虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 ~刹那の奇跡を紡いで~ (関崎比呂)
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prologue
第一話 彼の違和感と彼女のトキメキ


初めまして。
関崎比呂と申します。

人気タイトルの二次創作ということで正直かなり緊張していますが、楽しんで読んでいただけたら幸いです!

よろしくお願いします!


『私、スクールアイドルをやってみたいです! やりたいんです!』

 

 そう……彼女に堂々と宣言された日のことを、俺はこの先もきっと忘れないだろう。

 

 人前に立って目立つようなことが得意ではない彼女が――。

 人に本音を打ち明けられず、一人でなんでも背負ってしまう彼女が――。

 両親の期待に応えるために、やりたいこと、好きなことを堂々と好きだと言えずにいた彼女が――。

 

 あの日、初めて真剣な表情で口にした自分のやりたいこと。自分の気持ち。

 

 それが……アイドル。スクールアイドル。

 

 学生でありながらアマチュアのアイドルとして活動する少女たちの名称……。

 

 彼女からそう宣言された当時の俺は、アイドルに対して特別な感情を抱いているわけではなかった。

 もちろん良い曲は無意識に口ずさむときもあれば、その曲を歌うアイドルのことを軽く調べることもある。

 

 とはいえ、それ以上はなにかするわけではない。ライブに行ったり、CDを買ったりすることもない。それこそ人並み程度の関心と同じレベルだろう。

 

 しかし。

 

 スクールアイドルに真剣に取り組む彼女の姿を――。

 好きなことに真っすぐ向き合っている彼女の姿を――。

 人の目を惹きつける彼女のダンスを、歌を――。

 

 俺は、誰よりも近くで見てきた。誰よりも近くで彼女が成長する姿を見てきた。

 そして、アイドルという存在の強さを……輝きを、魅力を知った。

 

 だからこそ……俺は決めたんだ。

 

 彼女がこれからも真っすぐ走れるように。

 彼女が自分の『大好き』を捨てることがないように。

 彼女が彼女らしく、自分の道を突き進めるように。

 

 俺なりに彼女を支えよう……と。

 

 その想いは……今も、この先も、きっと変わらない。

 

 俺は今ここに、強く願う。

 

虹ヶ咲学園(にじがさきがくえん)スクールアイドル同好会に……幸あれ」

 

 

 × × ×

 

 

 春が終わり、もうすぐ夏へと差し掛かる季節。

 

 四月に入学してきた高校一年生たちはようやく学校に慣れ始める時期だろう。

 

 今まで暖かかった日差しが気が付けば暑い感じるようになってきた中で……俺、外波(となみ)(そら)は職場に向かってダラダラと歩いていた。

 

 夏というと、学生の頃なんかは『夏だ! 衣替えだ! 薄着女子だ!』なんて、思春期真っ盛りで夏を楽しんでいたが、今はそんな熱い気持ちはどこにもない。

 

 あるのは『うわ、夏だ……。だるい暑い……。帰りたい……』のみである。

 

 しかし、帰るなんてことはもちろん許されないのである。

 

 社会人って辛いなぁ……。もう一度若かりしあの青春時代に戻り……たいとは別に思わないな、うん。それはそれで楽しいだろうけど絶対に面倒くさい。

 

 まぁでも、たしかに夏は暑いしだるいけど……冬よりは断然夏の方が好きだ。

 

 なぜならば、暑さは薄着にしたり色々対策したりで回避できるけど、寒さはもうどうしようもない。暖房が効いた部屋でうずくまっているしかないのだから。

 

 それに、冬はなんといっても雪が最も面倒だ。

 

 雪は降るだけでは飽き足らずそのまま積もりやがる。

 そのせいで交通機関に甚大な影響を与え、それはつまり毎朝の出勤も大変になってしまうことで……。

 

 ……。

 

 ……出勤のことをすぐに心配するなんて、なんて俺は優秀な社会人なのだろう。社畜バンザイ。社会の歯車バンザイ。

 

 なんて、少し泣きそうな気持ちになっているとようやく職場が見えてきた。

 

 さて……と。今日も頑張りますか!

 

 気合を入れたとき――。

 

()()()()おはようございまーす」

「おはようございまーす!」

 

 俺に向かって投げかけられた、制服を着た女子の元気な声。

 彼女たちは俺に向かって挨拶をすると、そのまま()()をくぐる。

 

「おう、おはようさん」

 

 若い子は朝から元気だなぁ……と、しみじみ思いながら挨拶を返す。

 

 元気な挨拶は良いものだ。挨拶されたこっちも元気になれる。

 やっぱり挨拶は大事だな、うん。

 

 俺も若い子に負けないように――。

 

「とっなみーん! おっはよー!!!」

「ぐぇっ」

 

 ドカン!!! と背中になにかがぶつけられたと同時に、俺の口からカエルみたいな声が発せられた。

 その強い衝撃で俺は前のめりになり、転びそうなところをなんとか踏ん張って耐える。

 

 あっぶな……生徒たちの前で恥をさらすところだった……。さすが俺。

 

 って、そうじゃない!

 

 俺は勢いよく振り返り、俺に鞄をぶつけた問題児へと詰め寄る。

 

 俺にこんなことをしてくるのは……コイツしかいない。

 

「おい、宮下。俺とお前は友達じゃなくて先生と生徒……分かるか?」

「あははっ、いいじゃんいいじゃん。女子高生に叩いてもらえるなんて嬉しいっしょ?」

「んなわけあるか! 周りに他のやついるのに勝手なこと言うのやめてくれる?」

 

 金髪ポニーテールを揺らして陽気に笑う女子生徒。

 

 情報処理学科所属、二年宮下(みやした)(あい)

 

 派手な髪色に、ブラウスはしっかりボタンを留めずに大きく開いた胸元、短いスカートに、腰にはカーディガンを巻いている。

 そして……とんでもないコミュニケーション能力の持ち主。

 

 そう。

 

 今時のギャルである。

 そこだけ聞けば宮下は『問題児』というイメージを強く持たれるだろう。

 

 しかし……だ。この宮下愛という少女はそれだけでは留まらない。

 

 成績優秀、運動神経抜群、周りの生徒たちからの信頼も厚い。

 

 ……分かるだろうか?

 

 こいつは……宮下愛は、現代が生んだ最強のハイスペックギャルなのである。

 問題児どころか……かなりの優等生なのだ。

 

「そんな細かいことばっか気にしてたら、となみん老けちゃうよ?」

「おいやめろ。俺まだ若いから。二十五だから」

「てことは、アタシとの年の差は……」

「それ以上はやめてください。現実を思い知らされます」

 

 笑顔を浮かべて楽しそうな宮下。

 

 こいつは誰に対しても明るく気さくに接している。それ故に友人がかなり多い。

 そのうち『人類みな友達』とか言い出しそうで怖いし、それを本当に実現させそうだからもっと怖い。

 

 そして、宮下はきっと無意識で男を何人も落とすタイプだろう。

 宮下にとっては普通の態度で接していたとしても、それが男子からしたら『あれ? こいつ俺のこと好きなんじゃね?』って思わせてしまうのだ。

 

 良かった……共学じゃなくて。勘違い男子たちの悲しい涙を見なくて済む。

 

 俺は相変わらずの宮下の態度にため息をついた。

 

「まぁいいやもう……。それにしても今日は登校早いな。なにかあったのか?」

「いやー、ちょっと課題を教室に忘れてちゃっててさー。朝のうちにパパっとやろうと思って」

「……お前それ教師の前で言っていいと思っているのか?」

「え? となみんだから別にいいっしょ?」

「なにその謎の信頼」

 

 女子高生からそんな信頼されてとなみん嬉しい。

 

「はぁ……もう良いから早く行け。課題提出は忘れるなよ」

「はいはーい! じゃあまったねーとなみん!」

 

 宮下は元気よく手を振りながら走り出す。

 

 たしかに見た目はギャルだが成績は優秀だし、問題は起こしていないし、むしろめっちゃ良いヤツだし……。

 俺たちもあまり言うに言えないのだ。

 

 まぁ別に……やるべきことをちゃんとやっていて、周りに迷惑をかけなければなんでも良いと俺は思う。

 

 さて……と。

 

「俺も行きますか」

 

 俺は歩き出す。今日も一日社会の歯車になるために。

 

 虹ヶ咲学園。

 大きな建物、優れた環境設備、生徒数の多さ、その他においても都内で屈指の女子高である。

 

 自分のやりたことができる環境、制服のデザイン、部活動の多さ――。

 様々な理由からこの学園を受験する生徒は多い。

 

 俺自身、虹ヶ先学園に着任が決まった当時それはもう驚いた。

 

 まぁそんなこんなで。

 

 この虹ヶ咲学園こそ――。

 

 今年で四年目の国語教師、外波空の職場なのである。

 

 × × ×

 

「よーしお前ら全員いるなー? 欠席者は手をあげろー」

「だから先生ー、休んでたら手はあげられないですって」

「うむ、ナイスツッコミ。いつもありがとう高咲(たさかき)

 

 朝、俺は教室に入るなりお決まりのボケをかます。

 そのボケに毎回律義に反応してくれるのが、一番前の席に座る黒髪ツインテールの生徒、高咲(ゆう)である。

 

 俺が去年から担任を受け持っているのが、普通科二年のこのクラスだ。

 

 男で若手の教師ということで、最初はなめられたり馬鹿にされたりしないかすごく心配していたのだが……実際に担任を受け持ってみるとそんなことはなく……。

 

 むしろノリが良い生徒が多い明るいクラスで、個人的に楽しく担任をやらせてもらっている。

 

「連絡事項はなし。前回の授業でも伝えた通り、今日の四時間目の国語で小テストをするからなー。一問でも間違えたやつは反省文五枚でよろしく!」

「先生それパワハラでーす」

「マジで? 最近の若者はこんな冗談で訴えるの?」

「外波先生の顔的に……懲役八年くらいだと思いまーす」

「え、顔だけで刑の重さ変わるの? 俺の顔の罪重すぎない? ……あっ、俺の顔がかっこよすぎて罪ってことか! 納得! ありがとうお前ら!」

『……』

 

 素晴らしすぎる静寂。

 

「お前ら次のテスト絶対覚えてろよ」

 

 俺の発言で教室内に笑いが起きる。

 まぁ……こんな感じで、面白いやつらが集まっているのがこのクラスだ。

 

 俺の扱いがひどすぎることが大きな難点だが……。おかしいな、どうしてみんな友達の如く俺に接してくるのだろうか……。

 

「それじゃ、今日も頑張れよー。ちゃんと授業受けるんだぞ! なにかあったら俺が怒られるんだからな! 頼むぞ!」

 

 『なにそれー!』という明るい生徒たちの声とともに、教室内が休み時間特有のガヤガヤとした雰囲気に包まれる。

 

 そんな雰囲気が、自分の学生時代と重なってなんとも懐かしい。

 俺も高校生のときがあったな……。

 

 さて……。

 

 俺は最初の授業の準備があるから戻るとしよう。

 

 今日も欠席者無し、問題ないな。

 

「よし……っと」

 

 俺は出席簿を手に取ると、教卓から降りる。

 最初の授業は一年生か……。たしか前回終わったところは……。

 

「あ、先生先生!」

「ん?」

 

 教室から出ようとする俺を呼び止める声に足を止める。

 背中越しに聞こえてきたその声は、高咲だろう。

 

「どうした高咲? それに上原も」

「あ、えっと……侑ちゃんが先生に聞きたいことがあるみたいで……」

 

 上原(うえはら)歩夢(あゆむ)

 

 ライトピンクのミディアムヘアに、右サイドにお団子を作るというなかなか特殊なヘアスタイルの少女。

 

 恐らく高咲が最も仲が良い生徒だろう。

 

 二人は幼馴染で、放課後も毎日のように出かけているようだ。

 

 幼馴染……か。

 

 こうして心を許し合える存在がいるのは、とても良いことだと思う。

 

「ほう? なんだ高咲。ちなみに俺に彼女はいないぞ」

「あ、それは別にどうでもいいんですけど」

 

 ……。泣ける。

 

 いつもみたいに冗談みたいに返してくれればいいのに、なんでこういうときだけ素で否定するの?

 

「先生って、こう……ときめいた! とか、衝撃を受けた! とかそういう経験ありますか?」

「どうしたお前、昨日少女漫画でも読んだの? それか頭打ったか?」

「ひどいですよ!」

 

 まぁでも、わざわざこうして聞いてくるということは……ちゃんと意味があるのだろう。

 

 それにしても……ときめき……ねぇ。

 ときめき……衝撃……魅了……ドキドキ……。

 

 うーん……なかなかそんなことを――。

 

 ――『見てくださって、ありがとうございました!!!』

 

 あっ。

 

「あるわ」

「ほんとですか!?」

「でも秘密」

 

 「えぇー! 気になるよー!」と残念そうに声をあげる高咲を見て、俺は小さく微笑む。

 

「そういうのは自分で発見するからこそ、お前が言う『ときめき』を感じられるんだよ。人に教えてもらうものじゃない」

「うーん…」

 

 もしかしたら高咲は、なにか刺激的な出会いや発見を求めているのかもしれない。

 

 まぁたしかにその気持ちは分からないでもない。

 

 なんとなく退屈だなぁ、刺激がほしいなぁ、なにか面白いことないかなぁ……と思うことは誰でもあるだろう。

 

 しかし、なにを面白いと感じるか、なにを刺激的に感じるのかは人によって違うものだ。

 例えば本だって、同じ本でも最高に面白いと感じる人もいれば、まったく面白いと感じない人がいる。

 

 人生だってそんなものだ。同じものを同じくらいに同じレベルで物事を感じることなんてないのだから。

 

「いつもと同じように上原と出かけて、上原と遊んで……でもそこで『いつも通り』じゃない新しい発見があるかもしれないぞ。今日か明日か、一年後か……それはお前次第だけどな」

「いつも通りじゃない新しい発見……」

「刺激は受けようとするものじゃなくて、気が付けば受けているもの……ってことだ。分かったか?」

 

 最初は俺の言葉を聞いて難しそうな表情を浮かべていた高咲だったが、なにかを理解できたのかパァっと明るい笑顔を浮かべた。

 

 うんうん、なんとか理解できたようで良かった良かった。

 

「なんか……! 今の言葉先生みたいですね!」

「おい」

「ゆ、侑ちゃん……みたいじゃなくて、外波先生は先生だよ?」

「あ、そうだった……!」

 

 俺たちは顔を見合わせて笑い合う。

 

 まったく……こいつは俺をなんだと思っているんだ……。

 

 でも俺は、こういう風に生徒たちとふざける時間は嫌いじゃない。

 教師になって良かったと思える瞬間の一つだからだ。

 

 さて。

 

 そろそろ授業の準備をしないとマズいな。

 

「それじゃ高咲、上原。俺はもう行くぞ」

「あ、はい! ありがとうございました!」

 

 ……たしかにさっきの俺、先生っぽかったな。やるな外波空。

 

 × × ×

 

 ――時間は飛んで放課後。

 

 生徒たちが部活動や放課後の時間などを楽しんでいる中、俺は職員室で明日の授業の準備をしていた。

 学校も多いとなれば、当然教員の数も多い。

 

 となればもちろん、全教員が同じ場所で……というわけにはいかない。

 専門分野ごとにそれぞれの職員室が設けられているのだ。

 

