~辿り着く場所~ (ナナシの新人)
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Prologue

CLANNADの主人公、岡崎(おかざき)視点となります。
性格つきましては、序盤は原作を。成長過程で徐々にアニメへ、智代アフターに近いイメージへ変化していく予定です。


 車窓に広がる景色は、懐かしいよりも、真新しさを感じさせた。

 あれから、5年以上も経ったのだから無理もない。

 何もかも変わらずにはいられない、か。確かに、その通りだ。この町も、俺も変わった。たぶん、これからも変わり続けていくだろう。

 

「あとどれくらいでつくの?」

 

 膝の上に座って、パックジュースを飲んでいた小さな女の子が、顔を見上げて訊いてきた。

 

「もう少しだ。あ、ほら、もうすぐ着くってさ」

 

 ちょうど良いタイミングで、列車内に到着を知らせるアナウンスが流れる。棚から荷物を降ろして、下車の準備を整える。アナウンスから数分後、予定到着時間ちょうどに駅に停車した。

 

「忘れ物はないな? 行くぞ」

「おーっ」

 

 はぐれないように手を繋いで、列車を降りる。

 始発で来たためか、若干人数もまばらなホームを抜けて、改札を潜り駅郊外へ出る。すると、駅の外には出迎えに来てくれていた。

 あの短くも、濃い時間を共に過ごした日々の中で出会った人たちが、明るい笑顔で出迎えてくれた――。

 

           * * *

 

「転校!?」

 

 金髪の男子――春原(すのはら)陽平(ようへい)が、隣で大声を上げた。

 突然呼び出しを受けたと思えば、また唐突な話しに頭が付いて来ないが、詳しく話しを伺う。

 

「どういうことなんだ? ジイさん」

「うむ。先日、職員会議が行われた。このままでは、退学の可能性が出てきた。一部の教員が、お前たちを快く想っていなくてな」

 

 誰を差しているかは、何となく想像が付いた。今年赴任してきた、新しい生活指導の教師。中庭で昼飯を食べていただけで因縁をつけて来た、あの絵に描いたような頭の硬い体育会系の教師のことだろう。初対面にもかかわらず、あからさまな喧嘩腰の態度に若干イラッと来たことを覚えている。

 老教師の話では、前任から引き継いだ資料を見て、俺たちのことを手の施しようのない悪童と思い込んでいるとのことだ。

 成績不良、遅刻、早退、欠席、サボりの常習犯。実際に接した態度の悪さを理由に挙げ、他の生徒に悪影響を及ぼす前に退学処分にするべきとの発言があったらしい。だが、それは行き過ぎだと、老教師を含めた数名の教職員が庇ってくれたそうだが。しかし、話しはまとまらず。強硬派と穏健派に分かれ、議論は真っ向から対立。事態を治めるための対案、妥協案として出されたのが――。

 

「転校ねぇ~」

 

 学校併設の学生寮の一室。雑誌や服が無造作に散らばった部屋の万年炬燵に足をつっこんで、気怠そうに天井を眺めながら呟いた春原(すのはら)は、横になっていた体を起こして問いかけてきた。

 

「どうするよ? 岡崎(おかざき)

 

 岡崎(おかざき)朋也(ともや)、俺の名。

 そんなこと今は、どうでもいい。今、直面している問題の方が遥かに重要事項。まあ、訊かれたところで答えなんてものは、そう簡単に出るはずがない。ただ一つだけ確定していることは、二学期開始までの一週間以内に答えを出さなければ、自主退学を勧告されるということ。

 生活態度を改めるか、提案を受け入れ、老教師の知人が校長を務める地方の学校へ転校するか。どちらかを選択しなければならない。

 

「それにさ。いくら進学校のウチより劣るって言っても、試験で赤点回避しないといけないんだろ」

 

 同時に提示された条件。

 今の学校に残るにしても、提案を受け入れ転校するにしても、一年以内に試験で全科目赤点を回避しなければならない。スポーツ推薦の特待枠で入学し、まともに授業を受けて来なかった落ちこぼれの俺たちには、無理難題な話しだ。

 

「ジイさんは、ああ言ってたけどさぁ~。ぶっちゃっけ厄介払いの島流しだよね。どっちに転んでも痛い思いはしない訳だし。あーあ、このまま実家帰ろっかな~? 別に、特別思い入れがあるわけでもないし」

 

 脳天気な台詞に思わずタメ息が漏れる。いいよな、帰れる実家があるヤツは気楽で。コタツを出て、立ち上がる。

 

「あれ? 帰んの?」

「こうしてても仕方ないからな」

「それもそうだねぇ。僕も今日は、のんびり過ごすことにするよ」

 

 ドアノブに手をかけて、立ち止まる。

 

「そういえば、この寮ってさ......やっぱいいや」

「何だよ、言えよ!?」

 

 少し間を開けて、意味深にゆっくりドアを閉めると、悲鳴にも似た叫び声がドア越しに廊下まで聞こえてきた。少しだけ気が晴れた。学校併設の男子寮を出て、すっかり葉桜になった桜並木の坂道を下り、やや寂れた商店街で時間を潰して、空が薄暗くなり始めた頃、家路を歩く。

 ――まだ、早かったか。

 窓には、明かりが点っていた。踵を返す。

 

「おや」

 

 背中から、あの人の声が聞こえた。

 

朋也(ともや)くん。今、帰りかい?」

 

 この人から発せられる声、その言葉使いの全てが、俺の心の中のモヤモヤした感情をより一層引き立てる。

 

「ああ......」

「そうか。僕は、今から出掛けてくるから入れ違いだね。今度、ゆっくり話せるといいね」

「出掛けるんだろ。油売ってる暇なんてあるのか?」

「ああ、そうだったね。じゃあ、また――」

 

 背中を丸めて歩いて行く姿が、しばらく脳裏を離れなかった。

 無造作にカバンを置き、灯りを消した暗闇の部屋の中、ベッドに寝転んで天井を見上げる。

 

「くそ......」

 

 モヤモヤが晴れない。晴れる日が来ることなんて、あるのだろうか。

 ――この町は、嫌いだ。忘れたい思い出が染みついた場所だから。

 結局この日は、晩飯を食べる食欲もなく。

 心の中をうごめく感情を抱えながら、深い眠りについた。

 

           * * *

 

 そして、翌日。

 昨日の件を話し合うため、春原(すのはら)の部屋を訪ねる。

 

「あん? お前、受け入れるのか?」

「まーね! 気付いちゃったんだよね~。ほら、僕って天才じゃん?」

「いや、アホだろ」

 

 事実、それが原因で今の状況になってるんだから。頭が良いなら、テストで良い点を取ってしまえばいいだけだ。成績が良ければ多少素行不良でも、教師も文句は言わないだろう。

 

「はっきり言わないでくれますかね......? てか、頷いてくれないと話しが進まないだろ」

「で、何だよ? 自称天才」

「何か引っかかるんすけど。まあ、いいや。気付いちゃったんだよね~。ほら、僕って天才じゃん?」

 

 そこから始めないと気が済まないのか。面倒くさい奴だ。

 

「別に、無理してテストで良い点取らなくても、他で結果を残しちゃえばいいってさ!」

 

 何が言いたいのかと言うと、つまり、こういうこと。

 はなっから勉強のことは諦めて、部活で得点を稼ぐ。特待枠で入った運動能力を転校先で活かせばいい、と。

 

「ふーん、アホにしては考えたな」

「まあね! って、またナチュラルにバカにしただろ!?」

「バカにはしてない。アホにはしたけど」

「あっそっか、って同じだよ! とにかく! 持ってる武器を使わない手はないってことさ」

「まあ、お前はそうすればいいんじゃないか」

 

 ヘタレのお前が、長続きするとは思わないけど。ヘタレだし。

 

「心の声が漏れてるんですが? しかも、ヘタレって二回も言っただろ!」

「ああ、悪い。つい本音が出た」

「全然フォローになってないんすけど......!」

 

 苦虫をかみつぶしたよう表情(かお)をしていた春原(すのはら)だったが、大きく息を吐き、改めて訊いてくる。どうやら、選択の時が来たらしい。

 

「で。お前は、どうすんだよ?」

 

 今年度の試験は、あと三回。今さら真面目に勉強したところで、この名門進学校で赤点回避なんてどだい無理な話し。

 それに何より――この町から、あの人から、他人行儀の父親から距離を置くことが出来る。

 どんなに早くても、今の学校を卒業してからだと思っていた。だけど――。

 

「......行くか。どうせ、退学勧告を待つだけだし」

 

 もしかしたら、良い機会なのかもしれない。

 

「ははっ、お前も無謀なアホだな!」

「うっせーよ。ヘタレ」

「ヘタレって言うなよ!」

「じゃあ、バカ」

「......バカの方が傷つくことに今、気付いた」

 

 我ながら、アホな会話だ。

 

 さて、どうなるんだろうな、これから――。

 

 この選択が正解なのか、間違っているのかは分からない。

 だけど、何かが変わる。いや、違う。変えたかったんだ。

 今、行動することによって俺の、今後の人生における重要な何かが変わる――そんな気がしたんだ。




第一話拝読ありがとうございました。
感想などお気軽にどうぞ。


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Episode1

 転校の提案を受け入れた俺たちは今、高速バスに揺られている。

 明朝、都心を離れたバスは高速道路に乗って、度々渋滞につかまりながらも確実に郊外へと向かって走っている。

 

「そう言えばさあ......」

「あん?」

 

 街の風景が変わった頃、アホ面で寝ていた春原(すのはら)がいつの間にか起きて、軽く伸びをしていた。

 

「僕たちって、どこに住むの? 詳しいこと、何も聞いてないんだけど」

 

 呆れ果てて言葉も出ない。数日前に貰った資料の束を丸めて脳天を引っぱたいてやると、パコーンッと気持ちのいい音がした。

 

「お、お前ねぇ......」

「これに書いてあっただろ」

「叩く必要ありませんよね!?」

 

 大袈裟に頭をさすりながら、封筒から取り出した資料に目を通し始めた。

 

「アパート? 家賃、タダじゃん。ラッキー」

「爺さんの人脈のお陰でな」

 

 俺たちが産まれるより、もっと前に受け持った教え子が管理するアパートだそうで。年季は入っているらしいが、新しい学校まで歩いて通える距離にあり、空き部屋に住まわせて貰える手はずになっている。ただ、当然のことながら、生活費に関しては自分で用意する必要がある。

 

「バイト、探さないとな......」

 

 家を出る時のことを考えて、長期休暇の時に短期のバイトで稼いだ貯金を切り崩すにしても、半年生活出来るか分からない。時給を考慮すると肉体労働が一番なんだろうけど、赤点回避の勉強も同時進行しないといけないから体力的にキツそうだ。

 

「なら、ホストとかでいいじゃん。ほら、僕、イケてるし。やべっ、そのままナンバーワンになっちゃうかも! そうなったら、学校に通う必要もなくなるよね。あははっ!」

 

 このポジティブ思考はある意味スゴいと思う。見習いたいとは、決して思わないけど。そもそも容姿云々の前に年齢制限でアウトだ。バイトのことは追々考えるとして。これから通う学校について記されたページに目を通す。

 

「普通の共学校だな。偏差値は、うちより10以上低い」

「偏差値って何?」

 

 アホか。無視して、ページを捲る。

 

「部活は、陸上部が結構強いらしい」

「サッカー部は?」

「特に書かれてないな。つーか、自分で調べろよ。同じの持ってんだろ」

「冷たいねぇ~」

 

 軽くあくびをして、後頭部を掻きながらダルそうに、資料を開いた。俺は、その他の注意事項だけを読み流し、車窓を眺めている。しばらく代わり映えしない道を進んだ先に、目的地のインターチェンジの看板が見えた。高速道路から一般道に移行したバスは、最寄り駅のバスターミナルに停車。荷物を担いで、バスを降りる。

 青空から降り注ぐ眩い日差し、残暑が残る生ぬるい初秋の風と一緒に、初めて見る町並みが目の前に飛び込んできた。

 

「へぇ、そこそこ都会じゃん」

「お前の実家と比べればそうだろう。離島だったよな?」

「本州だよ! ったく、アホなこと言ってないで行くぞー」

 

  唐突に歩き出した、春原(すのはら)。どこへ行くと言うのだろうか。数メートルほど先を行った背中を呼び止める。

 

「待て。迎えが来てるはずだ」

「先に言ってくれませんかね!?」

「書いてあっただろ......」

 

 資料の1ページ目にでかでかと書かれている。車内で、何を読んでいたんだか。

 

「んで。そのお迎えは、どこに居るんだよ?」

「このバスターミナル付近のはずだ。到着予定時刻と、制服の特徴は伝えあるそうだから。ここで待っていれば、向こうから来てくれるだろ」

 

 今着ている制服に袖を通すのも、今日で終わり。

 名残惜しい......というわけでもないが、着慣れているから、慣れるまで違和感を覚えそうだ。

 

「おーい」

 

 男の声。振り向くと、小柄で若干頭が寂しい出っ歯の中年男性が手を振っていた。

 

岡崎(おかざき)の知り合い?」

「んなわけないだろ。あの人が、迎えなんだろ」

「いやいや、待たせてすまんな」

「いや、ちょうど今、着いたところだから」

「そうか。では行くとしよう。こっちだ」

 

 歩きながら、話しを聞く。

 この人は、新しく通う学校の主任。主に社会科の日本史の授業を受け持ち、テストの作製や学校行事にも携わっている。老教師とは、古くからの知人。右も左も分からない駆け出しの頃、研修の時に相談に乗って貰ったりと、良く世話になったと思い出深そうに話している。

 

「うむ......」

「何ですか?」

「こういってはなんだが。話しをしてみた限り、手が付けられないほどの不良には見えないと思ってな。髪の色はともかく」

 

 相手の態度で変わるのは、別に珍しくもないだろう。

 相手が喧嘩腰ならこちらもそうなる、それだけのことだ。

 

「良かったな、春原(すのはら)。褒められたぞ」

「思い切り、金髪を指摘されたんですが?」

「私は昔、そういった学校で教鞭を執っていたことがあるから慣れているし、今の学校にも少なからずヤンチャは居る。しかし、生活指導の教師は厳しいぞ。バリバリの体育会系だからな」

「どこの学校にも似たようなのは居るんだね~。もう少し寛容になった方がいいんじゃないの。ほら、多様性ってヤツ?」

「バカもん! 自由は、決められたルールを守った上での自由だ。緩い校則も守れん輩が多様性を語るなど百年早いわ!」

「ひぃ! す、すみません......」

「まったく、幸村(こうむら)先生の苦労が目に浮かぶぞ」

 

 呆れ顔で、深いタメ息をついた。特に、世話になった覚えはないんだけどな。追試をしつこく受けさせられた覚えはあるけど。

 

「あの先生は、素晴らしい方だ。何せ、今までただの一度たりとも、教え子を中退させたことが無いのだからな」

「マジか......」

「それ、スゴいの?」

「スゴいだろ。確か、来年で定年のはずだから......教員になって40年近くか? 仮に毎年300人の卒業生が居たとすると――」

 

 計算するよりも前に、主任が答えた。

 

「ざっと数えて10,000人強。卒業生だけでそれ程の人数、実際に教えた数はもっと多いぞ」

「マジかよ!? 小さめのサッカースタジアムなら収容人数(ハコ)いっぱいになるじゃん!」

 

 その言葉から想像して見ると、とんでもない人数だということがよく分かる。道理で、顔が広いわけだ。

 

「さあ、着いたぞ。ここが、旭高校だ」

 

 創立半世紀以上の前の校舎と比べると、スタイリッシュでデザイン性の高い校舎だった。正門を潜って、校舎の敷地内へ入る。夏休みの終わりが近いからなのか、校舎内で部活動を行っている生徒は少なく、廊下は閑散としていた。物静かな校内を一通り案内して貰い、最後に職員室へ向かう。すると、別の教員が何やら慌てた様子でやって来て、主任に耳打ちした。

 

「なに? それは、本当か!」

「はい。今、理事長から連絡がありまして――」

「そうか。あい、分かった。私の方も、後で確認しておく」

「お願いします」

 

 会釈して、教員は職員室へ戻る。小さく息を吐いた主任は、何ごともなかったかのように話しを戻した。

 

「さて。ここが職員室だ」

「いやいや、今のめちゃくちゃ気になるんすけど」

「ただの業務連絡だ。最後に、校長先生へ挨拶に行くぞ」

 

 結局、分からず終い。校長に挨拶を済ませ、学校案内は終わった。

 

           * * *

 

「いや~、退屈だったね。幸村(こうむら)のジイさんの話しばっかりだったし」

「同じ大学の同級生、そりゃ近況も気になるだろう。最後は、釘を刺されたけどな。真面目にやれって」

 

 必要最低限の家具しかない部屋の真ん中でのんきに横になった春原(すのはら)の正面、テーブルを挟んだ向かいに腰を降ろす。

 

「問題が起これば報告するって言ってたね」

「とりあえず、荒波立てずに過ごすしかないな。てか、一室だったんだな......」

「ははっ、同棲生活ってヤツだねっ」

「殴って良いか?」

「束ねて丸めた資料で?」

「ラジカセで」

「止めてください」

 

 向き直して、土下座した。

 

「はぁ、話しが上手いと思ったんだよ。無償で貸してくれるなんて」

「でもほら、もう一部屋あるじゃん? どっち使う?」

「奥」

「マジで! じゃあ、この大部屋は僕が使わせて貰うってことで」

 

 台所へ行くには、ここを通る必要がある。

 もし夜中に横を通られると思うと、考えるだけで不眠症になりそうだ。

 

「何してるんだよ?」

「何って。ラジカセのセッティング。景気づけにボンバヘッ! 聴こうと思って」

「止めろ。そんな骨董品、光熱費がバカにならねーよ」

「ええ~、良いじゃん一曲くらい」

「お前が、全額負担するならな」

「チッ!」

 

 観念したらしく、持参したラジカセのコンセントを引き抜いた。

 

「光熱費かぁ、そこは考えてなかったな~。寮じゃ、使い放題だったし。今思うと、恵まれてたんだねぇ。隣が、ラグビー部だったこと以外は......!」

 

 迫真の顔。どれだけトラウマになっているのやら。

 ともあれ、荷物を奥の部屋に置き、真新しい制服はしわにならないようにラックに掛け。貴重品と、全財産が入った茶封筒を持つ。

 

「どこ行くの?」

「銀行と散策。先ずは、口座を作っとかねーと。窓口閉まっちまうからな」

 

 疲れたからパス、と言った春原(すのはら)を置いて一人、アパートを出る。川沿いの道を歩き、町の商店街へ。町の信用金庫で新規口座を開設し、最低限必要な現金を手元に残して残りは全て預金に回した。

 

「結構......」

 

 いや、かなりキツい。二人で折半とはいえ、相当節約しないとやっていけない。あんな暮らしでも護られていたんだと、この時、痛いほど思い知らされた。

 

「ハァ......」

「きゃっ?」

 

 通帳を眺めながら歩いていたところ、突然、目の前に人影が現れた。咄嗟に回避運動をとるも、腕同士が軽くぶつかってしまった。反射的に謝る。

 

「わ、悪い、大丈夫か?」

 

 ぶつかった相手は、髪の長い同い年くらいの女子。

 

「悪かった。考えごとをしてて、しっかり前を見て歩いていなかった」

「いえ。私も、お店を見ながら歩いていましたので。お互い様です」

「そっか。なら、仕方ないな」

「はい。仕方ないです。お互い気をつけましょう」

 

 そう言った彼女は、白い歯を見せて微笑んだ。

 どうやら、本当にケガはないようだ。ながら歩きは危険だな、気をつけよう。そう思った時、アラームが聞こえた。彼女はポケットから出した携帯......スマホ? どちらも所持していない俺には断定しかねるけど。とにかく、通信機器の液晶を見て慌てだしたことは間違いない。

 

「あっ、時間だ、もう行かなくちゃ! それでは、お気をつけて」

「あんたもな」

「はーいっ!」

 

 まるで嵐の様に去って行く、彼女の背中を見送り、前を向く。さて、俺も用事を済ませよう。

 そう思った瞬間、まるで金縛りにでも遭ったかの様に、その場で立ち尽くしてしまう事態に見舞われた。

 

「どこだよ、ここ......?」

 

 完全に、迷子という状況に陥ってしまった。

 

「あははっ! いやー、傑作だね~。この年にもなって、迷子で警察のお世話になるとかさ!」

 

 丸めた資料で脳天を引っぱたく。

 

「イタッ!? 何すんだよ!」

「カナブンが止まってたんだよ」

「そんなの脳天で叩いたら、グチョーってなるだろ!?」

「はいはい」

「流すなよ!」

「それよかお前、夜飯はどうするんだ?」

「はい?」

「だから、夜飯だよ。俺は、商店街のパン屋で値引きされたパンを買ってきたけど。近くに、コンビニはないぞ? スーパーなら在ったけどな。暗くて道は分からん」

「......すみません。パン、恵んでください」

 

 額を床に付けて懇願してきた。プライドも何もない。春原(すのはら)いわく、プライドでは腹は満たされないとのことだ。そう言うところは、現実的な考えのヤツだ。

 そして、いよいよ、新しい学校での新しい生活を迎える。

 

           * * *

 

 初登校初日の教室。俺たちは、教壇の前に立っていた。

 担任からの簡単な紹介の後、自己紹介タイム。先陣を切ったのは、春原(すのはら)

 

「どうも! 僕、春原(すのはら)陽平(ようへい)っす! 春原(すのはら)は、春の原っぱと書くっす! んで、こっちが――」

岡崎(おかざき)朋也(ともや)

「え、それだけ? もっと他に無いの!」

「ねぇよ」

 

 そもそも、何でコイツはハイテンションなんだ。

 

「まあ、こういうヤツなんで仲良くしてやってください」

 

 一応拍手してくれてはいるが、見るからに引いてるじゃないか。

 

「では二人は、後ろの空いている席へ」

 

 担任に促され、窓側の一番後ろの席に座る。隣が春原(すのはら)、一つ前の席も空席だった。

 

「もう一人、転校生が来る予定だが。諸事情により午後からになる」

「ふーん。俺たち以外にも、転校生が居たんだな」

「僕たちと同じ理由だったりしてね」

「そんなアホ、他に居ないだろ」

 

 頬杖をついて、窓の外へ視線を移す。

 見知らぬ風景が広がっている。本当に違う町へ来たのだと改めて実感した。

 連絡事項だけのホームルームが終わり、休み時間。予想通り、俺達は動物園のパンダになっていた。転校生の通過儀礼、物珍しさにクラスの連中があれこれと聞きに来る。お調子者の春原(すのはら)は上機嫌で、大袈裟に盛りながら受け答えしている。

 

「僕たちスポーツの特待枠で入学したから、学費も免除なんだよね。僕はサッカーで、岡崎(おかざき)は――」

 

 席を立つ。

 

「どこ行くんだよ?」

「便所」

 

 全く、聞いてるこっちが恥ずかしくなる。教室を出て、人も少ない静な図書室で時間を潰して、予鈴が鳴るのを待ち。この学校で、初めての授業を受けた。

 

岡崎(おかざき)、学食行こうぜ!」

「お前なぁ......」

 

 呆れ果てて、タメ息すらでない。

 

「今まで寝てて、よく何ごともなかったかように振る舞えるな。マジで、退学(クビ)宣告受けるぞ?」

「大丈夫だって。何て言ったって僕には、部活があるからね! 話しを聞いた限り、結構弱小みたいだし。救世主ってヤツだね」

 

 ブランクあるヤツが、まともに動ける訳ないだろうに。

 まあ、いいか。俺には、関係ない。そんなことより問題は、授業についていけなかったことだ。と言うより、何が分からないのか分からなかった。退学回避のチャンスは、あと三回。真面目にやらないと洒落にならない。

 

「学食こっちだぞー?」

「購買で、パン買ってくる。そっちの方が安上がりだからな」

「ふふーん、心配するなって」

 

 したり顔でこれ見よがしに、財布から諭吉を取り出した。

 

「今日は、僕が奢ってやるよ!」

「そうか。明日、地球に隕石が落ちるのか。思えば短い人生だったな......」

「アホなこと言ってないで、食券買いに行くぞ」

 

 カウンターで料理を受け取り、壁際の空席に腰を降ろす。

 

「さて、食うか」

 

 正面で春原(すのはら)は、仏頂面をしていた。

 

「どうした? 食わないのか?」

「食べるけどさ......」

 

 俺のトレイには、素うどん。春原(すのはら)は、カツ丼と大量のお新香の小皿。

 

「おいおい、全然減ってないじゃないか」

「あなたが、ボタンを連打したからでしょ!?」

 

 声を荒げる、春原(すのはら)

 隣の二人がけの席で話しをしていた男女の男子の方が、煩わしそうな顔で抗議してきた。

 

「少し静かにしてくれないか?」

「ああん? 何お前、彼女連れだから良いとこ見せようっての?」

「いや、彼女じゃねーし」

「そうです! 心外です! 誰が、こんな無神経な人と!」

 

 男子の方は無関心に、女子の方は本気で否定している感じだ。

 

「止めとけ、春原(すのはら)

「止めるなよ、岡崎(おかざき)。巻き添えになるぜ......!」

「ボコボコにされるだけだ」

「って、やられること前提ですか!?」

「ハァ、ごちそうさまでした」

 

 男子が、空の器が載ったトレイを持って席を立つ。女子の方は、立たなかった。と言うより、料理が残ったままだ。

 

「悪かったな。飯の邪魔しちまってさ」

「いえ。いただきます」

 

 目を輝かせて、トッピングがふんだんに載った豪華なうどんを箸で摘まみ上げる。しかし、口へ入ることはなく、のびきった麺は無情にも空中で切れ、上手いこと器の中に落下した。

 

「......何か?」

 

 触れてくれるな、と目が言っている。別の話題を振る。

 

「その制服、ここのじゃないよな?」

「ああ、はい。今日、転校してきたんです。制服は急だったので」

「じゃあ、あんたか。午後から、うちのクラスに来るっていう転校生は」

「えっと、それはどうでしょう」

「はぁ?」

 

 空席は在るし、担任も転校生が来る話していた。

 

「同級生なのは間違ありませんが、同じクラスかは分からないと言う意味です」

 

 どう言う意味だ? まあ、別にどうでもいいか。さっさと済ませるとしよう。

 

「あのさ、話してるところ悪いんだけさぁ」

 

 黙って食べていた春原(すのはら)へ、俺達の視線が同時に向いた。

 

「食べるの、手伝ってくれない?」

「な、なぜ、これ程の量の、お新香が......?」

「誤注文したんだ」

「故意注文でしょ!?」

「詳しい事情は分かりませんが、お手伝いしますっ」

 

 転校生、両サイドに星形のヘアピンを付けたウェーブが掛かったロングヘアの女子のお陰で、無事に完食することが出来た。

 そして、昼休み後の授業前。

 

「おい、岡崎(おかざき)

「あ、ああ......」

 

 彼女が、言っていたことの意味が分かった。

 

「初めまして。中野(なかの)――」

 

 転校生は、学食で会った女子と瓜二つの女子だった。



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Episode2

 学食で出会った女子と瓜二つ顔で、大きな緑色のリボンを頭に巻いた女子は、中野(なかの)四葉(よつば)と名乗り。簡単に自己紹介を終えると、一つ前の空席までやって来た。

 

「よろしくお願いしますっ」

 

 とても人懐っこい笑顔での挨拶に、思わず面を喰らってしまう。

 

「あ、ああ......。中野(なかの)だっけ?」

「はい。中野(なかの)四葉(よつば)です」

「さっき学食で、お前にそっくりな顔の女子と会った。星形のヘアピンをしてる女子。もしかして――」

五月(いつき)のことですね。お察しの通り、私と五月(いつき)は姉妹ですよ」

 

 やっぱり、そうか。道理でそっくりな顔なわけだ。もう一人の中野(なかの)......五月(いつき)が話していたことと繋がった。姉妹で転校して来たから、同じクラスかとうかは断言出来なかったんだな。

 

「でも、スゴいです。初対面で、私たちを見分けられる方は珍しいですからっ」

 

 席に着いた四葉(よつば)は後ろを向いて、俺との会話を続けた。

 

「よく間違われるのか?」

「それはもう。前の学校の先生も、最後まで完璧には見分けられなかったのではないかと」

 

 それ、教師としてどうなんだ。身に付けているアクセサリーも、雰囲気も違うし、普通は見分けられるだろう。資質を疑われるぞ。

 

「と言うわけで、私たちを初見で見分けたスゴい人に認定です。おめでとうございますっ! と言っても、まだ初級ですが」

「初級? まあ、いい。それより――」

 

 質問しようとした時、教師に注意を促された。四葉(よつば)は素直に非を認めると、前を向いてしまった。まあ、いいか。休み時間にでも聞けば。そう、思っていたのだが――。

 

「一瞬で持っていかれたな」

「く、悔しくなんてないやいっ!」

 

 考えることは皆同じ。気を引くパンダの対象はあっという間に、春原(すのはら)から四葉(よつば)へと早替わり。案の定、彼女の机を取り囲むように人集りが出来上がってしまった。

 

「その制服、黒薔薇女子だよね?」

「はい、一応......」

「スゲー、本物のお嬢様学校出身だ! 挨拶は、ごきげんようって噂は――」

「あ、あはは......」

 

 姉妹の話をしていた時と違って、何やら歯切れの悪い受け答え。何か、特別な事情があるような感じに思えたけど、俺には関係のないことだ。わざわざ首を突っ込む理由もない。午後最後の授業の準備に取りかかる。

 

「次って、何だっけ?」

「体育。体力測定って話しだ」

「ふーん、体力測定ねぇ。ちょっと本気出しちゃおうかな~?」

 

 内容が体力測定と知った春原(すのはら)は、にんまりと笑みを浮かべる。持ち前の身体能力を見せつけて、注目を集めようという思惑が丸出しだった。

 更衣室で体操着に着替え、グラウンドへ移動。

 

「あれ? 隣のクラスと合同でやるんだ」

「体力測定だからだろ。どうせ、やる内容は同じだからな」

「ふふーん、それは、ますますチャンスだねぇ~。ストレッチ、付き合ってくれよ」

「ハァ、仕方ないな」

 

 嫌々言いつつも、ケガをしたくないのは本音。ストレッチに付き合い、軽く体をほぐす。やってみて思い知らされた。想像以上に体が硬い。春原(すのはら)も、危機感を持った顔をしている。

 

「集合!」

 

 ガタイの良い体育教師から号令が掛かった。クラスごとにまとまって集まる。全体でストレッチを行い、体力測定へ移行。最初の種目は、50メートル走。出席番号順に名前を呼ばれ、俺の順番が回ってきた。久々に全力で走った感想は――しんどい、以外出てこない。

 

岡崎(おかざき)、七秒フラット!」

 

 まだ十人も走っていないが、とりあえず暫定一位。

 

「やるじゃん」

「とりあえず、面目は保てただろ?」

 

 ベストからはほど遠い記録、正直、体力の低下を思い知らされた。深く大きく深呼吸して、上がった息を整える。そうしている間に、春原(すのはら)の名が呼ばれた。

 

「よーし、いっちょやってやるか!」

「ああー、待て」

「何だよ?」

「飛ばし過ぎない方がいいぞ」

「あん? ああ、そう言うことね。僕に、抜かれたくないってことでしょ。大丈夫だって、そこまで無慈悲じゃないからさ!」

「一応、忠告はしたからな」

 

 自信満々の春原(すのはら)は完璧なスタートを切り、グングンと加速。そして、ゴールの直前で盛大に転げ回った。それでもタイムは、七秒前半。多少流しても、しっかり走り抜けていれば六秒台は確実だっただろうに。

 

「ううっ......」

 

 涙を浮かべながら、トボトボと戻ってきた。

 

「だから言ったじゃないか」

 

 真面目に走ることが久しぶり過ぎて、思うように足が上手く回らなかった。運動会で父親が足を取られるのは、きっとあんな感じ何だろう。男子が走り終わり、女子の番。男子は、別の種目へ移行。

 

「――七秒フラット!」

 

 大きな歓声が上がる。

 

「おっ。岡崎(おかざき)と同じタイムじゃん」

「みたいだな」

 

 走り終えたランナーの頭には、目立つ緑色の大きなリボンが揺れていた。転校生の、中野(なかの)四葉(よつば)

 

「あはは、やっぱり速いねー、四葉(よつば)は」

「もぅ~、ちゃんと真面目に走りなよぉ」

「いやいや、お姉ちゃん、全力で走ってたよ?」

 

 ――お姉ちゃん。姉妹ということは、五月(いつき)が隣のクラスに居たのか。それらしい姿は見えなかったような......。

 

「呼ばれてるぞー」

「あ、ああ」

 

 次の種目は、ハンドボール投げ。事情を知っているらしく、体育教師が確認して来た。

 

「どうする?」

「えっと、じゃあ棄権――」

「やるよな!」

 

 春原(すのはら)が、暑苦しく肩を抱えてきた。土っぽいし、汗で湿ってるし、何より気色が悪い。

 

「おい。お前、知ってるだろ?」

「分かってるって。でも、お前なら出来る!」

「無茶言うなよ......」

「別にいいじゃん、オーバーで投げなきゃいけないって決まりもないし。ですよね?」

「ん? まぁ、どんな投げ方でも構わないが」

「ほらな。一緒に恥かこうぜー」

「それが、本音かよ。ったく......」

 

 棄権するよりも評価してくれるということで、仕方なく参加することに。50メートル走でそこそこの結果を残したこともあってか、結構注目が集まっている。

 ――こうなったら、ヤケだ。

 軸足に体重を乗せて、思い切り腕を振り抜く。低い軌道を描いたボールは、20メートル辺りに落下した。

 

「ナイスピッチ! いやー、全盛期の斉藤を思わせる見事なサイドスローだったね~」

「何十年前の選手だよ、現役選手で例えてくれ」

「歴史に名を残す名投手じゃん。さーて、僕の番だね。よーし、さっきの汚名をはらして名誉返上してやるぞー!」

 

 名誉を返上してどうするつもりなんだか、そもそも返上する名誉もない。発言には呆れるが、宣言通り平均を大きく超える大遠投を見せ、50メートル走の汚名を返上。

 その後は、滞りなく進み。最後の種目を無事に終え、他の連中が終わるのを木々の日陰に入って待つ。

 

「ハァハァ......ヤバい、マジで死にそうっす」

「お前、この後、部活なんだろ?」

「いや......これ以上動くと、ミートグッバイする自信があるよ」

 

 それ、間違ってるからな、と突っ込む気力すら無い。乱れている息を整えるだけで精一杯。休息を取っていたところ、すぐ近くをショートカットの女子が、使い終わったハンドボールが入ったカゴを運んでいた。よく前が見えないのか、足下がおぼつかない様子。辺りには、他の器具が放置されたままになっている。

 

岡崎(おかざき)?」

「ちょっと行ってくる」

 

 見てしまった以上、致し方ない。もし見過ごして、後味の悪い結果になるのは御免被る。足に鞭を打って、彼女の元へ駆け寄り、カゴの反対側から支える。結構重い。こんなの女子に運ばせるなよ。

 

「手伝う。どこへ運べばいいんだ?」

「あっ、ありがとっ。えっと、体育用具庫なんだけど......」

 

 彼女の足が止まった。

 

「どこなんだろうね」

「知らないのか?」

「あははっ、実は、私――」

一花(いちか)ー!」

 

 声が聞こえた方を見る。ボールで視界が塞がっているため顔は見えないが、緑色のリボンが近づいて来る。どうやら、四葉(よつば)のようだ。

 

「あれれ? あなたは、後ろの席の......」

「よう」

 

 ちらっと顔が見えた。声の主は、思った通り人物。

 

四葉(よつば)、用具庫の場所分かった?」

「あ、うん。聞いてきたよ。あの建物だって」

 

 指が差された建物へ運び、指を挟まないようにカゴを降ろす。

 

「助かったよ、ありがとね!」

「いや、気にする......は?」

 

 一緒にカゴを運んでいた女子の顔を見て、固まってしまった。彼女の隣に立つ女子と顔を見比べる。そんな俺に、四葉(よつば)は苦笑いで、もう一人の方は、とても愉快そうに笑っていた。

 

「まさか、もう一人居るなんて思わなかったぞ。だから、初級だったんだな」

「そう言うことですっ。でも――」

四葉(よつば)、しーっ」

 

 もう一人の姉妹、中野(なかの)一花(いちか)は口の前で人差し指を立てる。そして、二人で内緒話しを始めた。

 

「えっ? どうして?」

「だって、そっちの方が面白そうだしっ」

「もぅ、一花(いちか)ってば~」

「何の話しだ?」

「ううん、こっちの話し、気にしないで。ところで、キミの名前は?」

 

 そう言えば、自己紹介がまだだった。

 

「俺は――」

岡崎(おかざき)、何やって......って、同じ顔!?」

 

 木陰からやって来た春原(すのはら)は、目の前のそっくりな姉妹の顔を見て、予想通りの反応を見せた。

 

「いやー、まさか、三姉妹だったとはねぇ~」

「全くだ。さすがに混乱しそうだ」

 

 昇降口へ向かって、四人で歩く。俺と春原(すのはら)の一歩前を、四葉(よつば)と並んで歩いてる一花(いちか)が振り向いた。

 

「だけど二人とも、四葉(よつば)五月(いつき)ちゃんは見分けられたんだよね?」

「そうなんだよ、私もびっくりしたよ」

「まぁ、たぶんアレだよね?」

「ああ、間違いなくな」

 

 前を歩く二人が、同じタイミングで首を傾げた。

 

「双子の姉妹が居たんだ。前の学校で」

「へぇ、それでかぁ。あれ? 前の学校?」

「俺達も転校して来たんだよ、今日」

「わぁっ、それはスゴい偶然ですねっ」

「う~ん、こんな時期に、同じ学校から二人揃って......何やら事件のニオイがしますなぁ!」

 

 結構、鋭いな。

 

「ちょっと、いろいろあったんだよ」

「そっか。聞きたいんだけど、知り合いの双子の姉妹ってどんな感じ?」

 

 イジって来たわりに、空気を読むタイプなんだな。

 

「分からないのか?」

「自分達だと客観的にはね。知り合いに双子とか居ないし」

「私も、興味ありまーす。やっぱり、容姿とか、性格とか似ていたんですかっ?」

「顔は似てたな。けど......」

「性格は真逆だったね。例えると、姉はゴリラで、妹はハムスター......ひぃ!」

 

 ドシンッ! と真後ろで大きな音がした。驚いて振り向くと――。

 

「え、英和辞典......?」

「な、何で、こんなところに? まさかっ」

 

 俺と春原(すのはら)は、辺りを見回す。それらしき人物は見当たらなかった。

 

「すみませーん、大丈夫ですかー!?」

 

 見上げると、校舎のベランダで生徒が手を振っていた。

 どうやら、誤って落としてしまったようだ。ホッと胸をなで下ろす。当たり前だ。アイツが、こんなところに居るはずがない。

 

「あ、危なかったですね」

「ホント、誰にも当たらなくて良かった。こんなのが当たってたら大ケガするところだったよ」

「あ、ああ、そうだな......」

「あ、あはは......」

 

 回収した英和辞典を昇降口に置き、校舎に入る。

 

「私は、向こうだから。じゃあね!」

 

 廊下で一花(いちか)と別れ、更衣室で着替えを済ませ、教室へ戻る。朝と同じ、連絡事項だけのホームルームを終え、夕食と求人広告を調達して帰宅の途についた。

 

「いやー、しんどい一日だったねぇ~」

「ああ」

 

 転校初日、真面目に受けた授業、まさかの三つ子。

 間違いなく、今までの高校生活の中で一番濃い一日だった。

 正直、疲労困憊で、買ってきた夕食にもなかなか手が伸びない。結局半分近くを残して、残りは明日の朝食へ回すことにした。

 シャワーを浴びて汗を流し、布団の上に横になる。

 

 ――そう言えば、聞き損ねた。まぁ、いいか。またの機会で。

 

 目を瞑ると、すぐに睡魔が襲ってきた。



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Episode3

 柔らかな日差しが差し込む、爽やかな朝。

 まどろみの中、初秋のひんやりとした風が頬を撫で、小鳥のさえずりが聞こえる清々しい朝の目覚めは、地獄だった。

 激しい筋肉痛に見舞われ、体の節々が悲鳴を上げている。僅かでも体を動かそうものなら、容赦なく激痛が襲いかかってくる。

 それでも何とか立ち上がり、壁伝いに隣の部屋へ。

 アホ面でいびきをかいて眠っている、春原(すのはら)に蹴りを入れる。反動で体中に激痛が走った。

 

「い、いってぇ~!」

「アイタッ! な、何すんだよ、って、チョーイテぇ! し、死ぬぅーッ!?」

 

 転げ回る度に、痛みが襲ってくると言う終わりのない拷問のような状態。

 その様は正に、地獄絵図そのものだった。

 

「あ、あのさぁ......起こして貰ってあれなんだけど。もう少し穏やかに起こしてくれませんか?」

「体を屈めるのもキツかったんだよ。起こしてやっただけありがたく思ってくれ......」

 

 朝飯を済ませ、自室へ戻り、制服に着替える。

 春原(すのはら)は、優雅にコーヒーをすすっていた。

 

「おい。着替えないと遅れるぞ?」

 

 おそらく、昨日の倍近く登校に時間を要するだろう。

 

「今日は、ちょっと休もうかな? ほら、体の調子が悪いって言うか......」

「あっそ。別に、いいけど。言っておくけど、お前の方がリミット迎えるの早いからな?」

「はい?」

「五十歩百歩でも、俺は、お前よりは出席率が高い。先に退学を宣告されるとすれば、お前の方だ。つまり、指針なんだよ」

「さ、さーて、今日も、ワンダフルで楽しい学生生活をエンジョイしようかな~! あは、あはは......」

 

 いろいろとツッコミどころが満載だけど、何も言うまい。

 一足先に部屋を出て、激痛が走る足を引きずりながら通学路を歩き、やっとの思いで学校に到着。先に登校してクラスの女子達とお喋りしていた四葉(よつば)が、元気いっぱいの笑顔で挨拶をしてきた。

 

「あ、岡崎(おかざき)さん。おはよーございまーす!」

「ああ......早いな」

 

 笑顔が、若干むくれっ面に変わった。

 

「ダメですよ。朝の挨拶は、おはようございます。小さい頃、教わりませんでしたか?」

「......おはよ。これでいいか?」

「はい。おはようございますっ」

 

 満足したらしい。笑顔に戻った。

 小さくタメ息をついて、ゆっくり腰を下ろす。

 

「あのー、もう一人の方は?」

「ん? 春原(すのはら)のことか? たぶん今頃、格闘してるんじゃないか」

「えっ、格闘!?」

「ああ。それも、超強敵を相手にな。おそらく、教室に来る頃には足腰が立たなくなっているはずだ。生まれ立ての子鹿の様に......」

「あわわわっ、スポーツの特待生と聞きましたが。ま、まさか、格闘技だったなんて......!」

 

 どうやら、冗談は通じないタイプらしい。本気で驚いている。

 

「ハァ、なんだ、そう言うことでしたか。もぅ、ビックリしたじゃないですか。脅かさないでくださいよっ」

「悪かった。で、いいのか?」

 

 俺達のやり取りを、遠目に眺めていた女子達へ視線を向ける。

 

「あっ! ごめんなさいっ」

「ううん、気にしないで。ちょっと驚いてただけだから」

「驚いた? 何に?」

 

 四葉(よつば)が、小さく首を傾げる。俺も同じ感想だ。ただ、普通にダベっていただけなのに、いったい何を驚くことがあるのだろうか。

 

「えっと。昨日は、話しかけるなオーラがスゴかったから。普通に話しててスゴいなーって、ね?」

 

 隣の女子が、うんうんと大きく頷いている。

 なるほど、そう言う理由か。確かに、人付き合いは得意な方じゃない。けど昨日のことは、明らかに調子に乗っていた春原(すのはら)と同列にされたくなかっただけで。話しかけられれば、話し返すくらいのことはする。まあ、面倒な時は切るけど。

 

「じゃあいいか?」

「あ、求人雑誌。アルバイトですか?」

「生活費を稼がないといけないんだ」

 

 年齢、時間、資格、他にも縛りがあって、候補を見つけるだけでも一苦労だ。とりあえず、徒歩で通えるところなら――。

 

「スゴいね。バイトと部活の両立なんて」

「うん。昨日の体育でも、二人とも目立ってたし」

 

 女子達の会話に、手が止まる。ダメだ、言うな。

 

「......俺は――」

岡崎(おかざき)さん、問題です!」

 

 突然、四葉(よつば)が目の前で大声を上げた。

 そして、その場でくるりと一周回る。

 

「今日の私は、昨日とどこが違うでしょーかっ?」

「はぁ?」

 

 何の前触れもなく、唐突に始まったクイズにあっけにとられ、自分でも驚くほどすっとんきょうな声を上げてしまった。

 

「制限時間は、10秒です! さあ、どこでしょうっ?」

「どこって......」

「はい、あと5秒! ヒントは――」

「制服」

「首から下です。はい、大正解! パチパチパチっ!」

 

 わざとらしく、大袈裟に拍手して周囲を巻き込んだ。

 

「へぇ、ちゃんと見てるんだ」

「そう言うの、大事だよね」

「よかったですね、クラスの女子からは高評価ですよ。しししっ」

 

 何か、どうでも良くなったな。

 

「ちょっといいかな? そこ、通して貰える......」

「わっ、本当にカクカクしてるっ!」

 

 粗末な木の棒を杖の代わりにした春原(すのはら)が、始業時間ギリギリで登校してきた。

 

 

           * * *

 

 

 午前の授業が終わり、昼休み。

 俺と春原(すのはら)は、重い足取りで学食へ向かっていた。

 

「イテテ、一年間のブランク舐めてたよ......」

「だから、言っただろ」

 

 スポーツは、一日練習を怠ると戻すのに三日かかると言われてる。

 

「戻る頃には、最後のインハイも選手権も終わってるな」

「フッ、僕を見くびってくれるなよ? 岡崎(おかざき)。僕は、向陽中の諸刃のエースストライカーと恐れられた存在なんだぜ?」

 

 それ、悪い意味だろう。敵味方お構いなしに被害があるって意味じゃないか。

 

「つまり、不可能を可能にする天才ってことさ!」

「あっそ。まあ、頑張れ」

 

 俺は俺で、地道にやらせて貰う。と言うか、そうする以外の道はない。試験勉強も、バイトも探さないといけない。前途多難もいいところだ。

 

「おやおや、大繁盛だねぇ~」

「出遅れたからな」

 

 昼休み前の授業は教室移動、ついでに筋肉痛のお陰で足取りも重かったことも相まって、学食は既に満席。仕方なく、購買でパンを買うことにしたのだが、こちらも総菜系のパンは全滅。売れ残りは、あんパンを筆頭とした甘い系統のパンばかりだった。

 

「まいったな......」

「この際、あんパンで妥協するしかないでしょ。食べとかないと、放課後まで持たないよ。それとも、抜け出してファミレスにでも行く?」

「その体でか?」

「よし! あんパンだ。すみませーん!」

 

 あんパンとアイスコーヒーを購入し、入り口近くの壁に寄りかかって、ようやく昼食にありつく。久しぶりに食べるあんパンは、どこか懐かしい味がした。どうしてだろうか。たまには、こう言うのも悪くないと思った。

 

「ん? あれ、うちのクラスの三つ子ちゃんじゃない?」

「あん? ああ、そうみたいだな」

 

 あの緑色の大きなリボンは、四葉(よつば)で間違いない。話している男子、どこかで見たことがあるような。

 

「あれ? どうして、こんなところで食べてるの?」

 

 声をかけてきたのは、トレイを持った女子。四葉(よつば)の姉妹の、一花(いちか)だった。

 

「隣のクラスの三つ子ちゃんじゃん」

「やっほー」

「出遅れて、満席だったんだよ」

「そうなんだね。言ってくれれば、相席してあげたのに」

 

 返却口にトレイを置いた一花(いちか)は、こちらへ向き直した。どうやら、話しを続けるつもりの様だ。

 

「そもそも、見つけられないだろ」

「スマホは?」

「持ってない」

「えっ? 今時?」

 

 ちょっと引かれた。特に気にせずに会話を続ける。

 

「別に、常時連絡を取り合うようなヤツも居ないしねぇ」

「ああ。必要性を感じたこともなかった」

「え、えぇ~......じゃあ、どうやって情報集めてるの? テレビとか、雑誌だけ?」

「雑誌の立ち読みはたまにするけど。つーか、テレビあったけ?」

「知らん」

 

 少なくとも、俺が使ってる部屋にはなかった。

 

「あ、あれ? 何だろう? 二人と話してると、私の方がおかしいような気持ちになってくるんだけど......?」

一花(いちか)、何をしているのですか?」

 

 星形のヘアピン、三姉妹の一人、五月(いつき)がやって来た。

 

「あなたたちは、昨日の――」

「よう、また会ったな」

「ども、昨日は助かったよ」

「いえ、あのくらいことでしたら......」

 

 一花(いちか)が、五月(いつき)に迫る。

 

五月(いつき)ちゃん、聞いて!」

「な、何ですか? 唐突に――」

「ちょっと何してんのよ? 他の人の迷惑でしょ」

 

 姉妹の後ろから姿を見せた女子に、俺と春原(すのはら)は目を疑った。

 

「なあ、岡崎(おかざき)。僕は、夢を見てるのかな?」

「ああ、そうだ。お前は今、夢を見ているんだ」

「あ、あはは、やっぱりそうだよね! 同じ顔が四つもあるわけないもんね!」

「そうだ。だから、確かめてやるよ」

 

 軽く蹴りを入れる。反動で足に激痛が走った。

 

「......普通に痛いっす」

「......夢じゃなかったな」

 

 今、目の前に居る。

 四人目の同じ顔の女子も、実在する本物のようだ。

 

 

           * * *

 

 

「ありえない、ありえないんですけど!」

 

 邪魔になると言う理由で、中庭に場所を移した後、開口一番に言葉を発したのは、新しい姉妹――中野(なかの)二乃(にの)。四人の姉妹の中で一番後ろ髪が長く、まるで蝶のような黒色のリボンでツーサイドアップに結っている。

 

「スマホが必要ないとか、マジありえないから! 私なら、絶対耐えられないわ!」

「私も、無いと不便に思います。お店のチェックや予約に欠かせませんし」

「だよね? よかった~。私が、おかしくなったかと思ったよ」

 

 何だか、いろいろとディスられている様な気がする。

 少しからかってやるか、と春原(すのはら)は悪い笑みを浮かべた。

 

「果たして、本当にそうなのかな?」

「なによ、どう言う意味よっ?」

「もし、手元にないと不安に感じるなら依存症の傾向にあるんじゃない? 例えば、ふと気がつくと用もなく触ってたり......」

「四六時中、メールチェックしてたりしてな」

 

 軽く乗っかってみた。

 

「そうそう。もし、返信を怠ると仲間外れにされるんじゃないかとか、他人の目ばかりを気にしてるんじゃないの?」

「うっ、そ、それは......」

 

 三人ともが、似たような反応を見せた。本当に心当たりがあるみたいだ。テキトーに言っただけなのに、案外当たるものだな。

 

「あーあ、それは重症だ。もう後戻り出来ないねぇ」

「まぁ、その辺にしとけよ」

「ええ~、ここからが面白いところなのに?」

「なっ!? からかうとかサイテー!」

 

 眉尻を上げた二乃(にの)は、プイッと顔を横に向けてしまった。

 

「......ですが、一理あるのかも知れません」

「なに? 五月(いつき)。あんた、そっち側に付くつもり」

「いえ、そうではなく。勉強が疎かになっている原因のひとつなのではないかと」

「そこを指摘されちゃうと、ちょっと否定できないかも?」

「別に、全部スマホの影響とは言えないわっ」

「ですが。家庭教師が付くことになったことは、事実です」

 

 何やら、姉妹で口論が始まってしまった。と言うか、大丈夫なんだろうか。

 

「なんか、僕達、置いて行かれちゃったね」

「ああ。それより、中野(なかの)――」

「なにー?」

「なによっ?」

「なんですか?」

 

 三人同時に反応した。そうだった、全員が中野(なかの)だった。まあ、この際誰でもいい。

 

「今、何時か分かるか?」

「時間ですか? えっと、一時――」

 

 五月(いつき)がスマホで時刻読み上げようとした正にその瞬間、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴り響いた。

 

「お、遅れてしまいますっ!」

「おい、急ぐぞ!」

「なんでこうなるのよー!」

「あははっ、どうしてだろうねっ!」

「ちょっ、僕を置いていかないでいただけませんかーッ!?」

 

 筋肉痛に耐えながら階段を駆け上がり、本鈴の前に教室に到着。着席すると、四葉(よつば)が後ろを向いた。

 

「どうしたんですか? 顔色が優れていないですよ」

「あ、ああ、ちょっとな......」

 

 食後のダッシュはキツい。横っ腹が激しく痛い。

 

「お前は、朝より調子が良いみたいだな。何か、いいことでもあったか?」

「えっ、そう見えますかっ?」

 

 見えるから言ってるんだけどな。

 俺には、今の彼女の笑顔が、朝の三割増しくらいに思えた。

 

「ああ~、そうだ。学食で、姉妹にあったぞ。四人目のな」

「あっ!」

「二度あることは三度あるって言うけど、四度目があるとは思わなかったぞ」

「あはは......、すみません。一花(いちか)が内緒にしておこうと。その方が、リアクションが面白いからって」

「昨日のやり取りはそれかよ」

 

 全く、しょうの無いいたずらを。

 

「因みに、その子、どんな感じでしたか?」

「どんなって。一番強気な感じで表情が豊かだった」

「ああ~、二乃(にの)ですね」

「ちょっと待て。今の口ぶり、他にも姉妹が居るように聞こえたんだが......?」

「さー! 授業ですよ!」

 

 笑顔で誤魔化しやがった、マジで他にも居るのか? それとも、いたずらの延長なのだろうか。

 

「席つけ、始めるぞ」

 

 案内してくれた主任、日本史の担当教師が教室に入って来た。数秒遅れてで到着した春原(すのはら)はそのまま、教師の元へ行き。

 

「先生......僕、頑張ったっす。横っ腹押さえて、足を引きずって、めいっぱい急いだんです! だから、どうか!」

「分かった分かった、いいから席につけ!」

「あざっす!」

 

 必死の形相での懇願に、教師の方が折れ、勝ち誇った様にどや顔で席ついた春原(すのはら)は、まるで息絶えるように机に突っ伏した。

 そして――。

 

「放課後だね」

「お前、本当に何ごともなかったかのように振る舞うのな」

 

 授業が終わった途端に復活。四葉(よつば)はおかしそうに笑って、バッグを肩にかけた。

 

「それでは、私は――」

「あっ、待ってー」

 

 朝、彼女と話していた女子たちが呼び止める。

 

「歓迎会しようって話しになったんだけど」

「えっと、とっても嬉しいお誘いなのですが。実は今日、家庭教師の先生がいらっしゃる予定がありまして......ごめんなさいっ!」

「そっかー。じゃあ、また明日」

「はーい! お二人も、また明日ー!」

 

 元気よく教室を出て行った。俺も、席を立つ。

 

岡崎(おかざき)くんも、用事あるの?」

中野(なかの)が居ないと意味ないだろ?」

「うん、そうだね。また今度にしよ」

 

 変に気を回させるのも、こっちとしても気を使う。それは互い損しかしない。穏便に済ませておく方がいい。

 

「じゃあな」

「またねー」

「って、お前は、部活の見学だろ?」

「いや、今日はもう、ゆっくりしたいなーって」

「来週、小テストを行うそうだ。お前が寝てた、日本史な。中間・期末試験ほどじゃないが、多少なりとも内申に関わるそうだぞ」

「......行ってきます」

 

 うっすら涙を浮かべた春原(すのはら)は、とぼとぼと歩いて行った。

 校舎を出た俺は、アパートに荷物を置き、町へ出た。

 

「ハァ......」

 

 団地付近にあった公園のブランコに座って、沈み行く夕日を眺めていると、自然と大きなタメ息が漏れる。求人情報を片手に何軒か回ってみたが、時間だったり、距離だったり、とどこかしらで引っかかる。

 そうしている間に日は沈み、夜空に星が瞬き始めた。

 ――帰るか。

 住宅街を抜けて、初日に訪れたパン屋に立ち寄り、夕食を調達。会計中、ふと、バイト募集のビラが目に入った。

 

「あ、あの!」

「はい?」

 

 店員に詳しい話しを聞き、アパートへ帰る。

 

