俺の相棒は美人で無敵の即死持ち妖刀憑喪神 (歌舞伎役者)
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1

「ハッ、ハッ、ハッ……!」

 

酷く荒れた天気だった。

土砂降りの雨が容赦なく全身を打ちつけ、轟く雷鳴が体を震わせる。嵐の音は時折響く鐘を鳴らすような凄まじい重低音をかき消していた。

 

1人の男が脇目も振らずひと気のない港の通路を走っていた。体の左側から滴る血液が地面を濡らし、すぐに洗い流される。

彼の腕は原型を留めていなかった。蛇がくびをもたげるようにひん曲がり、いくつもの穴が空いている。辛うじて繋がっているだけの、腕とも呼べない肉の塊。

だが男は左腕を庇う真似はせずに、右手にしっかりと小さな鍵を握りしめていた。歪な形をしたガラクタにしか見えないそれを、男は間違っても落とさぬように握りしめながら走る。

 

「なんだ、なんだってんだあの女!?」

 

時折落ちる雷で照らされる男の顔。恐怖に歪んだ顔で口だけは突如現れた女への恨み言を漏らしていた。

人には言えないことで生きてる。

人には言えない仕事をしてる。

貧しさの中で生まれれば、血の繋がりすら腹の足しにならないただの枷。

だから都会へ出た。そこなら何だってできた。間抜けばかりだ。盗み、詐欺、最後に手を染めたのは殺人。

殺しをするきっかけとなったものが右手に握った鍵だ。この鍵があればなんだって出来た。なんだって上手くこなせた。上手く使えばこの国の大統領を殺すことだって出来る。もし依頼があれば本当にやってみせたっていい。

 

今日だって依頼の途中だったんだ。

身辺調査は完璧、あの肥え太った豚のワインに毒をいれてやるだけだった。

何たら界に絶大な権力がどうのこうのとかいう奴はあっけなく死んだ。

後は帰って乾杯するだけだったんだ。

そこに……あの女が現れた。

 

左腕が使い物にならなくなったがそんなことはどうでもいい。今はただ逃げ切って生き延びることだけを最優先だ。

今はただ走って、走って………!

 

「Hey!Stop!Stop!……わかりませんの?やはり発音がダメなのでしょうか……?」

「あっ、あああっ!」

 

上品な声質で拙い英語が飛んでくる。嵐の中でも聞こえる彼女の声はすぐ背後にいるようにも感じられた。

 

「神様……!頼む、今だけでいい……!もう盗みも殺しもしない!悔い改めるから……!」

「Stop!あ、いや……Please wait!」

「神様……!」

「もう、お待ちなさいな」

「ヒッ……!」

 

女は少しうんざりしたように息を吐くと、この世のものとは思えない脚力で男を軽く飛び越え、通せんぼをしてしまう。

 

「んもう、神父様も人が悪いですわ。折角イギリスに行くというのだから英語くらい勉強させてくださいまし」

「い、いやだ!死にたくない!た、助けてくれ!」

「ま、確かに殺す相手と言葉を交わす必要なんてありませんけどね……」

 

男の命乞いも悲鳴も無視して女は背中に手を回す。

すると華奢などこに隠していたのか、10mはある巨大な棍棒が背中から現れた。

 

「Good night. See you♪」

 

女はペンでも振るようにして棍棒を横に一振りすると、男の上半身は消えている。残された両手の手首から先が血の海に音を立てて落ちた。

 

「こちらですわね。歓迎いたしますわ、『憑物』様」

 

女は男の右手に握られていた鍵を懐に丁重にしまい、また背中に手を回すと巨大な棍棒も鍵も女の両手にはなかった。

 

「お仕事完了♪次は……ああ、懐かしの日本ですわね。もう少し旅行を楽しみたかったですわ……」

 

 

 

 

 

想いが世界を変える。

………使い古された陳腐な言葉だと思う。けれども現実に起こりうることだとも、俺は思う。

想いは行動に現れ、他人に伝播し、影響を与えていく。それはほんの僅かかもしれないが、風が吹けば桶屋が儲かるように、想いは時としてにわかには信じ難い出来事を引き起こす。

 

袴田学園東校舎3階2年3組。

5月も半ば、新しくなったクラスに皆が馴染んだ頃に、文化祭の話が盛り上がる。

 

学校全体が活気付き、目標に向かってみんながひとつになる。これも想いの力なのかもしれない。

 

とはいえ文化祭は6月。開始までには数週間の時間がある。なので下校のチャイムが鳴れば俺はすぐに帰ることができた。

 

「ユウくん、帰ろ」

「ん、このまま直帰か?」

「ううん、もうお家のお米が限界。荷物持ちをしてくれるカッコいい男の子の手が借りたいなあ」

 

わざとらしく言って顔を覗き込んでくるのは草薙希。吸い込まれそうな黒い瞳の上で明るい茶髪が揺れている。

希渾身のあざといおねだりに、俺は力こぶを作って応えてやった。

 

「ああ……手伝ってやるよ。俺はかっこいいからな」

 

毎日トレーニングは欠かしていない。鍛えた筋肉はこの日のためにあった……?

 

「ありがとーーー!………10kgのお米でいいよね」

「……任せてくれて構わないぜ?」

「助かるーーー!………ジュースもお願いね」

「ヘイ、ハニー。俺はお前を愛しているが、手心ってやつを加えて欲しいな」

 

スタスタと教室を出ていく希の隣に並び、帰路へ。

少し前まで肌寒く感じていた風は温かさを取り戻しつつあるが、同時に湿り気も運んでくる。桜は散り、これからは緑の季節だ。

学校付近は住宅街が近く、道も舗装されて街路樹が並ぶ。しかし登下校用のバスに乗り、ほんのひとつふたつの停留所を過ぎてしまえばそこはもう自然の内側。道路は舗装されていても歩道はなく、右には山、左を見れば田んぼ。

 

俺は生まれが山奥の田舎なので良いのだが、希は今を生きる現役JK。都会に出たいかどうか聞いたことがあるが、反応は芳しくなかった。

 

「自然が近くにある方が落ち着くかな。人がいっぱいいるのは、なんだかオロオロしちゃいそう」

「そうか……そんなもんか」

 

訳あって俺と希の住む家は同じ。

都会では珍しいだろう、和風の屋敷だ。2人で住むには少々広すぎるが、贅沢に文句を言うほど謙虚でもない。甘んじて好き放題住まわせてもらっている。

 

「お手紙が届いてるよ。匠さんから」

「親父から?」

 

俺の父親である黒崎匠の職業は神主だが、年の半分は日本にいない。

一応”2人”暮らしの許可は貰っているものの、やはり心配なのか月に2度は手紙が送られてくる。内容は大抵他愛もないことばかりなので、いい加減メールくらい覚えろとは言っているものの、半ば諦めている。ウチの両親は2人揃って機械音痴なのだ。

 

しかし今回の手紙はいつもとは毛並みが違った。

いつも数枚の手紙と写真があれば厚い方だった封筒は横にも縦にも大きくなり、中に詰められた書類ではちきれそうであった。

 

想いの光教会。

……一言でまとめてしまえばカルト宗教のひとつなのだが、それについての調査資料が厚さの原因だった。

この教会について調べてほしいと頼んだのが2日前。それだけの短期間でこれだけの資料を送ってくれたことには頭の上がらない思いである。

 

表向きにはただのカルト。その名の通り人の気持ちに重きを置き、毎日信者同士で感謝の言葉を言い合って……みたいな。

しかし裏を覗けば違う像が見えてくる。

乱雑に広げた資料の中にあったのは「憑喪神信仰」の文字。

 

「ユウ、くん……」

 

隣に座った希が俺の手を握る。

 

「怖い、な……」

 

震えている手に手を重ねてやる。

 

……想いは世界を変える。

想いは時として人々を狂気に駆り立て、心に影を落とす。

ならば、こうして握った手から想いを伝え、希の心を癒すことはできないだろうか?

手だけで伝わらないのなら、と俺は手を繋いだまま希を立たせ、縁側へと導く。

 

「ユウくん?」

「そんな顔すんなよ。希らしくない」

 

希はいつもなら花が咲いたような、あるいは太陽が輝くような笑顔を見せてくれる元気いっぱいな女の子だ。

すぐに晴れることはないかもしれないが、もうすぐ庭に紫陽花の咲く時期だ。それを見れば少しは晴れ間を見せてくれるかもしれない。そう思って障子を開いた。

 

「あら、ご機嫌よう」

 

一瞬体が凍りつき、次の瞬間には希を庇うように前へ出る。

 

柔和な笑みを浮かべた女性が貞淑に頭を下げる。

少しも気配を感じなかったことが恐ろしい。想いの光教会からの刺客であることが恐ろしい。その丁寧な態度が逆に恐ろしい。

だが最も恐ろしいのは身にまとっている純白のウェディングドレスの半分以上がドス黒い赤色で染められていることだ。そんな服をまとっていながら平然としている異常な精神だ。

 

「お初にお目にかかります。想いの光教会のキャサリンと申します」

 

束ねた美しいブロンドの髪はこんな状況でなければ目を引かれていただろう。だがこの状況では輝く黄金の髪も黒く汚れて見える。

 

「憑喪神様……お迎えにあがりました」

 

希が手を握る力が強くなる。俺は強く握り返し、キャサリンとやらを睨みつける。

 

「希は渡さない。……渡すつもりもない!」

 

ピクリとキャサリンの眉が動く。

微かな、しかし確かな怒気をため息と共に吐き出し、平静を装って笑みを作り直している。

 

「ならば、力ずくになります。……生きてさえいれば構いませんので」

 

キャサリンが背中に手を回す。

何か仕掛けてくることは間違いない、腰を落として何が起こっても対応できるように筋肉を緊張させる。

だが目の前で起きたことはあまりに現実味がなく、脳がエラーを起こしてしばらく認識をしてくれなかった。

 

10mはある巨大な棍棒がキャサリンの手に握られている。

俺も希も空いた口が塞がらず、間抜けのように立ち尽くす。

 

暗器と呼ばれる武器がある。

服や体の内側に隠すことのできる小さな武器のことであり、それを用いた武術や暗殺術も存在する。

だが当然ながら10mの鉄の塊を隠す術は存在しないし、持ち歩く術もない。ありえないのだ、こんなことは。……普通であれば。

 

「では、さようなら」

「う……おおおおっ!」

 

横に咄嗟に飛び退いて、凄まじい勢いで振り下ろされた棍棒をかわす。背中で縁側が粉々に砕ける音を聞きながら庭の大きな岩に身を隠した。

 

「なっ……んだよ、あれは!反則だろ!」

 

あわよくば中身が風船であれば良かったが、あの破壊力は最後まで鉄たっぷりでなければ叩き出せまい。

今更ながらこれは夢ではないかと疑うが、溢れ出してきた冷や汗とうるさいくらいの心臓の動悸がこれは現実だと叫んでいる。

 

「ユウくん!次がくる!」

 

希がそう叫んだ瞬間、再び振り下ろされた棍棒によって庭の岩は粉々に砕け散る。

 

「痛かったら申し訳ありません。生きていらっしゃいますか?……もしもーし?」

 

キャサリンは棍棒を捨てて歩み寄ってくるが、岩の影に既に裕翔と希はいない。

 

「……チッ」

 

2人が隠れていた岩の後ろには床下のスペースがある。日の光が届かない完全な暗闇で、覗き込んでも2人の姿は見えない。

 

「はぁーーっ、はぁっ、はぁ……!」

 

床下を這いずり回って2人はキャサリンから逃げている。このまま真っ直ぐ進めば庭の反対側、玄関があった。

 

「ユウくん、このまま……?」

「ああ、一旦逃げて立て直す。あんなめちゃくちゃなヤツ、相手にする気も……」

 

そこで裕翔は床下に響く異音に気付いた。

カラカラ、コロコロと何か硬いものが土の上を転がる音だ。ネズミか何かかと考えた裕翔は目の前に転がってきた野球ボール大の物体に目を見開く。

 

「やっぱりめちゃくちゃだ……っ!」

 

現実に見たことはないが、ゲームやマンガで見たことはある。これは……!

 

「希ッ!」

 

手榴弾だ。

そう叫ぶ前に床下から飛び出して姿勢を低くする。爆発音が鼓膜を揺さぶり、屋敷の床を無差別に砕いていく。

 

「きゃああああっ……!」

「めちゃくちゃだ……っ!戦争でもしに来たのかコイツはっ!」

 

やっと爆発音が止んだと思えば、今度は轟音と共に屋敷の両端が蜂の巣のように穴だらけになっている。

 

「こ、これはっ……」

 

マシンガンの銃撃だ。そのまま銃撃の雨あられを緩めもせず、両手の間隔を狭めることで俺たちの逃げ場をなくそうとしていた。

左右を見ても身を隠せる場所はなく、今更玄関まで走っても間に合わない。

 

「まずいっ……!」

「ユウくんっ!」

「希、大丈夫だ……隠れられる場所はある」

「違う、そうじゃなくてっ」

「アイツは無差別に範囲攻撃をしているが、逆に言えばこれを乗り切ればやり過ごせる可能性が高いってことだ。だから……」

「聞いてっ!」

 

希が両手で俺の頬を掴んで目を合わせる。

希の黒い瞳にはいつも魅力を感じている。まるで黒水晶のような光沢と美しさがある。しかし、今の希の瞳は別の側面を映し出していた。

黒はあらゆる色を塗りつぶす。同じように希の瞳からはどんな感傷も塗りつぶしてしまう、『覚悟』があった。

 

「私、まだ怖いけど……戦えるよ」

 

希の声は頭を割りそうな銃声の中でもハッキリと聞こえた。

 

「ユウくんと一緒なら……なんだってできるよ」

「ダメだ……逃げるんだ、希。俺が希を使うなら……手加減はできない。殺すことになる」

 

銃弾の嵐が俺たちに迫ってきていた。

 

「私は……私はユウくんのためなら、もう一度人を殺したっていい!」

「希……」

「ユウくんは、ユウくんはどうなの?」

 

その問いの答えはとうに出ていた。

10年前、初めて希と出会ったその日からそうだ。『希のためならなんだってできる』。

 

覚悟は決まった。だから俺も目に覚悟を灯して希を見つめ返す。

 

銃弾はもう数センチ横の地面に穴を開けていた。

そしてーーーー制圧は完了する。

 

