仮面ライダーツルギ・スピンオフ/ドキュメント・レイダー (マフ30)
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第一話 ファイル:04 ストリート・ウォーモンガー

皆さま、いつもお世話になっております。
今回はちょっと変化球の新規投稿作品です。
あらすじにも書いたように、本作は大ちゃんネオさんが執筆されている仮面ライダーツルギのスピンオフ作品です。
本編での出来事やオリジナルの設定を前提に進行していく場合も多々ありますのでご注意ください。


 

 日本の何処かにある地方都市・聖山市。

 一見すると平和なこの街の裏側には鏡の世界『ミラーワールド』とその異境に棲息する恐るべき怪物たち『ミラーモンスター』が存在することを多くの住民は知らない。

 そして、鏡の世界で微笑む不思議な美少女、アリスが運営を執り仕切る禁断の祭典・ライダーバトル。ミラーモンスターと契約を結び、超常の力を振るう仮面の騎士たちが願いを叶えるために最後の一人になるまで熾烈な争いを日夜繰り広げていることもまた大衆の預かり知らぬところだ。

 けれど、そんな非日常の塊のような存在たちを差し引いてもどういう数奇な巡り合わせか、個性豊かな人材が集うこの街では騒動が絶えない。

 今回、これから始まる物語の主人公を務める少女もまた――そんな騒動の芽の一人なのかもしれない。

 それでは手始めに彼女の日常から物語を語らうとしよう。

 開幕の舞台となるのは聖山市の繁華街・屋戸岐町の路地裏から――それでは皆々様、しばしの間お付き合いを……。

 

 

 

 

 屋戸岐町の路地裏は表通りの賑わいが嘘のように暗く静かで湿っぽい場所だ。

 そこは迷宮のように複雑に入り組んでいて本来ならばホームレスや柄の悪い不良たちですらたむろしたりはしない。

 だが、ごく稀に例外は発生する。いまこの状況などがその最たるものだ。

 

「ほらほらぁ! もっと元気よくヤろうじゃないかッ!」

 

 薄暗く狭苦しい路地裏に脈絡なく何カ所か存在する開けた空間。

 旗竿地のように唐突に出来た小さな空き地を闘技場にして、一人の少女が嬉々として暴れていた。

 陽気で人懐っこさを感じさせる口調と雰囲気とは裏腹に対峙する大柄な男子の顔面に慣れた動作で躊躇なく、堅く握り締めた拳骨を叩き込んでいく。

 少女はボサボサの長い銀髪を振り乱し、身に纏う聖山高校の可愛らしい制服が返り血で汚れることも厭わずに、ただ純粋にその闘争を心の底から堪能して喧嘩に耽っていた。

 彼女の名前は喜多村遊。

 仮面ライダーレイダーという裏の顔を持つ、外典のライダーバトルの参加者の一人でもある。

 

「この、クソア……ガフッ!?」

「も一発ッ!!」

 

 鼻血を流し、蜂に刺されたかのように顔をボコボコに膨らませた大柄な不良に遊はダメ押しとばかりに鞭のようにしならせた左の一撃を浴びせて完全に沈める。

 これで残る喧嘩相手は三人。最初は七人もいたのがその半分以上がボロ雑巾のように痛めつけられて、無造作にあたりに転がっている。

 

「ありゃ? まさか本当にのびちゃうとは……いいパンチしてたのになぁ」

 

 遊は服の下で青アザが出来た自分の腹をさすりながら、呑気そうな声で漏らした。

 戦況は有利とは言え、何もそれが無傷で進行しているわけではない。

 寧ろ、真正面を切っての殴り合いを好む彼女の気質的に相手から殴られる回数も決して少なくは無い。現にいまこの時も不良たちから随分と殴り蹴られて口の端が切れて薄らと血が滲み、頬には裂傷が幾つか出来ている。

 開戦当初は文字通りの乱闘だった。

 けれど、彼女は喧嘩となれば例えインフルエンザと肺炎を同時に患っていたとしても、相手に一発殴られたらお返しに三発殴り返す、そんな暴走特急のような人間なので何の問題も無いわけではあるが。

 

「ねえ! お次は誰から来てくれるのさ? 一斉に襲ってきてくれても、わたしは全然ウェルカムだよー!」

 

 元気よく仁王立ちして、両手をブンブンと振って残りの不良たちにラブコールを送る遊。満開の花のように眩しいその顔はまるで恋人との初デートで舞い上がっている乙女のようだ。

 

「ヒィッ……こいつ頭おかしいんじゃねえのか!?」

「バカ! 疑問形じゃねえ、マジに頭おかしいんだよこの女はな!」

「一斉に行くぞ……俺に考えがある」

 

 第三者から見れば異常者のそれでしかない遊の姿に弱腰になる二人の不良に仲間のもう一人は腹を括った顔で叱咤を掛けると、三人同時に攻めに掛った。

 

「ムフー! 気合のある男子は嫌いじゃないよ? まずは君からかな!」

「ぶげっ!?」

「前進いたしまーす!!」

 

 遊は自分に向かって来た三人のうち、真ん中の不良に狙いを定めると大きくジャンプするように真っ直ぐ振り上げた右足でその顎下を蹴り上げる。

 予想外のキックをまともに食らった不良の体が重力に逆らって僅かに浮き上がると遊はそれを狙っていたとばかりに矢継ぎ早に体当たりを繰り出して、一気に壁際に追い込んだ。

 

「いくよ? 反撃してごら――」

「しゃああッ!!」

 

 蹴った時点で失神していた不良の状態など露知らず、ここから拳のラッシュを遊が繰り出そうとした時だった。彼女の頭上でガラスが砕ける大きな音が響いた。

 

「おまっ……やりすぎだ! 死んだらどうすんだよ!?」

 

 目の前の光景に無意識に良心が働いた不良の一人が声を荒げた。

 何を早まったのか自分たちに激を飛ばした仲間の一人は近場に転がっていた空のビール瓶で背後から遊の頭を思い切り殴りつけたのだ。それもビール瓶が衝撃で砕け散ってしまうほど強い力を込めた一撃だ。

 

「うるせえ! こうでもしないと、このクソアマは倒れないんだっ……倒れ……た、倒れっ!?」

 

 半ばパニック気味になりながら割れた瓶を投げ捨てて、声を荒げて自分の正当性を仲間に主張しようとした不良は飛び込んできた衝撃映像に一瞬で頭が真っ白になってしまった。

 

「あたた……んー、後ろからとは卑怯だな、君ィ?」

 

 彼女の足元を紅い雫が濡らしていく。

 それでも、彼女の声色は相変わらず朗らかで独自のゆるさを帯びている。

 ぐらりと大きくよろめきながらも遊は一歩、力強く足踏みをしてその場に踏み止まると油が切れたブリキのおもちゃのようにぎこちなく、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 頭部に負った傷から鮮血を止めどなく流して、銀髪も愛嬌のある顔も血で真っ赤に染めながら、喜多村遊は笑っていた。

 

 にっこりと、口角を吊り上げて。無邪気な瞳を爛々と輝かせて。

 白い丈夫な歯を見せつけて、おどけたように笑っていた。

 彼女と言う人間の芯をこれ以上ないぐらいに歓喜で震わせながら笑顔を見せつけていた。

 

「ひいぎゃああああああ!!」

「こいつ、本当に同じ人間かよ……」

 

 こちらを振り向いた遊を一目見て、不良の一人は恐怖に耐えきれずに情けない悲鳴を上げた。彼女を凶器で殴りつけた張本人はまるで怪物の封印を解いたかのように諦観の念に押し潰された。

 それは二つとも正常な人間が示す正しい反応なのかもしれない。

 唯一、誤りを指摘するのならば当の本人がその自分と言う人間が抱えている異様な怪物性について、ずっと昔に自覚と理解をしていたという点だろう。

 

「全く、酷いことをする奴がいたもんだね。そこの君、今日は良かったけどいまの立ち位置でわたしを後ろから殴ったら破片でお仲間も怪我しちゃうじゃないか!」

「え……は? は?」

「そもそも、不良だなんて恰好つけるなら凶器攻撃は正面から仕掛けるぐらい硬派でいかないとダサいんじゃない?」

 

 不良たちが感じていた恐怖はいつしか震えという症状として、体の表に出ていた。

 会話がまるで通じていない。いや、意思の疎通は出来ているとして、大事な何かが決定的に噛み合っていないのだ。

 いま、目の前にいるこの女は凶器で殴られて流血するほどの怪我を負ったことでなく、仲間を巻き添えにしかねない後ろからの攻撃というものに不満を見せている。

 

「というわけで、そんな君は少しキツめのお仕置きだあ!!」

「うぉっ……おお、くるなぁああ!?」

 

 高らかに笑い声交じりに宣言して、遊は額の血を拭うことも忘れて猛然と駆け出した。それは敵対する不良からしてみれば飢えた肉食獣が鋭い牙を剥き出しにして襲い掛かって来るのに等しい恐怖体験だっただろう。

 

「よっと!」

「むぼっふ!?!?」

「そりゃああ! そりゃ!そりゃ!そりゃ!そおおりゃあああ!!」

 

 遊は自分がスカートを穿いていることなどお構いなしに不良の頭に手をついて、跳び箱の要領で飛び上がった。スカートを盛大に翻しながら正面から肩車をするように不良に乗っかった状態で豪雨のようなエルボードロップの連続攻撃をお見舞いしていく。

 ただでさえ、並みの成人男性よりも重く強烈な拳打を繰り出せる遊の肘鉄を無数に食らってはひとたまりも無く、不良は十秒も経たない内に膝から崩れ落ちると顔面を血塗れにしてその場で意識を失った。

 

「み……水色だった」

「え、赤でしょ? さてと、残るは君だね」

 

 最後に意味深なやり取りを交わしながら、遊は残りの一人となった不良にじわりと歩み寄る。口元にまで垂れてきた自分の血液をぺろりと舌で舐めとって、鼻息荒く獲物の品定めをする眼差しと言い、その仕草は野性の獣よりも恐ろしい凄みを感じる。

 

「タイマンだよ! 一騎打ちだよ! 決闘だよ! サシの勝負ってやつだよ! 楽しいね! 燃えるよね! 最高だよね! どうしよう、クロスカウンターみたくお互いに同時に殴り合ってからスタートしてみるのも面白いと思わない! にはは! にっははははははははははははは!!!!」

「い、やだ……嫌だ! 助けてくれえ! 頼む、有り金ぜんぶ渡すから! これで見逃してくれえええ!!」

「んあ!? えっ、ちょっと待っ……おーい! あーあ、行っちゃったよぉ」

 

 最後の不良は遊の喧嘩をする姿に完全に戦意を失って、無我夢中で財布の中身をバラ撒くと一目散で逃げ去ってしまった。

 呆気ない幕切れでお開きとなった午前の喧嘩。

 急に静かになって、倒した不良たちの呻き声が僅かに聞こえてくる路地裏の一角で取り残されてしまった遊は乾き始めた顔の血をごしごしと雑に拭うと不良が置いていったお金としばらくにらめっこ。

 

「カツアゲみたいでちょっと不本意だけど、諭吉さんたちをこんな汚い所に置いとくのも失礼だよね。うん、失礼なので救助しよう」

 

 何度か頷いてから、一応の理由を考えると地面に散らばったお金を回収してその場を去っていった。幸い、この周囲一帯はよく出歩く遊び場なので土地勘も利く。上手い具合に誰にも出会わずに路地裏を抜けて近場にある公園までやって来た遊は隅に設置された水道でばしゃばしゃと顔や髪を汚す血やガラス片を洗い流していく。

 メイクやお洒落に日々心血を注ぐ一般的な女子高生が見たら卒倒するような大雑把で身なりに無頓着な光景だが当の本人は鼻歌交じりに気持ちよさそうに水を被っている。

 そんな時だった。

 彼女の頭に選ばれた者たちにしか聞こえない不思議な音が響いた。

 

「お? 今度は向こうからお招きされちゃったか? いやー今日のわたしってば人気者だね」

 

 水浴びをする猫、あるいは虎のようにブルブルと銀髪に沁み込んだ水道水を振り払って遊が耳を澄ませるとキィン……キィン……と耳障りな音が確かに鳴り響いて、遊は喧嘩をしていた時の同じように顔を輝かせる。すぐに周囲をきょろきょろと見渡して、鏡のように世界を映している民家の窓ガラスを見つけると勇み足で駆け出した。

 

「お! いたいた!!」

 

 まるで高台の観光地に設置された望遠鏡を覗き込むように無邪気な笑みを浮かべた遊が窓ガラスの中に広がる世界を見渡すとそこには騎士を思わせるシマウマの怪物がうろついているのが確認できた。

 周囲に人が居ないのをブンブンと左右に顔を振って、手早く確認すると遊は窓ガラスに向かってデッキを突き出す。

 鏡に映る彼女から、現実の彼女へと出現したベルトが腰に巻かれる。

準備は出来たとばかりに遊は片手で持ったデッキをくるくると西部劇のガンマンがピストルを回す動きを真似て遊ばせながら、自らのこめかみに押し付けた。

 

「変身!」

 

 力を解放するための鍵である言葉と同時に拳銃の引き金を引くようにデッキを揺らす。

 その動きはまるで拳銃自殺のよう。

 まるでここからは常に命懸けの危険地帯。

 生か死かのデスゲームに挑む覚悟の現れのようにも見えて――。

 遊にとって一番気合を引き出せる動きを決めて、力強くバックルにデッキと入れた瞬間に遊の姿は仮面の騎士へと変わった。

 

 黒いアンダースーツに分厚く無骨なメタリックグリーンの装甲を身に纏う仮面の戦士。

 甲冑の騎士というよりは大きく幅広い肩当てや盛り上がった大胸筋のように分厚いプロテクターとゴリラを模したフルフェイスタイプの仮面も相まってソレは剛力自慢の闘士のように見える。

 

「ひゃっほぅ! 第二ランドも元気にヤッちゃうぜ!」

 

 変身を終えた遊/仮面ライダーレイダーはぐるぐると片腕を回しながら、意気揚々と鏡の中に存在する異世界・ミラーワールドへと新たな喧嘩相手を求めて飛び込んでいった。

 

「いまのがそうだよね?」

「うん。緑色であたまが空っぽみたいな雰囲気ってアリスが言っていた特徴通り」

「それじゃあ、今夜にでも仕掛けようよ?」

「いいね。ミラーモンスター戦でなるべく消耗していてくれているといいなー」

 

 いつからか、ずっと自分を観察していた二つの視線に気づくことも無く。

 鼻歌を歌いながらライドシューターを駆って、ミラーワールドへ到着したレイダーは嬉々としてモンスターを相手に本日二戦目の喧嘩に励む。

 二つの人影が見つめる窓ガラスの向こう側ではレイダーとミラーモンスター・ゼブラスカルが真っ向から激突している。

 両者ともお互いの拳と刃を小細工抜きにぶつけ合い、体から火花を散らしながら野生の争いさながらの激闘を繰り広げていた。

 

 

 

 

 すっかり日が傾き、夕焼け空に包まれる聖山市。

 聖山高校の近くにある小さな公園に同校の男子生徒が一人、ベンチに座って真剣な顔をして物思いに耽っていた。

 彼の両手には聖山市の新聞社が発行している今日の夕刊とキャンパスノートが握られている。何を隠そうこの少年は聖山高校新聞部に在籍する学生記者の一人なのだ。

 次回の学校新聞に掲載する記事のネタ探しに困って街を散策してみたが今日のところは天啓がひらめくこともなく、こうして何か良いアイデアが浮かばないかと人間観察などしている最中だった。

 

「それにしたってどうしたらいいんだよ……」

 

 面白いニュースの種が転がっているわけでも無く、時間だけが過ぎていく現実に思わずそんなやるせない呟きが少年の口から零れた。

 

「あれ……なんだか、向こうの方が騒がしいな」

 

 そんな時だった。

 少年の耳が遠くの方から聞こえてきた複数の騒がしい人の声を拾った。詳しい内容までは聞き取れないがその数種類の声には険しい語気が含まれていて、帰宅途中の学生たちのお喋りというわけではなさそうだ。

 

「事件かな? 行ってみよう!」

 

 乱暴に鳴らされる自転車のベルの音まで聞こえてきたので好奇心で居ても立ってもいられなくなった少年が勢い良く立ち上がろうとした時だった。

 

「やばいよー! どーしよぉ!」

「うおわっ!? だ、誰!」

 

 ものすごく情けない声を上げながら、ボサボサの銀髪の少女が後ろの垣根を突き破って飛び出して来たのだ。それは紛れも無く遊であった。

 ただでさえ、美容ケアなど無頓着で乱れている髪を両手でわしゃわしゃと掻いて狼狽えている。普段の明るく人懐っこい自然体な物腰から一変して随分と慌てて動揺が隠せていないようだった。

 

「あの、何か困ったことでも起きましたか?」

「お? おおおっ!」

 

 謎の女子高生を警戒するよりも、尋常ではない様子の彼女を心配する人の良さが出てしまった少年が思わず声をかけると、やっと自分と同じ聖山高の制服を着た少年の存在に気付いた遊の双眸がまるでギュピーン!っといった擬音がついたようにカッと見開いた。

 

「お願いそこの君ぃ! 何も聞かずにちょっとの間匿っておくれー!」

「え、あ……はい!」

「ありがとう! では、ちょっと失礼!」

 

 両手を合わせて鬼気迫る勢いで懇願してくる遊の剣幕に押し負けて首を縦に振ってしまった新聞部の少年。OKの返事が出るや否や遊はその膝の上にごろんと野良猫のように寝転がった。

 

「ちょっ! 何してるんですか!?」

「ごめんよー! でも顔見られたらまずいんだよー。もしもお巡りさんが来て何か聞いてきたらアドリブで何とかよろしく」

 

 少年は僅かに顔を赤くして、裏返り気味の声でツッコんだ。

 何故だかあちこち汚れていて、どことなく鉄分のような匂いがするが女子は女子だ。しかも、よく見ると顔もスタイルも悪くない。

 それが別に彼氏でも友達でもない初対面の赤の他人な自分の膝の上に体を預けてくれば、思春期真っ盛りの男子高校生ともあろうものがテンパらないはずがない。

 

「少し注文が多すぎるんじゃないですか!?」

「わたしの命運は君に懸かっている」

「さらにプレッシャーかけてきたぁ!!」

 

 芸人のマシンガントークのようなやり取りを繰り広げている間に遊は何故だか得意げなキメ顔でサムズアップを少年に送ると彼の持っていた新聞を顔に被って置物のように黙り込んでしまう。

 

「ゼエ……ハァ……どこ逃げた喜多村ぁあああ!!」

「け、警察なめるんじゃないぞ! ハァ……ハァ……大人しく出てこーい!!」

 

 二人の怒涛のやり取りから数十秒後。

 公園にはそれぞれ自転車と徒歩で二人の警察官が駆け込んできた。

 大の大人がどんな追跡劇を繰り広げたのか息を切らせて、汗だくの疲労困憊を絵に描いたような様子だった。

 自分の膝の上で狸寝入りを決め込んだ遊と視線の先にいる警官たちの挙動から、凡その事情を察した少年は嫌な予感を覚えながら脳内で大急ぎで対策を立て始める。

 予想通り、呼吸を整えた警官たちは少年の存在に気付いてこちらの方へと近づいてきた。

 

「すまない、そこの君。その制服、聖山高校のだよね? 君のところの制服を着た銀色の長い髪の女子生徒をこの近くで見かけなかったかい?」

「それに君の膝で横になっている子、どうかしたの? ピクリとも動かないけど」

「えっと、そのですね……は、はは」

 

 矢継ぎ早の質問。寧ろこれでは尋問かもしれない。

 気が立っているのかどことなく声に怒気が見える警官たちの問いに少年は困ったように愛想笑いを浮かべると大きく深呼吸。そして――。

 

「順番にご説明します。この子はボクの、彼女です。徹夜でテスト勉強した後で死ぬほど疲れたって休ませてあげていたら寝ちゃったみたいで」

「彼女さん、なんで新聞なんて被っているんだい?」

「西日が眩しいって。家に帰るまで我慢すればって僕も言ったんですけど、『眠くて歩けない。車道に迷い込んで車に轢かれる』って聞かなくて」

 

 ありきたりかもしれないが少年は咄嗟に脳内で組み立てた設定を軸に違和感のない言い訳を並べていく。

 

「それから、お巡りさんが捜している銀髪の女の子ならこの公園を突っ切って、タクシーを拾って行きました。声が大きかったので月見区まで飛ばしてって運転手さんに伝えていたようでしたけど」

 

 素早く、彼らが食い付きそうな疑似餌をばら撒く。

 傍観者を装ってあれこれ聞かれてボロを出すよりも善良な協力者を演じた方が安全だ。

 

「本当かい? 自転車で飛ばせば追いつける! 先に行け!」

「はい。君、協力してくれて感謝するよ。ありがとう!」

「いえ、そんな……お勤めご苦労さまです」

 

 見たところ真面目で善良そうなどこにでもいる少年の風貌も功を奏したのか、彼の言葉を信じた警察官たちは正義の心を熱く燃やして、風のように走り去っていってしまった。

 

「あの、お巡りさん行きましたよ」

「ふいー……たすかったーい」

 

 正義の追跡者たちの姿が完全に見えなくなってから少年は膝の上でエビのように縮こまっていた遊に声を掛けた。すると彼女は新聞を取っ払うと大きく安堵の息を漏らして、両足を投げ出してリラックスモードに入る。図太くもまだ少年の膝を枕にしたままだ。

 

「ご、ごめんなさい。そろそろ退いてもらってもいいですか?」

「おっと、なかなかの寝心地の良さについ。いやー本当に助かったよ。なんてお礼を言えばいいやら……あれ、その制服ってウチの高校のだよね。見かけない顔だけど、あ! 一年生くんかな?」

「はい。1-Aのみつ――」

「ストップ! 名前は教えてくれなくてもいいよ。代わりにわたしの名前も聞かないでくれると助かるな」

 

 恥ずかしそうな少年の声に応じて飛び起きた遊は場の流れで自己紹介をしかけた彼の目の前に両手の平を前に突き出す大袈裟なリアクションでそれを制止させた。

 

「でも……」

「無理やり匿ってもらっておいて言えた義理じゃないけど、わたしみたいなのと関わりがあるって誤解されたら、君に迷惑がかかると思うからさ。君は後輩君でわたしは先輩。それだけさ」

 

 困惑する少年に遊は困ったように笑いながらそう理由を告げた。

 自分とこの少年では住む世界が違う。

 喧嘩が大好きで、暴力で他人を傷つけることにも抵抗は無い、ろくでなしだと自覚のある遊ではあるがだからこそ、堅気や弱い者を巻き込まないようにと区切りだけはしっかりとつけている。もしも、無意識に名前を明かしてしまうような相手がいるとしたらそれはきっと同類か同じ世界に生きている住人だ。

 

「分かりました。でも、なんで追われていたのか理由ぐらいは聞いてもいいですか? ある程度、予想は出来ているんですが」

「実はさあ、松生の不良君たち御一行と喧嘩してたら運悪く見回り中のお巡りさんに見つかってね」

 

 本当はそれも話すのは気が引けたのだが恩人の言葉をあまり突っぱねるのも悪いと遊はあっけらかんと笑いながらざっくりと警察官に追いかけられていた理由を教えた。

 

「けど、それなら襲われた理由をちゃんと話して、助けを求めれば良かったんじゃ」

「それは無理だよー。だって、喧嘩したくて喧嘩したのはわたしの方なんだから」

「へ? 一体それは……」

「残念。ここまでだよ。これ以上は真面目な学生さんは立ち入り禁止ですので」

 

 片目を瞑って少年の口元に人差し指をピンと立ててながら、遊は少し先輩ぶって言う。まさか喧嘩を売られるのを期待して、キナ臭い繁華街の裏側をあちこち巡り歩いていることやもう随分と前から滅多に学校へ行かないのにその手の不埒な連中に声を掛けてもらうために制服姿でいることは口が裂けても言えたものではない。

 

「後輩君こそ何してたの? あ、もしかして本当の彼女さんとの待ち合わせとかなら脱兎の如く退散するけど」

「大丈夫です、モテ期なんて来たことのないモブ男子みたいなものなので。僕、実は新聞部で記事になりそうなネタを探していたんですよ」

「それは大忙しなとこお邪魔しちゃったね。この恩は必ず返すから何か困ったことがあったらいつでも声をかけておくれよ! あ、わたしはあんまり学校にいないけど二年の日吉佳奈って子に頼めば取り次いでくれるからさ」

 

 何故だか急に自己嫌悪するかのようにどんよりを曇ったオーラを纏う少年に遊はその真意を知ってか知らずが底抜けに明るい空気で接する。オン/オフの切り替えが分かりやすく、さっぱりしているのは彼女の長所である。

 

「はあ……ありがとうございます」

「危ない場所に取材とかするなら用心棒とかやっちゃうよー。そうだ。後輩君、新聞部ならウチの学校で喧嘩とか腕っ節が強い人の情報とか持ってないの?」

「ごめんなさい、有名人とかその恋人にしたいランキングとかの情報ならありますけど、そういう情報網はまだ」

「なら、君はどう?」

 

 女性らしい柔らかな肌の内側に鍛え込まれた強靭な筋肉を隠している猛者の腕。そんな雰囲気を放つ二の腕を得意げにアピールしていた遊は唐突に恐ろしく真面目な眼差しで少年に問い質した。

 

「僕? まさか、冗談にもなりませんよ先輩。僕なんて武道どころかスポーツだって人並みなんですから」

「そーかなー? わたしの直感なんだけど、君は強そうに感じるんだよね。なんていうか、そう……スイッチ入ったら化ける感じ」

 

 謙遜なのか本当そうなのか困ったように話す少年の態度を見定めながら、遊は自分が感じたままの印象を率直にぶつけた。

 

「……それ、本気で言ってるんですか?」

「にはは! なんてね。勘だから何とも言えないよ。自慢じゃないけど、わたし多分バカな部類だからいまみたく話したことはあんまり真に受けちゃダメだよ、後輩君」

「えーっと……なんてお返事したらいいのか」

「わたしのことは一晩寝たら忘れちゃうぐらいのもんだと思ってくれればいいのさ。でも、恩返しのことは本当だからね。一回は必ず、君の力になるって約束するよ」

 

 特に念を押して、少年に出来た借りとその恩返しの意思を真剣な声色で伝えると「そろそろ本当に退散するよ」と遊は言いたいことをマイペースに言い終え、やんちゃ少年のように元気いっぱいに手を振りながら、暗さが色濃くなった街路の喧騒の中へと消えていった。

 

「入学した時からうちの高校は個性的な人たくさんいるなぁって思っていたけど、あんな人もいるんだな」

 

 台風のような初対面の先輩の個性に圧倒と関心を覚えながら少年は一人小さく呟いた。

 

「何となくだけど、学校の中を捜した方が面白い記事が書けそうだな。うん! 上手く言葉に出来ないけど、きっとそうだ!」

 

 本来の目的だった記事の見出しはまだ雲の中だが、気持ちを前向きにさせる何かを得た少年は、いまはまだ誰とも交わらない彼の道を駆け出した。

 彼の物語はここではない、別のどこかで鮮烈に綴られていくのだろう。

 

 

 

 

 月がぼんやりと空に浮かんだ夜が聖山市を包む。

 駅裏の一角に『赤心軒』という大きな看板が掛った一軒の大衆食堂が建っていた。店内には仕事終わりのガテン系や肉体労働者、男子大学生に家族連れもちらほらと表通りの居酒屋のチェーン店や小洒落たイタリアンレストランとはまた違った客層で溢れて、プロレス会場のような熱気を出して賑わっている。

 

「当店名物! 腕相撲チャレンジ!! 今夜はクイーンのシフトキャンペーン実施中だよ!! 挑戦する命知らずは前に出ろおおお!!」 

 

 スキンヘッドにグラサンという漫画のキャラクターのような風貌の店主・鍛冶田の大声にむさ苦しい歓声が上がる。

 この店では週に三回、店の従業員との腕相撲に勝つとその日の食事が無料になるというおもしろいサービスがあり、隠れた名店として有名だったりする。しかも、店の従業員は元自衛隊や格闘家にボディビルダーなど筋肉密度1000%な経歴の持ち主という噂がまことしやかに広まり、純粋に腕相撲勝負に挑むお客すらいるという伝説まである食堂だ。

 そして、今宵はそんなウルトラマッスルな従業員たちの中でも屈指の実力者である通称クイーンと勝負が出来る特別な日だった。ちなみにクイーンに勝つと食事無料の他に次回来店時に代金半額となるクーポン券がもらえるシステムだ。

 

「いくぞ皆の衆! わたしに勝てる奴はいるかー!!」

 

 店内の中央に置かれたマホガニー製のテーブルの前に立ち、Tシャツとハーフパンツの上からエプロンをした銀髪の少女――喜多村遊は高々と右腕を掲げて挑戦者を募った。他でも無いこの店のクイーンとは彼女のことを指していた。

 そして、今宵も命知らずたちがナチュラルボーン・バーサーカーに果敢に勝負を仕掛けていく。

 ある者は工事現場の作業員。またある者は若い大工。更には現役のレスリング部の大学生などが挑んだがその悉くを遊は熾烈な戦いの末に負かしていく。

 額に大粒の汗を浮かべながら、天真爛漫な笑顔で腕相撲と言う真剣勝負に夢中になって楽しむ彼女の姿にギャラリーのお客や挑戦者たちも魅了され、店は売り上げ的な意味も含めて大盛況となっていた。

 

「ほい、これで七勝! まだまだ、わたしは余裕だぞー! 」 

 

 汗をぬぐい、店内の熱気と温度が上昇を始めた血液の昂りに顔を健康的に赤くしながら大声でアピールする遊。そんな鮮烈な姿にあてられて、本当はそんなつもりはなかったお客たちまで腹の底からこみ上げてくる闘志に動かされて、我先にと彼女へと挑んでいく。

 

 この時間が遊は好きだった。

 殴って蹴って、投げて締める。必要ならば噛みつきだってする、あらゆる暴力の見本市な喧嘩とは趣は違うがそれでも小細工抜きの真剣勝負には何ら変わりはないこの小さな闘技場での腕一本の戦いが大好きだった。

 自分を倒そうと屈強な力自慢たちが、更に己を鍛え上げ、磨き上げて、苦しい努力を重ねて、本気で挑んでくるお客たちの剥き出しの闘志を掴み合った手と肌で感じるのが大好きだった。

 

「すげえ! 今夜もクイーンの全勝だぜ!!」

「チックショー! 筋肉が……プロテインがまだ足りねえ、鍛え直しだ!」

「みんなぁ! 遊ちゃんを祝え! そんで飲んで騒いで明日からまた筋トレするぞ!!」

 

 今夜もまた不敗を達成して勇ましくガッツポーズを決める遊を讃えてお客たちの野太く汗臭い歓声が木霊する。そして、男共は酒や料理を追加注文して閉店時間ギリギリまで呑み明かすのが常連客たちの日課だった。

 

「ふはー! 楽しかったぁ!!」

 

 殺意も敵意も悪意もない。

 純粋な闘争心だけをぶつけ合って、自分たちの持てる力を曝け出す、この戦いの後に残る何とも言えない爽快感のある余韻は彼女にとって格別のものだった。

 

「おやぁ?」

 

 挑戦者の波も落ち着いて、普通に給仕の手伝いもやり始めていた遊はふと妙な視線を感じて真っ暗な夜がどこまでも見える窓の一カ所を見た。

 そこには自分と同じぐらいの年齢の少女が二人、どこの学校は分からないが場違いな制服姿で佇んでこちらを見ているようだった。

 

「おじさん。ちょっと外すねー」

「また喧嘩友達か?」

「うーん……まだ分かんない。穏便な用事だといいけどね」

「ほどほどにしろよ」

「……まあ、ね」

 

 店主であり、一応の保護者である鍛冶田に一言断って遊はすたこらとバックヤードから外へと向かう。

 遊と鍛冶田の関係は少し複雑だった。

 切っ掛けは遊が中学三年生の時、彼女の両親が交通事故で亡くなった時にまで遡る。

加害者側からの慰謝料や両親の保険金などで天涯孤独となった彼女の元には十年間は遊んで暮らしていけるほどの大金が舞い込んできた。

 当時、すでに自分の本質と他人とは違う異常性を自覚していた遊は父の親友で彼女自身も交流があった鍛冶田の元へ行きある取引をした。

 それは自分の手元にある財産を自由に使っていいから、代わりに成人になるまで自分の保護者になって欲しい。ただし、私の生き方にはあまり口を挟まないようにと。いくらお金があっても、ただの子供が一人で生きていけるほど日本の社会は甘くない。法律や制度、規則といった鉄格子や柵が張り巡らされた世界で自分のような厄介な拘りを持った人間は尚のこと生き辛い。

 知識ではなく、本能でそれを分かっていた彼女は当時は店の経営が悪く苦境に悩まされていた鍛冶田にそんな提案を持ちかけたのだ。

 そして、鍛冶田もよく言えば「持ちつ持たれつ」悪く言えば「利用し、利用する」歪で不純な誘いに応じて現在に至っている。

 

 

 

 

 裏口から外へ出た遊を待ち構えるように二人の少女は人気のない駐車場に立っていた。

 二人ともどこにでもいる、普通の女子高生と言った雰囲気だがその顔色はどこか興奮と愉しみでうずうずしているようだ。

 

「やあ、お待たせ! たぶん、初めて会うけどわたしに何か用? 喧嘩した覚えは無いけどなー?」

 

 不思議そうに首を傾げる遊に少女たちはどこか小馬鹿にするような微笑みを浮かべて静かに、それぞれが赤と黒のカードデッキを取り出した。

 

「これ見れば、解るよね?