「パン屋?」

「ああ。通学路の間に店があるんだ。そこで仕出しのバイトをすることになった」

 

 朝、登校前に開店前の手伝いと放課後。まかないで、焼きたてのパンを貰える。食費も浮いて、一石二鳥のバイト。

 

「へぇ、そうなんだ。まっ、ガンバレよ」

「言われなくてもな。お前は、一人で起きろよ」

「......はい?」

「言っただろう? 早朝のバイトだって。今日より早く出ることになる。そのまま学校へ直行だ」

「......なあ、おかざ――」

「さて、明日から早いから俺はもう寝る。お休み」

 

 何かを言いかけた春原(すのはら)を無視して、布団に入った。

 さて、明日から忙しくなるな。



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Episode4

「それじゃあ、お先に失礼します」

「はーい、ご苦労さまー!」

 

 パン屋でバイトを始めて数日が経ち、ようやく体が慣れ始めて来た。心なしか、体調も良くなった気がする。もしかすると、生活リズムが夜型から朝型へと変わりつつあるのかも知れない。あの人との関わりを避け、怠惰な生活を送っていたあの頃と。

 校内の自販機で飲み物を買い求め、教室へ向かう。時計の針は、まだ八時前。八時半登校の教室には、まだ人の姿はない。

 誰も登校して来ていない静かな教室で、焼きたてのパンをほおばり、まったりと朝食を堪能する。バイトを始めてから、毎日の日課になっていた。

 

「って、何だよこれ......?」

 

 妙な違和感を感じ、口に含んだ飲み物のラベルを確認すると、抹茶ソーダなる謎の商品名が刻まれていた。どうやら、隣の商品と間違えて、ボタンを押してしまったらしい。何とも形容し難い独創的な味が口の中に広がる。

 今度、春原(すのはら)に飲ませてみよう。どんなリアクションをするか楽しみだ。

 新しく飲み物を買い直し、素早く朝食を済ませる。時刻が八時を回った辺りから、ちらほらと、クラスメイト達が登校して来た。

 

「おはようございまーすっ」

「おはよ。今日も、元気だな」

「元気が、私の取り柄ですから」

 

 笑顔で言った四葉(よつば)は席に着くと、ノートと教科書を広げた。

 

「予習か?」

「はい。実は私、姉妹で一番のおバカなんです。えへへ」

「そっか」

 

 少し気合いを入れてやってみるか。今週、小テストもあるし。

 自虐的に笑いながらも真っ直ぐ机に向かう四葉(よつば)に感化された訳ではないが、日本史の教科書を開く。待っていたのは、難解な文字の羅列。読むだけで目まいを起こしそうだ。速攻で挫けそうになった。

 

「おっ、朝から頑張ってるねぇ。お二人さん」

春原(すのはら)......」

「あ、おはよございまーす」

「はよーす」

 

 始業時間ギリギリに登校してきた春原(すのはら)は、大きなあくびをかいて、だらしなく腰を下ろした。

 

「意外と粘るな。記録更新じゃないか?」

「フッ、侮らないで貰いたいね。本気になれば、これくらいお茶の子さいさいさ!」

「何のお話しですか?」

「無遅刻・無欠席記録」

「えっと、まだ一週間も経ってませんよね?」

「最高何日だっけ?」

「三日くらいじゃないか」

「お二人は、どんな学校生活を送っていたんですか......?」

 

 呆れを通り越して、真顔で疑いの目を向けられてしまった。

 

「まあ僕達は、バリバリのアウトローだったからね。夜な夜な校舎に忍び込んでは、当直の教師を相手に、スリリングなかくれんぼに興じたものだよ」

「一度たりともねーよ」

「冷たいねぇ。ちょっとくらい乗ってくれても罰は当たらないのにさ」

 

 机に置きっぱなしにしていた、例の缶ジュースをかっ攫った。

 

「あ、おい、それ――」

「僕とお前の仲だろ? 別に、気にしな......ぶぅーっ!?」

 

 口に含んだ瞬間、思い切り吹き出し、そのまま椅子から転げ落ちた。机と周辺の床に飛び散る。実に、ばっちい。そして、その床を大袈裟に転げ回った。

 

「甘い、苦い!? ど、毒盛られた!? 舌がピリピリするーッ!?」

「だ、大丈夫ですかっ!? 今、救急車を......あれ? 何番だっけ? どなたか、119番の電話番号を教えてくださーい!」

 

 またしてもツッコミどころが満載だが、これ以上は本当に大騒ぎになってしまう。真相を話し、この場を落ち着かせる。ティッシュで机を拭いた春原(すのはら)は、仏頂面で座り直した。

 

「お前、何か薄汚いぞ?」

「あなたのせいでしょっ!?」

「ハァ、何ともなくて良かったです」

「優しいねぇ、四葉(よつば)ちゃんは。岡崎(おかざき)、テメェ......!」

「言いがかりはよせ。人の物を勝手に盗るからいけないんだぞ。良い教訓になったろ?」

 

 それに、しれっと下の名前で呼んでるし。

 

「あ、それは構いませんよ。名前の方が呼ばれ慣れていますから。姉妹で居る時とかややこしいですし」

 

 それは確かに。全員が反応した、先日の昼休みの出来事が頭に浮かんだ。四葉(よつば)のことは、俺も名前で呼ばせて貰うことにしよう。他の姉妹は......会った時に確認すればいいか。

 

「でも、男の人からちゃん付けで呼ばれるのはちょっとむずむずします。あはは~」

「親しい女の子はちゃん付けで呼ぶ。僕なりの愛情表現なのさ」

「いちいち気持ち悪いな」

「ストレートに言わないでいただけませんか!」

「悪い。今度は、緩急をつける」

「そんな的外れな優しさ、求めていません!」

「そこ、静かにしろ。ホームルーム始めるぞー」

 

 やって来た担任に制され、俺達は前を向き、朝のホームルームが始まった。

 午前の授業。相変わらず、春原(すのはら)は机に突っ伏していた。四葉(よつば)方は真剣に、ノートを取っている。家庭教師が来ると言って歓迎会を断った翌日からは、より一層気合いが入っている様に思えた。よほど厳しい家庭教師なのだろうか。

 

「よっし、昼だ。学食行こーぜ」

「いや、パンがある」

 

 バイト先のパン屋が今度、新商品を出すとのことで。感想を聞かせて欲しいと、何種類か試作品を貰ってきた。そんな訳で今日は、昼飯の分もある。

 

「何だよ。じゃあ購買で買ってくるから」

「コーヒー牛乳な」

「はいよ。って、パシリかよっ?」

「ジュース台無しにしただろ?」

「......あれ、本気で飲む気でいたんすか?」

 

 結構、マジなトーンで聞かれた。

 

「冗談だ。俺も行く」

 

 席を立ち、教室を出る。

 

「で。部活はどうなんだ?」

「部活ねぇ......」

 

 表情が曇る、と言うか愁いでいる感じの顔だ。いつもおちゃらけの春原(すのはら)からは想像できない、初めて見る顔をしている。

 

「想像よりキツかったのか?」

「逆だよ」

 

 なら、想像よりも緩いってことか。

 それなら、本来の思惑通り部活でポイントを稼ぐには持って来いのはずだが、何やら勝手が違うらしい。

 

「良いパスが来ないんだよ」

「ああ~、そう言うことか」

 

 呼吸が合わないってヤツだ。良いところへポジションを取っても、欲しい時、思ったところへパスが来ない。司令塔をやってみても結果は同じ、今度は、パスに味方の反応が追いつかない。

 

「いけ好かないことも多かったけどさ。やっぱり、強豪だったんだね」

「どうするんだ?」

「まあ、とりあえず続けるよ。みんな、本気みたいだからさ」

「そうかよ。なら、お前が強くすればいいんじゃないか?」

「おっ、それ面白いかもね! ストリートサックスってヤツ?」

「サクセスストーリーな。路上パフォーマーじゃないか」

「そう、それそれ。マジで救世主って呼ばれるかも!」

 

 一年以上ツルんで初めて知った、春原(すのはら)の意外な一面だった。

 

 

           * * *

 

 

 その日の放課後。俺は、図書室を訪れていた。

 数日授業を受けて思ったことは、前が分からないから今を理解出来ないと言うこと。当たり前だ。一学期の授業はおろか、一年の授業も真面目に受けてこなかったんだから理解なんて出来るはずもない。基礎的な知識をと思って、図書室に来たのはいいが。

 

「広いな」

 

 種別に管理されているとは言っても、目当ての本を探すだけでも苦労しそうだ。とりあえず、今度小テストがある日本史から当たってみることにした。しかし。

 

「あん?」

 

 奇妙なことに、歴史関係の棚だけ空っぽだった。

 

「すみませーん」

「おおっ!」

 

 図書委員と思われる数人の男女が、大量の本を持ってやって来た。横に逸れ、通り道を開ける。図書委員達は会釈をして、空っぽだった本棚に手際よく本を収納していく。本の点検でもしていたのだろうか。

 

「あのー、見させて貰っても?」

「あ、はい、どうぞー。あれ、岡崎(おかざき)くん?」

「ん? ああ、四葉(よつば)の友達の......」

 

 誰かと思えば、クラスメイトの女子だった。掻い摘まんで事情を話すと、基礎知識から中間の範囲を含めたオススメの資料集を何冊かピックアップしてくれた。貸し出しの手続きも教えて貰い、礼を言って、図書室をあとにする。

 

岡崎(おかざき)さん。偶然ですね」

四葉(よつば)か」

 

 ダンボール箱を抱えた四葉(よつば)と、廊下でばったりと出くわした。

 

「何してるんだ?」

「先生のお手伝いで、資料室に運んでいるところです」

「そいつは、大変だな」

「これくらいへっちゃらですよ。岡崎(おかざき)さんは、勉強ですか?」

「ちょっとな。オススメの資料を借りてきたんだ」

「勤勉ですね。まるで――」

 

 何かを言いかけた四葉(よつば)が、不意に窓の外へ目を向けた。習って外を見ると、汗だく男子が走っていた。

 

「わお、上杉(うえすぎ)さん! ちゃんと前向かなきゃダメですよー」

 

 ――上杉(うえすぎ)? 初めて聞く名前だ。顔を見る。見覚えのある顔。転校初日、五月(いつき)と学食に居た男子だった。

 四葉(よつば)を見て困惑した顔を見せた上杉(うえすぎ)は、ばっと後ろを振り返り、再び四葉(よつば)を見る。

 

「すまん、四葉(よつば)......。落ち着いて聞いてくれ......」

「はい?」

 

 妙に深刻なトーンだ。

 

「お前のドッペルゲンガーがそこに居る。お前、死ぬぞ」

「え、ええぇ......!? し、死にたくないです~!」

 

 思いもよらぬ、オカルティックな話しだった。

 四葉(よつば)は涙目で、本気で怯えている。

 

「あんまり脅かしてやるなよ」

「お前は......いや、本当なんだ! あいつを見てくれ!」

 

 上杉(うえすぎ)が指差した方を見る。そこには確かに、四葉(よつば)と同じ緑色のリボンを付けた女子が居た。

 

「あ、本当だ。あそこに居る。最期に食べるご飯は何にしよう......」

「俺も、お前のドッペルゲンガーを知ってるぞ。アイツ以外に、三人ほどな」

「ええっ、三人もっ?」

「他の姉妹のことだよ」

「他の姉妹......? そうか、入れ替わりか!」

 

 指摘を受けた偽四葉(よつば)は、リボンを解き、青色のヘッドホンを首にかけてると、クルッと身を翻して、脱兎の如く走り去って行った。

 

「待て! お前、三玖(みく)だろ! くそ、トリッキーな技を使いやがって......!」

 

 偽四葉(よつば)こと――三玖(みく)と呼ばれた女子を追いかけて行った上杉(うえすぎ)から、四葉(よつば)へ視線を戻す。

 

「ほっ、よかったです」

「お前、本当に疑うこと知らないのな。でだ、今の女子も姉妹なんだよな?」

「あ、あはは、どうでしょうか?」

 

 全く、本当に嘘が下手な真っ直ぐなヤツだ。

 

 

           * * *

 

 

 学校を出て、バイト先のパン屋へ出向く。

 

「って、ここにもあるのかよ」

 

 一応、需要はあるんだな。

 事務所へ入り、パン作りをしない俺は、制服の上からエプロンだけを付けて、店内に立つ。

 

「試作品、どうだった?」

「普通に美味かったですよ」

「普通かぁ~」

 

 お下げ髪の女性店長さんは、ガックリと肩を落とした。

 ある程度の固定客は居るが、新規の客がなかなか増えないことが悩みのタネらしい。言われてみれば、夕方なのに客入りは多いとは言えない。向かいに看板を掲げるケーキ屋に持っていかれているそうだ。

 

「ビラとかは?」

「広告出すのも、そこそこお金が掛かるのよねぇ。あっ、そうだ。ちょっとお願いね」

 

 接客を任されてしまった。レジ打ちは一応教わったし、何とかなるか。店長は、五分ほどで戻ってきた。

 

「はい。お手製の広告」

「客寄せに行けと?」

 

 店長は、笑顔で頷いた。店名が書かれた厚紙が貼られたダンボールの広告を持って、店の外へ出る。だいぶ日が陰るのも早くなってはきたが、まだ、暑さは残っていた。

 眩しい西日から顔を背けると、似た顔の三人組と目が合った。

 

「あなたは」

「キミ!」

「誰?」

 

 三人の反応は、三者三様。話しの成り行きで、店に寄って貰うことになった。ともあれ、新規の客を三名ゲット。店内のテーブル席へ案内し、注文を伺う。

 

「ご注文は、いかがなさいますか?」

「アイスティー。ミルクとシロップも」

「私は、カフェモカのアイスを」

「うーん、抹茶ソーダ」

 

 アレの需要は、ここにあったのか。

 

「って、そんなのないでしょっ」

「そうです。困らせてはいけません」

「冗談。言ってみただけ」

 

 確かに、メニュー表には載っていない。ないのだが――。

 

「少し待っていてくれ」

「出来るのですかっ?」

 

 二人の注文を店長に伝え、いったん店を出て、自販機でご所望の抹茶ソーダを買って戻る。グラスに注ぎ直し、コースターとストローを添えて、三人の注文品をテーブル席へ持っていく。

 

「お待たせしました」

「ホントに出てきたわ」

「出てきましたね」

「融通の利くお店」

 

 トレイを下げ、三等分に切り分けた試作品を持って戻る。

 

「まさか、五つ子とは思わなかった。え~と、中野(なかの)三玖(みく)で合ってたか?」

 

 無表情で抹茶ソーダを飲んでいた女子は顔を上げ、訝しげな目を向けてきた。

 

「私の名前、どうして知ってるの?」

「放課後、男子と追いかけっこしてただろ。上杉(うえすぎ)って言ったか? あの時俺、四葉(よつば)と一緒に居たんだよ」

「そう。見られてたんだ」

「ちょっと。何で馴れ馴れしく下の名前で呼んでるのよ?」

「ややこしいから名前でいいって、本人が言ったんだよ。嫌なら123でも、ABCでもいいぞ」

「絶対イヤ! そんな量産型みたいなの! 口コミサイトで酷評してやるわっ」

「止めてくれ。生活に支障が出る」

「あはは......私たちも、下の名前で構いません」

「その方が呼ばれ慣れてる。フータローも名前で呼んでるし。二乃(にの)は、苗字呼びのまま?」

「別にいいけど! 見分けられるかしら?」

二乃(にの)三玖(みく)五月(いつき)だろ?」

 

 顔を見て、順番に言い当てる。

 

「合ってます。一花(いちか)四葉(よつば)から聞いていましたが、本当に分かるんですね」

「スゴい」

「まっ、まあまあね」

「さすがに五人全員が同じ髪形、同じ服装だと自信ないけどな」

 

 軽く肩をすくめて答え、試作品が乗った皿をテーブル置く。

 

「試作品なんだけど。良かったら後で、店長に感想を聞かせてやってくれ。ごゆっくりどうぞ」

 

 席を離れ、通常業務に戻る。

 三人はそのまましばらくダベって、日が落ちる前に店を出て行った。

 

「五つ子!?」

「ああ」

 

 夕食を食べながら、五人目の姉妹と遭遇したことを春原(すのはら)に話す。

 

「どんどん増えていくんですが。さすがに、もう増えないよね......?」

「さあな、六人目も居るかも知れないぞ。と言うことで、お茶」

「出ねーよ。どう言うことだよ?」

「パン、恵んでやってるだろ」

「三食全部パンは飽きるよ。はぁ、腹いっぱい肉食いたいねぇ~。よし! 月末は肉の日にしようぜ」

「んな余裕ねーよ。客入りが良くなれば、給料も上がるんだけどな」

 

 そんなことを思っていたら、なぜか翌日から客の入りが良くなった。店長の話しによると、有名なレビュワーとやらが評価してくれたお陰だそうだ。

 まさかの五つ子の姉妹といい。

 この世の中、予想だにしない摩訶不思議のことが起きるものらしい。



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Episode5

 中間試験を再来週に控えた、九月末日。

 通学路の商店街は、多くの屋台が軒を連ね、開店準備に躍起になっていた。この日は、この町の花火大会。そこそこの規模らしく、バイト先のパン屋も路上販売を行った。

 中野(なかの)姉妹や上杉(うえすぎ)と妹さん、クラスメイトたちも大勢見物に来ていて。店の方もそこそこ繁盛して幕を閉じた。

 そして――。

 

「いよいよだね」

「そうだな」

 

 あっという間に月日は巡り。遂に、中間試験当日。バイトは、一週間前から休みを貰っている。チャンスは、三回。おそらく、いや、間違いなく今回の試験を全てパスすることは不可能だろう。

 それでも、五教科のいずれか一つでいい。先ずは、そこを目標に俺なりにやって来たつもりだ。とりあえず、現状を知れるまたとない機会であることは間違いない。

 

「いやー、楽しみだねぇ。林間学校」

「......はあ?」

「だから、林間学校だよ。栞読んでないの? 飯盒炊さんとか、スキーとか、肝試しとかもあるって話しだぜ。女の子誘って、男らしいところをアピールしてさ。念願の彼女ゲットのチャンス到来って訳さ!」

「お前、本当に幸せ者だよな」

「そう褒めるなよ、照れるじゃん。アハハッ」

 

 高笑いしている。ある意味、本当に幸せなヤツだ。

 教科書を開いて、話半分に聞き流す。

 

「それにさ。伝説があるって話し何だしさ」

「伝説?」

「そう。最終日のキャンプファイヤーのフィナーレの瞬間に手を繋いでいたカップルは結ばれるってヤツ」

「よく聞く話しだな。で? 肝心の相手は居るのか?」

「とりあえず、手当たり次第アタックしてみる」

「それは、さすがにどうかと思うぞ?」

「僕のことが気になってても、勇気を出せない子がいるかも知れないだろ。ほら僕、イケメンだし」

 

 この自信は、いったいどこから沸いてくるんだろうか。

 

「そうだな。お前は、ムチャクチャイケメンだもんな。略して、ムチャメンな」

「何だか、ムチャな顔をみたいですねぇ。とにかく、岡崎(おかざき)も相手を探しとかないと、孤独でボッチでロンリーな学校生活を送ることになるぜ」

「別にいいよ。あと全部、同じ意味だからな」

 

 正直、色恋沙汰にかまけている余裕はない。退学宣告回避の方が重要事項だ。バイトを探してた時、最低でも高卒が条件のところが多かった。何としてでも卒業だけはしておきたい。

 

「それにしてもさぁ」

「今度は、何だよ......」

四葉(よつば)ちゃん、遅くない?」

「あん?」

 

 顔を上げて、前の席を見る。空席のままだった。

 時計の針は既に、八時半近くを指している。

 

「居ないな」

「寝坊でもしたのかな?」

「ああ~、あり得るかもな」

 

 土日は家に籠もって、試験勉強に専念すると話していた。と言っても、連絡を取る手段はないし。どうすることも出来ない。登校時間の八時半を過ぎた頃、試験開始時間ギリギリで、ようやく登校して来た。

 

「おはようございますっ」

「おっ、来た」

「ギリギリセーフ。寝坊か?」

「夜中まで勉強していて。みんな一緒に寝坊してしまいました。あはは」

「そりゃご苦労だったな」

「試験中に寝落ちしなければいいけどね」

「それは、お前だろ?」

 

 今朝も、目覚ましが鳴り響く中で熟睡していたヤツが言える台詞じゃない。

 

「一夜漬けで大丈夫なのか?」

「討論は、英語で“でばて”です! 絶対に試験に出るそうですよ」

「ふーん、覚えとく」

中野(なかの)さん、座りなさい。始めますよ」

「あ、はーい」

 

 遅れてきた四葉(よつば)が席に着き、開始時間通り中間試験は始まりを告げた。社会、国語、英語、数学、理科の五科目を終え、後日、試験の結果が返却された。

 

「わっはっは!」

「笑うなよ!」

 

 返却された春原(すのはら)の答案用紙を見て、思わずバカ笑いしてしまった。四葉(よつば)は後ろを振り向いて、小さく首をかしげる。

 

「どうしたんですか?」

「奇跡的なことが起こってたんだ。これ、見てくれよ」

「こ、これは......スゴいです!」

「だろ? 狙って出来ることじゃないよな」

 

 全科目オール7点という奇跡を起こした。

 

「ジャックポットだな」

「嬉しくありません。つーか、お前らはどうだったんだよ?」

「ふっふっふ。じゃーん! 国語は、赤点を回避しましたー!」

 

 他の四教科は、赤点。自分でおバカと言っていたのは本当だったらしい。と言う俺も、全教科赤点。全ての教科で二十点台前半、合格ラインをやや下回る中途半端な結果に終わった。元の実力からすれば、こんなところだろう。

 

「アハハ。何だ、みんな仲良く赤点じゃん」

「まあ、バカだしな」

「ししし。補習、一緒に乗り切りましょう。では私は、答え合わせと結果発表の約束がありますので」

 

 教室を出て行く四葉(よつば)を見送り、答案用紙に目を戻しながら、ふと気がついたことを口に出す。

 

「そう言えばさぁ。補習だと部活も参加出来ないんだろ? 予選に出られないと、ポイントも稼げないんじゃないのか?」

「......勉強、教えてください」

「オール赤点の人間に教え請うなよ......」

 

 今後クリアしなければならない様々な課題を知ることが出来た中間試験は、こうして幕を閉じた。

 

 

           * * *

 

 

「スゲー眠いんですが......」

「お前、楽しみにしてたじゃないか。林間学校」

 

 そこそこの人数が参加した補習も無事に終わり、林間学校当日を迎えた。普段よりも一時間ほど早い登校。俺は、早朝のバイトで慣れているが、春原(すのはら)は寝ぼけ眼でフラフラしている。

 

「やっぱこのままブッチしちゃわない? ダルいしさ」

「単位に響くぞ。それに、この期に乗じて彼女作るって話しはどうなったんだ?」

「あ、ああ、アレね。何か急にどうでもよくなっちゃってさ」

 

 失敗したんだな。分かりやすいヤツだ。

 コンビニで朝食を調達し、集合時間の五分前に到着。集合場所の駐車場には、既に大勢の生徒達が集まっていた。

 

「もう居るよ。みんな、朝っぱらから元気だねー」

「とりあえず、飯済ませるか。空きっ腹で長距離移動はキツい」

 

 この町へ来た日に、身を持って体験済み。春原(すのはら)は縁石に座り、俺はフェンスに寄りかかって朝飯を食べる。

 

「ん? あれって、中野(なかの)さん家の長女の一花(いちか)ちゃんじゃない?」

「ああ、そうみたいだな。一花(いちか)

 

 辺りを見回している一花(いちか)に、声をかける。

 

「あっ、二人とも、おはよう。フータロー君、見かけなかった?」

「誰?」

上杉(うえすぎ)のことだろ。姉妹の家庭教師の。補習の時に、聞いただろ?」

「ああ......アイツのことね。五つ子美人姉妹を独り占めしてる、羨まけしからん野郎のことっすね!」

「ふふっ、そうそう。フータロー君は、私たち五人の心を奪って弄ぶ罪深い男の子なんだよ」

 

 若干流し目で、色っぽく身体をくねらせた。

 

「ジェラシー! 僕も弄びたい、むしろ弄ばれたいっす!」

「変態か。一花(いちか)、お前も乗るなよ」

「あっははっ! リアクションが面白いから、つい。毎日、隣のクラスから楽しそうな声が聞こえてくるんだもん」

「全く。で、上杉(うえすぎ)だよな? 見てないぞ」

「う~ん、そっか。携帯も繋がらなくて、そろそろ集合時間なのに......」

 

 目が合うと春原(すのはら)は、軽く肩をすくめた。連絡がつかないってのは確かに、少し気になる。

 

「分かった。飯食い終わったら探してみる」

「ありがと。フータロー君は、五月(いつき)ちゃんと同じクラスだから」

「了解」

「オッケー」

 

 一花(いちか)は、バス周辺の人混みの中へ戻っていった。

 

「いやー、ホント愛されてるよね」

「分かりやすいよな」

「羨まし過ぎっす」

「さて、探してみるか」

 

 ゴミを片付け、俺達は手分けして、五月(いつき)たちのクラスが集まるバス周辺を探しに向かった。花火大会の時に、しっかり顔は見ている。しかし、それらしい人物は見当たらない。代わりに見つかったのは、一花(いちか)と同じ顔の女子。

 

五月(いつき)

「はい? あ、岡崎(おかざき)君」

上杉(うえすぎ)、居るか?」

上杉(うえすぎ)君ですか? いえ、見ていませんが......」

 

 このリアクションからして、五月(いつき)は探していないようだ。

 

中野(なかの)さん、大変!」

「先生。どうしましたか?」

「肝試しの実行委員の代役を――」

 

 事態は、予期せぬ方へ向かっていた。

 一花(いちか)たち姉妹への連絡は五月(いつき)へ任せ、春原(すのはら)と合流し、自分のクラスのバスへ移動。目立つリボンを見つけた。

 

四葉(よつば)

岡崎(おかざき)さん、春原(すのはら)さん、欠席かと思ったじゃないですか。もう点呼始まっちゃってますよっ」

「スマホ、見てないのか?」

「スマホ?」

「その反応は、見てないみたいだね。上杉(うえすぎ)が、遅れてるんだってさ」

「――え? 上杉(うえすぎ)さんが......」

「妹さんが、熱を出して看病しているらしい。さっき、担任と五月(いつき)が話してた」

「らいはちゃんが風邪を。上杉(うえすぎ)さんが、看病を......。そうですか、昨日の――」

 

 ――話し、酷かったんだ。と、聞き損ねそうなほどか細い声で呟いた。

 全く、世話が焼ける姉妹だ。

 

「行けよ」

「えっ?」

「一時間程度の遅れ。電車とか、タクシーとか使えばどうにでもなるだろ。正真正銘のお嬢様なんだろ?」

「......行ってきます!」

 

 列を抜けてた四葉(よつば)は、担任と話しをして離れていった。

 

「損できるのは、いい男の役回りだよね」

「自分で言うな。さっさと乗るぞ」

 

 クラス別に用意されたバスに乗り込み、最後の確認が行われ、定刻通り学校を出発した。二人掛けの席に座った俺達は、騒がしい車内の中だろうとお構いなしに、深い眠りについた。

 

 

           * * *

 

 

「――岡崎(おかざき)。起きろよ、岡崎(おかざき)

「なんだよ? もう、着いたのか?」

 

 軽く首を慣らして、重いまぶたを開ける。

 バスは、止まっていた。

 

「外、見てみろよ」

 

 視線を車窓へ移す。止まっている理由が判明した。

 

「......吹雪だな」

「それも、頭に猛が付くほどのね」

「立ち往生かよ。ブッチする方が正解だったな......」

「今さら言っても遅いけどね~。どうする?」

「寝る」

 

 一番楽に時間を潰せる方法だ。と、思っていたところへ担任からアナウンスが入った。今日の予定は変更し、近隣の旅館へ分散して宿を取ることになった、と。

 

「いやー、宿があって助かったね。危うく、バスの中で寝泊まりするところだったよ」

「だな。だけど......」

 

 四人部屋に、定員オーバーの六人で寝泊まり。結構、気を使いそうだ。

 

「とりあえず、温泉にでも行こうぜ。自由行動になったことだしさ」

「それもそうだな」

 

 決められた予定で動くより、気楽でいい。

 部屋に荷物を置き、着替えを持って、旅館の浴場へ向かう。

 

四葉(よつば)ちゃんたちも、同じ旅館に泊まることになってたりして」

「そんな偶然、あり得ないだろ」

「ちょっといいかい?」

 

 廊下を歩いていたところ、突然、声をかけられた。

 

「やあ」

 

 声をかけてきたのは初めて見る、妙に爽やかな男子だった。



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Episode6

「くぅ~! 凍えた体に染みるねぇ~」

 

 四つ折りにした白いタオルを頭に乗せ、熱々の一番風呂に入る爺さんの様だ。俺も習って足を伸ばす。ふぅ、と思わず声が漏れた。

 石畳の床、まるで庭園のような造りの岩風呂の天然温泉。

 湯に落ちる前に解ける雪の欠片が、より一層風情を引き立ててくれる。

 

「やっぱ、足を伸ばせるって最高だよね!」

「それは認める。たまには、銭湯に行くのもいいかもな」

「おっ、いいねぇ。ナイスアイデア!」

「その時は、僕も誘っておくれよ」

 

 隣から自然に会話に入ってきたのは、廊下で俺達を呼び止めた妙に爽やかな男子。さも当然ように、澄まし顔で湯に浸かっている。

 

「どうして、お前が一緒に入ってるんだ?」

「それは、キミたちが温泉に行くと言ったからだよ。裸の付き合いの方が腹を割って話せると思って、ね?」

「てか、そもそも誰だよ? お前」

「えっ? キミたちは、僕の事を知らないのかい?」

 

 春原(すのはら)からの指摘に、余裕のある澄まし顔が崩れた。何を驚いているのか、初対面なんだから知るはずもないだろうに。

 

「では先ず、自己紹介といこうか。僕の名前は、武田(たけだ)祐輔(ゆうすけ)。何を隠そう、旭高校理事長の息子だよ」

「あっそ」

 

 一瞬で興味が消え失せた。元々なかったけど。

 

「もう少し社交性を身に付けた方がいいと思うよ?」

「だってよ、春原(すのはら)

「あなたのことでしょ!」

「で。そのお偉いさんのご子息が、俺達に何の用だ?」

「スルーっすか」

 

 ツッコミをスルーして、わざわざ風呂にまで付いてきた理由を尋ねる。コイツが本当に、理事長の息子だとすれば、もしかすると今後の進退に関わる事を知らせに来たとも考えられる。

 

「キミたちは、上杉(うえすぎ)君と交流を持っているよね? 彼と僕は、ライバルなんだよ」

 

 話しは、思っていたこととは一切関係がなかった。

 

「ライバル? 何の話しだ?」

「恋敵じゃないの」

「恋?」

 

 反応を見る限り、色恋沙汰の話しではないらしい。

 よくよく話しを聞いたところ、スポーツでもなく、学業に関すること。

 

「僕はね、中学まで常に学年トップの成績だったんだ。しかしながら、高校へ進学してからと言うもの、彼にトップの座を明け渡し、試験では毎回学年二位に甘んじてしまっている......」

 

 補習で五つ子全員と一緒になった時、全教科満点の答案用紙をわざと見せられた、と五月(いつき)が大変ご立腹だったことを思い出した。

 

「改めて思ったけどさ。全教科満点って、マンガみたいなヤツだよね」

「同級生で、中野(なかの)姉妹全員の家庭教師を務めてるんだからな。平凡なヤツには無理だろよ」

「それさ。僕が、憂いでいることは――」

 

 雪がチラつく灰色の空を見上げた武田(たけだ)は、物悲しげな顔を見せた。

 

「いくら学年トップの秀才と言えど、両立はあまりにも無理な話しだと思わないかい? おそらく、このままでは成績を落とすことになるだろうね」

「ふーん。なら、トップになれるじゃん。よかったね。めでたしめでたし」

 

 テキトーに言った春原(すのはら)の言葉に、突然、勢いよく立ち上がり、激しい剣幕で声を荒らげる。

 

「それじゃ意味がないんだ、実力で勝ったとは言えないじゃないかっ!」

「......目の前で立つなよ。せめて前を隠せ......」

 

 ――これは失敬、と湯の中で座り直し、やや顔を伏せた。

 

「ライバルとしては、今すぐにでも家庭教師を辞任して勉強に専念して欲しいと言うのが本音だ。けれど、彼の事情は、それとなく聞いているから無理強いも出来ない。そこで、考えたのさ。どうすれば、彼と対等の立場で公平に競えるのかを、ね」

 

 伏せていた顔を上げ、爽やかな笑顔でウインクした武田(たけだ)が、上杉(うえすぎ)と対等に勝負するために思いついた方法。

 それは――。

 

「家庭教師!? お前が、僕達の!?」

「そう。単純な人数では及ばないけど。学力で言えば、キミたちの方が彼女たちよりも劣る」

「......何か、スゲームカつくんですが。一発殴ってもいいっすかっ?」

「退学になるぞ」

「キミたちに取っても悪い話しではないと思うけど、ね。オール赤点の岡崎(おかざき)君と、オール7点の七原君」

春原(すのはら)だよ!」

「惜しい」

「惜しくない! やっぱり、殴っていいっすか......!?」

 

 握った拳を振るわせ、憤りをあらわにする春原(すのはら)。またもや無駄に爽やかな笑顔で、謝罪した武田(たけだ)は、改めて問いかけて来た。

 

「で、どうだろう? 僕からの提案は――」

 

 確かに、双方に利益がある提案だ。俺達は、赤点回避を。武田(たけだ)は、上杉(うえすぎ)と対等に勝負を。どちらも損はしない。

 

「金ないぞ?」

「そんな物を要求するつもりは毛頭ないよ。むしろ逆さ。僕自身の目的を果たすために、キミたちに協力を請う立場なのだから、ね」

 

 さっきから、妙に強めた語尾に合わせてウインクしているが何か意味があるのだろうか。いまいちキャラが掴めない。まぁ、悪いヤツではなさそうだけど。個人情報の取り扱いがザルなことは別として。

 

「そうだな......」

岡崎(おかざき)!」

 

 春原(すのはら)が暑苦しく、首に腕を回してきた。

 

「何だよ?」

「騙されるな。これは、罠だ!」

「罠?」

「僕達を利用して、五つ子ちゃんに近づこうって腹なのさ!」

「と、言っているが?」

「ん? 中野(なかの)姉妹となら既に面識はあるけど? 親同士に親交があるからね。黒薔薇女子から、旭高校へ転入してくることも事前に聞いていたよ」

 

 因みに武田(たけだ)は、一花(いちか)とはクラスメイトで、クラスでは委員長を務めているそうで。正に、画に描いたような優等生。爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

「だそうだぞ。言っておくが、お前の勉強を見てやる余裕は、俺にはないからな?」

「......すみません。家庭教師、お願いします」

 

 今までで一番の爽やかスマイル。

 

「もちろんさ! これからよろしくね!」

「ああっ。よろしく頼むよ!」

 

 この身代わりの速さ、これぞ春原(すのはら)の真骨頂。

 

「でさ。さっそく質問いいかな?」

「もちろんさ、何でも聞いてくれて構わないよ!」

「5W1Hって、何?」

 

 武田(たけだ)の爽やかスマイルが固まった。

 それはそうだろう。追試も、合格点に僅かに届かなかったところを拝み倒して、慈悲で合格にして貰ったほどだ。

 

「考え直す気になったか? 撤回するなら今のうちだぞ」

「......いや、やり甲斐があるなと思っただけだよ」

 

 引きつった笑顔は、それはそれは痛々しかった。

 

 

           * * *

 

 

 翌朝、驚愕の事実を知ることになった。

 五つ子と上杉(うえすぎ)も豪雪で足止めを食らい、同じ旅館に宿泊していた。

 分散して宿泊していたため、六人は二人ずつに別れバスに乗り、目的地のコテージへ向かうことに。俺達のクラスのバスには、本来乗っている予定の四葉(よつば)上杉(うえすぎ)が乗車。クラスメイトに頼んで席を代わって貰い、一番後ろに四人で座っている。

 

「まさか、本当に同じ旅館だったなんてな......」

「あはは、スゴい偶然ですよね」

「いや、これはもう偶然なんかじゃないよ。運命さ。四葉(よつば)ちゃん、僕達は運命の赤い糸で結ばれていたんだよ」

「えっと、ごめんなさい!」

「速攻でフラれたーっ!」

 

 肩を落とした春原(すのはら)だったが、何ごともなかったかのように一瞬で復活。

 

「ところで、上杉(うえすぎ)。妹ちゃんは、もういいの?」

「ああ。熱も下がったし、今は、親父が看てくれてる」

「そっか。よかったじゃん」

春原(すのはら)四葉(よつば)にフラれたからって......」

「違うわーいっ! 僕にも妹が居るんだよ!」

「ウソ......だろ?」

「嘘じゃねーよ。話したことなかったっけ?」

「ねぇよ」

 

 春原(すのはら)の妹――全く、想像がつかない。どんな妹だ? そもそも本当に実在するのかすらも怪しい。

 

「お前、妹が居るのか。歳は?」

「十三」

「らいはの一個上か。中学ともなると、やっぱりマセてくるのか?」

「そりゃあねぇ~。昔は、お兄ちゃーんって可愛く背中を追っかけて来たけどさ。最近、妙に大人ぶってちゃって。転校することを話した時なんて――」

「うんうん、なるほどな。分かる、分かるぞ!」

 

 春原(すのはら)上杉(うえすぎ)、妹が居る者同士の間に友情が芽生えていた。

 

「いいな~、妹さん」

五月(いつき)が居るじゃないか」

五月(いつき)は同い年ですし、妹と言うより親友みたいな感じですから。岡崎(おかざき)さんは、ご兄弟は?」

「居ない」

「一人っ子でしたか。ご兄弟が欲しいと思ったことはありませんか?」

「......ない」

「あ、そうですか」

 

 やってしまった。事情を知らない相手に、四葉(よつば)に悪気がないことは分かっているのに。こう言った話しになると、どうしても感情的になってしまいがちになってしまう。

 

「でもまあ......そうだな。お前みたいな妹が居たら、たぶん気苦労が絶えないんだろうな」

「ええ~、それ、どう言う意味ですかっ?」

「気を遣い過ぎなんだよ。結構、抱え込むタイプだろ。頼まれ事とか押し切られると断れないんじゃないか?」

「そ、それは......」

 

 とても分かりやすく、窓の外へ目を背けた。

 分かりやすいにも程があるな。

 

「あ、そうだ。昨日こと、ありがとうございました」

「何で、小声なんだよ?」

「それは、その、ですね」

 

 チラッと、春原(すのはら)と妹談義に花を咲かせている上杉(うえすぎ)を見た。やっぱり、気を遣い過ぎだな。いつか、このお人好しで面倒なことに巻き込まれなければいいけど。

 

「二人とも、トランプやろぜ!」

「いやいや、ここはカード麻雀でしょ!」

 

 いつの間にか、妹談義を終えた上杉(うえすぎ)が、ハイテンションでトランプケースを取り出した。負けじと春原(すのはら)も、どこに忍ばせていたのか、カード麻雀の箱を持っている。

 

「トランプとか、お子様の遊びじゃん?」

「シンプルだからこそ白熱するんだ。そもそも、麻雀はスペース的に無理だ」

「それもそうか、じゃあトランプでいいよ。何やる?」

「ポーカーでどうだ?」

「おっ、いいねぇ。テキサススタイルのホールデムでやろうぜ」

「ほぅ、なかなか通だな。よし、俺がディーラーを兼任しよう。さあ、始めるぞ!」

 

 上杉(うえすぎ)は、俺と四葉(よつば)の意見を聞かず、トランプを切り始めた。

 

「おい、四葉(よつば)上杉(うえすぎ)って、こんなキャラだったか?」

「えっと、どうしてかは分からないんですけど。昨日も、こんな風にテンションが高かったんです。あはは~......」

 

 妙にハイテンションな上杉(うえすぎ)が場を仕切り、目的地のコテージに着くまでの間、トランプでの勝負は続いたのだった。 



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Episode7

 朝早く旅館を出発したバスは昼前に、コテージに到着。

 初日の予定は繰り上げられ、クラス別に各班ごとに昼食作りに取りかかる。メニューは、キャンプで定番のカレーライス。メインは料理経験のある女子が担当してくれて、俺と春原(すのはら)は、比較的簡単らしい飯盒炊さんを担当。レンガ造りのかまどで手順表を片手に、同じ班の四葉(よつば)が割った薪を使って火を熾し、米と水を入れた飯盒を備え付けの棒に吊して、火に掛けて炊き上がりを待つ。

 

「あの、隣使わせて貰って――あっ!」

「ん? ああ、二乃(にの)か。どうぞ」

「えっと、薪は――」

「使うか?」

「あ、ありがと......って、何でこんなにあるのよっ?」

「調子に乗って割りまくったんだよ。四葉(よつば)が」

「今、その絵が浮かんだわ」

 

 大量に積まれた薪の束を見た二乃(にの)は、若干呆れ顔を覗かせる。

 

「カレーの担当じゃないのか。料理得意なんだろ?」

「もう作ったわよ。後は、焦がさないように煮込むだけ。班の男子が、ご飯を焦がしちゃったから作り直しに来たの。そもそも、具材も市販のルーも用意されてたじゃない。失敗のしようがないわ」

「......本当に、そうか?」

「どう言う意味よ?」

 

 無言で、三玖(みく)の班を指差す。同じ班の女子が、何故か鍋の中に味噌を大量に投入しようとしている三玖(みく)を止めようと必死になっている。

 

「ごめん。前言撤回させて」

「了解。普段は、姉妹の分も作ってるんだよな」

「ええ。他に、まともに料理できる子がいないから」

「スゲーな」

 

 素直に尊敬する。五人前を毎朝作るなんてこと、そう出来ることじゃない。少し気恥ずかしそうにして視線を背けた。

 

「別に。一人分作るのも、五人分作るのも変わらないわ。作るのは私だから、好きな物を作れるし。出す料理に、文句は言わせない」

 

 なるほど、そういう利点もあるのか。

 

「キミは毎朝、パンなの? 四葉(よつば)が、教室に入るといつも良い匂いがするって言ってたけど」

「まかないで貰えるんだよ。さすがに、三食は飽きるけどな」

「少しは栄養バランス考えないと......て、噴いてるわよっ!」

 

 話しにかまけていたお陰で、取り上げるタイミングを見誤ってしまった。急いで軍手を付け、火から避けて、蓋を開ける。周りが少し焦げ付いていた。真ん中の方は、たぶん食べられそうだ。まあ、死にはしないだろ。

 

「キミねぇ!」

「これは、俺と春原(すのはら)の分だ」

 

 用意しておいた、もう一つの飯盒を火に掛ける。一度の失敗は織り込み済み。上手くいけば同じ要領で、失敗したら見直せばいい。

 

「時間計ってくれると助かるんだけど」

「......まったく、めんどうね。スマホ、買ったら?」

「そんな金はない」

 

 あれば、生活費に充てる。今はまだ、暖房器具を使わずに過ごせているが、冬になれば光熱費は確実に上がる。最悪、死活問題に発展しかねない。

 

「格安スマホなら学割適用で、ほぼタダで持てるわよ」

「へぇ、そんな契約があるのか」

 

 アパートも、無料で無線が繋がるとか書いてあった覚えがある。と言っても、今のところ必要性は感じないけど。それより冬場に備えて、他の揃えておきたい物がいろいろある。コタツとか、保温ポットとか。

 

「ところでそれ、本気で食べるつもり?」

「損をできるのは、いい男の役回りだそうだ。春原(すのはら)が言ってた」

「あの金髪が? 何それっ? 似合わな過ぎて可笑しいわっ」

 

 二乃(にの)の笑顔を見たのは、初めてだった。

 その笑顔は四葉(よつば)とも、一花(いちか)とも違う。やっぱり、五つ子の姉妹でも全然違うのだと改めて感じた。

 

「それで、その本人は?」

「サボり。そろそろ出来上がる頃じゃないか?」

「あっ」

 

 少し熱そうに、蓋を開ける。さっきのとは違い、湯気の中にキレイな白米の粒が立っていた。

 

「美味そうだ」

「でしょ? さすが、私ね!」

 

 得意気な顔で胸を張った二乃(にの)は、炊き上がった飯盒を持っていかず、この場に留まった。

 

「持っていかないのか?」

「時間計ってる途中でしょ。女子に、焦げたご飯を食べさすつもりなの?」

「だな」

 

 今度は、目を離さないようにしっかりと注意を払う。

 

「ねぇ、今夜の肝試し参加するの?」

「しない」

「えっ、ズルくないっ?」

「自由参加だろ。今の言い方だと、参加するように聞こえたけど」

五月(いつき)が、一緒に付いて来て欲しいって言うのよ。あの子、超が付くほどの怖がりだから」

「何で、参加するんだよ? ペナルティもないじゃないか」

四葉(よつば)が、脅かし役なのよ。参加者が少ないと可哀想だからって」

「うちのクラス、キャンプファイヤー担当だった気がするんだが?」

「あいつの、上杉(うえすぎ)の手伝いをするって」

「お人好しを発揮したわけか」

「そういうことよ。ホント、いい迷惑だわ」

 

 恨み言を言いつつも、参加するというのだから、本気で嫌悪感を抱いている訳ではないみたいだ。さて、こっちも出来上がった。今度は、上手くいった。二乃(にの)に礼を言って、自分の班に戻る。

 しかし、誰も居なかった。代わりに、テーブルの上にメモが置いてある。四葉(よつば)からの置き手紙には、「肝試しの準備に行ってきます。お先にどうぞ!」と書かれていた。

 

「あれ~? 女の子たちは?」

 

 トイレへ行くと言ったきり姿を消した春原(すのはら)が、のんきに戻ってきた。

 

「肝試しの準備だってよ」

「肝試しぃ? キャンプファイヤーじゃなくて?」

「キャンプファイヤーは、明日の夜だろ。先に食っててくれってさ」

「んじゃあ、お言葉に甘えさせて貰おうかぁ。すんごい腹減ってるんだよね~」

 

 ――サボりやがったクセに、コイツは。焦げた部分をやや多めに皿に盛り、バレない様にルーをかけて手渡してやる。

 

「ほらよ」

「おっ、サンキュー!」

 

 スプーンで掬って、口に運んだ。そして、二度運んだ手がピタリと止まった。

 

「......何これ?」

「カレーだぞ。見てわからないか?」

「いや、それは分かるけどさ......このカレー、あんまり――」

「ただいま戻りましたー!」

 

 ナイスなタイミングで、四葉(よつば)達が戻ってきた。

 

「おかえり」

「あれれ? 岡崎(おかざき)さんは、まだ食べていなかったんですか?」

「今、よそってるところだよ。こっちは、四葉(よつば)達の分のご飯」

「あっ、ありがとうございますっ!」

「わぁ、美味しそう」

「ホント、いい匂いだね」

 

 座って、四葉(よつば)達が作ってくれたカレーをいただく。米の炊け具合は予想通りいまいちだけど、ルーのおかげで普通に食べられる。

 

「美味い」

「よかったですっ。ご飯も美味しいです!」

「よかったな、春原(すのはら)

「う、うん、そうだね......。頑張ったかいがあったよ。あ、あはは......」

 

 二乃(にの)のおかげで、女子達は満足してくれた。ついでに、サボった春原(すのはら)にも、ささやかな仕返しを果たすことも出来た。

 午後は、班ごとに周辺の散策。ハイキングコースをのんびり歩き、夕食後の自由行動。

 

「さーて、じゃあ始めようか」

 

 肝試しには参加せず、コテージの一室に残った俺と春原(すのはら)は、数名と共にテーブルを囲んでいた。

 

「今宵、敗者は肝を冷やすことになる。運命の麻雀大会を......!」

 

 春原(すのはら)主催の、カード麻雀大会。

 面子は俺、春原(すのはら)武田(たけだ)。そして何故か、担任が居る。

 

「おほん! んん! ああー、言っておくが。お前たちが悪さをしないか見張るためだからな? くれぐれも勘違いしないように」

「いやだな~、もちろんですよ。ただの遊びですから。アハハッ!」

 

 春原(すのはら)のヤツ、担任を巻き込んでいざという時の免罪符に仕立て上げやがった。

 

「お前、ルール知ってるのか?」

「ん? もちろん、知らないよ」

「よく参加する気になったな......」

「家庭教師をするにあたって、親睦を深めることが大事と思ったんだよ、ねっ」

 

 また無駄に爽やかだ。

 

「で? 肝を冷やすってのは」

「これさ」

 

 テーブルの真ん中に差し出された物。

 それは――抹茶ソーダ。

 担任の顔色が変わる。どうやら、この代物の味を知っているらしい。

 

「これはね、ただの抹茶ソーダじゃないんだ。これは、ホットなんだ......!」

 

 抹茶が暖かいのは分かる。ソーダが冷たいのも道理。もはや、情報が追いつかない。何故、相反する物を混ぜた上で暖めてしまったのか。どんな味がするのか、逆に気になってしまう程だ。

 

「じゃあ、そうそろ始めるとしますか。勝負は半荘といきたいところだけど、入浴時間までってことで」

「待て。この勝負、あまりにも武田(たけだ)が不利だ」

「ルールブックはあるかな?」

「ほいよ」

 

 付属品のルールブックを受け取ると、口元に手を添えて目を通し出した。

 

「とりあえず、一回目は練習って事で。解らなかったらその都度聞いてくれよ」

「うん。そうさせて貰うよ」

「よーし、じゃあ始めよう! センセ、どぞっ!」

「仕方ないな......」

 

 ここぞとばかりに、よいしょしている。

 担任の仮親で、麻雀大会は幕を開けた。

 

 

           * * *

 

 

「おい、そろそろ起きろよ。朝飯に行くぞ」

「何か、気分が悪いんすが......」

「調子に乗って、接待し過ぎるからだ」

 

 昨夜の麻雀大会。練習では負け込んだ武田(たけだ)だったが、本番では持ち前の頭脳でルールを把握し、局が進むにつれて上達して三位。媚びを売るために接待麻雀を繰り返した春原(すのはら)が、巻き返せずに最下位に沈むという結果に終わった。

 

「で、どんな味だったんだ? 抹茶ソーダのホット」

「......覚えていません」

 

 宿舎のコテージ併設の、スキー場のフードコートで朝食を食べる。

 

「スキー、どうする?」

「やらない。自由参加なんだろ」

「まあねぇ。けど、キャンプファイヤーまで暇だよね」

「また麻雀大会でも開く――」

「やりません!」

 

 若干食い気味に却下された。

 

「いい?」

 

 水色のニット帽にスキーウェア姿の女子が声をかけてきた。

 顔は、中野(なかの)姉妹。今日は、髪形が普段と違うから少し判別し辛い。

 

三玖(みく)だよな?」

 

 彼女は、小さく頷いた。

 

「正解。フータロー見かけなかった?」

上杉(うえすぎ)? 見かけてないけど」

「まだ寝てるんじゃないの?」

「部屋には、居なかった」

「そうか。なあ、ちょっといいか?」

 

 近くのテーブルで談笑していた、同じ班の女子に聞く。

 

上杉(うえすぎ)くん? 見かけてないけど、そう言えば四葉(よつば)ちゃんが、スキーに誘ってみるって言ってたよ」

「サンキュー。だってよ」

「ありがとう。行ってみる」

 

 三玖(みく)を見送り、食事に戻る。

 

「朝一でお誘いですか。モテモテだねぇ、羨ましいですねぇ!」

「お前も、学年一位になればモテるかも知れないぞ?」

「マジかよ!?」

「オール満点の上杉(うえすぎ)を越えられればな」

「......地道に行くよ。て言うか、僕には部活がある! 新人戦で大活躍すれば、モテモテだよね!」

「ああ、そうだな」

 

 生返事で、この場を流すことにした。

 

「結局、相手は見つからなかったんだな」

「うるさいよ! あなたもでしょ!?」

「俺は、お前と違ってナンパしてない」

 

 春原(すのはら)がスキー場でナンパに勤しんでいる間、俺は部屋でのんびりとくつろがせて貰った。おかげで気分がいい。

 ただ、気になったのは。昼過ぎに、上杉(うえすぎ)が担ぎ込まれたこと。その場に居合わせた五つ子の話しでは、体調不良で倒れたとのことだ。

 

「ハッスルし過ぎたんかねぇ?」

「妹の看病で疲れたんじゃないか」

「ああ~、そういえば、結構な発熱だったって言ってたし」

「なら、その風邪をもらったんだろ」

 

 寒空の中、肝試しの実行委員を務めたり、スキーしたり、体調を崩すきっかけには十分過ぎる。上杉(うえすぎ)の体調ももちろんだけど、責任感じて抱え込んでなきゃいんだけどな。

 

「おっ、フィナーレのカウントダウンが始まったぞ」

 

 顔を上げる。

 

「どうする? 手繋ぐ?」

「死んだ方がマシだ」

「あなた、辛辣過ぎです......」

 

 カウントダウンがゼロになると同時に、大きな歓声が上がる。

 そして、色とりどりの煌びやかな花火が周囲を彩り。

 林間学校は、終焉の時を迎えた。

 



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Episode8

 二学期最後のイベントの林間学校が終わり、季節は晩秋を迎えた。日を追うごとに寒さが増して行き、布団を出ることに少し未練を感じるようになり始めた今日この頃。家庭教師を買って出てくれた武田(たけだ)の助力の下、放課後になると、図書室で勉強会が開かれていた。

 

「ふむふむ。どうやら、岡崎(おかざき)君は、理系の方が覚えがいいみたいだね」

「そうなのか?」

 

 自分では実感がないけど、学年二位の武田(たけだ)が言うのだから確かなんだろう。それにしても、勉強の仕方そのものを教わっただけで変わるんだな。

 

「うん。それから、この数日で解ったけど。二人とも、地頭はいいと思うよ。春原(すのはら)君も、頭の回転は相当速いね」

「聞いたか? 岡崎(おかざき)。僕、天才だって!」

「そこまで褒められてないだろ」

「ただ、絶望的に使い方を間違っているけど、ね」

「......上げてから蹴落とすの辞めていただけませんか?」

 

 悪気なく笑顔を見せる、武田(たけだ)

 春原(すのはら)の扱いも手慣れて来たようだ。

 

「今の調子なら、岡崎(おかざき)君の方は、期末試験での赤点回避は十分可能だと思うよ」

「マジかよ」

 

 もしそれが本当なら、目標だった退学宣告回避のノルマ達成になる。と言っても、ここで調子に乗って、本番を落とすことになれば意味がないし。年度末の試験にも響きかねない。油断せずに行かないとな。

 

「悪いな、春原(すのはら)

「クビになること前提で話しをしないでください」

「ところで春原(すのはら)君、部活はいいのかい?」

「あっ、やべっ! じゃあ行ってくるねー!」

 

 ノートと筆記用具を放り出したまま、図書室から走り去って行った。

 

「よく続くな。あの、超気分屋で飽き性の春原(すのはら)が......」

「さすがは、スポーツ特待生だよね。最近、サッカー部は急激に力をつけているそうで。先日の試合で好成績を収めたことを、父も喜んでいたよ」

 

 親父さん、理事長の耳にまで届いているのか。

 しかし、何故だろうか。喜ばしい話しなのだろうに、武田(たけだ)表情(かお)が一瞬、憂いを帯びた曇った様に見えたのは。

 ――何かあったのか? 親父さんと。

 口に出かかった、その言葉を飲み込む。家庭の話しだ、部外者が口を挟む事でも、土足で踏み込んで聞く様な深い間柄でもない。

 春原(すのはら)の筆記用具も片付け、図書室を後にする。

 

「話しは変わるけど。上杉(うえすぎ)君は、まだ入院中なのかな?」

「みたいだな」

 

 四葉(よつば)から聞いた話しによると、林間学校の後も熱が引かず、姉妹の父親が院長を務める病院に入院することになったそうだ。今日で、入院三日目。明日、インフルエンザの予防接種を受けるために病院へ行くと言っていたから、上杉(うえすぎ)の容態も聞けるだろう。

 

一花(いちか)から、聞いていないのか? 同じクラスなんだろ」

「なかなか尋ねるタイミングがなくてね。僕と彼女は、いつも大勢のクラスメイトに囲まれているから、ねっ」

「そら、よかったな」

 

 テキトーに流す。

 