 

 

 

 

「………ふぅーーっ……」

 

キャサリンが弾切れを起こした銃を二丁無造作に投げ捨て、地面に置いていた棍棒を持ち直す。

掃射によって屋敷の部屋の概念は消え失せ、床と屋根があるだけの無残な姿になってしまった。

 

「……逃げた……?」

 

庭からも玄関を見通せるほどに屋敷は崩壊していたが、玄関方面には血の染みのひとつもない。

だが玄関から走って逃げればこの見通しの良い田舎ではすぐに人影が目につくはずである。

 

「まだ……隠れていらっしゃいますね」

 

崩壊した家の残骸の下だとか、もしくは床下あたりに身を潜めているはずである。

 

「まずは……こちらから……っ!」

 

プロの野球選手のように棍棒を振りかぶり、思い切り横に振ることで、もし潜んでいるなら残骸ごと2人を吹き飛ばそうという体だ。

 

しかし持ち上げた左足で地面を踏み込み、フルスイングをしようとした瞬間、屋敷の屋根から人が飛び出してきた。

 

「黒崎裕翔……⁉︎」

 

屋根裏に隠れて難を逃れた裕翔がこちらに向かって飛んでくる。

 

そのまま隠れていればよかったものを。

 

ほんの少し驚いたが……彼我の距離は10mある。そしてこの間合いは棍棒の間合いなのだ。

軌道を変更し、裕翔に向けて巨大な棍棒を振るう。

しかし、裕翔に棍棒が直撃したと思われた瞬間のことだった。

 

「なっ……?」

 

棍棒が『軽く』なった。

裕翔に棍棒が切断されたことが原因だった。

裕翔は着地することができたが、切断された棍棒の先は地面に落ちる前に『消失』してしまう。

 

「なにを……」

 

裕翔の左手には刀が握られている。

 

「なにをしたッ⁉︎」

 

裕翔とキャサリンの距離ーーーーおよそ5m。




妖刀『草薙』ーー草薙希

日本刀の憑喪神

能力ーー刃に触れたものをなんであれ消滅させる。固体の場合消滅は切られたものがなくなるまで続くが、液体と気体の場合には触れた部分しか消滅させることはできない。
性質ーー祈1呪9(ただし裕翔と出会う前は祈0呪10)
代償ーー生命力を奪い取られる。他の命を奪うことで緩和が可能だが、何もしなかった場合1ヶ月も経たない内に絶命する。
成り立ちーー???


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2

想いが世界を変えた例を俺はまだ知らないが、想いが『物』を変えた例は無数に知っている。

想い、気持ち、感情というものは蓄積する。その量が物の許容量を超えた時、物は『憑物』に変質し、不思議な力を持つようになる。

さらに憑物が人からの想いを受け、再び許容量を超えた時。憑物は『憑喪神』となり、人の形をとる。

 

希は、長きにわたって多くの人間の感情を受け変質した、刀の憑喪神だ。

 

 

 

キャサリンは棍棒を捨てて背後に手を回す。

鋼鉄の塊を真っ二つに切断した刀の切れ味は危険だ。注意しなければならない。

彼我の距離は5mまで近づいた。あと数歩詰められれば刀の間合いだ。注意しなければならない。

 

しかし何よりも注意しなければならないのはあの刀の能力。既にキャサリンが捨てた棍棒は切断面から塵となって消えていた。

 

「お前の憑物の能力……もうだいたいわかった」

「なんですって……?いや」

 

もともと憑物や憑喪神は人知を超えた能力を持つ。その力を持ってすれば鉄の塊すら消失させることも可能だろう。

 

だが、黒田裕翔は人間のはずだ。

 

「何者ですの、あなたはっ」

 

裕翔の左手が、底知れぬ谷底のような暗闇に覆われている。暗闇はそのまま蛇のように左腕を登り、裕翔の左半身を覆い尽くして止まる。

ただの人間が、いくら憑喪神を所持したとてこんな現象を引き起こせるはずがない。

 

 

早急に仕留めなければならない。

本能でそれを察したキャサリンが再び背後から銃を取り出す。しかし裕翔も同時に飛び出している。

 

(はやいっ)

 

飛び退いて5mの距離を保つ。しかし銃は既に切断され、消え去っていた。

 

(この距離でも、射程距離内……)

 

自分の体は切断されてはいないが、もし数センチでも前にいたら塵になっていたのは自分だった。

冷や汗を流しながら再び背中に手を回す。

 

「この屋敷……この土地も憑物だ。この土地は俺が許可しない限り武器も攻撃も受け付けることはない」

 

しかし、キャサリンは無数の武器を使用して戦っている。憑物の能力を破ることができる可能性を持つのは、同じく憑物だけ。

 

「なにか、質量や体積を無視して物体を持ち込める憑物だな」

 

キャサリンは舌打ちをした後、背後から円筒を持ち出した。軽く振るとカラカラと音がする。

 

「……バレてしまってはしょうがありませんわね。この通り、私の憑物は万華鏡。結構便利ですのよ?」

 

万華鏡を覗き込むところから無数の武器が地面に落ちていく。まるで四次元ポケットだ。

 

「ですが、私もその憑喪神様の能力は見破りましたわ」

「………」

「妖刀『草薙』……なんとしてもいただきますわ。教会のために、私のために!」

 

裕翔が歩を進めて間合いを縮めるが、それを易々と許すわけにはいかない。

足止めをするべく万華鏡を一振りすると爆弾が中から飛び出してくるが、全て草薙に切り落とされ、爆発前に消える。

 

「この程度で!」

「これでは、いかがです?」

 

さらにもう一振りすると、中から飛び出してきたのは巨大なトラックだった。

地面をゴロゴロと転がってくるトラックから逃れることはできない。裕翔は刀の切っ先を前に向け、真っ直ぐ突っ込んでいった。

 

「希!パワー全開だッ!」

 

刀が触れたところから塵化が始まり、トラックは裕翔の体に触れることはない。一瞬で全てを消失させることはかなわなかったが、トラックは真っ二つに裂けて後方に飛んでいく。

 

しかしトラックで一瞬でも視界からキャサリンは消えた。その間に彼女はタンクのようなものを背負っていた。

 

「切ったものをなんであれ消失させる……その恐ろしさはわかりました」

 

そして水鉄砲のようなものをこちらに向けている。

 

「では切れないものならば!」

 

吹き出したのは炎だった。

 

「う、おおおっ!」

「火炎放射器ですわ。炎も、燃料である油も!『切断』は不可能!黒焦げに……ッ!」

 

キャサリンの目からは間違いなく炎が裕翔に直撃しているようにみえる。

 

「黒、焦げに……」

 

しかし、裕翔は倒れない。

それどころか、炎が燃え移っている様子もない。注意深く見れば、炎は全て刀に吸い込まれるようにして消えている。

 

その時、キャサリンは炎の軌道を注意深く見ることで、ようやく身の回りに起こっていた異常に気付く。

 

「か、風が……っ、この風は⁉︎」

 

『追い風』が吹いている。

風の勢いは時間が経つごとに強くなり、庭の砂塵を巻き上げる。しかし、その砂塵は裕翔の背後からも巻き上がっている。

あまりに不自然。しかし規則的ではあった。

 

「か、風じゃない……憑喪神に空気が引き寄せられている……⁉︎」

「希を、甘く見たな……!希は切断したものを消すんじゃない。希の刃に触れたものは、なんであれ!個体も液体も気体も、この世から消えてなくなる!」

 

そしてほんの少しでも触れれば消失はモノ全体を消すまで続き、何者も止めることはできない。

よって火炎放射器の炎は刃に触れれば燃料ごと消え去り、空気は絶えず消え続けて真空状態の刃に向かって流れる風となる。

 

(この風……っ!さっき一瞬で距離を詰められたのも、風が私にとって向かい風になり、ヤツにとっては追い風になったから……!)

 

裕翔が一歩踏み出せば、キャサリンは一歩後退する。歩き出せば、歩いて後退する。

しかし裕翔が走り出せば、キャサリンにもう接近を拒む術はなかった。

 

「おおおおっ!」

「か、風がっ!に、逃げられなく……!」

 

『風向き』が変わった。

キャサリンの前から風が吹き抜けてくる。それは裕翔と希が自分の後ろにいることを意味していた。

火炎放射器が真っ二つに裂けて地面に落ちると同時に、キャサリンの脇腹からも血が吹き出した。

 

 

「ぐ、ふっ……」

 

膝を折って脇腹に手を当てる。しかし段々と出血の勢いが弱まっている。既に消失は始まっているのだ。

 

「こ、んな……こんなこと……!」

「…………」

 

吹き荒れていた風が収まった。キャサリンが後ろを振り向くと裕翔に身を寄せる希の姿があった。

 

「な、なぜですか……憑喪神様……!教会は貴方を保護いたします!欲しいものはなんでも、要らないものはなにも!もう虐げられることはありません……信者は皆、貴方を崇め奉ります!」

 

縋るように差し出された手をとることはない。

希は一歩前に出て深く頭を下げた。

 

「ごめんなさい。私は幸せ者なんです」

「嘘です……!今までどれだけの人間に呪われてきたか、数えることもできないはず!」

「昔はそうでした。今は……一緒に生きたい人がいます。私と生きてくれる人がいます」

「そ、そんな……」

「だから……一緒に生きるために、私と生きてくれる人を守るために、私は貴方を殺しました」

 

顔を上げた希は毅然とした表情でキャサリンを見る。

信じられないとばかりに首を振る彼女からは先程まであった優雅な印象は消え、哀れみすら感じる捨てられた老婆の目をしていた。

しばらくすると彼女は裕翔を見つめ、段々と表情に狂気を募らせていった。

 

「あ、貴方が……貴様が、いるから……!」

「………」

「この、貴様が誑かしてッ!何をしたクソったれ野郎!清らかなる憑喪神様を汚したなッ!」

 

這いずるようにして裕翔に近付こうとするが、もうキャサリンの体は真っ二つに裂けている。もう数秒で消失は心臓まで届き、彼女の息の根は止まる。

 

「永遠に呪われてしまえ、貴様は悪魔よりも罪深い!あらゆる責め苦を受け、苦しみ続けろ……!」

 

もう彼女の体は前に進まなかった。伸ばした手は地面へと落ち、目は虚ろだった。

 

「あ、あ……神父、さ……ま……」

 

それだけを言い残してキャサリンは事切れた。すぐに肉体も服も塵と化し、彼女の存在を示すものは消え去ってしまった。

 

裕翔も希も何も言わず、ただ黙祷を捧げた。




万華鏡の憑物

能力ーー覗き穴からどんな体積、質量の物体であろうと出し入れすることができ、万華鏡自体の質量は一切増減しない。
性質ーー祈2呪8
代償ーー視力を徐々に失っていく。キャサリンは万華鏡を所持して数ヶ月しか経っていないが、既にほとんど色盲の状態だった。
成り立ちーー江戸時代に商人の娘が母親からの形見として受け取ったが、その後経営が傾き父親が娘と心中する。万華鏡は借金を返すために売られるが、買い取った家々で不幸な死が相次ぎ、万華鏡の呪いだと人々の間で噂されるようになり、多くの人間に呪われて憑物となる。


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3

文化祭をおよそ1週間後に控えた金曜日、草薙希とクラス委員長である皇佳奈は放課後も残って作業をしていた。

企画はお化け屋敷に決定し、今は布を縫い合わせて小道具を作っている最中だった。

 

「付き合わせてしまってすまないな」

「ううん、他のみんなと違って部活とかには入ってないから。時間には余裕あるよ」

「ん、いやそれもあるんだが……」

 

恋人同士はできるだけ2人きりで長い時間いたいと思うものではないのだろうか。私がいるせいで2人の時間を奪ってしまってはいないか。

そう思ったが、恋愛経験のない身である。「そんなことないよー」などと笑われたり、初心だと思われては……その……恥ずかしかった。

 

そのため頬をポリポリとかきながら視線を逸らすと、希の隣に積み重なった布が見えた。

 

「早いな……しかも、うん……綺麗だ」

 

希の隣の山は私のものと比べて2倍程度の標高を誇っていて、その縫い目も機械で測ったように正確だ。

私も縫い物が苦手なわけではないが、練習しても希のレベルには簡単に追いつけるとは思わない。

 

「そう?えへへ、ありがと……いっぱい練習したからかなあ」

 

照れ笑いしながらも手元では針は正確に素早く動いている。そしてまた希の山は布1枚分標高を上げた。

 

「練習?縫い物が趣味なのか?」

「縫い物っていうか……花嫁修行?みたいな?小さい頃に叩き込まれたんだ」

「なるほど。ならば、黒崎裕翔は幸せ者だな」

 

花嫁修行の具体的な内容を私はあまり詳しく知らないが、この分であれば縫い物以外にも家事全般は得意であるに違いない。

草薙希を花嫁にするであろう黒崎裕翔はさぞ良い暮らしができるだろう。

そう思って言ったのだが、希本人はピンと来ていないようで不思議な顔で首を傾げていた。

 

ここに来てようやく、私は経験のなさから生じる純粋さを自分から暴露したことに気付き、慌てて訂正を試みた。

 

「あ、いや、すまない……そうだよな、今付き合っているからと言って結婚するとは限らないものな……いや、恥ずかしいな……」

「えっ、あ、いや、そういうこと⁉︎あ、あはは、ごめん、ピンとこなくって……そっかあ結婚かあ……」

 

私の顔は羞恥から熱を持ち始めていたが、草薙希の顔は将来を考えたからか赤くなっている。こういう純粋なところに黒崎裕翔も惹かれたのだろうか。

 

実際、草薙希は女としてかなりハイスペックな部類に当たると私は考えている。

笑顔が明るく、顔や体つきにも恵まれ、縫い物を始めとした家事も完璧にこなすことができる。

少々の敗北感を感じると同時に、女の身でありながら黒崎裕翔を羨ましいと感じてしまう。

 

「考えたこともなかったかなー。別に付き合ってるわけでもないし……」

「は?」

「え?」

 

呆けた顔をするのは今度は私の方だった。

 

自慢ではないが、私の成績は良好である。テストの点数では学年トップとはいかないまでも、上位陣に名を連ねているし、大学は都会の有名校を志望している。

 

