬乗りになる憲兵の男。

 

「やめろ!」

 

 暴れる一郎。

 だがいくら暴れようとも、上から別の憲兵にしっかりと拘束されて、立ち上がることすらできない。

 そして通路の隅。

 その様子を眺めながら……何もできない次郎と三郎がいた。

 

「ああ……もうだめだ……」

 

 絶望にうちひしがれる。

 それは、今の状況に対する絶望だけではなかった。

 先ほど見たダイモンジや一郎、そしてサクラのように……仲間のために体を張ることができない自分自身に対する、自虐的な絶望だった。

 

 ――だって抵抗しても無駄だと分かってる。

 ――自分が弱いなんて、自分が一番よく分かってるんだ……。

 

 でも……と、次郎は思う。

 次郎が一郎と初めて出会った時、彼は一郎に自分と同じものを感じていた。

 ダイモンジに対してもそうだった。

 自分の同類……ヘタレの目をしていた。

 しかし、目の前の光景は違っていた。

 必死になって仲間のために戦う一郎やダイモンジと……廊下の隅で縮こまっている自分と三郎。

 

 ――なんでこんなことができる?

 分からない。

 ほんの少し前までは、同じ穴の(むじな)であったはずだった。

 自分と彼らとの間に、どうしてこんな差がついたのか。

 分からない。

 次郎には分からなかった。

 ただ――

 

 次郎の脳裏にひとつ思い浮かぶもの。

 それは、この街で知り合った地球人の少年。

 あの少年ならば、微塵も迷わず飛び出し、体を張って戦うだろう。

 そして鮮やかに、見事なまでにあっさりと、やってのけるに違いない。

 

「あいつが……」

 

 次郎の唇から、祈るように言葉が漏れた。

 

「あいつがいれば……」

 

 その時、診察室の方から物音がした。

 続いて警戒を(あら)わにした憲兵の声。

 

「なんだ貴様! おい止まれ……うぐあっ!」

 

 ドダッ、と重いものが床に転がる音が次郎の耳に届いた。

 その騒ぎに廊下にいる憲兵も気がつき、目を向けた。

 

「何があった。確認しろ」

 

「はっ! ……あっ!?」

 

 黒い影が、診察室から廊下に現れる。

 翻る黒コート。

 迷いなく振るわれる拳、そして投げ。

 

 突如として現れた男に、廊下にいた憲兵は次々と倒されていった。

 あっという間に男たちは叩き伏され、そして残るはサクラの上に乗っていた男だけ。

 男は立ち上がり、乱入者の顔を見て言った。

 

「貴様、こいつらの仲間か!? ……んっ!? いや、貴様、その顔……!」

 

 憲兵はその顔を見て驚愕した。

 そして、その憲兵の足元で、倒れたサクラの唇が動いた。

 

「……クラマ」

 

 剣を抜こうと腰に手を伸ばす憲兵。

 だが踏み下ろすような蹴り込みによって、腰に伸ばした手は蹴り足と柄との間で潰された。

 

「――ぐぁっ」

 

 苦悶。

 だが痛みから立ち直る暇はなかった。

 次の瞬間には指を立てた掌で顔面を叩かれ、目潰しを受ける。

 

「ぬむ――」

 

 目潰しを受けた男は反射的に顔を手で覆い、頭が下がる。

 その下がった頭を両腕で抱え込まれて――今度は顔面に膝を打ちつけられる。

 そこでほぼ意識は飛んだ。

 が、さらに一分の容赦もなく、勢いよく壁に頭を叩きつけられた。

 

 ……憲兵は倒れて起き上がらない。

 突風のごとく駆け抜けたひとりの男によって、瞬く間に全ての憲兵は打ち倒された。

 廊下の奥に佇み、背中を見せる黒コート。

 黒いコートの裏地には、ちらりと見えるリバーシブル仕様の白。

 それはサクラ達のよく見知った男。

 しばらくぶりに彼らの前にその姿を見せた男は、ゆっくりと肩越しに振り返り……にやりと笑顔を見せて言った。

 

「や、助けにきたよ」

 

 クラマが、地上に帰還した。

 



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第72話『クラマ#05 - 友達の条件』

 うまいこと奇襲で4人の衛兵を打ち倒すことができた。

 剣を抜かせる前に倒せて良かった。

 狭くて小さな診療所の廊下で、こちらがひとりだったから抜きにくかったのだろう。

 この狭さで剣を抜けば、自分や味方を傷つける危険がある。

 

 僕は一郎さん、次郎さん、三郎さん、そしてサクラの方へ振り返った。

 

「みんなよく耐えてくれたね。大丈夫かな?」

 

 そう言って僕は足元に倒れるサクラを助け起こした。

 手に感じるのは軽くて細い少女の体。

 ……それが震えている。

 いつも強気な態度のサクラだが、その実、彼女は人一倍怖がりだ。

 それも当然。彼女は荒事とは無縁の暮らしをしてきた、普通の女子中学生なのだから。

 僕はサクラに声をかけた。

 

「サクラ、怖かった?」

 

「は、はあ? そっ……そんなことないし」

 

 明らかな強がり。

 一郎さんたちの様子を見ても、覇気がない。

 そもそも、この程度の相手に制圧されているようじゃ戦力にならない。

 次郎さん、三郎さんに至っては戦いすらしなかったようだ。

 彼らはこの先、足手まといになる可能性が高い。

 さて、どうするべきか……どうにかして街の外へ出すべきだろうか。

 

 僕はサクラの運量を確認した。

 ……満タンに近い。

 よし。

 僕は震えるサクラの体を抱きしめた。

 

「僕が来たからもう大丈夫だよ」

 

「ふえっ!? あ、あぅ……」

 

 サクラは驚いてじたばたともがこうとするが、やがて僕の腕の中で大人しくなった。

 そこに一郎さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。

 

「すいやせんお二方(ふたかた)。アッシらはこれからどうするんですかい、旦那?」

 

 僕はサクラを抱きしめる手を離すと、一郎さんに答えた。

 

「とりあえずは隠れよう。一応、あてはあるから案内するよ」

 

 すると僕の傍にいるサクラが、頬を染め、もじもじしながら、僕の顔を見上げて言う。

 

「でも足手まといじゃない? 街の外に逃げておいた方が……」

 

「そんなことないよ。サクラ、僕にはきみの力が必要だ」

 

「え……!?」

 

「みんなも自分が足手まといだなんて思わないで欲しい。僕はみんなを足手まといだなんて思ったことはない。仲間だからね」

 

 皆の視線が僕に集まるのが分かる。

 特に熱の籠もったサクラの視線が。

 

 ……このパーティーはサクラに依存している。

 だから彼らを動かすには、サクラを抱き込むのが一番手っ取り早い。

 「きみが必要だ」は常套句だ。

 連発さえしなければ、これほど簡単で強い言葉もない。

 

 サクラの反応を見れば、それが成功しているのが分かる。

 だが、その時だった。

 

「どうせ他の奴にも同じこと言ってるんだろ?」

 

 廊下の奥から聞こえてきた声。

 その声を発したのは、驚くべきことに三郎さんだった。

 隣の次郎さんが怪訝な顔で三郎さんの顔を覗き込む。

 

「三郎……?」

 

 三郎さんは僕をじいっと睨んで告げる。

 

「アンタはそうやって格好いいこと言って……周りの奴らをいいように動かして……さぞ楽しいだろうよ」

 

「おい三郎、なんだってんだいきなり」

 

「うるせえっ!」

 

 三郎さんは叫んだ。

 

「前々っからムカついてたんだ! アンタはその若さで! 頭はキレて! 顔も良くて! そのうえ喧嘩も強いだって……!? ふざけんなよ……ふざけんな……くそっ……なんで……なんでそこにいるのがおれじゃねえんだよ!!」

 

 最後の方は嗚咽にも似た非難。

 難癖、と言ってしまっていい内容だった。

 興奮のせいか、サクラから指定されたゴザル口調をすっかり忘れている。

 おそらく、これが素の彼なのだろう。

 

「三郎さん……」

 

 いや、三郎さんと呼ぶべきじゃないのか……?

 僕に寄り添うように肩を預けたままのサクラが、何が起こったのか分からずに困惑した様子を見せる。

 

「な、なに? どうしたの三郎……?」

 

 サクラにはこういう経験がなかったんだろう。

 自分を取り合う男たちの修羅場。

 

 なんでそこにいるのが……か。

 なんでサクラの隣にいるのが……なんだろうね、本当は。

 

 彼がサクラの下についてる理由は薄々わかっていた。

 だけど、彼は(わきま)えていた。

 自分には手に入らないものだと理解しているから。

 ずっとその本心を押し込めてきたのだろう。

 それが、おそらく憲兵の襲撃を受けて無力感に打ちひしがれたこともあって……そこに今の僕の行動が引き金となって、(たが)が外れてしまった。

 

「な、なにいってんだ三郎。そんなこと旦那に言ってもしょうがねえじゃねえか」

 

「うるっせえ! そんなことは分かってんだよ! 分かってんだ……おれが……どうしようもないクソザコなのが悪いなんてことは……」

 

「さ、三郎……」

 

 こういうことは、これまでも何度かあった。

 嫉妬による反発を防ぐために、僕はいつも進んで貧乏くじを引いてきたけど……こんな切迫した状況じゃ、なかなかそうした余裕もない。

 

「でも許せねえんだ。アンタは自分の言ったことに責任を取れないんじゃないか……? そうだろ?」

 

 ……鋭い。

 そして、やはり奥ゆかしい人だ。

 彼が言いたい事はこうだ。

 「お前はサクラの恋心を利用したいだけなんだろう」……と。

 その通りだ。

 そうだ、彼は馬鹿みたいなキャラ付けを押しつけられていたけれど……実は思慮深く、頭が良い人だった。

 そして……優しい。

 こんな時でも、サクラには分かりにくいように言葉を選んでくれている。

 

 言うだけ言って落ち着いてきたのだろう。

 彼は声のトーンを落としながらも、僕の顔を見て、はっきりと言った。

 

「クラマ=ヒロ。おれは……アンタが嫌いだ」

 

 

 ……………。

 

 僕が……嫌い……?

 

 

 僕の口が開いて、気付くと喉奥から言葉が漏れ出していた。

 

「三郎さん……いや……」

 

 違う。

 彼の本名は、確か、そうだ。

 

「ニシイーツさん……」

 

 僕を正面から見据える彼の目が、徐々に見開かれていく。

 

「僕の……友達になってくれるのか……?」

 

「あ――」

 

 どさ、と彼は通路の先で尻餅をついた。

 何か恐ろしいものを目にしたかのように。

 人ではない何かを見たように。

 

 ――いけない。

 僕は手で自分の顔を覆った。

 (つくろ)わないと。

 いつもの愛想笑いを。

 

「……いやあ、悲しいなぁ。僕は三郎さんのこと好きだけど……嫌われてたなんてね」

 

 ワイトピートと共に行動して、少し前まで賢者ヨールンと己を隠さず話をしていたからか。

 僕も素の自分が出やすくなってるみたいだ。

 気をつけないと。

 ……ということで僕は気を取り直して、にこやかに続けた。

 

「でも、しょうがないよ。好き嫌いは止められない。……ただ、できればこの街を出るまでは協力して欲しい。いいかな、みんな?」

 

 そう言って僕は一郎さんに目を向けた。

 

「え、ええ……」

 

 とりあえず同意の言葉だけ取って、強引だがその場を収める。

 この診療所で長々と話をしている暇はないのだ。

 

 微妙な空気を誤魔化すようにして、僕は廊下から診察室へと向かった。

 診察室に入ると、そこにいるのはニーオ先生とダイモンジさん。

 ダイモンジさんは頬のあたりに打撲の痕があり、首からかかった札を見ると運量がほぼゼロだった。

 僕に気付いたダイモンジさんが声をかけてくる。

 

「ありがとう、君にはまた助けられたよ」

 

「どういたしまして。……ダイモンジさん、戦ったんですか?」

 

「ああ、うん……全然ダメだったけどね」

 

 そんな彼に、僕は親指を立ててニヤリといたずらっぽく笑う。

 ダイモンジさんは恥ずかしそうに、そして少し嬉しそうにはにかんだ。

 そんな男同士のイイ雰囲気に水を差す、冷たいニーオ女史の声。

 

「私はとばっちりだったワケだけど?」

 

「う」

 

 やっぱり怒るよなぁ。

 この様子だと、僕がいろいろ画策して動いてたのにも勘付いてそうだ。

 ……うん! こういう時は誤魔化せぃ! 面倒事は後回しだ!

 

「ま、まあ話は後でね! とにかく早くここを出よう。みんなついて来て!」

 

 僕はじとっとしたニーオ先生の半眼から逃れるように、診療所の外に出た。

 

 

 

 

 

 全員を先導して、夜の街を走る。

 遅れる人がいないように、後続の様子に気をつけながら。

 

 それにしても……ヤエナは本当にまったく僕を手伝わなかった。

 今も隠れて僕らの後をつけているのだろう。

 ……彼女が地底湖で僕に向かって「邪魔にはならない」と言ったのは本当だった。

 僕らは地底湖から地下6階に上がり、地下6階から隠し階段を登ると、地下4階にあるワイトピート達の隠れ家に出た。

 6階から冒険者が戻れないとワイトピートが言ってた理由が分かったわけだが……問題はその後だ。

 4階から地上に上がるまでに何度か獣と遭遇したけど、ヤエナはうまく立ち回り、獣の脅威から逃れていた。

 僕が彼女を守る必要がまったくなかった。

 ダンジョン出入口の警備兵を倒す時だけ手伝ってくれたが、その手並みも鮮やかなものだった。

 彼女が高い戦闘能力を持つのは明らかだった。

 間違いなく、僕よりも。

 ……だが、かといって協力して戦うそぶりも見せない。

 ただ僕の影のように、つかず離れずの距離で付き従ってくる。

 何を考えているか分からなくて不気味だけど……今は邪魔にならないのなら、それでいい。

 

 

 

 そうして僕らは、納骨亭の看板娘であるテフラの家に到着した。

 正確には彼女のお父さんのヌアリさんの家。

 いきなり訪ねてきた僕達を、彼らは快く受け入れてくれた。

 ここの人は僕に大きな借りがあるから、断られることはない。

 やはりいい事はしておくものだ。

 困った時には役に立ってくれる。

 この家の人らの人柄を考えても、余程のことがなければ裏切って通報されることもないだろう。

 

 彼らにお礼を言って、僕は地上の情報を集めるために外に出た。

 皆はどうなっているのか。

 一人では何もできない。

 まずは皆と合流しなくては。

 

 

 

 

 

 静まり返った住宅街。

 少し進んで周囲の建物がまばらになったところで、僕は後ろの暗がりに向かって声をかけた。

 

「ヤエナ」

 

「あら、どうしました?」

 

 やっぱりいた。

 小柄な人影が、ひょっこりと闇の中から姿を現した。

 暗めの紫色の髪に紫の瞳の、歳不相応に落ち着いた少女。

 

「少し話しておこうと思って」

 

「私とですか? なんでしょうか」

 

「まず、きみの意向としては……ヨールンの言葉に従うってことでいいのかな?」

 

「はい。存分に私を手籠めにしてください」

 

 存分にって……すごい娘だ。

 パフィーと同じくらいの歳のくせに。

 

「わかった。でもしばらくは無理だ」

 

「大丈夫ですよ、私もそこは聞き分けます。落ち着いてからで結構です」

 

 よし、状況が落ち着かなければ、ある程度は放置できそうだな。

 

「じゃあ僕からの頼みだけど、僕と賢者ヨールンとの約束……というか、僕がヨールンに会ったこと自体を秘密にして欲しい」

 

「クラマさんの都合がいいなら、私は構いませんけど……他の方にはどう説明すればいいでしょう」

 

「そう、そこ」

 

 僕はピッとヤエナを指さした。

 

「僕はこの世界の事情にあまり詳しくないから、そういう嘘はまだ詰められない。だからきみの意見を聞きたい。何かいい誤魔化し方はあるかな?」

 

 ヤエナはうーんと考えるしぐさをしてから、答えた。

 

「そうですね……地底王国からの迷い子ということでどうでしょう」

 

「地底王国?」

 

「はい。広大な地下大空洞の中心には、人の住まう王国があります。私たちがいた場所は彼らの縄張りからは離れていますが……私がそこの出身ということにすれば、クラマさんは全く知らないでしょうから話を合わせる必要もありません。私の嘘がばれても、私だけの問題として済ませられます」

 

 頭が切れる……。

 僕の意を汲み取って、後のフォローまでも考慮に入れた案をすぐに出してくるとは。

 

「わかった、それでお願い。それで……きみは僕に協力してくれるのかな?」

 

 彼女が高い能力を有しているのは分かっている。

 でも、これまでの道中では、積極的に協力しようというそぶりが見られない。

 彼女は言いにくそうにしながら口を開いた。

 

「……これを言ってしまうと、薄情者と思われてしまいそうなのですが……」

 

「大丈夫だよ、遠慮なく言ってみて」

 

 たぶん僕の方が薄情だから。

 

「はい。私はお兄様との約束を果たすためにここにいます。ですので……その目的のために、私の能力も交渉の材料にしたいと思うのです」

 

「……つまり?」

 

「私を抱いてくれれば力を貸します」

 

「……なるほど」

 

 これは想像以上の難物だ。

 

「分かった。その時がいつになるか分からないけど……とりあえずは、そんな感じでよろしく」

 

 何にせよ、今は仲良くする以外にない。

 僕はにっこりと笑って彼女に手を差し出した。

 

「はい。こちらこそよろしくお願いします」

 

 そう言って彼女は僕の手をとって握手を交わした。

 

「それじゃあ影に戻りますね」

 

 そうして、彼女は再び夜の闇へと消えていった。

 

 ……さて。

 わりと時間を食ってしまった。

 夜の残りはそう長くない。早く行かなくては。

 



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第73話『クラマ#06 - 木を隠すなら街の中』

 まずは何でもいいから情報を集める必要がある。

 そこで僕はまず、ティアのセーフハウスへと向かった。

 到着した僕は貸し倉庫(セーフハウス)には入らず、周囲の物陰に目を向ける。

 すると案の定というか……隠れて倉庫を監視している二人組の憲兵を発見した。

 憲兵の様子は倉庫を監視しているというよりかは、周囲に近寄る者がいないかどうかを警戒しているようだった。

 ということはつまり、あそこは憲兵に襲撃された後だ。

 すでにティア達はここにはいない。

 ティア達と連絡を取りに来るであろう僕らを捕らえるために、彼ら憲兵が張っているのだ。

 向こうのパーティーには発信器を取っていないマユミさんがいたし、そもそもひとつの場所に留まり続けるのは難しいだろう。

 

 ここで憲兵を襲って喋らせる……というのも考えたが、さすがにそれはあまりにリスクが高い。

 ゴタゴタしている間に人に見られる可能性があるし、こちらの聞きたいことが一つだけならともかく、しっかりした尋問には場所と時間が必要だ。

 彼らがどこまで知っているかも分からないしね。

 そんなわけで僕は大人しく諦めて、場所を移した。

 

 

 

 

 

 次にやってきたのは繁華街。

 こんな真夜中に情報収集するとしたら、やはりここしかないだろう。

 指名手配犯の身としては、人目につくリスクもあるけど……木を隠すには森の中とも言う。

 向こうも逃亡犯がこんな人の多い場所をうろついているとは思うまい。

 こういう時は、堂々としていれば意外とばれないものなのだ。

 

 

 

 

 

 情報収集を始めて、およそ5分ほど――

 

「待て! ひっ捕らえろ!」

 

「そっちだ! そっちに逃げ込んだぞ!」

 

 思いきり憲兵に追いかけられてる僕がいた。

 

「うおおおおおお何故こんなことにぃぃぃぃぃ!!!」

 

 一瞬だった。

 繁華街に入った直後、もう本当に一発でみんなが僕に気付いて大騒ぎになった。

 そして騒ぎを聞きつけた憲兵によって、こうして追いかけられているというワケだ。

 

「トゥあっ!」

 

 僕は銀の鞭を使って建物の二階に飛び上がり、窓から部屋に突っ込んだ!

 

「きゃああっ!?」

 

「うおっ! なんだてめえは!」

 

 突然入ってきた僕に対して、中にいた男女から悲鳴と怒鳴り声。

 こじゃれた内装の寝室。

 大きめのベッドの上で、裸で密着する男女。

 どうやらお楽しみの真っ最中だった模様。

 

「おおっと、こいつは失敬! すぐに出ていきますよっと」

 

「あっ! てめぇクラマじゃねえか!」

 

 と、男の方が叫んだ。

 よく見れば彼は若い槍使いの冒険者アナサ。

 彼には以前ダンジョン地下2階の情報を教えてあげた代わりに、長物を扱うコツを教えてもらったことがある。

 そしてベッドの上で彼と裸で抱き合っているのは、このあたりの賭場で給仕をやってる地味めで泣き黒子(ぼくろ)のリーウィー。

 そうかそうか。やるじゃんアナサ。

 ん? でもこいつ同じパーティーにいる幼馴染の格闘家の子と付き合ってなかったっけ?

 ……って、今は彼の危うい人間関係に思いを馳せてる場合じゃない。

 さっさと退散するとしよう。

 

「じゃあねアナサ! シセーノに会ったら伝えておくよ!」

 

「やっ、やめろーーーっ!!」

 

 アナサの断末魔を無視して僕は部屋から廊下へと躍り出た!

 光量を抑えたシックな雰囲気の長い廊下。

 廊下には何人かの、薄地でひらひらした下着のような衣服を着た女性がいた。

 そして廊下の両側には等間隔に扉。

 そう。何を隠そうここは、連れ込みも可能なことで好評な、この街有数の売春宿であった。

 

「ちょっとあんたら、いきなり何だい!?」

 

「ええい、警察だ! どけどけ!」

 

 階下から憲兵が上がってくる音が聞こえてくる。

 僕は人を避けつつ廊下を走った!

 

「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ! ちょっと通りま~す!」

 

 掻き分けるように人を避けて走る……が、間の悪いことに曲がり角から出てきた女の人とぶつかってしまう。

 

「うおあっ! だっ……大丈夫ですか!?」

 

 女の人を押し倒す形になった僕は、急いで起き上がる。

 その時、むにゅっと手のひらに柔らかい感触。

 むっ、これは――おっぱい!

 

「あいたた、ちょっとなにさ!? ……って、クラマじゃないかい」

 

「おっぱ……じゃなくて、アティオ」

 

 この手に溢れる大きさと張り……レイフほどじゃないけど素晴らしいおっぱいの持ち主は、この宿で一番人気の売春婦だ。

 彼女は僕に押し倒された格好のまま、押し返すでもなく、すうっと妖しく目を細めると……その細長い指先で僕の顎をなぞった。

 

「なーに、今日はあたしをご指名?」

 

「いやあ、そうしたいのはやまやまだけど……」

 

 僕はアティオに答えながら、手の中で縦横無尽に形を変える山岳地帯を、ふにゅふにゅと揉みしだいた。

 ずっとこのまま揉み続けていたいところだけれど、残念なことに後ろから聞こえる憲兵の声。

 

「おい、地球人の男はどこへ行った!?」

 

「えっ、さっきそこを走って……」

 

 そして憲兵の問いに答える女性の声も聞こえる。

 ――揉み足りないけど仕方ない!

 

「……申し訳ないけどまた今度ね!」

 

「あっ、こいつ、またタダ揉みしてくつもり!?」

 

 アティオの批難を振り切って、窓からダイブ!

 華麗に着地した僕は、そのまま路地裏へダッシュした。

 狭い路地裏を勘に任せて何度か曲がるが……

 

「なんだクラマじゃねえか、お前に言われて作った酒が出来たからよ――」

 

 あれは公園のあたりでよく焼きウォイブ屋台を開いてるヴィエリさん!

 おいしいからサクラかイクスがいる時に持ち帰ると一瞬で消えちゃう。

 

「ごめーん! また今度ねー! 今度飲ませてー!」

 

 手を振って駆け抜けると、また別の人に声をかけられる。

 

「ようクラマぁ! お前が作ってくれたオモチャ、息子が喜んでたぜ」

 

 首都から移住してきたバツイチ教師のラエツさん!

 パフィーに手伝ってもらって作ったケン玉だけど、喜んでくれて良かった!

 

「お安い御用! 遅くなる前に帰りなよー!」

 

 その後も通りを走るたびに、引き留めようとしてくる人たち。

 数えきれないくらいに彼らの間を横切り、止まらないよう走り続けたが……

 

「……はっ! しまった、行き止まり……!?」

 

 裏通りの奥で行き止まりに突き当たってしまった。

 追っ手はまだ振り切れていない。

 後ろから声が迫ってきている。

 

「くっ……!」

 

 僕は急いでコートを脱ぐと、裏返して砂まみれの地面にこすりつけて汚してから着る。

 続けて壊れたモップを頭にかぶった。

 そこへ追っ手が辿り着き――

 

「リ・ヴィース・ナア・エーシィ・イルカアヤ……ビブ・フォオルウド……」

 

 僕は酒樽に抱きつき、現地語で「飲みすぎた、気持ち悪い」という意味の言葉を呟く。

 僕に話しかけてくる憲兵。

 

「おい、お前。こっちに地球人が――」

 

「ヴォォォォォエエ!!」

 

「うわぁ! 吐くな!」

 

「プウード・ラエェ~イ・イルカアヤ~!」

 

 足をバタバタさせながら、巻き舌で「酒を持ってこい」と叫ぶ。

 

「ちっ、飲んだくれが……おい、近くの店に隠れてるはずだ! 手分けして探すぞ!」

 

 隊長と思しき男の指示を受けて、近くの店の中へと散っていく憲兵たち。

 彼らの姿がなくなったのを確認してから、僕は大きなため息を吐いた。

 

「ふぃ~い……参った参った」

 

 いやまったく、肝を冷やしたね。

 この世界の言葉を覚えておいてよかった。

 まともに話せばボロが出るだろうけど、酔っ払いの真似だからイントネーションは誤魔化せたようだ。

 

 ……さて。

 改めて考えれば、そもそも真っ黒な目と髪は地球人である証拠。この世界ではそれだけで目を引く。日本とは違うのである。

 その上、僕はこの街でこれまでずっと、暇さえあれば積極的に騒動へ首を突っ込んで顔を売ってきたのだ。

 そう、そうなのだ。

 この街ではもう、僕の顔と名前を知らない人の方が少ない。

 僕はどこへ行こうと一目で気付かれてしまう。

 人ごみに紛れて情報収集など、どだい無理な話だった。

 

「こりゃピンポイントで誰かの家に行くしかないなぁ……」

 

 どこへ行くべきかと、候補を頭の中で絞り込もうとした時だった。

 

「あぁ~んだってのよぉ……どいつもこいつもぉ……」

 

 不意に現れた酔っ払い女。

 相当に悪酔いしているようで、まるで殺し屋のような目つきでふらふらと歩いている。

 緑のショートヘアにオレンジの瞳。

 そして冒険者ギルド職員の制服。

 

「リーニオさん」

 

 冒険者ギルド受付嬢のリーニオだ。

 ギルドの関係者……普通なら逃げるところだけど、彼女なら情報源として申し分ない。

 ひとりから話を聞くだけで、調べられる事は全部分かるというのは魅力的だ。

 彼女自身がギルドに強い不満を持ってる人だから、話が通じる可能性はある。……彼女とは個人的にも仲が良いしね。

 

「あぁん? あによ、あんた……こじきに知り合いはいないんですけどぉ~?」

 

 僕は頭にかぶったモップを外した。

 

「僕だよ、僕」

 

「はぁ? だれぇ?」

 

 彼女は座り込んだ僕の顔を、じっと覗き込んでくる。

 というか至近距離でガンつけてくる。

 ……リーニオはそのまま固まってしまった。

 

 うーん、これは話が通じないか?

 まぁ彼女の家は知ってるから、このまま介抱するふりをして部屋に潜り込めば――

 

「……………………う」

 

「う?」

 

 彼女の顔が瞬時にして真顔になった。

 あ、これ。

 あれだ。

 やばいやつだ。

 

「うぇろろろろろろろろ」

 

「ウギャアー!!」

 

 僕は頭の上から、生温かいものを盛大に被せられた!

 



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第74話『クラマ#07 - 深夜の密会、ふたりの女』

 僕は手ぬぐいで頭を拭きながら浴室から出た。

 

「いやー大変な目に遭った」

 

「えぇ~? まだ言ってるのぉ~? ちっさい男ねぇー」

 

 そう言うリーニオは、ベッドに肌着で大の字になってくつろいでいる。

 僕は室内を見渡す。

 ここは、やや広めの長屋型集合住宅の一室――要するにアパート。その2階の一部屋だった。

 木造で、一人暮らしにしては広めの部屋。

 室内に置いてある家具はいずれも(うるし)を使った滑らかな木製で統一されており、洗練されたセンスの良さが窺える。

 ……が、床には脱ぎ捨てられたギルド職員の制服。

 ゴミ箱から溢れて散乱したゴミ。

 浴室の手前には放り投げられた下着の山。

 ……うーん、こりゃ前に来た時よりも酷くなってるぞ。

 

「お仕事たいへんそうだね~、忙しいの?」

 

 床に落ちた制服を拾って畳みながら言う。

 だらしないね~、とか思っても言ったりしない。

 とりあえず相手の苦労をよく分かってるふりをしておく。

 

「誰のせいだと思ってんの!」

 

「あれぇ?」

 

 おこられた。

 

「いや~、ごめんごめん。でも大変だったんだよこっちも」

 

「悪いと思ってんなら付き合いなさい、ほら」

 

 なんて言ってリーニオは、この街の住人の家にはあまり見られないガラス製の酒器を差し出してくる。

 僕は2つあるグラスの片方を受け取りながら言う。

 

「僕の記憶が確かなら、きみはさっきお酒の飲み過ぎで死にそうな顔をしていたはずだけど……」

 

「酔い覚ましよ、酔い覚まし」

 

「なるほど、さすが都会育ちは発想が違うね」

 

 酒の酔いを覚ますために酒を飲む。

 およそ完璧な永久機関であるなあと僕は深く感心した。

 

「ふん、イヤミ言っちゃって。どうせあんたの方が育ちいいんでしょ」

 

「いやいや、そんなことないよ」

 

 じーっと睨みつけてくるリーニオ。

 

「……ふん」

 

 リーニオは不機嫌そうにグラスを傾けた。

 ギルドのカウンターにいる時とは、まるで別人のような気安い受け答えである。

 お酒が入ってるから……ではない。

 彼女は酒癖が悪いともっぱらの評判だが、それは正確じゃない。

 お酒を飲むと素が出るのだ。

 もっと厳密に言うならば、「今はアルコールが入ってるから」という名目を得て、普段の取り繕った仮面を脱ぎ捨てているのだ。

 

 まあ彼女のストレス解消法はともあれ、こっちも飲まないとうるさいので、僕も椅子に腰かけてグラスに口をつけた。

 ……ぐわ。強い。

 喉が焼けそうだ。

 しかもベッド脇の丸テーブルの上でちりちりと焼かれている粉末は……。

 

「この匂いは……チィイプットの葉かな? あんまり体に良くないんじゃなかった?」

 

「だからやめろっての?」

 

「いや、この葉っぱはそこまで害はないから、やめるんならお酒が先だよね」

 

「絶対! やめない!」

 

「だよね」

 

 チィイプットの葉はわずかに毒性と依存性はあるが、その影響はアルコール未満だ。

 おそらく大麻と同じようなものだろう。

 度数の強い酒との合わせ技で頭がクラクラするが……そのぶん彼女の口が軽くなることに期待しよう。

 ……と、考えていたら突然リーニオがベッドにバタリと倒れる。

 

「あ~! もーやだ~! 仕事やめた~い! なんでこんな田舎街に来ちゃったのよ~!」

 

 そして子供のように足をバタバタさせた。

 僕はグラスに口をつけて飲むふりをしながら尋ねてみる。

 

「この街って首都に比べたらまだ田舎なの? 昔は田舎だったのが、今は大都市になったって聞いたけど」

 

「娯楽がないのよ! 劇場も! 美術館も! 球戯場も! 冒険者向けのカジノとか娼館ばっかりで、女性向けの娯楽が全っ然ない!」

 

「ははあ、なるほどなるほど。それじゃあ、なんでそんなところに来ちゃったのさ?」

 

 首都生まれで首都育ちの彼女は、首都にある冒険者ギルドで働いていたが、ヒウゥースが始めたこの地の冒険者誘致政策によって、この地に転勤してきた。……という話は以前この部屋に来た時に、彼女自身の口から聞いていた。

 

「騙されたのよ!」

 

 リーニオは勢いよく上半身を起こすと、テーブルを叩く。

 

「な~にが首都に匹敵する一大商業都市よ! お給料が3割増しになるって言うから転勤してみれば、お金と人が集まってるだけじゃないのよう……ちょうど彼氏と別れたところだったとはいえ……なんであんな甘い話に乗っちゃったんだろ~~~~……バカ~~~!!」

 

「まあまあ、どうどう」

 

 僕は椅子から立って彼女の隣まで行くと、彼女の肩を揉み解して気持ちを落ち着かせる。

 リーニオはぐいっとグラスの残りを一気に飲み下すと、大きく息を吐きだして呟いた。

 

「ハァ~……つまんない上に仕事ばっかり増えて……そりゃ酒と薬しかする事なくなるわよ」

 

「そりゃあ大変だねぇ」

 

 僕がそう言うと、リーニオはジロっとこちらを見上げてくる。

 

「あんた何をやらかしたのよ? あんた達を捕まえるためにダンジョンが立ち入り禁止になっちゃって、抗議しにきた冒険者でロビーが埋まって仕事にならないんだけど?」

 

「いやあ、僕は何も悪いことしてないんだけどね」

 

「ギルドの規約は破ってるんでしょ? まあ、あれも真面目に守るバカいるの? って内容ばっかりだけど」

 

「そうなんだよねぇ。でも意外とみんな守ってるよ。少なくとも表向きは。冒険者っていろんな人がいるから、下手に自分のルール違反を言いふらすと危ないんだって」

 

「ふーん。でもあんたが追われてる理由って、規約違反とは別でしょ? たかがギルドの規約違反で、街中の憲兵を総動員するはずないもの」

 

「………………」

 

 なかなかに鋭い。

 彼女はヒウゥースとは直接関係のないただのギルド職員に過ぎないから、深いところまでは知らないはずだ。

 しかし窓口という職務上、色んな人と接するからか。なんとなく察しもつくのだろう。

 

 ――さてどうするか。

 何も差し出すことなく情報を得ようというのは、さすがに都合が良すぎるか。

 幸いにも彼女はこっちの話に興味を持ってる。

 ……僕は既に指名手配を受けている以上、次に捕まれば終わりなのだから、「自分が知ってはならない事を知っている」という事実を今さら隠す理由もない。

 ヒウゥースの秘密を話してしまうと彼女に危険が及ぶ可能性はある。

 あるけど、別にいいか。彼女の身の安全は僕には関わりがない。

 

「きみになら話してもいいかな……僕が追われてる本当の理由……この街の秘密を」

 

 なんていう、もったいぶった口調で僕は語りだす。

 ヒウゥースの悪事……召喚した地球人の四大国への人身売買。それから、邪神の信徒と組んで地下で冒険者を襲っていた事を彼女に話した。

 僕の話を聞き終えて、彼女は……

 

「……はぁああ~……そんなこったろうと思ってたけど……」

 

「そうなの?」

 

「そりゃね。受付なんかやってるとさ、結構よく来るのよ。ダンジョン行きたくない~! って泣きついてくる地球人が。そういうのに対するマニュアルがギルド内にあって……ヒウゥース邸に連れて行くことになってるのよ。……で、私は毎日毎日、冒険者ギルドの受付に立ってるけど……連れて行かれた地球人は、二度と顔を見せることはなかった」

 

 彼女はどこか遠いものを見るような目で、訥々(とつとつ)と語った。

 

「さすがに四大国で売られてるってのは知らなかったけど……連れて行かれたあの人たちがろくでもない目に遭ってるのは分かってたわよ。……でも、だからって……ただの受付嬢の私には、どうすることもできないじゃない……」

 

 これまでと一転した静かな声のトーン。

 こういう、声を小さくして自虐的な物言いをするのは、落ち込んでる時だ。

 落ち込んでるということは、慰めるのが吉だ。

 ここで彼女が共感して欲しいと思ってる点は……ここかな。

 

「そうだね、受付のきみが一番多く冒険者と接するんだから……彼らに何かがあった時に一番つらいポジションなんだよね。上から決まり事を押しつけてくる偉い人たちには、そういうの分からないんだろうけど」

 

 受付という役職のせいで他の人より多くの精神的負担を(こうむ)っている……と、彼女は思っている。

 しかしそれぞれの役職にそれぞれの辛さがあるわけで、そんな弱音を同僚に言うわけにもいかない。

 そうして溜め込んだ不満を誰かに共感して欲しいのだ。

 僕は彼女が泣こうが喚こうが共感はできないけれど、求められている答えを予測することはできる。

 リーニオはテーブルに突っ伏して、ダンダンと叩いた。

 

「う~~~! そうなのよ~~~!」

 

 いい具合に酒と薬も回ってきたようだ。

 僕はベッドの縁に腰を下ろして、彼女の肩を優しく叩きながら言う。

 

「そう考えると大変だなあ、ギルドの職員も。冒険者はあんまり心配かけないようにしないとね」

 

 リーニオは突っ伏した顔を横に向けて、ジロリとこちらを見てくる。

 

「いちばん心配かけてるのがあんたなんだけど?」

 

「おっと? こりゃ一本取られた」

 

「バカ。この前もあんたの協力者とかいうパーティーが捕まってたし……」

 

「え?」

 

 なんだって?

 捕まった?

 僕の協力者パーティー?

 まさか……

 

「それって……」

 

「セサイルって有名な人らしいけど、ほんとにあなたの協力者なの?」

 

「…………あ、ああ、うん。……ねえ、他に捕まった人の名前は分かる?」

 

「覚えてるわよ。ベギゥフ、ノウトニー、あとマユミって地球人と……それに地球人召喚施設長のディーザ。あ、元施設長か。ディーザの後釜が役に立たないのも、こっちが忙しくなってる原因なんだけど。……あ、それから、誰か知らないけどメイドがひとりいたって」

 

「………………………………」

 

 絶句した。

 そんなばかな。

 あのセサイルがいて捕まるなんて……これじゃ全てがご破算だ。

 ……僕が戻らなくても大丈夫だと思っていたけれど、やはり戻ってきてよかった。

 とはいえ、いや……どうするんだ、これは……。

 

「……まだ何とかしようと考えてるのね。でも、難しいわよ? ヒウゥース評議会議長は、首都に軍隊の出動を要請したから」

 

「軍隊……」

 

 そこまでやるか、ヒウゥース。

 それだけあの男も追い詰められてるという事でもあるが……。

 

「3日後には着くらしいわ」

 

「………………」

 

 時間が……ない。

 

「ひとりだけなら今のうちに逃げられるんじゃない?」

 

「はは、いいアイデアだね。ついでにこの街の冒険者みんな連れて行こうかな?」

 

 これは大勢じゃ無理だけどひとりだけなら逃げられる……という彼女のアドバイスに対して、一度それに乗ったふりをしておきながら、「この街の冒険者みんなを連れて」と大勢で逃げることを示唆することで、最初に向こうの言葉に乗ったように見せて実は乗る気がないという、非常にセンスの光るジョークだ。「ついでに」と、さりげなく付け加えるところがポイントだね!

 

「はぁ……まぁ、そう言うのは分かってたけど」

 

 僕の鋭いジョークが予想できていた……だと?

 彼女はベッドの縁から下ろしていた両足を上げると、ごろりとベッドに横たわって訊いてくる。

 

「で、私が教えられるのはこのくらいだけど、他に何かある?」

 

 ……さすがに僕が情報収集のために近付いたことは察していたか。

 

「いや、充分だよ。ありがとう」

 

 それだけ言って、僕は腰を上げる。

 ……と、その僕の手首をリーニオの手が掴んだ。

 振り返ってみると、挑発するような……情欲の浮かんだリーニオの瞳と目が合った。

 

「もう帰るの? まだ早いんじゃない?」

 

 ベッドに横たわり、薄い肌着姿で僕を引き留めるリーニオ。

 ……彼女が何を言いたいのかは分かる。

 そしてこの場の正解も分かる。

 僕のやるべきこと、それは……ここで彼女の(・・・・・・)息の根を止める(・・・・・・・)

 

 指名手配犯の身としては、接触を持った彼女を野放しにするのはリスクがある。

 これは最初から分かっていた。彼女の部屋に上がる前から。

 それで、僕は、こう言った。

 

「いやあ……実は、そういうのはもうやめたんだ」

 

「なにそれ?」

 

 僕はピッと指を二本立てて、斜め45度の角度で決める。

 

「好きな人ができたからさ」

 

 ――空白の(とき)

 リーニオはぽかんとした顔で僕を見つめ、そして……

 

「ぷっ! あっははははははは!! あはーーーー、なにそれーーーー!? あ~~~ふぁっふゃ、ひぁ、ひ、ひぃ~~~!」

 

 そんな笑い方ある?

 

「おかしいなぁ……おかしな事は言ってないはずなんだけど……」

 

「はひぃ~~~、おかしーーーーひひひひひ……ゴホッ、ゴホッ! はぁ……」

 

 ひとしきりバカ笑いした後、彼女は咳払いして言う。

 

「はいはい、分かった分かった。じゃあ早く行きなよ。好きな人がいるのに、こんな夜中に私の所にいちゃまずいでしょ?」

 

「たしかにそうだ。じゃ、またね。……一応、お酒はほどほどにね」

 

 そう言って、僕は部屋から出て扉を閉めた。

 閉じたドアの向こう側から、小さく声が聞こえた。

 

「ばーーーーか」

 

 …………さて、行こう。

 

 

 

 

 

 

 リーニオのアパートから出た僕は、しばらく一人で夜の道を歩く。

 そうして近くに民家がなくなったあたりで、暗がりに向かって呼びかけた。

 

「ヤエナ」

 

「はい、なんでしょう」

 

 間髪入れずに姿を現すヤエナ。

 あれだけ走り回ったのについて来ている。

 彼女を一級ストーカーと認めよう。

 

「きみの力を借りたい」

 

 僕がそう言うと、彼女は驚いた顔を見せた。

 

「それは……私を抱いてくれるんですか?」

 

「ああ、きみを抱く」

 

 あっさりと答えた僕を、彼女は怪訝な顔で見つめた。

 彼女もこの申し出に面食らっているようだ。

 しかしやがて、彼女は笑顔の表情を見せて言った。

 

「はい、では何なりと」

 

 ……僕は矛盾しているだろうか。

 たとえ矛盾していても――筋が通っていなくても――今の僕には、やるべきことが見えている。

 そのためならば、僕はどんな無理でも押し通してみせよう。

 

「まず聞きたいんだけど、ヒウゥース邸に忍び込んで捕まってる人達を助け出すことはできる?」

 

 僕の質問に、ヤエナは眉根を寄せて渋い顔をした。

 

「それは……成功する可能性はかなり低いですね。手練れの警備が大勢いるのでは、私では対処しきれません」

 

 ろくな訓練を受けていない、平和な田舎街の地元民で構成されたこの街の衛兵ならともかく、しっかりした訓練を受けた人間を瞬殺するのは容易ではない。

 特に不慮の事態、乱戦となると、技術や速度が生かせず単純な腕力がものを言うようになる。

 いかに賢者ヨールンの秘蔵っ子といえど、ヤエナには体格という如何ともしがたい弱点がある。

 ヤエナは僕よりは強いが、単純な戦闘力ではおそらくイエニアよりも一段下だろう。

 

 ……まあ、これが駄目なのは予想がついていた。

 なので、こちらが本命だ。

 

「そっか、じゃあ……」

 

 僕は片目を閉じ、人差し指を立てて尋ねた。

 

「探しものは得意かな?」

 



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第75話 - ヒウゥース邸の挿話

 ここで、話は10日前に遡る。

 

 サーダ自由共和国の国家主席である評議会議長ヒウゥースが、地方都市アギーバでその生活拠点とする別邸――通称、ヒウゥース邸。

 冒険者ギルド、それから高級賭場『天国の扉』と並ぶ大規模建築として知られているこのヒウゥース邸は、広大な敷地の中で3棟に分かれている。

 正門を入って正面にあるのが、ヒウゥースが住まう本棟。

 その背後に(はべ)るように、左右の奥に2つの建物があった。

 向かって左側に見えるのが居住区域で、使用人や奴隷がここに寝泊まりしている。

 そして右側の棟が作業棟と呼ばれ、ここでは人体実験等を含めた表沙汰にできない研究や、奴隷の労務作業が行われている。

 

 その作業棟の一室、二階大部屋にて。

 イクスやトゥニスのパーティーメンバーであるオルティが、ここで日々の労働に勤しんでいた。

 現在行われている作業は粉末の袋詰め。

 この黄土色の粉末は、最も凶悪な麻薬のひとつと言われている『合成ヴァウル』だ。

 あのダイモンジを言いなりにするために、冒険者が使用していた薬物である。

 合成ヴァウルは、ほとんどの国で製造も取引も違法とされているため、他所から買い付けることが難しい。

 この街で流通している合成ヴァウルは、この施設内で生産されたものだった。

 

 オルティが作業している部屋はかなり広いが、中にいる人数は多くない。

 3人の監視に、10人の奴隷。

 オルティもその一人として、口元を布で覆って分厚い手袋越しに梱包作業を行っている。

 

「よーし止まれ。休憩だ」

 

 監視役のひとりが告げて、作業中の奴隷たちはそれぞれ大きく息を吐いたり伸びをしたりする。

 

 ……オルティはダンジョンで邪神の信徒らに襲われ、この屋敷に連れて来られてからというもの、毎日こうした労働をさせられていた。

 作業内容は他にも武具の整備だったり食料品の加工だったりと、その日によって様々。

 拒否が許されない強制労働ではあったが、意外にもしっかりとした休憩時間や自由時間があり、安いが給料も出るので注文すれば娯楽品も取り寄せることができた。

 特にこの合成ヴァウルの製造に関わる業務では、作業時間より休憩時間の方が長いくらいだ。

 建物の外に出られず退屈ではあるものの、予想外のまともな待遇にオルティは拍子抜けしていた。

 

「おい、34番!」

 

 監視役の男からオルティが呼ばれる。

 ここでは名前ではなく割り当てられた部屋の番号で呼ばれていた。

 オルティは監視役の男に答えた。

 

「なによ?」

 

「今日の作業は終わりだ。マスクと手袋を置いてヤイドゥーク様について行け」

 

 オルティが奥の扉に目を向けると、扉の傍にはヤイドゥークの姿が見えた。

 

 

 

 オルティはヤイドゥークの後について廊下を歩く。

 彼女はすでにヤイドゥークとは面識があった。

 これまでに何度か、ヒウゥース直々にオルティへ面談を行っており、仲間になるようヒウゥースから説得されてきた。

 その時にヤイドゥークは、護衛と一緒にヒウゥースの傍にいた。

 ヤイドゥークは廊下を歩きながら、背後にいるオルティに向けて話す。

 

「一応聞くが、どうしても俺らの仲間になるつもりはないんだな?」

 

「当たり前でしょ。くそくらえよ」

 

「……ま、そうだろうな」

 

 ヤイドゥークは頭をボリボリと掻く。

 

「ハァ~……他所から買い付けた奴隷ならともかく、自分らで捕まえた冒険者なんて大抵こうなるんだから、最初からこうしとけって言ってるんだけどなぁ……あのオッサンも変なこだわり持ってっからなー」

 

 よくわからない愚痴を呟きながら先を歩くヤイドゥーク。

 やがてオルティも来たことがない施設の奥深くに入った。

 薄暗い廊下。

 薬品の香りがそこかしこから漂ってくる。

 オルティにはどことなく既視感があった。

 それは、かつてトゥニスやイクスと共に依頼を受けて討伐をした、錬金術師の研究所に近い雰囲気だった。

 

「ギャアアアアアアアアアアッ!!!」

 

「うきゃあっ!?」

 

 突如、すぐ近くの部屋から人の絶叫が迸った。

 

「な、なに!? どうしたのよ!?」

 

 驚き慌てるオルティ。

 思わず立ち止まった彼女だったが、気付くと先行するヤイドゥークが遥か前方にいた。

 ヤイドゥークは今の身の毛もよだつ叫び声にも、何の反応も示さず平然と歩き続けていた。

 

「………………」

 

 オルティは強い不安にかられたが、このような場所に置いていかれるのもそれはそれで怖い。

 天秤にかけた結果、彼女は小走りでヤイドゥークまで駆け寄った。

 オルティがついて来たところで、ヤイドゥークは振り向かずに、そのまま前を向いて歩きながら語りだした。

 

「俺らヒウゥース直属の配下は、甲組・乙組・丙組に別れてる」

 

 淡々とした語り口調。

 それが、周囲の異様な雰囲気も相まって、なんともいえない不気味さを醸し出していた。

 

「甲組は奴隷から取り立てられた、忠誠心の厚い連中。基本はこの屋敷の使用人だが、ひととおり戦闘訓練して、いざという時は戦える。俺も一応ここに入ってるらしい」

 

 オルティは歩みを進めながらヤイドゥークの話を聞く。

 先刻のような叫び声はもう聞こえてこないが、苦しげな人の呻き声のようなものが、色々な方向から彼女らの歩く廊下に届いてきていた。

 

「乙組は帝国時代から今でも続けて契約してる傭兵たち。忠誠心はそれなりで、主に警備や荒事を担当してる」

 

 階段を降りて一階へ。

 暗さが増し、オルティは手すりに手をかけて足元に注意しながら降りた。

 階段を降りた先には扉があり、ふたりの男女がその前に立って守衛をしていた。

 オルティは一目でその扉が他と違うのに気がついた。

 それは厳重に南京錠がかけられた、厳つい鉄の扉であった。

 

「丙組は無理やり忠誠を誓わされた者達だ。甲組がいくら忠誠心が強いといっても、任せられるのは殴る、奪う、殺す……このあたりまでだ。それ以上の事をするのは……やる側の負担が大きい。知識として『自分らがそういう事をしている』と知ってるのと、『実際に目の当たりにして、自分の手でやる』のには大きな隔たりがあるもんだ。だから、裏の仕事の中でも最底辺の汚い部分を任せるスタッフが要る」

 

 ヤイドゥークはふたりの守衛を目で指し示しながら、そのようなことを語った。

 守衛の男女。

 彼らはこの館にいる他の使用人と同じくメイドと執事の格好だ。

 しかし大きな違い……というか、目立った特徴があった。

 男は左腕の肩から先がなく、袖がぺしゃんこに潰れている。

 女は長い髪で顔の半分以上を覆っているが、現れたヤイドゥークに向けてお辞儀をした際に、その顔の大半が焼け爛れて、瞳のあるはずのところがぽっかりと空洞になっているのがちらりと見えた。

 

「う……」

 

 オルティはぐらりと視界が歪むような感覚を覚えた。

 暗がりの奥にある扉が、忌まわしい異界への入口のように見える。

 扉の前に立ったヤイドゥーク。

 その佇まいはまるで、地獄へと誘う案内人のようだった。

 ヤイドゥークはそうしてゆっくりと振り返る。

 

「もう一度聞くが……どうしても、俺らの仲間になるつもりはないんだな?」

 

 ――ああ、そうか。

 オルティは察した。

 この先に足を踏み入れれば、おそらく二度とまともな体で出てくることはできないと。

 

 全身から噴き出る汗。

 背筋に走る悪寒。

 そして体の震えをオルティは止められなかった。

 喉はからからに乾いて唾を飲むこともできない。

 気を失いそうなほどの恐怖の中で、オルティは掠れた声で言った。

 

「……何度も言わせないで。くそくらえよ」

 

 ヤイドゥークはため息を吐き、頭を掻いて言った。

 

「まぁ、そう言うしかないわな。最初は」

 

 ヤイドゥークは守衛の女に命じて、扉を開けさせる。

 重苦しい音をたてて開いた鉄扉。

 その先には地下へと続く階段があった。

 

「さて……行くか」

 

 そうしてヤイドゥークの後について、オルティは絶望への階段を一歩ずつ下っていった。

 

 

 

 

 

 ――そして10日後の現在。

 ヒウゥース邸の地下牢に、新たに連れて来られた者がいた。

 

「ちょ……ちょっと、こんな所に連れてきて何するんすか。あ痛っ! 引っ張らないで……!」

 

 セサイルのパーティーメンバーとして召喚された地球人……マユミである。

 彼女の手首を縛る紐を、隻腕の男が引いて無理やり歩かせている。

 その後ろにはヤイドゥークの姿もあった。

 暗く、冷たく、固く、見る者の心象に圧迫感を与える武骨な石畳の地下牢。

 男たちは嫌がるマユミの言葉を無視して、彼女を鉄格子の牢に放り込んだ。

 

「いっ、たぁ~~~……」

 

 両手を縛られているマユミは勢いよく尻餅をついた。

 涙目のマユミにヤイドゥークが声をかける。

 

「何をするかって聞いたな?」

 

 マユミは顔を見上げた。

 目の前ではヤイドゥークが気だるげに、いかにも関心を示さぬという目つきでマユミを見下ろしていた。

 

「“教育”だよ。おまえさんがこれまでの人生で積み重ねてきた自尊心、反骨心……そういったもんを削ぎ落として、自分は他人に逆らっちゃいけない生き物なんだと教え込ませる。地球人は運量さえ使えりゃいいから……文字通り、お前さんの体を削ぎ落としてな」

 

「……は? そ、削ぎ落と……へ? じょっ、冗談っ……すよね……ハハ……」

 

 ヤイドゥークは答えない。

 また反応もしない。

 何も変わらずつまらなそうに見下ろしてくる視線が、「そんな言葉は聞き飽きた」と言っているようにマユミには見えた。

 

「あ……ひ……や、やだ……そんな……嘘でしょ……なんでそんな……」

 

 マユミの呟きには誰も答えない。

 隻腕の男が万力のような器具を持ってきて、ヤイドゥークに渡す。

 そして彼は無言でマユミに近づき、その腕を掴んだ。

 

「やっ! やだ! やだやだやだ、やめてよ! お願いだから! 何でもするから!」

 

 男は暴れるマユミを片手と膝で押さえつけ、マユミの手を器具に嵌めていく。

 冷たい鉄の感触にマユミの背筋が震えた。

 

「い、いや……いやぁーーーーーっ!!!」

 

「あーーーーー! うるっさいなぁー!」

 

 ……と、隣の部屋から少女の声が聞こえてくる。

 

「あんまりうるさいから起きちゃったでしょー! 寝るくらいしかする事ないのに、どうしてくれんのよ! 私の相手しなさいよー!」

 

 マユミは聞いたことのない声だった。

 

「……ちっ」

 

 マユミが顔を上げると、ヤイドゥークが苦々しげに舌打ちするのが見えた。

 飄々とした姿勢をなかなか崩すことのないヤイドゥークの、滅多に見せない苦い表情。

 それは珍しいヤイドゥークの誤算であった。

 

 赤い瞳の人間――すなわち美と官能の神の信徒は、通常であれば最も簡単な相手のはずだった。

 ヤイドゥークは効率的な拷問のやり方を考えるにあたって、信奉する神によって傾向を分類していた。

 その中で美と官能の神の信徒は、その容姿を破壊してやれば容易く心が折れる。

 彼らは見た目の美醜に関して非常に強いこだわりを持っているためだ。

 他にも博愛の神の信徒には、二者択一の選択肢を与えて「贔屓させる」経験を繰り返すことで精神的に追い詰める……等、ピンポイントで精神的支柱を破壊することで拷問の効率化を図っていた。

 

 だが、10日前に連れてきたオルティは、どれだけ拷問の最中に泣き叫び、許しを請おうと、しばらく時間が経てばこのように再び減らず口を叩いてくる。

 ……こうした例外は往々にしてある。

 ヤイドゥーク自身、拷問のやり方は誰に教わったわけでもなく、他にやれる者がいなかったために一人で試行錯誤してきたのだから。

 隣の部屋に向かってヤイドゥークは声を発する。

 

「ちっとばかり静かにしてもらえないかねぇ」

 

「いーーーやーーーでーーーすーーー! そんなに嫌なら私の口でも塞いだらぁー?」

 

 ヤイドゥークは頭をボリボリと掻いた。

 

「口を塞いじまったら、この先使いにくいからなぁ。研究室に送るしかなくなるが……そっちの方がいいんかね?」

 

「どっちもイヤですぅー!」

 

 ヤイドゥークはついに頭を抱える。

 次に口を開こうとした、その時だった。

 

 ズズゥン……という大きな振動。

 同時に遠くから爆発音のようなものも届いてきていた。

 

「……操作室の方か?」

 

 音源はこの地下だった。

 ヤイドゥークの額に冷や汗が流れる。

 この地下への襲撃はまずい。ここはヒウゥース邸の中でも外へ露見したらまずいものが多数置かれているわりに、戦闘の得意でない丙組しか詰めていない。

 

「人を呼んでこい! 俺は場所を確認する!」

 

「はい」

 

 隻腕の男に指示を出し、ヤイドゥーク自身も何処かへ駆けて行った。

 

 

 

 ……地下牢には静寂。

 男たちがいなくなった後、マユミは隣の部屋に向かって声をかけた。

 

「あ、あの~~……ひょっとして助けてくれたんすか?」

 

「……べつに。どのみちあいつらにされる事は変わんないし。ちょっと遅くなっただけ」

 

「で、でも、さっきの音……きっと助けが来たんすよ! これで外に出られるはず……!」

 

 マユミの声は明るい。

 自分達を助けに来る人物に心当たりがあるからだ。

 しかし返ってくる言葉は暗い。

 

「ふ~ん……そう……」

 

「……?」

 

 マユミは首をひねった。

 相手の立場では信じられないのも無理はない。

 しかし、マユミの言葉を信じていない……というのとはまた少し違ったニュアンスがあるように感じられた。

 

「今の私は、ずっとここにいた方がいいかもしれないけどね……」

 

 石の壁を隔てて姿の見えない相手から届いた言葉。

 壁を乗り越えることのできないマユミは、その言葉の意味を想像するしかできなかった。

 



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第76話 - ヒウゥース邸の挿話2

 中空に浮かぶ太陽がその輝きを失って、深い暗闇が世界のすべてを支配する。

 

 深夜のアギーバの街。

 今日も今日とて、夜の(とばり)が街を覆う。

 しかしこの数日というもの、この街では日の光が落ちようとも、街中をせわしなく人が行き来しており、眠りに沈むことがなかった。

 ヒウゥースが昼夜問わずに憲兵を動員して、指名手配犯を捜索させているためである。

 そして寝静まることがないのは、このヒウゥース邸の中においても同様であった。

 

 ヒウゥース邸本棟。

 その2階、空き部屋のひとつ。

 そこにはセサイル、ベギゥフ、ノウトニー、ディーザ、ティアの5人が捕えられていた。

 全員が縄で後ろ手に縛られている。

 この中でセサイル、ベギゥフ、ノウトニーの3人は、横顔を床につけて力なく横たわっていた。

 彼らには筋肉の動きを弱める薬が投与されている。

 また、同じ部屋の中にはふたりの魔法使い。

 今は彼らヒウゥース配下の魔法使いによって、捕らえたセサイル達に対する尋問が行われていた。

 

「入るぞ!」

 

 そこへ勢いよく扉が開く!