「冗談だよ」

「心の底からどうでもいい」

「ふぅ......。でも、キミ達の方が彼女達と仲がいいのは確かだと思うよ」

「それはないだろ」

「事実さ。親同士に親交があったとしても、子供達は必ずしもイコールじゃない。会話の中で耳にすることはあったけど、実際に目にしたのも、言葉を交わしたのも、旭高校へ転校して来てからだからね。名前と顔は、まだ完全には一致していないかな」

 

 大病院の経営者と学園経営者、同じ資産家同士の子供でも、いろいろとあるみたいだ。

 

「それこそ、疑問に感じていたのだけれど。どうやって、彼女達のことを見分けているんだい?」

「普通に見れば分かるだろう? 髪形とか、身に付けてる小物とか」

「普段ならまだね。けど、フードコートの時なんて、それこそ誰かわからなかったから」

「見てたのかよ......」

「正直、あの観察眼には感服したよ。ぜひ、ご教授願いたいね」

「......そうだな」

 

 廊下を歩きながら、窓の外へ目を向ける。

 一枚のイチョウの葉が、北風に吹かれて秋晴れの夕空を舞っていた。いつかの、英和辞典のように。

 

「一言で表すとすれば――愛だな」

「......愛? つまり、姉妹の誰かに好意を寄せている、と言うことかい?」

「お前さぁ、勉強は出来ても経験は浅いのな」

「ど、どう言う意味だいっ?」

「頭いいんだろ? 少し自分で考えてみろよ、愛が持つ意味をな。先に教えておくけど、春原(すのはら)に聞いても、同じ答えが返ってくるだけだぞ。じゃあな」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべ、その場に呆然と立ち尽くす武田(たけだ)を置き去りにして、バイト先のパン屋へ向かった。

 

 

           * * *

 

 

 休日を挟んだ、後日の昼休み。

 久しぶりに訪れた学食で、偶然居合わせた五月(いつき)三玖(みく)と一緒に、テーブルを囲むことになった。

 

「今日は、パンではないのですね」

「たまにはな。他の姉妹は?」

一花(いちか)は、早退。二乃(にの)は、クラスの友達と」

四葉(よつば)は、ヘルプを頼まれた陸上部の方々と一緒に食べるそうです」

 

 いつも一緒と言うことでもないらしい。それはそうだ。俺も今日は、一人で学食へ来ているし。たまには、そんな気分の日もある。

 

「――って、早退? 一花(いちか)、体調崩したのか」

「い、いえ、そう言うわけではなくですねっ」

五月(いつき)、慌てすぎ。一花(いちか)は、個人的な用事で先に帰っただけ」

「ふーん、そっか。上杉(うえすぎ)の風邪でももらったのかと思った」

 

 突然、三玖(みく)が若干ふくれ面になってそっぽを向いた。

 

「フータローなんて名前の人、知らない」

「下の名前で呼んでないからな」

 

 とりあえず、ツッコミは入れおく。

 

「あはは......実は、ですね」

 

 苦笑いの五月(いつき)の話しを聞いて、納得。

 

「まだ間違えることがあるのか。三ヶ月くらい経つだろ?」

「今回の場合は、少し状況が特殊だったと言いますか」

五月(いつき)、ちょっといい」

「何ですか?」

 

 姉妹で仲良く内緒話を始め、二人して席を立った。

 止まっていた箸を進める。半分ほど食べたところで、二人が戻って来る。

 

「お待たせしました」

「いや、それで何の話しだったっけ?」

「はい。みんな、同じ髪形にしていたんです」

 

 なるほど、それで間違えたのか。顔だけで判断する難しさは、スキーの時に経験済みだけど。

 そんなことより――。

 

「ふーん。で。お前たちは、どうして入れ替わってるんだ?」

「バレた」

「バレてしましたね......」

「どうして、分かったの?」

「そうです! 今回は、セーターまで替えたのに......」

「まあ、話しの流れ的に仕掛けてくるんだろうなと」

「か、カマを掛けましたねっ?」

「行動を読まれた」

「とりあえず、元に戻ってくれ。さすがに話し難い」

 

 入れ替えたセーターはそのままに、髪形と、アクセサリーをお互いの物に戻した。

 

「理由は、いくつかある。先ずは、姿は入れ替わってるのに座る席が変わってない」

「あっ!」

「初歩的なミス。今度は、気をつけよう」

「そうですね。テストも見直しが大事です」

 

 また、やるつもりなのか。嬉々としてやっている気がするのは気のせいだろうか。今度は是非とも、別のヤツを相手にして欲しい。

 

「他の理由は、何?」

「言っておくが、上杉(うえすぎ)の参考にはならないぞ?」

「それでもいい。個人的に知りたい」

「私も、気になりますっ」

 

 二人揃って、前の目めりに身を乗り出して来た。その分引いて、話しやすい距離を保って答える。

 

「雰囲気だよ」

「雰囲気ですか?」

「ああ。五人それぞれ、何となく違う雰囲気を感じるんだ。佇まいとか、ちょっとした仕草とかで。な? 教えて出来ることじゃないんだよ」

「それは、確かに難しいですね。感受性は、抽象的でパーソナルなものですし」

「でも、身に付いた理由は参考になるかも」

「いや、それはもっとならないぞ......」

 

 思い出しただけで、気が滅入って来る。

 

「お、岡崎(おかざき)君、大丈夫ですかっ?」

「急に顔色が、どうしたの......?」

「本当に、知りたいのか?」

 

 念を押す。気圧されたらしく、二人は少し怯えながら首を横に振った。水を飲み干し、気分を落ち着かせる。

 

「俺に聞かなくても、お前たちは間違えないだろ」

「当然です。生まれたときから、ずっと一緒ですから」

「うん。間違える訳がない」

「なら、その方法を教えてやればいいじゃないか」

「無理だと思う。四葉(よつば)が教えたけど、一蹴された」

「何て言ったんだ?」

「それは――」

 

 姉妹の母親の言葉――愛さえあれば、自然と見分けられる。

 

「と、言うことがあったんだ」

 

 昼休みのやり取りを体育終わりの移動中に、四葉(よつば)と話す。

 

「そうでしたかー......はっ! それはつまり、岡崎(おかざき)さんは、私達のことを愛しているとっ!」

「どんな解釈だ?」

「だって今、言ったじゃないですか。私達に対する愛があるから見分けられるって」

「一言たりとも言っていないからな」

「僕は、愛してるけどね!」

「ご、ごめんなさいっ!」

「またフラれたーッ!」

 

 玉砕、そして即復活。

 

「まあ、僕たちの場合は、身に付ける以外の選択肢がなかったからねぇ」

「思い出したくもないぞ」

「僕、何か胃が痛くなってきたよ。アハハ......」

「お二人にいったい、どれほどの壮絶な過去が......!」

「前に話したことあっただろう。前の学校で、双子の姉妹が居たって」

「あー......えっと、はい。顔は同じでも、性格は真逆の双子さんだったと」

「その姉妹絡みでちょっとな」

「あのゲームは、二度とやりたくないよね」

「ゲーム? 五つ子ゲームみたいなものでしょうか?」

「五つ子ゲーム?」

「なにそれ?」

「ご説明します! 五つ子ゲームとはですね」

 

 五本の指を親指から一花(いちか)二乃(にの)三玖(みく)四葉(よつば)五月(いつき)と、姉妹に見た立てて誰かを予想して当てるゲーム。

 そんな微笑ましいゲームなら、どれほど良かっただろう。

 

「試しにやってみますか? 行きますよー」

 

 校舎の廊下を歩きながら、左手で右手を隠した四葉(よつば)に、教室の前に居た女子生徒が駆け寄ってきた。

 嫌な予感がした。

 

「あ、中野(なかの)さん!」

「はい? あ、あなたは......」

 

 彼女は、とても切羽詰まった表情(かお)をしている。

 何故なのだろうか? こう言う時、得てして当たってしまうのは。

 

「お願い、あなたの力を貸して!」

 

 悪い予感、と言うものは――。



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Episode9

 授業終わりの四葉(よつば)のことを、教室の前で待っていたのは、女子バスケットボール部の部長だった。

 彼女が、四葉(よつば)を待っていた理由は、女子バスケ部存続の危機を乗り越えるための協力。

 女バスは現在、部員が五人しかおらず。転校してきた当初、部員の一人がケガをしていたこともあって、運動神経抜群の四葉(よつば)が、助っ人として出場したことがあったそうだ。

 しかし、またケガ人が出てしまい。症状自体は軽い捻挫だが、常時活動できる部員が、またしても四人になってしまった。そこへ、男子バスケットボール部が練習時間の再調整を要求。練習時間を削られる女バスとしては当然、提案を受け入れられず。今まで通り活動を続けるため、部員のケガが治るまでの間、四葉(よつば)に練習への参加を、救いの手を求めた。

 

「つーか、どの学校だって似たようなもんじゃないの?」

「普通は、な」

 

 名門・強豪校以外は、基本的に専用のコートなんてものはない。

 他の部活と体育館の使用時間を調整したり、ネット等の間仕切りして、練習スペースを区切って使用するのが普通だ。

 

「だろ? 僕んとこだって、サッカー専用グラウンドなんてなかったし。すぐ隣から、野球部の打球が飛んでくることも日常茶飯事だったよ」

「危ねーな」

「いや、普通に当たったって。マジで」

 

 たぶん......いや、間違いなく、四葉(よつば)は引き受ける。そういうヤツだ。たった三ヶ月あまりの付き合いしかないけど、それが容易に想像出来る。クラスでも面倒事を嫌な顔をひとつせずに率先して買って出られる、人の良さ。魅力的な長所なんだろうけど、今回みたいな場合は、損な性格だ。

 

「さすがに無理がある。無謀だ」

 

 四葉(よつば)は今現在、陸上部の助っ人をしている。同時に、期末試験に向けて勉強も並行して行っている。そこへ、女バスの練習が加わるなんてことになれば、必ずどこかで息切れ(パンク)する。最悪、倒れる。

 

「そもそもさ。勝てないのは、実力がないからじゃん」

「それを、練習時間を増やすことで補おうってんだろ」

「無駄だと思うけどね、僕は」

「珍しく意見が合ったな」

「あははっ、スポーツ特待同士のフィーリングってヤツかな?」

「かもな」

 

 あながち間違っていない。

 安易に練習時間を延ばしたところで、その分間延びするだけで終わるだろう。本気で取り組むなら、フットワークや筋トレなどの基礎トレは、各自が自宅で行えばいい。それで浮いた時間を、部活での練習に充てれば済む話しだ。少なくとも俺は、そうしていた。

 

「それ以前にさ。こういう面倒ないざこざって、学校側が解決する問題だろ?」

「それが、簡単にはいかないんだよ」

 

 予定の時間よりも十分ほど遅れて、武田(たけだ)が図書室へやって来た。

 

「やあ、お待たせ」

「のんびりだったな、何してたんだ?」

「お察しの通りの事だよ。今、キミたちがしていた話しを調べていたんだ」

 

 椅子を引いて座り、続きを話し出した。

 

「学校側は、今回の件について静観を貫く方針みたいだよ」

「何でだよ?」

「バスケットボール部は男女共に、同じ顧問だからさ」

 

 事態は、思っていた以上に最悪だった。

 顧問としては、表向きどちらにも肩入れは出来ない。普通なら仲介に入る。入らないのは、本音の部分では、活動に制限がある女バスよりも、男バスを優先したいと言ったところか。

 もし仮に、顧問が別々であれば上同士の話し合いで落とし所を見出せたのかも知れないけど。

 

「さっき、上杉(うえすぎ)君たちの様子を見てきたけど。案の定大騒動になっていたよ」

「相当荒れてるだろうな。これ以上、厄介事を背負い込むなって」

「実のところ、陸上部の助っ人も、休日や朝練なしの条件のはずだったらしいんだよ。それも今では、半強制的に参加を余儀なくされてしまっているみたいでね」

 

 四葉(よつば)自身、姉妹で一番のおバカと自称していた。

 これ以上、勉強時間を奪われるのは、四葉(よつば)自身にとって大きなマイナス。

 

「けど、よく調べがついたな」

「僕は、多方面に顔が広いから、ね」

 

 緊張感皆無の爽やかスマイル。

 しかしそれは、一瞬で。真剣な面持ちに変わる。

 

「事態の収束に向けて考えられる解決法は、ふたつ。ひとつは、療養中の部員が戻るまでと条件を書面に残し、一時的に提案を受け入れる。もうひとつは、新な新入部員募集を募りつつ、中野(なかの)さんが一時的に練習に参加する。合同練習と言う方法もなくはないけど、このふたつが現実的だろうね」

「やけに親切だな」

「それは、中野(なかの)姉妹の学業に影響が出れば、上杉(うえすぎ)君の成績にも影響が及ぶからさ。ライバルとしては、それは絶対に避けてもらいたいから、ね!」

 

 分かりやすすぎ。コイツは、良い奴だ。

 武田(たけだ)は、ふたつの提案を提示したが、おそらく前者しかないだろう。期末を控えた大事な時期に、新しく部活を始める物好きなヤツなんてまず居ない。それ以前に興味があるのなら、部員不足に陥ることもなかっただろう。

 

「......結局のところ、部外者の僕達には何も出来ないよ。これは、バスケットボール部の問題だからね」

「なーんか、腑に落ちないねぇ。すんげー消化不良だよ」

 

 ――全くだ。

 どうしようも、何もしてやれないどかしさで、勉強も手に付かなかった。

 

 

           * * *

 

 

「ありえない、ありえないわっ!」

 

 二乃(にの)が、大声を上げた。

 

「お客さま、他のお客さまもいらっしゃいますので――」

「キミは、頭にこないのっ!」

 

 騒がしい客を注意を促しに行ったところ、怒鳴られてしまった。

 

二乃(にの)! 岡崎(おかざき)君に八つ当たりしても解決にはなりません」

「それに、お店の迷惑になる」

「ふんっ」

「それで、四葉(よつば)は、何て?」

「......引き受けると言っています」

 

 予想通りの答え。

 やっぱり、放っておける性格(タチ)じゃない。

 五月(いつき)の言葉を聞いた上杉(うえすぎ)は、腕を組んで、眉間にシワを寄せ、眉尻をつり上げた。

 

「無理だ。体力オバケの四葉(よつば)でも、陸上部の助っ人と、勉強だけで手一杯の状態だ。その上、バスケの練習に参加なんて無謀にも程がある」

「うん。今も、無理してる。昨日も、晩ご飯食べながら寝そうになってた」

「そうですね。最近、夜遅くに帰ってきて、勉強して、朝早くから出掛けています......」

「だいたい勝手なのよっ。相手のこと考えないで、自分の価値観が絶対みたいに押し付けてくるようなのはっ!」

 

 今、上杉(うえすぎ)が気まずそうに視線を逸らしたような......気のせいか。

 結局、上杉(うえすぎ)や姉妹たちも打開策を見出すことは出来なかった。

 そして、答えを先送りにした後日の夜。

 

「ただいま~」

 

 部活終わりの春原(すのはら)が寒そうにして、アパートに帰ってきた。手には、コンビニの袋がぶら下がっている。

 

「遅かったな。練習長引いたのか?」

「ふふーん。それがさ、ちょっと面白い情報を仕入れて来たんだよね」

 

 コタツに入った春原(すのはら)は、湯飲みに茶を注ぎ、袋から出した弁当を広げる。

 

「面白い情報? 何だよ」

「実はさ。男バス、そこまで本気で取り組んでた訳じゃなかったみたいなんだ」

「あん?」

「ほら。最近、サッカー部が強いだろ? 僕のおかげでさ!」

 

 ものスゴーく得意気な顔だ。

 ここは、話しを聞くことを優先して流しておこう。

 

「今まではさ、運動部の中では強い方の部類だったらしいけど。サッカー部が強くなったことで、ちょっと危機感を覚えたみたいなんだ。今の地位が危うくなるってさ」

「なるほど、な......」

 

 それで、練習時間の確保に躍起になっていると。

 それに、サッカー部の春原(すのはら)は、この件の間接的な当事者になっている。俺達が来なければ、こんなことにもならなかったのかも知れない。

 だとしたら――俺達の選択は、間違っていたのではないのだろうか。

 いや、今は、後悔している状況でも、振り返っている余裕もない。問題なのは。

 

「なおさら引かないじゃないか」

「そう、簡単には引き下がらないだろうね。だからさ、分からせてやろうと思ってさ」

「はあ? 分からせるって、何をだよ?」

「決まってるだろ。練習環境なんて関係ないってことをだよ」

 

 全く要領を得ない。端折りすぎかつ、主語が抜けているから意味不明だ。

 

「だから、女バスにいったん受け入れてもらって少し泳がせる。で、いい気になったところを、僕達でぶっ倒すんだよ」

「道場破りかよ」

「その通り、3on3の勝負をふっかける! バスケ部じゃない僕達に負ければさ、練習環境は言い訳でしかないって証明になるだろ? 男バスは態度を改めて、女バスは今まで通り活動できる。ほら、万事解決じゃん」

「そんな都合良く行くわけないだろ」

「そんなことない。僕と岡崎(おかざき)なら出来る!」

「無茶なこと言うな」

 

 コタツを挟んで、無言の睨み合い。

 膠着状態の沈黙を破った春原(すのはら)は、大きなタメ息をついた。

 

武田(たけだ)が言ってた方法だって、あんなの絶対反故にするに決まってるじゃん。一度でも引いたら、既成事実化されて終わりだっての。今さら戻せない、とか言ってさ」

 

 それは、十分あり得る。むしろ、ない可能性の方が低い。

 もし、そうなれば――あいつは、四葉(よつば)は絶対に引きずる。

 何より俺自身が、顔向け出来なくなる。

 今が、返す時なのかも知れない。あの時の借りを――。

 

「どうしたの?」

「いや、探さないとなってな」

「何を?」

「あと一人、足りないだろ」

 

 大満足と言わんばかりの笑顔を見せた春原(すのはら)は、いつもより遅めの夕食に箸を伸ばした。

 

 

           * * *

 

「勝負?」

 

 俺達が、問題集を解いている間、試験対策の参考書に目を落としていた武田(たけだ)が、顔を上げた。

 

「ああ。バスケ部に3on3の勝負を仕掛けるんだ。それで、身の程を知らせてやるのさ」

「それで上手く行くのかい?」

「さーな。俺にも分からん。何も変わらないかも知れない。けど、やらなきゃ何も変わらないのは確かだ」

「そうそう。僕も、それを言いたかったんだよねっ」

「......なるほど。日程は?」

「週末の放課後」

 

 春原(すのはら)の言葉に、問題集を解いていた手が止まる。

 

「週末って......期末試験直前じゃねーか!」

 

 何考えてんだ? そんな大事な時期に組むなんて――。

 

「試験後にずらせ」

「いや、負けたら全員に飯奢るって宣言しちゃったんだよね。アハハ」

「ふむ、男子バスケ部の部員は二十名ほどだったはずだから、ひとり千円として。少なく見積もっても、二万円くらいかな? 食べ盛りだから倍の四万円くらいかかるかも、ね」

「降りる」

「止めてください! お願いします!」

 

 足にすがりついて、必死の形相で懇願してきた。

 そもそもの話し、予定が組まれてるってことは、昨日話しを持ち出す前には、もう既に決まっていたってことじゃないか。

 

「決まってしまっている以上は、仕方ないよ。ここは、まだ準備期間があるとプラスに捉え得るべきだろうね。勉強の方は、バスケの練習を終えてからに変えよう」

「えっ、バスケの練習の後にやるのっ?」

中野(なかの)さんは、陸上部の練習と両立しているんだよ。まさか、キミたちは出来ないのかな?」

「うぐっ......」

「諦めろ、春原(すのはら)。悪いけど、頼むな」

「任せておくれよ。残る問題は、あとひとりのメンバーだけだね」

「お前でいいじゃん」

 

 武田(たけだ)は、爽やかスマイルで答えた。

 

「自慢じゃないけど、運動は得意な方じゃないんだ。足手まといになるだけだよ」

「ホントに自慢になってないよ」

「まいったな。勝負の以前に、面子が揃わないぞ」

四葉(よつば)ちゃんは?」

「本気で言ってるのか?」

「冗談だって、さすがにわきまえてるよ。女バスの部長はどう?」

「無難な選択だろうね。でも、キミたちの狙いが透けて見えるんじゃないかな?」

 

 あくまでも、素人に負けたと言う衝撃を与えるのが目的。そう言う意味では、経験者の部長だと意味がなくなる。

 だけど相手は、強豪じゃないとは言っても、現役だ。生半可で通用するとは思えない。例え素人でも、ある程度動けるヤツじゃないとさすがにキツい。

 

「手当たり次第にあたってみるしかないか。この時期に、そんな物好きなヤツがいればいいけど......」

「前途多難だねぇ~」

「お前が言うなよ」

「僕も、心当たりに声をかけてみるよ」

 

 惜しみなく協力を申し出てくれた武田(たけだ)に感謝し、試験勉強と、助っ人探し。

 そして、試合当日に向けて奔走することになった。



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Episode10

「ふっ、侮るなよ。俺の運動能力を......」

 

 正門前で、登校してくるところを待ち伏せして声をかけた上杉(うえすぎ)は、どや顔で言い放った。

 

「俺の体力は、三玖(みく)と同等レベルと言っても過言ではない!」

 

 比較対象の三玖(みく)が、どれ程の運動能力の持ち主なのかは分からないけど。今の発言からして、良い方ではないのだろう。

 

「仕方ないだろ。勉強に不要と思って、運動能力は切り捨ててきたんだ。それ以前に、その方法で事態を打開できるのか?」

「不服なら対案を提出してくれよ、学年一位の天才。僕達にも分かりやすい簡略な方法でさ」

「女バスの部長が、協力の申し出を撤回する」

「はい、分かりました、と素直に受け入れると思うか? あの、四葉(よつば)が――」

 

 一寸の迷いもなく、上杉(うえすぎ)が出した答えは正に、明々白々。

 

「無駄だろう。四葉(よつば)のお人好しは筋金入りだ。一度引き受けたら最後、問題が解決されるまで走り続けるに決まってる」

「なら、やるしかないだろ」

「問題そのものをなかったことにする、か。勝算は?」

「フッ、神のみぞ知るってね......。どう? 今のセリフ、カッコ良くないっ!」

 

 俺と上杉(うえすぎ)は、春原(すのはら)の軽口に同じタイミングでタメ息をついた。

 

「頼りないセリフだな。宝くじの当選確率の方が高いんじゃないのか?」

「まあ、買わなきゃ当たらねーし。ゼロよりはマシだ」

「それはそうだ。俺に、協力できることはあるか?」

「それこそ、勉強だろ?」

 

 五つ子の姉妹の家庭教師なのだから。一番危うい四葉(よつば)を見てやれるのは、上杉(うえすぎ)の他に居ない。

 

「あと。このことは――」

四葉(よつば)には、内密にだろ。分かってる。陸上部の方は、俺が何とかする。あいつの、あいつたちの家庭教師だからな」

「ああ、そっちは任せた」

「よし。じゃあ俺の方も、知り合いに当たって――」

 

 携帯を取り出した上杉(うえすぎ)だったが、画面を見たまま固まった。どうしたのか? と思って、横から画面を覗いてみると。表示されていた電話帳の一覧表には、家族と中野(なかの)姉妹のアドレス以外登録されていなかった。

 

「くっ、この携帯使えねぇ......!」

「アハハッ。まあ僕達は、携帯すら持ってないから、上杉(うえすぎ)のことを言えないけどね」

「全くだな」

 

 連絡手段すら持ち合わせていない。

 おかげで、こうして朝早くから待ち伏せするはめになったし。

 

「あれ? 珍しい組み合わせだね」

 

 声がした方へ、俺達の視線が一斉に向く。

 声の主は先日、学校を早退して話し合いに参加していなかった、一花(いちか)

 

「おっはよー。何だか、真面目な表情(かお)で話し合っていたみたいに思えたけど。ひょっとして、エッチな相談かなっ?」

 

 いきなり何を言い出すんだ、一花(いちか)のヤツ。

 正門から離れて話していたからよかったものの、他人に聞かれていたら面倒なことになってたぞ。上杉(うえすぎ)はもちろん、あの春原(すのはら)ですらも言葉を失って、苦笑いで冷や汗を流してるし。

 

「ふふっ、冗談だよ。四葉(よつば)のことでしょ?」

「......からかうなよ。話し、聞いたんだな」

「姉妹だからね。どうやって説得しようか、みんなで話し合ってるよ。家でも、スマホでも。本当はもっと、お姉ちゃんのことを頼って欲しいんだけどね」

一花(いちか)......」

 

 先ほどのテンションから一転、とてもしおらしく顔を伏せた一花(いちか)に、上杉(うえすぎ)が心配そうに肩へ手を伸ばした、次の瞬間――。

 

「なんてねっ!」

 

 勢いよく顔を上げた一花(いちか)は、悪戯な笑顔を作って見せた。

 

「どう? びっくりした?」

「お、お前なぁ......こんな時に、演技するな」

「あははっ、上手くなったでしょ? じゃあ、先に行くね」

 

 笑顔のまま手を振って、校舎へと歩いて行く。

 

「今の、ホントに演技?」

「んな訳ないだろ」

「ああ。あれは、作り笑いだ。本心を隠す時のな」

「だよねー」

 

 本当は心配で、心配でどうしようもないクセに、それを周りに悟られまいと作り笑いでごまかす。ああ言うところは、無理して笑う四葉(よつば)とそっくりだ。

 

 本当に世話の焼ける姉妹だ。

 

 

           * * *

 

 

 一日の授業を終た放課後、俺達は、武田(たけだ)のスマホのナビを頼りに、近くのバスケットコートへ向かって歩いていた。

 

「それで、どうだった? メンバー探しの方は」

「全滅だよ。サッカー部の連中に声かけてみたけど、試験前はキツいってさ」

「そっか。僕の方も、似たような返答だったよ」

「やっぱり、この時期に助っ人は無理があるよな......」

 

 空を仰いで吐き出した息は白く、季節は確実に冬へ移り変わっていた。今年も残すところ、あと半月あまり。悔いが残らない様に、キレイに終わらせたいところだけど――。

 

「女子バスケットボール部の部長には?」

「昼に事情を話した。どのみちテスト前だから、粘って時間を稼いでみるってさ」

「そう。あ、ナビが終わった。この近くようだよ」

「アレじゃない?」

 

 春原(すのはら)が指を差した先の公園内に、バスケットゴールが設置されていた。運が良いことに、先客の姿もない。さっそく、荷物をベンチに置いて、動きやすいように準備を済ませる。

 

「ほい、ボール」

 

 放られたバスケットボールを受け取り、コートで軽く弾ませる。

 最後に触ったのは、もう二年も前こと。懐かしい感触が手のひらに伝わって来る。

 感覚を確かめながら弾ませていると、後ろから伸ばされた手に、ボールが弾き飛ばされた。

 

「へへっ、来いよ!」

 

 ボールを奪い取った春原(すのはら)は後ろへ回り込んで、あからさまに挑発して来た。実に、腹の立つニヤけ顔だ。

 

「まあ、ブランクあるし。手抜いてあげるからさっ」

「......後悔すんなよ」

「盛り上がってるけど、準備運動した方がいいと思うよ。今、ケガをしてしまったら支払い確定だよ」

「......ストレッチしてからにしよっか?」

「だな」

 

 忠告を聞き入れ、しっかり体をほぐしてから、ゴールを背に改めて対峙。攻守に分かれて、1on1。

 ドリブルで突っ込んで来た春原(すのはら)の動きは、想像以上に速いし、キレもある。伊達に毎日、部活をやっている訳ではないらしい。だけど――。

 

「おおっ!?」

「甘ぇよ」

 

 動き自体は、直線的で単調。体育を真面目に受けておいたおかげで、対応も出来る。

 

「へぇ、やるじゃん。僕のクイックネスに付いてくるなんてさ。これで、どうよっ!」

 

 体の後ろで弾ませたボールを、持ち手から逆手側へ弾いた。

 ――バックチェンジ。

 

「って、お前なぁ」

「あ、あれ? サッカーだと上手く行くんだけどな、アハハ」

 

 背後でバウンドさせたボールを収めきれず、あらぬ方向へと転がっていく。

 

「せめて、フロントチェンジをノールックで出来るようにならないと、バックチェンジは無理だぞ」

「だって、後ろの方がカッコいいじゃん」

「格好の良し悪しで決めるなよ」

 

 ひとつ息を吐いて、転がったボールを拾いに行く。

 すると――。

 

「オイ、コラ。お前ら、誰の許可貰ってやってんだコラ」

「あん?」

 

 茶髪でオールバックの男が、いきなり因縁を付けてきた。

 しかもそいつは、旭高校(うち)の制服をだらしなく着崩している。

 

「今時いるんだねぇ。あんなゴテゴテのヤンキー」

「ん? おや、彼は......」

 

 茶髪が、足下のボールを拾い上げた。

 

「おい、返せよ」

「誰が返すかコラ」

 

 意味不明な絡みだ。まったく、時間が惜しいってのに。

 

「フン、返して欲しけりゃ取って――はっ!?」

 

 言い終わる前に素早く踏み込み、左手でスティール。ボールを弾き飛ばし、奪い取る。

 

「拾ってくれてサンキューな。じゃあな」

「ちょ待てよ!」

「何だよ? 暇じゃないんだ。ケンカ売るなら別のヤツにしてくれ。アイツとか」

「僕を指名しないでいただけませんか!」

「......まぁ、ちょうどいい。お前にも、話しがあったんだ」

 

 ズボンに両手を突っ込んで、これでもかとオラつきながら、春原(すのはら)へ近づいていく。

 

「おいコラ」

「やっぱり、そうだ」

「げっ! 何で、お前がいんだよ......」

 

 武田(たけだ)の姿を見て、茶髪の表情が変わった。

 どうやら二人は、多少面識があるらしい。

 

「知り合いか?」

「僕の、クラスメイトだよ。横の席の......横田君」

前田(まえだ)だよ! お前、わざと間違えてるだろ」

「あ、ごめん。そう、前田(まえだ)君だったね」

 

 一瞬で、不穏な空気を変えた。

 林間学校の時と同じだ、主導権を握るのが上手い。

 

「で、何の用だよ? まさか、本気でケンカを売りに来たわけじゃないよな。付き合ってやる暇はないぞ」

「そりゃ返答次第だな......!」

「待っておくれよ。話しは、僕が代わりに聞く。二人は、練習を続けて」

「何でお前が、しゃしゃり出てくんだよっ。俺は、アイツらに話しが――」

「まあまあ、暖かい飲み物でも飲みながら話そう」

 

 武田(たけだ)にペースを握られた前田(まえだ)は、渋々、近くのベンチへ引き下がって行った。

 

「何だったんだろうね?」

「さーな。とりあえず、続けるか」

 

 攻守を交代して、練習再開。

 運動能力の高い春原(すのはら)を相手に、1on1を続けるうちに、徐々に当時の勘が戻ってきた。これなら、ある程度やれるかも知れない。

 

「ちょっといいかな?」

「何だ?」

 

 武田(たけだ)に声をかけられ、いったん休憩。

 水分補給をしつつ、話しを聞く。聞かされた話は、思いもよらないことだった。

 

「はあー? 助っ人? このヤンキーが?」

「何だ? 文句あんのかコラ」

「いや、別にないけどさ。探してたし」

「動けるのか?」

「その辺りは、問題ないと思うよ。クラスの中では、運動神経いい方だからね。彼は」

「おい。言っとくけどな、お前らのためじゃねーからな。勘違いすんじゃねーぞ!」

 

 ツンデレってヤツなのだろうか。

 

「今、僕の中で、ツンデレは美少女ってイメージが崩壊したよ......」

「あっそ」

 

 どうであれ、キャラが濃いヤツなのは間違いなさそうだ。

 

「じゃあ誰のためだよ?」

 

 春原(すのはら)に突っ込んで聞かれた前田(まえだ)は、やや言いづらそうに顔を背けて答えた。

 

「そ、それは、いち......中野(なかの)さんのためだ」

中野(なかの)? 四葉(よつば)ちゃんのこと?」

「違う。い、一花(いちか)さんだ......」

「ふーん、一花(いちか)ちゃんのためねぇ、なるほどねぇ~」

 

 なるほど、そう言うことか。

 協力を申し出てくれた理由も、因縁をつけて来た理由も、とても分かりやすかった。朝、一花(いちか)と話していたところを見られていたようだ。

 

「おい金髪! 馴れ馴れしく中野(なかの)さんを下の名前でちゃん付けで呼んでんじゃねぇよ、羨ましいだろコラ!」

「声に出てるぞ」

「あはは、まあ、そう言う理由だから。ともあれ、これでメンバーは揃った訳だね。ちょうど日も暮れて来たことだし、今日は、ここまでにしよう」

 

 武田(たけだ)の提案に頷き、今日の練習は終了。

 近くのファミレスで勉強を見てもらい、各々帰宅の途についた。

 

 

           * * *

 

 

「どうだ?」

「プレーは繊細だな。厳つい顔の割に」

「ケンカ売ってんのかコラ!?」

 

 三人で練習を始めて数日、前田(まえだ)の力量も掴めてきた。練習参加初日に、ケンカに明け暮れていたと豪語していただけあって、基本的な運動能力は高いし、スタミナもある。想定外の拾いものだ。

 

「みんな、ちょっといいかな?」

 

 武田(たけだ)が座る、ベンチへ移動。

 

「試合は、いよいよ明日だね。そこで、作戦を立てておこうと思うんだ」

「だな」

「作戦って言っても。岡崎(おかざき)がゲームを作って、僕と前田(まえだ)で点を取るだけだろ?」

「それだ。お前、抜群に上手いクセに、何でシュート打たねぇーんだよ?」

 

 事情を知っている春原(すのはら)が、気を使った。

 

「別にいいじゃん。そんなの」

「いや、話しておいた方がいい」

岡崎(おかざき)......」

「いいんだ。俺は――」

 

 利き腕が、肩から上にあがらない。

 

「中学ん時に、右肩やっちまって。そんな訳で、左のレイアップくらいしか出来ないんだよ」

「マジかよ、おい......」

「ケガのことは知っていたけど。それ程の故障を抱えた状態、あれだけの動きを......」

「それより、作戦だろ? 武田(たけだ)

「あ、うん。そうだったね」

 

 武田(たけだ)は、ノートを広げた。

 

「勝算は十分あるよ」

「おっ、マジ?」

「例に漏れず、バスケ部も今は、テスト前で練習時間が短くなっているからね。それに、まず本気では来ない」

「どう言うことだ?」

「たいしたデメリットがないからだよ。相手にとってこの試合は、テスト勉強の気晴らしのようなもの。勝てば、ご飯を奢って貰えるけど。負けても特に何もないからね」

 

 言われてみれば、その通りだ。

 ただの遊びで本気じゃなかった、と言い訳が立つ試合なら面子は潰れない。

 

「そこで重要なことは、相手に危機感を植え付けること」

「具体的には?」

「試合開始直後に、強烈なインパクトを与える」

「その気じゃないなら、その気にさせればいいってことか」

「その通りだよ。ただ、普通のプレーじゃダメだけどね」

「ダンクとか?」

「いや、無理だろ。ちょっと試したいことがあるんだ、相手してくれ」

 

 春原(すのはら)前田(まえだ)に、ディフェンスに着いてもらう。

 

「行くぞ?」

「かかって来い――って、速ぇ!?」

 

 前田(まえだ)をかわし、左から回り込んでゴールを狙う。立ち塞がった春原(すのはら)を、フロントチェンジで体勢を入れ替え、引きつけたままジャンプ、ボールを持った右腕をリングへ伸ばす。

 

「右!?」

 

 戸惑いながらもシュートブロックに飛んだ春原(すのはら)を後目に、ボールは、赤いフープを潜った。

 

「ふぅ、どうだった?」

「......何で、反対側で着地してんだよ? 訳分かんないっての!」

「普通のレイアップだけじゃキツいと思ってな。まあ、あんま自信ないけど」

「今、空中で動いたよな?」

「よく分からないけど。とりあえず、今のシュートならインパクトを与えるには十分だよ。でも、自信がないのなら保険はかけておきたいね」

「それは僕に任せといてくれよ。良い考えがあるからさ!」

 

 何故だろうか、嫌な予感しかしないのは――。

 そして、試合当日の放課後。その予感は的中することになった。

 

「おい、何だよ......これ?」

「いやー、思った以上に盛況だねぇ~」

 

 放課後の体育館には、そこそこな数のギャラリーが集まっていた。

 

「宣伝して回った甲斐があったよ。これなら、向こうも本気でやるしかないだろ?」

「確かに、な」

 

 大敗したらシャレにならなくなった。双方どちらにとっても。

 その証拠に、相手のスターティングメンバーが代わった。アップをしていた下級生から、ベンチでくつろいでいたレギュラーがコートに出てきた。

 

「引きずり出せたね、スタメン連中を。じゃあ、速攻、先手必勝で決めようぜ」

「ああ」

 

 女バスの部長が審判を務め、俺達の攻撃で試合開始。

 相手にボールを出し、返ってきたボールを受け取り、速攻を仕掛ける。

 

「速い!?」

春原(すのはら)!」

「ナイスパス! 岡崎(おかざき)!」

 

 リターンパスを受け、ドリブルで一気にゴール下まで攻め込む。そして、立ち塞がったディフェンスを練習の時と同様に、フロントチェンジで左右に揺さぶり、リングへ向かって勢いよくジャンプ。ブロックに飛んだ相手の背後へ回り込み、ボールを持ち替えた左手でシュート。

 リングに跳ねたボールは、そのままフープを潜った。

 

「よっしゃ、決まった!」

「ダブルクラッチリバース! ナイス岡崎(おかざき)!」

 

 二人とタッチした、拳を軽く握る。

 作戦通り、試合直後の速攻からの奇襲に成功。

 今のプレーで、相手の目の色が変わった。

 ――勝負は、ここからだ。



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Episode11

 声が、聞こえる――。

 無数の光が舞う金色の草原で、誰かが俺を呼んでいる。

 誰だ? 聞き覚えのある声。

 いつ、どこで、誰の声だっただろうか。

 思い出そうとしても、まるで靄がかかったように上手く思い出せなかった。

 

「――起きなさいよっ!」

 

 耳元で、大声が響いた。

 驚いて、目を開く。何だか、視界がチカチカして見えた。

 

「やっと起きたわね」

 

 まるで、呆れ果てたと言わんばかりの声色。

 聞いた限り、女子の声。さっきの声だろうか。

 いや、違う気がする。どうしてだろうか、よく分からないけど、そう言える自信があるのは――。

 ただ、視界がぼやけているせいで、相手の顔が上手く識別できない。

 

「お前......誰だ?」

「あ、あんたねぇ......!」

 

 目の前の女子は、何か長方形状のぶ厚い物を頭の上で振りかぶった。

 

「お、おい、やめろ! 殺す気か!?」

 

 彼女の手には、重量感満点の英和辞典が握られていた。

 正体が判明、同じクラスの委員長だ。

 

「あんたがケンカ売ったからでしょーがっ!」

「寝ぼけてたんだよ。許してくれ、悪かった」

「......今回だけだかんねっ?」

 

 振り上げた、英和辞典を降ろした。

 とりあえず、ひと安心。改めて用件を伺う。

 

「で、何の用だよ?」

「何の用? とはお言葉ね。わざわざ起こしてあげたんじゃない。もう、放課後よ」

「ああ......そっか。そりゃどうも」

 

 礼を言って、空を見上げると、鮮やかなオレンジ色の空が目に入った。もう、夕暮れ時、東の空には星も見え始めている。どうやら、思った以上に寝過ごしてしまっていたらしい。

 

「帰んないの?」

「帰るけどさ......なんだか、長い夢を見てた気がする」

「夢? どんな夢よ?」

「......分からん」

「はぁ? 何よ、それ」

「夢なんて、そんなもんだろ?」

 

 良い夢でも、悪夢でも、起きたら大抵は忘れる。夢なんて、そんなモノだ。そもそもの話し、他人の夢の話しなんて聞いても面白いとも何とも思わない。

 

「ああ、そうだ。そう言えばさ、何ともなかったか?」

「何が?」

「前に、ぶつかっただろ? 町の商店街で」

「ほんと何の話しよ? あっ、あんたまさか!」

 

 眉をつり上げ、再び英和辞典を振りかざした。

 

「あの子にケガさせたんじゃないでしょうねっ!」

「してねーよ! つーか、もう間違えねーっての!」

 

 あんなゲーム、二度とごめんだ。

 自身が双子であることを利用して始めた、間違い探し。

 姉妹に扮して近づき、識別に失敗すると、英和を始めとした数種類の辞書で、容赦なく制裁を加えてくる。本人の場合は直接攻撃を、姉妹だった場合は「よくも悲しませたわね!」と、十数メートル離れていようともお構いなしに、ピンポイントで頭部を狙って投擲してくる。

 正に、世界で一番理不尽で凶悪なゲーム。

 己の身を守るため、自己愛ゆえに、見分ける前に制裁を避ける方が先に上手くなったほどだ。

 

「......なら、いいけど! てゆーか、頭どうかしたの?」

「あん?」

「さっきから、ずっと抑えるじゃない」

 

 指摘されて、初めて気がついた。

 左手で、左側の額を抑えてることに。

 

「あれ? ホントだ」

「ついにボケた?」

「ついにって、どう言う意味だよ?」

「言葉通りよ。ほら、帰るわよ」

 

 立ち上がった彼女は、数歩歩いて振り返った。

 

「早くなさいよ。か弱い女の子を一人で帰らせるつもり?」

「......どこに居るんだよ? その、か弱い女子ってのは」

 

 眩しいほどの笑顔で額に青筋を立て、三度英和辞典を構えた。

 素直に従い、校門を出て、桜並木の長い坂道を並んで歩く。

 

「もうすっかり、葉桜になったわね」

「そりゃ春じゃないからな」

「あんたねぇ、もっと膨らませなさいよ。そんなんじゃ彼女できないわよ」

「大きなお世話だ。お前こそ、もっと――」

「なによ?」

「......なんでもねぇよ」

 

 放たれる強烈なプレッシャー。この先は言葉にしてはいけないと、本能が警告している。話を逸らし、テキトーにダベりながら、町の商店街までやって来た。

 

「なあ。この辺りに、パン屋なかったか?」

「パン屋さん? ああ~、うん、あったはずよ。確か、公園の向かい側に。ちょっとガラの悪い店主が経営するパン屋さん」

「公園の、向かい?」

「そのはずだけど? それが、どうかしたの?」

「あ、いや、なんとなく」

 

 どうしてだろうか、漠然とした不安を覚えていた。

 この、住み慣れた嫌いな町が、酷く懐かしく感じていることに――。

 

「やっぱり、なんか変よ? 今日のあんた」

「何がだよ?」

「だってほら、また頭抑えてるし。病院、行った方がいいんじゃないの?」

「んな大袈裟な。少し目がチカチカするだけだ」

 

 あとは、そうだな。寝起きの影響なのか、足下がおぼつかない、まるで浮いているような感じだ。たぶん目の方も、同じ理由だろう。今日は、早く寝ることにしよう。

 

「殴ったんじゃないだろうな?」

「お望みならやったげるけど......?」

「望んでないからやらないでほしい」

「まったく、バカなこと言ってないでさっさと帰るわよ」

 

 両手を上げ立ち止まった俺に対し若干呆れ顔を見せ、再び歩き出した。しかし、どこから出してるんだ? あの辞書。

 

「だいたいねぇ――って、危ない!」

「――えっ?」

 

 何かが、目の前に迫っていた。

 ぶつかる、と思った次の瞬間、突然――目の前が、真っ暗になった。

 

           * * *

 

「――ッ!? ここは......って、イテぇ~......」

 

 頭が痛い。

 痛みを堪えながら、状況を把握するために辺りを見回す。

 どうやら、ベッドの上で横になっているらしい。

 初めて見る天井、妙に清潔感のある部屋。

 なぜここに居るのだろう、と疑問に思っていると。白衣をまとった男性が二人、部屋に入ってきた。身にまとう白衣と雰囲気から医者だと分かる。ここは、病院らしい。

 

「目が覚めたようだね」

「えっと......」

「頭を打っている、あまり動かないように。意識が戻ったと連絡を」

「はい」

 

 メガネをかけた短髪の医師が携帯を持って、部屋を出て行く。部屋に残った、真ん中分けで無表情の医師は、ベッド脇の椅子に腰を降ろして、持っていたファイルを開いた。

 

「今、キミの知り合いに連絡を入れた。詳しい事情は、友人から聞いてくれたまえ。さて、診断結果を説明させてもらうよ」

 

 頭部左部の打撲および、軽い脳しんとう。

 

「一時的に、視覚や意識に異変を感じることもあるだろうけど、脳や脊髄に異常は見当たらなかったから安心してくれたまえ。ただ、右肩の方は重症だね。この状態でバスケットボールとは、キミは無茶をする」

「まぁ、元々なんで......」

 

 無表情を崩さず、小さく息を吐いた。

 

「今日は、このまま安静にしておくように。明日、診察して経過判断とさせてもらうよ」

「入院......」

「治療費・入院費の心配をする必要はないよ。市の制度で無償だからね」

 

 医師がファイルを閉じたところで、騒がしい連中が、病室に入ってきた。最初に目に入ったのは、目立つ金髪のアイツ。

 

岡崎(おかざき)、生きてるか!?」

「......誰だ、お前?」

「マジかよ!? 僕のこと、忘れちまったのかよ......」

「ああ、そうなんだ。お前のことは、焼き肉奢ってもらう約束しか覚えてないんだ」

「そうか、じゃあせめて、その約束を果たして......って、んな約束してねぇーっての!」

「冗談だ」

「シャレにならないっての......」

 

 春原(すのはら)は仏頂面でパイプ椅子に座り、前田(まえだ)は腕を組んで壁に寄りかかる。武田(たけだ)は入り口付近で、先ほど席を立った医師と話しをしている。

 

「ずいぶん速かったな」

「近くのファミレスに居たんだよ。ちょうど夜飯時だったからさ」

「そっか。なあ、何が起きたんだ?」

「マジで覚えてないの?」

「ああ......」

「相手の肘が、額に入ったんだよ」

「カウンターでモロにな。結構ヤベー音がしたぞ」

 

 話しを聞くうちに、徐々に思い出してきた。

 思わぬ数の観客が居たことで急遽メンバーチェンジした準備不足の相手の油断と隙をついて、試合直後に速攻を決め、そのまま主導権を握った。

 春原(すのはら)のインサイド、前田(まえだ)のアウトサイドからの攻めで順調にリードを広げて、試合は終盤戦に差し掛かった。

 あと一本で、決定打と言う場面。調子に乗った春原(すのはら)が繰り出した、エルボーパスがあらぬ方向へ逸れた。相手との競争で先に拾い、裏を取って脇を掻い潜った時に、振り向いた相手の右肘が――。

 

「わざとかと思ったけどよ。相手の表情(かお)めっちゃ青ざめてたし、ありゃ偶然だな」

「サッカーでもあるんだよねー、振り向きざまに手が入ることって」

「つーか、元を辿れば、お前の無謀なプレーのせいじゃねーか」

 

 横になったまま批難の視線を、春原(すのはら)に向ける。

 

「アハハ......まあ、無事だったからよかったってことで」

「ったく。それで、どうなったんだ? 女バスは、四葉(よつば)は――」

「まあ、とりあえずは解決したよ。男バスの連中も、僕達が一週間も練習してないことを知って感じるところがあったみたいだし。陸上部の方も、大会の参加だけで手を打ったって、上杉(うえすぎ)から聞いた」

「そっか......」

 

 ――なら、いいや。とりあえず、借りは返せた......でいいよな。

 

「いいや、まだ終わってはいないよ」

 

 医師と話していた武田(たけだ)が、いつも通りの爽やかな顔でやって来た。

 

「早く退院しないと負い目に感じさせてしまうから、ね」

「......そうだな。試験まで、あと三日しかないし」

「何、ボケたこと言ってんだよ。期末は、明後日だぞ」

 

 明後日――ってことは今日は、土曜日。時計を見る。17時を指していた。

 

「まる一日以上寝てたのかよ......」

「そう言うことだよ。さあ、僕達はおいとましよう。安静にしていないと、良くなるものも良くならないからね」

「それもそうだねぇ。じゃあな、岡崎(おかざき)

「さっさと復活しろよ」

 

 三人が出て行く。病室内に静寂が戻った。

 気が抜けたのか、ズキッと痛みが走った。

 

「イテぇな......」

 

 額に触れると、コブになっていた。

 あと二日で、腫れが引けばいいんだけど。まあ、最悪前髪で隠せばいいか。

 ゆっくり目を閉じる。

 そう言えば、あの時の声の主は、いったい誰だったんだろう。

 

           * * *

 

 翌朝の診察。

 

「目まいはないかい?」

「大丈夫です」

 

 痛みは残ってるけど、耐えられないほどの痛みではない。

 

「では、いくつか質問させてもらうよ」

 

 意識の確認。氏名、年齢、生年月日と順番に聞かれ、最後の質問を終えた。

 

「受け答えも、特に問題はなさそうだね。念のため、昼にもう一度診察して問題がなければ退院と言うならびで話しを進めさせてもらうよ」

「はい」

 

 最短で昼か。負傷場所があれだけに仕方ないか。

 

「それと、キミの友人からこれを預かっていた」

「あ、どうもです」

 

 受け取ったものは、武田(たけだ)お手製の期末試験対策問題集。苦手科目を中心にまとめ、解説も添えてくれている。ありがたい。

 

「試験前に部活動かい?」

「そうじゃないですけど、ちょっと事情があって」

 

 いくら主治医といえど赤の他人だ。別に話すことでもない。

 

「感心できないな」

「はぁ?」

「少なくとも重要な試験を前にするようなことではないね」

「......別に、関係ないでしょ」

 

 何だ、この医者? ケンカ売ってるのか。

 

「そうだね。これは、個人的な興味の話しだよ。なぜ、それ程のケガを抱えながら、なおかつ更にケガを負うほどのことをするのか、ね」

「――ねぇよ」

「ん? なんだい?」

「......友達(ダチ)を助けるのに理由なんてねーよ。本当に知らないヤツなら、そいつの知り合いに任せるさ。けどな、知ってるヤツが無理してるの分かってて、今にも、ぶっ倒れるかもってのに見捨てるなんて出来る訳ないだろ!」

 

 挑発的な言葉に、思わず感情的になってしまった。

 しかし、医者のまとっていた威圧感にも似た雰囲気も若干変わった。

 

「......友人か、なるほど。逆撫でする言い方をしてすまなかったね。娘のことで、迷惑をかけてしまった」

「あん? 娘? 娘......む、娘って、まさか!」

四葉(よつば)君は......五つ子の姉妹は、僕の娘だよ」

 

 ――そうだ。中野(なかの)姉妹の親は、病院を経営してるんだった。この病院だったのか。

 

「それほどの啖呵をきれる元気があれば、大丈夫そうだね。昼には、退院できるよ。期末試験しっかり励みたまえ。問題集を作成してくれた“友人”のためにもね」

 

 ポーカーフェイスを崩さず、静かに席を立った。

 まさかの衝撃的な出来事に、ただただ、病室を出て行く背中を見つめることしか出来なかった。



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Episode12

 週明け、期末試験当日の昼休みのこと。

 教室内は、試験のまっただ中とはとても思えないほど騒がしかった。騒ぎの中心に居るのは、金髪のお調子者。バスケ部との試合の動画が流れ、校内で話題になっているとかで周りからちやほやされ、より一層調子に乗って絶好調で、さながら武勇伝のように語り、悦に浸っている。

 そんな訳で、面倒に巻き込まれる前に退散を決めた。

 購買で買ったパンと飲み物を持って、人気のない中庭のベンチに腰を落ち着け一人、静かに飲み物を口に運んで、午前の試験を振り返る。

 武田(たけだ)が、いけると太鼓判を押してくれた理系の手応えは、中間試験の時よりも間違いなくある。ただ次は、自分でも苦手だと自覚のある、文系の科目が続く。正直、良くて五分五分と言ったところだろう。

 でもまあ、そんなことよりも一番気がかりだった四葉(よつば)が、吹っ切れた表情(かお)をしていたから、少しだけ気が楽になった。

 あの試合も、無意味じゃなかった。

 

「――ねぇ、ちょっと、ねぇってばっ」

 

 突然、目の前を暗くした影に顔を上げる。

 声をかけて来た女子は、俺の知る彼女よりもずっと後ろ髪が短かくなっていた。

 

「ん? あれ? お前......二乃(にの)、であってるよな?」

「そうよ」

 

 見た目四葉(よつば)よりも、少し長いくらい。

 そして、彼女と一緒に居た五月(いつき)は、どこか少し不満そうにしている。

 

「私も、居ますけど」

「分かってるって。ただ、ちょっと驚いたから」

「私も、驚きました。突然、短くしたものですから」

「まぁ、ちょっとね」

「そっか。短いのも似合うな」

「どうも。それより、この動画見たわよ」

 

 二乃(にの)が、スマホを見せつけて来た。

 例の試合映像が映し出されていた。映像は、攻撃側の背中側が遠目に映っている。角度的に、入り口付近のギャラリーが撮った代物のようだ。ブレはあるものの、まるでテレビのスポーツ中継のようにキレイだった。

 

「よく分かったな」

「こんな目立つ金髪なんて、キミたちしかいないじゃない」

「ああー......そりゃそうだな。スマホって、スゲーのな」

「たぶん、画質に特化した機種よ」

 

 ひとえにスマホと言っても、いろいろあるらしい。

 しかし、よくよく考えると恐ろしい。知らない間に撮られていた上に、不特定多数に拡散されるって。

 

「うっ、正直、この場面は見たくありません......」

 

 ちょうど、肘が額に入った場面が映った。その不測の出来事に、場内が騒然としている。二乃(にの)は、動画を止めて、スマホをしまった。

 

「ところで何で、こんな寒空の下一人で寂しくお昼してるのよ?」

「教室は、騒がしいからだ」

 

 学食も話し声とか、食器の音とか、同じ理由で気が散る。

 ついでに、頭にも響く。

 

「そう。で、大丈夫なの?」

「そ、そうですっ。保健室に担ぎ込まれて、意識不明のまま、病院に入院していたと聞きました」

「大袈裟だな。こうして今、ここに居る。それが答えにならないか?」

「それこそ、気を遣わせないように無理しているのではないですか?」

「さっきも呼びかけに、しばらく反応しなかったわね」

「ちょっと考えごとしてたんだよ。次は、苦手な英語があるから。それに、お前たちに父親から、退院のお墨付きを貰ったんだ」

 

 父親のことを持ち出したところ、空気が微妙に重くなった気がした。思春期ってやつだろうか。親子の問題だから突っ込んで聞くようなことでもないし、俺なら聞かれたくない。

 

「うっわっ! めっちゃ青黒くなってるわ」

「すごく痛々しいですね。触ってもいいですか?」

「やめてくれ......」

 

 何の嫌がらせだ、まったく。

 前髪をかき上げ、改めてしっかり患部を覆い隠す。

 

「それで?」

「別に。偶然、廊下から姿が見えたから来ただけよ」

「と言うのは、建前です。女子バスケットボール部の話しは解決したと連休前に、上杉(うえすぎ)君から報告が入ったので、この動画と関係があるのではないかと。あなたを見かけたのは、本当に偶然ですが」

「関係ねーよ。ただ、試験勉強の息抜きに体動かしただけだ。ケガは、不慮の事故」

「......本当ですか?」

「まぁ、いいじゃない。そう言うことにしておいてあげましょ。損できるのは、いい男の役回りだもんねっ」

 

 可笑しそうにくすっと小さく笑った二乃(にの)に、五月(いつき)は不思議そうな表情(かお)を向ける。

 

「何の話しですか?」

「知らなーい」

「えっ、どうしてですか? 教えてくださいよ」

「内緒よ、ないしょ。それより、早くしないとお昼休み終わっちゃうわよ」

 

 急かされて、ベンチを立つ。

 

「ねぇ。映画、いつ見にいく?」

「そうですね。どちらも今週末の公開ですから――」

 

 廊下を教室へ向かって歩いている途中、ふと思い出した。

 昼飯を、食べ損ねたことを。

 

           * * *

 

 期末試験の終了を告げるチャイムが、校舎中に鳴り響いた。

 ペンを置くように言った教師は、集めた解答用紙を持って、教室を出て行く。それを合図にしたように、春原(すのはら)が大きく伸びをした。

 

「よし、終わったっ!」

「長かったな......」

 

 本当に、いろいろな意味で。

 そして、連絡事項だけの短いホームルームが終わる。

 

「どうする? ぱーっと遊びにでも行く?」

「とりあえず、飯。昼食い損ねた」

 

 糖分が足りない。今にも、ぶっ倒れそうだ。

 包装紙をかっさばいて、パンをほおばる。

 