その頭脳をフル回転させ、今の発言の意味を考える。数秒を要してしまったが、私は私なりに納得できる答えを出す。

 

「なんだ冗談か。いやすまない、頭が固かったかな。ははは」

「冗談じゃないよ!ホントに私とユウくんは付き合ってないもん!」

 

身を乗り出して抗議している。

付き合っていることを認めたくない思春期らしい羞恥や、黒崎裕翔と付き合っている不名誉を認めたくないような嫌悪は感じられない。

しかし、仮に仲の良い親友だとしてもあの距離感は異常である。私と彼らはまだ知り合って数ヶ月程度の付き合いではあるが、あの仲の良さを交際と言わずしてなんという。

 

そんな疑問が顔に出ていたのか、草薙希は乗り出した身を戻して人差し指をツンツンを突き合わせる。

 

「いや……佳奈ちゃんの言いたいことはわかるんだけど。小さい頃からの付き合いっていうのもあって、『好き』とか『付き合って』とか、そういうの言わないでここまで来ちゃったというか……」

「……ならば、今の関係は事実婚みたいなものか?」

「そう!それそれ、そんな感じ!」

 

2人の関係は交際と言って申し分ないが、正式に交際をしているというわけではない。

黒崎裕翔は割と日常的に好きだのマイハニーだの言っていた気もするが、そういう冗談は含めないらしい。その思考はわからないでもないが。

 

「非現実的ではあるが、そういう関係もあるのか……。それならば、結婚に目が向いていないのもしょうがないか」

「あー、うん……。よくわかんないかな……高校生だし。でも……」

 

その言葉の続きは鳴り響いたチャイムと、同時に開いた扉の音で遮られた。入ってきたのは件の黒崎裕翔だった。

 

「ん?……希、照れてる?」

「え、あ、いや、別に⁉︎も、もう下校時間かー、片付けなきゃー!」

 

ジトッとした目を向けると黒崎裕翔は首を傾げている。

 

「な、なに?」

「いや、なんでもない」

 

立ち上がって慌ただしく片付けをしている草薙希の側に身を寄せ、耳元に口を寄せる。

 

「か、佳奈ちゃん?」

「ん、いや……なんというか」

 

経験のない自分が上から目線で助言をするのも如何なものだろうか。少し躊躇ったが、脳裏に妹の顔がよぎった。

 

「言いたいことは早めに言ったほうがいい。今まで機会のなかったなら尚更な」

「ど、どうして?」

「それは……このままだと、ずっと事実婚状態のままになりかねないだろう」

「そ、それはやだな……」

「だろう?」

 

別れは突然にやってくるのだから、とは言えなかった。だから、不慣れな冗談でお茶を濁す。

 

片付けを終え、教室の施錠を済ますとチラリと草薙希に目配せをする。顔色は変わっていなかったが、前髪を弄っているあたりから動揺が見て取れる。

 

「私は先に鍵を返してくる。玄関で少し待っていてくれ」

 

そう言って足早に階段を降り始めた。

 

私には皇真奈という妹がいるが、2年前に家出をしたきり帰ってこない。真奈は私とは似ても似つかない自由人で、好きなことに関してはどこまでも知識を得ようとし、興味のないことにはとことん手を出さない。

あの頃は熱中できる何かを見つけたらしく、学校もサボり気味に何かを研究している姿は覚えている。

 

真奈はある日外出してから2度と家には帰ってくることはなかった。

警察にも届け出を出して捜索をしてもらったが手掛かりさえ掴めず、事故や事件に巻き込まれた可能性も考慮された。

それでも真奈が生きていると信じられるのは、時折真奈の筆跡で手紙が届くからだ。

 

今真奈が何をしているのか、何に興味を持っているのか、私は何も知らない。知らないのは姉妹という関係に甘えてわかった気になっていたせいだ。

 

「失礼します」

 

ノックをしてから職員室に入るが、中には誰もいない。明かりの付いているPCは少なく、そのPCの持ち主も見回りやら何やらで席を外しているのだろう。

 

「失礼しました」

 

鍵を返却して扉を閉めると、廊下を歩いている人影が目に入った。

あの2人かと思い目線を向ければ、意外にも佇んでいたのは身長150cm程度の少女だった。

下級生かと思ったが、服が制服ではない。夏も近いというのに長袖のシャツと裾の長いズボンを履き、首をマフラーで覆ってニット帽を被り、手袋までしている。

 

「迷い込んだのか?玄関はあそこだ。早く帰るといい」

 

玄関を指さしたが、少女は回れ右をして玄関から遠ざかるように歩き出した。

少々おふざけにしてはたちが悪い。少しキツく言ってやる必要があるようだ。

 

「待て。学校は遊び場じゃ……痛っ!」

 

肩を掴んだが、手に鋭い痛みが走って引っ込める。

傷は深くはないが、手を横切るように走った切り傷は肩を掴んだだけでつけられる傷ではない。

 

ゆっくりと少女が振り返る。その顔には仮面が付けられていた。お祭りで売っているような、安物の仮面だ。

 

「なんだ……お前……?」

 

怯えと不気味さに後ずさった瞬間、私の体は車が衝突したような衝撃を味わい、遙か後方へ吹き飛ばされた。

 

 

 

 

 

希の様子が変である。

どう見ても落ち着きがないのだが、委員長に何かを吹き込まれたのだろうか?

とはいえ聞いても教えてはくれないだろうし、ひとまずは黙って一緒に歩く。

 

「……ああ、そうだ希。父さんからの手助けの件なんだが、晴太郎さんと桜さんが来てくれるらしい」

 

父である黒崎匠の職業は神主であり、憑物や憑喪神の保護を行なっている。憑物関連の業界ではそれなりに力を持ち、顔も広い。その力を活かして今は教会に対して圧力をかけようとしている。

 

しかし想いの光教会はまだ規模としては小さい組織ではあり、それ故に腰が軽く、行動に予想がつかない。父さんが教会と話をつけ終わるまでに次なる襲撃が来る可能性も大いにあった。そのための助っ人である。

 

波戸晴太郎と鳳凰院桜は2人とも強力な憑喪神であり、しかもコンビネーションは抜群である。もし2人が揃えば俺と希のペアであろうと勝ち目はないだろう。

 

「あ、ああそうなんだ。そっか……心強いね」

 

想いの光教会とのファーストコンタクトは家に信者が訪ねてきたことだった。憑物とは無縁の一般人だったが、今思えばアレは偵察を兼ねていたのだろう。

こんな田舎の、しかも特に住宅地もない地域をわざわざ訪ねに来たことを不審に思い、連絡しなければキャサリンとの戦いは負けはしなくとも、大きな傷を残すものとなっていただろう。

 

結局キャサリンの万華鏡は回収し、しばらくは保管するつもりだ。教会との戦いが終われば父さんに保護してもらう。

 

「ただあれから特におかしなこともないし、杞憂になるかもな」

「うん……それが一番いいね」

 

横目で希を盗み見るが、やはり集中していないというか、他のことに意識を割いているように感じる。歩みの速度は段々と遅くなり、手はますます忙しなく動いてきている。

 

「なあ、どうしたんだ希?なんかおかしいぞ?」

 

玄関までたどり着いたところでいよいよ我慢できなくなって訪ねた。

真っ直ぐ希の顔を見るとほんのり色づいているように見える。

 

「な、なんでも……ううん。なんでも……ある……」

「教えてくれないか?もしかしたら力に……」

「あっ、あのねっ!」

 

一転して身を寄せてくる。今度はこっちがどぎまぎし始めてしまった。

 

「今更かもしれないんだけど……やっぱり、言葉にした方がいいかと思って。お、お互い気持ちはわかってると思うんだけど、その……」

 

思い詰めたように深呼吸をしてから口を開いた。

 

「わ、私……ユウくんのこと……す、好っ」

 

希の言葉が聞こえるより先に、何か大きな物体が希の背中側を飛んで行った。

物体は壁にぶつかると枯れ木をへし折ったような音を大量に奏で、続いて飛んできた尖った何かが物体を貫き、磔にする。

 

「っ……⁉︎」

 

磔にされていたのは、委員長だった。

 

「佳奈ちゃんっ!」

「委員長っ!」

 

希がいち早く委員長に駆け寄って刃物を抜いてやると、ぐったりと倒れてしまう。

 

「佳奈ちゃん、しっかりして!佳奈ちゃん!」

 

辛うじて息はあるようだが、凄まじい重症には変わりない。一刻も早く処置をしなければ命の危険があった。

 

「待て、希」

 

携帯を取り出して救急車を呼ぼうとしていた希を止める。既に俺の目線は委員長を吹き飛ばした犯人に吸い込まれていた。

 

「通報よりもアレを倒すのが先だ。でなきゃ、俺たちもやられる」

 

仮面を被った異様な雰囲気の少女がこちらへ歩いてくる。その手には包丁が握られていた。

 

「ぁ……あ、ぅ……」

「……待ってて、佳奈ちゃん。すぐ助けるから」

 

俺と希が手を繋ぐと希の姿は刀へと変わる。

手加減をする気は毛頭なかった。



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4

この俺、黒崎裕翔の半分は人間だが、半分は人間ではない。

父親である黒崎匠は人間だが、母親である黒崎鶴は憑喪神なのだ。希を使おうとすると体の半分が黒く染まってしまうのも恐らくはそのため。

もうひとつ、俺が獲得している不思議な能力がある。それは憑物や憑喪神の気持ちが色となって見えるというものだ。

 

「っ……!」

 

その能力を駆使して敵を注視するが、色が見えない。敵は人間のようだ。

この少女は間違いなく教会の刺客だろうが、注意すべきは委員長をボールか何かのように吹き飛ばしたあの馬鹿力。キャサリンもそうだが、10mの鉄塊を振り回した馬鹿力は人間には出せない。その謎は未だ解けてはいないのだ。

 

少女がこちらに掌を向ける。もう一つ、注意すべきは委員長を磔にした刃物の攻撃。

 

「はっ!」

 

飛んできた何かを弾き飛ばす。床に突き刺さったのは裁ち鋏だった。これが刺さっても死にはしないだろうが、骨まで届く威力であることは間違いない。

 

「こいつ……まさか……」

 

少女の掌から血が垂れている。

裁ち鋏は掌から発射された。つまり、体内に鋏を仕込んでいたということだ。

今度は両手の指をこちらに向けてくる。

 

「まさかっ」

 

弾丸のように飛んできたそれはマチ針だった。

 

「うぐああっ!」

 

避ければ後ろの委員長にあたってしまう。撃ち落としきれないと判断して両手を組んで受け止める。腕に深々と針が突き刺さるが、この程度の傷では怯めない。

 

(希の射程距離まで近付くんだ……!5mの距離まで!)

 

既に追い風は吹いているが、この風は敵にとっては射出される武器の速度を早めてくれる追い風でもある。

ハサミや包丁などの致命傷になりうる攻撃は防ぎ、それ以外は受け止めてやる。やるかやられるか、肉を切らせて骨を断つ戦法でいく。

 

彼我の距離はおおよそ15m。3歩で射程に入る。

姿勢を低くしながらひとつ踏み込み、飛んできたナイフを跳ね返す。

飛び上がりながらふたつ踏み込み、狙いを逸らす。

最後にみっつ踏み込み、右腕に突き刺さる針の痛みに耐え、射程内に入る。

 

「ここだッ!」

 

鋭く真っ直ぐな突き。少女の額に希が突き刺さる。柔らかい皮膚とその奥の骨の感覚を希越しに感じる。

 

……ありえない。『皮膚』と『骨』を感じている?この世に切れないものはない希をもってして?

 

少女の仮面が消失して消えていく。その奥にある顔に思わず裕翔はたじろいだ。

1つ足りない瞳と、削ぎ落とされた鼻。開いた口には歯の代わりに針が埋め込まれ、顔全体に痛々しい縫合の跡がある。

 

「んなっ……!」

 

その隙にがしりと希を掴まれた。凄まじい怪力で持っていかれそうになるが、それよりも解決すべき問題はやはり消失が始まっていない少女の手のことだ。

身につけている手袋は消えても皮膚を消すことができない。こんなことは初めてだった。

 

(バリアを張る憑物か⁉︎いや、仮にそうだとしても、希ならバリアごと消し去ることができる!)

 

思考を巡らせている間に少女は次の手を打っている。

希を掴んでいない左腕の袖が生き物でも仕込んでいるかの如く蠢き始めた。やがて布を突き破って出てきたのは無数の刃物。まるで釘バットのような形相をしているが、刃が外に向いている分殺傷性は高い。

 

(ヤバいっ!)