「私たちとヤってくれるよね」

 

 彼女たちも自分と同じく願いを持ってライダーバトルに参戦している仮面ライダー。その事実を脳が理解した瞬間に遊の中で冷めかけていた血液が再び沸騰するかのように熱くなるのを感じた。

 チンピラたちとの戦いよりも、モンスターとの戦いよりも、何よりもいまこの世界で考えられる最大最高の戦いが――喧嘩が出来る相手が自分たちの方からやって来てくれた。

 

「にっはっは! こちらこそ、いらっしゃいませだ! じゃあ、やろう!!」

 

 尖った犬歯を見せながら、にんまり笑って遊も自分のデッキを取り出した。開戦が決まった三人はそれぞれ駐車場に止められた車のミラーの前に立つとデッキを翳してベルトを装着する。

 

「「「変身ッ!!」」」

 

 三つの叫びが重なって、少女たちは仮面の騎士へと変わると戦場である鏡の中へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 ミラーワールドの駅裏の路上にて、三人の仮面の騎士たちは二対一という構図で戦いを繰り広げる。メタリックグリーンのレイダーと襲撃者である二人の仮面ライダー。それぞれ赤い蟻の意匠を持つライダーと、鉄色の蠍の意匠を持つライダーだ。

 相手の騎士たちは戦いが始まってすぐに接近してくるレイダーに対して、後退しながらそれぞれの籠手型のバイザーにカードを挿入する。

 

【SHOOTVENT】

 

「食らいなさい!」

「さっさと死んじゃえ!」

 

 同じ電子音声が二つ重なって、赤い騎士と鉄色の騎士は空から降ってきた銃器を構えてレイダーに銃撃を浴びせる。

 

「むう……君たちコンビで遠距離メインなのかい? 寂しいなー殴りたいよ! 殴りに来ておくれよー!!」

「なんであんたに合わせて戦わなきゃいけないのよ!」

「そうよ、これは決闘なんだから! さっさとやられちゃいなよ」

 

 すかさず左腕を構えて、被弾を軽微に抑えるとレイダーは荒々しくパンチを繰り出すが相手のライダーたちは彼女が近づくたびに後退しては牽制程度の銃撃を繰り返す。

 大好きな肉弾戦が出来なくてレイダーはつまらなそうな口調で悪態をつく。が、二色の騎士のコンビはそれすら嘲笑いながら、何か作戦があるのか効果はいま一つな遠距離攻撃をレイダーに徹底する。

 

「なんのッ! そういうつもりなら、こっちも勝手気ままにガンガンいっちゃうぜ!!」

 

【STRIKEVENT】

 

 横っ跳びで銃撃を回避したレイダーは負けじとメリケンサック型のバイザー・ガッツバイザーにデッキから引き抜いたカードを挿入。するとその両腕にはゴリラに似た彼女の契約モンスターであるガッツフォルテの双腕を模した巨大なガントレットが装着される。

 

「フウン!」

「きゃう!?」

「クッ……こっち来ないでよ!」

 

 両腕のガッツナックルを盾のように構えて銃撃を掻い潜り相手ライダーたちに肉薄したレイダーは雄叫びをあげなら力一杯に拳を振るう。

 一打目の右フックは二人とも身を転がして回避した。

 

「どりゃあああああ!!」

 

 赤い騎士がショットガン型、鉄色の騎士が小型の砲型の武器を構えるよりも早く、本命の二打目の拳を敢えて地面に叩き込む。するとアスファルトはビスケットのように砕けて、大小の破片が周囲に勢い良く飛び散る。それはまるで即席のクラスター爆弾だ。

 

「ひぎッ!?」

「ぐああ……い、痛い」

 

 二人の騎士は予期せぬ破片の洗礼を全身に浴びて、悲鳴を上げながら地面に倒れる。思った以上にダメージを負ったのか二人とも手から銃器が離れてしまっている始末だ。

 

「もう、玩具は使えないよ? ほら、おいでよ。カードを切るのを待っていてあげるからさ」

 

 まだ蹲って痛みに悶えている二人の目の前まで歩み寄ったレイダーは戦っている内に感じた彼女たちの違和感を怪しみながら、そう言って二人が立て直すのを待つ姿勢を見せた。

 これは傲慢や油断では無く、単純に喜多村遊という少女が思い切り相手を殴りたいし、殴られたいと思っているからこその行動であった。

 

「バ、バカにして!」

「ダメだよ、チアキ!?」

 

 鉄色の騎士がその陽気さを崩さない態度に怒りを覚えて、慣れない所作で殴るかかる。それを見た赤い騎士の方は迂闊にもパートナーの本名を叫んで制止の手を伸ばした。

 浮ついたパンチが響きの悪い音を立てて、レイダーの胸に直撃するが彼女は微動だにしない。

 

「この! このッ! 死ねよ、死になさいよ!!」

「いいね! けど……なってないよォ!!」

 

 癇癪を起した幼子のように乱暴な口調で不格好なパンチを浴びせる鉄色の騎士。ハッキリ言って他愛のない攻撃だった。そして、それを黙って受けていたレイダーは彼女の攻撃から何かを感じ取り、納得すると強く拳を握り締めて何発目かの相手の攻撃にタイミングを合わせて強烈な右ストレートのカウンターを決めた。

 

「あ……がっ!?」

「君、どうも知らないようだから教えてあげる。人を殴るってのは……こうだ!!」

 

 脳を揺さぶられて、案山子のように棒立ちになった鉄色の騎士にレイダーは強く一歩踏み込むと、全身に力を漲らせる。そして、体全身の筋肉を使って放つ渾身の拳打を叩き込む。砲丸が大地に炸裂するような音と共にレイダーのパンチを食らったライダーは空中でくるくると回転しながら吹き飛ぶと放物線を描いて一台の車の上に墜落した。

 圧倒的な破壊の一撃。

 それは遊の生まれ持った天性の素質と数年に渡る喧嘩道楽で磨き上げられた技術の結晶と言える凄まじい拳撃だった。

 

「おーい、君! 知ってると思うけど、ここ時間制限あるんだから早く起きなよー!」

 

 失神でもしたのかピクリとも動かない鉄色の騎士に呑気に言うレイダー。だが、その内心は意気消沈としていた。ここまでの戦闘でどうやらこの二人のライダーは新人でそれもかなり消極的というか生半可な心意気で戦いに臨んでいたようだということを感じとっていた。

 自分はやらないがプライベートを脅かされる危険性大の身元が割れる情報を口に出してしまうミスもそうだし、決め手に欠けると言うのにちまちまと遠距離戦に固執していたことといい、彼女たちの戦い方は未熟で拙く何よりも覚悟が足りてなかった。

 

「君たちさあ……」

 

【SHOOTVENT】

 

 敵に塩を送るわけではないがとレイダーが何かを言いかけたのを遮って、新たな電子音声が響いた。

 

「来るな! くるなぁあああ! 焼け死んじゃえよおおおおおおお!!」

 

 そして、地獄の釜の蓋が開いたような激しい火炎がレイダーを襲った。不意に全身が炎に包まれるが熱の刺すような痛みにすぐさま体が反応して、致命傷は免れる。

 近くにある自動車の後ろに隠れて、炎の発生源を確認すると赤い騎士が手に持った火炎放射気を乱射しながらヒステリックな叫び声を上げている。

 

「おっと! まさか、同じカードをもう一枚持ってるとはね。いいなぁ、贅沢だよね」

「舐めやがって! 私たち二人は最強なんだよ! 私たち二人なら、どんな奴にだって勝てる……勝てるはずなのにいいい!! モンスターだって、何体も倒してきた! 私たちはこんな雑魚キャラみたいな目に遭っていい存在じゃないんだよおおお!!」

 

 思い通りにならない現実に半狂乱となった赤い騎士が痛ましくも都合の良い慟哭を上げながら周囲を火炎でおぞましく照らしていく。

 きっと、彼女たちはライダーとなる前からずっと二人で行動して来たのだろう。勉強も、運動も、青春も二人で寄り添って切磋琢磨してきたのだろう。

 そして、あの鏡の世界の魔性の姫にでも誘われて仮面ライダーになった後も二人で協力してモンスターを倒して来たのだろう。一方的な狩りでもするように安全圏から攻撃を加えるという自分たちが受ける痛みなどとも無縁の戦いを繰り返して。

 二人の世界はきっと何の障害も無い幸せで順風満帆の世界だったのだろう。

 けれど――。

 

「本当の競争相手を見失っちゃダメだよね。願い事を叶えられるのは一人きりって聞いていないとは言わせないよ」

 

 彼女たちは争い勝ち抜くために打倒しなければならない真の相手を見誤ってしまった。ライダーの敵は何よりも自分以外のライダーなのだ。知っていて、受け入れられずに目を背けたのか。生半可な気持ちで戦いに参加して現実を直視できなかったのか。

 兎にも角にも、彼女たち二人の仮面ライダーは仲良く共闘はしてきたかもしれないが競い合うことを忘れた。高め合うことを忘れた。だから、どれだけミラーモンスターを倒して能力として成長しても、戦士としての技量はまるで成長していなかった。

 

「うるさあああい! これから焼け死ぬ奴が偉そうなこと言うなぁ! それも私たちよりもバカで、脳ミソまで筋肉みたいな野蛮人がさああぁぁ死んじゃえよおおおお!!」

「バカなのは否定できないけど……じゃあ、相棒譲りの秘密戦法で何とかしようかな!」

 

 滅茶苦茶に銃口から吹き出す火炎は確かに強烈で一切の敵の接近を許さない。そして、レイダーにはシュートベントのような遠距離武器を召喚するようなカードは手札には無い。以上の状況から見れば極めて不利なこの状態でもレイダーの口調は軽かった。

 踏んだ場数の違い。戦いという行為における経験値の量の差を見せてやると意気込んでレイダーは強気な姿勢で相手の真正面に躍り出た。

 

「チアキの痛みを思い知りなさいよォ! このぉおおおお!!」

「フン! いいよ、勝負だ!!」

「え……バカなの!?」

 

 赤色の騎士は殺意に満ちた怒声で火炎放射気のトリガーを引いて、紅蓮の劫火を惜しみなく浴びせる。対するレイダーは力強い返事と共に真っ直ぐに目の前に広がる炎に向かって走り出した。その手にはガッツナックルを装着したまま、力づくで引っぺがした自動車のドアが握られている。

 

「カードだけがわたしたちの武器じゃないんだよ!!」

「そんな……もっと! もっと火力上がりなさいっ、上がってよぉ!」

 

 レイダーは車のドアを盾にして炎を防ぎつつ、猛然と一直線に駆けていく。車のドアは常識を外れた力が源である炎の火力の前に容易く焼け溶けていく。しかし、それでも大きな四角形の金属のドアはレイダーの射程範囲までその形を維持していた。

 仮面の奥で笑みを浮かべるレイダー。その笑みこそが反撃開始の狼煙であった。

 

「わたしのとっておきをシュートだ!!」

 

 楽しそうなレイダーの声と共に車のドアを構えた状態で両腕のガッツナックルがロケットパンチよろしく勢い良く発射された。

 

「うそ……わああ!?」

 

 想定外のギミックに虚を付かれた赤い騎士は点ではなく面に変化したレイダーの秘密の遠距離攻撃をまともに食らい背後に建つビルの壁に叩きつけられた。

 

「こんな子供騙し……でッ!? 前が見え、な……しまった!?」

 

 痛みに耐えて目を開けるがその視界は焼けて赤んだドアで覆われ何も見えない。レイダーが仕掛けたこのとっておきは彼女の欠点である遠距離攻撃を一時的に克服しただけではなく、広い範囲を誇る面攻撃であり、相手の視界も遮ると言う幾つもの追加効果を備えた単純ながら利点の良い攻撃手段であった。全てに気付いて、大急ぎでドアを振り払う赤い騎士だったが全ては遅すぎた。

 

「やあ!」

「へ……?」

「おおありゃあ!」

 

 目の前には巨山のような覇気を纏った鋼緑の闘士が立っていた。

思わず間の抜けた声が出る。肉薄してきたレイダーの存在を赤い騎士が知覚するよりも早く、その体は緑の豪腕によって繰り出されたテレフォンパンチでビルの壁を突き破り、瓦礫と一緒に激しく地面を転がる。

 

「ゲホッ……ゴホッ、ひいっ!?」

「さあ、今度こそ君もわたしと思いっきり殴り合ってくれるかな」

 

 苦しそうに咳き込みながら顔を上げた赤い騎士はゆらりとこちらへと歩いてくるレイダーの威容にただの少女のように悲鳴を零した。

 

 人の形をした殺意の塊が迫ってくる。

 意思を持った暴力の化身が自分に狙いを定めてやって来る。

 深緑の大猿の戦士がまだまだ満ち足りていない闘争に飢えた視線で自分のことを見ている。

 

「くるな! こ、来ないでよ! ハア……ヒィ、この! この……入れって! 入ってよぉ」

 

 明確な死が自分に迫っていることを理解して、赤い騎士はライダーとしての顔を脆くも崩して、どこにでもいる十代の少女として恐怖に震えて泣き喚き始めた。

 ガタガタと震える手でデッキからカードの種類も確認せずに無我夢中でバイザーにセットしようとするが余りの怖さに手が言うことを聞かない。

 何枚も、何枚も乱暴に引き抜いては無理やりにバイザーに入れようとするがその全てを無駄にしていく。

 

「入れ! 入って! 何でもいいから、ちゃんと入ってよぉ……こんなのやだよぉ」

「残念だけど、終わりの時間だよ」

 

 赤い騎士の努力は空しく、時間は切れた。

 処刑宣告のようにどこか冷ややかな声で言うレイダーが彼女を背負い上げて、勝負を仕掛けた。

 

「ひぎっ……痛ぁつ!? や、め、て……離して……ぇ」

「できないね。いいかい――これがライダー同士で殺し合うってことさ」

 

 剛力を秘めた両腕でレイダーは両肩に背負った赤い騎士の首と片腿を自分と首と接地した腰を支点に締め上げる。アルゼンチンバックブリーカーあるいはタワーブリッジとも呼ばれるプロレス技を仕掛けたのだ。

 レイダーの途方も無い強靭な力を掛けられてミシミシと肉と骨を軋ませる赤い騎士は呼吸もろくに出来ずに全身に走る激しい痛みに悲鳴を上げることも出来ない。

 

「あぎゃ……ぁぁ、ぁっ………チ、ァキ――」

 

 やがて、潰れたカエルの鳴き声のような声を消え入りそうな大きさで何とか愛する親友の名前を呟くと、赤い騎士はバキリ――と、生々しい音を立てて彼女の体のあちこちの骨が圧し折れる。腰から割り箸のようにくの字に折れ曲がり、ライダーだった名もなき少女の一人は息絶えた。

 

「え……え、え、え? ヒトミ?」

 

 幸か不幸か、レイダーの拳の前に気を失っていた鉄色の騎士の少女が目を覚ましたのは親友だった亡骸が敵の肩の上で塵となって消滅していった直後のことだった。

 

「悪いけど、君のお友達ならいま倒したよ。次は君の番だ」

 

 軽くなった肩を回しながらレイダーが何事も無かったかのように伝えて、狙いを鉄色の騎士ただ一人に定める。

 もっと戦いを楽しみたいが生憎と時間が迫っているのは同時にミラーワールドへやって来たこちらも同じだ。早く、白黒つけたい気持ちだった。

 対する鉄色の騎士はまだ状況が呑み込めずに、ずっとうわ言のようにえ?を繰り返していた。

 

「ほら、立って構えてごらんよ。君の親友ちゃんを殺した仇はわたしだよ。弔い合戦ってやつ? 全力で戦おうじゃない!」

 

 中央から二つに割れた遺品のデッキを彼女の足元に投げ置くとレイダーは陰り知らずの闘士に満ちた声で高らかに宣告する。

 絶対に殺意と憎悪を漲らせてこの鉄色の騎士は自分を殺しにくる。

 まだ技術や実力は乏しくても、感情を爆発させた執念染みた戦意を持って戦ってくれるならこれほど胸躍る敵対者は他にいないと思ったからだ。

 

「や、やだ……私一人で勝てるわけないじゃない。嫌よ! 死にたくない、許して! お願いします。どうか見逃して下さい! ねえ! ねえ、ねえ、ねえ!」

「は?」

 

 目の前に映る涙声で情けなく土下座する鉄色の騎士の姿にレイダーの口からは感情の消えた短い声が出た。レイダーの期待は最悪の形で裏切られたのだ。

 

「そ、そうだ。貴女、私と組んでくれないかしら! 貴女が接近戦の前衛で私が後衛で全力でフォローするの! きっと最強のコンビよ!」

 

 鉄色の騎士はあまつさえ、震えた声でそんな提案をして来たのだ。我が身の命惜しさに鉄色の騎士は恥も誇りも、人間としての尊厳も、ただ一人の親友と交わした友情さえドブ川に捨てた。そのただの命乞いよりも数倍劣る、醜悪で見苦しい姿にレイダーは無言で立ち尽くしていた。

 

「ヒトミのことは残念だったけど、しょうがないわよね。うん……うん! だって、これはライダーバトルなんだもの。私、あの子の分まで全力で生き抜いて戦ってみせるから、この通りお願いよ。お願いします! そもそも私たちだって好きで貴方を狙たんじゃないよの、おススメだって教えられたから、それで! 相性が良いって言われたから」 

「ごめんね。わたしは他人と滅茶苦茶に殴り合って初めて心の底から生きてることを楽しめるような人間なんだけどさ……君のこと殴りたくない。でも君もライダーだからこの場でちゃんと殺してあげるね」

 

「あ、そうよね! 仲間だなんて厚かましいこと言わない、貴女の子分って身分でも受け入れるから、それが気に入らないなら狗でも奴隷でも我慢する。だから、お願いし――」

 

 壊れたラジオ以上に不愉快な騒音を吐き出す、ろくでなし以下の人間の屑に成り下がった鉄色の騎士の首にずっと無言だったレイダーは急に動きを見せると刹那の速さで乱暴に腕を巻きつかせた。

 

「こっちは本気で殺し合いを、命懸けの喧嘩をやってんだ! 半端野郎が……わたしたちを馬鹿にしてんのかッ!!!!!」

「――ッ!?」

 

 フロント・ネック・ロック。

 フロントチョークとも呼ばれるシンプルかつ強烈無比な原始的な絞め技を珍しく怒り一色の感情を爆発させてレイダーは仕掛けた。危うくレイダーが自分の右腕の骨を折ってしまわないかと思いたくなる、全身全霊の力を込めた首絞めは鉄色の騎士の首を一瞬で圧し折った。

 いや、そればかりか断頭台の刃のように怒りによって限界以上に発揮された純然たる剛力のみで相手の首をブツリと寸断してしまった。

 

 ゴロゴロと地面を転がるさっきまで命だった首と切り離された胴体がサラサラと粒子になって消滅すると、レイダーだけが取り残された。

 憤りと不満でいっぱいで力なく肩を落として佇む背中は勝利者と呼ぶには余りにも寂しげだった。

 

「そうだよ。わたしたちは喧嘩やって、殺し合いやって、何よりも個人と個人で戦争やってるんだよ。打てる手を全部打って、無い知恵振り絞って全力でぶつかり合う。そういう覚悟とやる気がある奴だけが居ていい場所なんだよ」

 

 もう、この世にいない実力も意識も中途半端な紛い物たちに現実を突きつけるようにレイダーは不完全燃焼で行き場のない猛りを開放するように荒れた口調で吐き捨てた。

 

「おめでとうございま~す♪ 遊ちゃんってば相変わらず見事な戦いでしたね。感激ですぅ♪」

「アリス……君か」

 

 あまりにも場違いな可憐で綺麗な少女の声がレイダーの背後から聞こえてきた。仮面の奥で遊が少しうんざりした顔を作りながら振り返るとそこには腰まで伸ばした艶やかな黒髪に黒いセーラー服を纏った非の打ち所のない美少女がどこか不遜な笑顔で立っていた。

 常人では生きられないはずの鑑の中の世界であろうと生身で揺蕩う謎多き存在。彼女こそがこの外典のライダーバトルの管理者だ。

 

「すっごいパンチでしたね~本物のゴリラさんよりもパワフルなんじゃないですか、キャー♪」

 

 静かな夜に、少女が二人も命を落とした殺し合いの跡地にそぐわない天真爛漫で滑稽にすら映るハイテンションで振る舞いながらアリスはレイダーに拍手を送る。

 

「一体何のつもりかな? あの二人、アリスがけしかけたんでしょ?」

「遊ちゃん冴えてますねえ。その通りです。あの不真面目なわるい子ちゃんたちに遊ちゃんのこと教えたのは私なのです。てへっ♪」

「まあ、あの子たちの口ぶりから何となくそう思ったけど、わたし何か君に恨みとか買うことしたっけ?」

「いえいえ。今回は完全に私の都合に無許可で遊ちゃんを巻き込んでしまった形ですのでここに誠意をもって謝罪と反省を致しますよ~。大変失礼いたしました♪」

 

 本当に迷惑をかけたつもりがあるのか、アリスはすました顔顔のまま芝居がかった動きでぺこりと頭を下げた。そして、頭を上げるとそこには蠱惑的な魔性の笑顔が浮かび上がる。

 

「だって、あの新人ちゃんたち酷いんですよ。折角親友同士でコンビを組むなんて面白そうな行動をしておいて、ちっとも他のライダーと殺し合わないし、仲違いしてドロドロの修羅場も引き起こさないんですもの~」

 

 ぶーぶーと可愛らしく握った両手を振りながらアリスは先程の二人の期待外れの行動に文句を垂れる。まるでお気に入りの恋愛小説の内容が自分の望む展開とは違う流れになって一方的に不満を上げる読者のような言い草だ。

 

「だ・か・ら♪ 理想的な優良参加者でとっても強い遊ちゃんにお仕置きしてもらうことにしたんです」

「それはいいけど、騙すのはどうかと思うけどなー。あの子たち、相性がどうとかわたしのこと楽に勝てる相手だと思ってたみたいだよ?」

「私ぃ、嘘は言っていませんよぉ? 遊ちゃんとあの子たちの相性は良いとは言いましたけど、どちら側が絶望的に不利だなんて聞かれなかったので答えなかっただけですし♪」

「たはは。鏡の妖精さんは気まぐれで大変だ」

 

 そう言って、アリスは両手の人差し指で白くて柔らかな頬っぺたを押し上げて、八重歯をチラつかせた小悪魔スマイルを作って見せた。

 無垢にして、淫蕩。爛漫にして嗜虐的。

 純粋可憐に見えて仄暗く、ドス黒くて底の見えないアリスのやりたい放題な振る舞いににレイダーも思わず苦笑するので精一杯だった。

 

「それよりぃ、これで遊さんはライダー撃破数が一気に三人に増えましたね! えらい、えらい♪ この調子でバンバン戦って、ガンガン殺り合ってくださいねえ? がんばれ♡がんばれ♡」

「むーん……いまの二人をカウントするのは釈然としないなぁ。あー今日は朝から夕方まで最高に喧嘩したのに最後の最後で興覚めだよ」

 

 チアガールの真似をして、激しく扇情的な動きでスカートの中身をチラつかせながら自分を鼓舞するアイリにレイダーはやりきれない口調でそう言った。

 

「ねえ、アリス。さっきの二人が契約していたモンスターって野良になったんだよね? 場所は分かる?」

「もちろんですよ。そうですね、迷惑料としてリストラされてしまった可哀そうな蟻さんと蠍さんと遊さんが思いっきり遊べるようにちょちょいと特設リングの手配をしてあげまーす!」

「ん、ありがとう。じゃあ、時間もきついから一度戻ってまた来るよ!」

 

 気が付けばミラーワールドに滞在できる制限時間ギリギリになっており、レイダーの指先も微かに粒子のように崩れ始めていた。

 アリスとそんな約束を取り付けたレイダーは一旦現実世界に戻るため、手ごろな車のミラーに飛び込んでミラーワールドを後にした。

 

 

 

 

「あの子たちが契約したモンスターは本人たちよりもう少し歯ごたえがあるといいなぁ」

 

 アリスが教えてくれたモンスターたちのいる場所まで静かな夜道を歩きながら遊は期待と不安の混じった声で独り言をつぶやく。

 仮初とは言え主人を殺された怒りで自分を目にした瞬間により一層、獰猛に襲い掛かってきてはくれないだろうか。彼女の頭の中はすでに次の殺し合い(けんか)に向けて一杯だった。

 

 「アイツは強くて最高だったのにな……」

 

 一度足を止めて、遊は柄にもなく夜空の月を見上げながらポツリと昔を懐かしんで呟いた。

 いまでも脳裏に焼き付いて離れない。最高の喧嘩をした好敵手の記憶。

 お互いの得意手を全て動員して文字通りの大戦争を繰り広げた強敵。彼女が初めて戦った仮面ライダーとの思い出を懐古すれば今夜の二人の仮面ライダーとの戦いは保育園児のお遊戯よりも劣るものだった。

 

「まあ、いいや。いまは目の前の喧嘩をどれだけ楽しむかだけを考えよう。にはは!!」

 

 今夜は残念なことに最後の最後でとても興醒めする戦いをしてしまった。

 それでも、敢えて少女は謳おう。

 この、イカれた世界の中でわたしはいま最高に生きている!

 

 これは一人の歪な少女の物語。

 彼女が彼女らしく生きるようになった始まりと仮面ライダーとしての在り方を決めた忘れじの戦いの記憶である。

 

 

 

 




初めてこのような形でハーメルン内でシェアードワールド作品を手掛けさせていただきましたが他の作者様のキャラクターを喋らせるのがどれだけ大変なのか思い知らされました。

次回からは時系列が過去へと巻き戻り、仮面ライダーレイダー誕生の物語となっています。
全4話程のお付き合いになるかと思いますがどうぞよろしくお願いします。


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第二話 ファイル:01 始拳

ご無沙汰しております。
ドキュメント・レイダー第二話どうにか更新完了しました。
時間軸がちょっと遡って、レイダー誕生回となっております。
それに伴い今回は地の文が遊の独白で進行している部分が多めになっています。


 ゆらゆらと火が燃える。

 小さくて頼りない火。

 ゆらゆらと火が燃える。

 だけど何故だか魅入ってしまう。

 ゆらゆらと火が燃える。

 まるでそれは命の炎にもみえて。

 

 

 

 

「遊ちゃん。お誕生日会、楽しくない?」

 

 ケーキの上で輪になって燃える蝋燭の小さくも眩い火を何となく眺めていて、お母さんにそんなことを聞かれたのは確か5歳の誕生日だったかな。

 あの頃のわたしは元気よく首を横に振って生クリームたっぷりのバースデイケーキにかぶりついてごまかしたのをぼんやりと覚えている。

 楽しいよ!と嘘でも答えられなかったのは今となっては少しだけ、心残りかなと思っている。

 

 甘いものを食べるのは好きだ。

 辛いのも、しょっぱいのもおいしいものを食べるのは好きだ。

 体を動かすのも好きだ。

 走り回るのも、サッカーやバスケといったスポーツも上手かどうかはさておき、運動するのは好きだ。

 

 だけど、それらが楽しいかと質問されると困ってしまう。

 楽しいとはなんだろう?

 

 小さな頃はよく両親に楽しいってなに?って質問したりもしたけど、欲しい答えは返ってこなかった。むしろ、そんなことを繰り返し尋ねてくるわたしに不安そうな顔をするものだから、幼いながらにこの質問はダメな質問なんだと察知して、小学校へ進学する頃までにはそういう質問は一切しなくなっていた。

 その代わりに、よくするようになったことが笑うことだった。

 わたしが笑っていれば、両親はわたしが楽しい気持ちになっているのだと勘違いしてくれた。両親だけじゃなくて、それは学校の先生や友達もそうだ。

 

 『笑う』と言うことは『楽しい』ことだ。

 その暗黙のルールのような法則を覚えてから、わたしはずっと作り物の笑顔を貼り付けて生きてきた。

 家で両親が笑うのに合わせて、わたしも笑う。作り物の笑顔だ。

 学校で友達が笑うのに合わせて、わたしも笑う。偽物の笑顔だ。

 この世界で近くにいる誰かに合わせて、わたしも笑う。誤魔化しの笑顔だ。

 

「楽しいって、何なんだろう」

 

 いつかの夕焼けの公園で、一人ブランコに座ってそんな独り言を呟いたのを良く覚えている。悲しくないし、苦しくもない。だけど楽しくもなかった、いつかの夕暮れ。

 

 最後に自分のために笑ったのはいつだっただろう?

 そもそも、自分のために笑ったことなんてあったんだろうか?

 

 毎朝、学校へ行く前に洗面台の鏡の前で歯を磨きながら笑う練習なんかしているわたしが?

 毎晩、お風呂の時間に浴室の大きな鏡の前でどうすればみんなにいつもの笑顔が嘘っぱちであることがバレないか笑顔の研究なんかをやっているわたしが?

 本当の笑顔なんて出来たことが今まであるのだろうか?

 そうだろ、わたし。

 そう思わないかい、喜多村遊。

 

 

 

 

 それは七月の下旬。

 小中高の各学校が夏休みを迎えてすぐの出来事だ。

 聖山市のどこかの路地裏に遊はいた。

 何時ものように、柄の悪い悪漢たちを相手に楽しく明るく暴力の応酬を繰り広げているかと思えばこの日は少し違っていた。

 同席している未成年の不良たちに混じって、明らかに一人だけ三十歳は超えているであろう派手なカッターシャツの男が目立っている。

 

「ぁぅ……っ」

 

 短い呻き声を微かに漏らして、蒸し暑く不快な臭いが漂うどこかの路地裏に築かれたゴミ袋の山に銀髪を掴まれた状態のボロボロの遊はまるで生ゴミでも捨てるような乱雑さで放り飛ばされる。

 チンピラたちからの殴る蹴るの暴行で既に意識が飛んでいた遊は縺れた足取りでゴミ山に倒れ込むとだらりと手足を投げ出して、ピクリとも動かない。

 僅かに開いている双眸は何かを吹き掛けられたせいで酷く血走っているが気を失っているのか虚ろで生気はない。

 

「小便臭いガキがよぉ……身の程を弁えやがれ」

 

 カッターシャツの男が吐き捨てた唾がべちゃりと遊の頬っぺたにかかるが傷だらけの遊は余程手酷く入念に袋叩きにされたのか起き上って反撃する様子も見られなかった。

 唯一、両の拳だけは握り締められたまま昏倒しているのは彼女の闘志が成せる技だろうか。

 

「あ、ありがとうございました。御幸さん」

「テメエらもこんな高校生の小娘に舐められてんじゃねえよ、だらしねぇ」

 

腹を何度か蹴りつけて、遊が完全に沈黙しているのを確認してから、不良学生の一人が恐縮した様子で御幸と呼ばれる男に深々と一礼して言った。その筋の人間である御幸はそんな弱腰な後輩たちを叱責しながら、用は済んだとばかりに煙草を咥えて表通りへ続く道を進み始めた。

 

「けど、あいつも流石に催涙スプレーは効くんだな」

「ああ。なんか卑怯クセェからずっと使わなかったけど、こんなんならもっと早く使えば良かったぜ」

「ぎゃっははは! 全くだよなあ!」

「……おい。お前らは何か? 俺が卑怯者だとでも言いたいのか? 誰のお陰であの女に土ぃ付けられたと思ってんだ?」

「いえ、そんなまさか! 頭脳プレーってやつですよね? マジ、パネエっすわ!」

「分かればいいんだよ。大体、こんなもんは勝てばいいんだよ。負けた奴がなにほざこうとも負けた時点でそれは全部、負け惜しみになるんだからよ」

 

 勝利の要因について、馬鹿笑いして盛り上がる不良たちに苛立った様子で御幸は口から紫煙を吐きつけながら威圧した。

 なんてことはない。

 この御幸という男は実力では無く、姑息な騙し打ちで遊のことを無力化して、多勢に無勢で一方的に勝ちを取っただけにすぎない。正々堂々殴り合う喧嘩の作法という彼女の土俵にすら上がってもいないのだ。

 しかし、御幸の言葉にも一理あった。

 規則やルールを設けられた競技の枠の中にある武道やスポーツならいざ知らず、遊や彼らのやっていることはそんな決まり事など一切無用の喧嘩稼業なのである。不覚を取ってしまった方が悪い、無法の世界。そこには勿論、年齢も身分も性別もお構いなしだ。

 だから、今日の敗北は全て遊の未熟が招いた結果だ――命があるだけ十分にマシな結果といえるだろう。実際、意識はいまだ夢と現の境を彷徨って入る彼女だが気落ちは無かった。こんな日もある、と多少の悔しさこそ覚えるがこの敗北で挫折したりといったことは皆無である。強いて言うのなら、思い切り相手をぶん殴る回数がいつもより少なかったのを不満がる程度の物だ。

 

 そして、こんな日だからだろうか?