 例えば、情報処理系の教員だったらその教員だけが使用する職員室……とかそういう感じである。

 

 国語教師の俺の場合は、基礎科目である国語、数学、理科、社会、英語などの教員が使用する比較的広めの職員室を使用しているのだ。

 

「……よし」

 

 俺はノートパソコンを閉じて、荷物を纏める。

 時間は……よし、まだ間に合うな。

 

「あぁそういえば外波先生、今日用事あるんでしたっけ」

 

 隣のデスクでカタカタとパソコンで作業をしていた女性が俺に話しかける。

 彼女は俺の二つ年下の国語教師、安藤(あんどう)(かえで)先生だ。

 

 黒髪ロングで釣り目気味の整った表情、スーツをしっかり着こなした『The・出来るOL』を具現化したような容姿をしている。

 

 俺と同様に大卒一年目で虹ヶ咲学園にやってきた彼女は、一応先輩の俺なんかより既に優秀なのではないかというレベルの人材で信頼も厚い。

 

 クールな性格で普段の言動もとても丁寧で……俺が生きてきた中であまり関わったことがないタイプだ。

 

 話を聞けば、どうやら有名なお嬢様大学を卒業しているらしいが……まぁそこは別に良いだろう。

 

「そうなんですよ。ちょっと絶対に外せない用事でして……」

 

 俺は帰り支度を済ませながら返事をする。

 

 日本社会に訓練された最強の社畜である俺は、普段ならば今もバリバリ仕事をしている。

 小テストの準備や明日の授業の進め方、その他自分のクラス関係の仕事など……まだまだあるが、教師の仕事は結構多い。

 

 さすがに今となってはある程度慣れたが、一年目とか本当に大変だった。

 あんな大量の仕事を普通にこなしている先輩教師たちがみんな怪物に見えたほどだ。

 

 俺も後輩教師からそう思ってもらえるように頑張っているが……なかなか上手くいかないのが現実である。

 

 安藤先生に関しては最初こそ俺も色々教えていたが、今となっては俺よりも優秀疑惑があるくらいだ。むしろ先輩として俺がもっと頑張らないといけないということで……。

 

 おっと、いかんいかん。そんな悲しいことを考えている暇はなかった。

 

「そうなんですね。お疲れさまでした、気を付けてお帰りくださいね」

 

 いつものように淡々と言葉を口にする。

 安藤先生は誰に対してもこのような接し方をするため、周りの先生もコミュニケーションに関しては少し困っているようだ。

 

 確かに少し冷たい雰囲気はあるけど、性格は一切悪くないのに……。むしろ生徒のこともしっかり見ているし優しい先生なのだ。

 

 それを理解してくれる人が少しでも増えてくれるといいけど……。

 

 まぁ、こんなことは絶対に本人を前にして言えないのだが……。

 

「ありがとうございます。すみません、ではお先に失礼します。お疲れ様です」

 

 俺は周りに聞こえるように声を張って挨拶をすると、職員室を後にする。

 

 急げ急げ……!!

 

 今日に関しては、絶対に外せない用事があるのだ。

 

 俺は一度たりとも見逃したことがない。

 今日の用事を――。

 

 彼女の――。

 

 ()()()()

 

 × × ×

 

 

 学校から少し離れた場所に超大型のショッピングセンター。

 

 その名も『ダイバーシティ東京』。

 学校帰りの高校生などを中心に毎日のように賑わっている建物だ。

 

 その敷地内に造られているフェスティバル広場大階段――。

 

 長く広いその階段は、ただ一般客が階段として利用するだけではなく、様々な催し物の舞台としても利用されている。

 

 そして今――。

 

 その大階段に一人の少女が立っていた。

 

優木(ゆうき)……せつ菜」

 

 俺は視線の先に立っている彼女を見てポツリと呟く。

 

 少女を見ているのは俺だけではない。

 女子高生も、一般客も……多くの人が彼女に視線を向けていた。

 

『きゃー! せつ菜ちゃーん!』

『せつ菜ちゃんかわいいー!』

 

 黄色い声援を受けて彼女はステージに立つ。

 

 しかし――。

 

「……おかしい」

 

 優木せつ菜――。

 

 アイドル衣装を身にまとい、小柄な体形から感じられないほど凛とした……堂々としたオーラを放っている。

 

 彼女は、スクールアイドルとして活動している人気の女子の一人だ。

 そして、彼女が所属する学校は――。

 

 虹ヶ咲学園。

 

 俺たちの……学園である。

 

 俺は今日、優木せつ菜がこのステージに立つことを知っていた。

 知っているからこそ……ここに来た。

 

 正しくは――。

 

 ()()()()がこのステージに立つことを知っていた。

 

『あれ? 今日って新しいグループのお披露目じゃなかったっけ?』

 

 観客の一人があげた疑問が耳に入る。

 

 そう。

 

 今日いまからここで開催されるイベントは、優木せつ菜を含めたスクールアイドルグループのお披露目ライブだったはずだ。

 

 しかし、実際今ステージに立っているのは彼女一人。

 

 だからこそ……おかしい。

 

『たしかにそういえば……そうだったよね』

『せつ菜ちゃんだけだよね……? どうしたんだろう?』

 

 一人の呟きによって、観客全体に不安が走る。

 

「……」

 

 それを――。

 

 その不安を――。

 

 優木せつ菜は、

 

「走り出した! 想いは強く――」

 

 突然始まった曲の第一声で――。

 

 払拭した。

 

 『CHASE!』。

 

 彼女の持ち歌の一つで、アップテンポかつ前向きな歌詞が特徴。

 自分の決意、そして誰かを背中を押す想いが詰まった優木せつ菜らしい歌である。

 この歌を聞いて元気づけられた、勇気が出たという声も多々あるくらいだ。

 

 もちろん、良いのは曲や歌詞だけじゃない。

 

 なによりもこの会場に響き渡る彼女の歌声が素晴らしいのだ。

 自分のすべてを出すような歌い方が、みんなの心に強引に届かせる力強さが。

 

 この歌声を聞いて優木せつ菜のファンになったという人もいいだろう。

 

 不安そうな様子だった観客も、気が付けばそんなことを忘れて優木せつ菜の歌声に熱中している。

 まるで今回のライブですべてを出し切るように歌っている彼女に惹かれている。

 

 その歌で――。

 そのパフォーマンスで――。

 

 彼女は今この瞬間……ライブ会場を支配した。

 彼女がすべての視線を釘付けにする。観客の目を、心を、すべてを奪う。

 今だけは……この世界が優木せつ菜のものへと変わる。

 

 圧巻。

 

 そう……言えるだろう。

 

 ――しかし。

 

「……なんだよこれ」

 

 グッと拳を握りしめる。

 

 違うだろ――。

 全然……違うだろ。

 

 優木せつ菜のライブはこんなものじゃない。

 

 初めてだった。

 

 彼女のライブは何回も見ているのに――。

 彼女の歌は何回も聞いているのに――。

 

 こんなにも心に響かないライブは。

 こんなにも見ていて悔しい気持ちが溢れるライブは。

 こんなにも彼女らしくないライブは。

 

 初めてだったのだ。

 

 × × ×

 

 ライブが……終わった。

 

『わー! すごい! すごかったよー!』

『ありがとうせつ菜ちゃーん!』

『次も楽しみにしてるね!!!』

 

 拍手とともに、観客たちの声が響き渡る。

 

 たしかにそう心の底から言えるくらい、圧巻のライブだった。

 優木せつ菜の熱い想いが、強い叫びが……観客の心を鷲掴みにしたのだろう。

 

「……」

 

 なにも言わず、優木せつ菜は観客に向かって頭を下げる。

 

 ……。

 

 観客は興奮しているから気が付かないだろう。

 

 しかし……俺は見逃さなかった。

 

彼女が頭を下げる寸前に――。

 

 その頬に伝っていた()を。

 

「お前……なにやってるんだよ……」 

 

 そんな俺の言葉は、観客の声にかき消されて誰にも届くことはない。

 



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第二話 中川菜々の幼馴染

あらすじにも書いてありますが、二次創作化に伴い一部設定などを変更しています。
そういったものは苦手な方はご注意ください。




 優木せつ菜のライブを見た後、俺は次の目的地に向かって歩いていた。

 

 ライブを見てこんなにモヤモヤするのは初めてだ。

 

 たしかにライブ自体はとても良いものだったし、歌やダンスだっていつも通りハイレベルだったと言えるだろう。

 あくまでも表面上は……の話だが。

 

 もしかしたら今日初めて彼女のライブを見た人だっているだろう。前回のライブで初めて見て、今回は二回目……という人もいるはずだ。

 

 しかし、俺は違う。

 今まで何度も彼女のライブを見てきた。駆け出しで今よりもっと未熟だった頃から見てきた。

 

 その上で改めて言わせてもらうのなら――。

 

 今日のライブは……俺の知っている優木せつ菜のライブではなかった。

 

「なにか……あったんだろうなぁ」

 

 プライベートでなにかあったのかもしれないし、それ以外のことでなにか悩みがあるのかもしれない。

 

 それは俺には分からないから、なんとも言えないのだが……。

 

「まぁ考えても分からないものは仕方ない……か」

 

 また()()()()()を見れば、色々と分かるかもしれない。

 

「……あ、いつの間に着いてた」

 

 足を止める。

 色々と考えていたせいで、もう少しで目的地を通り過ぎるところだった……。

 

 俺の視界に入っているのは一軒の家。

 

 これが俺の目的地、今日のもう一つの用事である。

 

 『中川』と書かれた表札を見て、俺はインターホンを押す。

 

 特に緊張感などはない。

 この家に来るのは一度や二度ではないからだ。

 

 この時間だと……まだあいつは帰ってきてないかなぁ。

 

『はーい』

 

 インターホン越しに聞こえてきた女性の声。

 

「どうも、空です」

『ああ空君! どうぞ入ってきて』

「はい、お邪魔します」

 

 このやり取り自体ももう何度やっているかは分からない。

 手短に会話を済ませると俺は中川家の敷地内へと足を踏み入れた。

 

 × × ×

 

 見慣れた玄関。見慣れた内装。

 

 リビングへと通された俺は、ソファーに腰かけていた。

 キッチンでは、先ほどインターホン越しに会話を女性が作業をしている。

 

 その女性はこの中川家の奥様である。

 

「最近、菜々(なな)の勉強の方はどう? 成績とか伸びてる?」

 

 キッチンから俺に向かって言葉を投げかける。

 

 菜々……とは、この中川家の娘の名前だ。

 

 どうして娘の成績を俺に聞くのか――。

 この答えは単純だ。

 

 その娘……中川菜々は、虹ヶ咲学園に通う生徒だからである。

 

「伸びてるもなにも、あいつは元々優秀ですから。心配しなくて大丈夫ですよ」

「ふふ、そう。それなら良いんだけどね」

 

 ソファーでくつろぎながら答える。

 

「あ、そういえば空君。この間――」

 

 待ち人を待ちながら、俺は中川母と会話を重ねる。

 

 そんなこんなで三十分くらい時間が経ち――。

 

 玄関の方から、ガチャっと扉を開ける音が聞こえてきた。

 

 恐らく、あいつが帰って来たのだろう。

 

「ただいまー」

 

 少女の声。

 

 その少女はリビングに足を踏み入れるなり、キッチンの母親を見て……その次に俺を見た。

 そして……顔をしかめる。

 

 ……。

 

 おい、なんでちょっと嫌そうな顔をしてるんだよ。

 

 俺傷ついちゃうでしょ。

 

「あぁ菜々、おかえりなさい。空君来てるわよ」

「よっ、菜々」

 

 菜々と呼ばれた少女に俺は手を振り上げる。

 

「……どうも」

 

 気まずそうに、菜々は目を逸らしながら頭を小さく下げた。

 

 ……一体どうしたんだろうか?

 まぁ相手は女子だ……色々あるのかもしれない。

 

 男の俺が気軽に踏み込んでいいものじゃないかもしれないし……。

 

「それじゃあ、今日もよろしくね空君」」

「任せてくださいよ。菜々、着替えとか諸々準備できたら声かけてくれ」

「はい」

 

 菜々は小さく頷ぎ自室へと向かっていく。

 その後ろ姿は……どこかいつもより小さく見える。

 

 うーむ……やっぱりなにかあったぽいな……。

 

 まぁそういうわけで――。

 

 長く伸ばした髪を胸の前で二つ結びにしたおさげスタイル。

 眼鏡をかけているが、その顔を眼鏡越しでも整っていることは分かる。

 

 とはいえ、パッと見彼女を見た者は……小柄で地味な女子というイメージを持つだろう。

 

 それぐらい、こう……雰囲気が『普通』なのだ。

 それがなにか問題があるわけではないが……。

 少なくとも宮下のようなギャルスタイルよりは俺は好感持てる。俺ギャル苦手だし。怖いし。

 

 というわけで。改めて彼女が中川菜々。

 

 虹ヶ咲学園、普通科二年所属。

 

 そして、俺が家庭教師として勉強を教えている相手でもあり――。

 

 お互い十年以上から前からよく知っている存在。

 

 分かりやすぐいえば……幼馴染のようなものである。

 

 × × ×

 

 

 親同士仲が良かった俺たちは、お互い小さいころから何度も関わりがある。

 とはいっても、高咲や上原みたいにずっと一緒に育ってきた……とか、ずっと一緒の仲良し幼馴染……とか、そういう感じではない。

 

 別に仲が悪いというわけでないが……むしろ良好な関係は築けていると思う。少なくとも俺は……だが。

 

 え、仲良いよね? 大丈夫だよね?

 

 まぁ、というのも……俺達と高咲たちとは大きな違いがある。

 

 それは……年の差だ。

 

 彼女たちは同い年なのに対して、俺と菜々は十歳近く離れている。

 ずっと一緒に遊んでいた……というよりかは、俺がなにかと菜々の面倒を見ていたという方が正しいかもしれない。

 

 今日は母親が家にいるが、菜々の両親は基本忙しい。どちらも家にいないという日は割と当たり前のようにあるのだ。

 

 今はもう菜々も高校生だから一人で家にいても問題ないが、小さいときは俺が彼女の両親に頼まれてこの家に来ていたのだ。

 菜々から見たら俺は『近所のお兄さん』という感じだろう。

 

 そういった縁で俺は今でも月に何度かはこうして菜々の家に行っているし、勉強を教えること自体は何年も前から行っている。

 

「……」

 

 現在菜々は、俺が用意した国語の問題集を黙々と解いている。

 俺は少し距離を開けて隣に座り、その様子を見ていた。

 

 ……うむうむ、さすがは菜々。良い感じに解けているじゃないか。

 

 ……ん? おっと?

 

「そこ、間違ってるぞ」

「えっ……あっ――」

 

 ……普段見ないような凡ミス。

 俺にミスを指摘された菜々は、慌てて消しゴムで自分が書いた答えを消した。

 

「珍しいな。お前がそんな問題を間違えるなんて」

「……」

 

 俺の言葉に菜々は俯く。

 

 ……。

 

 あーもう! なんで最近の若者ってめんどくさいの! となみん大変!