 

敵に希の能力が通じない謎を解くより、先に手を開かせる方法を考えるべきだった。希を手放すことはできないが、このままでは諸に怪力のラリアットを食らう。そうすれば俺の顔面はざくろのように弾け飛んでしまうだろう。

 

「伏せろ、黒崎裕翔!」

「言われなくても!……なにっ?」

 

頭を下げて腕をかわす。

その俺を頭上から飛び越えてきたのは重傷を負ったはずの委員長だった。

 

……スカートの中見えた。

 

(黒か……)

 

直後響いた轟音。象が全力で体当たりすればあのような音が響くのかもしれない。

首元に叩き込む飛び蹴り、レッグラリアート。凄まじい威力に少女は蹴飛ばされるばかりか床を何度かバウンドしてしまっている。

 

「い、委員長……」

 

何故、と聞く間もなく委員長は追撃にかかる。

ゆっくりと立ち上がる少女の首元に再び蹴りを打ち込み、そのまま片足で少女の首を吊るようにして持ち上げた。

 

「追い詰められたネズミはネコを噛む……というが……」

 

ここに来てようやく委員長が珍妙な格好をしていることに気付く。お尻に見える白い毛のボールに頭頂部から生える長い耳。極め付けは足が別の生き物のような形状をしている。人間というよりも、耳や尻の毛玉から察するにアレはウサギだ。

 

戦いの最中ではあったが、俺は後方からの足音を『伏せろ』と命じられた時の1度しか聞いていない。

ならば委員長はただの1度のジャンプで15mの距離を易々と詰め、その上少女を蹴飛ばすほどの勢いを持っていたということ。つまり単純計算でも委員長のウサギの足は人間の3倍以上の脚力を誇るはず。

 

「覚えておけ。追い詰められたウサギはオオカミをも蹴殺す!」

 

人間の3倍以上はある脚力で何度も蹴られればどうなるか。それを少女は今から身をもって教えてくれる。

 

「ダァァァァァァァァァッ‼︎‼︎」

 

少女を地にはつけず、連続で右足での蹴りを叩き込む。頭のてっぺんから爪先まで委員長のウサギの足が触れていない箇所はない。

全身の骨が砕けてしまってもおかしくない威力の乱打だが、やはり特殊な術を使っているのか少女の体は原型を留めている。

 

「委員長!ヤツの体は謎だ!皮膚や骨を傷つけることはできない!」

「ならば、内側を傷つけるのみだ!このまま!」

 

委員長のラッシュは休む間もなく続けられる。

敵は筋肉の収縮で刃物を打ち出していた。ならば皮膚の内側、内臓や筋肉はダメージを受けるはず。

ウサギの聴力はどんな小さな音であっても感知する。骨は軋むばかりで折れる音は一向に聞こえないが、肉が破裂する音は何度も聞いている。表面にはアザが増え始め、その剛力も衰え始めていた。

 

そして何発目かもしれない蹴りが少女の腹を貫く。

 

「……やった?」

「……やった、が。この手応えは……異常だぞ」

 

少女の体が徐々に液体になってとろけていく。委員長の蹴りも少女が液体になったから腹を貫いたに過ぎない。

そしてスライムのようにドロドロになって地面に落ちた後、服と体内に埋め込まれた刃物を残して蒸発するかのように消えてしまった。

 

「死んだ、その手応えはあった。コレが人間であれば、だが」

 

息をひとつ吐いてようやく足を下ろす。

委員長は全身の骨が折れ、切り傷も無数にあったはず。しかし今はその傷は跡形もなく消えていて、傷ついているのは制服のみだ。

 

「……怖いか?なんか、これ……化け物みたいだろう?」

「いや、化け物というか、その……そういうコスプレにしか……」

 

つい心の中で思ったことを正直に言ってしまった。こういうセクハラは委員長の嫌いな類の冗談であり、拳骨が飛んできてもおかしくない。

恐る恐る顔色を疑ったが、委員長は呆けた顔をしている。怒りに我を忘れているのだろうかと思ったが、急に吹き出して笑い始めた。

 

「はははは、いやすまない。相当肝が座っているな、黒崎裕翔。正直逃げ出されてもしょうがないと思っていたんだがな、この姿は」

「いや、それを言ったら俺もおかしいだろ。体の半分が真っ黒だ」

「確かに、それもそうだな。私がコスプレなら、お前はインドネシアだな。色を2つしかないという意味でな」

 

インドネシアの国旗は赤と白で上下に分けられている。委員長らしい若干教養が必要な冗談だが、さすがに国旗呼ばわりはカッコよくない。

表情で不満を表明すると委員長は少し考えてから人差し指をピンと立てた。

 

「ならば、半月だな。他には思い付かん。お前も私のこの状態のネーミングを考えておいてくれ」

「んな無茶な……」

 

コスプレでなけれはバニーガールぐらいしか出てこない。俺がうんうんと唸っていると、委員長は耳をピンと立てて周りを見渡していた。

 

「ところで、草薙希はどこだ?遠くに逃げたのか?」

「え?あ、いや……希はここにいるぞ」

 

怪訝な顔でこちらを見る委員長の目の前で希は刀から人へと形を変えた。委員長は驚愕のあまりビクンと耳を跳ねさせた。

 

「お、おお……凄いなこれは……私のカチューシャも大概だが、こんなことがこの世にあるとは……」

「希は憑喪神なんだ。憑喪神を見るのが初めてなら無理はないと思うけど」

「付喪神?それはあの……長く使った物に現れるというアレか?」

「え?いや、そういう意味じゃ……」

 

何か会話が噛み合わない。

もしかして、委員長は憑物や憑喪神の存在を知らなかったのか?憑物を使用しておいて?

 

「あ、あの〜佳奈ちゃん……」

 

いくつか質問を投げかけようかと口を開くが、希が小さく手をあげて前に出たことで会話が中断された。俺と委員長は怪訝な目で希を見る。

 

「服、着替えよう……?」

 

……そういえば、委員長の服は穴だらけだった。

意識してしまうと穴から肌やそれ以外の色が覗いているのがわかり、一拍遅れて委員長の顔が茹で蛸のように真っ赤になる。

 

「見ちゃダメっ!」

「いったッ⁉︎」

 

希から飛んできたのはビンタではなく、まさかの鉄拳であった。





佐川キャサリン

年齢ー25
性別ー女
来歴ーハーフではあるが、生まれも育ちも生粋の日本人。学生時代はレスリングで成績を残し、卒業後は自衛隊に入隊。男顔負けの身体能力で将来を期待されていたが、とある時期を境に失踪。その後は想いの光教会の刺客として暗躍することとなる。


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5

「ごちそうさまでした」

 

手を合わせて礼をすると草薙希が皿を持っていってくれる。非常に手慣れた様子であり、2人がこの屋敷で過ごしていた時の長さを感じられる。

 

結局あれから話も長くなるだろうということで、私は黒崎裕翔と草薙希の家にお邪魔していた。2人の距離の近さはよく知っていたが、同棲していると聞けばそれも納得である。

通常であれば未成年の男女が2人で暮らすなど言語道断、すぐにでも考えを改めてやりたいところだったが、2人の事情を聞いてしまうと簡単に非難はできない。

 

この世には憑物や憑喪神という存在があり、黒崎裕翔と草薙希は所持する者と所持される者として強い信頼で結ばれている。その関係は2人が出会った10年前から続いており、中学生までは実家で過ごしていたらしい。

 

なので草薙希の言う通り、カップルというよりかはパートナーの方が2人の関係を示す言葉としては的確かもしれない。

 

(……とはいえ)

 

2人の関係を理解はしたものの、染み付いた常識は即座に変えられるものではないし、どうしても年頃の男女の間に入るというのは落ち着かない。

 

私は特に洗濯するものはなかったが、当然のように草薙希と黒崎裕翔は同じ洗濯機を使って同じタイミングで洗濯を行っていた。

私は途中で購入した物を使ったが、風呂場に入れば体を洗うタオルは1枚しかなかった。

洗濯物は2人の分を黒崎裕翔が干していたし、2人の分を草薙希が畳んでいた。そのまま当然のように部屋に入ってタンスに服を仕舞い込んでいるのも見た。

そして2人は同時にキッチンに立って阿吽の呼吸で晩ご飯を作り、食べ、今に至る。

 

はっきり言って、落ち着かない。見てはいけないものを見てしまったような気分になる。

 

洗い物を終えた草薙希が帰ってきて、脇に畳んでおいた私の制服を手にする。ところどころ穴が空いてしまったそれは新しいものが届くまで時間がかかる。よって2人は家事の合間合間に制服の穴を塞ぐ作業をしてくれていた。

 

「じゃあ委員長、その憑物のこと教えてくれないか?」

「あ、う、うむ。了解した」

 

机の上に置いたのは真っ黒なカチューシャ。一見なんの変哲もなく、飾り気もない安物のカチューシャに見える。

 

「それが?」

「ああ。私がこれをつけることで……動物の力を貸してもらえる」

 

私がカチューシャを身につけ念じれば、カチューシャからウサギの耳がひょこんと生えてくる。外せばすぐに耳は消えてしまった。

 

「それはどこで手に入れたんだ?」

「妹の置き土産だ。少々事情があって今妹とは連絡が取れないが、去る前に渡された」

 

目で『妹のことには踏み込まないでほしい』と訴えると2人はその意思を汲んでそれ以上踏み込まないでくれる。

そして次なる質問を投げかけてきた。

 

「なら……それを所持したり使用したりする時に何かのデメリットはなかったか?」

「……?いや、特にはないが……何故だ?」

「あのね、憑物や憑喪神を所持したり使用する時にはほとんどの場合大きな代償を払わなくちゃいけないんだ」

 

この世にある思念は大きく2つに分けることができる。即ち、祈りと呪い。

祈りや呪いは特別な力を物にもたらすが、その力の向かう方向に区別はない。作用反作用の法則のように力を使えば使うほど反動も大きい。

例外として、蓄積された祈りと呪いがほぼ同じ量である場合にはお互いが打ち消し合うことで力と引き換えに反動も失われるが、そんな憑物や憑喪神はほとんど自然発生しない。

 

「そういうことならば……代償と呼べるかは怪しいが、強力な動物に変身はできない……とか……」

「強力な動物って……象とか、ライオンとか?」

「うむ。制御しきれなくなって全身どころか頭の中まで動物に成り果ててしまう。実を言えばウサギ程度の動物ですら、完璧に制御はできていないのだ」

 

そういえば、と黒崎裕翔が先程の光景を思い出す。ウサギから借りるのはあくまで脚力と聴力だけで良かったはずなのに、尻尾まで生えてきていた。

 

「……どう思う、希?」

「どうって言われても……うーん……『らしく』ないよね」

 

カチューシャをしげしげと眺めている。軽く手に取って感触を確かめるように撫でていた。

 

「条件付きの代償だなんて聞いたことない。多分これ、誰かが祈りと呪いのバランスを取るようにして作ったものだと思う」

「そういうものなのか……?いまいち実感はないが……」

「それに、憑物にしては新しすぎるよ、このカチューシャ。どう見たって10年使われたか怪しいくらい」

 

2人の弁ではどんなに早くても憑物ができるまでには100年前後の時間が必要らしい。しかしこのカチューシャに経年劣化の形跡はなく、100年の重みを感じることはない。

 

「妹さん……探した方がいいかもね」

「今度父さんに話を通しておこう。委員長もそれでいいか?」

 

妹を探す手助けをしてくれるのはありがたい。しかし私はすぐには頷くことはできなかった。

もし妹が憑物を利用した何かの悪事に加担しているとすれば、彼女は罰を受けなければならない。しかしそれを他人に任せるのは私の中に残された姉妹の絆が拒んだ。

 

「……構わない、が……妹の処遇に関しての判断は私に任せてもらいたい」

「……わかった。そういうふうに話は通しておく」

「すまない……」

 

2人は問題ないというふうに微笑んでくれる。

話はこれから教会についての話に移り、様々な情報交換を繰り返していると日付を超えようかという時間にまでなっていた。

翌日も学校はある。疲れも癒さなければならず、私は草薙希の寝室まで案内された。

 

「すまないな……借りをひとつ作った」

「ううん、いいんだよ。私にだって話したくなかったり譲れなかったりするところあるし」

 

そう言った希の表情にはほんの少しのかげりが見えた。

 

「……草薙希」

「なに?」

 

お前が黒崎裕翔にもたらしている代償とはなんなんだ?

その言葉が喉まで出かかって、それから飲み込んだ。

 

「……いや、なんでもない。早く寝よう」

 

それを聞くことは2人の禁忌に踏み込んでいるような気がして、問い質すことはできなかった。

 

 

 

 

 

想いの光教会の本部は都会にあり、そちらでは主に表向きの業務が行われている。

しかし裏側の本部は定期的に場所を変えており、その居場所を特定するのは難しい。今回の本部は裕翔たちの家から1時間程度、森の外れにある寂れた建物だった。

 

元々は森を管理、整理する業者のための前線基地として建てられたものであったが、既に中身は教会に乗っ取られている。

 

「どうだった?キャサリンを葬った者たちの力は」

「思わぬ伏兵に邪魔をされて……次は必ず」

 

集会を行うために設けられたホールは改装が施され、窓ガラスは全てステンドグラスへと変えられた。

正面に掲げられた巨大な十字架の周りには無数の十字架がまるで剣山のように床に突き刺さっている。

そして巨大な十字架の真下、剣山の中心に座る人物こそが想いの光教会の神父であった。

 

「君には2つの憑物を預けた。三面鏡の憑物と、懐中時計の憑物だ。その力ならば、妖刀草薙の能力からも身を守れるはずだったな?」

「はい。ですが、あの新手の憑物使いの攻撃は懐中時計の天敵とも呼べるものです」

「ほう……どのように?」

 

神父の話を聞いていたのは皇佳奈にやられてドロドロになって消えたはずの少女であった。

少女の整った顔や小さな体からは美しさよりも幼さが目立つ。裕翔たちを襲った少女と違い、全身に傷跡もなかった。

 

「私の懐中時計の憑物は物体の状態変化の速度を操ることができますから、草薙の斬撃は皮膚で止められます。しかし、その内側まで響く攻撃は防ぎようがありません」

「なるほど。筋肉や血まで速度を遅らせてしまえば、動けなくなってしまうからね」

「はい。おそらく私の分身は全身の内出血と臓器の破裂によって耐えきれないダメージを負って……」

 

神父はしばらく少女の説明に頷いた後、温かい微笑みのまま顎を撫でる。

 

「では、他の者を探した方が良いようだね。君に預けた憑物ではその新手に太刀打ちできない」

「いいえ、策はございます」

「ふむ?では……信じても良いのかな?」

「私は神父様の信頼を裏切ることは決して……」

 

少女はどんな見方をしても中学生にすら見えないような幼い容姿をしているが、使命に燃える顔は年齢に見合わず大人びて見える。

その顔を神父はしばらく値踏みでもするかのように見つめた後、おもむろに地面に突き刺さった十字架のひとつを手に取った。

 

「キャサリンは……強い女だった」

「はい」

「彼女には戦いの才能があり、元軍人の格闘家に圧勝したこともある。この教会に戦士は多くいるが、真正面から戦ってキャサリンに勝てる者はいないと私は思っている」

「その通りでございます」

「では何故……キャサリンは負けたと思うね?」

 

少女は少し考えた後答える。

 

「信仰心が足りなかったかと」

「……君は敬虔な信徒だが、今私が求めているのは別の答えだ。……彼女には思慮が足りなかった、と私は考えている」

「はい」

「くれぐれも驕ってはならないよ、飛鳥。思慮深い行動を心がけなさい。以上だ」

 

少女は立ち上がって教会を後にする。

すると、扉が閉まると同時に神父の後ろから修道女がするりと現れる。女は全身を黒い布で包んでいるにもかかわらず、修道女とは思えないほどの色気をその所作や僅かに見える皮膚から発していた。

女は肘おきに腰を下ろして蛇のように神父に絡みつく。女の唇が神父の耳に触れると同時に神父も女の腰に手を回す。

 

