偽典・女神転生~偽りの王編~ (tomoko86355)
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プロローグ

大分、不定期になりますが、気長によろしくお願いします。


神奈川県横浜市の東京湾岸にある港湾―『横浜港』。

多くのタンカーや、貨物船が停泊するその場所に、一際目立つ巨大な船があった。

豪華客船『ビーシンフル号』。

様々な政財界の人間達が利用する超最高級ホテル。

平日等は、上流階級の人間達で賑わうその場所も、深夜帯を回るこの時間では、誰一人としていない。

そんな甲板の上を一人の青年が歩いていた。

10月の半ば辺りを過ぎ、かなり外気が冷たいというのに、その青年はシャツ一枚と黒のスラックスという恰好であった。

病的に白い肌と、肩まである長い黒髪。

シャツから覗くその肌には、黒いタトゥーが彫り込まれている。

物憂げな表情をした青年は、海岸沿いから見える巨大な”壁”へと視線を向けた。

海上都市、『天海市』を取り囲む様に造られた巨大な壁。

20数年前の原発事故により、放射能による漏洩を防ぐべく、特殊な防護壁で覆っていると世間一般では伝えられているが、事実は違う。

二上門地下遺跡から発生した異空間の穴・・・・後の『シュバルツバース』の拡大を防ぐ為の代物だ。

巨大な穴は、年々その規模を拡大し、今では東京湾を覆う程の大きさまで広がっている。

 

「新しい躰の調子はどうだ? V。」

 

背後から掛けられる声に、黒髪の青年― Vは、徐に振り返った。

数歩離れたその先には、やや時代遅れのスーツを着た50代半ばぐらいの壮年の男が、煙草を口に咥えて立っている。

 

「この頭痛さえ何とかなれば、最高だよ? 父さん。」

 

繊細な指先で蟀谷を軽く揉みつつ、Vは、男の質問に応える。

男は、夜空に向かって煙草の煙を吐き出すと、義理の息子の傍らに立って、ライトアップされた『壁』へと視線を向けた。

 

「少々、強引なやり方で”グリちゃん”達と契約させたからな。その後遺症が頭痛という形で出ているんだろう。」

 

頭痛は、上位悪魔との契約によるリバウンドだ。

契約当初は、暫く悩まされるであろうが、肉体が馴染めばいずれ無くなる筈だ。

 

「良いのか? 彼等は貴方の大事な魔具だろ? 」

 

此方に漂ってくる煙を煩そうに手で払いつつ、Vは、隣に立つ男を一瞥する。

 

「くだらん事を気にするな・・・・アイツ等だって、お前を護る為に態々、志願までして来たんだぞ? 」

「だが、”ナイト・メア”まで・・・・。」

「良いんだよ・・・・アレは、お前を護る最後の盾と思って契約させた。」

 

海岸沿いに建設された壁を眺めつつ、男―葛葉・キョウジは苦笑を浮かべる。

 

「どうして・・・・貴方の信頼を裏切り、大罪人となった俺に此処までしてくれるんだ? 」

 

心の奥に秘めていた疑問を、思わず吐露する。

 

自分は、この男の期待を全て裏切った。

人並み以上の愛情を与えられ、それまで順風満帆だった人生を全て捨てた。

悪魔になる道を選び、古の塔”テメンニグル”を復活させ、多くの人間達の命を奪った。

計画が失敗し、魔界を統べる4人の魔王、”魔帝・ムンドゥス”の走狗に成り果てた。

組織『クズノハ』最強と謳われる悪魔召喚術師と、双子の弟に倒され、瀕死の重傷を負った。

極寒の地、”ホド”で、只、死を待つ自分を救い出したのが、隣にいる男だ。

7年間、実の子でも無い自分を探し求め、魔界を放浪してくれたのだ。

命を取り留め、仮初の肉体まで与えてくれた。

そして、今度は、この男自身が築き上げてきたモノを全て捨てようとまでしている。

 

「決まってる、お前が俺の大事な家族だからだ。」

 

そんな、義理の息子に対し、キョウジは、まるで何でもないかの如く笑って見せる。

自分の肩を軽く叩くその姿に、Vは心の奥から何かが込み上げて来そうになり、唇を噛み締める事で、ぐっと堪える。

 

「良いか、これから行うミッションは、俺達二人の信頼が鍵になる。」

「・・・・。」

「だから、迷いを捨て、グリちゃん達を信じるんだ。 召喚術師の心得は、さっき教えてやったよな? 」

「・・・・・術師とは、無力なる存在、悪魔の力を使役してこそ、その真の力が発揮される・・・。」

「そうだ。 グリちゃん達あってのお前だ。 お前が彼等を信じれば、きっとその期待に応えてくれるだろう。」

 

キョウジは、甲板沿いに備え付けられている灰皿に吸い終わった煙草を消すと、改めて義理の息子へと向き直る。

何処までも真っ直ぐで、迷いなど一片も無い双眸。

Vは、何も応えられず、只、下に俯いているより他に術がなかった。

 




いよいよ、日本編開始です。


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第一話 『噂 』

登場人物紹介

遠野・明・・・・日本編主人公、『聖エルミン学園』の高等部2年生。
組織”クズノハ”の暗部・八咫烏の中でも、精鋭部隊として名高い”十二夜叉大将”毘羯羅大将(びきゃらたいしょう)の銘を持つ。
法具を使用する事により、”鬼”に変身する事が可能。
元少年兵であり、そこで殺人技術を学んだ。



頬に感じる地面の感触。

四肢を男達に抑え付けられ、身動き一つ出来ない。

悔しさと怒りで涙が頬をとめどなく伝う。

歪む視線の先には、最愛の人が複数の男達に弄ばれる姿が映っていた。

右耳から鮮血を流し、苦痛と堪える事が出来ぬ快楽で、美しい顔を歪めている。

覆い被さる男に激しく突き上げられ、華奢な肢体が人形の様に揺れた。

 

「うぐっ!うううううっ!! 」

 

止めろ!汚い手でその人に触れるな!

血を吐く様な、声にならぬ叫び。

怒りで真っ赤に染まる視界。

刹那、凌辱される最愛の人と、視線が合う。

 

「お願い・・・・見ないで・・・・。」

 

快楽の喘ぎを洩らしつつ、血も繋がらむ子へと懇願する義理の父。

怒りの咆哮が喉を突き破る。

 

 

目覚めは唐突だった。

まず最初に視界に飛び込んで来たのが、薄汚れた天井とクルクルと回るシーリングファン。

狭い室内には本棚が並び、様々な魔導書が収まっている。

樫の木で出来たデスクには、最新式のPCが1台置かれ、スタンドライトが炯々と机の上を照らしていた。

何時も見慣れた『葛葉探偵事務所』の光景である。

 

(糞・・・・・またあの夢か・・・・・。)

 

硬い革張りのソファに横になっていた少年― 遠野・明は、粗い呼吸を繰り返しつつ、忌々し気に舌打ちする。

こうして悪夢にうなされるのは、もう幾度目だろうか?

4年前に起こった情景を想い出し、その度に、例える事が叶わぬ怒りの炎で腹腔を焼き尽くす。

 

「あれ? 起きたんだ・・・。」

 

その時、ダイニングへと通じる扉を開き、そこから同年代と思われる少年が姿を現す。

名前は、壬生・鋼牙(こうが)。

明と同じ組織『クズノハ』に所属する剣士(ナイト)だ。

 

「お昼ご飯出来てるけど食べる? 」

「・・・・・喰う。」

 

起き上がった明が、短く応える。

気が付くと、躰に毛布が掛けられていた。

何時もの”撮影”を終え、山谷から此処に戻って来た時は明け方になっていた。

睡魔に勝てず、倒れ込む様にソファで寝たのだけは覚えている。

どうやら、見かねた鋼牙が風邪を引かぬ様にと、態々、毛布を用意してくれたらしい。

 

「すまねぇ・・・。」

 

ダイニングテーブルの席へと腰掛けた明が、開口一番そう言った。

 

「何が? 」

 

ナポリタンが盛られた皿とフォークを並べる眼鏡の少年が小首を傾げる。

 

「別に・・・・コッチの事だ。」

「そう・・・。」

 

この短い会話のやり取りが、彼等二人の日常会話だ。

口下手で必要以上の事を喋らない明に、鋼牙はもう慣れっこである。

超国家機関『クズノハ』暗部、”八咫烏”に所属し、知り合ってから数年、寝食を共にしているのだ。

明のちょっとした仕草だけで、彼が何を伝えたいのか大体分かる。

 

「今日、何か予定ある? 」

「特にない。 」

「そう、なら仕事に付き合ってくれる? 2時頃に依頼人(クライアント)が来る予定なんだよ。」

「依頼人(クライアント)? 珍しいな。」

 

この探偵事務所に、客が来るなど何カ月振りだろうか? 

一応、DDSと呼ばれる掲示板に探偵事務所の宣伝はしているが、一度としてまともな依頼が来た事が無い。

来るとしても、迷子になったペット探しや、用水路に落とした指輪探し、果ては浮気の素行調査みたいな仕事ばかりである。

それでも、一応、探偵事務所としての仕事を行わなければならない。

そうしないと、最悪『組織』から、活動資金を止められた挙句、事務所を閉鎖しろと命じられる可能性もあるからだ。

 

鋼牙曰く、相手は自分達と同じ、十聖高校の生徒らしい。

聖エルミン学園は、初等部から高等部まであるエスカレーター式の学園で、葛葉の縁者が理事長を務めている。

国際学校・・・・俗にいうインターナショナル・スクールとしても有名で、様々な国籍の子供達が通う。

自由な校風を掲げ、国際交流を旨とするイベント等が盛んな学校だ。

 

午後2時頃、指定した時間より10分早く、依頼主は事務所を訪れた。

どうやら部活動の帰りらしい。

聖エルミン学園の制服を着用し、吹奏楽部に所属しているのか、楽器が入った大きなケースを背負っていた。

 

「あ、貴方達が、探偵なの・・・・・? 」

 

事務所に入った女生徒は、明と鋼牙を見て戸惑いの色を浮かべた。

無理もない。

自分とそう歳も変わらぬ少年二人組が、探偵事務所にいるのだ。

想像とは、天と地程も掛け離れている。

 

「はい、貴女が依頼人の菅沼真紀さんですね? 」

 

鋼牙は、人好きする笑顔を浮かべると来客用のソファに座る様、女性徒―菅沼真紀へと勧めた。

渋々と言った感じで、真紀がソファへと座る。

コーヒーを入れる為、明がダイニングキッチンへと消えると、鋼牙が早速、依頼者である真紀の話を聞く態勢に入った。

 

「これ『探偵管理者資格書』です。僕達は、国が規定した調査員なので安心して下さい。」

 

未だ、警戒の色を隠しもしない真紀に対し、鋼牙が革のパスケースを見せる。

中には、顔写真の貼り付けられた資格カードが入っており、国家公安委員会の判子が押されていた。

 

「・・・・本物・・・みたいね・・・・やっぱり麻津里が言ってた事は本当だったんだ。」

「日下・麻津里さんのお友達ですか? 」

「そうよ・・・中等部の時は同じクラスだった・・・高等部に進級してからは、クラスがバラバラになっちゃったし、お互い部活動で忙しいから、疎遠になったけど。」

 

真紀は、そこで一旦言葉を切ると、探る様に真向いに座る鋼牙を見つめる。

 

「麻津里(あの子)が言ってたんだけど、幽霊とか怪物退治もしてるって本当? 」

「ええ・・・一応『悪魔狩人(デビルハント)』の資格もありますよ? 」

 

真紀の質問に、鋼牙は躊躇いを一切見せず、素直に応える。

そんな二人の間に、熱いコーヒーを二つ、盆の上に乗せた明が、事務所内へと入って来た。

無言で、依頼主である真紀と鋼牙の目の前へと置く。

 

「・・・・・貴方達・・・・『魔神皇』って知ってる? 」

「『魔神皇』? 今、SNSで有名な呪い執行者の事ですか? 」

「そう、 恨んだ相手を100%殺してくれる、呪いの執行人よ。 」

 

真紀は、鋼牙の隣に腰を下ろし、自分専用のマグカップで熱いカフェオレを啜る明を横目で眺めつつ、慎重に言葉を選びながら話し始めた。

 

『魔神皇』とは、数年前からネット上に噂される怪人の事である。

『エルバの民』と呼ばれる掲示板に、恨んだ相手の名前と内容を書き込むと、魔神皇と名乗る人物が現れ、事故に見せかけて相手を呪殺してくれるのだという。

真紀は、その怪人に、とある人物を呪い殺してくれる様に『エルバの民』に書き込んだのだ。

 

「さ、最初は、ちょっとした憂さ晴らしみたいな気持ちだった・・・でも、段々、怖くなっちゃって・・・・それで、掲示板の書き込みを消そうとしたんだけど・・・。」

 

『エルバの民』が何者かに消され、見つける事が出来なかったのだという。

 

「ありもしない掲示板を俺達に探させて、呪いを取り下げろってのか? 随分と無茶な依頼だな。」

「おい、明・・・・。」

 

久し振りの客に対しての、余りな態度に、傍らにいる鋼牙が思わず窘める。

詰問された女生徒は、何かを思い悩んでいるのか、終始俯いたままであった。

 

「分かってる・・・・自分でも何を言いたいのか正直分からない・・・でも、でも目の前であんなモノ見せつけられたら、怖くて頭がおかしくなるでしょ!? 」

 

余りの恐怖の為か、真紀の顔色は紙の様に蒼白く、血の気が全く通ってはいなかった。

完全に怯え切っているのか、躰が小刻みに震えていた。

 

 

菅沼真紀は、聖エルミン学園高等部2年生であった。

吹奏楽部に所属し、秋の全国大会に向けて日々、忙しく練習をしている。

当然、練習によるストレスと大会の緊張により、フラストレーションは否が応でも貯まる。

そんな折、友達数名とちょっとした遊びをした。

現在、学生の間で噂になっているネットの掲示板に、気に入らない先生や生徒の名前を書いて呪い殺して貰おうとしたのである。

流石に、当初は躊躇いを覚えたが、科学が進んだ現代で、呪殺など御伽噺と同じ。

絶対有り得ないだろうという、軽い気持ちである生徒の名前を書きこんでしまった。

 

「馬鹿だった・・・・何であんな事しちゃったんだろ・・・・今でも物凄く後悔してる・・・。」

 

終始下に俯き、真紀は、嗚咽交じりに話しを続ける。

 

彼女が掲示板に書いたのは、同級生の女性徒の名前であった。

八神・咲。

彼女は、聖エルミン学園内では、ちょっとした有名人である。

曾祖父から続く官僚の血統であり、成績優秀、容姿端麗、少々内向的な性格をしているが、それでも人付き合いは至って良好であった。

しかし、それでも彼女に対し、悪い感情を持つ者達は、少なからずいる。

菅沼真紀も、そんな連中の一人であった。

 

「本当に軽い気持ちだったの・・・・・学園内でチヤホヤされてるアイツが気に喰わなかった。 だから、ストレス発散の為に、有る事無い事書き捲ってやった・・・呪いなんて、絶対に存在しないと思ってたから・・・。」

「でも、それは間違っていた・・・・。」

 

鋼牙の指摘に、真紀は力無く頷く。

 

ある日、彼女は修理に出していた楽器を受け取ろうと、矢来銀座へ訪れた。

ついでに何か買い物でもしようかと、街中を散策していた彼女は、とある事件に巻き込まれたのである。

 

「びっくりした・・・・まさか、目の前で飛び降り自殺の現場を見るとは思わなかった。」

 

歩道を歩いていた彼女は、数メートル先を歩いていた女子大生らしいグループの頭上から何かが落ちて、激突する瞬間を目撃してしまったのだ。

女子大生のグループ数名を襲ったソレは、6階建てのテナントビルの屋上から、飛び降り自殺した男子学生であった。

運悪く、彼女達の頭上に落ちてしまったのである。

男子学生と激突した女子大生は、即死。

余りにもショッキングな場面を見た真紀は、呆然とその光景を眺めていた。

 

「後で、家に帰って調べて見たら・・・・自殺に巻き込まれた女子大生の一人が、例の掲示板に名前を書かれていた奴だったらしいのよ・・・・。」

 

家に帰った真紀は、先程起こった事件の詳細を調べ様と、スマホで検索してみた。

すると、SNSに死亡した女子大生の事が書かれていたのである。

その女子大生の名前を『エルバの民』に書きこんだのは、高校時代から付き合いのある同性の友達であった。

当時、付き合っていた男性をその女子大生に横取りされての恨みと嫉妬が、原因であった。

 

「成程、だから貴女は怖くなって、僕達に相談しに来たんですね? 」

「そうよ・・・・貴方達、怪物退治の専門家なんでしょ? 呪いを取り消しする方法とか知らないの? 」

 

無茶な依頼である事は、百も承知だ。

しかし、今の真紀は、藁にも縋りたい心境であった。

 

「因みに、”魔神皇”という掲示板の主は、貴方に呪い殺したい相手の爪とか髪の毛とか要求して来ませんでしたか? 」

「・・・・・ない。 一度も掲示板の主から私に連絡何て来なかった。」

 

掲示板の主は、真紀に対し、一切の接触をしていない。

彼女は、只、八神・咲に対する誹謗中傷を書き殴っただけである。

咲の父親は、経済産業省大臣、八神・誠で、各メディアに広く顔と名前は知られている。

故に、彼女の事を調べるのは容易いだろうが、果たして、何の見返りも無く、リスクが高い呪殺など簡単に請け負うだろうか?

 

「成程、分かりました。 僕達も出来るだけの事をして、その『魔神皇』なる人物を調べてみますよ。」

「・・・・ほ、本当に引き受けてくれるの? 」

 

雲を掴む様な、不可解過ぎる内容の依頼だ。

いくら『悪魔狩人(デビルハント)』の資格者だとしても、そう簡単に引き受ける訳が無いと半ば諦めていた。

しかし、返って来たのは、真紀が予想もしなかった応え。

戸惑うのは当たり前である。

 

「相手が、禁術とされる外法に手を出しているとするなら、放置する訳にはいきません。僕達の役目は、日ノ本の民を守護する事にありますからね。」

「あ、貴方達、一体何者なの? 」

 

強い、使命感を帯びた双眸に見つめられ、真紀は訝し気な表情になる。

とても同年代の少年とは思えなかった。

 

「僕達は、只の私立探偵ですよ。 真紀さんみたいな迷える子羊は、放っておけないだけです。」

 

不思議そうに此方を見つめる真紀に対し、鋼牙は、まるで何でもないかの如く、朗らかに笑う。

その隣では、何時もの病気が始まったと、明が、呆れた様子で肩を竦めていた。

 

 

東京都大田区にある日本最大の空港・・・・・東京国際空港。

一般的に、羽田空港という名前で知られている。

その巨大な空港の到着ロビーに、10代後半と思われる一人の少年の姿があった。

蒼を基調とした長外套(ロングコート)に、黒のレザーパンツと革製のブーツ。

見事な銀の髪を短く刈り込み、大きなキャリーバッグと、肩にはバックパックを引っ掛けている。

 

「見つけたぁ! ネロぉおおおっ!! 」

 

余りの人込みの多さに面食らっているのか、思わず尻込みしている少年の耳に、甲高い少女の声が聞こえた。

其方の方へ視線を向けると、淡い光を放つ小さな妖精が、手を千切れんばかりに振っている。

 

「マベル? 何で、お前が此処にいるんだぁ? 」

 

ロビー内は、忙しなく一般人達が行きかいを繰り返している。

そんな中を、いくら小さい体躯をしているとはいえ、悪魔が平然と飛び回っていたら、パニックが起きるかもしれない。

 

「アンタを探す為に決まってるでしょ? 因みに、普通の人間には私の姿なんて見えないわよ。」

 

少年が危惧している事等、既にお見通しだ。

マベルは、満面の笑みを浮かべると、気易い態度で、ネロの肩に座る。

 

「ホラ、あそこにライドウが居るよ? 」

「ライドウさん? 」

 

マベルが自分の主がいる方向へ、指を刺す。

ネロが、其方の方に視線を向けると、人込みの中に見知った人物がいるのを発見した。

黒のキャップの上に、大き目なメンズパーカーのフードを目深に被り、ビンテージのジーンズにスニーカーという軽装をしている。

その背後には、ジャケットにシャツ、その下は茶のスラックスという恰好をした銀髪の大男を従えていた。

長い髪を無造作に後ろで一纏めにしているが、モデル並みの長身と整った彫りの深い容姿の為、否が応でも目立ってしまう。

 

「ちっ、人込みは大の苦手なんだけどな? 」

「だったら、態々ついて来なくて良かっただろうが。」

「アンタに悪い虫が付かない様に、俺がちゃんと監視してるんだよ。」

「はぁ・・・・俺は、いつから従者に監視される立場になったんだぁ? 」

 

そんな悪態を吐き合いつつ、ライドウとダンテが、ネロの元へと近づく。

 

「久し振りだね? ネロ。」

 

ダンテの時とは打って変わり、ライドウが柔和な笑みを銀髪の少年へと向ける。

一年振りに出会う憧れの君に、ネロの頬が微かに紅潮した。

 

今から一年前、義理の姉であるキリエが、その短い生涯を閉じた。

元魔剣教団の騎士であるネロは、その立場からディヴァイド共和国の厳しい監視の元、窮屈な生活を強いられた。

唯一の身内を失い、悲嘆にくれる彼を救ったのが、ライドウから送られて来た一通の手紙であった。

 

 

「随分と大きくなったな? 俺の身長なんてあっという間に追い越されちまったよ。」

「ら、ライドウさん・・・。」

 

自分の頭に優しく触れるその手に、ネロは、どうして良いのか分からず、頬を更に赤く染める。

1年前と、悪魔使いの容姿は何一つとして変わってはいない。

肉体が大人へと成熟し、がっしりとした体躯へと成長していく自分と違い、悪魔使いはまるで時間が止まったかの様に、あの頃のままで、目の前にいる。

胸の内から込み上げてくる気持ちに耐えられず、ネロは、思わずその華奢な肢体を抱き締めていた。

 

「ライドウさん! 会いたかった! 」

「ね、ネロ・・・・・? 」

 

自分より一回り近く大きなネロに抱き締められ、悪魔使いは思わず戸惑う。

そんな二人の様子を、少し離れた位置に立つダンテが、面白く無さそうに眺めていた。

 

「もしかして、焼き餅でも妬いてるの? 」

 

何時の間に、ネロから離れたのか、小さな妖精が、銀髪の大男の傍で飛んでいる。

 

「アホか、餓鬼相手に焼き餅なんて妬くかよ。」

 

からかうマベルに対し、不貞腐れるダンテは、思わず舌打ちする。

 

正直に言えば、ライドウがネロを養子として引き取る事に、あまり面白く無い感情があるのは否めなかった。

フォルトゥナの市立病院で、改めて紹介されたが、ネロがライドウに対し、恋愛感情に近い憧憬の念を抱いている事を、ダンテは男の勘で感じ取っている。

否、ネロばかりではない。

組織『クズノハ』の暗部に所属する猿飛佐助という男も、ライドウに対し、邪な感情を持っている。

 

 

 

 

数日前、東京、成城にある葛葉邸。

 

ダンテがその知らせを知ったのは、渋谷の地下街に発生した喰種(グール)討伐の任務を終えた時であった。

 

「ネロを養子として引き取る? 」

「ああ、彼も俺の申し出を快く受け取ってくれた。」

 

高価な書斎机の前に座るライドウは、最新型のノートパソコンに報告書を打ち込みながら、出入り口の前に立つ銀髪の大男に向かって言った。

10畳以上もある広い室内。

壁にある本棚には、様々な魔導書が隙間なく置かれ、大きな体躯をした成人男性が、優に横になれそうな大きな革張りのソファまで置かれている。

 

「ディヴァイド共和国が良く頷いたな? 」

「俺達”クズノハ”は、国連の中でも大きな発言力を持っている。 いくら先進国として名高い”ディヴァイド”でも、”クズノハ”の声を無視出来る程の権限は無い。」

 

それに、本音を言えば、ディヴァイド共和国にとっても、ネロという少年の存在は、腫れ物の如く厄介な代物であった。

ネロの体内には、”ソロモン十二柱”の魔神の一人、堕天使アムトゥジキアスが眠っている。

魔具『閻魔刀』によって、力を封じられているとはいえ、何時暴走して手が付けられなくなるという可能性も否めない。

悪魔の専門家として名高い『クズノハ』が、そんな厄介者を引き取ってくれるなら、喜んで従うだろう。

 

「親友に対する償い・・・てか? アンタらしいぜ。」

 

ダンテは、呆れた様子で肩を竦めると、革張りの高級なソファにドカリと腰を下ろす。

 

「それもあるが、あの子の躰には、アムトゥジキアスが眠っている。 いくら『閻魔刀』の力で強制的に休眠状態にしているとはいえ、何時目覚めるとも限らないからな。」

 

フォルトゥナ城、地下研究棟で、堕天使アムトゥジキアスと対峙したが、流石、ソロモンに名を連ねし魔神だけあり、その力は上級悪魔のソレを遥かに凌ぐ。

もし、完全に覚醒していたら、最上級悪魔(グレーターデーモン)を召喚する以外、対処は出来なかっただろう。

ネロは、クレドの大事な義理の息子だ。

死んだ友の為にも、ネロには出来るだけ人間としての生を謳歌して貰いたい。

だから、自分の眼の届く範囲に、ネロを置いておきたかった。

 

「ま、餓鬼の事はアンタに任せるとして・・・・何時になったら、俺を”壁内調査”に加えて貰えるんだ? 」

 

躰の半分が埋まってしまいそうな程、上質なソファに背を預け、ダンテは、書斎机で仕事をしている左眼に眼帯をした少年を睨み付ける。

 

レッドグレイブ市にある便利屋事務所を一時、休業してから1年余り。

此処、日本に来てからというもの、与えられる仕事は、下級悪魔の討伐ばかりだ。

東京湾をすっぽりと覆い隠してしまう程、巨大な壁。

あの壁の向こうに、巨大な異空間―シュバルツバースがある。

そこから漏れ出る僅かな瘴気を餌に、下級悪魔が東京近郊に、度々、実体化しては市民に被害を与えているのであった。

 

「いい加減、雑魚の相手は飽き飽きだぜ。 それに、俺はアンタの番だ。一緒に、壁内調査に参加するのが道理ってもんじゃねぇのかよ? 」

「・・・・・勘違いしているみたいだから、もう一度説明するが、お前は代理番だ。俺の正統な番は、玄武で、お前じゃない。」

 

噛んで含める様にライドウは、説明すると、ひと段落したのか、ノートパソコンの液晶ディスプレイを閉じた。

 

この話は、もう何度もこの男にしている。

日本に来てからというもの、ダンテは事あるごとに”壁内調査”に同行すると言い出して、きりがなかった。

 

「佐助からお前の事は聞いてるぞ。 独断専行が酷過ぎる。アレじゃ、何時取り返しのつかない事態になるか分からない・・・・とな。」

「ちっ、相手は、小鬼(ゴブリン)や喰種(グール)ばかりじゃねぇか。あんな雑魚共俺一人で十分だ。」

「下級悪魔と思って侮るな! 」

 

ライドウの鋭い叱責に、ダンテは思わず口籠(くちご)もる。

そんな銀髪の大男に、眼帯の少年は呆れた様子で大袈裟な溜息を吐いた。

 

「お前の言う通り、小鬼(ゴブリン)も喰種(グール)も単体では、人間でも倒せるぐらいの力しかない。 だが、徒党を組まれると途端に厄介になる。 従軍経験のあるお前なら分かるよな? 」

「・・・・。」

「特に、小鬼(ゴブリン)は、人間並みの知能を持つ奴や突然変異体も混じっている。そんな奴等が軍隊を作れば、上級悪魔以上の力を持つんだ。」

 

ライドウの言う通り、小鬼(ゴブリン)は特殊個体が多く発見されており、そう言った突然変異体を”ボブゴブリン”や”ゴブリンキング”と呼んでいる。

おまけに小鬼(ゴブリン)は、集団で行動する習性があり、その特殊個体が混じると上位悪魔以上の戦闘能力を持つ。

 

「悪魔討伐は、一人では決して出来ない。 仲間(チーム)の連携があってこそ、初めて成し得るんだ。 故に、仲間(チーム)の足並みを乱す輩は、直接死に繋がる・・・・軍に4年間いたんだろ? だったら、俺の言っている意味が分かる筈だ。」

 

書斎机の上に手を組み、そこに顎を乗せたライドウが、斜め右隣りにあるソファへと座る銀髪の男に鋭い一瞥を送る。

 

一応、軍隊時代のダンテの経歴に目を通してはいる。

ライドウの予想通り、チーム内の評価は最低であった。

数々の命令違反、協調性に欠け、単独行動が目立ち、周りの状況判断を顧(かえり)みず、悪魔の群に突っ込んでいく。

それでも、大きな失態なく此処まで来れたのは、全て、ケビン・ブラウンの優れた手腕あってこそであった。

しかし、アフガニスタンにあるキザフでは、堕天使・パイモン討伐で大きな失態を犯し、チームを危険に晒している。

 

 

「その傲慢な態度を改めるんだな・・・・そうすれば、”壁内調査”の隊員に加えてやらん事も無い。 」

「随分な言い草だな? 爺さん。」

「”マスター”だ。 立場上、俺の方が上だという事を忘れるな。」

 

仮番の契約を交わしたとはいえ、ダンテの態度は相変わらずであった。

その気になれば、契約を一方的に破棄し、アメリカ本国へ強制送還してやっても構わなかったが、ライドウはあくまでもそれをしない。

佐助には、その甘さを再三、指摘されたが、どうしてもダンテに対しては、厳しい態度に出られなかった。

 

主人に叱責され、腹の虫が治まらないダンテは、忌々し気に舌打ちすると、徐(おもむろ)に座っていたソファから立ち上がる。

そして、ライドウが座っている豪奢なデスクチェアの後ろへと回り込んだ。

 

「日本(此処)へ来てから、1年近く、俺は俺なりにアンタに従って来た。」

「・・・・。」

 

背後から覆い被される。

耳元から囁かれる低く響く声。

ライドウの背をゾクリと、例える事が出来ぬ寒気が走る。

 

「なのにアンタときたら、日本に還るなり、H・E・C(Human Electrical Company)の仕事が忙しい等何だの言って都心の本社へ行ったかと思えば、今度は、俺に黙って”壁内調査”に出かけちまう。」

「・・・・。」

「半年近く、壁の向こうに行ったっきり全然、連絡も来ねぇ・・・・その間、俺がどんな気持ちだったかアンタに分かるか? 」

「・・・・・お前の事は、佐助に頼んでいる。 それは、お前にもきっちりと伝えた筈だ。」

 

フォルトゥナ公国から日本に帰国後、ライドウはダンテに、佐助が今担当している”旧市街地調査”の仕事を手伝う様、伝えている。

 

今から、10数年前、日本全土を第二次関東大震災が襲った。

都心である東京は、八割以上が壊滅。

多くの人命が奪われる、未曽有の大惨事となった。

日本政府は、首都を東京から八王子へと移し、震災が酷い、渋谷、新宿、東京を一時的に閉鎖。

今も尚、復興作業は続けているものの、予想外の事態が発生した。

震災の影響で、シュバルツバースを覆っている壁に穴が空き、地下道を通って悪魔が侵入して来たのだ。

その為、”クズノハ”は、急遽、討伐部隊を派遣する羽目になってしまったのである。

 

「だから、あの忍者野郎の仕事を手伝っているんじゃねぇか。 そのご褒美ぐらい貰っても罰は当たらないぜ? 」

「・・・・・っ! 止せっ!! 」

 

大男の不埒な手が、フォーマルベストの中に忍び込み、シャツの上から乳首をなぞる。

もう片方の手は、キッチリと結んだネクタイをあっさりと解いてしまった。

 

「こ、これから、永田町に行って、定例会議に参加しないといけないんだ。 お前の悪ふざけに付き合っている時間なんてねぇんだよ! 」

「あの蝮野郎に抱かれに行くのか・・・。」

 

心にもないダンテの一言に、抵抗していたライドウの動きが止まる。

図星を刺され、固まるライドウを見下ろし、ダンテは自嘲的な笑みを口元へと浮かべた。

 

「こんな時間に会議か・・・・俺を騙すにも、もう少しまともな嘘を言えよな?爺さん。」

 

時刻は、既に夜の8時近くになっている。

成城にある葛葉邸から、永田町に向かえば、会議を終え再び邸宅に戻る時には、既に深夜帯を回っているだろう。

 

「どうせ、今夜も屋敷(ここ)に帰って来る気はねぇんだろ? だったら、蝮野郎に分かる様に、マーキングを付け直してやるよ。」

「ダンテ!! 」

 

強引に椅子を回転させ、その華奢な肢体を抱き上げる。

逞しい腕から逃れようとするが、当然、そんなか弱い力が通じる筈も無い。

軽々と肩に担ぎあげられ、革張りのソファへと連れていかれる。

 

「・・・・・っ!! 」

 

いくらスプリングが十分効いているとはいえ、乱暴に投げ落とされれば、流石に痛い。

抵抗する間もなく、先程、解かれたネクタイで、細い両腕を頭の上で縛り上げられた。

完全にスイッチが入ったダンテは、誰にも止められない。

ライドウは、諦めた様に双眸を閉じると、せめてもの抵抗の為と、覆い被さる男から顔を背けた。

 

「聞いてるか? 蝮野郎。 」

 

そんなライドウの顎を乱暴に掴み、ダンテが無理矢理、自分の方へと顔を向けさせる。

 

「ライドウは、俺のモノだ。 爺さんを縛り付けて良い気になってるみたいだが、必ずてめぇをぶちのめして、奪い取ってやるから覚悟しな。」

 

ライドウの躰に、蟲術を使って式神を寄生させている事は知っている。

式を通して、四六時中、玩具であるライドウを監視しているのだ。

なので、敢えて式を通して、ダンテは、十二夜叉大将の長である骸に、挑発しているのであった。

 

「うっ!ぐぅ!! 」

 

ダンテの挑発を聞いた刹那、ライドウの細い四肢がまるで電流に打たれでもしたかの如く、反り返り痙攣した。

暫くすると、ライドウの意思に反し、口が勝手に動き始める。

 

「ふふっ・・・・君がダンテ君か? ナナシから話は聞いているよ。」

 

戸惑うライドウを他所に、情夫である骸が式である巫蟲を使い、話を続ける。

 

「残念ながら、君の一途な想いは決して報われない・・・・君達二人はそういう宿星(しゅくせい)にあるのだよ。」

「宿星(しゅくせい)だと・・・・? 」

 

骸の言葉に、ダンテの秀麗な眉根が怒りで歪む。

 

「君がどんなにナナシを愛そうとも、この子は私を裏切らない・・・・否、裏切れないと言った方が正しいか。」

「どういう意味だ? 」

「そのままの意味さ・・・・私から、ナナシを奪い取ると言ったな? ならば、永田町にある国会議事堂に来たまえ、私は何時でも待っているよ。」

「ハッ! 上等だ。」

 

骸はそれだけ伝えると、呪力によって拘束していたライドウを解放する。

途端に、悪魔使いは苦し気に身体を折り、激しく咽込(むせこ)んだ。

 

「だ・・・・ダンテ・・・・帝国議会議事堂へは行くな・・・・行けば、殺される・・・。」

 

粗い息の元、ソレだけを必死に銀髪の男へと告げる。

 

骸の強さは、桁違いでは図れない。

最早、この世ならざぬ存在だ。

ダンテと骸では、強さの次元が違い過ぎる。

まんまと情夫の挑発に乗り、国会議事堂へと向かえば、そこに待つのは確実な死だ。

 

「悪いな? 爺さん。 俺は相手に舐められるのが大嫌いなタチでね? 倍に返してやるまで気が済まないのさ。」

「止めろっ! 骸は、お前を玩具にして遊びたいだけだ! 躰と心を壊されるぞ! 」

 

感情のまま、ライドウはダンテの胸倉を掴み、自分の方へと引き寄せる。

 

かつて、ケビン・ブラウンが、愛する女を救う為に、単身、骸の元へと赴き、見事返り討ちにされた。

命までは取られなかったものの、肉体と精神を壊され、二度と現場復帰出来ぬ程の怪我を負わされた。

ダンテには、師と同じ道を辿って欲しくない。

 

「あの男に、世間一般の道徳は通用しない! 頼む! 永田町へは行かないでくれ! 」

 

血を吐く様な懇願であった。

悪魔使いの脳裏に、地獄を彷徨っていた自分を救ってくれた男の姿が浮かぶ。

目の前にいる大男と同じ、銀の髪を持つ、美青年であった。

仲間想いで、優しく、義理人情に厚い男であった。

あの時の様に、かつて愛した男の面影を色濃く残すダンテを失いたくはない。

 

「頼むから行かないでくれ・・・・・お前まで失ったら、俺は・・・・。」

 

逞しい男の胸元へと顔を埋め、ライドウは華奢な躰を震わせる。

どんな言葉を掛けて制止しても、この男は止まらないだろう。

故郷であるアメリカを捨て、この小さな島国へと来たのも、全ては自分を”人喰い龍”から救う為だ。

所詮、両者の激突は避けられない。

肩を震わせ泣くライドウを、ダンテは優しく抱きしめてやるより他に術が無かった。

 




気まぐれで更新します。


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第二話 『 聖エルミン学園 』

登場人物紹介

マダム・銀子・・・・本名は『土御門 清明』
組織”クズノハ”の幹部であり、組織の所属する召喚術師達の御目付け役。
『聖エルミン学園』の理事長を務めている。

壬生・鋼牙・・・・『聖エルミン学園』特殊学科、高等部2年生。
”クズノハ”の暗部・『八咫烏』に属しており、その中でも精鋭部隊の『十二夜叉大将』、伐折羅大将(バサラ)。父親は、葛葉四家当主が一人、14代目、葛葉猊琳(げいりん)。


今から、10数年前、関東地区一帯を未曽有の大地震が襲った。

都心部を中心に襲った地震は、第一次関東大震災を遥かに上回り、10万人以上の市民が死亡。

うち数千名が、未だ消息不明であり、遺体すら回収出来ない状態であった。

国は、一時、首都を八王子へと移し、国連の協力を得て復興作業を行う。

しかし、日本人の大半を失った為、肝心の労働力が足らず、他国から、多くの外国人労働者を受け入れた。

国会議事堂がある永田町、新宿などは何とか復興作業が終了し、人々が生活出来る水準まで回復したが、その他は、未だ手つかずのままである。

理由は、”壁”から漏れ出た瘴気により、悪魔が大量発生した為であった。

作業員の多くが襲われ、復興作業が一時、中断してしまったのだ。

超国家機関『クズノハ』が派遣されたが、芳(かんば)しい結果は、見られず、東京23区である渋谷、中野、世田谷は、今も尚、封鎖状態が続いている。

 

 

 

東京湾全体を覆い尽くすかの如く、建設された巨大な壁。

一般市民達には、震災により放射能が漏洩した為急遽、建設されたと伝えられているが、当然、実情は違う。

あの壁の向こうには、異界が広がっており、魔界に住む悪魔達が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)していた。

 

「あれが、”シュバルツバース”か・・・・。」

 

東京ゲートブリッジの上に、聖エルミン学園の制服を着た銀髪の少年が、その巨大な壁を眺める。

三日前に、日本へと移住した魔剣教団の元騎士、ネロだ。

先の戦争により、その咎(とが)を責められたヒュースリー家は、当然、取り潰しの憂き目に会い、親代わりとして育ててくれた義理姉・キリエが長い闘病生活の末、死去した。

還る家を失ったネロは、隣国ディヴァイド共和国の監視を受けていたが、日本にいる17代目・葛葉ライドウから、養子縁組の申し出があり、それを快く受け取り、現在に至る。

 

「ほらほら、何時までも眺めてないで、早くしないと初日から遅刻しちゃうぞ。」

 

御目付け役として、同伴している小さな妖精が、未だ、橋を眺めているネロに声を掛けた。

 

ゲートブリッジを越えた先には、巨大な人工島があり、そこに彼等の目的地である『聖エルミン学園』がある。

最新鋭のAIが、人工島を管理しており、あらゆる交通機関、商業区域を制御している。

ネロは、マベルに誘われるままに、『聖エルミン学園』に続く無人バスへと乗り込んだ。

 

「凄ぇな・・・これ全部、CP(コンピューター)が動かしているのかよ? 」

「そうよ。ウチのH・E・C(Human Electrical Company)が技術提供してるんですからね? 」

 

物珍しそうに無人で動くバスを眺めるネロの肩に、何故かドヤ顔のマベルが座っている。

 

「その他にも、各種飲食店や雑貨、ホテルに娯楽施設まで、ぜーんぶ、”アメトリフネ”が管理してるの。」

 

”アメトリフネ”とは、人工島、『天鳥町』を管轄する巨大AIの名前だ。

24時間、365日、人工衛星で島を監視、あらゆる犯罪行為を未然に防いでいる。

ゲートパスを持つ者だけが、島に入る事が可能で、パスには持ち主のデータが入っており、何か事故や病気等が起こった場合は、適切かつ迅速な対応をしてくれる。

 

「ちっ、でも何で俺が態々、学校に通わなきゃならないんだよ? 訓練校で一通り学業は終了したっての。」

 

大分、機嫌が悪いのか、ネロは、不貞腐れた様子で、バスの席にドカリと座り込む。

バス内は、ネロとマベルしかおらず、閑静(かんせい)としていた。

 

「ライドウが、少しでも早く日本に慣れ親しんで欲しいと思って配慮したんでしょ? それに、アンタまだ16歳になったばかりじゃない。」

 

そんなネロに対し、マベルが呆れた様子で肩を竦めた。

 

ネロが成城にある葛葉邸へと招かれたのが三日前。

豪奢な邸宅の造りに面食らっていたネロの所に、『聖エルミン学園』の学生として通学する様に養父であるライドウに言われた。

当然、ネロは難色を示したが、誰よりも尊敬する17代目の命令だ。

無下に断る事も出来ず、渋々と言った様子で頷いた。

 

『餓鬼は勉学が仕事だからな? しっかりと励めよ? 』

 

ニヤニヤとからかう様に笑うダンテの顔が、脳裏に浮かぶ。

どういう経緯(いきさつ)かは知らないが、あの銀髪の大男は、ライドウの代理番として収まっていた。

フォルトゥナ城にある旧修練場で、あれだけ不埒な行いをしたにも拘わらず、悪魔使いは何故、あの荒事師を代理番に選んだのか?

学校への通学以前に、それだけが、今のネロには癪に触って仕方が無かった。

 

 

10分後、『聖エルミン学園』前。

広大な敷地面積を持つ学園へと到着したネロは、出迎えに来た理事長の秘書だという人物の案内で、応接間へと案内された。

 

「貴方が、17代目が言っていたネロ君ですか? 」

 

応接室には、既に人がいた。

見事な金の髪を頭頂部で一纏めに結い上げ、高価なソファに脚を組んで座っている。

マネキン人形の如く、容姿が非常に整っており、女性か男性か判別が出来ない。

しかし、声質が思った以上に低い事から、男性であろう事が、辛うじて分かった。

 

「私は、当学園の理事長を務めている土御門・晴明(つちみかどはるあきら)と申します。 以後、お見知りおきを。」

 

窮屈そうにエルミン学園の制服を着るネロに、真向いのソファへと座る様に促した晴明は、柔らかい笑みを向けた。

 

「アンタも”クズノハ”の関係者なのか? 」

「はい、組織に所属する召喚術師(サマナー)達の目付け役もしております。 皆は、私を”マダム・銀子”と呼んでいますよ。」

 

優雅に脚を組む美貌の麗人は、ネロの無礼とも取れる質問に対し、快くそう応えた。

 

「編入試験の結果は、拝見させて頂きました。全ての学科に対し、Aクラス以上の評価が出ています。 流石、名門、ヒュースリー家の御子息だけありますね。」

 

ソファの前に置かれている机には、数枚の書類が乗っている。

恐らく、学力検査の為の試験結果と、ネロの簡単な履歴が載っている書類だろう。

マダム銀子は、その一枚を手に取り、満足そうに微笑んだ。

 

「1年前の戦争で家名は取り潰しになった・・・・因みに、今迄習得した剣士(ナイト)の役職全部、剥奪されちまったよ。」

「おっと、これは失礼・・・・・失言でしたね。」

 

忌まわしい記憶が蘇るのか、不愉快そうに眉根を寄せる銀髪の少年に向かって、マダムはあっさりと己の非を認め、謝罪した。

 

「先の戦争で剥奪された貴方の役職ですが、我々の方で返還させる様に”ギルド”には働きかけております。近いうちに申請書類と身分証が貴方の所に届くでしょう。」

「そ、それ、本当なのか? 」

 

思いがけないマダムの言葉に、暗かったネロの表情が、途端に明るくなる。

 

あれだけ苦労して取得した役職だ。

元通りに戻してくれるなら、これ程、有難い話はない。

 

「ですが、貴方は今は唯の学生です。 狩猟者(ハンター)の免許はお返ししますが、当学園の生徒である事だけは忘れないで下さいね。」

 

喜ぶネロに対して、マダムは一応の釘は刺す。

矢無負えない事情である以外は、悪魔(デーモン)の狩猟は控えろと暗に伝えているのだ。

 

「ちっ、分かったよ。 」

 

失った資格が元通りに戻るのならば、それに越した事はない。

多少の不満はあるものの、父親と同じぐらい尊敬しているライドウの気遣いを無駄にはしたく無かった。

 

 

理事長との軽い挨拶を終えたネロは、一人の学生を紹介された。

名前は、壬生・鋼牙。

ネロと同じ16歳で、エルミン学園高等部2年生である。

度の強いレンズの嵌った黒縁眼鏡を掛け、如何にも優等生と言った感じの立ち居振る舞いをしていた。

 

「彼も私達”クズノハ”に属する人間です。 鋼牙君、後の事は頼みましたよ? 」

「はい、晴明様。 」

 

恭しく、上司に一礼をした鋼牙は、改めてネロへと向き直った。

着瘦せする体質なのか、間近で見ると意外にもがっしりと鍛え上げられた体躯をしている。

にっこりと微笑むその表情は、歳相応の顔をしていた。

 

 

 

「このエルミン学園では、一般学科コースト特殊学科コースの二つがあるんだ。」

 

学園内にある各施設を案内しながら、ネロの数歩前を歩く鋼牙がそう説明した。

 

鋼牙曰く、国際学校である『聖エルミン学園』には、当然、各国から様々な人種の学生達が登校し、勉学等に励んでいる。

しかし、この学園は、通常の国際学校とは明らかに違う所があった。

 

「君の母国、フォルトゥナ公国では、魔導技術を専門に学ぶ施設が豊富らしいね? 」

「まぁな・・・・それと、慣れないウクライナ語は止めてくれ。 気を遣ってくれるのは有難いが、聞き取りずらくてかなわねぇよ。」

 

ゲルマン語でもちゃんと通じる旨を、黒縁眼鏡の少年へと伝える。

 

この時代、ドイツ語、オランダ語、英語等、共通のゲルマン祖語が世界共通言語となっていた。

先の大震災で、日本人の約半数以上を失った事により、国は多くの外国人労働者を受け入れざる負えなくなった。

その為、必然的に日本もゲルマン祖語が広まる結果となったのである。

 

「僕は、皆と違って純粋な日本人でね・・・・英語もあまり得意じゃないんだ。」

 

そう言って、鋼牙は苦笑するが、発音は、ネロよりも綺麗で流暢としている。

 

「此処は、魔導の訓練もしてるのか? 」

「うん、一応、適正検査を受けないと駄目だけどね。 殆どの学生達が一般コースを学んで大学に進学するか、企業に就職している。」

 

渡り廊下の窓から、グラウンドを見下ろすネロに、鋼牙が簡潔に説明した。

 

適正検査を通る学生達は、驚く程少ない。

適正値に達するマグネタイト量を持つ人間達が、あまりいないのだ。

それでも、魔導の技術を学ぼうとする者達は、後を絶たない。

理由は、安定な職と高額な収入にあった。

 

「自慢じゃないけど、ウチの学校は、その手の設備が豊富でね。学生達の他に、大学院生や、研修医、果ては警察関係者まで学びに来てる。」

 

特殊学科コースがある、地下施設へと案内する為、鋼牙はネロと一緒に学園内のエレベーターへと乗り込んだ。

各階を指定するボタンの横にあるカード読み取り機に、身分証にあるバーコードを通す。

すると、エレベーターは特殊学科のある地下3階へと降りて行った。

 

「俺は、ずっと騎士団で育ったから、魔導専門の職業とかあんまり分かんねぇけど、儲かるもんなのか? 」

「勿論、魔法薬に使用される特殊な球根や果実は、育て方が難しい分、高額な値段で取引されてる。 だから、特別な才能を必要としない薬学師(アポテーカー)は物凄く人気があるんだ。 国家試験は、相当難しいらしいけど、それに見合う年収が必ず約束されるからね。」

「ふうん、成程ねぇ・・・。」

 

今も尚続く、世界大恐慌。

他国では、職を失った者達が溢れ、犯罪件数が驚くほど伸びているのだという。

此処、日本も当然、不景気の荒波に襲われ、職を求める市民達が毎日の様に、職業安定所に詰め掛けていた。

 

「着いたよ。」

 

鋼牙が、ネロを促し、エレベーターから出る。

長い通路を歩き、重厚なドアの前にあるカード読み取り機に、再び身分証のバーコードを通した。

 

「随分と厳重なんだな? 」

「一応、機密事項だからねぇ・・・。」

 

開いた扉を潜ると、そこは広大なドーム状になっていた。

AIによって生活環境が管理され、幾つも学び舎らしき建物が建っている。

人工の芝生に河まで流れていた。

 

「凄ぇ・・・・・此処だけ別の世界みたいだ。」

 

この上に、普通の学生達が通う、学園があるとは到底思えない。

城の様な建造物と、それを取り囲む様に建てられたカントリーハウス。

まるで、映画の中に迷い込んだ気分だ。

 

「理事長の趣味でねぇ・・・・僕は、もっと近代的な建物が好きなんだけど。」

 

眼下に広がる魔導施設に、始終驚嘆するネロを横目に、鋼牙が大袈裟に肩を竦める。

早速、施設内に入る為、二人は、階下へと降りるリフトに乗り込んだ。

 

「因みに、此処の施設は『クズノハ』が出資してる。当然、関係者は全員、僕と同じ組織の人達で固められているからね。」

「・・・・・ライドウさんも此処に来るのか? 」

 

不図、一つの疑問がわいた。

『クズノハ』が、この施設を運営しているのならば、その幹部であるライドウが、視察に来ているのではと思ったからだ。

 

「あの人は来ないよ・・・・てか、来れない。此処の職員連中に嫌われているからね。」

「? そりゃ、一体どういう意味だ。」

 

何か意味あり気な鋼牙の言い回しに、ネロの眉根が不快気に歪む。

 

17代目・葛葉ライドウと言えば、組織を代表とする悪魔召喚術師だ。

組織最強の誉れを持つ彼を、何故、関係者達が嫌うのか?

 

「ライドウは、葛葉の正統な血筋じゃないからよ・・・・この組織は、狭い世界で出来上がってる、だから余所者は信用出来ない。」

 

それまで、大人しくネロの肩に座っていたマベルが、憤懣やるかたないと言った様子で、ぼそりと呟いた。

 

「そういう事。 僕の父親を含め、上層部連中は、全員頭が固いんだよ。」

 

マベルの辛辣な言葉に、鋼牙が思わず苦笑を浮かべる。

 

超国家機関『クズノハ』の上層部、葛葉四家は、蘆屋道満大内鑑の正統な血筋を持つ一族によって構成されている。

鋼牙の父、葛葉猊琳(げいりん)も、蘆屋道満の血を色濃く継ぎ、四家当主の一人である。

 

「何で、苗字が違うんだ? 」

 

階下に降りる為、リフトに乗り込んだネロが、至極当然な疑問をぶつける。

 

「代々、四家当主は決められた銘を襲名する事になってる。 僕の父は、初代から数えて14代目になるよ。」

「ふーん、そうなると、何時かは何とかゲイリンって名前をお前も継ぐのか? 」

 

何気ないネロの質問に、鋼牙の表情が暗く陰(かげ)る。

どうやら、彼の中で触れてはならないモノに、触れてしまったらしい。

 

「僕は、父の銘は、継げない・・・・召喚術師(サマナー)の才能が無いからね。」

「ご、御免ね? 鋼牙。 」

「良いって、あの人とは既に親子の縁は切れてるからね。」

 

すかさずフォローに入ろうとするマベルに、鋼牙が朗らかな笑みを浮かべて応える。

何気なく気まずくなる雰囲気。

そんな一同の耳に、素っ頓狂な女性徒の声が、無遠慮に割って入る。

 

「な、何で丹精込めて育てたマンドレイクちゃんが枯れてるのよぉ! 」

 

女生徒の声は、リフトを降りたすぐ先にあるガラス張りの巨大な温室からであった。

鉄骨の枠組みに、強化ガラスをはめ込んだその建物には、外からも様々な植物が栽培されているのが見える。

興味本位で、一同が中に入ると、赤毛の少女が、呆然自失とした様子で枯れた鉢植えを持った状態で、床にへたり込んでいた。

 

「水と肥料の割合が間違ってる。 マンドレイクはデリケートな植物、ちょっと間違えただけですぐ枯れてしまう。」

 

傍らにいる大男が、口から大量のエクトプラズムを吐き出している少女に、簡潔的に説明してやる。

どうやら、この大男が薬学を教えている講師らしい。

硝子の温室内には、女性徒を含め、数名の生徒らしき人間達が、思い思いに作業を続けていた。

 

「ううっ、この半年間の努力が全て水の泡・・・・。」

 

真っ黒に変色したマンドレイクを眺めながら、赤毛の女性徒―日下・摩津理は、滂沱と涙を流していた。

 

「マツリ・・・・元気出すホォ・・・・。」

「そうよ、又、やり直せば良いじゃない。」

 

そう慰めているのは、雪だるまの姿をしている妖精・ジャックフロストと摩津理の親友、八神・咲だ。

二人共、学園の支給している運動用のジャージにエプロンを付けていた。

 

 

「驚いたな・・・・普通に悪魔が居るぜ。」

 

摩津理の傍に妖精・ジャックフロストがいるのに驚いたのか、ネロが思わずそう言った。

 

「此処は、悪魔工房でもあるからね。 僕達、人間に友好的な妖精族や地霊族が居ても不思議じゃないよ。」

 

鋼牙が言う通り、良く見ると悪魔らしき姿が、生徒達に混じっているのが分かる。

この温室内には、妖精族が多くいて、学園の生徒や外部から魔導を学びに来た者達に、薬草の育て方や、魔法薬を造る為の工程などを教えていた。

 

「因みに、私も此処の出身ですからね。」

 

ネロの肩に座るマベルが、自慢げに薄い胸を張る。

 

マベルの話によると、彼女は17代目と契約する前は、この妖牧場で生活していたらしい。

 

「普通は、悪魔達から技術を教えて貰うのは珍しいらしいね? 悪魔(彼等)を倒す為の技術ってのが当たり前らしいから。」

 

組織『クズノハ』が運営する妖牧場には、講師として多くの悪魔達が生活をしている。

しかし、一般的にこういう行為は、大変稀であり、他国の妖牧場や魔導関係の施設は、人間が講師を務めるのが常であった。

 

「皆、アルフレッドのお陰だよ・・・・彼の地道な努力が、今、こうやって実を結んでる。」

「アルフレッド・・・・? 」

 

聞きなれない名前に、ネロが自分の肩に座る小さい妖精へと、胡乱気な視線を向ける。

 

「アルフレッド・アシモフ博士・・・・有名な宗教学者だよ。 魔導士職(マーギア)の役職を全て習得した”到達者(マスター)”で、SS(だぶるえす)級の召喚術師・・・そして、この施設の創立メンバーの一人さ。」

 

鋼牙の説明によると、アルフレッドは、大統領府専属の召喚術師だったらしい。

悪魔の研究をしており、実際、何度も魔界へと足を運んでいたのだそうだ。

彼は、妖精族と地霊族の二種族と太いパイプを持ち、彼等の為に農耕の技術や生体マグネタイトを提供する代わりに、両種族から、魔導に関する技術を得ていた。

 

「博士のお陰で、魔導技術は飛躍的進歩を遂げた。 母国であるアメリカも彼の功績を讃えて、幾つも勲章を贈ったんだけど・・・・。」

「あっ! いたいた! 壬生! 壬生鋼牙! 」

 

野太い胴間声が、鋼牙の言葉を遮った。

見ると、温室の出入り口に、紺色の背広を着た50代半ばぐらいの教師らしき男性が、物凄い形相でネロと鋼牙の所へと歩いて来る。

 

「反谷教頭、一体どうしたんですか? 」

 

風紀委員の腕章をつけた男子生徒二名を従え、怒りのオーラを纏う反谷浩二教頭に、鋼牙が呆れた様子で問い掛ける。

 

「どうしたんですか? じゃない! 今すぐ正門前に行け! 奴が又暴れて手が付けられんのだ! 」

「・・・・はぁ、また明の奴が何かしたんですね? 」

「そうだ! 早く行かんと貴様も停学処分にするぞ! 」

「はいはい。此処では余り大声は出さないで下さい。 周りの方達に迷惑になりますよ? 」

 

鋼牙が指摘する通り、温室内で作業をしている学生達や、講師役の地霊や妖精達が、興味津々で遠巻きに此方の様子を伺っている。

枯れたマンドレイクの鉢植えを両手に持つ日下摩津理と親友の八神咲も、予想外の闖入者に驚いて固まっていた。

そんな周囲の様子に、途端にバツが悪そうな表情になる反谷教頭。

鋼牙に窘められた事が、相当気に喰わないのか、肩を怒らせ、風紀委員の生徒二人を促し、温室の外へと足早に出て行く。

 

「いいか!今すぐ奴をどーにかしろ!」

 

それだけ捨て台詞を吐くと、反谷教頭は、上階へと続くリフトに乗り込んだ。

 

「変な所を見せちゃって御免。」

「あ、い、否・・・・別に気にしちゃいねぇよ。」

 

この突然すぎる寸劇に、どう対処したら良いのか分からず固まるネロに向かって、鋼牙が大袈裟に肩を竦めた。

 

「ハンニャの奴、此処はトロル先生の大事なアトリエなのに・・・・。」

 

枯れたマンドレイクの鉢を棚に置いた摩津理が、憤懣やるかたないと言った様子で、鋼牙とネロの傍へと近づく。

 

あの反谷という教師は、相当、学生達から煙たがられている存在らしい。

 

「あ、日下さん丁度良いや、僕、ちょっと野暮用を済ませなきゃいけなくなったから、暫く彼の事頼んで良いかな? 」

「別に良いけど、アンタ達”探偵部”もいい加減、ハンニャに目を付けられない様、気を付けたらどうなの? 」

「ハハッ・・・確かにその通りなんだけどねぇ・・・。」

 

摩津理に痛い所を突かれ、鋼牙が苦笑いを浮かべる。

 

本音を言えば、無駄な諍いは起こしたくは無いが、相方の副業のせいで、いらぬトラブルに巻き込まれるのは何時もの事だ。

 

鋼牙は、妖牧場の案内を摩津理達に任せ、正門前で起きている乱闘騒ぎを収めるべく、足早にリフトへと向かった。

 

「君が噂の転校生君? アタシ、日下・摩津理。 一応、薬学部の部長をしているの。宜しくね? 」

「うん? ああ・・・よ、宜しく。」

 

日本人と外国人のハーフなのか、摩津理は彫りの深い整った容姿をしており、薄いグリーンの瞳をしている。

鋼牙の様なたどたどしいウクライナ語ではなく、聞き取り易い綺麗な発音に、ネロは思わず面食らった。

 

「ウチのお婆ちゃん、純粋な東スラヴ人なの。矢来銀座で占い師をしてるわ。」

 

そんなネロに、軽い自己紹介をすると、少し離れた位置に立つ八神・咲と仲魔のジャックフロストを呼んだ。

 

「副部長の八神・咲です・・・・て、英語は大丈夫なのかな? 」

 

咲は、摩津理と違い、今の時代では大変珍しい、純、日本人だ。

標準語であるゲルマン祖語以外に、日本語の二つしか話せない。

 

「大丈夫だよ。訓練校では皆、英語しか話せない奴等ばかりだったから。」

 

戸惑う咲を安心させる様に、ネロが口元に柔和な笑みを浮かべて応える。

 

八神・咲という少女は、大和撫子を絵に描いた様な人物であった。

長い黒髪を背後に垂らし、一房三つ編みに結っている。

黒曜石の瞳に雪の様な白い肌。

摩津理が、現代風な美少女に対し、咲は、古風な感じの美少女であった。

 

「オイラ、ジャックフロストホーっ!皆は、JFて呼んでくれるホーっ!」

 

咲のすぐ傍らにいる雪だるまの妖精が、元気一杯に挨拶する。

摩津理と咲同様、エルミン学園のジャージに大きなエプロンを付けていた。

 

「んで、コッチのでっかい人が、私達、『薬学部』の顧問をしているトロル先生だよ。」

 

摩津理が、まるで大岩の如く巨大な体躯をした大男を紹介する。

通常の男子高校生より高身長である筈のネロが、見上げる程にデカイ。

摩津理の胴体ぐらいはありそうな太く長い両腕に、脚はその半分ぐらいしかなかった。

顎髭を蓄え、意外にも可愛らしいつぶらな瞳をしている。

 

「・・・・・ハルアキラの言う通り、お前、悪魔憑き・・・・か。今は、体内にある『閻魔刀』とナナシの封印式で抑えられているみたいだが・・・。」

 

前もって、理事長からネロに関する情報は知らされていたらしい。

トロルの視線が、ネロの右腕に嵌められた腕輪へと落ちた。

昨日、養父である17代目・葛葉ライドウから、”矢無負えない状況以外は、決して外してはいけない”と忠告され、嵌められたモノだ。

 

「・・・・来い。 俺の工房まで案内してやる。 」

 

警戒するネロを他所に、トロルはあっさりと踵を返すと、巨大温室から出て行ってしまう。

 

「トロルは悪い奴じゃ無いよ。 だから、余り気にしないで。」

「・・・・分かってる。 」

 

心配そうに此方の表情を伺う小さな妖精に対し、ネロはぶっきらぼうに応える。

恐らく、あの大男は悪魔だ。

しかし、今迄、対峙して来た悪魔達と違い、彼からは明確な悪意を感じない。

それを無意識にではあるが、ネロは理解していた。

 

 

 

『聖エルミン学園』正門前。

 

如何にもその手の界隈にいる派手な服装をした男が、悲鳴を上げて正門の硬い壁に打ち付けられる。

血反吐を吐き、地面に倒れ伏す男。

派手な服装の男同様、周りには、打ちのめされ、前歯を折られ、あらぬ方向に手や脚を曲げられた奴等が、大勢地面に這いつくばっていた。

 

「まだやんのか? オッサン。」

 

優に2メートル近くはあるだろうか。

長い前髪で目元を隠した『聖エルミン学園』の制服を着た学生らしき少年が、今時珍しいパンチパーマの40代半ばぐらいの男に向かって、面倒臭そうに言った。

 

「ひっ、て、てめぇ! 俺等を天堂組系列のモンだと知って・・・・・。」

「知ってるよ。 池上組の若頭なんだろ? アンタ・・・・経済ヤクザ気取っている割には、みかじめ料だと何だとほざいて、山谷の奴等に散々、脅迫してた能無しだよな? 」

「うっぐぐぐぐぐっ・・・・。」

 

少年― 遠野・明に、痛い所を突かれ、池上組の若頭は、口惜しそうに唸り声を上げる。

この男は、山谷のドヤ街にある居酒屋や飲食店数軒に対し、みかじめ料と称して、理不尽極まりない脅迫行為を何度も繰り返していた。

警察も見放した無法地帯を良い事に、やりたい放題していたが、堪忍袋の緒が切れた商店街の住民達が、”山谷の用心棒”こと明に、やくざを追い払って欲しいと、依頼して来たのである。

 

「う、うるせぇぞ!糞餓鬼がぁ! 俺等のバックにはて・・・・・。」

「成程、叔父さん達の頭は、天堂安瀬(やそすけ)さんなんですね? 」

 

そんな二人の間に割って入る第三者の声。

池上組の若頭が其方の方に振り返ると、スマートフォンを片手に、黒縁眼鏡の少年―壬生・鋼牙が数歩、離れた位置で立っていた。

 

「全く、暴れるなら場所を考えてよね? 明。」

「悪い。」

 

わなわなと震えるパンチパーマの男を他所に、鋼牙は慣れた手付きで何処かへと電話を掛けた。

 

「あ、安瀬さん? 僕です”葛葉探偵事務所”所長代理の壬生・鋼牙です。 あ、はい。その説はどーも・・・実は、ウチの学校に池上組の若頭さんと名乗る方が・・・え?今すぐ変わって欲しい・・・・あ、はい・・・分かりました。」

 

どうやら通話相手は、関東最大のヤクザ組織である天堂安瀬本人らしい。

一体、どんな関係なのかは、皆目見当もつかないが、黒縁眼鏡の学生は、組長との直通電話番号を知っているのだ。

一通り、安瀬と会話を終えた鋼牙は、真っ青な顔をして固まる若頭に、自分のスマホを差し出した。

 

「安瀬会長が、貴方と話をしたいそうです。」

「かっ・・・・・・か、か、会長が・・・・・? 」

 

いくら天堂組系列とはいえ、池上組等、地べたを這い回る蛆虫と同じぐらい小さな組織だ。

当然、天上人である天堂組、会長等、定例会議で顔をちらりと見る程度である。

カタカタと震える手で、スマホを受け取ったパンチパーマの男は、固唾を呑みつつ耳へと近づける。

 

「この糞馬鹿野郎がぁ!! 」

 

鼓膜を突き破らんばかりの胴間声。

聞き間違える筈が無い。

天堂安瀬本人であった。

 

「てめぇ! 天堂組の恩人に対して何て事をしやがる! しかも、一般人を恐喝だぁ!? その腐った根性叩き直してやるから、今すぐ、西麻布にあるワシの邸宅に来い!! 」

 

スマホから流れる天堂会長の怒りの声は、当然、明や鋼牙にも聞こえていた。

池上組の若頭は目頭に涙を溜め、振り子の如く頭を上下に揺らし、何度も此処には存在しない安瀬に向かって頭を下げる。

そして・・・・。

 

「すいませんでしたぁ―!! 」

 

恭しくスマホを鋼牙へと返した若頭は、石畳に頭を擦り付け、渾身の土下座をする。

白目を向いて失神している手下を叩き起こし、怪我を負った連中を黒いリムジンへと押し込み、安瀬がいる西麻布に向けて去って行った。

 

 

「さてと、問題が片付いたみたいだから、僕は本来の仕事に戻らせて貰うよ。」

 

去っていく、黒塗りの高級車を眺めつつ、鋼牙は、摩津理達に預けているネロの所へ向かおうとした。

 

「もしかして、マダムが言っていた例の転入生か? 」

「うん、元魔剣教団の騎士だって・・・・しかも、”ソロモン12柱の魔神”が封印されているらしい。」

 

鋼牙が意味あり気な視線を、背後にいる長身の少年へと向ける。

 

「”混沌の器”・・・・・じゃ、ねぇよな? 」

「さぁ・・・・・さり気なく霊視をしてみたけど、”ソロモンの魔神”が居座っているだけで、それらしい気配は無かった。」

 

鋼牙が、正門の扉の影に隠れている反谷教頭と手下の風紀委員の生徒二人組に手を振る。

『聖エルミン学園』きっての問題児である、遠野・明の存在が余程恐ろしいのか、反谷教頭は、苦虫を1000匹噛み潰したかの様な渋い顔をしていた。

 

「まぁ、此処には、清明様の他に炎の巨神(スルト)がいる。 もし、彼が”混沌の器”だったとしても、あの二人なら幾らでも対処は出来るでしょ。」

「だな・・・・。」

 

それだけ会話を交わした二人は、受け持っている仕事を済ませるべく、それぞれの場所へと戻って行った。

 




リマスター版にドハマリ中です。


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第三話 『 ニコレット・ゴールドスタイン 』

登場人物紹介

ニコレット・ゴールドスタイン・・・・東京都の山谷を中心に活動している魔具専門の職人(ハンドヴェルガー)。
ガサツで口は悪いが、職人としての腕前は一級品である。
GUMP等の悪魔召喚器のメンテも行っており、ライドウも彼女に愛用のGUMPの調整を頼んでいる。『聖エルミン学園』の元卒業生。
両親は彼女が幼い時に他界しており、以降は、祖母のニール・ゴールドスタインの元で生活していたが、ある日、仲違いをし、15歳の時に魔道職人の特待生として日本に来日、”エルミン学園”の特殊学科に入学し、首席で卒業した才女である。



東京都千代田区永田町、そこに左右対称型の変わった形をした建物が建っている。

国会議事堂、又は、帝国議会議事堂と呼ばれる建物であった。

その地下数千メートルには、人工知能”オモイカネ”によって環境を完全に管理された広大な世界が広がっている。

 

 

「”ヴィシュヌ”を奪われたそうだな・・・・? 」

 

現、環境設定は夜。

十二夜叉大将の長が生活している東対(ひがしのたい)では、縁側に座した黒髪の青年が池に映る人口の月を眺めていた。

右手に持つ煙管を一口吸い、暗闇に向けて煙を吐き出す。

 

「・・・・失態だ・・・・全て俺の責任だ。 咎は大人しく受ける。 」

 

その数歩離れた畳の上に、長い黒髪を無造作に背後で束ねた眼帯の少年が胡坐をかいて座っていた。

上質な生地を使った、紺色の背広を身に着け、蒼いネクタイをキッチリと締めている。

 

「ふん・・・・咎を受ける・・・・か・・・。」

 

蝋細工の如き白い肌をした青年― 骸は、煙管の煙を肺一杯に吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

此方は、濃い若草色の着物に、目の覚める様な派手な襦袢を羽織っている。

人形の如く整い過ぎたその容姿に妙に合っており、まるで一枚の絵画を見ているかの様であった。

 

「今回の件は、お前一人を派遣させた私にも責任がある。 ”壁内調査”の務めは、猊琳辺りに任せ、無理にでも番である玄武を同伴させるべきだった。」

 

吸い終わった煙草を筒状の火入れに落とし、骸は、無言で座しているライドウへと視線を向ける。

真紅の双眸に射竦められ、ライドウの蟀谷から頬に掛けて、冷や汗が一筋流れた。

 

「私が気に喰わぬのは唯一つ・・・・ダンテとかいう便利屋の小僧だ。」

 

座していた縁側から、ゆらりと立ち上がった骸は、胡坐をかいて座るライドウの傍らへと近づく。

身を屈め、いきなり後ろに束ねている悪魔使いの長い黒髪を掴み、乱暴に後ろへと引っ張った。

余りの仕打ちに、ロクな抵抗も出来ず、後ろへと仰け反る。

その白い首筋には、薄っすらと紅い跡が付いていた。

 

「ふん、此処に来る前に、好き放題されたみたいだな? 」

 

キッチリと締められたネクタイを解き、シャツのボタンを一つ一つゆっくりと外す。

男から放たれる鬼気に、震えが止まらない。

抵抗する意志など、すっかり消え失せていた。

 

「健気だなぁ? ナナシ・・・・・自分の身を犠牲に、私からあの男を護るとは・・・ヒュースリー家の餓鬼みたいには、されたくないか・・・・? 」

 

はだけたシャツから覗く傷だらけの躰。

これら全ては、非力な番達を、命懸けで庇った為に負った傷だ。

数え切れぬ程の古傷の中に、所々、紅い跡が散らばっている。

ダンテが所有物として残した、マーキングの跡であった。

その紅い噛み跡を、骸は細い指先で、ゆっくりと辿る。

 

「俺が・・・誰を番に選ぼうが、アンタには関係無い筈だ。 」

「確かに・・・・そこまで、お前に付けた手綱を縛るつもりはない・・・だが。」

 

紅を引いたかの如く、紅い唇を三日月の形へと歪め、骸は悪魔使いの耳元で、そっと残酷な言葉を囁く。

 

「奴の目的は、どうやら私のこの首だ・・・・組織を裏切る可能性がある危険分子は、早めに排除しなければな・・・。」

「・・・・・いっ!!! 」

 

鋭い犬歯が、ライドウの白い首筋に深々と突き立てられる。

突然、襲った激痛に、悪魔使いの細い躰が仰け反る。

牙を突き立てられた箇所から、真紅の血が、白い肌を伝って落ちた。

 

 

 

 

菅沼真紀からの調査依頼を受けてから数日。

『エルバの民』と呼ばれる掲示板に、名前を書かれた八神・咲の身辺調査をしているが、芳(かんば)しい結果は得られてはいなかった。

呪いが執行される気配が微塵もしないどころか、術者の影すらも見当たらない。

無為に時間だけが過ぎ、ストレスだけが否応も無く溜る。

探偵にとって忍耐力が、一番大事ではあるが、こうも動きが無いと、『魔神皇』の噂は出鱈目では無いかと勘繰りたくもなる。

 

 

「どうした? 少年。 何か嫌な事でもあったのか? 」

 

山谷の裏街道にある小さなガレージショップ。

車の車体に潜り、仕事用のバンの修理をしている明に向かって、店のオーナーである20代半ばぐらいの女性が声を掛けて来た。

オイルと埃で汚れたシャツを身に着け、下には大分経年劣化したジーンズを穿いている。

手足に奇抜な入れ墨を入れたこの女性の名前は、ニコレッタ・ゴールドスタイン。

自称『武器アーティスト』を名乗る職人(ハンドヴェルガー)だ。

 

「別に・・・・ただ、仕事が上手くいかねぇだけだ。」

 

簡易椅子の背凭れを抱える様に逆に座った女職人に向かって、寝板(クリーパー)を使ってバンの下へと潜っている明が、素っ気なく応える。

明は、車やバイク等の組み立てや改造、修理等が結構好きだ。

今は、政府によって閉鎖されている危険区域にある店舗等に入り込んでは、使えそうな部品を回収して、ニコのガレージで組み立て作業をしている。

ニコのガレージに置かれているバイクや軽乗用車等は、明が旧市街地で拾って来た部品で組み上げた作品達であった。

本人曰く、こういった作業をしていると、心が落ち着くのだという。

 

「今はどんな仕事を請け負っているんだよ? 」

「守秘義務で話せねぇ。」

「ちぇ、つまんねぇ奴。」

 

探偵稼業は、依頼主のデリケートな内容が含まれるのが大半な為、おいそれと人には話せない。

ニコもその事は十分理解している為、それ以上しつこく聞いて来る事はしなかった。

 

「そういや、前にお前の親父さんがアタシの店に来たぞ? 馬鹿デッカイ男を連れてな? 」

「・・・・・・。」

「特にお前の事は聞かれなかったけどな・・・・・偶には、家に帰ってやれよ? 」

 

寝板(クリーパー)を蹴って車体の下から出て来た明に、ニコは、余計な事だとは承知しつつも、一応、年長者として釘を刺しておく。

 

明の養父である17代目・葛葉ライドウは、自身が愛用しているGUMPの定期検査をニコに依頼していた。

GUMP(ガンタイプコンピューター)の定期検査ならば、何もニコの様な無名の職人に頼む必要は無い。

『クズノハ』程、巨大な組織なら、幾らでも腕のいい職人を多く雇用しているからだ。

17代目が何故、山谷の寂れた裏街道にあるニコの店に、大切な仕事道具であるGUMPの定期検査を依頼しているのは、義理の息子である明の安否を確認する為である。

 

「アタシも婆ぁの事があるから、あまり人の事は言えないけどさ・・・・それでも、何時か後悔する日が来るぞ・・・・アタシみたいに・・・・。」

 

自然と、ニコの視線がガレージの壁に飾られている古臭い金属のプレートへと向けられた。

そこには、『BY .45 ART WARKS』という、ロゴが刻まれている。

今から、数年前、レッドグレイブ市で起こった人為災害により起こった火災でニコの祖母、ニール・ゴールドスタインが死亡した。

警察のモルグで、見るも無残な姿へと変わり果てた祖母が、脳裏に焼き付いて離れない。

祖母の遺体を、両親の眠る墓地へと埋葬したニコは、唯一、焼け残ったこのプレートを遺品として日本に持ち帰ったのである。

 

「・・・・俺が居ない方が、あの人の為なんだよ。」

「え・・・・? 」

「つまんねぇ事、気にすんな。 それより腹が減っちまったよ。適当に飯作るけど良いよな? 」

 

油塗れの汚れた軍手を作業台に置き、明は、キッチンがある扉の中へと消えていく。

料理などロクにしない女主人の冷蔵庫は、飲料水かビールの類しか入っていない。

野菜や肉、その他、総菜や調味料が収まる様になったのは、明がこの店に入り浸る様になってからだ。

お陰で、ニコも何とか健康的な食事にありつける事が出来る。

 

「本当、こういうマメな所は、17代目に良く似てるわ。」

 

店に立ち寄る時、ライドウは必ず、自家製のカットケーキを持参して来る。

甘さ控えめで、味わい深いチョコレートやフルーツをふんだんに使用したカットケーキは、ニコの大好物だ。

何時も息子が迷惑をかけて申し訳ないという、ライドウなりの心配(こころくば)りなのだろう。

 

 

二人が、少々、早目の昼食を取っている最中、ニコのガレージショップに、『葛葉探偵事務所』所長代理の壬生・鋼牙が訪れた。

その隣には、『聖エルミン学園』に転入してきたばかりのネロを連れている。

学校が終業したそのすぐ後で来たのか、二人共、エルミン学園の制服と学校で支給されているボストンバッグ、それとネロは右手に紫色の布で包まれた長い棒状のモノを持っていた。

 

「ニコ姐、元気ぃ? 」

「元気ぃ? じゃねぇーよ。 飯食ってる最中に来やがって・・・この常識知らずが。」

 

明特性のふわとろオムレツを堪能している最中に、邪魔されたのだ。

当然、ニコの機嫌は、すこぶるつきに悪い。

 

「ごめんごめん。あ、ニコ姐に紹介するよ。今日からウチの学校に転入してきたネロ君だよ。 」

 

鋼牙が、傍らにいる銀髪の少年を紹介する。

日本に来たばかりで慣れていないネロの為に、観光がてら、天鳥市を案内するらしい。

丁度、港にも用がある為、明にも同伴して欲しいのだそうだ。

 

 

「別に構わねぇけど・・・・お前等、昼飯は・・・・・? 」

 

ダイニングルームから、出て来た明が、ネロと鋼牙の所に顔を出す。

高身長である筈の自分より、遥かに上背がある明に、鋼牙の隣で立っているネロは、驚いて眼を見張る。

 

「うん、実は腹ペコなんだよねぇ・・・・ネロはどうする? 」

「え?あ、うん。 俺も腹が減ってる。」

 

いきなり話を振られ、ネロが一瞬、返答に窮する。

 

慣れない異国の地という事もあり、多少の不安が無かったと言えば嘘になる。

オマケに、幼少時のトラウマが原因で、学校という狭いコミュニティが、大の苦手であった。

しかし、壬生・鋼牙や特殊学科の生徒である日下・摩津理、その親友である八神・咲のお陰で、学校という場所も、それ程悪い所では無いと考えを改め始めていた。

 

 

「ならコッチに来い、飯を喰ってから天鳥港に行こうぜ。 」

「ヤッター! 明のふわとろオムレツ大好きなんだよねー♪」

 

勝手知ったる他人の家。

ニコの了解を得ずに、図々しくも鋼牙は、キッチン兼ダイニングルームがある室内へと上がり込んでしまう。

多少、戸惑いながらも鋼牙の後に続くネロ。

何時もの事なのか、女店主は呆れた様子で、黒縁眼鏡の少年と見事な銀髪の少年二人を腰に手を当てて眺めていた。

 

 

6畳ぐらいの広さがあるダイニングキッチン。

木製の丸テーブルには、緑色の椅子が四脚、置かれ、壁の棚には小さな観葉植物の鉢植えが並べられている。

綺麗に清掃がいきとどいた室内には、ゴミどころか埃一つも無く、食器棚にはコップや皿等が綺麗に整頓されていた。

 

物珍しく室内を見回しているネロの前に、大皿に盛られたオムライスが置かれる。

キノコのデミグラスソースに甘い臭いがする卵の生地。

上には乾燥パセリがトッピングされている。

普通の飲食店で出されても、何ら遜色ないふわとろオムレツだ。

 

「いただきまーっす! 」

 

早速、鋼牙が食事の挨拶をすると、スプーンでオムライスを掬い一口食べる。

特性チャーハンとトロトロな卵の生地が、絶妙なハーモニーを奏で、口内を幸せいっぱいにしてくれた。

 

「う、美味い・・・・。」

 

ネロもスプーンに一口掬って食べてみる。

むきエビとピーマンに赤パプリカの特性チャーハンにキノコたっぷりのデミグラスソースが上手くマッチしている。

おまけに口の中でとろける卵の生地が、何とも言えなかった。

 

「でしょ? 僕も色々、料理は作るけど、明のオムレツには負けちゃうんだよねぇ。」

 

スプーンを忙しなく口の中に運びながら、鋼牙は心底悔しそうに呟く。

 

「何しに、天鳥港まで行くんだよ? 」

 

絶品オムレツを平らげたニコが、二杯目のお代わりを明に要求しつつ、黒縁眼鏡の少年に問い掛ける。

 

「コイツを三十四代目・村正って人に、渡す為だよ。」

 

そう応えたのは、鋼牙では無く、その隣に座る銀髪の少年―ネロ、であった。

壁に立て掛けてある紫色の布で包まれた棒状のモノを手に取り、包んでいる布を取り去る。

中から、黒い鞘に収まった日本刀が姿を現した。

 

「ふーん、”無銘の刀”ねぇ・・・・もしかして、お前、悪魔召喚術師(デビルサマナー)かぁ? 」

「違う・・・・てか、アンタ、コイツが何なのか知っているのか? 」

「もちのろん、こう見えてもアタシは、魔具(デビルアーツ)を専門に造る職人(ハンドヴェルガー)なんだぜぇ。」

 

お代わりのオムレツを口に運びつつ、ニコが自慢気に胸を張る。

 

この女店主は、山谷を中心に活動している職人(ハンドヴェルガー)だ。

主に、魔具の修繕や鍛え直しを専門にしている。

裏社会で長年仕事をしている為、当然、ネロが右手に持っている物の正体も知っていた。

ネロが持っている刀は『無銘の刀』。

それ自体は、何の力も持たぬ普通の刀だが、悪魔の力を喰わせる事で、真の力を引き出す事が出来る。

 

「でも、何だってそんな貴重なモン、学生のお前等が持っているんだよ? 」

 

ニコが不思議に思うのは、当然であった。

合体剣の元となる”無銘の刀”は、その特性から入手困難と言われている。

一体どんな製法をしているのか、誰が造り出しているのかも謎。

唯、土御門一族に認められた者のみが、その刀を持つ事が許されていると聞く。

 

「特殊学科の先生が、彼に渡したそうです。 コレを持って天鳥港に停泊している”ビーシンフル号”のシェフに会えってね・・・・。」

 

学校の正門前で、池上組のヤクザ数名と大立ち回りをしている明を止める為、一旦、鋼牙はネロと別れた。

その時、薬学部を受け持っている悪魔講師、トロルから、”無銘の刀”を渡されたのだという。

ネロがトロルに理由を尋ねると、『聖エルミン学園』の理事長、土御門・清明に、頼まれたと言っていた。

 

『ハルアキラ・・・・お前に召喚術師(サマナー)の才能があると言っていた・・・俺もそう思う・・・・だから、この刀、お前にやる。 どう使うかは、お前が決めろ。』

 

自分の工房に案内したトロルは、作業場から出来上がったばかりの刀をネロへと渡す。

今現在、天鳥港に、超豪華客船”ビーシンフル号”が停泊しているのだという。

”ビーシンフル号”は、表向きは上流階級の人間達が利用する娯楽施設兼ホテルなのだが、裏の顔は、悪魔召喚術師(デビルサマナー)達が、更なる力を手に入れる場所であった。

そこに、合体剣を専門とする刀鍛冶がおり、彼に渡せば使役する悪魔を材料に魔法剣を精製してくれるらしい。

 

(て、言われても・・・・正直、どうして良いのか分からねぇ。)

 

自分に悪魔召喚術師(デビルサマナー)の資質がある。

そんな事を言われたのは、生まれて初めてだ。

召喚術師(サマナー)は、数ある魔導師職(マーギア)の中でも異質な存在である。

常人よりも、遥かに優れた精神感応力を必要とし、上質なマグネタイトと魔力保有者である事が求められる。

それ故、召喚士の数は極めて少なく、悪魔に唯一対抗出来うる存在であると言われていた。

 

「自慢に思って良いんだよ? 迷う必要何て何処にもないじゃん。 」

 

ネロの前に置かれたオムレツの前で、一緒に食べていた小さな妖精が、此方を見上げる。

 

「超国家機関『クズノハ』総元締めの晴明お墨付きなんだよ? これって物凄い事なんだからね。」

「マベル・・・・・。」

 

器用に、自分の目線の高さまで跳んでいる妖精を見つめる。

不思議と彼女の言葉は、ネロの心の内にある蟠(さだかま)りや不安を掻き消してくれた。

フォルトゥナの時も、幾度、彼女に救われたか知れない。

 

 

昼食後、一同は、ニコが運転する大型のバンに乗って天鳥港へ向かっていた。

本当なら、三人で行く予定だったのだが、予定の客が全部はけて暇だし、久し振りに業魔殿の悪魔工房に顔を出したいというニコの申し出があった為、有難く、彼女の仕事用の車に乗せて貰う事になった。

 

「あの女って、お前等とどういう関係があるんだよ? 」

 

移動式作業所も兼ねている為、車内は想像以上に広い。

後部座席のシートに脚を組んで座るネロが、車に設置されたジュークボックスを弄る黒縁眼鏡の少年に問い掛けた。

 

「ニコ姐は、元『エルミン学園』卒業生で、トロル先生のお弟子さんなんだ。 特殊学科を首席で卒業した才女だよ。」

 

鋼牙が、煙草を片手に器用に車を運転している眼鏡の女性を軽く紹介する。

 

「あの薬学部講師の悪魔が・・・・職人(ハンドヴェルガー)だったのか。」

「昔の話さ・・・・噂じゃ、元薔薇十字結社(ローゼンクロイツ)お抱えの職人(ハンドヴェルガー)だったらしい。 どういった経緯で、うちの薬学講師になったのかは知らないが、今はその腕を封印して、学生相手に薬草の育て方や魔法薬の精製方法を教えてる。」

 

助手席に座り、ニコの煙草から無断に一本拝借した明が、自分のライターで火を点ける。

助手席の窓を開け、煙草を吸いながら、明は、学園の地下にある妖牧場で生活しているトロルの経歴を説明した。

 

「薔薇十字結社(ローゼンクロイツ)? もしかして、現剣聖・アルカード・ヴィラド・ツゥエペシュが所属している東ヨーロッパ最大の秘密結社(フリーメーソン)の事か? 」

 

妙に気色ばんだ表情で、ネロが明の居る助手席の近くへと移動する。

 

「そうだけど、それが一体どうかしたの? 」

 

気に入った曲が見つかったのか、鋼牙はジュークボックスのボタンを押す。

すると、軽快なポップミュージックが車内に流始めた。

 

「ばっか、お前、剣聖と言ったら、世界最強なんだぞ? 剣士職(ナイト)なら誰だって憧れるだろーがよ。」

「成程、 つまりお前は、”東の暴風王(エスト・ミストラル)”の熱烈なファンって事なんだな? 」

 

ハンドルを握るニコが、ニヤニヤ笑いながら、ネロをからかう。

 

”東の暴風王(エスト・ミストラル)”とは、現剣聖・アルカードに付けられた通り名だ。

曰く、彼が通った後は、全て破壊され、ぺんぺん草すら生えないのだという。

まるで竜巻(ハリケーン)が通り過ぎた様な跡から、人々が皮肉を多分に含めて付けた仇名であった。

 

「確かに、彼には信じられない逸話が幾つもあるけどね・・・・そういえば、17代目は現剣聖殿と何度か任務が一緒になったと聞いた事があるね。」

「ライドウさんが? 」

 

ネロの隣へと移動した鋼牙が、後部座席のシートへと腰を下ろす。

興味深々と言った様子で、後ろにいる黒縁眼鏡の少年を振り返るネロ。

助手席と運転席に座るニコと明は、何故か共に渋い顔をしている。

 

「君も知ってるだろ? 東京湾を覆う様に建てられた巨大な壁。 その壁内調査に、”東の暴風王(エスト・ミストラル)”も同行したみたいだよ? 残念ながら、詳しいことは超極秘事項で、教えては貰えなかったけど。」

 

元・天海市があった東京湾沿いは、今は、巨大な壁によって完全に隔離されている。

突如、現れた異界の穴―”シュバルツバース”の拡大を防ぐ為に、人類が取った最善な措置であった。

規模は、今も徐々にではあるが広がっており、超国家機関『クズノハ』宗家である四家当主達の高度な呪術によって辛うじて喰い止められているのだという。

 

「オラっ、お前等、もう少しで港に着くから、大人しく席に座ってな。」

 

バンを運転している女店主が、後部座席にいるネロと鋼牙に向かって言った。

助手席に座る明は、開けた窓に煙草の煙を吐き出しながら、天鳥町の街並みを無言で眺めていた。

 

 

流石、世界最大の港に数えられるだけはあり、天鳥港には沢山の巨大タンカー船や、クルーズ船等が停泊していた。

超豪華客船”ビーシンフル号”もその中におり、その美しい船体から、一際目立って見えた。

 

「あ、あれが”業魔殿”? 」

 

その威風堂々とした大型豪華客船に、ネロは思わず気後れしてしまう。

この巨大な船の何処かに、悪魔工房があり、そこで、多くの召喚士達が、更なる力を得ているのだ。

 

「ホラホラ、何やってんだよ? 置いてっちまうぞ? 」

 

豪奢な照明に、傷一つ無い清潔な白い壁。

時間が早い為か、客の姿はチラホラ見える程度で、ひっそりと静まり返っている。

初めて脚を踏み入れる超豪華クルーズ船に、興味深々と言った様子で辺りを見回すネロに対し、数歩前を歩くニコが呆れた様子で声を掛けた。

 

「ビックリするのも無理は無いよね? 僕も初めて此処に来た時は、君と全く同じだったよ? 」

 

ネロの隣を歩く鋼牙が、その時の情景を思い出したのか、クスリと柔らかい笑みを浮かべた。

 

総トン数22万8081トン。

全長362メートル、全幅65メートルの超巨大豪華客船。

様々な施設があり、遊園地、流れるプールにサーフ・シミュレーター、ウォータースライダーに、ロボットバーテンダーがシェイカーを振るバイオニックバーまである。

最先端の美容整形室や、各国の料理が楽しめるレストラン。

果ては、ロッククライミング用ウォールやワイヤースライダー等、スポーツを楽しむ遊戯施設も豊富だ。

 

「そうそう、言い忘れていたけど、君に一つだけ注意しておく事がある。」

「何だよ? 」

 

物珍しそうに、各種施設を楽しんでいる客達を眺めているネロの背に、鋼牙が想い出したかの様に声を掛けた。

 

「此処は、中立区域だ。 各国の秘密結社(フリーメーソン)が、普通に利用している。 当然、ヴァチカン13機関(イスカリオテ)もね。」

「・・・・・っ! 」

 

ヴァチカンという名を聞いた瞬間、ネロの眼の色が変わった。

フォルトゥナ公国を滅茶苦茶にし、挙句、義理父であるクレドの命を奪った怨敵。

ネロの脳裏に、巨大な鎌を持つ、自分と同色の髪をした少年の姿が思い浮かぶ。

魔剣教団の騎士団長であり、尊敬する父親。

その父を無慈悲に殺した異端審問官の少年― アレフ・マクスゥエル。

 

「御免、最初に謝っておく・・・・君の経歴は調べさせて貰った。当然、君の家族の事も・・・・。」

「・・・・・。」

 

鋼牙が何を言いたいのか、何となくではあるが分かる。

 

”この船で、奴等を見かけても無視しろ”

 

鋼牙は、ネロにそう伝えたいのだ。

 

黙したまま、その場に立ち尽くすネロ。

数歩前を歩いていたニコと明も、そんな二人のやり取りを黙って眺めている。

 

「もし、此処で問題を起こしたら、組織『クズノハ』にも多大な損害が出る。だから・・・。」

「分かったよ。 あの狂信者共を見つけても、シカトすりゃ良いんだろ? 」

 

まだ何か言いたそうな鋼牙から背を向け、ネロはニコと明の所へと向かう。

そんな銀髪の少年に、鋼牙は、深い溜息を零した。

 

 

 

「お待ちしておりました。お話は、土御門晴明様より伺っております。」

 

第三十四代目・村正に会う為、彼の仕事場である”厨房”へと向かう途中、一人のメイドらしき少女に声を掛けられた。

肩口で綺麗に切り揃えられた黒髪と、蝋細工の如く病的に白い肌。

人形の如く整った容姿に、紅玉の様な紅い瞳をしている。

鋼牙達に礼儀正しく一礼するこの少女の名は、メアリー。

ヴィクトール・フォン・フランケンシュタインが創り出した、造魔である。

 

「よぉ! 久し振りだな? メアリー。 」

 

そんな彼女に、ニコは気さくに声を掛けてやる。

ニコがまだエルミン学園の生徒だった頃、修行に明け暮れ、トロルの工房で24時間詰めていた時があった。

その時、主人であるヴィクトルの使いで、工房を訪れた彼女と何度か顔を合わせていたのである。

 

「ニコレット様も、お元気そうで何よりです。」

 

旧友との出会いに、無表情だったメアリーの口元に、柔らかい笑みが浮かぶ。

 

トロルの工房に幾度か脚を運んだ折に、ニコと打ち解け、時折、得意の焼き菓子を造っては、彼女の所へ持って行った。

 

「では、どうぞ此方へ。」

 

軽く再会の挨拶を交わしたメアリーは、映画等で登場しそうな旧式のエレベーターへと一同を案内した。

作りは前時代的だが、構造は流石に最新式の機材を使用している。

メイド姿の少女は、ポケットから鍵束を取り出すと、階下を押すパネルの下に備え付けられた鍵穴へと小さな鍵を差し込んだ。

超豪華クルーズ船の最下層は、秘密の工房になっている。

そこには、悪魔合体をする実験場は勿論の事、第三十四代目・村正のアトリエもあった。

メアリーは、最下層を指定するボタンを押す。

一同を乗せ、鉄の箱は、悪魔工房のある最深部へと向かった。

 

「いっつも思うんだけどさぁ、こーんな薄暗い所で年がら年中引き籠ってて、頭がおかしくならないのかねぇ。」

 

エレベーターの壁に背を預けたニコが、呆れた様子でメイドの少女へと問い掛けた。

 

ニコの言う通り、この豪華客船”ビーシンフル号”の持ち主は、かなりの変わり者で通っている。

乗客達には、決して姿を見せず、悪魔合体を行う召喚士達しか相手にしない。

噂では、食事や睡眠すらもせず、四六時中、悪魔に関する研究を行っているのだという。

 

「ヴィクトル様は、日の光を浴びれぬお方です。 それに、人間があまりお好きではないと仰っておりました。」

 

この船の主、ヴィクトルは、不老長寿の力を得る為に、長命種(メトセラ)の代表格である吸血鬼(ヴァンパイア)一族と取引を行い、彼等の血から血清を造り出して、それを己の躰へと定期的に投薬している。

しかし、その副作用により、太陽光線に含まれる紫外線を浴びてしまうと、火傷の様な炎症を起こしてしまう様になった。

しかし、元が相当な変わり者であるヴィクトルは、己の身に起こった不幸を嘆くどころか、人に会う煩わしい事をしないで済む口実が出来たと、内心喜んでいるのだという。

 

「人間嫌い・・・・・ね。」

 

ネロの脳裏に、ある悪魔の姿が浮かんだ。

後頭部まで覆う特殊なヘルメットに、頭部側面から後頭部にかけて生える黒色で先細りの無数の管。

250メートルを優に超える慎重に、筋骨隆々な肉体美をしていた。

その戦士の名は、スカー。

妖鬼・ベルセルクの種族であるが、スカーは、彼等とは決定的に違っていた。

元々は、ネロと同じ人間であり、アバター体を利用して、悪魔の身になったのだという。

これは、ベルセルクの中にある氏族の一つ、ドルイド族の戦士、ボーグが口を滑らせた時にネロに洩らした話だった。

 

 

「此方が、第三十四代目・村正様の工房になります。」

 

エレベーターから降りたネロ達は、紅い絨毯が敷き詰められた長い廊下をメイド長・メアリーの案内で暫く歩いていた。

すると、工房がある部屋の前に20代半ばぐらいと思われる一人の青年が、壁を背にして立っている。

痩せた躰に全身を覆う入れ墨。

ノースリーブの黒皮のコートに、同色のレザーパンツを履いている。

右手には詩集らしき本を持ち、熱心に読み耽(ふけ)っていた。

 

「こんにちは、V様。 もう部屋を出ても大丈夫なのですか? 」

「・・・・・ああ、今日は珍しく体調が良くてね・・・ついでだから、野暮用を済ませようと思って此処に来た。」

 

病弱な質なのか、肌は驚く程白く、頬は大分コケている。

整った容姿をしており、落ち窪んだ眼下で、頭一つ分、背が低いメアリーへと視線を向けた。

 

「客か? 」

「はい、晴明様のお知り合いです。」

 

Vの問い掛けに、メアリーは応えると、手短にネロ達を紹介する。

彼等は、土御門・晴明が理事長を務める『聖エルミン学園』の特殊学科の生徒達であり、講師であるトロルが造った『無銘の刀』を村正に見せる為に、業魔殿に来たのだと伝えた。

 

「・・・・・? グリ助? お前、もしかしてグリ助か? 」

 

それまで黙って、Vとメアリーのやり取りを眺めていたニコは、入れ墨の青年の足元に巨大な鷲がいる事に気が付いた。

 

「どうしたの? ニコ姐? 」

 

無遠慮にVの足元にいる鷲を覗き込む女店主に、鋼牙が胡乱気に声を掛ける。

 

「グリ助だよ・・・ホラ、お前んとこのエロ所長が使役してた。」

「・・・っ、本当だ。 グリフォン、僕だよ? 鋼牙だ。覚えているだろ? 」

 

Vの足元で、ニコの視線から顔を背けているのは、『葛葉探偵事務所』所長、13代目・葛葉キョウジの仲魔である魔獣であった。

正確には、造魔であり、主の命令で本来の姿である大剣へと変わる事も出来る。

 

黒縁眼鏡の少年と女店主に顔を覗き込まれ、黒い毛並みの魔獣は、困った様子で、主である黒髪の青年へと無言で助けを求める。

しかし、主であるVは助ける気持ちなど一ミリも無いのか、完全に無視をしていた。

 

「確かに、その造魔は13代目が使役しておりました。 ですが、とある事情でV様に譲渡なされたのです。」

「譲渡・・・・? それは、本当なのか? グリフォン! 」

 

困り果てているグリフォンを見かねて、メアリーが助け舟を出す。

だが、良かれと思ってした事は、この眼鏡の少年には逆効果だったらしい。

 

「一体、何がどうなっているんだよ? 」

 

何時も冷静な鋼牙らしからぬ態度に、ネロが訝し気な表情になる。

 

「一週間以上も、所長と連絡が取れないんだよ。 アイツにとって13代目は、剣の師匠であり肉親同然の存在だからな。 気が気じゃねぇんだろ? 」

 

明の説明によると、『葛葉探偵事務所』所長である13代目・葛葉キョウジは、実父に見放された鋼牙にとって恩人以上の存在であるらしい。

天真正伝香取神道流を鋼牙に教え、人の道を指し示してくれた。

キョウジが、あの閉鎖された世界にある”葛城の森”から連れ出してくれたから今の自分があると、鋼牙は常日頃、友である明に言っている。

 

「そっ、そうだよ! 極秘任務のせいで、一度、契約を解除したんだ。」

 

あまりにしつこく詰問してくる鋼牙に、辟易したのか、グリフォンがやけくそ気味に応えた。

 

「でも、親父さんはピンピンしてるからな? 余計な心配だけはすんじゃねぇぞ? 」

「極秘任務・・・・そんなの初めて聞いたぞ。」

 

使い魔からの思わぬ返答に、鋼牙は憮然とした表情で、自分から視線を逸らせる魔獣を見下ろす。

 

8歳の時に、13代目に誘われ、聖地”葛城の森”から、都心に近い『矢来銀座』へとやって来た。

悪魔召喚術師(デビルサマナー)の才が無い鋼牙は、周囲・・・・特に実父と曾祖母である壬生・綾女に見放され、居場所を失っていたのである。

それを見兼ねたキョウジが、幼い鋼牙を引き取る形となった。

母親の血が濃い為か、鋼牙は、キョウジの元で、剣と魔導の才能を開花させていった。

組織『クズノハ』の中でも、精鋭部隊である”十二夜叉大将”の一人となれたのも、全てはキョウジの指導があったからである。

 

 

 

「つ、杖が出来たぞ? ずっどぉーん! 」

 

その時、工房の扉が物凄い勢いで開いた。

中から、上質な紫色の布の包みを持つ、メイド姿の少女が立っている。

固まる一同を他所に、右眼に眼帯をしたメイド姿の少女は、Vにその包みを押し付けた。

 

押し付けられたVは、呆れた様子で溜息を零すと、早速、包みの中身を確認する。

まるで蛇の様な鱗を持つ湾曲した柄と、槍の様に鋭い先端をした杖だった。

 

「むむっ、うぉまえらぁ! もしかして『エルミン学園』の生徒かぁ? 」

 

右眼に眼帯をしたメイドが、今度はネロ達に向き直る。

 

「そ、そうですけど? 」

 

完全に毒気を抜かれた鋼牙が、殆ど条件反射で応えた。

 

「清明様の学生だなぁ? 話は、聞いてるぅ、ご主人様がお待ちかねだから、とっとと中に入れぇえええええ!! 」

 

懇切丁寧な接客態度とは、とても言い難い。

しかし、本人はとても真剣らしく、唯一覗く左眼は、殺気すらも宿っていた。

逆らう気力も無く、ネロ達は、眼帯の少女に渋々従う。

工房内へと入る一同を見送ったVは、黒い大鷲を従え、自室に戻るべく、踵を返した。

 

 

ネロ達が、剣合体が行われている工房へ入ると、黒いマスクをした30代ぐらいの男性が待ち構えていた。

マスクと同色のコックコートを身に着け、肌は蝋細工の如く、不気味に白く、バセドウ病を思わせるかの様に、両眼が飛び出ている。

メアリーの説明によると、彼はこの豪華客船”ビーシンフル号”のお抱えコック長らしい。

料理の腕前は、前任者である第三十三代目・村正と遜色く無く、刀匠としても前任者を越える程の実力なのだという。

ただ、性格に難があり、部下達から気味悪がられていた。

 

「おおっ、待ち兼ねていました。 早速、刀を見せては貰えないでしょうか? 」

 

メアリーから紹介を受けたコック長は、大分・・・否、かなり興奮した様子で、場の雰囲気に呑まれ、硬直するネロから”無銘の刀”を受け取る。

 

「す、素晴らしい! 流石、炎の巨神・スルトル様が直々に打った刀だ。この見事に反り返った峰! 硝子細工の如く繊細な匂口(においくち)! 細部にまで施された装飾の鍔は、最早芸術作品ですぅ! 」

 

一人大興奮しているコック長を、大分引き気味で、一同が見守る。

 

「ほ、炎の巨神って・・・・もしかして、トロルって悪魔講師の事か? 」

「そうだよ。 彼は、”霜の巨神・ヨトゥンヘルム”と双璧を成す”炎の巨神・ムッスペル”一族の長だ。 大昔は、人間と敵対的な立場にいたらしいんだけどね。」

 

ネロの疑問に、鋼牙が応えてやる。

 

かつて、ムッスペル一族は、アース神族と人間族に敵対し、領地を巡って幾度も戦争を起こしていた。

しかし、今現在は、改心したのか、人間達と友好的な関係を持ち、絶大なる巨神の力を自らの意志で封じているのだという。

 

「フフッ、有難うございます。十分、堪能させて頂きました。」

 

未だ興奮冷めやらぬ村正が、恭しく刀を鞘へと戻すと、丁寧にネロへと返す。

 

「さてと、晴明様から”無銘の刀”について、貴方方にご説明するという事になっておりますが? 大変失礼とは思いますが、この中に悪魔召喚術師(デビルサマナー)殿がおられるのですかな? 」

「いえ、残念ながら・・・・でも、トロル・・・いえ、スルトル様の話では、彼に召喚術師(サマナー)の類稀な才能があると・・・。」

 

鋼牙が、『エルミン学園』地下にある妖牧場での出来事を村正に説明した。

悪魔講師であるトロルは、初対面のネロに「悪魔召喚術師(デビルサマナー)の才能が、ネロにある。」と断言していたのだ。

それは、理事長である晴明も承知している事で、彼の依頼で、ネロの為に”無銘の刀”を打ったのだという。

 

「ほほぅ、確かに、彼からは我々、一般人とは桁違いの上質なマグネタイトの波長を感じますな? 宜しい・・・・イッポンダタラ君! 」

 

コック長は、一人納得すると、背後に控えている眼帯の少女を指を鳴らして呼んだ。

 

「17代目から預かっている”七星村正”と”アリラトの管”を持って来なさい! 」

「りょ、了解だ!ずっどぉおおおおおん!! 」

 

主から指示を受けたメイドは、そそくさと工房の奥へと姿を消す。

 

「口で一々、説明するより、実際その眼で見た方が宜しいでしょう。」

 

コック長は、ネロ達を巨大な炉の前まで案内する。

製品を加工する為に使用される真空炉を思わせる形をしたその巨大な機械は、室内の優に半分以上の体積を占めていた。

天井部分には、冷却装置らしき円筒形の機械が設置され、ヒーターからは、まるで車のエンジン音の様な唸り声が終始轟いている。

 

「すっげぇな、 これで魔法剣と悪魔を合体させるのか。」

 

改めて、その巨体さを認識したニコが、思わず口笛を吹いていた。

 

「はい、初代様からお使いになられている炉ではありますが、最近、老朽化が進みましてね? 私自身の手で、ちょっとした改良を加えてみました。」

「改良? 」

「この船の主、ビクトール様の錬金術を参考にさせて貰ったのです・・・・悪魔同士を合体させ、新たな悪魔を生み出す・・・・それが、魔法剣にも出来ないかと思いましてね? 」

 

三十四代目・村正の話によると、悪魔と魔法剣を合体させる他に、ニコ達職人(ハンドベルガー)が手掛ける魔具と魔法剣を合体させ、更に強力で優秀な武具が出来ないかと試行錯誤したのだという。

その結果、魔法剣と魔具の相性さえ良ければ、特殊な能力を持った武具を造り出せる事に成功した。

 

「私は、元々、お嬢さんと同じ職人(ハンドヴェルガー)だったのです。 先代に刀匠としての才能を見出され、三十四代目の銘を襲名しましたがね。」

 

その時の経験と知識が、今、こうして実を結んだ、という事である。

そんな過去の話をしている時に、アシスタントであるイッポンダタラが大きなワゴン車を押して一同の前に姿を現した。

台の上に乗っている紅いフェルト生地の布を取り払うと、中から絵に七星の文様が刻まれた刀剣と、銀色に光る管が現れる。

 

「こ、これが、ライドウさんの剣? 」

 

異様な気配を放つ魔剣に、ネロは思わず固唾を呑んだ。

 

「その一つですな。 あの方は、魔法剣コレクターとしても、非常に有名ですからねぇ。」

 

村正曰く、17代目・葛葉ライドウは、かなりの魔具や神器の蒐集家らしい。

その数、有に40は軽く超え、他に対悪魔用の特殊防具等が、成城の葛葉邸の地下に眠っているのだという。

本人に言わせると、悪魔との戦闘が激しい、召喚術師(サマナー)は、別段珍しい事では無いのだそうだ。

同業者の中には、己の身を護る為に、より優秀な武具や魔法剣を求める輩が多く、その中でも、ライドウは所持する武具が少ない方なのだという。

 

「では、早速始めましょう・・・イッポンダタラ君! 魔法剣と管を炉にセットしたまえ! 」

「い、イエスサー!!!!! 」

 

主人の命令に、メイドの少女は、ビシッと敬礼を決めて返事をする。

そして、慣れた手付きで炉を操作した。

濛々(もうもう)と水蒸気を吐き出し、炉の重い鉄の扉が開く。

イッポンダタラは、刀の窪みが出来ている場所に七星村正を収め、その下にある管を挿入する口に威霊・アリラトが封じられている召喚器を入れ、蓋をした。

パネルを操作すると、再び、炉の扉が閉まる。

 

「この特殊な炉により、管に封印された悪魔が魔法剣に喰われるのです。」

「く、喰われるって、この機械に入れると魔法剣が悪魔を喰っちまうのか? 」

「オフコース。 魔具と魔法剣の決定的な違いは、合体剣は、素材となる悪魔の力を吸収する事で、より優れた剣へと成長する事が出来るのです。」

 

村正がニコに説明している間に、アシスタントのメイドの少女は、黙々と作業を続けている。

厚い鉄の塊の中に収められた剣と、管の中に封印された悪魔が、炉の力でドロドロに溶けあい、一つに融合していく。

 

「が、がが合体剣、七星村正誕生なんだ!ずっどぉおおおおん!! 」

 

メイドの少女がレバーを引くと、再び炉の扉が開き、凄まじい量の水蒸気が辺りに流れ込んで来た。

見ると、炉の中に、眩い光を放つ剣が浮遊していた。

威霊・アリラトの力を喰らい、新しく生まれ変わった『七星村正』である。

 

「こ、これが合体剣か・・・。」

 

イッポンダタラが出来上がった剣を再びワゴン車に乗せ、一同の元へと持って来る。

やや反り返った太刀は、繊細な装飾が施された白い鞘に収まり、ネロ達にも伝わる程の禍々しい気を放っていた。

 

「先程も申しましたが、合体剣は素材となる悪魔のレベルによって、その性能は大きく変わっていきます。 そして・・・・これが最も一番の特徴なのですが、素材となる悪魔の属性にも影響を受けるのです。」

「属性・・・・もしかして、五行思想の事ですか? 」

 

流石、母親が魔導士の家系だけあり、鋼牙はその手の話に詳しい。

五行思想とは、古代中国に端を発する自然哲学の事である。

万物は、火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説があり、それは悪魔(デーモン)も同様であった。

悪魔が炎属性であるならば、合体剣は炎の力が宿り、又、反対の氷結属性であれば、剣は、凍結の属性を帯びるのだという。

 

「悪魔の中には、どちらの属性にも当てはまらぬ無属性という輩がいます。今、剣合体を行った威霊・アリラトがそうですね。 そういった特殊な悪魔達は、合体剣の素材にすると、特別な力を宿した”神器”に生まれ変わります。」

 

村正の説明によると、神や魔王に匹敵する力を持つ者達を素材にすると、通常の法則を無視した武具が生み出される。

彼等、刀匠達は、そういった武器や防具を『神器(デウスオブマキナ)』と呼び、その力は正に奇跡そのものなのだという。

 

「まぁ、残念ですが”アリラト”は神器にはなりませぬが、それに遜色ない力を持ちますね。 たった一振りで、魔王の首を跳ね飛ばす力がありますから。」

「た、確かに、コイツなら魔王をぶっ飛ばせそうだぜ。」

 

村正の言葉に、一人納得したネロが、ワゴンの上に置かれた『七星村正』に触れようとする。

しかし、それを眼帯のメイドが邪魔をした。

 

「力持たぬ者が、その剣に触れると呪われるぞ!ずっどぉおおん!! 」

「うわっ、何だよっ! 」

 

いきなり大声で叫ばれ、ネロが驚いて眼帯のメイドを睨み付ける。

そんな二人の様子に、三十四代目・村正が苦笑を浮かべた。

 

「フフッ、失敬。 イッポンダタラ君が言いたいのは、知識も経験も持たぬ者が、神の力を宿す剣に不用意に触れると破滅する、と言いたいのだよ。」

 

ネロに対して、かなり失礼な事を言っているのだが、村正自身、余りその事について気が付いている様子は無かった。

ワゴンに乗っている『七星村正』を手に取り、鞘から刀を抜き放つ。

威神の力を宿した刀身は、全身に紫色の輝きを放っていた。

 

「この剣を操れるのは、我々の想像を絶する苦難を乗り越え、執念とも言える強さを持った者のみ・・・・そう、”人修羅”殿のみなのです。」

「つまり、17代目以外が触れると呪われるっと、仰りたいのですか? 」

「いえ・・・・言葉の例えです・・・・普通の人が触っても、何の支障もありませんよ。」

 

口元に皮肉な笑みを浮かべたコック長は、刀を再び鞘へと納め、憮然としている銀髪の少年へと渡した。

 

「しかし、精神的にも肉体的にも未熟な輩が、過ぎた力を欲すれば破滅するのは必然・・・貴方も、その事だけは努々(ゆめゆめ)お忘れにならぬよう・・・。」

「・・・・・・。」

 

村正の言葉は、何処か重く、ネロの心に突き刺さった。

両手の中に納まる魔法剣へと視線を落とす。

一年前、自分は愚かにも”ミティスの森”で、”ソロモン12柱の魔神”の一人を解き放ってしまった。

魔神―堕天使・アムトゥジキアスは、ネロの体内に宿り、魔具『閻魔刀』の力で、深い眠りへと就いている。

アムトゥジキアスが憑依した影響で、ネロの右腕は異形の姿へと変貌してしまった。

今は、17代目・葛葉ライドウが施した封魔の腕輪で、人間の腕に戻ってはいるが、腕輪を外せば、再び異形の”悪魔の右腕”に戻ってしまうのだ。

 

 

 

三十四代目・村正の一件後、”魔法剣”の概要を聞いたネロ達は、ラウンジに戻って軽く一服する事になった。

因みに、アリラトの力が宿った剣は、眼帯のメイドに返している。

メイド長であるメアリー特性のパウンドケーキに舌鼓を打ちつつ、一同は、甘さ控えめのアップルティーを飲んでいた。

 

「やっぱり、凄い・・・・・。」

「あん? 」

 

フォークで分厚いパウンドケーキを口に運んだニコが、真向いにすわるネロを胡乱気に眺める。

 

「凄ぇよ! ライドウさんは、俺が想像する以上に凄い召喚術師(サマナー)だったんだ! 」

 

まるで英雄(ヒーロー)に憧れる少年少女の如く、銀髪の少年は、キラキラと双眸を輝かせ、何故かガッツポーズを取っている。

途端、白けるニコ達。

否・・・・驚く所はそこじゃないだろ? という、無言のツッコミが、ネロへと刺さる。

 

「じゅ、17代目が凄いのは、皆知っているけどね。 」

「・・・・・。」

 

苦笑いを浮かべる鋼牙と、無言になってしまうニコと明。

特に、義理父である17代目との確執を知っているニコは、隣に座る明を眺め、いたたまれない様な気分になってしまう。

当の明自身は、メアリー特性のパウンドケーキには、一切手を付けず、無言で座っていた席から立ち上がった。

 

「用事は済んだんだろ? だったら、俺は仕事に戻らせて貰う。 」

 

それだけをネロ達に伝え、引き留める間もなく、ラウンジから去って行ってしまった。

 

「何だよ? アイツ・・・。」

「まぁまぁ、 今、僕達”探偵部”は大事な仕事を抱えているからね。明には、ソッチの調査を頼んでいるんだよ。 」

 

明の態度に、憮然とするネロを鋼牙がそれとなくフォローする。

 

「仕事・・・・・? 」

「そうそう、コイツ等は、一応”葛葉探偵事務所”の調査員らしいからなぁ? 」

 

胡乱気に聞くネロに対し、ニコがからかい気味に応える。

 

明と鋼牙は、矢来銀座を中心に活動している”(自称)探偵”であった。

浮気調査から、失せ物探し、果ては迷子になった飼い犬や飼い猫まで探す、いわば街の『何でも屋』である。

 

「ニコ姐は、僕達の活動を馬鹿にしてるけど、一応、市民の安全を守る為に、悪魔退治もちゃんとやってるからね。」

 

鋼牙は、甘い香りがするアップルティーを一口啜ると、右隣に座る女店主をジロリと睨んだ。

 

未成年であるという事から、餓鬼のお遊戯だと思われがちだが、仕事内容は、何処の調査事務所よりも誠実で、それなりの結果を出している。

現に、鋼牙達の地道な活動のお陰で、依頼件数も徐々にではあるが、増えているのも事実であった。

組織”クズノハ”の掟に従い、矢来銀座の市民達や、天鳥町の住民達を悪魔の脅威から護ってもいる。

 

「そうだ、これから僕達の活動拠点である”葛葉探偵事務所”に来ないか? 君にも見せたいモノがあるし。」

「え?うん。 別に構わねぇけど。」

 

鋼牙の提案に、半ば流される形で、ネロが頷く。

 

どうせ、成城の葛葉邸に帰ったところで、義理父であるライドウは屋敷にはいない。

”壁内調査”と”表の仕事”で、屋敷に帰る事は殆ど無く、此処数日、ロクに顔を合わせてはいなかった。

それに、あの厭味ったらしい銀髪の大男と顔を合わせると、必ずと言っていい程、口喧嘩になってしまう。

 

ネロは、テーブルの上にちょこんと座って此方を見上げている小さな妖精と視線を合わせた。

居心地の悪い屋敷に居るより、気の合う鋼牙達となるべく一緒にいたいネロの気持ちが分かるマベルは、「別に構わないよ。」と微笑む。

 

「良し、アタシも仕事に戻らなきゃならないから、ついでにお前等を事務所がある矢来銀座の近くまで乗っけてってやるよ。」

 

気前の良いニコの申し出に、ネロ達三人は、一路、『葛葉探偵事務所』がある矢来銀座に向かう事になった。

 




何とか投稿出来ました。


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第四話 『 闇市 』

登場人物紹介

里美・忠・・・・『轟探偵事務所』の調査員。
悪魔召喚術師(デビルサマナー)であるが、中々芽が出ず、B級止まりである。
師匠である轟曰く、「その気になれば、特Aクラスぐらいは狙える。」との事。

小金・田牧・・・・『轟探偵事務所』の調査員。
忠の番(パートナー)で、特A級の魔導士(マーギア)。
口は悪いが、仲間想いで、何かと忠を助けている。



アメリカ合衆国バージニア州、アメリカ国防総省本庁舎。

数千メートルもの地下に、”ネスト”と呼ばれる極秘研究施設があった。

 

研究所の長い廊下を、漆黒のカソックを纏い、両肩に真紅のストラを垂らした赤い髪の青年が歩いている。

歳の頃は20代前半ぐらいだろうか?

前髪を後ろに撫でつけ、人形の様に整った容姿をしていた。

 

「うわぁあああっ!!! 」

 

突然、研究素体を飼育している個室の扉が開き、中から額に夥しい血を流した小太りの研究員が飛び出して来る。

誰かの返り血だろうか、研究員が着ている白衣は、血塗れであった。

 

「だ、誰か! 誰か、警備員を呼んでくれ!! 」

 

脚をもつれさせ、研究員が廊下の硬い床へと無様に倒れ込む。

余りの恐怖に、両眼は限界まで見開き、目の前にいる赤い髪の異端審問官へと助けを求めていた。

赤い髪の青年― ケン・アルフォンス・ラ・フレーシュが、小太りの研究員のすぐ後ろへと胡乱気に視線を向ける。

すると、飼育部屋から、黒い髪をツインテールにした10歳未満のアジア系の女の子が、右手に看護師らしい女性の髪を掴んで出て来た。

既に女性看護師が絶命しているのは、一目見ただけで分かる。

首があらぬ方向へと捻じ曲がり、目と口、鼻や耳から血を流して、少女に引きずられていた。

 

新しい獲物を見つけ、少女が口元に冷酷な笑みを浮かべる。

しかし、少女の眼前に立つ、紅い髪の異端審問官は、別段、怯える様子は無かった。

少女を眺めていた紅玉の如き、紅い双眸が、怪しい輝きを放つ。

すると、突然、少女が悲鳴を上げた。

恐怖に顔を歪ませ、耳から大量の血を流す。

そして、糸が切れた人形の如く、床に頽(くずお)れると、口から泡を吹き、不規則な痙攣を起こしていた。

 

 

「困るなぁ、大事な実験体を壊して貰っては・・・・。」

 

背後から掛けられた声に、ケンが鋭い視線を向ける。

するとそこには、左胸に幾つかの勲章を付けた陸軍制服を着る60代前半らしき、初老の男が立っていた。

この地下研究所の総責任者を任されているアメリカ陸軍中将、ウィリアム・グリッグスである。

 

「なら、もう少し獣共の躾をしておけ。」

 

心底、軽蔑しきった眼差しを、グリッグス中将へと向ける。

 

正直、この男は気に喰わない。

いくら大統領直属の部下とはいえ、この生理的嫌悪感を抑える事は叶わない。

 

そんな同胞の様子など、一切意に介さず、グリッグス中将は、背後に控えている不気味な仮面を被った医師達に、後片付けを命じる。

テキパキと無駄な動きを一切見せずに、黙々と作業を続ける白衣の集団。

 

「此処で立ち話も何だから、執務室に来ないか? ウリエル。」

 

まるで人形の様に投げ出された看護師の遺骸を死体袋に詰め、廃人と化した実験体と未だ腰を抜かしている医師を回収する白衣の集団を、無言で眺める赤毛の異端審問官の背に、グリッグスが声を掛ける。

 

「私に言いたい事があるんだろ? ついて来たまえ。」

「・・・・。」

 

踵を返し、自室(プライベートルーム)へと向かう初老の男。

ケンは、無表情のまま、男の後を追い掛けた。

 

実験施設から少し離れた、居住区内の近くにある執務室。

持ち主の趣味なのか、上品な高級家具が置かれ、壁にはミケランジェロ作の『アダムの創造』という宗教画が、飾られている。

豪奢なデスクの置かれた背後の壁は、強化ガラスになっており、そこから”ネスト”の様子が一望出来た。

 

「まだ、あんな野蛮な実験を続けているとはな・・・。」

「野蛮とは心外だな・・・・此処の研究成果のお陰で、今の13機関(イスカリオテ)は成り立っていると言っても過言ではないのだよ? 現に、君の上司であるジョン・マクスゥエルは、此処の出身だ。」

「・・・・・。」

 

口では、不平を洩らしつつも、グリッグスの表情は、何処か偽悪的であった。

嫌悪感に歪むケンの様子を横で眺め、楽しんでいる。

そんなアメリカ陸軍中将に対し、赤毛の異端審問官は、一つ溜息を零すと、豪奢なデスクの上に、ポケットから出したUSBを無造作に置いた。

 

「貴様に預けていた筈の”ファティマの書”だ・・・・一体、何故、フォルトゥナの様な小国にあったのか、理由を教えてくれ。」

 

返答によっては唯ではおかぬ。

そんな危険な雰囲気を孕みながら、ケンは、強化ガラス越しに”ネスト”の様子を見下ろす初老の男を睨む。

 

「リブ・トルストイという男を覚えているか? 」

「元RAS(ロシア科学アカデミー)の研究員か・・・・まさか、奴は”天智会”が送り込んだスパイで、まんまと”経典”を奪われたというつもりじゃないよな? 」

「・・・・・・。」

「見え透いた嘘を・・・・・貴様が、トルストイを利用して、フォルトゥナ公国を悪魔の生態実験場にしていた事は知っているんだぞ! いくら姉上の信頼を得ているとはいえ、これ以上の狼藉は・・・・・。」

「言葉を慎め・・・・ウリエル。」

 

グリッグスの一言に、ケンの背を言い知れぬ寒気が走る。

口を噤(つぐ)み、鋭い双眸で、数歩離れた位置に立つ初老の男を睨み据えた。

 

「全く・・・・君は、本当に若いな・・・・綺麗事だけでは、悪魔(デーモン)共には勝てぬぞ? 」

 

ケンの嫌悪感の理由は、至極簡単だ。

神の子である人間を使い、人体実験していた事実を受け入れられないのだ。

任務に対し、恐ろしく忠実であるケンではあるが、非人道的な行為を異様に嫌う。

実姉であるゼレーニンが、甘やかした結果か。

 

「我々は今、悪魔(デーモン)共と未曽有の戦争状態にあるのだ。 防戦一方である我等が、優位に立つには、多少の犠牲も矢無負えぬのだよ。」

「・・・・・。」

「これは、君の愛する姉上・・・・ラファエル様も承知の事だ。」

 

そう、ウィリアム中将が、若きセラフの大天使を諭している時であった。

執務室の扉が開き、中から幾何学的な文様をしたマスクを被る漆黒のカソックを纏った神父が入って来る。

両肩に垂らす真紅のストラに、金の刺繍糸で二つの交差する槌と雷の紋章から、ケンと同じ異端審問官である事が分かった。

 

「おっと失礼、お取込み中だったかな? 」

 

まるで、インクを零した跡の様な文様をしたマスクを被る男は、態とらしく両肩を竦めて見せる。

声の質からして、年齢は40代後半辺りだろうか?