 靴を踏み鳴らして入ってきたのは、護衛2名を連れたヒウゥースであった。

 ヒウゥースは開口一番、尋問役の魔法使いに声をかける。

 

「ようやく尋問を終えたと思えば、おかしな事があるだと? どういうことだ?」

 

 ヒウゥースの問いに、尋問を行っていた魔法使いが答える。

 

「はい。まずは判明した事から先にご報告します」

 

「うむ」

 

 ヒウゥースは手近な椅子にどっかりと腰を下ろした。

 その体重を支えきれずに、椅子がみしりと軋みをあげる。

 

「この者達は我々の秘密……四大国への地球人売買や、邪教の信徒との関わりを知っていました」

 

「それはそうだろう。ディーザがいるのだからな。ディィーーーザが!」

 

 言って、ディーザに目を向けるヒウゥース。

 ディーザは何か言おうとしたのを堪えて、目を逸らした。

 魔法使いの配下はヒウゥースに報告を続ける。

 

「はい、そうなのですが……このメイドの娘だけは、かなり以前から我々と四大国との関わりを知っていて、我々の計画を潰すために嗅ぎ回っていたようです」

 

「ほう」

 

 ヒウゥースがティアに目を向ける。

 こんな時であってもティア落ち着いている。彼女は普段と変わらぬ感情を見せない瞳で、ヒウゥースを見上げていた。

 

「我々の計画を壊すか……ふん、騎士王国らしい貧しい正義感だな。そいつは王女の付き人だろう? 我らと四大国との関わりも、各国の首脳クラスには周知の事実よ。王族であれば知っていても不思議はない」

 

「は、それが、そうなのですが……」

 

 口ごもる尋問役の魔法使い。

 

「なんだ? 言ってみろ」

 

「はい。心音と感情の揺らぎを観測して聞き出したのですが……どうも違和感がありまして」

 

「嘘をついてる、とは違うのか?」

 

「はい。嘘は分かります。ただ……隠していることがありそうで……」

 

「隠してる? 何をだ?」

 

「いえ、それが……」

 

 ヒウゥースは魔法に詳しくない。

 なのでこうした時、ヒウゥースの問いかけはなかなか要点を捉えることができない。

 

「曖昧でもいい、思ったことを言ってみろ」

 

「は、はい。そのですね……主人に命じられて調べていたというよりは……その……なんというか……自分の意思で動いていたような感じが……」

 

「ふむ?」

 

「い、いえ、気のせいかもしれません。ヤイドゥーク様ならもっとよく分かると思うのですが……」

 

「ヤイドゥークのやつはどこにいる?」

 

「今は地球人を連れて地下に向かわれております」

 

「ふーむ……」

 

 配下の話を受けて、思案顔をするヒウゥース。

 そこへ不意に別の所から声があがった。

 

「おい……てめえ、ら……マユミを……どこに、やった……」

 

 声の出どころは、床に横顔を張りつけたままのセサイル。

 息も絶え絶えな様子。蚊の鳴くような声。

 そのセサイルを、ヒウゥースは憐憫の籠もった眼差しで見下ろした。

 

「おまえがソウェナ王国最後の将、セサイルか。12の戦役を経て不敗。かつては救国の英雄と讃えられたそうだが……かくも人は落ちぶれるものか」

 

「うる、せえ……質問に……答えろ……」

 

「あの地球人の女か? ああ、今は地下で出荷の準備だなぁ」

 

 ヒウゥースのその言葉に、真っ先に反応したのはティアだった。

 

「出荷の準備……ですか」

 

「ああ! 使えんものを売りつけるわけにはいかんからな! なにしろ高額商品だ。こういった細やかな気配りが、大口の顧客からの贔屓を得る秘訣よ!」

 

 そのヒウゥースの物言いは、機械かペットに対するものか、あるいは――

 

「まるで人形でも扱っているようですね」

 

 冷静なティアの、義憤に満ちた瞳。

 

「ふむ?」

 

 その目つきにヒウゥースは怪訝な顔を見せる。

 が、その視線の先はすぐに別の所へ移ることになる。

 

「……けんな」

 

 セサイルが、立ち上がっていた。

 

「な――」

 

「まだ動けるはずは……!」

 

 周囲の者達がざわめく。

 薬物を投与されて動けないはずの体。

 それが二本の足で立ち上がっている。

 実際に薬を用意し、投与した尋問役の魔法使いは狼狽していた。

 

「ざっけんな、クソ野郎が……!!」

 

 鬼気迫るセサイルの形相。

 その表情、眼差しは、怒り狂う肉食獣そのものだった。

 周囲の者達の目には、セサイルの全身から激しい怒りの感情が噴き出て、今にも襲いかかろうとしているように見えた。

 

「ひっ……!」

 

 魔法使いの男は恐怖に尻餅をついた。

 “怒れる餓狼”……これが、英雄セサイルの持つ通り名のひとつである。

 だが――

 

「……取り押さえろ」

 

「は……はっ!」

 

 ヒウゥースに命じられて、護衛の男たちが動く。

 男たちの手によって、セサイルはあえなく地面に引き倒された。

 ――歴戦の勇士の圧倒的な胆力。気迫。怒り。

 有象無象の者どもは、その眼光や佇まいだけで気圧され、時に肉体の自由すらも奪われる。

 だが……動かないものが気力で動くことはない。

 どれだけ並外れた力量を誇る戦士であろうと、そこに例外はないのだ。

 

「セサイル様……!」

 

 ティアがセサイルの名を呼ぶ。

 

「動くな!」

 

 興奮したヒウゥースの配下はティアが動こうとしたと見て、その体を取り押さえ、床の上に強く押し付けた。

 

「ん……!?」

 

 そこで、ティアの頭を掴んだ手がずれる。

 深い青色の髪の下で、茶色の色彩が一瞬だけ露わになった。

 目ざといヒウゥースの視線はそれを見逃さずに問い詰める。

 

「おい、お前、その髪……」

 

 ――その時だった。

 突如として起こった振動が、屋敷全体を揺らしたのは。

 

「な……なんだ!? この揺れは!?」

 

 その場の全員が狼狽していた。

 この世界では一部地域を除いて地震というものはほぼ起きない。

 揺れは一瞬で収まった。

 しかし珍しい現象に、場は騒然としている。

 慌てている部下をヒウゥースは一喝。毅然と指示を与える。

 

「ええい、落ち着けぃ! 揺れと一緒に下から音が聞こえたな……おい! 地下に行って確認しろ!」

 

「は……はい!」

 

 護衛ふたりを残して、ヒウゥースの配下たちは飛び出すように部屋を出て地下室へと向かった。

 配下が出ていった後。

 ヒウゥースはティア達にジロリと目を向けた。

 

「貴様らの仲間でも来たかぁ……? ふっ、だとしたら運がなかったな。地下には今、ヤイドゥークの奴がおる。あいつに任せておけば心配あるまい。……お前と違ってな! ディィィーーザッ!」

 

 かつての右腕の名を呼び、挑発するヒウゥース。

 不測の事態にあっても、ヒウゥースの表情と態度には余裕があった。

 彼がヤイドゥークに寄せる信頼の大きさが窺える。

 ディーザはたまらず言い返した。

 

「だ、黙れッ! きさまのような誇大妄想狂(メガロマニア)に付き合うやつの気が知れんわっ!」

 

「ほぉ――私の計画が妄想だと?」

 

 ヒウゥースはディーザに酷薄な視線を向けた。

 ディーザは吐き捨てるように返す。

 

「当たり前だ……誰が……どこの馬鹿が、世界征服などという妄言を真に受けるというのだ!」

 

「ディーーーーーーーザッ!!!」

 

 突然の大音量にディーザがビクッと震えた。

 

「ディーザ! お前は秀才だ。優秀な男だ。だが! だからお前は……一流になれんのだ!」

 

「な……なに?」

 

 ヒウゥースは身振り手振りを交えて、突き出た腹の肉を震わせながら熱く語る。

 

「ない! ないんだよ! お前には……男の夢! 浪漫というものが!!」

 

「ゆ、夢……浪漫だと……?」

 

 唐突に振って湧いて出た言葉に、ディーザは困惑した。

 夢や浪漫。

 成果主義者のディーザには馴染みのない言葉であった。

 それは経営者たるヒウゥースも同様だろうとディーザは考えていたのだが……

 

「そうだ、分かるか!? 分からんだろうなァ……夢に向かうこの体に迸る! 熱い血潮! 無限に湧き出るエネルギー! この情熱こそが人を一流の高みへと導く源泉となる! なるのだ!!」

 

「……く、くだらん……そのような……」

 

「ふん、今さらお前に説いてもこっちに得はなかったな。それよりも……」

 

 言うだけ言って満足したヒウゥースは、あっさりとディーザから体の向きを変えた。

 ヒウゥースが次に向かうのはティア。

 彼は無造作に手を伸ばすと、ティアの髪をガッと掴んだ!

 

「っ……!」

 

 バリッと音をたて、ティアの頭からかつらが剥がされた。

 隠されていた茶色の髪の毛が露わになる。

 ざわり、と周囲の全員が身じろぎ、息を飲んだ。

 より正確には――セサイルを除いた全員が。

 

「その……髪の色……貴様、そうか、貴様らは……!」

 

 見上げるティアと、見下ろすヒウゥース。

 ふたりの視線が重なった。

 

「ははははは!! そういうことか! そうか! 謎が解けたぞぉ!」

 

 ヒウゥースは両手を叩いて喜びの声をあげた。

 そこへ――

 

「謎が解けたって? そりゃあ良かった」

 

「だ、誰だっ!?」

 

 ぴたりとヒウゥースの首筋にナイフの刃があてられる。

 

「ホールドアップ! ……よろしいかな? 名探偵……ではなく、評議会議長どの?」

 

 どこからともなく現れ、ヒウゥースの背後から刃物を突き付けた男。

 

「き、貴様……貴様っ! どうしてここに……!?」

 

 ヒウゥースの台詞に、男はにやっと笑う。

 人懐っこい笑みで。

 誰もが知っている、その男とは――

 

「クラマ様……!」

 

 そう、真犯人(クラマ)の登場である。

 



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第77話『クラマ#08 - 狂瀾既倒の夜』

 ヒウゥースの背後に降り立った僕に、その場にいる全員の視線が集まる。

 

「クラマ様……!」

 

「き、貴様……何故ここに」

 

「おまえの野望を打ち砕くために、地の底から這い上がってきた……ってのはどうかな?」

 

「ぬうぅ……!」

 

 悔しげに呻くヒウゥース。

 僕はヒウゥースのたるんだ首筋にナイフの刃筋をたてつつ、配下の人達に向かって告げる。

 

「さあて、きみたち分かってるよね? こいつの命が惜しかったら、まずは彼らの縄を解いてもらおう」

 

 なんだか悪役みたいなセリフだけど気にしない。

 さて、僕の言葉に周りを囲むヒウゥース配下の人達は……

 

「ヒウゥース様……」

 

 彼らは一様に主人の顔色を窺う。

 考えるまでもない事なのに、指示待ち。

 これだけでもヒウゥースのワンマン経営ぶりが見てとれる。

 良く言えばカリスマ、求心力か。

 

 だがヒウゥースが言葉をかけた相手は、配下の彼らじゃなかった。

 背後にいる僕に向けて、ヒウゥースは言う。

 

「お前と共に崖から落ちた男がいたはずだが……そいつはどうなった?」

 

「ガーブは死んだよ」

 

 僕は真っ直ぐに答えた。

 

「そうか……」

 

 落胆しているのか。

 背後からでは、その表情が分からない。だぶついた頬肉しか見えない。

 ただ、全員の視線がヒウゥースに集まっていた。

 

 ――そして、それは、不意に爆発した。

 

「ぬぅぅうああああああ!!!」

 

 ドンッ! と部屋全体を揺らす大きな振動。

 また地下でティアの黒槍(ヨイン・プルトン)を? いや、違う――

 揺れの発生源は目の前。

 ヒウゥースの足元。

 それに気付いた時には、僕の腹にヒウゥースの肘が当てられていた。

 

 よし殺そう。

 

 迷いなくナイフをヒウゥースの首に突きこむ。

 それと同時。

 僕の腹部を衝撃が貫いた。

 ――爆弾が、爆発したと思った。

 腹部を中心に感覚が消失。その消失が亀裂となって瞬間的に広がり、僕の全身を木っ端微塵に打ち砕いた。

 

 

 

 

 

 ……気付いたら地面に倒れていた。

 

 体は……砕けてない。

 そういう印象を受けただけだ。

 意識はハッキリしている。状況もだいたい分かる。

 僕はヒウゥースの肘打ちで吹き飛ばされて、壁にあたってバウンドして戻ってきたのだ。

 

「――、――――――」

 

 一言も言葉を発せられない。

 呻き声すらも。

 まず呼吸ができていない。

 それでも、状況を確認しないと――

 

 首から上だけをなんとか動かして見上げる。

 ヒウゥースが、首元から血を流してこちらを見下ろしていた。

 ああ――届いてない。

 衝撃で位置がずれてる。

 それと無暗に蓄えた贅肉のせいだ。

 ナイフの刃は頸動脈に届いていない。

 

「ヒウゥース様!」

 

「うろたえるな。かすり傷だ」

 

 ヒウゥースは床に落ちたナイフを蹴り飛ばし、メイド服を着た配下の女がそれを拾った。

 続けてヒウゥースは頭上に目を向けた。

 視線の先、天井では、空調となる通気口の蓋が外れている。

 ヒウゥースは配下から手当を受けながら言う。

 

「どこから湧いて出たかと思えば……ねずみのようなやつだ」

 

 僕はその間に自己診断する。

 痛みはあまりない。打たれた腹より壁に打ちつけられた背中の方が痛むくらいだ。

 骨もたぶん無事だ。

 だが……

 

「――――か―――ぁ――は、っ……!」

 

 ひとつ息を吸うにも全力を振り絞った大仕事だ。

 体が動かない。

 仕組みは分からないが、普通の打撃じゃない。

 痛みはあまりないのに、内臓がひっくりかえったような気持ち悪さ。

 体の芯に響く特殊な打撃を、こいつは使う。

 

「ずいぶんと逃げ回ってくれたが、最期は自ら飛び込んでくるとはなァ。大人しく街の外へ逃げておればいいものを……何度か刺客を退けたくらいで増長したか?」

 

 苦笑とともに何か言い返そうとしたけれど、悲しいことに声が出せない。

 答えられない僕にヒウゥースは一方的に言葉を告げる。

 

「まあ、逃げ出そうとしたところでもう遅いのだがな! ククフ……特別サービスだ、お得な情報を教えてやろう! なんと! 首都からこの街へ軍隊が向かってきておるのだ! それも既にあと2日で着くところに来ておるのだよ!」

 

 いや、それは知ってるけど。

 

「いまだに逃げ続けとる者もいるようだが……」

 

 ちらりとティアを見るヒウゥース。

 

「今からこの街を出たところで、逃げきれはせん! ろくすっぽ役に立たんこの街の憲兵に代わって、国軍の手で草の根を分けても見つけ出してくれるわ! うわっははは!!」

 

 ヒウゥースの哄笑が響く。

 ……軍隊の投入は奴にとっても最後の手段だったはずだ。

 軍を動かすには理由が要る。

 莫大なコストもかかる。

 さらには、騒ぎになればここで行われている悪事を誤魔化すために、大量に金をばら撒く必要も出るだろう。

 ヒウゥースの立場からすれば可能な限りやりたくない。

 

 だが、それを一気に解決できる存在が目の前にある。

 ティア……いや、本物の第19王女イエニアだ。

 今、奴の頭の中では犯罪者として捕らえた彼女を、どのように利用するかを考えている。

 それは笑いが止まらないだろう。

 

「ヒウゥース様!」

 

 ヒウゥースの配下数名が扉を開けて入ってきた。

 

「地下の壁を抜いてダンジョンから侵入してきた者がいましたが、ヤイドゥーク様の指揮により撃退いたしました!」

 

 ニィィッとヒウゥースの口元が歪む。

 

「聞いたか? 頼みの綱も切れたようだな? くく……分かるか? この状況が。……終わりだ! いいや、すでに終わっていた! 貴様がこの屋敷に忍び込む前に、最初から! くわっははははは!!」

 

 体はいまだに動かない。

 動けるようになったところで、戻ってきたヒウゥースの配下で周りは囲まれている。

 この状況を覆す力は……僕にはなかった。

 

「貴様らがどれだけ駆け回ろうとも! 勝てん! 勝てんのだ! 財力……権力……資金力!! 圧倒的な物量の前に、人は抗う術を持たん! 戦場で無双を誇る英雄も! 戦いの頂点を極めた競技者も! 王に連なる高貴な血筋も! 金の力の前には無に等しい! これが現実だ!!」

 

 ヒウゥースの言葉は正しい。

 個人が軍隊――国家に太刀打ちすることはできない。

 二倍や三倍の戦力差ならともかく、十倍を超えれば、もはや人の身ではどうにもならない。

 そんな戦力差を覆すことができるとしたら、僕の知る中では、今そこにいるセサイルただひとり。

 ……一体どんな手を使ったか知らないが、その彼もこうして敵の手で捕まっている。

 残念な事だけど……どれだけ必死になって身を削ろうとも、僕なんかが一人で動き回ったところでどうにもならないのだ。

 ヒウゥースの言っていた通り、それが現実。

 さらには個人での力でも負けて、こうして無様に地面を這いつくばっている。

 動けないし、動く意味もない。

 僕の出来ることはもう何もない。

 だから、そう――

 

 ここから先は任せたよ。

 

「ぐぅっ!?」

 

 突然の苦悶の声。

 見るとヒウゥースの配下のひとりが腹を押さえて、地面に崩れ落ちた。

 

「なんだ、どうした!?」

 

 答えはない。

 代わりに、その隣にいた別の配下が動いた。

 そいつは何を思ったか、周囲の仲間を次々と打ち倒していく。

 

「やめろ、何をする! ……ぐおぁっ!」

 

 突然の同士討ちに部屋の中は騒然。

 味方を殴り倒す裏切り者に向かって、ヒウゥースの怒声が飛ぶ。

 

「な、なんだ貴様……いや! 誰だ!? 誰だ貴様は!?」

 

 ヒウゥースは混乱した様子を隠すこともできずに叫ぶ。

 それは混乱するだろう。

 この男のことだから、配下の顔と名前は覚えているはずだ。

 その彼の記憶と、相手の顔が合致しない。

 まったく知らない者がいつの間にかそこにいて、今の今までそのことに誰も気が付いていなかったという異常事態。

 いや……まったく知らないというのは正しくなかった。

 

「覚えていませんか? 貴方とは話したこともあるはずですが」

 

 そいつは……その女は、そう言ってヒウゥースに正面から相対した。

 

「しかし名前は名乗っていませんでしたね、これは失礼しました」

 

 彼女は名乗りをあげた。

 彼女らしい、堂々とした振る舞いで。

 

「我が名はエイト。ラーウェイブ王国、第二百八十三号正騎士です」

 

 イエニアだ。

 本名を名乗りはしたが、別にかつらを取っていたりはしない。

 いつも通りのイエニア。

 いつも通りに、格好いいイエニアがそこにいた。

 

「エイト……」

 

 呟くティア。

 その背後で、後ろ手に縛られた縄がぶつりと音を立てて切られた。

 

「……!?」

 

 ティアが驚いて背後を向く。

 そこには、よく見知った者の顔。

 

「んっふふ~、みんな久しぶりね。待った?」

 

 いたずらっぽく笑うレイフがそこにいた。

 そして、僕の方にもウインクしてくる。

 

「はは……」

 

 可愛らしい。

 抱きしめたい。

 でも体が動かないから引きつった笑いしか出せなくて悲しい。

 

 レイフはそのまま他の人達の縄を切っていく。

 拘束を解かれたティアは壁に立てかけられた箒を掴み取った。

 そして、その箒で周囲の敵を打ち倒していく。

 瞬く間に部下たちが倒されていく様子を見て、ヒウゥースは歯ぎしりをした。

 

「ぬぅぅううう!! きさまら好き勝手しよってえええええ!!」

 

 ドガンと足を踏み鳴らす。

 怒号と振動。

 ――そこへ小鳥のような声が飛ぶ。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー!」

 

 パフィーの詠唱だ。

 彼女は胸当てと銀の鞭を手にして唱える。

 謡うように麗しい、魔法のさえずりを。

 

「ボース・ユドゥノ・ドゥヴァエ――」

 

「魔法!? ……ちぃぃぃっ!!」

 

 慌ててヒウゥースは駆け出し、部屋を飛び出した。

 おそらく彼は魔法について詳しくないのだろう。

 詠唱を聞いて効果を予測できない者は、必要以上に魔法を警戒しなければならない。

 ワイトピートがおかしいだけで、普通はこうなるのだ。

 

 

 

 ……そうしてヒウゥースがいなくなり、すべての配下は倒れた。

 戦いを終えたイエニアは、担ぐように僕に肩を貸す。

 

「少し遅くなってしまいました。大丈夫ですか、クラマ?」

 

「いや、完璧だよ……ありがとう」

 

 僕が微笑むと、彼女も笑い返してくれた。

 

 

 

 

 

 

 昨日の夜。

 ヤエナと別れた直後のこと。

 歩きだそうとした僕は、その声に気がついた。

 

「エグゼ・ディケ……クラマがいるのはこっち……っと」

 

 コロコロっと僕の足元まで転がってくる小石。

 小石が転がってきた先を見ると、道の角からメグルが顔を出してきた。

 

「えっ!? ホントにいた!」

 

 などと驚いているメグルに僕はダッシュで駆け寄り、両手でガシッと肩を掴んだ!

 

「お願い! 手伝って! いいよね!? やった! ありがとう!」

 

「え? えっ? なに? い、いいけど……え?」

 

 そのまま勢いで押して、メグルには運量を使ってイエニア達を探してもらうことにした。

 彼女がイエニア達を探している間に、僕は地元の建築業者の所に行ってヒウゥース邸の間取り図をもらった。

 以前カジノに忍び込んだ時にもやってた事だったから、スムーズに話は通った。

 この時点で朝。

 そこから日が沈むまで、ほぼ丸一日かけてダクトを通ってヒウゥース邸を探索。ティア達が囚われてる場所を探す。

 監禁部屋を特定した僕は一度みんなの所へ帰還。

 そこで僕はようやく、メグルが見つけ出してくれたイエニア達と再会した。

 しかし再会を喜ぶ暇もなかった。

 みんなにティア達の救出計画を伝えて、僕はもう一度ダクトを通ってヒウゥース邸に侵入。

 そうして僕はひとり、監禁部屋の上で待つ――。

 

 一方のイエニア達はどうしたかというと、ヒウゥース邸の出入りの業者から使用人のお仕着せを融通してもらって、彼女たちに着てもらった。

 そして変装した上で、パフィーに魔法で認識を誤魔化してもらう。

 具体的に言うとノウトニーの魔法具の再現だ。

 魔法具とは詠唱を固定することで、充分に集中できない緊急時でも必ず成功できるようにしたアイテム。

 それはすなわち、緊急時でなければ、パフィーなら魔法具と同じ事が出来るということでもある。

 こうして彼女たちには使用人に扮してヒウゥース邸に忍び込んでもらった。

 使用人とはメイドのことだ。

 つまり……そう。

 イエニア、パフィー、レイフ。

 彼女たちは今、メイドの格好をしている。

 繰り返しになるが重要な事だ。

 メイド服を着ているのである。今、彼女たちは。

 

 ……ダンジョン地下1階には、サクラ達に行ってもらった。

 僕らの貸家に開いた穴から。

 貸家を封鎖している憲兵たちはケリケイラ達に相手をしてもらった。

 ケリケイラは「私ならうまく誤魔化せるかも?」と言っていたけど、どうなったのかは分からない。少し不安だ。

 とにかくダンジョンからヒウゥース邸の地下への侵入は成功したようだ。

 侵入に使ったのはティアの黒槍。

 これで壁をぶち抜いて、ダンジョン地下1階からヒウゥース邸の地下に入ってもらった。

 

 黒槍は僕が地下6階でなくしたものだが、これをヤエナに拾いに行ってもらった。

 たった一日で6階までの往復。

 はっきり言って無茶を言ってる自覚はあった。

 言われたヤエナも顔が引きつっていた。

 しかも道中でイエニア達を探せるようなら探してという無茶振りまで加えた。

 戻ってきたヤエナはばったりと倒れて、今はニーオ先生に見てもらっている。

 

 サクラ達の役目は陽動だ。

 敵が来たらすぐに撤退するように言ってある。

 黒槍が壁を破壊した音と振動に気が向いている間に、僕は通気口の蓋を外し――頃合いを見て飛び降り、ヒウゥースを人質にとる。

 

 以上が、昨夜から現在にかけての顛末だ。

 

 

 

 

 

 そうして、今。

 

「皆さん、脱出しますよ!」

 

 イエニアの号令で全員が動く。

 薬で動けないセサイル、ベギゥフ、ノウトニーを皆で担いで部屋から外に出た。

 すると通路の左右両方からヒウゥースの配下が駆けつけようとしていた。

 まだ人数の少ない彼らは、大声で仲間を呼ぶ。

 

「こっちだ! もっと人を呼んで来い!」

 

 このままでは囲まれる。

 体が動かない3人を担がないといけないので、倒しながら進むこともできない。

 ディーザが叫ぶ。

 

「逃げ場がないぞ! どうするつもりだ!?」

 

 それに対してイエニアが答える。

 

「大丈夫です。逃げ道は――」

 

「こっち」

 

 と、声がしたのは、すぐ傍の窓。

 開いた窓の外から、ひょこっとイクスの顔が出る。

 イクスは窓枠に固定したロープを掴んで、ざっと鮮やかに外の庭へと降りていった。

 イクスに続いてレイフやパフィーが、ロープをつたって降りていく。

 

「待て! こいつらは自力で降りられんぞ!」

 

 ディーザの指摘。

 そう、こちらには薬で動けない3人がいる。

 

「では、私が受け止めます」

 

 そう言ってイエニアはロープを使わずそのまま飛び降りた!

 ここは2階。だが、ヒウゥース邸は大きい。城のような大邸宅だ。

 2階でも普通の家の3階以上の高さがある。

 イエニアは着地と同時に転がって受け身をとり、すぐに立ち上がった。

 

「どうぞ! 投げてください!」

 

 僕の隣でディーザが呟く。

 

「……なんて女だ」

 

 いやはや、まったく。

 僕らは上からセサイル、ノウトニー、ベギゥフを落とし、ディーザは自力で降りる。

 そうしてヒウゥースの配下を牽制しているティアを最後に残して、僕がロープをつたって降りる。

 ……が、途中でロープを掴む手が滑った。

 いや、滑ったんじゃない。手に力が入らなかったのだ。

 

「クラマ!」

 

 パフィーの悲鳴。

 落下する。

 浮遊感。

 地面に叩きつけられる寸前で――僕の体はイエニアに抱き留められた。

 

「っと……無茶ですよ、そんな体で」

 

「う……ごめん」

 

 体がいくらか動くようになったので大丈夫……と思ったけど甘かった。

 ヒウゥースから受けたダメージだけじゃなく、そもそもからして地底湖で目覚めてからおよそ丸二日間、寝ずに休まず動き続けてきたのだ。

 さすがに無茶が過ぎた。

 

「いいです、クラマの無茶はもう慣れましたし」

 

 そう言いながら、イエニアは腕の中の僕をぎゅっと強く抱きしめる。

 

「だから、もう目を離さないことにしました」

 

「イエニア……ぐえ」

 

「あ」

 

 そこに上から降ってきたティアに踏みつけられた。

 僕の顔をクッション代わりにして、スタッと華麗に地面へ降り立ったティア。

 

「失礼いたしました。声はおかけしたのですが、聞こえていらっしゃらなかったようで」

 

「ぐおおおお……なんか最近踏んだり蹴ったりな気がするぞ……!」

 

「些事にかかずらっている暇はございません。すぐに追っ手が集まってきます」

 

 見ると建物のいたるところからヒウゥースの配下がわらわらと出てきている。

 僕らは急いで逃げた。

 正門からは抜けられない。

 走って行きついた先は……敷地を囲む塀。

 高くて分厚い石の塀だ。

 

 行き止まり――ではない。

 脱出経路は最初から予定している。

 イエニアはあらかじめ草花の陰に隠しておいた大槌(ハンマー)を拾い上げた。

 

「壊します。塀から少し離れてください」

 

「待て!」

 

 それを制止したのはディーザ。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー!」

 

 ディーザは塀に手をついて呪文を唱えた!

 

「ヨハイーオハ・シポガ・フヨナウェツヤエ・トレエウナ・ペウー・タツノ・ジャエヨゥ・ナ・シヨゥ・イーチネ・ドテウ! ――オクシオ・センプル!」

 

 詠唱を終えたディーザは、塀にあてた手を押し込んだ。

 すると塀の一部が回転扉になったように、ぐるりと開いた!

 

「おお!」

 

「わあ! すごーい!」

 

 パフィーが驚いている。

 確かにこれだけ長い詠唱となると、心想律定も複雑になるはず。

 それを追っ手が来ている状況で成功させるとは。

 素人目にも、相当な技術力と胆力が窺える。

 そして塀に作られた回転扉を全員が通った後……

 

「オクシオ・ビウヌ! ヨハイーオハ・シポハ・スウォヨガ・サノウ!――オクシオ・センプル!」

 

 再びディーザの詠唱。

 それをパフィーが解説してくれる。

 

「塀に出来た切れ目が癒着して固定されたわ! これで向こうの人達はこっちに来られないわね!」

 

「塀を破壊しては連中も通り抜けて来てしまう。逃走を計画するなら、そのあたりも考えて欲しいものだな」

 

 クイッとメガネを押し上げて嫌味を言っていくディーザ。

 

「ディーザさん……」

 

 僕はディーザの顔をまじまじと見て言う。

 

「本当に魔法、使えたんですね!」

 

「な、舐めるな小僧! この私を誰だと――」

 

「よおし、みんな今のうちに戻るよ!」

 

「き、貴様ッ……待て、まだ――」

 

「こっちだ、走れーーーい!」

 

 ディーザの台詞を途中で食い取って走る。

 ……彼には悪いけど、こうした馬鹿にされるポジションに収まってもらおう。

 そうでないと周囲との収まりがつかない。

 今まで非道を働いていた敵を受け入れるには、コミュニティ内で最下層のポジションでないと納得できない人が多いものだから。

 

 そうして僕らは、ヒウゥース邸からティア達を連れて脱出することに成功した。

 ……だが、まだマユミが中に残っている。

 地下に行ったサクラ達も無事だといいが……。

 



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第78話 - ニシイーツの挿話 ~ 三郎と呼ばれた男

 彼の名はマジカル三郎。

 このふざけた名前は、サクラによって強引につけられた名前だ。

 彼の本名はニシイーツといった。

 

 子供の頃、彼は自分に自信があった。

 物覚えが良く、理解が早い。

 周りが10を覚える間に20を覚えることができた。

 自分は優秀な人間だと思っていた。

 運動は不得手だったが、ことさらそれが問題になるとは思っていなかった。

 要領が良ければどうにでもなる。

 結局、世の中は能力なのだと。そんなふうに思っていた。

 

 毎日が楽しかった。

 

 たが、生まれ育った地元から首都に登って、とある魔法使いに弟子入りをしたことで……彼のささやかな自信は脆くも崩れ去った。

 自分以外の弟子たちはみんな育ちが良く、話がまるで合わない。

 常識が違う。知識が違う。教養が違う。

 まるで異世界に放り込まれたようだった。

 

 これまで周囲の人間を心の内で密かに見下していた彼にとって、この状況は周囲の皆が自分を見下しているように思えて仕方がなかった。

 最初のうちは見返してやろうという気概があった。

 だが魔法の修得でも差をつけられると、自尊心を守る拠り所がなくなり、彼の心は急速に萎んでいった。

 ただひとり補講を受けるのは屈辱だった。

 同期の仲間たちの励ましの言葉。

 時間を割いて修練に付き合ってくれる親切心。

 それを……ありがたいと思ったことはない。

 疎ましさしか感じなかった。

 

 そんなに自分との差を、余裕を見せつけて楽しいか!?

 もういい、もう放っておいてくれ……これ以上、俺に現実を押しつけないでくれ……。

 

 そうして彼は、師や仲間達には何も言わずに、逃げるように田舎へ帰った。

 実際、逃げたのだ。

 心が傷ついて弱った彼は、自分の部屋に引き篭もった。

 結論から言えば、これまで生きた年月と同じだけの時間を部屋から出ないで過ごすことになった。

 

 地球の単位で言えば既に彼の年齢は40過ぎ。

 途中、何度も外に出ようと考えたことはあった。

 その機会もあった。

 だが結局は出なかった。

 何故か?

 理由は色々ある。

 考えれば言い訳は無限に用意できる。

 しかし結局のところは、ただひとつの言葉で説明できる。

 

 怖かったのだ。これ以上、自分が傷つくのが。

 

 そうして「自分が今動かない理由」だけをひたすら探し続けるだけの、ぬるま湯につかった日々。

 その言い訳のひとつが、「自己研鑽」という建前で行っていたオノウェ調査だった。

 オノウェ調査で近所に住む女の子の私生活を覗き見る。

 

 初めのうちは、他にすることがないので暇潰しにと考えていた。

 しかし実際にやってみたところ、それは困難を極めた。

 魔法の使用にあたって、とても重要な項目が“距離”だ。

 効果の対象が離れれば離れるほどに精度は落ちる。

 最初は隣の家のことも全く分からなかった。

 しかしそれでも続けた。

 ひとつのことに没頭する職人的な性格のためか、あるいはひとえに強い性欲の賜物と見るか。

 しかしながらそれ以上に彼は――暇だったのだ。

 そして、魔法使いの修行を途中で投げ出したため、彼は他に使える魔法を習得していなかった。

 

 悲劇が起きたのは、彼の調査範囲が通りをふたつ挟んだ先まで及んだ頃のことだった。

 いつも通りに魔法で集めた情報をもとに自慰にふけっていた時、ついに業を煮やした父親が部屋の扉をこじ開けたのだ。

 筆舌に尽くしがたい阿鼻叫喚の後、彼は家を追い出された。

 

 その後は放浪していたところを次郎に拾われて、このアギーバの街へとやってきた。

 そんな彼だから目的があってこの地に来たわけではない。

 何もなかったから、次郎の誘いに乗った。

 それだけだ。

 この時の彼の頭の中は、どうやって死のうかという事しかなかった。

 

 

 サクラと出会ったのは、そんな時だ。

 

 

 彼女は若く、明るく、奔放で、短絡的で、そして――どんな困難にも前向きに進んでいく勇気があった。

 すべてが彼と正反対だった。

 眩しかった。

 だから目がくらんでしまったのだ。

 サクラという少女に。

 

 年甲斐もない恋心。

 そんなもの、伝えられるはずもなかった。

 気持ち悪いと拒絶されるのが分かりきっている。

 だから彼は、道化に徹したのだ。

 サクラの望む役割を演じた。

 それでいいと思っていた。

 

 あの男が……クラマ=ヒロが現れるまでは。

 

 

 

 

 

 三郎はサクラと二人でダンジョン地下1階を走っていた。

 陽動作戦は成功した。

 サクラ達が黒槍の魔法で壁を吹き飛ばしたら、すぐさま敵が来た。

 敵が来れば、後はあらかじめクラマに指示されていた通りに逃亡すれば役目は終わり。

 

 そのはずだった。

 だが、あまりに敵が来るのが早すぎたのだ。

 こんなにすぐに逃げ出してしまっては、陽動の役目が果たせない……サクラはそう思ってしまった。

 姿を現した敵が一人だけというのもあった。

 退路を確保したまま、その場に留まって粘ろうとしたのだ。

 

 その目論見は成功した。

 ……そう。それは、つまり。

 敵が集まってくるまで粘ろうという思惑が成功したのであれば――大量の敵と相対することになるのは、川の水が高きから低きへ流れるがごとく当然の結果であった。

 

 そんなわけで現れた大勢の敵から一目散に逃げ出したサクラ達。

 敵の一部はダンジョン内まで追ってきて、そうして逃げ回っている間に獣の群れと遭遇。

 その時のゴタゴタで一郎や次郎と別れてしまった。

 

 今、サクラと三郎を追っている敵は一人。

 だがニ対一ならいける……ということは全くない。

 彼らに出来ることは、ただ逃げるのみである。

 逃げて走って、息を切らせて。

 しかしついに行き着いた先は、無情にも袋小路。

 

「えぇーっ!? 行き止まり!?」

 

「ううっ……!」

 

 背後からは追ってくる足音。

 進退窮まる窮地。

 袋のねずみ。

 絶体絶命の状況に、三郎は激しく動揺しながら思考を巡らせた。

 

 ――サクラを守らないと! 誰が? じ、自分しかいない! やるのか!? そ……そうだ、今やらずにいつ動く!? 今がそのときだ!

 

 サクラの視線を受けている――という認識が、彼の背中を後押しした。

 勢いに任せて彼は迫り来る敵に振り向いた!

 それは、やぶれかぶれであった。

 勝算があるわけではない。

 それどころか、振り向いて拳を振り上げたはいいが、彼の目の前は真っ白で、敵の姿が目に入っていない。

 

 ……気付いた時には、彼は剥き出しの土の地面とキスをしていた。

 敵のパンチ一発でダウンしたという事実は、頭を働かせて思い出すまでもなく明らかだった。

 

 三郎は無様に土を噛みながら思う。

 ……結局こうなるんだ。分かっていた。だいたいやる前から想像はつく。できないことをやろうとしても時間と労力の無駄。人生の損失である。

 三郎はそう考えていた。

 そう、言い訳していた。

 今の自分にできることは何もない。

 だから後はこうして、嵐が過ぎ去るのを待つのが正しいのだと。

 それが自分が一番傷つかない方法だということを、思慮深く賢い彼は知っている。

 

「ええい、大人しくしろ! 小娘!」

 

「うっさい、このっ! 大人しくしろはこっちのセリフよ!」

 

 三郎の耳にサクラと敵が争う音が聞こえた。

 どうやらサクラは激しく抵抗しているようだった。

 三郎は心の中で語りかける。

 そんなに暴れちゃダメだ。抵抗すればするほど痛い目を見るだけだ。……と。

 

「あっ!」

 

 どざっ、と人が倒れる音。

 

「ふぅ……これで少しは大人しく……がっ! こっ、こいつ噛みやがった!」

 

「むーーーーーー! んむぅーーー!」

 

「あだだだだ! くっ、くそぉ、手加減してやればこいつ……! そこまでするなら覚悟はできてるんだろうな!」

 

 サクラは抵抗をやめない。

 三郎にはその行動が理解できない。

 

 ――なんで。どうして。

 

 噛みつきなんてしたら、相手は手加減してくれなくなる。

 思わぬ反撃で傷を負わされた者は、そのマイナスの帳尻を合わせるために、自分に傷を負わせた相手から何かを奪おうと考える場合が多い。

 ……サクラは何も持っていない。

 男がサクラから奪えるものといったら、貞操だけだ。

 

 悲嘆と焦燥の中で、三郎はひとつの可能性に思い至ってしまう。

 

 ――もしかして、自分が起きて加勢するのを期待しているのでは?

 

 やめてくれ。と、三郎は思った。

 敵の男にではない。

 サクラに対してだ。

 自分にそんなことを期待するのはやめてくれ、と。

 

 

 だが、次にサクラの口から出てきた言葉。

 三郎はそれに、天地が逆さになるほどの衝撃を受けた。

 

 

「はぁ!? 覚悟しろ!? こっちのセリフよ! あんた三郎に何してくれてんのよ! 絶対許さないから!」

 

 

 

 

 

「……………あ……」

 

 その言葉で、三郎はついに気がついてしまった。

 これまでずっと見て見ぬふりをしてきたもの。

 あまりにも下劣で、卑賤で、正視に堪えないほどに矮小な、自分自身の本性を。

 

 愛する者を守れないどころか、逆に守られ、あまつさえそれを疎ましく感じている自分の姿を直視した。

 

 ――なぜ、こんなことに。

 

 こんな場面を望んでいたわけではなかった。

 彼が……彼だけが知る真実では、普段は情けないけどやる時はやる。それが予定していた“本当の自分”だった。

 なんの根拠もなく、なぜかそう思っていた。

 しかし現実では、ただ震えて縮こまって、時間が過ぎ去るのだけを待ち続けている自分がここにいる。

 

「あ……あぁ………ああぁぁあぁぁぁぁ……!」

 

 溢れ出す。

 悔恨、慚愧、憤怒、自責……ありとあらゆる自虐の念が、怒涛のように三郎の胸中から噴き出していた。

 胸を掻きむしって自分の心臓を引きずり出し、握り潰したくなるほどの激情が渦を巻いて、三郎自身を強く強く責めたてる。

 一度溢れ出してしまえば、誰にも止める術はない。

 長きに渡って溜めに溜め込んだ、理想と現実の齟齬。

 止めることなどできなかった。

 壊れたダムからは、際限なく溢れ出す。

 

 ――死ななければ。

 

 そう思った。

 今ここにいる自分は死ななければいけない。

 客観的に見て。

 冷静に考えて。

 これは、生きる価値のないモノだ。

 

 ――だけど、だけど……死にたくないんだ……。

 

 この期に及んで。

 なんという、信じられないほどの見苦しさ。

 我が事ながら心の底から呆れ果てる。

 事ここに至っても妥協を求める腐った性根よ。

 

 死にたいし、死ぬべきだけど、どうしてもどうしても死にたくなくて死ぬのが嫌で仕方がないから――

 

 妥協に妥協を重ねた最後の二択。

 このまま寝たふりを続けてサクラのもとを去るか……

 あるいは、今すぐ立ち上がり、立ち向かうか。

 

 

 

 

 

「……オクシオ・オノウェ……」

 

 それまでサクラにかかっていた男が、ぎょっとして振り返る。

 先ほど軽くパンチ一発でのしたヒョロヒョロの男が、いつの間にか立ち上がり、魔法の詠唱を始めていたのだ。

 

「イーオハ・アナサ・バーヒ・サエドスガ・ツノセウェシ……」

 

「魔法……! させるか!」

 

 男はサクラを放り投げて、三郎のもとへ走る!

 三郎は陳情句を省略して発動句へ続ける。

 男が三郎に襲いかかる直前で、その詠唱は完了した!

 

「オクシオ・センプル!」

 

 次の瞬間、三郎の拳が男の顔面を殴り倒していた。

 

「ぐぅっ! な、なんだ……!?」

 

 地面に倒れた男は軽く混乱していた。

 彼は魔法使いではないものの、いくらかの魔法に関する知識があった。

 その知識が、彼に大きな違和感を与えている。

 

「オクシオ・センプル……!? それは魔法具を使わない汎用の発動句だ。お前、魔法具なしで魔法を……!?」

 

 魔法具がなければ戦闘中に魔法を使用できない。

 これは対魔法使い戦闘の常識であり、大原則だ。

 有り得ない出来事に、彼が困惑するのも当然だった。

 

「……オクシオ・オノウェ……」

 

 三郎は男の言葉には答えず、再び詠唱を開始した。

 今のが偶然ではなく、何度でも成功できるとでも言うかのように。

 

「イーオハ・アナサ・バーヒ・サエドスガ・ツノセウェシ……」

 

「くそっ! やらせるか!」

 

 男は今度こそ途中で詠唱を止めようと、勢いよく起き上がって三郎に向かって殴りかかった。

 三郎はそれを必死に避けながら唱える。

 ……が、避けきれずに男の拳が三郎の頬をかすめる!

 やった、と男は思った。

 さすがにこれで心想律定は乱れたはずだ。詠唱の妨害は成功した、と。

 

「――オクシオ・センプル」

 

 だが止まらない。

 再び、三郎の拳で男は地面を転がった。

 

「ば、ばかな……不可能だ……!」

 

 そう、不可能だ。

 たとえ超一流の魔法使いであっても、戦いながら、攻撃を避けながら心想律定を組むことなど出来はしない。

 

 だが彼には出来る。

 彼は超一流……どころか、三流以下の魔法使いである。

 使える魔法はオノウェ調査だけ。

 オノウェ調査しかできないから……彼は、ひたすらそれだけをやり続けた。

 自分の部屋に引き篭もってからずっと。

 これまでの人生の半分以上の時間を。

 地球時間で言う20年もの年月を、ただそれだけに費やしたのだ。

 

 故に、ことオノウェ調査魔法のみに限っては――彼が失敗することは有り得ない。

 たとえ針山の上だろうと、あるいは灼熱の火に囲まれていようと……彼は難なく成功させるだろう。

 

「……そうか、分かった」

 

 殴られた男は三郎をよく観察しながら、ゆっくりと立ち上がった。

 

「理由は分からないが出来るんだろう。だが……二度も同じ詠唱。それはつまり、他の事は出来ないってことだ。違うか?」

 

 男は冷静にそう分析した。

 三郎は答えられない。

 男は自分の推理が当たっていると見て、続けた。

 

「そしてどっちの場合も俺の突きに合わせたカウンター……盗んでるのは俺の思考か予備動作か……こっちの仕掛けるタイミングが分かるんだろ。だが、それはかなり限定的な予測になるはずだ」

 

「………………」

 

 三郎の背筋を汗が伝う。

 早くも看破されてしまった。

 三郎が読み込んでいるオノウェ情報は、「相手が次にやろうとしている攻撃」という事のみ。

 ばれてしまえば、いくらでも対処の方法はある。

 

 そして――目の前の男は静かに構えをとった。

 鋭く見据える目には、もはや油断の色はない。

 

「大したものだ。そこまでの高みに至るには、並大抵の修練ではあるまい。だが……次は破ってみせよう」

 

 男は気勢をあげる。

 

「どうした、唱えてみせ――んごぶ」

 

「あ……」

 

 セリフの途中で男が崩れ落ちた。

 男の立っていた背後。

 そこには大きな石を頭上に掲げたサクラが。

 

「…………………………」

 

「え? あ……あれ? なにこの空気? な、殴っちゃダメだった?」

 

「あ……ああー……は、はは……いや、助かった、よ……っと」

 

 三郎はガクリと力が抜けて尻餅をついた。

 

「ちょっ、ちょっと大丈夫!?」

 

「は……はーっ……はー……はーーっ……!」

 

 ほんの短い間の戦いだったが、三郎は体が動かなくなるほど疲弊していた。

 極度の緊張、そして運動不足が原因だ。

 

 あのまま続ければ三郎に勝ちの目はなかった。

 ……実際、2回殴っただけで三郎の拳はもう限界だった。

 戦いというのは殴られた方だけじゃなく、殴った方も痛いのだということを、今さらながらに三郎は実感していた。

 

 体の状態は最悪。

 しかしながら、彼の胸の内はすっきりとしていた。

 見えている風景も、なんだかさっきまでとは違うように見える。

 色々なものが以前よりも鮮明に網膜へ映っているような気がした。

 

「はーーーーーー……よっ、こい、しょ、っと」

 

 三郎はふらつきながら立ち上がる。

 

「ほらもー、ふらついてるじゃん! 無理するんじゃないの!」

 

「いんや、無理でもやらないと」

 

 ――なにしろ、自分はあのクラマを超えなくてはならない。

 

 それは必然の目標設定であった。

 立ち上がり、サクラの隣にいることを望んだ以上は、クラマは当然倒さなくてはならない敵だ。

 ……それが不可能だということは分かっていた。

 クラマは特別だ。

 誰が見ても分かる。クラマ=ヒロという人物はあらゆる面で、凡人とは一線を画している。

 しかし無理という事実は、今の三郎にとっては、やめる理由には当たらなかった。

 どうせこの身は死んだようなもの。やるだけやってみればいい。……と。

 

「ちょっと三郎、聞いてるー?」

 

 自分の目の前で手を振るサクラに向けて、彼は言った。

 

「サクラ、これからは三郎じゃなく本名で呼んでくれないかな」

 

 割り当てられたゴザル口調は、とっくにやめていた。

 

「え? 本名? ……って、なんだっけ?」

 

「ニシイーツ」

 

「ニシイーツね。いいけど……あっ! ひょっとして三郎って呼ばれるの、嫌だった……?」

 

 遠慮がちな上目遣いで見上げてくるサクラ。

 彼――ニシイーツは苦笑した。

 

「いいや、コレはただのケジメだから」

 

「ふうーん……? ま、いっか」

 

 サクラとニシイーツは連れ立って歩きだした。

 

 こうして、かつて三郎と呼ばれた男は、三郎の名を捨て去ることで、己を取り戻すことができた。

 とりあえず――この街での騒動が一段落したら、体を鍛えることから始めよう。

 ……と、ふらふらとした足取りでダンジョンの道を進みながら、彼は人知れず心に決めたのだった。

 



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第79話『クラマ#09 - 変わりゆく人たち』

 ヒウゥース邸から脱出した僕らは、ヌアリさんの家に戻った。

 見たことのない人達が大勢上がり込んでも、いやな顔ひとつ見せずに受け入れてくれるヌアリさん一家。

 度量の深さを感じる。

 いや本当に頭が上がらない。

 

 ともかくも、まずは薬で動けなくされているセサイルたちをニーオ先生に診せる。

 実はここに来る間にパフィーの魔法具で解毒は終えていた。

 だが解毒をしても彼らが動けるようになる気配はない。

 僕がそれを伝えると、ニーオ先生は特に慌てるでもなく冷静に言った。

 

「それはそうよ。パフィーは分かってるだろうけど、魔法で毒を取り除いても身体への影響はすぐには消えない。毒がなくなってすぐに体が元に戻るわけじゃないの。それ以上悪くなることがないってだけ。失った体力や身体機能は、本人の治癒力で回復させなきゃいけない。……分かったかしら?」

 

 それはそうだ。

 

「うーん、なるほどなぁ。……明後日までに回復するのは無理ですかね、先生?」

 

「戦闘できるようになるかって事よね? それは諦めなさい。このまま丸一日安静にして、立ち上がれるようになるかどうか……ってところかしら」

 

 つまり彼ら……セサイル、ベギゥフ、ノウトニーの3人はここでリタイアというわけだ。

 いや、ひとつだけ方法はあるけど……。

 

「パフィー、心量の残りはある?」

 

 僕は後ろで控えているパフィーに尋ねた。

 それに対してパフィーは、申し訳なさそうな、難しい顔をする。

 

「魔法で代謝を促進するのを考えてるのね?」

 

 その通りだ。

 ニーオ先生もパフィーも、ガンガンこっちの意図を読み取ってくるから話が早い。すごい。

 

「うん、そうそう。どうだろう?」

 

「それはね……実はもう心量が残ってないの。ダンジョン地下5階でクラマが崖から落ちた後、クラマの位置情報を探るのにほとんど消費してしまったから……」

 

「そっか。ごめんね、苦労かけちゃって」

 

「ううん……私の方こそ、たくさん心量を使ったのにクラマを見つけられなくてごめんなさい」

 

 とりあえず僕はパフィーをぎゅーっと抱きしめた。

 

「よしよし」

 

「ん……」

 

 しかしセサイルが動けないのは痛すぎる。

 他に魔法を使えるのは……ディーザ。

 僕はディーザに視線を投げかけた。

 

「……なんだ? 私の心量はないぞ。さっきので打ち止めだ」

 

 これは……リソース切れ!