「どう思う?あの子……うまくできるかしら?」

「できると信じたいがね。何人かの目付けを送りたいところだ」

「そのことだけれど……キャサリンに加えて2人の憑物所持者が行方不明になったわ」

「黒崎家の刺客か……あまり落ち着いてはいられないな」

 

これだから他人は信用に値しない。

それが本能的にわかっているからこそ人は神を生み出し、信仰を捧げたのだろうが、生憎私たちは信仰を捧げられる側の存在だ。

だから自分の信仰は神にも他人にも捧げず、ただ共に生まれた憑喪神へと注ぐ。

 

「私が行こう。特に、三面鏡の憑物を失うわけにはいかない」

「ええ、任せるわ。私は杯の憑物所持者に話を通しておくから」

 

神父は手に持った十字架を握り潰す。

 

神父の名はナージャ。油絵具の憑喪神であり、ロザリオの憑物所持者。

修道女の名はマリア。ロザリオの憑喪神であり、油絵具の憑物所持者。




カチューシャの憑物

能力ーー動物の力を各部位を変化させる形で使うことができる。今のところ同時に変身できる動物は1種類のみらしい。装着するだけでも身体能力、特に回復力は異常なほどに向上し、皇佳奈は全身の複雑骨折と切り傷を数秒で完治させてみせた。
性質ーー祈5呪5
代償ーー強力な動物に変身しようとすると野生の本能が理性を上回り、身も心も怪物に成り果ててしまう。
成り立ちーー皇真奈が関わっているらしいが不明。


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6

謎の少女の襲撃から数週間が過ぎた。奇妙なほどに新たな戦いの気配は無く、何の異常もなしに私たちは文化祭の日を迎えた。

 

学校は田舎に位置するとはいえ、この地域の高校はそう多く無く、消去法で袴田学園を受験する生徒も少なくはない。

中学生にとっては受験校としての見極めに、それ以下の子供にとっては田舎では珍しい遊び場として、袴田学園の文化祭はそれなりの盛況だった。

 

そんな文化祭の最中、クラス委員長である私にはそれなりの量の仕事が課されていた。主な仕事は見回りと、クラスと文化祭実行委員との橋渡し。

 

単なる見回りと言えども、階層の往復はそれなりに疲労が溜まる。気付けばシフト開始から1時間が経過していたため中庭のベンチに腰掛けて小休憩をとることにした。

 

黒崎裕翔からの話によれば教会の戦力は大きく削ることができているものの、未だ本拠地は見つけ出せず交渉にも応じる気配はないという。

もう少しの辛抱とはわかっているものの、このまま終わってくれるほど甘い事件だとは思ってはいなかった。

必ずまた攻撃を仕掛けてくる。不思議とそういう確信があった。

 

とはいえこちらからできることは何もない。自販機で買った炭酸水を飲み干してゴミ箱に捨てて立ち上がる。

 

その時、背後に気配を感じた。

振り向くと自分が今まで座っていたベンチに少女が腰掛けている。間違いなく、数週間前に襲撃を仕掛けてきた女だ。

 

「貴ッ、様……!」

 

すぐに身構える。体が急激に緊張し、少女の一挙一動を集中して捉える。

 

しかし少女に殺気はなく、武器の代わりにゆっくりと懐から携帯を取り出した。まもなく携帯から着信音が鳴り出す。

 

「………」

 

電話に出ろ、ということなら対話する必要は一切ない。それよりも早く2人に危機を知らせ応援を頼むべきだが、動きが察知されれば目の前の少女がどんな行動に出るかわからない。

 

今は文化祭の真っ只中だ。学校中の生徒やその他の人々を私たちは守り抜かなければならないが、敵もそれを理解して動くはずだ。

 

私の答えは沈黙だった。

少なくとも今は打開策を見出せない。今の中庭でさえある程度の人通りはあるし、おおっぴらに憑物を使うことはできない。下手な行動をすれば人々がどんな目に合うかも想像はできていた。

 

数秒の硬直の後、私が反応しないと見越したのか少女が携帯を操作して通話を開始する。

 

『はじめまして。数日前はごめんなさいね、目障りだったから、つい』

「……いや、許すよ。子供のやることだ。とはいえ躾がなってないな、親の顔が見たい」

 

携帯から聞こえてきたのは変声機を使っているのか、不自然な不協和音。私は専門家ではないから、口調から敵の姿を推測することはできない。こういう時は会話をすることで情報を多く聞き出す……と、刑事ドラマで言っていた。

 

「それにしても、ウチの文化祭に来るとはな。お子様にはまだ早いんじゃないか?迷子なら職員室で預かっているぞ」

『……どうしたの、早口よ?そんなに怯えなくても良いのだけど』

 

気取られないように短く息を吸い、数瞬だけ思考に全リソースを注ぐ。

慣れない挑発をしてみるものの、あまり効いている様子はない。相手の方が優位なのだから当然といえば当然だが。

 

「君こそ、恐怖で声が震えていないか?前回はあれだけコテンパンにされたからな、怖がるのも無理はないが」

『……ふふっ、貴方と話すのはとても楽しいのだけれど、このままではすぐ夜になってしまうわ』

 

少女がこちらに歩み寄ってくる。

前回とは違って体中に傷口や縫い目はなく、刃物を射出してくることはなさそうだ。服も年齢相応の可愛らしいものになっていて、足や腕も露出している。改めて見れば少女ながら整った顔立ちをしているが、その顔には感情が見えない。

 

『本題に入りましょう?よろしいでしょう?』

 

元より話をしている時点で真っ向から戦う気はないのは分かっていた。自分が果たして化かし合いで勝つことができるか……その不安を飲み込み、あくまで平然と返事をする。

 

「場所を変える。ついてこい」

 

相手の返事を待たずに歩き出す。できるだけ時間をかけてできるだけ人気のないところへ誘導しなければならない。

 

行き着いた先は校舎から離れた体育館の裏だった。この時間は体育館での出し物は行われておらず、その裏ともあれば周りを巻き込む心配もない。

しかし、それは2人が危機に気付き救援に来てくれるまで時間がかかるということでもある。

 

「……要求はなんだ?とはいえ、悪党のことだ、おおよその察しはつく」

『小賢しいのね。とはいえ間違ってはいません。草薙をこちらに引き渡してもらいたいわ』

「……まどろっこしい話は苦手だ。その要求を通せるだけの手札があるんだろ?」

 

彼我の距離は約10m。この距離ならば一瞬で詰め切ることができる。しかしそれも相手は織り込み済みのはずだ。

 

いつでも変身して攻撃に出られるよう身構えていると、少女は携帯を地面に置き服を脱ぎ始めた。

今までは服に隠れて見えなかったが、腹部には縦に大きく走る無残な縫い目がある。

 

『お腹の中には爆弾が入っています』

 

その言葉を聞いた瞬間、思考がフリーズする。そしてフリーズから脳が立ち直るのと同時に全身から冷や汗が溢れた。

 

「なんっ、だと……!」

『既に校舎にも小規模ながらいくつか仕掛けさせてもらいました。全滅とはいかずともそれなりの被害は出るはずです』

 

脳がうまく機能してくれない。どうする、どうすればいい、どうなっている?グルグルと思考がオーバーヒートするほど巡り、そのくせ生み出すものは何もない。

 

『スイッチはここ。一押しすれば、全ての爆弾が一斉に起動します』

 

少女はポケットからノック式のスイッチを取り出した。

あのスイッチを奪えば当面の危機は防げるだろうか。いや、本体は何処かで予備のスイッチを持っているに違いない。そもそも爆弾の存在が本当なのかもわからない。

 

『今すぐに草薙を持ってきなさい。貴方の憑物ならば、容易いことでしょう?』

「………わかった。呼び出す。だからそのスイッチは捨てろ……」

『貴方が草薙を持ち出せば、捨てて差し上げます』

「お前が先だ。生徒たちの安全が保証されなければ私も要求を飲むことはできない」

 

現時点での最悪は草薙希が連れ去られ、さらに生徒たちに被害が及んでしまうことだ。ひとまずは生徒たちの安全を確保し、それから草薙希を全力で守る。

 

駆け引きは苦手だが、譲れないものはある。毅然とした態度で少女を見据えるが、携帯から聞こえたのは微かに怒気を孕んだ溜息だった。

 

『貴方……少し勘違いをしているのかもしれないわ。どちらの立場が上か、言葉にしなければ伝わりませんか?』

「なに……?」

『私は別に、今すぐにスイッチを押しても構いませんのよ』

 

少女の指がスイッチにかけられた。

 

「貴様ッ」

『動くなッ!』

 

思わず踏み出してしまった足がそこで止まる。

 

『人質は掃いて捨てるほどいますでしょう?ここで数人死のうが、困ることはありません。また日を改めてお伺いするだけのこと……』

「やめろ!無関係な人を巻き込むなど、お前たちにとっても望ましいことではないはずだ!」

『貴方が草薙を渡せば良いだけのことです。渡さなければ私は赤子であろうと躊躇いなく首を切るでしょう』

「こ、の……ッ!お前たちは……!」

 

予想以上に……いや、予想以下の下劣さを敵は持っていた。こんな奴の要求を飲めば最後、全てを奪い尽くすまで暴虐は止まらないだろう。

 

『渡せませんの?』

「元より外道と取引をするつもりはない!お前たちがどんな手を使おうと、私が打ち砕いてやる……!」

『なら、離れた方がよろしくてよ?火傷してしまいます』

 

スイッチを押す前にケリをつける。

襲撃の日からずっと着用しているカチューシャに念を込めて兎の脚力を借りる。溢れる脚力にものを言わせて自らの体を弾丸の如く打ち出し、足を振りかぶる。

その瞬間のことだった。

 

 

「『止まりなさい』」

 

 

時が止まった、と感じた。

 

少女も、私も、体の一切が動きを止めていた。

 

「………⁉︎な、んだ……⁉︎」

 

時が止まったと感じたのは、飛び跳ねた私の体が宙に浮いたままだからだ。少女もスイッチを押す指一本でさえ動かすことができないでいるようだ。

 

すると、後ろからの足音が聞こえた。その足音は段々と自分に近づいてくるが、身動きひとつ取ることはできない。

 

「何者、だ……!」

「……皇佳奈さん、ですね」

 

女の声だった。その手が頬に触れる。

 

「『動いて構いませんよ』、佳奈さん」

「っ」

 

そう言われると自分の体が落下し、尻餅をつく。手を握り開き、自分の体の所有権が自分にあることを確かめる。

 

『……何者ですか、貴方は』

「貴方のような人には語りたくないほど、私は自分の名前に誇りを持っています。ですが……」

 

見上げた女は美しい桜の柄の着物を羽織っていて、その髪は貴金属と同等の価値はありそうな銀色で腰まで伸びている。

女がチラリとこちらを見たことで、目が合う。

美女。その他の言葉が見当たらない。この美しさを伝えようと稚拙な表現を付け足してしまえば、逆に価値を貶めてしまうのではないか。そう感じた。

 

「敢えて名乗ります。私の名は鳳凰院桜……私がいる限り、裕翔くんや希ちゃんには指一本でさえも触れられないと思ってもらいます」

『……そうですか。ですけど、まさかスイッチがひとつだけだとお思いで?』

「もちろん、思っておりません。ですから、もう手は打ってあります」

 

 

 

「なに……?」

 

携帯から聞こえた女の声に疑問符を浮かべた少女の本体。少女がその意味を反芻する前に、スイッチを握っていた左手に風穴が空いた。

 

「グッ、あッ!」

 

痛みと衝撃で登っていた木から転げ落ちる。受け身も取れずに這いつくばった少女の目の前にいたのは、白シャツにネクタイを緩めた銀髪の男性だった。

 

『ご紹介しますね。私の最高の相棒、波戸晴太郎さんです』

「よう、お嬢ちゃん。お仕置きの時間だぜ」

 

少女の頭に拳銃が突きつけられた。




三面鏡の憑物

能力ーー自分の分身を作り出すことができる。分身は本体から命令を受けなければ動くことはなく、その性質上精密な動作をするためには分身の近くに本体がいなければならない。
性質ーー祈6呪4
代償ーー能力発動の際に自分の体の部位を捧げなければならない。しかし捧げた部位の量や価値に応じて生み出される分身の数は変わる。
成り立ちーーとある貴族が何代にもわたって大切に使い続けたもの(そのため比較的祈の性質が強い)であるが、何代にも渡って良縁に恵まれなかった娘たちが自分を美しく映さない鏡を逆恨みし続け、憑物となった。


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7

書き溜めはここまでになります。
次回以降は数週間に1話のペースで進めていきたいと思います。


皇佳奈の鋭敏な兎の耳はガサガサと茂みが揺れる微かな音を逃さなかった。方角は体育館の裏のさらに奥、学校の裏山方面。

 

「そこか……!」

「ええ、そちらです。私たちも行きましょう」

 

軽く微笑んだ桜の顔は女の佳奈でさえも変な気を起こしそうになる。頭を振って正気を取り戻してから裏山へと踏み出そうとすると、桜が着物姿であることに気づく。

 

「あの……おぶっていきましょうか。その服や靴で裏山の獣道は厳しいかと思います」

「お気遣いありがとうございます。ですが、気持ちだけ受け取っておきますね」

 

そう言うと桜はふわりと宙に浮き、滑るように山へと向かっていく。それどころか桜の進路上にある枝葉や石などの障害は全て横へとよけられていく。

その姿を佳奈は唖然として見ているだけだった。

 

「……?佳奈さん?」

「あ、あっ、はい」

 

不思議なことに佳奈の進行方向の枝葉もどけられていく。歩きやすいことこの上ない。

佳奈が裏山に踏み出していくと、動きを止められていた少女の分身はドロドロと液体になって消え、腹の中に収められた爆弾だけが残った。

 

不可思議な能力だ。そもそも桜が憑物使いなのか憑喪神なのかもわからないが、空中に体を固定し、鋼鉄の皮膚を持つ少女にダメージを与える能力……只者ではないことは明らかだった。

 

兎の足は跳躍には向いているが歩くには向かない。一旦変身を解除して桜の後をついていく。

 

「あの……この先で戦っているのはどんな人なんですか?」

「晴太郎さんですか?ちょっと飄々としたところはありますが、お優しい方ですよ。それに……」

「それに?」

「とても強いお方です」

 

 

 

