ツシマ奇談 (八堀 ユキ)
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第1章
冥人


新連載となります。
よろしくお願いします。


次回は来週月曜日に予定。


 怪しげなる男はひとり、冬の近づきを訴える凍える風の中。

 ツシマの光なき闇が支配する草原の中を歩いていた。

 その身なりは汚く。杖を手にして落ち着きなく地面をついてまわる怪しげな歩き方を見るに目が不自由なのだろう。

 

 だが僧とよぶにはあまりにその表情は悪意に満ちた笑みが浮かんでいた。

 そこからは世の平穏などかけらも望んでいるようには見えない。そういえば身に着ける僧衣も、どこぞの空の下で無残に果てた僧の体からはぎ取ったものではないか――そういわれたほうが身に着けているのも納得できる。

 

 だが、この男は何がそれほど嬉しいというのだろう?

 

 時は1274年、文永合戦。

 ツシマの平和はすでに過去のものとなっていた。

 

 死臭、苦しみ、恐怖。そしてそれをもたらす暴力と狂気。

 海の向こうからやってきた恐ろしい狼のごとき獰猛な戦士たちはこの島に対し、わずか半日ほどで大量の血を流させていた。

 

 怪しげな男は下品な笑い声をあげる。

 

 ああ、なんと痛快なるかな。

 怪しげなる男はツシマが地獄と変わることが愉快でたまらない。

 

 戦がおこれば人は死に、民は苦しむ。じつにざまぁみろではないか。

 そもそもこの男はこの年になるまで人の悪意にさらされて生き続けてきていた。

 己の世界に光がないというだけで家族に捨てられ、己の財を得ることも許されず。世捨て人としてただこの苦しみに満ちた世界を歩くしかなかった男に、戦争で苦しむ人々に対して憐憫の情は一切ない。

 

 普段から偉そうな侍どもは討ち取られ。

 自分に優しさよりも嫌悪をあらわにする百姓どもは苦しみ、奪われ。

 己よりもさらに力なき餓鬼どもなぞ人買いにでもさらわれてしまえばいいのだ。

 

 きっとそうなると男は信じたかった――。

 

 だがこの世にはどこか皮肉に満ちた出来事が少なからず起きる者らしい。男の耳に不愉快不可思議な奇談が聞こえてくるようになる。

 

 彼らはひとりにあらず。

 青く輝く狐火に誘われるように死者の国より現世へと召喚された冥人。

 生者ではないが。死者でもないらしい。

 

 それゆえに何者も彼らに打ち勝つことはかなわない。

 これはそういう物語だ。

 

 

――――――――――

 

 

 将軍コトゥン・ハーンによるツシマ上陸作戦は電撃の素早さで軍を展開させていく。河川、橋を狙って陣を張り。島内の流通網から一気に抑えにかかった。

 

 それを止めることは不可能。なぜならばわずか一夜にして小茂田の浜で侍たちを打倒した彼らを止める存在などこのツシマにはいないはずなのだから。

 しかし――それは大いなる勘違いであったらしい。

 

 

 奇妙な夜だった、指揮官は陣に張った移動式住居の中から自らが率いる兵士らの様子をのぞきつつ苛立たしくため息をつく。

 

 今夜は何かがおかしい。しかしなにがおかしいのかがわからない。

 そもそも自分も不安定な海の上から陸にあがれた喜びはあった。威勢を上げるため、部下の戦意をあおるため。さらった異国の女を己の寝床で単に楽しむだけのはずが。

 

 感情の制御かきかなくなり、ついカッとなって絞め殺してしまったあたりからなにかがおかしかったのだ。

 

 普段であれば不愉快な気分から部下にさっさと死体をかたずけるように申し付けるところなのに。死んだはずの女の体から体温が消えず、それが不思議と魅惑的なものに思え、まだ己の寝床に寝かせたままでいる。

 こんな経験は今まで一度もなかった。

 

――不気味な話よ

 

 最初は己を笑う余裕のあった指揮官であったが。

 ふと気が付くと陣の中の異様な空気を感じてようやく異常事態に気が付きつつも、戸惑い始めたのだ。

 なにかがおかしい。だがなにがおかしいというのか?

 

 

 奇妙な夜であることは指揮官だけではなく、兵士たちにもわかっていた。

 油は貴重だ――しかし闇の中で、まるで夜を恐れるように兵士たちは皆が目を覚まし。少しでも闇を払おうとするように光で陣の中を照らし続けている。

 

「なぁ、小便してくる」

「なんでそれを俺に言う?なんだ、怖いのか?」

「そんなわけがっ――ただ、報告しただけだ」

「ははは、いいさ。俺も付き合う。仲良くツレションといこうや」

 

 陣を離れ、川面に近づくにつれ。2人の見張りは前方から異様な息遣いを耳にする。

 息を殺して腰を屈め、しかし興味は高まるせいで味方をここに呼ぼうなどという気持ちはかけらもない。

 

 わずかな蛍火の下で、流れる水面に負けぬ声で男女が和合していた。

 2人はまず驚き。つづいて湧き上がる助平心から腰に下げた剣に手をかけ、はやる心を抑えつつもまぐわう男女の後ろへと足早に近づこうとする。

 

 まるでおかしな情景だった。

 軍は侍を打倒すると次に力なき地元の民に対しても過激な暴力をふるい続けた。つまり蒙古の兵を日本の民がれることはあっても、彼らが陣を張る近くの川辺で無防備に男女の肉欲を満たそうなど、思うはずはないし。するはずもないのだ。

 

 だが兵士たちの脳裏にその考えはない。

 それどころか、彼らにあったのは怒り。己のゲルにさらった異国の女を連れ込んでひとりたのしんでいる指揮官への不満。朝が来ることを願って忘れようとしたそれが頭の中を支配し、今夜は自分たちだけは楽しめるのだとすでに信じ込み始めている。

 

 

 黄金の輝きをみせる蛍火の中に、複数の青い炎の光が躍った。

 男たちはついに刀を抜くが、男女は激しい動きに集中してるのか気が付くそぶりがまるでない。

 

――もう少し、もう少し。

 

 半裸の男の上でうごめく女の体が静かに動きを止める。

 激しく女の体を抱いていた男の目が乳房の陰で怪しく青く輝やいてみせる。

 

 それから起きた出来事は、そばに流れる暗い川の水音が打ち消した。

 

 

――――――――――

 

 

 それは何とも無様で、滑稽ですらあった。

 武器を握り、前のめりであったはずの2人の兵士は次の瞬間には揃って後ろに向かって吹き飛ばされたかのように宙を飛んでいた。

 驚くように見開いたその両目の間には、どちらも同じ呪いの矢を突き立てられ。地面に再び転がるころにはすでに絶命していた。

 

 そうやって2つの死体が地面に転がると、ひとつの影は2つに分かれる。

 どちらもさきほどまでの醜態痴態を演じていたことなどわすれたように、冷たく輝く青い炎の輝きを見せる目で最初の獲物たちを見つめていた。。

 

――まずは2人

 

 たくましい半身を着物の下に隠すのは牢人。穴だらけの編み笠だが、その表情は読むことはそれでも難しい。

 そのとなりに立つ女性は全裸だが。先ほどまで牢人に縋りつくも、その背中からとりだす半弓で奇跡の技を見せつけた弓取であった。

 ともに闇の中で輝く青い目は、思い出せば先ほどまで闇の中に浮かんでいた狐火にも似てはいなかったか。

 

 冥人(くろうど)

 のちにツシマの伝説に登場する鬼人らの、これがおそらくは最初の物語となる。

 

 

 闇夜の襲撃は恐ろしく静かで、なのに眠る兵士は誰もいないという異常の中で始まった。

 眠れぬ夜は、すぐそばに死の影を近づけさせていた。

 明日のことを思えばすぐにも横になって眠らねばならないが、湧き上がる不思議な高揚感と、落ち着きを許さない不気味な闇に兵士たちは翻ろうされていた。

 

 その衝動に身を任せた異国の狼たちはわずかな光の下を歩き回り。しかし闇の向こうで目を輝かせる冥人達の恐ろしい殺意に気が付くことができない。

 

 ゲルの陰から冥人・牢人が刀を手に立ち上がり。足元を通り過ぎようとする兵士の背に飛び降りていく。

 見張り台の上に死体を転がし、代わりに上った冥人・弓取は人ならざる夜目にとらえた兵士たちに矢を引き絞り。ゆるぎない自信と共に虚空に矢を次々と撃ち放つ!!

 

 人が死んでいく。兵が減っていく。

 陣が死んでいく。死がすべてを飲み込もうとしている。

 

 だが冥人達は止まらない。

 死を振りまくことを、暴力ですべてを飲み込もうとすることをやめない――。

 

 

――内経の眼ォ!

 

 冥人・弓取の絶唱絶技が夜の闇を引き裂いた。

 ミシリミシリと手にする弓が悲鳴を上げる。

 

 呪いのこめられた並ぶ5本の矢。

 そのそれぞれが大陸の狼たちの首筋を狙って飛んでいき。あっという間に5人の精兵を死体にかえた。

 

 ゲルの中にいた兵士は敵兵の襲来かと慌てて外に飛び出せば、まっていましたとばかりに冥人・牢人が上空より飛びかかり。あっという間に兵士を地面に叩き伏せるとその首筋を切り裂いてしまう。

 

 夜の闇と静けさはすぐに帰ってくる。

 見張り台から降りてきた弓取と浪人は合流を果たす。

 

『……壊れたか』

『ああ』

 

 弓取の手に握られていた半弓は、重ねて使われた絶技に耐えきれず。弓の形を保つことはできなかった。

 彼女は使い物にならなくなったそれを地面に放り捨てると、己の腰にある刀を叩いてみせた。

 

『だがまだこれがある』

『仕留めよう』

 

 残るは最後のひとり。この陣の指揮官、そして最後の生者。

 

 ゲルの中で、指揮官は悟る。己が唯一の生き残りであることを――。

 

「――嬲るつもりかっ」

 

 逃げられない。それだけは確実だった。

 あろうことか死んだ部下たちはこれでもかと陣内を明るく照らしてしまっている。油が消えるのを待つしかないが、相手はそこまで待たないだろう。ならば――。

 

 

 指揮官は逆にゲルの中に腰を下ろした。

 出ていくまでもない、逆にこちらが待ち構えてやろうという心境である。ただの強がりだが、怯えて震えているつもりはなかった。

 

 ゲルの出入り口たる2か所から、表情を隠し。刀をぶら下げた男女が入ってくる。

 指揮官は余裕を見せるように鼻を鳴らし、戦ってやるぞとばかりに刀を抜き放って見せる。

 

――ふっふっふっ

 

 まるで心を見透かしたように男女は低く笑う。

 もはや隠すものはない。指揮官は気合いからひとふり、女剣士にとびかかる――。

 

 

 翌朝、冬の到来の近さを感じさせる寒空の下。

 無残に切り殺された異国の戦士たちがいた。ゲルの中にも無残にも切り刻まれた指揮官の残骸はあったが――彼の手で弄ばれた挙句に殺された哀れな女の死体は消えていた。

 

 もしかしたら誰か、慈悲深きものが先に訪れていたのであろうか?

 蒙古の陣の離れにある河原のそばに、死者をそこに埋めたと知らせるような土饅頭。そして無名の墓碑のつもりなのだろうか、板切れが添えられていたという。




(人物紹介・設定)
・文永合戦
元軍の大船団による最初の戦い。


・冥人
くらうど、と呼ぶ。
小茂田の浜から戻った若侍が元ネタという説がある。


・ゲル
移動式組み立て住居のこと。


・冥人・牢人
侍の姿をした流人。
原作では回復役であり、召喚術も扱える謎存在。味方が力尽きると、強制的にたたき起こして戦わせる鬼人である。


・冥人・弓取
女武者であり、弓攻撃を得意とする。
原作ではぶっちゃけ脱いでもくれないし、誰かと絡みもしない。というか弓自体、操作感に癖があるので「キャラとしての存在理由がわからない」などと陰口をたたかれることもあったり、なかったり。

ちなみに作者は好き。


・内径
原作に登場するヤバイ伝説の弓取の名前。
冥人・弓取はどうやら彼の技を受け継いでいる模様。


・壊れた半弓
侍が使う弓。原作では壊れたりしない。


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境井 仁

別に書くつもりはなかったけれど、思わず書いてしまった主人公。
次回投稿は水曜日を予定。


 元軍上陸から数日。

 

 曇天の暗い朝の下で。若武者は砂浜に膝立ちとなり思いのたけを口にする。

 

――叔父上っ!

 

 血の涙を流さんばかりの激しい感情の嵐が心の中をかき回していた。

 かつてあの偉大な叔父はこの愚かな甥にあるべき武士としての生き方をおしえたのではなかったか。

 

――敗北は時に永遠の地獄となることがある。

――だからこそ戦うことを恐れるな。誉ある武士となるため。仁よ、立ち向かう勇気を忘れるな。

 

 そうすれば侍として戦える。

 だが昨夜、この若武者は何ができたのか?

 救うべき捕らわれた叔父の前に立ちながら、またも無様に生き延びただけ、何もできてはいない。

 

 小茂田の浜では勝てぬと知りつつも、それでも大いに奮起したつもりだった。

 だが負けた。

 生き延びても、大切な叔父上を救おうとしてやはりまた負ける。

 

 憎き怨敵コトゥン・ハーン自らを引き出したというのに。若者は愛する叔父の目の前で無様に何度も殴り倒され。挙句あの高い橋から落下して――やはりまだ生き残ってしまった。

 敗北は積み重なり、心につもっていく負の感情。例えば悔しさや怒りだけでは言葉が足りなくなっている。

 

――だからなんだっていうんだい。

――死んだら全部おしまいじゃないのさ。

 

 自分を救った荒々しい女の声がこの若武者の脳裏をかすめた。

 そうだ、自分は生き残った。また生き残ってしまったなら――戦わなくてはならない。

 

 風が吹き抜けると、自分を押しつぶそうとする霧が一気に散っていった気がした。

 

「……なんだ!?」

 

 今、確かにどこからか声が聞こえた。

 聞いたことのない男女の声、そして誰かに助けを求めている!?

 

 若武者はよろめきながら立ち上がる。

 当然だ、普通に考えれば落命してもおかしくない高さの崖を落ちたばかりなのだ。しかしそれを理由にしてどうするというのか。誰かが助けを求めているというなら、それはきっと戦えぬものに違いないのだ。

 

 そして自分はまだ生きて、戦える!

 

 

――――――――――

 

 

――きえええええええっ!

 

 気勢を上げ、全身で飛び込んでくる蒙古の兵士を歯を食いしばった若武者は容赦なく振り下ろした剣でたたき伏せていった。幼いころより何度も修行のために振り下ろした木刀のように、するどいひと振りは相手の肩口から見事に切り捨てて見せる。

 小さな勝利だが、若武者に喜びはなかった。

 代わりに食いしばった唇が切れ、血があふれて流れ落ちていく。

 

「――遅かったのか、またしてもっ。この俺はっ」

 

 背中を押す風の力を借り、なんとか走り出した若武者の前方に人影を見た。

 

 やはり思った通り、何も持たぬ若い夫婦が敵兵に追われていた。武器も持たず、互いに声をかけ。手を握りながら「逃げるんだ」と励ましあっていた。

 若武者は声をかけることもできなかった。

 

 蒙古の兵達は喜びの声を上げてとびかかり。力なき彼らは何もできないまま切り捨てられるのを止めることはできなかった。若武者にできたことといえば。

 ただ声もなく倒された夫婦の敵を討つことだけ――これがに一体何の意味があるというのか、

 

「俺には――まだ守るべきものがある!」

 

 あの荒々しい女は城の外で自分を待つと言っていた。。

 そして自分は救えなかった叔父上を必ず助けねばならぬ。若武者は倒れた夫婦にわずかに目を閉じて黙とうをささげると、再び立ち上がって走り出した。

 

 同じころ、将軍クトゥン・ハーンは逃がした若武者の死体が砂浜にないことから生きのびたことを知る。

 

 

――――――――――

 

 

 世の中、物が見えると思っても時にそれが裏目に出ることがある。

 ツシマの商人、崔烏は目前でおこなわれている地獄絵図に己の運のなさを嘆くことしかできなかった――。

 

 商売のかたわら、世に流れる悪い噂は崔鳥の耳にもしっかりと届いていた。

 彼は未来に必ず元軍がこのツシマに派遣されるに違いないと考え、その時に備えて家族とよぶ身内同然の皆ですぐに動けるように支度を整えてきた。

 

 領主、志村は歴戦の侍ではあるが。

 あの広大な国を支配する帝国が相手では長く抵抗はできないだろう。

 

 

 彼の予見は見事に的中した。

 元の大群が多くの船を並べて上陸を開始したとき。彼は誰よりも早く動くことで自分の身内を守れると確信していたが――皮肉にも彼の期待した領主である志村はあっというまに敵軍の手に落ち。彼の居城はあっさりと敵の手に落ちてしまった。現実は想像をこえて厳しいものとなった。

 

――こうなると槍川を目指すしかないのか。

 

 志村を期待できない以上、頼みは侍達の中で爪はじきにされた槍川の武士に頼るしか残されていないと考えた。

 北を目指して移動していた彼らは南に方針を変え――そこで悲劇が待っていた。

 

 苦痛に泣き叫ぶ子供やうめき声をあげる大人たちの声。それを見ることしかできずに半狂乱となる家族たち。

 崔烏の顔は血の気が引いて真っ青となっている。

 

「おと~!おと~!」

「文太ぁ、そこを動くな!動くんじゃねェ!」

 

 橋の上を渡ろうとした島民たちを待ち構えた元軍は、橋の下にある崖に散会し。そこから上を通り過ぎようとする人々を殺さぬ程度に痛めつけ、動けなくした。

 橋のたもとでは半狂乱になった大人たちが助けられないとわかってはいても必死に安心させようと試みるが。傷ついた子供は怖さに負ければ親の元へとすりよろうとしてしまう。

 

 その瞬間、橋の下から嬌声が湧き上がり。

 狂ったように這いずることしかできぬ負傷者にとどめを刺そうとする。矢が次々と飛んでくるのだ。

 

「旦那様、旦那様ぁ!文太、あいつはこのままじゃあ」

「――」

 

 答えられなかった。

 あの子は助からない、どうにもならない。

 崔烏は親から商売を学んだ時、身内は家族として扱うようにと教えられた。相手が話の通じる盗賊ならば、金を積めば少年は助けられるし。あの少女だって怯えながら無残に射抜かれることもなかっただろう。

 だが相手は大陸を制した強国の兵士達である。何度か声をかけてみたがこちらの声に答える様子はまるでない。

 

――このままでは、もう。

 

 崔烏は天を仰ぐ。

 仏に救いを求めるなら今しかなかった。この瞬間に奇跡がなかったとしても、希望が何より必要だったのだ。

 

「なにをしている?なぜあの小僧を助けないのだ?」

 

 はっと気が付き、崔烏は声の主を探した。

 信じられないことに背後に馬に乗った若い侍がいぶかしげな表情で立っていた。小茂田の浜で無残に負け、皆殺しにされたと聞いていたが、そこから生きて戻ってきたのだろうか。身に着ける鎧は傷ついて激戦があったことを知らしめている。

 

「お、お侍様。どうか、どうかおたすけくださいませんかっ」

 

 崔烏の必死の言葉に若武者の表情は緊張を増す――。

 

 

 金田の城では、将軍クトゥン・ハーンは城の中の見回りのついでに怪しき怪人達を呼び出していた。

 どちらも獣の羽や毛だけで作った異様な風体の2人。大陸において仙人にならんと長く修業をしたというのに、湧き上がる雑念を消しきれず。金に女色、力を得ることに明け暮れ人々に嫌われた外道である。

 本来であればその罪からさっさと首を切り落としてしかるべき魔人たちだが、クトゥン・ハーンには考えがあった。

 

「お前たちがここにいるのはほかでもない。我が兵の役に立ってもらうためだ」

「……」

「本来であれば、お前たちの術で志村をどうにかするはずであったが。奴は頑固で、しかし弱点がある。あの小僧、甥っ子だそうだ。

 あれを抑えれば志村はどうとでもなる。だが、どうやら話はそれだけでは終わらないかもしれぬ」

 

 仁王立ちとなる将軍はツシマの大地を油断なく見渡した。

 

「われらはこの地のすべてを手に入れる。我が兵にはさらなる力が必要だ。どうにかできるな?」

「――御意」

「なら必要なものを言え。すべて揃えてやる。だが役に立たぬとわかれば貴様らはいらん。この地で死んでもらう」

 

 怪人らは服従の姿勢から動かず、答えもしない。

 将軍の言葉の意味を理解し、恐怖に震えるような腰抜けとも思えないが。外道のおもいことなど将軍に理解できるはずもなし。

 

「侍など恐れるほどの存在ではない。だからこそ、我らは勝たねばならぬのだ」

 

 その言葉の意味は、誰に言い聞かせるためだったのか。

 

 

――――――――――

 

 

 家族を引き裂く悪夢の橋の下で最後の矢が飛んだ。

 崔烏の願いを聞くなり馬に乗った若武者はまるで天狗のごとく。橋の下に潜り込むと崖下に配置された大陸の狼たちは野良犬のように次々に撃ち落とされていった。

 

 先ほどまで生き地獄を味わっていた橋のたもとの親たちは大喜びである。

 若武者が再び崖を登り始めると、歓喜の声と悲鳴を混ぜて橋の上のけが人たちの元へと家族は助けに近づいていく。

 

「お武家様、大変ありがとうございました」

「――なんとかしたかったが。全員は無理だった」

「いえいえ、本当であれば皆助からぬ命でした」

 

 文太とその父親は涙を流してお互い抱き合うが。一方では動かぬ娘に縋りついて泣き叫ぶ母親もいた。

 

「これからどうするつもりだ?」

「槍川へ――と思いましたが、御覧の通りけが人が多い。ここからならば日吉の湯をめざすのが良いかと思っております」

「そうか。それがいいだろう。あそこには頼れるお人もいる。俺も一緒についていってやりたいが――」

 

 若武者は顔をしかめるが、崔烏は慌てて遠慮する。

 おそらく彼はそこからここにやってきたのだろうと思ったからだ。

 

「今なら夜までには到着できるかと思われます。本当に、本当にありがとうございます」

「そうか――すまんな」

 

 若武者の最後の言葉は誰に向けられたものであったのか。

 崔烏は息子に言って用意させた新しい着物を若武者へと差し出して見せた。

 

「これは?」

「礼というにはたいしたものではありませんが。こちらをお役立てていただければと」

「着物か。流人になれと?」

「はい。といいますか――その鎧姿は何かと目立ちます。あなたさまの正体を知られないためにも、このようなものも利用されるのが良いだろうと思われます」

「気が付かなかった。主人、感謝する」

 

 崔烏は「だれか」と言って若い娘に若武者の着替えを手伝わせた。

 汚れて壊れた鎧はすぐに外され、落ち武者はこの島ならばどこでも見かける旅人の姿へと変わる。

 

「まるで注文したかのようにぴったりだ」

「それはようございました。それと、鎧でございますが」

「ん?」

「良ければ私共がお引き取り致しますが――」

 

 別に商売に使おうというわけではない。この情勢では処分するしかないが、若者の手をわずらわせないでやろうという申し出であった。

 崔烏の言葉に若者はわずかに考えたが、首を横に振る。

 

「いや、やめておこう。俺にとっては鎧はあれしかないし、そもそもお前たちがこの後無事に日吉の湯にたどりつけたとしても。あの蒙古の軍勢にとらわれないという保証はない。

 奴らがこの鎧を見つければ、奴らはお前たちを痛めつけようとするだろう。俺がこのまま持っていくさ」

「わかりました」

 

 若武者だった旅人は鎧をまとめると、「では気をつけよ」と言い残し、風のように立ち去って行ってしまった。

 崔烏と息子は小さくなっていくその背中にお辞儀をする。

 

――あなたさまもご無事でありますよう、境井様。

 

 若武者と崔烏は直接会話を交わしたことはなかった。

 

 しかし商人である崔烏は城とも取引をしていた。

 だから当然、志村が愛する甥の境井仁の顔も名前も知っていた。

 刀をもって振り回し、山賊と変わらぬ愚かな若侍はツシマでも少なくないが。境井という若武者はきっと後に偉大な侍となって志村を助けるだろうと噂された人物である。

 

 剣術だけではなく、教養も身に着けた若者だと聞いていた。

 

 そんな若者がただひとり。

 このような場所にいたということは、なにか考えがあったに違いない。

 

 なのにそれでも崔烏らを助けてくれた。

 あの若武者がこれより何を成し遂げようとするのかわからないが――自分たちがしたことがわずかでも役に立てればと思う。

 

 

 ツシマの商人、崔烏にとって。

 この合戦における境井 仁という若武者について知るのはこれがすべてである。

 

 

――――――――――

 

 

 崔烏らは予定通り、日暮れまでに日吉の湯に到着することができた。

 宿屋の店主は事件を聞いて大いに慌て、わざわざ薬師を呼んできてくれた。体力のある若者や少年は助かるだろうといわれたが、逆に助からぬだろうと言われた怪我人達も当然いた。

 

「ぬい、入るぞ」

「旦那様――」

 

 哀れにも橋の上で殺されかけた少女は、それでもなんとかここまで生きてくれていた。

 しかし奇跡までは起こせなかった。少女の傷はあまりに深く、おそらく朝を生きて迎えることはないだろうと薬師は静かに予言していた。

 

「お前は亭主を失ったばかりだったのに。それがこんなことになっちまって、私は何と謝ったらいいのか」

「いいえ、いいえ。旦那様」

 

 女は正気の抜け落ちた真っ青な顔ではあったが、わずかに残す理性から首を左右にふった。

 いっそ自分を攻めてくれればよいのにと思ってここにきた崔烏にはつらい姿だった。

 

「この子はもうすぐこの世から去りますが。あの世でなら、あの人がきっと娘が来たと喜んで待ってくれているはずです。この娘は決して不幸ではありません」

「そうだね。そうかもしれないね」

「ですからお願いです。この子が穏やかに旅立てるよう、どうかいっしょに――」

「ああ、いいよ。ちゃんと見送ろう」

 

 血は違えど共に暮らし、共に喜びを分かち合う家族と思ってきた。

 女の願いはむしろ崔烏にとっても望むところであった。もうすぐこの世で苦しみ続ける少女は極楽へと旅立ち、そこできっと愛した父親と再会できるはずなのだ。そうでなければなんと救いのないことか!!

 

「そして旦那様、共に恨んでくださいまし」

「え、何をだい?」

「この娘の命が無駄にならぬよう。あの獣どもがすべて死に絶えますように、と」

「なんだって!?」

 

 正気を残していたと思った女のそれは消え果てた。

 もはや枯れ果てた涙に変わって浮かんでくる目じりの血が。女の怒りと悲しみの深さを知らしめ、崔烏の心におぞけが走った。

 

「私から娘とあの人を奪ったあの獣共。あれは必ず、必ずのこと皆殺しになれと祈ってほしいのです」

「なんてことをっ。これはお前の娘なのだぞ、正気を保て!」

「いいえ。この娘は幸福にならねばならなかったのです。それを許さなかったあいつら。あいつらは決して、決して許しはしないのです。たとえどんな手を使ったとしても――」

 

 己が愛する娘の魂で瘴気渦巻く地獄の釜口を開いて見せようなどと本気で口にするのか!?

 

 この女は正気と狂気の間でおかしくなりはじめているのだと崔烏は理解する。

 穏やかに娘にはあの世へ旅立ってほしいと口にしながら。逆にその魂を生贄に悪鬼羅刹を召喚してみせるなどと、意味が分からない。

 

「ぬ、ぬい!お前はっ」

「この娘は本当に良い子だったのです、旦那様。だからこそこの命になんの価値がないわけがないじゃありませんか」 

 崔烏にこれ以上、女を慰める言葉はなかった。

 ただただ怒ってしまった不幸を恨み、唇をかみしめてその場に残り続けるしかなかった。

 

 薬師の予告の通り、朝が来る前に哀れな娘はこの世を去った。

 残された哀れな母親はようやくにして人に戻って再び涙を流し、深く悲しむことができた。

 

 だが崔烏は忘れることはないだろう。

 あの瞬間。呼吸を止め、魂が抜けていく娘を見る母の顔は。まさしく夜叉そのものであったことを。




(設定・人物紹介)
・境井 仁
本編の主人公。

・崔烏
日本人の商人だけどそれっぽくない名前。


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話は戻って再び冥人へ。

次回投稿は金曜日を予定。


 元軍上陸からはや数日。

 ツシマの民の嘆きは日ごと高まるばかり。

 

 怪しげな男はいつものごとく僧服をまとい。今こそこのツシマは世の地獄と嘆く人々の間を歩いて回る。

 敵軍から逃げ、隠れもする民のそばで耳を澄まし。時には自ら進んで「大丈夫でしたか」などと心にもない言葉を口にし、彼らの不幸を聞き出して密かに心の中で楽しもうとする。

 

 だがその日、男は新しい不快な噂を耳にした。

 

「――そういえばお坊様、ご存じですか?かの鬼人のごときお侍様のお話を」

「鬼人?侍、ですか。お侍はたしか小茂田の浜で――」

 

 無様に殺されたはず、と続けそうになって慌てて言葉を飲み込む。

 が、相手はそれを気にしていない。

 

「ああ、ご存じではない。これがなんとも不思議な話でしてねェ」

 

 怪しげな男の顔がゆがみ、ぐっと己の汚れた僧衣を強く握りしめる。

 またか。またなのか!なぜなのだ?