両手には、汚れ一つない、清潔な白い手袋が嵌められている。

 

「”ヴィラン”? 何故、貴様が此処に・・・・・? 」

「私が呼んだ・・・・彼は、貴重な”神器(デウスオブマキナ)”の適合者だからな。」

 

ケンの疑問に、ウィリアム中将が、簡潔に応える。

 

この奇妙なマスクを被った男の名は、”ヴィラン”。

ヴァチカン13機関(イスカリオテ)に所属する異端審問官であり、第10席、『ロールシャッハ』のコードネームを持つ。

神と人とを繋ぐ女神、イーリスの血を色濃く継ぎ、それ故、様々な”神器”を扱う事が出来る。

 

「例の物を引き取りに来たぜ? 中将殿。」

 

厚顔不遜なその態度に、ケンの秀麗な眉根が不快気に歪む。

 

元イギリスの特殊空挺部隊、SAS(Special Air Service)の出身であり、対人格闘術のスペシャリストという肩書を持つヴィランは、主に潜入任務を生業としている。

今現在は、日本を拠点として活動している秘密結社(フリーメーソン)に潜り込み、ヴァチカン市国に逐一情報を流していた。

 

「此処に用意してある。」

 

憮然とするケンを他所に、ウィリアム中将は、デスクの横に建て替えてある特殊合金で出来たアタッシェケースを手に持った。

早速、大きなデスクの上に置き、留め金を外して蓋を開ける。

アタッシェケースの中には、円盤状の刃が付いた武器が二つ収まっていた。

 

「ホォー、 コイツが人修羅からぶん取った魔神・ヴィシュヌで造った神器か。」

「正確に言えば、神獣・カルキだ。 」

 

月の女神・ヘカテーの技術で、四つ足の醜い怪物から、神々しい神器へと生まれ変わった魔神・ヴィシュヌのもう一つの姿。

流石は、最高級の腕を持つ職人(ハンドヴェルガー)だ。

もし、並みの職人が扱ったら、バージニア州どころかアメリカ大陸そのものが消し飛んでいただろう。

 

「フン、貴様に神獣・カルキが扱えるとは、到底思えんがな。」

 

どうやら、陸軍中将はこのテロリストに、カルキの宿った神器(デウスオブマキナ)を扱わせる気でいるらしい。

”炎の剣(フランベンジュ)”の嫌味に、ヴィランは大袈裟に肩を竦めた。

 

「そういうオタク等、天使は”神器(デウスオブマキナ)”が使えるのか? 人間以下の操り人形さんがよぉ。」

「き、貴様!! 」

「止めんか! ウリエル!! ヴィラン、君も言葉には気を付けろ! 」

 

今にも飛び掛かりそうなケンを言葉で押し留め、ウィリアム中将は、奇抜なマスクを被る男を鋭く睨む。

そんな天使達二人に、マスクの男は、大袈裟に溜息を吐くと、アタッシェケースの蓋を閉じた。

 

「全く、天使って生き物は、頭が固すぎていけねぇ。」

 

目的の物を受け取ったヴィランは、険悪な空気が漂う室内から、さっさと退散してしまおうと、踵を返した。

その背に、ウィリアム中将の声が掛けられる。

 

「ヴィラン、分かっていると思うが、くれぐれも扱いには注意してくれ・・・・日本は、我々、合衆国にとって、大事な占領地であるからな? 」

 

悪意が籠もった皮肉の言葉。

それにヴィランは、片手を上げて応えると、執務室から姿を消した。

 

 

 

 

腕の中に納まった温もりは、余りにもあっけなく消えてしまう。

漸く代理とはいえ、番にまでなれたのに。

ダンテの予想とは違い、想い人は決して自分を振り向いてはくれなかった。

一年前、北の台地、フォルトゥナ公国から日本に帰国後、主は休む間もなく永田町へと赴き、丸一日ダンテの元に帰っては来なかった。

成城の屋敷で、赤毛の忍に監視されつつ、ライドウの帰りを待つ。

明け方頃に帰って来た主は、私室で数時間だけ仮眠を取ると、八王子にあるH・E・Cの本社へと向かってしまった。

その間、ダンテはライドウから十二夜叉大将の一人である摩虎羅大将こと、猿飛佐助の手伝いを命じられた。

旧渋谷跡地で、未だに発生している下級悪魔の討伐である。

下級とはいえ、悪魔は悪魔。

一般市民にとっては、十分、脅威になり得る存在だ。

 

都心5区の一つに数えられる渋谷区は、ハチ公前と道玄坂辺りまでの復興は終了しつつあるが、それでも、公園通やスペイン坂等に悪魔が度々、出現する。

井之頭通から渋谷パルコへと続く、100メートル弱の緩い勾配の坂。

その元ラジオスタジオがあった商業ビルに、喰種の群が住み着き、作業員を襲撃しているとの情報を得た。

すぐに問題のあるビルへと向かう二人。

現場に到着したダンテと佐助は、あまりの激臭に思わず顔をしかめた。

 

 

「ちっ、喰種かよ・・・・嫌になっちまうぜ。」

 

喰種討伐は、初めてではないが、この糞尿の臭いだけはどうしても慣れない。

奴等は、群れで行動する習性がある為、コミュニティの仲間を体臭で判断している。

その為、奴等の”巣”がある場所は、肥料と同じ一種独特な臭いがするのだ。

 

「同感、とっとと駆除して帰りましょ。」

 

口布を鼻頭まで引き上げた佐助が、何の躊躇いも無く建物内へと入る。

その後に続く、ダンテ。

脳裏に浮かぶのは、疲れた様子で葛葉邸へと帰って来たライドウの姿であった。

 

フォルトゥナ城の修練場での一件以来、まともに彼に触れていない。

4年前は、毎夜、彼の肉体を求めていたというのに、今は、傷付ける事を恐れて、華奢なその腕に触れる事すら躊躇ってしまう。

 

(糞・・・・餓鬼の恋愛じゃねぇんだぞ? )

 

例える事の出来ぬ苛立ちだけが募り、ストレスとなって胸を圧し潰す。

 

時刻は、朝の6時前。

喰種共の活動時間が終了し、奴らが”巣”へと戻り、眠りにつく時間帯だ。

そこを見計らい、奴等の巣に火炎瓶のプレゼントを届ける。

 

「奴さん達が出て来るよ! 」

 

佐助が投げつけた火炎瓶が、喰種の巣を炎で包んだ。

廃材を搔き集め、まるで鳥の巣の様な形をした穴倉から、炎に包まれた死人達が悲鳴を上げて飛び出して来る。

それを巨大な卍手裏剣で叩き斬る、忍装束の若い男。

ダンテも大剣『リベリオン』を引き抜き、巣から飛び出して来た喰種の一体を兜割りで斬り伏せる。

 

「ライドウを愛している。」その気持ちは、今も尚、変わらない。

フォルトゥナで4年振りの再会を果たし、あの頃と少しも変らぬ姿に、燻(くすぶ)り続けていた情欲の炎が、再び燃え上がるのを感じた。

殺意にも似た激しい激情は、止められる筈も無く、グリューン大歌劇場や、ミティスの森、そして、フォルトゥナ城の修練場で、幾度も彼に無体な行いをしてしまった。

 

 

「ぎゃぁあああああっ!! 」

 

耳障りな悲鳴が、商業ビル内に木霊する。

斬り飛ばした喰種共の手足が、奴等の糞尿で汚れた床に転がる。

ダンテが巧みに操る双子の巨銃、”エボニー&アイボリー”から吐き出される鋼の牙が、喰種の頭を撃ち抜き、柘榴の様に爆ぜ割れる。

特殊ワイヤーで操られている巨大手裏剣が、縦横無尽に飛び回り、怪物達の肉体を両断していった。

時間にして数十分。

辺りは、怪物達の死体で埋め尽くされていた。

 

「はぁ・・・・やーっとこさ、終わったかな? 」

 

奴等の体臭が充満する、建物内。

無数に転がる喰種の死骸を眺め、佐助が口布の下で溜息を零す。

 

喰種の巣は、建物内に合計10か所程、見つける事が出来た。

あんな小さな穴倉の中に、よくもこれだけの数の喰種共がいたと思わず感心してしまう。

食欲旺盛な奴等は、その習性とは反し、どれも骨と皮だらけの見るも無残な姿をしていた。

腹部が異様に膨れている姿は、さながら地獄を彷徨う餓鬼そのものだ。

 

「エネミーソナーに反応はねぇ・・・・どうやら、此処の巣が最後だったみたいだな。」

 

手の中に納まるぐらいの大きさをした、動態検知器を取り出したダンテが、画面を眺めながら、佐助に応える。

彼等の仕事は、無事終了した。

後の事は、処理班に任せる事にする。

 

「ちょっと、何処行くのよ? 旦那。」

 

建物の外に待機している処理班に連絡を終えた佐助が、無言でビルから出て行こうとするダンテを呼び止める。

 

「まだ、暴れ足りねぇ・・・・ここら辺を適当に散歩したら、成城に帰るよ。」

「はぁ? あのねぇ、勝手な事しないでくれる? もしもって事があったらどーすんのよ? 」

 

今の所、この一帯では下級悪魔しか出現報告は受けていない、とはいえ、不測の事態が起こらぬという保証はない。

この銀髪の大男が、アシスタントとして自分をカバーしてくれるのは、大変有難いが、度々、こういう勝手極まる行動を取られるのが、頭痛の種であった。

 

「ハプニングが無いパーティー何て、楽しくねぇーだろ? 」

「俺様は、穏便に終わる方が嬉しいけどね。」

 

悪態を叩き合う二人。

そんな彼等を他所に、防護服を着た処理班が、建物内へと続々入り込んで来る。

彼等は、厚生省に所属する魔導師(マーギア)達だ。

主に、数法系の術師で構成され、悪魔の遺体から生体組織を採取したり、マグネタイトや瘴気から生み出された希少な鉱物を回収している。

 

仕事は終わったとばかりに、赤毛の忍から背を向け、未だ開発途中であるセンター街へと向かおうとするダンテ。

その後を、盛大な溜息を零した佐助が追い掛ける。

 

「餓鬼じゃねぇんだけどな? 」

 

保護者は要らないとばかりに、ダンテが数歩離れた位置でついて来る佐助を鋭く睨む。

 

「センター街は、小鬼(ゴブリン)の亜種体が多く目撃されてる。アイツ等は、喰種と違って頭が働く分、厄介だ。 旦那、一人で行かせる訳にはいかないよ。」

 

ダンテが一人になりたい理由は、痛い程分かる。

主であるライドウと上手くいっていないから、悪魔共で憂さ晴らしがしたいだけなのだ。

そんな子供の我儘を、素直に聞いてやる程、佐助は甘くない。

 

「ちっ、勝手にしろ。」

 

忌々し気に舌打ちし、センター街へと歩を進めるダンテ。

その後ろを佐助が、黙ってついていく。

 

このダンテという元便利屋をライドウから無理矢理押し付けられ、共に旧市街地に出没する悪魔共を討伐する様になってから、1年弱。

佐助なりに分析した結果、戦闘能力は大したものだが、性格面に随分問題のある男である事が分かった。

ライドウからの情報によると、4年間、ケビン・ブラウンの指導の元、軍に従軍していたらしいが、チームとして行動するには、扱い辛く、良く、今迄大きな事故が起きなかったものだと感心する。

まぁ、CSI(超常現象管轄局)のNY支部は、変わり種が多い事でも有名だ。

戦闘能力は跳び抜けているが、性格面にやや難があり、チームとも馴染めなかった連中が、最後に辿り着く場所が、CSIのNY支部だと聞く。

そういった連中を見事に扱っているケビンだからこそ、ダンテの性格を逸早く掴み、彼の長所を最大限に引き出したのだろう。

お陰で、従軍時代は、輝かしい戦歴を残している。

軍に残っていれば、それなりのポストが用意されただろうに、ダンテはそれをあっさりと蹴り、再び、古巣であるレッドグレイブ市に戻って、便利屋家業を再開した。

その矢先、ケビンから北の小国、フォルトゥナの内部事情を探る依頼を受け、4年振りにライドウと出会ったのである。

 

 

「此処の近くに、不法就労者のキャンプがあるから寄ってかない? 」

 

時刻は、朝の8時前。

通勤や通学の人々が、忙しなく活動する時間帯である。

喰種討伐の任務が終了して、数時間。

当然、朝食など採っていない二人は、空腹を感じていた。

 

「キャンプ・・・? 」

「そう、不法就労者や俺達みたいな『狩人(ハンター)』相手に色々と店が出てるんだ。そこに、美味い料理を出してくれる大衆食堂があるからね。」

 

センター街で、小鬼(ゴブリン)駆除をする前に腹ごしらえしようと言う佐助の提案に、ダンテは素直に従う事にした。

 

 

 

第二次関東大震災が起こってから十数年。

国民の約、八割を失った日本は、一時的に国としての機能を失った。

政府上層部は、国連に復興支援を要請。

立て直しを図る為、多くの移民達を受け入れた。

その結果、母国語は廃れ、世界共通言語となりつつあるゲルマン祖語が国中に浸透。

コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄人)、ニグロイド(黒人)、オーストラロイド(オーストラリア先住民)等、種々雑多な人種が住む国へと変貌した。

当然、治安は一気に低下。

関税執行局が厳しく取り締まり、永住ピザの取得が更に難しくなったのである。

しかし、”シュバルツバース”による恩恵に預かろうと、”一攫千金”の夢を見る難民達は多く、不法に入国して来る者達は後を絶たない。

彼等は、治安の行き届かぬ危険開発地域へと、無断で住み着き、小規模であるがコミュニティを作る様になった。

センター街の近くにあるキャンプも、そんなコミュニティの一つである。

 

 

「やけに詳しいじゃねぇか? 」

 

何の迷いも無く、大衆食堂へ向かう佐助の背に、ダンテが呆れた様子で言った。

 

「こういう仕事してると情報が命綱になるからね。 不法就労者のキャンプは、結構貴重な情報が飛び交っているから、それを収集する為に度々、立ち寄っているんだよ。」

 

当然、関税執行局に見つかれば、只では済まない。

しかし、此処は、危険度の高い悪魔が生息する危険区域だ。

流石に、日本の法も此処まで届かない。

 

「それにしても、意外と人が多いな。 」

 

ダンテが指摘する通り、キャンプ内には、大勢の人々が行き来していた。

通りらしき場所には、出店のテントが張り巡らされ、様々な野菜や果実、肉や魚、缶詰等の食料品の他に、銃器等が普通に売り買いされている。

 

「世界大恐慌だからねぇ、どの国も職にあぶれた一般市民がヒィヒィ言ってる。そんな彼等にとって、日本という小さな島国は、宝の山に見えるんでしょ? 」

「宝の山? 悪魔だらけの地獄じゃねぇか。」

「でも、”シュバルツバース”から流れ出る瘴気から、希少な鉱石や生体マグネタイト、次世代のエネルギー源だと噂される”エキゾチック物質”が発見されているのは、周知の事実だからね? 国に持ち帰れば巨万の富が手に入る。」

 

貧困に喘ぐ、彼等下級市民にとって、そこから這い出す事が出来るのならば、どんな手を使おうが構わない。

国に残した家族達を養う為に、己の命を溝へと捨てる。

そんな覚悟で、彼等は魑魅魍魎が蠢く、この世界で最も危険な場所へと足を踏み入れて来るのだ。

 

 

「あっ? 」

「うわっ、佐助じゃん。」

 

大衆食堂へと向かう道すがら、佐助は意外な人物とばったり会ってしまった。

壬生家の跡取り息子である、壬生・鋼牙だ。

その後ろには、先日、17代目が養子として葛葉邸に迎え入れた元魔剣教団の騎士、ネロがいる。

 

「ちょっと、ちょっとぉ。 何で壬生の坊ちゃんがこんな所に居るのよ? 」

 

未成年二人組が、不法な闇市に入り込んでいる事に、普段は余り感情を表に出さない佐助が、顔色を変える。

 

「あー、仕事だよ。 ”葛葉探偵事務所”に、依頼が入ったから、その内偵調査をね。」

 

我ながら苦しい言い訳だ。

佐助が、自分と明が探偵稼業をしている事を知っている。

内心では、周りの連中同様「餓鬼のお遊びだ。」ぐらいの認識しかないが、鋼牙が13代目・葛葉キョウジの為に、探偵事務所を護っている事を承知している為、敢えて口には出さないでいた。

 

「仕事? 何時もの猫探しって訳じゃなさそうだけどね。」

 

胡乱気な双眸で、黒縁眼鏡の少年を眺める。

彼等、二人は『聖エルミン学園』の制服ではなく、カジュアルな普段着を着用していた。

鋼牙は、茶のダウンベストに、厚手のタートルネックのセーターに薄い青のジーンズ。

ネロは、グレーのレザージャケットにシャツとジーンズを履いている。

 

「そっちこそ、任務終わり? 元締めに報告しなくて大丈夫なの? 」

 

スペイン坂通りでの喰種討伐を終えたばかりの佐助は、対悪魔用の鎖帷子(くさりかたびら)が仕込まれた忍装束を身に着けている。

ダンテもトレードマークである真紅の長外套(ロングコート)を着用しているが、その下は、組織から支給されている対悪魔用のタクティカルスーツを装着していた。

 

「一応、処理班の班長さんには、任務終了の旨は伝えてあるけどね・・・って、話誤魔化さないでくれる? 」

 

話の論点を何とかずらそうとしている鋼牙を、佐助が鋭く睨む。

 

普段着の少年二人と違い、佐助とダンテは、普通の街並みを歩くにしては、少々奇抜な恰好である。

しかし、周りの連中は、悪魔共から貴重な鉱石や生体マグネタイトを手に入れる為に集まった、不法就労者の集団だ。

その殆どが、武器や防具を身に着けた連中ばかりなので、逆に丸腰同然の鋼牙達の方が、否応にも目立ってしまう。

 

 

「お前・・・・学校はどうした? 」

 

一方、ダンテは自分より、頭一つ分以上低いネロを見下ろしている。

 

「今日は、祝日だ。 休みの日ぐらい何してようがアンタには関係ないだろ? 」

 

銀髪の大男に見下ろされているネロは、大分ご機嫌斜めであった。

 

元々、ネロはダンテを余り好意的には見ていない。

命の恩人とも呼べるライドウに無体を働いた挙句、図々しくも代理番の立場に居座っている。

自分も口が悪い方だが、この大男はさらに性根が捻じ曲がっており、人の気に障る悪態を平気で吐くのだ。

 

「あ、チェン叔母さんの大衆食堂がこの近くだよね? お腹空いたし、こんな所で何時までも立ち話するのも何だから、ソッチ行かない? 」

 

ダンテとネロの間に漂う、一触即発な雰囲気を敏感に感じ取った鋼牙が、そう提案する。

 

「余り目立つのは好きじゃないし、仕方ないよね? 」

 

佐助も、鋼牙と同じく、二人から漂う不穏な空気を感じ取ったらしい。

自分より大分上背があるダンテを見上げる様にして、聞いた。

 

「ちっ、好きにしろ。」

 

周囲から注がれる好奇な視線に、ダンテは忌々しそうに舌打ちした。

 

佐助の言う通り、闇市のど真ん中で、餓鬼相手に喧嘩をするつもりは毛頭無い。

それに、先程、大暴れしたお陰で、腹が空いているのも事実であった。

 

 

佐助と鋼牙に誘われる形で、一同は、不法就労者や狩人(ハンター)相手に、商売をしている大衆食堂へと向かった。

 

 

 

不法就労者達が運営する”闇市”から少し離れた通りに、一軒の廃屋がある。

元は、何かの飲食店だったのだろう。

割れた窓を新しく張り替え、崩れた壁を廃材等で補強している。

店内には、早朝にあるにも拘わらず、多くの客達がいた。

 

「全く・・・・朝っぱらから、良くそんな脂っこいのが食べれるわね。 」

 

窓際の二人掛けの席に、スーツ姿の男女が向かい合って座っている。

上品な茶のスーツを着た20代半ばぐらいの髪を短く刈った女性が、真向いに座る白いスーツの若い男を眺めて、呆れた様子で溜息を零した。

 

「うるせぇなぁ・・・探偵稼業は体力勝負なんだよ。 人より倍喰わねぇともたないの。」

 

相棒兼同僚の小金・田牧(たまき)にからかわれ、スーツの若者―里美・忠(ただし)は、バターの塊が二つも乗った激辛担々麵を啜りつつ、睨み付ける。

 

そんな相方に、呆れた様子で溜息を零した田牧は、緑茶の入った湯呑を一口啜った。

 

二人は、この渋谷センター街を中心に活動している自警団兼興信所、『轟探偵事務所』の調査員だ。

一応、『狩人(ハンター)』の資格も取得しており、必要とあらば、悪魔討伐も行う。

 

「早朝から、お仕事ご苦労様です。」

 

冷たい麦茶のコップを忠の前に置いたのは、雪の様に白い肌をした濃い、緑色の髪をしている10代後半ぐらいの娘であった。

彼女の名は、シルキー。

この大衆食堂の看板娘の一人だ。

彼女の同僚であり、もう一人の看板娘は、忠達から離れた席に座る黒人二人組から、注文を聞いている。

 

「怪我、大丈夫ですか? ちゃんと三葉先生の所で診て貰った方が良いですよ? 」

「大丈夫、大丈夫。 これぐらい大した事無いから。」

 

心配そうに眉根を寄せるシルキーに、忠はへらへらと何処か浮かれた調子で応える。

 

良く見ると、白いスーツの袖口から、包帯が覗いていた。

オマケに、忠の左頬には、少々大き目の絆創膏が塗布されている。

 

「そうそう、何時もの事なんだから、気にしちゃ駄目よ? シルキー。」

 

綺麗で美人な女性にめっぽう弱い、相方に心底呆れてしまう。

 

昨日の深夜、田牧達が所属する『轟探偵事務所』に、悪魔の討伐依頼が来た。

相手は、不法就労者達を取りまとめている人物で、このキャンプの責任者も務めている。

仕事内容は、センター街を棲家にしている小鬼(ゴブリン)共が、繁殖期に入ったのか、急激に数を増やし、キャンプの備蓄を喰い荒らして困っている。

なので、大掛かりな駆除をしたいのだが、人手が足らず、どうしても手伝って欲しいとの事であった。

勿論、此処の不法就労者達と『轟探偵事務所』は、持ちつ持たれつの仲だ。

快く、二人は引き受け、配給用の食糧庫を荒らしていた小鬼(ゴブリン)の群を討伐する事になったのだが、意外と時間が掛ってしまい、全てが終わったのが明け方近くになってしまったのだ。

 

「全く、先走ってドジを踏みすぎなのよ?アンタ。 そんな調子じゃ、次の進級試験も落ちるからね。」

「う、うるせぇ! 次は必ず合格してやるっての! 」

 

小姑の如く、重箱の隅を突く様に嫌味を言う田牧に、忠が歯を剥き出して怒鳴った。

 

こう見えても、忠は、れっきとした悪魔召喚術師(デビルサマナー)である。

未だBクラスから、中々、上に行けないが、師匠の轟所長からは、「やる気さえ出せば、特Aクラスも狙える。」と、太鼓判を押されていた。

 

「いらっしゃいませぇ~♪ 」

 

そんな取り留めも無い会話を交わす三人の耳に、もう一人の給士、モーショボーの声が聞こえた。

何気なく田牧が出入り口へと視線を向けると、大分、風変わりな一団が店の中へと入って来る。

 

10代半ばと分かる少年が二人に、如何にも『狩人(ハンター)』だと分かる武装した二人の男達。

少年達は、二人共軽装で、見事な銀の髪をした少年が、背に身の丈程もある機械仕掛けの大剣を背負っている以外、目立った武器は携帯していない。

20代後半ぐらいの男二人は、一人が迷彩柄の忍装束に、もう一人は、赤い長外套(ロングコート)に、下は特殊ケブラー繊維で造られたタクティカルスーツを着ていた。

 

「あの子・・・・もしかして、13代目のお弟子さん? 」

 

カウンター席に座る客達の一団に、見知った少年の姿を見つける。

黒縁眼鏡の少年は、矢来銀座を中心に活動している『葛葉探偵事務所』の責任者、13代目・葛葉キョウジの弟子だ。

名前は、壬生・鋼牙。

超国家機関『クズノハ』を創設した一族の一人で、邪神”ヤトノカミ”を退治した壬生一族の末裔だった。

 

「壬生家のボンボンと、その御付きの忍じゃねぇか。」

 

忠も、田牧と同じくカウンター席に座る一団を、胡乱気に眺めている。

 

平市民から、裏社会に入った忠にとって、超国家機関『クズノハ』に属する人間達は、鼻持ちならない存在であった。

生まれながらにして、常人よりも優れた身体能力と特殊能力を持つ彼等は、憧れと羨望の存在であり、忠に言わせると「チート能力者」の集まりだ。

血反吐を吐き、泥水を啜りながら、底辺で足掻き続ける忠達、一般の『狩人(ハンター)』達には、妬みと嫉みの存在以外他ならない。

 

「まさか、又、厄介事を持ち込んで来たんじゃねぇだろうなぁ? 」

「馬鹿、聞こえるわよ? 」

 

ブツブツと文句を垂れる忠に、田牧がやんわりと窘める。

そんな彼等の視線を敏感に感じ取ったのか、鋼牙がにこやかに声を掛けて来た。

 

「轟さんの所の調査員さん達ですね? お久しぶりです。」

 

座っていたカウンター席から降りた鋼牙が、忠達のいる窓際の席へと近づく。

 

度の強い黒縁眼鏡の下は、あどけない少年の笑顔があった。

とても、一夜で数千人もの人々を呪殺した蛇神を倒した強の者の一族であるとは思えない。

 

「久し振りね? 鋼牙君。 13代目は元気にしているのかしら? 」

 

警戒心を露わにする忠と違い、田牧は柔和な笑みを浮かべて応える。

 

仕事柄、『葛葉探偵事務所』とは幾度も共同で仕事をした事がある。

勿論、鋼牙とも顔見知りで、共に悪魔討伐に出た事もあった。

 

「はい、別件の依頼で事務所を不在にしておりますが・・・。」

 

田牧の質問に、鋼牙が困った様子で応える。

 

13代目に養子という形で引き取られ、”聖地・葛城の森”から、矢来銀座へと上京して来た鋼牙は、キョウジと寝食を共にし、時には彼の仕事を助手として手伝った。

探偵としてのイロハと、悪魔狩りの技術を13代目から叩き込まれてきたが、危険度の高い任務は決して同行させては貰えなかった。

何時かは、壬生家の家督を継がねばならぬ、大事な後継者だ。

故に、キョウジは危険な激戦区へと鋼牙を同伴させなかったのだが、鋼牙自身はそれが大変もどかしく、「子供扱い。」されている事に、多少は腹を立てていた。

 

 

「坊ちゃん、何注文するの? 」

 

何時までも戻って来ない鋼牙に、痺れを切らした佐助が、カウンター席から呼び掛ける。

田牧達に軽く挨拶し、慌てて仲間が待つ席へと戻る鋼牙。

その後ろ姿を、頬杖を突いた女性調査員が無言で見送る。

 

「良い子よね? 鋼牙君って・・・人当たりも良いし、礼儀正しいし、上級市民なのに、それを全く鼻に掛けない・・・・とても、あの壬生一族の末裔とは思えないわ。」

 

田牧個人としては、鋼牙の事を好意的に受け止めている。

しかし、壬生一族の恐ろしい逸話を知っている為、必要以上に接する事が憚られる。

 

「悪魔の肉体の一部を術者の体内に埋め込んで使役するんだったよな・・・・全く、魔術師(ウィザード)一族ってのは、本当にろくでもねぇ・・・。」

 

担々麵を啜りながら、忠は、吐き捨てる様に言った。

 

何時の時代も、魔術師(ウィザード)の末裔達は、探求心の塊だ。

神の力へと近づくならば、どんな代償とて厭(いと)わない。

それが、自分達の子々孫々に多大なる悲劇を及ぼす事になろうとも・・・・。

 

 

 

「何者なんだ? アイツ等。」

「渋谷(此処)ら辺一帯を中心に活動している”轟探偵事務所”の調査員さん達だよ。」

 

ネロの質問に、鋼牙がそう応える。

 

小金・田牧と里美・忠の二人は、センター街の外れにある『轟探偵事務所』に所属する召喚術師(サマナー)と魔女(ストレーガ)だ。

自警団的仕事もしており、彼等の手に負えない悪魔が出現すると、鋼牙達『葛葉探偵事務所』も手伝いに入る事が度々あった。

 

 

「驚いたな・・・・悪魔が人間の真似事をしてやがる。」

 

カウンター席から、何気なく店内を見回していたダンテが、客に対応している給士の一人を見ていた。

長い黒髪を頭の上で二つの団子に結い上げている小柄な少女は、先程、ダンテ達に声を掛けてくれたモーショボーだ。

その近くでは、濃い緑色の髪をした女性、シルキーが冷たい麦茶の入ったコップを客に出している。

 

「ウチの娘達が、そんなに珍しいかい? 『狩人(ハンター)』のお兄さん? 」

 

銀髪の大男の前に、店主らしき40代半ばぐらいの女性が、胸肉の香草焼定食の乗った大きな盆を置く。

大皿の中には、大きくぶつ切りにされた鳥の胸肉が盛られており、香辛料独特の香ばしい臭いがしていた。

 

「そこら辺で、チャラチャラしている小娘(ガキ)共より、あの娘達の方が100倍働き者だよ。」

 

続いてダンテの隣に座っている赤毛の忍に、大根とひじきの煮物、そして鱈のフライ定食を置く。

 

「この人、元は特Aクラスの召喚術師(サマナー)だからね。」

 

手甲を外し、箸を持った佐助が、大根の味噌汁を啜りながら、軽く説明する。

 

この大衆食堂の店主、ウー・チェンは、純粋な台湾原住民であり、魔導師(マーギア)の中では、それなりに名の知れた悪魔召喚術師(デビルサマナー)であった。

しかし、十数年前のとある事件で、躰を壊し、第一線から退く事になった。

 

「何で、そんな腕の良い召喚術師(サマナー)が、食堂の店主なんてしてるんだ? 」

 

フォークで、適当に切ったハムカツを口の中へ押し込みながら、ネロが興味津々で、厨房に立つ女店主を眺める。

 

ネロが疑問に思う事は当然で、悪魔召喚術師(デビルサマナー)は、生まれながらの資質が重要になる為、その数は非常に少ない。

故に、例え事故や事件で躰を壊し、現役で役目を行えなくなったとしても、手厚い保証をする上に、次の世代である召喚術師(サマナー)育成の為に、指導者というポストも用意される。

しかし、チェンは好待遇を受ける事が出来る母国・台湾へは戻らず、この島国に残り、危険地帯と隣り合わせにあるセンター街の近くで不法就労者達や『狩人(ハンター)』相手に、大衆食堂を営んでいた。

 

「旦那の墓が、この近くにあるからさ・・・・アイツを残して国へは帰れない。」

 

チェンの夫は、純粋な日本人だ。

その為に永住ビザを取得したし、国に帰った所で、彼女の親類縁者は既に亡くなっている。

 

「それと・・・・未練かね・・・・あの糞忌々しい”穴”が、跡形もなく消滅するのをこの目で見届けてやりたいのさ。」

「”穴”? ”シュバルツバース”の事か・・・。」

 

チェンの言う『穴』とは、勿論、東京湾一帯に発生している異界へ繋がる大門―”シュバルツバース”の事だ。

今も尚、異界へと繋がる穴の面積は徐々に拡大し、その度に、『壁』も建て直されている。

 

「チェンさんは、”シュバルツバース破壊計画”に参加していた術師の一人だ。」

 

鳥の胸肉を頬張るダンテに、大盛に御飯が盛りつけられた茶碗を持つ佐助が説明する。

 

今から、十数年以上前、国連は人類の護り手と名高いヴァチカン市国と超国家機関『クズノハ』の協力の元、ある大掛かりのプロジェクトを立ち上げた。

東京湾に突如現れた、あらゆる物質を分子崩壊させながら巨大化する亜空間―”シュバルツバース”の完全破壊である。

”ヴァチカン”と”クズノハ”の他、国連は各国に選りすぐりの術師達や剣士達を招集する様に要請、その中にチェン夫妻もいた。

 

「ウチの旦那は、防衛省所属の術師だった。 アンタと同じ甲賀忍軍の血も引いてて、そのお陰で剣士の能力も持っていたのさ・・・でも、そのせいであの人は寿命を縮めちまった。」

 

チェンの夫は、優秀な自衛官であった。

1等陸尉の階級を持っており、悪魔討伐の経験も豊富で、彼を慕う部下達も多くいた。

 

「あの計画には、”クズノハ”最強と謳われる17代目・葛葉ライドウの他に、コリネウスの生まれ変わりと噂されるヴァチカン13機関最強の騎士、ジョン・マクスゥエルもいたからね。 ウチの人もアタシも・・・・否、あの計画に参加した術師や剣士達全員が、熱病に掛かったみたいに盛り上がっちまった。」

 

それが、間違いの始まりであった。

彼等は、知らなかったのだ。

”シュバルツバース”の中に潜む、想像を絶する恐怖を。

 

「”東の暴風王(エスト・ミストラル)”こと4代目・剣聖、アルカード・ヴェラド、ツゥエペシュ、イタリア最大のマフィア組織”コーサ・コステロ”のビリーザキッドに番のブッチ・キャシディ・・・その他、かなり名の知れた術師や剣士が大勢参加してたね。」

 

流石、十二夜叉大将の一人だけあり、佐助は情報通だ。

闇社会に属する者ならば、誰もが知っている錚々(そうそう)たるメンバーである。

 

「す、すっげぇ・・・・4代目・剣聖の他に、あの『ワイルドバンチ』も参加していたのかよ。」

 

『ワイルドバンチ』とは、ビリー・ザ・キッドとブッチ・キャシディの通り名だ。

1866年、実在したアメリカ合衆国のアウトローが名乗っていた強盗団の名前を皮肉って、態と自分達で付けた仇名である。

 

「ケビン大佐も参加していたのか・・・・? 」

「そりゃ勿論、ブラウン大佐の他に、アラン・シェーファー中将、それから、トレンチ元帥も17代目と同じ最前線に居たんじゃないかな? 」

 

ダンテの問い掛けに、佐助が当然だと言わんばかりに応える。

 

トレンチ元帥は、現、アメリカ陸軍最高司令官の事だ。

アステカ神話の狩猟と戦争の神、ミシュコアトルの末裔で、悪魔(デーモン)達からは、”白い巨神”と呼ばれ、恐れられている。

 

「クッソぉ・・・・めっちゃ羨ましいぜ。 俺も、一度で良いから、そんな凄い人達と一緒に、討伐任務をしてみたいぜ。」

 

佐助の話に、隣に座るネロが無性に悔しがった。

ネロ達、若い『狩人(ハンター)』達にとって、”ワイルドバンチ”や4代目剣聖の様な天上人は、憧れと羨望の的だ。

例えるならば、子供がテレビ等に登場する戦隊モノのヒーローに憧れるのと近い。

 

「フン、どんな英雄や化け物と呼ばれる連中も、所詮、人間さ・・・・神様と違って、全てを救える訳じゃない。」

 

女店主が、勢いを付けてまな板の上に置かれた南瓜を真っ二つに切る。

沈黙する一同を他所に、女店主は慣れた手付きで、南瓜を切り分け、鍋で煮つけを作っていった。

 

「アタシの旦那も、他の連中も、皆あの業火の中で焼かれちまった・・・・アタシは、利き腕と両足を失い、とても召喚術師として仕事が出来る躰じゃなくなった。」

 

チェンの脳裏に、炎獄と化した二上地下遺跡の情景がありありと思い浮かばれる。

悲鳴を上げ、逃げ惑う仲間達。

灼熱の炎から自分を護ってくれた夫は、跡形もなく焼き尽くされた。

 

「”人修羅”? ”宮廷騎士(テンプルナイト)”? そんなもん、あの地獄を見たら、消し飛んじまうよ・・・・誰も、あの穴を閉じる事なんて出来ないのさ。」

 

木のへらで、鍋の中の南瓜を炒めつつ、醤油と味醂(みりん)、砂糖をあえていく。

 

かつては、彼女も今のネロ同様、裏社会でその名を轟かす英傑達と共に、『シュバルツバース破壊計画』に参加する事が出来て、子供の様に心が躍った。

しかし、現実はあまりにも残酷だった。

チームの殆どが死亡。

夫も彼等と同じく、無残な死を遂げた。

 

 

「あの爺さんは、糞ったれな穴を塞ぐのを諦めちゃいないぜ? 」

「・・・・・? 」

 

鍋に蓋をした女店主が、カウンター席に座る銀髪の大男の方を振り返る。

旨そうに豚汁を啜り、香草焼きの胸肉を咀嚼する銀髪の魔狩人は、不敵な笑みを口元に浮かべていた。

 

「日本に還って来てから一年近く、物を喰うのも寝る間すらも惜しんで、”壁内調査”に没頭してやがる。 傷だらけになって、ボロボロの状態になってもな。」

「・・・・・・。」

 

ダンテの言葉を、女店主と忍装束の若い男、そして、その隣に座る少年二人が黙って聞いている。

 

”シュバルツバース”は、想像を絶する地獄だ。

それは誰もが知っている事実である。

チェンも、あの地獄を味わい、二度と召喚術師としての任務が出来ぬ躰にされた。

しかし、17代目・葛葉ライドウは、その恐怖に耐え、幾度も幾度も『壁内調査』を続けて、異界の穴を塞ぐ方法を模索している。

怪我を負い、夥しい血を流しても尚、決して諦める事無く、”シュバルツバース”へと果敢に挑んでいるのだ。

 




PS4版の真女神転生Ⅲの2周目プレイ中。


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第5話 『葛葉探偵事務所 』

登場人物紹介

シフ・・・・渋谷センター街付近で生活する、難民達のリーダー。
大変面倒見が良く、不法就労者達から慕われている。
とある事件でいわれなき罪を背負わされた夫、農耕の神・トールが投獄された為に、アスガルドを追放処分にされ、息子のウルと共に日本へと流れ着いた。



ネロ達が、天鳥港に停泊している超豪華客船『ビーシンフル号』で、第三十四代目・村正から、合体剣の話を聞いてから数時間後。

明が「仕事に戻る。」と一方的に別れ、ネロと御目付け役のマベルは、鋼牙の誘いで天鳥港から車で30分程度の距離にある『矢来銀座』へ行く事になった。

 

「じゃ、またな? 学生諸君。」

 

『ビーシンフル号』のメイド長であるメアリー特性の極上スィーツを堪能した、女性職人(ハンドヴェルガー)、ニコは、上機嫌でネロと鋼牙、そしてハイピクシーのマベルに手を振り、依頼主がいる仕事場へと車を走らせる。

後に残される三人。

時刻は既に、夕方の6時近くである。

11月に差し掛かるこの季節は、夜になると流石に寒さが身に染みた。

『葛葉探偵事務所』が入っている、少々年季が入ったテナントビルに入り込む。

時代遅れの昇降機に乗り込むと、それまで我慢出来なかったネロが、口を開いた。

 

「見せたいモノって何だよ? 」

 

この小さな島国に来てから、驚きの連続だ。

最新鋭の機材が揃えられた特殊学科の地下施設。

禁断の悪魔合体が行われていると噂される、超豪華客船。

そして、合体剣を造り出す魔の工房。

フォルトゥナ公国では、決して見る事が出来ないモノばかりだ。

 

「それは、事務所に着いてからのお楽しみ。 」

 

終始興奮するネロを嗜め、鋼牙は探偵事務所がある3階を指定する。

暫くすると、涼やかな音色と共に、昇降機が目的の3階へ到着。

案内役である鋼牙を先頭に、狭い廊下を歩くと『葛葉探偵事務所』と書かれた大きな看板がドア横に取り付けられている部屋の前へと辿り着いた。

 

「此処が、僕達の仕事場兼住居だよ。」

 

頑丈な扉を開くと、中は応接間になっており、依頼客を応対する為のソファーと灰皿が乗った机、その少し離れた場所には、樫の木で出来た豪奢なデスクと最新鋭のPCが一台置かれている。

天井にはシックなシーリングファンが規則的に回り、壁に取り付けられた本棚には、魔導書らしき分厚い本が、ぎっしりと隙間なく詰められていた。

 

黒縁眼鏡の少年は、暖房をつけると脱いだジャケットをハンガーに掛け、魔導書が並ぶ本棚へと向かう。

赤味掛かった背表紙の厚い本を後ろに僅かにずらすと、重い音をさせて本棚が右へとずれ、人が一人通れるぐらいの通路が現れた。

 

「ついて来て、この奥が武器庫なんだ。」

「・・・・。」

 

まるでスパイ映画を観ているかの様な気分だ。

確か、鋼牙達は探偵業の他に悪魔退治をしていると言っていた。

自宅に、対悪魔用の装備を隠していても、何ら不思議な事は無い。

 

武器庫内は、予想外に広く、壁にはポケットの中に忍ばす事が出来るぐらいの大きさをしたデリンジャーの他に、大型の重機関銃。

一目で合体剣だと分かる数本の刀剣類と、各種防具が飾られていた。

 

「此処に飾られているのは、ニコ姐の作品ばかりだよ。所長が使っている武器や防具は、矢来銀座にある貸金庫に保管されてる。」

「貸金庫? 此処でも別に問題ねぇだろ? 」

「そうはいかないんだよ・・・このビルには、一般企業も幾つか入っているからね。もしもって事態を想定して、魔法剣や魔具、神器を専門に扱っている貸金庫を借りてるのさ。」

 

魔具(デビルアーツ)や神器(デウスオブマキナ)は、強大な力を持った悪魔や神が封じられている。

故に、扱い方を間違えると未曽有の大惨事が起きる可能性があるのだ。

 

鋼牙は、武器庫から目的のモノを見つけると、ソレを室内の中央にある作業机へと置いた。

エナメル質の光沢を持つアタッシュケースである。

蓋を開けると、中には銃型のハンディコンピューターが収まっていた。

 

「・・・っ? これ、もしかしてライドウさんが使っているヤツと同じ? 」

「型は大分違うけどね、因みにコイツは、ウチの所長が使っていたヤツだよ。」

 

鋼牙、曰く、とある任務で故障した為、ニコの所で修理に出していたらしい。

それが、先日返って来たのだが、肝心の持ち主は、現在、音信不通で、何処にいるのかも分からない状態であった。

 

「あ、悪魔が入っているのか? 」

 

探偵事務所の持ち主であり、鋼牙の師匠は、超国家機関『クズノハ』の幹部である。

組織を創設した四家の当主なのだから、当然、この中には相当強力な悪魔達が封じられているに違いない。

 

「残念だけど、コイツの中身は空っぽさ。 一応、悪魔召喚プログラムとアナライズ機能は付いているけどね。」

 

鋼牙は、苦笑を浮かべるとケースに納まっているGUMPを取り出す。

トリガーを引くと、モバイルPCの様な形へと変形した。

 

「ネロ、召喚術師(サマナー)になるつもりはないかい? 」

「え? 」

 

鋼牙から、GUMPを受け取り、興味津々で眺めていたネロが素っ頓狂な声を上げる。

 

「もし、君が本気で悪魔召喚術師(デビルサマナー)になる気があるなら、そのGUMPを君に譲ってあげても良い。」

「ゆ、譲るって・・・・これは、お前の大事な師匠の持ち物だろ? そんな勝手な事して大丈夫なのかよ? 」

 

ネロが疑問に思うのは、当然であった。

幾ら行方不明とはいえ、師匠の大事な仕事道具である。

おいそれと他人に・・・・しかも、今日会ったばかりの相手に渡して良い代物ではない。

 

「良いんだ・・・・それは、元々、師匠(せんせい)が僕の為に、用意していたモノだからね。」

 

そう言って、鋼牙は寂しそうに笑う。

鋼牙自身、自分に召喚術師(サマナー)の資質が無い事は、百も承知である。

キョウジは、何とかして鋼牙から、召喚術師としての才能を引き出そうと、色々苦労していたが、結局、芽が出る事は叶わなかった。

 

「・・・・・マベル、・・・・俺がライドウさんみたいな召喚術師になれると思うか?」

 

ネロの脳裏に、銀色に光る翼を持つ大天使の姿が浮かぶ。

アルブム大橋で、十二夜叉大将が一人、摩虎羅大将の猿飛・佐助と共に見た光景である。

醜い怪物―カルキの体内から現れた機械仕掛けの天使は、まるで宗教画に登場する大天使の如く神々しい程、美しかった。

 

「召喚術師(サマナー)は、生まれ持った資質で、全てが決まる職業だからね・・・マダムやトロルの言葉を思い出してみて・・・答えはもう出ていると思うよ。」

「・・・・・。」

 

それまで黙って、ネロの頭の上で胡坐をかいて見守っていたマベルが、徐に口を開く。

その言葉を黙って聞くネロ。

右手に持つGUMPの液晶画面が、ネロの真剣な表情を鏡の様に写している。

 

「どうやら決まり・・・みたいだね? 」

 

ネロの表情で、彼の決意を悟った鋼牙が、口元に柔和な笑みを浮かべる。

 

 

『聖エルミン学園』の特殊学科には、召喚術師(サマナー)になる為の部が当然存在する。

”悪魔召喚プログラム”が開発され、一般人も下級ならば悪魔を使役する事が可能になったとはいえ、それ以上の悪魔を操る為には、生まれ持った資質が物を言う。

それ故、学科を専攻する者達の数は極めて少なく、特殊学科でも4、5人しかいないのだそうだ。

 

「学園理事長が、直々に選んでいるっていう理由もあるんだけど、今年は、召喚術師の学科を学ぶ生徒達が非常に少なくてね・・・二人しか今の所いないんだ。」

「二人・・・・? あれだけ特殊学科の生徒がいてか・・・。」

 

隠し部屋から、事務所のダイニングルームへと移動した二人は、テーブルに座って熱いココアを飲んでいた。

ネロの座っているダイニングチェアの傍らには、鋼牙から譲られたGUMPが入ったアタッシュケースが立て掛けられている。

 

「”エルミン学園”(あそこ)は、組織の新人召喚術師(サマナー)を育成する場所でもあるのよ。下手な奴等を組織に入れる訳にもいかないし、かといって、才能が無い輩は悪魔召喚術師にはなれない。 だから、マダム直々に厳しく審査する必要があるの。」

「そう・・・・因みに、僕は見事に落とされちゃったけどね。」

 

マベルが、学科の概要について軽く説明する。

『聖エルミン学園』は、組織”クズノハ”の若手育成所としての顔も持っていた。

超国家機関『クズノハ』は、人類の護り手として名高いヴァチカン市国と並び称される程、有名な組織だ。

それ故、才能に溢れる人材を常に欲しがっている。

元締めであるマダムの厳しい審査を通る事が出来た者だけが、召喚術師としての技術を学ぶ権利を得る事が出来るのだ。

 

「後、もう一つ・・・・これは、強制じゃないんだけど・・・・もし良かったら、僕達”探偵部”に体験入学してみる気はないかい? 」

 

甘いココアを一口啜った鋼牙が、悪戯っぽく真向いに座るネロを眺める。

途端に、銀髪の少年の頭の上に座る小さな妖精が不機嫌になった。

 

「ちょっと、まさかこの子を悪い道に誘う気じゃないでしょうね? 」

「えー、心外だなぁ・・・・僕達が”クズノハの役目”をちゃんと全うしている事ぐらい、君だって知っているだろ? 」

 

口調こそふざけてはいるが、鋼牙や明は至って真面目だ。

悪魔の脅威から、力無き人々を常に護っている。

その証が『葛葉探偵事務所』であり、事務所を円滑に運営する為に、鋼牙達は日夜努力を重ねているのだ。

 

「良いぜ、退屈な学生生活なんて真っ平御免だし、お前等の”探偵部”ってヤツにも興味があるからな。」

「ちょっとぉ・・・ライドウが聞いたら絶対、猛反対するわよ? 」

 

面白い遊びを見つけた子供の様に、ニヤニヤと笑うネロに対し、御目付け役のマベルは渋い顔だ。

 

ライドウが、ネロを養子として日本へ連れて来た理由は、隣国”ディヴァイド共和国”の厳しい監視の元、彼が理不尽な扱いを受けない為である。

それに、唯一の肉親であった義理姉のキリエが病死。

支えを失ったネロが、精神不安定となり、又、”ソロモン12柱”の魔神を暴走させないとも限らない。

その老婆心故であるが、当の本人は、ライドウのそんな気遣い等、まるで知らないかの様に、自分から敢えて危険な場所へと飛び込もうとしている。

 

「大丈夫だって、こう見えても俺は、元魔剣教団の騎士なんだぜ? 」

「そうそう、それに悪魔召喚術師を学ぶにあたって、実際、経験を積むのも大事だろ? 君の主がそうだったじゃないか。」

「うっ・・・・アンタ等ねぇ・・・・。」

 

ライドウが、『クズノハ』に入る以前の経緯は、超極秘事項となっている。

唯、噂によると召喚術師の経験も知識もない、一般人であったライドウが、ひょんな出来事から、召喚器である『GUMP』を手に入れ、巧みに悪魔を操ってみせた。

そして、組織『クズノハ』と対立的関係にある『ファントムソサエティ』と呼ばれる犯罪組織の幹部2名を殺害した・・・と、嘘か誠か分からぬ武勇伝が、組織内で広まっている。

マベルも当然、その噂は知っていた。

本人の口から実際、事の真意を確かめた訳ではないが、その噂は概ね合っているだろうと思っている。

 

「どうやら決まりで良いみたいだね? それじゃ、早速、明日から仕事をして貰うよ。」

「仕事・・・・? 」

「そっ、ちょっとしたお使いと、軍資金稼ぎだよ。 今日はもう遅いから、矢来銀座駅まで僕が送ってあげるよ。」

 

話は纏まった所で、鋼牙は飲み干したコーヒーカップを流しへと置く。

時刻は既に6時を軽く回っていた。

此処から成城の葛葉邸に帰ると、軽く7時は過ぎてしまうだろう。

 

 

 

翌日、渋谷駅、スクランブル交差点前。

早朝という事もあり、駅を行き来する人々の数はまばらだ。

最も、現在復興作業中であり、一般市民が普通に生活するのはまだまだ先の話。

駅前には、工事用のトラックやダンプ、油圧ショベル等の建築用の建機等が多数停まっていた。

 

「ふわぁ・・・・。」

 

背に機械仕掛けの機動大剣を背負ったネロが、大きな欠伸をする。

その頭の上には、同じ様に目をショボショボさせた小さな妖精が、乗っていた。

 

「全く、折角の祝日なのに、何が哀しくて開発途中の渋谷に・・・しかも、早朝から来なきゃならないのよ? 」

 

不満そうに唇を尖らせたマベルが、体育座りで不満を零す。

 

「知るかよ・・・・所長代理が言うには、目的の店が朝の5時頃と夜中の2時ぐらいにしか開かないらしいからな。」

 

昨日、二人乗り用の大型スクーターで、矢来銀座駅まで送られたネロは、その道すがら、鋼牙から”軍資金稼ぎ”をする前に、渋谷駅の近くにある店で買い物をする約束をさせられた。

悪魔召喚プログラムに付属するソフトを専門に取り扱っている店で、開店時間が5時から7時の2時間、深夜の0時から2時までの2時間という限られた時間内しか店が開いていなのだという。

 

「ふうん、悪魔が最も活動する時間帯にしか店を開けない何て、随分と変わっているわね。」

「そうなのか? 」

「え? アンタ・・・・まさか知らなかったの? 」

 

余りにも常識知らずな質問に、ネロの肩に座っていたマベルが、驚いて目を見開く。

 

平騎士の身分とはいえ、一応、ネロも魔剣教団に属していた剣士だ。

当然、悪魔が最も活発に活動する時間帯ぐらい、把握しているのが当たり前だと思っていたからである。

 

「義理父(とうさん)や教団上層部の指令で動いていたからなぁ。あんま、深く考えて無かった。」

 

そういえば、悪魔討伐をする時は、何故か深夜帯が多かった。

余り、物事を深く追求せず、与えられた仕事だけを黙々とこなしていたので、そこまで考えが及ばなかったのである。

意外と抜けている事が多いネロを見て、マベルは呆れた様子で溜息を吐いた。

 

「御免! 待ったぁ? 」

 

そんなやり取りをする二人の所に、駅の改札口から黒縁眼鏡の少年が息を切らせながら、走り寄って来た。

背には、少々大きなバックパックを背負っている。

 

「遅いよ、後、30分ぐらいで店が閉まっちゃうわよ。」

「悪い悪い・・・換金出来そうなマグネタイトがあったから、それ搔き集めていたんだ。」

 

此処まで走って来たのか、鋼牙の額にはびっしりと細かい汗が浮かんでいる。

どうやら、背負っているバックパックの中身は、対悪魔用の武器と生体エナジー協会に換金する為のマグネタイトが詰め込まれていた。

 

「あ、そうそう。 ちゃんと”証明書”は持って来たよね? 」

「勿論、コイツが無くちゃ中に入れないんだろ? 」

 

ネロは、尻ポケットから、銀のチェーンが付いて免許証入れを取り出す。

中には、『魔狩人(デビルハント)』の許可証が収まっていた。

 

スクランブル交差点を挟んだ向こう側、渋谷センター街は、未だに復興作業が続けられている。

しかし、小鬼(ゴブリン)が住み着き、食糧や資材を求めて作業員を襲う為、遅々として進んでいないのが現状であった。

数台の装甲車が止まる、検問所。

センター街を取り囲む様にして、強固なバリケードが張り巡らされ、遮断機の前には自衛官らしき防護服を着た二人組が立っている。

詰め所らしきプレハブ小屋と、その真向いには、高台があった。

 

「良し、通って良いぞ。」

 

ネロと鋼牙から渡された許可証を確認した自衛官は、相棒に遮断機を上げる様、片手を上げる。

無言でセンター街へと入る二人。

ネロが訝し気な表情で、防護服を着る自衛官達を振り返った。

 

「やけに簡単に通してくれるんだな? 」

 

もう少し突っ込まれるかと、内心構えていたネロであったが、あっさりと中へと入れてくれた。

いくら『悪魔狩人(デビルハント)』の許可証が本物とはいえ、不用心過ぎるのではないのか?

 

「あの人達は、僕が”クズノハ”の人間だと知っているからね・・・下手に拘わるとロクな目に合わないと思っているのさ。」

 

防衛省の自衛官達にとって、組織『クズノハ』は、目の上のたん瘤どころか、疫病神とすら思っている者達が殆どだ。

確かに、悪魔に対抗しうる能力が無い彼等にとって、『クズノハ』の人間達は、人外の化け物に映るだろう。

彼等の中には、あからさまに「怪物」と謗(そし)る輩までいる。

 

「分かっているなら、顔パスでも通してくれたんじゃねぇの? 」

「多分、通してはくれると思うよ? でも、誰が見てるか分かんないからね? 一応、形だけはちゃんとしとかないと。」

 

ネロの皮肉に、鋼牙が苦笑を浮かべる。

 

「そういや、お前、武器はちゃんと持って来てるのかよ? 」

 

ネロは、改めて前を歩く鋼牙を、頭の先から下まで眺める。

愛用の機動大剣に、六連装大口径リボルバーを胸に忍ばせているネロと違い、鋼牙は、大き目のバックパックを背負っている以外、これといった武器がまるで見当たらない。

 

「勿論、ほれこの通り。」

 

胡乱気に眺めるネロの前に、背負ったバックパックから、60CMのアクリル製の定規を取り出し、見せる。

 

「はぁ? 舐めてんのかよ? お前。」

 

鋼牙が手に持っているのは、文房具店に普通に販売されている唯の定規だ。

こんなもので、一体どうやって悪魔と戦うと言うのだ?

 

「舐めて何かないよ。 悪魔狩りの時は、何時もコイツとコレで戦っているからね。」

 

バックパックを背負い直し、ダウンベストのポケットから一本の鉛筆を取り出す。

器用に片手で一回転させると、何の躊躇いも無く、倒壊したビルの壁面へと投げつけた。

まるでライフル弾の如く、音速を超える速度で飛んで行く鉛筆。

隕石が落下したかの様なクレーター状の穴を、硬いコンクリートの壁に穿つ。

 

「あっ、ヤバっ、力加減を間違えちゃった。」

 

大きな瓦解音を上げて崩れる壁を眺め、鋼牙が茶目っ気たっぷりに舌を出す。

口をあんぐりと開けて、固まるネロ。

その肩には、呆れた様子のマベルが、本日二度目の溜息を零した。

 

「ちょっと抜けている所があるけど、鋼牙はアンタの父親と同じ剣豪(シュヴェアトケンプファー)の称号を持っているからね。」

 

マベルが言う通り、鋼牙は母親の魔導士(マーギア)の力と父親の剣士(ナイト)の能力を両方併せ持っていた。

師である13代目・葛葉キョウジもその事は知っており、鋼牙の眠っている膨大な潜在能力を活かす訓練を行っている。

 

 

開発区へと無事入り込んだ二人は、悪魔召喚術師を相手に補助ソフトを造っているという店に行く事になった。

 

「悪魔の姿が全然、見えねぇんだけど? 」

 

倒壊したビルや商店街を歩くが、ネロの予想に反し、悪魔の姿は影も形も見えない。

 

「深夜帯に、大掛かりな討伐任務が行われたって情報が入ってる。多分、その影響かもね。」

 

『悪魔狩人(デビルハント)』達が情報交換をする掲示板に、センター街一帯を棲家にしている小鬼(ゴブリン)共の掃討作戦が実行されたと書かれていた。

違法就労者達が生活しているキャンプの備蓄庫を、小鬼(ゴブリン)共が荒らしているらしい。

見兼ねたキャンプの責任者が、自警団を兼ねている『轟探偵事務所』の調査員達に依頼し、何名かの腕の立つ”狩人(ハンター)”達と一緒に、大規模な駆除を行った。

それが終了したのが、明け方の3時頃だから、センター街一帯に悪魔の姿が見えないのは当然だと言える。

 

「此処だよ。 」

 

狭い路地裏を抜け、古いテナントビルの地下へと入った鋼牙は、一目で飲み屋だと分かる店の前で立ち止まった。

罅割れたスタンド看板には、『ファンタズマ』という文字が印字されていた。

 

「此処、酒場じゃねぇかよ。」

「そうだよ。普段は”狩人(ハンター)”や不法就労者達を相手に、お酒を販売してる。」

 

鋼牙が、酒場のドアを開けると取り付けられている呼び鈴が涼やかな音色を奏でた。

店内は、右側にバーカウンターがあり、左側には合計8席の椅子と机が整然と並べられている。

持ち主は、相当神経質なのか、床に塵一つとして落ちてはいなかった。

 

「ちっ、まだ開店前だ・・・・とっとと帰んな。」

 

カウンター内で、食器と水回りの掃除をしていたらしい、店の店主が、面倒臭そうに出入り口に立つ鋼牙達を睨み付ける。

年齢は50代ぐらいだろうか。

パイナップルの様なドレッドヘアーには、幾つか白いものが混じり、口と耳、そして鼻にはピアスを付けている。

がっしりと鍛え上げられた肉体をしており、シャツとジーンズ、腰には前掛けを巻いていた。

 

「ランチさん、お久し振り。」

「何だ、13代目んところの坊主か・・・・。」

 

黄色いサングラス越しに、店内へと入って来る少年二人組を眺める。

と、その視線がネロの背負っている機動大剣で止まった。

 

「・・・・・魔剣教団か・・・・一年前の戦争で、ぶっ潰れたとラジオで聞いたんだがな? 」

「・・・・・・。」

 

如何にも犯罪者を見る店主の視線に、ネロの表情がみるみる険しくなった。

 

一年前、隣国”ディヴァイド共和国”との戦争で、ネロの生まれ故郷である”フォルトゥナ公国”は政府首脳の殆どが戦争犯罪者として収監され、北の大国”ロシア”に吸収された。

マスコミは、挙(こぞ)ってフォルトゥナをテロ国家と非難し、”ディヴァイド共和国”を救い、世界に平和を齎(もたら)したヴァチカン市国を英雄と褒め湛えた。

戦争の真実を全て闇へと葬りながら・・・・。

 

「あ、あのっ・・・・・彼は、確かに元魔剣教団の人間ですが・・・。」

「知ってるよ・・・・・こう見えても、昔は、フリーの記者だったからな・・・。」

 

ネロに興味を無くしたのか、ランチは洗い終わったグラスを布巾で綺麗に拭くと、食器棚へと並べていく。

 

「何で、俺が魔剣教団の人間だって、分かったんだ? 」

 

至極当然の疑問。

確かに、ネロはウクライナ人独特の顔をしているが、それだけでフォルトゥナ公国の人間であるとすぐに判断は出来ない。

 

「お前の背負っているその剣・・・・ソイツを設計したのが俺だからだよ・・。」

「え? 」

 

予想外の店主の言葉に、ネロと鋼牙の表情が固まる。

 

「昔の話さ・・・・・・フリーの記者をやる前に、職人(ハンドヴェルガー)の道を志した事があった・・・・力を持たない連中でも、悪魔と対抗出来る武器を造ろうとしたんだ・・・・。」

 

今から30年前、ランチは、とある事件で悪魔と拘わる様になった。

しかし、並みはずれた身体能力も魔力もない彼では、悪魔に抗う術など当然無かった。

故に、彼は、一般人でも下級や中級悪魔と対等に渡り合える武器を造ろうとしたのだ。

その過程で生まれたのが、ジェット推進器付きの機動大剣・・・『レッドクィーン』である。

 

「でも、いかせん肝心の開発資金が無くてな・・・・・そんな時にRAS(ロシア科学アカデミー)の研究員が近づいて来たんだ。」

 

何処でランチの噂を聞いたのか、そのRASの研究員は、是非うちでその武器を開発してみないかと話を持ち掛けて来た。

RASは、世界でも有数の科学研究施設である。

おまけに余りの好待遇に、ランチは深く考えずにあっさりと了承した。

しかし、それが間違いの始まりだったのである。

 

「途中で、奴等が、戦争目的で『イクシード』を造ろうとしていた事に気が付いた俺は、自分の死を偽装して、国外から逃亡した・・・・あのまま、残っていても殺されるのは分かっていたからな。」

 

研究中の事故に見せかけ、RASから逃亡したランチは、知り合いのツテを使い、新たに戸籍を取得し、整形で顔を変えた。

そして、フリーのジャーナリストとして各国を転々とし、今現在に至るという訳なのである。

 

「何で、コイツが魔剣教団専用の武器になったんだ? 普通ならロシア政府が使うのが筋だろ? 」

「”フォルトゥナ公国”は、ロシア政府の実験場も兼ねてる・・・・こんな事を言うと気分を悪くするかもしれんが、魔剣教団の奴等に『イクシード』を使わせて、その成果を逐一ロシアに流していたんだろ。」

「酷いな・・・・。」

 

利用するだけ利用し、価値が無くなれば、国連を動かして証拠隠滅する。

大国同士の思惑に踊らされ、切り捨てられた”フォルトゥナ”の哀れな末路を想い、鋼牙は無意識に呟いた。

 

「まぁ、世間話はこれぐらいにして、インストール・ソフトを買いに来たんだろ? そこに座れ、今用意する。」

 

ランチは、少年二人組をカウンター席へと座る様促すと、商売道具を用意するべく、店の奥へと姿を消した。

 

 

 

 

 

何時頃だろうか?

常に誰かに監視されている様な、視線を感じる様になったのは。

特殊学科の授業が終わり、幼馴染みであり親友の日下摩津理と別れ、家路へと急ぐ道すがら、咲は誰かの突き刺す様な視線を背に感じ、背後を振り返る。

時刻は既に、夕方の6時頃になっていた。

辺りは薄闇で沈み、この通りを歩くのは、咲、唯一人だけである。

 

(・・・・気のせいかな・・・・最近、神経質になっているのかもね。)

 

言い知れぬ不安に、胸に吊るした木の御守りをギュッと手で握る。

自分と摩津理が専攻している薬学部の講師、トロルが造ってくれた護りの札だ。

類稀なマグネタイトを持つ咲の身を案じた顧問が、念の為にと渡した代物であった。

 

何時までもそこに立っている訳にもいかず、咲は踵を返すと両親が待っている家路へと急ぐ。

早く帰らないと、母親が帰りが遅い自分の事を心配する。

それだけなら良いが、父親に話されると後が面倒だ。

また普通学科に戻れと口煩く小言を言われる。

 

そんな暗い気持ちを抱えたまま、歩いている咲の背後で異変が起こった。

壁から血錆びが浮いた巨大な鋏を両手に持つ怪物達が、4体姿を現したのだ。

不気味な仮面を被り、黒いガス状の肉体をゆらゆらと揺らすその姿は、さながら亡者を死の国へと誘う死神そのものであった。

 

何も知らずに前を歩く、黒髪の美少女目掛け襲い掛かる。

しかし、その刃が少女へと届く前に、何処からともなく飛来した業務用のカッターが、死神の一体の額へと深々と突き刺さる。

仮面が爆ぜ割れ、四方へと霧散する死神。

仲間の唐突な死に、怪物達の動きが一瞬止まる。

 

「えっ!? 何??? 」

 

突然、咲の傍らを突風が駆け抜けた。

背後を振り返ると、2メートル近い体躯をした男が、巨大な鋏を持つ悪魔達に躍り掛かっているのが見えた。

グローブを付けた両手が、仮面の怪物達を屠(ほふ)っていく。

突き刺そうと振り上げられる血錆びの浮いた鋏をあっさりと躱し、カウンターに繰り出した膝蹴りが仮面を割る。

体重を乗せた右ストレートが、仮面をぶち割り、魔法の如く取り出したハンドガンが、火を吹いた。

対悪魔用に造り出された特殊弾が、怪物達を黄泉へと強制送還する。

時間にして数秒。

それで、決着はついてしまった。

 

「・・・・・も、もしかして、遠野君・・・・? 」

 

実体化が保てず、塵へと還る悪魔の死体を無言で眺める男。

目元を完全に隠す程に長い前髪。

2メートル近い長身に、鍛え上げられ、鎧の如くがっしりとした体躯。

自分と同じ、『聖エルミン学園』の特殊学科に在籍する生徒― 遠野・明が右手にハンドガンを持って立っていた。

 

「怪我は無いか? 八神。」

 

周囲に敵の姿が無い事を確認した明が、右手に持つハンドガンを腰のホルスターへと戻し、咲の傍まで歩いて来る。

 

「い・・・・今のって・・・・悪魔・・・・? 」

 

特殊学科を専攻する以上、咲も悪魔の存在は知っている。

しかし、咲の住んでいる田園調布に、悪魔が目撃された事例は殆ど無い。

 

「家の近くまで送ってやる。 」

 

怯え、戸惑う咲を尻目に、明があっさりと通り越してしまう。

その後を、釈然としない表情の咲が、渋々と言った様子で追い掛けた。

 

 

「・・・・・今の悪魔達って、勿論、私を狙ったんだよね? 」

「・・・・。」

「私の持っている生体マグネタイトが目的なのかな? 先生が言ってた・・・・私は、普通の人達と違って、濃度が濃いって・・・・。」

「・・・・・・。」

 

悪魔の襲撃があった数分後、数歩、前を歩くクラスメートの背に、咲が懸命に話しかける。

返事など返らぬ不毛な会話。

しかし、そうでもしないと、恐怖で胸が八切れそうになる。

次第に声が震えて来る。

みっともなく泣き喚きたくない。

完全に血の気が失った真っ青な唇を噛み締めるが、スクールバッグを持つ手が震える。

 

「”エルバの民”という掲示板に心当たりはあるか? 」

 

後もう少しで、咲が住んでいる田園調布の屋敷に到着する頃、それまで黙していた明が漸く口を開いた。

 

「え・・・・”エルバの民”? もしかして、呪いの掲示板? 」

 

その名前なら、学生同士の噂で聞いた事はある。

殺したい程、憎んでいる相手の名前をその掲示板に書き込むと、『魔神皇』が現れ、呪いを成就させてくれるのだという。

 

「その掲示板に、お前の名前を書いた奴がいる。 俺は、ソイツに依頼されて、お前を護衛する事になった。」

「護衛・・・・どうして・・・・? 」

 

頭の中を無数のクエスチョンマークが飛び交う。

自分を呪い殺したい奴がいる? その人物の依頼で、明が護衛しに来た?

分からない・・・・何も、理解出来ない。

 

「守秘義務で、詳しい事は話せねぇ・・・・だが、ソイツは、掲示板にお前の名前を書いた事を激しく後悔してたよ。」

 

依頼主である菅沼・真紀は、悪戯目的で、呪いの掲示板に咲の名前を書いた事を猛烈に悔やんでいた。

事実、咲と菅沼は、顔見知りでも何でもない、赤の他人同士である。

名家の生まれで、容姿端麗、おまけに学業も優秀である咲を妬んだ行動であった。

 

「これは、俺の携帯番号とラインアドレスが書いてある。何かあったらすぐ連絡しろ。」

「・・・・・。」

 

明から渡された名刺を無言で受け取る。

表には、『葛葉探偵事務所』と印字されており、探偵事務所の住所と電話番号、メールアドレスが表記されており、裏に返すと明の携帯番号とラインアドレスが手書きで書かれていた。

 

「・・・・っ、待って! あの・・・・・。」

 

用は済んだとばかりに背を向ける明を、咲は咄嗟に呼び止める。

立ち止まり、黒髪の美少女へと振り返る明。

暫しの沈黙が二人を包む。

 

「助けてくれてありがとう・・・・それと、依頼主の人に伝えて・・・・自分を責めないで・・・・って。」

「・・・・・分かった。」

 

咲の言葉を無表情で、明が受け止める。

そして、踵を返し、暗闇の中に溶け込む様にして消えた。

 

 

 

翌日、早朝、渋谷センター街メイン通り。

109など、かつての商業ビルが立ち並ぶ繁華街を、奇妙な4人組が歩いていた。

 

 

「ちっ、何でこんな奴等と一緒に、悪魔討伐しなきゃいけないんだよ。」

 

不貞腐れた様子で、銀髪の少年― ネロが、数歩離れた位置で歩く武装した二人組を睨み付ける。

 

「まぁまぁ、タダで手伝ってくれるんだから、儲けものだと思っとこうよ。」

 

忌々しそうに背後を振り返るネロに対し、黒縁眼鏡の少年― 壬生・鋼牙が窘めた。

 

 

センター街入り口付近にある闇市で、鋼牙とネロは、任務を終えたばかりのダンテ達と運悪く、ばったり出会ってしまった。

何とか煙に巻いて立ち去ろうとしたが、そんな程度で実質上、上司である佐助を誤魔化しきれる筈も無く、現在に至るという訳なのである。

 

ランチの経営するバーで、悪魔交渉を有利にするソフトと、エネミーソナーを強化するソフトを購入した二人は、軍資金稼ぎにと、闇市を経営する責任者の所へと向かった。

そこは、悪魔討伐を旨とする受付所になっており、『悪魔狩人(デビルハント)』達が、自分の実力に見合ったクエストを受注出来る仕組みになっている。

ネロ達は、壁一面を覆う掲示板から、Aランクの少々危険度の高いクエストを選んだ。

クエスト内容は、井之頭通りにあるテナントビルの地下にボブゴブリンや小鬼(ゴブリン)の群が住み着き、物資が調達出来ず困っている。

何とか始末出来ないか、というモノであった。

 

「この時間帯、奴等は巣で眠っている筈だからね。 その隙を突けば、奴等の統制を乱す事が出来る筈だ。」

 

問題のビルに到着した鋼牙達が、5階建ての建物を見上げる。

時刻は、既に9時を回っていた。

悪魔が最も活発になるのが、深夜0時から、明け方の7時までの間。

今は、彼等にとって就寝時間という訳なのである。

 

「そんじゃ、とっとと行って、とっとと終わらせようぜ。」

 

幾ら亜種が混じっているとはいえ、下級悪魔の寄せ集めに変わりは無い。

そんな連中に時間を掛けるのは惜しいと、ダンテが背負っている大剣『リベリオン』を引き抜き、さっさと問題のテナントビルへと入って行ってしまう。

 

「ちょっと! 慎重に行かないとヤバイって!! 」

 

何の躊躇もなく、小鬼(ゴブリン)共の巣がある地下へと向かうダンテの背を、赤毛の忍が慌てて止める。

しかし、全ては遅すぎた。

薄汚れ、所々錆びの浮いた扉を開けた途端、ガラス瓶が砕け落ちる音が周囲に響き渡る。

侵入者避けの為に、ドアノブを開けるとロープで縛りつけていた空き瓶の塊が落ちる仕掛けになっていたのだ。

 

「”サウンドトラップ”だ! 皆伏せて!! 」

 

殆ど条件反射で、鋼牙が隣にいるネロを押し倒す。

その頭上を通過していく鉛の塊達。

一番前に居たダンテが被弾し、衝撃で後方の壁へと激突する。

 

「あーあ、だから言ったのに・・・・・。」

 

彼等の頭上を掠め跳んで行ったのは、XM806LW50から吐き出された銃弾だ。

ブローニングM2重機関銃の後継として開発が進められていた、50口径重機関銃である。

 

扉の影に逸早く逃れた佐助が、忌々しそうに壁に減り込んでピクリとも動かない銀髪の大男を睨み付ける。

ベルト鉛弾を数十発まともに喰らったのだ。

いくら半分悪魔の血が流れているタフガイとはいえ、只で済む筈がない。

 

「ダンテ!! 」

 

ネロの頭にしがみついていたハイピクシーのマベルが、壁に埋もれてピクリともしない大男の傍へと跳んで行く。

 

「い、今のは一体何なんだよ? 」

 

ダンテの治療は、一旦マベルに任せ、ネロが重機関銃が吠えた方向を睨み付けた。

 

「どうやら、米陸軍の置き土産らしいね。 確か、此処はシュバルツバース発生時に激戦区となった一つだから、ああいった武器がゴロゴロ落ちてるって聞いた事がある。」

 

今から数十年前、突如、東京湾沖から発生した異次元へと通じる巨大な穴。

そこから吹き荒れる瘴気の嵐が、数多(あまた)の悪魔達を呼び寄せた。

悪魔の群は、餌である人間達を襲い、多くの犠牲者を出した。

事態を収束させようと、日本政府は、国連軍に救援を出し、急遽、悪魔討伐部隊が編成されたのである。

 

「悪魔が、人間の武器を使うのか? 」

「小鬼(ゴブリン)の知能は、人間の5歳児ぐらいだと思われているけど、中には跳び抜けて賢い輩もいるからね。 大戦の生き残りなら、武器の扱いぐらい見て覚えている個体がいても可笑しく無いよ。」

 

ダンテを真っ先に倒され、動揺するネロと違い、黒縁眼鏡の少年は至って冷静であった。

13歳の頃から、師である13代目と共に戦場に立ち、様々な修羅場を経験している。

ちょっとやそっとの事では、取り乱さない胆力を持っていた。

 

「カウンターに2匹、右の商品棚と左の商品棚に1匹ずつ・・・・計4匹か。」

 

ほんの僅かな時間ではあったが、鋼牙の鋭い洞察力が敵の正確な位置を把握させていた。

元は、CDショップだったのだろう。

商品棚は倒れ、床には売り物であるCDジャケットや、楽器の部品が散乱している。

 

「佐助、ネロ、僕が囮になるから後頼んだよ。」

 

背負っているバックパックから、アクリル製の60CM定規を取り出し、止める間もなく店内へと走り出す。

 

「鋼牙! 」

 

地を這う様な前傾姿勢で、店内へと跳び込む鋼牙。

それを狙い、鉛の弾が雨の如く降り注ぐ。

 

「坊ちゃんなら大丈夫だよ。 それより、指示ざれた通りにお仕事しましょ。」

「クソ! 無茶しやがって!! 」

 

腰に吊るしてある巨大な卍手裏剣を取り出す佐助と、右脇のガンホルスターから、六連装大口径リボルバーを引き抜くネロ。

特殊ワイヤーで操作された卍手裏剣が、左の商品棚に隠れている小鬼(ゴブリン)の胴体を両断し、続いて六連装大口径リボルバー、”ブルーローズ”が火を吹き、右の商品棚でアサルトライフルを構える怪物の頭を大きく抉る。

瞬く間に仲間が殺され、焦る小鬼(ゴブリン)達。

XM806を構える大柄の小鬼(ゴブリン)が、倒れた商品棚の隙間を縫って接近する鋼牙を狙い撃つ。

しかし、当たらない。

まるで、ベルト鉛弾の軌道が見えているのか、黒い突風と化した鋼牙は、前後左右に激しく動き、凶悪な鋼の牙を悉(ことごと)く躱(かわ)して行く。

 

「シッ! 」

 

歯の間から、短く呼気を吐き出し、床板を蹴り割り、一気に敵との間合いを詰める。

斬撃を放ちながら敵を切り裂く天真正伝香取神道流”抜討之剣(ぬきうちのけん)”だ。

無数の刃が、カウンターを粉砕。

中にいた小鬼(ゴブリン)二体を細切れの肉片へと変えた。

血飛沫が天井や床、周囲の壁をどす黒く汚す。

 

「MK17か・・・・小鬼(ゴブリン)のくせに、良い武器使っているじゃないの。」

 

この武器は、特殊部隊の為にFN社が製造した多機能性と汎用制に優れたアサルトライフルである。

佐助は、足元に転がる小鬼(ゴブリン)の死骸から、MK17を拾い上げた。

 

「死体漁りかよ・・・みっともねぇ。」

「なーに、言ってるの。コイツをキャンプに持って行けば、高額で買い取ってくれるのよ? それに、また悪魔共に悪用されないという保証も・・・。」

 

そう、佐助が言い掛けた時であった。

突然の爆発音。

何者かが、カウンターの奥にある従業員専用扉を破壊したのだ。

 

「あれは・・・・。」

 

戦利品として回収したXM806を肩に担ぎ、鋼牙は大きく後方に跳躍して爆散した扉から離れる。

通常の小鬼(ゴブリン)は、数十匹からなる群を成して行動する。

どうやら表の騒ぎを聞きつけて、様子を見に来たらしい。

暗闇からのっそりと現れる巨体。

それを見た瞬間、一同が思わず息を呑んだ。

 

「ら・・・ラクシャーサ? 上位悪魔が何でこんな所に・・・・? 」

 

燃える様な鬣(たてがみ)に、奇妙な鉄の仮面。

鎧の如く筋骨隆々な巨躯を誇り、血が全く通わぬ真っ青な肌をしていた。

腰には、装飾品の様に人間の頭蓋骨を下げ、ボロボロの腰布を巻いているのは、上級悪魔の邪鬼・ラクシャーサであった。

 

「詮索は後! ネロ、君はコレとダンテさんを引きずり起こして、地上に出るんだ! 」

 

鋼牙が、すぐ後ろにいる銀髪の少年に向かって、重機関銃を投げ渡す。

条件反射で受け取るネロ。

しかし、総重量18kgの機関銃を受け止めきれず、床に落としてしまう。

 

「お、お前はどうするんだよ!? 」

 

律義にも、何とかMK806を肩に担いだネロが、黒縁眼鏡の少年へと問い掛ける。

 

「決まってる、コイツを討伐するのさ。」

 

彼等が今現在いる商業用のテナントビルのすぐ近くには、不法就労者達のキャンプがある。

もし、このままラクシャーサの様な上位悪魔を野放しにしていれば、キャンプにどんな被害が及ぶか分からない。

そうなる前に、今すぐコイツを叩く。

 

「なら、俺も一緒に・・・・! 」

「あー、駄目駄目。 ダンテの旦那をあのままにする訳にはいかないでしょ? 代理とは言え、一応、17代目の番なんだし。」

 

一歩前に出ようとするネロを、赤毛の忍が手で制した。

背後では、重機関銃からの速射砲をまともに浴び、壁を破砕して埋(うず)もれたダンテが未だに白目を剥いて気絶している。

念の為にと着込んだタクティカルスーツのお陰で、致命傷は負っていないが、夥しい血を流していた。

 

「ネロ・・・・。」

 

銀髪の大男に、回復魔法を施していたマベルが、助けを求める様に銀髪の少年を見上げる。

忌々し気に、舌打ちするネロ。

今は亡き義理の父親、クレドと同じぐらい尊敬し、又、僅かに恋慕に近い感情を抱くライドウに酷い仕打ちをしたダンテを助ける気持ちなど一ミリとて無いが、かと言って、このまま見捨てるのも忍びない。

 

「分かったよ! 言う通りにしてやるから、絶対死ぬなよ! 」

 

上位悪魔と対峙する所長代理と赤毛の青年の背に、それだけ吐き捨てると、ネロは、ダンテが埋まっている所へと足早に近づく。

と、その脚が途中で止まった。

気を失い、血塗れで倒れていたダンテが幽鬼の如く、ゆらりと起き上がったのだ。

刹那、その姿が消失。

赤き突風となった銀髪の魔狩人は、鋼牙と佐助の両脇を吹き抜け、大剣『リベリオン』を駆り、ラクシャーサの右腕をあっさりと斬り落とす。

 

「ぐぎゃぁあああああっ!! 」

 

予想外の出来事に呆然とする一同。

上位悪魔が悲鳴を上げ、斬り落とされた傷口から、間欠泉の如く、青紫色の体液が噴き出す。

 

「ちっ、冗談じゃねぇ・・・・情けねぇ姿を晒したまま、餓鬼に助けられて堪るかってんだ。」

 

頭から血を流すダンテが、口内に溜まった血を唾と一緒に吐き出す。

その銀髪の大男に向かって、ラクシャーサが怒りの咆哮を上げる。

火炎系上級魔法”アギダイン”を唱え様とする悪魔。

しかし、ダンテが繰り出す必殺の一撃の方が、遥かに早かった。

大剣『リベリオン』が旋回し、ラクシャーサの胴体を両断する。

下半身から吹き上げる青紫色の体液。

斬り飛ばされた上半身が、駒の如く、宙でクルクルと回り、床へと落ちて行った。

 

 

 

ライドウがその知らせを聞いたのは、八王子にあるH・E・C(Human electronics Company)の本社で、山積みとなった書類を片付けている時であった。

今朝方、スペイン坂通りに面して建てられている元ラジオ局の建物に、喰種の群が住み着いた。

討伐に佐助とダンテが派遣され、無事任務を終えたが、その後の消息がぷっつりと途絶えてしまったのだという。

事の真意を確かめるべく、早々に表の仕事を切り上げ、件の渋谷センター街へと向かう。

処理班の報告の中に、どうやらあの二人がセンター街に向かったらしいという旨があったからだ。

 

時刻は既に、昼の1時を優に超えていた。

苛立つ心を必死で抑えつつ、不法就労者や狩人達が屯(たむろ)する闇市へと足を踏み入れる。

 

「おやおや、血相を変えて何しに来たんだい? 人修羅さん? 」

 

狩人達が悪魔討伐や、その他の仕事を受注する詰め所らしき建物から、一人の妙齢な女性が姿を現した。

彼女の名は、シフ。

闇市、並びに不法就労者達を取り纏める総責任者である。

 

「済まない。ウチの人間が貴女の所で迷惑を掛けたと聞いて、跳んできた。」

 

見事なブロンドの髪を、頭の頭頂部で結い上げた美女に向かって、何の躊躇いも無く頭を下げる。

実を言うと、目の前に対峙している女性は人間では無い。

アース神族に属する女神であり、雷神と異名をとる農耕の神、トールの正妻だ。

今は、身分を隠し、息子のウルと共に、難民達のリーダーをしている。

 

「ふん、何だその事か・・・・アタシ等は、邪魔臭い小鬼(ゴブリン)共を始末して貰えて大助かりなんだけどね。」

 

シフは、口元に皮肉な笑みを浮かべ、自分に頭を下げる律義な悪魔使いを眺める。

彼は、きっと自分の部下が此処で迷惑を掛けたと思い込んでいるのだろう。

確かに、難民達にとって、政府と昵懇な関係にある組織『クズノハ』は、目の上のたん瘤どころか、蝦蟇(がま)や蟒蛇(うわばみ)の如く嫌われている。

 

「アンタん所の奴等は、三平の診療所にいるよ・・・引き取りたいなら勝手にしな・・・それと・・・余計な事かもしれないけど、貧民窟の卑しい奴相手に、簡単に頭下げるんじゃないよ・・・アンタ、一応『クズノハ』幹部なんだろ? 」

「・・・・・っ。」

 

シフに痛い所を突かれ、ライドウは、思わず赤面する。

彼女が言う通り、このキャンプは、違法に造られた場所だ。

都市再開発の為、悪魔が跳梁跋扈するこの地帯は、大変危険であり、国の法も此処まで手が届かない。

故に、態と見逃されている部分が殆どなのである。

日の本の守護者である『クズノハ』が、異端の徒である彼等に頭を下げるという行為は、組織の名に泥を塗りたくると同じ事であった。

 

「まぁ・・・・アンタのその糞真面目な所は、嫌いじゃないけどさ・・・・ウチの旦那みたいに損するよ? 」

 

顔を真っ赤にして俯く悪魔使いを、シフは面白そうに眺める。

葛葉四家当主の一人でありながら、ライドウは、下級市民どころか、シフ達の様な難民にすら紳士的な態度を崩さない。

上級市民なら、犯罪者と蔑む彼等を、一人の人間として尊重している。

シフの夫、トールもライドウと同じで、どんなに生まれが卑しくとも、対等な立場として接する一面があった。

それが、他のアース神族達には、大変面白く無く、実父・オーディンからも不当な扱いを受け続けていた。

 

「・・・・肝に銘じておきます。」

 

そう、心にもない事を述べ、もう一度、一礼したライドウは、ダンテ達が収容されている三葉診療所へと向かった。

その後ろ姿を無言で見送るシフ。

 

「本当・・・・ウチの旦那に似て、この先も苦労しそうだね。」

 

人込みに紛れ、その小さな背中が消えるまで、見事な金の髪をした女神は、その場で佇んでいた。

 




最近、メイドインアビスにハマりました。


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第6話 『 渋谷センター街キャンプ 』

登場人物紹介

ゴア・アトキンス・・・・『レッドスプライト号』艦長兼調査隊隊長。
アメリカ陸軍大佐。冷静な判断力と大胆な決断力を持つ。
十数年前の”シュバルツバース破壊計画”に、参加。
そのせいで、大量の瘴気を浴びてしまい、肉体が変質、”シュバルツバース”から出られない躰になってしまう。




渋谷センター街、その通りの奥まった場所に、マイアミビルと呼ばれる三階建ての建物がある。

元々は、多数の飲食店が入っていたテナントビルであったが、十数年前の第二次関東大震災により、多くの市民達が犠牲となり、現在、人の気配もなくひっそりと佇んでいる。

 

 

「信じられんな・・・・まさか数時間で、完治しちまうとは・・・。」

 

マイアミビルの地下、『オーラ整体』診療所の医師である三葉三平は、右の隻眼を驚愕で見開いていた。

 

今から、数時間前、何時も通り午前の診療を行おうとした三平医師の元に、急患が運び込まれた。

不法就労者のキャンプに属する『狩人』達が、2メートル以上もある体躯をした全身血塗れの大男を連れて来たのだ。

男の連れらしき赤毛の若い男の話によると、無謀にも小鬼(ゴブリン)の巣へと一人で特攻し、予想通り返り討ちにされたのだという。

すぐさま、三平は、銀髪の大男を担いでいる屈強の狩人達、二名に命じ、処置ベッドへと寝かせた。

 

「だから、何度も言ってるだろうが・・・俺に治療は必要ねぇ。」

 

忌々し気に舌打ちした銀髪の魔狩人― ダンテが、頭に巻かれた包帯を乱暴に剥ぎ取る。

上半身のタクティカルスーツは、外され、鍛え抜かれた胸板と二の腕を晒していた。

 

「アンタねぇ! 安静にしてろって言ってるでしょ? 肋骨が折れて肺に突き刺さった挙句、内臓も破裂してたんだよ? 普通の人間なら即死しても可笑しくないレベルの大怪我だったんだからね? 」

 

逞しい胸板に巻かれた包帯も外してしまおうとするダンテを、赤毛の忍― 猿飛・佐助が必死に押し留めた。

 

井之頭通りにあるテナントビルでの悪魔討伐直後に、他の狩人(ハンター)達に助けを求め、そのまま診療所へ来たのだ。

当然、忍装束の恰好のままである。

ネロと鋼牙は、下手な騒ぎには巻き込まれまいと、ラクシャーサ討伐直後に、何処かへと姿を暗ましていた。

 

「佐助の言う通りだよ。 念の為に精密検査を受けないと・・・。」

「一々、煩ぇんだよ・・・俺の躰は、俺が一番良く理解してる。お前等がゴチャゴチャ言う筋合いはねぇ。」

 

本当なら、上半身に巻かれている包帯も取ってしまいたいが、外野が口煩くて堪らなかった。

ダンテは、目の前で心配そうに此方の顔を覗き込む小さな妖精を完全に無視すると、脱がされたアンダースーツを身に着け、傍らに置かれたタクティカルベストへと手を伸ばす。

すると、診療所の出入り口であるドアを開けて、誰かが入って来た。

 

「ライドウ! 」

「げげっ! 最悪!! 」

 

診療所の扉を開けたのは、葛葉四家当主が一人、17代目・葛葉ライドウであった。

どうやら、八王子のH・E・C本社から、直接此処のキャンプに来たらしい。

何時ものラフな格好ではなく、上品なグレーのスーツに、蒼いネクタイを締め、手にはコートを持っていた。

 

鬼(?) 上司の突然の登場に、佐助の顔色がみるみる真っ青に変わる。

 

「マベル・・・・ネロ達は一体どうした? 何故、君だけ此処に居る? 」

「うっ・・・・御免、ちょっと目を離した隙に、逃げられた。」

 

ライドウに詰問され、マベルが己の不甲斐なさに、思わず俯く。

 

上級悪魔である邪鬼・ラクシャーサを倒した直後、ダンテは出血と全身を襲う激痛で意識を失った。

無理もない、至近距離で重機関銃から発射される、ベルト鉛弾の直撃を受けたのだ。

幾ら耐久性に優れたタクティカルベストでも、防ぎきれる筈はなかった。

マベルと佐助が、再び昏倒したダンテを介抱している最中に、悪餓鬼二人組は、その場から出奔してしまったのである。

 

「それと、二人共、喰種討伐の任務が終了したにも拘わらず、何故、すぐに帰還しなかった? 本部の指示が無い悪魔討伐は、規律違反だぞ。」

「えっ・・・・・あー・・・・それは、ですねぇ・・・。」

「猿(コイツ)は関係ねぇ・・・全て、俺の一存でやった。」

 

上手い言い訳が見つからず、しろどもどろに言い淀む佐助に代わり、ダンテが応える。

下級悪魔の駆除だけでは満足しなかったダンテは、センター街を棲家にしている小鬼(ゴブリン)共にちょっかいをかけようとしていた。

それに関しては、全くこの男の言う通りなので、佐助も敢えて庇いだてするつもりは毛ほども無い。

 

「本当か? 佐助。 」

「え? うん、そうそう、俺様関係なぁーい。」

 

元を正せば、全てダンテの勝手極まる行動が原因なのだ。

自分は、形だけどはいえ、一応、止めた。

だから、咎められるいわれはない。

 

「そうか・・・・なら二人共、今すぐ『狩猟許可証』を俺に渡せ。 それと、今装備している武器と防具一式もな。」

「えー! 何それぇ!! 」

 

鬼上司の余りに理不尽過ぎる命令に、傍らに立つ佐助が情けない声を上げる。

処置台に腰を下ろしているダンテは、鋭い双眸を己の主へと向けた。

 

「今日から、1カ月間、お前等二人は謹慎処分だ。 」

「ひ、酷いよ! 俺様、何も悪い事してないじゃん!! 」

 

余りの暴論に、普段は大人しい佐助もこの時ばかりは、声を荒げた。

謹慎処分という事は、その間、未収入という事だ。

月の給料だけでもカツカツなのに、霞でも喰って生きろと言うのか?

 

「・・・・お前、任務の時、回収した遺物や鉱石をキャンプに横流ししているらしいな? 」

 

黒い眼帯を左眼に付けた少年に鋭く睨まれ、佐助がその場で固まる。

 

「え?・・・・一体何のこと? 俺様、分かんない。」

「とぼけるな、俺が何も知らないとでも思っていたのか? 」

 

明後日の方向に顔を向けて、必死に知らない振りをする赤毛の忍を眺め、眼帯の少年が呆れた溜息を零す。

 

佐助が、悪魔討伐にかこつけて、現地で回収した米軍の武器や鉱石をちょろまかしては、各地にある違法就労者のキャンプに高値で売っていた事は、周知していた。

普通、現地で回収したそれら遺物は、魔導師ギルドに全て提出するのが決まりとなっていた。

この忍は、それを知りつつも、小遣いを稼ぐ為に、遺物を少しだけちょろまかしては、違法に売り捌いていたのである。

 

「アンタ、最低・・・・。」

「成程、道理で闇市について詳しい訳だぜ。」

 

ダンテとマベル、二人から冷たい視線を浴び、赤毛の忍が、全身から大量の汗を流す。

 

「連帯責任だ。 今迄の事は見なかった事にしてやるが・・・次、同じ事をしたら・・・。」

「わーん! 俺様もう二度と悪い事しません! だから、御屋形様にはちくらないでぇ!! 」

 

スライディングで、ライドウの足元へと滑り込んだ赤毛の忍が、床に頭を擦り付けて土下座をする。

幾ら、真面目で超堅物とはいえ、ライドウはまだ優しい方だ。

部下に対する思いやりも強く、面倒見も良い。

しかし、十二夜叉大将の長、骸は違う。

あの男は、気に入らないと判断すると、幾ら忠義深い部下とて、平気で鰐の餌にするだろう。

 

「言っとくが、俺はアンタに従うつもりはないぜ? 爺さん。」

「・・・・・。」

 

大分芝居がかった様子で、オイオイとみっともなく泣く忍を完全に無視し、ダンテは不貞腐れた様子で、脚を組む。

 

元々、好きでこんな小さな島国に来た訳じゃない。

全ては、ライドウの隣に立つ為だ。

心底惚れて惚れ抜いた相手と見合う実力をつけ、あの腐れ外道から奪い取る。

その為だけに、自分は堅苦しい組織の人間になったのだ。

 

「言われた通りの事は、一通りやってんだ。その後の事は、俺の好きに・・・。」

 

手前勝手な言い草を吠え捲るダンテの言葉が、途中で止まった。

ライドウの情け容赦の無い回し蹴りが、ダンテの厚い胸板に炸裂したのだ。

吹き飛ばされ、壁へと叩き付けられる銀髪の大男。

台車が薙ぎ倒され、包帯や血圧測定器等の器具が、床へと散乱する。

 

「ライドウ!! 」

 

あまりに無体な仕打ちに、小さな妖精が、主を咎める様に叫ぶ。

しかし、そんなマベルや呆然とする佐助と三平達を完全に無視し、ライドウは手に持っているコートを処置台へと投げ出し、壁に叩き付けられ、呻いているダンテの傍へと歩み寄った。

 

「こ、この糞爺・・・・・うぐっ! 」

 

手加減等、一切無い一撃で、肋骨が何本かイカレてしまったらしい。

激痛に呻きながら立ち上がろうとするが、それよりライドウの方が早かった。

右足で、ダンテの左胸辺りを思い切り踏みつける。

再び、壁に叩き付けられ、銀髪の大男が苦痛の呻き声を洩らした。

 

(な、何だ? ビクともしねぇ?? )

 

基本能力が、人間と変わらないライドウと、悪魔の驚異的再生力と膂力を持つダンテなら、後者の方が圧倒的に有利な筈である。

にも拘わらず、ライドウの脆弱な力を跳ね飛ばす事が出来ない。

細い、右足一本だけで縫い留められ、ピクリとも動けないでいた。

 

「・・・・・”狩猟許可証”を出せ・・・装備している武器一式もな。」

「ぬかせ・・・糞爺・・・。」

 

踏み付けている脚が更に力を増す。

ギシギシと嫌な音を軋ませる肋骨。

苦痛で顔を歪ませるが、持ち前の胆力で何とか耐える。

 

「なら、二度と生意気な口が叩けない様にしてやるまでだ。」

 

蒼白い電流の蛇が、ライドウの右腕に纏い付く。

右腕に纏い付く電流の蛇は、更に光を増し、薄暗い病室内を真っ白に染めた。

 

「止めろ! 17代目!! 俺の大事な仕事場を滅茶苦茶にするつもりか! 」

 

三葉医師の怒鳴り声に、悪魔使いは漸く正気へと戻った。

電流の蛇が霧散し、辺りを包んでいた光が徐々に小さくなる。

辺りに舞い散る無数のカルテ。

床には、消毒液のボトルや体温計、包帯等が落ち、点滴棒が倒れている。

 

詰めていた息をゆっくりと吐き出し、ライドウが脚を降ろす。

壁に縫い留めていた枷が外れ、ダンテは大きく咳き込みながら、床へと蹲った。

 

「良いか! 患者はお前等だけじゃない! この診療所には、多くの怪我人や病人が運び込まれて来るんだ!喧嘩をしたけりゃ、何処か別の場所でやれ! 」

 

三葉医師の言う通り、この診療所は、毎日の様に怪我人が運び込まれて来る。

彼等を治療出来る施設は、此処しか無い。

国籍も無く、違法に住み着いている彼等を診てやれるのは、この診療所しか存在しないのだ。

 

「すみません。ご迷惑をおかけしました。」

 

ライドウは、無造作に処置台へと置かれているコートを拾い上げ、ポケットから札束が入った封筒を取り出し、眼帯の医師に手渡す。

この金は、八王子の本社を出る前に、念の為にと用意したモノであった。

 

「彼等の治療費です。壊した壁や床の修繕費は、後で支払います。」

 

闇医師に向かい、深々と頭を垂れる。

そこに上級市民特有の驕りは全くなく、深い悔恨故か、唇をグッと引き結んでいた。

 

「あ・・・・否・・・・これだけあれば十分だ。」

 

完全に毒気を抜かれた三葉医師が、狼狽(うろた)えた様子で、頭を下げるライドウを凝視する。

闇医師の少し離れた場所で、12・3歳ぐらいのナース服を着た少女が、倒れている点滴棒を起こしたり、散らばっているカルテや包帯等を拾い集めていた。

どうやら、この診療所のアシスタントらしい。

蒼白い顔をして、ライドウと三葉医師の様子を伺っていた。

 

 

 

数時間後、三葉診療所にいた部下を無理矢理、車に乗せ、成城にある葛葉邸へと引き上げる黒塗りの高級車。

その様子を検問所越しに、難民キャンプの責任者であるシフが腕を組んで眺めていた。

 

「ご苦労さん。 大変だったみたいだね? 」

 

見事な金の髪をした美女が、困った様子で禿頭を掻く初老の医師を面白そうに眺める。

 

「全く、キョウジの事で分かっちゃいたが・・・本当に、”クズノハ”の連中は、ロクでもねぇ。」

 

かつての悪友を想い出し、三葉医師は苦笑いを口元に浮かべる。

彼は、渋谷に来る前は、矢来銀座で裏社会の人間相手に、診療行為をしていた。

勿論、国には無許可である。

表向きは『ボクシングジム』という事にしておいて、”オーラ整体”で高額な治療費を請求し、荒稼ぎをしていた。

しかし、そんな犯罪行為が許される筈も無く、案の定、公安に目を付けられ、矢来銀座で仕事が出来なくなった。

そんな時に、不法就労者のリーダーだったシフに声を掛けられたのである。

 

「母様! 準備が出来ましたよ! 」

 

シフと闇医者の元に、16・7歳ぐらいの少年が駆け寄って来た。

シフの一人息子、ウルである。

母親譲りの美しい金の髪を短く刈り、人形の如く整った容姿に、アイスブルーの瞳をしていた。

 

背中に不釣り合いな大剣を背負った少年は、頭一つ分高い母親を見上げる。

 

「何処に行くんだ? 」

 

時刻は、まだ昼過ぎ。

悪魔が活動する時間帯には、未だ早すぎる。

 

「ちょっと気になる報告があってね・・・・あの”クズノハ”の坊や達が駆除した小鬼(ゴブリン)共の中に、上位悪魔が一体紛れていたらしいんだ。」

 

シフ曰く、センター街の奥にある商業ビルの地下で、上級悪魔の邪鬼・ラクシャーサが小鬼(ゴブリン)共と一緒に住み着いていた。

どうやら、ソイツが群のリーダー格だったらしい。

 

「馬鹿な・・・・渋谷に出現する悪魔(デーモン)共は、中級か下級ぐらいしかいない筈だぞ? 」

「だろ? アタシだって、此処に移り住んで10年以上になるが、上位悪魔の姿を見た事は一度も無いよ。」

 

三葉医師の言う通り、此処、渋谷に出現する悪魔は、下級か偶に中級の悪魔が実体化する程度だ。

これは、”シュバルツバース”から漏れ出る瘴気の濃度に関係し、渋谷は他の地区と比べて比較的薄いのだ。

 

「まさか・・・・・”奴等”が動き出しているのか? 」

「どーだろーね・・・・再調査してみない事には、何とも言えないよ。」

 

息子のウルから、装備一式が入ったバックパックを受け取り、背負う。

問題の商業ビルへと向かおうとするシフの背に、三葉医師が声を掛けた。

 

「あまり無茶をするなよ? 此処の奴等にとってお前だけが心の支えなんだ。」

 

そんな三葉医師の言葉に、シフは無言で右腕を上げる事で応える。

そして、息子と待機していた部下数名を引き連れて、センター街の奥へと姿を消した。

 

 

 

渋谷駅前付近と武蔵野市関前にある境浄水場付近を結ぶ道路。

通称「井之頭通り」と呼ばれる広い公道に、二人の少年の姿があった。

商業ビルでの一件後、騒ぎに乗じて行方を暗ましたネロと鋼牙である。

 

「何で、逃げる必要があったんだよ? 」

 

流石に大怪我を負ったダンテを、問題のビルに置き去りにしたまま、逃げ指したのを多少悔やんでいるらしい。

銀の髪をした少年が、18kgもある重機関銃を軽々と肩に担いでいる黒縁眼鏡の少年を胡乱気に眺める。

 

「第六感ってヤツかな? あのまま、残っていたらロクな目に合わない様な予感がしたのさ。」

 

不貞腐れるネロと違い、鋼牙は思わぬ収穫にホクホク顔だ。

商業ビルの小鬼(ゴブリン)討伐の報酬を貰えなかったのは、大分痛いが、それを上回る程の収入を手に入れられた。

今担いでいるXM806は、製造を中止になった言わば、幻の銃だ。

コイツをその手の店に売れば、良い金で買い取ってくれる。

 

「この先に、密造品を専門に取り扱っている店があるからね。 そこで、コイツを売れば優に三カ月分は、生活出来る。」

 

終点である武蔵野市には、米軍から横流しされた武器等を多数扱っている店がある。

表向きは、不動産なのだが、裏では闇社会の人間相手に、その横流しされた武器を販売しているのだ。

 

「・・・・・・。」

「どうしたの? ネロ。 」

 

そろそろ、武蔵野のアーケード街に到着する。

流石に、この物騒極まりない荷物を丸裸のまま持ち運ぶのは拙いので、鋼牙はバックパックから、小さく折りたためるエコバッグを取り出すと、その中にXM806をしまった。

 

「マベルの奴、置いてっちまった・・・・きっと、俺の事を心配してる。」

 

あの騒ぎで、御目付け役であるハイピクシーのマベルを置き去りにしてしまった。

彼女には、色々と助けて貰った事があるので、心苦しい。

 

「確かに・・・・でも、あの場合は仕方ないよ。 後で、彼女に謝ろう。」

 

ネロが何を言いたいのか、何となくだが分かる。

異国の地である日本で、一番、気を許せる存在は、あのハイピクシーだけだ。

一年前の戦争時でも、彼女が居たから耐えられる事もあった。

 

 

 

吉祥寺駅北口の商店街通り。

別名、「ハーモニカ横丁」と呼ばれる商店が立ち並ぶその通りに、一際、古い建物がある。

”丸瀬不動産”と書かれた看板があるその建物には、硝子壁に、様々な物件が紹介された紙が、隙間なく貼られていた。

 

「HSCか・・・・一体何処でこんなモノを手に入れたんだ? 」

 

オーナーである丸瀬の私室兼仕事場。

壁には、ハンドガンやピストル、ライフルにカービン等、様々な”商品”が飾られ、主である丸瀬の使っている黒檀のデスクには、客が持ち込んだ、ショットガンやM26手榴弾、スタングレネード等が置かれている。

 

「山谷の玉姫公園だ・・・。」

 

来客用のソファーに座った黒髪の青年が、陰気な声で応える。

病的なまでに白い肌には、タトゥーが彫り込まれており、この季節だというのに、ノースリーブのロングコートを着用している。

足元には、彼が使役しているらしい黒豹の悪魔が、呑気に寝そべっていた。

 

「ふん、成程・・・・確か、あそこは上位クラスの悪魔(デーモン)共の住処になっていたな? 良く無事で帰って来られたもんだ。」

 

山谷も渋谷同様、国連軍と悪魔の壮絶な死闘が繰り広げられた場所である。

今も、中級から上級の悪魔が我が物顔で徘徊しており、並みの狩人や盗掘家達も恐れて決して近寄ろうとはしない危険地帯であった。

 

「”山谷の用心棒”様々だぜ。 あの物好きが、上級悪魔共を勝手にぶっ殺して回ったお陰で、仕事がし易かったのさ。」

 

何時の間にそこにいたのか、デスクチェアに座る丸瀬の禿頭頭に、一匹の大鷲が止まっていた。

武器屋の主は、舌打ちし、大鷲を手で追い払う。

 

「おい、コイツは兄ちゃんの仲魔だろうが、ちゃんと躾してくれよ。」

 

ケタケタと大笑いする鷲型の悪魔を、丸瀬は忌々しそうに睨み付けた。

 

この悪魔召喚術師(デビルサマナー)の男― Vが、丸瀬の元に武器を売りつけに来るのは、何も今回が初めてではない。

一般の狩猟者や、警察機構が手を出せない危険地帯に潜り込んでは、そこで回収した戦利品を持ち込んで来る。

今では、すっかり馴染みになり、質の悪いグリフォンの悪戯にも多少ではあるが、耐性が付いていた。

 

「何時になったら、17代目・葛葉ライドウとコンタクトが取れるんだ? 」

 

今時珍しい、そろばんで珠を弾きながら見積もりをしている丸瀬に向かって、Vが言った。

 

「あぁ? またその話かよ。 うちは武器屋で仲介屋じゃねぇ。 あの化け物と話がしたけりゃ、矢来銀座にいる13代目の所に行きな。」

「彼とコンタクトが出来ないから、アンタにしてる・・・元自衛官、丸瀬陸曹長。」

 

昔の役職で呼ばれ、そろばんの珠を弾いていた指が止まった。

濃いサングラス越しの双眸が、鋭く尖る。

 

「今も、防衛省と太いパイプを持っているんだろ? でなきゃ、こんな所で堂々と米軍から横流しされた武器で商売は出来ないもんな? 」

 

何処か勝ち誇った様子で、Vはソファーの背凭れに身を預ける。

丸瀬は、一つ溜息を零すと、胸ポケットから愛用の煙草を取り出し、一本口に咥えた。

 

「誰から、その話を聞いたんだ? 」

「如月マリーという占い師だ。」

 

如月マリーは、矢来銀座を中心に活動しているやり手の情報屋である。

またその他に、仲介屋の顔も持っており、よく13代目・葛葉キョウジの所に悪魔絡みの仕事を持って来ていた。

 

「ち、あの糞婆ぁ・・・・余計な事を喋りやがって・・・。」

 

Vが言う通り、丸瀬は元陸上自衛隊の陸曹長を務める程の人物であった。

しかし、悪魔(デーモン)との戦いにより、怪我を負い、とても自衛官としての務めが果たせなくなった彼は、元々持っていたコネを使い、武器の密売人(ブローカー)となったのである。

 

「ふん・・・・仕方ない。 17代目に話しだけは通してやる。だがその代わり・・・。」

「分かってる。 アンタの素性は、誰にも話さないよ。」

 

これで無事に商談は成立だ。

Vは、満足気な笑みを口元へと刻む。

と、その時、デスクの上に置かれていた内線電話が鳴った。

 

 

 

東京都台東区北東部にあるニコレット・ゴールドスタインの店。

仕事場に敷かれたブルーシートの上には、何かの死骸から切り取って来たのか、巨大な肉塊が数個、無造作に置かれていた。

 

「慎重に斬り落とせよ? 臓物に傷が付いたら売り物にならねぇからな? 」

「分かってる。」

 

ゴム手袋をつけ、血塗れの防水エプロンを着たこの店の店主、ニコが、右手に持った皮剥ぎ包丁で、悪魔の腕らしき部位から、鱗を綺麗に剥がしていく。

そのすぐ後ろでは、明が胴体から切り取った臓物をラップで丁寧にくるみ、アイスボックスへと仕舞っていた。

 

正午過ぎ、学部活動の為、『聖エルミン学園』へと登校する八神・咲の付き添いを終えた明は、南千住を根城にしている難民キャンプから、悪魔討伐の依頼を受けた。

玉姫公園辺りを徘徊している妖獣・ベヒモスが、キャンプ付近まで出没し、食糧や資材を運んでいる仲間を襲っているとの事であった。

 

妖獣・ベヒモスは、その醜悪な見た目からは想像出来ないが、臓物は三大珍味の一つと数えられる程美味で、高級料理店等では、高値で売り買いされている。

その上、肉体を覆う殻は、魔具を造る時の素材となり、職人(ハンドヴェルガー)達からは、”生きる宝物庫”と呼ばれていた。

 

「うぇ、肉が動いてる・・・・こんな細切れにされても生きてるなんて、すげぇ生命力だな? 」

 

鱗を剥がした箇所の肉が、ピクピクと痙攣しているのを見て、ニコが思わず顔を引きつらせる。

素材を手に入れる為に、数え切れない程、悪魔を解体してきたが、流石にコレだけは慣れてくれない。

 

「ベヒモスは、生命力もそうだが、現物質を多く取り込んでいるお陰で、分子崩壊する事が無い。 しかし、生息している数が少ない上に、並みの狩人だけじゃ手に負えない程、狂暴らしいからな。」

 

ニコと同じく、肘まで覆うゴム手袋と防水エプロンを着けた明が、臓物周辺にある脂身を柳刃包丁で、一つ一つ丁寧に削ぎ落していく。

その脂身の一切れを、背後で作業しているニコへと差し出した。

 

「食うか? 」

「い、いらねぇよ! どっかの変態金持ち連中とは違うんだ! そんなモン死んでも喰わねぇよ! 」

 

皮剥ぎ包丁を右手に握り締めたニコが、顔を真っ赤にして怒鳴る。

 

明が、妖獣・ベヒモスを持ち込んでくれたお陰で、とんでもない高額な臨時収入を得られたのは大いに感謝するが、流石に、珍味とはいえ、悪魔の肉に手を出す程、ひもじい思いはしていない。

ブツブツと文句を垂れながら、解体作業に没頭していく。

 

「そーいや、鋼牙と新入りの餓鬼の姿がねぇけど、アイツ等どうしたんだ? 」

 

新入りの餓鬼とは、当然、ネロの事だ。

万年人手不足の自称『探偵事務所』だから、必ずネロを調査員の一員として鋼牙がスカウトするのは間違いない。

 

「渋谷で買い物してから、キャンプで資金調達するらしい。 ついでにエナジー協会で、集めたマグネタイトを換金するとも言っていたな。」

「ふーん、そんなに金を搔き集めなきゃなんねぇのか? 探偵って職業は? 」

「実績が欲しいんだ・・・・ちゃんと活動しているという”結果”を残さないと、組織に不要と判断される・・・・そうなったら、あの事務所は強制的に取り上げられちまう。」

 

どんな下らない仕事でも、『結果』を残さなければ、組織から容赦なく切り捨てられる。

『葛葉探偵事務所』は、鋼牙にとって大事な居場所だ。

所長である13代目・葛葉キョウジとの思い出が沢山詰まった宝物を無くさないよう、死に物狂いで、頑張っている。

 

「はぁ・・・・のほほんとしている割に、結構、考えてるんだなぁ。」

 

ニコが、関節部に包丁ヤスリを突き刺し、梃子の要領で、殻を剥ぎ取る。

ミチミチと神経線維が千切れる嫌な音と共に、血塗れの上腕部の殻が外れた。

女店主は、大き目の膿盆に殻を重ねて積み上げると、作業場にある流しへと持って行く。

 

「ふう、お前のお陰で何とか終わったな・・・・内臓と肉は、師匠(せんせい)の所に持って行こう。 」

 

『エルミン学園』の薬学部担当顧問であるトロルの所へ持って行けば、すぐに腸詰めに加工してくれる。

それと、先程、明がクーラーボックスに入れた肝臓や心臓、削ぎ落した脂身等を『ビーシンフル号』のメイド長であるメアリーの元へ持って行けば、高値で買い取ってくれるのだ。

 

明が、解体した肉片を冷蔵庫へと仕舞い、血塗れのブルーシートを感染物等を捨てるポリバケツへと捨てる。

血の匂いで、低級悪魔達が寄って来ない様に、聖水を捲き、デッキブラシで綺麗に汚れを落として行く。

その傍らでは、作業場にある水場で、ニコが専用のたわしを使って、剥ぎ取った殻を水道水で綺麗に洗い流していた。

 

「夕飯は、勿論ウチで喰って行くんだよな? 」

 

背後で汚れたデッキブラシをバケツで洗っている明に向かって、ニコが何かを期待したニヤケ面で振り向いた。

長い作業のせいで、時刻は既に夕方の6時を過ぎている。

料理上手なイケメンがいてくれて、本当に大助かりだ。

 

「ああ、もうそんな時間か・・・・・悪いけど、車出してくんね? 」

「はぁ? 何で? 」

 

壁に飾られている大きな木製の掛け時計を見上げる明に、ニコが胡乱気に応える。

 

「護衛対象を迎えに行かなきゃいけないんだよ。」

「護衛対象・・・・? 」

 

明の意味あり気な言葉に、ニコは眉根を寄せた。

 

 

 

数時間後、『聖エルミン学園』地下、”特殊学科実技施設”。

人工知能『アメトリフネ』によって、24時間、365日、完全に環境を管理されたこの地下施設では、まるでイギリスにあるエディンバラ城を彷彿とされる白亜の城が聳え立っている。

その眼下では、地下施設に住む住民達の家が、円形状に広がっていた。

 

 

「ベヒモスの腸詰めだ・・・・血もたっぷり入れてる。」

 

ニコの目の前に、暖かい湯気が立つ大皿が置かれた。

中には、トロル特性のベヒモスの肉をふんだんに使用した真っ赤なソーセージが乗っていた。

 

此処は、薬学部・顧問、トロルの工房兼私室のダイニングルーム。

品の良い食器棚には、硝子のコップや皿などが規則正しく収納され、窓からはトロル達、亜人が住む街が一望出来る。

6人掛けのテーブルには、チェック柄のテーブルクロスが敷かれ、カマンベールチーズやプロセスチーズ、珍しい青カビタイプのゴルゴンゾーラ等が入った皿の他に、焼き立てのパンが詰まった籠が置かれていた。

 

「それと今朝方、アスピドケロンの肉も手に入ったからな・・・・この時期は、東京湾沖で良く漁(と)れるらしい。」

「凄い・・・美味しそう。」

 

怪魚のアルミホイール蒸しを見た日下・摩津理が、目を輝かせて呟いた。

食欲をそそる魚の匂いに、空っぽの胃が空腹を訴える。

普段、見る事が出来ない豪華な食事に、無邪気に喜ぶ女子学生二人組。

その真向いでは、眼鏡の女店主が、顔を真っ青にさせて、人外の料理を眺めていた。

 

「どうした?ニコレット・・・・腹でも壊したか? 」

「ち、違う! 分かっている癖に、本当に性格が悪いな!アンタ!! 」

 

意地悪な師の問い掛けに、ニコが歯を剥き出しにして怒りを露わにした。

 

「護衛対象を迎えに行く。」という明の言葉に、普段から食生活や仕事で借りがありまくるニコは、当然、車を出した。

しかし、それが不幸の始まりだった。

丁度、夕食時という事もあり、またニコ達が腸詰めにして貰おうと昼間狩猟したベヒモスの臓物と肉を大量に持って来た為、トロルが手料理を振舞うと言い出したのだ。

 

「何時まで、昔の事を根に持つ・・・・過ぎた事は綺麗に忘れ去るのがお前等人間の特技だろ。」

「う、煩い! アンタにあの時の苦しみは永遠分からねぇだろうがぁ! 」

 

弟子をからかう師匠に対し、ニコは、目の端に涙を溜めてギャンギャン吠え捲る。

 

「い、一体、ニコレット先輩は、何であんなに怒っているんですか? 」

 

えぐえぐと泣きながら、硬いチーズを齧るニコを眺める、八神・咲が不思議そうに首を傾げる。

 

「ニコは、昔、トロルと一緒に”シュバルツバース”に潜った事があるんだ・・・その時にちょっとした事件があったらしい。」

 

ニコが『聖エルミン学園』に特待生として入学した時、その優秀さを買われ、弱冠16歳で、”シュバルツバース”調査隊の一員に選ばれた。

”役職持ち”は、成人すると従軍し、悪魔と戦闘が行われている地区に派遣されるのが、魔導師ギルドの規則になっている。

しかし、当時のニコは、いくら職人としての優れた技術があるとはいえ、年端もいかない子供であった。

当然、師であるトロルは猛反対したが、当の本人は、未知なる鉱物や魔道具を手に入れるチャンスと俄然、やる気に燃えていたのである。

しかし・・・・。

 

「非常食にと、アーヴァンクの干し肉を渡したら、見事にそれに当たっちまってな、食中毒を起こして、救急病院に強制搬送されたんだ。」

 

明は、アスピドケロンの肉が入ったクリームシチューをスプーンで口に運びつつ、摩津理と咲にそう説明した。

 

不幸にも、ニコは一度も”シュバルツバース”の地を踏む事無く、負傷兵扱いとなって病院に収容された。

以来、ニコは、食用の魔物の肉を一口食べただけで、過去の悪夢が蘇り、嘔吐や下痢等の拒絶反応が出る体質になってしまったのである。

 

「な、何だか可哀想だね・・・。」

 

「アタシのロマンがぁ~、夢がぁ~。」と大泣きしながら、赤ワインをガブガブ飲む女職人を、摩津理が大分引き気味に眺める。

 

「師匠(せんせい)、”シュバルツバース”って、どんな所なんですか? 噂だと滅茶苦茶怖い所としか聞かないんですけど。」

 

余程、”シュバルツバース”に対して未練があるのか、泥酔し、見えない誰かに夢を語り出したニコの姿を見て、咲が疑問に思った事を隣に座っているトロルにぶつけてみた。

 

東京都生まれの都心育ちである咲にとって、東京湾全体を包む巨大な壁は、恐怖の対象であり、未知の世界だ。

同じ特殊学科の学生達は、悪魔が跳梁跋扈する地獄の世界だと言うのが殆どであるが、ニコの様に、希少な鉱石や魔具等を発見出来る夢の世界だと表現する者もいる。

 

「お前達人間が言うところの”ロマン”だな・・・・でも、俺に言わせると、あそこは”罪”の掃きだめだ。」

「・・・・? どういう意味? 」

 

トロルの言葉に、ベヒモスの腸詰めを一口齧った摩津理が、首を傾げる。

 

「人間は、生まれながらにして八つの大罪を背負っている・・・・貧食、淫蕩、強欲、悲嘆、憤怒、怠惰、虚栄心、傲慢・・・・それを体現した世界があそこにある。つまらぬ憧れで行くべき場所じゃない。」

「・・・・・。」

 

何かを想い出しているのか、小山の如く巨大な体躯をした男の表情は、常になく暗い。

それを敏感に感じ取ったのか、咲と摩津理の二人は押し黙り、その真向いに座る明は、無言で、食事を口に運んでいた。

 

 

 

”シュバルツバース”内、”セクター・デルファイナス”。

 

 

「いかん!悪魔のスキルが高すぎる! 一時撤退するぞ! 」

 

対悪魔用特殊スーツ、”デモニカ・スーツ”を装着したゴア隊長が、同じスーツを着た一団に指示を出す。

標準装備されているM41Aパルスライフルを構えた兵士達は、退路を確保しようと悪魔の群に速射するが、いかせん数が多すぎる。

対処しきれず、悪戯に被害が増えるばかりであった。

 

「駄目です! このままじゃ!!! 」

 

兵士の一人が、恐怖の余り悲鳴を上げる。

と、そんな彼等の傍らを一陣の突風が吹き抜けた。

バラバラに引き裂かれる怪物の群。

窮地に陥った調査隊の前に、金色に髪を染めた濃いサングラスの男が現れる。

 

「隊長はーん、此処はワイ等に任せてもらおかぁ。」

 

気だるげに柄に阿修羅と文字が刻まれた木刀で、肩を叩いているのは、四神の一人、玄武だ。

重武装する一団の中で、素肌の上に黒のファーコートを纏い、レザーパンツという奇抜な恰好をしていた。

 

「さ、三代目剣聖殿・・・・し、しかし17代目が・・・・。」

 

玄武の登場は、天の助けとも呼べる存在でもあるが、ゴア隊長は素直に喜べないでいた。

何故なら、玄武のすぐ傍らに、肩で息をし、疲労困憊な17代目・葛葉ライドウの姿があったからだ。

 

此処、セクター・デルファイナスに到着直後、高スキルの悪魔に襲撃され続け、ライドウは、ゴアの部下達を護る為に、大分無理を強いられていた。

幾ら、番の玄武がいるとはいえ、魔法の多重発動の連発は、躰に相当な負荷がかかる。

これ以上、彼に負担はかけられない。

 

「大丈夫だ・・・・アトキンス大佐・・・貴方達が無事”レッドスプライト号”に引き上げられる時間ぐらい稼げる。」

 

苦しい息を吐き出しながら、ライドウは、手に持った真紅の魔槍”ゲイボルグ”を構える。

革の肩当に、柔軟性と耐久性に優れた特殊素材の胸当て。

数本のクナイが収まった革のベルトに、赤い腰布と鉄の手甲を両腕に装備している。

真紅の呪術帯で、左眼と口元を覆い、唯一覗く右眼は、鋭く悪魔の群を見据えていた。

 

「し、しかし・・・・! 」

「ゴチャゴチャ煩いわ、オドレらがどんだけお荷物か分からんのかい。」

 

傍若無人な玄武の物言いに、ゴアは思わず口を紡ぐ。

 

確かに、玄武の言う通りであった。

彼等調査隊を護衛する為に、玄武とライドウの両名は、相当な無理を強いられている。

此処まで来るのに、この程度の被害で済んでいられるのは、全て彼等二人のお陰だと言えた。

 

ゴアは、己の不甲斐なさに唇を噛み締める。

各国から集めた特Aクラスの実力を持つ、優れた調査隊達。

しかし、そんな彼等でも、ギガント級の巨体を誇る怪物や、上級悪魔の群の前では、余りにも無力に等しい。

葛葉四家当主、17代目・葛葉ライドウと四神の一人、玄武の守護無くては、このデルファイナスでは、満足に調査すら出来ないのだ。

 

ライドウと玄武の鬼気に圧され、魔物達が一歩下がる。

そんな怪物達に、皮肉な笑みを浮かべた金髪の男は、ファーコートのポケットから、愛用の煙草を取り出し、1本口に咥えた。

 

「さーて、ほないこかぁ? 」

「ああっ・・・・。」

 

ライターで煙草に火を点けた玄武が、まるでこの近くで用を足すかの様な気易さで、すぐ傍らにいる悪魔使いに声を掛ける。

そんな番に、ライドウは右手に持つ真紅の魔槍”ゲイボルグ”を構え、応えるのであった。

 

 

数分後、ゴア隊長率いる”レッドスプライト号”の調査隊達は、誰一人欠ける事無く無事、帰還する事に成功した。

搭乗ハッチから『箱舟』へと乗り込む隊員達を見守るゴア。

その最後尾には、血塗れのライドウを抱きかかえる玄武の姿があった。

 

「剣聖殿・・・・17代目は・・・・・? 」

 

静まり返る降車デッキ内。

周辺には、バケツ型のヘルメットを被った調査員達が、喋る気力すらないまま、それぞれの持ち場へと戻っていく。

 

「安心せい、全部、化け物共の返り血や。」

 

心配そうに血塗れたライドウの姿を見つめるゴアに、玄武が面倒臭そうに応える。

 

玄武の言う通り、番の腕の中で気を失っているライドウの躰に、目立った外傷は一つも無かった。

革の肩当や胸当て、両腕に装備された鉄の手甲は、悪魔達の血で真っ赤に染まり、悲惨な状態になっている。

それでも、気絶した番に傷一つ負わせず、此処まで無事に戻って来た玄武の力量に、ゴアは寒気を感じずにはいられなかった。

 

「悪いが、部屋に籠もらせて貰うで? コイツに活力やらんとイカンからな? 」

「あっ? ああ・・・・。」

 

玄武の「活力」という言葉に、ゴアは僅かに狼狽える。

 

”活力”とは、勿論、魔力供給の事である。

房中術の間は、決して誰も近づけるなという意味だ。

 

戦艦の艦長兼、調査隊総責任者、ゴア・アトキンスは、小柄な悪魔使いを抱きかかえ自分達の私室へと向かう玄武の姿を無言で見送っていた。

 

 

東京湾を中心に突如姿を現した次元の裂け目・・・・・”シュバルツバース”。

観測器による様々な調査の結果、『次元の多重構造』により成り立っている事が分かった。

簡単に例えるならば、串団子みたいなモノである。

各階層・・・・『セクター』が団子なら、それを繋ぐ串が『量子トンネル』という訳なのである。

”シュバルツバース”を閉じるには、その中心部にあるセクターを調査しなければならない。

しかし、未確認の悪魔達が、彼等の行く手を阻み、思う様に調査活動が進んでいないのが、現状であった。

 

 

「ちっ、意識の無い奴を抱いてもつまらんのやがなぁ・・・。」

 

艦内であてがわれている私室へと気絶した悪魔使いを運んだ玄武は、乱暴な口調とは裏腹に、優しくベッドへと寝かせる。

返り血が、シーツを汚すが、それに構う暇は無い。

魔力を大量に失い、肌は、死人の如く蒼白くなっている。

体温も驚く程、低下し、脈も弱い。

一刻も早く、魔力を与えてやらねば、命に関わる。

 

ファーコートを椅子に引っ掛け、ライドウの身に着けている防具を外す。

アンダーシャツを脱がせると、傷だらけの上半身が露わになった。

これら全て、悪魔との長い戦いによって負った傷だ。

玄武は、節くれだった指先で、白い肌に醜く残る傷跡をゆっくりと辿る。

 

「こんだけやられても、オドレは何も学ばんのか・・・。」

 

サングラスを外したその双眸は、何処か哀し気な光を宿していた。

 

 

1か月後、東京湾アクアライン。

本来、神奈川県川崎市から東京湾を横断し、千葉県木更津市へ至る巨大な高速道路であった。

しかし、”シュバルツバース”の発生に伴い、アクアラインも崩壊。

現在は、改修工事が為され、東京国際コンテナターミナルへと繋がっている。

重い音を響かせ、巨大な扉が開く。

途端に湧き上がる歓声。

命を懸け、無事調査を終えた隊員達をその家族が迎える。

多くの人々が、家族の無事な帰りを喜ぶ中、一人の少年が、憔悴しきった表情で、蒼く澄み渡る冬の空を見上げた。

 

セクター・デルファイナスから、無事に帰還した葛葉ライドウである。

病人の如く、肌は蒼白く、疲れが全く取れていないのか、目に真っ黒なクマが出来ていた。

 

「はぁ・・・・12月ももう終わりか・・・。」

 

仰ぎ見ていた視線を前へと戻す。

すると、視界の端に5歳ぐらいの男の子を抱き上げる、男性調査員の姿が映った。

その隣では、1歳ぐらいの女児を抱っこしている30前後の女性がいる。

恐らく、男性隊員の妻だろう。

目の端に涙を溜め、夫の無事な帰りを素直に喜んでいた。

 

「・・・・・。」

 

無言で、一家団欒の姿を見守るライドウ。

もし、自分も彼の様な普通の人間だったら、あんな風に暖かく迎え入れてくれる家族が出来たのかもしれない。

そんな虚しい想いを噛み締めている時であった。

突き刺す様な殺気を感じ、恐る恐る背後を振り返る。

するとそこには、大型バイクに腰掛ける銀髪の大男が、無言で此方を睨みつけていた。

代理番のダンテだ。

何時もの赤い長外套(ロングコート)ではなく、黒い革のジャケットにチェックのシャツ。

首元にはカシミヤのマフラーを無造作に掛け、ビンテージジーンズに革のブーツを履いていた。

 

(ヤバイ・・・・殺される・・・・。)

 

ダンテが怒り心頭なのは、一目瞭然だ。

腕を組み、まるで射殺さんばかりに、悪魔使いを睨みつけている。

 

「よっ、よう・・・只今。」

 

知らない振りをして逃げてしまおうと思ったが、地獄の果てまで追い掛けそうな雰囲気のダンテを無視する訳にもいかず、当たり障りのない挨拶で誤魔化そう作戦に出た。

 

「ひでぇ、恰好だな? 全然、似合ってねぇぜ? 」

「え・・・・そうかぁ? 」

 

ダンテに指摘され、ライドウは改めて己の恰好を見下ろす。

サイズの全く合っていないドイツ軍支給のレザーフライトジャケットに、特殊繊維の生地で造られたズボン。

脚には、呪式が刻まれた具足を装備し、血と泥で汚れたブーツを履いていた。

今、着ているだぶだぶのジャケットは、デルファイナスで共に調査をした”ギガンティック”号のクルーから貰ったモノである。

 

「デビッドっていう、気の良いアメリカ人から貰ったんだ。 外は、物凄い寒波だから、お嬢ちゃんが風邪を引いちゃ可哀想だからやるよって・・・それと、何か飴玉とか沢山くれた。」

 

ホラっと言って、ポケットからカラフルな包装紙に包まれた飴玉をダンテに見せる。

その包装紙に書かれている文字を見た途端、ダンテが呆れた様子で、眉間に指を当てた。

 

「そりゃ、ラブポーションっていう、大人の玩具だ。」

「ラブポーション? 」

「簡単に説明すると、媚薬入りのキャンディーだな。 アンタ、そのデビッドって野郎にからかわれているんだよ。」

 

ラブポーションというのは、性ホルモン剤入りの媚薬キャンディーで、ポルノショップ等で良く売られている。

ダンテが駆け出しの便利屋をしていた時、プールバーで働いている女性と、遊び半分でその媚薬入りキャンディーを舐めては事に及んでいた。

 

「へぇ・・・・アダルトグッズってのは、こんなお菓子まで売ってるんだな。」

 

ライドウは、取り出したキャンディーをポケットに仕舞うと、改めて目の前の大男を見上げる。

 

渋谷のセンター街での一件から、まだ五日しか経っていない。

しかし、それはあくまで壁内での時間であり、壁外では時間軸が大幅に違う。

外では、1か月以上も経過しており、あれ程長かったダンテの髪も短くなり、顎には無精ひげが生えていた。

その顎へと、乾燥し、傷でボロボロになった右手を伸ばす。

指先に伝わる髭の感触。

ダンテが、主の手を取り、手の甲に唇を寄せた。

 

「まさかとは思うが・・・・アンタ、そのキャンディー喰ったのか? 」

「うん、甘くて美味しかった。」

「はぁ・・・・全く・・・。」

 

ライドウから、微かに漂う甘い匂いに、銀髪の大男は、盛大な溜息を吐き出す。

センター街での一件を、根に持っていないと言えば嘘になる。

こうして、態々、主を迎えに来たのは、理不尽な真似をされた事に対し、嫌味の一つでも言ってやろうと思ったからだ。

しかし、調査隊員の悪戯にまんまとハマリ、無様な醜態を晒すライドウを見て、腹腔に溜まっていた怒りは、完全に消えてしまった。

 

大分薬が効いているのか、酔った様に目元がほんのり紅いライドウを抱き寄せる。

一か月振りに嗅ぐ、主の体臭。

苛立っていた気持ちが不思議と消え去り、愛おしさだけが込み上げる。

 

「お帰り・・・・爺さん。」

「マスターだって言ってんだろ・・・・。」

 

お互いに悪態を吐き合いつつ、ライドウは逞しい男の胸元へと顔を埋めた。

 




レグちゃん可愛いです。


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第七話 『 かさぎ荘 』

登場人物紹介

日下・摩津理・・・・『聖エルミン学園』特殊学科に通う高等部2年生。
”薬学部”を専攻しており、成り行き上で部長を務めている。
10歳歳が離れた妹のヒマリがいる。



東京港の近くにある東京都矢来銀座一丁目。

外国人居留地が置かれるこの街は、一世紀以上も前に建てられた古い商業ビルや店舗等が立ち並び、ちょっとした観光スポットになっていた。

『葛葉探偵事務所』は、そんな古い街並みにあるビルの3階にある。

 

「ふーん、悪魔・・・・ねぇ。」

 

探偵事務所、所長代理である壬生・鋼牙は、幼馴染みであり、探偵事務所に所属する調査員、遠野・明の報告を聞いて、座っている革張りのデスクチェアの背凭れに身を預けた。

 

「トロルの奴にも伝えてある。 教え子の八神には、式神を一体付けて監視させるそうだ。」

 

頑丈な樫の木のデスクへと腰を下ろした明が、護衛任務の途中報告を伝える。

 

昨日、『聖エルミン学園』地下にある『特殊学科実技施設』にて、薬学部に所属する八神・咲をニコレット・ゴールドスタインと共に迎えに行った明は、顧問であるトロルに、咲が現在置かれている状況を説明した。

大事な教え子の危険な状況を知ったトロルは、式神として風の精霊(エレメンタル)、シルフェを護衛兼監視役として、咲と契約させたのである。

 

「取り敢えず、奴等が動き出している様子はねぇ・・・・まだ、安心するのは早いが。」

 

明が言う”奴等”とは、今現在、学生達で噂になっている『魔神皇』の事である。

SNSにある掲示板、『エルバの民』に憎い相手の名前を書くと、『魔神皇』が願いを聞き届け、呪殺してくれるのだという。

 

時刻は、月曜の午前7時丁度。

二人共、これから『エルミン学園』に通学する為、制服姿である。

 

 

「仕事の話は、これぐらいにして天鳥町に行こうぜ・・・遅刻すると風紀委員共がうるせぇ。」

 

明は、デスクの上に置かれているバイクのヘルメットを手に取ると、出入り口へと向かおうとする。

 

「あ、ちょっと待って・・・・そろそろ、彼が来る時間だ。」

「彼・・・・・? 」

 

鋼牙に呼び止められ、明が未だデスクチェアに座っている鋼牙の方を振り返ったその時であった。

事務所の出入り口であるスチール製のドアが開き、中から、小さな妖精を頭に乗せた銀髪の少年が現れる。

昨日、鋼牙と一緒に開発区域である渋谷に行った、ネロである。

明と鋼牙の二人と同じく、『聖エルミン学園』の制服を着用していた。

 

「悪ぃ、遅れた。」

 

3階にある『葛葉探偵事務所』まで、走って来たのだろう。

僅かではあるが、息を乱していた。

 

「ううん、丁度良かったよ。 そんじゃ、学校に行こうか。」

 

戸口の前に立つ、明と互いに視線を合わせているネロに向かって、鋼牙が座っているデスクチェアから立ち上がった。

 

 

東京港第三航路に建設された人工島― 天鳥町。

アミューズメントパークや各種商業施設。

ショッピングモールやタワーマンションが立ち並ぶこの人工の島は、コンピューター『アメトリフネ』により完全管理されており、街を走るモノレールやバスは、ほぼ無人で運行されている。

又、市民達も個人IDが設定されており、市によって支給されているリストバンドによって、体調管理が為されており、何か不測の事態が発生すれば、直ぐに対応出来るシステムになっていた。

正に、未来のモデル都市なのである。

 

 

『聖エルミン学園』高等部がある建物の空き教室。

 

「それで・・・・”狩猟許可証”を17代目に取られちゃった訳か。」

 

午前の授業が終了した鋼牙達は、昼食を採る為に、三人で集まっていた。

カフェオレのパックを片手に、ストローを口に咥えたネロが不満そうに頷く。

 

「ひでぇよ・・・・俺は何も悪い事してねぇのに・・・。」

 

一般市民から悪魔の脅威を護るのが、『悪魔狩人(ハンター)』の本分である。

なのに、ライドウは、「子供は、学業が仕事だ。」と勝手に決めつけ、ネロの言い分を全く聞かず、『狩猟許可証』とフォルトゥナから持ち込んだ武器一式を取り上げてしまったのだ。

 

「当たり前じゃない。 ライドウは、アンタに普通の生活を送らせたい為に養子として迎え入れたのよ。 少しは感謝しなさいよね。」

 

ネロの頭の上に胡坐をかいて座っている小さな妖精が、頬を膨らませて銀髪の少年を睨み付ける。

 

彼女の言う通り、ライドウが養子としてネロを日本へと招き入れなかったら、未だ隣国”ディヴァイド共和国”に監視されたまま、窮屈な生活を強いられていただろう。

否、もしかしたら、魔導師ギルドが管轄する研究機関に囚われ、生きたまま解剖されていたかもしれない。

”ソロモン12柱”の魔神をその身に宿し、霜の巨神・ヨトゥンヘルムと伝説の魔剣士・スパーダの血を引く彼は、ギルドにとって格好の研究素体だ。

 

「感謝ね・・・・・相も変わらず家族ごっこが好きなんだな? 」

「明・・・。」

 

両脚を机に投げ出し、スマートフォンを弄る明に、右手に食べかけの焼きそばパンを持つ鋼牙が窘めた。

 

「あんまりあの人を信用しない方が良いぜ。 あの人の吐き出す言葉は、意味が全くない言葉の羅列だ。」

「どういう意味だよ。 」

 

ネロは、少し離れた席に座る明を、鋭く睨む。

いくら理不尽な真似をされたからとはいえ、ライドウは、義理の父、クレドの親友であり、義理姉、キリエを失い孤独となった自分を快く受け入れてくれた恩人である。

SS級の悪魔召喚術師(デビルサマナー)であり、天使の如く美しく、厳しいが思いやり溢れる素晴らしい人物だ。

 

「俺も、お前と同じだったからさ・・・・物心ついた時から、獣と同じ扱いを受けて来た・・・・人間以下の生活を強いられ、死人の山の中で生きて来た。」

 

遠い記憶が蘇る。

鼻を突く消炎の香りと、吐き気を催す死体袋の匂い。

自分と同じ様に両親を失った子供達が、人殺しの技術を無理矢理叩き込まれる。

 

「あの人が俺の前に現れなかったら、こうして人並みの生活なんて送れなかったかもな・・・その点に関してだけは、多少感謝はしている・・・・だけどよ。」

 

スマートフォンの画面から視線を外し、窓際の席に座るネロを見据える。

暗く、感情が全くない瞳。

ネロの背を例える事が叶わぬ、寒気が走る。

 

「人心を掌握し、ボロボロになるまで利用し、捨てる・・・・あの人は、それが平然と出来る人種なんだ。」

 

弄っていたスマートフォンを尻のポケットへと仕舞い、座っていた席から立ち上がる。

そして、困った様子で双方を眺めている鋼牙に、「対象者に会いに行く。」とだけ伝え、空き教室から出て行こうとした。

 

「おい、待てよ! 」

 

教室の引き戸に手を掛ける明の大きな背に、ネロの苛立った声が掛けられた。

唇を引き結び、腹腔から湧き出る怒りを必死に抑えている。

 

「お前、ライドウさんの何なんだよ! あの人の何を知っているってんだ!? 」

 

心の奥底に抱く疑問。

まるでライドウの事を全て知っているかの様な明の口調が、無性に気に喰わない。

コイツは、自分の知らない17代目・葛葉ライドウの裏の顔を知っている。

 

「お前と同じ・・・・拾われた野良犬だ。」

「何? 」

 

それだけネロに伝えると、明は呼び止める間もなく、教室から出て行った。

 

 

 

東京都港区六本木6丁目にある複合商業施設。

かつて『六本木ヒルズ』と呼ばれた超高層ビルは、10数年前に起こった”第二次関東大震災”により倒壊。

そして、数年後、復興作業が滞りなく進み、新たな商業施設として生まれ変わった。

 

 

「・・・・・っ、糞・・・・っ! 」

 

その超高層複合施設に入っている事務所の一室。

壁には4K液晶テレビが設置され、ニュース番組が流れている。

全面ガラス張りの広い室内。

バーカウンターの様な、横一列の長い席の一つに、少々体格がいい、一人の青年が、ノート型PCを前に、頭を抱えて座っていた。

 

「どーしたのぉ? 横内君。 何か困った事でもあったの? 」

 

突然、頭上から声を掛けられ、黒の丸いフレームの眼鏡を掛けた青年が、顔を上げる。

見ると、自分よりも幾分年下と思われる髪をブラウン色に染めた少女が、ニコニコと歳相応の笑顔を浮かべて此方を眺めていた。

 

「・・・・・困った事態になった・・・標的を確保したいんだが、邪魔者が現れて上手く行かないんだ。」

 

20代半ばぐらいと思われる青年・・・・横内・健太は、カウンターに寄り掛かっている16歳ぐらいの少女に向って、悔しそうに唇を噛み締めた。

そんな横内に対し、茶髪の少女― 白川由美は、彼の前に置かれた最新式のノートPCを覗き込む。

液晶画面内では、横内が所持している悪魔― 悪霊・デス・シザーズ数体がロストしている事が分かった。

 

「その邪魔者って、誰だか分かる? 」

「ああ、仲魔の視覚映像を使って、都の顔認証システムにハッキングしてみた。」

 

横内は、慣れた手付きでキーボードを操作し、由美に検索結果を見せる。

検索結果を見た茶髪の少女は、思わず口笛を吹いていた。

 

「”山谷の用心棒”じゃない。DCで超が付く程の有名人よ。」

 

DCとは、デーモンコロシアムと呼ばれる巷で人気の動画投稿サイトである。

下級から中級クラスの悪魔を狩って、その狩猟シーンを動画に収めて投稿し、再生回数で料金を得る事が出来る。

又、投稿した動画を販売し、それで収入を得ている輩もいた。

”山谷の用心棒”こと、遠野・明は、その動画サイトでは人気のプレイヤーであり、上野辺りで屯(たむろ)している不良グループ”スペクターズ”とつるんでは、悪魔を狩猟した動画を投稿、又は販売して法外な金を得ていた。

 

「確か、噂じゃ”クズノハ”に所属しているらしいわね。」

「・・・・っ! それは本当なのか? 」

 

由美の口から『クズノハ』という言葉を聞いた瞬間、横内の体内から血が一斉に引いていくのが分かった。

 

”クズノハ”とは、日本政府が持つ対悪魔専門の巨大組織である。

噂では、要人暗殺も請け負っていると聞いていた。

 

「拙いな・・・・僕達の存在が、日本政府に知られている可能性がある。」

 

蒼白い顔で、明の経歴が表示されている液晶画面に視線を落とす。

 

由美の口から、超国家機関『クズノハ』の名前が出た瞬間、横内の脳内で最悪なシナリオが組み上がり始めていた。

あれだけ、世間の注目を浴びない様に慎重に行動していたのに、一体何処で間違えてしまったのだろうか。

 

「なーに、ビビってんのよ? 良いじゃない、”クズノハ”に目を付けられたって。」

「正気で言っているのか? 」

 

カラカラと笑う少女を横内は、鋭く睨む。

幾ら召喚術師の能力(ちから)があるとて、自分達『組織』は、素人が集まった烏合の衆に過ぎない。

”クズノハ”の様な、プロの殺し屋集団と渡り合える筈がないのだ。

 

「偉出夫が言った言葉を忘れたの? どんな手段を使っても、必ず”八神・咲”を仲間に引き入れる事・・・・ってね。」

「し、しかし・・・・相手は”クズノハ”なんだぞ? 」

「大丈夫だって、私達のバックに誰がいるか忘れたの? 」

「・・・・・。」

 

由美の何処か勝ち誇ったその顔を横目で睨みつつ、横内は、押し黙ってしまう。

彼女の言う通り、自分達のリーダーである狭間・偉出夫には、政財界の大物や議員、果ては、各国に名を連ねる政治家や富豪等のパトロンが大勢いる。

一体どんな手段を使って、それらパトロンを手に入れて来たのか、皆目見当がつかない。

しかし、狭間・偉出夫という人物は、人心を掌握する術に長けている。

彼の持つ、異様なカリスマ性なら、どんな人物であろうと虜にしてしまうだろう。

 

「でも、確かに横内君一人だけじゃ無理そうね・・・・私が手伝ってあげても良いけどどうする? 」

「君が・・・・? ”ゼブラ”の件で忙しいんじゃないのか? 」

「大丈夫よ、殆ど”チャーリー”一人で動いているんだもの・・・・手持ち無沙汰でつまんないし、それに、横内君の仕事の方が面白そうじゃない? 」

 

新しい悪戯を思いついた幼子の様に、邪気の無い由美の笑顔に、横内は思わず毒気を抜かれてしまう。

確かに、SS級の召喚術師である彼女の助力があれば、『クズノハ』の人間を排除し、八神・咲を此方側に引っ張って来るのも容易い。

暫くの逡巡後、横内は諦めたが如く、了承の意を唱えた。

 

 

 

 

矢来銀座、『葛葉探偵事務所』。

学校の授業が終了したネロは、鋼牙に誘われ、再び、探偵事務所へ訪れていた。

因みに、明とは、昼の休憩時に気まずい空気を残したまま、別れている。

 

「御免、君の”狩猟許可証”が没収されたのは、僕に原因がある。」

 

事務所に着いた早々、鋼牙はネロに詫びると、デスクの引き出しから一枚のIDカードを取り出した。

 

「所長の知り合いのハッカーから貰った偽造IDだ。 これを使えば、普段は入れない禁止エリアの通行が可能になる。」

「ちょっ、ちょっと! それって完全な規律違反じゃない! 」

 

平然とネロに偽造IDを渡す鋼牙に、傍らにいるマベルが血相を変えた。

マベルにとって、ネロは可愛い弟と同じ様な存在だ。

悪い道へと誘おうとする鋼牙に、怒りを露わにするのは当然だと言える。

 

「何言ってるのさ、組織の規律を真面目に護っているなんて、17代目ぐらいだよ? 他の葛葉四家は、独自のルートを勝手に開拓して、自分ルールで仕事をしてる。 それに、これからする事は、彼にとって必ずプラスになる。」

「どういう意味だよ? 」

 

勿体ぶった鋼牙の口振りに、銀髪の少年が胡乱気に聞き返した。

 

「悪魔召喚術師としての修行&”探偵部”の仕事だよ。これから、かさぎ荘に行って仲魔集めと、そこで悪さをしている悪魔退治をするんだ。」

 

鋼牙の説明曰く、JR南千住駅から南に行った住宅街で、低級から中級の悪魔が大量発生し、異界化しているのだという。

そこを塒(ねぐら)にしているホームレス達から、何とか助けて欲しいという依頼が探偵事務所に来ているので、これから調査をする為に、向かうのだそうだ。

 

「もしかして、”山谷のドヤ街”に行くつもりなの? 確か、あそこは隔離地域の筈よ。」

 

隔離地域とは、勿論、”シュバルツバース”の影響を最も強く受けた地区の事をいう。

元々、”山谷のドヤ街”は治安が大変悪く、『東京のスラム街』と呼ばれている程だ。

都も完全に見放しており、不法移民やホームレス、その他、犯罪者達が屯(たむろ)する場所になっていた。

 

「駄目駄目!そんな危険な場所に行くなんて・・・・。」

「良いぜ、面白そうじゃねぇか。」

 

慌てた様子で、異を唱えるマベルの言葉を傍らにいる銀髪の少年が遮った。

 

「ネロ!? 」

「いい加減、餓鬼扱いはウンザリなんだよ。 それに、俺が召喚術師になれば、ライドウさんだって認めてくれるだろ? 」

 

半年前に義理姉であるキリエを失い、天涯孤独となったネロを養子縁組して、日本へと招いてくれた事に対しては、感謝している。

しかし、だからといって、何の変化も無い至極平凡な人生を歩むなど、真っ平御免だ。

自分は、自分の好きな様に生きていく。

いくら命の恩人とは言え、ライドウの敷いたレールに従う気持ちなど無い。

 

「決まりだね? なら、早速調査開始だよ。 」

 

やる気満々のネロの様子に、黒縁眼鏡の少年は、満足そうな笑みを口元に浮かべる。

探偵事務所は、万年人手不足で困っている。

ネロの様な”優秀な人材”が喉から手が出る程、欲しいのだ。

 

「仕事するのは良いけど、武器と防具一式は、ライドウさんに取られちまったよ。」

「大丈夫、そう思って君専用の武器を用意しといた。」

 

『狩猟許可証』と共に、愛用の武器である『レッドクィーン』と『ブルーローズ』は、養父であるライドウに没収されている。

困った様子で肩を竦めるネロに、鋼牙はデスクの下に置いてある大きな取っ手付きのケースを取り出した。

デスクの上に乗せられた長方形のケースは、かなりの重量感があり、取っ手の両側には留め金が付いている。

鋼牙がソレを外すと、ネロの愛刀である『レッドクィーン』と同じ形をした大剣が納められていた。

 

「これって・・・・・? 」

「ランチさんがRAN(ロシア科学アカデミー)があるモスクワ本部から脱走する時に、試作品を持ち出していたらしい。 それが、コイツさ。」

 

渋谷のセンター街で、ジャンク屋を営んでいる店主・ランチは、かつて職人(ハンドヴェルガー)を志していた。

普通の人間でも悪魔と対抗しうる武器を模索していた彼は、その時にRAN(ロシア科学アカデミー)の研究員であったリブ・トルストイと接触し、モスクワにある研究所で数年間、”イクシード”の開発・研究を行っていた。

その時に試作体として造り出された数本のうち、1本を事故死に偽装する際に、運び出していたのである。

 

「名前は『クラウソナス』、ジェット推進器を更に強化して、ブレードには特殊な鉱石を幾つか使っているらしい。」

 

鋼牙の言う通り、眼を凝らすと大剣の刃がマーブル状になっているのが分かる。

魔界でしか採取出来ない鉱石と、現物質の中でも一番硬いと言われるウルツァイト窒化ホウ素、ロンズデーライト等を使用していた。

 

「あのオッサンにとっては、大事なモノじゃないのか? 」

 

ネロの言う通り、ランチにとって”イクシード”は、己の半生を掛けて創り出した大作だ。

そう簡単に、赤の他人・・・しかも、年端も行かぬ餓鬼にそう簡単に渡して良い代物ではない筈であった。

 

「君に使って欲しいってさ・・・武器は、人間に使われてこそ意味がある。 何時までも未練がましく持っていても仕方が無いと言ってたよ。」

 

数分しか、会話をしていなかったとは言え、ランチの鋭い直感が、ネロを信じても良いと判断したらしい。

 

暫く、ケースの中に収められている『クラウソナス』に視線を落としていたネロは、徐に手を伸ばし、部品一つ一つを慎重に取り出す。

そして、慣れた手付きで機動大剣を組み上げ始めた。

 

 

 

数時間後、JR南千住駅。

小さな妖精、マベルを頭に乗せた銀髪の少年ネロと、黒縁眼鏡の少年鋼牙が、”かさぎ荘”がある『山谷のドヤ街』に向けて歩いていた。

ネロの背には、組み上がった機動大剣『クラウソナス』が背負われている。

左脇のガンホルスターには、M1911・軍用自動拳銃が納められていた。

 

「センター街でも思ったんだけど、此処って本当に日本なのか? 」

 

行き交う人々を横目に、ネロが呆れた様子で呟く。

驚く程、この街には日本人が全くいない。

道路に面して設営された露天商には、他国から来た外国人達で賑わっている。

皆、重装備しており、店先に並んでいる商品を物色していた。

 

「10数年前の震災で、多くの日本人が犠牲になったのよ。私も経験したから分かるけど、あの時は、本当に酷かったわ。」

 

ネロの問い掛けに応えたのは、少年の頭の上で胡坐をかいて座る小さな妖精であった。

 

10数年前に起こった第二次関東大震災は、大勢の命を奪い、国としての機能を一時的に麻痺させた。

日本政府は、国の復興支援の為に、多くの外国人労働者を招き入れ、今の多国籍国家へと変貌したのである。

 

「おまけに悪魔の大量発生、各国から、多くの『狩人(デビルハンター)』達が集まり、今や、世界で最も危険な国へと様変わりした。」

 

この国は、危うい均衡によって保たれている。

”シュバルツバース”から齎(もたら)される『エキゾチック物質』によって、破綻しきった財政を何とか立て直す事には出来たが、悪魔の巣窟である事に何ら変わりは無い。

『東京のスラム街』こと”山谷のドヤ街”が、今の日本の内情を映している鏡といえた。

 

南千住駅から、南方向へ徒歩10分ぐらいの場所に、目的地である”かさぎ荘”は、あった。

2階建ての古びたアパートを、銀髪の少年が見上げる。

チリチリとした人外の空気が、容赦なく肌を突き刺す。

 

「依頼主の話だと、数年前からタチの悪い悪霊が住み着いているんだって。このアパートを塒(ねぐら)にしていた日雇い労働者が何名か奴等の餌食になったらしい。」

 

ネロの傍らに立つ黒縁眼鏡の少年が、背負ったバックパックから、愛用の60cm定規を取り出す。

 

「おい? 大丈夫か? マベル。」

 

銀髪の少年が、学校で支給されているダッフルコートの胸元へと声を掛ける。

アパートから放たれる鬼気に、恐れをなした小さな妖精が、少年の胸元へと慌てて飛び込んだのだ。

 

「駄目!絶対此処は駄目! 上級悪魔の臭いがプンプンするよぉ! 」

 

おこりに掛かった様に、ブルブルと震える妖精が、必死に少年を止める。

因みに、ネロと鋼牙は学校が終わったその足で、山谷に来た為、二人共『エルミン学園』の制服を着たままである。

 

「だろうね・・・・建物の外に居ても凄いプレッシャーを感じるよ。」

 

何時もの癖なのか、鋼牙は眼鏡のフレームを押し上げ、改めて古びた建物を見上げる。

依頼主の話では、このアパートの204号室から異変が起きたらしい。

腕の良い『狩人(デビルハンター)』を雇いたくても、ホームレスである自分達では、とても彼等に見合う報酬は払えない。

かと言って、社会から完全に見放された彼等が、此処を出て他の地へ行ける筈も無い。

そんな彼等にとって、矢来銀座の『葛葉探偵事務所』は、最後に頼れる駆け込み寺みたいな存在であった。

 

「よっしゃぁ、やる気が出て来たぜ。」

 

ネロは、右拳を左の掌で打ち付け、気合を入れると、マベルが止める間もなくアパート内へと入って行ってしまう。

呆れた様子で、溜息を吐いた鋼牙が、その後に従った。

 

 

 

 

同時刻、西新宿にある衛生病院。

遠野・明は、病院の壁に背を預け、受付にいる二人の少女を眺めていた。

護衛対象の八神・咲と、その親友である日下・摩津理である。

学校の授業が終了したその足で、三人は摩津理の歳が大分離れた妹、ヒマリのお見舞いに来ていた。

 

「はい、遠野君お待たせ。」

 

黒髪の美少女が、自分より頭一つ分以上背が高い明に、面会用の札を手渡す。

院内には、大勢の患者や付き添いの家族がおり、看護師や事務員が彼等の対応をしていた。

 

 

「そーいや、所長代理は何してるの? 」

 

妹が入院している4階の小児病棟へ向かう道すがら、変えの下着や絵本が入っている紙袋を右手に下げた摩津理が、後ろを歩く明に言った。

 

今日は、特殊学科の実技は休みである。

なので、仕事で忙しい父親の代わりに摩津理が、喘息で入院している妹の見舞いに行く事になった。

 