 俺は菜々のすぐ隣まで移動すると、開いていた問題集とノートを強引に回収する。

 

「ちょ、ちょっと先生……! いきなりなんですか!」

「はい今日は終わり! 終了! お疲れ様!」

「そんないきなり……!」

 

 ノートを取り返そうとしてくる菜々を適当にあしらう。

 

 どこか納得いってなさそうな菜々の頭の上に、俺は手に持ったノートをポンっと置いた。

 

「だってお前、集中できてないだろ」

「それは……」

 

 俺の言葉を否定できない菜々。

 それもそのはずで、やはり今日の菜々は明らかに様子がおかしいのだ。

 

 勉強に集中できていないのに、無理やり勉強させるつもりは全くない。

 俺自身、菜々の両親とは違って『勉強は大事! 勉強しろ!』的なことを強く言うつもりも毛頭ない。

 

 むしろ、集中できていないのに無理やり勉強をさせることで嫌悪感を抱かせてしまい成績が落ちるパターンもある。

 

 勉強なんてものは、自分がやれるときにやれる分だけやっていれば良いのだ。無理やりやるものではない。

 

 俯く菜々に俺は言葉を続ける。

 

「なにかあったのか? あっ、もしかして……恋の悩みか!? お前もついに俺に対する感情が恋に――」

「ち、違います! なんで悩んでいるだけで恋になるんですか! そしてサラッと対象を自分にしないでください!」

「え、違うの? お前俺に恋してないの?」

「そっ、そんなわけないですから! 気持ち悪いです! ありえません!」

「気持ち悪いは言いすぎだろ!」 

 

 菜々は顔を真っ赤にして全力で否定する。

 

 別に……そこまで否定しなくても良くない……? 

 気持ち悪いだのありえないだの言わなくて良くない?

 

 俺だって男だ。女子相手にそんなことを言われたら心にダメージを受けるわけで……。

 

 俺はもっとこう……『べ、別に私は先生のことなんとも思ってないんだからね! 本当なんだからっ!』みたいな王道ツンデレ的な可愛らしい反応を――。

 

「先生、その……言い辛いんですけど……気持ち悪いです」

「サラッと心読むのやめてくれる? それに言い辛いならわざわざ最後まで言わなくても良くない?」

 

 どうやらこの幼馴染はエスパーだったようだ。

 

 俺は持っていたノートを机の上に置きながら深く溜息をつく。

 

「はぁ……昔はあんなに素直でかわいい子だったのに……。今となっては先生としか呼ばないし、敬語だし……空君は悲しいぞ菜々ちゃん」

「むっ、昔のことは禁止です!」

「ほーん? そんなこと言っていいのか? 実は今日……とあるライトノベルの最新刊を持ってきているんだけどなぁ……?」

「なっ……それは――!」

 

 俺は鞄の中から一冊の本を取りだすと、チラチラっと菜々に見せる。

 

 それにより、先程まで焦っていた様子だった菜々の表情が一変。

 俺が持っている本を見て、まるで子供のようにキラキラと目を輝かせ始めた。

 

「本当だったらお前に貸してあげるつもりだったんだが……。気持ち悪いとか言われたからなぁ……どうしようかなぁ……」

「えっ……ご、ごめんなさい……」

 

 またもや表情が一変。シュンと落ち込む菜々。

 なんだこの生き物は。可愛いなおい。

 

「なんて、冗談だよ。ほれ」

 

 これ以上いじめたら本当に拗ねそうだな……。

 

 俺は手に持ったライトノベルを机の上に置いた。

 ライトノベルとは……まぁ一般的にな、アニオタ向けの小説だろう。表紙には可愛い女の子が描かれており、タイトルも中二病チックな感じだ。

 

 昔からアニメや漫画、ゲームが好きだった俺は今もこうしてライトノベルを買っている。

 

 そしてそれは、菜々も例外ではなく――。

 

「あ、ありがとうございます! ずっと続きが気になって仕方なかったんです! 気になりすぎて自分で買いに行っちゃおうかなぁって思っていましたし……!」

 

 ライトノベルを手に取り、菜々は満面の笑顔を浮かべる。

 それほどまでに新刊を読めることが嬉しいのだろう。

 

 コロコロと表情が変わる菜々を見ていると、なんだか俺まで楽しい気分になってくる。

 

 ――今の菜々の様子を見れば一目瞭然。

 

 菜々も立派なアニメオタクの一人なのだ。

 彼女がまだ小さい頃から俺はこうして漫画やライトノベル……通称ラノベを貸している。

 アニメや映画だって、何回一緒に見たか分からない。

 

 本当は部屋にグッズなどを飾りたいのだろうが……。

 

 菜々の両親が、そういったコンテンツを嫌っているのだ。

 嫌っている……というか、あまり認めていない……と言うのが正しいかもしれない。

 

 だから堂々とオタクであることを言えないし、家の中では優等生の中川菜々を演じている。

 ラノベや漫画などを貸すときだって、こうして部屋でこっそり貸しているのだ。

 

 もちろんバレたらやばい。俺も、菜々も。

 

「お前は普段からよく頑張ってるからな。こういう息抜きも必要だ。……まぁいつも通り、親にバレないようにな?」

 

 俺は喜ぶ菜々を見て微笑む。

 

「はいっ! それは当たり前です! ありがとう()()()! ――あっ」

 

 あっ……。

 

 自分のうっかり発言に気が付いた菜々は、その顔を真っ赤に染め上げた。

 

 まったくこいつは忙しいやつだな……。

 学校でもそういう感じだったらもっと友達が増えると思うのに……。

 

 俺はニヤリと笑うと、いたずらっぽく菜々に言う

 

「うんうん、どういたしまして。……菜々ちゃん?」

「も、もう! からかわないでくださいっ!」

 

 菜々はフイっと俺から顔を逸らした。

 

 普段は大人ぶっているところがあるけど……やっぱりこいつは変わっていない。

 頑張って背伸びして大人を演じているけど、実際は子供っぽくてポンコツな中川菜々のままだ。安心した。

 

「……なにか今失礼なこと考えていませんか?」

「さぁ? どうだろうな?」

「なっ……! い、言ってください! 気になります!」

 

 でも……まぁ。

 

 少しは元気が出たみたいで良かった。

 こいつの思い悩んでいる顔は見たくないからな。

 

 少しはふざけたかいがあるというものだ。

 

 × × ×

 

 時間はあっという間に過ぎるというもので――。

 青く明るかった空は、鮮やかな夕焼け色へと変わっていた。

 

「さて、と。俺はそろそろ帰るとするわ」

「あ……もう、こんな時間だったんですね……」

 

 あの後俺たちは勉強など一切せず、最近のアニメや漫画の話で盛り上がっていた。

 菜々の両親には絶対に見せられない景色だな……。

 

 俺は帰り支度を済ませると椅子から立ち上がる。

 

「あの……! 今日は晩ご飯を食べていかないんですか?」

「ああ。今日は早く仕事を切り上げた分、家でやらないといけないことが多くてな」

「仕事を早く切り上げる……今日……。……あっ――」

 

 俺の言った意味を理解できた菜々は、それ以上もうなにも言うことはなかった。

 

 どうして今日、俺が仕事を早く切り上げたのか――。

 その理由は、菜々が最も良く分かっているだろう。

 

 いつもだったら仕事を一通り済ませてから菜々の家に来るから、時間もそれなりに遅い。

 その時に菜々の母親がいれば、一緒に晩御飯をご馳走になっているのだが……。

 

 さすがに今日は、家でやらないといけないことが多いからな。あまり長居はできない。

 

「ラノベは読み終わった後適当に返してくれ。それじゃあまたな」

 

 手を振りながら俺は部屋から出ようとする。

 

「せ、先生……! 先生は……その……」

 

 背中越しに聞こえてきた声に立ち止まる。

 呼び止めた理由は……なんとなく理解できる。

 

 俺は振り向かずに菜々の言葉を待つ。

 

「なにも聞かないんですか……? ……()()()()()()

 

 やっぱり……な。

 

 菜々が言う『今日のこと』は、もちろん俺には理解できる。

 

「……聞いてほしいのか?」

「それは……」

「じゃあ聞かない。お前が言いたいときに聞くよ」

「……っ。先生! 私は……実は――」

 

 それ以上、なにも続くことがないその言葉。

 

 菜々が一体俺になにを言いたいのか、なにを思っているのかは分からない。

 

「……。……いえ、なんでもありません。今日もありがとうございました」

「……そうか。またな、菜々」

 

 俺は短く返事を返すと部屋から出ていく。

 

 別に俺は無理やり菜々の言葉を引っ張り出すつもりはない。菜々が言いたくないなら聞かないし、菜々からしてもしつこく聞かれるのは嫌だろう。

 ましてや女子というのは、そのあたりは特に繊細だから。

 

 しかし――。

 

 この時ばかりは、俺は俺自身に『馬鹿野郎』と言いたい。

 なぜ少し無理やりにでも菜々の気持ちを聞いてあげなかったのか――。

 なぜ菜々が抱えていることを少しでも察することができなかったのか――。

 

 今日の選択を俺は明日、後悔することになる。

 

 × × ×

 

 翌日、放課後。

 

 はぁ……今日も疲れた。何事もなく無事に済んで良かったわ……。

 

 心の中で、今日の授業もしっかり終わらせられたことを安堵する。

 最後に自分のクラスで帰りのホームルームを済ませた俺は、いつも通り職員室へと戻る準備を済ませる。

 

 今日はちょっと仕事溜まってるからなぁ……。怒られる前に早く片付けないと……。

 

「先生先生!」

 

 俺が立っている教卓のすぐ前から聞こえてきた声。

 

「うぉびっくりした……どうした高咲」

「案内して欲しい場所があるんですけど……!」

 

 案内……?

 

 そういえば今日の高咲、昨日と比べてどこか元気な気がする……。

 目が輝いているというか……なんというか……。

 

 まさか――。

 

 昨日言っていた『ときめき』に出会っちゃったのか?

 

 いやいやまさか……ねぇ?

 

「侑ちゃん? どうかしたの?」

 

 俺と高咲が話していると、上原も近付いてきた。

 

「あっ、歩夢! ちょっと今日校内で寄りたい場所があるんだ!」

 

 ほう?

 

 それは珍しい。

 この二人は大体学校が終わったら一緒にショッピングとかに行っているようだが……。

 

 それが今日は学校で他の用事があると……?

 

「それで俺に案内してほしいと……そういうことか?」

「さすが先生! 話が早い!」

 

 大きく頷いたことでツインテールが揺れる。

 

 こいつは俺を便利屋かなにかだと思っているのだろうか?

 

 とはいえ、かなりの大きさを誇る虹ヶ咲学園だ。

 普段全然行ったことがない場所だとしたら、そこに行くのも一苦労だろう。

 

 案内するだけならすぐに済む……か。

 まぁ……大丈夫だな。

 

 仕方ない……可愛い生徒の頼みだ。外波先生頑張っちゃう。

 

「それで? 高咲はどこに行きたいんだ?」

 

 別の学科の友達にでも会いに行くのだろうか?

 それともまた別のなにかが気になるのだろうか?

 

 軽い気持ちで引き受けた俺に、高咲が満面の笑みで放った言葉は――。

 

()()()()()()()()()()()です!」

 

 ほうほうなるほど、スクールアイドル同好会――。

 

 スクールアイドル同好会……。

 

 スクール……アイドル……・

 

「……は?」

「だから! スクールアイドル同好会の部室です!」

 

 

 ……。………。

 

「……マジ?」

 

 

 

 思えば、この出来事がきっかけで始まったのかもしれない。

 この高咲侑という少女の言葉がきっかけで始まったのかもしれない。

 

 彼女たちの奇跡が――。

 彼女たちの輝きが――。

 

 彼女たちが作り出す――。

 

 

 虹色の物語が。

 



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第一章【虹色の少女たち】
第一話 廃部、そして彼女の行方


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 やりたいこと。続けたいこと。やるべきこと。

 

 叶えたい夢。掴みたい夢。

 

 理想。現実。限界。

 

 人は常に『理想』と、それを叶えるための『現実』との間に生きる生き物だ。

 

 理想を語るのも夢を見るのも自由。しかし現実は自由ではない。

 

 自分のやりたいこと、掴みたいもの、走りたい道――。

 当然……思い通りにいかずに挫折してしまったり、諦めてしまったりする人は数多く存在するだろう。

 

 そうやって夢を捨てて生きていくのも一つの人生だし、そうしたことでまた新しい発見があるかもしれない。

 

 辛いこと、悲しいこと、見たくないもの、感じたくないもの、嫌いなもの――。

 そのすべてを背負い、前だけを向いてガムシャラに突き進める強い想いと……それに伴う過酷な努力。

 

 夢を追うということは……そういうことなのだ。

 

 人生において、正解なんてものは存在しない。

 人生の主人公は自分だ。

 例え他人からなにを言われても、自分が選んだ答えが……自分の人生においての正解となる。

 

 だけど一つ、俺から言わせてもらうとすれば。

 

 ――夢を持て。

 

 どんな夢でも構わない。現実的な夢でも、非現実的な夢でもいい。

 自分の『これだ!』と思うものを見つけるのだ。

 

 その夢の対象が自分でも……()()でも構わない。

 

 そうすればきっと――。

 

 『なにか』が始まるから。

 

 × × ×

 

 ここ、虹ヶ咲学園はお台場に位置する女子高である。

 

 自由な校風、数多く選択できる学科、活発な部活動……そして寮などなど。特徴をあげていけばキリがない。

 所属している生徒は日本人だけなく、海外から入学してくる子も多いのもまた大きな特徴だろう。

 

 一つ……言うとすれば。

 

 何度か言っているが……建物が大きすぎる。

 

 俺が最初にこの学園に来て思ったことは、『なにここ空港?』だ。

 現代の若者が好みそうな内装と、爽やかな雰囲気。ここに入学してくる生徒は皆楽しそうに過ごしている。

 

 そして。

 

 絶対に……()()

 

 分かりやすく例えるとすれば、都内の大きな駅が分かりやすいだろう。

 一つどころか、十個近い線が同じ駅内を通っているような駅だ。

 

 まず絶対に最初は迷うだろう? 

 〇〇線に乗りたいのに、△△線の方に出てしまった……とか、迷いに迷いまくって歩いた結果、結局最初のところに戻ってきてしまった……とか。

 

 地方から初めて東京に遊びに来た人なんかは特に経験することだろう。

 それを想像してもらえば分かりやすいかもしれない。

 

 入学してきたばかりの一年生は百パーセント迷う。

 下手したらあまり校内を移動しない二年生でも迷う。

 

 それはもちろん俺たち教師も例外ではなく……。

 俺自身、学園内を完全に把握するのにかなり時間がかかったものだ。

 

 一年目のころなんか、当時の三年生や二年生にどれだけ教室などの場所を教えてもらったか分からないレベル。

 

 いやほんとに……広すぎるんだよこの学園。魔境かよ。半分くらい削ってくれよ。移動だけで疲れるんだよ。

 

「そういえば先生、今更なんですけど」

 

 現在俺と高咲、そして上原は部活棟に向けて歩いていた。

 部活棟は名前の通り、様々な部活の部室が設けられている棟である。

 

 最初に言った通り、この学園にはかなり多くの部活動や同好会が存在し、一般的なものからマイナーなものまで……幅広く作られている。

 

 そういったところも、虹ヶ咲学園の良さの一つだろう。

 

 そして俺たちの目的地は……スクールアイドル同好会の部活だ。

 

「おう、なんだ?」

 

 ツインテールを揺らしながら隣を歩く高咲に返事をする。

 

 それにしても……スクールアイドル同好会ときたか。

 まさかスクールアイドルとはねぇ……。

 

 もしかして高咲、興味を持つようななにかきっかけになるようなものを見たのか?