 

 この世の地獄にあってなぜ人は希望を見つけ出そうとするのかっ。

 

 

――――――――――

 

 

 小川道場はツシマにおいては立派な道場と褒めたたえはするが、しょせんは田舎剣法と笑われるのも仕方がない。

 

 道場の主はそういってよく笑っていた。

 だからこそ剣をふるうのに侍にこだわらず。剣に興味を持ち、才能のある若者であれば道場に立たせて技を学ばせていた。

 

 それもあってだろう。

 小川の道場にはよく人が出入りし。生まれは卑しくとも実力があれば皆に尊敬されるので、侍に限らず民草は道場を深く愛した。

 

 侍の中にはそうした小川道場のやり方に不満を持つ者はいたものの。

 手近でそれなりの剣術を学ぼうと考えると、この道場の価値は無視することもできず。気に入らぬことは見えぬふりをすることでなんとなく過ごしてきた。

 

 だが、元の軍がツシマに近づく時――道場の師範も決断を迫られた。

 そこで彼は3つのことを言い残し、小茂田の陣に自分は参戦することにした。

 

 ひとつは自分と同じく戦えるなら小茂田の浜に参戦すること。

 ひとつは戦えたとしても、あえて小茂田の陣には向かわず。のちに戦えぬ民を救うために剣を手に尽力すること。

 ひとつは残していく家族に対し、道場にこだわることなく無事に逃げ延び。どうか小川の道場の存続を果たしてくれること。

 

 彼の誠心誠意の言葉に、子弟らはこれが今生の別れかもと涙を流したが。

 そのうちの少なくない若者たちは道場を出るなり己の刀を手にし。これから来る厳しい状況でも生き残るためなのだと口にして盗賊へと堕ちたのは、まこと悲しむべき世の理である――。

 

 とにかく時間を進めよう。

 

 小茂田の浜の負け戦によって小川道場の剣士たちは無念の中。この世を去った。

 師範の家族はその第一報を耳にするなり、涙を流して悲しむ間もなく道場からの撤退を試みた――が、しかし。皮肉にもかつて弟子であった山賊どもがあろうことかそこに押しかけようとし。

 巻き添えを食って山賊どもに襲われた戦えぬ民達は思わず助けを求めて道場に殺到してきてしまったのだ。

 

 結局、押し問答で山賊に墜ちた外道たちはおいちらすことはできたが。

 助けを求めてきた人々を捨てられず。残された師範の家族らは道場から離れることはできたものの、道場を占拠しにやってきた元軍は追撃をやめず。道場そばにある民宿であっさりと追い付かれてしまう――。

 

「きっ、来た!来たぞっ!」

「お助けっ」

 

 気力を尽くして山賊どもを口で追い返すことはできたものの。

 肝心の恐れるべき元の軍の追撃がないと勝手に思い込んでしまい、道場そばの民宿で一休みをしていた人々に。舌なめずりする獰猛な大陸の狼たちは刀を血に染めようと残酷な笑みを浮かべて駆け足で迫ってくる。

 

 すでにここまで来るのに魂魄尽き果てている彼らにできることなど何もなく。迫りくる死の恐怖に、すでに逃げ出す気力さえ残っていなかった。

 

――殺される。皆殺しにされちまう

 

 元軍は侍を皆殺しにしただけでは物足らず。

 ツシマで人を見れば生かしてはおかぬ獣のごとき悪鬼だとすでに噂を耳にしていた。

 

 降伏など許されない。

 慈悲はない。救いもない。

 

 民宿の2階では師範の妻と、その後ろにまだ幼い3人の姉妹が震えながらしっかりと互いを支えあっていた。

 父の言葉を思えばここで死ぬわけにはいかない。だが、獣共に自分たち女がつかまればどんな扱いを受けるのかわからない――。

 

 母と長女は思う。どちらか妹のひとりだけでも逃がすことができればいいのでは?

 だがうまくいくだろうか?腕の中で震えている妹たちはまだまだ幼く、ここまでしつこく追いかけてきた獣共への恐怖に打ち勝てずに逃げきれないかもしれない。

 そもそもここから逃げ切れたとしても、この難しい状況のツシマで生き残ることができるのだろうか?と。

 

 悩む時間は多くはなく、外ではついに腰を抜かして動けない男たちの頭上に刃が振りあげられていた。

 

 

――――――――――

 

 

 冥府魔道を開くには、闇は必要ではなかったらしい。

 鬼人、冥人を現世に召喚する条件とは何であったのか。その真実を知る者はいない。

 

 だからこそ誰もが仰天したのだ!

 

 空には太陽が輝き、音を立てて流れる川面は光をはじいていた。

 鳥たちは軽妙に鳴きながら森林の中を飛び。雲は太陽を隠さず、静かに空を漂っている。

 

 その中で突如、地獄の釜口が開いた。

 死者の国より新たな冥人・侍がここに召喚されたのだ!

 黒と黄金の鎧に兜。鬼人の頬面で表情は見えないが、生者でない証なのか。かの青白き狐火に似た目を輝かせる。

 

――っ!?

 

 そこにいた誰もが驚き、動きを止めてしまった。

 理解をこえた異常な現実。存在しないはずのツシマの侍は静かにおのれの刀を抜く。

 

 異国の兵士に「かかってこい」の言葉は必要なかった。

 

「〇×◎●!!」

 

 おそらくはののしり声と共に、ようやく気を取り戻した兵士たちは次々と侍へとびかかっていく。

 しかし侍はまるで羽毛を刀でかき分けるように、襲ってくる敵を右に左にと刀を操って次々と弾き飛ばす。まさしくそれこそ達人の技、それは素人であっても見ればわかる神技の断片。

 

――囲め!押しつぶすんだ!

 

 侍を中心にして8方向から包囲していく敵であったが、それでも相手は全くひるまない。

 それどころか懐に片手を入れると、足元に何かをばらまいていく。

 

 マキビシ。

 後の世では忍者が使う暗器として有名な武器ではあるが。その使い方は決して簡単なものではない。

 一般的には逃げる際に己の走る道の前方にこれを撒き。自分はその上を踏まぬように通り抜けることで、相手はそこに突っ込んで足元にけがを負うものだとされるが。この方法に実用性は低い。

 むしろ襲撃する相手の進行先にばらまいておき。敵兵がこれに気が付けずにうっかり踏むのに合わせて攻撃を開始するというのが実用的といえるだろう。

 

 だがここでの問題はそこではない。

 古来よりマキビシは大陸においても使われていた武器である。すなわち、ここで使ったとてそれを目にしていた相手がその策におめおめとひっかかることがあるのだろうか?

 

 ひっかかったのである。

 

 あろうことかこの冥人・侍は、地面に振り撒かれたマキビシを自ら踏みにいき。

 しかしまるで痛みを見せなかったせいで、相手はてっきりこけおどしだと勝手に判断。あろうことかそれをまねた結果、足の裏を貫く鉄の棘に次々と苦痛の声を上げる滑稽な姿を見せてしまう。

 

 あたふたとよろける狼たちに侍の刃は冷たく輝くのみ。

 刃が風を切る鋭い音が幾度かして、男達の絶望の声が重なって騒ぎが静かになる。

 

――終わったの?

 

 宿の中でおびえていた女たちが恐る恐る外に出ると、そこには切り捨てられた敵兵の遺体と。魂が抜け落ちかかっている腰を抜かした男たちがいただけ。死体を作り出した張本人らしき人影はどこにもなかった。

 

「もし、なにがあったのです?」

「わからん。わしにはさっぱりにわからん」

 

 だが。と男はつぶやく。

 あの鬼人のごとき侍は瞬く間に兵士たちを切り捨てると、物も言えずに動けぬ男たちに「金色寺で待つがいい」とだけ言い残し。来た時同様、突然にここから消えたのだという。

 

「黄金寺――」

 

 確かにあそこであればこれだけの人を連れていけるかもしれない。

 安全とは言いきれないが、このままここにとどまるほうが危険だろう。

 

「では皆でまいりましょう。どなたかはわかりませぬが助けられた命ですから」

 

 少女たちの顔に笑顔が戻ってくる。

 冥人の物語は数多くあるが。冥人・侍の最初の記録はおそらくこれだと思われる。

 

 

 その頃、人が立ち去った小川道場は元の部隊がしっかりと抑えていた。

 その家に住んでいたと思われる家人らには部隊を送り出して追撃をさせている。1日もかからずに追いつき、必ずや指示通り皆殺しにしてからここへ戻ってくるはずだ。

 

 部隊の指揮官は食料と武器を運び入れるように部下に命じつつ。

 そこにたどり着くまでにとらえた旅人や民を即席で作った竹牢に放り込ませた。こいつらが明日の朝日を拝むことは決してないだろう。

 情け容赦ない殺戮は、敵の兵士と民草の憎悪を吹き消すものだ。それが次の勝利の糧となる。

 

 

 小川道場の人々は救われたが。彼らが帰るべき家は奪われたまま。

 しかもそこはとりもどされる希望はない。領主、志村は敵に捕らえられ。その甥、境井仁はいまだツシマのどこかに消えたまま。

 

 

 だが道場の屋根の上に白い狐と青い狐火が、下界の人間たちを見つめていつの間にか座っていた。

 小川道場に冥人・刺客の出現の時が迫っていた。



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小川道場の怪

なぜかだんだん政子殿を登場させたくなってきてる。どうしよう?(困惑)

次回は日曜日に投稿予定。


 将軍クトゥン・ハーンから命じられたは外道の術を使い兵に魔道の加護を与えよ、とのこと。

 

――簡単に言ってくれるわ

 

 2人の外道は心の中で苦笑いする。

 

「昔、だがな」

「ん?」

「蓬莱山に向かうとことあるごとに言い放っていた兄弟がいた。奴から聞かされたことがある。海の向こうにある島は黄金があふれ出る夢のような桃仙郷らしい、と」

「そうか」

「だが、これではなぁ」

 

 地面を掘ってみたが泥は泥。黄金などちっとも出て来やしない。

 ため息をついてさも落胆している風の相棒を見て、相方はふふふと鼻で笑う。

 

「それはそれとして、さっそくなにかせねばならんだろうよ」

「まぁな」

 

 彼らが将軍を恐れるのは、ただ命を奪える力を持っているというだけではない。彼らを支配する方法まで知っていることこそが、恐れる原因なのだ。

 

 彼らにも以前は名前はあった。

 軍に捕らわれる前、彼らの目の前に誰かが立てば。それを口にし、俺の敵となるつもりなのか?と問う。すると相手は必ず唇が震え。必ず怯えた。彼らはそういう存在であったのだ。

 

 だが将軍は彼らを恐れなかった。

 それどころか知識を集めるとそれを用いて支配してみせた。

 

 その瞬間、彼らは力は失わなかったが。支配を受け、名前を失った――。

 

 この軍の中で兵士達は彼らのことを「おい」とか「お前」としか呼ばない。かつての名前で呼ぶな、と厳命されているのもあるが。そもそも彼らの名前を知らないというやつが多くなっているのだ。

 

 将軍に至っては犬、畜生のように来いと言えば2人はすぐにその足元に参上せねばならない。

 誰も好んで近づいてこないし。飯と水、時に気まぐれに酒をひと瓶渡されるだけで。互いに会話することはほとんどない。

 

 だからこそだ。

 だからこそこの機会を利用し、思う存分に悪逆の限りを尽くさねば息もできなくなってしまう!

 

 

 とはいえ術で兵士を強化せよ、ときたか。果たしてそれは”どこまで”を求められているのだろうか。ただの化け物を用意しろというわけではないのだ。

 あの主人面した将軍が気に入る程度の地獄と術の力を発現させなくては、役立たずと思われてしまう――。

 

「とりあえず何から始めるか」

「様子見、も必要だろう」

「ふむ」

「この地を守る神々の力を封じつつ、これを奪う」

「それだけではなぁ……他にないか?」

「兵士のうわさ話に聞いた。狂った巫女もつかえるのではないか?」

「ああ、あれか」

 

 兵士がとらえた異国の女たちの中に、幼く可愛らしい顔立ちの少女がいた。

 本来であれば死を与えなくてはならなかったが、兵士たちはもったいないと逆に少女を休む間も与えず嬲ることで良しとした。

 

 残忍な人の悪意の炎に焼かれ続けた巫女は、数日と持たずに正気を失う。今では自ら半裸となって陣の中を駆けずり回り、男を求め。しかしその様相の異常さに逆に兵たちは誰も近づいてくれるなと追い払うようになったとか。

 

 己を失った狂人など器と同じ。

 外道の術をもちいればさぞかし見事な悪鬼と生まれ変わらせられるだろう。

 

「本気を出すにしたって、肝心の侍とやらはすでに死に絶えたのだろう?」

「馬鹿、よく考えろ。この戦はまだ始まったばかり。あまりのんびりしては、本当に戦が終わってしまう」

「そうか。それは困るな」

「――ところで話は変わるが、ひとつ教えてくれ」

「ん?」

「お前に黄金の島を教えた兄弟とやら。蓬莱山にはいけたのかい?」

「……さぁ、どうだろうな」

 

 囲炉裏を挟む2人は自然。再び無口となる――。

 

 

――――――――――

 

 

 民宿で冥人・侍によって救われた小川道場の女たちの行動は早かった。

 ありえぬ奇跡によって自分たちが助かったという事実が、彼女らの体に新しい活力を与えてくれたのだろう。

 

――黄金寺へ!

 

 のちにツシマの逃げ惑う人々の避難場所のひとつになる黄金寺は、すでに人々の受け入れを始めていた。小川道場の女たちは一緒に逃げた人々と共に向かい、無事に到着した。

 

 そして小川道場である……。

 

 早朝、指揮官は兵士たちの前に進み出る。

 昨夜のうちに命じておいた、地元で手に入れた野犬たちを犬使いらは短い時間できちんと操るまでの関係を築いていた。野良犬の本能である放浪を許さず、指示を聞くよう寝かせて彼らの主に注目をさせている――。

 

――こいつらならば使えそうだ

 

 戦場で使う犬は、たとえるなら草原を馬に乗ってかける若者を戦場で戦う兵士に仕上げるのと変わらない。

 命令の徹底、人の血を味わうことで興奮を覚えさせる。実に単純なことだが、それができない犬もいる。

 

 例えば命令に従っているようでも、時に役立たずは敵を殺さず。食らうことも嫌うやつらも多い。

 そういう犬は役に立たない。人によっては怒りに任せてその場で殴り殺す指揮官もいるが、この指揮官は駄犬はさっさと追い出せとだけいう。実に慈悲深い人物であった。

 なので犬使い達はしょうがないと陣の端まで連れていき、これでもかと犬の横腹をけり上げて群れから追い出す。

 

 今日もまた、新たな犬が選別される。

 その儀式は常に残酷で、同時にとても愉快だ。すでに見物人として寝起きの兵士たちが竹の牢のそばに集まってニヤニヤとこれから始まる儀式を楽しみにしている。

 

「これより選別を始める!用意しろ」

「はっ」

「いちの牢!」

 

 早朝から何事かと牢の中で震えていた流人はヒィと悲鳴を上げる。

 自分の牢の前に牙をむいてすでに興奮状態にある犬の群れが集められ。牢のカギを開けようとする兵士の姿にこれから何が起こるのか。嫌でも想像がついてしまったのだ。

 

――いけっ、いけっ!

 

 犬使いだけでなく、見学する兵士たちも矯正と共に犬たちをあおっていく。

 拘束がとかれると群れはあっという間に牢の奥に向かって殺到する。遅れて人の悲鳴があがる。

 

 現在において人間が生物として優れているといわれる理由のひとつが大きな脳だといわれている。

 これがあるから技術を構築し。これがあるから知識を学ぶことができる。

 だからこそ逆に言えば武器を持たぬ人の弱さなどたかが知れている。牙はない、爪は鋭くない。皮膚も弱い。

 

 だから逃げ場のない牢の中の流人ができたことなど、手足の先をかみ砕かれながら翻弄させられ。悲鳴を上げることで犬たちを興奮させ。地面の上を引きずり回された後にのど元をかみちぎられてしまう。

 

 最初の儀式が終わると犬使い達は再び犬を呼び集め、隣の牢の前に集める。

 

「次っ、にの牢!」

「畜生めっ!この外道どもがっ」

 

 隣の牢の錠前が解除され始めると、中にいる牢人は歓声を上げる蒙古兵に呪いの言葉を吐き捨てるが。武器も取り上げられた身でそれ以上は何もできない。

 俺は簡単にはやられんぞっとは威勢の良いセリフも口にするが。現実は過酷だった。

 流人よりもさらに長く、さらに無残に引き裂かれ。苦しみ悶えて死ぬあたり、実に運のない男であった。

 

「次っ、さんの牢!」

 

 同じことは牢の数だけ行われる。

 そしてここまでの結果に指揮官は一定の満足を覚えていた。

 この調子で”すべての牢”がカラになるならば、この犬たちは”使える”と証明したことになる。そうなれば何頭かは別の部隊に譲らなくてはならないだろう。

 

 

 汚れた僧衣を身に着けた怪しげな男はまだツシマの空の下を歩いている――。

 侍の死に絶えたこのツシマに、その地を蹂躙せんとおそってきた元軍を襲う怪人の存在があるという噂を聞き。その正体を探らねばと思い始めていた。

 

――なぜ余計なことをする!侍など、農民など苦しんで死ねばよいではないかっ。

 

 元軍によって無残な死をとげたとされる人々の最後は、この男の心を心地よくさせているのに。時折まざるおかしな物語は、このツシマの地を守る存在がまだ残っていると言われているようで不愉快だった。

 

 不快、不快。大いに不快だっ!

 

 怪しげな男は気が付かなかったが。いつしか風が男の背中を押し始めていた。

 彼が歩く道の先に、恐るべき魔人たちの存在があることはまだ秘密とするべきだろう。

 

 

――――――――――

 

 

 小川道場を囲む竹林の中で、コーンとなく狐の声が響いた。

 それは特に意味あるものとは思えず。蒙古の兵士達はまったく気にせず。朝に人の命を食い散らかした犬たちも一瞬だけ空に目を向けたが、すぐに座り込んで眠りのまどろみに身を任せていた。

 

 そして時は過ぎ、太陽は地平線の先へと消えていく。

 世界は闇に包まれようとしていた。

 

 小川道場にこの時期には珍しい、熱い風が吹き抜けていった。

 竹林の中を走っているのだろうか、草の中をかき分けて走る狐の足音がするものの姿が見えない。しかし走り去った後の竹林の中に、あの恐ろしき青き狐火がひとう。またひとつとあらわれ増えていく――。

 

 地を這うしかない人の目では知ることはできなかった。

 天を飛ぶ鳥の目が人にあれば、この時の小川道場が魑魅魍魎(ちみもうりょう)が集うように大量の狐火に包囲されていたという恐ろしい事実を知ることができただろう。

 

 そして彼はやってきた――。

 

 自然と集まりだした狐火の中に魔人がひとり姿をあらわした。

 顔を隠す悪い笑みを浮かべた黒い狐の面。腰に差すのは2本の刀、流人のような身軽な着物。

 声をあげず、それどころか呼吸すらしてないのではと疑いたくなるほどに静かに立ち。小川道場の様子をうかがっていた。

 

 冥人・刺客ここに参上。

 息も、声も、殺意まで殺し。見定めるのを終えるとやはり静かに動き出す。

 

 

 何もない夜としか思えなかった。

 捕虜の処分が終わったばかり、穏やかな夜の小川道場は実に静かだ。

 

 ただ物資の問題で今夜は酒を飲むことを指揮官は禁じていた。

 こんな日はさっさと飯を食って寝るしかない。さきほどこの道場から立ち去った住人たちを追った部隊が川向こうの民宿で皆殺しにあったことが報告されていた。

 死体はよりにもよって味方だけしかなく、つまり追った相手の誰も殺せないままあっさり返り討ちにあったという可能性が。指揮官の機嫌を一気に最悪なものにしてしまった。――。

 

 闇の中をゆっくりと進む影があった。

 

 見張り台の上にいたはずの弓矢兵が、いつの間にか姿を消していた。

 建物の中では3人ほどの兵士が早くも大いびきをかいて横になっていたが。誰かの癇癪で破壊された家の窓の向こうに黒い狐の面がのぞいた。

 

 それは素早く建物の中へと入りこむと。

 抜いた脇差しで次々と眠っている兵士たちの喉を素早く切り裂いていく。

 見張りは消え、眠る兵士は静かになった。静かな夜の中に混ざり始めた死の香りに気が付く者は誰もいない。

 

 

 

 今夜の小川道場の中でも、特別手薄な場所はどこかと問われればそれは牢だろう。

 捕らわれていた虜囚は処分され、今はそこに死体が残されているだけ。それをもてあそぼうと犬たちが集まっているが、兵士たちにとってどうでもいい場所だった。

 

 もうすぐ見張りの交代の時間だと小便の帰り、犬使いはふと気になった。

 

――そういえば妙に静かだな?今夜はまだ寝ぼけて吠える奴がいない。

 

 犬どもが死体を勝手に食い散らかしたとて構わないが。あまり派手にぶち撒かれてしまうと、新しい虜囚を連れてきたときに掃除させねばならなくなる。

 そこまで考えて理由をつけると、様子を確かめようと牢のある方向へ松明を手にあるいていく。

 

 犬たちはそこで死んでいた。

 全部が、である。

 たった一矢で、獣の首元や頭部を正確に貫いていた。そしてこれは間違いなく敵襲の証!

 

 周囲を見回すが何もない。誰もいない。

 であるならば、あとは味方にこの異変を知らせるだけでいい。腰に下げていた角笛に手をかけると、それを口元へと持っていく。

 

 そして肺に息を吸い込んだ――。

 

 そんな兵士の頭上、数メートルに人影が生まれ。そして落下してきた。

 冥人・刺客は兵士の背中に飛び乗るように、地面に叩きつけ。そのまま前転からすっくと軽やかに立ち上がってみせる。その手にはいつのまにか刀が握られ、刃には新しい血がこびりついていた。

 

 倒され、潰された兵士はうつぶせのまま。モゾモゾと体を動かすが、それ以上は動けない。

 たった一瞬の交錯により。刺客は致命的な一撃をあたえたのだ。

 

 このように……小川道場の見張りは月が動く中、徐々にその数を減らしていった。

 馬番は首をつられて小屋の屋根に吊り上げられたし。ゲルの中の兵士は座ったまま後ろから首を貫かれた後、半分まで切り裂かれて絶命させられた。

 道場では眠る前の軽い体操代わりにと弓を手に遊んでいたものは、逆にどこからか飛来する矢で倒される。

 

 冥人・刺客。容赦なし――。

 

 

 そして深夜、小川道場に持ち込まれた火薬に何者かが火をつけたのだろう。

 近くの小屋ごと大爆発を起こした時。慌てて目を覚まして家を飛び出した指揮官は、この異常事態に自分以外の兵士の姿がないことにようやく気が付くのである。

 

 

――――――――――

 

 

 いつの間にか敗北していた。

 自分が率いた部下たちはそこかしこで死者となり、小川道場にもはやただひとり。指揮官たる自分だけが生き残っているという現実!

 

――生きては帰れぬぞ

 

 これは何者かからのメッセージだ。

 

 頭の中では「今すぐにでも逃げろ!馬に乗れ!」と叫ぶが、それはできない。

 金田城に向かってこの敗北を報告すれば、将軍は良く戻ったとは言わず。部下を失うまで気が付かなかったこの無能者と自分を罰するに違いないのだから。

 

 そして同時に理解もしていた。

 将軍はこの国の侍というやつらを理解されていた。自分も将軍にならい、侍という存在について調べた。

 奴らはこうして闇討ちは可能と知っても、名誉欲にとりつかれた変人たちであるせいで決断にかけると思っていた。

 

 ならば――。

 

「隠れて戦うのは楽しいか、サムライ!だが俺にそれは通じぬぞ」

 

 小川道場に声が響いた。

 どう考えても強がり以外のなにものでもないが。恐怖を感じないことを示さねば、途端に怯えたとみられ狩られてしまう気がしたのだ。

 

「貴様らにまだ名誉が理解できるのなら。ここはひとつ一騎打ちといこうじゃないか!」

 

 これはエサだ。

 最悪、自分は生きては帰れぬかもしれないが。この道場で何が起きたのかは将軍ならば知ることができるはず。

 

 呼びかけに応じる声はなかったし、姿も見えない。だがどこからともなく狐の鳴き声がすると、指揮官は思わず屋根の上を確認した。

 

 黒い狐の面が悪い笑みを浮かべ、男がひとり立っていた。

 奴がひとりでこれをやったということか!?指揮官の体に緊張が走る。

 

「どうした、降りてきて俺と勝負しろ!」

 

 それは異国の言葉であったのに、狐の面の男は理解したらしい。

 彼はただ静かに左右に顔を振ると、人差し指で門の方角を指してみせた。

 

 

 今宵、魔界は2度開く。

 正門の前にもうひとりの魔人。冥人・侍があの日に見たそのままの姿であらわれたのだ。

 そして堂々と小川道場の正門をくぐり、庭に立つ指揮官に向かってのしのしと歩いて入ってくる――。

 

「からかうつもりか?いいだろう、どちらも叩き斬り。その首は野にさらしてくれる!」

 

 屋根の上から刺客が見下ろす中、指揮官は新たな魔人を相手に刀と盾をふりかざす。

 盾は刀をはじくが、こちらの刃は相手の刀であっさりとよけられてしまう。刃を防ぐ盾を使い、刀を折ろうとこころみるが。振り下ろされる刃からは信じられない衝撃が走り、指揮官の体はいちいち左右によろけてしまう。

 

 この時点ですでに勝敗はついていたのかもしれない。

 

 1合ごとに荒くなる息、落ちていく視線。指揮官は自分の死が足早に近づいていることを悟りつつあった。

 

――これでは。このままでは我はかなわぬ!

 

 ふと、将軍が連れていたあの忌まわしい野人2人の姿が脳裏をかすめた。

 軍であの姿を見かけたときはおぞましい外道どもと吐き気を催したものだが、案外将軍は良いところに目をつけていたのかもしれない。

 

「――貴様ら、貴様らは我が軍には勝てん。だがここで降伏するというなら、俺が助けてやってもいい」

 

 死を目前にしての降伏勧告。

 無謀な賭けも同然の行為だが、指揮官はこれにすべてをかける。

 

 しかし冥人達に変化はない。

 刺客は無言を、侍は刀を正眼に構えなおした。同時に吹き上がる殺意の量が一気に増し、ついに自分をしとめるつもりなのだと指揮官は理解した。

 

「間違った答えを選んだな。後悔しろ」

『もはや語ること、なし』

 

 直後に指揮官の裂帛の気合から始まる3合。

 最初で刀をはじかれ、2合目で盾が吹き飛ばされて体が泳ぎ。最後の一撃は神速の横一閃。指揮官の首は胴体から零れ落ち、勝負は決した。

 

 朝を迎える前に小川道場に生きた蒙古兵はいなくなった。

 

 

――――――――――

 

 

 それからの小川道場はどうなったのか?

 

 無人となった小川道場には日を置かずに逃げてきた流人や農民たちが逃げ込み。家人である道場の女たちが戻る日までは、在りし日の道場と同じくなるようゆっくりと修復作業をおこないつつ、けが人や避難民たちを受け入れた。

 道場の主は死んでも、人々はまだこの場所を愛していたのである。

 

 ただひとつ不思議なことがある。

 この道場は元軍に占拠されていたはずだが、彼らが何者によって排除されたのかは誰も知らないはずであった。

 

 だが人々が徐々にここから出入りするようになると、誰が言い始めたのかあの冥人らの存在が噂されるようになる。

 誰も見たはずのないあの世の襲撃。その一部始終が詳細に語られ、しかしそのおかしさを指摘する声はない。

 

 

 ただどちらにせよ我々は理解せねばならないことがひとつある。

 死者の国より戻りし冥人、その数は4人。 




(設定・人物紹介)
・犬
現在の原作では境井 仁殿も犬使いになれる。
あと戦場犬の作り方はあくまでも作者の妄想によるものです。

・冥人・刺客
おそらく一番人気の強キャラ。
今回のような暗殺主体で動くとこのように圧倒することが可能である。


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四策

良かったら感想など残していってください。

次回は火曜日に投稿予定。


 捕らわれた領主、志村の甥。境井 仁(さかい じん)が反撃せんとツシマの南へとむかう中。

 元軍の勢いはますますさかんとなり。主要な道はほとんどが抑えられ、まだ運よく襲われていない村々は寸断されていた――。

 

 しかしそんな中にあって、解放された小川道場などでおこった怪現象は人々の希望となり。噂はツシマの中で徐々に広がっていく。

 またそれは槍川をはじめとした小茂田の浜へは向かわなかった侍たち残存兵力への攻撃がゆるくなるという思わぬ副産物も生み。戦の序盤こそ劣勢であった日本側も、まだ反抗の余力を完全に断たれたわけではないことを薄々ではあるが理解し始めていた。

 

 では冥人たちはあれからどうしているのか?

 部隊を襲い、小川道場を解放してからの動きは不明のままである。あの魔人たちは何を考えて現世へと立ち戻り、何を考えて人々を救ったり、救わなかったりするのか。未だ真実は闇の中。

 

 

 で、あるからしてと外道の術師達は言葉を続けた。

 我ら将軍の次の勝利のために4つの策を用意しました、と自信ある態度と声で語りだす。

 

 将軍コトゥン・ハーンは無表情のまま2人の話を聞いていた。

 実を言えば彼にとってここまでの状況はかなりよい方向で進んできていると考えていた。小茂田の浜での勝利に続いて、領主である志村を生きたまま手に入れたことは。彼がいまだ頑固に従うことを拒否したとはいえ、この後の占領政策においてとても有利な状況にあるといえた。

 

 ゆえに境井 仁。そして未だ正体の知れぬ冥人達。

 これらはそのうちに解決する些末な問題として存在はしていても、大きな障害になるとは考えてはいなかった。

 ゆえに彼は目の前で、自信ありげにかしずく外道たちの言葉にも。いちいち「なぜ?」などと興味をむき出しにして疑問を挟むことはない。役に立つと思うからまだ生かしているだけであり、役に立たないとわかれば処分するだけだ。

 

「まずは馬車」

「――話は聞いている。それを守る部隊も欲しいそうだな」

「その通り!まずはとらえしこの地の餓鬼どもの腹を裂いて心の臓を抉り出します。これを我らの術にて呪いをかけたのち道を歩かせるのです」

「ほう」

「道を行く馬車は土地に呪いをまき散らし。土地神はたちまちのうちに力を失えば、馬車を守る戦士たちを大きな恩恵を与えることになりましょう」

 

 この時、はじめて将軍の首が縦に振られ。口元の片方がつりあがって笑みを作る。

 とりあえず一応の満足を覚えたようだった。

 

「次、封印の塚にてさらに多くの戦士に力を与えまする」

「奪った村のひとつで石を積んでいると聞いている」

「その通り!塚が完成次第、我らがおもむき。術を施します」

「それだけか?」

「それだけです。が、これで多くの戦士が超戦士と呼ぶにふさわしい力を手に入れることになるでしょう」

 

 将軍コトゥン・ハーンはここでついに前のめりになってきた。

 

「女は?女も与えたはずだ。まさか己らで楽しんでいるわけではないだろう?」

「もちろんでございます。かの女めは寺の中に捕らえ、今は精神をさらに弱らせているところ。この後、我らの術を施すことでこの地に災いを降り注がせる悪鬼へと転じさせます」

「ほう」

「そして――これが本命」

 

 将軍の眉が曲がった。

 悪鬼と変化させる女が本命?ではこれまでも、またまだはなしていない策は何だというのか?

 

「将軍のお顔を拝見すれば疑問を持たれたことは当然わかります」

「話せ」

「では――」

 

 かしづいていた2人の術者はそろって顔を上げる。

 

「将軍の序盤の勝利はもはや確実。だとすればなぜ我らの力がさらに必要と考えるのか。それは本土への進行を早めたいからに相違ございません」

「よく読んだ――などと褒めると思うなよ。それくらいなら誰でもわかることよ」

 

 他人に、それも己が支配していると信じている相手に心を読まれるのは不快千万。それゆえクトゥン・ハーンの顔に笑みはないが。それでもこの会話を続けることは許した。

 

「我が軍の兵はすでに最強。しかしそれでも何か足りないものがあると感じられておられる。だからこそ我らの力を必要。これが理由と察しました。そして同時に気にいらぬことがあることも確かにあると」

「続けよ」

「まずは志村の甥、境井 仁!