 人数だけは多いけど、動ける人が少ない。

 そしてタイムリミットがすぐそこで、体制を整える時間もない。

 これはかなり苦しい状況だ。

 

「むぅ……せめてセサイルだけでも……」

 

 心量が少ないのはサクラの治療にあたっていた三郎さんも同様だろう。

 となると、あとは一人しかいない……。

 そう考えていると、僕の腕の中にいるパフィーが言う。

 

「そもそも魔法で代謝を早くするのは老化を伴うものだから、そんなに気軽にやっていいものじゃないのよ」

 

「そうかぁ……」

 

 いやしかし、しかしセサイルだけでも……。

 と、僕らの話に区切りがついたのを見て、ニーオ先生が口を開く。

 

「とにかく彼らはベッドに寝かせて安静に。彼らだけじゃなくて……あなたもよ。自分で気がついてるか分からないけど、ひっどい顔色してるわよ。診てあげるから来なさい」

 

 わかってる。

 丸二日間ずっと休まず動き続けてきたのだ。

 体調は最悪。

 しかもそこへヒウゥースの強烈な打撃を受けて、体も頭もぐちゃぐちゃで吐き気と悪寒が止まらない。

 とはいえ、僕はまだ寝るわけにはいかない。

 

「いやいや、そんな大したことないですよ」

 

「いいから来なさい」

 

 ニーオ先生に睨まれて、僕は大人しく診察を受けた。

 ひととおり問診と触診を終えて――

 

「……過労ね。栄養をとって寝なさい。と言いたいところだけど、内臓にダメージか……参ったわね。薬は持ってきてないし……」

 

 ニーオ先生は手にしたペンを自分のこめかみに当ててコツコツと叩いた。

 お医者先生といえど、薬や道具がなければ出来ることは少ない。

 なまじ能力が高くて出来ることが多い人なだけに、歯がゆいだろう。

 

 とりあえず僕は栄養か。

 食欲はないけど、まだまだ動かなきゃならないから食事は必要だ。

 かといって診療所に薬を取りに行くというのも……

 と、考えていた時だった。

 

「ふ……ふふ……お困り……ですかな……?」

 

 ずり……ずり……と何者かが床を這いずり近付いてくる。

 ゾンビか?

 いや違う。ノウトニーだ。

 地を這うノウトニーゾンビは懐から薬包を取り出すと、こちらに差し出してきた。

 

「これは……?」

 

「主に……トラエディの茎を……煎じた……もの、です……体内の……不調や……吐き気を、おさ、え……しょ、消化を……た、たた、たすけ……」

 

「いや、そんな無理して喋らなくていいから。薬だよね? ありがとう」

 

 僕はノウトニーの震える手から薬包を受け取った。

 

「ふふ……薬学には……通じておりまして、ね……私には……これくらいしか……役に立てることが、なかっ……」

 

 そこでノウトニーはガクッと力尽きた。

 

「の、ノウトニーっ!!」

 

 僕はノウトニーの手を握って叫んだ。

 ノウトニー……いいやつだったのに。どうして、こんな……!

 

「こら、何を死んだみたいな扱いしてんの。私がベッドに戻しておくから、あなたは薬を飲んできなさい」

 

「はーい」

 

 ニーオ先生におこられた。

 だってノウトニーの動きがゾンビみたいだったんだもん。

 テンションが高いのは徹夜のせいだもん。

 ……と、僕がふらつきながら診察室代わりの部屋から出たところで、ガチャリと玄関が開くのが見えた。

 

「戻ったわよ! どう? あたしの完璧な陽動は!?」

 

 サクラ達だ。

 メグル達のパーティーもいる。

 良かった、みんな無事だったようだ。

 

「おかえり。いやー、完璧だったね。撫でてあげよう」

 

「ちょっ、ちょっと子供じゃないのよ! こらぁ!」

 

 中学生が子供じゃなかったら何が子供なのか?

 自称子供じゃないサクラは、恥ずかしがって頭を抱えて逃げる。

 相変わらずいい反応してくれるなぁ。

 これだからやめられない。

 しかし僕の行く手が不意に阻まれた。

 

「……お?」

 

 三郎さんが無言で僕とサクラの間に割って入っていた。

 ……なんだか顔つきが昨日までと違う。

 今までの彼と違って、こっちを臆せず目を合わせてきている。

 さらには横からメグルまで現れた。

 

「うまくできたら頭を撫でてくれるんだ? じゃあ当然、私も撫でてくれるんだよね?」

 

 メグルは腕組みをして、侮蔑するように目を細めてこちらを見ている。

 

「う……」

 

 こ、これは……サクラの守りが固い!

 この世界で出会った頃のメグルは、伏せ目がちで悲壮感の漂う、儚げな感じがしていたけど……サクラと仲が良くなってからの彼女はどこか雰囲気が変わった気がする。

 なんというか、妹を守る姉のような。

 三郎さんといいメグルといい……あとは一郎さんもか。

 サクラは周りの人を変えていくような資質があるのかもしれない。

 

 しかし、姉……か。

 いやな響きだ。

 

 ……………………。

 

「……ま、ままま、玄関で立ち話もなんだし、みんな上がって上がって! リビングに案内するよ~!」

 

 僕は逃げるように背を向けた。

 決して姉という響きに気圧されたわけではない。

 逃げているように見えたかもしれないけど、玄関の外で立ち往生してるみんなに気を使った結果なのである。

 

 ということで、一同リビングへ。

 ごく普通の民家にしては、かなり広いお部屋。

 しかしながら――

 

「……ねえ、狭くない?」

 

 まあ、狭い。狭いね。

 今この部屋にいるのは……僕、イエニア、パフィー、レイフ、イクス、ティア、サクラ、一郎さん、次郎さん、三郎さん、メグル、バコス、ナメロト、ケリケイラ、ディーザの15人。

 ダイモンジさんはニーオ先生のところにいる。

 これでさらにセサイル、ベギゥフ、ノウトニー、ヤエナの3人が寝ているわけだ。

 ――総勢21人!

 いやはや、とんでもない大所帯になってしまったなあ。

 とりわけ人一倍体の大きなケリケイラが申し訳なさそうにしている。

 

「やー、スミマセン。無駄に場所取っちゃって」

 

「えっ? あぁいや、そういう意味で言ったんじゃないから!」

 

 慌てるサクラ。

 僕は流れを切ってケリケイラに話を聞いた。

 

「ダンジョンに侵入するための貸家は憲兵に封鎖されてたはずだけど……うまく通り抜けられたみたいだね。ありがとう、ケリケイラ」

 

「えっ!?」

 

 すると今度はなぜかケリケイラが驚く。

 彼女は半笑いで僕から目を逸らした。

 

「あー、まあー……そ、そんな褒められることでは~……」

 

 なんだろう。何かやらかしたのか。

 その真相はケリケイラに代わってメグルが答えてくれた。

 

「警備してた人達なら、みんな家の中でのびてるよ」

 

「あ、そうなんだ」

 

 うまく話を通す、というのは無理だったみたいだ。

 仕方ないね。

 そこへメグルのパーティーメンバーのバコスとナメロトが口を挟む。

 

「私に任せてください! って話しに行ったかと思えば……いきなり憲兵にラリアット! だからなぁ~、いやブッたまげたぜ!」

 

「いや違いねえ! ア~~ッヒャッヒャッ!」

 

「ギャーーーーハハハハハ!!」

 

 おなかを抱えて笑う2名。

 

「うーん。結局、頼れるものは暴力なんだなぁ。せちがらい世の中なんだなぁ。あと見つかるとまずいんで、笑い声はもう少しだけ抑えてくれるとたすかります」

 

「わ、私のせいじゃないです! 諸悪の根源はアレ……そう、そこにいるあの男ですよー!」

 

 ケリケイラが指さした先。

 そこにいるのは――

 

「……私か?」

 

 ソファーに腰かけ、ハーブティーの入ったカップを片手に、新聞を読み込んでいるディーザだった。

 我が家のように(くつろ)いでるね。

 さっきの逃げながらの詠唱成功といい、神経質そうに見えて実は肝が太いのか。

 そんなディーザに向けて、ケリケイラは口を尖らせて批難する。

 

「そう、そのわたしさんですー。あなたが下手こいたせいで、とばっちりで私まで重要参考人扱いですよ」

 

 そりゃ大変だ。

 ……が、しかしそこへケリケイラが思いもしなかった所から声が。

 

「ケイラ、その人と知り合いなの?」

 

 メグルだ。

 

「あ」

 

 まずったとばかりに、ケリケイラは自分の口を手で覆った。

 相変わらず嘘が下手な人だね彼女は。

 自分がディーザの手下としてスパイ行為をしていたことは、仲間にも秘密にしていたのだろう。

 

 ……ケリケイラがヒウゥース側の人間である可能性が高いということは、だいぶ前から調べがついていた。

 実際はディーザの下にいたようだけど。

 そのことは僕のパーティーやサクラのパーティー、そしてセサイルには話を通していた。

 だが、メグル達には話していない。

 

 そんな渦中のディーザだが、彼はたいして興味もなさそうに口を開いた。

 

「ふん、何がとばっちりだ。貴様のような図体のでかく、どんくさい女を使ってやったのは誰だと思っている。この優秀な私の下でなければ、貴様のような無能者など――」

 

「あ、ごめんお茶こぼした」

 

 僕は淹れたてのお茶をディーザの足にぶっかけた。

 

「あっづぅぃあ!」

 

「はいゴメンナサイね、ズボン脱いでー、向こうでね~」

 

「なぜ向こうに行く必要がある! やめろ! 引きずるなっ!」

 

 ディーザの足を掴んだ僕は、ずりずりと隣の部屋の方へと引きずっていく。

 ……しかしそれを止めたのは、誰あろうケリケイラだった。

 

「あ~……いいです、クラマさん。そんな気を使わなくて」

 

「……ん」

 

 ケリケイラは皆に向き直る。

 そうして、彼女は一度だけ大きく息をついてから、周囲に告げた。

 

「皆さん聞いてください。私は皆さんを騙していました。そこにいるディーザの手先として、皆さんの情報を流していました」

 

 ケリケイラの罪の告白。

 それに対して最初に口を開いて答えたのはディーザだった。

 

「貴様らのような不穏分子は監視されて当然。事実、こうして反逆を企てている。それもこれも初めて貴様が留置場にぶち込まれた時、釈放などせず私の言う通りにしていれば良かったのだ! それはそうと早く氷をよこせ!」

 

「はい、氷よ」

 

 パフィーだ。

 いつの間にか現れたパフィーが氷を持ってきた。

 

「ご苦労。早いではないか。貴様は優秀だな」

 

 口の減らない男だ。

 ……しかし、彼の言葉は正鵠を射ていた。

 あの日、僕がサクラ達の身代わりとなって憲兵に捕まり、留置場で僕とディーザとヒウゥースの3人が対面した時。

 あそこでディーザの進言をヒウゥースが受け入れていれば、今のような状況はなかった。

 結果論ではあるけれど、こうして改めて思い返してみれば……ヒウゥースにとっては、あそこがまさにターニングポイントだったと言える。

 

「とにかく、私がスパイとして動いてたのは事実です。言い訳することもないです。私にはもう敵対する理由はないですけど……消えろというなら消えます。皆さん、本当にすみませんでした」

 

 そう言って、ケリケイラは全員に向かって深く頭を下げた。

 

「それもまるで役に立たなかったのだがな、この無能も……むぐっ!?」

 

 僕はディーザの口を塞いだ。

 真面目な話をしてるところだから邪魔しないようにね。

 いくぶん長く感じる沈黙の後、最初に口を開いたのはメグルだった。

 

「……ケイラ、それっていつから?」

 

「ダンジョンの地下3階で、クラマ達と出会った後からです」

 

「そう……何か理由があるの?」

 

「それは……何を言っても言い訳になるんで……」

 

「ふん、考えの足りぬ愚かな小娘め。人に言えない後ろ暗い仕事をする理由など決まっている! 金だ! もっとも、故郷にいる親兄弟12人に仕送りしているなどという話、私も信じてなどいないがな!」

 

 油断して手を離したらディーザがまた割り込んできた。

 しかし、これは……?

 僕はひとまず訊いてみた。

 

「魔法を使えば嘘ついたら分かるんじゃないの?」

 

「馬鹿め。他人の金の使い道など、これ程どうでも良いことはない。貴重な私の心量を、そんな無駄なことに使えというのか?」

 

 そうかなあ。

 お金の使い道は一番その人を把握しやすいポイントだから、調べるのはアリじゃないかな?

 きっとディーザは他人の考えや価値観を把握する必要がないって考えなんだろう。

 それはともかく、話の腰を折られたメグルがこっちを睨んでるのが見えた。

 

「あの、クラマ? その人ちょっとどこかに置いてきてくれる?」

 

「うい~す」

 

「な、なんだその扱いは……私を……私がここでは公平ではない……!」

 

 僕はディーザを隣の部屋に引きずり込んで、簀巻きにしてから元の部屋に戻った。

 中ではメグルとケリケイラが問答の続きをしている。

 

「消えろというなら消える……ね。ねえケイラ。ケイラはどうしたいの?」

 

 ケリケイラを見据える、メグルの真剣な眼差し。

 その真っ直ぐな視線を受け止めきれないのか、ケリケイラは視線を所在なげに彷徨わせた。

 

「え? どうしたいって、そりゃー……いや、皆さんに迷惑かけておいて、そんな自分に都合のいいこと言うのはー……」

 

「じゃあ、クラマ達みんなじゃなくて、私。私たちのパーティーに居たい? それとも居たくない?」

 

「それは……ヒメ……や、メグルに迷惑をかけるわけには」

 

「ヒメでいいよ。……あっ、やっぱヒメやめて。メグルで」

 

 ヒメという謎の呼称。

 たしかにサラサラした綺麗なストレートの黒髪に、目鼻筋の整った美形。

 黙っていればお姫様のようではある。

 が、メグル自身はお姫様扱いされるのを拒否していた。

 不意の失言に、メグルはこほんと咳払いして続ける。

 

「んんっ……で、どうなの? 私は迷惑かどうかじゃなくて、ただ今まで通り、私たちのパーティーと一緒にいたいかどうか聞いてるんだけど? 私はケイラの気持ちを聞きたいの」

 

 攻めるなぁ。

 以前のメグルは、こんなに主導権を取って踏み込んでくるようなイメージはなかったのだけど。

 人は変わるものだ。

 

「いや、それは……そのー……」

 

 攻め込まれ、追い詰められたケリケイラの視線があちこちに目移りする。

 そこで僕と目が合った。

 僕は微笑みながら、ゆっくりと頷く。

 

「う……」

 

 それでケリケイラはメグルに向き直ると、観念したように答えた。

 

「……はい。私はヒメやみんなと一緒にいたいです」

 

 やめろと言われたばかりのヒメ呼び。

 メグルがむっとした表情を見せる。

 ……が、それはポーズだ。

 明らかにわざと作った怒り顔を見せている。

 

 イタズラや冗談というのは、互いの信頼関係によって成立するものだ。

 改めてケリケイラがヒメと呼んだことで、ふたりの表情が柔らかくなったのが分かる。

 それからメグルはパーティーメンバーのふたりに振り返って訊く。

 

「みんなはどう?」

 

「それ聞くぅ~? おれらに聞いちまうかぁ~?」

 

「アッヒャッヒャッ!」

 

 いつでも楽しそうだね~、彼らは。

 

「じゃあOKってことね?」

 

「アヒャッ、いや違いねぇ、違いねぇや」

 

 しかも地味に笑い声の声量を抑えている。

 了承が得られたメグルは、今度は僕らの方に向き直る。

 

「クラマ、それからみんな……私からお願い。ケイラを許してあげて」

 

 そう言ってメグルは頭を下げた。

 

「ヒメ……」

 

 さて。

 僕らは互いに視線を交わした。

 アイコンタクトで意思確認すると、僕は他の皆に先んじて、シュバッと鋭く手を挙げた!

 

「僕はオッケーでーす!」

 

 すかさずパフィーも続く。

 

「はい! わたしもー!」

 

「じゃあ私もー♪」

 

 レイフも空気を読んで乗ってきた。

 このフットワークの軽さよ。

 このあたりが、このチームの強みだと感じる。

 さても、さてさて。

 皆の視線がイエニアへと集まった。

 彼女は腕を組んだまましばらく考え、イクスとティアに目を向ける。

 

「ふたりも同じですか?」

 

 イエニアに訊かれて、ふたりも静かに頷く。

 それを見てからイエニアは再び口を開いた。

 

「……分かりました。それでは彼女の身柄はメグルさん、あなたが預かってください。何かあればあなたの責任ということになりますが、構いませんね?」

 

「うん、それでいいよ。ありがとう」

 

 イエニアがうまくまとめてくれた。

 これにて一件落着! ということで。

 要するに今まで通りということなのだけど、集団をまとめるには規律やケジメが必要なのだ。

 こういう役目は周囲から煙たがられるから、みんなやりたがらない。

 嫌な役でも文句を言わずにやってくれるイエニアは本当にありがたい。

 よーし、それじゃあ僕はオチをつけにいこうか。

 

「まあ、親玉があんなんじゃ、今さらケジメも何もない気はするけどね」

 

 言いながら僕は、ディーザが封印されている隣の部屋を指さした。

 皆が苦笑だったり、微妙な顔をする。

 そもそも、成り行きとはいえディーザを受け入れておいて、ディーザの指示で動いていたケリケイラに責任を問うのは道理に合わないのだ。

 ……と、扉の向こうからドタドタ騒ぐ音が届いてきた。

 

「なんか騒いでるから、僕はちょっと見てくるね」

 

 そう言って僕はその場を抜けて隣の部屋へ。

 そこには毛布でぐるぐる巻きになったディーザがいた。

 

「むぐーっ! ぬぐぐぅー!」

 

 うねうね動いてお怒りのご様子。

 僕は彼の口を塞いだ猿轡を解きながら、先ほど少し気になったことを尋ねてみた。

 

「あのさ、ひょっとしてさっき……わざと言ってた?」

 

 ディーザはうねうねと暴れる動きをピタッと止めた。

 

「……なんのことだ?」

 

「ケリケイラが自分で言いにくいことを、代わりに言ってあげてたんじゃない?」

 

 そう。

 ちょっとばかり不自然に感じたのだ。

 いつも通りに悪態をついているようで、それでいてその内容は、周囲からケリケイラの心象を良くすることばかりだった。

 

「ふん……奴には公平さを欠いていたかもしれんと、少し思い至っただけだ。元々あの女は、図体はでかいくせに気が小さい奴だった。スパイ行為は私の想像よりも負担が大きかったのかもしれん」

 

「へえー……あなたはそういうの気にしない人かと思ってたよ」

 

「……貴様も聞いていただろう。ヒウゥースのやつが、この私に向かって人望がないなどと言っていたのを」

 

 そういえば、そんなことも言ってたね。

 僕が天井でサクラ達の動きを待ってた時に。

 

「私は能力さえあれば人に媚びる必要などないと考えていた。だが結果として……この無様な体たらくだ。私がヒウゥースや貴様に能力で劣っていたのか? いや、そんなわけはない。だが現状をみれば、より周囲を己の意に沿うように動かし、深いところで事態の中心にあって、大きな流れを作り出しているのは……私ではなく……ヒウゥースでもない。貴様だ。貴様にあって私にないものと言えば、人望くらいのものだろう」

 

「……………」

 

 無様という自覚はあったのか。

 彼も色々と考えているようだ。

 でもそれにしては、さっきの一幕では、いまいち人望を得られそうにない態度であった。

 能力的には優秀なのに、不器用なんだなぁ、この人は。

 

 しかし、こうして話していると思い出す。

 

 ――どんな人間でも多かれ少なかれ良心は存在する。根本的には善人も悪人も存在しない。

 

 ……確かにきみの言う通りだね、ガーブ。

 ディーザもこれまでだいぶ悪行を働いてきたんだろうけど、こうして話してみれば分かる。

 彼も根本的には悪人でもなんでもない。

 自意識が強くて、周りに迷惑を与えやすいだけだ。

 おそらくヒウゥースにしてもそうだろう。

 悪人というのは、もっと、こう……根本から違うものだ。

 

「そういえば私になくて貴様にあるものが、もうひとつあったな」

 

 ディーザは思い出したようにそんなことを言い出した。

 

「貴様……嘘を見抜く感知魔法が効いていないだろう。何故だ?」

 

 ああ――やっぱりそうだったのか。

 対象の心音と精神の揺らぎを感知するという仕組みを聞いて、ひょっとしたらそうじゃないかと思っていた。

 僕が嘘をつこうとして心がざわつくのは、レイフと二人きりの時だけだ。

 しかし彼はなんでそれが分かった?

 ひとまずとぼけてディーザの出方を窺ってみよう。

 

「えっ、僕が? なんで?」

 

「貴様にそれを教える必要があるか?」

 

 ないね。

 ないけど、こっちもだいたい予想はつく。

 ベルトのバックルだ。

 ケリケイラにもらったこの魔法具は、ダンジョン内で落としてしまったと言ってあった。

 おそらくあの時、どこか――隣の部屋あたりで感知していたのだろう。

 ……が、それはそれとして、僕がそれを認めるメリットもない。

 

「そっか……頼りになる仲間が増えたと思ってたけど……そんな簡単なことじゃないよね。ごめん……」

 

「……ちっ、貴様と騎士の女がヒウゥースに連れられて画家の家に行った時だ。貴様はケリケイラに魔法具をなくしたと言っていただろう。私はその時、隣の部屋で魔法を使って感知していた」

 

 やっぱりか。

 

「えっ!? あの時に……!? そうだったんだ……よく分からないんだけど、感知に引っかからない例外っていうのはないの?」

 

「ない。どれだけ嘘を吐き慣れた生粋の詐欺師であっても、魔法の感知を逃れることは不可能だ」

 

「無意識は誤魔化せないってことかな?」

 

「そうだ。どんな人間でも必ず、虚偽の言葉を喋れば無意識下に特有の揺らぎが発生する。例外はない……はずなのだがな。貴様、本当に人間か?」

 

 ……………………。

 

「僕は人間だよ。間違いなくね」

 

「ふん、そんな所にだけ真面目に答えてどうする。貴様のする事はよく分からん」

 

「そう? ああ~、そっか! 僕のハイセンスなジョークが分からない感じだ?」

 

「分かるか! たわけがっ!」

 

 僕はあははと笑って話の流れを濁した。

 そのすぐ後に、パフィーから食事の用意ができたと声がかかって、僕らはダイニングへ向かう。

 

 ……いや、だめだなぁ。

 自分を人間だと思ってる彼が、本当はただの人形だということを教えてあげたら、一体どんな顔をするだろう? なんて思ってしまった。

 この考えは人間らしくない。

 変なことを口走らないように、しっかり抑えていこう。

 



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第80話『クラマ#10 - 団欒、そして強襲の青』

 食事の時間だ!

 ノウトニーがくれた薬のおかげで、少しは食欲も出てきた。

 ……おそらくこれが、この街でゆっくりと団欒できる最後の機会になる。

 今こうしてる間にも憲兵が踏み込んでくる可能性はあるけど……まあ、その時はその時だ。

 僕はパフィーに促されるままに席についた。

 が……

 

「狭い!」

 

 サクラが叫んだ。

 うん、狭いね。まぁね。

 4人ほど寝ているけれど、それでも計17人。

 普通の家じゃ入らないよね。

 日本語を喋れないヌアリさんに代わって、娘のテフラが謝ってくる。

 

「ごめんなさい、入りきらない人は隣の部屋に料理を持っていきますから」

 

「あっ! べ、べつに文句があるわけじゃないから……!」

 

「寝床を提供してくれるだけでも有り難いのです。その上、食事まで用意して頂き、感謝の言葉もありません」

 

 イエニアが丁寧に頭を下げた。

 僕はそれにすかさず追従していく。

 

「そうそう、こんな大所帯で押しかけちゃって、本当に申し訳ない。それなのに失礼なことを……ねえ?」

 

 僕はチラッとサクラに目を向けた。

 

「な、なによぉ……悪かったわよぉ……」

 

「いえいえ、気にしてませんから。それより皆さん、温かいうちにどうぞ」

 

「はーい! いっただきまーす!」

 

 と、元気にフォークを手に取るサクラだが、その動きが急に止まった。

 

「……………………」

 

「これ……」

 

 見ればメグルもサクラと同じように硬直している。

 他のみんなが美味しそうに食事を口に運んでいる中で、彼女たち二人だけが固まっている。

 僕はテーブルの上の料理を見た。

 ははあ、なるほどね。

 サクラは震える指で、恐る恐るその料理を指さして、問う。

 

「えっと、これ……虫……よね?」

 

 そう。

 そして、その料理だけではない。

 食卓は見事にイルラユーヒの幼虫で埋め尽くされていた。

 料理を運んでいるテフラが申し訳なさそうに言う。

 

「こんなに人が来るとは思わなかったから備えがなくて……うちで育ててるやつですけど……」

 

「いやあ、ここのイルラユーヒは最高に美味しいからね!」

 

「ご迷惑でなければお代を受け取ってください」

 

「いえ、皆さんにはお世話になってますから……あぁ、うーん……」

 

 代金を支払いたいというイエニアの申し出に対して、テフラは断ってはかえって失礼と感じたようで、少し考えた後で答えを提示してくる。

 

「それじゃあ団体さん価格の半額ということで」

 

「ありがとうございます」

 

 僕らはダンジョン出入口での上納を回避したおかげで、なんだかんだで資金は残っているのだった。

 

 そんなわけで。

 だいぶ前から分かっていたことだけど、この家は食用の虫の養殖を生業としているのだ。

 なのでこの人数で押しかけた時点で、この食卓は予想できたことであった。

 未だに昆虫食に馴染んでいないサクラとメグル。

 彼女たちは互いに泣きそうな顔で視線を合わせていた。

 ……が、そこでサクラは、少しだけ入っている虫以外の料理に目をつけた!

 

「あっ、三郎! ……じゃない、ニシー。これ交換しない?」

 

 ニシー?

 

「サクラ、そのニシーって……」

 

「あっ、そうだ! 今度から三郎じゃなくて普通に本名で呼んで欲しいって」

 

 へえ……そうか。

 三郎……いやニシイーツさん、ようやく……。

 いいことだ。

 これなら、そのうち彼も本当に僕の友達になってくれるかもしれない。

 などと僕が考えていると、イエニアが呼び名についてサクラに質問する。

 

「なぜニシイーツではなくニシーなんですか?」

 

「ニシイーツって言いにくいから、ニシー」

 

「結局、あだ名で呼ぶのは変わらないんですね……」

 

 それに三郎……ニシイーツさんが答える。

 

「第一候補がシーツだったから、それよりはマシ」

 

 いつの間にか、あの特徴的なゴザル口調もやめている三郎さん。じゃなくてニシイーツさん。

 ……しばらく三郎さん呼びが抜けないやつだ、これ!

 そこで思い出したようにサクラは一郎さんと次郎さんに向けて言う。

 

「他の二人も私の考えた名前が嫌だったら言っていいのよ?」

 

「アッシは何も不満はありやせん。むしろアッシはもう一郎が本名と思っておりやす」

 

「おれ……俺っちは……」

 

 次郎さんは、一郎さんとさぶろ……ニシイーツさんを見比べて、最後にサクラを見た。

 

「……いや、次郎のままでいいっスよ! わりと気に入ってるんで。ええ」

 

「そう? ならいいけど……」

 

 次郎さんの顔、少し固さのある愛想笑いだ。

 次郎って呼び名を気に入ってるというのは嘘だろう。

 彼は他人の顔色を窺うのが癖になってる。

 良く言えば空気を読める人だ。

 

 さぶ……ニシイーツさんは明らかに顔つきが変わって、何らかの決意をしてる。

 適当に追従すると逆に反感を買いそうだ。

 それならここは自分が我慢すれば、サクラを傷つけず、一郎さんを孤立させることもない。

 ……と、そんなところだろう。

 

 

 

 その後は、そのまま何事もなく食事が進んだ。

 そうして皆より先に食べ終わったティアが席を立った。

 

「セサイル様たちの所へ料理を運んで参ります。少しくらいなら食べられるかもしれませんので」

 

 それにニーオ先生が反応する。

 

「貴女なら任せて良さそうね。私も後から行くから、お願いするわ」

 

「はい。畏まりました」

 

 ティアが歩きだそうとしたその時だった。

 はっとしたようにサクラが口を開く。

 

「あっ! ところでさ。あの子にも持っていかなくていいの?」

 

「あの子?」

 

「なんか奥のベッドで死んだみたいに寝てる子。っていうか誰?」

 

 ……ついに来たか。

 ヤエナの話題が。

 

「クラマが連れてきたんですよね?」

 

 イエニアの言葉を受けて、皆の視線が僕に集まる。

 さて……

 

「僕もよく分からないんだよね。ヤエナって名前くらいしか。ダンジョンの奥で出会ったんだけど……彼女が起きたら話を聞いてみるといいんじゃないかな?」

 

 僕は何食わぬ顔で、そんなことをのたまった。

 この件に関してはヤエナに丸投げだ。

 彼女を使うと決めたのだから、どこまでも使い倒していくつもりだ。

 それに僕はもう眠すぎて眠すぎて、今にも皿の中にヘッドダイブしそうなくらいなのだ。

 

「そうですね……落ち着いて話ができるといいのですが」

 

 イエニアは深く追求することなく、そこで話題を終わらせた。

 

 

 

 

 

 ――それから、食事の後。

 食後すぐに寝るのはあれだけど、さすがにきついので横になりたい。

 そんな僕が席を立ったところで、ダイモンジさんが話しかけてきた。

 

「あ……クラマくん……みんなのぶんの服を……防刃仕様に仕立ててみたよ……まだ4人分しかないけど……よかったら使って……」

 

「ありがとうございます」

 

「彼女たちのメイド服も……防刃で作っておこうか……?」

 

「うん。おねがいします」

 

「わかったよ……疲れてるみたいだから、ゆっくり休んで」

 

「うん。おねがいします」

 

 僕はふらふらと寝所に向かう。

 ところでさっき、ダイモンジさんは何を言ってたっけ……?

 いいや、それより今は動けるうちに必要なことをしておかないと。

 ケリケイラ……ケリケイラは……いた!

 人ごみの中にいても頭ひとつ出てるからよく目立つ。

 僕はケリケイラに話しかけた。

 

「ケリケイラ、いいかな? ちょっと頼み事があるんだけどさ」

 

「あ、私にですか? いいですよー、私にできることなら何でも言ってください!」

 

 うーん、いい返事だ。

 今の彼女は、僕らの役に立ちたいという気持ちに溢れた状態だ。

 普段以上に頑張ってくれるだろう。期待できる。

 というわけで僕は彼女に用件を話した。

 

「できる範囲でいいから、代謝促進の魔法でセサイルを回復させておいて欲しいんだ。もちろん本人が了承すれば……だけど」

 

 とはいえ、ここで断るようなセサイルじゃない。

 どういう経緯でセサイル達が捕まったかは分からないが、セサイルさえうまく使えれば、戦力差はどうにかなるはずだ。

 後は安心して休める……

 

「えっ」

 

「……え?」

 

 どうしたんだろう。

 そんなに慌てて。

 代謝の促進というのは、たいていの魔法使いが使用できる、基礎的な魔法だと聞いた。

 まさか……いや、まさか……ねえ?

 

「えーっとー……代謝促進の魔法は……あんまり得意じゃないっていうか……成功したことがないっていうか……いや、そのー……」

 

「………………」

 

「……すみません」

 

 お……お、おぉ……。

 そう、か……こういうことも……ある……か。

 

「あぁいや、できればいいなと思ってただけだから。気にしなくていいよ」

 

 僕は普段通りの顔で、そんなふうに取り繕った。

 しかし表情とは裏腹に、僕の頭の中には「無能者ぉ!」というディーザの声がリフレインしていたのだった……。

 

 ……いや、どうしよう? これ……。

 

 

 

 

 

 まあ、どうにもならないものは仕方がない。

 まずは寝よう。体力を回復してそれからだ。

 いやね、僕もね、本当はね。せっかく合流したパーティーのみんなと話をしたり、イチャイチャしたりしたいのですよ。

 パフィーを膝の上に乗せて、レイフのおっぱいで挟まれながら、イエニアと槍の稽古をしたい。

 でも残念なことに時間と体力がそれを許さない。

 なので僕は今後に備えて、断腸の思いで寝床に入り込んだのだった。

 

 

 

 すでに深夜は過ぎて明け方に近い。

 元々は田舎街だっただけあって、ヌアリさんの家自体はかなり広い。

 ……のだけど、さすがに人数が多すぎる。

 部屋の数も、ベッドも毛布も足りはしない。

 寝床はすし詰め状態だ。

 

 この部屋ではイエニア、パフィー、レイフが一緒に寝ている。

 サクラは男女で部屋を分けるべきだと主張した。

 けど普段ダンジョンで行動を共にしている人達で固まった方が、憲兵が踏み込んできてもスムーズに対応ができる。

 理由を聞いてサクラは不承不承という感じに引き下がった。

 

 そうして皆がそれぞれの寝床についた。

 色々あって疲れていたのだろう、すぐに寝静まる。

 古めかしい木造りの床、壁、天井に、人々の寝息が静かに染み込んでいく。

 

 ……そんな中、ただひとつ音もなく動く影があった。

 足音もなく、息をひそめて歩く。

 人影はゆっくりと屈んでパフィーの口元に手を伸ばし……

 

「動かないで」

 

 そいつの背後。

 いつの間にか現れたイクスが、侵入者の背中に短剣を突きつけていた。

 

「ふむ――」

 

 侵入者は無抵抗の意思を示すため両手を上げ……る途中で、その口元が邪悪に歪む。

 予兆と呼べるのはその笑みだけ。

 背後にいるイクスには察知できない。予備動作もなく、まったくのノーモーションで繰り出される、その凶悪な一撃を――

 

「おおっと、ストップだ」

 

 その前に僕が黒槍を突きつけた。

 いや実際には喉を貫くつもりだったが、直前で敵に穂先を掴まれた。

 この部屋に忍び込んだ侵入者――彼に。

 

「ワイトピート」

 

 そう、侵入者の正体はワイトピート。

 ダンジョンの最下層にて、ドラゴンの餌食となったはずの、あの男だった。

 

 そして彼を待ち受けていたのは僕だけじゃない。

 すぐさま起き上がるイエニア。

 ワイトピートから距離をとるパフィーとレイフ。

 まんまと罠に嵌まったワイトピートは、自らを取り囲む周囲の様子を見て、訝しげに口を開いた。

 

「なぜ分かったのかね? 私が生きていると」

 

 この口ぶり。

 こいつ自分の死を偽装するために、わざとドラゴンのいる所に行ったんじゃないか?

 とりあえず質問には答えてやる。

 

「親切な人が教えてくれてね。あの部屋の仕組みを」

 

「ほう! 私の他にも知る者がいたとは……いったい誰かね? まさかヒウゥースではあるまい?」

 

「さて、誰だろうね」

 

 あの地下大空洞で、賢者ヨールンが僕に教えた役に立たない知識の数々。

 その中にとりわけ分かりやすく、重要な情報が混ざり込んでいた。

 それは、地下6階の獣が幻影だということだ。

 この情報によって、竜に喰われたワイトピートの生存が確定した。

 自分が喰われたと思い込んでのショック死の可能性もあったが……ワイトピートは既に何度かあの場所に出入りしていたことが分かっている。

 それなら、あそこにいる獣が実体を持たないことくらいは把握していたはずだ。

 

 ワイトピートは生きている。

 生きているなら必ず来る。

 それが分かっているから、イクスには魔法具を使って警戒してもらっていた。

 

「ふふ……つれないね。私は君との約束を果たしに来たのだというのに」

 

 ――親愛のしるしに、きみが最も望むものを送ろう! それが我々の友情を示す、はじめての共同作業となるだろう……!

 

 なんて言ってたね。

 これがあったから、ここにやって来ると思っていた。

 こいつと僕とは同じ穴の(むじな)。思考は読みやすい。

 まったく嫌な話だけど。

 

 しかしリサーチが足りない。

 攫うならパフィーじゃなくてレイフにするべきだった。

 一番小さくて軽くて攫いやすいからパフィーだったんだろうが。

 背負って運ぶには、レイフは少し重い。

 

 ということで。

 さて――どうするか。

 まずは皮肉で牽制するとしようか。

 

「へえ、この世界じゃ一方的な宣言を約束っていうんだ。ひとつ勉強になったよ」

 

「ハハッ! 返事を貰わなくても分かるさ。きみの望むものなら私にも分かる……きみだってそうだろう?」

 

 わかるよ。

 分かるけどお前に言われたくない。

 

「ぜんぜんわからないね。頭がおかしくなったのなら病院へどうぞ」

 

「ああ、若い頃に診てもらったよ。通常の医者は匙を投げたが、魔法医の所見では、私は第七次元(ヨニウェ)異常だそうだ」

 

 第七次元ヨニウェは知性・人格を司る。

 そこに異常があるという診断。

 つまりは、頭がおかしいということだ。

 

「そうか……」

 

 ……これ以上続けると、皆に聞かれたくない話になりそうだ。

 本当はこうして話してる間に、空気を読まず背後のイクスに刺してもらいたいんだけど……さすがにそれを期待するのは無理がある。

 空気を読めるイクスとイエニアは僕の号令待ちだ。

 初動を読めないワイトピート相手に、待って受けてたつのは危険。

 さっさと始めよう。

 

「じゃあ、もう話す意味がないね。イエニア! イクス!」

 

 僕の号令に応えて、二人は動き出す!

 短剣を突き出すイクス。

 それをワイトピートは身をひねって躱す。

 イクスの短剣はワイトピートの脇腹を浅く抉るに留まった。

 

 そこへ即座にイエニアの斬り下ろし!

 回避行動をとった直後の、対応不能の一撃。

 決まる。普通なら、これで。

 だが、その人格も――戦闘技能も――まともでないのが、このワイトピートという男。

 ワイトピートはイエニアの剣を防ぐ。

 イクスのダガーによって。

 

 背後からワイトピートに突き出されたイクスのダガー。

 これを避ける動作と同時にワイトピートは短剣を奪い取り、そのままイエニアの剣への防御に使ったのだ。

 ……鮮やかな手並みに見とれたりはしない。

 こちらの攻撃開始と同時に、ワイトピートは掴んでいた僕の槍から手を離している。

 奴はイエニアの剣を受け止めて手一杯。

 僕はすかさずそこへ槍を突く!

 黒い穂先は吸い込まれるように標的の腹部へと走り、そして――

 

 止まった。

 

「な――」

 

 さすがの僕も呆気にとられる。

 突き出した僕の槍は、ワイトピートの肘と膝に上下から挟み込まれて止まっていた。

 身をひねった不安定な体勢で。

 片足立ちで。

 イエニアの剣を受け止めながら。

 

「曲芸か……!」

 

「ふはは、突き込みが弱いね! もっと鍛えたまえよ!」

 

 くそっ!

 槍を握る手に力が入らない。

 疲労が……休めてないのがここにきて……!

 

 ワイトピートはそのままするりと囲みを抜けて、パフィーとレイフのもとへ向かう!

 真横を敵に通り抜けられたイエニアが慌てて振り返る。

 

「うっ!? いつのまに――!」

 

 やはりワイトピートの動きは読めない。

 どうしても対応が遅れてしまう。

 

 迫り来るワイトピートの魔手。

 それに対してパフィーとレイフは……

 

「そーれっ!」

 

「むっ……!?」

 

 ばっ、とワイトピートに向けて勢いよく網が広がった!

 

「く――ぬぉぉぉっ!!」

 

 ワイトピートは滑るように横へ飛び、すんでのところで網を抜けた!

 ……なんてやつだ。あのタイミングで抜けるか。

 

 これで仕切り直しだ。

 立ち位置はワイトピートを壁に追い詰めた形。

 悪くはない。

 だがイクスが背後を取っていた先程よりも、条件は悪化している。

 ワイトピートの表情にも余裕が見える。

 

 ……が、それもここまで。

 

「なんだなんだ! 敵襲かぁ~!?」

 

「クラマ達の部屋じゃない!?」

 

 部屋の外から、がやがやと人の集まる音。

 物音を聞きつけた皆が起きてきたのだ。

 

「……むう!」

 

 苦しげに顔をしかめたワイトピート。

 彼は迷うことなく窓の外へと身を投じた!

 

「今回はきみの勝ちだ! 次を楽しみにしていたまえ!」

 

 そんな捨て台詞を残して、襲撃者は去っていった……。

 

「クラマ、追いますか?」

 

「いや、やめよう。逃げ場の多い街中で、あの男を捕まえられるとは思えない。それに今は目立ちたくないしね」

 

「そうですね……」

 

 そんなことをイエニアと話していると、みんなが部屋に押しかけてきた。

 僕は集まってきたみんなに襲撃者の説明をする。

 ……その最中のこと。

 

「ねえ、これ……何の音?」

 

 メグルに言われて気がついた。

 カサカサ……カサカサ……と。

 どこからともなく聞こえてくる音。

 聞き覚えのあるこの音は……

 

「あっ! 上!」

 

 パフィーの指した先。

 そこには天井に張りついた青い甲虫が!

 イルラユーヒの成虫だ。

 いや、天井だけじゃない。窓から続々と部屋の中に入り込んでくる……!

 

「ぎゃわぁー! なにこれぇー!?」

 

「うわ……」

 

 騒ぐサクラ。

 露骨に嫌そうな顔をするメグル。

 窓から外を覗くと、そこらじゅうに甲虫が這い出していた。

 これは……

 そんな騒ぎの中でティアが現れ、報告する。

 

「どうやらイルラユーヒの養殖小屋がすべて破壊されている模様です。先の襲撃者の仕業と考えるのが妥当でしょう」

 

 あいつ……やってくれる……!

 まるで子供のいたずらのような嫌がらせ。

 しかしこれは、僕らにしてみれば強烈な意思表示だった。

 ワイトピートはこう言っているのだ。

 

 「私がその気になれば、この家ごと破壊しても構わないのだがね?」……と。

 

 奴は僕らを休ませないつもりだ。

 そしてそれは、向こうにとっては容易いこと。

 その気になれば憲兵に僕らの居場所を知らせたっていいわけだし。

 こうしたゲリラ的な戦法をされると、こちらとしてはどうにもできない……が……それ……なら……

 

「クラマ! 大丈夫ですか!?」

 

「あ……」

 

 ガクッと膝の力が抜けて倒れそうになった僕を、イエニアが支えてくれる。

 大丈夫……とは言えないなぁ……。

 気の利いたセリフを喋る余裕もない。

 限界だ。

 

 そんな中で、ティアの声が耳に届いた。

 

「お疲れのところ大変恐縮ですが、この後の行き先にご予定がおありでしたら、今のうちにお聞かせください」

 

 ああ……この場所はもう使えない。

 ただの民家じゃワイトピートの嫌がらせ戦法に対応できない。

 匿ってくれる地元民の心当たりは多いけど、このぶんだと誰を頼っても同じだ。

 だから……そう……あそこしかない……。

 

 僕は残った力を振り絞って、次の行き先を口にした。

 

「えっ!? ほ、本当にそこでいいんですか、クラマ……!?」

 

 驚いてる。

 うん、でも……たぶん………そこで……だいじょうぶ………な………………

 



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第81話 - 冒険者の挿話

 クラマ達がワイトピートの襲撃を受けた後――。

 

 時刻は早朝。

 ヌアリ宅を後にした一同は、クラマが気を失う直前に呟いた場所へとやって来た。

 ……ここ、冒険者ギルドへと。

 

「本当に大丈夫なんでしょうか……?」

 

 イエニアの不安げな呟き。

 それも当然である。

 なにしろ彼らは、この冒険者ギルドから使命手配を受けている賞金首なのだ。

 扉を開けてロビーに足を踏み入れた瞬間、取り押さえられたとしても不思議ではない。

 

 左右の肩にベギゥフとセサイルを担いだイエニアは、恐る恐る扉を開いて、中を覗き見た。

 するとそこでは、大勢の冒険者が押しかけ、抗議活動を行っていた。

 

「ふざけるな! いいから責任者を出せ!」

 

「申し訳ございません、ヒウゥース所長とは現在連絡がつかない状況で……」

 

 低頭平身して対応する受付嬢。

 朝も早くから出社しているリーニオであった。

 しかしながらリーニオの丁寧な対応にもかかわらず、冒険者たちの喚き声は一向に収まる気配がない。

 

「それは聞き飽きたぞ! 何日待たせるんだ!」

 

「連絡がつかねえってなぁ、どうなってんだ!? やる気あんのかぁ!? おぉ!?」

 

「ええと……先ほど確認の人を送りましたので、申し訳ございませんが今しばらくお待ち頂ければ……」

 

「いいからダンジョン開けろ! おめぇーらが呼んだんだろうが! この街に! 冒険者をよ!」

 

「悪いと思ってんなら一発やらせろ!」

 

「いえ、申し訳ありません……チッ」

 

「ん?」

 

「今、チッって……?」

 

「いえいえ、何も…………あ」

 

 そこでリーニオは気がついた。

 扉を入ってきたイエニア達に。

 驚いた顔でリーニオは扉の方へ指をさす。

 それに釣られて、冒険者たちが一斉にイエニア達に目を向けた。

 

 一瞬の静寂。

 水を打ったように静まり返るロビー。

 そして次の瞬間、天地がひっくり返ったような大騒ぎとなった。

 

「いたあああああああああ!!!」

 

「オイオイオイッ! なんでコイツらがここにいるんだ!?」

 

「け……憲兵っ! 憲兵を!!」

 

 すぐにギルド職員により憲兵が呼ばれた。

 ……が、外から冒険者ギルドへと集まってきた憲兵達は、出入口を塞いだ冒険者たちによって阻まれてしまった。

 

「おいっ! 何をする冒険者ども! ここを通せ!」

 

 冒険者をどかそうとする憲兵たちだが、あまりにも数が違う。

 人間のバリケードを通れず、憲兵はギルドの外で立ち往生することになった。

 

 そうしてロビー中央。

 中に入ったイエニア達は、周囲を冒険者らに囲まれていた。

 しかし手を出そうとしてくる様子はない。

 すぐ近くにある掲示板に、似顔つきの手配書が貼り付けられているというのに。

 

「うーん? どういうことなのかしら、これ……?」

 

 不可思議な状況に首をかしげるレイフ。

 それに対して、パン、とパフィーが嬉しそうに手を叩いて答えた。

 

「クラマは知ってたんだわ! 冒険者たちがここで抗議活動してること!」

 

 パフィーの言葉を聞いてイエニアも察する。

 

「あっ! そうか……私達を捕らえるようギルドから依頼が出ているのに、依頼を受けずに抗議している人達というのは、つまり……私達に味方している人達ということ……!」

 

 そう、クラマ達を捕まえる意思があるのなら、ギルドの依頼を受けて既にダンジョンに潜っているはずなのだ。

 現在、ダンジョンの出入口は封鎖されているが、クラマ達を捕らえるという依頼を受けたパーティーだけが中に入ることを許されている状況だ。

 ということは、一見して敵地のただ中に見えるこの冒険者ギルドこそが、今の彼らにとって最も安全な場所なのである。

 まさしく逆転の発想であった。

 

 さらには、これだけ冒険者が多い場所ならば、さしものワイトピートといえど手出しはできない。

 そこまで考えて……? と、イエニアは気を失ったままのクラマを見た。

 

「おおよそ、その通りです。しかし正確ではありませんね」

 

 そう言いながら、学者風の威厳ある落ち着いた男が歩み出た。

 紫色の瞳に黄色い髪とヒゲ。

 イエニアは彼に見覚えがあった。

 以前、ダンジョン地下4階で出会った冒険者だ。

 その学者風の男を見て、周囲の冒険者がざわつく。

 

「教授だ……」

 

「なに? 教授ってーと、あのウォイフ=ウェイハ教授……?」

 

「600人の調査団を指揮して、3つのダンジョンを踏破したっていう、あの……!?」

 

 ウォイフ=ウェイハの名はダンジョン踏破を目指す者ならば知らぬ者はいない。

 “教授”の通り名で知られ、実際にイソバフィ公国では教授職にあった。

 魔法を嫌い、自らを「考古学者」と称する変人としても知られる。

 しかしその手腕と見識は確かで、実際に国家事業として3つのダンジョンを踏破したという輝かしい実績がある。

 が……しかし不幸にも彼が踏破したダンジョンには商業的価値のあるものは何もなく、大赤字の責任を取らされ、辞職に追い込まれたという経緯がある。

 イエニアはその“教授”に向かって尋ねた。

 

「正確ではない。とは、どういう事でしょうか?」

 

 訊かれた教授は、ここにいる冒険者を代表して答える。

 

「説明しましょう。多くのパーティーがここで抗議活動をしているわけですが……かといって、そのすべてが君たちの味方というわけではありません。単に、ダンジョンを踏破させる気の感じられないギルドへの不満……不信感。といった理由で抗議に参加している者が多いのです。私などは特にね」

 

「なるほど……そういうことですか」

 

「ええ、確かにここにいるほとんどのパーティーは、君たち……特にクラマ君には好意的な印象を持っています。しかしながら、絶対に味方するというわけでもありません。ただ、好意的というだけ。冒険者は自分達のパーティーを第一に考える必要があります。ギルドへの不満はありますが……かといって抗議活動という安全な枠を越えて……ギルドを完全に敵に回してまで……君たちに肩入れするべきか、というと……?」

 

「そう……ですね。それはそうでしょう」

 

 イエニアは納得して、深く頷いた。

 冒険者が自分達の都合と安全を優先するのは当然のことだ。

 特にこの国では、ダンジョン運営を妨げる行為は重罪だ。

 しかし彼らが今している抗議活動は、ただ「ダンジョン踏破と無関係な依頼を受けない」「窓口で文句を言う」というだけ。物理的にダンジョンの出入口を封鎖していたサクラ達とは違って、罪に問うことは難しい。

 根無し草の彼ら冒険者には、いざという時は逃げればいいという心算もある。

 しかし……そうはいかないのだ。

 彼らはそれを知らない。

 彼らの仲間、地球人に埋め込まれた発信器の存在を。

 果たしてどう答えていいか迷うイエニアに、教授は告げた。

 

「我々にはギルドからの一方的な情報しか入ってきません。ですので、自分達の立ち位置を測りかねます。だから正確な情報が欲しい。貴女たちにはそれがある……だから追われている。……違いますか?」

 

「……わかりました」

 

 イエニアは念のため振り向いてティアを見る。

 ティアが頷いたので、イエニアは教授に向き直った。

 

「お話しします。我々が知る、この街の真実を」

 

 

 

 

 

 イエニアはその場にいる者達に、ヒウゥースの不正……四大国との繋がり……地球人の売買……邪神の信徒と手を組み、ダンジョン内で冒険者を襲っていた事……そして地球人に埋め込まれた発信器。これらの衝撃的な事実を語った。

 場の空気がざわめく。

 互いに顔を見合わせ、にわかに信じられないという顔がほとんどだ。

 そして、その話を聞いていたギルド職員から声があがる。

 

「そ……そんなばかな、嘘だ!」

 

 職員の声は震えていた。

 彼らギルド職員は知らなかったのだ。

 自分達が、こんな大それた世界的犯罪に加担していたことに。

 しかし……

 

「嘘じゃねえ!」

 

 一喝する声。

 イエニアの話を魔法で判定していた、若い魔法使いの男が告げる。

 

「今の話は本当だ。少なくとも嘘は言ってない。真偽判定の得意な俺から言わせてもらうなら……想像で語ってるとも思えないな」

 

 その言葉を受けて再び場は騒然となった。

 断じて許せないと憤る者もいれば、あまりのスケールの大きさに狼狽える者もいる。

 地球人の多くは、その内容にショックを受けていた。

 中には咽び泣く者もおり、パーティーの仲間が慰めている。

 

「もうイヤだぁー! 日本では会社の奴隷! 異世界でも奴隷! どこに行っても奴隷になるんじゃないか!!」

 

「だ、大丈夫ですよ、なんとかなります……よね?」

 

「いや……そうは言っても……首都から国軍も来てるって話もあるし……」

 

「軍隊が出動してるってマジ?」

 

「おいおい、どうしろってんだよそんなの……」

 

「いや、でも、大人しくしとけば大丈夫なんだよな……? え? だめ?」

 

「わっかんねー! どうすりゃいいんだー!」

 

「きょ、教授? どうしたらいいんです?」

 

「…………………」

 

 これにはさすがの教授も黙り込んでしまう。

 まずい流れだ、とイエニアは感じた。

 少なくともここにいる冒険者たちには、仲間でいて貰わなくてはならない。

 なんとか彼らに発破をかけるべく、イエニアは口を開くが……

 

 ――しかし、すでに動き出している者がいた。

 

「はぁ!? どうしたらいいって!?」

 

 サクラだ。

 いつの間にか窓口のカウンターに登っていたサクラ。

 彼女は集まった冒険者たちを一段高い位置から見下ろし、ビッと彼らに人差し指を向けた。

 

「自分らのことも自分で決められないくせに、そんなんでよく冒険者なんて名乗れるわね! そんなしみったれた度胸で、いったいどこを冒険するつもりなのよ!?」

 

 荒くれ者の集団にも臆することなく、大声で啖呵を切るサクラ。

 彼女の罵声は収まるどころかヒートアップしていく。

 

「用意されたダンジョンしか行きたくないなら、今すぐ冒険者なんかやめなさいよ! ほんとにキンタマついてんの!? このカス! フニャチンども!」

 

 年端もいかない少女の口から矢継ぎ早に飛び出す口汚い罵り言葉に、唖然として見上げる冒険者一同。

 ひとしきり罵倒を終えてサクラが一息つくと、ロビーに静寂が満ちる。

 言い返せず言葉に詰まる冒険者の男たち。

 そして気まずい表情の女冒険者たち。

 その様子をイエニアはハラハラしながら見守っていた。

 しかし、やがて……

 

「……ぷっ」

 

「く……くく……うっくく……」

 

 堪えきれない笑い声がロビーに響く。

 

「ギャーハハハ!! 地球人に冒険者を説かれてらあ! こいつぁケッサクだ!」

 

「アッヒャッヒャッヒャッ!! 違いねえ! いや違いねえや!」

 

 笑い声は爆発的に広まっていき、ロビー全体が爆笑の渦と化す。

 

「へへっ……久しぶりに思い出したぜ。俺ぁ、お上に従うのが嫌で冒険者になったんだ」

 

「いや、たいしたもんだ嬢ちゃん!」

 

「ふふん、それほどでもあるけど……あれ? なに?」

 

 サクラは冒険者に体を掴まれ、担ぎ上げられた。

 

「きゃーーーー!? なにーーーーー!?」

 

「おらァ! 胴上げだァ!」

 

「よしきた! わっしょい! わっしょい!」

 

「ぎゃわーーーー!? やめぇーーーー!」

 

 まるで祭りのような大騒ぎ。

 イエニアはそれを複雑な表情で眺める。

 

「目立っていますね、羨ましい……ではなく。無事に収まったようで良かった」

 

 それに横から次郎が口を挟む。

 

「アネゴは無事だと思ってなさそうっスけどね」

 

「ふふっ、そうですね。あとで一郎さん、さぶろ……ニシイーツさんと一緒に助けてあげてください」

 

「うっす、了解っス」

 

 場がまとまったところで、イエニアは施設内の防備について教授と話しに行く。

 一方、ギルドの受付窓口に声をかけるのはティア。

 

「医務室を使用させて頂きます。開いていますか?」

 

「あー……はい、コレのどれかです。どうぞ」

 

 ジャラ、と鍵束ごと差し出す受付嬢のリーニオ。

 それを見た上司の男性が慌てて止める。

 

「な、何をしてるんだキミィ! こんな奴らに協力したらヒウゥース様から……」

 

「うっさいバーーカ! こんな仕事やってられるかっての! 退職金は首都銀行の口座に振り込んどいて! ヨロシク!」

 

「な……? な、なん……?」

 

 突然の豹変!