「別件の仕事に行った・・・・新入りと一緒にな。」

 

エレベーターの階数ランプを眺めながら、明が素っ気なく応える。

2メートル近い高身長を持つ明は、兎に角目立つ。

通路を行き交う患者や、看護師達は、自然とエレベーター前にいる明に一瞥を向けては通り過ぎて行った。

 

「新入り? もしかして、ネロ君の事かな? 」

 

咲の脳裏に、見事な銀色の髪をした少年の姿が想い出される。

ネロとはクラスが違う為、特殊学科の地下施設で一度、顔を合わせたきり、一度も会ってはいない。

 

「予想通り、アンタ等”探偵部”に入った訳ね・・・・ざーんねん、是非とも”薬学部(うち)”に入って欲しかったのになぁ。」

 

心底悔しそうに、摩津理は唇を尖らせた。

摩津理達が在籍している”薬学部”は、万年人手不足である。

理由は、至極簡単で、授業の内容が殆ど農作業等の肉体労働で、座学は数える程も無いからだ。

なので、薬学師(アポテーカー)を志して部に入った者達は、畑を耕したり、重い肥料を運んだりする摩津理達の姿を見て、嫌気が刺し、すぐに部を辞めてしまう。

 

「兎に角、男手が足りな過ぎるのよねぇ。薬学師(アポテーカー)を勉強したくて男の子も入ってくれるけど、すーぐ辞めちゃうのよ。」

「流石に、朝6時は早すぎるよね? 」

 

憤懣やるかたない摩津理の傍らで、咲が困った様子で笑う。

 

咲の言う通り、季節によってかなり波があるが、”薬学部”の活動内容はかなり過酷だ。

外気温に敏感な薬草は、一定の温度で保たれている温室で育てるのが大半であるが、中には冷たい気候でしか育たない植物もある。

そういった植物は、何かの拍子ですぐ病気にかかってしまう為、常に細心の注意を払わなければならないのだ。

その為、摩津理達は、早朝から学校に登校し、薬草の様子をチェックし、水や肥料の量を調節している。

 

 

三人を乗せた昇降機は、小児病棟がある4階に到着した。

ラウンジで暫く待っていると、パジャマにピンクのカーディガンを着た6歳ぐらいの女の子が看護師に付き添われてやって来た。

摩津理と10歳歳が離れた妹、日下・ヒマリだ。

 

「ねぇーね! 」

 

摩津理の姿を見つけた途端、ヒマリは満面の笑顔を浮かべて跳んで来た。

思い切り姉の腰に抱き着く。

 

「ちょっと、そんなに走ったらまたコンコンしちゃうでしょ? 」

 

ラウンジまで妹の付き添いをしてくれた看護師と、会釈をして挨拶を交わした摩津理は、優しく妹の頭を撫でてやる。

そんな仲睦まじい姉妹の様子を見届けた看護師は、後を摩津理達に任せ、持ち場へと帰って行った。

 

「良いなぁ、私もヒマリちゃんみたいな歳の離れた妹か弟が欲しかった。」

 

妹の目線の高さまで、身を屈める親友の姿に、咲は何処か寂し気な笑みを口元に浮かべる。

一方、明も日下姉妹の姿を見て、遠い過去の記憶を蘇らせていた。

三つ歳が離れた妹のハル。

『人柱』という逃れられぬ宿星を無理矢理背負わされ、永田町の地下深くへと幽閉された大事な家族。

 

 

 

アクリル製の60cm定規が閃き、そこから発生する斬撃が怪物の頭部を斬り飛ばす。

ネロの操るM1911が火を吹き、凶悪な大鎌を持つヘルカイナの心臓部分に、巨大な穴を開けた。

 

山谷の清川二丁目、通称『ドヤ街』にある古びたアパート”かさぎ荘”。

異変が発生した204号室に向おうと、敷地内へと入ったネロ達は、突然、異界へと引きずり込まれた。

 

「ったく、一体何がどうなっていやがるんだよ? 」

 

背負った機動大剣『クラウソナス』を引き抜き、幽鬼・ヘルカイナを一刀の元に叩き伏せる。

古びたコンクリートの建物内へと入ろうと、今にも崩れそうな門を潜った途端、別世界へと変貌したのだ。

戸惑いの色を浮かべるのは当然だと言えた。

 

「どうやら、此処のボスが、アパートを取り巻く敷地の一体を異界化させてるみたいだね。時空を歪める程、強い悪魔がいるって事さ。」

 

苛立ちを隠さないネロと違い、鋼牙は冷静に今の状況を分析する。

敷地の外から見る限りでは、何処にでもありそうな安アパートだ。

しかし、中に一歩踏み込んだ瞬間、まるで蟻地獄の様に、本性を露わにする。

此処ら辺一帯を縄張りとして活動していたホームレス達は、この罠にまんまとハマリ、悪魔達の餌食になったのだろう。

 

「つまり、あのアパートを棲家にしている悪魔を倒さない限り、俺達は元の世界に帰れないって事か。」

「その通り。」

 

鋼牙の放つ斬撃が、最後の一体を切り裂き、塵へと還す。

二人が入って来た入り口は、既に閉じられている。

異変を引き起こしている元凶を始末しなければ、ネロと鋼牙は永遠に異界を彷徨う事になるだろう。

 

「まぁ、あのアパートの中も、入り組んだ迷路になっているだろうけどね。」

 

かさぎ荘は、巨大な植物の蔓(つる)が、幾重も重なり合う異様な建物へと様変わりしていた。

あの醜悪な建造物の何処かに、異変を生み出している悪魔がいる筈だ。

 

「お前等って何時もこんな事してるのか? 」

 

何の躊躇いも無く、異界化したかさぎ荘へと入り込む鋼牙の背に、ネロが疑問を投げかけた。

 

この二人が何時から探偵稼業をしているかは、知らない。

しかし、自分が『聖エルミン学園』に入学する前から、探偵として活動する傍ら、悪魔(デーモン)を狩猟していた事になる。

 

「何時もって訳じゃないけどね。 普段は、家出したペットを探したり、浮気調査に時には引っ越しの手伝いまでしてるよ。」

 

悪魔絡みの仕事は、殆ど稀で、探偵業とは名ばかりの『何でも屋』をしている。

生活費が苦しくなって来たら、偶に規律違反と自覚しつつも、禁止区域に入り込んで、そこで生活している不法就労者達のキャンプでアルバイトをするぐらいだ。

 

「ネロ・・・・昼間、明が言った事何だけどさ・・・・・悪く、受け止めて欲しく無いんだ。」

「・・・・・? 」

 

唐突に明の事を切り出され、ネロが戸惑った様子で数歩前を歩く鋼牙の背を眺める。

 

「明は、君と同じ17代目が引き取った子で・・・当然、血の繋がりは無い。 彼がどういった経緯(いきさつ)で、17代目の養子になったのかは知らないけど・・・。」

 

そこまで言い掛けて、鋼牙は背後にいるネロの胸元から顔だけを覗かせている小さな妖精へと一瞥を送る。

黒縁眼鏡の少年に振り向かれた妖精は、困った様子で眉根を寄せた。

 

「あの子は、優しくて真面目な良い子よ。 ちょっと、ひねくれた所はあるけどね。」

 

だから、同じ”探偵部”の仲間として受け入れてくれ。

暗に二人からそう言われているのを感じ取ったネロは、納得出来ないのか、唇を尖らせる。

 

「分かったよ・・・・ちょっとムカつく所もあるけど、見た感じそれ程、悪い奴には見えねぇからな。」

 

軽い溜息を吐き出しつつ、ネロは形だけではあるが、不承不承頷く。

襲い来る悪魔達を排除しつつ、一同は、異変の発生源である204号室へと向かった。

 




投稿が大分遅れてしまいました。


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第八話 『シウテクトリ 』

悪魔紹介

妖魔・シウテクトリ・・・・アステカ神話に登場する神。
種族は、妖魔に分類されるが、一応、神である。
力の源である真名を邪神ゴリアテに奪われ、代理の入れ物としてアパートを棲家にしていたハムスターに憑依している。



今でも想い出すのは、自分に差し伸べられた優しい腕。

向けられたその眼差しが、忘れかけていた人間としての暖かな感情が蘇るのを感じる。

 

 

「遠野君・・・・遠野君・・・。」

 

聞き知った少女の声。

思考の淵から、現実(リアル)へと浮上した明が、傍らにいるクラスメートの少女へと視線を向ける。

『聖エルミン学園』が支給している運動用のジャージを着た黒髪の美少女は、不安そうに此方を見上げていた。

 

「御免、もしかして疲れてる? 」

「否・・・大丈夫だ。」

 

不安そうに見上げる八神・咲に、遠野・明は、何でも無いと被(かぶ)りを振る。

 

現在、二人は『聖エルミン学園』の地下にある特殊学科の実技施設に来ていた。

新宿衛生病院に入院している日下・摩津理の妹、ヒマリの見舞いを終えた一同は、その足で、再び学園に戻り、薬草茶の原料となるオオナルコユリの収穫をしていた。

 

「アンタって意外にマメなのねぇ。態々(わざわざ)、私達の仕事まで手伝う必要無いのに。」

 

収穫したオオナルコユリの入った籠を持つ摩津理が、自分達と同じ格好で農作業をしている明を呆れた様子で眺めていた。

その傍らでは、部のマスコットであるJFこと、妖精ジャックフロストが、籠を頭に乗せて忙しなく働いている。

 

摩津理も、親友の咲が妙な事件に巻き込まれており、明が護衛として彼女の送り迎えをしている事を知っていた。

なので、部外者である明が彼女達の仕事場に出入りしている事を敢えて黙認していたが、まさか仕事まで手伝ってくれるとは予想していなかったのである。

 

「暇だからな・・・・手持ち無沙汰なのは嫌なんだよ。」

 

ステンレス製の家庭用鍬(くわ)を持った明が、収穫した畑の土地を慣れた手付きで整地していく。

テキパキと無駄が全く無いその動きに、摩津理と咲は関心した様に眺めていた。

 

「遠野君って、何でも出来るんだね。」

 

普段は、頻繁に暴力沙汰を起こし、学園内でも問題児の一人である明であるが、意外にも学力は常に学園内でトップクラスの位置にいる。

文事武備を絵に描いた様な生徒であるが故、風紀委員の顧問である教頭の反谷も強く出れないでいた。

 

「餓鬼の頃に妖牧場で、家畜の世話や畑仕事を手伝っていたからな。」

 

傍らにある袋から、石炭を取り出し土に混ぜて鍬で整地していく。

 

明が武術の修行をしていた『クズノハ』の聖地”葛城の森”では、広大な妖牧場があり、見習い生達は、そこで寝泊まりをする決まりとなっている。

早朝、農作業に駆り出され、昼に学問と武を学び、夕方に再び家畜や畑の手伝いをしていた。

 

「お前等こそ、何で”薬学部”なんて選んだんだ? 将来は薬学師(アポテーカー)を目指しているのか? 」

 

此処にいる以上、彼女達二人の目的はソレしかないだろう。

実際、この部では、優秀な薬学師(アポテーカー)を何人も輩出(はいしゅつ)している。

 

「うーん、私の場合は違うな・・・私はお婆ちゃんの後を継ぐって決めてるから。」

 

摩津理が、収穫したオオナルコユリの入ったコンテナを手押しの荷台に置く。

直ぐにJFが、作業所へと荷台を押して行った。

 

「うちのお婆ちゃん、ドラッグ・ギア(魔法薬専門店)してるの。 ギルド内でも結構、有名なのよ? 」

 

摩津理の祖母が経営しているドラッグ・ギアは、様々な種類の魔法薬を揃えている為、魔導師や剣士達からの評判が大変良い。

魔導師ギルドからの信頼も厚く、態々祖母の店に発注を掛ける程であった。

 

「お前、理事長から悪魔召喚術師(デビルサマナー)の適正に選ばれたんだろ? 勿体ねぇとは思わなかったのか。」

 

摩津理は、特殊学科に在籍する多くの学生達から、悪魔召喚術師(デビルサマナー)の才があると、理事長直々に選ばれた稀有(けう)な生徒だ。

幾ら年収が良いとはいえ、悪魔召喚術師の方が、薬学師よりも様々な恩恵を国から貰える。

普通なら、其方の道へと素直に進む筈だ。

 

「私は、悪魔(この子達)を戦いの道具にはしたくない。 」

 

作業所からコンテナを降ろして、再び空になった手押しの荷台を押しながら農場へと戻って来るJFの姿を眺めながら、摩津理が言った。

 

悪魔(デーモン)は、確かに恐ろしい生物かもしれない。

人間を襲い、マグネタイトを奪う輩がいる事を摩津理も当然、知っている。

しかし、だからと言って、悪魔を使役し、戦争の道具にする等、彼女には到底受け入れる事が出来なかった。

 

「八神は、どうなんだ? 」

「え? 私?・・・・・私は、植物を育てるのが好きだから・・・・かな? 」

 

いきなり明から話を振られ、黒髪の美少女は戸惑う。

 

咲が特殊学科にいる理由は、単に幼馴染みであり、親友の摩津理に誘われただけだ。

摩津理の様に、祖母が魔法薬専門店を経営している訳でも、魔導師(ソーサラー)の家系であった訳でもない。

 

「危険だな・・・・。」

「え? 」

 

明の指摘に、咲が戸惑う。

長い前髪で、双眸を隠してはいるが、漂う雰囲気がかなり真剣なのだけは伝わって来た。

 

「お前は、もう少し、自分の中に秘めている能力(ちから)を自覚した方が良い。でないと、周りのゴミ共に利用されるぞ。」

「・・・・・っ。」

 

かなりキツイ物言いではあるが、妹の件がある以上、明にはとても他人事には思えないでいた。

 

咲の持つ霊格は、周囲の者達より遥かに高い。

妹のハルや養父である17代目と同クラスだ。

そう言った者達は、『神の憑代』に祀り上げられ、時の為政者達に死ぬまで利用される。

 

「ちょっと、咲を怯えさせる様な事言わないでくれる? 」

 

あまりな明の物言いに、摩津理が黙っていられなくなり、二人の会話に口を挟む。

 

生まれ持った美しい容姿でかなり助けられてはいるが、咲は、内向的で引っ込み思案な性格をしている。

おまけに『エルバの民』に悪戯で名前を書かれた挙句、悪魔達に命まで狙われているのだ。

普通なら、恐怖で叫び出したいのをグッと堪える咲が、不憫で堪らない。

 

「トロルや理事長でもいい、優秀な魔術師(ソーサラー)に、能力(ちから)をコントロールする術を学べ、そうすれば、自分の身ぐらい護れる様になる筈だ。」

「・・・・・・・。」

 

そんな親友の摩津理を他所に、明は、むしった雑草を持ったまま固まる咲に、厳しく諭してやる。

 

優しい気遣い等、不器用な自分には出来ない。

只、彼女を妹と同じ目にだけは遭って欲しくないと、心の何処かで強く願っただけであった。

 

 

 

 

東京都台東区北東部・・・・通称『山谷のドヤ街』。

その清川二丁目に、大分寂れたボロアパート、『かさぎ荘』がある。

 

異界化した空間、軍用拳銃M1911が火を吹き凶鳥・ピロバットの胴体を吹き飛ばす。

ガチンっと嫌な音をさせ、空薬莢が上手く排出出来ず、弾詰まりを起こした。

 

「ちっ! これだから安物の密造銃は使えねぇ! 」

「そんな事言わないでよ。 ソレ、一応ニコ姐の作品なんだからさ。」

 

苛々した様子で舌打ちするネロに、背後で数羽の凶鳥と対峙する鋼牙が窘めた。

 

ネロが現在使用している銃は、ニコが学生時代に対悪魔用武器として改造した軍用拳銃である。

元が闇市で販売されていた粗悪品の密造拳銃を、ニコが安く買いたたいて改造した代物なので、何時動作不良を起こすか分からない。

一応、威力だけはあるので、御守り代わりに装備して来ただけである。

 

「やっぱ、コイツに頼るしかないか。」

 

銀髪の少年が、銅で出来ているブレスレットが嵌った右腕に視線を落とす。

 

この腕輪は、日本に来た当日に、17代目・葛葉ライドウから付けられた呪物であり、悪魔の右腕『デビルブリンガー』を封じている。

 

「駄目よ! ライドウの言った言葉を忘れたの!? 」

 

ネロの右肩にしがみつく小さな妖精が、必死で銀髪の少年を制止した。

悪魔の右腕『デビルブリンガー』には、ソロモン十二柱の魔神の一人、堕天使・アムトゥジキアスが眠っている。

故に、『デビルブリンガー』を使い続けると、ネロの精神は徐々に魔素に侵(おか)され、最悪、アムトゥジキアスに乗っ取られてしまうのだ。

 

「僕も、その腕はあまり使わない方が良いと思うけど? 」

 

我が物顔で宙を飛び回り、ネロ達へと襲い掛かるピロバットの群に、黒縁眼鏡の少年が、鉛筆を数本投擲する。

闘気の籠もった木の棒は、次々と凶鳥の群に突き刺さり、爆散していった。

 

(凄ぇ・・・これが”クズノハ”暗部の実力か・・・。)

 

まるで舞う様に、ピロバットと幽鬼・ヘルカイナの群を薙ぎ倒していく鋼牙の姿に、ネロは戦慄を覚える。

 

 

渋谷のセンター街での一件後、成城の葛葉邸へと戻ったネロは、当然の如くライドウから説教を受けた。

いくら『狩人(デビルハンター)』の資格があるとはいえ、ネロはまだ未成年である。

それに、遠い北の国からネロを養子に引き取ったのは、組織の走狗にする為ではない。

全ては、今は亡き親友、クレドとその妹キリエの想いに報いる為であった。

 

「何でだよ? 俺は、”悪魔狩人(デビルハンター)”だ! 人間に害を与える悪魔を倒して何が悪いんだ! 」

 

有無を言わせず、武器と防具、その上、狩人の証である『狩猟許可証』を没収されたネロは、怒りの声を上げた。

 

「お前は、もう魔剣教団の騎士じゃない。 それに、この国では未成年の悪魔討伐は禁止されていると、最初に言っておいた筈だが? 」

 

屋敷の主であるライドウの私室兼仕事場。

広い室内で、豪奢なデスクに座るライドウは、鋭く目の前に立つ銀髪の少年を睨み付ける。

悪魔使いの鬼気に軽く当てられ、銀髪の少年は、それ以上何も言えなくなってしまった。

悔し気に押し黙るネロを眺め、ライドウは座っているデスクチェアの背凭れに身を預けると、深い溜息を一つ零す。

 

「全く・・・・マダムにも困ったものだな・・・・まぁ、壬生の跡取りがいる以上、こうなる事はある程度予想はしていたが・・・。」

 

マダムとは、『聖エルミン学園』の理事長を務めている安部・晴明(ハルアキラ)の事である。

組織『クズノハ』に属する召喚術師達の元締め的存在で、ライドウ達からは、『マダム・銀子』の名で通っていた。

 

「ネロ・・・・君は、壬生・鋼牙の事をどう思う? 」

「え・・・・? どう思うって言われても・・・・。」

 

いきなり話を振られ、ネロはどう応えて良いのか分からなくなる。

 

「いくら歳が同じぐらいだとはいえ、何故、禁止区域のセンター街までついて行ったんだ? 普段の君らしくない行動だ。」

「・・・・。」

 

確かに、ライドウの言う通りであった。

 

ネロは、その生まれから、周囲の人間達に腫れ物を触る様な扱いを受けて育てられた。

生まれ持った悪魔の力が災いし、不図した事から、他者を傷付けてしまう。

故に幼い時から不遇の扱いを受けて来た為、唯一心を許せるのは、養父であるクレドとその歳の大分離れた妹のキリエだけであった。

 

「俺は別に君や鋼牙君を責めている訳じゃない。 逆に、君達二人が仲良くなる事に大歓迎だ。」

「・・・それって・・・どういう意味? 」

「そのままの意味だよ。 君を『エルミン学園』に通わせた事は大成功だって事さ。」

 

先程までの、張り詰めた空気が嘘の様に晴れていく。

両腕をデスクの上で組み、その甲に顎を乗せたライドウは、優しい眼差しで戸惑う銀髪の少年を眺める。

見惚れる程の美貌。

ネロの頬が、僅かに紅くなる。

 

「あの時・・・君とキリエをフォルトゥナ公国に残した事を後悔していた・・・出来る事なら、君達姉弟を日本に連れて行きたかった。」

 

溜息交じりにライドウは、本心を語る。

 

キリエは、20数年前に起こった『タンカー座礁事件』が原因で、多発性骨髄腫という病に掛かり、余命1年と医師から診断されていた。

とても遠い日本まで渡る程の体力は無い。

彼女の最期を弟のネロに看取らせる事に対し、ライドウはかなり抵抗を覚えていたのだ。

しかし、自分には大事な役目がある。

長期間、日本を留守にする余裕が無かった。

 

「だから、キリエに変わる存在が出来ればと思ったんだ・・・君が、心から許せる友人が現れる事を願った。」

「ライドウさん・・・・。」

 

ネロを高校に通わせたのは、勉学をさせる為ではない。

『聖エルミン学園』に通う事によって、心の隙間を埋める友達が出来ればと思ったからだ。

 

 

 

「ちょっと、何でニヤケているのよ? 」

 

呆れた様な妖精の声に、ネロは思考の海から無理矢理現実へと引き戻される。

目の前に、心底軽蔑しきった顔をしているマベルと目が合った。

 

「ライドウに怒られた事を思い出して、ニヤニヤするなんて・・・・変態。」

「てっ!てめぇ! また俺の心を読んだな? 」

 

無遠慮に、人の心を覗き込むマベルの無神経さに、ネロは真っ赤になって怒りを露わにする。

と、その時、壁に空いた穴から何かが飛び出して来た。

悲鳴を上げて、マベルがネロの顔に張り付く。

 

「ネズミ・・・・? 否、ハムスターか・・・。」

 

一同の前に躍り出て来たのは、握り拳程の大きさをした茶色い毛並みの小動物であった。

鋼牙達の前に現れたハムスターは、立ち止まり、一同の顔を見上げる。

刹那、壁を突き破って、数体の円盤状の何かが現れた。

狭いアパートの廊下。

鋼牙とネロの退路を断つ形で、円盤状から鋭利な鱗を持つ爬虫類へと姿を変える。

血に飢えた妖獣・ケイオスだ。

 

「ちぃ、しつこい連中だ。 」

 

取り囲む妖獣の群に、忌々し気に舌打ちしたのは、何と目の前にいる小動物であった。

そして、何故か顔面に小さな妖精を張り付けているネロに向って突進。

銀髪の少年の足元に張り付く。

 

「召喚術師(サマナー)! この下郎共を今すぐ排除しろ! 」

「はぁ? いきなり出て来て一体何様のつもりなんだぁ? てめぇ!? 」

 

人語を話すハムスターが突如現れ、訳も分からず命令している。

余りの理不尽さに、逆らうのは当然だと言えた。

 

「ワシを助けろ! そうすれば、特別サービスでお前の仲魔になってやっても構わんぞ? 」

「馬鹿言え!誰がお前みたいなネズミを・・・。」

「ネロ!避けろ!! 」

 

脚に纏わりつくハムスターを振り払おうとしたネロに向って、数体の妖獣が襲い掛かる。

ノコギリの様に、鋭利な鱗を逆立て、高速回転で突進する妖獣・ケイオス。

顔にへばりついた妖精をそのままに、殆ど条件反射で、ネロが真横へと跳ぶ。

高速回転する刃の群が、先程までネロがいた場所を大きく抉り取って行った。

 

「極意居合術・・・雲切之剣・・・。」

 

鋼牙が腰だめにステンレス製の60cm定規を構える。

音速を超える速度で放たれる無数の斬撃。

妖獣・ケイオスの強固な鱗を粉々に砕き、四肢を切断していく。

 

「大丈夫か!? ネロ?? 」

 

群の半数を血祭に上げた黒縁眼鏡の少年が、横倒しになっているネロの傍まで駆けて来ようとする。

しかし、その背後に、生き残った妖獣、数体が躍り掛かった。

 

「鋼牙! 後ろだ!! 」

「・・・・っ! 」

 

ネロの指摘に、ポケットから取り出した鉛筆を鋼牙が、背後へと投擲しようとする。

しかし、間に合わない。

一体目の眼球に鉛筆を突き立てる事に成功したが、残りを捌ききれなかった。

ケイオスの巨体に圧し掛かられ、容赦なく背を床へと打ち付ける。

 

「鋼牙!! 」

 

鋭い咢にステンレス製の定規を噛ませる事で、何とか怪物の攻撃を凌いではいるが、膂力に差があり過ぎる。

口元を抑え、悲鳴を上げる妖精。

ケイオスの凶悪な牙が、鋼牙の喉を引き裂こうとした刹那、唐突に、その巨体が引き剥がされた。

見ると、ケイオスの長い尾を異形の腕がむんずと掴んでいる。

ネロが、封印の呪式が組まれた銅の腕輪を外し、『デビルブリンガー』を解放したのだ。

 

「うぉおおおおっ! 」

 

頭にハムスターを乗せたネロが、気合の雄叫びを上げる。

宙を舞う巨体。

妖獣・ケイオスが『悪魔の右腕』に引きずり回され、周囲にいる仲間達を巻き込み、壁や床、天井等に叩き付けられる。

 

「おととい来やがれ! 糞ったれがぁ!!」

 

止めの一撃とばかりに、ネロが渾身の力で妖獣の胴体を殴りつける。

風船の様に爆散する異形の怪物。

肉片が周囲に飛び散り、真っ赤に染める。

 

「鋼牙! 大丈夫!? 」

 

呻きながら起き上がる黒縁眼鏡の少年に、マベルが慌てた様子で近づいた。

見た所、それ程大きな怪我を負っている様子はない。

額を切ったのか、血が一筋、頬を伝わっていた。

 

「僕なら心配ない・・・・それより、ネロが。」

 

回復魔法を施そうとしている妖精を手で制し、鋼牙がネロの方へと視線を向ける。

矢無負えない状況とは言え、右腕の封印を外してしまった。

ネロの精神状態が非常に気になる。

しかし、そんな鋼牙の動揺を他所に、ネロは頭の上に乗っているハムスターを無理矢理降ろし、自分の目線の高さまで持って来ていた。

 

「気安く人様の頭の上でくつろいでんじゃねぇーぞ? 糞鼠。」

「キャンベルハムスターだ。 裏ルートでしか手に入らない希少なハムスターなんだぞ? 」

 

長い尻尾を掴まれ、逆さ吊にされているにも拘わらず、黒毛のハムスターは、余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)といった呈で、何故かドヤ顔を決めている。

その姿が無性に癪に障り、ネロは思い切り地面に叩き付けてしまおうかと思った。

 

「駄目! そいつは悪い悪魔じゃないよ! 」

 

マベルに止められ、振り上げていた腕を仕方なく降ろす。

額から流れ出る血をガーゼで抑えた鋼牙と、ハイピクシーのマベルがネロの所へと近づいた。

 

「何で止めるんだ? コイツのせいで危うくやられそうになっちまったんだぞ? 」

 

未だ、人語を話すハムスターの尾を掴んでいるネロが、憤懣やるかたないと言った様子で、小さな妖精を睨む。

 

「あの状況下は、油断した僕達に非がある。 彼に責任は無いよ。」

 

怒り心頭のネロに、苦笑を浮かべた鋼牙が、改めて逆さ吊にされている黒い毛並みのハムスターへと視線を向けた。

 

「かなり高い霊格を感じる・・・・恐らく彼は、悪魔ではなく神族だろうな。」

「神族? コイツが・・・・? 」

 

何処からどう見ても、ペットショップで売られているハムスターにしか見えない。

鋼牙の霊視を疑う訳では無いが、このハムスターが神様とは到底思えなかった。

 

 

 

 

ネロ達の前に突如現れた闖入者の名は、『シウテクトリ』と言った。

一旦、態勢を立て直す為、異界化したアパートの一室へと入り込んだ一同は、『シウテクトリ』が何故、ハムスターの躰を間借りする羽目になったのか、その経緯(いきさつ)を聞く事にした。

 

「お前等も知っての通り、ワシはこの地の神ではない。ワシはとある召喚術師と番契約をしておったのだ・・・しかし、その主は、10数年前の”シュバルツバース破壊計画”で命を落とした。」

 

『シウテクトリ』の話によると、彼と番契約をしていた召喚士は、とある秘密結社(フリーメーソン)に所属する悪魔召喚術師(デビルサマナー)だったらしい。

国から召集を受け、『シュバルツバース破壊計画』に参加したが、ミッションは失敗。

『聖櫃(アーク)』の暴走に巻き込まれ、遭えない最期を遂げた。

 

「主は大分お人好しな性格をしておってな・・・自分の命より従者であるワシの命を優先した。 強制離脱魔法(トラエスト)で”シュバルツバース”から、外へと弾き飛ばしたのだ・・・気が付いたら、この山谷と呼ばれる土地にいた。」

「優しい人だったんですね・・・。」

 

自分の命を犠牲にする事を厭わない程に、シウテクトリの主人は、彼を大事に想っていたらしい。

 

「フン・・・・ワシに言わせると救いが無い愚か者だ。 本来、召喚術師(サマナー)とは、仲魔の命を使い捨てにする者・・・・それは、番とて同じだ。」

 

シウテクトリの脳裏に、小麦色の肌をした少女の姿が過った。

類稀な召喚術師(サマナー)の資質を持ち、組織からの期待も大きかった。

しかし、召喚術師(サマナー)としての非情さを最後まで持てなかった。

それが、彼女の死期を早めてしまったのだ。

 

「んで? お前はどうしてそんなナリになっちまったんだよ? 仮にも神様だったんだろ? 」

 

所々、罅の入ったアパートの壁に背を預けたネロが、足元に座る黒い毛並みのハムスターを見下ろす。

 

「大事な香炉を奪われたのだ。 あの中には、ワシの力の源である真名(マナ)が封じられている。それが無くば、如何に神とて無力化してしまうのだ。」

 

神族の力の源は、人間達の信仰心の他に、神が唯一持つと言われる真の名がある。

普段は、神器と呼ばれる遺物に封じてあるのだが、シウテクトリの場合は、真名を香炉の中へと隠してあった。

 

「一体誰がアンタの真名を奪ったの? 」

「灼熱の獣王と呼ばれる悪魔、邪神・ゴリアテだ。 奴は、ワシの真名を利用して、この辺一帯を異界化している。」

 

邪神・ゴリアテは、元々、魔界を縄張りにしていた悪魔であった。

四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンの配下で、ユリゼン亡き後は、人間界へと堕ち延びていたらしい。

 

「ゴリアテ・・・・まさか邪神クラスの奴が”かさぎ荘”を棲家にしていたとはな。」

 

シウテクトリの話が本当ならば、今の装備だけでは心許ない。

しかし、ゴリアテを倒さない限り、この異界から脱出する術が無いのだ。

鋼牙は、一つ溜息を零すと、ダッフルコートのポケットに右手を忍ばせる。

指先に伝わる法具の硬い感触。

念の為を考えて、常に持ち歩いていたが、まさか役に立つ時が来るとは思わなかった。

 

 

 

数時間前、東京都世田谷区、成城にある葛葉邸。

防具一式を革製のトランクケースに収めた屋敷の主、17代目・葛葉ライドウは、デスクチェアに引っ掛けてあるチェスターコートと紅い布にくるまれた魔槍”ゲイ・ボルグ”を手に仕事場兼私室である書斎から出て行こうとした。

 

「また”壁内調査”か・・・精が出るな? 爺さん。」

 

その出入り口に、一人の男が立っている。

銀色の長い髪を後ろで無造作に束ね、シャツにスラックスというラフな格好をしているのは、代理番のダンテだ。

 

「暫く留守にする・・・・大人しくしてたら、土産の一つぐらい買って来てやるよ。」

 

不貞腐れた様子で、出入り口のドアに背を預ける銀髪の大男に、ライドウが何時のも軽口を叩いた。

厚手のチェスターコートに腕を通し、大きな革製のトランクケースへと手を伸ばす。

その細い二の腕を、大男の逞しい腕が少々乱暴に掴んだ。

 

「暫くって、何時までなんだよ・・・半年? それとも、一年以上か・・・? 」

「・・・・・。」

 

一目で、男が相当、腹を立てている事が分かった。

苛立ちを多分に含む蒼いその双眸を、ライドウの黒曜石の隻眼が静かに見据える。

 

「何時まで、俺をこんな所に押し込んでおくつもりだ? フォルトゥナでおかっぱ野郎に力を示せと言ったのは、アンタだろうが。」

 

代理番の契約を結んだあの日、悪魔使いは確かに言った。

”力を蓄え、己を磨け・・・・そして、玄武に自分の力を示すんだ”と・・・・。

 

「今のお前じゃ、玄武の足元にも及ばん。地道に研鑽(けんさん)に励み、実力を付けろ。」

「またそれか・・・餓鬼のお使いみたいな仕事ばかりさせやがって。」

 

もういい加減うんざりだ。

レッドグレイブで便利屋をしていた頃と違い、悪魔絡みの仕事ばかりで退屈こそしないが、それでも、組織のルールに拘(こだわ)るライドウのやり方には反吐が出る。

本音を言えば、ライドウと共に『壁内調査』に就きたいのだ。

盾と成り、刃となって愛しい悪魔使いを護りたい。

 

「腕を離せ、外に車を待たせているんだ。」

「防衛省、直々の送り迎えか・・・・・流石、葛葉四家当主様だ。」

 

蒼い双眸が、書斎の窓へと向けられる。

そこから、屋敷の豪奢な門構えの前に停車する黒塗りのハイヤーが見えた。

車の傍には、屈強な体躯をした二人の男がいる。

防衛省に所属する自衛官達だ。

 

「分かっているのなら手を離せ、彼等を何時までも待たせる訳にはいかないんだ。」

 

黒い眼帯を左眼にした少年は、敢えて抵抗はしなかった。

ダンテ、自らの意志で手を離すのを待っているのだ。

まるで聞き分けの無い幼子を諭す様なライドウの態度に、銀髪の大男は舌打ちする。

 

「アンタ・・・・それで良いのか? 国の言いなりになって、生きる自由すら奪われ・・・まるで奴隷じゃねぇか。」

 

1年間、この悪魔使いを見て来た。

その時に分かった事は、彼が組織の賤民(せんみん)であるという事だ。

命を削る任務を終えたと思ったら、休む暇を惜しんで、八王子の本社へと赴き、CEOとしての役目を務め、再び、死地へと向かう。

手を貸してやりたいが、本人が完全に拒絶している為、どうする事も出来ない。

それが、どんなに歯痒い事なのか、この悪魔使いは分かっているのだろうか?

 

「前にお前に言ったと思うが、俺は、日本と言う国家の所有物だ。 それを覚悟したうえで、17代目の銘を背負っている。」

 

有無を言わさぬ強い瞳。

その隻眼を向けられ、ダンテが諦めたかの様に掴んでいた細い腕を離す。

親に叱られた幼子の様に項垂れるダンテに、ライドウは溜息を一つ零すと、自分よりも遥かに高い位置にある顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫だ。 五体満足で、ちゃんと此処に戻って来るよ。だから、お前も謹慎期間の間だけは、大人しくしておいてくれよ? 」

「・・・・・分かったよ。」

 

銀髪の青年は、自分の顔を覗き込んで来る隻眼の少年の頬へと手を這わせる。

軽く、触れる様な口付け。

離れていくその温もりに、ダンテは唇を噛み締めた。

 

 

 

”かさぎ荘” 204号室前。

小さな妖精を肩に乗せた黒縁眼鏡の少年と、黒い毛並みのハムスターを頭に乗せた銀髪の少年がそれぞれの得物を手に、立っている。

 

「言っておくが、此処はあくまで奴が造り出した異界の入り口に過ぎない。 この先が一体どうなっているのか、流石のワシでも皆目見当がつかんからな。」

 

シウテクトリの説明によると、”かさぎ荘”は、邪神・ゴリアテが造り出した異界の入り口の一つらしい。

奴が造り出した異界の穴は、山谷のあちこちにあり、餌である人間を誘い込む罠として、甘い匂いを漂わせながら、凶悪な咢を開いているのだという。

 

鋼牙が、204号室のドアノブに手を掛ける。

予想外にも、扉はあっさりと開かれた。

 

 

 

冬空を舞う、一羽の大鷲。

黒々とした巨大な羽をはためかせ、大型猛禽はある一点に向って飛ぶ。

暫くすると、簡易宿泊所やテナントビルが立ち並ぶ、東京山谷の独特な街並みが眼前に広がって来た。

大鷲― 造魔・グリフォンは、古びた商業ビルの屋上へと舞い降りる。

高いフェンスの前に、一つの影があった。

漆黒のローブを頭から被った、大きな体躯をした人影。

金色の龍の姿が刻まれた黒色の鞘に収まる日本刀を右手に持ち、鼻頭から首元まで、黒い包帯できっちりと巻かれている。

目深に被ったフードの下から覗く双眸は、商業ビルから少し離れた位置に立つ、古い鉄筋コンクリート製の3階建てのアパートを見据えていた。

 

「一足遅かったぜ・・・・人修羅ちゃんは、”壁内調査”に出かけちまった。」

 

グリフォンは、フェンスの上に舞い降りると、フードの男を見下ろす。

 

「丸瀬の豚親父が、連絡に渋りやがって・・・・こっちは、時間の余裕がねぇってのによぉ。」

 

吉祥寺を中心に、銃器の密売をしている元陸曹長の顔を思い出し、グリフォンが忌々しそうに溜息を零した。

 

「否・・・・逆に好都合だ。 まだ下準備に時間が掛りそうだからな。」

 

フードの男は、グリフォンからの報告を一通り聞くと、視線を古びたアパートへと向けたまま、静かにそう応える。

 

「・・・・・本気でやるつもりなのか? 今ならまだ引き返せるぜ? 」

 

そんなかつての主の姿に、グリフォンは無駄と知りつつ、何とか思い留まらせようとする。

一度、こうと決めたら梃でも動かない性格をしている事は知っていた。

もう20数年以上の付き合いなのだ。

この男の性格は、嫌と言う程、理解している。

 

「悪い・・・・もう決めちまったんだ。 どんな手を使ってでも、あの馬鹿息子を助けるってな・・・。」

「・・・・・・。」

 

男の覚悟は本物だ。

最早、どんな言葉を掛けても、その信念を揺るがす事は叶わないだろう。

 

「しょうがねぇ・・・・一旦、詩人ちゃんの所へ戻るよ。」

 

グリフォンは、諦めたかの様に、もう一度溜息を一つ零すと、大きな羽根を広げ、天高く舞い上がった。

 

 

 

 

「何だ? こりゃ? 」

 

ネロは、目の前に聳(そび)え立つ、大聖堂の建物を見上げ、呻く様に呟いた。

ゴシック風の左右対称の巨大な建物。

ロンドンにあるウエストミンスター大寺院と良く似ている。

 

「成程、良い趣味をしてるじゃないか。」

 

銀髪の少年から、少し離れた位置に立つ黒縁眼鏡の少年が、感心した様子で周囲を見渡す。

一目で、この空間が異様である事が分かった。

破壊され尽くした街並みに、蒼白い空に浮かぶ二つの月。

眼前に建つボロボロの寺院が、更に異様さを醸し出していた。

 

「来るぞ! 奴だ!! 」

 

ネロの頭にへばりついているハムスターが、少年達の頭上に向って大きな声を上げた。

条件反射で、左右へと飛び退く二人。

刹那、上空から黄色い車体をした商業用のワンボックスカーが降って来る。

車が地面へと激突し、ボールの様に回転しながら、崩れ落ちた建物の壁へとぶち当たる。

その様子を二人の少年が、呆れた様子で眺めていた。

 

「人間か・・・・まさか、此処まで辿り着く奴がいるとはな・・・。」

 

寺院の建物から、人間のモノとは判別し難い重低音の声が聞こえた。

振り返ると、何時の間にそこに居たのか、小山の如く巨大な陰が、二人の少年を見下ろしている。

雄叫びを上げ、寺院から飛び降りる巨大な魔物。

横倒しになっている商業用のワンボックスカーの上へと、地響きを轟かせて降り立つ。

 

「コイツが、例の邪神様か? どう見ても弱そうだぜ。」

「聞いた事も無い悪魔だからねぇ・・・・人間界(ここ)へ堕ち延びたぐらいだから大した事が無いかも。」

 

常人ならば、震え上がる程の鬼気を放つギガント級の悪魔でも、二人の少年は、別段臆する様子は無かった。

まるで見世物小屋の珍獣を見るかの様な気易さで、巨大な魔物を見上げている。

 

頭頂部にある二本の捩(ね)じれた角。

金色に光る左右、横並びになった四つの眼。

耳元まで裂けた凶悪な咢に、丸太の如く太い両腕と牡牛の様な脚。

太い腕の甲には刃の如く鋭い突起物が並び、四本の指は、矢尻の様な爪と硬い鱗で覆われている。

 

「全く、見た目だけで判断するな。 奴は元四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンの配下だったんだぞ? 」

 

軽口を叩き合う二人の少年に、黒毛のハムスター― シウテクトリが、呆れた様に言った。

因みにマベルは、ゴリアテが姿を現したのと同時に、怯えて鋼牙の着ているダッフルコートのフードに潜り込んでいる。

 

「生意気な餓鬼共が・・・・どうやら俺の事を知らんと見える。」

 

喉の奥から唸り声を上げると、ゴリアテは、二人の少年に向って腕を振り上げた。

硬い鱗に覆われた巨大な腕が、地面を抉りながら薙ぎ払う。

しかし、そこに銀髪の少年と黒縁眼鏡の少年の姿は、影も形も無かった。

何時の間にそこへと移動したのか、常人よりも遥かに優れた膂力を使って、二人の少年は、それぞれ、倒壊したビルの上や、瓦礫の山に移動している。

 

「知ってるぜ? 頭の中身が空っぽな邪神様だろ? 」

 

倒壊したビルの壁面へと背を預けたネロが、腕組みをして軽口を叩いた。

 

「ゴリアテさんだよ? ちゃんと名前を呼んであげないと可哀想だろ。」

 

瓦礫の山へと腰掛けた鋼牙が、大袈裟に肩を竦める。

 

「ぐぐっ・・・・この糞餓鬼共がぁ!! 」

 

身の程知らずな二人の少年に、怒り心頭の巨人が周囲に轟き渡る程の怒号を上げる。

足元に転がる瓦礫の塊を無造作に掴み取ると、腹にある口が凶悪な咢を開く。

ゴボゴボと煮えたぎるマグマが溢れるその咢へ、瓦礫の塊を押し込んでいくゴリアテ。

興味深々に二人の少年が眺める中、邪神の腹にある咢が再び大きく開き、マグマの塊を大砲の弾の如く吐き出す。

 

凄まじい、破壊音と瓦解音。

二人の少年の間を突き抜け、マグマの塊が倒壊したビルへとぶち当たる。

 

「ハハッ! 凄ぇ手品だな? 」

 

球体の形で抉り取られ、無残な姿を晒す街並みの様子に、倒壊したビルから飛び降りたネロが、おどけてみせる。

腹から溶解液の涎を零しながら、邪神・ゴリアテが生意気な小僧へと四つの眼球を向けた。

と、その視線が途中で止まる。

― 餓鬼の姿が一匹足りない・・・・? ―

先程まで、瓦礫の山で腰掛けていた黒縁眼鏡の少年の姿が、忽然と消えている。

慌てて、ギガント級の巨体を誇る怪物が、周囲を振り仰ぐ。

すると、背後から凄まじい衝撃が走った。

 

「ぐおぉおおっ!! 」

 

予想外の出来事に、対応が出来ず、二歩三歩と大きく多々良を踏む巨人。

背を走る激痛に凶悪な相貌を歪めつつ、背後を振り返ると、そこにアクリル製の60cm定規を右手に持った黒縁眼鏡の少年が立っていた。

闘気術で、筋力を強化し、大きく跳躍した鋼牙が、ゴリアテの背後へと回って、渾身の一撃を浴びせたのだ。

だが、邪神の肉体を覆う鱗は、予想以上に強固であった。

辛うじて傷を付ける事には成功したが、刃が通らず、両断出来ない。

 

「うーん、 流石、邪神様の端くれだね。 このままじゃ倒しきれない。」

 

60CM定規で肩を叩きつつ、鋼牙が、怒りで顔を歪める邪神を見上げる。

着ているダッフルコートの右ポケットに手を突っ込み、あるモノを取り出した。

 

「危ないから下がっててね? マベル。」

「鋼牙? 」

 

コートのフードから、小さな妖精を外へと出した黒髪の少年が、先端がU字型をしている法具に息を吹きかける。

すると、低周波音が発生し、周囲の空気を震わせた。

鋼牙の額に、伐折羅大将を現す梵字が浮かび上がり、突如、足元から突風が吹き荒れる。

 

「なっ・・・・何だよ? アレ・・・・? 」

 

風の柱が晴れた瞬間、そこには三本の角を持った鬼が立っていた。

 

光沢のある黒い管で覆われた肉体に、蒼い手甲。

金の鎧を纏い、バイザーに覆われた眼鼻の無い顔には手甲と同色の蒼い縁取りと金の角が左右の蟀谷と中央の額に生えている。

 

「ほぉ・・・・鬼人化か・・・・どうやらあの小僧、鬼の血を引いているらしいな。」

「鬼・・・? 」

「この島に古来より棲む魔物だ。 人に身を変え、この国を悪魔(デーモン)共から護り続けている守護者の血族よ。」

 

ネロの問い掛けに、頭の上でしがみついている黒毛のハムスターが簡単に応える。

 

鬼とは、昔話に登場する悪役と一般では伝えられているが、史実は違う。

日の本の民を悪しき魔物達から護り抜く使命を帯びた、修験者達の事なのだ。

極限まで肉体を鍛え抜き、高い霊格を持つ者だけが、”鬼”へと転身出来る。

 

「ネロ、君は後衛、僕は前衛だ。良いね。」

 

鬼人化した鋼牙は、ネロへと指差すと、アクリル製の60CM定規を構える。

瞬く間に姿を変えるアクリル製の定規。

三又の特徴的な柄に、一匹の龍が纏い付いた黄金の刀身へと変化する。

 

「おい! 待てって!! 」

 

ネロの制止を完全に無視し、蒼き鬼が小山の如く巨大な邪神に向って疾走する。

灼熱の獣王が、丸太の如く太い腕を振り上げ、身の程知らずな餓鬼を叩き潰そうとした。

地へと撃ちつけられる邪神の右腕。

地面が大きく陥没し、その衝撃で、大地が大きく揺れる。

 

しかし、愚鈍な邪神の攻撃など、音速を超える速さで移動する鋼牙を捕らえる事等敵わない。

表居合術、六か条― 抜討之剣(ぬきうちのけん)により、太い右足の腱を切り刻まれ、無様に転倒してしまう。

 

「ぐがぁあああああああっ! 」

 

先程とは、比べ物にならないぐらいの激痛が、その巨体に走った。

躰を支える脚を潰され、邪神が屈辱の苦鳴(くめい)を上げる。

 

「小僧、今だ! ワシをゴリアテの口の中に押し込め! 」

 

ネロの頭にしがみつく黒毛のハムスターが、唐突に怒鳴った。

 

「口? 二つあるけど、もしかして腹の方か? 」

「馬鹿者!上の口に決まっているだろうが! 」

 

分かっている癖に、態ととぼけるネロに、シウテクトリが怒りの声を上げる。

溶解液が溢れ出る腹の口に押し込まれたら、小さなハムスターなど跡形もなく溶けてしまうだろう。

 

「了解、言っとくが死んでも文句言うなよ? 」

「腐ってもワシは神の端くれだ、物理的な死など存在せんわ。」

 

悪魔の右腕― デビルブリンガーに掴まれたハムスターが、ドヤ顔で応える。

 

人間と神の血を引く者は、現物質の肉体を持つが故に死という概念はあるが、シウテクトリの様な元素(エレメント)は、死そのものが存在しない。

只、入れ物であるハムスターの躰が消失するだけだ。

 

「何か、お前のその顔見てると無性に腹が立つんだよなぁ。」

「うん? 何か言ったか? 」

「いいや、何でもねぇよ。」

 

ネロは、ハムスターを握るデビルブリンガーへと意識を集中させる。

それに呼応するかの如く、”デビルブリンガー”から、蒼白く光る巨大な悪魔の腕が出現した。

 

 

「ぐぅううう・・・まさか”人修羅”と同じ力を持つ奴がいるとは・・・。」

「”人修羅”? まさか17代目の事か? 」

 

ゴリアテの口から予想外の名前が出た。

油断なく、両手に持つ俱利伽羅剣(くりからのつるぎ)を構え、右脚から夥(おびただ)しい血を流す巨人を見上げる。

 

「我が主、”反逆皇・ユリゼン”様の寵愛を受けていた召喚士だ・・・・あの売女め、”アモン”の力を手に入れたら、あっさりと我々を裏切りおったわ。」

 

シウテクトリの真名のお陰か、切り刻まれた右脚は瞬く間に再生していく。

僅か数秒で、跡形もなく治癒してしまった。

巨体を揺らめかせ、徐に立ち上がるゴリアテ。

怒りの感情を必死に押し殺した四つの眼が、数メートルの間合いを開けて対峙する蒼い鬼へと向けられる。

 

「おい! 良いモンやるから口を開けろよ? デカブツ! 」

 

緊張高まる二人の間を引き裂く様に、ネロの声がゴリアテの背後から掛けられた。

何事かと邪神が振り返ると、突然、その口腔に何かがねじ込まれる。

衝撃に、ゴリアテの巨体が背後へと轟音を轟かせて倒れた。

 

「ネロ、”悪魔の右腕”を使い過ぎるとまた・・・。」

 

今迄、瓦礫の影に隠れていたマベルが、ネロの傍らへと近づく。

 

いくら魔具『閻魔刀』の力で、堕天使・アムトゥジキアスを封じているとはいえ、それも何処までもつか分からない。

少年の体内で、魔素が蓄積されれば、再び肉体を乗っ取られる憂き目に会うかもしれないのだ。

 

「大丈夫だよ。それに、シウテクトリがあのデカブツの口の中に入れてくれと言ってきたんだ。だからその通りにしてやったんだよ。」

 

心配そうに此方を眺める妖精を安心させるかの様に、ネロはおどけた様子で両腕を広げた。

 

「こ、こ、この餓鬼共がぁあああああああっ! 」

 

大の字に倒れていたゴリアテが、勢い良く起き上がる。

全身の毛は怒りで逆立ち、四つの眼は、鮮血の色へと変わり禍々しい光を宿していた。

 

「やれやれ、完全に怒らせちゃったじゃん。」

 

常人離れした筋力を活かし、鋼牙が大きく跳躍。

ネロ達の傍へと降り立ち、怒りの咆哮を上げる巨人を見上げる。

 

一方、憤怒の塊となったゴリアテは、足元に転がる巨大な瓦礫を無造作に掴み取り、腹の口へと押し込んでいった。

腹腔に力を溜め、灼熱弾を放つ態勢へと入る。

 

「来るぞ!! 」

 

溶岩の塊を放とうとするゴリアテ。

しかし、蒼き鬼は避けない。

俱利伽羅剣を両手に構え、巨人の腹から放たれた灼熱弾を迎え撃つ。

 

「鋼牙!! 」

 

殆ど条件反射で、ネロが小さな妖精を肩に乗せてその場から飛び退く。

その視線の先で、蒼き鬼が、巨大な炎の塊を俱利伽羅剣で受け止めている姿が映った。

裂帛の気合と共に、鋼牙は灼熱弾をゴリアテの顔面へと撃ち返す。

 

「ばっ、馬鹿な!! 」

 

余りの出来事に、避ける暇すらもない。

巨人は、己が吐き出した灼熱弾をまともに喰らい、再び地面へと沈む。

 

「うーん、意外と頑丈なんだなぁ。 僕の闘気も上乗せして弾き返してあげたんだけど。」

 

額の角を一本へし折っただけで、致命傷を負わせる事は叶わなかった。

鋼牙は、困った様子で、頭を掻く。

 

「全く、無茶しやがって。」

 

背後から、ネロの呆れた声が掛けられた。

敵の攻撃を細い剣一本であっさりと受け止め、その上、顔面に向けて押し返す。

普通ならば、到底考えられない芸当だ。

 

 

同時刻、邪神ゴリアテ体内。

黒毛のハムスターが、気管を抜け、食道を転げ落ち、胃の腑へと辿り着く。

 

「痛タタタタ・・・我ながらちと無理をし過ぎたか・・・。」

 

ハムスター・・・シウテクトリが、額を抑え、周囲の様子を伺う。

 

矢無負えぬ状況とはいえ、流石に”悪魔の右腕”を使って、無理矢理ゴリアテの大顎をこじ開けるのはやり過ぎだった。

五体満足なのが不思議なぐらいだ。

 

「さて・・・ワシの真名は何処にあるやら・・・。」

 

意識を集中し、奪い取られた己の半身を探し出す。

この近くに真名があるのは、分かっている。

早く回収しなければ、外にいる小僧共が危ない。

 

シウテクトリの優れた探知機能が、高濃度のマグネタイトを感知した。

この奥に、己の真名が封じられている香炉がある。

胃液溜りを器用に避けつつ、シウテクトリは香炉がある場所へと急ぐ。

暫く進むと、胃壁に埋まる様な形で、自分の身長より二回り程デカイ石の香炉を見つける事が出来た。

間違いない。

真名が封じられている香炉だ。

 

「フン、ゴリアテめ・・・今迄の借りを何倍にもして返してやるわい。」

 

漸く探し当てる事が出来た己の半身を前に、シウテクトリは皮肉な笑みを口元へと浮かべた。

 




最近、寒くて辛いっす。


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第九話 『 アイギスの盾 』

悪魔紹介

レッドライダー・・・・黙示録の四騎士の一人。
真紅のマントにフードを目深に被り、堅牢な鎧と巨大なガントレットを両腕に装着している。魔王クラスの実力を持ち、雷を自在に操る事が可能。
又、様々な剣術を使用出来る近接戦闘型タイプの悪魔。

ブラックライダー・・・黙示録の四騎士の一人。
ボロボロの黒いマントを被り、骸骨の面で顔を隠している。
妖艶な女性で、肉体をガスに変える事が可能。
精神操作にも長ける。


邪神ゴリアテの腹部にある口が、ガバリと開き、そこから竜巻が発生する。

周囲の瓦礫や、建物を呑み込んでいく暴風の柱。

ネロと鬼人化した鋼牙が、再び左右へと別れ、死の嵐から逃れる。

 

「死ねぇ!死ねぇ! 人間の餓鬼共がぁ!! 」

 

呪詛を吐き散らし、ゴリアテが大きくその巨体を揺する。

額に生えた角の一本が、根元から折れ、そこから鮮血を流していた。

 

「お前のせいで手が付けられなくなっちまったじゃねぇか。」

「何言ってんの。 君が最初に喧嘩を売ったんでしょ? 」

 

瓦礫の影へと隠れた二人が、互いに悪態を吐き合う。

 

「もー、喧嘩してる場合じゃ・・・・。」

 

ネロの右肩にしがみつく妖精が、唐突に言葉を止めた。

夢遊病者の如く表情を無くし、未だ縦横無尽に暴れ回る巨大な悪魔を見上げる。

 

「何か来る・・・・・。」

「・・・・・? 」

 

そう、マベルが呟いた時であった。

周囲を吹き荒れていた暴風が、ピタリと止む。

何事かと、蒼き鬼と銀髪の少年が、邪神ゴリアテのいる方向へと視線を向けた。

小山の如く巨大な悪魔は、腹部の口を抑え、脂汗を浮かべて苦しんでいた。

 

「ぐっ・・・ぐぉおおおお! いっ、痛ぇ!は、腹が破れるぅ!!」

 

巨体を丸め、腹を抑えて藻掻き苦しむ邪神。

と、突然、巨体を仰け反らせると、凶悪な顎を耳まで裂ける程、大きく開いた。

邪神の口腔から、炎の柱が天まで伸びる。

一匹の龍へと変じた炎の柱は、まるでソレ事態が意志でも持つかの如く、瓦礫の影に隠れている銀髪の少年目掛けて突進して来た。

瞬く間に炎の龍に呑み込まれるネロと、マベル。

 

「ネロ!! 」

 

余りの出来事に、普段は冷静な鋼牙が、この時ばかりは珍しく取り乱した。

 

「な、なんだよ? コレ? 熱くない? 」

 

一方、炎の龍に呑み込まれたネロは、己の身に起きている異変に狼狽していた。

予想外の出来事に、避ける暇がまるで無かった。

消し炭にされると覚悟したが、身を焼く激痛は一向に訪れない。

それどころか、躰の芯から力が湧き出るかの様に、気分が高揚している。

 

「スマン、待たせたな・・・。」

 

頭の中へと直接響く声。

ネロとマベルが頭上を見上げると、人間の頭部の形をした巨大な石の香炉が二人を見下ろしていた。

 

「シウテクトリ・・・・。」

「え? コイツがあの鼠だってのか? 」

 

二人を護るかの如く包む、紅蓮の炎。

邪神の口から飛び出して来た炎の龍の正体は、異界化した”かさぎ荘”で出会った黒毛のハムスターであった。

 

「さて、それでは貴殿と交わした約定を護るとするかのう。」

 

ネロ達へと向けていた柔らかい視線が一転、殺意を秘めた鋭い双眸へと変じ、数メートルの距離を置いて対峙する巨大な悪魔へと向けられる。

 

「ぐぐっ! き、貴様は、あの時の悪魔か! まさかまだ生きていたとはな! 」

 

シウテクトリの『真名』を失った為か、ゴリアテは一回り体格が縮んでいた。

額に生えていた雄々しき角も、肉体と同じく短くなってしまっている。

 

強大な力を持つ魔物であった。

ゴリアテが”彼”を見つけた時は、運の良い事に大分弱っていた。

”彼”は、アパートの住人が飼っていた鼠の肉体を間借りし、負った傷を回復させようとしていた。

その隙を、邪神は突いて、”彼”の力の源である石の香炉を奪ったのである。

 

「フン、まだワシを悪魔と謗(そし)るか・・・・頭の弱い邪神め。」

 

忌々しそうに呟くと、シウテクトリは、眼下で此方を見上げているネロの右腕へと視線を移す。

”ソロモン十二柱”の魔神が一人、堕天使・アムトゥジキアスが宿る『悪魔の右腕』。

先ずは、この腕を利用させて貰う。

 

「”マスター”、その腕をちと借りるぞ。」

「え? 」

 

持ち主の了承を得る前に、シウテクトリは行動へと移していた。

紅蓮の炎を吹く石の香炉が、溶け込む様に”悪魔の右腕―デビルブリンガー”へと一つになる。

噴き上がる蒼い炎の柱。

見ると、”悪魔の右腕”はより鋭角な姿へとフォルムを変え、バイクのマフラーの様な二本の角の先から定期的に、炎の塊を吐き出している。

 

「で、デビルブリンガーが形を変えた・・・・? 」

 

少年の右肩にしがみついている小さな妖精が、禍々しく姿を変えた悪魔の腕を見下ろした。

ネロもマベルと同じく、驚愕の表情で、己の右腕を眼前で動かしている。

 

「フン、何だ? 貴様等”アイギスの盾”の使い方を知らんのか? 」

「あ、アイギスの盾だって? 」

 

聞いた事も無いワードに、ネロは訝し気に眉根を寄せる。

 

「小僧の躰に憑依している堕天使を抑え付けている神器の名前だ。 どういう訳か、今は東洋の剣へと身を変じているみたいだがな? 」

 

戸惑う二人に、シウテクトリが簡潔に教えてやる。

 

曰く、”アイギスの盾”は、元々は軍神”アテナ”が所有していた武具で、ありとあらゆる邪悪・災厄を祓う魔除けの能力(ちから)を持つのだという。

また、そればかりではなく、神族や魔族の力を取り込み、己の血肉へと変換させる事も可能なのだという。

 

 

「二人共、避けろ!! 」

 

シウテクトリがネロとマベルに講釈を述べている時であった。

蒼き鬼― 鋼牙の声に、一同は邪神ゴリアテの方へと視線を向ける。

すると、邪神は、足元に落ちている瓦礫の塊を腹部の口へと押し込み、灼熱弾を発射する態勢に移っていた。

 

「小僧! ワシを使うんだ! 」

 

邪神から吐き出される灼熱の弾丸。

ネロは、シウテクトリの言う通り、右の拳を握り締め、正拳突きの要領で、前へと突き出す。

すると巨大な拳が出現し、ゴリアテの吐き出した灼熱弾とぶつかった。

空中で、激しく衝突し合う蒼い炎と紅蓮の炎。

巨大な拳は、炎の塊を難なく破壊し、その背後にいるゴリアテの腹に深々と減り込む。

 

「グォオオオオオオオオオッ!!!!!!! 」

 

邪神の肉体が、四方へと爆散した。

上半身と下半身に分かれた邪神の肉体は、間欠泉の如く、毒々しい体液を周囲にぶち撒けながら、大地へと沈んでいく。

 

暫し、呆然となるネロと鋼牙。

炎の神、シウテクトリが宿った神器の力は、彼等、二人の想像を遥かに超えていた。

 

「ふん・・・これぞまさに”神罰”だな。」

 

憑依していたデビルブリンガーから分離したシウテクトリは、再び黒毛のハムスターへと姿を変えた。

それとほぼ同じくして、姿を変えていたデビルブリンガーが元の状態へと戻る。

 

「す、凄い・・・・”閻魔刀”にそんな能力(ちから)があった何て・・・。」

「”閻魔刀”・・・・・? 」

「ネロの中に居る”ソロモン十二柱”の魔神を封じている魔具の事だよ。」

 

マベルは、簡潔に何故”閻魔刀”がネロの体内にあるのか経緯を語って聞かせた。

思案気に小さな指を顎へと当てていたハムスターは、改めて自分より遥かに上背がある銀髪の少年へと視線を向ける。

 

「小僧、お前に一つだけ忠告だ。 」

「何だよ。 」

「力に溺れる者は、必ず身を滅ぼす・・・・”アイギス”・・今は”閻魔刀”と言うらしいな? その強大な力は、決してお前さんの為にはならん。 努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ? 」

「・・・・・・・。」

 

シウテクトリの忠告に、機嫌を悪くしたのか、銀髪の少年は無言で足元にいる黒毛の鼠を見下ろす。

 

強大な力を求め、ミティスの森に封じられていた”堕天使アムトゥジキアス”の封印を破り、挙句、一時的とはいえ肉体を乗っ取られたのは事実だ。

17代目・葛葉ライドウと魔具”閻魔刀”が無ければ、今頃自分は悪魔に肉体を支配され、醜い怪物へと変じていただろう。

今でも、あの時の出来事を想い出すと寒気を覚えるが、心の何処かで力を欲している事は事実だ。

初めて会った・・・しかも、異形の存在に、己の中にある欲望を指摘され、憤りを覚えるのは当然だといえた。

 

唐突に、地面が激しく揺れ動いた。

地響きが辺りに木霊し、蒼い空に亀裂が走る。

 

「異界が元に姿に戻ろうとしている。 」

 

鬼人化を解いた鋼牙が、ネロ達の傍へと近づいた。

亀裂から降り注ぐ、眩い光。

一同の視界が、真っ白に染まった。

 

 

 

 

東急電鉄線、田園調布駅。

御伽噺(おとぎばなし)に出て来る様な、赤い屋根の可愛らしい駅から、二人の男女が出て来る。

遠野・明と八神・咲だ。

咲は、学園が支給しているスクールコートとカシミヤのマフラーを首に巻き、明はボアの付いた黒のコートを着用している。

実技施設にある畑から、薬草茶の原料となるオオナルコユリの収穫をした後である為か、外は大分暗くなっていた。

 

「御免ね? 毎日送り迎えとか疲れるでしょ? 」

「別に・・・仕事だから構わねぇよ。 」

 

律義に、学校の送り迎えをしてくれる明に、咲は大分気を遣っているらしい。

申し訳なさそうに、自分より大分高い身長をしている明の顔を覗き込んでいる。

その傍らでは、部の顧問であるトロルから、護衛用にと渡された精霊のシルフェが、楽しそうに二人の周りを舞っていた。

 

「・・・・・遠野君、私・・・・・このままじゃ駄目なんだよね・・・自分の身は、自分で護らないと・・・だから、一度、理事長と相談してみようと思うの。」

「・・・・・。」

「自分の能力(ちから)が、どんなものなのか分からない。でも、このまま、何もしなかったら、摩津理や遠野君に迷惑が掛かっちゃう。」

 

一つ一つ、言葉を選ぶ。

肩に下げているスクールバッグを持つ手が白くなっている。

心の奥底から湧き上がる恐怖心と必死に戦っているのが、見て取れた。

 

「・・・・・っ!! 」

 

その時、二人の周囲を異様な空気が包んだ。

夕闇に沈む住宅街の情景がぐにゃりと歪み、朱色に染まる空が血の様なドス黒い色へと変わっていく。

 

巨大な観覧車、物凄い勢いで走るジェットコースター、回転木馬からは不気味な笑い声が響き、誰も人影がいないのに、無数のざわめきが二人の鼓膜に響く。

気が付くと、明と咲は見知らぬテーマパークの中へと囚われていた。

 

 

 

「へぇ・・・結構、良い趣味してるじゃない? レッドライダー君。 」

 

恐怖の色を張り付かせ、戸惑う咲。

それを庇うかの如く、左肩にバックパックを下げた目元まで隠れる程、前髪の長い少年が異界化した周囲の様子を警戒している。

そんな二人の様子を眼下に収め、闇色のマントを纏い、目深にフードを被った影が観覧車に備え付けられている電光掲示板の上で見下ろしていた。

 

「君のリクエストに応えたんだぞ? 白川。」

 

ボロボロのマントを纏う小柄な影の傍らに立つ巨大なシルエット。

此方は、真紅のマントを纏い、強固な鎧に身を固め、眼前に突き立てた身の丈程もある大剣に両手を乗せている。

 

「もう、人間の時の名前で呼ぶのはルール違反でしょ? レッドライダー君。」

「そうだったな? ブラックライダー。」

 

何時もながらに面倒臭いルールだ。

横内・・・・レッドライダーは、傍らにいるブラックライダーから視線を外すと、一つ溜息を零す。

 

主である狭間偉出夫から与えられた黙示録の四騎士の力。

強大な死神達の適合者に選ばれた時は、小躍りする程喜んだが、どうにも与えられた名前で呼び合うには多少の抵抗を覚える。

 

「それじゃ、お先に♡ 」

 

降ろしていた口布を鼻頭まで引き上げ、ブラックライダーは傍らの大男に手を振る。

すると、華奢な女性の肢体が漆黒の煙へと変わり、眼下に居る咲達の方へと向かった。

 

「待て! 勝手な行動は・・・・・!? 」

 

呼び止める間などまるでない。

瞬く間に姿を消した相棒に、レッドライダーは忌々し気に舌打ちする。

 

 

異空間を突き破り、現世へと実体化する仮面の怪物達。

数日前に、帰宅途中の咲を襲った悪魔、幽鬼・デスシザーズ達である。

黒いガスの衣を纏った幽鬼の群は、黒髪の美少女とそれを護る長身の少年を取り囲む様に、不気味な笑い声を上げて宙を舞っていた。

 

「シルフェ! 主を護るんだ! 」

 

明の声に、風の精霊(エレメンタル)が応える。

血錆びが所々浮き出た凶悪な鋏を振りかざし、黒髪の少女へと襲い掛かる悪霊の一体を、シルフェの放つ風の刃が細切れに切り刻んだ。

 

「と・・・・遠野君っ! 」

「そこを絶対、動くんじゃないぞ? 八神。」

 

魔法の様な速さで、二丁のハンドガン、Desert Eagle .50 AEを取り出した明は、背後で真っ青な顔をしている咲に呼び掛けた。

スクールバッグを両腕に抱えた少女が、無言で頷く。

と、咲の足元からデスシザーズ達が纏うガスの衣よりも更に濃い闇が立ち昇った。

瞬く間に覆い尽くされる咲。

主を護らんとシルフェが果敢に戦いを挑むが、ガスによって造り出された巨大な手が、本来形を持たぬ筈の精霊(エレメンタル)を掴み取ってしまう。

 

「八神!! 」

 

明の視界に、巨大な手に握り潰される哀れな精霊の姿が映った。

背後から襲い掛かろうとしたデスシザーズの眉間を、ハンドガンの弾丸で射貫き、同級生(クラスメート)の元へと向おうとする。

しかし、それを遮るかの如く、頭上から巨大な何かが降って来た。

相棒のブラックライダーを追い掛けて来た赤き死神・レッドライダーである。

条件反射で、背後へと大きく飛び退く明。

途端、轟音が辺りに鳴り響き、凄まじい爆風が、明の躰を襲う。

濛々(もうもう)と辺りを包む砂煙。

そこから見える巨大な影(シルエット)が、ゆっくりと立ち上がる。

 

(もう一人、仲魔がいやがったか・・・。)

 

長い前髪の下で、明が此方へと近づく、真紅のマントを纏った巨人を無言で見上げる。

その姿を一言で例えるならば、中世の騎士であった。

血の如く鮮明な紅きマントを纏い、堅牢な鎧に巨大なガントレットを両腕に装着している。

背には身の丈を優に超える大剣を背負い、目深に被ったフードで顔を隠していた。

 

「一体、何者だ? お前等・・・・”魔神皇”の手下か? 」

 

無駄と知りつつも、一応、質問をぶつけてみる。

紅き魔人から吹き出る覇気が、容赦なく明の躰を叩く。

しかし、長身の少年は動じない。

吹き付ける闘気をまるでそよ風の如く受け止め、無言で巨人を見上げている。

 

「疑問に答えて欲しくば、力を示せ。」

 

紅き死神・レッドライダーが、音速の速さで背負っている大剣― 魔剣・ダーインスレイヴを抜き放ち、明の躰を真上から両断せんと、振り下ろす。

真っ二つに割れる大地。

だが、肝心の獲物の手応えも、断末魔の悲鳴も聞こえない。

見ると、何時の間にそこへと移動したのか、メリーゴーランドの屋根の上に、長い前髪をした少年がジャケットのポケットに両手を突っ込んで立っていた。

 

「・・・・・成程、超能力者(ESP)か・・・・。」

 

回転木馬の屋根の上に立つ少年を、赤き魔人は忌々し気に眺める。

 

明は、レッドライダーの攻撃を逸早く察知し、任意に空間を捻じ曲げて、回転木馬の屋根へとジャンプしたのだ。

 

紅き死神は、素早く構内で呪文を詠唱すると、左手の五指に意識を集中する。

蒼白い電気の蛇を纏いつかせながら光る五本の指先。

屋根の上に立つ少年に向って、五つの電撃の弾をぶつける。

電撃系下位魔法”ジオ”だ。

下位魔法とはいえ、膨大な魔力を誇る死神が操るのだから、その威力は上級魔法クラスに匹敵する。

五つの球体は、回転木馬の屋根にぶち当たり、メリーゴーランドを跡形もなく消し飛ばす。

しかし、赤き死神は追撃の手を緩めない。

大剣”ダーインスレイヴ”を両手に構え、轟々と燃え盛る炎の中へと突進する。

 

金属同士が激しくぶつかり合う音と、橙色の火花。

フードの下に隠された赤き死神の金色の双眸が、五鈷杵と呼ばれる法具を両手に持つ鬼の姿を映す。

法具の力で鬼へと転身した明が、二つの五鈷杵で大剣の刃を受け止めていた。

 

 

 

鬼へと転生した明が、赤き死神・レッドライダーと対峙している最中、咲は黒いガスに包まれ、苦しんでいた。

纏い付く様なガスに四肢の自由を奪われ、視界も黒く塗り潰されている。

呼吸が出来ず、遠のく意識の中、耳元で女の声がした。

 

「大丈夫、殺しゃしないわ。 唯、少しの間だけ眠っていて貰うだけよ。」

「あ・・・・貴女は、誰・・・・・? 」

 

自分とそう歳も変わらぬ少女の声。

咲が、声の主を必死に探し求めるが、当然、その姿は何処にもない。

息が苦しい、手足が痺れる。

まるで糸が切れた人形の如く、咲の躰は力無く地へと沈んだ。

 

 

 

その異変は、余りにも唐突だった。

意識を失った筈の少女の肉体が、眩く光り出す。

内側から膨張し、吹き飛ばされる黒いガス。

ガスは人の形を形成し、アイスキャンディーを売っている出店に激突する。

 

「あ、あれは・・・・っ!? 」

 

彼女達から数歩離れた位置で対峙する、赤き死神と深紅の鬼。

鍔迫り合いの状態で、光輝く少女へと互いに視線を向ける。

 

「ちっ!! 」

 

即座に反応を示したのは、赤い死神が若干早かった。

大剣で鬼の獲物を弾き飛ばし、出店に激突した仲魔の元へと向おうとする。

二歩三歩と、背後に多々良を踏む赤き鬼。

その手に持つ五鈷杵が、紅蓮の炎を放ち、形態が大型ハンドガン、Desert Eagle .50 AEへと姿を変える。

銃口から吐き出される凶悪な鋼の牙。

弾丸は、炎の龍となり、真紅のマントを纏う死神へと襲い掛かる。

だが、その顎が死神を捕らえる事は叶わなかった。

巨大なガントレットが、無造作に炎の龍を掴み取り、力任せに握り潰してしまう。

 

「糞! 化け物が! 」

 

地に片膝を付き、何とか態勢を立て直す。

そんな毘羯羅(びから)大将を尻目に、レッドライダーは、呻き声を上げて起き上がる相棒の元へと辿り着いた。

 

「無事か? 」

「ええ・・・何とかね。 」

 

ボロボロの漆黒のマントを纏うのは、妖艶な肢体を持つ女性であった。

躰の線が強調されたボディースーツに、鋼の色をした胸当てと鋭い爪が付いた篭手。

踵の高い具足を装着し、顔は額に二本の角が生えた髑髏の仮面を被っていた。

 

「引くぞ、奴が来る。」

「え?ちょっと!? 」

 

有無を言わせぬ強い力で、レッドライダーは黒い死神を抱き上げる。

足元から噴き上がる紅蓮の炎。

炎の塊となった死神は、何処かへと姿を消した。

 

 

 

 

不図見上げると、”彼女”の視界に、何処までも澄み渡った青い空が映る。

海岸沿いにある街の為か、”彼女”の長い髪を、潮風が嬲っていった。

 

イスラエルの都市、聖地”ナザレ”。

後にキリスト教、発祥の地と呼ばれるその小さな港町に、彼女― マリアはいた。

毎日の日課である礼拝をする為、教会へと続く古びた石造りの階段を歩く。

足取りが非常に重い。

例の噂を聞いたからだ。

此処から遠く離れた地で、大規模な戦争が起こっていると、街を訪れている行商人から聞いた。

このまま、戦争が鎮火しなければ、いずれ、彼女達が住んでいるこのナザレにも、その荒波は来るだろう。

 

「どうしたんだ? 朝から浮かない顔だね。 」

 

愛する夫の声に、俯いていた顔を上げる。

マリアを気遣う様に立つ銀髪の青年。

名前は、ヨセフ。

この港町で、大工をしている。

 

「うん・・・・大丈夫。 少し、考え事をしていたから。」

 

これ以上、夫に心配を掛けまいと、マリアは口元に柔和な笑みを浮かべた。

 

ヨセフは、真面目で人当たりが良い好青年だ。

伝説と謳われる魔剣士・スパーダの血を色濃く継ぎ、このナザレの地を悪魔(デーモン)の脅威から長年、護り続けている。

エルサレムの大司祭の命で、『聖母』である彼女を守護する為に、婚姻の契りを交わした。

以降、彼は貞潔(ていけつ)の誓を立て、彼女に寄り添い続けている。

 

「・・・・大丈夫、我々には、スパーダが付いている。彼がきっと”混沌の魔王”を討ち取ってくれるよ。」

「・・・・・。」

 

彼女の心中を察したのか、ヨセフは愛おしそうにマリアの手を取る。

長年、農作業ですっかり荒れてしまった手。

しかし、彼はこの歪な手が大好きであった。

 

「ごめんなさい・・・・私の存在が、貴方の重荷になっているのね。」

「マリア? 」

 

妻の言葉に、夫が訝し気に眉根を寄せる。

 

現在、北アフリカのチュニスと呼ばれる地で、神の使徒であるヘブライ神族と、悪魔を崇拝する邪教徒達による大規模な戦争が繰り広げられていた。

きっと、夫のヨセフも同胞のいる戦地に赴(おもむ)き、伝説の魔剣士の助力になりたいと思っている筈だ。

だが、身重である自分の存在が、夫の枷になっている。

それがとても辛い。

 

「・・・・・っ!? 」

 

気まずい空気が流れる中、叢を掻き分け何かが二人の前へと躍り出た。

小柄な影が握る短剣が、鈍い光を放ち、マリアへと迫る。

真っ赤に染まる視界。

石畳の上を、鮮血が赤く染める。

 

 

 

「・・・・・・・!? 」

 

その覚醒は、余りにも唐突であった。

清潔な白い天井が、視界を埋める。

暗闇に木霊する激しい息遣い。

黒髪の青年― Vの薄い胸を心臓が激しく叩く。

 

此処は、超豪華客船『ビーシンフル号』の3階にあるホテルの一室。

十分に効いたスプリングとシルクのシーツの感触。

起き上がると、蛍光灯の淡い光に豪奢な室内の様子が照らし出されていた。

 

不意に、Vの耳に窓ガラスを叩く音が聞こえた。

見ると、黒い光沢を持つ大鷲が、窓の外から此方を覗き込んでいる。

Vの仲魔である造魔・グリフォンだ。

 

「ひーっ、すっかり冬だな。凍えちまうぐらい寒いぜ。」

 

Vが窓を開けると、グリフォンが身を震わせながら、室内へと入って来る。

元が造魔である彼等は、外気温を全く感じる事は無い筈であるのだが。

 

「”彼”には、ちゃんと遭えたんだろうな? 」

「もちのろんだぜ。”人修羅”ちゃんが”壁内調査”にお出かけしちゃった事はちゃぁんと伝えたぜ。」

「・・・・そうか。」

 

グリフォンの報告にVは頷くと、先程まで自分が寝ていたベッドへと腰掛ける。

12月中旬であるにも拘わらず、Vは上半身裸で、黒レザーのズボンを着用していた。

全身に走る入れ墨。

これら全ては、悪魔との契約を示す文様だ。

 

「あの人は何て・・・・?」

「特に指示は受けてねぇ・・・ただ、下準備に時間が掛るから、人修羅ちゃんがお出かけしてくれたのは好都合だと言ってたな。」

「下準備・・・か・・・・そういえば、”奴”も同じ事を言っていたな。」

 

この豪華客船の最下層を棲家にしている”怪物”を想い出す。

見てくれは無害そのものだが、中身は触れる事すらおぞましい存在だ。

 

「もしかして・・・・とは思うが、お前、後悔してるんじゃねーよな? 」

 

グリフォンが、繊細な指を額に当て、俯く黒髪の青年を下から見上げる。

Vが幼少の頃からの付き合いだ。

彼が今、何を考え、何に苦悩しているのかぐらい仕草で分かる。

 

「親父さんは、やる気だ・・・・お前も腹を括りな?”バージル”。」

「分かっている。」

 

魔獣に言われるまでも無い。

あの人にばかり罪を全て背負わせる訳にはいかない。

全ての元凶は自分にある。

Vは、唇を噛み締めると、窓に映る天鳥町の街並みへと視線を向けた。

 




予想外に短くなってしまった。


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第10話 『襲撃者 』

登場人物紹介

16代目・葛葉忍・・・・・葛葉四家当主の一人、役小角の血縁者であり、金鬼、水鬼、風鬼、隠形鬼の4体の鬼を使役する。魔導師職を全て取得した到達者(マイスター)であり、その中でも医師(ドクター)の能力に秀でている。
『葛葉産婦人科医院』の責任者であり、裏社会では『医神』の異名を持つ。

早乙女・桜子・・・『葛葉産婦人科医院』に勤める看護師。
ライドウに次ぐ魔力の持ち主であり、魔導師職の中でも黒魔法のスペシャリストである。父親が、警察庁に勤める警視正をしている。



人工島―『天鳥町』泰祥堂(たいしょうどう)区二丁目。

ショッピングモールの一区画にその病院・・・・『葛葉産婦人科医院』はあった。

 

「はぁい・・・・お待たせしましたぁ・・・・。」

 

時刻は、夜の7時過ぎ。

とうに診察時間は過ぎている。

紅茶色の髪を頭の頭頂部で一纏めにした20代前半ぐらいの看護師が、閉まっていた病院のドアを開く。

 

「すまん、16代目はいるか? 」

 

看護師の眼前に、のっそりと巨大な影が現れた。

伸び放題になった髭と、縮れた黒い髪。

全体的にずんぐりむっくりとした歪な体型と、丸太の様に太い両腕には、紺色のダッフルコートを着た学生らしき少女を横抱きにしている。

意識を失っているのか、両瞼は閉じられており、人形の如く整った容姿をしていた。

 

「あら? トロル先生じゃないですか・・・・・そちらのお二人は『エルミン学園』の生徒さん? 」

 

紅茶色の髪をした看護師・・・・早乙女・桜子は、驚いた様子で、かつての恩師とその腕に抱かれている少女、そしてトロルの隣に立つ長身の少年を交互に眺める。

 

「桜子ちゃん、早く彼等を処置室に案内して。」

「あ、はい。先生。 」

 

廊下の奥から、看護師より幾分年上と思われる白衣姿の美女が姿を現した。

この『葛葉産婦人科医院』の責任者、16代目・葛葉忍である。

長い黒髪を後ろで一纏めに結い上げ、新雪の如き白い肌と見る者を魅了させる美貌を持っていた。

 

「あら?毘羯羅君じゃない? お久しぶりね? 」

 

美しい女医の視線が、2メートルを軽く超える身長を持つ長い前髪で目元を隠した少年で止まる。

ボア付きの黒いジャケットの下には、『聖エルミン学園』の制服を着ていた。

 

「どうも。 」

 

一応、相手は葛葉四家当主の一人だ。

遠野・明は、自分より遥か格上の立場に居る忍に対し、形だけの挨拶を交わす。

 

 

今から数分前、明とクラスメートである八神・咲は、彼女の自宅がある田園調布駅周辺で、何者かの襲撃を受けた。

血の如き赤いマントを纏う悪魔と、闇色のマントを纏う女の悪魔。

否、只の悪魔(デーモン)ではない。

明の長年の戦闘経験から、奴等が魔王クラスを超える怪物である事が分かる。

 

正体不明の悪魔二体と交戦中、女悪魔に囚われた咲が、自身の持つ”能力(ちから)”に覚醒。

見事撃退には成功したが、そこで意識を失ってしまった。

赤いマントの悪魔― レッドライダーは、薬学部顧問であるトロルの接近を逸早く察知し、仲魔のブラックライダーを無理矢理担ぐと戦線を離脱。

正に九死に一生を得る形で、明達は、危機を脱する事が出来た。

 

 

「アンタのお陰だ・・・・俺一人じゃ八神は護り切れなかった。」

 

ベッドに寝かされ、忍達の処置を受ける咲の姿を眺めながら、簡易椅子に座った明が隣に立つトロルに呟いた。

 

「お前、悪くない・・・・俺の読みが甘かった・・・ただそれだけ。」

 

出入り口の壁に背を預け、トロルは腕組みをして傍らにいる生徒へと視線を向ける。

 

敵の力は、明の想像を遥かに超えていた。

魔王クラスの悪魔が二体、流石に組織『クズノハ』暗部、”八咫烏”の中でもエリート部隊である”十二夜叉大将”の一人でも、手に余る強敵だ。

炎の巨人”ムッスペル族”の長、魔王・スルトルの介入が無ければ、自分は殺され、八神を奪われていたかもしれない。

 

彼等が現在いるこの病院は、組織『クズノハ』の持ち物である。

普段は、産婦人科医院として通常業務をしているが、裏では、悪魔(デーモン)達からの脅威に人類を護る狩人(ハンター)達の霊的治療を行う施設であった。

16代目・葛葉忍は、魔導師職(マーギア)の一つである医師(ドクター)のスペシャリストであり、”医神”の二つ名を持っている。

 

「奴等は一体何者だ? アンタなら知ってるだろ。」

 

鋭い視線を、隣に立つ巨人へと向ける。

暫しの間、何かを考えこむかの様に瞑目していた巨人の長は、何かを決意したのか、徐に口を開いた。

 

「黙示録に記されし、四人の騎士・・・・赤いマントの悪魔は、”戦争”を意味し、黒いマントの悪魔は、”飢饉”を現す。」

 

”ヨハネの黙示録”に記される破滅の四騎士。

数ある死神達の中でも、更に強力な力を有し、飢饉と病、そして争いにより地上の人間達を殺戮する権利を与えられている。

 

「何で、そんな奴等が八神を・・・・・? 」

「八神・咲は、”母”の一柱・・・・”母”の力は三人の”絶対者”に干渉出来る・・・だから狙われた。」

 

魔力のリバウンドにより、体力を失った咲の処置を眺めつつ、トロルは簡潔に説明する。

 

「遠野、お前はもう帰れ・・・・八神の事は俺が預かる・・・・。」

「はぁ? 何だそりゃ、俺じゃ役不足だと言いたいのか? 」

「そうだ・・・・”聖母”護れるのは、俺と晴明しかいない。」

 

八神・咲は、”聖母・マリア”の生まれ変わりである事はこれで確定した。

彼女の力の覚醒は、多くの悪魔(デーモン)達に知れ渡っただろう。

もう普通の生活は送れない。

その事については、理事長である安部・晴明自らが、咲の両親に説明する筈だ。

 

「ちっ・・・・分かったよ。」

 

有無を言わせぬトロルの眼光に、明はそれ以上逆らう事はしなかった。

 

自分の力量は、自分自身が一番理解している。

己の力を過信する程、明は愚かではない。

 

「遠野・・・・今のお前は力不足だが、決して無力ではない。 友と同じ道を歩み、学び、力をつけろ・・・いずれそれが、大きな糧になる。」

「糧・・・・・。」

 

座っていた簡易椅子から立ち上がる明に、トロルの声が掛けられる。

暫く、無言で見つめ合う二人。

トロルの言葉の意図が読めず、諦めたかの様に一つ息を吐き出すと、明は矢来銀座にある『葛葉探偵事務所』に戻るべく、処置室を後にした。

 

 

 

数時間前、東京都台東区、清川二丁目にある住宅街。

かつて、”かさぎ荘”と呼ばれたその更地に二人の少年が立っていた。

 

「ど、どうなってんだよ? これ・・・・。」

 

頭に黒い毛並みのハムスターを乗せた銀髪の少年― ネロが、広い空き地と化したかつてのアパートを驚愕の思いで見回す。

 

「ゴリアテが死んだ事で、本来の姿に戻ったのだ。 今迄、我々が見ていたモノはどれも奴が造り出した幻覚だ。」

 

少年の頭の上にしがみついているハムスター― アステカの火の神、シウテクトリが戸惑う若き召喚術師(サマナー)に説明してやる。

 

「成程、まるで狐につままれた様な気分だね。」

 

黒縁眼鏡の少年、壬生・鋼牙は、しゃがむと足元に転がっている骸骨を手に取る。

一目で人間のモノである事が分かった。

良く見ると、更地のあちこちに人骨が無造作に捨てられている。

これら全ては、邪神・ゴリアテが造り出した幻想の罠に囚われた犠牲者達だ。

 

「貴方達の仇は取りました・・・・安らかに眠って下さい。」

「・・・・・。」

 

鋼牙の言葉に呼応するかの如く、打ち捨てられた亡骸達から淡い光を放つ、球体が浮かび上がり、次々と天へと昇っていく。

悪魔(デーモン)達に縛り付けられていた人々のソウルが、解放されたのだ。

彼等の魂は、エリュシオンで一時の安らぎを得て、再び転生の循環へと加わる。

そして、星のエネルギーとなり、新たな器へと生まれ変わるのだ。

 

 

「・・・・・っ! 誰っ!! 」

 

ネロの肩に座り、魂の放流を眺めていた小さな妖精、マベルは、人の気配を感じ、背後を振り返る。

視線の先― 更地の入り口に一つの影が、沈みゆく夕陽を背に立っていた。

黒いマントを身に着け、フードで顔の半ば以上を隠している。

金色の二対の龍が絡み合う装飾が施された鞘に収まる刀を左手に持ち、研ぎ澄まされた眼光を少年二人へと向けていた。

 

(・・・・・・? 何だ? この闘気・・・・。)

 

想像を絶する精神的重圧(プレッシャー)に、躰が身動き出来ない。

鋼牙は、俱利伽羅剣から只のアクリル製の60CM定規へと戻った得物を右手に、唇を噛み締める。

 

怖い・・・・・恐ろしい・・・・震えが走る。

だが、何故か自分は、この闘気の持ち主を知っている。

 

「へっ、新手かよ? それとも、さっきのデカブツの手下か? 」

 

そんな仲間の異常を他所に、銀髪の少年は、背負っている機動大剣『クラウソナス』を引き抜いた。

地面に突き立て、アクセル状になっている柄を捻る。

推進剤が「イクシード」へと流れ込み、まるでバイクのエンジン音と同じ唸り声を上げた。

 

「駄目だ! ネロ!! 」

 

相手に攻撃の余地は与えないとばかりに、機械仕掛けの大剣を構え、黒いマントの男へと斬り掛かるネロ。

それを鋼牙が、咄嗟に止めるが既に遅すぎた。

機動大剣に内蔵されている”イクシード”の能力で、倍加した斬撃が、男の躰を袈裟掛けに切り裂く。

しかし、肝心の手応えまるで返って来ない。

男の姿は跡形もなく消失し、地面を深く抉る機動大剣の切っ先だけが、視界に映った。

 

「・・・・・っ!野郎!! 」

 

背後に感じる敵の気配。

慌てて後ろを振り返るネロは、そこである違和感を感じた。

 

右腕の感覚がまるでしない。

ネロが視線を己の右腕へと移すと、有る筈の”悪魔の右腕”が姿を消していた。

肘の付け根から、綺麗に斬り落とされていたのだ。

 

間欠泉の如く噴き出す鮮血。

ネロが、失った腕を抑えて地面に蹲(うずくま)る。

 

「ネロっ!! 」

 

悲鳴を上げる小さな妖精。

その横を、黒い突風が駆け抜ける。

60CM定規を構えた壬生・鋼牙だ。

闘気術で筋力を倍加し、一気にマントの男との距離を詰める。

鋭い一閃。

橙色の火花が散り、闘気の刃と鈍色に光る日本刀の刃がぶつかり合う。

 

「貴方が何者かなんて知らない・・・・でも、ソレを渡す訳にはいかない。」

 

男が左手に持つ”悪魔の右腕”。

斬り掛かったネロを紙一重で躱し、その上、相手が知覚するよりも早く、右腕を斬り落としたのだ。

恐ろしいまでの技量。

実力は、剣聖クラスに匹敵するだろう。

 

決して勝てる相手ではない。

しかし、魔具『閻魔刀』が眠る”デビルブリンガー”を易々とこの男に渡す訳にはいかなかった。

鋼牙の刀身が幾度も閃く。

宙で激しくぶつかり合う、互いの斬撃。

橙色の火花が散り、鋼牙の頬や腕を薄く切裂いていく。

 

(ちっ、何て重い打ち込みなんだ!)

 

鞭の様にしなる刀身から放たれる斬撃は、どれも重く、剣豪(シュヴェアトケンプファー)の称号を持つ自分を遥かに超えた技量を持つ事が伺い知れる。

 

「マベル! 君はネロを助けるんだ! 」

 

小さな妖精に指示を出し、マントの男とギリギリの間合いを保ちつつ離れる。

すぐさま、蹲る少年の元へ向かうハイピクシー。

それを確認した鋼牙が、ダッフルコートのポケットに捻じ込んである法具に軽く触れる。

 

鬼へと転身すれば、まだ勝機は此方にある。

だが、邪神との戦いで内在している闘気を大分消費していた。

この状態では、鬼に転身出来ない。

 

(このままじゃ勝てない・・・・でも、『閻魔刀』を奪われたらネロが・・・。)

 

「迷うな? 少年、ワシが加勢してやる。」

 

そんな鋼牙の耳に、シウテクトリの声が聞こえた。

見ると何時の間に鋼牙の頭の上に登ったのか、黒い毛並みのハムスターが腕組みして立っている。

 

「良いんですか? 僕は召喚術師(サマナー)じゃない。」

「ふん、安心しろ。こう見えてもワシは戦神じゃ。」

 

何処からその自信が来るのか、シウテクトリはシニカルな笑みを口元へと浮かべると、ハムスターから本来の悪魔の姿へと戻る。

右腕に握られている60cm定規に、紅蓮の炎が宿る。

それに伴い、鋼牙の躰に蓄積された疲労感が、和らいでいった。

 

「バフと回復は、ワシに任せろ。何としても神器を取り戻すんだ。」

「了解! 」

 

闘気術で、脚の筋力を上げ、一瞬で相手との間合いを詰める。

 

天真正伝香取神道流、表居合術(六か条)、抜討之剣(ぬきうちのけん)だ。

視認不可能な斬撃が、黒いマントの躰を両断せんと襲い掛かる。

それを片腕で軽く往なす襲撃者。

次の瞬間、男の躰を無数の火球が襲った。

大爆発が起こり、振動が辺りを大きく揺らす。

 

「やったか? 」

「イカン!後ろだ!! 」

 

シウテクトリの声と鋼牙の鳩尾に拳が減り込むのは、ほぼ同時であった。

 

火炎系中級魔法、『マハラギオン』が直撃するよりも早く、襲撃者は殺戮の間合いから逃れ、鋼牙の背後へと移動していたのだ。

九の字の形で、冗談の様に吹き飛ばされる鋼牙。

破壊された壁に激突し、そのまま動かなくなる。

 

「小僧! 」

「もうこれ以上の戦闘は無意味だ。 大人しく引き下がれ、”シウテクトリ”。」

 

気を失った鋼牙の元へ向かおうとするシウテクトリの背に、黒いマントの男の声が掛けられた。

驚き、背後にいる襲撃者へと振り返る。

 

「新しい主を、アニタの様に失いたくないだろ? だったら、お前さんが出来る事は唯一つだ。」

「き、貴様・・・・何故、ソレを・・・・・? 」

 

呻く様なシウテクトリの問い掛けに、しかし、男は応えなかった。

”悪魔の右腕”を元の姿・・・・魔具『閻魔刀』へと変え、その刃を幾度か振るう。

すると、空間が引き裂かれ、別の場所が口を開けた。

 

「待て! お前は一体何者だ!? 」

 

何の躊躇いも無く、異空間の入り口へと足を踏み入れる男の背に、シウテクトリの声が掛けられた。

 

この男は、前の主の名前を知っている。

あの哀れな少女の事を知っているのは、同じ部隊に居た人間しかいない。

 

男は、その問い掛けにも応える様子は無かった。

消えていく次元の入り口。

襲撃者の姿は、影も形すらも残す事無く、完全に消失した。

 

 

 

1か月後、東京アクアラインと天鳥町を繋ぐ、サービスエリア。

 

駐車場に停車している大型バイクに二つの影があった。

一つは、女性の如く華奢な肢体をしており、長い黒髪を三つ編みで一つに纏め、不釣り合いな程大きなフライトジャケットを着ている。

もう一つは、遥かに大きな体躯をしており、バイクに腰掛ける少年に覆い被さり、その薄い唇を吸っていた。

 

「もう、良い・・・・離れろ。 」

 

長い黒髪を後ろで三つ編みに結った少年・・・・17代目・葛葉ライドウは、自分に覆い被さる男、ダンテの肩を乱暴に押しやる。

 

「何だよ? 腹は膨れたのか? 爺さん。」

 

見事な銀の髪を持つ男、ダンテは、お預けを喰らった犬の様に唇を尖らせて、腕の中に居る愛しい主を見下ろす。

 

「”マスター”だ。 たく、たかが魔力供給に、舌まで入れやがって。」

 

濡れた唇をジャケットの袖で、乱暴に拭う。

 

時刻は既に深夜を回った1時過ぎ。

流石に人影は、自分達以外は全くなく、駐車場に停車している車も数える程も無い。

しかし、こんな駐車場のど真ん中で、情熱的なキスを交わし合う程、鈍感にはなれない。

 

 

『壁内調査』後、東京アクアラインにある大門から、外の世界へと生還したライドウを迎えたのは、大分不機嫌な仮番(かりつがい)であった。

同じ調査隊の一人に、悪戯で媚薬入りのキャンディーを食べたライドウは、ダンテの腕の中で爆睡した挙句、連れ込まれた簡易宿泊ホテルで事に及んだ。

丸半日以上、媚薬の効果が抜けるまで泣かされたライドウは、本部に調査報告書を提出する為、成城の葛葉邸へと帰る事にしたのである。

 

「だったら、もう少しあそこでゆっくりしてれば良かったじゃねぇか。」

「そうはいかない。今日の午後には、八王子の本社で大事な会議があるんだ。」

「はぁ? ”壁内調査”に戻って来たばかりで、もう仕事かよ? 今に過労死しちまうぞ。」

 

主の底抜けなバイタリティーには、正直感服する。

レッドグレイブ市で共に便利屋をしていた時もそうだったが、ライドウは根っからの仕事馬鹿だ。

回遊を続けていないと死んでしまう鮪(まぐろ)の様に、常に何か仕事をしていないと気が済まない。

ある意味、現代日本を代表する人種だと言えた。

 

「俺は、お前と違って自堕落じゃ無い・・・・ぶぇくしょぉい! 」

 

いきなり盛大なくしゃみを噛まされ、ダンテが呆れた様子で顔を背ける。

見ると主が微かに震えているのが分かる。

いくら、魔力供給を施してあるとはいえ、体力を大幅に削られた挙句、ダンテの無尽蔵な精力に散々付き合わされたのだ。

下手をすると風邪を引いてしまう。

 

「此処で待ってろ、自販機でコーヒー買って来るわ。」

 

鼻を啜る主の額に軽くキスを送ると、銀髪の大男は、自販機がある喫煙コーナーへと消えていく。

すっかり恋人気分の代理番に、ライドウは呆れた様子で一つ溜息を零した。

 

 

 

「へぇ・・・・アレが、君の新しい番か・・・・。」

 

暗がりから聞こえる何者かの声。

未だ変声期を迎えぬその声は、少年とも少女とも判別が出来ない。

 

芯まで凍える程の圧倒的、重圧感。

無意識に右手が、腰に装着してあるナイフホルダーに納まるクナイへと伸びる。

 

「ふふっ・・・・そんなに怯えないでよ? 傷つくなぁ。」

「・・・・・っ!? あ・・・・アンブローズ・マーリン。」

 

駐車場に設置されている照明灯に浮かぶ、一人の小柄な影。

肩まで伸びる白髪に、紺のダウンジャケットに黒のタートルネックのセーター。

ジャケットと同色のスラックスに、黒の革靴を履いている。

白い息を吐くその唇はとても愛らしく、まるで人形の様に整った容姿をしていた。

 

「な・・・・何故、お前が此処に・・・・・? 」

 

自分と幾分も変わらぬ背丈の華奢な少年。

しかし、そこから吐き出される覇気は、人外のソレだ。

驚愕で双眸が見開かれ、手足が痺れ、動かない。

 

「逢いたかった・・・・僕の愛しい番。」

 

何の警戒心すら無く、白髪の少年はライドウへと抱き着く。

悪魔使いの首筋に顔を埋め、その体臭を存分に嗅ぐ。

 

「本当は、もっと早く君に逢いに行きたかったんだ・・・・でも、ロバートの奴が意地悪して僕をあんな薄汚い船に押し込んだ。」

 

かつての弟弟子の顔を思い浮かべ、マーリンが薄い唇を悔し気に噛み締める。

 

「そうか・・・俺は、お前に逢いたく無かったよ! 」

 

腰のナイフホルダーから、クナイを抜き放つと自分に抱き着く少年を切裂こうとする。

だが、手応えが返って来ない。

気が付くと、自分を抱き締めていた白髪の少年の姿が忽然と消えていた。

見ると少し離れた位置にある照明灯に、背を預ける形で立っている。

 

「酷いなぁ・・・・ナナシ。 もしかして、まだあの事を根に持っているのかい? 」

 

薄く切裂かれた頬から流れ出る血。

マーリンは、それを右手の人差し指で掬(すく)い紅い舌で舐める。

 

「アヌーンって言ったっけ・・・・あの亜人の娘。」

「・・・・・っ。」

 

マーリンの口から、その名前が出た途端、ライドウの隻眼が鋭く尖る。

 

「可愛い娘だったよね? 歌がとても上手だった・・・・。」

 

刹那、大型バイクの傍に居たライドウの姿が消失。

マーリンの眼前へと移動した悪魔使いが、その白い喉にクナイの切っ先を押し付ける。

 

「それ以上、言ってみろ・・・・次は、確実に殺すぞ? 」

 

地を這う様な低い声。

右眼を覆う黒い眼帯から、僅かに蒼白い炎が噴き出る。

 

「ふふっ・・・・良いねぇ、その眼・・・・昔の君を想い出すよ。」

 

皮膚が破れ、喉から血の雫が一筋伝う。

しかし、マーリンは別段気にする素振りを見せる事は無かった。

自分に凶器を押し付ける悪魔使いの頬を、愛おし気に撫でる。

 

「安心して、今すぐ君をどうこうするつもりはない。 今日は挨拶に来たんだ。」

「挨拶だと? 」

「そう・・・・・20数年ぶりに遭う君に対する・・・ね。」

 

マーリンの形が、見る見るうちに崩れていく。

白髪は色を更に失い、広葉樹の様な葉へと変わり、肉体も同様の姿となって、ライドウの足元に崩れ落ちた。

何処からともなく吹き荒れる突風が、悪魔使いの足元に積もる白い葉を上空へと舞い上げる。

 

『愛してるよ・・・・ナナシ。 近いうちに必ず迎えに行くから。』

 

耳元へと木霊する憎い仇の声。

ライドウは切れる程、唇を噛み締めると、クナイを握る右腕で、照明灯を思い切り殴りつけた。

 

 

 

 

東京都台東区北東部、山谷にあるガレージショップ・・・『ゴールドスタインの店』。

店内に置かれている幾つかの小型乗用車。

その一台のボンネットを開け、片腕の少年がレンチを片手にジェネレーターを弄っていた。

 

「良いのか? 所長代理に休んでいろと言われてたんじゃねぇのか? 」

 

紺色のツナギと油で大分汚れたシャツを着る銀髪の少年の背に、この店の主である、ニコレット・ゴールドスタインが声を掛けた。

此方も同色のツナギを身に着け、上半身は黒いシャツ、口には愛用の煙草を咥えている。

 

「寝てばっかじゃ飽きる・・・・それに、躰動かしていた方が気が紛れるし。」

 

作業台の上に、依頼品を広げるニコを横目に、銀髪の少年、ネロはジェネレーターの修理を続ける。

 

意外にも、ネロはこういった作業が結構好きだ。

彼が愛用している六連装大口径リボルバー、『ブルーローズ』も騎士団内で支給されていた武器を自分なりに改造したモノであった。

 

 

清川二丁目にあるアパート”かさぎ荘”での事件から、既に一月近くが経過している。

突然、現れた襲撃者に右腕を奪われたネロは、”探偵部”の仲間、遠野・明に担がれ、天鳥町にある産婦人科へと運ばれた。

 

「一体、何があったんだ? 」

 

緊急手術を行う為、『葛葉産婦人科医院』の責任者である、16代目・葛葉忍と、その弟子である早乙女・桜子にストレッチャーで運ばれるネロを見送り、明が待合室の椅子に座る黒縁眼鏡の少年へと質問をぶつける。

幸い、鋼牙の傷は、肋骨を数本折る程度で済んでいた。

しかし、重症である事に代わりは無い。

力無く革張りの椅子へと座る鋼牙の傍らで、ハイピクシーのマベルが回復魔法を唱えていた。

 

「正体不明の賊に襲われた。 相手は、物凄い手練れだ・・・・恐らく、葛葉四家クラスのね・・・・。」

 

鋼牙は、簡潔に事件の経緯を説明する。

”かさぎ荘”の異変を起こしていた元凶、邪神・ゴリアテを無事討伐した事。

その時に、ゴリアテに”真名”を奪われたアステカの火の神、シウテクトリを仲魔にした事。

魔具・『閻魔刀』の隠された力、そして、突然の襲撃者。

因みに、ネロの仲魔になったシウテクトリは、GUMPに収納されている。

 

「マベル、お前はどう思う? 」

 

話を一通り聞いた明が、今度は鋼牙を治療している小さな妖精へと問い掛けた。

精神感応力が高い彼女なら、鋼牙達とは違った観点で、何かを察知したのでは?と思ったからである。

 

「正直分からない・・・・でも、一つだけ気になる事が・・・・。」

「気になる事? 」

「7年前の、”テメンニグル事件”・・・・・その首謀者の一人と、鋼牙達を襲った奴と、動きが全く同じだった。」

 

マベルの脳裏に、目の覚める様な蒼い長外套(ロングコート)を纏う、銀髪の剣士の姿が蘇った。

レッドグレイブ市を中心に活動する荒事専門の便利屋、『デビルメイクライ』の店主(オーナー)、ダンテの双子の兄・・・・バージル。

その半人半魔と”かさぎ荘”跡地で、鋼牙達を襲った奴と体捌きが非常に良く似ている。

 

「でも有り得ない・・・・アイツは、4年前の”マレット島事件”で死んでる筈なんだよ・・・・心臓を破壊されて生き返るなんて・・・・・。」

 

双子の弟であるダンテが、魔具『フォースエッジ』で、兄の心臓を破壊する所をこの目でしっかりと見ている。

悪魔にとって、心臓は、現世へと実体化する為の大事な器官の一つだ。

例え、魔王クラスの大悪魔でも、心臓(コア)を破壊されれば、一撃で死ぬ。

それを失ったバージルが、生きているなど不可能に近い。

 

「理事長に連絡は・・・・? 」

 

事態が予想以上に、悪い方向へと流れている。

賊に『閻魔刀』を奪われたのだ。

組織の元締めである安部・晴明に報告するべきだろう。

 

「もうしたよ・・・・案の定、僕達には手を引け、だってさ。」

 

いくら組織の暗部、”八咫烏”の一人だといえ、鋼牙達は経験の浅い餓鬼でしかない。

当然、鋼牙達だけでは手に余ると判断され、余計な事は一切するなと、お達しを有難く頂いた。

 

 

 

少々、乱暴に車のボンネットを閉めたネロは、作業場にある簡易椅子に座る。

 

事の経緯は、鋼牙から全て聞いていた。

魔具『閻魔刀』を失い、”ソロモン12柱”の魔神の一人、堕天使・アムトゥジキアスを抑え付ける枷を失った。

今のネロは、非常に危険な存在だといえる。

唯一残る左手が、失った右腕へと伸びた。

 

 

『17代目の教えを受けなさい。 あの方なら、今の貴方を救える。』

 

術後、麻酔から眼が醒めたネロに、病院の責任者である16代目・葛葉忍が言った。

 

モデル並みに均整の取れた肢体と、見惚れる程、美しい容姿をした美女であった。

後で鋼牙から説明されたのだが、組織『クズノハ』の幹部クラスである葛葉四家当主の中でも一番若く、”医神”の通り名を持つSS級の召喚術師であり、ライドウと同じく魔導職(マーギア)を全て習得した”到達者(マイスナー)”であるらしい。

 

念の為に、強力な術式で魔神の覚醒を抑えてはいるが、それも何時まで持つか分からない。

忍曰く、「中に宿っている堕天使を、ネロ自身が捻じ伏せ従えさせる必要がある。」との事であった。

 

(ちっ・・・・・分かってんだよ。 でも、ライドウさんをこれ以上、失望させたくねぇ。)

 

”かさぎ荘”での一件は、完全にネロの失態だ。

相手の力量を見極めず、”閻魔刀”が本来持つ能力(ちから)を使って、ほぼ、一方的に邪神・ゴリアテに勝利した事で、ネロの中に驕りが生まれてしまった。

鋼牙と連携し、もっと上手く立ち回れば、”閻魔刀”を奪われる憂き目は回避出来たかもしれない。

 

そんな悶々とした気持ちを抱えるネロの頬に、冷たい缶コーヒーが押し付けられた。

見上げると、作業を一時中断したニコが、コーヒーの缶を持ってニヤニヤ笑っている。

 

「なーに、ビビってるんだよ? 本当の事を17代目に話せば良いだろ? 」

「うるせーよ。 アンタには関係ないだろ? 」

 

缶コーヒーを受け取り、ネロが不貞腐れた態度で、唇を尖らせる。

ニコには、鋼牙から全ての経緯を聞かされている。

だから、ネロが抱える葛藤が手に取る様に理解出来た。

 

「アタシにもさぁ、一人だけいたんだよ・・・・口煩い糞婆ぁがさぁ・・・。」

 

ニコは、作業台に寄り掛かると、プルトップを開けて缶コーヒーを啜るネロを眺めながら、愛用の煙草を口に咥える。

 

「アタシが物心ついた時には、もう両親は死んじまってて・・・婆ぁと二人だけだった。 頑固で偏屈で、アタシが悪さした時は、包丁の柄でぶっ叩く気性の荒い婆さんだったよ。」

 

ニコの両親は、彼女が幼い時に、悪魔(デーモン)によるパンデミックにより死亡した。

唯一生き残ったニコを、レッドグレイブ市で銃のアキュライズを営んでいたニール・ゴールドスタインが引き取り、育ててくれたのだ。

 

「アタシ・・・・本当の事を言うと職人(ハンドヴェルガー)になんてなりたくなかった・・・もっと別の生き方がしたかった・・・でも、あの婆ぁは、アタシの気持ちなんてそっちの気で、無理矢理、職人としての技術を叩き込んだ。」

 

遠い記憶の中に居る祖母は、幼い自分を力で捻じ伏せる残酷な人間であった。

周りにいる同年代の子供達が、両親に玩具や綺麗な服で着飾り、旅行などに連れて行って貰える中、自分は、祖母から職人としての知識を、スパルタ的に学ばされていた。

今から、思うとその行為、全てはニコの為だったのかもしれない。

幼い孫が、誰よりも早く独り立ちし、自立出来る様にする為だったのだ。

 

「15の時に、婆ぁと大喧嘩して、夜逃げ同然で、アメリカから日本(此処)にやって来た。 あの時は、口煩い婆ぁとやっと別れられて済々したけど・・・今じゃ後悔してる。もっと、話をしてやれば良かったって・・・・。」

 

自然と、ニコの視線が壁に掛けられている『BY .45 ART WARKS』と刻まれた古臭い金属のプレートへと向けられる。

7年前、アメリカのスラム1番街で拾った祖母の遺品。

ヴァチカンによる空爆で、唯一、焼け残った祖母の偉業を示す代物であった。

ニコの脳裏に、モルグで変わり果てた姿となった祖母の姿が過る。

死体袋に詰められたニールの遺体。

彼女を失って初めて、ニコは祖母の深い愛情を知ったのだ。

 

「・・・・・・。」

 

ニコの視線を追い掛ける様に、ネロは壁に掛けられた古びた金属のプレートへと視線を向ける。

彼女が何を言わんとしているのか、その真意は痛い程良く判る。

生まれ故郷である遠い北の台地、『フォルトゥナ公国』。

大国同士の思惑に踊らされ、隣国と戦争を起こした挙句、大勢の市民と教団の仲間が死んだ。

天涯孤独な自分を息子として、暖かく迎え入れ、一人前の魔剣教団騎士へと育て上げてくれたのは、騎士団長であるクレドだ。

謹厳実直を絵に描いた様な人物であった。

しかし、異端の能力(ちから)を持ち、周囲の心無い人々から、いわれなき迫害を受ける自分を厳しくも優しく育ててくれたのだ、クレドと妹のキリエだ。

もう、この世の何処にもいない二人。

 

そんな物思いに耽(ふけ)るネロの耳に、ガレージショップの扉を開ける音が聞こえた。

ニコに仕事を依頼する為に、客が来たのだろうか?

そう思い、顔を上げた途端、ネロの躰が金縛りにでもあったかの如く、動けなくなる。

出入り口の扉を開けたのは、小さな妖精を肩に乗せる左眼に大きな黒い眼帯をした、紺のコートと背広姿の少年だった。

 

 

「わぉ、噂をすれば何とやら・・・だな? 」

 

組織『クズノハ』最強の召喚術師と謳われる、17代目・葛葉ライドウの登場に、女店主は思わず口笛を吹いていた。

 

「ら・・・・ライドウさん。 」

 

簡易椅子から思わず立ち上がったネロが、無意識に失った右腕を隠そうとする。

そんな銀髪の少年に、悪魔使いは一つ溜息を零すと、改めて女店主へと視線を向けた。

 

「済まない、暫くこの子と話をしたいんだ。」

「オーケー、リビングの部屋貸してやるから、好きなだけ使いな。」

 

それだけ悪魔使いに伝えると、ニコは依頼品の修繕をする為、再び作業台へと向かう。

その姿を見送ったライドウは、バツが悪そうに俯く銀髪の少年を促し、リビングへと続く扉を開けた。

 

 

 

矢来区、地下下水道。

そこに、真紅の長外套(ロングコート)とタクティカルスーツ、背に身の丈程もある大剣を背負う銀髪の大男― ダンテが小型のLEDライトを右手に持って下水道内を歩いていた。

 

「ううっ、何で俺っちがこんな奴と一緒に、下水道に潜んないといけないのよ? 」

 

ダンテの頭上を飛ぶ黒い毛並みの蝙蝠、魔神・アラストルが、ブツブツと小声でボヤく。

 

二人が何故、矢来区下水道(此処)にいるのかというと、当然、異変調査の為である。

数日前から、矢来銀座一帯で、原因不明の地鳴りが起こっていた。

都の地震調査研究推進部の職員が、数名、調査に地下下水道に潜った所、変わり果てた姿で帰って来た。

全身の血を抜かれ、石膏像の様な姿で発見されている。

都は、悪魔の仕業であると判断し、事態究明を防衛省へと依頼。

組織『クズノハ』が、調査に駆り出される事となった。

 

「俺っちは、人修羅様の番なんだよぉー。こんなゴリラ男と一緒何て嫌だよぉー。」

「煩せぇな。そりゃ、コッチの台詞だぜ。」

 

永遠と頭上をグルグル回りながら、文句を垂れる蝙蝠に、ダンテはうんざりした様子で盛大に溜息を吐き出した。

 

本当ならば、十二夜叉大将が一人、摩虎羅大将こと猿飛佐助が監視役兼相棒として、ダンテと行動を共にする筈であった。

しかし、矢来区から数ブロック離れた街、朝日区でも同様の現象が起きた為、佐助は其方に向かう事になったのだ。

 

(あの糞爺、よりによってコイツを俺に押し付けるとはな。)

 

アラストルとは、何度かコンビを組んで悪魔討伐をした経験があるが、元はライドウを間に挟んで、いがみ合っている状態だ。

アラストルは、便利屋事務所での不遇な扱い&金王屋に売り飛ばされた事を未だに根に持っている。

又、ダンテも何かと恋人である悪魔使いにちょっかいを掛ける魔神が気に喰わないでいた。

「仲良くしろ。」という愛しい主の命令が無ければ、地中深くに埋めて二度と外の世界を拝めなくしている所であった。

 

 

「・・・・・っ! 誰だ!? 」

 

 

長年、『狩人(ハンター)』として培ってきた経験が、何者かの気配を伝える。

魔法の様な速さで、双子の巨銃の片割れ、”アイボリー”を抜き放つ。

 

「待って、撃たないで下さい。 」

 

小型のLEDライドが照らす下水道の物陰、そこから姿を現したのは高校生らしい10代後半辺りの少年であった。

黒髪に黒縁眼鏡、黒のダウンジャケットにグレーのマフラー、ビンテージのジーンズに白いスニーカーと、この場には全くそぐわない格好をしている。

矢来銀座で探偵事務所を営んでいる、壬生・鋼牙だ。

その後ろには、鋼牙より遥かに上背がある黒革のレザージャケットに同色のシャツ、そしてジーンズとブーツを履いた目元まで隠れるぐらい、前髪の長い少年がいた。

鋼牙と同じく”探偵部”に所属している、遠野・明である。

 

「何だ? 壬生のボンボンか・・・。」

 

予想外の少年二人組の登場に、ダンテは胡乱気な表情で、構えていた”アイボリー”の銃口を降ろした。

 

センター街の一件で、鋼牙とは一応の顔見知りになっている。

佐助から聞いた話によると、蘆屋道満大内鑑の血筋に連なる壬生一族の縁者であり、父親が葛葉四家当主が一人、15代目・葛葉猊琳(くずのはげいりん)であるという。

 

「先日は、どうも・・・あの後、色々大変だったみたいですね? 」

 

誰かから聞いたのだろうか。

センター街にある闇医者、三葉三平が経営している医院で起こった騒動の事を指摘され、ダンテの表情が苦虫を嚙み潰した様な、渋い表情になる。

 

「ちっ、糞餓鬼が・・・・今度は、どんな悪さを企んでいるんだぁ? 」

 

自分より一回り近く年下の癖に、随分と生意気な餓鬼だ。

そういえば、この黒縁眼鏡の少年も、組織『クズノハ』暗部、”八咫烏”の一員だった。

同年代の少年少女より、更に生意気に映るのは当然だろう。

 

「”異変調査”ですよ。 矢来区の人達に依頼されたんです。」

 

心外だと言わんばかりに、鋼牙が肩を大袈裟に竦(すく)める。

 

矢来区のショッピングモールで、薬局を経営している『歯車堂本舗』の女主人から、依頼されたのだ。

ここ最近、矢来区を中心に原因不明の地震が頻繁に起こっている。

どうやら震源地は、地下道一帯らしいので、調べて欲しいと。

 

「そうかい、ならその依頼人に伝えな、地震調査は、『クズノハ』が都から正式に依頼されてやってるから心配するなってな。」

 

暗に、餓鬼は邪魔をするな、というダンテのあからさま過ぎる態度に、鋼牙が鼻白む。

 

気障かつ怠惰な性格、人を喰った様な態度を崩さない皮肉屋。

成程、ネロが敬遠(けいえん)するのも頷ける。

何か皮肉の一言でも返してやろうかと思った鋼牙の脇を、今迄、無言で事の成り行きを眺めていた明が、ズイッと一歩前に出た。

 

「随分と威勢よく吠えるじゃねぇか? オッサン。」

「明・・・・? 」

 

普段から、暴力沙汰が絶えない明であるが、決して自分から喧嘩を吹っ掛ける真似はしない。

心無しか、何処か慨然(がいぜん)としているその様子に、鋼牙は訝し気な表情に変わった。

 

「何だ? この餓鬼。 」

「・・・・。 」

 

思わぬ横槍に、ダンテの秀麗な眉根が不快気に歪む。

その肩に停まる黒毛の蝙蝠は、眼前に立つ、銀髪の大男と同じぐらい上背のある長い前髪の少年を凝視していた。

 

「なぁ、ドタマに空いた穴はちゃんと塞がったのか? 」

 

皮肉な笑みで口元を歪ませ、明が、自分の額を右の人差し指で叩く。

刹那、ダンテの表情が石像の如く固まった。

頭の中を走馬灯の如く、記憶が駆け巡る。

4年前にジョルジュ・ジェンコ・ルッソが起こした、ユリウス・キンナ法王猊下暗殺事件。

ジョルジュと共犯だった同じ組織の幹部、ルチアーノが所有していた製薬会社の研究施設。

そこで、出会った迷彩柄の戦闘服を着る仮面の少年。

その仮面の少年と、今現在、目の前で対峙する大柄な少年の姿が重なる。

 

「ダンテ! 」

 

何の前触れも無く、殆ど条件反射で、ダンテは、明の胸倉を掴み上げていた。

余りの暴挙に、肩に停まっていたアラストルが、ダンテから離れる。

 

「てめぇ・・・・もしかして、あの時の餓鬼か・・・・? 」

「ハッ・・・・今頃気が付いたのかよ? オッサン。」

 

憎悪に燃える蒼い瞳を嘲笑う、濃い茶の瞳。

 

間違いない。

この餓鬼は、あの研究施設で自分の両足を切り裂いた挙句、喉に銀製のナイフを突き立て、額に銀の弾丸を打ち込んだ仮面の暗殺者だ。

当時と比べ、背丈も体格も驚く程変わったが、唯一、感情がまるで無い、硝子玉の様な二つの瞳だけはあの時のままであった。

 

一触即発な危険な空気が充満する中、突然、地下道内を大きな地鳴りが襲った。

余りの出来事に、驚く一同。

すると、硬いコンクリートの壁を何かが突き破った。

 

「明ッ!! 」

 

殆ど条件反射で、鋼牙が後方へと大きく跳び退く。

その眼前を、凶悪な棘で覆われた植物の蔦が通り過ぎて行った。

 




やっとこさ投稿。


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第11話 『V 』

登場人物紹介

V・・・・ 全てが謎に包まれた悪魔召喚術師。
13代目・葛葉キョウジが使役していた三体の造魔を手足の如く操る。
本人に戦う力は殆ど無く、主に造魔達が戦闘を行う。



鋼牙の眼前を醜悪な植物の蔦が覆い隠す。

分厚い地下道の壁を突き破り、突如現れた異形の根。

一目で、この世のモノでは無い事が分かる。

 

「明っ!! 」

 

濛々と立ち上る砂煙。

頭上から、雨の様に漆喰やコンクリートの破片が降り注ぐ。

 

17代目・葛葉ライドウの代理番であるダンテと”探偵部”の一人である遠野・明と完全に分断される形になってしまった。

予想外の事態に、鋼牙が忌々し気に舌打ちする。

 

一方の明とダンテ。

未だ赤い長外套(ロングコート)を纏う銀髪の大男に胸倉を掴まれたままの明は、無言で壁を突き破って現れた異形の根を眺めていた。

 

「ちっ、一体何が・・・・。」

 

そう言いかけた銀髪の魔狩人の言葉が途中で止まった。

見ると胸倉を掴んでいる長い前髪の少年が、ダンテの手首を無造作に掴み上げ、常人とは思えぬ握力で、無理矢理自分から引き剝がす。

 

「何時までも掴んでんじゃねぇーよ。オッサン。」

 

凄まじい膂力。

腕をねじり上げられ、ダンテの整った容姿が苦痛で歪む。

舌打ちし、乱暴に掴まれている腕を振り解く。

暫しの間、二人は無言で睨み合う。

 

この目の前にいる餓鬼は、間違いなく4年前に自分の額を穿ったあの時の小僧だ。

正直、手も足も出なかった。

相手が子供だと油断した自分に落ち度があるのは十分承知しているが、あの動きは完全に人間離れしている。

恐らく、この餓鬼も普通の人間では無いだろう。

 

不図、ダンテの右側の首筋にチクリと、針で刺された様な痛みが走った。

左手が無意識に、右の首筋へと触れる。

 

―まさかとは思うが、この餓鬼も”そう”なのか・・・・?

 

「ちっ、仕方ねぇ・・・・・あの時のケリは、外に出てから・・・・。」

 

腹腔から湧き出る怒りを必死に抑え込み、冷静に状況判断をしようとする。

しかし、眼前にいる筈の少年の姿が忽然と消えていた。

見るとダンテに背を向け、暗闇に閉ざされる地下道の奥へと進もうとしている。

 

「この糞餓鬼が! 人様を無視するとは良い度胸だな! 」

 

敵である自分にあっさりと背を向ける明の行動が、理解出来ない。

しかし、怒り心頭のダンテなどまるで眼中に無いのか、明は足を止める様子も無く更に地下道の奥へと進んでいく。

そんな無礼な若造に対し、ダンテは忌々し気に舌打ちすると、自分と幾分も背丈が違わぬその後を追いかけた。

 

 

 

 

「参ったな・・・・完全に道が塞がれてる。」

 

鋭い棘が根の表面を覆い、醜悪な姿を晒す異形の根を、黒縁眼鏡の少年が見上げる。

一体何処から湧いて出たのか皆目見当もつかないが、地下道から外へと続く通路が全て潰されている事だけは理解出来た。

 

「こりゃぁ、”クリフォトの魔界樹”だな・・・・なーんで、現世に生えてんだぁ? 」

 

仲間と分断され、困った様子で頭をかく鋼牙の背後から、聞き覚えのない年若い青年の声が聞こえた。

振り返るとハリネズミの如く、髪を逆立て、浅黒い肌に漆黒のカソックと白いストラを両肩に垂らした20代半ばぐらいの青年が立っている。

魔具から人間形態へと戻った魔神・アラストルであった。

 

「貴方・・・・確か、ダンテさんの傍にいた悪魔ですよね? 」

 

ダウンジャケットの袖口に隠し持っている鉛筆を一本取り出し、鋼牙が眼鏡越しから鋭い視線を浅黒い肌の神父へと向ける。

 

「ちょ、ちょい待ち! 俺っちは別にオタクと喧嘩する気はねぇーよ! 」

 

情け容赦無い殺気をぶつけられ、アラストルの顔色が真っ青に変わる。

少年の纏う覇気から、相当な実力者である事が否応も無く理解出来た。

あの糞忌々しい便利屋か、もしかしたらソレ以上だ。

 

「な、なぁ? 俺っちと組まねぇか? もし、仲魔になったら此処から出る方法を教えてやるぜ? 」

 

刃の如く突きつけられる鋼牙の殺気に、内心辟易しながらも、アラストルは一つの提案を出した。

曰く、仲魔にしてくれたら、この魔界樹を排除する方法を教える事。

又、効率良く敵悪魔と遭遇する事なく、相棒である明と合流できる最短のルートを教える事。

 

「大変ありがたい提案ですけど、何でダンテさんじゃなくて僕何ですか? 貴方は彼の仲魔じゃないんですか? 」

「冗談、俺っちは、愛しい人修羅様の命令で仕方なくアイツに協力しているだけなんだぜ? 本当ならぶっ殺したい程嫌いだっつーの。」

 

これは隠し様も無い、アラストルの本心だ。

何を好き好んで、憎悪の対象であるダンテに力を貸さねばならないのだ?

奴に協力するぐらいなら、目の前にいる餓鬼と手を組んだ方が遥かにマシだ。

 

「成程、だから僕に協力してくれるんですね? 」

「オフコース! 俺っちも早くこんな生臭い場所とはおさらばしたいからね。」

 

鋼牙にそう応えたものの、これはあくまで建前だ。

本心では、鋼牙の仲間、遠野・明に近寄りたく無かったのだ。

 

あの小僧からは、ダンテとは違う得体の知れない”何か”を感じる。

生まれ持ったアラストルの本能が、あの少年を危険だと判断していた。

 

 

同時刻、東京都台東区北東部・・・・通称『山谷のドヤ街』。

『ニコレット・ゴールドスタインの店』にあるダイニング・キッチンに、ネロと隻眼の悪魔使いはいた。

お互い、簡素なダイニング・チェアに向かい合う形で腰を降ろし、長い黒髪を後ろで三つ編みに束ねたスーツ姿の隻眼の少年が、見事な銀の髪を持つ少年の失った右腕に触れている。

長い睫毛(まつげ)を伏せ、じっくりと失った腕を検分する悪魔使い。

 

美しい・・・・・。

カラカラに乾いた喉を潤す為、終始生唾を呑み込むネロは、頬を真っ赤に上気させる。

良く考えたら、こんな間近でライドウの容姿を見たのは初めてだ。

何時も傍らには、あの憎たらしい銀髪の大男がいて、ロクに話しかける事すらも出来なかった。

心臓が胸を激しく叩き、微かに左手が震えているのが分かる。

 

「成程、陰陽五行思想を基に、幾重にも呪式を施してあるな・・・・流石、16代目だ。」

 

繊細な指先で、切断されていた箇所を探っていたライドウは、納得したのか、ネロの右腕から手を離す。

 

「い・・・・いんよう・・・・? もしかして、中国の呪術の・・・。」

 

その言葉なら聞いた事がある。

鋼牙から半ば無理矢理渡された古い魔導書(グリモアール)に、そんな言葉が記されていたからだ。

陰陽五行思想とは、中国の春秋戦国時代頃に発生した陰陽説であり、陰陽道の基礎とされている。

古代中国の宇宙観、世界観を表しているのだという。

 

「そうだ。 木(もく)、火(か)、土(ど)、金(きん)、水(すい)の五つに分けられ、それぞれ相性が決められている。木が強すぎると、金の克制(ぴんいん)を受け付けず、逆に木が金を侮るといった具合にな・・・悪魔にも属性や相性があるのは知っているな? 」

「う、うん。 騎士見習いの時に施設で習った。」

 

過去の記憶を必死に手繰り寄せ、苦手だった座学の授業を思い出す。

 

「お前の身体に憑依している堕天使・アムトゥジキアスは、風属性の悪魔だ。 風は木(もく)に分類されるから、土属性に弱い。又、金と相性は良いが、バランスが崩れると金の力が強くなりすぎて、木の力を弱める。」

「つまり、16代目は、土と金の術式を組んで、アンタの中に取り付いてる堕天使の力を抑え込んでいるって訳。」

 

ライドウの説明についていけないネロの為に、少年の頭の上に乗っている小さな妖精が分かりやすく説明してやる。

 

「えっ・・・・て、事はつまりアムトゥジキアスの力は使えないって事? 」

「そうなるな・・・・16代目は、俺など足元にも及ばぬ程の数法術師だ。緻密な数式を組んで封印式を施してある。 このままなら日常生活を送っても、何の問題も無いだろう。」

「そんな・・・・”閻魔刀”を奪われた挙句、”ソロモンの魔神”の力まで使えないんじゃ、どうやって悪魔と戦えば良いんだよ。」

 

当然といえば、当然の結果であるが、”探偵部”の一員として、鋼牙達と一緒に悪魔討伐をする事を決めたネロにとっては、死活問題である。

 

「悪魔と戦う必要はない。 お前は、このまま普通の人間として生きるんだ。」

「嫌だ! 俺は、魔剣教団の騎士だ! 力なき人々を守る義務がある! 」

 

憤ったネロが、勢いよくダイニング・チェアから立ち上がる。

驚いた妖精が、思わずネロから離れた。

 

「頼むよ! ライドウさん! 俺に悪魔を使役する術を教えてくれ! どんな辛い訓練だって耐えてみせる! お願いだよ! 」

 

今まで積りに積もった鬱憤が、一気に吐き出された。

 

ネロにとって悪魔と戦う力を失う事は、死に等しい。

それに、今は亡き義理の父、クレドと交わした誓いを叶える事が出来なくなる。

 

「父親のクレドと姉のキリエは、お前が幸せに暮らしてくれる事を願っている。二人の想いを無駄にするつもりなのか? 」

「・・・・・っ! 」

 

ライドウに痛い所を突かれ、銀髪の少年が一瞬、押し黙る。

少年の脳裏に、病室で息を引き取った姉の最後の言葉が蘇った。

 

『私や、兄さんの分まで生きて・・・・。 』

 

病魔に犯され、瘦せ細り、骨と皮だけになってしまった義理の姉。

あれ程までに美しかった彼女は、見るも無残な姿へと変わり果ててしまった。

 

「ライドウ・・・・・。」

 

暫しの沈黙がダイニング・ルームを包む。

痛い程の静寂に、小さな妖精が耐え切れなくなったのか、己の主へと哀し気な視線を向けた。

 

「うっ・・・・俺、このままじゃ嫌だ。 折角、生きる目的が出来たのに・・・。」

 

熱い涙の雫が、ネロの頬を伝う。

 

16代目の強力な呪式は、ネロの中に内在している巨神-ヨトゥンヘイムと魔剣士・スパーダの力すらも抑え込んでいる。

常人離れした膂力や、驚異的再生能力も使えない。

今のネロは、至極普通の人間と全く同じレベルまで落ちている。

幼い時、あれ程忌み嫌った能力(ちから)が、今は欲しくて堪らない。

 

『 教えてあげたら・・・・? 』

 

声も無く啜り泣く少年の姿に、どうしたものかと考えあぐねる悪魔使いの耳元を16歳ぐらいの少女の声が囁いた。

振り向かずとも分かる。

自分を救う為に、その命を捧げた『黒き魔女』の声だ。

 

(だが、それでは親友(クレド)との約束を破る事になる。)

『それは、アンタとクレドの二人が勝手に交わした約束でしょ? この子の意思はまるで関係ないじゃない?』

(しかし・・・・・。)

『 もー、何時からそんな硬い考えをする様になったの? この子には召喚術師(サマナー)の才能があって、本人もその力を欲してる・・・・それで十分、結論は出ているじゃない。』

 

座っているダイニング・チェアの背後から感じる”彼女”の気配。

銀色の長い髪を持つ少女は、困った様子で自分を振り向いている。

あの地獄の様な戦いを共に潜り抜けて来た、大事な相棒。

 

「分かった・・・・俺の負けだよ。 君に召喚術師の技術と知識を教えよう。」

 

深い瞑目後、隻眼の悪魔使いは、目の前に立つ銀髪の少年を見上げる。

その表情は、何か憑き物が落ちたような晴れやかな顔をしていた。

 

 

 

 

矢来銀座地下道。

薄暗い下水道の道を、手にしたLEDライトの光を頼りに一人と一匹が進んでいる。

『葛葉探偵事務所』所長代理の壬生・鋼牙と、再び、蝙蝠の姿へと変じた魔神・アラストルであった。

 

突如、地下道全体に現れた異形の根-魔界樹・クリフォト。

地上へと出る通路(ルート)は全て潰され、脱出する術が無い。

此処から出るには、道を塞いでいる邪魔なクリフォトの根を排除するしか無かった。

 

「そのクリフォト・ルーツってのを潰せば、魔界樹の根も枯れると・・・? 」

「そ、血溜まりを潰した所で、その元凶であるクリフォト・ルーツをどうにかしなきゃ、幾らでも再生しやがるからな。」

 

鋼牙の肩に留まったアラストルが、何故かふんぞり返りながらそう説明する。

 

曰く、”クリフォトの血溜まり”は、根の中継地点に過ぎず、潰してもすぐ再生してしまう。

この魔界樹の根を根絶するには、血溜まりの原因である”クリフォト・ルーツ”を倒す必要があるのだ。

 

地下道を歩む鋼牙の足がピタリと止まった。

肩に留まった黒い毛並みの蝙蝠が、訝し気に黒縁眼鏡の少年を見上げる。

すると、その耳に何者かの声が聞こえて来た。

 

「愚かさとはゴールの無い迷路、絡み合い縺(もつ)れた道だ。」

 

地下道内に微かに響く、年若い男の声。

T字の曲がり角から、この時期にはそぐわぬノースリーブのレザージャケットを着た黒髪の青年が姿を現した。

右手に分厚い詩集の本を持ち、左手には先端の尖った金属製の杖。

生気の無い白い肌に、全身を覆うタトゥー。

巨大な大鷲を従えるその青年は、豪華客船『ビーシンフル号』にある第三十四代目・村正の工房で出会った悪魔召喚術師であった。

 

「一晩中歩き回っては、死者の骨に躓(つまづ)いた事か、それなのに自分は分別があると思い込み、他人を導いてやりたい等とうぬぼれる・・・。」

 

パタンと分厚い詩集の本を閉じる。

病的に白い肌をした黒髪の青年- Vは、数歩離れた位置で対峙する黒縁眼鏡の少年へと視線を向けた。

 

「ウィリアム・ブレイク・・・ですか。良いご趣味をしていますね? 」

「ああ・・・・彼の詩からは、様々なインスピレーションが貰える・・・。」

 

鋼牙の軽口に対し、Vは皮肉な笑みを口元に貼り付かせて応える。

革製のウェストバッグに詩集を仕舞うと、ウルフヘアの青年は黒縁眼鏡の少年へと近づいた。

無意識に、鋼牙の利き手がバックパックに収まっている60CM定規へと伸びる。

 

「丸瀬さんの所で一度すれ違いましたよね? 」

「うん? そうだったかな? 申し訳ないが、あまり記憶にない。」

 

実を言うと、Vと出会ったのは、三十四代目・村正の工房前だけではない。

一か月程前に、吉祥寺にあるハーモニカ横丁でも姿を見かけている。

あの時は、人通りも多く、V自身も鋼牙達の存在に気付いてはいなかった。

 

「ふふっ・・・・そんなに怯えるな・・・まるで子猫みたいだぞ? 」

 

背負っているバックパックから、アクリル製の定規を抜き放つ鋼牙の姿に、Vは嘲笑を浮かべる。

 

「すみません・・・・僕、怖がりなんです。」

 

そう言うのと、鋭い斬撃を繰り出したのは、ほぼ同時であった。

アクリル製の定規から発生される真空刃(ソニック・ブレード)。

ウルフヘアの青年の背後にいる醜悪な怪物の胴体を真っ二つに斬り裂く。

 

濃い紫色の体液が、地下道の壁や床を汚す。

 

「ちっ、ヒューリーかよ・・・嫌な連中に目を付けられたぜ。」

 

何もない空間から、次々に姿を現す異形の怪物達を眺め、大鷲の悪魔、グリフォンが舌打ちする。

 

彼らの名は、妖獣・ヒューリー。

中級に分類される悪魔である。

彼らは、ヒラメやカメレオンと同じく体色を背景とそっくりに変化させる能力がある。

これは、色素細胞の増殖・分化・アポトーシス等を介して、組織内の色素細胞密度や色素沈着量を自在に変化させる事が出来るのだ。

 

「俺っちも手伝ってやろうか? 」

「余計な事はしなくて結構・・・・僕の八つ当たりを邪魔しないで下さい。」

 

久しぶりの殺戮に、嬉々とするアラストルの申し出を、鋼牙があっさりと断る。

目の前に立つ黒髪の悪魔召喚術師に、眼鏡越しで、鋭い視線を向けた。

 

理由は分らないが、この男は気に入らない。

あまり人を嫌いにならない質ではあるが、この男だけは生理的に受け付ける事が出来なかった。

 

 

双子の巨銃、”エボニー&アイボリー”が火を噴く。

凶悪な鋼の牙によって身体に大穴を穿たれ、塵へと還る異形の怪物達。

深紅の長外套(ロングコート)がはためき、怪物達から吹き出る体液が地下道の壁や床を汚す。

銀髪の魔狩人、ダンテが相棒である大剣『リベリオン』を駆るその傍らでは、長い前髪をした少年、明が魔虫達の女王、エンプーサクィーンと対峙していた。

 

事の起こりは数分前に遡(さかのぼ)る。

突如、現れた魔界樹・クリフォトによって、双方の相方と分断する憂き目にあった明とダンテは、不本意ながらも共闘という形を取る事になった。

いくらお互いに蟠(わだかま)りがあるとはいえ、此処は凶悪な悪魔(デーモン)達が跳梁跋扈する危険地帯である。

何時までもいがみ合っていては、生き残れない。

 

まるで金属同士が擦れ合う耳障りな咆哮を上げ、魔虫の女王が禍々しい刃を備えた前脚を振り上げた。

少年の身体を両断せんと、振り下ろされる鎌。

それを身を捻る事で難なく躱すと、明は刃を足場に跳躍。

闘気術で脚の筋力を倍加し、軽々とエンプーサクィーンの頭上まで跳ぶと、強烈な踵落としを喰らわせる。

硬い石畳へと深々と埋まる、魔虫の頭部。

地へと着地した明は、魔法の様な速さで大型ハンドガン、MAXI8 アンリミテッドリボルバーHWを抜き放つと、エンプーサクィーンの背骨に狙いを定める。

地下道内を轟く銃声。

悪魔の弱点である心臓を撃ち抜かれ、魔虫の女王が塵へと化す。

 

(この餓鬼・・・・4年前よりも強くなってやがる。)

 

無駄な動きなど一切無い、明の戦い振りに、ダンテは無意識に戦慄を覚えた。

 

今から四年以上前、ダンテはこの少年に完膚なきまで叩きのめされた。

相手が子供だと油断し、気を抜いた所で、両足を銀製のナイフでズタズタに斬り裂かれた挙句、腹を抉られ、喉を貫かれた。

額を抉る鉛の弾の生々しい感触すら、今も良く覚えている。

 

その後、ダンテもUSSFに所属していたCSI(超常現象管轄局)のNY支部長、ケビン・ブラウンの下で厳しい訓練を受けてきたが、今の明と戦って果たして勝てるかどうかは分からない。

 

(ふざけんな・・・・このままで済ませてたまるかよ。)

 

大剣『リベリオン』を巧みに操り、エンプーサ二匹の身体を綺麗に両断する。

 

7年前の”テメンニグル事件”で、便利屋として培ってきた矜持は、17代目・葛葉ライドウによって、跡形もなく叩き潰された。

常人を遥かに超える身体能力と膂力を持つ自分が、素手の悪魔使いに5秒もかけずのされた。

怒りと屈辱は、憧憬へと変わり、何時か彼の傍らに立つ渇望へとなった。

 

自分の目の前に立つのは、17代目・葛葉ライドウだけで良い。

この餓鬼は、只、邪魔なだけの存在だ。

どんな手を使ってでも排除する。

 

「撃ちたきゃ撃てよ・・・・何も遠慮する必要はねぇ。」

「何? 」

 

無防備にもダンテに背を向ける明は、襲い来る魔虫の頭部に裏拳を叩き込み、まるで熟れたトマトの如く、ぐしゃぐしゃに砕く。

 

「アンタ・・・ぶっ殺したい程、俺の事憎んでいるんだろ? だったら、撃てば良いじゃねぇか。」

「・・・・・。」

「それともブルって撃てねぇか・・・・17代目・葛葉ライドウの番の癖に情けねぇ。」

 

呆れた様子で大袈裟に肩を竦める明の眉間に、”アイボリー”の照準を定める。

しかし、そこから吐き出された鋼の牙は、長い前髪の少年ではなく、彼に牙を突き立てようとしていた魔虫の一匹を吹き飛ばしていた。

 

「それがお望みならそうしてやっても良いけどよ・・・・生憎、状況が判断出来ない程、馬鹿じゃねぇんだよ。」

 

ダンテは、忌々しそうにそう吐き捨てる。

何時の間に現れたのか、今度は血錆が浮き出た大鎌を持つ幽鬼の群れと、馬鹿デカイ手斧を持つ邪鬼の群れが、二人を取り囲んでいた。

下級悪魔のヘルアンテノラとヘルカイナである。

現世と幽世(かくりょ)を彷徨う亡者達は、新たな獲物の発見に、舌なめずりをしていた。

 

「てめぇをぶちのめすのは、こいつ等を片付けた後だ。」

「・・・・・。」

 

”アイボリー”を左脇のガンホルスターへと戻し、大剣『リベリオン』の柄を握り直す。

そんな魔狩人を横目に、明はジャケットのポケットに収まっている法具へと軽く触れた。

 

 

 

矢来銀座アーケード街。

巨大なドーム型の屋根を持つその通りには、様々な店舗で犇(ひし)めいていた。

その中にある、人気ファーストフード店『ピースダイナー』。

窓際の席に、一風変わった二人組が座っていた。

 

「この下に、相当な量のマグネタイトが集まっているのは間違いないな。」

 

最新式のノートPCを前に、金色に髪を染めた17歳ぐらいの少年が、思案気に顎へと手を当てる。

 

「でも、下手に手を出す訳にはいきません。”クズノハ”と事を構えるのは得策ではありませんからね。」

 

ノーフレームの眼鏡をかけた優等生然とした少女、赤根沢・玲子が、真向かいに座る黒井・慎二に釘を刺した。

 

彼ら二人も又、ダンテ達と同様、矢来銀座の地下で起こっている『異変』を調べる為に、此処に来ていた。

東京都知事の依頼で、”クズノハ”の人間が異変調査をしているという情報が入っている為、地上で彼等の動きを探っているというのが、今の現状だ。

 

「ちぇ、面倒くせぇ。 宝の山が目の前にあるってのによぉ。」

 

ピースダイナーでも人気のあるドリンク、『ピースシェイク』のストローを口に咥え、黒井・慎二ことチャーリーは、苛々した様子で口を尖らせる。

 

北の小国、”フォルトゥナ公国”から冥府の魔界樹-クリフォトの種籾を回収し、”ゼブラ”を精製。

裏社会でバラ撒き、かなりの収入を得てはいるが、彼等の夢を叶えるにはまだ足りない。

肝心のマグネタイトが不足しているのだ。

 

 

「すまん、待たせたな。」

 

ブツブツと愚痴を零すチャーリーを困った様子で眺める玲子の耳に、30代半ばぐらいの男の声が聞こえた。

振り返ると、灰色のスーツを着た如何にも教師風の男が二人を見下ろしている。

玲子達の仲間、軽子坂高等学校、化学教師・大月清彦であった。

 

右手に、プラスチックのトレーを持った化学教師は、玲子の隣へと腰を下ろす。

トレーには、灰皿とコーヒーが入った紙コップが乗っていた。

 

玲子は、改めて今の状況を分かりやすく化学教師に教えてやる。

 

「フン、案の定だな。 小森の婆ぁめ、特殊公安部隊ではなく”クズノハ”に調査依頼を出したのか。」

 

小森とは、東京都知事の小森・恵子の事である。

京都大学を首席で卒業、その後、NHKのニュースキャスターとなり、フリーのアナウンサーとなったその後は、参議院選に出馬し、見事当選している。

約5年間、総務政務次官を務めた後は、都知事選に出馬し、初の女性東京都知事となった。

尚、特殊公安部隊とは、警察機構が持つ対悪魔掃討部隊であり、隊員の殆どが得Aクラスの実力者で占められている。

 

「仕方ないよねぇ、特公を出すほど被害は出てないし、下手に事を荒立てると面倒な事になり兼ねない。」

 

チャーリーは、ノート型PCの液晶画面を真向かいに座る大月へと向ける。

そこには、仲魔- 邪鬼・グレムリンの視覚を借りた映像が映し出されていた。

 

「・・・・・No.34? 」

 

何気なく画面を覗いた瞬間、化学教師の表情が明らかに変わった。

 

そこに映し出されているのは、数体の邪鬼と幽鬼を相手に大剣『リベリオン』を駆る見事な銀の髪をした大男の姿があった。

 

「ふん、まさか生きていたとはな・・・・しかも、ウロボロスの餓鬼まで一緒だとは・・こりゃ何かの運命か? 」

 

皮肉な笑みを口元へと貼り付かせ、大月が眼鏡越しの双眸を細める。

 

脳裏に、無残な母親の亡骸の前で放心状態の幼い少年の姿が過る。

口元と細い両腕を、母親の返り血で真っ赤に染め、茫然自失としていた。

 

「知り合いですか? 」

 

邪鬼と幽鬼の群れを相手に、大立ち回りをする明とダンテの姿を、画面越しで面白そうに眺める化学教師に、玲子が胡乱気に問いかけた。

 

「ああ、この二人とはちょっとした因縁があってな・・・・丁度良い、コイツの試運転も兼ねて、挨拶しにいくか。」

 

大月は、足元に置かれている特殊チタニウム製のアタッシュケースを片手に、立ち上がる。

このケースの中には、アメリカ国防総省、ペンタゴンの地下研究施設で開発された”あるモノ”が収まっていた。

 




久しぶりの投稿。大分短くなってしまいました。


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第 12話 『 夏色の想い出 』

悪魔紹介

ホワイトライダー・・・『ヨハネの黙示録の四騎士』に登場する。白い馬を駆る死神。
勝利を意味し、額には冠、手には弓を持つ。

ペイルライダー・・・・ホワイトライダーと同じく黙示録に登場する死神。
疫病を意味し、地上の人間を死に至らしめるとされている。



最後に師である13代目・葛葉キョウジの姿を見たのは、何時だったろうか?