 しかしあのような若造に何ができますか。あれも侍、どうせこの島を出ることもできず。時が来れば将軍の前へ自然とおびき寄せられましょう」

「うむ」

「となると将軍様がお気になされるのはもうひとつ――我らが軍を攻撃するもうひとつの存在!」

 

 クトゥン・ハーンの顔が愉快から不愉快へ。笑顔から怒りを含めたゆがんだ表情へ。

 

「そやつらの正体がわかるのか?」

「まだわかりませぬ。だからこそ、我らはこの策を用意しました」

「4つも用意するとは念のいったものよ」

「将軍、我らもかの奴らが行った殺戮の場について情報を得ております。なるほど、将軍が気になさるわけだ。

 その残虐非道のやり口、まるで――我が軍にそっくり」

 

 2人の外道の顔がにたりと笑う。

 殺し方が侍のそれではない――ならばやはりその正体は全力で探らねば。

 

「お前たちは女が本命と言ったな」

「さよう。されど簡単にはこの術は完成できませぬし。時間も必要。そしてなによりも”奴ら”に気が付かれては意味がない」

「気が付くとは?」

「女に悪鬼を降ろせば、とうぜんのことこの地の”魔”も気が付きましょう。己のそばに強い鬼はいてもらいたくないと考えるもの、邪魔もしてくるやもしれない。だからこそ別に策、別の罠を用意するのですよ」

 

 口で丸め込みに来ているのではなかろうか?

 支配はしてもこの外道たちの本質は絶対の悪。素直に信用できるのかと将軍の眉があがった。

 

「では馬車の真の狙いは?」

「土地神を苦しめれば。その声はこの土地に住まう霊力豊かな者の耳に嫌でも入りましょう」

「封印の塚とやらの真の狙いは!?」

「この国を守る古の神々の力を犯し、奪う。そこに出来た歪みで目は奪われましょう」

「なればまだ語らぬ最後の策とはなんだ!!」

 

 真っ赤に顔を紅潮させたクトゥン・ハーンは湧き上がる激情を殺せず立ち上がりながら外道たちを怒鳴りつけた。

 相手はそれに動じることなくただ一言。

 

――九死にて滅するなり

 

 と答える。

 それを聞くとすべてを理解した将軍クトゥン・ハーンは誰もが聞こえるほどの大きな笑い声をあげた。

 

 

――――――――――

 

 

 すすき野に隠れた侍たちの先頭に竜三はいた。

 仲間には山賊のごとく襲撃をかけるのだから見つかる心配はまずはない、と太鼓判を押したが。おそらくなんの役にもたたないだろうと本音ではわかっている。

 

 泥で薄汚れた野良犬。

 今の自分たちを例えるならこれがぴったりだった。まず体臭……匂いがひどい。彼らのそばに近づけばたちまち鼻がひん曲がるほどの汗と泥の混じった悪臭に顔をしかめるはず。その目や鼻、口元から離れようとしないハエ達。

 手の指は土と泥に汚れ、乾き。かさかさだ。これでは草木に姿を隠したとしても、距離を間違えれば相手に匂いだけで気づかれてしまうだろう。

 

――おい、ひどい匂いだ。風呂くらい入っておけ!

 

 竜三の昔の友は育ちの良さもあってか奇麗好きだった。

 あの頃でも文句を言っていたであろうあいつが、今の自分を見たら怒り出すかもしれん。腹の虫が空腹を訴えて鳴くと、周囲からも同じように訴える音が続く。

 

 風呂も必要だろうが、まずは飯だ!

 

 

 忠誠をささげる主を持たぬ菅笠衆のなかで竜三は自慢の剣の腕もあり、それなりの地位を与えられここ数年の人生を謳歌していた。

 その頃の自分は随分と勝手なことを口にしていたと思う。

 

 剣の腕を売り、稼いだ金で飯を食う。

 

 菅笠衆のそんな生き方は、名前や誉れ。侍のしがらみから解放された夢のような生活に思っていた。

 だが現実は――そんなに甘い話じゃなかったらしい。

 

 菅笠衆は実際は苦境の中で綱渡りの生活をやっていたようだ。

 実際、剣の腕を売るといっても口先だけの奴。いっそのこと山賊になればもっと楽に稼げると本気で主張する負け犬も少なくなかったし。宮仕えに愛想が尽きたと口では言っても、実は本心では再び失った地位を取り戻せないかと考える奴もいた。そういうどうしようもない奴らをまとめていた前の頭は賢かった。

 

 文句ばかりを口にする救いようのない奴らをなだめてすかし、時には追い出し。それで数を減らした菅笠衆が弱くはならないよう、侍として道を見失った竜三のような強い剣士を新たに求め続けた。

 そんな頭の下で竜三も夢のような生活を満喫する一方、負け犬となって侍であることを捨てようとしたり、苦しむ野良犬たちの姿を間近に見て学ばされた。

 

 そんな菅笠衆が小茂田の浜への参戦を決めた時はさすがに紛糾した。

 菅笠衆の頭の主張は「志村にこの剣の腕を買わせるなら本人の目の前で見せるのがいい」というものであったが、腕に自信のない臆病者たちは死にたくないという思いから嫌がっていた。

 

 竜三もあの時はあまりやる気はなかったものの。

 頭の口に言い負かされ――侍であれば戦場に立つのに恐れはないだろうと言われては黙るしかなかった。

 

 

 だがらあの浜に集結した侍たちを見たときは真っ蒼になった。

 圧倒的な兵士の数の差、戦い方の違い、火薬を用いた兵器の運用。爆発のそばであれの直撃を受けて死んだ兵士の顔が記憶にこびりついて離れない。己の剣のなんと無力なことか……。

 

 領主、志村がさらに敵陣奥へと突撃を開始すると同時に竜三は逃げた。味方を堂々と見捨てたのだ。

 志村のあのやりかたは死兵となる採算度外視の捨て身の戦法だ。勝つ負けるの話じゃない。

 

 だがすでに忠誠と誉れを別のものと考えて生きている竜三にはできない戦い方だった。

 しかし菅笠衆の頭は彼についていき、そしておそらくは死んだ。もしかしたらあの戦を最後の博打とし、同時に己と菅笠衆の死に場所と定めていたのかもしれない。

 

 なのに菅笠衆は生き残ってしまった。

 逃げ出した竜三の後を、同じく浜で死ぬ気のない奴らがついてきてしまったからだ。

 彼らは一様に小茂田の浜からの見事な撤退だったと竜三を称えた。そして竜三こそ菅笠衆の新しいの頭になるべきだといった。。最初は悪い気もしなかったが――日がたつごとに竜三にとって菅笠衆は重く、苦しいものへと変わっていった。

 

 山賊はやらぬ。しかし腕も売れないなら、蒙古をとりあえず襲撃すればいい。

 竜三の考えに皆は異議を口にしなかったが。失望を感じているのは明らかであった。

 

 

 よし今だっ、と声は出さないが竜三は腰をかがめながら駆け出した!

 いまやツシマの主要路は元軍が抑えてしまったが。そのおかげで逆にその道を進む補給部隊は狙いやすくなった。

 

 駆け寄った荷馬車に並んで歩く兵士の後ろから大上段に構えた剣を振り下ろしていく。

 以前であればまだ己の侍としての誉れが許さない、などと口にして決してやらなかったことだが今は違う。それにどうせ相手は侍ではない。ただの殺し合いなのだから自分たちがとりあえず勝てばいいのだ。

 

 頭と呼ばれるようになって分かったことだが、こういう時にいちいち自分の後ろに仲間がついてきてるかどうかなど気にしなくていいと学んだ。

 そんな弱気では彼らはさらに失望して今度は竜三の命を狙うかもしれないし。そもそも働かないなら食わせる飯はないと言ってやるつもりなのだから、どうでもいいことなのだ。

 

「次だっ、次にいけ!逃がしたらその分、食いものが減るだけだぞっ!」

 

 蒙古兵を前に竜三は声をあげて皆を叱咤する。

 こちらが食いついた最後尾の荷馬車の変事を察したのだろう。前に並ぶ荷馬車の速度が徐々に上がっていた。

 

「ひるむなっ!食らいついていけ!逃がすなよっ」

 

 叫びながら竜三は双剣が飛び掛かってくるのを刀と蹴りで突き飛ばし。盾を構えて迫ってくる敵に対しては猛然と切りかかっていく。

 蒙古兵の火薬兵器は恐ろしいものではあったが。剣を使う相手は竜三が苦労する相手は少ない。ただし盾を構える相手には、粘られるのでイライラさせられるがそれだけだ。

 問題があるとすれば槍使いと体格の大きな奴だが――菅笠衆がこちらにはいるのだ。数で押せば簡単だ。

 

――死ねェい!

 

 言葉はわからなかったが意味は理解できた。

 剣で突いてくる相手に対し、竜三は顔色も変えず相手の振り下ろす刃の先をわずかに動くだけでかわす。そして互いの間にできた空間に自分の体をはいりこませながら刃の先を相手の体に突き刺した。

 

 結局、菅笠衆はまた勝ち切ることはできなかった。

 輸送部隊は半分以上を逃がしてしまった。

 計画ではすべてを奪えたはずだったが――認めたくないが、皆の空腹が走り去る輸送部隊の半分以上を見送る結果となってしまったのだ。

 

――ひどいもんだ

 

 自分が人を斬っている間に、走り去る馬車をそれこそ野良犬のように顔をしかめるだけで足を止めて見送ってしまった己の菅笠衆の弱さに竜三は呆れるしかない。

 とはいえこの襲撃に万全の態勢で臨めないことはわかっていたわけだから、部下たちをただ怒鳴りつけても仕方のないことだと考えていた。

 

「頭――」

「どうした十蔵」

「3人が死んだ、怪我人はひとり」

「今回は多いな」

 

 輸送部隊を襲ったのは今回が初めてではない。

 相手は手練れを配置してきたのだろうか?だが現実は竜三の想像を下回る。

 

「しょうがない。皆、腹が減ってるんだ。戦うにしたって力が出ない」

「……荷物は確認したか?」

「あんたの目で確認してくれ」

「問題か?」

「はっきり言うがよくないぞ。仲間も落ち込んでる」

 

 畜生め!

 

 言葉の代わりに竜三は舌打ちだけをして速足で十蔵の横を通り過ぎていく。

 結果は確かにひどいものだった。全員の腹を満足させるとは思えない程度の粟。あとはゲルのための布や木材。少量の矢に弓しかなかった。

 蒙古軍は輸送部隊への襲撃を想定し、食いものをわずかに。あとは重く特に必要ではない資材を最後尾にわざと配置していたらしい。竜三らが暴れていた間に逃げていった荷が本命だったのだ。

 

――結局はまた負けたのかよ

 

 無表情を装うことで決して口にできない真実は、あまりにも辛いものだった。

 菅笠衆の若いのが。弓と矢の詰まった箱を指さして尋ねた。

 

「これ、売れると思うか?」

「売るだと?どこに、誰に売るって言うんだ。考えろ、馬鹿野郎」

 

 そう、ツシマはこの戦の最前線。商品を持っているとして誰かに売りたくとも、買うやつがいないのだ。

 すべてゴミではないが、菅笠衆の腹が満たされることもない。

 

「畜生が!」

 

 ついに癇癪をおこしたらしい誰かの声を聴きながら竜三は空を見上げた。

 俺たちの運はあの小茂田の浜で尽き果ててしまったのではないのか?無力感を感じる。同時に周囲の仲間たちから憎しみと失意のこもった視線を背中に感じた。

 

「頭、ひとつ考えがあるんだが」

「なんだ十蔵?」

「じつは奴らに交じって捕らわれた奴がひとりいた。まだ生きてる」

「――そうか、それじゃ話してみよう」

 

 楽しい作業でないが、ほかに手はなかった。

 刀を抜いたままの皆でそいつを囲み。無理やりに救ってやった礼をだせと迫るしかなかった。いや、気にすることはないはずだ。なに、命が助かったのだからそれくらい望んでも構わないだろう――。

 

 ひどい考えとはわかっているが、竜三はそうして無理やりにおのれを納得させた。

 

 

 その夜、傷の重い負傷者がまたひとり息を引き取った。

 そして朝が来ると、十蔵を含めた2人の仲間が姿を消していた。いっそ全員消えてくれれば良いのにと思うが――竜三の手の中にはまだ菅笠衆は残ったままだ。

 

 竜三が望んだ自由は徐々に遠い過去のものとなっていた。

 

 

――――――――――

 

 

 ツシマをさまようしかなくなった人々が集まりだした黄金寺では、同時に家族を失った嘆きの声もまた増えていく一方であった。

 そうした家族のひとつ。幼い兄弟を失って悲しむ両親と話した僧はため息をついて彼らから離れた。そこに同僚の僧が話しかけていく。

 

「どうした?」

「ああ、まぁな――」

 

 気の毒そうな顔をして肩を落としている夫婦を僧が見たことで何となく事情を察する。

 

「家族を失ったか」

「ああ、幼い元気な兄弟だったらしい」

「それは気の毒に……」

「逃げてる最中につい手を放してしまったそうだ。火にまかれ、姿を見失った」

「そうか。よくある話絵はあるが――いたたまれないな」

 

 混乱の中の別れは最悪の結果としか言いようがない。

 その子供らは運良く逃げてくれればと願いはするが。この状況では元軍につかまらなかったとしても、誰かにつかまり。人買いに売られる可能性が高い。おそらくあの家族が再び再会を果たす喜びの瞬間は、もう――。

 

「そんなっ、なんてことをいうんだ!ひどいっ」

 

 わずかな瞬間、夫婦から目を離した僧たちはいきなり非難の声をあげる父親と号泣する母親にはっとした。

 振り返ると曽元という坊主が、あの夫婦に対してなにか良からぬ言葉を口にしたようだ。それもまったく悪びれる様子はなく。夫婦の非難には動揺もせず「確かに伝えましたぞ」と言って離れていく。

 

 僧達は慌てて2手に分かれた。

 ひとりは夫婦をなだめに行き、ひとりは曽元に。

 

「曽元。曽元、おぬし、なにを話したのだ」

「ん?別に特別なことはなにも」

「そんなわけがないだろう。ちょっと、止まるのだ」

 

 腕をつかんで足を止めさせ。

 あの夫婦に何を言ったのか確かめようとする。

 

「なぜあんなことになったのだ!?話してみよ」

「――別に。ただ教えてやったのだ、そなたらの子はもはや生きてはいないだろう、と」

「なんと!?」

 

 何たる無情か!

 嘆く夫婦に冷酷な現実を叩きつけて、この僧は何も感じないというのか。。

 

「なぜそんなっ」

「別に驚く話ではないだろう。蒙古の軍は海を越えてやってきたのだ。こうした悲劇は戦がおこればそこかしこで起きている。今までもそうだったのだ、これからもそれは変わらぬ。嘆いても死んだ子は戻ってはこない。ならばここで飯を食い、新しい子でも――」

「曽元!!」

 

 おぞましさに毛が逆立ったが、相手はこちらの怒りには大して興味を示さない。

 それどころかフンと鼻で笑うとさっさと立ち去って行ってしまった。

 

 ああ、世の乱れは現世を捨てた僧の心までもここまで退廃させてしまうものなのか。

 

 夫婦はいまだ半狂乱のままで、多くの人々が今の騒ぎを遠目で見ている。

 この話題はすぐに噂となって広まるのだろう――黄金寺にはこれからも多くの人々が集まってくるだろうに、それを世話する僧があれほど冷酷では悲しみが癒されることない。人々の心に自分たちが希望を与えることの無力さを、僧は静かに感じていることしかできない。

 

 いや、そもそもあの曽元もあれほど冷酷無情な性の持ち主であったのだろうか?

 わからない。なにもかも、わからない。

 

 

 その夜、取り乱していた妻は深夜に体力が尽き。ようやくのこと眠りにつくことができた。

 夫はようやく眠ってくれた妻の顔を悲しみの表情で見つめながらホッとし、遠目でそれを眺めていた僧たちも少しだけ安心していた。

 

 

 彼女は夢の中で、赤い霧に満たされた世界にいた。

 

――ここは?

 

 ひとりしかいない恐怖も、暗く温かさのかけらもない不気味さにおびえることもない。ただ訳も分からないまま、なぜか心静かに穏やかでいられた。

 そして女は静かにその場に座り込む。

 石の敷かれた地面は、薄く水が張っているせいで着物がゆっくりと湿っていく。。

 

――あっ

 

 女の顔に不思議な安堵の混じった笑顔が浮かんだ。

 かつて己の腹から出てきた2児の記憶が思い出されたからだ。よく見ればただの水と思ったそれは、霧と同じように赤い血の色をしているのも関係があるのだろうか?

 下半身から白い着物が真っ赤に汚れていくのが、なぜか嬉しい。

 

「大松、源吾――あの子らの手を、あたしは離してしまいました。探しはしたのです。本当はもっと、もっと長く探したかったのです。でもあの異国の軍がやってきて、そこにはいられなくなりました」

 

 霧が動く。その中に人影がみえた気もするが、女の口は己の気持ちをそのまま吐き出していく。

 

「お坊様に言われました。あたしらのような悲劇は今はどこでもあることだと。子供を取り返すことを考えるくらいなら、新しくここで作ればよかろうと」

 

 悲しくて、それ以上に悔しくて涙があふれてきた。

 

「取り戻せないのかもしれないけれど。それでもあの子らが無事でいてさえくれれば。そうであってくれればっ」

 

 霧の中の影は4つに分かれてそこにいた。

 涙を流す哀れな女に必要以上に近づくことはないが、目を離すつもりもないらしい。

 

 そして女は服が濡れるのも構わず影に向かって叩頭する。それが救いの主かどうかもわからなかったが、本能に任せていきなり願ったのだ。

 

「どうか。どうか、あたしの子らを助けてくださいまし……」

 

 世界は闇に沈んでいく。

 時間が来たのだろうか?しかし女はあきらめることなく必死に願いを繰り返した。あの子らを、あの子らを、と。

 結局は4つの影は願う女になにもこたえることはなかった。しかしその言葉は最後まで確かに聞いていた――。




(設定・人物紹介)
・竜三
原作でも印象的な登場人物。
仁と関わり、人生を狂わされ続ける運命にある。

・曽元
黄金寺の坊主。
安達家の悲劇になにか理由があって関与した結果。この作品ではどうやらヤサグレていた模様。


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異変

次回投稿は金曜日を予定。


 僧がいつものように黄金寺の門の前をほうきで掃いていると、森の中から弓を担いだ男たちがイノシシを2頭つるして戻ってくるのを見て笑みを浮かべた。

 

「やぁ、これは今日も見事なシシですな。猟師、仁造とその仲間達の技ありですか」

「今日は4頭です。ま、悪くない、これを置いたらすぐにまた取りに戻らないと」

「ああ、それは本当に助かります」

 

 黄金寺に集まる人は多くなる一方ではあるが。彼らが口にする食事はいつだって大問題である。

 獣の肉は仏陀の教えからいえば好んで口にするべきではない、と考える僧も少なくないが。そんな寝言では集まっている人々の腹を満たすことはできないのだ。

 

 だからこそ釣り師、猟師の力は貴重だ。

 とはいえ彼らは兵士ではない。最近では蒙古軍も狩りや漁に人を出していると聞いている。森や川で彼らがうっかり出くわした、なんてことはあってほしくない。

 

 棒で吊り下げた猪らを先に行かせ、猟師は僧の前で立ち止まった。

 

「それでどうでしたか?異国の兵の姿を見ましたか?」

「――見ました」

 

 えっ、と僧は思わず声をあげそうになる。

 黄金寺はツシマの金田城を北にみて島の中心に近いところに存在している。それゆえ今のところは元軍の脅威から黄金色の森で隠れて守られてはいるものの。戦う侍が倒れた今、ここも確実に安全とはいえない。

 

「ど、どこで?何人いましたか?」

「それが奇妙な話なのですが――」

 

 そういうと猟師仁造は話し始めた。

 

 今のところ黄金寺の近くで狩りをする彼の気がかりなことは、北西部にある川向うに蒙古軍の陣が建てられていることにある。おそらく敵が寺に兵を差し向けるならそちらからくるに違いない。

 なので寺の外に出た時はできるだけこの方角に注意を向けるようにしていた。

 

 ところが――。

 

 今日、彼がいつものように林の中を歩いていると。敵陣のある川からこちら側へ渡ってきたと思われる兵の一団が河原で無残に殺されていたのをみて、息をのんだ。

 敵陣の目の前ゆえ自分の姿を見つかるわけにはいかず。河原には近づけなかったが。遠目から見てもひどく無残なやり方で殺されたように見える。

 

「誰がやったのでしょう?どこぞのお侍様かなにかですかねェ」

「真っ先に思いつくのはこの近くにいる安達の家です。しかしそれだとおかしい、あそこのお侍様方は小茂田の浜へ出陣なされたと聞いたが。生きて戻られたという話は聞いてない」

「ああ、でもあの家でしたら政子様をはじめ女衆もおるはずですよ。男にも負けぬ気の強さと腕を持っていて、留守にしても家にまったく不安がないと。安達様は生前ここにお立ち寄りの際にはよく――」

 

 僧は過去を思い出して明るく話すが、仁造の顔色は優れない。

 

「それはどうだろう――安達の家の女房方や子は黄金寺に来ていないのでは?」

「え、ええ。それは確かに」

 

 僧たちが気にしていることのひとつがそれだった。

 そもそもにしてこの黄金寺は安達の土地に近い位置にある。それゆえ交流もそれなりに深く、名前は覚えてないとしても見れば必ず顔くらいは見知った仲としてのつきあいがあった。

 

 特に今は非常時である。

 男衆の行方が分からない今こそ、頼れる安達家の残っている方々の力は欲しい。

 そしておそらくだがむこうにとってもこの寺は安達家の幼い子供らを守るという点でも悪くない避難場所であるはずなのだ。だが今日まで、安達家からはなんの連絡はない。

 

「やはり安達様の家の様子は気になりますなぁ。一度誰かに様子を見てきてもらわねばならないのでしょうが、こちらも今は毎日のこと人手が足りない」

「とはいえ弓を担いだ猟師が坊主のかわりに来ました、というわけにもいかない。何せ相手はお侍だ、なにかに気に入らぬとへそを曲げられても困る」

 

 確かに、確かに。

 猟師と僧は互いの言葉に深くうなづき、納得する。特にあの家は男女そろって気性の激しいことでしられている。

 挨拶伺いをするにしてもそれなりに支度に時間と手間が必要になるのだ。

 

「安達様への挨拶は僧の中でも話し合ってなんとかいたしましょう。そういえば確か、うちの曽元が少し前に立ち寄ったと聞いた気がします。数日はかかるかもしれませんが、また彼に行ってもらえないかなァ」

「そうなるとやはりすぐには答えは出ませんな。誰があの敵を屠ったのか――」

 

 結局、謎だけが残ってしまった。

 

 

 ではなにが起きたのか?

 

 蒙古の陣から兵がくりだされ。川を渡り始める頃。黄金色の森の中から川に向かって熱い風が吹き抜けていく。

 霊力豊かなものがそこにいれば、風が通り過ぎると同時に流れ始める怪しい気配に気が付けたであろう。

 

 いつのまにか黄金の森の木々の陰から怪しき青い光が獲物を見つめていた。

 

 襲撃は一瞬、すべてを屠ろうと複数の影がいきなり動いた。

 新たな長弓に4本の矢を並べた弓取の攻撃は馬上で揺られているだけの気の抜けた兵士の命を刈り、すべてを落馬させた。木の影、枝の間から飛び出す牢人と刺客は驚く兵士たちの背後に回り。次々とその首や心の臓を冷たい刃でかき回していく。

 

 そして最後に堂々と現れた侍は、声をあげる間もなく始まった殺戮の嵐に腰を抜かし。声もあげられぬ無力な存在となった兵士たちが逃げ出すことを許さずとどめを刺して回った。

 

 なんと恐ろしい、冥人達よ。

 敵陣の目の前、流れる川を渡ったその場所でいきなり殲滅させてみせたのだ。

 

――全てヨシ

 

 冥人らは動かぬ死者たちの中で互いの顔を見合わせうなずきあった。

 そもそも彼らの狙いは別にある。乗り手を失った馬たちの元へ行かうとその手綱を引いた。

 

 冥人・牢人が口を開く。

 

『目指すは北』

『風が異国の妖術のにおいを漂わせておる。これは良い証ではない』

『それも複数。もしや我らへの罠ではあるまいか?』

 

 それに続く侍、弓取の疑念に刺客は静かに首を縦に振るだけ。

 冥人が死の国より召喚されるのにあわせ。ツシマに始まった異変の兆候に彼らは気が付いていたのだ。しかしそれは同時に敵である蒙古軍の手強さを、じつはまだこの冥人達もはかりかねているやもしれない。

 

『だが北へ。ほかに我らに道はなし』

 

 再び侍が同じ言葉を口にすると全員は今度は無言で騎乗する。

 白、黒、斑の馬たちは走り出せば風となる。金色寺で嘆く母がいた。幼い我が子の無事を願い、誰かに縋ることしかできない女は。生死の境に立つ危険を冒してよりにもよって冥人達に助けを願った。

 

 そして驚いたことに冥人達はその願いを聞き届けようとしているのである。

 奇跡は起きたが、この物語の先にあるものはまだわからない。

 

 

 蒙古の軍が森に送り出した部隊が陣の目の前で全滅したことに気が付いたのはそれから1時間はたったころ。

 民を虐殺して来いと送り出した精兵たちであったはずなのに、目の前で襲われた上。声も出せないまま殴殺されたと聞き。指揮官は激高して机をたたくが、それで終わった。

 

 指揮官の怒りは愚かな決断を下す原因となったのだ。河原で殺された遺体をそのままに放置するだけでなく、何が起こったのか調べることもしなかったのだ。この指揮官は経験が浅かったのかこの敗北を軽く考えていたのだ。

 自分たちの陣の前に野ざらしにされる味方の無残な姿と死臭、それで兵士達の士気が上がるわけがない。

 

 なにより見て見ぬふりをしたのだから将軍クトゥン・ハーンは冥人達が動き出したことを知ることはない。

 

 

――――――――――

 

 

 怪しげな男は道の途中で敵に捕らわれたが逃げてこれたという旅人と話していた。

 

「大変でしたねェ」

 

 当然だがいつものように笑みを心の中に隠す。

 

「ええ、まったくついてませんよ。ひどい目にあってばかりだ、それもこれも。お侍様が小茂田の浜で負けちまうせいですよ!」

 

 運よく生き残れてよくそんな口を利けたものよ、男の笑顔はさらに深いものとなる。

 

 この運のない男は元軍の侵攻など馬耳東風。気が付けば畑に近づいて部隊にみつかり。慌てて逃げようとして泥に足を取られ。あっさりつかまった。現実をようやく理解したのは牢に入れられた後だった。

 蒙古軍の捕虜の扱いの残酷さに身は震え、いまさらながら仏に助けを乞うて願った。

 

 そんな間抜けな男を仏は見捨てはしなかったようだ。

 馬引きとして輸送部隊に同行させられ、菅笠衆を名乗る浪人たちによって助けだされたのだという。

 

「ところがですよ!これがもう、とんでもない連中なんですよ」

「はぁ」

「そのお侍達、あたしを助けた後。全員で血刀を手に囲んできましてね。命を助けた礼にお前は何ができる、とこう聞いてくるんですよ」

「それはひどい」

 

 顔をしかめて見せるが、実際は何とも思わない。

 菅笠衆は確か主を持たない牢人集団だったはず。非道を行わぬ、山賊行為に手を染めず。孤高を気取って偉そうに侍面をしているが。どうやらこの苦境でついにやり方を変えたのかもしれない。

 

「あたしゃただの農民。しかもいきなりとっつかまっちまった捕虜だったんだ」

「ええ、ええ」

「でも連中はそんなことじゃ納得しやしないでしょう?本当に滅茶苦茶な――」

 

 それならなぜおまえはここにいるんだよと心の中で嗤う。

 殺気立っていたという牢人たちが相手では、頭を下げて感謝いたします程度の言葉では納得しなかったはず。

 

「ではどうやって許してもらったのです?」

「――いえ、頭を下げたわけじゃありませんよ。それならあたしゃここにはいません、たたっ斬られたでしょうね、間違いなく。実際汚らしい連中で鼻がひん曲がりそうで、腹の虫も何度も騒がせていましたから」

「おお」

「でも実は――荷を出すとき、異国の奴らがなにやら怪しげな包みを荷物に潜ませていたところをあたしゃこっそり見ていたんでございますよ。コレが役に立ちましてね!」

 

 なるほど、それをさしだしたわけか。

 どうせ牢人が報酬を求めなければ自分が奪おうとでもこっそり考えていたのだろう。

 

「菅笠衆ですか。まったく、捕らわれた民から助けた礼を出せと迫るとは嘆かわしい限り。本当にひどい世の中になってしまいましたねェ」

「ええ、ええ。全くその通りですよ。最悪な連中です!」

 

 世の悲鳴はますます増えるばかり。

 怪しき男にとってこれほど楽しい日々はない。

 

 

――――――――――

 

 

 外道の術師たちはちょうど兵士たちが持ってきた膳を平らげ。せめてこれに馬乳酒でもつかないものかと嘆いていた時であった。この2人にしては珍しく和やかだった空気がいきなり凍り、黙ってしまう。

 

「……わかったか?」

「感じた。我らの罠にかかったようだが。しかし存外に速い」

 

 いきなりどこからか霊力を持った集団が突如としてあらわれ。彼らが用意した罠に向かって猛然と突き進んでいる気配をはっきりと感じることができたのだ。その出現と行動の速さは、彼らの想像をこえてあまりにも機敏にすぎた。

 

(あやかし)か?しかしそれならなぜ我らを狙う」

「しかし生きた人と考えると、我らからの隠れ方が優れている。もしやそれだけの術がこの島にはある?」

「そんなことはないはずだ。そんなはずはない」

 

 まだ断言はできないが、その可能性は低いはず。

 いずれは何かはっきりとさせるために。また新たになにかを考えなければならないだろうが、それは今ではない。

 

「封印の塚はすでに終わった。陣の中の兵士はその影響を受け始めてる。例の荷はどうだ?」

「すでに用意したものは北で歩かせている。徐々に力を増やしているが――」

「ならば我らは女の事に集中をせねば」

 

 誰かが罠に食いついてきた以上、外道の術師たちものんきにはしていられないのだ。

 この国を憎悪する悪鬼を顕現させ。味方にせねばならない。

 

「とにかくなにがしかの結果を出さねば。将軍は満足せぬだろうよ」

 

 悩ましい息を吐くと2人はさっそく立ち上がる。

 

 

 

 金色の森の中、境井 仁は困惑と共に地面に残された馬の足跡を追っていた。

 黄金寺を通り過ぎ、新たな助力を得ようと安達の家に立ち寄ったところ事件が起きた。いや、正確には起きていた。

 

 家を守っているはずの女子供、誰もいなかった。

 それどころか何者かの襲撃を受けたかのような形跡がある。蒙古軍と小茂田の浜で対決したこの数日の間に、どこぞの山賊にでも襲われたとでもいうのだろうか?