少女の左手には指一本程度の穴が空き、同時に左手に握っていたスイッチも砕けてしまっている。落下の衝撃と手を撃ち抜かれた痛みで頭が回らないまま、自分に拳銃を突きつけている青年を見る。

 

「お嬢ちゃん、名前はなんていうんだ?」

 

ニヤニヤと笑う晴太郎の顔を見ていると屈辱と不快感で顔が歪む。

 

「………」

「なあ、答えてくれたっていいだろ?」

「………花子」

「嘘ついてんじゃねーよ」

 

左手にもう1つ風穴が空いた。痛みで叫びたくなる衝動を抑えて歯を食いしばる。

 

少女には疑問があった。晴太郎と名乗る青年が持っている拳銃からは銃声がしないのだ。

少女も裏の人間、おおよその銃の種類は知っているし特性も抑えている。当然銃にはサプレッサーと呼ばれる銃声を抑える器具を取り付けることは可能だということも知っているが、晴太郎の銃にそのような装置は見当たらない。

そもそもサプレッサーがついていてもある程度銃声は響くはずだし、撃鉄が横についている独特の形状も少女の知るところではない。

 

「鎌倉緑……生きていれば現在小学5年生。2年前に行方不明になって以来捜索依頼が出ている。それがお前だろ?」

「……わかっているのに聞かないでよ、それって凄く……無駄なことじゃない?」

「わかった上で聞いてんだよ。お前の体は間違いなく鎌倉緑のものだが……中身はまるで別物だ」

 

再び銃口が頭に押しつけられる。銃口が持った熱で頭が焦げた。

 

「なあ、お前は誰だよ?答えろよ」

「……なによそれ。私は私、鎌倉緑よ」

「おい、勘違いすんなよ。どっちの立場が上か……言わなきゃわかんねえか?」

 

なかなかムカつく男だ。緑は思わず舌打ちをしてしまう。

 

だが、時間稼ぎの会話は上手くいった。晴太郎を見上げてニヤリと笑ってみせる。

 

「私は……どんな拷問を受けても仲間を売りはしないわ。信仰心ゆえに。だから……早く私を殺してしまえばよかったのに」

「っ!」

 

草むらから3人の分身が襲いかかった。あらかじめ周辺の警護に置いていた分身を呼び戻しておいたのだ。

 

体に武器を仕込む時間はなかったが、ほとんどの攻撃を寄せ付けず剛力を持つ分身はそれだけで脅威だ。しかも痛みや恐れを知らない。

 

「私の警護もできなかった役立たずの分身たちは、せめて足止めだけでもしておきなさい!」

 

押し倒された晴太郎を尻目に急いで山の奥へ逃げていく。作戦は失敗したが、汚名挽回のチャンスはいくらでもある。今やってはいけないのは私が死に、憑物が敵の手に渡ってしまうことだ。

 

しかし、あらかじめ決めていた逃走ルートへ走り出した矢先、緑の横を転がってきたのは分身のうちの1人だった。

 

「………!」

 

しかも全身の関節が異様な方向に捻じ曲がってしまい、動くこともままならずにピクピクと震えている。

 

「憑物や憑喪神の戦いは情報戦とほぼ同義だ。如何に相手の能力を知り、自分の能力を明かさないか……だろ?だから、裕翔くんは苦戦を強いられたわけだ」

 

振り向くと晴太郎は傷一つなく立っていて、その脇には残り2人の分身が倒れ込んでいる。

 

「な、にを……した……」

「難しい話じゃねえよ。皮膚に攻撃が通らないならその内側、肉体を直接痛めつければいい。前もそうやってやられたんだろ?」

 

全身の関節が壊れた分身が消える。

 

「それは日本の空手で習った。どんなに剛力でも、関節の防御は難しい」

 

2人目の分身は口から血反吐を吐いて動けなくなっている。

 

「これは中国拳法だ。発勁ってヤツだな。体の外よりも内側が深く傷つく」

 

3人目の分身は立ち上がろうとしても手足が震えて起き上がることができないでいる。

 

「これはボクシングだな。脳みそが揺れると人間は上手く動くことができない」

 

3人の分身をもってしても晴太郎には傷をつけることができず、時間を稼ぐこともできない。

もはや無傷で逃げ切ることは不可能であると、緑は舌打ちの後に覚悟を決める。

 

「出したな、それがお前の憑物か」

 

緑が懐から取り出したのは三面鏡の憑物。それを開き、自らの姿を鏡に映し出す。

 

「鏡よ鏡、貴方の力が借りたいの!」

 

緑が呼びかけると鏡の中からゾンビのような女の上半身が出てくる。皮膚や肉が削げ落ち、長い髪がほんの数本ぶら下がっているだけの醜い女。

 

「私の力が借りたいの?」

「そうよ、貴方の力が借りたいの」

「なら、貴方は私に何をくれるの?」

 

緑はその問いに僅かに返答が詰まり、同時にこちらに憑物を発動させまいと走り出した晴太郎を見て口を開く。

 

「この左腕を捧げるわ!だから早く!」

「ありがとう……貴方の左腕を貰うわ。代わりに貴方を5人あげるわね」

 

女が少女の左腕を掴んで鏡の中に引きずりこもうとする。

 

しかし緑は自分で望んだこととはいえ、自分の腕を失う恐れを打ち消し切ることができなかった。残った右腕で女の手を掴んで抵抗してしまう。

 

「どうして……?くれるんじゃないの?」

「あ、あげるわよ!さっさと持っていって……!」

 

その葛藤は晴太郎にとって大きすぎる隙だった。

2人の距離はまだ3mほど離れていたが、晴太郎の手のひらから長槍が飛び出す。

 

「あっ……!」

 

咄嗟に避けた緑の左肩を槍は貫き、辛うじて繋がっていた左腕を鏡の女が引きちぎる。

 

「ふふ、ありがと……」

「う、あ、あああああああっ!」

(クソ、発動しちまったか……!)

 

鏡の中から5人の分身が飛び出した。

しかし分身は本体からの指示がないからか飛び出しただけで動くことはなく、その間をすり抜けて地面に転がった三面鏡を晴太郎が拾い上げる。

 

「これが分身を作り出す憑物か……悪いが、奪わせてもらうぞ」

「………か……」

 

緑は腕を失った痛みが激しいのか、地面に転がって動けずにいる。その出血もおびただしいものであり、放っておけば絶命することは間違いないだろう。

だがその血走った目からは狂気が迸っており、まだ戦いをやめるつもりはないことがわかる。

 

「渡す、ものか……」

「……やめとけよ。これ以上やったって無駄ってのはわかるだろ」

「か、鏡よ鏡……お前の力を貸せぇぇッ!」

 

再び鏡の中から屍人が現れた。しかし屍人の左腕だけは瑞々しい肌に覆われた生きている人間のそれと化している。

 

「おい……!マジでやめろよ、それ以上やってなんになる!今すぐ逃げちまえば俺はそれでいいんだ!」

「私の力が借りたいの?」

 

晴太郎の制止を無視して悪魔の取引が始まる。

 

「私の光を半分やる……!持っていけッ!」

「ありがとう……貰っていくわね」

 

屍人の腕が伸び、緑の左目を引きちぎって持っていく。屍人の眼孔に緑の左目がピッタリとはまった時、鏡の中から6人の分身が飛び出す。

 

「んの、馬鹿野郎……ッ!」

「お前たちはそいつを抑えてろ……!残りはこっちに来い!」

 

6人の分身が晴太郎に襲いかかり、最初に生み出された5人の分身は緑を中心に集まる。

晴太郎が6人の分身の処理に多少なりとも時間がかかっている隙に緑が懐から2つ目の憑物ーーー懐中時計の憑物を取り出した。

 

(あいつ、憑物を2つも!)

「お前たちの……皮膚の状態変化の時を遅らせる。なんとしても、あいつから三面鏡を取り戻せ……!いいなッ!」

 

頷いた分身が次の瞬間には晴太郎に襲いかかっている。

そして本体は痛む体に鞭打って逃走ルートを進み始める。

 

(くそっ、あの鏡にここまで捧げるつもりはなかったのに……!)

 

緑は懐中時計で自分の血が乾くまでの時を操り、簡易的な止血を行う。このまま治癒までの時間を加速し続ければ再生はしなくとも傷や痛みは癒える。

 

しかし失った血を取り戻すことはできない。ある程度の距離を離したところで足がふらつき、大木に背を預ける。

 

(今は、退いて……鏡は奪われても……)

 

そして再び歩き出した時、ふと足が少しも進まなくなる。不思議に思い見下ろすと、自分の胸から刀が生えていた。

 

「あ、な………?」

「だから言っただろうが……無駄なんだよ、馬鹿野郎」

 

刀が生えているのではなく、自分の胸が刀に貫かれていたと緑が認識した時、緑の意識は既に闇の中だった。

 

数が多かろうと、晴太郎にとって分身は簡単にいなせる程度の障害でしかなかった。伊達に数百年に及ぶ生涯のほとんどを武術に捧げていない。

緑の手に握られた懐中時計を奪い去ってその場を去る。

 

 

 

倒れた緑の元へ神父がたどり着いたのはその数分後だった。

 

「…………やはり、信用に値しないな、人間。だが、まだ利用価値はある」

 

神父の体がまるでスライムのように溶け、緑を包み込んだ。そしてそのまま地面に染み込むようにしてその姿を消した。




懐中時計の憑物

能力ーー物体の状態変化の時間を操ることができる。時間を操るためには物体に触れなければならないが、自分が一度でも触ったものであれば触らなくてもいつでもコントロールすることができる。
性質ーー祈8呪2
代償ーー体年齢が死期へと近づいていく。年老いた者が持てば老化が加速し、若い者が使えば若返っていく。
成り立ちーーイギリスのとある職人が作り上げた懐中時計。とても良い出来だったため代々家宝として家を継ぐ者に受け継がれていき、その一族の祈りが懐中時計を憑物へと変えた。ただし何者かによって奪われた後はその能力を悪用されたため、性質が若干呪い寄りになった。


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8

晴太郎と桜の手によってひとまずの危機は去り、文化祭もほとんどの人にとってはいつも通りの文化祭として過ぎ去っていた。

 

そのことに安心を覚える一方、私にとってはいつも通りの文化祭として終われなかったことも事実。

ユウくんは家を継ぐつもりらしいから受験は行わないだろうし、私もユウくんについていくならやっぱり受験は行わない。

しかし佳奈ちゃん含め、周りの3年生は受験をする人間も少なくない。となれば、3年生の文化祭は以前よりピリピリしているだろうし、割ける時間も少なくなってしまっているだろう。

そういう意味で、私の高校生として万全に迎えられる文化祭は最後だったのに、台無しだ。

 

それにタイミングを逃してしまった。

私とユウくんは以心伝心、言葉にしなくても強い絆で結ばれていることはわかっているけれど、それはそれとして大事なことは言葉で伝えなくちゃいけないっていう佳奈ちゃんのアドバイスも正しい。

 

鎌倉緑との戦いが終わるまでは、と思って我慢していたけれど、戦いが終わってみれば……。

 

「よお裕翔くん、久しぶり!」

「晴太郎さん!お久しぶりです!」

 

ユウくんは犬みたいに晴太郎さんに懐いている。ぴこぴこと揺れる尻尾が見えるようだ。

別に、私とユウくんにはかたい、かたーーーい絆があるから羨ましいとか、そういうことはない。ほんとに。

 

晴太郎さんはユウくんが生まれるより前に黒崎家にいた憑喪神で、特にユウくんとは親しい間柄。私も最初見た時には歳の離れた兄かとも思ったこともある。

 

そんな兄貴分との去年のお盆以来の再会、気持ちが盛り上がるのもわかるけれど、このままの状態では私とユウくんが2人きりになれない。

しかも晴太郎さんと桜さんは教会絡みの一件が収まるまで我が家に滞在するということだから、なおさら2人きりの時間はない。

 

(こうやってタイミングを伺ってるうちに、ずるずる言えなくなるんだろうし、今までもそうしてきたんだろうな……)

 

少し口を尖らせてしまう。

 

「ごめんなさいね、教会の一件が収まるまでですから……」

 

自分としては内心のもやもやがバレないようにしていたかったのだが、割と顔に出ていたらしい。隣に座った桜さんが困った顔で微笑んでいる。

 

「じゃあ、せめて桜さんが晴太郎さんを引きつけておいてください」

「えっ?でも、ほら、希ちゃんの警護もしなくちゃだから……」

 

少し意地悪をすると桜さんは慌てたように手を忙しなく動かす。

 

「いいじゃないですか、私はユウくんと2人でいれるし、桜さんだって……」

 

私はユウくんに気持ちを言葉で伝えられずに10年程経ってしまったが、2人のもどかしい関係はもっと長いらしい。

戦場では以心伝心、阿吽の呼吸。抜群のコンビネーションで戦う2人だが、桜さんは未だに肝心なところは伝えられずにいる。2人の付き合いは10年どころではないし、踏ん切りをつけなければこうなってしまうといういい例だ。

 

未だに困ったように手を動かしている桜さんは根が純粋だから、私の意地悪にもまともに取り合おうとしてくれている。でも、こういう純粋さが裏目に出て、いつまでも関係が進歩しないのかもしれない。

 

「そういえば、桜さんもここまで来るのに2人きりだったんですよね。何かなかったんですか?」

「何かって……教会の戦力を削ごうと思って」

「そういうことじゃなくて、晴太郎さんと、です。何もなかったんですか?」

「そ、そんな……何もありませんよ。あっ、でも……」

「でも?」

「ご飯は一緒に食べたりしました……」

 

私はきっと、ものすごくがっかりした顔をしていると思う。間違いなく顔に出てる。

 

すると、来客を告げるチャイムが鳴る。佳奈ちゃんのために2人との顔合わせ兼、親交を深めるお泊まり会である。

 

「おぉ、さっきぶり。改めて自己紹介させてもらうと、俺は波戸晴太郎。よろしくな」

「あ、よ、よろしくお願いします。皇佳奈です」

「おう、佳奈ちゃんって呼んで平気かな?俺のことは気軽に晴太郎って呼んでくれよな。あ、それと電話番号とか教えてもらえると助かるんだけどさ」

「え、は、はい、えっと……」

 

晴太郎さんは人当たりが良く、俗に言ってしまえばコミュニケーションの力に長けている。ともすれば軽く見えてしまうかもしれないが、誰とでも仲良くできるという晴太郎さんの立派な魅力だ。