鋼牙は、時代遅れの白いスーツに派手な紫色のシャツ。

そして黄色いネクタイを締めている師・・・・キョウジの姿を想い出す。

思えば、彼がいなかったら今の自分は存在してはいなかった。

由緒正しき、召喚術師の家系に生まれ、召喚術師(サマナー)の資質が無い事を理由に、壬生家一族から疎まれ続けた自分。

神道系の術に優れ、葛葉一族の血を引く母は、幼く無力な自分を常に庇い続けてくれた。

毎日、母の陰に隠れ、祖母である綾女や父・猊琳(げいりん)から逃げ続けていた愚かで卑屈な自分。

そんな毎日を一変させてくれたのが、13代目・葛葉キョウジであり、鋼牙の隠された才能を引き出してくれた。

 

 

 

妖獣・ライアットの首が吹き飛び、ヒューリーの身体が綺麗に両断される。

闘気を帯びたアクリル製の60CM定規が、幾度も閃き、妖獣達を細切れにしていく。

 

「凄ぇな・・・・本当に人間なのかぁ? あの餓鬼。」

 

一匹の蝙蝠へと姿を変えた魔神・アラストルは、舞い踊る様に異形の怪物達を屠る黒縁眼鏡の少年を関心しながら眺めていた。

 

必要最低限の動きしかしない鋼牙は、息切れ一つする事無く、的確に悪魔を倒している。

召喚術師としての才能に恵まれなかった分、鋼牙は並外れた霊力を体内に秘めていた。

この才能に逸早く気づいたのが、13代目であり、彼は、自分の元に鋼牙を引き取ると、気功術の英才教育を施した。

鋼牙は、13代目の期待通り、剣士としての才能を開花。

若干13歳という幼さで、剣豪(シュヴェーアトケンプファー)の称号を英連邦王国女王陛下から授かる事になる。

 

 

断末魔の悲鳴すら上げる暇も無く、妖獣・ライアットの生首が地下道の壁へと叩きつけられた。

実体化が保てず、塵へと還る怪物達の亡骸。

鋼牙が、アクリル製の定規を一振りし、付着した血を落とす。

 

「すっげぇ! 暫く見ない間にめっちゃ強くなったじゃねぇかよ?こう・・・・・ぐぇ!? 」

 

馴れ馴れしく、黒縁眼鏡の少年へと近寄った大鷲の首を、無造作に掴み上げる。

眼鏡越しに見える冷徹な双眸。

あまりの苦しさに、造魔グリフォンが、掴んだ腕を振り解こうと滅茶苦茶に暴れる。

 

「師匠(せんせい)は何処だ? 素直に応えろグリフォン。」

「こ、応えられねぇよ! 親父さんは、極秘任務・・・・・。」

「僕は、”十二夜叉大将”の一人だ! 組織の暗部に属する僕に言えない任務って一体何なんだよ! 」

 

溜まりに溜まった、鬱憤をぶち撒ける。

色々な事があり過ぎて、最早我慢の限界であった。

師・キョウジの突然の失踪。

正体不明の悪魔召喚術師Vと、かつて師・キョウジが使役していたグリフォン達。

そして、恐るべき力を持った謎の襲撃者。

1か月間に起きた出来事は、未だ未成熟な鋼牙の神経をすり減らし、冷静な判断力を奪うのに十分だった。

 

「おい、いい加減離せ・・・・それは、俺の大事な仲魔だ。」

 

陰気な声をした召喚術師の青年が、先端の尖った銀製の杖を、グリフォンを掴む鋼牙へと向ける。

怒りを含んだ黒曜石の瞳と、蒼い瞳がぶつかる。

グリフォンを掴んでいた鋼牙の手が離れた。

 

「ひぃいいい・・・・死ぬかと思ったぜ。 」

 

鋼牙から解放されたグリフォンが、激しくせき込む。

本来、呼吸を必要としない造魔が、咳をするのもおかしな話だ。

しかし、グリフォンは妙に人間臭い態度を取る。

 

「そういえば、何故貴方は此処にいるんですか? 否・・・・その前に、貴方は一体何者なんです? 何故、師匠(せんせい)の造魔を従えているんですか? 」

 

応えなければ、斬る。

そんな危険極まりない空気を多分に孕みながら、黒縁眼鏡の少年は眼前にいる悪魔召喚術師を睨みつけた。

 

「凄まじい殺気だな・・・・流石、壬生家の一族だ。」

 

刃の様な殺気を喉元に突きつけられても尚、Vは余裕のある笑みを口元に浮かべる。

 

裏社会の中でも、壬生家は違う意味で有名だ。

蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の血に連なる一族で、別名『虚実の一族』とも呼ばれている。

名の由来は、魔道を極める為ならば、一切の倫理すら捨てても厭わないところから来ている。

事実、最強の凶神(まがつかみ)・夜刀神(やとのかみ)を使役する為、彼の悪魔の肉体の一部を術者の身体に移植するという、常軌を逸脱した行為を平然と行った。

故に、彼らは呪われた血族として、魔導士間から、恐れられている。

 

「質問に応えて下さいよ。」

 

槍の様な先端を持つ杖を、鋼牙は無造作に掴む。

こんな細い腕に何処からそんな力があるのか、Vの握る銀製の杖はピクリとも動かない。

 

「13代目とはちょっとした縁があってな・・・・その繋がりで、彼が使役していた造魔を譲り受ける事になった。」

 

Vの肉体に描かれた刺青の一部が、砂の如く粒子を散りばめながら消え、代わりに漆黒の黒ヒョウが姿を現す。

黒ヒョウ― 造魔・シャドウは、主の命令があれば何時でも跳びかかれる様に、鋼牙に対し、前傾姿勢で低い唸り声を立てていた。

 

「縁・・・・・? もうちょっと詳しく教えて欲しいなぁ。」

 

鋼牙は、闘気術を操り、袖口から一本の鉛筆を取り出す。

まるで見えない糸に操られるかの如く、鉛筆は中空で静止すると、Vの眉間を狙ってピタリと止まった。

 

暫しの静寂。

静かな殺意をぶつけ合う二人の均衡を、黒い毛並みの蝙蝠が破る。

 

「オイオイ、いい加減にしとけよ?お前等。 此処は、化け物共の巣窟だってのを忘れるな。」

 

アラストルが指摘する通り、此処、矢来銀座地下道は、”クリフォトの魔界樹”のお陰で、すっかりと様変わりしている。

何時、どんな悪魔(デーモン)が襲って来るのかしれないのだ。

下らない痴話喧嘩で共倒れなんて、正直御免である。

 

 

 

赤根沢・玲子にとって、狭間・偉出夫は神にも等しく、そして世界の全てであった。

だから、彼が認める同志達は、大事な仲間であり、一番信頼出来る存在であると思っている。

しかし、この男- 大月・清彦だけは、違った。

 

「黒井には、私達のサポート役に徹して貰う、赤根沢。 お前は、私の手伝いだ。」

 

矢来銀座のショッピングモールから少し離れた倉庫街。

乗用車から降りた大月が、仕事道具が置かれた後部座席のドアを開ける。

 

「良いんですか? 偉出夫の許可も無く勝手にこんな事をして。」

 

助手席から降りたノンフレームの眼鏡を掛けた少女、赤根沢・玲子は、銀色に光る

ケースを手に後部座席のドアを閉める化学教師を胡乱気に眺めた。

 

仲間である黒井・慎二の調べにより、矢来銀座の地下道深くに、膨大な量のマグネタイトが集まっているという情報を得た。

しかし、東京都知事である小森・恵子が、地下道で起きている異変を組織『クズノハ』に依頼。

彼の組織に属している魔術師(マーギア)や剣士(ナイト)が、地下道へと潜り込んでいる。

現時点で、『クズノハ』と事を構えるのは得策ではない。

 

「大丈夫だ。 下にいる連中は、私の元教え子だ。」

「元教え子・・・・・? 」

 

特殊チタニウムのケースを開き、中に入っている幾何学模様のマスクを取り出す化学教師を、玲子は訝し気な表情で眺める。

 

「そんなにびびるな・・・・これから楽しいショーの始まりなんだぜぇ? 」

 

そのマスクは、あまりにも奇妙であった。

まるで、蝶が羽を広げた様なインクの染み。

投影法に分類される性格検査に使われるロールシャッハテストと同じ模様である。

そして、これもまた奇妙なのだが、そのマスクを被った大月の口調がガラリと変わった。

 

「それと偉出夫から、好きにやって良いという許可も得ている。 だから、お嬢ちゃんも我慢しないで好き放題暴れれば良い。」

「・・・・・貴方、一体何者なんですか? 」

 

この男は、本当に自分が知っている、大月・清彦だろうか?

普段は、陰気で口数が少なく、陰の薄い男だった筈だ。

それが、マスクを被った途端、口調どころか態度まで豹変している。

 

「おっと、すまねぇ・・・・このマスクを被ると、開放的になっちまうんだ。良くあるだろ? コスプレすると漫画のキャラになりきっちまうアレだ。」

 

警戒心を露わにする玲子に、大月は態(わざ)とおどけた様子で両手を広げる。

 

この特徴的なマスクは、自分の役柄を演じ分けるスイッチと同じだ。

渋い茶のコートを纏い、同色のフェルトハットを被る。

すっかり別人へと変貌した大月に、玲子は言い知れぬ怖気が背を走るのを感じた。

 

 

 

幽鬼・デスシザーズと邪鬼・ヘルアンテノラと大立ち回りを演じる明。

ふと、突き刺すような殺気を首筋に感じ、無意識に身を屈める。

頭上を通り過ぎる突風。

血錆の浮いた大鋏で、長身の少年を斬り裂こうとしていた幽鬼・デスシザーズの仮面に大穴が穿たれ、四方へと爆散する。

 

「おい、オッサン。」

「怒るなよ? 坊主。 態とやったわけじゃねぇ。」

 

明が睨みつける数メートル先。

同じように、怪物共と対峙する深紅の長外套を纏う銀髪の魔狩人が、口元に皮肉な笑みを貼り付かせる。

と、その頬を鋼の牙が掠めていく。

ダンテの背後で、頭を撃ち抜かれ、地下道の壁へと叩きつけられる邪鬼・ヘルアンテノラ。

魔法の様な速さで、MAXI8 アンリミテッドリボルバーHWをガンホルスターから引き抜いた明が、魔狩人の背後にいる邪鬼を撃ち抜いたのだ。

 

「態とじゃねぇよ。」

 

華麗に大型ハンドガンを回転させ、腰のガンホルスターへと納める。

掠めた頬から血を流し、ダンテが糞生意気な小僧を睨みつけた。

 

「なぁ、坊主。 さっきの約束覚えているか? 」

 

巨大な鉈を振りかざし、自分に斬り掛かってくる悪魔(デーモン)を紙一重で躱すと、カウンターでその腹を蹴り飛ばす。

一直線に明の方へと跳んで行く怪物。

ソレを明が、裏拳で無造作に薙ぎ払う。

 

「悪魔を片付けたら、俺をぶちのめす・・・・だったかな?」

 

まるで後ろに目でも付いているのか、背後から襲い掛かる二体のデス・シザーズの攻撃をあっさりと躱し、その仮面を拳とコロンビアナイフで叩き割る。

振り向く、明の鼻面に、ダンテは”エボニー”の銃口を押し付けた。

 

 

「そうだ。 丁度、悪魔(ゴミ)掃除も終わったし、4年前の続きをしようぜ? 」

 

移動能力に特化したスタイル、”トリック・スター”を使い、明の目の前まで高速移動したダンテは、殺意に濡れる蒼い双眸を前髪の長い少年へと向ける。

静かにぶつかり合う互いの瞳。

明は、眼前に突きつけられた”エボニー”の銃口を跳ね除け、代わりにMAXI8の銃口をダンテに向ける。

 

「言っとくが、俺はオタクより強いぜ? 」

「ほぅ、そういう割には、足が震えているぞ?坊主。」

「そりゃ、アンタだろ? オッサン。」

「HAッ! 気に喰わねぇ、糞餓鬼だ。」

 

互いの額に銃口を押し付けつつ、悪態を吐き合う。

殺意のボルテージが否が応でも高まり、周囲の空気までもが、びりびりと振動を伝える。

唐突に、二人が弾かれる様に離れた。

互いの牙を剥き出しにしながら、二人は数メートルの間合いを保ち、対峙する。

 

 

 

 

東京都世田谷区、『成城』

かつては、東京屈指の高級住宅街として知られ、成城学園を中心とした学園都市としても有名であった。

しかし、十数年前の第二次関東大震災が全てを一変させてしまう。

日本の首都である東京が壊滅的打撃を受け、周辺にある渋谷、新宿、銀座、丸の内、大手町、霞が関等、代表的都市部が地震とそこから発生した瘴気によるパンデミックの被害を受けた。

だが、此処、成城だけは災害による被害が最小限に留まった為、一時、都市部に住む人々の収容先となる。

 

「屋敷にこんな場所があったなんて・・・・・。」

 

地下へと続くエレベーター内。

目的の場所へと到着し、エレベーターから降りた銀髪の少年は、物珍しそうに周囲の景色をぐるりと見回す。

屋敷の地下は洞窟になっていた。

ごつごつと剥き出しになった岩。

東京湾から流れ出る海水が、静かに打ち付ける。

まるで、アメコミに登場する秘密基地そのものであった。

 

「コッチだ・・・。」

 

先頭を歩く隻眼の召喚術師が、鉄筋の通路を通り、ライトアップされた円形状のステージへと向かう。

舞台中央には、魔法陣らしき文様が刻まれており、ルーン文字がびっしりと敷き詰められていた。

 

「これ・・・・・一体何? 」

 

ライドウの指示で、魔法円の中央に胡坐をかく形で座るネロ。

法円に刻まれた文字は、ネロには分からない古代ルーン文字であった。

 

「これは、ソロモンの土星第一の魔法円と言って、悪魔、悪霊を退散させ、又、服従させる効力がある。」

 

舞台中央に描かれている魔法陣は、土星第一の魔法円と呼ばれる。

魔法円の中の方形マス内には、複数の神の名が刻まれ、円周部に記されている言葉を唱えると、魔法円を見た悪魔、悪霊の類が恐怖に囚われ、退散させる効力があるのだ。

又、悪魔を支配する力もあるのだという。

 

「此処は、最上級悪魔(グレーターデーモン)と契約する際に使用する祭壇だ。」

 

ライドウは、着ていた外套(こーと)を近くにある折り畳み式の椅子に引っ掛けると、締めていたネクタイを緩める。

ネロは、悪魔使いの指示通り、黙したまま法円の中央へと胡坐をかいて座った。

 

「16代目が掛けた陰陽五行の呪式を一時的に緩める。 だが、この法円にいる限り、奴は外に出る事は叶わない。」

 

例え、封印式を解除しても、土星第一の魔法円の力で、アムトゥジキアスは外に出る事は出来ない。

精神世界で眠っているアムトゥジキアスを術で覚醒状態にするから、ネロは、目覚めた堕天使を己自身だけの力で、捻じ伏せ服従させろと説明した。

 

「召喚術師の技術を教える前に、先ずは君の中に眠っている”ソロモン十二柱”の魔神をどうにかする必要がある。 君一人の力だけで、従えさせる事で、初めて召喚士としてのスタートラインに立てるんだ。」

「・・・・・俺、一人だけの力で・・・・・。」

「ネロ・・・・私達は、一切手を貸す事が出来ないの・・・・これは、アンタ一人の力だけで、どうにかするしかないんだよ? 」

 

法円中央に座り、俯く銀髪の少年の顔を、小さな妖精が覗き込んだ。

 

「俺とマベルの二人で、精神世界のダイブを手伝う。 危なくなったらすぐ現実(リアル)に引き戻すからな。」

 

悪魔使いの両手が、銀髪の少年の両肩へと触れる。

暖かく力強い手。

ネロは、暫く瞑目すると、ゆっくりと蒼い双眸を開く。

 

「上等だ・・・・・やってやるよ。」

 

いつもの年齢とは不相応な、生意気な笑み。

そんな少年に、マベルは何か納得したのか、大きく頷いてみせた。

 

 

 

口では、豪語したもののそう簡単に物事が運ばないのが、世の常である。

魔法円中央、一人の少年が、満身創痍っといった感じで横たわっていた。

心臓が激しく胸を叩き、全身から大量の汗が噴き出す。

空気を懸命に取り込むが、激しく咳き込み、余計に苦しくなるばかりであった。

 

「ネロ・・・・・・。」

 

起き上がる気力すら無く、祭壇中央で俯(うつぶ)せる銀髪の少年を小さな妖精が、心配そうに見つめる。

外傷は全く無いものの、精神的ダメージが酷い事は容易に伺い知れた。

 

「無理そうだな・・・・今日はこれぐらいにして・・・・。」

「だ、大丈夫だ! もう一度だけ頼むよ・・・・っ!」

 

ネロの額に手を翳していたライドウが、少年の限界を悟り、離れようとする。

その手を、銀髪の少年が慌てて握った。

 

「このまま、大人しく引き下がれねぇ・・・次は、必ずあの堕天使をぶっ飛ばして・・・。」

「無理だよ! これ以上続けたら、アンタ再起不能になっちゃうよ! 」

 

妖精の鋭い叱責に、銀髪の少年が口を噤(つぐ)む。

途端、しおらしく項垂れるネロを眺め、ライドウが溜息を一つ零す。

 

「時間はまだある、だからそんなに焦る必要はない。 上(うえ)に上がってお茶にしよう。」

 

法円の中央で、座り込んでいるネロから離れると、悪魔使いは簡易椅子に引っ掛けてある上着を手に、エレベーターへと向かう。

ネロも何時までもそこにいる訳にもいかず、小さな妖精に促され、渋々と立ち上がるのであった。

 

 

 

数時間前に遡り、矢来銀座、地下道。

赤根沢・玲子が化学教師である大月と共に、目的の場所へと辿り着くと、ダンテと明の激しい戦闘が繰り広げられているのを目撃した。

轟く銃声に、刃同士がぶつかり合う橙色の火花。

大剣が相手の胴を薙ぎ払おうと繰り出され、それをサバイバルナイフで軽く往(い)なす。

 

「仲間割れ・・・・ですかね? 」

 

先程まで、この二人は共闘して悪魔の群れを駆逐していた筈だ。

それが、一体どういう訳か、今は互いに牙を剥き出しにして、殺し合いを始めている。

 

「ふん、別に構う事はねぇ・・・・・”ホワイトライダー”お前は、”山谷の用心棒”を頼む、俺はアッチの楽そな奴を貰うわ。」

 

覆面を被った大月は、特殊チタニウム製のケースの蓋を開く。

中から、周囲に鋭い刃が付いた円形状の武具、『輪宝・スダルサナ』が姿を現した。

目に見えない糸に操られるが如く、二つの輪宝は宙に浮き、大月の両脇で静止する。

 

「毘羯羅大将の相手は、私にはキツイです。」

 

早くも戦闘態勢に入る化学教師に、玲子はポケットに忍ばせている封魔菅を取り出し、不満を零した。

 

「年寄りを敬え・・・・おい、”ペイルライダー””ホワイトライダー”のサポート頼む。」

『アイヨー。 』

 

大月は、右耳のインカムを使ってピースダイナーに残している黒井・慎二に連絡を取る。

最新型のノートPCで、現場の映像を眺めていた黒井ことチャーリーは、間延びした返事を返した。

 

 

 

闘気が篭った明の後ろ回し蹴りが、人体の急所である鳩尾を狙う。

それを大剣『リベリオン』で受け止めるダンテ。

しかし、威力を殺しきれず、後方へと大きく吹き飛ばされる。

 

(くっ・・・・糞ッ! 強い!!)

 

何とか踏み止まり、乱れる呼吸のまま、数メートル離れて対峙する長い前髪の少年を睨みつける。

息一つすら乱さず、サバイバルナイフ片手に無防備に立つ少年は、不思議な事に一分の隙すら無い。

無防備に攻撃を加え様ものならば、反対に自分の首が落とされるだろう。

 

「さっきまでの勢いはどうしたんだよ? オッサン。」

 

器用に、手の中に納まっているナイフを一回転させた明が、前髪の隙間から、対峙するダンテを無感動に眺める。

 

「ハッ! 慌てんなよ。 前技が漸く終わったところだ。 本番は此処からさ。」

 

肺に溜まっている息を大きく吐き出し、呼吸を整える。

 

あの小僧が持っている小さなナイフが、一番の曲者だ。

攻撃範囲が狭いだろうと高を括り、不用意に大剣で攻撃すれば、闘気の刃で切り刻まれる。

現に、ダンテの両腕や両脚、肩口辺りから、血が滲(にじ)み出ていた。

不可視の刃は、伸縮自在に攻撃範囲を変え、ダンテに襲い掛かる。

殺気を感じ、辛うじて致命傷を回避出来たが、それでも全てを避けきる事は不可能であった。

 

大剣『リベリオン』を構え、相手の出方を伺う。

 

魔人化すれば、まだ勝機は此方にある。

しかし、己の中にある矜持がソレを許さない。

この餓鬼だけは、どうしても人間の姿のまま叩き伏せないと気が済まないのだ。

 

と、その時であった。

二人の頭上から、巨大な氷の塊が降ってくる。

大きく後方へと飛び退き、回避するダンテと明。

地下道を大きく揺らし、氷山が、二人を分断する。

 

「よぉ、お楽しみの最中申し訳ないが、邪魔するぜぇ。」

 

この場には、そぐわぬ能天気な声。

見上げると、グレーのトレンチコートに、中折れ帽子、幾何学模様のマスクと清潔な白い手袋を嵌めた男が、氷山の上にしゃがんでいた。

 

「てめぇ・・・・何者だ? 」

 

軽い掛け声と共に、巨大な氷の岩から飛び降り、数歩離れた位置で軽やかに着地する正体不明の男を睨みつける。

 

見れば見る程、奇妙な恰好をした男であった。

紳士然とした身なりをしているが、被っているマスクが異様であった。

性格検査等に使用されるインクの染み― ロールシャッハ・テストと同じ模様が施されたマスク。

声からして自分より一回り以上歳上なのが分かるが、漂う雰囲気が、常人が持つモノとは遥かに違っていた。

 

「何者・・・・・? そーだなぁー・・・・まぁ、有体(ありてい)な言葉を使うなら、お前の親父って事になるのかぁ? 」

「何だと・・・? 」

 

男の口から出た驚愕の言葉に、思わずダンテが目を見張る。

無意識に、左手が右の首筋に刻まれた番号に触れていた。

 

「あぁ・・・こういうのを感動の再会って言うんだろ? ”初めまして、私が貴方のパパよ・・・・”なんつってな? 」

 

ケタケタと不気味に笑う覆面の男。

対峙するダンテは、まるで異質な生き物でも見るような眼で、この正体不明の謎の人物を眺めていた。

 

 

 

物心ついた当時から、自分は普通の人間とは明らかに違うと感じていた。

右肩の首筋辺りに、バーコードの様な痣があるのも気になった。

しかし、敢えてそこには触れないように心掛けて来た。

何故だか理由は分からない。

唯、”そうしなければならない”と、心の中で、縛りを掛けていたから。

 

 

突然、頭上から降って来た巨大な氷の塊。

身に付いた生存能力故か、無意識に体が動き、真横へと跳ぶ。

地下道の天井から降って来た氷塊は、ダンテと明を完全に分断してしまった。

 

「・・・・・・玲子か・・・・・。」

 

濛々(もうもう)と立ち上る砂煙。

そこに立つ人物に向かい、長い前髪の少年が静かに問い掛ける。

 

「やっぱり・・・・・偉出夫の言う通り、記憶は消されてはいなかったんですね? 」

 

煙が晴れ、そこに立つ人物の姿が露(あら)わになる。

純白のケープに同色の外套(マント)。

顔には、鋭い牙が生えた髑髏の仮面を装着している。

 

封魔菅に入っている悪魔の力を借り、魔人化した赤根沢・玲子であった。

 

「南ベトナムであの人に記憶を消された・・・・・お陰で、取り戻すのに4年以上も掛かっちまったよ。」

 

養父である17代目・葛葉ライドウとであった時の映像が、脳裏を過る。

部隊の仲間と悪魔の返り血で、どす黒く染まり、M4-KM9 アサルトライフルを震える手で抱える幼い明に、悪魔使いは優しく手を差し伸べてくれた。

 

「・・・・・・。」

「おい、玲子・・・・馬鹿な事は考えるなよ? コイツは所詮、俺達とは違う。”クズノハ”の飼い犬だ。」

「・・・・・・・分かっています・・・・でも・・・・・。」

 

そう簡単に割り切れない。

半年間という短い期間であったとはいえ、自分達は確かに”家族”だった。

親の愛情を十分受けられず、行き場を失った自分達に唯一残された安らぎだった。

あの小さな村で過ごした日々は、玲子には『美しい想い出』として残っている。

 

「明君・・・・・私も偉出夫も・・・・そして、由美さんや慎二君も貴方が此方側に来てくれるのを待っています・・・・・もう一度、一緒に理想を叶える旅(ジャーニー)に出ませんか? 」

「フッ・・・・理想か・・・・・アイツ、まだそんな馬鹿げた夢を語っているのか? 」

 

皮肉な笑みを浮かべ、鼻で笑う明の姿を眺め、玲子は落胆の溜息を一つ零す。

 

「明君・・・・・・皆の言う通り、変わってしまったんですね。」

「変わったんじゃない・・・お前等が、餓鬼過ぎるんだよ。」

 

過去の遠い記憶。

虫の鳴き声、所々、罅(ひび)が入った施設の白い壁。

日が沈むまで、浜辺で皆と遊んだ。

 

「今でも、偉出夫は貴方が私達の所に来てくれるのを待ってます。」

「偉出夫に伝えろ・・・・糞喰らえ・・・ってな。」

 

サバイバルナイフの鋭い切っ先を、数歩離れた位置に立つ、白い魔人へと向ける。

昔と変わらず、玲子は馬鹿が付くほど真面目で純粋だ。

説得すれば、自分が再び彼等の仲間(コミュニティ)に入ると信じている。

だが、自分は決して彼等の元へは行かない。

もう既に、大事な還る場所があるのだから。

 




短くなってしまった。 背中が痛い。


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第13話 『 ヴィラン 』

大月・清彦= ヴィラン・・・・軽子坂高校、化学教員。
その正体は、ヴァチカン13機関(イスカリオテ)第10席・コードネーム”ロールシャッハ”、ヴィランである。
元イスラム革命防衛隊出身であり、ウィリアム・グリッグズにその腕を買われてアメリカに亡命、USSFに入隊する。
ケビン・ダッチ・トレンチとは同期。
近接格闘術の達人であり、幼い明に暗殺技術を叩き込んだ教官。
又、とある研究機関で、遺伝子提供もしていた。





イスムの日常は、早朝からある場所に行く事から始まる。

5歳年が離れた妹のミナと一緒に、生臭いゴミの山へと”出勤”するのだ。

今にも崩れ落ちそうな廃材や生活ゴミが溢(あふ)れる山から、売れそうなプラスチックや鉄クズを拾う。

それが終わったら、繁華街に行って飲食店を周り”物乞い”をする。

店の店主から嫌な顔をされたり、無視されたり、罵声を浴びせられるのは日常茶飯事であった。

でも、どんなに嫌な目に合っても、止める訳にはいかなかった。

イスムの家族にとって、それが生きていく為の糧だったからである。

当然、学校なんて贅沢な場所には行った事が無い。

否、一度だけあるが、それも一年生の時だけであった。

父親が職場である造船所で、事故に巻き込まれ、帰らぬ人になってしまったのである。

当然、母親一人だけでは、イスム達を養っていける訳も無く、故に学校も辞めざるおえなかった。

こうして、幼い妹の手を引き、彼等兄妹は、今日も”仕事”をする。

 

 

 

東京都、矢来区地下下水道。

異質な魔界樹の根が、下水道の壁や石畳を突き破り、その醜い姿を晒す中、二人の男が数メートルを挟んで対峙していた。

 

「ハッ、てめぇが俺の親父だってぇ・・・・・? 」

 

目の覚める様な深紅の長外套(ロングコート)に、特殊素材で造られたタクティカルアーマーを装着する銀髪の大男。

かつてレッドグレイブ市で、荒事専門の便利屋を営んでいた男- ダンテは、蒼い双眸を嫌悪感で歪める。

 

「信じられないのは無理もない・・・・でも、コレ哀しいけど事実なんだよねぇ。」

 

渋い茶のトレンチコートと、同色の中折れ帽子を被る覆面の男- ヴィランは、内心の焦りを隠そうともしない銀髪の青年を面白そうに眺めた。

 

それにしても、大分、逞しく成長したものだ。

ヴィランの記憶の中にあるダンテは、臆病で何時も双子の兄であるバージルの陰に隠れているイメージしか無かった。

それが、20数年の時を経て、一端の『悪魔狩人(デビルハンター)』として生業しているのだ。

身体も成熟し、何時の間にか、自分の身長を軽く超えている。

 

「ほざけ・・・・折角の喧嘩を邪魔しやがって。」

 

四年前の鬱憤を晴らせると思った矢先に、この不気味な覆面を被る男に横槍を無理矢理入れられたのだ。

ダンテの心に抱えるフラストレーションは、否が応でも肥大し、爆発寸前になっている。

無意識に、右手に持つ大剣『リベリオン』の柄を握り返していた。

 

「喧嘩? 合成人間の癖に、随分と人間らしい言葉を吐くじゃねぇかよ。」

「・・・・・・・。」

 

あからさまな侮蔑の言葉を投げつけられても尚、ダンテは全く怯む様子を見せなかった。

ある程度、予想をしていたのか、黙ったままヴィランを睨みつけている。

 

「はぁ・・・・なんだよ? そのつまんねー反応。 もしかして、知ってた? 」

 

期待通りの反応を返さないダンテに、ヴィランは大袈裟に肩を竦める。

 

意外な人物から真実を告げられ、焦り、戸惑う姿を拝見するのが楽しみだったが、そうもいかなかったらしい。

見た目と違い、心の中は、恐ろしいまでに冷えている。

 

「・・・・・40年以上前に、国防総省(ペンタゴン)が秘密裏にある”計画”を進めていたのは知ってる・・・・事故で頓挫したみたいだけどな。」

 

ダンテは、何処か他人事の様に、自分の言葉を聞いていた。

右肩の首筋に刻まれた刻印から、チクチクと針に刺された様な痛みが伝わる。

 

「ぶっちゃけ、未だに半信半疑だけどな・・・・・”まだ自分は人間だと思いたい”らしい・・・・。」

 

ライドウは、自分の出自を予め知っていた。

だから、自分が悪魔絡みの仕事に関わるのを良く思っていなかった。

今思うと、ソレはとても残酷な優しさだ。

 

「1年前・・・・フォルトゥナで起こった隣国との戦争で、坂本とかいう自衛官に言われた・・・俺は、国が対悪魔用に造り出した人造人間だってな・・・まぁ、その前に色々調べて、ある程度覚悟はしてたが。」

「坂本晋平二等陸佐か・・・・まさか、あの茶番劇に関わっていたとはな。」

 

坂本晋平二等陸佐は、後藤事務次官の右腕的存在だ。

全般の信頼を寄せられ、若手育成も任されている。

思えば、あの戦争を仕組んだ陰の立役者は、後藤事務次官だ。

懐刀である坂本二等陸佐が、魔剣教団に潜り込んでいても何ら不思議はない。

 

「まぁ、そんな事はどうでも良い・・・それより、パパと遊んでくれよ?ダンテ。」

「失せろ、気色悪いんだよ。」

 

常人ならば、震え上がる程の殺気。

しかし、ヴィランは全く動じない。

 

「可愛い気が無いねぇ・・・・昔のお前はもう少しだけ愛想が良かったぞ? 」

 

大袈裟に肩を竦め、右手を軽く振る。

すると、何処からともなく二つの円形状の物体が飛来し、深紅の長外套(ロングコート)を纏った銀髪の青年へと襲い掛かった。

 

咄嗟に真横に跳んで、躱す。

しかし、二対の円盤は、それ自体が意思でも持つのか、逃れるダンテの後を追い掛けた。

舌打ちし、魔法の様な速さで、ダンテが腰に装着しているガンホルダーから、”エボニー&アイボリー”を引き抜く。

まるで、マシンガンの様な常人を遥かに超えた連続速射。

魔力の篭った鋼の牙が、二対の円盤を撃ち落とそうとするが、途中で凍り付き虚しく地へと落ちた。

 

「何? 」

 

あまりの出来事に、ダンテが蒼い双眸を見開く。

そんな魔狩人の様子に、ヴィランが勝ち誇った笑みをマスク越しに浮かべた。

 

「紹介が遅れたな? ソイツ等は”神器・スダルサナ”って言うんだ。ヒンドゥー教の最高神の一人、創造神・ヴィシュヌが持つチャクラムだ。」

「ヴィシュヌ!? 」

 

覆面の男の口から出た言葉に、ダンテが訝し気に聞き返す。

 

その間にも、情け容赦の無い、二対のチャクラムの攻撃は続く。

斬撃を躱す度に、長外套(ロングコート)の袖口や裾(すそ)が凍り付いていった。

 

「お前が考えている通り、コイツは、17代目から奪い取った魔神・ヴィシュヌを基に造り出されている。 中々良く出来ているとは思わないか? 」

 

まるで奏者達を指揮するコンダクターの如く、ヴィランは右腕一本だけで、二対のチャクラムを巧みに操る。

その気になれば、何時でもダンテに致命傷を与える事が出来るにも拘わらず、敢えてそうしようとはしない。

獲物の体力をじわじわと削り、嬲り殺しにするつもりなのだ。

 

「まさか、てめぇもあそこにいたのか? 」

 

覆面男の言葉を信じるのならば、この”スダルサナ”と呼ばれる神器は、ヴィシュヌが封じられている。

すると、この男はあの戦争と何らかの繋がりがあるという事になる。

 

「いいや、俺はあの現場にはいなかった。 コイツは、依頼人(クライアント)の借り物だ。」

「依頼人(クライアント)? そいつは一体誰だ? 」

 

大剣『リベリオン』でチャクラムの一つを弾き飛ばす。

しかし、もう一つを躱しきれず、肩口を大きく斬り裂かれ、血が噴き出した。

 

「教えるかよ、ばぁああああああっか。 お前も裏社会の人間なら依頼人(クライアント)の情報は秘匿するだろーがよ。」

 

左肩から血を流すダンテを、ヴィランは呆れた様子で眺める。

その血が、真っ白い結晶体へと変わった。

スダルサナの持つ氷結能力が、ダンテの血を一瞬で凍り付かせたのだ。

左腕の機能を失い、ダンテが驚愕の表情で、その場に膝をつく。

 

「どうだ? 身体の内部が凍っていく感想は? 」

「くたばれ・・・クズ野郎。」

 

相手の術中にまんまとハマり、ダンテが己の迂闊さに舌打ちする。

 

スダルサナは、唯、ダンテを攻撃していた訳ではない。

空気中に、氷の結晶体をバラ撒き、獲物が吸い込むのを待っていたのだ。

体内に侵入した結晶体は、獲物の体液や血液を凍り付かせ、膨張し、細胞膜を破壊。

虚血障害を起こし、手足を麻痺させる。

 

「・・・・・なぁ? お前、もしかして俺を舐めてる? 」

 

身体を屈め、片膝を付くダンテと同じ目線になったヴィランが、思案気に顎に手を当てる。

 

「何時まで”人間のフリ”を続けているつもりだ? ”バケモン”なら”バケモン”らしく、この場合、本性を現すだろーがよぉ? 」

「言っている意味が分かんねぇよ? 変態野郎。」

 

威嚇する様に、眼前に配置された二つの神器”スダルサナ”を睨みつつ、ダンテは荒い呼吸を忙(せわ)しなく吐き出す。

 

この男の真意がまるで理解出来ない。

自分を殺すつもりは全く無いのか、終始殺気を感じなかった。

自分の出自を知っているという事は、アメリカ国防総省(ペンダゴン)の人間なのだろうか?

ならば、逃げ出したモルモットをとっとと回収する筈だが、その様子がまるでない。

 

「お前がグレゴリー博士をぶっ殺したんだろ? 悪魔の本性に目覚めてさ? 」

「・・・・・・誰だよ? ソレ・・・・・? 」

 

覆面男から、聞いた事が無い名前が出て、訝し気に眉根を寄せる。

そんなダンテの様子に、何かを悟ったのか、ヴィランは一つ溜息を零すと、徐に立ち上がった。

 

「成程、記憶が跳んでいる訳ね・・・・モルガンの野郎、つまんねー真似してくれるぜ? 」

「・・・・・・。」

 

さっきから、この男は一体何をしたいのだろうか?

男の意図がまるで読めず、対処の仕方が分からない。

唯一、分かる事は、この覆面男が”人間”であるという事だけだ。

 

「どうせ何時かは、ケビン辺りがお前を”処理”しに来るしなぁ・・・・勿体ねぇが、今のうちに始末しとくか。」

 

ヴィランの口から出た予想外の言葉。

この男が、自分の予想通り、軍に関係しているのならば、”ケビン”は、間違いなく恩師である”ケビン・ブラウン”大佐だろう。

 

「ケビン・・・・・もしかして、ケビン・ブラウン大佐の事か? 」

「あん? そうだぜ・・・・今は、CSI(超常現象管轄局)のNY支部長を務めているらしいがな? 」

 

予想通りの言葉に、ダンテが上げていた顔を下へと降ろす。

 

師であるケビンも、元はアメリカ軍特殊部隊の出身だ。

当然、ダンテの正体も把握済みだろう。

最初から、自分を利用する目的で、悪魔との戦闘訓練を指導したのだろうか?

否、そう考えると無理があり過ぎる。

 

「じゃ、アバヨ・・・・あの世で、お前の母親に”ヴィランがヨロシクって言っていた”と伝えといてくれや。」

「!? 」

 

双子の兄、バージル以外残された唯一の肉親。

その言葉が、覆面男から出た事に、俯いていた顔を上げるが、時既に遅かった。

岩の如く巨大な氷の塊が、ダンテの身体を圧し潰す。

神器”スダルサナ”で造り出された氷塊だ。

落ちて来た衝撃で、地下道全体が大きく揺れる。

濛々(もうもう)と、土煙が上がる中、銀髪の魔狩人の死を確信したヴィランが仲魔の元へ行こうと背を向けた。

しかし、一歩、前に踏み出したその脚が、途端に止まる。

 

「へへっ・・・・やっぱ、お前はそうでなくっちゃなぁ。」

 

無意識に覆面男の身体が、真横へと跳ぶ。

同じくして、氷の岩から亀裂が走り、粉々に砕け散った。

衝撃で地下道内を吹き荒れる砂煙。

中から、二枚の翼を持つ、深紅の悪魔が、大剣『リベリオン』を右手に握り、その場に立っていた。

 

 

戦いは、あまりにも唐突であった。

白い死神が放つ無数の光の矢。

それらを巧みに躱し、明が死神へと肉迫する。

右手に持つコロンビアナイフの鋭い一閃。

ホワイトライダーの右腕から血が吹き出る。

 

「い、今の攻撃は一体・・・・? 」

 

ナイフの短い射程では、決して届かない位置に自分はいた筈だ。

傷ついた腕を抑え、死神- 赤根沢・玲子は相手との間合いを取ろうと後方へと下がる。

だが、明は逃さない。

同じ歩幅で、一定の距離を保ちながら斬撃を放つ。

 

『しっかりしろよ! ホワイトライダー! 』

 

玲子の耳に装着されたインカムから、黒井・慎二の叱責が飛ぶ。

防御結界(シールド)を張り、不可視の斬撃から、仲魔を護る。

 

『気功術だ! 大月先生から習ったろ? 』

「気功術・・・・ 成程、そういう訳ですか。」

 

チャーリーの指摘に、玲子はそこで漸く合点がいった。

明は、気功術を使い、身体能力を上げているだけではなく、ナイフの刀身に気を流し込み、見えない刃を造り出している。

気の刃は見えないどころか、戦闘に応じて巧みに形状を変え、盾になって己の身を護ったり、又、槍の様な形態に変形し、敵を斬り裂いたりしているのだ。

 

『あの刃はフェイクだ。 ”俺の眼”を貸してやるから、魔力を同調させろ。』

「分かりました。」

 

チャーリーの指示通り、彼の意識とリンクする。

すると視界が切り替わり、明が右手に持っているサバイバルナイフから、刀の刀身と同じ形をした白いオーラが見えた。

 

「フン、慎二の野郎か・・・・相変わらず、女の陰に隠れてばかりか? 」

 

何時もの冷静さを取り戻した玲子に、明が皮肉な笑みを口元へと浮かべる。

 

明が知っている黒井・慎二は、先天的な難病を患い、車椅子生活を送っていた。

病気のせいで栄養が上手く取れず、ガリガリに痩せ細り、卑屈な目を絶えず周囲に向けていた。

 

「男なら、女の陰に隠れてねぇで、出て来いよ。 それとも、俺が怖いのか? 」

 

相手に聞こえているかは疑わしいが、それでも、明は此処にはいない黒井・慎二を挑発する。

 

『ち、絶対泣かせてやる。 玲子、てめーも何時までも手を抜いてんじゃねぇぞ。』

「・・・・・・仕方がありませんね。」

 

何かを諦めたのか、玲子が静かに応える。

と、その姿が突然消失。

明の真後ろに姿を現す。

 

「!!! 」

 

殆ど、条件反射で、明の身体が真横へと跳ぶ。

しかし、躱せない。

弓から二振りの双剣へと変形した得物が、明の右肩と太腿を深く斬り裂く。

鮮血が飛び散り、石畳をどす黒く汚した。

 

(ちぃ! しくじった!! )

 

相手が黙示録の四騎士である事を失念していた。

明は、己の迂闊さに心の中で舌打ちする。

 

「もう、その脚では私の攻撃を躱す事は出来ません。」

 

双剣から再び得物を弓形態へと戻した玲子が、石畳に片膝をつく明へと狙いを定める。

髑髏の仮面が冷徹に、血塗れの明を見据えた。

 

「最後通告です。 大人しく私達と一緒に来て下さい。」

「嫌だね。」

 

不利な状況にあるにも拘わらず、明は真っ向から相手の要求を跳ね除ける。

右手に持っているサバイバルナイフを腰のホルダーへと戻し、ジャケットのポケットから独鈷杵と呼ばれる法具を取り出す。

 

『何してる! とっとと頭をブチ抜いちまえ! 』

 

明は、此方に向かって何かを仕掛けるつもりだ。

玲子もそれを察し、チャーリーの指示通り、引き絞っていた弓矢を放つ。

音速の速さで、正確に明の額を射抜かんと、矢が一直線に飛ぶ。

しかし、それを明の足元から噴き出した炎の壁が粉々に矢を砕いた。

 

「ば、馬鹿な? 」

 

地下道の天井まで届く、炎の柱。

二歩、三歩と後退る玲子の眼に、紅蓮の炎の中から、紫を基本カラーにした額に二本の角を持つ異形の魔人が現れる。

眼や口に当たる部分が無く、歌舞伎等に使用される隈取の様な文様が顔に浮き出ており、頭部の角はやや湾曲して生えていた。

その姿は、まさに鬼・・・・古より伝わる魔物がそこにいた。

 

「・・・・・成程、貴方も私達と一緒という訳なんですね? 」

 

玲子達が、悪魔の力を借り、黙示録の四騎士の姿へと変身するのと同様に、明も法具の力で『鬼』へと転身出来るらしい。

鬼人化した事により、先程負った傷も再生されたのか、跡形も無く消えていた。

 

「来い、格の違いってのをお前等に教えてやる。」

 

鬼へと変じた明が、白い死神を手招く。

弓から二振りの刀へと、得物を変形させる玲子。

この男に余計な言葉は不要。

全力で立ち向かわなければ、いくら黙示録の四騎士といえどやられてしまうだろう。

 

 

大剣『リベリオン』と神器『スダルサナ』が火花を散らし、激しくぶつかり合う。

怒りに燃える魔人の深紅の瞳。

しかし、対峙する覆面の男は、何処までも余裕な姿を崩さない。

 

「ホレホレ、もっとブチ切れてみせろよ? ダンテ。お前の力はそんなモンじゃねぇだろ? 」

 

拮抗する双方の力。

だが、凄まじい魔力の波動に当てられても尚、ヴィランは全く動じない。

顎に手を当て、面白そうに目の前の深紅の魔人-ダンテを眺めている。

 

「うおぉおおおおおおっ! 」

 

男の余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)とした、その態度にダンテの怒りの炎が燃え上がった。

身体から魔力のオーラを噴き出し、刀身に尚も力が篭(こも)る。

刹那、地下道全体が大きく揺れ動いた。

振動は、更に激しさを増し、天井から漆喰や砂が雨の如く降り注ぐ。

 

「なっ、何だ? 」

 

予想出来ぬ事態に、ダンテが狼狽する。

そんな深紅の魔人に対し、覆面の男は満足そうな笑みをマスクの下に浮かべた。

 

「ハッ、俺の睨んだ通りだぜ・・・・”こいつ等”は、人間の血液だけに反応するわけじゃねぇみてぇだ。」

 

硬い岩盤を突き破り、二人が対峙する地下道内に何かが現れる。

それは、歪な形をした魔界樹の根であった。

予想外の襲撃者に、ダンテとヴィランが瞬時に離れる。

二人の戦いに乱入してきた醜悪な根は、ヴィランを無視し、深紅の魔人へと襲い掛かった。

槍の様に鋭い先端を持つ根を、ダンテの大剣『リベリオン』が受け止める。

しかし、根の勢いを止める事が叶わず、深紅の魔人は地下道の壁へと叩きつけられた。

 

「頑張れよぉ、ダンテぇ。どうやらソイツ等は、お前の魔力が大好物らしいからなぁ。」

 

硬い壁を突き破り、醜悪な根の群体と共に、隣の通路へと消えていく魔人へと、覆面の男が無責任極まりないエールを送る。

そして、改めて魔界樹の根が現れた大穴へと視線を向けた。

 

「さて、そんじゃ奴等が集めた甘い蜜を回収しましょうかねぇ。」

 

地下道の床に穿たれた大穴へと近づく。

大穴からは、クリフォトの根が幾本も突き出し、底の見えない暗黒の闇が何処までも広がっていた。

覆面の男- ヴィランは、神器『スダルサナ』を従え、何の躊躇いも無く大穴へと身を躍らせる。

闘気術を使用しているのか、常人よりも遥かに優れた筋力を使い、醜悪なクリフォトの根を足場に飛び移りながら、下へと降りる。

漸く終点へと降り立つと、目の前に巨大な何かが鎮座していた。

この矢来区地下道に根を張り巡らしている元凶、クリフォトルーツである。

 

「ほほぅ、コイツが魔界樹の球根か・・・・。」

 

まるで心臓の様に脈打つ、魔界樹の球根。

人間の血液を連想させる球体には、人間や地下道を根城にしていた悪魔共のマグネタイトが凝縮されていた。

 

ヴィランが、その球根へと近づくと、敵を察知したのか丸太の如く巨大な数本の触手が、威嚇する様に立ち塞がる。

 

「フン、タダでは寄越してくれねぇってか。 まぁ、良い。 そうでなきゃ面白く無いからな。」

 

まるで鍵盤の上に指を走らせるかの如く、ヴィランは指先で二対のチャクラムを巧みに操る。

外敵の攻撃を察知したクリフォトの根が、侵入者を排除する為、鏃(やじり)の先端の如く鋭い触手で襲い掛かった。

それを神器『スダルサナ』で、いとも容易く受け止める。

と、瞬く間に巨大な触手が凍り付き、粉々に砕け散った。

魔界樹の球根全体に、激痛が走り、猛獣の如き咆哮が地下道全体に轟き渡る。

 

「ハハッ・・・・凄い威力だ。 流石、ヒンドゥー教の最高神だぜ。」

 

17代目・葛葉ライドウから奪い取った最上級悪魔(グレーターデーモン)、魔神・ヴィシュヌで造り出された神器は、想像以上の力を秘めていた。

流石、あの人修羅が使役していた悪魔だけはある。

 

怒りの雄叫びを上げ、クリフォトルーツが、尚も攻撃を仕掛けて来た。

退路を完全に塞ぐ形で、二本の触手が振り上げられる。

しかし、その鏃(やじり)がヴィランの身体を貫く事は叶わなかった。

それよりも、二対のチャクラムが速く動き、球根の触手を全て氷漬けにしてしまう。

 

「悪いな? お前さんが集めた蜜は、有難く頂いていくぜ? 」

 

懐から、注射器のシリンジの様な器具を取り出したヴィランが、最早抵抗の意思を見せない球根へと近づく。

そして、何の躊躇いも無く突き刺した。

 

 

 

再び、地下道全体を襲う地震。

立っている事が困難になり、壬生・鋼牙が思わず石畳に膝を付く。

天井から漆喰が、鋼牙と数歩離れた位置にいるVの頭上に雨の如く降り注いだ。

 

「ひぃ、さっきから一体どうなっちまってるんだよ? 此処は? 」

 

地に降りたグリフォンが、自分の羽についた砂粒を払い落とす。

 

「此処に長くいるのは拙い、一旦外に出るぞ。 」

 

地上へと続く通路の先へと、Vが杖の先端を向ける。

Vが指摘する通り、地下道の壁や天井には無数の亀裂が走り、今にも崩れ落ちそうだった。

このままでは、最悪、生き埋めにされてしまう。

しかし、”探偵部”の大事な仲間である明を見捨てる訳にはいかなかった。

 

「待って下さい。この中には、まだ明とダンテさんがいるんですよ? 」

「奴等なら心配ない・・・・特に、ダンテという男はな・・・。」

 

鋼牙の言葉をVは、冷たく切り捨てる。

 

「Vの言う通りだぜ。 明も一応は”八咫烏”の一人なんだろ? だったら、心配するだけ損ってなもんだぜ。」

「グリフォン・・・。」

 

何か言いかけようとした鋼牙の言葉を、黒い体毛をした大鷲が遮った。

確かに、明も鋼牙と同じ”八咫烏”の一員ではある。

冷静沈着で、何事にも動ずる事無く、所長代理である鋼牙を幾度も助けて来た。

この危険な状況下でも、明なら的確な判断の元、安全に対処するだろう。

 

「そうと決まれば、とっとと外に出ちまおうぜ。 俺っちも生き埋めは、流石に勘弁だぜ。」

 

一同よりも早く、蝙蝠の姿へと変じた魔神・アラストルが地下道の出口へと向かう。

それに続く、陰気な召喚術師と仲魔の魔獣。

鋼牙も、渋々といった様子で、彼等に従うしかなかった。

 

 

 

東京都港区六本木6丁目、複合商業施設・・・通称、六本木ヒルズ。

様々な企業の店舗や事務所、共同住宅等が入っているその一区画に、彼等はいた。

 

「ねぇ? アタシの話聞いてるぅ? 偉出夫。」

「聞いてるよ。 横内君の冷静な判断力のお陰で、君が助かり、こうしてお茶が飲めているんだろ? 」

 

8メートルは優に超える広い室内。

防弾ガラスで造られた特殊なガラスの壁に広がる六本木の街を見下ろし、不貞腐れた顔でデスクチェアにだらしなく座る白川・由美を横目で眺める。

 

「むぅ・・・・確かにその通りなんだけどさぁ。」

 

偉出夫に軽く躱され、由美が唇を尖らせて山盛りの様にイチゴが乗ったスムージーボンボンにプラスティックのスプーンを突き刺し、口へと運ぶ。

 

由美は、数日前に起こった『任務』失敗を、リーダーである狭間・偉出夫に報告している最中であった。

何時もは、勝気な由美ではあるが、己の間違いを素直に受け止める柔軟性は持っている。

 

「んで? どーするの? マグダラのマリアは”スルトル”と”クズノハ”の手の中にあるわ。 私達だけじゃ近づく事も出来ない。」

「大丈夫、それも想定内だ・・・・わざわざ、此方が迎えに行かなくても、彼女は自分の足で、俺達の所へ来るさ。」

「どういう意味? 」

 

狭間の意図している事が理解出来ず、由美は眉根を寄せる。

 

「そのうち分かるよ。」

 

未だ不満な表情を浮かべている由美に苦笑を浮かべ、偉出夫は東京湾に建てられた巨大な壁へと視線を向ける。

遥か上空へと伸びる巨大な壁は、六本木ヒルズ(此処)からでも、見る事が出来た。

 

「今は、矢来銀座の”異変”を調べに行かせている大月先生達だ。きっと面白い情報を持って来てくれると思うよ? 」

「良い情報ねぇ・・・・。」

 

偉出夫は、大分あの化学教師を信頼しているみたいだが、由美は生理的にあの教師が受け付ける事が出来ない。

言動も立ち居振る舞いも何もかもが、気持ち悪い。

尺に触るあの喋り方もだ。

 

 

 

東京矢来銀座、ショッピングモール前。

鋼牙達が、やっとの思いで外へと出ると、既に警察の車両が幾台も地下道入口前に停車しており、警察官や野次馬達でごった返していた。

 

「おい、壬生・鋼牙。」

 

黒縁眼鏡の少年の背に誰かが声を掛ける。

振り向くと50代半ばぐらいと思われる、如何にも警察関係者らしい壮年の男が、背後に部下を従えて立っていた。

 

「百地警部、お久しぶりですね? 」

 

鋼牙に話し掛けて来たのは、警視庁、生活安全課の課長、百地警部補である。

鋼牙が小等部からの付き合いで、当然、『葛葉探偵事務所』所長である葛葉キョウジとは、旧知の間柄だ。

 

「何が久しぶりだ。三日前にも会っただろ? 」

 

苛々した様子で、百地は「警部ではなく、警部補だ。」という言葉を呑み込む。

この小生意気な悪ガキとは、相性が大変悪く、互いに良い感情を持っていない。

鋼牙が態と「警部」と呼ぶのは、単なる嫌味であり、百地もそれを知っているので、敢えて訂正する真似はしなかった。

 

「あれぇ? 磯野刑事はどうしたんですか? 」

 

百地の金魚のフンである磯野・省吾の姿が見えない事に、鋼牙は胡乱気に問いかけた。

 

「奴は、昨日付けで平崎警察署に移動になった。 少年課の課長に昇進したんだよ。」

 

磯野刑事の名前が出た途端、何故か百地の顔がまるで苦虫でも噛み潰したかの様に渋くなった。

彼の相棒である磯野刑事は、昇進試験に見事合格し、横浜にある平崎署へと移動になった。

階級は、百地より一つ上の警部である。

 

「んで、コイツが新しい俺の相棒って訳だ。」

「周防・克哉です。」

 

年齢は20代半ば辺りだろうか。

やや茶色がかった髪を右分けにしており、特徴的なもみ上げをしている。

赤系の四角いサングラスをつけており、如何にも謹厳実直っといった容姿をしていた。

 

「特殊公安部隊出身のエリート様だよ。」

 

百地警部補が、嫌味たっぷりに紹介してやる。

 

何の目的で、警視庁のエリート部隊である”特公”が百地のいる『緊急対策特命係』に配属されたのかは、全く不明である。

『特命』と御大層な役職をつけられてはいるものの、実際は、不要と判断された者が飛ばされるいわば、『追い出し部屋』だ。

本人は、望んで百地の下で働く事を決めたと述べているが、有名大学卒業の輝かしい経歴に泥を塗る真似までして、果たして窓際部屋に来るだろうか?

 

一通りの挨拶を一同が交わしている時であった。

突然、野次馬の一団から驚愕と悲鳴の声が轟く。

鋼牙達が其方に視線を向けると、地面を突き破り、異形の形をした根- クリフォトの魔界樹がその姿を晒していた。

と、突如その巨大な根が爆散。

ドス黒い鮮血を辺りに振り撒きながら、二つの影が地へと降り立つ。

『葛葉探偵事務所』の調査員、遠野・明と17代目・葛葉ライドウの代理番、ダンテだ。

但し、銀髪の大男は気を失っているのか、長い前髪の少年に担がれていた。

 

「明! 」

 

野次馬の波を掻き分け、鋼牙が二人の元へと駆け寄る。

魔界樹の体液を頭から浴びたのか、二人共血塗れで酷い恰好だ。

 

「おい、ダンテの野郎、酷ぇ怪我してるじゃねぇか。」

 

黒い毛並みの蝙蝠- アラストルが、明に担がれているダンテを見下ろす。

アラストルが指摘する通り、ダンテの着ている深紅の長外套の腹部分に大穴が開いており、そこから血が滴り落ちていた。

特殊素材で造られているタクティカルアーマーを貫通する程の威力。

普通の人間ならば、即死してもおかしくはない。

 

「傷は塞がってる・・・・死んじゃいねぇよ。」

 

体重80kgは軽く超えているダンテの身体を軽々と肩に担いだ明は、煩そうに頭の周りを飛んでいる黒い毛並みの蝙蝠を手で追い払う。

その視線が、鋼牙の背後にいる百地警部補と周防警部の二人で止まった。

何かを問い掛け様としている鋼牙を無言で押し退け、二人の刑事の前まで近寄る。

 

「すまねぇ、このオッサン、アンタ等に任せるわ。」

 

有無を言わさず、明が百地警部補に気絶しているダンテを預ける。

慌てた様子で、ダンテを受け取る壮年の刑事。

しかし、自分より遥かに上背があり、おまけに防具と大剣、銃器込みの重量が支え切れず、バランスを崩して、尻餅をついてしまう。

 

「も、百地警部補!? 」

 

大男の下敷きになる上司を周防が助け起こそうとする。

しかし、それよりも早く、ダンテの下から這い出してきた警部補が、部下を手で制した。

 

「俺は、良い! それより早く救命士共を呼んで来い! コイツ、心音が全くしねぇ!! 」

 

仰向けの状態にしたダンテに覆いかぶさり、百地が必死に心臓マッサージを施す。

上司に怒鳴られ、周防は慌てて救命士達がいる救急車両へと急いだ。

 

「た、大変だ。 すぐに回復魔法を・・・・。」

「余計な真似は止せ。 このオッサンは”元からこうだ。”」

 

必死に心肺蘇生を施す百地を手伝おうとする鋼牙を、明が冷たく止める。

訝し気に明を振り向く鋼牙。

メディカルポーチを背負った二人の救命士が駆け付け、未だ気を失っているダンテに適切な措置を施す。

それを横目に、明はさっさと喧噪でごった返す地下道入口から退散した。

黒毛の蝙蝠を肩に乗せた鋼牙も、仕方なくその後に従う。

 

 

 

「いい加減、話してよ。 中で一体何があったんだ? 」

 

複数の小売店舗や飲食店、美容院等が立ち並ぶショッピングモール内。

矢来区地下道入口から少し離れたモール内に入った黒縁眼鏡の少年は、どうしても我慢が出来ず、自分より遥かに上背がある仲間の背に声を掛けた。

 

「地下道で、例の掲示板の連中と会った・・・・。」

「え? まさか”エルバの民”を運営している奴等か。」

 

予想外な明の返答。

 

『エルバの民』とは、呪いを請け負う掲示板の事だ。

魔神皇というハンドルネームを持つ奴が掲示板の責任者であり、書き込まれた相手を100%の確率で呪殺する。

依頼主である菅沼・真紀は、悪戯半分で、同じ学園に通う八神・咲の名前を書いてしまい、その取り消し方法を鋼牙達『葛葉探偵事務所』に頼んでいた。

 

「詳しい事は、此処では話せねぇ・・・それと。」

 

明の視線が、鋼牙の数歩後ろにいる陰気な召喚術師へと向けられる。

豪華客船『ビーシンフル』号に宿泊している、正体不明の謎の人物- Vだ。

何時の間に鋼牙達の後をついていたのか、右手に銀製の杖を持った黒髪の男は、皮肉な笑みを口元に浮かべて、明と鋼牙の様子を伺っていた。

 

「コイツは、何だ? 」

「ああっ、その・・・・地下道で、偶然一緒になったんだ・・・明も覚えているだろ?三十四代目・村正様の所にいた・・・・。」

「Vだ。 宜しく頼む。」

 

黒々とした羽を持つ大鷲を従えた、黒髪の召喚術師。

その蒼い双眸が、二人の少年を交互に眺めていた。

 




何とか投稿出来ました。


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第14話 『クリフォト 』

登場人物紹介

百地英雄・・・・警視庁対策安全課の刑事。
階級は警部補。
主に悪魔が起こす事件、事故を担当しており、自身も剣士職・・・銃剣士(ベヨネッタ)の資格を持っている。
『葛葉探偵事務所』所長、葛葉キョウジとは旧知の間柄で、手に負えない事件を依頼する事が度々あった。(事件解決すると自分の手柄として署に報告する為、鋼牙からは嫌われている。)しかし、警察官という役職には誇りを持っており、市民の安全の為ならば、我が身を投げ打つ覚悟がある。
因みに、離婚歴あり。




成人男性の腕程もある太い魔界樹の根が、容赦なく自分の胸板を貫く。

魔界樹の力に抗う術も無く、背後へと引きずられるダンテ。

地下道の硬い壁を、幾枚もぶち割り、巨大な岩盤に縫い留められる形で漸く停止する。

口から大量の鮮血を吐き出し、胸元と腹部を貫いている醜悪な根を汚した。

 

「くそったれが・・・・・。」

 

常人ならば、既に即死してもおかしくない状態。

しかし、悪魔特有の頑強な肉体と、再生能力のお陰で、何とか死の憂き目から逃れていた。

大量の血液を失った為か、魔人化が解け、元の人間の姿へと戻っている。

震える両腕を叱咤し、身体を貫いている魔界樹の根へと大剣の切っ先を突き刺した。

噴き出るどす黒い魔界樹の樹液。

身体が、魔界樹の液体で汚れるのも構わず、ダンテは『リベリオン』の刀身を下へと降ろす。

魔界樹の根が切断され、支えを失ったダンテの身体が下へと落ちた。

 

「ガハッ・・・・・。」

 

強かに身体を固い石畳に打ち付け、激痛が身体中を駆け巡る。

大剣を杖代わりに、何とか立ち上がろうと試みるが、脚に力が入らず、無様に倒れてしまう。

 

(糞・・・・・情けねぇ・・・・・。)

 

ヴィランという、正体不明の男に本体を攻撃されているのか、クリフォトサップリングはそれ以上、魔狩人に攻撃を仕掛けてくる事は無かった。

俯せていた身体を仰向けに倒し、肺に空気を取り込む。

途端、激しく咳き込み、再び、口から大量の鮮血を吐き出した。

 

「ちっ・・・・こりゃ、暫く動けねぇな。」

 

悪魔特有の驚異的再生能力で、破損した肉体を修復しているものの、かなりの深手だ。

腹に大穴が空いている上に、骨も何本か折れている。

だが、己が負った傷よりも、ダンテの脳裏にあるのはヴィランという名の、謎の人物であった。

 

あの男は、ダンテと双子の兄、バージルの出自を知っている。

 

40数年前、アメリカ国防総省- ペンタゴンで秘密裏に行われていた『人造人間開発計画』。

神をも恐れぬ人体創造の実験。

その計画(プロジェクト)に、自分と双子の兄は、深く関わっている。

 

(クソッタレ・・・・・何が伝説の魔剣士の息子だ。 俺は、人間が造った化け物じゃねぇかよ。)

 

自然、乾いた笑いが血塗れの口元から漏れる。

 

20数年間、自分は人間であると思い込んでいた。

人並外れた度胸とタフさ、裏社会で便利屋として常にトップクラスに君臨していた。

だが、それは全て偽りだ。

悪魔(デーモン)の遺伝子を基に、自分は造り出されたのだ。

知らなければ、良かった。

しかし、力を得る為には、まず自分自身の事を知るのが必要だった。

だから、従軍時代、師であるケビンの眼を盗んで、軍のデーターバンクにアクセスして自分の事を調べた。

出た答えは、あまりにも残酷であったが。

 

「ライドウ・・・・・。」

 

あの悪魔使いを抱きたい。

細い身体を抱き締め、己のモノであるという楔(くさび)を打ち込みたい。

 

自分がまだ、人の心を保てているのは、偏(ひとえ)に悪魔使いの存在があったからである。

テメンニグルで打ち負かされ、その圧倒的なまでの強さに惹かれた。

ヴァチカン13機関の介入で、無理矢理引き離され、又、至極退屈な日常が待っていた。

絶海の孤島、マレット島で再び巡り逢った時は、運命を感じた。

魔帝・ムンドゥスとの激闘で、瀕死の重傷を負ったライドウを自分の事務所に連れ帰った時は、これでやっと彼を自分だけのモノに出来ると愉悦に浸った。

しかし、そんなモノは幻だ。

現実は、あまりにも残酷で、ちっぽけな自分等、意図も容易く吹き飛ばされる。

自分にとって、ライドウは決して手の届かない高嶺の花だ。

現番である玄武に、あっさりと倒され、冷酷なまでの力量の差を思い知らされた。

 

 

「あのオカッパ野郎をぶっ潰すまで、死ねるかよ。」

 

再び、身体を俯せに倒し、石畳に爪を立てる。

 

やられたら必ずやり返す。

相手が剣聖だろうが、何だろうが関係ない。

怒りのマグマが腹腔内から噴き上がり、炎の吐息を吐く。

 

刹那、地下道の硬い壁が内側から粉々に砕け散る。

凄まじい破壊音と瓦解音。

濛々と立ち込める砂煙を突き破り、白い何かが飛び出してくる。

それは、髑髏の仮面を被った純白のローブを纏う、死神であった。

 

「あ、あれは・・・・・? 」

 

ダンテがそれよりも眼を奪われたのは、その死神と対峙する異形の魔人であった。

紫を基本カラーに、襷と褌を締め、頭部に二本の角を生やしている。

その姿は、まさに『鬼』。

 

 

 

「ちっ、あのオッサン、こんな所で何やってんだぁ? 」

 

『鬼』へと転身した明は、視界の端にボロボロになって倒れているダンテの姿を見つけ、思わず舌打ちしていた。

 

赤根沢・玲子と黒井・慎二の二人と激闘を繰り広げている間、銀髪の魔狩人の存在など、すっかり失念していた。

どうやら何者かに相当痛めつけられたらしい。

全身血塗れで、自慢の銀髪が真っ赤に染まっている。

意識はあるらしく、口元が血塗れであった。

 

 

 

 

「今、考えると見捨てれば良かったな・・・・あのオッサン。」

 

『葛葉探偵事務所』がある東京都矢来区の古びた雑居ビル三階。

血で汚れた身体を浴室で綺麗に洗い落とした明は、濡れた髪をタオルで乱暴に拭いながら、鋼牙達がいる事務所のドアを開く。

およそ11畳ぐらいの広さがある事務所内。

メラミン化粧板で造られたデスクには、鋼牙がいつも通り座り、最新型のPCを前にデリバリーで取ったピザを齧っている。

事務所に置かれた書棚には、陰気な召喚術師- Vが本を物色しており、来客用に置かれたテーブルには、蝙蝠の姿をした魔神・アラストルが、好物のアップルパイに齧りついていた。

 

矢来銀座地下道での一件後、流石に血塗れの姿のままモール内を歩く事等叶わず、早々に『葛葉探偵事務所』へと戻っていた。

熱い湯を頭から被り、人心地付いたものの、やはり心の中に残る蟠(わだかま)りは払拭出来ない。

あの場に負傷したダンテがいなければ、魔人化した玲子を倒す事が出来ただろう。

否、倒す事は叶わずとも、深手を与える事が出来た筈だ。

 

「謎の覆面男に、”黙示録の四騎士”ねぇ・・・・そいつ等が地下道内で起こっている異変の首謀者かな? 」

 

デスクに置かれたPCの液晶画面には、検索を掛けた『ヨハネの黙示録の四騎士』についての記事が表示されている。

子羊(キリスト)が解く七つの封印の内、初めの四つの封印が解かれた時に現れるという。四人の死神達に関する記述だ。

明が遭遇したのは、第一の封印が解かれた時に現れる、白馬に乗った死神。

頭に王冠を抱き、支配を得る役目を担うのだという。

 

「そいつ等は関係ない。 何処で嗅ぎつけたかは知らないが、恐らく”クリフォトルーツ”が集めたマグネタイトを狙ったんだろ。」

 

ウィリアム・ブレイクの分厚い詩集を閉じたVが、書棚に本を戻す。

 

意外にもこの事務所の持ち主、13代目・葛葉キョウジは、熱狂的なウィリアム・ブレイクのファンだ。

彼が出した詩集や、画集は全て揃えており、書棚に収まっている。

 

「随分と詳しいんだな? 」

 

冷蔵庫からダイエット・コーラを取り出した明が、タオルケットを頭に被ったまま、来客用のソファーに腰を降ろす。

浴室から出たばかりなので、上半身は裸で、下にビンテージのジーンズを履いた状態だ。

モデル並みに均整の取れた見事な肉体。

無駄な脂肪や筋肉は一切無く、まるで有名な彫刻家が長い年月をかけて彫り上げた作品を思わせた。

 

「今回の首謀者とは、ちょっとした因縁があってな・・・・今現在、都内の地下道で起こっている異変は、全て奴の仕業だ。」

「奴・・・・・? 」

 

意味深なVの言葉に、デスク前に座る鋼牙が、オウム返しに聞き返す。

 

「・・・・・かつて、魔界で四大魔王(カウントフォー)と呼ばれた大悪魔の一柱だ・・・・詳しい事は、俺より”人修羅”の方が知っているかもな。」

「17代目が・・・・・。」

 

不図、鋼牙の脳裏に、邪神・ゴリアテが漏らした言葉を思い出していた。

 

『我が主、”反逆皇・ユリゼン”様の寵愛を受けていた召喚士・・・。』

 

確か、あの邪神はそんな事を漏らしていた。

20数年前、ライドウが『異界送り』の儀式で、1年以上もの長い期間、魔界を放浪していた事は知っている。

その時に、古の森-『迷いの森』にあるという『ノモスの塔』に封じられた魔王・アモンを開放し、見事使役して現世へと帰還した。

 

「勿体つけた喋り方だな? このグリフォンといい、オタクは何者なんだ? 」

 

ダイエット・コーラを一口啜った明が、タオルケット越しに書棚の前に立つ陰気な召喚術師を鋭く睨む。

 

思えば、この術師は初めて会った時から、謎だらけだ。

天鳥港に停泊している超豪華客船『ビーシンフル号』の船長、ヴィクトルの知り合いらしいが、それ以外の経歴は一切不明。

只、分かっている事は、かつて13代目・葛葉キョウジが使役していた造魔を、何故かこの男が持っているという事だけだ。

本人の言を信じるのであれば、13代目自ら譲渡されたのだという。

 

「俺の事を知りたければ、17代目・葛葉ライドウに逢わせろ・・・・息子のお前なら、奴も素直に話を聞くだろ? 」

「何・・・・。」

 

何処か皮肉めいたその言葉に、明の表情が更に険しくなった。

 

何処で知り得たのか、この陰気な召喚術師は、明の素性を知っている。

明は、ネロと同じ、17代目に養子として引き取られた子供であった。

とある事件で、それまで順調だった親子関係に亀裂が走り、現在は、修復不能なまで溝が広がっている。

養父であるライドウは、何とか明との関係を元に戻そうと色々努力をしてはいるが、明自身にその気が全くなく、高等部に進学してからは、一度もまともに顔を合わせてはいなかった。

 

「丸瀬の豚親父に何とかアポを取って貰える様頼んじゃいるが、てんで返答が無くてな? もしかしたら、可愛い可愛い息子のお前なら人修羅ちゃんも喜んで逢ってくれるんじゃぁねぇかと思ってんだよ。」

 

それまで黙って二人のやり取りを眺めていたグリフォンが、事務所内に設置されているパーチと呼ばれる止まり木の上から、突然、割って入る。

暫しの沈黙。

鋼牙が居心地が悪そうに、険悪なムードが漂う明達を眺めている。

 

「無理だな・・・・俺に頼むのはお門違いだ。 17代目に逢いたきゃ、理事長に頼めよ。」

「それが出来ないから、お前に頼んでいる。」

「何故だ? 四大魔王(カウントフォー)が絡む事件なら、理事長だって話を聞くだろ? 」

「理由があって”クズノハ”と関わりたくない。 俺は、個人的な話でお前の父親に逢いたいんだ。」

 

明の真向かいにあるソファーに腰を降ろしたVが、真剣な表情で、頭からタオルケットを被った少年を見つめる。

 

正直言って、葛葉一族の目付け役である”マダム・銀子”を通さず、四家当主の一人、葛葉ライドウと面会する事は不可能である。

ライドウは、同じ四家当主であるキョウジと違い、組織に忠誠であり、それ故、特別な役職を与えられている。

巨大企業であるHEC(Human electronics Company)のCEOを務めているのは勿論の事、他国の依頼で現地に赴き、悪魔討伐も行っていた。

 

「残念ですけど、それは無理な話です。 元締めである清明(はるあきら)様に話を通さない限り、17代目と直接逢う事は叶いませんよ。」

 

見かねた鋼牙が、明に助け舟を出した。

しかし、Vは全く取り合おうとしない。

只、黙したまま、真向かいに座る長い前髪の少年を見つめるだけだ。

 

「・・・・・分かった。一応、あの人に連絡だけは取ってみる。」

「明? 」

 

予想外な明の応えに、鋼牙が眼鏡越しに咎める様な視線を向ける。

 

一応、此方に協力的な態度を取っているとはいえ、未だにVは正体不明の謎の人物である事に変わりは無い。

組織”クズノハ”に属する以上、そんな輩を四家当主が一人に逢わせる事に対し、多少の抵抗があるのは否めなかった。

 

「コイツの言っている事が正しいなら、魔王クラスの大物が、人間界に干渉しているという事になる。眉唾ものの胡散臭い話だが、地下道の異変が事実である以上、放置は出来ねぇ。」

 

被っていたタオルケットを両肩に掛け、早速、義理の父親である17代目に連絡する為、テーブルに置かれている自分のスマートフォンを手に取りソファーから立ち上がる。

スマホを弄りながら、部屋の隅へと向かう明の後を、デスクチェアから離れた鋼牙が追い掛けた。

 

「駄目だよ。 地下道の一件は、都知事が直々に組織に依頼している。それと、あのVって召喚術師は、危険だ。 ギルドの登録名簿を調べて見たが、彼に関する記述が一切ない・・・・つまり・・・・。」

「ギルドに登録されていない術師なんだろ? 別に大した問題じゃない。」

「でも・・・・。」

「問題は、”異界化が急速に進んでいる”って事だ。 俺の予想じゃ、矢来区だけじゃない、朝日区や下手すりゃ臨海公園辺りまで広がってる。」

 

実際、地下道で『クリフォトの魔界樹』と対峙し、戦ったから分かる。

魔界樹の力で、異界化が一気に広がっているという事だ。

後数日もすれば、魔界樹は、その醜悪な姿を地上に晒すだろう。

そして、新たな獲物を求めて、地上で生活している一般市民達を襲い始める。

そうなってからでは、全てが遅すぎる。

 

その事実は、鋼牙自身も良く理解していた。

今は、情報が余りにも少ない。

逸早く対応するには、いくら怪しくとも、このVという術師が持っている情報だけが、頼りになるかもしれないのだ。

 

 

 

 

矢来区地下道の一件から、一夜明けた人工島-『天鳥町』泰祥堂(たいしょうどう)区二丁目。

謎の覆面男-ヴィランの襲撃と、”クリフォトの魔界樹”によって、重傷を負ったダンテは、『葛葉産婦人科医院』に収容されていた。

 

「朝日区の地下道も似た様な状態だった・・・但し、旦那がいた矢来区よりかはマシだったけどね。」

 

白いシャツにジップパーカー、ロングパンツに白いバンダナを頭に巻いた赤毛の青年- 猿飛佐助が、器用にナイフでリンゴの皮を剝いている。

佐助の座っている簡易椅子の真向かいにはシングルベッドが置かれており、清潔なシーツの上には、見事な銀色の髪をした大男が胡坐をかいて座っていた。

 

「明っちに感謝しないとね? あの子がいなかったら、今頃旦那は瓦礫の下敷きだったそうじゃない。」

「ちっ、誰も助けてくれなんて頼んでねーよ。」

 

佐助が剥いたリンゴを咀嚼しつつ、ダンテが不貞腐れた態度で、悪態を吐く。

 

佐助が言う通り、大量に血を流し、貧血で気を失ったダンテを担いで地上まで登って来たのは、4年前に、自分の額に鉛の弾丸をぶち込んだ少年だった。

近隣住民からの通報で、駆け付けた警察関係者に気絶したダンテを押し付けると、明は”探偵部”の仲間、壬生・鋼牙と共に何処(いずこ)かへと消えたのだという。

その後、組織の手回しにより、救急隊によって16代目・葛葉忍が責任者を務めているこの個人病院へと運び込まれた。

 

朧気ではあるが、昨夜起こった出来事は、何となく覚えてはいる。

白いローブを纏った死神と対峙する、深紅の鬼。

高速移動で、視認不可能な斬撃を繰り出す強敵に対し、鬼は全く臆する事無く、その攻撃の殆どを軽く往なしていた。

あの鬼は、恐らく遠野・明だろう。

ダンテが長年追い求めた完璧な戦闘スタイルを、明は意図も容易く実現してみせている。

これは、生まれながらの才能だ。

かつては、裏社会でトップクラスの便利屋として君臨し、仲介屋達から引く手あまただった己自身が、霞んで消し飛んでしまう程の力量差を明は持っていた。

嫉妬と羨望が、怒りの炎となり、無意識に切れる程、唇を噛み締めている。

 

「旦那、フォークが曲がってるよ。」

 

呆れた様子の佐助の言葉に、ダンテは、右手で握りしめている小さなフォークへと視線を落とす。

知らず知らずのうちに、力一杯握りしめていたのだろう。

フォークは、ダンテの手の中でグニャグニャに、捻じ曲がっていた。

 

「まぁ、悔しい気持ちは分らなくも無いけどね? ”十二夜叉大将”の中でも、明っちと壬生の坊ちゃんは別格だから。」

「別格? 」

「そっ、本物の天才って奴? だから、御屋形様もあの二人には甘い所があるんだよ。」

 

サイドテーブルに置かれている皿に、曲がったフォークをぞんざいに置くダンテを、苦笑交じりに佐助が眺める。

 

一般に天才とは、生まれつき備わった優れた才能の事を指す。

特定の分野において驚異的な能力を発揮する人間を言うが、明と鋼牙の二人はまさにそれであった。

鋼牙の場合は、両親共に超人なので、その間から生まれた子供が類稀(たぐいまれ)な力を秘めているのは当然であるが、明は出自が不明であり、周囲の人間達からの受けは大変悪い。

義理の父親である17代目・葛葉ライドウ自身が、蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の血筋ではない為、上層部から嫌われているというのも一因している。

しかし、”十二夜叉大将”の長、”人喰い龍”こと、骸が明の秘められた才能を逸早く見抜き、自ら自分の組織へと迎え入れた。

骸の目論見通り、明はその才能を遺憾なく発揮し、現在に至っているのである。

 

「”探偵ごっこ”を許しているのも、組織を通さず、勝手に悪魔討伐をしているのも、全て、御屋形様が許しているお陰だよ。 普通の奴等がそんな事したら、力を封じられるか、下手したら矯正所に連行される。」

 

佐助とて、あの二人に思う所が無いと言えば、嘘になる。

だが、あの二人の背後には、恐ろしい”人喰い龍”がいる。

不満を呑み込み、口出し無用にしなければ、骸から何をされるか分からない。

 

「ちっ、あの蛇野郎に気に入られているって事か。」

「もー、そういう事を此処で言っちゃ駄目。 一応、四家当主の管轄下なんだよ? 」

 

この医院の持ち主は、葛葉四家当主の一人、16代目・葛葉忍だ。

忍は、ライドウと同じく、組織に対し忠誠的な態度を示してはいる。

だが、ライドウと決定的に違うところは、下手に波風を立てたくないだけで、”クズノハ”に対し、忠実かといえばそうでもない。

要は、『事なかれ主義』なのである。

 

怖い者知らずなダンテの態度に、佐助が呆れた様子で溜息を零している時だった。

突然、病室内が大きく揺れる。

 

「うわわっ! 何? 地震!? 」

 

震度4は軽く超えているかもしれない。

余りの出来事に、簡易椅子から転げ落ちそうになった佐助は、何とかその場で踏み止まる。

サイドテーブルに置かれたプラスチックの皿と数冊の雑誌が床へと落ちた。

 

「外が騒がしいな? 」

 

数分後、漸く地震が収まったが、次は建物の外から人の悲鳴や救急車両の音が聞こえて来た。

病衣姿のダンテがベッドから降り、窓から外の様子を伺う。

すると天鳥港の遥か向こう・・・・東京ゲートブリッジの辺りから、見たことも無い醜悪なオブジェが幾つも突き立っているのが見えた。

 

「アッチの方角は、確か雲雀ヶ丘がある辺りだ。」

 

ダンテの前に佐助が、ひょっこりと頭を出す。

東京都雲雀ヶ丘は、昨日、ダンテが調査した矢来地下道の隣の街だ。

地表から、醜い姿を晒す魔界樹の根は、更にその数を増し、絡み合い、巨大な塔を築いていく。

 

「悠長に、休んでいる場合じゃねぇよな。」

 

窓から離れたダンテは、私服が収められているクローゼットへと向かう。

その背に、大分慌てた様子の佐助が追い掛けた。

 

「ちょっと! 安静にしてろって16代目に言われたばかりでしょ? 」

「緊急事態だ。 あの女医さんには今日で退院したと伝えてくれ。」

「馬鹿言わないでよ! また俺様がお咎め喰らっちゃうでしょーが! 」

 

本当に勘弁してくれ。

ダンテの勝手極まりない行動のお陰で、今までロクな目に合っていないのだ。

遺物の横流しだって、この男が余計な真似さえしなければ、17代目に指摘される事も無かった。

 

「あらあら? 一体何の騒ぎかしら? 」

 

私服に着替えようとしているダンテを、佐助が慌てて押し留めている時であった。

病室のドアが開き、中から20代半ばぐらいの白衣姿の美女が姿を現す。

長い黒髪を頭の上で、アップに結い上げているこの女性は、『葛葉産婦人科医院』の責任者、16代目・葛葉忍、その人であった。

 

「良い所に来てくれた! 16代目! この馬鹿ゴリラをどーにかして! 」

 

地獄に仏とはまさにこの事。

佐助は直ぐに、助手の看護師を背後に従えた、モデル並みに均整の取れた美女に助けを求める。

 

「誰がゴリラだ! この糞猿!! 」

「うっさい! これ以上、俺様は信用を堕としたくないんだよぉー! 」

 

ギャーギャーと、不毛過ぎる争いをする二人の男を眺め、16代目が呆れた様子で溜息を一つ零す。

 

「雲雀ヶ丘の異変なら、特殊公安部隊と自衛隊が向かっているわ。 残念だとは思うけど、貴方の出番は無いと思うけど? 」

 

赤毛の青年の首を締め上げている銀髪の大男に向かって、16代目が窘める。

女医の背後に控えている看護師の早乙女・桜子は、どうして良いのか分からず、狼狽していた。

 

「あぁ? そんなもん関係ねぇ。面白そうなパーティーが目の前で始まってんだ。指を咥えたままお預けなんて御免だぜ。」

 

佐助の首を見事にロックしつつ、ダンテがモデル並みの体系をした美しい女医へと視線を向ける。

 

生まれ持った悪魔の血故か、ダンテの闘争心は人並以上だ。

目の前で繰り広げられている戦闘を、黙って見過ごす等、出来よう筈もない。

 

「そう、なら仕方ないわね。」

 

女医は、諦めた様子で肩を竦めると、すっかり怯えている看護師の方へと振り返った。

 

「桜子ちゃん、予備で置いてある防具と彼の武器を持って来て頂戴。」

「先生・・・・でも・・・・。」

 

内臓に重い損傷を受けた状態で、この病院に運び込まれたのだ。

いくら悪魔の再生能力を持つとはいえ、そんな患者を再び戦場に送り出して良いものだろうか?

 

「何言ってんの? 16代目! 組織からの指示がない悪魔討伐は規律違反だよ? 」

 

何とかダンテの腕を振り解いた佐助が、桜子の気持ちを代弁するかの様に、目の前の女医を睨み付ける。

 

「あら? 何も元締めの指示を受ける必要なんてないわ。 悪魔討伐の指令を出す権利は、私達、葛葉四家にもあるのよ? 」

「そ、そりゃそうですけどね・・・・。」

「それに、特殊公安と自衛隊よりも、私達の方が雲雀ヶ丘に近い。より多くの市民を助けられるかもしれないわ。」

「うぐ・・・・でも、旦那は怪我人・・・・。」

「なら、貴方も彼の監視役として現場に行けば良いじゃない。 まさか、怪我人の彼一人だけを行かせるつもりじゃないわよね? 摩虎羅君。」

 

16代目の指摘に、佐助はもうそれ以上、反論する余地は無かった。

苦虫を1000匹以上、噛み潰した様な渋い表情で、何も言えずに押し黙る。

 

「決まりだな。 佐助。」

「ううっ・・・・何で俺様ばっかりこんな目にぃ・・・・。」

 

ダンテと佐助の装備&武器を用意する為に、女医の指示で備品保管庫へと向かう看護師の後姿を、赤毛の青年は恨めしそうに眺めていた。

 

 

 

天鳥港、豪華客船『ビーシンフル号』のラウンジ内。

豪奢な照明や、幾つもの革張りのソファーやテーブルが設置されたその一つに、大分、場違いな恰好をした少年が座っていた。

フード付きのパーカーに、白のジャケット。

ビンテージのジーンズにジャケットと同色のスニーカーを履いている。

その肩には、小さな妖精が不安そうに主の顔色を窺っていた。

 

「落ち着きなよ? ライドウ。 周りの人が見てるよ? 」

 

左眼に黒い眼帯をつける少年- 17代目・葛葉ライドウに対し、小さな妖精、ハイピクシーのマベルが呆れた様子で溜息を零す。

 

マベルの指摘する通り、苛々と立ったり座ったりを繰り返すライドウの挙動不審な行動に、周囲の客達は、奇異の眼で此方を眺めている。

平日で、時間帯も大分早い為、宿泊客の姿は少ないが、それでも、10代後半ぐらいの少年が、一人、豪華なホテルのラウンジにいるのは流石に目立つ。

 

「わ、分かってるよ。 でも、まさかあの子が俺に連絡とか・・・・一体、どういう顔して逢えば良いのか分からないんだよ。」

 

今にも泣きそうな情けない顔で、組織最強の召喚術師は、小さな妖精に縋りつく。

 

あの忌まわしい出来事以来、ライドウと彼の愛息子である明との関係は、深い亀裂が入ったまま未だに修復出来ていない。

出来る事なら、昔の様に、良好な関係に戻りたいとは思っている。

しかし、それは決して叶わぬ願いだ。

明は、自分を父親としてではなく、異性として意識している。

歪な愛情を抱いていると知った以上、再び、昔の様に戻れる訳が無いのだ。

 

「あ、明が来たよ。」

 

マベルの声に、弾かれた様にラウンジの入口へと視線を向ける。

するとそこには、およそ一年ぶりに逢う義理の息子の姿があった。

 

「あ・・・・あ・・・・あき・・・・。」

 

激しい緊張感で、喉がカラカラに乾く。

中等部に進学してから、まともに息子の顔を見ていない。

あの頃よりも、大分、逞しく成長した明。

ボアパーカーに長袖のフリース、黒のパンツを履いていた。

身長も驚く程、伸び、モデル並みに均整の取れた見事な体躯をしている。

 

明は、義理父の姿を認めると、背後に控えている冬の季節にそぐわぬノースリーブのロングコートを着た黒髪の男に振り向き、何事かを二言三言交わすと、その肩を軽く叩いて、あっさりとラウンジに背を向けた。

 

「明っ!! 」

 

周囲の目など気にも留めず、大声で息子の名を呼ぶ。

しかし、明は応えない。

まるで、用事は済んだとばかりに、さっさとラウンジから去って行く。

 

思わず息子の後を追い掛けようと一歩、前へと踏み出す悪魔使い。

だが、それ以上前へと進む事は叶わなかった。

明は、ライドウと関わる事を拒絶している。

去っていくその背が、言葉も無く物語っている。

 

「お初にお目に掛かる・・・・17代目・葛葉ライドウ殿。」

 

意気消沈するライドウの前に、先程の黒髪の男が近づいた。

ノースリーブから覗く、全身を覆うタトゥー。

一目で、魔導士である事が分かる。

 

「俺の名はV、 貴方に頼みたい事があって此処に来た。」

「V・・・・? 」

 

既に、ラウンジから姿を消した息子の背から、視線を黒髪の陰気な男へと向ける。

男の唇が、皮肉な笑みの形へと歪んだ。

 

 

 

数時間前、東京都臨海公園。

蒼い乗用車の後部座席の開いたドアから両足を降ろし、赤根沢・玲子が座っている。

誰かに殴られたのか、右頬が真っ赤に腫れ、濡らしたタオルで抑えていた。

 

「大丈夫か? 赤根沢。」

 

化学教師の大月・清彦が、蜂蜜色の液体が入った試験管を玲子に差し出す。

インクの染みが広がった様な模様があるマスクを外し、元の陰気な性格へと戻っていた。

 

「はい。ありがとうございます。」

 

玲子は、差し出された試験管-宝玉を素直に受け取る。

先程の戦闘で、大分体力と魔力を失っている。

正直、口を開いて喋るのですら、辛い状態であった。

 

「やれやれ、女の顔を殴るとは酷い奴だ。」

 

アルミの包装を外し、試験管に満たされている液体を飲み干す玲子の姿を横目で眺めつつ、大月は、懐から愛用の煙草とジッポライターを取り出した。

 

「殺し合いに男も女も関係ないですよ? 」

「まぁ、確かにその通りだな。」

 

空になった試験管を乗用車に備え付けられている屑籠に捨てた玲子が、咥えた煙草に火をつける化学教師を見上げる。

 

矢来区の地下水道での戦いで、玲子は明から予想以上の深手を負わされた。

高速移動する玲子に明は、難なく対応し、挙句、此方の攻撃を全て往なしてみせたのだ。

玲子の腫れた右頬は、その時の戦闘で負った傷である。

 

「先生、 あの魔界の植物は一体何だったんですか? 」

 

気を取り直し、今まで抱いていた質問を化学教師にぶつけてみる。

思えば、今回の出来事は分からない事だらけであった。

地下水道全体を覆っていた、醜悪な植物らしき根。

恐らく、あの植物が今回の異変の原因である事に間違いは無いだろう。

 

「”クリフォトの魔界樹”だ。 本来は冥府にしか生息しない植物で、人間の血液を与えなければ、無害な代物らしい。」

「”クリフォト”・・・・。」

 

一年前に、遠い北の国で起こった戦争を想い出す。

確か彼の国では、”クリフォトの種籾”を原料に魔薬『ゼブラ』を開発していた。

玲子達は、その情報を得ると、冬休みを利用して、北の国、フォルトゥナ公国に観光客を装って入国。

フォルトゥナ城に潜入し、地下研究施設から『クリフォトの種籾』と保管されていた大量のマグネタイトを強奪した。

 

「あの植物が、あんな巨大に成長するなんて・・・。」

「お前等が飼育しているヤツとは全くの別モノだ。 アレは血液ではなく、生物のマグネタイトを餌にしてる。」

「マグネタイト・・・・・だから、地下道の悪魔達は、その植物に喰われていたんですね。」

 

玲子の脳裏に、魔界樹の根に貫かれ、息絶える哀れな怪物達の姿が過(よぎ)る。

クリフォトの魔界樹に襲撃された悪魔達は、出口を求め、恐慌状態になっていた。

だから、自分達が行く手を塞ぐ障害に思えたのだろう。

地下道の異変を調査する為に、訪れた都の調査員を無差別に襲っていたのは、それが原因である。

 

「よぉ、大丈夫か? 玲子。」

 

臨海公園駐車場入り口から、一人の少年が現れた。

仲間の黒井・慎二である。

 

矢来区のショッピングモールにあるピースダイナーで、”留守番”をしていた慎二は、大月の連絡を受けて、臨海公園に来たのだ。

 

「んで? 先生、お土産持ってきてくれたんだろ? 」

「ああ、良い子でお留守番していたご褒美をやるよ。」

 

何の悪びれも無く、右手を差し出す慎二に、大月は思わず苦笑を浮かべ、コートのポケットに収まっていた筒状の容器を渡してやる。

濃い緑色の液体が、たっぷり詰まった容器を見た慎二は、にんまりと満足そうな笑みを口元に浮かべた。

 

「すげぇ、こんなに純度が高いマグネタイトは初めて見たぜ。」

 

容器に詰まったエメラルドグリーンの液体を眺め、一人はしゃぐ。

生体マグネタイトは、悪魔が物質界・・・つまり人間界で活動する為のエネルギー源である。

激しい感情を持つ生物だけが多く持つ物質だと言われ、特に霊格の高い人間が多くのMAG(マグネタイト)を保有している。

又、魔導職の中でも、数が少ないと言われる悪魔召喚術師(デビルサマナー)は、高ランクな術師程、霊格が高く、保有しているMAGも常人より数十倍であると言われていた。

 

「うーん、軽く見積もって200・・・否、相場によっちゃぁ、400以上はするかな?これで暫く遊べるぜ。」

「こらこら、そいつは大事な”マガツヒ”の供物に使うんだろ? 勝手な真似すると魔神皇様に叱られるぞ? 」

 

高速演算で、金に換算するチャーリーを、大月が軽く窘める。

そんな二人を他所に、後部座席に座る玲子は、天空に輝く月を見上げていた。

大月から渡された『宝玉』のお陰で、明から受けたダメージはすっかり癒えている。

しかし、彼女の心の中は、すっかり様変わりした家族に対する戸惑いが残っていた。

 

「明の事なら諦めろよ? アイツはもう、俺達が知っている”明”じゃないからな? 」

 

ぼんやりと夜空を見上げている玲子に対し、何かを察したのかチャーリーが忌々しそうに舌打ちする。

 

沖縄で過ごした児童養護施設での生活。

ほんの数日間という短い期間ではあったが、彼等にとっては掛け替えのない宝物として美しく記憶の中に留まっている。

 

「頭の中では理解しているんですけどね・・・・明君は、もう私達の知っている彼じゃないって・・・・。」

 

地下水道での壮絶な戦いが脳裏を過る。

大月が助けに入らなければ、やられていたのは自分の方だった。

いくら黙示録の四騎士の力を持つとはいえ、その実力は歴然だ。

今の彼に対抗出来るのは、玲子が崇拝している狭間以外いないだろう。

 

 

 

数時間後、天鳥港、超豪華客船『ビーシンフル号』ラウンジ内。

 

上質な革張りのソファーに、パーカー姿の小柄な少年と、ノースリーブの長外套(ロングコート)を纏う、陰気な青年が向かい合う形で座っている。

 

「・・・・・・俺の話をちゃんと聞いているのか? 17代目。」

 

終始俯き、此方を見ようともしない悪魔使いの姿に、黒髪の青年- Vは、少々苛立った様子で睨み付けた。

 

「ライドウ・・・・。」

 

テーブルの上に座る妖精が、心配そうに主の顔を覗き込む。

 

1年振りに個人回線を使って、愛息子- 遠野・明から連絡が入った。

息子との間に入った深い溝を埋めるチャンスだと、ライドウは思ったに違いない。

だから、指定された時間の1時間前に待ち合わせ場所である、『業魔殿』に到着し、期待と不安の入り混じった悶々とした想いを抱えていたのだ。

しかし、結果は予想通りの空振り。

明は、義理父であるライドウの姿を確認しただけで、言葉すら交わす事無く、あっさりとラウンジから去った。

 

「あぁ・・・・・おーい、人修羅ちゃんよぉって、駄目だなこりゃ。 明ちゃんにシカトされたのが相当ショックみたいだぜ? 」

 

Vのタトゥーから、実体化した造魔・グリフォンが、マベルがいるテーブルの上に降り立つと、真っ白になって俯く悪魔使いを眺め、海よりも深い溜息を吐く。

 

「ちっ・・・・面倒な奴め。 それでも、『クズノハ』最強の召喚術師なのか? 」

 

大分、呆れた様子で、Vが舌打ちする。

彼の脳裏には、7年前、アメリカのスラム街で起きた『テメンニグル事件』で、対峙した悪魔使いの姿を想い出していた。

居合の範囲外に難なく入り込み、自分の技の出鼻を悉(ことごと)く潰した。

挙句、手も足も出ない状態で、あっさりと悪魔使いの術中にハマった。

あの屈辱と怒りは、今も尚、己の腹腔の中で燻(くすぶ)り続けている。

 

「お前の大事な息子・・・・・遠野・明もこの事件に関わっている。 」

「・・・・・っ! 何? 」

 

明の名前が出た途端、ライドウの眼の色に生気が宿った。

鋭い隻眼を、真向かいに座る黒髪の青年へと向ける。

 

「今現在、強大な力を持つ悪魔が、この現世に実体化しようとしている・・・・矢来区と朝日区・・・・そして、臨海公園の地下水道で起きている異変はそれが原因だ。 」

 

Vは、懐からスマートフォンを取り出すと、テーブルの上に置く。

病的な程、細い指先で液晶画面を操作すると、空中に矢来区を中心とした東京都の地図が、立体映像となって浮かび上がった。

 

「”クリフォトの魔界樹”は、お前も知っているな? 」

 

細い指先が、空中に浮かんだ一枚の写真を拡大させる。

一目で、この世のモノとは思えぬ醜悪なる植物。

かつて、魔界を放浪している時に、幾度も目にした事がある魔界樹の根だ。

 

「奴は、この魔界樹の力で、矢来区一体を異界化させようとしている・・・・と、此処まで話せば、お前もその悪魔が何者か、分かる筈だと思うが・・・。」

 

意味ありげに一旦、言葉を切り、Vは真向かいに座る悪魔使いの表情を伺う。

 

「悪いが、何を言いたいのかさっぱり分からねぇ。」

「分からない筈は無い。 20数年前、お前はこの悪魔と番契約をしていた。」

「・・・・・。」

「奴の走狗となり、悪逆非道の限りを尽くした・・・・・そして、お前は目的の力を手に入れると奴を裏切り、イェソドの街を焼き尽くした。」

 

暫しの沈黙。

青年の蒼い双眸と、悪魔使いの隻眼が静かにぶつかり合う。

 

「随分と詳しいな・・・・誰からその話を聞いたんだ? 」

「・・・・・アンブロシウス・メルリヌスという魔術師だ。」

「・・・・・っ! まさか、アンタ!? 」

 

黒髪の召喚術師の口から出た名前に、ライドウではなく、主の肩に座っている小さな妖精が反応を返した。

今にも噛みつかんばかりの鋭い双眸で、真向かいに座るVを睨み付ける。

 

「俺の言葉を信じる信じないは、貴方の勝手だ・・・・だが、俺は奴の蛮行を止めたい。 これ以上の悲劇が起こる前に。」

 

静かだが、その言葉には揺るがぬ信念が否応なく伝わって来る。

ライドウは、真向かいに座る青年をつぶさに観察した。

病的に白い肌に、痩せ細った身体。

ノースリーブのコートから覗く肌には、タトゥーが全身に刻まれている。

恐らく、あの刺青自体が召喚器の役割を担(にな)っているのだろう。

 

「・・・・・成程、お前の言いたい事は分かった。」

 

Vの言葉に一人納得すると、ライドウは視線を黒髪の術師の背後に控える大鷲の造魔へと向ける。

 

「13代目もこの件に関わっているのか? グリフォン。」

 

いきなり質問を投げかけられ、ソファーの背凭れに留まる大鷲が一瞬だが、たじろぐ。

 

「さぁな・・・・俺は唯の魔具(デビルアーツ)だ。 親父さんがコイツと契約しろと命令されたから従っただけだ。 それ以上は、何も知らねぇよ。」

 

グリフォンは、馴れ馴れしい口調で、大袈裟に首を捻る。

例え真実を知っていたとしても、目の前に座る人修羅に話す事はしないだろう。

魔具(デビルアーツ)とはいえ、人並に感情はある。

一番、信頼する主を裏切れる筈が無い。

 

「ライドウ・・・・。」

 

この魔術師は、明らかに真実を隠している。

依頼自体も、ライドウを嵌める為の罠だろう。

主の肩に座る小さな妖精が、不安気な表情で見上げる。

 

「分かった・・・・・装備を整えるから場所と時間を指定してくれ。」

 

この青年の意図が何なのか、それは全く分からない。

しかし、かつて自分が犯した大罪がこんな形で、東京都に住む市民達に降りかかるのだとするなら、見過ごす訳にはいかなかった。

 

 

 

東京都雲雀ヶ丘。

商業ビルや銀行、各種店舗が立ち並ぶ幹線道路内。

コンクリートの厚い地面を突き破り、異形の姿をした醜悪な魔界樹の根が、車や逃げ惑う人々を薙ぎ倒し、その鋭い切っ先で突き刺していく。

 

「百地警部補! 此処は危険ですから下がって下さい! 」

「馬鹿野郎っ! 一般市民の盾となる警官が逃げてどうするんだよっ! 」

 

5連発の回転式(リボルバー)、ニューナンブを右手に持った百地・英雄警部補が、部下であり相棒の周防・克哉警部に向かって怒鳴る。

 

現在、彼等『特命係』は、数名の武装した特殊警察隊と一緒に、市民を避難誘導する任務に当たっていた。

魔界樹の贄として襲われる一般市民と警ら隊。

銃声と悲鳴が轟き、阿鼻叫喚の地獄絵図を描いている。

 

そんな彼等の眼前に、何処からともなく飛来した巨大卍手裏剣が、”クリフォトの魔界樹”を斬り裂いていく。

続いて、大剣を背負う深紅の疾風。

銀色の閃光が幾度も閃き、魔界樹と異界から姿を現した醜悪な怪物、夜魔・エンプーサの群れを細切れへと変える。

 

「お・・・・お前は確か、矢来区の地下水道で・・・・・? 」

「よぉ、あの時は、随分と世話になったな? 」

 

百地警部補達の眼前に立つ、大柄な体躯をした銀髪の青年。

昨日、天鳥町にある『葛葉産婦人科医院』に収容された、魔狩人、ダンテがそこにいた。

 

「もー、一人で突っ走っちゃ駄目って、何度言ったら分かるのよ。」

 

一振りして刃に付着した悪魔の血を振るい落とし、大剣を肩に担ぐダンテの傍らに、忍び装束を纏った赤毛の青年が降り立った。

『十二夜叉大将』が一人、摩虎羅大将こと猿飛・佐助だ。

何時もの迷彩柄の忍び装束ではなく、革の肩当に手甲と具足、薄い茶を基調とした装束を纏っている。

 

「ごちゃごちゃ文句は後だ。 早速、お代わりが来たぜ? 」

 

地面から流れ出るドス黒い血溜まりから、夜魔・エンプーサの群れに混じって、彼等の女王・エンプーサ・クィーンが姿を現す。

醜悪極まりない異形の怪物を前に、佐助は盛大な溜息を吐き出した。

 

「はぁ、特別手当貰わないと割に合わないねぇ。」

 

両手に持つ巨大卍手裏剣を構える。

 

「マダムに交渉してみたらどうだ? 」

「パス、あの人ケチだからね。適当な理由並べられて、はぐらかされるのがオチだよ。」

 

にやにやと人の悪い笑みを浮かべるダンテに対し、佐助は拗ねた様に唇を尖らせる。

と、その時、彼等の背後に数台の装甲車が急停車した。

陸上自衛隊の装甲兵員輸送車、60式装甲車だ。

備え付けられている重機関銃が火を噴き、エンプーサの群れを鉛の弾丸が蹂躙していく。

 

「陸自の特殊部隊”飛龍”か!? 」

 

対悪魔用の特殊装甲版には、赤い龍がとぐろを巻くエンブレムが刻まれている。

陸上自衛隊が持つ悪魔討伐隊の一つだ。

少数精鋭部隊であり、特Aクラスの猛者達で構成されている。

 

「おいおい、撃ち過ぎだぞ? 又、財務省のぼんくら共に嫌味を言われるだろうが。」

 

3台停車している装甲車の一つから、胡麻塩頭の如何にも中間管理職といった風体の男が降り立った。

悪魔討伐隊第二師団『飛龍』隊長、坂本晋平二等陸佐だ。

 

坂本二等陸佐は、先程の一斉射撃で肉片と化し、塵へと還るエンプーサの群れを欠伸を嚙み殺しながら眺めていた。

 

「てめぇ・・・・確かフォルトゥナにいた・・・。」

「やぁ、久しぶりだね? ダンテ君。」

 

ダンテの姿を認めた坂本二等陸佐が、気安く右手を上げてみせる。

装甲車から次々と降り立つ、ボディーアーマーを装着する兵士達。

その中でも、特別警備のき章を右胸に付け、自衛官の制服を着ている坂本二等陸佐は、かなり場違いに見えた。

 

「あ、あれが新免無二斎殿ですか・・・・・。」

「そうだよ・・・・後藤事務次官が子飼いにしている怪物の一人だ。」

 

呻くように呟く周防警部に対し、百地警部補は、嫌悪感を隠そうともせず、数歩離れた位置にいる坂本二等陸佐を眺める。

 

見た目は、何処にでも良そうな、痩せぎすの中年の小男だが、中身は常人の常識を遥かに超える化け物だ。

政治の陰で暗躍し、様々な要人暗殺に手を染めている。

 

刹那、周囲から市民の悲鳴と怒号が轟いた。

見ると、陸自の一斉射撃から唯一生き残ったのか、エンプーサ・クィーンがガラスを引っ掻く様な耳障りな咆哮を上げて、暴れまわっている。

早速、始末せんと前に出ようとする特殊部隊の兵士達。

しかし、そんな彼等を坂本が無言で押し留める。

 

「先生? 」

「そういう無粋な兵器はどうも好きになれん。 下がりなさい。」

 

胡乱気に上司を眺める部下の一人を後方へと下がらせ、坂本は胸ポケットに刺さっている天然木製で造られた高級万年筆を取り出す。

 

「ダンテ君、知っているかね? ”ペンは剣よりも強し”なのだよ? 」

 

何の警戒も無く、ダンテと佐助の傍らを通り過ぎる自衛官。

怒り狂う魔蟲達の女王の前へと立つ。

右手に握るのは、何の変哲もない万年筆。

武器も持たず、自分に戦いを挑む愚かな人間に制裁を加えんと、エンプーサ・クィーンが鋭い爪が付いた前脚を振りかざす。

しかし、その凶悪な刃が獲物の肉体を切り刻む事は叶わなかった。

見えない刃によって、あっさりと両前脚を斬り落とされた挙句、頭部と胴体が綺麗に切断される。

坂本二等陸佐が、真空刃(ソニックブレード)で怪物の身体を斬り裂いたのだ。

地へと沈む悪魔の巨体。

切断面から、紫色の体液が間欠泉の如く噴き出す。

 

「はぁ・・・・・相変わらずおっかないねぇ、藤原玄信(ふじはらはるのぶ)殿は。」

 

天然木の万年筆を胸ポケットへと仕舞う坂本の姿を眺め、赤毛の忍が大袈裟に肩を竦めた。

 

「何しに来やがった? 」

「決まっている。此処にいる一般市民を避難させる為だよ。」

 

牙を剥き出しにして、警戒心を露わにするダンテに対し、坂本二等陸佐は苦笑を浮かべる。

 

そんな二人のやり取りを他所に、陸自の特殊部隊は黙々と仕事を進める。

パニック状態の市民達を的確に、シェルターまで誘導し、悪魔の群れを処理していく。

まるでロボットの様な精密な動きだ。

 

「Ptシステムですか・・・もう採用されたんですねぇ。」

 

両腕を頭の後ろで組んだ佐助が、粛々と仕事をこなしていく特殊部隊の様子をのんびりと眺める。

 

Ptシステムとは、Puppet(操り人形)の事を指す。

兵士の身体に個体IDが記録されたナノマシンを注入し、肉体の損傷、仲間達との五感を共有、そして感情すらも抑制するシステムの事である。

1年前のフォルトゥナ侵攻作戦で、数体の強化歩兵部隊が投入され、予想された結果以上の働きを彼等はした。

その後、幾度か改良され、漸く本日、日本でもお披露目する事が出来たのである。

 

「流石、”八咫烏”だ。 その通りだよ。」

 

皮肉な笑みを口元に浮かべた自衛官は、雲一つない快晴の青空を仰ぎ見る。

 

「マスコミ各社にも大々的に宣伝して貰わなければならないからねぇ。 このシステムを導入するのに、大分予算をつぎ込んだからね。」

 

晴天の青空には、何機かマスコミのモノと思われるヘリコプターが飛んでいた。

彼等は、雲雀ヶ丘で発生した悪魔達を使って、Ptシステムを国連加盟国に売り込みたいのだ。

悪魔によるパンデミックは、何も日本だけではない。

世界各地にシステム導入を促せば、それだけの収益が日本の防衛省やアメリカ国防総省に流れ込む。

 

「ちっ、オタクらの宣伝に使われる悪魔共が気の毒だぜ。」

 

坂本二等陸佐が放つ言葉の裏を理解したダンテは、嫌悪感に顔を歪めた。

大剣『リベリオン』を肩に担いだダンテが、忌々しそうに舌打ちする。

それは、警視庁『特命係』の二人も同じらしい。

手持無沙汰な様子で、遠くから坂本二等陸佐とダンテ達の会話を聞いている。

 

「此処は、我々に任せて貰おう・・・・その代わり、君等には稲荷丸古墳(いなまるこふん)に向かって貰う。」

「稲荷丸古墳・・・・? 」

 

聞きなれぬ言葉に、銀髪の青年が秀麗な眉根を寄せた。

 

「内調(内閣情報調査室)が調べたところ、異変の発生源と思われる場所が、世田谷にある稲荷丸古墳だと分かったのだよ。 君等二人は、直ちにそちらに向かい、事態を鎮圧して貰いたい。」

「え? たった二人で? ”飛龍”のお兄さん達、貸してくんないんスかぁ? 」

 

坂本二等陸佐の無茶とも取れる依頼に、当然の如く、佐助が異を唱える。

 

相手がどんな悪魔かまるで情報が無いのだ。

これだけの規模の異界化ならば、敵は相当な高位悪魔だと判断するのが普通だろう。

ならば、流石にダンテと二人だけでは、手に余る。

 

「すまんが、今日が彼等の初舞台なんだ。 おまけに”壁内調査”で、私の部下達の殆どが出払っていてね。とても君等に手を回す程の人員がおらんのだよ。」

 

困った様子で、胡麻塩頭の自衛官が大袈裟に肩を竦める。

 

「そんな無茶苦茶な・・・・・。」

「我々が同行しよう。」

 

途方に暮れる佐助に対し、思わぬ所から助け舟が出た。

警視庁『特命係』の百地警部補だ。

 

「我々だって、対悪魔特殊警ら隊の端くれだ。 悪魔(デーモン)の脅威から市民を護る義務がある。」

「警部補・・・。」

 

無謀ともいえる上司の申し出に、周防警部が咎める様に言葉を漏らす。

 

「ヒュー♪ 良いねぇ。中々ガッツがあるじゃねぇか? オッサン。」

 

それまで黙って事の成り行きを眺めていたダンテが、百地警部補の男気に、思わず口笛を吹いた。

 

 

 

東京都台東区北東部・・・・・通称”山谷のドヤ街”。

『ゴールドスタインの店』というネオン看板が、あるガレージショップに、壬生・鋼牙と遠野・明がいた。

 

「全く・・・・戦争でもする気か? 」

 

店の作業台に並べられた様々な武器。

サブマシンガンにアサルトライフル、ライトマシンガンにショットガンとピストル。

各種グレネードに、様々な形状をしたコンバットナイフまで置かれていた。

店主であるニコレット・ゴールドスタインが、呆れた様子で小型グレネードランチャーが装備されたアサルトライフルの調整をする明を眺める。

 

「今回ばかりは、今迄の相手とは大分違う。 僕達もそれなりの装備でいかないとね? 」

「・・・・・。」

 

無言で作業を続ける明の代わりに、鋼牙が応える。

大業物(おおわざもの)である備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)を鞘から半分抜き、鏡の様に磨き抜かれた刀身を眺めた。

これは、『葛城の森』を出る時に、母親から無理矢理持たされたモノだった。

幼少時から、嫌な思い出しかなく、ガレージショップの倉庫に寝かせていた太刀であった。

 

明が武器一式をボストンバッグに仕舞い、鋼牙が、自分のハンドガンを確認している時であった。

店の出入り口が開き、頭に黒い毛並みのハムスターを乗せた銀髪の少年が姿を現す。

 

「ネロ? 」

「よぉ、面白そうな事やってんな? 俺も混ぜてくれよ? 」

 

ギターバッグを肩に引っ掛けた片腕の少年が、皮肉な笑みを口元に浮かべる。

執事である岡本氏に学校に行くと言って嘘を吐いて来たのだろう。

鋼牙達と同じ、エルミン学園の制服を着ていた。

 

「残念だけど、僕達のつまらない意地に、君を巻き込む訳にはいかない。」

 

”探偵部”部長兼、『葛葉探偵事務所』所長代理として、鋼牙は至極当然の事を言った。

 

此処から先、自分達が行おうとしている事は、当初の依頼内容とは、明らかに逸脱した行為だ。

矢来地区・・・・否、東京都全体が、異界化するという未曽有の大惨事が起きようとしている。

その異常事態を喰い止めるべく、その発生源と思われる『稲荷丸古墳(いなまるこふん)』にこれから向かうのだ。

同じ、探偵部とはいえ、片腕を失う程の大怪我をした仲間をこれ以上巻き込めない。

 

「”閻魔刀”を奪われた事を言ってんのか? なら安心しろ。”新しい力”は、手に入れてる。」

 

心配そうに此方を見つめる黒縁眼鏡の少年を安心させるかの様に、ネロは担いでいたギターバッグを降ろすと、ジッパーを開け、中から機械仕掛けの義手を取り出した。

 

「それは・・・・・。」

「アタシが、トロル師匠(せんせい)の設計を基に造った。」

 

自慢気に右腕の袖を捲り上げ、義手を装着するネロを眺める鋼牙と明に、簡易椅子に座る女店主が説明する。

 

 

 

『かさぎ荘』の一件から数日後、ニコの店に職人(ハンドヴェルガー)の師である悪魔講師のトロルが訪れた。

巨漢の悪魔講師は、店にある作業台の上に特殊ジェラルミンケースを置く。

そして、中から金色に輝くガントレットを取り出した。

 

「これって・・・・。」

「ヤールグレイプル、その昔、親友の為に俺が造った武具だ。」

 

ヤールグレイプル・・・・古ノルド語で、鉄で出来た掴むためのモノ、又は鉄の手袋という意味がある。

アース神族の一人、雷神ソーの為に創り出したガントレットであった。

 

「このガントレットを参考に、人間でも扱える武具を造れ・・・・お前なら出来る筈だ。」

 

トロルはそれだけ伝えると、ガントレットと特殊ジェラルミンケースを置いたまま、天鳥町にある『聖エルミン学園』へと戻ろうとする。

その背を、教え子であるニコが慌てて呼び止めた。

 

「ちょ、ちょっと! いきなり店に来たと思ったら、こんなヤバいもん置いて帰るなよ! 」

 

ニコの言う通り、神器は扱い方を間違えると大惨事を引き起こす、いわばパンドラの箱と同じだ。

それは、魔具(デビルアーツ)も同じ事なのだが、トロル・・・・魔王・スルトルが創り出した神器とは危険度が比べ物にならない。

いくら腕に覚えがある職人(ハンドヴェルガー)でも、ニコは、魔具(デビルアーツ)の修繕、鍛え直しを専門としている。

神器は、正直門外漢だ。

 

「何だ? お前が学生の時は、一度扱い方を教えてやったろ? それに、神器も魔具も基本は同じだ。」

「でも・・・・・。」

「お前は、常日頃、自分を”天才武器アーティスト”だと豪語していただろうが。 アレは嘘だったのか? 」

 

呆れた様子で溜息を零す恩師に、ニコの負けん気に火が付いた。

 

「は? ざけんな! いきなりアタシの店に来て、好き勝手ほざきやがって!理由の一つぐらい言ってみろってんだ! 」

 

怒り心頭のニコに対し、トロルはあくまで冷静だった。

まるで、愛しい我が子を見る様な優しい眼差しで、かつての教え子を見下ろす。

 

「ネロという少年が、『閻魔刀』を奪われた挙句、16代目・葛葉忍の手で悪魔の力を封じられた・・・・。」

「ネロ・・・・もしかして、鋼牙が連れて来た転入生の事か? 」

 

ニコの脳裏に、弟分の壬生・鋼牙が連れて来た銀髪の少年の姿が過る。

歳相応のあどけない顔をしていたが、明や鋼牙同様、人を喰った様な生意気な眼をしていた。

 

「あの子はいずれ、この国を・・・否、世界を救う守護者の一人になる。 お前が支え、力になってやるんだ。」

 

トロルは、それだけ弟子に伝えると、それ以上何も応える事無く店を後にする。

後に残されたニコ。

無言で去っていく恩師の広い背中を、只、眺めているより他に術が無かった。

 




ネタが・・・・無い。


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第15話 『空飛ぶ狩人 』

魔導兵器について。

魔導兵器は、悪魔と現物質(人間界に存在する物質)と融合して造り出す。
作中の”アルテミス”は、クリフォトの魔界樹と光の矢を放つ魔界の銃、そして、動力源となるニーナ・ジェンコ・ルッソを基に製造された。
ニーナが持つ”稀人”としての優れた霊力が、エネルギー源となり通常の威力よりもさらに数倍に強化された光の弾を無数に撃ち出す事が出来る。



思えば、自分の人生は、他者と比べて順風満帆と言えただろう。

ウェールズ南西部の小国、ダヴェドに生まれ、何不自由の無い生活を送った。

父親は、自分に大変甘く、望めば何でも与えてくれた。

しかし、周囲の人間達は違った。

まるで、腫物でも触れるかの様に、自分を遠巻きにして眺めていた。

特に、母親と兄妹達は酷かった。

家族としての会話等、一切無かった。

視野に納めない様にしようと、自分をあからさまに無視した。

だが、それも仕方が無いと諦めていた。

 

アンブロシウス・メルリヌスは、オリュンポス神族の最高神が一人、女神・ヘラとオイアグロスという人間の間に生まれた不義の子だからだ。

父親はそれを知りつつ、全能神・ゼウスに懇願され、我が子として引き取られた。

父は信心深い人物だった。

神と人間の間に生まれた自分を、この世の救世主として崇め、行く末は、世界を護る守護者の一人となると確信していた。

愚かだ・・・・と、メルリヌスは今でも思う。

あんな凡愚(ぼんぐ)だからこそ、国が衰退し、滅ぶのは当たり前であった。

生まれ故郷を見限り、ダヴェドの外れにあるカーマーゼンという小さな街に引きこもったのは、義理の父や母親の顔を見るのが苦痛だったからだ。

最早戦をする力すらも無く、隣国に吸収される憂き目に合うと知った兄弟達は、自分の下へと態々出向き、助力を懇願した。

しかし、メルリヌスはそれらを全て無視した。

かつて、自分が義理の母親や、兄弟達にされたのと同じ様に、彼等の言葉に決して耳を傾ける事はしなかった。

「煩い。」と跳ね除け、ウェールズ南部にあるガース・ヒルへと住居を移した。

自分が造り出した造魔、”ゴリアテ”や中級からなる悪魔達を現世に召喚し、誰一人として近づけさせない様にした。

 

それだけ、彼は人間という種族を嫌悪していた。

「野蛮」で「愚か」で「恐ろしい」生き物だと思っていた。

そんな彼の屈折した考えを一変させる人物が現れた。

ブリテン王、ユーサー・ペンドラゴンの息子、アーサー・ペンドラゴンである。

 

 

世田谷区上野毛・五島美術館敷地内。

そこに直径20メートル、高さ2メートルの円墳がある。

稲荷丸古墳(いなまるこふん)である。

美術館の庭園にある古墳には、毎年、多くの観光客が訪れ、観光スポットの一つとして数えられていた。

その場所に、身の丈以上のある長い包みを背負った小柄な少年と、この季節にそぐわぬノースリーブの長外套を着た黒髪の青年が立っていた。

 

「こ、これが稲荷丸古墳(いなまるこふん)? 」

 

顔に深紅の呪術帯を巻き、右眼だけを露わにした小柄な少年の肩に座る小さな妖精が、天まで伸びた歪な塔を見上げる。

 

「まさか”異界化”がここまで進んでいるとはな・・・・。」

 

稲荷丸古墳のある五島美術館、並びに周辺の住宅街が、歪なオブジェと化していた。

周辺住民達は、既に悪魔共の餌食にされたのか、人の気配はまるでしなかった。

 

「あの上に”反逆皇”は、いるの? 」

 

周囲を包む瘴気に当てられ、すっかり怯えてしまった小さな妖精が、主の肩にしがみつく。

彼等の眼前には、大地の精を吸収し、すっかり熟した魔界の大樹が、天を貫いていた。

 

「上じゃない・・・・奴はこの下だ。」

 

黒髪の青年- Vが、自身に刻まれた刺青から造魔”グリフォン”と”シャドウ”を呼び出す。

この二体の魔物は、元は13代目・葛葉キョウジが使役していた悪魔達だ。

一体、どういう経緯(いきさつ)で、この正体不明の青年と契約したかは知らない。

しかし、この一連の事件の真相を知るのは、このVという若造だけだ。

13代目の行方も知りたいが、今は、”四大魔王”の一人を討伐するのが先決だ。

 

Vの案内で、”反逆皇”がいるであろう、大樹の入口へと辿り着く。

不思議な事に、此処まで一度も悪魔に襲撃される事は無かった。

 

「・・・・・・13代目は・・・・・お前の義理の父親は何処にいる? バージル。」

「!? 」

 

異形の樹が生い茂る五島美術館内。

古墳へと続く庭園入口。

元は、美しい日本庭園であったが、今は見る影も無く、醜い魔界の樹々に覆いつくされている。

 

「姿形を変えた程度で、俺の”左眼”は誤魔化せない・・・・何故、こんな事に手を貸している? あの糞野郎と手を組んで一体何を企んでいるんだ? 」

「・・・・・・。」

 

Vの鋭い眼光が、特殊ケブラー繊維のジャケットと、鉄の手甲と具足を装着した、身の丈程もある赤い包みを背負う少年を睨み据える。

 

「バージル・・・・? 噓でしょ? 」

 

主の肩にしがみつく妖精が、驚愕で眼を見開き、数歩離れた位置に立つ青年を見つめる。

 

彼女の記憶の中にあるバージルは、がっしりとした体躯をしており、身長もこの青年より遥かに高かった。

弟のダンテとは、二卵性ではあるが容姿はよく似ており、身長は弟の方が高く、筋肉質な体躯をしている。

 

「・・・・流石・・・・と言っておこうか・・・こんなに、あっさりと見破られるとはな・・・・。」

「・・・・・。」

 

巨大な大鷲を従えた黒髪の青年は、口元に自嘲的な笑みを浮かべる。

 

「それが”帝王の瞳”か・・・・この世の因果律を操り、森羅万象をも歪める魔眼・・・・かつて俺が求めた力を、お前が既に持っていたとはな・・・皮肉だ。」

 

右手に持つ銀製の杖を弄びつつ、Vはゆっくりとした歩調で、ライドウへと近づく。

 

「俺に対する復讐か・・・・? だからあの変態の走狗に成り下がったのか・・・・もし、そうなら、お前等親子は救いようが無い愚か者だ。」

 

ライドウの嘲りを聞いた瞬間、Vの表情が一変した。

悪魔使いの胸倉を掴み上げ、己の目線の高さまで引き上げる。

 

「あの人を侮辱するな! 俺がこんな姿になったのも・・・・あの人が大罪を犯したのも・・・全ては貴様が・・・・・貴様が俺達兄弟の前に現れさえしなければ!」

「止せって!バージル!! 」

 

慌てた様子で、グリフォンが黒髪の青年を止める。

しかし、青年の怒りは収まらない。

切れる程、唇を噛み締め、自分より若干背丈の低い悪魔使いを射殺さんばかりに睨んでいる。

 

「止めて! 今すぐ彼を離さないと酷い目に合わせるわよ! 」

 

しがみついたいた主の肩から離れた小さな妖精が、電撃系下位魔法”ジオ”を放とうと、右掌を黒髪の青年へと向ける。

バチバチと青白い電気の塊が、Vの陰気な顔を照らす。

下位魔法とはいえ、至近距離で喰らったら一溜(ひとたま)りもない。

Vは、諦めたかの様に掴んでいた悪魔使いの胸倉を離した。

 

刹那、魔界の樹木が爆散。

驚く一同の眼前に、突如として巨影が姿を現す。

腕は無く、その代わりとして六枚の雄々しき翼が生え、六つの乳房に尾鰭(おひれ)のついた下半身。

頭部は口から上が無く、まるでマスクの如く覆われた鋭い牙が、威嚇する様に大きく割れ、唸り声を上げていた。

 

「あれは・・・・・? 」

「やべぇ! ”ユリゼン”の野郎が造った魔導兵器だ! 」

 

ライドウの問い掛けに造魔・グリフォンが応える。

 

どうやら、自分の居城へと侵入してきたライドウ達を排除する為に、現れたらしい。

敵だと認識した彼等に向かって、無数の光弾が放たれる。

殆ど条件反射で離れる二人。

Vは、グリフォンの脚に捕まり、空中へと逃れ、ライドウはマベルを鷲掴み、魔法防御(シールド)を張り巡らしつつ、後退する。

 

先程までライドウ達が居た付近に、光の弾が当たり大爆発。

地表が大きく削れ、土煙が辺りを包む。

 

「こりゃ、一発でも当たったらお陀仏だな。」

 

右手に妖精を掴んだ悪魔使いが、空中に浮遊する異形の女神を見上げる。

 

この怪物の名は、魔導兵器・アルテミス。

四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンが、魔具・アルテミスを素体にクリフォトの魔界樹と融合させ造り出した破壊兵器である。

 

「人修羅! 」

 

小さな妖精を下がらせる悪魔使いに向かって、黒髪の青年が何かを投げて寄越す。

無意識に受け取ったそれは、銀色に光る封魔管であった。

 

「使え、ソレが無いと本来の力が発揮出来ないだろ? 」

 

Vに指摘され、ライドウが何の躊躇いも無く封魔管を開放する。

すると、中から一匹の蝙蝠が実体化し、悪魔使いの顔にへばりついた。

 

「人修羅様ぁあああああっ! 会いたかったでやんすぅうううううう! 」

 

潰れた鼻をグリグリと押し付けて来るのは、代理番の魔神・アラストルであった。

 

矢来区地下水道の異変を調べるべく、同じ代理番のダンテと共に調査へ向かったアラストルは、クリフォトの魔界樹により分断。

偶然、その場に居合わせた壬生・鋼牙と共に行動し、現在に至る。

 

「ううっ、あの陰気な糞野郎が、俺っちを狭っ苦しい封魔管に押し込んだんですよぉ! 地獄の刑務執行官のこの俺様ぉを! 」

 

えぐえぐと滂沱と涙を流しつつ、アラストルは愛しい主の顔面に貼り付きつつ、大声で喚き続ける。

 

ライドウに会う為、『葛葉探偵事務所』を出る時に、高鼾(たかいびき)をかいて爆睡するアラストルをVは、管に封じたのだ。

理由は、蹴っても殴っても起きないアラストルに辟易したのと、190cm近い成人男性の肉体になっていたからであった。

 

「馬鹿! 何やってんだ! ソッチ行ったぞ!! 」

 

下らない寸劇を繰り広げるライドウ達に向かって、造魔・グリフォンが怒鳴った。

魔導兵器・アルテミスが、侵入者の中でもライドウが一番危険だと判断し、優先的に排除しにかかったのである。

ジェット機の如く、衝撃波を放ちつつ、小柄な悪魔使いに突進する魔導兵器。

激突する瞬間、ライドウの身体が眩い光へと包まれる。

 

「!!!!? 」

 

光が晴れた刹那、そこに立っていたのは純白の鎧に身を包む魔狼であった。

深紅の背旗を背負い、右手に大剣形態へと姿を変えた雷神剣『アラストル』を握っている。

左腕一本で、魔導兵器の頭部を掴み、突進を押し留めていた。

 

「行くぞ、アラストル。」

「合点承知! 」

 

左眼に灯る蒼き炎。

魔鎧化したライドウに恐怖を覚えたのか、まるでガラスを引っ掻く様な耳障りな悲鳴を上げて、魔導兵器・アルテミスが離れる。

大剣から二振りの双剣へと雷神剣・アラストルが姿を変える。

上空へと逃れる魔導兵器を追い掛け、白銀の魔狼が飛翔。

アルテミスが、自分へと迫る魔狼を撃墜しようと、無数のレーザーを放つ。

しかし、当たらない。

空中で巧みに軌道を変え、ライドウがレーザーの雨を躱す。

鋭い一閃。

斬り裂かれた胸から紫色の体液を零し、アルテミスが悲鳴を上げる。

 

「す・・・・凄ぇ。」

 

無意識に、グリフォンが呟く。

それ程までに、眼前に展開される戦いは、彼等の想像を絶していた。

胸部から射出した四つのビットを操り、白銀の魔狼に襲い掛かる魔導兵器。

ホーミングするレーザーを放つが、そのどれもがライドウを捕らえる事は叶わなかった。

まるで、光弾の軌道が読めているのか、悪魔使いは、紙一重でそれらを躱し、ビットを足場に魔導兵器へと接近。

双剣から放たれる斬撃が、アルテミスの身体を深々と抉る。

飛び散る体液。

大きく裂かれた傷口から、人間の女性らしき裸身が覗く。

 

「あれは・・・・まさか・・・・? 」

 

どうやらこの魔導兵器は、魔具の他に人間の女性を動力源にしているらしい。

白銀の魔狼は、ビットから放たれるレーザーの雨を回避しつつ、再び地を蹴り上空へと跳び翔(かけ)る。

二振りの双剣が一本の大剣へと変形。

紫電の蛇を纏う刃が、アルテミスの身体を両断する。

真っ二つに斬り裂かれた魔導兵器の肉体から、人間の女性がズルリと宙へと投げ出された。

力無く落下するその裸身を、ライドウが空中で華麗に受け止め、横抱きにした状態で、地へと降り立つ。

 

「ライドウ! 」

 

勝負は、一瞬で付いた。

主の下へと駆け寄る小さな妖精。

その姿を口惜しそうに黒髪の青年が眺める。

 

「化け物め・・・・。」

 

大事そうに魔導兵器から解放された金の髪を持つ女性を、叢(くさむら)へと寝かせる悪魔使いの姿を眺め、Vことバージルが吐き捨てる。

 

魔導兵器・アルテミスは、上級悪魔に匹敵する程の力を秘めている。

だが、この悪魔使いは、それすらも歯牙にかけず、あっさりと倒して見せた。

底知れぬ人修羅の実力に、怖気が走る。

 

 

「え? この女性(ひと)って・・・・もしかして、パティのお母さん? 」

 

魔鎧化を解き、人の姿へと戻った主の腕の中にいる女は、4年前に起こった『法王猊下暗殺事件』の首謀者、ジョルジュ・ジェンコ・ルッソの愛娘、ニーナ・ジェンコ・ルッソであった。

体力をかなり奪われているのか、紫色の体液に裸身を染め、ぐったりと気を失っている。

 

「何で・・・・? 確か、フォレスト家が所有している土地でパティと二人で暮らしている筈じゃ・・・・? 」

 

マベルが疑問に思うのは当然であった。

ニーナ親子は、バーモント州にあるウッドストックという小さな田舎町で、幸せに暮らしているとばかり思っていたからである。

 

一方、主であるライドウの顔は、形容しがたい怒りで歪んでいた。

呪術帯で顔を覆っている為、表情を伺う事は出来ないが、身体から滲み出る気配が、どす黒いオーラとなって噴き出している。

敏感に危険と察知した二体の造魔。

咄嗟に主を護ろうと、バージルの前へと出ようとするが、ライドウの身体から放たれる鬼気に圧倒され、動けなくなってしまう。

ゆらりと、悪魔使いが立ち上がる。

雷神剣・アラストルを双剣の姿へと変え、顔面蒼白なバージルの元へと近づく。

 

「ま、待ってくれ! 人修羅! 俺達は、何も知らないんだ! 」

 

怒りを露わにする悪魔使いを前に、グリフォンが必死に弁明する。

 

「本当なんだって! 全部アイツが勝手にやった事なんだ! 」

 

何とか怒りを納めて貰おうとするが、そんな事でライドウは止まらない。

茫然自失とするバージルの脚を、あっさりと払い地面へと叩きつけると、その上にのしかかる。

病的なまでに白い喉元に、双剣の切っ先を押し付けた。

 

「パティは・・・・あの子は何処にいるんだ? バージル。」

 

地を這う様な低い声。

唯一覗く隻眼が、組み伏せられる黒髪の青年を冷たく見下ろす。

 

「止めろ! 本当に俺達は、何も知らねぇんだよ! 」

 

このままでは、バージルが殺される。

主を救い出そうと、二体の造魔が戦闘態勢に入った。

その従者を、ライドウの鋭い隻眼が、睨み付ける。

 

「やってみろ、お前等が俺の身体を貫くより早く、この餓鬼の首を斬り落とすぞ? 」

「・・・・・・っ! 」

 

本気だ。

この怒れた化け物は、何の躊躇いも無くバージルを殺そうとしている。

得体の知れない怪物を前に、死をも恐れぬ二体の造魔が、一歩も身動き出来なくなってしまう。

 

「ライドウ!殺しちゃ駄目! パティは生きてるよ! 」

 

そんな両者の間に、小さな妖精が割って入った。

気を失うニーナの思考を読み取ったマベルが、必死に主を押し留める。

 

「それに、コイツを殺したら事件の真相が分からなくなる。お願い、剣を納めて。」

 

マベルの言っている言葉は、正しい。

この男を殺したら、事件の首謀者の一人、13代目・葛葉キョウジの行方が永遠に分からなくなる。

四大魔王(カウントフォー)の一人である魔王・ユリゼンを倒し、この親子に法的裁きを受けさせる必要があるのだ。

 

暫くの逡巡後、ライドウは隻眼を固く閉じ、バージルの喉に押し付けていた双剣の刃を降ろす。

鋭利な切っ先が、青年の喉の皮膚を薄く裂いたのか、首筋から真っ赤な血が一筋流れ落ちた。

 

「パティは、古墳の最下層にいるわ・・・ニーナとコイツは私に任せて、早く行って。」

「分かった。」

 

抑えつけていた青年を開放し、ライドウが静かに応える。

今は、パティ救出が先決だ。

足元に蹲り、咳き込む青年と未だ意識が戻らぬニーナを仲魔に任せるより他に術がない。

後ろ髪を引かれる想いを何とか断ち切り、ライドウは稲荷丸古墳(いなまるこふん)に向かうべく、庭園の出口へと向かう。

幾重もの罠を張り巡らしているであろう事は明白だが、それに構っている猶予は無かった。

 

 

 

山谷から世田谷区へと続く東名高速道路。

その道を大型のワンボックスカーが疾走していた。

 

「何もニコ姐まで、一緒に付き合う必要無いのに。」

 

助手席に座る黒縁眼鏡の少年- 壬生・鋼牙が、ラジオのチャンネルを変えつつ、そうボヤいた。

 

「馬鹿言うな。 お前等、未成年の糞餓鬼共を放置出来る訳が無いだろ? 」

 

器用に片腕で運転しつつ、ニコが愛用のシガーケースから、煙草を一本取り出す。

 

鋼牙がネロに言った通り、自分達がこれからやる事は、矢来区の街を護りたいという建前もあるが、矜持を傷つけられた意趣返し、という意味合いが強い。

鋼牙の場合は、転入生であるネロを勝手に巻き込み、挙句、右腕を切断するという大怪我まで負わせてしまった。

それに、この事件には、恩師である13代目・葛葉キョウジが何らかの形で関わっているという疑問がある。

明の場合も、鋼牙と大体同じだろう。

但し、鋼牙とは違い何か別の思惑があるのか、未だ付き合ってくれる理由は不明だ。

そして、ネロは、自分の右腕を奪った相手への復讐と、新しい力”デビルブレイカー”を試したいという好奇心がある。

出来る事なら、大人しくして欲しいと思うが、この少年の気性では無理だろう。

 

「そろそろ世田谷だな。」

 

後部座席に座る長い前髪の少年が、自分のスマホ画面を眺めている。

液晶画面には、世田谷区の地図が映し出されており、稲荷丸塚古墳(いなまるづかこふん)がある五島美術館の辺りに赤い光点が明滅していた。

 

今朝方、天鳥港に停泊している超豪華客船『ビーシンフル号』のラウンジで、Vという召喚術師と別れ際、ノースリーブの長外套(ロングコート)にGPS内臓の小型発信機を仕掛けたのだ。

 

「先生も、そこにいるのか? 」

「先生? 」

「ライドウさんの事だよ。 ついでに言うとお前の義理の父親なんだろ? 」

 

漂って来る煙草の煙に辟易したのか、肩に黒い毛並みのハムスターを乗せたネロが、後部座席の窓を開ける。

 

「ああ・・・・一応、名目上はそうなってるな。」

 

脚を組んで後部座席に座る明が、スマートフォンを制服の上着へと仕舞う。

 

ライドウに対し、肉親としての感情はまるでない。

ベトナムの南部にある森林地帯の奥深くで、彼と初めて出会った当初から、男としてではなく、異性として意識していた。

それでも、家族として接し様と、自分なりに努力はした。

しかし、駄目だった。

あの夜の忌まわしい出来事が、自分の心の中に封じていた”男”としての感情を暴き出してしまったからだ。

 

「誰からそれを聞いた? 」

 

予想は出来るが、一応聞いてはみる。

案の定、仲魔を肩に乗せた銀髪の少年は、葛葉邸の執事を務める岡本氏の名前を出した。

 

「ちっ・・・・・余計なお節介を。」

 

長年、歴代ライドウの補佐役を務めて来た岡本氏は、明と同年代のネロならば、自分と義理の父親である17代目の橋渡しとして適任だと思ったのだろう。

明は、忌々し気に舌打ちすると、背凭れに身を預け、長い前髪を掻き上げた。

日本人とは思えぬ程、堀が深く、整った顔立ち。

普段、長い前髪で目元を隠しているので、顔は良く分からなかったが、こうして見るとかなりの美貌だ。

 

「なんだ・・・・? 」

「え? 否・・・・・別に・・・・。」

「何故、前髪で顔を隠す? 男前が勿体ないじゃないか。」

 

戸惑うネロに変わって、肩にしがみついている黒毛のハムスターが代弁した。

 

明は、口数も少なく、長い前髪で目元を隠している為、近寄りがたい印象を与える。

が、その容姿は人形の如く整っており、高身長で鍛え抜かれた肉体は、まるで一流モデル並みだ。

現に、彼等が通学している『聖エルミン学園』でも、明は異性達から大人気で、隠れファンクラブなるモノまで存在している。

 

「別に良いだろ? 大きなお世話だぜ。」

 

自分の趣味を人にあれこれ詮索されるのは、正直、良い気分はしない。

隣に座るネロを長い前髪越しに眺める。

すると、銀髪の少年は顔を真っ赤に紅潮させ、慌てて視線を外した。

 

「前にも言ったと思うが、俺はあの人に拾われたんだ。 当然、血の繋がりもねぇし、親として見る気もねぇ。」

「・・・・・。」

「あの人が何を考えているかは知らないが、俺は今の生活を気に入ってんだ。屋敷に戻る気はねぇよ。」

「・・・・・あ・・・。」

 

何か反論を言いかけようとしたネロの言葉を、スマートフォンの呼び出し音が遮った。

明が、先程制服の尻ポケットに仕舞ったスマホを取り出す。

電話の相手は、八神・咲であった。

 

 

世田谷駅・・・東京都世田谷区世田谷四丁目にある駅は、逃げ惑う人々で溢れていた。

駆け付けた警察隊が、市民を懸命に誘導し、怒号と悲鳴が、辺りに響く。

人混みを掻き分け、彼等とは反対の方向へと進む一つの影。

明るい茶の髪を三つ編みに結い上げ、『聖エルミン学園』の制服を着る16歳ぐらいの少女は、日下・摩津理であった。

完全に血の気が失せた青白い顔で、人混みから抜け出し、薄暗い路地裏へと入り込む。

 

「日摩理・・・・。」

 

震える手で、レッグホルスターから一本の封魔管を取り出す。

 

今日は、10歳年が離れた妹、日下・日摩理の退院日であった。

本来なら冬休みであるが、植物生理学研究会が近い為、連日の様に担当顧問が所有している巨大温室に缶詰状態になっていた。

飼育が大変難しい”マンドレイク”が、何とか順調に育ち、研究会に出品出来る段階まで来ている。

研究会で上手く行けば、薬学部の宣伝になる。

部員だって増えるだろし、特許が取れれば、今以上に設備が整って、様々な魔法薬の研究が出来るかもしれない。

夢は無限大に広がるが、一抹の不安が過る。

小児喘息で入院している妹の日摩理の事だ。

 

生まれつき肺が弱い日摩理は、入退院を繰り返していた。

もう少し、空気の良い場所に引っ越したいが、父親の仕事上、都心から離れられなかった。

マンドレイクを研究し、薬を精製出来れば、妹の持病を治してやれるかもしれない。

それまでは、学園の地下にある魔導施設に部屋を間借りして、妹とそこで生活するつもりでいた。

当然、父親にも相談しているし、理事長からも了解を得ていた。

その矢先に、世田谷区で、悪魔(デーモン)によるパンデミックが起こったのだ。

 

(お願い! 無事でいて!)