 

 道の前方に、地面に矢が何本も突きたち。血が流れたらしい跡をみて今度こそ背筋が凍る。

 

――ここで誰かが死んだ。

 

 流れたちは地面が吸い取ってはいたが出血量は尋常ではなく。死体はないが、家を脱出したと思われる安達の家の女子供を皆殺しにせんとここで追跡者たちは矢をもちいて殺しにかかったのだろう。略奪をもくろむ山賊がここまでしつように追跡をしただと?

 

 瞬間、首筋に冷たい殺気を感じた。

 体が素直に反応し、腰の刀を一気に引き抜いて殺気の主をにらみるける。

 

「安達……政子殿、わたしです。境井 仁です!」

「――小茂田の浜で死んだと思ったが。なんという格好をしている」

 

 商人、崔烏より譲り受けた流人の姿となっていることをさしているのだろう。

 

「小茂田の浜から生き延びることができましたが、敵に囚われた叔父上の救出に失敗しました。この姿も、蒙古の軍に手配されていますので」

「姿を偽っているわけか。ここに何をしに来た?」

 

 途端、再び政子の視線が剣呑なものへと変化する。

 はっきりと仁の来訪になにがしかの疑いを持っているのは明らかであった。

 

「金田城に叔父上は囚われております。取り戻すには力を再び結集させる必要があります。まず、日吉にいる石川先生を訪ねまして。そのあとここへ」

「本当か?」

「安達家は武名に優れたお家ならば、女衆であったとしても力を借りれぬかと思い参りました。ただ、その――」

「なんだ?」

「なぜか家には襲撃された跡が残され。わけもわからず足跡を追ったところ、ここで政子殿に会いました。なにがあったのですか?」

 

 安達 政子はそれには答えず。彼女の夫と息子たちのことを聞いてきた。

 蒙古の将軍クトゥン・ハーンによって無礼にも笑いものとするかのように焼き殺されたとはいえず。仁は表現をぼかしてただ戦死したことのみを伝えた。

 

「……馬はいるな?ついてくるがいい」

 

 出陣した男たちの運命を聞かされると、政子はそういって先頭に立った。

 どうやらどこかへつれていこうとしているらしい。

 

 

 そこで見た光景の凄まじさに境井 仁の頭の中は真っ白となり。顔色は血の気が引いて真っ青、足は震えた。

 安達の家の子供たち、そして女たちの墓がそこに並べてあったのだ。その数ときたら!

 

「亭主殿と息子たちが出てすぐだった。夜に何者かの襲撃があってな。

 なんとか姉と孫たちを逃がそうと嫁たちを叱咤して戦ったが――誰も守れなかった」

「誰も!?」

「そうだ。嫁たちもよく戦ったが、追ってきた相手の数が多く。そしてしぶとかった。

 私も自分の身を守るので精一杯で――」

 

 そこまで語ると政子の言葉が詰まる。

 

 ツシマに勇者は誰かと問われれば幾人も候補の名前は上がるだろうが。一番の女傑は誰かと尋ねられれば答えはただひとり、安達家の政子様だと皆が答えていた。

 その政子が怒りと悲しみに耐えきれず、涙を流しながら口元を隠す姿など仁に想像できるわけがない。

 

「まさかこのような時に味方を裏切るとはっ」

「仁、安達の家はもう終わりだ。ツシマの裏切り者のせいで私以外の全員が死んでしもうた!」

「……」

「お前の用件は聞いた。だが助けることはできぬ。私は家族の仇をとる」

 

――この人は死ぬ気なのかもしれぬ。

 

 そう思うと自然と口が動き、仁は助太刀を申し出ていた。

 この若武者にも思いがあった。

 

 かつて母を失い、父も失い。この世にただひとり残された、孤独。

 さらにこの政子は自分と違い、このまま復讐の道を走り出せば修羅となるのも同じ。たちまちのうちに憎悪の嵐に飲み込まれ自滅してしまうかもしれない。

 

「おぬしを巻き込んだ末、死なせるわけにはいかん」

「政子殿、それがしは死にませんよ」

 

 境井 仁はそう答えるとカラカラと笑い声をあげた。

 金色に輝く森はしずかに吹き抜ける風に枝を揺らしていた。



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夢魔

次回投稿は月曜日を予定。


 ツシマの土地に呪いがまき散らされ始めた。

 豊かな自然の中に、まがまがしい瘴気を帯びた霧が立ち込め。ツシマの土地神をそれを抑えようと全力を振り絞るが止められる気配は微塵もない。

 

――ああ

 

 彼の嘆きは深い。

 たった数日、それでもこの瘴気を散らさんとしただけなのに。土地神の肉はこそげ落ち、指は細くなり、皺は深くなる。これではいつ消滅するかわからない。呪われるだけでなく力も奪われているのだとそれでわかった。

 このまま時間が過ぎるのを待っていてはなにもできなくなってしまう。だがなんとかしたくとも最近は霊力確かな人の子はこの周辺には近づいて土地神の声を聞いてはくれない。

 

 こうなるともう藁にもすがる気持ちになる。天はツシマを見放すのか?

 

 

 4頭の馬が影を乗せて北を目指し走り続けていた。

 草原を、山を、林をこえて休むことなく走り続ける。当然だがその途中では巡回中の蒙古軍と鉢合わせすることも何度もあった。

 

 とはいえ何かが起きたわけではない。

 彼らが気が付き、驚き、ひるんでいる間に馬たちは目の前を通り過ぎ。「逃がすな、追え!」とわめきだすころにはすでに草木の中に飛び込んで影の中へ姿を消していた。

 

 そんな何者も止めることのできない騎兵らの前に弱った土地神は突然出現する。

 お待ちを、その声はすでに弱弱しく。吹き抜ける風となった馬を止めるどころか、そんな声は聞こえもしなかったはずだった。

 

 しかし驚いたことに土地神の隣を通り過ぎた4騎は、初めて速度を落とすとくつわを返し。弱っている土地神の元へとゆっくりと戻ってくる。

 さすがに荒い息と興奮を見せる馬たちをあやつり、4人の冥人達は土地神を囲んで馬上から見下ろした。ものものしい声の冥人・侍が彼らを代表して話しかけた。

 

『貴様、土地神か?』

「――左様でございます。このような力はいらぬ声で聞き苦しいかもしれませんが。どうかお許しを」

『その様子。なにかあったのだな?』

「よくぞ聞いてくださいました。この地に呪いを巻きちらす術がかけられております。その力はあまりに強く、わずかに数日だけでほれ、この通り」

 

 土地神がそう言って片手をあげれば、それは枯れ枝のようだ。

 冥人・弓取が横から口をはさむ。

 

『それほどまでに強い呪いならば、情報がいる』

「はい――とはいえ私が知ることは多くはありません。

 異国の軍はいくつもの呪いをかけました。ひとつは金田城のそばにある村。そこに塚を用意し、古の神々の力を集めておるようです」

『他には?』

「なにやら呪物を馬車に乗せて運ばせておるようです。これがとにかくひどい。

 ほとんど止まることなく道を歩き。するとたちまちのうちに瘴気がどこからともなく呼び寄せられ。土地が穢されてしまうのです」

『他は?』

「私が知るのはこれだけ。しかし妖気ますます濃くなっておりますれば、この後どうなるのか想像もできませぬ」

 

 土地神とて理解している。

 目の前に立つ冥人達は必ずしも彼の願いをかなえてくれる存在ではない、と。

 しかしこうして話を聞き。土地神の話が終わると彼らは互いに視線を交わして相談を始める。

 

『どうする?』

『ワシは村へ』

 

 牢人の問いに侍が簡潔に答えると、つづいて『では私も』と弓取が続く。

 

 もはや目の前の土地神から聞き出すことはないということなのだろう。まるで存在しないかのような扱いだ。

 冥人たちが2手に分かれて再び走り出すと、土地神はその背後に頭を下げて彼らの武運を祈る。もはやツシマを救えるのは彼らしかいないのかもしれない。

 

 

――――――――――

 

 

 術師の要請を受け、蒙古軍はとらえた捕虜の中から少年少女たちをわけると一か所に集めた。

 並べられた牢の中には数人が放り込まれ、そのうち空きもなくなった。彼らの怯えた目が牢の中から外に向けられるが。こうなるともはや彼らの命運は尽きたも同然。

 

 汚れるから。いや、威圧もあるのだろう。

 鍛え上げられた筋肉を誇示し、血に汚れた山刀を手にした獄卒らが数日ぶりに牢の前へと集まってくる。それにひきよせられるように暇を持て余している兵士たちが子供らの死にざまを見学しに集まる……。

 

 戦場で味わう勝利と敗北の恐怖と興奮は、人の感覚を簡単に破壊する。

 おおよそ目をそむけたくなる残虐非道な行為も。流れる血と死に酔った彼らには暇つぶしでしかなくなる。

 

 竹の牢の錠をはずされ、中に放り込まれていた両手を拘束された子供たちを無理やりに引きずり出す。これから何が起こるのか察した子供らの悲鳴と泣き声がさらに大きなものとなり、見物人たちからは歓声が上がる。

 

 ここからが本番だ!

 

 獄卒達は子供を仕留めてきた獣と同じように両手を拘束したまま鉤爪に釣る。続いて刃を焼いた山刀を手にし、その薄い胸板に突き立て。胸を裂いて小さな心の臓をわしづかみ、ひきずりだす。

 

 逃れられぬ死を目の前にすると、時には強くこれに立ち向かおうとする子供もいる。

 彼らは唇をかんで泣くまい、叫ぶまい。己を殺す奴らから目をそらすまいとにらみつけているが。そういう生意気な態度を見せられると見物人たちは怒り出し。泣かそうと石を投げ、桶の水をぶちまけて笑いものにする。それでも態度を変えないなら、罵声を浴びせて絶命させろとはやし立てる――。

 

 この日、あの黄金寺の哀れな母の哀れな兄弟が牢の中にいた。

 彼らの最後がどんな様子であったかは知らないが、獄卒達は今その日も半日かからず無事に仕事を終えた。新鮮さを示すようにまだヒクヒクと震える心臓の詰まった箱を閉じると、彼らはそれを術者の元へと送る準備をする。

 

 

 金田の城のそばにあったその村は小さく。

 また蒙古軍は城を落とすとすぐにここへ兵を送り、焼き討ちをおこなった。

 しかしそんな場所に今は再び兵士が送られ、石で積み上げられた塚を理由も知らされずに守らされていた。

 

 しかし時間がたつにつれ、彼らの表情と体調に変化が生まれ始める。

 表情には感情がうすくなり、反して体調はよくなっていく気がするのだ。日本の古の神々を石塚に封じるばかりか、そこから力を奪って兵士に分け与えた成果が表れだしているのだ。

 さらにこの状況が維持されるとわかれば、石塚はさらにツシマに作られていくことになるだろう。

 

 そこに侍と弓取がいきなり馬に乗って飛び込んできた!

 彼らは馬上よりさらに高く宙に飛び上がると、蒙古兵の頭上へとそれぞれが抜き放った刀を振り下ろしていく。

 

 村は大騒ぎとなった。

 

 血風舞い、裂帛の気合いが折り重なるようにいくつも放たれる。

 外道の術の影響を受け、超兵士へと進化の途中にある蒙古兵達はこれまで冥人達が相手にしたことのない精兵たちばかりである。

 

 刃が肩口からざっくりと胸板まで裂いたとしても。蒙古兵の目にある光は失われず。驚くことに素手で刃をつかみにいって動きを封じようとさえしてくる。

 

 しかし冥人とは生者にあらず。

 あきらめを忘れた蒙古兵を相手に気圧されることは一切なく。侍は脇差を抜いて、弓取は刀をはなすと弓を手にし。次の獲物を探して視線を動かす。

 

「敵だっ、敵の襲撃だ!」

「死ねい。すぐに死ねい!」

 

 理解できぬ異国の言葉はに反し。冥人達の殺し方は徐々に正気を失うレベルへと跳ね上がっていく。

 首を落とす。腕を落としてから胴を貫く。引き絞られた呪いの矢は、放たれると矢じりに火をともし。その矢に貫かれた蒙古兵は驚くほど勢いよく炎上をはじめ、のたうち回りながら絶命した。

 

 激戦は続くが、時は過ぎ、太陽は西に向かい夜の時間が近づいていた。

 

 

 2人の術者が自分たちが用意した封印の石塚のある村に異物が突入したことを感じた。

 とはいえそれでオタオタと新たに動くことはなく、時を待つことでどのような結果になるのかを見定めようとする。

 

――まだ倒せないだと!?遅い、あまりにも遅い!

 

 当然だが現地の戦況までは彼らでもわからない。しかし時がたち、太陽が動き続けるのに異物の存在も、村に平穏が戻ったと思えない。

 

 ゆえに古寺の中、彼らの目の前で裸にされ眠っている巫女に対し。呪いの術をかけ続ける彼らの集中力を高め、祝詞にも力がはいる。

 

 

 村はついに夜を迎えたが、明かりを必要として火がたかれることはなく。暗闇の中に沈んでいる。

 

 封印の力を得た敵は簡単には死なぬ――。

 首を落としてもなお歩こうとすれば躊躇なく片足まで切り飛ばして倒し。首元を矢に貫かれても、まだよろめくだけならば弓取は容赦なく二の矢で目を貫き。続く三の矢で胸板まで貫くことを躊躇わなかった。

 

 大地を流れる血は地面を泥に変え、蒙古兵の流した血と苦痛と恐怖は。たちこめる瘴気の霧を薄めず、それどころか霧の中で新た魍魎を生み出したのかもしれない。不気味な囁き声を生み出していた。

 

 村の兵力もついに指揮官が率いる10名のみ。これほどまで力を得ても蒙古兵たちは冥人達をひとりも倒すことはかなわなかった。

 

――喰らえィ、八幡の怒り!

 

 激しい戦いの中。血刀を鞘に戻し、叫ぶ侍は奥義を炸裂させる。

 抜いては戻すを繰り返す神速の抜刀5連撃。

 

 どれも必殺の一撃であった。だがそうであっても死にぞこなうのが超兵士の不幸というべきか。

 もはや再び立ち上がって戦うことはできないが。それでも死ねぬと必死で地面を這っいあらぬ方向を目指す――戦場に背を向けて逃げ出そうとしているのか。それとも隠れてまだ生き永らえようと考えたのか。

 

 しかしそんな希望はない。

 

 指揮官は盾と剣を構えたが。冥人達は当然のように前後に挟みにいき、容赦なく斬りかかる。

 武士は誉れがゆえに口にする。卑怯、卑劣は冥人達には通じない。生きていればただこれを斬りにいき、息絶える瞬間まで攻撃するのを許しはしない。それが冥人、死よりよみがえった戦士たちなのだ。

 

 

 ついに指揮官は冥人によって両腕と首を失って倒れると、冥人達は封印の石塚の前に立つ。ようやく決着の瞬間が来たのである。

 侍はただ感動もなく『これか』とだけ口にし。弓取は同意を示すように鼻を鳴らす。

 

 超兵士を生み出さんとした元軍の目論見は冥人の手により叩き潰されようとしていた。

 

 2人の刀が同時に振り上げられたが――しかし悪夢の夜はまだ始まったばかり。

 

 

――――――――――

 

 

 封印を打ち破ると2人の冥人はすぐに村はずれへと向かう。

 戦いの最中、彼らの目の中に飛び込んだその場所には気になることがあった。それを無視できなかった。

 

 目の優れた弓取はしゃがむと荷馬車が残した車輪の形跡がある土をなでる。

 手のひらからはっきりと妖気を感じることができた。土地神が怯え、嫌っていた呪いをまきちらす馬車はこれに違いない。

 

『しかしこの禍々しさ。気になる』

 

 彼女の言葉に侍はぼそりとつぶやく。

 

『そもそも匂いが気にいらん。これは以前も嗅いだ記憶がある。幼き子の、躯の匂い』

 

 あの痩せた土地神は言っていた。

 異邦人たちは呪物を運ばせ、土地を穢す。冥人達はついにその正体をつかみはしたが、そこから導き出される悲劇の結末の予感に無言となってしまう。幼き兄弟の哀れな運命を察したか。

 

 

 蒙古に捕らわれた草太は運がよかったのだろうと自分でも思う。

 奴らが何を命じているのかもわからなかったが。こづかれ、突き飛ばされ、殴られたり蹴られたりもしたけれどまだ生きている。

 

 そして不気味な血と腐臭の混じった荷物を運ぶ馬のくつわを手に今は歩いていた。

 

 牢の中から引きずり出されたときは「これでもうオシマイだ」と覚悟もしたが。待っていたのはそれよりもさらにひどい地獄だと誰が想像できたであろうか?

 それにたったひとつの荷物を乗せた馬車のまわりにはやけに多くの兵士たちが守るようにして歩いている。なにやら大切なものらしいが、その悪臭には草太はさっさと放り出したくて仕方がない。もちろんそんなことはできないが。

 

――最悪だ。最悪だ、なんて匂いだよ

 

 荷物が何か蒙古兵は教えてくれないが。正直な話、知りたくもない。

 なにかまともなものなわけがない。口を曲げ、よろめきながらもなんとか前へ前へと歩くことに集中する。

 

 普通に考えれば自分の周囲にいる蒙古兵達も同じように、この悪臭に耐えられぬと愚痴のひとつも口にすると思うのだが。異国の住人だからなのであろうか。

 誰も何も口にせず、それどころか何も感じていないようで。草太とちがってしゃっきりと背筋を伸ばし、周囲に近づく者はいないか警戒を続けている。

 

 太陽が沈み、夜が来てもこの部隊は足を止めない。

 わずかな時間だけ立ち止まり、わずかな飯と水を口にすると再び歩き出す。元軍の陣と陣の間をこの調子で渡り歩くことを強制されているようだ。

 

 そういえば不思議と草太の足も常に一定のリズムを刻むように止まることなく動き続けた。疲れを感じても、眠さに瞼が半分閉じたとしても。

 遠くで雲の中に光の竜がうねり、雷の不気味な音が聞こえた。道の片側に赤い花の生い茂る野原があった――。

 

 

 馬に乗った冥人達の青く燃える目が輝きを増した。

 

 冥人・刺客は自然と片手は腰の刀の柄に。冥人・牢人は逆に片手を口元にやるとゴニョゴニョと呪いを呟く。すると獣の遠吠えがどこからか聞こえる。

 続いて馬の後ろ。草むらのあちらからこちらから。冥人達と同じくあの世へ旅立っていったはずの戦場犬たちが、血も肉も、毛皮も牙も爪もないが。霊体を維持することで地上に顕現してみせた。

 

 一匹、二匹、三匹、四匹――。

 

 牢人は呪いを止めると、散っ!と声を放つ。

 霊体の犬たちは馬を追い抜き、さらにさらに前へ走っていく。そうして牢人もまた、己の刀の柄に片手を置いた。

 

 

 襲撃はいつものように突然に。

 まずは先陣として4本の矢となり、霊体の犬たちは草むらから飛び出して宙を飛び。蒙古兵達に噛みついていく。

 

「来たァ!」

 

 草太はたまらずに悲鳴を上げ。地震でもないのに頭を抱えて体を丸めた。

 

 猛る馬の鼻息がしたと思うと遅れて冥人達は草むらから飛び出してきた。両手に刀を逆手に握る刺客は蒙古兵のひとりの上に馬の背から飛びつくようにして押し倒し。勢いをかりて喉と胸板の両方を一気に貫く。

 牢人は巨大な体格の盾兵を切り刻まんとするも。こちらは逆にタフさを発揮し、大きな盾を簡単に振り回して牢人の体を突き飛ばしてきた。

 

『……っ!?』

 

 冥人・刺客には驚きがみえる。

 まさか己の攻撃をはじき返されるとは思っていなかったようだが。さすがにそれ舐めすぎだ。蒙古兵は決して弱くはないのだ。

 

 だが本当の驚きはそのあとに待っていた。これは悪夢だったのか!?

 刺客の容赦ない攻撃は兵士に致命傷を与えたはずなのに。喉を貫かれて空いた穴を兵士は片手でふさぎ。胸板からも血を溢れさせていてもそちらは構わず。蒙古兵は空いた片手で己の剣を抜き。戦う姿勢を見せてきたのだ。

 

――敵襲!構えろ、押しつぶせ!

 

 部隊には檄が飛び、弓兵たちはいきなり神速の冴えわたる連射を見せ。冥人達の動きを止めようとする。

 襲撃を受けながら兵士たちの戦意も集中力も高く、いまだ荷を守らんと馬車を守ることをやめようとしていない。

 

 牢人に召喚された霊体の犬たちの悲鳴がそこかしこであがりはじめた。

 最初こそ噛みつかれ、引きずり回されようとしていた蒙古兵であったが。体勢を立て直すと霊犬を恐れず攻撃し、犬たちは再び戦場で悲痛な声をあげると地上から消えていく。

 

 これはたやすくはない相手である。

 

 牢人は片手で首元をなで、刺客は首を回してから武器を構えなおす。

 覚悟は決まった。今宵、この場所で始まる殺戮劇はおそらく正視にたえぬ残酷なものとなるだろう。

 

 

――――――――――

 

 

 戦闘が開始して5時間が経過した。

 封印の塚を破壊して村を立ち去った冥人達は再び騎乗の人となり、ツシマの夜の下を走り続けていた。

 

『あちらも様子がおかしい』

『――急いだほうがよかろう』

 

 目に見えぬ力は、終わることなく続いている力の衝突を彼らに伝えてきていた。

 

 詳しい現地での状況はわからなかったが。仲間たちが戦い続けていることはわかっていた。

 村ではなにか術の影響を受けたらしい兵士たちを相手にした冥人達だ。仲間達もおそらくはやっかいな蒙古兵に苦しめられているかもと考えるのは自然なことである。

 

 弓取は手綱から両手をはなすと背中の長弓をにぎり。侍はそのまま手綱を握り続け前にでていく。

 

 赤い花の野原を抜けると、道に広がる地獄の中へと彼らは躊躇うことなく飛び込んだ。

 馬車に届く前に馬たちは即座に蒙古の武器に斬り刻まれ血と肉となり、地面の上を転がったが。乗っていた2人の冥人は宙へと飛びあがることで難を逃れていた。

 

 弓取は矢をてにして、地上に向けて放ち。着地と同時にすでにその指には2本目の矢が。

 蒙古達を、馬車を飛び越えて着地を果たすと冥人・侍は悠然と刀を抜く。

 

『苦労しているようだな』

 

 周囲を見回し弓取がそう言えば、刺客はフンと鼻を鳴らして暗にそれを認め。

 

『まだ仕事中というだけよ』

 

 と牢人は返す。

 だが荷馬車の周囲には異様な光景が広がっていた。

 

 蒙古兵の殆どは、すでに5体の揃わぬ屍にしか見えないのに。武器を手放さず、鎧は壊れ崩れかかっても気にしない。

 五体のどこかを斬り落とされ、失っても痛みに苦しむ様子はない。ついには傷口より流れ落ちる血は枯れ果て、乾いてきているのに正規の失った肌の色のまま死人のようでも戦うことをやめようとしない。

 

 もはや彼らは蒙古の兵にあらず。なり。

 死ぬことを忘れ、戦うことをやめられない。さらに狂っているのはそんな味方が隣に立つというのに、それが当然として冥人達を敵とする生きた蒙古兵達の戦意も衰えていない。

 

『ただ斬るだけでは死なぬのか』

『体を刻んでも、奴らの動きは止められぬ』

 

 死の国より戻った冥人もついに死ぬことを忘れた蒙古兵を相手では恐怖を感じるのか!?

 

『荷の中は、集めた子の心臓らしきものが詰められておった。どうやらそれを呪物に変えたらしい』

『……土地を穢すのはそのせいか』

『おそらくはその中に――女の息子らもまざっているやもしれん』

 

 我が子の無事を願い、嘆いていた黄金寺の女の声が思い出された。

 冥人の手で箱を閉じるふたが殴り壊され、その中に見えるのはなぜか動くのをやめない小さな心臓たち。大陸に伝わる呪いの産物であることは明らかであった。

 

 神速の動きを見せた冥人達でも間に合わなかったのだ。この呪いはここで止められるかもしれないが、失った子供らの命を取り戻すことはもうかなわない――。

 

 その現実をそれぞれが噛みしめる、と腹の底に黒い炎が燃え上がり。怒りが力を新たに引き出してくれる。

 

 それでもこの呪いは破壊せねばならぬ。

 これより先のツシマのために。大地を穢す呪物の存在を許してはならぬのだ。

 

――で、あるならば。

 

 冥人・侍は楽しげに口を開く。

 

『ただ殺すしか無かろうよ。ただただ我らで殺しつくすのみ』

 

 斬って斬っては動きを止めるまで斬り続け。

 こちらが動けなくなって殺されるまで殺すしか、なし。

 

 4人の不気味に不敵な低い笑い声が戦場に流れた。

 もはや何がおころうとも驚きはいらない。一心不乱、ただそれだけで結果を出すのみ。

 

 

―――――――――― 

 

 

 翌朝、朝日が地平線からのぼる中。

 2人の術師は疲れ果てた顔で寺からよろめきながら出てくると、境内に座り込むとぼうとそれをながめた。

 しばらく沈黙は続く。

 

「どうにか間に合った」

「ああ、危ないところだった」

 

 昨夜、彼らが用意した2つの罠が食い破られてしまった。

 どちらも簡単ではない恐るべき呪法をほどこした罠であったはずなのだが。正体不明の敵はそのどちらをも一晩で打ち破って見せた。おかげで彼らのたくらみは危うく破綻する危険にさらされた。

 

 しかしギリギリで彼らは負けなかった。狂った巫女の中へ魔人をおろすことに成功し。今、”彼女”は寺の中でまだ静かな眠りについている。この眠りは封印に等しく、術師たちの力がなければ目覚めることはない。

 

「いつ起こす?」

「……我らがまず眠って、飯をくったあとだ」

「その必要があるのか?」

「あれの中にあるのは人ではない。鬼だ、化け物だ。我らが疲れ果てた姿で出会えば、弱いとみて逆らうやもしれん」

 

 力ある鬼であることから支配することは難しいが。

 目的が一緒であることを利用することが肝要なのだ。だからこそ最初の印象を重要と考えなければならない。

 

「我らが力を合わせ、奴の憎悪をあおり。ツシマの地に災いを呼び寄せる」

「ああ」

 

 再び沈黙が続くが互いに同じことを考えていた。

 

――あれは人ではなかった。

 

 蒙古の超兵士を打ち破り。続けて死なぬ兵士をも倒した。

 そんなことを一晩でやり遂げるなどという方法、生きた人に可能ではない。将軍クトゥン・ハーンはこの島国に到着していきなり恐るべき敵に目をつけられてしまったのだ。



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政子と石川 Ⅰ

次回は水か木曜日に投稿予定。


 今、やれることはすべてやった。

 仁は政子の隣に立ち、こと切れた遺体の前でため息をつきながら刃の血をぬぐい刀を収める。

 

 思いもよらないことであったが。

 安達家襲撃の計画は想像をこえて用意された恐ろしいものであったことがわかってきたものの、同時に混乱する今のツシマの中では解決に至る情報を全て手に入れることは難しいことも分かってきた。当面は情報を整理し、新たな展開があることを期待するしかなさそうだ。

 

「仁、ここまで付き合ってくれて感謝する――この先は情報を求めるさ。知り合いを頼るつもりだ」

「わかりました。ではなにかわかりましたら、お知らせを」

 

 境井 仁は安達 政子にこの先も必ず手助けすることを暗に伝えたが。実際は情緒不安定な政子への不安から申し出たというのが真実なのかもしれない。気性の激しい政子の憎悪は想像以上に危険で、敵を前にしたとたん。憎悪の炎に簡単に飲み込まれてしまい。肝を冷やしたのはここまで1度や2度ではない。

 

 政子は何も言わなかったが、かわりに質問してきた。

 

「おぬしはどうする?」

「さらに南へ。叔父上救出にはさらに多くの合力をもとめなくてはなりませぬので」

「そうか。そうだな――」

 

 そう答えながら政子は顔をあげるとそこには再び悩みをかかえた表情があった。

 

「境井、私の夫……我が子らの情報は本当に何もないのだろうか?」

「――まえにも申し上げましたが、乱戦でしたので詳しいことはなにも」

 

 政子の夫は敵将の手で焼き殺され、その息子たちは自分や志村に続いて共に突撃したことは間違いない。

 だが小茂田の浜から生きて戻ったという兵をこの時の境井はまだ誰も知らないし、見てもいない――。

 

「政子殿?」

「私は――私は小茂田の浜へ向かおうと思っている」

 

 境井は政子の言葉に絶句する。

 

 クトゥン・ハーンによって手配を受けている境井は知っている。このツシマで今、南から北上するということは命がけの行為に等しいということを。

 

 だが仁が彼女を止めることは不可能だろう。ならば――。

 

「では……では約束してください」

「ん?」

「必ず黄金寺で数日、しっかりと体を休み。新たな情報を手にすることに集中すると」

「なんだ、別れるとなると途端に私を老人扱いするのか?」

 

 政子は笑うが、仁は真剣な顔で首を横に振る。

 

「政子殿、安達家襲撃の計画はいまだ全貌が見えてきません。まずはお味方を増やし、仇を取るべく準備が必要」

「なるほどな。お前をまねろ、そういうことか」

「それもありますが――小茂田の浜は今もまだ危険な場所のはず。近づけば蒙古の兵の目をかいくぐることは難しいでしょう。なればこそ体調を万全にし、細心の注意をもたねば……」

「たどり着くことはできない、か」

 

 静かにうなずき、肯定する。

 政子であれば剣の腕は心配ないが、まずは己を大切にしてもらいたかった。

 

「ゲスな裏切り者は皆、斬り捨てました。これで黒幕は政子殿が生き延び、自分を探していることを知るはずです。それには時間が必要。相手は恐怖にかられ、次に動き出すときが我らも動く時。あせらず、生き延びなくては」

「よくわかった。お前の助言に従うことにする」

 

 約束してくれた。これならおそらくは大丈夫だろう。

 ではまた、短く別れを口にして。境井 仁は再びツシマの南へ馬を走らせた。

 

 

――――――――――

 

 

 蒙古の軍が攻撃を――報復を受けたようだ。

 

 四つ辻にもうけた関は、日吉を落とすための前哨基地であり。日吉に逃げこもうとする島民をとらえる場所としてクトゥン・ハーンは素早く設置させた要所であった。

 それが今朝、連絡が取れなくなったらしい。

 関に兵の姿はなく、しかし尋常ではない血が流れた形跡が残っていたとか。

 

 なにがおきたか、想像はつく――。

 

 部下はさっそくあの術師たちを連れて来いと言われると思ったが。将軍はしばらく無言の後、外に出るので部下を集めろとつぶやくように命じる。

 

「外へ?」

「女に会う」

 

 能のない者たちはそれを聞いて戦での不満を解消するべく。将軍は女の体を求めるのか、と考えたが。将軍のそばにつく有能な将兵たちは己の上司のことはよくわかっていたのでそうは受け取らなかった。

 

 フビライの血を受け継ぐクトゥン・ハーンはそのような小さな男では決してない。

 勝利のためにすべてに貪欲であろうとし。ゆえに小さな負けに乱された感情を欲望で解消する、そんなことは必要としない。そもそもこの時期に女を抱けば研ぎ澄まされる感情が乱され非情になり切れなくなると考える人だ。

 

 そしてその通り。

 クトゥン将軍は金田城を出るとそのまま北部の海岸線を進み、見えてくるのは日本の見張り台。

 

 ここにいる部隊は小茂田の戦のあと、再編する形で作られた新しい部隊で。ここ数日は新たな指揮官の元で訓練を行っていた。将軍はそこの到着するとすぐに迎えにあらわれた兵士に指揮官を呼べとだけ命令する。

 

 そして案内されたゲルの中に入って座ると、数分と待たずにひとりの日本の女がそこに入ってきた。クトゥン・ハーンの前にひざをつく。

 この部隊が特別な理由のひとつは。指揮官がこの裏切り者の女である、ということだろう。

 

「――お前とは初めて会う。クトゥン・ハーンだ」

 

 女は将軍と視線を合わせない。

 狡猾な女だ。またなにか秘めた決意も抱えているが、それを他人に読まれることを嫌うのか。一瞥して将軍はそこまで女の心を見抜いた。

 

 普通であれば顔をあげさせ、服従を求めるべきだが。今回はやらなかった。

 部下はこの女の技量を認めたが。目の前にいるこの女は戦士というよりも、己の美貌を自分に見せていると感じていた。将軍を前にして己の武ではなく美貌で関心を買おうとするとは――真の勇者のすることではない。

 

「お前の話は聞いた。そして部隊も与えた、さっそく働いてもらうぞ」

「――ですがまだ訓練が足りません。将軍が望まれる結果をだせるか確実なお約束は……」

 

 脇に控える部下たちから危険な視線が女に向けられる。将軍が合図を出せば剣を抜いてすぐにも飛び掛かったであろうが、将軍はそんなことはしなかった。

 

 冥人達の攻撃は思った以上に将軍を困らせていた。

 兵を失うのは当然だが、なによりそれを率いる指揮官までも命を失っているのが厳しい。

 有能な指揮官は己の命を無駄にしない。部下を捨て駒にしても逃げ延びて、それゆえに情報を持ち帰る。だがここまでのところ一方的に全滅が続くのは異常事態といえる。

 

 それについてはすでに対処はしてあるが。

 日吉への攻撃に己の信じる部下を送り出すのは避けたかった。そこで思いついたのがこの女である。

 

 四つ辻の関が失われた以上、日吉への攻撃は簡単ではなくなった。

 だが日吉は金田城の近く。そこで島民たちが湯につかり、傷を治さんとのうのうと過ごしていては手抜かりというものだ。放っておくわけにはいかない。

 

「名前は確か……巴だったな」

「はい、将軍」

「お前の話はすべて聞いた。だからお前にやってもらう。部隊はそのために与えた、わかるな?」

「はい」

「お前の師、石川を殺せ。できるな?」

「――はい」

「ならば日吉を落としてこいlすぐにむかえ」

 

 伝えたいことは伝えた、言い終わると返事も聞かず。将軍は立ち上がり、そのまま馬に乗って金田城へと帰って行ってしまった。

 

 巴と呼ばれた女は、ひとつため息をつくと弓を手にし。まだ付き合いの浅い部下たちに出陣の下知を下す。

 元軍はたしかに勇猛であり貪欲な狼といえるが。それだけに洗練さが足りない。

 この部隊であの石川を”今度こそ”討てるだろうか?