 リーニオは呆気にとられる上司を無視して、足音を踏み鳴らして出ていった。

 

 ……これら一部始終を、カウンターの内側からじっと眺めていた者がいる。

 冒険者ギルド経理役、コイニー。

 その正体はヒウゥース直属の配下。

 

「さて、これは……」

 

 コイニーは目を細めてしばし考えた後……パッと表情としぐさを変えて、上司の男に向けて言った。

 

「あっ! わたしも私用で帰らせてもらいますねぇ~!」

 

「なっ!? コイニー君、きみまで……!?」

 

「えへへ、ゴメンなさ~い! また明日ぁ~♪」

 

 にこやかに手を振って彼女も出ていく。

 行く先は当然、ヒウゥース邸。

 主への報告である。

 



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第82話 - ヒウゥース邸の挿話

「……ギルド内の報告は以上となります」

 

 ヒウゥースは自室でコイニーの報告を受けていた。

 ヤイドゥークも同席し、やはり残り物の焼き菓子をモグモグと頬張っている。

 ベッドに腰かけたヒウゥースは、自分の額をコンコンと指で小突いて思索する。

 

「ふぅむ……まさか冒険者ギルドに立て籠もるとはな……憲兵は役に立ちそうにないか」

 

 ヤイドゥークが食べるのを中断して答える。

 

「もともと憲兵ってのは地元民すからね。兵としての練度は低いし、知人親戚の繋がりでクラマ=ヒロを知ってる奴らも多いでしょうし」

 

「連中を捜索させた時も、地元民が全く聞き込みに応じなかったそうだな。冒険者連中にしてもそうだったか」

 

 これに答えるのはコイニー。

 

「はい。ギルドから賞金を出しても、ダンジョン内の捕獲作戦に協力を申し出たのは、わずか2パーティーのみでした」

 

「ち……金で動かず……国家権力も恐れんか。まったく、冒険者という人種の頭の悪さを、少しばかり見誤っておったわ」

 

 悪態をつくヒウゥース。

 その顔には、苛立ちの色が見える。

 

 ヒウゥースの人生は順風満帆なものではなかった。

 幾度となく困難に突き当たっては、その都度ひとつ先を読み、周囲を出し抜くことでここまでやってきた。

 しかし権力を手にするようになってからは、それも少なくなってきた。

 ここまで思い通りに事態が進まない事は、久しく記憶にない。

 

「……ヤイドゥーク。奴らがここに攻めてきたらどうなる」

 

「んー……そりゃキツイっすね。人数はこっちが勝ってますけど、実戦経験の差があるんで……まあ負けるでしょ」

 

「首都からの国軍は明日の昼には着く。それまで守りを固めても駄目か?」

 

「ギリっすね。立て籠もるにしても、あの地下を破壊した魔法具がね……他にも魔法具持ってる奴はいるでしょうし。守りよりも攻めのが強いんすよ、魔法ってやつは」

 

「そうか……」

 

 ヒウゥースはフゥーッと大きく溜め息をついた。

 その表情は、諦めたようで諦めていない。

 まだ余裕があった。

 しかし、ひとつの事を諦めたことには違いがない。

 

「いやぁ、人望っつーもんは厄介なモンですなぁ。どうしますかねぇ」

 

「どうするもこうするもあるか。お前を頼ることになるぞ」

 

「ですよね」

 

 余裕の空気はヤイドゥークにも伝わっている。

 なぜなら残っているからだ。

 彼らの切り札が。

 

「ふん……奴らも粘ったが、最後で運がなかったな。地下に襲撃してきた方が本命だったなら、あるいは違う結果もあったかもしれんというのに」

 

「そりゃあ酷な話でしょう。こっちの切り札が置いてある場所なんて、向こうは知らんかったでしょうし。まぁ操作室の方で爆発音が聞こえた時は肝を冷やしましたが」

 

 そう、彼らの切り札は首都から招集している国軍ではない。

 この屋敷の地下にある、ひとつの魔法具だ。

 

「ふん、だが次はもうない。結局は備え……財力……権力……持ち得る力の総数がものをいうのだということを教えてやろう。くくっ……奴ら冒険者には、生涯縁のないものだな」

 

「そうっすね」

 

 ヤイドゥークはそっけなく答えた。

 その主人を主人と思わぬ不遜な態度は普段通り。

 ……のように見えたが……ヤイドゥークを横目で見るコイニーは違和感を覚えていた。

 やる気がないのとは違う。

 どこか遠い所を見据えるような……あるいは、記憶の奥深くを探るような……心ここにあらずといった視線……。

 

 しかし今は彼らの主人の前。

 無関係の話をするわけにはいかない。

 

「……ヒウゥース様、私はギルドに戻って向こうの動向を探りますか?」

 

「ん? いや、向こうにはディーザがいるのだろう。戻れば捕まる危険がある。屋敷内で待機だ」

 

「分かりました。それでは失礼いたします」

 

 コイニーは一礼して退室する。

 

 そうして結局、彼女がその違和感の正体をヤイドゥークに問い詰める機会は、最後まで訪れることはなかった。

 



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第83話『クラマ#11 - 開かれた切り札』

 

「ウェェェェェェイ」

 

 ………………………………。

 

「ウェェェェェェイ」

 

 ………………………。

 

「…………」

 

 ………………。

 

「ヴェオオオオオオ!」

 

「ぎゃあー!? いだだ、痛いっ!」

 

 こめかみに走った鋭い痛みで目が覚めた。

 目の前には狂ったように僕の頭をクチバシでつつく緑の小鳥が……!

 

「くおおおおおお! 何をするかこいつ!」

 

 僕はむんずと荒れ狂う狂鳥を掴みあげた。

 

「ヴェオオオオオオ!」

 

 緑の鳥――フォーセッテの子供は、じたばたと暴れる。

 こいつ、憲兵に貸家を押さえられたから、ついでに押収されたかと思ったのに。

 一体どこから現れたんだ。

 ……っていうか。

 

 

> クラマ 運量:0/10000

 

 

 うわああああああああああああああああ。

 

 

 

 

 

 ――10秒後。

 そこには紐で縛り上げられたフォーセッテがいた。

 

「ンンンンンンン!」

 

 ふう……。

 まったく、てこずらせよってからに。

 フォーセッテを部屋の隅にポイッと放り投げた僕は、ようやく落ち着いて周囲を見渡すことができた。

 部屋の中にはいくつもの大きなベッド。

 煉瓦(レンガ)を上から白く塗った、清潔感のある内装。

 ここは……医務室か。

 冒険者ギルドの医務室だろう。

 ギルドの医務室を使えているということは、ここにいた冒険者たちはイエニアあたりがうまく取りなしてくれたんだろう。

 ……そんなことを考えていると、不意に声をかけられた。

 

「ようやく起きた? ずいぶん騒いでたけど、元気は充分そうね」

 

「ニーオ先生。あの……僕はどれくらい寝てました?」

 

 窓から見える様子は朝。

 僕が気を失ったのは朝方に差し掛かった頃だったはず。

 ということは……

 

「ほぼ丸一日ね」

 

「げ」

 

 ぐわあ。寝すぎた。

 ……いや、ティアが起こさなかったということは、まだ大丈夫なのか?

 とにかく、まずは状況を確認しないと。

 

「よっぽど疲れてたんでしょうね。死んだみたいに寝てたわよ。今は……顔色はいいわね。起きれる?」

 

「うーん、できればもう少し横になりたいですね。先生の膝枕で」

 

「軽口の方も万全……と。じゃ、私の出る幕はないわね。みんなロビーの方で待ってるわよ、早く行ってあげなさい」

 

 軽くあしらわれてしまった。悲しい。

 まあいいか。

 レイフに胸枕してもらおう。

 

「ありがとうございました。行ってきます」

 

 僕が会釈して出ていこうとした時だった。

 ニーオ先生から声がかかる。

 

「ああ、ひとつ言っておこうかしら」

 

 なんだろう。

 僕は振り向いた。

 

「ここにきて、今さらもう無茶するなとは言わない。ただ……ちゃんと帰ってきなさいよ。あなたがいないと、悲しむ人がいるんだから」

 

「……うん。そうか……そうだね。ありがとう」

 

 

 

 

 

 そうして医務室を出た僕は、皆が待っているというロビーを訪れた。

 最初に僕の姿に気がついたのは、パフィー。

 

「クラマ!」

 

 胴部を狙うパフィーのタックル!

 体調が万全な僕は、しっかりそれを受け止めた。

 そしてそれに続いて周囲からどよめき。

 

「……クラマ?」

 

「なに、クラマだと!?」

 

「やっと起きてきやがったか、この野郎!」

 

 ロビーにいる数十人の冒険者たちが一斉に反応した!

 

 ………………?

 

 なんだろう。

 なにか違和感がある。

 僕の姿を見てみんな反応したんだけども、誰もその場から動かない。

 せいぜいが椅子から立ち上がるくらい。

 彼ら冒険者は、何かあればすぐに背中をバンバン叩いて、お酒を飲ませてくるハイテンションな人たちなんだけど。

 

 それと、みんなの表情が暗い。

 僕を見てから、すぐに顔を戻して目を伏せる人。

 すがるような目で僕を見つめる人。

 これらが半々くらいだ。

 

 この他にも何か……何だろう?

 どこか、おかしいような……。

 

「パフィー……僕が寝てる間に何かあった?」

 

「そう! そうなのよ! あのね――」

 

「くぅぅぅぅらぁまぁぁぁぁあああ!!!」

 

 なんだ?

 声。大音量。横から。

 そして脇腹に衝撃!

 

「ぐぅお!?」

 

 強烈な頭突きが僕のボディに突き刺さる!

 さすがの僕もよろめく。

 なんだなんだ。

 新手の刺客か?

 

「ぐらまぁぁぁあ!! メグル……メグルがぁぁぁ!!」

 

 サクラだった。

 刺客の正体は無慈悲なサクラミサイル。

 きみはもう中学生なんだから、助走つけた全力の頭突きはさすがに痛いですよ。

 ……それはともかくとして……

 

「メグル? メグルがどうしたって?」

 

「メグルがいなくなっちゃったのよぉ! ううん、メグルだけじゃなくて……他の日本人もみんな! いきなり外に歩いていっちゃって!」

 

 ――あ。

 それだ。

 違和感の正体。

 僕はもう一度ロビーを見渡した。

 ああ、やっぱりいない。

 これだけ大勢の冒険者が詰めかけているのに……その中に黒い髪だけが、ひとつたりとも見当たらない。

 

「これは……まさか……」

 

 そこで後ろから声がかかる。

 

「おはようございます、クラマ様」

 

「ティア。まさかみんな一斉に?」

 

 僕は一足飛びに質問した。

 相手がティアだから、これで通じるはずだ。

 地球人の中で僕とサクラだけが無事というのは、発信器の有無しか考えられない。

 つまりヒウゥース達は、発信器を発信器として位置特定に使うだけでなく、それを埋め込んだ人間の体を操る事も出来たということだ。

 

 その可能性は僕も一応考えてはいた。

 なぜなら、僕が奴らの立場ならそうするからだ。

 地球人に運量を使わせるのに、いちいち一つずつ指示を与えなくてはいけないのでは扱いにくい。

 可能であれば魔法具で操りたい。

 とは思っていたけど……それにしたって……

 

 ティアは若干驚いたように眉を吊り上げた後、すぐに平常に戻って答えた。

 

「はい。地球人の皆様、51名。全員が同時に歩き出し、運量で冒険者の方々の行動を阻害して、ヒウゥース邸に入っていきました」

 

 全員が同時に。

 

「魔法具で操ってた奴は捕まえられなかったのかな」

 

「はい。残念ですが、魔法はヒウゥース邸の地下から発動されていましたので」

 

「……なんだって?」

 

 ヒウゥース邸から?

 かなりの距離があるぞ。

 魔法具は距離に弱いのに……この広範囲で、51人同時に?

 

「……あるのか……そんな事が……」

 

 いくらなんでも、これは予想外だった。

 向こうの切り札は軍隊の出動要請だと思い込んでいた。

 しかし、奴らはその先を隠し持っていた。

 切ってきたわけだ。

 それをとうとう、ここにきて。

 

「……って、ちょっと待って。ディーザは知ってたんじゃないのこれ? ……っていうかさ、なんで隠れてるのそこで。ねえディーザ?」

 

 ディーザは受付窓口のカウンターの裏にしゃがみ込んで身を隠していた。

 ローブを目深に被って顔を覆い隠して。

 

「ば、馬鹿者が、私に話しかけるな! この中に私がいるのが知れればどうなるか、想像するに易いわ!」

 

 うーん、怯えているなあ。

 無理もない。

 だって、地球人を操る魔法具を作ったのって、彼でしょ。

 異世界から地球人を召喚する詠唱を開発した、天才詠唱学者だもの、彼。

 ひとまずその場をティアがまとめてくれる。

 

「そのあたりも含めて、会議室で改めてお話ししましょう。クラマ様もお食事が必要でしょうから、会議室へ朝食をお持ちいたします」

 

「あ、そうだね。実はさっきから、おなかの虫がぎゅるんぎゅるん騒いでるんだよね」

 

 そういうわけで、僕らは冒険者ギルド2階の会議室へと場所を移した。

 

 

 

 

 

 僕の他に会議室へ来たのは、ティア、イエニア、パフィー、それからディーザと教授だ。

 なめらかで造りのいい長テーブルを取り囲んで、それぞれが好きな席につく。

 ……………。

 レイフはどこかな?

 

「おっまたせー♪」

 

 ガチャッと会議室の扉が開かれた!

 明るい笑顔で料理を運んできたのは、見知らぬメイドさん。

 いや違う。

 メイド服を来たレイフだ!

 

「うおおー! きたーーー!!」

 

「はいはい、ごはんは逃げないわよ?」

 

 メイドレイフは肉、野菜、スープと、出来たての美味しそうな料理を並べていく。

 湯気と香りが食欲をそそり、ぎゅーっとおなかが唸りをあげた。

 

「おおーっ、豪勢だなぁー! ここで作ったの? これ」

 

「そうよー、私が作ったんじゃないけどね。これだけ人がいるから食べ物が足りなかったんだけど、そしたら近くの農家の人達が持ってきてくれたのよ」

 

「いやー、ありがたいね」

 

「他にもいろいろ手伝ってもらったし。この料理も……なんていったっけ、あの酒場……恍惚亭? のマスターが作ってくれたのよ」

 

 いかがわしい店にしか聞こえないんだけど?

 

「うん。納骨亭だね」

 

「そう、それそれ! みんなクラマのこと心配してたわよ?」

 

 この街に来てから、ここまで積み重ねてきた慈善活動が功を奏しているようだ。

 人に恩を売っておけば、いざという時に役に立ってくれる。

 みんな人は薄情だというけれど、実はそんなこともないと僕は思っている。

 どうも、みんな心の底では憧れてるみたいなんだな。

 熱い絆とか、いつかの恩を返すとか、そういうの。

 普段ドライなことを言ってる人ほど、いざその機会が訪れると過剰に尽くす傾向がある。

 納骨亭のマスターなんかは、このタイプの典型だ。恩を売っておいて損はない。

 

 レイフは他のみんなの席にも軽い食事と水を置いて、会議室から出ていこうとする。

 それを僕は呼び止めた。

 

「あっ! ちょっと待ってレイフ。ここにいてくれないかな?」

 

「ん? 別にいいけど……どうしたの? 私がいないと寂しい?」

 

 うん。

 

「いや、そうじゃなくて。さっき襲ってきた青い目の男……あいつは絶対にイエニアとパフィーとレイフを狙ってくるから、ほんの少しの時間でもひとりにならないで欲しいんだ」

 

 あいつのしようとする事はすべて潰していく。

 そこで横からイエニアが僕に尋ねてきた。

 

「この前もクラマはあの男の襲撃を正確に予測していましたね。どういう関係なのですか? クラマはあの邪神の信徒と」

 

「ホモの変態だよ。僕をつけ狙ってる」

 

「そ、そうなのですか……」

 

 だいたい間違ってはいないはずだ。

 僕の言葉にレイフも納得してくれた模様。

 

「それじゃあしょうがないわね。クラマが襲われないように、近くで守ってあげなきゃ」

 

 言って、レイフは空いている席についた。

 そしてパフィーが一言。

 

「ホモの変態ってなにかしら?」

 

 ――しまった!

 墓穴を掘った……! ホモだけに……! この僕がみずからケツを掘ってしまう愚行を……っ!

 悔恨に言葉の出ない僕に代わって、軽やかに回答したのはレイフ。

 

「男の人を好きな、すけべえな男の人のことよ」

 

 なんてこと。

 それを受けて、パフィーは少し思案して言った。

 

「それって、クラマと同じじゃない?」

 

 なんてこと!

 

「異議あり! その解釈は正確ではない!」

 

 否定はできないが、あの男と同じというのは容認できない!

 全力で否定しようと脳裏に理論を廻らせたところで――

 

 冷たいティアの声。

 

「そろそろよろしいでしょうか? 盛り上がっているところに水を差すようで、大変恐縮なのですが」

 

「あ、はい……すみません……」

 

「あらら、ごめんなさーい」

 

 さすがに無駄話をしている暇はなかった。

 それに、ご飯も冷めちゃうしね。

 僕は大人しく目の前の料理に手を伸ばした。

 

 

 

 

 

「それでは、クラマ様がお食事をしている間に現在の状況を確認しておきましょう」

 

 僕はモグモグと鶏肉を頬張りながら頷いた。

 

「まずは双方の戦力から。相手方は屋敷の建物内に配下が約200名。正門付近には操られた地球人が51名。それから、敷地の庭に傭兵が20人程度いることが確認されています」

 

 多いなあ。

 

「対するこちら側は、現在動ける冒険者の方が128名。地球人を取り戻そうとして、いくぶん数が減っております。この他に、17名の憲兵の方が協力を申し出ています」

 

「そんなに……!?」

 

 と驚いてみせたけれど……だめだ、全然足りない。

 僕は口の中にあるものを飲み込んで、ティアに訊く。

 

「んぐ……ふぅ。ティア、時間の残りはどれくらい?」

 

「あまりありません。国軍はすでに目視できる距離まで近付いているそうです。長く見積もっても、夕刻がリミットかと」

 

「そうかぁ……厳しいね」

 

 今日中……いや、あと数時間のうちにすべてを終わらせる必要があるわけだ。

 おっと、そういえばここには教授もいるんだった。

 彼にも分かるように説明しないと。

 

「ティア、首都から来てる軍隊については、皆には……?」

 

 僕の問いに答えたのはティアじゃなく教授。

 

「すでにティア嬢からお聞きしました」

 

 おっと。それなら話は早い。

 

「それじゃあ……どうかな、みんな? 夕方までにヒウゥース邸を攻め落とせる?」

 

 僕はその場の皆に視線を流す。

 最初に口を開いたのはイエニアだ。

 

「難しいですね……そもそもこれだけの戦力差がありながら、なぜ向こうは攻めずに待っているのでしょう? 地球人を操り続けるにも、相当な心量が使われていると思うのですが」

 

 当然の疑問だ。

 僕は口を開いて、それに答える。

 

「それはタイムリミットがあるからだね。彼らが屋敷を空けてこっちに攻め込んできた場合、こっちが別口から向こうの屋敷に侵入する目が出てくる。ヒウゥースさえ捕まえればこっちの勝ちだから、向こうとしたら屋敷の守りを薄くするのは下策だね」

 

「不公平だわ! 向こうからしたら、軍人さんたちが来るのを待てばいいだけなのに!」

 

 おっと、ここでパフィーが遺憾の意を表明。

 

「そうなんだよね。だから、向こうはそれまでの間だけ守れればいいんだ。確かに攻めてもだいたい勝てる戦力差があるけど、最も負けの可能性が低くなる方法をとってきてる」

 

「あくまで油断せず、ということですか……難敵ですね」

 

 それはどうかな。

 勝ちが半ば決まった後でも、負け筋を潰し続けることが正しいか……?

 これはなかなか難しい問題だ。

 ルールの決まった盤面上の戦いであれば、その正しさは疑いようがない。

 けど、実際の戦いでは、時間が伸びると不確定要素がどんどん増えていく。

 勝てる時に勝つ。という姿勢が必要な局面もあるはずだ。

 現に今日、そのせいで彼らは負ける。

 

 ただ……このままだと……こっちの勝ちにもならないんだよね。

 

「……そうだね。時間もないし、はっきり言ってしまおう」

 

 僕はナイフとフォークを置いて、みんなに改まって告げた。

 

「攻め落とすのはできるよ。できるけど……こっちの目的はヒウゥースの屋敷を落とすことじゃない」

 

「どういうことですか?」

 

「僕らの目的はヒウゥース邸に囚われてる仲間(マユミ)の解放と、屋敷内にある不正の証拠映像の配信だよね?」

 

「ええ、そうですが……あ……」

 

 イエニアも気付いたようだ。

 

「そう、冒険者のみんなの目的は違う。ヒウゥースに操られてる仲間を救出することなんだ」

 

 僕の言葉に、黙って頷く教授。

 

「極端な話ね、遠くから槍や石を投げまくれば運量を突き抜けるのは簡単なんだよね。でもそれは地球人の中に死人が出るからできない。ヒウゥース側もそれを分かってるから、建物の外に配置して矢面に立たせているんだ。使い捨ての防火壁にするつもりでね」

 

 そこでようやく教授が重い口を開いた。

 

「……なるほど効率的だ。金の亡者の考えそうなことですね」

 

 教授はヒウゥースのこと嫌いみたいだね。

 この言いようだと、お金儲けするひと全般が嫌いなのかも。

 そこでイエニアが提案する。

 

「では地下から攻めるしかないのでは?」

 

「そうなんだよね。地下から攻めるしかない。……だから、それは一番まずい」

 

「まずい……読まれやすいということですか?」

 

「うん。僕が相手の立場なら、まず一番に地下の防備を固めて罠を張る」

 

 ダンジョン地下1階の壁をぶち抜くという行動は、すでに見せてしまっている。

 同じ方法は採れない。

 

「なるほど、道理ですね」

 

「だからこっちのとれる手は、四方の塀を乗り越えて侵入して、なんとか誰かが突破してヒウゥースを人質にとる。これしかないと思う」

 

 皆も否定はしない。

 が、反応は悪い。

 分が悪いと思っているのだろう。

 

「難しそうだけど、いけると思うんだよね。なんでかっていうと、屋敷の中の200人は実質150人になるから。50人の人間を魔法具で操ってるわけだからね」

 

「いや、200人だ」

 

 突然そう告げたのは――ディーザだ。

 

「……どういうこと?」

 

「すべての地球人は、ひとりの男が操っている。あの魔法具は、私がそう設計した」

 

 ちょ。

 

「……できるの? そんなこと?」

 

「知らん。試験運用などしておらん。……が、現に出来ているのだから、出来るのだろう」

 

 あ……あなたさぁ……。

 

「それ……心量は足りるの?」

 

「心量は魔道具の子機を持っている人間……要するに屋敷にいるヒウゥースの配下全員から送られる」

 

 何なんだこの天才は!! いいかげんにしろ!

 見ろ! パフィーだってあんぐりと口を開けているぞ!

 

「パフィー、どうなのこれ?」

 

「で……できるはずないわ! いえ、魔法具自体は理屈が通るわ。でも……ひとりで何十人も同時に操るなんて、そんなのぜったいに無理よ! あの動きは自動化もされてない、51人全員がまったく違う動きをしてたもの! おかしいわ!」

 

「私はヤイドゥークの奴が出来ると言うから、そのように設計したまでだ。奴は自分をマルチシンカーと言っていたが……何のことかは分からん」

 

 ……ふむ。

 何のことか分からんというのには僕も同意だ。

 この辺を話しても仕方ないだろう。

 ディーザの言う通り、現に出来ているのだから、こっちも出来るものとして受け入れなくてはならない。

 パフィーが黙ると、代わりにイエニアがディーザに向けて言う。

 

「知っていたのなら、あらかじめ言って貰えれば対処のしようもあったのでは?」

 

「ふん、分かっていたからといってどうなる。すべての地球人の手足と口を封じて金庫にでも詰めておくか?」

 

「む……それは……」

 

 そこを守る人員も食事や排泄の世話する人も必要だ。

 不意に操られても運量を使わせずに……。

 あまり現実的じゃない。

 ディーザの返しにイエニアが黙ってしまったので、僕が交代する。

 

「他に向こうの切り札ってあるの?」

 

「知らん。……と言いたいところだが、ある。連中には最後の奥の手がな」

 

「ほほう、それって?」

 

「気球だ。今回のような武力放棄を考えて、どうにもならなくなった場合、屋上にある気球で逃げられる。乗れるのはヒウゥース一人だけだがな」

 

「そうか……なるほどね」

 

 僕らの目的からするとヒウゥースを捕まえる必要はないけど……わりと重要な情報かもしれない。

 しかし……まあ……参ったね、これは。

 

 みんなの顔色が暗い。

 これは相当苦しい。

 

「うぅん……それでも無理ってことはないと思うけど……難しいね」

 

 決して無理というわけじゃない。

 けれど、侵入すれば当然、中で戦いになる。

 そこで一気に抜けられないと、操られた地球人が戻ってきて挟み撃ちにされる。

 ……うまく抜けた人がいても、結局は残って足止めする人達は乱戦になる。

 成功しても相当な被害が出るだろう。

 

「それしかないなら仕方ありません。我々には覚悟を決めてやるしか選択肢がないのですから」

 

 こういう時に音頭を取ってくれるのはイエニアだ。

 

「そうなんだよね。ただ……」

 

「…………………」

 

 教授の沈鬱な面持ちを見ればわかる。

 この作戦は成功しない。

 致命的な問題を孕んでいるからだ。

 

 それは、冒険者たちのモチベーションが上がらないこと。

 このやり方では、救出すべき対象と戦い、あるいは自ら殺してしまう可能性がある。

 士気というのは重要だ。

 騎士であるイエニアは、どんな状況でもある程度のレスポンスを発揮できるように修練しているのだろうが……冒険者たちは、そうはいかない。

 最悪、こんな作戦を提示した時点で、先走って勝手に地球人を救いに走る可能性すらある。

 

「……………………」

 

 沈黙が会議室に重く沈み込む。

 僕は椅子から立ち上がった。

 

「……ちょっと……席を外していいかな。頭を冷やしてくるよ」

 

「はい。しかしあまり時間はございませんので、お早めに」

 

 ティアの言葉に頷いて、僕は会議室の扉を開く。

 

「うん。すぐ戻るよ」

 

 ……さて。

 僕はどうするべきか。

 



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第84話『クラマ#12 - 勇者のクオリティ・オブ・デス』

 会議室を出た僕は、冒険者ギルドの屋上から街を見下ろしていた。

 

 ここからだと、だいぶ遠目だけどヒウゥース邸が見える。

 僕は胸ポケットからメガネを取り出して装着。

 すると鮮明になった視界の先、ヒウゥース邸の正門の奥にたくさんの人影が見えた。

 

「さあて……どうしたもんかなあ」

 

 僕は悩んでいた。

 自分がどうするべきなのかを。

 

 ……勝利することは容易い。

 ヒウゥース邸を制圧する方法はある。

 今考えてる方法はふたつ。

 

 ひとつは、冒険者たちを騙してやる気を出させること。

 地球人を操る魔法具を無力化する方法を知っている――と嘘をついて、とりあえず士気を高めて強引に突破させる。

 僕が話している時に魔法で真偽判定をさせれば、僕の言葉は彼らにとっての真実となる。

 とりあえずヒウゥースを捕らえて僕たちの目的さえ達成させれば、後はどうにでもなる。

 どうせ、この街にはもう二度と来ることはないのだ。

 

 もうひとつは、向こうの仕業に見せかけて地球人を皆殺しにすること。

 うまく煽れば、仲間を殺された冒険者たちは狂戦士と化して勇猛に戦ってくれるだろう。

 どちらかといえば、こちらが本命か。

 どっちにしてもマユミは死ぬ可能性が高いけど、そこはしょうがない。

 

 …………………………。

 

 でもこれは、今までの僕のやり方と変わらない。

 変わりたい。

 僕は、変わらないといけない。

 

 僕はみんなを不幸にするために苦労して地下から戻ってきたわけじゃない。

 イエニア、パフィー……そしてレイフ。

 彼女たちと一緒にいたい。

 この街を出て冒険したり、獣を狩って一緒に料理をしたり、いろんなことを話し合って、笑って、同じ時間を過ごしたい。

 ダンジョン探索は楽しかった。

 なんだかずいぶん昔のことのように思える。

 危険はあったけど、それも含めて楽しく、充実した日々だった。

 

 永遠に続けていくのは無理だと分かってる。

 それならいっそ自分の手で……という気持ちはある。

 でも今は、彼女たちと一緒にいたいという思いの方が大きい。

 

 ……これは……いずれ飽きたら……その時は、自分で壊してしまうという事でもある。

 僕はきっとそうする。

 その時のことを考えると、自然と口元が綻んでしまう。

 

 だから、変わらなきゃ。

 多少強引にでも。

 でも……どうやって………

 

 

「クラマ様、ここにいらっしゃいましたか」

 

 

 背後から声。

 誰が来たかは明白。こんな言葉遣いをするのはただひとり。

 僕は振り向いた。

 

「ティア。何か用かな?」

 

「いえ……」

 

 歯切れが悪い。珍しい。

 ティアはゆっくりと歩いて、こちらに近付いてくる。

 そして彼女は、僕の隣に並んで街を見下ろした。

 その横顔も、いつもとはどこか雰囲気が違う。

 伏し目がちで憂いを帯びた表情だった。

 彼女は街を見下ろしたまま口を開く。

 

「……クラマ様、ひとつお聞きしてよろしいでしょうか?」

 

「いいよ、なんなりと」

 

「ありがとうございます。今さら詮無い事とは分かっているのですが……正しい事をしても、不幸になる人が生まれてしまう現実について……クラマ様はどうお考えなのでしょうか?」

 

「ふむ」

 

 ティアの行動原理は“正義”だ。

 であれば、その矛盾は必ず行き当たる。

 

「ヒウゥース様を倒せば地球人は救われます。しかしながら、それは同時にこの街で生まれた雇用、この街の住人が得るであろう未来の財産を奪い去ることでもあります。彼らの多くは働き口をなくし……今はこれだけ栄えている街も、いずれ元の寂れた田舎町へと戻っていくでしょう」

 

「……そうだね」

 

 街を見下ろしながら話すティアに倣って、僕も再び街に目を向けた。

 時刻は早朝。

 アギーバの街はまだ動きだしたばかり。

 街中を出歩いている人は少ない。

 川へ水を汲みに行っている人が、ちらほらと見えるくらいだ。

 

「わたくしは正義のために、大きな事を成そうとしています。これからも、わたくしは命尽きるまでそう有り続けるでしょう。自分が間違っているとは思いません。ですが……だからといって、胸の中にある罪悪感は消えてくれません」

 

 なるほど、そういう悩みか。

 彼女は人の上に立つ人だから、これからもっと葛藤するような出来事があるだろう。

 ティアの方から自分の弱みを見せてくるようになるなんて、正直いって意外だった。

 彼女も僕の知らないところで何か考えに変化があったのか。

 でも今は、ティアの個人的な事情なんかはどうでもいいんだけど……。

 なんて考えていると、街を見下ろしていた彼女は僕に向き直って、言った。

 

「クラマ様、貴方はどのように自分の罪悪感と折り合いをつけているのですか?」

 

 そんなものは、ない。

 ないけど、さすがにここで正直に「ないでーす!」なんて答えるわけにもいかない。

 うーん、どう返したもんだろう。

 そうなんだよね~、わかる~、と適当に共感しておけば良さそうな雰囲気でもない。

 

「そうだなぁ……」

 

 これは答えのある問題じゃない。

 適当にそれっぽく答えておけばいい。

 ……なのだけど。

 でも僕は都合のいいことに、丁度それに対する答えを持っていた。

 

「自分に嘘をつくことだね」

 

「嘘……ですか?」

 

 ティアは眉をひそめる。

 

「うん。一時的にでもいい。目を逸らすだけでいい。どうしてもしないといけない目的があって、それに自分の気持ちが邪魔なら、ちょっとだけ脇にどいてもらえばいい」

 

「それは……」

 

 ティアは不満そうに顔をしかめている。

 そうだろう。

 真面目なティアにとっては一番やりたくない事のはずだ。

 でも……

 

「逃げることは悪じゃない。特にそれが、誰かのための優しい嘘なら……きっと未来の自分も許してくれるんじゃないかな?」

 

 以前、傷ついたパフィーを慰めた時に気がついた。

 嘘をつくこと、騙すこと――

 これはべつに、躍起になってこだわるほどの事じゃないんだと。

 大切なのは、やるべき事から目を離さない事だ。

 

「それだけじゃ納得できないかな? でもね……ひとつ大事なことがあるんだ」

 

「それは――何でしょうか?」

 

 僕はもう一度、街の方に目を向ける。

 こんな大騒ぎになっても、たいていの人達のすることは変わらない。

 多少平穏でなくとも、日々の営みは続いていく。

 

「僕は、この街のみんなが好きだ」

 

 そして、今度は空を見上げる。

 今日も雲ひとつない快晴だ。

 雲なんて、この世界にあるわけがないのだけど。

 

「青い空を眺めるのも好きだし、こうして太陽の日差しを感じるのも好きだ。綺麗なものを見るのも、突然のアクシデントで大騒ぎになるのも、僕は好きなんだ」

 

 もちろん嫌いなものだってある。

 でも、それに負けないくらい、この世界には好きなものがいっぱいある。

 

「ティアはどうかな? 好きなもの、ある?」

 

「え、ええ……それは……はい」

 

「じゃあ大丈夫だよ。自分を騙した嘘で傷ついても、この世界のいろんなものがきみを癒してくれる」

 

 これが僕の答え。

 珍しく、嘘偽りのない本心からの。

 

 僕の言葉を受けたティアは……はっとしたような驚きの顔を見せていた。

 

「……目から鱗でした。そうですか……そんな考え方もあるのですね」

 

「うん。これは僕の答えだから、ティアの役に立つかは分からないけど」

 

「いいえ、参考になりました。ありがとうございます」

 

 深々とお辞儀をするティア。

 役に立てたならよかった。ティアの支援を受けることは今後の活動にも繋がる。

 さて、それじゃあ考えよう。

 さっきティアに言ったことはそのまま今の僕にも当てはまる。

 変わりたいという自分の思いは、やはり今は封じ込めるべきなのか――

 

「それから、わたくしの方からクラマ様にお伝えしたい事がございます」

 

 まだあるの!?

 

「え? なにかな?」

 

「わたくしはクラマ様を試していました。この方が自分達にとって必要な人材かどうか……クラマ様が高級賭場への侵入を成功させるまで、本当に頼って良いのかどうか、ふんぎりがつかなかったのです」

 

「そうだったんだ……」

 

 だろうね。

 

固定魔法品(エンチャント)の買い付けに路地裏へとお連れしたのも、その一環でした」

 

「えっ、そうだったの!?」

 

 そうだろうと思っていた。

 

「それから、わたくし達がヒウゥース邸に捕らわれた件ですが……マユミ様が魔法具で操られ、自身の首元にナイフを突きつけたためでした」

 

「なるほど、そんなことが……」

 

 まあ、そんなところだろう。

 

「それと、皆様が邪教の信徒に襲われて壊滅した際、セサイル様のご協力を取りつけるために、わたくしは彼に何でもすると約束しました」

 

「へぇー、そうだったんだ……えっ!?」

 

 ん!?

 ちょっと待った。

 今、なんて?

 

「お伝えすることは以上です。これ以上隠し立てをするのが心苦しく、これが最後の機会と思いお話させて頂きました。お聞きくださいまして、ありがとうございます」

 

「え? あ、ああ……うん……」

 

 いや、あの。

 さらりと言ったけどさ、今。

 何でもするって。

 それって……あれ?

 いやいや、でもセサイルがダンジョンに潜ってる理由って、たしか……そう………………

 

 ……あ。

 決めた。

 降りたよ。天啓。

 

「ねえティア。セサイルは今どうしてる?」

 

「セサイル様ですか? 医務室の奥で魔法治療を受けているはずですが……」

 

「そっか! ありがとう!」

 

 それを聞くや、僕は勢いよく走り出した!

 

「え? あの、クラマ様!?」

 

「すぐ会議室に戻るから、先に戻ってて!」

 

 呆気にとられるティアを置き去りにして、僕は建物の中に駆け込んだ。

 目指すはもちろん医務室にいるあの男だ。

 

 ぶっきらぼうなくせに義理堅いセサイルのことだ。すけべえ心からティアの依頼を請け負ったわけじゃないだろう。

 しかしながら、一国の王女に「何でもする」とまで言わせたのなら――

 してもらってもいいんじゃないかな?

 そのぶんの働きを。

 今、ここで。

 

 

 

「セサーーーーーーーイル!!!」

 

 僕はバーンと勢いよく医務室の扉を開いた。

 まず目の前にいたのは、驚き顔のニーオ先生。

 

「ちょっ……医務室では静かにしなさい」

 

「ニーオ先生ごめーーーーん! セサイルはどこかな?」

 

「彼ならそこに……」

 

 ニーオ先生の指した先、医務室の奥。

 そこにはベッドに横たわるセサイルが!

 ベッド脇には納骨亭でちらりと見かけた覚えのある、フードを被った魔法使いの女性。それと、ケリケイラの姿。

 フードの女性の名前はたしかイーリウェといった。ほとんど喋らないくせに隙あらばお酒をがんがん注いでくる危ない人だ。

 彼女は僕を見ると軽く会釈。無口な彼女に代わって、隣のケリケイラが口を開く。

 

「あ、クラマさん!」

 

「やあ、おはよう。セサイルの様子はどう?」

 

「ええっとー……代謝促進魔法の得意な人にお願いしたんですけど……始めるのが遅かったから、まだ……」

 

 そのケリケイラの言葉を、ニーオ先生が引き継ぐ。

 

「薬物を使われた3人のうち、どうも彼だけはかなり多く投与されたみたい。量を測った奴の知識がないのか、それとも死んでもいいって考えてたのか……」

 

「動けないの?」

 

 これにフードの下で小さく呟くように答えたのはイーリウェ。

 

「まだ……起きるのも無理。明日は起きれる……けど、戦いは無理。これ以上の代謝促進は逆に危険……だし」

 

 僕はベッドで寝ているセサイルを見る。

 反対側を向いているので、起きているのかどうかも分からなかった。

 

 ………………………。

 小細工をしてもいいけど時間がないね。

 

「みんなごめん、少し席を外してもらえないかな?」

 

「え? ええー、それは、まあ……」

 

 歯切れは悪いが一応承諾してくれるケリケイラ。

 僕はニーオ先生に目を向ける。

 彼女は複雑な表情をしていたが、溜め息とともに動いてくれた。

 

「はぁ……仕方ないわね。今さら口を挟まないって決めたしね」

 

 いやー、いいお医者さんだなあ。

 患者のクオリティ・オブ・ライフを考えてくれる。

 いや、クオリティ・オブ・デスかもしれないけど。

 これから僕が、彼にさせようとしてることを考えたらね。

 みんなが医務室から出て扉が閉められたところで、僕はセサイルに声をかける。

 

「……起きてる?」

 

 すると彼はこちらに背を向けたまま、やる気なさそうに片手を上げてブラブラと揺らしてみせた。

 

「チッ、なんだってんだ。せっかく気持ちよく寝てたってのによ」

 

 よく言う。

 代謝促進魔法を受けることを承諾したのだから、こうなることは予定の内のはずだ。

 僕はセサイルに尋ねた。

 

「ねえ、なんでティアの条件を受けたの?」

 

「……なんの事だ」

 

「ティアがきみに何でもするってやつ」

 

「あぁ……。へっ、男の夢じゃねえのか? そういうの。お前にゃ分かんねえか?」

 

「僕には分かるよ。でも、きみには分かるの?」

 

「………………」

 

「この街を出てからのマユミの生活保証。そのあたりを要求するつもりなのなって思ったんだけど」

 

 セサイルがひとりでダンジョンに潜って生活費を稼いでいる理由。

 それは望まぬ召喚をされたマユミへの義理だ。

 この事は以前に彼自身の口から聞いている。

 僕が問い詰めると彼は観念して開き直るように、頭の後ろで手を組んで、ごろんと仰向けになった。

 

「……続けろよ。まさか、そんなこと言いに来たってことはねえだろう」

 

「うん。じゃあ本題だ。きみが動いてくれないと、マユミが死ぬ」

 

「くそ。そういう事かよ」

 

 悪態をついてベッドから身を起こすセサイル。

 起き上がることも出来ないと言われた体で。

 ……戦えるか? なんて聞かない。

 彼に対してそれは野暮というもの。

 代わりに伝えるべき情報は、これだ。

 

「きみには一番強いやつと戦ってもらうよ」

 

「――く。この野郎、いい性格してやがる」

 

 漏れ出るセサイルの苦笑。

 しかし口から出た言葉に反して、その瞳の奥は、飢えた獣のようにぎらついていた。

 僕の言葉は、彼に死ねと言っているのも同義なのに。

 常人とは違う。

 おそらくこれが英雄と呼ばれる人間――

 その、生まれもっての資質なのだろう。

 

 僕は言うべきことだけを言って、背を向けた。

 

「じゃあ、みんなに作戦を伝えてくる。作戦が始まるまでは、ここでゆっくりしてて」

 

「おう、了解だ。……ったく、前々から思っちゃいたが、人使いが荒いな。うちの大将は」

 

 人使いが荒い……?

 魔女グンシーにも同じことを言われたような。

 でも、そういう自覚はないんだよなぁ。

 だってさ、

 

「そう? 出来ない事を任せてるつもりはないからね、僕は」

 

 肩越しに振り向いて、そう言った。

 セサイルはくっくっと可笑しそうに笑うと、ごろりとベッドに横になった。

 

 さてと。

 これで最後のピースが揃った。

 最後のひとつは壊れかけのピースだったけれど、嵌まってくれればそれでいい。

 

 それじゃあ会議室で待ってるみんなに、出来上がった絵柄を見せに行こう。

 

 

 

 

 

 そんなわけで会議室。

 

「作戦が決まった!」

 

 バン、と僕は手のひらで机を叩く。

 集まる視線。

 僕は到着を待ってくれていた面々に向けて、前置きもそこそこに作戦を発表した。

 

 

 ……皆は僕の言葉にしばし耳を傾ける……。

 

 

 大方を説明し終えたところで、教授が口を開いた。

 

「おおよそ分かりました。なかなか面白い作戦だ。しかし……ひとつ大きな問題が残っていますね」

 

 教授が懸念を示す。

 その言葉にティアも同意する。

 

「そうですね。操られている地球人の皆様は、どのように対処されるのでしょう?」

 

 そう、そこがキモだ。

 ヒウゥース邸を攻め落とすのはいい。

 けれど、操られてる51人の地球人を「ひとりの犠牲も出さずに無力化させる」という無理難題。それを解決する必要がある。

 僕は皆に向かって、その答えを示す。

 

「うん。それはね……」

 

 言いつつ、僕は縛り上げた緑色の鳥を取り出して見せた。

 

「ンンンンンンン!」

 

「あぁーーーーっ! その子! どこにいたの!?」

 

 驚いて椅子から立ち上がったのはパフィーだ。

 僕はフォーセッテをパフィーの方に放る。

 慌ててキャッチして拘束を解こうとするパフィーを尻目に、僕は教授に尋ねた。

 

「教授。あの鳥が何か、分かります?」

 

「ええ、存じていますとも。風来の神の眷属、フォーセッテですね。地球人の運量を吸い取るという稀有な特性を持つ鳥だ。このような所にいるとは驚きですが、しかし……」

 

 教授は眉根を寄せて難色を示す。

 

「そんなに広いのですか? その鳥の運量吸収範囲は」

 

「いや、広くないね。せいぜい、この紐の長さくらいまでだ」

 

「それでは……」

 

「そう、こいつは使えない。だから――レイフ?」

 

 僕はそこで突然レイフに呼びかける。

 自分が呼ばれるとは思っていなかったレイフは、びっくりして聞き返した。

 

「えっ、私?」

 

「うん。ダンジョンの地図……ある?」

 

「ええ、それならここにあるけど……」

 

 僕はレイフが出した地図をテーブルの上に開く。

 みんなも椅子を立って地図を覗きに来た。

 

「そしてここに、この街の地図もある。これと、ダンジョン地下1階の地図を重ねて見ると……」

 

 その一点。

 地図上にあるダンジョンの最奥。

 僕はそこを、コン、と指で叩いた。

 

「あ――クラマ、これ……!」

 

「え? ……あ、ああっ!」

 

「んん~? あ、ひょっとして……」

 

 はっとした顔で驚きの声をあげたのは3人。

 パフィー、イエニア、レイフ。

 僕と一緒に、このダンジョンを探索した仲間たちだ。

 他の人達は首をかしげて、怪訝な顔をしている。

 

「そう、ヒウゥース邸からそこそこ近いんだよね。ここ」

 

 僕はそう言って、にやりといたずらっぽい笑みを浮かべた。

 



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第85話 - アギーバの街の挿話

 サーダ自由共和国――通称『中立国』。

 この国の片隅にある、現在進行形で目まぐるしい発展を遂げる地方都市。

 それが、ここアギーバの街である。

 

 急激な発展の裏には黒い理由があった。

 近年始まった、冒険者にダンジョンを解放して支援する政策。

 この政策により、ダンジョン探索に必要な力を持つ《地球人》を、政府が無料で召喚して冒険者のパーティーに提供する……。

 こうした建前の下で、政府は秘密裏に邪教の信徒と結託。ダンジョン内で冒険者と地球人を捕らえて、奴隷として売り捌いていたのだ。

 

 この非人道的な行いを発案・主導したのが、評議会議長――すなわち、国家主席たるヒウゥースという男であった。

 だが、ヒウゥースの陰謀はクラマという地球人と、彼の仲間たちの手によって暴かれた。

 

 それらすべてを強引な力によって無かった事にしようとするヒウゥース。

 奪われた地球人を救い出し、ヒウゥースを打倒しようとする冒険者たち。

 

 平和なだけが取り柄だった農園都市アギーバ。

 この地における史上初めての大規模な戦いが、今ここに始まろうとしていた。

 

 最初で……そして最後の戦いが始まる。

 

 

 

 冒険者側の先鋒を務めたのは“教授”ことウォイフ=ウェイハ。

 彼は冒険者の大半、100人近くを率いてヒウゥース邸を襲撃した。

 しかし、操られた地球人が待機している正門からではない。

 彼らは西側の塀を乗り越えた。

 目指すはヒウゥース邸本棟より西側の建物。

 使用人や奴隷が寝泊まりをしている、居住区画である。

 

「うおおおおおおおおおおおっ!!」

 

「おらおらぁ! 死にたくなけりゃ道をあけろォ!」

 

「げえっ!? なんだこの数!?」

 

 正門以外の敷地内を守る傭兵たちは驚愕した。

 ある者は冒険者の群れに飲み込まれ、ある者は脱兎のごとく逃げ出した。

 塀を乗り越えて侵入した冒険者たちは、圧倒的な人数差をもってヒウゥースに雇われた傭兵を蹴散らす!