「お疲れさまでしたー」

「おっ、四葉(よつば)ちゃん」

「お疲れ――」

 

 言い切る前に四葉(よつば)は、深々と頭を下げた。

 

「この度は、多大なるご迷惑をおかけいたしまして......」

「何の話しだ?」

 

 二乃(にの)五月(いつき)の耳にも入っているんだから、そうじゃないかとは思っていたけど。ひとまず惚けておく。

 

「バスケ部の話しです。部長さんから、お聞きしました。正確には、問いただしたですけど......」

「なんだ、バレバレだった訳だね。目立たないように、湿布しないで来た意味なかったね」

「さらっと言うなよ」

「アハハッ、カッコつかないねぇ。ほい」

 

 バッグの中をまさぐり、放り投げられた湿布箱を、パンを持っていない方の手でキャッチ。

 

「あっ、私が、お貼りします」

「別に――」

「いえ、やらせてください!」

 

 絶対に引きそうにない。これで気が済むならいいか。箱を渡して、前髪を上げる。

 

「わっ!」

「おお~、なかなかエグいねぇ。昨日より、ドス黒くなってない?」

「お前の、無謀なプレーが原因だからな?」

「はい。貼れました」

 

 手を放す。湿布のニオイが鼻についた。

 食べ終わってからにすればよかった、と若干後悔。

 何はともあれ、これで――。

 

「貸し借りなしな」

「えっと......」

「気付いてただろ? コレ」

 

 左手で、右肩に触れる。

 四葉(よつば)は、気まずそうに視線を逸らした。

 

「あ、あはは......」

「優しいねぇ、四葉(よつば)ちゃんは」

「気を遣いすぎだけどな。けど、そのお陰で助かった。ありがとな」

「いえ、こちらこそ。ありがとうございました!」

 

 そう言って、もう一度丁寧に頭を下げたあと、顔を上げた四葉(よつば)は、いつもの笑顔に戻っていた。

 

 

           * * *

 

 

 近所のスーパーで、夕食の買い物を済ませて、帰宅。

 

「ヤッホー! 久々の焼き肉だ、早く食おうぜっ!」

「まだ四時前だぞ?」

岡崎(おかざき)、トリビアを教えてやるよ。焼き肉に、時刻は関係ナッシングなのさ! そして空腹は、最高のスパイス!」

「あ、タレ買い忘れた」

 

 買い物袋の中には、値引きシールが貼られた肉のパックと野菜だけ。焼き肉のタレどころか、塩コショウなどの調味料、ついでに米も買い忘れた。

 

「どうした、食べないのか? 素材の味を楽しめるぞ」

「味のない焼き肉なんて、焼き肉じゃない! 空腹で、もう一歩も歩けない......」

「最高のスパイスじゃなかったのか? 買ってきてやるから、大人しく待ってろ」

 

 財布を持って、家を出る。

 近所のスーパーで、買い忘れた焼き肉のタレとライスを買い求める。夕食には、まだ早い。少し遠回りをして時間を潰すことにした。

 通い慣れた商店街へ足を運ぶと、何やら、自治会の人たちが集まって作業をしていた。邪魔にならないように、横を通る。

 

「そっか......」

 

 イルミネーションの準備。よく見ると、商店街の至る所で、クリスマスへ向けた準備が着々と進められていた。

 そういえば、バイト先のパン屋も特別メニューを出すとか言っていた気がする。

 ちょうど、そのバイト先のパン屋の前を通りかかった時、思わぬ人物と遭遇した。

 

上杉(うえすぎ)

「あ、ああ......岡崎(おかざき)か」

 

 パン屋の向かいの店から、上杉(うえすぎ)が出てきた。

 

「バイト? あのケーキ屋で?」

「ああ。今、面接を受けてきた。忙しい時期だから、すんなり決まりそうだ」

「家庭教師と掛け持ちか。ご苦労さん」

「まーな......。そもそも、家庭教師は週末だけで。平日は、元々時間があったんだ」

「ふーん。ってことは、客の奪い合いになるな」

「そうか、そうなるんだな」

「悪いな」

「おい、潰すことを前提で話さないでくれ。今、春原(すのはら)の気持ちが少し分かった気がしたぞ......」

 

 眉間に手を添え、小さくタメ息をついた。

 

「それで? 捌け口くらいにはなってやるぞ。まあ、無理には聞かねーけど」

 

 ――場所移すか、と上杉(うえすぎ)は歩き出した。

 訪れた場所は、パン屋のバイトが決まった日に訪れた公園。

 上杉(うえすぎ)はブランコに座り。俺は防護柵に座って、話しを聞く。俺達がバスケの練習をしている間に、上杉(うえすぎ)や姉妹たちの間にも様々なことが起こっていた。

 その中でも一番大きな出来事が、二乃(にの)五月(いつき)の本気のケンカ。昼の様子からは、想像も出来なかった。

 

「正直、力のなさを思い知らされた」

「解決したじゃないか」

「あいつらの力でな。バスケ部の方は、お前たちだ。それ以前に、問題を起こしちゃいけなかったんだ。あいつたちの心の内を掬い取ることを、俺には出来なかった」

「そうかよ」

 

 軽く反動をつけて、柵から立ち上がる。

 

「どうした?」

「帰るんだよ。日も暮れたし。捌け口にはなるって言ったけど、相談に乗るとは言ってないぞ」

「......そうだったな」

 

 上杉(うえすぎ)も、ブランコから立ち上がった。

 

「安心しろ。俺は、口は堅い。他言はしないからさ」

「そうしてくれると助かる。けど、意外だった」

「何が?」

「軽蔑されると思った」

「悩んで出した結論だろ? 当事者じゃない他人の言葉なんかで揺れるような生半可な決意なのか?」

「それはない」

 

 迷わず、はっきりと答えた。

 

「だったら、それこそ無駄じゃないか」

「それもそうだな」

 

 立ち話をしている俺達の間を、冷たい風が吹き抜ける。

 

「さむっ」

「その湿布......」

「これか? 試合中のアクシデント。言っておくけど、四葉(よつば)は、もう納得してるからな。お前も気にするなよ。気にするなら、決意を撤回してからにしろ」

「分かった。気にしない」

「さてと、じゃあ帰るか。マジで風邪引く」

「知ってるか? 人って生涯で100種類以上の風邪にかかるんだぞ」

「なんだ? お前も、トリビアか。流行ってるのか?」

 

 帰り道を話しながら歩いていると、唐突に疑問が浮かんだ。

 それは――今回の件で、学校側から何ひとつお咎めを受けなかったこと。

 何か、特別な理由がある。そんな気がしてならなかった。



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Episode13

 田園の中を走る単線列車、寂れた田舎駅、一面黄色の菜の花畑、遠くに見える雄大な山々。

 そして、どこまでも遠くまで広がる、夕焼け空の岬。

 いつ見た景色だろう。

 思い出そうとしても、上手く思い出せない。

 ただ確かに、記憶の片隅に残っている。

 誰かに手を引かれ、一緒に歩いていたことだけは――。

 

           * * *

 

「注文いい?」

 

 作業をしていたところへ声をかけられた。エプロンのポケットからメモ帳を取り出し、注文を伺いに行く。テーブル席に座る二人組、一花(いちか)三玖(みく)一花(いちか)は今日が、初めての来店。少し興味あり気に店内を眺めてから、ドリンクメニューに目を通し出した。

 

「お待たせ。どうぞ」

「いつものを、ホットで」

「えっ? いつものって何?」

 

 三玖(みく)の注文を聞いた一花(いちか)は顔を上げ、目を丸くした。

 

「抹茶ソーダの、ホットな」

「通じたっ! それに今のやり取り、まるで常連のお客さんみたいだよ?」

「ダメ元で注文してみたら出てきたんだ。店内で飲める貴重なお店だからときどき通ってる」

 

 三玖(みく)とはたぶん、同じクラスの四葉(よつば)の次くらいに顔を合わせてる。接客とか、商品整理とかやることが多いから、あまり会話をする訳ではないけど。

 

「因みにホットには、アタリとハズレがある。一花(いちか)も試してみる? 抹茶ソーダ占い」

「えーと、ちょっと色んな意味で混乱しちゃってるんだけど。今回は、遠慮しておこうかな」

「そう」

 

 表情にはあまり出ていないが、少し残念そうだ。

 

一花(いちか)は、どうする?」

「あ、うん、じゃあ――」

 

 承った注文の品を用意して、二人のテーブルへ運ぶ。

 一花(いちか)の前には、ミルクと砂糖を添えたホットコーヒーを。三玖(みく)には、抹茶ソーダのホットのティーカップを置く。

 

「ホントにあるんだね。お姉さん、ビックリだよ」

「今日のは......うん、アタリ」

「アタリ・ハズレの定義とは?」

 

 真顔で疑問を投げかける、一花(いちか)

 俺も最初は、彼女と同じリアクションだった。

 以前、三玖(みく)が冗談半分で注文した抹茶ソーダと同様に、正式なメニューには存在しない代物。これも店頭の自販機で買い求めたものを、ティーカップへ移し替えたもの。そんな訳で、多少の運が絡む。

 

「商品補充のタイミングで温度が違うそうだ。冷たいのは、氷でいけるんだけどな」

「ああ~、それで判定してるんだね」

「前の時は、ちょっとぬるかった。けど今日のは、いい感じ。炭酸も飛んでない」

 

 今度は、とても満足そうだ。どうやら大当たりだったらしい。そんな三玖(みく)の姿を見て、一花(いちか)は少し可笑しそう微笑んで、ティーカップを口に運ぶ。

 

「けど、珍しい組み合わせだな」

「ん? そうでもないよ。ショッピングとか、二人で行くし。この間も、二乃(にの)の部屋着を買いにいったよ」

「でも一花(いちか)は最近忙しいから、家以外で一緒なことは貴重になりつつあるかも」

「あはは、そうかもね」

 

 例の、四葉(よつば)と女バスの件の時、用事で学校を早退していて話し合いの場にいなかったことを思い出した。サボりというわけではないだろうし、忙しいのは確かなんだろう。

 それにしても、この二人の様子......四葉(よつば)もだったけど、普段と変わらない。まだ、聞かされていないのか。それとも、聞いた上で納得しているのだろうか。

 どちらにしても、これは、俺が話していいことじゃない。

 それだけは、間違いないんだ。

 

「どうしたの?」

「これは、あれだね。美少女の会話が気になって仕方ないんだよ」

「いや、特に気にならないけど。てか、何の話してたんだ?」

 

 今、一花(いちか)の目が光った。

 

「新しい下着を一緒に選んでもらおうって話してたんだよっ」

「い、一花(いちか)っ?」

「こんなところで話すなよ、時と場合を考えてくれ。ついでに答えは、ノーな」

「あ、本当に聞いてなかったんだ」

「ここまで無関心だと、お姉さん、傷つくよ......?」

 

 本当に、何の話しをしていたんだろうか。

 手を動かしながら、二人の話しに耳をかたむける。話しの内容は、陸上部のことだった。今度の日曜日に、駅伝の大会があって、陸上部の助っ人として参加する、四葉(よつば)の応援について。

 

「絶対寒いよねー」

四葉(よつば)が走る番になるまで、このお店に居させてもらうとか?」

「あ、それいいね。ちょうど、走るコースからも近いし。席の予約ってできるかな?」

「居酒屋じゃないんだけど。まあ、聞いてみる。店長」

 

 レジについている店長に尋ねると、すぐに返事が返ってきた。

 

「できますよー。三日後の日曜日、取り置きしておきますね」

「だってさ」

「やっぱり、融通の利くお店。私の中では、五つ星。でも私たちは五分の一人前だから、一つ星評価」

「何の嫌がらせだ。融通の利く店を、自らの手で潰しにかかるなよ」

「あっははっ、じゃあ私も、星ひとつにしておくねっ」

「やめてくれ......」

 

 その後話題は、明日返却日を迎える期末試験の話しに変わった。二人とも、若干緊張感のある面持ちをしている。

 

「いよいよ明日だね。手応えは、どう?」

「英語は、ちょっと自信ない。一花(いちか)は?」

「私は、国語かな? 理系は大丈夫だと思う」

 

 二人の視線が同じタイミングで、空いた食器を片付けていた俺に向けられた。

 

「何だよ?」

「どうなのかなーって思っただけだよ」

「うん」

「......まぁ、理系以外はボーダーラインギリギリくらいだと思う」

 

 特に、英語と社会には不安が残る。元々苦手な文系の科目な上に、空腹も相まって、何度か集中力が切れかかった。春原(すのはら)は......まあ、確実に赤点があるだろう。

 

「じゃあ、みんな一緒に補習かな?」

「また、フータローにしこたま怒られそう」

「きっと、スパルタで暗記させられるねっ。う~ん!」

 

 椅子に座ったまま一花(いちか)は、大きく伸びをした。

 

「さて、そろそろ帰ろっか?」

「あ、待って。お土産に買っていく」

「手伝うよ」

 

 席を立った二人がトレイとトングを持ってパンを選んでいる間に、テーブルを片付けて、奥の厨房へ入る。流しに食器を置いて、掛け時計を見る。バイト終わりの時間が近づいていた。

 

「すみませーん」

 

 店の方から、一花(いちか)の呼び声。

 急いで戻って、レジを打ち、パンを入れた紙袋を手渡す。

 

「ありがとうございました」

「ごちそうさま」

「ごちそうさまー」

「ああ~、そうだ。三分後に出ると、ちょっとしたサプライズに立ち会えるぞ」

「サプライズ?」

「それはつまり、一緒に帰ろうとナンパしてるんだねっ!」

「三分じゃ帰り支度なんてできねーよ。店長、お先に失礼します」

「はーい、ご苦労さま。またよろしくね」

 

 奥に下がって洗い物をしていると「わぁ!」と、弾んだ声が表から聞こえた。手を止めて、窓の外へ目を向ける。

 定刻通り点灯された、青と白を基調とした鮮やかなイルミネーションで彩られた町の通りを、仲良く歩幅を合わせて歩いている姉妹の姿が目に映った。

 これで、もし雪が降っていたらスノードームみたいだなと、ガラでもないことを思ってしまうほど、二人の姿は絵になっていた。

 

           * * *

 

 翌日、放課後のホームルーム後に、期末試験の結果発表。

 出席番号順に結果が記された紙を受け取り、席へ戻る。受け取った紙に書かれた結果を若干緊張しながら確認。裏にして机に伏せ置き、深くゆっくり息を吐いて天井を仰いだ。

 

「どうだったよ? 見せてくれよ」

「あ、おい――」

 

 結果を受け止めていたところを春原(すのはら)に、横からかっ攫われた。

 

「おっ、四科目もクリアしてるじゃん。数学は60点近いし、理系の方が得意ってのはマジだったんだね。んで、唯一落とした科目は......英語か。文系は、お互い鬼門だねぇ」

「合計点数でならクリアしてるんだけどな」

 

 兎にも角にも、これで崖っぷちに追い込まれた。

 退学宣告回避のチャンスは、あと一回。来年の年度末試験が、本当に最後の勝負。

 

「あと一回じゃない、まだ一回あるんだ! ほら、そう考えれば気持ちも楽になっただろ?」

「ああ、そうだな。今回は、そのポジティブさを素直に見習わせてもらう」

 

 しかし、春原(すのはら)は、この時気付いていなかったんだ。

 

「既に自分が、崖の下に落ちているということに......!」

「......まる聞こえなんすけど。言っておくけどな、僕も、二科目クリアしたんだぜ」

「マジかよ?」

 

 春原(すのはら)の結果を見ると、社会と理科の二科目で赤点ラインの30点を越えていた。

 

「中間試験オール7のジャックポットから大躍進だな」

「フッ、僕をナメてもらったら困るね。本気になれば、こんなものさ!」

「わぁー、お二人ともスゴいですね!」

 

 担任から試験結果の紙を受け取った四葉(よつば)が、席へ戻ってきた。

 

四葉(よつば)ちゃんは、どうだったの?」

「今回は、国語と社会の二科目でした」

 

 それでも、全科目で中間の点数を上回っている。部活との両立していたという点を考慮すれば、試験勉強に時間を割けた俺よりも、二人の方が伸びしろは高いのかも知れない。

 

「また仲良く補習だねぇ」

「あはは、よろしくお願いしまーす。では私は、お先に失礼しますっ」

 

 笑顔で敬礼した四葉(よつば)は、仲の良い女子と挨拶を交わしながら教室を出て行った。

 

「さて、俺たちも行くか」

「どこへ?」

「図書室。武田(たけだ)が、結果から反省点を教えてくれるって言ってたじゃないか」

「ああ~、そんなこと言ってたね」

「ハァ、さっさと行くぞ」

 

 バッグを肩に担いで、図書室へ向かう。武田(たけだ)は既に来て、窓際の四人がけの席に座っていた。空いている席に座り、結果報告。

 

「二人とも、僕の予想以上の結果だよ」

 

 いつも通りの爽やかな笑顔の上に、満足感も加わっている。

 

岡崎(おかざき)君は、本当にあと一歩のところだったね」

「少し集中力が切れた」

「ケガの影響かな?」

「それはない」

「うん。そうだね」

 

 こう言うところは、しっかり空気を読むヤツだ。

 だから、教えてもらっている時も素直に受けられる。

 

「お前は、どうだった? 俺達の面倒とか、バスケの練習にも付き合わせちまったし」

「残念ながら。今回も、二位に終わったよ」

 

 結果を見せてもらう。記されていた数字は、正に雲の上。

 満点が、三科目。残り二科目も90点台半ばをたたき出していた。

 

「これで、二位なのかよ。ってことは一位は、上杉(うえすぎ)か」

「また全部満点なのー?」

「お察しの通りだよ」

「アハハ、バケモノだね」

「もう、満点取るしかないってことか。俺達の勉強見てなかったら、チャンスあったんじゃないのか?」

「そんなことはないさ。教える側に立ってから問題点を見るようになって、僕自身のケアレスミスが減った自覚があるからね。その証拠に、中間試験よりも成績が上がったから、ね!」

 

 爽やかにウインクした笑顔が一転、どこか儚げな顔に変わった。

 

「......付き合いは短いけど。僕は、キミたちのことを本当に友達だと思っているよ」

「はぁ? 何だよ急に、マジなトーンで」

「何かあったのか? 親父さんと――」

 

 前は飲み込んだ言葉を口に出す。

 

「......今は、話せないんだ。でも、いつの日か話せる時が来たら必ず話すよ」

「そっか。じゃあ何か食いにでも行くか? 勉強教えてくれた礼も兼ねて」

「おっ、いいねぇ!」

前田(まえだ)君も誘おう。バスケのお礼をしてないから、ね」

「そう言えば、そうだったな。どこ行く?」

「焼き肉!」

「最近、食ったばかりだろ。年越せなくなるぞ」

「えぇ~、なら、岡崎(おかざき)のバイト先でいいよ」

「パン屋だったね。僕も異論はないよ」

「まっ、いいけど。そのままシフトに入るからな?」

 

 図書室を出て、話しをしながら廊下を歩く。

 武田(たけだ)が、父親とどんな確執があるのかは分からない。

 でもそれは、俺達に関わりのあることだと、なんとなくは分かる。

 だから、待とうと思う。

 必ず話すと言った、友達の言葉を信じて。



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Episode14

「はよ~......」

 

 休日だというのに、春原(すのはら)が普段よりも早い時間に起きた。

 

「本当に早いな」

「......騒々しくて目が覚めたっての。お前、何してたんだよ?」

 

 コタツに入った春原(すのはら)が、恨み節を言いながら批難の目を向けてきた。

 

「俺じゃない。表で何かやってるみたいだ。業者らしき車が停まってるし、水道かガスの工事かもな」

「マジっすか、こっちはまだ眠いってのに。重機でコンクリ削られた日にはシャレになんないよ。よーし、ここは眠気覚ましに一曲聞きますか!」

 

 部屋の隅で埃を被っていたラジカセを持って、コタツに戻ってきた。引っ越し初日に話したことを忘れたのだろうか。しかし春原(すのはら)は、得意気な顔で笑みを浮かべた。

 

岡崎(おかざき)、電気代の心配は必要ないのさ」

「どう言う意味だよ?」

「どうして、もっと早く気がつかなかったのかな......。このラジカセは、乾電池でも動くってことにね!」

 

 春原(すのはら)のラジカセへの思い入れは、もはや執念の領域まで達していた。

 思わず言葉を失っていたが。お構いなしに再生ボタンは押され、使い古された年代物の黒いラジカセのスピーカーから、一昔前のヒップホップ歌謡曲が流れる。

 テレビすらないこの部屋は、どうやら時代が20世紀末で止まっていたみたいだ。

 

「やっぱ最高だねっ!」

「......もう少し音を絞れよ。隣からクレーム来るぞ」

「隣空き部屋じゃん?」

「ひと部屋はな。もう片方は、俺達より前に入居者が居るだろ。じゃあ俺は、バイトと病院に行ってくる。洗濯物頼むぞ」

「はいよー、いってらっさーい。さーて僕は、久しぶりにボンバヘッを堪能させてもらうことにするよっ。アハハッ!」

 

 朝っぱらハイテンションになった春原(すのはら)を部屋に残し、防寒対策をして表へ出る。途端に、肌を刺すような冷たい北風が吹き抜ける。寒空には、今にも落ちてきそうなどんよりとした灰色の雲が覆っていた。

 

「傘、持ってった方がいいかな......まぁ、いいか」

 

 バイト先は遠い距離じゃないし、病院へはバスで直通。少しくらいの降雨・降雪なら、フードを被れば大丈夫だろう。

 階段を半分ほど下ったところで、下から上がって来た、品良くスーツを着こなす初老の男性と目が合った。

 左側へ避けると、老人はどこか嬉しそうに微笑んだ。

 

「お心遣い。どうもありがとう」

「あ、いえ」

「こちらに、お住まいの方ですかな?」

「はぁ、そうっすけど」

「それはそれは。実は、近くここへ越してくることになっておりましてな。また、改めてご挨拶にお伺い立てたいのですが。ご都合のほどは?」

 

 表に停まっていた車は、引っ越しの関連業者か。

 今なら、春原(すのはら)が居るけど。引っ越しの挨拶なら、落ち着いてからになるだろう。ランドリーへ行っている間に、入れ違いになるかも知れない。

 

「昼過ぎなら、基本的に家に居ますけど」

「そうでしたか。では、その頃にお伺いさせていただきたいと思います。お引き留めして申し訳ない」

「いえ。じゃあ俺は、これで――」

 

 老人に別れを告げ、バイト先のパン屋へと向かった。

 朝の仕出しを手伝い、開店から一時間の忙しい時間帯を過ぎ、病院で診察を受けて、昼前にアパートに帰宅。

 昼飯を食べながら朝の出来事を、春原(すのはら)に伝える。

 

「引っ越しぃ? それで、騒がしかったんだねぇ。納得したよ」

「昼過ぎに、改めて挨拶に来るってさ」

「なぁ、岡崎(おかざき)。その人は......美人なお姉さんだったか!?」

「いや、幸村(こうむら)のジイさんと同じくらいの年配の人だった」

「何だよ、ジイさんかよ。期待させるなよなぁ」

「期待させるようなことは、ひと言も言っていないからな」

 

 面白くなさ気に横になった春原(すのはら)は、近くに積まれていた雑誌を読み始めた。

 俺は、再び昼食を食べ進めながら、病院での出来事を思い返していた。

 

           * * *

 

「まだアザは残っているが、腫れは完全に引いたようだね。痛みはあるかい?」

「いえ、大丈夫です」

 

 無表情で頷いた医師......中野(なかの)姉妹の父親は、カルテにペンを走らせる。

 

「ところで、娘たちの様子はどうかな?」

「話さないんですか?」

「この通り忙しくて、なかなか顔を合わせて話せる機会を作れなくてね」

 

 土日も祝日も関係なく、毎日フル稼働している大病院の経営者。忙しくて当然と言えば、当たり前か。

 

四葉(よつば)君と同じクラスだったね。どうかな? 友人から見て、彼女は――」

「いつも元気です、ありあまるくらいに。お陰でクラスも明るいですし。まぁ、ちょっと無理している時もありますけど」

「そうか。気苦労をかけるね」

 

 無表情は変わらないけど、姉妹のことを気にかけていることは伝わって来る。だけど、それ以前に引っかかることがある。

 ――この人も、あの人と同じか......。

 

「どうかしたのかい? 痛みが出たかな」

「あ、いえ。ちょっと気になったって言うか」

「何がだい? 話してくれて構わないよ」

「......他人の家庭のことなんで、俺が言うようなことじゃないですけど。ろくなことないですよ、他人行儀な言葉使いは――家族なのに」

 

 俺は、そのことを身をもって知っている。

 本気でぶつかってくれたのなら、本気で怒ってくれたのなら、本気で心配してくれたのなら、どれだけ良かっただろうか......。

 

「確かに、他人に言われるような事柄ではないね」

 

 変わらない無表情だったが、迫力のある眼をしている。

 だけど、それ以上に、あの人の眼からは――。

 突然鳴った呼び鈴の音に、引き戻された。

 

「おっ、誰か来た」

「あ、ああ......」

 

 コタツの天板に置いてある、目覚まし時計を見ると、時刻は十三時を回ったところだった。どうやら、引っ越しの挨拶に来たらしい。

 

「はーい。今、居留守でーす」

「アホか」

 

 返事をしたら居留守を使う意味がないじゃないか、と心の中でツッコミを入れつつ、訪問者の応対へ向かう。

 玄関の近くにいくと、ドアの向こうから話し声が漏れ聞こえてきた。

 

『今、留守って聞こえた気がしたけど。出かけてるのかな?』

『返事があったんだから居るでしょ』

『留守じゃなくて、居留守じゃなかった? どうするの』

『取り込み中なのかもしれませんね、一度出直しましょうか?』

『う~ん、とりあえずもう一回押してみよ』

 

 気のせいだろうか。何だか、聞いたことのあるような声の気がした。それもごく最近、とても身近で。

 ドアスコープを覗く。特徴的な大きな緑色のリボンが風に揺れていた。

 

「どったの?」

「いや、なんでもねーよ」

 

 ロックを外して、ドアを開ける。

 冷たい外気と共に、目に飛び込んできたのは、とても驚いた表情(かお)をしている。中野(なかの)さんのお宅の、五つ子の姉妹たちだった。

 

           * * *

 

「どうしてこうなった......?」

 

 コタツには今、突然尋ねて来た中野(なかの)姉妹の次女の二乃(にの)と、五女の五月(いつき)が一緒に入っている。一花(いちか)三玖(みく)四葉(よつば)は、隣で引っ越しの真っ最中。

 

「......汚いわね。掃除なさいよ。この雑誌なんて去年のじゃない」

春原(すのはら)に言ってくれ。俺が使ってる部屋に続く動線は、ちゃんとしてある」

「本当ですね。不自然に片付いています」

「ついでにしてくれればいいのにね。二人も、そう思うでしょ?」

「自分でなさいよ」

「全くだ。それで、これは、どう言うことなんだ?」

 

 二乃(にの)の意見に賛同しつつ、改めて問いかける。

 

「さっき話した通りです。隣に引っ越して来たんです」

「なぁ、岡崎(おかざき)。僕、隣に越して来るのは、お年寄りって聞いてたんだけど?」

「俺も、そう思ってた」

 

 と言うより、実際に会って話した。

 俺が話しをしたあの初老の男性は、いったいなんだったのだろうか。寒すぎて、幻覚でも見ていたのだろうか。

 

岡崎(おかざき)君がお会いした方は、お父さ......父の秘書の方でして。今回の件で、私たちのワガママを聞いていただいたんです」

「未成年だと、賃貸契約とかいろいろ制限があるでしょ?」

「ふむふむ、つまりアレだ。要するに、壮大な家出ってことだよね」

 

 直球ずぎて身も蓋もないが、春原(すのはら)の指摘は、実に的を射ていた。

 

「うっ、別にいいでしょ!」

「で、ですが。やはり、同級生の男子と隣同士というのは、どうなのでしょうか......?」

「そんなこと言ったって敷金、礼金も入れちゃったし。今さら、どうしようもないでしょ」

「僕は、大歓迎だけどねっ!」

 

 下心満載の言葉に、二人の目が据わった。

 

「あんたたちが出て行けば解決するわ」

「そうですね。それが一番の解決策だと思います」

 

 理不尽にもほどがある解決策だった。

 春原(すのはら)が額を床につけて謝罪し、仕切り直し。

 

「まぁ、決まったことは仕方ないだろ。親御さんには、ちゃんと報告してあるのか?」

「家出なんだから、普通話さなくない?」

「警察沙汰になったら、さすがにヤバいだろ」

「......そうね。そこはちゃんとしておかないと、ワガママを聞いてくれた江端(えばた)さんに迷惑が掛かるわ」

「はい。事後報告のカタチになりますが、本引っ越しが済み次第報告しましょう。みんなにも伝えます」

 

 五月(いつき)は、スマホを操作。

 二乃(にの)は改めて、部屋の中を見回している。

 

一花(いちか)から聞いていたけど、本当にテレビもないのね。あるのは、コタツと小型の冷蔵庫だけ?」

「ラジカセがあるっての」

「今時、カセットテープって......」

「分かってないなぁ。アナログだからこその味があるんだよ。その耳で聴いてみろよ」

 

 春原(すのはら)が、ラジカセの再生ボタンを押す。今朝と同じ、一昔前のヒップホップ歌謡曲が流れた。

 

「ダサ、趣味悪いわ」

「ボンバへッをバカにするなよ! くそっ、毎日大音量でリピートしてやるからな!」

「騒音で訴えて強制退去にしてもらうわ。キミの部屋は?」

「別に、何もないぞ」

 

 寝具と、テーブルと、目覚まし時計くらいしかない。

 

二乃(にの)ちゃん、気をつけた方がいいよ。岡崎(おかざき)はむっつりだから、エロ本が隠されてるかも......!」

「それは、お前の布団の下だろ」

「なんで知ってるんだよ!? あっ......」

 

 二乃(にの)と、連絡を終えた五月(いつき)から、ケダモノを見るような冷たい視線が、春原(すのはら)へ向けられる。本当にあるのか。下の事情なんて知りたくもなかった、本気で気分が萎えた。

 

「ハァ、洗濯物取りにいったのか?」

「あ、やべっ」

「お前なぁ。ったく、取りに行くから番号教えろ」

「あ、いや、その......久しぶりにボンバへッを堪能してて持っていくの忘れてた。アハハ」

 

 二乃(にの)が気を利かせて、雑誌を渡してくれた。

 受け取った雑誌を丸めて、脳天を軽く引っぱたく。

 

「イテっ!」

「行ってくる。端数は、お前持ちな。ほら、ジャンプしろよ。まだ小銭残ってんだろ?」

「初っぱなからカツアゲ二回戦ですか!?」

「あはは......賑やかになりそうですね」

「はぁ、憂鬱だわ」

 

 脱衣場から洗濯物が入った大袋を担いで、部屋を出る。二乃(にの)は隣で引っ越しの手伝いに戻り、五月(いつき)はそのまま付いてきた。

 近所のコインランドリーの洗濯機に、洗濯ネットをふたつ放り込んで店を出る。

 

「洗濯はいつも、コインランドリーを使うのですか?」

「ああ、一週間分まとめてな。洗濯機を買うより安上がりで、乾燥もしてくれるし、突然のにわか雨の心配もしないで済む。ついでに待っている間に用事を済ませられる」

「なるほど、参考になります」

 

 仕上がりを待つ間に、いつもの商店街まで足を運んだ。

 

「ここまで来れば、学校までの道は分かるよな?」

「はい。ありがとうございました」

「じゃあ戻るか」

「――あっ!」

 

 踵を返した時、五月(いつき)が声を上げた。向き直す。

 人混みの中、年に一度子供たちにプレゼントを配る物好きな爺さんと同じ赤服を着た男子――上杉(うえすぎ)が、通行人にビラを配っていた。

 

「声、かけないのか?」

「......今は、やめておきます。ちゃんと準備を整えてから、みんなで真意を伺いにいきます」

「そっか。じゃあ行ってくる。その辺で待ってろ」

「えっ? ちょっ......」

 

 五月(いつき)を置いて、上杉(うえすぎ)の元へ向かう。

 

「ビラ、貰えるか?」

「あ、はい。どうぞ......って、お前か」

「なんだ? ずいぶんと無愛想な店員だな。クレーム入れるぞ」

 

 冗談で軽く悪態をつきつつ、ビラを受け取る。

 

「面接決まったんだな」

「ああ。まだこれくらいしか出来ないから薄給だけど」

「じゃあ、決まった祝いに貢献してやるよ」

「マジか!」

「一番安いのな」

「ケチ」

「男二人で、デカいホールケーキなんて食えてたまるか」

「それはそうだな。そのビラ持っていけば割引いてくれるから」

 

 上杉(うえすぎ)に別れを告げ、五月(いつき)の元へ戻り、受け取った広告を渡す。

 

「ほい、戦利品」

「これは......クリスマスケーキの広告ですね」

「その店でバイトが決まったそうだ。クリスマス当日までシフト入ってるってさ。一週間もあれば、少し落ち着くだろ」

「このために?」

「引っ越しの品のお返しとでも思ってくれ」

 

 こっちは、タダだけど。

 

「つか明日、駅伝大会の当日だろ? 四葉(よつば)は、大丈夫なのか?」

「体を動かしていないと逆に落ち着かないそうです」

「ふーん」

 

 話題を逸らし、テキトーに話しながら帰宅の途についた。

 翌日の駅伝大会は、四葉(よつば)の活躍もあり好成績を収めた。

 そして、迎えたクリスマスイヴは、昼過ぎから雪になった。

 

「ホワイトクリスマスってヤツだねぇ」

「ああ......」

 

 バイトから帰ってきた俺は、コタツに入って、冷えた体を温めてながら生返事を返した。テーブルの上には、スーパーで買ったチキンと、上杉(うえすぎ)のバイト先で買った小さめのケーキ。ツリーもない、形だけのクリスマス。

 

「寒いっての。窓閉めろよ」

「いいじゃん、風情あってさ。おい、サンタが居るぞ」

「はぁ?」

 

 コタツを出て、窓の外を見る。

 橋の上に見える六つの人影が街頭に照らされ、サンタの衣装を着た男子が、女子五人と一緒に歩いていた。

 

上杉(うえすぎ)だな」

「五つ子ちゃんたち、今日、仕掛けたんだね。お、立ち止まった」

「これ以上は、野暮だぞ」

「ここからが面白いところじゃん?」

「悪趣味なヤツだな」

 

 コタツに戻ろうとした時、大きな水音が聞こえた。

 

「マジかよ!? 川に落ちたぞ!」

「はあ!?」

 

 急いで、部屋を飛び出たのとほぼ時を同じくして再び水が跳ねた音を六つ捉えた瞬間、俺たちは考える間もなく駆け出していた。街灯の明かりだけが頼りの、白い雪が舞う冬の寒空。救助を要請する手段は待ち合わせていないことの無力さを痛感しながらも、見過ごす選択肢はほんの僅かも頭を過ることはなかった。それは、同じタイミングで駆け出した春原(すのはらも)同じ。一刻も早く救助に向かおうと数段飛ばしで階段を降りきった時、ふと笑い声が聞こえた。足を緩め、河原を見る。水しぶきの中、六つの影が見えた。

 

「何ごともなかったみたいだねぇ」

「取り越し苦労で済んでよかったな。戻るぞ」

「分かってるって。僕も、そこまで野暮じゃないっての。よーし、ケーキ食おうぜ。男同士で寂しくさ!」

「そうだな。コーヒー淹れるか」

 

 部屋に戻って、コタツに入ると呼び鈴が鳴った。

 ドアの向こうに立っていたのは、びしょ濡れのサンタクロース。

 

「悪い、服貸してくれ。風邪引きそうだ」

「知ってるか? 人って、生涯で100種類以上の風邪にかかるそうだぞ」

「ああ、知ってるさ。よーくな」

 

 今年のクリスマスは、びしょ濡れのサンタクロースに、風呂と服を貸してやるという異色のクリスマスになった。



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Episode15

 年の瀬、大晦日の前日の早朝。

 家を出るための準備を済ませた春原(すのはら)は、大きめの荷物を担いで、玄関のドアノブに手をかけた。

 

「じゃあ行ってくるよ」

「ああ、元気でな」

 

 開かれた玄関のドアが、ゆっくりと閉じられる。

 そして――。

 

「――って、来ないのかよ!?」

 

 閉じられたドアが勢いよく開き、春原(すのはら)が戻ってきた。

 

「別に、今生の別れって訳でもないだろ」

「いや、それはそうだけどさ。ほら、あるだろ? 遠距離になる恋人との別れを、駅のホームで惜しむみたいな感じのやつ?」

「誰と誰がだ......身の毛がよだつことを言うな。まぁ、改札までなら行ってやる。餞別に、飲み物でも奢ってくれよ」

「......それ、普通逆ですよね?」

 

 厚手の上着をはおり、駅の改札の前で改めて見送る。

 

「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。面倒だけどさ」

 

 春原(すのはら)は今日、この町を離れる。

 その理由は、つい先日のこと。春原(すのはら)宛てに一通の封書が届いた。送り主は、親御さん。転校してから一度も連絡を入れなかったことを心配して、顔見せと経緯の説明に帰ってこい、と実家のある東北までの切符が同封されていた。

 

「成績表とか、写真とか持っていくから納得すると思うけどさ。たぶん戻ってくるのは、早くて年明けになる」

「ゆっくりでいいぞ。たまには親孝行して来いよ」

「そんなツレないこと言ってさぁ、本当は寂しいんじゃないの? 僕のことが恋しくなったら、いつでも電話してくれていいからねっ。アハハッ!」

「布団の下の本、古紙回収に出していいか」

「......マジ勘弁してください」

 

 指先まで伸ばし、体を直角に折り曲げて、必死に懇願して来た。呆れ果てて、思わず大きなタメ息が漏れる。そもそも、連絡手段もない。

 

「アホやってると乗り遅れるぞ。ほら」

「おっ、サンキュー! じゃあな」

 

 放り投げた缶コーヒーを受け取った春原(すのはら)は、笑顔を覗かせて、改札を潜って行った。その後ろ姿が見えなくなるまで見送る、なんて律儀なことはせずに来た道を戻る。

 

「里帰り、ねぇ......」

 

 武田(たけだ)は、資産家の親父さんの付き添いで連日立食パーティーにかり出され、休まる暇がないと大変そうだった。当人は小遣いが目当てだと言っていたけど、前田(まえだ)も、両親の実家へ帰省する予定だと話していた。

 みんな、何かしらの予定が組まれている。

 

 それに比べて俺は、俺には――帰る場所も、帰る理由もない。

 

 年末年始は、バイト先のパン屋は休業。唯一予定と言えることは、病院への通院くらい。内出血の跡も消えつつあるのに、なぜか未だ、完治の診断をもらえないでいる。

 このまま病院へ行ってしまおうとも思ったが、診察までまだ時間がある。そんな訳で、朝飯を調達して、一度家に戻ることにした。

 その帰り道、何の因果か。お隣さんの中野(なかの)姉妹と偶然遭遇。出会った姉妹は、一花(いちか)四葉(よつば)の二人。二人は、朝早くから営業しているホームセンターで掃除用品を買ってきた帰りで、五月(いつき)は洗濯を、三玖(みく)は玄関前の掃き掃除、二乃(にの)は朝食の用意をしているとのことだった。

 

春原(すのはら)さんは、帰省されたんですね」

「ああ。しばらくの間、実家の方に滞在することになるらしい」

「へぇ、そうなんだね。だけど、駅まで見送りなんて仲良いね。もしかして、アレかな......」

 

 からかおうといたずらっ子のような笑顔になった一花(いちか)が言い切る前に、ぶった切る。

 

「それ以上言ってくれるな。せっかくの朝飯が台無しになる」

「ノリ悪いよ? もう少しノってくれてもいいと思うけどなぁ」

「誰が得をするのか教えてくれ。納得できる答えならノってやってもいい」

「私の笑顔が見られるよ」

「却下」

「わぉ、即答だね。自信あったんだけどなぁ」

「答えか? それとも、笑顔か?」

「両方だよ」

「笑顔だけにしておけ。もらって嫌な気分になるヤツは少ないだろ」

「あははっ! うん、そうしとくよっ」

 

 少し可笑しそうに笑う一花(いちか)と、首を傾げる四葉(よつば)

 

「えーと、何の話し?」

「笑顔の私たちが、大好きなんだって!」

「え......えぇ~っ? そ、そうだったんですかーっ!」

 

 結局、イジりの方向性が変わっただけだった。

 玄関の前に居た三玖(みく)を加えた三人と別れて、コタツで暖を取りながらの朝食。いびきやら、話し声、ダサい音楽を聴きながらの食事も今日は、お隣さんの物音が微かに聞こえるだけ。

 これほどまでに静かな食事は、本当に久しぶりだった。

 容器を片付け、コタツに戻って横になる。このまま目を閉じれば、気持ちよく寝られそうだ。惰眠むさぼろうと思ったところへ、眠りを妨げる呼び鈴が鳴った。

 

「誰だよ......」

 

 居留守を使おうと決意した直後、もう一度呼び鈴が鳴り、更には直接ノックまでされた。どうやら、なかなか根性のある相手のようだ。どちらが先に折れるかの根比べ、持久戦へ持ち込んでもよかったが。あまりにも生産性が低いため、さっさと追っ払った方が賢明と判断し、仕方なく応対へ向かう。

 

「新聞ならいらないぞ。テレビもないからな」

「ん? 何のことでしょーか?」

 

 訪問者は、お隣さんだった。

 目立つ緑色の大きなリボンが頭の上でそよいでいる。

 

四葉(よつば)か。どうした? 何か用事か」

「お掃除に来ました!」

「はぁ?」

「ふっふっふ、二乃(にの)から聞きましたよー。なかなかの汚部屋だとっ!」

「それで?」

「お掃除に来ました!」

 

 話しが振り出しに戻った。

 

「ダメですよ。今年の汚れは今年のうちに落とさないと、気持ちよく新年を迎えられません。と言うことで、お掃除に来ました!」

「どう言うことだ? 掃除くらい自分で出来る」

「いえいえ、遠慮なさらずに」

 

 これはたぶん、アレと同じだ。「はい」と答えない限り、永久にストーリーが進まないゲーム的な選択肢。

 

「......はい」

「ししし。お邪魔しまーすっ」

 

 四葉(よつば)に指揮の下、年末の大掃除が始まった。

 春原(すのはら)の布団と、コタツのある部屋のゴミを手分けして片付ける。とは言ったものの、殆どが春原(すのはら)の寝床の周辺に集中しているから分別するだけで、さほど時間はかからなかった。

 

「一通り、ゴミは片付きましたね。次は、掃除機ですよー。先ずは、おコタとお布団を片して――」

「ああ......あっ、ちょっと待て!」

「はい?」

 

 布団に手をつけようとしていた四葉(よつば)を、間一髪のところで止める。春原(すのはら)の布団の下には、例のブツが眠っているはずだ。四葉(よつば)に、女子に見せる訳にはいかない。とばっちりで白い目で見られる。

 

「先に、こっちの部屋にしないか? 何もないから、今すぐに掃除機をかけられる。その間に、コタツと布団を片付けておくから。その方が効率がいい」

「なるほど! じゃあ奥の部屋からやっちゃいますね」

「ああ、是非とも頼む」

「はい、任されましたっ」

 

 掃除機を持った四葉(よつば)が、俺が使っている奥の部屋へ入っていったことを確認。天井を仰ぎ見て、大きく息を吐く。正しく、冷や汗ものだった。

 ――高い貸しだぞ、春原(すのはら)

 コタツと、布団を例のブツもろとも片付けて、奥の部屋へ入る。

 

「あ、岡崎(おかざき)さん。今、終わったところですよ」

「もう? ずいぶん手際が良いな」

「お掃除は得意なんです。実は、姉妹の中に片付けが苦手な子がいまして。それに元々、片付いていましたから。このお部屋は、岡崎(おかざき)さんが使っているんですよね?」

「寝るためだけだからな。向こうも片付いた。掃除機、貸してもらえるか?」

「いえ、私にお任せください」

 

 そこまで甘えるは、さすがに気が引ける。

 

「ところで岡崎(おかざき)さんも、帰省されるんですか?」

「いや、しないけど。どうして?」

「荷物がまとまっていたので。里帰りされるのかな、と」

「元々、持ち物が少ないだけ。お前たちこそ、帰らなくていいのか? 年末年始なんだから、多忙な親父さんも、少しは時間を作れるだろ」

「えっと、それはどうなんでしょう。今までも、一緒に年を越した記憶はありませんので。年末年始は毎年会食で、家を空けることが殆どでしたし。あはは......」

 

 そう言った四葉(よつば)の笑顔は、見るからに無理をしている作り笑顔。他に姉妹も同じだった。両親の、特に父親の話題を意識して避けるように、どことなくよそよそしい感じになる。

 そもそもの話し、良好な関係なら家出なんてしていないか。

 

四葉(よつば)ー、朝ご飯出来たわよー」

 

 二乃(にの)の声......と言うより、隣の部屋に本人が居た。

 

「さも当たり前のように入ってきたな」

「別にいいでしょ? 四葉(よつば)も居るんだから。それとも、乙女には見せられないやましいモノでもあるのかしら?」

「アイツと同列にしてくれるな」

「まぁ、いいわ。朝ご飯にしましょ」

「先に食べててー。終わったら行くから」

「もういいって。俺も今から、用事があるから出ないといけないからさ。掃除機は、出掛けに返せばいいよな?」

「う~ん......半ばで終えてしまうのは心残りですが、そう言う理由でしたらお任せします」

 

 難しい顔で思案していた四葉(よつば)だったが、納得して頷いた。

 

「ありがとな」

「いえいえ、どういたしまして。それではー」

 

 四葉(よつば)は玄関へ向かい、二乃(にの)は何故か疑いの眼差しを向けて来た。

 

「用事って?」

「通院」

「えっ? まだ通院してるの?」

「お前たちの親父さんが、完治の診断を下してくれないんだ」

「そう、平気なの?」

「見ての通りな。ところで四葉(よつば)は、どうして掃除に来てくれたんだ?」

「朝ご飯ができるのを待つ間、手持ち無沙汰だからって。料理作ってる横で掃除されると埃が立つでしょ」

 

 そう言う理由だったのか。

 構わずに、冬休みの課題をやっておけばよかったのに。

 

「課題なんて、もう終わってるわよ」

「マジか。早いな」

 

 姉妹に習って片付けておくことにしよう。騒がしいヤツが戻ってくる前に。

 

「ちょっとした意地みたいなものよ。またね」

 

 二乃(にの)を玄関まで見送ったあと、素早く掃除を済ませて、病院へと向かった。

 

 

           * * *

 

 

「内出血の跡も薄くなってきたね」

 

 中野姉妹の父親は、いつもと変わらずポーカーフェイスを崩さず、カルテにペンを走らせている。

 

「後遺症の類いはないかな? 目まいがするとか、視覚に違和感を感じるとか」

「特に、これと言って何も」

 

 診察を受ける度に、同じことを聞かれる。

 そして、このあとに続くであろう言葉は――。

 

「なるほど。ところで、娘たちの様子はどうかな?」

 

 思った通りの言葉だった。

 

「元気ですよ。冬休みの課題も終わらせたと聞きました」

「そうかい。それは何よりだ」

「話したら、どうですか?」

「以前話した通り、忙しい身でね。それに――」

 

 ペンを止めずに話しを続ける。

 

「知らぬ間に、マンションを出て行ってしまった。困ったことにね」

 

 知っている、お隣さんだ。

 

「忠告を真摯に受け止めなかった報いかな。正しかったのは、キミの方だったようだね」

「直接話せないなら、携帯で話せばいいんじゃないですか? 結論を出すには、早すぎですよ」

 

 なんで俺、励ましているんだろうか。立場が逆になっているみたいで、自分でもよく分からない立ち位置になってしまっている。

 

「しかし、何故だろう。キミの言葉が、これ程までに重く感じるのは」

 

 それは間違いなく、経験の差。

 俺と、あの人――父親との関係は、修復不可能な状態。

 でも、姉妹と彼女たちの父親は違う。まだやり直せるチャンスは幾らでもある。話そうと思えば、いつでも話せるんだから。

 

「あのー」

「なんだい?」

「いつまで通院すればいいんですか?」

「もちろん僕が、いいと言うまでだよ。診察料の心配はいらない」

 

 それも聞いた。けど、通院に必要な交通費の方は結構バカにならない。

 

「定期的に連絡を取れる状態であれば、話しは変わるけどね」

 

 つまり、連絡手段を持って欲しいと言うことなのだろう。

 もしかしたら良い機会なのかも知れない。バイト先とか、学校への連絡にも必要ではある。

 

「では、次回の診察の予定を決めよう。年明けの――」

 

 あの眼を、迫力の中に自虐と自覚が混ざったような眼を見た時から、薄々気付いてはいたけど。

 

 この人――親バカだ。



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Episode16

 12月31日大晦日。

 世間とは乖離された時間を、俺は過ごしていた。

 朝からコタツに入って、冬休みの課題を解き始めてから二時間ほどが過ぎた頃。いったん手を止めて、近所のスーパーで朝食の他に、昼と夜の分も一緒に確保しておく。

 年越しを迎えるこの日は、町の雰囲気がいつもと違って感られた。商店街も多くの店も、休業、あるいは普段よりも早い時間に暖簾を下げると聞いている。この町も、年越しへ向けた準備が着々と進んでいた。

 そんな商店街に新鮮さを感じながら歩いていると。通りの反対側から、上杉(うえすぎ)が歩いて来た。

 

「よう」

「ちょうどいいところに居た。今、借りた服を返しに行くところだったんだ」

「新学期でよかったのに」

「らいはが、ちゃんとしろって。とにかく、入れ違いにならなくてよかった」

 

 クリスマスに貸した服が入った紙袋を受け取る。

 

「思ったより早く用事が済んでラッキーだった」

「何か予定あったのか? バイト?」

「店は休みだ。今から、今年を締めくくる勉強納めを。そして、年越し勉強をする予定なんだ!」

 

 得意気な表情(かお)で高らかに言ってのける。

 相変わらず、とても勤勉なヤツだった。

 

「なぁ。どうして並んで歩いているんだ?」

「勉強途中の気分転換。ついでに聞きたいこともあったんだよ」

「なんだ?」

 

 上杉(うえすぎ)の家へ向かって歩きながら。近々、スマホを契約しようと考えていることを相談すると、返ってきた答えは――。

 

「よく分からん。知っての通り、電話帳には家族と五つ子しか登録していないからな。つーか、今現在も家に放置したままだ。充電が切れてるのを三日以上気付かないこともままある」

「それ、携帯の意味を成してないだろ?」

「要するに、その手のことを俺に聞いても時間の無駄ってことだ。それこそ、五人の誰かに聞いてくれ。俺よりも、遥かに詳しいからな」

「ああ。そうすることにする」

 

 助言に従って、アパートへ帰ったら姉妹の誰かに聞いてみることにしよう。

 

「俺も、教えて欲しいことがある」

「なにを?」

「五人の見分け方」

「まだ間違えるのか?」

「いや、普段の姿なら、間違える頻度は減った。けどな......」

 

 上杉(うえすぎ)が姉妹のことを間違えたのは、あのクリスマスの時。六人揃って川に落ちたあと、うちで風呂と着替えをした上杉(うえすぎ)が姉妹の部屋へ行った時、リビングで髪を乾かしていた二乃(にの)を、四葉(よつば)と間違えて怒らせてしまったそうだ。

 

「ああ~......今の二人、同じくらいの髪の長さだもんな」

「そうなんだ。おかげで難易度が格段に増した。最初から見分けられたお前なら、何かコツがあるんじゃないかと思って」

 

 上杉(うえすぎ)の質問に、俺は即答で返す。

 

「愛だ」

「お前も、(それ)かよ」

 

 呆れ顔でタメ息を漏らし、わかりやすく肩を落とした。

 しかし、事実なのだから仕方がない。

 

「まぁ、ないことはない」

「ホントか!」

「予め言っておくけど、参考にはならないぞ?」

「それでも構わない。聞いてから判断する」

「そうか、知りたいのか。なら、先ずは辞書を用意しろ」

「辞書?」

 

 真剣だった表情(かお)が一転、ポカンとした表情(かお)に変わった。

 

「方法は、至ってシンプル。二人に辞書を渡して、時々お互いのふりをしてもらって間違えたら辞書で殴ってもらう。重量感があるほど効果が高いぞ」

「なんの罰ゲームだ......」

「危機感があれば、嫌でも身に付く」

 

 俺たちは実際、そうして観察力を身に付けた。髪の長さやアクセサリーで判別していたのがバレた次の時は、きっちり対策講じてくるような狡猾なヤツを相手に、己の体の骨身を削って。

 

「そもそも、それは愛なのか?」

「もちろん、愛だ。お前は、理不尽に痛い思いをしたいか? そういう趣味があるのか?」

「そんなもんねーよ」

「なら、見分けられるようになるのが先か、回避運動が身に付くのが先かの勝負だ。俺は、後者の方が早かった。な? 愛だろ」

「防衛本能だろ、それは......」

「まぁ、好きに解釈すればいいけど。どのみち今の方法は、お前たちには絶対に無理だからな。参考にはならなかったろ」

「そりゃやらないけど。どうして、はっきり言い切れるんだよ?」

 

 首を傾げている上杉(うえすぎ)の表情を見る限り今のところ、本当に分からないようだ。

 つくづく罪な男だ。

 あの二人が、いや、姉妹全員がなんの理由もなく、躊躇せず手をあげる訳がないだろうに。

 

「結局、自力で見分けられるようになるしかねーか」

 

 ただ、本気で悩んでいることは確かな様だ。ぶっきらぼうな割に、問題に直面するとしっかり向き合う。きっと、こう言うところに惹かれたんだろう。

 

「俺が今、お前に話してやれることがあるとしたら。いずれ痛い想いをしないといけない時が来るってことだけだよ。たぶん、そう遠くない未来に......な」

「意味不明だ。哲学の類いの話しか? 悪いが、そっちは守備範囲の外だ。つーか、そんなキャラだったか?」

「さーな。さて、腹減ったから帰る。じゃあな、良いお年を」

「あ、おい。全く......」

 

 辞書で殴られるよりも、痛いことだけは確かだ。

 上杉(うえすぎ)が、姉妹たちと真剣で向き合えば向き合うほど、その痛みは大きく深くなる――どちらにとっても。

 それだけは、間違いない。

 

 

           * * *

 

 

 アパートへ帰ってきてから、紙袋の中を見ると、アイロン掛けされたキレイな服と一緒に手紙が入っていた。丸みのある筆跡から見て、妹さんの文字。手紙には、お礼の言葉が書かれていた。しっかり者の妹さんのようだ。

 服を片付けてから、話しを聞くために、お隣さんの呼び鈴を鳴らす。

 しかし、応答がない。留守だろうか。時間帯的に、買い物に出掛けているのかも知れない。出直そうと玄関を離れようとした時、ゆっくりドアが開いた。

 

「お待たせ。何か用?」

 

 出てきたのは、エプロン姿の三玖(みく)

 

「ちょっと聞きたいことがあって。取り込み中だったか?」

「ううん、平気。どうぞ」

 

 玄関に入って、ドアを閉める。何やら、焦げ臭いニオイがするのは気のせいだろうか。

 

「上がらないの?」

「ここでいい。長話じゃないから」

 

 スマホのことについて尋ねると、三玖(みく)は少し考え込んだ。

 

「そう言うことは、私より二乃(にの)の方が詳しい」

「そっか。今、居る?」

 

 首を小さく横に振った。

 

一花(いちか)と一緒に、近所のスーパーに行ってる。そろそろ帰って来ると思うけど」

 

 留守なら仕方ない。またの機会に聞くとしよう。

 

「サンキュー。じゃあ、また今度――」

「上がって待ってればいいよ。今、お茶用意するから」

「お、おい......」

 

 遠慮する前に、くるりと身をひるがえして奥へ行ってしまった。このまま帰ってしまうのも少々気が引ける。

 

「......お邪魔します」

 

 なんとなく緊張感を覚えながら、二乃(にの)が帰って来るのを上がって待たせてもらうことに。「コタツへどうぞ」と促され、お言葉に甘えて暖をとらせていただく。しかし、間取りはほぼ同じなのに、まったく違った造りの部屋に感じるのが不思議だ。

 

「他の姉妹たちは?」

「みんな、出掛けてる。どうぞ」

「ども」

「あと、コレも」

 