 

 例えば……スクールアイドルのライブ――とか。

 

 まさか――。

 

「先生って、どうして科学の先生でもないのに白衣を着てるんですか?」

「あっ、それ私もちょっと思いました」

 

 高咲の隣を歩く上原も反応する。

 

 どうして白衣を着ているときたか……。

 

 たしかに俺は高咲の言う通り、基本的にはスーツズボンにワイシャツ、そしてその上から白衣を着ている。

 なにか特別な集会や式典などがない限りはこのスタイルだ。

 

 というか、本当に今更だなおい。

 

 俺は歩きながら答える。

 

「あー、実は割と深い事情があってだな……」

「まさか、外波先生って実は保健室の先生としても活動できる資格がある……とか?」

「国語以外にも科学を教えられる……とか?」

 

 なるほど……良い線をついているじゃないか。

 

 俺は一度深く息をつく。

 俺の言葉をワクワクしながら待っている二人にその理由を言い放った。

 

「白衣って……なんかかっこよくね?」

 

 どやぁ――。

 

「めちゃめちゃどうでもいい理由だった……!」

「おい、どうでもいいとはなんだ。かっこいいだろう? 自分で言うのもなんだが、結構似合っていると思うん――」

「はいはい、かっこいいですよ先生」

「そういうのはもっと感情を込めて言おうな高咲」

 

 高咲侑、今日も今日とて俺の扱いが素晴らしく雑である。

 そんな俺と高咲のいつも通り繰り広げられるやり取りを見て、上原が愛想笑いを浮かべた。

 

「あはは……私はかっこいいと思いますよ……?」

「ありがとう上原結婚しよう」

「えっ、えぇ……!?」

「ちょ、ちょっと先生!! 歩夢は渡しませんからね!?」

「ふっ……仕方ない。それなら高咲も一緒に貰ってやろう」

「ごめん歩夢! 犠牲になって!」

「おい」

「侑ちゃん!?」

 

 見事な手の平返し。

 

 俺たちの冗談に対して焦っている上原を見えるとほっこりしてくる。

 高咲と違って、上原は可愛いやつだなぁ。

 

 上原は引っ込み思案で自分の意見はあまり言わないが、根はとても優しい。

 常に周りを見ていて、良い意味で気を遣える女の子なのだ。

 

 とはいえ、自分の抑え過ぎているところもあるから……そこはちょっと心配である。

 

 恐らく上原のそういう部分を上手く引き出すことができるのは高咲だけだろうし……。

 

 ――なにはともあれ。

 

 今日も今日とて俺たちは平和である。

 

 × × ×

 

 そんなこんなで。

 とりあえず部活棟に到着!

 

 部活棟には生徒たちで溢れかえっていた。

 今から部活動に取り組む生徒、気になる部活動を探している生徒、それ以外の目的を持った生徒などなど……。

 

 ……相変わらずでけぇなぁここも……。

 

「広い……大きい……生徒多い……!」

「そりゃ同好会だけでも百個以上あるからな」

「マジですか……」

 

 驚く高咲に俺は頷く。

 

 もちろんすべての同好会を把握しているわけではないが、 とにかく同大な数あることだけは確かだ。

 

 俺はどこかの部活や同好会の顧問をしているわけでないから、部活関係は結構疎かったりするのだが……。

 

 改めて広い部活棟を見渡し、俺は決め顔を作る。

 

「もしかしたら、外波空同好会というのがどこかに……」

「あはは、ありえないですって」

「お前マジでそのツインテール引っこ抜くぞ」

 

 両手を振り上げた俺を見て、高咲は「助けて歩夢ー!」と言いながら上原の背中に隠れる。

 上原はそんな高咲と俺を交互に見てアワアワしていた。

 

 まったくこのツインテールめ……。

 どんな目で俺を見ているのかが気になるわ。

 

 俺は額に手を当てて溜息を吐いた。

 

 というか、こんなバカみたいな話ではなく割と真面目に高咲に質問があるのだった。危ない危ない。

 

「そういえば高咲」

「はい?」

「それと上原も」

「は、はい」

 

 スクールアイドル同好会の部室に向かう前に俺は足を止める。

 高咲と上原は俺を見て首をかしげた。

 

 このまま同好会の部室に案内しても良いのだが……。

 

 やっぱり気になるし、聞いておこう。

 

「聞いてもいいか? お前に……お前たちに、なにがあったのか。なんでスクールアイドル同好会なんだ?」

 

 俺の真剣な問いに、二人は息を飲んだ。

 

 そしてお互いに顔を合わせて……静かに頷く。

 

 代表して高咲が一歩前に出ると、優しく微笑んでその理由を告げた。

 

「私、昨日優木せつ菜ちゃんのライブを見たんです」

 

 やっぱりな……。

 

 昨日、俺と高咲たちは同じ場所にいたということか。

 

 俺は頷いて、高咲の言葉の続きを待つ。

 

「そこでせつ菜ちゃんの歌を聴いて……私、ときめいたんです! 心の底までせつ菜ちゃんの歌の虜にされて……大好きになっちゃいました!」

「……そっか。感じたんだな、昨日言っていたことが」

「はい! それでスクールアイドルにすっごく興味を持っちゃって、朝までいろんな動画を見ちゃってました!」

「お前それで今日の朝少し眠そうだったのか」

 

 でも……良かった。

 きっと昨日見た優木せつ菜のライブが、高咲の中のなにかを変えたのだろう。

 

 スクールアイドルを語る高咲の表情は、俺が今まで見てきた中で一番輝いていた。

 

 それほどまでに……『ときめいた』のだろう。

 

 どこか毎日退屈そうにしていた教え子が、こんなに夢中になれそうなものを見つけられるなんてな……。

 

 ……やばっ。気を抜いたらめっちゃ嬉しくて口元がニヤけそうになってきた。

 そんな顔をこいつに見られたら、絶対に馬鹿にされる。

 

 俺は小さく咳払いをして気持ちを入れ替える。一旦適当にはぐらかそう。

 

「はーん? さてはお前……優木せつ菜のサインが欲しいんだな?」

「た、たしかにそれもあるんですけど……。それ以上に伝えたいことがあるんです。でも、せつ菜ちゃんが何年生でどこの学科に所属しているのかとか……そういう情報が一切なくて……」

 

 正体不明の虹ヶ咲学園のスクールアイドル。

 それが優木せつ菜という少女だ。

 

 彼女の情報はただ一つで、この学園の生徒であるということだけ。

 

 そのほかの情報を知るものは誰もいないという。

 

 それこそ、同じ同好会のメンバーも……だ。

 

 ……それより。

 

「伝えたいこと?」

「はい! 昨日のライブで感じたことを……最高だったって……大好きだって伝えたくて……」

「高咲……」

 

 高咲の表情は、とても楽しそうだった。

 

 初めて見たライブ、初めて見たライブ。

 そして――。

 

 初めて自分の心に受けた最高の刺激。

 

 そんな『初めて』を与えてくれたのが、一人のスクールアイドル……か。

 それがよりにもよって、あの優木せつ菜とはな……。

 

「りょーかい。それだけちゃんとした理由があるなら十分だ」

 

 俺は小さく笑う。

 

 高咲、お前相当はまったんだな。

 

スクールアイドルに――。

 

 優木せつ菜に。

 

「さーてと、それならさっさと部室まで行くか!」

 

高咲の気持ちを聞いて満足した俺は、再び歩き出そうとする。

 その時――。

 

「――あれ? となみんじゃん! おいっすー!」

 

 離れた場所から聞こえてきた元気な声。

 俺のことをとなみんと呼ぶ生徒なんて……一人しかいない。

 

 俺は深く溜息をついて、声の主に視線を向けた。

 

「……やっぱりお前か宮下」

 

 目立つ金髪に着崩した制服。

 視線を向けた先にはヒラヒラっと手を振っている宮下愛の姿があった。

 

 ――ん?

 

 いや、宮下だけじゃない。

 

「あぁ……天王寺(てんのうじ)も一緒だったのか」

 

 宮下の隣には、桃色の髪をした小柄な生徒が立っていた。

 その少女は、俺の言葉に「うん」と小さく頷いた。

 

 情報処理学科一年。

 天王寺璃奈(りな)。 

 

 よく宮下と一緒にいる常に無表情の生徒である。

 

 × × ×

 

「へぇー、それでスクールアイドル同好会の部室に行こうとしてたんだ」

「そういうことだ。というかお前、スクールアイドル同好会のこと知ってるんだな」

「そりゃ知ってるよー。今年出来たばかりの部活でしょ?」

 

 さすがはコミュ力の化物。

 校内のことならなんでも知っているのではないだろうか。

 

 ふっふーんを得意気に笑みを浮かべる宮下に感心していると、ふと視線を感じた。

 

 気が付くと、天王寺がジーっと俺を見ていた。

 

「ん? どうした天王寺、いくら俺がかっこいいからってジーっと見られると照れ――」

「ううん、そうじゃない……です」

「……。……うん、ですよね」

 

 天王寺は俺の華麗なるボケを真顔で一蹴する。

 

 いや、分かる。分かるんだよ! 

 天王寺もきっと冗談っぽく笑いながら言いたかったんだろうけど、それが上手くできなかったからあんな感じで返事をしたんだろう!

 そうに違いない!

 

 というかそう思い込まないとダメージが凄い。

 ボケを真顔で否定されるのって、精神的にもしんどい……。

 

「あははっ……! となみん恥ずかしい……!」

「っ、先生は相変わらず面白いなぁ……! くくっ……!」

 

 お前らほんとに後で覚えてろよ。

 

 俺は楽しそうに笑っている二人を無視して再度天王寺を見る。

 

「んで、どうしたよ天王寺」

「うん」

 

 天王寺は相変わらずの無表情のまま言葉を続ける。

 

「先生、スクールアイドル……興味あるんですか?」

 

 なるほど……天王寺はそれが気になったのか。

 

 なんかその言い方だと、まるで俺がスクールアイドルになりたいみたいだな……。

 二十五歳独身男性がフリフリの衣装を着て、ステージで歌って踊る……。

 

 ………。

 

 ハッハッハ、それは実に気持ち悪いな天王寺くん。

 

 俺は天王寺の質問に対して首を左右に振り、高咲たちを見る。

 

「いや、こいつらが同行会の部室に行きたいって言い出してな。俺はそれの道案内」

「そうなんだ」

 

 天王寺は頷き、そのまま高咲へと視線を向けた。

 

「スクールアイドル……好きなの?」

 

 淡々と質問を投げかける天王寺。

 急に話しかけられたことで一瞬驚いた高咲だったが、すぐに笑顔を浮かべて頷いた。

 

「うん! まだハマったばかりだけどね」

「そう……。……あなたも?」

「え……?」

 

 天王寺はそのまま上原を見て、同じ質問をした。

 

 しかし上原は高咲とは違い即答することはなく、少し間を置く。

 どう答えれば良いのか分からないのか、上原は天王寺から目を逸らした。

 

「う、ううん……どうだろう……。まだよく分からないかな」

「……そう」

 

 天王寺の質問にどんな意図があるのかは分からない。

 

 単純な好奇心だけなのかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。

 

 どちらにしても、今の一連のやりとりで高咲と上原がスクールアイドルに対してどんな感情を持っているのかは理解できた。

 

 ハッキリと断言した高咲と、まだどこか上手く答えが出せていない上原。

 答えが……出せていない……。

 いや、上原のあの様子を見るに……。

 

 うーむ……。

 

 まぁ……いいか、今はそれを深く考えても仕方ない。

 

「それじゃ! 愛さんたちは行くねー! まったねー!」

「おう、気をつけて帰れよ」

 

 仲良く並んで帰る宮下と天王寺の背中を見て一息つく。

 

「んじゃま、改めて部室に行くとするか」

 

 俺の言葉に頷く二人。

 

 目的地はもうすぐそこである――。

 

 × × ×

 

 宮下と天王寺と別れた俺たちは、部活棟内を歩いていた。

 ザっと周りを見るだけで、とてつもない数の扉が設置されている。

 

 そのすべてが部活や同好会の部室への入り口というのだから……本当に凄いものだ。

 

 階段を上り、二階フロアへと上がっていく。

 

 そしてそのまま真っすぐ言った場所に――。

 

「到着。ほら、着いたぞ」

「うわぁ……! ここが……!」

 

 『スクールアイドル同好会』。

 そう書かれたプレートが飾られた扉がある。

 

 ここが、二人が行きたかったスクールアイドル同好会の部室である。

 

 今この時間なら、生徒たちは部活動に励んでいるはず。

 

 当然、同好会の部員も部室内にいるのだろう。

 

 そう……思っていたのだが――。

 

「――なにをしているんですか?」

 

 扉を見ていた俺たちにかけられた声。

 背中越しだからその声の主は見えない。

 

 しかし、俺はその声を聞いただけで誰から発せられたものなのかすぐに理解できた。

 

 俺たちが振り返ると、一人の生徒がこちらに向かって歩いて来ていた。

 

 三つ編みおさげの眼鏡女子――。

 

「普通科二年……高咲侑さん、上原歩夢さん。そして……外波先生」

 

 その生徒は俺を見て驚いた表情を見せたが、すぐに高咲たちへと視線を戻した。

 

「え? 会ったこと……ありましたっけ?」

 

 自分のことを知っていたことに驚いた高咲は首をかしげる。

 生徒は眼鏡をクイっと上げると得意げに口を開いた。

 

「生徒会長たる者、全クラスの全生徒のことは把握していますから」

「生徒会長……!?」

「そういえば、全校集会とかで話していることを見たことあるような……」

「全員の名前を憶えてるなんて……凄い……」

 

 お前ら、さすがに生徒会長の顔をくらい覚えておけよ。

 なにかと集会のときに話してるだろ。

 

 まぁでも、ただでさえ人数が多い上に興味がないと尚更覚えてない……か。 

 

「当然です」

 

 クールな表情の中に見えた僅かドヤ顔を見て、俺は小さくため息をつく。

 相変わらず……()()は立派なことだ……。

 

「普通科二年、中川(なかがわ)菜々と申します。よろしくお願いします」

 

 中川……菜々。

 

 そう。

 

 つい昨日、俺が勉強を教えていた相手だ。

 

 これが、中川菜々のもう一つの顔――。

 この学園の……優秀な生徒会長様なのである。

 

 それにしても……だ。

 

 なぜ菜々が今ここにいるんだ?

 ()()()だったら今頃は――。

 

「それより、この同好会になにかご用ですか?」

 

 菜々は俺達の間を通り抜けると、部室の扉の前に立つ。

 

「はい! 優木せつ菜ちゃんに会いに来たんです!」

 

 高咲は目を輝かせて菜々に要件を伝えた。

 

 優木せつ菜――。

 その名前を聞いた菜々はピクリと一瞬肩を震わせた。

 

 まぁ……ちょうどいいか。

 

 俺も俺で、あいつには聞きたいことがある。

 

 しかし――。

 

「……彼女はもう、部室(ここ)には来ませんよ」

 

 ……?