 

 ……戦闘とも呼べない衝突の後、すぐにウェイハ教授は仲間を率いて、ヒウゥース邸の本棟ではなく居住区へ。

 居住区に入ると、どよめきと共に、大勢の奴隷たちがわらわらと顔を出してくる。

 捕えられていた奴隷の総数、36名。

 彼らは突如現れた冒険者たちの顔ぶれを見て驚いていた。

 それもそのはず。

 彼らの多くはすでに面識がある。

 なにしろ、ここにいる奴隷のほとんどが、ダンジョン内で捕えられた元冒険者なのだから。

 

 教授は彼らの前に、ギルド倉庫から持ってきた武具の数々を投げ出して言う。

 

「皆さん、これまで捕らわれの身で、よく耐えてくれました。しかしそれも終わりです! さあ、武器を取ってください! あの醜く汚い為政者に、我々の怒りと、冒険者の力を見せつけてやりましょう!!」

 

 教授の(げき)

 それに呼応して歓喜の声があがった!

 歓声は周囲と共鳴し、やがて大気を震わす(とき)の声へと変わる。

 次いで彼らは我先にと武器を取り、防具を身につけていく。

 

 その間に教授は後ろの仲間に尋ねた。

 

「向こうから何か動きは?」

 

「なーんもないねぇ。地球人も動かないみたいよ?」

 

「そうですか……それでは彼らの準備が整い次第、本棟に突入しましょう」

 

 まずは予定通り。

 しかし順調な事の運びとは裏腹に、教授は憂うような表情を浮かべた。

 

「どうしたん教授? 何か気になることでもあんの?」

 

「いえ……楽な役を貰ったと思いましてね」

 

「あぁー……そりゃあ……アイツに比べたらな」

 

 流れる微妙な空気。

 教授はその心配する気持ちを、苦笑とともに振り払った。

 

「まあ、ここまできたら信じるしかありません。クラマの作戦を。そして……“赤熱の双剣”……“怒れる餓狼”、英雄セサイルを」

 

 そうして準備が完了した元奴隷たちと共に、ウェイハ教授率いる冒険者の集団は、ヒウゥース邸本棟へと突入した。

 

 

----------------------------------------

 

「傭兵達が蹴散らされたらしいわ。じきに侵入した冒険者たちは、この本棟に来るでしょう。……地球人を動かさなくていいの、ヤイドゥーク?」

 

 ヒウゥース邸本棟の地下、「操作室」と呼ばれる部屋。

 コイニーから訊かれたヤイドゥークは答える。

 

「ああ、これでいい。1階は突破されるが、2階には相当数を配置してる。2階に上がれる道は少ないから時間は稼げる。そしたら中に入った冒険者連中を、外の地球人とで挟み撃ちして終わりだ」

 

 そう話すヤイドゥークの姿を、コイニーはちらりと横目で見る。

 

「……相変わらず、変な魔法具ね。あのディーザが作ったんでしょ? 大丈夫なの? これ」

 

 現在のヤイドゥークの状況。

 狭い小さな部屋で、巨大な椅子に嵌め込まれるように座り、いくつもの線が繋がった檻のような兜を被っている。

 その様子はまるで、拷問にかけられる囚人のよう。

 

「ああ見えて“本物”だよ、ディーザってやつは。本人は相当コンプレックスこじらせてるみたいだがね。あんな天才を凹ませるなんて、まったく帝国魔法研究所の所長ってのは、どんな奴なんだか。恐ろしい女もいるもんだねぇ」

 

「その魔法具で50人を同時に操れる仕組みっていうのが分からないけど……あなたにしか使えないっていうのも」

 

 椅子と兜がセットになった魔法具。

 ……いや、それは正確ではない。

 ヒウゥース邸の屋敷全体が、ディーザの設計したひとつの魔法具だった。

 この操作室にある椅子で操作し、兜で五感を盗み、屋敷の中にいる魔法具の子機を持つ者から心量を吸い上げる。

 ここまで大規模かつ複雑な複合魔法具は、魔法具が最も発達している魔導帝国でもそうそうお目にかかれるものではない。

 

 そして、それを操れる人間も。

 

「……ま、体質みたいなもんだ。魔法なんて屁理屈を理屈に通すようなもんだし、そーゆーもんだと思ってくれ」

 

「ふぅん、そういうものね……」

 

 納得は出来ないが、さして興味もないコイニーはそれで引き下がった。

 狭い操作室に沈黙が訪れる。

 その中でヤイドゥークは、51人の地球人の視界を同時に認識し、同時に動かして、周囲の警戒を行っていた。

 

 それは、常人には有り得ない所作。

 右手と左手で同時に別の事をするだけでも、人には困難な作業になるというのに。

 別々の視点、別々の動作を、51……正確にはヤイドゥーク本人も合わせて52の視点を、同時かつ正確に操る。

 

 

 《多重思考能力者(マルチプルシンカー)

 

 

 ――彼の師は、彼にそのような特異な能力があると言った。

 師といっても、子供の頃、わずか数日を共に過ごしただけの男だ。

 男でも見とれるような渋いハンサムな中年男は、しかし顔に似合わぬ年寄りじみた口調で、幼いヤイドゥークにこう告げた。

 

「おぬしには魔術師としての才がある。だが心せよ。おぬしが魔法使いとして、その才を振るう時――その身に避けられぬ滅びが訪れるであろう」

 

 男の不吉な予言。

 それを忘れたわけではなかった。

 むしろ一字一句違わず覚えている。

 

 その後、脱走が発覚した彼は奴隷商に連れ戻され、厳しい“教育”を受けることになった。

 彼がヒウゥースやコイニーと出会ったのは、その後の話だ。

 

 多重思考のひとつを使って過去の記憶を思い起こしていたヤイドゥーク。

 しかし突然その表情が強張る。

 

「……おい……おいおいおいおい、ちょっと待て……!」

 

「……? どうしたの、ヤイドゥーク」

 

 心配するコイニーに答える余裕もない。

 何十もの地球人の視界を通して目に入ってきた光景に、ヤイドゥークは戦慄して叫んだ。

 

「おま、ふざ……ざっけんなっ! そんなのありかよ!?」

 

「ちょっと、ヤイドゥーク!? 何があったの!? ヤイドゥーク!!」

 

 コイニーも初めて目にする、取り乱したヤイドゥークの姿。

 彼女は困惑してヤイドゥークの肩を揺さぶった。

 

 

----------------------------------------

 

 ――時は少しだけ遡る。

 ヒウゥース邸から少し離れた大通り。

 その中心で、魔法使いの冒険者たちが一斉に詠唱を唱えていた。

 

「いいぞ! なんだ貴様ら、やれば出来るではないか!」

 

 指揮を執るのは布を厳重に巻いて顔を隠した男。

 その正体はディーザである。

 詠唱を終えた魔法使い達は、ひそひそと会話する。

 

「誰? あの偉そうなの」

 

「さあ? でもクラマがこいつの指示に従ってくれって」

 

「そんならしょうがねえな」

 

 ディーザの詠唱指示によって行われたのは、周囲一帯の地盤の軟化。

 それを終えたら次に続くのは、サクラだ。

 

「よーし、いくわよー! エグゼ・ディケ! 鉄球の衝撃で地面が崩れ落ちなさーい!」

 

 サクラの体が金色の光に包まれる。

 それを見て居合わせた面々が、用意した鉄球を大通りの中心を目がけて放り投げる!

 

「せぇーーー……のっ!」

 

 放たれた鉄球は放物線を描いて、地面に着弾。

 その瞬間、轟音をたてて周囲一帯の地面が崩落した!

 

 

> サクラ 運量:10000 → 2178/10000(-7822)

 

 

「うわーーーーっ! ほんとに崩れたぁー!」

 

「危ないぞ! 離れろーっ!」

 

 ガラガラと地下空間に崩れ落ちていく地面を、遠巻きに眺めるサクラ達。

 すると……それは来た。

 

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 噴き出す瓦礫と土砂!

 現れる。

 飛翔する緑の巨体。

 地面にぽっかりと空いた穴……地の底から、地上へと。

 

 そいつは激しい地響きと共に大通りへ着地した。

 ボールのように丸々とした体。

 大きな翼。

 可愛らしいシルエット。

 しかしこれらに不釣り合いなのが、ノコギリじみた恐ろしげなクチバシ。そして凶悪な眼光。

 

 もうもうと巻き上がる砂埃の中、冒険者たちはその巨体を畏怖するように見上げた。

 

「で……でけぇ……!」

 

 砂埃を巻き上げ、地の底から飛翔して、地上にいる魔法使い達の目前に現出したモノ。

 緑の凶鳥――風来の神の眷属――フォーセッテ。

 その成体である。

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 荒れ狂う巨鳥は雄叫びをあげて襲いかかった!

 冒険者たちへ――いや、

 

「ぎゃあああー! こっち来たあああああ!!」

 

 その場にいる唯一の地球人。

 サクラへと。

 

「おい! 早く馬を出せ!」

 

 フォーセッテが地球人のサクラを襲うのはクラマの予想通り。

 冒険者はサクラを馬に乗せて逃がそうとする。

 が……

 

「だ、駄目だッ! 馬が暴れて……! このっ……!」

 

「ブルッ! ブルオオオッ!!」

 

 用意していた馬が言うことを聞かない!

 聞く者の臓腑を震わすフォーセッテの雄叫び。

 これに興奮した馬が無茶苦茶に暴れ出していた。

 

「ええーっ!? どっ、どうするの!?」

 

 移動手段を失って慌てるサクラ。

 そこに緑の巨体が飛び込んでくる!

 

「あ――」

 

 運量を使う暇もない。

 これは死んだ、とサクラは思った。

 

 飛翔した巨鳥は砲弾のように地面に着弾!

 噴き上がる土砂。

 激しい地響き。

 

 恐怖に目を閉じ、縮こまったサクラはしかし、予想していた痛みや衝撃が訪れないことに違和感を覚え……ゆっくりと閉じた目を開けた。

 

「……ケリケイラ?」

 

 サクラの目の前にはケリケイラの顔。

 間一髪で滑り込んだケリケイラが、サクラを抱えてフォーセッテの脅威から逃れていた。

 

「走りますよ! 捕まっててくださいねー」

 

 言って、ケリケイラは駆け出した。

 サクラを抱きかかえたまま。

 

「うーわ! 早っ!」

 

 ケリケイラは人ひとりを抱えているというのに、サクラが自分で走るよりも速かった。

 

「あはは、荷物をたくさん持てるのだけが取り柄ですからねー」

 

 しかし黙って見ているフォーセッテではない。

 

「うわ! こっち見てる!」

 

 再びサクラへ照準を定める緑の凶鳥。

 それを止めようと、横から三郎ことニシイーツが飛び出した!

 

「待てェい! これを見ろ!」

 

 彼がフォーセッテに掲げて見せたもの。

 それは――

 

「ンンンンンンン!」

 

 がんじがらめに縛り上げられた緑の小鳥。

 そう、フォーセッテの子供である!

 

「……ヴォ? ヴォ……ヴォエエエイ……!」

 

 困惑した様子で動きを止める親鳥。

 それを目にしてサクラは思った。

 

「な……なんか……かわいそうなことしてる!」

 

「しょーがないんですよー、背に腹は変えられないんですねー」

 

 サクラを抱えて走り去るケリケイラ、それへの道を阻むニシイーツ。

 ニシイーツの眼前にそびえ立つは、自身の数倍もの身の丈の怪物。

 その威容を前にして、恐怖に膝を震わせながらも、ニシイーツは勇気を振り絞って立ち塞がった。

 

「だっ、大丈夫なのかコレ……大丈夫なのかコレぇ!? なあ!?」

 

 フォーセッテの子供はクラマが保険として持たせたものだ。

 サクラに何かがあった時に、サクラの代わりにフォーセッテを目的地まで誘導できるようにと。

 

「ンンンンンンン!」

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

「うひぃーーーーーーーーーッ!!」

 

 親鳥はニシイーツの手からクチバシで子供を奪い取った!

 そして、そのまま口の中に飲み込んだ。

 

「く、食ったぞ!」

 

 フォーセッテの生態はあまり知られていない。

 彼らは通常の食事をとらず、体内で食物を消化する機能も持たない。

 子供を取り戻したフォーセッテの親鳥は、その鋭い眼光でニシイーツを睨めつける。

 

「う……」

 

 恐怖におののくニシイーツ。

 フォーセッテはその分厚く硬い翼を大きく広げた!

 

 ――羽ばたき。

 

 巻き起こる嵐。

 暴力的な風圧が目の前のニシイーツと、その場にいる冒険者たちに叩きつけられた!

 

「うわあああーーーーーーーっ!!」

 

 塵のように吹き飛び、壁に、地面に叩きつけられる人々。

 暴風が吹き荒れた後……その場に動くものは誰もいなかった。

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 有象無象を一蹴したフォーセッテは雄叫びをあげて追う。

 己に定められた絶対殺害目標たる、《地球人》を目指して。

 

 

 

「うわっ! こっち来た!」

 

 ケリケイラの腕の中でサクラが叫ぶ。

 ヒウゥース邸まで間に合うかどうか。

 サクラはケリケイラに密着するよう腕を回して抱きついた。

 そこで、ぬるりとサクラの手が滑った。

 

「……?」

 

 サクラは自分の手を見てぎょっとした。

 

「え……血……?」

 

 ケリケイラの頭に回したサクラの手は、べったりと赤く濡れていた。

 

「ちょっ……! け、ケリケイラ!? 大丈夫!?」

 

 ケリケイラは答えない。

 ただ、走った。

 途切れそうな意識の中で。

 自らを待つ人のもとへ。

 

 一心不乱に走り続けて、目的地は目前。

 ヒウゥース邸。

 彼女が正門をくぐる直前、ひとりの人影を通り過ぎた。

 その、通り過ぎざま。

 声が届いた。

 

「よくやった。後は任せろ」

 

 そうして、サクラとケリケイラはヒウゥース邸に到着した。

 

 

----------------------------------------

 

 大通りを真っ直ぐ通って、このヒウゥース邸の正門へと向かってくる緑の巨体。

 ヤイドゥークはそれをいくつもの地球人の目を通して目撃した。

 

「うっそだろオイ!? どっから持ってきたんだあんなモン!」

 

 フォーセッテの存在を知らないヤイドゥークには、全くもってわけがわからない。

 まさに青天の霹靂だった。

 そして、おそらくこの作戦の指揮を執っているであろう地球人、クラマ=ヒロの正気も疑った。

 

「あ、あのやろう……ここの地球人を皆殺しにするつもりか……!?」

 

 しかしそれはそれで、非常に有効な手段だ。

 ヤイドゥークが操る51人の地球人がいなくなれば、ヒウゥース側の敗北は必至。

 冒険者側の戦力と相殺ならともかく、こんな盤外から突如として持ってきたモノに潰されるわけにはいかない。

 

「くっそ……エグゼ・ディケ!」

 

 ヤイドゥークは地球人の口を借りて唱えた。

 金色に輝きだしたのは、彼が操る地球人51人のうち20人。

 20人の運量を使って願いをかける。

 

「あの向かってくる緑の鳥を…………鳥……を……」

 

 だが――そこから先が出てこない。

 運量による願いというものは、生物そのものに直接は干渉しない。

 “周囲の何か”を動かす形で考えなければならない。

 操られた地球人を取り返しに来た冒険者たちは、その身につけた武器や道具の不具合、周囲の木が倒れるなど、そしてそこから複数人で一斉に襲いかかることで返り討ちにした。

 しかし、そうしたやり方はここでは通用しない。

 

 鳥は武具など持ち合わせていない。

 加えて人間の数倍の巨体。

 木が倒れようが下敷きにできない。足止めにもなりはしない。

 

 巨鳥は恐ろしい速さで迫ってくる。

 もはや目前に近付いている。

 ヤイドゥークは悩んだ末に、告げた。

 

「……体の半分だけ地面に沈ませろ!」

 

 次の瞬間、地盤が崩れてフォーセッテの体が腹まで地面に埋まる。

 サクラ達と違って用意のない状態での願いである。

 20人の運量が3割ほど減った。

 

「エグゼ・ディケ! 周囲の塀! 木! すべて倒れて、思いきり勢いよく緑の鳥に降りそそげ!」

 

 ヤイドゥークは間髪入れずに唱える!

 今度は残りの31人を使う。

 ヤイドゥークの願いを受けて、周囲のありとあらゆるものが突如として壊れ、崩れ、フォーセッテの上へと降りそそいだ!

 それはあまりに不自然な光景だった。

 31人の運量が半分まで減少する。

 しかしながら、その甲斐あって宣言通り。

 壊れた塀から成る石のつぶて、形よく裂けて作られた木の槍……天然の危険物が、次々とフォーセッテの体に飛来した。

 

 しばらく後……大量の土砂に埋まったフォーセッテ。

 

「やったか……?」

 

 ヤイドゥークは呟く。

 だが、次の瞬間。

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 瓦礫を吹き飛ばして地上に帰還するフォーセッテ。

 軽く跳躍した巨鳥は、地響きをたてて地面に着地した。

 その体は、まったくの無傷!

 丸々とした体躯に似合わぬ鋼鉄のごとき羽毛は、磨き上げた武具ですら傷つけることは難しい。

 

「ダメかよっ! こりゃもう全部使ってでも……エグゼ・ディケ!」

 

 唱えるヤイドゥーク。

 しかし……

 

「……んん?」

 

 地球人の体が光らない。

 運量を使えていない。

 訝しむヤイドゥークの目に、地球人たちの首から下げた運量・心量の計測器が見えた。

 

 運量を使えないのは当然。

 すべての地球人の運量が、ゼロだった。

 

「は……はあ? オイ、この鳥まさか……風来の神の……!?」

 

 気が付いたとて、もはや手遅れ。

 ヤイドゥークが操る51人の地球人は、ただ体の弱いだけの、町人以下の非力な存在と化した。

 

 そしてこの状況を作り出した当のフォーセッテはというと……すぐには地球人に襲いかからず、何故かその場で小刻みに震えていた。

 

「……?」

 

 何が起きているのか。

 それは、どこか苦しげな様子にも見えた。

 ヤイドゥークは不可思議な挙動をする巨鳥を注視する。

 すると、やおらフォーセッテは上を向き、声を漏らした。

 

「ウェ……ウェェェェイイ!!」

 

 ポン! ポンポンッ!

 なんと、いくつもの緑色の卵が地面に転がった!

 

「う、産んだーーーーー!?」

 

 風来の神の眷属、フォーセッテ。

 希少な生物であり、その生態は謎に包まれている。

 特にその繁殖について。

 これは世界中いずれの文献にも記されていない。

 周囲の地球人から運量を吸い取り、それを卵として産み出す――。

 その衝撃の事実が確認された、歴史的瞬間であった。

 

 だが、そんなことは今の彼らには何の関わりもないことである。

 

 卵を産んだフォーセッテは大きく翼を広げた!

 そして繰り出される。

 猛烈な羽ばたき――!

 

「ぐっ……おわああぁぁぁっ!!」

 

 吹き荒れる暴風!

 人の身で耐えることなど不可能。

 ヤイドゥークの操る51人の地球人は、そのすべてが吹き飛ばされてヒウゥース邸の中庭を転がった。

 

 もはや成す術はない。

 後はこの地球人に異様な殺意を燃やす怪鳥に蹂躙されるだけ。

 その愛らしいシルエットに反した凶悪な眼光。

 殺意に満ちた凶鳥の視線が地球人の群れを見渡した。

 獲物に向けて、踏み出す一歩。

 そこへ――

 

「よう。メシの時間は終わったか?」

 

 怪物の前に立ち塞がったのは一人の男。

 男は双剣を手にして、気負った様子もなく自然体。

 むしろ獲物を見つけた肉食獣のような笑みを口元に浮かべている。

 

 亡国最後の将、“赤熱の双剣”英雄セサイル。

 

 その二つ名の通り、両手に持った剣は朱く光り輝いていた。

 現れた男の姿に無視できないものを感じたのか、フォーセッテは歩みを止めた。

 

「へっ、分かってるじゃねえか。そうだよ、お前の相手はこのオレだ。じゃあ――やろうぜ」

 

 英雄と怪物の戦いが、ここに幕を開けた。

 



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第86話 - 勇者の挿話

 居合わせた憲兵たちは、みな一様にその光景に目を奪われていた。

 

「す……すげぇ……!」

 

 セサイルとフォーセッテ。

 英雄と怪物。

 そこでは吟遊詩人が酒場で吟ずるような、伝説上の戦いが繰り広げられていた。

 

「遅え……遅え遅え遅えぞデカブツ!! オレはここだ!!」

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 セサイルは地を這うように低く駆ける!

 四足獣のごとく俊敏、そして獰猛。

 煌々ときらめく真紅の双剣は、まるで血に染まる牙。

 セサイルは巨鳥の周囲を、また体の下を跳び回りながら、手にした双剣をもって裂き、刺し貫いていく。

 

 フォーセッテもただ突っ立っているわけではない。

 しかしセサイルはフォーセッテに密着するほど近くで戦っている。巨鳥のクチバシは届かない。

 さりとて翼で払おうにも、セサイルの動きは速すぎた。

 固く巨大な翼で生み出される暴風。

 それよりも速くセサイルは、自らが突風となって死の間合いの内側へと踏み込み、駆け抜ける!

 

 たったひとりで巨大な怪物を圧倒する男。

 呆然とその戦いを眺めている憲兵たちに、セサイル当人から叱咤の声が飛ぶ。

 

「おら、ボサッとしてんな! さっさとそいつらを連れてけ!」

 

「……はっ」

 

 慌てて憲兵たちは動き出した。

 彼らはヒウゥース邸に突入し、中庭で倒れている地球人を確保する。

 

「く、憲兵か……!」

 

 ヤイドゥークは地球人を操って迎え撃とうとする。

 

「って待て待て、多くないかコレ……!?」

 

 が、予想以上に憲兵の数が多い。

 いや、なにも憲兵が増殖したわけではない。

 ただ、この街の憲兵すべてが、この場に集まってきているだけだ。

 

 ……当初、ティアの申告では17人の憲兵が協力を申し出たという話だった。

 だが、クラマは憲兵たちに向けてこう説明した。

 

「この街の憲兵の皆さんは、ヒウゥース達とは戦わなくていいですよ。だって、そんなことしたら、この騒ぎが収まった後で何らかの罪に問われるかもしれない。……でも大丈夫。皆さんにして貰いたいのは、『怪物に襲われてる地球人の救出』だから。……これって、普通の憲兵のお仕事ですよね?」

 

 あくまで住人の救出という名目。

 万が一にも政府への反逆ととられないように……というクラマの配慮だった。

 このことは詰め所にいる他の憲兵たちにも伝えられ、最終的にはこの街にいる全ての憲兵がこの場に集結したのだった。

 

 

----------------------------------------

 

「くっそ、やられた……!」

 

 ヒウゥース邸、地下操作室。

 ヤイドゥークは地球人たちとの接続を断ち、奇妙な兜状の魔法具を頭から取り外して放り投げた。

 ガランガランと固い床を転がる鉄の魔法具。

 そこにコイニーの切迫した声が届く。

 

「ヤイドゥーク! 冒険者たちが攻め込んできたわ!」

 

「……!」

 

 状況は一変した。

 冒険者が攻め込んできた後から、外で待機している地球人を屋敷に戻して挟み撃ち……というプランはもはや実現不可能。

 ヤイドゥークは頭に手をあてて戦況をシミュレートする。

 多重思考を駆使して、あらゆる状況を想定。

 残った勝ち筋を導き出す――!

 

「……まだだ。まだある。俺達がこの地下から出て、冒険者の背後を突く」

 

「それは……ここの守りは大丈夫なの?」

 

「最低限の人間は残す。が、向こうの戦力はほとんど出尽くしてるはずだ。そう簡単には突破されない。念のためにダンジョン地下1階、この施設周辺にはいくつもの罠を張り巡らせてある」

 

「分かったわ。みんな! 武器を持って集合!」

 

 コイニーは地下で待機している者達に呼びかけ、強襲部隊を編成する。

 そうしてコイニーが部屋から出ていった後……。

 

「ふぅぅぅーーーっ……正念場だねぇ。耐えれば勝ちだが……さて」

 

 ヤイドゥークは深い深いため息をついて、両手で目を覆った。

 

「それにしても遅い……遅すぎる……一体……」

 

 奇怪な椅子型魔法具しかない、ひどく狭くるしい小部屋の中。

 ヤイドゥークは苛立たしげに、そうひとりごちた。

 

 

----------------------------------------

 

 動かないものが気力で動くことはない。

 セサイルの体は治ったわけではない。

 真実、立つのがやっとの状態である。

 

 それでは、なぜ戦えるのか?

 その答えは――やはり、“気力”としか言いようがなかった。

 

 立てるのならば戦える。

 戦えば勝つ。相手が何であろうと。

 セサイルは己を“そういうもの”と規定した。

 

 クラマ風に言えば自己暗示である。

 しかしそれにも限度がある。

 今のセサイルは壊れた体に気力を注ぎ込んで無理やり動かしている状態だ。

 足を一歩踏み出すたびに、剣を一振りするごとに、セサイルの体は崩壊へと突き進んでいる――

 

 

 

「クソッタレが! ラチがあかねえ……!」

 

 これまで数十回は斬り込んでいるセサイルだが、フォーセッテは一向に動きを止める気配を見せない。

 セサイルが持つソウェナ王国伝来の宝剣イェドワガルフとフィニルフュアーは、鋼鉄のように硬いフォーセッテの羽毛も問題なく切り裂いていた。

 しかし問題はそこではない。

 脂肪だ。

 分厚い脂肪に阻まれ、セサイルの剣では致命傷を与えることができない。

 

 それでも斬り続ければいつかは倒れるだろう。

 セサイルの体が壊れるのが先か、それともフォーセッテが動けなくなるのが先か。

 勝負はそんな消耗戦の様相を呈してきた。

 ……と、そう思われた時だった。

 

「ヴェオ……ヴォォォオオオオオ!!!」

 

 フォーセッテが突如、両の翼を大きく広げた!

 飛翔して逃走――というわけではなかった。

 羽ばたき。

 その標的は真下。

 捕まらないセサイルに照準を定めることをやめ、地面に向けて強烈な風を送り込む!

 

「くっ……うおおおおあっ!?」

 

 荒れ狂う暴風!

 逃げ場はない。セサイルの体は宙に浮いた。

 

「っ……! ヤベエ――!」

 

 両の足を地面から離したセサイルを、凶悪に煌めくフォーセッテの眼光が見据えた。

 中空で回避不能の体。そこにクチバシの突き!

 身をひねるセサイル。

 ノコギリじみたクチバシが、セサイルの胸元を大きく削り取った!

 

「ぐううぅっ!」

 

 噴き出る血潮。

 しかしそれで終わりではない。

 フォーセッテはその巨大な翼を振り下ろし、今度は風ではなく翼を直接セサイルに叩きつけた!

 

「ぐ、あが……っ!」

 

 全身を打ちつけるすさまじい衝撃!

 人間に殴られるのとは、わけが違う。

 セサイルは何度も地面を激しくバウンドした挙句、煉瓦の塀に激突!

 激突の勢いで塀は破壊され、瓦礫がセサイルの体を埋めた。

 

「……ウェェェェェェェェェイ!」

 

 それは勝利の雄叫びか。

 フォーセッテは頭上を見上げて大きく翼を広げた。

 だが……

 

「……にを……てやが……」

 

 ガラ……ガラ……と。

 瓦礫の奥から這いずるように現れる。

 体中どこを見ても傷だらけ。胸元には赤い鮮血を流し続ける生々しい大きな傷。

 

「何を止まってやがる……! オレはまだ生きてるぞ……かかって来やがれ……!」

 

 満身創痍。

 それでも男は立ち上がった。

 

「来ねえってんなら、こっちから行くぞコラァ!!」

 

 駆けた。

 その勢いは変わらず、最高速度の俊敏さをもって。

 セサイルは走り続ける。

 壊れて止まる、その瞬間が訪れるまで。

 

 

 

 

 

 セサイルの戦いは、多くの住民が遠巻きに見守っていた。

 その中で、ひとりの男が苦々しげに舌打ちをした。

 

「ちっ、あの馬鹿が……!」

 

 男の隣にいたテフラは、怪訝な表情で男の顔を見上げた。

 

 

 

 

 

 異様な光景であった。

 全身は傷のついていない箇所が見当たらない。

 流れ出る血を止めようともせず、血風を広げながらも、男は両手の剣を振るい続ける。

 もはや勝ち目があるようには見えなかった。

 死に向かう自傷。

 誰の目にも、そう見えた。

 果たして彼は勇者なのか、それとも狂戦士なのか――?

 

 その常軌を逸した気迫に押されたのか。

 決着を急ぐ気持ちが、巨鳥の脳裏に芽生えたのかは定かではない。

 いずれにせよ、フォーセッテは再び両の翼を大きく広げた!

 羽ばたき。

 風圧の叩きつけを再び行おうとする。

 

 その瞬間だった。

 

「待ってたぜ……この時をよォ!!」

 

 フォーセッテが翼を広げようとし始めた瞬間。

 セサイルは跳躍していた。

 巨鳥の体を蹴り上がって駆け登り――翼が振り下ろされるより先に、その大きく広げた翼の下……翼の付け根に到達した。

 

 セサイルは躊躇なく翼の根元に双剣を突き刺す!

 

「うおらああああああっ!!!」

 

 そして突き刺した双剣を、左右に広げて切り開いた!

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 巨鳥の翼が根元から切り離される!

 

「へっ、どうだ! もう逃げられねえぞ……!」

 

 この期に及んで、敵を逃がさず仕留めることを考えている。

 自身に向けられた凶暴な殺意を、フォーセッテは振り払うように暴れる!

 セサイルは剣をフォーセッテの体に突き刺して張り付く。

 しかしついに剣の片方が抜け、その体が宙に投げ出された。

 すかさず残った翼を叩きつけるフォーセッテ!

 

「ぐぅおおおっ!」

 

 巨大な翼ではたき落とされたセサイル。

 その方向はほぼ真下に近く、セサイルの体は何度も何度もバウンドして、全身を地面に激しく打ちつけられた。

 やがてドジャッとゴミ袋のように地面の上へと落ちて止まったセサイル。

 

「お……ぁ……!」

 

 セサイルは――立てない。

 全身がバラバラになるような衝撃。

 常人なら即死しているはずの一撃だ。

 弱った体で……失血もあり、脳震盪も加わっている。

 これまで幾度かの必然を無視して限界を踏み越えてきたセサイルだったが、ついにその肉体は停止した。

 

「まだ……まだ……オレは……生き………」

 

 弱々しく手足を這いずらせることしか出来ないセサイル。

 まるで死にかけの虫。

 その姿を巨鳥は、鋭い視線で見下ろした。

 見逃してはならない。とどめを刺さなければならないと、知っているかのように。

 

 もはや動けないセサイルを踏み潰さんと、巨鳥がその歩を進めようとした時。

 

「今だ! 全員、投げろォーーーーーッ!!!」

 

 響き渡る号令。

 それに続いて、何十本もの槍がフォーセッテの巨体を目がけ、弧を描いて飛んだ!

 

「ウェ? ウェェェ……?」

 

 フォーセッテの歩みが止まる。

 しかしそれだけだった。

 投擲された数えきれないほどの槍は、フォーセッテの硬い羽毛に弾かれ、虚しく地面に落ちた。

 

「ゲェーッ!? 一本も刺さってねえ!」

 

「んなコタぁ分かってる! 奴の目を引きつけるんだ! 第二投、放て!」

 

 槍の投擲を行っているのは、地球人たちを保護し終えた憲兵たち。

 そして、その指揮を執るのは隻眼の納骨亭マスター、ヤイツノであった。

 

 次々と投擲される槍。

 槍がなくなれば今度は剣、石、矢。

 とにかく手当たり次第に投げつける。

 投擲で傷を受けることのないフォーセッテだったが、その目にべしゃりと生卵がぶつかった瞬間、吼えた。

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 片翼での羽ばたき。

 威力は両翼の時に及ぶべくもないが、憲兵たちにはそれで充分だった。

 

「うわあぁーーーーーーーっ!!」

 

 風圧で地面に押し倒され、さらに投げつけたものが自分達へと返ってくる。

 悲鳴をあげ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく憲兵たち。

 数十人もの兵士集団が、ただの翼の一振りで壊滅した。

 その場に残ったのはヤイツノただひとり。

 

「ふん、馬鹿が……」

 

 だが彼は怯えるでもなく、狼狽えるでもなく、薄く笑みさえ浮かべてフォーセッテの視線を受け止めてその場に佇んでいた。

 

「所詮は鳥の脳ミソか。絶対に目を離しちゃいけねえモノを忘れちまうとはな」

 

 彼の言葉はフォーセッテには届かない。

 届いてはいないが……しかし別の何かを感じ取ったのだろう。

 フォーセッテは自分の背後を振り向いた。

 

「遅いな。もう終わりだよ、お前は」

 

 ヤイツノの宣告。

 直後、炎が走った。

 

 

 

 

 

 フォーセッテが槍の投擲に気をとられている時――。

 セサイルは地を這いながら詠唱した。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー……ネウナヒウェ・タエソ・ニディウハ・ナエツ・ガ・ネヒド・ヤハア・セティウ……」

 

 一本だけ手元に残った剣を握る。

 セサイルはそれを地面に突き立て、小刻みに震える膝に全身全霊の力を込めて、少しずつ体を起こしていった。

 もはや上下の感覚もない。

 意識は朦朧としている。

 それでも立てる。

 立てるのは、立ち方を知っているからだ。

 

 彼はどんな時でも立ち上がり、そして勝ってきた。

 それが亡国最後の将にして、己が加わった12の戦役ことごとくに勝利した、生ける伝説。不敗の敗将。

 それが、セサイルという男である。

 

「……我が力は我が物にあらずして、汝は史上なりし王より賜りしもの。汝が力を以て、今ここに誓いを果たさん。願わくばとこしえの地へ、()の元へ……」

 

 セサイルはしっかりと両の足で立ち上がった。

 そして片方だけ残った剣をまっすぐ天に掲げて……その発動の句を口にする。

 

「届け狼火(ろうか)。――プライヴァーフュリオ」

 

 セサイルの剣、その刀身から炎が走る!

 紅蓮の炎が向かう先はフォーセッテ。

 ……それは正確ではない。

 正しくは、フォーセッテの背中に突き刺さった、もう一本のセサイルの剣である。

 刀身から一直線に伸びた炎は、片割れの刀身と繋がり一本の線を作る。

 炎の線。それは消えることなく燃え続けた。

 

「ヴェオッ!? ヴルオオオオオッ!!」

 

 激しい炎に焼かれて緑の巨鳥は身悶えた。

 しかしどれだけ暴れようとも、背中に生えた剣を抜くことはできない。

 業を煮やしたフォーセッテはセサイルに向けて突撃した!

 セサイルは動けない。

 

 

 

 ……セサイルが動けない?

 

 それは有り得ない。

 

 彼はどんな時でも立ち上がり、そして勝ってきた。

 

 立てるのならば戦える。

 

 戦えば勝つ。相手が何であろうと。

 

 セサイルは己を“そういうもの”と規定した。

 

 それが、かつて仕えた王に奉げた、唯一の誓いだから。

 

 ……たとえ、信じた主に裏切られ、その結果として尽くした国が滅びようとも。

 

 誓いは彼と共に有り続ける。

 

 

 

「――いくぜ?」

 

 セサイルは巨鳥を迎え撃った。

 その踏み込む速度はこれまでのどれより速く――剣筋は鋭く、フォーセッテの体を深く切り裂いた。

 セサイルが駆けるたびに炎が走る。

 刀身に追従する炎。

 それは線というより鎖だった。

 セサイルがフォーセッテの翼、クチバシ、鉤爪の攻撃をかいくぐり、その体の下に潜り、背を取り、周囲を旋回するごとに、炎の鎖はフォーセッテの体に何重にも巻き付いていく。

 セサイルは炎を従えながら、目にも留まらぬ速度で斬撃を放ち続けていく。

 

「おらおらおらおらおらあああああっ!!!」

 

「ヴェオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 縦横無尽に巻き上がる炎の乱舞。

 いつしか巻き付いた炎の鎖は、巨鳥の体を捕らえる炎の檻へと変貌していた。

 

「ヴェオッ、ヴォ……ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」

 

 全身を炎で焼かれ尽くしたフォーセッテ。

 神の眷属たる緑の巨鳥はついに立ち止まり、天を仰ぐと、断末魔の雄叫びをあげた。

 

 セサイルも立ち止まり、フォーセッテに背を向ける。

 そして彼が剣を一振りすると、刀身から伸びていた炎が消えた。

 後に残されたのは黒焦げの巨鳥。

 セサイルは振り返ることなく告げた。

 

「オレの勝ちだ」

 

 それに応えるように、セサイルの背後で巨鳥が倒れる。

 地響きと共に吹き抜けた熱風が、激しい死闘の終わりを告げていた。

 

 

 

 

 

 セサイルはしばらく歩いてから、力を抜いてその場に座り込んだ。

 

「ハァ~~~~~……割に合わねえぞ実際コレ。やっぱり何でもするなんて条件で依頼を受けるもんじゃねえな……」

 

 彼は大きく息を吐いて呼吸を整えて……それから空を仰ぐ。

 すると、見慣れた隻眼と目が合った。

 

「ったく、相変わらずだなお前は」

 

「……アンタか」

 

 納骨亭マスターのヤイツノ。

 彼は元冒険者であり、そして……幼い頃のセサイルに戦いのいろはを教えた、武芸の師である。

 

「お前は強いが欠点がある。それは強すぎる事だ。何でも一人で出来るから、何でも一人でやろうとする……お前の悪い癖だ」

 

「チッ、こんな時に説教かよ。カンベンしてくれ」

 

「おめえが鳥並みの記憶しかねえから、何度も言ってやってんだ。感謝して咽び泣け」

 

「うーるせっ。言われなくたって覚えてるよ」

 

 セサイルは悪態をつくと、バツが悪そうに己の師から顔を背けた。

 

 実際それは、セサイル自身も己の欠点として自覚している。

 彼は、他人に期待するのが苦手なのだ。

 自分自身が何でも出来てしまう。

 だから、つい無意識のうちに周りの人間にも同じ水準を求めてしまう。

 人にものを教えるのには失望がつきまとう。

 それなら自分でやってしまった方が早いし、気が楽だ……と、考えてしまうのだ。

 

 この街でパーティーを組んでも、一人でダンジョンに潜るのはそういう事だ。

 祖国が滅んだことにも、己の悪癖が遠因として絡んでいる――と、彼は思っている。

 

 こうした考えのため、セサイルは人にものを教えることを嫌う。

 

 ただ……例外があった。

 

「……いつまでもガキ扱いしてんじゃねえよ。オレだって昔のままじゃねえ。剣を預けられそうな奴も見つけたしな」

 

 セサイルが教えた事に対して、想像以上の反応を返してくる男。

 群衆を従え、戦局を意のままに作り出す才覚。

 そして何よりも――戦士に対して死んでこいと命令できる胆力。

 セサイルはそこに王の器を見ていた。

 

 クラマという、地球人の少年に。

 



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第87話 - ヒウゥースの挿話

 ヒウゥース邸、三階。

 屋敷の主たるヒウゥースは、窓越しに外を見下ろしている。

 セサイルとフォーセッテの死闘、その決着を見届けたヒウゥースは、大きく息を吐いて呟いた。

 

「ぬうぅ……これは……ミスか。生かしたまま利用しようと考えた、私の……!」

 

 セサイルを生かしておくのは危険だと分かってはいた。

 しかし、手元に残しておきたかったのだ。

 優れた人材を集めたい。

 彼はずっと、その思いに囚われていた。

 

 今となっては根っからのビジネスマン、エグゼクティブな立ち振る舞いをしているヒウゥースだが……こんな彼にもかつては、武術の頂点を極めんと、日夜稽古に明け暮れていた時期があった。

 その彼が幼少から修行に励んだ道場も、土地の利権争いから村ごと滅ぼされてしまったが。

 当時の彼も師や他の門下生と共に戦った。

 しかし一騎当千と思われていた豪傑揃いの武術家集団であったが、最新鋭の装備に身を包んだ兵士たちの人海戦術には歯が立たなかった。

 彼らとて丸腰ではない。

 一流の武術家はあらゆる武器術に通ずる。

 それでも金の力、そして数の力の前に、成す術もなく蹂躙された。

 

 ……それからだ。

 彼が財力と権力を求めるようになったのは。

 

 ただひとり生き残った彼は武術を捨て、名を変え、そして会社を興した。

 復讐は考えなかった。

 それよりもっと大きな力があると知って、求めるものを変えたのだ。

 

「やるなら目指すは頂点!」

 

 ……彼の座右の銘は今も昔も変わらない。

 

 

 

 

 

「ヒウゥース様! ここはもう駄目です! 早く脱出の用意を!」

 

 配下が叫ぶ。

 階段の下には一気呵成に攻め込んできた冒険者たち。

 館を守る配下たちも必死に抗うが、もはや突破されるのは時間の問題だった。

 

「ぬぅううううう……! なぜだ! なぜ来ない!? もう夕方だぞ! 昼には着くはずだろう……首都の国軍は!!」

 

 そう。

 本来ならば、とうに国軍がこの街に到着しているはずなのだ。

 ヒウゥースとヤイドゥークの立てた作戦は、それが前提としてあった。

 時間が来れば勝てる。

 だからこそ、本来不利であるはずの籠城戦を選んだのだ。

 だというのに……一向に国軍が現れる気配がない。

 

 憤るヒウゥースのもとへ、ひとりの配下が駆け寄ってきた。

 

「ヒウゥース様! たった今、国軍から伝書鳥が……そ、それによると、その……」

 

「なんだ!? 言ってみろ!」

 

 口ごもる配下をヒウゥースは促す。

 

「は、はっ! この街へ向かう街道の途中でラーウェイブの騎士団に阻まれ、到着が遅れる……とのこと、です……!」

 

「な……なんだとォ!?」

 

 衝撃の報告に、のけぞったヒウゥースはひっくり返りそうになった。

 



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第88話 - 将、そして王の挿話

 此処(ここ)は首都からアギーバの街へと向かう唯一の街道。

 目的のアギーバの街は目前というところで、サーダ自由共和国軍は立ち往生を余儀なくされていた。

 

「一体どういうつもりだ……」

 

 国軍を率いるトレイダー将軍は、苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。

 目下には街道を塞ぐように陣を布いている、武装した一団。

 トレイダーの隣にいる若い副官が言う。

 

「何度見ても間違いありません、騎士王国ラーウェイブの旗……それに……中央で馬に跨っているのは、国王パウィダ・ヴォウ=ウェイチェです」

 

 これには将軍トレイダーも頭を抱えざるを得なかった。

 まさか一国の王が直々に騎士団を率いて他国に侵入するとは、前代未聞のことだ。

 事態を難しくしている理由は、ここにいるのが「騎士団」だということだった。

 

 これが他国の軍隊であれば、紛れもない侵略行為である。国軍としては排除する以外の選択肢はない。

 しかし、ラーウェイブの騎士団は軍隊ではなく警察機構。

 軍隊は軍隊で、また別個に存在している。

 それゆえ、これが侵略行為にあたるかどうか……判断が難しい。

 

「我が軍にも通信用の魔法具があればな……」

 

 長距離通信を行える魔法具というのは、非常に珍しい代物だ。

 なぜなら魔法は「距離」に弱い。

 姿が見えなくなるほどの遠方への通信を可能とする魔法具というのは、製作できる者が限られている。

 

「伝書鳥は送りましたが……ヒウゥース評議会議長からの返答はありません」

 

「……ヒウゥース評議会議長……か」

 

 騎士団の奥に隠れるように見えるアギーバの街に目を向けて、将軍トレイダーはぼそりと呟いた。

 それに反応した隣の副官が、躊躇いがちに口を開く。

 

「将軍……我々は、このまま進んでいいのでしょうか?」

 

「何が言いたい」

 

「いえ、その……ヒウゥース議長のことです。あの男が、この街で召喚した地球人を四大国へ流しているという噂……将軍もご存じでしょう? それ以外にも数えきれないほどの不正、違法行為の数々……あの男が議長となってから、議会と官僚の腐敗は目に余ります……!」

 

 不正や違法行為など知ったことではない、不満は結果で黙らせる……というのがヒウゥースのスタイルである。

 そのため、ヒウゥースは常にこうした批判を浴びてきた。

 だが、ヒウゥースが評議会議長となって国政を握ってからというもの、サーダ自由共和国は急激に国力を増し、国民の暮らしぶりが向上した事もまた事実である。

 

 ヒウゥースの政権に対して良し悪しは言いにくい。

 しかしながら、彼ら軍部としては、まるでヒウゥースによって軍を私物化されているかのような現状には、忸怩(じくじ)たる思いがあった。

 

「……フェゼシ」

 

 トレイダー将軍は副官の名を呼んだ。

 

「はっ! ――ぬぎゃ!?」

 

 トレイダーの拳骨(げんこつ)が副官フェゼシの脳天に落ちる!

 フェゼシは頭を抱えてふらふらとよろけた。

 

「あ……あぐぐ……!」

 

「馬鹿者が!! 貴様、今の言葉は軍法会議ものだぞ!!」

 

「も、申し訳ありません……しっ、しかしお言葉ですが将軍……このままでは軍部としての面子(メンツ)が……!」

 

「そんなことは言わなくても分かっとるわ、たわけ! だからといって儂らが軍規に反してどうする!? 秩序を失った軍隊なぞ、ならず者の集団と変わらんわ!」

 

 トレイダーは副官フェゼシの襟首を掴んで引き上げる!

 

「いいかフェゼシ……国軍にとって必要なのは正しさではない、与えられた指令を全うする事だ! それこそが、我ら軍人の矜持と心得よ!」

 

 そう告げてトレイダーは副官を掴む手を離した。

 解放された副官は首を押さえて咳込む。

 

「ごほっ! ごほ……もっ、申し訳ありませんでした!」

 

 背筋を伸ばして敬礼するフェゼシ。

 そこへ、ひとりの兵士が駆けてくる。

 

「伝令! 伝令ーーーーッ!!」

 

 駆けてきた兵士はトレイダーの前で止まり、敬礼を行う。

 トレイダー将軍は兵士に向かって静かに口を開いた。

 

「報告せよ」

 

 兵士は目前のラーウェイブ騎士団へ送った遣い。

 内容はもちろん、一体どういうつもりかという問いかけ。

 それに対する騎士団側の返答は……

 

「はっ! 報告します! 『日が陰るまでここを通すわけにはいかない。不当に囚われている我が国の王族を保護するためであり、軍事目的ではない』――とのことです!」

 

 周囲の兵士がざわつく。

 遣いの男は続けた。

 

「それから……『これは騎士の誇りにかけて、正義の行いである』……と」

 

 その報告に、大きなどよめきが湧いた。

 兵士たちの間に露骨に広がった動揺。

 それには理由があった。

 

 騎士の誇りにかけて――という、この一文。

 これはラーウェイブ王国が対外的な公式声明において、伝統的に用いる定型句だ。

 彼らがこの句を出して退いたことは過去の歴史にただの一度としてなく、また彼らの主張する正しさが誤りだった事もない。

 

 つまり、ここで街道を塞いでいるラーウェイブの騎士団は、すでにあの街で行われている不正の証拠を握っているということだ。

 兵たちの動揺は、それを理解したために起こったものだ。

 浮つく空気。

 そこに響き渡る怒号! 

 

「たわけが!!!」

 

 トレイダー将軍の一喝により、場は一気に静まり返る。

 そして兵を黙らせた将軍は、颯爽と全軍の先頭に躍り出た!

 

「聞け!! 誇り高きラーウェイブ国王、パウィダ・ヴォウ=ウェイチェよ!! 我が名はサーダ自由共和国軍司令、トレイダー!! 我が軍を代表して、貴殿に一騎討ちを求める!!!」

 

「な……!?」

 

 自分達の司令官が唱えた突然の宣言に、兵士たちは驚き戸惑う。

 

「な、なぜですか将軍……!?」

 

 ラーウェイブの騎士団は確かに強い。

 が、しかし軍隊ではない。

 戦えば自由共和国軍が勝つのは明白だ。

 その確実な勝利をあえて捨てるのは、相手に勝ちを譲るため――?

 否、そんな事はない。

 もちろんそこには、与えられた指令を果たすための合理的な理由があった。

 

「戦えば儂らが勝つ。だが、連中は日が陰るまで通さぬと言った。それはつまり、儂らはそれまでにはアギーバの街に入らなければならんということだ。……もうあまり時間はない。ここで正面から戦い、時間を取られれば、戦いで勝っても指令を果たせなくなるだろう」

 

「う――な、なるほど……! しかし騎士を相手に一騎討ちとは……」

 

「なんだフェゼシ。儂が負けると思うのか?」

 

「い、いえ! 滅相もありません!」

 

「うむ。お前達はここで待機しろ!!」

 

 戦列を離れて、ひとり歩み出るトレイダー。

 その背を見送る兵士達の視線は、信頼に満ち溢れていた。

 

 それもそのはず。

 このトレイダー将軍は、自由共和国内の競技者が集う大競技会において、10期連続で表彰数トップの記録を更新し続けている鉄人だ。

 特に剣術種目と槍術種目では、8期連続で決勝進出という前人未到の大記録を打ち立てている。

 誰もが認める国内最強の戦士。

 それがこのトレイダー将軍である。

 

 そして、これは部下達の前では口にしなかったが……トレイダーにはこの一騎打ちに勝算があった。

 ラーウェイブの騎士は強い。

 その勇名は世界中に届いている。

 いかに国内最強の称号を得ている自分でも、勝てるかどうかは分からない。

 だが、先ほどから騎士団の布陣を見て彼は気がついていた。

 

 ――正騎士がいない。

 

 ラーウェイブ王国騎士団の頂点に立つ8人の正騎士。

 その姿がひとつも見えない。

 

 おそらく招集が間に合わなかったのだろう、とトレイダーは考えた。

 ここ5ロイほど(地球時間で15年近く)も前線に立っていないラーウェイブ国王が、こうして直々に騎士団を率いていることも、向こう側の切羽詰まった事情が見てとれる。

 さらに国王パウィダ・ヴォウ=ウェイチェは、ここ3ロイ(約10年)は公の場で剣を握った記録すらない。

 熟年ながら未だ全盛期のトレイダーと違って、ウェイチェ王はとうの昔に引退している。

 負ける要素はなかった。

 

 懸念といえば、国王に代わってまだ見ぬ猛者が出てくる事だが……それを避けるために、わざわざ国王の名を呼んだ。

 騎士というものは何よりも誇りを重んじる。

 一騎討ちの申し出を受けないなどというのは論外である。

 騎士の立場を把握した、トレイダー将軍による計算された一騎討ちの要求。

 果たして騎士団の一群から出てきたのは――指名の通り、国王パウィダ・ヴォウ=ウェイチェその人であった。

 

 ――勝った。

 トレイダー、そしてその背後に控える兵たちは勝利を確信した。

 

 

 

 トレイダー将軍とウェイチェ王は、両軍の中間で対峙する。

 向き合った両者は兜を脱いだ。

 一騎討ちにおいては互いの顔を隠さない。

 それがこの世界の流儀であった。

 

 トレイダーもそれなりの歳だが、ウェイチェ王はそれより一回りほど年上になる。

 老年に差し掛かろうとしている王。

 その佇まいには威厳と貫禄があった。

 

 王を呼び寄せたトレイダーが先に口を開く。

 

「申し出に応じて頂き感謝する、騎士たちの王よ。ろくな口上も交えず申し訳ないが、我が軍は時が惜しい。すぐにでも始めたいが……負けた方が退く、という事でよろしいか?」

 

「構わぬ」

 

 王の答えは、ただ一言。

 それだけを告げると王は、背に負った剣を抜いた。

 

 ――大きい。

 トレイダーは息を呑んだ。

 異様に長大で分厚い、大型の両手剣。

 刃の側面には一切の装飾がなく、武骨な作りであるにもかかわらず、その刀身は太陽の光を受けて七色に色彩を変じ、眩く輝いていた。

 噂に聞くウェイチェ王の光輝剣ジャロエイトに相違ない。

 光り輝く大剣。それをウェイチェ王は頭上にかざして、大上段に構える。

 まるで刀身の輝きを衆目に見せつけるかのようであった。

 

 その偉容、美しさに、周囲の兵・騎士双方から感嘆の声が漏れた。

 

 ジャロエイトは強力な魔法具であるが、一騎討ちに魔法が使用される事はない。

 トレイダーは光輝剣の輝きに気圧されることなく、冷静に観察した。

 

 わずかに思考した後、トレイダーは槍を選ぶ。

 相手の剣は長大だが、槍ほどのリーチはない。

 ならばその剣の届かぬ距離で戦えばいい。

 当然の選択だった。

 剣と槍とでは、圧倒的に槍を持つ側が有利なのだから。

 

 槍を握って構えをとるトレイダー。

 王と将。

 互いの指揮官が一対一で相対する。

 

「では、参る」

 

「応」

 

 すでに先刻、時が惜しいと告げた通り。

 短く素っ気ない言葉と共に、一騎討ちは開始された。

 

 しん、と静まり返る場の空気。

 すべての兵と騎士が、固唾を飲んでふたりの動向を見守る。

 

 上段に構えたまま不動のウェイチェ王。

 じりじりと間合いを測るトレイダー将軍。

 張り詰めた糸のような緊張感。

 互いに経験豊富な歴戦の勇士である。

 呼吸を掴み……集中力が崩れた一瞬を待ち……機を読む。

 一対一で相対した状態でも、そうした僅かな有利を掴む術は心得ている。

 熟達した者同士の、見えない圧力のかけ合い。

 精神を削る消耗戦。

 しかし、今この戦いにおいて、そうはならなかった。

 

「ふっ――」

 

 トレイダーが動く!