 

 

 日吉に住む石川はかつて弓で知られた長尾家に仕え、伝説の弓取、長尾忠頼の再来とまでいわれた人物である。

 しかしそんな彼も、長尾の家を出。小茂田の浜にも参戦しなかった。

 生き残ることは難しいことを増やしてしまうものらしい――。

 

 石川の屋敷に日吉の湯屋のおやじが真っ青な顔で卒倒しそうな勢いで駆け込んできたのもそのひとつだ。

 

「先生っ、石川先生!大変だ、まずいことになった」

「なんだ!?こっちは忙しい――」

 

 先日の弟子である巴の襲撃で、滅茶苦茶になっていた己の道場をようやくのこと掃除を始めたばかりの石川はあっというまに不機嫌な顔になる。

 

 かくいう湯屋のおやじも、石川のいう”掃除”の意味を理解し。2度驚いて裏返るように腰を抜かす。

 

「血、血じゃないですかっ!」

「そうだ。ほかに何だというんだ」

「どなたので?まさか石川先生がっ!?」

「もちろんワシがやった。数日前に蒙古の奴らが挨拶に来てな、弓矢を馳走してやったのよ」

 

 実際は完全武装の暗殺者に襲われたと最初は思い。自宅にこもって再襲撃を待ち構えた。

 敵は再び姿を現さなかったが。その理由が己の弟子であった巴だと確信する羽目になった。いや、楽しい話ではないし。そもそもまったく別の話だ。

 

「それよりおやじ、何を騒いでる。暇なら手伝いをよこして――」

「石川先生!それどころじゃないんです。四つ辻に関を築いた蒙古軍が殺されちまったんですよ!」

 

 石川は人の血に汚れた雑巾の手を止めた。

 顔をあげ、疑問から眉を跳ね上げて湯屋のおやじの顔をみつめる。

 敵が死んだのならそりゃ大いに結構なことではないのか?それを大変だと騒ぐとは、さてはて最近は元軍に己をゆだねたい裏切り者が増えてしまったのだろうか?

 

 蒙古軍は上陸を果たし、金田城を落とすと当然ながらまず周囲の村々が襲われた。

 流人や農民たちは逃げ惑い。そして逃げ込んできたのがこの日吉である。

 

 ここは温泉地である上、地形の起伏も激しい要害の地だと優秀な賞であればすぐにわかる。

 だからこそ敵はここをあえてさけることで人々を追い込みつつ、時が来れば押しつぶしてやろうと周囲を取り囲んで時を稼いでいるのだ。

 

 湯屋のおやじは両膝をつくと神妙な顔で事情を語り始めた。

 

 日吉の民だって侍ではないが、今がどんな状況なのかくらいはわかっていた。

 なので若く、すばしっこい若者たちを選別し。毎日、不定期の時間に日吉を囲む元軍の陣の様子を見に行かせていたのだという。

 

――ほう、感心なことだ。

 

 村には大して興味を持たぬ石川は妙なことで感心する。

 

 それが今朝、事情が一変した。

 日吉の西に配置された四つ辻の関に近づいた和歌集たちは、いつものように馬鹿笑いする兵士の声も。朝飯前の良いにおいを漂わせ、立ちのぼる火の手もなく。そもそもいつもなら絶対にしないくらいに近づいてもしわぶきひとつ聞こえないことに恐れを感じた。

 

 兵士たちが誰もいない――。

 あったのは大量の血を吸ったらしい地面の痕跡と、無念さを感じさせる地面に突き立つ見事な飾りのついた刀。からになった馬小屋。

 

 若衆の報告を最初は日吉の民は喜びで迎えた。

 もしや小茂田の浜で生き残ったお侍がいたのかもしれぬ。いや、あの長尾の弓術指南だった石川先生がやってくださったのかも!

 

 無邪気な彼らの喜びをぶち壊したのは、彼らの中にいた冷静な知恵を持つ若者の言葉であった。

 

――皆、なにがそんなにめでたいんだ?

――この日吉がついに終わるかもしれないってこの時にさ

 

 最初はみな、この若者をへそ曲がりめと笑っていたが。

 冷静に事実を整理していく若者の言葉をかみしめると、そのすべてが確かに良いものではないかもと思うようになってきた。

 

 曰く……。

 

 ひとつ、蒙古軍が関を撤退する理由はないし。戦った形跡があるなら襲撃を受けたのは間違いない。

 ひとつ、石川がやったのならそれは日吉に報告があったはず。なら誰がやった?誰もそれを知らない。

 ひとつ、騎兵を得意とする蒙古の関に馬がいなかったということは連れ出された可能性が高い。彼らはすでに日吉から離れ、遠くに行ってしまったのだろう。

 ひとつ、では蒙古軍はこの事件をどう考える?誰が犯人だと思う?

 

 答えはただひとつ。

 敵が日吉を叩き潰す理由がいくつもふえたという結果しかない。

 

 石川の口元に笑みが浮かぶ。

 知恵者とはどこにでも一応はいるものらしい。

 

「たしかにそやつの考えには同意するな。さすがのワシでも日吉を囲む敵陣をひとりでどうにかはせんよ」

「そしてすでに先生のところに蒙古の兵は来ていたのですね――」

 

 ああ、まぁな。

 それはそれで別の話が絡むのだが、石川は言葉を濁した。

 それよりも問題はこれからの日吉である。蒙古軍が選ぶ方法としてはふたつ。

 ひとつは残り3軍をもって日吉を大軍でおとしにかかる。これなら間違いなく日吉は落ちるが、向こうも犠牲が出るだろう。

 ならば――。

 

「石川先生っ」

「おそらくではあるが敵は動くだろう――困ったな、境井の奴を行かせるのではなかったなぁ」

 

 湯屋のおやじはなにをいっているのかわからずきょとんとした顔をしているが。石川は顎髭をさすり、魔の悪さを嘆いていた。

 

 先日の襲撃が己の弟子であった巴が蒙古に寝返ったと知った時。

 たまたまそれに巻き込んだ若武者を石川は”自分の都合”だけで”新しい弟子”にしてやったのだ。

 

 その若武者は――仁は敵に捕らわれた領主の志村救出を願っており。

 石川は己の腕と知恵を貸すことで、巴の問題に巻き込むことに成功した。安達家を守っている政子をはじめとした女衆、そして牢人組織の菅笠衆。

 

 彼らに接触しようと仁は今、ツシマを南へとむかっているはず……。

 

「これは少しばかり骨が折れるかもしれんなぁ」

「?」

 

 石川のこの言葉の本意を知れば、湯屋のおやじはきっと仰天したであろう。

 彼は巴が新たな部隊を率い、この日吉に攻め込むかもしれぬと考え。”あえて”日吉を餌にしようかとたくらんでいたのである。



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日吉の怪異

みんな大好きクズ先生、大地に立つ。

次回は土曜日に投稿予定。


――あの女になぜ俺たちが

――仕方ない、将軍の命令だ

――だがあの女、兵士を率いる経験はないのだろう

 

 日本語ではない言葉でかわされ目の前でかわされ。男たちの考えを巴は正確に知ることはなかったが。その目に浮かぶ冷たい表情と侮蔑(ぶべつ)の色から何が言いたいのかはすぐにわかった。

 

(こいつら――)

 

 男のくせに、弓も刀も下手糞なくせに自分への要求だけは一丁前というわけか。

 与えられた部隊の練度(れんど)はひどいもので、童であってもできることがまるで出来ない。弓のまずいところを教えてやろうとしても素直に指示を聞こうともしないし、従わない。

 

 なのに将軍クトゥン・ハーンはこの兵で今すぐに日吉を落とせという。

 それならもっとマシな連中をよこせと言いたいところではあるが。巴はしょせんは捕虜となってからの投降者。ツシマの民の死体を積み上げて脅威と恐怖をまき散らす時期と考えている蒙古軍で、役立たずな日本人と判断されたら生きてはいられまい。

 

 とにかく日吉の攻略だ。

 巴はただひとり、ゲルの中で指で矢じりを遊びながら。どう兵を動かすかに集中する――。

 

 

 日吉は確かに要害の地であり、大軍をもって攻めるとなると余計な犠牲が出る面倒な土地だ。

 だからこそ失ってもいい投降者である巴が率いる部隊のみでなんとかしろ、という理屈なのだろう。

 

 日吉の集落にある出入口は蒙古に侵入させまいと見張りと壁を作るくらいのことはしてるはず。

 だがあそこにいるのは怪我人や流人、農民といった戦えないものばかりだ。中に入りさえすれば別に恐れる必要もない。問題があるとすれば蒙古があの地へ侵入した際、師である石川先生がどう動くか、だあろう。 

 

――あの老人はずっと自分に言ってきた。敵を己の下とみている、と。

 

 そして巴の知る石川先生ならば、自分が勝利するためならと蒙古兵たちをあえて日吉に引き込み。民らを斬らせることで疲れさせ、日吉の外から矢で攻撃を仕掛けてくるはず。

 この方法ならば高低差を生かし石川先生は常に敵と距離を取り、数的不利をくつがえせぬと判断すれば日吉を捨てて自分だけが逃げればいい。

 

 最も安全で、その戦いだけでも「長尾の元弓術師範はさすがのものよ」と噂話だけですべてを判断する侍というやつらは石川を賞賛するだろうし、本人もそうなるとわかっている――。

 

 だがもしそうしなかったら?

 あの石川先生が戦えぬ民らの前に立って自分を盾とし。蒙古兵を近づけさせるものかと堂々と戦おうとしてきたら?

 

――まさか、ね。

 

 あり得ぬ仮定を真剣に考え始める自分がいかにも滑稽で、巴は己をフンと鼻で笑った。

 

 

 とても皮肉な話ではあったが、不肖の弟子となってしまった巴が考える通り。

 石川は当初、日吉を己の盾にする作戦を半ば本気で考えていた――武士は戦場で働き、勝たねば意味がない。戦えぬ農民やけが人などが戦場で何の役に立つというのか。

 それが考えを変えた理由は、皮肉にも新しい弟子と決めた境井 仁の顔が頭をちらついたからだ。

 

 あれはこれまで見てきた侍のなかでもひときわ変わった男だった。

 

 名誉を重んじ、だからこそどんな侍にとっても手本になるからと鎌倉の将軍様に認めさせることで政治的な有利を保ち続けてきた領主の志村。

 その男の教えを額面通りに受け取って守ろうとしつつ、侍の本質である勝利のためなら手段を選ばぬという歪みをとんでもない考え方で打ち破ろうとしている仁――石川にしたらまだ抵抗はあるもののそんな柔軟さを見せる若侍の思考は。石川に新しい視点を与えていた。

 

 巴が敵に回ったとなればあいつは当然こちらがどう動くかを考える。

 いつものやり方をすればおそらく自分はもっともみじめな敗北を喫するだろう。

 

 だからこそ、だ。だからこそ石川が考え付く最も最悪のもの。

 下策の中でも飛び切り不愉快さを感じる下策。己が民の盾となり。日吉に一兵たりとも近づけさせぬという愚かな選択。死中に活を求める方法だ。

 これまでの人生ならば「あるものかよ、そんなもの」と鼻で笑っていたはずだ。これを実行すればおそらく自分は生きてはいられぬだろう。だが汚名にまみれた己の面目は保たれる。それに――。

 

「あの頑固者なら、ワシが死んでも願いをかなえてくれるだろうよ」

 

 巴という己が選んだ娘であり、弟子と定めた芸術品を自分の手で殺すことにやはり抵抗があった。

 もはや愛憎しか残らぬ師弟の関係となってしまったが――道義的に討たねばならないとしても、討ちたくない。この苦しみを”再び”味わうしかない己にも愛想が尽かせていた。

 

(やれやれ、わしも弟子から学ぶことがあるなどと考えるとはな。ついに耄碌(もうろく)したか)

 

 おそらく蒙古は日吉を襲撃するのに大軍を動かしはしないだろう。

 序盤で大勝利を手にし、この後にも戦は控えているのだ。そもそも大軍を動かすということは、思わぬ事故が発生する危険性が常について回るということ。歴史を見ても大軍の運用に失敗して敗北する間抜けな将は少なくないのだ。

 

 だからこそ日吉には小部隊――そこには間違いなく巴がいるはず。

 そしてアレが石川の教えを守るならば、”日吉に侵入しようとする兵”の中に巴はいないはず。

 

――ワシを己の手で始末できねば逃れられぬとでも思うておるのか、巴

 

 あの娘が己の師を読み誤ったと思ったらどう悔しがるであろうか。気味がいいし、なにより直接対決を避けられるというのも悪くないことかもしれない。その結果、己が死んだなら仁にはかわりに頑張ってもらおう。

 石川の顔に笑みが浮かび。頭はさえ、気持ちはいつもと違ってすっきりしていた。これは若返ったのか?たまにはこんな気分も悪くはない。

 

 

―――――――――――

 

 

 翌日、己の屋敷から日吉を見守る石川はふと森の一角から兵気(へいき)を感じた。

 本来ならば静かに木々の中を潜航することで敵に襲撃の時期を読み誤らせるはずが、肝心の兵たちが戦いの前に殺気立ってしまい。姿を隠しきることができてないのだ。

 

――兵を率いてきたのは巴だったか

 

 冷静に状況から推測しながらも、石川の口の中には苦いものがわいてくる。

 己の腕を売って将の位を手に入れたのだろうが、巴に戦い方を教えてもあいつは戦場での経験もなく。同胞を裏切る投降者で、なにより女だ。

 

 想像がつく――実力はあれど。石川の後ろ盾を失い。人としての信用も失墜している女に従う兵士はいない。ただただこのゲスと蔑まれ、それでも命令に従わせるには恐怖が必要となる。しかし巴は代償を嫌う、命令違反をする兵士をことさら残酷に八つ裂きにし。同じ目にあいたいのかと恐怖でしたがわせることはしないだろう。

 

 だがおかげで石川は有利な状況で敵を迎え撃つことができる。

 

 

 石川は走り出すと、蒙古の日吉への侵入ルートを想定する。

 崖を飛び降り、草原を駆け抜け。息をはずませながら、その途中で出会った日吉の住人らに声をかけていく。

 

「村に急いで戻れ!兵が近づいているぞ」「すぐに帰れ。そして男たちを集め、女子供を守らせろ!」「蒙古の軍が迫っているぞ!死にたいのかっ」

 

 女と老人たちは石川の言葉を理解すると、泡を食って逃げ出していく。

 おそらくこれで自分が倒れたとしても、日吉の民が皆殺しにされることはないだろう。

 

 

 森から日吉へと続くなだらかな斜面は、まさしくこの場所で暮らしていた巴でなければ気づかぬ道なき道。

 石川は背後に崖を置き。背水の陣をしいて己の役に立つものはないかと周囲を観察する。すると村の方角から騒がしくやってくる若者の一団がやってきた。

 

「なんだ!?お前たち、ここに何しに来た!!」

「石川先生!俺らも戦います、先生だけに任せませんよ」

 

 そうは言うが彼らは農民、手にしているのもほとんどが農具だし。刀を手にしていてもなまくらに決まっている。

 顔をしかめたが、彼らがつれてきた馬にひかせた荷馬車には興味がわいた。

 

「それは何だ?荷は!?」

「あ、ああ。これは例の四つ辻の蒙古の陣で――」

「では火薬か。火薬だな?さっさと答えろ」

「はいっ」

 

 これはいい。

 石川は斜面の途中を適当に指さすと、その辺において来いと命じる。

 続いて本当に戦うつもりなら近くの崖の岩場に身を隠しておけ。奴らが森から飛び出し、ワシに斬りかかった際に背後から襲え。できないなら村に帰れ。そう簡単に指示を出す。

 

 多くは期待していない。

 だが助けとなってくれるなら、せめて兵具が十分ではない彼らが無駄死にせぬようにしたかった。

 

 残り時間は多くはない。

 火薬を斜面に置くと馬は逃がし、恐怖で体を固まらせている日吉の若者たちは岩場の陰に隠れる。

 石川は用意していたかがり火に火をいれ、そこに火矢とするべく細工を施した鏑矢(かぶらや)を数本差す。あとは自慢の長弓を手に、仁王立ちとなってその時が来るのを待つ。いや、待ってやる。

 

 久しぶりの戦だ。存分に楽しむとしよう、武者震いが走る。

 おそらく昼間に火をいれられたかがり火と石川の姿を見たのだろう。森の中から突然怒号が湧き上がり、思った通り林の中から蒙古兵たちが武器を手に飛び出してきた!

 

「獲物を見て我慢しきれないか。まるで獣よなぁ」

 

 狙いを定めた石川の矢が飛ぶ――大量の火薬による爆発音が峡谷にこだました。

 

 

――――――――――

 

 

 兵士たちを先行させていた巴は、爆発音を森の中で聞いた。

 まず血が凍り、言葉を失った。おそらくは日吉の住人達が手に入れた火薬に火をつけたのだろうが……いきなり?

 

 脳裏に浮かんだのは自分のように石川が日吉の村人を指揮して対抗してきたのかも。

 だがすぐにその考えは捨てた。石川先生は侍だ、農民などに武器を持たせて戦わせるなど考えないし。戦えるはずもないと期待もしていない。

 

 そうなると――。

 石川先生が出てきて戦っている!?

 

 巴の脳が忙しく回転を始める。

 彼女の立てた策は失敗する可能性が出てきた。

 

 本当は日吉を蹂躙(じゅうりん)する兵を餌に、それを射殺さんとする石川先生を巴が自らの手で討ち果たそうと考えていた。

 だがその石川が日吉を救おうとして今、戦っているのなら。自分は間に合わない――師匠を殺す栄誉は部下に取られるか。もしくは石川の勝利を目にすごすごと己だけ撤退するか。

 

 唇をかんで悔しがるが、もう遅い。それに兵を見捨ててのただの撤退では将軍の怒りは避けられないだろう。

 ならばどうする、巴?

 

 彼女の背後を、昼間であるのに青い狐火がすうと横切るが。巴はそれに気が付かない。

 

 

 石川は人が人生で味わう深みと喜びを得るためにつがいを求め。子を作り、育てるさまを横で見て鼻で笑ってきた。かわりに彼はすべて弓の腕が上達することに賭けた。

 しかしそんな彼をみじめな老人にするのが。後継者を育てなかったこと……長尾家に仕えていた頃は、そんなものは弟子をとれば自然に”マシな奴”が出てくるものだと考えていた。

 

 だがそれは間違いだった。

 弓術師範を辞し、長尾家からも距離をとると。石川の後継者たりえる才能などいないのだと思い知らされた。弓を愛する長尾の家だからこそ石川の傲慢さは許されていただけ。

 他家の侍に下手糞な弓の腕を笑うと、笑われた相手は己は剣や槍を重視しているから、弓などそれほど気にしないと逆に笑いかえしてきた。ひどいのになると「弓も矢も値段が高い、それならばいっそ石を投げれば十分」とまで言い放つ間抜けまでいる。

 

 戦場で弓が必要になり。慌てて地面に転がる石の大きさを確かめながら拾い集める姿など、まさに滑稽の極みだと石川などは思うが。世の中の侍たちは違うらしい。

 

 

 だから才気あふれる幼い巴をみて己の娘とするため求めたのは、その間違いを正したかったからだ。

 

 

 石川は火矢でいきなり火薬を吹っ飛ばし、数人を宙に舞わせたのはざまァみろであったが。

 気を取り直した奴らが再び突撃を開始すると石川の不利が一気に鮮明となってくる。

 

 神速の弓で放たれる矢の数よりも、走ってくる敵の数が圧倒的に多いのだ。

 数分で奴らは石川を取り囲み。彼は弓を手放さなければならなくなる。そうなったらどれだけ戦えるのか。

 

 神技も筋肉の限界をはやくも超え、目測が徐々にはずれていく。

 ひとり一本必殺とはいかなくなる――。

 

 やはり日吉は助からぬのであろうか?

 

 

 大木の枝が揺れた――。

 風もなく、まるで枝にサルが飛びついて暴れるようにザワザワと葉が枝から落ちまいと騒いだのだ。

 

 続いて人影がそこから飛び出し、信じられぬ高さから地上を通り過ぎようとする蒙古兵の背を叩き潰しながらその体を刀で貫いてみせた。

 

(頬面?いや、狐の面だと!?)

 

 かつて巴が師への不満から狐の面をかぶって弓を引き、ふざけるなと自分が激怒した日が思い起こされた。

 巴が突如として正気を取り戻し、自分を守るために戻ってきたのかもとも考えた。儚い(はかない)希望だ、そいつは男で巴は女だったことを思い出す。

 

「助太刀感謝する!して、お主はどこの家のどなたかなっ?」

「……」

 

 狐面の男は無言のまま。石川には一瞥(いちべつ)もせず。立ち上がると脇差しも抜き、2刀を構えた。

 冥人の噂は巷に流れ、石川の耳にも入っていたはずだが。彼はそんな噂など信じてはいなかった。ゆえにこれが冥人のひとりとは全く思いもつかなかった。

 

 だが同時に自分と日吉を助けようとする男の背に奇妙な既視感を覚えてもいた。

 

 蒙古の兵は怒りと共に相手の正体など気にしないまま冥人・刺客に飛び掛かっていく。

 だがまったくその姿を捉え切れない。

 

 斬りかかれば地面を転がって距離を取られ。これを追えばくないを放ち、吹矢で迎撃してくる。ならば囲んで押しつぶそうとするが、2本の刀を侍のように器用に操り。蒙古兵はいなされ、かわされ、突き飛ばされ。そのすべてがまずい手だと気が付いた時には石川の矢によって急所を貫かれるという――。

 

 戦場を知るものでもなければ不可能であった2人の殺人芸の数々に、蒙古兵は振り回されながら倒されていった。

 

 

――――――――――

 

 

 小さな戦いは終わった。

 蒙古兵は死に絶え、日吉は守られ、そして石川は死ぬことなく。いや、大きな怪我もせず生き残ることができた。

 

――まるで夢を見ているようだな

 

 死に損なった蒙古兵の喉を貫く刺客の背を見つめながら、石川は肩の力を抜く。

 

「い、石川先生っ」

「ん?ああ、お前たちか。まぁ、見てのとおりよ。活躍の場はなかったな」

 

 というより、なくてよかった。

 あればおそらく彼らの半数以上は死んでいただろう。

 

「俺たち結局、ただ先生を隠れて見てただけで」

「よいよい。それでいいのだ。それだけ余裕があったということは、村も安全だったということよ」

「ところであのお方は、どなた様で?」

「あいつか――」

 

 刀の血をぬぐい鞘へ収めている怪人を石川は困ったもののように見つめる。

 達人であるがゆえに、刺客の動きにはどこか見覚えがある気がしてならない。というより己が決めた新しい弟子、境井 仁を思い出す。あの若者も相手の数を恐れることなく間合いを操り、恐れることなく撫で斬りしていた。

 

 だがそれではつじつまが合わないのだ。

 

 あの若者は志村の救出に執着し、再び仕掛けんと兵を集めるためにツシマを駆け回ると言い切った男だ。

 実際、石川からも言質を取るとさっさと立ち去ったことを思えば。彼が今、日吉に戻る理由はない。さらに言えば境井の家は仁しか残っていないということになっている。この謎、どうすればいいのだ?

 

 敵対する気のない相手を怒らせてもしょうがないとはいえ、正体を確かめぬというのも落ち着かない話だ。

 

「あっ、石川先生!」

「なんだっ」

「あそこ!誰か人がっ、それにお屋敷も」

 

 日吉の若者のひとりの声におもわずカッとなりかけた石川であったが、崖を見上げるとそこにある己の屋敷に確かに誰か人影がいるのを見た。

 

――巴だな

 

 あの姿、遠目からでもすぐにわかる。火を手にした巴が、確かに大声で自分のことを罵っていた。

 ここからでは追い付けんな。石川は素早く判断した。アレは恐らくは蒙古の兵を討っている自分を襲うつもりで動いていたのだろうが、それが叶わぬと知って違う手を考え付いたのだろう。

 

 その方法も簡単に想像がつく。

 巴の姿が消えるとすぐに煙が上がり、続いて屋敷は火に包まれていく。これ見よがしに屋敷に配置させていた長尾家の旗もまた焼き落ちていった

 

「石川先生っ!」

「うるさいわ。たかが屋敷がひとつ燃えただけの事よ。どうせ蒙古をたたき出した後にでも、お前たちにもっと立派な道場を作り直してもらうがな」

「……その時はお安く相談にのりますよ」

「なんだ金をとるのか。がめついのゥ」

 

 巴と屋敷のことはもうどうでもよくなっていたが、冥人・刺客の姿がこの短時間の間に消えていたことに気が付きまたまた石川は困惑する。

 さて、仁に再会した際。この話をどうやって聞かせ、アレはお前ではなかったのかとでも聞くしかないのだろうか。

 

 

 道場と自宅に念入りに火をかけると、巴はすぐさま走り出した。逃げ出したのだ。

 走りながらいつしか自分が涙を流していることに気が付く。忌々しい老人との生活などぶち壊してやると何度も思っていたはずなのに、裏切り者と呼ばれる立場になってようやくすべてを捨てられたはずが。そんな今の自分の姿が情けなくて、哀れすぎる気がして。すると涙が溢れてくるのだ。

 

 もう2度と戻るまいと飛び出したあの日の自分のように。巴は再び森の中を駆け抜けていった。

 

 

 狐火と共にいた狐がコーンと鳴くと、そこには青い炎のかわりに冥人・弓取がいた。

 続いて森の中からコーンと鳴き声がかえされると、冥人・刺客も姿を現した。

 

『見事な働きぶり。私の力は必要なかった』

『……』

『実は面白い女を見た。この姿となってもまだ人の情はわずかでも私の体の中には残っているらしい』

 

 弓取は誰のことを口にしたのか。はっきりとは言わない。

 

『それと私は戻れぬ。騒がしい音を聞いた、この目で確かめたい』

『……』

『いや、おそらくは大丈夫だろう。用が済めばまた合流する』

 

 2人の冥人は意思を確認しあったらしく。うなづきあうと次の瞬間には影となって消えてしまう。

 葉の間から木洩れ日は入るが、暗い森は静かなまま風が吹き抜ける。鳥の鳴き声はしても、人の声はもうしない。

 

 

 燃え尽きた己の自宅を見回すと、石川は何やら肩の荷がおりた気がして大きなため息を吐いた。

 この家を失ったことで、ついに巴との縁は完全に切れたのだろう。それを現実として感じたに違いない。

 

 彼もまたこれよりこの日吉をたち、ツシマのための戦いに身を投じることになる。その決心も付いた。

 

 次にあの消えた怪人のことを思い出し、再び眉を曲げる。

 見知った動き、助けた理由は不明。そしてあの姿。

 

 思い出さずにはいられない己の秘密をほじくり返された気がしてきたのだ。

 

 

 燃え尽きた屋敷からわずかに離れ、積み上げられた石垣の途中。

 そこで足を止めた石川は長いこと秘密にしていた石の隠し金庫の前で膝をつく。

 

 昔話になるが、長尾の家から放り出されてすぐ。

 日吉での隠居生活が耐えられず。石川はツシマに伝わるひとつの伝説の謎ときに挑戦していた時期があった。

 それは放浪する琵琶法師の”語り”で聞かされた、かの伝説の弓取、長尾 内経の鎧。

 

 長く封印されていたせいで職人の手でよみがえらせなくてはならぬものだが――これからのツシマに必要なものかもしれないとも思ったのだ。石川はそれを手にした当時、真っ先に感じたのは興奮ではなく虚しさだった。

 

 彼がこれを長いこと己のそばで眠らせていたのには複雑な心情があってのこと。

 きっと未来に己の娘となり、石川の家を継いでくれると期待していた巴にはこの鎧を真似たものを贈り。いつの日か本物を譲ろうと考えていたのだ。

 

 そんな石川の甘い未来予想図が、皮肉にも巴にこの鎧の存在を秘密のままにし。

 今、こうして石川の手によってふたたび封印を解くこととなった。古い鎧を見つめながら石川は自嘲気味につぶやいた。

 

「皮肉な話だが。こうなるとお前さんを託せるのは、あの男ということになるのか」

 

 さて、石川の脳裏にはいったい誰の姿があったのであろう? 