 

 ここには……来ない? どういうことだ?

 

 菜々の言葉をまだ完全に理解できない俺たちは眉をひそめた。

 

 そんな俺の疑問を一瞬で吹き飛ばすように――。

 

 菜々は、真実を俺たちに告げた。

 

 聞きたくなかったその真実を。

 俺が最も聞きたくなかったその言葉を。

 

 菜々はさも当たり前のことを言うかのように冷静と、淡々と、表情を変えることなく言い放つ。

 

「スクールアイドル……辞めたそうです」

 

 その視線が俺へと一瞬向いたが、すぐに目を逸らされる。

 

「……え?」

 

 ……は?

 今こいつ……なんて言った?

 

 辞めた――?

 

 優木せつ菜が……スクールアイドルを……辞めた?

 

 いきなりの言葉に、俺は……俺たちは言葉を失う。

 意気揚々とこの場所に来た高咲たちはもちろん、俺さえも……なにも言うことができなかった。

 

 同時に……俺は理解した。

 昨日見たライブで感じた違和感は……()()()()()()だったのか――!

 

「彼女だけではありません」

 

 そんな俺たちを気にする素振りなど見せず、菜々はさらに驚きの事実を口にした。

 

「ただいまを持って……スクールアイドル同好会は――」

 

 扉にかけられたネームプレートを取り――。

 

「廃部となりました」

 

 俺が、俺たちが……。

 予想もしていなかったその言葉。

 

 今この瞬間――。

 虹ヶ咲学園から――。

 

 『スクールアイドル同好会』がなくなった。

 

「おい中川――」

 

 このまま黙っていられなかった俺は、菜々に言葉を投げかける。

 

 高咲がどんな想いでこの場所に来たのか。

 なにを感じてこの場所に来たのか。

 

 ()()には分かるか――?

 

「これ以上私から言うことはなにもありません。それでは……失礼します」

 

 しかし、菜々は俺の言葉を遮りこの場を後にしようとする。

 

 一刻も早くこの場から立ち去りたいかのように。

 この場には一秒でも長く居たくないかのように。

 

 そしてなにより――。

 

 俺から逃げるように。

 

 菜々は立ち去って行った。

 

 × × ×

 

「ったく、あいつは……」

 

 菜々との一件のあと、高咲たちを帰した俺は部活棟の外に出ていた。

 

 高咲たちは……特に高咲は、かなりショックを受けていたようだった。

 それもそのはず――。

 

 やっと自分が夢中になれそうだったものが……、それを気付かせてくれた本人が目の前からいなくなってしまったのだ。

 

 いるはずの彼女が……消えた。

 会えるはずの彼女と……会えなかった。

 

 高咲は納得したのかもしれない。

 仕方のないことだと……受け入れるしかないのだと……無理やり自分に言い聞かせたのかもしれない。

 

 ――でも俺は納得がいかない。

 いくはずが……ない。

 

 それがただのスクールアイドルだったら俺は別になんとも思わないだろう。

 

 しかし……優木せつ菜は俺にとっては『ただのスクールアイドル』ではないのだ。

 

 俺が一体……あいつをいつから見てきたと思っている?

 どれだけあいつのスクールアイドルへの想いを知っていると思っている?

 

 引退したから……なんて、そんな単純な言葉では納得がいかない。

 

 本当なら今すぐに生徒会室に行って、菜々に色々聞きたいところだが……。

 

 菜々のことだ。

 どうせ『今は忙しいので後にしてくれますか?』とか言って、俺を相手にしないに決まっている。

 

 話をしてくれるのなら、部活棟で俺の呼びかけを無視することなんてしないだろう。

 

 ――で、あれば。

 菜々や優木せつ菜と話すことができないのならば……。

 

 彼女に……優木せつ菜に近いやつに聞くしかないよな?

 

「この時間だと……たしか……」

 

 部活棟の外に設けられた広いスペース。

 

 そこでは特に誰がどのように使用できるというルールはないが、部活の時間になると()()()がよく使用している場所である。

 

 その場所へとたどり着いた俺の視界の先には、ジャージを着用した演劇部の生徒たちが活動しているのが見える。

 

 つまり……ここには()()がいるだろう。

 

「…お、いたいた」

 

 俺は目的の人物を発見すると、演劇部の集団へと歩いていく。

 

「あっ、外波先生!」

 

 その中の一人の生徒が俺を発見すると、笑顔を浮かべてこちらに走ってきた。

 

「よっ、桜坂(おうさか)

 

 長い髪を靡かせて走ってきたその生徒こそ、俺がここに来た理由。

 俺がここに会いに来た生徒である

 

 国際交流科一年、桜坂しずく。

 演劇部の期待のホープであり――。

 

 ()・スクールアイドル同好会所属。

 



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第ニ話 桜坂しずくの気鬱

最初なので物語が進むスピードは遅めです。申し訳ございません。


 今は無きスクールアイドル同好会は、優木せつ菜も含めて五人の部員で構成されていた。

 三年生が二人、一年生が二人……そして優木せつ菜。

 

 たしかに『五人まとめて人気のスクールアイドル!』というわけではなかったが、全然上手くいっていないとか、仲が悪いとか……そういう類の話は聞いたことがない。

 実際のそういう話があるとすれば、立場上耳に入って来てもおかしくはないはずだ。

 

 女子高生なんて噂話が大好きだし、少しでも妙な話が耳に入ればすぐに拡散されるだろうし……。現代って怖いね。

 

 でもなにも聞いたことがないということは、少なくともある程度は上手くやれていたはずだ。

 

 まぁ……別に俺は四六時中スクールアイドル同好会と関わりがあったわけでないから、実際は内部で色々起きていたんだろうけど……。

 それに関しては部員しか知らないことだろう。

 

 ――と、いうわけで。

 

 俺の目の前には今、スクールアイドル同好会に所属していた一年生……桜坂しずくが立っている。

 

「よっ、桜坂」

「お疲れ様です先生!」

 

 桜坂は純粋無垢な笑顔を浮かべる。

 

 はわわぁ……良い子なんじゃあ……。

 

 やっぱりこう……純粋な女の子って素晴らしいと思うんだ。いや、変な意味とかじゃなくて普通に。

 どこぞのツインテールもこの桜坂を見習ってほしいものだ。

 

「悪いな、部活中に邪魔しちゃって」

「いえ、休憩中だったので大丈夫ですよ? それに、先生なら大歓迎です!」

 

 はわわわわぁ……なんて良い子なんじゃあ……。

 

 このままではマズい。その眩しい笑顔にやられて灰化してしまう。

 社会に揉まれて穢れ切ってしまった俺の心に大ダメージ!

 

 ――おっと、いかんいかん。取り乱してしまった。

 いつものクールでカッコイイ俺に戻るんだ。

 

「そっか。ありがとな」

 

 桜坂の笑顔に釣られて、俺も微笑む。

 

 こうして普通に話しているが、別に俺は桜坂のクラスの授業を担当していない。

 ではなぜ俺は桜坂を知っているのか、なぜ桜坂をこうして快く歓迎してくれるのか。

 

 それは俺の趣味に関係することで――。

 

 俺はアニメや漫画、ゲームはもちろん好きだ。しかし、それだけが好きなのではなく……いわゆる二次元系以外にも関心を寄せている。

 

 例えば舞台や映画とか、実際に俳優さんたちが演じている作品を見るのも好きなのだ。

 特に舞台なんかは休日ちょくちょく見に行っていたりする。

 

 だから俺は、気晴らしや単純な興味も兼ねて、よく演劇部にお邪魔して練習風景を見学させてもらっているのだ。

 当然、顧問の先生と部長の許可は得ている。

 

 そういった縁で、桜坂とはこうして普通に話せるくらいの関係値を築けている……というわけだ。

 桜坂の演劇に対する真っすぐで純粋な想いは、見ていてとても応援したくなってくる。

 

「先生は今日も見学ですか?」

「いや、今日は別件があってだな――」

 

 俺は桜坂から演劇部の集団へと視線を移す。

 そこで楽しそうに話し込んでいた一人の生徒に向かって声をかけた。

 

「おーい、部長。桜坂を少し借りていってもいいか?」

 

 黒髪ショートカットの生徒が俺の声に反応する。

 

 この演劇部を率いる三年生の部長だ。

 姉御肌で部員たちから慕われている良い部長である。

 

「ちょっと外波先生ー、しずくに手出さないでくださいよ?」

 

 部長はニヤリと笑うと冗談ぽく俺に言う。

 

 なんだかんだでこいつのことは一年生のころから知っているし、お互い軽口をたたき合える仲である。

 演劇部のことを心から大切にし、その中でも今年入部してきた桜坂のことを高く買っているのだ。

 

 俺は部長の言葉に眉をひそめ、考えるそぶりを見せる。

 

「……それは保証できないかもしれない」

「せ、先生!?」

 

 顔を赤くして戸惑う桜坂。

 

 桜坂とか上原のような純粋な子をからかうのって結構楽しいよね。これ分かってくれるかな。

 

「冗談だよ冗談。……んじゃ、ちょっと時間くれるか桜坂?」

「あっ、は、はい!」

 

 俺は桜坂を連れて、少し離れた場所に向かう。

 あまり大勢に聞かせたくない話だ。

 

 俺は設置されているベンチまで歩いてくと、桜坂に座るように促した。

 

 さて……と。

 

 長々と話していても仕方ないし、桜坂の時間も奪ってしまう。

 ここは素直に単刀直入に聞くとしよう。

 

「生徒会長……中川から聞いたぞ、同好会のこと」

「……」

 

 同好会という単語を聞いて桜坂俯く。

 

 その反応を見るに、部員であった桜坂も当然廃部のことは知っているのだろう。

 

「そう……ですか」

「それにしてもいきなり廃部なんてな……正直かなり驚いた」

「私も……話を聞いたときは驚きました」

 

 ほう?

 

 桜坂の言葉を待つ。

 

「正直、最近同好会の雰囲気が良くないとは……少し感じていたんです」

「……そうなのか」

「はい。それで色々あって……せつ菜さんが少しの間活動を休止すると言い出して……」

 

 それは初耳だ。

 少なからず、そういった予兆はあったということか……。

 

 一度悪くなった空気をもとに戻すのは結構大変だからな……。

 

「でもそれが、まさか廃部だなんて……聞いていませんでした」

 

 ふむ。

 その言い方だと……恐らく優木せつ菜自身は最初から引退するつもりだった。

 それを同好会には活動を少し休止すると伝え、引退までは口にしなかった。

 

 しかし蓋を開けてみれば、優木せつ菜は引退、スクールアイドル同好会は廃部……。

 

 随分と……勝手な話だ。

 

「廃部になってから優木せつ菜とは連絡とったのか?」

「……いえ。そもそも連絡がつかなくて……なにも話せていないんです」

 

 優木せつ菜は正体不明のスクールアイドル。

 判明しているのは虹ヶ咲学園の生徒というだけ……。

 

 学科、学年、すべてが不明――。

 

 そんな彼女と連絡を取るには、電話やメールといったもの、そして部活の時間――。

 

 廃部となった今直接会うことは不可能、そして電話なども繋がらない。

 

 なるほど……。まさにどうしようもない状況か。

 

「あ、そういえば先生!」

 

 桜坂はなにかを思いついたのか、ハッと顔を上げて俺を見た。

 

「おう、どうした」

「先生ならせつ菜さんと会えるのではないでしょうか? 外波先生は生徒たちとよく交流しているみたいですし……」

 

 おっと……そこを突かれたか。

 

 正体不明と言っても、この学園の生徒であることは間違いない。

 そして生徒である以上、教師が知らないはずがない。

 

 恐らく……桜坂が言いたいことはそんな感じだろう。

 

「――うーん、俺も正直よく知らないんだわ。この学園人数多すぎるし」

「そうですか……。そう……ですよね」

 

 ――嘘。

 

 俺は今、目の前の悩める少女に嘘をついた。

 

 俺は、優木せつ菜という生徒のことを知っている。

 それも恐らく、この学園の誰よりもよく知っているだろう。

 

 いや、誰よりも……は言い過ぎか。

 一人だけ、俺より遥かに詳しい生徒がいるな。

 

 まぁでもそれは今は置いておいて……だ。

 

 俺が今ここで優木せつ菜の正体を桜坂に話せばそれで終わりかもしれない。

 物事が上手く運ぶかもしれない。

 

 だけど俺は……スクールアイドル同好会の仲間じゃない。

 彼女たちの友人じゃない。

 

 俺は教師……彼女たちを教え、導く存在だ。

 

 強引に一歩を踏み出させるわけではなく、踏み出した一歩を支えて二歩、三歩と歩き続けるために支える存在だ。

 それはまだ現段階では必要ないと判断した。

 

 彼女たちも……まだ出来ることはある。動けることはある。

 

「なぁ桜坂」

「……はい」

「お前はこのまま終わっていいと思っているのか? 同好会は無くなったし、それで終わり。自分はこのまま演劇部に専念するって……そう、思っているのか?」

 

 意地の悪い質問だ。

 返ってくる答えなんて分かっているのに――。

 

 桜坂は俺の言葉に再度俯き、少し間を置いてから首を左右に振った。

 

「いいとは思っていません……。せつ菜さんと話せるのならもう一度話してみたいですし、それでも本当に終わってしまうのなら……自分も納得して終わりたいんです。こんな中途半端な終わりは……納得できません」

 

 ――そっか。

 

 俺は桜坂の答えに安心した。

 桜坂はまだ納得がいっていない。同好会をまだ想っていてくれている。

 完全に心が離れたわけじゃない。

 

「桜坂、最後に一つだけ聞いていいか?」

「なんですか?」

 

 俺は真剣な表情で問いかける。

 

「スクールアイドルをやりたい気持ちはまだあるか? 優木せつ菜と共に活動したい気持ちは……あるか?」

 

 俺の質問に桜坂は驚いた表情を見せる。

 

これもまた……嫌な質問だ。

 でも……桜坂の口から直接聞きたいのだ。

 

 でないと……俺も()()()()()()()()()

 

「……あります。でも…私には演劇部も……」

 

 どこか迷いを感じるその声音。

 

 桜坂自身、まだ自分がどうすればいいのか、自分にとっての一番の答えが出ていないのかもしれない。

 急な出来事だ……しっかり整理できないのも仕方ないだろう。

 

 ましてや桜坂には今言った通り演劇部もあるのだ。尚更今すぐ判断するのは難しいはずだ。

 

 とにかく……今はその言葉を聞ければ十分だ。

 

「ありがとう桜坂、その答えを聞けただけでも良かったよ。時間を取って悪かったな」

 

 これ以上桜坂の時間を奪ってしまうのも申し訳ない。

 話したいことは話せたし、聞きたいことも聞くことができた。

 

 彼女に、彼女たちに――。

 まだ、心残りがあるのなら――。

 

 俺は――。

 

「えっ、あの……先生!」

 

 この場から立ち去ろうとした俺を、桜坂はベンチから立ち上がり呼び止める。

 

「先生は……なにをするつもりですか?」

「……なにを?」

「その……今日の先生、少し……怒っているような気がして……それで……」

「怒っている……俺が……?」

 

 桜坂に言われて初めて気が付く。

 

 俺が……怒っている――?