 消耗戦になど付き合ってはいられない。

 一秒でも早く――しかし焦らず、逸らず――トレイダーはただ鋭く、正確無比な槍の突きを放つ!

 

 その、瞬間。

 

「ぜぃあああああああああああああッ!!!!」

 

 轟、と迸った。

 裂帛の気勢。

 剣の一閃。

 

 振り下ろされた剣は槍を断ち切り、鎧をひしゃげ、鎖骨をへし折った。

 剣圧に押し潰されるように、地面に尻餅をつかされたトレイダー。

 

「あ――ぐぁ……っ」

 

 ――勝負あった。

 呆気ない、あまりにも呆気ない幕切れ。

 有利や不利……駆け引き……細やかな戦闘理論。

 王の剛剣は、それらすべてをただ一刀にして叩き伏せた。

 

 トレイダーは苦悶の中、見上げて知った。

 これが騎士王国ラーウェイブの王。

 パウィダ・ヴォウ=ウェイチェであると。

 

 

 

 

 

「将軍!!」

 

 殺気立った自由共和国軍の兵士たちが飛び出してくる。

 そこへ一喝する声が響いた。

 

「止まれッ!!!」

 

 兵士たちは縫い付けられたようにぴたりと止まる。

 

「しょ、将軍……しかし……!」

 

「我々の負けだ。引き上げるぞ」

 

 トレイダー将軍は立ち上がり、兵士たちのもとへ向かう。

 その右腕はだらりとしたまま動かないが、足取りはしっかりしていた。

 まだ戦えないことはない。

 だが……職務に殉ずる覚悟を持つ彼も、それほどまでに恥を知らないわけでもなかった。

 

 トレイダーは理解しているのだ。

 ウェイチェ王が振り下ろした剣を途中で止めなければ、自分の体は今ごろ鎧ごと断ち切られ、二つに別れて草の上に転がっていた事を。

 

 トレイダーは立ち去る前に一度振り向いて、自身を打ち負かした王に問う。

 

「……ひとつ聞かせて欲しい。なぜ、それだけの力を持ちながら一線を退いた?」

 

 問われた王は、それまでの威圧感ある表情をニカッと崩して言った。

 

「いや、私も老いた。12人の妻の相手をしながらでは、以前のように戦場を駆け回るほどの余裕がなくなってしまった」

 

 その言葉にトレイダーは、まじまじとウェイチェ王の顔を見る。

 改めて見るウェイチェ王は、生気に溢れ、肌も艶があり、実際の年齢よりも遥かに若々しく見えた。

 トレイダーは、ふっと笑って言った。

 

「……なるほど。それでは、この後が大変というわけだ」

 

 ウェイチェ王は爽やかな笑いをもって、その回答とした。

 



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第89話 - ナレエシ村のウズイの挿話

 冒険者どもの侵攻は抑えられない。

 首都からの援軍は来ない。

 

 趨勢(すうせい)はもはや誰の目にも明らかである。

 ――ヒウゥースは敗北した。

 

「ぬうぅぅぅぅ……! おのれ……何故こんなことに……!」

 

「ヒウゥース様、早く避難を!」

 

「くっ……わかった。後は任せたぞ」

 

「はい! どうかご無事で!」

 

 配下を置き去りにしてヒウゥースは屋上へ走る。

 ……こうなれば出戻りだ。

 ここでの悪事が明るみに出れば、もはやこの国のどこにも居場所はない。

 金、地位、人脈。

 すべてを失ってしまうが、生きていれば再び挑戦できる。

 また名前を変えて……いちからやり直しだ。

 

 ヒウゥースは前向きにそう考えながらも、後ろ髪を引かれる思いだった。

 ただ自分を逃がすためだけに、体を張って敵の侵攻を食い止める、忠誠の厚い部下たち。

 まるで身を切られるようだ。

 背後から悲鳴が聞こえるたびに、足が止まりそうになる。

 

 失うには惜しい人材たちだが、また探せば良い。

 そう自分に言い聞かせるが……なぜだか「それは違う」という思いが、心の片隅から離れなかった。

 

 懊悩も、躊躇いも、振り切ってひた走る。

 

 やがて背後に響く喧騒は届かなくなり……

 彼はついに屋上の扉に手をかけ、開いた。

 

 

 

 

「……ん? おお! ずいぶん遅かったじゃあないか」

 

 ヒウゥースが開いた扉の先。

 そこには、ここに居るはずのないものが待ち受けていた。

 死を運ぶ青い瞳の男。

 

「……ワイトピート……!」

 

 何故ここにいるのか。

 そして何をしているのか。

 

 ヒウゥースの視線の先でワイトピートは、あらかじめそこに設置してある気球に乗り込んでいた。

 ただ乗り込んでいるだけではない。

 彼は、逆さだった。

 気球の籠部分のへりに背中を預けて、両足を上に伸ばして器用に動かしている。

 動かしている――というか、遊んでいる。

 

「ほっ! ふんっ! うう~ん……そやッ!」

 

 バキンッ!

 耳障りな金属音と共に鉄の金具が壊され、バーナー部分がバラバラに分解されて地面に落ちた。

 

「おおっと、不良品か!? 壊れてしまったではないか! ちょっとちょっとぉ~……強度が足りないんじゃないかね、このオモチャ。ねえ、ウズイくぅ~ん?」

 

「き、貴様、何をしている!? ……いや待て。いま何と言った? その名……」

 

 ヒウゥースの右手が上がり、ワイトピートを指さす。

 その指先は細かく震えていた。

 

「ぃよっと! ふぅ……」

 

 ワイトピートは逆立ち状態だった体を戻して、今度は普通に気球の籠のへりに腰かけた。

 

 驚き、慌て、血相を変えるヒウゥースとは対照的に、ワイトピートはその身に不吉の風を纏いながらも、穏やかとすら言える笑みを浮かべていた。

 さながら古くから馴染みのある友人と歓談するかのように。

 優しさを感じさせる声色で、男は眼前のヒウゥースに語りかける。

 

「一人乗りの気球……良くない。良くないねぇ。いくらきみの体が幅を取るとはいえ……きみはまた、自分ひとりだけ生き延びるつもりかね?」

 

「な……なにを言ってる。貴様……貴様、なにを……」

 

「私はね。ずっとずっと、聞きたくて聞きたくて仕方がなかった。今日ここにきた理由の半分はこれだと言っていいかもしれない」

 

 悲劇をもたらす青い瞳が射抜いた。

 ヒウゥースの目を。

 その心の奥の奥まで抉り抜き、ヒウゥースが守り続けてきた最も柔らかい部分に手を伸ばす。

 

「――きみは、彼女が生きていたことは知っていたかね?」

 

 ヒウゥースの口がぱくぱくと開く。

 何を言ってるのかと。

 ただそれだけの言葉が、喉から先に出て来なかった。

 

 ……その先の答えを聞くことを、精神が、肉体が、強く拒んでいる。

 

「ウズイくんは誰にも負けない! 絶対に助けに来るわ! おまえたちなんて、みんなウズイくんがぶっとばしちゃうんだから!」

 

 お世辞にも上手ではない裏声を使ってそんなことを言うワイトピート。

 それから彼は、満面の笑顔を見せる。

 それは悪意にまみれた笑い。

 嘲笑だった。

 

「来なかったねえ、ウズイくん。女性を待たせるとは、まったくひどい男だ。だからね、今日は遅刻癖のあるきみのために、彼女をここまで持ってきてあげたよ。フフ……展示室が無事で良かった」

 

 そう言ってワイトピートはゴソゴソとポケットをまさぐる。

 ポケットからゆっくりと引き出され――そして、それ(・・)はヒウゥースの前にそっと差し出された。

 

「さあ、感動のご対面だ」

 

 それはガラスの小瓶に入った明るい橙色の瞳と、同じ色をした髪の束だった。

 

「どうしたかね、そんなに震えて……? ははは、私が見ているからといって遠慮することはない。婚約者(フィアンセ)を抱きしめてあげたまえ! ……そうだ、ここで結婚式を挙げようか! どうかね、この私のアイディアは!? ん? 何か言いたまえよ。ねえ、ウズイくぅ~ん」

 

 

 

 

 

 生まれ育った村が滅ぼされた時、復讐は考えなかった。

 代わりに武術を捨て、財の力を求めた。

 ……しかし、時折ふっと頭の片隅をよぎることがある。

 あの時、自分は本当に財力という強い力を求めたのか?

 もしかしたら違うのではないか?

 己の復讐心から目を逸らし、違う道に逃げ込んだ……ただの逃避だったのではないか……と。

 

 当時の自分がどう思ったか。

 もはや記憶は薄れ、思い出すことはできない。

 しかし……

 

 

 

 ――ウズイくん、おじいさまから聞いた? キミが首都の武術大会に勝ったら、私を嫁にやるって。

 

 

 

 ――うん、ありがと。でも別にいいんだ。

 

 

 

 ――私、そんな気が長い方じゃないの。だから……一回で優勝、決めてよね?

 

 

 

 

 

「ワイトピート!!! 貴様ァァァアアアアアアアアッ!!!!」

 

 絶叫にも等しい怒号。

 天を衝く激しい怒りに、ヒウゥース邸屋上の大気が鳴動した。

 

 次いで――ビシィッ、と屋上の床に皴が走った!

 ヒウゥースが地面に踏み下ろした震脚。

 その衝撃に耐えられず、屋上の床が崩壊する!

 

「!?」

 

 足場を失ったヒウゥース・ワイトピート両名は瓦礫とともに落下!

 ふたりが落ちた先は、ヒウゥースの寝室。

 立ちこめる粉塵。

 砕けた瓦礫の破片が宙を舞う。

 白く煙った視界の中で、ワイトピートは急激に広がる黒い影を見た。

 

「む――」

 

「ぬぅおああああああああああ!!!」

 

 突き出された拳がワイトピートの胴部、その中心にめり込む!

 

「ぐ、ぉ……!」

 

 影と見えたのは目前に迫ったヒウゥース。

 ヒウゥースは数秒間ほど舞い上がった粉塵を目くらまし代わりに、全身全霊の一撃を眼前の男に叩き込んだ!

 憤怒の鉄槌を穿たれた敵はゴム(まり)のように吹き飛び、壁を破壊して隣の部屋まで突き破る……はずの一撃だった。

 

「ぬ……はは……。いや、なんともこれは、すさまじい。……あのまま武術を続けた方が良かったのではないかね?」

 

 突き出されたヒウゥースの拳。

 その手首をワイトピートの手が掴んでいた。

 

 そして次の瞬間、ヒウゥースが第二撃を放つより早くワイトピートは動いた。

 密着してヒウゥースの背後をとり、その首を締め上げる!

 

「ぐ……きさま、この程度でっ……!」

 

「ふふ……このまま格闘に興じたいところだが……残念ながら、今日は予定が詰まっているのでね」

 

 ず……と、ワイトピートは短剣をヒウゥースの首に突き入れた。

 まるでケーキに刃を入れるような気軽さで。

 とてもとても無造作に、銀の刃はずぶりとヒウゥースの首筋に沈み込んだ。

 

「あ――く――」

 

「さよならだ、ヒウゥース。きみは最期まで素晴らしいビジネスパートナーだった」

 

 ワイトピートは短剣を回して、ヒウゥースの首をねじ切った。

 

 

----------------------------------------

 

 屋上破壊による振動は地下にまで届いていた。

 

「なんだ……!?」

 

 地下にいるヤイドゥークには、上階で何が起きているのか分からない。

 首都からの援軍は一向に来る気配がない。

 冒険者の侵攻は抑えられない。

 待てば待つほど状況は加速度的に悪くなっていく。

 もう待てない。

 ヤイドゥークは決断した。

 

「……おまえら、ここはもういい。全員で上がって冒険者を止めるぞ」

 

 部下の男が答える。

 

「し、しかしここの守りがなくなると、今度はこちらが挟み撃ちにされる可能性が……!」

 

「わ~かってる。だが動かなきゃ終わりなんでな。時間を稼いでくれれば俺がなんとかする……なんとか……まあ、たぶん……」

 

 そうやって部下に指示を与えたその時。

 地下全体に響く振動、そして爆発音!

 

「うおおっ!? ……来たか! おい今のなし! 全員対処に行くぞ!」

 

 ヤイドゥークは部下を連れて、揺れと音の発生源へと向かう!

 地下施設を駆け抜けながら、ヤイドゥークは大丈夫だと自分に言い聞かせていた。

 ダンジョンのどこから壁を抜けて来ようと、すぐさま包囲できるよう人員を配置している。

 また、壁を抜けてこの地下施設に入った敵には、いくつもの罠が襲うようになっている。

 迎撃の準備は万全だ。

 この地下への侵入者を殲滅した後、全員で地上へ増援に向かえばまだ……逆転の目はある。

 

 やがてヤイドゥークは辿り着いた。

 ここが音の発生源。

 侵入者がこの地下施設に入ってきた場所。

 そこには予想通り、大きな穴があった。

 

 ……ただし、壁ではなく、床に。

 

「し、下から……だと……!?」

 

 穴の周辺には打ち倒されて地面に転がる部下たちの姿。

 

「マジか……これ、は……」

 

 激しい虚脱感に襲われて、ヤイドゥークはがっくりと膝をついた。

 

「駄目だ……もう勝ち筋が……」

 

 あらゆる状況を想定できるヤイドゥークの多重思考。

 その能力によって無慈悲にも分かってしまう。

 この瞬間、自分達の敗北が決定したことが。

 



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第90話『クラマ#13 - pre-mortality』

「マユミさ~ん! いる~!?」

 

 ダンジョン地下2階からヒウゥース邸の地下へと侵入した僕たち。

 僕の他には、イエニア、パフィー、レイフ、ティア、そしてイクス。

 侵入方法はティアの黒槍で地下の天井をぶち壊して、上に跳んだイクスにロープを降ろしてもらった。

 

 そして今、鉄格子の並ぶ地下牢らしき所で、僕たちはマユミさんの名前を呼んで探している。

 

「あっ! クラマ! こっちこっち! こっちっすよ~!」

 

 返事はすぐに返ってきた。

 果たして声のした場所へと僕らが向かうと……そこには鉄格子の中で喜び跳ね回るマユミさんの姿が!

 とりあえず僕は心配していた(てい)で声をかけた。

 

「大丈夫ですか? 何かされなかった?」

 

「いえ、それが……ここに連れて来られてから何もなかったんすよね。定期的に食べ物を持ってきてくれるくらいで」

 

「じゃあずっとこの狭い部屋の中で……普段通りの生活だったわけだね」

 

「なっ! なんすかそれ~! まるで私が引き篭もりみたいに……その通りです!」

 

 その通りだよね。

 しかし何もされなかったのか……そうかぁ……。

 きっと、この切羽詰まった事態では彼女にまで手を出してる暇がなかったんだろう。

 この世界では魔法で嘘を見破れるので、情報を引き出すのに拷問をする必要がない。

 なんでか僕はされたけどさ。

 

 そうやってマユミさんに話を聞いてる間に、パフィーが手早く鍵束を見つけてきた。

 それっぽい鍵を鉄格子の扉に嵌め込んでいく。

 

「たぶんこれで……やった! 開いたわ!」

 

「ありがと~! 皆なら絶対助けてくれるって信じてましたよ~!」

 

「そりゃそうだよ。僕にはみんなを見捨てるなんて出来ない。まあ、外で頑張ってくれてる冒険者達や、セサイルのおかげだけどね」

 

「そうなんすか……。あ! そうだ、他にも捕まってる人がいるんすよ! 私の隣にも……オルティちゃーん?」

 

「オルティ!?」

 

 イクスがその名に反応する。

 確かそう、オルティというのはワイトピートに捕まったイクスの仲間の名前だ。

 マユミさんに誘導されて、僕らは隣の部屋へ。

 するとその部屋の奥に座り込む、ひとりの少女の姿があった。

 イクスは鉄格子に勢いよく掴みかかって、少女の名を呼ぶ。

 

「オルティ!! 大丈夫!? 助けに来たよ、オルティ! ……オルティ?」

 

 イクスの呼びかけ。

 しかし反応がない。

 死んでいる……わけじゃない。

 照明が乏しく薄暗いので見えにくいが……鉄格子の奥の彼女は気だるげに身じろぎして、口を開いた。

 

「はぁ……来ちゃったんだ、イクス。まぁ、いいか……べつに……」

 

 そう言ってオルティは、鉄格子の奥で顔を上げた。

 

「ひゃっ……!?」

 

「う……これは……!」

 

 その顔を見た女性陣から呻き声が漏れる。

 おそらく端正だったであろう少女の顔は、左半分が生皮を剥がれて、筋繊維や血管、そしてまんまるとした眼球がグロテスクに露出していた。

 

 

> クラマ 心量:83 → 122(+39)

 

 

「あ……ああ……オルティ……!」

 

 イクスは変わり果てた仲間の姿を目にして震えていた。

 おそらく、こうなるまでに助けられなかった罪悪感……自責に苛まれているのだろう。

 

 僕はパフィーから鍵束をもらって鉄格子の扉を開けた。

 扉が開くや否や、飛び込むように中に入っていくイクス。

 イクスはオルティを強く抱きしめ、咽び泣いた。

 

「ごめん……ごめんね、オルティ……わたしが……わたしがもっとちゃんとしてれば……!」

 

 それに対してオルティは、少し困ったような、それでいて無気力なため息を吐いた。

 

「はぁ……変わってないわね。イクスが気にする事じゃないでしょ。冒険者なんだから、捕まった自分が悪いの」

 

 諦観。

 無気力。

 無感動。

 イクスから聞いていた話では、オルティという少女はそんな大人びた性格ではなさそうだった。

 ここでの扱いによって変えられてしまったのだろう。

 もしかしたら顔を剥がれただけじゃないのかもしれない。

 日の当たらない地下室で、いったい彼女の身に何が……。

 

 僕は口を開いた。

 

 ――他にも何かされたの?

 

 

 ……と、言おうとしてやめた。

 ここから先はあまり魔法を使う余裕はなさそうだけど、心量は多ければ多いほどいい。反応や思考の速度が変わってくる。

 だから僕は少しでも心量を上げておくために、彼女の口からどんな拷問を受けたか語らせるべきだ。

 それが勝率を上げるための最善の行為。

 なのだけど……

 

「……心配しないで! 知り合いに腕のいいお医者さんがいるから、ここを出たら紹介するよ!」

 

 僕は力強くそう言った。

 それからレイフから布のローブを受け取って、オルティに優しくかける。

 

「……え、それ……本当……?」

 

 オルティは顔を上げて僕を見上げた。

 剥き出しの眼球がギョロッと動いて、至近距離で僕を見る。

 僕はそれを真っ直ぐに見返して言った。

 

「うん。大丈夫だよ、きっと治せるから。他にも僕にできる事があったら協力するからね! なんでも言ってくれていいよ!」

 

「……そ。ま、まぁ……どっちでもいいけど……ありがと……」

 

 ニーオ先生はサクラの手術痕も消せるって言ってたから、整形外科の心得もあるんだろう。

 これだけ酷い状態のを治せるかは知らないけれど。

 そこは僕の知ったこっちゃない。

 その後、扉をくぐって出たオルティが言う。

 

「ああ、奥にまだひとり捕まってるのがいるから。一応助けてあげて」

 

「わたくしが参りましょう。クラマ様、鍵を」

 

 言われてティアに鍵束を渡す。

 鍵束を受け取ったティアは、イクスやオルティと共に奥へと歩いていき……と、さて。

 もういいかな。

 僕はイエニアに黒槍を差し出した。

 

「イエニア、お願い」

 

「……ええ」

 

 彼女はそれを受け取る。

 神妙な……真剣な眼差しが僕に向けられる。

 

「本当にいいのですね? 私たちは行かなくて」

 

「うん。大丈夫、僕を信じて」

 

 僕の吐いた台詞を受けて、イエニアはハァーッと大きなため息をついた。

 

「まったく、そう言われては言い返せませんね。……分かりました」

 

 イエニアは両手で槍を持つと、黒い歪な穂先を真上へと向けた。

 

「あなたのために、道を(ひら)きます」

 

 そうして、その詠唱を開始した。

 

「オクシオ・ヴェウィデイー! サウォ・ヤチス・ヒウペ・セエス・ビウピセイーネ・トラエドス・ダーフェス・イートゥレーネ!」

 

 槍が淡い光を帯びる。

 同時に魔力の波が周囲に撹拌(かくはん)し、僕の心臓が共鳴して震える。

 

「悪を(つい)やすヴィルスーロの槍よ! 正しき心、正しき道、信ずる者のため、今ここに開かれよ!」

 

 薄暗い地下牢の闇を振り払うかのように、声高に響き渡る声。

 その威を示す言葉は、強く。

 力をもって紡がれた。

 

「ヤルブ・プルトン・サイファー!!」

 

 

> イエニア心量:182 → 82/500(-100)

 

 

 槍の穂先に赤い光が満ちる。

 その光は次の瞬間、轟音、地響き、暴風、あらゆる力を発散しながら、まっすぐに上空へと突き抜けた!

 

 

 

 ……荒れ狂う猛威が収まった後。

 周囲に立っているのは槍を手にしたイエニアだけであり――

 その上には、天までくり抜いたような大穴が、ぽっかりと開いていた。

 

「終わりましたよ。大丈夫ですか、皆さん?」

 

 僕を含め、衝撃に尻餅をついていた一同は立ち上がる。

 そして立ち上がった僕はイエニアから黒槍を受け取った。

 

 ……これで直通ルートが作られた。

 あとは登っていくだけだ。

 きっと、あの男が待っている。

 

「あっ! イエニア、敵が集まってきたわ! くっつけた扉が壊されそうよ!」

 

 パフィーの声。

 イエニアはすぐに反応して応答する。

 

「分かりました! 今行きます! ……ではクラマ、ご武運を」

 

「うん、ありがとう。イエニアも気をつけて」

 

 僕の言葉に頷き、イエニアは迎撃のために駆け出していった。

 最後にその場に残ったのは僕と……そしてレイフ。

 

「じゃあ私も、ティアの方を手伝いに行こうかしら」

 

 レイフがそう言って去ろうとする。

 それを僕は呼び止めた。

 

「あ、レイフ!」

 

「ん? なあに?」

 

「実はね、みんなと離れた後、ダンジョンの最下層に……」

 

 話しながら僕は思い出す。

 あの夜の事を。

 

 

 

 ――ちょっと待った。そこも誤解があるんじゃないか。僕が好きなのは――

 

 ――分かったわ、パーティーを抜けるのはやめる。その代わりに……今の言葉の続きは、ダンジョン攻略が終わってから聞くわ。

 

 

 

「……………………」

 

「あら、どうしたの? 言いかけてやめるなんて」

 

「いや……」

 

 ダンジョンは攻略した。

 だから告白する。……なんて。

 

 違う。

 違うよな。

 今の僕に必要なこと。

 僕が今やるべきことは、そうじゃない。

 

「……なんでもない。代わりにひとつ聞いていいかな?」

 

「なにかしら?」

 

 代わりに僕は、彼女に問う。

 

「実は僕がみんなを裏切ってて、この作戦が失敗するように仕組んでたとしたらどうする?」

 

「んん~? んー……そうねぇー……」

 

 彼女は人差し指を頬にあてて、考えるしぐさをする。

 二秒、三秒、四……。

 やけに長いように感じた。

 でも、実際にはそんなに長い時間はかかっていない。

 

 そうして、彼女は答えた。

 

「それもいいかもね?」

 

 日向(ひなた)のような優しい笑顔を向けて。

 

 

 

「……だよね」

 

 ああ――よかった。

 本当に。

 この人がいてくれて。

 

「ありがとう。じゃあ、行ってくる」

 

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 これで、すべての準備が整った。

 僕は筋力強化の魔法(ジャガーノート)を唱えて、跳んだ。

 修理した銀の鞭と長棒を使って、天井に空いた穴から上の階に登っていく。

 

 

> クラマ 心量:122 → 97(-25)

 

 

 ……実のところ、既にここでの戦いは終わっている。

 セサイルや皆の戦いを見るまでもない。

 本当はもっとずっと前。

 とうの昔に勝敗は決していたのだ。

 そう、それは貸家に憲兵が踏み込んできて、僕らが地下へ、ティアやセサイルたちが地上へと別れた後のこと。

 セーフハウスの中でティアに通信が来た。

 あの通信は、誰あろうラーウェイブ国王から直接の通信だった。

 国王が直々に騎士団を率いてこちらに向かっている……という内容の話。

 あの時点でもうこちら側――正確にはティアの負けはなくなっていて、そこからの僕は自分の目的のために動いていた。

 

 ティアは本当にすごい人だ。

 こうして結果を見れば彼女の大勝利。

 当初は不可能と思われた無謀な目標を大きな犠牲もなく達成し、国王の信を得て凱旋しようとしている。

 彼女はもしかしたら、次の国王になるのかもしれない。

 

 しかしティアと僕の目的は違う。

 勝ちは決まっている。

 “ここでの勝利”を考えるなら、この先に行くのは不要。

 それでも僕は登った。

 この先で、あいつが待っているから。

 

 

 

 

 

「――やあ、来たね」

 

 天井に開いた穴を登りきった僕を、そいつはそう言って出迎えた。

 大小さまざまな瓦礫が散乱した寝室らしき部屋。

 荒廃した部屋の中で、ひときわ大きな瓦礫に腰かけて。

 大量の返り血を被って、全身を真っ赤に染め上げた男が。

 僕は穴から這い上がって答える。

 

「ああ、来たよ」

 

 瓦礫の中で立ち上がり、待ち受けていた男を正面から見据えた。

 

 ワイトピート。

 

 僕の同類。

 

 彼にはどうしても、ここで会っておかなければならなかった。

 

 

 

 天井が崩れて空が露出した部屋だが、差し込む日差しは(かげ)っている。

 もう夕暮れ時だ。

 ふと、冷たい風が吹いた。

 この世界で風が吹くのは珍しい。

 次に吹いた時には、きっとすべてが終わっていることだろう。

 

 運命はここに着地した。

 今や僕らの間には、階下での戦い、そして街の外での戦いも関わりがない。

 

「フフ……最悪のロケーションだがね。こうして二人きりになれただけ良しとしよう」

 

 男に言われたいセリフじゃあないけど同感だ。

 

「ああ。僕もこの時を待ってたよ。お前と出会った日から、ずっとね」

 

 これまで苦労をかけて、周囲のみんなを動かして、自分の思うように誘導してきたのはこの時のため。

 さあ、終わりの時を始めよう。

 

 

 

 

> クラマ 運量:195/10000

> クラマ 心量:97

 



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第91話『クラマ#14 - 死闘』

 天井が崩れて空が開け、瓦礫にまみれた部屋。

 大きめの瓦礫に腰かけていたワイトピートは立ち上がって、僕の到来を歓迎した。

 

「おめでとう! この戦いはきみたちの勝利だ!」

 

 彼は両の手を打ち合わせる。

 ……が、自身の左手首から先がないのに気づいて肩をすくめた。

 それから彼は改めて口上を述べる。

 芝居がかった仕草で、大仰に。

 

「ダンジョン探索を餌に呼び寄せた冒険者! 強制的に召喚した地球人! 彼ら罪なき人々を、法の目の届かぬ地下深くで捕まえ、奴隷に仕立て上げる……このような悪辣な計画を指揮した稀代の大悪党が! ここにこうして成敗されたのであった……!」

 

 そう言って、ワイトピートはヒウゥースの生首をゴロリと床に転がした。

 サーダ自由共和国評議会議長ヒウゥース。

 この街で起きた事件の黒幕。

 彼が一体どのような顔で断末魔を迎えたのかは分からない。

 なぜなら、僕が床に転がった生首に目を向けていないからだ。

 ワイトピートから僕は目を逸らさない。

 

「どうしたのかね? 敵の大将首だよ。こいつを取りに来たのではないのかね?」

 

「そいつはもう必要ない。なんなら逃げられたって、べつによかった」

 

 僕がここに来たのはヒウゥースを捕らえるためじゃない。

 目的は目の前の男、ワイトピート。

 この男に会うために、わざわざ床をぶち抜いてやってきた。

 ワイトピートは僕の言葉に苦笑を返す。

 

「いやはや、つれない男だ。私もここまで相手にされなくて参ったよ。あれだけ冒険者がひしめく中に入り込まれては、さすがの私も手出しできないね」

 

 この男のやりたいことなら予想できる。

 そこから僕は先読みして、彼の行動をすべて潰してきた。

 

「しかし必要もないのに一人でここに来てくれたということは……ふむ。これは……私の誘いを受ける気になったと考えて良いのかな?」

 

 ワイトピートの期待の眼差し。

 僕はそれに答えよう。

 

「……この後、正騎士の盾の通信魔法を使って、ここで行われてた出来事を全世界に暴露する段取りになってる」

 

「ほう……!」

 

 そして提案する。

 

「その場で、このヒウゥースの死体を映して……ラーウェイブの侵略を受けたと報道したらどうなるだろう?」

 

 ワイトピートは嬉しそうな笑顔を見せた。

 

「ん! んんんんっ……悪くない! はは、悪くないな! それはいい! それはひどい裏切りだ!」

 

「楽しそうだろう? 逃げるのが大変だけど」

 

「ううむ、足さえ用意できれば……ああしまった、気球が壊れていなければなあ」

 

 彼はペシッと自分の頭に手を置いた。

 いや、壊れていなければ……って。

 

「え? 壊したの?」

 

「いやははは、違うんだよ。暇潰しに遊んでいたら壊れてしまってね……不良品を置いていたヒウゥースが悪い! こらっ、お前だぞ! 聞いているのか? このこのっ!」

 

 と言って彼は、床に転がった生首の傍にしゃがみ込んで、ゴツゴツと拳骨を打ちつけた。

 

「はは、しかしなんとかなるさ。きみと私の二人なら」

 

「ああ……残念だなあ。本当に(・・・・・・・・・)……本当に、残念だ(・・・・・・・)

 

「………………」

 

 ワイトピートはすっと立ち上がる。

 無邪気で楽しげな空気は、風に流されたように消え去っていた。

 

「……なるほど、心は決まっているようだね」

 

「迷っていたよ。……ついさっきまではね」

 

「そうか……」

 

 彼は嘆息して、物悲しげに空を見上げた。

 

「人にフラれたのは初めての経験だ。悲しいものだな」

 

「……………」

 

「脈はあると思ったんだがね。私の思い違いだったかな」

 

 ……ああ。

 本当のことを言うならば。

 僕はべつに、この男のことが嫌いじゃなかった。

 その堂々とした、うさんくさい語り。

 頼れる実力と存在感。

 好きになってしまいそうだから、反発した。

 嫌悪しようと努力した。

 

 僕は決別するように告げた。

 

「ああ、だから今日はお前を殺しに来た」

 

 この男を放っておくことはできない。

 たとえ今回は諦めて退いたとしても、いずれ必ず、最悪のタイミングを見計らって現れる。

 パーティーの皆のために、こいつはここで息の根を止めておかなければならない。

 

 僕がここに一人で来た理由はそれだ。

 この男は生かしておけないが……しかしあまりにゲリラ戦闘に通じすぎていて、まともにやったら捕まえられない。

 仲間を連れて来ると逃げられてしまう。

 だから一人で戦う必要がある。

 そして、決着をつけるのに都合のいい舞台が用意されている今この時が、この男を倒す唯一のチャンスだったのだ。

 

「ふたつ、疑問がある」

 

 ワイトピートは静かに口を開いて、僕に訊いた。

 

「きみの破滅を求める衝動はいつまでも抑えられるものでもない。それは、きみ自身も分かっているのではないか?」

 

 的確だ。

 この男の言葉は、いつでも僕の胸の内に突き刺さる。

 

「予言しよう。ここで私を消したとて、やがていずれは、きみ自身が私と同じ存在となるだろう」

 

 ああ……。

 そうだな。

 そう思うよ、僕も。

 だけど、それでも僕は――

 

「……僕は地下深くで、おかしな男と遭った」

 

「ほう、それは?」

 

「彼は魔法で体を乗り換えて、普通じゃ考えられないほどの永い時を生きてきた。そいつは僕らによく似ていたよ。自分以外の人間への共感が薄く、非道な行いにも罪悪感がない」

 

 “陽だまりの賢者”ヨールン。

 おそらくあれは、後天的に僕らのような人間に変わっていったものだ。

 僕はワイトピートの返事を待たずに、畳みかけるように言う。

 

「それに、僕の生まれた世界じゃ、この症状にもいくらか研究が進んでる。他者の感情への共感性の欠如……でもこれは、欠如といっても完全にゼロってわけじゃない。明確な線引きはない……健常者との違いなんて、程度の差でしかないんだ」

 

「ふむ……それで?」

 

 思案しているようなワイトピートの様子。

 僕はそれに向かって、まっすぐに告げた。

 

「だから僕も変われるはずだ。いや、変わってみせる」

 

 僕の出した結論。

 決意の言葉。

 これに対してワイトピートは……驚くほどの即答でもって返してきた。

 

「無理だ。人は変わらない」

 

 にべもなく否定される。

 僕はすかさず反論した。

 

「そんなはずはない。これまで僕はこの街で、いろんな人が変わるのを見てきた」

 

 自分の殻に閉じこもるのをやめて、前に進みだした三郎ことニシイーツ。

 親しい人を守るために自分から行動を起こせるようになったメグル。

 他人の価値観も考慮することを始めたディーザ。

 彼らだけじゃない。出会った時からすれば、皆それぞれに変わってきている。

 

 だが、ワイトピートはふるふると首を振った。

 

「では聞くが、きみはほんの少しでも罪悪感を抱いたことがあるのかね?」

 

「………………」

 

 答えられなかった。

 ワイトピートが吐く言葉のナイフは、やはり僕の胸に鋭く刺さる。

 

「人間の本質というものは、そう簡単に変化したりはしない。変わったように見えているのは、元からその人間が持っていた別の側面が顔を覗かせているだけだ」

 

 僕は返す言葉に詰まったまま、ワイトピートの講釈を聞く。

 

「きみが出会った男というのは、どれだけの時間をかけて変わった? きみはそんなに長生きするつもりかね?」

 

「……お前は変わろうとしたのか?」

 

 ようやくの思いで捻り出したこちらの返しに、ワイトピートは自嘲気味な笑みを浮かべて言った。

 

「ふ……この私にも若い頃はあったということさ」

 

 意外だ。

 この男にも自分を変えようとした時期があったなんて。

 ……つまりはこれは、実体験からの忠告ということだ。

 今の僕のように自分を変えようとして、しかし変われなかったものが、目の前にいる男なのだと。

 

「……お前の言うことが、たぶん正しいんだろう」

 

 認める。

 実際、それは確かにそうだ。

 自分を変えたい、変わりたい……なんて。

 そんな簡単に変われるのなら苦労はしない。

 

 でも、たとえそうだとしても。

 

「僕とお前は違う」

 

 僕は強く断言した。

 これにはワイトピートも驚いたように目を剥く。

 

「ほう! 私には出来なかった事が、きみには出来るというのかね?」

 

「僕じゃない。お前と僕とじゃ、環境が違う」

 

「環境?」

 

「ああ。ついさっき、聞いてみたんだ。僕の仲間にね。僕が裏切ったらどうする? ……って」

 

「……それで?」

 

 僕は一拍の後、答えた。

 

「それもいいかも……ってさ」

 

 その言葉にワイトピートの表情が目まぐるしく切り替わる。

 明らかな動揺。

 この男が演技でなく驚いた顔を見せるのは初めて見る。

 以前に僕が倒れ込みながら彼の足首を掴んだ時も、こんな顔をしていたのだろうか。

 しばらくして彼は普段通りの落ち着きを取り戻し……そして慎重に言葉を選ぶように、その口を開いた。

 

「ほう……それは……なんともそれは……………台無しだね」

 

「だろう? 参ったよ。こんなんじゃあ、彼女たちを裏切ったところで何も楽しくないからね」

 

「クッ……くく……ははは……そうか……うむ、そうかそうか。なるほどな……」

 

 ワイトピートの苦笑。

 それはとても苦々しい、本当に苦くて苦しそうな笑みだった。

 

「そうか……仕方があるまい。それでは私はきみを殺して、その首を晒すとしよう。たとえきみたちの計画が成就しようとも、きみが生きて戻れなければ、この街すべての者達にとっては悲劇となるだろう。フフ……悲劇の英雄として語り継がれるかもしれないね?」

 

 言い終えた彼は、どこか吹っ切れた様子だった。

 これで彼が僕を殺す理由も出来たかな?

 とはいえ、だからといって僕は殺されるわけにはいかない。

 死にはしない。

 殺すのが僕。

 死ぬのは奴だ。

 

「ついでに言えば、自分を変える方法にひとつアテもあるしね」

 

「そうか」

 

 素っ気なく返される。

 もはや他の出来事に関心はなさそうだった。

 後は殺し合うだけだと、彼の纏う気配が言っている。

 

「最後に、もうひとつの疑問を尋ねよう。きみは――私に勝てるつもりかね?」

 

「ああ、勝つよ」

 

「ふははッ! よく言った! ならば証明してみたまえ……今、ここで!」

 

 言われるまでもない。

 僕は槍を構えて突撃した!

 

 この男に対して、先手を許してはいけない。

 初動の気配を消す独特の技能。

 また、これまで数えきれないくらいに人を殺してきた経験による、戦術の引き出し。

 そんなものは僕には対応できない。

 なら、採れる対策はひとつ。

 先手必勝だ!

 

「ふっ――はあっ!」

 

 遠慮はしない。

 一撃で殺せる全力の突きを放つ!

 

「ふんっ!」

 

 弾かれる突き。

 ワイトピートが横に薙いだサーベルによって、僕の突きは流された。

 だが、まだだ。

 譲らない。

 

「おおおおおおおっ!!」

 

 弾かれたのを弾き返す!

 それで終わらない。

 すでにジャガーノートでの筋力強化は終えている。

 僕は息をつかずに動いた。

 切り上げ! 払い!

 そして――三段突き!

 

「ぬうおおおっ!? ノッているな今日は!」

 

 疾風怒濤の攻めだが、しかしまだワイトピートには届かない。

 未だ軽口を叩く余裕がある。

 なら――回転を上げろ!

 もっと速く!

 もっと強く!

 

「う、お――おおおおおおおおお!!!」

 

 奔る黒光!

 漆黒の宝槍は縦横無尽に駆け巡り、嵐のように荒れ狂った!

 

「ぐ、ぬ――!?」

 

 ワイトピートの顔から余裕がなくなる。

 まだだ!

 畳みかけろ!

 腕が千切れてもいい。

 止まれば負ける。

 僕の技量で打ち倒せるチャンスは、今、この時だけ。

 全身全霊、全ての力をもって攻め続けろ!

 

「は――あ――あああああああ――!!」

 

 三段突き、五段突き、さらには石突での叩き!

 イエニアとの稽古で培った、今の僕が持つありとあらゆる手段をもって、相手に主導権を譲らず攻め手を継続し続ける!

 

 過剰な筋肉の酷使。

 無理矢理な体捌き。

 肉体は悲鳴をあげている。

 筋肉はぶちぶちと裂ける。

 骨はびきびきと軋みをあげる。

 

 そんなのは知ったことじゃない!

 奔れ!

 回転を上げろ!

 もっと強く! 速く! 奔れ奔れ奔れ奔れ死ぬまで走れ!! 止まらずに走り続けろ!! 奴の息の根を止めるまで絶対に休むんじゃない!!!

 

 ジャガーノートのおかげで痛みは感じない。

 体は動く。

 動かせる。

 動く。のだけれ、ど――

 

「は――は――ッ――く、あ――ああ――――」

 

 苦しい。

 苦しい!

 苦しい苦しい苦しい!!

 なんで魔法で苦しさは消せないんだ!!

 

 この苦しさには覚えがある。

 圧倒的に足りていないのに、むしろ逆に破裂して爆発しそうな苦しさ。

 酸欠だ。

 息が――呼吸がしたい。

 肺……肺が……爆発する……!

 

「あ――くお――――お――――!!」

 

「ぐぅ、ぬぅぅぅぅっ……!」

 

 もはや何度打ち込んだかも分からない。

 黒槍を振るい攻め続ける僕。

 サーベルで捌き続けるワイトピート。

 どちらの肉体がデッドラインを越えるかのマッチレース。

 いつまでも続くはずもない。

 まるで膨らみ続けた風船が臨界を迎えるように。

 前触れもなく、終わりの時は訪れた。

 先に根を上げたのは――

 

「ぬお!?」

 

 半分に折れたワイトピートの剣が宙を舞う。

 やはり。最初に使っていた剣とは違う。適当に調達した予備の剣では、この槍の重さは受け止めきれない。

 敵は武器を失った。

 この機を逃すはずもない。

 僕は最後の一撃を繰り出す!

 

「死ねっ―――!」

 

 ありったけの力を込めた突き刺し!

 いびつな黒い切っ先は、標的の肉を深々と刺し貫く!

 

 ……が、外した。

 貫いたのは相手がブロックするように掲げた左腕。

 これでは致命傷にはならない。

 

「ぐううっ!」

 

「ちいっ……!」

 

 最後の一撃は外した。

 ならどうする?

 もう一度だ!!

 何度でも刺し貫いて殺してやる!

 

「お――おおおおおおっ!!」

 

「くっ、ぬおおおおおぉぉっ!?」

 

 ワイトピートは倒れ込むように地面を転がって躱した。

 しぶとい……!

 いいかげんに死ね!

 

 ザグッ、と再び肉を抉る感触。

 刺し貫いたのは頭部!

 

「う……それ、は――」

 

 違う。

 頭は頭でも、それは――ヒウゥースの頭部。

 こいつ、地面に倒れ込んだのはこれを拾うため……!

 

 そこで僕の目は捉えた。

 槍の刺さったヒウゥースの頭の後ろ。

 にやりとほくそ笑む、ワイトピートの口元を……。

 

 まずい――!

 

 僕は槍を引き戻す。

 だが、もう遅い。

 真正面から忍び寄る歩法。

 死を運ぶステップで、青眼の死神はするりと間合いの内側に滑り込んでくる……!

 

 ワイトピートの手が伸びる。

 避けられない。

 打撃じゃない。組みつき……!

 

 僕の襟首を掴んだ瞬間、ギュルンと回転して僕の背後をとったワイトピート。

 絞め技!

 僕は腕を上げて首を絞められるのを防……いや違う!

 こいつはベギゥフじゃない!

 格闘家じゃない!

 瞬間的に僕の脳裏をかすめたのは、剣を首に突き刺され、ひねり込まれて胴体から首を切り離された大型獣の姿――

 

「う……ぉおあああああああッ!!!」

 

 防がず、跳んだ。

 全力で地を蹴って、背後へ。

 背中にいる男に向けて全力で。

 

「ぬう――ぐぅっ……!?」

 

 ワイトピートは踏ん張りきれず、背後の壁に激突!

 カラン、と金属が落ちる音が響いた。

 一瞬の機転で忍び寄る死を回避することができた。

 しかし後ろから耳元に届いてくるのは、余裕の声。

 

「ふ……やる、ねぇ……だが、それでどうなる?」

 

 ワイトピートは意に介さず、そのまま僕の首に手を回し、締め上げてくる!

 

「ぐ……あ……あ、ぁ、が……っ!」

 

 僕は首に回った腕を引き剥がそうとする。

 だが……だめだ、これは……!

 隙間が……ない。

 抜けられ……まずい、意識、が……………

 

 

 ……意識が薄れる。

 

 ……力が抜ける。

 

 だが、それがどうした?

 動くのをやめる理由にはならないはずだ。

 駄目でもあがけ。

 僕にはできる。

 僕はこれまでもそうしてきたし……これからもそうあり続ける。

 あがいて、あがいて、あがき続ける。

 命の灯が消える、その瞬間が訪れるまで。

 

 

「ぐ、ぬぅぅぅ……っ!?」

 

 その苦悶が微かに耳に届いた。

 ……気付けば首の拘束が緩んでいる。

 僕は残った力を掻き集めて、ワイトピートの拘束を振り切った!

 

「っ、がはっ……! ぜ……ゼヒュっ……ふ、は、はあぁぁぁーーーーーーーっ……!!」

 

 倒れ込んだ僕は、無我夢中で呼吸する。

 とにかく思いきり息を吸って、思いきり吐いた。

 酸素が血流に乗って全身に行き渡る。

 脳を覆った煙が吹き飛ばされて、霞んでいた思考が澄み渡っていく。

 

「はーーーーっ、はぁぁああーーー……はーーーー、はーーーー……」

 

 全力で呼吸を整えながら、僕は横顔を上げて覗き見る。

 ワイトピートは?

 どうしている?

 なぜ何もしてこない?

 

 答えはすぐに分かった。

 ワイトピートは先程の場所から動かず片膝をついて、額いっぱいに脂汗を滲ませ、苦悶の表情を浮かべている。

 その手は、胸のあたりを押さえていた。

 

 理由は分からない。

 分からないが……奴はおそらく、僕がここに来る前から胸にダメージを受けていた。

 暴れた僕の肘か何かが、その上に重なったんだろう。

 

「く、う……ぬぅんっ……!」

 

 それでもワイトピートは立ち上がる。

 まずい。

 こっちはまだ息が整ってない。

 時間を稼がないと……!

 

 僕は近くに落ちていたヒウゥースの頭をワイトピートに投げつけた!

 

「ふんっ!」

 

 裏拳で叩き落とされた。

 まだだ。どんどん投げつけろ!

 

「そらっ! くらえ!」

 

「むおっ!? くっ……!」

 

 瓦礫、食器、壊れた金具……。

 手近にあるものを手当たり次第に投げつける!

 

 古来より、投擲というものは戦場において最も戦果を挙げてきた攻撃手段だった。

 質量がそのまま威力に変わるために、防ぎにくい。

 戦場では避ける場所もない。

 そして今、ワイトピートは起き上がるのにも苦労してる状態。回避はできない。

 

 投げる! 投げる! 投げる!

 僕の狙い通り、ワイトピートはその場に釘付けになる。

 腕を上げて防いでいるが、その腕にもダメージは蓄積していく。

 ……が、手元に投げられるものが尽きてしまった。

 

 ワイトピートはその隙をついてきた!

 

「おおおおおおおっ!」

 

 駆けてくる!

 一直線に!

 もう走れるのか!?

 

 どうする?

 相手の走る速度は遅い。

 迎え撃つか?

 ……いや!

 

 僕は下がった。

 下がりながら場所を移して、投擲を継続!

 ワイトピートの手を逃れた僕は、その辺にある調度品を掴み取って、投げつけ続ける!

 

 間違ってないはずだ。

 こいつに攻撃の機会を与えるという選択は有り得ない!

 それに向こうは左腕を槍で貫かれてる。

 投擲を防ぐのにも右手しか使っていない。

 応急処置をしなければ、奴の腕からは血は流れ続ける。

 つまり今、この状況では、時間をかけるほどにこちらが有利になる――!

 

 僕はそのまましばらくの間、ワイトピートから距離を取りながら投擲を続け……

 

「……?」

 

 なんだ?

 おかしい。

 なにか……おかしいぞ。

 

 僕は違和感の正体を探る。

 目を凝らしてワイトピートを見る。

 これは……いや……いや、まさか……。

 

 僕は投擲を止めて、口を開いた。

 

「血が……止まってるのか?」

 

 にやりと、ワイトピートは口元を歪ませた。

 

 こいつ――!

 

「ははは、バレてしまったかね。そう、こうして脇を締めて力を込めると……血管を閉じる事が出来るのだよ。なかなかコツが要るがね。隠れて止血剤をつけていたのも、気付かなかったようだね?」

 

 そう言ってワイトピートは、両手を広げて肩をすくめてみせた。

 し、しまった……!

 気付くのが遅れた理由は明白。

 床、そしてワイトピートの服が最初から血まみれだったからだ。

 おそらくヒウゥースのものであろう血痕。

 元から真っ赤に染まっていたから、腕から血が滴り落ちてない事に気がつけなかった。

 

 まずいぞ。

 回復する時間を与えてしまった……!

 

 ワイトピートは半身になって構える。

 

「フフ……さあ、ここからは楽しい時間の始まりだ」

 

 ――来る!

 と思った瞬間、すでに目の前まで踏み込んできていた。

 拳が視界いっぱいに広がる!

 激しい衝撃!

 突き出された拳に顔面を打ち抜かれた。

 

「くっ、ぁ……おぐっ!」

 

 続いて腹部に衝撃!

 強烈な膝蹴り!

 だ、駄目だ……見えない。

 こいつの攻撃は反応できない。

 なら無理にでも行くしかない……!

 

「ふ――」

 

 まず裏拳で距離を離す!

 当然これはスウェーで躱される。

 

「はああっ!」

 

 ……からの後ろ回し蹴り!

 上体がのけぞっている今、これを躱すことは――

 

 だが、躱された。

 あまつさえ、避ける動作と同時に、カウンターの蹴り上げが飛んでくる!

 

「が……!」

 

 意識が飛ぶのだけは、かろうじて押し留めた。

 しかしそれで終わらない。

 烈火のごとき怒涛の連撃が襲い来る!

 僕は両手のガードを上げて、亀のようになって耐える……!

 

「く……ぁ……っ……!」

 

 つ……強い。

 休みのない連打なのに、どの一撃も重く、体の芯に響いてくる。

 それでいて隙も見せない。

 さっきからガードの奥から反撃の機会を窺っているが……こちらの正面を向く瞬間が極端に少ない。

 分かっているからだ。僕が狙うとしたら、奴の痛めた胸部しかないと。

 半身に構えたのもそういうこと。

 そして、さっきから打撃しかしてこないのもそうだ。

 掴まれてグラウンド勝負に引きずり込まれるのを避けている。

 こっちの手が届かない距離で戦い、確実に勝つ算段だ。

 おかげで僕は未だに立っていられるが……このままでは、じわじわとなぶり殺しにされてしまう。

 

 ……実は反撃のチャンスは、すでに見つけている。

 向こうは左腕を使えない。

 だから連携の中で、左手を使うべき所で次の攻撃が遅れる。

 

 じゃあ、その一瞬の隙をついて攻めに転じる?

 ……いや、そんな事は向こうも分かってる。

 おそらく……そこに踏み込んだ時が、僕が死ぬ時だ。

 動ける瞬間に僕がするべきこと。

 それは……

 

「……?」

 

 ぴたりと。

 不意にワイトピートの攻撃が止んだ。

 ……なんだ?

 打ち疲れたのか?

 

 見ると、ワイトピートはこちらと間合いを外して、正面からこちらを見て立っている。

 奴は余裕の笑みを浮かべて言った。

 

「いやはや、大した反応だ。どうやらこちらの初動は見えていないようだが……すべてポイントをずらして、直撃を避けている。あの時、私の突きを金属片で受け止めたのも……まぐれではなかったわけだ」

 

 たしかに、攻撃を受ける直前だが、向こうの攻撃は見えている。

 それにジャガーノートの筋力強化が合わさって、ぎりぎりで反応できていた。

 

「それだけ見えているのなら……当然、私の隙も見えているだろう。それでも反撃して来ないのは……」

 

 そう言って、奴は悠々と部屋の中を歩いていく。

 こいつ……まさか……!

 

「フッ……きみの狙いは、これだね?」

 

 ワイトピートが拾い上げたもの。

 それは――ティアの黒槍。

 気付かれた……いや。

 見られたのだ。こちらの目の動きを。

 

 ワイトピートは手にしたそれを振りかぶり……

 

「ふんっ!」

 

 大きく外へ放り投げた!

 黒槍は壁を飛び越え、崩れた天井から敷地の庭へと消えていった。

 

 ――今だ。

 今しかない。

 

「むっ……!?」

 

 僕は駆けた!

 奴が槍を放り投げた隙に、一直線に……

 

 

 出口へと。

 

 

「なにッ!? まさか逃げるつもりかね!?」

 

 背後から聞こえてくる驚きの声。

 僕はそれを振り切ってひた走る!

 ワイトピートを倒せるチャンスは失われた。

 ならばもう、こうするしかない。

 

 部屋を出て通路へ。

 人の姿は見えない。

 遠くから人々の争う喧噪が聞こえる。

 ――そして、後ろの方からは死神の足音も。

 

「ははははははッ!! きみは本当に笑わせてくれる! よォし、追いかけっこだッ!!」

 

 走りながら後ろを見る。

 ……速い!

 これじゃすぐに追いつかれる!

 

「そんなに遅いのでは、すぐに追いついてしまうぞォ~!? 頑張りたまえよ、我が友よ!」

 

「うるさい! 友達じゃない!」

 

 僕は腰から銀の鞭を抜いて、走りながら後ろに向けて振るう!

 ……が、それは難なくキャッチされてしまった。

 

「んん~? これは私へのプレゼントかな?」

 

「くっ……!」

 

 銀の鞭を手放し、走る!

 全速力で走る。が……

 

 曲がり角まであと数歩というところ。

 一瞬だけ背後に目を向けた僕の視界に広がったのは――宙を舞う男、その靴の裏。

 飛び蹴り――!