 ゴミ山に廃棄された遊は久しぶりに懐かしい夢をぼんやりと見ていた。

 作り物の笑顔を貼り付けて、退屈で味気のない日常を楽しく生きるフリをしていた毎日から救われて、答えを得た日の記憶である。

 

 

 

 

 味のしなくなったチューインガムのような、ぼやけた小学校生活を平凡に終えたわたしは聖山東中学校の一年生になっていた。

 相変わらず楽しいとは何なのかは分からず、それを探すことへのやる気もすっかり失せてしまっていた。

 だけど、運命の日は本当に突然にやって来た。

 忘れもしない中学校生活が始まって、ようやく一ヶ月が過ぎようとしていた四月下旬のとある日。その放課後のことだった。

 当時のわたしのクラスには別の地区から進学してきた乱暴者として近所でも有名な不良君が一人いたのだが、その不良君がクラスの女子の一人と言い争いを起こしたのだ。

 その女子が付き合っている相手が年下の小学生男子なのを不良君がからかったのが原因らしいのだがその口喧嘩がよりにもよって、わたしの鞄がしまってあるロッカーの前で行われているのだが始末が悪いったらない。

 ギャンギャン、キーキーと二色の罵声が大きな声で飛び交うものだから。居眠りしているフリをして喧嘩が終わるのを待っていることも出来ない。どうしたものか――。

 

「あたしはなあ! 本気であの子と恋愛してんだよ! 野犬みたいに勝てる相手にしか粋がれない半端野郎が口挟んでくるんじゃねえよ!」

「んだと、日吉テメエ!!」

 

 教室に残っていた他の生徒たちが不安そうに事の流れを見守っているなかで女子の方がとびきり大きな声で不良君に怒りの叫びをぶつける。

 その言葉が真実かどうかは知らないが、とにかくそれが癪に障った不良君はその女子の髪の毛を乱暴に鷲掴みにした。

 取り巻きたちが自分のことのように悲鳴を上げるなかで何故だかわたしの体は勝手に動いていた。たぶん、日吉という名前の友達でも無い女子が言った『本気』という部分に何かを突き動かされたんじゃないかなって、いまでは思っている。

 自分に真似できないすごいことを実践している誰かを尊敬して、力になってあげたいっていう気持ちはきっと、あのときのわたしにとっても偽物じゃなかったと思う。

 

「それぐらいにしなよ、不良君。女の子に喧嘩で勝っても武勇伝にはならないでしょ?」

 

 日吉という女子の髪を掴む不良君の手を更に上からわたしの手を覆い被せて、場を落ち着かせるつもりでそう言った。だけど、この言葉が何故か不良君の怒りの火に油を注ぐことになったようだ。(あとから、クラスメートに喜多村はたまにプロかよってレベルで他人のこと煽るの上手いの直した方がいいよと言われたけど、何のことやらだ)

 

「ほらー髪は女子の命って言うじゃん? とりあえず、この手は離そ――」

「邪魔だクソが!!」

 

 和ませるつもりでそんなことを言いかけているわたしの顔を不良君は思い切り殴り飛ばした。左の頬っぺたに強い痛みと衝撃が走って、体が頭からすごい勢いで振り回されるような感覚に襲われる。

 たぶん、時間にして3秒も掛らないあっという間の出来事なんだと思うけど、わたしにはそれが何分、いや何時間にも感じるぐらい鮮明な感覚として全身に駆け巡った。

 殴られた痛みに。暴力によって床へと吹き飛ばされそうになる衝撃に。口の中に広がる血の味――全部、全部、全部、全部、全部が初めてで新鮮な気分だった。

 大波か火山の噴火のような激しさで全身を震わせる覚えのない気持ちで満たされながら、わたしは不良君のパンチでボーリングのピンのように派手に教室の床に倒れ――なかった。

 

「ッ……にはは」

 

 右脚が軋むほど強い力で踏み止まって、右手を壊れるほど強く握り締めて、両目を太陽よりも激しく煌めかせて、わたしは全くの初心者だというのに全身のバネを活かして、格闘技の経験者も唸るほどの最高の右ストレートで不良君を間髪入れずに殴り返していた。

 

「ぶげえあ――!?!?」

 

 わたしの一撃を食らって、不良君は情けない声を上げながら横滑りに教室から廊下まで吹っ飛ぶと泡を吹いて気絶した。

 あまり褒められたものじゃないと思うけど、教室中がその場にいた生徒たちの割れんばかりの歓声で包まれた。まるでTVや動画サイトで見かける有名人がやって来たかのようなお祭り騒ぎだ。

 

 そして、わたしの方はというと――。

 

「……いいね」

 

 誰にも、わたし自身にも言葉として聞き取れないような小さな声で生まれて初めて繰り出した拳の感想をぽつりと呟いていた。

 

 その瞬間――わたしの、喜多村遊の願いが産声を上げた。

 胸を突き破って、心臓が飛び出てしまうのではないかと思うぐらいに鼓動が鳴りやまなかった。

 体中を巡る血が 燃えるように熱くなって、興奮で汗が止らなかった。

 口元が上を向いて緩むのを自覚して、慌てて両手で口元を抑えて隠した。

 ドキドキでワクワクが体の奥底から止めどなく溢れてきて、怖いくらいだ。

 

 嗚呼、嗚呼……わたし、笑っているんだ。

 嗚呼、嗚呼……わたし、楽しいんだ。

 

 暴力を振るったことに?/似ているけど、いいえ。

 誰かを傷つけたことに?/近いけど、いいえ。

 痛みを感じることに?/惜しいけど、いいえ。

 

 強い誰かと戦うことに?/はい! YES! そうだ! そうとも! その通りさ!

 

 やっと、分かったんだ――わたしという人間の生き甲斐が!

 ようやく、見つけたんだ――わたしという人間の命が輝ける瞬間が!

 ついに、出逢えたんだ――ずっとわたしの奥底に隠れていたわたしの願い事が!

 

『わたしは戦うことが大好きなんだ!!!!!』

 

 わたしの心が大きな声で叫んでいた。

 この日から、ずっと無色で退屈塗れだったわたしの毎日は全てが虹色の色彩を帯びて輝くようになった。

 

 好きなごはんを食べれば、美味しくて楽しい。

 好きなように運動すれば、気持ちが爽やかになって楽しい。

 好きな友達と遊べば、嬉しくて楽しい。

 

 そして、何よりも――強い人と思いっきり殴り合って喧嘩をすれば、楽しくて楽しい!!

 神様にだって宣言できる!!

 この日。この瞬間に初めて、喜多村遊は本当の意味でこの世で生きている実感を覚えたんだ!!

 

 これがわたしにとっての始まりの拳だった。

 

 

 

 

「あ……わたし、寝てたかー」

 

 初夏の暑さで腐臭が増したゴミ袋のベッドの上でわたしは目を覚ました。

 催涙スプレーを顔面にもろに浴びて、そのままタコ殴りにされたことは覚えている。久しぶりの大負け。ここまで負けると、一周回って胸の内はスッキリしている。

 

「お。一番星見ぃーっけ」

 

 何処までも空へと伸びているコンクリートのビルで囲まれた四角い空で瞬く星を見つけて、随分と長く気を失っていたんだとぼんやりと思いながら立ち上がる。

 あちこちがズキズキと痛むがまあ、よくあることだ。服とか破れていないのは幸いである。

 

「今日はパンツも盗られてないし、ラッキーな方だよね」

 

 世の中には色んな趣味の人が居るようで、喧嘩道楽を本格的に始めたばかりの頃に今日のように大負けしてのびていたときは目が覚めたら下着を脱がされていたこともあった。しかも、そう言う日に限って風が強くて家に帰るまでに苦労した覚えがある。

 流石のわたしも露出狂の変態さんでお巡りさんのお世話にはなりたくない。どうだい、ちょっと女の子らしいところもあるでしょ?

 

「にしても、眼潰しは厄介だなー……目を閉じたままでも喧嘩出来るように練習してみようかな? おお、それなら真夜中の灯りがないところでも戦えちゃうぞー!」

 

 わたしにとって、喧嘩とは生活の一部だ。

 普通の人が歯磨きやご飯を食べる練習をしないように、基本的に喧嘩のために修行とかトレーニングみたいなことはやらない。

 体が感じたままに、心が思うままに、暴れるだけ。

 それが一番楽しくて、生きている感じを味わえる。

 だけど、近頃はその喧嘩を素直にやらせてくれないゴロツキさんたちが急増中だ。

 わたしが誘っても相手にしてくれなかったり、今日みたいに小道具を使ってあしらわれてしまう。だから、大切な日常生活の習慣を守るためにも、これぐらいはやってもいいだろう。

 

「とりあえず、表通りに出るまでやってみよう!」

 

 思い立ったが吉日としばらくの間、目を瞑って歩いてみる。

 最初は恐る恐るの歩調だったけど、慣れてくると思い切って堂々と歩いた方がむしろ安全な気がして、胸を張ってそれなりに曲がりくねった路地裏を闊歩する。

 

「スンスン……あ、匂い変わった! ひゃっほう、ゴールだぜ!」

「きゃあ!?」

 

 生ゴミや汚水なんかが混じった不快な臭いが薄れて、夕飯時で揚げ物や焼き魚といった食べ物の香りがあふれるちゃんとした生活感のある空気を感じ取り、勢いをつけて表通りに飛び出したところ、出会い頭に誰かとぶつかってしまった。

 慌てて目を開けて、咄嗟に体勢を崩して転びかけている相手の手を掴み取る。わたしと歳の近い女の子。制服姿だけど、聖山高校のものではない他校の高尚な感じのデザインだ。

 

「ごめんね、急に飛び出しちゃって。怪我とか大丈夫かい?」

「ええ。ちょっとビックリしましたけど、平気です」

 

 黒髪でメガネの清楚な感じの女の子は嫌な顔一つせずにそう言ってくれた。

 わたしの周りにはいない如何にも良家のお嬢様って感じの彼女の足元にパスケースのようなものが落ちているのに気付いて、おもむろに拾い上げると学生証なのか彼女の名前らしきものが載っていた。

 

「これ、そちらさんのもので合ってるかな? あや……あくた?」

綾芥子(あやけし)って読むんです。珍しい名字でしょう。綾芥子撫子(あやけしなでしこ)っていいますの」

 

 確かに見かけない苗字にわたしが?マークを浮かべていると彼女の方から名乗ってくれた。大和撫子って言葉があるけど、なるほど彼女のような見た目と所作の人なら、撫子って名乗っても違和感はないなと勝手に納得してしまう。

 

「あら、貴女。あちこち怪我をしているようですが……」

「たはは……まあ、ちょっとそこで転んじゃって。大丈夫、いつものことだから」

「お顔にまで切り傷が出来ているじゃないですか。いけませんよ、少し屈んでもらっても」

「は、はい」

 

 意外と押しの強い言葉に思わず体が従ってしまう。

 何だろう、上手く言えないけど彼女にはNOと言えない、言わせない妙な威圧感のような物を感じてしまう。

 すると、彼女――綾芥子さんはポケットから取り出した可愛い絵がプリントされた絆創膏をわたしの頬っぺたに貼ってくれた。

 

「これで何もしないよりはマシかと思います。家に帰ったら適切な手当てをすることをお勧めしますわ」

「ご、ご丁寧にどうも」

「何があったのかは深く問うつもりはありませんが顔は女の武器ですよ? 何事も手入れを怠っては肝心な戦いに勝てません。勉学にしろ、色恋にしろ、何事もです」

「あはは。たぶん、そういう戦いにはわたし縁がないと思うんだけどなー」

「そう? くすす……詰めが甘いと痛い目に遭いますよ」

 

 冷やかで綺麗な笑みを見せて、小粋に笑う彼女にわたしはとぼけたようなことを言うので精一杯だ。住む世界が違うと言うのはきっとこういうのを言うのだろう。

 

「では、ごきげんよう。えと、お名前は?」

「あー……喜多村遊です。はい」

 

 喧嘩屋さんのようなことに片足どころか半身ぐらい突っ込んでいるわけで、あんまり名前とか名乗りたくはないんだけど、わたしだけが名前を知っていると言うのは不公平だから仕方なく、彼女に自分の名前を明かした。

 すると綾芥子さんはにっこり笑うと「良い名前ですね」と優雅なお嬢様笑いを置き土産にスタスタと雑踏の中へと消えて行ってしまった。この街は本当に不思議な人が多いと改めて感じさせられる。

 

 途中でそんな稀な出会いを経験しながらわたしは聖山区にある自宅に到着した。

 最近はあまり登校していないけど、高校まで徒歩で約30分の距離にある平屋建ての一軒家で生まれてから両親と死別してからも一人で住み続けている愛着のある我が家だ。

 一戸建てだけど、実は借家だったりするからお父さんたちが死んじゃったのを契機に引き払うつもりだったけど、天涯孤独になったわたしに同情した大家さんが家賃を随分と値下げしてくれたので、ありがたく住まわせてもらっている。

 近所にごく普通のお総菜が美味しいお店が連なる商店街や交番があって人の目もあるため、喧嘩で叩きのめした不良くんたちがお礼参りに家まで押し掛けてこないというのも嬉しいポイントである。

 

「んー? 鍵開いてる?」

 

 玄関の扉が開いているので少し首を傾げる。

 けれど、雑に脱ぎ捨てられたわたしのものではない女物の靴を見て、事情を察した。

 我が家の合鍵を持っているのは鍛冶田(おじさん)ともう一人がいるだけだ。

 

「たっだいまー」

「おっす。おじゃまー」

 

 玄関を上がってすぐ右の畳部屋のリビングへ入ると淡い桜色の髪が綺麗な同世代の女の子がラフな格好で漫画雑誌を片手に寝転がってくつろいでいた。

 

「佳奈ぁ。別にいつ来てもいいけど、一言ぐらい連絡おくれよー。泥棒でも居るかと思ったじゃん」

「いやいや。あんたのケータイ、ここに置きっぱだし」

「あ、ホントだ」

 

 シャドーボクシングをしながら言うわたしに、三白眼でちょっと勝ち気な雰囲気の美人さんなこの女子は鋭いツッコミを入れてくる。

 彼女の名前は日吉佳奈。わたしと同じく聖山高校に通う二年生。

 この世に生きている実感を見出した完全体・喜多村遊の誕生のきっかけを作った張本人であり、いまも酔狂なことにわたしのどうしようもない性分を知っていて尚も友達をやってくれている親友だ。

 

「で、今日はどうしたの?」

「彼氏がさ、あたしが作った筑前煮がたべたいって言うから作ってみてさ。試作品持ってきたから、食え」

「えーっと……三年のバスケ部の先輩だっけ?」

「そりゃあ二人前だよ。いまの彼氏は金型加工の職人さんな」

 

 そう言って、佳奈は勝手知ったる足取りで隣のキッチンへ移るとこれまた当然のように我が家の冷蔵庫を開けて、持参したタッパーに入った筑前煮をわたしに見せた。

 

「ありがたやー! 佳奈に彼氏さんがいる期間はいろいろとおこぼれを貰えてわたしの味覚の水準もウナギ昇りだよ」

「そのまえに風呂入りな。今日も派手にやってきたんだろ?」

「それがねー今回は負けちゃったのだよ。催涙スプレーってので前後不覚になっちゃって」

「なにさそれ、卑怯クセェなあ。まあいいや、あんた頭の切り替え早いのぐらいが取り柄なんだから、あたしの上手いメシでも食って気分転換しなよ」

 

 一度鼻息荒くわたしを倒したゴロツキ達に憤って、次の瞬間にはケラケラと笑って佳奈は言う。

 わたしよりも小柄で華奢な体型なのに佳奈の面倒見の良さというか、頼り甲斐のある物腰は常々感心する。

 彼女のことを簡単に説明すると世話焼きで、意外と料理上手で、恋多き乙女で、何よりも自分の生き甲斐に本気で向き合える人――というのがわたしの見てきた印象だ。

 

「すごい自信だ。今度の人は一年以上添い遂げられるといいねえ」

「余計なお世話だよ。それより、あんたは生ゴミくせーから早く風呂に行けって!」

「ここ、わたしン家なのになんで佳奈が親みたいに仕切るのさぁ」

 

 良妻賢母、あるいは理想の恋人みたいなのが佳奈の目指すところの目標らしいがどう考えても彼女は肝っ玉母ちゃんな振舞いになってしまうらしい。

 そんな佳奈にチクチク言われて、わたしは素直にお風呂場でシャワーを浴びることにする。脱衣所でパパッと汚れたセーラーの制服を脱いで洗濯機に放り込み。身軽になった状態で鼻歌を歌いながら浴室へ行こうとしたところで「制服ちゃんとネットに入れろよ!」という佳奈のありがたいお言葉を貰って、言いつけ通りに洗濯物を入れ直して、改めてシャワーヘッドから流れ出るお湯を全身に浴びる。

 

「はあああぁぁぁ……きもちいい」

 

 熱いシャワーに無防備な全身をくぐらせると血や汚れと一緒に疲れなんかも一気に洗い流せる心地になる。傷口にお湯がしみこんでチクチクもするがこれはこれで慣れるとクセになる。湯船にお湯を張ってのんびりとお風呂を楽しむのも好きだけど、今日は佳奈もいるから手短に済ませよう。

 何より、お腹がペコペコだ。

 

「あや……しまった。あの子に貼ってもらった絆創膏、取れちゃったよ」

 

 髪も、腕も、脚も、胸も全てまとめて泡立てた石鹸で良く洗って。少し温度を上げたシャワーで一気に流していくとふと、足元に溜まったお湯に頬っぺたから流された絆創膏が浮かんでいるのを見つけた。

 

「また会えたら、お礼に何かごちそうしよう」

 

 貼ってもらってまだ一時間も経っていない絆創膏をつまみ上げて、少し彼女の好意に対して申し訳ない気分になりつつ、わたしは身も心もさっぱりするとお風呂から上がった。

 

「ぷっはー! 生き返る~!」

 

 生乾きの髪に適当にタオルを巻きつけて、冷蔵庫で冷やしてある水出し麦茶をとりあえず一杯。

 キンキンに冷えたほのかに香ばしいお茶が体内に流れ込んでわたしの全神経が拍手喝采で喜んでいる。キッチンでは佳奈が筑前煮を電子レンジで温めつつ、夕ご飯を作ってくれている。ありがたや。

 

「もうすぐできるからリビングで涼んでなよ。けど、その前にパンツ履け」

「いいんじゃん。女同士だし、我が家だしー」

「はしたねえし、面と向かって色々と見せつけられながら飯食うことになるあたしの気持ちを考えてみろ、妖怪全裸女!」

 

 究極の非武装形態(すっぽんぽん)でキッチンをうろつくわたしに佳奈が小さな雷を落としてくる。とはいえ、夏場の風呂上りに全裸でクーラーの効いた部屋で涼む開放感を前にしてはそんなものは小鳥の囀りのようなものだ。

 つまり、わたしはまだ服はおろかパンツを履く気なんて毛頭ないのだよ、佳奈。見られて恥ずかしい身体はしていないつもりだしね。

 

「んん~佳奈ってばナニを見る気でいるのだね? ギャー佳奈さんのえっち」

 

 あべこべにちょっとした悪戯心で敢えて調理中の佳奈の背後に回り、意味も無く体を密着して彼女曰く宝の持ち腐れな大きさと形の我がお胸を押しつけて、ふざけた声色でからかってみる。

 

「あんたがぶら下げてる無駄にご立派な二つの肉桃のこったよ! なんでいつも甘いものばっかり食ってるくせに腹じゃなくて胸にばっか肉が付くんだよ! このぉおおおお!」

「熱ッ! いたた! 菜箸で変なところ突っつかないでおくれよー! 佳奈の変態! マニアック! 女王様!」

「誰が女王様だ! 全裸JKが偉そうなこと言ってんじゃないよ!」

 

 小粋なジョークのつもりが慎ましく謙虚な体型の佳奈の逆鱗に触れてしまったため、わたしはあまり大きな声では言えない体の部位をいろいろと熱を帯びた菜箸で摘ままれたり、突かれたりするという高度なプレイを受けてしまった。お嫁にいけなよ、くすん。

 これ以上は言いつけを守らないと本当に熱々のフライパンでお尻をひっぱたかれる可能性も出てきたのでわたしは不本意ながらパンツとTシャツを着て、夕飯が出来上がるのを待つことにした。

 

「ほれ、塩レモン焼きそばお待ち」

「いただきます!」

 

 美味しそうな匂いを漂わせる佳奈特製の豚肉と野菜たっぷり焼きそばを遠慮なく豪快にすする。

 うんうん。見た目に負けない美味しさだ。レモンの酸味がまた絶妙なんだな。旬じゃないけど細切りにしたタケノコの食感もたまらない。

 

「痛うまー! 無限に食べるかもしれないよ、佳奈」

「なんだ、痛うまって」

「口の中が切れて塩気はしみるから、痛うまなのだよ」

「そういうことな。で、肝心の筑前煮の方はどうよ?」

「美味しい以外の言葉が見つからないね! あ、でも、わたしはもう少し甘口でもいいと思うけどな」

「なるほど。遊がそういうなら、味付けの加減はこのままがベストだな」

 

 わたしの感想という名のリクエストを聞いて、佳奈はクールな様子でスパッと即答した。

 

「佳奈さんや、わたしの感想が雑に処理されたような気がしたんだけど気のせい?」

「イカれた甘党がどの口で言うんだよ。ま、まあ……毎回感想ありがとな」

「ツンデレかい? 可愛いやつめ。いまの彼氏さんと別れたら、もうわたしのとこにお嫁においでよ」

「バカ言え。あたしはな病気かって言うぐらい恋と男が大好きなんだよ」

 

 わたしのおどけた言葉に対して、佳奈はいつか乱暴者の不良と対峙した時同じように一片の曇りも無い真剣な面持ちでそう答えた。

 

「その決め台詞さ、誤解されるからわたし以外にはあんまり言わないでおいた方がいいと思うよ」

「好きなものを好きだって言って、何が悪いんだよ。遊が殴り合いが死ぬほど好きなことと、あたしの好きなこと……何の違いもないだろう。どっちも同じぐらい真剣で、どっちも自分が満ち足りてれば、他人の目なんて知らないね」

 

 本当に、彼女のこういう姿勢には感心を通り越して友達ながら尊敬する。

 両親との死別を機に本格的に本性を表に出して、喧嘩道楽を邁進するようになっても変わらず友達で居続けてくれる彼女の懐の広さとその価値観はいつも驚きであり、勉強になる。

 

「にはは。佳奈のそういうとこ大好きだよ」

「え……なにその、真っ当なヒロイン面したコメント。きもい」

 

 でも、たまにこのぞんざいが過ぎる対応は少し直して欲しいとも思う。

 親しき仲にも礼儀ありって、みんなのところでも言うよね。

 

「それよか、遊あんたさぁ炊飯器でなんつーもん作ってんだ」

「ムフー! 驚いたでしょう、わたし渾身の炊飯器ホットケーキ! 本当は今日の夕ご飯だったけど、後でデザートに食べよう。佳奈も食べるよね? ポイップクリームとメイプルシロップどっちかける?」

「ホントによく食べるやつだなぁ。1/4ぐらいでいいからな、メイプルで。ついに砂糖水で白米炊いたかと思って焦ったよ」

「そんな無謀なことする人、流石にいないよー」

「鏡見てこい。その無謀なやつ予備軍の顔を拝めるぞ」

 

 こんな風に気心の知れた者同士でぐだぐだとお喋りしながら夕ご飯を食べ終えて、絞めのデザートを堪能していた時だった。佳奈がわたしに面白い話を聞かせてくれた。

 

「そういえば。鏡で思い出したけど、最近街で流行ってる噂話って知ってる?」

「なにそれ?」

「鏡の中にこの世の物とは思えない怪物がいて、急に飛び出して来ては人間を襲うんだってさ。そんで、そんな怪物を仮面の騎士ってのが退治してるとかいう……仮面ライダーとか言ったかな? B級のファンタジー映画みたいな都市伝説だよ」

「へー、ふーん……鏡の中に怪物ねー」

「ああ……やっぱり、そういうリアクションするよな、遊はさ」

 

 佳奈が呆れた顔でわたしを見ている。

 きっと、いまのわたしは遊園地にでも行ったように満面の笑みを浮かべているんだろう。

 

「鏡の中の怪物と喧嘩したい。みたいな理由でその辺の窓ガラスに突っ込んで怪我してもお見舞いとか行ってやらないからな」

「そこまで脳ミソ筋肉じゃないから! いるわけないじゃん、そんなの」

 

 片手を振って、馬鹿げているとアピールしてわたしはこの話題を打ち切った。

 未知の怪物と戦えるかもしれないというポイントは興味深いけど、所詮はフィクションだと言うのは幾らわたしでも分かっている……つもりだ。

 

「遊が思っていたよりも聡明で安心したよ。さて、そろそろ良い時間だからあたし帰るわ」

「んー彼氏さんの迎えに行くの?」

「いや、そういうわけじゃないけどさ……これでも色々忙しいんだよ」

「ごはん、ごちそうさま! 気をつけて帰りなよ」

「そうする。またね、遊も早く寝て怪我治せよー」

 

 そういって、帰っていく佳奈を見送って玄関を閉めると夕立のように急激に独りの静寂が我が家を包み込んだ。一人ぼっちになった小さな家の中で、いそいそと食事の片づけを行い、洗濯もバッチリ済ませると、いよいよやることがなくなってしまう。

 見たい映画もないし、佳奈が持ち込んでは置いたままにしている雑誌や漫画を読む気にもなれず、いい時間潰しも思い浮かばなかったわたしは小学生でも起きているであろう時間帯から布団に潜り込むと朝まで泥のように眠っていた。

 

 

 

 

 次の日。わたしは珍しく制服ではなくTシャツとジーパン姿で月見区にある聖月パレスタウンの周辺をうろついていた。我ながら神妙な顔つきでガラス張りの建物を虱潰しに散策する。

 年頃の女子高生らしくウインドショッピングをしているわけではなく、本当の目的は昨日佳奈が話してくれた鏡の中にいると言う怪物探しだ。あと、いれば仮面ライダーって人も。

 

「近所のちびっ子たちのことをお子様だなんて笑えないなー」

 

 照りつける夏の日差しに少しうんざりしながら、昨日親友に対して言った言葉は何だったのかと思わず自分に苦笑いだ。

 だけど、しょうがないじゃないか……そんなすごそうな存在がいるのなら、見つけて戦ってみたくなるのは当然だ。

 人間を襲うぐらいなのだから、もしかしなくてもその辺の不良君やチンピラさんよりもずっとずっと強いはずだ。

 

「怪物って言ってたけど、そういえば大きさとかは聞いてなかったなー。50mとかだったら流石に喧嘩にならないかな?」

 

 ふと、考えが至らなかった問題に気付いて思わず怪物探しの足が止まってしまう。確かに腕から光線を出す巨大変身ヒーローが戦う怪獣サイズだとしたら殴り合いの喧嘩は出来ない。最悪の場合は踏み潰されてお終いだ。

 

「けど、まあ……限界まで攻撃を避けて、蚊みたいな威力しかなくても殴れるだけ殴れれば、そうなってもいいか。きっと、死ぬギリギリまで楽しめるでしょ」

 

 けど、その問題に対する解答を大体2分ぐらいで導き出して、わたしはまた歩き始めた。正直なところ、中学一年生で強い誰かと殴り合いの喧嘩をすることでしかまともに生きている喜びを感じられないという性分に気付いてからいまに至るまでに、自分という人間が生まれる国はおろか時代や世界もちょっと間違えちゃったなという自覚はある。

 だけど、今更また昔のように偽物の笑顔を貼り付けて、生きている真似をして寿命をだらだらと使い潰すぐらいなら、見たことも聞いたことも無いぐらい強い存在に全力でぶつかって歓喜に震えながら死んだ方が有意義だ。

 

「鏡のかいぶつ、出っておいで~♪ 美味しい獲物が遊びにきったぞ~♪ わたしを喰いたきゃ殴って蹴って遊びましょ~♪」

 

 即興の歌を口ずさみながら、怪物探しを続けていると土地勘がないこともあってかいつの間にか人気のない市営駐車場に出てしまっていた。

 車の窓ガラスも鏡とは言えなくもないが一台一台を見て回っていたら流石に不審者に思われるだろうから引き返そうとする。そんな時だった――。

 

「貴女、いいですね♪」

「え?」

 

 耳元に突然、知らない女の子のような声が聞こえた。

 慌てて後ろを振り向くが誰もいない。

 だけど、空耳には思えなかった声の主を捜してわたしは駐車場のまわりをきょろきょろと見て回ってみた。すると、再び声が聞こえてきた――。

 

「こっちですよ~♪ ほら、ほら! ここに何処にお出ししても恥ずかしくない美少女がいるの分かりますぅ~?」

「……いた」

「あ、やっと気付いてくれましたね~♪」

 

 ある一台の車の窓ガラスに誰か、わたしではない少女が映っている。

 腰まである深い黒髪。

 明るそうな性格をしていると思わされる大きな瞳。

 そして、どこの学校のものともつかない黒いセーラー服を着ていた。

 

「えーっと、こんにちは?」

「こんにちは。私はアリス。貴女の願いを叶える方法と機会をプレゼントするキュートでセクシー。可憐で純情な女の子です♪」

 

 喧嘩ばかりして頭や顔も随分と殴られてきたから、いよいよわたしも精神的にポンコツになったのかなと思ったがもう一つの可能性が頭をよぎった。

 鏡の中にいるようにしか見えないこの女の子が例の噂話の鍵を握っているのではないかと、深く考えることが苦手だが勢い任せで決めた物事は割と良いことが多かったわたしの本能がそう告げていた。

 

「突然ですが! 貴女はどうしても叶えたい願いってありますか?」

「はい! 強い人とガンガン喧嘩がしたいです! 人間相手だとうっかり殺して逮捕ちゃうかもしれないから、丈夫で元気な相手なら人間じゃなくてもいいかなーっと」

 

 クイズ番組の司会者みたいにビシッとこちらを指差しながらキラキラした笑顔でそんな質問を飛ばしてくるアリスという女の子に、わたしは心から湧き出た願いをそのまま口に出した。

 

「ビックリするほど単純明快な願い事、大変素晴らしいですよ! アリスちゃんも貴女のような賑やかし役が欲しかったので幸せいっぱい、夢いっぱいです!」

「よく分かんないけど、おめでとう! で、君さ……どうすれば怪物に会えるのか知っているよね?」

 

 言葉の真意は分からないけど、どこか仄暗い感情を隠している様な弾ける笑顔で拍手を送って来るアリスという少女に、わたしはお腹を空かせた肉食獣のような笑顔を浮かべていた。鏡に映っていることではっきりと自覚できる――わたしはいつも、こんな風に笑っているのか。

 

「このカードデッキを手に取ってください。そうすれば、貴女の本当の願いが叶います」

 

 アリスは可愛らしい仕草で口元を両手で隠しながら、一瞬わたしのこと見下すような眼差しを向けると真面目なトーンで言いながら緑色の小箱のようなもの鏡の中からこちら側へと差し出してきた。

 

 そう語る少女をもう一度窺うと、その大きな瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

 どこまでも果てのない。深い闇の底――飛び降りたそこにはとんでもない魔物がいそうで、わたしの心は無意識にそわそわと昂っていた。

 

「それじゃあ、遠慮なく!」

 

 そして、わたしは一瞬の迷いも無くカードデッキを手に取った。

 

「おめでとうございます!貴女はどんな願いでも叶えることが出来る機会を獲得しました!それじゃあ、執念(ゆめ)欲望(きぼう)に溢れたミラーワールドへご招待♪」

「お、おおお!?」

 

 スカートを翻しながら、彼女はミュージカルスターのように右腕を掲げてジャンプすると鏡の中から左腕を伸ばして、わたしを自分がいる世界へと引き込んだ。

 

 

 

 

 視界が開けるとそこは元いた月見区の駐車場――ではなく、全てが鏡に写したように反転した世界。更にひどく静かで人間が生活している気配がまるでない。

 ただ、何となく何かの生き物がいる気配は空気を通じて肌で感じることが出来、無人では無いのだろうと言う確証があった。

 

「すっごいなー……わたし、鏡の中へ入っちゃったよ」

「いいですねえ、遊ちゃん♪ その鈍感にも程がある動じなさ、呆れるぐらい感心しちゃいますぅ」

 

 デッキを握り締めたまま、周囲を見回しているとアナウンスのようにアリスの声が聞こえてきた。姿は見えない。そういえば、自己紹介した覚えはないけどなんでわたしの名前知っているんだろう……まあ、いいか。

 

「それでは素敵な玩具(さんかしゃ)として見所がある遊ちゃんにはアリスが実況プレイ感覚でチュートリアルのご説明を行いたいと思いまーす♪」

「わたし、説明書読んだり聞いたりするの苦手だから手短にしてくれると助かるー」

「しょうがないなぁ、遊ちゃんはぁ~……アリス秘密のスキップ機能とか実行しちゃいますぅ?」

「是非に!!」

 

 そういうわけで、とても手短で分かりやすくアリスにこの世界・ミラーワールドのことを説明してもらった。

 要点をまとめるとわたしや他にもいる仮面ライダーに選ばれた十代の女子たちはそれぞれの願いを叶えるために最後の一人になるまで殺し合いをするのが目的だということ。

 仮面ライダーはこの世界に棲息しているミラーモンスターという怪物と『CONTRACT』というカードを使って契約を結び、完全体になって戦うということ。

 仮面ライダーであっても、この世界で一度に活動できる時間は9分55秒ということ。

 契約を結んでもミラーモンスターには定期的に他のミラーモンスターや人間の魂を餌として与えないと主人を餌として襲い掛かってくると言うことだ。

 他にも細かいあれこれがあるそうだが最低限覚えておくべきことはこれぐらいだろう。

 

「変身っと。よし! それじゃあ、早速一緒に戦う相棒を探しに行くとしよ――」

 

 黒い簡素な鎧を纏った騎士というよりは一兵卒のような姿になったわたしは両手の拳をかち合わせて気合を入れる。

 まずは試しと近くの窓ガラスを使ってわたしは気軽にベルトにデッキを装填してブランク体と呼ばれる仮面ライダーの仮免許状態へと変身してみたが不思議な感覚。

 フルフェイスのヘルメットのような仮面をしている割には呼吸も苦しくないし、視界も生身のように広くはっきりと感じられる。むしろ、五感が研ぎ澄まさせているぐらいだ。張り切って探索を始めようとした矢先、遠くの方からいきなり軽自動車が飛んできて、わたしのすぐ後ろの地面に激突した。

 

『ウホォオオオオオオオ!!』

「おおっと!?」

 

 瞬間、気持ちを臨戦態勢に切り替えて車が飛んできた方角を見るとそこには大型ダンプぐらいの大きさの緑色のデカいゴリラのようなミラーモンスターがビルの上にそびえていた。

 

「おやおや~これまた活きの良いゴリラさんのエントリーですね。遊ちゃん、いつの間にマッチングアプリに登録してたんですか? 個人的な所感ですけどベストマッチな予感がしますよ」

「ホントだね! すごく強そうじゃん! よし、さっそくちょっと喧嘩してくるよ!!」

「は?」

 

 肩を回して、いざゴリラ!と勇んで駆けだそうとしたところでわたしの耳元に大きな困惑した様子のアリスの声が聞こえた。

 

「あの……遊ちゃん、先程の説明をちゃんと理解してますか? おサルさんにも分かる説明だったと思うのですが」

「うん。大丈夫、分かってるよ。このカードで契約するんでしょ」

「ではでは何故、その最弱ブランク体で戦いを挑もうとするのです? 空絶絶後のおバカさんなのですか? そこは普通に契約でしょう?」

 

 呆れているというか、軽蔑した様子でそう言ってくるアリス。

 ずっと天真爛漫でどこか小悪魔な感じだっただけに、ここまであからさまに心情が態度に現れるとちょっと可愛らしく思えてしまう。

 

「だって、契約したら仲間になるんでしょ? あんなに強そうなやつと喧嘩できなくなるなんて勿体ないじゃん! だから、喧嘩してその後で相性が良ければ契約しようと思っているよ」

「馬の耳に念仏って言葉をその無駄に丈夫そうな頭蓋骨を割って、キュートな脳みそちゃんに彫刻刀で刻み込んであげたい気分ですよ。貴女、死んでもいいんですか?」

「にはは。出来たらまだまだ喧嘩したいから生きていたいよね」

「というか、絶対に死にます。ええ、人肉のハンバーグのようになって、あのモンスターにムシャムシャゴックンですよ。無残で無意味で無価値な死です。それでもいいんですか?」

「……どうかな? でも、あのゴリラ君と思い切り殴り合って死ぬんなら、わたしは絶対に最高に生きている気分で天国に逝けるんだろうさ! なら、ここはいざ尋常に勝負でしょう!!」

 

 だから、このチャンスをふいにするなんてことは出来ない。

 耳元でアリスの天の声があれこれ言っていたが制限時間もあることだしと、わたしは緑のゴリラ君を見据えて駆け出していた。

 

 

 

 

『ホワァアアアアアアア!!』

「やあ、ゴリラ君! 突然で悪いけど、わたしと喧嘩しようじゃないか!!」

 

 ゴリラのような巨大なミラーモンスター・ガッツフォルテ(アリスに名前を教えてもらった)は自分に向かって突撃してくるブランク体状態のわたしを認識するとビルから飛び降りて、雄叫びと共に激しいドラミングをして威嚇をしてくる。

 

「フウン!!」

 

 だが、そのアクションで俄然闘志が燃え上がって来たわたしは一切恐れずに拳を振りかぶって殴り掛った。しかし、このパンチはガッツフォルテには届かず、突然目の前に広がった白い謎の壁に阻まれる。

 

「いいッ!?」

 

 拳と金属板がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

 なんと、このモンスターは器用にも近くにあった車を片手で掴むと盾として用いて、わたしの攻撃を防いだのだ。

右手に走る痛みを感じるよりも前に、ガッツフォルテが盾を押しつけるように投げつけてきた白い車の屋根が迫る壁のように全身にぶつかって、わたしはスーツから火花を散らしながらアスファルトを転がる。

 

「いったた……ゴリラは頭良いって昔何かで聞いたけど、君ももしや案外インテリなのかな?」

 

 防御からの点では無く面の全体攻撃への繋ぎ方、その辺の不良よりも賢い戦い方に驚きながら、わたしは痛みを気にせず立ち上がると再び拳を握り、彼と対峙する。

 

「うぉおおおおりゃ!!」

『ウホッホオオオオオ!!』

 

 今度は一度、左に踏む込むフェイントを掛けながら真っ直ぐ殴りに行ってみたがガッツフォルテは咆哮一つ上げて、地面を強く叩くと跳び上がってわたしの背後へと回り込む。

 そして、駐車場の真ん中に着地すると手当たり次第に近くの車を投げつけてきた。

 

「ちょっ!? 待って……のわあああ!!」

 

 次々に流れ星のように降り注いではスクラップになっていく自動車たち。

 自然と廃車になったそれらからはガソリンが漏れ出して地面に広がっていく。そして、何台目かが落下した瞬間に起きた火花に着火して、わたしの周囲は爆発の炎に包まれた。

 

「ぐううっ……クソ、何だい君は……頭良いのを褒められたいのかな?」

 

 煤に塗れながら、どうにか下敷きにされていた車の一部を蹴り飛ばして起きがあるとガッツフォルテは嬉しそうにドラミングをして自分を鼓舞しているようだった。

 戦い方としては上策だ。ハッキリ言って、わたしなんかよりもずっと知的な戦い方をこのモンスターは心得ている。

 だけど――!!