人物紹介・設定)
・巴
石川先生の義理の娘にしてコピー。
なにやら運命のいたずらで敵に寝返って非道の限りを尽くす。師匠に似て、ぶっちゃけ何考えてるのか本心がさっぱり読めない。


・ワシが死んでも
原作でも石川は仁に「ワシが倒れたらお前が巴を討て」とちゃっかり申し付けている。


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紫電

次回は水曜日あたりを予定。


 わずか一夜にして罠の半分を潰された。

 悪夢というしかないが、勝てはしなかったものの負けもしなかった――としておこうか。

 

 日本に仇なす鬼女を降臨させることに成功した2人の外道術師はまずはよく寝て、よく食べた。気力を十分に充実させた。

 

 彼らが恐れたのはそういう重要な作業の途中に、将軍クトゥン・ハーンに呼び出され。彼に失敗の説明を求められることであった。だがありがたいことに将軍は何も2人に要求はしてこなかった。

 すでに計画はすべて語り、まだ半分は残っている間は好きにしてよいということだろう。しかしそれは同時にすべてを失敗すれば、ただではすまさぬという意思の表れともいえる。

 

「それでどう思う?奴は鬼女、なにを求める?」

「敵を苦しめる方法ならなんでも。だがそれでいい」

「われらの首を絞める結果にならなければな――」

「どうした、弱気になったか?」

「倒す相手が人ならざるものだとわかった以上、この戦いは簡単には終わらん」

 

 それは確かにそうだ――。

 かりにも仙術を一度は極めんとした男達である。彼らは世界が示す未来を、運気の動きから察することができた。

 序盤の元軍大勝利は間違いがないのに、この先にある未来に不安の影が見え始めた気がする。

 

 

 馬に乗った境井 仁は珍しく街道に出てゆっくりと進んでいた。

 石川、政子らからは叔父、志村救出への合力の約束をもらったが。どちらも強者とはいえ、蒙古を相手にするならば数が全く足りていない。だがまだ当てはある。

 

 石川先生からは政子に加え、菅笠衆の存在も聞かされていた。

 牢人である彼らが何を求めるのか、見定める必要はあるだろうが。働きに見合う報奨を約束すればおそらくは大丈夫だろうと石川先生も語っておられた。

 

 しかし天は思わぬ時に人に試練を与えるものらしい――。

 

 どこからともなく男女の悲鳴が聞こえてくると、仁は反射的に進路を悲鳴のする方角に変え。馬の横腹をけって走り出す。

 それはツシマの民にたいする蒙古兵の蛮行を恐れたがゆえの行動であったが。実際にそこで見たものはまったくちがったものであった。

 

「そこの法師!何がおきた?」

 

 馬上の上から見たのは人々の死体と、その中で腰を抜かしているらしき琵琶法師の姿。

 

「恐ろしきお侍がやりました!どうか、どうかお助けを」

「わかった。だがなぜこんなことを?」

「奴は我らに茂範(しげのり)のあみだした秘剣について語れとわめきちらしたのち、暴れだしたのでございます」

「茂範?伝説に聞く、抜刀の使い手の?」

「はい。その男はわたくしの語りの中にその奥義に至る手掛かりがあると申しましたが。語りを聞いたのちはそれがわからなかったのか、怒り出すといきなり刀を抜いて皆に斬りかかったのでございます」

「無茶苦茶ではないかっ」

 

 周囲でこときれた死体の数は複数。おそらくは法師の語りを聞いていた人々の中でいきなり刀を抜いて振り回した結果だろう。仁の心に義の炎が真っ赤に燃え上がる。

 

「琵琶法師よ、すまぬが急ぎその”語り”を俺にも聞かせてくれ」

「おお、賊を追われますか?」

「茂範の秘剣をそのような危険な男が手にすることはあってはならん。始末はこの俺が」

「わかりました。では――」

 

 そして琵琶法師は”語り”を聞かせた。

 

――ツシマにあらわれた妖の雷獣

――茂範は己の秘剣・紫電一閃(しでんいっせん)でこれを討ち果たさんとする

――小松の浜でついに願いを果たして後。己の庵に帰り、弟子にのみその技を伝える

 

 話が終わるとすぐに仁は立ち上がり、愛馬にまたがって走り出した。

 すると物語の中の出来事が再現されるように、空はにわかに黒雲を吐き出し。遠雷が鳴り響く。

 

 

――――――――――

 

 

 凶行の犯人の名はすぐに割れた。

 侍の名は古賀――叔父、志村に逆らい。討伐された槍川に仕えた武士であった。

 興味深いことに古賀は槍川に仕えていた時代にも茂範の技を求めたが、手掛かりなしといちどはあきらめていた過去があったという。それが今回の蒙古上陸に合わせたように再びツシマに戻り、再び動き出したらしい。

 

 伝説に聞く茂範の庵には、彼の老いた最後の弟子とその孫たちが住んでいると聞いていた。

 古賀はすでに先に庵に到着していたが、ここでは人死には出さなかった。だが暴れたのだろう、家の中は滅茶苦茶にされ。家族は殴られたのだろう。傷つけられ、血を流していた。

 

「これをやったのは古賀だな?奴はここで何をした?教えてくれ、俺が奴を止める」

「……あの男は祖父に茂範様の秘伝を教えろと迫りましたが、断られると家族を殺されても良いのかと。暴れたうえ、私はこうして殴られたのです」

「卑劣な奴」

「さらに間の悪いことに、最近は祖父も体調を悪くして刀を振れなくなっており抵抗できなかったのです。あの侍は祖父を引きずって出ていきました。追おうにも私に刀もなく、力もございません。途方に暮れておりました」

「古賀はどこへ行ったと思う?」

「おそらくは祖父が訓練につかっていた場所へ。そこは茂範から、かの秘剣・紫電一閃を伝授された場所だと祖父はよく楽しそうに語っておりましたし。奴もそのことを知っていたようです」

 

 そうか、つぶやきながら仁は自然と壁に掛けられた絵に目がすいよせられていた。

 雷獣と戦ったという小松の浜の絵であろう。ということは、古賀は紫電一閃の習得を目前にしている?だとすればただ追いついただけでは、古賀を倒すことはかなわないかもしれない。

 

「なぁ、噂に聞く紫電一閃は口伝でのみ教えられるものだとは聞いている。だが、状況が状況だ。

 古賀はすでに技を盗んだかもしれん。お主は祖父から何か聞かされてはいないか?」

 

 ほとんど期待はしていなかったが、かえってきた答えは意外なものだった。

 

「祖父は茂範様の口伝を私にも教えてはくれませんでした。しかし最近はもしも己の命が燃え尽きた時のためにと、紫電一閃を次に受け継ぐための謎かけを作りまして――」

「おお!それを聞かせてくれ」

 

 孫の口から飛び出してきたのは意味をなさない言葉の羅列。

 しかしそれを仁はすべて何度も口の中でそらんじることで覚える――。

 

「それとケガをしているところをすまないが。ひとつ手伝ってほしい」

「なんでしょう?」

 

 仁は無言で外に出ると愛馬の元へ向かい。

 その背に担がせたつづらに手を伸ばす。安達 政子は仁が彼女の敵討ちに助力する礼として。彼女の息子がつかっていた鎧の一領を仁に譲ってくれていた。

 

――だがこのまま使ってはお前は我が安達家に連なるものとみられてしまうだろう

――黄金寺にいる鎧職人に色を塗り替えてもらえ

 

 感謝します、政子殿。そして今こそ役に立てまする。

 つづらから取り出したのは真っ白に輝く立派な鎧。助言に従い、青を基調としていた安達の家の色から変更し、これでもう仁は好きに使うことができる。

 境井 仁は人の助けを借り。2本差しの流人の姿から若侍へと姿を転じる。目の下頬と呼ばれる面具を最後に装着すると、気は引き締まり。活力がみなぎってくる。

 

 

 嵐は近い。。

 しかし暗い空の下を、白く輝く武者となった仁と馬はそんなもの構うものかと力強く走り抜けていく。

 

 

 決戦の場は想像通り、小松の浜。

 しかし無念にも茂範の最後の弟子である老人は最後に抵抗を試みたのだろう。卑劣な古賀に斬りかかったが、あえなく古賀が習得したばかりの紫電一閃の技によって屠られるという悲劇は止められなかった。

 

 己の非力さ、運命の非情に嘆く間もなく。仁もまた決戦の場に進み出ていく――。

 

 雨が降り、雷が鳴り響く。天は荒れ、これよりはじまる一騎打ちの激しさを予見しているようだ。

 試合場には無念にも息絶えた老人の遺体と、彼が最後に振り上げた刀が地面に突き立っている。その向こう側に追っていた犯人は、己が今しがた手にしたばかりの力を感じて悦に入っていた。

 

「卑劣なる古賀ァ!槍川の狼藉はその郎党にいたるまでいきわたっていたと見える」

「――俺を知っているのか。俺はお前を知らん。

 だがその言いざまにはあの志村を思わせるものがある。実に不愉快よ」

「流人を斬り、女も斬り。果ては老人まで手にかけ、それを恥とは思わぬ貴様の所業。許し難し!」

「フン、槍川が焼けてのち。あの志村を誰も手にかけることがかなわなかったことがつくづく無念な話よ。俺も一度はすべてを捨てようとツシマを出たが、結局はここに戻ることとなった」

「その結果、堕ちるところまで堕ちたわけか」

「違う!!俺は天から啓示を受けたのだ!」

「?」

 

 いきなり狂気の片りんを見せるように声が跳ね上がる古賀は、これより奇々怪々な物語を口にする。

 

 

――――――――――

 

 

 それは憎き志村への恨みがさせたのか――それともそもそもこの男に生まれながら霊力の素質があったからか。

 

 元軍におびえて身をひそめあって暖をとる流人たちの中で古賀は眠り、夢を見た。

 いや、それはもしかすればどこかの現実であったのかもしれぬ。

 

 そこはかの日吉のそばにある四つ辻の関、だが蒙古兵達も馬もまだそこにいた。

 信じられないことに眠っている古賀もまたそこにいた。魂だけとなったその体は宙に浮き、不思議と心地よい感覚に身を任せてその様子を見守っていた。

 

 

 そんなまだ淡い眠気が漂う空気の中、突如として空中に地獄につながるとしか思えぬ口が開くと。女人の面で顔を隠す巫女が飛び出し、空を飛ぶように地面を走った。

 

 軽身功――軽功(けいこう)とも呼ばれるそれは大陸に伝わる訓練で可能とする移動術。

 これを習得すれば鍛えられた肉体を羽のように軽くすることを可能とした。

 

 次にわずかに遅れて4人の侍たちが飛び出してくる。

 驚くなかれ、彼らは間違いなくあの冥人達である。巫女ほどの素早さはなかったものの、その動き。やはり尋常なものではない。

 

 蒙古兵たちは事態が理解できず、驚くばかりでいたが。

 巫女がその横をすり抜けていくとまず表情が死んだ。次に開いていた地獄の口が大きく広がると、追いかける冥人たちの背後から四つ辻の関すべてを飲み込んでしまう。

 

 当然だが古賀もそれに飲み込まれてしまった。

 そこからはじまった殺戮劇はまさに悪夢。魔界の出来事と考えなければ納得できぬ光景。

 

 巫女によって意思を奪われたのか。蒙古兵は死兵となり、冥人らを襲う。

 だが強き冥人達の足を彼らは止められない。冷たい刃の軌跡は皮膚を裂き、血が飛び散り、骨が砕ける音がする。

 

 しかし常に勝機はどう転がるのかわからない――。

 

 先頭を進む冥人・侍の周囲に偶然だが蒙古兵が殺到する。

 彼らが振り下ろされる武器のどれかは必ずやその体にあたるだろう。いや、運が悪ければその一太刀がよみがえった冥人に再び死をもたらすやもしれない。

 

――斬られるな、あれは

 

 霊体となって浮いている古賀はその様子を見て確信していた。

 左側と背後からの刃はかわせぬ、と。彼の仲間たちはその状況に気が付いていないのか、誰も助けるそぶりも見せないでいる。

 

『紫電一閃!!』

 

 古賀の両眼が大きく見開く。

 斬られるはずだった侍の姿はそこにはもういなかった。そのかわり斬られて倒れていく蒙古兵と斬るものを見失って空振りする蒙古兵がいた。

 そして2間先で侍は何事もなかったかのように新たな蒙古兵に斬りかかっている。

 

 この瞬間を古賀は聞いた。そして見た!

 

 伝説に聞くかの茂範の紫電一閃の技。

 それを現実にふるう侍の姿を。

 

 

 そして古賀は目を覚ました。自分が見た夢を彼はすべて覚えていた。

 茂範の紫電一閃は確かに存在したのだ。その技を目にしたことで、古賀の体の中に燃え尽きたはずの炎が再び勢いを取り戻し――ただし今度は正気を捨てるほどつよいものが戻ってきた。

 

 狂気の炎を胸に走り出した古賀はついに念願を果たす。

 

 

 古賀は熱に浮かされたように己の夢にみた物語を仁に聞かせたが。聞かされたほうは困惑した。

 冥人?なんだそれは?

 そもそも夢で見たものが本物の紫電一閃となぜ古賀は考えたのだ?支離滅裂、正気を失っているのは明らか。

 

「もういい。戯言はたくさんだ」

「なんだ。あの世への土産話にしてやろうという俺のやさしさだぞ?」

「そうはならん――遅くなったが聞くがいい。俺の名は境井 仁。我が叔父・志村の命を狙う槍川の残党の凶行とあれば。この正義の剣を味わうがいい」

「そうか。境井、志村が可愛がっている甥がお前か。ならばこの15年をかけた我が悲願。紫電一閃で死ぬ栄誉はまず貴様からくれてやろう」

 

 侍と侍、互いにその間合いを徐々に縮めていく。

 

 

――――――――――

 

 

 古賀は本名を古賀 泰平という。

 まだ彼が若かったころ、伝説に聞く紫電一閃をなんとか会得できないものかと恋する乙女のような純粋さでツシマの歴史を探ったことがあった。まだまだ若く、仕えていた槍川家は領主の志村に負けぬ気概を持っていた。

 歴史を調べ、場所を特定したが。問題があった。

 

 かの茂範は己の技を広めることを願わず。

 ただひとりの弟子にのみ伝え。その理由を「この技はツシマの危機を救うために使われてほしい」のだと他人に語った逸話を耳にしていた。

 

 もしこのまま泰平が茂範の庵を訪れたとして。

 紫電一閃の技の伝授を願っても、それを理由に断られるかもしれぬ――。

 

 どうやったら断られなくできようか?

 泰平は取りつかれたようにそれを考え。のんびりと馬上にいて歩いているときも、その方法について考えた。

 

 すると一本の矢が飛んできて泰平の頬をかすめる。

 泰平はあっと声をあげると馬上から無様に地面に転げ落ちたが。すぐに立ち上がって周囲を見まわす。侍が馬上より転げ落ちるなど屈辱を受けたと頭にきて怒っていたし。闇討ちかと片手は刀の柄に手を伸ばして危険に備えていた。

 

 ところが、である。

 泰平は見渡す限り人の姿を隠せるような草木のない、大草原の真ん中に自分がいることにこの時初めて気が付いた。

 馬上にあって揺られている自分を、300メートル以上離れて狙い撃つことが可能だろうか?不可能だ!

 

 そして地面に突き立っていた矢だ。

 泰平がそれを確かめようと近づくと。それは陽炎のように揺れ、泰平の目の前から触れられることを嫌うように消えてしまったのだ。

 

 まだ若かった泰平の肝は冷え、この矢を紫電一閃に近づくなという警告と受け取った。

 また――大きな声ではいえないが。直前、泰平は心の中で茂範の弟子を刀で脅すのはどうだろう?そのような不埒な考えを思い浮かべてもいたことも関係した。

 

 まさにツシマを守らんとする茂範の意思のあらわれ。

 若い泰平にはまだ守るものも多く、若い自分ならば紫電一閃にこだわらなくともまだまだ強くなれると信じられたがゆえの判断であった。

 

 

 激しい雨と雷の下、互いの刃が火花を散らしてぶつかり合い。つばぜり合いとなる。

 泰平の恨みの言葉が仁に投げつけられる。

 

「槍川が倒されて15年よ。あの時、この俺が紫電一閃を手にしていればお屋形様は志村などにおくれはとらずにすんだはず。すべては己の未熟さと傲慢さが招いた過ちよ!」

「馬鹿を言え!槍川は己の傲慢さで身を滅ぼしたのだ。今のお前と同じにな」

「フン、言ってろ!だが槍川は復活する。滅んでいく志村と違ってな!」

「妄想か。いよいよ狂ったと見える」

 

 あと半歩で間合いに入る2人は互いに様子を見るようにそれ以上は進まず、挑発を続ける。

 

「これは寝言ではないぞ。我らの希望、槍川 氏政様がこの混乱をついて槍川の城に帰還なされた!」

「っ!?」

「俺がこのツシマに戻ったのもそれが理由よ。志村は蒙古の奴らに屈したが、我らが支える氏政様はきっと見事に奴らを退治してくれよう。さすれば鎌倉様も槍川の武勇を認め、お家は再興。志村の代わりにこれからは槍川がツシマの棟梁となるのよ!」

「どうやら本格的に狂ってしまったようだな。そんなことには絶対にならん!」

 

 言いながらも仁は歯を食いしばる。焦ってはいけない、冷静でなければいけない。

 だが古賀の挑発にイラつく自分の怒りは一気に殺せと叫んでいる。どこまでこれを押さえつけられるのか。

 

「どうした、来ないのか?ならば境井、さっそく会得せし我が紫電一閃を馳走してやろう!」

 

 古賀は刀を収めると抜刀の構えを見せた。

 仁は警戒し、両の目をしっかりと見開いておく。琵琶法師の語り、そして庵にいた孫から聞いた謎かけ。それらを思い浮かべつつ集中する。

 

 雨雲が避けて落雷とその音が鳴り響くのと合せるように、古賀の紫電一閃が放たれた。恐ろしく早く、恐ろしく遠くからみせた脅威の縮地法。

 距離をとってすべてを見ていたことで仁はその凄まじさを理解はしたが、そんなことが可能だとは考えたことはなかった。

 

 仕留められなかったことが意外だったのか。

 古賀は舌打ちをすると再び抜刀の構えに入り、2度目の紫電一閃。だが今度は仁も余裕をもってかわして見せた。

 

「逃げるにしても遅いな、どうしようもなく遅いぞ。境井!」

「いや、これでいいのだ。全てを確認する必要があった」

 

 答えながら境井 仁の心の中では語りと謎かけに隠された答えが雪が解けるように静かに何かを語り始めていた。

 激怒する古賀は怒りの声をあげて刀を振りあげたが。仁はそのすべてを余裕をもってかえす。

 

 この時点で仁は古賀の技を見切りつつあった。

 どうやら古賀はどこかに古傷でも抱えているらしく。押し合いになると長く続けることを嫌うところがあった。

 さらに抜刀は確かに得意というだけあって見事なものではあったが。剣の才能はあきらかに境井 仁と比べて劣っていることが明らかになってしまった。

 

 つまりはこの勝負。

 紫電一閃の有無が勝敗の分かれ目となる!

 

 

――――――――――

 

 

 茂範の試合場で始まった対決を見守る目が、数百メートル離れた木の上に2つ。目に宿る2つ青い炎。

 その正体は冥人・弓取であった。

 

 かつて古賀に警告の矢を放った彼女は、再び紫電一閃に手をかけた2人の武者の誕生の瞬間を見に来ていたのだ。

 当初、彼女は剣の才能では境井は上でも。紫電一閃を手にした今の古賀では勝てぬだろうと考えていた。

 

 だが――空気が変わったのを確かに感じた。

 

 境井 仁、あの若武者は、古賀の紫電一閃を目にして何かを学び。盗み出そうとしていた。

 普通に考えれば無謀な賭けにしか思えぬその行為も。境井の剣の才能が可能としようとしているのか。

 

「逃げてばかりよな、境井。いつまで俺の刃から逃げられる?」

「終わりだ、古賀……この境井 仁。紫電一閃もらい受けた」

「戯言を!」

 

 互いの距離は3間はあるが、向き合う侍はどちらも抜刀の構えを見せる。

 ついに紫電一閃がぶつかり合うというのか!?

 

 冥人・弓取の目はこれから起こることを見逃すまいと瞬きをしなくなった。

 

 境井 仁は一瞬早く剣を抜こうとし。遅れた古賀は紫電一閃を放つも、彼は冷静にただ剣を抜き放つだけで。飛び込んでくる古賀の体と刀をわずかに動くことで華麗にかわす。さらに素早く半歩動きながら刃の先を古賀に突き入れた。

 

――あれは!?

 

 かつて冥人・侍が蒙古兵を相手に見せた達人の技。

 痛みに歯を食いしばる古賀だが。仁はそれまで見せたことのない縮地法を用いて距離をとると、境井家の名刀はいつの間にか再び鞘に収まっている。

 

 その一瞬だけだ。風はやみ、雨は勢いを失い、雷は雲の中に身をひそめた。

 息を止め、力は抜くが。さっきは研ぎ澄ましたまま。白く輝く光が地上を走った。

 

 茂範の生み出したる紫電一閃、境井 仁は確かに使った。

 刺された反対の側の横腹を鋭く裂いた。古賀は己の中から臓物が零れ落ちる恐怖を感じ、慌てて両手で傷口をふさごうとする。

 

 己が放った紫電一閃とは違った。

 腹がさらに傷口を広げていく感覚に怯え、迫ってくる死を前にどうすればいいのかわからない。

 刀は捨てた。立っていることもかなわなくなり、よろけてもなんとかしようとする。

 

――ああ、見事よ

 

 冥人・弓取は境井 仁の勝利に賞賛を送りたかった。

 まだ死を知らず。生者であった頃ならば。あこがれた異性に抱いた熱い感情の片りんが心に染み出てきたようだ。あの夜、蒙古兵を皆殺しにするために抱かれてやった牢人とは違う。仁に対して血が滾る熱さを感じた。

 

 ならば報いる方法はほかにもある――。

 

 ふらつく古賀はいつの間にか。地面に突き立つ刀のそばに近づいてきた。

 それは茂範の弟子であるがゆえに、悪党によって無念の死を遂げた老剣士のもの。再び勢いを取り戻す嵐はさらにいっそう激しくしてくる。

 

 地上に落ちる紫の雷は狙ったようにそこに落ちてきた。

 

 両眼を見開き驚く境井 仁の前で世界は黄色の光で塞がれ。雷光の直撃を受けた古賀は真っ赤に燃えて、その場で絶命した。

 冥人・弓取の妖術が引き起こした奇跡が悪を滅したのだ。

 

 境井 仁は勝利に喜ぶわけでもなく。

 無念の中で命尽きた老人の遺体の前に立つとその冥福を祈る。古賀がくだらぬことを実行しなければ死ななくてもよい老人であった……。

 

「紫電一閃、この境井が確かに受け継ぎました。茂範殿の意思を守り、ツシマを守るためにのみ使わせていただくつもりです」

 

 仁の誓いは嵐の中で消え。

 彼を見守っていた弓取の姿もいつの間にか消えていた。



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大過

気がついたら木曜だった!そんなことってありませんか?

ナイトシティに行く用があるので次回は日曜か月曜に投稿予定。


 蒙古の術者たちの手により現世に戻りし巫女、壱与。

 元の肉体の持ち主である少女の面影を残したその愛らしい顔も。今ではただ静かに、言葉少なく。術師たちと己の意思を確認し、このツシマに災厄を招くと約束をかわす。

 

 この契約には意味がある。

 術者たちのそばを離れたとしても壱与の行動は大きくずれることはないということだ。

 

 続いて術者たちは3つのものを要求する。

 蒙古軍を襲う日本の妖――すなわち冥人達に関するもの。最上の結果は彼らをせん滅することであり。無難な結果としてはその力を壱与の力で測ること。最低の結果として生きて敵の情報を持ち帰るというものであった。

 

 壱与にしても冥人らの存在は気になるところ。

 己の前に立ちふさがる敵ならば当然のことと、術者たちの考えにこれもまた同意を示す。

 

 かくしてここに壱与という鬼女が戦いに加わることとなり。

 戦いはいよいよ妖怪魔人の跋扈する魔界戦争へと発展していく気配があった。それは同時に巻き込まれる人間たちの命は軽くなるばかりで、死者の数も多くなることを意味する……。

 

 ああ、なんと惨い話であろう。

 

 

――――――――――

 

 

 文太は目の端に森に入っていく天女を見た気がしてドキリとしたが、見直してみたがそんなものは影も形もなく。ただの気のせいであったんかと胸をなでおろす。こんなご時世なのだ。不安からおかしなものを目にしたと思い込むことだってあるさ――。

 

 文太は漁師をしているが、家庭の環境は複雑だ。

 彼は山で生まれ、父は猟師だった。その父も、その父もそうだったと言うが。文太は山ではなく海に出ていった。これにはちょっとした理由がある。

 

 文太が生まれる直前。

 家の前に狐の夫婦が表れてじっと家の中を見つめていたという。

 父は何の気なしに弓を手に取るとさっそく狙いを定めようとしたが。矢を放つ直前、この世に生まれた文太の産声に集中力を乱され。矢はあらぬ方向へ飛び、きつねたちは姿を消したという。

 

 父はそれをことあるごとに「お前のせいではずしてしまった」と悔しそうに口にし。母は「お前はきつねに縁があるのだろう」と言った。

 ツシマでは時折、狐に縁があるとしか思えぬ不思議な子が産まれるらしい。そして自分もきっと――。

 

 15の時にうまいことやって船を手に入れ。文太は山を下りて海辺の村へひとりうつっていった。

 祖父や父には随分と長いこと恨まれたが母だけは理解してくれた――。

 

 

 いつものように山のふもとにある稲荷の前に来ると、文太は懐から小さく切られれた油揚げを出してそれを奉じる。

 苦笑いを浮かべながら祈ると

 

「すまねェな。こんな時だからこそでっかいアゲを持ってきてやりたかったんだが。腹をすかせた餓鬼どもの目を盗んでここに持ってくるにゃ。ここまで小さくして、残りはあいつらの腹に収めてやらんといけなくてな」

 

 蒙古襲来で文太は無事に逃げ出せただけでなく。山に住む両親も無事で黄金寺で再会することができた。

 父親はまだまだ足腰がしっかりしているようで弓と矢と、母を背負ってやってきたのには笑ってしまった。ちなみに本人は怒っていて、どうやら親の無事を息子は気にせず逃げ出し。だから俺は女房を背負って逃げ納屋ならなかったのだと。

 

 とにかくその例として、今日はやってきたのであった。

 

「お侍はみんな殺されて。領主の志村様も囚われたと聞いてる。皆、ひどい目にあわされているけれど。できれば俺は、皆に死んでほしくねェんだ。お稲荷さんよ、どうかあんたの力でまもってくれないもんかね」

 

 文太は心優しき男であった。

 次はいつ来れるかはわからねェよ。それだけ呟くと文太は稲荷に背を向けた。

 

 

 森に入る直前、目の端に若い男を見かけた気がしたが壱与はあえてそれを無視する。

 太陽の下。血と肉があればこそ自由に駆け回り、かなうならば若い男でもさらってその体と命をいただきたいものだが今日はその暇がない――。

 

 

 森の中をしばらく進むと廃村に出た。

 そこは蒙古が来る前に滅びた村。壱与は今もここには誰もいないことを確認しつつ、拾った木の枝を用いて魔方陣を思わせる奇怪な円と紋様を地面の上に書いて回った。

 

 まだ昼前ではあったが、これより半日をかけこの廃村を冥人達を滅する巨大な罠として完成させるのだ。明日の朝日が見えるころ、そのたくらみが成功したかどうかがわかる……。

 

 なればこそ急がなくては。

 最初の作業を終えると、壱与は村の中心に立ち。何事かに指をくむと祈るようになにかを唱えはじめた。集中力は高まるが、声は小さいが不思議な恐ろしさを感じる。

 時は過ぎ、太陽は大きく動いて夕刻が近づいた――すると壱与の指が震え、廃村に変化が始まった。

 

 ひざまずいて祈っていた壱与の体がぶれはじめ。唱えることをやめる――新しい壱与が隣に立ち。それが続いて壱与の数を増やしていく。

 その数が12人まで達すると、ようやく彼女は祈るのをやめ。周囲に増えて自分を見つめている新しい壱与達を見返すと疲れた顔でフウと息を吐く。

 

 壱与と壱与の生み出した彼女自身の影。

 いわゆる分身の術――妖術を用いて生み出した影たちに壱与は役目を与えていく。

 

 持ってきた袋の中から笛、太鼓などの楽器を取り出して配る。

 夜が来る備えとして木々を集め、かがり火の用意を始めさせる。そして一番重要な役目――影の中からひとりを選ぶと、いきなりその半身を裸にひん剥き。同じく持ってきた紅で上半身から化粧を施していく。

 

 いよいよ準備は最終段階へ。

 

 そして夜がやってくる。

 村に描かれた5つの円陣のそばに影たちは立ち、かがり火に光がともる。中央では楽団と半裸の舞姫が呪われた”歌”を奏で始めると。”本物”の壱与の姿は闇の中へと消え――襲撃者を、冥人らの到着を待つ。

 

 

――――――――――

 

 

 森の中に雅な音が流れると、闇の中で起きてきた獣たちはその匂いに反応する。

 それは人間の若い女の血肉が発する甘い匂い。今は人のいないはずの廃村の方角から、そちらに進むとさらに強くなり。同時に彼らの性的興奮も刺激し誘いに乗ると正気を失っていく。

 

 村の中心には簡単な祭壇が築かれ。

 壱与の顔をした影たちによる合奏と半裸姿の巫女の舞が続く。

 

 興奮状態の獣たちは村の中へと入っては来るが。影たちのそばに近づく前に草むらの中に寝転ぶと、子供に戻ったかのように何かの幻想にじゃれて楽しそうに転がりまわる。

 

 夜が深まるにつれ、村の中に次第に妖気が満ちていく。

 獣に続き、こんな時間なのに今度は人影が廃村目指してゆらゆらと誘われて近づいてきた。

 

 彼らは死霊。

 かつての戦場で散っていった侍達。彼らの命が砕かれる直前に感じたもの。死への恐怖、痛み。残していく家族、後悔、財産。そして果たされることなく閉ざされた輝ける己の未来とそれを奪われることへの否定。

 

 それが壱与の力により文字通り、彼らは血と肉を必要としない死霊となって現世に帰ってきた。

 薄く煙のように儚い存在は明日の朝日までの命ではあるが。戦場からは家に帰れなかったという事実に抵抗せんと同じではない戦場の中へ戻ってきたのだ。

 

 彼らは悶え狂う獣の横を通り過ぎ。村に入ると祭壇の周りに、円陣の周りに集まって”その時”が来るのを待つ。

 否定したい彼らの戦場がここに”やってくる”のだと信じている。いや、壱与と彼女の影らの力がそうしている。

 

――これが我が策、なり

 

 姿を隠している壱与は高みの見物としゃれこんでいる。

 術師らの話から壱与はひとつの確信を持っていた。蒙古に攻撃を加えている妖は、獣の類ではないだろうと。そうした妖は生まれた時から使っている己の危険な詰めや恐ろしい牙をつかうものだ。

 しかしこの妖は刀で蒙古兵達をなで斬りにして回っているらしい。

 

 ならば冥人よ。

 これまでの蒙古兵と違い、血と肉を持たぬ死霊兵を相手にしてもその刀は敵を斬ることは可能か?