 あぁ……確かに――。

 

 俺は怒っているのかもしれない。

 

「そう……だな。そうかもしれない」

「……先生?」

「仲間になにも言わず一方的に廃部にした優木せつ菜に、それについてなにも話さない中川菜々に……そしてなにより――」

 

 俺はなにに怒っている?

 なぜ……怒っている?

 

 そんなこと、俺が一番分かっている。

 

 それは――。 

 

()()()の一番近くにいたのに……大事なときになにも出来なかった俺自身に」

 

 グッと拳に力が入る。

 

 自惚れていた。

 あいつなら大丈夫だと。

 あいつならなにがあっても乗り越えられると。

 

 本当に困ったときは……自分が支えてあげればいいのだと――。

 

 そのときが……あの時だったのではないのか?

 俺が気付き、支えてあげれば……あいつは苦しい選択をせずに済んだのではないか――?

 

 すべてはもう思ってしまったことだ。

 

 俺が今どう思うと……どう後悔しようとどうすることもできない。

 

 終わった昨日より、これからの明日だ。

 

「先生……やっぱりせつ菜さんのこと――」

「それじゃまたな、桜坂」

「あ、は、はい……」

 

 俺は桜坂に背を向けて立ち去る。

 

 恐らく桜坂は、俺が優木せつ菜を知っていることを薄っすらと気が付いているだろう。

 でもそれを教えるのは……今じゃない。

 

「さて……と」

 

 桜坂とは話すことができた。

 

 次は――。

 

 と、その瞬間。

 校内に設置されたスピーカーから音が鳴る。

 

『外波先生、外波先生。至急職員室まで来てください。繰り返します――』

 

 ――あ。

 

「え、えっと……今の時間は――」

 

 俺は今の時刻を確認して……絶望した。

 

「しょ、しょ……職員会議忘れてたぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 この後職員室で怒られ、後悔である安藤に呆れられたのは言うまでもない――。

 

 × × ×

 

「あー……久々に怒られた……」

 

 職員会議が終わり時刻は夕方、俺は気晴らしに校舎の外に出ていた。

 

 当初の予定では高咲たちを同好会に部室に案内して、自分はそのまま職員室へ……という予定だったのだ。

 しかし、色々あったせいで予定が狂い……結果的に職員会議に遅れてしまったというわけで……。

 

 いやもうマジで怒られた……新人ならまだしも、俺はもう四年目だぞ? 本当にやらかした……。

 

「まぁいいか! 次同じことやらなければ大丈夫だろ、うん」

 

 後輩もいるんだからちゃんとしないと。特に時間関係はな。

 スクールアイドル同好会が廃部と聞いて、俺もどこか焦っていたのかもしれない。

 

 これは反省すべき点である。

 

「明日の授業の準備、テストの採点、あとは……」

 

 生徒の通りが少なく、日の当たらない校舎裏を歩きつつ、俺は今日中に片付けないといけない業務を確認していた。

  

 うーむ……仕事って言うのは減ることはないよなぁ。それどころちょっと油断したら膨大な数に増えていく……。これ正に社会人の闇。

 

 なんて、色々考えていたら――。

 

「……ん?」

 

 校舎裏に設置されたベンチに、一人の生徒で横になっているのが目に入った。

 横になっているというか……あれはもう完全に寝ているな……。

 

 てことはもう……()()()しかいないよな……。

 

 俺は溜息をついて、その生徒の元まで歩いていく。

 

 まったく……学校とはいえこんな場所で寝るのはやめろって言っているのに……。

 

「……おーい。生きてるか? 近江(このえ)?」

 

 しっかり持ってきているマイ枕に顔を埋めている生徒に声をかける。

 

「すやぁ……んん……あれ~……?」

 

 あれ……起きた。一言で起きるなんて珍しいな。

 

 その生徒……近江はゆっくりと上半身を起こすと、眠そうに目をこすった。

 そして周りをキョロキョロと見まわした後……その目が俺を捉える。

 

「ああ、外波先生~。おはようございま~す」

 

 俺を見た近江は、ペコリと小さく頭を下げて挨拶をする。

 その声は欠伸交じりで、近江特有のゆったりした口調だ。

 

「おう、おはようさん。もう夕方だけどな」

 

 俺は半分呆れながらも返事を返す。

 すると、夕方という言葉を聞いた近江が驚いたようにパッと目を見開いた。

 

「ま、まずい……! もう夕方じゃん……! 急がなきゃまたせつ菜ちゃんに――」

「……」

「あぁ……もう、怒られないんだっけ……」

 

 近江は少し寂しそうに目を伏せ、再び枕に顔を埋める。

 

 桜坂の次は近江に話を聞こうと思っていたから丁度いい。

 この様子だと……近江も同好会の件については把握しているはずだ。

 

「近江、悪いけど……少しだけ俺の話に付き合ってくれるか?」

「……?」

 

 近江は枕から顔を上げて俺を見る。

 

 少しボサついた長い髪に、目にかかるくらいの前髪。

 そして全身から漂う『気だるい&眠い』オーラ。

 

 ライフデザイン学科所属、三年。

 

 近江彼方(かなた)

 

 桜坂と同様――。

 

 元・スクールアイドル同好会の部員である。

 




お気に入りが20件を超えました!一人でとても喜んでいます!
本当にありがとうございます!


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第三話 近江彼方の気鬱

 スクールアイドル同好会に所属していた二人の三年生のうちの一人、近江彼方。

 一言で言うなら、常に眠そうにしているお姉さん系女子である。

 

 ポケーっとしている面が多いから抜けているように見受けられるが……。

 

 こう見えてこいつ、根はかなりしっかり者なんだよなぁ……。

 

「近江、お前またこんなところで寝てるのか」

 

 すやすやと気持ちよさそうに寝ている近江。

 

 俺はそんな彼女を見下ろしてため息をついた。

 

「ここは彼方ちゃんのお昼寝スポットなんですよ~。……すやぁ」

「お昼寝スポット……ってこの話の流れで急に寝るな。自由かお前は」

「すやぁ……」

 

 正気かこいつ。

 話があるって言ったのに普通に寝やがったぞ。

 

 もし俺が生徒指導の厳つい教師だったら、絶対に同じ態度を取らないよねこれ。

 あれか? 遠まわしに『お前なんかの話聞くか! 帰れ!』って言っているのか?

 

 仕方ない……。

 

 禁断の技を使うしかないようだな。

 

「近江、早く起きないと俺も隣ですやぁするぞ」

「はっ……! 彼方ちゃん起きる!」

「おい」

 

 勢いよく飛び起きた近江は、そのままベンチに座り背筋をピンと伸ばした。

 

 うんうん、姿勢がいいことは良いことだ。

 

 ――じゃねぇよ。

 

 いや、分かってたけど。絶対こういう反応されるって分かってたけど。

 分かってたけど――!

 

 傷つく! 

 

 己の精神を犠牲にする禁断の技……恐ろしい。

 

 俺は再びため息をついて、彼方から少し距離を置いて隣に座る。

 

「せっかくのお昼寝タイムを邪魔しちゃって悪い。ちょっと近江と話したいことがあってな」

 

 そもそも、もう昼じゃないからお昼寝ではないのだが。 

 

「話したいこと……?」

 

 ゆったりと近江は首をかしげる。

 

 相変わらずすべての動きがゆっくりとしたやつだ……。

 こういう系の人物と話していると、自分もゆったりしそうになるよね。分かるかな。分かるね。

 

 俺は桜坂の時と同様、無駄話をせずに単刀直入で本題を口にした。

 

「聞いたぞ、同好会のこと」

 

 ピクッと近江が反応する。

 やっぱり……このあたりの反応は桜坂と同じか。

 

「実はここに来る前に桜坂とも話をしてきたんだ」

「しずくちゃん……ですか~?」

「ああ、生徒会長から廃部の件を聞いてな。その確認も兼ねて。……どうやら本当に廃部になったみたいだな」

 

 小さく頷く近江を横目で見る。

 

「お前も優木せつ菜と連絡は取れていないのか?」

「連絡しても……返信がないんですよね……」

「まぁ、取れたらこんなに苦労してないわな」

「せつ菜ちゃん……なにしてるのかな……」

 

 俺は近江と毎日のように関わりがあるわけではない。

 そんな俺でも、今の近江に元気がないことくらいは分かる。

 

 いつも通り気だるそうだし、いつも通り眠そうだし、いつも通りまったりしているし……。

 

 しかし、その表情はいつもより暗く見える。

  

 落ち込んでいる…と言っても良いだろう。

 

「なぁ近江」

 

 近江はこう見えても結構物事をしっかり考えるやつだ。

 今回の廃部の件に関しても、自分なりに思うことはあるだろう。

 

 それに、近江は三年生……もしかしたら責任も感じているのかもしれない。

 だから俺が聞くことは言うほどない。

 

 最近同好会の雰囲気が良くないという話は桜坂から聞いたからな。

 

 俺が近江に聞くことは……一つだ。

 

「言いたくなかったら別に言わなくてもいい。その上で一つだけ聞かせてくれ」

 

 俺の言葉を待つ近江。

 

「お前が思う、廃部を決定付けた出来事は……同好会が崩れた理由ってなんだ?」

「っ……」

 

 小さく息を呑む音が聞こえる。

 近江は太ももの上で手を組み、キュッと力を込めた。

 

 そのまま十秒程度待っていると、ポツリと言葉を口にした。

 

「かすみちゃんとの言い合い……なのかな……」

「かすみって……中須(なかす)か?」

「そう……です。喧嘩……というわけじゃないんですけど……せつ菜ちゃんとかすみちゃん……いろいろあって……」

 

 マジか……よりによってあいつとか……。

 

 近江が口にした中須という生徒――。

 

 普通科一年、中須かすみ。

 桜坂と同様に一年生でスクールアイドル同好会の部員だった生徒だ。

 

 俺は中須のクラスの授業を受け持っているから彼女のことはよく知っている。

 

 良くも悪くも……まぁ『自己主張の擬人化』みたいなやつだな、うん。

 

 『かすみんは世界一可愛いので最強のスクールアイドルになれます! そう思いますよね!? 外波先生!』とかよく言ってきやがるからなあいつ……。

 いや、顔自体は普通に可愛いんだけどね……。

 

 なんだろう、残念系美少女って言えばいいのかな。ああいうのって。

 

 でも、中須も優木せつな並みにスクールアイドルに対して真っすぐだったはずだ――。

 

 ――ん?

 

 真っすぐ……?

 優木せつ菜並み……?

 

 ふと、俺の頭の中に一つの考えが過った。

 

「方向性の……ぶつかり合い?」

 

 俺の呟きに近江が驚いた様子を見せた。

 

「さすが外波先生……理解が早い~」

「でしょ~? 外波先生嬉しい~」

「うんうん~。彼方ちゃんも助かりま~す」

 

 はっ……!

 危ない危ない。彼方ちゃん口調がうつってしまった。

 

 実に平和な空間だったな。

 これが彼方ちゃんゾーンか……素晴らしい。

 

 ――話を戻して。

 

「たしか中須は……とにかく可愛いスクールアイドルを目指していたよな?」

 

 あいつは自分にとっての『可愛い』に一直線だったはずだ。

 可愛いアイドルこそ、中須かすみにとっての最強のアイドルだったはずだ。

 

 その想いはスクールアイドルとして活動する以上、なにも間違っていない。

 『可愛い』が嫌いなやつなんてほぼいないからな。

 

 そんな中で優木せつ菜との衝突……か。

 

「はい……みんなもそれは理解していたんですけど……。もちろんせつ菜ちゃんも……」

「……桜坂から聞いた。最近の同好会の雰囲気、良くなかったんだろう?」

 

 コクリと頷く近江。

 

「最初から雰囲気が悪いわけじゃなくて……むしろ雰囲気は良かったんですけど~」

 

 それはそうだろうな。

 

 俺が知る限り、同好会のメンバーは仲が悪い感じは一切しなかった。

 むしろ仲は良かったし、それぞれが楽しそうにやっていた……と思う。

 

 だけど起きてしまった中須と優木せつ菜の衝突――。

 

 なにもなく突然衝突するはずがない。

 そのきっかけがあったはずだろう。

  

「お披露目会が決まって、同好会に明確な『目標』ができてからかなぁ……」

「あー……なるほど」

 

 目標……か。

 

「優木せつ菜は誰よりもスクールアイドルに本気だった。それで、お披露目会という明確『目標』ができた……」

 

 お披露目会……か。

 

 本来であれば同好会の全員が出演する予定だったライブ。

 しかし実際にライブを行ったのは優木せつ菜だけ……。

 

 なるほど。

 

 大体分かったかもしれない。

 

「それはつまり、お客さんたちにパフォーマンスを披露するということ。そうなると最高のパフォーマンスを見せないといけない、今までよりも真剣に打ち込まないといけない……。そんな感じでピリピリしていったんだろうな」

 

 良くも悪くも、優木せつ菜という少女は自分の好きなことには真っすぐなやつだ。

 分かりやすく言えば……熱くなりすぎてしまう性格だろう。

 

 ファンの皆にかっこ悪いところは見せられない――。

 最高のパフォーマンスを届けたい――。

 最高のライブにしたい――。

 自分のすべてを届けたい――。

 

 そう思うことはなにも悪いことではない。

 

 でも優木せつ菜は一人ではない。共にステージに立つ仲間がいた。

 

 自分と同じように皆も頑張ってほしい――。

 皆で最高のライブを届けたい――。

 ファンの皆に自分たちの『大好き』を届けたい――。

 

 そんな想いが、彼女の中に『焦り』を生み出させてしまったのだろう。

 

 もっと頑張らないと。

 今のままでは駄目だ。

 私が頑張らないと……()()()で頑張らないと。

 

 その結果、優木せつ菜はピリピリしていったのだろう。

 

 実に……あいつらしい。

 

「おお……」

 

 近江の口から出た感嘆の声。

 

「先生……せつ菜ちゃんのことをよく知っているんですね~」

「……あ、いや。まぁ……ただの予想だけどな」

 

 頭の良い近江のことだ。

 なんとなく……俺と優木せつ菜がなにかしら関係あると分かったかもしれない。

 

 いや、近江だけじゃない。

 

 同好会のメンバーは……薄っすらと気付いているかもしれないな。

 

 ――中須(あのバカ)以外。

 

「でも……先生の言う通りです」

「……そっか」

 

 中須と衝突したのもそういうことだろう。

 優木せつ菜のやりたいことと、中須かすみのやりたいことにズレが生じて……それが衝突につながった。

 

 その結果が……優木せつ菜の引退、同好会の廃部……か。

 

「……色々聞いて悪かったな。お前もまだ整理しきれてないだろうに……」

「ううん、大丈夫ですよ~。なんとなく……外波先生来るかなぁって思っていたので~」

「……マジ?」

「先生、彼方ちゃんたちのことよく応援してくれてたから……。そんな先生が廃部になったことを知ったら、来るかなって……」

 

 お見通しってか。

 もしかしたら桜坂もそう思っていたのかもしれない。

 

「さて……と。俺はそろそろ行くとするわ」

「かすみちゃんとエマちゃんにも話を聞くんですか~?」

「そうしたいところだが……。今日はもう時間的にも遅いからまた今度だな」

 