 

「そのぶっ太い腕は飾りかい!! それとも、痛いのが怖くて君からしてみたらこんなにもちっぽけなわたしが恐ろしくて近づけないのかな!! 最高の喧嘩が出来ると思ってたのにこんな腰抜け相手じゃガッカリだよ!!」

 

 怒りに震える拳で強く胸を叩きながら、大声を上げて啖呵を切る。

 ふざけるんじゃないよ。わたしは君と殴り合って、殴り合って、その果てに無残な死が待っていても良かったと思っていたのに、こんな喧嘩じゃ死んでも死にきれない。わたしの期待と昂りを返してくれと怒りの叫びを叩きつけた。

 するとどうだろう――ガッツフォルテはドラミングをピタリと止めると、平手を握り締めてそっと地面に置いて、こちらを睨み始めた。

 

『フゥゥゥゥ……ホオオオ!!』

「おおおお――あが!?」

 

 わたしは視力は良い方だけど、それでも完全に捉えきれなかった。

 一体あの巨体のどこにそんな瞬発力があるのか、あっという間にわたしの眼前に肉薄したガッツフォルテの拳が僅かに遅れて繰り出されたわたしのパンチを物ともせずに炸裂。わたしはダミー人形のように盛大に吹き飛ばされて近くのトラックの荷台に叩きつけられた。

 

「ゴホ……ガハッ、ゲボッ……ぐあぁ」

 

 肉体が生命を繋ぎ止めようと必死に酸素を求めて、激しく咳こんだ。一気に口の中が鉄くさくなって、仮面の口元から真っ赤な血が漏れ出す。

 それだけじゃない、全身あちこちが激しい痛みに苛まれて悲鳴を上げている。そこいら中が嫌な熱を帯びて、汗では無い何かが滴り流れている感触が肌に伝わる。たったの一撃で皮膚や肉が裂けて、出血するほどの怪我を負ったらしい。

 恥も誇りも、意地も捨てて、痛みに負けて泣き喚きたい気もあった。

 だけど、だけど、だけど――。

 

「には! にははは!! 良いパンチ、打てるじゃないか君ィ!!!!」

 

 楽しくて、愉しくて、たのしくて。

 楽しすぎて、笑いが止まらない。

 

 力比べにもならない圧倒的な戦力差はあれど、それでも一秒でも拳をぶつけあえた感触に全細胞が絶頂を堪能している気分だ。喜びでずっと震えが止まらない。

 

 この強さ!

 この威力!!

 最高だよ!!!

 大好きだ!!!!

 

「こういうのだ! こういう喧嘩がしたかったんだよ、わたしはさあ!!」

 

 僅かに怪訝な顔をするガッツフォルテの前に、わたしはよろけながら再び真正面から相対する。たった一撃で虫の息のボロ雑巾。だけど、わたしの心も肉体もいまこの瞬間がたまらなく愛おしくて、痛みなんて存在を忘れ去っているように体が軽くなっていく。

 

「さあ、わたしはまだまだ生きてるぞ! もっともっと殴り合おうじゃないか!!」

『ホワァアアアアアイ!!』

「君がわたしのことを敵として見ているのか、エサとして見ているのかなんて、この際どうでもいい!!」

 

 大きく大きく息を吸って、わたしはありったけの力で叫ぶ。

 

「わたしを殺したいんだろう! だったら、死に物狂いで殴り合っておくれよおおおおお!!!!!」

 

 獣のような叫び声を上げて、わたしは一直線に全力で駆け出した。

 全身に力が漲って仕方ない。身体が羽根みたいに軽くなった感じで腕に宿る力も天上知らずに湧き出してくる気分だ。きっと、命を燃やすと言うのはこういう感覚だろう。

 悪くない。この世界に居られる時間が約10分だったけど、その僅かな時間に残りの寿命を全て燃焼してしまってもいいといまこの瞬間ならば、わたしは断言できる。

 それぐらい、このわたしの常識の遥か埒外を行くミラーモンスターという存在との戦いは喜多村遊という人間の渇きを満たしてくれていた。

 

「オオォリャアアアアア!!」

『ウホォオオオオオオオ!!』

 

 満身創痍の体を突き動かして、喉が張り裂けんばかりの気合の雄叫びを上げながらわたしは渾身の拳を繰り出す。

 ガッツフォルテもわたしの戦意に意を汲んでくれたのか、単純にその方が効率的だと考えたのかは定かではないが真っ向から丸太のように野太い腕を突き出してくる。

 相手の右の拳にわたしは左の拳を叩きつける。力と力がぶつかり合うがその馬力は圧倒的に向こうが格上だ。だけど、押し負けるわけにはいかないと両足にも死ぬ気で力を入れて、踏み止まり前進していく。

 

「がああ……ああああ!!」

 

 わたしの拳とガッツフォルテの拳がぶつかり合って数秒。

 わたしがどうにか彼の間合いに入り込もうとようやくの第一歩を踏めた時点で折れた。

 何がって、バキッとマッチ棒のようにわたしの左腕の骨が折れた。

 けれど、左腕に込める力を緩めるわけにはいかないと歯を食いしばって足掻くと骨折したことで接地面がズレたガッツフォルテの拳が大きくずれて前のめりに姿勢が崩れた。

 まさに怪我の功名と、この機会を逃がすことなくわたしは快感にも近い激痛に耐えながら控えていた本命の右の拳を目一杯に握り締めると一気に間合いへと飛び込んだ。

 

「届けえええええええええ!!!!」

 

 命を燃やしながらの一撃をガッツフォルテの顔面へと叩き込む。力を入れ過ぎて、うっかり指の骨にひびが入るほどの全身全霊の一撃だった。いまのわたしに出せる人生最高の一発だった。

 生きている喜びを最大に感じられる鉄腕をぶち込んでつい満足をしてしまったわたしは糸が切れた人形のように脱力してその場に崩れ落ちかけた。

 

「あ……れ?」

「嘘――こんなことって、ありですか?」

 

 だけど、不思議なことにいつまでたってもわたしはアスファルトの地面に倒れ込むことはなかった。完全にここで死ぬ雰囲気に浸っていたわたしが首を傾げて目を開くとそこには何処かで気分を白けさせながら管理者の責任として戦いをタピオカミルクティー片手にずっと観戦していたアリスも驚くべき光景が広がっていた。

 

「どうして……わたしのこと食べないの?」

『………ホッホ』

 

 倒れかけていたわたしの体はずっとガッツフォルテの太くて大きな力強い腕に受け止められていたのだ。彼はわたしを優しく近くに転がっていた車のタイヤに座らせると土下座の姿勢のようにわたしの目の前で平伏するようなポーズをとってみせた。

 

「あの、えっと……ハァ、ハァ……どうしよ、これ」

 

 実のところ、ハイな気分が落ち着いてきたことで死ぬほど痛い激痛に内心それどころではないわたしが虫の息寸前で戸惑っていると再びアリスのアナウンスが響いてきた。

 

「あくまでも好意的な憶測ですが貴女を主人として認めると言う意味ではないかと思いますよ」

「そうなの?」

「イレギュラーケースですので私も断言できないのが正直とても迷惑な話ですが……そういう個体もいるのでしょう。命拾いしましたね、遊ちゃん」

「にはは! 情けないこと言うと満足死してもおかしくない有様だけどね」

「早急の契約をおススメしますよ。サプライズゲストも近いようですので」

 

 言葉で気持ちを交流できないから、定かではないがガッツフォルテはわたしのことを好ましい存在と思ってくれたらしい。顔だけわたしの方へと向けてくるガッツフォルテの眼差しがそう言われるとなんだか優しいものに思えてきた。

 

「わたし、こんなんだけど……一緒になって喧嘩してくれるんだね。ガッツフォルテ?」

 

 契約のカードを取り出して、キチンと言葉にして伝えたかったわたしにガッツフォルテは大きな身体を律義に縮めて、こくりと頷いて見せた。

 

『ブオオオオオオ!!』

 

 そんな和やかな空気を突然、荒々しいもう一つの獣じみた雄叫びがぶっ壊した。声の方角を痛みに呻きながら見ると紺色の硬そうな装甲で身を包んだ猪のような怪人が自動車を何台も弾き飛ばしながらこっちへ突進してくるのが見えた。

 

「え、なに? あの人型もミラーモンスター!?」

「はい。とっても可愛くて、元気いっぱいのシールドボーダーちゃんですよ。硬い盾と牙にご用心♪」

 

 驚いているわたしにアリスが丁寧に説明をしてくれた。

 シールドボーダーと呼ばれるあの怪人がやる気満々なのは明らかだ。

 既にガッツフォルテの方は臨戦態勢で空気を震わす激しいドラミングを見せつけて、闘志を剥き出しにしている。わたしだけが置いてけぼりを食らっているわけにはいかないね。

 

「ガッツフォルテ、いいや……よろしく頼むよ! 相棒!!」

 

 契約のカード『CONTRACT』をガッツフォルテの前にかざすとわたしたちの周りを白い光が包み込んでいく。そして、手の中にあるカードが『ADVENT』に変わるとそれに呼応してブランク体だったわたしの姿も劇的に変化した。

 

 黒いアンダースーツに分厚く逞しいメタリックグリーンの装甲を纏ったゴリラの意匠を強く持つ騎士の姿へとわたしは変わる。心の中に自然とこの姿での名前が閃いたような気がした。

 

 仮面を纏い戦う時のわたしの名前――仮面ライダーレイダー。

 

「は~い! ようやくですがこれで正式に契約完了です♪ 改めましてようそこ、仮面ライダーレイダー。私ことアリスとミラーワールドは貴女をライダーバトルの参加者としてここに歓迎致します。それでは良きライダーライフを!! 初回特典にミラーワールドにいられる時間をリセットしてあげますので存分にお楽しみください」

「ありがと。そんじゃあ、仕切り直して……喧嘩を楽しもうじゃないか!!」

 

 鏡に映る完全な仮面ライダーとしての姿と漲って来る本来の力の凄さを実感しながら、わたしはアリスの祝福の言葉を背に受けて、目の前に迫る新たな喧嘩相手に嬉々として駆け出した。

 

「左手はばっちり折れたままだけど、それ以外は絶好調! これならまだまだ本日は特にどこまでだってヤッちゃうぜ!!」

 

 片手のハンデどころか、大激戦を繰り広げて満身創痍ではあるがそんなの些事だと言えるぐらいに、新しい船出の戦いにわたしの体と魂は打ち震えて、十分にわたしの思うがままに動いてくれた。

 胸の一部だと思っていた猪の顔と牙を持つ盾を右手に構えて体当たりしてくるシールドボーダーとやらと正面切ってタックルを決めて競り合う。

 花火のような轟音を何発も響かせてぶつかり合うがどうやら突進力はほぼ互角。ならばとこちらは技を駆使するとしようじゃないか。

 

「これならどうだい!! そりゃあ!!」

『ブオオッ!?』

 

 まずは鬱陶しい盾をどうにかしたいから一回、体当たりをよけて距離を取ると助走をつけてドロップキックを叩き込む。

 シールドボーダーの手から離れて飛んで行った盾を一瞥しながら、わたしはネックスプリングで跳ね起きる。片腕だけでやるのはちょっと大変だったけど、いまのわたしはパワーも増し増しなようで力技でなんとかなった。

 

「だぁああありゃああ!!」

『ブモォオオオオ!?!?』

 

 間髪入れずにわたしは痛みを我慢して相手の右腕を折れた左腕と脇下を使って組み合うように固定して逃げられなくすると全力のボディーブローを三連発。

 シールドボーダーの鉄の塊みたいな装甲だが皮膚だかが攻撃の入る度に火花を上げて破片が飛び散るあたり、変身した自分が発揮できる怪力の凄まじさを実感する。

 

「相棒にも手伝ってもらおうか!!」

 

【ADVENT】

 

 グロッキーになるまで殴り倒したシールドボーダーを首投げで放り投げるとわたしは左腿のホルスターに収められたガッツフォルテの顔を模ったメリケンサック型の召喚機・ガッツバイザーにカードをセットする。

 無機質な電子音声が鳴り響くと一度姿を消した相棒がビルの向こうから超特急で駆けつけて来てくれた。

 

「いっくぞ相棒! ツープラトンだ!!」

『ウホォオオオオオオオオオオオオ!!』

 

 よろめいて、逃亡か徹底抗戦かを迷っているような動作のシールドボーダーを捕まえるとコイツの首根っこと片腕を抑えたまま、わたしはガッツフォルテの進路上へと駆け出す。そして、逃げようとジタバタするシールドボーダーを無理やり引っ張って、わたしとガッツフォルテはクロスボンバーよろしく、前と後ろから逞しい二の腕を叩きつける。

 

『ブ……モオオ……オオ』

 

 砂煙が晴れた時、わたしとガッツフォルテに挟まれていたシールドボーダーはしばらく棒立ちだったがやがて時代劇か西部劇の悪役のようにバタリとその場に倒れ込んだ。

 

「よおーし! トドメの一撃! 最高のを決めてやろう、相棒!!」

『ホワァアアアアアア!!』

 

【FINALVENT】

 

 完全勝利の機を見出したわたしは迷わず切り札であるカードをガッツバイザーに挿し込んだ。

 力強く地面を一度右手で叩いて大きくジャンプして、反転したわたしの両足を後ろに控えていいたガッツフォルテが見事にキャッチするとそのまま竜巻のような風を巻き起こして豪快に独楽よろしく大回転を開始する。

 そうやって、力と勢いを溜めながら我が相棒は標的の狙いを定めるべく器用に目測を行う。倒すべきシールドボーダーはあれから何とか起き上ると回収した自慢の盾を胸に収め直して、起死回生の一撃を決めようと真っ直ぐにわたしたちへと突進して来ていた。

 

 いいよ、いいよ!

 真っ向勝負、承ったとも!!

 

「『ウォオオオオオオオオオオ!!!!!』」

 

 その瞬間を本能で感じたわたしとガッツフォルテは阿吽の呼吸で裂帛の気合いに満ちた雄叫びを上げた。

 わたしは拳を握り全身に力を込め、相棒はハンマー投げよろしく持てる力を全開放にしてそんなわたしを発射した。

 

『ブゥゥゥモオアアアアアア――!!?!』

 

 発動したわたしたちの必殺技・デスペラードメガブローがシールドボーダーに炸裂する。

 まるで戦艦の主砲が撃ち出されたような勢いで相手に突っ込んだわたしの拳はシールドボーダーの胸部装甲諸共にその異形の肉体に大きな風穴を作ってみせた。

 

「うおおおおお! いいぇええええええい!!」

『ウホォオオオオオオオォ!!』

 

 拳を引き抜いて、ガッツポーズと残心が入り混じったようにフン!と構えるとわたしの後ろでシールドボーダーが爆散する。

 爆風と揺らめく炎のスポットライトを浴びながらわたしと相棒は共に勝利の雄叫びをミラーワールドの空へと轟かせた。

 こうして、わたしの第二の始まりの拳は無事に勝利を収めることが出来たのだ。

 

 

 

 

「に……はは。たのしかったけど、つかれたあー」

 

 制限時間ギリギリでミラーワールドから現実世界へと帰還したわたしは相変わらず人気のない市営駐車場で大の字になって伸びていた。

 ボロ雑巾の方がマシなぐらいに傷だらけの重傷で、白かったTシャツは見事に大部分が血色に染め上げられている。

 人目に見つかる前に自宅に帰った方がいいのは分かるけど底の底まで体力を使ったらしく文字通り一歩も動けないようだ。

 

「だけど……本当に楽しかったな。わたし、最高に生きてたよ」

 

 夏休みの青空は相変わらず厳しいぐらいに暑くて、このまま干物になってしまうのではと思ってしまう。このまま野垂れ死にする可能性も零では無いような状態だけど、ろくでなしなわたしの思考回路は既に次の戦いのことで頭がいっぱいだった。

 

「アリスが言うには仮面ライダーはミラーモンスターよりももっと手強いって話だけど、どんな人たちがいるのかなー……楽しみ過ぎて、死んでられないよまったくぅ♪」

 

 ああ、きっとまた……わたしはとびきりの笑顔を浮かべているんだろう。

 鏡を見なくても解ってしまう。最高に楽しそうな本物の笑顔をわたしは浮かべている。

 

「ひゃっほうぅ! 明日も元気にヤッちゃうぜ!!」

 

 ボロボロの右手を空高く伸ばして、力強く握り締めて――わたしは笑う。

 毎日がもっとずっと楽しくなってきたよ。

 

 

 

 

 

 

 

「変身」

 

 これは喜多村遊が仮面ライダーになったその日と同じ日に、聖山市のどこかであった一風景。凪川の畔に佇むピンクの髪の少女に鏡像が幾重にも重なり、騎士の姿へと変わる。

 

「くふ♪ 今夜も私の勝利のための布石を打ちに行きましょうか」

 

 その騎士は恐ろしい竜の白骨を模った鎧を纏う姿をしていた。

 左腕に装備した恐竜の頭部めいたガントレットタイプの召喚機はストライクベントの武器と見間違えるほどの大きさと凶悪さを誇っている。

 闇夜に毒血のような禍々しい紫の双眸を妖しく輝かせながら、悪竜の騎士は穏やかな流れの凪川を用いた水鏡を媒介に今宵の狩り場へと躍り出る。

 

 騎士の名は――仮面ライダードラクル。

 




ここまでお読みいただきありがとうございました。
大ちゃんネオさんの仮面ライダーツルギ本編にて作中のライダーになった少女たちは怪我の回復力が上昇しているという設定が明らかになったので当初の予定以上にドボドボになりながら暴れる遊が書けました。

あと、なんでゴリラ型のガッツフォルテがよく「ホワァアアアア!!」って叫んでいるかと言うとガッツフォルテの声(鳴き声)を作者が勝手に玄田哲章さんで脳内再生しているからです(笑)

最後の最後にツルギのライダー募集にも送っていない知らないやつが出てきましたが次回からは彼女と遊の大戦争の勃発予定でございます。
これからもよろしくお願いします。


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第三話 ファイル:02 極限遊戯


皆さま、お世話になっております。
どうにか第三話、更新させていただきました!

今回からは前後編の強敵編!
色々と過激な描写をたくさん入れたので苦手な方はブラウザバックを推奨いたします。
それでは、どうか此度もよろしければ最後までお付き合いくださいませ。


 

 蒸し暑い八月のとある真夜中の出来事。

 凪河区にある一軒の廃倉庫からぞろぞろと若い男たちが賑やかに騒ぎながら出てくる姿があった。見張り役をしていた下っ端を含めるとその数は十数名ほど。男たちはみな十代後半から二十代前半あたりの背格好で見るからに素行不良な外見をしている。

 

「いやーヤッた、ヤッた! 地味子ちゃんかと思ったけど、イイもん持ってたじゃん」

「ガッハッハ! 搾り取られちまったぜ」

「それ、お前が早漏なだけだろ! ぶっははは!!」

「ホント! 姫にお仕え出来て俺たち幸せもんだよな!!」

「ああ、全くだぜ」

 

 汗と雄の臭いをむせ返らせて、男たちは下卑た笑顔でそんなことを語らいながら、お次は酒でも呑むかと夜の街へと消えていった。

 そして、気が狂いそうになる程に静寂が訪れた廃倉庫の中では――。

 

「うぅ……ぉぇ、ひっぐ……クソ……くそぉ……」

 

 若い女が泣いていた。深い絶望に犯されながら咽び泣いていた。

 まだ十代の少女と言っていい年頃の女が身体を火照らせて泣いていた。

 否応なしに神経を蝕む雌としての快感に顔を青ざめさせて泣いていた。

 

「あんな奴らなんて……本当は怖くないのに、簡単にやっつけることだって……できるのに……ぐずっ……ぅっ」

 

 衣服は乱されて、瑞々しい柔肌には愛の欠片も無い、獣欲が形になったような赤い痕があちこちに刻まれていた。

 黒い髪にも、お気に入りのメガネにも、願いを叶えるためのカードデッキにも、吐き気を催すような雄たちの汚らわしい体液が纏わりついている。

 

 チーターのようなクレストが刻まれたカードデッキ。

 彼女もまた、この聖山市で繰り広げられるライダーバトルの参加者。仮面ライダーの一人だった。けれど、それでもこの社会――この世界では所詮はただの少女であるが故に今宵、彼女には女性として最低の悲劇が降りかかった。

 ライダーの力を使えば、回避できる悲劇だったかもしれない。しかし、譲れない願いを持ちながら善性の心の持ち主だったこの少女はただの人間相手にライダーの力を行使することはなかった。出来なかった。

 だから、彼女は十人もの男たちに色欲の限りに凌辱され、愚弄され、貪り尽くされた。まるで野山に咲く可憐な花が汚水の付いた靴で無神経に踏み躙られるように。

 

 だが、だが、しかし――それらは全て、彼女を見舞う悲劇のほんの序曲であった。

 

 心身ともに酷く摩耗して、傷つきながらも少女が立ち上がり家に帰ろうとした時だった。廃倉庫のシャッターが開け放たれて、月明かりをバックに白骨の竜の鎧を纏った騎士が姿を現したのだ。

 

「あら? 競争相手の気配を感じて準備万端で来てみれば、災難に遭ったみたいね」

「こんなときに……嘘でしょ」

 

 自分では無い、仮面ライダー。

 それすなわち、殺し殺され合う相容れない敵対者。 

 強姦魔たちよりも絶望的に厄介な相手との遭遇にメガネの少女は深く顔を曇らせた。むしろ、男たちに辱しめられたばかりの痴態を同世代の少女に目撃されたことに言い様のない恥ずかしさが溢れ出て、彼女の顔はついさっき無理やりに男たちの逸物を受け入れていた時よりも紅潮させてしまう。

 

「どうしましょう? あたしはヤりたいんだけど、同じ女としていまの貴女に同情が禁じ得ないのも確か。貴女が嫌なら、退散するけど?」

「いいよ。気にしないで……むしろ、八つ当たりさせてよ?」

「くふ♪ よくってよ。 自己紹介がまだだったね……仮面ライダードラクルよ」

 

 鬼気迫る表情で凄んでいるのはこちらの筈なのに、何故かドラクルに見つめられていると少女は背筋が凍るような気分になった。仮面で隠されて伺えないはずなのに、目の前の少女がひどく嗜虐的に自分を嘲笑っているように思えて。

 

「私はいいや。これから倒す相手に名乗っても意味ないから! 変身!!」

 

 そんな不安を振り払って、少女は触るのも嫌なぐらいべとべとになったメガネを投げ捨てて、チーターの意匠のある黄色い騎士に変身するとドラクルと共にミラーワールドへと飛び込んだ。

 

 

 

 

 真夜中に開戦を告げたドラクルと黄色い騎士の戦いは哀れなほどに一方的だった。

 

「ホラァ♪ オラァ♪ もっともっとあたしの手で踊りなさい!!」

「んぎぃ! ッアア!? こ、この……変なところばかり狙うなぁっ!!」

 

 ドラクルがスイングベントで召喚した大型の爬虫類の舌のようなピンク色の鞭・カースホイップが風を切って唸りを上げる。

 唾液のようなぬめぬめとした粘液を常に溢れさせるカースホイップがドラクルの手によってまるで本物の生物の舌先のように黄色い騎士の肉体を打ち据える。

 胸を、臀部を、そして股間を――露骨に、呆れるほど露骨に女を意識させる部分をピンポイントで鞭打つドラクルの執拗な攻めに黄色い騎士は上擦った声で怒りの言葉をぶつける。

 

「思ったよりも可愛い声で鳴くじゃないの? もしかして、また疼いてきちゃった?」

「こ……殺してやるッ!!」

 

 明らかに狙ってそんな風に侮蔑に近い煽りを浴びせるドラクルに黄色い騎士は仮面の奥で顔を羞恥で真っ赤にしながらマチェーテ型の武器を振るって突っ込んできた。だが、ドラクルはそんな相手の行動を予定調和とばかりに涼しい態度で迎え撃つと、巧みな鞭捌きで今度は足首に素早く一撃を入れる。

 

「そんなもの……くっ、きゃあぁ!?」

 

 痛みもほぼない軽い一撃。僅かに体勢が崩れるだけと走る速度を上げようとした黄色い騎士は足元を滑らせて、面白いぐらいにその場で転んでしまった。慌てて立ち上がろうと地面に手を付くが、力を入れた瞬間にその体はぬるりと気持ちの良いぐらいに滑って、より盛大に転倒してしまう。

 

「まさか……あんたの鞭の気色悪い液体で!?」

「やっと理解したの? お馬鹿さん!!」

 

 手加減なしの重い鞭打が黄色い騎士の仮面を揺らして、彼女はうつ伏せに倒れ込んでしまう。ドラクルの鞭・カースホイップは付着しているぬるぬるのローションのような粘液を相手の体に塗りつけて、体表を滑りやすくすると言う隠し効果を持つ武器だった。

 立ち上がって反撃なり、防御なり何かしらの行動を取りたい騎士の精神を大きく動揺させられた。彼女の肉体はドラクルの仕掛ける趣味の悪い辱しめに隠された罠でほぼ行動不能に陥ってしまっていたのだ。

 

「くふ♪ お馬鹿さんには相応しい姿勢を取ってもらおうかしら? えーい!」

「きゃあッ!? あ、あんた……一体何をす……ひゃぁん!?」

 

 鏡映しの廃工場にバシーンと甲高い女体を叩く音が響いた。

 ドラクルはうつ伏せから四つん這いを経て立ち上がろうとしていた黄色い騎士の背中に跨ると突然にそのスーツ越しにでも張りのあるのが見受けられる瑞々しい臀部を平手打ちにしたのだ。一見すれば滑稽にすら見える光景が広がる。ドラクルは何発も何発も俗に言うお尻ペンペンという行為を敵対するライダーにお見舞いしていた。

 

「ほらほら、お馬鹿なお馬さん? 元気よく鳴いて走ってみなさいな。乗馬のお稽古よ?」

「ひぎぃん!? や、やめろ……そんなところを叩くなぁああああ!!」

 

 願いを叶えるための命懸けの戦いで、こんなふざけた扱いをされたことに。

 女として最悪の悲劇を受けた直後に、こんな恥塗れの扱いをされたことに。

 黄色い騎士は絹を裂くような悲鳴を上げた。

 

「畜生……なんなのよぉ。殺してやる、絶対にあんたなんか殺してやるぅうう!」

 

 怒りと殺意と憎しみと、ほんの一抹……自分の体がドラクルの洗礼に女として反応してしまっているというおぞましい感覚とでグチャグチャに掻き乱れた心で狂ったような声を上げた。その全てがドラクルによって演出された物だとも知らずに。

 

「あら、思いの外何もできない愚図な娘ねえ。じゃあ、せめて見せ物として一時だけでも煌めきなさい!」

「ぐわあ!? やだ……私ったら、なんて恰好を……ッ!?」

 

 自分の尻のしたで惨めに暴れて抵抗する黄色い騎士を駄馬以下と評価しながらドラクルは優雅に彼女の背中から降りると同時に蹴りを入れて無理やりに棒立ちにさせた。

 そして、手慣れた手つきでカースホイップを彼女の全身に瞬く間に這わせると自らが大きくジャンプして天上の鉄骨の一本を飛び越えて着地する。

 

「まあ! 思ったとおり、よく似合っているわよメス猫さん♡」

「いやぁあああああ! 見るな! 見るなぁ!! 恥ずかしい……こんなの、あんまりだよぉ」

 

 気持ちの悪い生物の舌のような鞭を下半身を重点的に肢体の全てに這わされた黄色い騎士は天上の鉄骨を支点にM字開脚の状態で吊り上げられてしまったのだ。

 精神の許容量を容易く超える恥ずかしさが洪水のように押し寄せて、彼女は身体をくねらせて可愛らしい少女の悲鳴を上げてしまう。

 

「恥ずかしがる必要なんてどこにもないわ。いまの貴女はとっても綺麗で素敵よ。さっきのようにね♪」

「え……」

 

 艶めかしい手つきで自分の仮面を撫で回して、鳥肌が立ってしまうような甘い声色で耳元で囁くドラクルの意味深な言葉に黄色い騎士は凍りついて絶句した。

 

「始めは野犬のように荒んで抵抗していたのに貴女、最後には自分から足を絡ませて悦んでいたじゃない? アンアン♪ キャンキャン♪ってねえ?」

「みてたの……そんな、さいしょのほうから……なんで、どうして?」

「とってもだらしなくて、淫らな女の顔をしていたわよ。姫なら恥ずかしくて真似できないなぁ」

 

 わざとらしく、ねっとりとした口調で語るドラクルの言葉に怖いほど冷静になった思考状態の黄色い騎士は全てを理解した。ドラクルがわざわざ表に出した姫という一人称が決定的な証拠だ。

 先程の悪夢も、この最悪な遭遇も全てが目の前の姑息なライダーによって計画されていたことだと言うことに。

 

「卑怯者! 恥知らず!! 命や誇りを懸けて戦う相手をライダーじゃなく、一人の女の子として男たちに襲わせたわけ!? そんな相手に勝って、何が嬉しいの!? この卑怯者ぉおおおおお!!」

「言いたいことはそれだけかしら?」

 

 山積みにされた火薬が一気に爆発したように怒号を上げて黄色い騎士はドラクルが行った卑劣極まる集団戦法を紛糾する。

 ライバルである仮面ライダーをただの少女として捉えて、考えられうる最低最悪の手段で徹底的に弱体化させてから、偶然を装って勝負を仕掛ける。直接の戦闘においても、言葉で、物理攻撃で、精神攻撃で、ありとあらゆる攻撃手段に相手を女として徹底的に攻め立てるという趣向性を足し加えて心身の弱体化を促す。