 

「ぐあっ!!」

 

 避けることもできずに、僕は強烈な跳び蹴りを受けて吹き飛ばされた!

 吹っ飛び、壁に叩きつけられる!

 

「あ……が、ぁっ……!」

 

 全身がバラバラになったような激痛。

 僕はのたうち回りたい気持ちを押さえて、必死に立ち上がろうとする。

 そこにワイトピートの声が届いた。

 

「――ふむ。ひとつ尋ねるが」

 

 なんだ。

 こんな時に。

 僕は痛みで返事もできない。

 

「きみは、身体強化の魔法が切れているね?」

 

「―――――――――」

 

 気付かれた……か。

 この……土壇場で………。

 

「フフ、それは分かるさ。走るスピードが遅すぎたからね。……ああ、苦しいだろうから答えずともいいよ。魔法で抑えていた痛みも、戻ってきたのだろう?」

 

 くそ。

 ああ、ご明察だ。

 無理に酷使した上、全身を強く打ちつけられて、もはや僕の体は全身痛覚発生装置になってる。

 あまりの痛みに今にもゲロ吐きそうなくらいだ。

 

「はーーーーーーー、はーーーーーーーー……はぁぁぁぁーーっ……!」

 

 それでも立ち上がる。

 立ち上がらないと。

 痛みは無視する。無視しよう。

 できる。

 僕ならできる。絶対に。

 

 

 

 

 

 ここが最後だ。

 

 最後の最後の終着点。

 

 動けないなんて泣き言をいうな。

 

 帰ったらレイフの胸に抱きついて甘えよう。

 

 パフィーに添い寝と看病をしてもらうんだ。

 

 無事に帰ればイエニアもお風呂で洗いっこしてくれるはず。

 

 ……だから動いてくれよ? 僕の体。

 

 

 

 

 

「オクシオ・イテナウィウェ……」

 

 呟いた。

 ぼそりと小さく、ジャガーノートの詠唱を。

 

 ――ここだ!

 

 僕はありったけの力を大腿筋に注いで、思いきり前に踏み出した!

 顔を上げれば、目の前には驚愕に目を見開いたワイトピートの顔があった。

 

 そう、僕には奴の攻撃が来る時が分からない。

 ならどうするか?

 答えは先手を取る。あるいは――

 絶対に向こうが攻撃をしてくる時を作り出す。

 

 そして決まった。

 完全に虚を突くタイミング。

 奴は僕の詠唱を聞いて向かってきた。

 そこを狙い撃った、誘い込みのカウンター!

 

「くらえっ――!!」

 

 ワイトピートの胴体。

 その中心へ向けて、まっすぐに拳を打ち出す!!

 カウンターの直拳は吸い込まれるように標的へ向かい――

 

 

「取った。と、思ったのかね?」

 

 

 耳元に聞こえる、その囁き。

 僕の放った拳は……届いていなかった。

 肘のあたりを掴まれ、止められている。

 

「悪くはない。悪くはなかったが……それをやってきた者は、過去に何人もいたよ」

 

 優しい声色が響く。

 そして同じように優しい手つきで。

 ごきり、と。

 僕の腕が折り曲げられた。

 

「あ――が、ぁぁああっ……!!」

 

 激痛。

 悲鳴。

 その結果。

 自分の手で作り出した結末に、男は満面の笑みを浮かべる。

 

 

 だが、その顔が凍りつく。

 

 

「――なに?」

 

 僕の、もうひとつの手が彼の襟首を掴んでいる。

 折られている間も痛みを無視して歩を進め、体は密着している。

 押し当てた膝が、相手の胸に触れている。

 

 まずは膝を押し込んだ。

 

「ぐむっ……!?」

 

 痛みを受けて、相手の体は頭を下げて丸まったように硬直する。

 ……ここだ。

 僕は回転し、巻き込むように相手を背負い込む――!

 

 ……合気道や古武道では「当身7分に投げ3分」という言葉がある。

 投げを決めるために最も重要な事は、相手の重心を崩す事。

 そして崩しの基本というのは、当て身――すなわち打撃である。

 打撃からの投げは柔道の世界では禁止されているが……そんなことは知ったこっちゃない!

 

「おおおおおおおおっ!!」

 

「ぬおおおおおおおおおおお!!?」

 

 完璧な一本背負いが決まる!

 ワイトピートの足は地面を離れ、その体は宙に浮き、飛び、そして……窓の外へ。

 窓にガラスは張られていない。

 ワイトピートはそのまま窓の外へと落ちていき――

 

「……え?」

 

 思わず呆けた声が出た。

 窓枠から飛び出たワイトピート。

 その手。

 手が……僕の襟首を掴んでいる。

 

「っ、お、あ、っああ……!?」

 

 もはや体のどこにも力が入らない。

 僕の体はそのまま、ワイトピートと一緒に窓の外へと引きずり出された。

 

 

 

 

 

 …………………………。

 

「ふー……ふぅ…………はは、まさかこんなことになるとはね……」

 

 僕らふたりは窓の外。

 ワイトピートは右手の指二本を窓枠に引っ掛けてぶら下がり……僕はというと、そのワイトピートの背中にしがみついていた。

 ふたりとも片腕が使えない。

 そしてここは三階。

 三階だが……普通の家屋と違って、ヒウゥース邸は城のように大きい。

 普通の建物なら五階から六階程度の高さはある。

 

「ふふ……こうなってしまえば仕方あるまい。戻るまで一時休戦、と……ま、待て待て待て! 何をしているのかね……!?」

 

 おまえの首を絞めている。

 ……でも駄目だ。

 片腕じゃあ、しっかり圧迫できない。

 

 だから唱えた。

 

「オクシオ・イテナウィウェ……ドゥペハ・イバウォヒウー・ペヴネ・ネウシ・オーバウェフー・トワナフ――ジャガーノート」

 

 

> クラマ 心量:97 → 72(-25)

 

 

 心筋収縮力上昇。

 血流増大。

 気道拡張。

 運動機能向上。

 筋肉のリミッター解除。

 

 力が漲る。

 体が燃える。

 

 強化された筋力をもって、僕はワイトピートの首を力の限り締め上げる!

 

「ぐ、正気かっ……!? 私はまだしも、きみはこの高さでは助かるまい……!」

 

「どうかな……試して……みようかぁ……!」

 

「く、お、ぉぉぉおおおっ……!」

 

 確かにワイトピートなら、うまく着地すれば死にはしないだろう。

 なら、うまく着地できなくしてやればいい……!

 僕は残る力のすべてを右腕に集める!

 ワイトピートの顔に血が溜まり、みるみる赤くなっていく。

 

「ぐぅぅぅぅぅお……!」

 

 そのとき、右足に痛みが走った。

 目を向ける。

 そこでは、ワイトピートの靴の踵から刃物が飛び出していた。

 ザク、ザクッと、何度も何度も僕の足に刃を突き刺してくる!

 ジャガーノートに陳情句は入れていない。

 痛みは緩和されていない。

 刺されるたびに、鋭い痛みが走り抜ける……!

 

 ……それがどうした!

 そんなもんで緩めるわけがあるかっ!!

 

「う、お、おおおおおおおおおっ!!」

 

「ぐううううぅぅぅぅぅっ……!!」

 

 力を込めて絞める!

 さらに強く!

 もっと……もっと強く!

 

「落ちろ……死ねっ……!!」

 

「く、が――――ぁ―――――か―――――」

 

 そうして、ついに。

 ワイトピートの手が窓枠を離れた。

 

 

 落下する。

 二人そろって。

 全身に感じる風圧。

 心地いい。

 飛び降りがこんなに気持ちいいものだったなんて。

 

 ……でも今はそんなに浸ってる時間はない。

 最後の博打。

 ここから先は運次第。

 さあ、唱えよう。

 

「エグゼ・ディケ。庭の植木に引っかかりますように――」

 

 

> クラマ 運量:201 → 0/10000(-201)

 

 

 このあたりに木が植わってたのは分かってる。

 上手くいくかどうかは……五分五分かな。

 

 これで僕のやるべき事は終わり。

 後は……そう。

 体に受ける、この風の心地良さに身を任せよう――

 



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第92話 - 終わりの挿話

『はい! 世界主要都市6ヵ国にお住まいの皆さん、こんばんは! 私はラーウェイブ王国第二百八十三号正騎士、エイトと申します! どうぞお見知り置きを!』

 

 クラマ達のいるサーダ自由共和国から遠く離れた、魔導帝国イウシ・テノーネ。

 その首都テノーネの中心にある大通り。

 すでに日は暮れているというのに、この大通りでは大勢の人並でごった返している。

 世界で最も人口密度が高く、最も栄えて、たとえ夜になろうと通りに人の姿が絶えることがない。

 そんな世界一の大通りの中心――

 真っ白な壁に大きく、変装を解いたイエニアの顔が映し出されていた。

 

 突然始まったゲリラ放送に、道行く人達がどよめく。

 

『皆さん仕事帰りでお疲れのところ失礼します! 今日はですね! なんと! サーダ自由共和国……通称“中立国”が国ぐるみで行っていた、許されざる犯罪を! ここに暴露しようと思います!! ……なお、この放送はラーウェイブ王国伝来の魔法具、正騎士の盾によって行われています。あしからず!』

 

 その正騎士の盾を持つ者は、四階建て建築の屋上にいた。

 映像を発信できる正騎士の盾。それにティアが製造指示した拡大器、および拡声器を取り付け、壁に向かって映し出している。

 

 騎士の名はヴィーツピエ。

 第二百八十号正騎士にして、その二つ名は“奔馬の騎士”。

 

「ははっ、生き生きしてるねぇー、エイトくん。いやー久しぶりに見たなぁ」

 

 痩身だが野性味の溢れる騎士は、緑色の長髪をなびかせて、淡いパープルの瞳で眼下の騒ぎと映像を見下ろした。

 

 

 

 

 

 ――場所は変わって神聖皇国ワイヤール。

 四大国の一つとして数えられるこの国では、品行方正を旨とする、敬虔な神の信徒が数多く暮らしている。

 そんな人々が祈りを捧げるべき礼拝堂。

 その壁面に大きく、拡大された映像が映し出されていた。

 

『ここ中立国では国際法で禁止されている地球人の召喚が行われていました! 皆さんおかしいと思いませんでしたか? なぜこの国だけ許されるのか? その秘密は、なんと! 評議会議長ヒウゥース氏と、四大国首脳との裏取引であったのです!!』

 

 礼拝堂にどよめきが広がる。

 誰もが皆、信じられない……信じたくないといった表情だった。

 

 その様子を礼拝堂の上部、突き出した装飾に腰かけて見下ろす騎士がいた。

 第二百七十八号正騎士“友誼の騎士”こと、ユド・スダセ=ハイネトゥーラ。

 肩口までのオレンジ色の髪に黄色の瞳をした、まるで女性のように線が細く、見目麗しい美男子だった。

 

「信じたくはないでしょうね……彼らはただ信心深く、日々を健やかに過ごしているだけの善良なる人々……。だからこそ、その信を欺いた為政者の罪は大きい……」

 

 騎士ハイネトゥーラは、下から届いてくる罵声など聞こえていないかのように、憂いを帯びた瞳で、悲しげに首を振ったのだった。

 

 

 

 

 

 竜王国ヴァイダスを訪れたのは、第二百七十六号正騎士“頑冥の騎士”ワイプ・スダセ=ポルフ。

 ごく短い赤髪に橙色の目をした男は、その渾名の通りに寡黙。巌のような剣士であった。

 

『にわかには信じられないでしょう! しかし我々は動かぬ証拠を取り揃えております! それらは後日、魔法使い相互扶助組合をはじめとした各種国際機関へ提出しますので、詳細は今しばらくお待ちください! 今日はその前に……この地で行われていた非道の数々、その一部を、皆さんにお伝えしようと思います!』

 

 ポルフが持ち込んだ映像配信は、なんと地方都市の大劇場にて、鑑賞会として上映されていた。

 大劇場は満席。大勢の人々が映し出された映像を注視している。

 観客と同様に映像を見つめるポルフ。そこに声をかけるのは、この都市の領主。

 

「彼女が新しい正騎士ですか。若くて、快活で、華がある。ラーウェイブは安泰ですな。そう……年老いて腐敗の進む、このヴァイダスと比べて遥かにね」

 

 彼は竜王国ヴァイダスで三指に入る有力者。

 そして憂国者でもある。

 このヴァイダスも四大国のひとつであり、ヒウゥースの企てに加わっていた国だ。

 しかし彼はその現状に憤っていた。

 他の大国と結託して私腹を肥やす国家の重鎮たちを放っておいては、この国のためにならない。

 彼は腐りきった今の政府首脳を追い落とすため、密かに革命を計画している。

 

 正騎士ポルフはその寡黙な性格に反して、貴族らしく権謀術数に長けていた。

 彼は独自に持つ諜報機関によって、この領主に渡りをつけて接触し、こうして互いの利害を一致させて協力関係を結んだのだった。

 

「………………」

 

 ポルフはわずかに目を伏せ頭を下げる。

 一言も喋らず、仲間が送る映像配信を見守った。

 

 

 

 

 

『この街ではなんと! 驚くべきことに! ダンジョン内で捕まえた冒険者と地球人を、奴隷として売り払っていたのです! そう! この地で行われていたダンジョン探索支援政策とは……冒険者を集めるための撒き餌! そして地球人を召喚するための建前であったのです!!』

 

 古代公国イソバフィ。

 ここもまた四大国のひとつであり……現存する国々の中で、最も歴史の古い国家である。

 イソバフィはディーザの故郷でもあり、最も政治的な腐敗が進んでいる国家とも言われている。

 

「動くな! 内乱扇動罪、騒乱罪、不法入国、並びに……えーと……公共……あ、公共物占拠罪によって貴様を逮捕する!」

 

 長々と罪状を並べたてて、騎士の周囲をぐるりと囲む憲兵たち。

 騎士は紫色の目と髪の色をした、凛々しく精悍な偉丈夫だった。

 その騎士は大勢の兵に取り囲まれても微動だにせず、ただ静かに口を開いた。

 

「そんなところで立っていないで、座って見るといい。君たちも国に忠誠を誓う戦士であるならば、己が主の罪から目を逸らしてはならない」

 

 第二百七十七号正騎士アウォール・スダセ=ウィーツワナー。

 “極光の騎士”の異名をとり、精鋭揃いの正騎士の中にあって、彼こそが王国最強との呼び声が高い。

 しかしこの国の憲兵にとっては関わりのないこと。

 

「知ったことか! 従わないなら強制連行だ!」

 

 取り囲んだ兵は騎士の言葉を無視して、一斉に襲いかかる!

 その時、光が走った。

 憲兵たちには何が起きたのか分からない。

 そこには手にした武器のことごとくを断ち切られた兵士達と、剣を抜いて立つ騎士があるのみだった。

 

 呆気にとられる兵士たち。

 騎士はそれまでとは一転して、迸る闘気を露わにして言い放つ!

 

「ならば証明しろ!! 己が魂の正しさを! さあ来るがいい……裁定は我が剣にて執り行う」

 

 その圧倒的な技量、威風を目の当たりにした兵士たちは、誰もがその場で釘付けとなり、体を動かせる者は存在しなかった。

 

 

 

 

 

 騎士王国ラーウェイブから見て、帝国とは反対側にあるユダス王国。

 ここには第二百七十三号正騎士“怪腕の騎士”アビィッド・トラセフ=ディクソスが訪れていた。

 黄色の髪と瞳を持つ初老の騎士は、隣国の王とにこやかに会談していた。

 

「――ということで、帝国の侵攻に対する備えは万端です。ユダス王国にご迷惑をかける事はございませんので、ご安心頂ければと」

 

「本当だな? ……まあ良い。その方らとは長年の同盟国であるゆえな。うむ。儂らの力が必要であれば何でも言ってみるがいい」

 

「おお! これは心強いお言葉! お心遣い、痛み入ります。しかしながら今の時点では、陛下のお手を煩わせる事は何も。民草への放映をお許し頂けただけで充分にございます」

 

 うやうやしく頭を下げる老騎士。

 だが、彼はこの隣国の王を毛の先ほども信用していない。

 ユダス王国は歴史的にラーウェイブを帝国への防波堤として利用し続けてきた。

 いざとなれば背後からラーウェイブを襲い、帝国へ差し出す腹づもりであるのは分かりきっていた。

 老騎士がここに派遣されたのは、ユダス王への牽制、そして暴露放送によるユダス王国民への世論操作であった。

 もし帝国と戦争になった時に背後から刺されないよう、今から対策はしておかなければならない。

 

 遠く、宮殿前の王立公園から、女騎士の声が王と老騎士の耳へと届いてくる。

 

『――さあ! やってきました屋敷の奥深くの研究施設! どうしても従わない冒険者は、ここで違法薬物や魔法の人体実験に使われていた模様です! ご覧ください、壁に染みついた血の染み……悲痛な呻き声が聞こえているでしょうか……?』

 

 

 

 

 

 映像の中のイエニアは、石畳の地下室を進んでいく。

 

『長らくお付き合い頂きありがとうございます! ここが最後です! 見てください、この拷問具の……うわ……拷問具の数々! あっ、まだ人が残ってるみたいですね! そこの人、大丈夫ですかー!?』

 

 イエニアと撮影者は鉄格子の奥にいる人影に向かう。

 こちらに背を向けた地球人の男。

 映像はだんだん男の傍に近付いていき……

 

『ここに囚われていた人ですか? 助けに来ましたよ、もう大丈夫で――』

 

『ぅおれの目玉ぁぁぁぁぁああああああ!!!』

 

『わひゃあっ!?』

 

 突如、映像には両目を潰された男の顔がアップで映し出された!

 

『おれの目玉かえせ!! かえせよよぉぉぉぉぉ!!』

 

『うわっ、わっ……ちょっとこれホント怖すぎなんですけ――』

 

 ぷつ、と。

 そこで映像は終了した。

 

 それを最後まで見ていた男は声をあげた。

 

「……茶番だ!!!」

 

 低く、しかしよく通る声が地下空洞に反響する。

 ここは地下王国アイディーニ。

 地下大空洞を拠点とする、地上からは謎に包まれた王国だ。

 先ほど声を荒げたのはその国王、ヴァエレイ七世である。

 

「デライバ!! 貴様ともあろう者が、かような茶番をこの朕へ見せに来たというのか!!」

 

 ヴァエレイ七世の尋常ではない声量に、大気は震え、上からぱらぱらと石の欠片が降ってくる。

 その声量は、王の姿を見れば頷けるものだった。

 おそらく普通の人間の3倍ほどはあろうかという巨躯。

 肌の色はぽっかりと穴が開いたかのような虚無の黒。

 そして顔の右半分には、いくつもの棒状の器官が突き出し、不気味に蠢いていた。

 

 およそ人間とは思えぬ奇怪な巨人。

 しかしそんなヴァエレイ七世を前にして、その騎士は臆することなく自然体で佇んでいた。

 

 第二百七十九号正騎士“遊走の騎士”アウォール=デライバ。

 橙目、橙髪の青年騎士は、まだ年若いが、妙に老成した雰囲気をその身に纏わせている。

 

 デライバは軽くもなく重くもない口調で言う。

 

「……それで、先ほどの内容は地下王国民に報せてよろしいので?」

 

「良い! 許す!!」

 

 ヴァエレイ七世は難癖をつけていたのが嘘のように即答した。

 騎士デライバは頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「つまらん内容だったが、我が友たっての頼みとあっては聞き入れんわけにもいくまい!! 貴様が盾を持つ姿など、二度と見られんかもしれんからな! 映像はつまらんが、そこだけは面白い!!」

 

 ヴァエレイ七世の言う通り、デライバは正騎士の盾を手にしている。

 盾で投影した映像をヴァエレイ七世に見せていたのだが……彼は正騎士の中で唯一、国王から賜る正騎士の盾を持ち歩くことのない騎士だった。

 騎士の規則に反しても除籍されることのない、ティアと並ぶもうひとりの例外。

 それが“遊走の騎士”デライバである。

 

「それでは配布用の石板にしたためて来ます」

 

「待てぃ!! 貴様ッ、そんなことは他の者にやらせろ!! 朕を退屈させようという謀であるなら、その罪、我が友といえど裁かねばならん!!」

 

 デライバは溜め息を吐いて王へと振り返った。

 

「やれやれ、仕様がない人だ。それでは相手をして差し上げましょう」

 

 そう言ってデライバは正騎士の盾を投げ捨てた。

 

 

 

 

 

----------------------------------------

 

 ラーウェイブ王国騎士団はアギーバの街に入った後、街の憲兵と連携して事態の収拾に務めた。

 その騎士団を率いてきた国王パウィダ・ヴォウ=ウェイチェ。

 彼がひととおりの指示を終えて、わずかに時間の空きが出来た時だった。

 

 深夜の街角。

 真っ暗な道の先、枯れた老木の下に、ウェイチェ王はひとつの人影を見つけた。

 

「まさか……!」

 

 ウェイチェ王は駆けた。

 木の下の人物のもとへ。

 果たしてそこにいたのは……

 

「先生! やはり……ヨールン先生!」

 

 地下にいたはずの“陽だまりの賢者”ヨールンであった。

 

「ふむ。魔法で認識を誤魔化していたが……気付かれるとはな。おぬしと最後に会った時とは肉体も違っておるはずじゃが」

 

「分かりますとも。あなたの纏う気は独特だ」

 

「そんなもんが分かるのはお前だけじゃ。……なればこその至妙の技か。儂が教えた一の太刀、ものにしたようじゃな」

 

「ご覧になっていたのですか。いや、先生に比べたらまだまだです。そうだ! 先生さえ良ければまた稽古を」

 

「阿呆! こんな細い体では剣など振れんわい」

 

「ですよね! ははは」

 

「まったく、おぬしは(わらべ)の頃から変わらんの……」

 

 子供のように笑うウェイチェ王。

 やれやれと嘆息するヨールンも、その表情は柔らかい。

 その緩んだ表情を若干引き締めて言う。

 

「さて、儂を見つけたからには助言をくれてやろうかの」

 

「懐かしいですね、それ」

 

「儂を二度も見つけたのもおぬしだけじゃ。それはともかく、(いくさ)の準備は怠るでないぞ」

 

「なりますか、戦に」

 

 ヨールンは重々しく頷く。

 

「うむ。だが留意すべきは背後ではない。おぬしの喉元に切っ先を突きつけるのは、おぬし自身の懐刀が一つであろう」

 

 それは助言というよりは予言であった。

 帝国と戦争になるにあたって、後ろにあるユダス王国の裏切りよりも、自分の懐刀――すなわち正騎士の誰かが破滅の引き金となると。

 

「……それなら構いません。ラーウェイブの滅びが正騎士によるものなら、避ける理由はない」

 

 それも良し、と。王は言い切った。

 しかしヨールンは不満顔だ。

 

「覚悟の出来ておる者ほど助言のし甲斐のない者はおらんな……なら特別にもうひとつ。戦に勝ちたいのなら、この地にいる地球人をうまく使うといい」

 

「なるほど……覚えておきましょう。ご忠告ありがとうございます」

 

 頭を下げるウェイチェ王。

 言うだけは言ったといった感じに、ヨールンは歩きだした。

 

「これから、どこへ?」

 

 ウェイチェ王の問いに、賢者は肩越しに振り向いて答える。

 

「回天の歯車は動き出した。心せよ、儂は千年の悲願を果たす」

 

 そうして賢者は夜の闇に消えた。

 王には賢者の言葉は把握できなかったが、王は街を取り巻くざわついた空気から、大きな運命が動き出す気配を感じていた。

 

 

----------------------------------------

 

「え? マジで治せんの俺の目? 魔法で? まーじかーーー! 魔法ありがとーーーー!! ……え? 時間かかる? 施設が必要? あぁ……そっか……」

 

 両目を失った地球人の少年を、パフィーが手を引いて地下から地上へと連れていった。

 

 ……それから。

 ここ、ヒウゥース邸の地下に残ったのは、ひとりの男と女。

 ヤイドゥークと、イエニアだった。

 両手足を拘束されて床に転がっているヤイドゥークに、イエニアは声をかける。

 

「本当にいいのですか? あなたが証言台に立つことは、おそらく終身刑を受け入れる事と同義かと思いますが……」

 

「負けちまったからしゃーない。それくらいの事はやらかしてっからなー」

 

 ヤイドゥークはイエニアの方は向かずに、ごろんと横になる。

 それをイエニアは複雑な表情で見つめた。

 

 ヤイドゥークが自分達の敗北を確信した後。

 彼はすべての部下に、逃走の指示を出した。

 ヒウゥースはすでに気球で逃げた、ここに自分達が留まる理由はない……と説明して。

 逃走の指示が早かったおかげで、捕らえられたヒウゥースの配下は少ない。

 

 その場から立ち去ろうとしないイエニアに、ヤイドゥークは荒っぽい言葉を投げかける。

 

「なんだなんだぁ? まだ何かあんのか? こっちは惨敗して凹んでんだから、放っといてくれねーかなぁー?」

 

「いえ……少し不可解なもので。貴方なら逃げ出す事はできたのではないですか?」

 

「…………色々あんのよ、こっちにも。それともなにか? 俺も一緒に逃げてった方が良かった?」

 

「いえ、ヒウゥースの腹心である貴方が証言してくれるのなら助かります。それなら、交渉次第で帝国との戦争も回避できるでしょうから。……では、私は事後処理があるので失礼します」

 

「へ~いへい」

 

「後で他の者をよこしますから、しばらくそのままで辛抱してください。何か要望があれば聞きますが」

 

「別に……あぁいや……」

 

 そこで突然、ヤイドゥークは口ごもる。

 イエニアは怪訝な顔で尋ねた。

 

「何ですか?」

 

「そうさな……ひとつ、伝言だけ」

 

「ええ、構いませんよ」

 

 呟くように、躊躇いがちな声で、ヤイドゥークは言った。

 

「ここで拷問を受けてた娘に……悪かった……と」

 

 それを聞いてイエニアは眉をひそめる。

 ……が、頷いて了承した。

 

「分かりました。たしかに伝えます。……それでは、これで」

 

 そう言ってイエニアも地上へ戻っていった。

 暗く、湿った地下室に残されたのはヤイドゥークひとり。

 石に覆われた空洞に、ヤイドゥークの溜め息が響いた。

 

「ハァ~……。ったく、ガラじゃないよねぇ、こんなの」

 

 先ほどの伝言もそうだし、ここで捕まっている事もそうだ。

 彼のガラではない。

 

 ただ、オルティの顔をあそこまでするつもりは、本当はなかったのだ。

 ……しかしこの拷問室の存在意義は、捕らえた者を拷問にかけるだけではない。かつて拷問によって心を折られてヒウゥースの配下に加わった丙組への、精神安定剤でもあったのだ。

 不安定な精神を慰めるための、加虐。

 拷問を受けた者が次の拷問官となる負の連鎖。

 歯止めを失ってやり過ぎる事はままある。

 今回はそれに加えて、ヤイドゥークの失策があった。

 オルティが恐怖に弱いことは初見で見抜いていた。

 だから両目を潰された仲間の姿を見れば、わざわざ拷問するまでもなく心が折れるだろうと思ったのだ。

 だが、結果は逆効果。

 悲惨な仲間の姿に己の責任を感じたオルティは、逆に不屈の反骨心を手に入れてしまった。

 そのせいで、折れない彼女に対してやりすぎてしまった。

 

 そしてガラではない事がもうひとつ。

 ヤイドゥークは一人この場に残り、抵抗することなく捕まった。

 何故か?

 それは責任を取るためだ。

 ここで彼が逃げ出してしまえば、終わりのない残党狩りが始まるのは明白だ。

 事件の全容を明らかにするため。

 また、この国の議員達にとっては、誰かに責任を被せるために。

 

 ヒウゥースの右腕であるヤイドゥークがいれば、当局が手を尽くして有象無象を捕まえる必要などない。

 つまり仲間を守るために、ヤイドゥークは自分を売ったのだ。

 

「へぁ~あ……どうしてこんな事になっちまったかねぇ」

 

 こうなった原因は何処か。

 ガーブを派遣したにもかかわらずクラマ=ヒロを仕留められなかった時か?

 それともヒウゥースが嬉しそうに提案した地球人召喚計画を、右から左に流してスルーした時か。

 あるいは……

 

 ――おぬしが魔法使いとして、その才を振るう時――その身に避けられぬ滅びが訪れるであろう。

 

「……は」

 

 ヤイドゥークは苦笑した。

 

「ま、しゃーないか。ヒウゥースのオッサンには、ずいぶんいい目を見させてもらったしな」

 

 考えるのをやめて寝るかと、拘束されて不自由なまま、ごろんと転がって体の向きを変える。

 その時だった。

 耳に届いた足音。

 ヤイドゥークが目を向けると、そこにいたのは――

 

「……コイニー!? お前、なんでここに……」

 

 驚くヤイドゥークの前で、彼女は口を開いた。

 

「これでは彼女好みの展開ではありませんか……なぜ私がこんな……規則とはいえ……しかしこれはこれで芸術的と言えなくも……」

 

 彼女はヤイドゥークの言葉が届いていないかのように、なにやらぶつぶつと独り言を呟いている。

 

「コイニー? ……じゃねえな。誰だアンタ」

 

 その言葉にようやく彼女はヤイドゥークに目を向ける。

 ヤイドゥークは見た。

 暗闇の中でも、その存在を示すかのように輝く紫色の瞳(・・・・)を。

 

 そして、半月状に歪んだ、その口元を。

 



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第93話『クラマ#15 - エピローグ』

 目覚めて最初に見えたのは、白い天幕だった。

 

 加えて、体に感じる継続的な揺れ。

 テントの中かな? 揺れてるように感じるのは体の不調か……?

 ……などと考えていると、すぐ傍から声が。

 

「あっ! クラマ!」

 

 目を向けるまでもなく分かる。

 聞き慣れた綺麗な声。

 

「パフィー」

 

「よかった! もう二日も寝てたのよ? 心配したんだから!」

 

 僕は折れてない方の腕をゆっくりと上げて、パフィーの頭に手のひらをポンと乗せた。

 

「おはよう、パフィー」

 

 僕がそう言うと、パフィーは満面の笑顔で返してくれた。

 

「うん! おはよう、クラマ!」

 

 

 

 

 

 ――その後、パフィーからこれまでの経緯を聞いた。

 

 ヒウゥースの配下たちは形勢が傾くや否や、一斉に散開して逃走したという。

 それからすぐ街に入ってきたラーウェイブ王国騎士団によって、治安の確保と負傷者の治療、瓦礫の撤去などが行われたらしい。

 

 庭に落ちた僕を最初に見つけたのはイクス。

 倒れた僕の周囲には、いくつもの折れた木の枝と、そして――

 

 

----------------------------------------

 

 倒れたクラマのもとへ駆け寄るイクス。

 その傍には、思わぬ人物がいた。

 

「え……トゥニス……?」

 

 ダンジョン内のごたごたから行方知れずだったトゥニス。

 イクスとオルティの仲間……いや、元仲間であり、パーティーリーダーだった女戦士。

 その彼女が、ワイトピートの体を抱き上げて、そこに立っていた。

 

 イクスはトゥニスの背中に声をかける。

 

「トゥニス! オルティは……オルティは………」

 

 声をかけたはいいが、言葉に詰まるイクス。

 トゥニスは肩越しに振り向き、イクスに目を向けた。

 

「駄目だったのか?」

 

 尋ねるトゥニスに、イクスは首を横に振る。

 

「ううん……無事、いや、無事じゃない……」

 

「……そうか」

 

 いまいち判然としない曖昧な言葉。

 トゥニスはそれで、おおよその事情を察した。

 

「生きていれば大丈夫だろう。あいつは意外と土壇場で強いやつだ。できればしばらくお前が支えてやってくれ……などと、私が言える事ではなかったな」

 

 自嘲するトゥニス。

 それにイクスは答えた。

 

「わかった。トゥニスは……どうするの?」

 

「私は――この男の傍にいてやると決めた」

 

 トゥニスは腕の中にいる男に目を向けた。

 そして彼女はイクスに向けて言う。

 

「見逃せないというなら相手になるが――」

 

「べつにいい。でもひとつ聞かせて。どうしてそんなに、その男にこだわるの?」

 

 イクスにはトゥニスの心情が理解できなかった。

 仲間のために尽くす気持ちは分かる。

 しかしトゥニスとワイトピートの関係は、そういうものとは違って見える。

 

「……この男は、誰にも理解されない哀れな男だ。私にも理解できん。だから、まあ……そんな寂しい人生の傍に、誰かが居てやってもいいだろう」

 

 たとえ、その結果が身の破滅だったとしても。

 

「……わかんない」

 

 答えを聞いても、やはりイクスには理解できなかった。

 

 

----------------------------------------

 

「そうかぁ……」

 

 今の話を聞いて、僕は理解した。

 あのオッサンもいい歳こいて、自分が求めるものがすぐ近くにあったことに気が付いてなかったわけだ。

 

 ……しかし……殺しきれなかったか。

 ひょっとしたら今ごろ死んでるかもしれないけど……さすがにそれは甘い期待か。

 今度は確実に殺せるように、しっかり準備しておかないとな。

 まあ……しばらくは現れないだろう。きっと。

 

「でも、クラマが無事だったのがなによりだわ!」

 

 パフィーの笑顔。

 癒される。

 

「そうだね……ありがとう。みんなには心配かけたね」

 

 僕はパフィーの頭に手を伸ばして、優しく撫でた。

 

「えへへ……」

 

 嬉しそうに顔を綻ばせるパフィー。

 うーん癒される。

 このまま癒され続けたいところだけど、一応続きを聞いておこう。

 

「……で、その後はどうなったのかな?」

 

「ええ、そのあとは予定通りに正騎士の盾で映像を世界中に送って……」

 

 という、パフィーの言葉の途中。

 

「クラマ?」

 

 別方向から僕の名を呼ぶ声。

 見ればテントの出入口から、イエニアが顔を覗かせていた。

 彼女は僕の姿を認めると、安堵の表情でテントの中に足を踏み入れる。

 

「ようやく目を覚ましたんですね。……うん、大丈夫そうですね」

 

「えぇ~? 体中痛くて立ち上がれそうもないんだけど?」

 

「命があるだけでも御の字です。まったく、無茶をするんですから……次は無茶しなくてもいいように、動けるようになったらしっかり鍛えますよ」

 

「そうだね。もっと強くならないと……またお願いするよ。……ところでイエニア」

 

「なんですか?」

 

「なにかあった? なんだか表情が暗いように見えるからさ」

 

 僕の言葉に隣のパフィーも同意する。

 

「そうね。放送してるときは張り切りすぎて、あとから王様に怒られるくらいだったのに」

 

「え? そうなの?」

 

 なにそれ。

 詳しく聞きたい。

 僕はイエニアの顔を見る。

 

「いっ、いやっ、それは……!」

 

 急にしどろもどろになるイエニア。

 

「超見たいんだけど。録画ないの録画?」

 

「ろくが? あ、映像の再現ね。うぅん……できるかしら……」

 

「そ、そんな事はいいでしょう! それより、その……何かあったかですね!? はい! ありました!」

 

 強引に軌道を変えたイエニアから話を聞く。

 それによると、帝国との戦争が不可避になりそう……とのことだった。

 なんでも事件の首謀者としてヒウゥースの腹心を捕まえていたのだが、少し目を離した隙に殺されてしまったのだという。

 地下室へ身柄を引き取りに来た騎士が目にしたのは、すでに事切れて血の海に沈んだ男と、その傍で血に塗れた剣を手に半狂乱になった女の姿であった――と。

 

「………………」

 

 ヤイドゥークっていったかな、あの男の名前は。

 何があったか分からないけど……ともかく彼が死んでしまったせいで、今回の件では責任の所在が曖昧になり、四大国は力で強引に事態の収拾を図るだろう……。

 というのが、ラーウェイブの王様の見立てらしかった。

 戦争かあ。

 困るなぁ。経験ないし。

 

 まあ、今から心配してもしょうがない。

 なるようになるだろう。

 それより今は今のことだ。

 

「ふむふむ……その後は?」

 

「そこからはもう何もないわ! 冒険者と地球人の中から一緒に来る人を集めて、ラーウェイブに向けて出発! それがだいたい、まる一日前ね!」

 

「ってことは……進んでるんだ、今。ラーウェイブに」

 

「そうよ! 驚いた?」

 

 さっきから感じる揺れの原因が分かった。

 馬車か何かに乗ってたわけだ。

 

「それでは、私はお医者の先生を呼んで……いえ……あっちはあっちで忙しいようでしたから……こちらから向かいますか」

 

 そう言ってイエニアはひょいっと軽く僕を抱き上げた。

 わぁお。かっこいい。

 

 そうしてテントから出ると――

 

 

 

「なっ、なんじゃこりゃー!?」

 

 外に出た僕は驚愕の叫びをあげた。

 馬車なんかじゃなかった。

 僕らが乗ってたのは亀……のような巨大な生物の背中。

 その広くて平らな背中には、数十個の四角いテントが団地のようにずらりと並んでいた。

 大亀?は、ずりずりと這いずって荒野を進んでいる。

 

「うふふ! 驚いた、驚いた!」

 

 驚く僕を見て、パフィーは嬉しそうにはしゃいでいる。

 

「地球人はみんな驚いてたから、クラマに見せるのが楽しみだったのよ!」

 

「いやあ……こいつはたまげたね」

 

 まだまだ知らないことがたくさんあるなあ、この世界。

 そうしてイエニアに抱き上げられたまま少し進んでいくと、何処からともなく聞き覚えのある声が。

 

「おお! 起きたかお前!」

 

「……?」

 

 ベギゥフの声。

 しかし声はすれども姿は見えず。

 

「こっちだ、こっち!」

 

 声のした方に目を向けるとそこには……亀の甲羅の縁に手をかけ、体を外に投げ出す格好で懸垂しているベギゥフの姿が。

 

「……なにしてるの、そんなところで」

 

「リハビリだ! お前もやるか!?」

 

 それに対して、僕より先にパフィーが答える。

 

「だめよ、クラマ!」

 

「いや、さすがにやらないよ。僕をなんだと思っているのさ」

 

「まあ……落ちても周囲には馬に乗った騎士団がいますから、大丈夫かとは思いますが……」

 

 言われて外に目を向けると、確かにいた。

 ……に乗った人達が。

 …………………。

 いや、あのさ。

 

「……馬?」

 

「ええ、馬ですが。クラマは一度ダンジョンでも見ましたよね?」

 

 巨大な亀の傍を並走する、鎧を着込んだ騎士たち。

 彼らが跨っているのは……その……カバだった。

 正確にはカバじゃなく、カバに似た生き物だけど。

 いや、まあ、見たけどさあ……地下4階で。電撃くらわせて倒したカバ。

 

「彼らが乗っている馬は人の手で育てられていますから温厚ですけど、野生の馬はクラマも知っての通り、気性が荒く凶暴です。それを自分ひとりの手で捕まえ、自身の愛馬とするのが正騎士の試験のひとつでもあります。ふふ……あの時は大変でした」

 

「ははあ、そうですか」

 

 いやあ、なんともかんとも……。

 世界は広いなあ。

 奇妙な感慨に浸ってしまったよ僕は。

 

「んじゃあ、僕らはもう行くよ。ベギゥフはリハビリ頑張って」

 

「おう! ……ところで、そこの女。イエニアって言ったか?」

 

「ええ、何か?」

 

「いや……前にどこかで会わなかったか?」

 

 ……!

 

「えぇ~? ベギゥフこんなところでナンパ~?」

 

「ちっ、違うっ! これはそういう……うおおおおっ!?」

 

 あ、落ちた。

 殺してしまったか?

 おっ、カバに乗った騎士が近付いて……おー、ちゃんと回収された。よかったよかった。

 これにはイエニアとパフィーもほっと一息。

 それじゃあ、気を取りなおして進んでいこう。

 

 

 

 医務室として利用されてるテントに入ると、中では人々がせわしなく行き来していた。

 

「あら? クラマじゃない」

 

 はっ!

 この声は……レイフ!

 なっ、何っ!? これは……!

 ナース服!!

 ナースレイフだ!!

 

「あ、この衣装?」

 

 僕の視線に気づいたレイフが、色っぽく体をくねらせて、その衣装を……衣装をというか魅惑のボディラインを見せつけてくる。

 体のラインがしっかり出る薄い生地に、歩いてるだけで中が見えそうなほどに際どいマイクロミニのスカート。

 誰が仕掛け人かは分かってる。

 ダイモンジさんありがとー!

 

「これを着るとみんな元気になるって聞いて。どう、クラマ? 元気になった?」

 

「うん」

 

 元気になるのは下半身だけどね!

 っていうかレイフは分かってやってるよね。

 あ、にんまりと笑ってる。

 分かってるやつだこれ。

 

「んっふふ~、それなら良かったわ。さあて、お仕事しようかしら。お医者さんに診てもらうんでしょ? 案内するけど……今はちょうど他の人を診てるのよねぇ。ちょっと待っててね?」

 

 と、個室のようになってる仕切りの前で待たされる。

 中から漏れ聞こえてくる声。

 ニーオ先生と……これはイクスの声だ。

 

「ん~……完全に、っていうのは難しいけど……目立たない程度にならいけると思うわ。ただ、しっかりした施設と魔法使いの協力が必要。費用と、時間もね」

 

「あの、わたしたちお金は……」

 

「ああ、費用は大丈夫。クラマが出してくれるから」

 

 なんと。

 

「え、いくらくらい……?」

 

「そうね、だいたい……」

 

「えっ!? そんなに!?」

 

「大丈夫よ、全額クラマが負担してくれるから」

 

 なんですと。

 とんでもない話が仕切りの向こうで繰り広げられている。

 大丈夫かなあ。

 ティアの方からお金が出てくれればいいけど……。

 

「じゃあ、目薬と……眼帯。乾燥しないように、つけておいてね」

 

 そんな会話が行われた後、フードで顔を隠したオルティと、付き添いのイクスが中から出てきた。

 横を通る時にイクスが小さくこちらに頭を下げてくる。

 不愛想に見えて義理堅いんだよね、この子。

 

 さて。

 オルティの診察が終わって、次は僕の番。

 といっても、寝てる間に外傷の治療は終えているので、簡単な問診と触診で終わった。

 あとは一人で歩けるようにと、杖をもらう。

 僕は体中痛くてまともに動けないから、魔法で回復を早められないかと聞いてみたけど……。

 

「まあ不自由なのは分かるけどね……」

 

「だめよ! 代謝促進の魔法は体によくないの! ゆっくり治すのが一番なんだから!」

 

「……ってことなのよね」

 

 パフィーに止められてしまった。

 診察を終えたニーオ先生は、大きく息を吐いて伸びをした。

 

「さぁ~て、今日の営業終わりっ! みんなも戻っていいわよー」

 

 仕切りの外に声をかけるニーオ先生。

 はーい、と外から何人かの返事があがった。

 それからニーオ先生は足を組み、僕に向き直って言う。

 

「本当は安静にしてるのが一番いいけど……今回はそれほど後に残る怪我じゃないから、少しくらいなら出歩いてもいいわよ。あなたが起きるのを待ってた人もいるし、顔を見せてあげたら?」

 

 親切な指示である。

 

「そうですね。よっこらしょっ……と」

 

 僕は杖をついて椅子から立ち上がり、仕切りから出る。

 するとそこに……いきなりいた。

 

「あれ、メグル。いたんだ」

 

 しかもナース服で。

 

「いたわよ。まあ、することないし、手伝いでね」

 

 するとそこで、室内に並んでいるベッドのひとつが叫ぶ。

 

「えぇー!? 私の看病に来たって言ってたじゃないですかぁー!?」

 

 ケリケイラの声だ。

 彼女もなにか怪我をしたのか。

 いや、フォーセッテの誘導班は怪我をしない方が無理ってものか。

 むしろみんなよく生きてたなと感心する。

 

「あぁもう……大人しくしててよ、ケイラは。……とりあえずクラマ、お疲れ」

 

「うん、ありがとう」

 

 僕が笑顔を返すと、彼女は少し照れたように目をそらした。

 自主的に色々やるようになった彼女だけど、シャイなところは相変わらず。

 ふと、人は変わるんじゃなく別の一面が表に出てくるだけ……というワイトピートの言葉を思い出す。

 そういうことなんだろうなぁ。

 ……ま、いいか! 今はそんな辛気くさいのは!

 

「ああー! ぞんざいな扱いに心が痛くなってきましたー! だれか慰めてくださいー!」

 

「……はぁ。ケイラがうるさいから、もう行くね。じゃあ……あぁ、サクラも心配してたから、体当たりには気をつけて」

 

「それは役に立つアドバイスだね」

 

 役に立たないアドバイスしかしない賢者にも見習って欲しいね!

 

 

 

 そうして僕は医務室テントを出た。

 イクスはオルティを部屋に送り、イエニアは騎士団の仕事。レイフは後片付けと着替えとのことで、今はパフィーと二人きりだ。

 べつにレイフは着替えなくてもいいと思うんだけどね?

 それはともかく。

 

「じゃあ、案内するわね」

 

「うん。よろしくパフィー」

 

「ええ! クラマ、起きたばっかりでおなかすいてるでしょ? まずは食堂よね!」

 

 

 

 ……パフィーに先導されて足を踏み入れた場所は……

 

「酒場じゃん!」

 

「あれぇ……? 昨日までは普通の食堂のはずだったのだけど……」

 

 完全に酒場だった。

 昼間だというのに大勢の冒険者たちが集まって、お酒を酌み交わし、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしている。

 

「おっ! クラマ!」

 

 しまった、気付かれた!

 その声に連鎖反応するように、次々と声があがる。

 

「なにぃ、クラマだと!?」

 

「おうおう! やっと起きやがったか!」

 

「いつもいつも寝てんじゃねーぞこの野郎!」

 

 う、うわあー!

 酔っぱらった冒険者たちの群れが襲いかかってきた!

 僕は髭と筋肉と酒の間でもみくちゃにされる!

 

「ぐわあー! あいだだだだ……!」

 

「だめだめだめー! クラマはケガしてるんだから! みんな離れてー!」

 

 ……パフィーの必死の活躍により、冒険者たちはそれぞれの酒席(テーブル)へと戻っていった。

 いやあ、人気者はつらいね。物理的につらい。

 

「はー、はー、はー……」

 

「おつかれパフィー。ジュース飲む?」

 

「うん……ぐっ、ぐっ……ぷぁ。ごめんなさいクラマ。こんなことになるとは思ってなくて」

 

「油断していたね。食堂を酒場に変える錬金術は、冒険者が持つ基本スキルだからね」

 

 酒あるところに冒険者あり、冒険者あるところに酒がある。

 彼らはきっとそういう生き物なのだ。

 

 隅っこのテーブルで僕らが一息ついていると、見知った顔が現れた。

 

「大丈夫ですか? いや、荒くれ達が失礼しました」

 

 冒険者らしからぬ落ち着いた物腰。

 教授だ。

 ウェイハ教授。

 彼はローストチキンの大皿をテーブルに置いて、僕の前に腰かける。

 

「ありがとうございます」

 

「いえ、皆が迷惑をかけたお詫びですよ」

 

「それもありますけど……ヒウゥース邸では、うまく皆を指揮してくれて助かりました」

 

「ああ……それですか。しかし大した事はしていませんよ。こちらに形勢が傾いた途端に、向こうが一斉に逃げ出しましたからね。いや、見事な逃げっぷりでした」

 

「そうなんだ」

 

 僕らは鳥料理をつつきながら語り合う。

 味は……なかなか悪くない!

 空腹だからなんでもおいしい。

 ただ……いつもの料理と比べると……

 

「そういえば、納骨亭のマスターは……」

 

「アギーバの街に残ったわ」

 

 そりゃそうか。

 この先の食生活に不安が残るけど……そのためにマスターから料理を習ったわけだしね。

 もう二度と会うことはないかもしれないけど……彼の遺志を継いで、僕も立派な料理人になってみせるよ!

 

 ……あれ? なんか違うな。

 べつに料理人になるのが目的ではなかったはずだ。

 

 僕がおかしな事を考えてる間にも、教授は話を続ける。

 

「騎士団と共にラーウェイブに向かっているのは、アギーバの街にいた冒険者の2割ほどですね。残りは人それぞれ……また別の街へと向かったようです」

 

 大半がどっか好きな場所に行ったわけだ。

 

「冒険者らしいね」

 

 見知らぬものを求めて東へ西への根無し草。

 ヒウゥースの政策で大勢の冒険者があの街に留まっていたけど……本来こういうのが、彼らのあるべき姿なんだろう。

 

「かくいう私も、本当はこの陸船に乗るつもりはありませんでしたが……ラーウェイブ国王に頼まれましてね」

 

「えっ?」

 

「王様から?」

 

 パフィーもびっくりしている。

 

「ええ。なんでもラーウェイブにある遺跡の調査依頼とのことですが……詳しい事は私も」

 

「へえ……」

 

「さて、私はこの辺で失礼しましょうか。お二人はゆっくりしていってください」

 

 そう言って教授は席を立った。

 それと入れ替わるようにして……

 

「いよーう! 飲んでるかァ? ギャーハハハハ!!」

 

「どうしたら飲んでるように見えるんだっつの! ア~ッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

 メグルのパーティーの、バコスとナメロトだ。

 楽しそうだなあ、相変わらず。

 

「みんなに付き合うのはまた今度だね~。怪我も治ってないし」

 

 パフィーの目も怖いし。

 ……しかし彼らも来てたんだね。

 彼らこそ典型的な冒険者だから、てっきり他の冒険者と一緒に行ってしまったかと。

 

「もったいねえなァ……こんないい酒を飲める機会、そうそうないってのによ。明日にはなくなっちまうぞォ?」

 

 バコスは四角いガラス製の酒瓶を傾け、直接口をつけて飲み下している。

 なんて豪快な飲みっぷり。

 っていうか、あの酒瓶。

 この世界でガラスの酒瓶は珍しい。たいていは木で作られた樽とかだ。

 そして、その形……ラベルには見覚えがある。

 

「それ、ヒウゥースの部屋にあったやつじゃない?」

 

 僕がそう指摘すると、バコスは悪びれもせずに笑っている。

 代わりに強く反応したのはパフィーだ。

 

「えぇっ!? それって火事場泥棒……」

 

「へへへ、役得よ役得。戦利品ってやつだ」

 

「他にいくらでもお高いモノがあったってのに、持ってくるのが酒だもんな」

 

「オメェもだろ!」

 

「ア~ッヒャッヒャッヒャッ!!」

 

「ギャーハハハハ!!」

 

 パフィーは絶句している。

 ……うん。典型的な冒険者だ。

 イエニアが一緒に来なくて良かったね!

 

「まぁまぁ、おれらだって他人の家にまで行って盗ってったりはしねェさ」

 

「騎士団が来なかったら、やりそうな奴は多いけどな」

 

「断言するが、騎士団が来なかったら3~4パーティーはその辺の家に空き巣に入ってトンズラこいてたぜ」

 

「ア~ッヒャッヒャ!! 違いねぇ、違いねぇ!」

 

 どうやら思ったよりも騎士団の役割は大きかったらしい。

 暇があれば僕もやってただろうしね。

 ヒウゥース邸は探せば色々ありそうだったし。残念だ。

 

 

 

 そうして空腹を満たした僕らは、酒場――かつて食堂であったその地――を後にした。

 パフィーの案内で次に向かった先は、大亀の頭の方。

 そこはテントがなく、少し開けた広場のようになっている。

 なんかもう街みたいだねこの生き物の背中。すごい。

 

「お? ありゃクラマの旦那じゃねえっスか?」

 

 次郎さんが最初にこっちに気付く。

 そこにはサクラ、一郎さん、次郎さん、ニシイーツ三郎さんがいた。

 

「えっ!? あーっ! ホントだ! クラマーーーっ!!」

 

 サクラの助走をつけたタックル!

 僕は手を突き出して、その突進を受け止めた!

 

「わぶっ! な、なんで止めるのよぉ……」

 

「メグルの有り難い忠告に従ったのだ」

 

「……? どゆこと?」

 

 つまりは怪我人にタックルは良くないという事である。

 とりあえずサクラは置いといて、僕はみんなに声をかける。

 

「みんな、お疲れ」

 

「お疲れさんです! 旦那、もう起き上がって大丈夫なんですかい」

 

「うん、歩き回るくらいなら。このくらいで済んだのは、みんなが頑張ってくれたおかげだよ」

 

「いえ、アッシらはそんな……もったいねぇお言葉です」

 

 なんか一郎さんと話してると、自分がヤクザになったような気分になるね。

 ……あんまり間違ってないような気もする。

 政治家の息子なんだけどなぁ、これでも。

 

「ところでさぶ……ニシイーツさんは何してるの?」

 

 元三郎ことニシイーツ氏。

 彼はひとり、端っこの方で座禅を組んでいた。

 僕の疑問に次郎さんが答える。

 

「へえ。旦那が来るまで筋トレしてたんスけどね。いつの間にか瞑想してるっスね」

 

「ニシーね、なんか分かんないけどクラマを倒すって言ってるのよ。……ひょっとしてケンカしてるの?」

 

 へえ、それは……。

 僕はニシイーツさんを見る。

 瞑想してるようだけど、まぶたがピクピク動いてる。

 

「………………」

 

 ふふふ……彼にはもっと頑張って欲しいものだ。

 

「ケンカなんてしてないよ。ケンカとかしたことないしね、僕は」

 

「まあ、そうよね……でもなんていうか……うーん……」

 

 

「そいつを信用するなッ!!」

 

 

 な……なに……!?