 

 

 青い狐火が4つ、しずしずと森の中へと入っていく――。

 廃村から流れてくる危険な歌と音楽に導かれるように。

 

 宙を漂う狐火は、廃村が見えるころには2本の足で歩き。闇の中でも周囲が見えるのか静かに素早く動いてる。

 4人の冥人達は罠と知らず、誘い出されてしまったのであろうか?

 

 

――――――――――

 

 

 妖気満ち、危険な罠となった廃村に森の中からヒューと音を鳴らして鏑矢が飛んできた。

 それは悶える狼の喉元を貫くだけでなく。なぜか霊気を帯びて漂う妖気を散らさんと切り裂いた。同時に死霊兵たちは戦の始まりと信じ、周囲に目を配らせる。

 

 姿は見えないが森の中から複数の矢やてつほうが飛び、村の外縁にとどまっていた獣たちが攻撃にさらされた。

 死霊兵たちは戦闘の空気を察して円陣と祭壇の壱与達を守らんと集まる。

 

 そんな中、姿を隠す”本物”の壱与は森に目をやり。

 正体を見極めんと目を凝らしてみる――。

 

 最初に攻撃を受けた狼たちは殺意に反応したのか立ち上がると吠えながら森を目指して走りだすもたどり着く前に倒されてしまう。だがさすがにそれに続く熊までは止められなかった。

 大木の一本に体当たりをいれる。枝が揺れ、2つの影がそこから地上へと飛び出した。

 

 冥人・侍と刺客であった。

 

 2人は地上に降りて勢いを殺さんと前転すると体制を素早く整え、腰の刀を抜く。

 

ーーこいつらか

 

 壱与は冥人らを姿を確認した。妖ではあるようだが、不思議なことによくわからない存在だ。

 生者ではないが、死者ということもないようで。別人の生きた肉体に降臨した自分と違い、それぞれが血肉を持っているらしい。そのせいだろうか、まとうのは霊気?いや、それではただよう別の妖気はなんだというのか。これがますますわけがわからない。

 

 激怒する熊は冥人らをその鋭い爪で殴りつけようとするも、距離を詰められず苛立って咆哮をあげた。

 その間にも森の中からの矢の攻撃はやまず。熊の矢ぶすまとなりかけ、動きは鈍っていく。

 

――これは良くないな

 

 壱与は獣を相手にしてもなんら感情を見せない冥人らを慌てさせようと、事態を動かすことにする。

 祭壇の音楽と舞がとまり。村の中央にいた壱与の影たちと死霊兵を動かす。姿は確認した。さて、その実力は果たして人の術師が言うほどの恐るべきものなのか?

 

 

 ついに熊は力尽きるが、2人の冥人に安心はなかった。

 むしろまとわりつく壱与の妖気の気配はさらに強まり、危険が迫ってきていると感じるのはなぜなのか?

 

 森の中の木の上では弓取と牢人が弓を構え、まだ警戒を解かない地上の2人を見て周囲に注意を向ける。

 おかしなことに廃村は妖気には満ちているものの。その匂いに誘われた獣を除けば――『むっ』小さな声と共に弓取の目は何かを見たと思った。同時に手にする長弓から矢が放たれる。

 

 

 矢は侍の頭上を越え――突如として何かに刺さり、人のあげる苦悶の声が空間からもれでた。

 

 斬っ!!!

 

 冥人・刺客は素早く動き、刀が横なぎにされると。握る刀身から骨を断ち、肉を斬る感覚が……だがしぶきをあげて噴き出す血だけはなかった。

 

『……っ!?』

『斬ったな、今』

 

 冥人・侍は静かにつぶやくと刀を構えなおし。周囲を探る。

 妖気の影響もあって空気は冷たいが、村の中に風は入ってこない。ゆえに妖気が払われることもないわけだが……ならなぜ石や土、草花が不自然に動いている?

 

 冥人達の目が青く燃え上がる。

 すると妖気に隠れる死霊兵の影がわずかではあったが見えるようになる。

 

『我らをすでに囲んでおったか。ならば都合がいい』

 

 侍の不敵な言葉が放たれる。木の上から弓を手にしていた2人も刀を手に飛び降り、4人は円陣の形となる。

 

『血は流さなくとも敵はいる。我らにはそれで十分。なぁ、各々がた』

 

 壱与はあわてて隠していた己の影たちを呼び寄せようとする。

 肉体を持たぬ死霊兵は人の目には映らないものの、己の姿をする壱与の影たちがいては意味がなくなるとの配慮から隠していたが。それが裏目に出たのか。

 

 まるで津波のような圧倒的な勢いがあった。

 影たちが自分のように軽功をもちいて飛んでくる間にも、死霊兵たちはその数を減らしていく。すでにその思考は負の怒りにつながるものしか残っていないはずの彼らだが。冥人らによって圧倒的な死が逃げようのないものと理解し始めると、恐怖を感じて――戸惑い、一瞬ではあったが戦うのをやめてしまった。

 

 それは冥人達にとって付け入る最大の好機。

 

 背中を預けて集まっていた4人は小さな台風となって別れて村の中へと散っていく。

 それを逃さぬつもりなのだろうが、死霊兵たちは分断されてそれぞれの後ろについていってしまう。

 廃村の家の中だけでなく、屋根の上でも、縁の下でも、厩の中でも。破壊音と共に転がる屍と流れる血のでない殺戮劇はまだ始まったばかり――。

 

 

――――――――――

 

 

 廃村の中にある円陣にはそれぞれひとりずつ壱与の影とそれなりの死霊兵たちがついて守っていたが。

 冥人達が村の中へと入っていったことであちらこちらで始まる騒ぎに気になり、ソワソワし始める。壱与は鬼女ではあっても戦を知っているわけではなかった。

 

 冥人らはただ闇雲に別れたわけではないことにまだ気が付いていないのだ。

 彼らが気の上から廃村の中を探ったときに確かに見ていた。地面に描かれた奇妙な円陣と違和感を感じさせる同じ顔の巫女姿の女たちがひとり。まるでそれを守るように立っている姿を。

 

 彼らはまとわりつく死霊兵たちを斬りつつも、次第に円陣にむかって移動していく。

 それを分かれて追う壱与の影たちもいるが。彼女らが爪で引き裂こうと飛び掛かっても相手にせず、死霊兵などを利用して相対することを拒否している。

 

 姿を隠してそれを眺めていた”本物”の壱与が違和感を覚えたのようやくこの時くらいだ。

 

 てっきり壱与の影たちと死霊兵らに囲まれて無残に引き裂かれるだろうと考えていたのに。壱与の影たちを死霊兵たちが邪魔しているように見え、同時に数を減らされるので戦力差が縮まってきている。

 

――まさか。気が付いているのか?

 

 壱与は円陣を守る兵力を投入するかどうか考えてしまう。

 ここまで彼女の目を通して冥人らの実力は……そこそこのものだとは思っていた。しかし自分が生み出した影を相手にせず逃げ回っているようにしか見えず。だからこそ守りを捨てて総力戦にもちこむのは誤りに思えた。

 

 だがすでに時遅し。

 

 侍、牢人、弓取らはついに円陣にたどり着くと。描かれるそのうえで乱戦をはじめることで効力を失わせたのだ。

 半分以上の円陣が消滅すると冥人らを取り囲んでいた死霊兵の数もまた半分以上が声もあげずにいきなりその場で掻き消えていってしまった。

 

 

 壱与の勝機はここで失ったといっていいだろう。

 村に立ち込めていた妖気は静かに村を囲む林の中へと流れ出していき。薄くなっていく妖力のせいで影や死霊兵の力強さも失われ。葉をむき出しに憎悪の表情で鋭い爪で飛び掛かっていく己の影らは、冥人らに遊ばれているようで。もはや猿回しのサルに成り下がってしまっていた。

 

――負けたというのか

 

 人の武器を手に戦う妖かと下に見ていた壱与は愕然としていた。

 遠からず円陣をすべて失えば死霊兵たちは消え、壱与の影のみが残る。彼女らは命令通り奮戦するはずだが……今ではあの冥人らを倒せる可能性はおそらくは、ない。

 

 では逃げるのか?

 壱与は己が隠れていることも忘れ、湧き上がる怒りの感情に胸をかきむしりたくなった。

 今ならばまだ戦える――いや、なんならあの4人の中からひとりくらいならば。

 

 

 ついにすべての円陣が消えると、死霊兵も消えた。

 壱与の影たちもまた怒りの声をそれぞれがあげるが、冥人らは顔色も変えない。すべては彼らの想定通りに戦いは進んでいる――そのはずだった。

 

 勝敗の天秤はいきなり静かに変化する傾きをいきなり不安定に、大きく揺らしてきた。

 冥人・刺客の体が不自然に弓なりに飛び上がると。心臓を背中から胸板まで貫く。女の細腕がそれを握って引きずり出して見せた。

 

 ああ、冥人よ。

 ついにお前も再び死者となってしまったのか!?

 

 

――――――――――

 

 

 壱与は逃げずに戦うことを選んだ。

 姿を隠している今なら、闇討ちをかけることができると思えばそれは当然の判断だと考えた。

 

 生者が放つ、死の香りと共に痙攣を始める肉体から己の腕を引き抜くと。刺客の体は崩れ落ち、壱与の手には肉塊となった心臓が残り、彼女はそれを見て愉快な気分となっていく。

 どぶ川にそれを投げ捨てながら、鬼女は勝利がまた己の元に戻ってきたと思い。笑い声をあげ、影たちにも笑うように仕掛けた。

 

 恐れるがいい、冥人よ。

 

 嘲笑の合唱の中、しかし残る冥人ら声もあげず。

 

『我らは生者ではなく、また死者でもなし。その証を目にするといい』

 

 侍の言葉の合間に牢人は手とうを用いて印を結び。呪いを呟くと最後に声をあげる」

 

――伊邪那美の息吹!

 

 死者となった冥人、刺客の肉体が虹色の炎に包まれる。

 胸に作られた穴が炎の中で塞がれていく。抉り出された心臓が形を取り戻すと、力強く脈打ち始める。

 ありえぬ現実が、許されぬ理がそこでおこなわれていた。

 

「バカな!!?」

 

 壱与にできたのはそれだけ。

 女たちの嘲笑が消えるかわりに低い笑い声が4つ。

 

 今宵、血を吸えぬと狂う冥人らの刀は。

 驚愕の表情を浮かべる鬼女らを前に、歓喜に震え。血を吸わせろと刃音を響かせんと月の光を反射させる。

 

 

 夜が終わりを告げるころ。遂に壱与は冥人達に背を向けて逃げ出した。

 影たちを失ったと判断した瞬間、自分が斬り刻まれる未来を思い浮かべたら今度は躊躇しなかった。

 

 全力での軽功で用意した逃走経路に飛び込んだものの、冥人らは振り払えずについてくることを許してしまった。

 そうして飛び出したのは、あの日吉のそばの四つ辻の関。

 蒙古兵を囮に使い、彼らの命をつかうことで壱与は蒙古軍へ逃げ込むことができた。

 

 彼らは自分らの敵を倒せはしなかったが。

 ついにその正体を知ることができた。彼らの名は冥人、死者の世界から戻った侍達。

 

 

――――――――――

 

 

 黄金寺で父親が弓を手に漁師たちと共に森に入っていくつもりだと聞いて、文太は己も釣竿を用意して川に行こうと考えた。

 自作の竿の出来はあまりよくはなかったが、tりあえず試してみようとひとりで寺の門を出た。

 

 蒙古の軍は黄金寺を囲む林の外にいるというが。彼らが攻めてくる気配はまだ見せていないという噂だった。

 また、槍川などでも生き残ったお侍たちが籠城戦をしているとか。ツシマの中の敵陣のいくつかを誰かが襲って壊滅させているとか、そんな怪しい噂も聞いた。

 

――そんな夢物語。母ちゃん、しんじてもしょうがねェぞ

――嘘じゃないさぁ。だってそのお侍、名前もわかってるって

――そりゃ誰なんだい?

――志村様の甥御、境井 仁様だって話だよ

――それは怪しい話だ。だって俺が聞いた話じゃ、それは冥人とかいう妖が暴れてるってさ

 

 出てくる時に母とかわした噂話を思い出して苦笑いを浮かべる。

 このツシマを救ってくれるというなら。境井様だか冥人様だか、誰でも構わないよ。

 

 黄金色の葉が風に揺られるたびに雪のように降ってくる。

 この森の中だけは、黄金寺の神通力で守られているからなのかもしれない。なら、父母だけでなくあの寺に逃げてきた皆が救われるかもしれない――。

 

 文太は林の向こうに目当ての小川が見えてくると笑顔を浮かべた。

 父は熊鍋を食わせてやると豪語していたが、自分は小魚しか用意できなければ馬鹿にされてしまうかもな。

 

 

 静けさの中に歓喜の雄たけびがあがり、文太は飛び上がって驚いた。

 黄金の林の中を、馬上で剣を抜く蒙古の騎兵達が走ってきた。気をゆるみすぎたのだ。

 

 文太は逃げた。

 作ったばかりの釣竿を放り出し、びくを投げ捨て。だがその方角は黄金寺を囲む林の外――人々の姿が頭をよぎったせいで、黄金寺に逃げ込もうとはかけらも考えなかったせいだ。文太はそれでも「助けて!」と叫んだ、誰もその声を聞いていないとわかっていても……。

 

 夜になって狩りから戻った父は「熊はダメだったが猪は逃がさんかった」とガハハと笑ったが、母は真っ蒼な顔でなにも答えkられなかった。彼らはその夜なにも口にしなかった、文太は帰ってこなかったから。

 

 翌日、意気消沈する夫婦を見て人々は遠巻きに噂しあった。昨日、釣竿を手にした彼らの息子が死んでしまったらしいと。気の毒にね、と。

 

 今のツシマではよくある不幸な話がまたひとつ、増えた。

 



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道しるべ

次回投稿は明日を予定。
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 壱与は敗れたのだろう。

 

 ほうほうの体で逃げかえってきたらしい壱与は、帰ってくるなり敷かれた布団に潜り込んだが。眠る直前に術者たちには短く――そして肝心なところは秘密にして報告すると。可愛いらしい顔からは想像もできない大きないびきをかいて眠ってしまった。

 

 一戦あたったが、敵を滅すること叶わず。

 

 傷がないとはいえ深い眠りは疲労の証。

 細かな出来事は不明ではあるが、この鬼女をして倒せない相手とは。

 

「だが収穫はあった」

「うむ」

 

 4人の冥人らの姿はしっかりと報告され、彼らは妖の放つ妖気に反応して近づいてくることも分かった。しかし妖気に心乱されることはないし、なぜか霊気も操るだと?それは本当だろうか。

 その動きは明らかに侍のそれであるらしいが。身のこなしも戦い方も疲れ知らぬ激しさがあったとか。

 

「我らの退路が断たれつつあるが……ようやく確実な情報は手に入った」

「4人の侍の妖とはな。だが、なぜこれほど強力な力を持っている?」

「さぁ、なぜだろうな」

 

 口ではわからぬ風を装いつつも、術者たちはすでに心の中で答えを出していた。

 蒙古襲来――この一大事が原因だ、と!

 

 ツシマは日本の中では大陸とそれなりにつながりのある小さな島だ。

 おそらくは数年前からこの状況を恐れ、噂は広がっていたはず。事実、日本の将軍とやらは僧に命じて日本護国の祈りを命じたという逸話は、逆に大陸の人間も聞いている。

 

 そうした中でこの国の人々は心の中に強い思いを抱きだす。

 それは異形の鬼を生み出すために絶対的に必要な因子。人の持つ光と闇から、鬼たちは常にこの世へと姿を現してくるのだから。

 

 それは彼らと彼らの土地を守り。

 襲っては奪おうとする賊を斬る、まさに万夫不当の侍が欲しかった。

 

 つまりは皮肉にもツシマで始まった最初の戦。

 小茂田の浜での将軍クトゥン・ハーンの大勝利こそがこの妖たちをこの世に招いてしまった最大の原因だったのだ。

 

 もちろんだがこんなことを将軍本人には伝えられない。

 この島を奪うために兵を率いてきたのに「あなたは勝ちすぎたのです」などと配下に言われれば侮辱以外のなにものでもない。考え付くおぞましい拷問付きの死刑が褒美に与えられてしまうだろう。

 

「壱与は休めばまた戦えるが、我らに残されたのはただひとつの秘策のみ」

「九死か。あれならば、とは思うが……しくじれば将軍は許さぬだろうな」

 

 クトゥン・ハーンは寛大な男を装うが、この瞬間も部下に命じてこの2人から目を離してはいない。

 すでに3つの失敗は彼の耳に届いているだろうし。となれば近々、最後の結果はどうなったと聞きに自分たちの前に姿を現すはず。

 

 囲炉裏を挟んで2人の術師は黙考する。

 生死の境は目の前に近づきつつあった。

 

――――――――――

 

 

 黄金寺の門をくぐると、石川は目に飛び込んできた人々の姿に「にぎやかなことよ」と嫌味を――小さな声で呟くように口にした。

 日吉にて元愛弟子である巴との対決の後。安達 政子、境井 仁と接触できぬものかと追うように彼もここまで南下してきたのだ。

 

 結局、探し人は黄金寺にはもういないとわかったが。

 そのかわりではあるまいが面白い人物と石川は”再会”を果たした。あの紫電一閃。いや、新たな紫電一閃の継承者が誕生するきっかけになった琵琶法師その人である。

 

「おう、どこかで聞いた”語り”と思ったが。お主であったか」

「これはこれは。日吉の石川先生ではありませんか」

「このご時世にもかかわらず。お主は変わらぬようだな」

「風は西に東に、でございます。毎日が思ったままに流れていくのが私の定め。ならば風と心を共にする私もまた、同じく歩き続けるのです」

「フン、よく言うわい」

 

 笑いながら、石川は琵琶法師が数日のうちにこの黄金寺を離れるつもりなのだと理解した。

 

 この2人の関係は長くもあるがとても奇妙なものでもあった。

 気心の知れた、笑いあって酒を酌み交わすような間ではあったが。しかし互いの人生の背景については正確なものはお互い口にしたことがない。知人というには深い間柄だが、友人というのとも少し違う。

 

 あえていうなら変人同士通じるモノあり、これなら間違いない。

 

 だから酒の肴はいつもは巷の噂――琵琶法師が、石川が耳にするツシマに流れるそれが話題の中心だった。

 

 そもそも石川がかつて気まぐれから宝探し――仕えていた長尾家の伝説の当主。長尾 忠頼の装具を探すきっかけとなったのがこの琵琶法師の”語り”がきっかけだった。

 琵琶法師の言葉が謎かけの始まりで、苦労の果てに手にした伝説の装具は彼の苦しみを浄化する一方。孤独というつらい現実を叩きつけ、激しい失望へと突き落としてみせた。

 

 だがそれがなければ新たな弟子であり、娘とも思おうとした巴を求めもしなかったわけで。

 そんな男たちがこの難しい情勢の中で再会したのは――なにやら運命めいたものをお互い感じてもいた。

 

 夜、寺の階段に座り込み。

 先日逃げてきた酒蔵の職人たちが持ち込んだ酒を手に改めて互いの再会を祝した。

 

「しきし酒蔵の連中、よくも逃げるにあんな大きな樽の酒をいくつもここへ持ち込めたものよな」

「……おや、石川先生はご存じではないようですな」

「ん?」

「その酒蔵の職人たち。確かに蒙古に追われここまで逃げてきましたが、なぜあれほど大量に持ち込んだのかは理由がありまして」

「ほう?」

「石川先生ならば名前くらいは聞いたことはあるかもしれませんな。志村様の甥子、境井 仁」

「なにっ!?」

 

 思わぬ名前が飛び出し、石川は口に持っていきかけた杯を止める。

 

「このツシマの南部にも元軍は進出してきておりましてな。酒蔵はしばらく前から兵士たちに見つかり、脅されて酒をつくらされていたそうです」

 

 確かに戦が始まった今。兵士たちの楽しみといえば飯と酒くらいのものだろう。

 おそらく上役に黙って目こぼしする代わりに、といったところか。どこも兵士の考えることは変わらない。

 

「そこに境井様が近くを通りがかりまして。彼らの事情をきいて憤慨されたとか」

「――なにをやっておるんだ、あのアホウめ」

「そこからが傑作なのです。なんと境井様は蒙古の兵達に渡す酒樽を家の前に並べさせると、職人たちに隠れるように言いましてな。相手がのこのこやってきたところで……」

「当てて見せよう。横合いから襲ったのだろう」

 

 答える石川のその声は半ばあきらめたものがあった。 

 境井は頑固のくせに理解できぬ柔軟さをも持ち合わせているようで、侍であれば決して好まれない。好んでは”いけない”とされる考え方を平然と実行してしまう。石川も注意をうながそうとしたが素直に聞くような奴ではなかった。

 

 それは恐らく彼が救おうとする叔父の志村のためなのだろうが……。

 

「どうもその話し方。石川先生は境井様をご存じなのですな」

「そういうお主も仁の奴を知っているようだ。どこで会った?」

「嵐の前、黒天生み出る往来の下でございました。その見事な若武者ぶりは、私めの目には輝いて見え。このツシマの希望の光はまだ残っていると安堵させられました」

「それはおそらく買い被りであろう。

 ん、確かお主。南からやってきたといってたな。ということは奴は管笠衆に会いに向かったか」

「驚きましたな。ということは石川先生は境井様にお会いするためこの黄金寺へ?」

「ま、奴だけではないがな」

 

 良き師として、強情な政子に手を焼く小僧に。共に説得してやるかと下心を持っていた石川であったが。その両者ともしばらく前にこの黄金寺から姿を消してあてがはずれた、とまでは説明しなかった。政子も自分と同じように、あの若侍を気に入ったと見える。

 新しい弟子に恩を着せるいい機会と思っていたのだが、惜しいことをした。

 

「ということは、あの噂も本当であったということですかな?」

「おぬしがどの噂を耳にしているのかさっぱりよ。だが、あまり愉快なものではあるまい」

 

 日吉で石川の屋敷を巴が焼いたことですべては露見してしまった。

 

 その巴が蒙古の軍に寝返り、民を虐殺していることは事実。

 石川にとっては不愉快で隠したいことだが。自分や境井が吹聴しなくとも、世間はいつの間にかそれを知り、うわさはたちまちのうちに広がっていってしまうものだ。もう、あとには引けない。

 

「長尾の弓術指南、石川先生は新たな弟子をとられたと。その名が境井 仁」

「おお、それについては本当よ。いや、お主。それを知っているということはワシをからかっておったのか?」

「からかうなどとは。噂は噂、真実とは限りませんので」

「それもそうだな」

 

 おそらく琵琶法師は巴の裏切りと仁を弟子とした石川の噂のすべてを知ってはいたのだろう。が、あえて石川の楽しくない部分にだけふせてくれたのだろう。

 ならば仁については大いに宣伝してもらおう。石川は徳利を手に、法師の盃に酒を注ぎながらにやにやと笑いながら何度もうなずいて見せた。

 

「ですが石川先生。私が考えますに境井様は恐らく管笠衆とは接触されてないかと思われます」

「なぜだ?」

「これも噂でありますが――」

「なにかあったか?」

「最近、蒙古の陣がいくつか襲われ。壊滅させられたと聞いたことはございませんか?」

「ある」

 

 短く答えながら、石川の脳裏には日吉に現れたあの怪人。

 境井 仁のような。その彼よりもさらに鋭い動きを自分の目の前で見せつけたのちに無言のまま消えた冥人のことがちらと思い浮かぶ。あれからたびたび「だれだろう?」と考えるが、答えはまだ出ていないままだ。

 

「蒙古の将軍、クトゥン・ハーンは境井 仁様の身柄を抑えろと命じられ。追っ手を放ったと」

「本人もそのようなことを申していたな――厳しいのか?」

 

 琵琶法師はうなずき、無事でおられればよいのですがと呟く。

 確かに、ツシマにはまだ城に立てこもっているという槍川の連中のこともある。敵将であれば再び軍をまとめ上げようとする名もない侍たちの動きが気になるだろう。

 

 酒蔵のような事件をおこしてはどこで捕らわれるかわかったものではない。境井の奴、次に会った時はもっとかしこくなれと諭してやらねばなるまい。

 

 ここでいきなり琵琶法師は話題を変える。

 

「そういえば石川先生、例の”もの”はまだお持ちなので?」

「ん?当然だろう。なぜワシがここに来たと思う」

「――ああ、なるほど。そういうわけですか」

 

 忠頼の装具に再び命を吹き込まんと、腕の良い鎧職人を頼ってこの黄金寺へ来たということなのだろうと琵琶法師はすぐに理解した。

 

「石川先生。私、実はずっと前から先生に聞かせたい新しい”謎かけ”があったのですが。なかなか話し出すきっかけを失っていたことを急に今、思い出しましてな」

「ほう」

 

 どうだか。

 琵琶法師も何やら考えていたことがあるようだ。これは間違いなく、石川を唆してきている。

 

「新たな謎かけ――私の”語り”を聞いてみませんか?」

「酒の肴になるものだろうな?そうでなければ断る」

「では参ります」

 

 法師は盃を地面に置くと背中の琵琶を手に取った。

 弦が音をゆっくりと響かせ始めると、何事かと周囲の人々が法師の周りへと近づいてくる。石川は隣でただ杯をあおり耳をすます。

 

――はるか昔、翼をもつ悪鬼を弓取の内経。帝の命により退治せんとす

――矢は見事に宙を舞う悪鬼を貫くも。内経、悪鬼の呪いをその身に受けてしまう

――以降、悪鬼の噂にとりつかれ。蛮行を繰り返す

――ツシマに流されてのちに事切れる

 

 琵琶法師の”語り”は要約すればそのようなものだった。

 石川は黙ってそれを聞きながら、内心では苦笑を浮かべていた。法師の考えは明らかだ。この石川の思惑を読み、そこにさらに花を添えてやろうとあえてこの”語り”で挑発しているのだろう。内経の弓、それを探してみてはどうかというわけか。

 

 ツシマのこの苦難は再び侍が立ち上がって打ち払わねばならぬ。

 しかしその音頭を取るのにふさわしい領主、志村が囚われている以上。旗頭には誰がふさわしいのか?

 

 それは隠居した自分のような老侍の役目ではない。

 小茂田の浜より唯一生き延びた――仁しかいないだろう。それは石川も考えていたこと。

 

 

 翌日、琵琶法師は黄金寺より姿を消していた。

 石川には結局、別れも告げずに去って行ってしまったが。石川はそれを気にすることはなかった。

 

 それよりも彼にはもうひとつやることができてしまった。

 巴のことも重要だが。新しい弟子のためにもやらねばならぬことがある。石川は黄金寺に残り、さっそく”新しい仕事”のために動き始める。

 

 伝説に聞く内経の弓、はたしてどこにあるのだろう?