 近江の口から出たエマという名の少女。

 彼女は同好会に所属していた最後の一人だ。

 

 本当なら彼女たちにも一通り話を聞きたいが、さすがにそろそろ仕事に戻らないとマズい。

 とりあえず今日のところは桜坂と近江に話を聞けただけも良しとしよう。

 

 二人のおかげで同好会の廃部について色々理解ができた。

 

「……先生」

 

 立ち上がった俺に、近江がぽつりと呟いた。

 

「どうした?」

「……ごめんなさい」

 

 謝罪の言葉。

 一体なにに対しての謝罪かが分からない俺は、近江の言葉を待つ。

 

「応援してくれていたのに……こんなことになって……」

「なんだよ……そんなことか。急に謝るからなんだと思った」

 

 まったくこいつは……。

 

 俺は溜息をついて近江に視線を向ける。

 

「お前は謝る必要ない。あの馬鹿が廃部だの引退だのを言い出したせいだよ。お前たちに一切の相談もしないでな」

「それは……せつ菜ちゃんだって……」

「分かってる。あいつなりに色々考えた結果なんだろう。だけど俺は納得いっていないし、このまま終わらせるつもりはない」

 

 俺個人としてのけじめ。

 俺の勝手な想いだ。

 

 桜坂風に言えば……これはやはり『怒っている』のだろう。

 

「だから近江、まだ終わったなんて思うなよ。俺も俺でやれることはやってみる」

「……へへへ、先生らしいですね~」

「そうか?」

「先生が言うと信じられますよ~」

 

 近江はふわりと微笑んだ。

 

 ……うん、落ち込んでいる表情よりよっぽど似合う。

 

「任せておけって。俺は期待を裏切らない男で有名だからな」

「は~い、彼方ちゃんバッチリ期待してま~す」

 

 とはいえ、俺だけでは厳しい部分もある。

 

 仮にスクールアイドル同好会を復活させるとして……だ。

 そこには恐らく優木せつ菜という最大のピースが必要不可欠だ。

 

 しかし、その彼女の心を動かすには俺では役不足かもしれない。

 よく知っている存在だからこそ厳しいものも存在するのだ。

 

 優木せつ菜の心に動かすことができる存在――。

 優木せつ菜と真っすぐぶつかり合える存在――。

 優木せつ菜のすべてを受け止めることができる存在――。

 

 そしてなにより。

 

 優木せつ菜と同じ夢を見て、その背中を押し、支えることができる仲間――。

 

 そんな存在がいれば……彼女の心を動かすことができるかもしれない。

 

 俺が出来ればいいのだが、彼女にとって俺は『仲間』ではないのだ。

 やはり共に道を歩む存在というのは必要不可欠だろう。

 

 誰か。

 誰か……いないだろうか?

 

 ――『最高だったって……大好きだって……伝えたくて……』

 

 ふと、脳裏に過る一人の少女。

 

 もしかすれば。

 

 あいつなら――。

 

 × × ×

 

 翌日、放課後。

 

 授業を一通り済ませて帰りのホームルームを済ませた俺は、職員室に戻る準備をしていた。

 

「先生!」

 

 そんな俺に話しかけてくる一人の少女。

 

「おおぅびっくりした……お前はいつも突然だな、高咲」

 

 そういえば高咲……思ったよりも元気だな。

 同好会の廃部を聞いて結構落ち込んでいたんだが……。

 

 まぁでも、高咲は基本的に冷静なやつだからな……。

 

 自分なりに整理して切り替えたのかもしれない。

 

 ――なんて、呑気に考えていた俺に高咲は驚きの言葉を放った。

 

「スクールアイドル、始めることにしました!」

「ほうほう、なるほど。スクールアイドルを……」

 

 ――ん?

 

 ……え?

 

「……は?」

「あ、正確には歩夢のサポートなんですけど……」

 

 なるほどなるほど。

 高咲はスクールアイドルではなく上原のサポートか。

 

 それはつまり、上原がスクールアイドルをやるということで――。

 

 ………。

 

 いやいやいやいやいや。

 

「全然意味分からん。詳細プリーズ」

「えー、先生物分かり悪いなー」

「え、これ俺のせいなの?」

「もちろん!」

 

 もちろんなのかよ。

 全然分からねぇよ。

 

「歩夢が……背中を押してくれたんです」

 

 上原が……?

 

「だから私はそんな歩夢を一番隣で支えたい……。スクールアイドルを支えたいって……そう、思ったんです」

 

 二人の間でなにがあったのかは分からない。

 でも、上原が高咲に再び前を向くきっかけを与えたということだけは分かる。

 

 上原……か。

 彼女も自分なりに思うことがあったのだろう。

 

 そんな中でも一歩を踏み出して、高咲の背中を押した。

 

 幼馴染だからこそ……か。

 

 ――ありがとな、高咲を支えてくれて。

 

「支えたい……か」

 

 迷いのない瞳で言い放つ高咲。

 

 そんな姿が、()()()()()()()()とかぶって見えた――。

 

 やはり、こいつが――。

 この高咲侑という少女が――。

 

 すべてを繋ぐ架け橋となるかもしれない。

 そう……思ったんだ。

 

「てことは……やっぱり最初は同好会を復活させないとな」

「あー……やっぱりそうですよねぇ」

「なにか当てはあるのか?」

「いや、特には……」

 

 まぁそれは予想通りだ。

 

 俺が知る限り、高咲や上原は積極的に他の学年やクラスの生徒と交流していたわけじゃない。

 校内の人脈はまだ狭いだろう。

 

 であれば。

 

 教師である俺ができることは――。

 

「そうだな……特に策がなければ中須かすみという生徒を当たってみるのが良いかもしれないぞ」

「中須……さん?」

「そう。当時同好会に所属していた一年生だ」

「ということはスクールアイドルということですか!?」

「元、な」

 

 別に中須じゃなくても、桜坂や近江……エマでもいいのかもしれない。

 

 しかし、なんとなく……。

 高咲と中須を出会わせれば面白いことが起きるのではないかと思ったのだ。

 

 それに、恐らく中須自身も今回のことは納得がいっていないはずだ。

 

 同好会の復活のためにも良き仲間になってくれるかもしれない。

 

「分かりました! ありがとうございます!」

 

 高咲は元気良く頷いた。

 

 俺自身、この高咲侑という少女がどこまでやれるのかを見てみたい。

 同好会のメンバーと顔を合わせたとき、話を聞いたとき、なにを思い、どう行動するのかを見てみたい。

 

 結局駄目かもしれない。なにも起きないのかもしれない。

 

 だけど俺は、こいつに賭けてみたいと思ったのだ。

 

 そのサポートはいくらでもしよう。

 

「なにかあったらいつでも聞きに来い。サポートくらいは出来るからな」

「先生……! じゃあ歩夢と一緒にステージで――」

「それだけは断固お断りする! てか誰得だよ。まさかお前、俺のフリフリ衣装見たいの? 歌って踊ってる姿見たいの?」

「いや全然まったくこれっぽっちも」

 

 高咲さん? 急に真顔になるのやめてくださる?

 

「自分で言って自分で全否定するのやめてくれる?」

「ちょっと面白いと思ったんですけどねー」

「まったく面白くないから。俺が社会的に死んで終わるだけだから」

「それもまた一興……とか?」

「ツインテール引っこ抜くぞお前。横じゃなくて縦に引っこ抜くぞおら」

「縦!? それはやめてください!?」

 

 ちょっと真面目な話をしたと思ったらこれだ。

 でもまぁ……これが俺達らしいと言えばらしいだろう。

 

 俺は溜息をつくと、壁に立てかけられた時計を見る。

 

「そろそろ行くわ。さすがに二日連続で会議に遅刻はシャレにならん」

「あははっ、そういえば昨日遅刻したんでしたっけ」

「おうよ。ガッツリ怒られたわ」

 

 俺は高咲に軽く手を振り教壇から降りる。

 そのまま出ようと思ったのだが――。

 

 ふと、俺の足が止まった。

 

「高咲」

「はい?」

 

 俺は高咲のところまで近付く。

 そして、手に持った出席簿を呆けた顔で俺を見ている彼女の頭の上に置いた。

 

 「うわっ……!」と驚きの声を上げて俺を見あげる高咲。

 

「俺もできる限りサポートはする。だけど結局は、お前たちの……お前の頑張り次第だ」

「先生……」

「応援してるぞ、高咲。お前ならきっとやり遂げられる」

 

 ポフポフっと頭の上の出席簿をバウンドさせる。

 

 驚いた表情を俺を見ていた高咲だったが、俺の言葉を聞いた瞬間ニカっと明るい笑顔を浮かべた。

 

「はい! 頑張ります!」

「うむ。それじゃあな」

 

 さて……。

 一人の生徒がこんなに頑張ろうとしているんだ。

 

 ――俺も負けていられない。

 

 俺も俺で出来ることをやらないと……な。

 

 × × ×

 

 職員会議を済ませた俺は今、とある部屋の前に立っている。

 

 『生徒会室』――。

 そう書かれたプレートが扉に貼られている。

 

「それじゃ、話を聞かせてもらおうかね……」

 

 コンコン、とノックする。

 

『はい』

 

 扉の向こうから聞こえてきた声。

 あいつの……菜々の声だ。

 

 俺は扉を開けて室内に入る。

 

 そこには、まるで会社のオフォスのような広い空間が広がっていた。

 しっかり整理された棚。

 設置されている植物。

 綺麗に掃除された室内。

 

 毎回思うが、ほんとにこの学園の設備は一つ一つが高校生離れしているよな……。

 

「失礼するぞい」

 

 そして、そこには――。

 

「……外波先生」

 

 一人の少女が座っていた。

 

 中川菜々。

 俺の幼馴染で、生徒会長。

 

 おそらく生徒会の仕事でもしていたのだろう。

 

 支給されているノートパソコンから顔を上げて、俺を捉える。

 そして菜々は一瞬表情を曇らせた。

 

 まるで顔を合わせたくなかったかのように――。

 

 まぁ……そんな顔をするだろうとは思っていた。

 

「悪いな中川、急に来て」

 

 俺は菜々が一人であることを確認すると、軽く挨拶をする。

 

 家では菜々。

 学校では中川。

 

 公私を分けて接しているのは今更言うまでもないだろう。

 

「いえ、別に……問題ありませんが……」

 

 冷静沈着。

 鉄の生徒会長――。

 

 それが……生徒会長としての中川菜々である。

 

 実際は全然そんなことないのだが……。

 

「それで、用件はなんですか?」

 

 菜々は冷静な表情で俺を見る。

 

「用件もなにも……分かってるだろう?」

「……」

 

 俺は菜々の前まで移動すると、彼女を見下ろす。

 

「スクールアイドル同好会のこと……聞かせてもらうぞ」

「っ……」

 

 眼鏡越しに見える菜々の瞳が僅かに揺れる。

 

 そりゃ嫌だよな。

 他でもない、俺に聞かれるのは相当嫌だよな?

 

 そんなこともちろん分かっている。

 

 分かっているうえで……俺は今ここに立っているんだ。

 

「優木せつ菜は……なぜ引退した? いや――」

 

 俺は菜々を見据えて言い放つ。

 

「――あいつはどこに行ったんだ?」

 

 優木せつ菜のことはお前が誰よりも詳しいはずだ。

 お前が優木せつ菜の動向を知らないはずがない。

 

 昨日は逃げられたからな……。

 

 今日はしっかり聞かせてもらうぞ――。

 




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第四話 優木せつ菜の正体

ちなみに今表紙イラストの準備とかしてます…|ノo・)コッソリ


「どこ……とは?」

 

 目の前で座る少女、中川菜々は俺を見上げる。

 眼鏡越しに見えるその瞳は僅かに揺れ、言葉にせずとも一つの事実を語っていた。

 

 今は外波空と話したくない――と。

 

 俺から見たら明らかに動揺しているのが分かる。

 

 しかし菜々は、それを表に出さないように取り繕っていた。

 

「そのままの意味だよ。優木せつ菜はどこに行ったんだ?」

「さぁ……? 校内のどこかに――」

「お前それ本気で言ってるのか?」

「……っ」

 

 とぼける菜々の言葉を遮る。

 

「他のやつにはそれで通じるかもしれない。だけど……俺にそれが通じると思ってるのか?」

「……。思うわけ……ないじゃありませんか」

「まぁ、そうだよな。そんなことお前が一番分かってるよな」

 

 今の菜々を見るだけで分かる。

 こいつはまだ……俺に話す気がない。

 

 ――いや、正確に言えば……俺だからこそ話せないのだろう。

 

 で、あるのならば。

 菜々がそういう態度を取るのならば。

 

 俺が……踏み込むとしよう。

 

「はぁ……回りくどいのは俺らしくないか」

 

 学校ではこの話……出したくなかった。

 

 しかし今回の件は、俺も責任を感じる部分が多くある。

 変化に気が付ける立場にいながら、俺はその変化に気が付くことができなかった。

 手を差し伸べることができなかった。

 

 こいつならきっと大丈夫。乗り越えられる……と。

 幼い頃から彼女の性格を知っているはずなのに、大事な時に支えてあげられなかった。

 

 そんな俺の後悔と……怒り。

 

「改めて……質問するぞ」

 

 俺は小さく息を吐くと、再び菜々を見据える。

 先程より真剣な俺の目に気が付いた彼女は、俺の言うことが分かっただろう。

 

「中川菜々……いや」

 

 俺の幼馴染である中川菜々。

 虹ヶ咲学園の生徒会長である中川菜々。

 

 そして――。

 

「――優木せつ菜」

 

 ハッと菜々は目を見開き勢いよく椅子から立ち上がる。

 

「せ、先生……! ここでその名前は――!」

「菜々に聞いても答えないんだったら()()に聞くしかないだろ」

「だ、だからって……!」

 

 やれやれこいつ……。

 

 俺はニヤリと笑う。

 

「それ以上言うとラノベ貸してあげませーん」

「えっ……。そ、それは卑怯ですよ先生……!」

「はっはっは、俺が卑怯なのはお前が一番知ってるだろう?」

 

 部屋の出入り口と俺を交互に見ながら焦る菜々。

 

 ――もとい、優木せつ菜。

 

 そう。

 それが中川菜々のもう一つの顔。

 

 正体不明のスクールアイドル。

 その正体こそ……今俺の前にいる中川菜々なのだ。

 堅物生徒会長であり、その裏ではファンの皆を笑顔にするスクールアイドル。

 

 菜々は二つの顔を器用に使い分けているのだ。

 

 なぜ本名で活動していないかというと……。

 まぁ、そこには菜々の家の事情とかいろいろ絡んでいるから細かいことを話すと長くなる。

 

 ともかく、俺が優木せつ菜を誰よりもよく知っているというのは……そういうことである。

 

「今後お前に一生漫画を貸さないのと、お前が優木せつ菜だって学園にバレるの……どっちがいい?」

「どっちも嫌に決まってるじゃないですか!」

「うん知ってる。だから言った」

「ただのドSですか!?」

「せつ菜だけにS……ってか! 上手い!」

「なにがですか!?」

「えぇ……」

「いやいや、私が理解できないのが悪いみたいなその目はなんですか!?」

 

 怒涛のツッコミをしたことでハァハァと息を切らす菜々。

 

