原稿用紙一枚分の小説 (〆切前真っ白な原稿)
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ワイル・スマイル

 五本の話を収録しています。どうぞお付き合い下さい。


 一 サウンドボックス

 

 頬杖を突きながら、耳に意識を集めた。

 空を切る飛行機のエンジンの轟音が煩い。校庭の野球部の掛け声が煩い。廊下のクラスメートの話し声が、腕時計の針の音が煩い。

 だが他のどんな喧騒よりも、自分の心音が煩い。ただ漫然と生きる事を補助するこの音が煩わしい。

 右手を心臓に押し当てる。硬質な肋骨と柔らかな肉を越して伝う規則的な鼓動が、憎くて憎くて仕方ない。

 いっそ潰してしまえば静かになるだろうか。

 ゆっくりと右手に力を込めるが、肋骨が邪魔をする。

 ここまでは、何度も経験した事。何度も繰り返し、何度も諦めた事。

 ふと、左手を重ねてみる。ゆっくりと両腕を押し込めば、初めて骨が軋む音がした。思わず口角が吊り上がる。

 あと少し、あと少し。

 大きな軋みが、痛みが胸に走る。三日月の口元を隠すように顔を伏せた。

 一気に力を込める。軽い音がして邪魔な骨が消えた。

 笑い声が漏れた。

 硬い何かが鼓動に突き刺さる感覚がした。

 笑い声が教室に響いた。

 

 

 

 

 二 怠惰に揺れず

 

 背骨が痛い。

 昨晩テレビを見つつ寝落ちした事を思い出し、ソファの上で身体を起こした。身体を伸ばすとポキポキと心地良い音が鳴った。

「あー……駄目。やっぱ布団で寝るべきだった」

 首も捻れば先ほどよりも鈍い音を立てつつ、しかし慣れない体勢で痛めた筋骨が幾分か柔らぐ気がした。

「痛っ」

 やや高い聞き慣れた声が足下から聞こえた。

 立とうとした私の足に踏まれ、寝ぼけ眼をこすって身を起こしたのは私より少し小さな血を分けた家族。

「……おはよ姉貴……ぁふ」

 理不尽とは分かりつつも間抜けに欠伸をする様子が腹立たしく、背中を蹴って退かした。

「え、もうこんな時間?」

「遅くまで起きてたせいだろ」

 二人揃って盛大に寝坊したが、ゆったりとした日常をわざわざ噛みしめるほど非日常に身を置かない私達には、こんな休日の朝が相応しいかもしれない。当たり前のように日常を享受しながら、もう一度大きく伸びをした。

 背骨が鳴らず、どことなく不服だった。

 

 

 

 

 三 ガラス製のアルペジオ

 

 疲れた。「何に?」と聞かれても「別に」と答える他ないし、特段理由もない。

 持ち上げた鞄は朝より物理的にも精神的にも重い。溜息を吐いて席を立ち、鞄を提げてやや猫背気味に帰路に着く。普段と変わらないルーティーンにどことなく安堵する。

 夕陽は雲を赤く塗り潰す。僕の歩くアスファルトにその陽光は届かない。車道の窪みに溜まった昨日の雨は何も映さない。

 着いた駅の電光掲示板には四分後の電車が示されていた。改札に最も近い列の先頭に立ち、鞄から昨晩買った小説を取り出す。

 大して読書も進まずアナウンスが鳴った。人差し指を頁に差し込んで待って間も無く電車が視界の端に現れ、ホームに入って来る直前、背中を押された。

 慣性のなすがまま身体は線路の上に踊り、しかし残った右足で身体を捩る。

 背中を押した犯人は僕だった。ガラス玉の(まなこ)で薄く笑う顔は気味悪く僕らしい。

 背中を押した僕の口が動いた。何を言ったか聞こえないまま、意識は暗転した。

 

 

 

 

 四 ヒューマン・ビーイング

 

 街灯が煌々と輝き、ネオンは毒々しく都会を照らす。街行く人々が様々に浮かべるは憔悴、歓喜、憎悪、愉悦、悲哀の表情。

 ──妖は動き出す。

 虚空からぬるりと生まれた、生物の容貌からは遠くかけ離れた異形が街を闊歩する。

 光に浮かされた人々には見えぬ怪物は、生まれたままの情動に従って行動する。無意味に舞う。無意味に笑う。無意味に泣く。無意味に光を隠し無意味に光を生む。

 そして都会から離れ静かな闇に身を投じ、衝動に任せ無意味に人を喰らう。喰われた者は化物に溶け世界から消失する。

 ──妖が裂かれる。

 怪物が死した闇に立つのは一人の少女。

 首には艶のない無骨な黒のヘッドホン。セーラー服から覗く華奢で白い手には、鈍く輝く長柄の刀。抜き身の刀を肩に担ぎながら、何事も無かったかのように鼻歌を始め、ゆるりと歩いてその場を後にする。短く揃えられた黒髪が風で煽られ、薄い月がその端正な顔を露わにする。

 少女は微かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 五 コペルニクス的転回

 

 やりたくもない仕事を押し付けられた。

 帰宅部だから暇でしょ、だそうだ。断りきれなかったのは惚れた弱みか。

 放課後の緩さに身を委ねて日誌をダラダラと書いていた。心地良いBGMは遠い空のジェット音、野球部のでかい掛け声、廊下で話す生徒の会話。廊下の声が仕事を押し付けた女子のに似ているのはきっと気のせいだ。

 日誌を適当に埋め終わった頃、教室には俺を含め二人しか残っていなかった。帰る準備をしつつ教室に残っていたもう一人になんとなく目を向ける。

 窓際のソイツは右手を胸に当て強く握りしめていた。体調が悪いのかと心配になったが、左手も当ててにやけ始めたのを見て心配は雲散霧消。代わりに確信とも呼べそうな予感が到来した。

 日誌片手に荷物と教室を出ようとすると窓際から小さな笑い声が聞こえたが、無視して帰った。

 

 翌日、窓際の一席には花が飾られていた。予感はやはり間違いではなかったと確信する。

 あいつ、ただのヤベーやつじゃん。




各話文字数
一 サウンドボックス    四〇〇字
二 怠惰に揺れず      四〇〇字
三 ガラス製のアルペジオ  四〇〇字
四 ヒューマン・ビーイング 四〇〇字
五 コペルニクス的転回   四〇〇字
ルビ、タイトル等を除いた文字数となっています。

お付き合いいただきありがとうございました。


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