 僕らの会話に突然割って入った声。

 こ、この声は……!

 

 僕は勢いよく振り向いた!

 

「ぐあ……!」

 

 激痛!!

 素早く動ける状態じゃなかった!

 痛みにふらつく体に力を入れて、顔を上げる。

 そこにいたのは……

 

「マザキ!!」

 

 そいつは僕のよく知る顔……というには、ちょっと変わっていた。

 黒い布を巻いて両目を隠している。

 でも、分かる。間違えるはずがない。

 地球人、真崎庵士(まざきあんじ)だ。

 

「誰? クラマ、知ってる人?」

 

 サクラが首をかしげてこちらを見る。

 そりゃあそうだ。誰も知らないだろう。

 僕もイクスの話を聞いて、ひょっとしたら彼もこっちに召喚されてるかも……と思ってただけで、誰にも話してはいない。

 ひとまず僕はサクラに答えた。

 

「うん。地球にいた頃の、僕の友達だよ」

 

「いや、友達じゃねーから。腐れ縁ってやつだろ」

 

 ははは、懐かしい。

 この突き放す感じ。

 

「……?」

 

 周りの皆は、いまいちよく分からないといった様子。

 皆が頭に疑問符を浮かべる中で、代表してサクラが口を開いた。

 

「……で、なんなの? さっき言ってた……クラマを信用するなって。どういう意味?」

 

「言葉通りの意味なんだが?」

 

 マザキは杖で足元を確認しながら近付いてくる。

 目をやられたんだな。

 僕も今は杖ついてるから、杖つき友達。ツエトモだな。

 

「コイツは人畜無害な顔して、今世紀最大のクソヤロウだからな。信用すると馬鹿を見るぞ。いや、どうせなら今のうちに外に投げ捨てておいた方がいい」

 

 突然現れて僕に対する熱い罵倒を始めるマザキ。

 ……彼を見る周囲の視線は冷たい。

 彼はこうやって、いつでも僕に対する注意を促しては、周囲から孤立してきた。

 嫌われ者のマザキ。

 ただひとり、僕が作る流れに取り込まれずに、僕を嫌って、僕と対等の立ち位置にいてくれる人。

 僕にとっての、唯一の友人だ。

 

「あいつは口は悪いけど、悪いやつじゃないんだよ。できればみんなも嫌わないでやって欲しいな」

 

 そして、こうして僕の心の広さアピールに協力してくれるわけだ。

 ありがたや、ありがたや。

 

「まあ、クラマがそう言うなら……」

 

 渋々といった感じに頷いてくれる一同。

 なんてイージーミッションだ。

 

「お前またそのパターンかよ! おーい! 騙されるなお前ら! こいつは前に付き合ってた女に……ぅいっだぁ!?」

 

 マザキが悲鳴をあげて跳ねる。

 それと同時にマザキの背後から出てきたのは……イクス。

 

「なにやってるのアンジ」

 

「い、イクス。何をしてるもなにも、俺はただ、こいつの評判を落としたいだけなんだが? 邪魔をするならお前のスパッツぅぎゃあッ! つねるなぁ!」

 

「みんな、ごめん。ちょっと目を離した隙に……とりあえず、これはわたしが持ってくから……」

 

 そう言ってイクスはマザキを奥へと引っ張っていく。

 マザキはイクスに引きずられながら捨て台詞を吐いた。

 

「ちっ、命拾いしたな。次に会った時がお前の最後だ、ヒロ!」

 

「はいはい、わかったから行くよ」

 

「ちくしょう……イクスのスパッツでも触って寝るか……」

 

「触らせないから。なに言ってるのバカ」

 

「目が見えないから触るしかないんだが!? じゃあお前は触らずにどうしろと!?」

 

「それは、まあ…………………………いや、触らせないよ?」

 

「ちくしょう……」

 

 ……そんなコントを繰り広げて、ふたりは消えていった。

 いやあ、驚いたなあ。

 まさかマザキがいるとは。これから楽しくなりそうだ。

 でもワイトピートが生きてたから、真っ先に殺されそうなんだよね。

 彼には強く生きて欲しい。

 

 

 

 それから少しサクラたちと話してから、パフィーと僕は次の場所へと向かった。

 次なる目的地は、マユミさん達のテントだ。

 

「あ、クラマ。もう起きて大丈夫なんすか?」

 

 そこにはマユミさんが一人でいた。

 こんな時でも、いつものようにテーブルに向かって漫画を描いている。

 

「うん。僕は不死身だからね。ここだけの話、実は今まで一度も死んだことがないんだ」

 

「あははっ! なんすかそれ、も~」

 

 まずは小粋なジョークを挟んでテントの中に入る。

 するとマユミさんは改まった感じに、こちらに向き直って言う。

 

「いや、でもこの前は助けてくれて、ホントありがとうございました」

 

「僕としてはもっと早く助けたかったんだけどね……もっと早くあそこに踏み込んでたら、助けられた人もいるかもしれないし……」

 

「そ、そんな気に病まなくても……! 私は助けてもらって嬉しかったし……! 本当にかっこいい、ヒーローみたいだったんすよ! あの時の私にとっては……」

 

「そうよクラマ! 元気出して!」

 

「うん……ありがとう、二人とも」

 

 まあ、これっぽっちも気に病んではいないんだけど。

 僕が助けるのも、助けられないのも、いつも通りの事だし。

 ふと、そこでテーブルの上の原稿が目に入った。

 

「ところでマユミさん。どんなのを描いてるの?」

 

 僕は顔を出して覗き見る。

 

「うわわわっ! だっ、だめっすよ! あの、ま、まだ途中だからっ!」

 

 大慌てで隠そうとするマユミさん。

 彼女がいそいそと原稿を回収して仕舞いこんでいると、パフィーがぽそりと呟く。

 

「なんだかクラマって書いてあったけど……」

 

「あー! あーあー! みっ、見間違いじゃないすかね!? ええ! うん! あは、あはははは……」

 

 微塵も誤魔化せていない作り笑い。

 本人が隠そうとしてるものに突っ込んでいくなんて……パフィーはひどいことするなぁ。

 その点、僕は配慮できるからね。

 クラマって呼ばれてる男にマユミさんに似てる少女が助けられるシーンも、見なかったことにする優しさが僕にはある。

 

「完成が楽しみだね!」

 

「そ、そうすね。あはは~……」

 

 しばしの沈黙。

 マユミさんはとてもとても気まずそうな様子で、上目遣いにこちらを見た。

 

「あの……見てないですよね?」

 

「うん! クラマって呼ばれてる男にマユミさんに似てる少女が助けられるシーンなんて見てないから大丈夫!」

 

「うわああああーーー!! あがががが……」

 

 彼女は叫んだ後、頭を抱えてゴロゴロと転がった。

 しまった、つい。

 

 ――その後、テントの隅を向いて死にたい死にたいと連呼しつつ体育座りする彼女をなだめるのに、多少の時間を要した。

 

 

 

「ところで他の人は? ベギゥフはさっき見たけど」

 

 話せるまでに回復したマユミさんに、僕は尋ねた。

 

「セサイルはその辺にいると思いますけど。あー……そっか、気を失ってたから知らないんすね」

 

 ん?

 なんだろう。

 マユミさんはパフィーの方に目を向けた。

 パフィーはそれに頷きを返す。

 

「ええ、起きたばっかりだから、まだ話してないわ」

 

「んじゃ私から。ノウトニーはこの亀に乗らずに、別れました」

 

「あっ、そうなんだ」

 

 貴重な潜入要員が……。

 

「なんかクラマの活躍を歌にして広めるって言ってましたよ」

 

 吟遊詩人!

 

「うわあ恥ずかしい」

 

 でも各地を回って僕らの宣伝をしてくれるわけで、帝国との戦争になりそうな現状ではありがたいのかも?

 なんてことを考えてると、パフィーが横から言う。

 

「そういえば、去り際に気になることを言ってたわ」

 

「ノウトニーが?」

 

「ええ。ヒウゥースの腹心殺しの容疑者を見てね、『彼女は冤罪ですよ』って……」

 

「ふぅん……?」

 

 たしかに気になる。

 でも何のことか分からないから、考えてもしょうがないかな。

 

「それと、他にも誰かいなくなってましたよね。何でしたっけ、あの……すっごい悪役っぽいひと」

 

「ディーザ?」

 

「そうそう! そのひと! いつの間にかいなくなってたんすよね」

 

「そっか……残念だね」

 

 いなくなってしまったか。

 当然といえば当然か。ここは彼にとっては居心地が悪いだろう。

 今後いろいろと頼りになりそうだったから、いなくなるのは痛いけど。

 

「わたしも残念だわ。いろいろ聞きたいことあったのに……」

 

 パフィーもしょんぼりしてる。

 

「まあ、生きていればまたいつか会えるさ」

 

 って言っておいてなんだけど。

 ディーザはすぐ死にそうだな。大丈夫かな。

 どいつもこいつもすぐ死にそうで困る!

 この不死鳥クラマを見習って欲しい!

 

 

 

 ……すっかり話し込んでしまった。

 僕らはこの辺でいい感じに話を切り上げて、マユミ'sテントを後にした。

 

「さーて、あと見てないのは誰かなー?」

 

「無理に探すこともないと思うけど……あと行ってないのはこっちね」

 

 パフィーの後についていくと、果たしてそこには居た。

 セサイルとティア。

 ふたりは夕暮れ時の空を背にして、なにやら話し込んでいる。なんだろう。

 僕らはテントの裏に隠れて聞き耳をたてた。

 

「なんで隠れるの……?」

 

「しっ! 静かに……!」

 

 なぜって、付け入る隙を見せない二人からネタを引き出すチャンスだからね!

 耳を澄ませば、二人の会話が聞こえてくる……。

 

「……本当に、それだけでよろしいのですか?」

 

「おう。なんだ、不満でもあんのか? ここぞとばかりに無茶振りしてやった方が良かったか?」

 

「いえ、そういう事ではございませんが……分かりました。ラーウェイブ国内での、マユミ様の住居と職業の斡旋……たしかに承りました」

 

 これは例のあれか。

 ティアがセサイルに「何でもする」って言ったやつ。

 セサイルの要求は、まるっきり予想通りの内容だった!

 うーん、これじゃおど……話のネタにもならないぞ。

 何でもするっていうんだからスケベな要求をしなきゃ嘘だろ!

 

「……ああ、そうだな。それじゃあ、ついでにもう一ついいか?」

 

「はい、なんでもおっしゃってください」

 

 お?

 なにを言う気だ?

 僕は期待に胸を躍らせて見守る。

 セサイルは剣の柄に手を添えて言った。

 

「オレと立ち会ってくれ」

 

 ……まじか、この男。

 セサイルは獰猛な目でティアを見つめている。

 今にも襲いかかりそう。

 別の意味で野獣のような男だ。

 さすがのティアも戸惑っているようで、即答できず思案している模様。

 

「……それでは、近く行われる御前試合への出場を王に推薦いたします。本来、正騎士にしか出場は許されませんが……」

 

「おいおいおい、そんなこと頼んでねえぞ」

 

「優勝すれば、前回の優勝者であるわたくしと戦う資格が与えられます」

 

 ティアの提案。

 セサイルはそれに不満を露わにする。

 

「ちょっと待て、何でもするって言ったろ。なんでそんな条件ついてんだ?」

 

 もっともである。

 それに対してティアは……

 

「あら、先ほど確認したではありませんか。マユミ様の生活保障をご要求された時に……本当に、それだけで(・・・・・・・・・)よろしいのですか(・・・・・・・・)……と」

 

「あ……?」

 

「セサイル様も同意なさいましたよね?」

 

 にっこりと笑うティア。

 おお……あんな顔もできたのか。

 

「……………………」

 

 セサイルは何とも言えない悔しそうな顔をしている……。

 そのままセサイルはぐぐっと喉の奥に言葉を溜め込んで……ハァ~っと溜め息に変換して吐き出した。

 

「ちっ! やってやるよ、しょうがねえ。だが、それならこっちからもひとつ条件だ。オレとやる時は手ェ抜くんじゃねえぞ」

 

「ふふっ。ええ、約束いたします。楽しみにしていますね」

 

 朗らかに笑うティアと、翻弄されて苛立つセサイル。

 なんだぁ、この二人は……。

 なぜこんないい感じの雰囲気に……。

 この空気、なんとかして壊せないものか。

 

 そんなことを考えていると、突然セサイルの怒鳴り声が飛ぶ。

 

「おい、そこの! いつまで隠れて見てやがんだ! 出てこいッ!」

 

 ……!

 

「わわっ」

 

 慌てるパフィー。

 しまった、邪念が漏れたか……!?

 仕方ない……ここは観念して……

 

 と、出ていこうとした時だった。

 

「あら、ばれてしまいましたか」

 

 僕らとは別の場所から現れたのは……ヤエナ?

 すっかり忘れていた。というか忘れたかった。

 パフィーと同じくらいの幼い少女でありながら、賢者ヨールンの弟子にして恋人。

 寝取らせプレイに目覚めた賢者の要望を汲んで、僕に抱かれようとしている。しかしながら嫌がるでもなく受け入れているという、奇矯な少女だが……。

 

 セサイルとティアの前に歩み出た彼女は、おかしなことを言った。

 

「久しぶりですね、セサイル」

 

 ……ん?

 なんて?

 まさか……この二人、知り合い?

 僕はセサイルの顔を見た。

 彼は……呆然と、いや愕然としている。

 

「どうしました、セサイル? 私を忘れてしまいましたか?」

 

「あ、ああ、いや……………」

 

 亡霊でも見たかのような、とはこういう顔だろうか。

 セサイルはたどたどしく呟いた。

 

「生きてた、のか。それは良かった。……なあ、その……アフティーのことは……」

 

「お兄様ですか? 息災ですよ。今も私のことを見てくれています」

 

「………………………………」

 

 今度こそセサイルは沈黙した。

 彫像のように固まったセサイルに代わって、ヤエナは踊るように歩きだす。

 

「ふふっ、女性との逢瀬を邪魔してはいけませんね。だから顔を出さないでいたんですけど……後でまた話しましょうね、セサイル」

 

 そう言ってヤエナはセサイルらに背を向けて立ち去る――

 ……って!

 こっち来てるんだけど!

 隠れる場所は……ない!

 

 僕の前に現れたヤエナは、歩みを止めずに軽く微笑んだ。

 そして横を通り過ぎざま――

 

「――今夜、お待ちしてますから」

 

 僕の耳元に囁いた。

 

 

 ……………………。

 

 いやあ、参ったね。

 さてさて、どうしたもんだか。

 

 

 

 

 

 ……ということで。

 ひととおり回って、日も暮れてきたので、僕とパフィーは自分らのテントに戻ってきた。

 

「思ったより遅くなっちゃったなぁ」

 

 思った以上に、この亀の背中が広すぎた。

 

「ごめんなさい、途中で戻るべきだったわ。クラマ、疲れたでしょ?」

 

「ははは、大丈夫……と言いたいところだけど……たしかに疲れたね」

 

「じゃあ、わたしは晩ごはんをこっちに持ってくるわ! クラマは中でゆっくり休んでてね!」

 

「そうだね、お言葉に甘えるよ。ありがとう、パフィー」

 

「ええ! じゃあ待っててね!」

 

 ぱたぱたと駆けていくパフィー。

 うーん、見てるだけで元気を貰えるようだ。

 かいがいしく世話をしてくれるし、本当にありがたい。

 さて、それじゃあ立ってるのもしんどいので、テントに入って寝転がって待っていよう。

 

 そうして垂れ幕をめくって中に入る。

 するとそこにいた。

 毛布くらいしか置いていない殺風景のテントの中に、ひとり。

 僕の帰りを待っている人が。

 

 彼女……レイフは、暖かな夕日のような笑顔を僕に向けて、言った。

 

 

「おかえりなさい」

 

 

 感情が胸の奥から溢れてくる。

 言いたいことは山ほどあった。

 僕はそれらすべての思いをひとつにまとめて、口に出した。

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 

 …………………………。

 

 パフィーがトレイに食器を乗せて戻ってきた。

 ……が、テントに入ってきたところで、彼女は僕らを見て固まってしまった。

 

「な……なにしてるの? ふたりとも……」

 

 何をしていると言われても。

 ……いや、その反応は誤解を招く。

 なにも僕らはいかがわしい行為に及んでいるわけじゃあない。

 ただ、足を伸ばして座ったレイフの前から、同じ姿勢で重なるように僕が背中を預けているだけである。

 ちょうどレイフのおっぱいが僕の後頭部に当たるように。

 むしろ柔らかなふくらみで僕の頭を挟むように。

 レイフに体を預けて密着して、豊満なおっぱいの感触を堪能していたのだけれど、べつにいかがわしいことをしていたわけではない。

 

「パフィー、ひょっとして何かいやらしい事をしてると思ってる?」

 

「えっ? ち、違うの……?」

 

「それは誤解だよ。僕はそんないやらしい男じゃないからね」

 

「うそ。だってクラマは、すけべえだもの」

 

 うっ……!

 なぜそこは確定したかのように語られるんだ!?

 返事に詰まった僕に代わって、レイフが話す。

 

「パフィー、よく見て。私たちの格好、いつもクラマとパフィーがしてるのと一緒じゃない?」

 

「え……?」

 

 パフィーはこちらをまじまじと見る。

 なるほど確かに、パフィーはよく僕の膝の上に乗ってくる。

 違いといえば、おっぱいの有無だけだ。

 

「そうそう、この格好がリラックスできるんだよなぁー」

 

「で、でも……!」

 

「パフィー」

 

 僕はポンポンと太腿のあたりを叩く。

 こっちにおいでというジェスチャーだ。

 

「え、ええー……?」

 

 パフィーは戸惑い、躊躇っている。

 

「いやらしい事じゃないって、やってみれば分かるさ。ね?」

 

「ううーん……」

 

「ほらほら、パフィー。おいで?」

 

「わ、わかったわ……」

 

 ついに根負けしたパフィーはトレイを置いて、僕の伸ばした足の間におそるおそるしゃがみ込む。

 その小さな背中が僕の胸に触れる。

 

「あっ、クラマ怪我してるでしょ? 大丈夫?」

 

「ああ、大丈夫だよ。右腕と足首あたりに触らなければ」

 

「そ、そう……それじゃあ……んしょ」

 

 パフィーはゆっくりと体重を預けてくる。

 華奢で軽い体。

 パフィーの背中が僕の体にしっかり密着したところで、僕は優しくパフィーの頭を撫でた。

 

「ん……」

 

 気持ち良さそうに目を細めるパフィー。

 僕の後ろからレイフが言った。

 

「ね? 落ち着くでしょ、パフィー?」

 

 パフィーはすっかり力を抜いて答える。

 

「うん……えへへ……」

 

 と、僕の腕の中で幸せそうに頬を緩める。

 かわいい!

 小動物のような愛らしさ。

 僕の方も幸せな気持ちになる。

 

「ふふっ、よかったわね」

 

 背後からレイフの柔らかな声。

 幸せな空気がテントの中に満ちて広がった。

 

 そんなハピネスな空間であったが……。

 そこに現れる。

 

「……何をしているんですか」

 

 気付けば、イエニアがなんとも言えない表情でこちらを見下ろしていた。

 ……ふむ。

 僕は慌てず騒がず、提案した。

 

「よし、イエニアも一緒に! カモン!」

 

「カモンじゃないですよ。もう入れる場所がどこにも……いや、そうじゃなくて」

 

「あら、じゃあ私と代わる?」

 

 レイフの新たな提案。

 ……いや、それはさすがに?

 マシュマロから鋼鉄に枕が変わるのはつらい。

 イエニアも困っている。

 

「なっ、なな……なにを言ってるんですか! クラマ相手にそんなこと……」

 

「でも、もう鎧で体を隠す理由もないでしょう? イエニアのふりをする必要もないんだし」

 

 そっか。

 彼女がいつも鎧を着込んでたのは、影武者なのがばれないようにするためだったんだ。

 お風呂の中で脱いだこともあったけど……。

 そういうことなら僕も興味があります。

 

「それはそうですが……」

 

「とりあえず着替えたら? 外は騎士団の人たちが守ってくれてるんだから、夜襲に備える必要もないでしょ。ほら、そこに着替えあるわよ」

 

 言って、レイフはテントの隅にある荷袋を指す。

 

「いえ、鎧を脱ぐにしても、わざわざ着替える必要は……」

 

「ふたりも見たいでしょ? イエニアが普通の服を着てるところ」

 

「見たいね」

 

「そうね、せっかくだから見てみたいわ!」

 

「うっ……うう……!」

 

 結託した三人による総攻撃で、イエニアは追い詰められる。

 

「ほらほら、クラマの目は塞いでおくから」

 

 レイフは後ろから手を回して、僕の両目を塞ぐ。

 目の前が真っ暗で何も見えなくなった。

 しばらく無言の時間が続いたが……やがて観念したような溜め息が。

 

「はぁ……もう。仕方ありませんね」

 

 よし!

 連携の勝利だ。

 すぐにガチャガチャと金具を外す音。続いてゴト、ゴト、っと鎧が床に落ちる音が響いた。

 僕は真っ暗な視界の中で待つ。

 まだかなー。

 まだかなー?

 

 ……金具の音が、衣擦れに変わった頃。

 

 不意に光が差した。

 僕の目を覆ったレイフの指が、わずかに開かれている……。

 

 指の隙間から見えたのは、着替え中のイエニア。

 

 うおおおおおおお!!

 さっすがレイフ!

 わかってる!

 

 イエニアはこちらに背を向けている。

 その身につけているのは下着のみだ。

 引き締まった健康的な肢体。

 美しい。

 一度見たことはあったが、改めて見て、美しいの一言に尽きる。

 よく見れば所々に小さな傷跡もあるけど、それもまた彼女の戦士としての歩みが感じられて、その美しさを飾りたてている。

 

 ……あれ?

 そこで気付いた。

 イエニアの下着……前に見たのと違うな。

 以前ダンジョン内で、レイフの悪ふざけでイエニアが脱がされた事があった。

 そのときに見たイエニアの下着は、野暮ったいというかオバちゃんっぽいというか、短パンみたいな色気のないもので……あれはあれで……とにかく、そういった代物だったが。

 今の彼女が穿いているのは標準的な形の、僕ら日本人がよく知るタイプのショーツ。

 色は白。

 部分的にレースがあしらわれており、可愛くて上品な感じだ。

 ブラの方も同じようなもので合わせている。

 スポーツブラじゃなくていいのかな? と思ったけど、動きの邪魔になるほどの大きさはなかったね。彼女の胸は。

 

 そこで突然、イエニアが振り返る。

 ……!?

 イエニアはこちらに強く声をあげた。

 

「待ってくださいレイフ! なんでこれがここに……他の服はなかったんですか!?」

 

 レイフに向かって抗議。

 ふう……びっくりした。

 また邪念に気付かれたかと思った。

 そこでレイフの指が閉じられ、再び視界が真っ暗になる。

 

「あら、そういえば他の服は洗ってたんだったわ。でも早く着替えないと、私の手でクラマを押さえるのも限界よ。ああ、手がずれてきちゃう……」

 

 そんなことを言いながら、レイフは少しずつ僕の目を押さえる手をずらしていく。

 

「ちょっ! ちょちょちょっと! 何してるんですか! そんなわけないでしょう! ちょっと待っ……ううっ、分かりましたよ、着ればいいんでしょう! もう!」

 

 ……ばたばたと急いで着替える音が聞こえる……。

 その後はそう待つこともなく、着替えを終えたイエニアから声がかかる。

 

「あの……終わりました、けど……」

 

 レイフの手が取り払われる。

 開ける視界。

 そこに立っていたのは――メイド服に身を包んだイエニアだった!

 

「わあ! かわいいわ!」

 

「んん~、やっぱり服が変わるだけで全然印象が違ってくるわねぇ」

 

「お、覚えておいてくださいよ……レイフ……」

 

「あはは、まあまあ……で。どうかしら、クラマ? 感想は?」

 

 イエニアが僕の顔を見て反応を窺っている。

 僕はまっすぐに見つめ返して、率直な感想を伝えた。

 

「うん。綺麗だよ、イエニア」

 

「っ……! なっ、ななななっ……なにを言うんですか! そんな……!」

 

「なにって、イエニアを見た感想だよ。かわいいし、かっこいいけど、そういう服を着てると綺麗だなって思う」

 

「ぅ……ぅあ……あ、あの、わかりました。もう……もういいですから……」

 

 イエニアは恥ずかしがって顔を覆ってしまう。

 

「うふふ! イエニアったら、お顔真っ赤よ?」

 

「いいわねー、若いって。いいもの見せてもらっちゃった♪」

 

「レイフ……貴女は後でホントに……いや、ひとついいですか? これ……スカート短くないですか?」

 

 たしかに。

 実はこのメイド服を着ているイエニアの姿は、既に見たことがある。

 ヒウゥース邸に侵入した時の変装だ。

 しかし今、イエニアが着ているものは……あの時よりもかなりスカートの丈が短く、また所々にフリルが付け加えられている。

 

「ダイモンジって人に預けたら、そうなっちゃったのよね」

 

 ダイモンジさんか……。

 ……………メイド服のスカートの丈に関しては、賛否ある。

 僕も言いたいことがないわけじゃない。

 でも今に限って言えば、別にいいかな!

 丈の短さを気にして、スカートを下に伸ばすように押さえて恥じらうイエニアの姿が見られたからね!

 

「さあ~て! それじゃあ綺麗で可憐なメイド騎士さんには~……」

 

「なんですか。また私を辱めるつもりですか」

 

 イエニアがやさぐれている。

 しかしレイフは止まらない。

 ここぞとばかりに自分のペースで場を回していく。

 

「メイドさんなんだから、ご奉仕しなきゃ。というわけで~……クラマにご飯を食べさせてあげましょう!」

 

 ふたりの視線の先には、パフィーが持ってきた夕食があった。

 

「た、食べさせる……?」

 

「クラマもお腹すいたでしょ?」

 

「うん。おなかすいたねー」

 

 僕は迷わず便乗した。

 

「え、ちょっと待ってください。食べさせるって、私がクラマの口まで食事を運ぶということですか……?」

 

「そそ。あ、それとも私がやる? その場合、イエニアには私の場所に入ってもらって……私はどっちでもいいけど」

 

「なぜそれが二択になってるんですか!?」

 

 なんでだろうね。

 いや、レイフはこう見えて元シスター。

 僕らは自由なようでいて、その実、この手で掴み取れる選択肢は多くないという深い教えがあるのかもしれない。

 

「なんでって……その方が面白そうだから? かしら?」

 

 もちろんそんな深い教えはなかった。

 イエニアはがっくりと肩を落として息を吐く。

 

「はぁ~……もういいです。分かりました。やればいいんでしょう、やれば」

 

 諦めたようにイエニアは食器を手に取る。

 そして僕の隣に膝をついた。

 

「ほら、クラマ。口を開けてください」

 

 そうして、イエニアは一口サイズのお肉を差し出してくる。

 

 うーん、いやぁ改めてすごい状況だ。

 後ろにはレイフ、前にはパフィー。

 そして隣には料理を口に運んでくれるイエニア。

 ここは天国かな?

 

 僕はお肉と幸せを噛みしめるために、口を開けた。

 

「あーーん」

 

「あ、あーんとか言わなくていいです」

 

 ソースのたっぷり乗ったお肉が、僕の口の中に差し入れられる。

 

「もぐ……んぐ………おいしい!」

 

 おいしいっていうか楽しい!

 味は普通だけど……なんだかおいしいような気がする!

 

「そうですか、それは良かったです。じゃあスープも……」

 

「あー! ずるいわ! イエニア、わたしにもちょうだい! わたしがお料理を運んできたんだもの、いいわよね?」

 

 僕を見て羨ましくなったのか、パフィーも食事を所望する。

 

「はいはい、分かりましたよパフィー。はい、お口を開けて……」

 

「はーい。あむ……」

 

 イエニアに食べさせてもらったパフィーは、にっこりと微笑んだ。

 

「……ふふっ! 楽しいわね、こういうの!」

 

 パフィーは心から嬉しそうだ。

 続いて、後ろからも声が。

 

「それじゃあ次は私もー……」

 

「レイフはダメです」

 

「えぇ!? そんなぁー」

 

 ――テントの中に笑い声が響いた。

 そんなこんなで、わいわい、がやがやしながら、僕らは楽しく食事をした。

 食事の後は、お風呂の代わりに濡れタオルで体を拭いてもらったり。

 毛布にくるまって横になって、色んなことをお喋りしたり。

 お喋りの時間はパフィーが眠ってしまうまで続いた。

 

 こうして、幸せな夜が更けていく――

 

 

 

 

 

 皆が寝静まったところで、僕はひとりテントを抜け出した。

 さて、待っているとは言われたけれど。

 とりあえず夕方に彼女と出会った場所に行ってみよう。

 

 果たして、そこには居た。

 夜の(とばり)を背景にして、ヤエナが佇んでいる。

 

「こんばんは、クラマさん」

 

「やあやあ、こんなところで何をしてるのかな? ひょっとして……強くて誠実なイケメンでも待ってたのかな?」

 

 なんてね! HAHAHA! イッツァジョーク!

 

「いえ、お兄様を待っていたわけではありません。クラマさんを待っていました」

 

 Oh...そう来るか。

 僕の小粋なジョークを軽くいなされてしまった。

 この娘、やはり相当のやり手。

 

「でも、だいぶ前から待っていたから体が冷えてしまいました。私のテントに行きましょう?」

 

 そう言って彼女は僕の手を取る。

 そして囁いた。

 

「大丈夫……私が動きますから。上に乗ってするのは得意なんです」

 

 少女のものとは思えぬ妖しい声色が、僕の耳孔をくすぐった。

 彼女の手が僕を引く。

 ……僕はその手を引き戻した。

 

「いや、ここでいい」

 

「え? ここで……ですか? さ、最初から外でなんて……思ったより過激なんですね」

 

「そうじゃない。僕はきみを抱かない」

 

 僕の言葉に、ヤエナの動きがぴたりと止まる。

 その顔から表情が消え失せていた。

 ……観察……されている。

 

 彼女は静かに口を開いた。

 

「それは……前に約束したのは、嘘だったということですか?」

 

 無機質な紫の瞳が僕を見据える。

 ここからの返答は、間違えれば即死もありそうな気配がする。

 それでも僕は迷わず踏み込んだ。

 

「ああ、嘘だ。僕は嘘つきだからね。あれはきみを動かすための嘘だよ。だって、僕がきみを抱く意味がないからね」

 

「意味がない……というのは、何故?」

 

「ヨールンは何百年だか何千年だか分からないけど、信じられないほど長く生きてるんだろう。なら、女性を悦ばせる事にかけては、僕がヨールンに及ぶはずがない。僕がきみを抱くのは、きみを寝取るという主旨に沿わないんだよ」

 

 ヤエナは目を閉じて少し思案する。

 

「……なるほど、それは分かりました。でも、それなら……私を寝取る気はあるという事ですね?」

 

「そうだね。そっちは嘘じゃない」

 

「そうですか……それでは、どうするつもりですか?」

 

「ああ……どうもしないよ」

 

 僕はヤエナの目を見て、答えた。

 微塵の気後れもなく、堂々と。

 

「傍で僕を見ていてくれ。僕の生き様を、きみに魅せよう」

 

 対してヤエナの反応は――驚き、懐疑、殺意、思案――瞬間的にいくつも表情が切り替わっていき、そうして最後には、いつも通りの顔に落ち着いた。

 

「分かりました。ただ……私の貴方への心象は、マイナスからの開始ですけれど」

 

 充分だ。

 

「それでは戻りますね。失礼します」

 

 それだけ言って、ヤエナは近くのテントの中に消えていった。

 

「……ふぅーっ……」

 

 なんとかこの場は凌げたようだ。

 ……おそらく、だけど。

 好きな人がいるから抱けない……などと本当の事を言っていたら、今ごろ僕はいくつかに分割されて大亀の外に放り出されていた事だろう。

 一抹の不安はあるけど……。

 ひとまず今は、みんなのもとに戻るとしよう。

 

 

 

 

 

 ――それから数日後。

 今はテントの中でパフィーと二人きり。

 僕はパフィーの太腿を枕にして、気持ちよく寝そべっていた。

 

「――そうして魔法使い相互扶助組合は魔法使いを守るために生まれたのだけど……結果として今は、魔法使いを監視して罰するのが仕事になってしまっているわね」

 

「へえー、なるほどなあ」

 

 僕はこうして暇さえあれば、この世界での知識を埋めるため、パフィーから色々な話を聞いていた。

 

「それじゃあ……今さらだけど、禁止されてるオノウェ隠蔽をやらせたのは危なかったんだなぁ」

 

「そうね。あの街に調査に来る魔法使いの精度次第だけど……わたしたちを責める材料になる……っていうのはあるかも」

 

「ごめんね、いろいろ無理させちゃって」

 

「ううん、いいのよ! 自分で納得してやった事だもの。……それじゃあ、次は何を話そうかしら?」

 

 周りに人はいない。

 これはチャンスだ。

 僕は慎重に言葉を繋げた。

 

「うーん、そうだなぁ……あっ、そうだ。知性・人格を操る第七次元魔法って、禁止されてないの?」

 

「禁止されてるわ。ただ、第七次元魔法を使える人は限られてて……みんな高名な魔法使いなの。だから彼らが使っても、組合から罰せられる事がないのよね」

 

 なんという権威主義。

 

「わたしもまだ、ごく簡単なものしか成功したことがないの。先生もまだ早いって言って、あんまり教えてくれないし」

 

 やはり“イードの森の魔女”グンシーか。

 僕はこの話の流れに沿って言った。

 あくまで自然に。

 さりげなく。

 

「人の人格を変えられたりするんだよね? それってさ、一時的なものじゃなくって……一度変えたら戻らないようなものなの?」

 

「だめよ?」

 

「……え?」

 

 なんて?

 僕は頭の向きをずらして、パフィーの顔を見た。

 笑顔。

 彼女は僕に笑顔を向けて、もう一度言った。

 

「だめよ? クラマ」

 

「……………………」

 

 ……いや、参ったな。

 世の中、そう簡単にはいかないみたいだ。

 今さらだけどパフィーって、優しいように見えて厳しい子だよねぇ。

 

 ――と、そこで何やら外が騒がしくなってるのに気が付いた。

 

「……なんだろ?」

 

「なにかしら?」

 

 小首をかしげるパフィー。

 僕らはテントの外に顔を出した。

 外ではなにやら騎士、それに冒険者たちが大勢集まっていた。

 

「あっ、クラマ!」

 

 イエニア?

 ……の、横にいるのは……?

 

「おお! 会いたかったぞクラマ!」

 

 と、なんだか親しげに僕を呼ぶおじさん。

 おじいさんと言ってもいい歳かな?

 しかし歳のわりに若々しい雰囲気をしている、やけに意匠を凝らした鎧に身を包んでいる男性。

 この人は……あれだ。

 初めて見るけど、あれだ。間違いない。

 

「父上、クラマ様がお困りですよ。彼は貴方のことをご存じないのですから」

 

 ティアもいた。

 ティアに言われて、おじいさんはバツが悪そうに頭を掻いた。

 

「おおっと! これは失敗したな! こちらは正騎士の盾で毎日のように諸君らを見ていたのでね……いや、てっきり昔からの知り合いのように感じてしまった! はは、許してくれ!」

 

 ははあ、なるほど。

 テレビやネット配信に映ってる有名人に馴れ馴れしく話しかけちゃうあれだ?

 

 でも向こうの方がずっと有名人なんだよね。

 なんたって王様だもの。

 騎士王国ラーウェイブの王にして、ティアの父親。

 パウィダ・ヴォウ=ウェイチェ。

 

 僕は王の前に立って口を開いた。

 

「こちらこそ杖をつきながらで失礼します。お会いできて光栄です、ウェイチェ王」

 

 そう言って深々と頭を下げた。

 僕の隣ではパフィーも綺麗なお辞儀をしている。

 うちのパーティーって、みんなこういうの得意だね。レイフ以外は。

 

「はは、そんなに畏まらないでくれ。これでは私だけ駄目な奴のような……いやエイトがいたか! ん? どうしたエイト?」

 

 ウェイチェ王はイエニアの顔を覗き見る。

 エイトはイエニアの本名だね。ややこしいね。

 それはさておき、彼女は何故だか浮かない顔をしていた。

 

「え、いえ……彼……クラマには、正騎士の盾で我々の活動が見られている事を秘密にしていましたので……その、申し訳ないといいますか……」

 

「大丈夫だよ、僕は気にしてないから」

 

「はい。ありがとうございます、クラマ」

 

 正騎士の盾で映像を送れるって分かった時点で、そのあたりは予想できてたしね。

 ……そんな僕らのやりとりを、ウェイチェ王は珍しいものを観察するように、しげしげと見ていた。

 

「ふうむ……あのエイトが……今まで映像越しに見ていたが……こう、目の前で見るとまた妙な感慨があるな」

 

「どういうことでしょうか?」

 

 僕は王に尋ねた。

 王は非常に楽しそうな様子で答える。

 

「ああ! エイトはこう見えて相当なじゃじゃ馬でなぁ! こいつが私以外の者に敬語を使うなど、国では見たことが――」

 

「お、王! そのようなことを言いに来たのではないでしょう! クラマに用件があるのですよね!?」

 

 慌てて王の言葉を遮るイエニア。

 へぇ~、これは意外。是非とも聞きたい話だ。

 

「国王陛下直々にご足労頂き、恐縮です。どういったお話でしょうか? 彼女の話は後日、詳しくお聞かせください」

 

「く、クラマ! 後日もないです!」

 

 すごい慌てようだ。

 王と僕の話を遮る不敬にも気付かない動揺っぷり。

 一体どんなだったんだろう、昔のイエニアは……。

 

 ウェイチェ王は僕に頷いてみせる。

 そして改めて僕に向き直り、正面からこちらを見据えて言った。

 

「うむ。これはまだ正式な話ではないのだが……貴殿に我が軍を任せようと思っている」

 

 ……なんだって?

 周囲のギャラリーがどよめく。

 イエニアも知らされていなかったようで、驚いた顔をしてる。

 

 これは大きい話だ。

 どう答えたものだろう。

 僕はパーティーのみんなの顔を見る。

 パフィー、イエニアは、僕が顔を見ると頷き返す。僕に任せる、と。

 後は……あっ、いた。

 レイフはギャラリーの奥。笑顔でひらひらと手を振っている。

 ……まったく、あの人は。

 

 僕は苦笑を押さえて、王に返答した。

 

「もし正式な辞令が下れば、謹んでお受けしたいと思います」

 

 僕がそう答えると、周りの冒険者から歓声があがった。

 王も満面の笑みを見せる。

 

「うむ、そう言ってくれるか! ありがたい! それでは冒険者諸君、邪魔をしたな! 我がラーウェイブはもう目と鼻の先だ! 改めて諸君らを、我が王国の客人として歓迎しよう!」

 

 今度は騎士も混ざって、大きな大きな歓声が、緑色の草原に響き渡った。

 

 

 

 

 

 ウェイチェ王が立ち去った後、当然のように僕は冒険者たちにもみくちゃにされて、やはり当然のように盛大な酒宴と相成った。

 無限に酒を精製してくるね、この人らは本当に。

 

 飲まされすぎてダウンしてる僕のもとへ、イエニアが訪れる。

 

「大丈夫ですか? クラマ」

 

「うぇーい……もうだめぽよー」

 

「……お酒もそうですけど、軍の指揮も……」

 

「ん……」

 

 不安そうなイエニアの声。

 ……たしかに僕にはそういう経験はない。

 でも、予感があった。

 多分だけど。

 おそらく、僕よりもうまく戦争ができるやつは、この世界に存在しない。

 

 そこに、もうひとりの声。

 

「大丈夫でしょう、クラマ様なら」

 

「……ティア。いや、もうイエニアって呼んだ方がいいのかな?」

 

 格好はかつらをつけてメイド服のままだけど。

 でも、ラーウェイブに入ったら、このままじゃ混乱するよねぇ。

 

「そうですね。クラマには馴染んだ呼び名を変えるのは抵抗があるかもしれませんが……」

 

「ふむ。ティアのフルネームって、パウィダ・ヴォウ=イエニアだよね?」

 

「そうです。ミドルネームは王族であることを現しています」

 

 西洋っぽい響きだけど、苗字が前で名前が後。

 日本と同じ形だね。

 

「イエニアのフルネームって?」

 

「あ、私には苗字はありません。ただのエイトです」

 

 そういえば、この世界は苗字を持たない人が多いって聞いたことがあるな。

 ……って事は。

 僕はそこで閃いたね。

 

「じゃあ、苗字をイエニアにすればいいんじゃない?」

 

「え……?」

 

 イエニア=エイト。

 現代日本じゃ馴染みがないけれど、実際、他人の名前を自分の名前にくっつけていくっていうのは、昔からよくある事だったりする。

 

 イエニアは戸惑いつつ、ティアの顔を見る。

 

「……それは考えつきませんでした。わたくしは構いませんよ」

 

「え、いいの? あっ、いや、いいのですか?」

 

 なんか今、一瞬出たね。

 

「ええ。そうすると、わたくしは名前を増やして……パウィダ・ヴォウ・ティア=イエニアですね」

 

「……なんだか妙な感じですね。そうだ、ついでに聞いておきましょう。髪の方はどうしたらいいでしょう?」

 

 名前だけじゃなく、そっちの問題もあった。

 イエニアとティアはかつらを被っている。

 

「さすがにわたくしはラーウェイブに着いたら外しますが……」

 

 まあ、ティアはそうだよね。公の場に出る王族だし。

 ……って、それを言えばイエニアもか。

 騎士団の代表者である正騎士。

 人前に立つのに、姿を偽るのはいただけないだろう。

 うーん、でもなー……

 

「僕は髪が長い方が好きなんだけどなー」

 

「分かりました。では、伸びるまでこのままで」

 

「え?」

 

 なんか即答されたよ?

 なにげなく言った僕の一言に。

 

 イエニアを見ると、なんだか嬉しそうな顔で頭のかつらを押さえている。

 

「ふふ……二人とも、ありがとうございました。それでは、私は一足先に下に戻って、街に入る準備をしてきます」

 

「ああ、うん……」

 

 僕は呆気にとられて見送る。

 ううーん、それでいいのか正騎士……。

 

「わたくしも失礼いたします。昔の彼女に関する話は、落ち着いたらわたくしからもお教えしますね」

 

「うん、期待してる」

 

 ぺこりとお辞儀をして、ティアは去っていった。

 

 

 

 ……さて。

 周囲は未だ冒険者達のどんちゃん騒ぎ。

 僕はふらつく足で立ち上がって、周囲の景色を見渡した。

 

 空は青く、どこまでも青く広がっている。

 周り一帯は草原。一面の瑞々しい緑の海。

 大亀の進む先には、畑と城塞。まだ少し遠いけれど、僕らの目指す街が目に見える場所にある。

 

 綺麗な光景。

 僕は素直にそう思った。

 こうして改めて眺めてみて……この世界が、とても愛おしく感じる。

 騒がしい冒険者たちの騒音も含めて。

 

 

 突然この世界に召喚されて、これまでに色々あったけど……本当に来てよかった。

 そういう意味じゃ、ヒウゥースやディーザに感謝かな?

 とにかく、僕の胸の内には、地球から来た他のみんなにも、この美しい世界を教えたいという気持ちと――

 その上で、この世界を壊したいという気持ちがある。

 

 しかしそう悲観的な感じはしていない。

 僕には仲間がいる。

 不安の種は尽きないけれど、きっとなんとかなる。

 そう信じて、進んでいこう。

 

 

「おつかれさま。大活躍だったね」

 

 不意に声をかけられ、僕は後ろを振り返った。

 目の前には見覚えのない、緑の髪と目をした少女。

 冒険者だろうか? この大亀に乗ってる冒険者の顔は、みんな覚えたと思ってたけど……。

 

「ありがとう。ええと……どこかで会った?」

 

 彼女は首を振った。

 

「ううん、ぼくが一方的に知ってるだけ」

 

 僕も有名になったものだ。

 中性的で、どこか不思議な雰囲気のある少女は、ふふっと悪戯っぽく笑った。

 

「ほんとは声かけるつもりなかったんだけどね。応援したくなっちゃって」

 

「それは嬉しいね。……きみの名前を聞いてもいいかな?」

 

 だが彼女はそれに答えない。

 代わりに、にこっと笑った。

 

「できればこのまま進んで……みんなみんな、壊して欲しいな。そうすれば、あいつらも出て来るしかなくなるし」

 

「え……」

 

「そのためにも、ぼくの子供たちも大事にしてね? じゃあ――」

 

 ――強い風が吹いた。

 この世界では珍しい強風。

 僕は思わず目を瞑り、そして……

 目を開けた時、先ほどまでそこにいた少女の姿が消えていた。

 

「ウェェェェェェイ」

 

 僕は足元を見る。

 そこには、フォーセッテの子供がいた。

 

「ウェイ! ウェイ! ヴェオッ!」

 

 そして僕の足をつつきだす!

 

「あだだだだだ!」

 

 僕は緑の狂鳥をむんずと掴みあげた!

 

「こいつ……」

 

「あーっ! そんなところに!」

 

 響くパフィーの声。

 パフィーはぱたぱたとこちらに走り寄り、僕の手からフォーセッテを奪い取った。

 

「もう! 今度は勝手にいなくなっちゃだめよ?」

 

「ウェェェェェェイ」

 

 むうう、こうして見れば微笑ましいと言えなくもないが……。

 

 ……………。

 僕はパフィーに声をかけた。

 

「パフィー、聞いていい?」

 

「なあに、クラマ?」

 

「緑の目をした人って、いる?」

 

「生まれた時には緑の子はいるわ。でも、物心つくと同時に改宗するから、赤ん坊だけね。緑は風来の神の色だけど、風来の神は自らが神であることを捨てたから……信仰しても心量を得られないの」

 

「……なるほど」

 

「うん。……わわっ! 暴れちゃだめ~! そ、そっか、ここ地球人が多いから……しょうがないわね。ちょっとこの子の籠を作ってくるわね?」

 

 そう言ってパフィーはテントの方へ走り去っていった。

 

 その場に残った僕はひとり考える。

 ………………………ま、いっか。

 考えてもしょうがない。

 僕が生きていれば、きっといつか分かる日も来るんだろう。

 

 そんな遠い先のことを考えるのはやめにして。

 それより気になることが目の前にある。

 酒盛りしてる冒険者たちの中。

 そこにはお酒を片手に手招きをしている、レイフの姿。

 うん。今の僕にはこっちの方が遥かに大事なもので。

 

 僕は苦笑しながら、歩き出した。

 



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第94話『レイフ#1 - エピローグ②』

「ほらクラマ、もう少しよ? 頑張って」

 

「うぇ~い……らいじょ~ぶ……ぼかぁー、まらまらいけんく……」

 

「はいはい、ゆっくり歩いてね」

 

 私は今、酔い潰れたクラマに肩を貸して、宿屋の廊下を歩いている。

 

「もう、無理して冒険者の人達に付き合うから……お酒弱いのに」

 

「ごえんなふぁい……」

 

「ふふ、いいのよ。こういうのも楽しいもの。でもイエニアの小言は覚悟しておいてね?」

 

「うぇい……」

 

 

 

 ここはラーウェイブ王国の国境沿いにある領地のひとつ。

 私たちの目的地は首都なのだけど、その途中で街に立ち寄り、補給と休憩をしている形だ。

 昼の間に街中を回った感じ……街並みは牧歌的で素朴な……悪く言えば貧しい暮らしぶりだった。

 地方でもそれなりの産業規模と生活水準を持つ帝国とは、まるで違う。

 ラーウェイブが小国であることを改めて意識させる街並みだった。

 

 そんな中でも、いつもと変わらないクラマには頼もしさを覚える。

 あれだけの大役を引き受けた後だっていうのにね。

 ……不思議な人よね。

 

「はい、着いたわよ。よいっしょ……っと」

 

 宿の部屋に着いた私は、クラマをベッドの上に寝かせた。

 ありがたいことに、一人につき一部屋をあてがってもらっている。

 冒険者全員を泊めるには宿の数が足りなかったのだけれど、どうやら人々が自主的に民家を空けてくれたらしい。

 国民から人気があるのね、この国の王様は。

 そんなところも帝国とは正反対。

 

「クラマ、気分は大丈夫? お水を持って――」

 

 と、クラマに声をかけてみたところ。

 

「すー……すー……」

 

「あら、もう寝ちゃったのね」

 

 そのまま私も自分の部屋へ――と戻るその前に。

 ベッドの上で寝入っているクラマの傍に、私は腰かけた。

 

 そして、その寝顔を覗き込む。

 

「……ふふ、かわいい」

 

 普段は無邪気な子供のようでありながら、それでいて同時に大人びている……どこかミステリアスなクラマの姿。

 それが、取り繕った外向けの顔だと私は知っている。

 だけどこうして、すやすやと寝息をたてている時の表情は……年相応の、まだ幼さの残る男の子だった。

 

 ふと、私は窓の外を見上げた。

 四角い窓枠に張りついているのは、黒く、ただただ黒い深遠の闇。

 私は以前クラマに教わった、ここではない異世界の話を思い出す。

 夜の空はただ黒いだけではなくて……月や星というものが空いっぱいに広がっていて、まるで宝石を散りばめたようなのだと。

 

「うぅん……宝石、ねぇ……?」

 

 想像してみる。

 丸とか四角とか色々な形をした宝石が、キラキラと輝きを放って夜の空にいっぱい浮いている景色。

 ……なんだかすごい騒がしそう。

 そんなにいっぱいあったら、昼間よりも明るくなるんじゃないかしら?

 謎に満ちた異世界の話。

 クラマの言う通り、もし自分の目で見られたなら……とても素晴らしくて、夢のある話だと思う。

 ふふっ、なんて。

 叶わないことでも、夢を見るのは素敵よね。

 

「ねえ、クラマ。どんな夢を見ているの?」

 

「……んぅ……」

 

 寝ているクラマは答えない。

 私はとうに、夢を見ることは諦めた女だ。

 かつて、帝国貴族の婚約者が冤罪で処刑された時。

 矮小な自分には復讐すらも果たせないと知ってしまった時。

 あれから私は、自分の人生に夢を持つことをやめてしまった。

 ただ刹那の快楽に身を委ねて、そのまま腐り落ちるように消えてゆければいいと……そう思っていた。

 

 今は違う。

 夢を持てないのは相変わらずだけど……今を必死で生きている彼らのために、こんな自分でも何か出来ることがあればと考えている。

 

 

 ……嘘。

 夢を持てないなんて、そんなこと。

 本当は、少しだけ期待していることがある。

 

 

 

 ――ちょっと待った。そこも誤解があるんじゃないか。僕が好きなのは――

 

 ――分かったわ、パーティーを抜けるのはやめる。その代わりに……今の言葉の続きは、ダンジョン攻略が終わってから聞くわ。

 

 

 

「…………クラマ?」

 

 そっと名を呼ぶ。

 もちろんクラマは答えない。

 だから私は続けた。

 

「ねえ、いつまで待たせるつもりなの?」

 

 寝ている彼は答えない。

 まったくもう、本当に。

 ここぞっていう時にだめなひと。

 

「しょうがないわね。待つのは女の役目だし……でも……」

 

 布団に沈み込んで寝入っているクラマの横顔。

 私はその頬に、そっと唇を近付け、キスをした。

 軽く、ただ触れるだけの口付けを。

 

「……これくらい先に貰っても、いいわよね?」

 

 そうして私はベッドから降りて立ち上がる。

 

 

 ……クラマは何か心に大きな闇を抱えている。

 私にはそれがよくわからない。

 パフィーは何か勘付いているみたい。

 イエニアは……いつか、クラマがそれを打ち明けるようなことがあれば……たぶん、その時が彼女にとっての試練になる気がしている。

 

 

 

 ――だけど、僕が隠してるのはそれだけじゃない。

 

 ――でも……それは言えない……それだけは、どうしても……。

 

 

 

 結局、あの街にいるうちは、“その時”は来なかったけれど。

 

 

 

 ――実はね、私もクラマにまだ嘘をついてるの。

 

 ――クラマが教えてくれたら、私も教えてあげる。

 

 

 

 クラマが打ち明けてきたら、私も教えなければいけない。

 いつか打ち明ける時が来るのかしら。

 私が彼についた嘘。

 

 ……何も嘘をついてないという嘘を。

 

 話していない事はあるけれど、隠し事なんてひとつもしていない。

 あの時の私は落ち込んでいるクラマをやる気にさせるために、「嘘をついてるという嘘」をついたのだ。

 あれから何度かダンジョンに潜ったけれど、彼が秘密を打ち明ける事がなかったから、私の嘘は今もあの夜の暗闇に隠れたままだ。

 

 これが、ついに最後まで暴かれなかった私の嘘。

 

 小さくて、どうでもいいような、たったひとつの嘘だった。

 

 

 

 

 

 イエニアやパフィーと出会い、クラマを召喚して、アギーバの街では本当に色々あった。

 つらいこともあったけど、こうして振り返れば、夢のように楽しかった日々。

 ……これからきっと帝国と戦争になって、つらいことや悲しいこと、悲惨な出来事がたくさん訪れると思う。

 

 けれど、もしも願いが叶うならば。

 

 いつか来る別れの日まで、あの街で過ごした日々が、良い思い出でありますように。

 



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