 湯気の立つ湯飲みと一緒に、小皿と割り箸が出てきた。小皿には、歪な形の黒焦げの物体が乗っている。箸で掴んでみた感じ、かなり堅い。似たような鉱物を授業で見たことがあった気がする。

 

「火山岩? それとも、コークスか?」

「違う。ハンバーグ」

「......なんて?」

「ハンバーグ」

 

 聞き間違いではなかったようだ。謎の物体の正体は火山岩でも骸炭でもなく、ハンバーグだった。部屋に入った時に感じた、焦げたニオイの原因はコレか。

 

「って、どうすれば、ここまで黒焦げになるんだ?」

「フライパンで焼いたらこうなった」

「......で、コレをどうしろと?」

「感想を聞かせて欲しい」

「俺に、死ねと?」

「そこまでかな......」

 

 落ち込んでしまった。少しはっきり言い過ぎたか。けど、これはさすがに命......は大袈裟かも知れないが、腹を壊すこと必至。年末年始を病院のベッドで過ごすなんてことは、さすがに御免こうむる。ひとまず、箸で割ってみる。

 

「表面は焦げてるのに、中まで火が通ってない。火力が強すぎたんじゃないのか」

「そうなの?」

「いや、わからないけど」

 

 料理は作る方じゃないし、作れるのはせいぜい、チャーハンくらいだけど。このハンバーグが失敗作なのはわかる。

 

「料理本とか見ないのか?」

「持ってない。今、みんなで節約して生活してるから、無駄遣いしたくない」

「なら、図書館とか。それこそ、スマホで調べれば良いんじゃないのか?」

「そっか。今度は、動画を参考にしてみる。じゃあ次ね」

 

 キッチンへ戻って行く、三玖(みく)

 

「つ、次......?」

 

 まだ次あるのか。胃が痛くなってきた。

 しかしそこへ、救いの手が差し伸べられる。玄関から「ただいま」と、声がふたつ重なって聞こえた。

 コタツを出て、出迎えに行く。

 

「おかえり」

「ただいまー......って、岡崎(おかざき)さんっ?」

「なぜ、あなたがうちに居るのですか......?」

 

 四葉(よつば)は不思議そうな、五月(いつき)は訝しげな表情(かお)を見せた。

 

「あ! もしかして、部屋間違えちゃったんじゃ――」

「いや、間違ってないから安心してくれ。とりあえず助かった」

 

 今、二人が女神に見えている。

 順を追って経緯を説明すると、二人とも納得してくれた。

 

「なるほど、そういう事情でしたか」

「ダメだよ、三玖(みく)岡崎(おかざき)さんに迷惑かけちゃ。私が食べてあげるから」

「うん、わかった」

「あのハンバーグは、やめておけ。合挽肉の生焼けはシャレにならない。下手すると、病院送りになるぞ。ところで、それは?」

 

 二人が持ってきた、五つの袋へ目を向ける。

 

「これですか? これは、ですね。じゃーん!」

 

 袋のひとつを開けた四葉(よつば)は、中に入っていてた物を自慢気に取り出した。

 それは、とても色艶やかな柄の着物。

 

「振袖?」

「はいっ。アパートの大家さんから、お借りしたものです。どうですか?」

 

 コタツを出た四葉(よつば)は立ち上がって、鮮やかな緑色と深い緑を基調とした振袖を体に重ね合わせる。

 

「まぁ、似合ってるんじゃないか」

「ありがとうございますっ」

「他には、どんな柄があるの? 見せて」

「どうぞ」

「この色、三玖(みく)に似合いそう」

「そうかな?」

 

 借りてきた全ての振袖を広げ、振袖の展覧会が始まった。

 俺の存在を忘れて、姉妹たちが振袖談議に花を咲かせているところへ、待ち人が帰ってきた。四葉(よつば)五月(いつき)の時と同じように出迎えに行く。

 

「おかえり」

「ただいま......って、なんでキミが居るのよっ?」

「あれ? もしかして、部屋間違えちゃったかな?」

「間違ってないから安心してくれ」

 

 ほぼ同じリアクション。彼女たちは、本当に姉妹だった。

 買い物の片付けを手伝いながら、二乃(にの)に用件を伝える。

 

「詳しいことは、ショップの店員さんに聞いた方が確実よ。でも今、開いてるかしら? ちょっと待ってて」

 

 片付けの手を止めた二乃(にの)が、スマホで調べてくれる。

 

「ダメ。年末年始は、どのショップも営業してないみたい」

「そっか、ありがとな」

「別に、このくらい大した手間じゃないわ。あ、でも、気をつけた方がいいわよ。言われたまま頷いてると、必要ないオプションとか付けられるから」

 

 マンションを出た際、料金を見直してみたところ結構な額を節約できたそうだ。俺の場合は、通話とメールの最低限の機能さえ使えればいい訳だから、その辺りは気をつけよう。

 

二乃(にの)、終わりましたか?」

「早く一緒に選ぼうよー」

「もうすぐ終わるわよ。てゆーか、あんたたちも手伝いなさいよ」

 

 顔を出した姉妹たちは若干気まずそうに苦笑いを浮かべるも、すぐさま戻って行った。

 

「まったく......」

「行ってくれていいぞ。あと野菜だけし、礼とでも思ってくれ」

「そうさせてもらうわ。ありがと」

 

 片付けを終え、振袖を選んでいる姉妹たちに別れを告げて家に戻り、ようやく朝食にありついた時には、既に昼を回っていた。

 

 

           * * *

 

 

 翌朝。ちょうど朝飯を食べ終えたところで、呼び鈴が鳴った。

 

「明けましておめでとうございますっ」

 

 ドアの外に立っていたのは、振袖に袖を通した四葉(よつば)

 

「ああ、おめでとう。どうした?」

「良かったら、一緒に初詣に行きませんか?」

「初詣?」

 

 顔を外に出すと、他の姉妹たちも振袖を着て準備万端。

 

「そうだな......」

 

 特に、予定もないし。

 

「ん?」

 

 ふと、目を落とすとポストにハガキが数枚届いていた。

 手に取って、差出人を見る。武田(たけだ)と......幸村(こうむら)の爺さん。

 

岡崎(おかざき)さん?」

「......悪い。先に行っててくれ」

「え? あ、はい。では、また後で」

 

 近所の神社へ初詣へ向かう四葉(よつば)たちを見送り、改めて、届いた年賀ハガキに目を通す。

 ――拝啓、と堅苦しい言葉から始まる文章。

 元気でやっているか、と近状を伺う言葉が続き。旭高校の校長から、こちらでの成績と生活態度を聞いた旨。

 そして最後に「今後について、話しておきたいことがある」と、連絡先と共に締められていた。



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Episode17

「――わかった。春原(すのはら)には、俺から伝えておく。また何かあれば連絡をくれ。じゃあ......」

 

 終了ボタンをタップし、連絡を寄越せと年賀ハガキを送ってきた老教師、幸村(こうむら)の爺さんと通話を終えて。自室から、コタツがある隣部屋へ戻る。

 

「どう? ちゃんと電話通じた?」

「ああ、おかげさまでな」

 

 正月、三ヶ日の最終日。

 今朝、契約してきたばかりのスマホの使い方をレクチャーしてくれている一花(いちか)二乃(にの)に礼を言って、コタツに入る。

 

「じゃあ次は、アドレス帳だね」

「この番号を、そのまま登録すればいいんだよな?」

「そうよ。通話履歴から新規登録を選んで、名前を入力すればいいわ」

 

 画面とにらめっこしながら慣れない手つきで、名前を打ち込む。下の名前、なんだっけ? まぁ、爺さんでいいか。隣の部屋のテーブルに置きっぱなしの年賀ハガキを取ってくるのも面倒だし。俺自身が分かれば特に問題ない。

 続けて、アパートに完備された無線への接続設定を教えてもらう。パスワードを打ち間違えたり、途中で画面が替わってしまったりと手間取ったが、受信可能な状態になったはず。念のため確認をしてもらう。

 

「オッケー。これで、ネットに繋がってるよ」

「ふぅ、結構ややこしいな......」

「使っているうちに慣れるわ」

「そういうもんか」

「そういうものよ」

 

 結局、使いながら慣れていくしかない。

 次は、学校の連絡先をいちから登録してみる。

 

「へぇ、こんな感じなんだね」

 

 操作に悪戦苦闘する中、対面に座っていたはずの一花(いちか)がいつの間にか、俺が使っている部屋を無断で覗いていた。

 

「勝手に見るなよ」

「見られて困る物があるのかなっ?」

「見たんだからわかるだろ。何もないって」

 

 つまらなそうな顔をして、コタツに戻って来た。

 ちょうど、学校の連絡先の設定が出来た。姉妹たちの父親は今日の午後。バイト先の店長とは、次会う機会に交換すればいい。これで、とりあえず一段落。

 

「サンキューな。助かった」

 

 充電状態にして、スマホを置く。

 

「二件だけでいいの?」

「前に話しただろ。常時連絡を取り合う相手なんて居ないって」

「そう言えば、そんなこと言ってたわね。寂しいわね」

「ほっとけ」

「あははっ。前の学校ではどんなだったの?」

 

 二乃(にの)も、少し興味有り気な視線を向けてきた。

 

「二人とも、スポーツ特待生って聞いたわね」

 

 別に隠すことでもないし、使い方を教えてくれた礼になるのなら安い上がりだ。

 

「町一番の進学校。けど、部活にも結構力を入れてて、スポーツ推薦専用の寮もあった。春原(すのはら)は、サッカー。俺は......バスケ」

 

 俺は、中学時代の故障。春原(すのはら)は、他校との練習試合で乱闘騒ぎを起こして退部を余儀なくされた。

 それで、当時俺の担任だった幸村(こうむら)の爺さんが、俺たちを引き合わせた。たぶん、あのままだと学校を辞めてしまうと思ったんだろう。

 実際、居心地の悪さで辞めていたと思う。いや、辞める辞めない以前に――あの人が庇ってくれなければ、進級はおろか退学処分を言い渡されていたに違いない。今、ここに居られるのは、爺さんのおかげだ。

 

「......まぁ、お互い事情があって、部活はやめちまったけどな。それからは、この通りだよ」

 

 一花(いちか)二乃(にの)は、二人揃って不思議そうな表情を浮かべている。

 

「この通りって、なんのことよ?」

「あん? だから、不良だよ不良」

「えっ、そうなの? 春原(すのはら)はわかるけど、金髪だし。でも――」

「別に、そんな感じに見えないよね。タバコ吸うの?」

「いや、吸わない」

「じゃあ、お酒は?」

「飲まない」

「ケンカは?」

「絡まれた時は、仕方なくやり返した」

 

 ふっかけることはしなかった。面倒なことこの上ない。

 何かと振り回されはしたけど、春原(すのはら)とバカをやってるくらいが一番気楽だった。

 

「それ、不良なの?」

「話しを聞くと、冷めてるだけって感じだよね」

「......少なくとも素行と成績不良だったのは間違いない」

 

 それを理由に、こっちへ転校することになったのは確かだ。

 

春原(すのはら)君の他に、仲のいい友達はいなかったの?」

「仲がいいかはわからないけど、なにかと突っかかってくる物好きなヤツはいたな」

「女の子だね!」

 

 ――なぜ、断言できる。合ってるけど。

 沈黙は肯定と同義と言わんばかりに、一花(いちか)が笑顔になった。

 

「やっぱり! 女子の扱い手慣れてるもんねっ」

「ちょっと待て。誤解を招く言い方はやめろ」

 

 二乃(にの)は冷たい目を、一花(いちか)は小悪魔のような悪戯な笑顔と。まったく正反対の表情をしている。ここは、少し流れを変えておきたい。さて、どうやって矛先をずらすか――。

 

「ふふっ、前に言ってた双子の姉妹だよね? どっちとラブだったの?」

「そんな関係なら、こっちに来てないっての」

「それもそうね」

「ちょっと残念かなぁ。恋バナ聞けると思ったのに」

「まったく。そう言う話しは、お前らの方が豊富だろ」

「ん? どうして?」

「モテるだろ? お前たち」

 

 少なくとも、バスケ部の件で協力してくれた前田(まえだ)は、一花(いちか)に好意を寄せているし。二乃(にの)は、はっきりものを言う方だから、こちらも気兼ねなく話せるタイプだ。

 

「ま、まぁ、一花(いちか)は、たくさんされてるらしいじゃない。告白とかっ」

「わ、私に来たか~」

 

 狙い通り、標的を逸らせた。

 これで、攻勢に転じられる――と行きたいところだったが、あいにくタイムオーバー。二人のスマホに、ほぼ同じタイミングで連絡が入った。

 

「あ! フータロー君が来たって。いつの間に......」

「話しに夢中で気がつかなかったわね。じゃあ行くわ」

「ああ。ありがとな」

「どういたしまして」

「またね」

 

 玄関で二人を見送り、財布と携帯を持って、病院へ行くために家を出た。

 

「経過は良好のようだね」

 

 もう注意して見ないと気がつかないほど薄くなった患部を見て、姉妹の父親はペンを走らせる。

 

「あのー」

「なんだい」

 

 スマホを見せる。

 

「連絡先、用意しました」

「そのようだね。では、教えてもらおうかな」

「あ、はい。あれ......?」

 

 自分の連絡先ってどうやって出せばいいんだ。聞いておけばよかった。

 

「貸してみなさい」

 

 スマホを渡すと、ユーザー情報のページを開いた。どうやら、あれで自分の情報がわかるらしい。

 

「ふむ、まだ設定されていないようだね」

 

 そう言うと首から下げてた携帯ではなく、引き出しの中から取り出したスマホの画面を見て、素速く文字を打ちこんだ。

 

「アドレス帳に、僕の連絡先を登録させてもらった。ここへ名前と電話番号を入れてメッセージを送ってくれたまえ。週に一度は連絡を入れるように」

「わかりました」

「次回以降の診察は、処方薬がなくなり次第で構わないよ。ところで......」

 

 この言葉が出た、と言うことは――。

 

「娘たちのようすはどうかな?」

 

 予想を裏切らない、想像通りの言葉だった。

 

           * * *

 

 病院の帰り、近くの店で夕食を調達。腹ごなしも兼ねて、新年で賑わう町を抜け、いつか来た高台の公園のベンチに腰を落ち着け、町並みを眺めながら、暖かい缶コーヒーを飲んで時間を潰す。

 

「今さら、だよな......」

 

 呟いた言葉と一緒に、白い息が空を舞って消えていく。

 爺さんから聞かされた話は、思いもよらない話しだった。

 

「あれれ? 岡崎(おかざき)さんじゃありませんか」

「ん?」

 

 ジャージ姿の四葉(よつば)が、駆け寄ってくる。

 

「どうしたんだ? こんなところで」

「晩ご飯の前に走っていたんです。ちょっとおやつを食べ過ぎてしまいまして、あはは」

 

 そう言えば、一花(いちか)二乃(にの)と話している時「あんまりおいしくない!」と、隣の部屋から四葉(よつば)の声が聞こえた。おそらく、三玖(みく)が作った“ナニカ”を食べていたんだろう。

 

岡崎(おかざき)さんは、なにをしていたんですか?」

「散歩途中の休憩だよ。ああそうだ、ちょうどよかった。時間があれば教えて欲しいんだけど」

 

「なにをですか?」と、隣に座った四葉(よつば)に、スマホを見せる。

 

「設定。まだ使い方がよくわからないんだ」

「そう言うことでしたら、お任せを。ここをですねー」

 

 教わりながら、プロフィール設定を行う。

 

「はい、それで完了ですよーって、あれ? お、お父さんの名前が登録されています!」

 

 アドレス帳を見た彼女は、ベンチから転げ落ちそうになりながら、とても驚いた表情(かお)を見せた。

 

「通院が面倒だって話をしたら、メッセージで報告してくれればいいって」

「あっ、そうでしたかー。でも、この番号......」

「どうした?」

「プライベート用の番号ですよ。お仕事関係用と、二台持っているので」

 

 プライベート用を教えたということはつまり、完治の診断を下さなかったのは、姉妹たちの話しを聞くための口実だったのではないか、という疑念が俺の中で深まった。

 もし、そうだったとしたら――どれだけ不器用で、子煩悩な人なんだ。

 言葉を失っていたところ、四葉(よつば)は難しい表情(かお)で唸っていた。

 

「う~ん、でもこれは、ちょっとアレですね。私たちも、アドレス交換しましょうっ」

「どういう理由だよ?」

「だって、少し悔しいじゃないですかー」

「どこに対抗心を燃やしてるんだよ。ほら」

 

 スマホを渡すと、あっという間に交換作業を終わらせた四葉(よつば)は笑って見せた。

 

「私が、姉妹の中で一番乗りですね。しししっ」

「そらよかったな」

 

 何がそんなに嬉しいんだか。まぁ、別にいいけど。

 

「さて、日も落ちて来たし。そろそろ帰るか」

「ですね」

 

 帰り道は同じ。寒空の下を話しながら歩く。

 

「もうすぐ新学期ですね。三学期も、イベント盛りだくさんです、楽しみましょうね!」

「イベント? 修学旅行か?」

「うちの学校の修学旅行は、三年生の一学期ですよぉ。先ずは、球技大会ですっ」

「球技大会ねぇ」

 

 肩を故障してる俺には、ありがたくないイベントだ。

 

「種目には、男女混合バスケもあるそうですよ。一緒にやりませんか?」

「無茶言ってくれるなぁ」

 

 でもまぁ、もう本当に気にしていないと言うことなのだろう。少し安心できた。

 早足で前に出た四葉(よつば)が、くるりと振り向く。

 

「勝ち負けなんて関係ないですよ、楽しければ。私、思い出をいっぱい作りたいんです。心に残る楽しい思い出を――」

「思い出ねぇ......」

 

 夜空を見上げる。

 すっかり日が落ちきった夜空には、数え切れないほどの星々が瞬いていた。

 ――まだ半年にも満たない短い時間。

 それでも、前の学校に居た時よりも充実していることは確かだと思う。

 

「よそ見してると、またぶつかっちゃいますよー」

「......ああ、そうだな。気をつけないとな」

「そうですよ。よそ見は危ないですから」

 

 しっかりと前を向き、歩幅を合わせて帰り道を歩いた。

 そして、姉妹の部屋の前で別れ、ドアの前に立つと違和感に気がついた。

 誰も居ないはずの部屋に、灯りが点っていた。騒がしいヤツが戻ってきたらしい。

 ゆっくりドアノブを回して部屋に入ると、一昔前の歌謡曲が聞こえ、金髪の後頭部が視界に入った。

 気付かれないように近づき、後頭部にスマホを押し付ける。

 

「ホールドアップ」

「ひぃ!? ぼ、僕、金ないっす!」

 

 両手を上げ、命乞いしてきた。

 

「俺だ」

「な、なんだよ、お前かよ......脅かすなよな。マジでビビったっての」

 

 批難の声をスルーして、手を洗いながら聞く。

 

「思ったより早かったな。説得は上手くいったのか?」

「まーねぇ。新しい成績を交渉材料に仕送りアップの銭闘してきた。出来高も勝ち取ってきたよ!」

「契約更改かよ。お前、オフシーズン満喫してるな」

 

 コタツに入り、スマホを置いて、夕食の弁当を広げる。

 

「おっ、スマホじゃん。買ったの?」

「連絡用にな。一番安いやつ」

 

 そうだ、姉妹の父親に連絡入れておかないと。アドレス帳を開いて、本文に名前と電話番号を入れて、送信をタップ。

 

「手慣れたもんだねぇ、僕も持とうかな? アレも見放題だし!」

「不純な動機にもほどがあるぞ」

 

 小さくタメ息をついて、弁当に箸をのばす。

 

幸村(こうむら)の爺さんから連絡があった」

「なんて?」

 

 内容を伝える。春原(すのはら)は、呆れ顔を見せた。

 

「また唐突な話しだね。ハンコどころか、交渉のテーブルに着く以前の話しだよ」

「ああ、全くだ」

 

 年度末の成績如何によっては、復学の可能性もあり得る。

 それが、聞かされた話。寝耳に水もいいところだ。

 まぁ、考えるまでもない。

 今さら、前の学校へ戻るなんてことは――あり得ない話しだ。



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Episode18

 短くも様々なことがあった冬休みが終わり、三学期がスタートした。始業式とホームルームの後、久しぶりに足を運んだ図書室で、これまた久しぶりに武田(たけだ)と顔を合わせた。

 

「年賀状を手渡しで受け取るのは、初めての経験だよ」

 

 手に取った二枚の年賀状に、少し可笑しそうに笑う武田(たけだ)

 

「悪いな、思い切り手抜きで」

「今年の年末年始は何かと忙しかったんだよねー。僕は、実家に帰省してたし」

「そうだったんだね。僕の方も、自宅に居る機会が少なかったから今、改めて新年を迎えられた気持ちになったよ」

 

 本音半分気づかい半分と言ったところだろうか。

 ついでに、アドレスも交換してしまう。

 

春原(すのはら)君は?」

「交渉に失敗したそうだ。赤点回避してから言えって」

「はは、それは残念だったね」

「クソー、次の試験で絶対達成してやるっての! それで、あんな動画やこんな動画を......ヤベぇ、今から、興奮してきたよ!」

 

 煩悩まみれの妄想から生み出された衝動を抑えるためか、その場で高速スクワットを始めた。

 

「アホか」

 

 マジで、ろくでもないことにしか使わなそうだ。

 

「そうだ。試験といえば、コレは貰ったよね?」

 

 スクールバッグから取り出した四つ折りの用紙を、テーブルに広げた。それは、ホームルームの中で配られたものと同じもの、進路希望調査の用紙。

 

武田(たけだ)は、進学するんだろ?」

「うん。第一希望は、東京の大学さ」

「さすが、優等生だねぇ」

「二人は? 何かやりたいこととか、将来の夢とかないのかい?」

「夢ねぇ、子供の頃はなりたいものとかいっぱいあったけどね。サッカー選手、飛行機のパイロット、先生、それと――」

「便座カバー」

「そう、便座カバー......って! んなモンになろうなんて一度も思ったことないよっ!」

「どれも難易度が高そうな夢だね」

「お前も乗るなよ! ったく。で、岡崎(おかざき)はどうなんだよ?」

「未定」

 

 まぁ、進学はない。学力的にも、経済的にも。

 何より、進学する理由が見当たらない。今はまだ、赤点回避という明確な目標があるから勉強を続けられている。けど、その先がどうなるかなんてことは、まだわからない。

 

「結局、何も決まってないってことじゃん」

「お前もだろ」

「まだ時間はあるから、焦って決めることはないんじゃないかな。先ずは、当面の目標に照準を合わせよう。年度末の試験に、ね?」

「それは、ありがたいけど。お前が目指してる大学って、超が付くほどの難関だろ? 俺達の勉強見てる余裕なんてないだろ」

 

 武田(たけだ)が希望している進学先は、興味のない俺たちですら知っている名前の有名大学。おそらく、入学前から目標に設定していないと目指せないレベル。

 

「もちろん、自分の学業(こと)を疎かにするつもりは毛頭ないよ。けれど、自身の学力向上に繋がることは期末試験で実証済みだから、ね。何よりこれは、僕の意地でもあるんだ」

「意地?」

 

 静かに頷いた武田(たけだ)は、窓の外へ目を向けた。

 寒空の中を、翼を広げた鳥が風に乗って羽ばたいている姿を、どこか羨むような表情で見つめている。

 

「......僕は、ずっと縛られて生きてきたんだ。両親の期待のまま、予め敷かれたレールの上を歩いていた。そんな僕が、見つけた夢があるんだよ」

 

 子供の頃から、母親と同じ医学の道を歩いていた武田(たけだ)が見つけた夢、それは――。

 

「宇宙飛行士!?」

「またずいぶんとぶっ飛んだ夢だな。それこそ、パイロットじゃダメなのか?」

 

 武田(たけだ)の学力なら、航空機のパイロットにだってなれそうだ。

 

「飛行機は、乗ろうと思えば今すぐにでも乗れるじゃないか。それこそ、一般の人だって免許を取得できる。けど、宇宙飛行士は違う。宇宙は、世界中から選ばれた一握りの者しか行くことの出来ない特別な場所なんだよ......!」

「そりゃそうだろうな」

「じゃあ将来的には、海外留学するってこと?」

「あ、うん、そうなるね」

 

 饒舌に語っていた割には、何だか歯切れが悪い反応。

 

「......笑わないのかい?」

「いや、別に笑うとこじゃないでしょ。そりゃ冗談なら笑うけどさ。本気か冗談かくらいはわかるっての」

「まぁ、何も考えてない俺達にしてみれば、将来の目標があるってだけでな」

「それになんか、本当になっちゃいそうな気もするしね。アハハ!」

「そうかもな」

 

 身近に結構無謀なことにチャレンジしているヤツが居るから、まんざらあり得ない話しじゃないのかもしれない。

 

「――決めたよ。次の試験、二人には赤点回避と言わず、全教科平均点以上を取らせてみせる......!」

「はぁ?」

「なんでだよ!?」

「もちろん夢を叶えるためさ。宇宙飛行士は、常に助け合い、足りないところ補い合って困難なミッションを成し遂げるのさ!」

 

 爽やかにウインクしながら言うことじゃない。ありがた迷惑この上ない決意表明だった。

 

「あ、僕、部活だから! この話しは、また今度ってことで!」

「お、オイコラ! 逃げやがった......」

「ははっ。じゃあ今日は、解散にしよう。準備しないといけないから、ね」

「本気かよ」

「本気さ。必ず証明して見せる」

 

 その真面目な表情と声色からは、何か特別な理由があることを物語っていた。

 

「以前、口をつぐんだ話しだよ。達成したあかつきには、理由を話すと約束するよ」

「ふーん、まぁ、構わないけど。だけど、自分のことを一番に考えろよ? 俺達に構って成績落としでもしたら、それこそ本末転倒だからな」

「無論さ。僕自身も、上杉(うえすぎ)君の上を行くつもりだよ。小さな国の小さな学校でトップを獲れないなら叶いっこないからね。そうだ、聞いておきたいことがあったんだ。例の話しは、本当なのかい......?」

 

 聞かれたことは、前の学校への復学の話し。

 

「相変わらず耳が早いな。親父さん関連からの情報か?」

「年末の会食の時に偶然、向こうの理事長との会話を小耳に挟んだんだ」

「俺達は、半ば厄介払いで追いやられた身だぞ。戻るつもりも、理由もないって」

 

 なにより、ここでの生活に充実感を感じている。

 バカやって暇を潰してはいたけど、無気力で漠然と生きていたあの頃と比べると雲泥の差だ。

 そう、それは、普通とは少し違うのかも知れないけど。本来過ごせていたのかもしれない日々を過ごしている、なんとなく、そんな風に感じていた。

 しかし、返答を聞いた武田(たけだ)の表情は、変わらず硬いまま。

 

「どうした? そんな重苦しい顔をしてると、眉間に寄ったしわが戻らなくなるぞ」

「......少し考えていたんだ。どちらの道を進むことが、二人にとって正しい選択なのかを、ね。もちろん僕としては、このまま一緒に卒業できればいいと思っているよ」

「何の話しをしてるんだよ?」

「なんとなくなんだけど。二人は時々、特に岡崎(おかざき)君は――」

 

 ――どこか遠い場所を見ているように感じる時があるんだ。

 

 

           * * *

 

 

「お疲れさまでーす」

「はーい、お疲れさまー!」

 

 余り物の食パンと惣菜パンを数個いただき、家路を歩いている途中、よく利用するスーパーが入るショッピングモールの近くで、買い物中の五月(いつき)と出くわした。

 

「ひとりか?」

「はい。アルバイトの帰りですか?」

「ああ。そうだ、これ、よかったら貰ってくれ」

 

 パンの入った袋を差し出すと、五月(いつき)の目が輝いた。

 

「いいのですかっ?」

「余り物だから」

 

 家の冷蔵庫の中には、まだ手つかずのパンが結構な数残ってる。無駄にしてしまうより、食べてもらった方が経済的で有意義だ。

 夕食がまだだったらしく、休憩スペースに設けられたベンチに座って、幸せそうな顔でパンを頬張る五月(いつき)に尋ねる。

 

五月(いつき)は、卒業後の進路とか考えてるか?」

「なんですか? 唐突に」

「いや、なんとなく。これ、貰っただろ」

 

 進路希望調査の用紙を見せる。

 

「まだ漠然とですが、憧れている職業はあります」

 

 まだ一年も先のことと思っていたけど、ちゃんと考えているようだ。

 

岡崎(おかざき)君は、どうなのですか?」

「未定。今のところ、次の試験の赤点回避しか頭にないな。どうした?」

 

 手を止めた五月(いつき)は、やや目を落としていた。

 

「いえ、私も、希望を叶えるには学業が必須でして......」

「ふーん、じゃあ気合い入れてやらないといけないな」

「そうですね。先ずは、次の試験に集中です」

 

 止まっていた手を進め「ごちそうさまでした」と、丁寧に手を合わせた。買い物の途中だった五月(いつき)と別れて、一足先にアパートに帰ると、コタツで横になっていた春原(すのはら)が、ダルそうに体を起こした。

 

「遅かったねぇ」

「ちょっとな」

 

 自室で部屋着に着替えて、コタツに入る。

 

「お前さ。卒業したら、地元に帰るのか?」

「あん? どったの?」

「まぁ、なんとなくな」

 

 一年後には、嫌でもそういう話しになることは確かだ。

 

「ハァ、考えたくもないね、そんな先のこと。岡崎(おかざき)はさぁ、五年後、十年後何をしてるかとか考えることある?」

「いや、ないけど」

「だろ? だったら悩んでも仕方ないって。そん時になれば、嫌でもわかるんだからさ。だからさ、今しか出来ないことを楽しまないと損だと思うんだよね。たぶん今が、人生の中で一番バカをやれる時間なんだよ」

「......そうかもな」

「ってことで、スマホを貸してくれよ! 動画漁ろうぜ!」

「見直した俺が、バカだった。さて、久しぶりに銭湯にでも行ってくるかな」

「おっ、いいね! 僕も行くよ」

 

 戸締まりを済ませ、着替えを持って部屋を出る。

 俺は、少し焦っていたのかもしれない。既に目標を持っている、武田(たけだ)五月(いつき)の話しを聞いて――。

 

「そう言えば近々、球技大会があるそうだぞ」

「ラッキー! 授業潰れるじゃん。で、なにに出る?」

「そうだなぁ」

 

 夜空を見上げて考える。

 

「バカでもやってみるかな。お前はどうする?」

「お前がやるなら、僕もやるさ。今度は、きっちり決めてやるっての」

「あれはやめろよ......」

 

 そして、休日を挟んだ後日のホームルーム。

 教壇に立った担任は、黒板に白いチョークで文字を書き連ねていく。最後のひと文字を書き終え、手についた粉を払い、前を向いた。

 

「――と言うことで。今から、来週の球技大会の参加種目を決める。黒板に書いた種目の中から選ぶように。希望者が募集人数を越えた場合は話し合い、まとまらない場合はジャンケンで決めるぞ。あと、全員参加だからな。単位に響くぞ。じゃあ、先ずは――」

 

 ソフトボール、フットサルと屋外競技から順番に読み上げられていき。

 そして、屋内の競技へ。

 

「次、男女混合バスケ。定員の最低三人、上限は五人」

 

 前の席に座る四葉(よつば)が、いの一番に手を上げた。

 

「希望者は三人か、ここは定員割れはせずに済んだな。中野(なかの)岡崎(おかざき)春原(すのはら)と......」

「えっ?」

 

 驚きの声を上げると同時に後ろを振り向いた四葉(よつば)は、大きな目を丸くしていた。

 

「どうした?」

「あ、いえ、まさか本当に参加してくれると思わなかったので。あはは~」

「別に、深い意味はないって。ただの気分転換だよ」

「そうそう、遊びみたいなものだね。それこそ僕が、フットサルに参加したらシラけちゃうでしょ?」

「そう言うことだ。楽しければいいんだろ?」

「あっ......はいっ。楽しい思い出にしましょうね!」

 

 嬉しそうに笑顔を見せる、四葉(よつば)

 

「さっそく放課後、一緒に練習しましょう!」

「いや、僕、部活あるんすけど」

「俺も、バイトがある」

「えぇ~」

 

 きっといつか、いろいろなことに決着をつけなければならない日が来るんだろう。

 あの人の――父親のことも含めて。

 けど今は、もう少しだけバカをやるのも悪くない、そんな風に想えた。



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Episode19

 球技大会当日、体操着に着替えた俺と春原(すのはら)は、男女混合バスケットボールが行われる体育館で、軽くストレッチをして体をほぐしていた。

 そのすぐ隣では、参考書を手した上杉(うえすぎ)が、姉妹たちに言い聞かせるように強めの口調で話しをしている。

 

「いいか? 敗退次第即試験勉強に移るぞ。くれぐれも勝ち上がらないように」

「試験勉強のためとは言え、それは、どうなのでしょうか......?」

「私は、別にいいけど。運動苦手だし」

「ダメだよ、個人競技じゃないだからっ」

「うーん、今日くらいは、いいんじゃないかな? お正月でちょっと、ほら、ね?」

「そ、そうね。私は、真面目に参加することにするわ。あんたたちも後で後悔しても知らないわよ」

 

 二乃(にの)のセリフに、四葉(よつば)以外の姉妹が危機感を持った表情(かお)を覗かせる。まぁ、どう言う理由かは大方察しがつく。しかし、上杉(うえすぎ)の方は察していないようで、正当な説明の開示を求めたところ大ひんしゅくを浴びていた。

 

「くっ......なら、休憩時間を全て勉強に充てるぞ。もちろん、昼休みもだ。ゆっくり、飯を食えると思うなよ!」

「相変わらず気合い入ってるね」

「そうみたいだな」

「羨ましいですねぇっ!」

「あっそ。さて、軽くアップしておくか」

 

 四葉(よつば)に先に行っていると伝えて、ボールを弾ませながら、空いているコートへ。ハーフラインを越えた辺りで、春原(すのはら)が立ちはだかる。

 

「よっし、来いよ」

「軽くだぞ?」

「わかってるっての。まぁ僕は、ピッチ上のダイナマイトの異名を持っているからスタミナの心配は皆無だけどね! アハハッ!」

「ダイナモな。爆発するのか? お前は」

「フッ、僕のハートは常に爆発を、激しく燃え上がっているのさ。愛というなの情熱の炎がね!」

「そうか、体内に充満したメタンガスが燃えてるんだな。メタン春原(すのはら)だな」

「おっ、何だか経験値高そうな呼び名じゃん」

 

 それは、メタンじゃなくてメタル系だ。

 しかも、満更でもない顔をしている。絶対意味をわかってないな。よくもまあ、理科の赤点を回避出来たものだ。パス交換で感触を確かめつつ、徐々に距離を取り対峙。

 

「行くぞ?」

「おうっ!」

 

 ボールを弾ませながら、ゆっくり間合いを詰め、切り返しと同時に瞬間的にテンポを上げる。しかし、振り切れずに付いてこられた。緩急で揺さぶるチェンジオブペースに引っかからない。前よりも、身体の動きにキレがある。伊達に毎日部活で鍛えている訳ではないようだ。

 

「ふふーん、あれ? もしかして、もう終わりなの? なら、本気で奪っちゃうよ?」

「......ナメるなよ」

 

 ハンドリングで左右に揺さぶり、内側へ切り込むと見せかけて時計回りにターンして逆をつき、反対の外側から回り込んでジャンプ。春原(すのはら)は、跳ばなかった。右手に持ったボールを左手に持ち替えたタイミングに合わせて、シュートブロックに跳んできた。

 

「同じ技にかかるかっての!」

「だろうな――」

 

 そのままシュートには行かずに背中を回して、ゴール正面に向かってボールを手放す。

 

「ナイスパスですっ」

「はぁ!?」

 

 ほぼフリースローライン上で、ルーズボールを拾った四葉(よつば)が、お手本のようなキレイなフォームで打ったジャンプショットは、高い放物線を描いて、リングに触れることなくフープを潜り、ゴールネットを真上に浮き上がらせた。

 

「おお、スウィッシュ。やるな」

「えへへ、ありがとうございますっ」

「てか、なんで居るって!?」

「ターンした時に見えた」

 

 コートの外から駆け寄って来る、緑色のリボンがチラッと視線に入った。

 

「マジっすか、全然気がつかなかった」

「お前は、ストライカーだからな」

 

 春原(すのはら)は、サッカーでもバスケでも典型的な点取り屋。視野の広さよりも、本能的に相手の裏側を、死角を取ることが上手い。ただ、予想外のことをしてくるから、出し手側としても厄介なタイプ。災いして、病院送りになった。

 

四葉(よつば)は、外の方が得意なのか?」

「私は、ですねー」

 

 転がっていたボールを拾うと素早いドリブルで、棒立ちだった春原(すのはら)を抜き去り、これまたお手本のようなキレイなレイアップを決めて見せた。

 

「動き回るのが得意ですっ」

「今、めっちゃ速かったよ......」

「運動量と小回りで勝負するタイプか」

 

 男子バスケ部と勝負した時のように役割を決めて攻めるよりも、自由に動いて貰った方が良さそうだ。他のクラスの練習まで軽く汗を流し、コートの外へ出る。

 

「試合は、3on3なんでしょ?」

「はい。必ず男女が一緒に出ていなければならないそうです」

「男だけ固めるのも、女だけで固めるのもダメってことか」

 

 うちのチームは、林間学校の時の班と同じ面子で集まった。男子は、俺と春原(すのはら)の二人、女子は四葉(よつば)を含めた三人の計五人。試合は10分ハーフで、全クラス総当たり戦。最後に、上位二クラスで決勝戦が行われる。

 

「まぁ、遊びなんだし、テキトーに流せばいいんじゃないの?」

「そうだな、ケガしない程度にやるか」

「なに言ってるんですかー? 出るからには、優勝を目指しましょうよっ」

「楽しければいいってのは、どうなったんだよ?」

「もちろん一番ですよ。でも、勝った時の方が、もっと楽しいじゃないですか。しししっ」

 

 やる気満々の四葉(よつば)とは違って、他二名の女子は愛想を笑いをしている。練習の動きを見た限り、二人とも取り分け運動神経は低いというわけではなさそうだった。戦力的には、上位を狙えなくないんだろうけど――。

 

「ダルいな」

「僕、この後部活あるし」

 

 俺も、バイトがある。男女が必ず同時に出場ということは、俺と春原(すのはら)は常にどちらかがコートに立っていたなければならない。バイト前にガス欠なんて事態は勘弁願いたい。けど、四葉(よつば)はやる気だ。

 

「その時次第だな」

「立ち合いは強く当たって、後は流れでってね」

「相撲の八百長かよ」

「アハハ! まぁ、見た感じ......バスケ部所属の参加者は少なそうだけど。おっ、女バスの部長だ」

 

 春原(すのはら)が指を差した方を見ると、確かに女子バスケ部の部長がコートで練習していた。四葉(よつば)に気づき、軽く手を振ると練習に戻った。

 

「あそこは、そこそこ手強そうだねぇ。どこのクラスだっけ?」

一花(いちか)と同じクラスですよ」

 

 前は、部室の前で話しをしたから気がつかなかったけど、武田(たけだ)前田(まえだ)とも同じクラスだったのか。ということは、女バスの部長と同じコートでシュート練習をしている、あの茶髪は――前田(まえだ)だった。

 

「マジかよ。アイツ、アウトサイドからのシュートは上手いんだよな」

「ん? おい、岡崎。アイツ――」

「あん? あ......」

 

 更には、俺の額に肘打ちを決めた男バスの部長までもが練習に参加していた。

 

「あのクラスだけ、ガチな面子じゃないか。てか、険悪そうな感じがしないんだが?」

「話し合いの結果、男女一緒に合同練習をするようになったそうですよ」

 

 ギリギリの人数の女子バスは試合形式での練習を、練習時間を確保したい男バスは、女バスが休憩している間を使える。双方の利害が一致したところで手を打ったそうだ。あの勝負とアクシデントも、本来の目的とは違う予想外な形でも役割を果たしていたらしい。

 

「ふーん、そらよかったな」

「えーと。確か一花(いちか)ちゃんも、バスケだったよね?」

 

 春原(すのはら)からの質問に、一花(いちか)は「うん、そうだよ」と笑顔で答えた。

 

「じゃあ、私も練習に参加してくるから。試合の時は、お手柔らかにお願いねっ!」

 

 ウインクして腰の後ろで手を組み、練習中のコートへ歩いて行く。彼女に合わせた様に上杉(うえすぎ)と姉妹たちも、自分たちが参加する種目へと移動して行った。

 

「優勝するには、一花(いちか)のクラスを倒さなければなりませんね!」

「いや......さすがにちょっとガチな面子過ぎじゃないっすか?」

「フッフッフ......」

 

 背中から聞こえた、まるで悪役の様な笑い声に振り返ると、武田(たけだ)が壁に寄りかかっていた。

 

「申し訳ないけど。今回の勝負、僕たちが勝たせていただく!」

 

 そして、あの面子を招聘した張本人であると自ら告白。

 

「キミたちに、挑戦状を叩きつけさせてもらうよ」

「何でだよ?」

「意味不明だな」

「目標があった方が面白いからさ。スポーツ特待生たちを倒す、みんなも乗り気だったから、ねっ?」

 

 前田(まえだ)が乗り気なのは、また別の理由だろうけど。

 

「ってことはお前が、五人目のメンバーってこと?」

「ご明察。僕は、作戦参謀......いや、軍師と言ったところかな?」

 

 それは別に、拘るところではないだろう。

 

「ふふ、決戦の時を楽しみにしているよ」

 

 また無駄に爽やかな笑顔を残して去って行く。

 

「今の方は、お友達ですか?」

「ああ」

「それは、ますます負けられませんね!」

「どういうことだよ?」

 

 四葉(よつば)のやる気に、ますます火がついてしまった。

 

「何か妙なことになっちゃったねぇ」

 

 ――まったくだ。遊びのつもりだったはずなのに。

 思わずタメ息が出そうになった。

 そして、審判役の教師バスケ部の顧問が体育館に姿を現し、定刻通り、球技大会は始まりを告げた。

 

 

           * * *

 

 

 試合は滞りなく順調に消化され、総当たり最終戦を前に決勝戦の組み合わせが決まった。勝ち上がったクラスは共に全勝、一花(いちか)のクラスと――。

 

「やりましたね、決勝戦進出決定です!」

「なんだかんだで勝ち上がっちゃったよ」

「他があんまりやる気なかったからな」

 

 結構、笑い声とかが飛んでいたし。

 本気で勝ちに行っていたのは、決勝を決めたクラスだけだった。

 

「おいおい、勝ち上がってるじゃないか」

 

 ネットで間仕切りをした向こう側、男女混合バレーに参加していた上杉(うえすぎ)が、ネットの切れ目から入ってきて、わかりやすく項垂れた。

 

「あ、上杉(うえすぎ)さん。決勝戦は、私たちと一花(いちか)のクラスですよ」

「よりにもよって、二人のクラスが勝ち上がったのか。一分一秒が惜しいってのに......」

「他の連中もまだ、来てないだろ?」

「まあな。仕方ない。今のうちに、問題集を拵えておくとしよう。時間は、有効に活用してこそだからな!」

 

 コートの外で座って、どこからか取り出した参考書に目を通し始めた。

 

岡崎(おかざき)君、ちょっといいかい?」

 

 教師と話していた武田(たけだ)が、手招きしてきた。

 二人の下へ向かう。

 

「どうした?」

「うん。次の試合のことなんだけど、一試合にまとめてしまおうと思って。どうかな?」

 

 ――なるほど。決勝戦と同じ組み合わせになるからか。

 浮いた一試合分は、自由時間に充てられる。それなら、飲まない理由はない。

 

「わかった。それでいい」

「決まりだね。では、その形でお願いします」

「じゃあ、それで進めるぞ。そうだな。少し長めに休憩時間を取って、二十分後にするとしよう」

「はい。わかりました」

 

 返事を聞いた教師は、体育館を後にした。

 

「手の内を隠すためか?」

「さあ? それは、どうかな?」

 

 思わせぶりな笑みを浮かべて、クラスメイトの輪の中へ戻って行く。事情を話したところ、一番大きな反応をしたのは、上杉(うえすぎ)だった。

 

「英断だ! これで、勉強時間を確保出来るぞ。後は、他の姉妹たちが負ければ完璧だな!」

「あ、あはは......ちょっと、休憩に行ってきますね~」

 

 苦笑いの四葉(よつば)は、女子二人と一緒に体育館の外へ。

 彼女たちと入れ替わるようにして、日焼けした肌、ゴツい身体、金髪で頭にはサングラスと。まるで、更生し損なったヤンチャがそのまま大人になった感じの見た目の男性が、体育館に入ってきた。

 

「おっ、やってるじゃねーか」

「親父......?」

「よぅ、息子! ちゃんと参加してるか?」

「この人、上杉(うえすぎ)の親父さんか?」

「あ、ああ......。なんで、学校に居るんだ?」

「依頼を受けたんだ」

 

 これ見よがしに、一眼レフのカメラを構えて見せる。

 

「親父さんは、カメラマンなのか?」

「まぁ、そんなところだ」

「カッコいいねぇ! 僕、カメラマン目指そうかな? あんな写真とか、こんな写真とか......ヤベぇ、マジでいいかも!」

 

 完全に邪な動機だった。

 

「フッ、この道を極めるのは険しいぜ? さてと」

 

 肩に担いだ荷物を降ろし、撮影の準備を始めた。

 

「で、何を撮りに来たの?」

「さあな」

 

 この学校で、被写体になるものといえば――。

 

「タマコちゃんじゃないか」

「ああ~」

「誰? それ」

「二人とも、ちょっといいかなっ!」

「僕は放置っすか......」

 

 一花(いちか)に腕を引っ張られ、体育館の外へ強制連行。人気のない体育館裏へと連行された。焼入れが始まりそうなシチュエーションだ。

 

「......内緒にしてって言ったよねっ?」

 

 頬を紅くして、とても恥ずかしそうな表情を見せる。

 

「俺は、言ってないぞ? 言ったのは、岡崎(おかざき)だ」

「同意してたでしょ!」

 

 一花(いちか)は、駆け出しの若手女優。

 それを知ったのは、つい先日のバイト中のこと。

 表が妙に騒がしく、何ごとかと思えば、上杉(うえすぎ)がバイトをしている向かいのケーキ屋に、映画撮影のロケ班が組まれていた。その映画の演者の中に一花(いちか)が居て。その映画での役柄が、天然キャラのタマコちゃん。

 役柄と本人のキャラの相違はともかくとして。俺が想像している以上に険しい道なんだろうけど、目指す道が決まっているのは、正直、少し羨ましくも想った。

 ――だから、焦ったんだろうな。きっと。

 

「てか。あんな過剰に反応したら余計に怪しまれるだろ」

「そ、それは、そうかもだけど......とにかく! 内緒にして。お姉さんとの約束だよ!」

「へいへい」

「へいは一回!」

「へーい」

「フータロー君もだからねっ?」

「わかってるって......」

 

 再度念押しをされて、ようやく解放。

 体育館へ戻ると、通常のスケジュールであれば本来昼休みの時間帯であることもあって、姉妹たち全員が揃っていた。

 

岡崎(おかざき)さん、どこへ行っていたんですか? もうすぐ試合始まっちゃいますよー」

「ちょっとな」

一花(いちか)四葉(よつば)のクラスで、決勝戦だって?」

「困りましたね。どちらを応援すればいいのでしょうか?」

「うーん、テストより難しい問題かも」

「どっちでもいいだろ。そんなことより、始まるまでテスト勉強やるぞ」

 

 要点をまとめたノートを取り出した上杉(うえすぎ)に、機材の調整をしていた親父さんが叱りつける。

 

風太郎(ふうたろう)、こんな時まで勉強の話しなんて止めなさい!」

「だから、どういう教育方針だ......」

 

 どうやら、この親子の仲は良好なようだ。

 

「で、結局なんなんだ?」

「卒業アルバムとか、学校案内のパンフレットに使う写真の撮影だってさ」

「ああ、それでか」

 

 戻ってきた、バスケ部顧問の呼びかけで集合。

 ジャンケンで先攻後攻を決めて、いったんコートの外へ出る。

 

「おい、見ろよ。あちらさん、初っぱなからフルメンバーだぞ」

 

 先にコートに戻った一花(いちか)のクラスは、男性両バスケ部と前田(まえだ)の三人が準備していた。本気モードではない俺達は、やる気満々の四葉(よつば)、ジャンケンで決めた春原(すのはら)と、もう一人の女子の三人で臨む。

 

「見たかコラ!」

 

 試合開始早々、前田(まえだ)のシュートで失点を許してしまった。加えて、男女の部長には四葉(よつば)春原(すのはら)がマッチアップ。前田(まえだ)と10センチ以上の体格差(ミスマッチ)を利用され、立て続けに失点。

 こちらも、四葉(よつば)を中心に食らい付くも、徐々に点差が広がっていく。

 

「先に出るか?」

「ううん、ついて行けそうにないから。お願い」

「そっか」

 

 前半残り五分。

 ゲームが止まったところで交代して、コートに入る。

 

岡崎(おかざき)。アイツら、マジでガチだよ」

「みたいだな」

「まだまだ勝負はここからですよっ!」

 

 四葉(よつば)には、女バスの部長。春原(すのはら)には、前田(まえだ)が付いた。と言うことは――。

 

「今度は、簡単にやられないぞ......!」

 

 ――結構、暑苦しいヤツだったんだな。肘打ちの件は、気にしていないようだからいいけど。

 静けさの中、右手で弾ませるボールの音だけが体育館に響く。

 ジリジリと間合いを詰めて、手を出してきた瞬間、思い切りボールを投げつける。顔の横を抜けたボールは、ゴール下へ飛び出した四葉(よつば)に渡り、フープを潜った。

 

「ナイス! 四葉(よつば)ちゃん」

「ナイスシュート」

「ナイスパスですっ」

「くそっ、ボール!」

 

 今度は、守備。さすがに上手い。奪うのは難しいだろうけど、ついて行くだけなら出来る。攻め手を潰していき、前田(まえだ)へ出されたパスを、春原(すのはら)がカット。

 パスを受け、攻守交代。今度はドリブルで切り込み、二人を引きつけたところで後ろへ流す。

 

「よし、キタッ!」

 

 完全フリーで受けた春原(すのはら)のジャンプショットが決まり連続でポイントを奪うも。その後は、なかなか点差は縮まらず膠着状態のまま前半戦を終えた。

 

「思った以上に手強いな」

「でも、確実に縮まってますよ」

「つーか、守備堅すぎじゃない? 頑張りすぎっしょ」

「ちょっと、何やってるのよっ?」

 

 水分補給と休息を取っていたところへ、姉妹と上杉(うえすぎ)がやって来た。

 

一花(いちか)の方は、いいのか?」

「今は、こっちの応援」

「出場している方を応援しようと言うことになったんです」

「それより、どうなってるのよ? バスケ部との時と、全然違うじゃない」

「なかなか崩すポイントがないんだよ」

 

 対バスケ部の時は、準備不足の相手に試合開始直後の速攻から崩し、浮き足だったところを一気に攻めて勝負を決めた。

 今回は逆に、それをやられてる感じだ。

 

「まるでアレだな。風林火山」

「信玄公......!」

「確か、武田信玄だったか」

 

 三玖(みく)の目が輝いた気がした。

 そういえば、社会科が得意だと補習の時に聞いたのを思い出した。

 

「その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し。軍師・武田信玄の有名な戦術」

 

 諳んじた三玖(みく)の言葉の意味に当てはめると――。

 試合開始直後の速攻が「風」。一気に点差を広げた攻撃が「火」。鉄壁の守備で耐え抜き、攻勢に転じる機会を狙う姿勢が「林・山」ってところだろうか。

 

武田(たけだ)だから、武田信玄ってか。またベタなことを......」

「その策に嵌まっちゃってるけどね」

「う~ん、どうすればいいんでしょうか?」

「そうだな」

 

 打開策を講じる前に、教師から声がかかった。

 

「後半始めるぞ」

 

 両チーム共に、前半戦終了時と同じメンバーのままコートへ出る。

 無駄に爽やかな武田(たけだ)の笑顔が、視界に入った。

 今は、その笑顔が妙にムカついて見えた。

 

 ――動かない山なら、無理矢理にでも動かしてやる。

 

 この時、気がついた。

 いつの間にか、この試合に本気になっている自分がいることに。



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Episode20

 マイボールでスタートの後半戦。

 相手の作戦は前半と同様、各々がべったり貼り付くマンツーマン。相手は、本職のバスケ部が二人。俺達の方が基本的な運動能力では勝ってるといっても、経験値で上回る本職を相手に下手に動き回って振り切ろうとすれば、先にこっちのスタミナが切れかねない。特に、俺の体力が。

 けど、完全に守りに徹してる今の状況を、動かない山を動かさない限り勝機も見えてこない。

 ――インパクトを与える。

 ふと、あの時の、アイツの言葉が頭に浮かんだ。

 突けば、何かしらのアクションを起こしてくれるはず。そして、狙うなら一番効果的なところを狙って崩す。

 男バスの部長を引き付けながら、春原(すのはら)前田(まえだ)の方へ向かって切り込み、動いたことで出来たスペースへ走った春原(すのはら)と交差したタイミングで、ボールを手放す。

 

「アウトサイドスクリーン! ボールは――」

「ねぇぞ! どこだコラ!?」

 

 ボールを見失った二人へ、コートの外から武田(たけだ)が指示を飛ばした。

 

「ボールは、春原(すのはら)君の背中だよ!」

 

 春原(すのはら)の身体の陰に隠れ、二人からは見えない死角。当然、春原(すのはら)自身も見えていない。

 

「今だ!」

「あいよっと!」

 

 振り返るタイミングを教えると、身体を捻って背中に当てて、リターンパスを出してきた。まったく、また無茶なプレーを。勢いなく転がったルーズボールを素早く戻って拾い、その勢いのままリングへ向かってジャンプ。四葉(よつば)のマークから離れた女バスの部長が、ブロックショットに跳び、懸命に腕を伸ばしてきた。

 大丈夫、問題ない。高さは余裕で上回ってる。構わず、シュートにいく。ボールを放そうとした時、お互いの腕同士が接触。ボールはリングに弾かれ、笛の音が鳴り響いた。

 

「ファール!」

「あっ、ごめんっ」

「いや、いい......」

 

 わざとじゃないのは分かる。今のは、勢いが余って当たっただけ。コンタクト競技のバスケではよくあることだ。

 ただ問題なのは、今のファールで与えられるフリースロー。

 相手に一切邪魔をされず、後半戦開始直後で先制点を奪える願ってもないチャンスなのだが、利き腕が上がらない俺には、一番厄介なプレー。完全フリーになっていた四葉(よつば)に、任せるべきだったか。

 

「イテテ、バスケのボールって思ったよりも硬いんだね」

 

 どうすべきか頭を悩ませていたところへ、春原(すのはら)が背中をさすりながらやって来た。

 

「今度は、肘で決めるよ」

「やめろっての。今のも逸れたじゃないか」

「心配すんなって、ちゃんと決めるからさ! まぁ、リバウンドも任せとけよ」

 

 笑いながらポジションへ戻っていく、春原(すのはら)

 いつもと変わらない軽いノリに呆れて、力が抜けた。アイツなりの励ましだったようだ。

 フリースローラインに立ち、審判を務める顧問からボールを受け取り、軽く弾ませ逆手で構える。左なら、肩から上に上がらない右腕は添えるだけでいい。

 こういう時、マンガとか、映画の主人公ならカッコ良く決めちまうんだろうけど......。

 ゴールを狙って、シュート。いい感じに孤を描いたが、ボールはリングに触れることなく、コートに弾んだ。

 まぁ、そう都合よくいくわけない。エアボールなんて、いつ以来だろうか。結構、力を入れたつもりが想像以上に飛距離が出なかった。二本目は、もっと強く打つ。そんなことを考えながら顔を上げると、不思議そうな表情(かお)をしているバスケ部の両部長が目に入った。

 二人の表情で大方察した。右肩のことは知らされていない。

 

「......正々堂々ってか」

 

 ――まったく、武田(アイツ)らしい。

 大きく息を吐いて、リングを見つめて構える。

 二本目のフリースロー。一本目よりも意識して強く打った、が――。

 

「リバウンド!」

 

 軌道が低い上に、横へ逸れた。

 ボードの下部に当たって、コートに跳ね返ったリバウンドを制したのは、四葉(よつば)。着地すると、その場でくるりと回って、振り向きざまで打ったシュートが決まり、後半戦の先制点を奪った。

 

「ナイスフォロー、四葉(よつば)ちゃん!」

「サンキューな」

「いえいえ、さあ反撃開始ですよー!」

 