 

口から漏れ出そうな嗚咽を何とか噛み締め、自分自身を奮い立たせる。

 

世田谷区には、父方の妹が住んでいる。

薬学部の研究で忙しい自分に代わって叔母に、日摩理を迎えに行って貰っていた。

大きく深呼吸を繰り返し、何とか心を落ち着ける。

不安に揺れる瞳が、叔母の経営しているケーキショップがあるショッピングモールに向けられた。

 




大分短くなりました。


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第16話 『三つ首の魔女 』

登場人物紹介

ケルベロス・鶴姫・・・・ 歴代ライドウのお目付け役兼指南役の業斗童子が『シュバルツバース破壊計画』が原因で消滅した為、一時的な代わりとなっている葛葉一族の墓守。
正体は、冥府の王・ハデス。
初代剣聖であり、『十二夜叉大将』の長、骸の師。
弟子に敗れ、新月期に以外は魔獣の姿になるという呪いを受けられる。
CSI(超常現象管轄局)NY支部長、ケビン・ブラウンとの間に一男一女の子供がいる。


その知らせは、あまりにも唐突だった。

念のためにと、八神・咲に教えた携帯の電話番号。

送話口の先で、涙ながらに少女が懇願する。

 

親友の日下・摩津理の歳が離れた妹、日摩理が今日、新宿衛生病院から退院する事。

植物生理学研究会が近い為、栽培している”マンドレイク”の報告書を作成するのに、手が離せなかった事。

摩津理の代わりに、世田谷区でケーキショップを経営している叔母に頼んだ事。

叔母の住んでいる世田谷区が、悪魔(デーモン)によるパンデミックで大変な事。

 

遠野・明は、それだけを聞くと、スマホを切り、運転席へと向かう。

 

「すまないニコ、緊急事態が起こった。 急いで高速から降りてくれ。」

「は? あともう少しで目的地に到着するんだぞ? 」

「良いから、俺だけ降ろして、アンタ達だけ先に美術館に向かってくれ。」

 

普段、感情をあまり表に出さない明にしては、珍しく語気が荒かった。

何か異変が起きたらしい。

長い付き合いで、それだけを敏感に感じ取ったニコは、世田谷区に入るとすぐに高速道路を降りる。

 

「おい、まさか一人で行くつもりじゃないよな? 」

 

高速道路を降り、路肩へと止めたニコの移動式作業場である大型のバンから、武器一式が入ったナイロン製のボストンバッグを担いで出て行こうとする明の背を、ネロが追い掛けた。

 

先程、明の傍らで、咲の通話を聞いている。

話の内容から、彼女の親友、日下・摩津理が、パンデミックが起きている世田谷に一人で向かったらしい。

だから、明は一人で摩津理とその妹を救出するつもりでいる。

 

そんなネロを完全に無視し、明は車から降りてしまう。

同じくバンから降りたネロが、長い前髪の少年の腕を掴んで止め様とする。

その手を振り払い、二人は無言で睨み合った。

 

「明、僕達も一緒に行くよ。」

 

今にも殴り合いを始めそうな二人の間に、壬生・鋼牙が割って入った。

共に戦うつもりでいるのか、右手には『備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)』がしっかりと握られている。

 

「余計な事は良い、お前等は美術館に向かえ。」

「ざけんな! お前だけ一人で危険な目に合わせられるかよ! 」

「そうだよ。僕達は仲間(チーム)じゃないか。」

 

一人、激戦地帯へと向かおうとする明を、当然の如く二人が止める。

 

彼等は、既に他人では無かった。

短い期間とはいえ、”探偵部”として共に活動した。

家族と同じ、強い絆が、三人の間で芽生え始めようとしている。

 

「お前等・・・・・。」

 

何かを言いかけた明の言葉を、車のクラクションが遮った。

見ると運転席の窓から、女職人(ハンドヴェルガー)のニコが身を乗り出している。

 

「ごちゃごちゃ言い合いしている時間何かねぇんだろ? さっさと乗れ、場所を教えれば送ってやるよ。」

「ニコ・・・・・。」

 

どうやら、ニコも気持ちは鋼牙達と同じらしい。

彼女が言う通り、こんな所で問答している余裕は無かった。

一刻も早く日下姉妹を助け出したい明は、仕方が無いと言った様子で、大きく息を吐き出した。

 

 

五島美術館へと向かう環八通り。

数台の警察車両が、五島美術館の傍にある稲村山古墳(いなむらやまこふん)に向けて走っていた。

 

「どーにも腑に落ちねぇんだけどな。」

 

先頭を走る車両に乗り込んだ見事な銀色の髪を持つ青年- ダンテが、後部座席で一人呟く。

 

「何が? 」

「この事件を起こした犯人の目的だ。 一体、何のためにこんな大規模なテロを起こしたんだ? 」

 

同じく、隣に座る赤毛の忍の問い掛けに、ダンテが平らに流れていく車窓の景色を眺めながら応える。

 

これだけ、広範囲に渡る異界化。

こんな真似が出来るのは、魔王クラスの力を持った悪魔しかいない。

しかし、彼等が現世に実体化する為には、膨大な量のマグネタイトを要求される上に、此方側の協力者が必要不可欠になる。

魔王クラスの悪魔を呼び出すのだ。

それなりの理由が、必ずある筈だ。

 

「テロを起こす要因なんて、この日本じゃ幾らでもある。」

 

魔狩人の疑問に応えたのは、助手席に座る百地英雄警部補であった。

 

「お前さん達も知っての通り、この国には日本人より外国人労働者の方が圧倒的に多い。 十数年前に起こった第二次関東大震災で日本人の半数以上が死んじまったからな。」

 

手の中で、愛用のジッポライターを弄びつつ、百地警部補は独白とも取れる言葉を続ける。

 

「中国、韓国、ベトナム、フィリピン、ブラジル・・・・最近じゃ、ドイツ人やイギリス人も多いな・・・兎に角、この国は、移民の見本市みたいな所になっちまった。」

 

一昔前までは、移民の受け入れが多い国として、日本は4位ぐらいになっていた。

しかし、第二次関東大震災で、日本人の約半数以上が犠牲になり、とても国として機能していける状態ではなくなった。

その為、日本政府は、国の経済を立て直す為に、積極的に移民を受け入れなければならなくなったのだ。

当然、治安は一気に低下。

大国アメリカでもっとも治安が悪い、ミシガン州デトロイトと同じ状態になってしまう。

挙句、東京湾沖で発生した巨大な異界の穴。

そこから流れ出る瘴気と共に、悪魔が次々と実体化し、市民達を襲う様になる。

混乱した事態を収束する為に、政府はアメリカ国防総省並びに、ヴァチカン市国と協力し、それらを鎮火。

異界の穴-”シュバルツバース”を強力な呪式で組んだ厚い壁で覆い、悪魔(デーモン)に対抗する為、剣士(ナイト)や魔導士(マーギア)からなる、特殊公安部隊を設立する事となる。

 

「国も違えば文化も違う、当然、宗教や互いの価値観も違う・・・おまけに議員様達が作った”大和人権保護法”なんて悪法のお陰で、移民達の不満は爆発寸前だ。大規模テロが今迄起きなかったのが、不思議なぐらいだぜ。」

 

『大和人権保護法』とは、先住民族たる日本人を保護する為の政策である。

震災により、日本人の数が半数以下になった為、他国から労働力たる移民を多く受け入れたが、その弊害として、純血の日本人の数が減ってしまった。

このままでは、日本の文化や言語が滅びると危惧した時の政治家達は、『大和人権保護法』を立ち上げ、大和民族を護ろうとしたのである。

その結果、移民と日本人との貧富の差が出来上がった。

 

「さっき、坂本二等陸佐が、マスゴミ共にPTシステムを宣伝してたろ? ありゃぁ、ただ単に国連加盟国に宣伝するだけじゃぁねぇ・・・この国にいる移民や不法就労者達に知らしめる為だ。」

「成程・・・それで治安が良くなれば、加盟国の連中もこぞってシステムを導入するよな・・・。」

 

百地警部補が、何を言いたいのか漸く合点がいった。

この大規模な悪魔(デーモン)によるパンデミックが、政府による”やらせ”である可能性もあるという事だ。

 

「え? ちょっとまって? 警部補殿は、この事件が仕組まれた事って言いたいわけ? そりゃ、流石に無理があり過ぎるよ。」

「ばーっか、誰もそんな事言ってねぇよ。 俺は只、可能性の話をしてるんだ。Ptシステムで悪魔(デーモン)や治安の問題が解消されれば、システムを導入したいという国は必ず出て来る。そして、そいつらが力を持てば、国民を管理統制したがる。独裁国家の出来上がりって事よ。」

「や、嫌だなぁ・・・おっかない話は止めてよぉ。」

 

この日本が、かつての軍国主義国家に戻る。

最悪なシナリオを想像し、佐助は引きつった笑みを口元に浮かべた。

 

「その為に、選挙権っていう尊い武器があるんだろーが。もう少し、政治に興味を持て、甘い言葉に騙されるな。相手の本質を読み取れ、この国を良くも悪くもするのは、俺達、国民なんだぞ。」

「うっ・・・・確かにその通りですよね。」

 

痛い所を、警部補に抉りこまれ、佐助は押し黙る。

 

この国の政治に対する無関心さは、深刻な問題とされている。

震災が起こる以前の日本は、有権者の投票率が、半数以下であった。

その理由として、他国と比べ、社会の安定度が高いとされている。

アメリカを例に挙げると、業種間、地域間、階級間等の格差が大きく、社会の安定が低い為、政治について多く語られている。

だが、日本では、政治の話をするのがタブーという風潮があった。

特に、世間に政治の話を持ち出すと、抑制する空気が漂い、様々なリスクが生み易い。

学校という公共の場では、リスク回避の意識が高く、何か問題が起きると隠蔽する特徴があるのだ。

社会を学ぶ場である筈の学校が、こんな体質では、政治に対し、無関心になっていくのは当然である。

 

 

等級田園都市線・大井町線二子玉川駅・・・・二子玉川ライズの巨大ショッピングモール。

薄い茶のダッフルコートに、『聖エルミン学園』の制服を着た日下・摩津理は、叔母が経営しているケーキショップを目指して走っていた。

魔界樹の太い蔦が、硬いコンクリートの壁を突き破り、その醜悪な姿を晒している。

逃げ遅れたであろう一般市民達の無惨な骸を目の当たりにして、摩津理は、今にも歩みが止まりそうになった。

 

「駄目だ! 絶望するな! 前を向いて走れ! 」

 

喉の奥からせり上がる悲鳴を押し殺し、摩津理は、懸命に両足を動かす。

その時、彼女の行く手を塞ぐかの様にして、周囲の空間が歪んだ。

地面を汚す血だまりがブクブクと気泡を発し、中から醜悪な怪物、夜魔・エンプーサが、次々と這い出して来る。

 

「アルラウネ! 力を貸して! 」

 

行く手に立ち塞がる怪物の群れ。

摩津理は、右手に封魔管を握り、妖樹・アルラウネを召喚する。

毒々しい黒い花弁から生まれし、淫蕩な肉体を持つ女性の悪魔。

身体中に茨の蔦を絡みつかせた女悪魔は、摩津理の背後に怪しい笑みを浮かべて立つ。

 

「あいつ等を蹴散らすわよ!」

「了解、マスター。」

 

アルラウネと摩津理が一体化する。

摩津理の右腕に茨の蔦が絡みつき、獲物を狙う蛇の如くうねった。

 

『おいたは駄目よ? 坊や達。』

 

主の指示を受け、アルラウネが障害を排除すべく、夜魔・エンプーサへと襲い掛かる。

茨の蔦が次々と、異形の怪物達へと絡みつき、縛り上げた。

 

「消えろ!化け物共! 」

 

摩津理が、右の拳を硬く握る。

するとエンプーサの群れへと絡みついた茨がきつく締まり、悪魔の群れを粉々に砕いていった。

 

爆散した死骸から、紫色の体液が地面や壁に飛び散る。

摩津理の制服にも返り血が付着するが、構っている暇は無い。

少女は、茨を鞭の様に振るい、悪魔(デーモン)共を次々に薙ぎ倒して行く。

 

(お母さん、お願い! 日摩理とヒロコ叔母さんを護って!)

 

脳裏に、彼女が幼い時に事故で死亡した母親の姿が蘇る。

 

白い清潔な病室。

生まれたばかりの妹を胸に抱き、母は優しく幼い自分に笑いかけていた。

 

『これで、摩津理もお姉ちゃんね? 』

 

病院のベッドに腰掛ける母は、まだ首も座らぬ小さな妹を摩津理に渡す。

恐る恐る赤子を抱き抱える自分。

厚いタオルケットに包まれた妹は、あまりに小さく、少しでも力を込めたら壊れてしまいそうだった。

 

「きゃぁっ! 」

 

そんな物思いに耽っている時であった。

炎の弾が、目の前で爆散する。

衝撃で、倒れる紅茶色の髪をした少女。

見上げると、無数の蝙蝠達が、我が物顔で空を飛び回っていた。

凶鳥・ピロバットだ。

 

「あっ・・・・ああっ・・・・・。」

 

恐怖で脚が竦み、上手く立ち上がる事が出来ない。

尻で後退りする摩津理の周囲を、夜魔・エンプーサと邪鬼・ヘルアンテノラの群れが取り囲む。

とうとう、我慢出来ず、悲鳴が漏れそうになった刹那。

獣の唸り声の様なエンジン音が轟き、少女の頭上を大型のワンボックスカーが飛び越えていく。

 

車体にゴールドスタインという、派手な蛍光看板を取り付けた大型のバンは、邪鬼の一体にぶち当たり急停車した。

 

「日下! 無事か!? 」

 

バンから、見事な銀色の髪をした同年代の少年が飛び出す。

右手に持つ起動大剣『クラウソラス』が唸りを上げ、エンプーサとヘルアンテノラを斬り飛ばした。

 

「ネロ! 早く日下さんを車の中に! 」

 

同じくバンから飛び出した鋼牙が、備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)を駆り、異形の怪物達へと躍り掛かる。

白銀の閃光が幾度も閃き、ヘルアンテノラとエンプーサの群れを細切れにしていく。

 

「歩けるか? ニコ達がいる所まで走るぞ。」

「う・・・・うん。」

 

差し出されたネロの手を震える手で掴み、摩津理は立ち上がる。

鋼牙と明の二人が、悪魔の群れを蹴散らし、悲鳴と銃声が辺りにこだまする。

血飛沫(ちしぶき)と肉片が飛び散る中、ネロに支えられながら、摩津理は何とかニコの移動式作業場へと乗り込む事が出来た。

 

「何で、アンタ達が此処に? 」

 

凄まじいスピードで、明と鋼牙の二人組に駆逐されていく悪魔の群れを横目で眺めつつ、摩津理は、当然ともいえる疑問を口にした。

 

「八神から連絡があったんだ。 お前が妹を助けに世田谷区に向かったって。」

「咲・・・・・そうか・・・・。」

 

ネロの言葉に、漸く合点がいった。

親友の八神・咲は、”薬学部”の顧問を務めている悪魔- トロルに保護されるまでは、”探偵部”の遠野・明に護衛されていた。

詳しい理由までは教えて貰えなかったが、咲が何か危険な事態に巻き込まれているのは理解出来た。

担当顧問に保護されて以降、彼女は積極的に黒魔法の技術を学んでいる。

 

「お願い、この近くに私の叔母が経営しているケーキショップがあるの。そこに、妹の日摩理が・・・。」

 

仲魔の妖樹・アルラウネを封魔管に戻しつつ、摩津理がネロに懇願したその時であった。

ショッピングモール全体が激しく揺れ、立っていられなくなる。

見ると、モールに立ち並ぶ店舗を突き破り、クリフォトの魔界樹が、その醜悪な姿を陽に晒していた。

 

「おい、そろそろ此処もやべーぞ。」

 

ガラス窓や壁を破壊しつつ、魔界樹は遥か天を目指して伸びていく。

周囲の異界化が更に進み、地面を人間の毛細血管を思わせる蔦が覆った。

 

「日摩理っ! 」

「おいっ!日下! 」

 

最早、一刻の猶予すらも無かった。

摩津理は、ネロの腕を振り払い、ニコの移動式作業場から出て行ってしまう。

 

「馬鹿! 何やってんだ! 早く追い掛けろ! 」

「分かってるよ! 」

 

ニコに叱責され、苛立った様子で、ネロが怒鳴る。

魔力か闘気術で脚力を上げているのか、信じられないスピードで摩津理の姿はモールの奥へと消えてしまった。

 

 

数時間前、 稲荷丸古墳前。

五島美術館のロビーから出て、台地の端を左へ向かうとロープで囲われた木立がある。

かつては、美しい庭園で観光客達の眼を楽しませていたその場所は、見る影すらも無かった。

醜悪な樹木が辺りを覆い、瘴気があちこちから噴き出ている。

もし、常人がこの場所に迷い込んだら、平衡感覚を失い、嘔吐と頭痛、倦怠感で立っている事すらもままならないだろう。

その異形の森を、深紅の呪術帯で顔を隠した小柄な少年- 17代目・葛葉ライドウが、何の躊躇いも無く進んで行く。

 

頭の中は、魔王・ユリゼンに囚われたパティの事でいっぱいだった。

 

何の関係も無い、ローエル親子を巻き込んでしまった。

ニーナとパティは『稀人の血』を持っている。

類稀な霊力を持つからこそ、ユリゼンに狙われ、魔導兵器の動力源にされたのだろう。

母親のニーナは、実父・ジョルジュから、厳しい魔導の訓練を受けている。

しかし、その孫娘パティは、修練を積んでもいないし、まだ年端もいかない子供だ。

もし、万が一、魔導兵器の動力源にされてしまったら、体力が持たない。

 

最悪のシナリオが脳裏を過り、呪術帯で覆われた唇を噛み締める。

 

(俺のせいだ・・・・・あの時、油断さえしなければ・・・・。)

 

数日前、東京アクアライン付近にあるサービスエリアの駐車場での出来事を想い出す。

20数年ぶりに再会した、かつての番。

とうに魔界で朽ち果てているであろうと思い込んでいた。

それが間違いだった。

奴は、驚くライドウに抱き着き、悪魔使いの思考を読んだのだ。

当然、ニーナ親子の情報も得ただろう。

あのゲス野郎は、自分の弱点を熟知している。

愛娘と同年代の少女を人質に取れば、必ず自分の下にやって来ると確信しているのだ。

 

『 しっかりしろ・・・・奴の術中にハマるぞ? 』

「お袋さん? 」

 

腰に吊るしてあるGUMPから、お目付け役兼指南役の魔獣・ケルベロスの声が、脳内へと響いた。

 

『あの娘は、お前を釣る為の大事な生餌だ。早々、無体な真似はしないだろう。』

「分かっている・・・奴の目的は、恐らく俺が奪った”真名(まな)”だろう・・・それで、力を取り戻すつもりだ。」

 

ライドウの視線が、己が背負う魔槍『ゲイ・ボルグ』へと向けられる。

この魔の槍には、マーリンの力の源たる『真名(まな)』が取り込まれていた。

 

20数年前に、奴の肉体から抉り取った”神の力”。

走馬灯の如く、脳裏に美しい金の髪をした亜人の少女と、エルフの子供達。

そして、焦土と化すイェソドの街が過った。

右手が無意識に、機械の左腕に触れる。

 

『 ライドウ・・・・・。』

 

弟子の心中を察し、ケルベロスが何かを言い掛けたその時であった。

背後から殺気を感じ、悪魔使いの身体が無意識に真横へと跳ぶ。

刹那、地を削り取る赤い閃光。

主の命を受けた魔神・アラストルが、蝙蝠から二振りの双剣へと姿を変え、悪魔使いの両腕に収まる。

彼等を襲ったのは、高速移動の能力を持つ、妖獣・ヒューリーであった。

目視不能な速さで移動し、群れで連携し、獲物を狩る。

双剣を構える悪魔使いから数歩離れた位置で、完全に退路を断つ形で、ヒューリーは深紅の鱗に包まれた、大型トカゲを連想する爬虫類的な姿を現した。

 

「ふふっ・・・・流石は”人修羅”、今のを避けるか。」

 

暗闇に閉ざされた森の奥から、ローブを目深に被った妙齢な女性が浮かび出た。

ヒューリーの群れを従え、ゆっくりと悪魔使いの傍へと近寄る。

 

「マルファスか・・・・お前も生きていたんだな? 」

 

双剣を構える悪魔使いが、女の正体に気付く。

 

女の名は、”マルファス”。

ダークエルフの女で、スヴァルトアールヴ族と双璧を成すドラウ族の一人だ。

反逆皇・ユリゼンの片腕であり、魔界では諜報活動をしていた。

 

「一度は死んだ・・・・貴様が、我が盟主を裏切り、イェソドの街を焼き尽くしたあの時にな・・・・。」

「・・・・・。」

「ユリゼン様の寵愛を受けていながら何故、あの方を裏切った? 迷いの森を抜けられたのも、ノモスの塔に封印されていた”神殺し”の力を得られたのも、全てはかのお方のお陰。」

「・・・・・・。」

「応えてみよ! 人修羅!! 」

 

ローブの下から覗く双眸が、隻眼の悪魔使いを鋭く睨む。

 

「そんな下らねぇ事を知ってどうする? 折角、生き返ったんだろ? だったら、大人しく魔界に還って残りの余生を楽しんだらどうだ? 」

「貴様! よくもぬけぬけとそのような・・・・っ!! 」

 

そこから先の言葉が止まった。

マルファスの喉元に、雷神剣『アラストル』の切っ先が突き付けられたからだ。

ダークエルフの女を護る様に立っていた妖獣達が、まるで糸が切れた操り人形の様に次々と倒れた。

見ると、悪魔(デーモン)の弱点である心臓に、深々と八角棒手裏剣が突き刺さっている。

この間、僅か数秒。

たったそれだけで、勝負は決まっていた。

 

「ば、馬鹿な・・・・・・。」

 

塵と化していく仲魔の亡骸を、マルファスは信じられないかの様に眺めていた。

20数年前よりも遥かに強くなっている。

自分の想像を遥かに超える怪物に、女は瘧(おこり)が掛かった様に振るえた。

 

「俺は今、虫の居所が悪い・・・・手加減してやる程、優しくはなれねぇ。」

 

浅黒い女の肌に、双剣の切っ先を押し当てる隻眼の悪魔使い。

深紅の呪術帯に覆われた左眼から、蒼い炎が噴き出す。

 

「ふっ・・・・私もだ。 貴様を見ていると殺意が抑えきれない。」

 

喉元に刃を押し付けられた女が、引き攣(つ)った笑みを口元へと浮かべる。

と、次の瞬間、女の身体が倍以上に膨れ上がった。

 

危急を察知し、逸早くマルファスから離れるライドウ。

女の下半身から這い出す、不気味な凶鳥。

眼窩は無く、その代わり鋭い嘴(くちばし)と鉤爪を連想させる巨大な翼と両脚が現れる。

纏っていたローブが破れ、下から三つの頭と三本の腕が露わになった。

 

「ホホッ、どうだ? ユリゼン様から頂いた新しい肉体だ。」

 

己を見上げる悪魔使いを見下ろし、マルファスが勝ち誇った笑みを浮かべる。

その姿はあまりにも醜悪であった。

例えるならば、巨大な怪鳥に乗った三つ首の魔女、といったところか。

 

「可哀想な奴だ。 あの変態野郎は、お前の忠義なんてこれっぽっちも感じちゃいない。お前の一族が実験体にされた挙句、クリフォトの苗床にされたのがその証拠だ。」

「黙れ! 」

 

怒り狂った魔女が、隻眼の悪魔使いへと襲い掛かる。

しかし、何処からともなく現れた白銀の疾風が、魔鳥の頭を蹴り飛ばし、異形の大樹へと叩きつけた。

 

「お袋さん? 」

「こ奴の相手は、私がする。お前はユリゼンの所へ行け。」

 

悪魔使いの前に悠然と現れたのは、見事な白銀の鬣(たてがみ)を持つ魔獣であった。

金色の双眸が、呻き声を上げながら巨体を起こす魔女へと向けられる。

 

「良いのか? 俺に手を貸したら骸の野郎が煩せぇんじゃねぇのか? 」

「ふん、あの下郎など関係ない。 偶には私に花を持たせろ。」

 

背後にいる愛弟子に対し、冥界の門番は大袈裟な溜息を吐く。

1年前の『フォルトゥナ侵攻戦』で暴れられなかった分、此処で鬱憤晴らしをさせろと言っているのだ。

そんな師に対し、愛弟子は呆れた様子で肩を竦める。

 

「了解、もう歳何ですから、程々にしといて下さいよ? 」

「戯け・・・・さっさと行かんか。」

 

憎まれ口を叩く弟子に、舌打ちすると、改めて三つ首の魔女へと向き直る。

一方のマルファスは、腹腔を焼き尽くす怒りに、歯を剥き出しにしていた。

上位クラスとはいえ、魔獣如きに良い様にあしらわれたのだ。

その怒りたるや筆舌しがたいだろう。

 

「卑しい魔獣如きがよくもっ! 」

 

マルファスが、巨大な魔鳥をケルベロスとライドウにけしかける。

振り下ろされる巨大な嘴(くちばし)。

魔獣と悪魔使いは左右に別れ、それを回避する。

硬い岩盤を魔鳥の凶悪な顎が深々と抉った。

 

「ぎゃぁっ!! 」

 

刹那、魔女の頬に強烈な一撃が炸裂する。

勢いで、二歩三歩とたたらを踏むマルファス。

何時の間に移動したのか、ケルベロスが、三つ首の魔女へと肉迫し、硬い鱗で覆われた尾で、殴り飛ばしたのだ。

続いて、ケルベロスの後ろ脚が、魔女の胸板を叩く。

地響きを上げて、地面へと沈む三つ首の魔女。

白銀の獣が、華麗に台地へと着地する。

 

「どうした? もう終わりか? つまらぬ奴よ。」

「ううっ・・・・おのれぇ。」

 

唇の端から血を流した魔女が、怒りに燃える双眸で、魔獣を睨み付ける。

そんな両者の激闘を他所に、ライドウは手甲に仕込まれたワイヤーを射出し、魔界樹の一本に撃ち込んだ。

超小型の電動リールを使い、遥か上空へと舞い上がる。

 

「おのれ!逃さぬ! 」

 

マルファスが、両手を前方へと翳(かざ)す。

すると幾つもの魔法陣が、高速展開され、そこから槍の様に鋭利に尖った結晶が、まるでマシンガンの如く吐き出された。

だが、白銀の突風と化したケルベロスが、爪と尾を使い、結晶弾を悉く粉砕。

一本を口に咥え、魔鳥の額へと投擲する。

寸分違わぬ正確さで、魔鳥の眉間へと深々と埋まる結晶の矢。

あまりの激痛に、魔鳥が奇声を発し、矢鱈目鱈に暴れまくる。

 

「えーい! 大人しくならぬか! この馬鹿鳥め! 」

「ハハッ、滑稽だな。」

 

激痛でのたうち回る魔鳥と、それに戸惑う魔女の哀れな姿に、ケルベロスが冷酷な笑い声を上げた。

 

両者の力量は、歴然としている。

マルファスは、全く歯が立たず、魔獣に傷の一つすら付けられない。

完全に遊ばれていると知り、魔女の顔が怒りで歪んだ。

 

「おのれぇ、貴様の肉体を100の肉片に切り分け、亡者共に喰わしてくれよぅ!」

「ほぅ、それは怖いな? 」

 

獲物である悪魔使いの姿を見失い、挙句、卑しい魔獣如きに此処までコケにされている。

怒り狂う三つ首の魔女に、魔獣は大袈裟に肩を竦めた。

その身体が、淡い光へと包まれる。

 

「な、何事だ? 」

「ふむ、忘れていたが、今日は新月だったな? 」

 

光に覆われた魔獣の輪郭が崩れた。

瞬く間に、人の姿へと変わる肉体。

光が晴れたそこには、美しい濡れ羽色の長い黒髪を持った、新雪の如き白い肌を持つ美女が立っていた。

 

「き・・・貴様、一体何者。」

 

惜しげも無く見事な裸身を晒す黒髪の女から、怖気が走る程の鬼気を感じ取る。

主から、底知れぬ力を与えられた筈の自分が、恐怖を感じていた。

一体、この女は何なのだ?

 

「どうせ、死にゆく者に・・・名前など名乗る必要など無かろう。」

 

再び光が女の肉体を包む。

魔力で衣服を精製したのだ。

白を基調にした大胆に胸倉の開いた着物と、赤い腰帯。

そして腰には七星村正を下げていた。

 

「さぁ、魔女よ。 精々、主から与えられた力とやらで、私を楽しませてみよ。」

「げ、下郎が! 」

 

頭に血が昇り過ぎた為か、それとも、あまりの恐怖故か、三つ首の魔女は、最早、冷静な判断力を失っていた。

空間に亀裂を造り、そこに巨体を隠す。

どうやら、この魔女は、任意で肉体の一部を移動させる事が出来るらしい。

巨大な魔鳥に乗った三つ首の魔女が、正体不明の女の頭上へと躍り出る。

その巨体さを生かし、女を圧し潰そうとしたのだ。

 

「死ぬが良い!! 」

 

躱す事が出来ぬ、必殺の一撃。

しかし、女は全く臆する事無く、口元に冷酷な笑みを浮かべた。

 

 

五島美術館、庭園内にある旧清水邸書院内。

現清水建設副社長宅を再現した邸宅内の畳には、金色の髪をした女性-ニーナ・ジェンコ・ルッソが毛布にくるまれ、横たわっていた。

その傍らに寄り添う、小さな妖精。

回復魔法を唱え、ニーナの意識が戻るのを辛抱強く待つ。

 

 

「なぁ? バージル。 俺達の仕事は終わった。 後は、ユリゼンと親父さんの二人に任せてずらかろうぜ? 」

 

造魔・グリフォンが、縁側に座る黒髪の魔術師に向かって、小声で囁く。

 

元々、彼等の役目は、四大魔王(カウントフォー)の一人、魔王・ユリゼンの元まで”人修羅”をおびき出す事にある。

これ以上、馬鹿正直に此処に長居する理由は無い。

 

「ユリゼンは信用出来ない。奴が素直にアレを造るとも思えんしな。」

「まぁ、確かにお前の言いたい事も分かるけどよぉ、アレを精製出来るのはユリゼンだけだ。 今は、奴を信じるしかない。」

「・・・・・。」

「それに、ヴィクトルのオッサンが言ってたろ? ユリゼンにとってアレを完成させるのは奴の悲願だって・・・大丈夫、”賢者の石”を奴は必ず造る。」

「・・・・・そうだな。」

 

Vことバージルは、背後で治療に専念している小さな妖精を振り返った。

どうやら、マベルもバージル達の事が気になるらしい。

自然と目が合い、慌てて顔を背ける。

 

「・・・・・すまない。 信じては貰えないだろうが、俺達は、関係の無い人間をこれ以上巻き込むつもりは無かったんだ。」

 

自然と、謝罪の言葉が口から漏れる。

 

「今更、言い訳なんて聞きたくない。 アンタは7年前にも大勢の人間を殺してる。 その人達の怒りと哀しみをアンタは、どうやって償っていくつもりなの? 」

 

マベルも又、何故、こんな問い掛けをしているのか理解出来なかった。

だが、聞かずにはおれなかった。

返って来る応えは、予想通りかもしれないが、この男の心理を少しでも知りたかった。

 

「テメンニグルの事か・・・・確かに、あの一件で俺は取り返しのつかない事をした。」

 

7年前、アメリカのスラム一番街で、バージルは、古の塔”テメンニグル”を現世に復活させた。

その時に、自分が開けた異界の穴から、大量の悪魔を現世に実体化させてしまった。

スラム一番街で、生活する多くの住民達が悪魔の餌食となり、生き残った市民達も、ヴァチカンの空爆により、犠牲となった。

 

「どうする事も出来なかった。 あの時の俺は、恐怖に支配されていた。そこから逃れる為に、父親である魔剣士・スパーダの絶大なる力を欲した。」

「恐怖・・・・? 一体、それは何。」

「母の・・・・俺達二人の母・エヴァを喰い殺した悪魔の事だ。」

 

バージルは見た。

記憶の彼方に封じていた記憶の断片を。

かつて大学院に在籍していた時に、家庭教師として訪れた、とある邸宅の地下で。

無惨に内臓を引きずり出され、四肢を引き裂かれる実母、エヴァの幻影を。

そして、ソレを行っていた深紅の巨大な悪魔の姿を。

 

「毎夜・・・毎夜、悪夢となって俺の心を蝕む・・・・ヤツは、まだ生きている。母の次は、必ずこの俺を殺しに来る・・・。」

「バージル。」

 

頭を掻きむしり、言葉に出来ぬ恐怖に震える黒髪の青年を、マベルは訝し気に眺める。

その時、妖精の耳に小さな呻き声が聞こえた。

見ると、意識を失っていたニーナが、眉間に皺を寄せ、大きく息を吐き出している。

開かれる蒼い双眸。

その視線が、赤毛の小さな妖精へと向けられた。

 

 

紫色の体液を撒き散らし、斬り飛ばされる魔鳥の翼。

同じく綺麗に切断された魔鳥の頭が、宙を跳び、凶悪な嘴(くちばし)が地面へと突き刺さる。

 

「馬鹿な・・・・そんな、馬鹿な・・・・。」

 

半身とも言える魔鳥を失い、無様に地面へと横倒しになる三つ首の魔女。

彼女も三本の腕を失い、左肩から胸にかけて大きく斬り裂かれている。

 

「ふむ・・・・流石は威神・アリラトだな。大した切れ味だ。」

 

長い黒髪を頭の上で結い上げた美女- ケルベロスこと鶴姫が、紫色に輝く刀身を繁々(しげしげ)と眺める。

この七星村正は、本当の持ち主である17代目・葛葉ライドウから、無断で拝借した代物だ。

鶴姫は、七星村正を鞘に納めると、血反吐を吐き、此方を恨めしそうに睨みつけている魔女の傍へと歩み寄る。

 

「メルリヌスから高次元魔法を与えられたらしいが、扱う術者が未熟では話にならんな? まぁ、奴にとってお前は単なる捨て駒だったんだろう。」

 

先程の戦闘で、この魔女が使った力は、任意に空間を歪曲(わいきょく)させ、肉体の一部、又は身体全体をワープさせる能力だ。

この能力は、高次元魔法と呼ばれ、同じ種類の魔法、転移魔法(トラポート)よりもかなり上の魔術とされている。

 

マルファスは、己と魔鳥を鶴姫の頭上に転送させ、その重量で圧し潰そうとしたのだ。

しかし、予め敵の攻撃を予想していた女剣士は、高速斬撃で魔鳥の首を切断し、その肉体を解体した。

 

「ううっ・・・・何故、その名前を・・・・? 」

「アレは、我々、オリュンポス神族の血筋に連なる者だ。 私が知っていても何ら不思議はない。」

「何? では、貴様はオリュンポス十二神の一人なのか? 」

「残念ながら違う・・・・私は、神の位を剥奪された”咎人”だ。」

 

鶴姫は、何の躊躇いも無く、魔鳥の上へと昇ると、三つ首の魔女の側へと膝を付く。

 

「貴様に一つだけ問う、”賢者の石”を知っているか? 」

「”賢者の石”? 」

「生と死を逆転させると言われる程、膨大な魔力を秘める霊石だ。お前の主、ユリゼン・・・否、アンブロシウス・メルリヌスが長年、”クリフォトの魔界樹”を材料に研究していた代物だな。」

「・・・・・知っている・・・・あの方が・・・メルリヌス様が言っていた。”大事な友達”を生き返らせる為に必要だと・・・・しかし、完成間近で、あの憎き人修羅が、メルリヌス様の”真名”を奪い、石は不完全なままだった。」

 

マルファスが、激しく咳き込み、どす黒い血を吐き出す。

最早、喋る力すら無いのだろう。

魔女の双眸から、生気が失われていくのが分かった。

 

「そうか・・・・漸く合点がいった。 これは礼だ。ゆっくり眠るが良い。」

 

鶴姫が、血を吐く魔女の額に手を翳(かざ)す。

すると魔女を苛むあらゆる苦痛が遠のき、安らかな眠りが訪れた。

三つ首の魔女の肉体から力が抜け、がっくりと首が頽(くずお)れる。

実体化が保てず、塵へと還る魔女と魔鳥の亡骸。

そこから、飛び降りた鶴姫が、軽やかに地へと降り立つ。

 

女剣士の視線が、自分が立つ場所から遥か頭上の崖へと向けられた。

 

「”賢者の石”を手に入れて・・・・一体、何を企む? 13代目。」

 

今はそこから離れた人物に向けて、鶴姫は一人呟くと、諦めたかの様に小さな吐息を吐いた。

 

 

 

稲荷丸古墳石碑前。

普段は、鬱蒼と茂る森の中にひっそりと建つ石碑だが、今は見る影すらも無く、異形の植物が生い茂り、その少し先は、まるでグラウンドの様に拓(ひら)けていた。

その中央に穿たれる巨大な穴。

直径、優に300メートルはありそうなその巨大な穴の入口に、漆黒のローブを纏った男が立っている。

鼻頭から首元に掛けて、ローブと同色の包帯が巻かれ、右手にはやや反り返った刃が特徴的な東洋の”刀”と呼ばれる武器を持っていた。

 

「はぁ・・・参ったぜ・・・まさか、”お袋さん”まで、出て来るとはな。」

 

困った様子で、ローブの剣士は、左手で頭を掻く。

墓守の魔獣が、出て来るとは予想外であった。

否、17代目を捕らえるのが目的だから、そのお目付け役たる墓守が拘わって来るであろうと予想はしていたが、まさか新月期を迎え、本来の姿に戻るとは予想外であった。

運命の女神は、何処までも自分達親子に試練を課すのが好きらしい。

 

「仕方ない。 一番楽な所から潰していくか。」

 

腰に備え付けられているガンホルスターから、愛用のGUMPを引き抜く。

トリガーを引くと、GUMPが携帯型小型PCへと変形した。

開かれた液晶画面に、二人の男が映る。

警察隊と共に、五島美術館に到着したダンテと猿飛佐助であった。

 




今日から仕事です。


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第17話 『妖虫・ニーズヘッグ 』

悪魔紹介

妖虫・ニーズ・ヘッグ・・・・魔界樹”クリフォト”に寄生する悪魔。
毒液を吐く、分身体を三体従えている。
知能は大変低く、常に空腹で、獲物を見つけると容赦なく襲い掛かる。



イングランド北部、コーンウォールにある三つの集落。

”カムラン”と呼ばれるその台地には、死屍累々と死体の山が折り重なり、地獄絵図を描いていた。

その中を一人彷徨う小柄な影。

濃い茶のローブを纏い、フードを目深に被っている。

その姿は、さながら死者を悼む修道士であったが、漂う雰囲気がそれを否定していた。

 

「アーサー・・・・。」

 

台地を覆いつくす程の死体の山から、目的の人物を探し出す。

地面に横たわる騎士は、見るも無残な姿へと変わり果てていた。

元は純白の鎧であったのだろう、血と泥で汚れ、亀裂が走り、左肩から大きく裂けている。

未だ息はあるのか、血塗れの口元から、微かに呼吸音が聞こえた。

 

「ま・・・・・マーリン? 」

 

騎士・・・・ブリテン王、アーサー・ペンドラゴンの閉じられた瞼が薄っすらと開き、傍らに膝まづく魔導士を見上げる。

目深に被ったフードから覗くその端正な容姿は、かつて父・ユーザー・ペンドラゴンを導いた魔術師、アンブローズ・マーリンその人であった。

 

「何故、君が・・・・・? ペレアスから死んだと聞かされた。」

「ヴィヴィアンに頼んだ・・・・僕の死を偽装して欲しいとね。 彼女は二つ返事で快く引き受けてくれたよ。」

 

マーリンの白く、繊細な指先が、血で汚れるアーサーの口元を拭う。

優しく触れるその指先に、アーサーは、何かを諦めたのか、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

「君がいけないんだよ? アーサー。僕を裏切るから、君は命より大事な民と王国を失った。 」

 

凍てつく金色の双眸が、激しく咳き込む哀れな騎士を見下ろす。

 

友と思っていた。

誰よりも信頼していた。

人間(ひと)よりも長い年月を生き、これ程、心を開いた事は無かった。

この男は、周りの卑しい人間(カス)共とは違う。

そう思い込んでいた。

今から考えると、あまりにも滑稽ではあったが。

 

「君の可愛いランスロットを離反させ、モルドレッドに王権を簒奪(さんだつ)する様嗾(けしか)けたのは僕だ。 それと、和議を邪魔したのもね。」

「成程・・・・そうだったのか・・・・。」

 

これで全てが理解出来た。

忠義に厚いランスロットが理由も無く、自分から離れるとは思っていなかった。

モルドレットとの休戦も、あの時、何処からともなく迷い込んで来た毒蛇も、全て、マーリンが仕組んだ事だった。

アーサーは、閉じていた瞼を開き、蒼い双眸で、自分を見下ろす魔術師へと視線を向ける。

 

「ねぇ? どんな気分だい? アーサー。 今迄、苦労して築いてきたモノが脆く、儚く散った気持ちは? 」

「・・・・・。」

「僕が憎い? 悔しい? 殺してやりたい? でも残念。醜く朽ちて逝くのは君だよ。」

 

もう、アーサーは長くない。

大量の血を失い、出血性のショックを引き起こしている。

もって後数分の命だろう。

 

「・・・・こんな事を言っても、君は信じてくれないだろう・・・。」

「・・・・・。」

「ま・・・・マーリン・・・・愛しているよ。」

 

予想外の男の言葉に、嘲りの笑みが凍り付く。

震える金色の双眸が、安らかな笑みを浮かべる騎士へと注がれた。

 

「すまなかった・・・・どんなに謝罪の言葉を重ねても、お前を利用した事には変わりがない・・・・ただ、これだけは伝えたかった・・・・。」

 

苦しい息の下、ブリテン王はそれだけを伝えると、再び瞼を閉じる。

そして、それ以上、口を開く事は無かった。

苦し気に呼吸を繰り返していた胸元が、全く動かなくなる。

愛するかつての友が、完全に息絶えたと知ったその時、マーリンの口から形容し難い悲鳴が迸(ほとばし)った。

 

 

 

『ちょっとぉ・・・何で、私が玲子と一緒に留守番しないといけないのぉ? 』

 

世田谷区へと向かう大型装甲車の中。

車のシートに腰掛けた狭間・偉出夫は、困った様子でスマホから聞こえる白川・由美の愚痴を聞いていた。

 

『男共だけで、楽しいパーティーに参加しちゃってさ。つまんないのぉー。』

「ごめんごめん。 玲子の面倒を見れるのは、姫だけなんだ。 この埋め合わせは必ずするから、勘弁してくれ。」

 

無表情で、大型装甲車を操縦する三島重工の社員を他所に、偉出夫はまるで、彼女に仕事の都合でデートをキャンセルする彼氏の様に、苦笑いを浮かべて言い訳をする。

 

 

現在、彼等は世田谷にある五島美術館に移動していた。

目的は勿論、稲荷丸古墳(いなりまるこふん)である。

パトロンの一人である、三島重工の重役、松坂幸三に依頼し、最新型の次期装輪装甲車を一台借りたのだ。

広い後部座席では、数名の技師に囲まれ、シートに座る黒井・慎二が幾つかのコードに繋がれ、その傍らには化学教師の大月・清彦と横内・健太が、思い思いに時間を潰している。

 

「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚のインターフェース全てクリアー・・・シンジ、試しに指を動かして見て。」

 

濃い茶色の髪をボブカットにした40代半ばぐらいのロシア人女性が、身体の至る所をコードに繋がれた金髪の少年に向かって言った。

 

「了解。」

 

女技師の指示に、慎二は素直に応える。

棺の如く、巨大な箱に入った”モノ”が、右掌を握ったり開いたりしている様子を設置されたモニターで確認した女技師は、満足そうに頷いた。

 

「問題なさそうね? 気分はどうかしら? 」

「いい加減慣れたとはいえ、不思議な気分だよなぁ。ルドルフ先生と俺の姿が箱の中から見える。」

 

今の慎二は、培養カプセルの中で横たわる新型BOW-Bio Organic Weapon(バイオニックオーガウェポン)と意識を共有しており、五感全てが丸ごとBOWの中に移し替えた状態にある。

幼い時に小児癌を患い、物心ついた時から車椅子生活を余儀なくされていた慎二は、脳と眼球、そして脊髄以外を、人工物に移植していた。

IQ300を超える天才的頭脳を持ち、特に数学とコンピュータに関しては、驚異的な才能を発揮した。

狭間・偉出夫をリーダーとする魔神皇を立ち上げてからは、黒子として仲間のサポートに徹し、脳を強化改造。

天才ハッカーの名を欲しいままにし、現在は、三島重工の技術開発・アドバイザーとして収まっている。

因みに、技術開発チーフを務めるテレジア・黒井・ルドルフは、慎二の実の母親だ。

 

「・・・・母さんとは言ってくれないのね・・・・。」

「は? 今更何言ってんの? 先生。」

 

何処か暗い顔をする実母に対し、慎二は嘲りの笑みを浮かべる。

 

テレジアに対し、母としての感情はまるでない。

慎二にとって、彼女は仕事上のパートナーであり、それ以外に何も感じないのだ。

 

「そいつが噂のNE‐αタイプか? シリアで同種のT型が何体か投入されたが、指示系統が効かず、散々な結果で終わったらしいが・・・大丈夫なんだろうな? 」

 

脚を組んでシートに座る大月が、分厚い眼鏡の下から、胡乱気に後部座席中央に設置された巨大な棺を眺める。

 

「ええ・・・T型は戦闘能力だけを取るなら、上級悪魔に匹敵する程のポテンシャルを持つけど、いかせん、知能が低すぎてね・・・・制御不安定になってしまうの。でも、Ne‐α型は違う。脳に制御チップを移植し、コンダクター(指揮者)とリンクする事で、その性能を遺憾なく発揮出来るわ。」

 

Ipadでバイタルチェックをするテレジアは、大月に向かって簡単な解説を行う。

 

人間の成人男性をベースに、上級悪魔(デーモン)の細胞を移植したBOW‐ タイラント001型 プロトタイプは、戦闘能力に特化した個体だった。

しかし、下位悪魔程度の知能しか無く、その為、簡単な命令しか受け付けない。

挙句、すぐ暴走状態になるので、戦地に派遣する時は、使い捨ての道具としてでしか、役目がなかった。

それでは、コストが異様に掛かるという問題が起こる為、脳に制御チップを植え込み、外部でコントロールするシステムが採用された。

それが、Ne(ネメシス)‐α型なのである。

 

「この起動実験が成功すれば、コンダクター(指揮者)に掛かる脳の負担をもっと軽くして、一人で5体程のNe‐α型をコントロールする事が出来る・・・・いえ、上手く行けば、もっと倍の数を統べる事が出来るわ。」

「凄いな・・・・・次世代は、ロボット兵器じゃなく、BOWの時代か。」

 

感嘆の吐息を漏らす大月に反し、右隣にいる横内は、無関心なのかスマホを弄っている。

スマホの液晶画面には、SNSで世田谷で起きている悪魔(デーモン)のパンデミックがリアルタイムで流れていた。

 

 

東京都世田谷区、大型商業施設、二子玉川ライズ。

壁やショウウィンドウを突き破り、醜い姿を晒す魔界樹の樹々の間を、紅茶色の髪をした16歳ぐらいの少女が走る。

異界化し、すっかりと様変わりしたモール内。

少女- 日下・摩津理は、懸命に記憶の糸を手繰り寄せ、叔母が経営するケーキショップを目指す。

店舗が立ち並ぶ広い通りに辿り着いた瞬間、誰かが摩津理の左腕を掴んだ。

振り向かなくても分かる。

女職人(ハンドヴェルガー)、ニコレット・ゴールドスタインの移動式作業場である大型バンから妹を探す為に飛び出した摩津理を追い掛けて来たネロだ。

 

「離して! ヒロコ叔母さんと日摩理を探さなきゃいけないの! 」

「落ち着け! お前一人じゃ無理だ! 」

 

恐慌状態の摩津理は、何時もの冷静さを完全に失っていた。

そんな少女に対し、ネロは何とか落ち着かせ様と、暴れるその身体を抑え付ける。

背後から、悪魔(デーモン)を全て始末した鋼牙と明が駆け付けて来た。

 

「ネロ、日下さんは大丈夫? 」

「ああ、何とかな。」

 

右手に大業物『備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)』を持つ、壬生・鋼牙が息を切らせながら、二人を交互に眺める。

そのすぐ傍らには、長い前髪をした”探偵部”の仲間、遠野・明が、最新型のアサルトライフルを手に立っていた。

 

「日下・・・・俺達は、八神の依頼で此処に来た。妹の日摩理は、命に代えても見つけ出すから、今は大人しくニコの車に戻ってくれ。」

「・・・・・・・。」

 

普段の明からは、考えられない優しい声。

摩津理は、言葉を失い、下に俯く。

と、何かを感じ取ったのか、急に顔を上げた。

振り返ったその顔が、ある一点を見つめ凍り付く。

 

「ひ、日摩理・・・・? 」

 

数店並ぶ飲食店のオープンテラス。

揺れる視線の先、彫像の如く固まる二つの亡骸。

 

「まさか・・・・そんな・・・・・。」

 

魔界樹により、全身の血を吸われ無惨に干からびた死体。

一つは成人した女性のモノだろうか?

一回り以上小さな死骸を護るかの様にして覆い被さっている。

その腕の中にいる小さな死骸。

枯れ枝の如く細い手首には、カラフルな色をしたミサンガが結ばれていた。

 

「嘘、嘘、嘘っ! こんなの嘘よ! 」

 

子供の死体を見て固まるネロから離れた摩津理が、叔母と妹だったモノへと近寄る。

腰が抜けたのか、力無くへたり込み、震える手で子供の手首に巻かれたミサンガに触れた。

ボロボロと崩れ落ちる少女の手。

両掌に乗ったミサンガを確認した瞬間、等々、摩津理の口から悲鳴とも鳴き声ともつかぬ叫び声が漏れた。

 

「日下さん! 」

 

地表を突き破り、幾本もの”クリフォトサップリング”と呼ばれる魔界樹の根が凶悪な姿を現す。

上手そうな少女を見つけ、その血を啜らんと鏃(やじり)の如く鋭い触手の先端で襲い掛かる。

 

モール内に轟き渡る数発の銃声。

鋼の牙に引き裂かれ、魔界樹の根が青紫の体液を辺りに飛び散らせる。

明が構えるアサルトライフルの銃口から、煙が出ていた。

魔界樹の根が、獲物である少女を貫くより早く、明がそれらを一本も漏らす事無く撃ち抜いたのだ。

 

「日下! 」

 

血の泡が地面から噴き出し、そこから次々と悪魔(デーモン)達が実体化していく。

それら悪魔の群れを機械仕掛けの大剣『クラウソラス』と『備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)』で薙ぎ払う、ネロと鋼牙の二人。

刹那、モール内にある露店を破壊し、巨大な触手が三本姿を現す。

 

「ちっ、ニーズヘッグか・・・・こんな奴まで現世に実体化するとはね。」

 

蹲る摩津理を、何とか抱き起そうとするネロを庇う様に、鋼牙が二人の前へと立つ。

ニーズヘッグとは、魔界樹”クリフォト”に寄生する妖虫の事だ。

知能はそれ程、高くないが、上級悪魔に匹敵するぐらいの戦闘能力を持ち、耐久力も高い。

 

「おでの餌場を荒らすのはオメェ達かぁ! 」

 

天井のガラス壁を破壊し、本体が鋼牙達の前へと降りて来る。

ゼリー状のブヨブヨとした身体に、鋭い棘が生えた両腕。

顔は目、鼻、口が無く、喋る度に、粘液を辺りに飛び散らせていた。

 

と、その醜悪な肉体に、弾丸の雨が突き刺さる。

クリフォトサップリングを全滅させた明が、アサルトライフルで狙い撃ちしたのだ。

着弾の衝撃で、ビルの壁面へと叩きつけられるニーズヘッグ。

弾丸を撃ち尽くした明が、アサルトライフルを肩に担ぎ、制服のポケットから、金色に輝く法具を取り出す。

 

「こいつは俺が始末する・・・・お前等は、日下を頼む。」

「分かった・・・・任せて。」

 

明の意図を読み取った鋼牙が応える。

鋼牙同様、ネロも何かを感じたのか、それ以上、何も言う事はしなかった。

泣きじゃくる摩津理を無理矢理立たせ、ニコのいるショッピングモール入口へと向かう。

 

怪物と対峙する明。

怨嗟の呻き声を上げながら、ニーズヘッグが三本の触手と共に起き上がる。

 

「こ・・・・この糞人間・・・・・ぐがぁっ! 」

 

ニーズヘッグの鳩尾辺りに深々と突き刺さる鬼の拳。

胃液を吐き散らすその顎に、再び鬼の鉄拳が突き上げる。

地響きを立て、再び地へと沈む寄生虫。

そんな無様な姿を、鬼へと転身した明が見下ろす。

 

「お前が喰った人間の数だけ、苦しんで死ね。」

 

紫色のバイザーの下から、明の冷たい双眸が炯々(けいけい)と光っていた。

 

 

 

東京都世田谷区上野毛にある五島美術館。

その前に数台の警察車両が停車していた。

 

「まさかついて行くつもりじゃないよね? 警部補。」

「はぁ? 俺ぁ、正義を守る警官様だぞ? 悪魔(デーモン)共をぶち倒すのは当たり前だろうが。」

 

ショットガンを両手に持ち、防護服で完全武装した百地・英雄警部補が、歯を剝きだして威嚇する。

 

「い、嫌・・・・別に悪いとかそうじゃなくって・・・・あのぉ・・・・。」

「アンタじゃ足手纏いだ。 仕事の邪魔だから引っ込んでてくれ。」

「ちょっと、旦那ぁ。」

 

すっかりやる気の百地警部補を、どう宥めすかして大人しくさせるか困り果てていた赤毛の忍- 猿飛・佐助の脇から、銀髪の魔狩人、ダンテが辛辣な言葉を浴びせた。

 

「警部補、私が彼等のサポートに入ります。」

 

それまで黙って、事の成り行きを見守っていた周防克哉警部が、両者の間に割って入る。

 

「はぁ? ざけるな! お前はアイツ等と一緒に生存者の身柄を保護しに行け。」

 

新人にしゃしゃり出られ、悪魔狩人としての矜持が大分傷つけられたらしい。

百地警部補は、防護服に身を包み、此方の様子を心配そうに見守っている部下達を指さす。

 

「お言葉ですが、私は特Aクラスの召喚術師で、階級は貴方より上です。現場の指揮権は私にあります。」

「ぐぬぬぬぬっ・・・・・!」

 

周防警部に痛い所を突き刺され、百地警部補は歯軋りして黙る。

 

「へぇ・・・・アンタ、悪魔召喚術師(デビルサマナー)だったのか。」

「・・・・・『特命係』に配属される前は、対悪魔特殊公安部隊にいました。その前は、防衛省で自衛官を・・・・・5年前のギザフで起こった悪魔によるパンデミックを覚えていますか? 」

「・・・・・? 覚えてるぜ、嫌な記憶だけどな。」

「私もそこにいました・・・・・貴方の事は良く覚えていますよ? ダンテ伍長殿。」

 

従軍時代の事を思い出し、秀麗な眉根を寄せる銀髪の大男に、周防警部は苦笑を浮かべる。

 

「魔導士(マーギア)としてギザフに派遣されたんです。その時、貴方に助けられました。」

 

5年前、”ソロモン12柱”の一人、堕天使・パイモンが起こした悪魔(デーモン)によるパンデミックに、周防警部は仲間数名と共に、現地に派遣されていた。

その時に、海兵隊の特殊部隊の一人だったダンテは、悪魔に襲われる克哉達を救ったのだ。

 

「悪いが、記憶にない。」

「ですよね・・・・助けた人間の顔なんて、一々覚えてはいないと思っていました。」

 

肩を竦めるダンテに対し、周防警部は、呆れた様子で苦笑を浮かべる。

 

周防の記憶の中にいるダンテは、身の丈以上もある大剣『リベリオン』を巧みに駆り、悪魔(デーモン)の群れを薙ぎ倒していく姿だけだった。

同じ部隊の衛生兵らしい人物に、怪我を負った同期の治療を任せ、自分は最前線へと颯爽(さっそう)に向かった。

 

機動隊の指揮を百地警部補に任せ、ダンテと佐助、そして『特命係』の刑事である周防警部が、美術館の敷地内へと入る。

館内は、すっかり異界化が進み、歴史ある美術品が収められている施設とは、到底思えない姿へと変貌していた。

魔界樹の根が、毛細血管の如く壁を敷き詰め、成人男性の胴体程の太さを持つ茎が、地面を突き破り、醜い姿を晒している。

その中を、三人は慎重に進んでいた。

 

「一つ気になるんだけど、何で周防警部殿は、『特命係』に移動したの? 言っちゃぁ悪いけど、あそこって不要な人材を切り捨てる『窓際部署』でしょ? 」

 

両手を頭の後ろに組んで歩く忍が、左隣にいる色眼鏡の若い警部に、当然とも取れる質問をぶつけた。

 

周防は、警察機構の中でも、エリート部隊と揶揄される特殊公安部隊出身だ。

いずれは、それなりの地位が約束される筈なのに、何故、警察の中でも『警視庁の陸の孤島』として白眼視される部署に態々、移動したのか不思議に思ったのである。

 

「勘違いされている様ですから説明しますが、”特命係”は、何処からの圧力を受ける事無く、自由に捜査出来る部署です。同じ警察官の中でも、貴方と同じ様に思っている連中が殆どですけどね。」

 

そもそも、『緊急対策特命係』が創設された理由は、通常では有り得ない事件・・・例えば、幽霊や悪魔(デーモン)等が起こす超常的な事件を解決する為である。

CSI(超常現象管轄局)が駘蕩(たいとう)する以前、今から30年以上も前に、警視庁に配属されたばかりの百地・英雄と矢来区で探偵業をする傍ら、『クズノハ』として悪魔討伐をしていた、13代目・葛葉キョウジの二人で警視庁公安部参事官だった早乙女・幸信(さおとめ・ゆきのぶ)を説き伏せて、魔導士や剣士からなる少数精鋭部隊を警視庁内で立ち上げた。

彼等の働きは目覚ましく、対悪魔特殊公安部隊の下地を作ったと言っても過言ではない。

早乙女参事官が退職した後も、『特命係』は存続し、現在に至るのである。

 

「へぇ・・・知らなかった。 あの百地警部補って凄い人なんだねぇ。」

「はい、あの人こそ本物の”警察官”ですよ。」

 

対悪魔特殊公安部隊は、警視庁の特殊部隊であるが、政府要人を悪魔の脅威から護る性質がある。

故に一般市民の要請に応じる事が決して無い為、それに腹を立てた百地警部補が、一度解体した『特命係』を上に無理を通して復活させ、たった一人で維持している。

早乙女参事官が退職し、後ろ盾を失っても尚、それでも市民の命を最優先に考え、身体を張っている百地警部補は、男の中の男と言えるだろう。

 

美術館本館を抜け、天裕庵門に差し掛かった時であった。

只ならぬ気配を感じ、一同に緊張が走る。

地面を突き破り、魔界樹の根が退路を完全に塞ぐ。

空間に魔法陣が幾つも形成され、中から甲冑を纏った騎士、プロトアンジェロを筆頭に従者のスクードアンジェロ数体が次々に地へと降り立った。

 

「随分と大歓迎してくれるじゃねぇかよ? おい。」

 

ダンテが、背負っている大剣『リベリオン』を引き抜き、構える。

 

「警部さん、覚悟出来てる? 」

「勿論です。」

 

得物である巨大卍手裏剣を構える佐助と、胸ポケットからスマホを取り出す周防警部。

液晶画面を操作し、悪魔召喚プログラムを起動する。

 

「力を貸してくれ太陽神・ヘリオス。」

 

周防警部の背後に黄金の魔法陣が描かれ、中から燃える様な深紅の鬣と黄金の鎧を纏う獅子が姿を現した。

オリュンポスの太陽神としてアポロンと双璧を成す神、ヘリオスだ。

 

「私は物理特化型です。 17代目の様な五大精霊魔法は使えませんが・・・・。」

 

巨大な盾を構え、周防警部へと肉迫するスクードアンジェロ。

袈裟懸けに斬り裂こうとする大剣を、左腕一本で難なく受け止める。

 

「肉弾戦なら誰にも負けません。」

 

人間如きに必殺の一撃をあっさりと止められ、慌てふためくスクードアンジェロの鳩尾に、拳を叩き込む。

粉々に粉砕される強固な鎧。

胴体を潰され、二つの肉塊と化したスクードアンジェロが、塵へと還る。

 

「ヒュー♪ やるねぇ、刑事さん。」

 

ヘリオスと一体化し、魔剣士の一体を撃破する周防警部の姿に、ダンテが思わず口笛を吹く。

 

「流石、特殊公安部隊出身だね。 俺様も負けてらんないよ。」

 

そう軽口を叩きながら、佐助がスクードアンジェロ達に踊り掛かった。

縦横無尽に走る巨大卍手裏剣。

魔剣士の両腕を斬り落とし、頭と胴体を切断する。

怒り狂った魔剣士の一体が、赤毛の忍へと斬り掛かるが、その刃が相手を捕らえる事は叶わなかった。

逆にカウンターの一撃が腹へと刺さり、後方へと吹き飛ばされる。

場内は、瞬く間に、血みどろの殺戮劇へと変わった。

 

 

「やっぱり即席で造った造魔じゃ足止めにもならんな? 」

 

そんな彼等の戦闘を眺める影が一つ。

漆黒のローブを纏い、フードを目深に被った人物は、崖の上からプロトアンジェロ率いる造魔軍団と死闘を演じるダンテ達を見下ろしていた。

 

あの造魔軍団は、昵懇(じっこん)にしているガイア教団の信徒から、土産代わりに渡された代物だ。

曰く、北の台地”フォルトゥナ公国”が、クリフォトの魔界樹を材料に造り出した人造の悪魔らしい。

人間と悪魔(デーモン)の生き血を糧とし、術師の命令を忠実に遂行するのだという。

 

(17代目の代理番と警視庁の刑事さんは一先ず置いとくとして、問題は摩虎羅だな。)

 

男の視線が、スクードアンジェロ数体を難なく撃破する猿飛・佐助へと向けられる。

舞い踊る様に戦うその姿に、一分の隙も無く、二対の巨大卍手裏剣を手足の如く操り、造魔兵を細切れの肉片へと変えていく。

体術だけを取るなら、十分、葛葉四家クラスの実力者だ。

おまけにあの忍は、神器『小鴉丸』を使用し、魔鎧化までする。

三人の中では、非常に厄介な相手だろう。

 

「悪いな? 佐助・・・・お前さんには、早々に退場して貰うぜ? 」

 

相手が本気を出す前に叩き潰す。

フードの男は、右手に日本刀を握り、崖から無造作に飛び降りた。

 

 

 

地響きを立て、地面へと無様に倒れる醜い肉塊。

クリフォトの魔界樹に寄生する妖虫・・・・ニーズヘッグだ。

その周りでは、頭を潰された分身達が、紫色の体液を噴き出し、地面に転がっていた。

 

「うぐぐぐぐっ・・・・・ぎゅぶっ! 」

 

呻き声を上げ、起き上がろうとするニーズヘッグの頭を何者かが踏みつける。

見ると紫を基調とした鎧を纏う、紅の鬼が、冷たく自分を見下ろしていた。

 

「お・・・・おめぇ・・・・人間じゃ・・・・。」

 

その後に続く言葉は、大型ハンドガン、MAXI8 アンリミテッドリボルバーHWの銃声が搔き消した。

柘榴(ざくろ)の如く、頭部を吹き飛ばされたニーズヘッグが、力無く地へと沈み、塵へと還る。

その姿を見届けた真紅の鬼は、MAXI8 アンリミテッドリボルバーHWを腰のホルスターへと納め、元の人間へと戻った。

 

 

二子玉川ライズオークモール駐車場。

移動式作業場である大型バンの後部座席で、女職人、ニコレット・ゴールドスタインに縋りついて啜り泣く日下・摩津理の姿があった。

その車外では、ネロと鋼牙の二人が、まんじりともしない表情で仲間である遠野・明の帰りを待つ。

 

摩津理に掛けてやる言葉が無かった。

最愛の妹と叔母は、クリフォトの魔界樹に襲われ、無残な姿へと変わったのだ。

落ちていく砂時計を戻す事が叶わない様に、死者を蘇らせる術は無い。

重苦しい沈黙が、一同の間へと流れる。

 

「明・・・・・・? 」

 

人の気配を感じた銀髪の少年、ネロが俯いていた顔を上げ、駐車場入り口へと顔を向ける。

薄暗い照明の灯りに浮かび上がる様にして、目元が隠れる程に長い前髪をした長身の少年が此方に向かって歩いて来た。

よく見ると、制服の袖口とズボンの裾に悪魔のモノと思われるドス黒い血痕が付着している。

摩津理の妹、日摩理とその叔母、そして店舗で働いていた従業員と客達を襲い、己の血肉へと変えた妖虫・ニーズヘッグとその配下である悪魔(デーモン)達のモノだろう。

たった一人で、広場にいた悪魔の群れを一匹残らず始末していたのだ。

 

「日下は? 」

「ニコ姐と一緒にいる・・・・この近くにシェルターがあるから、そこまで日下さんを連れて行こう。」

 

流石に、摩津理を五島美術館に連れて行く訳にはいかない。

モール付近にあるシェルターに彼女を預け、問題の美術館に向かうつもりだ。

明は、それだけ聞くと無言で二人の間を通り抜け、大型バンの中へと入る。

後部座席では、一頻(ひとしき)り泣いて落ち着いたのか、喪心(そうしん)状態の摩津理が俯いて座り、そんな彼女に熱いコーヒーを渡してやるニコの姿があった。

車両に乗り込んだ明が、俯くクラスメートの目の前に、何かを差し出す。

それは、変わり果てた姿となった歳の離れた摩津理の妹、日摩理が付けていたミサンガであった。

 

「・・・・・奴等に報いを受けさせてやる。 だから、お前はニコと一緒にシェルターで待っていてくれ。」

 

震える手でミサンガを受け取る摩津理にそれだけ伝えると、明は床に置かれているガンケースを作業台の上に置き、蓋を開いてマガジンを取り出し、背負っているアサルトライフルに装填。

制服の上着を脱ぎ捨て、ハンガーに掛けてあるタクティカルベストを装着すると、同じくケースから取り出した大型ハンドガンのマガジンを無造作に突っ込んでいく。

 

「明・・・・。」

「俺は先に行く・・・・アンタは、日下を連れてシェルターに向かってくれ。」

 

準備が粗方整った明は、背後にいるニコにそれだけ伝えると、作業台の脇に立てかけてあるアサルトライフルを担ぎ、移動式作業場である大型バンから降りた。

 

「まさか一人で行くつもりじゃ・・・・。」

「そのつもりだ。 日下とニコを頼む。」

 

バンから降りた明は、半ば強引に鋼牙の言葉を遮り、駐車場で横倒しになっている大型ネイキッドバイク、ホンダCB1300SFを起き上がらせた。

268kgという超重量級ではあるが、明は難なく車両を起こし、キーが付いている事を確認する。

車体に跨ぐと、黒い毛並みのハムスターを肩に乗せた銀髪の少年が無断で後部座席に乗り込んで来た。

 

「おい。」

「敵討ちしに行くんだろ? だったら一人より二人の方が効率的だぜ? 」

 

機械仕掛けの大剣『クラウソラス』を背に担いだ銀髪の少年は、シニカルな笑みを口元に浮かべる。

 

感情をあまり表に出さない明が、これ程、怒りを露わにする姿を見るのは初めてだった。

最初は、何を考えているのか分からない奴だと思っていた。

しかし、それは激し易い己の感情を抑え込んでいるだけで、実際は、誰よりも情に厚い男なのだろう。

普段、あまり面識が無い日下・摩津理の家族を不条理に奪った悪魔(デーモン)に対して、此方が怖気立つ程の憤怒を露わにした。

 

「そんじゃ、後は頼むぜ?”所長代理”。」

 

背後に控える黒縁眼鏡の少年に、気安く片手を上げ、明と共にパンデミックの発生源である五島美術館へと向かうネロ。

瞬く間に視界から消えていく、大型バイクの姿を、鋼牙は呆れた様子で腰に手を当てて眺めていた。

 

 

 

それは、あまりにも唐突過ぎる出来事であった。

異界化した五島美術館、敷地内。

歪に変形した天祐庵門前にて、見事な銀色の髪をした大男の身体が吹き飛ぶ。

地面から突き出た幾本もの魔界樹の根を薙ぎ倒し、血の池へと堕ちる。

 

「ダンテさん! 」

 

造魔兵・スクードアンジェロを粉砕した周防・克哉警部は、脇のガンホルスターから、ブローニング自動式拳銃を魔法の様な速さで抜き放つと、漆黒のローブを纏った正体不明の敵に向かって狙いを定めた。

 

パンデミックの発生源である稲荷丸古墳(いなまるこふん)に向かったダンテと猿飛・佐助、周防・克哉の三名だったが、その途中で、造魔兵軍団と交戦。

後少しで一掃出来ると思った矢先に、突如、何者かが乱入し、腕から衝撃波を発生させ、銀髪の魔狩人を吹き飛ばした。

 

相手が人間か悪魔かなど関係ない。

一つの躊躇いが即、死に繋がる。

特殊部隊に長年、籍を置いていた周防は、その経験から即座に発砲。

対悪魔用の弾丸が、敵の肉体を斬り裂くかに思われたが、弾丸が着弾する寸前でその姿が消失した。

気づくと、周防の斜め左へと移動し、右手に持った日本刀を鞘に収まった状態で、地面へと突き立てる。

忽(たちま)ち亀裂が走る台地。

台地が砕け、プロトアンジェロごと、地面の中へと呑み込まれる。

 

「うわぁあああああっ!! 」

 

鞘の一突きだけで、地表に大穴を開けたのだ。

底の見えない巨大な穴へと堕ちる周防。

フードを目深に被った乱入者が、卍手裏剣を構える赤毛の忍へと顔を向ける。

 

「噓でしょ? 特Aクラスを瞬殺ってアンタ・・・・。」

 

先程、ダンテを吹き飛ばした技は、身体を高速で震わせ、振動波を発生させる剣聖級の剣技だ。

又、同じ技を使用して、岩盤を砕き、大穴を開けてみせた。

あんな真似が出来るのは、佐助の記憶の中でも二人しか知らない。

 

漆黒のローブを纏う男が、右手に持った刀の鯉口を斬る。

突如、轟く銃声。

視認不可能な抜刀術で、己に迫る鋼の凶器を真っ二つに斬り裂く。

 

「だ・・・・旦那? 」

「勝手に殺すな・・・・糞猿。」

 

口の中に溜まった血を吐き出し、全身血塗れのダンテが血の池から立ち上がっていた。

二丁の大型ハンドガン”エボニー&アイボリー”を、両手をクロスさせる形で構えている。

 

咄嗟の出来事とはいえ、何とか致命傷だけは避けた。

アバラ骨の二、三本は持っていかれたが、戦えない訳じゃない。

 

「・・・・・。」

 

そんな悪魔狩人を無言で眺める、黒いローブの男。

ダンテと佐助が、それぞれ得物を構え、互いの間合いを詰める。

刹那、銀髪の大男の背後から水面を突き破って、何かが現れた。

巨大な顎を開き、目の前にいるダンテを咥えて、強引に深水(ふかみ)へと引きずり込む。

 

「旦那っ! 」

 

ダンテを血の池へと再び沈めたのは、ヤクママと呼ばれる妖獣であった。

全長50メートルを軽く超える巨大な蛇で、普段はアマゾン河と海を繋ぐ河口部でしか生息していない。

一体、何故、日本の・・・しかも異界化したこんな場所にいるのかは知らないが、動物の本能に従って、ダンテを獲物と判断し、襲い掛かったのだ。

 

成す術も無く、池の中へと引きずり込まれるダンテを助けに行こうと、佐助が向かうが、それをフードの男が邪魔をした。

行く手を阻む様に、立ち塞がり、鋭い眼光で赤毛の忍を睨み据える。

 

「何でこんな真似をするのさ? 13代目。 事と次第によっちゃぁ、只じゃ済まないよ? 」

「悪い・・・・俺の為に死んでくれ。」

 

腰に下げている封魔管を取り出し、筒を開ける佐助に、フードの男― 13代目・葛葉キョウジが冷たく言い放つ。

封魔管に封じられている神器『小烏丸』を開放する佐助。

忍の身体を光が包み、紺色を基調とした鎧を纏う騎士へと姿を変える。

 

ギィン!

 

金属同士がぶつかり合う橙色の火花が散る。

キョウジが繰り出す抜刀術を、佐助は得物である卍手裏剣で受け止めた。

 

「理由ぐらい教えろよ! 何で、こんな事をした! 」

 

いくら人並外れた戦闘技術と反射神経を持つとはいえ、相手は葛葉四家当主が一人だ。

一撃を受け止めるのが精一杯で、何時もの余裕は完全に失われている。

 

「・・・・・お前が、惚れた相手を裏切ったのと同じだ。」

「!? 」

 

予想外の言葉に、佐助が一瞬怯む。

その隙を逃さず、キョウジは日本刀で卍手裏剣の刃を跳ね上げると、人体の急所の一つである鳩尾に、重い一撃を打ち込んだ。

 

「ぐはっ!! 」

 

闘気術を十二分に乗せた一撃は、例え強固な鎧に身を固めても防ぎきれるモノではなかった。

まるで内臓をミキサーで掻き回された様な衝撃が、佐助の体内を突き抜け、口から血反吐を吐く。

くの字の形で身体が吹き飛び、数メートル転げ回って停止した。

再び、光が佐助の身体を包み、纏っていた鎧が強制解除される。

 

「がはっ・・・・ごふっ・・・・。」

 

胃液と血が混じった吐瀉物で地面を汚し、最早立ち上がる力すらない佐助。

あまりの激痛で霞む視界の中で、此方へと近づく漆黒のローブを纏う男の姿が映った。

 

「な・・・・何で・・・・? 」

「家族を救う為だ・・・・お前さんが、世界を護る為に、惚れた17代目を裏切ったのとは真逆だけどな? 」

「・・・・・・。」

 

言い返す言葉が見つからない。

全身を苛(さいな)む激痛も理由の一つであったが、13代目に自分が今迄隠し通していた本心をあっさりと暴かれ、容赦なく抉られた事が大きい。

 

銀色に光る刀の鋭い切っ先が、此方へと向けられる。

全てを諦め、佐助がゆっくりと瞼を閉じた。

と、その時、先程、ダンテを呑み込んだ血の池から大爆発が起きる。

驚く両者。

向けられた視線の先には、鋭利な姿をした真紅の魔人が、水面を突き破って現れた。

 




長くなりそうです。


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第18話 『 Ne‐α型 』★

登場兵器

Ne‐α型・・・・三島重工が、北アフリカの巨大軍需企業、Asa(アサ)と合同で開発したBOW(バイオニックオーガウェポン)。
T‐103型に寄生生物”ピスハンド”を寄生させ、機械的サポートを各所に施した。
脳電磁波で動かす”ビット”が数基と、特殊ワイヤーのスタンガン。
小型誘導ミサイルに、腕には内臓型のサブマシンガンを装備している。
脳は摘出され、代わりに小型チップが埋め込まれており、指揮者(コンダクター)の脳波を受信して稼働する。



東京都千代田区永田町、帝国会議議事堂。

左右対称のシンメトリーなこの建物の真下には、別世界が広がっている。

地下数千メートル。

人工知能『オモイカネ』によって、完全に管理された地下世界。

人類の英知が結集されたその場所に、『彼』はいた。

豪奢な日本庭園が一望出来る『釣殿』、その縁側に坐する長い黒髪の美丈夫は、煙管をくゆらせ、我が物顔で池の中を泳ぐ、極彩色の錦鯉を眺めていた。

 

「お前のお陰だよ? 佐助。 大事な人柱を失わずに済んだ。」

 

屋形の主、十二夜叉大将の長・骸は、釣殿と長い廊下の間、間仕切りと呼ばれる場所で頭を垂れる形で膝まづく赤毛の忍へと視線を向ける。

薄く笑む主に反し、赤毛の忍は、真っ青な顔をして俯いていた。

 

「ナナシもお前には、甘い所がある。 やはり、監視役として選んだのは正解だったな。」

「・・・・・あの・・・・17代目は・・・・・? 」

 

陶器で出来た灰吹きに吸殻をすてる主を、佐助が恐る恐る見上げる。

 

人類の護り手たる”人柱”を強奪し、組織を裏切ろうとしたのだ。

当然、只で済む筈が無い。

 

「そうだな。 そろそろ奴に対する仕置きも良いだろう。」

 

煙管を煙草盆に戻した骸が、二回程手を叩く。

すると跪(ひざまず)く佐助の傍らに、上品な灰色の背広を着る30代ぐらいの男が、何処からともなく現れた。

佐助と同じ”十二夜叉大将”に属する一人、宮毘羅大将だった。

縁なしの眼鏡を掛け、一見温厚そうに見えるが、その実、任務は忠実に遂行し、どんな残虐な行為を行っても、眉一つ動かさない冷酷な人物であった。

骸に対する忠誠心も厚く、箱根山にある『組織・クズノハ』所有の研究所の責任者を任されている。

 

「宮毘羅、摩虎羅をナナシの所に案内してやれ。」

「はっ。」

 

主に対し恭しく一礼し、無言で佐助について来いと促す。

 

途轍もなく嫌な予感がする。

佐助は、ぐっと唇を引き結ぶと、宮毘羅の後に従った。

 

 

 

二対の巨大な翼と、爬虫類を連想させる全身を覆う真紅の鱗。

その姿を一言で現わすならば、鋭角的な鎧を纏う悪魔の騎士であった。

水面から姿を現した魔人- ダンテと共に、ボタボタと肉塊が落ちて来る。

魔人化した衝撃で爆散した、巨大蛇・ヤクママの肉片であった。

 

怒りと屈辱で、黄金色に光る双眸が、フードを目深に被る男へと注がれる。

右手に握る大剣『リベリオン』を構え、裂帛(れっぱく)の気合の元、男-13代目・葛葉キョウジへと斬り掛かった。

それを迎え撃つキョウジ。

腰だめに刀を構え、次元を斬り裂く無数の斬撃、極意居合術、雲切之剣を放つ。

意表を突かれ、身の丈程もある大剣を盾代わりにするダンテ。

情け容赦無い斬撃は、肩や腕、両足や太腿を斬り裂き、鮮血が辺りに散った。

 

「ぐわぁあっ!! 」

 

衝撃波をまともに喰らい、ダンテが吹き飛ばされる。

地面へと叩きつけられ、衝撃で元の人間体へと戻った。

 

「野郎っ!! 」

 

相当な重傷であるにも関わらず、ダンテは持ち前のタフネスさで起き上がると、双子の巨銃”アイボリー”を構え、マシンガン並みの連続速射を行う。

迫り来る無数の鋼の凶器。

しかし、その牙が、キョウジの肉体を抉り取る事は無かった。

時速500マイル(時速約804Km)で跳ぶ鋼の弾丸を、全て空中で掴み取ってしまったのだ。

 

「なっ!!!? 」

 

あまりの出来事に、驚愕で双眸を見開くダンテ。

そんな魔狩人に対し、キョウジは煙を上げている右拳をゆっくりと開き、掴んだ弾丸を地面に落とす。

そして、最後に残った鋼の牙を、指で弾き跳ばした。

殆ど条件反射で、真横へと逃れる銀髪の大男。

先程までいた地面へと、弾き飛ばした弾丸が着弾。

台地が大きく抉れ、その衝撃波が、ダンテを襲う。

 

「うおぉお!? 」

 

思わず悲鳴を上げ、ダンテが地面に転がる。

キョウジは、闘気術を使い、”アイボリー”から吐き出された鋼の牙を空中で全て掴み取り、挙句、指でその一つを弾き跳ばしたのだ。

闘気を十二分に乗せられた弾丸は、砲弾並みの威力に増し、地面へと着弾。

地を大きく削り、巨大なクレーターを造る。

 

「・・・・・。」

 

これで一応の足止めにはなった。

そう判断した男は、爆風の煙に紛れ、何処ともなく姿を消す。

土煙が漸く晴れ、銀髪の魔狩人が顔を上げる頃には、襲撃者の姿は何処にも見当たらなかった。

 

 

東京都世田谷区上野毛、五島美術館から少し離れた一般駐車場。

そこに三島重工所有の最新型装甲車が停車した。

対悪魔用の装甲が施された扉が開き、中からグレーのダウンジャケットと黒のスウェット、薄い青のトレーナーにスニーカーという軽装をした狭間・偉出夫が地面に降り立った。

背伸びをし、すっかり異界化した世田谷の街を見回す。

 

「軽率な行動は控えて下さい。魔神皇様。」

 

憮然とした表情で、化学教師の大月・清彦が装甲車から降りる。

 

周囲の状況をロクに確認もせず、外へと出た偉出夫を責めているのだ。

 

「大丈夫だよ。彼等は此方がちょっかい掛けなければ、何もしないよ? 」

 

邪気が全くない笑顔を、渋い顔をしている数学教師へと向ける。

 

確かに、偉出夫が言う通り、悪魔(デーモン)の中にも大変臆病な種族はいる。

しかし、外道や幽鬼、邪鬼と言った、人間を餌としかみなさない連中は違う。

彼等は常に飢えており、マグネタイトを求め行動しているのだ。

人間という上質な餌を見つければ、有無を言わさず襲い掛かる。

 

自由奔放な主に、呆れた様子で肩を竦める化学教師の後に、横内・健太が続く。

元自衛官という事もあり、ネイビーのトレンチコートの下からでも分かる程に、鍛え上げられた体躯をしていた。

最後に、装甲車から降りたのは、異形の姿をした怪物。

笠の様な被り物をしており、黒い布で口元を覆い、闇色のコートを着ている。

体長は優に2メートルを軽く超え、顔には横一文字、橙色の光を放つ一つ目が布の隙間から見えた。

 

「シンジ・・・・・。」

 

装甲車の拡声器から、実母であるルドルフ博士の声が流れる。

背後にある要塞の如く強固な装甲車へと、振り返る漆黒の巨人。

布の隙間から見える橙色の光が、冷たく装甲車の中にいる妙齢な女科学者へと向けられる。

 

「いくら最新型とはいえ、Ne(ネメシス)細胞は不安定よ。無理はしないで。」

「ハッ、うるせぇよ・・・婆ぁ。」

 

装甲車の中にいる母親に向かって、中指を突き立てる。

そこに親子の情はまるで無く、完全に主人とそれに従う従者という、ある種歪な形をした関係が出来上がっていた。

 

「本当に彼等は親子なんですかね? 」

 

元自衛官は、此方に向かって歩いて来る漆黒の巨人を眺めつつ、ぽつりと小さく呟く。

 

「そうだよ。 美しい親子関係とはとても言い難いけどね。」

 

そんな横内に対し、偉出夫は大袈裟に肩を竦めた。

 

テレジアは、息子の慎二に対し、愛情はあるだろう。

しかし、その愛は、芸術家が己の生み出した”作品”に対する愛着心と非常に似ており、親が子に向けるモノとは明らかに違う。

一方、慎二ことチャーリーは、母・テレジアの心を見抜いており、彼女が自分を愛してはいない事を痛い程自覚している。

ならば何故、そんな母親に素直に従っているのかというと、『生きる』為だ。

小児癌を患い、余命幾ばくも無いチャーリーを救ったのは、全身義体化手術だった。

義体化手術を行ったのは、実母であるテレジア自身であり、息子を生かすも殺すも彼女の意志次第だった。

チャーリーの望みとはいえ、脳強化手術を快く引き受けたのは母であり、息子にBOWの研究開発を手伝わせているのも母親のテレジアだ。

 

「もしかして、チャーリーに同情してる? 」

「いえ・・・・僕も同じ様な家庭環境でしたから・・・・。」

 

横内は、左手で自身の右肩に刻まれた番号を触れる。

親の愛情を知らず、養護施設で成人するまで育ち、自衛隊に入隊した。

入隊後は、周りから認められる人間になる為、がむしゃらに働いた。

そのかいあって、除隊後は警視庁に配属され、それなりのポストにつけた。

最初のうちは、確かに幸せだった。

あの事件が起きるまでは。

 

 

五島美術館、天祐庵門前。

 

襲撃者の姿が完全に消えたのを確認すると、ダンテは力無く横たわる佐助の下へと急いで向かった。

医療の知識が無い素人が見ても、佐助がかなり酷い状態である事が分かる。

手で触れると、肋骨が数本拉(ひしゃ)げ、内臓にかなりのダメージを負っていた。

 

「待ってろ、今、回復魔法で楽にしてやる。」

「え? 旦那って医療系の魔法が使えるの? 」

 

佐助もダンテが取得している役職の種類は、把握している。

確か、白魔法(ホワイトマジック)も取得していた筈だが、今迄、それ系統の魔法を使った所を見た事がない。

 

「一応な、従軍時代に一通りの回復系魔法は覚えた。」

 

苦し気に呼吸を繰り返す忍を仰向けの姿勢にさせると、ダンテはダメージを負った箇所に手を翳(かざ)す。

口内で短く呪文を詠唱すると、翳した掌(てのひら)から淡い光が灯った。

途端、佐助の下腹部辺りから血が噴き出す。

 

「ぎゃぁっ! 血、血、血がぁああああああああっ!! 」

「あ、やべ。 呪文間違えた。」

 

慌てふためく赤毛の忍を力で抑えつけ、もう一度、違う呪文を詠唱する。

今度は、ベキベキと肋骨が折れる音。

佐助が、ガラスを引っ掻く様な悲鳴を上げる。

 

「もういいよぉ! 俺様、殺されちゃうよぉ!! 」

「あ、馬鹿! 暴れるんじゃねぇ! 」

 

これ以上、この男に任せていたら、確実に息の根を止められる。

生物の防衛本能に従い、瀕死状態である筈の佐助が、滂沱と涙を流して暴れた。

それを抑えつけ、何とか呪文を詠唱しようとするダンテ。

そんな彼等の頭上から、呆れかえった声が掛けられた。

 

「大の男が二人で、一体何をしているのだ? 」

 

妙齢な女性の声。

二人が其方に視線を向けると、額から血を流している色眼鏡の刑事に肩を貸す長い黒髪の美女が立っていた。

 

女- 鶴姫は、大分軽蔑した眼差しで、地面の上で下らないコントを繰り広げている二人の男を見下ろしている。

 

「おっ、お袋さぁあああああんっ! 」

 

ダンテの下から這い出した佐助が、大胆に胸倉が開いた着流しと腰に七星剣を帯刀している黒髪の女性に抱き着く。

 

「た、助けてぇ! このブタゴリラが俺様を虐めるんだよぉ!」

「はぁ? てめぇ! 誰がブタゴリラなんだぁ!? 」

 

重傷の割には意外と元気だ。

鶴姫は、自分の腰に縋りつく赤毛の忍に、溜息を一つ零すと、肩を貸してやっている色眼鏡の刑事へと視線を向けた。

 

「一人で立てるか? 」

「ええ・・・・何とか。」

 

額から血を流す刑事は、苦しい息の中、何とか女の質問に応える。

良く見ると、額だけではなく、下腹部からも夥(おびただ)しい血を流していた。

赤いシャツとグレーのスラックスが、血でぐっしょりと濡れている。

先程、13代目・葛葉キョウジから崖下へと落とされた時に、共に落ちたプロトアンジェロに負わされた傷であった。

何とか倒す事は出来たが、出血が思いの他酷く、その場で倒れ伏してしまった。

そこを、通りがかった鶴姫に助けられたのだ。

 

「アンタ一体何者だ? ”クズノハ”の人間か? 」

 

色眼鏡の刑事を降ろし、未だ腰に縋りついている赤毛の忍を少々強引に引き剥がす黒髪の美女を、ダンテは胡乱気に眺めた。

 

「フン、姿形が変わっただけで、もう私が誰か分からんのか。」

 

天祐庵門の大きな柱へと忍を寝かせ、傍らへと跪いた長い黒髪の美女は、傷の具合を調べながら、濃淡色の双眸を、両腕を組んで此方を見下ろしている銀髪の魔狩人へと向けた。

 

「・・・・・っ! もしかして、ワン公か? 」

「ケルベロスだ・・・・今は、16代目・葛葉ライドウの本番、鶴姫だけどな。」

 

ダメージが酷い箇所へと、上位回復魔法『ディアラハン』を唱えながら、鶴姫は改めて訂正する。

 

鶴姫曰く、彼女は十二夜叉大将が長、骸からある呪いを受けていた。

新月期から下弦の月の僅かな期間しか、人間の姿へと戻れないのだ。

それ以降、魔獣の姿でいる時は、葛葉一族の墓守兼17代目・葛葉ライドウのお目付け役兼指南役を任されている。

 

「ち、キョウジの奴め。内丹術に必要な臓器を念入りに壊していきおった。私ではこれ以上治せん。医術士(ドクター)でなければ無理だ。」

 

取り合えず、応急措置は出来たものの、闘気術に必要不可欠な臓器が使い物にならないままだ。

医術士(ドクター)の役職を持つ者なら、佐助を治療出来るだろうが、生憎この場では、その資格を持つ者がいない。

 

「え? それじゃ俺様、此処でリタイアなの? やったぁ! ラッキー! 」

「・・・・・。」

 

戦場から逸早く離脱出来る事を素直に喜ぶ忍に対し、その場にいる一同の視線は限りなく冷たい。

 

「アンタは大丈夫なのか? 刑事さん。」

 

アホな忍を一旦放置し、ダンテは大門の柱に背を預ける色眼鏡の刑事に視線を向ける。

大分、血を失ったのか、顔色は紙の様に白く、苦し気に呼吸を何度も繰り返していた。

 

「ええ・・・・傷口は再生しましたが、血を流し過ぎたのか、貧血で辛いですね。」

 

苦笑いを口元へと浮かべ、周防刑事は赤いシャツを捲って、ダンテに傷口を見せる。

若い刑事が言う通り、プロトアンジェロの持つ大剣で貫かれた傷口は、綺麗に塞がり跡形も無かった。

 

「・・・・・まさか、アンタも・・・・・。」

「貴方が考えている通りですよ。 ”私も人が造り出した人間”です。」

 

ウェストポーチから、魔石を取り出した周防刑事が、口の中へと放り込む。

すぐに造血作用が起こり、吐き気がする程の貧血は、大分緩和された。

 

 

五島美術館、本館前駐車場。

 

地面から次々に這い出して来る夜魔・エンプーサと妖獣・ライアットの群れを、警視庁機動隊の面々が、命がけで応戦していた。

銃剣使い(ベヨネッタ)の操る重機関銃が火を噴き、黒魔術師(ブラックマジシャン)達が、魔法を詠唱して氷や炎の槍で悪魔達を薙ぎ払う。

しかし、所詮は実戦経験に乏しい、即席の兵隊達だ。

物量の前に押し流され、仲間達が次々と倒されていく。

 

「糞っ! 本部からの増援部隊は何をしていやがるんだ! 」

 

ショットガンで、夜魔・エンプーサの頭部を吹き飛ばした百地警部補が、次第に後退を余儀なくされる部隊の面々を横目で眺めながら舌打ちする。

このままでは、百地含め、警視庁の特殊機動隊が全滅すると思われた刹那、凄まじいバイクのエキゾースト音が、周囲に轟いた。

悪魔の群れを次々と薙ぎ払い、巨大な黒い影が、苦戦する機動隊の眼前へと躍り出る。

六連装大口径リボルバー、”ブルーローズ”から鉛の牙が吐き出され、幽鬼・ヘルカイナの頭蓋を叩き割った。

大型ネイキッドバイク、ホンダCB1300SFの前輪が、両手に巨大な鉈を持つ邪鬼・ヘルアンテノラの身体を圧し潰し、大きな車体が地へと降り立つ。

 

「お、お前は確か”葛葉探偵事務所”の・・・・。」

「通りすがりの調査員だ。」

 

百地警部補の言葉を無感情な声が遮り、アサルトライフルの銃口が火を噴いた。

対悪魔用特殊弾が、悪魔の群れを次々と蹂躙し、物言わぬ肉塊へと変えていく。

時間にして数分の殺戮劇。

ジェット推進器付きの起動大剣『クラウソラス』が、悪魔を撫で斬りにしていき、二丁の巨大ハンドガンが、舞い踊る様に敵を屠(ほふ)る。

悪魔の軍団は、突如現れた少年二人組に成す術も無く、倒されていき、死屍累々と死骸の山を築いていた。

 

「これだけ数を減らしゃ、アンタ等でもどうにかなるだろ? 」

 

僅か数体を残し、悪魔の群れはほぼ全滅。

恐慌状態で逃げ惑う悪魔達を、特殊機動隊の隊員達が始末する姿を眺め、長い前髪の少年- 遠野明が両手に持った二丁のハンドガンを腰のホルスターへと戻す。

 

「この糞餓鬼共が・・・・余計な真似しやがって。」

 

大型バイクに跨(またが)る長身の少年に、百地警部補は、忌々し気に舌打ちした。

 

「その糞餓鬼のお陰で助かったんだろ? ちったぁ感謝しろよ? 」

 

機動大剣『クラウソラス』を肩に担いだ銀髪の少年・ネロが、苦虫を噛み潰した様な渋い表情で、明を睨み付ける警部補の脇を通り過ぎる。

再び後部座席へと乗り込み、五島美術館へと入ろうとする二人の少年を、壮年の刑事が慌てて止めた。

 

「お、おい! この先は危険だ! 警視庁から特殊公安部隊の連中が来るまで・・・・っ! 」

 

その先の言葉は、獣の唸り声の様なエキゾースト音で掻き消された。

馬の嘶(いなな)きの如く、一度前輪を浮かせてウィリー状態にすると大型バイクは、凄まじいスピードで、魔の森と化した五島美術館の中へと消えていく。

 

「この、糞餓鬼共がぁ!! 」

 

彼等を止める術を持たない百地警部補の遠吠えだけが、周囲へと虚しく響いた。

 

 

「何故ついてきた? 」

 

美術館を突っ切り、春山壮門へと向かう道すがら、明は今迄溜めていた疑問を後部座席に座るネロへとぶつけた。

 

「は? 別に良いだろ? ニコから貰った”デビルブレイカー(コイツ)”を試してみたいだけだよ。」

 

後部座席に座るネロは、右腕の機械仕掛けの義手を閉じたり開いたりしてみせる。

ネロが装備している義手-”オーバーチェア”は、数千万ボルトの電撃を周囲へと発する能力を持つ対悪魔用の武器だ。

ニコの師、トロルが持って来たガントレットを基に製作されており、使用者の精神力で、攻撃力が増大する特殊な仕組みになっている。

 

「臍曲りめ、子供の死体を見て義憤に駆られたと素直に言ったらどうなんだ? 」

「煩せぇな、お前は黙ってろ! 」

 

ネロの右肩にしがみつく黒い毛並みのハムスターが、大分、冷めた表情で己の主を眺めた。

 

クラスメートである日下・摩津理の妹、日摩理の死に対し、怒りを覚えたのは何も明だけではない。

ネロも、年端もいかぬ少女が、理不尽に命を奪われた事に対し、明と同じ感情を抱いたのだ。

 

「此処から先は、悪魔のスキルが段違いに上がって来る。 お前をカバーしてやれる程、俺は器用じゃない。」

「へっ、安心しろ。自分の事は自分で何とかするからよ。」

 

そうお互い軽口を叩き合っている時であった。

突如、彼等の頭上から何かが降って来る。

まるで大砲の弾が落ちて来たかの様な爆発音と衝撃に、明は大型バイクのハンドルを切り、急停車した。

濛々(もうもう)と立ち上る黒い煙。

ユラリと揺らめく巨大な影が、二人の傍へと近づいて来る。

 

「言ってる傍から、敵さんのご登場か? 」

「気を付けろ? 小僧。 とてつもない魔力を感じるぞ。」

 

皮肉な笑みを口元へと浮かべ、ネロが大型バイクの後部座席から降りる。

余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な主に反し、肩に乗る黒い毛並みのハムスター・炎の神・シウテクトリは、早くも臨戦態勢に入っていた。

 

煙の壁を通り抜け、ネロと明の前に現れたのは、漆黒のマントと巨大な傘を被る巨人であった。

横一文字に光る真紅のバイザーが、二人を不気味に照らす。

 

 

 

五島美術館、庭園、大日如来像前。

異界化が進み、魔界樹”クリフォト”が生い茂る森の中に三人の人影があった。

稲荷丸古墳の最下層に眠る”あるモノ”を狙って庭園に侵入した狭間達『魔神皇』一派であった。

 

「ち、黒井の奴、勝手な真似を・・・・。」

 

横内・健太が何処かへと消えた巨人に対し、忌々し気に舌打ちした。

 

「放っておけよ。 新しい玩具を手に入れてはしゃいでんだよ。」

 

幾何学模様のマスクを被った大月・清彦が、そんな横内に対して呆れた様に肩を竦めた。

 

つい先程まで、彼等は異界の森と化した五島美術館の広い庭園で、悪魔を排除しつつ稲荷丸古墳(いなまるこふん)を目指していた。

異界化に伴い、地形は大分歪み、普段は軽い散策程度で済む道程(みちのり)が、恐ろしい程、広大な魔の森へと変貌している。

それでも、順調に古墳へと近づく彼等、一行にある異変が起きた。

Ne‐α型の外装を纏う黒井・慎二が、二つの強い気を感知したのだ。

外装に内臓されているビットを飛ばし、気の正体を探る。

チャーリーの予想通り、二つの気の正体は、明とネロであった。

 

「明・・・・・。」

 

大型バイクに跨る長い前髪の少年をビットが送る振動伝播で知ったチャーリーは、小さく呟く。

矢来区地下水道で、散々煽られた怒りが腹腔内を満たすのが分かった。

特殊繊維で編まれたワイヤーを射出し、明達がいる春山荘門へと向かう。

突然の暴挙に、横内達は止める間すらもなかった。

 

「流石、新型、大した機動力だね? 」

 

何が一体楽しいのか、偉出夫は口元に邪気の無い子供の様な笑みを浮かべていた。

 

「彼を放置して大丈夫でしょうか? 」

「大月先生・・・・おっと、”今はヴィランさん”だったかな? の言う通りにしておこう。俺達の組織は自由行動がモットーだからね? 」

「そうそう、規律なんざぁ糞喰らえ・・・だぜ? 横内一尉殿。」

 

かつて所属していた自衛隊の階級で呼ばれ、横内の表情が鋭くなった。

 

「僕はもう自衛官じゃない。 その呼び名は止めてくれ。」

「ハハッ、そいつはぁ、悪かった。」

 

不快感を隠しもせず、此方を睨みつけて来る青年に、覆面の男はからかう様に笑った。

 

「そうだ・・・・ペイルライダーだけが自由行動ってのもおかしいよね? 丁度良いから此処で別々に分かれるってのはどうだろう。 」

 

狭間偉出夫曰く、周囲の悪魔を狩ってMAGを集めるも良し、瘴気によって生み出された薬草や、鉱物を回収するも良し、又、当初の目的通り、稲荷丸古墳(いなまるこふん)に向かうのも個人の好みで決めるという、とんでもない提案を出して来た。

 

「古墳の最下層に行って”賢者の石”を回収するんじゃないんですか? 」

「それは俺がやる。 君も無理に付き合う必要は無いんだよ? 」

 

まるで、全てを見透かす様な深紫(こきむらさき)の瞳を向けられ、横内はそれ以上何も言えなくなる。

ヴィランの言う通り、”魔神皇”という組織は、何者にも縛られず、個人が好きな事を好きなだけするという、一組織では有り得ない戒律がある。

組織の長である偉出夫が、『ちょっと手伝って欲しい。』という指示があれば、それに従わざる負えないが、今回の件はそれがない。

稲荷丸古墳の最下層にある”賢者の石”強奪も、パトロンである三島重工から装甲車等の資材を借りる為の建前であり、本音は、『ただ面白そうな事が世田谷区で起きているから見に行きたい。』というのが理由であった。

 

「全く、相変わらずいい加減だな? 良く三島の爺さんを納得させられたもんだぜ? 」

 

そんなリーダーの提案に、ヴィランは呆れた様子で肩を竦めた。

三島の爺さんとは、当然、三島重工の会長、三島・喜作の事である。

日本を代表するH・E・C(Human electronics company )と双璧を成す巨大軍需企業であり、典型的な戦争成金だ。

薬品製造等にも、深く根を張り、BOW(バイオニックオーガウェポン)開発等にも率先して取り組んでいる。

その会長である喜作は、偉出夫を神の如く崇め、自身の右腕である松坂を通して、色々と手を貸していた。

1年前に起こった”フォルトゥナ侵攻戦”でも、資金面で偉出夫に尽くしている。

そのお陰で、”ゼブラ開発”という金の卵を産む鶏を手に入れる事が出来たが。

 

「喜作君は、お金があり過ぎて使い道が分からないらしい。 まぁ、有体な言葉を使うと金持ちの道楽だよ。」

「金持ちの道楽・・・・・ねぇ。」

 

自分より遥かに人生の先輩である筈なのに、偉出夫はクライアントを態と下の名前で呼ぶ。

要は、三島会長を心底馬鹿にしているのだが、当の本人は、それを知りつつも尚、偉出夫を崇拝する事を止めない。

逆に見下されれば見下される程、三島は喜びを感じるのだ。

 

「おい、何処に行くんだ? 兄ちゃん。」

 

そんな二人のやり取りを他所に、天祐庵門方面へと向かおうとする元自衛官の背に、覆面男が胡乱気な声を掛けた。

 

「自由行動なんでしょ? なら、僕は僕の好きな様に動く。」

 

横内は、着ているジャケットのポケットから銀色に光る封魔管を取り出すと、その封印を解く。

すると、天から雷の柱が横内の身体を貫き、周囲を光の渦が包んだ。

光が晴れると、そこには真紅のマントを纏った巨漢の騎士が立っている。

肩に大剣を担いだ騎士- レッドライダーは、雷鳴を轟かせるとヴィランと偉出夫の目の前から忽然(こつぜん)と消えた。

 

 

 

 

佐助が、同胞である”十二夜叉大将”が一人、宮毘羅の案内で地下の座敷牢へと案内されると、そのあまりな光景に一瞬息を呑んだ。

両手を鉄の枷で、背後に一纏めにされた黒髪の少年が、胡坐をかいた巨漢の大男の膝に乗せられ、秘所に太い肉の杭を打ち込まれていた。

 

「じゅ、17代目っ!! 」

 

意識は朦朧としているのか、右耳から血を流す傷だらけの少年- 17代目・葛葉ライドウは、力無く身体を上下に揺さぶられている。

その姿を目にした佐助は、怒りの形相も露わに、格子戸へと一歩踏み出す。

しかし、背後に控えた宮毘羅に肩を掴まれ、無理矢理押し止められた。

 

「離せよ! 」

「おやおや・・・・こうなるのは、分かっていたんじゃないんですか? 摩虎羅殿。」

 

飄々とした態度からは想像も出来ない形相に、宮毘羅は呆れた様子で肩を竦める。

 

17代目・葛葉ライドウが、箱根山にある隔離施設から『人柱』を強奪する計画を、組織”クズノハ”の暗部である”八咫烏”に密告したのは、誰あろう佐助本人である。

人類に対する明確な”裏切り”行為が、どんな形で本人に跳ね返るかなど、口で言わずとも分かる筈であった。

 

「まぁ、これ以上、貴方の傷口を抉るのは無粋ですね? 招住羅、いい加減、17代目を離してあげなさい。」

 

佐助を抑えていた30代半ばぐらいのスーツと眼鏡の男が、ライドウを弄んでいる大男へと声を掛ける。

大男- ”十二夜叉大将”が一人、招住羅は胡乱気な視線を格子戸の向こう側にいる二人の男へと向けた。

 

「ちっ、折角、良い所だったのによ。」

 

小山の如く巨漢な体躯をしている男は、忌々し気に舌打ちすると、半ば意識を失い、項垂れているライドウの顔を上げさせ、その唇を貪った。

佐助に見せつける様に、暫く悪魔使いの口内を堪能した招住羅は、唇を離し、凌辱の跡も生々しい、華奢な肢体を畳みへと投げ出す。

はだけていた着物を直し、立ち上がるその姿は、優に2メートルを遥かに超え、狭い座敷牢の天井に頭が届きそうであった。

 

「殺してしまったか? 」

「馬鹿言え、ちゃんと手加減してるよ。」

 

ライドウを跨ぎ、格子戸を開けて宮毘羅達がいる通路へと出た招住羅が、皮肉な笑みを口元へと浮かべて応えた。

そして、怒りで震える佐助を一瞥すると、そのまま無言で、通路の奥へと消えていった。

 

 

 

「佐助・・・・・おい、佐助! しっかりせぬか! 」

 

”お袋さん”の声に、赤毛の忍は漸く意識を現実へと引き戻す。

気が付くと、自分はモデル並みに均整が取れた長い黒髪の女性に背負われ、魔界と化した五島美術館の庭園を高速移動していた。

 

「もう少しで、あの刑事が連れて来た機動隊の所に着く。それまで勝手に死ぬんじゃないぞ? 」

「や、嫌だなぁもう・・・・縁起でも無い事言わないでよ? 」

 

黒髪の美女- 鶴姫の言葉に、佐助は苦笑いを浮かべた。

 

どうやら、自分は予想以上に酷い状態らしい。

傷の痛みからか、暫く意識を失っていた様であった。

過去の愚行を思い出すとは、何とも嫌な夢である。

 

 

天祐庵門前での死闘後、謎の襲撃者- 葛葉キョウジに瀕死の重傷を負わされた佐助は、鶴姫の応急処置を受けた。

しかし、内丹田に必要な臓器を壊されており、専門職である医師(ドクター)以外治療が出来ない。

周防警部が所属する特殊機動隊には、専門職である医師(ドクター)が何名かいる。

彼等がいるのは五島美術館前なので、一旦、ダンテ達とは別れ、鶴姫は負傷した佐助を背負って、一路、特殊機動隊がいる美術館駐車場へ向かう事となった。

 

 

「ははっ、それにしてもこうやってお袋さんにおんぶされてると子供の時を想い出すねぇ。」

 

鶴姫から漂う懐かしい柑橘系の香り。

その甘い匂いを嗅ぎながら、佐助は遠い過去の出来事を想い出す。

幼い頃、訓練が余りにもキツ過ぎて、修練場から逃げ出した事が幾度かあった。

大社跡地で啜り泣く自分を、何時も迎えに来てくれたのが鶴姫だった。

 

「あの頃は、17代目が滅茶苦茶怖くってさぁ・・・・訓練の時は、いっつも逃げ回っていた。」

「・・・・・・・。」

「社に隠れている俺をお袋さんが見つけては、おんぶして”葛城の里”まで帰ったっけ。」

「・・・・・過去を悔いているのか? 」

 

佐助の独白を黙って聞いていた女剣士が、ポツリと呟く。

 

「お前は与えられた役目を、只遂行しただけだ・・・・何も間違ってはいない。」

「・・・・・。」

 

佐助が何を想い悩み、何を後悔しているのかなんて、手に取る様に分かる。

4年前、17代目・葛葉ライドウが、”人柱”として選ばれた愛娘、ハルを救う為に、彼女が収容されている箱根山の研究施設に潜入した。

途中までは、何の障害も無く、無事に救出出来たが、それは骸が仕組んだ罠だった。

監視役として、常に傍にいた佐助が、己の主である骸に密告していたのだ。

当然、計画は失敗。

ライドウは、柱強奪に手を貸した息子共々捉えられ、苛烈極まる拷問を受けた。

 

「あの馬鹿者だって、自分のしでかした事を十二分に理解している。 その証拠にお前に対して、何も言ってきてはいないだろ? 」

「うん、何時もと変わらない・・・・優しくって怖い17代目だよ。」

 

ライドウは、何も言わない。

あれだけ酷い目に合わされながらも、何一つとして佐助を責める言葉を浴びせる事はしなかった。

自分の有能な片腕として、接してくれる。

それが、佐助には辛くて堪らない。

 

あの日、同じ”十二夜叉大将”の一人である招住羅大将とその配下達に、凌辱の限りを尽くされたライドウは、力無く座敷牢の床に倒れていた。

そんな彼の姿に、あろう事か、自分は欲情した。

あられもない17代目の姿に、自慰行為をした。

欲を吐き出し、汚液で汚れる自分の手を見た瞬間、吐き気を催(もよお)した。

 

「俺ってば最低・・・・。」

「・・・・・。」

「何回生まれ変わっても、同じ事を繰り返している・・・・守りたいのに・・・。」

「独眼竜政宗の事か・・・・・もういい加減、過去に囚われるのは止めろ。今を見据えて生きろ。」

「分かってるよ。」

 

天高く舞い上がる美しい蒼き龍。

しかし、その龍を地へと堕とし、泥に塗(まみ)れさせたのは、他ならぬ己自身だ。

過去の愚行を想い出し、佐助は唇を切れる程、噛み締めた。

 

 

Ne‐α型が被るマスクの紅いバイザーの光が、不気味に二人の少年を照らす。

まるでキノコの様に張り出した傘を被り、漆黒のマントと、その下から覗く強化外骨格のスーツ。

関節部から蒸気を吐き出し、エンジンの駆動音が微かに聞こえる。

 

「またスゲェのが出て来たな? 何なんだ? コイツ。」

「俺の知り合いだ。」

「はぁ? 」

 

右隣にいる明の言葉に、銀髪の少年、ネロは訝し気な視線を向ける。

すると機械仕掛けの怪物から、くぐもった笑い声が聞こえて来た。

 

「よぉ、矢来地下水道以来だよなぁ、元気にしてたかぁ? 」

 

10代後半辺りと思われる、同年代の声。

間違いない。

狭間偉出夫の配下である、チャーリーこと黒井・慎二だ。

 

高らかに笑うチャーリーに対し、明は数個の手榴弾を投擲する事で返事を返した。

凄まじい爆音と火炎。

明がネロの腕を掴み、魔界樹の茂みへと引きずり込む。

 

「いきなり何すっ・・・・!? 」

「お前は後衛役だ。 俺が奴に突っ込むから、その鼠と一緒にサポートに回れ。」

「はぁ? 」

 

ネロが不満を口にする前に、明は手に持っていたアサルトライフルを押し付ける。

そして、法具を右手に握り、未だ火柱を上げている巨人に向かって、無謀にも駆けだした。

 

「明っ!! 」

 

呼び止める暇すら無い。

法具の力で真紅の鬼へと転身する明に、ネロは忌々し気に舌打ちした。

 

「糞っ! 勝手に決めやがって!! 」

 

押し付けられたアサルトライフルを構え、ネロが機械仕掛けの巨人に向かって引き金を引く。

しかし、何処からともなく飛来して来た小型のビットが防御シールドを張り、無数に吐き出される鋼の牙を悉(ことごと)く弾き返した。

 

「なっ! 」

「物理反射防壁(テトラカーン)だと? あの人形、高等魔法まで使えるのか? 」

 

驚く二人を尻目に、炎を突き破って巨人が姿を現す。

先程の手榴弾によって、頭に被っていた傘と漆黒の長外套(ロングコート)はボロボロの状態だった。

剥き出しになった特殊チタニウム合金の腕が、鬼化した明の頭上から振り下ろされる。

それを紙一重で躱す明。

剛腕が硬い岩盤を砕き、地面が大きく陥没する。

 

ギュウゥウン!

 

宙で華麗にトンボを切る最中、右手に握るコンバットナイフが、巨人の装甲を斬り裂く。

しかし、幾ら闘気で強化された刃でも、ウルツァイト窒化ホウ素で出来た特殊装甲に傷をつける事は叶わなかった。

火花が散り、数メートルの距離を置いて両者が対峙する。

 

「酷ぇな? それが友達にする事なのかよ? 」

「友達? 寝言は寝て言えよ? 引きこもり。」

 

破損した重い傘を外し、序(ついで)に破れた長外套(ロングコート)を脱ぎ捨てる。

そこに現れたのは、黒い光沢のある鎧を纏った狐面の怪物であった。

頭部には、兎の耳の様に尖ったセンサーが付いており、不気味に光る一つ目が、数歩離れた位置に立つ紅き鬼を眺めている。

 

「T-103型か? 随分と物騒な着ぐるみだぜ。」

「ハッ、あんな出来損ないとコイツを一緒にするなよ? 」

 

地面を蹴り割り、巨人が一気に明との間合いを詰める。

両腕の装甲が、刃の様な形態に変化し、紅い鬼へと襲い掛かった。

 




取り合えず此処まで。


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第19話 『理想と現実 』

戦闘兵器解説

AH-64Dアパッチ・ロングボウ・・・・陸上自衛隊やアメリカ軍等で配備されているポピュラーな戦闘ヘリ。
物語では、対悪魔用の装甲が施されており、装備している各種兵器も悪魔との戦闘を想定したモノが付けられている。
三島重工が開発を手掛けており、国防総省や陸自にも実戦配備される予定であった。
高性能エネミーソナー、ロケットポット、30mm機関砲、レールガンまで装備されている。



異様な姿をする魔界樹が生い茂る森の中。

橙色の火花を幾つも散らし、身長5メートル近い怪物と、紅い鬼が激しくぶつかり合う。

激闘が繰り広げられている場所から、少し離れた茂みの中。

紅の鬼― 遠野・明から、無理矢理押し付けられたアサルトライフルを構える銀髪の少年・ネロがいた。

 

常人では、視認不可能な動きをする二人の異形者に、苛々した様子で舌打ちする。

 

「止せ、下手に撃つと鬼の小僧に当たってしまうぞ? 」

「じゃぁ、どうすれば良いんだよ? 」

「ワシに任せろ、攻撃をするだけが後衛役の仕事ではない。」

 

ネロの頭にしがみつく黒毛のハムスター、妖魔・シウテクトリが、力を解放する。

赤いオーラが立ち上り、ハムスターの両眼が炯々(けいけい)と光を帯びる。

 

「回避率上昇魔法(スクカジャ)、物理攻撃上昇魔法(タルカジャ)。」

 

魔法の多重発動を駆使し、紅の鬼-明を的確に補助していく。

明の移動スピードが徐々に上がり、黒井・慎二ことチャーリーが操るNe‐α型の攻撃を難なく躱し、カウンターが決まる様になった。

 

「ちっ、サポート魔法かよ? 面倒臭せぇ! 」

 

回避スピードが格段に上がり、明を捕らえきれなくなっている。

遠隔誘導攻撃端末を駆使し、後衛役であるネロの姿を探す。

しかし、その僅かな隙を見事に突き、明の繰り出した拳が、巨人の鳩尾へと減り込んだ。

 

「ぐはっ!! 」

 

衝撃で数歩、後退りする巨人。

感覚神経を否応なく刺激され、苦痛がダイレクトに慎二の脳内を駆け巡る。

 

 

 

「予想通り、かなり苦戦しているわね? 」

 

異界化した上野毛駅周辺に停車している、大型装甲車の中。

車内に設置されている巨大ディスプレイに映し出された映像を眺め、テレジア・黒井・ルドルフ博士は、小さな溜息を一つ零した。

 

「主任、AH‐64 アパッチが、到着しました。」

 

テレジアの部下である宮崎が、無表情にディスプレイを眺める女科学者の方を振り向く。

 

「すぐに強化パーツを投擲する様に伝えて・・・・それから、アンフェタミンの投薬もして頂戴。」

「主任・・・・それは・・・・。」

「早くしなさい。」

「わ、分かりました。」

 

アンフェタミンとは、脳内の中枢神経を興奮させる作用がある薬品である。

本来は、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を持つ精神疾患の患者に服用されるが、急性中毒症状を起こし、覚醒剤等の劇物として扱われる事が多い。

そんな代物を何の躊躇いも無く、我が子へと投薬させる。

およそ、一般の親が我が子へとする仕打ちではない。

 

「シンジ、もう一人の少年は、此方で始末するわ。貴方は毘羯羅大将に集中しなさい。」

「了解。」

 

母親の指示に、チャーリーも素直に従う。

彼にとって、母とは憎悪の対象であるのと同時に、逆らう事が許されぬ絶対的な存在だ。

態度こそ、母親に反抗的ではあるが、基本行動は、誰よりも母・テレジアに絶対服従である。

 

 

技術開発部主任であるテレジアの指示に従い、米陸軍戦闘ヘリ、AH‐64D アパッチが、戦闘が繰り広げられている現場へと何かを投擲する。

特殊チタニウム合金で造られたケースは、明と黒い巨人を隔てる様に落ちて来た。

 

「これは・・・・? 」

「やっと来たか、俺の玩具! 」

 

右腕に内臓されている短機関銃で、紅い鬼を牽制しつつ、ケースの蓋を開く。

中に納まっていたのは、黒い光沢をもつ巨大なトランクケースであった。

チャーリーは、それを手に取り、取っ手に内蔵してあるスイッチを押す。

忽(たちま)ち変形するトランクケース。

巨大なガトリング砲へと変形し、紅い鬼を狙い撃つ。

 

「何だよ? アレ? 」

「小僧、狙われているぞ!! 」

 

シウテクトリが主に警告するのと、AH64d-アパッチに搭載されている30mm機関砲が火を噴くのは、ほぼ同時であった。

凶悪な牙が、地表を抉り、ネロの隠れている茂みへと容赦なく鉛の雨を降らせる。

ネロは、デビルブレイカーに内蔵されている特殊ワイヤーを射出し、逸早く、対空砲火の無慈悲な雨から逃れる。

センサーを使い移動するネロを追い掛けるAH64d‐アパッチ。

一方の明も、厄災兵器”パンドラ”を装備するチャーリーに手を焼いていた。

ガトリング砲から、巨大なブーメラン形態へと変形したパンドラが、紅い鬼を切り刻まんと襲い掛かる。

それを紙一重で躱す明。

しかし、刃から発生する衝撃波で、右腕と左足が斬り裂かれ血を噴き出す。

 

「どうだ? 中々面白い玩具だろ? 」

 

戻って来た円盤状の投擲武器を右手で受け止め、チャーリーが勝ち誇った視線を血を流し、片膝を付く紅き鬼へと向けた。

 

「魔具(デビルアーツ)か・・・・お前みたいなヘタレには勿体ない武器だぜ。」

「フン、相変わらず気に喰わない奴だぜ。」

 

ブーメラン形態から、再びトランクケースへと変わるパンドラを肩に担ぎ、チャーリーは呆れた様子で肩を竦めた。

 

この魔具は、1年前に北の小国・フォルトゥナ公国によって強奪された『パンドラ』の複製体だ。

ナノマシン技術を駆使し、オリジナルとほぼ同等の能力を持たせている。

使用者の脳波を感知し、思い通りの姿へと状態変化する。

流石に、オリジナル程の破壊力は無いにしても、それを上回る程の性能を秘めていた。

 

「偉出夫の奴は、お前を仲間に引き入れたいみたいだけどな。」

 

今度は、トランクケースをミサイルランチャーへと変える。

地面に片膝を付く鬼へと、二発のミサイルを発射した。

ミサイルが地面へと着弾し、爆発音が周囲に轟く。

濛々(もうもう)と周囲を包む黒い煙。

耐熱センサーが、反応し、チャーリーが慌てて背後を振り返る。

その腹に、コンバットナイフが深々と突き刺さった。

何時の間にか、巨人の背後へと移動した明が、腰だめにナイフを突き刺したのだ。

すぐに巨人から離れる紅い鬼。

ガトリングガンへと変形したパンドラが、狙い撃つが、あっさりと躱され、傷一つ付ける事すらも叶わなかった。

 

「ちぃ、ちょこまかちょこまか動きやがって。 面倒臭い奴だ。」

 

腹に突き刺さったナイフを忌々し気に引き抜く。

紫色の体液が付着したナイフを、地面へと投げ捨て、ミサイルランチャーをぶっ放す。

爆音が轟き、魔界樹の樹がへし折れ、地面へと横倒しになった。

 

 

AH64d‐アパッチの猛攻から逃れ、再び茂みへと身を隠すネロ。

戦闘ヘリのせいで、明との距離が大分離されてしまった。

すぐに仲間の所へ行き、戦闘をサポートしてやりたいが、高性能ヘリから逃れる術がまるで無い。

このまま隠れていても、すぐに見つかってしまうだろう。

 

「AH‐64D アパッチか・・・・対悪魔用に改造された特別品だな。」

 

ネロの頭にしがみついている黒毛のハムスターが、上空を飛ぶ鋼鉄の巨影を見上げる。

微力な魔力の波動すら感知する、高性能センサーを内蔵されている為、いくら茂みの中で気配を消したところで、無意味だろう。

 

「どうする? こんな豆鉄砲じゃ、あのヘリを撃ち落とすなんて無理だ。」

「落ち着け小僧。 ”かさぎ荘”の事を想い出すんだ。」

 

明から渡されたアサルトライフルを両手に持つ銀髪の少年を見下ろし、妖魔・シウテクトリが窘める。

 

「力を貸してやる・・・・ワシの魔力と同調させろ。」

「同調? どうやって? 」

「良いから、ワシに任せろ。」

 

ハムスターの小さな身体から、魔力の波動が迸(ほとばし)り、その輪郭が崩れる。

紅蓮に燃える炎の玉となったシウテクトリは、ネロの右腕に装着されている機械仕掛けの腕‐『オーバーチェア』へと同化した。

 

 

一方、ネロを探すAH64D‐アパッチ。

魔力を探知する高性能のエネミーソナーが、高エネルギーの反応を感知した。

どうやら、そのエネルギーの塊は、真っ直ぐ此方へと向かっているらしい。

複座に座るパイロットが、前にいる仲間にその事を報告する。

 

「あ、アレは・・・・・? 」

 

ヘリが機首を其方へと向けると、人間大の塊が此方に飛んで来る姿が見えた。

正体は、『聖エルミン学園』の制服を着る銀髪の少年だった。

ロケットの様な形へと変形した『デビルブレイカー』が、噴射ノズルから炎を吐き出し、ネロの身体を上空へと押し上げる。

 

「馬鹿め、狙い撃ちにしてやる。」

 

コレクティブレバーを巧みに操り、30mm機関砲の銃口をネロへと向ける。

すぐさま機関砲が火を噴いた。

少年の身体を切り刻まんと襲い来る無数の鋼の牙。

その30mm弾に向かって、ネロが左の掌を翳(かざ)す。

 

「物理反射防壁(テトラカーン)!! 」

 

シウテクトリが持つ上位魔法の一つだ。

橙色の障壁が、ネロの眼前へと高速展開し、30mm弾を全て弾き返す。

 

「うっ、うわぁあああああああっ!! 」

 

鉛の塊によってズタズタに引き千切られる戦闘ヘリのコクピット。

弾頭がエンジンを抉り、空中で大爆発が起こる。

 

受け身を取る間もなく、爆風で吹き飛ばされる銀髪の少年。

シウテクトリが主を守る為、防壁(シールド)を展開させるのと同時に、『デビルブレイカー』に内臓されているワイヤーを射出。

魔界樹の太い枝へと、主の身体を運ぶ。

 

 

五島美術館、駐車場入り口前。

ある程度、悪魔の群れを片付けた百地警部補率いる特殊機動隊の面々が、爆発を起こすAD64‐アパッチを見上げている。

 

「いっ、一体中で何が起きているんだ? 」

 

魔界樹の森へと落ちていく戦闘ヘリを眺めながら、百地警部補は低く呻く。

すると、五島美術館の高い壁を軽く飛び越え、何者かが特殊機動隊の前へと軽やかに着地した。

16代目・葛葉ライドウの番である初代剣聖・鶴姫だった。

大胆に胸倉の開いた着流しを着る黒髪の美女は、赤毛の忍びを背負っていた。

 

「アンタ・・・・確か16代目の・・・・? 」

「久しぶりだな? 百地刑事。」

 

180近い身長の成人男性を背負っている黒髪の美女は、機動隊の中に知り合いの姿を認め、口元に邪気の無い笑みを浮かべた。

 

「剣聖殿が、何故こんな場所にいるんだ? 」

「それを話すと長くなる。 申し訳ないが、この中に医術士(ドクター)の資格を持つ人間はいないか? 仲間が重症なんだ。」

 

鶴姫が言う通り、赤毛の忍‐ 猿飛佐助の容態は、あまり芳(かんば)しくはなかった。

苦痛で顔を歪め、荒い呼吸を忙しなく繰り返している。

警部補は、すぐに部下達である機動隊に指示を出し、数名の救命士を呼んだ。

佐助が担架へと乗せられ、治療設備が揃っている救急車両へと運ばれる。

 

「信じられねぇ・・・・アイツは確か、”十二夜叉大将”の中でも、相当な手練れだった筈だ。」

 

百地警部補も、”八咫烏”の存在は知っている。

組織『クズノハ』の暗部であり、その中でも”十二夜叉大将”は選りすぐりのエリート部隊で構成されている。

佐助は、その中でも”魔鎧化”を取得している逸材だ。

強靭な肉体と、優れた戦闘能力を持っている人間を此処までにする輩が、あの魔の森の中にいるとでもいうのか?