 それがこの仮面ライダードラクルの常勝の秘策であったのは紛れもない事実だった。けれど、当のドラクルはその反則染みた行為を咎められてもケロリとした態度で短く返事を返した。

 

「姫は貴女に勝負への拒否権を与えたはずよ? それを無碍にして、戦いを受け容れたのは貴女ではなくて?」

「それは……」

「姫の言葉攻めにどんな意図があったにせよ、それは貴女が無視すればただの雑音にしかならないのではなくて?」

「でも、だって……」

「そうね、しょうがないことよね。負け犬はいつだって『でも』と『だって』と見苦しく喚くのが常だもの」

「おげ……ぇっ!?」

 

 突如、左腕に装備したカースバイザーによる強烈な打撃が恥辱の姿勢で吊り上げられたままの黄色い騎士の鳩尾にのめり込んだ。ドラクルはその一撃を皮切りに骨が折れるぐらいの強さで相手の首を片手で掴み絞めながら、数え切れないぐらいの打撃を無抵抗な身体に打ち込んでいく。

 

「よくって? 姫たちがやっているのは戦争なのよ? 一度や二度の勝利になんて何の価値も無い。願いを叶えたその時こそが唯一無二の勝利。あらゆる手段を尽くす、その気概があなたには足りていなくてよ?」

「も、もう……や、やめ……ヒュー……ゼェー……く、だ……さい」

「い・や・よ。だって、姫が勝者になるんだもの。負け犬の言うことなんて聞いてあげないんだから♪」

 

 仮面の奥の素顔を涙と涎と鼻水で一杯にしながら、恥も誇りもかなぐり捨てて許しを乞う黄色い騎士の懇願をドラクルは路傍の小石を蹴飛ばすように却下すると彼女の人生に終幕を降ろすカードを切った。

 

「でも、姫は優しい未来の君主だから慈悲を恵んであげるわ。この初体験、喜んでくれるといいなぁ」

 

【FINALVENT】

 

『カロロロロロ――!!』

 

 ドラクルの後方から現れたのは紫色の皮膚の上から白骨のような硬い外殻で全身を覆い尽したコモドオオトカゲ型のミラーモンスター・カースドランだ。

 カースドランは不気味な鳴き声を上げながら飛び上がると変形しながら契約者であるドラクルの右腕に一体化するように装着された。

 

「ひぃ……た、す……けて」

 

 朦朧とした意識の中で黄色い騎士はそんな言葉を絞り出した。

 虚ろな眼差しに映るのは悪竜の顔を持つ巨大な異形の右腕だ。

 禍々しい大顎がゆっくりと向けられる。それは処刑執行のカウントダウンに他ならない。

 

「最後に一つ聞かせてちょうだい? 貴女、何を願って戦いに参加したの? 貴女の夢は何かしら?」

 

 ふいにドラクルは黄色い騎士に向けてそんな言葉を投げかけた。

 清楚な貴婦人にも、卑猥な淫婦にも聞こえる、美しい少女の声をしていた。

 

「弟がいるの……親がいなくてずっと苦労して生きてきた。弟だけは幸せに生きて欲しいから! だから――!!」

 

 ぶつけられた質問に黄色い騎士はほぼ本能で滔々と答え出した。

 そして、心の底で萎えきっていた闘志が徐々に燃え上がり始めていた。

 そうだ。愛する弟の幸せな未来のためにもこんな恥辱はなんてこともないんだ。勇気を出して、限界以上の力を出して、この窮地を脱してみせるんだと自らを鼓舞した。

 

「ふぅん……つまんない夢だこと。えい!」

「アギャ――!?!?」

 

 吐き気がするほど冷たく無感情な言葉と共にドラクルは自らが問いかけた質問の返事を聞き終える前にカースドランを装着した凶悪なる武装腕・デッドリードラクルで相手の半身に噛みついた。

 大きく鋭い悪竜の牙が黄色い騎士の体を抉り取るように喰らいついてめり込むと、大きく仰け反った騎士は言葉にならない絶叫を上げる。絶望と苦痛に苛まれた大きな悲鳴だ。

 

「ありがたく賜りなさい。最上の気分で逝けるんだから!!」

「あっあぁっ……ひぐぅううううううううううううう!!?!」

 

 デッドリードラクルの上下の大顎が閉じていく。黄色い騎士の鎧を、肌を、肉を、骨を食い潰して――閉じていく。想像絶する致死の激痛を受けながら、彼女はいつしか、絶望の悲鳴を、恍惚とした歓喜の声に変えて、はしたない雄叫びを上げていた。

 それはデッドリードラクル、もとい悪竜にして、毒竜であるカースドランの持つ常識の枠を超えた恐るべき毒液による変貌だった。

 牙から流し込まれた毒液によって、黄色い騎士は痛みを強制的に快感に変換されていた。故に必滅に至るドラクルのファイナルベント――サクリファイス・エクスタシーをあろうことか抵抗するどころか求めるように自ら喰らった末に彼女は哀れにも野性動物染みた絶頂の嬌声を上げて爆散して力尽きたのだ。

 

「くふ♪ また勝った。また姫の宿願に一歩近づいたわ」

 

 完全なる勝利を収めたドラクルは微かに昂った呟きを漏らすとすぐに感情をリセットして、周囲の気配を索敵した。勝利の直後ほど、落とし穴は大きいことをこのライダーは熟知していた。

 

『ガルルル!!』

「あら、子猫ちゃんもしかしていまの彼女のペットさんかしら」

 

 案の定、物陰から飛び掛かって来た前傾姿勢の人型の攻撃をドラクルは左腕のカースバイザーで完全に防ぎきる。謎の襲撃者はひどく激昂した様子のチーターのようなミラーモンスター。紛れも無く、今しがた死亡退場したライダーの契約モンスター・ヘイルイエーガーだ。

 

「人型でスピードタイプか……うんうん。ちょうどこちらの世界で小間使いに便利な駒を捜していたのよ」

 

 主人の仇を討つべく、獰猛に襲い掛かるミラーモンスターの攻撃を無難に捌きながらドラクルはデッキから一枚のカードを引き抜いた。

 それは『CONTRACT』のカード。極めて希少な契約カードを複数所持するタイプのライダーであったドラクルは品定めを終えると飛び掛かって来たミラーモンスターに手にしたカードを翳す。

 

「貴方にこの姫の下僕となる許可を与えましょう」

 

 真夜中の海辺の廃倉庫に一際強い白い光が瞬いた。まるでドラクルの覇道を祝福するように。

 

 

 

 

 それは喜多村遊が仮面ライダーになってから一週間後の出来事だった。

 聖山市の一角で営まれている、とある孤児院の大きな庭では施設の子供たちが暑い日差しを物ともせずに楽しそうに水遊びをしていた。今日はこの孤児院で毎年行われる夏のお楽しみ会ということで小さな子供たちの手には竹で作った手作りの水鉄砲が握られていた。

 

「にははは! さあ、どこからでもかかって来なさい! わたしを倒せる子はいるかー?」

 

 子供たちにも負けない底抜けに明るい声で高らかに宣言して、大ボス役の遊は自作の1mサイズの特大竹水鉄砲を勢いよく放水する。それが合図になって子供たちは一斉に競泳水着の上から白いTシャツを着て、ポーニーテール姿の遊に四方八方から水鉄砲をお見舞いしていく。

 

「やるじゃないか、君たち! だけど、お姉さんも負けないぞー! これならどうだーい!」

「すげえ! 遊ねえちゃんのもう一つの新作竹水鉄砲、ガトリングみたいになってる!」

「負けるなー突撃だー!」

「よっしゃぁ、おっぱい揉んでやれー!」

「男子サイテー! あたしたち遊お姉ちゃんの味方しちゃうもんね」

「にははは! よく分かんないけど、みんなまとめてずぶ濡れにしてあげよう! 女子高生パワーを受けてみよー!!」

 

 夏休みで元気がエンスト知らずの子供たちの遊び相手を天真爛漫な笑顔でこなす遊。何故、彼女がこんなところでこんなことをしているかというと、彼女なりの恩返しのようなものだった。というのも、遊の自宅の大家さんがこの孤児院の職員も兼業しており家賃を安くしてもらっている恩返しに数年前からこんな風に行事や人手がいる時は遊は自発的にボランティアに赴いていたのだ。

 孤児院の子供たちも人懐っこく、自分たちにも不必要な同情や憐みを持たずに自然体で接してくれる面白いお姉ちゃんとして遊は意外と人気があった。自分たちと同じように親が居ないという部分も子供たちにとっては親しみが持てたのかもしれない。

 

「おーい! あんたたち、もうすぐバーベキュー出来るからそろそろ片付け始めろよ!!」

「ハーイ!!」

 

 遊と子供たちがびしょ濡れになって遊んでいると遊に巻き込まれてボランティアで来ていた炊事担当の佳奈が桜色の髪をかき上げながらサングラスに日焼け止め対応完備の姿でやって来た。

 その鶴の一声で遊に肩車されていたり、正面から抱きついていたりと砂糖に群がる蟻のように遊にくっついていた子どもたちは一斉に佳奈の指示に従い始めた。

 遊びよりも美味しいご飯。子供は残酷なまでに正直なものだ。

 

「あちー……ホント、あんたよくやるよ。ってか、マセガキ共に乳揉まれてなかったか?」

「にはは! まあまあ、ちびっ子のやることだから、減るもんでもなし」

「それにあんた最近前にも増して生き生きしてる気がするんだけど、気のせい?」

「んー……佳奈じゃないけど、会いたい人に会えないもどかしさとそわそわの心地良さは格別だなとねえ」

「うっそだろぉ! あんたに好きな人が出来たってか!?」

「ムフー! 内緒♪」

「誰だよ、ドウェイン・ジョンソンみたいなのか? それともステイサム? それとも東山動物園のシャバーニくんみたいな奴だったり!?」

「にはは! いくら佳奈でもちょっと怒るよ?」

 

 笑顔がやめられない。とめられない。

 佳奈の指摘通り、遊は現在進行形で幸せの絶頂期だった。

 ガッツフォルテにやられた大怪我は何故か分からないが五日も家で大人しく寝ていたら驚くべき速度で回復して、残りの二日は朝から晩までミラーワールドに通い詰めでモンスターと戦いまくりの最高の夏休みだった。

 定期的に現実世界に戻っては再度、突入するの繰り返しは少し面倒臭かったが自分のことを食い殺すために本気で襲ってくるミラーモンスターとの戦いは遊にとって至福の時間だった。

 残念ながら、肝心の他の仮面ライダーと遭遇することは叶わなかったがいまの遊はまさに最高に生きている状態だったのだ。

 

「どうでもいいけど、競泳水着は気合入れすぎじゃないの?」

「ビキニタイプだと本気で動くと零れちゃうからさ、面倒なものだよ」

「喧嘩売ってんのか? トングで挟むぞこんにゃろー」

「にはは! 冗談だから、ゆるしてー」

 

 口をへの字に曲げて、怒りを隠さない佳奈に遊は下手に肩を揉みながら平謝りをする。実のところ半分は本当だが、競泳水着をわざわざ来ているのはいつでも変身できるように胸の谷間の奥にカードデッキを忍ばせているからだなんて流石に言えないのである。

 

「まあいいや。ほれ、あんたも腹減っただろ? あたしらは肉焼きながらだけど、BBQを堪能するぞ。今日は脂や糖質ともトモダチだ」

「遊んで食べるだけなんて、なんて良いボランティアなんだろうね。おや?」

 

 水遊びの後片付けを終えて、佳奈の後を追おうとした遊だったがふと視界に入った一人の子供が気になって足を止めた。その子供はどこか怯えた様子で鏡のように外の景色を映す窓ガラスを見つめていた。

 

「アオくんどうしたー? 昼間にお化けでも見つけたのかい?」

「遊ねえちゃん……いや、その、なんでもないよ」

 

 鏡面を見ていた少年。梅原葵は遊とも仲の良い子供なのだが今日に至っては水遊び中にもなんだか元気のない様子だったのを遊自身は密かに子供たちを観察していた中で気にしていた。

 

「それともお腹でも痛いか? 水遊びすると冷えるもんね。 よし、これでどうだ?」

「え……わあぁっ?」

 

 歯切れの悪い葵が気になった遊は何かを思いついて一人で自信満々に頷くといきなり彼を後ろからひょいっと抱き上げた。そして、葵が窓ガラスを見てしまわないように近場に座ると遊は彼を自分の膝に座らせて、お腹を温めるために優しく両腕を回して抱きしめた。

 

「お肉はちょっとみんなに食べられちゃうけど、しばらくこうしてれば身体も温まって具合もきっと良くなるよ」

「はわ……あわわ。ありがと、じゃなくて、その……」

「恥ずかしがらなくってもいいって。わたしとアオくんの仲じゃないかー」

「……ねえ、遊ねえちゃんにだけ、ボクが見た秘密教えてもいい?」

「ひみつ? いいよ、誰にも言わないから教えておくれよ」

 

 燃える火のように温かな遊の手の体温がお腹から伝わってくる感じに葵は思わずまどろみのような甘い心地を覚えて、すぐに年上のお姉さん(水着)に抱きつかれている状況にあわてふためいた。

 だけれど、こんな直感と本能で生きているような素直な遊の優しさに触れて。遊がくれたぬくもりが彼がずっと恋しかったある想いと似ていたこともあって、葵はぽつりと数日前から抱えていた秘密を明かす気になった。

 

「三日前の夜にね、たまたま目が覚めてトイレに行った時に鏡の中にいる人に出会ったの」

 

 葵の言葉にずっと笑顔だった遊の表情が固まった。

 

「変身ヒーローみたいなすごい恰好の人がいて、その人が話しかけてきたんだ」

「……なんて言ってたの?」

「もう少ししたら、ボクに幸せなことが起きるよって。それからしばらくは危ないから一人でいる時や夜は鏡の前に立っちゃダメだって」

 

 自分ではない仮面ライダーだと遊は確信した。

 思わぬ幸運だった。こんなところでずっと会いたくて、会いたくて待ち焦がれていた強敵の情報を手に入れられるなんて、考えてもいなかった。葵を後ろから抱き抱えていることをいいことに自然と口角が上に吊り上がっていく。血色の良い唇が細長い三日月を作っていく。

 

「だからね、ボクも話しかけたんだ。お仕事するために孤児院を出ていっちゃったお姉ちゃんにもまた会えるって? ボクのお姉ちゃん、少し前から電話に出てくれないの。それまでそんなことなかったのに、先生たちも連絡が全然取れないって心配してたの聞いちゃったんだ」

「え?」

 

 間の抜けた声が遊の口から出てしまった。

 大事なことを忘れていた。

 葵には高校卒業を機に就職して先に孤児院を出たまだ十代の姉がいたことを。その姉は葵と二人で暮らしていくために纏まったお金を稼ぐために昼夜を問わずに必死になって働いていることを大家さんから以前聞かされていたことを思い出した。

 

「そうしたら、鏡の中の人はまたそのうち会いにくるって言って消えちゃったんだ」

「あ……そうか。そうだよね」

「遊ねえちゃん?」

 

 そこでずっと戦いのことを考えていた遊の思考回路が大きなバグを起こしてしまっていた。まず、葵の前に現れたのは仮面ライダーになった彼の姉なのは明白だった。きっとライダーバトルに専念するためか、大切な家族である葵に危険が及ばないようにと配慮した行動なのだろう。

 弟想いの素敵なお姉ちゃんだ。問題なのはそれだ――他のライダーと戦って倒すということは誰かの大切な家族を奪うことに他ならない事実。数年前に両親と死別していたものだから家族という存在を彼女はすっかり忘却していた。遊の顔から笑顔が消えて、彼女はしばらく電池の切れた玩具の人形のように無言で固まっていた。

 

「ねえ、アオくん……お姉ちゃんの写真とか持ってない? わたしも夏休みで暇だし、ちょっと捜してみるよ」

 

 しばらくして、遊の口から出たものはそんな言葉だった。

 喉奥に魚の骨が刺さったような、もどかしい気持ちを抱えてはいたがそれでも彼女は奪う側なのだ。モンスターならば怪物だと何の躊躇いも無く屠れててきた。けれど、敵対することになる仮面ライダーたちは自分と同じ人間だ。それも自分と違って、愛する親兄弟や、恋人なんかもいるのだろう。叩きのめしてお終いには出来ない。決着をつける手段は命を奪うこと――殺人ただそれ一択だ。

 

「ありがとう! 遊お姉ちゃんも大好きだよ!」

「……うん。お役に立てるか分かんないけど、がんばってみるよ」

 

 わたしはなにを頑張るのだろう。

 この子の世界にただ一人だけのお姉さんを殴り殺すことを頑張ればいいのか?

 この子とそのお姉さんの悲願のためにわざわざ殺されることを頑張ればいいのか?

 少なくとも後者は違う。

 

 わたしは生きて、戦いたい。

 生きて、生きて、生きて。

 戦って、戦って、戦って。

 だけど、殺すことは出来るのか?

 

「ふぃー……困ったなぁ」

 

 出会ってしまった時どうするのかはまだ決められない。けれど、自分以外の仮面ライダーに会いたいと言う想いが揺らぐ筈はない。襲撃者(レイダー)の名は伊達ではないのだから。

 

 

 ※

 

 

 楽しい夏のお楽しみ会も終わり、夜が更けた孤児院は普段以上に静まり返っていた。昼間の内に全力で遊び尽くした小さな子供たちはみんなぐっすり夢の中。だからこそ、こんな夜は怪物にとっての絶好の餌場になってしまう。

 

『ギキキキ――!!』

 

 5mはあろう巨体を持つ蜘蛛型ミラーモンスター・ディスパイダーもまたそんな無防備な子供たちを餌として狙う捕食者の一匹だ。ミラーワールドから現実世界へと粘性の糸を飛ばして寝静まる子供を捕らえようとした時だった。

 

「フウン!!」

 

 獲物を狩ることに夢中になっていたディスパイダーをメタリックグリーンの拳が横薙ぎに殴り飛ばした。ミラーワールド内の孤児院の壁をぶち破って、その巨体は屋外へと転がる。

 

「悪いけど、ここの子供たちは今日一日楽しいことだらけで気持ちよく眠ってるんだ」

 

 今更、正義のヒーローを気取るつもりはないが昼間の葵とのやり取りが縁で気まぐれに孤児院の周辺を見回っていたレイダー。

 案の定出くわしたこのディスパイダー相手に普段とは一変して静かで棘のある戦意を醸し出して剛腕を振りかぶる。

 

「後味が悪くなるような真似をするんなら……遠慮なく殴り潰す!!」

 

 ディスパイダーが不意打ちを狙って口から発射した蜘蛛糸を紙一重で避けるとレイダーはそれを掴んで引っ張ると逆に相手を手繰り寄せる。そして、大振りのアッパーカットを叩き込み、ディスパイダーの巨体をカチ上げた。

 

「ギギィイイイ!!」

「なんの! そおおりゃあ!!」

 

 ガラ空きになった腹部をサンドバックのように殴りまくろうとしたレイダーだったがディスパイダーも負けじと槍のように鋭い前足を突き放って応戦する。

 だが、瞬時に反応したレイダーは顔に目掛けて飛んできた脚先を掴み取るとそのまま力任せに引き千切った。

 

「そっちもいただきだあああ!!」

 

 続けて、ディスパイダーの右前脚も向こうが仕掛ける前に片手で掴み、踏み抜くようなキックをぶつけて圧し折る。

 

「ギギ……!!」

「おわっ……あきらめ悪いなッ!!」

 

 大きく戦力ダウンしたディスパイダーだが執拗にレイダーへの攻撃の手を止めようとはしなかった。両足を潰して、僅かに浮ついているであろうレイダーの隙を期待して、口からの糸攻撃で逆転を狙った。しかし、そこは全知全能が戦いに傾いているようなレイダーである。

 間一髪でディスパイダーの思惑に反応すると素早くガッツバイザーを握り、顔だか口だか曖昧な部位を殴りつける。そして、そのまま直撃したメリケンサック型のガッツバイザーをグリグリと力任せに押し込みながらデッキからカードを引き抜いてセットする。

 

【STRIKEVENT】

 

「おらあああ!!」

 

 巨大で堅牢なガントレット・ガッツナックルを両腕に装備したレイダーは大きく伸びをするように両腕を一度高々と振り上げるとディスパイダーの背中へ目掛けて怪力の限りに振り下ろした。巨大な岩の落石のような衝撃にディスパイダーは残った六本の脚を伸び切らせてうつ伏せに倒れ込むとピクピクと痙攣を起こしていた。

 

「ムフー! 一気にトドメだぁあああああ!!」

 

 ファイナルベントを使うまでも無いと判断したレイダーは文字通り、虫の息状態のディスパイダーをジャイアントスイングで豪快に空高く投げ飛ばすと両腕のガッツナックルをロケットパンチよろしく夜空を舞う的に狙いを定めて撃ち出した。

 唸りを上げてミサイルのように飛んできた二つのガッツナックルが炸裂したディスパイダーは花火のように爆発四散した。

 

「これで今夜は流石にこの辺をうろつくモンスターはいないでしょう」

 

 ガッツフォルテがディスパイダーの魂を食べるのを見ながら、レイダーは安心したように呟いた。それと同時に迷走気味の自分自身に半分呆れかえっていた。

 昼間の葵少年とのやり取りからずっと、いまいち調子が狂っている。

 

「あんまり楽しくない。わたし、なにやってんだろ」

 

 ろくでなしの性分で、生まれる環境を間違えた常人とは大きくズレている感性の持ち主だと言う自覚を持っている癖にいまになって急に善良な人間ぶったことをやっている自分がなんとも気持ちが悪かった。

 モヤモヤした心の気晴らしにもう少し他のモンスターを見つけて殴り倒そうかと思っていた時だった。

 

「ンンッ!? 誰かいるのかい!」

 

 言葉ではうまく説明できないがなんとも不快な気配を背筋に覚えて、レイダーはガッツバイザーを握った左手を突き出すように構えて後ろを振り向いた。

 しばらく、固唾を呑んで警戒を続けたが周囲には何の変化も起きない。やがて、指先から微かに消滅が始まり出したのでレイダーはミラーワールドを後にした。

 

 それから、数分後のことだ――

 

「なんて勘をしているのかしら? 戦士というより獣だわ、あの野蛮人」

 

 クリアーベントを用いて、透明化していたドラクルが姿を現して悪態を付いた。

 新たに配下に加えたチーター型のミラーモンスター・ヘイルイエーガーの餌付けと強化のため狩りを行っていたのだが見知らぬライダーを発見したドラクルはずっとレイダーを観察していたのだ。

 

「おバカそうだから考えも無しにファイナルベントを使うと思ったのに、意外と手の内を明かしてくれなかったわね……悪い子だこと」

 

 妖しい微笑みを浮かべながらドラクルはレイダーが消えていったカーブミラーを一瞥する。まだ仕掛けるには早いと彼女は素早くレイダーへの対処を脳内で取り纏めていた。

 

「それにしても、彼女もライダーだったなんて……本当に世界は面白い。姫が世界を手に入れたらもっともっと面白くしてあげないとね。やることが多そうで楽しみだわ」

 

 白亜の悪竜姫はほくそ笑みながら闇の中へと消えていった。

 この聖山市を複雑怪奇に巡る数奇な運命に思いを馳せながら。

 

 

 

 

 翌日。早速行方不明になった葵の姉捜しを始めた遊であったが一人で行うつもりだったその隣には当たり前のように佳奈がいた。実のところ、葵から写真を借りた時点で遊が何をする気でいるのか佳奈に筒抜けになっており、作戦会議と称してファミレスへと連行させていた。

 

「ありがたいとはいえ、どうして佳奈が首突っ込んでくるのさ?」

「その姉ってのがよ、彼氏の職場の同僚ってのが分かってな」

 

 ドリンクバーで注いできたコーラを飲みながら佳奈が電撃参戦の理由を明かした。

 今度は逆に遊の方も彼女がこんなにも積極的に協力する気になったことへの目星がついて、思わず苦笑い。

 

「金型加工の職人さんね。わたしが夏風邪で寝込んでた間はデートとかしたの?」

「ハッ……このお姉さまはどうも職場にも急に来なくなって工場は人手が足りないで彼氏のいる部署も臨時の応援とかで余計な残業が増えちまってるんだとさ」

 

 片眉を吊り上げて、佳奈は忌々しく葵の姉が映った写真を乱暴に指差した。ジャンボはちみつパフェを食べていた遊の手が思わず止る。短くない付き合いで分かってしまうのだ――これは良くない怒り方だと。

 

「つまり、一緒にいる時間が減っちゃったのを何とかしたいと?」

「当ったり前だ! いくらそいつにお涙頂戴のバックボーンがあろうと無断欠勤のツケでこっちは迷惑被ってんだ。意地でも見つけ出して文句言ってやる」

 

 コーラを一気飲みした佳奈はべらんべえ口調になって荒っぽい啖呵を切った。

 

「それじゃあ、食べたら早速聞き込み開始といきますか!」

「待て、開始と行くな。あんた何のためにファミレス来たと思ってるんだ?」

「糖分を摂取してやる気をチャージするため?」

「なわけあるか! 聖山市しらみ潰しに聞きこむわけにもいかないから目星を付けて捜すための会議だよ」

 

 地頭は良い方だがそもそも全知全能の殆どが戦いかスイーツのことに向いているような極端な脳の持ち主の遊に知恵を活かした人探しなんて夢のまた夢だ。そのことを良く知る佳奈は無駄な労力を抑えようとアドバイスしたのだ。

 

「だけどさぁ……情報なんてこの写真しかないんだよ? 片っ端から聞いて探したほうが確実だよ」

「却下。こういう時は頭良いやつの知恵でも借りてみるってのもありだろ?」

「おお、そういう手もあるね。けど、頭の良い人に知り合いいるの佳奈?」

 

 感心したように明るい顔をして具体例を尋ねる遊に佳奈はしばらく記憶を漁ってから学校でもその手の有名どころをピックアップして挙げだした。

 

「そうだね……知り合いじゃないけど2-Dの射澄はどうだ? 夏休み中なら街の図書館いけば会えるだろ、あいつ頭良いし物知りだぞ」

「うーん……」

「じゃあ、同じクラスの咲洲は? 新聞部でこっちも成績優秀だ。情報通かもよ」

「やっぱり、堅気の娘さんたちを巻き込むのは気が引けるんだよね」

 

 名前の出た二人は遊でも知っているぐらいの学校のちょっとした有名人だ。確かにきっと役立つ知恵を授けてくれると思う。しかし、喧嘩LOVEの無法者ではあるが下衆と言うわけではない遊は無関係の人間を不用意に巻き込むことに気が引けていた。

 

「だったら、駄目もとであの孤児院出身らしいし氷梨んとこ行くか? あいつに関しては完全に無駄骨だと思うけどな」

「あ、そうだ。佳奈の彼氏さんの職場ってどこか教えてよ」

「いいけど、何か思いついたのか?」

「まあちょっとね。佳奈の言う狙って捜すの応用かな」

 

 得意げな顔をする遊に佳奈は不思議そうな顔をしつつもスマホの地図アプリで凪河区にある彼氏の勤め先の場所を教えた。

 

「佳奈には悪いけど、ここからは悪い子意外は立ち入り禁止になるから、付き合ってくれてありがとう」

「ああ? 水臭いこというなよ。あたしにもがんばらせろよって……あー、悪いお友達連中と遊ぶわけか?」

 

 唐突に何かを閃いて立ち上がった遊に別れを切り出された佳奈は不服な顔をするがすぐに彼女の探し方では自分が足手纏いになる可能性が高い未来を予想すると渋々ながらも引き下がる決心をした。

 

「そんな感じ。だから、ここからはやっぱりわたし一人でやってみるよ」

「わかったよ。あたしも足を引っ張って迷惑かける側にはなりたくないしな。ヤバい時はすぐに連絡しろよな遊」

「ありがと。がんばってみるよ!」

 

 こうして、ある程度の捜索方針が定まると遊は佳奈と別れて単独行動でこの事件の真相に着々と近付きつつあった。意気揚々とファミレスを立ち去る親友を少し心配そうに見送った佳奈はそのあとすぐに遊の食べたパフェのお金まで支払うことになった事実に気付いて、軽く怒りに燃えるわけだがそれはまた別のお話。

 

 

 

 

 佳奈と別れた遊は軽いフットワークで聖山市の海に面した地域である凪河区にやってくると人気の多い場所や、普段自分がよく練り歩く屋戸岐町の路地裏のようなきな臭い空気の漂う場所をあちこち見て回る。

 立派な海水浴場もある凪河区はサマーシーズンということもあって、地元の人間以外にも他県からの観光客も大勢流れ込んで来ていて繁華街とはまた違った賑わいを見せている。

 

「自宅のアパートも同じ地区って話だったから、たぶんこの界隈にヒントの一つぐらいあると思うんだけどな」

 

 一見するとやはり行き当たりばったりに探しているように思える遊だが一つの共通点があった。彼女が見て回っているポイントに共通するのは全てミラーモンスターにとって餌場になりそうな場所ということだ。

 仮面ライダーであれば、契約モンスターを従えるための餌の工面は必要不可欠だ。だから、表の生活との両立なども考えると葵の姉も自分の生活圏内でライダーとしても活動していた可能性を考えて何か手掛かりがないかと遊は閃いたのだ。

 

「ねえ、そこの銀髪がキレイなキミ? この辺じゃあ見かけない顔だけど、どうしたの」

「へへ! 夏休みなんだから楽しまないともったいないよ。キミが良ければ俺たちが楽しい遊びを教えてあげよっか?」

 

 一見のコンビニの裏手をうろついていた時だ。遊の期待していた副産物がやってきた。チャラそうな若い男たちがニヤけた顔をして夏服のセーラー服姿の遊を見つけて下心を隠しきれていない様子で声をかけてきた。反応からして、遊のことも知らない様子だ。

 

「お! 待ってました!」

 

 あからさまに遊んでいそうなナンパ男たちの出現に遊は弾むような笑顔を見せて喜んだ。やはり、こういう裏事情が絡むことはその筋の人間に聞いてみるのが一番だ。

 

「ナニナニ? キミってばもしかして、誘われるの待ってたわけ?」

「その余裕そうな感じを見ると案外すごく遊び慣れてるのかな? イケない子じゃん!」

 

 一方でナンパ男たちの方は遊の言葉を完全に別の意味として勘違いしており、馴れ馴れしい様子で彼女の下半身に手が伸びる。

 

「お兄さんたちさあ! この写真のお姉さん見たことないですか?」

「ぐえあッ!?」

「おっふぅ!?」

 

 遊は二人組の軟派男のうち、手を伸ばしてきた方はその手首を掴んで投げ飛ばして、さらにニードロップ気味に背中にのしかかって拘束。もう一人は一度胸倉を掴んで近くまで引き寄せると何の躊躇いもなく股間を強く鷲掴みにして動けなくした。

 

「何なんだよ急に! そんな女知らないよ!?」

「俺も知らない! 何もしてない!」

 

 写真を見せられた男たちは荒事慣れした遊に驚き恐怖しながら必死に叫んだ。

 二人の反応を見ながら遊は股座を握り締めている方の男の言葉に妙な引っ掛かりを感じて、言葉を重ねる。

 

「お尻に敷いてるお兄さんは正直者だから見逃してあげるよ。だけど、もう一人のお兄さんは嘘ついているよね?」

「おぅうううう!? や、やめてく……れえ!」

 

 自分は写真の人物を知っているのかを質問したのに何故か余計な言葉も付け足して否定する様子が遊には違和感があった。ぐにゅぐにゅと気持ち悪い感触を気にも留めずに遊は男の股間を掴んだ手にさらに力を込めて自分の元へと手繰り寄せる。

 

「お兄さんに選ばせてあげよう。わたしに本当のことを話すか、お股についてる大事なものを握り潰されるの、どっちがいい?」

「た、頼むから……この手をはな、離してくれぇ!」

 

 自分が手で触れているモノについて特に恥ずかしがる様子もなく遊は獰猛な笑みを浮かべて脅しをかけてみた。

 

「正直に話せばなにもしないよ? それとも一生えっち出来ない体になってもいいの? わたしはよく知らないけど、佳奈なんてわたしン家でわたしが留守の間にしょっちゅう彼氏さんとやってるみたいだから、気持ちいいことなんでしょ? いやー大事な我が家をいくら親友だからって、大人のホテル代わりにするのには参っちゃうよね」

「いいぎいいいぃい!!」

 

 万力のようにギリギリと力を込めていくと男は脂汗をだらだらと流しながら激しく悶絶するがまだ口を割ろうとしない。

 

「しょうがないな……じゃあ、このまま握り潰した後に引き千切ってあげるね。3、2……」

「話す! 話すからやめてくれ!!」

 

 終始、人懐っこい物腰でまるで友達と接するような態度の遊に寒気を覚えるような恐怖を感じて遂に口を割る気になった。

 男は女子高生に股間を鷲掴みされて脅迫されると言う情けない恰好のままで、数日前の深夜に写真の少女を人気のない廃倉庫に追い込んで仲間たちと襲ったことを白状した。自分は見張り役で手は出していないことを強調しながら。

 

「ありがとー! 助かったよ!」

 

 知りたい情報を手に入れた遊は約束通りナンパ男達にはそれ以上何もせずに軽快な走りで教えられた廃倉庫へと向かって行った。残された男の一人はガタガタと震える手でスマホを操作すると大慌てである番号へと電話を掛けた。

 

「もしもし! い、急いで姫に報告を……倉庫でヤッた女の子ことを嗅ぎまわってるガキがいます!!」

 

 男は忠誠心から、あるいはご主人さまからの罰を恐れて最後まで自分たちを束ねる絶対君主の存在だけは隠し通していたのだ。

 

 

 

 