 四葉(よつば)の言葉通り、今の得点で戦局が変わった。

 一見無謀に思えた春原(すのはら)のあのプレーが、いい感じに作用して過度に警戒してくれている。試合序盤から春原(すのはら)に付いていた、前田(まえだ)の体力が限界に近い。

 

「行かせねーぞ、コラ......!」

「ふふーん、そんなヘロヘロで止められると思っちゃってんの?」

「ざけんなコラ! 伊達にバイトで、たこ焼き焼いてねーんだよ!」

 

 意味不明な返しだ。

 男バスの部長の視線が動いた一瞬を逃さず裏へ出て、パスを要求。

 

「へい! って、おい――」

 

 ニヤリと意味深に笑った春原(すのはら)は弾ませたボールをノールックで弾くようにパスを出した、肘で。しかも、構えたところへドンピシャリ。

 

「え、えぇーっ!?」

「うげっ、マジかよ!? 決めやがった!」

「出した張本人が驚くなよ......」

 

 まさかのプレーで全員の足が止まったすきに、レイアップを決めて連続ポイント。そのまま勢いに乗り、一気に差を詰める。

 残り時間、あと四分弱。一時は、二桁あった点差も射程圏。このままのペースで行けば、十分逆転出来ると思った次の瞬間、相手チームの武田(たけだ)がタイムアウトを取った。

 

「えぇ~、ここでタイムかよ。これからって時にさー」

「上手いな」

 

 こちらの良い流れを、向こうにとっては嫌な流れを、タイムを取ることで断ち切りに来た。いったんベンチへ戻って、水分補給。

 

「やるじゃない。ちょっと見直したわ」

「なに? もしかして、僕に惚れちゃ――」

「ないわ」

「......ほんのちょっとでいいんで、夢を見させてください」

 

 食い気味に完全否定された春原(すのはら)は、背中を向けて体育座り、わざとらしく落ち込んで見せた。

 

「ところで四葉(よつば)は、いつもと少し違いますね」

「えっ? そうかな?」

「私も、五月(いつき)と同じことを想った。前の学校の時は、ひとり汗だくでコートを走り回ってたし」

「う~ん、あっ! きっと、二人のおかげだよ。春原(すのはら)さんがスペース作ってくれて、そこへ行くと必ず、岡崎(おかざき)さんからパスが来るんだ」

「お前が、いいところに居るからだよ。つーか、転校してくる前は、バスケ部だったのか?」

「あ、えっと、はい。陸上部の時と同じで、助っ人でですけど」

 

 今、少し歯切れが悪かったような気がした。

 

「ん? おい。一花(いちか)のクラスが動いたぞ」

 

 上杉(うえすぎ)の声で視線を移すと、一花(いちか)が軽くストレッチしていた。交代するのは、前田(まえだ)のようだ。

 

一花(いちか)ちゃんって、運動神経いいの?」

四葉(よつば)の次にいいわ」

「毎日走っていますからね、一花(いちか)は」

「へぇ~、ん? 待てよ、前田(まえだ)が交代ってことは......僕が、一花(いちか)ちゃんの相手ってことだよね!」

 

 煩悩まみれの思考に至った春原(すのはら)。当然、姉妹たちから痛烈な軽蔑の眼差しが向けられ、これでもかと小さくなって土下座。相変わらず懲りないヤツだ。

 その後姉妹たちは、中立を保つために両ベンチの真ん中へ移動。上杉(うえすぎ)は動かずこの場所に留まって、ノートにペンを走らせている。

 

「お前は、行かないのか?」

「まだ、問題をピックアップしている途中なんだ。三人とも敗退したそうだから、この試合が終わり次第、すぐに試験勉強に移れるようにな......!」

 

 こちらも相変わらず、勤勉なヤツだった。

 

「あのさ、真面目な話し。相手、女の子が二人になっちゃったけど。僕達も交代する?」

「そうだな」

 

 点差は、ツーゴール差。少し余裕があるし、このタイムで少し熱が冷めた。体力面を考慮し、春原(すのはら)にゲームメイクを託し、この試合出場していない女子と交代。

 

「ふふふ......」

 

 コートに出た面子を見た武田(たけだ)は口元に手を添え、意味深に笑う。

 

「なんだよ?」

「フッ、すぐに分かるさ」

「はぁ?」

 

 相手の攻撃で、試合再開。最初のチャンスは相手側、交代して入ったばかりの一花(いちか)のシュート。しかし、リングに当たって落ちた。春原(すのはら)がリバウンドを制して反撃へ転じる、が、ここで仕掛けてきた。両バスケ部の部長がダブルチームで、春原(すのはら)を潰しにきた。

 

春原(すのはら)君、こっちですっ」

四葉(よつば)ちゃん――じゃない!?」

「あははっ、ナイスパス!」

 

 春原(すのはら)のパスを受けたのは、四葉(よつば)と同じリボンを付けた、一花(いちか)

 

「これぞ、知りがたきこと陰の如く! 切り札とは、ここぞという場面で使ってこそ真価を発揮するのさ」

「ほぅ、ドッペルゲンガー作戦か」

「ただの、かく乱じゃねーかよ」

 

 爽やかにいうことでも、感心するようなことでもない。

 しかし、今のミスで相手との点差が開いてしまったことは事実、と想っていたら――。

 

中野(なかの)さん、あっ!」

「わっ!」

 

 今度は相手側が、一花(いちか)四葉(よつば)を間違えた。

 

「敵味方お構いなしか」

「もはや何の競技か分からないな」

「想定内だよ。中野(なかの)さん、前田(まえだ)君」

 

 ここで一花(いちか)が、前田(まえだ)と交代。

 

「あとは、よろしくねっ」

「は、はい!」

「お願い」

「ああ」

 

 相手の動きに合わせて、こちらも交代。

 残り時間二分、二本差。かく乱の本命は、前田(まえだ)の休息を兼ねた時間稼ぎ。軍師を自称しただけあって、よく考えている。焦る必要のない相手は、じっくり時間をかけるディレイ攻撃。迂闊に手を出せば、勝負を決めかねられない。

 ここまで来たんだ、最後はスッキリ終わりたい。

 前田(まえだ)のマークから外れた春原(すのはら)が、男バスの部長に向かって手を伸ばした。

 

「よこせよ!」

「――前田(まえだ)!」

 

 フリーの前田(まえだ)へパスが出る。手を伸ばすも、ギリギリ届かない。

 

「よっしゃ、もらったぜ!」

「いかせませんっ!」

「――ッ!?」

 

 女バスの部長に付いていたはずの四葉(よつば)がいつの間にか、前田(まえだ)の目の前で跳んでいた。だが、僅かに届かない。シュートは、リングに弾かれた。リバウンドを掴んで速攻、ついに一本差に詰め寄る。

 ここから勝負は、一進一退。お互い一歩も譲らず決定打を決めきれないまま残り一分を切った。またしても、春原(すのはら)が突っ込む。そして、フリーの前田(まえだ)へパスが渡る。

 

「リバウンド!」

 

 得意なはずのアウトサイドからのシュートが、連続で落ちた。いくら得意といっても、脅威的な瞬発力と跳躍力でブロックに跳ぶ四葉(よつば)がプレッシャーになっている。

 そうと分かれば、もう怖くない。

 

「どこでもいい、二人とも動け!」

 

 指示を飛ばし、男バスの部長とマッチアップ。ドライブで切り込み、手を出して来た瞬間、反射的にルーレットでかわし、食らい付いて来た股の間を抜く。

 ――何なのだろうか、この感覚は。

 自分でも驚くほど思い通りのプレーが出来る。全盛期と同じ......いや、それ以上だ。故障で現役を退き、もう二年以上の月日が経つのに。どうして、これほどのプレーが出来るのだろう。

 

岡崎(おかざき)さんっ!」

「こっちだ!」

 

 共にマークを振り切り、フリーになった四葉(よつば)春原(すのはら)が、同時にパスを要求。

 ――そうか、そういうことか。

 パスを出そうと想う瞬間、居て欲しい場所に、必ず顔を出してくれる。まるで、二人の動きに引っ張られるように、頭の中で、得点へと繋がるルートが次々と頭に思い浮かんでくる。

 春原(すのはら)へ出し、リターンパスを受ける。

 

「いかせない!」

 

 振り切ったはずの男バスの部長が、必死に追いすがって来た。

 

「ポンプフェイク!?」

 

 シュートフェイクにかかって跳んだ脇を抜け、リングに向かってジャンプ。ボールを逆手に持ち替え、ブロックに跳んだ前田(まえだ)の裏側へ回り込む。対バスケ部で決めた技。

 これで、同点。そう確信した次の瞬間――右肩に、強烈な激痛が走った。

 右手からボールが落ち、着地と同時に痛みが走る肩を抱え込む。自然と、乾いた笑いがこぼれる。

 

「はは、結局――」

 

 ――これが、付きまとうのか。どれほど離れようとも。

 何を勘違いしていたんだろうな、俺は。二人に引っ張られて、もっと出来るとか、もっと高く跳べるとか、そんなこと叶うはずないのに。

 すぐ近くでボールが弾む音と、緑色のリボンが視界に映った。

 

「同点ですよ、岡崎(おかざき)さん、まだ終わってません! 私が、跳びます!」

「勝負の最中にヘタレてんなよ。一生笑ってやるからな!」

「......ざけんな、決めてから言いやがれ!」

 

 最後の守備に付く。残り時間、三十秒。

 ボールを奪い取り、ドリブルで切り込んだ春原(すのはら)が、シュートと見せかけ空中で出したパスをゴール正面、フリースローライン上で受け、左で構えてジャンプ。

 決まれば、勝ち。主人公なら、カッコよく決める場面。

 

「逸れた!」

 

 そりゃそうだ。そう都合よくも、カッコよくも決まりはしない。

 けど、ゴールは無理でも、ボードの付近へ放れば――。

 リバウンドに備える相手の頭上を、緑色のリボンが、四葉(よつば)がダイレクトで掴んで、そのままゴールに押し込んだ。

 そして、彼女の着地とほぼ同時に、試合終了を告げる笛の音が鳴り響いた。

 大きく息を吐いて、天井を仰ぐ。

 

「あーあ、美味しいところ持ってかれちゃったよ」

「残念だったな」

「ししし、ナイスパスでしたっ!」

 

 左手を大きく上げた四葉(よつば)とハイタッチを交わし、春原(すのはら)と拳を合わせ、痛む右肩を抱えながら笑い合う。

 あの時からずっと、一生付きまとう呪縛のようなものだと想っていた。

 だけど、悪いことばかりじゃないのかも知れない。

 今は、ほんの少しだけ、そう想えた――。



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Episode21

 三学期最初のイベント、球技大会が幕を閉じ、月日がひとつ巡った二月上旬。寒さは一段と増して、季節は真冬の様相。加えて今年は、寒冬だそうで、既に例年より降雪を記録した日が多いそうだ。

 そのことを物語るように、窓の外には、積もらない程度の雪がチラついていた。

 

「特に異常もなさそうだね。もう、大丈夫だよ」

「あ、はい」

 

 肘打ちを貰ってから約三ヶ月。主治医である姉妹の父親から遂に、完治の診断を貰えた。

 これでようやく、通院も終わり、と思ったのだが――。

 

「さて。では、こちらの話しをさせてもらうよ」

 

 球技大会で再度痛めた、右肩の診察へ移行。ボードに貼った二枚のレントゲン写真を、いつものポーカーフェイスで見比べていた姉妹の父親は、小さくタメ息をついた。

 

「また無茶をしたそうだね。この状態で動き回れば、痛みが出るのは道理だよ」

「はは......」

 

 自覚があるだけに、苦笑いで誤魔化すことしか出来ない。

 

「しかし、幸い悪化はしていないようだ。どうかな?」

「大丈夫です」

 

 あの痛みも一時的なもので、今はもう、痛みも違和感も感じていない。今までと同じ、肩から上に上がらないだけだ。

 

「なるほど」

 

 軽く頷いて、カルテにペンを走らせる。

 

「それで、どうだったかな? 球技大会は」

「みんな、真面目に参加してました」

「それは何よりだよ」

「見ないんですか?」

 

 カルテの横に置かれた、フォトブックに顔を向けて尋ねる。

 バイト終わり、病院を訪れる前に、商店街で偶然出くわした上杉(うえすぎ)の父親さんから預かった代物。「アイツは、なかなか面倒くせーヤツでな」と、どこか愉快げに笑っていたのが印象的だった。

 

「勤務中は、公私混同をしない主義でね」

 

 今までナチュラルに、姉妹たちの様子を聞いてきたことは公私混同には該当しないのだろうか。

 

「会話も立派な診察だよ。患者の声色、顔色、呂律、その他もろもろ様々な情報を得られる」

 

「共通の話題の方が話しやすいだろう」と、もっともらしいことを言っていたけど。間違いなく、本音は別。何せ、健康状態を報告するメッセージでのやり取りの最中に、姉妹たちの様子を伺う話を、唐突にぶち込んで来るような人だ。正に、不器用な上に親バカ。上杉(うえすぎ)の親父さんの言った通り、なかなかに面倒な性格をしている。

 

「少なくとも、一花(いちか)四葉(よつば)は、楽しんでいたと思います。最後の最後、勝負を決めた一本を決めたのも、四葉(よつば)ですし」

「そうかい」

「勉強も頑張ってる。真面目に授業も受けてるし、放課後も毎日勉強会をしているみたいで――」

 

 授業中唸ったり、首を傾げたりしてるけど。家に帰ったあとも、姉妹同士で勉強を教え合う声だったりが、壁の向こう側から漏れ聞こえてくることもままある。特に、五月(いつき)に将来のことを尋ねた日以降は、何かあったのかと少し心配になるほど、気合いの入り具合が違って思えた。

 

「ふむ、どうだろうか。彼女たちは、合格ラインを無事に越えられると思うかい?」

「さあ? それは、家庭教師の上杉(うえすぎ)に聞いた方が確実だと思いますよ」

「生憎僕は、彼の連絡先を知らなくてね」

 

 元雇い主と元雇われ主、どうやってやり取りをしていたのだろうか。謎は深まるばかりだ。

 

「ところで、何かあったかな?」

「は?」

「以前の診察の時と微妙な差異を感じてね」

 

 会話も立派な診察。

 満更、口から出任せではなかったらしい。

 

「まぁ、ちょっと。少し考え方が変わったって言うか、なんというか......」

 

 左手で軽く、右肩に触れる。

 

「吐き出して楽になることなら話してくれて構わないよ、と言っても、僕は専門医ではないから、期待に答えられるかは解らないけどね」

「じゃあ、ひとつだけ。ちゃんと話した方が良いですよ」

 

 空気が変わった。

 まるで張り詰めるような空気が、診察室内を覆う。

 

「気にせず続けてくれたまえ」

 

 威圧感を発しながら言うセリフじゃないな。

 けど、こうなると分かっていて切り出したのは、俺の方だ。

 

「俺は――俺も、親父から逃げてきたから」

 

 ペンの動きが止まり、こちらに顔を向けた。

 忘れもしない、二年前の夏。

 あの日から、俺と親父は、他人になった。

 きっかけは、些細なことだった。正直、思い出せないくらいだから、本当にくだらない理由だったんだろうと思う。

 中学最後の大会、勝てば全国大会進出が決まる試合前夜。親父と取っ組み合いのケンカになって、右肩を強打した。意地を張り、血の気の引いた青ざめた顔で「病院へ行こう」と言った親父の手を払いのけ、部屋に閉じこもった翌朝、耐えられないほどの激痛で目覚め時にはもう手遅れで、右肩は上がらなくなっていた。

 あの日から、同じ屋根の下、他人として生活してきた。

 まるで、古い友人との再会を懐かしむような他人行儀な言葉使い、腫れ物を触るような接し方に嫌気が差し、逃げるように、転校の話しを受け入れた。

 

「なるほど。キミの言葉が重く感じていたのは、そういう理由か。真摯に心に留めておこう。しかし――」

「所詮他人の家庭、口を挟むことじゃないし、権利も筋合いもない。けど、アイツらは友達(ダチ)だ」

 

 思春期、性別の違い、ましてや五つ子。簡単にはいかないんだろう。

 正直俺自身、偉そうにものを言えるような立場じゃない。だけど。

 それでも、俺と同じ過ちを、同じ想いを、あとから後悔するようなことにはなって欲しくない。ただ、それだけ。だから――。

 姉妹の父親から目を逸らさずに、正直な想いを伝えた。

 

 

           * * *

 

 

 病院帰り、預かり物を届けるため、中野(なかの)姉妹の部屋を訪ねたところ、その場の成り行きでお邪魔することになった。部屋に居たのは、エプロン姿の二乃(にの)三玖(みく)の二人。一花(いちか)は、撮影。四葉(よつば)五月(いつき)は、夕飯の買い出しへ出掛けているとのこと。

 

「キレイに撮れてるわ。さすが、カメラマンね。イケメンだったし」

 

 上杉(うえすぎ)の親父さんから預かった、もう一冊のフォトブックの写真を見て、ご満悦な様子の二乃(にの)。彼女の隣でコタツに入っている三玖(みく)が、一枚の写真を指差した。

 

「あっ、一花(いちか)四葉(よつば)に変装した時の写真だ」

「ああ、あの時のか。いつも持ち歩いてるのか?」

「何かと便利だから」

「ええ、そうね。ホテルに不法侵入する時とかね!」

 

 若干目を細めて批難めいた視線を送る二乃(にの)を、三玖(みく)は気にする様子もなく、そのまま話しを続けた。

 

「因みに今、二乃(にの)が付けてるリボンは私が変装に使ってたの」

「別に深い意味はないわ。こっちのリボンの方が、長さのバランスがちょうど良かっただけよ」

「何も言ってないぞ?」

二乃(にの)は、ツンデレだから」

「違うわよ、勘違いされるような言い方しないで!」

「ね?」

 

 これが、本物のツンデレってヤツか。前田(まえだ)とは印象が大違いだ。

 三玖(みく)に同意を求められたが、穏便に済ませるために話題を変える。

 

「それで、俺に頼みたいことってのは?」

「そうだった」

 

「ちょっと待ってて」と言って、席を立った三玖(みく)はキッチンから、黒光りした物体を載せた皿を持って戻ってきた。

 

「球技大会優勝おめでとう記念手作りチョコレート」

「罰ゲームか?」

「はっきり言われると、さすがに落ち込む」

「冗談だって。味見だろ」

「うん。感想聞かせて欲しい」

 

 甘いのは、取り立てて得意って訳じゃないけど。

 ひとまず、皿に乗ったチョコを改めて見る。

 

「しゃれこうべらしき模様が浮かんで見えるんだが、気のせいか?」

「これは、大丈夫なドクロマーク」

 

 何をもって大丈夫なのだろうか。400字詰めの原稿用紙に根拠を書き綴って提出して貰いたい。

 

「ま、まぁ、私も手伝ったし、大丈夫よ。たぶん......」

「たぶんを付けるなよ、不安になるだろ。言っておくけど、好みは違うからな」

「分かってる」

 

 作り立てなのか、夏場に放置されていたように軟らかい。意を決して、口に放り込む。俺が食べたのを確認してから、二乃(にの)も口に運んだ。毒味させやがったな。

 

「どう?」

「普通に食える」

「ん、まあまあね。ちょっとくどさがあるけど、冷えて固まれば締まるはずよ。この線で詰めていきましょ」

「うんっ」

 

 嬉しそうに頷いた三玖(みく)は、空になった皿を片付けにキッチンへ下がっていく。

 

二乃(にの)は、いいのか?」

「なに? もしかして欲しいの?」

「十円チョコでも泣いて喜ぶぞ。春原(すのはら)ならな」

「後々面倒そうだから止めておくわ」

 

 今、春原(すのはら)がもらえたかもしれない義理チョコが確実にひとつ減った。

 

「親父さんにはあげないのか? 喜ぶぞ、きっと」

「......喜ばないわよ。てゆーか、何で急にそんな話しになるのよっ?」

「このフォトブックを預かった時、上杉(うえすぎ)の妹さんが、上杉(うえすぎ)と親父さんにチョコをあげるって話してたから」

 

 上杉(うえすぎ)は少し照れ臭そうに、親父さんは豪快に笑ってた。

 

「まぁ、そういう家もあるけど。あんたの(とこ)もそうだったの?」

「いや、母親いねーし」

「えっ? ご、ごめん......」

 

 気を遣わせてしまった。

 

「気にするなって。居ないのが当たり前だったから」

「そうだったんだ」

 

 湯飲みを載せたおぼんを持った三玖(みく)が、戻ってきた。

 

「私達も、お母さん居ないから同じだね」

「マジか」

 

 上杉(うえすぎ)の母親も亡くなっていると今日知って、線香をあげさせてもらったばかり。まさか、姉妹も同じ境遇とは想いもしなかった。男の片親同士の家庭、不思議な共通点だ。

 

「聞いてもいい? どんなお母さんだった?」

「さあな。物心がついた時にはもう居なかったから、顔も知らない」

 

 子どもの頃、一度だけ、親父に聞いたことがある。

 その時、もの凄く辛そうな表情(かお)したことを鮮明に覚えている。だからなのか、その話しは二度としなかった。いや、しちゃいけないと、子どもながらに感じたんだと想う。

 

「私達は、大きかったから覚えてる。手作りのパンケーキが美味しかったわ」

「もしかして、二乃(にの)が、料理を始めた理由って」

「......そうよ。初めて挑戦した料理だったわ。でも、全然上手く作れなくて。だから、美味しく作れるようになりたいって想ったのがきっかけだったかもしれないわね」

「今日は、本当に素直。あ、だから、雪が降ってるのかな?」

「あ、あんたねぇ、もう手伝ってあげないわよ!」

 

 腕を組んで、ぷいっと顔を背けてしまった。

 

「おいおい、いいのか?」

「大丈夫。二乃(にの)は、面倒見がいいから意地悪しない」

「ふ、ふんっ、今さら調子良いこと言ったって許さないわっ。容赦なくダメ出ししてあげるから覚悟なさい!」

 

 結局、手伝ってやるのか。正しく、ツンデレってヤツだった。

 もし、こんな冗談を言い合える兄弟や姉妹がいれば――いや、関係ないな。いずれにしても、こうなっていた。

 肩が壊れたのと同時に、関係も壊れてしまったのだから。

 

「さて、そろそろ帰る」

「味見、ありがとう」

「ああ」

 

 フォトブックを届けるだけのつもりが、思ったより長居してしまった。お暇して、外に出る。

 いつの間にか雪は止んでいて、雲の隙間から差すオレンジ色の夕焼け空に、少し目が眩んだ。

 つい先日まで短かった日も、だいぶ長くなった。

 手で日差しを遮りながら、振り返る。

 

「お邪魔しました、と。じゃあな」

「ええ。あっ、そういえば今日、病院に行ったんでしょ?」

「ようやく、完治の診断をもらえた。けど今度は、右肩(これ)で通えってさ」

 

 ぽんぽんっと軽く右肩に触れる。

 

「前に言ってた理由って、それだったのね」

「まぁな。じゃあな」

「またね」

「ばいばい」

 

 二人に別れを告げ、歩いて数歩の隣の部屋へ。

 ドアには、カギがかかっていた。春原(すのはら)はまだ、部活から帰ってきていないようだ。カギを回して、自室で服を着替えながら、姉妹の父親との会話を思い返していた。

 

 ――本気で向き合わないと、絶対に後悔する。

 

 思わずタメ息が漏れる。

 全く、自分のことを棚に上げて、どの口が言うんだってんだよな。説得力の欠片もない。お節介も良いところ。だけど、そうなって欲しくないのは本心。

 たぶん、今までの俺なら、他人の家族のことに首を突っ込んだり、進んで面倒事を抱えるようなまねはしなかった。

 そんな俺が、こんなことを想えるようになったのは、きっと。

 

「メッセージ?」

 

 差出人は、二乃(にの)

 内容を見て、またタメ息が漏れた。

 

 ――次の通院って、いつ? お願いしたいことがあるんだけど。

 

 メッセージを返して、スマホを置く。

 今の俺なら、向き合えるのだろうか。

 あの日からずっと、嫌悪感しか抱けなかった、あの人と――。



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Episode22

 朝、バイト終わりの通学路は普段よりも、制服姿の学生の数が多く見受けられた。それに加えて、どこかそわそわしていて落ち着きがないように感じる。

 理由は言わずもがな。今日が、二月十四日だから。

 同じ理由で、バイト先のパン屋でも普段の商品に加えて、バレンタインデー限定商品を販売、おかげでいつもよりも商品の陳列に時間がかかった。

 

「あっ、岡崎(おかざき)君、おはようございます」

五月(いつき)か。おはよ、早いな」

 

 交差点で信号待ちをしていたところを、後ろからやって来た五月(いつき)に声をかけられた。他の姉妹たちの姿はない。どうやら、ひとりのようだ。

 

「今日、日直なので一足先に家を出たんです。それにしても今日は、なんだか人通りが多いですね。やっぱり、アレですよね?」

「コレだろうな」

 

 赤から青に替わった横断歩道を歩きながら、こじゃれた紙袋を軽く持ち上げて見せる。

 

「もう、貰ったんですか?」

「店長からだよ。五月(いつき)は、誰かあげる予定は?」

「ありません。そもそも学生の本分は、学業です。恋愛にかまけている余裕はありませんっ!」

「そういえば、憧れてる職業には学力が必須とか言ってたな。何を目指してるんだ?」

「えっと、先生です」

「先生っつーと、教師? それとも、親父さんと同じ医者か?」

「前者の方です。お母さん......私達の母は生前、学校の先生をしていたんです」

「へぇ、そうだったのか」

 

 教員免許を取る必要があるから、大学へ進学しないといけないわけだ。学力が必須という理由も納得。女優、宇宙飛行士、教師と、それぞれ違う道だけど、三人とも険しい道のりの先にある頂を目指して歩いている。

 

「――ですが。やはり、今の私の学力では前途多難でして......」

「大学の入試試験まで、まだ一年もあるじゃないか。転校直後の中間試験と比べると、成績は上がってるんだろ?」

「そうなんですけど、あまり悠長なことを言っていられない事情がありまして。来月の年度末の試験では、結果を残さなければならないんです。いえ、必ず成し遂げてみせます......!」

 

 両手を胸の前で握った五月(いつき)の目は、決意で満ちあふれていた。

 きっと、何か特別な事情があるに違いない。どういった理由かは分からないけど、たぶん、親父さん絡みの事情であることは大方の察しがついた。

 

「そっか。なら、頑張らないとな」

「もちろんです。赤点回避はもちろん、私自身の目標のためにも――!」

 

 話しをしている間に、学校へ到着。

 昇降口で靴を履き替え、五月(いつき)と別れて教室に入ったところ、想わぬ人物が先に着席していた。

 

「やあ、岡崎(おかざき)! 今日は、清々しい朝だね!」

 

 いつも登校時間ギリギリに駆け込んでくる春原(すのはら)が、俺よりも早く登校しているなんてあり得ない。夢でも見ているのだろうか、あるいは、一周回って壊れたか。

 

「ついに、正気を失ったか。腕の良い医者紹介してやるぞ」

「酷い言われようですねぇ。僕だって、たまには早く登校することだってあるさ」

「あっそ」

 

 荷物を置いて席に着き、普段よりも遅め朝食にありつく。

 

「んで、どういう風の吹き回しだ?」

「って、聞くのかよ! 放置プレイで僕が突っ込むのが、いつものパターンだろ」

「聞いて欲しいんだろ? 早くしろよ」

 

 どうせ、大した理由じゃないんだろうけど。

 

「何か釈然としないんすけど、まあいいや」

 

 突如儚げな表情を浮かべた春原(すのはら)は、どこか遠い目で窓の外へ視線を向けた。

 

「待ってるのさ。勇気を出して一歩を踏み出そうとしている健気な女の子をね......」

 

 やはり、ろくでもない理由だった。

 

「こんな人の目が多い教室(ところ)に居たら、逆に声をかけづらいんじゃないのか?」

「おっ、それもそうだね! ちょっと行ってくるよ!」

 

 ハイテンションで教室を出て行った春原(すのはら)の背中を見送り、優雅に食後のコーヒーを嗜んでいると、四葉(よつば)が登校してきた。

 

「おはようございまーすっ」

「おはよ。今日は、いつもより遅かったな」

「あはは、寝坊した二乃(にの)を起こしていまして。昨日、三玖(みく)と一緒に遅くまでお菓子作りをしていたそうです。ところで、春原(すのはら)さんは? 靴はあったんですけど......」

「愛を求めて旅に出た」

「はぁ? そうですか。ところでですね」

 

 不思議そうな顔で席に着いた四葉(よつば)は、後ろを振り向いて、数種類の駄菓子を机の上に広げた。

 さながら、小さな駄菓子屋みたいだ。

 

「ハッピーバレンタイン! お好きなのをどうぞっ」

「懐かしいのが揃ってるな」

 

 ふと目に止まった、駄菓子を手に取る。

 チョコがコーティングされた安価の定番駄菓子。

 いつ以来だろうか。子どもの頃、たまに食べた記憶がある。

 

「美味しいですよね、それ。勉強中に摘まむのにちょうどいいですし。定番はミルクですけど、味のバリエーションも豊富で、中には、かなり攻めた商品もあるんですよ。岡崎(おかざき)さんは、何味を好んで食べていましたか?」

「どうだったかな。つーか、最近根を詰め過ぎじゃないか?」

「あはは、ご心配おかけしてすみません。でも、どうしても成し遂げたいんです」

 

 五月(いつき)と同じセリフ。

 仮説が、確信に変わった。間違いなく親父さん絡みの問題だな、これは。

 

「あ、二人ともー」

「友チョコ持ってきたよ。一緒に食べよ」

「ありがとうございますっ」

「サンキュー。そうだ、これも一緒に食べてくれ」

 

 店長からいただいた菓子の箱を開けて、机に置く。

 

「まさかの逆チョコですかっ。いただきまーす」

 

 同じ班の女子二人も加わり、予鈴がなった頃、春原(すのはら)が戻ってきた。

 

「お前、何周して来たんだ?」

 

 うっすら涙を浮かべた春原(すのはら)は、無言で指を三本立てると机に突っ伏した。

 

 

           * * *

 

 

 放課後の図書室、日課の勉強会が終わり。

 

「くっそ~」

 

 武田(たけだ)の荷物の横に置かれた山積みのチョコを改めて見た春原(すのはら)は、嫉妬の炎を燃やした。ざっと見て十個近くはある。これだけ多いと返すのが大変そうだ。

 

「もっと知名度が上がれば貰えるようになるんじゃないか?」

「そっか! 勝ち上がって、テレビに出れば、モテモテだよね! やべぇ! そのまま、芸能界デビューもあり得るかも! よーし!」

 

 荷物を担ぐとダッシュで、図書室を出て行ってしまった。

 

「全く、相変わらずゲンキンなヤツだな、アイツは」

「はははっ。だけど、本当に貰えなかったのかい? 先の球技大会の件は、僕のクラスでも話題に上がっていたけど」

「お前が貰ったみたいな、ガチな感じのはな」

 

 数自体は結構貰った。四葉(よつば)たちと一緒に、駄弁りながら摘まむ感じで。俗に云う、本命というやつはひとつもない。

 

「なるほど、そう言うことか」

「何ひとりで納得してるんだ」

「いや、何でもないさ。じゃあ今日は、ここまでにしよう」

 

 要領を得ないが、荷物を片付け、図書室を後にする。

 

「しかし、今思い出しても、あの時の悔しさが込み上げてくるよ。あと一歩のところで逆転を許してしまった。前田(まえだ)君も、決定機で落としてしまったことを、しばらく引きずっていたからね」

 

 眉間にシワを寄せながら、ヤンキー座りでブツブツ言っている姿が目に浮かぶ。

 

「そら、残念だったな」

「肩の状態は?」

「悪化はしてないってさ。けど、めでたく通院を言い渡された。今日も、これから通院だ」

「大事に至らなくて何よりだよ。バスケ部の両部長も、心配していたからね。話しは変わるけど、実は最近、トレーニングを始めたんだ。宇宙飛行士は、知識だけではなく、運動能力や体力、精神力が必要だからね。良ければ、基礎的なトレーニングのメニューを指導して貰えると助かるんだけど」

「中学の時ので良ければ」

「是非お願いするよ」

 

 と頼まれたため、自主練で行っていたトレーニングメニューを口頭で伝える。すると、武田(たけだ)の足がピタリと止まった。

 

「今のメニューを、毎日こなしていたのかい......?」

「最終的にはな。別に、いきなりじゃなくて徐々に延ばしていけばいいんだよ。方向性が違うってだけで、勉強だって同じだろ」

「その通りだね。メニューを参考に、地道に行っていくことにするよ」

 

 昇降口に着くと、武田(たけだ)は爽やかに笑った。

 

「ふふっ、やるね」

「茶化すなよ」

 

 下駄箱の中にキレイにラッピングされた菓子箱が複数個置かれていた。しかし困ったことに、どれも差出人が分からない。これじゃあ返しようがない。

 

「おや。じゃあ僕は、これで退散するよ。健闘を祈っているよ」

「はぁ?」

 

 また無駄に爽やかな笑顔を残して、先に行ってしまった。

 とりあえず、靴に履き替え、玄関を出たところで、武田(たけだ)がとった行動の理由が分かった。

 ベンチに座っていた二乃(にの)が、こちらへ歩いて来る。どうやら、勘違いされたらしい。

 

「遅いわよ、待ちくたびれたわ」

「待ち合わせは、病院の中庭だったと思ったんだが?」

「......気が変わったの。はい、これ、よろしく」

 

 親父さんへの、バレンタインのプレゼントを受け取る。

 

「自分で渡さなくていいのか?」

「......今はまだ、面と向かって話せない。話せる時が来たら、ちゃんと伝えるわ。だから、お願い」

「そうかよ。じゃあ行ってくる」

 

 正門を出て、病院へ向かう。

 

「で、何で一緒に歩いてるんだ?」

「途中まで同じ道じゃない。貰えて良かったわね、チョコ。返事はしたの?」

「どれも知らないうちに置いてあったから、顔も名前も分からない。心当たりもないし、返事どころか、返しようもなくてな」

「ふーん、そう。でも、言われてみれば、こういうのって相手に認識されないと意味ないわよね」

 

 何やら、真剣な表情(かお)で考え込んでいる。

 朝、五月(いつき)と出会った交差点で二乃(にの)と別れ、俺はひとり、病院へ向かった。受付を済ませ、診察室に入る。

 

「確か、次回の診察予定日は週末だったはずだけど。何か緊急事態かな?」

「どうしても、今日じゃないといけない事情があったんで」

「そうかい。何かな?」

 

 二乃(にの)から預かった、紙袋を差し出す。

 いつもと変わらぬポーカーフェイスで、紙袋をジッと見つめている姉妹の父親が、ゆっくりと口を開いた。

 

「すまないが、キミの気持ちには――」

「俺じゃない。二乃(にの)から」

 

 ポーカーフェイスを崩さず言わない貰いたい。本気か冗談か判断しづらい。

 

二乃(にの)君から......礼を――」

「自分で伝えてください」

 

 こればかりは、折れるわけにはいかない。

 この親子の間に、何があったかなんて知ったことじゃない。

 ただ、姉妹総出で家出したほどだ。問題は深刻なんだろうけど、そんな状況でも、悩んだ末に渡すと決めたんだ。

 ここは、絶対に退かない。

 無言のまま向き合い数十秒後、すっと目をつむり、紙袋を静かにテーブルに置いた。

 

「そうしよう」

 

 その返事を聞いて、詰まりそうだった息を吐き出す。

 

「これは、キミの発案かい?」

「まさか。知り合いの子が父親にあげるって言っていたんで、あげるのか聞いただけですよ、俺は。贈ると判断したのは、二乃(にの)自身です」

 

 今、一瞬口元が緩んだような......気のせいか。

 

「そうかい。年度末試験まで、ひと月あまりか。どうかな?」

「礼のついでに聞いてみたらどうですか?」

「彼女達のことではなく、キミの話しだよ」

「俺の?」

「話しは聞いているよ。成績如何によっては、転校前の、東京の学校へ復学出来るとね」

 

 武田(たけだ)が、他言したとは思えない。

 武田(たけだ)の親父さん経由か、同じ立食パーティーに参加していて情報を得たのだろうか。

 しかし、今のは特別大した話しではなかった。

 本当に重要なのは、この次に続いた言葉の方――。

 それは、今の俺の考えを、全て根底から変えてしまうほど衝撃的な言葉だった......。



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Episode23

 ひとつ月が巡り、寒冬だった二月と比べて、幾分過ごしやすくなり始めた三月の上旬。今月に入ってから、年度末の試験に向けた勉強のため、月の頭からバイトを休み、家でも、学校でも、机に貼り付いている時間が長くなった。

 

四葉(よつば)ー、体操着貸してもらえるかな?」

 

 昼食を売店で調達して、惣菜パンを片手に机に向かっていたところ、隣のクラスの一花(いちか)が、四葉(よつば)を訪ねてきた。

 

「時間割り一日ズレてた。あははっ」

「もぅ、ちゃんと確認しないとダメだよ」

「はーい。あっ、ジャージだけいいから。二人とも、頑張ってるね」

 

 武田(たけだ)が拵えてくれた問題集を解きながら、返事を返す。

 

「もうすぐ試験だからな。最後の追い込みだ」

「僕達は、文字通り退学(クビ)がかかってるからさ。ギリギリまで悪足掻きしないとってね」

「そっか、お互い大変だね。どう? 赤点回避できそう?」

「さーな。こればかりは、やってみないことには分からない。お前達は?」

「私達も、同じだよ」

「はい。一花(いちか)

「ありがと」

 

 ジャージを受け取った一花(いちか)は、空いていた四葉(よつば)の隣の席に座って、そのまま会話を続けた。

 

「試験まで、あと一週間。無事に赤点回避して、みんな笑顔で進級できるといいね」

「うん! って、私が一番危ないんですけどね。あはは~」

 

 自虐的に笑った四葉(よつば)はペンを持ち直して、ノートと教科書を開いた。

 

「でも、この試験を無事に突破できれば、また楽しい行事(こと)がいっぱいですっ。気合い入れて乗り切りましょう!」

「三年って、何か特別なイベントあんのー?」

「何って、もちろん、修学旅行だよ?」

「えっ......?」

 

 手を止めた春原(すのはら)は、勢いよく顔を上げた。

 

「この学校の修学旅行って、三年だったの!?」

「えぇ~、知らなかったことに驚きなんだけど」

「いや、前の学校は、二年の三学期だったからさ。てっきり、今度の試験の後なのかなって......」

「そういえば、岡崎(おかざき)さんも、同じことを言ってましたね」

「ああ、同じ思い違いしてた。うちは、進学校だったから」

 

 三年へ進級すると同時に、スポーツ推薦枠以外の生徒は即受験モードに切り替わる。だから、修学旅行も二年に予定が組み込まれていた。まぁ、仮に向こうに残っていたところで参加してなかっただろうけど。

 

「そうそう、授業に出なくても一切お咎めなしの学業免除の特待生が居たくらいだからねぇ」

「マジか。初耳だぞ」

「お前、知らなかったのかよ。かなり有名だったぜ? 全国模試は一年の頃から常に一桁で、頭に超が付くほどの天才ってね。確か、僕達と同学年の女子って話しだったはずだよ」

「全国一桁って......正に雲の上って感じで、ちょっと想像もつかないかな」

上杉(うえすぎ)さんと、どっちが頭良いんだろう?」

「あっ、予鈴鳴った。じゃあ行くね。四葉(よつば)、ジャージありがと」

「家でいいからね」

「りょーかーい」

 

 小さく手を振った一花(いちか)は笑顔を見せながら、教室を出て行った。俺達も、授業の準備に取りかかる。

 

「ところでさ。修学旅行の行き先ってどこなんだろうね」

「例年通りですと、京都だそうですよ」

 

 春原(すのはら)の素朴な疑問に、四葉(よつば)はこちらに身体を向けて答え、答えを聞いた春原(すのはら)は、あからさまに不満を漏らした。

 

「京都~? 僕、中学ん時も京都だったよ」

「俺もだ。あと、奈良」

 

 由緒正しい歴史のある寺、巨大な大仏、公園で鹿の群れを見たくらいしか記憶に残ってない。肩を壊して間もなかった時期だったってのもあったんだろうけど、特別想い出に残るような出来事は浮かんでこない。

 

「僕、ツレと一緒に土産物屋で買った木刀を振り回して、こっぴどく説教された思い出しかないんすけど......」

 

 俺の学校にもいた。どこの学校にも同じような行動をするヤツは一定数いるようだ。

 

四葉(よつば)ちゃんは、京都行ったことあんの?」

「私は、小学生の時の修学旅行が京都でしたので。今でも、忘れられない思い出がいっぱいです......」

 

 いつも笑顔を絶やさない四葉(よつば)からは想像できないほど、感慨深い、そんな、どこか憂いを滲ませたような表情を見せた。

 

「もしかして、迷子になってたりしてね」

「な、なぜ、それを!」

「当たってるのかよ。けど、なんとなく想像できるな。気づくと、ひとりはぐれてそうだ」

「うぅっ、当たりです......お恥ずかしい限りで。あはは~」

「アハハ! なんか、四葉(よつば)ちゃんらしくて安心したよ」

 

 少し恥ずかしそうに笑うと、いつもの表情に戻った。

 

「でも、とても大切な思い出で、特別な場所です。お二人は、そういった場所や思い出はありますか?」

 

 ――思い出深い場所、か。

 この時、ふと頭に浮かんだのは、一面黄色に染まった綺麗な花畑。

 いつの思い出だっただろうか。

 

 

           * * *

 

 

「まだ続けんの?」

「ああ......」

 

 時計は既に、午前0時を回っていた。

 放課後、図書室とファミレスで、武田(たけだ)から教わったところを重点的に復習している。試験まであと一週間、どんな結果になろうとも悔いだけは残したくない。

 そう本気で思ったのは、あの日、上杉(うえすぎ)の覚悟を聞いた時からだ。

 病院で、姉妹たちの父親から衝撃的な話しを聞いたあと、自分に何か出来ることがないか考えながら家路を歩き、アパートに着くと、寒空の下、階段に座る人影があった。

 

上杉(うえすぎ)?」

「ん? 帰ってきたか。これを――」

 

 俺を待っていた上杉(うえすぎ)の手のひらの上には、四葉(よつば)が持ってきたのと同じチョコレート菓子が乗っかっていた。

 

「......気持ちだけ受け取って――」

「らいはからだ!」

 

 チョコは、上杉(うえすぎ)の妹さんからだった。理由は、上杉(うえすぎ)に服を貸したことのお礼。

 

「今回は、赤点回避できそうなのか?」

「分からん。だが、できる限りのことは全部やる。あいつら全員を笑顔で卒業させる。今は、それだけしか眼中にない」

「そうかよ。もうひとつ聞いていいか?」

「何だ?」

「お前自身は......?」

 

 先日、四葉(よつば)が解いていた問題集を見る機会があった。それが驚くことに、一言一句すべて手書きだった。あれだけのものを自力で拵えたとすれば、相当な労力がかかっているだろう。間違いなく、自分の勉強時間を削っているに違いない。

 

「言っただろ。今は、あいつら全員揃って笑顔で卒業させる、それ以外考えてないって。例え――」

 

 ――今回の試験で、俺の成績が一時的に落ちようともだ。

 

 迷うことなく言ってのけた、あの言葉を聞いた時、俺の腹は決まった。

 

「お前は、付き合うことないぞ」

「コタツ使えよ、風邪でも引いたら元も子もないっての」

 

 好意に甘え、隣の部屋に移動してコタツに入る。

 天板には、筆記用具と参考書、問題集が雑に広げられていた。

 

「ほいよ」

「サンキュー......って、水かよ。カフェインじゃないのか?」

「寝ないと記憶は定着しないって、武田(たけだ)に念を押されたろ。さーて、もう少し続けようぜ」

「だな。やってたんだな、お前も」

「まーね。正直、自分で信じられないっての。僕が、本気で勉強してるなんてさ。たぶん今、人生で一番本気で取り組んでるよ」

「俺もだ」

「ははっ。どんな結果になってもさ。最後は、スカッと気分よく決めたいよね」

「同感だ」

 

 その後、お互い一心不乱に勉強を続け、気がつくとコタツで眠っていた。

 そんな日が、年度末試験の前日まで毎日のように続き、迎えた本番当日。自分の中では、今までで一番の手応えだった。

 そして後日、緊張感を感じながら結果発表の時を迎えた。

 出席番号順に結果が記された紙を受け取り、席に戻る。

 今、間違いなく、人生で一番緊張している。

 結果を見た次の瞬間、無意識に目を閉じていた。

 ――これで、もしもの時は大丈夫だ、後は......。

 目を開ける。四葉(よつば)が、教室を出て行く姿が視界に入った。彼女の背中からは、どちらとも取れた。席を立ち、後を追って廊下に出たところで、四葉(よつば)が、上杉(うえすぎ)に向かって頭を下げていた。

 

「どうやら、無駄骨に終わったみたいで良かったね」

「ああ、そうだな。さて、戻るぞ」

 

 踵を返し、教室へ戻る。

 

「ありがとうございました。私......初めて報われた気がします」

 

 聞こえたのは、涙混じりの感謝の言葉だった。

 

           * * *

 

「全員、無事に赤点回避したそうですよ」

 

 診察中、姉妹たちの試験結果を、彼女たちの父親に伝える。

 

「そうかい。それは何よりだよ。どうやら、上杉(うえすぎ)君のことを認めざるを得ないようだね」

 

 相変わらずのポーカーフェイスを変えてやろうと、若干皮肉を込めて、試験結果の紙をデスクに置く。

 

「おかげさまで、平均を上回りました」

「......さて、なんのことかな」

 

 ――全く、白々しいセリフだ。

 あの日、目の前に居る姉妹の父親から告げられたこと。

 それは、年度末試験で誰かひとりでも赤点になれば、姉妹たちは転校になるという突拍子のない話し。

 そして、その転校先は、知人が理事を務める東京の高校――光坂高校。

 そう、俺と春原(すのはら)が在学していた学校。

 なぜ、その話しを部外者の俺に伝えたのか。聞かされた時は、あまりにも唐突過ぎて頭が回らなかったが、今なら分かる。ちょっと考えてみれば誰でも分かる単純な理由だ。

 もしもの時のための保険。

 リスクを限りなく低くするため、知人のプロ家庭教師を付けると妥協案を提示したが拒まれてしまった、とも話していたから間違いないだろう。

 

「しかし、この短期間でよくここまで上げたね」

「俺ひとりの力じゃ到底無理でした。付き合ってくれた友達(ダチ)が居たから結果を残せた」

「なるほど、感謝の気持ちを忘れないようにしなさい」

 

 言われなくても、忘れることはない。

 

「あ、そうだ。二乃(にの)から伝言を預かってたんだ」

「なんだい?」

「伝えたいことがあるそうで、マンションの玄関前で待ってるそうです。ちょうど良いんじゃないですか?」

 

 今日は、三月十四日。ホワイトデー。

 デスクの上には、存在感のある紙袋が置かれている。俺も、上杉(うえすぎ)の妹さんに返さないと、帰りに買っていくとしよう。

 

「じゃあ、これで――」

「待ちたまえ。まだ、話しは終わっていないよ」

 

 椅子から上げた腰を降ろす。

 

「なんですか?」

「これを受付に提出するように」

 

 渡されたのは、一枚の用紙。ざっと流し読む。

 

「整形外科?」

「うちには、腕の良い専門医が居てね。施術を受けてくるように。以降は、意見を仰いだ上で判断させてもらうよ。後ほど、こちらから連絡を入れる」

 

 話しは終わったようだ。席を立ち、診察室を出て、言われたとおり受付へ用紙を提出し、一度外へ出て、二乃(にの)にメッセージを送ってから、待合室で呼び出しを待つ。

 

「お待たせしました。こちらへどうぞ――」

「あ、はい」

 

 看護師の案内で、別の病棟へ移動。

 向こうでも、リハビリは受けた。でも、肩は上がらないままだった。今さら、受け直して何になるのだろうか。

 

「い、イテぇです......」

「ふむ、なるほど。これは?」

「もっとイテぇっす......」

 

 専門医による、激しい痛みの伴う施術を受けた後、ようやく帰宅の途につくことができた。

 そして、その日の夜、電話が掛かってきた。

 俺と春原(すのはら)を、こちらへ送り出した老教師幸村(こうむら)の爺さん。

 

『そちらの校長から連絡を受けた。良くやった。春原(すのはら)にも伝えてくれ』

「ああ、伝えておく。まぁ、大変だったけどな。今日は、もう寝たい......」

 

 向こうから、とても愉快そうな笑い声が聞こえた。

 

『ふむ、それで今後についてだが』

「そのことだけど――」

 

 返事を言う前に、強引に割り込まれた。

 

『そう焦らず決めずともよい。ゆっくり時間をかけて考えるといい。では、またの』

「あ、おい、爺さん! 切りやがった......」

 

 これでもかと大きなタメ息をつき、コタツのある部屋へ戻る。

 

「なんだってー?」

「良くやったってさ。あとは、どうするかゆっくり考えろって」

「返事しなかったの?」

「切られた」

 

 コタツに入ろうとしたところで、また着信が入った。

 ディスプレイに映し出されていたのは、中野(なかの)姉妹の父親。それも、メッセージではなく、電話。

 再び隣の部屋へ行き、応対。

 

「はい、岡崎(おかざき)です」

『夜分遅くにすまないね』

「いえ、それで何か?」

『今後についての話しだよ。詳しい話しは、次回の診察でさせてもらう。都合の良い日を教えてくれたまえ』

 

 明日からバイトのため、直近の休みの日を伝える。

 

『では、その日にしよう』

「わかりました」

 

 この後、応答はなく、しばらく無言が続いた。

 通話が終わる感じがしない。こちらから切ってしまっていいのだろうか。完全にタイミングを失った。まるで地獄のような沈黙が続く。

 

「あの~......」

『前に進むという抽象的な言葉を、どう解釈するかな?』

「はあ?」

 

 いったい何の話しだろうか、捉えどころがない。

 

『必ず後悔する日が訪れると忠告を受けてなお、なぜ、誤った道へと足を踏み入れようとするのだろうね』

 

 ああ、分かった。五つ子の話しだ、これは。

 何か仲違いが起きたのだろう。

 どう思っているかなんてことは、俺には分からない。

 ただ、実体験を元に言えることがあるとすれば、何かを変えようと、変わりたいと必死に足掻いている途中だったとしたら――。

 

「寛容と放任は別だと思いますよ」

『......実に興味深い見解だね。では、失礼するよ』

 

 今度は、返事をする間もなく一方的に切られた。

 またひとつタメ息をついて戻る。

 

「長かったね」

「ああ、ちょっとな。俺さ、カウンセラーにだけはならない」

「いや、僕も、お前に人生相談しようとは思わないけどさ。そう言えばさ。バレンタインのお返し何にしたの?」

 

 春原(すのはら)に指摘されて思い出した。上杉(うえすぎ)の妹さんに、返しそびれたことに。

 三度目のタメ息をつき、用意したお返しを持ち、冷たい北風が吹く夜空の下、上杉(うえすぎ)の家へと急いだ。



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Episode24

 試験結果返却日後日の昼休み。

 凍える厳しい寒さの冬が過ぎ、暖かな春の陽気が感じられるようになった今日この頃、 中庭の芝生で寝転んでいたところ、突如、日差しが陰った。

 

「ちょっといい?」

「ん?」

 

 まぶたを開けて、声の主を確認すると、蝶のような形の黒いリボンが目に入った。身体を起こして、二・三度首を鳴らして座り直す。

 

「どうした? 二乃(にの)

「話したいことがあって」

 

 辺りを見回すようにしてから、二乃(にの)は隣に腰を降ろす。

 

春原(すのはら)は?」

「豪遊中」

 

 赤点回避の結果により無事進級が決まり、念願のスマホ獲得が濃厚になったと、朝からテンションが高かった。たぶん今頃、前祝いで、キンキンに冷えた炭酸ジュースでも引っかけてるだろう。

 

「そう。ちょうど良かったわ」

「ちょうど良い?」

 

 春原(すのはら)が居ると、話し辛いことなのだろうか。

 

「バレンタインのことよ。結果はどうあれ、きっかけになったから。ありがと」

「そっか、どういたしまして」

「で、何かやってるでしょ?」

「はぁ? なんのことだよ」

「昨日の夜、パパとの話し合いは、物別れで終わったわ。だけど、その日のうちにメッセージが届いたのよ。食事はしっかり摂るようにって。マンションを出てから今まで、一度も連絡すらして来なかったのに。何より私たちの行動を、素直にぶつけた気持ちを完全否定したあとによ? どう考えてもおかしいでしょ」

 

 受け取った時間的にメッセージは、俺との電話の後。

 父親のプライベート用のアドレスを知っている人物は限られているわけだから、短時間で心変わりが起きたことに関係しているかもと疑われたわけか。

 

「普通心配くらいするだろ。年頃の娘なんだし」

 

 何せ、心配性のくせして、愛情表現が致命的に下手で、姉妹たちのことを心から大切に思っている頭に超が付くほどの親バカな人だ。

 

「......しらを切るつもりね。いいわ。必ず暴いてあげるから覚悟しておきなさい!」

 

 また、面倒なことになりそうだ。いっそのこと逃げるか? その権利を持っていることだし。少し真面目に考えてみたところ、逃げるにしても、留まるにしても、どっちにしろ面倒という結論に至ったため、考えるのは止めることにした。

 

「ところでさ」

「今度は、なんだよ?」

「前の学校で、仲の良い女の子が居たって言ってたわよね?」

「ん? ああ~......まぁ、やたらと絡んで来る物好きなヤツがな。それがどうかした?」

「その子とは、なんて呼び合ってたの? 苗字?」

「いや、お互い下の名前だった。双子で苗字呼びだと紛らわしいからって」

 

 それでも、しばらくは苗字呼びだった。それが、春原(すのはら)の悪ふざけがきっかけで「お互い楽でしょ」とかなんとか、よく分からない理由で、お互い下の名前で呼び合うようになった。

 

「そっ、じゃあ名前で呼ばれ慣れてるわけね。好都合だわ。ちょっと付き合って」

「何に?」

「名前呼びの練習。もう、知り合って半年くらい経つし。不公平でしょ?」

「まぁ、好きに呼んでくれて構わないけど......」

「下の名前なんだっけ?」

 

 今、もの凄く失礼なことを言われたような気がしたのは、気のせいだろうか。

 どうあれ、昼休み終了を知らせる予鈴が鳴るまで、名前呼びの練習に付き合わされることになった。

 

 

           * * *

 

 

「二人とも、おめでとう」

 

 放課後の図書室。俺たちのテスト結果を知った武田(たけだ)は、まるで自分のことのように喜び、労いの言葉をかけてくれた。

 

「一日遅れてしまったけど、改めて賛辞を贈らせていただくよ」

「お前のおかげだ。俺たちだけの力だけじゃ到底無理だった。それに結構、無茶なこと頼んじまったし」

「いいや、構わないさ。力になれて、家庭教師冥利に尽きるというものさ」

 

 そう言って、爽やかな笑顔を見せた武田(たけだ)の表情が曇った。

 

「しかしながら、恐れていたことが現実のものになってしまった」

「なにが?」

「これだよ」

 

 テーブルに置かれたのは、試験結果の紙。

 武田(たけだ)の名前の横に、合計点数と共に数字の「1」が記されていた。

 

「おおっ、やったじゃん! ついに、学年トップの座を奪ってことっしょ」

「お前は、本望じゃないって感じだな」

「その通りだよ。僕は今回、本気で満点を取りにいったんだ。例え、上杉(うえすぎ)君が満点を逃そうとも。だけど結果は、満点に届かず終いだった。これじゃまだ、背中にすら届いていない......!」

 

 春原(すのはら)は呆れ気味だけど、この飽くなき向上心は素直に尊敬に値する。

 

「フゥ、吐き出してスッキリしたよ。さて、約束通り話そうか」

 

 爽やかな笑顔でも、決意に満ちた顔でもなく、初めて見るやや強張った表情に変わった。

 

「何だっけ?」

「二学期の期末の後、意味深に言ってただろ」

「そうだっけ?」

「こういうヤツだから、無理に話さなくていいぞ」

 

 表情を見る限り、間違いなく言いづらいことだろうから。

 

「心遣いはありがたいけど。これを話さずして、今まで通り振る舞うことは、僕には出来ないよ」

 