 

「こんにちは、改めまして鳳凰院桜です。よろしくお願いいたします」

「はい、あの、先程はありがとうございました。桜さんがいなければ、今頃どうなっていたか……」

「いえいえ、佳奈ちゃんのお力があってこそ、私たちは敵の本体を見極めることができました。お礼を言うのはこちらの方です」

 

対して桜さんはいついかなる時でも丁寧な所作や言葉遣いを忘れない。そしてそれは自分を取り繕っているのではなく、相手を尊重する気持ちから来ている。

 

憑喪神は強大な力を持ち、数百年の寿命を持つ。そのため人間を見下したり、人間に対して嫌悪感を持っている憑喪神も少なくない。しかし2人はベクトルこそ違えど人間を尊重し、他人を敬っている。

だからこそ2人は多くの人間に好かれているのだろう。かくいう私も、やっぱり2人のことは好きなのである。

 

 

 

 

居間で全員が揃うと、晴太郎さんは懐から鎌倉緑から奪った2つの憑物を取り出す。

 

「どうやらこの懐中時計が皮膚を強固にし、三面鏡が分身を生み出していたようだな」

「うおっ」

 

三面鏡を開くと腐乱死体のような女が飛び出してきた。ユウくんが思わず反射的に仰け反っている。

 

「私の力が借りたいの……?」

「や、別にいらないけど……」

「あらそう……残念」

「あ、や、そうだな……煎餅食べる?」

「…………」

「え、無視かよ。いや、これは……」

「なんか気付いたことがあったのか?」

 

ユウくんがジロジロと三面鏡をいろんな方向から見渡している。

年代物であるのにヒビどころか曇り1つない美しさは憑物のもつ力故なのだろうか。さりげなく施された彫刻も見事である。

最後に女に対してデコピンをしてから三面鏡を閉じて机の上に戻した。

 

「いや、意思疎通ができるかなと思ったんですけど。単純なシステムみたいなものらしくて、ダメでした。むしろ……」

 

ユウくんが今度は懐中時計を手に取った。

 

「こっちの方が大変です。うっすら色が見えるんで、憑喪神になりかけだと思います」

 

懐中時計はとても簡素な作りであったが、それだけに洗練された美しさがある。私には鈍く金色に光る様子しか見えていないが、きっとユウくんにはその奥の感情の色が見えているのだろう。

 

「ならばなおさら教会の人たちには渡すわけにはいきませんね。彼らは憑喪神を求めていますから」

(でも……何故私を狙ったんだろう?)

 

憑喪神の多くは望む望まないに関わらずなんらかの組織に属している。しかし、私の属している黒崎家はその中でも特に大きい組織。

強力な力を持つ憑喪神を狙うのはわかる。けれど私というリターンに対してリスクが大きすぎはしないか?少なくとも私なら、もっと小さな、それこそ想いの光教会のような規模の組織を狙う。

 

(黒崎家を狙う意味があったのか……それとも、私そのものを狙う理由が……)

 

私の思考が沈みかけたその時、閉じたはずの三面鏡が勝手に開いて中から女の上半身が出てくる。

 

「私の力が借りたいの?」

「いや、だからいらないって……」

「なら、貴方は私に何をくれるの?」

「………!」

「おい、これはどういうことだ……?」

 

全員が立ち上がって臨戦態勢を取る。

 

「晴太郎さん、これは」

「わからねえ!だが『取引』が始まってる!俺が仕留め損ねたのか……⁉︎」

「ありがとう……貴方の『全て』をくれるのね」

「っ、分身が出るぞ!」

「『離脱します』!」

 

全員の体が桜さんの力によって宙に浮き、居間から庭を越え、上空から家を見下ろした。

 

「ありがとう……ありがとう……貴方をたくさんあげるわね。いっぱいいっぱい、あげるわぁぁ……!」

 

鏡から分身が飛び出してくる。

けれど、分身の数が多すぎる。10、20、30、それ以上は数え切れない。あまりに多い分身は屋敷の壁や屋根を突き破り、道路にまで溢れ出る。

 

「なんっ、だ、これ……」

「俺が見た時、目を捧げても生み出す分身6人が限界だった。アイツ、何を捧げやがった……!」

「みなさん、アレを見てください!」

 

鎌倉緑の海の中心に不自然に穴が空いている。居間の机の上に立ち、三面鏡と懐中時計を手に取ったのは神父のような男だった。

 

「憑物が……っ!」

「渡しません、『止まりなさい』!」

 

桜さんの一声がかかるが、神父は動きを止める様子がない。それどころかこちらを見上げて余裕の笑みを浮かべていた。

 

「な、何故……⁉︎掴めない……!」

「なるほど……私にまとわりつく、この糸……いや、髪か」

(見抜かれたっ、桜さんの能力!)

 

鳳凰院桜は日本人形の憑喪神であり、どちらの形態でも自分の髪を自在に操れる力を持っている。

一本一本が鋼鉄のワイヤー並の強度を持ち、大人であってもなんなく持ち上げるほどの力を持っているはずだが、神父の動きを止めることができていない。

 

「お初にお目にかかる。自己紹介しておこう……私の名はナージャ。君たちが血眼になって探している、想いの光教会の首領だよ」

(あいつがっ)

 

私を狙い、ユウくんの命を狙い、平穏な日常を壊した張本人。あいつのせいでユウくんは負わなくてもいい傷を負い、みんなも危険な目にあっている。

 

「これらは私のものだ。返してもらうよ」

 

神父の体がどろりと溶けていく。体が液体でできているらしく、桜さんの髪では縛れない。私との相性も悪い。

 

 

でも、あいつを殺せば終わる。ユウくんはこれ以上傷つかずにーーーーー!

 

 

「希!」

「うん!」

 

アイツは逃がさない。殺さなくちゃいけない。私の中で殺意と憎しみが膨れ上がっていく。

 

(希……?)

 

心の中に響くユウくんの声でハッと我に帰る。

自分の中で膨らむ感情を自覚できても、制御することができない。ナージャと名乗った神父を殺すことが1番大事であるように思える。

けれど、私は冷静ではない。それもわかっていた。

 

(ユウくん、どうすればいい?私、今は)

(ナージャは親父に任せればいい。俺は今、あの憑物を渡すわけにはいかないと思ってる)

 

ユウくんは懐中時計の憑喪神と私を重ねていた。

最初、人間の悪意に晒されて憑喪神になった私は人間を恐れ、怯えていた。それはとても不幸なことで、悲しいことなんだ。

私は今無性にナージャを殺したい。けれど、懐中時計の憑物にこれ以上悪意を浴びてほしくもない。そういう複雑な感情もユウくんは見透かしてくれる。

 

(希、俺のわがままを聞いてくれるか?)

(……わかった。私も、それは大切なことだと思うから……)

 

作戦は決まった。

 

ユウくんは佳奈ちゃんと桜さんに作戦を話すと、桜さんは少し驚いた顔、佳奈ちゃんはとてもげんなりした顔をした。

 

「私は構いませんが……」

「ほ、ホントにやるのか?」

「俺は本気だ。早く、逃げられる!」

 

佳奈ちゃんとユウくんのために髪で足場が作られ、2人がそこに立つ。

佳奈は兎の姿に変身して足場を蹴って加速、そしてそのままドロップキックを放つ。

ーーーーーユウくんの両足に向けて。

 

「どうなっても知らないぞ!」

「覚悟の上だ!」

「おおおおっ!」

 

ユウくんが蹴りの勢いを活かして砲弾のように飛び出していく。

 

「無謀な……」

 

さすがに神父も面食らったようで動きが止まる。しかし、私たちの前に鎌倉緑の津波のようなバリケードが立ちはだかろうとする。

 

「っ、邪魔だっ!」

「三面鏡に魂を生贄に捧げて生まれた分身は最後の命令を完遂し続けようとする。即ち君たちを全員殺し、全ての憑物が私の手に渡るまで」

「一瞬でも、『止まりなさい』!っ、く……!」

 

さすがの桜さんもこうまで多い分身の動きを止めることはできない。周りでブチブチと髪が切れる音が聞こえる。

そしてバリケードを乗り越えて分身のうちの1人がユウくんに飛びかかる。

 

「うっ、ぐえっ!」

「そのまま、引き裂かれるといい」

「の、希……っ!」

 

分身に捕まって勢いが削がれ、ミシミシとユウくんの骨が軋み始めるよりも先に意思疎通は済んでいる。

その意思に従ってユウくんは私をナージャに向かってぶん投げた。

 

「頼むぞっ!」

(任せて、ユウくん……!)

 

勢いに乗ったまま人間の姿に変身。着地したのは神父の鼻先だった。

 

「おお……」

「返せッ!」

 

憑喪神は人間の状態でも自らの能力を別の形で扱うことができる。私は手刀に死の力を込めて思い切り振り抜く。

 

殺意は、感情はナージャの首を刈り取れと叫んでいる。けれど、私はユウくんのためにある。だからユウくんが望んだことを成す。

 

振り抜いた手刀はナージャの左手を切り落とす。

 

「うっ、あっ、きゃっ……!」

 

しかし佳奈ちゃんに蹴り飛ばされた勢いとユウくんに投げ飛ばされた勢いを殺すことはできない。地面をゴロゴロと転がり、自分を止めてくれたのは鎌倉緑のバリケードだった。

 

「ほう、一泡吹かされたな」

「っ、つ……!確かに、返してもらった、から……」

 

全身が痛む中、私の手にはしっかりとナージャから奪い取った懐中時計が握られていた。

 

「鏡の方も、返してもらう……!」

「いや、それはさせられないな」

「っ、あっ……!」

 

私の上に鎌倉緑の分身が覆い被さってくる。逃げ出すよりも先に私の視界が完全に暗闇に包まれてしまう。

 

(懐中時計は私と相性が良くないからな……今は鏡さえあれば事足りる)

 

「は、離してっ……!やめてっ!」

 

分身は私の命は奪わないつもりなのか攻撃は行ってこないが、私の手を開いて懐中時計を奪おうとしてくる。

 

(させない……!絶対守り切る、から!)

「希ちゃん、そこを動くなよ!」

 

晴太郎さんの声が響くのと同時に肉が貫かれる音がいくつも響く。分身の干渉も消え、光が刺す。

立ち上がると周りには私を守るように何本もの刀が突き刺さり、分身はダメージを受けすぎたのか消え去っていた。

 

「希!」

 

新たな分身が襲いかかってくるが、私と同じように晴太郎さんに助けられていたユウくんがこちらに手を伸ばしている。

ユウくんの手を取ると同時に私は刀へと変わって分身を切り裂いている。懐中時計はユウくんの手へと渡った。

 

(大丈夫か、希⁉︎)

(ちょっと痛むけど平気だよ。でも、私三面鏡の方は……)

(そんなこと、大丈夫だ。謝るのはむしろ……)

 

振り返るとナージャの姿はもうない。三面鏡は持ち去られてしまった。

 

「おい、黒崎裕翔。これはさすがに……まずくないか?」

 

着地した佳奈ちゃんがユウくんの背中合わせで身構える。

確かに懐中時計は奪還できたものの、引き換えに分身の海の中央部に降り立ってしまった。このままでは多勢に無勢、押し切られることは間違い無いだろう。

 

でも、ここには晴太郎さんと桜さんがいる。2人の能力は数の不利をものともしない。

 

「桜ちゃん、いくつあればいい?」

「20あれば、十分です」

「了解だ」

 

晴太郎さんが軽く腕を振ると袖口から無数の武器がこぼれ落ちる。その種類は多岐に渡り、刀はもちろん剣、槌、槍、棍など、体積を無視して武器が袖口から出てくる様はキャサリンが身につけていた万華鏡を思い出させる。

 

晴太郎さんは図鑑の憑喪神だ。晴太郎さんは予め自分自身に書き込まれたものであれば自在に体から取り出すことができる。

ただし万華鏡の憑喪神とは違って物体をしまうことはできないし、取り出すことのできる武器はこの世に存在しないものに限られる。

 

「では、お借りしますね。もうわかっているとは思いますが、私の髪は伸縮自在かつ変幻自在……見切ることはできませんよ」

 

晴太郎さんが取り出した武器が次々と宙に浮いていく。桜さんの本領は髪ではなく、髪を使った武器捌きにある。

私の知る限り、桜さん以上に多くの武器を使いこなせる人間はいない。桜さんは何を持たせても達人級の扱いができる。

 

「俺は桜ちゃんと違って手が2本しかないけどよ、やりようはあるぜ」

 

最後に晴太郎さんが取り出したのはとてつもなく巨大な銃だった。後から知ったが、アレはチェーンガンや機銃と呼ばれる、本来なら戦闘機に取り付けるような武器だそうだ。

それを軽く支えることができているのも、晴太郎さんの能力に依る。機銃がとても重くて持てないのなら、軽い機銃を書き込んでしまえばいいのだ。

 

「良かったな委員長。俺たちの出番はなさそうだ」

「……そのようだな。相手には同情するが」

 

2人の蹂躙が始まった。

晴太郎の銃弾は詰め寄る分身たちを紙吹雪のように吹き飛ばし、桜さんの武器はまるで舞い踊るかのように分身たちを切り刻む。

 

僅か数分後に分身たちは1人残らず消滅させられてしまっていた。

 

「ふう、こんなもんかな」

 

晴太郎さんが武器を投げ捨てる頃にちょうど日が沈みきり、生暖かい風が人間に戻った私の頬を撫でる。

 

「……やべえ、家が穴だらけになっちまった……これ大丈夫かな?」

「大丈夫ですよ。前に穴だらけにされた時も1時間くらいで直ったんで、それまでの辛抱です」

 

ユウくんが晴太郎さんに笑いかけている。

また犬みたいに……と思い始めた時、ユウくんの手に握られていた懐中時計に気がつく。

 

「その子、大丈夫かな?壊れたりしてない?」

「ん、パッと見……なんともなさそうだけど」

 

ユウくんが私に懐中時計を手渡してくる。

一通り見てみたが、少なくとも夜闇の中で目立つ傷はない。今更ながら、守りきれたことにホッとする。

 

「良かった……もう大丈夫だからね」

 