 時刻は少し遡る。

 聖山市の繁華街・屋戸岐町の特に夜の店が連なる歓楽街エリアに建つ最高級ラブホテルの入り口に一台のタクシーが横付けに停車すると一人の少女が降りてきた。黒髪にメガネを掛けた清楚な雰囲気の少女だ。

 タクシーの到着と同時にホテルの軒先にたむろしていた黒服の男たちが壁のように整列して、少女が中へと入っていく姿を第三者の何者にも見せないようにガードをする。

 少女はタクシーに対して一切代金を払わなかった。何故なら、この運転手は彼女の下僕で所有物だ。理由はそれだけで十分だろう。

 

「お疲れ様です。姫」

「ええ、貴方達もご苦労さま。三時間後にカクテルをお願いね。ノンアルコールで」

 

 ラブホテルのエントランスで控えていたこの店のオーナーである壮年の男性に堂々たる態度で言葉を掛けると少女はスタッフ専用通路とエレベーターを当然のように使って最上階へと向かう。目指すは常に彼女の個室として貸し切り状態になっている大きなプール付きの特別スイートルームだ。

 

 とてもラブホテルとは思えない素晴らしい調度品だらけの豪華な一室へと入って早々に彼女は服を脱ぎ捨てて、一糸纏わぬ艶姿になると伊達眼鏡も外し洗面台に専用に備え付けさせたピンク色のヘアカラースプレーで絹のような黒髪を派手な色彩へと塗り替えていく。

 表の世界で生きる清楚で慎ましいお嬢様の姿から仮面ライダードラクルとして覇道を目指して暗躍する姫の姿へと完全に変身を遂げた彼女は夏の暑さにうっすらとかいた汗も流さずにこの部屋目玉の室内プールへと進む。

 

「待たせたわね、姫の可愛い子犬ちゃんたち♪ さあ、ご褒美をあげるわ。感謝して貪りなさいな♪」

 

 プールサイドには既に全裸の男たちが十人。姫の到着を待ち侘びていた。彼らは皆、先の戦いでドラクルの勝利に貢献した実行部隊だ。みな、厳命に従い雄の欲をあの夜から一度も発散させること無く限界まで興奮状態で犬で言うところの待て。を守っている状態だった。

 それがやっと現れてくれた姫の甘く脳髄が溶けてしまいそうになる声を合図に一斉に彼女へと押し寄せた。一瞬でそこは男たちと女が貪り合う煩悩の吹き溜まりに変貌した。絶世の美女が男たちの上で凄絶に、妖艶に踊り狂う。

 筆舌に尽くし難い、快楽と愛欲を満たしてはぶちまける色欲地獄は二時間半にも及び続けられた。恐るべきことは男たちが一人、また一人と精も根も尽き果てて気絶する中で姫は最後まで男たちを抱いていた。

 

 抱かれるのではない。彼女が男たちを抱くのだ。

 そうだ。彼女こそが常に雄たちの上に立つ存在だ。

 自らの完璧に近い麗しく美しく艶やかな肢体を以って。

 時には清濁問わずあらゆる策と術を用いて。

 姫を名乗る少女はこの聖山市に暮らす多くの男たちを魅了し、誑かし、篭絡して、自らの忠実な下僕たち。可愛い所有物にしてきた。年齢を問わず、身分を問わず、性癖を問わず。

 

 女という生き物の特性を自他問わず恐ろしいまでに徹底的に利用して、彼女はこの聖山市の裏の世界に君臨するようになった。全ては女尊男卑を貫徹した自らが最高の君主として世界を統治する夢想を実現するために。

 そして、それはライダーバトルの勝者という到達点で実現可能なものへと昇華した。事実、彼女の哲学を応用した戦法でドラクルは目覚ましい戦績を打ち立て、強かに破竹の快進撃を続けている。

 

 乱れに乱れた行為が終わり、プールで一泳ぎして汗を流した姫がくつろぎながらお気に入りのカクテルを飲んでいるとひとつの影が現れて、アリスが浮上した。

 

「こんにちは♪ お楽しみのところお邪魔しまーす♪ 無敵にかわいい、清純派有能管理者のアリスでーす! またまたの大勝利おめでとうございます♪」

「あら、ごきげんよう。貴女も一杯どうかしら?」

「ご好意は感謝しますがここ変なにおいで気持ち悪いじゃないですか? アリスは潔癖で清廉な美少女ですので粗相をしないようにお断りしまーす」

 

 などど、アリスは有象無象の男たちの裸が視界に入っても顔色一つ変えずに冷やかな笑顔でそう答えた。そんなあきらかに癇に障る言葉を口にして挑発している様な態度のアリスに姫の方も裸のまま堂々とビーチチェアに座ったまま、足を組み直して睨みを利かせる。

 室内プールには鏡の魔女と邪智に長けし悪竜が一触即発寸前の張り詰めた空気が流れた。

 

「もったいぶらずに用件を言いなさい。姫の勝利を祝いに来たんじゃないのでしょ?」

「そんなことないですよ? 私は強くてやる気のあるライダーさんはみんな大好きですもの。ただ……姫ちゃんはもっと見応えのある戦いをしてくれるのになーって残念なだけです」

「反則はしていないわよ。敵を仕留める時は必ず姫がライダーとして手を下しているんだから」 

 

 下手をすれば一方的なワンサイドゲームになりかねない姫陣営の戦法。ライダーバトルに参加するのは十代の少女だけという条件を逆手にとって、競争相手である彼女たちを執拗に女性として破壊工作を仕掛けるやり方に微かに苦言を呈するアリスに姫は一切悪びれない態度を貫く。

 

「ハア……分かりました。いえ、それで特にペナルティなどを科すつもりはありませんのでご安心を。でもでも、強くてカッコいい姫ちゃんの勇姿も見たかったなーと、アリスはしょんぼりと退散するのです」

 

 姫の姿勢が変わらないことを直に確認したアリスは演技なのが丸分かりなリアクションをとって、姫自身も内心驚くほどにあっさりと影に沈んで消え始めた。

 

「ご武運をお祈りしていますよ。綾芥子撫子ちゃーん♪」

 

 最後の最後に、姫が普段日常で正体が露見しないように隠すことに細心の注意を払っている彼女の本名をわざとらしく大きな声に出して、アリスは姿を消し去った。

 

「チッ……嫌な女」

 

 姫――綾芥子撫子は大きな舌打ちをその美貌を険しく歪めた。

 その数分後に齎された末端の所有物からの連絡を受けて、彼女はすぐに二度目の舌打ちを打つことになる。

 

 一方で撫子の前から姿を消したアリスは彼女が本拠地にしているラブホテルの屋上に浮上していた。

 

「まったく、聞き分けの悪い子はいけませんね。私が望んでいるのはもっともっと命と執念をぶつけ合う死に物狂いの戦いなのに……ロマンのない人ですね」

 

 絶対零度の剃刀のような怖気が走るような冷やかな声で言い放ち、精肉加工場への出荷を翌日に控えた家畜を見るような眼差しで撫子の小さくおぞましい王国を見下す。

 

「遊び心のないつまらない女の子にはキツめのお仕置きを考えないといけませんよね」

 

 可愛らしく小首を傾げて両手をポンと叩きながら、アリスは可憐なダンスを舞うようなステップで屋上から飛び降りると瞬く間に姿を消していた。

 

 

 

 

 その頃、聞き出した情報を頼りに海辺の寂れた廃倉庫を見つけ出していた遊は力任せに錆付いて重たいシャッターを抉じ開けると中に入っていた。

 

「これって……うえっ、くっさー」

 

 何の変哲もない廃倉庫。

 特に収穫も無くてガックリと肩を落として早々に立ち去ろうとした矢先に遊は倉庫の隅に捨てられてあった女性物のメガネを発見した。手にとって間近で見ようとするもメガネにこべりついた独特の臭いが鼻をついて顔をしかめる。

 その臭いは嗅ぎ覚えがあった。具体的に言うと遊の留守中に佳奈が付き合っている彼氏と自宅で好き勝手に愛を育んだ後によく漂っている残り香のそれだった。

 

「そっか、酷い目に遭ったんだね。アオくんのお姉ちゃんは……」

 

 彼女の身に降りかかった不幸の概ねを悟った遊は僅かに顔色を曇らせた。

 同じ女性としての同情というよりは可愛がっている少年の大事な親族に不幸があったことを憂いていた。

 

「さてはて、これからどうしたもんかなー」

『ガルルル!!』

「んんっ!? おわああ!!」

 

 気持ちを切り替えて、再び振り出しに戻ってしまった人探しにどうしたものかと唸っていた遊はキィン……キィン……と耳に響いた音色を聞くや否や倉庫内に置き去りにされていた割れた業務用の鏡から飛び出してきたヘイルイエーガーに襲撃されてミラーワールドへと引きずり込まれてしまった。

 

「このッ……お腹空いてるのかな君ィ!!」

 

 ミラーワールドの廃倉庫でも、自分を乱暴に引きずって襲い掛かるヘイルイエーガーをどうにか蹴り飛ばして距離と取った遊は素早くデッキを取り出して構えた。

 

「変身!!」

 

 何処からともなく出現して腰に装着されたベルトにデッキを装填すると丸みのある分厚い装甲を纏った騎士の鏡像が遊に重なって彼女を仮面の騎士に変える。

 いつになく唐突に始まったミラーモンスターとの戦いに多少奇妙な違和感を覚えながらもレイダーは瞬時に戦意を最高潮にまで燃え上がらせるとヘイルイエーガーに突撃していく。

 

「おらぁ! おっと、速いなチーター君!?」

『ガルルル――!!』

 

 砲弾のようなレイダーのパンチは大きく空振りして、代わりに背中に微弱だが鋭い痛みが走った。俊足を武器にするヘイルイエーガーはマチェーテを自在に振り回しながら素早い動きでレイダーを翻弄して斬撃を当てていく。

 

「チクチク、チクチクと鬱陶しいな! 夜中の蚊か何かかい!」

 

 強固な装甲と遊自身の打たれ強さも相まって高い防御力を有するレイダーにとってヘイルイエーガーの攻撃はよほどの油断をしなければ他愛のないものだった。しかし、攻撃を当てられないもどかしさがレイダーのフラストレーションを加速させていった。

 

「悪いけど、鬼ごっこはお終いだよ」

 

【NASTYVENT】

 

 四方八方から斬りつけてくるヘイルイエーガーの攻撃を空手の三戦に似た構えで防御しながら少し苛立ったような低い声で宣言するとレイダーは余程の難局でしか使わないカードを引き抜いた。

 

『ホッ! ホッ! ウホワアアアアァ!!』

「頼んだよ、相棒!!」

 

 電子音声の響きを打ち破って召喚されたガッツフォルテは気合の方向を上げながら盛り上がった胸板を激しく両手で叩いて、猛烈なドラミングを開始した。

 巨大な和太鼓の何倍も大きく激しい音の衝撃波が廃倉庫に轟いて、ヘイルイエーガーにもダメージを与えていく。

 

『ガ……ルルワアァ!?』

「そこにいたか! 悪いけど、足を潰す!!」

『ガァアアアッ!?』

 

 広範囲に及ぶ音波攻撃を回避することは出来ずに足を止めたヘイルイエーガーに一気に肉薄したレイダーは相手の膝を迷わず全力で踏み抜いて逆方向へと折り曲げた。

 

【STRIKEVENT】

 

「戦いはやっぱりコレが一番だよね? オラオラオラァッ!!

 

 片足を容赦なく潰されたヘイルイエーガーがのたうち回るのを横目に素早くガッツナックルを装備したレイダーは仮面の奥でギラギラに煌めく双眸を細めて笑うと待ち望んだ拳闘を開始する。

 

「どうした! どうしたぁ!! 君もミラーモンスターなら殴り返しておくれよ! 怪物の意地を見せてごらん!!」

 

 激しい拳の乱打にあっという間にボロボロに傷ついていくヘイルイエーガー。レイガーの挑発に殺意は湧くものの、その攻撃の凄まじさにスピードタイプのこのモンスターは反撃したくても反撃できなかった。

 

「全力ぅうううう!!」

『ブッギャアッハアア――!!?』

 

 力を溜めて溜めて打ち込んだ渾身の鉄拳がヘイルイエーガーをシャッターを突き破って外の殺風景な埠頭の片隅にまで殴り飛ばした。

 

「意外と情けないモンスターだったな。最初のやる気はどこ行ったんだい?」

 

【FINALVENT】

 

 戦いを楽しみたい気持ちはあるが今日のところは別に専念すべき用事があるレイダーは確実に決着をつけるために切り札を切った。

 ガッツフォルテに我が身を預けると彼女は風車の扇のように相棒諸共激しく回転しては必殺の力を充填していく。

 

『強くなってから出直してこぉおおおおい!!』

 

 満足に動けないヘイルイエーガーにロケットランチャーのように投げ飛ばされたレイダーの強烈な拳が直撃する。デスペラードメガブローの一撃の前にヘイルイエーガーは成す術も無く爆発して消滅した。

 

「ふー……楽しかった! 相棒もご飯にありつけたし、まあ良しとしよう。さてと――」

 

【SHOOTVENT】

 

 葵の姉の行方を捜そうとミラーワールドを退去しようとした時だった。

 自分のバイザーの物ではない電子音声が響き渡った。

 

「痛ったぁ!? な、なんだ……ッ!?」

 

 不測の事態に身体が反応するより前にレイダーの全身に激しい銃弾の洗礼が浴びせられた。器用なことに二の腕や首筋に太ももと装甲が薄く、着実にダメージを与えられる部位をピンポイントで銃撃してくる隙のなさだ。

 

 慌てて地面をゴロゴロと転がって物陰に隠れ、襲撃者を確認しようとするレイダーに更なる不測の事態が襲い掛かる。

 レイダーが身を隠して防御を取ったと思えば謎の襲撃者は廃倉庫を始めとして近くにある建物や建築物を手当たり次第に射撃して、窓ガラスやカーブミラーなど出入り口になりえるものを破壊し尽くしてしまったのだ。

 

「やっば……く、くそぅ! どこの誰だい、顔を見せてみろ!」

「貴女に指図されなくても、姫はちゃんとここにいるわよ」

 

 怒りに燃えるレイダーの声に甘い女の声が返される。

 そして、隠れ潜んでいた死角からライドシューターを駆って目の前に現れた遊にとって初めて出会う殺し合うべき仮面ライダーはその白く猛々しい姿を堂々と見せつける。

 毒竜の白骨のような鎧を纏う仮面の騎士。右手には恐竜の太く力強い尻尾を模した鈍器にも見える銃器型の武器・カースアームズを装備したそれは騎士というよりは暴君のイメージに近い。

 

「はじめまして。姫の名は仮面ライダードラクル。お見知りおきを♪」

「わたしはレイダー。仮面ライダーレイダーだよ。でも、なんだか君は殴っても楽しくなさそうだな」

 

 不意打ち染みた姑息な手を使ってくるドラクルの第一印象は最悪だった。

 ようやく遭遇出来た敵ライダーに対する期待の火種を意地悪く吹き消されたような心持のレイダーは不機嫌で興味の薄そうな態度でドラクルのことを睨みつけていた。

 

「くふ♪ 試してみてもよくってよ?」

「じゃあ、遠慮なく!!」

 

 新参者ながら既に強者の風格を放つレイダーにドラクルは不敵に笑って手を招く。やってやるとその喧嘩を買うことにしたレイダーはガッツバイザーを武器として握ると猛突進で駆け出した。

 

「だりゃああああ!!」

「甘いわよ、おサルさん」

「え……のわっ!?」

 

 豪快な左ストレートを繰り出すレイダーだったがドラクルはカースアームズの先端でその腕を巧みに絡め取ると相手の力も利用して後方へと投げ飛ばしてしまった。さながら、合気道の技めいた動きだ。

 

「どうしたの? 姫のことを殴るんじゃなくって」

「ごめんよ。君にさっき言った言葉を謝罪して訂正するよ」

 

 憎たらしい猫撫で声で挑発してくるドラクルに飛び起きたレイダーは十数秒俯いてから、歓喜で震えた声で言う。

 

「どうやら、君と戦うのは最高に楽しそうだ」

 

 いまの僅かな攻防でドラクルの高い実力を肌で感じ取ったレイダーは喜び勇み過ぎてブルブルと震えながら、熱っぽい声で呟いた。

 本当に、本当に、本当に――敵の仮面ライダーと戦うことはミラーモンスターを相手にするよりも何千倍も、何万倍も胸が躍るという実感を味わっていた。

 

「仕切り直して、思いっきりやろうじゃないか!!」

「姫は構わないけれど、貴女の体は持つかしらね?」

 

 臨界点まで燃え上がった闘志がドラクルのもったいぶった言葉で一気に鎮火した。微かな音を立てて、レイダーの指先から消滅が始まっていた。

 思えばヘイルイエーガー戦からの休む間もない二戦目で長居し続けていたのだ。正確には意図的に長い時間滞在させられていたと言うのが正しいか。

 

「あ……やばい。ちょっと、タンマ!」

「言質は取ったから、卑怯とは言わせないわよ」

 

 これは不味いと冷や汗を浮かべるレイダーにドラクルはいまになって急に積極的に攻撃を開始した。そう、全てはドラクルの思う壺な流れだった。

 

「ぐうああ!? ちょっとピンチだな、こりゃ……」

「簡単な話じゃない。貴女が消滅する前に姫を殺せばいいだけのお話。切り札をジャンジャン使えばできるんじゃないかしら?」

「そうしたいんだけどさぁ! 財布が寂しいというかだね!! ぐわあ!?」

 

 いちいち痛いところを突いてくるドラクルの口撃にレイダーは苦虫を噛み潰した顔を浮かべながら、ドラクルの猛攻をどうにか捌くが戦況は最悪だった。

 残り時間が少ないことに加えて、ファイナルベントを始めとして主力のカードは殆ど使い切ってしまっている有様。そして、ご丁寧に近場にあった使えそうな脱出口を全て使用不可能にされてしまっていると来た。

 消滅が近づく肉体に気を取られて、レイダーはドラクルのカースバイザーによる重い打撃を食らって火花を上げながら地面を転がる。

 集中するのが難しい思考の中で、これだけの条件が揃ってようやくレイダーはこれらが全て目の前のライダーによって仕組まれたのではないかという疑惑を覚えた。

 

「君ってば、結構なベテランさんなんじゃないの? それも随分とやり手だね」

「何のことかしら? まさか、ずる賢いだなんて褒めてくれるつもり」

「いやいや……ただ、気持ち良く殴り合うには骨が折れそうだなって!!」

 

 やるべきことを逃走に切り替えたレイダーはどうにか隙を突いてドラクルにドロップキックを決めて引き剥がすと一目散に背中を向けて逃げ出した。目指すは彼女が乗って来たライドシューターだ。

 

「逃がさなくてよ? 貴女はここで死ぬの♪」

 

【ADVENT】

 

 レイダーの逃亡とその進行先を見て、ミラーワールド脱出のための効率的な移動手段を手に入れるつもりだと判断したドラクルは非情にも彼女が生き延びる筋道を潰すべく、愛しきペットを呼ぶカードを切る。

 もとい、ドラクルはこの場でレイダーを必ず葬るつもりでいた。普段用いる常勝手段を仕掛けることなく変身して戦いを挑んだのもタイムリミットが迫る状況やレイダーがファイナルベントを始めとした主力カードを偶然にも使い潰したいまが勝機だと踏んだからこその博打だったのだ。

 

『カロロロロ――!!』

「おおっと!? でっかいトカゲ? 恐竜!? ど、どっちだぁ!」

 

 レイダーの行く手を遮るように横から割り込むように不気味な顔を突き出してきたカースドラン。舌をチロチロと気色悪く出しながら威嚇する圧倒的な威容にレイダーが驚いた一瞬の出来事だった。

 

『カロロロロォオオ――――!!』

「さよなら、レイダーちゃん」

 

 レイダーは声さえ発することも出来ずに大きく口を開けたカースドランに頭部を丸呑みされるように噛みつかれた。全身がだらりと力が抜けたと思うとその体はカースドランに咥えられたまま、口先の動きに巻き込まれて宙吊りのまま乱雑に振り回されている。

 粒子のように散っていく消滅化のスピードが目覚ましく早まり、既にレイダーの全身がゆっくりと着実に終焉へと向かっていた。

 そんな哀れなレイダーの姿を眺めながら、白き悪竜姫は優雅な微笑みを絶やすことはなかった。

 





『キャラクタープロフィール』

綾芥子 撫子

 藤花学園に在籍する三年生。
 本来の姿は長い艶のある黒髪の清楚な雰囲気の大和撫子だがライダーとして行動する際はピンクのヘアカラースプレーで髪を染め、「姫」という源氏名と顔を用いている。
表向きは品行方正なお嬢様だがその本質は女帝と表現できるような苛烈で克己心の強い人物。女尊主義であると同時に目的を達成するためなら自身も含めて、徹底的に女性であることを利用・活用する強かさの持ち主である。
 聖山市の多くの男たちを知恵と情交の限りを尽くして籠絡して自分の手下に手懐けている。彼らを用いて、情報収集を行うなど事前準備を怠らない入念な戦術プランを実践している。
 更には事前に部下の男たちに狙いを付けた仮面ライダーの少女を「女」として暴行させて、心身ともに徹底的に消耗させた上で勝負を仕掛けるなど勝つために可能な限りの手を尽くすハングリー精神を覗かせる。
 ライダーバトルに託す願いは全ての男を隷属させて、女帝として優れた統治者になること。

 【仮面ライダードラクル】

 『契約モンスター・カースドラン』
 巨大なコモドオオトカゲ型ミラーモンスター。体色は紫だが頭部を始めとして全体に骨のような白い外殻で覆われた外見をしている
 見た目に反して挙動は素早く、時には静かに忍び寄り急襲するなどクレバーな行動を見せる。主人に似て狡猾で残忍な性質の持ち主。

『毒竜召機甲カースバイザー』
 口を開いたコモドオオトカゲの頭部を模した籠手型の召喚機。左腕に装備。
 サイズとしては大型に分類され、バイザー自体がハンマーや他ライダーのストライクベントのように使用できる。

デッキ構成
シュートベント『カースアームズ』
AP3000 カースドランの尻尾を模した銃剣型の複合武装。一見すると鈍器のような外見だが隠し刃と銃口が内蔵されている。

スイングベント『カースホイップ』
AP2500 カースドランの舌を模したピンク色の鞭。粘液が付着しており、攻撃を受ければ受けるほど付与されたぬめりによって思うように動けなくなる追加効果を持っている。

ポイズンベント
AP2000 自身の武器に強い毒薬効果を付与する。毒の種類は麻痺や激痛、溶解性など様々で強力だがカード使用時にランダムで効力が決まるので少々のデメリットも内包している。

クリアーベント
AP―― 一定時間、透明化する。

アドベント『カースドラン』
AP5000 カースドランを召喚して攻撃させる。攻撃方法は大顎による強力な噛みつき。口から溶解性の毒液を放射する。

ファイナルベント『サクリファイス・エクスタシー』
AP6000 自分と右腕とカースドランが合体変形して誕生する巨大な武装腕・デッドリードランで敵を噛み潰す技。牙からの毒液で相手は痛みを強制的に快楽に変換されて、逃げると言う選択肢を奪う効果も持っている。


外見
不気味な白いライダー。アンダースーツは紫。
契約モンスターのカースドラゴ同様にトカゲの骨のような装甲を全身に纏っている。
イメージとしては仮面ライダーアークワンのアーマーに白骨と恐竜要素を加えた感じ。


さて、こんな感じで役者は全員出揃いました。
次回が一応メインストーリー最終話。
今回のノリのまま、振り切れた連中のデスゲームもラストスパートでございます。



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第四話 ファイル:03→05 夢がたりないぜ

皆さま、お久しぶりです。
前回の投稿から気が付けばほぼひと月が経過してしまうことになってしましたがどうにか第4話書き上がりました(汗)

このお話で一応メインシナリオは終了となります。
どうか最後までお付き合いお願い致します。


 

 

『カロロロロロ!!!!』

 

 ドラクルのミラーモンスター・カースドランは全身に白骨を思わせる外殻を纏った四足歩行の竜に似た不気味なシルエットで依然として頭部を咥えたレイダーを執拗に振り回していた。まるでレイダーを噛み殺すだけでは飽き足らず、首をねじり切らんばかりの勢いだ。

 

「くふ♪ 貴女の夢を聞くのを忘れていたわね。残念なことをしたわ」

 

 そんな残酷な光景を嬉々として眺めながらドラクルは勝利を確信して呟いた。

葵の姉にした時と同じように。いままで屠ってきた競争相手である敵ライダーたちにそうして来たように、彼女たちの願いをその命ごと破壊するのは至極の快感なのだから。

 今回は順序が逆になってしまったのでレイダーが持っていた勝利の報酬たる願いの詳細を知ることは出来ないことが少し惜しかったとドラクルが考えていた時だった。

 

「夢ってほど大層なものでもないし、半分願いは叶ってるみたいなものなんだけどさ」

「なッ!?」

「ぐぬぬ……うおりゃああああ!!」

 

 カースドランの口の中から確かに聞こえてくるレイダーの声にドラクルは自分の目と耳を疑った。とっくの昔に頭を噛み砕かれていたと思われたレイダーはなんとカースドランの両顎を力づくで抉じ開けると強烈な噛みつきから自力で脱出してみせた。

 着地したレイダーの左腕から大粒の血の雫がボタボタと流れ落ちた。彼女はカースドランに噛みつかれる瞬間に咄嗟に左肩を突き上げ頭部の代わりに噛ませることで致命傷を回避していたのだ。

 

「わたしの願いは強い人たちともっとずっと戦いたいってところかな。それが叶うのなら宇宙だろうと異世界にだろうと飛び出したって構わない!」

「――この野蛮人め」

「褒めてくれてありがとー! けど……いまのは本気で死ぬかと思ったよ」

 

 忌々しく吐き捨てるドラクルにレイダーは痛みを空元気で誤魔化しながら明るげな声で言い返した。けれど、左肩の装甲は無残に噛み砕かれて傷口から溢れる血で赤黒く汚れている。そして、ミラーワールドに滞在できる残り時間もまた刻一刻と消費されている、極めて危機的状況なのには変わりはない。

 

「姫の完璧な作戦を一時とは言え凌いだことには褒めてあげるわ。だけど、姫が直接仕掛けた以上は貴女の死は絶対なのよ? 分かったら、さっさと死になさい!」

「せっかくだけど、お断りだ!!」

「どこに逃げても無駄よ! カースドラン、今度こそちゃぁんと喰い殺しなさい!!」

 

 性懲りも無く、ドラクルが乗って来たライドシューターを目指して駆け出したレイダーを狙って命令を受けたカースドランが追撃する。ドラクルは彼女がライドシューターを奪ってこの場から逃走するものと思い込んでいた。

 ようやくライダーシューターの元へと辿りついたレイダーは一目散に座席に乗り込む――のではなく、機体フロント部分の持ちやすい場所を手探りで探すと迷わず両手で強く掴んだ。

 

「さっきのお返しだああああ!!」

『カロッ……バァアアアア!?』

 

 なんとレイダーは二輪車としては巨大にも程があるライドシューターを持ち前の怪力で持ち上げると棍棒のように横一閃に振り回して後ろから追ってきていたカースドランを殴り飛ばしたのだ。

 

「キャアッ……くっ、出鱈目ばかりを!?」

 

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「しまった! あいつの狙いはそれか!?」

 

 カースドランはドラクルの目の前まで吹っ飛ぶと大きな砂ぼこりを巻き起こしながら倒れ込んだ。自身の契約モンスターの巨体と周囲と包む砂煙、そして視界が効きにくくなった奥から聞こえた電子音声によってドラクルは自分が見誤ってしまったことに気付いた。

 レイダーの目的は未練がましい逃亡ではなく、最初からまだ残っていた切り札を使用するための時間稼ぎにあったのだ。そして、レイダーの元には起死回生の一手を託された心強い深緑の相棒が駆けつける。

 

 

『ウホォオオワアアアア!!』

「相棒! ご覧の通りの大ピンチなんだ。なんとかできるかな!?」

 

 召喚されたガッツフォルテは既に粒子化が全身に起こり始めているレイダーの姿を一瞥するや否や何を思ったのか大きな手で彼女のことを掴むと一目散にドラクル達へと背中を向けて駆け出した。

 

「おお相棒!? どうするの? どうする気ぃ? わたしってばどうなるの!?」

『ホワァアアアアアア!!』

「うひゃあああああ……あっ!! なるほど、OK! ありがと相棒ぅううううう――!!」

 

 往年の怪獣映画さながらにレイダーを片手に掴んで近場にあった倉庫の屋根に飛び乗ったガッツフォルテはそこから更に大ジャンプすると海の方角へと全力で自分の契約者をブン投げた。

 晴れ渡る夏空の下で穏やかな海面は見事な水鏡となって白い雲もくっきりと映していた。そんな大海原の鏡面を出口にしてレイダーは大きな水柱を作りながらも間一髪でミラーワールドから脱出していった。

 

「契約者が非常識なら、モンスターも非常識ってわけ? ふざけた真似を!!」

 

 一方でレイダーの逃走を許してしまったドラクルは苛立ちで歯を食いしばりながら怒声を上げた。ライドシューターを武器にする意味不明な行動で窮地を脱したレイダーの奇想天外さ。可能な限り遠方の海面へとレイダーを投げ放ったガッツフォルテの知性を感じる想定外の行動。

 何よりも先日手に入れたばかりの貴重な手駒を失うリスクを考慮しながらも、また必勝法から外れたタイミングで仕掛けることになっても仕留められると睨んでの襲撃が失敗したことへの怒りはそう簡単に抑えられるものではなかった。

 

「くふ♪ いいわ、レイダーちゃん……どの道、貴女はもう姫の築いた蜘蛛の巣の上にいるのよ。たっぷりと生き地獄を振舞ってあげるから覚悟しなさい」

 

 レイダー逃走から数分が経過してから、ドラクルは現実世界での罠の算段を組み立てながら自らもミラーワールドを退去した。戦士としても高い実力を有する彼女だが現実世界に置いて集団戦法が可能なほどの手勢を持っていることが綾芥子撫子の確固たる強みなのだから。今回もそれを徹底的に活かすのみだ。

 

 

 

 

「ぜえ……はあ……けほっ、げほっ! ケータイや財布持ってこなくてホント良かったよ」

 

 海から現実世界へと帰還した遊はというと海水浴場に程近い岩場にどうにか泳ぎ着いて、ぐったりとその場に大の字で寝転んだ。

 戦いのダメージに加えて、まさかの着衣泳での遠泳と普通なら疲労の余り気を失っても可笑しくない修羅場だったが丈夫で元気が取り柄の遊はまだ幾らか余裕がありそうな様子だった。

 

「痛たた……うげぇ、噛まれたとこ穴空いて、骨っぽいの見えてるよ。こんな左腕でよくここまで泳いだよ、わたし」

 

 海水で濡れて身体にへばりつき、健康的で凹凸のハッキリした遊のボディラインを包み隠さず露わにするセーラー服の左肩部分が海から出たことでじわりと赤く染まっていく。

 恐る恐る遊がカースドランに噛みつかれた傷口を覗き込んでみると、そこは血の気が引くような痛ましい状態になっていた。

 

「えらいぞーわたし! 今夜はご褒美にホームサイズのアイス食べちゃおう……なんて、ね。これからどうしたもんかなー」

 

 制服のスカーフを包帯代わりに巻いて応急処置を済ませて、濡れたネズミのような状態のままで遊は移動を始めた。何か一つでも間違っていたら命を落としていた窮地から脱した自分を褒めてみるが流石の遊も複雑化していく状況に顔色を曇らせて、溜息をついた。

 

「アオくんのお姉さん、たぶんもう死んでるよね。で、たぶん倒したのはあのガイコツドラゴンみたいなライダーだよなー……あの子になんて説明しよう。ぐぅう、思ってたよりも痛んできたか」

 

 折角遭遇出来た敵の仮面ライダー。そこに至るまでに判明した残酷な事実に本当なら小躍りして喜ぶところを葵との先約がそれに待ったを掛けた。戦いが絡むと途端に狂人へと切り替わる遊だが、それを取り払った時に残るのは明朗快活で人懐っこく、子供に慕われやすい女子高生なのだ。

 だから、彼女には葵と交わした約束を適当な言葉で誤魔化すと言う選択が出来なかった。

 今回は色々と喧嘩以外の事に振り回されるなと左肩を苛む激痛を堪えながら遊が歩道に出ようとした時だった。切羽詰まったような男たちの声が近くで聞こえてきたので彼女は無意識に身を隠して様子を窺う。

 

「おい! 見かけたか?」

「いや、俺たちの方は空振りだ。 海水浴の客たちに紛れてるかもしれねえ!」

「相手は喧嘩好きで屋戸岐町界隈でそれなりに有名な女だ! 顔写真が手に入らないか各自で連れや知り合いにも当たってみろ! いいか、銀髪の聖山高校の女だぞ!」

「姫のためにもなんとしてでも見つけ出せ! 手柄を上げたらまた姫が俺たちを可愛がってくれるぞ!!」

 

 遊が偶然に隠れ見たものは幸か不幸か自分の事を血眼になって捜している柄の悪い男たちの姿だった。それは紛れも無く姫の――綾芥撫子の手下の者たちだ。

 絶好の機会を逃した撫子は常套手段に切り替えるのと同時にレイダーの逃亡ルートから遊が現実世界で流れ着きそうな場所を予想して周辺の探索を素早く命じていたのだ。

 

(どうなってるの!? わたし別に悪いお尋ね者にされるようなこと……してるけど! だからって、こんなこと初めてだよ?)