 覚悟を感じた。

 自身の成績を二の次にした、あの時の上杉(うえすぎ)と同等の覚悟を――。

 他人の耳に入らないよう配慮し、昼休み二乃(にの)と話した中庭へ場所を移し、武田(たけだ)から聞かされた話は、予想よりも生々しい話しだった。

 

「つまり、僕たちは利用されてたってこと?」

「そう。学校の宣伝のために、ね......」

 

 道理で言いづらいわけだな。

 春原(すのはら)は、大きなタメ息をついた。

 

「ハァ、合点がいったよ。もう終わったことだから話すけどさ。僕、テスト前に顧問から言われたんだ。試験落としても退学にはならないって」

 

 転校前、春原(すのはら)自身が言っていた部活で結果を残せばいい。正に、あの思惑を実現していたということか。

 それでも、試験勉強に取り組んでいたのは、俺と同じ理由......いや、嫌な顔ひとつせずに勉強を教えてくれた武田(たけだ)に報いるためか。ちゃらんぽらんに見えて、案外義理堅いところがあるからな、春原(コイツ)も。

 

「学校経営は、綺麗事じゃ済まされない。それは、理解してる。経営が傾けば結果的に、通っている生徒たちが路頭に迷ってしまうからね。ゆえに運営を健全に保つには、莫大な資金や後ろ盾が必要になる。手っ取り早く生徒を集めるには、学業や部活で、学校の知名度を上げること。あるいは......」

 

 俺も、合点がいった。

 なぜ、期末試験前の騒動がお咎めなしだったのか、復学の話しを知った武田(たけだ)が見せた、あの儚げな表情も――全てに。

 

「政財界と太いパイプを持つ。例えば、大病院の経営者とか」

 

 負傷の事情を知った中野(なかの)姉妹の父親から、武田(たけだ)の親父さんに何かしらの口添えがあり、お咎めを受けなかった。そんなところだろう。たぶん、大きく外れてはいないと思う。

 

「そりゃ微塵もムカつかないって言ったら嘘になるけどさ。ぶっちゃけ、内部の事情なんて僕たちが知ったことじゃないし」

「いろいろあんだろ。お前自身もさ」

 

 敷かれたレールの上を歩いていた、武田(たけだ)が言っていた言葉だ。俺たちの想像を絶するほどの重圧を、子供の頃から背負って来たに違いない。

 

「......違うんだよ、僕が納得いかなかったのは、身を案じる言葉を一番に聞けなかったことなんだ。岡崎(おかざき)君が、病院に担ぎ込まれた時、中野(なかの)医院長から連絡を受けた父の口から......それが、どうしても許せなかったんだ」

 

 それが、本音か。

 頭では理解してるけど、心が納得しない。

 何ていったらいいか、本当に――。

 

「サンキューな。怒ってくれて」

「お前って、ホント真っ直ぐなヤツだよね。気持ちいいくらいにさ!」

岡崎(おかざき)君、春原(すのはら)君......」

 

 俺たちの言葉を聞いてなのか。

 まるで緊張の糸が切れたかのように、安堵の表情(かお)に変わった。

 

 

           * * *

 

 

 バイト終わり、そこそこの頻度で帰り時間が同じになる上杉(うえすぎ)と、途中まで同じ帰り道を話しながら歩いている。

 

「今回の試験、結構落としたんだってな」

「なぜ知っている?」

 

 名前呼びの練習中にした二乃(にの)との雑談の中で、それとなく聞いた。

 

「マジで恥ずい。一生の不覚だ」

「少なくとも間違ってはなかっただろ。姉妹全員、赤点回避の目的を達成したんだから。有言実行したじゃないか」

「......その通りだな、成績なんて取り戻せばいいだけだ。だが、驚いたぞ。お前と春原(すのはら)の結果には。あれだけ苦労して教えたってのに、いとも簡単に上を行きやがって」

「やり方が、上手いことハマっただけだよ」

 

 高校に上がるまで、全ての教科に家庭教師が付いていた武田(たけだ)は、多種多様な勉強法を知っていた。それらの方法の中から、自分に合った勉強法に巡り合えたことが大きい。

 

「やはり、自分が正しいと思っている方法だけでは限界があるな。引き出しを増やす必要がありそうだ」

 

 どこか納得したように頷いた上杉(うえすぎ)は、まったく別の話題を振ってきた。らしくもない、ホワイトデーの話し。

 

「らいは、ホワイトデーのお返し喜んでた。礼を伝えてくれって」

「そら良かった。お前は、ちゃんと返したのか?」

「ああ。バイト先のプリンをな」

「で、返事は?」

「返事?」

「貰ったんだろ? バレンタイン」

「らいはからな」

「はぁ?」

 

 なんだか話しが噛み合ってない。

 

「他には? それこそ、五つ子の誰かとか」

「お前も、うちの店長と同じことを言うんだな。まぁ、一時期三玖(みく)に、やたらとチョコを食べさせられたことはあったな。だがそれも、試験のひと月前辺りにからはなくなったがな」

「ハァ......」

 

 ――お前の言った通りだよ、二乃(にの)

 どれほど好意を寄せていても、相手に認識されないと意味がないんだな。心中察するぞ、気の毒に。

 

「そもそも、恋愛なんてものは、学業から最もかけ離れた愚かな行為だ。とも、最近は言い切れん......俺自身よく分からなくなっている」

「どうした? らしくもない。誰かから告られたか?」

 

 上杉(うえすぎ)の足が止まった。

 

「マジか」

 

 今までの話しの流れからすると、三玖(みく)ではなさそうだ。となると......いや、止めておこう。この詮索は、無粋にもほどがある。

 

「......返事は求めてないと言われたが。正直、どう接すればいいのか戸惑ってる」

「まぁ、あれだ、相手が分かってるだけマシだぞ? 相手が分からないと返事のしようがないからな」

「なんだ? その自虐風の自慢は」

「直で告られたヤツに言われたかねーよ」

「くっ......! しかし幸い、もうすぐ春休みだ。いったん全てを忘れて、自分の勉強に集中することにしよう。うん、それがいいな!」

 

 腕を組み、強引に自分自身を納得させるかのように、とてもわざとらしく頷いた。

 

「ハァ。で、家庭教師には復帰できたのか?」

「......さぁ、どうなんだろうな。それ以前に――いや、なんでもない」

「そうかよ」

 

 止まっていた歩みを進め、別れ道。

 

「じゃあな」

上杉(うえすぎ)

 

 背中を呼び止める。

 

「なんだ?」

「心配するなよ。あの親子は、きっと大丈夫だ」

「なぜ、言い切れる?」

「――家族だから。他に特別な理由なんて要らないだろ? じゃあな」

 

 上杉(うえすぎ)の答えを聞く前に、背を向けて歩き出す。

 

「――家族だから、か」

 

 何でだろうな、自分でもよく分からない。

 この言葉が頭に浮かび、自然と声に出たのは。

 もしかしたら......そう、信じたかったのかも知れない。



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Episode25

 内容の濃い日々を送った三学期も残すところあと僅か。終業式を数日後に控え、学校も日程消化期間に入った短縮授業の早上がりの昼食時のこと。

 どういった理由なのか、バイト先のパン屋には、中野(なかの)さんのところの五つ子姉妹全員が集合していた。

 

「ここが、岡崎(おかざき)さんのアルバイト先ですか。朝の教室と同じ良い匂いがしますっ」

「あれ? 四葉(よつば)、来たことなかったの? 意外だね」

「部活の助っ人とか、勉強で忙しくて、なかなか来る機会がなかったんだ。でも、お裾分けして貰ったことあるから美味しいのは知ってるよ。みんなは?」

「何度か来たことがある。一番通ってたのは、私だと思う。だけど、引っ越してからは初かも」

「散財しないよう気をつけていましたからね。私たちも、久方ぶりの来店です」

「それより、注文するわよ。お昼に来たんだから」

「そうだね。すみませーん」

 

 一花(いちか)に呼ばれ、メモを片手にテーブル席へ向かう。

 

「お待たせしました。どうぞ」

「ドリンクセットを五つお願い。みんな、飲み物決まった?」

「私は、いつものを。今日は、アイスで」

「抹茶ソーダを......アイスで、と」

「わっ、二人がまるで常連さんみたいなやり取りをっ!」

 

 三玖(みく)とのやり取りを見た四葉(よつば)のリアクションは、一花(いちか)の時とほぼ同じ。なんとなく、可笑しくて笑いそうになる。実際一花(いちか)は、白い歯を見せて笑っていた。

 外の自販機で抹茶ソーダを調達してから厨房に入り、全員分の注文の品を用意して店内へ戻って、飲み物の代わりに礼の言葉を受け取り、通常業務に戻る。

 昼時の忙しい時間帯の客足が途切れたところを待っていたかのように、五月(いつき)に声をかけられた。

 

「シェアできるような甘い物はありますか?」

「大抵の物は切り分けられるけど。目と鼻の先に、専門店があるぞ」

 

 上杉(うえすぎ)のバイト先である、向かいのケーキ屋へ視線を向ける。

 

上杉(うえすぎ)君がアルバイトしているお店には先日、お邪魔したばかりですので」

「進級のお祝いで、店長さんがご馳走してくれたんだ」

「あの時のケーキ、すっごく美味しかったね。きっと、みんなで頑張ったからだよっ」

「そうだね。けど私は、フータロー君がバイクの免許持ってたことに驚いたかな。二乃(にの)は、あのバイクで連れ攫われたんだよね?」

「言い方!」

上杉(うえすぎ)が、バイクねぇ......」

 

 店の駐車場の隅に、カスタムが施されたオフロードバイクが止めてあった。想像していたような、普通の原チャリじゃない。上杉(うえすぎ)のキャラと合わなすぎて、運転している絵がまったく頭に浮かんで来ない。

 

「てゆーか、ライバル店を勧めるって店員としてどうなのよ?」

「客層が違うしな。とりあえず適当に見繕ってくる」

「お願いします。ところで、あの話しですが――」

「うーん、どうしよっか?」

 

 バレンタインのチョコ作りで、三玖(みく)が苦手と言っていたチョコ系は避け、確認のため一度テーブルへ持っていく。

 

「フルーツサンドはいけるか?」

「うん、大丈夫」

「じゃあ、カットしてくるから。少し待っててくれ」

「ふふ、こういう些細な心遣いはポイント高いよ」

「そら、どうも。褒め言葉として受け取っておく」

「その心遣いも、ホワイトデーでは報われなかったみたいだけどねー」

 

 少しかうように微笑む一花(いちか)と、小さく笑う二乃(にの)

 全く、この姉妹は......。人をイジる時も、息がぴったりだ。

 

「え? なになに? ホワイトデーに何かあったの?」

「何の話しですか?」

「少し気になる」

「はいはいっ、私も興味ありまーす!」

「話してもいいわよね? 別に好感度下がる話しでもないし」

「好きにしてくれ......」

 

 ホワイトデーの話題に花を咲かす姉妹たちを置いていったん、厨房へ下がり、五等分にカットしたフルーツサンドを盛り付けた皿をテーブルの中央に置く。

 

「お待たせ。ところで、さっき何の話しをしてたんだ? ずいぶん盛り上がってたみたいだけど」

 

 笑ったり、首を傾げたり、腕を組んで考え込んだりと、いろいろな表情(かお)が見れた。顔の作りはそっくりでも、ちょっと仕草だったり、反応だったり、各々個性があって新鮮だった。

 

「春休みの話しだよ。応募した懸賞で温泉旅行が当たったんだけど、私、間違えて前のマンションの住所を書いちゃったみたいで。お父さんから、当選の連絡を貰ったんだけど......」

「返事に迷ってんのか? つーか、当たるんだな。懸賞って」

「それが、出発日のスケジュールを一緒に送られて来たので考える余地もありませんでした。あはは......」

 

 苦笑いを浮かべる五月(いつき)。他の姉妹たちも同じような感じ。

 しかし、あらかじめ外堀を埋めた上での連絡、抜かりない人だ。その行動力をほんの少し方向性を変えれば、すぐに解決出来ちまいそうな気がしないでもないけど。

 

「旅行先は、おじいちゃんが経営する旅館だから、私たちも異論はないわ。久しく会ってないし。けど、問題は別にあるのよ」

「別の問題?」

「えっとですね......」

 

 姉妹を代表して四葉(よつば)が、若干辿々しくその理由を述べる。

 

「お前たちの爺さん、そんなに心配性なのか?」

「そうなんです。私たち五年前は髪形も、着ている服も、好みもそっくりで、それこそ自他ともに認める仲良しさんだったんです。それは、今も同じなんですけど。髪形も変わって、好みも変わって、それで仲が悪くなったんじゃないかって。それ以来、心配させないようにおじいちゃんの前では、みんな同じ姿でいようという話しだったんですけど――」

 

 問題は、誰の姿に合わせて変装するか。

 

「うーん、今の髪形を考えると。やっぱり、三玖(みく)五月(いつき)ちゃんになるよね。少し前までは、他の選択肢あったんだけど」

「まぁ、五月(いつき)でいいんじゃない? 今、一番髪長いの五月(いつき)なんだし。旅行中ずっと、三玖(みく)っぽく振る舞うなんて、想像するだけで息が詰まるわ」

二乃(にの)。それ、どう言う意味......?」

「言葉通りよ」

 

 仲が良いようで何よりだ。

 バイト終わりのタイミングで一緒に店を出て、姉妹たちは旅行の準備のために、ショッピングモールへ。俺は、通院のため姉妹の父親が経営する病院へと向かった。

 

「温泉旅行?」

 

 もう電源の入っていないコタツに入って、少し早めの夕食を食べながらの雑談の中、パン屋での出来事を話題にあげる。

 

「ああ。春休みを利用して、家族で行くんだってさ」

「ふーん、林間学校でも行った温泉はともかく、旅行はちょっと羨ましいよね」

「そうか?」

「考えてみろよ。ほら、僕たちさ、こっちに来てから遠出なんてしたことないだろ?」

 

 言われてみれば、確かに。学校と、バイト先と、近所のスーパー、ショッピングモールへ時々行くくらいで、アパートから半径二キロ程度くらいで生活範囲は収まってる。

 

「進級祝いにどっか行こうぜ。でっかいネズミのテーマパークとかさ」

「野郎同士でか?」

 

 想像するまでもない。悲惨どころか、一歩間違えれば放送事故案件だ。夢が悪夢になりかねない。

 

「そこは、あれだよ。現地調達」

「出禁喰らうぞ。けどまぁ、そうだな。たまには気分転換に遠出もいいかもな......」

「だろ? よし、そうと決まれば明日、武田(たけだ)にオススメスポットでも聞いてみようぜ」

 

 そう言って笑った春原(すのはら)は、カツ丼を豪快にかっ込み、お茶を飲んでひと息つくと、寝転がって天井を見上げた。

 

「なーんか、面白いことがいいよね」

「あん? なんだよ、唐突に。おセンチモードか?」

「アハハ! それはないっての。けどさ、面白いに越したことはないじゃん。それこそ、悩み事なんて全部吹き飛んじゃうくらいな壮大なさ!」

「そうだな。そいつは、同感だ」

 

 上杉(うえすぎ)じゃないけど。いろいろなことから少し離れて、悩み事を忘れて楽しむのも良いかも知れない。

 

 

           * * *

 

 

「ふむ、観光スポットか」

 

 翌日の放課後、春原(すのはら)武田(たけだ)と三人で、昨夜のことを話しながら商店街を歩く。

 

「こう、野心溢れる男っぽい感じのところで頼むよ」

「なかなか難しい注文だね。そもそもこの辺りは、住宅街とビジネス街が入り混じる地域で観光地というわけではないからね。市街地を離れれば、一通りの娯楽施設はあるけど。それこそ、二人の実家の方が観光スポットは豊富だと思うけど?」

 

 俺の実家は一応東京だから、武田(たけだ)の言う通り、歩けば何かしらはある。春原(すのはら)は――。

 

「普通に田舎なんすけど......」

「よかったな。山頂から町を見下ろして、この俗物が! って民衆を見下す遊びを思う存分出来るぞ」

「んな痛い遊び、中二の夏で卒業したよ!」

「やったことあんのかよ」

「ははっ。何かコレといった目的はないのかい?」

「まぁ、面白ければ何でもいいよ。とりあえず、京都はパスで。どうせ、修学旅行で行くんだろ? 中学ん時も京都だったし」

「三年に上がって結構すぐなんだよな」

「ああ、全国統一模試の後すぐさ。今は、桜の季節だから、また違った風景を楽しめるけどね」

「桜か......」

 

 前の学校に続く、桜並木の長い坂道は、春になると薄紅色の桜の花びらを咲かせて圧巻だった。今年もまた、変わらずに咲き誇るんだろう。

 

「桜ねぇ、僕は団子の方がいいや」

「情緒の欠片もないな」

岡崎(おかざき)君の希望は?」

「そうだな......」

 

 桜から連想されたのか、ふと頭に浮かんだのは、いつか見た、あの一面鮮やかな黄色に染まった菜の花畑。

 

「お前も花かよ。頭乙女か」

「頭春原(すのはら)よりマシだ」

「どういう意味だよ!?」

「それで、その菜の花畑に、特別な思い入れがあるのかい?」

「あんたも、さらっと流すの止めていただけませんかねぇ?」

 

 武田(たけだ)に習って春原(すのはら)をスルーして、質問に答える。

 

「さーなぁ? よく分からん。ただ、なんとなく頭の片隅に残ってるんだ」

「ふむ、ちょっと調べてみようか」

 

 なぜかこの話しに興味を持ったらしく、武田(たけだ)はスマホを取り出した。ファミレスに場所を変え、腰を落ち着けて改めて話す。

 

「思い当たる場所とかあるかな?」

「分からない。物心つく前から結構各地を転々としてて。今の実家に落ち着いたのは小学校の中学年くらいからだ」

 

 北上して来たのかも、南下して来たのかも定かではない。

 スマホにキーワードを打ち込んだ武田(たけだ)は、俺たちにも検索結果を見えるようにテーブルに置いた。

 

「うわっ、軽く一万件超えてるじゃん」

「海外の名所も表示されているからね。渡航歴は?」

「ない」

「日本国内に絞れるね」

 

 それでも一万件超。おぼろげながらも、思い出せる範囲で情報を伝える。

 

「周囲を山に囲まれた中の菜の花畑、沿岸沿いの単線の鉄道か。電車? それとも、汽車かな?」

「それ、なんか違うの?」

「電車は文字通り、架線から電気供給を受けて動いているんだ。汽車は、ディーゼルエンジンなんかを積んで燃料で稼働しているから送電線が必要ないんだよ。地方の私鉄や田舎の路線は、汽車が主流のところも多いからね。どちらか分かれば、相当絞り込めるはずさ」

 

 と言われても、さすがにそこまで鮮明に覚えてはいない。

 

「じゃあ、沿岸沿いの菜の花畑で検索し直してみよう」

「北は北海道から、南は沖縄まであるねぇ」

「海を渡った記憶はないな」

「本州、と。うん、だいぶ絞れて来たね」

「それはいいけどさ。お前、なんで楽しそうなんだ?」

 

 そう疑問に思って聞くと、武田(たけだ)はいつも通りの爽やかな笑顔で、逆に問いかけて来た。

 

「ん? 面白いと思わないかい? 微かな記憶を頼りに正解を導き出し、想い出の場所へと辿り着く。まる謎解きをしているみたいで、ね。それに、バレンタインデーの贈り主を見つけるより簡単だと思うけど?」

「ああ、そうだな、その通りだ。返したくても返せないからな、詮索するのも気が引ける」

「あははっ、お互い苦労するね」

 

 用意はしたけれど、結局分からず終いで、自分で消化するはめになった。二乃(にの)には、話しのネタにされるし。返せていない後ろめたさも残ってて、消化不良みたいな気分で微妙な感じだ。

 

「......あのさ、ひとつ言わせて貰ってもいいかな? あんたらの悩みは贅沢なんだよっ!」

 

 仏頂面の春原(すのはら)から発せられた言葉は、店内の視線全てを集める魂の叫びだった。

 店員にやんわりと注意を促されて、仕切り直し。

 

「んで。結局、菜の花畑にすんの?」

「僕は、面白いと思うよ。探しながら、いろいろな場所を回れるしね」

「一種の旅みたいなものか。まぁ、野郎だけでテーマパークよりは全然マシだな」

「風の赴くままに自由気ままな男旅かぁ。何だかロマンを感じる響きだね! 単車で、湾岸線をかっ飛ばしてたりさ!」

「転がす単車も、免許も持ってないだろ。問題は、どっちへ行くかだな」

 

 東西どちらにも候補がある。

 

「西!」

「どうして?」

「決まってるだろ? 太陽が昇る方だからさ!」

 

 春原(すのはら)の答えに、俺と武田(たけだ)は同じタイミングでタメ息をついた。

 

「じゃあ、東にするか」

「そうだね。そうしよう」

「なんでだよ!?」

「太陽が昇る方だからだ」

「はい?」

春原(すのはら)君、太陽は東から昇って、西へ沈むんだよ」

「えっ!? でもほら、歌であったじゃん? ドラマの主題歌でもさ......」

「その原作、昭和のギャグマンガだろ。頭春原(すのはら)だな」

 

 春休み。

 俺たちは、旅に出ることになった。

 目的地も定かではない旅。

 何かが見つかるか、それとも何も見つからないのか。

 どのような結末を迎えるのかも分からない、当てのない旅へと――。



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Episode26

 三学期の終業式が閉幕した後日。先日決まった旅支度のため、バイト帰りに少し寄り道をして、大型のショッピングモールへ足を運んだ。

 普段の買い物は大抵、近所のスーパーで済ませていることもあって、どこに何があるのかさっぱり分からない。そんなわけで、通路に設置されているフロアの案内掲示板とにらめっこ。目当ての防寒グッズを扱っていそうなショップを模索していると、不意に声をかけられた。

 

岡崎(おかざき)君」

「ん? ああ......」

 

 声をかけてきたのは、お隣さんの五つ子のひとり、特徴的な星形の髪飾りが一番に目に入る。彼女は「お困りですか?」と小さく首を傾げると後ろで手を組み、歩み寄って来た。

 

四葉(よつば)から出掛けると聞きましたが、出発は同じ日だそうですね」

「偶然だよな」

 

 バイト先の清掃日と元々の休みが重なったことで、上手い具合に連休になった。おかげで、少し余裕を持って行動すること出来る。交通手段は、遠出に慣れている武田(たけだ)が担当。宿の手配は、春原(すのはら)が自信満々で買って出たが、本当に大丈夫なのだろうか。不安しかない。

 因みに、前田(まえだ)にも声をかけたが、生憎春休みは、既に予定が埋まっているとのことだった。急だったから仕方がない。

 

「防寒グッズを所望とのことでしたね。どちらへ行かれるのですか?」

「とりあえず、北上しながら東へ進む予定。詳しいことは決まってない」

「計画性がありませんね。あまり褒められたことではありませんよ?」

「旅行じゃなくて、旅だからな」

「旅ですか。では、珍しいお土産を期待しています」

「観光地は素通りの可能性もあり得るから、あんま期待してくれるなよ。ところでお前たちは、結局、五月(いつき)に変装することにしたんだな」

 

 隣を歩いている彼女の表情(かお)が、若干の苦笑いに変わった。

 

「気づかれていましたか。正解です。姉妹の誰だと思いますか?」

一花(いちか)

「即答っ! でも残念、ハズレですよ」

「そうか。じゃあ、その一花(いちか)のマネにも意味があるんだな」

「私のマネ? あっ......!」

 

 慌てて口に手を持っていき、しまったといった表情(かお)で肩を落とした。

 

「や、やられた~。自信あったんだけどなぁー」

 

 口調と雰囲気が、普段の一花(いちか)の感じに戻った。

 けど姿は、五月(いつき)のままだから違和感が半端ない。

 

「ブラフ?」

「いいや。お前は、後ろで手を組むクセがあるから」

「えっ? うそ? 全然意識してなかったよ」

「直そうとしても無理だぞ。無意識に出るからクセなんだからな」

 

 今指摘したクセの他にも、いくつか相違点がある。

 本物の五月(いつき)は、あと半歩ほど距離を開けて隣を歩く。そして、一花(いちか)とは反対に、手を前で組むクセがある。バレンタインデーの朝、一緒に登校したから記憶に新しい。

 

「こんな感じかな?」

 

 体の前で手を組み直して、半歩分距離を取る。

 佇まいは、完全に五月(いつき)のそれ。だけど――。

 

「まぁ、似ちゃいるけど。どれだけ上手く演じてみせたって、やっぱりお前は、一花(いちか)だ。五月(いつき)にも、他の姉妹にもなれないと想うぞ」

「......うん、そだね。けど、ちゃんと見てくれてるんだね。もしかして、ラブ?」

 

 後ろで手を組み直し、上目遣いでからかうように微笑む。

 

「辞書で殴られた経験はあるか? ないだろ? そういうことだよ」

「何の話し?」

「愛の話しだろ。お前が、振ってきたんじゃないか」

「捉えどころがないんだけど......?」

 

 困惑気味の一花(いちか)をよそに、ショップで防寒グッズを見て回る。三月下旬とはいっても、まだ肌寒い日も少なくない。北上していくわけだから、より寒さは厳しいはず。備える越したことはない。

 

「ところで。どうして、五月(いつき)の変装してるんだ?」

「今度の旅行の買い物をかねた予行演習だよ。みんなは今、新しい下着を選んでるところ」

「ふーん」

 

 クリスマス前の時のように、おちょくって反応を楽しむつもりだと判断して、テキトーに流しておく。

 

「リアクション薄くない? フータロー君だって、もう少しどぎまぎしてくれるよ?」

「あえて拾わないツッコミだ。鬱陶しい芸人に絡まれた時は、これで放送事故に追い込んでやれ」

「あははっ、そうなんだ。機会があったら使ってみるね」

 

 生産性の欠片もないくだらないやり取りをしていたところへ、今の一花(いちか)と同じ姿の姉妹が同時にふたりも現れた。

 

一花(いちか)、ここに居たのですね。探しましたよ......って」

「あっ、岡崎(おかざき)さん――じゃなくて。岡崎(おかざき)君、こんばんは」

 

 最初に声をかけてきた五月(いつき)は、違和感を感じないから本物だろう。言い直したもうひとりの五月(いつき)は、間違いなく四葉(よつば)

 

「お前たちも、旅行の買い物に来たんだってな。二乃(にの)三玖(みく)は、一緒じゃないのか?」

「あー、えっと、ふたりはまだ、買い物の最中でして......」

「そ、そうなんです。女の子は、いろいろ大変なんですよ、岡崎(おかざき)さんっ」

 

 視線を向けると、一花(いちか)は、ニコッと悪戯な笑顔を見せた。どうやら、下着を選んでいるというのは冗談ではなかったらしい。また、セクハラを受けていたようだ。これで二度目の被害、民事訴訟を起こせば勝てるだろうか。

 

四葉(よつば)、口調が元に戻ってるぞ」

「はっ! やっぱり自信ないよぉ、うまくできるかな? うぅっ、緊張してきた......」

「気持ちはわかります。私も、姉妹のマネは苦手ですから」

「大丈夫だよ、四葉(よつば)。無理して演じなくていいんだよ。どんなに似てても、四葉(よつば)四葉(よつば)なんだから。ね?」

 

 一花(いちか)に、まるで母親のように諭された四葉(よつば)は、ゆっくりと頷いた。

 

「......うん。何か今、お姉ちゃんって感じがしたよ」

「ふふっ、実はこれ、受け売りなんだけどね。ねー?」

 

 ――同意を求めてくれるな、タマコちゃんめ......。

 ともあれ、場が落ちついたところで改めて四人で、ショップを見て回る。

 

「カイロは、私たちも持っていった方がいいよね?」

「そうですね。旅館はともかく、デッキは寒いでしょうし」

「デッキ? 船で行くのか?」

「はい。おじいちゃんの旅館は、離れ小島にあるので。高速船で、海を渡って行くんです」

「そらまた豪勢な旅行だな」

「片道十分くらいですけどね。それと、その島には、伝説があるんです。島の丘にある“誓いの鐘”を一緒に鳴らした男女は、永遠に結ばれるというロマンチックな伝説ですっ」

「林間学校の時も似たような話を聞いた気がするんだが?」

「まぁ、この手の話しはどこにでもあるからね」

「不純です。まったく......」

「相変わらずだね、五月(いつき)ちゃんは」

「あはは、そもそも相手が居ないんですけどねー」

 

 そんな他愛ない話をしながら一通り必要な物を買い揃え、インフォメーションの前で、買い物を終えた二乃(にの)三玖(みく)と合流。

 まったく同じ姿の五人と一緒に、幾分日が長くなった初春の帰り道を歩く。傍から見れば、恐ろしくシュールな光景だろう。すれ違う通行人は、もれなく二度見している。

 

「じゃあ、どこへ行くか決まってないんだ」

「計画性ないわね」

春原(すのはら)いわく。男旅は、風の赴くまま、自由気ままに彷徨う当てなき旅。スリルを楽しめてこそ、ナイスガイだそうだ」

「また似合わないセリフね。せめて、バイクの旅とかだったら少しは格好つくのに」

上杉(うえすぎ)みたいにか」

「......なんで、あいつが出てくるのよ?」

「さぁ、どうしてだろうな」

 

 惚けてみせる。ジト目を向けられるが、ここはスルー安定。

 

「フータロー、春休みに入ってから一回もアパートに来てくれない」

「春休み中の宿題は、たんまり出されましたけど」

「出発前に、ある程度片付けておかないとだよね」

「旅館で勉強は、さすがにごめんだわ」

「あはは......」

「そのことなんだけど。分からないところがあって、昨日メールを送ったんだけど、まだ返事が返ってこないんだ。何かあったのかな......?」

 

 以前、三日くらい充電が切れたまま気づかずに放置してることもままあると言っていた。たぶん今頃、落ちた成績を戻すことに全精力を注いでいるのだろう。携帯の存在を忘れるほどに。

 

「バイト終わりに会ったから、元気なのは確かだぞ。今度会った時は、充電しておけって伝えておく」

「うん、よろしく。ちょっと安心できた」

「だけど、充電切れてても気にしないって無頓着もいいところね。どうして――」

二乃(にの)?」

「な、なんでもないわっ。お土産よろしくね、朋也(ともや)

 

 最初の頃に比べると、だいぶ自然になってきた。話題の逸らし方は、雑にもほどがあるけど。

 

「呼び慣れてきたみたいだね」

 

 前を歩いていた一花(いちか)が、笑顔で後ろを振り向く。

 

「あんたたちが順応早すぎるのよっ」

「私と一花(いちか)は、フータローのことも最初から名前で呼んでたから」

「あんまり抵抗もなかったかな? でも、呼び方が被るよね。いっそのこと、あだ名とかどう?」

「あだ名......朋也(ともや)、ともや、トモヤ、トモや......トモやん?」

 

 何だか、ベンチがアホやから野球ができへん、みたいなことを言い出しそうな呼び方だった。それとも、ワシの球速は180キロの方だろうか。あと、なぜ疑問形。

 

「あんた、いつの時代の人間よ? ラジカセの音楽も妙に古かったし」

「そのクレームは、春原(すのはら)に提出してくれ。通らないだろうけどな」

 

 どこか可笑しそうに笑った一花(いちか)は、四葉(よつば)五月(いつき)にも問いかけた。

 

四葉(よつば)五月(いつき)ちゃんは?」

「うーん。私は、岡崎(おかざき)さんって呼び慣れちゃってるし、今のところ、岡崎(おかざき)さんのままでお願いしまーす」

「わ、私も、現状のままで......」

「まぁ、好きにしてくれ」

 

 このやり取り春原(すのはら)に聞かれたら、発狂するんだろうな。

 アパートの階段を上った先の玄関前で、お隣さんの姉妹たちと別れて部屋に入り、遅めの夕食。ちょうど食べ終えたところで、春原(すのはら)が帰ってきた。

 

「おっ、お早いお帰りだねぇ」

「お前が遅いんだ。で、宿は取れたのか?」

「ふふーん、バッチリさ。二日分きっちり手配したっての」

「二日? 一泊の予定だろ?」

 

 午後からシフトに入っているから、夜には帰っておきたいと伝えたはずなのだが......。

 

「大丈夫だって、二日目は東京だからさ。始発で帰れば余裕で間に合うっての」

「東京って......宿代もバカにならないぞ。まさか、寮を使うんじゃないだろうな?」

「んなわけないだろ。楽しみにしておけよ。武田(たけだ)には、僕から伝えておいたからさ」

 

 それで遅かったのか。

 幾ばくの不安が残るが、もしもの時の責任は取ってもらうとしよう。

 余裕を持って旅支度を済ませ、いよいよ出発当日の朝を迎えた。

 

「いやー、同じ時間だったんだねぇ」

「実家のマンションへ行くのか?」

「いえ、駅へ迎えに来てくれるそうです」

「僕たちと同じゃん。何だか、運命みたいなものを感じるよね!」

「私じゃないわよ」

 

 ストレートに言ってのけた二乃(にの)だけではなく、他の四人にもやんわりと否定されていた。

 

「鉄板ネタだな」

「こんな不名誉なネタ要りません!」

 

 そうこうしている間に、駅に到着。

 ここへ来るのは、この地に降り立った日以来。

 あの日も今日と同じ、よく晴れた日だった。

 駅のロータリーに、一際目立つ外車が駐まっている。その車の隣には、存在感のある男性が腕を組んで佇んでいた。

 

「もしかして、あの人?」

「はい。お父さんです。では、私たちはここで――」

 

 車へ向かう前に、姉妹の父親がこちらへやって来た。

 

二乃(にの)君......二乃(にの)以外は、久しぶりだね。元気そうで何よりだよ。さぁ、荷物を積み込み次第出発する。江端(えばた)

「はい。お嬢様方、こちらへ......」

 

 茶髪で真ん中分けのファンキーな爺さんがとても紳士に、姉妹たちを誘導していくという何とも異様な光景に唖然として立ち尽くしてしまう。あの爺さん、前に階段ですれ違った人だよな、と思っていると、姉妹の父親が声をかけてきた。

 

岡崎(おかざき)君」

「あ、はい」

「例の件だけど、心は決まったかい?」

「......もう少し考える時間をください」

「そうかい。しかし、決断は早いにこしたことはない。今後のことも含めてね」

「わかっています。次の時には、答えを持っていきます」

「わかった。では、失礼するよ。キミたちも道中、気をつけたまえ」

 

 踵を返した父親が車の助手席へ乗り込むと、ゆっくりと走り出した車を見送る。

 

「なんの話し?」

「まぁ、ちょっとな。無事に帰ってきたら話す。それよか、武田(たけだ)はもう、ターミナルで待ってるってよ」

「ふーん、まぁ、いいけどさ。んじゃあ行こうぜ! ロマン溢れる男旅にさ!」

「ああ」

 

 俺たちも、旅のスタート地点。

 駅併設のバスターミナルへ向かった。



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Episode27

 遥か彼方、遠い北の大地へ降り立った。

 

「いやー、速かったね。ホント驚いたよ」

「ああ......。まさか、飛行機で移動することになるなんて夢にも思わなかった」

 

 東京までは越してきた時と同様、高速バスで移動。

 その後羽田から、格安航空機に搭乗し、連なる雄大な山々を全てすっ飛ばして、春原(すのはら)の実家がある東北地方へ一気に飛んだ。

 

「下手に陸路を行くよりも、安上がりで速いからね」

「旅のロマンなんてものは何もなかったな。つーか、スゲー寒いのな」

 

 手袋、マフラー、厚手のコート、と入念に準備してきたつもりだったが、予想を遥かに上回る寒さに体が震える。

 

「暖かい方だぞ。真冬なんて、背丈を超す積雪は日常茶飯事だっての」

「マジかよ。とりあえず、ほらよ」

 

 用意しておいたカイロを、二人に放り投げる。

 

「おっ、サンキュー」

「ありがとう」

「それで、これからどうするんだ?」

「先ずは今日、宿泊予定の宿へ向かおうか。荷物もかさばるしね」

「だな。で、どこなんだ?」

「さぁ? 春原(すのはら)君が、任せておけと豪語していたから、彼に聞いておくれよ」

 

 春原(すのはら)へ視線を移すと「じゃあ行きますか!」と、とても得意気な顔で歩き出した。不安に思いながらも、春原(すのはら)の後を付いていく。

 

「おい。こんなところに本当に宿なんてあるのか?」

 

 空港のバス停から、市営バスで駅前へ移動、別の路線バスへ乗り換え、郊外へ向かって走行している。

 

「まぁ、そう、自暴自棄になるなよ」

「いや、そこまで絶望しちゃいないけどさ」

 

 言葉のチョイスは絶望的に間違えているけど。

 

「この場合は、疑心暗鬼、後顧之憂当たりが適当だね」

「とにかく。細かいこと気にすんなってことだよ。次、降りるぞー」

 

 荷物を担いで、バスを降りる。

 目の前には、うっすらと積もった雪原が広がり、ポツリポツリと住宅が点在している。米の名産地だから、おそらくこの辺りは本来、田園地帯なのだろう。反対側には、学校の校舎らしき建物。春休みのためか、人の気配は感じられない。

 バス停からは、徒歩で移動。先導して歩いていた春原(すのはら)は、とある家の前で足を止めた。

 

「ここだよ」

「ここって......」

「ふむ」

 

 看板や、のぼりの類いは掲げられておらず、民宿といった雰囲気ではない。どうみても、ごく普通の一軒家。

 まさか、とは想うが――。

 

「僕の、宮殿さ!」

「宿って、お前の実家かよ!?」

「これはさすがに、予想の斜め上をいく展開だね」

「サプライズってやつさ。宿代も浮いただろ? そういうことだからさ、遠慮せずに上がってくれよ」

「アホか! こういう大事なことは事前に話せ!」

 

 もはや宿代なんて些細な問題だ、それ以上の難題が新に生まれた。世話になる身でありながら、手土産ひとつ用意してない。悪い予感が見事的中してしまった。

 

「んな、かしこまることでもないじゃん?」

「お前はな!」

「親しき仲にも礼儀ありと云う言葉があるんだよ。春原(すのはら)君、確か、空港の土産物屋で何か買っていたよね?」

「ん? ああ~、人形焼。移動中に食べようと思ってたけどさ――」

「それだ!」

 

 手つかずの人形焼を、少し色を付けて買い上げ、どうにか窮地を乗り切ることが出来た。

 

「いらっしゃいませ。兄が、いつもご迷惑をおかけしています」

 

 いいえ、そんなことありません、と否定できないのが辛いところだ。

 それはさて置き。玄関で出迎えてくれたのは、春原(すのはら)の妹で、名前は、春原(すのはら)芽衣(めい)

 

「粗茶ですが。あと今、お茶請けを――」

 

 客間に通され、コタツで暖をとらせていただく。

 

「あ、お構いなく、ご丁寧にどうも......」

「いただきます。ふぅ、暖まるね」

芽衣(めい)。母さんは?」

「留守。と言うか、お兄ちゃん。ちゃんと連絡してよね?」

「申し訳ない。それに関しては、僕のミスが招いた結果だよ」

 

 近しい場所に一致した候補地がなかったため、気を利かせてくれた移動手段だったが。春原(すのはら)のサプライズにより、結果的に裏目に出てしまった。情報の伝達と共有の重要性を再認識出来た。

 

「文字通り飛んで来たからね、飛行機でさ! だから、予定よりも速く着いたんだよ」

「えっ、飛行機!? いいな~」

芽衣(めい)ちゃんは、乗ったことないのか?」

「はい。飛行機で移動するほど遠出をする機会もなくて。大人になったら、自分で乗れるようにと想っています」

 

 春原(すのはら)と血を分けた兄妹とは想えないほど礼儀正しく、しっかり者で快活な子だった。

 

「そうか、アレか。同じオイルでも上澄みだったか」

「どこぞの子守りロボットの設定だよ!」

「あはは......あの、お昼は、もう済みましたか?」

 

 言われてみれば、空港から直行してきたから何も食べていない。時計の針は、午後二時過ぎを指している。意識した途端に、空腹を覚えた。

 

「何かある?」

「それを買いに行ってるの。少し歩いたところに、美味しい軽食屋さんがあります。そちらへ行きましょう」

「なんで勝手決めてんだよ。飯屋くらい知ってるっての」

「お兄ちゃんのことだから、全国チェーンのお店に連れて行きそうだもん」

「うぐっ......」

 

 春原(すのはら)の兄としての威厳は、皆無に等しかった。

 夕食は、郷土料理の鍋をご馳走してくれるとのことで、軽めのチョイス。案内してくれた芽衣(めい)ちゃんには、デザートをご馳走。とても美味しそうにパフェを食べる姿は、しっかりしていても年相応の女の子だった。

 

「さーて、腹も満たされたことだし。街にくり出すとしますか!」

「何か目的があって来たんでしょ?」

「ああ......そういえば、そうだったね。で、どうすんの?」

「もぅ、お兄ちゃんってば。すみません」

 

 本当に、どちらが年上かわからない。

 血が繋がっているかも怪しく想えてきた。

 

「どちらへ行かれるのですか?」

「ここだよ」

 

 武田(たけだ)は、芽衣(めい)ちゃんに見えるようにスマホを向けて置いた。

 

「わぁ、綺麗なお花畑ですね」

「ここから、わりと近くだよね?」

「え~と、はい。最寄りのバス停から歩いて、十分くらいかな? でも、今はまだ、見頃じゃないですよ。この辺りの春は、もう少しのんびりやって来ますから」

「ははっ、そうなんだね。けど、それは構わないんだよ。僕たちの目的は、想い出の場所だから、ね」

「へっ?」

 

 武田(たけだ)の見慣れた爽やかスマイルを、初めて目の当たりにした芽衣(めい)ちゃんは、目を丸くして、キョトンとした表情(かお)を浮かべていた。

 目的地の最寄りのバス停へ向かう車内では、彼女からのリクエストを受け、学校生活の話しで暇を過ごしている。

 

「えっ? じゃあ、五つ子の同級生って本当に居るんですかっ?」

「お前、信じてなかったのかよ?」

「だって、いつも盛って話すから。全部信じてたら保たないもん」

「信用ないのな。お前」

「ほっとけよ」

 

 へそを曲げて車窓へ顔を向けた春原(すのはら)のことは、本人の希望通り放置しておき。スマホのアルバムを開いて、球技大会の終わりに、みんなで撮った写真を見せてあげる。

 

「本当にそっくりさんだー!」

 

 最寄りのバス停で降り、そこから徒歩で十分弱、目的の菜の花畑に到着。まだ花は咲いておらず、黄色いつぼみをつけているだけで。俺たち以外の観光客の姿は見受けられなかった。

 そして、何より――。

 

「どうだい?」

「いや......」

 

 周りの景色も、空気も、懐かしさに似た感情は一切湧いてこない。

 

「やはり、空振りのようだね。次へ行こう。徒歩で行ける距離に、もう一カ所候補がある」

 

 しかしそこも、空振りに終わった。

 日が暮れ始めた頃。今日厄介になる、春原(すのはら)兄妹の自宅へと戻る。春原(すのはら)のご両親に挨拶をし、夕飯と風呂をいただき、客間で明日の支度をしていると。芽衣(めい)ちゃんが、とても申し訳なさそうな表情(かお)で座布団に座った。

 

「重ね重ねすみません」

「まぁ、新年以来の帰省だし。積もる話もあるだろ」

 

 春原(すのはら)は夕食の後「ちょっと、ツレんとこ行ってくるよ」と、飛び出して行ったきり戻ってこない。

 

「明日は、朝早くに出るんですよね?」

「ああ。帰りの時間が決まってるからな」

「寝坊したら置いていってくれて構いませんので」

「あははっ。妹さん、地図あるかな?」

「あ、はい、少々お待ちください」

 

 地理の資料集を受け取った武田(たけだ)は、東北地方のページを開き、最寄り駅から鉄道表示を指でなぞる。

 

「明日は、このルートで太平洋側へ抜けていこう」

「内陸を通って行くのか」

「条件に合った候補がなかったからね。寄り道しながら行動できるよ」

「別に、拘らなくていいぞ」

 

 そもそも、実在する場所なのかも分からないし。仮に存在していたとしても、同じ姿で残っているとも限らない。

 正しく、雲を掴むような話しだ。

 ただただ、無駄な時間を過ごしているだけなのかも知れない。

 それでも武田(たけだ)は、嫌な顔など一切見せることなく笑った。

 

「僕自身、この旅を純粋に楽しんでいるんだよ。友達と同じ時間を過ごし、友達が暮らしていた街を歩き、友達の家に泊まる。何もかもが初めての経験、かけがえのない時間を過ごしてる。春原(すのはら)君の言葉を借りれば、そう、ロマン。良い響きの言葉だと想わないかい?」

「ロマン、ね」

 

 しかし、よくもこうも恥ずかしげもなく言えるものだ。

 

「どれだけ心で想っていても、声にしなければ想いは伝わらないよ」

「そりゃそうだ。けど、芽衣(めい)ちゃんが戸惑ってるぞ」

「おっと、それは失礼」

「あ、いえ。私の好きなアーティストが、似たような詩を歌っていた方だったので。少しだけ、懐かしく思っちゃいました」

「へぇ、どんな音楽なんだ?」

「ロックなんですけど。聴きますか?」

 

 資料集の代わりに、可愛らしいデザインのラジカセを持って戻ってきた。春原(すのはら)の家では、ラジカセが標準装備のようだ。ただ、カセットテープではなく、CD。他にもUSBやスロットがついていたりと、春原(すのはら)の物と比べると新型だった。

 再生ボタンが押され、両サイドのスピーカーから音楽が流れる。

 激しい曲調、真っ直ぐな歌詞、心に訴えかけるような力強い歌声。

 

「スゲーな。ロックなのに、ラブソングだ」

「こういった音楽は、あまり聴かないけど。何か惹かれるモノを感じるね」

「誰?」

「えーと、ですね――」

 

 聞き覚えのない歌手だった。

 それもそのはず。既に引退しているそうで、音楽の配信もされいない。CDも、定価の倍以上の値段で取引されていた。

 

「よかったら、コピーしましょうか?」

 

 好意に甘えて、親父さんのパソコンを借り、スマホに取り込ませてもらった。

 そして、翌朝を迎える。

 ご両親にお礼を伝え、見送りに来てくれた芽衣(めい)ちゃんとは、改札の前で別れて。乗客も殆ど居ない始発の列車に乗り込み、旅の最終日がスタート。

 

「すんげー眠いんすが......」

「結局、いつ帰ってきたんだい?」

「家で寝てていいぞ」

「いや、行くよ。僕、キーパーソンだからさ」

「キーパーソンは、自分で言わねーよ」

 

 と言ってるそばから、いびきをかいて眠てしまった。

 昼前に、終点の隣県の駅に到着。少し早めに昼食を済ませ、都市で買い物。昨日の二の舞にならないため、春原(すのはら)に今日の宿泊先を問いただしたところ、俺たちに転校の話しを持ち出した幸村(こうむら)の爺さんの家であることが判明。姉妹たちの分と一緒に土産を用意しておき。

 沿岸沿いを行く単線路線の汽車に乗り、更に北上して進む。

 車窓には、白波を立てる荒れた海が広がっていた。

 その何気ない景色は、煽るかのように、俺の心をざわつかせる。

 

「さぁ、次の駅だよ。帰り時間を考慮すると。次を含めて、あと二箇所くらいが限界かな」

「結局、見つからなかったねぇ」

「お前、キーパーソンじゃなかったのか?」

「外れることだってあるさ。まぁ、契約通り出来高ゲットしたから満足だけどね」

 

 もしかして、それを目的に実家を選んじゃないんだろうな。

 無人の最寄り駅で下車。目的地は、バスも通っていない、山の中。地図アプリのナビを頼りに、寂れた田舎町を歩き。舗装もされていない、薄暗い山道へ入る。

 やがて、日の当たる開けた場所に出た。

 

「こりゃまた広いねぇ」

「見頃には、一面黄色い絨毯になるんだろうね。岡崎(おかざき)君?」

 

 今までとは、違う感覚を覚えていた。

 菜の花畑、周囲を囲む小高い山々。見覚えがある、そんな気がする。

 

岡崎(おかざき)? おい、どうしたんだよ」

「僕たちも、行こう」

 

 まるで何かに導かれるように、俺は歩き出していた。

 山道の横道へ入り、更に奥へと進んで行く。

 そして、その先に現れたのは――。

 

「ここは、岬のようだね」

「あの遠くに見える島って、北海道?」

「おそらくね。ここが、本州の最北端かな?」

「またずいぶんと遠くまで来たもんだねぇ。僕の実家よりも北だよ。大地の果てって感じだ。それで、ここなの?」

 

 春原(すのはら)からの問いかけに、はっきりとした答えは出せなかった。

 

「心当たりがあるのかい?」

「マジっすか」

「いや。ただ、この景色を見たことがある。そんな気がするだけだ」

 

 もしかすると、テレビか何かで観ただけなのかも知れない。

 けど、何かが引っかかる。それだけは、確かだ。

 

「近くを散策してみよう。手がかりが見つかるかも知れないよ」

「あ、ああ......」

「まだ歩くんすか?」

 

 武田(たけだ)の提案を聞き入れ、後ろ髪を引かれる思いを感じながら、岬を離れる。

 

「この辺りは、旧家屋が多いね。どう?」

「特に、何もないな」

 

 年度末ということもあってなのか、あちらこちらで工事をしている。この町も、日々姿を変えている。もし何か見つかるようなことがあれば、それはきっと、奇跡的な確率だろう。

 

「どうした?」

春原(すのはら)君?」

 

 ダルそうに後ろを歩いていた春原(すのはら)が、純和風造りの家屋の前で、らしくもなく神妙な面持ちをしていた。

 

「たぶんさ。僕の思い過ごしだと思うんだけどさ。これ――」

 

 少し戻って、春原(すのはら)が指を差した先にある表札を読む。

 

「なるほど、偶然にしては出来すぎているよね?」

「奇遇だな。俺も同じことを思った」

 

 掲げられた表札には、岡崎(おかざき)と記されていた。

 

「さて、どうしようか?」

「いや、さすがにあり得ないだろ。って、お前なぁ」

 

 葛藤も虚しく。春原(すのはら)は、インターフォンを押していた。

 

「聞いた方が早いじゃん。あとは野となれ山となれ、旅の恥はかき捨てろってね!」

 

 それ、使い方間違ってるからな、とツッコむ間もなく、女性の声で応答があった。

 

「あ、すみませーん。僕、春原(すのはら)っていいます。ちょっと聞きたいんですけどー。なぁ、岡崎(おかざき)、お前の親父さんの名前って?」

 

 ひとつタメ息をつき、親父の名前を伝える。

 すると、しばらく間が開き「少々お待ちください」と、返事と同時に通話が途絶えた。

 

「お待たせしました」

 

 着物姿の品のある女性が、玄関から出てきた。

 その女性は、俺たちを見るなり。驚きの表情(かお)を浮かべ、口元に手を添え、絞り出すようなか細い声で言った。

 

「......な、直幸(なおゆき)

 

 それは、俺の父親の名前だった。



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Episode28

 東京に着いた日の夜中。

 今日厄介になることになった、幸村(こうむら)の爺さんの自宅の縁側でひとり、夜空を眺めていた。

 東京の中でも、自然が多く残るこの街は、一晩中光が消えることのない都心部と比べると静かで、月も、星もいくぶん綺麗に瞬いて見える。

 

「何を黄昏れておる?」

 

 幸村(こうむら)の爺さんは、湯飲みがふたつ乗ったおぼんを置き、静かに腰を降ろした。

 

「人生を悟るには、まだ早いぞ」

「そんなんじゃねーよ」

「冗談だ」

 

 相変わらず、惚けた爺さんだ。

 

「三日会わずば刮目せよ、とは言うが。見違えたの」

「また、軽口か?」

 

 泊めてくれた爺さんには悪いけど、戯言に付き合ってやれる余裕は、今の俺にはない。

 当初の目的だった、悩み事なんて忘れるくらいの壮大な旅は、忘れないほどの迷いを生む壮大な旅になった。

 大地の果てで訪れた思わぬ出会い、明かされた事実。

 そのことで、頭の中がいっぱいで。せっかく用意してくれた食事も、殆ど喉を通らなかった。体も、心も疲れているはずなのに眠気の欠片すら襲ってこないほど、現状を冷静に受け止められていないでいる。

 

「そう、卑屈に捉えるな。本心だ。半年前、旭高校へ送り出した頃とは、まるで別人だ。あの頃のお前は、世話の焼ける子どもだったからの」

「......今は、違うのか?」

「己に問いかけてみるとよい」

 

 自分じゃよく分からない。俺は、変わったのだろうか。

 もし、ただ、惰性のように生きていたあの頃と本当の意味で変わったのなら。それは、向こうでの新しい生活、新しい出会いが変えてくれたのだろう。

 それでも、今も迷ってばかりだ。

 

「少なくとも、目を背けてはおらぬだろう。わしにも、お前のように思い悩み、迷い、苦しみ、葛藤する時期はあった」

「爺さんにも?」

「当然だ、人間だからの。時代の移り変わりと共に、学校の役割、教師の在り方も変わり。結局のところ、自分勝手な信念を押し付けていただけではないのか、とな」

 

 爺さんの、教師としての信念。

 教え子は全員、卒業させる。

 爺さんを慕っている教師は多い、と初日に案内してくれた日本史の教師から話しを聞いた。

 何より、退学処分寸前間際だった俺たちに、新しい学校生活を送るきっかけを作ってくれた人だ。感謝はあれど、その志が間違っているとは思えない。

 

「正しさとは、所詮は主観的なものだ。立場や状況によって大きく変わる曖昧なもの。時には、大切なものを守るために、守りたいものを傷つけてしまうことさえもある」

 

 守るために傷つける。言葉が矛盾している。

 だけど、なんとなく分かる気がする。

 

「わしが思い悩んだのは、教師としての経験と年を重ねてからだ。今のお前は、同じ年の頃のわしよりも遥かに成熟しておる。既に答えを持ち合わせておるのではないかの」

 

 俺は、その問いかけに肯定も否定も出来なかった。

 

「さて、冷えてきたの。明日は、早いそうだな。寝ておかねば、身体に障るぞ」

 

 手つかずのまま湯飲みが乗ったおぼんを持ち、灯りの消えた居間へと戻って行く背中を見送り、再び夜空を見上げて、改めて考える。

 爺さんの背中からは、迷いは一切感じなかった。

 

「既に答えを持ち合わせている、か......」

 

 見透かされていた、自分でも気づかなかった心の内を。

 今、持ち合わせている答えが、正解か不正解かなんてことは分からない。

 ただ、今日までの日々を振り返り、様々なカタチを知り、在り方を知り。ひとつだけ確信して言えることがあるとすれば、それは――。

 

 

           * * *

 

 

「あんがとな、爺さん!」

「お世話になりました。幸村(こうむら)先生」

「またいつでも遊びに来るといい。向こうの校長によろしく伝えてくれ」

「はい。承りました」

 

 挨拶をした二人が先に、玄関を出て行く。

 靴紐を結び直し、荷物を担ぎ、俺も立ち上がる。

 

「答えは、出たようだな」

「ああ。正解なのかは分からないけど」

「今は分からずとも、いずれ分かる。わしもそうだった」

「そっか。任せていいか?」

「うむ、任せておけ。では、またの」

 

「お世話になりました」と、丁寧に頭を下げた俺に、爺さんは愉快そうに笑っていた。

 背に受けた笑い声に押されるように出た外は、まだ薄暗く、若干の肌寒さを感じる。

 

「本当にいいのかい? ここから歩いて行ける距離だよね」

「バイトあるからな。始発に乗り過ごしたら間に合わない」

「そのことなら、僕が代わりに――」

「まぁ、本人がいいって言ってんだからさ。無理強いするのもあれっしょ」

「そう言うことだ。武田(たけだ)、サンキューな」

「......そうか。じゃあ帰ろう」

 

 行きと同じように高速バスに乗って、東京を離れた。

 そして、多少の渋滞に捕まりながらも定刻通り、無事にターミナルに到着。

 バス停で、武田(たけだ)と別れて、三日ぶりに自宅アパートに帰ってきた。荷物を降ろして、ひと息......なんてものはつく暇もなく、貴重品と土産を持って、バイト先へ急いだ。

 

「おつかれ~」

「マジで疲れた......」

 

 コンビニで調達した晩飯を置いて、テーブルに突っ伏す。

 

「さっき、五つ子ちゃんたちが来たよ」

「ああ......そうか、そういえば電気ついてたな」

 

 疲労困憊で、それどころじゃなかった。

 

「ってことで、さっそく挨拶に行くぞ」

「はぁ?」

「だから、土産を渡しにだよ。さっき来たって言っただろ。お前が帰ってきたら渡しに行くって言っておいたんだよ」

「ズボラなクセして、変なところで気を回すなよ」

「きっちりしておかないとね。ほら、行くぞー」

 