 

「佐助の事はお前達に任せる。 私は、あの馬鹿者を止めなければならんからな。」

「鶴姫殿。」

 

車内で、数名の救命士に適切な措置を受ける佐助を眺めつつ、鶴姫はそれだけを百地警部補に伝えるとすぐに踵を返した。

 

 

 

春山壮門前、魔界樹の生い茂る木々の中に、銀髪の少年‐ ネロがいた。

異常に興奮しているのか、まるで過呼吸の様に忙しなく呼吸を繰り返し、時折激しく咳き込んでいる。

 

「小僧、しっかりしろ。」

 

右腕の機械仕掛けの義手‐『デビルブレイカー』に憑依したシウテクトリが、己の主を見上げた。

 

「・・・た・・・・こ・・・ろした・・・・。」

「小僧? 」

「殺した・・・・俺・・・・人間(ヒト)を・・・・。」

 

悲壮感に顔を歪ませ、ネロが絞り出す様な声で呟く。

脳裏に、跳弾した30mm機関砲の弾丸をまともに浴び、拉(ひしゃ)げ爆発する戦闘ヘリの映像が繰り返し浮かぶ。

少年の網膜には、その時の驚愕で顔を醜く歪めるヘリのパイロット達の顔が、ありありと焼き付いていた。

 

「小僧、今は戦争中だ。 下らんヒューマニズムは捨てろ。」

「・・・・・。」

「生き残る事だけを考えるんだ。 さぁ、鬼の小僧の所に行くぞ。」

 

シウテクトリの言葉は、何処までも冷徹で容赦が無い。

しかし、この状況下を鑑みれば、至極当然の言動ではある。

ネロは、瞼を硬く閉じると、大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

シウテクトリの言う通りだ。

今は、明と共闘してあの巨人を倒せなければ、日下・摩津理の妹の仇は討てない。

 

 

東急・大井町線、上野毛駅前。

駐車場に停車する大型装甲車の中で、テレジア・黒井・ルドルフは撃墜される戦闘ヘリの映像を眺め、一つ溜息を吐いた。

 

「全く・・・・本当に役立たずね。」

 

堕ちた戦闘ヘリは、対悪魔用の装甲と装備が搭載された最新型だ。

三島重工の開発部が、誇らしげにAh64d‐アパッチを解説していたのを無意識に思い出す。

 

「宮崎君、すぐに”トライセル”に連絡して・・・・増援部隊を・・・。」

「その必要はねぇよ、婆ぁ。」

 

部下に指示を出そうとしたテレジアの言葉を、息子が遮った。

 

「俺一人で十分だ。 増援部隊を寄越すよりリミッターを1段階だけ解除してくれ、拘束具が重すぎて奴の動きについていけねぇ。」

「・・・・・。」

 

チャーリーの言う通り、鬼人化した明の動きに対処がまるで出来てはいない。

腕と足を負傷しているにも拘わらず、明は不利な戦況を見事立て直し、流れを有利に進めている。

戦闘経験も、センスも技術も明の方がチャーリーより遥かに上。

それを覆すには、圧倒的な力が必要だ。

 

「やれそうなの? シンジ? 」

「当たり前だろ? 俺は先生が造った最高傑作なんだぜ? 」

 

チャーリーの言葉に、テレジアは無意識にほくそ笑む。

徐に、息子の本体が眠る制御室(シーケンスコントローラー)の所まで近づくと、設置されているパネルに暗証番号を何桁か打ち込んだ。

 

「む、無茶です!主任! 指揮者(コンダクター)の脳が焼き切れてしまいます!」

 

この常軌を逸したやり取りに、部下である宮崎が異を唱えた。

 

Ne(ネメシス)細胞は、寄生虫である”ピスハンド”が、制御統制している事で、その不安定さを何とか解消している。

Ne(ネメシス)には、未知な部分が多く、活性化させると何が起きるか分からないのだ。

 

「あの子が出来ると言ったのよ・・・人の親なら、子供を信じるのが当たり前でしょ? 」

「し、しかし・・・・っ! 」

 

尚も食い下がる宮崎を、テレジアは冷酷に光るアイスブルーの双眸で黙らせた。

まだ、何かを言いたそうな部下を無視し、何の躊躇いすらも見せず、リミッターを解除する。

 

 

その異変は、唐突であった。

突然、目の前で対峙する怪物が苦しみ出し、四つん這いになる。

巨人が纏う装甲が吹き飛び、外れていく。

背中から飛び出る四つの突起物、背骨を思わせる長い尾が出現し、両足が踵が無い猫科特有の形へと変形していった。

 

どうやら、相手も本気になったらしい。

完全なメタモルフォーゼを阻止する為、明はコンバットナイフを構えるとNe‐α型へと肉迫する。

しかし、その行動は当然読まれていた。

間合いを一気に詰める紅い鬼に対し、Ne‐α型は鞭の様にしなる長い尾を振り回す。

身を捻る事で、躱す真紅の鬼。

だが、怪物の追撃は止まらない。

ガトリング砲に変形した”パンドラ”の複製体が、至近距離から明を狙い撃つ。

 

「ちっ!! 」

 

両腕で急所を庇いつつ、防御シールドを展開。

襲い来る鋼の牙を何とか防ぐが、その衝撃までは殺しきれなかった。

あっさりと吹き飛ばされ、魔界樹の樹々を薙ぎ倒す。

 

「ぶっ潰れやがれぇ! 」

 

脳に与えられる負荷により、毛細血管が幾つか切れたのか、鼻孔から血を流したチャーリーが、半身であるNe‐α型に追撃の指示を出す。

しかし、真横から思いっきり頬を引っ叩かれた。

何事かと其方を振り向くと、アサルトライフルを構える銀髪の少年の姿が映る。

シウテクトリの魔力を借り、5.56mm弾の威力を倍加させたのだ。

 

「止せ! 出て来るんじゃない! 」

 

倒れた魔界樹の大木を脇へとどかせ、明が立ち上がる。

だが、その声がネロに届く事は無かった。

地中へと潜った獣化形態へと変形したNe‐α型の長い尾が、銀髪の少年の身体を貫いていた。

 

 

 

同時刻、警視庁、緊急対策特命係の刑事である周防・克哉は、遥か上空で大爆発を起こし、墜落する戦闘ヘリを見上げていた。

 

「あのヘリのロゴは・・・・確か三島重工が所持しているPMC(Private Military Company-民間軍事企業)”トライセル”か。」

 

常人よりも遥かに優れた視力を持つ周防刑事は、戦闘ヘリの装甲に刻まれた会社のロゴをはっきりと視認していた。

三島重工は、典型的な軍需企業であり、”トライセル”は子飼いにしている民間軍事企業の一つだ。

主に、対悪魔を想定し、開発した武器を実戦テストしたり、時には違法なBOW(バイオニックオーガウェポン)を現地に派遣したりしている。

三島重工のいわば、暗部的存在である。

 

(剣聖殿が言う通り、第三者が介入しているという事か。)

 

異界化した天祐庵門前での出来事が、脳裏を過る。

16代目・葛葉ライドウの本番である鶴姫は、重傷の佐助を軽々と背に担ぐ。

 

「私は、一度外に出て特殊機動隊と合流する。 ダンテ、お前は稲荷丸古墳へ向かえ、そこに17代目がいる。」

「やっぱり、爺さんも此処にいるのか。」

 

お目付け役兼指南役であるケルベロスこと、鶴姫がこの場にいる以上、ある程度予想はしていた。

何故、ライドウがこの魔の森に来ているのか、その目的は不明である。

しかし、代理とはいえ番である以上、主を護るのは当然であった。

 

「それから周防刑事、貴方は西側にある春山壮門に向かってくれ。明とネロの小僧達がこの森に入り込んだ。彼等の力になって欲しい。」

 

鶴姫の優れた感知能力が、遠野・明とネロ、両名の気を感じ取っていた。

そして、不穏な空気を多分に孕む、第三者の存在も。

 

「この宴には招待されていない奴等が、森の中で好き放題暴れている。もし、奴等と子供達がかち合ったら、只では済まない。」

「・・・・・成程、矢来区地下水道で会った覆面野郎とその仲間がいるって訳か。」

 

ダンテの脳裏に、幾何学模様をした覆面を被るトレンチコートと中折れの帽子を被る、正体不明の男の姿が蘇った。

自分の父親と名乗るその人物は、魔神・ヴィシュヌが宿った神器、”スダルサナ”を巧みに操り、ダンテを窮地へと追い込んだ。

その謎の男が、仲間を引き連れてこの異界化した魔の森にいる。

 

「ダンテ、馬鹿な事は考えるなよ? お前は、17代目を護衛する役目がある。」

「分かってるよ。 ムカつくが、今はアンタに従う。」

 

覆面男と、自分にフザケタ真似をした糞餓鬼は気になるが、今はそれ以上に主であるライドウの身が心配であった。

悪魔使いの実力は、骨身に染みている程、分かってはいるが、何故、彼がこの場に入り込んだのか、その理由が気になる。

 

こうして、三人は別行動を取る事になった。

 

魔力を使い、飛ぶように樹々を移動する周防刑事は、ある気配を感じて、脚を止める。

地へと降り立ち、魔法の様な速さでブローニング自動式拳銃を腰のホルダーから、引き抜き構えた。

暗闇に閉ざされた樹々の物陰へと狙いを定める。

 

「そこにいるのは、分かっている。 両手を上げて出て来い。」

 

色眼鏡の奥に光る鋭い眼光が、大樹の物陰を睨み付ける。

と、その視線が急に緩んだ。

両手を上げ、物陰から姿を現した人物は、かつて自衛官時代に共に死線を潜り抜けて来た戦友だったからである。

 

「よ、横内・・・・・? 」

「久しぶりだな? 克哉。」

 

構えていたブローニング自動式拳銃を降ろす。

 

黒のダウンジャケットからでも分かる、鍛え上げられ、がっしりとした体躯。

灰色のフード付きトレーナーにジーンズを履き、髪は短めに刈り上げている。

容姿は、周防刑事の記憶の中にあるかつての友、そのままであった。

 

「どうして此処に・・・・? お前が勤めていた雑誌社から失踪したと、連絡があったんだぞ? 」

「・・・・・・。」

「今迄、一体何処で何をしていたんだ? 自宅にも戻らず、俺がどれだけ心配したと・・・・。」

「僕が送ったメッセージは、ちゃんと受け取ったか? 」

 

矢継ぎ早に、質問攻めにする周防刑事の言葉を、横内が静かに遮った。

 

「・・・・・、ああ・・・俄(にわ)かには信じられないが。」

「そうか・・・・で? ちゃんと応えは持ってきてくれたんだろうな? 」

「・・・・・。」

「もう、分かっているんだろ? 僕達が普通の人間じゃないって事ぐらい。」

 

『自分達の仲間になれ。』 横内は無言でそう要求しているのだ。

しかし、警察官という立場にある周防刑事は、おいそれと首を縦に振る事が出来ない。

彼等が、これからする事は、テロ行為に他ならないからだ。

 

「・・・・・済まないがお前の要求を呑む事は出来ない。」

「克哉・・・・。」

 

暫しの逡巡後、周防刑事は、色眼鏡の奥から確固たる意志を秘める双眸を、数歩離れた位置に立つ、友達へと向けた。

 

「真紀さんを失い、辛いお前の気持ちは分る。 だが、彼女の死が”あの壁”と関係があるとは到底思えない。」

 

右手に持つブローニング自動式拳銃を、再び、対峙するかつての親友へと向ける。

 

横内が所属する組織『魔神皇』がこれから行おうとしている事は、日本にとって、否、世界中にいる人類にとっての裏切り行為だ。

東京湾を包む様に建設された巨大な壁を破壊する。

シュバルツバースを解放し、『受胎』を引き起こす。

もし、そんな事が起これば、人類の大半が死滅してしまうだろう。

 

「・・・・・やはり、分かっては貰えなかったか。」

 

望んだ応えが得られず、横内は落胆する。

そして、着ているダウンジャケットのポケットから、銀色に光る筒‐封魔管を取り出した。

 

「この世界は間違っている・・・・・だから、僕達が”正す”んだ。」

 

封印が解放され、天から稲妻の柱が横内へと降り注ぐ。

真っ白に視界を染める光と、激しく叩きつける風。

左腕で視界を護り、前傾姿勢で暴風から吹き飛ばされぬ様、己の身を構える。

吹きすさぶ嵐が収まったその場所には、深紅の長外套(ロングコート)に、左腕には金色に光るガントレット。

右腕には、身の丈を優に超える大剣を担ぐ、紅き死神が立っていた。

目深に被ったフードの下から、不気味に光る真紅の双眸が、眼前にいる若い警官を眺めている。

 

「よ、横内・・・・・。」

「僕達は、新しく世界を造り直す・・・・・その為にも、邪魔者は排除しなければならない。」

 

大剣を構え、驚愕に端正な顔を歪める友へと斬り掛かる。

大剣『カオスイーター』が、周防刑事の頭上へと振り下ろされた。

 

 

 

稲荷丸古墳へと続く、異界化した魔の森の中を、真紅の長外套(ロングコート)を纏う、銀髪の魔狩人が疾走していた。

通常ならば、数十分程度の道程である。

しかし、異界化が進み、空間が歪んでいる為か、森林公園は広大な迷路へと姿を変えていた。

主の僅かな魔力の痕跡を辿り、銀髪の大男‐ダンテは、森の中を走る。

 

不図、頭上から轟く爆発音に、ダンテは驚いて脚を止める。

見ると、上空を撃墜されたヘリが世田谷の住宅街へと落ちていった。

 

「あのヘリは、一体なんだ? 」

「喜作君が子飼いにしているPMC(民間軍事会社)の戦闘ヘリだよ。」

 

知らず口から零れ出た疑問に、背後から誰かが応えた。

振り返ると、グレーのダウンジャケットと、黒いスエットを履く10代後半辺りの少年が立っていた。

肩口まで伸ばした癖のある黒髪と、人形の様に整った容姿をしている。

 

「対悪魔を想定して作られた最新型だったのになぁ、 ああもあっさりと堕とされちゃう様じゃぁ、実戦配備は見直した方が良いね。」

 

涼やかな笑みを口元へと浮かべ、少年‐ 狭間・偉出夫は、落ちていくヘリを眺めていた。

 

「生き残った世田谷市民・・・・て、訳じゃぁ無さそうだな? 」

 

素早く腰のホルスターから双子の巨銃の片割れ、”エボニー”を引き抜き、その銃口を数歩離れた位置に立つ偉出夫へと向ける。

 

一体何者かは知らないが、この少年からは只ならぬプレッシャーを感じる。

生かしておいたら、何をするか分からない。

そんな危険性を、この少年は多分に孕んでいた。

 

「ああ、自己紹介がまだでしたね? 俺の名前は、狭間・偉出夫と言います。」

 

にっこりと邪気の無い笑顔を向ける少年は、胸元に光る銀色のクルスを引き千切る様に、チェーンから取り外す。

 

「そして、さようなら・・・ダンテさん。」

 

続く周囲に飛び散る血の飛沫。

見ると銀髪の魔狩人の腹が、横一文字に斬り裂かれていた。

鮮血が地面を汚し、肺から溢れ出た血が、口から吐き出される。

驚愕に見開かれる双眸が、数歩離れた位置に立つ少年へと注がれた。

少年の右手には、青白い光を放つ刀剣が握られている。

 

ぐらりと傾ぐ肉体。

バランスを崩したダンテは、そのまま背後にある崖へと真っ逆さまに堕ちて行った。

 

「あれぇ? おっかしいなぁ、真っ二つにしたつもりだったんだけど? 」

 

どうやら踏み込みが、少しだけ甘かったらしい。

手応えはしたが、男の身体を両断するには至らなかった。

詰まらなそうに唇を尖らせた偉出夫は、ダンテが堕ちて行った滝壺を覗き込む。

暗闇に閉ざされた底の全く見えぬ崖。

生臭い大量の血液が、谷底へと落ちて行く。

 

「ま、いっかぁ・・・・どうせ、”入れ物”を壊す事は出来ないんだし。」

「魔神皇様。」

 

青白く光る刀剣‐『アスカロン』を元の十字架(クルス)へと戻し、チェーンに付ける偉出夫の背後から、化学教師の大月が声を掛けた。

突然、消えた偉出夫の姿をあちこちと探し回ったのか、大分息が切れている。

 

「たく、勘弁してくれよ。”この身体は、肉体労働向き”じゃ、ねぇんだからよぉ。」

 

覆面の下から荒い吐息を吐き出し、主に向かって恨み節を唱える。

途中、遭遇した悪魔を始末していたのか、茶のトレンチコートの裾には、返り血がドス黒く残っていた。

 

「ごめんごめん、迷惑掛けたね? 先生。」

「ち、分かっててやってんだから、始末に負えねぇ。」

 

大月‐ ヴィランは、大きく深呼吸をすると呆れた様子で肩を竦めた。

そして、ダンテが堕ちた滝壺へと視線を向けた。

 

「ペイルライダーが、”十二夜叉大将”の餓鬼と元”魔剣教団”の平騎士と交戦中、レッドライダーは、警視庁の刑事を懐柔若しくは始末しに行きました。」

 

ロボットの様に無機質な声で、主に淡々と報告を続ける。

 

「それと、一つだけ厄介な事が・・・・・。」

「初代剣聖殿だろ? 彼女の性格だから、絶対この件に関わって来るだろうね? 」

「”冥府の王”は面倒です。 下手に怒らせると、”四大魔王(カウントフォー)”を始末し兼ねない。 そうなると、賢者の石が永遠に失われる。」

「確かに・・・・・あの奥方様なら、身内でも平気で殺しちゃうからねぇ。」

 

賢者の石は、喉から手が出る程欲しい。

あの石は、各国の軍事関係を一変させてしまう程の力がある。

もし、自分達がその石を手に入れる事が出来れば、流石に魔導士ギルドも無視する事が出来なくなる。

 

「ま、何はともあれ、メルリヌス君が真名を取り戻さなければ、賢者の石は精製出来ない・・・・今は、神様に祈るしかないね。」

 

目的地である稲荷丸古墳へと歩を向ける。

そんな余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)な主の態度に、ヴィランはもう一度、大袈裟な溜息を吐き出した。

 




何とか投稿。


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第20話 『堕天使 』

登場人物紹介

ナターシャ・ローエル・・・・ニーナ・ローエルの母であり、パティの祖母。
ジョルジュ・ジェンコ・ルッソと巡り合う前は、アメリカの国防総省で、特殊工作員をしていた。裏社会では『ゴルゴン三姉妹』という通り名で恐れられ、アステカの最高神・オメテオトルを使役。
数々の任務を遂行させた。
当時は、『黒手組(ブラックハンド)』の首領・アポフィスとは好敵手(ライバル)関係にあり、ナターシャが病死した時は、身分と姿を隠して告別式に参加した。



底の見えない暗く凍てついた谷底へと、果てしなく堕ちて行く感覚。

耐え切れず、ネロは悲鳴を上げて、硬く閉じていた双眸を見開く。

木材で組まれた見知らぬ天井。

背に感じるざらついた感覚から、自分が畳に寝かされている事が分かる。

 

「あれ・・・・? 此処は一体何処だ? 」

 

脳内に激しく飛び交う、クエスチョンマーク。

自分は確か、春山壮門前で、同じ”探偵部”に所属する遠野・明の知り合いという正体不明の怪物と交戦していた筈だ。

 

「気が付いた? 」

 

傍らから聞こえる女性の声。

未だ、ぼやける視界を其方に向けると、見事な金の髪を持つ美女と視線が合う。

ネロの傍に坐した女性‐ ニーナ・ジェンコ・ルッソは、柔らかい微笑を銀髪の少年へと向けた。

 

「わっわっ! 一体誰なんだよ? アンタ! 」

 

正体不明の美女の出現に、ネロは慌てて起き上がる。

良く見ると、制服の上半身は脱がされ、制服のズボン一枚の姿だった。

当然、下に着ていたシャツも脱がされている。

ニーナも、博物館清掃員の作業服を拝借しており、素肌に身に着けていた。

 

「お前を治療してくれた術師だ。」

 

黒毛のハムスターへと姿を戻した、妖魔シウテクトリが呆れた様子で、己の主を見上げている。

良く見ると、自分達二人以外、人の気配は微塵もしなかった。

 

「明は? てか、あのデカブツは一体何処に行ったんだよ? 」

 

傍らにいる小さな相棒に向かって、ネロは矢継ぎ早に質問する。

 

堕ちていく戦闘ヘリ。

”探偵部”の仲間である明と対峙する、異形の怪物。

自分の腹を貫く、鋭い尾。

そこから後の記憶が、ぶっつりと途絶えている。

 

「ふむ、やはり何も覚えておらぬか・・・・。」

 

ネロの狼狽ぶりを予め分かっていたのか、シウテクトリは思案気に腕を組む。

そして、もう一度、主の顔を見上げた。

 

「お前は、一度、ソロモン十二柱の魔神に、身体を乗っ取られたのだよ。」

 

 

 

 

気絶したネロを茶室にいるニーナに預け、稲荷丸古墳へと向かう明。

距離にして数分程度の道程ではあるが、異界化が進み、空間が歪んでいる。

普段、観光客の眼を潤す美しい庭園も、悪夢の様な光景へと様変わりしていた。

異形の根が地面から突き出し、樹々も歪な姿へと変わっている。

池は、血の色へと変わり、鼻孔に血液独特の生臭い匂いを漂わせていた。

 

今から数分前、明と”探偵部”の仲間、ネロは、三島重工が対悪魔用として開発したBOW、Ne‐α型と交戦していた。

鬼人化した明の猛攻に、対処しきれなくなったペイルライダーこと、黒井・慎二は、実母であるテレジアに命じて、BOWのリミッターを第一段階だけ解除。

拘束具を除去し、素体となった悪魔の姿を露わにした。

機動力も格段に上がり、おまけに魔具との併用技に、明は瞬く間に劣勢を強いられた。

その時に、三島重工の戦闘ヘリを撃墜したネロが、駆け付けたのだ。

 

「止せ!来るんじゃない! 」

 

敵の気配から、チャーリーがネロを次の標的へと選んだ事が分かる。

自分を攻撃するより、ネロを殺害した方が、精神的ダメージがあると判断したからだ。

明が、制止するよりも早く、銀髪の少年の身体に、怪物の尾が突き刺さる。

衝撃で、両手から離れるアサルトライフル。

血反吐を吐いたネロの両眼が白目を向く。

 

「へっ、まずは一匹。」

 

何処か勝ち誇ったチャーリーが、死の痙攣を繰り返すネロの身体を明の方へと向ける。

 

「どうした? まさか仲間殺やれてビビッてんのかよ? 」

「・・・・・・。」

 

幸い心臓等の重要な臓器は、破壊されてはいないが、早く救い出さねば、出血多量で手遅れになってしまう。

いくら、魔剣士・スパーダと霜の巨神・ヨトゥンヘイムの血が流れているとはいえ、人間である事には変わりが無いのだ。

真紅の鬼が、静かに息を吐き出すと、両脇に収まっている二振りの刀を抜き放った。

 

「ち、調子に乗るなよ? クズ。」

 

緊張感が高まる両者の間を、唐突に割って入る第三者の声。

力無く項垂れていたネロの両腕が、己の腹を貫いている尾を掴み、右脚の蹴りで引き千切る。

 

「なっ!? 」

 

余りの出来事に、対処が出来ず、チャーリーが二歩、三歩と後退する。

そんな四つ脚の怪物を他所に、ネロは地へと降り立つと、突き刺さっていた兇悪な尾を、無造作に引き抜いた。

 

「小僧・・・・否、アムトゥジキアスか。」

 

右腕の機械仕掛けの義手『デビルブレイカー』に憑依した妖魔・シウテクトリが、主である銀髪の少年を見上げる。

 

「久しぶりだな? シウテクトリ。 独立戦争以来だ。 」

 

ソロモン十二柱の魔神が一人、堕天使・アムトゥジキアスは、己の右腕へと視線を降ろす。

今から数百年前、メキシコ独立革命時に、二人は敵味方に分かれて戦っていた。

戦争は一時、泥沼化したが、政教分離や自由主義を掲げ独立を望むリベラル派と、カトリック及び君主制の権威の尊重や身分制を重んじる保守派が手を組み、メキシコは無事、スペインから独立する事が出来たのだ。

 

「貴様・・・・・何故? 」

「説明は後にしよう、それより、身の程知らずの馬鹿を始末するのが先だ。」

 

炯々と赤く光る双眸が、怒りの呻き声を上げる怪物へと向けられる。

 

「嘘だ・・・・何なんだよ? お前! 」

 

咆哮を轟かせ、チャーリーがガトリング形態へと、複製体『パンドラ』を変形させる。

少年の肉体を引き千切らんと、迫り来る数百発の鋼の牙。

しかし、当たらない。

不可視の壁が、豹変したネロの眼前に展開され、悉く弾き飛ばしてしまう。

 

「何だ? 手伝ってくれるのか? 」

「貴様の為ではない、小僧に死なれてはワシの面目が立たんからだ。」

 

物理反射防壁(テトラカーン)を唱え、ネロを護ったのはシウテクトリであった。

憎まれ口を叩く火の神に、ソロモンの堕天使が皮肉な笑みを口元へと浮かべる。

そんな二人の様子を、侮辱と受け取ったチャーリーは、歯ぎしりし、『パンドラ』をブレード形態へと変化させ、銀髪の少年へと襲い掛かる。

だが、その巨大な刃がネロを両断する事は叶わなかった。

堕天使の左腕の一振りで、怪物の右腕が肘から、綺麗に切断されてしまう。

間欠泉の如く噴き出す、紫色の体液。

悲鳴を上げる怪物が、体制を崩し、無様によろめく。

その隙を突いて、妖魔・シウテクトリが火炎系最上級魔法”アギダイン”を放つ。

900から1300度の高熱が、怪物の上半身を焼く。

吹き飛ばされ、魔界樹の樹々を薙ぎ倒し、大の字に倒れる生物兵器。

その衝撃で、チャーリーの意識は飛び、二度と起き上がる事は出来なくなっていた。

 

 

 

 

「そう・・・・だったのか・・・・俺・・・・。」

 

仲魔であるシウテクトリに、事の経緯を聞かされた銀髪の少年は、綺麗に塞がっている自分の腹を見下ろす。

 

Ne‐α型を倒したアムトゥジキアスは、16代目・葛葉忍が施した術式が発動し、再び深層意識の底へと眠りについた。

力を失い倒れるネロを、鬼人化を解いた明が担ぎ、この茶室へと運んだのである。

 

「すまんな? お嬢さん。 アンタには迷惑を掛けてしまった。」

「いいえ、私の能力(ちから)がお役に立てて、良かったです。」

 

堕天使の力で、損傷した臓器の応急措置は出来た為、命に別状はなかったが、重傷である事に変わりは無い。

未だ血を流すネロを茶室へと運んだ明は、そこで医術士(ドクター)の資格を持つニーナと出会った。

彼女は、すぐにネロの容態を見て、必要な治療キットを明から預かり、適切な処置を行ったのである。

 

「そういえば、まだお前さんの名前を聞いていなかったな? 」

 

黒い毛並みのハムスターは、見事な金色の髪を持つ30代半ばぐらいの美女を見上げる。

瀕死のネロを治療するのが精一杯で、ニーナの名前を聞く余裕が無かったのだ。

 

「私は、ニーナ・ローエルと言います。」

 

4年前に起こった『ヴァチカン法王暗殺事件』の事を気にしたニーナが、敢えて父方ではなく、母方の性で名乗る。

 

「ローエル? するとお前さんは、ナターシャ・ローエルの娘か? 」

「!? 母をご存知なんですか? 」

 

シウテクトリの口から、実母の名前が出た事に、ニーナは驚く。

母親が、SS級の悪魔召喚術師である事は知っていた。

しかし、彼女の記憶の中にある母は、ガーデニングを趣味とした、心根の優しい女性である。

とても、血生臭い世界にいたとは到底思えない。

 

「知っているも何も、お前の母親とは敵対関係にあった。 当時は、”ゴルゴン三姉妹”と名乗り、アメリカ国防省(ペンタゴン)の工作員として活動していた。 ワシの同胞が大勢、お前の母親に殺されたよ。」

「っ!・・・・・そう、だったんですか・・・・・御免なさい。」

 

シウテクトリから思わぬ母の過去を聞かされ、ニーナの顔から血の気が引く。

 

「おい、その女性(ひと)と母親がした事は、全く関係がないだろ。」

 

シウテクトリの心無い言葉に傷つき、俯くニーナの姿に、ネロが流石に黙っていられず、傍らにいる仲魔を睨み付ける。

 

ニーナの母親が、一体どんな人物であったのかは知らない。

だが、親の犯した咎を子まで受けるのは、理不尽過ぎる。

自然と、ネロの脳裏に育ての親である、魔剣教団の騎士団長、クレドの姿が浮かんだ。

 

「むっ? た、確かにその通りだな? スマン、お嬢さん。」

「いいえ・・・・母が普通の人間では無い事は知っていました。生前のあの人は、決して子供である私に、自分の過去を明かさない人でしたから。」

 

ネロに指摘され、慌てて謝罪するシウテクトリに、ニーナは寂しそうに首を横に振る。

 

「んで? 何で、アンタがこんなヤバイ場所にいるんだ? 誰かに依頼されてって訳でもなさそうだな? 」

 

銀髪の少年は、綺麗に畳まれている『聖エルミン学園』の制服とシャツを身に着けながら、目の前にいる女性を改めて眺める。

 

見事な金色の髪に、新雪を思わせる白い肌と、整った容姿。

その為か、拝借している作業員のツナギが、大分不釣り合いに映る。

 

「私の娘・・・・パティと一緒にアンブロシウス・メルリヌスという少年に、無理矢理此処に連れて来られたのです。」

 

ニーナの脳裏に、何処か寒気を感じさせる笑みを浮かべた一人の少年の姿が過った。

 

 

異界化が進んだ五島美術館別館前、そこには、三島重工の私設部隊『トライセル』が所有する数台の装甲車が停まっていた。

身体の半分を吹き飛ばされ、醜い骸と化したNe‐α型が処理班達によって回収される姿を化学班主任補佐である宮崎が黙したまま、眺めている。

不図、その視線の先が、主任であるテレジア・黒井・ルドルフ親子がいる黒塗りの大型装甲車へと向けられた。

 

誰もいない最新型の機材が積まれた車内。

その後部座席には、息子に膝枕をしてやる母親の姿があった。

 

「ううっ・・・・・糞・・・・・何で・・・・こんな・・・・。」

 

冷やしたタオルで両眼を覆った黒井・慎二が、口惜しさに啜り泣く。

 

綿密な計算と戦略の元、自分の立ち回りは完璧であった。

その証拠に、鬼人化した遠野・明を追い詰め、その仲間である元魔剣教団の騎士、ネロに瀕死の重傷を負わせたのだ。

後、もう一歩で勝てる。

そう確信した時、慎二の予想を遥かに上回る出来事が起こった。

 

「アレは、恐らく最上級悪魔(グレーターデーモン)の一種ね。 まさかSS級の召喚術師だったとは、予想外だったわ。」

 

膝に乗せた息子の頭を優しく撫でてやる。

 

あの元魔剣教団の少年は、完全な番狂わせな穴馬であった。

彼女達が最も恐れていたのは、”十二夜叉大将”の一人である”毘羯羅大将”只一人だけであった。

故に、その仲間であるもう一人の少年を度外視していたのである。

 

 

「主任、 検体の回収が終わりました。」

 

何時までも臍(へそ)を曲げ、中々機嫌を直してくれない息子に辟易している母親の元に、部下である20代後半辺りの青年が現れた。

 

「”ピスハンド”は無事です。 ラボに戻れば先程の戦闘データを解析出来ますね。」

「そう・・・・なら、すぐに足立区の研究所に戻りましょう。 この子もそこで適切な措置をしてあげたいし。」

 

部下の報告に、テレジアは満足そうに頷く。

 

”ピスハンド”とは、Ne‐α型の脊髄に寄生している妖虫の事である。

宿主の脳下垂体に侵入し、成長ホルモンをコントロールする他、コントロールが難しいNe細胞を統制するのに最も適した悪魔であった。

因みに、”ピスハンド”には小型の爆弾が仕掛けられており、最悪の事態を想定して、自爆する様に設定されている。

 

「魔神皇様達は、どうされますか? 」

 

この魔の森には、三島重工の会長、三島・喜作が神と崇める少年がいる。

彼等を置いて、足立区の研究施設に戻る訳にはいかない。

 

「大丈夫、彼から”私達の仕事が終わったら引き上げて良い”と、了解を得ているわ。」

 

テレジア達の目的は、Ne‐α型の起動実験であって、”賢者の石”回収ではない。

元々、そんな御伽噺を信じる訳も無かった。

彼等が、”宝探し”をしたいなら、勝手にすれば良い。

 

「先生・・・・俺・・・・。」

「駄目よ、シンジ・・・・これ以上の戦闘は認められないわ。」

 

まだ、戦えるというチャーリーの言葉を、母親が有無を言わせず遮る。

 

「次は、もっと強い身体を貴方にあげる・・・・それまで、我慢しなさい。」

「・・・・・ちっ、分かったよ。」

 

彼にとって、母親の言葉は絶対だ。

逆らう事等許されない。

故に、不承不承頷くより他に術が無かった。

 

 

 

狭間・偉出夫によって腹を裂かれ、滝壺へと落ちたダンテ。

何とか、血生臭い池から這い出した魔狩人は、力尽き、大の字になって仰向けに倒れる。

斬り裂かれた腹の傷が、中々再生しない。

恐らく、偉出夫が使用した武器は、”神器(デウスオブマキナ)”だろう。

再生機能が、完全に殺され、皮膚がドス黒く変色し、腐敗しているのが分かる。

 

「・・・・糞・・・・俺とした事が、しくじったぜ。」

 

相手が子供だと思って油断した。

脳裏に、無邪気な笑顔を浮かべ、右手に蒼白く光る剣‐アスカロンを握る16・7歳ぐらいの少年の姿が過る。

 

微塵も殺気を感じなかった。

身体が無意識に反応し、後方へと二歩・三歩と下がっていたお陰で、胴体を両断される憂き目には合わなかった。

しかし、悪魔特有の再生機能が戻らなければ、動く事もままならない。

もし、万一、森を徘徊する悪魔共に見つかりでもしたら、対処する術がまるでない。

 

口惜し気に唇を噛み締めるダンテの耳に、小枝を踏みしめる音が聞こえた。

痛む身体に鞭打ち、其方へと視線を向けると両手にアサルトライフルを持つ、長い前髪の少年‐ 遠野・明の姿が映る。

負傷し、倒れている相手が、ダンテだと分かると、長い前髪の少年は、呆れた様子で溜息を吐き出した。

 

「酷ぇ姿だな? オッサン。」

 

ダンテから数歩離れた位置に立つ明は、構えていたアサルトライフルを降ろし、背へと担ぐ。

矢来区地下水道の時と言い、今の状況と言い、自分はほとほと損な役回りを押し付けられる質らしい。

 

「言ってろ・・・・糞餓鬼・・・・。」

 

それは、魔狩人も同じであった。

何が哀しくて、自分にとって天敵ともいえるこの少年に無様な姿を二度も晒す羽目になるのか。

 

唇の奥から呻き声を漏らしながら、気力だけで立ち上がる。

裂かれた腹から、血が噴き出し、革のズボンと地面を血で真っ赤に汚した。

こんな無茶な真似をしたら、傷口から大腸が零れ落ちてしまう。

だが、ダンテは止めない。

今にも噛みつかんばかりの鋭い視線で、眼前の少年を睨み付けつつ、震える手足を叱咤し、身体を起こす。

刹那、口から大量の血が吐き出された。

どうやら、肺にも相当な量の血が、溜まっていたらしい。

抑えていた傷口から、柔らかい内臓の感触を感じつつ、男の思考は暗転した。

 

 

 

古経楼と呼ばれる茶室にいたニーナ・ローエルに、気絶したネロを預け、目的地である稲荷丸古墳へと向かう明。

その視界の隅に、人影が映る。

脚を止め、崖下へと覗き込むと、血の池から這い出す人間らしき姿を見つけた。

どうやら、世田谷区の生存者らしい。

このまま見捨てる訳にもいかず、明は崖下へと降りる。

かなりの重装備であるが、少年は全くそれを感じさせず、器用に足場を使って、生存者が倒れる血の池へと近づいた。

 

 

 

「全く、泣けるぜ。」

 

気絶したダンテを背負い、一路、医術士(ドクター)の資格を持つニーナがいる茶室へと戻る。

一応の応急措置はしたものの、再生機能を殺されている為、このまま放置すれば、いずれ出血多量で死んでしまうだろう。

別に、この男がどうなろうが、明には全く問題が無いのだが、義理の父親である17代目の大事な代理番だ。

なるべくなら、義理父が悲しむ姿は見たくない。

 

「明っ! 」

 

不図、誰かが自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

立ち止まり、声がした方向へと顔を向けると、全身に刺青を入れた黒髪の青年‐Vと、小さな妖精‐マベル、そしてVの使い魔であるグリフォンの姿を認める。

一体どういう経緯で、共に行動しているのかは知らないが、Vとマベルは、銀髪の大男を背負う明の元へと近づいた。

 

「何でアンタが此処に・・・・? てか、その背負っているのって、もしかしてダンテなの? 」

 

明に背負われたダンテは、誰の目から見ても、瀕死の重傷である事が分かる。

マベルが、魔狩人の顔を覗き込むと、苦痛で顔を歪ませ、荒い吐息を忙しなく繰り返しているのが分かった。

 

「丁度良い、応急措置は一応したが、傷の周りが壊死を起こして手がつけられん。アンタの魔法で治す事は出来ないか? 」

 

明が、魔界樹が生い茂る幹の根元へと、銀髪の大男を寝かせる。

破損したタクティカルアーマーと、アンダーシャツは、とても使い物になりそうになかったので、破棄していた。

見事に鍛え上げられた上半身の腹部には、包帯が巻かれており、どす黒い血で汚れている。

 

「これは神器でやられた傷ね。 再生機能が完全に死んでいるわ。」

 

流石に、医療系魔法に長けているだけはあり、マベルは一目で、付けられた傷が神器によるものであると見抜く。

死んだ再生機能を何とか蘇らせようと、回復系中位魔法『ディアラマ』を唱えた。

 

「グリフォン、アンタ確か補助系魔法と回復系魔法が使えたわよね? 」

「ん? あぁ、一応な。」

「なら、マカカジャで私の魔法を底上げしつつ、ポズムディで毒素を抜いて上げて、上手くいけば死んだ再生機能が回復するかもしれないわ。」

「はぁ? 何で俺様がそんな面倒臭い事しなきゃならねぇんだよ。」

「良いからさっさとやる! いう事聞かないと唐揚げにしちゃうからね! 」

 

マベルの剣幕に、黒い毛並みの大鷲は、渋々といった様子で従う。

幾つもの法陣が展開され、早速、ダンテの治療が始まった。

 

そんな二人の様子を黙って眺める明。

視線が、病的に白い肌をしたノースリーブの長外套(ロングコート)を着る陰気な召喚術師へと向けられる。

 

「・・・・・・・世田谷区にあるショッピングモールで、同級生(クラスメート)の妹が死んだ。」

 

唐突に切り出された話に、Vが弾かれた様子で、明へと蒼い双眸を向ける。

 

「小児喘息を患っていた。 今日、退院してショッピングモールでケーキ屋を経営している叔母の所に預けられていた。 その時に、悪魔が起こしたパンデミックに巻き込まれたんだ。」

 

感情がまるで無い、硝子玉の様な双眸が、コートの下からでも見える全身にタトゥーが彫り込まれた召喚術師に向けられる。

 

「何が言いたい? 」

「別に・・・・只、アンタの済ました面を見ていたら、無性にムカついただけだ。」

「・・・・・・。」

 

黙したまま、一言も反論せず、陰気な召喚術師は、長い前髪の少年を睨み付ける。

 

「”俺は関係ない。””こんな事になるとは知らなかった。”そう思ってんだろ? 」

 

Vの目の前へとゆっくりとした歩調で近づき、自分より若干背丈が低い陰気な男を見下ろす。

長い前髪の隙間から見える双眸は、静かな怒りの炎が灯っていた。

 

「一体、俺にどうしろと言うんだ? 」

「話せよ。 知っている事、全部。 洗いざらい、包み隠さずな。」

 

嘘偽りを吐く事は、決して許さない。

そんな無言の威圧感に、Vことバージルは唇を噛み締める。

 

明の言う通り、まさか被害が此処まで拡大するとは夢にも思ってはいなかった。

四大魔王が一人、ユリゼンことアンブロシウス・メルリヌスは、東京23区に住む人々の命を糧に、『賢者の石』を造りだそうとしている。

そして、義理の父親である13代目・葛葉キョウジも・・・・・。

 

暫しの逡巡後、バージルが重く閉じていた唇を開こうとした刹那、マベルとグリフォンから治療を受けていたダンテが微かな呻き声を上げた。

 

 

 

地に深々と穿たれる大剣‐カオス・イーター。

最上級悪魔(グレーターデーモン)の力を借り、警視庁の刑事‐周防・克哉が逸早くその場から逃れる。

 

「止めろ!横内! 俺は、お前とは戦いたくない! 」

 

真紅の長外套(ロングコート)を纏い、髑髏の仮面を被る魔人に向かい、周防刑事は懸命に呼びかける。

しかし、その悲痛な声が相手に届く事は無かった。

大地に穿たれた大剣が、空を薙ぎ、衝撃波が色眼鏡の刑事へと襲い掛かる。

真横に跳び回避するが、衝撃波の余波をまともに浴び、吹き飛ばされた。

魔界樹の幹へと容赦なく叩きつけられる周防刑事。

頭を打ち付け、意識が飛びそうになる。

 

「何故、分かって貰えないんだ? 克哉。 僕と君は同じ被害者じゃないか。」

「よ・・・・・横内・・・・。」

「物心ついた時から、化け物の内臓を移植され、家畜みたいに番号を刻まれ、国に対し、絶対服従を誓わされた・・・・ギザブでの一件を忘れたのか? 」

 

横内の言葉に、朦朧とする意識の中、周防刑事は遠い過去を想い出していた。

 

今から4年前、アフガニスタンにある都市― ギザブで悪魔による大規模なパンデミックが発生した。

当時、陸上自衛隊に入隊したばかりの周防と横内は、対悪魔を想定とした特殊部隊に所属し、彼の地へと派遣された。

だが、いくら魔導士や剣士の役職を持つ特殊部隊とはいえ、実戦経験が浅い連中ばかりだ。

隊は総崩れとなり、唯一生き残ったのが、横内と周防の二人だけであった。

 

「君は、視力を奪われ、僕は右腕と左足を失った。 用済みとなった僕達を国は僅かばかりの報奨金を与えてあっさりと捨てたんだ。 役立たずの烙印を押してね。」

「・・・・・。」

「克哉、君の中にも僕と同じ怒りと哀しみはある筈だ。 頼む、僕達の理想を叶える為に力を・・・・。」

「断る。」

 

懇願とも取れる友の言葉を、周防刑事は冷酷に切って捨てる。

 

横内の気持ちは痛い程良く分かる。

しかし、今の自分は警察官なのだ。

力無き市民の生活と安全を守らねばならない。

 

「俺は、東京都に住む市民達を護る義務がある。 もし、彼等に被害を与えるなら、俺はお前と戦わねばならん。」

 

左脇のガンホルスターから自動式拳銃を抜き放ち、眼前に立つ真紅の長外套(ロングコート)を纏う魔人へと向ける。

背後に立つ最上級悪魔(グレーターデーモン)太陽神・ヘリオスが両腕に備え付けられた鋭い鉤爪を構え、戦闘態勢へと入った。

 

 

 

五島美術館前にいる百地警部補率いる特殊機動隊に、負傷した佐助を預け、一路、異変の原因たる稲荷丸古墳へと向かう鶴姫。

背筋を走る殺気に、殆ど条件反射で、身体を右方向へと捻る。

頬を掠める銃弾。

魔界樹の太い枝を蹴り付け、華麗に地へと降り立つ。

その薄紫の視線の先には、フレーム無の眼鏡を掛けた50代半ばと思われる壮年の男が立っていた。

防衛省、陸上自衛隊、坂本晋平二等陸佐だ。

背後に、悪魔討伐隊第二師団『飛竜』を従えている。

 

「一体何の真似だ? 玄信(はるのぶ)。」

 

薄紫色の双眸が、数歩離れて対峙する小柄な眼鏡の男を睨み付ける。

常人ならば、震え上がる程の殺気を当てられても尚、男は眉根一つ動かす事は無かった。

 

「見ての通り、貴女の足止めです。初代殿。」

 

手信号で、部下達に指示を与え、鶴姫の退路を完全に断つ形で散開させる。

頭の中に埋め込まれている制御チップによって、あらゆる感情を抑制された彼等は、まるでロボットの如く忠実に、坂本二等陸佐の命令に従っていた。

 

「貴様、自分達が何をしているのか分かっているのか? 」

「ええ・・・・十分承知してますよ? だから、貴女の足止めをしているんじゃないですか。」

 

パルスライフルや最新型のM56スマートガンを構える強化歩兵達を、横目で眺める美貌の剣士に向かい、坂本二等陸佐は朗らかな笑みを口元へと浮かべた。

自身の腰には、二振りの刀剣『吉岡一文字』を帯刀している。

 

「申し訳ありませんが、”賢者の石”が完成するまで、此処で私共のもてなしを受けては下さいませんかねぇ。」

「・・・・・・っ、やはり、防衛省(貴様等)が13代目に手を貸していたのか。」

「いいえ、あの方は、我々に賢者の石に関する情報を漏らしただけです。 実在すると分かれば、防衛省(我々)がどんな行動に出るか見越した上でね? 」

「・・・・・クズ共が・・・・・多くの市民があの石のせいで犠牲になったんだぞ? 国を護る者が民を皆殺しにされて何とも思わんのか? 」

「さぁ・・・・私は只の公僕です。 政府の命令に従って動いているだけですよ。 文句があるなら永田町で胡坐をかいてふんぞり返っている政府官僚の方々に言って下さい。」

 

最早、これ以上の会話は不要だった。

鶴姫は、腰に帯刀している魔法剣『七星村正』の柄を握り、坂本二等陸佐との間合いを一気に詰める。

金属同士がぶつかり合う音と、橙色の火花が激しく散った。

音速を軽く超える鶴姫の居合斬りを、坂本二等陸佐が難なく受け止めたのだ。

激しく繰り出される互いの斬撃。

炎が吹き荒れ、剣圧によって台地が抉れる。

 

「ほとほと呆れるな? 貴様等はあんな御伽噺を本気で信じているのか? 」

「御伽噺(おとぎばなし)? 馬鹿を言っちゃぁいけない。 貴女は自分の甥っ子を信じられないのですか。」

 

数合の撃ち合い後、再び、微妙な間合いを取って離れる二人。

あれだけの息詰まる斬り合いを繰り広げても尚、互いに息切れ一つとして無かった。

 

「この世にメルリヌス殿が残した文献が幾つあるかご存知なのかな? そのお陰で、我々は悪魔(デーモン)共の侵攻を喰い止めている。これら全て、貴女の甥御殿のお陰なのですよ? 」

「確かにな・・・・納得出来ぬが、それだけは認めよう。」

 

ゼウスの正妻、ヘラとオルフェウスの義理父・オイアグロスとの不義の子であるアンブロシウス・メルリヌスは、幼少の時から、その類稀な才能を発揮していた。

彼が持つ魔導の知識は、後世に広く語り継がれ、今も尚、対悪魔(デーモン)の討伐に活用されている。

その証拠に、東京湾一帯を覆う分厚い壁に施された術式は、メルリヌスが考案した封術を参考にしていた。

 

「だからと言って”賢者の石”が実在するとは限らん。 奴の戯言だと思わんのか?馬鹿め。」

 

鶴姫は、自分の死角に立つ強化歩兵に向かって真空刃(ソニック・ブレード)を放った。

避ける事等叶わぬ、絶妙のタイミング。

だが、真空の刃は、不可視の壁によって弾き飛ばされてしまう。

 

「・・・・・っ! 」

「おっと、言い忘れておりました。 彼等が来ている防護服は特殊でしてね? 対物理防御壁が自動的に発動する仕掛けになっているんですよ。」

 

対悪魔討伐部隊『飛竜』の隊員が装着しているタクティカルアーマーは、三島重工が、『シュバルツバース』から得た情報を基に開発されている。

対物理の他に魔法防御力も高く、”シュバルツバース”調査隊が着用している『デモニカスーツ』にも使用されていた。

 

「成程・・・・私も少々、貴様等を舐めていたな。」

 

鶴姫が、静かに息を吐き出し、腰だめに威神『アリラト』が宿った魔法剣を構える。

刹那、その姿が消失。

巨大な竜巻と化し、周囲を取り囲む強化歩兵達を次々と薙ぎ倒していく。

時間にして数秒。

周りには手足や胴体を両断され、死屍累々と横たわる兵士達の死骸があった。

 

「生憎だが、私は佐々木小次郎の様にはいかんからな? 」

 

自衛官の背後に立つ、美貌の剣士が長い前髪を掻き上げる。

流石は、初代剣聖。

いくら対物理に特化した強化歩兵の軍隊でも、全く問題にならない。

 

「くくくっ・・・・素晴らしい。 骸様が貴女を心酔する気持ちが痛い程分かります。」

 

手塩にかけて育てた部下達をあっけなく倒されたにも拘わらず、坂本二等陸佐は怒りの表情を微塵も見せなかった。

それどころか、凄絶な笑みを顔面に張り付け、右脚を一歩前に出し、二振りの刀を構える。

二天一流の基礎の構えであった。

 

 

稲荷丸古墳、最下層。

その玄室に、漆黒の長外套(ロングコート)を纏い、顔に同色の包帯を巻いた剣士、13代目・葛葉キョウジがいた。

 

「ちょっとしたアクシデントはあったものの、此処までは予定通りだ。」

 

右手に持つ愛用のGUMP(ガンタイプコンピューター)を慣れた手つきで操作し、空中に幾つかの映像を展開させた。

豪奢な玉座に座る主‐ 反逆皇・ユリゼンが肘掛に頬杖を付き、無感情で空中に浮かぶ映像に視線を向ける。

その真紅の双眸が、ある一点で止まった。

映像の中に、愛する番を見つけたからだ。

 

「ナナシ・・・・・。」

 

前室と呼ばれる場所に、一人の少年の姿が映し出されている。

右眼を残し、真紅の呪術帯で顔を覆った17代目・葛葉ライドウがそこにいた。

背には、真紅の魔槍・”ゲイ・ボルグ”を背負い、肩には代理番である黒毛の蝙蝠‐魔神・アラストルを従えている。

 

「なぁ、今更何だが、そのやり方は少々頂けないと思うぜ? 火に油を注ぐと思うんだがなぁ? 」

 

呆れた様子で、キョウジが、ユリゼンの右掌に浮遊する深紅のクリスタルへと向けられる。

クリスタルの中には、10歳ぐらいの少女‐パティ・ローエルが、仮死状態で閉じ込められていた。

 

「ふん、アステカの最高神・オメテオトルの血族だぞ? 大分、雑種の血で汚されているとはいえ、神代としてもこの娘は十分使える。」

 

ユリゼンは、クリスタルの中で眠る全裸の少女を、まるで珍しい玩具でも弄るかの様に掌で弄ぶ。

 

ニーナの母、ナターシャは数あるネイティブアメリカンの部族、ホピ族の巫女であるのと同時に、アステカの最高神・オメテオトルの純潔な血が流れていた。

幼少時から、”稀人”として強大な霊力を持ち、最上級悪魔(グレーターデーモン)として、オメテオトルを使役していた。

当然、アメリカ国防総省は彼女を国の工作員としてスカウト、彼等の期待通り、ナターシャは数々の任務を遂行し、ゴルゴン三姉妹と呼ばれ、裏社会から恐れられるまでに至った。

その恐るべき血が、孫であるパティにも脈々と受け継がれている。

平凡な人間として、その一生を閉じさせるには勿体ない逸材だ。

 

「分かってねぇなぁ・・・17代目は、子供・・・・特に10歳ぐらいの女の子が殺されるのを毛嫌いする。 余り下手やり過ぎると、今度はマジでぶっ殺されちまうぞ? 」

 

キョウジの警告に対し、魔王は鼻で笑い飛ばす。

 

ユリゼンとて、”人修羅”の恐ろしさは、身に染みて知っている。

だが、それで良い。

愛するナナシが、自分に対し、怒り狂い、その牙を向けられる事に震える程の愉悦を感じるのだ。

 




まだまだ長くなりそうです。


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第 21話 『 人修羅と魔術師 』

エリンの四至宝

ケルト神話に登場する四つの神器。
魔の剣・・・・クラウソラス
魔の槍・・・・ブリューナク(作中ではゲイ・ボルグ)
運命の石・・・・リア・ファル(これも作中では、パティの祖母、ナターシャの形見のホープダイヤモンドを指す。)
魔の大釜・・・・ダグダの大釜。
ライドウは、ユリゼン(アンブローズ・マーリン)の真名をゲイボルグに封じていた。



彼女は、美しい金色の髪を持つハーフ・エルフだった。

小さな村で薬師を営んでおり、親のいない子供達の面倒を見ていた。

唄が好きで、気持ちが落ち込んだ時や、泣きたい程辛い時は、唄ってその傷を癒すのだと言っていた。

今でも、瞼を閉じると、彼女の清んだ歌声が、脳裏に木霊する。

芯がとても強く、何事にも対し、恐れを抱かぬ強さは、妻の月子によく似ていた。

 

 

17代目・葛葉ライドウは、玄室へと続く巨大な扉の前に立っていた。

鋭い隻眼が、この奥にいるであろう魔王の姿を睨み据える。

ライドウが扉に手を翳すと、まるで入ってくれと言わんばかりに、大扉が重い音を立ててゆっくりと開いた。

 

「・・・・・ユリゼン。 」

 

狭い玄室とは思えぬ広い空間。

豪奢な玉座には、かつての魔界での権力者であった反逆皇・ユリゼンが肘掛に頬杖をした状態で座っている。

玉座から伸びた無数の触手が、今も尚、地上に住む人々の血液を大量に吸い上げていた。

 

「ああ、愛しき我が番・・・・・もっと、近づいてその美しい顔を見せておくれ。」

 

まるで仮面の如く、クリフォトの根で顔を覆った魔王は、唯一覗く双眸を愉悦で歪ませた。

右の掌を広げ、隻眼の悪魔使いを自分の元へと手招く。

何の躊躇いも見せず、ユリゼンの足元まで歩み寄るライドウ。

呪術帯から覗く右の隻眼は、隠す事が叶わぬ激しい怒りの炎が燃え盛っていた。

 

「パティ・ローエルは何処だ? 素直に引き渡すなら半殺し程度で許してやる。」

 

地を這う様な低い声。

常人ならば震え上がる様な鬼気を発しても尚、魔王の相貌は崩れない。

悪魔使いが怒れば怒る程、その愉悦は更に増していく。

 

「そう焦るな・・・・お前の大事な娘は此処にいる。」

 

ユリゼンは、怪しい輝きを放つ真紅のクリスタルを眼前へと移動させた。

クリスタルが四方に分解し、中から胎児の如く身体を丸めた全裸の少女が姿を現す。

ニーナの一人娘、パティ・ローエルだ。

ライドウと別れてから約5年。

12歳へと成長したパティは、当時と比べ、身体が大分大きくなっていた。

 

「この腐れ外道が。」

 

再び、クリスタルの中へと閉じ込められる少女を見つめ、悪魔使いが呪いの言葉を吐き出す。

 

ユリゼンは、パティを失った真名(まな)の代わりにしようとしている。

彼女の持つ”稀人”の能力(ちから)を利用し、魔力の増幅装置にしているのだ。

 

「ふん、基を正せば、お前が私の真名を奪ったのが原因だろうが。 あの時、素直に私のモノになると誓えば、こんな茶番をする必要も無かった。」

 

ユリゼンから伸びた一本の触手が、ライドウの頬を無遠慮にまさぐる。

代理番であるアラストルが、敵意を剥き出しにするが、悪魔使いは仲魔を手で制し、好きな様にさせていた。

 

「ああ・・・・ナナシ・・・・僕の愛しいナナシ・・・・。」

 

ライドウの頬を撫でていた触手に、変化が起きた。

まるで少女と見まがう程の細い腕が、触手の割れ目からズルリと突き出し、続いて白髪の頭と華奢な上半身が露わになる。

紫色の体液で四肢を汚した16・7歳ぐらいの少年は、自分とさして体格が違わない悪魔使いの身体に抱き着いた。

そのあまりにおぞましい光景に、黒い毛並みの蝙蝠が、嫌悪感で顔を歪める。

 

「ねぇ? 今すぐ僕の真名を返して・・・・そして、再契約してよ・・・また、魔界で一緒に暮らそう。」

 

悪魔使いに抱き着いている少年は、東京のアクアラインと天鳥町を繋ぐ、サービスエリアで出会った白髪の魔術師であった。

子供の様な無邪気な笑顔を浮かべ、悪魔使いの肩口に魔界樹の体液で汚れた頬を摺(す)り寄せる。

 

「此処は寒いんだ・・・・人間達は野蛮で冷酷で・・・そして何よりも強欲だ。一分一秒だって、こんな場所にはいたくない・・・・僕の気持ち、君なら分かるだろ? 」

「・・・・・。」

「愛しているんだ、君を・・・・・僕は、絶対に君を傷つけないし、嫌な事もさせない。ねぇ? 魔界に還ろうよ・・・・一からやり直すんだ、僕と君の二人で。」

「マーリン・・・・。」

 

まるで、夢を見るかの如く語る少年の胸に、ライドウは何の躊躇いも見せず魔法の様な速さでナイフホルダーから引き抜いたクナイを突き刺す。

驚愕の表情を浮かべる少年。

ライドウから離れ、信じられないと言った表情で、己の胸に突き立つ銀色のクナイを見下ろす。

 

「これが俺の応えだ。 魔界に還りたきゃ一人で還りな。」

 

感情が全く篭(こも)らぬ、冷たい言葉。

胸に鈍色のクナイを突き立てられた白髪の少年は、一瞬だけ固まるが、すぐに何かを諦めたかの様に俯く。

 

「そっかぁ・・・・・じゃぁ、仕方ないね。 君を壊して僕のモノにするだけだ。」

 

水風船の様に弾け飛ぶ少年の身体。

刃を根元まで溶かされたクナイが、乾いた音を立てて地面へと落ちる。

 

「アラストル! 」

「合点承知!! 」

 

後方に大きく跳躍した悪魔使いが、代理番である魔神の名を呼ぶ。

蝙蝠の肉体が眩く光り、二振りの双剣へと姿を変えた。

両手に双剣の柄を握ると同時に、ライドウの身体を純白の鎧が包む。

魔鎧化した悪魔使いを、無数の触手が襲い掛かった。

だが、鏃(やじり)の如き凶悪な先端を持つ触手の群れを、白銀の魔狼の一振りが、あっけなく薙ぎ払ってしまう。

辺りに飛び散る紫色の体液。

ユリゼンが、喉の奥で怒りの唸り声を上げる。

 

 

五島美術館庭園。

壮絶な死闘を繰り広げる紅き死神と色眼鏡の刑事の闘いは、唐突な幕切れを迎えた。

何処からともなく飛来して来た蒼白い光を放つ投擲物が、死神の肩を貫いたのだ。

それは、何の変哲もない鉛筆であった。

弾かれるかの如く、刑事から離れる紅き死神。

二人の間を割って入る様に、黒縁眼鏡の少年が降り立つ。

 

「君は・・・・確か、矢来区の地下水道にいた・・・・。」

「葛葉探偵事務所、所長代理の壬生・鋼牙です。」

 

にこりと微笑む16歳ぐらいの少年は、矢来銀座で探偵事務所を経営している少年‐壬生・鋼牙であった。

世田谷区のシェルターに山谷で職人(ハンドヴェルガー)をしているニコレット・ゴールドスタインと同級生(クラスメート)の日下・摩津理を無事送り届けた鋼牙は、急いで仲間がいる五島美術館へと駆け付けたのだ。

 

紅き死神‐ レッドライダーは、己の肩に突き刺さっている鉛筆を無造作に引き抜き、へし折る。

いくら年端もいかぬ少年とはいえ、相手はあの『虚実の一族』だ。

どんな手を使って来るかは分からない。

この場は、一時撤退する方が利口と判断した死神は、”強制離脱魔法(トラフ―リー)”を唱えてその場を去る。

周防刑事が止める暇すらも無かった。

 

「怪我はありませんか? 」

「ああ・・・・君のお陰で何とかね。」

 

愛用のスマホを操作し、最上級悪魔(グレーターデーモン)、太陽神”ヘリオス”を戻す。

たった数分間の闘いだったとはいえ、やはり長時間の最上級悪魔(グレーターデーモン)の使用は、身体に相当な負荷を与えていた。

倦怠感と疲労が容赦なく肉体を襲い、呼吸が激しく乱れる。

そんな周防刑事に対し、鋼牙は革のウエストポーチから、蜂蜜色の液体で満たされた容器を差し出した。

体力を全回復してくれるマジックアイテム―宝玉だった。

 

「すまない・・・・・。」

 

周防刑事は、素直に受け取ると、アルミの蓋を破いて口の中に流し込む。

即効性の『宝玉』は、傷ついた身体を癒し、体力を元に戻してくれた。

 

「今の悪魔って、もしかして”ユリゼン”の配下ですかね? 」

「否、違う。 奴は、”魔神皇”の仲間だ。」

「・・・・・? ”エルバの民”が此処にいるんですか? 」

 

思わぬ周防刑事の返答に、訝し気な表情で鋼牙が振り返る。

 

「何故、その悪魔が貴方を・・・・? 」

「スマン、その事は国の機密事項に触れるから話せない。」

 

いくら命の恩人とはいえ、話せる事柄と話せない事柄の区別ぐらいは出来る。

国の暗部を知らせる事は、この少年の為にならないと判断した色眼鏡の刑事は、敢えてそれ以上語る事はしなかった。

 

「それより、君の仲間の一人が、この先にある茶室にいる。私と一緒に来てくれないか? 」

「分かりました・・・・手を貸しましょうか? 」

 

片膝を付く若い刑事に向かって、鋼牙が右の掌を差し出す。

その腕を、周防刑事はやんわりと断った。

 

 

バーモンド州ウッドストックにあるその小さな田舎町は、まるで絵葉書の様に美しい場所であった。

なだらかにうねる丘陵(きゅうりょう)、幾つかの農場に、素朴な納屋が点在している。

 

ニーナ達親子は、今は魔導士ギルドにより解体された元秘密結社(フリーメーソン)、”KKK(クー・クラックス・クラン)団”の幹部であった、テレサ・ベッドフォード・フォレストの計らいで、この地に親子二人で平穏に暮らしていた。

しかし、そんな彼女達親子に、暗雲が立ち込める出来事が起こったのである。

それは、何時もの休日での事。

午後の昼下がり、庭にある花壇に植えたガーベラの花を世話する娘の所に、手作りのクッキーと紅茶を持って行こうとしたニーナの視線の先に、見知らぬ人物がいた。

娘― パティと楽し気に会話する、白髪の少年。

徐に立ち上がると、掃き出し窓の傍で固まるニーナへとゆっくりと振り返る。

そして・・・・。

 

「やぁ、君がニーナかい? 」

 

と、無邪気な笑顔を向けて来た。

 

 

「アンブロシウス・メルリヌス・・・・それが、少年の名前でした。」

 

素肌に作業着を着たニーナが、その時の光景を想い出したのか、蒼白い顔をして真向かいにいるネロと仲魔のシウテクトリに言った。

 

「アンブロシウス・・・・・・成程、そういう事か。」

 

ニーナの告白を聞いた黒毛のハムスターが、一人納得する。

 

「どういう事何だよ? 俺にも分かり易く説明しろっての。」

 

二人の間に漂う空気が読めず、ネロは少々苛々した様子で仲魔を問い詰める。

 

「四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンは悪魔ではないという事だ。 」

「悪魔じゃない? 」

「そう、ワシの推測が正しければ、ユリゼンはお前と同じ人間だ。」

「はぁ? 一体どういう事だっての? 」

 

シウテクトリが、何を言わんとしているのか全く理解出来ない。

 

「彼には、もう一つ名前があるんです。 アンブローズ・マーリン。 ブリテンの王、ユーサー・ペンドラゴンを導いた偉大なる魔術師です。」

 

シウテクトリの代わりに、ニーナがネロに説明する。

 

アンブローズ・マーリン。

12世紀の偽史『ブリタニア列王史』に登場する魔術師だ。

グレートブリテン島の未来を予言し、ユーサーの息子、アーサー・ペンドラゴンの助言者として彼に尽くした。

又、イギリス南部に実在するストーンヘンジを建築した事でも知られている。

 

「まさか・・・・・ユリゼンって野郎は・・・・。」

「そう、アンブローズ・マーリンだ。 何故、奴が魔界に都落ちしたのかは知らんがな。」

 

魔界を支配する四つの勢力、その四大魔王(カウントフォー)の一人が、12世紀を代表とする魔導士・アンブローズ・マーリンだったとは。

 

「ま、何はともあれ、相手が相手だ。 ワシらだけではどうにもならん。 此処は『クズノハ』と警視庁の特殊機動隊に任せるより術がないな。」

 

史実でも、最強の魔術師の一人であると謳われるマーリンが敵では、半人前のネロや鋼牙達ではどうする事も出来ない。

此処は、葛葉四家クラスか、防衛省が誇る、悪魔殲滅部隊が必要になって来るだろう。

 

「此処には、葛葉四家当主が一人、17代目・葛葉ライドウ様がいます。あのお方なら、きっとマーリンを倒してくれる筈。」

 

ニーナは、5年前、NYのブルックリンで起きた悪霊”アビゲイル”が起こした大惨事を想い出していた。

17代目・葛葉ライドウは、本番である二代目・剣聖と共に悪霊”アビゲイル”を見事討伐し、NYの街を救った。

あの偉大なる悪魔召喚術師ならば、マーリンを倒し、愛娘のパティを救い出してくれると信じている。

 

「・・・・・先生が・・・・此処に・・・。」

 

ネロもまた、ライドウの凄さは知っている。

不意に、一抹の不安が胸中を過った。

脳裏に、枯れ枝の様に痩せ細った姉、キリエの姿が浮かぶ。

紅茶色の髪をした美しい女性だった。

しかし、1年という長い闘病生活で、見るも無惨な姿へと変わってしまった。

その姉の最期の姿と、敬愛する師の姿が重なる。

 

「お、おい! 小僧! いきなり何をする! 」

 

ネロが傍らの畳で座り込んでいる黒毛のハムスターをむんずと掴み、立ち上がる。

シャツに開いた穴は痛々しかったが、傷は既に塞がっており、失った体力も元通りになっていた。

 

「先生がいる稲荷丸古墳に向かう。 もう、これ以上誰も死なせてたまるかよ。」

 

出入り口に立てかけてある機械仕掛けの大剣『クラウソラス』を背に担ぎ、ニーナをその場に残して、ネロが外へと出ようとする。

と、その背に大分慌てた様子で、ニーナが声を掛けた。

 

「待って、コレを持って行って下さい! 」

 

薬指に嵌(はま)っていた指輪を外し、銀髪の少年へと差し出す。

それは、黒い光沢を持つダイヤモンドであった。

 

「ほう・・・ホープダイヤモンドか。 しかも、かなりの魔力が封じられている様だな? 」

 

流石、魔導の知識が豊富だけあり、シウテクトリは一目見ただけで、それが何なのか理解出来た。

 

「はい、私の母・・・ナターシャ・ローエルの形見です。 きっと、貴方の役に立つ筈です。」

 

このホープダイヤモンドは、ホピ族の巫女が代々受け継いで来た代物だ。

魔導に関する膨大な知識と歴代巫女達の魔力が封じられており、『ヴァチカン法王暗殺事件』後、娘のパティから預かっていた。

父・ジョルジュ・ジェンコ・ルッソは、本当ならば、自分の娘であるニーナに直接渡してやりたかったのだという。

 

「持って行け。 元来宝石は、膨大な魔力を秘めている。 マーリンとの戦いで役に立つだろう。」

 

シウテクトリに促され、ネロはその指輪を受け取る。

まるで魂を吸い取られてしまうかの様に、指輪に嵌った小さな石は、怪しい輝きを放っていた。

 

 

 

玉座から立ち上がった魔王・ユリゼンは、優に4メートルを軽く超える巨体をしていた。

魔界樹”クリフォト”の醜悪な蔦(つた)を全身に絡ませ、唯一覗く蒼白い双眸が、鋭く数メートルの間隔で対峙する悪魔使いを睨みつけている。

 

「こんなに・・・・・こんなに、愛しているのに・・・・・。」

 

喉の奥から振り絞る怒りの声と呼応して、無数の魔法陣が展開。

光の光弾が無数に放たれ、悪魔使いへと雨の様に降り注ぐ。

それを防御壁(シールド)と、優れた体術で白騎士と化した悪魔使いが躱す。

爆風が周囲へと吹き荒れ、忽(たちま)ち阿鼻叫喚の地獄絵図へと化した。

 

「何故、分かってくれないんだ? ナナシ。 それとも、あの亜人の娘を殺した事をまだ怒っているのか? 」

 

今度は、幾つもの魔法陣を一つに収束させ、強力な破壊光線を放つ。

しかし、全てを焼き尽くす破壊の光を、悪魔使いは右腕一本だけで難なく受け止めてしまった。

 

「馬鹿が、そんな事は関係ない。 俺は、最初からお前を利用するつもりで近づいたんだ。」

 

白銀の魔狼は、右腕で受け止めていた破壊の光を、あっさりと押し返す。

光弾に、左肩を穿たれ、二歩、三歩と後退するユリゼン。

驚愕に見開かれた双眸が、左眼に蒼白い炎を灯す魔狼を凝視する。

 

「お前だってそうだったんだろ? 領土を拡大する為に、俺を利用した。」

 

ユリゼンは、ライドウを己の手駒とし、イェソドの各地を支配している氏族を滅ぼしていった。

ユリゼンは、支配領域を広げ、重い戒律を強いて、その地で暮らす悪魔達を取り込んでいったのだ。

 

「・・・・・最初はそうだった・・・・でも、今は違う。」

 

魔法合戦では埒(らち)が明かぬと、今度は背から無数の触手を飛ばす。

鏃(やじり)の如き鋭い先端を持つ触手の群れが、白銀の騎士を襲う。

幾度も閃く斬撃。

魔鎧化したライドウが持つ双剣が、触手の群れを一本も残さず全て斬り落とす。

 

「愛しているんだ・・・・ナナシ。 気が狂いそうな程。」

 

繰り出される攻撃を、悉(ことごと)く潰されても尚、ユリゼンは眉根一つとて動かす様子は無かった。

仮面の下から覗く蒼白い双眸が、哀し気に歪む。

 

「私の全てを捧げても良い・・・・もう一度、私の所に戻って来てくれ。」

 

右の掌を広げ、数メートルの距離を取って対峙する白銀の魔狼を手招く。

どことなく人間臭いその仕草に、ライドウの代理番であるアラストルは、激しい嫌悪感と吐き気を覚えていた。

 

「何なんスか? コイツは。 とても魔界の権力者だったとは思えないっスよ。」

 

悪魔とは、純粋な生存本能の塊の様な生き物である。

その中でも、魔王クラスともなると己の強大な力故に、支配欲が強くなる。

しかし、結局はソレだけで、ユリゼンの様な妄執に近い愛情を持つ悪魔は絶対に存在しない。

 

「奴は悪魔じゃない。 神族と人間との間に生まれた半人半神だ。 アーサー・ペンドラゴンとの確執が元で、魔界に堕ちたんだ。」

「違う、現世に寄生している人間共にほとほと愛想が尽きたからだよ。」

 

代理番に反逆皇の正体を説明する悪魔使いに、先程の少年があっさりと否定した。

4メートル以上はあろうかという魔王の胸元の肉が盛り上がり、人の姿へと変わる。

ソレは、先程、悪魔使いに纏わりついた白髪の少年であった。

 

「この世界にいる人間共は、強欲で権力欲が強く、醜くて残酷だ。 実の親兄弟すら平気で殺す。 でも、悪魔は違うんだ。 彼等はとてもシンプルで純粋なんだよ。」

 

上半身だけ姿を晒した中性的な美貌を持つ白髪の少年‐ アンブローズ・マーリンは、何処か自嘲的な笑みを口元に浮かべて、饒舌に語った。

 

神族の血が半分流れている故、マーリンは歳を取る事も無く、数世紀という長い時間を生きて来た。

その中で、権力欲に溺れた人間達が、醜い戦争を繰り返し、力無い民達を虐殺する姿を幾度も見て来た。

かつて、マーリンが心酔していたアーサー・ペンドラゴンも、そんな権力欲に憑りつかれた馬鹿で愚かな連中と同じだったのである。

 

「悪魔は人間みたいに嘘を吐かない。 彼等は、”生きる”という生存本能だけで獲物を殺す。 僕は、そんな彼等の生き方が非常に気に入ったんだよ。」

 

だから、魔界に自ら進んで堕ちた。

名を”反逆皇・ユリゼン”と名乗り、持てる魔導の知識をフルに生かしてイェソドにある小さな領土を支配下に置いた。

「規則」や「きまり」を決め、「ルールに反する者」は情け容赦なく罰を下した。

小さかった領土は次第に拡大し、四大魔王(カウントフォー)の一柱と呼ばれるまでになった。

 

「ねぇ? ナナシ。 お願いだからその背負っている槍に封じられた僕の真名を返してよ。 そしてまた一緒に暮らそう? あの時みたいにさ。」

「しつこい野郎だな? お前の目的が俺じゃなく、”賢者の石”である事は分かっているんだよ。 返した途端、地上の奴等を皆殺しにして、石の材料にするつもりなんだろ? 」

 

まるで壊れたラジオの様に、同じ事を何度も繰り返すマーリンに、ライドウは呆れた様子で溜息を盛大に吐いた。

 

マーリンは、幼い子供と同じだ。

欲しいモノがあれば、際限なく求め、思い通りに行かないと癇癪を起す。

1年間という短い付き合いであったが、ライドウは自然と目の前に対峙する魔王の本性を見抜いていた。

 

「もう、君は相変わらずの臍曲りだね? 」

 

永遠平行線を辿る会話に、ほとほと疲れ果てた白髪の少年が、半身である魔王の身体を動かし、己の媒体である真紅のクリスタルを目の前へと翳(かざ)す。

真紅のクリスタルは、四方に分かれ、中から胎児の様に身体を丸めた全裸の少女が姿を現した。

 

「さぁ、パティ。 悪い子にお仕置きしておくれ? 」

「いやぁあああああああっ! 」

 

全身を襲う激痛に、パティが悲鳴を上げる。

クリスタルが激しい光を発し、悪魔使いが立っている地面が盛り上がった。

危険を察知し、その場から離れるライドウ。

地面から火柱が幾度も上がり、灼熱の雨が降り注ぐ。

 

「止めろ! マーリン! その子は関係無い! 」

 

パティの中に眠る潜在能力を無理矢理引き出し、破壊兵器として使用しているのだ。

マグマの雨を防壁(シールド)で凌ぎつつ、悪魔使いは眼前に立つ魔王を睨み付けた。

しかし、そんな事で、非情なる魔王が止める筈が無い。

今度は、無数の魔法陣を展開し、雨の様な光弾を解き放つ。

凄まじい破壊音と瓦解音。

防壁で襲い掛かる光弾の雨を防ぐが、威力まで殺す事は叶わなかった。

衝撃で、華奢な身体が吹き飛び、壁面に叩きつけられる。

 

「アハハハハッ! 凄いね? パティ、流石、オメテオトルの血が流れているだけあるよ。」

 

マーリンがまるで子供の様に、無邪気に笑う。

一方、能力(ちから)を無理矢理引き出された少女は、みるみるうちに衰弱していった。

顔は苦痛で歪み、血の気を失った肌は、まるで紙の様に白くなっている。

 

「後何回もつかなぁ? 次に大技を出したら死んじゃうかもね? 」

「・・・・・っ、マーリン・・・・。」

 

この冷酷な魔導士は、何の罪も無い少女を本気で殺そうとしている。

腹腔から湧き出る怒りに声を震わせ、ライドウは一度瞑目すると、意を決した様に魔鎧化を解く。

 

「ひ、人修羅様? 」

 

暴虐の限りを尽くす魔術師に屈したのだろうか? 

狼狽する黒い毛並みの蝙蝠を下がらせ、悪魔使いは背負っていた深紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を手に取った。

 

「お前の真名は返してやる・・・・だから、今すぐその子を解放しろ。」

 

魔槍”ゲイ・ボルグ”が、主人の手の中で激しい光を放つ。

槍全体に細かい罅(ひび)が入り、瞬く間に砕け散った。

中から、エメラルドの様な淡いグリーンの光を放つ石が姿を現す。

それはかつて、ライドウがマーリンから奪った真名であった。

 

「やっぱり、エリンの四至宝の中に隠していたんだ・・・・本当に悪い子だね?ナナシ。」

「・・・・・。」

「でも、君は意地が悪いからなぁ・・・・この娘を先に解放しても、素直に返してくれないかもしれない。」

 

白髪の少年が、値踏みする様に対峙する悪魔使いを眺める。

 

この悪魔使いの性格は、十二分に把握している。

組織に人質として囚われている娘と同年代の少女を人質に取っていれば、この悪魔使いは何も出来ない。

しかし、20数年前に自分を騙し、挙句、支配下に置いていたイェソドの街と己の真名を奪った相手だ。

油断していると、何をして来るか分からない。

 

「なら、同時に手放せば良いだろう。 その間、俺は何もしないし、仲魔にも何もさせない。」

 

瀬戸際に立たされているのは、ライドウも同じであった。

この交渉が決裂すれば、パティは確実に殺される。

 

「良いよ・・・・君の言う通りにしてあげよう。」

 

壁面に叩きつけられた時に、額を切ったのだろうか、蟀谷(こめかみ)から血を流す悪魔使いを、面白そうに眺める。

二人は、同じタイミングで人質の少女と奪った真名を解放する事にした。

互いの手から、少女と緑色の光を放つ石が離れる。

真紅のクリスタルが砕け、真下へと落下する金髪の少女。

浅黒い肌をした漆黒のカソックを纏う神父へと姿を変えたアラストルが、主の命に従い、パティを受け止める。

一方、マーリンも奪われていた己の真名を受け取っていた。

刹那、紅蓮の炎が魔術師を襲う。

火炎系最上級魔法‐ ”マハラギダイン”の灼熱の炎だ。

悪魔使いは、真名を手放すのと同時に、幾つもの魔法陣を高速展開させ、まるで速射砲の如く炎の砲弾を撃ち込んだのだ。

爆風の轟音が、辺りの空気を震わせ、周囲が灼熱地獄へと化す。

 

「アラストル! パティを連れて此処から離れるんだ! 」

「人修羅様は、どうするんですか!? 」

「俺の事は構わず、早く行け! 」

 

炎の砲弾を撃ち込みつつ、ライドウはアラストルに命令する。

 

こんな程度で、真名を取り戻したマーリンを止められるとは思わない。

だが、今はそんな事よりもパティを無事、母親のニーナの元へ還してやるのが先決だ。

 

そんな主の剣幕に、漆黒の神父が渋々と従う。

だが、そう簡単に逃がしてはくれなかった。

地面からクリフォトサップリングの群れが現れ、神父の行く手を塞ぐ。

爆炎を突き抜け、現れる巨大な手。

幾つもの法陣を展開する悪魔使いの胴体を鷲掴み、空中へと持ち上げる。

 

「しまった! 」

 

己の迂闊さに舌打ちする。

悪魔使いを掴み取った魔王は、己の目の前へと悪魔使いを持ち上げた。

 

「おいたが過ぎるぞ? ナナシ。」

 

クリフォトの蔦で覆われた仮面が、剥がれ落ちる。

金色の五つの瞳に、両肩に生えた顔。

耳元まで裂けた口に、鋭い牙がびっしりと生えている。

胸部にある巨大な目が、腕の中に囚われた華奢な悪魔使いを睨み据えていた。

 

「やはり躾が必要の様だな? 」

 

ユリゼンが握りしめている腕に力を込めた。

ボキボキと嫌な音をさせて、肋骨(あばら)が折れるのが分かる。

余りの激痛に、悪魔使いの口から悲鳴が漏れた。

 

「人修羅様! 」

 

金髪の少女を腕に抱く、漆黒の神父が主の名を叫んだその時であった。

硬い古墳の岩盤をぶち破り、真紅の光が反逆皇の右腕へと貫く。

突如、現れた何者かに魔王の腕が斬り落とされる。

握られていた悪魔使いの華奢な肢体が、宙へと投げ出された。

その身体を受け止める真紅の腕。

驚く悪魔使いの視界には、雄々しき二対の角を持つ炎の魔人が映った。

 

 

 

 

「随分と派手にやられたな? 」

 

しわがれた老人の声をぼんやりと聞きつつ、64マスの市松模様の正方形の盤を眺める。

真向かいに座る上質な白いスーツを着る老人は、慣れた手つきでチェスの駒を動かしていた。

 

「相手が子供だと思って油断したか? 確か、4年前も同じ手に引っ掛かって痛い目に合った筈だが? 」

 

老人に痛い所を突かれ、見事な銀色の髪を持つ大男は、忌々し気に舌打ちする。

ナイトの駒を手に取り、少々乱暴に、盤上の上へと置いた。

 

「ああ、それはあまり良い手ではないな? ほら。」

 

枯れ枝の様な指が、手駒であるポーンを動かし、ナイトの駒を取り除いてしまう。

銀色に光る歩兵が、無防備となった王の前へと置かれた。

 

「チェックメイトだ。 13戦目も私の勝ちだな・・・。」

「ちっ、チェスは苦手なんだよ。」

 

銀髪の男‐ ダンテは、溜息を一つ吐き出すと、豪奢な椅子の背凭れへと身を預ける。

長い前髪を掻き上げ、真向かいに座る金色の髪をした老人を眺めた。

 

「そういや、アンタとこうやって会話をするのは何回目だ? 」

「20回目以上かな? 生憎、数を数えてはいないし、どうせ君は忘れてしまう。」

 

薄いブルーの瞳が、自分よりも遥かに年若い青年を見つめた。

 

「君の敗因は、ポーンを甘く見過ぎているところだ。 この駒は、戦いに置いてとても重要な役目を担うのだよ? 」

 

老人は、手元にあるポーンの駒を一つ手に取り、ダンテの眼前へと置く。

手に大剣を握った銀色の駒。

その口元には鋭い牙がズラリと並んでいた。

 

「手に取り給え・・・・君の新しい力だ。」

「・・・・・・。」

 

差し出された駒を、ダンテは無言で手に取る。

手の中に納まる小さな駒は、怪しい光を放っていた。

 

「今は非力な歩兵に過ぎないが、その局面で、ポーンは強力無比な戦士へと変貌する。 敵将の首を意図も容易く取れてしまう程にな。」

 

無言で、手の中にある歩兵の駒を眺める銀髪の青年に、金の髪を持つ老人が柔和な笑みを口元へと浮かべて説明した。

 

先程から、老人は妙に饒舌に語る。

初めて出会った当初は、終始無言で、震え上がる程の威圧感を放っていた。

銀髪の青年は、手の中に納まる小さな駒から、真向かいに座る車椅子の老人へと蒼い双眸を向ける。

 

「アンタは、俺に何をさせたいんだ? 何の為に力を与える? 」

 

ダンテが、優雅に脚を組み替える車椅子の老人を鋭く睨む。

そんな年若い青年に、老人は皮肉な笑みを口元へと浮かべた。

 

「決まっている、君を強くする為だ・・・・それに、力を求めるのは君の本質だろ? テメンニグルでの約定を忘れたのか? 」

「・・・・・・ああ、そうだったな・・・・想い出したよ。」

 

漸く合点がいった。

銀髪の青年は、一人、納得すると右手に持つ歩兵の駒をポケットへと無造作に突っ込む。

そして、豪奢な椅子から立ち上がり、出入り口へと振り返る。

硬い樫の木の扉の前には、漆黒の喪服を身に着けた金髪の淑女が、無言で立っていた。

 

「そんじゃ、爺さんが待っているから行くぜ、世話になったな? ”ルイ”。」

「ああ、 チェスの再戦なら喜んで受けて立つよ。」

 

長い金の髪を、背へと垂らした老人が、此方に背を向け、喪服の淑女が立つ出入り口へと向かう青年を見送る。

ダンテは、淑女とすれ違いざま、針で刺す様な、淑女の視線を感じた。

しかし、ソレに敢えて無視をすると、銀髪の魔狩人は、重い扉を開いて外へと出て行った。

 

 

六体の石の地蔵が並ぶ、深い森の中。

魔力が枯渇し、力を失った小さな妖精が、へなへなと地面に落下する。

その小さな身体を、長い前髪の少年― 遠野・明が優しく受け止めた。

 

「大丈夫か? マベル。」

「ううっ・・・・・滅茶苦茶、疲れたぁ。」

 

血の気を完全に失い、真っ青になった妖精が辛そうに呻く。

 

意外とピンポイントで目的地に人を送るのは、至難の業だ。

コンピューターの様な精密さと目標物へとの感知能力が必要となる。

優秀な精神感応力と、並外れた技術を持つマベルだからこそ、出来る芸当なのだ。

 

「おい、何処へ行く? 」

 

魔法の様な速さで、大型ハンドガン、MAXI8 アンリミテッドリボルバーHWを抜き放った明が、此方に背を向ける陰気な召喚術師を狙う。

 

下手に反撃しようものなら、即座に額を撃ち抜くつもりだった。

 

「決まっている、ユリゼン(奴)を止める為に、稲荷丸古墳に行くんだ。」

 

黒髪の召喚術師が、背後にいる長い前髪の少年へと一瞥を送る。

 

いくら伝説の魔剣士・スパーダの血脈とはいえ、今のダンテは手負いだ。

一通りの治療は受けているものの、相手が歴史上、最強の魔術師と謳われたアンブローズ・マーリンでは、荷が重すぎる。

 

「嘘吐き、アンタの目的は、”賢者の石”を掠め盗る事でしょ? バージル。」

「・・・・・? バージル? 」

 

倦怠感の残る身体を鞭打ち、起き上がるマベルを胡乱気に明が眺める。

 

「そうよ・・・・マレット島事件で死亡したと思っていたけど、実はそうじゃなかった。 13代目に救助され、彼に仮初の肉体(からだ)を与えられたんでしょ? 」

 

マベルは、Vことバージルに気取られぬ様、彼の精神に潜り込み、事件の真相を探り当てていた。

 

今から5年ぐらい前、イギリスの海域にある絶海の孤島”マレット島”にて、四大魔王の一人である魔帝・ムンドゥスによるパンデミックが起こった。

イギリスの諜報員・トリッシュ(後に、ライドウを誘(おび)き出す為の偽物だった。)の依頼で、孤島調査を依頼されたライドウ達は、そこで魔帝の走狗となり、変わり果てた姿となったダンテの双子の兄、バージルを発見したのだ。

 

「肉体と魂は、決して切り離せない代物。 本体が完全に崩壊する前に、アンタと13代目は、ユリゼンに力を貸し、”賢者の石”を精製させようとした。」

 

四大魔王の一人、反逆皇・ユリゼンは、錬金術師達が追い求めた”賢者の石”を唯一精製出来る悪魔だ。

13代目・葛葉キョウジは、ユリゼンに協力し、今回の大規模な悪魔によるテロを引き起こしたのである。

 

「成程な・・・・俄(にわ)かには信じられないが、話の筋は通っている。」

 

この男と13代目・葛葉キョウジの関係が、一体どんなモノであるかは分からない。

しかし、マベルの推測が正しければ、”賢者の石”精製の為に、世田谷区に住む多くの人々を犠牲にしている。

決して、許される行為ではない。

 

「ふん・・・・・だからどうした? 同級生(クラスメート)の敵討ちをする為に、俺を此処で殺すか? 言っておくが、俺を殺してもこのパンデミックは終わらないぞ? 」

 

大型ハンドガンの照準を、己の額へと当てられた陰気な召喚術師は、皮肉な笑みを口元へと浮かべた。

 

バージルの指摘する通り、彼を殺したところで、この大規模なパンデミックが終わる事は無い。

ライドウが持つ、真名を取り戻したユリゼンは、もっと多くの人々を殺すだろう。

それを止めるには、この男の力が必要になる。

 

「だからてめぇを信じろと? 裏切るかもしれない奴を野放しに出来るか。」

 

直接手を下した訳ではないが、この陰気な召喚術師が、日下・摩津理の妹、日下・日摩理殺害に手を貸した事は明白だ。

この男が、ユリゼンを現世に呼び込まなければ、あの幼い少女とその叔母は死なずに済んだ。

否、世田谷区(この街)に住む人々も、いつも通りの明日を迎えていられたかもしれない。

 

「俺も行く、何かおかしな真似をしやがったら、そのドタマぶち抜くからな。」

「・・・・・・勝手にしろ。」

 

長い前髪から覗く明の鋭い双眸に、バージルは一瞬だけ言葉を詰まらせる。

 

この少年は、危険だ。

義理父である13代目・葛葉キョウジから組織『クズノハ』暗部である”十二夜叉大将”の恐ろしさは知っている。

構成員の殆どが人外の化け物、その中でも、壬生家後継者である壬生・鋼牙と今、目の前に立つ長身の少年、遠野・明は別格らしい。

十二夜叉大将の長、骸が特に目を掛けているのがこの二人であり、明は17代目・葛葉ライドウの義理の息子だ。

 

バージルは、あっさりと明から背を向けると、仲魔であるグリフォンを従え、目的地である稲荷丸古墳へと向かう。

本体が崩壊するまで、後僅かな時間しか無い。

それまでに、義理父であるキョウジと合流し、ユリゼンから”賢者の石”を強奪する必要がある。

 




歯の痛みに耐えながら。


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第22話 『 目覚め 』

悪魔紹介

うつろわぬ神・イナルナ・・・・かつて大和朝廷に次ぐ勢力を誇る大国の姫。
朝廷との壮絶な権力争いの末、敗れ去り、一族郎党全てを滅ぼされた。
後に彼女は祟り神となり、日本最強の怨霊、崇徳上皇に次ぐ悪霊となり、日ノ本の民を苦しめる事となる。
30数年前にダークサマナー、シド・デイビスの手で復活。
13代目・葛葉キョウジの手で討伐された。


その覚醒は、あまりにも唐突であった。

蒼い双眸を開くと、眼前に幾つも展開されている魔法陣が飛び込んで来る。

そのすぐ傍らには、ライドウの仲魔である小さな妖精と、見た事も無い黒い毛並みの大鷲が傷つき、重傷を負った自分を懸命に治療していた。

 

「ダンテ、 目が覚めたんだね? 」

 

魔力を相当消費したのだろう。

疲労し、蒼白い顔色をした妖精が、此方の顔を覗き込んで来る。

 

「チビ助・・・・そうか・・・・俺は・・・・。」

 

走馬灯の如く記憶の断片が、目まぐるしく走り回る。

 

自分の腹を斬り裂いた16・7歳ぐらいの少年。

血を噴き出し、谷底へと堕ちる自分。

自力で何とか這い出したが、再生機能を完全に殺され、おまけに出血多量で力尽きた。

最後に残っているのは、此方を見下ろす長い髪の少年の姿。

右手には、スーツケースらしき箱を持っていた。

 

刹那、銀髪の大男は、突然、上半身を起こす。

あまりの出来事に、驚いてダンテから離れる妖精と大鷲。

蒼い双眸が、自分を此処まで運んだであろう長い前髪の少年を探す。

目的の人物はすぐに見つかった。

太い魔界樹の樹に背を預け、大型のアサルトライフルと黒い光沢を持つスーツケースを傍らに立て掛けている。

その少し離れた位置に、見知らぬ人物がいた。

大岩に腰を降ろす黒髪の病的に白い肌を持つ青年。

暗く淀んだ視線が、上半身を起こす銀髪の大男を眺めている。

 

「糞餓鬼・・・・・。」

 

怒りと屈辱の業火が腹腔内を焼き、燃え盛る炎の吐息を吐き出す。

 

二度もこの少年に救われた。

否、無様な醜態を晒したと例えるべきか。

未だ、激痛を訴える躰を叱咤し、何とか立ち上がろうとする。

それを小さな妖精が、慌てた様子で押し留めた。

 

「駄目だよ! まだ傷は完全に塞がりきれていないんだよ? 」

 

マベルが指摘する通り、出血は収まり肉が辛うじて癒着したものの、未だに再生機能が復活していない。

ダンテが、狭間・偉出夫に斬り裂かれた腹部へと視線を落とす。

鍛え上げられ、見事に割れた腹筋には、真横に一文字、醜い傷跡が残っていた。

 

「俺が言うのもなんだけどよぉ、今は安静にしといた方が良いぜぇ、折角塞がった傷がまた開いたら、面倒だからよぉ。」

 

マベル同様、かなりの魔力を消費したのは、グリフォンも同じだ。

いくら造魔とはいえ、疲労もそれなりには感じている。

 

しかし、そんな二体の悪魔の苦言など、今のダンテには全く届いてはいなかった。

鋭い双眸が、魔界樹の幹にいる長い前髪の少年と、陰気な召喚術師に向けられたままだ。

 

 

「どうやら、かなり恨まれているみたいだな? 」

 

ダンテと明の確執を知らないV‐バージルは、皮肉な笑みを口元へと浮かべ、隣にいる少年を眺める。

 

「・・・・・5年前に、一回ボコしてドタマに鉛の弾をぶち込んだからな。」

「・・・・・・。」

 

意外な明の告白に、Vは無言で明からダンテへと視線を移す。

 

俄(にわ)かには信じられない話ではあるが、この少年なら、いくら伝説の魔剣士の血を持つダンテでも敵わないだろう。

それだけの威圧感(プレッシャー)を、この一回りぐらい歳下の少年は持っている。

 

怒りと屈辱で血が出る程、唇を噛み締めたダンテは、傍らに無造作に置かれた真紅の長外套(ロングコート)へと手を伸ばした。

血と泥で所々汚れてはいるが、着れない事は無い。

それに、流石に2月に入ったばかりのこの寒空で、上半身裸はキツ過ぎる。

 

「チビ助、ライドウの正確な位置は分かるか? 」

「え?う、うん・・・・・分かるけど、それがどうしたの? 」

 

嫌な予感がする。

この後に続く言葉を聞きたくない。

 

「そうか・・・・なら、俺を転移魔法(トラポート)でそこまで送ってくれ。」

「だ・・・・駄目だよ、それは・・・・・。」

「そうそう、その傷じゃ行ったところで、足手纏いになるだけだぜ? 」

 

どう説得すれば良いのか分からない小さな妖精に対し、黒い毛並みの大鷲が助け舟を出した。

 

先程も言った通り、偉出夫の持つ『アスカロンの剣』で腹を斬り裂かれ、瀕死の重症を負わされたのだ。

幸い、再生機能が戻り初め、傷口が徐々に修復されているとはいうものの、全快とはとても言い難い。

 

「心配すんな・・・・俺には”力”がある。」

 

右手が、無意識にコートのポケットへと忍び込む。

指先が、硬いチェスの駒に触れた。

 

「ダンテ・・・・・。」

「良いじゃねぇか・・・・オッサンの好きにさせてやれよ。」

 

そんな二人のやり取りに、突然、明が割って入った。

背には大型のアサルトライフルを担ぎ、右手には巨大なスーツケースを持っている。

そのスーツケースは、Ne‐α型を操作していた黒井・慎二が持っていた魔具”パンドラ”の複製体であった。

ネロ― (アムトゥジキアスに憑依された)が、Ne‐α型を撃破後、何かに使えるのではと思い、明が回収したのである。

 

「明・・・・・。」

「転送魔法(トラポート)で稲丸古墳の手前まで送ってやれ。」

「正気で言ってんのかぁ? 坊主。」

 

無責任とも取れる明の言葉に、グリフォンが大袈裟に肩を竦める。

普段の明は、唯我独尊を絵に描いた様な人物で、他者に対し余計な詮索や介入は一切しない。

口数が少なく、積極的に友達を作らない性格で、唯一心を開くのが、義理の父親である17代目・葛葉ライドウと幼馴染の壬生・鋼牙の二人だけだ。

 

「・・・・・分かった。 その代わりどうなっても知らないからね。」

「おいおい、マジかよ。」

 

暫し、明の双眸を凝視していたマベルは、諦めたのか銀髪の魔狩人へと顔を向ける。

明の意図は全く読めないが、彼がこれだけ言うのだから、何かしらの確信があるのだろう。

それに、ダンテは己の主である17代目の代理番だ。

主が窮地に立たされているなら、何かの役に立つかもしれない。

 

マベルは、口内で転移魔法(トラポート)の呪文を詠唱する。

ダンテの足元に法陣が展開され、眩い光が魔狩人を包んだ。

男の輪郭が光の粒子へと変換され、瞬く間にその場から消えた。

 

「何を考えているんだ? 」

 

それまで黙って事の成り行きを眺めていた陰気な青年が、長い前髪の少年の背に声を掛けた。

 

いくら半分悪魔の血が流れているとはいえ、今のダンテは、誰の目から見ても、重症である事が分かる。

そんな奴を17代目の元へ送れば、逆に足手纏いになると容易に分かる筈だ。

 

「別に・・・・・あのオッサンが、死のうがどうなろうが俺には関係ねぇ・・・只(ただ)。」

「只・・・・? 」

「気になったんだ・・・・オッサンの持ってる隠し玉にさ。」

 

明は、己が持つ本能で、ダンテが只、強がりであんな事を言ったのではないと、見抜いていた。

それが不発に終わり、四大魔王の一人に八つ裂きにされようが、全く意に返さない。

死んだら死んだで、それまでの奴だったと諦めるだけだ。

 

 

 

突如、空から降って来たソレは、華奢な悪魔使いの身体を握り締めている魔王の右腕を意図も容易く斬り落としていた。

宙へと投げ出されるライドウ。

その傷ついた身体を、何者かが優しく抱き留める。

 

二対の螺旋型の雄々しき角。

真紅の燃え盛る鬣(たてがみ)に、紅蓮の炎を纏う鋭角的な鎧に六枚の羽根。

番契約をしているから分かる。

新たな力を得たダンテだ。

 

「だ・・・・・・ダンテ・・・なのか? 」

 

へし折れた肋骨から来る激痛に呻きつつ、ライドウは自分を抱く魔人の顔を見上げる。

炯々と光る真紅の双眸が、腕の中にいる愛おしい主を見下ろしていた。

 

「貴様・・・・一体、何者だ? 」

 

愛する元番を奪われ、魔王・ユリゼンが怒りの形相で侵入者を睨み付ける。

切断された右腕から、無数の触手が現れた。

地に落ちた腕を拾い上げ、元通りに修復してしまう。

 

一方、紅き紅蓮の魔人は、主を地へと降ろし、数メートル離れた位置に立つ魔王へと振り返った。

右掌を開き、本来の姿へと戻った大剣『リベリオン』を喚び出す。

 

「ま・・・・待て! 奴は四大魔王(カウントフォー)の一人・・・・。」

 

苦痛に呻きつつ、己の番を呼び止めようとするが、その声は、魔人化したダンテの雄叫びによって搔き消えた。

六枚の羽根を広げ、魔王へと躍り掛かる。

それを迎え撃つ反逆皇・ユリゼン。

眼前に幾つもの法陣を展開させ、光の弾丸が放たれる。

 

「大丈夫っすか? 人修羅様! 」

 

魔王との激闘を繰り広げるダンテを、茫然と眺める悪魔使いの背に、仲魔である魔神アラストルが声を掛けた。

その両腕には、全裸の少女が抱かれている。

 

「・・・・・・一旦、此処から離れる・・・・ついて来い。」

 

アラストルの腕の中で眠る金髪の少女を暫し眺めていたライドウは、魔王と魔人の闘いからあっさりと背を向け、玄室の出入り口へと向かう。

主の急激な態度の変化に戸惑うアラストル。

しかし、何時までも此処に立っている訳にもいかず、主の後を追い掛けた。

 

 

 

稲荷丸古墳前。

巨大な大穴を前に、黒髪の美少年‐ 狭間・偉出夫は思案気に繊細な指先を顎に当てた。

 

「うーん、やっぱり始まってしまったか・・・・。」

 

口元に微笑を浮かべた少年が、かつて円墳があった巨大な大穴を眺める。

この下には、四大魔王(カウントフォー)の一人である反逆皇・ユリゼンの玉座があった。

 

「んで? どうするんスか? ユリゼンの野郎は、人修羅から”真名”を取り戻したんでしょ? だったら・・・・。」

「この下に、”賢者の石”は無いよ。」

 

化学教師の大月‐ 今はヴィラン、の言葉を偉出夫は、あっさりと切って捨てる。

途端、覆面の男は訝し気な視線で、傍らで魔界樹の巨木に背を預ける主を眺めた。

 

「一応、”賢者の石”の在処は大体予想しているけどね。 生かせん、肝心の”真名”が無ければ完成しない。」

「はぁ・・・・んじゃ何で、こんな辛気臭い場所に来たんですか? 」

「決まってる・・・・友達に逢う為だよ。」

 

偉出夫がそう言い終わるのと、ヴィランの背を例える事が叶わぬ怖気が走るのはほぼ同じであった。

暗闇に閉ざされた魔界樹が生い茂る獣道(けものみち)。

そこから、強い気を持つ人間が、此方に向かって近づいて来る。

 

「泣けるぜ・・・・・全く。」

 

ヴィランが、少々大袈裟に頭を抱える。

”気”の正体は、何となくではあるが分かる。

組織『クズノハ』暗部に属する”十二夜叉大将”が一人、毘羯羅大将こと遠野・明だ。

彼の他にも、二つほど、大きな”気”の持ち主が、此処、稲荷丸古墳入口へと接近しているのが分かる。

 

「どうする? かつての教え子に逢うのが嫌なら、離脱しても構わないですよ? 大月先生。」

「アホ言え、大将を見捨てたら由美(姫)にドヤされちまうだろうが。」

 

ニヤニヤと偽悪的な笑みを浮かべる偉出夫に対し、ヴィランはマスクの下で渋い顔をしていた。

昔、教え子だった少年に突き刺された左わき腹が無性に痛い。

何回か”肉体”を乗り換えている筈なのに、”あの少年”の事を想い出すと、無い筈の古傷が痛みを訴えた。

 

 

 

何時も脳裏に浮かぶのは、清潔な病院の白い壁とリノリウムの床材。

そして目の前のベッドには、かつて義理の姉であった最愛の女性(ひと)。

あれ程、美しかった髪は、抗がん剤の副作用で全て抜け落ち、新雪の如き白い肌は、骨と皮ばかりになっている。

 

「・・・・・ネロ・・・・・。」

 

落ち窪んだ眼窩が、弱々しく病室の出入り口に立つ銀髪の少年を見つめた。

薄茶色の瞳から、涙が一筋流れ落ちる。

 

「お願い・・・・・私を見ないで・・・・・。」

 

心電図のモニターが、規則正しく波形を描き、人工呼吸器の音が室内を埋め尽くす。

今、義理の姉― キリエは、一歩、一歩と死への階段を昇っている。

それは、誰にも止められる事は叶わない。

例え、伝説の魔剣士と霜の巨神の血を引く自分でさえも。

 

 

 

「糞ッ!! 」

 

魔界樹が生い茂る森の中を、ネロは目的地である稲荷丸古墳へと疾走していた。

途中、森を徘徊する悪魔共に襲われたが、その全てを背負っている機械仕掛けの大剣『クラウソラス』で薙ぎ払っている。

 

「小僧、もう少しペースを落とせ! 目的地に着く前にヘバってしまうぞ!?」

「へっ、そんなに軟じゃねぇよ。」

 

仲魔の言葉を軽く受け流し、ネロは大きく前方に跳躍。

樹々を突き抜け、稲荷丸古墳がある大きな広場へと躍り出る。

 

 

「へぇ、意外な人物が到着したじゃない。」

 

クレーターの如き巨大な底なし穴を茫然と眺めるネロの背に、同年代と思われる少年の声が掛けられた。

ネロの蒼い双眸が、中性的な美貌を持つ黒髪の少年へと向けられる。

1年程前、ミティスの森で出会ったあの日本人だった。

 

「お前・・・・確か、フォルトゥナに居た・・・・。」

「狭間・偉出夫だよ。 そういえば、あの時は自己紹介をしてなかったね? 」

 

グレーのダウンジャケットと黒のスウェット姿の少年の背後には、薄茶のトレンチコートと中折れ帽を被る覆面の男が立っていた。

どうやら偉出夫の仲間らしい。

幾何学模様のマスクを被る男からは、背筋に怖気が走る程の威圧感を放っていた。

 

「何でお前が此処にいる? 俺をスカウトするつもりなら残念だったな・・・・お前の仲間になるつもりなんてねぇよ。」

「フフッ・・・・・だろうね。 今の君はあの時みたいに一人じゃないからね。」

 

一年前、北の小国”フォルトゥナ”で、理不尽な暴力に晒され、やり場のない怒りに震えていた少年と、今現在、この場に立つ彼は明らかに違う。

 

日本というこの島国で、初めて心を許せる友達と巡り逢えた。

失った愛する家族の代わりであり、召喚術師の師匠である人物を得る事が出来た。

恐らく、彼はこの16年間と言う短い人生の中で、初めて幸せを実感しているのかもしれない。

 

「でも、残念ながらその幸せは長く続かない・・・・・すぐに何もかもを失いまた孤独になる・・・・君はそういう宿星(しゅくせい)に生まれているんだ。」

「はぁ? 何言ってんだぁ? お前。 」

 

全てを見透かした様な偉出夫の口調が、やけに気に障る。

いきり立つネロに反し、その頭上にいる黒い毛並みのハムスターは、冷静に数歩離れた位置に立つ二人組を観察していた。

 

端的に言うと、此方が圧倒的に不利だ。

人数だけの問題ではない。

今、目の前に立つこの狭間・偉出夫という少年は、あらゆる因果律に干渉されない『絶対者』と呼ばれる存在だからである。

そして、その背後に従える男は、恐らく自分と同じ神族の血を持つ人間。

否、果たして人間と言う分類で表現して良いのだろうか?

 

「旧約聖書”創世記”に記されているアダムとイヴの息子達の逸話を知っているかい? 遊牧民だったアベルは、農耕民だった兄、カインに殺害され、全てを奪われるという哀しいお話だ。」

「・・・・・・。」

「君はさ・・・・ネロ、その遊牧民のアベルなんだよ。 兄よりも優秀だった為に妬まれ、挙句、殺されてしまう可哀想な弟だ。」

「ハッ! 訳の分からねぇ事を言ってんじゃねぇぞ! このサイコ野郎が! 」

 

激昂したネロが、魔法の様な速さで、六連装リボルバー『ブルー・ローズ』を脇のホルスターから抜き放つ。

その照準は、寸分違(たが)わず偉出夫の眉間を狙っていた。

 

「小僧!止せ! 銃などこの怪物には効かぬ! 」

「煩せぇ!てめぇは黙ってろ! 」

 

主の暴挙を止めようとする仲魔の言葉を、ネロは一切無視する。

腹腔からマグマの如く湧き上がる怒り。

”フォルトゥナ公国”でも、この日本人と対峙した時、同じ様な苛立ちを感じていた。

 

歯を剥き出し、怒りを露わにするネロに対し、偉出夫は至極冷静であった。

何処か儚げな笑みを口元へと浮かべ、一歩、また一歩とネロに近づく。

 

「まだ記憶が戻らないのか・・・・・仕方ない、”あんな死に方”をしたんだからな? 」

 

銃口を向けられても尚、偉出夫の歩みは止まらない。

哀し気な表情で、大型リボルバーを構えるネロへと尚も歩みを進める。

繊細な指先が、震える銃身に触れると無造作に鷲掴み、自分の額へと押し当てた。

 

「撃て、アベル。 俺の命でお前の気が済むなら・・・・くれてやる。」

「なっ・・・・・何なんだよ? てめぇ・・・・。」

 

この少年は、死ぬのが恐ろしくないのか? 

戸惑いが震えとなり、トリガーに掛けた指先の力が緩む。

刹那、何者かがネロに足払いを掛けた。

不意を突かれ、成す術も無く背後へと倒れる銀髪の少年。

薄茶のトレンチコートを着る覆面の男が、慣れた手つきで、ネロの腕をねじり上げ、抑え込んでしまう。

六連装大口径リボルバー『ブルー・ローズ』が、乾いた音を立てて地面に転がった。

 

「冗談はそれぐらいにしろ? 偉出夫。 お前を慕って付いて来た連中をあっさりと見捨てるつもりか? 」

 

何時もの飄々とした態度ではなく、背筋を凍らせる程の冷たい声で、茫然と佇む少年を叱責する。

 

「誰にも束縛されない自由な世界を造るんだろ? 新世界の神になるってのは真っ赤な嘘だったのか? え? カインさんよぉ。」

「・・・・・・そうだったな・・・・・すまない。」

 

ヴィランの言葉に漸く正気に戻ったのか、偉出夫は自嘲的な笑みを口元へと浮かべる。

そんな二人のやり取りを黙って観察する黒い毛並みのハムスター。

組み伏せられている主を救いたいが、偉出夫とヴィランには全く隙が無く、下手に手が出せない。

 

「小僧を離せ、ソレはワシの大事な主人だ。」

 

主であるネロから離れたハムスターが、本来の悪魔の姿へと戻る。

真っ赤な紅蓮の炎を纏う、炉の姿をした悪魔は、炯々と金色に光る眼窩で、狭間とヴィランを睨みつけていた。

 

「アステカ神話の火の神か・・・。」

 

ネロを組み伏せる覆面の男が、何処か感心した様子で炎の柱を見上げる。

 

シウテクトリは、炎の神であり、又、戦士達の守り神として崇拝されている。

その力は相当なモノで、あの”ソロモン十二柱”の魔神に匹敵するとまで言われていた。

 

「シウテクトリ、俺に構わずお前は逃げろ! 」

「聞けんな・・・・それに、ワシ等の役目は既に終わってる。」

「・・・・? 何? 」

 

シウテクトリの言葉に、ネロが胡乱気な返事を返したその時であった。

魔界樹の生い茂る薄暗い森から、何者かが飛び出して来る。

警視庁『特命係』に所属する刑事‐ 周防克哉警部であった。

色眼鏡の刑事は、黒い光沢を持つ巨大なスーツケースを頭上へと掲げる。

すると、スーツケースが眩い光と共に変形。

巨大なブーメラン形態に変わり、ネロを組み伏せている中折れ帽の男へと投擲する。

ネロを離し、常人離れした脚力で大きく跳躍する覆面の男。

周防刑事の背後から、二つの影が飛び出し、一人が狭間へと襲い掛かり、もう一人が未だ茫然とした様子で地面へと転がっているネロを担ぎ上げた。

 

「こ、鋼牙! 」

「御免、遅れた。」

 

ネロを担いでいるのは、『葛葉探偵事務所』所長代理の壬生・鋼牙であった。

稲荷丸古墳へと向かう道すがら、明とV、そしてライドウの仲魔であるハイピクシーのマベルと合流していたのだ。

 

 

「フフッ・・・・随分と刺激的な挨拶じゃないか? 明。」

「もうちょっと激しいのが良いなら、そうしてやるぜ? 偉出夫。」

 

鈍色に光るコンバットナイフと神器『アスカロン』が激しくぶつかり合う。

数合の撃ち合い後、橙色の火花を散らして離れる二人の少年。

互いに軽口を叩き合うが、その視線は獰猛な肉食獣と同じだ。

 

そんな乱戦状態を冷静に眺めるもう一つの影。

仲魔である大鷲と共に、魔界樹の巨木の陰に隠れているのは、病的なまでに白い肌をした陰気な召喚術師、Vことバージルであった。

全身を襲う激痛に、秀麗な眉根を寄せ、大量の汗が噴き出ている。

 

「おい、大丈夫かよ? バージル。」

 

バージルの体調が悪いのは、誰の目から見ても明らかであった。

恐らく、本体の方が限界を迎え初めているのだろう。

監視役に残った小さな妖精も、気遣わし気に、バージルを眺めている。

 

「ああ・・・・何とかな・・・・・。」

 

懐から霊酒(ソーマ)の入った小瓶を取り出し、口に含む。

 

まだ死ねない。

こんな所で倒れる訳にはいかない。

何とかこの乱戦を切り抜け、玄室にいるであろう義理の父、葛葉キョウジと合流しなければならないのだ。

 

 

 

一瞬、何をされたのか分からなかった。

目の前が真っ赤に染まる。

グラリと倒れる視界の中に、スローモーションの如く周囲の情景が映る。

此方に人差し指を突きつける金色に髪を染めた長身の男。

濃いサングラスの下、格下の自分を嘲る双眸が見える。

この男の名は、玄武。

十二夜叉大将の長・骸の側近、四神の一人であり、17代目・葛葉ライドウの本番だ。

そして、三代目剣聖の称号を持つ最強の男。

 

 

「ウォオオオオオオオオオッ!! 」

 

魔人と化したダンテの雄叫びが、稲荷丸古墳の玄室全体を揺るがす。

真の姿へと戻った大剣『リベリオン』が唸りを上げ、襲い来る無数の触手を全て薙ぎ払った。

 

(コイツ、一体何者なんだ!? )

 

かつてイギリス大陸で名を馳せた伝説の魔導士、アンブローズ・マーリンは興味津々と言った態(てい)で、対峙する悪魔を眺めた。

渾身の魔力によって放たれる光弾の雨を悉(ことごと)く弾き飛ばし、真名を取り戻した自分の一撃を意図も容易く受け止めて見せる。

魔王クラスに匹敵する程の力だ。

 

(ナナシの番か? こんな能無しを本番に選ぶなんて、愚かな。)

 

突如として、目の前に現れた強大な力を持つ魔人に対し、マーリンは心の中で嘲笑する。

 

確かに力だけを見るなら、魔王クラスとほぼ同等の能力を持つだろう。

しかし、所詮それだけだ。

力の本質を全く理解していない。

無尽蔵の魔力を有している様だが、これでは宝の持ち腐れだ。

 

戯れも、そろそろ飽きた。

この辺で、本格的に潰してやろうと思った刹那、何処からか放たれた衝撃波が、魔人化したダンテの身体に叩きつけられる。

咄嗟に、大剣で受け止めるが、その勢いまでも完全に殺す事は叶わなかった。

吹き飛ばされ、地表を削りながら数メートル後退する。

 

「一体何の真似だ? キョウジ。」

 

目の前に降り立つ黒い影は、葛葉四家当主が一人、13代目・葛葉キョウジであった。

黒い漆塗りの刀剣を左手に持ち、漆黒の長外套(マント)にフードを目深に被り、口元には同色の包帯で覆っている。

 

「スマンが時間が無い。早めに切り上げて欲しいんだ。」

 

目的のモノは、既に手に入れてある。

ならば、これ以上の戦闘は無意味だ。

キョウジは、背後に立つ魔王へと一瞥(いちべつ)を送る。

 

「俺等は、お前さんの望みを叶える為に、多くの犠牲を払った・・・・次は、お前さんが俺達の望みを叶える番だ。」

「フン・・・・仕方が無いな。」

 

”賢者の石”を造り出す事。

それが、この悪魔召喚術師との約定であった。

ユリゼンは、諦めたかの様に小さな溜息を零す。

すると、突然、呻き声を上げ、膝を付き四つん這いの状態になった。

両肩の肩甲骨辺りが盛り上がり、巨大な羽へと変化。

四肢が獣の如く折れ曲がり、首が伸びていく。

その姿は、一言で現わすと西洋の御伽噺等に登場するドラゴンそのものであった。

 

「ちぃ! 逃がすかよ!! 」

 

雄々しき両翼を広げ、天高く舞おうとする巨大な龍に向かって、真紅の魔人が大剣『リベリオン』を構えて襲い掛かろうとする。

しかし、その行く手を漆黒の外套(ローブ)を纏う剣士が塞いだ。

大剣の刃とやや反り返った刀身を持つ剣が、橙色の火花を散らしてぶつかり合う。

 

「人間如きが! 邪魔をするなっ!! 」

 

怒りで金の双眸が醜く歪む。

鋭い牙を剥き出しにする魔人を前に、キョウジは呆れた様子で溜息を零した。

 

「はぁ・・・・お前さん、今の姿を17代目が見たらどう思う? 」

「何ぃ!? 」

「悪魔だよ・・・・そこら辺でウロチョロしている悪魔(ヤツラ)と全く同じだ。」

「ぬかせっ!! 」

 

男が持つ刀身を弾き飛ばし、音速を遥かに超える無数の斬撃を放つ。

だが、当たらない。

人間の動体視力では、到底見切れぬ斬撃を、キョウジは全て往なし、カウンターの一撃をダンテの胸元へと炸裂させる。

大きく吹き飛ばされる魔人。

硬い岩盤へと叩きつけられ、衝撃で元の人間の姿へと戻ってしまう。

 

「ううっ・・・・・ば、馬鹿な・・・・この俺が・・・・何で・・・・。」

「ひ弱な人間に勝てないのか?だと・・・・答えは簡単だ。」

 

キョウジは、刀剣を一振りし、黒塗りの鞘へと戻す。

目深に被ったフードから覗く双眸は、何処か憐みの色を含んでいた。

 

「信念だよ・・・・・信念の無い奴に俺は倒せない。」

 

キョウジは、それだけを伝えると、闘気術で膂力を倍加し、大きく跳躍。

龍形態へとメタモルフォーゼしたユリゼンの背へと飛び乗る。

キョウジが乗り込んだのを確認し、巨大な翼を広げるワイバーン。

巨体が宙に浮かぶと、瞬く間に遥か上空へと飛び立つ。

 

 

 

五島美術館、庭園、六地蔵前。

その異変は、初代剣聖・鶴姫と女剣士と対峙する自衛官、坂本晋平二等陸佐にも伝わった。

極彩色の火花を散らし、数歩離れた位置に対峙する両者。

大地を揺るがす激しい振動が、二人を襲う。

 

「こ、これは一体何事だ? 」

 

自然、鶴姫の視線が震源地たる稲荷丸古墳へと向けられる。

天を貫く光の柱。

その中に、蝙蝠の翼を持つ怪物のシルエットが見える。

 

「ふむ、どうやら我々は体(てい)良く利用されていた様ですな? 」

 

二振りの刀剣『吉岡一文字』を鞘に納め、坂本二等陸佐が、一歩後退する。

 

「逃げるのか? 玄信(はるのぶ)。」

 

死亡した部下達の亡骸を平気で見捨て、この場から去ろうとする自衛官に、鶴姫が鋭い双眸を向ける。

 

二天一流の開祖であり、優れた兵法家として名高い男ではあるが、裏を返せばどんな汚い手口も眉根一つ動かさず、平気でやってのける冷酷な本性を併せ持つ。

天下分け目の関ヶ原の闘いでも、天才剣士として名高い佐々木小次郎との巌流島での闘いも、全て己が生き残る為に、様々な汚い手段を使ってみせた。

今も、形勢が不利と判断するとすぐに逃げへと転じる。

武人としては下劣だが、兵法家としては優秀と言う事か。

 

「ええ・・・・残念ですが、私の役目は、あくまで”賢者の石”回収ですからねぇ。貴女との死合いは二の次です。」

 

鶴姫に痛い所を突かれ、坂本二等陸佐は、苦笑いを口元に浮かべる。

そして懐から一枚の札を取り出した。

強制離脱魔法(トラエスト)と同じ効果を持つマジックアイテムだ。

 

「では・・・・また・・・・。」

 

慇懃無礼な仕草で一礼すると、自衛官は札の力を使ってこの場から去る。

後に残されたのは、変わり果てた無惨な亡骸達と、一人の女剣士だけ。

 

「ちっ・・・・・馬鹿弟子め・・・・・。」

 

忌々し気に舌打ちすると、女剣士は魔法剣『七星村正』を鞘へと戻した。

 

 

 

厄災兵器『パンドラ』の複製体を持つ色眼鏡の刑事は、魔具をマシンガン形態へと変形させ、覆面の男を狙い撃つ。

しかし、魔神・ヴィシュヌが宿った神器・スダルサナの能力(ちから)で、無数の鋼の牙は、悉く氷漬けにされ虚しく地面へと落ちた。

 

「へぇ、まさかこんな所にナンバーズの生き残りがいるとはな? 」

 

二対の円盤型の武器”スダルサナ”を手足の如く操り、覆面の男‐ヴィランが皮肉な笑みをマスク越しに浮かべる。

 

「我々の事を知っているという事は、お前は国防総省(ペンダゴン)の人間なのか。」

「まぁ、そんな様なもんだ・・・・今は、違うけどな。」

 

”スダルサナ”を操り、鏃(やじり)の如き鋭い切っ先を持つ氷柱で、色眼鏡の刑事へと襲い掛かる。

それを色眼鏡の刑事は、魔具を鋭い刃が備わっている円盤形態へと変え、迎撃。

襲い掛かる氷柱を全て斬り落とし、手元に帰って来た魔具を今度はボウガン型のミサイルランチャーへと変化させる。

何の躊躇いも無く覆面の男に向かって、ミサイルを撃ち込んだ。

だが、突如目の前に真紅の長外套(マント)を纏った巨人が降り立ち、二発のミサイルをあっさりと握り潰してしまった。

 

「横内・・・・。」

 

周防刑事の前に現れたのは、かつての同胞、横内・健太であった。

紅き死神‐ レッドライダーの姿へと魔人化した横内は、髑髏の仮面越しに、色眼鏡の刑事を見下ろす。

 

「どーこで油を売っていたんだよ? 死神さん。」

 

覆面の男が、呆れた様子で大袈裟に肩を竦める。

 

「国津神共が裏切った・・・・・やはり、奴等は信用出来ない。」

 

紅き死神は、背後にいるヴィランではなく、数歩離れた位置で、明と対峙する偉出夫へと視線を向ける。

 

何処で石の情報を手に入れたのか、この森の中に防衛省の特殊部隊『飛竜』の工作員が数名潜り込んでいた。

狭間達を出し抜いて、”賢者の石”を強奪するのが目的らしい。

 

「そうか・・・・上手くガイア教団の連中を手懐ける事が出来ればと思ってはいたんだけどな。」

 

どうやら偉出夫の予想は、大きく外れたらしい。

その時、一同の立つ周辺が大きく鳴動した。

揺れ動く台地。

立っている事が叶わなくなり、明が地面に膝を付く。

 

突然の大爆発。

稲荷丸古墳のあった大穴から巨大な炎の柱が天を貫き、続いてワイバーンの巨影が姿を現す。

龍形態へと変貌した魔王・ユリゼンだ。

背に協力者である13代目・葛葉キョウジを乗せ、遥か上空を飛翔する。

その姿は、まるで絵本等に登場するドラゴンそのものであった。

 

「? 父さん。 」

 

上空を舞うワイバーンの背に、義理の父親の姿を見つける。

どうやら、無事人修羅から真名を取り戻す事が出来た様であった。

 

「ちょっと! 何処に行くつもり? 」

 

平崎市方面へと飛翔するワイバーンの姿を認めたバージルは、造魔”グリフォン”を従え、稲荷丸古墳から去ろうとする。

その背をマベルの鋭い声が呼び止めた。

右掌をバージルの背中へと向け、何時でも電撃魔法が撃てる体勢になる。

 

「・・・・・平崎市古墳・・・・かつて破壊神・イナルナ姫が眠っていた大迷宮だ。」

 

V‐ バージルは、それだけをマベルに伝えるともう一人の造魔”シャドウ”を召喚する。

黒い粒子の塊へと姿を変える黒ヒョウ。

主の足元へと纏わりつき、宙へと持ち上げる。

 

「待って! 素直に行かせると思っているの? 」

 

何の代償も支払わず、まるで他人事の様に平気でその場を去ろうとするV‐ バージルに、例える事が出来ぬ怒りが湧き上がる。

電撃系下位魔法”ジオ”の雷の光弾が、陰気な召喚術師の背に狙いを定めた。

 

「・・・・・・。」

 

しかし、そんな怒りの形相を浮かべる小さな妖精に対し、バージルは一言も喋る事はしなかった。

只、黙って背後にいる妖精に一瞥を送ると、仲魔に命じて魔界樹が生い茂る獣道へと向かってしまう。

消えていく黒髪の青年を、黙って見送る妖精。

光弾が、霧散すると大きく溜息を吐き出し、ガックリと肩を落とした。

 

 

 

 

明滅する赤色回転灯(せきしょくかいてんとう)。

警視庁が所持する数台の装甲車と、救急病棟の特殊車両が、五島美術館前に停車している。

17代目・葛葉ライドウは、痛む脇腹を抑え、担架で運ばれていく少女をぼんやりと眺めていた。

その傍らには、母親らしき女性が付き添い、数名の救命士達と共に、娘と同じ車両へと乗り込んでいく。

 

「先生・・・・・。」

 

愛弟子である少年の声に、隻眼の悪魔使いが其方へと視線を移す。

そこには、黒い毛並みのハムスターを頭に乗せた、銀色の髪をした少年が、傍らに小さな妖精を従えて立っていた。

 

少年‐ ネロは、大分戸惑いつつも、装甲車に背を預ける師の元へと歩み寄る。

 

「先生・・・・怪我・・・・。」

「何故、此処にいる・・・・訓練中は、不用意な悪魔討伐は控えろと言った筈だ。」

 

気遣う言葉を師に遮られ、ネロの顔色が忽(たちま)ち真っ青に変わる。

 

召喚術を学ぶ際、ネロは『不必要な悪魔狩りは慎め。』と師であるライドウから忠告を受けていた。

この場にいる以上、何の言い訳も師には通用しない。

どうしたものかと考えあぐねるネロに対し、意外なところから助け舟が来た。

 

「俺が無理矢理誘ったんだ・・・・流石に、鋼牙と二人じゃ心許なかったからな。」

「明・・・・・。」

 

二人に近づく大柄な影。

それは、ネロと同じ”探偵部”に所属する遠野・明であった。

長い前髪の下から、鋭く義理の父親を見つめている。

 

「本当なのか? 」

 

疼く様な脇腹の痛みを無視し、ライドウは愛弟子へと鋭い隻眼を向ける。

 

「ち・・・・違う、俺は・・・・・。」

「コイツは何も悪くねぇ・・・・査問委員の連中に報告したきゃ勝手にしろ。」

「・・・・・・。」

 

まるでネロを庇う様に、明が隻眼の悪魔使いの前へと割って入る。

ぶつかり合う義理父と息子の視線。

しかし、先にソレを外したのは義理父のライドウであった。

息子の頑固さは、身に染みて思い知っている。

どんなに詰問しても、決して本当の事は話さないだろう。

 

不穏な空気が流れる中、ボロボロの真紅の長外套(ロングコート)を纏う銀髪の魔狩人が姿を現した。

背には、元の姿へと戻った大剣『リベリオン』を担いでいる。

崩れていく稲荷丸古墳玄室から、何とか這い出して来たダンテであった。

 

「今は行かない方が良いと思いますよ? 17代目、物凄く不機嫌みたいだから。」

 

主人の元へと行こうとするダンテの背に、黒縁眼鏡の少年‐ 壬生・鋼牙が呼び止めた。

太い針葉樹に背を預け、腰に備前長船(びぜんおさふね)を帯刀している。

 

「・・・・・”魔神皇”の連中は一体どうなった。」

 

右手の指先が、無意識に腹に刻まれた刀傷へと触れる。

 

異界化した五島美術館の庭園には、自分達の他に”エルバの民”‐ ”魔神皇”一派も紛れ込んでいた。

奴等の目的が一体何かは、未だ皆目見当もつかないが、恐らく四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンに関わる何かだろう。

 

「へぇ、”エルバの民”をご存知だったんですか? 」

「名前だけはな・・・・頭のイカレた餓鬼共の集まりだと聞いている。」

 

現在、SNS上では、『エルバの民』と呼ばれる掲示板が噂になっている。

何でも恨んだ相手の名前をその掲示板に書き込めば、”魔神皇”と呼ばれる祟り神が現れ、呪った相手を呪殺してくれるらしい。

当初は、餓鬼同士の下らない噂話だ、程度にしか思えないが、事実、その掲示板に名前を書き込まれた人物は、数週間以内に悲惨な死に方をしていた。

 

「残念ながら逃げられてしまいました。 あの時の騒ぎに乗じてね。」

 

鋼牙は、大分大袈裟に肩を竦める。

 

稲荷丸古墳跡地である巨大な大穴から、突如出現した巨大な龍(ドラゴン)。

驚愕する一同を尻目に、魔神皇一派は、忽然と姿を消していた。

痕跡を残さず、綺麗さっぱりとである。

 

「へっ、”八咫烏”の天才君も、案外大した事がねぇな? 」

「それ、そっくりそのままお返ししますよ・・・・伝説の魔剣士・スパーダの血族も案外大した事がないんですね? 」

 

殺気を多分に含んだ両者の双眸が、激しく火花を散らす。

 

見た目の容姿から、鋼牙は大人しい秀才タイプに見られがちだが、実際は大分違う。

壬生家の苛烈極まる呪われた血は、確実に引いており、おまけに母親譲りの気性の荒さまで備わっているのだ。

師、13代目・葛葉キョウジから、『己を律し、冷静な判断力を持て。』と厳しい指導を受けている為、深層心理に内在する凶暴な獣を強靭な精神力で抑えつけているだけだ。

 

「俺に喧嘩を売ってんのか? 坊主。」

「先に売って来たのは、貴方でしょ? 」

「いい加減にせぬか、二人共。」

 

今にも互いの得物を抜きかねない二人の様子に、第三者が割って入った。

初代剣聖・鶴姫だ。

大胆に胸倉の開いた着流しを身に着けた絶世の美女は、呆れた様子で、二人の男を腕組みして眺めていた。

 

「今は一刻を争う非常事態だ・・・・早く奴等を止めねば、この国が地獄に変わる。」

 

まるで新雪の如き真っ白い肌と、濡れ羽色の長い黒髪。

美しく整った容姿を持つ美女は、呆れた様子で溜息を吐き出す。

 

鶴姫が指摘する通り、この大規模な悪魔によるテロ事件を起こした首謀者二人組は、何処かへと姿を消している。

警察関係者や防衛省も、緊急事態宣言を発令し、各特殊部隊が厳しい検問を強いていた。

だが、これだけ行方を捜索しているにも拘わらず、四大魔王(カウントフォー)の一人、ユリゼンとその協力者の足取りは全く掴めていない。

無駄に時間だけが、経過するだけであった。

 

「ダンテ、奴等の居場所はマベルから聞いている。 今すぐついて来い。」

「初代様、この男は危険です。 彼を連れて行くより僕達の方が・・・・・。」

「お前達は、馬鹿弟子がこれ以上、余計な事をしない様に監視だ。」

 

銀髪の大男を引き連れ、予め警察関係者に用意させた車両へと向かおうとする女剣士の背に、鋼牙が慌てて呼び止めた。

しかし、それを鶴姫は、無情にも切って捨ててしまう。

 

「今の奴は、相当自暴自棄になっとる。 誰かが見守っていないと何をするか分からん状態だ。」

「・・・・・・初代様。」

 

まだ何かを言いたそうな黒縁眼鏡の少年をその場に残し、鶴姫は銀髪の魔狩人を促して、警視庁が用意した車両へと踵を返した。

 

 

 

ダンテが車に乗り込むと、運転席には百地警部補が座っていた。

部下であり相棒の周防刑事は、慣れない魔具の連続使用と、最上級悪魔(グレーターデーモン)の召喚により、異界化した庭園から脱出した直後、倒れてしまったらしい。

今現在は、救命病棟が用意したもう一つの特殊車両で、消耗した体力回復の治療を受けているとの事であった。

 

「全く、よりによってもう一度、あの薄気味悪い平崎古墳に行く羽目になるとはな。」

 

愛用の煙草に使い捨てライターで火を付けつつ、壮年の警部補は、忌々しそうに舌打ちする。

少々、乱暴に平崎市に向け、急発進する警察車両。

五島美術館前の喧騒がどんどん、遠ざかっていく。

 

「何で俺なんだ? 爺さんの方が実力経験共に俺より遥かに上だろう。」

 

流れていく景色を眺めつつ、ダンテが悪態を吐いた。

 

「消去法だ・・・・・さっきも言ったが、17代目は精神的に不安定だ。 組織からの援軍も望めないし、お前なら、私でも御しやすいからな。」

「ひでぇ、言い草だな。」

「何を言っている・・・・13代目とケリを付けたいんだろ? 」

「13代目? 」

「葛葉四家当主が一人、13代目・葛葉キョウジ、今回のテロの首謀者の一人だ。」

 

シートに深々と身を預けた初代剣聖・鶴姫が、事件の大方のあらましを説明する。

 

反逆皇・ユリゼンことアンブローズ・マーリンは、20数年前に17代目・葛葉ライドウの手で討たれた。

しかし、奇跡的に一命を取り留めたマーリンは、何の因果か、現世に落ち延びていたのだ。

そして、詳しい経緯(いきさつ)は知らないが、マーリンの存在を知ったキョウジは、ライドウから奪われた『真名』を取り戻す為に、一時的な協力関係となった。

 

「信じられねぇな・・・・俺は、キョウジとは30年以上も付き合いがある。アイツはド助兵衛で、金遣いが荒い奴だが、こんな大それた事をしでかす奴じゃない。」

 

百地警部補とキョウジは、共に悪魔の脅威から矢来区に住む市民達を守って来た、いわば戦友ともいえる間柄だ。

お互い利用し合う関係であったが、正義に対する志は、同じである。

 

「・・・・・私も警部補と同意見だ・・・が、今の奴は昔とは大分違う。」

「違うって? 」

「愛する家族が出来た・・・・・自分の命を捧げても構わぬと思える存在がな。」

「家族? もしかして、壬生の跡取り息子か? 」

「違う、警部補は知らぬと思うが、実はもう一人いるのだ・・・・命に代えても守らねばならぬ息子が・・・・。」

「まさか・・・・・。」

 

それまで、黙って警部補と女剣士の会話を聞いていたダンテは、ある結論に至り驚愕する。

 

「そう、お前の予想通りだ。 13代目は、お前の双子の兄を養子として引き取っていたのだ。」

 

 

 

葛葉四家当主が一人、13代目・葛葉キョウジは、東京都矢来区を中心に活動していた悪魔召喚術師である。

剣士職を全て取得した到達者(マイスター)であり、剣聖級の実力を持っていた。

その証拠に、現剣聖である4代目、アルカード・ヴェラド・ツゥエペシュは、キョウジの実力と優れた人物像に惚れ込み、剣聖の座を彼に譲り渡そうとまでしていた。

しかし、剣聖の名を手に入れたら、要らぬ敵が寄って来るという勝手極まる言い分を理由に、襲名を辞退。

以降は、矢来区で探偵事務所を営み、悪魔の脅威から人々を護り続けていた。

 

 

「お前には話していなかったが、私は一度だけバージルに会っている。当時は、奴も大分幼く、私の事等、とっくに忘れているだろうけどな。」

 

新月期に元の姿へと戻った鶴姫は、何かの用事で矢来銀座に立ち寄った事がある。

その時に、『葛葉探偵事務所』で身の丈程もある日本刀を抱えた銀髪の少年‐バージルと出会った。

 

「成程・・・・・道理で、太刀筋が似ている訳だ。」

 

異界化した五島美術館の庭園と、稲荷丸古墳での死闘で、嫌になる程思い知らされている。

バージルの師は、13代目で間違いない。

キョウジは、幼いバージルを引き取り、彼に剣士としての英才教育を施した。

 

「どんな汚い手を使ってでも、我が子を救う・・・・・キョウジは形振(なりふ)り等構わぬ状態だろうな、我々もそれ相応の覚悟で挑まねば、簡単に返り討ちに合う。」

 

それ程までに、キョウジにとってバージルと言う血も繋がらぬ我が子は、大事な存在なのだろう。

本来、護らねばならぬ市民の命を、”石”を生み出す為の贄に捧げてしまう程に。

 

「・・・・・大馬鹿野郎だぜ、バージルは・・・・そんな良い親父がいながら何故、道を踏み外したんだ? 」

 

物心ついた時から、施設の無機質な壁を眺め、職員達から口煩い小言と、虐待とも取れる体罰を受けてきたダンテにとって、バージルが育って来た環境は妬ましく映る。

鶴姫や百地警部補の話を聞く限り、13代目という人物は、義に厚く、文武共に素晴らしい男なのだろう。

そんな人物の傍で、大事に育てられながら、何故、『テメンニグル事件』等という大規模な悪魔によるアウトブレイクを引き起こしたのか。

 

 

 

平崎市、中央区古墳。

かつてこの地には、大規模な領地を誇る王国があった。

イナルナ王国という名の国は、大和朝廷と対立し、凄惨な戦の末、一族郎党皆殺しにされた。

当時、王国を納めていた姫は、日ノ本を憎み、呪い、様々な厄災を貴族やその地に住む豪族、果ては一般の人々にまで及ぼした。

故に、彼等はイナルナ姫の怒りを鎮める為、彼女が治めていたこの平崎市の地に古墳を建造したのである。

 

「”まつろわぬ神”・・・・・か。」

 

病的にまで白い肌とノースリーブの長外套(こーと)を着た黒髪の召喚術師は、古墳大迷宮の入口を見上げる。

 

今から30年程前、此処で祟り神・イナルナ姫による大規模なパンデミックが起こった。

当時、義理の父親である13代目・葛葉キョウジは、相棒であり番のレイ・レイホゥと、共にイナルナ姫を討伐、彼女の霊を見事鎮めてみせた。

しかし、未だに祟り神であるイナルナ姫の影響は色濃く、古墳迷宮入口は、誰も立ち入れない様に、硬く入口を閉ざしている。

4メートルを軽く超える巨大な塀が、古墳周辺を取り囲み、入口は常に施錠されていた。

黒髪の青年‐ Vは、鉄の扉の前へと立ち、慣れた手つきで電子ロックのキーナンバーを押していく。

ロックが外れる音と共に、扉が開いたのが分かった。

 

「おい、バージル。 親父さんの言いつけ通り船で待機していた方が良いんじゃねぇのか? 」

 

Vことバージルの傍らにいる黒い毛並みの大鷲が、窘める様に主に忠告した。

彼等の本来の仕事は、既に終了している。

反逆皇・ユリゼン‐ アンブローズ・マーリンは、無事に17代目から己の”真名”を取り返し、後は『賢者の石』が完成するのを待つばかりだ。

”石”が完成し、義理父であるキョウジがソレを手に入れれば、崩壊したバージルの肉体を修復する事が出来る。

 

「奴は信用出来ない・・・・必ず父さんを裏切る。」

「でもよぉ、今のお前が行ったところで親父さんの足手纏いになるだけじゃねぇのかぁ? 」

 

グリフォンの危惧は至極当然だ。

第三者が見て分かる通り、バージルはかなり衰弱している。

その一番の理由が、元の肉体が既に危険な状態まで崩壊しているという事だ。

一刻も早く、肉体を修繕しなければ、バージルの魂までもが消失してしまう。

 

「それでも行かなきゃならないんだ・・・・俺は、全てを見届ける義務がある。」

 

粗い吐息を吐き出しつつ、バージルは古墳大迷宮へと一歩踏む出す。

 

父さんだけに・・・・あの人だけに、大罪を背負わせる訳にはいかないからだ。

 




毎日暑いです。


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第23話 『まつらわぬ神』

登場人物紹介

坂本晋平二等陸佐・・・・・ 正体、宮本武蔵。
後藤事務次官の懐刀であり、対悪魔殲滅部隊『飛竜』の司令官。
吉岡一文字を帯刀しており、二天一流兵法で敵悪魔を叩き伏せる。
剣士職を全て取得した到達者(マイスター)。



平崎市、中央区にある巨大な古代古墳。

かつて此処には、日本三大怨霊の一人、イナルナ姫が封印されていた。

組織『ファントムソサエティ』に属する召喚術師(サマナー)、シド・ディビスは、彼女の膨大な魔力と魔導に関する知識を我が物にせんが為、数千年の永き眠りから復活させようと画策。

しかし、当時、矢来銀座を中心に活動している超国家機関『クズノハ』の召喚術師(サマナー)、13代目・葛葉キョウジの手によって、その野望は潰(つい)えた。

そして、30数年後、再びその禁は破られようとしている。

 

 

「着いたぜ、此処が”平崎古墳”だ。」

 

覆面パトカーを停め、百地警部補が運転席から外へと降りる。

後部座席から外へと出た銀髪の魔狩人‐ダンテは、その異様極まりない佇(たたず)まいに思わず息を呑んだ。

 

一言で言えば、現世に存在しうる人間が、決して干渉してはならない場所。

悪魔狩人(ハンター)ですら、本能的に近寄ろうとはしない強い瘴気を、その巨大古墳は放っていた。

 

「まさかとは思うが、オタク等二人だけで行くつもりじゃねぇーよな? 」

 

同じく後部座席のドアを開けて外へと出た、美麗の女剣士を眺めつつ、百地警部補は呆れた様子で溜息を吐きだす。

こんな分かり切った質問は、無粋なのは百も承知だ。

しかし、公僕という身分上、確認せずにはおれなかった。

 

「ああ、増援はいらん、私とこの男の二人だけで十分だ。」

「・・・・・。」

 

初代剣聖の実力は、嫌という程承知している。

だから、壮年の刑事は苦虫を1000匹噛み潰した様な渋い顔で押し黙るより他に術が無かった。

 

「剣聖殿・・・13代目の奴は・・・・。」

「大丈夫だ。警部補殿が心配している様な真似はしない。」

 

百地警部補は、鶴姫がキョウジを手に掛けるのでは? と、内心憂(うれ)いている。

この壮年の刑事にとって、あの探偵は無二の戦友だ。

共に平崎市を悪魔の脅威から護り、人々の生活を影日向となって支え続けている。

キョウジを失うという事は、この刑事にとって半身を失うのに等しい。

出来る事ならば、再び生きて再会したいのだ。

 

鶴姫は、口元に柔和な笑みを浮かべ、背後に立つ警部補に微笑みかけると、銀髪の魔狩人を促し、古墳大迷宮へと足を踏み出す。

そんな二人の背を、警部補は黙って眺めていた。

 

 

 

平崎市臨海公園駐車場。

そこに一台の大型トレーラーが停車していた。

女職人(ハンドヴェルガー)ニコレット・ゴールドスタインが仕事に使用している大型車両であった。

 

「平崎古墳か・・・・成程、確かにあそこなら”賢者の石”精製にはうってつけだな。」

 

上着を脱ぎ、見事に鍛え上げられた上半身を惜しげも無く晒した17代目・葛葉ライドウは、仲魔であるハイピクシーのマベルの治療を受けていた。

折れた肋骨は、粗方再生し、失った体力も徐々にではあるが、戻りつつある。

 

「うん・・・・でも、V・・・バージルを止められなかった。」

 

あの時、どうしても自分は電撃魔法を放つ事が出来なかった。

視界から去っていくVの背中を、ただ眺めているだけであった。

 

「君のせいじゃない。 その事に関しては気に病む必要はない。」

 

脱いでいたアンダーシャツを身に着け、特殊繊維で編まれた上着と防具を身に着ける。

漆黒の長外套(ロングコート)を纏い、真紅の呪術帯をマフラーの様に首元へと巻く師の姿を、同じく後部座席へと座るネロがぼんやりと眺めていた。

 

現在、車内にはこの大型トレーラーの持ち主であるニコと、自分以外いない。

『探偵部』の仲間である壬生・鋼牙と遠野・明は、車外でお互いの持つ情報を交換していた。

因みに、クラスメートの日下・摩津理は、世田谷区にあるシェルターに保護されている。

 

「まさか一人で行くつもりじゃないよな? 先生。」

 

身支度を整え、車外へと出ようとする師を銀髪の少年‐ネロが呼び止める。

無言で此方へと一瞥を送る悪魔使い。

その隻眼は、氷点下の如く冷たく、ネロが一瞬気後れしてしまう。

 

「俺も一緒に行く、先生一人だけを危険な場所に行かせられない。」

 

師が放つ怒気に思わず萎縮してしまいそうな己自身を奮い立たせ、ネロはそれだけを言い募る。

今の自分は、失った”デビルブリンガー”の代わりに”デビルブレイカー”を与えられ、最新型の機動剣‐”クラウソラス”を持っている。

それに、頼もしい仲魔もいた。

 

「駄目だ。お前は鋼牙達と一緒に、世田谷区のシェルターに行け。」

「足手纏いにはならねぇよ! 」

「未だに”ソロモンの魔神”を従える事が出来ないお前を連れてはいけない。」

「・・・・・っ。」

 

痛い所を師に突かれ、銀髪の少年は悔し気に押し黙る。

確かに師の言う通りであった。

稲荷丸古墳では、魔神皇一派と交戦になり、ソロモンの魔神こと『堕天使・アムトゥジキアス』を一時的にではあるが、暴走させてしまっている。

仲魔である火の神・シウテクトリがいなければ、どうなっていたか分からない。

 

そんな少年を主の頭に乗った黒毛のハムスターが、無言で眺める。

主の悔しい気持ちは分るが、師であるライドウの言う事は最もであった。

何時、暴走するか分からない時限爆弾を抱えて、戦場に行く事は出来ない。

 

ライドウは、俯く愛弟子に一つ溜息を零すと、仲魔である小さな妖精を肩に乗せ、大型トレーラーから外へと出る。

すると、その目の前に実の息子である遠野・明が立ち塞がった。

自分より遥かに上背がある息子に見下ろされ、悪魔使いの隻眼が不愉快に歪む。

 

「俺達は、誰の命令にも従う気はねぇ。勿論、アンタにもな? 17代目。」

「明・・・・・。」

 

どうやら、車内でのネロとの会話を聞かれていたらしい。

息子の背後に立つ壬生・鋼牙も同じ意見らしく、愛刀である備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)を手に此方の様子を伺っていた。

 

「同級生(クラスメート)の家族が殺された。 しかも、それだけじゃねぇ。俺達が管轄している矢来区(此処)も危険に晒そうとしている。」

「だから何だ? 未成年のお前達が命を張る必要は無い。すぐに国防省が対悪魔殲滅部隊を派遣してくれる。」

 

明達が何を言いたいのか、大体察しは出来る。

この事件から一切手を引く気が無いのだ。

子供ならではの実に下らない言い分だ。

 

「奴等に落とし前を付けさせるまで、引き下がる気はねぇ。」

「僕も同じです。事件の真相を知る権利がある。」

 

マベルから大体の概要は知らされている。

山谷のかさぎ荘から始まり、世田谷の大虐殺は、四大魔王(カウントフォー)の一柱、反逆皇・ユリゼンによって引き起こされた。

しかも、現世での協力者が、事もあろうに超国家機関『クズノハ』を創設した四家当主が一人、13代目・葛葉キョウジその人なのだ。

本来、日ノ本の民を救う為に存在しうる守り人が、その民に害を与えている。

 

「・・・・お前達の気持ちは分らなくもない。だが、子供を戦争に巻き込む訳にはいかないんだ。」

 

どんな言葉を投げかけたとしても、この二人を止める事は叶わないだろう。

特に、鋼牙にとって13代目は、自分を認め、秘められた才能を開花させてくれた恩人だ。

それに、実父との関係が修復不可能な程、破綻しているこの少年にとって、キョウジは実の父親と同じ存在であった。

 

そんな、永遠平行線を辿りそうな会話をしているその時であった。

彼等がいる臨海公園駐車場に、黒塗りの大型特殊装甲車が現れる。

外装にはH・E・C(Human Erotic Toro ni Kusu Company)のロゴが刻まれていた。

 

「お待たせ致しました、旦那様。」

 

運転席から、燕尾服を着た60代半ばぐらいの男が降りて来る。

成城にある葛葉邸を取り仕切る執事、岡本・兼続(かねつぐ)であった。

 

「否、定刻通りだよ。」

 

超やり手の執事(バトラー)を前に、ライドウが思わず苦笑を浮かべる。

そんな主に対し、忠実な初老の執事は、慣れた手つきで手の中に納まるぐらいのリモコンを操作した。

装甲車の外装が、まるで蝶の羽の如く開く。

流線型の形をした前に車輪が二つ、後ろに一つという独特な形をしたモーターラッドが格納庫に収まっていた。

ライドウが持つ魔具(デビルアーツ)の一つ、キャバリエーレだ。

 

「申し訳ありません。”イクシオン”の調整が間に合わず、取り急ぎダンダリオンに命じて、代わりの魔具(モノ)をご用意致しました。」

 

早速、格納庫から降ろされる、かつて愛用していた魔具。

明と鋼牙の脇を通り過ぎ、モーターラッド型の魔具へと無言で跨る主に、初老の執事(バトラー)は恭しく頭を下げた。

 

「仕方が無い。テュランエンジンが実用化するまで、まだまだ時間がいる。」

「17代目! 」

 

エンジンを吹かし、自分達二人を完全に無視して、その場を去ろうとする悪魔使いの背を、黒縁眼鏡の少年が思わず呼び止める。

何か一言でも、この頭の固い朴念仁に言ってやりたかった。

 

「止せ、あの石頭に何を言っても通じねぇよ。」

「明。」

 

今にも悪魔使いの胸倉を掴みかねない幼馴染を、明が押し留める。

あの悪魔使いが何を言おうが自分達には関係ない、この事件は自分達が納得出来る形で終わらせる。

長い前髪の隙間から見える双眸は、そう、無言で告げていた。

 

 

 

「どうした? 少年。 もしかして凹んでんのか? 」

 

力無く、後部座席に座り込むネロの頭上から、女職人の声が降って来る。

恨めし気に、ニコを見上げるネロ。

車外から、大型装甲車両のエンジン音と、明達とライドウの言い合う声が微かに聞こえる。

 

「・・・・・別に・・・・アンタには関係無いだろ? 」

 

不貞腐れる様に唇を尖らせる。

 

師であるライドウが言う通り、自分は召喚術師(サマナー)としては、まだまだ未熟者だ。

己の中に棲み着く悪魔”ソロモン十二柱”の魔神、堕天使・アムトゥジキアスを使役するどころか、簡単に肉体を奪われる始末。

挙句、精神面では火の神・シウテクトリやハイピクシーのマベルに頼り切り、己一人では何一つとして成し得た事が無い。

 

不図、脳裏に病魔に犯され、死の淵へと彷徨う義理姉・キリエの姿が過った。

自慢の栗毛の髪は、長期間に渡る抗生物質の投薬により全て抜け落ち、食欲は失せ、骨と皮ばかりの無惨な姿へと変わり果てた。

 

(違う! 俺は逃げたんじゃない! キリエを・・・・彼女を見ているのが辛かったんだ!)