 

 予想外の事態の連続で遊の頭はパニック寸前だった。

 いままでも喧嘩の現場を偶然に目撃された警察官や見回りの教師に追い掛けられることはあったがこんな風に不良やチンピラに徒党を組まれて捜されたことは一度も無かった。

 これらが綾芥子撫子の反則スレスレの必勝法だとは露も知らない遊にとっては聖山市の誰も彼もが敵に思えてしまうほどのショックであることは言うまでも無かった。

 

「よく分かんないけど急いでどっかに逃げないと不味いねこれは……は、ハクシュン! うへぇー……お風呂入るかせめて着替えたいよぉ」

 

 事態を呑み込めぬまま、逃亡者めいた立ち位置にされてしまった遊は海水で濡れて冷え始めた疲労困憊の体を引きずって一目散に逃げ出した。

 

 

 

 

 その頃、拠点にしているラブホテルのスイートルームに戻った撫子は露出度の高いキャミソール姿でソファーに腰掛けて物思いに耽っていたがその表情は険しいものだった。原因は言うまでもなく、自らライダーとして攻めたにも関わらずいまも生きているレイダーの存在だ。

 

(落ち着きなさい、姫。状況はこちらが圧倒的に有利なのよ、ここで性急に動けば余計な損害を被るだけ。いつも通りにあの野蛮人も女として痛めつければ二度も逃げられはしないわよ)

 

 目を閉じ、両手を合わせて静かに思考を巡らして自重に努める撫子。

 ここに戻るまでに彼女もまたレイダー=喜多村遊という情報や遊の通う高校から喧嘩屋まがいの不良だといった一通りの情報を入手して、倒すべき相手についての入念な分析を行っていた。

 結論から言って、ライダーとしての実力は侮りがたいものを持っている遊ではあるが自分の戦術を以ってすれば他愛のない相手というのが撫子が彼女に抱いた所感だった。

ライダーになってからも日が浅く、別の誰かと同盟や共闘関係を結んでいる様子も無く、単純に戦いを嗜んでいる野性動物にも劣る行き当たりばったりの行動をする遊と万全の準備を常に行う自分とでは戦う前から勝負は決まっている。分かり切ったことなのに撫子はあのただ一度の奇想天外な逃亡劇を目の当たりにして胸のざわつきが収まらないのだ。

 

「そうよ、落ち着いて。姫はやるわ、姫は必ずやれるのよ。姫は絶対に頂きに登りつめて、無双の女帝になってやるんだから」

 

 まるで自己暗示のように強く、強く、自分に言い聞かせて不安を払拭しようとする撫子。そして、自らの願いを口に出して己を鼓舞していく。

 綾芥子撫子がライダーバトルの報償として望む願い――それは女帝となって世界を統治することだった。暴君でも暗君でも無い、有能で完全無欠な理想的な指導者たる女帝というものが彼女の最終的な到達点だった。唯一、歪な部分があるとすれば彼女が夢想する優れた世界に置いて雄は全てが女性に隷属する所有物であるということだ。

 

「足踏みなんでしている暇はないのよ、この(わたし)には」

 

 少し、綾芥子撫子という女の生い立ちについて語らなければならない。

 彼女は幼い頃から容姿端麗で文武両道な絵に描いたような優等生だった。家族の誰もが彼女を誇らしく思い、愛してくれた。ただ不幸だったのは撫子の生家の価値観の古さが彼女を苦しめ、世界を恨ませた。

 綾芥子家は古くからの名家であり、聖山市の市政にも強い影響力を持つ地主の家でもあった。故に家の人間は公務員や市議会委員など上に立つ職務に就くことが当然だった。それと同時にかの一族は時代錯誤なまでに男尊女卑が根を張る家でもあったのだ。

 

 祖母は先祖の威光を妄信して、時代の変化を見るどころか感じることも出来ない埃まみれの骨董品のような人間だった。

 母は父の三歩先をついて歩き続けることしか能のない典型的なイエスマンでさながら車輪のついた案山子のような人間だった。

 兄は撫子と同等の能力を持つが病弱で優秀な妹を羨むばかりで挑戦をしない枯れ木のような人間だった。

 弟は無邪気で可愛く姉を慕ってはいたが容姿も能力も凡庸で哀れなほどに旨味のない出涸らしのお茶のような人間だった。

 そして、父は娘のことを愛して、誇りに思いはするも一族の将来を担って行く有能な人材として期待すると言うことが出来ない低俗で貧相な価値観の人間だった。ただ女だと言うことだけで娘の可能性を狭めて、勝手に一族の繁栄のために余所の有力な家柄の息子と結婚させれば十分という程度の付録にしか考えられない狭量で撫子からすれば汚物のような人間だった。

 

■■()がお前のように丈夫だったら良かったのに」

■■()がお前のように賢ければ良かったのに」

「お前が男なら何も不満はなかったのに」

 

 いつか、父か臆面もなく自分に言い放った言葉がいまも撫子の脳裏に焼き付いていた。

 何故、自分に期待をしてくれない?

 そんなにも男であることが重要なのか。そんなにも女であることが枷になるのか。

 こんなことは可笑しいと撫子はいつからか、自らの一族に対して憎悪に近い感情を募らせていった。

 こんなことが未だに罷り通ってしまう世界は間違っていると撫子はこの世の理に怒りを覚えて、反撃の機会を窺い続けていた。

 高校入学直後から聖山市の裏社会に密かに出入りして、時に自らの身体を売ってまで下卑た男たちを下僕に隷属させ始めたのも自分だけの勢力を手に入れて家族達を出し抜くためだった。

 

 そして――。

 

「こんばんは。私はアリス。貴女の願いを叶える方法と機会をプレゼントするキュートでセクシー。可憐で純情な女の子です♪」

 

 そして、彼女にもまた運命が訪れたのだ。

 カースドランと契約して仮面ライダードラクルになった彼女は手始めに猟奇的な殺人鬼の犯行に見せかけて自分の家族達を殺した。

 自分のアリバイを入念に確保した上で凄惨に残酷にカースドランにやがて自分の弱みになってしまうであろうお荷物たちを餌として食い殺させたのだ。

 

「姫は必ず頂点になってみせるんだから。姫のこの夢は何処の誰にも邪魔させない」

 

 揺るぎない覚悟を改めて決めると撫子は立ち上がって行動を再開する。

 レイダーだけにかまけているわけにはいかない。ライダーバトルとは無数の個人同士の戦争なのだから、視野を狭めては別の誰かに足元を掬われかねないと他の競争相手たちの捜索にも余念がなかった。

 

 

 

 

「ぜああああ!!」

「おっぶあっ!?」

 

 海水浴場の存在もあり、夏場は特に人が賑わい活気に満ち溢れる凪河区ではあるのだが一度人気のある場所から外れるとそう言う訳にもいかなくなる。

 同地区の山中にある廃病院などがそうだ。名前さえも人々の記憶から忘れ去られて、ごく稀に好奇心に駆られて肝試しをする若者が年に何人かいるぐらいのこの場所はついさっきまで無数の男たちの怒声と一色の少女の咆哮が入り混じる狂奔の場と化していた。

 いましがた遊渾身の右ストレートが鳩尾にめり込んで昏倒した男の悲鳴を最後に廃病院は再びの長い静寂に包まれる。正確には痛みと疲労で何時もよりも荒く苦しげな彼女の息使いだけが幾年も風雨に晒されて朽ち果てた廃病院を人の気配で慰めている。

 

「終わった。全く……こんなヤな気分になった喧嘩は初めてだよ」

 

 額から不快感を伴って流れる汗と血が混じった水気を乱暴に右手で拭いながら遊は不愉快そうに毒づいた。彼女の挙動と共にそれなりの大きさのある遊の二つの双丘が無防備に揺れる。

 信じられないことだが彼女はいまのいままでスカート一丁の半裸というあられもない恰好で十人以上はいるゴロツキたちと喧嘩を繰り広げていたのである。それだけでも驚愕の事態なのだが乱闘を経たことによって遊の肢体はナイフによる切り傷や打撲に擦過傷に加えて、殴り倒した相手の返り血を浴びて正気の沙汰とは思えない異様なことになっていた。

 

「人の胸を勝手に揉みしだいてくるわ、服脱がそうとしてくるわ……君たちのやり口がどういうのかってのはよく分かったよ。忙しくなかったら一人二人吊るして人間サンドバックにしてやるのにね」

 

 サイズの合いそうな服をのびている男から適当に剥ぎ取りながら遊は悪態をついた。いつもは滅多なことでは怒りの感情を表情に出さない筈の遊がここまで強張った剣幕を浮かべているのは無理もないことだった。

 あの後、結局逃げる途中で綾芥子一派に見つかった遊は次々に湧いて出てくる彼女の下僕を殴り倒しながらもその人海作戦の前にこの廃病院に追い込まれた。

 そして、過去の撫子の犠牲者と同じく大勢の男たちに無理やり組み敷かれて遊もまた性的な洗礼を受けそうになった。ただ、そこは常人と色々な意味でズレた遊の感性が彼女自身を助けた。

 セーラー服を切り裂こうとゴロツキの一人がチラつかせたナイフを奪い取り、あちこちを引っ張り抑えつけられて身動きが取れない原因である着衣を自ら切り刻んで脱出。そのまま男たちが予想しない形で半裸になった彼女に動揺する隙をついて一気に攻勢に出たのだ。

 結果、異性に裸を見られることに対して抵抗のないことも功を奏して遊はかなりのダメージが蓄積され、左肩に大きな怪我を負った不利な状況でもどうにかゴロツキ達を返り討ちにすることが出来たのだ。

 

「汗臭いけど、しょうがない。うっ……おかしいな。さっきまで寒かったのに今度はまだ熱いままだよ。んーまあ、夏だから暑いのは当然なんだけど……なんか、変だな」

 

 いまは兎に角、一度身を隠して体勢を立て直そうと急ぎ足で逃げ去る気でいた遊だったがおかしなことにふらついた足取りで数歩進んだだけで止ってしゃがみ込んでしまった。遊の顔はボカボカと燃える火のように赤く染まり、目は苦しげに潤んでいる。

 彼女本人はまだ完全に自覚出来ていないが戦いで消耗したところに海水で冷えて弱った遊はいま熱風邪を引いてしまっていた。さらに刃物による切り傷が加算されて、遊の全身を不愉快な倦怠感と熱気が容赦なく襲いついにふらふらになるまで悪化してしまったのだ。

 

「頭まで痛くなってきた? うぇええ……踏んだり蹴ったりだよ」

 

 苦しそうな口調で弱音を漏らしながらも遊はなんとか立ち上がると悲鳴を上げっぱなしの身体に鞭を入れてなるべく急いで廃病院の跡地を離れた。この様子では真っ直ぐ自宅に帰れそうになく、赤心軒や友人の佳奈の自宅に転がり込むのも迷惑が掛りすぎると鈍った思考で考えながらいまの遊は逃げることに全力で打ち込んだ。

 

 それから時間だけが過ぎ去り、夏の空も夕暮れに染まり始めた頃だ。風邪を患って意識も朦朧となるような満身創痍の状態であてもなく逃げに逃げた遊は未だ苦しそうに顔を赤くしながらとある地区の木々の豊富な住宅地の一角に辿りついていた。

 

「っぁ……これはまずいな。喧嘩で負けて死ぬならまだしも、風邪が原因で野垂れ死にかもだなんて一番わたしに似合ってないじゃん」

 

 両足に力が入らなくなって、遊はどことも知らない路地裏の入り口でへたり込んでしまった。熱と頭痛で割れそうな頭を自棄になって乱暴に何度か振りながら、遊は弱々しく呟く。正直、心身ともにいまの彼女にはここが限界だった。

 カースドランにやられた怪我も相変わらず激しく痛み、奪った男物のTシャツに大きなシミを作るぐらいに出血が続いている。戦いとは関係のない場所で力尽きてライダーバトルからも退場すると言う最悪のシナリオが脳裏によぎったそんな時だった。

 

「遊ねえちゃん? そんなところでなにやってるの?」

「……アオくん? なんで?」

 

 聞き覚えのある声が頭の上から降ってきたのでぼやけた意識で遊が重々しく視線を向けるとそこには酷い恰好をした自分を心配そうに見つめる葵がいた。

 

「ボクは図書館で夏休みの宿題やった帰り道だけど……遊姉ちゃん、肩のそれ、血が出てるんじゃ?」

「えらいねー優等生。あれ……ってことはここって孤児院の近所?」

「そうだよ。秘密の近道だから施設の子供しか知らないけどね。そんなことより、遊姉ちゃんこそ大丈夫なの?」

「わたしのことは平気へーき。ちょっと厄介な人たちと喧嘩して追っかけられてるだけだから」

「それ、すっごくマズイことじゃ!? ウチに来て先生たちにお巡りさん呼んでもらおうよ。怪我の手当てもしないと」

「それはダメ。わたしの問題でみんなに迷惑はかけられないからさ。ホント、ちょっと休憩しているだけだから。アオくんは気にせずに暗くなる前にお家に帰りな」

「でも……! じゃあ、遊ねえちゃん。孤児院じゃなきゃいいんだよね? もっとちゃんと休めるところがあるから一緒に来て」

 

 じんわりと赤黒い染みが広がる遊の左肩を見て、血相を変える葵。そんな彼を安心させようと遊は空元気に振舞ってみるが歳の割にしっかりしている葵の前ではそんな誤魔化しは無意味だった。

 堅気の人たちを巻き込むわけにはいかないと意地になって詳しい事情も話そうとしない遊を不安そうに見つめる葵。彼はしばし思い悩んだ後、いつもの陽気で自分たちに優しくしてくれる遊の弱り切った姿を前にして、何かを強く決心すると遊の熱く汗ばんだ手を取って、ある場所へと案内し始めた。

 

「ここならボクたちに迷惑とか考えなくてもいいでしょ?」

 

 ふらついた足取りで遊が葵に連れてこられたのは孤児院の裏手から少し離れた雑木林にある簡素な小屋だった。電気も水道も通っていない、ホームセンターにあるような物置の方が立派にも思えるような作りではあるが室内には使い古したクッションやくたくたになった漫画雑誌などが散乱している。

 

「これどうしたの? ワクワク気分全開な感じじゃない」

「ボクたちの秘密基地だよ。近所の大工さんやってるおじいさんが余った材料分けてくれて一緒になって作ってくれたんだ。まだみんなで改造途中だけどね」

「ありがとねアオくん。それじゃあ、ちょっとだけここで休ませてもらうよ」

 

 ここならドラクルの手下たちにも見つかり難いだろうと考えた遊はお言葉に甘えて葵たちの秘密基地を使わせてもらうことにした。

 秘密基地の中はつっかえ棒式の窓こそあるが空調などもないので外とそれほど暑さも変わらないが屋根のある場所と言うだけでも随分と精神的に安心できるものだ。

 重ねて、木の壁にはありあわせの材料で建てたからか、隙間が目立ちそこから適度に風が流れ込んでくるので息が詰まるような蒸し暑さとは無縁そうだった。

 

「待っててね! 救急箱か何か取ってくるよ。そういえば、遊ねえちゃんお腹空いてない?」

「アオくん、気持ちだけで十分だよ。みんなの大事な場所を使わせてくれてありがとね。わたしは好きに休んで落ち着いたら、すぐにどっか行くからもう心配しないで」

「イヤだよ。だって、そんなつらそうな遊ねえちゃん見たくないから……ボクが戻ってくるまで絶対どこにも行っちゃダメだよ。ほら、指切りして」

 

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる葵に感謝しながらも、万が一彼に危害が及ぶことを望まなかった遊ではあったが熱で本調子になれないこともあって、ついつい押し切られてしまう。気付けば葵と指切りげんまんを結んでしまいしばらくの間は一人で横になって身体を休めることに専念するしかなかった。

 

「わたし……さっき、ホントに自分以外のライダー(誰か)と戦ったんだよね」

 

 木の香りが強い小屋の天井を見つめながら遊はまだ熱で浮ついた意識の中でぽつりと呟いた。一人きりの落ち着いた時間が手に入ったことで遊の胸中では色々な思いがふつふつと湧きだし始めていた。

 本格的な戦闘ではないにしろ、ほんの数時間前に自分は確かに赤の他人――それも同世代、同性の人間と命を懸けて戦いを繰り広げたのだ。喧嘩ではない、正真正銘の殺し合いだ。

 

「当たり前だけど、モンスターなんかよりもずっとずっと手強くて、何よりも殺気が段違いだったなあの子……すごかったな。わたしにもできるのかな?」

 

 訪れる静寂。

 遠くでは蝉の鳴く音が聞こえるし、風が吹けば雑木林の木々がざわめいて決して無音という訳ではないが遊の思考かバッドコンディションな体調とは裏腹に研ぎ澄まされていくようだった。

 だからこそ、意識して向き合わざるを得なかった。

 いま一度、遊は自分自身に問わねばならなかった。

 自分は喧嘩という領分を飛び越えて、仮面ライダーとして人を殺すことが出来るのかと?

 

「ムフー……ライダーって思ってたよりも面倒臭いな」

 

 いろいろと考えて、思わず遊の口から本音が漏れた。

誰かの大切な家族を奪ってしまったらどうするのだろう?

 罪に問われないとはいえ、本当に自分じゃない誰かを殺すことは出来るのだろう?

 どちらかが倒れるまで殴り合って、スカッとしてそれでお終いないままで彼女が嗜んできた喧嘩と違って、勝敗がそのまま生死に直結するライダーバトルはこうして一度経験してみて、遊にとって不慣れなことが存外に多かった。

 

「殺しちゃったら、気に入った相手とまた喧嘩できないのも悩ましいんだよね。でも、手加減したら嫌われて、喧嘩に誘っても無視されるかもだしなぁ……参ったなぁ」

 

 ただし、感性が常人と様々な部分でズレがある遊にとって最も悩めるポイントは自分が罪を犯すことへの葛藤というよりももっと、個人的な欲求に関する事柄ではあるのだが、そんなことを一人で悶々と考えていると遠くの方から子供の足音が聞こえてきた。

 

「ハァ……ハァ……おまたせ遊ねえちゃん! あんまり良いものはないけど、持ってこれるだけ持って来たよ」

 

 元気よく扉を開けて戻って来た葵は水の入ったペットボトルやらガーゼなどが詰め込まれたリックサックを背負っていた。孤児院の職員や他の子供たちの目を盗んでこっそりと手に入れただけあって、その品揃えはとてもまばらだ。

 

「にはは。本当にいろいろ入ってる。いまから冒険にでもいけちゃうね♪」

「もう、遊ねえちゃん! 体力が赤ゲージで冒険に行く人はいないでしょ?」

「そりゃそうか。アオくん……ありがとね」

 

 葵の健気さがくすぐったくて、ついおどけた態度を取ってしまう遊だったがそれでも自分を心配して真剣な眼差しを向けてくれる彼にキュッと口元を結ぶと心からの感謝を伝えた。

 何はともあれ、葵が持って来てくれた包帯とガーゼ、それに消毒液で左肩を始めとしたあちこちに負った傷の手当てをすることが出来た遊の身体はいくらかマシになった。

 それから、葵が孤児院から拝借してきたバナナや近所のコンビニで買ってきてくれた菓子パンをペロッと平らげた遊は人心地ついた様子で顔色も少し良くなっていた。

 

「はぁー生き返ったよ。アオくんは命の恩人さんだねー」

「おおげさだよ、遊ねえちゃん。でもよかった……遊ねえちゃんが笑ってるの見るのボク大好きだもん」

 

 いつもの良く知る遊が戻って来たのを空気で感じ取ったのか葵の態度もどこか緊張してよそよそしかったぎこちなさが消えて、自然なものへと変化していった。ストレートな好意を伝える言葉もそれゆえに出たものだろう。

 

「こらこらー男の子がそんな簡単に女の子に大好きだなんて言っちゃダメだよー」

「なんで? ボク、カノジョにするなら遊ねえちゃんみたいな人がいいな。楽しいし、優しいもん」

「にはは。おませさんめ。いいかい? そういうのはねえ、学校や同じクラスにいる気になる女子相手に使いなさ……は、はーくしょん!!」

「うわっ!? だ、大丈夫?」

 

 微かに流れた甘酸っぱい雰囲気は遊の特大のくしゃみで吹き飛んでしまった。

 ビクッと肩を跳ねて驚いた葵だったが彼はたははと笑って謝る遊がまだ微かにだが震えているのを見逃さなかった。

 

「ごめんごめん。逃げる途中で海に入ったりとかもしたからちょっと冷えちゃったかな? ま、夏だし問題ないでしょ?」

「そんなわけないよ。夏風邪拗らせちゃうよ遊ねえちゃん……よ、よし。じゃあ、これでどうかな?」

「ふわっ? アオ、くん?」

 

 怪我以外にも顔を赤くして見るからに体調が悪そうな遊を見かねた葵は少し勇気を出して優しく包み込むように両腕で抱きしめた。

 

「昨日、遊ねえちゃんもボクにやってくれたでしょ? ちょっとは楽になるかな?」

「うん。とっても、気持ちいいよ」

 

 幼い胸板で抱かれるような姿勢になっているので葵の顔は窺えないがとても優しい声が遊の耳元に届いてくる。夏の暑さとはまるで違う人肌のぬくもりは家族を亡くして久しい彼女には懐かしいものだった。

 

 小さな子供の葵に抱かれて、遊は夢心地のような気分だった。

 彼の体温が全身を蝕んでいた不快な悪寒を治してくれているようで。耳元から伝わってくる少し駆け足な胸の鼓動がすり減って疲れ果てていた心を癒してくれているようで。

 この安らかで気持ちの良い熱さにどこまでも底なしに自分を委ねてしまいたいくらいだった。

 

「どう? さっきよりも気分は良くなった?」

「……」

「遊ねえちゃん?」

「くー……かー……」

 

 遊のことを抱きしめてあたためること数分が経った頃、あまりにも静かなことを心配して葵が声を掛けると返ってきたのは呑気そうな寝息だった。

 葵の無垢で誠実なぬくもりが相当気持ち良かったのか遊はそれまでの疲れもあり、思わず彼の胸の中で寝入ってしまっていた。

 

「あのね、遊ねえちゃん。このあいだ教えた秘密のことなんだけどさ」

 

 すると眠る遊のことを抱きしめたまま葵はふと口を開いた。

 

「このあいだの夜に鏡の中に出てきたあの仮面の人が……もしかしたらお姉ちゃんだったんじゃないかなって」

 

 言葉を交わしたわけではない。

 一方的に声を掛けられただけのやり取りだったが葵には姉弟の絆から直感でそれが分かっていた。分かってしまった。

 

「あの人はボクに幸せなことが起きるよって言ってたけど、だったらボクはお姉ちゃんと一緒ならそれで十分幸せなのにさ……どうして、あれからちっとも会いにきてくれないのかな?」

 

 それは答えが欲しくて声に出した言葉ではなかった。

 けれど、まだ小さな子供の葵が胸の奥で仕舞い込み続けるには余りにも辛い、重たい言葉だ。だから、どこかに吐き出したかった。

 例え、眠っていようとも信頼して心を許せる遊がいるこんな時でなければ打ち明けることが出来ない切なる言葉だった。

 

「会いたいよ……お姉ちゃん」

 

 それから葵は眠る遊を抱きしめたまま空が青黒く染まり、星が瞬く頃になるまで堰が切れたように唯一の肉親である姉への慕情と恋しさを声に出して漏らし続けていた。

 彼の腕の中で遊は密かに一度は開いた瞼を再び閉じるとそんな想いが詰まりに詰まった言葉にずっと耳を傾けていた。

 

 

 ※

 

 

「ふぁあぁぁ……よく寝たぁ。うん……頭もすっきり。それに……」

 

 あれから、葵の抱かれたまま大胆にも二度寝した遊は真夜中の頃に目を覚ました。

 微かに月明かりが差し込む秘密基地の中で手を探ると葵が置いていったのかペンライトを見つけて部屋の中を照らす。

 遊の身体にはタオルケットが掛けられていて、枕元には明日の朝また来ると葵の書置きまであった。本当に小さいのに気配り上手な子供だと遊は苦笑しながら自分の体調を確かめる。

 

「やっぱり、軽い傷はもう治ってる。肩の怪我もたぶん手術しなきゃいけないレベルだったのに……この治りの良さは異常だよね」

 

 眠っている間に熱の方は引き、さらに腕の包帯を外すと比較的浅い傷はもう既にほぼ完治している状態にまで回復していた。遊でも首を傾げるほどの変異である。けれど、その原因と思われる要因は至極分かり切っていた。

 

「ライダーになるってことは身も心も人間やめるってことかな」

 

 カードデッキに秘められた持ち主に作用する驚異的な回復機能。

 管理者であるアリスと一握りのライダーたちだけが知る隠された力を遊は本能的なもので察知した。そして、同時に一つの独自の結論に思い至る。

 

「願いのためならどんなことだってやれる生き物……なるほど、確かにそれはバケモノって言っても間違いじゃないよね」

 

 人間は法律と理性と言う、見えないし形もないルールの中で生きている。

 野に生きる動物たちもそれぞれに習性があり、掟がありこれらもまた不可視の決まり事を守って暮らすことで多くが共に生きている。

 

 ならば、確かに何を犠牲にしても悲願を叶えたいという目的で争う自分たち仮面ライダーは全ての秩序から逸脱した新種のバケモノと定義しても無理はないだろうと遊は自ら考え、自らで納得した。

 そして、バケモノなのだからこうして気が付けば常人よりも傷の回復が速くなるような異変が生じても案じることではないと出鱈目な理論立てを行うとずっと悶々としていた葛藤への答えを導き出す。

 

「にはは! なんだ仮面ライダー(バケモノ)仮面ライダー(バケモノ)が殺し合いするだなんて普通じゃないか! あれこれ悩んで損しちゃったな。うん……うん! これで誰が相手でも思う存分戦える! にはははは!!」

 

 あまりにも簡単に、あまりにも単純に、誰かを殺めると言う罪への躊躇いを解決してしまった遊は久しく出来なかった満面の笑みを浮かべて夜空の月に向かって喜び吠えた。

 

「まだハロウィンはかなり先ですよ、いつからオオカミ女さんになったんですか遊ちゃんは?」

 

 喉奥に引っ掛かった魚の小骨のような悩みが解決して、意気揚々としていた彼女の元に純粋さと妖艶さを併せ持った少女の声が聞こえたのはそんな時だった。

 月明かりに照らされる雑木林にひとつの影が現れるとアリスが浮上した。

 

「おや、アリス?」

「一時は大ピンチのようでしたが紙一重で持ちこたえましたね。えらい、えらい♪」

「うえっ!? なんでそんなこと知ってるのさぁ?」

「それはもう、アリスちゃんはお仕事熱心なライダーバトルの敏腕有能管理者ですので皆様のモニタリングはバッチリです」

「わたしが必死になって逃げ回ってるのをコーラ片手に映画みたいなノリで観戦してたのかい? 今度はチケット代請求しちゃうからね」

 

 何食わぬ顔で自分はそちらの状況を把握していると切り出してくるアリスに遊は隠すことなくげんなりした顔を浮かべて見せた。遊としてはこういうタイプには下手に不慣れな誤魔化しなんてするよりは小細工抜きの自然体で接した方が気持ちが楽だという考えである。

 

「残念♪ アリスちゃんはライダーバトルに関しては年間フリーパスを持っていますので既に見放題なのです。と、おふざけはこれぐらいにして……遊ちゃんはいま揉めてる相手とどうするつもりなんですか?」

「揉めてる相手ってあのドラクルとかいうライダーこと言ってる?」

「ええ、そうです。ライダーバトルは別にトーナメント方式という訳ではありませんからね。逃げても良し、誰か味方を引き入れて袋叩きにしても良し、無視して違う相手を探すのも良しのバトルロワイヤルですから」

「それはもちろん――大喧嘩するに決まってるじゃん♪」

 

 意味ありげなアリスの問いかけに遊はお腹をすかせた獣の笑みを見せて、ヤる気満々の意思表示を見せた。そんな彼女の予想通りの答えに妖しげな笑みを浮かべて意外な言葉を投げかけた。

 

「ドラクルちゃんの居場所、教えてさしあげましょうか?」

 

 

 

 

 翌日のことだ。

 ニュータウン化が目覚ましい月見区の華やかな街並みを綾芥子撫子は周囲の雑踏に混じって歩いていた。ヘアカラースプレーを落とした黒髪にメガネの表向きの姿で向かうのは自宅のあるタワーマンションだ。

 世間的には家族を残酷な殺人鬼に殺された悲劇の才女として通している撫子である。昼夜を問わず聖山市の裏側で暗躍したいところだが二重生活を送る上で拠点であるラブホテル暮らしばかりするわけにもいかずに適度な回数はこうして善良などこにでもいる女子高生を演出しなければならなかった。

 

「チッ……どこに消えたのかしらあの野蛮人」

 

 一人になったエレベーターの中で撫子は苛立った様子で爪を噛みながら言葉を漏らした。下僕たちが廃病院で撃退されたのを最後に遊の消息が途端に掴めなくなったのがイライラの原因だった。

 逃げる途中でモンスターか他のライダーの襲撃にあって命を落としたのであれば問題はないが撫子に限ってはそんな都合の良い展開が早々あるわけないと早々に考えていたしかし、手傷を負わせながらここまで獲物が見つけられないと言うのも初めての経験だった。

 再びレイダーを見つけ出して今度こそ必ず仕留めるか、諸々の損失が口惜しさを呑み込んで別の相手に切り替えるべきか大きな判断を決めなければならないと眉間に皺を寄せていると目的の階に到着したベルが鳴った。

 エレベーターの扉が開くと同時に撫子は偽りの笑顔の仮面を貼り付けて、すれ違う他の住人達に愛想よく挨拶を交わしながら自宅のドアの鍵を開けて中へと入った。

 

「ただい……っ!?」

 

 返事を返してくれるはずの家族を自らの手で葬っておきながら、無意識にその言葉を言いかけて撫子は自宅の異変に気付いて固まった。

 部屋の奥で何かの音がするのだ。恐らくはエアコンか何か家電製品の駆動音だろう。確かに鍵を掛けてあったこの部屋に自分ではない誰かがいる。

 撫子は素早く考えを巡らせた。一度部屋を出て、腕っ節の強い下僕の誰かを呼び寄せるべきかとも。しかし、彼女の高すぎるプライドが自分以外の誰かに弱みを見せることを受け容れられなかった。その上、鍵を開ける音が聞こえた以上は奥にいる何者かは自分の帰宅に気付いただろう、ならば逃げることもできない。誰かは知らないが簡単に逃げ出すなんてことは彼女自身が許さなかった。

 

「誰か知らないけど、ふざけた真似をして!」

 

 即決即断した撫子は用心してデッキを構えながら奥のリビングへと続く廊下を駆けると勢い良くドアを開け放った。そこには完全に撫子の想定外の人物がいたことに彼女は愕然とする。

 

「おかえりー! また会ったね、君がドラクルだったか」

「レイダー……いいえ、喜多村遊」

 

 キンキンに冷えた快適な空間のリビングにはまるで風呂上りのようなラフな格好の遊が革張りのソファーに座っていた。まるで我が家のように寛ぎながら、ビックサイズのアイスクリームをパクついていた彼女は血相を変えて飛び込んできた撫子を見て、不敵な笑顔で出迎えた。

 

「人の家で随分と勝手な……」

「いやぁ誰かさんのお陰で昨日は大変な目に遭ったよ。悪いけど、勝手にお風呂使わせてもらったよ。あんな広い浴槽あるんだねえ、極楽だったよ」

「なんのつもり?」

 

 初めて生身の姿で相対する遊と撫子。

 いつぞや偶然出会った真面目そうな他校の生徒が仮面ライダーだったことには多少の驚いた様子の遊だったがすぐに気持ちを切り替えると両者の間には張り詰めた緊張の空気が流れた。

 額に青筋を浮かべて恫喝する撫子に対して、いつもの人懐っこい態度で飄々と喋っていた遊は急に立ち上がって真顔になったかと思うと目にも止らぬ動きで力強く踏み込んだ。

 

「――ぐえっあぁ!?」

「これは君のお仲間にお世話になったお返しってことで!」

 

 撫子は自分に何が起こったのか一瞬わけが分からなかった。

 腹部から伝わる激しい鈍痛。身構えることも出来ない間に鳩尾に殴り込まれた遊の拳を受けて撫子は後ろに吹き飛ぶと大きな音を立てて壁に叩きつけられた。

 

「うぷっ……おげえええ!!」

 

 当たり所によっては大の大人でも昏倒させるの遊の鉄拳を生身でまともに食らった撫子は脂汗を浮かべながら溜まらずその場で嘔吐した。綺麗なフローリングの床が彼女の吐瀉物で汚れていく。

 

「ありゃりゃ。意外と脆いんだねえ? ドSさんは打たれ弱いってのは都市伝説じゃなかったかな?」

「ど……どうして」

「んー?」

「どうして、あんたが私の家を知ってるのよ。いや、例え知れてもどうやって密室の部屋に侵入できるわけ!?」

 

 思った以上にダメージを受けている様子の撫子にその気になっている遊は驚くリアクションを見せるが憐みも罪悪感も持っていない様子だ。それに対して、乱暴に片手で口元を拭いながら撫子はこの予期せぬ侵入者に理解し難い疑問の数々をぶつけた。

 

「よくぞ聞いてくれたね。ほらこれ見てよ! 君にやられたのを教訓に用意してみたんだけど、面白いぐらい想像通りに上手くいってさ。これでいつでもどこでも変身して喧嘩し放題だよ。まあ、ここを知れたのは完全に可愛くて素敵なラッキーガールのお陰だけどね」

 

 そう言って遊はどこから手に入れてきたのか歪な円形の鏡の破片を取り出した。

 得意げに語る彼女を見て、未だに痛む腹部をさすりながら撫子は忌々しくも納得した。確かにああやって媒介となる鏡を携帯していれば変身やミラーワールドへの出入りに不便はしない。しかし、それは言い換えれば常にミラーモンスターの襲撃に遭う危険性が伴う極めて命知らずな行為だ。

 そして、もう一つの疑問。そもそも何故、遊がこちらの素性を知っているのかという謎も彼女の背後にある電源の入っていないTVの黒い画面に映り込んだ黒髪の少女の存在で明らかになった。