 晩飯はお預け、土産を渡すために隣の部屋の呼び鈴を鳴らす。三玖(みく)四葉(よつば)の二人が、出迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ。そして、お久しぶりですっ」

「三日ぶりだな。旅行、どうだった?」

「いろいろあったけど楽しかった。それより上がって、もう出来てるから」

「何が?」

「晩ご飯ですよー。岡崎(おかざき)さんが二乃(にの)の手料理を食べたがってるって、春原(すのはら)さんが――」

 

 アホ面の肩をガッチリ掴み、ドスを利かせて問い詰める。

 

「い、イタイっす......!」

「どういうことだ?」

「い、いや、それがさ。冗談交じり言ったら、この運びに。アハハ」

 

 まったく、人をだしに使いやがって、コイツは。

 

「何してんの。早く上がりなさいよ」

 

 奥から、エプロン姿の二乃(にの)が顔を出した。

 

「言われなくても分かってるわよ」

 

 ひとつタメ息をつき、春原(すのはら)の肩から手を放す。

 

「悪いな、材料費――」

「それは、僕が出しといたよ。臨時収入があったからね。おじゃしゃーすっ」

「ハァ、お邪魔します」

 

 通された部屋のコタツの上には、まるで店で出てくるような色とりどりの料理が並んでいた。その料理に目を輝かして凝視している五月(いつき)を、微笑ましそうに見ていた一花(いちか)が、俺たちに気づく。

 

「いらっしゃい。久しぶりだね」

「邪魔する。これ、土産。飯の後にでも食べてくれ」

「ありがとう。あっ、すごーい。まるごとの丸いアップルパイだ。こんなのあるんだね」

「映えるわね」

「僕からは、これ!」

 

 存在感のあるビニール袋に入っていた物は、春原(すのはら)の家でご馳走になった、郷土料理の鍋セット。これが、なかなか好評で。特に五月(いつき)は「寒の戻りが楽しみですねっ」と、テンションが高かった。

 

「お二人とも、遠慮せず座ってくださいっ」

 

 四葉(よつば)に促されて、コタツに入って、ご相伴に預かる。旅行の思い出を話しながらの夕食は、とても賑やかだった。

 そして、気がつくと、暗闇の中に居た。

 

「ん? ここは......」

 

 身体を起こす。ブランケットらしきものが肩から落ちた。どうやら、土産話の最中に眠ってしまったらしい。ポケットをまさぐり、スマホで時間を時刻を確認する。午前五時過ぎを表示していた。

 

「あ、ごめん、起こしちゃった?」

 

 後ろから、一花(いちか)の声が聞こえた。

 コタツを出て、答える。

 

「悪い、すぐ帰るから」

「気にしないで。騒がしかったから起こしちゃわないか心配だったけど、疲れてたみたいだね。ぐっすりだったよ」

「昨日、夜更かししたから」

「休んでてくれていいよ」

「いや、今からバイトなんだ」

「そうなんだね。じゃあ途中まで一緒に行こ」

 

 一緒に姉妹の部屋を出て、スミレ色の朝焼けが照らす歩道を並んで歩く。

 

「もう春なのに、朝は寒いね」

「桜も咲き始めたのにな」

 

 まだ五分咲きくらいだけど、ちらほらと薄紅色の小さな花びらを咲かせている。あと一週間も経てば、見頃になるだろう。

 

「撮影?」

「ううん。実は今日、映画の完成試写会の打ち合わせがあって。眠気覚ましの散歩」

「タマコちゃんのやつか?」

「違うから! 言わないでって言ったよねっ?」

「有名になる前に返しとかねーとな。つーか、あれ以外にも出演してたんだな。どんな内容なんだ?」

「青春学園モノだよ。私は、生徒役で――」

 

 近日公開予定の初主演映画の話しをする一花(いちか)は、どこか吹っ切れたように生き生きとしていた。

 バイト先のパン屋の前で少し待ってもらって、焼きたてのパンを入れた袋を、一花(いちか)に差し出す。

 

「迷惑かけた詫びと、餞別。朝飯にでも食べてくれ」

「いいの? ありがとっ。がんばってね、朋也(ともや)君」

一花(いちか)。お前もな」

「うん、がんばるよっ」

 

 またね、と笑顔を見せた一花(いちか)と別れ、店内に戻った。

 バイト上がりの午後一時過ぎ、病院へ向かい歩いていると、買い物中の二乃(にの)三玖(みく)に出会した。

 

「晩ご飯の買い物の帰りよ。それから」

「CD探してたんだ。朋也(ともや)のスマホに入ってたの。だけど」

「レンタルショップ何軒か回って見たんだけど、ぜんぜん見つかんないわ」

「配信止まってるからな。動画サイトは?」

「カバーはあったんだけど、本人の音源はなかったんだ」

「やっぱり、全然違うのよねー」

 

 姉妹の持つスマホと、俺のスマホはタイプが違う。パソコンがあれば、データを共有してやれるんだけど。残念ながら持ち合わせていない。何か協力してやれるとすれば。

 

「手伝うよ。荷物持ちくらいだけどな」

「いいの?」

「ありがと」

 

 ひとつずつ持っていた買い物袋を預かり、近くの中古ショップを回る。何店舗か探してみたものの、結局、目当てのDCは見つからなかった。休憩がてら、ショッピングセンターに立ち寄り、席を立った二乃(にの)を待ちながら、ベンチに座って三玖(みく)と話す。

 

「手伝ってくれて、ありがとう。また今度、探してみるよ」

「そんなに気に入ったのか?」

「あんなに真っ直ぐ心に響く詩、初めて聴いたから。私も、あの詩みたいに素直な気持ちを言葉に出来たらなって」

 

 誰かひとりを特別贔屓して応援はしてやれない。

 けど、平等に応援してやることくらいは出来る。

 

「ちゃんと伝えられるといいな。がんばれ、三玖(みく)

「うん、がんばってみる」

 

 二乃(にの)が戻って来た。荷物を持って、立ち上がる。

 

「お待たせ」

「いや。じゃあ帰るか」

「いいの? 用事あったんじゃないの?」

 

 二人と会ったのは、普段の通り道じゃなかった。正直に話すと、気を遣わせてしまう。周囲を見て、目に止まった場所を指差す。

 

「じゃあ、寄ってもいいか?」

 

 そこは、ショッピングセンター内に店舗を構える家電量販店。

 

「何を見るの?」

「イヤフォン」

「そう。あっ」

 

 二乃(にの)が、調理家電のコーナーで立ち止まった。

 電子レンジ、オーブンレンジ、トースター、電気ポット、様々な調理器具が陳列され、中でもひときわ目を引いた家電は――。

 

「これって、炊飯器だよな? パンとか、ケーキも作れるのか」

「もっと多機能なのもあるわよ。カレー、スープ、煮込み料理もスイッチひとつで出来るわ」

「便利な世の中になったもんだな」

 

 それ相応の対価がかかるらしいけど。一般的な炊飯器と比べると、値札の数字がおかしなことになっている。

 

「私は、性に合わないわ」

「そうなのか?」

「料理は、作ってる時が一番楽しいのよ。食べてくれる人の顔を思い浮かべながら作るの」

二乃(にの)の将来の夢は、自分のお店を出すことだもんね」

「それ、子どもの頃の話しって言ったでしょ」

「ふーん。いいと思うけどな、二乃(にの)の料理美味いし。奢ってくれ、通いつめるから」

「そこは、ちゃんと払いなさいよ」

 

 冗談交じりに軽く笑う。でも、いいと思ったのは本心だった。

 調理器具コーナーを離れ、オーディオ機器コーナーへ。イヤフォンを見る前に、芽衣(めい)ちゃんが持っていたタイプと同じCDラジカセを見つけた。

 

「スロットが付いてる。これなら聴けるんじゃないか?」

「いいかも。だけど」

「ラジカセって結構するのね。やっぱり、アルバイト探そうかしら。無事に進級できたことだし」

一花(いちか)ひとりに負担かけちゃってるもんね」

 

 真剣な表情で話し合う、二人。

 スマホを操作して、データを一時的に本体へコピーして、メモリーカードを取り出す。

 

「やるよ」

「えっ? でも――」

「データは本体にコピーしたから」

「じゃあ、ありがとう」

「今じゃなくてもよかったのに」

「今が、ちょうどいいんだ。ここで買えるからな」

 

 広告の品と書かれたセール品の、新しいメモリーカードを買って、ショッピングセンターを後にする。話しながら帰り道を歩いていたところ、二乃(にの)は、ふと思い出したように聞いてきた。

 

「そういえば、イヤフォンは?」

「忘れてた」

「もう、何してるのよ。戻りましょ」

「いいって。いつでも買えるから」

 

 そんなものは、いつでもどこでだって買える。元々目的ってわけでもなかったし。もう半分近くまで来ている。今さら戻っても、二度手間になるだけだ。

 渋々ながらも納得してもらって、玄関の前で買い物袋を渡す。

 

「ありがと。助かったわ」

「これも大事にしまっておくから」

「ああ。手に入れたら、思う存分聴いてくれ。じゃあな」

「またね」

「ばいばい」

 

 二人と別れて、一度部屋に戻る。

 するとそこには、にわかには信じがたい光景が広がっていた。

 なんと、あの春原(すのはら)が、部屋の掃除をしていた。

 

「病院行くか? 手遅れだろうけど」

「あなた失礼ですねぇ。僕だって、たまには掃除くらいするさ。つーか、羨まし過ぎだっての。五つ子ちゃんの部屋に泊まったあげく、朝帰りなんてさ。次は、僕の番だからな」

「寝てなかったんだ。仕方ないだろ」

 

 厳密にいえば、コタツで突っ伏してただけだから一緒に寝ていたわけでもない。

 

「つーことで、旅の洗濯物ヨロシク! 端数は、お前持ちね」

「はぁ?」

「そんくらいしたって罰は当たらないだろ」

「わかったよ。ついでに病院寄ってくるから遅くなる」

「あいよ~」

 

 休む間もなく、近所のコインランドリーへ行き、洗濯物を放り込む。仕上がりを待つ間に病院へ行こうと店を出た矢先、またしても姉妹のひとりと遭遇した。一花(いちか)二乃(にの)三玖(みく)と来て、順番通り次は、四葉(よつば)......と思いきや、五月(いつき)だった。

 

「今、とても失礼なことを思いませんでしたか?」

「気のせいだ。昨日は、悪かったな。迷惑かけちまって」

「お疲れだったのでしょう。春原(すのはら)君から、お聞きました。いろいろあったみたいだから、と」

 

 気を回してくれたのか。確かに、これで済むなら安いな。

 

五月(いつき)。これから時間あるか?」

 

 花を供え、線香を立て、姉妹の母親が眠る墓石の前で目を閉じ、手を合わせる。

 

「何をお話していたのですか?」

「学業成就」

「神様ではないのですが?」

「冗談だ。娘さんたちのお世話になってますって話しただけだ」

「それです。突然、挨拶をしたいだなんて、いったいどういう」

「まぁ、出来る時にしておこうと思っただけだよ。教師だったって言ってたけど。五月(いつき)も、母親みたいな先生になりたいのか?」

「そうですね。最初はただ、お母さんのようになりたかっただけでした。でも、今は――」

 

 手を前で組んだ五月(いつき)は静かに目を閉じ、一呼吸置き、ゆっくりと目を開けて、母親が眠る墓石を見て答えた。

 

「私自身、先生を目指したい理由を見つけましたから」

「そっか」

岡崎(おかざき)君は、どうなのですか? 私は話したのですから、教えてください」

「ん? そうだな。直近の目的は見つけたってところだな」

「目的ですか? 希望ではなく?」

「どっちも似たようなもんだろ。さて、行かないと。ありがとな」

「あ、いえ、こちらこそ。お母さんへのお花、ありがとうございました」

 

 墓地の入り口で五月(いつき)と別れ、病院へ向かう。三度目の正直。今回は、無事に辿り着くことが出来た。

 受付を済ませ、診察室に入る。

 デスクのパソコンから俺に視線を移した、主治医である姉妹の父親は、黙ったまま凝視してきた。居心地が大変悪い。息が詰まりそうだ。

 

「あの、何ですか?」

「今、一瞬、別人かのような錯覚を覚えたよ。どうやら、決めたようだね」

 

 問いかけに頷く。

 

「正直、正しいかどうかは分かりません。だけど、だから――今を、後悔しない道を選ぼうと想います」

「そうかい。キミは、強いね。では、例の話しを進めさせてもらうよ」

 

 病院からの帰り道。

 商店街を歩いていると、目立つ緑色のリボンを風になびかせた女子が、前方から歩いてきた。そいつは、ウインドウショッピングをしているのか、ちゃんと前を見て歩いていない。

 

「ぶつかるぞ。四葉(よつば)

「わお、岡崎(おかざき)さん。偶然ですね、ここで会うなんて」

「まったくだな。けど、今回は話しを聞いてやれる」

「えっと、何のことでしょうか?」

「今のお前、あの時と同じ顔してるからな」

「あ、あはは~......」

 

 少し困ったような顔で、四葉(よつば)は、無理矢理笑顔を作った。

 

 そう、それは――あの時。

 

 この町へ来た日。ここで、初めて出会った時と同じ笑顔。

 まだ、後ろ髪が長かった頃と同じ、無理矢理作った笑顔だった。



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Episode29

 商店街を離れ、住宅街の高台にある公園のベンチに並んで座る。以前話しをした時と同じくらいの時間帯なのに、空はまだ明るく、人の姿も少なくない。はしゃぐ子ども、ペットの散歩に来ている人。別のベンチには、仲よさげなカップルの姿もある。

 

「私たちも、デートって思われているかもですねー」

「むしろ破局寸前って感じじゃないか」

「えぇ~、そんなに冷めた関係に見えますか。私たち」

「さーな」

 

 テキトーに流し、遠くの景色を眺めながら話しを切り出す。

 

「今度は、何と決別するつもりだったんだ?」

「あはは、パスと同じで鋭いですね。岡崎(おかざき)さんは」

「何言ってんだ。先にパスを出したのは、お前だろ。それこそ、ここで――」

 

 新年三ヶ日の夜。この公園からの帰り道で、思い出させるきっかけを作ったのは、他の誰でもない。四葉(よつば)自身だ。

 

「いつから気づいてた?」

「私、人とぶつかることって殆どないんです。自然と受け身をとってしまうといいますか。なのであの時、どうしてぶつかっちゃったんだろうって不思議に思ってました」

「お前が、急に動いたからだろ」

「ちゃんと避けました、私のせいにしないでくださいよぉっ」

「俺も、避けたぞ」

 

 突然、目の前に人影が現れたから咄嗟に、ショップが邪魔にならない方へ避けた。四葉(よつば)も同じように避けた。そして、お互い避けられたと思ったのに、左腕同士が軽く当たった。つまり、それは......。

 

「ぶつかって当然だな」

「同じ方に避けてたんですね」

 

 おそらく、理不尽な攻撃を回避し続けて身に付いた後天性の反射神経と、四葉(よつば)の天性の反射神経が悪いカタチで重なった結果だろう。

 

「実はあの時、少し右肩を気にしていたように感じたんです。おケガをさせてしまったのではないか、と思ったんですけど」

「経験か」

「......はい」

 

 あの時、右肩を気にした覚えは俺にはない。

 たぶん、転校前も転校後も、部活の助っ人をしていた四葉(よつば)は、ケガ人を見慣れているから微かな違和感を拾ったんだろう。

 

「もしかしたらって思ったのは、体力測定の時です」

「ハンドボール投げだな」

「正解です。右肩を庇って投げていらしたので、あの時の方ではないかと」

 

 すぐに確かめなかったのは、実に四葉(よつば)らしい理由だった。触れちゃいけない、と思ったからだそうだ。

 正直に言うと。俺は最初、四葉(よつば)だとは分からなかった。

 それはそうだろう。何せ、膝の後ろ近くまであった綺麗で長い髪が、肩に掛かるくらいまでバッサリ短くなっていたのだから。

 それにあの時の四葉(よつば)は、トレードマークのリボンもしてなかった。なんでも、美容室へ行く前に、ショップのガラスに映る自分の姿と向かい合っていたそうだ。

 そして、過去の自分に別れを告げ、ショップから離れようと前を向いた時、偶然、歩いて来た俺とぶつかった、というのが事の顛末。

 

 ただ――無理して作ったあの悲痛な笑顔は、目に焼き付いていた。

 

 印象深く残っていたこと、越して来てから日が浅かったことも相まって。転校初日の学食で、上杉(うえすぎ)と言い争う五月(いつき)を見た時、凄い似てると思った。だけど、実際に言葉を交わして人違いだと分かって。そこへ、四葉(よつば)が同じクラスに転入して来た。話し方なんかはよく似ていたけど、髪形とリボンの存在が邪魔をして確信を持てなかった。

 聞けば早いと思って聞こうとも思った。でも、タイミングが合わず、転校初日と体力測定の疲れもあって聞きそびれてしまった。

 ただ、次の日の午後からは、あの悲痛な作り笑いが嘘だったみたいに嬉しそうだったから、聞くのは止めることにした。

 それから、しばらくの間は謎のままだった。

 他の姉妹たちと知り合って、更に特定し難くなって、本当に六人目の姉妹が居るんじゃないかと疑ったこともあった。

 けど、俺自身半分忘れかけた頃、林間学校の出発前の四葉(よつば)の表情を見て確信を持った。

 

 ――ああ、やっぱりあの女子は、四葉(よつば)だったんだ......と。

 

 そして今も、同じ表情(かお)をしている。

 

「ご心配おかけしてすみません。でも、大丈夫です。明日になれば、いつもの私になってますから」

「そうかよ。だったら、今日だけは無理して笑うな」

 

 言ったそばから、困り顔で苦笑いを見せる。

 まったく、試験よりも難解なヤツだ。

 

「あの、どうして、これほどまで気にかけていただけるんですか?」

 

 ――どうして、か。

 そんなこと決まっている。考えるまでもない。

 誰にでも分かる、至極単純な理由だ。

 

「友達だから、だろ。悩んでたり、苦しんでるなら、出来る限り力になってやりたい。お前が、一番よく分かってるだろ」

「あっ......そう、ですね」

 

 顔を伏せ、膝に置いた手を軽く握り、ゆっくり顔を上げた。

 

「世話焼きは、私の専売特許です。ですので、勝手に使うは禁止です。それ相応の使用料を支払っていただきますよ」

「あん? なんだよ」

「ふっふっふ、それはですね。一緒に、ブランコに乗っていただきますっ」

「はぁ?」

「さあさあ、行きましょー!」

 

 腕を取られ、無人のブランコへ強制連行。

 俺は、ただ座ったままで。四葉(よつば)は隣で、立ち漕ぎで揺られている。

 

「一緒にやりましょーよ。楽しいですよー」

「なぁ、四葉(よつば)......」

「はい?」

「我慢するのもいいけどさ。本当に大切なモノ掴み損ねちまうぞ」

 

 夕日が沈み始め、人もまばらになり、東の空に星が見え始めた頃、黙ってブランコを漕いでいた四葉(よつば)は、重い口を開いた。

 

「......ここで、大切なモノをいただきました。カタチには残っていませんが、とても大切なモノです。私には、十分すぎる宝物です。ですので――」

 

 反動を利用して勢いよく跳んだ四葉(よつば)は、安全柵を越えた先で着地して、くるっと振り向き見せた笑顔は――いたたまれないほど儚げな笑顔だった。

 

「もう、いいんです。ありがとうございます」

「そっか。お前が決めたことだから無理には止めない。悩んで、迷って、苦しんだ上で決めたんだろうし。まぁ、気は進まないけど」

 

 本音を言うと。どんな事情があろうと、後悔するような選択はして欲しくない。けど、これほどまで自己犠牲を強いる特別な理由があるのなら、俺には、これ以上先の言葉を持ち合わせてはいない。

 ブランコを降りて、安全柵に腰を掛ける。

 

「お前に、伝えたいことがあるんだ」

「何でしょうか? はっ! まさか、告白ですかっ?」

「察しがいいな。その通りだよ」

「え......えぇーっ!?」

 

 もの凄い勢いであたふたし出した。

 

「えっと、その、お気持ちはとても嬉しいですしっ。でも、愛の告白を受けるのは初めて経験でして! あの、こういう時、いったいどうすればっ!」

「誰が愛の告白って言った?」

 

 つーか、春原(すのはら)の告白はノーカウントなんだな。

 まぁ俺は、誰かさんの代わりにはなれないし。そんなものになるつもりはない。

 

「あ、あはは~......とんだ早とちりを。でも、ドキドキしたのは嘘じゃありませんよ。それで、愛ではない告白とは?」

 

 安全柵から立ち上がり、四葉(よつば)と視線を合わせる。

 言葉通りなのか、沈みかけの夕日のせいなのか、頬が少し染まっているように見えた。

 彼女の言ったように、シチュエーション的には、完全に愛の告白だ。

 なんだか、意識した途端に緊張してきた。上手く伝えられるだろうか。

 ひとつ息を吐いて、心を落ち着かせ、しっかりと言葉にして伝える。

 

四葉(よつば)――」

 

 伝えたかった言葉。

 たったのひと言だけど、ずっと想っていた言葉――ありがとう。

 

 

           * * *

 

 

 三月下旬の、ある日のこと。

 バイト先のパン屋を出たところで、二乃(にの)三玖(みく)と出会った。二人は、上杉(うえすぎ)のバイトであるケーキ屋から対照的な表情で出てきた。二乃(にの)はどこか申し訳なさそうにして。三玖(みく)は、あからさまに肩を落としてた。

 

「よう。どうしたんだ?」

「あ、朋也(ともや)......」

 

 いつにも増して、三玖(みく)のテンションが低い。

 何ごとかと思って話しを聞くと。

 

「バイトねぇ」

「ラジカセのこともあるけど。やっぱり、一花(いちか)にだけ負担をかけたくないから。だけど、負けた......」

「そもそも、あんたが料理で勝負しようなんて言い出すから......」

 

 そりゃ相手が悪い。

 

「なら、うちでやるか?」

「え?」

「今月いっぱいで欠員が出るんだ。ちょうど探してたところなんだよ。俺、こんなんだし」

 

 吊った状態で固定してある、右腕を見せる。

 これは先日、四葉(よつば)に感謝の言葉を伝えた後日に受けた、肩の手術によるもの。

 旅に出る直前の通院で、主治医である姉妹の父親から勧められた再生手術を受けた。部活が出来るようになる......とまではいかないが、今よりも上がるようになるのは間違いないとのことだ。

 けど、手術の話しを聞いた時、二つ返事で答えられなかった。

 今思えば、戒めのように感じていたのかも知れない。

 俺の、過ちの――。

 

三玖(みく)に、やる気があるなら、店長に話すけど?」

「じゃあ、お願いしてもいい?」

「切り替え早いわね、本当にいいのっ?」

「うん。さっきので改めて思ったんだ。どうやら私、作るのは好きみたいだから」

「......あっそ。じゃあ、さっさと話しに行きましょ!」

二乃(にの)も来るの?」

「なによ、悪いっ?」

「別に」

 

 二乃(にの)三玖(みく)は、またしても対照的な表情だった。

 そして、三玖(みく)の面接は、顔馴染みだったこともあってすんなりと決まった。

 そのことを、夕食を食べながら、春原(すのはら)に話す。

 

「ふーん、三玖(みく)ちゃんが、あのパン屋でね」

「しかも、作る方に興味があるみたいだ」

 

 仕出しとレジ打ち、接客しかしてなかったから、パン作りのノウハウは教えてやれないのが何とも複雑だ。

 

「へぇ、そりゃ食べてみたいもんだねぇ」

「スゲーのが出来上がると思うぞ」

「おっ、それはますます楽しみだねぇ!」

「そうだな」

 

 ある意味で。

 これが、怖いもの見たさってやつだろうか。

 

「これでひとつ、問題は解決したわけだね」

「まーな」

「どうすんの? って、決まってるか」

「ああ。ケリつけてくる」

「んじゃあ、これ持ってけ!」

 

 春原(すのはら)が、テーブルに置いたのは、旅の二日目に使った切符。俺と春原(すのはら)武田(たけだ)、三人で割り勘して出した切符の残りだった。

 

「あと二日分残ってる。僕たちからの餞別だよ。覚悟を決める時間も必要だろ?」

「......悪いな。使わせてもらう」

「おう!」

 

 差し出された拳に、軽く拳を合わせる。

 旅支度を整え。翌日、俺はひとり、東京へと向かった。

 長年抱えていた問題に、決着をつけるために――。

 

 

           * * *

 

 

 戸にかけた手が、開けるのを躊躇する。

 ここを出たのは、もう半年以上前のこと。

 あの日、顔を合わせることもなく、置き手紙だけを残して、この家を出た。

 今、どうなっているか分からない。

 逃げ出してしまいたい。そんなネガティブな想いが心を揺さぶる。

 それでも――今を逃せば、もう二度と向かい合うことは出来ない。

 目を閉じて、ひとつ深く、大きく深呼吸。

 意を決して、玄関の戸を開ける。

 玄関には、無造作に脱いだ靴が転がり。掃除をしていないのか、若干の埃っぽさを感じた。靴を脱いで、家に上がり、昼間なのに薄暗い廊下を歩いて、微かな音が漏れる居間へ向かう。

 カーテンが閉じられたままの居間は、テーブルに置かれた酒とタバコの臭いで満ちていた。

 まるで部屋に溶け込むかの様に、あの人が、父親が横になっていた。

 閉じられたカーテンと、窓を開け放つ。目映い光りと風が部屋に入り込む。違和感に気づいた親父は、身じろぎをして、こちらを向いた。

 

「親父」

「......朋也(ともや)くん?」

 

 沸き上がりそうになる感情を抑え、冷静に向かい合う。

 

「久しぶりだな」

「ああ、久しぶりだね。元気だったかい? その、腕は?」

「手術したんだ。転校先に、腕のいい医者がいて。完璧とまではいかないけど、今までよりも上がるようになるって。日常生活には支障がない位までに」

「......そうかい。それは、よかった。手術費用を――」

「それも大丈夫だ。補助が出たから」

 

 テレビを消して、正面に腰を降ろし、真っ直ぐ顔を見る。

 気のせいだろうか、記憶の中の姿よりも、老け込んだ気がする。

 

「この春。向こうで出来た友達と一緒に旅に出たんだ。ここよりも遠いずっと北の大地へ。そこで偶然、ある人に会ったんだ。あんたの母親だよ」

 

 虚ろだった目が開かれ、体を起こした。

 

「全部、聞いた。俺の、母親のことも。墓参りして、写真も見せてもらった。凄い優しそうな人だった。きっと俺なら、絶望してたと想う」

「そうか......」

「俺、避けてたんだ。苦しんでること知ってたのに、気づかないふりをして分かろうともしなかった」

 

 ――ずっと、謝りたかった。

 

「俺はもう、大丈夫だから。きっと、いろいろしんどいだろうけどさ」

 

 ――二人でなら、生きてはいけるから。



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Episode30

 電車での長時間移動を終え、最寄り駅の改札を出る。

 するとそこには、武田(たけだ)が、いつもと変わらない無駄に爽やかな笑顔で出迎えてくれた。

 

「やあ、お疲れ。どうだった? 話しは出来たかい?」

「......ああ。ひとまず片は付いた。いろんなことに、な」

「そう。それは、なによりだよ」

「つーか、マジで疲れた。遠いよな、実際......」

 

 軽く首を鳴らし、左手で腰を叩く。

 

「ははっ、各駅停車の在来線だからね。どこかへ入ろう。そこの、ファミレスでいいかな?」

 

 提案を受け入れ、駅前のファミレスに入る。軽くつまめるモノとドリンクバーを注文し、アイスコーヒーで喉を潤して、ようやく落ち着くことが出来た。

 

「ところで、岡崎(おかざき)君」

 

 テーブルに肘をつき、顔の前で手を組み、爽やかな笑顔は鳴りを潜め、真剣な面持ちで聞いてきた。

 

「今回の件。彼女たちには......?」

「整理がついてから、な。わかってる。ちゃんと話すから」

「その言葉を聞けて安心したよ。後腐れがないようにしておかないとね」

 

 未練や心残りなんてものは残さない。全部、綺麗に片付けて終わらせるつもりだ。しかし、そう決意してはいるものの。どうしても、解消できない心残りが、ふたつある。

 ひとつは、バレンタインのお返しが出来ていないこと。これはもう、どうしようもない。

 

 そして、もうひとつの心残りは――。

 この物語の行く末を見届けられないこと。

 

 

           * * *

 

 

 武田(たけだ)と別れた俺は、通い慣れた商店街をのんびりと歩いていた。半年以上の時が過ぎ、見慣れたはずの風景にも関わらず、結構、知らない店があったりして、なんだか新鮮な感じを受けた。

 習慣なのか、特に目的もなく適当に歩いていたつもりが、バイト先のパン屋まで来てしまった。たまには客として立ち寄ろうとしたところで、目立つ金髪の客が店から出てきた。

 

「おっ、これまた妙なところで会ったもんだねぇ」

「不自然なのは、お前の方だろ」

 

 それは別に構わないのだが、少し気になったことがある。

 

「顔が悪いぞ?」

「色を付けろよ、色をっ! 意味合いが全然違ってくるだろ! ったく、まあいいや。アニキ、お勤めご苦労さんです!」

「どこぞの若い衆のお出迎えだよ。で、なにしてたんだ?」

「パン屋なんだから、パンが目的に決まってるだろ」

 

 普通ならそうなのだろうが。春原(すのはら)のことだ、三玖(みく)目的という可能性を捨てきれない。

 

「すぐそこのクリーニング屋に行った後、小腹が減ったから立ち寄ったんだよ」

「それで食い過ぎたのか?」

「いや、食べたのはひとつだけだよ......」

 

 表情と言葉で、全てを察した。

 

「向かいのケーキ屋にでも行くか。冷やかしついでに」

二乃(にの)ちゃんにも会えるかも! 早く行こうぜ!」

 

 踵を返し、向かいのケーキ屋に入る。

 

「いらっしゃいませ......って、お前たちか」

岡崎(おかざき)。この店員、態度が悪いぞ」

「そうだな。口コミサイトで酷評しておこう」

「止めてくれ」

 

 上杉(うえすぎ)の案内のもと、二人掛けのテーブル席へ。

 

二乃(にの)ちゃんは?」

「厨房だ」

「そういえば、初日からケーキ作ってるって言ってたな」

「速攻で時給並ばれたぞ......」

「アハハッ、そりゃ凄いねぇ。じゃあ僕は、二乃(にの)ちゃんが作ったので!」

 

 俺は、甘さ控えめの軽い物を頼む。女性客が大半を占める店内に若干アウェイ感を覚えつつ、ダベりながら上杉(うえすぎ)のバイト終わりを待ち、夕方の住宅街を歩く。

 

「なぜ、俺たちは肩を並べて歩いているんだ?」

「用事があったんだよ、お前に。これ、東京帰りの土産」

「悪いな。つーか、また出掛けて来たのか?」

「遊びに行ってたわけじゃねーよ」

「ふーん。まぁ、どうでもいいがな」

 

 相変わらず、他人に興味を示さないやつだ。

 いつもと変わらない態度に、何となく安心した。

 

「それと俺たち、来月から居ないから」

「そうか」

 

 しばしの沈黙あと、上杉(うえすぎ)は突如して足を止めた。

 

「どうした?」

「いや、聞き間違いか? 今、来月から居なくなるとか聞こえた気がしたんだが......」

「聞き間違いじゃない。東京の学校へ戻ることになった」

「それはまた、ずいぶんと唐突な話しだな。冗談なら笑えないぞ?」

「いろいろあったんだよ。本当に......いろいろな」

「そうか、冗談じゃないのか。まぁ、なんだ、寂しくなるな」

 

 今度は、俺たちが足を止めて驚いた。

 

「お前にも、そういう感情あったんだな」

「サイボーグじゃなかったんだねぇ」

「失礼なやつらだな、お前ら。何だかんだ言って、あいつらの次に言葉を交わしているからな。だが、一昔前の俺なら、特別な感情は抱かなかったかもしれん」

 

 そう呟いた上杉(うえすぎ)は、夜が近づきつつある夕暮れの空を仰いだ。

 その姿を見て、自身が変わりつつあることを自覚していることが解った。隣で春原(すのはら)が、にんまりと悪い笑みを浮かべる。

 

「おい、上杉(うえすぎ)

「なんだ? って――」

 

 上杉(うえすぎ)の振り向きざま、春原(すのはら)は左肩へパンチを決めた。それも、結構強めに。

 

「今時、肩パンって。お前、いつの時代の人間だ......?」

「こんくらい受けたってバチ当たんねーっての。余計なお世話かも知んないけどさ。ちゃんと答えてやれよ」

「......何のことだ?」

 

 殴られた左肩をさすりながら眉をひそめる上杉(うえすぎ)に、春原(すのはら)の代わりに続きを話す。

 

「お前たちの話し、だろ。これはお前の、お前たちの物語なんだから」

 

 俺たちは、見届けることは出来ない。

 上杉(うえすぎ)の、上杉(うえすぎ)と五人の姉妹たちの物語の行く末を――。

 

「そういうこと。今からどう動いたって、もう、誰かを傷つけることになるのは決まってるんだ。お前も、痛い想いをしないといけない。だからって、ヘタレなことだけはするなよ? 誰のためにも、お前のためにもならないからさ」

 

 上杉(うえすぎ)は、黙ったまま険しい表情を崩さない。

 忠告を真摯に受け止めていることは間違いない。要らないお節介だったか。無駄に済むなら越したことはない。

 

「さてと――」

 

 別れ道に、辿り着いた。

 

「じゃあな、上杉(うえすぎ)

「ビシッと決めろよ、色男!」

「あと。携帯の充電は、ちゃんとしておけ。俺が怒られる」

「ああ、気をつける」

 

 上杉(うえすぎ)の軽く背中を叩き、アパートへと続く道を行く。

 

「さて、僕たちも終わらせないとね」

「そうだな。今さらだけど、お前は、別に付き合う必要はないぞ」

 

 春原(すのはら)の場合は、向こうへ戻る理由はないし、デメリット方が大きい。残るメリットの方が大きいに決まっている。

 

「ほんと今さらだね。ツレないこと言うなよ。『春原(すのはら)岡崎(おかざき)コンビ、二人は最高! byヨロシク!』ってね。ヨロシクは難しい漢字のやつで頼むよ」

「暑苦しいから止めてくれ。あとbyの前後逆な」

「細かいこと気にすんなよ。さあ、飯だ飯!」

 

 翌日、引っ越しの前々日の朝。姉妹たちの部屋を訪れ、別れの挨拶を告げた。反応は、三者三様ならぬ五者五様。

 一花(いちか)は、冷静に受け止め。

 二乃(にの)は、少し不機嫌そうに。

 三玖(みく)は、どこか寂しそうに。

 四葉(よつば)は、戸惑いながらもエールを贈ってくれて。

 五月(いつき)は、感謝の言葉をかけてくれた。

 その日の昼は、武田(たけだ)前田(まえだ)と久しぶりに四人で集まった。

 

「マジかよ......!」

「いつでも会えるって。これでな」

 

 スマホを取り出す。

 

「そういうことだからさ。僕たちが帰って来られる場所で居てくれよ」

「ああ。まぁ、元気でやれや」

「上手くいくといいな。意中の彼女と」

「なっ!? どこ情報だコラ!?」

「フッ、もちろん僕さ。僕は、多方面に顔が広いから、ね?」

武田(たけだ)、テメェ......!」

「うーん、僕も、情報通を目指すことにするよ」

「おいおい。厄介なことには巻き込んでくれるなよな」

 

 夜は、姉妹たちと上杉(うえすぎ)上杉(うえすぎ)の妹のらいはちゃんも参加して送別会を開いてくれた。

 そして迎えた、引っ越し当日の朝。

 始発前、駅前のターミナルまで、姉妹たち全員が見送りに来てくれた。

 

一花(いちか)、自慢できるくらい有名になれよ」

「うん、がんばってみる。私らしく、ねっ!」

 

 後ろで手を組んで、一花(いちか)らしくウインクしてみせた。

 

「これ。私と三玖(みく)で作ったお菓子よ」

「バスの中で食べて」

「サンキューな。ありがたくいただく。店長によろしく伝えてくれ」

「任せて。伝えておくから」

二乃(にの)――」

「別にいいわよ。そう言うの」

「そうかよ。またいつか、美味い飯ご馳走してくれ」

「......ちゃんと、食べなさいよ? パンばっかじゃ栄養バランス崩れちゃうんだから」

「ああ。気をつける」

 

 四葉(よつば)を飛ばし、五月(いつき)に声をかける。

 

「いい先生になれよ、五月(いつき)

「最大限の努力をします。お元気で」

「お前たちもな」

 

 そして、最後に四葉(よつば)と向き合う。

 

「短い間だったけど楽しかった。お前が、クラスメイトで本当に良かったよ」

 

 俺と春原(すのはら)の、アホな話しに本気で驚いて、疑いもせず、呆れもせずに付き合ってくれたのは、間違いなく四葉(よつば)だからだ。

 四葉(よつば)じゃなかったら、俺たちの物語は始まりもしなかった。

 ――だから、ありがとうと伝えた。

 

「......私も、とても楽しかったです。毎日、楽しいことでいっぱいでした。ありがとうございました」

 

 出発を知らせる、アナウンスが流れた。

 自販機に飲み物の調達に行っていた春原(すのはら)が、戻って来た。

 

「挨拶は済んだみたいだね。じゃあ、僕からもひと言。みんな、愛してるよ!」

 

 ドン滑り。放送事故が起きた。他人のふりを決め込むとしよう。

 

「さっさと行きなさい」

「冗談っす!」

「マジで乗り遅れるぞ。じゃあな」

 

 五人に別れを告げ、高速バスに乗り込む。

 バスは、定刻通り出発。見送りに来てくれた五人の姿が徐々に遠ざかって行き、やがて見えなくなった。

 

「部活、どうするんだ?」

「あん? やるわけないだろ、あんないけ好かない連中なんかと。僕のチームメイトは、アイツらだけだっての」

「そっか」

「でも、そうだね。フットサルコートでバイトでもしようかな? 遊べるし、一石二鳥だよね」

「そうだな。あとお前、どこに住むんだ? また、学生寮か」

「いや、もう撤去されちゃったみたいなんだ」

「なら、アパート借りるのか?」

「心配はいらないよ、下宿させて貰えることになったんだ。幸村(こうむら)の爺さんの家にね」

「マジか」

「空き部屋はいっぱいあるから遠慮するなってさ」

「ふーん、よかったな。二度と遅刻出来ないけど」

「......やっぱ僕、こっちに残るっす!」

「もう無理だ、諦めろ」

 

 隣で、それはそれは大きなタメ息を漏らした。

 

「ハァ、僕たちってさぁ。つくづく損な役回りだよね?」

「損を出来るのはいい男なんだろ? それに、仕方ないだろ。俺たちは――」

 

 ――この物語の主役じゃないんだから。

 

 

           * * *

 

 

 あの別れの日から、二週間後の夜。

 俺は再び、姉妹たちと過ごした町を訪れてた。

 

「順調に回復しているようだね。この調子なら次回は、抜糸できそうだ。どうだい? 学校生活の方は」

 

 カルテにペンを走らせながら、姉妹の父親が話題を振る。

 

「まぁ、それなりに」

「そうかい」

「娘さんたちは、元気ですか?」

「生憎、家出中でね。困ったことに、近状を知る術を失ってしまった」

「聞いたらどうです?」

「なかなか忙しくてね」

 

 相変わらずだな、この人も。

 

「嬉しそうでしたよ。みんな、同じクラスになれて」

「それは何よりだよ。偶然とはいえ」

 

 ――偶然ね。裏で手を回していそうなニオイがプンプンするのは気のせいだろうか。

 

「あの、ところで。交通費がバカにならないんですけど」

「ふむ。しかし、キミの主治医としては――」

「ああーそういえば、CMが決まったってメッセージを一花(いちか)から貰いました。夏頃から放送開始予定だそうですよ」

「それは、初耳だね。さて、通院の話しだったね。ではこうしよう。紹介状を書こう。僕の知り合いが経営している病院がある。腕は保証するよ。ただし――」

「定期的に連絡を入れます」

「そうしてくれたまえ」

 

 上杉(うえすぎ)の親父さんの言葉を借りれば、そう、なかなか面倒な人だ。

 紹介状を書き終わるのを待っていると、ふと壁に掛けられたカレンダーが目に入った。4月14日。

 

「あの」

「なんだい?」

「帰る前に、挨拶させてもらっていいですか?」

 

 返事は、頷くだけだった。ダメというわけはないようだ。

 姉妹の母親が眠る墓に花を供え、手を合わせる。

 

「さて、帰るか」

 

 次は、いつ来られるか分からない。

 けど、忘れることは決してない。

 何せこの町は、俺を変えてくれた場所だから――。

 

「って、おいおい、マジかよ......」

 

 掲示板に、事故渋滞の情報が表示されていた。

 今日中に、帰れるのかよ。

 しかし、悪い予感ってのは、得てして的中してしまうもので。家に着いたのは、午前0時を回った、草木も眠る丑三つ時だった。

 

 

           * * *

 

 

 この町は嫌いだった。

 忘れたい思い出が染みついた場所だから。

 東京なのに、そこそこ自然豊かな町。迂回をしての通学。最短で直線距離をぶち抜けば、どれくらい短縮出来るのだろうか。止めておこう。野暮にもほどがある。

 学校へ続く、町の大通り。しかし、同じ学校の生徒の姿はない。今日が、休みというわけでもない。

 つまり、登校する時間ではないということだ。

 夜遅くだったおかげで、思い切り遅刻。

 たまには、いいだろう。担任には、通院していることを事前に伝えてあるし。問題ない。

 大通りから横道に入って、満開の桜が咲き誇る坂道を登る。

 校門まで、あと200メートル。あるはずのない生徒の姿があった。

 ――女子生徒。

 坂道の途中で、立ち尽くしている。

 

「この学校は、好きですか?」

「ん?」

 

 隣に並んだ瞬間、問いかけられた。

 

「私は、とってもとっても好きです」

 

 俺に問いかけたわけではなかった。

 

「でも、なにもかも変わらずにはいられないです。楽しいこととか、嬉しいこととか、全部――」

 

 儚げな表情で、たどたどしく話し続ける。

 何か、辛いことがあったんだろうか。

 

「全部、変わらずにはいられないです。それでも、この場所が好きでいられますか? 私は――」

「見つければいいだけだろ」

「えっ?」

 

 強い風が吹き抜けた。

 まるで粉雪のように舞う薄紅色の桜吹雪の中、こちらを向いた彼女は、とても驚いていた。

 誰かが居るだなんて、微塵も思っていなかったのだろう。

 

「新しいこと見つければいいだけだろ。それにさ――」

 

 去年と変わらず、咲き誇る薄紅色の桜の木々へと目を移す。

 変わるものもあるし。変わらないものだってある。

 球技大会の時の写真を設定した待ち受けは、しばらく変えられそうにない。

 

「いろいろしんどいこともあるけどさ。変わっていくのも、そんな悪いことばかりじゃねーよ」

 

 俺は、それを知っているから――。

 

「ほら、行こうぜ。遅刻だ」

「あ、はいっ」

 

 俺たちは登り始める。

 長い、長い坂道を――。



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Epilogue

エピローグとなります。
原作未読の方は、おそらくいらっしゃらないとは思いますが。念のため、花嫁はやや若干ぼかして書いています。


 到着を知らせるアナウンスが、列車内に流れた。

 荷物を持ち、膝の上に座っていた娘――(うしお)とはぐれないように手を繋いで、駅のホームに降り、始発のためか人通りもまばらな通路を抜けて、改札を潜り、駅の外へ出る。

 するとそこには、迎えが来てくれていた。

 あの日、この町を去った時と同じ、五人――。

 

「ん?」

 

 とある違和感に気がついた。知っている顔が、ふたつ足りない。迎えてくれたのは、三人だった。疑問に思いながらもとりあえず、手を振ってくれている彼女たちの元へ向かう。

 

「ひさしぶり、朋也(ともや)(うしお)ちゃんも、元気だった?」

 

 微笑みながら声をかけてくれたのは、あの頃とは、まるで別人のように明るくなった三玖(みく)。長い前髪で半分近く隠れていた顔も、今は、しっかりわかる。

 

「お前たちも、元気そうで安心したよ」

「少し見ないうちに大きくなったわね。前に会ったのは、年末だから......三ヶ月くらいかしら?」

 

 ツーサイドアップからふたつ結びのお下げ髪に髪形を変えた二乃(にの)は、膝に手を添えてしゃがむと優しく、頭を撫でた。されるがまま、少しくすぐったそうだ。嬉しそうに笑ってるからいいけど。

 

岡崎(おかざき)君、抱かせてもらってもいいかな?」

「ん? ああ、嫌がらなければ」

「やった。おいで~」

 

 俺の顔を見上げてから、たどたどしく、手を広げる五月(いつき)の元へ歩いていった。そして、抱きかかえられる。

 

「うーん、カワイイ! 連れて帰っていいっ?」

「ダメに決まってるだろ。なにを言ってるんだ、お前は」

「むむっ、かくなる上は、家裁に養子縁組の虚偽申請という禁じ手を使って、合法的に――」

「あんた、昔の四葉(よつば)みたいなこと言ってるわよ?」

 

 一番変わったのは間違いなく、五月(いつき)だろう。

 見た目の変化は髪を伸ばしたのと、メガネをかけたくらいだけど、いつの頃からか、あの堅苦しい丁寧語をあまり使わなくなった。使い始めの頃は、両方が入り混じって変な言葉使いになっていたのが懐かしい。

 

五月(いつき)、そろそろ時間じゃないの?」

「あっ! じゃあ、行ってくるね。(うしお)ちゃん、またあとで遊ぼうね」

「うんー」

 

 名残惜しそうに手を振った五月(いつき)は、早足で近くのコインパーキングに入り、車を運転して別の方向へと走り去っていった。

 

「どこ行ったんだ?」

「空港よ。一花(いちか)を迎えにね」

「空港?」

一花(いちか)は今、撮影で海外に行ってて。今日、戻って来るんだ。私たちも行こう。朝ご飯、まだだよね? 用意するから」

 

 お言葉に甘えて、住宅街の中にある、二人が切り盛りする喫茶店で、朝食をご馳走してもらう。

 

「美味しい?」

「うん、おいしー」

「よかった」

五月(いつき)じゃないけど、気持ちは分かるわ。いっそのこと、こっちに越してくれば?」

「簡単を言ってくれるなよ」

「冗談よ。はい、コーヒー」

「サンキュー」

 

 湯気の立つカップを持つ。ふと、カウンターの奥にひっそりと置かれたラジカセが目に入った。

 

「置いてあるんだな。ラジカセ」

「うん。ふたりで出し合って買った、大切な物だから」

「今も現役よ。前に、朋也(ともや)に貰った新譜も、時々あれで聴いてるわ。営業中は流せないけど」

「ロックだからな」

 

 曲調はロックなのに、歌詞は、思い切りバラードのラブソング。さすがに、この落ち着いた店の雰囲気には合わないだろう。

 

「ところで、四葉(よつば)は?」

「まだ来てないわ」

「アイツ、二、三日前に出たはずだけど?」

「え? そうなの? でもさっき、もうすぐ喫茶店(ここ)に着くってメッセージが届いたんだけど......」

「ま、まあ、まだ全然間に合うわよ」

 

 だといいけど。遅れでもしたら、さすがに笑えない。

 コーヒーを飲み干して、席を立つ。

 

上杉(うえすぎ)、上にいるよな? ちょっと挨拶してくる」

「わかった。見ておくから」

「頼むな。上杉(うえすぎ)の兄ちゃんと話してくるから、お姉ちゃんたちの言うこと、ちゃんと聞いて、いい子で待ってるんだぞ」

「うん」

 

 こくっと頷いた。

 

朋也(ともや)の子とは思えないくらい素直な子よね」

「ほっとけ。すぐ戻ってくるから」

 

 二人に任せて、店を出る。店舗兼住宅の階段を登り、玄関先で呼び鈴を押す。返事は、すぐに返ってきた。ドアが開いて、顔を出したのは、上杉(うえすぎ)の妹――らいはちゃん。高校生になって、すっかり大人びた印象を受ける。

 

「お久しぶりです。岡崎(おかざき)さん」

「ご無沙汰、らいはちゃん。上杉(うえすぎ)、起きてる?」

「はい。どうぞ」

 

 家に上がらせてもらう。

 上杉(うえすぎ)は忙しなく、身支度をしていた。

 

「よう」

「なんだ、お前か」

「悪いな。忙しい時に押しかけちまって」

「まったくだ」

「コラ! 遠いところからお祝いに来てくれたんだから」

 

 苦言と共に、コーンッ! と、気持ちの良い音が響いた。

 

「お玉で叩いてくれるな......。ひとりか?」

二乃(にの)三玖(みく)が見てくれてる」

「そうか。春原(すのはら)のヤツは?」

「まだ。披露宴には間に合うように来るって言ってた。武田(たけだ)は、残念だったな」

 

 海外留学中の武田(たけだ)は、どうしても都合が合わなかった。代わりに、ビデオレターを預かっている。披露宴で流す予定。

 

「けど、安心したよ。あの自己中で、無神経で、鈍感なお兄ちゃんに、遠くから駆けつけてくれる友達ができたなんて。ずっと不安だったんだ」

「らいは、さすがに傷つくぞ?」

 

 卒業後、東京の大学へ進学した上杉(うえすぎ)

 入れ替わる形で、春原(すのはら)が地元へ帰ったこともあって、同じく東京へ進学した武田(たけだ)を含めた三人で過ごすことも少なくなかった。単純な時間だけで言えば、五つ子や春原(すのはら)よりも付き合いは長いのかもしれない。

 ――救われていたのは、きっと、俺の方だな。

 久しぶりに、上杉(うえすぎ)の母親に挨拶させてもらう。

 目をつむり、静かに手を合わせていると。静けさを切り裂く大声が下の階から聞こえた。

 

「ん? なんだ?」

「今、悲鳴みたいなのが聞こえたような......って、お兄ちゃん、時間!」

「マズい!」

 

 荷物を詰め込んだバッグを肩に担いだ上杉(うえすぎ)は、玄関のドアノブに手をかける。

 

「忘れ物ない?」

「たぶんない。じゃあ、先に行ってるぞ。アイツらに伝えておいてくれ!」

 

 返事をする前に、まるで嵐のように去って行ってしまった。

 

「もー、大丈夫なのかな?」

「まぁ、大丈夫だろ、たぶん。さて、そろそろ戻るよ。声をかけてくる」

「はい。ありがとうございましたー」

 

 玄関を出て階段を降りると、五月(いつき)が運転していた車とロードバイクが軒先に停めてあった。どうやら、全員合流したようだ。店に入る。

 

「やっほー、朋也(ともや)君。久しぶりだね。ねぇ、聞いて。四葉(よつば)ってば、ここまで、自転車で来たんだって!」

「マジでチャリで来たのか? 県境くらいまでは行くかと思ってたけど、スゲー根性だな」

 

 今や、大女優の仲間入りした一花(いちか)との再会に感動なんてものはなく、挨拶もそこそこに、(うしお)を抱いている四葉(よつば)に顔を向ける。

 

「あはは~、実は、ついさっき着いたばかりで。手荒い歓迎を受けていたところです」

「相変わらず仲がよさそうでなによりだ。てか、行かなくていいのか? 上杉(うえすぎ)はもう、式場に行ったぞ」

「あ、そうなんだ。そろそろ、私たちも行こっか。お店のシャッター降ろしてくるね」

「じゃあ私、車回してくるから。出られるように準備しておいて」

 

 三玖(みく)五月(いつき)は、店の外へ。三人も身支度を始める。

 

「あっ、私の担当メイクさん来てくれるって」

「ほ、本当にやるのっ!?」

「何を今さら怖じ気付いてんのよ。あんたも乗り気だったじゃない」

「それは、そうだけど......」

「何の話しだ?」

「ちょっとしたサプライズだよ。フータロー君にねっ」

 

 後ろで手を組んで、悪戯な笑顔でウインク。

 いったい、何を企んでいるのやら。

 ただひとつ確かなことは、苦労するな、上杉(うえすぎ)も。

 同情しつつ、荷物を持って、姉妹たちと一緒に店を出る。

 

「一緒に行かないんですか?」

「寄っておきたい場所があるんだ。それに、五人乗りだろ? この車」

「ですね。それでは、お待ちしてます。またあとでね」

 

 微笑みながら頭を撫でた四葉(よつば)が助手席に乗ると、五月(いつき)が運転する車は、式場へ向かって走り出した。

 そして俺たちは、車とは反対側へと歩き出した。

 

 

           * * *

 

 

 何年ぶりだろうか。町の商店街を、手を繋いで歩く。

 見覚えのない建物、知らないショップも増えた。逆に、なくなってしまった店もある。半年以上住んでいたアパートも、もうないそうだ。

 それでも、変わらないところもある。

 例えば、世話になったバイト先のパン屋。向かいのケーキ屋なんかも、そのひとつだ。

 花屋で生花を買い求め、向かった先、姉妹の母親が眠る墓前には、先客が居た。

 知っている顔。

 何かと世話になった主治医であり、五つ子姉妹の父親。

 

「ご無沙汰してます」

「久しぶりだね。この子は......あの時の?」

「はい。娘の、(うしお)です。(うしお)、挨拶」

「こんにちはー」

「こんにちは。大きくなったね」

 

 ポーカーフェイスなのは変わらないが、昔の印象よりも気持ち、穏やかな目をしているような気がする。

 

「優しい瞳をしている。とても真っ直ぐ育っているようだね」

「支えてくれた人たちのおかげです。今も、多くの人に支えられ、助けられています」

 

 家族、姉妹たち、春原(すのはら)上杉(うえすぎ)武田(たけだ)、向こうへ戻ってから出会った新しい友人、知人。

 他にも、挙げきれない人たちに支えられて生きている。

 

「――だとすれば。それは、キミの人徳によるものだよ。話しは、娘たちから聞いていた。食事中、よく話題に上がっていたからね。にわかには信じがたい話しもままあった」

 

 部活の手伝い、学校で結婚式を挙げる手伝い、不良の抗争を収めるためにケンカをしたことも。卒業した後も、いろいろなことがあった。時には、上杉(うえすぎ)武田(たけだ)を巻き込んだこともあった。

 今となっては、どれも懐かしい思い出だ。

 

「僕は、僕の未熟さ故に、大切な娘たちの成長を傍で見守ることができなかった。キミは立派に果たしているよ、岡崎(おかざき)君。これからも励みたまえ、大切な家族のため、キミ自身ために」

 

 ――はい、と会釈をして答えたその時、父親のスマホが鳴った。「失礼」と、画面を見た瞬間、先ほどとは打って変わって、あからさまに目が据わった。

 

「私だ。さてね。確認してみたが、今日のスケジュールは真っ白だ」

 

 よく言う。きっちり正装して、準備万端なのに。

 親バカなところは相変わらずのようだ。

 

「.....今日はオフだったはずだったが、キミに会う予定ができた」

 

 それだけを告げると、通話をぶった切り。何ごともなかったかのように振る舞う。

 

「さて。では、行こうか」

「先に、挨拶させていただければと思います」

「そうかい。彼女も、喜んでくれていると想う。では、失礼するよ」

 

 背中に向けて、頭を下げる。

 振り返り、墓前に花を手向けて、手を合わせる。

 

「......よし。少し急ぐぞ。お姉ちゃんの結婚式に遅れちゃうからな」

「うんっ」

 

 手を繋ぎ直し、結婚式場へ向かう。

 この繋いだ小さな手も、いつの日か離れていくのだろう。

 どのような物語を紡ぎ、どのような場所へ辿り着くのか。

 それは、誰にもわからない。

 ただ、今は一緒に歩いて、一番近くで見守っていこうと思う。

 

 今、この瞬間を後悔しないように......。

 いつの日か、この手を離れていく、その時まで――。




今話で完結になります。
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

「成長」と「家族愛」をテーマに構成しました。
最終的なルートとしては『汐END if』という流れになります。
見方によってはバッドエンド、ビターエンドに感じる方もいると思いますが。テーマを思いついた時、着地点としては、ここがベターなのかなという形で締めました。
改めまして、最後までお付き合いくださりありがとうございました。

――参考資料。
〇五等分の花嫁/春場ねぎ先生
〇CLANNAD/key
〇CLANNAD ~光見守る坂道で~/key


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