私は憑喪神になる瞬間、ユウくんが私に抱いた感情と言葉を覚えている。それは私の中でとても大きな支えになっているし、もし懐中時計の子が憑喪神になるとしたらその引き金はやはり祈りであって欲しい。

 

そう思って軽く撫でてあげた途端、懐中時計が一瞬だけチカっと明滅した。

 

「っ……なに?」

 

みんなもその明滅を見たのか、私の方を見てくる。いや、私は何もしてないんだけど……。

 

不思議に思ってユウくんの顔を見ると、ユウくんが面白い表情をしていた。口を空けて目を開いて……まるでくしゃみの直前のようだ。

 

「希、俺、その光り方見たことあるぞ……」

「えっ?」

「その光り方は……」

 

ユウくんが何かを言おうとした矢先、また懐中時計の明滅が始まった。今度は1回に留まらず、何度も何度も光っては消えてを繰り返す。しかも段々と明滅のペースが早まってきている。

 

「な、なに⁉︎何が起こってるの⁉︎眩し……!」

「う、生まれるぞ!憑喪神だ!」

 

最後に目が眩むほどの光が時計から溢れ出し、たまらず目を閉じた私のお腹に重い衝撃が浴びせられ、耐えきれずに倒れてしまった。

 

「いっ、たぁ〜………何が……えっ」

 

私のお腹の上に跨っていたのは美しい銀髪が腰まで伸びた10歳程度に見える女の子。つぶらな瞳でこちらを見つめ、何が起こったのかわかっていないようなあどけない顔をしている。

 

「………へぷちっ」

 

ついでに裸だった。




日本人形の憑喪神ーー鳳凰院桜

能力ーー自分の髪を自在に操ることができる。髪には繊細な感覚があり、切断されたりすると痛みを感じる一方で音を振動で感じるレーダーのような役割も果たすことができる。憑物の形態では所持者の意思によって髪が操作される。
性質ーー祈8呪2
代償ーー肉体が腐っていく。最初は皮膚が弱くなる程度だが、数年も経つと少し動くだけで肉が骨から削げ落ちていくほど腐敗が進行する。
成り立ちーーとある人形職人が最初に作り上げた完成品。職人は記念にこの人形を側に置き続け、大成した職人から代々の頭目へと受け継がれていった。彼らは頭目が受ける代償を理解した上でこの人形を受け継ぎ、常に敬愛の対象とし続けたために祈りの性質に偏っている。


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9

俺たちの家から最も近いバス停はおおよそ10分程度歩いた先にある。バスは1時間に1本程度しか来ることはないため、少しでも乗り遅れれば1限には間に合わない。

他の生徒たちと比べて早起きをしなければいけないし、遠いと何かと不便だし……と文句ばかりが出てくるが、良いところがないわけでもない。

そのひとつとして、必ず席に座ることができるということがある。

 

こんな朝早くに田舎中の田舎でバスに乗る人間はほとんどいないか、いても1人か2人。長い道のりも座ることができれば苦ではないが、仮に席が埋まっていたとしても疲れ果てた俺たちは老人に譲ってもらってでも座りたい気持ちだ。

 

希と委員長と同時に席に座り、ふうと息を吐く。

命をかけた戦いの翌日であっても学校はある。今日は文化祭の後片付けのため半日程度で帰れるだろうが、それでもしんどいものはしんどい。

いつも背筋が真っ直ぐな委員長も今日ばかりは疲労が溜まっているのか目の間を指で押しているし、希に至ってはもろに大欠伸をしている。

 

「……くぁ」

 

感染った。

 

「ところで、あの子はどうしているんだ?リオ、だったか」

「今日は桜さんが見てくれてるよ」

 

昨日、ひと段落した後に懐中時計の憑喪神となった女の子から聞き出せたのは『リオ』という言葉だけだった。

かなりの引っ込み思案で、縮こまるように俺と希の背中に隠れていた子はそっと耳打ちで「Leo……っていうのだけ覚えてる」と囁いた。

 

果たしてその言葉が獅子を示しているのか、あるいは懐中時計に名付けられた名であるのか、それ以外の何かなのか……それは分からなかったが、ひとまずは仮の名として彼女はリオと呼ばれることとなった。

 

「そうだ、草薙希。今日使うジャージを持たせてしまったな……今預かろう」

「ううん、大丈夫だよ。ちょっと待ってね……」

 

希がカバンの中をゴソゴソ漁っていると、俺のポケットの中のケータイの振動に気付いた。

 

「もしもし?桜さんですか?どうかしましたか?」

「ああよかった、裕翔さんですね?ちょっと確かめてもらいたいことがあって……」

 

「確かこっちが佳奈ちゃんの……ん、ちょっと待ってね?引っかかっちゃって……」

「手伝おう。なに、1枚ずつ引っ張り出せば……」

 

「どうしたんですか?そんなに慌てて……」

「実は、その……リオちゃんが見つからなくて……家中調べても見つからないので、ついていってしまったんじゃないかと……」

「はは、まさか。人見知りっぽいんで隠れてるだけですよ。一応確認してみますが……」

 

「んーよいしょっ!」

「うおっ」

 

勢いよくジャージを引っ張り出した希。その弾みで筆箱やらノートやらの鞄の中身が飛んでいくが、その中には鈍く光る懐中時計が含まれていた。

 

「えっ、わっ、わっ、ほっ」

 

わちゃわちゃと手を動かしてなんとか懐中時計だけはキャッチ。そのまま希は固まって……数秒経ってから油の切れたロボットのように首を回してこちらを見た。

 

「…………えと、なんでだろ……」

「もしもし?裕翔さん?どうかしましたか?」

「あー……えっと……解決しました」

 

 

 

 

 

文化祭当日もそうだったが、後片付けの日はいろんな人がいろんな場所へ絶えず移動を繰り返す。

そのため俺たちは片付けをサボったことに気付かれることなく、人気のない体育館の校舎裏に集まることができた。

 

「あのだな……私たちがどんな状況にあることは昨日だって説明したはずだし、いくら子供とはいえ……」

「まあまあ委員長……」

 

校舎裏で憑喪神の姿になったリオはすぐに俺たちの背中にそそくさと隠れた。制服の袖や裾をぎゅっと掴んで離さず、委員長の顔を見ようとはしない。

 

「生まれたばっかりだもん、離れるのが怖かったんだよねー、よーしよし、おいでおいで……」

 

希がリオを抱き上げて頭を撫でる。とはいえ顔は少し困り気味だ。

 

「……にしても、随分と懐かれたな」

「憑喪神になる直前の声って結構印象に残るから……。その時にリオちゃんを触ってたのは私とユウくんだから、多分、そういうこと」

 

2歳くらいの男の子が母親のお腹の中で聞いた声を覚えてるとか、それに近いものだろうか。

 

「それにしたって、少し臆病が過ぎないか?好かれることはなくとも、私だって……」

 

委員長が希に抱かれたリオに手を伸ばすと、リオはさらに頑なに希に抱きついた。

 

「……そんなに私は怖いか?」

「いや、俺に聞かれても……」

 

しかし、リオの反応も無理はないとは思う。

人間とは違って、憑喪神はいきなりこの世界に放り出される。特にリオの場合は鎌倉緑や教会の犠牲者の呪いの声を聞いていただろうし、不安なのは当たり前だ。

憑喪神の精神は生まれた時点である程度成長しているとはいえ、リオは体以上に心は子供なんだろう。感情を抑えろというのは酷な話だ。

 

とはいえ、このままで良いというわけでもない。

ふぅ、と息を吐いてから、リオと学校では人の姿にならないという約束を交わす。

 

 

 

 

その後もリオの人見知りは改善されることなく、ご飯の時でさえ晴太郎さんと桜さんから隠れるように俺たちの背後に隠れる始末。

せめて机に向き合うように何度か希も呼びかけてはみるのだが、頑として動こうとはしないし、無理に動かそうとしても乞うような目で見られては強くは言えない。

そのまま布団の中までくっつき続けて眠り、朝になるといつの間にか鞄の中に入って学校にまでついてきている。

 

数日リオと暮らしてみてわかったが、リオは人見知りかつ臆病な性格ではあるものの、同時に頑固だ。そして行動力もある。その頑固さや行動力は子供特有の意地のようなものかもしれないが、そうであるなら抑えることは非常に難しい。

 

そして熟練の戦士である2人を欺き、さらに気付かれずに俺たちの鞄の中に入ってくるという人外じみた所業もこなしているあたり、彼女の憑喪神としての力は非常に強力だ。

それについて聞いてみたが、リオは答えられなかった。まだ自分の力を感覚で理解しても言語化するのは難しいのだろう。

 

結局俺はリオに対してどうしてあげれば良いのか、掴めないまま1週間を無為に過ごした。

 

 

 

 

 

私は武器の姿になってユウくんと混ざり合わなければ気持ちを完全に知ることはできないが、だからといってユウくんの気持ちを慮ることができないわけじゃない。

 

ユウくんは明らかにリオちゃんに対してどう接すれば良いのか悩んでいるようだったし、私もそれは同じだった。子供だから、まだ分別がわかっていないからと強く言うことを恐れて本心から話し合えていない。

 

今日までタイミングを待ち続けていたが、それも今日で終わりにしよう。まだユウくんに気持ちを言葉で伝えられない私が言えたことではないけれど、リオちゃんに本心を打ち明けることができないでどうしてユウくんに気持ちを伝えられよう。

 

「じゃあ私たち先お風呂入るねー。洗い物よろしく」

「ん?ああ……うん。………なんか、妙だったな」

 

洗面所で私が服を脱ぎ終わる頃にはもうリオちゃんは服を脱ぎ捨てて湯船に浸かっている。どうやらお風呂は好きなようで、心地良さそうな顔をしている。でも体洗ってから入った方がいいんじゃないかな……。

 

「はあ……あったまる……」

 

かくいう私もお風呂は好きだが、今日は話が長くなる。ゆっくり浸かっていてはのぼせてしまうだろう。

一度深呼吸をしてからリオちゃんの手をとって目を合わす。

 

「リオちゃんはさ……私とか、ユウくんのこと、好き?」

 

リオちゃんは何故そんなことを聞かれたのかわかっていないようで、きょとんとした顔で頷いた。

 

「ありがと。じゃあさ……晴太郎さんや、桜さんは?……嫌い?」

 

その問いに即答はできないようだった。

少し視線を彷徨わせたあとに俯いてしまった。

 

「わからない、かな。じゃあ2人のこと、怖い?」

 

この問いにも即答はしなかったものの、数秒後には後ろめたそうな顔で頷いた。

 

「……うん。ごめんなさい……」

「あっ、ううん。怒ってるわけじゃないの。むしろ……安心した」

 

リオちゃんにとって、2人……というか私たち以外はきっと、わからない存在なんだ。好きも嫌いも、どんな人なのかもわからなくて、ただ怖い。

 

「……私ね、最初はユウくんのこと、嫌いだったんだ」

 

リオちゃんは不思議なものを見るような目でこちらを見ている。

……仲睦まじいのはいいことだと思うけど、生後数日の子におかしいって思われるほど私たちって仲良く見えるのかな……なんか、恥ずかしい。

 

「……今は?」

「今は……その、好き、だけど。あっ、その、これ内緒にしてね!」

「どうして?」

「えっ、んっと……ちゃんと自分で言う、から」

 

なんだか顔が熱いのは風呂のせいだけではあるまい。咳払いをして話を仕切り直す。

 

「そ、それでね?私、昔はユウくんだけじゃなくてみんな嫌いだったんだ。晴太郎さんも、桜さんも、他のみんなも。リオちゃんみたいにみんなを怖がってたりもしたなあ……」

 

私にとって私以外の何かは私を呪うものでしかなかった。私の持ち主は、最初は嬉々として私を使うくせして数ヶ月もすればあまりの代償の重さに嘆くばかり。

だから私は仄暗い喜びや狂った笑顔しか知らなかった。でも、そんな私に真っ当な愛を教えてくれたのはユウくんだった。

 

「だからね、リオちゃんが私と同じだったら、いろんなこと教えてあげなくちゃって思ってたんだ。でも、怖いだけなら大丈夫。勝手に勇気が出る時が、そのうち来るから。ね?」

 

私の気持ちが全て伝わったとは思わないけれど、リオちゃんは頷いてくれた。多分、今全部わかれっていうのは無理だけど……きっといずれわかる時がくると思う。

 

「それにね……見て、リオちゃんの髪……綺麗な銀色でしょ?」

 

浴槽に溶けている髪を束ねて見せる。桜さんや晴太郎さんに勝るとも劣らない、本当の貴金属のように煌めく銀色だ。

 

「私たち憑喪神の髪の色はね、私たちが受け取った気持ちの性質で決まるの。呪いが強ければ黒く、祈りが強ければ白に近くなる」

 

つまり銀色は呪いよりも遥かに多い祈りを受け取った証。それだけ誰かに愛されてきたという証。

 

「リオちゃんを愛してくれる人が多かったってことだよ。私も、ユウくんも、晴太郎さんも桜さんも佳奈ちゃんも……リオちゃんのことが好きだよ。それは忘れないでいてね」

 

もしこの騒動が終結したならば、リオちゃんは元の持ち主に帰ることになるだろう。持ち主が見つからなければ見つかるまではユウくんの実家で過ごすことになるだろうが、どちらにせよリオちゃんが私たちと一緒に暮らしていられる時間は短い。

だから今のうち、この短い時間のうちに全てを伝えられたら……私たちのように気持ちが全て伝えられたら、そう思って笑う。

少しもどかしさがあるけれど、でもこれが誰かに伝えるってこと。ユウくんにもいつかは言葉だけでも、言葉がなくても、全部伝わればいいなと、そう思っていた。




図鑑の憑喪神ーー波戸晴太郎
能力ーー図鑑の中に書き込まれた物体を取り出すことができる。しかしこの世に実在しないものしか図鑑には書き込むことができず、強力であればあるほどスペースを必要とする。憑物の状態では該当ページを開くことで書き込まれた物体を取り出すことができる。
性質ーー祈6呪4
代償ーー本当のことを話せなくなり、喋る内容全てが嘘になる。次第に支離滅裂な意味のない文章しか話せなくなる。
成り立ちーーとある作家が描いた実在しないものを描いた図鑑。作家自身の空想や夢を書き込んだ図鑑は子供たちに豊かな想像力を与えたが、同時に騙されたと感じる者も少なくはなかった。


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