 

義理姉が息を引き取る最後の瞬間、ネロは、その場にいなかった。

否、いたことにはいた。

キリエが寝ている病室の外で、只、茫然とその場に立っていた。

 

『言い訳するなよ・・・・本当は、醜く変わったあの女を見るのが嫌だったんだろ? 』

 

自分と全く同じ声が脳内に響く。

弾かれた様にネロは、自分の向かい側へと視線を移す。

するとそこには、車内に積んである古びたジュークボックスを背に、自分と全く同じ容姿をした銀髪の少年が立っていた。

 

『まるでミイラみたいだったもんな? お前の大好きな姉ちゃん。』

「てめぇ・・・・。」

 

生まれ持って備わった本能で、ソレが一体何者なのかを悟る。

堕天使・アムトゥジキアス。

かつてミティスの森の奥深くにある石の霊廟に封じられていた”ソロモン十二柱”の魔神の一人だ。

宿主と全く同じ容姿をした堕天使は、口元に冷酷な微笑を浮かべていた。

 

『怖かったんだよな? 恐ろしかったんだよな? だから、お前は現実から逃げたんだ。』

「うるせぇ! 」

 

一番触れられたくない部分を、無遠慮に抉り出され、銀髪の少年が、思わず激昂して座っていたシートから立ち上がる。

少年の突然の豹変振りに驚くニコ。

二歩・三歩と後退る女職人と銀髪の少年の視線が合う。

 

「い、一体どうしちまったんだよ? もしかして、さっきのアタシの言葉に怒った? 」

「ち、違う・・・・アンタのせいじゃ・・・・。」

「小僧、人修羅を追い掛けろ。」

 

堕天使が見せた幻覚に狼狽し、顔を真っ赤にさせる少年に向かって、それまで黙って主の様子を伺っていたハムスターが言った。

 

「今のお前に一番必要なのは、己の中にあるトラウマと向き合う事だ。」

「シウテクトリ。」

 

この火の神は、主人が過去に犯した罪を見透かしている。

”ソロモンの魔神”を従える事が出来ないのも、己自身が抱えるトラウマを克服する事が出来ない為だ。

 

「ワシの見たところ、お前さんは逆境に立たされれば、立たされる程、成長するタイプだ。今は、大人しく引き下がるより、一歩前に出るべきだと思う。」

「・・・・・・。」

 

器用に、後部座席のシートに後ろ足だけで立ち、偉そうに腕組みする黒毛のハムスターは、主人である銀髪の少年を見上げる。

 

この主が、心身共に強くなれば、”ソロモンの魔神”を従えさせる事が出来るかもしれない。

悪魔召喚術師にとって、一番必要なモノは、折れる事が無い強い『信念』だ。

この少年には、その最も大事な部分が欠けている。

 

「良し、そうと決まれば、外にいる悪ガキ二人組を呼んで、さっさと平崎古墳に向かうぞ! 」

 

シウテクトリとネロとの間に流れる微妙な空気を敏感に感じ取り、ニコはバンの出入り口へと向かう。

ネロと同じ”探偵部”に所属する、遠野・明と壬生・鋼牙の二人を呼び戻す為であった。

 

 

平崎古墳、かつて秦氏の国の姫君であった伊那瑠奈姫が眠る霊廟。

その大迷宮の薄暗い通路を、ノースリーブのコートを身に着けた細身の青年が、覚束ない足取りで歩いていた。

銀色の杖をつき、ゼイゼイと喘鳴を繰り返す。

蒼白い肌には幾つもの罅が入り、その双眸はどこか虚ろであった。

 

「おい、やっぱり無理だ。今すぐビクトルの爺さんに診て貰った方が良い。」

 

青年‐ Vの傍らを飛ぶ漆黒の大鷲が、懸命に主に向かって声を掛ける。

誰の目から見ても、青年が満身創痍である事が分かる。

何処かで適切な措置を受けなければ、確実に命の灯が消えるだろう。

 

「ふ、船には戻らない・・・・俺には、全てを見届ける義務がある。」

 

粗い呼吸を繰り返しつつ、Vは一歩、また一歩と前へと進む。

 

義理の父‐ 13代目・葛葉キョウジは、血の繋がらぬ己の為に大罪を犯した。

肉体が崩壊し、死を待つだけだった自分を生かそうと、魔界を統治していた4大魔王(カウントフォー)の一人、『反逆皇・ユリゼン』を復活させた。

そして、平崎市の地下に”クリフォトの魔界樹”を植え付け、大勢の人間達の命を奪い、『賢者の石』を精製したのである。

この伊那瑠奈姫が眠る大迷宮には、命の糧を吸い尽くし、生み出された『賢者の石』と魔王・ユリゼン、そして義理の父、キョウジがいる。

 

(父さん一人に罪を背負わせない。)

 

脳裏に浮かぶのは、優しく豪快に笑う義理父の姿。

悪魔と人間の間に生まれた自分を慈しみ、実の子と同じ様に育ててくれた。

V‐バージルに普通の家庭を持って、普通の人生を送る事を望んでくれた。

しかし、自分はそんな心優しい父親の想いを裏切ってしまった。

実の父・スパーダの力を欲した。

悪魔として生きる道を選んでしまった。

その結果、キョウジは自分が築き上げて来た輝かしい経歴を全て捨て、自分を生かす為に、大勢の罪なき命を犠牲にした。

 

 

「まさに美しい家族愛・・・・思わず涙が零れてしまいそうだ。」

 

「・・・・一体、どういう意味ですか? 」

 

平崎市へと向かう最新型の装甲車‐セネター APCの車内。

隣に座る主の呟きを横内・健太が胡乱気な視線を向ける。

 

彼等は現在、パトロンの一人である三島重工から借りたセネター APCを駆り、平崎古墳へと向かっていた。

目的は勿論、四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼンが創り出した『賢者の石』である。

五島美術館での死闘で、チャーリーこと黒井・慎二が負傷し、今は母親のテレジアと共に、三島重工が所有している生体研究所に戻っている。

車内には、運転手である三島の私設部隊の兵士と、『エルバの民』の同志、大月清彦、そして偉出夫と横内の計三名が乗っていた。

 

「この事件の真相さ・・・・愛を欲しがる哀れな子供と、愛を護る為に鬼となった男の哀しい物語だ。」

 

狭間・偉出夫は、まるで独白かの如く、事件のあらましを語り始める。

 

事件の発端は、7年前にまで遡る。

矢来区を中心に悪魔召喚術師(デビルサマナー)として活動していた13代目・葛葉キョウジには、血の繋がらぬ息子がいた。

その息子は、魔界でも最強と謳われた魔剣士・スパーダと人間の女性との間に生まれた半人半妖であった。

当然、息子は自分の出自を隠し、至極普通の人間として一般社会に溶け込み生活を送っていた。

だが、ある日を境に、息子は養父であるキョウジの元を去る事になる。

彼は、実父であるスパーダの力を欲し、NYにあるレッドグレイブ市で大規模なパンデミックを引き起こした。

アメリカ合衆国は、対悪魔討伐専門部隊を持つヴァチカン市国へと依頼。

”虐殺部隊”と異名を持つ『13機関‐イスカリオテのユダ』が動いた。

 

「その事件なら知っています。 確かスラム一番街が異界化し、大量の悪魔が実体化した・・・その討伐の為、13機関は生存者ごと空爆で焼き払った。」

 

無意識に嫌悪感で、眉間にしわが寄る。

傍若無人極まる異端審問官による、大量虐殺。

神の名を平然と語り、奴等は生き残っている市民を悪魔ごと焼き尽くしたのだ。

 

「そう・・・だが、悲劇はそれで終わりじゃなかった。 父親は、義理の息子を探す為に、魔界へと堕ちたんだ・・・・。」

 

父・・・・葛葉キョウジは、息子―バージルを探し求めて、実に7年間という長い時を費やし、等々、変わり果てた息子を見つけた。

肉体の7割以上を破壊され、『ソーマの雫』で辛うじて生きている我が子の姿を。

 

「んで、ソイツが一体どうして、四大魔王(カウントフォー)の一人であるユリゼンと知り合ったんですかい? 」

 

助手席に座り、スマホを弄っていた大月が、視線を手の中にある液晶画面に落としたまま、主である狭間・偉出夫に言った。

どうやら、後部座席へと座る二人の会話を盗み聞いていたらしい。

 

「反逆皇・ユリゼンなんて悪魔は、元から存在しない・・・・だって彼は、アンブロシウス・メルリヌスが創り出した”偽りの王”だからだ。」

 

「何・・・・。」

 

偉出夫の口から語られる衝撃の事実。

そんな覆面の男を他所に、『エルバの民』の主は話を続ける。

 

「愛する者に裏切られ、神からも人間からも疎まれた彼は、この世界に絶望し、魔界へと堕ちた・・・・そして、そこで第二の生を謳歌しようとしたんだ。」

 

全く新しい自分自身を生きるには、”アンブロシウス・メルリヌス”というちっぽけな存在を跡形もなく消し去る必要があった。

メルリヌスは、絶大なる魔術を駆使し、『ユリゼン』という強大な魔王を創り出し、そしてイェソドの地を統べたのである。

 

流石、12世紀を代表する魔術師であるメルリヌス・・・アンブローズ・マーリンは、瞬く間にその地位を築き上げ、四大魔王(カウントフォー)の一人へと上り詰めた。

 

「しかし、またしてもそんな彼の人生を狂わせる存在が現れる・・・・ナナシと呼ばれる一人の召喚術師が、”神殺し”の力を求めて、メルリヌスに逢いに来た。」

 

「・・・・・もしかして、その”ナナシ”ってのは・・・・。」

 

「そう、人修羅だよ。」

 

人修羅‐後の17代目・葛葉ライドウは、”神殺し”という異名を持つ最上級悪魔(グレーターデーモン)を使役する為に、迷いの森を抜け、『ノモスの塔』へと向かう必要があった。

しかし、”神殺し”‐魔王・アモンの封印が解かれる事を恐れた魔界の権力者達は、己が持つ強大な魔力を使い、”迷いの森”に呪いを掛けたのだ。

呪いを解き、アモンが封印されている『ノモスの塔』に向かうには、解術の法を知るマーリンの力が必要不可欠。

ライドウは、マーリンの走狗となり、彼の配下となって領地拡大に力を貸した。

 

「成程な、そんで何かの諍いが起きて両者の間が破綻し、ユリゼン・・・つまりメルリヌスは力を奪われ魔界を追われたって事か・・・。」

 

「その通り・・・因みに、この悲劇には二人程、役者が登場する。」

 

偉出夫は、指を二本突き出す。

登場人物の一人目は、メルリヌスの兄弟弟子であるロバート・ウォルトン。

そしてもう一人が、矢来区で探偵業をしている13代目・葛葉キョウジである。

 

人修羅の怒りを買ったメルリヌスは、神族の命とも言える『真名』を奪われ、強大な魔術師としての力を失った。

辛くも生き残った魔術師は、かつての兄弟弟子、ロバート・ウォルトンの元へと逃げ延びる。

当初、ロバートは、変わり果てたかつての兄弟子を見て戸惑いを覚えた。

しかし、すぐに己の中に押し込めていたメルリヌスに対する劣情が蘇り、業火の如く彼の心を燃やしたのである。

 

「おいおい、まさか数百年も経っても、オルフェウスの弟子共は生きてたって事か? 」

 

前に彼の依頼主の一人から、4年前に起こった『マレット島事件』の詳細は聞かされている。

オークニー諸島にある絶海の孤島‐ マレット島。

その持ち主が、ウェールズ南西部にある小国『ダヴェド』に仕えていた宮廷魔術師・オルフェウスであった事。

彼には、二人の愛弟子がいた事。

その二人の名が、アンブロシウス・メルリヌスとロバート・ウォルトンである事。

 

「ロバートという男も又、咎人だって事さ。 彼は、兄弟子であるメルリヌスへの淡い想いを捨てきれず、せめて彼と同じになりたいと吸血鬼の血から血清を造り出し、ソレを自分に投薬していたんだ。」

 

「はぁ、俺達凡人には理解出来ない所業だぜ。」

 

偉出夫の言葉に、覆面の教師は大袈裟に肩を竦める。

 

ロバートは、名前をヴィクトール・フォン・フランケンシュタインと変え、業魔殿という悪魔合体の為の私設を造り、時の召喚術師達に力を貸した。

現在は、超豪華客船『ビーシンフル号』のオーナーに収まり、天鳥町を拠点に活動している。

 

「ヴィクトール・・・・まさか、”業魔殿”の主が・・・。」

「そう、彼はメルリヌスの弟弟子であり、又、もう一人の登場人物である13代目・葛葉キョウジと盟友だった。」

 

これで漸く、物語は一つの太い線として繋がったのである。

 

 

平崎市に向け高速道路を疾走する一台の大型バイク。

それに跨るのは、真紅の呪術帯で顔を覆った隻眼の悪魔使い―17代目・葛葉ライドウその人であった。

 

(アヌーン・・・・。)

 

脳裏に、見事な金の長い髪と尖った耳を持つ美しい少女の姿が浮かぶ。

ライドウが、初めて魔界を訪れた時に出会った亜人の薬師であった。

かつて、反逆皇・ユリゼンが統べていた地、イェソドにある白エルフ族が拠点にしている渓谷に住んでいた。

優秀な薬師で、彼女の造った回復薬で何度も命を救われた。

親のいない幼いエルフ族の子供達の母親代わりを務め、歌が大好きな心優しい少女。

しかし、唯一、心を許したその少女は、ユリゼンの手に掛かり冷たい骸となる。

彼女の存在を疎ましく感じたユリゼン‐魔導士・アンブローズ・マーリンが、クリフォトの魔界樹を操り、幼い子供達諸共、彼女を喰らわせたのである。

 

陰惨たる光景が脳裏を過り、呪術帯で覆われた唇を噛み締める。

 

ライドウにとって、それ程までにアヌーンという少女は大きな存在であった。

知らず知らず、哀れな最期を遂げた最愛の妻‐ 月子とアヌーンを重ねて見ていた。

過酷な魔界での旅を無事乗り越える事が出来たのは、全てアヌーンのお陰だ。

しかし、彼女はもうこの世の何処にもいない。

自分に対するユリゼンの妄執が、亜人の少女の命を奪った。

 

「・・・・・っ! 」

 

鋭い殺気が肌を突き刺し、ライドウが過去から現実へと戻る。

漆黒の闇を突き破り、鋭い背びれを持つ数体の悪魔達が、高速道路へと降り立つ。

硬い甲殻に覆われた怪物達は、身体を丸め、まるでタイヤの如く高速回転すると、ライドウが駆るキャバリエーレへと並走した。

轢断の背びれという異名を持つ妖獣‐ケイオスだ。

マーリンが愛する元番へのプレゼントにと、送り付けて来たのだろう。

ライドウは、呪術帯の下で小さく舌打ちすると、スロットルを全開にして、バイクの車体如、宙へと高く跳び上がる。

ソレに追随し、悪魔使いの華奢な肢体を斬り刻まんと追い掛けるケイオスの群れ。

兇悪な刃の如く鋭い背びれが、悪魔使いを斬り裂こうとした刹那、ライドウが跨るバイクに変化が起きた。

宙で華麗に一回転すると、ハンドルを軸に車体が真っ二つに割れ、巨大な双剣へと姿を変える。

車輪がまるで電動の鋸(ノコギリ)の如く高速回転すると、飴細工の様にケイオスの硬い鱗を両断していった。

飛び散る紫色の体液。

怪物達の内臓や手足が、アスファルトへとぶちまけられ、グロテスクなオブジェを造る。

時間にして僅か数秒。

ケイオスの群れを薙ぎ払ったライドウは、キャバリエーレを再びバイク形態へと戻し、平崎古墳へと向けて疾走した。

 

 

平崎古墳、地下大迷宮。

かつて”虚ろわぬ神”と称され、平崎市一帯を異界化させた破壊神・イナルナ姫と13代目・葛葉キョウジの激闘から30年以上もの月日が経つ。

今現在は、超国家機関『クズノハ』の厳重な監視の元、幾重もの結界が施され、鼠一匹の侵入すら許す事は無かった。

 

「グギャァアアアアアッ!!」

 

凄まじい悲鳴を上げ、魔界を彷徨う亡者‐ヘルカイナ数体が、鈍色に光る大変に斬り飛ばされる。

悪魔独特の紫色の体液が石畳を汚し、身体を両断された異形の怪物が地面へと頽(くずお)れた。

 

「随分と甘いセコムだな? 悪魔共の巣になってるじゃねぇか。」

 

銀髪の魔狩人‐ダンテが、愛刀『リベリオン』を肩へと担ぎ、周囲を取り囲む悪魔の群れを眺める。

 

「13代目が事件の首謀者なら、それも当然であろう?」

 

ヘルカイナ達を統率する悪魔‐ヘルジュデッカを細切れの肉片へと変えた女剣士・鶴姫が七星剣を手に応える。

指揮官を失い死神達の群れは、明らかに動揺していた。

圧倒的なまでの強さを持つ二人に、感情を持たぬ筈の悪魔(デーモン)達が、恐怖を覚えていたのである。

怯える異形の怪物達。

と、その群れの一角に巨大な氷塊が落ちて来た。

成す術も無く、巨大な氷の大岩に圧し潰される悪魔の群れ。

続く紅蓮の炎を纏う斬撃が、悪魔達を焼き尽くしていく。

 

「・・・・っ、奴等は・・・っ!」

 

爆風で身体をガードしつつ、ダンテが突然の闖入者達へと視線を向けた。

するとそこには、くたびれたトレンチコートを着る覆面の男と、巨大な体躯を持つ剣士が立っている。

そして、両者の背後に立つ10代後半辺りの少年。

グレーのダウンジャケットと黒のスウェット、薄い青のトレーナーにスニーカーというこの場にはそぐわぬ軽装の少年に見覚えがあった。

異界化した五島美術館で、魔狩人の腹を斬り裂いた黒髪の少年であった。

 

「ダンテ!待て!! 」

 

自分に屈辱を与えた人物の登場に、愛用の大剣を構え疾走する魔狩人。

慌てて鶴姫が制止の声を上げるが、ダンテの耳には届かない。

ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる少年‐ 狭間・偉出夫の身体を斬り飛ばさんと振り上げられる大剣の刃。

その切っ先を、真紅の長外套を纏った死神の大剣『カオスイーター』が受け止めた。

橙色の火花が激しく散る。

赤き死神‐レッドライダーは、意図も容易くダンテの大きな体躯を吹き飛ばした。

華麗に宙で一回転した魔狩人が、鶴姫の傍らへと着地する。

 

「馬鹿者! 早まった真似をするな! 」

 

数歩、離れた位置に立つダンテの背に、鶴姫が鋭い一喝を入れる。

 

狭間・偉出夫が従えている悪魔は、黙示録に記されし破滅の騎士だ。

その力は計り知れず、下手をすると魔王クラスを遥かに凌駕する。

 

「あの糞餓鬼には、貸しがあるんだよ。」

 

皮の長外套(ロングコート)の下は、素肌であった。

五島美術館の死闘で、ダンテは不意を突かれ、偉出夫の持つ神器『アスカロン』で腹を斬り裂かれた。

あの時の怒りと屈辱は、決して忘れる事が出来ない。

 

「落ち着け、いくらお前でも”特異点”を殺す事は出来ない。」

 

「”特異点”? 」

 

「簡単に説明すると、あの小僧も馬鹿弟子と同じ”絶対者”という事だ。」

 

”絶対者”とは、哲学的用語の一つで、制限や制約、この世に存在しうるあらゆる事象に縛られる事が無い存在を指す。

4年間、CSI(超常現象管轄局)のNY支部長を務めるケビン・ブラウンの元で、厳しい指導を受けていたダンテは、当然、魔導世界の知識も得ている。

”絶対者”がどんな存在で、彼等が持つ『因果律を歪める力』の事も一応、知ってはいた。

 

「一つ提案なのですが・・・・我々の目的は同じだ。 此処は、無駄な争いは避け、お互い協力するっというのはどうでしょう? 」

 

ダンテは兎も角として、初代剣聖である鶴姫を敵に回すのは得策ではないと判断したらしい。

共通の敵を目の前にしているのだ。

共闘し、目的を達成しようという偉出夫の慇懃無礼な申し出に、ダンテの秀麗な眉根が不快に跳ね上がった。

 

「断る、貴様等の目的が”賢者の石”である以上、我々の敵である事に変わりは無い。」

 

それは、鶴姫とて同じであった。

世田谷と矢来区に住む人々の生き血で造り出した『賢者の石』を手に入れた途端、魔神皇一派が裏切るのは、火を見るよりも明らかだ。

 

「哀しいなぁ・・・・僕達も貴女方と同じ思想で動いているんですよ? 」

 

「同じ思想・・・・? おいおい、いくら何でもいきなり人の腹を掻っ捌くイカレた餓鬼とお友達になる気はねぇよ。」

 

「ああっ・・・・あの時は申し訳ありません。 僕、結構臆病なんです。」

 

銀髪の魔狩人に、皮肉な笑みを向ける。

謝罪の言葉とは裏腹に、その態度は何処までも傲岸不遜だ。

腹腔の底から怒りの炎が燃え上がり、常に飄々としているダンテの表情が常になく険しくなる。

 

「最後通告だ。 大人しく道を開けろ・・・お互い、つまらん事で怪我はしたくないだろ? 」

 

怒り心頭な魔狩人を落ち着ける様に、女剣士が一歩前に出る。

彼等が、大人しく引き下がるとは到底思えない。

一触即発な空気。

女剣士の細い指先が、腰に帯刀している七星剣『村正』の柄に触れる。

 

「はぁ・・・仕方ない。 そういう訳なんで、手を貸して欲しいのですが・・・坂本晋平二等陸佐殿。」

 

鶴姫の鋭い眼光を反らし、偉出夫が暗闇に閉ざされた石の回廊へと声を掛ける。

すると物陰から、小袖と羽織袴姿の武士が現れた。

腰には二振りの刀‐吉岡一文字を挿しており、三度笠を深く被っている。

 

「玄信(はるのぶ)・・・・。」

「暫く振りですなぁ、初代様。」

 

三度笠を押し上げたのは、自衛官の坂本晋平二等陸佐であった。

分厚い黒縁眼鏡はそのままに、まるで時代劇から飛び出した様な恰好をしている。

自然、身体から発する凄まじい鬼気に、何時も軽口が絶えないダンテの背を形容し難い怖気が走った。

 

「ハロウィンにしちゃぁ、時季外れだぜ? 自衛隊のオッサン。」

 

「フフッ・・・それは君も同じだと思うが? ダンテ君。」

 

坂本自衛官が指摘する通り、真冬とも言って良い季節であるにも拘わらず、ダンテは、厚い革の長外套の下は素肌と言う恰好だ。

鍛え上げられ、鎧の様な上半身をしてはいるが、傍から見れば確かに寒そうだ。

 

「二天一流兵法開祖ともあろう男が・・・・情けない。」

 

永遠、軽口を言い合いそうな二人の男の間に、美麗な剣士が割って入る。

嫌悪感に美しい顔を歪め、腰に帯刀している魔法剣『七星村正』を徐に引き抜いた。

 

「全く、その通りですなぁ・・・返す言葉もありません。」

 

口元に愉悦の笑みを浮かべ、坂本二等陸佐が、二振りの刀―吉岡一文字を鞘から抜き放つ。

 

「ですが抑えきれぬのです・・・・私の中に潜む剣鬼としての性(さが)が、貴女の血を求めている。」

 

狂おしい程の渇望に、坂本二等陸佐‐ 宮本武蔵が、凄絶な笑みを鶴姫達に向けた。

 

この男の中に宿る剣鬼としての本性が、五島美術館での死闘で、完全に目を覚ましてしまったのだ。

 

もっと、強い奴と戦いたい。

魔物共の生き血では、到底満たされない。

己の心を震わせる、強の者と斬り結び、心行くまで死合いたい。

 

「・・・・・っ、何者なんだ? コイツ。」

 

恐れを知らぬ筈の自分が、無意識にではあるが一歩、後ろへとさがる。

 

「こ奴の相手は、私がする・・・お前は、あのデカブツを頼む。」

 

新免武蔵と赤き死神‐レッドライダーを残し、ヴィランと共に平崎古墳の奥へと向かう偉出夫達の背を、鶴姫が忌々しそうに睨む。

 

最早、詳しい説明をしている暇(いとま)は無かった。

緊張感が周囲の空間を満たし、死闘のゴングが鳴り響く。

 




久し振りの投稿。


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第24話 『平崎古墳地下大迷宮 』

横内健太・・・・・『エルバの民』の構成員の一人。
戦争を司る騎士‐レッドライダーと契約している。
自衛隊時代、悪魔討伐の為、派遣されたギザフで脚を失い除隊。
階級は一尉だった。
フリージャーナリストの婚約者がいたが、第二次関東大震災が人為的に起きたものだという真相を探っている過程で、何者かに殺害されてしまう。
恋人の仇を討つ為、現在は狭間・偉出夫に従う。




意識が朦朧とする。

心臓が破裂するぐらい鼓動を繰り返し、手足の感覚が無くなり、思う様に動かす事が出来ない。

しかし、それでもV‐バージルは、歩みを止める事はしなかった。

仮初の造魔の入れ物は既に限界で、身体のあらゆる部分に亀裂が入り、人工の皮膚がボロボロと崩れ落ちている。

 

「親父さん達がいる玄室まで、あともう少しだぜ。」

 

そんなバージルの傍らを飛ぶ、黒い毛並みの大鷲。

魔道具(デビルアーツ)のグリフォンは、諦めたかの様に、溜息を一つだけ零す。

 

今から思えば、この計画が無事遂行する補償など何処にも無かった。

豪華客船『ビーシンフル号』の奥にある船室に閉じ込められた一人の魔導士。

12世紀に記されたブリタニア列王史に記された、伝説の魔導士・アンブローズ・マーリン。

豪華客船の船長であり、業魔殿の主であるビクトール・フォン・フランケンシュタインは、この魔術師こそが、『賢者の石』を精製する方法を知っていると言った。

『賢者の石』を使用すれば、崩壊したバージルの肉体を再生する事が出来る。

藁にも縋りたい心境であったバージルの養父、13代目・葛葉キョウジは、二つ返事で了承した。

彼は、愛する息子を救う為に『鬼』となった。

マーリンの走狗となり、管轄している矢来区に、クリフォトの魔界樹を解き放った。

人間の生き血を糧とする魔界樹は、予想通り、そこに住む市民や調査に来た東京都の職員を餌食にした。

 

(分かんねぇよ・・・親父さん。 何で、こんな餓鬼の為に全てを捨てるんだ?)

 

血も繋がらぬ悪魔と人間の混血児。

生き抜く為にあらゆる技術を惜しみなく与えた。

にも拘わらず、この餓鬼は恩を仇で返した挙句、これまで築き上げて来た13代目・葛葉キョウジの名声をも失墜させ様としている。

キョウジを主と慕い、護ろうとするグリフォンにとって、そこだけは理解が出来なかった。

 

 

矢来古墳第一階層。

 

赤き死神‐レッドライダーの大剣『カオスイーター』が唸りを上げ、銀髪の魔狩人に襲い掛かる。

それを紙一重で躱すダンテ。

大剣の切っ先が、硬い石畳を大きく割り、衝撃波が銀髪の大男の身体を叩く。

 

(ちっ、なんて攻撃しやがる!)

 

パワー、技術共に今迄戦って来た悪魔共とは比べ物にならない。

ヴァチカン13機関・異端審問官第9席、『銃使い(ガンスリンガー)』こと射場・守と強さは同クラスである。

否、パワー面でいえば、レッドライダーの方が遥かに上か。

一方、レッドライダー‐横内・健太も内心焦りを覚えていた。

ある程度、予想していたとはいえ、ダンテの強さは、初めて出会ったキザフの悪魔討伐作戦時とは比べ物にならない。

従軍時代よりも、実力は格段に上がっている。

当時のままの強さだったのならば、まだ勝機は此方にいくらでもあったのだが。

 

(まだ、魔人化しないのか・・・・人間体でも十分倒しきれると思っているな・・・。)

 

魔神皇の使い魔として、下に見られている。

確かに、そう思われても致し方ない。

悔しいが、自分の実力は、メンバーの中でも最下位である事は、十二分に自覚している。

 

大剣の切っ先に紫電の蛇が絡みつく。

レッドライダーが、己の魔力を大剣の刃に宿したからだ。

続いて、裂帛(れっぱく)の気合の元、放たれる雷の斬撃。

ショックバウトは、古墳の石壁にぶち当たると大きく周囲に放電した。

 

「ぐぁあああああああっ!! 」

 

何とか直撃は躱せたものの、そこから放たれる電撃を浴びてしまった。

吹き飛ぶ、銀髪の大男。

咄嗟に石畳に大剣『リベリオン』の切っ先を穿ち、何とか止まる。

 

「何て身体だ・・・・普通なら、今の一撃で炭化しているんだがな。」

 

流石、伝説の魔剣士・スパーダの血族である。

肉体の強度は、そこらに徘徊している悪魔共とは比べ物にならない。

 

「へっ、良い感じのシャワーだな・・・お陰で眼が覚めた。」

 

そんな軽口を叩き終わる寸前に、魔狩人の大きな体躯が消失。

石畳を蹴り割り、レッドライダーとの間合いを一気に詰めたのだ。

悪魔本来の姿へと変わるダンテ。

繰り出される大剣『リベリオン』の切っ先と、『カオスイーター』の刃が激しくぶつかり合う。

 

「何処までも傲慢な男だ・・・・・その傲慢さが命取りだとブラウン大佐から指摘されなかったのか? 」

「何? 」

 

師であるケビン・ブラウンの名前が出て、胡乱気に紅き死神へと視線を向けたその時であった。

四肢を凄まじい激痛が襲う。

見ると、魔人化した肉体に異変が起きていた。

全身を覆う赤褐色の鱗に色が無くなり、みるみるうちに灰色へと変わっていく。

身体全体が麻痺し、思う様に動けない。

 

「なっ!? 何だぁ? こりゃぁ? 」

「何も考えず、無暗に得物を振り回すからそうなる。」

 

レッドライダーは、身動き一つ出来ないダンテの腹を蹴り飛ばす。

後方へと大きく吹き飛ばされる魔狩人。

魔人化が解け、背中から硬い石の壁へとぶち当たる。

 

「私は・・・・あの四人の中で一番弱い事を自覚している。」

 

大剣『カオスイーター』の切っ先を、瓦礫の山に埋もれた銀髪の大男に向ける。

良く見ると、大剣の切っ先が緑色に変色していた。

 

「だからどんな汚い手段も使う・・・・自分より強い相手に勝つ為なら何をしても構わない・・・・こんな弱者の気持ち、生まれながらの強者である貴方には一生理解出来ないだろう。」

 

恨めし気に此方を見上げる銀髪の大男の元へと、徐に歩を進める。

 

この大剣『カオスイーター』は、横内が自作した代物であった。

魔界でも、毒素が強いヒュドラやバジリスク等の鱗を素材にしている。

その為、敵に小さな掠り傷を与えても、『石化の呪い』が発動し、致命傷となってしまうのだ。

 

「くっ・・・・・糞が・・・・・っ。」

 

見事に敵の術中にハマり、してやられた。

怒りの炎が腹腔を焼き尽くすが、最早後の祭りである。

『石化の呪い』は、両手足どころか身体全体を犯し、舌を痺れさせていた。

 

この赤き死神の正体は、間違いなく人間だ。

しかも、かなりの切れ者であり、自分の事を良く知っている。

ダンテの脳裏に、バージニア州にあるFBIの訓練施設での出来事が思い出された。

 

「お前さんに面倒で嫌な奴っているか? 」

「はぁ? 面倒な奴だと? 」

 

訓練後の気怠い休憩時間。

何気ない師の言葉に、芝生の上で胡坐をかいていたダンテが訝し気に聞き返す。

 

「荒事専門の便利屋だったんだろ? だったら一人ぐらいそんな奴がいただろう。」

「・・・・いたにはいたぜ、叩きのめしても何度も噛みついて来た奴がな。」

 

ダンテの脳裏に、一人の男の姿が浮かんだ。

『狂犬デンバーズ』

誰彼構わず、自分が気に入らないと判断した人間には噛みついて回る裏社会の厄介者であった。

当然、荒事専門の便利屋をしていたダンテも目を付けられた。

 

「何でそんな事を聞くんだ? 」

 

師匠であるケビンの意図が全く読めない。

胡乱気に聞き返す教え子に、壮年の男は苦笑いを浮かべた。

 

「・・・・・人を強くする原動力は、執念だ。 お前さんに絡んだ奴は、相当な執念を持っていたんだろうな。」

「・・・・・・。」

「人間相手の痴話喧嘩ならまだ可愛いもんだ・・・しかしそれが人間以外を対象にすると途端に厄介になる。」

 

どこか重みがある言葉。

恐らくではあるが、ケビン自身の事を語っているのだろう。

師の視線が、失った左腕と脚に降りる。

 

「どんな手を使ってでも勝つ・・・・例えそれが人間(ヒト)の道を外れていようが構わない・・・・泥水を啜り底の底まで落ちた連中程、恐ろしいモノはいない。」

「・・・・・。」

「気を付けろ、闇社会に生きていると必ずそういった連中と対峙する。 そうなった時、足元を掬われるのがお前さんだ。」

「分かった・・・肝に銘じておくよ、先生。」

 

何時も直球な言葉しか話さない師匠であるにも拘わらず、今回は大分遠回しな言い方であった。

ケビンは、ダンテの無防備過ぎる戦い方に苦言を呈しているのだ。

魔界でも最強と謳われる剣士・スパーダの血を引くが故に、ダンテは並外れた再生力を持つ。

弾丸で額を抉られようが、剣で心臓を貫かれ様が、お構いなしに再生し、ものの数分で元通りだ。

だから、戦い方が大雑把になり、敵の攻撃を受け易い。

 

 

(成程な・・・・これが”執念”って奴か・・・。)

 

石化により、皮膚が灰淡色へと変貌し、痺れて何時もの軽口が出て来ない。

霞む視界の中、此方へと歩み寄る紅き死神の姿が、悪魔達から「人修羅」と呼ばれ、恐怖の対象となっている一人の悪魔召喚術師と重なった。

 

17代目・葛葉ライドウの強さは、想像を絶する程の執念で出来上がっている。

かつて、ケビン・ブラウンが言った言葉だ。

上級悪魔と融合し、膨大な魔力を手に入れたが、彼はそれで良しとは思っていなかった。

身体能力は、人間並みであり、悪魔特有の再生力すら無い。

にも拘わらず、17代目は、剣士職を幾つか取得し、魔力で貧弱な膂力をカバーし、剣豪(シュヴェアトケンプファー)並みの技術を会得している。

 

 

 

「小僧!! 」

 

最早抵抗する手段を失い、無抵抗に紅き死神の一撃を受けようとしている銀髪の魔狩人の姿を視野に納めた女剣士‐鶴姫が、助太刀に向かおうとする。

しかし、その行く手を、坂本晋平二等陸佐が繰り出す斬撃が阻んだ。

寸での所を後方に大きく跳び、回避する鶴姫。

苛立ちに鋭く光る眼光を、坂本二等陸佐は軽く受け流してみせた。

 

「いけませんなぁ、他者の心配をする余裕が貴女にありますかな? 」

「玄信・・・・。」

 

数歩、離れた距離で対峙する二人の剣豪。

吉岡一文字成宗を構える坂本二等陸佐には、一分の隙も無く、容易に躱せる相手ではない。

 

「かつては、水野 勝成に仕え、日の本の民の為にその生涯を尽くしたお前が、何故、護るべき尊き国民達を犠牲にする? 」

 

無駄だと知りつつも、目の前に対峙する宮本武蔵に訴えかける。

 

「はぁ・・・・・冥府の王ともあろう方が、言葉による懐柔ですか・・・全く情けないですなぁ。」

 

一つ溜息を零す壮年の男。

不意にその姿が消失、音速を軽く超える速度で移動し、一気に間合いを詰めたのだ。

鼓膜を激しく叩く程の金属同士がぶつかり合う音。

吉岡一文字成正と七星剣村正の刀身が、橙色の火花を散らす。

 

「剣人同士の闘いに言葉は不要、己の太刀で押し通すのみ。」

「馬鹿者め・・・。」

 

この男は生まれながらの狂人だ。

フレーム無の眼鏡越しに見える双眸は、とても常人とは言い難い狂気の色を浮かべている。

 

楽しいのだ。

何の手加減も無く、思う存分、己の実力をぶつける好敵手と巡り会えた事に、剣鬼としての魂が歓喜で打ち震えている。

それは、対峙する鶴姫とて同じであった。

己の中にある剣鬼としてのおぞましい感情に、鶴姫は唇を噛み締めた。

 

 

一方、絶対絶命の窮地に立たされるダンテ。

石化の呪いは、瞬く間に進行し、身動き一つとる事も出来ない。

目の前に立つ紅き死神。

その手に持つ大剣『カオスイーター』が頭上へと振り上げられる様子を見た銀髪の魔狩人は、諦めたかの如く双眸を閉じた。

と、その耳にバイクのエキゾースト音が轟く。

平崎古墳大迷宮を爆走する一台のバイク。

漆黒の車体が、大きく宙を跳びその姿が、巨大な二対の大鎌へと変貌する。

横薙ぎの一撃を、大剣『カオスイーター』で受け止める紅き死神。

しかし、その程度で巨大鋸の勢いは止まらない。

遠心力を活かし、まるで駒の如く回転すると連続攻撃を死神に放つ。

凄まじい威力を殺しきれず、大きく後ろへと後退するレッドライダー。

再び、バイク形態へと戻った闖入者が、華麗に地へと降り立つ。

 

「じ、爺さん。」

「マスターだ。」

 

窮地に追い込まれたダンテを救ったのは、借り番契約をしている17代目・葛葉ライドウであった。

 

 

平崎古墳最深部、かつて秦氏の国の姫君であった伊那瑠奈姫が眠る霊廟。

その場所には、壁を埋め尽くすかの如く、魔界樹の蔦がびっしりと貼り付き、クリフォトの血溜まりが醜悪な姿を晒していた。

その室内の中央。

見事に成長したクリフォトの魔界樹。

その枝には、一つの真っ赤な果実が実っている。

人間の毛細血管の様な外果皮から覗く六角形の形をした真紅の内果皮。

人間(ヒト)の命の結晶体である『賢者の石』が、膨大な魔力を周囲へと放っている。

 

「後、数刻もしないうちに”賢者の石”は完成する・・・・これで、君の望みが叶うという訳だ。」

 

濃いグレーのダウンジャケットと黒のチノパンを履く白髪の少年‐アンブローズ・マーリンが、完成間近の”石”を満足そうに見上げる。

その傍らに立つ、漆黒の長外套(ロングコート)を纏う大柄な男。

フードの下から覗く双眸は、無感情であり、今何を考えているのか判断出来ない。

 

「もう少し喜んだら? 世田谷と平崎市の人間達の命を対価に、君の大事な息子は救われるんだよ? 」

「・・・・・。」

「・・・・・・黙ってないで何とか言えよ? 僕に対して感謝の言葉ぐらい言っても罰は当たらないだろ? 」

 

中性的な美貌を皮肉に歪め、マーリンは数歩離れた位置に立つ男‐ 13代目・葛葉キョウジへと視線を移す。

 

「お前さんが素直に石を渡してくれるなら、泣いて感謝するさ・・・・。」

 

漆黒の鞘に収まる日本刀の鯉口を親指で押し上げる。

フードの下から覗く、炯々と光る双眸。

大柄な身体から殺気が溢れ出し、肌を突き刺す程の緊張感が辺りを包む。

 

「ふふっ、慌てるなよ? まだ、役者は揃ってないんだぜ? 」

 

流石は、13代目・葛葉キョウジと言ったところか。

この男は、自分の本心を既に悟っている。

マーリンは、皮肉な笑みで口元を歪めると、紫色の双眸を霊廟の出入り口へと向けた。

すると、石の扉が僅かに開き、そこから病的に蒼白い肌をした黒髪の青年が現れる。

 

漆黒の毛並みをした大鷲を従えるノースリーブの長外套(ロングコート)を纏う青年は、V‐ バージルであった。

身体中には罅が入り、苦しそうに喘鳴を繰り返している。

恐らく、異質な肉体に無理矢理魂を憑依させている為、拒絶反応を起こしているのだろう。

誰の目から見ても、バージルが限界である事が分かる。

 

「バージル!? 」

 

予想外の展開に、常に冷静で飄々とした態度をしているキョウジの様子が変わった。

動揺を隠しきれていない。

 

「と・・・・父さん。」

 

漸く巡り会えた愛する父親の姿を認め、バージルの顔に安堵の色が浮かぶ。

しかし、それも束の間、足元から突如現れたクリフォトの魔界樹に四肢を絡め取られ、抵抗する間もなく、拘束されてしまった。

 

「マーリンっ!! 」

 

あまりに無体な仕打ちに、キョウジが怒りの声を数歩離れた位置に立つ小柄な少年に浴びせる。

だが、白髪の少年‐ マーリンは、全く怯む様子は見せなかった。

逆に、薄ら笑いを浮かべ、魔界樹の根を巧みに操作する。

石の壁へと縫い留められる黒髪の青年。

と、その壁がブヨブヨと醜悪な形へと変形。

巨大な顎となり、何の躊躇いも無く青年を呑み込んでしまう。

 

「バージルっ!! 」

「慌てるなよ? 君の大事な息子を違う場所にご招待しただけだ。」

 

愛息子を呑み込んだ巨大な穴。

壁に穿たれた異界へと続く穴は、ぽっかりと口を開き、第二の犠牲者を誘っているかの様であった。

怒りに煮えたぎる双眸を、白髪の魔導士へと向ける。

 

「でも、早くした方が良い・・・・あの様子だと、下級悪魔の餌食になるのは時間の問題だ。」

 

魔王クラスの悪魔(デーモン)ですら、恐れおののかせる程の殺気を当てられても尚、マーリンは平然とした態度を崩す事は無かった。

 

「おっ、親父さん・・・・・。」

 

黒毛の大鷲‐ 造魔・グリフォンが戸惑いの表情で、本来の主である13代目・葛葉キョウジへと視線を向ける。

 

これは、自分自身の失態だ。

12世紀を代表する伝説の魔導士であるマーリンが、まさか此処まで外道な手段を使うとは思っていなかった。

 

一方のキョウジ。

龍神・ヴリトラを素材にして造り出した魔法剣‐冥府破月を鞘に納め、愛息子を呑み込んだ穴へと歩み寄る。

 

「親父さん、駄目だ! 」

 

主の意図を読み取ったグリフォンが、思わず制止の声を上げた。

キョウジは、義理の息子であるバージルを救い出す為に、敢えてマーリンの計略にハマろうとしている。

何事に対しても私情を挟まないこの男にしては、何とも愚かな選択だと言えた。

 

壮年の男は、仲魔の声を完全に無視し、何の躊躇いすらも見せず、異界の穴へと入っていく。

舌打ちし、主の後へと続くグリフォン。

 

「ふん、だから人間(お前達)は、愚かなんだ。」

 

異界の穴へとキョウジとグリフォンの姿が完全に消えると、マーリンは、指をパチリと鳴らす。

術師の意志に呼応し、異界の穴はゆっくりと閉ざされていった。

 

 

 

今でも、地面に捻じ伏せられ、砂利が頬の肉を抉る感触を覚えている。

目の前に展開される悪夢の様な光景。

最愛の人が、幾人もの男達に嬲られ、凌辱されている。

今すぐにでも、自分を組み伏せている大男‐招住羅大将(しょうとらたいしょう)を跳ね飛ばし、外道共を血祭りにあげてやりたい。

しかし、自分はあまりにも無力であった。

抵抗したくても大男の力は強大で、自慢のESPすらも効かない。

否、恐らくこの男も自分と同じ能力(ちから)を持っているのだろう。

どんな手法を用いているかは知らないが、少年のESPを完全に無力化していた。

 

 

「おい、明、聞いてんのかよ? 」

 

元魔剣教団の平騎士‐ ネロの声に、明の思考は現実へと引き戻される。

女職人(ハンドヴェルガー)ニコレット・ゴールドスタインが所有する、移動用作業車。

元々は、キャンピングカーを改造した代物で、革張りのソファの他に年代物のジュークボックスやキッチンまで完備されている。

 

「もうすぐ平崎古墳に到着するってよ。」

 

ジュークボックスを背に銀髪の少年は、呆れた様子でソファに座る長い前髪の少年を見下ろす。

 

現在、彼等は事件の首謀者である13代目・葛葉キョウジと元四大魔王・ユリゼンが潜伏していると思われる平崎古墳へと向かっていた。

因みに『葛葉探偵事務所』の代理所長である壬生・鋼牙は、助手席に座りぼんやりと外の景色を眺めている。

 

「そうか・・・・。」

 

訝し気に此方を眺めるネロに短く応え、明は座っているソファから立ち上がる。

そして、鋼牙が座っている助手席のシートへと軽く触れた。

 

「無理ならお前は外れても良いんだぞ? 鋼牙。」

 

此処まで平常を保っているかの様に見えるが、黒縁眼鏡の少年が、かなり追い詰められている事は、長い付き合いで痛い程理解している。

それは、ニコも同様で、言葉にこそ出さないが、歳の離れた仲間を気遣っていた。

 

「大丈夫、 僕はそんなに柔(やわ)じゃないよ。」

 

そう応えたものの、内面では動揺を隠しきれずにいた。

それ程までに、マベルが彼等に告げた事件の真相は、衝撃的だった。

 

鋼牙にとって、13代目・葛葉キョウジは人生の師であり、恩人でもある。

名家、”壬生家”の人間として生まれ、幼い時より実の父親である25代目、葛葉猊琳の手で厳しい英才教育を受けた。

しかし、自分の息子に悪魔召喚術師としての才が無いと知った瞬間、実父の態度は豹変した。

壬生家を取り纏める祖母、綾女も同じで、召喚術師としての適性が無い鋼牙に対し、冷淡とも取れる態度を示した。

幼い鋼牙は、一族から村八分の様な扱いを受け、唯一彼の味方になってくれたのが実母のレイだけだったのである。

そんな不遇な幼少期を送って来た鋼牙に、突然、転機が訪れた。

実母、麗鈴舫のかつての相棒である、13代目・葛葉キョウジが幼い鋼牙を自分の弟子として引き取ってくれたのである。

 

『師匠(せんせい)がいなかったら、今の僕は存在してなかった。』

 

鋼牙の何時もの口癖。

キョウジが、現世と完全に隔離された『葛葉の里』から連れ出してくれた。

剣士としての類稀な才能を開花させてくれた。

組織『クズノハ』の暗部である十二夜叉大将の中で、メキメキと頭角を現す事が出来たのは、一重に全て師であるキョウジのお陰である。

 

 

「おっ、着いたぜ。」

 

ハンドルを握る女職人(ハンドヴェルガー)、ニコレットことニコが分厚い鉄板に囲まれた平崎古墳の前で、大型のバンを停車させた。

そこには既に先客がおり、警察の覆面パトカーが停まっている。

 

「おい、此処は一般人は出入り禁止だぞ? 糞餓鬼共。」

 

覆面パトから降りて来たのは、百地・英雄警部補であった。

苦虫を1000匹噛み潰した様な苦い顔で、大型トレーラーを見上げている。

 

「この一帯は危険だ。 大人しく矢来区のシェルターに避難してろ。」

「うっせぇな、オッサン。 アンタこそシェルターに避難してろよ。」

 

巨大な機動剣‐クラウソラスを肩に担いだ銀髪の少年、ネロがバンから降りると眼前に立つ壮年の刑事を睨み付ける。

 

「こらこら、警部殿に対して失礼だろ? 」

 

皮肉を多分に含んで窘めたのは、探偵部部長の壬生・鋼牙だった。

愛刀‐備前長船を手に、トレーラーから降りると大きく背伸びをする。

そんな二人の悪ガキを尻目に、遠野・明が大型のアサルトライフルを肩に担いで車から降りた。

防護壁に囲まれた平崎古墳を無言で見上げる。

 

「警部補だ。 それと、此処には既に初代殿と17代目が来ている。お前等餓鬼共の出番はねぇ。」

 

百地警部補は、面倒臭そうに手で悪ガキ三人組を追い払う。

しかし、そんな程度で素直に従うネロ達では無かった。

警部補を完全に無視し、各々、得物片手に平崎古墳へと向かう。

 

「おい、餓鬼共! 」

「止めときなって、アンタが喚いたぐらいじゃコイツ等を止める事は出来ないよ。」

 

蟀谷に青筋を立てた警部補を大型トレーラーの運転席から、身を乗り出したニコが止める。

頭に湯気を登らせて歯軋りする警部補とは対照的に、女職人(ハンドヴェルガー)は、呑気に煙草の煙をくゆらせていた。

 

 

気が付くとバージルは、とある住宅の玄関口に立っていた。

硝子製の花瓶に生けられた薔薇の花。

塵一つない綺麗に清掃された玄関には、サンダルと靴が二足並べられている。

 

「こ、此処は・・・・・? 」

 

玄関の壁に飾られている鏡へと視線を向ける。

するとそこには、何時もの蒼い長外套(ロングコート)ではなく、フレーム無の眼鏡とダウンジャケットとマフラーを巻いた自分自身が映し出されていた。

見事な銀色の髪は降ろされ、教科書とテキストが入ったトートバッグを下げている。

 

「これは一体どういう事だ? 」

 

7年前の悪夢が蘇る。

此処は・・・・・この場所は、かつて大学院に在籍していた時に家庭教師のアルバイトをしていた場所だ。

 

「はーい、今ちょっと手が離せないので待っていて下さい。」

 

ダイニングへと続く廊下の奥から、若い女性の声が聞こえる。

 

日本で名の知れた建築家、狭間・健太郎の後妻、美帆だ。

離婚した前妻との間に、克美(かつみ)という今年17歳になる長女がおり、バージルは彼女の家庭教師を勤めていた。

 

ドクッドクッと、バージルの鼓動が胸を叩く。

 

―駄目だ、家の中に入ってはいけない。

 

頭ではそう理解しつつも、身体が無意識に動く。

靴を履いたまま、上がり框(かまち)を登りそのまま美帆がいると思われるダイニングへと向かう。

リビングとキッチンが続いている広い空間。

揺れる視線が、キッチンの冷蔵庫へと向けられる。

床の上に広がる血溜まり。

冷蔵庫の前に、血塗れになった美帆が俯(うつぶ)せで倒れていた。

一目で彼女が死んでいるのが分かる。

せり上がる悲鳴を押し殺し、バージルは若い女性の身体を調べた。

何度も包丁で刺されたのか、元は白だったセーターが、真っ赤に染め上がっている。

死亡してから少しだけ時間が経過しているのか、美帆の身体はすっかりと冷たくなっていた。

 

「・・・・・っ、克美っ! 」

 

立ち上がり、美帆の死体から離れたバージルは、慌てて二階へと向かう。

 

二階には、この家の長女である狭間・克美の私室がある。

教え子の安否を確認する為、銀髪の青年は、ダイニングルームから飛び出す。

一気に階段を駆け上がり、克美がいる部屋の前へと辿り着いた。

震える手が、教え子のいるであろう部屋のドアノブを回す。

予想外に鍵は掛かっておらず、ドアはすんなりと開いた。

鼻孔をくすぐる鉄臭い匂いに、バージルの顔色が真っ青になる。

部屋は荒らされ、床や壁には血が飛び散り、惨たらしい地獄絵図を描いていた。

部屋の片隅に、17歳ぐらいの少女が、壁に背を預けた形で俯いている。

よろよろと覚束ない足取りで、バージルが教え子の亡骸へと近づく。

どうやら、足元に転がる金属バッドで滅多打ちにされたらしい。

屈み込んで調べて見ると、頭蓋は拉(ひしゃ)げ、そこから脳漿(のうしょう)と思われる桃色の欠片が零れ落ちていた。

 

「先生。」

 

耳元で聞こえる教え子の声に、バージルが思わず顔を上げる。

視線を出入り口へと向けると、小さな影が横切るのが見えた。

 

「い・・・偉出夫君? 」

 

この家には、もう一人子供がいる。

美帆と健太郎の間に、小学校低学年の長男がいた。

 

― バージル正気に戻れ!!

 

その時、何者かの声がバージルの脳内に響き渡った。

50代半ばと思われる聞き知った男性の声。

 

― 目を覚ませ!

 

「と、父さん? 」

 

正体不明の男性の声は、バージルの養父である13代目・葛葉キョウジのモノであった。

それを自覚した時、周囲の情景がドロドロと崩れていく。

気が付くと、自分の身体は醜悪な形をしたクリフォトの根に囚われ、鋭い牙がずらりと並んだ花弁が、目の前に迫っていた。

 

「うわぁあああああっ! 」

 

口腔から絞り出される悲鳴。

まるで大蛇を思わせる巨大な魔界樹の花弁が、獲物を喰らわんとそのアギトをガバリと開ける。

刹那、何処からともなく繰り出される斬撃。

大蛇の頭部が両断され、バージルを拘束していた魔界樹の根が細切れになる。

 

「バージル! 」

 

地へと投げ出される愛息子の元へと、漆黒の長外套を纏う義理の父、キョウジが駆け付けた。

その傍らには、彼の仲魔である造魔・グリフォンを従えている。

 

「と、父さん・・・・何故、此処に・・・・? 」

 

只でさえ、仮初の肉体が衰弱している上に、地面へと乱暴に落とされたのだ。

身体中を襲う激痛に呻きつつ、バージルは義理父へと問い掛ける。

 

「そりゃ、コッチの台詞・・・・・おっと、どうやら家族団欒(だんらん)の時間はくれないらしいな。」

 

よろよろと立ち上がる息子に手を貸しつつ、キョウジが軽口を叩いた。

見ると、妖獣エンプーサクィーンを筆頭に、幽鬼や外道等の魑魅魍魎の群れが、キョウジ親子を取り囲んでいる。

皆、飢えており、久しぶりに現れたご馳走に涎を垂らしていた。

 

『この虫けらが、人の餌を横取りするとは良い度胸だな! 』

 

眼前に立つクリフォトの魔界樹から、邪龍、ニーズヘッグが姿を現した。

目や鼻、口が無いのっぺりとした肉人形は、ぶよぶよとその醜悪極まりない姿を揺らしている。

 

「うぇええっ、ニーズヘッグかよ・・・相変わらず汚い上に臭い奴なんだぜ。」

 

黒毛の大鷲、グリフォンが、顔を歪める。

大鷲が指摘する通り、ニーズヘッグは生ごみの様な饐(す)えた匂いを周囲に撒き散らしていた。

 

「グリちゃん、バージルを頼む。」

 

左手に持つ漆黒の長剣、冥府破月の鯉口を切る。

数にして数百体。

その中には上位種の幽鬼・ヘルジュディッガとエンプーサクィーン、そして邪龍・ニーズヘッグも含まれている。

まともに相手をすれば、かなり骨の折れる奴等ばかりだ。

 

「父さん・・・・・今すぐ契約を破棄・・・・。」

「それだけは駄目だ。 今グリちゃん達を失えば、お前は肉体の維持が出来なくなる。」

「でも・・・・・。」

「諦めるな、バージル。 生きて此処を出る事だけを考えるんだ。」

 

生きてこの異界から現世へと逃げ延びる。

しかし、この空間は、大魔導士・アンブローズ・マーリンが創り出した牢獄だ。

出口など、当然何処にも存在してはいなかった。

 




やっとこさ投稿出来ました。


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第25話 『 狭間・偉出夫 』

悪魔紹介

太陽神・ラー・・・・狭間・偉出夫が契約している最上級悪魔(グレーターデーモン)
”特異点”の力を持つ悪魔であり、知能の低い悪魔どころか、人心すら掌握する絶大なるカリスマ性を持つ。偉出夫は、この力を使って三島重工の会長並びに掲示板で『エルバの民』というサイトを作り仲間を増やしている。
10数年前に起こった一家猟奇殺人事件の唯一の生存者。
一時、沖縄にある療養施設に送られていた事がある。


この世界は不条理だ。

生まれた環境によって、自分の人生が全て決まってしまう。

横内・健太の住む世界は、理不尽な出来事で埋め尽くされていた。

二十数年前に起こった第二次関東大震災により、両親を失い、国が管理している児童養護施設で過ごした。

そこは、養護施設とは程遠い、地獄の様な場所であった。

悪魔の臓器を移植され、対悪魔部隊の戦闘員として過酷な訓練を強いられた。

成人したら、当然、特殊部隊に入隊させられ、戦争の真っ只中に放り込まれる。

同じ境遇で育った周防・達也とは、能力的にも大分劣り、彼の様な悪魔召喚術師(デビルサマナー)の適性が無かった。

唯一取得出来たのが、剣士職の銃剣士(ベヨネッタ)だけ。

それでも、生き残る為に死に物狂いで怪物共と戦った。

激戦区であるギザフに悪魔討伐部隊の一員として派遣され、そこで両足を失った。

高度なサイバネティクスで、機械仕掛けの両足を手に入れたが、国は使い物にならないと判断し、僅かばかりの報奨金を与えて、横内を放逐した。

親友である達也は、視力を失ったものの、悪魔召喚術師としての才を認められ、警視庁の特殊公安部隊へと配属された。

当時は、自分の能力の無さに怒り、親友である周防を妬んだ。

しかし、いくら憎悪を募らせても、非力な己自身で国を相手に戦争など出来る筈が無い。

横内は、己の中にある蟠(わだかま)りに視線を背け、普通に生きる道を選んだ。

就職したのは、とある大手出版会社の事務職だった。

仕事は単調でつまらないが、それでも地獄の様な戦場と比べると、天国の様な場所だった。

過去の忌まわしい記憶を全て捨てて、仕事に没頭した。

職場で、気の良い同僚達に囲まれ、生涯の伴侶となるべき女性とも巡り会えた。

かつて失った幸せを享受出来る。

そう、思っていた矢先に不幸は訪れた。

 

 

 

紅き死神、レッドライダーこと横内・健太は、数歩離れた位置で対峙する隻眼の悪魔召喚術師(デビルサマナー)を睨みつけていた。

この少女の如く華奢な肢体をした怪物は、自分の最愛の女性の命を奪った元凶の一人だ。

怒りの炎が腹腔内から沸き起こり、大剣『カオスイーター』の柄を握る手に力が篭(こも)る。

 

「じ、爺さん。」

「喋るな・・・・マベル、コイツに掛かった”石化の呪い”を解術出来るか? 」

 

漆黒のモーターラッドに跨る隻眼の悪魔召喚術師は、肩にしがみついている小さな妖精に問いかける。

 

「任せて。」

 

主人の意図を汲んだハイピクシーのマベルが、すぐに背後で片膝をついている銀髪の魔狩人の元へと向かった。

 

対峙する深紅の死神と隻眼の悪魔召喚術師。

隻眼の魔法使いが、己の魔具(デビルアーツ)、キャバリエーレを二振りの大鎌へと変える。

 

「おっと、これは流石に拙いな。」

 

一方の坂本・晋平二等陸佐。

予想外の闖入者に、内心、舌打ちする。

悪魔共が恐れ慄(おのの)く、人修羅こと17代目・葛葉ライドウの登場は、想定外だ。

折角、初代剣聖と心行くまで殺し合いが出来ると思っていたが、流石に己に課された役目を放棄する程、愚かでは無い。

 

美貌の女剣士が持つ魔法剣‐『七星村正』の刀身を跳ね上げ、レッドライダーの元へと跳ぶ。

 

「玄信! 」

「残念ですが、勝負はお預けです。初代殿。」

 

戸惑う初代剣聖‐ 鶴姫を他所に、新免無二斎は同胞である紅き死神の傍らへと着地した。

 

「潮時だ・・・・・此処は一旦引くぞ? 横内一等陸士。」

「・・・・・っ、武蔵殿。」

 

坂本二等陸佐は、兵法家としても名高い、宮本武蔵の転生体だ。

何らかの意図があって、撤退と言う選択を選んだのだろう。

横内は、それ以上何も言えず、不承不承従うより他に術が無かった。

そんな巨漢の剣士に、坂本は口元に皮肉な笑みを浮かべると戦闘離脱魔法(トラポート)と同じ効力を持つ札を取り出す。

 

「それでは、皆さん、御機嫌よう。」

 

札の効果が発動し、紅き死神と壮年の剣士を光が包む。

瞬く間に、他のエリアへと移動する二人、後には満身創痍のダンテと、妖艶な剣士・鶴姫、そして隻眼の召喚術師、17代目・葛葉ライドウだけが残された。

 

 

 

平崎古墳大迷宮、地下2階。

最深部から吹き上げる瘴気の風をまともに浴び、大月・清彦ことヴィランが、寒そうに両腕をさする。

 

「どうしたんですか? もしかして、怖いとか? 」

 

前を歩く偉出夫が、背後でしきりに両腕をさする化学教師を面白そうに眺めた。

 

「怖いに決まってんだろ、俺は一般人なんだ。 アンタみたいに因果律を捻じ曲げる怪物とは違うんだよ。」

 

まるで遠足気分ではしゃぐ主に、呆れた様子で溜息を零すと、ヴィランは悪態を吐き捨てた。

 

ヒンドゥー教の最高神、ヴィシュヌが宿った神器を巧みに操る事が出来ても、ヴィランは所詮、人間である事に変わりは無い。

手足が斬り落とされても、再生する事は出来ないし、心臓や人体の大事な臓器を破壊されれば、簡単に死ぬ。

 

「ストックは沢山あるんでしょ? なら、何も問題は無い。」

「馬鹿言え、そう簡単にとっかえひっかえ出来る訳じゃねぇーんだよ。」

「え? 違うんですか? 」

「ちゃんと手順を整えないと駄目なんだよ。 葛葉四天王の化け物連中と一緒にしないで欲しいね。」

 

何処までも無邪気で太平楽な主に、ヴィランは海より深い溜息を吐きだす。

 

葛葉四天王とは、超国家機関『クズノハ』を創設した4人の召喚術師の事である。

蘆屋道満大内鑑の血を色濃く引き継ぎ、家によって術の系統がそれぞれ異なる。

 

「なーんだ、随分と便利な能力だと思っていたのに。」

 

ヴィランとの会話に飽きたのか、偉出夫は大きく背伸びをすると、最深部に向けて歩き出す。

そんな主の背を無言で眺める覆面の男。

神器の入ったアタッシュケースを握り直し、呆れた様子で一つ溜息を零した。

 

 

平崎古墳大迷宮地下1階。

石造りの冷たい壁に背を預けたダンテは、大人しくマベルの治療を受けていた。

魔剣士・スパーダの悪魔の血故か、石化の呪いはそれ程深刻では無く、治癒魔法のお陰で、徐々に毒素が抜けていくのが分かる。

 

「待たんか、17代目。 」

 

仮番の治療を仲魔であるハイピクシーに任せ、バイク形態へと戻した魔具・キャバリエーレに跨り、最深部に向かおうとする弟子を、鶴姫が押し留める。

 

「いくらお前でも、13代目とメルリヌス相手では分が悪すぎる。我々と共に行動するべきだ。」

 

歴史の書物に名が記される程、有名な大魔導士であるアンブローズ・マーリンは、オリュンポス神族の中でも最高位である女神・ヘラの血を色濃く引き継いでいる。

おまけに今回のテロの首謀者は、葛葉四家の一人、13代目・葛葉キョウジだ。

マーリン一人が相手なら、どうとでもなるが、13代目はそう簡単にはいかない。

確実に返り討ちに合う。

 

「口出し無用、これは俺の戦いだ。」

「ナナシ。」

「お袋さんは還ってくれ。 後で骸の野郎から嫌がらせを受けるぞ。」

 

先代である16代目・葛葉ライドウの本番とはいえ、現在、鶴姫は十二夜叉大将の長である骸の所有物だ。

奴の機嫌を損ねれば、何かしらの報復を受けるのは間違いない。

 

「私の事等どうでもいい。今はお前だ。」

「・・・・。」

「お前と13代目の確執は良く知っている。 ”アンブラの魔女”の件では、幾度も奴とは衝突していたな? 」

「・・・・・だから何だ? アンタには関係無いだろ。」

 

常人ならば竦み上がるであろう殺気を、師である女剣士へと向ける。

しかし、美貌の女剣士は怯まない。

ハンドルを抑える手に力を込める。

 

「関係無くはない、メルリヌスは私の甥・・・・・。」

「臍曲りの爺に何を言っても無駄だぜ? 冥府の王様よ。」

 

永遠平行線を漂う二人の会話に、銀髪の大男が割って入った。

石化の呪いは粗方解けたとはいえ、未だに四肢に痺れが残る。

 

特殊繊維で編まれた真紅の長外套を素肌の上に纏い、銀髪の魔狩人は両者の元へと近づいて来た。

 

「アンタが何に拘(こだわ)っているのか何て興味がねぇ・・・だが、此処まで舐められた真似されて黙って引き下がるなんて御免だぜ。」

 

売られた喧嘩は必ず買う。

特に、双子の兄、バージルの偽物を演じていたあの男だけは許す事が出来ない。

息子可愛さのあまり、何の関係も無い大勢の命を平然と犠牲にしたのだ。

それ相応の報いを受けさせてやる。

 

静かな怒りに燃える蒼い瞳と、黒曜石の隻眼が激しくぶつかり合う。

暫しの静寂。

そんな不穏な空気が漂う一同の前に、三人の闖入者が現れた。

 

 

平崎古墳大迷宮へと足を踏み入れたネロ達”探偵部”の面々。

途中、妖虫・エンプーサや幽鬼・ヘルカイナの群れに襲われたが、彼等の敵では無かった。

鋼の弾丸が、悪魔の肉体を抉り、繰り出される斬撃が、細切れの肉片へと変える。

 

「おい、俺の分も残してくれよな? 」

 

機械仕掛けの大剣‐クラウソラスを肩に担いだ銀髪の少年、ネロが呆れた様子で、鋼牙と明の背に声を掛ける。

誰の目から見ても、二人は相当不機嫌だった。

それは、襲い来る悪魔達を秒も掛からず返り討ちにしている姿から容易に知れる。

 

(ちっ、何だってんだよ? 俺だってムカついているのに・・・・。)

 

鋼牙は、恩師である13代目・葛葉キョウジに対し、また一方の明は、クラスメートである日下・摩津理の一件を未だに引きずっていた。

言葉に出来ない理不尽さで、二人共気が立っている。

それは、ネロも同様だった。

悪魔の右腕‐デビルブリンガーを奪われた上に、プライドまで傷つけられている。

おまけに狭間・偉出夫という不気味な存在。

 

(・・・・奴も此処にいるのか? )

 

世田谷区にある稲荷丸古墳での激闘が蘇る。

狭間は、ネロの持つ六連装大口径リボルバー、ブルーローズの銃口を己の額に当て、「殺せ」と挑発した。

奴の言葉によると、自分と狭間はかつて兄弟と言う間柄だったらしい。

正直言って、馬鹿々々しいと思う。

あんなイカレた奴と自分が、前世で兄弟だったなんて、何かの悪い冗談だ。

 

そんな取り留めも無い事を考えている時であった。

ネロの視界に、見知った人物達が映る。

恩師である17代目・葛葉ライドウとその仮番であるダンテ、そして見知らぬ美女がそこにいた。

 

「ネロ! 」

 

まず最初に、自分達の存在に気が付いたのは小さな妖精‐ マベルであった。

気まずい場の雰囲気についていけず、どうして良いかと思っている矢先に、ネロ達”探偵部”の三人を見つけたのである。

 

「ヒュースリー家の小倅(こせがれ)か・・・・?」

 

大胆に胸倉の開いた着流しを着る妙齢の美女が、三人の少年達へと視線を向ける。

濡れ羽色の黒髪を頭頂部で一つに纏め、着流しの合わせ目からは、豊満な乳房が覗く。

新雪の如き白い肌と妖艶な美しさに、ネロは自然と頬が熱くなるのを感じていた。

 

「ちっ、またお前かよ。」

 

女剣士‐ 鶴姫の傍らにいる銀髪の大男は、ネロの背後に天敵とも呼べる遠野・明の姿を見つけ、思わず舌打ちする。

矢来銀座と五島美術館の異界化した日本庭園で、二度も明に助けられている。

4年前に自分の額を抉り、完膚無きまで叩きのめされた相手。

 

「・・・・・。」

 

一方の明も、ダンテに対しては何か思う所があるらしい。

長い前髪から覗く鋭い眼光で、養父である17代目と銀髪の魔狩人を睨みつけていた。

 

「良かった、どうやらパーティーには間に合いそうですね?」

 

火花が散りそうな程の睨み合いをする二人の間に、黒縁眼鏡の少年、壬生・鋼牙が割って入る。

このまま両者を放逐していたら、互いに得物を取り出して、殺し合いを起こしかねない。

 

「僕達も混ぜて下さいよ? 今度こそ抜け駆けは無しにしてね? 」

「下らん。」

 

涼やかな笑みを浮かべる鋼牙に、17代目は忌々し気に吐き捨てると、師父の手を振り切りモーターラッドを発進させてしまう。

 

「ナナシ! 」

 

慌てて呼び止めるも、時すでに遅し。

華奢な悪魔使いの姿は、大迷宮の暗闇へと消えてしまう。

後に残される一同。

 

「馬鹿者が・・・・。」

 

あくまで、ライドウは一人で事件を終わらせる気でいる。

既に視界から消えた愛弟子を、鶴姫は哀し気に呟いた。

 

 

 

東京都新宿区市谷本村町・・・・そこに防衛相の庁舎がある。

豪奢な私室。

そこに二人の人物がいた。

 

「ふん、帝都の魔人が、態々こんな所まで来るとはな? 」

 

この私室の持ち主である五島公夫事務次官が、革張りのソファーに座り真向かいにいる人物を胡乱気に眺める。

 

「久しぶりに外の空気が吸いたくなった・・・ついでに君の様子も伺いたくてね。」

 

高級ブランドの背広に身を包むのは、国会議事堂の地下、数千メートルに住む”人喰い龍”こと骸であった。

執務室の出入り口には、見事な銀髪を短く刈り上げた20代半ばぐらいの青年が壁に背を預けて二人の様子を伺っている。

骸が護衛役として連れて来た四神の一人、白虎であった。

 

「卑しい国津神の息を吸ったら、肺が爛(ただ)れるんじゃないのか? 」

「まさか・・・・私が中立な立場でいる事は、君も良く知っているだろ? 建御名方神(たけみなかたのかみ)? 」

 

心外だ、とばかりに骸は大袈裟に肩を竦める。

そんな美貌の訪問者に対し、五島は臨戦態勢を崩そうとはしなかった。

不埒な態度を取れば、すぐさま発砲出来る様に、懐には自動式拳銃を忍ばせている。

最も、この怪物に弾丸が効けば、の話ではあるが。

 

「外が随分と騒がしいな? 世田谷と矢来区では、大勢の市民が悪魔の犠牲になったと聞く・・・・当然、君も周知の事実であるとは思うが。」

「勿論、今、”飛竜”を派遣して調査中だ。」

 

五島の言葉に嘘偽りは一切ない。

事実、部下の自衛官達を現場に送り込み、生存者の救助活動を行わせている。

 

「まさかとは思うが・・・・貴公はそんな下らない事を確認する為に此処に来たのか? 」

 

この男が、態々地上まで這い出て来た理由は、大体ではあるが察しがつく。

 

「建布都神(たけふのかみ)に何を吹き込まれたか知らんが、”賢者の石”は諦めろ、アレを手に入れても君達の為にはならない。」

 

予想通りの言葉に、五島は内心溜息を吐く。

この帝都の魔人は、全てを見透かしている。

『賢者の石』は、膨大なエネルギーの塊だ。

それを軍事目的に使用すれば、各国のパワーバランスを覆す結果になる。

 

「・・・・貴公は、例の噂を聞いた事があるか? 」

「噂? 」

 

唐突に話が切り替わった事に、骸は胡乱気に国津神の長を眺める。

 

「我々の”父”が死んだ・・・・という話だ。」

「・・・・・・。」

 

衝撃的な内容に、骸は怪しい光を放つ紅玉の双眸を細める。

 

建御名方神が言う”父”とは、勿論、唯一神の事だ。

この世界に存在する様々な神の始祖。

天地開闢(てんちかいびゃく)の時代から存在し、様々な呼び名を持つモノ。

 

「俄かには信じられない話ではあるが、ヘブライ神族の連中の動きを見れば、嫌でも推測出来る。 奴等は、父上に一番近い場所にいるからな。」

「・・・・・成程、つまり君等は戦争がしたい訳か。」

 

建御名方神の言葉の端々に見える暗い意図を察し、骸は小さく吐息を吐いた。

 

世界各地に存在しうる神々にとって、唯一無二の神たる下僕であるヘブライ神の存在は、眼の上のたん瘤と同じである。

武闘派で有名なアースガルドやオリュンポス、三皇五帝の神々や四海竜王等が厄介者扱いするのは当然であった。

 

「勘違いするな、我々はあくまで自国を護りたいのだ。 他の連中と同じだと思わないでくれ。」

 

”父”が不在である・・・という噂は、当然、他の神々とて知っている。

もし、その話が事実であるならば、各国の神達が、我こそが唯一無二の神であると名乗る出て来る可能性は十二分にあった。

事実、兵を揃え、武力を整える輩まで出て来ている。

 

「アースガルド、オリュンポス、アスラ神族、エネアド・・・・様々な神が、創世の神となるべく動き出している・・・1年前のフォルトゥナ侵攻戦は覚えているかな? 」

「ああ、実に下らん茶番劇だったな。」

 

遠い、北の台地で起こった小さな戦争。

たった一日で終結してしまったが、それでも人々の記憶の中には、生々しく残っている。

 

「あの戦争で、スラヴの軍神達が深く関わっていた。」

 

五島曰く、スラヴ神達は、アースガルドと同盟を組み、フォルトゥナ公国を嗾(けしか)け、隣国のディヴァイド共和国と戦争を起こそうとした。

しかし、アメリカ国防総省の依頼で、子飼いの甲賀忍軍並びに坂本晋平二等陸佐を内偵として潜り込ませていた為、情報を逸早く手に入れる事が出来た五島は、国防総省と結託し、ロシアの現大統領であるアレクセイ・ネモフと内密な極秘会談を開いた。

 

「セルビアの秘密結社(フリーメーソン)の黒手組(ブラックハンド)は、アポフィスが引退して、現在、太陽神ラデガストが長になっている。 奴は、裏でアースガルドの長、オーディンと結託して、先の戦争を画策したのだそうだ。」

 

ロシア現大統領であるアレクセイ・ネモフは、生粋のスラブ人だ。

彼は、太陽神ラデガストを信奉しており、彼の力で大統領選を勝ち抜き今の地位に納まっている。

故に、ラデガストの命令は絶対で、彼の手足となり政務を行っていた。

 

「幸い、ラデガストはそこまで愚か者ではない。我々の圧力に簡単に屈し、フォルトゥナから手を引いた・・・まぁ、それはあくまで見せかけかもしれんが。」

 

奴等にとって、小国『フォルトゥナ』等、消耗品に過ぎない。

膨大な”精霊石”の鉱脈が眠るフォルトゥナの地を手放すのは惜しいが、他の神々に目を付けられ、武力を持って抑えつけられるのは、厄介なのだ。

 

「アースガルドの連中が、武力を高め、我々に戦争を仕掛けると? 」

「有り得ない話では無いだろ? ラデガストは兎も角、あの野心家が創世の神の座を狙わん訳が無い。」

 

建御名方神が危惧するところはまさにそれで、下手をすると日本等の小さな国如き、跡形も無く吹き飛ばされてしまう。

 

「で? 君は、そんな世迷言を信じていると? 」

「世迷言ではない。 既に神々は戦争に向けて準備している・・・・私はな、月読、この国を愛し護りたいと切に願っているのだ。」

 

これは、嘘偽りの無い、本心だ。

日本は、現在”シュバルツバース”という大きな爆弾を抱えている。

他国の神が創世を目指し、『受胎』を引き起こすには、シュバルツバースを解放する必要があった。

 

「君は、今の現状で満足しているのか? 」

「まさか・・・・同胞達の悲惨な状況をどうにかしたいとは思っているさ。」

 

天津神の台頭により、国津神の威厳は完全に地に堕ちた。

人々の信仰心を失えば、当然、神もその力を失う。

今、現在、同胞達は泥水を啜り、何とか生き永らえている状態であった。

 

「だからこその”賢者の石”か・・・・益々、愚かだな。」

 

呆れた様子で、溜息を一つ零すと、骸は座っていた革張りのソファから立ち上がる。

忠告はした、後は建御名方神がどの様な行動に出るかは、全て自己責任だ。

 

「愚かは貴公等、天津神だ。 天使共の走狗に成り果て、それで満足なのか? 」

 

部下が待つ執務室の出入り口へと向かう骸の背に、五島の皮肉が飛ぶ。

元々、天津神の始祖は外来から来た異邦の神だ。

当然、土着神である自分達とはモノの考え方が、根本的に違う。

 

「別に・・・・只、同志の一人を平然と捨て駒に使う君等の気持ちは到底理解出来ないだけだ。」

 

それだけを吐き捨て、骸は四神の一人である白虎を促し、執務室から出て行く。

後に残される五島。

ソファの背凭れに身を預け、深く瞑目していた。

 

 

平崎古墳大迷宮。

鋼牙達”探偵部”の面々と合流した鶴姫は、隠し通路を使用し、最短ルートで最深部である地下8階を目指す事にした。

 

「随分と詳しいんだな? 」

 

ネロが持っていたGUMPのマッピング機能を使い、隠し通路の場所を説明する美貌の剣士に、ダンテが言った。

 

「秦氏の姫君の怒りを鎮める為に、私の相棒(パートナー)である16代目も手を貸していたからな・・・・。」

 

今から30数年前、ファントムソサエティの構成員であったシド・デイヴィスは、平崎市に封印されていた大怨霊・イナンナ姫の封印を解いた。

彼女が持つ、膨大な量の魔力を手に入れる為である。

その事件に、当時、駆け出し召喚術師であった13代目・葛葉キョウジと先代ライドウである16代目が関わっていたのだ。

 

「この隠し通路にいる悪魔(デーモン)共は、通常の奴等とは比べ物にならない程スキルが高い。 頼むから、下らん痴話喧嘩だけは止めてくれよ? 」

 

胡乱気な双眸で、鶴姫が長い前髪をしている少年‐明と銀髪の大男‐ダンテを交互に睨む。

途端、渋い顔をする二人。

一瞬、双方の目が合うが、すぐに視線を逸らす。

 

「何としても、馬鹿弟子より先に魔王・ユリゼン・・・否、マーリンの所に行かなければならない。 各々、覚悟は当然出来ているんだろうな? 」

「はっ、当たり前だろ? 派手に暴れられると思うとワクワクするぜ。」

「頼むから飛ばし過ぎてガス欠になるなよ?ネロ。」

 

鶴姫相手に軽口を叩く銀髪の少年‐ネロに、黒縁眼鏡の少年‐ 鋼牙が釘を刺す。

ダンテと明は、互いに牽制している為か、終始無言だ。

一癖どころか三癖もある連中を眺め、鶴姫は海より深い溜息を吐いた。

 

 

 

平崎古墳大迷宮3階。

肩に凶鳥・ピロバットを乗せた狭間・偉出夫が鼻歌を歌いながら、隠し通路を歩いている。

傍らには、まるで護衛の様に妖獣・ライアット二体を従えていた。

 

「アンタと一緒にいると悪魔(デーモン)共が襲って来ないから凄い楽だぜ。」

 

数歩離れた斜め後ろを歩く幾何学的模様のマスクを被った男‐ヴィランが、何処か不満気な軽口を叩いた。

 

「彼等はとてもか弱いんだ・・・・君等みたいに悪魔(デーモン)だからという理由だけで、殺してしまうのは野蛮な発想だよ? 」

 

偉出夫は、傍らを歩くライアットの頭を優しく撫でる。

大好きな主に撫でられたのが嬉しいのか、妖獣は喉を鳴らしていた。

 

偉出夫の持つ最上位悪魔(グレーターデーモン)、太陽神・ラーの持つ力は、絶対的なカリスマ性だ。

全てを服従させ、支配する。

故に、知能が低い悪魔達は、意図も容易く偉出夫に従い、彼に絶対的な忠誠を誓うのだ。

 

「に、しても横内と防衛相の役人さんを簡単に帰して良かったのか? 」

 

『エルバの民』の同志である横内・健太と五島の懐刀、坂本二等陸佐は、既に平崎古墳から離脱している。

残されているのは、ヴィランと偉出夫の二人だけだ。

 

「ああ、横内君はこれ以上”レッドライダー”の力を使わせる訳にはいかないし、もう一人は、建御名方神殿の部下だ。 」

 

尊い同志である横内には、まだまだ創世の為に働いて貰うつもりだ。

坂本二等陸佐は、五島事務次官の部下である為、当然論外である。

 

「それに、彼等がいない方が、貴方も仕事がし易いんじゃないのか? 」

「・・・・・っ、フッ、参ったね。全部お見通しと言う訳か。」

 

偉出夫に内心を見透かされ、ヴィランは思わず覆面の下で苦笑いを浮かべる。

 

この怪物は、自分がヴァチカン市国から派遣された異端審問官である事を知っている。

ヴァチカン13機関(イスカリオテ)第10席、コード・ネーム、”ロールシャッハ”。

それが、軽子坂高校、科学教師、大月・清彦のもう一つの顔であった。

 

「だが、勘違いするなよ? 俺は、コイツの試運転を上から頼まれただけで、”賢者の石”には全く興味がねぇ。」

 

覆面の異端審問官は、右手に持つ鉄製の丈夫なアタッシュケースを偉出夫に見せる。

この中には、17代目・葛葉ライドウから奪い取った最上級悪魔(グレーターデーモン)魔神・ヴィシュヌを封じた神器が納められている。

その名を神器‐スダルサナ。

威力は、矢来区地下水道で実証済みだ。

 

「ほぅ、意外ですね。」

 

スパイとしてエルバの民に潜り込んでいるならば、当然、『賢者の石』についての情報も既に手に入れている筈だ。

傲慢な天使が、神の座を脅かす程の脅威を放置しているとは、到底思えない。

 

「当たり前だろ? そんな眉唾みたいな御伽噺を上に持っていけるかよ。 下手すりゃ俺の首が飛ぶっての。」

 

ヴィランの言い分は最もで、長い人間(ヒト)の歴史で、『賢者の石』や不老不死の霊薬とされる『エリクサー』を精製出来た錬金術師は誰一人としていない。

唯一、歴史に名を遺す魔導師、アンブローズ・マーリンのみが精製したと言われているが、その逸話も本当か嘘か未だ判然としないのだ。

 

「で? 貴方のお仕事は上手くいってるんですか? 」

 

この男の言葉を半分も信じる気は無い。

しかし、ヴィランが持っている特殊素材で造られた頑強なアタッシュケースに収まっている神器は気になった。

 

「一言で片づけるなら、駄作だな。 月の女神様には申し訳ねぇけど、一般の兵士が扱いきれる代物じゃねぇ。」

 

魔神・ヴィシュヌが封じられた神器‐ スダルサナは、使用結果によっては、量産化を目的としている。

しかし、扱い方が大変難しく、下手をすると一都市どころか、日本そのものが焦土と化す。

神の血を引くヴィランですら、スダルサナの性能を十分に発揮出来ていない。

型落ちの粗悪品なら、幾らでも精製出来るだろうが、そんな危険極まりない代物を一般兵に支給出来る筈が無い。

 

「人修羅ちゃんをヘッドハンティングするか・・・それが駄目なら、一生、国防総省の倉庫で寝かせるしかねぇな。」

「勿体ないですねぇ。」

 

職人(ハンドヴェルガー)の中でも、巨匠(マイスター)と呼ばれる月の女神・ヘカーテが創り出した至高の逸品ではあるが、扱えないのであれば、欠陥品と呼ばざる負えない。

 

そんな取り留めのない会話を交わしていると、巨大なクリフォトの根の前に辿り着いた。

人間の生き血を吸い上げるパイプの一本らしい。

どす黒い血で満たされたそれは、まるで血管の如く、不気味に脈打っていた。

 

「おい、まさかこの中に入れとか言うんじゃねぇよなぁ。」

 

ヴィランが、覆面の下で露骨に嫌な顔をする。

 

「これは、反逆皇・ユリゼンがいる最下層までの直通便だ。 乗って行けば、彼がいる霊廟までひとっ飛びだよ。」

 

尻込みする科学教師を尻目に、偉出夫は何の躊躇いすら見せずに、血管の中へと分け入る。

後に残される覆面の男。

偉出夫が此処まで連れて来た妖獣や凶鳥に白い目で見られ、渋々と言った態で主の後を追い掛けた。

 

 

モーターラッド型の魔具を巧みに操り、最下層にある霊廟へと向かう17代目・葛葉ライドウ。

途中、邪神・ルサキアやバフォメット、幽鬼・ヘルカイナを率いるヘルジュデッガに襲われたが、組織『クズノハ』最強と謳われる悪魔召喚術師の敵では無かった。

ものの数秒と掛からず殲滅され、跡形も無く塵へと還っている。

 

(何故だ・・・・何故、裏切った。)

 

かつて、魔界で仮契約を結んでいた四大魔王(カウントフォー)の一人、反逆皇・ユリゼン。

その協力者は、こともあろうに葛葉四家、葛葉・キョウジの銘を継ぐ人物であった。

 

ライドウが初めてキョウジと出会ったのは、今から30数年前。

超国家機関『クズノハ』に入り、暗部”八咫烏”の中でもエリート部隊と称される”十二夜叉大将”に属したばかりの時であった。

来る日も来る日も殺戮に明け暮れ、心が荒み、血反吐の中をもがき苦しんでいる時に、13代目・葛葉キョウジは颯爽と現れた。

『クズノハ』の戒律に縛られず、自由奔放で、周囲の者達から慕われる彼は、当時のライドウに眩しく映った。

彼の親友であり恩人でもある百地・三太夫や妻の月子も、キョウジに懐いていた。

「兄様、兄様。」とキョウジを呼び、彼に懐く妻の姿に、常に嫉妬と羨望の感情を抱いていた。

 

(裏切者め。)

 

脳裏を過るのは、濡れ羽色の長い黒髪を持つ美少女に抱き着かれ、苦笑を浮かべるキョウジの姿。

常日頃、従者として彼女に仕えているライドウには、決して見せてはくれない笑顔だった。

 

「・・・・っ! 」

 

その時、背筋を形容し難い寒気が走った。

殆ど条件反射で、疾走していたモーターラッドを急停車させる。

隻眼の召喚術師の頭上を、2メートル以上の巨躯を誇る白銀の獣が跳び超えた。

悪魔召喚術師の退路を完全に断つ、二頭の白銀の魔狼(まろう)。

そして、回廊の奥から、豪奢な甲冑に覆われた騎士が姿を現す。

汚れ一つない純白の鎧と、手には身の丈を軽く超える槍を携えている。

兜の奥から、炯々と光る真紅の双眸が、数歩離れた位置で対峙する隻眼の召喚術師を睨みつけていた。

 

「ランスロット卿・・・・。」

 

甲冑の隙間から、瘴気を漂わせているこの魔剣士の名は、かつてアーサー王に仕えていた円卓の騎士の一人だ。

君主、アーサー王の妻、グィネヴィアと不義の恋に堕ち、円卓の騎士の結束を分断させた咎人である。

 

「否、違うな・・・・マーリンが卿の肉片から造り出したグールか。 惨い真似をしやがる。」

 

モーターラッド‐ キャバリエーレから降りた悪魔使いは、腰に吊るしてあるガンホルスターからGUMPを取り出す。

トリガーを引くと、蝶の羽の如く液晶パネルが展開し、そこに何桁か打ち込んだ。

空中に展開される魔法陣。

そこから、漆黒の毛並みをした一匹の蝙蝠が飛び出す。

 

「アラストル頼む。」

「了解。」

 

キャバリエーレをGUMPに戻し、代わりに魔神・アラストルを召喚するライドウ。

主の言葉に頷いた魔神が、魔具の姿へと変わる。

二振りの双剣へと変わったアラストルを握ると、眩い光が悪魔使いを包む。

真紅の背旗に、白を基調とした鎧。

狐を模した面頬を付けるその姿は、まるで童話に登場する騎士そのものであった。

 

好敵手の登場に、対峙する騎士の双眸が細くなる。

右手に持つ長大な槍を一閃させ、切っ先を真向かいに立つ白銀の魔狼へと向けた。

 

 

平崎古墳大迷宮、最下層8階。

広い室内の中央には、歪な形をしたオブジェがあった。

クリフォトの根で造り出された台座。

そこには、外果皮に覆われた真紅の石が、眩い光を放ちながら、回転している。

その様子を聖櫃の上に腰掛けた白髪の少年が、無表情に眺めていた。

 

あの果実の中に宿っているのは、多くの罪なき人々の生き血を啜って生み出された代物だ。

多くの錬金術師達が求め、様々な手法で生み出そうとしたが、彼等の願い虚しく実現する事が叶わなかった魔法の石。

一説では、不老長寿を与える霊薬として、また、どんな金属でも黄金に変える事が出来る魔法の石として、様々な説が飛び交った。

 

「・・・・アーサー・・・もうすぐ、君に会えるよ。」

 

伝説の英雄、ユーサー・ペンドラゴンを父に持ち、勇猛果敢な12人の騎士を従え、戦場を駆け抜けた英雄、アーサー王。

マーリンにとって、アーサーは唯一自分と言う存在を認めてくれた人物であった。

王としての絶大なる威厳を持ち、かつ、子供の様に無邪気に振る舞う人。

 

「はぁ・・・・・君達が此処に来るのを許可した覚えは無いんだけどな。」

 

甘い記憶の中に浸っていたマーリンは、嫌悪感も露わに深い溜息を吐きだす。

 

「おっと、失礼・・・・想い出に浸っている所を邪魔してしまいましたね?」

 

霊廟の出入り口から姿を現したのは、10代後半ぐらいの少年であった。

癖のある髪を肩まで伸ばし、人形の如く整った容姿をしている。

くたびれたトレンチコートと幾何学的な模様をした覆面を被る中折れ帽の男を従え、少年‐ 狭間・偉出夫は、聖櫃の上に座る白髪の少年に対して、恭しく一礼した。

 

「私の名前は・・・・・。」

「狭間・偉出夫、軽子坂高校の三年生。 10年前の一家連続殺人事件の唯一の生存者・・・今は、エルバの民という掲示板の管理人をしている。」

 

軽い自己紹介をしようとする偉出夫の言葉を、マーリンが素っ気なく遮った。

硝子玉の様な緋色の双眸が、二人の闖入者へと向けられる。

 

「流石は、12世紀を代表する大魔導師だ。 こうも簡単にフィルターを外されるとはね。」

 

簡単に深層心理まで潜り込まれ、偉出夫は感嘆の吐息を吐く。

 

史実のマーリンは、グレートブリテン島の未来について予言を行い、アーサーの父、ユーサー・ペンドラゴンを導き、ストーンヘンジを建築した偉人だ。

魔導に関する様々な書籍を世に残し、彼の技術は今も尚、魔導士ギルドに大きな影響を与えている。

 

「君は、特異点だろ? 石なんて欲しがる理由なんかないじゃないか。」

 

偉出夫は、17代目・葛葉ライドウと同じ『帝王の瞳』を持つ人間だ。

その気になれば、因果律を捻じ曲げ、自分の思いのままに操る事が出来る。

”賢者の石”と同等、否、それ以上の力を持っているのだ。

 

「それがそうもいかなくてね。 魔導師ギルドに加入する為には、どうしても石を手土産にする必要があるんだ。」

「・・・・・・ふん、馬鹿々々しい。」

 

値踏みするかの如く、偉出夫とヴィランの二人を眺めていたマーリンは、指を慣らす。

すると、硬い岩盤を突き破り、数体のクリフォトサップリングが姿を現した。

 

「お前みたいな奴は、早めに死んだ方が良い。」

 

主の意を受け、クリフォトサップリングが偉出夫とヴィランに襲い掛かる。

しかし、偉出夫の背後から躍り出た妖獣・ケイオスが、刃の様に鋭い背びれで醜悪な触手の群れを斬り裂いていった。

飛び散る紫色の体液。

二体の妖獣が、主を護るかの如く、両脇へと降り立つ。

 

この悪魔(デーモン)は、マーリンが異界から呼び出して来た者達だ。

飼い犬に牙を向けられ、少年の秀麗な眉根が不快に歪む。

 

「おや? もしかして仲魔に裏切られたのがショックですか? 」

 

怒りを露わにするマーリンに、偉出夫が皮肉な笑みを口元に浮かべる。

妖獣達は、猫の様に喉を鳴らし、愛しい主へとすり寄った。

 

「彼等にも心はある・・・・力で従わせるなんて、野蛮で下品なやり方だ。」

「・・・・・太陽神・ラーか・・・・面倒臭い奴を持ってるな。」

 

正式名称は、アメン・ラー。

エジプト神話に登場する最高神の一人だ。

ヘルモポリス創世神話を造った神で、古代エジプトの偉大な文明を構築した神で、絶大なるカリスマで、信徒達を支配していた。

 

「だったら、こうしてやるまでだ。」

 

マーリンが、今迄腰掛けていた聖櫃の上に乗る。

すると、石の棺に罅が入ると、そこから醜悪な姿をしたクリフォトの根が飛び出した。

無数の根は、一つの束となり、巨大な悪魔へと変貌していく。

かつて、マーリンが四大魔王(カウントフォー)として君臨していた仮初の巨人が、そこに立っていた。

無数の目が、不埒な侵入者を見下ろしている。

 

「先生、お仕事の時間ですよ? 」

「ちっ・・・・泣けるぜ。」

 

天井を突き破る程に巨大な魔神を前に、ヴィランは右手に持っているアタッシュケースの開閉ボタンを押した。

 




ラストまであと少し。


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第26話 『 猟犬 』

悪魔解説。

造魔・プロトアンジェロ・・・・・フォルトゥナ侵攻戦の最中、偉出夫達が持ち帰った”クリフォトの種籾”を三島重工の科学研究所が品種改良する事によって生み出された人造人間。
同じ過程で生み出されたプロトアンジェロの指揮を行う。
血を提供した術師の意志に従い、目的を遂行する殺戮人形。


白銀の鎧を纏った髑髏の騎士が、身の丈以上もある巨大な槍を一振りする。

巻き起こる突風。

振り下ろされる槍の切っ先が、石畳を大きく割る。

 

「ちっ! 」

 

一撃を紙一重で躱したものの、そこから発生する衝撃波を喰らい、純白の鎧を纏った魔狼が後方へと吹き飛ばされた。

何とか、空中で態勢を直し、華麗に地へと着地する。

 

流石、ブリタンニアでその名を轟かせた騎士だけはある。

アーサー王に従う円卓の騎士の一人であり、槍、剣術、乗馬のどれも彼の右に出る強者はいなかった。

それは、死してグールに身を堕とされても尚、健在で、実力は剣豪(シュヴィアエートケンプファー)を軽く超えている。

 

(まともに戦っては勝ち目は無い・・・・。)

 

パワー、スピード、共に彼方の方が遥かに上。

同じ土俵で戦えば、此方が不利になるのは明白だ。

獣を模した面頬の下で、筋力増加の魔法を唱える。

こうなったら、魔法と併用して手数で押していくしかない。

 

ライドウは、全身の筋力を撓(たわ)め、石畳を蹴り割り、音速で髑髏の騎士との間合いを詰める。

主の危機を察し、左右から襲い掛かる白狼。

しかし、それは悪魔使いが仕掛けた罠であった。

鋭い牙と爪が、白銀の騎士の四肢を引き裂こうとした刹那、煙の如くその姿が霧散。

二頭の巨獣は、避ける間もなくぶつかり合い悲鳴を上げる。

その様子に驚く髑髏の騎士。

が、次の瞬間、その相貌が苦痛で歪む。

何時の間に足元に忍んでいたのか、悪魔使いが持つ二振りの双剣が、巨漢の騎士の脚を斬り裂いたのだ。

 

瞬間移動(トラポート)を使い、紙一重で魔狼達の攻撃を回避した悪魔使いが、髑髏の騎士の足元へと移動。

気配を消し、敵の機動力である脚へと斬撃を繰り出したのだ。

両脚の後脛骨筋(こうけいこっきん)を深く斬り裂かれ、バランスを崩す喰種の騎士。

それでも、何とか態勢を立て直し、怒りの一撃を白銀の騎士へと放とうとする。

しかし、それは叶わなかった。

頭上に高速展開した魔法陣から、無数の岩の竜が顕れ、巨漢の騎士へと襲い掛かる。

成す術も無く、圧し潰される騎士。

石畳を大きく破壊し、最下層へと堕ちていった。

 

 

古墳大迷宮最下層8階。

 

地中から姿を現したクリフォトサップリングの群れを相手に、幾何学模様が入ったマスクを被るトレンチコートの男が大立ち回りを演じていた。

魔神・ヴィシュヌが宿る神器『スダルサナ』を巧みに操り、醜悪な触手の大軍を斬り裂いていく。

 

「大将、ちったぁ手伝ってくれよ。」

 

氷の盾で、サップリングの鋭い爪を防ぎつつ、ヴィランが情けない声を上げる。

 

「すまん、もうすぐ此処に”彼”が来るんだ。 なるべく力を温存しとかないとこの後が辛い。」

 

二体の妖獣・ケイオスに自分の身を護らせながら、狭間・偉出夫が苦笑を浮かべる。

 

「彼? 」

 

ヴィランが訝し気な表情で、問い返したその時であった。

突然、硬い天井の壁を突き破り、巨大な塊が降って来る。

続いて起こる激しい地響きと振動。

霊廟内を砂煙が濛々と立ち込める。

 

「あれは・・・・・? 」

 

肉の巨人と一体化したマーリンが、頭上から降って来たソレを見下ろした。

特徴的な髑髏の仮面と、白い鎧。

そして、その心臓部分へと二振りの刃を突き立てる真紅の背旗を持つ白銀の獣。

代理番の魔力を借りて魔鎧化した、17代目・葛葉ライドウだった。

完全に命の火が消えているのを確認した悪魔使いは、胸に突き立てていた刃を引き抜く。

蒼い炎が灯る左眼が、目の前に立ち塞がる巨人を睨み据えた。

ゾクゾクと得も言えぬ寒気が、巨人と一体化した魔導師の背を走った。

 

「・・・・っ、糞! 何で”人修羅”の野郎が。」

 

予想外の闖入者に、ヴィランは覆面の下で忌々し気に舌打ちする。

先程から、神器『スダルサナ』のコントロールが上手くいかない理由がこれで分かった。

神器に封印されている魔神・ヴィシュヌが、主の元へと還りたがっているのだ。

 

「ハハッ、 派手な登場だなぁ。」

 

事態がどれだけ深刻なのか、全く理解していないのだろうか。

偉出夫は、呑気に天井から降って来た白騎士と怪物を面白そうに眺めている。

そんな主の様子に、ヴィランはやれやれと肩を竦めた。

 

「やはり此処に来たか・・・・ナナシ。」

 

愛しい番の姿に、四大魔王の一人、”反逆皇・ユリゼン”が愉悦に双眸を細める。

 

「マーリン・・・・。」

 

一方のライドウは、全身に殺気を漲(みなぎ)らせていた。

魔狼の視線が、クリフォトの根で出来た台座へと注がれる。

外果皮の中で、六角形の真紅の宝石がゆっくりと回転していた。

 

「おい、13代目は一体何処に・・・・・。」

 

と、言い掛けたライドウの背後に、二体の妖獣・ケイオスが躍り掛かった。

悪魔使いの殺気をまともに浴び、恐怖のあまり冷静な判断力を喪失したのだ。

核である心臓に穿たれる氷の槍。

ケイオスの接近に逸早く気づいたライドウが、氷結系中級魔法『ブフーラ』を唱えたのだ。

光速展開した蒼い魔法陣から放たれた、氷の槍に貫かれる二体の怪物。

断末魔の悲鳴を上げる事も叶わず、地へと叩きつけられる。

 

「・・・・・何て惨い事をするんだ。」

 

使い魔達の死に、哀し気に偉出夫が秀麗な眉根を寄せる。

そんな主の眼前に、特殊素材で造られたアタッシュケースが差し出された。

仲間のヴィランが、神器『スダルサナ』をアタッシュケースに収納したのだ。

いくら神の血が半分流れているとはいえ、魔神・ヴィシュヌを掌握するのは叶わない。

ならば、一番、扱う可能性が高い偉出夫に渡してしまった方が無難な選択だ。

 

「おや? 俺にソイツを渡して大丈夫なんですか? 」

「ちっ、さっきも言ったろ? 俺は、一般人なんだ。 化け物同士の闘いに巻き込まれるのは御免だぜ。」

 

アタッシュケースを偉出夫の足元へと置き、懐からフックショットを取り出すと、天井の一角へと射出。

鉤爪が、硬い天井の壁へと突き刺さり、電動リールを使って、ヴィランが早々に戦線から離脱する。

 

彼にとって、己の意に従わない武器等不要であった。

ならば「支配」の力が強い偉出夫に押し付け、迷宮から脱出してしまった方が賢い選択だ。

 

あっさりと主を見捨て、逃走する従者に、偉出夫は大袈裟に肩を竦める。

しかし、その表情は余裕に満ち、ヴィランが逃げ出す事を予め予期していたかの様子であった。

足元へと置かれたアタッシュケースを拾い上げ、開閉ボタンを押す。

すると二対の円盤が飛び出し、悪魔使いのすぐ片割れで倒れる妖獣へと突き刺さった。

みるみるうちに氷に覆われる怪物の死骸。

神器から新たな命を吹き込まれ、氷の鎧を纏った妖獣二体が徐に起き上がる。

 

「・・・・っ、まさか!! 」

 

予想だにしない出来事に、何時もは冷静な悪魔使いの双眸が驚愕で見開かれる。

左眼に走る激痛。

蒼い炎が噴き出す眼を抑え、背後を振り返ると、右眼から一筋の血を流す10代後半辺りの少年と視線が合った。

 

「イタタッ・・・・・もう少し魔力を抑えてくれませんかねぇ、”共鳴”がキツすぎて吐きそうだ。」

「・・・・っ、太陽神・ラーか・・・・。」

 

間違いない。

この年端もいかない少年は、自分と同じ特異点だ。

 

特異点とは、この世界の因果律に縛られぬ『絶対者』の事をいう。

魔王・アモン。

太陽神・アメン・ラー。

賢者・アスモデウス。

数歩離れた位置で対峙するこの少年は、その中の一体、太陽神・アメン・ラーを従えていた。

 

 

地獄絵図と化した最下層から、何とか逃げ出したトレンチコートの覆面男。

古墳地下大迷宮6階、疲労困憊といった様子で、長い回廊の一区画で、膝を付く。

 

「はぁはぁ・・・・糞、運動不足な上に無駄な贅肉が付き過ぎて身体が重いぜ。」

 

インクの染みの様な幾何学模様のマスクを鼻の下までずり上げ、粗い吐息を吐く。

 

もうちょっとマシな身体を選べば良かったと、今更ながらに後悔する。

しかし、『エルバの民』に潜り込むには、この卑屈で陰気な大月・清彦という数学教師が最適であり、そのお陰で掲示板の管理人と接触する事が出来た。

予想通り、構成メンバーはどれも乳臭い餓鬼共ばかりだ。

夢も無く、目的も無く、ただ惰性で同じ生活のサイクルを繰り返している彼等にとって、『エルバの民』は刺激的な存在であったに違いない。

それに、狭間・偉出夫という少年が生まれながらに持つ『カリスマ』もあった。

偉出夫は、己が持つ天性の『カリスマ』を存分に使い、政財界の大物達すらも従えている。

このままの勢いでいけば、直に魔導士・ギルドの一員に入るのも時間の問題であった。

 

「こんな所で何をしているんだぁ? ”ロールシャッハ”」

 

13機関(イスカリオテ)でしか使われない呼び名に、ヴィランは反応する。

そんな数学教師の前に一人の男が姿を現した。

頭頂部から包帯で顔をグルグルに巻き、グレーの上質な背広に右手にはやや反り返った特徴的な刀を持っている。

レッドグレイブのスラム街で便利屋をしているジャン・ダー・ブリンデという名前の男であった。

暗闇に閉ざされた回廊を背に、未だ膝を付いている数学教師を見下ろしている。

 

「・・・・・サウロンの玩具か・・・・お前こそ何で此処にいるんだぁ? 」

 

押し上げていたマスクを直す。

この目の前に立つ男は、セルビアを拠点に活動している秘密結社(イルミナティ)”黒手組(ブラックハンド)”に所属する死霊使い(ネクロマンサー)、サウロンの配下だ。

当然、ジャン・ダー・ブリンデという名前も偽名。

本名は、興味が無くて知りたくも無いが、噂によると”人修羅”こと17代目・葛葉ライドウの元番をしていたと聞く。

 

「サウロンから野暮用を頼まれたのさ。」

 

ヴィランの問い掛けにあっさりと応えると、包帯の男は、キャリーバッグの様な形をした小型冷凍庫に視線を降ろす。

この中には、クリフォトの血溜まりから採取した種籾が収まっていた。

 

「それと、ついでだからお前さんがちゃんと仕事をしているかどうかザフキエル殿が確かめて欲しいとお願いされてな? 」

「ちっ・・・・・一々監視しなくても後で報告するっての。」

 

どうやら上層部の連中は、自分の事を全く信用していないらしい。

まぁ、元世界的テロリストであるヴィランを信用しろというのも無理な話ではあるが。

 

「魔神・ヴィシュヌを素材にした神器(デウスオブマキナ)は失敗だ。ありゃ、”人修羅”以外じゃ使い物にならない。」

「ほう、女神・イーリスの血を持つアンタでも支配出来ないのか。」

「ああっ、グリッグズ中将殿の手前、断れなかったけどな。」

 

最初に、渡された時点で嫌な予感はしていた。

ヴィシュヌが宿る神器‐ スダルサナは、使用者に対し、明確な拒絶反応を示していた。

それでも、神の血を引くヴィランの強靭的な精神力で抑えつけてはいたが、それでも限界は必ず来る。

同じ『絶対者』である偉出夫なら、自分よりマシに扱う事が出来るだろう。

 

「おい、 何処に行こうってんだ。」

 

小型冷凍庫をヴィランの前に置き、ジャンは回廊の最深部へ向かおうとする。

 

「記録を撮りに行くんだよ。 こんな一大イベント、見逃すのが損ってなもんだぜ。」

 

立ち止まり、背後で呆れた様子で此方を眺めている覆面の男に皮肉な笑みを向ける。

 

「あ、本部に帰るんならついでにソイツも持って行ってくれ。サウロン殿は暫くペンダゴンにいるそうだからな。」

 

ジャンが、覆面男の足元にある小型冷凍庫を指で指す。

途端、覆面の下で渋い顔をするヴィラン。

困った様子で頭を掻き、「泣けるぜ。」と一言だけ呟いた。

 

 

地下大迷宮、最下層8階。

 

想像を絶する死闘が、繰り広げられている。

ヴィシュヌの宿った神器”スダルサナ”に操られた二体の妖獣が、白銀の鎧を纏う悪魔使いと魔王に襲い掛かった。

 

「な、何なんだよ!コイツ等、さっきまでと動きが違う! 」

 

魔具(デビルアーツ)へと姿を変えた魔神・アラストルが泣き言を言った。

アラストルが言う通り、妖獣・ケイオスの身体能力が格段に上がり、中級以上の力を発揮していた。

鋭い爪を一振りするだけで、大気が凍てつき、地面を凍らせる。

一方、魔王・ユリゼンことマーリンも変貌したケイオス相手に、苦戦を強いられていた。

身体にある無数の眼からレーザー光線を放つが、悉く氷の盾で防がれるどころか、跳ね返される。

一撃が、巨人の肉体を裂き、無駄にダメージを喰らっていた。

 

「糞・・・・これが”絶対者”の力か。」

 

バランスが保てなくなり、片膝を付く。

そんな二人の怪物を他所に、偉出夫はクリフォトの根で造り出された台座に近づいていた。

戦闘を従者に任せ、外果皮の中でゆっくりと回転する深紅の宝石へと手を伸ばそうとする。

しかし、身を貫く殺気に無意識に後方へと跳び退(すさ)った。

先程までいた場所に、鉄製のクナイが深々と突き刺さる。

神器”スダルサナ”と一体化した妖獣・ケイオスと激闘を繰り広げながら、その隙を突いて、ライドウが得物のクナイを投擲したのだ。

 

「全く、往生際が悪いですよ? 人修羅さん。」

 

呆れた様子で、偉出夫が溜息を零す。

すると、硬い石の床を突き破り、数本のクリフォトサップリングが黒髪の少年へと襲い掛かった。

それらを華麗に避ける偉出夫。

首元に下げている銀色の十字架を引き千切り、身の丈程もある刀剣へと変形させる。

神器”アスカロン”から繰り出される無数の斬撃。

醜悪な姿をした魔界樹の根を細切れの肉塊へと変えてしまう。

 

「盗人猛々しいとは貴様の事をいうんだ。小僧。」

 

瞬く間に傷を修復した魔王・ユリゼンが徐に立ち上がる。

鋭い牙を剥き出しにして襲い掛かる妖獣・ケイオス。

それを手で無造作に掴むと床へと叩きつける。

成す術も無く、氷の怪物は、粉々に砕け散った。

 

「私と再契約しろ、ナナシ。 二人でこの小僧を倒すぞ。」

 

紅色の双眸が、同じく氷の怪物の首を跳ね飛ばす白銀の騎士へと注がれた。

 

「冗談・・・誰がお前と手を組むかよ。」

 

だが、返って来た応えは拒絶の言葉だった。

殺意に燃える蒼い炎が、かつての番である魔導師へと向けられる。

 

そんな二人のやり取りを、何処か楽し気に眺める偉出夫。

砕かれた怪物達は、氷の粒子へと姿を変え、主が翳(かざ)す両掌へと集まっていく。

 

「ふふっ、どうやら人修羅殿は、未だに殺された亜人の少女に心奪われているご様子。」

 

偉出夫の言葉に、ライドウが殺気立つ。

 

「そちらのマーリン殿は、人修羅殿を利用してブリテン諸部族の王を蘇らせたい・・・どちらも救われないね。」

 

自分の心を見透かされ、今度はマーリンが怒りの双眸を偉出夫へと向けた。

偉出夫の両掌へと集まった粒子は、元の神器”スダルサナ”へと姿を変える。

円盤の形をした凶器は、それ自体に意志でもあるのか、高速回転すると偉出夫の周囲を凄まじい速さで飛び回った。

 

 

 

古墳大迷宮7階。

女剣士・鶴姫を先頭にダンテ達一行は、上位悪魔の群れを相手に大立ち回りをしていた。

巨躯を誇る妖獣・ベヒモスが、ハンマーの如く頭を打ち付ける。

それを華麗に躱す明。

両手に持つ大型ハンドガンが火を吹き、足元へと高速移動した鋼牙が、愛刀を一閃する。

巨躯を支えていた脚を斬り裂かれ、頭上から降り注ぐ鋼の牙が、情け容赦なく妖獣の肉体を引き千切っていった。

体液と臓物を周囲にぶち撒け、ベヒモスが断末魔の悲鳴を上げる。

 

「つ、強い・・・。」

 

そんな『探偵部』の仲間達の見事なコンビネーションに、すっかりと魅了される銀髪の少年‐ ネロ。

二人の動きには、一切の無駄が無く、迅速に悪魔達を物言わぬ肉塊へと変えていく。

 

「小僧、感心している場合では無いぞ。」

 

そんな主に様子に、妖魔・シウテクトリが呆れた様子で言った。

今は、ハムスターの姿を捨て、ネロが装着している『デビルブレイカー』と一体化している。

角の様に突き出たマフラーから、蒸気が噴き出し、鋼の拳が真っ赤に燃える。

 

「分かってるって! 」

 

仲魔の言葉に軽口を叩くと、ネロは躍り掛かる外道・ノーバディの身体に鋼の拳を叩き込んだ。

衝撃に耐えきれず、悪魔の身体が四方に爆散する。

ネロは、そのままの勢いで、直線上にいる悪魔の群れを次々に薙ぎ払っていった。

大きく抉れる石畳。

壁に悪魔の肉片が付着していく。

 

「本当に、この道で合ってるんだろうな? ワン公。」

「何だ? 私が信用出来んのか? 小倅。」

 

ネロ達が暴れ回るその傍らで、ダンテは”エボニー&アイボリー”で、的確に悪魔を処理しつつ、背後で華麗に戦う女剣士に問いかけた。

素っ気なく応える女剣士が持つ魔法剣・七星村正の刀身が閃く。

一陣の閃光は、怪物達の身体を両断していった。

 

「年寄りは忘れっぽいからな? 一応、確認だ。」

「ふん、臍曲りめ、17代目が心配だと素直に言ったらどうだ? 」

 

皮肉な笑みを向ける美女に、銀髪の魔狩人は、苦虫を噛み潰した様な渋い顔をする。

 

鶴姫が指摘する通り、主である17代目・葛葉ライドウの身が心配だ。

この回廊の最下層には、ライドウと同じ葛葉四家の一人である13代目・葛葉キョウジと歴史にその名を遺す、大魔導師、アンブローズ・マーリンがいる。

いくら魔界でその名を轟かすライドウでも、二人を相手にしては流石に荷が重すぎる様に思えた。

 

「案ずるな、17代目には”骸”がいる。もしもの事態になっても奴が手助けするだろう。」

「・・・・・骸。」

 

失念していたが、ライドウの体内には十二夜叉大将の長、骸から”服中蟲”を仕込まれている。

古代中国で用いられた呪術で、蟲毒、蟲道、蟲術、巫蟲とも呼ばれる外法だ。

無尽蔵な魔力をライドウに与え続けるのと同時に、監視も行っている。

 

「マレット島でもフォルトゥナでも、幾度も奴はナナシ・・・・17代目を救っている・・・大事な玩具か・・・・それとも又無くすのを恐れているのか。」

「また・・・・? 」

 

鶴姫の言葉に何かが引っ掛かり、ダンテは思わず背後へと振り返る。

緋色の瞳を持つ妖艶な女剣士と、視線が重なった。

 

「お前の執着心と同じだ・・・・アマラの深淵に叩き落とされても尚、未だ求めるのか。」

「・・・・・何を言っているんだ? アンタ。」

 

女剣士が何を言わんとしているのか、理解出来ない。

暫しの沈黙。

すると、突然、回廊全体が大きく揺れた。

頭上から、無数の漆喰が降って来る。

 

「どうやら始まってしまったか。」

 

魔狩人から視線を外した女剣士が、暗闇に閉ざされる回廊の先を睨み据える。

鶴姫達よりも逸早く、ライドウが地下最下層の霊廟に辿り着いてしまったのだ。

怪物達の想像を絶する死闘の幕開けに、古墳大迷宮が悲鳴を上げている。

 

 

 

神器”スダルサナ”に封印されている魔神・ヴィシュヌの魔力を借り、偉出夫が氷結系最上位魔法『ブフダイン』を放つ。

白銀の鎧を纏う魔狼が、火炎系最大魔法『マハ・アギダイン』を唱えて対抗する。

ぶつかり合う炎の竜と氷の竜。

魔法合戦は、ほぼ互角、ぶつかり合う事で発生した水蒸気を突き破り、今度は無数の触手が偉出夫を襲う。

魔王・ユリゼンが、人修羅と共闘し、邪魔者である偉出夫から先に排除しようとしているのだ。

神器・アスカロンを駆使し、触手の群れを斬り裂く。

その隙を突いて、ライドウが台座の上にある『賢者の石』を奪おうとした。

が、そうはさせまいとユリゼンが拳を振り下ろす。

 

「・・・・っ、糞! 」

 

右へと大きく跳ぶライドウ。

巨大な拳が地面に大穴を穿ち、古墳内を激しく揺らす。

 

「抜け駆けは駄目だよ?ナナシ、それとお前もな。」

 

紫色の魔法陣を光速展開し、緋色のレーザーを放つ。

もう少しで『賢者の石』へと手が届きそうだった偉出夫は、神器・スダルサナが張る防護壁諸共、後方へと大きく後退した。

 

「全く、大人しくソレを渡して下さいよ。 貴方方みたいに無駄な使い方はしませんよ? 」

「黙れ、下郎! その石は私が造ったんだ。」

「多くの罪なき命を犠牲にして出来上がった石等に価値は無い! 」

 

三者三様に意見が見事分かれる。

 

偉出夫は、魔導士・ギルドへの献上品として。

ユリゼンは、今は亡き友、アーサー・ペンドラゴンを現世に蘇らす為に。

そして、ライドウは石を破壊する為に、戦っている。

 

 

「おやおや、こりゃ見事なまでの石の奪い合いだな。」

 

そんな、壮絶な死闘を一人傍観する影。

影の正体は勿論、包帯男のジャン・ダー・ブリンデだ。

出入り口のすぐ近くにある柱の影に隠れ、事の成り行きを眺めていた。

 

ライドウが、地変系最上位魔法・マハマグダインを放つ。

偉出夫へと襲い掛かる岩の竜。

スダルサナで防御壁を張りつつ、氷結系最上位魔法・マハブフダインで反撃する。

愛用のGUMPから、魔具・キャバリエーレを召喚するライドウ。

二振りの大鎌へと姿を変え、駒の如く旋回すると、襲い来る氷の竜を砕きながら、偉出夫へと接近する。

ぶつかり合う鋸の様な大鎌の刃と神器・アスカロンの刀身。

不図、鍔迫り合いを行う偉出夫がある違和感を覚えた。

橙色の火花を散らし、巨大な鋸を手足の如く繰り出す悪魔使いが元の人間の姿へと戻っている。

否、そればかりではない。

仮番である魔神・アラストルの姿が、何処にも見えなかった。

途端、嫌な予感を覚え、『賢者の石』が鎮座している台座へと視線を向ける。

黒い毛並みの蝙蝠が、クリフォトの根で出来た台座から、紅い宝石を口に咥えている姿が映った。

 

「しまった! 」

 

魔鎧化を解き、番に石を奪えと命令したのだ。

偉出夫が黒い毛並みの蝙蝠を撃ち落とそうと魔法を唱えるが、そうはさせまいとライドウが斬撃を繰り出す。

忌々し気に舌打ちした偉出夫が、神器・アスカロンを駆り、大鎌の斬撃を受け流す。

 

「いかせん! 」

 

霊廟の出入り口に向かって飛ぶアラストルの前を、ユリゼンが立ち塞がった。

拳を振り上げ、小さな蝙蝠をひき肉に変えようとする。

だが、振り下ろされた拳に激痛が走った。

思わず後方へとたたらを踏むユリゼン。

魔具・キャバリエーレと同時召喚されたハイピクシーのマベルが、電撃系中位魔法『ジオンガ』を放ったのだ。

 

「掴まって! 外に跳ぶわよ! 」

 

黒い毛並みの蝙蝠を掴み、強制離脱魔法(トラエスト)を唱える。

煙の如く掻き消える二体の悪魔。

命より大事な『賢者の石』を奪われ、魔王が怒りの咆哮を上げる。

 

 

平崎市古墳大迷宮前。

一台の覆面パトカーのボンネットに腰掛け、百地英雄警部補が不機嫌な顔をして煙草を咥えていた。

17代目・葛葉ライドウの仮番であるダンテと、初代剣聖である鶴姫が平崎古墳に潜り込んで数時間が経過する。

その間にも、質の悪い餓鬼共三人が、百地警部補の制止を完全に無視して、魑魅魍魎が跋扈する古墳内に入り込んだ。

市民を護るべき公僕としての矜持を傷つけられ、否応にも怒りのボルテージが上がる。

 

「そんなに怒ると血圧が上がるぜ? 」

 

大型トレーラーから冷たい缶コーヒーを持って、ニコが百地警部補へと近寄る。

差し出されたコーヒーの缶を、百地警部補は無言で受け取った。

 

「あの餓鬼共に腹を立てている訳じゃ無い・・・・無力な自分自身に愛想が尽きているのさ。」

 

プルトップを開け、無糖の苦いコーヒーを喉に流し込む。

 

自分には、周防克哉警部の様な悪魔に対抗する特殊能力を持たない。

それでも対悪魔の訓練を積み、実戦経験を経て剣士職を二つ取得していた。

警視庁が誇る、対悪魔部隊の特殊公安に所属する若造共とは、引けは全く取らないと自負はしている。

が、現実は余りにも残酷で、周防警部の脚を引っ張るのが関の山であった。

 

「磯野の奴みたいに、昇進試験を受けて、署でデスクワークでもしてりゃ楽なんだけどよ。 生かせん俺は、現場人間だ。」

 

悪魔の脅威に苦しめられている人々を救いたい。

その崇高な想いは、今も尚、冷める事は決して無かった。

 

「大丈夫、アンタは立派な刑事だよ。 ちょっと臍曲りなところが玉に瑕(きず)だけどな。」

「ふん、不良娘に褒められても嬉しくねぇなぁ。」

 

お互い憎まれ口を叩き合いながら、苦笑いを浮かべる。

ニコがエルミン学園に在学している時代から、この偏屈刑事とは付き合いがあった。

授業をサボり、魔具の材料集めにと、危険な矢来銀座地下水道へと降りるニコを百地警部補が度々、補導していた。

お互い職人気質な所がある為か、二人の間にはシンパシーの様な感情が芽生えている。

父と娘・・・とまではいかないが、女職人と壮年の刑事の間には、しっかりとした絆があった。

 

そんな一種和やかな雰囲気が流れている時であった。

何もない空間から、一匹の蝙蝠と淡い光を放つ小さな妖精が現れる。

強制離脱魔法で、最下層の霊廟から脱出した魔神・アラストルとハイピクシーのマベルだ。

地面に落ちた拍子に蝙蝠が咥えていた赤い宝石が地面に転がる。

 

「あ、アレは確か17代目と契約している・・・・。」

 

足元まで転がって来た宝石を、警部補が無意識に拾い上げる。

慌てた様子で、マベル達の元へ急ぐニコ。

その後に百地警部補も続く。

 

「駄目! お願い逃げて! 」

 

此方に向かって来る二人に、マベルが必死に制止の声を上げる。

しかし、それは余りにも遅すぎた。

ニコの背後に突如、何者かが顕れ、女職人の身体を拘束してしまう。

グローブの様に大きな掌で口元を抑えられ、ニコの双眸が驚愕で大きく見開かれた。

 

「お・・・・お前は・・・・。」

 

気配を消し、壮年の刑事と女職人の間に割って入って来たのは、漆黒のローブを頭から被り、手にやや反り返った特徴的な刀を持つ大柄な男であった。

フードの下には、同色の包帯が鼻頭まで覆い、顔を隠している。

しかし、その強い意志を秘めた双眸だけで、百地警部補は相手が誰か容易に知る事が出来た。

 

「・・・・っ、キョウジ・・・・一体こりゃ何の真似だ。」

 

造魔グリフォンとシャドウを背後に従える漆黒の剣士。

2メートルを誇る巨躯を持つ黒豹は、ノースリーブの長外套(ロングコート)を着る病的に白い肌をした若い男を背負っていた。

 

「その手に持っている石を大人しく渡せ。」

 

ローブの男‐ 13代目・葛葉キョウジは、百地警部補が右手に持つ真紅の宝石を指し示す。

そんなキョウジを黙したまま、見据える壮年の刑事。

視線が、右手に持つ紅い石から、黒豹が背負う年若い青年へと移る。

 

「そうか・・・・・お前は、息子を助ける為に世田谷と平崎市の市民達を犠牲に・・・・。」

 

キョウジとは、30年以上の付き合いがある。

造魔・シャドウが背負っている青年は、十中八九、バージルで間違いない。

そして、今、自分が持っている石は、初代剣聖が言っていた『賢者の石』。

目の前にいる大馬鹿野郎は、多くの市民達の命を石の贄に捧げ、今にも死にそうな我が子を救うつもりなのだ。

 

百地警部補は、切れそうな程、唇を噛み締めると腰のガンホルスターから、TANAKA S&W M360Jを引き抜き、照準をキョウジの額に合わせる。

これでも『銃剣士(ベヨネッタ)』の資格は取得している。

確実に当てる自身は十二分にある。

 

決死の覚悟を示す壮年の刑事に対し、ローブの男‐葛葉キョウジの態度は、あまりにも冷めていた。

突然、拘束していた女職人の背中を思い切り押す。

突き飛ばされ、大きくバランスを崩すニコ。

百地警部補が、一瞬だけ隙を見せる。

 

「と、父さん! 駄目だ! 」

 

Vことバージルの声と鮮血が周辺に撒き散らされるのは、ほぼ同時であった。

百地警部補の右肩から胸にかけて、真っ赤な血が迸(ほとばし)る。

斬撃を受けた衝撃で、右手から離れる紅い宝石。

警部補の身体が、ゆっくりと背後に倒れる。

 

「オッサン!! 」

 

地へと膝を付いたニコが、真っ青な顔で血塗れた状態で仰向けに倒れる警部補へと近寄る。

キョウジが放つ真空刃(ソニックブレード)をまともに受けた為か、右肩は大きく斬り裂かれ、血を噴き出していた。

 

「マベル! オッサンが!! 」

 

泣き濡れ叫ぶ女職人の元に、妖精と蝙蝠が慌てて走り寄る。

 

「アラストル、アンタの魔力も貸して!」

「あっ・・・・ああ、分かった。」

 

すぐさま回復魔法を使って、応急処置を施す妖精と魔神。

辛うじて急所を外しているとはいえ、この出血では長く持たない。

何とか止血しなければ、警視庁の救護班が来る前に死んでしまう。

 

懸命な応急措置を行う傍ら、キョウジは地に転がっている『賢者の石』を拾い上げる。

一瞥する事も無く、その場を去ろうとする壮年の男の背に、震える銃口が向けられた。

 

「この野郎! よくもオッサンを!! 」

 

TANAKA S&W M360Jの銃口をキョウジの背に向けているのは、女職人のニコだった。

倒れた拍子で、警部補の手から離れたハンドガンを素早く拾い上げたのだ。

怒りと哀しみで涙に濡れる双眸が、背を向ける壮年の剣士を睨み付ける。

 

「や・・・・止めろ、ニコレッタ。」

 

今にも引き金を引きそうな女職人の背に、息も絶え絶えな声が呼び止めた。

妖精の治療を受けている警部補が、意識を取り戻したのだ。

優しく、だが、力強い警部補の眼差しが、怒りで震える女職人を見つめる。

 

「た・・・・頼む・・・・銃を降ろすんだ、ニコレッタ。」

「オッサン・・・・。」

 

百地警部補の声に、銃を両手で握り締めたまま、力無く座り込むニコ。

涙で濡れた双眸を仰向けで倒れている壮年の刑事へと向ける。

血塗れの手を女職人へと差し出す刑事。

何の躊躇いも無く、ニコは百地警部補の手を握る。

 

そんな二人の姿を黙したまま眺めるキョウジ。

右手に持つ魔具・閻魔刀を使い、空間を斬り裂き、仲魔を促して何処ともなく消えた。

 

 

平崎古墳から少し離れた臨海公園内。

魔具・閻魔刀の力を使い、キョウジ達が裂けた空間から姿を現す。

 

「ビクトル、聞こえるか? 」

 

腰に吊るしてあるガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出す。

トリガーを引くと、パネルが回転し、液晶画面とキーボードへと変形した。

慣れた手つきで、超豪華客船『ビーシンフル号』のオーナー、ビクトール・フォン・フランケンシュタインと無線を繋げる。

すぐに受信機から、陰気な男の声が還って来た。

 

「聞こえている・・・手筈通り、石は手に入れたか? 」

「ああ、此処にある。」

 

キョウジは、モニターに映るヴィクトルに『賢者の石』を見せた。

 

「良し、ならばすぐに悪魔召喚プログラムを起動しろ、造魔の肉体をベースに、バージルの身体を再構築させる。」

 

今は、一刻の猶予も無い危険な状態だ。

元のバージルの肉体は、崩壊がかなり進行し、最早、手の施し様がない状態まで来ていた。

 

「・・・・・父さん。」

 

ヴィクトルの指示通り、悪魔召喚プログラムを起動する義理父の背に、バージルの弱々しい声が掛けられる。

キョウジが振り返ると、ベンチに寝かされた息子と目が合った。

 

「どうして・・・あの刑事を斬ったの? 父さんの大事な友達なんだろ? 」

「・・・・・。」

「俺は・・・・父さんの本当の子供じゃない・・・・なのに何故・・・。」

 

今迄、抱き続けて来た疑問。

この男は、平崎市を護るという大事な役目を放棄し、7年と言う長い年月を掛けて、魔界へと堕ちた自分を探してくれた。

人間として幸せな人生を送る事を捨て、悪魔として生きる道を選んだ自分を、決して見捨てる様な真似はしなかった。

 

「・・・・決まってる・・・お前は、俺の大事な家族だからだ。」

 

口元に巻いた黒い包帯を顎まで降ろし、キョウジが優しく我が子の頭を撫でる。

そして、プログラムを起動させる為にGUMPのトリガーを引いた。

激しく明滅する赤い宝石。

周囲が眩い光に包まれ、二人の頭上に、悪魔を合体させる為の巨大な装置が浮かび上がった。

装置には三つの台座が設置されており、一つに右半身が崩壊したバージルの元の肉体が鎮座している。

キョウジが持つ『賢者の石』が激しい明滅を繰り返しながら、宙に浮く。

それに合わせて光に包まれる、バージルの魂が宿った造魔の肉体。

二つは、合体装置へと吸い込まれ、激しい光の柱が天を貫く。

 

 

数時間前、平崎古墳地下大迷宮。

最下層8階、秦氏の王族達が眠る霊廟では、魔王・ユリゼンが怒りの咆哮を上げていた。

 

「好い加減に目を覚ませ! マーリン! 石を手に入れても、お前が愛した男は生き返らないぞ! 」

 

『賢者の石』を取り戻さんと、地上へと向かおうとする魔王の背に、何処か悲痛な表情をする悪魔使いが呼び止めた。

 

「彼は・・・アーサー・ペンドラゴンは、過去の記憶を消し、魂の円環へと還った。 魔導を極めたお前なら、彼が既に存在しない事ぐらい分かっている筈だ。」

「黙れぇ!! 」

 

怒りの双眸をかつての番へと向け、ユリゼン‐ アンブローズ・マーリンが、拳を振り上げる。

しかし、その腕は偉出夫が操る神器・スダルサナによって、あっさりと切断された。

紫色の体液を撒き散らしながら、腕が地へと落ちる。

 

「はぁ、全く・・・・これじゃ子供の痴話喧嘩と一緒だ。」

 

呆れた様子で、偉出夫が肩を竦める。

石がライドウの仲魔二体に奪われた今、自分がこの霊廟にいる理由は無い。

『賢者の石』が放つ膨大な魔力の波動を追えば、奪い返す事は可能だった。

しかし、相手は魔界でもその名を轟かす悪魔召喚術師。

流石に、偉出夫の考えはお見通しで、二対の大鎌へと変形したキャバリエーレの放つ斬撃が、彼の行く手を阻んだ。

 

「好い加減、しつこいですね? 」

「うるせぇ、糞餓鬼。 お前に石を渡すのは論外なんだよ! 」

 

神器・スダルサナで造り出した氷の分厚い壁で、斬撃を阻んだ偉出夫を悪魔使いの隻眼が睨む。

そんな膠着状態が続く中、霊廟の出入り口が粉砕される。

濛々と立ち込める砂煙の中から、大胆に胸倉が開いた着流しを着る長い黒髪の美女と、見事な銀色の髪をした大男が顕(あらわ)れた。

 

「先生! 」

 

その後から、ネロ達探偵部の面々も続く。

皆、回廊内の悪魔を蹴散らしながら進んで来た為、返り血を浴び、酷い状態であった。

唯一、鶴姫だけが返り血を浴びていない。

流石、初代剣聖と言うべきか。

 

「おっと、こりゃ拙い事になったな。」

 

包帯の男‐ ジャン・ダー・ブリンデが、早々にその場から去る。

霊廟内に入り込んだ闖入者の中に、初代剣聖の姿を認めたからだ。

去り際に、一瞬ではあるが、銀色の髪をした少年を眺める。

10数年振りに見る”我が子の姿”。

しかし、包帯の下から覗く蒼い双眸には、まるで感情が無い硝子玉の様であった。

 

 

「偉出夫・・・・。」

「やぁ、また逢ったね? 明。」

 

ダブルイーグル G36Cの銃口を、数メートルの距離を挟んで対峙する黒髪の少年へと向ける。

 

「酷い有様になったな? メルリヌス。」

 

一方、呆れた様子で肉の鎧を纏う甥を見上げる女剣士。

この甥と再会するのは、実に900年振りだ。

当時は、少女の如く可憐で礼儀正しい少年であったが、今は見る影すらもない。

 

「・・・・伯母上。」

 

元冥府の王であり、オリュンポス神族の中でも最高神の一人として崇められる叔母の登場に、マーリンは狼狽(うろた)えた。

叔母に唯一敵う存在は、叔父の主神・ゼウスか北欧の神・オーディンぐらいだ。

まともにやり合って勝てる相手ではない。

そう判断したメルリヌスは、肉の鎧を巨大な龍(ドラゴン)へと変形させる。

大きく広がる背から生えた両翼。

霊廟の硬い天井を意図も容易く破壊し、空を目指す。

 

「いかせるか! 」

 

頭上から降り注ぐ石の大きな塊を、大鎌で薙ぎ払いつつ、魔王・ユリゼンを追い掛け様とする悪魔使い。

キャバリエーレをGUMPに収納し、左腕の義手に仕込んだ電動ワイヤーを放とうとするその腕を仮番であるダンテが抑えた。

 

「離せ! 邪魔をするな! 」

 

男の手を振り払おうとする悪魔使いの頬を、ダンテが容赦なく平手で数発殴る。

そして、胸倉を掴み上げると自分の目線まで引き上げた。

 

「好い加減にしろ! 爺! 」

 

激しい怒りに燃える蒼い双眸。

今迄、腹の中に溜め込んでいた鬱憤が、耐え切れずに噴き出していた。

 

「今のアンタじゃ、あのデカブツを捕まえるのは無理だ! アラストルか俺を一緒に連れて行け! 」

「・・・・・っ。」

 

ダンテの言う通りであった。

”魔力の大喰らい”であるライドウは、常に番と行動を共にしなければ、その能力(ちから)を存分に発揮出来ない。

それはライドウ自身が良く理解している筈であるが、何故かこの男は、一人で突っ走ってしまう。

自分もかなり無謀な質ではあるが、悪魔使いは、更にその上を行っていた。

 

 

 

「今度は、逃がさねぇぞ。 糞野郎。」

 

機動大剣‐クラウソラスの切っ先を、目の前に対峙する黒髪の少年へと向ける。

殺意を剥き出しにするネロを、狭間・偉出夫は面白そうに眺めていた。

 

「それが、実の兄さんにする事か? アベル。」

「うるせぇ! 俺の名前はネロだ! 気色が悪い事言ってんじゃねぇよ! 」

 

何処までも人を馬鹿にした態度を崩さない。

この男の一言一言が、無性に腹が立つ。

そんな二人のやり取りを他所に、瓦礫の山を飛ぶ様に昇る黒い影。

”探偵部”の部長であり、『葛葉探偵事務所』所長代理の壬生・鋼牙であった。

闘気術を使い、膂力を倍加させ、瓦礫を足場に瞬く間に上へと昇ってしまう。

 

「鋼牙! 一人じゃ無理だ! 」

 

勝手な仲間の行動に、常に冷静な明が、珍しく声を荒げる。

 

「御免、先に行ってる。」

 

鋼牙は、一旦足を止め、一言だけ告げると、あっと言う間に姿を消してしまった。

舌打ちする明。

仲間の後を追い掛けたいが、此処には宿敵とも言える狭間・偉出夫がいる。

因果律を捻じ曲げる『絶対者』を相手に、ネロでは当然勝てる筈が無い。

 

「ネロ、ソイツには構うな。」

「明? 」

 

ネロと偉出夫の間を、明が割って入る。

 

「鋼牙が、ユリゼンの野郎を追い掛けちまった。 アイツ一人じゃ心配だ。」

「・・・・っ、鋼牙の奴。」

 

仲間の勝手極まる行動に、流石のネロも舌打ちする。

いくら超国家機関『クズノハ』の暗部である”八咫烏”の構成員とはいえ、ユリゼンの正体は、歴史に名を遺す大魔導師、アンブローズ・マーリンだ。

最悪な事態を引き起こす可能性は、十二分にある。

 

「成程、壬生家の次期当主は、マーリン殿の後を追ったか。」

 

二人のただならぬ様子に何かを悟ったらしい。

偉出夫は、ウェストポーチから透明のケースを取り出す。

その中には、球体状の植物の種が納められており、蓋を開けると地面へと落した。

解放され、硬い外皮から芽を地中へと突き刺す種子。

まるでソレ事態が意志でも持つのか、自ら硬い岩盤の中へと潜ってしまう。

 

「悪いね、二人共。 こう見えて俺も内心焦っているんだ。」

 

ネロと明に苦笑いを向ける偉出夫。

それと同時に、石畳を突き破って何かが飛び出した。

 

「・・・・っ!コイツ等、確かあの時の!? 」

 

地中から次々と姿を現す、異形な鎧に身を包んだ人造の悪魔を目に、ネロの脳裏に嫌な記憶が蘇る。

後藤の右腕、坂本晋平二等陸佐が、ネロの身体から血を奪い、改良したクリフォトの根を使って生み出した人造の魔剣士。

その怪物達が、退路を断つ形で、一同を取り囲んでいる。

 

「俺の大事なパトロンが造った造魔・プロトアンジェロとスクードアンジェロだ。」

「ろくでもねぇモンを造っているな? 三島の連中は。」

 

偉出夫の説明を聞き流しつつ、明は手にした大型アサルトライフル・ダブルイーグル G36Cを構える。

 

この人造の悪魔達は、偉出夫の仲間である白川・由美達が持ち帰ったクリフォトの種籾を品種改良する事で生み出した化け物だ。

前もって偉出夫の血を吸わせており、特殊な素材で造った容器に納められている。

 

「それじゃ、またね? 明。」

 

神器・スダルサナを氷の粒子に変え、自分の両足に纏いつかせる。

粒子は、スケートボードの様な楕円形の形へと変形すると、氷のスロープを造り出し、主を乗せて外界へと向かった。

 

「待て! この野郎ぉ! 」

 

歯を剥き出し、怒りを露わにするネロ。

手を振り去っていく偉出夫を追い掛け様とするが、その行く手を人造の悪魔達が邪魔をする。

 

方や、悪魔使いの胸倉を掴んだままのダンテと、その傍らに立つ美貌の女剣士。

彼等もまた、身の丈程もある大剣と盾を持つ、甲冑の悪魔達に取り囲まれていた。

 

「ちっ、あの餓鬼やってくれるぜ。」

 

氷のスロープを華麗に駆け上がる偉出夫を横目に、ダンテが忌々し気に舌打ちする。

そして、命より大事な主を少々乱暴に肩へと抱き上げた。

 

「降ろせ! この糞餓鬼!! 」

 

余りの扱いに、呪術帯の下で顔を真っ赤に紅潮させたライドウが、仮番である銀髪の大男の背を殴る。

 

「大人しくしろ、爺。 此処で裸にひん剥くぞ?」

 

非力な悪魔使いに殴られた程度で、大してダメージは無いが、暴れられては厄介だ。

軽く尻を叩くと、「ひっ!」と悪魔使いが変な声を上げて押し黙った。

 

「俺は、あの餓鬼を追い掛ける。 後の始末はアンタに任せた。」

「やれやれ、仕方あるまいな。」

 

ダンテの意図を汲み取った鶴姫が、腰に帯刀している魔法剣『七星村正』を抜き放つ。

続く、光速の斬撃。

鶴姫の放った一撃は、スクードアンジェロの群れを一瞬で細切れの肉片へと変えてしまう。

血飛沫が舞う最中、紅蓮の炎を纏う魔人へと姿を変えたダンテが、四枚の羽を広げ、上空へと舞う。

その後を追い掛けるプロトアンジェロ。

しかし、その上半身と下半身が綺麗に切断された。

鶴姫が放った真空刃(ソニックブレード)が、硬い鎧に身を包む人造の魔剣士を撫で斬りにしたのだ。

 

「何処を見ている? お前達の相手は、この私だ。」

 

美しい相貌を皮肉に歪め、鶴姫が七星村正の切っ先をスクードアンジェロとプロトアンジェロ達へと向ける。

本来、心を持たぬ人造の悪魔達が、鶴姫の放つ剣気に圧され、一歩後退る。

明の持つダブルイーグル G36Cが火を吹き、ネロの機動大剣『クラウソラス』が人造の悪魔を斬り裂いた。

 




やっとこさ投稿。


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第27話 『 壬生・鋼牙 』

悪魔紹介

黙示録の騎士・・・・ 『エルバの民』という掲示板の管理者、狭間・偉出夫に従う4人の死神。 またの名を『ヨハネの黙示録の四騎士』。
2000年以上前、”唯一神”に戦いを挑んだセラフの天使長、ルシフェルが『異界の大穴』を開ける際に呼び出した。
戦争終結後、四騎士は、”唯一神”の手により封印、永い眠りへと入る。
そして現代、魔神皇こと偉出夫の手によって現世に蘇る事となる。


四大魔王(カウントフォー)の一柱である反逆皇・ユリゼンの後を追い掛け、17代目・葛葉ライドウを腕に抱えて平崎古墳大迷宮から飛び立つ紅蓮の魔人。

日は、とうの昔に沈み、平崎古墳の周辺は闇に閉ざされ、街路灯の淡い光だけが、アスファルトの道を照らしている。

 

「ちっ、あの餓鬼・・・・。」

 

スケートボード状に変形させたスダルサナに駆り、道路を悠然と滑る狭間・偉出夫の姿を見たダンテが、忌々しそうに吐き捨てる。

あの小僧には、五島美術館の日本庭園で、大きな借りがある。

 

「放っておけ、相手にするだけ時間の無駄だ。」

 

今にも大剣『リベリオン』を召喚して、黒髪の少年に斬り掛かりそうな仮番を、ライドウが静かに諫める。

後ろを向いている為、主が今どんな表情をしているのかは伺う事が出来ない。

レッグポーチから愛用のスマホを取り出し、何かを調べている様であった。

 

「このまま、暫く進むと臨海公園に着く・・・13代目とバージルは恐らくそこにいるだろう。」

「”賢者の石”は、どうなった? 」

「・・・・・石は、13代目に奪われた・・・・その際に、百地警部補が負傷し、今、ニコレッタ達と一緒に臨海病院に収容されたらしい。」

 

仲魔であるハイピクシーのマベルが唱えた『強制離脱魔法(トラエスト)』の力で、古墳大迷宮から脱出する事には成功したが、そこで思わぬトラブルが発生した。

外にいた女職人(ハンドヴェルガー)のニコレッタ・ゴールドスタインと百地英雄警部補と合流したマベル達は、何処からともなく現れた13代目・葛葉キョウジに襲われたのだ。

 

「あの刑事のオッサンが・・・・? 」

 

脳裏に、如何にも頑固一徹な警察官の姿が過る。

ライドウの説明によると、百地警部補は、かなりの深手を負わされ、ICUで緊急オペを受けているらしい。

 

「30年来の友達(ダチ)を平気で斬ったのか。」

「・・・・・平気な訳が無い・・・・13代目にとって百地警部補は、命より大事な存在だ。」

 

悪魔の脅威から、力無き市民を護るという唯一共通した目的を持つ二人は、言わば戦友の様な存在だ。

あの刑事は、キョウジを全面的にサポートし、且つ、悪魔討伐の専門的部署『特命課』を立ち上げた功労者の一人だ。

只の、頭の固い昔気質(むかしかたぎ)の刑事では無い。

若手育成の為に、あらゆる悪魔の情報を集め、様々な対処法を研究しているのだ。

 

「親友(ダチ)よりも、息子(バージル)の命を選んだという訳か。」

「そうだ・・・・心を鬼に喰わせ、己の信念を貫いたんだ。」

「信念・・・・ね。」

 

ダンテの脳裏に稲荷丸古墳での出来事が想い出される。

生身の人間が、新たな力を得たダンテの一撃をまともに受け、軽々と弾き飛ばしてみせた。

その時、キョウジがダンテに「お前には信念が無い。」と吐き捨てた。

 

 

一方、魔王・ユリゼンを追い掛け、逸早く平崎古墳大迷宮から離脱した壬生・鋼牙。

黒縁眼鏡の少年は、左手に愛刀『備前長船』を持ち、頭上を飛ぶ漆黒の龍(ドラゴン)を追い掛けていた。

 

― どうして? 師匠(せんせい)。

 

心の中に幾つもの疑問が浮かぶ。

13代目・葛葉キョウジは、壬生家の現当主、21代目・葛葉猊琳(ゲイリン)と曾祖母・綾女に見捨てられ、行き場を失った自分を拾ってくれた。

平崎市にある『葛葉探偵事務所』に幼い鋼牙を迎え入れ、持てる技術の全てを叩き込んでくれた。

お陰で、剣士としての才覚が見事開花し、超国家機関『クズノハ』暗部の先鋭部隊『十二夜叉大将』の一員になれた。

13歳という最年少で”剣豪(シュバリエーレ)の称号を女王陛下から拝命されたのも、全てはキョウジのお陰だ。

 

しかし、少し前から師の態度がおかしくなり始めた。

事務所から度々姿を消し、長期間、空ける様になった。

理由を問いただしても、只、笑ってはぐらかすだけで、何も教えては貰えなかった。

これら全て、バージルという兄弟子の行方を捜す為だったのだ。

そう考えると、全ての辻褄が合う。

 

「バージル・・・・・っ。」

 

例える事が出来ぬ「怒り」と「嫉妬」が、鋼牙の心の中を支配する。

キョウジは、自分にとって指針であり、又、愛する父親と同じ存在だ。

日本を守護する悪魔召喚術師(デビルサマナー)として尊敬していた。

現剣聖である、アルカード・ヴュラド・ツゥエペシュに実力人格共に認められ、剣士達にとって栄誉ある『剣聖』の称号を自ら蹴った不届き者。

しかし、その無礼千万な行為が、鋼牙には堪らなく恰好良く映る。

それは、若き剣士達も同じであった。

誰もがキョウジの様な自由奔放な生き方に憧れた。

 

そんな尊敬する師の功績を、全て叩き壊したのは、バージルという名の一人の男だ。

 

 

平崎古墳を抜け、海が見える臨海公園へと辿り着いたその時であった。

凄まじい地震が、黒縁眼鏡の少年を襲う。

見ると上空を眩い光を放つ柱が、臨海公園全体を包んでいた。

 

「・・・・っ! アレは!? 」

 

光の柱の中から何かが見える。

天鳥町の港に停泊している超豪華客船『ビーシンフル号』に隠された、『業魔殿』と呼ばれる工房。

悪魔合体と言う禁忌の秘術を行う巨大な祭壇が、光の中に突如浮かび上がる。

 

 

「やれやれ、始まってしまったか。」

 

その異変は、当然、臨海公園へと向かう、狭間・偉出夫も目撃していた。

偉出夫が持つ”帝王の瞳”の力は、『未来予知』。

数分前の出来事を”見る”事が出来る。

故に、この光景は予め見て知っていた。

 

「なるべく、石を使用される前に回収したかったんだけどな。」

 

今後、どのような形であれ、キョウジとバージルの親子は、自分達『エルバの民』の障害となるだろう。

出来る事ならば、どちらか一方を潰し、削ぎたかったが、”唯一神”が定めた運命という道筋を変える事は、そう容易ではない。

 

「父よ・・・・それでも、私は貴方に挑む。 弟の願いを叶える為に。」

 

右眼に灯る紅い炎。

それはまるで少年自身の意志を表しているかの如く、激しく揺らめいていた。

 

 

平崎市臨海公園。

そこでは今正に、禁忌の御業が行われようとしていた。

破壊され尽くした息子の肉体を、造魔を基本(ベース)に再構築する秘術。

この施術を行う為には、『賢者の石』が必要不可欠であり、死したバージルの肉体を蘇らせる事が出来る。

石の材料は、大量な人間の”命”。

中央の台座に鎮座する小さな紅い宝石には、何百人という人間の命が詰まっている。

 

元の肉体と仮初の入れ物が一つに融合する様子を、黙したまま眺める漆黒のローブを纏った剣士。

右手には、かつて愛息子であったバージルの愛刀『閻魔刀』が握られている。

 

「キョウジ!! 」

 

頭上から轟く聞き知った声と、地響き。

濛々と立ち込める砂煙の中に、巨大なシルエットが浮かぶ。

肉の鎧を龍(ドラゴン)形態へと変形させた、世紀の大魔導師、アンブローズ・マーリンだった。

賢者の石が放つ魔力を頼りに、此処、臨海公園までやって来たらしい。

肉の一部が盛り上がり、白髪の少年がそこから姿を現す。

 

「僕の石を返せ!! 」

 

硬い鱗に覆われた雄々しき翼を持つ龍に乗る、人形の様に整った容姿を持つ少年。

少女の如く美しい顔を怒りで歪ませ、歯を剥き出しにして13代目・葛葉キョウジを恫喝する。

 

「騙し討ち同然で、異界に俺達を飛ばした癖に、随分と粋がるじゃないか。」

「黙れ! 下等な猿の分際で、僕に意見をするな! 」

 

巨大な龍(ドラゴン)が、尾を振り上げ、キョウジに叩きつける。

それを華麗に躱すキョウジ。

カウンターで、左手に握っている『閻魔刀』の鯉口を斬り、光速の斬撃を放つ。

意図も容易く斬り落とされる龍(ドラゴン)の尾。

紫色の体液を撒き散らし、轟音と共に地へと落ちる。

 

「傲慢だな・・・・お前さんが忌み嫌っている神族と同じだぞ?」

「煩い! その石は僕のだ! 」

 

瞬く間に、斬り落とされた尾を再生すると、マーリンは合体装置の台座に置かれた赤い宝石へと近づく。

だが、それをキョウジが許さない。

音速の連斬が、硬いドラゴンの鱗を粉砕する。

堪らず後方へとたたらを踏むマーリン。

その間にも、合体の儀式は進み、3つの台座から眩い光の柱が天を貫く。

口惜しそうにその様子を眺めるマーリン。

『賢者の石』による膨大なエネルギーが、破壊された肉体と仮初の肉体が、光の粒子となり、一つに重なる。

続く鳴動。

膨大な量の光の渦が、周囲を包み、耐え切れずマーリンとキョウジが目を庇う。

その神秘の御業は、少し離れた位置にいるライドウ達も見る事が出来た。

 

「一体、何が起こっているんだ? 」

 

愛しい主を腕に抱いた煉獄の魔神が、空中で静止して、天を貫く光の柱を眺める。

 

「悪魔合体だ・・・・・どうやら、全てが遅すぎたみたいだな。」

 

真紅の呪術帯で、右眼だけを残して顔を覆った悪魔使いが、全てを諦めたかの如く、小さく呟く。

 

キョウジの目的は、死に瀕した愛する息子を蘇らせる事。

その為だけに、護るべき日の本の民を犠牲にした。

多くの命を奪い、魔導士・マーリンを利用し、『賢者の石』を造り出した。

 

「おいおい、アンタらしくねぇな? 爺さん。」

「・・・・。」

 

この絶望的状況に反し、真紅の魔人・ダンテは軽口を平然と叩く。

落ち窪んだ眼窩から見える双眸は、揺るがぬ決意を秘めていた。

 

「どんな状況でも希望は決して失わない・・・・今からでも、クソッタレな石を破壊するのに遅くはないぜ? 」

「・・・・・ああ、そうだな。」

 

番の軽口に、ライドウは忘れかけていた笑みを口元へと浮かべた。

 

この男と一緒にいると、懐かしい気分に浸れる。

見事な銀色の髪に、アングロサクソン特有の堀が深い顔立ち。

ヨハン・ハインリッヒ・ヒュースリー。

フォルトゥナ公国の第三皇子であり、ネロの実父。

そして、自分の心を救ってくれた恩人でもある。

 

 

その異変は、当然、マーリンを追い掛け、疾走する壬生・鋼牙にも見る事が出来た。

街路樹の樹々を飛ぶ様に移動しながら、天を貫く光の柱を見上げる。

 

(師匠・・・・どうして?)