 

 

――――――――――

 

 

 黄金寺で琵琶法師と石川が語っていた通り。

 果たして、境井 仁は浪人たちとの接触をあきらめ。さらに南へ向かっていた。

 彼には叔父を蒙古の手から救出し、ツシマを再び取り戻すという悲願があったが。同時に守らねばならない約束がひとつだけ別人と交わしてもいたのだ。

 

 

 村のどこからか女の悲鳴と鳴き声が聞こえたとわかると、桶をもって水くみをしていた”ゆな”はそれらを放り出して走りだした。

 村はずれに人だかりが見え、不安に心を乱される――。

 

「ねぇ、なにがあったんだい?」

「――”けい”のところの兄貴が蒙古の連中から逃げ出してきた」

 

 同じく捕らわれた弟の情報が聞けないかと思い。すぐに人だかりをかき分けていったのだが――。

 期待は無残にも砕かれた。

 

 若い女が縋り付く男は血まみれでもはや声もあげられぬ、半死状態であったのだ。

 泥だらけの片足は、おかしな方向を向いていて。おそらく近くに落ちている木の棒を杖代わりにしてなんとかここまで歩いてきたのだろうが、歩くたびに衝撃でおかしくなるような痛みに苦しんだのは明らかだ。

 さらに自分で折ったのだろうが。矢が3本ほど半身に突き立ち、皮膚はすでに生気を失いかけて真っ青になっている。

 

「ひどい有様じゃないか……」

「それだけ必死に逃げてきたってことだろう。嫁に行った”けい”に知らせたかったんだろうよ」

「一緒につかまったっていう、あいつのオヤジとお袋はどうなった?」

「バカ!んなもんなぁ――」

 

 ゆなは周囲から聞こえてくる言葉に世界が揺らぐのを感じた。

 蒙古の奴らは容赦がない。老若男女、構わず気に入らなければ簡単に殺す鬼どもだ。なら、もしかして弟のたかだってこんなめにあわされているのかも……。

 

 集まって気の毒がる村人たちも、泣いて悲しむ若い女と新しい家族から背を向けて距離をとると。先ほどとは打って変わった態度を見せてくる。

 

「チッ、なんで村まで来ちまうんだ。あのバカ野郎」

「おい」

「だってそうだろう?蒙古の奴ら、逃げたあいつを見失ってくれてりゃいいが。そうじゃなきゃ、明日にもこの村に来ないと誰が言えるんだよ」

「まったくだぜ。どうせなら途中でおっ死んでくれてりゃ面倒がなかったのに」

 

 あの姿は明日の我が身。

 恐怖が向こうから近寄ってくるのではと思えば、哀れにも死のうとしている男に対しても鞭打つように呪いの言葉は自然と口から次々と飛び出してくる。

 

「ほら、”けい”の嫁入りはいろいろともめただろ。兄貴のあいつとしたらずっと気になっていたわけさ」

「そんなもの!あいつの爺婆が嫌がったのが原因だったろ。あいつが嫁に逃げられて以来。自分たちの面倒を見ろってずっと――」

「なぁ、もういいだろ。やめておけよ」

 

 ”ゆな”は無神経にいら立つ村の男たちのそばから離れていく。

 動揺していた。自分は嫌われている女だってことはよくわかっている。弟を助けたくとも頼れる友人も少ない。同じ村人でもこのように陰口が叩かれ、ひそかに恨まれたりするのだ。自分が弟を助けたいなどと口にしたって――。

 

――まだ仁がいる

 

 心の中で小さな声がする。

 確かに死にかけた若侍と約束は交わした。だけど今、ここにいるのは自分ひとりだけ。

 

 体を震わせ、己の肩を抱く”ゆな”に。

 冬も近いのに不思議と温かみを感じる風が吹き抜けた。

 

「ゆな!」

「――仁っ!?」

「約束を果たしに来たぞ。弟の無事はわかったのか」

 

 別れた時と違い。壊れていない。兜こそかぶっていないが、真っ白な鎧を身に着けただけでその男は別人のように見違えて見えた。

 そんなお侍が、自分のような狡猾で卑しい女とかわした約束を本気で守ろうとしてここにきてくれた。

 

 柄にもなく鼻がツンとして、顔が崩れそうになった。

 でも泣いて喜んだりはしてやるものかよ。

 

「ゆな、どうした?」

「――ごめん。さっき蒙古に捕らわれた村人が逃げてきたんだけどさ」

「無事か?」

「いや、死んだよ。妹の手の中で死ねて満足だろうってみんな言ってたけど……ひどい姿だった」

 

 白目をむき、真っ青だった男の顔が思い出されて背筋が再び震えた。

 

「弟のことはあきらめたか、ゆな」

「あきらめてなんかいないよっ!」

「なら、いい。俺がここに来た理由もなくなっては困る」

 

 蒙古上陸。

 弟を今からでは助けられない。そうわかった時、ゆなは偶然にも死にかけた若い侍を文字通り”拾った”。

 

 侍の名前は境井 仁。ゆなは知らなかったが、なんとあの志村の甥だと名乗られたときは少しばかり恐れた。命を助けたことを恩に着せて弟の救出に力を貸せと要求するつもりだったが。その相手がよりにもよって――。

 

 もちろん最悪の場合、ゆなは自分の体を使うことも考えたが。

 驚くことにこの境井という男はとんでもなく侍らしい、おかしな侍であった。

 

 村人に対する蒙古の所業を見て憤慨し。

 許せぬからと相手の数もきにせず刀を抜いて正面から突撃していく。最初はとんだ狂人を助けてしまったもんだと後悔したが――。

 

「随分と時間がかかったんだね。道草食ってたのかい?」

「俺は叔父上救出という悲願のために動いていただけだ。それに約束は守ったのだから別にいいだろう」

「そうだね――仁」

「なんだ?」

「あんたならきっと、このツシマを救えるのかもしれない」

 

 人に嫌われ、狡猾な女でなければ生き残れないひどい人生だった。

 そんな女の心に初めて、人を尊敬するという意味を教える男が現れた。

 

 だが”ゆな”はそのことにまだ気が付いていない。

 

「ここ最近は蒙古の連中のいる村について調べてたんだ。あそこは新しく柵が張り巡らされてて、簡単には忍び込めなくなっている」

「それはまずいな」

「大丈夫。ちゃんと考えた。

 この近くにひとり知り合いがいるんだよ。そいつの手を借りる」

「信用できるのか?」

「なんだい。仁、お侍なのにびびってるのかい?」

 

 ”ゆな”が挑発するように皮肉な口をたたくと、仁はそんなわけがあるかと鼻で笑った。




(設定・人物紹介)
・石川先生
原作では別に主人公をストーキングしてません。
この先生だけです。ついでに琵琶法師と知り合いというのも、ここだけの話。


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混沌の地

ツシマのこれからは。
俺たちの戦いはこれからだっ。ありがとうございましたっ!


 境井 仁は町を見下ろし、己の尺八を取り出すと穏やかな頃のツシマを心に思い描きながら音を奏でた。

 風に交じる血の匂いは先ほどまでの殺戮の記憶を思い出させようと誘惑してくる。志村の教えを信じた己の誉れが静かにその輝きを鈍く弱らせる。

 

 だが優しき音色が今、この時の仁を癒してくれる。

 戦いは終わっていないのだ。憎悪に流されず、冷静にならねばならない――。

 

 

 ツシマの南部が突如として燃え上がった!

 浅藻浦の蒙古の陣は、大勢の捕虜を集める重要な大きな拠点であったが。短い間に数回の襲撃を受け、あろうことか捕虜たちは全員逃亡。指揮官をはじめとした蒙古兵たちは全滅した。

 

 これを合図とするように浅藻浦に隣接する蒙古の陣が次々と陥落。

 のちにここから生き延びたひとりの兵士は、将軍クトゥン・ハーンの前で仲間と共に命からがら逃亡する中。追ってきた白き鎧兜に鬼の面をかぶったひとりの異形の侍を報告した。

 そいつは仲間をあっという間に斬り捨てると、自分だけを逃がしたと語る。将軍は何も口にしなかったと伝えられているが、酒の席にてめずらしく「境井」の名を憎々しげに口にしたとか。しなかったとか……。

 

 

 この短い間に仁の心は大きな変貌を遂げていた。

 夜の闇に紛れて襲撃し、相手の背後に忍び寄っては一突きで致命傷を負わせ。向かい合ってはこれを容赦なく、なで斬りにした。もはや生死の境に立つことに恐怖は、ない。

 

「来たぞー。来たぞー、たくさんキター!」

「いよいよか」

 

 村の外を見張っていた山師、賢二が大声をあげ両手を振り回して走ってくるのを見た。

 仁は尺八をしまい、背後の家へと力強く歩きだす。

 

 

 浅藻浦よりゆなの弟、たかを救出した仁は。

 しかしそこで目にした蒙古による民へのひどい扱いに我慢ならず。ゆな達と別れてひとりとって返すと、捕虜を全員解放しながら。周辺の蒙古兵達にも攻撃を仕掛け叩き潰して回った。

 

 これによってツシマの南部における蒙古兵たちの脅威は大きく減退し。

 仁はようやく念願だった菅笠衆とも接触を果たす。協力の約束を取り付けることにはなんとか成功はしたが。まぁ、彼らの頭がまさか自分の昔の知り合いの竜三とは知らなかった……。

 

 

 そして彼は今、小松の町にいる。

 解放した浅藻浦の捕虜たちと共にゆなたち姉弟もここに行かせたが。蒙古はこの町に戻った人々を再びとらえようと部隊を送り込んできた。

 

 怯える人々のすがるような眼が仁に集まる中。

 彼は驚きの決断を口にする。ここで蒙古を返り討ちにする、と。

 

 到底正気とは思えぬ発想。

 だが仁は本気だ。民の間から「ふざけるな」の声が上がってもおかしくなかったが、怯えた目の間からは沈黙の了解がかえってくるだけ。

 

 

 家の中からはたかとゆなが出てきた。

 

「境井様、賢二の声を聞きました。あいつら、またやってきたんですね」

「しつこい奴らだよ。まったくさ」

 

 姉も弟も、どちらも性格がはっきりしていて仲が良いことを感じさせる。

 兄弟とはそういうものなのだろうか。仁にはわからない。

 

「奴らが村に入れば、すぐに仲間の死体を見つける。そうなるとこの村に火をつけるやもしれん」

「それはまずいよ、仁」

「鍛冶場が残っていると思ってここに来ましたが。これでは俺達、役には立てません。境井様」

「だからこそ、ここで奴らを返り討ちにする。たか、賢二の奴が戻ったら火をいれてここに我らがいることを奴らに知らせろ」

「それは構いませんが……本当にやるのですか?」

「逃げれば追われるだけ。必ず誰か死ぬ」

「わかってると思うけどさ、仁。あんた、かなり無茶を言ってるよ?」

「だが他の方法もない。たか、お前と賢二は屋敷の中で皆といろ。俺が守ってやる」

 

 たったひとりの侍が、蒙古の兵たちを相手に守ってやるといわれて安心できるはずがない。だが――たかは浅藻浦から姉と共に自分を救出してくれた境井 仁の豪胆さを知っていた。だから蒙古が怖くとも、言葉は信じられた。

 

 火事場に火が入ると黒煙を黙々と天にむかってたちのぼっていく。

 これならば蒙古の兵はすぐに気がつくだろう。秋の夕暮れにその光景は美しく、これから惨劇が起こるなど誰に想像できるだろうか。

 

「仁、兜はしないのかい?」

「今からでは時間がない。気を付けるさ……ゆな、お前はなんでここにいる?たかと中にいろ」

 

 屋敷を守るように立つ仁の背後からゆなが動こうとしていないことに気が付いたが。彼女はいつものようにふてぶてしい顔でなんでもないと手を振りつつ。

 

「あたしはあたしで好きにやらせてもらう。たかはあたしが守るんだから、ここが一番だ」

「――そうか。ならば死ぬなよ、ゆな」

 

 煙は効果覿面だった。

 蒙古兵たちの姿は次々とあらわれ、仁たちの前へ。

 

「太刀を抜け、腰抜けばかりではなかろう。いざ勝負!」

「はぁっ!」

 

 相手側から笑い声が上がる。こちらは男女2人、相手は多数。

 境井 仁は今。侍として名乗りを上げた。

  

 

――――――――――

 

 

 長尾家家臣の住まう屋敷のひとつ。

 そこに術師たちは九死の儀式を行う場所と決めていた。この屋敷の主人は京より呪い師をわざわざ呼び寄せ。己の屋敷に呪術的な守護をこめたようだが、そうした霊的集合地点は捻じ曲げれば大きなひずみを生むことができる。

 

 かの諸葛孔明が考案したという八門遁甲の秘術にも通じる九死の儀式は。

 冥人のような妖を呼び込む織であり、同時に処刑場でもある。一度中に入り込むと捻じ曲げられたひずみに抑え込まれてその場を離れられなくなり。ひずみを閉じるには大きな力が必要なうえ、常にひずみは脈動するように妖気を吐き出す量を変動させている。

 

 そこに32の部隊に分けた蒙古兵を突入させ、閉じ込めた妖を休むことなく攻め続け。さらにひずみからの妖気の影響を受け、一気に超兵士となっていく蒙古兵らがひずみの前に立てば。捕らわれた妖を大いに痛めつけ、弱らせる。

 

 まさに生きた悪夢。

 全てのひずみを閉じ、兵を殲滅せねば逃れられぬアリジゴク。

 

 

 術師たちは兵を率いて屋敷の罠を完成させると、ここから大きく距離をとって離れていく。

 屋敷からはたちまち妖気が満ち溢れ。

 いつものように闇に沈む夜はなく。真っ赤に燃える明るい夜がそこに出現する。

 

 今宵は魔性の夜。

 火は必要ないが、ただでは終わらぬ。

 

 あの壱与が用意した罠と同じように、夜に目を覚ます獰猛な獣たちはたちまちのうちに屋敷に入り込み。妖気の影響を受け、ツシマの土地神たちは苦悶に体をよじり。悲鳴をあげだした。

 

 

 そして赤き空に輝く満月の下。四つの青き炎が登場する。

 

 

 屋敷から身を隠す兵士達への指示は、同じく屋敷のそばに置いた太鼓を2人の術師が叩くことで指示を出す。

 冥人達は館に足を踏み入れるとすぐにこれがまた用意された罠と知ったが。今度は抜け出せぬものと知ると、さすがに驚きの表情を見せた。

 

 それはもしかすれば彼らが現世で見せた恐怖なのかもしれない。

 

 だが九死は彼らが屋敷に足を踏み入れた時点から始まっている。

 冥人達は屋敷の壁の上に飛び上がり。自分たちに殺到してくる肉食獣たちの牙から逃れつつ、反撃を試みるも。屋敷内に描かれた決して消えない方陣の上にあるひずみからは妖力が大量にあふれ続けていく。それが獣をさらに危険な存在に変え、大地に立って恨めし気に屋根に立つ冥人らを見上げていた彼らの猪に力を与える。

 

 狼たちの四肢は強靭な力で木の幹をけって屋根に飛び上がり。熊は壁に突き立てる爪で無理やりにでもよじ登る。

 おお、冥人よ。

 この死地に彼らの安堵する場所など、どこにもないのだ。

 

 

 これまで蒙古兵相手に絶対の強さを見せつけてきた冥人達であったが。

 恐るべき魔獣と化した群れの攻撃にうまく対処しきれない。

 

 侍は熊の手に殴られて反対側の壁に叩きつけられてから地面に落とされ。弓取は狼に手をかみ砕かれながら引きずり回されると、屋根から転げ落ち。刺客は包囲され、爪と牙に傷つけられ。牢人は剣すら抜けず、壁に屋根にと逃げ回るが追撃の手はゆるまない。

 

 そんな冥人達の苦戦ぶりを遠目で確認した術師たちは笑みを浮かべる。

 

「さすがは九死、これには耐えられまいよ」

「妖であれど血は流れ、命は尽きるもの。このまま滅してくれよう」

 

 太鼓の”ばち”を握りしめ。

 力強くこれをたたき始めれば、隠れていた弓兵部隊が飛び出し。屋敷の中へと突入していく……。

 

 

――――――――――

 

 

 疾風迅雷――。

 屋敷の中では依然として終わらぬ殺戮の嵐が続いている。

 

 魔獣たちを倒してもそこには新たな蒙古の超兵士達が幾重にも突入を繰り返してきた。

 冥人らは秘技を駆使してこれに立ち向かうが。序盤に負った傷と屋敷に配置されたひずみの影響は、彼らの力を弱らせ。苦戦に次ぐ苦戦が続く。

 

 冥人・侍の振り下ろす刀を蒙古兵は受け止める。

 それどころか力強く突き飛ばすと侍はよろけ。その四方に蒙古兵が殺到して囲んでいく。

 刺客はなげ放つ”くない”も、煙玉も、吹き矢まで失った。窮地を脱する手品の種は尽きた。

 弓取は己が放った矢を求めて振り下ろされる敵の刃を転げまわってかわすと、死骸から何とか回収するたびにようやく手にした弓から矢を放つことしかできない。

 

 恐るべし九死の儀。

 なのにさらに新たな太鼓の音が鳴り響く。

 

『新手!』

『おうよ!』

 

 短い言葉で情報を伝えあい、お互いの生死を確かめ合う。

 魔人とは思えぬ”人間らしさ”ではあるが。それが一層この状況の厳しさと、悲惨さをあらわしている。

 

 負け戦――勝敗決する闘争において、かならずどちらかが追い込まれていくところ。

 そこについに。いや、おそらくは再び。冥人達は近づいている。

 

 振り回された槍をよけ、鋭く斬りこんだ冥人・弓取は己の背後に2人の弓兵がいることを察する。

 すばやく刀を離し、長弓を手にした弓を引くさまはまさに神技の域に達する鋭さであったが。彼女の手にする矢はただ一本のみ。

 

 弓を引いて互いを狙いあう、わずかな一瞬。

 矢は飛び交い、弓兵は片方は喉を貫かれくずれおちるが。弓取もまた『ウゥ』とうめき声をあげる。

 魔獣にかみ砕かれた手首に続き、蒙古の矢が弓取の右手の甲を見事に貫いていた。矢をへし折り、死体に刺さっていた刀をつかんで引っこ抜く。

 

 慈悲なき魔人戦争の中にいて、女であることも。片手でしか刀を握れぬことも。

 何の慰めにもなりはしない。

 

 ついに冥人・侍は倒れた。

 3度にわたり刃で鎧を貫かれても耐えたが。斬られ、体内に刃を叩き込まれた蒙古兵は。ここから不敵な笑みを浮かべるとその刃を両手でつかんで侍の行動を封じたのだ。ただでは死なぬ、その執念が生んだ機会を蒙古の狼たちは逃しはしなかった。

 4方どころか8方から迫った刃のすべてをその身に受ければ、冥人といえども無事にはすまなかったのだ。

 

 壁際に追い詰められてはいたが。冥人・刺客はまだなんとか生きていた。

 大きな盾、震えあがるような凶悪な金棒。それらを手にした大柄の蒙古兵たちは素早い狐を狩る方法を心得ていたということだろう。2刀を構えても動きを封じられ、ほかの選択肢を失ってはもう――。

 

 ひとり倒れれば、ふたりめが続く。

 青い炎はついに3つが消えてしまった。屋敷のそこに、あそこに。あの冥人達は崩れ落ちてぴくりとも動かない。

 

 ついにツシマの希望は消えるかと思ったが、まだ希望の火は全て消えたわけではない。

 

 冥人・牢人は苦戦する仲間たちの中では、まだ何とか戦えている方だった。

 彼はあろうことか自分たちを襲った魔獣たちを逆に己の式神として召喚。己の周りに集め、蒙古兵らから守らせ続けていたのだ。

 仲間たちの声に応えず。ひたすら魔獣から己の霊獣として召喚した獣たちを操り時間を稼いでいる。

 

 そしてついに己ひとりだけが生き残ったと知った時――冥人・牢人は動いた。

 

『我らの炎は消えぬ、ツシマの風は知っている。お前たちも知るがいい、夷狄の狼たちよ。伊邪那美の息吹!!』

 

 牢人の体の中からひずみに負けぬ波動が放射され、屋敷のなかを走り抜けた。

 覆いつくしていた妖気は吹き飛ばされたがすぐに戻り始め。ゆがみは再び大きな口を開ける。だが、奇跡は確かに起こったのだ。

 

 屋敷のあちこちより超兵士となったはずの蒙古兵らの悲鳴が上がった。

 己の体にまとわりつく青い炎の熱に苦しみ、仲間に助けを求めるも。それを助けようと近づいた兵士にその炎が飛び火したのを見た途端。自分はまきこまれたくないと彼らは燃える仲間から距離をとった。

 

 

 太鼓を打つことを忘れ、思わず術師たちは両眼を大きく見開き屋敷の方角を見つめた。

 ありえぬことが、今そこで起こったのだ。大陸の長い歴史でも何人もの皇帝がその障害で必ず一度は望む、黄泉がえりの術。

 川の流れを逆転させ、海の水を干上がらせるに等しい行為。それがこの世で、この目の前でおきたのだ。

 

 3つの炎の柱だ。

 虹色に輝くそのそばにいた蒙古兵らは焼かれ、揺るぎもしなかった九死の儀式を破壊する大きなうねりがそこに姿を現していた。

 

 ひとつの炎は再び4つに増えて燃え上がる。

 

――闇鳥・黒嵐!

 

 2刀を構えた刺客による神速の連続攻撃!

 冥人たちはあつまることなく、それぞれのひずみに向かって走り出すと。それまでと違い、立ちふさがる蒙古兵らをなぎ倒していく。

 

――いかん!?

 

 術師らは慌てて太鼓をたたくが、この大きな力は止められない。

 壱与は一番大切な情報を術師らに伝えなかった。冥人らは殺せども、死ぬことはないと。殺し方にこそ工夫が必要なのだ、と。

 

 新たな兵が指示に従い姿を見せるも、屋敷はすでに大混乱。

 増援が屋敷に突入する前に。冥人たちはそれぞれがひずみの前に立つ。彼らが刀を振り上げれば、握った剣にありえぬ現象――霊力が集まり、青白い輝きをみせ。

 

 すべてのひずみが霊剣によって斬り、空間に空いた穴が塞がれていく中。

 勝利が自分たちの手の中から零れ落ちていくのを術師たちは感じていた……。

 

 

 妖しい夜は朝日の光と共に終わりを告げた。

 かつての長尾の屋敷には、争って倒されたと思われる獣と蒙古兵たちの死体が積みあがっている。

 風は新しい1日の始まりを告げ。目覚めの時を小鳥たちの鳴き声が知らせてくれた。

 

 戦いは終わった。

 ツシマの希望は消えることはなかった。

 

――――――――――

 

 

 目を奪われるということはこういうことなのだろう。

 それはあまりにも激しく、そして――恐ろしいものを見せられた。

 

 斬り伏せられた蒙古兵らをたかの姉と仁がとどめを刺して回っている。

 数の優劣など2人の……いや、境井 仁の前で何の意味もなかった。ただはやく、確実に殺す。その作業を感情なく実行しつづけ、恐怖に翻弄されていく蒙古兵らがむしろ哀れに思ったほどだ。

 

「お侍様の、戦い方じゃない」

 

 たかは恐れを忘れ、思わず考えていた言葉をそのままに口にしていた。

 激怒されてもおかしくない危険な言葉であったが。仁はたかの言葉に驚いた顔をして、顔をそむけながら「何を馬鹿な」と吐き捨てる。

 

――もしや自分の姿に違和感を感じておられるのだろうか?

 

 たかはふと、そんなことを思ったが。

 彼の姉が弟の言葉を鼻で笑うと、同じように屋敷の中から出てくる人々に向けて演説を始めた。

 

「ははっ、お侍どころの話じゃないよ」

 

 そう言ってゆなは刀を収める

 

「このお方は蒙古を討ち滅ぼすため、冥府よりよみがえった。

 みんなだって噂くらいは聞いたことがあるはずさ。そう、伝説の武者”冥人”様だよ」

 

 たかは周りを見る。

 姉の言葉に皆の目の色が変わっていた。今、ここでなにかが始まったのだろうか?

 

 

 術師たちは生きていた。

 最大の秘術、九死の儀すら破られるというまさかの出来事に呆然となったが。その場にとどまり、冥人らの手にかかることのないよう。部下を全員特攻させている間に自分たちだけ逃げたのだ。

 

 負けたという屈辱、危うく己の命を危険にさらすところだったという恐怖。そしてこの事態を招いた間違いなく原因である壱与の怠慢への怒り。

 しかしそれ以上に喜ぶべきこともあった――。

 

 黄泉がえりの術。

 

 古来、大陸を力で制してきた皇帝達が。その生涯で必ず一度は望んだという秘術。永遠の生をむさぼるという特権。

 だがどれほど力も、金もてにしたとて若さは決して戻ってこなかった。

 この特権を手にする方法はただひとつ。人の理をこえた仙人となり、新たな世界に到達するしかない。

 

 だがその苦しみは昨夜、終わりを告げた。

 それは確かにこの地上に存在するのだと、彼らの眼前で奇跡はおこった。死を回避する術はこの国にもあったのだ。

 

 仙人にはなれなかった自分たちでも、あの術を手に入れれば――おそらく天下を己の手にすることも可能なはず。。

 不死の皇帝の元、終わりのない千年帝国は現実のものとなる。あのフビライですら不可能だったあらゆる異国を支配する。世界は広くとも、永遠を手にすればいつか終わりはやってくる。すべてを手にすることが出きる。

 

 しかしまずは急ぎかえって、眠っている壱与をたたき起こし。

 あの術を知っているのか?彼女は何を見たのかを知らねば。全てを失敗しておいて蒙古軍に戻るのは危険ではあるが、これは絶対に必要なことだった。

 

 見張りを兼ねる蒙古兵の部下たちの目をさけ、壱与のいる寺に向かう坂道を術師たちは駆け足で進む。

 

「あの女、まさか我らをたばかってくれるとはな」

「ああ」

「とにかく時間がないぞ。情報を吐かせたら我らもすぐにここを離れねば」

「ああっ」

 

 連れて行った部下は自分たちの命を守るためにすべて使い捨ててきた。将軍クトゥン・ハーンはこれを知れば必ず激怒することは目に見えている。

 ならばしばらくはこの異国に隠れてやり過ごし時間を稼ぐ。新たな目的ができた今、蒙古軍の都合など。知ったことではないのだ――。

 

 寺がいよいよ見えてきた。

 鳥居をくぐった瞬間、しかし彼らは一歩も動けなくなる。

 同時に周囲から彼らに向けて強い殺気が放たれ、静かに木陰に潜んでいた兵士たちが姿を見せた。

 

(伏兵か!?)

 

 囲まれ、小さな輪がさらに小さくなっていくが。彼らの体はまだ動かない。

 するとついに聞きなれた。そしてもっとも聞きたくなかった声で話しかけられる。

 

「お前たちのような外道を扱うなら。当然、どうすればいいのか。あらかじめ調べ、知っておくものだ」

「……」

「さて、貴様らは今日まで我らの軍の役に立ってきた。だからこそ今回も4つ。機会を与えた」

「――はい、将軍」

「では聞こう。どうなった?」

 

 すべて失敗した。

 その答えを聞きに来たと言っている。だがそんなのはごめんだ。

 

 だがこれはマズイ。

 おそらくクトゥン・ハーンは何らかの術を用意し、自分たちをこうして待ち伏せていたというのか。そんなことを一軍の将軍が可能なのか?と疑問は浮かぶが。答えは現実にもうでてしまっている。

 

「か、体が動かないのです」

「それは当然だろう。私はお前たちに出し抜かれぬよう、いろいろと用意していた。当然だが、あの寺に眠る鬼女も邪魔はされたくないらしくてな。我らに快く力を貸してくれた」

(壱与かっ、裏切ったか!)

 

 いや、そうではないだろう。

 将軍は素早く動き。壱与は賢く考え、自分たちを売っただけ。

 ならばつまらぬ意地を張っている場合ではない。このままでは殺されてしまう。あの秘儀の存在を目にした自分たちの知識が失われてしまう。急がなければ、急がねばっ!

 

「し、将軍」

「なんだ?」

「取引を――」

 

 術師たちは不死の術の存在を担保に助命を願い出ようとしたが、クトゥン・ハーンの槍は2度振るわれ。胴から首が2つ、宙を飛んで地面を転がる。

 

 彼らの飼い主であるクトゥン・ハーンは術師の言う取引などにまったく興味がなかった。

 与えた兵士の多くを失い。危険な鬼女を陣地の中で眠らせておくとは――彼らの想像をこえて激怒していたからだ。

 

 そして野心は育てる間もなく終わってしまう。

 人が知るにはあまりにも危険な秘術の謎は、こうして守られたのはなんとも皮肉な話である。

 

 

――――――――――

 

 

  黄金寺のある森から少し離れに、崖下にある庵――と呼ぶにはあまりにも粗末な掘立小屋から小坊主が悲鳴を上げて飛び出してくると。一目散へと寺へ。大人たちにこの知らせを届けんと走って帰る。

 ほどなくして顔を曇らせた僧3名があるいてくると、入口に立つなり小坊主と同様。しかしこちらは息をのんだ。

 

「なんだこれは!?」

「ど、どういうことだ」

 

 従えてきた坊主たちが裏耐える声をあげるのを聞き。にわかに腹を立ってきた僧――栄念は怒鳴り声をあげる。

 

―ーこれはどういうことだ!

 

 確かに小屋の中は異様の一言。

 壁も天井も、家具から暖を取るため火を焚かねばならぬはずの囲炉裏。飯を食うために必要なかまどまで。

 白い紙に文字が描かれ、まるで呪いを外に出さぬとでもいうように。すべてに貼り付けられ、覆い隠されていた。

 

 この不吉さ。不気味さよ!

 正気の者であればこんなことを始めたりはしない。

 

 室内は壁に空いた穴から入り込む隙間風に震えるように寒く。紙はそんな風にあおられ、さらさらと音を合唱させて奏で。そんな家の中央に、わずかに残ったろうそくの灯とすずりに筆を傍らに置く男がひとり。

 

「貴様に問うておるのだ。これは何事だ、と」

「……寺のお坊様がはてさて、こんな場所に何の御用があるのやら」

「答えろ、行善!!」

 

 男は己の名前を聞くとようやく紙の上で筆を動かすのをやめると、顔をあげてニタリと笑った。

 

 行善、かなり変わった男ではあった。このツシマの生まれということだが、本当だろうか?

 寺に出入りしていることと、よい墨をもとめてあちこちを旅し。あまった分は売り歩く。女っ気もなく、そもそも人に興味がないのか孤独を愛しているようだった。

 

 とはいえこの混乱の中。最近では黄金寺の外に出れば何が起こっても不思議はない危険な状況だ。

 黄金寺の僧たちはついに近隣の、それも動ける島民はできるかぎり寺に呼び寄せるべきと考え。寺の小僧などを使って説得に回っていた。行善もまたそのひとりではあったのだが――。

 

「混沌に怯える民を集めようなど、あまり賢い考えとは思えませんな。御坊」

 

 この行善の言葉は実は奇妙なといかけであった。寺の小僧はこの小屋の中を見るなり驚き、恐ろしくなって一目散に逃げだしたわけで。訪問の理由を口にはしていなかった。

 だが栄念は行善が小僧から用を聞かされたのだろうと勝手に判断し。それは違う、今はみなの力が必要であり。皆で互いを守らねばならぬのだと説いた。

 

 行善は鼻でせせら笑う。

 

「狼の前に野兎を集めてやるようなものですな。実にもろい幻想だ」

「その代わりに貴様がしたのはこの乱行か、そちらのほうがよっぽど片腹痛いわ!」

「蒙古は残虐非道!人はさらにもっともっと死にまするぞ!」

「行善っ」

「されど絶望することはありませんぞ。御坊、希望は確かにある。私はそれを知ったのです!」

「!?」

「彼の者らは名前を持たぬ異形。我らはそれを冥人と呼ぶ!」

「おのれついに狂ったか!与太話はどうでもよいわ。貴様はその口を閉じ、今すぐ我らと共に黄金寺へ来るのだ。コレが最後の警告ぞ」

 

 こめかみをひくつかせる栄念とは逆に、行善は冷静さを取り戻すと静かにうなずいた。

 いつも身軽に旅に出られるようにまとめた荷物と、墨に筆。紙を手にして片膝をつくと――腕に巻いた手拭いでなぜか己の目をふさいでしまう。

 

「何を馬鹿なことをっ」

「千里の先を見通すがゆえにこの目は今は役に立ちません。されどこの眼は今も冥人らとつながり、彼らを通してこの惨い物語の最後まで、我も付き合う所存」

「なんでもよいわっ。さっさとついてこい!」

 

 こうして黄金寺に奇怪な住人がやってくる。

 彼を不気味に思い近づかぬものも多かったが。彼に話を求める人々に行善は己が「見てきた」という、蒙古と戦い。蒙古の操る妖を倒す、異形の侍たちの物語を語って聞かせた。

 

 それは空想というにはあまりにも生々しく。

 真実と認めるにはあまりにもばかばかしくもあったが。死の恐怖を前に現実と幻想の境をあいまいにされていた子供や若者たちはそれを受け入れ始め。噂となってツシマに広がっていく。

 

 現実の冥人、名乗るは境井 仁。

 幻想の冥人達、その名は不明。

 

 幻想は現実に、現実は幻想に絡み合う。

 まるで互いのしっぽを飲み込みにかかる蛇で生まれた輪っかのよう。

 

――――――――――『第1章 完』




(設定・人物紹介)
・賢二
ゆなとたか、の友人。
悪いこともするけれど。抜けてもいるけれど。いいやつ、頑張ってる。

・行善
紙と墨をたくさん消費するお大尽なよくわからない人。人?
噂に流れている冥人の物語をまとめあげ。人々に語っている。


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