 

「お前……お前かアリス! このクズ運営がああ!! 何がペナルティは与えないだこのえこ贔屓女めッ!!」

 

 白々しくほくそ笑むアリスに撫子は豹変したように殺意に満ちた怒声を上げた。そんなビリビリと大気を震わせるような罵声を飛ばして怒る撫子とどこか惨めな姿にアリスは隠すことなくわざとらしく黒い笑みを浮かべて喋り始めた。

 

「人聞きの悪いこと言わないでもらえます。私は別に撫子ちゃんに罰を与えたわけじゃありませんよ? 遊ちゃんにご褒美を上げただけですので♪」

 

 まるで出来の悪い馬鹿な生徒を慇懃無礼に指導する女教師のようにアリスは人差し指を立てて、撫子に言い聞かせる。

 

「だって、そうでしょう? みんなで楽しくサッカーをやっているのにラグビーのルールを持ち出してくるような勘違いちゃんと清く正しく理想の戦い方でゲームを盛り上げてくれる優良プレイヤーとを比べたら、どっちにサービスするのかなんて決まってるじゃないですか?」

「まあ、安心しなよ。今日はいまの一発意外に君を攻撃するつもりはないからさ」

「は……?」

 

 今すぐにでもTVの画面を叩き割ってあの性悪女を引き摺り出して、半殺しにした上でそのへんの野良犬にでも犯させてやりたい気持ちだった撫子だがすぐ隣にいる遊の存在がそれを阻んだ。

 なんとかこの状況を打破する策を思案していると肝心の遊の方が先に思いもよらない言葉を言い放ってきた。

 

「正々堂々と二人で思いっきり喧嘩して白黒つけようって言ってるのさ! ほい、この紙に集合場所書いといたから」

 

 言うよりも早く遊は蹲ったままの撫子の目の前に一枚のメモ用紙を放り投げる。

 紙には彼女が決闘場として選んだ沼田区にある廃工場の地図と時間が書かれていた。

 

「最高の喧嘩をしようじゃないか! それとも、お姫様は一人じゃなにもできないのかな? なんてね、にはは!!」

「な、ん……ですって」

「そいじゃ、またね。お邪魔しましたー」

 

 珍しくあからさまな挑発を吹っ掛けて撫子と焚きつけると遊は陽気な笑い声を残して足取り軽く綾芥子宅を去っていった。

 嵐のような来訪者にまんまと一杯喰わされた撫子は遊の気配が完全に消えてからゆらりと立ち上がるとわなわなと震える両手を目一杯に握り締めた。

 

「この姫が……一人じゃなにもできない? くふ♪ くはははは! 馬鹿にしてェエエ!!」

 

 火山の噴火を思わせる怒りの叫びを部屋中に響かせて、撫子はやり場のない怒りを白い壁が自分の拳から滲む血で真っ赤になるまで叩いて、叩いて、叩き続けた。

 管理者であるアリスの介入こそ予想外ではあったがそれを差し引いても下等な野蛮人と見下していた遊に自分の必勝の策を覆されたことを筆頭に思惑の全てをここまで狂わされたことが彼女にとっては耐え難い屈辱だったのだ。

 

「フー……フー……姫は大きな勘違いをしていたようね。あの女はそもそも人じゃなくて、薄汚い獣だったのよ。それなら辱しめるなんて方法確かに無意味だったわね」

 

 自らの内に溜まりにたまった激情を放出して、落ち着きを取り戻した撫子は抑揚のない口調で滔々と呟きはじめた。その瞳は一線を越える覚悟を決めた狂人のように濁っている。

 

「姫の統治する世界にあんな獣はいらない。ここで必ず駆除してあげるわ」

 

 撫子は遊を取るに足らない雑魚から、必ず葬り去らねばならない不倶戴天の敵と改めると完勝するためにやらねばならない儀式を思い立ち下僕の中でも一番の側近に電話を掛けた。

 

「一時間以内に姫が飼っている駄犬(げぼく)たちを全員、ホテルのプールに集めなさい。これは厳命よ」

 

 一方的に会話を切り終えた撫子は鬼気迫る剣幕で自らも拠点にしているラブホテルへと向かった。奇しくもこれから行われる二人のライダーによる決闘は撫子にとっても初めてとなる正々堂々、真っ向勝負のサシの戦いでもあったのだ。

 

「くふ♪ 悦びなさい、カースドラン。いまからアナタと姫を一気に強くしてあげるわ」

 

 

 ※

 

 

 翌朝、二人の決闘場となる廃工場の入り口には既に遊が撫子の到着を今かいまかと待っていた。あれからゴロツキたちの襲撃もピタリと止んだため、食事も睡眠もバッチリの遊は最高のコンディションで闘志を高めていた。すると沼田区の市街地からこの廃工場を結ぶ一本道から別の誰かの気配が近づいてきた。

 

「待たせたわね。喜多村ちゃん」

「お! 案外早くきたねぇええ!? え、なに? 車にでも轢かれてきたのかい?」

 

 聞き覚えのある撫子の声に何となく別の方角を眺めていた遊は彼女の異様な姿に思わず驚きの声を上げた。恐ろしいことにいまの撫子はピンクに髪を染めた姫モードの状態でどういうわけか全身に夥しい返り血を浴びた凄絶な姿をしていたのだ。

 

「貴女が気を揉む必要はないわ。ちょっとね、姫の可愛いカースドランに景気付けにたっぷりごちそうしてきたのよ」

「もしかして……君の手下くんたちをご飯にしちゃったわけ?」

「あら、ご明察♪ だっていいでしょう。あんなカス共の命なんて別に」

 

 他のミラーモンスターや人間の魂を食らわせることで仮面ライダーは自らの契約モンスターを強化できる。それはひいては自らのステータスアップにも繋がっていく重要な行動だ。そして、撫子はその餌となる魂を手っ取り早く稼ぐために何の未練も躊躇いも無く自分の手足となって働くゴロツキ達を一カ所に集めて生贄のようにカースドランに喰わせていた。

 如何に女尊男卑の考えを持つとはいえ余りにも良心や常識をド返しした撫子の振舞いに流石の遊も言葉に詰まった。複雑な顔で遊が撫子を睨んでいると昨日とは逆に彼女の方が口火を切った。

 

「あら? 貴女でも絶句することがあるのね。丁度いいわ、早くやりましょうよ? 姫たちに無駄な言葉なんて要らないでしょう?」

「……には! そうだね、そうだったよ! じゃあ、やろう!!」

 

 お互いに妖艶な笑みと爛漫な笑みを浮かべた二人はデッキを取り出すと肩を並べて廃工場の敷地内へと進んでいった。もう、両者の間に会話は無く殺意と闘志がバチバチとせめぎ合っている。

 

「「変身!!」」

 

 錆ついたカーブミラーの前で遊と撫子はそれぞれ気合を込めた構えを取ってデッキをベルトに装填する。騎士の鏡像が幾重も彼女たちに重なって二人は仮面の戦士へと変わる。

 勢い良く突入したミラーワールドの廃工場にて、ついに二人は雌雄を決する時を迎えたのだ。

 

「楽しくておかしくなりそうだよ! やっと君と気持ちよく殴り合えるんだからさ!!」

「姫も嬉しいわ! 姫の覇道を卑しくも邪魔する害獣を駆除できるんだからねえ!!」

 

 

 深緑の狂戦士・レイダーと白亜の悪竜姫・ドラクル。

 二人は狂奔の叫びを上げて目の前の敵を屠るために駆け出した。

 

【SWINGVENT】

 

 爬虫類の舌を模したネバついた鞭・カースホイップを召喚して振るうドラクルだが敢えて無手で肉薄してきたレイダーが一歩早く攻撃を掻い潜って間合いに侵入してきた。

 

「うおりゃあああ!!」

 

 やる気に満ちた叫びを上げながらレイダーの渾身の拳が景気良く乱発されていく。その破壊力を昨日その身を以って味わったドラクルはカースドランの頭部を模した大きな籠手型のバイザーを盾のように扱い防御に徹する。

 

「どうした! どうしたぁ!? 埠頭の倉庫でやった時はこんなもんじゃなかったでしょうに!!」

「そうね。じゃあ、こういうのは如何かしら!!」

 

 ドラクルはレイダーの拳を防ぎながらバイザーを押し出して一時的に彼女の視界を遮った。その隙にカースホイップを無防備になっていたレイダーの足首に巻きつけると思いっきり引っ張った。

 

「ホラホラホラ!! 貴女の方こそだらしないんじゃなくて?」

「ぐおわぁっ!?」

 

  足の自由を奪われて、無様にすっ転んだレイダーをドラクルは見た目からは想像も出来ない腕力を見せつけてハンマー投げのように振り回すと何度も乱暴に鉄柱やコンクリートの床に叩きつける。

 

「ムフー! いいね、いいねえ!! そうこなくっちゃ大喧嘩の意味がないよね!!」

【STRIKEVENT】

 

 相当に大きなダメージを受けているはずのレイダーだが強い相手と戦えることへの僥倖がそのまま活力へと変換させているように歓喜の声を上げながら、振り回されている状態で両腕にガッツナックルを召喚して装着する。

 

「狙い撃ちだぁ!」

「ぎゃう!? これぐらいで!」

 

 再び鉄の柱に叩きつけられた瞬間にレイダーは片腕で柱にしがみついてその場に止まると間髪入れずに右拳のガッツナックルをロケットパンチとして発射した。

 大砲のような一撃を受けてドラクルは後ろに転がり、カースホイップの拘束が解けるもすぐに立ち上がった彼女は迫るレイダーを打ち据えようとピンクの鞭を鋭く振るう。

 

「それがどうした! だぁああありゃりゃりゃりゃ!!!!」

 

 大気を裂いてドラクルの鞭がレイダーの体を打つ。肉が裂けるような痛みが彼女に襲い掛かるがレイダーは左のガッツナックルを盾代わりに真正面から鞭の洗礼を突っ切ると意表をついたローリングソバットをドラクルの腹に蹴り込む。

 更に予期せぬ一撃を受けて、くの字に体勢を崩したドラクルの片手を掴んで捕らえるとその顔面を自由の効く左の拳で猛然と殴りまくる。

 

「あがあああ!? なめ……るなぁあああ!!」

【SHOOTVENT】

 

 雪崩の如き無慈悲な暴力の応酬に一瞬意識が飛びそうになったドラクルだが圧倒的な克己心で踏み止まると殴られ続ける顔面を自ら振ってヘッドバットをレイダーに浴びせた。

 堪らずレイダーが後ずさった好機を活かしてドラクルもカードを引き抜いて恐竜の尾のような複合武装カースアームズを右腕に装着する。

 

「シャアアアア!!」

 

 至近距離から気迫に満ちた声を上げながらレイダーに銃弾を浴びせまくるドラクル。しかし、連射性に富む反面、一発の威力は低いカースアームズの銃撃では決定打にならないのは先の戦いで二人とも把握済みだ。

 

「こんな豆鉄砲何発食らったって問題なーし!!」

「ええ、でしょうね。でも、やっぱり馬鹿はバカね!」

「むっ……っ痛ぁ!?」

 

 尻尾のような銃口から吐き出される弾丸を物ともせずに前進するレイダーだったがドラクルは何を思ったのか相手が近距離の間合いに入り込んだ瞬間に銃撃を止めて、カースアームズを逆袈裟に振るう。するとレイダーの片腕が切り裂かれて鮮血が散った。

 それは銃剣型武器であるカースアームズの尻尾を模した鈍器に見せかけた銃身に秘められた隠し刃の仕業だった。

 

「クッ……ただの銃じゃなかったのか」

「くふ♪ 銃剣というものよ。今更学習しても手遅れでしょうけどね!!」

「いいいいぃだだだだーー!?」

 

 レイダーの優勢を覆して、今度はドラクルが激しい攻勢に転じる番だった。

 斬撃と銃撃を巧みに切り替えながらジリジリとレイダーを押し返すと先日深手を負わせた左肩の傷口を重点的に狙って執拗な攻撃を仕掛けまくる。

 

「卑怯とは言わせないわよ……観念して、姫のために死になさい!!」

「やだね! 君でこんなに強いんだ。きっともっともっと強いライダーが山程いるんでしょ? そんな最高の喧嘩相手たちを目の前にしてあっさり死んでやるもんか!!」

「ナチュラルに姫を下から数えてるんじゃないわよ!! キイイイイエエエエ!!」

 

 仮面の奥で脂汗を垂らしながら、この強敵を打ち破った向こう側で待っているまだ見ぬ好敵手たちに胸を躍らせるレイダー。そんなレイダーの悪意のない的確な煽りに逆鱗を触れられたドラクルは怪鳥音のような奇声を上げて、より激しい斬撃を繰り出していく。

 堅牢で分厚いレイダーの装甲もとっくの昔に傷だらけでボロボロになっていた。とはいえドラクルの方もおぞましさを醸し出す白い装甲は汚れて無残な有様である。

 

【NASTYVENT】

「出し惜しみは無しだ! よろしく相棒!!」

 

 一進一退の熾烈な激闘を繰り広げるレイダーとドラクル。

 先に大きな賭けに出たのはレイダーの方だった。右半身で攻撃を凌ぎながらどうにかカードをバイザーにセットすると頼れる相棒を戦場に呼び出す。

 

『ウホォワアアアアア!!』

「いぎ! ああああ……あぁっ!?

 

 コンクリートの壁をぶち破って戦場に参戦したガッツフォルテは主に猛攻を加えるドラクルへ激しいドラミングから発生する衝撃波を浴びせた。

 両手で仮面の上から耳元を押さえて悶え苦しむドラクルの背後にレイダーはすかさず入り込むと両腕を回した。

 

「どっせええええい!! 沈めええええ!!」

「ガッ……ハッ――!?」

 

 美しいアーチを描いて炸裂したジャーマンスープレックスで地面に叩きつけられたドラクルは確かに意識を失った。だが自分が堅いコンクリートの床に叩きつけられる寸前にバイザーにカードをセットすることを完遂させきったのは流石の執念だった。

 

【ADVENT】

 

「!? 来るよ、相棒! 気をつけて!!」

【ADVENT】

 

 相手のバイザーから流れた電子音声に先の地獄のような体験を思い出したレイダーはやむなくぐったりと倒れたドラクルから離れて、自身もアドベントのカードでガッツフォルテを続投させると周囲を警戒する。

 張り詰める緊張と不気味に続く無音。こうしている間にドラクルが復活してしまうと僅かにレイダーの石木がブレたその時だった。

 

『カロロロロロ――!!』

「ちょっ、おわ――!?

 

 なんとカースドランは口から吐く毒液で地面を溶かしながら地下から襲撃を仕掛けてきたのだ。不意打ちの重い尻尾の一撃を受けたレイダーは人形のように吹っ飛んで廃棄されていた鉄製の棚に突っ込んでしまった。

 契約者を襲われたガッツフォルテが怒りに燃えてカースドランに飛び掛かるが短期間で大量の魂を食べて強化されたいまのカースドランのと戦力差は明白だった。

 

『カロロロロ――!!』

『ホワァアアアア!?』

 

 工場内では怪獣映画さながらの巨体VS巨体の大激戦が繰り広げられていた。カースドランはガッツフォルテの格闘攻撃を歯牙にもかけずに体当たりをぶちかますと怯んだところを容赦なく噛みつきを決めてくる。

 右腕を噛みつかれたガッツフォルテは苦悶の叫びを上げながら哀れにもカースドランに振り回されて瞬く間にボロボロにされていく。

 

「ぐうっ……やばい! 相棒になにすんだこのトカゲ!!」

 

 棚の下敷きからなんとか抜け出したレイダーは窮地に陥ったガッツフォルテの元へと大慌てで駆け出す。純粋に相棒の身を案じるのもそうだが先にガッツフォルテに斃れられたら、それはレイダー自身の能力も喪失することになる一大事だからだ。

 残っていた右のガッツナックルを上手い具合にカースドランの右目に直撃させたレイダーはガッツバイザーを片手に左目も潰してやろうと跳び上がった。

 

「本当にバカな女ね」

「ぐわあっ!?」

 

 しかし、レイダーはカースドランを殴る前に横からの射撃で撃ち落とされてしまう。魔の悪いことに昏倒していたドラクルが意識を取り戻したのだ。

 幸いにもガッツフォルテの方は疲弊しながらもなんとか持ち直して、正面からは勝ち目のないカースドランに対して瓦礫の投擲を駆使した遠距離戦を開始している。賢い相棒を信頼して、レイダーは目の前の難敵に改めて意識を向ける。

 

「モンスターなんて他に幾らでもいるのだから見切りをつけて姫を狙っていれば勝てたのにね」

「残念だけど、わたしは君と違って友達や相棒を大事にする主義だからさ」

「友達ねえ……くふ♪ くふふ、くはははは!!」

 

 千載一遇のチャンスを棒に振ったレイダーを嘲笑うドラクルだったが彼女は負けじと皮肉を返した。するとドラクルは解っていないなと溜息を吐くとゲラゲラと笑い始めた。

 

「バカを言わないで貰えないかしら? 友も相棒もいらないわ。姫に必要なものは隷属するに足る有能な臣民よ」

 

 地の底から響くような凄みのある声でドラクルはそんな突拍子もない時代錯誤な発言を大真面目に語り始めた。

 

「姫の夢を教えてあげる。姫はねえ、この世界を統べる並ぶ者のない絶対者になるのよ! 姫は最も優れた政治を行い、優れた人間を選りすぐって何の汚点もない完璧な世界を造るのよ! 友達とか相棒なんてくだらないもの、むしろ掃いて捨てたいところよ」

「よく分からないけど、あんまり楽しそうな世界じゃないのは理解できるよ」

「安心なさい。姫の世界に貴女は生きる価値無しだからね、喜多村」

 

 いま一つドラクルの語る夢の壮大さや魅力が分からないレイダーはつまらなそうに笑い飛ばした。そんな彼女の態度をドラクルもまた嘲笑しながら一蹴するとデッキから新しいカードを引き抜いた。

 

【POISONVENT】

 

 どこか不気味な電子音声が響くとドラクルのカースアームズが妖しげな紫の光を纏い始めた。何か仕掛けがあるのは分かるがそれがどういうものか謎に包まれていることを警戒して、普段の様に突っ込んでこないレイダーを仮面の奥で嗤ってドラクルは先手を取った。

 

「そろそろ終わりにしましょうか!!」

「おっと! だから、正面からそんなの撃ったって……!? なんだ、焼けて……いや、溶けてる!?」

 

 フェイントも何も無く撃ち出された数発の銃撃。些細なものだと片腕で防御したレイダーだったがすぐにその体には異変が生じ始めていた。

 レイダーの腕の装甲がまるで硫酸でも浴びせられたように煙と熱を出しながら溶け始めたのだ。

 

「これがポイズンベントの力よ。ライダーの中には最初から毒を帯びた武器を使う連中もいたけど、毒の効果単体がカードとして成立しているその意味が分かるかしら」

「さ、さあ?」

「くふ♪ それだけ強力で便利ってことよ! さあ、覚悟なさい!!」

 

 恐るべきポイズンベントの効果。ドラクルの使用する武器に強い毒薬効果を付与するこのカードがもたらす毒の種類は麻痺や激痛、溶解性など様々で強力なものである。

 唯一デメリットとしてカードを使うまでランダムで変質する毒の効果がドラクル本人にも分からないというギャンブル性を内包しているが今回の毒性は強烈な溶解毒。十二分に当たりと言える効力を付与されたカースアームズを以って、ドラクルは勝負を仕掛けた。

 

「うおわああ!? 鉄板なんかじゃ盾にもならないって冗談でしょう!?」

 

 乱射される溶解弾を廃工場に残された資材なども駆使して凌ごうと足掻くレイダーだったがポイズンベントによる毒の威力は想像以上の物だった。

 厚さ5cmの鉄板ですら水に浸けたティッシュの様にあっという間に溶けて使いものにならなくなるのだ。一瞬で窮地に陥ったレイダーはついに壁際に追い込まれてしまった。

 

「チェックメイトかしら? 残念だけど、命乞いは受け付けないわよ」

「する気はないからご心配なく。ムフー……ここは気合とガッツと根性の見せどころだね」

 

 一点の曇りもなく自分に狙いを定められたカースアームズの銃口を見つめながら、レイダーは深呼吸をしてこれから始まる我慢比べへの覚悟を決めると中腰に構えて、右脚を一歩後ろへ引いた。

 レイダーの取った姿勢から彼女が何をする気でいるのか察知したドラクルはその愚かしさを爆笑するのを抑えながら、やれるものならやってみろとカースアームズをくいくいと動かして挑発してみせた。

 

 そして――。

 

「いくぞぉおおおおおおおお!!」

「くたばれええ! 喜多村ぁああああああああ!!」

 

 意を決したレイダーは猛然と駆け出し、対峙するドラクルは溶解弾を連射する。

 両腕をピーカブースタイルで障壁に見立てたレイダーは恐るべき弾雨の中を果敢に突撃する。しかし、溶解毒の効果を付与された銃弾の猛威は恐ろしく彼女の両腕はあっという間に痛々しく焼け溶けていく。当然、普通なら失禁や気絶してしまうような激痛が遊を襲うが彼女は執念と闘争本能だけで意識を繋ぎ止めている。

 

「届けええええええ!!」

 

 そして、視界が何度も眩みながらドラクルを拳の射程範囲内に捉えるまで前進したレイダーは渾身の一撃を叩き込もうと拳を振りかぶる。

 

「無駄よ」

「く……そぉ……ッ!」

 

 だが、ドラクルの冷たく短い一言と共にレイダーの胴体に焼け溶けた斬傷が袈裟掛けに一閃走ると彼女は拳を撃ち出す前に糸が切れたように仰向けで倒れてしまった。

 

「あ……あ、あ……ぁ」

「くふ♪ まだ生きてるなんて流石の生命力ね。獣を通り越してゴキブリの様だわ」

 

 時折ビクビクと痙攣しながら、まだ息のあるレイダーの顔を足蹴にしてドラクルは勝利を確信してほくそ笑んだ。そして、まだ余裕のある時間の中でこの忌まわしかった女をどんな風に殺してやろうかと嬉々として思案する。それが彼女自身の命運を分けることだとも知らずに。

 

「強い相手と戦いたいだなんて低俗な願いで参加したのは貴女ぐらいだと思うけど、そんなちっぽけな夢を引っ提げてこの姫をここまで苦戦させたことだけはあの世で誇るといいわ。それじゃあ――さよなら!」

 

 わざわざレイダーを跨いでその顔を一突きに刺し穿って殺そうとドラクルは両手でカースアームズを思い切り振り下ろした。

だが、その一撃はレイダーには届かない。何故ならば、毒に苦しみながらもずっと身体を動かそうと足掻き続けていたレイダーの執念がガッツバイザーを掴んだその右手を天へと突き上げたのだ。

 ギリギリでカースアームズの先端を受け止めたレイダーはそのままの状態で残る二枚のカードのうちの一枚を切った。

 

【COPYVENT】

 

「だあああああああ!!」

 

 拳で殴ることを好む遊の趣味趣向もあって今まで一度も使われなかったこのカードだがこの絶体絶命の窮地に際して、まさに起死回生の切り札となった。

 ドラクルのカースアームズのコピーがレイダーの右手に握られると彼女は間髪入れずに剣のように眼前の相手へと突き上げた。

 

「そん、な……」

 

 肉を抉る生々しい音が響いて、ドラクルの口からは呆然とした声が漏れた。カウンターで決まったレイダーの一撃によってコピーのカースアームズはドラクルの腹部に深々と突き刺さり、綺麗な紅い血がとめどなく流れている。

 紙一重の攻防。

 真に千載一遇のチャンスを逃したのはドラクルの方だったのだ。

 

「ハァ……ハァ……笑う暇がないぐらいの喧嘩ってのも悪くないね。でも、もう終わりにしよう」

 

 未だに自分の状況が受け入れられないドラクルを蹴り退けて立ち上がったレイダーがそう告げた。

 

「終わり? いや……嫌だッ! そんなの嫌よ……認めない。姫はこんなところで終わる人間じゃないんだから! 喜多村! 貴女も姫のような強敵を失うのは惜しいんじゃないの!?」

 

 レイダーの明確な殺意の前に僅かにたじろぎながら、ドラクルは生きることをあきらめず必死に現状を打破しようと足掻き続ける。それに手段は選ばず無様な命乞い地味な真似さえ迷わず取れるのは自分の悲願である夢の実現を見据えた大局的な視野とも言えなくもないがそんなドラクルの思惑をレイダーは叩き壊す。

 

「悪いけど答えはNOだよ。先約があってね……君、アオ君のお姉さんを殺したでしょ?」

「あおくん? なにをいっているの? なんのはなしをしているのよ、喜多村???」

「こっちの話だから、君は知らなくても別にいよ」

 

 当然のことだがドラクルは自分が殺めた敵のライダーたちの事情など逐一覚えているはずもなく困惑しているのを余所にレイダーも自分の義理と身勝手を貫くために決着のラストカードを引き抜いた。

 

「ただ……この一撃だけはわたしじゃなくて、あの子のための一撃だ!!」

 

【FINALVENT】

 

 最後の力を振り絞って地面を強く蹴り反転したレイダーの両足をガッツフォルテがガッチリと掴むと嵐のような大回転を始める。

 そんな圧倒的な力の具現とも言える光景を眺めながら大きくな孔が空いたような腹の傷口から血を流し続けるドラクルは死告の烈風を浴びて立っているのがやっとだった。

 

「ウオオオリャァアアアアアア!!!!!」

『ウホォオオオオオオオオオオ!!!!!』

 

 裂帛の気合いに満ちた二色の咆哮が轟いて、深緑の砲弾となったレイダーがドラクルに直撃する。初撃の一撃だけで白骨竜を思わせる仮面は砕けるもレイダーはそこから更に自らも痛みに耐えながら全身全霊の拳の連打を叩き込んでいく。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァアア――!!」

「い、や……だ。死、に…たく……な――」

「アオくん。仇だけは取っといたよ。ダッシャアアアァ!!」

 

 ドラクルの仮面もカードデッキも、装甲も――肉も骨も命も全て、すべて殴り壊してレイダーは冥土の土産とばかりにダメ押しの右ストレートで初めてにして最大の強敵と遥か彼方まで殴り飛ばしてこの戦いの幕を引いた。

 

 ドラクルはレイダーが視認できない遠方まで吹っ飛ぶととっくの昔に殴り殺されていたこともあり断末魔さえ上げずに爆散してミラーワールドの塵となってその生涯を終えたのだ。

 

「にはははははははは!! 勝ったぁあああああああああ!!!!!」

 

 そして、廃工場には満身創痍ながら激闘を制したレイダーの心の底から嬉しそうな勝利の雄叫びがタイムリミットぎりぎりまで木霊し続けていた。

 これが喜多村遊/仮面ライダーレイダーの最初の激闘にして、最初の殺人の顛末だ。

 深緑の狂戦士の本当の意味でのライダーバトルの第一歩はこのように波乱に満ちたものだった。

 

 そして、時の流れは現在へと回帰する。

 

 

 

 

 

 

 夏休みも終盤に差し掛かったある日のこと。

 聖山市にあるモダンな雰囲気のする喫茶アイスルームに遊の姿はあった。

 

「ムフー! うま~♪ 美味しいもの食べてると生きてるって感じがするよね」

「感謝しろよ。彼氏に教えてもらったとっておきの場所だったんだから」

 

 チョコレートケーキを蕩けた顔で頬張る遊の隣には友人も佳奈もいて、残り僅かな夏休みの日々を何だかんだで波長のあるこの二人は今日もぐだぐだ、まったりと過ごしていた。

 

「こういう美味しいもの作れる人にこそノーベル平和賞とかあげればいいのにね。いやぁ本当に美味しくて参っちゃうよ。いまのわたしにはもったいないぐらいだよ」

「どうした? 今日はなんか哲学的じゃん」

 

 パクパクとケーキを平らげながらもどこか悩ましい顔をする遊に不思議がった佳奈は面白半分にそんな言葉を投げかける。ちなみに遊の方はケーキはこれで三皿目だ。

 

「この間、強い奴と喧嘩したんだけど勝つのに必死で笑う暇もなくてね。わたしもこれで結構未熟だなって痛感したのだよー」

「マジでか。あんたが苦戦するとそれもうプロの喧嘩師か何かだろう」

「にはは! 本当に強くて何だかんだで面白い相手だったよ。学ぶことも多かったな」

 

 何度が実際に喧嘩現場に居合わせてその実力を知っている佳奈も驚く遊の内緒の激闘を思い返して、彼女も感慨深い表情を浮かべていた。

 

「喧嘩の強さは夢の大きさっていうのかな。もっといろんな人と思い切り喧嘩し続けようと思ったら、わたしもまだまだ夢がたりないよ」

 

 爽やかな笑顔を浮かべて遊はそう告げると言葉の意味がいまいちよく分からず?な顔をしている佳奈を尻目に四皿目のケーキのおかわりと注文した。

 ドラクルとの死闘は遊にとって得難い戦いであったのは間違いではなく。彼女はあの喧嘩を超越した綾芥子撫子が言うところの個人と個人の戦争を勝ち抜いて、戦士として大きく成長を遂げたのだ。

 

「ところでよ。もうすぐ新学期になるけど9月からは少しは遊も学校来いよ」

「んー気が向いたらね?」

「留年しても知らねえぞ。ダブったらちゃんとあたしのこと佳奈先輩って呼べよな」

「うえっ!? それはちょっと嫌だなぁ」

「だったら気合入れて登校しろ。文化祭の準備とかもあってただでさえ人手がいるんだしね」

「佳奈ってば本当はそれが理由でわたしに学校こいなんて言ってるんでしょ?」

「そもそもあんたも高校生なんだから学校行くのが普通だろうがよ! いいか、ちゃんと学校来ないなら文化祭の男装女装コンテストにお前代表にしてエントリーしてやるからな!」

「なにそれ!? そんなおかしなイベントやるなんてわたし聞いてないんだけど!?」

「うるせー! それが嫌なら学校来て準備手伝え! さもないとその無駄にご立派な胸にガンガンにサラシ巻きつけてどこに出しても恥ずかしくないイケメン野郎に魔改造してやるからな!」

 

 気心の知れた友人と他愛のない会話を交わしながら喜多村遊の波乱に満ちた運命の夏はこうして緩やかなに終わろうとしていた。

 

 激動の9月はもうすぐそこだ――。

 

 

 

 

 

 

 時は僅かに流れて新学期が始まってすぐのことだ。

 梅原葵は蝉の鳴き声がうるさいある日の夕暮れを最後に忽然と姿を消した。

 誘拐犯に攫われたとか、神隠しに遭ったとか、巷で噂の鏡の中から現れる怪物に襲われただとか、様々な噂話が飛び交ったがいつしかそれらも話題の熱が冷めると一部の物たちを除いては呆気なく忘れ去られていった。

 仲の良かった友達の証言によると葵は何日か前からよく鏡のある場所に立ってはとても寂しそうな顔で何かを呟いていたと言う。いずれにしても全てはもう過去の話だ。もうどうにもならないし、誰も帰ってくることはない。

 

「アオくん、お姉さんと出逢えたかな? なわけないか、天国なんてあるのかも分かんないし」

 

 遊は最後に葵が居たと噂されるカーブミラーのところへ何の気なしに立ち寄っていた。

 彼女にしては少し浮かない顔をしているがそこまでだ。

 別に葵に対してもう義理を果たした遊は悲しみも愛おしさもそんな特別な感情は深くは湧いてこない。強いて未練があるというのなら結局、姉の死と行方について結局葵に直接説明することが出来なかったのがある種の心残りにはなってしまったのだが。

 

「けど、良かったかもね。絶対に帰ってこない人を待つよりはきっとアオくんは自分からお姉さんを探しに冒険に出たんだよ。そうじゃなきゃ……この世界はわたしよりも遥かにマヌケだよ」

 

 誰に向けた想いでも言葉でも無く、何となく胸の奥から溢れ出したものを言葉にして吐き出すと遊は自分にだけ聞こえる耳障りな鏡界への続く音色に誘われて歩きだした。

 

 そうとも、喜多村遊という少女は今までも、これからも自分のためだけに戦うのだ。

 ほんの気まぐれに誰かのために拳を振るうのはあの一度だけと決めたんだ。

 だって、他人の命を奪う以上――例えそれが同じ仮面ライダー(バケモノ)の命だからと言って、『誰かのために』だなんて調子の良い言葉で責任から逃げていい道理があっていいはずがない。

 だから、遊は自分のためだけにその拳、その力を使うと決めたんだ。

 けれど――けれど、もしも、このライダーバトルで強い誰かとお腹一杯になるまで喧嘩をして十分過ぎるほど満たされて、その上まだどんな願いも叶えられると言うのなら。

 

その時は何かの気まぐれに彼女は幸せになるべきだったある姉弟の蘇生を願うことがあるのかもしれない。

いずれにしてもその答えはまだ誰にも分からない。

全ては鏡の向こうの世界の果て、少女たちの切なる願いの叫びの果てに待っている。

 

「さてと、今夜の喧嘩相手を探しにでもいこうかな」

 

 喜多村遊はまた歩き始める。

 彼女と言う人間がこの世界で生きる実感を満たすための戦いを探して。

 命が歓喜に震えるような血沸き肉躍る極上の喧嘩が出来る強敵を探して。

 

 今夜は久しぶりに埠頭の辺りにでも顔を出して見ようかと遊は期待に胸躍らせる。

 そして、彼女もまた運命の好敵手たちに出会うのだ。

 

 

 

 

 

 

 




最後までお読みいただきありがとうございました。
以上を持ちまして、ドキュメント・レイダー本編は終了となります。
今後、本編である仮面ライダーツルギの進行に沿うような形でサイドストーリーや
パラレル時空でのギャグ回のようなものを不定期に書く可能性もありますが一先ずはこれにて一巻の終わりとさせていただきます。

改めて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
それでは!


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