 

疑問、怒り、悲しみ、言葉に出来ない負の感情が、少年の心をどす黒く染め上げる。

自分が感情に流され易い質である事は、十二分に理解していた。

だから、己を律し、常に荒れ狂う暴風の様な感情をコントロールする事に務めた。

これらは全て、師・葛葉キョウジの教えである。

凄まじい「怒り」は、己から冷静な判断力を失う。

その事は、痛い程理解している。

理解はしているが、今はソレが出来ない。

全ては、バージルと言う兄弟子と、師であるキョウジの裏切りにあった。

 

無意識に手が、制服のポケットに入っている法具を掴む。

息を吹きかけ、法具に気を送り、額に翳す。

額に現れる鬼の文様。

身体を風が包み、蒼を基調とした三本角の鬼人へと姿を変える。

 

「師匠(せんせい)・・・・・っ!」

 

鬼人化したお陰で、筋力が倍加する。

速度が上がり、身体を包む真空の壁が、アスファルトの地を抉り、樹々を薙ぎ倒していった。

 

 

臨海公園全体を包む光の柱。

数分後、漸くソレが晴れると、蒼い長外套(ロングコート)を纏う、見事な銀色の髪をした青年が、キョウジとマーリンに背を向ける形で立っていた。

 

「漸く逢えたな? バカ息子。」

 

黒い包帯で覆われたキョウジの口元に笑みが浮かぶ。

一方、キョウジとバージル親子にしてやられた魔導士・アンブローズ・マーリンは、怒りの形相を露(あら)わにしていた。

此方へと振り向く銀髪の青年‐ バージル。

目深に被っていたフードを取り去り、鼻頭まで覆った黒い包帯を顎下まで下ろす。

そして、右手に持っている義理息子の愛刀‐魔具『閻魔刀』を投げ渡してやった。

無言で、受け取るバージル。

優しい眼差しが、最愛の義理父へと向けられる。

 

「返せ・・・・・僕の大事な石を返せぇ! 」

 

漸く巡り会えた親子の邂逅を、マーリンの怒声が割って入る。

地中を穿ち、外へと這い出してくる牡牛の様な角が生えた巨漢の怪物達。

マーリンが召喚した人造の悪魔‐ 邪神・ゴリアテであった。

三体の怪物達は、主であるマーリンの意に従い、石を奪わんとキョウジ親子へと襲い掛かる。

振り下ろされる拳を躱す二人。

見事に息が合ったカウンターの斬撃が、ゴリアテの一体の胴と頭を斬り飛ばす。

 

「マーリン、石を手に入れてもアーサーは還って来ないぞ? 」

「黙れぇ! お前に一体何が分かる!? 僕の何が分かるって言うんだぁ! 」

 

キョウジの言葉に、更に激昂したマーリンが、生き残った二体のゴリアテに指示を出す。

地面を砕き、腹部の口へと岩を押し込む二体の怪物。

そこから吐き出される灼熱の弾丸が、キョウジ達親子を襲う。

しかし、その業火が親子を焼き尽くす事は無かった。

華麗に火炎弾を躱す二人。

『閻魔刀』と『冥府破月』から放たれる斬撃が、二体のゴリアテを粉砕する。

 

「ちっ! 」

 

自らが生み出した造魔を破壊され、苛立つ魔導師。

直ぐに数体の”アルテミス”を呼び出す。

 

「きりがないな? 父さん。」

「そうだな・・・・マーリンをどうにかしなきゃならん。」

 

数体の飛行型造魔‐ アルテミスに囲まれ、キョウジとバージルが背中合わせに立つ。

この使い魔共を倒したとしても、魔導師であるマーリンが直ぐ様、別の造魔を呼び出してしまう。

このままでは、悪戯に此方の体力が奪われてしまうだけだ。

 

その時、キョウジの仲魔である造魔『グリフォン』が、此方に急接近する強大な”気”を逸早く察知した。

 

「親父さん! 何か来るぜ!? 」

 

グリフォンが主に異変を告げるのと、アルテミスの一体が破壊されるのは、ほぼ同時であった。

突如、出現した暴風が、アルテミスの一体を巻き込み、細切れの肉片へと変えてしまう。

 

暴風の正体は、鬼人化した壬生・鋼牙であった。

濛々と立ち込める砂煙から、蒼を基調とした三本角の鬼が姿を現す。

 

「やっべ! 鋼牙じゃん! 」

「鋼牙・・・・・。」

 

愛弟子の出現に、訝し気な視線を向けるキョウジ。

 

葛城の森から、養子として引き取った鋼牙が、『八咫烏』に入った事は知っている。

経験と鍛錬を積ませる為、キョウジ自らが『八咫烏』の元締めである骸に掛け合ったからだ。

骸は、剣士としての類稀な才を持つ鋼牙を一目で気に入り、『八咫烏』入りを承諾した。

 

「こりゃ驚いたな・・・・まさか鬼人化するまでに強くなったか。」

 

この緊迫した場面で、その台詞はそぐわないと知りつつも、キョウジは逞しく成長した弟子の姿を喜ばずにはいられなかった。

 

幾多の修練を積み、実力を付けたところで、鬼人になれるのは至極僅かだ。

いくら壬生家の血を引くとはいえ、法具を使用し、鬼となれるかは鋼牙の力量次第だ。

 

「師匠(せんせい)・・・・。」

 

そんな感無量な師とは違い、鋼牙の声は暗く凍てついている。

この7年間、師は”極秘任務”を理由に、矢来銀座にある『探偵事務所』を開けがちになった。

時折、荷物を取りに帰る程度で、まともに顔を合わせる事もしてくれなかった。

それでも、辛いと言わなかったのは、17代目や親友である明の存在があったからだ。

言いたい事は山程ある。

しかし、多すぎて何を話せば良いのか理解出来ない。

 

言葉も無く、棒立ち状態の鋼牙を、造魔・アルテミスが見逃す事は無かった。

これ幸いと、ビットを操り、無数のレーザーの雨を降らせる。

だが、その一撃が鋼牙に当たる事は無かった。

紫色に光るレーザーの前を光速移動で悉(ことごと)く躱し、アルテミスの一体へと急接近。

必殺の間合いに造魔を捉(とら)えると、倶利伽羅之剣(くりからのけん)を一閃する。

頭頂部から、真っ二つに割れる造魔・アルテミス。

硝子を引っ掻く様な悲鳴を上げ、実体化が保てず塵へと化す。

 

「ずっと・・・・ずっと、待っていたんだ。」

「・・・・・。」

「きっと”弱くて、無力な僕”を巻き込ませまいと、師匠(せんせい)が嘘を吐いていると必死に思い込んでいた。」

「鋼牙・・・・・。」

 

やっと言葉に出来た独白。

鋼牙の呟く様な小さな声を、キョウジは聞き逃す事は無かった。

 

「でも・・・・周りの状況や、17代目の様子を見て・・・・僕の幼稚な考えが間違っていたと思い知らされた。」

 

鋭く突き刺さる殺気。

殆ど条件反射で、キョウジが愛刀『冥府破月』を構える。

凄まじい衝撃と火花。

鋼牙が、父と慕い唯一頼れる大人であるキョウジに刃を向けた瞬間であった。

 

「父さん!! 」

 

鋼牙の接近を察知する事が出来なかった。

この少年は、相手の意識外から斬撃を繰り出す事が出来る。

バージルが望み、そして、到達出来なかった剣人の域。

それをこの年端もいかない少年が、既に会得しているのだ。

 

「・・・・・寂しい想いをさせて済まない・・・・でも、事実を話せば・・・。」

「当然、御屋形様に報告しますよ・・・・そんな人類に対する裏切り行為、許せる筈が無いでしょ。」

 

橙色の火花を散らす鍔迫り合い。

そんな師と弟子の邂逅を、白髪の少年が黙したまま眺めている。

 

中々、面白い展開ではある。

あの蒼い鬼が何者かは、皆目見当もつかないが、一番の脅威であるキョウジが全く手が出せない状況にあるならば、石を奪い取る絶好の機会なのではないか?

その結論に至るのと、行動を起こすのは、ほぼ同時であった。

使い魔である造魔達の標的が、一人の銀髪の青年へと絞られる。

無数に降り注ぐ、レーザーのシャワー。

バージルが光速移動を駆使し、アルテミスが放つ死の矢から逃れる。

 

「バージル! 」

 

渾身の力で鋼牙を弾き飛ばし、愛息子の元へと駆ける。

だが、それを蒼い鬼が赦さない。

天真正伝香取神道流、居合術、抜討之剣(ぬきうちのけん)から放たれる無数の連斬がキョウジを襲ったのだ。

放たれた斬撃の悉(ことごと)くを受け止めるが、一歩も先に進む事は叶わなかった。

それ程までに、鋼牙の成長はキョウジの予想を上回っていたのだ。

 

「師匠(せんせい)今からでも遅くはありません、その男の首を御屋形様に差し出しましょう。」

「・・・・っ、鋼牙、まさかお前は・・・。」

 

愛弟子の邪悪な意図を察し、キョウジの双眸が険しくなる。

 

「全ての罪は、あの男にあります。 大丈夫、師匠(せんせい)の今迄積み上げて来た功績なら、御屋形様や組織の上層部も納得してくれますよ。」

「・・・・正気で言っているのか? 」

「ええ、勿論です。 貴方はもう少し、自分の価値を考えた方が良い。」

 

一連の事件の首謀者をバージルに被せ、キョウジは只利用されていただけだという事にしたいらしい。

勿論、そんな見え透いた嘘が、あの骸に通じるとは微塵も思ってはいない。

だが、最愛の息子であるバージルの首を差し出せば、骸も「一時の気の迷い」と目をつぶるであろう。

 

「お前を裏切り、一人孤独の中で辛い想いをさせてしまったのは、申し訳ないとおもっている。」

「師匠(せんせい)・・・・。」

 

深い哀しみを湛えた双眸。

鋼牙の心に、一時の迷いが生じる。

 

「だがな・・・バージルは、俺の大事な家族なんだ・・・お前と同じぐらい。」

 

意図も容易く弾き返され、鬼人化した鋼牙が二歩、三歩と後ろにたたらを踏む。

その隙に、もう一人の息子の元へと跳ぶキョウジ。

最愛の師に突き離され、余りの驚愕に呆然とする鋼牙。

バイザー越しの虚ろな視線が、造魔・アルテミスの群れを薙ぎ払う師の背中を凝視する。

 

― また、捨てられた・・・・・あの日の母さんみたいに・・・・。

 

泣きじゃくり「行かないで」と追い縋(すが)る自分の手を無情にも振り払った最愛の母。

悪魔召喚術師の才が無い鋼牙は、名門・壬生家の中で一人孤立していた。

苛烈を極める父の指導、虐待とも取れる行為を平然と見過ごす祖母と周りの人間。

唯一、母だけが鋼牙の理解者であり、縋る事が出来る寄る辺であった。

そんな母親も、自分を置いて「務め」に出てしまう。

甘えたいのに甘えられない。

幼い鋼牙は、益々孤独になり内へ内へと引き籠る。

そんな少年を救ったのが、剣の師匠である13代目・葛葉キョウジだった。

壬生家を支配していた曾祖母・綾女と父、猊琳を説き伏せ、葛城の森から平崎市へと連れ出してくれた。

剣人として憧れ、又、暗闇の中から救い出してくれた恩人。

 

「うわぁあああああああっ! 」

 

喉の奥から吹き上げる怒りの咆哮。

倶利伽羅剣を水平に構え、造魔・アルテミスの最後の一体を斬り伏せる銀色の髪を持つ青年へと襲い掛かる。

 

「鋼牙止せ! 」

 

凄まじい斬撃を繰り出す二人の弟子を止める為、キョウジが駆け出す。

だが、それを地中から突如現れた”クリフォトサップリング”が邪魔をした。

白髪の美少年― マーリンが、キョウジの行く手を塞いだのだ。

巨大な龍(ドラゴン)の上に座る大魔導師は、ニヤニヤと冷酷な笑みを浮かべて、殺し合いを始めるバージルと鋼牙の二人を眺めていた。

 

「マーリン! 」

「あは♡良いねぇ、その顔、滑稽で堪らないよ。」

 

人間の分際で、神である自分を利用し、出し抜いた不届き者。

それが今は、命よりも大事な二人の息子達が壮絶な殺し合いを始め、苦しんでいる。

愉快だった。

次期剣聖と目され、組織の若者達から絶大な支持を受けている男が、悶え苦しむ姿は、どんな美酒よりも勝る。

 

「お前がぁ!お前のせいで、僕の大事な師匠(せんせい)がぁ!! 」

 

鬼人化し、筋力が倍加した鋼牙の一撃はどれも重く、受け止めるので精一杯だ。

オマケに意識外からの斬撃も混ぜている為、とてもじゃないが捌ききれない。

悪戯にダメージを負うバージルは、止む無く魔人化する。

お陰で、基本的能力は此方が上になったが、埋める事が叶わぬ天賦の才が鋼牙にはあった。

右肩と左足を斬り裂かれ、血が噴き出す。

胸板に直撃する蒼い鬼の回し蹴り。

後方に吹き飛ばされ、樹々を薙ぎ倒し、地面を転がる。

 

「がはっ・・・・・糞・・・。」

 

力は此方の方が圧倒的に有利なのに、何故か蒼い鬼に圧し負けている。

体力が大幅に奪われ、おまけに回し蹴りの直撃をもろに受け、視界が霞む。

片膝を付く蒼き魔人の頭上に黒い影が降って来た。

倶利伽羅剣を上段に構えた鋼牙が、踊り掛かったのだ。

魔具『閻魔刀』を構え、迎え撃つバージル。

刹那、二人の間を真紅の突風が割って入る。

真魔人化したダンテが、容赦ない一撃を蒼い鬼へと繰り出した。

倶利伽羅剣で、魔人の拳を受け止める鋼牙。

威力を殺しきれず、大きく真横へと吹き飛ぶ。

 

「よぉ、バージルちゃん、大丈夫か? 」

 

真魔人化から、元の人間体へと戻ったダンテが、未だ背後で片膝をついているバージルへと振り返る。

 

「ダンテ・・・・。」

 

怒りと屈辱で、秀麗な眉根を歪める。

自分より10も年下の子供相手に、良い様に嬲られた。

こんな無様な姿を、双子の弟であるダンテにだけは見られたくは無かった。

 

一方、ダンテの一撃を受け、大きく吹き飛ぶ鋼牙。

器用に空中で態勢を整え、華麗に地へと着地する。

しかし、突然現れた黒い影が、蒼い鬼の脚を払った。

成す術も無く、地へと横倒しになる鋼牙。

脚で倶利伽羅剣を握る右腕を抑えられ、地へと縫い付けられる。

喉に当てられるヒヤリとした刃の感触。

見ると真紅の呪術帯で顔を覆った17代目・葛葉ライドウと視線が合う。

 

「鬼人化を解け、鋼牙。 」

「じゅ・・・・17代目。」

 

葛葉四家当主の登場に、頭に血が昇っていた鋼牙は、唇を噛み締める。

 

「そ、その男は、13代目と組んで世田谷区と矢来区の住民を・・・。」

「分かっている、後の事は全て俺達に任せるんだ。」

 

懸命に自分の行いを正当化させ様とする鋼牙に、ライドウは一つ息を吐く。

先ずは、鬼人化を解かせ、頭を冷やして貰わなければならない。

鋼牙も悪魔使いの意図は理解している。

なので、下手に逆らう事はせず、大人しく鬼人化を解いた。

 

抵抗の意志が無くなったのを確認すると、ライドウは馬乗りになっていた鋼牙から降りる。

そして、鋭い隻眼を右肩と左足から血を流し、ボロボロの状態になっているバージルへと向けた。

 

「大人しく石を渡せ、そうすりゃ悪い様にはしないぜ? 」

「ふん、断る。 欲しけりゃ力づくで奪ってみろ。」

「可愛気がねぇぜ? バージルちゃん。」

「”人修羅”の走狗に成り果てた愚か者が・・・。」

 

未だ血を流し、激痛を訴える左足を酷使し、気力のみで立ち上がるバージル。

怒りに燃える蒼い双眸が、眼前に立つ双子の弟を睨みつけている。

その時、クリフォトの醜悪な根が、ダンテに向かって飛んできた。

咄嗟に、大剣『リベリオン』で醜悪な肉の塊を真っ二つにする。

が、続く衝撃波を防ぐ事は叶わなかった。

気を練り込んだ石の礫をまともに喰らい、ダンテの大きな体が後方へと吹っ飛ぶ。

 

「逃げろ! バージル! 」

「父さん! 」

 

クリフォトの醜悪な根を囮に、石の礫を投擲したのは、義理の父、キョウジであった。

マーリンの妨害を掻い潜り、最愛の息子の元まで駆け付ける。

それに続く二体の造魔‐ グリフォンとシャドウ。

満身創痍のバージルを庇う様に、ライドウの前へと立ち塞がる。

 

「自分が何をしているのか理解しているのか? 13代目。」

「ああ、分かっている。」

 

ライドウに指摘されずとも、己の愚行は痛い程理解している。

大勢の罪なき人々の命を贄に捧げ、最愛の息子を救った。

そこに後悔も懺悔の念も無い。

ビクトルから石の精製法を教えられたその瞬間から、己は咎人になる道を選んだのだ。

 

「愚かな・・・・日の本の民を護るのが、我等”クズノハ”の使命。葛葉四家当主の一人である貴方なら分かる筈だ! 」

「・・・・・役目なんか糞喰らえ・・・だ。 もし、70億の人命と愛する家族の命を天秤に掛けられたら、俺は間違いなく家族を取る。」

「・・・・・っ! 」

 

迷いが全く無いキョウジの言葉に、ライドウの心が大きく抉られる。

ソレはかつて、自分が最愛の娘を『人柱』の業から逃れる為に行った行為と全く同じだったからだ。

4年前、愛娘のハルは、天照大神の依り代に選ばれた。

ハルの実母である月子が、依り代の役目を果たせなくなったから、当然だといえる。

依り代に選ばれた者は、その命を一生涯日の本に捧げる義務がある。

日々、その規模を拡大しつつある異界の大穴”シュバルツバース”。

その穴を塞ぐ最後の手段として、国の上層部は、娘を『人身御供』に捧げるつもりなのだ。

 

「今のお前さんなら、俺の気持ちが理解出来る筈だ。」

「・・・・・っ、13代目・・・。」

 

互いの双眸が、激しく火花を散らす。

刹那、バージルの苦鳴が、両者の均衡を砕いた。

キョウジと二体の造魔が振り返ると、バージルの背後に何者かが立っている。

『エルバの民』の首領、魔神皇こと狭間・偉出夫だ。

黒髪の少年は、無造作に利き腕を銀髪の青年の背に突き立てていた。

 

「バージル!! 」

 

『冥府破月』を鞘から抜き放つキョウジ。

怒りの形相を向ける壮年の男に皮肉な笑みを浮かべると、偉出夫はバージルの背を蹴った。

力無くうつ伏せに倒れるバージル。

偉出夫の手には、赤い宝石が握られていた。

 

「き、貴様・・・・・っ。」

「安心しろ、お前はまだ殺さない。利用価値があるからな。」

 

偉出夫がバージルから奪ったのは、『賢者の石』の半分。

もう半分は、バージルの体内に残っている。

そんな魔神皇へと鋭い斬撃を叩き込むキョウジ。

しかし、神器『スダルサナ』が厚い氷の壁を張り、真空の刃を防いでしまう。

 

「ひゅー、怖いなぁ。流石、剣と雷の神様だ。」

「お前・・・・カインなのか。」

 

もう用は済んだとばかりに後方へと大きく跳躍する黒髪の少年を、キョウジは鋭く睨む。

逃がさんとばかりに、連斬を繰り出すキョウジ。

だがその悉くを、偉出夫は神器『スダルサナ』で叩き落としてしまう。

 

「石を返せ! 」

 

不意に偉出夫の視界が闇で覆われた。

見上げると、凶悪な姿をした漆黒の竜(ドラゴン)が、頭上から偉出夫に襲い掛かる。

真横に跳んで躱す偉出夫。

屈辱と憎悪で燃える緋色の双眸と、何処までも清んだ黒曜石の瞳がぶつかり合う。

 

「貴方も大概しつこいですよ? ”ブリタニアの魔術師”殿。」

「煩い!”弟殺しの重罪人”が! 」

 

白髪の少年が、竜形態へと変形した肉の塊に指示を出す。

大きく口を開き、全てを焼き尽くす紅蓮の炎を吐き出す竜(ドラゴン)。

だが、その煉獄の炎が黒髪の少年を焼き尽くす事は無かった。

突如、上空から飛来した赤い長外套(ロングコート)を纏う巨漢の騎士が、大剣『カオスイーター』を盾に、主を護ったのだ。

真っ二つに分かれる炎のブレス。

驚愕に見開かれる白髪の少年の首が、突如、斬り落とされる。

編み笠を目深に被った羽織、袴姿の侍が、名刀『吉岡一文字』を駆り、魔導師の首を斬り落としたのだ。

華麗に地へと着地する編み笠の侍‐ 坂本晋平二等陸佐。

 

「ふむ、予想通り紛い物か・・・・全く、魔導師風情が。」

 

刀身に付着した紫色の体液を一瞥し、忌々しそうに刀を一振りして血糊を振り落とすと鞘へと納める。

主を失い力無く倒れ伏す巨大な竜(ドラゴン)。

実体化が保てず、みるみる塵へと還っていく。

 

「すみません、遅くなりました。」

「否、ナイスタイミングだよ。レッドライダー。」

 

恐縮する巨漢の騎士に、偉出夫は涼やかな笑みを浮かべる。

そんな少年の眉間を抉らんと、何処からともなく数発の弾丸が発射された。

大剣『カオスイーター』を一振りし、弾丸を全て弾き返す赤い死神。

髑髏の眼窩から光る紅い双眸が、数歩離れた位置で対峙する銀髪の魔狩人を睨み据える。

 

「ママから教わらなかったか? ”人のモノは、勝手に盗っちゃ駄目よ”って。」

 

キョウジのソニックブームをまともに喰らった為か、ダンテの額からは夥しい量の血が流れている。

かなりのダメージを負っているにも拘わらず、その蒼い双眸に宿る闘志は、少しも揺らぐ様子は無かった。

 

「どうしますか? 」

 

軍隊出身らしく、レッドライダーは主の指示を仰ぐ。

 

「うーん、アレは中身が入ってない入れ物だからねー。壊しても”彼”がすぐ治しちゃうでしょ。」

 

まともに相手をしても時間の無駄。

そう判断した偉出夫は、口内で『強制離脱魔法(トラエスト)』を唱える。

瞬く間に消える偉出夫と、二人の従者。

後には、キョウジ達親子とダンテ、それからライドウと壬生・鋼牙が残された。

 




毎日暑いです。


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第28話『愛する者の死 』

人物紹介

奥原・修一郎・・・・警視庁に勤務する刑事、階級は警視長。
元”八咫烏”の一人で”十二夜叉大将・真達羅大将の名を持っていた。
柳生新陰流の継承者、愛刀は神器『柳生の大太刀』
剣士職を全て取得した到達者(マイスター)であり、剣豪(シュヴァリエーレ)の称号を持つ。冷酷非道な性格をしており、目的達成の為なら手段を選ばない。
日下・摩津理と日摩理の実父。妻とは魔津理が幼い時に離婚している。



事件終結から一週間後。

神奈川県横浜市中区山手にある外国人墓地。

洋型の墓碑の前に、濡れ羽色をした長い髪の少女が、白い百合の花束を手に立っていた。

少女の名前は、八神・咲。

『聖エルミン学園』の制服を着た彼女は、身を屈め、花束を墓碑の前へと置く。

この墓は、咲の親友である日下・摩津理の母が眠っている。

そして、歳が離れた彼女の妹、日摩理の遺骨も納められていた。

 

「日摩理ちゃん、退院して摩津理と一緒に”ノイシュヴァン”で暮らすのを楽しみにしていたのに・・・・。」

 

ノイシュヴァンとは、聖エルミン学園の地下に建設されている特殊学科専用の私設だ。

そこでは、多くの妖精族や地霊族が生活しており、勿論、人間も何人か暮らしている。

 

不図、咲の目頭が熱くなる。

脳裏に、無邪気な笑顔で実姉と遊ぶ愛らしい日摩理の姿が過った。

嗚咽が零れ落ちそうになり、必死で口を抑える。

熱い涙がボロボロと頬から落ちて行った。

 

「八神、犯人は必ず俺が捕まえる。」

「・・・・・。」

「それと、”エルバの民”の連中も、俺がぶっ潰す。」

「・・・・・遠野君。」

 

涙で充血した双眸を背後に立つ、長い前髪の少年へと向ける。

 

あの壮絶な戦いから一週間。

その爪痕は、未だに世田谷区と矢来区に深々と残っていた。

大勢の市民が、魔界樹‐クリフォトに襲われ、見るも無惨な姿へと変えられた。

そして、新宿衛生病院から退院した摩津理の妹も、父方の妹と一緒にその命を理不尽に奪われた。

 

「窮屈だろうとは思うが、お前はそれまでトロル先生の傍にいてくれ。」

「・・・・・うん。」

 

”エルバの民”は、『聖母』の能力(ちから)を持つ咲を執拗に狙っている。

勿論、気を付けなければならない奴等は、”エルバの民”だけではない。

咲の潜在能力を他の秘密結社(イルミナティ)が知れば、何をしてくるか分からない。

咲自身も、『薬学部』顧問であるトロルからその事を知らされている為、自分自身が置かれている複雑な状況は理解していた。

今、現在は、両親を説得し、学園長である安倍晴明の監視が行き届いている寮で日々の生活を送っていた。

 

 

 

一週間前、平崎古墳大迷宮。

兇悪な鋼の牙が、スクードアンジェロの頭部を粉砕する。

頭を吹き飛ばされ、力無く地へと崩れ落ちる人造の騎士。

機動大剣『クラウソラス』が、プロトアンジェロの身体を両断し、美貌の女剣士が駆る『七星村正』の刀身が、まるでバターの如く、硬い甲冑で覆われている魔剣士達を斬り裂いていく。

 

「良し、これで邪魔者がいなくなったぜ。」

 

死屍累々と横たわる人造の魔物達を見回し、銀髪の少年‐ ネロが身の丈程もある機械仕掛けの大剣を肩に担ぐ。

 

「まて、まだ肝心な大物を仕留めていない。」

 

『探偵部』の仲間と師である17代目達を追い掛け様と、地上まで続く瓦礫の山へと向かう二人の少年を、美貌の女剣士が呼び止めた。

 

「大物? 」

「そうだ、この事件のもう一人の首謀者であり、私の甥・・・・。」

 

長い前髪の少年‐ 遠野・明の問い掛けに応えると、緋色の双眸をした女剣士‐ 鶴姫が、視線を秦氏の姫が眠る棺へと向けた。

 

「アンブロシウス・メルリヌス・・・何時までそこで隠れているつもりだ? 」

 

研ぎ澄まされた刃の如き殺気を、石の棺にぶつける。

すると棺の一部が歪み、白髪の少年が姿を現す。

髪と同色の純白のローブを身に纏い、金の刺繡があしらわれたズボンと革のブーツを履いていた。

 

「流石、伯母上・・・・良く分かりましたね? 」

 

石の棺の上に立つ中性的な美貌の少年は、呆れた様子で此方を睨み付ける女剣士に肩を竦めてみせた。

 

「腐肉に混じって、ブルーベルの香りがした・・・・お前の実母、ヘラが愛した花だ。」

 

イングリッシュ・ブルーベル・・・・春に咲く球根性多年草の事である。

英国では『野生生物及び田園地帯保護法』で守られている種であり、紫色のベルの形をした愛らしい花であった。

 

「大人しく縛(ばく)に就け、そうすれば悪い様にはせぬぞ? 」

「お断りします。 20数年振りに漸く外に出られたんだ。 存分に自由を満喫したいんですよ。」

 

ぶつかり合う、両者の双眸。

鶴姫が、魔法剣『七星村正』の鯉口を斬り、マーリンが、アカシアの木を素材にした杖を召喚する。

と、白髪の少年の背後に大柄な影が突如現れた。

気配を消した明が、マーリンの背後へと忍んでいたのだ。

新雪の如き白い喉を掻き切らんと、鈍色に光る銀製のナイフが襲い掛かる。

しかし、届かない。

常に自分の周囲に張り巡らせている壁(シールド)が、凶器を弾き飛ばしたのだ。

後方へと吹き飛ぶ、明の大きな躰。

器用に宙でトンボを切り、石畳へと着地する。

 

「怖いなぁ・・・・この中で、君が一番厄介そう・・・・。」

 

マーリンの皮肉を掻き消す様に轟く、爆発音と瓦解音。

吹き飛ぶのと同時にピンを外した手榴弾が、破裂したのだ。

濛々と砂煙が周囲に充満する。

堪らず、ネロと鶴姫は、眼と鼻を塞いだ。

 

「明の野郎、滅茶苦茶しやがって・・・。」

 

煙を吸い込んでしまった銀髪の少年が、むせ込みながら悪態を吐く。

 

「爆弾等、奴には無駄だ。」

 

鶴姫も立ち込める煙に辟易しつつ、白髪の魔導士が立っている棺を睨み付ける。

案の定、マーリンは無傷だった。

石の棺は、粉々に砕け散ったが、白髪の魔導師には傷一つ付ける事は叶わなかった。

蒼白い光を放ち、マーリンが宙へと浮遊している。

 

「危ない危ない、”モルガンの護符”が無かったら、死んでいたな。」

 

皮肉な笑みを浮かべたマーリンが、此方を睨みつけている長い前髪の少年へと視線を向ける。

モルガンとは、マーリンの盟友である女魔術師、モルガン・ル・フェイの事である。

アーサー・ペンドラゴンの実姉であり、不仲になった実弟を憎み、彼の持つ聖剣『エクスカリバー』の力を奪い、死に至らしめる要因を作った。

 

「おっと、僕は貴方方とは喧嘩するつもりは毛頭ありません。 特に、伯母上とはね。」

 

今にも斬り掛かりそうな、美貌の女剣士に敵意が無い事を告げる。

鶴姫の正体は、オリュンポス神族の最高神の一人、冥王・ハデスだ。

そんな怪物相手に、歯が立たない事ぐらい、十二分に知っている。

 

「そうかよ! なら、俺とはどうだぁ! 」

 

仲魔である妖魔・シウテクトリを右腕の機械仕掛けの義手‐ デビルブレイカーと一体化させたネロが、白髪の魔導師へと躍り掛かる。

放たれる、巨大な炎の拳。

護符では、護り切れないと悟ったマーリンが、後方へと跳ぶ。

それを追い掛け、アサルトライフルを構えた明が引き金を引く。

火を吹く銃口。

しかし、光速展開した物理反射魔法(テトラカーン)の壁が、全て弾き返してしまう。

 

「全く、これだから低能な猿は。」

 

絶妙な連携攻撃に、マーリンは舌打ちする。

 

何時までも、叔母や猿二匹と相手をしている暇は無かった。

早く、此処から離脱しなければ、事態を不信に思った”人修羅”が来てしまう。

防衛庁の自衛官が、クリフォトの根で造った複製体を始末した事は、既に知っている。

魔力の波動を辿り、此処に戻って来るのは時間の問題だった。

 

「悪足掻きは止せ、メルリヌス。 大人しく罪を償うんだ。」

 

二人の少年を相手に、大立ち回りを演じる甥を、鶴姫が説得する。

 

「罪? 一体何を償えと? 」

 

叔母の綺麗事には、反吐が出る。

自分は、人間の男に現を抜かし、大事な政務を姪に押し付け、挙句、天津神の下僕に成り果てた。

この世に住む多くの人間達も同じだ。

自分の力を利用し、国益を満たそうとする愚か者ばかりだ。

 

「僕は何も悪くない、”賢者の石”を精製しただけだ。 悪いのは、僕を解放し、そそのかした”葛葉四家当主”の一人、13代目・葛葉キョウジだ。」

 

ネロと明の波状攻撃を往なしつつ、マーリンは勝手極まる戯言を吐き捨てる。

 

そう、自分は何も悪くない。

力を失い、現世へと落ち延び、かつての弟弟子、ロバート・ウォルトンの元で余生を送っていた。

そんなマーリンを、現世に引きずり出したのは、葛葉四家当主の一人、葛葉キョウジだ。

 

「ふざけんな! てめぇのせいで大勢人間が死んだんだぞ! 」

「は? だから? 人間なんてそこらにいる蟲と一緒だ、時間が経てばすぐに個体数を増やすだろ? 」

 

『賢者の石』を精製する為、矢来区と世田谷区で行った殺戮劇は、単なる間引きと一緒だ。

人間と言う種が、増えすぎたから減らしただけ。

故に、罪悪感等抱く必要すらない。

 

人形の如く整った美貌を冷酷に歪める魔術師に、長い前髪の少年が、渾身の一撃を放った。

当然、不可視の壁によって阻まれるが、明の勢いは止まらない。

凄まじい量の『発剄(はっけい)』に耐え切れず、壁が崩壊。

魔術師の背後にある石の壁に、巨大なクレーターを刻む。

 

「お前・・・今、何て言った? 」

 

煉獄の炎の如く噴き出す怒気。

数千年を生きる魔術師の双眸が、紙の如く白くなる。

それは、明の傍らに立つネロも同じであった。

常に無口で、感情を表に出さない明が初めて見せた『純粋な怒り』に、表情が固まる。

 

重苦しい沈黙。

そんな一同の耳に場違いな拍手が聞こえた。

 

「はいはい、餓鬼同士の喧嘩はそこまでや。」

 

霊廟の出入り口に、金色に髪を染めたヒョウ柄のファーコートを着る濃いサングラスの男が立っている。

手には、『阿修羅』と刻まれた樫の木で出来た木刀を持ち、黒いタートルネックのセーターに同色のスラックスを履いていた。

 

「朝孝(ともたか)・・・・貴様、今更何しに来た?」

 

鶴姫が、嫌悪感を露わに、金髪の男‐ 四神の一柱・玄武を睨み付ける。

 

「決まっとりますやろ、大将の命令で、アンタの甥っ子を捕まえに来たんですわ。」

 

玄武が嘲りの笑みを口元に浮かべ、指をパチリと鳴らす。

それを合図に、マーリンの首に鉄の鎖が巻き付いた。

胴と腕、そして両脚にも鎖は巻き付き、マーリンを玄武のいる所まで引きずり倒してしまう。

持ち前の魔法で、鎖を焼き切ろうとするが、何かの呪いでも施されているのか、呪文を唱えても発動する事は無かった。

 

「無駄な抵抗は止せ、その鎖はお前の魔力を喰らう。」

 

数本の鎖を手足の如く操り、魔導師を捕縛したのは、銀色の髪をした浅黒い肌の青年であった。

澄んだ蒼い瞳をしており、無感情で石畳に転がる哀れな魔術師を眺めている。

玄武と同じ、四神の一柱、白虎であった。

 

「お、お前等・・・・この僕にこんな真似をして・・・ぐっ! 」

 

呪詛を吐き散らすマーリンの頭を玄武が踏みつけ、黙らせる。

濃いサングラスの下の双眸は、まるで害虫を見るかの如く、嫌悪感に染まっていた。

 

「全く、神族って連中は、悪魔より質が悪すぎて始末に負えんわぁ。」

 

もう用は済んだとばかりに、相棒の白虎に命じ、地に這いつくばる魔術師を無理矢理立ち上がらせる。

鎖の力で魔力をかなり消失したのか、マーリンに抵抗する気力は無く、口惜し気に叔母へと視線を向けた。

 

「おい! てめぇら、勝手にソイツを連れて行くんじゃねぇ! 」

 

理不尽極まる玄武達のやり方に、ネロが怒りの咆哮を上げた。

六連装大口径リボルバー、ブルーローズを魔法の様な速さで右脇のホルスターから抜き放つと、二人の男へと狙いを定める。

 

「ソイツには、キッチリと落とし前を付けさせる必要があるんだよ!部外者がしゃしゃり出て来るんじゃねぇ! 」

 

この血も涙もない悪党は、年端もいかないクラスメートの大事な家族を奪った。

それだけではない。

全く関係が無い、多くの市民を殺害し、『賢者の石』の材料に変えた。

コイツが、醜悪な魔界樹を解き放たなければ、今も矢来区と世田谷区の住民達は、何時もと変わらぬ日常を送る事が出来ただろう。

 

「止めろ、小僧。銃を降ろすんだ。」

 

怒り心頭のネロの眼前に、大胆に胸倉の開いた着流しを着る美貌の女剣士が立った。

深い哀しみを湛えた緋色の双眸が、鋭い牙を剥き出しにする若い騎士を見つめている。

 

「退け! このまま終わらせて堪るかよ! 」

「冷静になって周りを見ろ、引き金を引いた瞬間、お前の頭が落ちるぞ。」

 

無造作に大口径リボルバーの銃身を掴み、己の心臓へと当てる。

唐突な鶴姫の暴挙に、顔を真っ赤にしたネロは、沸騰していた頭を漸く冷やす事が出来た。

大きく息を吐き、言われた通りに周囲の状況を伺う。

すると、数か所の瓦礫を陰に、四つの人影が確認出来た。

どれも動物を模した奇妙な仮面を被っている。

皮の胸当てと鉄の徹甲と具足を履いている事から、師である17代目・葛葉ライドウと同じ、暗殺者(アサシン)である事が分かった。

 

「宮毘羅・・・・。」

 

明は、四つの影の中に、見知った姿を認めて、鋭い眼光を向ける。

犬を模した仮面をつける十二夜叉大将が一人、宮毘羅大将は、別段気後れする様子も無く、気安く明に向けて手を振ってみせた。

 

「何なんだ? コイツ等。」

「十二夜叉大将・・・・”八咫烏”の長、骸子飼いの暗殺者(アサシン)共だ。」

 

戸惑うネロに、鶴姫は簡単な説明をしてやる。

 

十数年前の第三次関東大震災により、元来、12人いる構成員の半数が死亡した。

明と鋼牙の加入もあったが、それでも未だ、半分が空席のままだ。

 

「ほな、還るで? 白虎ちゃん。」

 

玄武に促され、黒い鎖で囚われたマーリンを引き立て、銀髪の青年が従う。

そんな彼等の後姿を、ネロが口惜し気に眺める。

物陰から、明達を監視していた四つの影も、何時の間にか霧散していた。

 

 

 

平崎市、臨海公園。

『賢者の石』の半分をバージルから奪った”エルバの民”の指導者、狭間・偉出夫が仲間を促し姿を消した。

後に残される一同。

数歩離れた位置を挟んで、鋭い睨み合いを続けている。

 

「逃げ切る事は出来ない、諦めろ。」

 

真紅の呪術帯で、右眼以外を覆った17代目・葛葉ライドウが、腰にあるナイフホルダーに収まっているアセイミナイフの柄へと手を伸ばす。

 

「当然、見逃しては貰えないよなぁ。」

 

造魔・グリフォンとシャドウを従える13代目・葛葉キョウジが、この緊迫した場にはそぐわぬ軽口を叩いた。

壮年の探偵の背後には、義理息子のバージルが、ボロボロの状態で立っている。

怒りで逆上した鋼牙の猛攻を受け、騙し討ち同然で、偉出夫に『賢者の石』の半分を奪われた。

残された石の力を使えば、こんな程度の傷、瞬く間に完治出来るが、何故か、バージルがその行為を拒んでいる。

その為か、出血は殆ど止まっているが、大幅に体力を失っていた。

 

「何時まで逃げてんだよ? バージル、好い加減腹を括(くく)れ。」

「煩い、”人修羅”の下僕に成り果てたお前の言葉など、従う気は毛頭ない。」

 

義理父から渡された宝玉を口に含み、鋭い眼光を双子の弟へと向ける。

7年前は『テメンニグル事件』で、4年前は、『マレット島事件』で、バージルはライドウに二度負けている。

たかが召喚術師だと、侮(あなど)っていた。

素手の相手に、良い様に翻弄され、心まで覗かれた。

挙句、ライドウの仲魔の一人に、父の形見である『フォースエッジ』を奪われ、その刀身で袈裟懸けに斬られた。

あの時の屈辱と痛みは、決して忘れる事が出来ない。

 

「師匠(せんせい)。」

 

そんな両者から、少し離れた位置に立つ鋼牙。

備前長船兼光(びぜんおさふねかねみつ)の柄を握り締め、殺気の篭った視線を最愛の師から、事件の元凶である兄弟子へと向けた。

 

父親同然であるキョウジを狂わせたのは、間違いなくバージルだ。

葛葉一族、発祥の地である『葛城の森』で、曾祖母や実父、周囲の人間達から疎まれていた鋼牙を救ってくれたのは、同じ四家当主のキョウジだ。

当然、鋼牙はキョウジの事を、人生の師と仰ぎ、修練に励んだ。

自分を、一人の人間として認めてくれた。

13歳で女王陛下から”剣豪(シュヴァリエーレ)”の称号を拝命する事が出来た。

遠野・明やネロという、掛け替えの無い友を得る事が出来た。

これ等全て、13代目・葛葉キョウジのお陰である。

そんな尊敬する師を狂わせたバージルを、どうしても許す事が出来なかった。

 

「法の裁きを受け、罪を償え。」

 

ナイフホルダーから、アセイミナイフを抜き放ち、逆手持ちで構える。

近接戦闘の基本的構えだ。

 

「厄介事が全部片付いたら、幾らでも償うさ。」

 

腰を落とし、冥府破月の鯉口を斬る。

此方も、居合抜刀術の基本的構えだ。

両者の殺気がぶつかり合い、氷点下まで場の空気を凍らせる。

 

先に均衡を破ったのは、キョウジだった。

造魔・グリフォンが『強制離脱魔法(トラエスト)』を唱え、蒼い長外套(ロングコート)の青年と共に、何処かへと消える。

余りの出来事に、狼狽するライドウ。

すぐさま、バージルの魔力を辿り跳ぼうとするが、ソレをキョウジが邪魔をした。

空間を抉り取る程の斬撃に、ライドウとダンテが左右に跳ぶ。

 

「13代目、貴様っ! 」

「この事件でバージルは、無関係だ。 むしろ、あの子こそが被害者なんだ。」

 

嘘偽りの無い、キョウジの言葉。

ビクトルの甘言に乗り、『ビーシンフル号』の隠し部屋で、匿われていたアンブローズ・マーリンと出会い、魔界樹を野へと放ったのは、紛れも無いキョウジ自身である。

人間の生き血を求める習性があるクリフォトの魔界樹を利用し、罪なき人々の命を糧に、『賢者の石』生成に加担した。

そこに、バージルの意志など当然無い。

ビクトルが用意した造魔の肉体に、無理矢理、バージルの魂を宿らせ、半ば強制的に石精製を手伝わせた。

バージルは、人間等、一人も殺してはいない。

マーリンと共に無慈悲な殺戮を行ったのは、13代目・葛葉キョウジ本人である。

 

「俺の首を骸に差し出せ、その代わり、今後一切、あの子に関わるな。」

 

鬼神の如き気迫。

ライドウとダンテ、そして鋼牙までもが言葉を失う。

今、目の前に対峙するこの男は、紛れも無く家族を必死で護る一人の父親であった。

 

「・・・・ダンテ、矢来銀座にある地下水道に行け、そこにバージルがいる。」

 

レッグポーチから愛用のスマホを取り出すと、傍らにいる銀髪の魔狩人へと渡す。

スマホの液晶画面には、地下水道の見取り図が映し出されており、赤い光点で抜け道らしき通路が示されていた。

 

「成程、バージルの奴を国外から出すつもりなのか。」

 

赤い光点で示されている場所は、大井埠頭へと抜ける隠し通路であった。

キョウジは、何らかの方法を使って義理の息子を国外へ逃がすつもりなのだ。

そんな二人のやり取りを、少し離れた位置で聞く鋼牙。

師である13代目の意図を知り、移動魔法(トラフ―リー)と同じ作用がある特殊な札を取り出す。

 

「あの餓鬼っ! 」

 

鋼牙が、札の力を使用して矢来銀座に跳んだ事を知り、ダンテが舌打ちする。

鋼牙の目的は、己の愛する師を狂わせた兄弟子への報復だ。

早く止めにいかなければ、双子の兄の命が危うい。

 

「行け! 鋼牙を止めるんだ! 」

「でも、アンタ一人じゃ・・・・。」

「俺の事は良い! 早く行け! 」

 

ライドウの剣幕に、ダンテは止む無く従う。

13代目の実力は、五島美術館の日本庭園での死闘で嫌と言う程思い知らされている。

実力は、師であるケビン・ブラウンと同等かそれ以上。

そんな化け物相手に、番無しでライドウが勝てるとは到底思えないが、バージルの首を狙う壬生の次期当主を放置する訳にもいかない。

 

真魔人化したダンテが、雄々しき六枚の翼を広げ、上空へと舞い上がる。

そうはさせまいと、キョウジが斬撃を放とうとするが、ライドウが唱える火球の方が速かった。

『冥府破月』の刀身で、炎の弾丸を真っ二つに斬り裂く。

睨み合う両者。

 

「良いのか? あの兄ちゃん無しで俺と戦うにはちと分が悪すぎると思うが。」

「確かにな・・・・今の俺じゃ、アンタの足元にすらも及ばない。」

 

魔人と化したダンテが、矢来銀座に向かったのを確認すると、ライドウは顔を覆っている深紅の呪術帯を外す。

露わになる人形の様に整った容姿。

その白い首筋から右の蟀谷(こめかみ)に掛けて、どす黒い痣が浮き出ている。

 

「”コイツ”を使うのは、流石にムカつくが・・・今は、贅沢なんて言ってられねぇ。」

 

レッグポーチから、血液で満たされた細長い筒状の容器を取り出す。

器用に親指で、容器の蓋を外し、口に咥えて喉へと流し込む。

容器の中に入っていたのは、巫蟲(ふこ)の好物である”悪魔の血”だ。

何かしらのトラブルが発生したのを前提として、予(あらかじ)め何本か携帯している。

 

「蟲術(こじゅつ)か・・・・骸の力を借りるつもりなんだな。」

 

まるで百足の様に蠢く痣を見つめ、キョウジが小さく呟く。

ライドウの体内には、骸の半身であるマガタマが寄生している。

17代目の監視を名目に、骸自身が術を施した。

 

身体中を蟲が這い回る嫌悪感に耐えつつ、同じくレッグポーチから封魔管を取り出す。

管の中に封じられているマグネタイトの淡い緑色の光と共に、赤身の鞘に納められた日本刀が姿を現した。

歴代ライドウが代々所有する神器『草薙の剣』である。

 

 

 

同時刻、矢来銀座地下水道。

怒りに燃えるバージルが、その元凶である造魔・グリフォンの首を掴み、硬いコンクリートの壁に叩きつけていた。

 

「何のつもりだぁ!? 貴様ぁ! 」

 

蛙が潰れた様な悲鳴を上げる黒毛の大鷲を、更に締め上げる。

 

「し、仕方無かったんだ! 親父さんの命令だったんだよ! 」

 

バージルを何とか生かしたい養父は、自分を囮にし、仲魔であるグリフォンに”強制離脱魔法(トラエスト)”を唱える事で、逃がしたのだ。

 

「今すぐ父さんの所に戻らないと・・・・。」

「お待ち、アンタ、キョウジの想いを無駄にするつもりなのかい?」

 

グロッキー状態の大鷲を離し、バージルが地下水道の出入り口へと向かおうとする。

その背を聞き知った声が呼び止めた。

矢来銀座で闇の仲介人(ダーク・ブローカー)を営んでいる如月・マリーだ。

何時もの派手なピンク色の衣装では無く、シックな黒いジャケットとレディーススーツを着ている。

 

「マリー? 何でアンタが・・・・。」

「キョウジに頼まれたのさ、お前を国外に逃がして欲しいってね。」

 

マリーは呆れた様子で溜息を一つ吐くと、右手に持っているアタッシュケースを蒼い長外套(ロングコート)を纏う青年のすぐ傍らに置いた。

 

「この中には、偽造パスポートとID、それから当面の生活費が入ってる。」

 

マリー曰く、このすぐ先にある出口は大井埠頭に繋がっており、そこに密輸船が停泊しているのだという。

 

「父さんは、最初から俺一人を逃がすつもりで・・・・。」

 

足元に置かれた黒いアタッシュケースへと視線を落とす。

 

「密輸船は、湾岸空港に向かうからね。そこでグラマティクス社の社員と合流するんだ・・・後は、ソイツが上手くやってくれる筈さ。」

「グラマティクス社・・・? 何で、東ヨーロッパの大企業が俺達親子に手を貸してくれるんだ? 」

 

グラマティクス社とは、東ヨーロッパを拠点に活動している貿易会社である。

日本の大企業であるHEC社と並ぶ大企業で、ヨーロッパの各企業を吸収合併して大きくなったコングロマリットであった。

 

「詳しい事は知らないよ、アタしゃ只、アンタの親父に密輸船の手配を頼まれただけだからね。」

 

何時、超国家機関『クズノハ』の暗部共が、この隠し通路を嗅ぎ付けて来るか分からない。

一刻も早く、バージルを密輸船に乗せてしまいたいのか、マリーの口調は少々苛立っていた。

 

 

臨海公園で、バージルから『賢者の石』の一部を強奪した偉出夫達。

坂本晋平二等陸佐が運転する公用車に乗り、『エルバの民』の拠点である六本木ヒルズへと向かっていた。

 

「申し訳ありませんが、此処で降ろして下さい。後は、地下鉄を使って帰りますから。」

 

目的地である港区の手前まで来た偉出夫は、ハンドルを握る坂本二等陸佐に車を停める様に言う。

此処は、異界化の影響を受けていない為、通常通りバスや電車等が運行している。

地下鉄に乗れば、六本木六丁目までは目と鼻の先だ。

 

「横内一等陸士は、大丈夫なのかね? 大分、顔色が悪そうだが。」

 

バックミラー越しに、後部座席に座る横内・健太を眺める。

相当、具合が悪いのか、顔色は真っ青で、苦しそうに眉根を寄せていた。

 

「はっ・・・・ま、魔力のリバウンドです・・・・じ、時間が経てば・・・。」

 

濃い群青色の着流しを着るかつての上司に、横内は荒い吐息を吐きつつ応えた。

そんな従者の頬に、軽く手を翳す偉出夫。

忽(たちま)ち、びっしりと掻いていた汗が嘘の様に引き、顔色もみるみる元通りになっていく。

 

「無理のし過ぎだ。 素直に還っても良かったんだよ? 」

「申し訳ありません、マスター。」

 

枯渇した魔力を分け与えられ、体調がすっかり元通りになる。

 

敬愛する主ならば、あの状況下を抜け出す事は幾らでも出来た。

まさか、同じ『エルバの民』である大月・清彦が裏切るとは想定していなかったが、主である偉出夫ならば、大して問題にもならなかっただろう。

 

「あ、そうそう、コレ、約束の報酬です。」

 

地下鉄駅の乗り場付近に停車した車から、降りようとした偉出夫は、右手の中で弄んでいた赤い石を自衛官に渡す。

 

「流石に、貰い過ぎだとは思うが・・・・・。」

 

意外にも、素直に『賢者の石』を渡した事に、坂本二等陸佐は、少々面喰う。

 

「良いんです、俺達には意味の無い玩具ですから。」

 

巨漢の男を従えた偉出夫が、涼やかな笑みを二等陸佐へと向ける。

 

偉出夫の言う通り、『因果律』を捻じ曲げ、自分の思い通りに操る『特異点』の彼等にとって、石等何の意味も無い。

逆に、各国の秘密結社(イルミナティ)から、要らぬ諍いを招き入れる要因ともなる。

そんな厄介な代物は、さっさと”信用出来る大人”に渡してしまった方が良い。

 

「それじゃ、後藤事務次官に宜しく伝えて下さい。」

「ああっ、分かったよ。」

 

石を胸元に仕舞った坂本二等陸佐は、それだけ応えると、公用車を走らせ、車の波に呑まれていく。

後に残される、偉出夫と横内。

 

「良かったんですか? 奴等は分が悪くなると、平気で我々を斬り捨てますよ? 」

 

あれだけ苦労して手に入れた石を、あっさりと渡してしまった事に対して、何か思うところがあるらしい。

横内は、疑問を階段を降りる主の背にぶつけた。

 

「知ってる、でも同じ目的を持つ者同士、国津神(かれら)と仲良くしておいて損は無いだろ。」

「しかし・・・・・。」

「今は、魔導師ギルドに”我々の存在”を知らしめるのが先決だ。 それまでは、我慢するしかない。」

 

狭間・偉出夫と言う男は、一見して破天荒な人物だと思われがちだが、実はそうではない。

綿密な計算の元、動いており、必ず結果を残している。

故に、『エルバの』信者達から絶大な支持を受けており、偉出夫のアドバイス通りに動けば、大きな恩恵を受ける事が出来る。

日本の大企業の重役達や、政府官僚が、偉出夫のパトロンになっているのはその為であった。

 

 

 

マリーの説得を受け、矢来銀座地下水道の抜け道から、大井埠頭の一区画へと出たバージル。

密輸船が停泊している場所まで、あと少し、という所で思わぬトラブルが発生した。

『瞬間移動魔法(トラポート)』と同じ効力がある札を使用し、逸早く先回りをしていた壬生・鋼牙がバージル達を待ち受けていたのだ。

 

「師匠(せんせい)を置き去りにして、何処に逃げるつもりなんですか? 」

「み、壬生家の鬼子。」

 

『聖エルミン学園』の制服を着た黒縁眼鏡の少年を一目見た如月・マリーが、慌てて物陰へと隠れる。

 

13代目・葛葉キョウジが、壬生家の跡取り息子を養子として引き取り、育てている事は知っている。

実際、仕事で何度か顔を合わせているし、世間話も交わしている。

物腰が柔らかく、学業は常にトップクラス、武術にも秀でており、特に目立った短所は何処にも無い。

正に非の打ち処が無い、非常に優秀な天才剣士であるが、”占い師”という職業で培われた経験から、この少年の中に宿る「危うさ」を本能的に悟っていた。

 

「えーい、糞、選りによって”壬生家の鬼子”と出くわす何て、運が無いねぇ。」

 

最年少で剣士職の到達者と言われる『剣豪(シュヴァリエーレ)』の称号を得ている”1000年に一人”の逸材である事は、承知している。

事実、仕事の関係で、鋼牙の強さは嫌と言う程、見せられてきた。

 

「婆さん、一緒に戦ってくれねぇのかよ? 」

 

キョウジの仲魔である造魔・グリフォンが、あからさまな皮肉を言う。

 

「馬鹿、お言いでないよ! アタしゃアンタ等化け物共と違って、れっきとした一般人・・・・。」

 

そう言い掛けたマリーの声を、金属同士がぶつかり合う、耳障りな音で掻き消された。

見ると、両者が互いの得物を抜き放ち、壮絶な撃ち合いを始めている。

剣の技術は、弟弟子である鋼牙が一枚上手であるが、バージルが本来持つ『悪魔の血』が抑え込んでいた。

パワーとスピードで、見事、力不足な面をカバーしている。

 

「ひぃっ、悪いけどアタしゃ此処で退散させて貰うよ! アンタ等二人と関わると本当にロクな目に合いやしない! 」

「”アンタ等二人”? 」

 

顔を真っ青にして、悪態を吐き散らす老婆を、グリフォンが不思議そうに首を傾げる。

 

事件の首謀者は、確かにアンブローズ・マーリンと葛葉キョウジの二人だ。

身体を無事修復したバージルを、国外へと逃がす役目を担うマリーは、当然、マーリンとは面識が無い。

 

「知らなかったのかい? 密輸船の手配や、逃げ道の確保、それから、グラマティクス社に取引を持ち掛けたのは、警視庁の警部補だよ。」

「何だってぇ!? 」

 

マリーの口から出た衝撃の事実に、黒毛の大鷲が驚愕で双眸を見開く。

 

確かに、百地・英雄警部補は、主人である葛葉キョウジと30年来の付き合いがある。

しかし、例え親友とはいえ、相手は、警視庁の刑事だ。

悪魔の脅威から、力の無い市民を護るという、使命を持つあの刑事が、何故、今回の大規模なテロの首謀者であるキョウジに手を貸す必要があるのだ?

 

 

 

同時刻、臨海病院。

ICU(集中治療室)に収容された百地・英雄は、無事、緊急手術を終え、個室へと移動していた。

 

「に・・・ニコレッタ・・・。」

 

麻酔が解け、深い眠りから覚めた壮年の刑事は、自分の手を握る女職人(ハンドヴェルガー)へと、弱々しい視線を向けた。

 

「お、オッサン・・・・意識が戻ったんだな? 」

 

散々、泣き濡れ、真っ赤に腫れた双眸を、清潔なベッドに横たわる刑事へと向ける。

病衣から覗く白い包帯には、幾つもの心電図モニターに繋がるコードが取付られ、顔には酸素マスクを装着されていた。

大量出血が原因で、ショックバイタルを起こし、意識を失っていたのだ。

一時は、心肺停止状態まで陥ったが、ハイピクシーのマベルの応急措置が功を奏し、何とか持ち直している。

 

「そうか・・・・・俺はまだくたばってねぇのか・・・・。」

 

麻酔で朦朧とする視線を、真っ白な病室の天井へと向ける。

 

平崎市古墳大迷宮前で、親友と思わぬ再会を果たし、娘同然であるニコを人質に捕られた事までは覚えている。

左肩から胸にかけて、斬り裂かれたが、不思議と痛みを感じる事は無かった。

只、猛烈に熱く、力が抜けて、身体を動かす事が叶わなかった。

 

「悪運が強いんだよ・・・・糞爺。」

 

百地警部補の意識が戻った事で、大分安心したらしい。

ニコの眼から、ボロボロと涙の粒が転がり落ちる。

そんな二人を、窓辺に腰掛けるハイピクシーのマベルが、優しく見守っていた。

不図、出入り口のドアを叩く音が聞こえる。

三人が其方へ視線を向けると、百地の部下である周防・克哉警部が、引き戸のドアを開けていた。

 

「気が付いたんですね? 警部補。」

 

百地警部補が、テロ事件の首謀者に襲撃され、瀕死の重傷を負わされたと聞き、自分の治療をそこそこに急いで来たらしい。

右頬には湿布が塗布され、五島美術館での死闘で、折れた腕は、三角巾で吊っていた。

 

「死にぞこなっちまったよ・・・・。」

 

可愛い部下の登場に、ホッと安堵の吐息を吐く。

しかし、そんな上司に対して、部下の周防は厳しい表情をしていた。

どうやら、百地警部補の病室に来たのは、別の目的があるらしい。

空気でソレを察した百地警部補は、ニコとマベルに退室して欲しい旨を伝えた。

渋々、警部補の言葉に従う二人。

後には、周防警部と百地警部補の二人が残された。

 

「警部補・・・・実は、今回の件で、一つだけ気になる事がありました。」

 

躊躇いがちに周防警部が、口を開く。

一方の百地警部補は、黙したまま、病室の天井を眺めていた。

 

「これだけ大規模なパンデミックが起こっているにも拘わらず、我々は犯人の手掛かりを得る事が出来ませんでした。」

 

周防が抱く疑問は、犯人の行動である。

犯人・・・・13代目・葛葉キョウジは、警察機構に気取られる事無く、矢来区と世田谷区に『魔界樹』の種籾を解き放った。

そればかりではなく、その後の行動も疑問が多々残る。

まるで警察の裏を掻く様に、各地の検問を突破し、未だ、その足取りを掴める事が出来ない。

 

「そして、一つの答えに辿り着きました・・・・警察内部の人間が、犯人に情報を漏洩(りーく)しているのではないかと思ったんです。」

「・・・・・。」

 

色眼鏡の奥から覗く双眸が、哀しくベッドの上で横たわる上司を見つめる。

百地警部補も、既に覚悟を決めているのだろう。

口を挟むでもなく、静かに部下の言葉を聞いていた。

 

「警部補・・・・何故なんですか? 何故、13代目・葛葉キョウジに手を貸したんですか? 本当の親友なら、身体を張って止めるべきでは無かったのですか? 」

 

怒りと哀しみで握る拳が震える。

 

信じたくは無かった。

戦争で視力を失い、人間兵器としての価値を失った克哉は、奥原警視総監に拾われ、特殊公安部隊に配属された。

悪魔が起こす事件を担当する過程で、百地・英雄警部補と知り合い、彼の思想に深く感銘を覚え、窓際部署として嘲られていた『特命係』に配属願いを出した。

― 力無き人々を悪魔の脅威から護る。

その強い想いを胸に、百地警部補と今迄歩んできた。

決して、順風満帆な道程では無かった。

 

「応えて下さい・・・・警部補! 」

 

頼む、否定してくれ。

お前の思い過ごしだと、怒鳴りつけてくれ。

しかし、そんな克哉の願い虚しく、返って来た言葉は、あまりにも無情であった。

 

「そうだ・・・・お前の推測通り、俺がキョウジに警察の内部事情を漏らした。」

 

何か憑き物でも落ちたのか如く、その表情は和やかだった。

 

「今から、半年前以上か・・・・アイツが俺の前にふらりと現れ”面倒事が出来た、手を貸して欲しい”と言って来た。」

 

キョウジ曰く、組織内のいざこざに巻き込まれ、暫く姿を隠したい。

上手く国外から出る方法を教えてくれ、という事だった。

 

30年と言う長い付き合いがある百地警部補は、当然、すぐにソレが嘘であると見抜いた。

しかし、敢えてそれを問いただす事はしなかった。

その理由は、キョウジの様子が常になく真剣であったからだ。

 

「・・・・・何故、その時止めなかったんですか? もし説得が上手く行っていれば、こんな大惨事には・・・・。」

「なっていたさ、俺が説得したところで、アイツの信念を曲げる事なんざぁ出来ねぇ。」

 

年若い刑事の言葉をあっさりと、一蹴する。

百地警部補が知る葛葉キョウジは、一見、不真面目で怠惰的だが、己の信念を貫き通す強い意志を持っている。

あの時のキョウジは、何かを覚悟していた。

己の命に代えても、護り通す強い意志を秘めていた。

 

「・・・・・周防、俺にはな、家族がいたんだ。」

 

言葉を失い、項垂れる部下に対し、百地警部補は自分の過去を少しだけ話す事にした。

 

「嫁さんと娘が二人・・・・至極、平凡な、何処にでもいる家族だった。」

 

百地警部補の家族は、東京の都内に住んでいた。

何事に対しても、仕事を優先する性分であった為、家族関係は良くなかった。

娘がインフルエンザに掛かり、手伝って欲しいと妻から言われたが、百地は無視した。

仕事を幾つも抱えており、家庭を顧(かえり)みる余裕が無かったからである。

今迄積み重なっていた不満が爆発し、妻は幼い娘二人を連れて、借家から出て行った。

幸い、妻の実家は都内近郊にあった為、様子を見に行く事は出来たが、妻は頑(がん)として百地と話し合う事はしなかった。

 

「馬鹿だった・・・・俺は、刑事である前に、一人の父親だった。 もっと、家族の事を考えるべきだった・・・・。」

 

幾ら後悔しても後の祭りである。

当時は、頭が冷えれば帰って来るだろうと、軽く考えていた。

だが、例の関東一体を襲った大規模地震が、百地警部補の小さな幸せを全て奪ったのである。

 

「10年近く別居状態だったが、それでも子供達とは会えた・・・・長女は、結婚して家庭を持ち、次女は成人式を翌日に控えていた。」

「・・・・・。」

「あの糞ったれな震災が起こって、嫁さんと次女は、瓦礫に圧し潰されて即死した。長女は、都内から大分離れた場所で生活していたから、難を逃れる事が出来たが・・・・。」

 

それ以上は、言葉に出来なかった。

あの日の出来事は、昨日の様に想い出す事が出来る。

 

暗く冷たい霊安室。

幾つも並ぶ棺の列。

その前に佇む長女。

振り返ったその瞳は、父親に対する疑惑と怒りに満ちていた。

 

「何もかも無くなっちまった・・・・唯一生き残った長女に絶縁され、俺は天涯孤独の身になっちまったのさ。」

「だから、13代目に手を貸したんですか? 大規模なパンデミックが起こると分かっていて。」

 

余りにも理不尽な動機に、周防刑事は例える事が叶わぬ怒りがこみ上げる。

確かに、第二次関東大震災は、日本全土を襲う未曽有の大災害だった。

多くの人命が奪われ、国として一時的に機能出来なくなった。

それでも、人々は立ち上がり、日常生活が普通に営めるまで、復興したのである。

 

「お前の言う通りだ・・・・返す言葉なんざねぇ。」

「警部補・・・・。」

「でもな、あの時はこう思っちまったんだよ。 ”コイツを放置したら、どうなっちまうんだろう?”かと・・・・。」

「・・・・・。」

「自分が味わった”痛み”をコイツに与えたら、どんな風に壊れちまうのかと・・・そう考えたら、勝手に身体が動いていた。」

 

詳しい事情を聴く事も無く、百地警部補は、警察の監視が一番手薄な場所をキョウジに教えていた。

13代目の要望通りに動き、逃走ルートを確保し、密航船を用意し、昵懇にしていたグラマティクス社の幹部にキョウジの事を話した。

グラマティクス社は、東ヨーロッパを拠点に活動している秘密結社(イルミナティ)、『薔薇十字結社(ローゼンクロイツ)』の隠れ蓑である。

元々、キョウジはローゼンクロイツと面識があった為、彼等は諸手を上げて受け入れを歓迎した。

 

 

百地警部補と周防警部がいる個室から、少し離れた場所にあるラウンジ。

そこに、小さな妖精を肩に乗せた女職人(ハンドヴェルガー)が、ラウンジ内にある自販機の前にいた。

 

「どうしたんだぁ? シケた顔して。」

 

時間帯が遅い為、見舞客の姿は当然無い。

数台の自販機と来客用の丸いソファが置かれているだけであった。

そのソファの背凭れに座る小さな妖精の隣に、ニコが行儀悪く座る。

 

「・・・・・ニコ・・・・あの刑事さんと知り合いなんだ。」

 

缶コーヒーのプロトップを開け、喉へと流し込む女職人を横目で眺める。

因みに、同じ仲魔であるアラストルは、百地警部補の応急措置に大分魔力を消費した為、そこで力尽き、ライドウのGUMPへと強制送還されている。

 

「ああ、アタシが学生時代からの腐れ縁ってヤツさ。 」

 

百地警部補との付き合いは5年に及ぶ。

学生時代に学校を抜け出しては、悪さを繰り返すニコに対し、百地警部補は決して見捨てる事無く、根気強く付き合ってくれた。

学校を無事卒業後は、仕事の関係で、幾度か顔を合わせている。

 

「そっか・・・・・ニコの大事な人なんだね・・・・。」

 

精神感応力が高いマベルは、ニコがあの刑事を実の父親以上に慕っている事を分かってしまう。

だからこそ真実を言えない。

あの刑事が抱えている大きな闇を。

 

そんな迷いをマベルが抱えている時であった。

淡い照明が灯る廊下から、数名の足音が聞こえて来る。

縁無しの眼鏡を掛けた背の高いオールバックの男を先頭に、厳つい防護服に身を包んだ一目で警察関係者と分かる警官達が、ニコとマベルがいるラウンジを横切る。

手には重機関銃を形態しており、真っ直ぐに百地警部補がいる病室へと向かっていた。

 

「お・・・・奥原警視長・・・・何でアイツが? 」

 

防護服に身を包む特殊公安部隊を指揮する男を見た途端、マベルの顔から血の気が引いた。

奥原警視総監は、警視庁の対悪魔討伐特殊公安部隊を立ち上げた人間の一人だ。

周防警部と百地警部補の上司に当たり、かつては超国家機関『クズノハ』の暗部”八咫烏”に在籍していた。

 

「オッサン・・・・・。」

 

殺気立つ男達の気配に、ニコが何かを悟ったらしい。

呑み掛けの缶をテーブルに置いたまま、立ち上がる。

慌てた様子で百地警部補がいる病室へと向かう女職人の後を、小さな妖精が追い掛けた。

 

 

唐突に開かれる病室の出入り口。

対悪魔用の防護服に身を包んだ公安の刑事達が、室内へと雪崩れ込む。

訓練された一分の隙も無い動き。

次々と向けられるアサルトライフルと軍用拳銃の銃口。

ベッドに横たわる上司の傍に居た年若い刑事の表情が強張(こわば)る。

 

「久しぶりだな? 百地。」

「奥原・・・・。」

 

痛む身体を酷使し、百地警部補が起き上がる。

麻酔が効いているとはいえ、右肩から斬り裂かれた痛みが、断続的に壮年の刑事を苛(さいな)む。

 

「まさかお前がテロリストの片棒を担いでいたとはな・・・・・失望したぞ。」

 

ノーフレームの眼鏡越しから見える、冷酷な双眸。

 

百地警部補とは、奥原警視長が”八咫烏”に在籍している時に、幾度か顔を合わせている。

『悪魔の脅威から人間を護る』という確固たる信念を互いに持ちつつも、ソリが全く合わず、水と油の様な関係であった。

 

防護服に身を包んだ警官隊が、周防警部と百地警部補を取り囲む。

完全に退路を断たれ、逃げ場は無い。

 

「ま、待って下さい!奥原警視長! 百地警部補は先程まで意識不明の重体だったんですよ? 」

 

年若い警部が言う通り、百地は13代目に深手を負わされ、出血多量の重体だった。

あそこに、回復系に優れたマベルがいなかったら、確実に命を落としていただろう。

 

「だから何だ? 悪逆非道な犯罪者に情けをかけろと? 」

 

壮年の警部補を庇う若い刑事に、奥原は氷点下の如く、凍える視線を向ける。

途端、言葉を失う周防。

背後にいる百地が、何かを諦めたのか吐息を一つ吐く。

 

「周防、キョウジ達親子はまだ国外を出ていないのか? 」

 

百地警部補の言葉に、若い刑事は驚いて振り返る。

そんな部下の様子に、まだ親友は国内にいる事を悟り、百地は苦笑いを口元へと浮かべた。

 

「そうか・・・・なら仕方ない。」

 

突然、百地警部補は、部下の身体を羽交い絞めにする。

魔法の様な速さで、周防警部が携帯しているハンドガンを引き抜くと、その銃口を蟀谷(こめかみ)に押し当てた。

 

 

平崎市、臨海公園内。

そこでは、鎧を纏った騎士達が、互いの得物を手に壮絶な死闘を繰り広げていた。

 

「はぁあああっ!」

 

裂帛の気合と共に、赤身の鞘を持つ白銀の魔狼が一気に間合いを詰め、神器『草薙の剣』から連撃を放つ。

それを魔剣『冥府破月』で往なす、漆黒の魔狼。

造魔・シャドウを魔鎧化し、身に纏った13代目・葛葉キョウジである。

ライドウの放つ光速剣を全て弾き飛ばし、返しに重い一撃を放った。

橙色の火花を散らし、白銀の魔狼が真正面から受け止める。

 

「諦めろ! アンタに逃げ場は何処にも無いぞ! 」

 

左眼から、蒼い炎を噴き出す白銀の騎士。

体内に寄生している巫蟲の影響が出ている為か、面頬の右側がどす黒く変色していた。

 

「分かっているさ。それぐらい・・・・。」

 

怒りに燃える17代目と違い、キョウジはあくまで冷静だった。

 

この大規模なパンデミックを起こした当初から、無事に逃げ切ろう等と思った事は一度も無い。

『賢者の石』を使い瀕死のバージルを救う。

そして、愛息子を国外に出し、信頼のおける友人の元で保護して貰う。

その一念だけが、今、己を突き動かしていた。

 

金属同士がぶつかり合う、耳障りな音を響かせ、互いに大きく離れる。

実力は互角。

否、骸の膨大な魔力を得ているライドウの方が、やや有利であった。

神器『草薙の剣』を正眼に構え、対峙する漆黒の騎士を睨み据える。

 

「俺達、悪魔召喚術師(デビルサマナー)は、因果な商売だ・・・そうは、思わんか? 17代目。」

「・・・・・。」

「強力な悪魔を召喚する度に、感情を一つ一つ失っていく・・・・そして、最後は肉体そのものが変質し、本物の怪物になっちまう。」

 

独白とも取れるキョウジの言葉。

しかし、そのどれもが大変重く、ライドウ自身、共感出来る所が多々ある。

 

「俺達は、常にそんな恐怖と戦い続けて来た。 その過程で、多くの者達が闇に堕ち、シドみたいなダークサマナーになったんだ。」

 

シド・デイヴィス・・・・かつては、闇社会でその名を轟かせていた『ファントムソサエティ』に所属する悪魔召喚術師だった。

30数年前、秦氏の姫、”イナルナ姫”の膨大な魔力を手中に納め、世界全体を異界化させようと大規模なパンデミックを起こした。

しかし、13代目・葛葉キョウジに阻止され、重症を負い敗走。

組織からも見放されたシドは、一時地下へと潜り、力を付け、十数年後、アメリカのスラム街に再び現れ、古の塔”テメンニグル”を復活させた。

 

「だから何だ? 闇に堕ちるのは、確固たる信念が無い弱者だ! アンタもその一人だと言いたいのか? 」

「そうだ、俺は・・・否、俺達悪魔召喚術師は弱いんだよ、17代目。」

 

何かに縋るモノが無ければ、我々は真っ直ぐ立つ事すらも叶わない。

キョウジにとって、葛葉一族の掟よりも、バージルと言う『家族』を護る事が大事だった。

幼い少年の手を握り、生きる為の糧を教え、共に生きた歳月のお陰で、キョウジは人間の心を失わずにいる。

 

「例え咎人になろうが、同胞を殺害しようが、俺は家族を護ると誓った。」

「愚かだ! 」

 

一気に間合いを詰め、必殺の一撃を放つ。

それを受け止めるキョウジ。

大地が大きく割れ、衝撃波で樹々が薙ぎ倒されていく。

 

「ならば鋼牙はどうする? 貴方を慕って”組織”に入った若者達は? 彼等の想いを裏切って、貴方は何とも思わないのか? 」

 

キョウジの吐く言葉が、どれも薄汚く欺瞞に満ちている様に聞こえる。

理由の分からぬ怒りが腹腔内を荒れ狂い、口から炎の吐息を吐きだす。

 

「すまないとは、思っている。」

 

怒りの連撃を受け流しつつ、キョウジは深く瞑目する。

 

鋼牙も”葛葉”の門をくぐった門下生達も、彼にとっては『大事な家族』だ。

彼等の想いに報いるのも大事な役目だと承知している。

 

「分かっているのなら、何故裏切った! 」

「決まってる、俺にとってバージルも大事な家族だからだ・・・見殺しにする事等、俺には出来ない。」

「黙れ! 偽善者め!! 」

 

草薙の剣から放たれる斬撃が、漆黒の鎧を身に着ける魔狼の右肩を斬り裂く。

真っ赤な血を噴き出し、二歩、三歩と後退する黒騎士。

ライドウが火炎系上級魔法”アギダイン”を唱えて追撃する。

光速展開した法陣から放たれる炎の龍。

凶悪な顎を開き、獲物を呑み込まんとする龍を、漆黒の鎧を纏う魔狼が、一刀両断で斬り捨てる。

 

「なぁ、17代目。 お前さんにも大事な家族がいるだろ? 」

「・・・・・っ! 」

「ハルちゃんだったか・・・・月子の忘れ形見。」

「黙れ! 」

 

愛娘の名前が出た途端、ライドウの中で、張り詰めていた何かがキレた。

大地を踏み割り、白銀の閃光と化した白騎士が神器”草薙の剣”で鋭い刺突を放つ。

それを魔法剣”冥府破月”で受け止めるキョウジ。

橙色の火花が散り、数メートル地面を削り取って停止する。

 

「お前さんがやろうとした事と、俺がやった事は同じだと思うんだがな? 」

「・・・・・。」

「娘を”人柱”にしたくなかった・・・70億の人類を見捨てても、我が子の命を救おうとした・・・違うか? 」

 

本心を無遠慮に暴かれ、ライドウは怒りと迷いが入り混じる双眸を、眼前にいる黒き魔狼へと向ける。

獣を象った面頬の窪んだ眼窩から覗く双眸は、あくまで穏やかだった。

そこに何の戸惑いすらも無い。

 

「今回の事件は、全て俺の一存でやった。 首はお前さんにくれてやる。」

 

ライドウが持つ草薙の剣の刀身を無造作に掴み、己の首に押し当てる。

肉が斬れる感触。

鈍色に光る刀身を真っ赤な血が伝い落ちる。

 

キョウジは、既に死を覚悟している。

『賢者の石』を使い、破壊された息子の心臓と肉体を無事、再生させた事で、彼の目的は幾らか達成していた。

後の心残りは、愛息子のバージルが、無事、生きて日本から脱出する事。

 

暫しの沈黙。

何処までも穏やかなキョウジと違い、ライドウは激しく動揺していた。

獣の面頬から覗く双眸が忙しなく揺れ、刀を握る手が震える。

後、少し。

ほんの僅か、力を込めるだけで、目の前の憎い男を殺す事が出来る。

だが、それが出来ない。

脳裏に浮かぶのは、修業時代の想い出ばかり。

キョウジに稽古をつけて貰う二人の少年。

「兄様」と慕い、抱き着く長い黒髪の美少女。

 

「だ・・・・駄目だ・・・・出来ないよ・・・キョウジさん。」

 

神器の柄から手を離し、ガックリと地へと膝を折る。

戦意喪失した為か、白銀の鎧は霧散し、真紅の呪術帯で顔を覆った人間体へと戻る。

 

「あ・・・・アンタは、俺や三太・・・・同期の奴等の憧れだった・・・皆、アンタの背中を追い掛けた。」

 

唯一覗く、右の隻眼から涙の粒がボロボロと零れ落ちる。

 

泥水を啜り、暗闇の中を這い回るライドウにとって、13代目・葛葉キョウジは眩しい太陽の様な存在であった。

”八咫烏”に入り、初代剣聖・鶴姫の指導を受け、暗殺者(アサシン)の中でも精鋭部隊の集まりである『十二夜叉大将』に抜擢された。

毘羯羅大将の銘(な)を骸から頂き、『クズノハ』の為に暗殺稼業に明け暮れた。

何の苦労も知らず、蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の直系の血筋であるが故に、周りからもてはやされるキョウジを妬んだ。

恩人とも呼べる桜井雅宏を殺害した『ファントムソサエティ』への報復を忘れ、只、キョウジを超える存在になろうと努(つと)めた。

狭量で浅はかで、愚かな自分。

 

「だから言っただろう・・・お前じゃこの男を殺す事は出来ない。」

 

そんな二人の間に、何者かが、無遠慮に割って入る。

キョウジが、神器”草薙の剣”から手を離すと、刀自体意志でも宿っているのか、暗闇に佇む人物へと吸い寄せられていく。

 

「む・・・・骸・・・・何で此処に? 」

「偶には、外の空気を吸いたいからな・・・・それに・・・・。」

 

月明かりに照らされ、姿を現したのは、十二夜叉大将の長、『薬師如来』の名を持つ男であった。

蝋細工の如き、白い肌と濡れ羽色の長い黒髪。

紅を引いた様な赤い唇が弧の形をしている。

 

「やはり、造り物の月より、本物の方が数倍美しい。」

 

手元に戻って来た愛刀を一振りし、左手に持つ赤身の鞘へと納める。

 

「骸・・・・・。」

 

帝国議事堂の地下に住む魔人の登場に、キョウジの身体から常には無い、殺気が漏れ出る。

そんな漆黒の魔狼の様子に、骸は微かな微笑を口元へと浮かべた。

 

「ダヴェドの皇子と一緒になって、姉上の大事な庭を此処まで汚すとはな・・・・正直、お前には愛想が尽きたぞ? 13代目。」

 

紅玉の如き双眸が怪しく光る。

刹那、鮮血が地面を真っ赤に汚した。

不可視の刃が、漆黒の魔狼の四肢を斬り裂いたのだ。

衝撃で魔鎧化が解け、造魔・シャドウが地へと転がる。

 

「キョウジさん! 」

 

四肢を斬り裂かれ、地面に膝を付く壮年の探偵を護るかの如く、ライドウが骸の眼前へと立つ。

炎の法陣が幾つも展開。

骸の退路を完全に断つ形で、周囲を取り囲む。

 

「一体、何の真似だ? ナナシ。」

 

愛人の思わぬ暴挙に、骸の秀麗な眉根が不快気に歪む。

 

「13代目を殺すのは俺だ! アンタは引っ込んでろ! 」

 

露わになった左眼の魔眼から、蒼い炎が噴き出す。

13代目・葛葉キョウジは、日乃本を護る守護者の一人でありながら、己の欲望に従い、多くの民人を殺害し、『賢者の石』の贄へと変えた。

十分、万死に値する行為ではあるが、ライドウはどうしても粛清する事が出来ない。

それどころか、咎人を護り、主人に牙すら向けている。

骸にとっては、理解し難い行動であった。

 

「止せ、 これ以上俺に構うな。」

「うるせぇ! アンタが死んだら、月子に合わせる顔がねぇ! 」

 

退(ど)く訳にはいかない。

例えどんな悪逆非道な行いをした咎人でも、月子が慕った縁者である事に違いは無いのだ。

出来る事ならば生きていて欲しい。

しかし、罪なき人々を殺害した犯人である事に違いは無い。

相反する二つの思考に、ライドウは呪術帯に覆われた唇を噛み締める。

 

と、突然、想像を絶する激痛が、ライドウの身体を襲った。

右の蟀谷から首筋にかけて、どす黒い痣が浮き出し、まるで百足の如く、体内を這い回る。

術者の異常に、骸を取り囲んでいた炎の法陣が霧散。

頭を抱え、ライドウの身体が地へと堕ちる。

 

「雨宮!! 」

 

地面の上でのたうち回るライドウの身体を、キョウジが抱き起した。

骸によって埋め込まれた巫蟲が体内で暴れ回っているのか、ライドウの鼻腔と右眼から血が流れ出し、白目を剥いて痙攣している。

 

「お前の生殺与奪を握っているのが誰か、もう一度教える必要があるな? 」

 

冷酷な深紅の双眸が、キョウジの腕の中でもがき苦しむ愛人へと注がれる。

 

正直、不愉快だった。

懐かぬ猫を力で捻じ伏せるのは、ある種、快感だったが、それが度を超すと、怒りと憎しみしかわかない。

こんな感情に支配されたのは、数千年振りであった。

 

「止めろ!月読尊(ツクヨミ)! 弟の須佐を殺すつもりか? 」

 

キョウジの鋭い双眸が、目の前で対峙する蝋細工の如く白い肌をした美青年を睨む。

 

「人間(ヒト)の欲望に負け、愚行に走ったお前に言われる筋合い等は無いのだがなぁ? 建御雷神(タケミカヅチ)。」

 

人間の理(ことわり)を捨て、天津神の一人として骸は、問い掛ける。

骸の指示で、巫蟲の動きが収まったのか、ライドウは糸の切れた人形の様に意識を失った。

 

「天津神としての俺は、2千年前の大戦で死んだ。 今、此処にいるのは、人間の建御・渉(たけみ・わたる)だ。」

「ふん・・・下らん屁理屈を。」

 

見下ろす裏切者の顔が、2千年前の最終戦争で共に戦った同志と重なる。

我々、神族に物理的死は存在しない。

器が壊れれば、また違う器に変わるだけの話だ。

 

「姉上は、お前の所業についてお心を大変、痛めている・・・償うには、バージルとかいう若造の首を差し出すしかない。」

「バージルは、関係ない。 代償を求めるなら、今すぐ俺の首を天照に持って行け。」

「お前の首・・・・? そんな程度で償えるとでも? 」

 

この雷と剣の神は、相当、あの銀髪の若者にご執心の様だ。

骸にとっては、路傍の石程度の存在でしか無いが、養父のキョウジはそうではない。

当初は、知り合いから預かった子供だったが、次第に我が子としての愛情を持つまでになった。

常に正気と狂気が入り乱れる召喚術師の世界で、バージルと言う若者は、たった一つの寄る辺だったのだろう。

 

「いくら堕ちたとはいえ、お前は我等、天津神の一柱である事に変わりは無い。姉上もお前の事に関しては、特別な感情を持っている。」

 

何かの諦めたのか、骸はそこで一つ息を吐いた。

 

今回の一件に関し、実姉である天照大御神は、建御雷神の処分をどうするか決めあぐねている。

此処で首を刎(は)ねるのは、容易いが、その後の姉の悲しむ顔を見るのは、流石に忍びない。

 

「このまま大人しく消えろ・・・・二度とこの国の地を踏む事は赦さぬ・・・それが、お前が姉上に出来る最低限の償いだ。」

 

冷酷非道な”人喰い龍”が出した最大級の恩情に、気を失ったライドウを木の根に寝かせるキョウジは、思わず苦笑いを浮かべた。

 

「スマンな・・・。」

 

血塗れの探偵は、立ち上がると愛用のGUMPを取り出し、地に横たわる仲魔のシャドウをストックに戻す。

振り返ったその表情は、何処か憑き物が落ちた様な清々しい笑顔をしていた。

 

 

 

平崎市臨海病院の一室。

部下である周防の蟀谷に拳銃を突きつけた百地警部補が、奥原警視長率いる公安の特殊部隊を牽制しつつ、廊下へと出ていた。

 

「オッサン・・・・。」

 

ラウンジから、百地警部補がいる病室へと向かっていたニコは、予想もしない光景に唖然となる。

その傍らにいる小さな妖精も、言葉を失い立ち尽くしていた。

 

「百地、馬鹿な真似は止めろ。」

「悪いな? 奥原・・・・俺の最期の悪足掻きに付き合って貰うぜ? 」

 

全身を襲う苦痛に脂汗を浮かべた壮年の刑事が、苦笑いを浮かべる。

 

部下を人質に捕ったところで、時間稼ぎにもならない事は十二分に理解している。

しかし、八方塞がりな今の現状で取れる唯一の行為が、コレしか無かったのだ。

5分でも1分でも構わない。

キョウジとその息子であるバージルが、国外へと出る時間稼ぎになれば、それで良いのだ。

 

「・・・・・分からんな。 何故、そうまでして13代目・葛葉キョウジを護ろうとするんだ? お前には何の得にもならんだろうに。」

「得? はっ・・・・男同士の友情に、損得なんざぁ関係ねぇ。」

 

奥原警視長率いる公安部隊の足止めをする為、壮年の刑事は、あからさまな挑発を続ける。

そんな上司の態度に、羽交い絞めにされている周防警部は複雑な表情をしていた。

 

「百地警部補・・・・まさか、貴方は・・・・。」

「すっ・・・・すまねぇな? 周防、俺の下らねぇ意地にお前まで巻き込んじまった。」

「警部補・・・・。」

 

この男は死ぬ気だ。

周防警部がその気になれば、何時でも振り解く事は出来る。

しかし、そんな真似をすれば、信頼し、尊敬する上司が、どうなってしまうのか分からない。

公安部隊が、上手く取り押さえる事が出来ればそれで良い。

だが、もし失敗すれば・・・・。

 

「オッサン!! 」

 

廊下から聞こえる女職人(ハンドヴェルガー)の声に、周防は現実へと引き戻される。

見ると、二人の背後に、顔面を蒼白にさせてニコが立っていた。

 

「ニコレッタ・・・・。」

 

百地警部補の視線が、女職人(ハンドヴェルガー)へと向く。

そのコンマ何秒かの隙を見逃す警視長では無かった。

右手に持つ愛刀『柳生の大太刀』を鞘から引き抜き、光速を超える斬撃を放つ。

斬り落とされる百地警部補の左腕。

真っ赤な鮮血が散り、周防警部補の身体が離れる。

その隙間をすり抜ける鈍色の太刀。

刀の切っ先が、壮年の刑事を貫き、背中へと抜ける。

 

「オッサン!! 」

「警部補!! 」

 

奥原警視長が繰り出した刺突が、百地警部補の心臓へと突き立つ。

驚愕に見開かれる百地警部補の双眸。

そんな壮年の刑事を、冷酷な眼差しで奥原警視長が見下ろす。

 

「家族に対する贖罪か? 百地。 哀れな奴め。」

 

口から血の泡(あぶく)を吹き出す壮年の刑事から、愛刀を引き抜く。

胸を抑え頽(くずお)れる刑事。

ニコの悲鳴が、病院の廊下に虚しく響く。

 




何とか投稿出来ました。


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第29話 『 終わりと始まり 』★

登場人物紹介

J・Dモリソン・・・・ 闇の請負人(ダークブローカー)。
密航等の”逃がし屋”もしており、同業者のマリーの依頼で日本にやって来た。


悪魔特捜隊・・・・警視庁が持つ対悪魔公安部隊。
構成員が全て特Aクラスの術者や剣士で構成されているエリート部隊。
かつて周防克哉警部も此処に配属されていた。



平崎市古墳大迷宮前。

後味の悪い想いを噛み締めながら、ネロ達は古墳から外へと出る。

 

事件の首謀者の一人であるアンブローズ・マーリンは、玄武と白虎が率いる『十二夜叉大将』によって囚われた。

”探偵部”の仲間である壬生・鋼牙は、マーリンの複製体を追い掛け、臨海公園へ。

その後を、17代目・葛葉ライドウと仮番であるダンテも追っている。

 

「取り合えず、俺は臨海公園に向かう。 17代目は兎も角、鋼牙の奴が心配だからな。」

 

明が、ベルトに着けてあるポーチからスマホを取り出し、何桁か打ち込む。

 

「行ったところで、そこに17代目達はいない。 向かうなら大井埠頭だな。」

「大井埠頭? 」

 

鶴姫の言葉に、ネロが訝し気な表情で問い掛ける。

 

「そこに強い”気”を二つ感じるからだ・・・・スパーダの小倅・・・17代目の仮番もそこに向かっている。」

 

流石は、神と言ったところか、優れた感知能力で今現在のライドウ達の位置を意図も容易く割り出してしまう。

 

「そうか・・・・ならグズグズしている暇はねぇ。」

 

スマホをウェストポーチに仕舞うのと、遥か上空から、ジェットエンジンの轟音を轟かせ、何かが此方へと向かって来るのはほぼ同時であった。

2メートルを遥かに超える巨大な影。

それは、人型形態へと変形したモンスター・バイクであった。

真紅の外装をしたロボットは、主の傍らへと着陸すると、元のモーターラッド形態へと戻る。

 

「凄ぇな・・・・何でもアリかよ。」

 

まるで、映画でも見ている様な気分であった。

ネロは、少々引き攣った表情で、モンスター・バイクへと跨る探偵部の仲間を眺める。

 

「アンタは、どうする? 」

 

自立型変形ドロイド・・・・『ルージュ』に跨る明は、美貌の女剣士へと視線を向けた。

 

「私は、墓所に戻る。 少し疲れた。」

 

甥であるマーリンが、骸の手に堕ちた事で、自分の成すべき役目は無くなった。

出来る事ならば、自分の手でケリをつけてやりたかったが、『賢者の石』を精製する方法を唯一知るマーリンを骸が放置する筈が無い。

最悪なシナリオが脳裏を過るが、今の無力な自分では、どうする事も出来なかった。

 

「ま、待ってくれよ・・・俺も一緒に・・・・。」

 

ハンドルを握り、エンジンを吹かすクラスメートに、ネロは慌てて後部座席へと座ろうとする。

と、突然、呻き声を上げて、頭を抱えると、地面に蹲(うずくま)った。

 

「どうした? 小僧。」

 

ネロの異変に、鶴姫が膝を折って、その顔を覗き込む。

 

「し・・・・死んだ・・・・あの刑事のオッサンが・・・・。」

 

苦し気に胸を抑え、双眸からボロボロと涙を流す。

傍から聞けば、全く的を得ていない言葉の羅列に過ぎなかった。

しかし、鶴姫だけは、『あの刑事』というネロの言葉だけで、古くから付き合いがある百地・英雄警部補が死亡した事を悟った。

 

 

数分前、平崎市臨海病院、西病棟。

右腕を斬り落とされた壮年の刑事が、フレーム無のオールバックと黒い背広を着た40代半ばの男に、やや反り返った特徴的な刀で、胸を貫かれていた。

 

「家族に対する贖罪か? 百地。 哀れな奴め。」

 

眼鏡越しに見える冷酷な双眸が、夥しい量の血を吐血する同僚を無感情に眺める。

ゆっくりと引き抜かれる鈍色の刀身。

百地警部補の身体が、スローモーションの様に、冷たいリノリウムの床へと崩れ落ちる。

 

「オッサン!! 」

 

血の気を完全に失い、ニコレッタ・ゴールドスタインが、倒れた刑事の元へと駆け寄る。

その様子を顔面蒼白で見つめるマベル。

奥原・修一郎警視長の刀は、確実に警部補の心臓を貫いていた。

あの傷では、上級治癒魔法を使用しても助ける事が出来ない。

 

「オッサン! オッサン! 」

 

血塗れの警部補の身体を、ニコが懸命に揺らす。

半分見開いた状態の双眸は、既に命の火が消え、誰の目から見ても、警部補が死亡している事が理解出来た。

そんな女職人(ハンドヴェルガー)と同僚を冷たく見下ろす奥原警視長。

すぐに興味を失い、部下に死体処理班を呼ぶ様指示を出す。

 

「な・・・・何故ですか? 何故、百地警部補を・・・・。」

 

暫しの間、放心状態だった周防・克哉警部は、激しい怒りと非難の眼を黒い背広を着た上司へと向ける。

 

殺す必要は無かった。

瀕死の重傷を負った警部補の拘束等、何時でも振り解く事は可能だった。

 

「奴は銃を持っていた・・・・だから正当防衛の為に処分した・・・それだけだ。」

 

「処分」という言葉に、周防は目の前が真っ赤に染まる。

激しい怒りに理性が飛び、無意識に眼鏡の男の胸倉を掴み上げていた。

 

「克哉! 駄目!!」

 

今にも上司を殴り飛ばそうとする色眼鏡の年若い刑事を、小さな妖精が必死で止める。

ギリギリと唇を噛み締める刑事。

胸倉を掴まれた眼鏡の刑事が、そんな部下を無感情で眺めている。

周囲にいる特殊公安部隊の面々が、周防を取り押さえ様とするが、それを意外にも眼鏡の男が止めた。

 

「あ、貴方の言っている事は正しい・・・・しかし・・・だからこそ”対話”での説得を優先して欲しかった。」

 

震える手を抑え、掴んでいた胸倉から手を離す。

周囲を取り囲む公安部隊が、迅速に反応。

周防警部の両腕を後ろに回し、手錠を嵌(は)め、未だ百地警部補の死体に泣き縋る女職人を有無を言わせず引き剥がす。

 

「畜生! オッサンに触るんじゃねぇよ! 糞野郎共!! 」

 

髪を振り乱し、ニコが暴れる。

だが、所詮、か弱い抵抗でしか無かった。

幾ら暴れても掴まれた両腕を振り解く事は叶わず、口惜し気に、特殊公安部隊に運ばれていく百地警部補の死体を眺めるしか無かった。

 

 

 

同時刻、大井埠頭。

まるで壁の様に積み重なるコンテナヤード内で、バージルと壬生・鋼牙が凄まじい死闘を繰り広げていた。

交錯する二振りの太刀。

橙色の火花が散り、発生する真空刃がコンクリートの地面を抉る。

 

(糞っ! この小僧、本当に人間なのか!?)

 

臨海公園でも数合撃ち合ったが、鋼牙の強さは、人間のレベルを遥かに超えていた。

闘気術で、膂力を数倍に底上げしてはいるが、所詮は人間。

伝説の魔剣士”スパーダ”の優秀な血を引く自分なら、簡単に取り押さえる事が出来るだろうと高を括っていたのが大間違いだった。

意識外からの斬撃が、バージルの脚を斬り裂き、右肩から血が噴き出す。

 

「ぐあっ! 」

 

バランスを崩し、地へと膝を折るバージル。

その首筋に、『備前長船』の銀色に光る刀身が押し当てられる。

 

「大人しくして下さいよ・・・・抵抗するとその分、苦痛が長引きますよ? 」

 

疲労困憊なバージルと違い、鋼牙は息一つすら乱してはいなかった。

黒いフレームの眼鏡越しに、口惜し気に此方を見上げる兄弟子を、冷たく眺める。

 

「流石、父さんが選んだだけあるな・・・・強い。」

 

実力の差は歴然としていた。

鋼牙は、鬼人化していない。

にも拘わらず、自分はこの少年に一太刀すら返す事が叶わないでいる。

悔しいが認めてやる。

コイツは、本物の”天才”だ。

 

「おい! 止せって鋼牙! 親父さんに恨まれるぞ! 」

 

死を覚悟したバージルを救ったのは、養父・・・13代目・葛葉キョウジの仲魔である造魔・グリフォンであった。

闇の仲介屋(ダーク・ブローカー)の如月・マリーが逸早くコンテナ・ヤードから姿を消してしまった為、止む無く二人の喧嘩を仲裁する羽目になった。

 

「なぁ? 親父さんにとってバージルは大事な息子なんだ、此処は、見逃して・・・・。」

 

煩く少年の周りを飛び回る黒毛の大鷲の身体が、突然、コンテナの硬い壁へと叩きつけられた。

鋼牙が、指弾(しだん)を放ち、鷲型の造魔を吹き飛ばしたのだ。

 

「煩い、僕に命令するな。」

 

感情が全く篭らぬ絶対零度の如き、冷たい声。

そこに、常に礼儀正しく、飄々とした黒縁眼鏡の少年の面影は微塵として無かった。

 

「僕は貴方の事何て知らない・・・・当然、貴方も僕と師匠の関係を知らないでしょ? 」

「・・・・・。」

「それで良いんだ・・・・だって、その方が、相手の命を刈り取るのに、何の躊躇いも必要無くなる。」

 

備前長船の刀身に、少年の闘気が流れ込む。

蒼白く光る刃。

バージルの首を斬り落とさんと繰り出される必殺の斬撃を、何処からともなく飛来した鋼の牙が邪魔をした。

数発の銃弾を、鋼牙が悉(ことごと)く刀で撃ち落とす。

 

「そこまでだぜ? 探偵小僧。」

 

上空から、地へと華麗に降り立ったのは、目の覚める様な銀色の髪をした赤い長外套(ロングコート)の男‐ ダンテだった。

両手に巨大なハンドガン‐ エボニー&アイボリーを持ち、銃口を黒縁眼鏡の少年へと向けている。

 

「ソイツは、俺の獲物なんでね? 大人しく・・・・。」

 

何時もの軽口は、鋼牙の斬撃によって遮(さえぎ)られた。

備前長船を駆り、光速の連撃を放ったのだ。

咄嗟に、真横に跳んで躱すダンテ。

身に纏う長外套の裾が斬り裂かれる。

 

「こ、このガ・・・・。」

 

闘気を纏った鉛筆の速射砲に、悪態を吐く余裕すらも無い。

鉄のコンテナに大穴が幾つも穿たれ、コンクリートの地面が抉れる。

 

「僕の邪魔をするなら、貴方も容赦しませんよ? ダンテさん。」

 

大剣『リベリオン』を盾に、粗い息を大きく吐き出す銀髪の魔狩人を、鋼牙が冷たく眺める。

言葉による懐柔等、壬生家の後継者には、無駄であった。

バージルの首を持ち帰り、主である十二夜叉大将の長、骸へと差し出し、師である13代目・葛葉キョウジの潔白を証明する事に躍起になっている。

 

その時、身を貫く殺気に、鋼牙は備前長船を構えた。

数秒間ではあるが、乱入者に対して意識が向いた為、好機と判断されたらしい。

バージルの持つ魔具『閻魔刀』と神器『備前長船』の刀身から、橙色の火花が散る。

 

「言っておくがな、小僧。 俺の首はそう易々と手には入らないからな。」

「良いですよ、その方が、薄汚い悪魔を処分するのに、何の気兼ねも無くなる。」

 

すぐに離れ、光速を超える互いの連撃が、火花の雨を降らす。

 

「止めろよ!二人共! こんな事しても親父さんは喜ばねぇぞ! 」

 

殺し合いを再び始めた二人の弟子を、キョウジの仲魔であるグリフォンが悲鳴を上げて止めに入る。

 

二人の師であるキョウジにとって、バージルも鋼牙も目の中に入れても痛くない程、可愛い教え子達だ。

そんな二人が、キョウジの教えた剣技を繰り出し、死闘を演じている。

正に悪夢と言って良い程の悲惨な光景であった。

 

そんな二人に向かって放たれる鋼の弾丸。

バージルと鋼牙は、得物である日本刀を華麗に操り、凶悪な鋼の牙を全て叩き落とす。

 

「全く、今日ほどムカつく日は、初めてだぜ。」

 

怒りに秀麗な眉根を歪ませ、ダンテが対峙する二人を睨み付ける。

 

腹腔内に溜め込んでいた怒りのマグマが、爆発寸前であった。

主である17代目・葛葉ライドウの命令など糞喰らえ。

二人共、半死半生にして主の元へと引きずってやる。

 

真魔人化するダンテに呼応するかの如く、鋼牙とバージルの二人が異形の姿へと変わる。

三つ巴の戦いが始まった。

 

 

大井埠頭から感じる巨大な気のうねり。

二つの大きな”気”は、キョウジの愛弟子であるバージルと鋼牙のモノだろう。

しかし、もう一つの膨大な魔力の持ち主に、壮年の探偵は焦りを覚える。

この魔力は、稲荷丸古墳で自分に噛みついて来た半人半魔のモノだ。

17代目・葛葉ライドウの仮番であり、義理の息子であるバージルの双子の弟。

 

「何とか間に合ってくれ。 」

 

大井埠頭に向け、モンスターバイクの形態へと変形した造魔・ナイトメアを駆る。

ハンドルを握る手に力が篭(こも)った。

 

 

同時刻、臨海病院に向けて疾走する深紅の車体をした大型バイクの姿があった。

見事な銀色の髪を持つ少年‐ネロと、目元が隠れる程、長い前髪をした少年‐ 遠野・明であった。

ライドウの仲魔である、ハイピクシーのマベルの思念を敏感に感じ取ったネロが、鋼牙の事を初代剣聖である鶴姫に任せ、一路、明と共に警視庁の刑事である百地・英雄警部補が収容された臨海病院へと向かう事にした。

 

大型バイクを走らせる事、約二十数分。

目的地に到着した少年二人は、数台の警察車両が病院前に停車している事に驚きを覚えた。

何処か、不穏な空気を漂わせる病院前の様子に、二人共眉根を寄せる。

一目で警察関係者と分かる防護服を着た隊員二人が、黒い袋を担架に乗せ、病院正面入り口から出て来るのが見えた。

アサルトライフル等の銃器で武装した隊員達に守られ、鋼の光沢を持つ装甲車に死体袋を乗せた担架を入れる。

 

「ネローっ! 」

 

そんな物々しい様子を茫然と眺めるネロの耳に、マベルの声が聞こえた。

振り返ると、泣き濡れた顔をした小さな妖精が、胸元へと縋りついてくる。

 

「ま、マベル・・・・ニコの奴は一体何処に・・・。」

「畜生! 離せって言ってんだろ! 」

 

突然の出来事に戸惑うネロの耳に、女職人(ハンドヴェルガー)の怒鳴り声が聞こえた。

見ると、防護服に身を包む隊員に後ろ手に拘束されたニコが、無理矢理警察車両に乗せられ様としている姿が見える。

 

「ニコ! 」

 

慌てて駆け寄るネロと明。

しかし、その眼前を重武装した警視庁の対悪魔掃討部隊の隊員達が立ちはだかる。

 

「何だよ!? コイツ等! 」

「警視庁の悪魔特捜隊だ・・・隊員の殆どが特Aクラスの奴等で構成されている。」

 

あまりに理不尽な光景に、怒りで歯を剥き出しにするネロに、明が簡単に解説してやる。

長い前髪の下から覗く鋭い眼光が、隊員達から数歩離れた位置に立つ一人の男に向けられた。

黒い背広に身を包み、縁無しの眼鏡に右手には、やや反り返った刀身が特徴的な日本刀を持っている。

 

「・・・・毘羯羅大将か・・・久しぶりだな。」

「真達羅・・・・・。」

 

髪を後ろに撫でつけた40代半ばぐらいの背広の男も、明達の存在に気が付いたらしい。

悪魔特捜隊司令、奥原警視長は、まるで硝子細工の如く、無機質な光を放つ双眸を二人の少年へと向けた。

 

「知り合いか? 」

「ああ・・・俺の元同僚だ。」

 

明は、ネロにそれだけ応えると、目の前に立つ隊員達を押し退け、奥原警視長へと一歩近づく。

途端に、重武装した隊員達が、明とネロの二人を取り囲んだ。

 

「何があったか知らないが、彼女はこの事件とは関係ない。すぐに解放しろ。」

 

アサルトライフルの銃口が向けられても尚、明は全く動ずる様子は微塵と見せる事は無かった。

鋭い眼光が、自分より一回り以上離れている黒い背広の男へと向けられている。

 

「そうはいかん。この女は犯人の一人と昵懇(じっこん)にしていた。調べる必要がある。」

「犯人? どういう事だよ? 」

 

奥原警視長が言っている意味が全く理解出来ない。

否、理解は出来る。

マベルの眼から通して、あの悲惨な映像を無理矢理見せつけられたのだ。

この男が、百地警部補を殺害した。

あの右手に持つ日本刀を使って。

 

「理由は・・・・私が説明するより、そのピクシーに聞いた方が良いんじゃないか? 」

 

奥原警視長の冷たい視線が、ネロの肩に座る小さな妖精へと向けられる。

ネロと明、二人の視線を向けられ、真っ青になるマベル。

仕方なく、しどろもどろになりながらも、事の経緯を二人に語って聞かせる。

 

百地警部補が、実は裏で平崎区と世田谷区で起きた大規模な悪魔によるパンデミックを引き起こした首謀者の一人、13代目・葛葉キョウジと繋がっていた事。

警察が内通者がいると疑っていた事。

自分の存在が知られるのも時間の問題だと判断し、百地警部補が13代目に「自分を殺せ。」と指示を出していた事。

 

「嘘だろ・・・・何であの刑事さんが? 」

「警部補は、家族を失う苦しみを13代目に味わって欲しく無いと思っていたからよ。 キョウジに対してある種のシンパシーを感じていたのね。」

 

それがどんな結果を生んでしまうのか、分からない筈が無い。

現に大勢の人間が、このパンデミックで失われた。

百地警部補は、その罪をキョウジの代わりに背負って死ぬつもりだったのだろう。

 

「下らん。 人間一人救うのに、大勢の罪なき人命が失われた。 私に言わせれば、独り善がりの狂人の戯言だ。」

 

奥原警視長は、心底呆れた様子で、眼鏡を押し上げ、位置を正す。

 

警視長が言っている言葉は正しい。

何の事情も知らず、クリフォトサップリングの餌食となった市民達にとっては、二人の取った行いは、大規模テロ以外の何者でもない。

 

「分かったのなら、もう帰り給え。見たところ、君達は未成年だろ。」

 

もう用は済んだとばかりに、奥原警視長はネロと明に背を向ける。

彼にとって、これ以上の問答は時間の無駄であった。

 

「ニコはどうするつもりだ? 」

 

尚も喰い下がる明。

明が言う通り、今回の一件でニコは全くの無関係である。

いくら百地警部補の知り合いとはいえ、あの扱いはあまりにも理不尽だ。

 

「大丈夫、取り調べが一通り済んだら、私が責任をもって、君達の所へ帰すよ。」

 

そう応えたのは、奥原警視長ではなく、色眼鏡を掛けた年若い青年刑事であった。

信頼し、又、尊敬する警部補を失い、大分顔色が悪い。

それでも、悪魔特捜隊の連中に弱味を見せるのは尺なのか、気丈に振る舞っていた。

 

「分かった・・・・アンタがそう言うならな。」

 

まだ何か言い足りないネロを促し、明は乗って来たモンスターバイクへと向かう。

そんな二人の少年達の後姿を、周防警部はやるせない気分で眺めていた。

 

 

大井埠頭、コンテナターミナル。

まるで壁の如く積み上げられたコンテナの群れ。

そこでは、想像を絶する死闘が繰り広げられていた。

 

魔具『閻魔刀』から繰り出される連撃。

それらを受け流し、神器『備前長船』がカウンターの一撃を放つ。

真っ二つに斬り落とされる鉄の箱。

双子の巨銃‐ エボニー&アイボリーの銃口から、鉛の弾丸が吐き出され、二振りの刀が全て叩き落としてしまう。

 

「やべーって、これガチでヤバイってよ。」

 

最早人の域を軽く超えた三人の死闘に、造魔・グリフォンは真っ青になる。

コンクリートの地面が抉れ、コンテナの塔が幾つか破壊されている。

このまま、無駄な戦いが続けば、騒ぎを聞きつけた港の作業員に知られるのも時間の問題だろう。

 

そんな時、不意に巨大な魔力の気配を察知した。

見上げると美しい月の光をバックに、小柄な影が舞い降りる。

 

「喝!! 」

 

死闘を繰り広げる魔人達の中央に降り立った着流しを纏う美貌の女剣士は、凄まじい闘気の衝撃波を放った。

不意を突かれ、吹き飛ばされる三人の男達。

成す術も無く、地へと叩きつけられ、それぞれ魔人化が解ける。

 

「全く・・・・この愚か者共が。」

 

濡れ羽色の美しい黒髪を頭頂で結わえ、大胆に胸元が開いた着流しを着る女剣士は、地面に這いつくばる三人の男達を見下ろす。

初代剣聖・鶴姫だった。

平崎市古墳前でネロ達と別れた美貌の女剣士は、バージル達がいるであろう大井埠頭にやって来たのだ。

 

「わ・・・・ワン公。」

「鶴姫だ。 」

 

衝撃波をまともに喰らい、未だ立ち上がれない銀髪の魔狩人に、呆れた様子で溜息を零す。

その緋色の視線が、鬼人化が解けた黒縁眼鏡の少年へと向けられた。

 

「鋼牙、お前の気持ちは分らぬでもないが、怒りをぶつける相手を間違えているぞ? 」

「・・・・っ、で、でも初代様! 」

 

鶴姫に諭され、鋼牙が悔しそうに唇を噛み締める。

 

この美貌の剣士が言う通り、例えバージルの首を自分の主である骸に差し出したところで、キョウジが自分の元に帰って来る事は無い。

逆に、最愛の息子を殺した怨敵として、恨まれるのが関の山だ。

 

「それとバージル、もう逃げるのは止めろ。 現実と向き合い人間として生きる道を探すんだ。」

「・・・・・っ! 」

 

鶴姫に内心の葛藤を見透かされ、バージルは口惜しそうに歯噛みする。

 

半人半妖として生まれたバージルは、その異質な出生が故に、人間社会に溶け込めず一人悩んでいた。

それでも大学院に通い、養父であるキョウジの願い通り、人間として生きる道を模索しようと努力はしたのだ。

一体何時からだ? 自分の人生が狂いだしたのは。

 

そんな時だった。

此方の様子を伺う人間の気配を感じた。

それは、美貌の女剣士も同様で、コンテナのある一区画へと鋭い視線を向ける。

女剣士の鬼気に当てられ、コンテナの物陰から転げ出る一つの影。

大井埠頭で働く、港湾作業員だった。

騒ぎを聞きつけ、様子を見に来たらしい。

30代半ばぐらいの作業員は、顔を真っ青にして、仲間がいる詰所へと一目散に逃げて行った。

 

「拙いな・・・人を呼ばれるぞ。」

 

半ば呆れた様子で、美貌の女剣士が両腕を組む。

一般人にとって、自分達は紛れも無く人外の化け物だ。

あの作業員が、仲間に伝えれば、警視庁の悪魔特捜隊が間違いなく動く。

責任者である奥原警視長は、元”八咫烏”の人間。

特Aクラスの隊員達を引き連れ、情け容赦無く、殲滅しに来るだろう。

 

一同の注意が、逃げた作業員へと逸れた隙を狙い、蒼い長外套の青年が大きく跳躍、何処かへと姿を消す。

 

「バージル! 」

 

往生際の悪い双子の兄に、舌打ちし、その後を追い掛けるダンテ。

鋼牙も後を追い掛け様とするが、当然、鶴姫に止められる。

 

「後のことは17代目の番に任せ、お前は明達が来るのを待つんだ。」

「ダンテさんに? 正気で言っているのですか? 初代様。」

 

17代目の仮番であるダンテは、バージルの双子の弟だ。

肉親の情に負け、首謀者の一人と目されるバージルを見逃すかもしれない。

 

「大丈夫、あの男はそんな愚かな真似はしない。」

 

何を根拠にしているのか、初代剣聖こと鶴姫は、ダンテと言う半人半妖の男を信じている。

それが、鋼牙には不満に思えて仕方が無かった。

 

「何故、そう言い切れるのですか? あの男はバージルの血縁者ですよ? 」

 

鋭い眼光で、目の前に立つ妖艶な女剣士を睨む。

恩人とも言える13代目の道を踏み外す要因を造ったバージルを、鋼牙は到底許す事は出来ない。

今でも兄弟子のそっ首を叩き落とし、主人である骸に差し出し、13代目の処遇を見逃して貰う様、懇願するつもりではいる。

 

「17代目が認めた相手だからだ。 あ奴は、自分の意に添わぬ相手を番に選ぶ事は決して無い。」

 

鶴姫が言う通り、ライドウは人を見る目はかなり優秀だった。

魔剣教団の騎士団長から始まり、今日に至るまで、ライドウは簡明直截(ちょくせつかんめい)な人間を番にしている。

 

「17代目? 申し訳ありませんが蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)の血に連なる人間以外を信用する気は毛頭ありませんよ。」

 

ゾッと背筋に寒気が走る程の冷たい言葉。

それを聞いた途端、鶴姫の緋色の双眸が、哀しい色へと染まる。

 

「そういう選民的な思想は、曾祖母の綾女に似ているな? 」

「・・・・・っ! 」

「お前は誰よりも弱者の気持ちを理解出来ると思っていたのだが、どうやら私の見込み違いだったか。」

 

女剣士に痛い処を突かれ、鋼牙は唇を噛み締めて押し黙る。

 

かつて、幼き頃から、召喚術師としての才が無いという理由だけで、壬生家の中で肩身の狭い想いをして生きて来た。

キョウジがあそこから自分を救い上げてくれなければ、今の自分は決して存在しない。

 

「・・・・今は、ダンテを信じよう。 どの様な結果になったとしても、最悪な事態にだけは決してならない。」

 

鶴姫に諭され、鋼牙は渋々と言った態(てい)で頷く。

未だ、納得出来ぬ、理不尽な想いを受けた怒りは腹腔内に留まっている。

しかし、執念深く、逃亡したバージルの後を追い掛ける気持ちは、もう湧く事は無かった。

 

 

上空を舞う黒い毛並みの大鷲。

その下を、見事な銀色の髪を持つ青年が疾走していた。

 

彼等の目的地は、密輸船が停泊している第7バース。

その船を経由し、天鳥空港へと向かい、グラマティクス社の社員と落ち合う手筈になっている。

 

「バージル!! 」

 

自分の名を呼ぶ声と共に、全身赤褐色の鱗で覆われた魔人が目の前へと降り立つ。

双子の弟‐ ダンテだ。

進行方向を完全に塞いだ魔狩人は、魔人化を解くと相棒の大剣『リベリオン』の切っ先を双子の兄へと向けた。

 

「もう、鬼ごっこはお終いだぜ。」

「・・・・・。」

「ワン公の言う通り、逃げるのは止めろ。 大人しく俺と一緒に来るなら、悪い様にはしねぇよ。」

「・・・・・断る。」

 

双子の弟は、自分を主人である人修羅に差し出すつもりだ。

殺される可能性は無きにしも非ずだが、『賢者の石』を持つ自分が只で済む保証は何処にも無い。

一生、暗い檻の中で閉じ込められるならば、此処で戦って果てる方が、数百倍マシである。

 

「テメンニグルの時と一緒だな? アンタは何一つとして変わってない。」

 

刀の鯉口を斬り、臨戦態勢に入る双子の兄に、ダンテが呆れた様子で溜息を零す。

 

兄であるバージルは、選民思想が強く、目的達成の為ならば、どんな残虐な行いも平然と出来る冷酷な人間だ。

鶴姫から、バージルの生い立ちはある程度聞いてはいる。

劣悪な環境下で育った自分と違い、双子の兄はかなり恵まれた場所にいた。

義理の父親であり、師でもある13代目・葛葉キョウジは周囲から慕われる人格者だ。

そんな男の下で幼少期を過ごしたというのに、何故、バージルは道を踏み間違えたのだろうか?

 

「変わってない? そうだな・・・・・俺は、あの時と全く同じだ。」

 

自嘲的な笑みが、口元へと貼り付く。

暗く淀んだ蒼い双眸には、対峙している双子の弟‐ダンテの姿が映っていた。

 

「今迄、俺は訳の分からぬ恐怖に縛られていた・・・・でも、今こうやってお前を目の前にして、その恐怖の対象が一体何かを知る事が出来た。」

「・・・・・? 」

「お前だよ・・・・ダンテ、お前と言う存在が、俺に恐怖を与えていたんだ。」

 

兄の独白とも取れる言葉に、ダンテは訝し気に秀麗な眉根を寄せる。

 

「思い出したんだ・・・全て・・・・母さんを殺した悪魔の正体がな。」

 

スラリっと鞘から抜き放たれる魔具『閻魔刀』の切っ先を、対峙する双子の弟へと向ける。

 

「お前だ・・・・・お前が母さんを喰い殺したんだ。」

「・・・・・っ! 」

 

衝撃的とも取れる兄の告白に、ダンテの双眸が見開かれる。

 

バージルは、一体何を言っているんだ?

自分が母を殺した?

分からない・・・・分からないが、兄の言葉が深く己の心へと突き刺さる。

 

「バージル!! 」

 

あまりの驚愕に、動けぬダンテの耳に、バージルの養父である13代目・葛葉キョウジの声が聞こえた。

頭上を巨大な影が飛び越える。

キョウジを乗せたモンスターバイクは、バージルの傍らへと急停車した。

 

「乗れ、バージル・・・俺の知り合いがこの先の埠頭で待っている。」

「父さん。」

 

予想だにしなかった義理父の登場に、バージルが思わず困惑する。

 

漸く全てを想い出した。

幼少期に体験した、想像を絶する恐怖の記憶。

母だった肉片を貪り喰らう紅い悪魔。

怨敵とも呼べる相手が目の前にいるのに、無様に逃げる選択肢等、あろう筈が無い。

しかし、バージルはキョウジに逆らう事は出来なかった。

死に瀕した自分を蘇らせる為に、13代目は全てを捨てた。

日ノ本の守護者であるにも拘わらず、矢来区と世田谷区に住む多くの住民を『賢者の石』の糧へと捧げた。

超国家機関『クズノハ』を裏切り、咎人へと身を堕とした。

 

「バージル! 」

 

再度名前を呼ばれ、バージルは渋々、モンスターバイクの後部座席へと座る。

 

「いっ、行かせるか! 」

 

暫し茫然としていたダンテは、そこで漸く正気に戻る。

右手に持った巨銃‐エボニーの照準を、バイクに跨る壮年の探偵へと向けた。

刹那、頭上から降り注ぐ落雷。

キョウジの造魔・グリフォンが、雷系中位魔法『マハジオンガ』を唱えたのだ。

殆ど条件反射で、真横へと回避するダンテ。

モンスターバイクは、エキゾースト音を轟かせ、あっと言う間にダンテの視界から消えていく。

主が無事逃げた事を確認した黒毛の大鷲は、雄々しい羽を広げ、後を追い掛けた。

 

 

 

同時刻、永田町、帝国議会議事堂。

顔に掛かる熱い湯の感覚に、深い眠りへと入っていたライドウは、急速に意識を取り戻す。

 

「こ、此処は・・・・。」

 

独特な硫黄の香りと微かに漂う、檜の匂い。

どうやら、自分は屋外の風呂に入れられているらしい。

呪式が施された防具は全て外され、一糸纏(いっしまと)わぬ裸身を晒している。

 

「何だ? やっと目が覚めたのか。」

 

耳元から聞こえる情夫の声に、隻眼の悪魔使いは弾かれた様に後ろを振り返った。

 

「骸・・・・。」

「ふむ、どうやらまだ足りぬらしいな? 」

 

未だ血の気が昇らぬライドウの白い頬に、骸の繊細な指先が優しく触れる。

 

平崎市臨海公園での激闘から数時間。

骸の折檻(せっかん)と神器『草薙の剣』による膨大な魔力消費により、ライドウは意識を失墜した。

応急措置として自分の血を与えたが、ライドウが負ったダメージはかなり深く、体内の巫蟲(ふこ)でも、癒す事は出来なかった。

なので、仕方なく転移魔法(トラポート)を使い、帝国議会議事堂の数千メートル下にある天津神の居城へと連れて来たのだ。

 

「なっ、何でお前が・・・・てか、13代目はどうした? 」

 

情報が余りにも乏しく、処理しきれない。

それでも何とか骸から離れようとするが、身体が意に反し、思う様に動けなかった。

 

「そう慌てるな・・・・13代目は生きている、それとその義理の息子もな? 」

 

嫌悪感も露わに、自分を見上げる愛しい弟を見下ろし、骸が自嘲的な笑みを口元へと浮かべる。

向かい合う形になった二人。

骸の指先が無遠慮に、ライドウの尻の割れ目へと入り込む。

 

「やっ、やめ・・・・・。」

 

慣れた行為とはいえ、密口に指を無理矢理入れられる違和感だけは耐えられない。

倦怠感に身体は、抵抗したいという脳からの指示を無視する。

一本だった指は二本、三本と増やされた。

 

「ご老人方は、今すぐ処刑せよと騒いでいたが、姉上がソレを赦さなくてな・・・国外追放という温情を出した。」

 

ご老人方とは、超国家機関『クズノハ』を創設した7人の天津神達だ。

国之常立神(くにのとこたちのかみ)を筆頭に、神世七代と呼ばれる天津神の主神達が存在している。

 

「み・・・・命様が・・・・。」

 

愛しい愛娘の姿が、脳裏を過る。

もうこの世にはいない、妻の月子が唯一残した生きた証。

 

「今頃はもう、息子共々国から出ている。」

 

多くの死傷者及び、甚大なる被害を出しておきながら、これは随分と甘すぎる処遇と言えた。

超国家機関『クズノハ』の象徴である天照大御神が、どれだけ13代目を特別視していたのかが良く分かる。

ライドウは、情夫の胸に縋る形で、己の不甲斐なさに唇を噛み締めた。

 

「13代目が生きていると知って、少しは安心したか? ナナシ。」

「あっ! 駄目っ! 」

 

腰を引き寄せられ、硬い肉槍に貫かれる。

熱い湯が跳ね、涙の飛沫が飛ぶ。

 

「凄いな? 全部入ったぞ? 」

 

紅を差した様な唇を弧の形へと歪め、情夫は悪魔使いの華奢な肢体を持ち上げる。

繋がったまま持ち上げられ、悪魔使いが思わず悲鳴を上げた。

ソレを完全に無視した骸は、浴槽の傍にある安山岩(あんざんがん)の大きな石へと悪魔使いを降ろす。

背に硬い岩の感触と、密口に突き刺さる肉槍の熱。

痺れる様な快感が背を走り、紅く染まった頬に涙の粒が転がり落ちる。

 

「あの堕天使をまだ想っているのか? 須佐。」

「・・・・? 」

 

情夫の言葉に、硬く閉じていた双眸を薄っすらと開く。

涙で歪む視界の中で、能面の如く感情が無い骸の整った容姿が映った。

 

「お前の想いは成就する事は無い、2000年前と同じく、裏切られ、惨い死の末路があるだけだ。」

「何を言って・・・・・?」

 

その後に続く言葉は、激しい突き上げによって悲鳴へと変わる。

悪魔使いの華奢な四肢が、自分を責め立てる情夫の背へと周り、無意識に抱き着いていた。

 

 

 

大井埠頭、第7バース。

コンテナを乗せた貨物船の前に、13代目・葛葉キョウジとその義理の息子であるバージルがいた。

モンスターバイクへと変形した造魔・ナイトメアは既に、キョウジのGUMPへと収まり、黒毛の大鷲‐造魔グリフォンは、鉄の箱の上に停まり主人とその息子を見下ろしている。

 

「マリーの婆さんから話は聞いているな? 」

「・・・・うん、でも、父さんの分が・・・・。」

「俺の事は気にするな、日本(此処)でやり残した仕事を片付けたら、必ずお前の所に行く。」

 

闇の請負人(ダークブローカー)である如月・マリーが用意したパスポートと偽造IDは、一人分しかない。

バージルは頻(しき)りにその事ばかりを、気にしていた。

そんな二人の傍に、上品な茶の外套(コート)とシックな黒のスーツを着た壮年の男が近づいた。

 

「お取込みの所申し訳無いが、早くしてくれないか? さっきの騒ぎを聞きつけて公安警察がコッチに向かっているみたいなんだ。」

 

中折れ帽を取ったその素顔は、60代に差し掛かった黒人男性であった。

綺麗に整った口髭をした情報屋‐ J・Dモリソンは、人の良さそうな柔らかい双眸で、義理の親子を眺めている。

 

「分かった、息子を頼んだぞ? ミスター・モリソン。」

 

キョウジは、未だ未練がましい息子の背を軽く叩く。

これ以上の会話は、時間の無駄だ。

あの糞婆ぁの同業者であるが、一応その道では優秀らしい。

 

「父さん・・・・。」

「生きろ、バージル。 それがお前の唯一の贖罪に繋がるんだ。」

 

生きて、生きて、生き抜き、天寿を全うする。

かつてテメンニグル事件で、多くの犠牲者を出したが、バージルは、7年間という長い月日、想像を絶する苦痛の中にいた。

罪は十分償っている。

後は、今後、どう生きるかという大きな課題が残されているだけであった。

 

「今回の件は、全て俺一人がやった。 お前は何も気に病む必要は無い。」

「・・・・。」

 

有無を言わせぬ義理父の言葉に、バージルは口惜し気に唇を噛み締める。

 

本当なら、もっと義理父と話をしたかった。

今迄、本当の息子として愛情を惜しみなく注ぎ、成人するまで面倒を見てくれた義理父に一言謝罪を述べたかった。

義理父の期待を、理不尽に踏みにじった。

生きる為の技術と知識を与えてくれたキョウジに対し、一言礼を言いたかった。

だが、今は時間が無い。

警視庁の悪魔特捜隊が、大井埠頭に向かっている。

奴等が此処に到着する前に、離れる必要がある。

 

無言で、初老の仲介屋の所へと向かうバージル。

まさかという一抹の不安はあるが、今は、義理父を信じるしか術が無い。

 




毎日、熱くて死にそうです。


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