 そんな菜々の表情は、堅物な生徒会長でもなく優木せつ菜でもなく。

 俺が小さい頃から知っている菜々の表情だった。

 

 俺はおふざけを中止にすると、小さく微笑む。

 

「やれやれ、やっと生徒会長モードじゃなくなったな」

 

 ハッとなにかに気が付いた菜々。

 そしてその表情は驚きからゆっくりと呆れへと変化していく。

 

 俺がなぜふざけていたのか分かったのだろう。

 

 菜々は溜息をついた。

 

「本当にもう……。あなたのそういうところ……昔から本当に嫌いです」

 

 そう言うと菜々はそっぽを向く。

 こんな子供っぽい仕草、皆が知る生徒会長だったらしないだろう。

 

 だけど、俺が知っている中川菜々はこういうやつなのだ。

 

「いやいやそれほどでも」

「褒めてません!」

「えぇ!?」

「なんですかその新鮮な驚きは!?」

 

 うむ、キレの良いツッコミだ。

 さすがは俺のことを昔から知っているだけある。

 

「まったく……」

 

 一通りツッコミを受けたことで満足してホクホク顔な俺。

 そして一通りツッコミをしたことで呆れて再び溜息をつく菜々。

 

 ――見事に対極である。

 

 なんて。

 

 あまりゆっくりしていられる時間もないし、そろそろ話を元に戻すとしよう。

 いつ他の生徒が生徒会室に来るか分からないからな。

 

 

 

「よし菜々……じゃない中川、話を戻すとするか」

 

 俺は生徒会長用のデスクの前の用意されているソファーに腰かける。

 

 元々菜々の生徒会長としての仮面を剥がさないことにはまとも話せないと思っていたし、淡々と『帰ってください』と突っ返されることも考えていた。

 

 しかし現実はそうではなく、簡単にいつもの菜々状態することができたし帰らされる感じもしない。

 

 もしかしたら……。

 

 菜々自身、どこかで俺と話さないといけないと思っているのかもしれない。

 

「なぁ、中川」

「……なんでしょうか」

 

 再び椅子に座り直すと、声音が変化した俺を警戒の目で見る。

 

 そんな菜々を横目に、俺はだらしなく背もたれに身体をあずけて天井を仰いだ。 

 

 そしてポツリと続きを口にした。

 

「俺のクラスにな、お前に……優木せつ菜に胸を打たれたってやつがいるんだよ」

「ぇ……」

「お前の歌を聞いて、ダンスを見て……ときめいたんだってよ。そのことを俺に話した時のあいつの表情は……すごく楽しそうだった」

 

 あいつの名前はあえて出さない。

 今はただ……そういうやつがいたのだと、菜々に知って欲しい。

 

「そいつは結構冷めてる部分も多くて、あまりなにかに熱中したことがなかったんだと思う」

「……そう、ですか」

「そんなあいつが熱中するものを見つけられた。()()()なものを見つけられた」

 

 大好き、という言葉に菜々はピクリと反応する。

 

「まぁなにが言いたいかというと……だ」

 

 俺は浮かない顔をした菜々へ視線を向ける。

 

「お前は……優木せつ菜は人一人の心を動かす力を持っているすげぇやつってことだ」

「……そんなこと――」

「あるんだよ」

 

 先ほどよりも強く菜々の言葉を遮る。

 

 確かに今の菜々は色々あった後ということもあり、俺の言葉はあまり届かないだろう。

 それでも、俺は菜々の凄さを知っている。

 努力してきた姿を、前を向いて進んできた姿を知っている。

 

 だからこそ……それを本人である菜々自身に否定して欲しくなかった。

 

「俺を誰だと思っているんだ?」

 

 俺は真剣な表情で菜々を見据える。

 そして、嘘偽りない言葉を菜々に言い放つ。

 

「優木せつ菜という存在に最初に心を打たれて、最初に大好きになって……そして、最初にファンになったのは……他でもない、俺なんだぞ?」

「だっ――!?」

 

 菜々は俺の言葉を聞いて突然顔を赤く染める。

 なんだどうしたんだ?

 

 まぁともかく――。

 

「俺がどれだけお前を見てきたと思ってる。お前の魅力を誰よりも知っている自信はあるぞ?」

「えっ、ちょっ、その――」

 

 こいつは一体なにに取り乱しているのだろうか。

 

「だからこそ……悔しいんだよ。怒ってるんだよ」

 

 俺の力のない言葉に、菜々は申し訳なさそうに目を伏せた。

 きっと菜々は、今の言葉は自分に向けられて言っているものだと思ったのだろう。

 

「ごめんなさ――」

「違う」

「えっ……?」

 

 桜坂にも言ったことだ。

 

 たしかに俺は、菜々に対しても怒っている。

 しかしそれはスクールアイドルを辞めたことに対してではない。

 

 仲間たちに一切の相談、報告もせず……自分の判断だけで決めたことに対してだ。

 

 俺が、外波空がそれ以上に怒りを感じていることは――。

 

「お前が躓いたこと、お前が悩んでいたこと……お前が苦しんでいたことに気が付かず……手を差し伸べてあげられなかった」

「……」

「お前だけに……辛い決断をさせてしまった。本当に……ごめんな、菜々」

「先生……」

 

 俯いた俺に菜々はなにも言わない。

 

 これは、教師として外波空の想いじゃない。

 中川菜々の幼馴染として、中川菜々の見守り続けてきた存在としての外波空の想いだ。

 

 勝手に大丈夫だと思い込んで、勝手に心配ないと思い込んで……勝手に菜々を一人にさせていた。

 

 これは……俺の失態だ。

 

「私が勝手に……決めたことですから。先生が謝る必要なんて……」

「俺がお前の悩みを聞いてあげたとしても……適切な答えを与えることができてても……結果は変わらなかったのかもしれない。だけど……やっぱりお前一人に背負わせてしまったのは申し訳ないんだ」

「……ふふ」

 

 菜々の微笑み。

 なぜ笑ったのか分からない俺は、思わず顔を上げた。

 

 そして目に入って来たのは――。

 

「本当に……優しいですよね、あなたは。そんなあなただから……私は――」

 

 優しい表情を浮かべる菜々の顔だった。

 

「まるで自分がやってしまったかのように……そんなに悩むなんて……。大丈夫ですよ、先生」

「でも、お前は……」

「もっと良い方法はあったのかもしれません。もっと動いたら変わったのかもしれません。……でも、私の選んだ道は間違っていないと思うんです」

「中川……」

「私の勝手な気持ちを押し付けて、皆の気持ちを理解することができなかった……。ただの……私の責任です」

 

 勝手な気持ちを押し付けて……か。

 きっとそれは……桜坂や近江から聞いた話のことなのだろう。

 

 同好会の仲間であった中須かすみとの衝突。

 お互いの想いの差異。

 

 そして……解散。

 

「後悔は……していないのか?」

「……。……もちろんです」

 

 ――そんな、あからさまな嘘。

 俺が見抜けないはずがない。

 

 後悔してないなんて言うやつが――。

 

「……」

 

 そんな……悲しい表情をするわけがないだろ。

 あのときのお披露目ライブで……。

 

 涙を流すわけがないだろ――。

 

 悔しさのあまりグッと拳に力が入る。

 

 本当なら……今すぐにでも菜々の本当の気持ちを聞き出したいところだが……。

 

 恐らく今の菜々にはなにを言っても無駄だろう。

 

 大丈夫だと。

 間違っていないのだと。

 後悔などないのだと。

 

 そう……自分の心に鍵をかけてしまっている。

 

 きっと俺ではその鍵は開けられない。

 俺だからこそ……開けられない。

 

 菜々は……近しい人間ほど弱い自分を見せたくないやつだから……。

 だから今も俺も前で気丈に振る舞っている。

 

 本当は……苦しいはずなのに……。

 

「そう……か」

 

 やはり、菜々の鍵を開け放つことができる強い刺激か必要だ。

 

 今は大人しく引いておくべきだろう。

 とりあえず菜々の気持ちは……大体理解できた。

 

「じゃあ……最後の一つだけ」

「なんですか?」

 

 俺はソファーから立ち上がり、菜々に背中を向ける。

 

「お前が自分をどう思おうが、なにを考えようが……。自分を大好きだって言ってくれる存在がいることを……忘れるなよ」

 

 それは俺のことを指しているわけではない。

 俺自信、本当に菜々が決めたことならばなにも言わない。

 

 スクールアイドルを続けろなんて……言うつもりはない。

 

 しかし。

 

 菜々が少しでも後悔しているのであれば――。

 少しでも未練があるならば――。

 

 そのときは――。

 

 × × ×

 

「外波先生ー!」

 

 翌日、四時限目。

 授業が終わると同時に生徒たちは昼休みを迎える。

 

 疲れたとかお腹が空いた……とか、ガヤガヤとした雰囲気に教室が包まれていく。

 

 俺も職員室に戻ろうとしていたところ、一人の生徒が俺のもとへやってきた。

 

「聞きましたよ先生!」

 

 いつものように高咲……ではなく。

 

 今俺がいる場所は一年生の教室だ。つまり高咲はいない。

 

 

 では、俺を呼ぶこの生徒は一体だれか――?

 

「おう、なんだ問題児」

「も、問題児ってなんですかー! ……あ、たしかにかすみんは可愛いからそういう意味での問題児なのは分かりますけどー」

「はいはい可愛い可愛い」

「もっと心を込めて言ってくださいよぉ!」

 

 自信満々に自分のことを可愛いという少女。

 

 ――中須かすみ。

 

 サラサラのショートカットにくりくりした可愛らしい瞳。

 なんかこう……極端に悪く言えば男に媚びた感じの雰囲気。ここ女子高だけど。

 

「ちょっと今失礼なこと考えていませんか先生?」

 

 ジトっとした目を俺に向ける中須。

 なんだ、こいつの菜々みたいにエスパーの力を持っているのか?

 

「いや別に、なんか男に媚びた女がいるなーって思っただけだ」

「ただただ失礼じゃないですかぁ! かすみんは可愛いだけで媚びてませんー!」 

 

 この中須という少女は、良くも悪くも素直な奴だ。

 とは言え、ただ自分を可愛いと言うだけではなく可愛くあろうと頑張っている部分には好感が持てる。

 

 でも……まぁあれだな、こいつこういうキャラだからイジるのめっちゃ楽しい。

 

 恐らく一年生の中で、俺が最も話す生徒はこの中須かすみだろう。

 

 中須自身もなにかと俺に話しかけてくるし、俺自身中須をよくイジっているからなにかと関わりがある。

 

「んで、実際はどうしたんだ?」

「あっ、そうでした! 昨日侑先輩から聞きましたよ! 先生がかすみんを紹介してくれたんですよねっ!?」

「てことは……ちゃんと会えたんだな。それは安心したわ」

「そうなんですよぅ! それでですね――」

 

 中須は昨日あったことを俺に話す。

 

 高咲や上原がスクールアイドルになるにはどうすればいいのかと悩んでいたこと。

 そこで、廃部の件をまだ諦めていない中須が二人にスクールアイドル同好会を復活させようと提案したこと。

 しかし人数などの問題で今すぐ同好会の復活させるのは不可能、とりあえず現状は外で活動していること。

 そして、まずは第一歩として自己紹介動画を撮影して動画サイトにアップロードしようとしていること。

 

 ――などなど。

 

 どうやらその自己紹介動画、上原がかなり苦戦しているらしいが……。

 たしかにあいつ、そういうの苦手そうだもんなぁ……。

 

 まぁとにかく、中須が高咲たちと上手くいっていることが分かっただけでも良しとしよう。

 

「なるほど……。お前なりに頑張ってるんだな」

「でも……」

「ん?」

 

 中須はどこか浮かない表情をしていた。

 

「歩夢先輩に……自分の『可愛い』を押し付けちゃってる気がして……」

「押し付け……?」

「歩夢先輩に言ったんです。そんなんじゃファンの皆に可愛いは届きませんよ……って」

 

 ……ふむ。

 中須の言いたいことは、なんとなく理解できた気がする。

 

「優木せつ菜と同じことしてる……とでも思ったのか?」

「えっ!? な、なんで分かったんですかっ!?」

「やっぱりな」

 

 菜々が想いと中須の想いは違う。

 だからこそぶつかり合ってしまった。

 

 だから中須は反発してしまった。

 

 自分はそうじゃない。優木せつ菜とは違うことがやりたいのだと。

 自分の思うスクールアイドルはそうではない……と。

 

 今回の上原の件も、反発こそしていないがそれに少し近い。

 

「スクールアイドルは可愛くあるべき。だから当然ああしてこうして……って、色々押し付けちゃったんだな」

「……でも、かすみんは――」

「分かってるよ。その気持ちは間違っていないし、スクールアイドルが大好きだから一生懸命なんだよな?」

「……はい」

 

 力なく中須が頷く。

 

「それはきっと……、あいつも……優木せつ菜も同じだったんじゃないか?」 

「やっぱり……」

 

 そう。中須や菜々は悪いことなどなに一つしていない。

 少し、やり方を……話し方を間違えてしまっただけだ。

 

 今ならまだ……やり直せる。

 

 二人の衝突なんて、まだ些細な問題だ。

 

「というか先生、なんでせつ菜さんのその話を……」

「はっはっは、なんでだろうなー」

「な、なんですかそれぇ! あ、ちょっと先生! まだ話は終わってませ――」

 

 

 俺は中須の質問を軽くあしらい、教室から出ていく。

 後ろから中須の声が聞こえるが……無視無視。

 

 あいつはああ見えて結構ナイーブなやつだ。

 

 俺が色々言ってしまうと、下手に悩みすぎて変な方向へ考えが走ってしまうかもしれない。

 

 それに――。

 

 今のあいつの側には……高咲がいるからな。

 俺が細かく言わなくても、あいつがきっと中須を支えてくれるだろう。

 

「頼んだぞ……高咲」

 

 あいつなら、きっと――。

 

 × × ×

 

「それで先生……なぜ今日もここにいるんですか?」

「仕方ないだろ? 生徒会の顧問に代わりにここまで運んでくれって書類渡されたんだから」

 

 ジト目で俺を見る菜々を横目に、俺はソファーでダラダラしていた。

 

 放課後になった後、生徒会の顧問の先生に頼まれたのだ。

 『緊急で会議があるから代わりにこれを生徒会室まで持っていってくれないか』――と。

 

 なにやら早めに菜々に渡さないといけないものだったらしく、偶然その先生の近くにいた俺が捕まってしまったというわけだ。

 

 そして……生徒会室にやってきて現在に至る。

 

「それはもう渡してもらいました。でも……なぜそこでダラダラしているんですか」

 

 生徒会長モードの菜々から浴びせられる冷たい言葉。

 

「まぁそう言うなって。休憩だよ休憩。他に生徒がいないんだからいいだろ?」

「私がいるんですが……」

 

 職員室に戻ったら仕事をしなくてはいけない。

 今日も今日とてやることが多く、現実逃避をするためにここで少しダラダラしていこうと思ったのに……。

 

 めっちゃジト目で見てくるし……。

 

 ふえぇ……菜々ちゃんが怖いよう……。

 

 というか『お前はやく出て行けよ』オーラ出しすぎでしょ。真面目かお前は。いや俺が不真面目なのか。そうだな。

 

「仕方ない……。生徒会長様が怖いので俺は戻りまーす」

「私のせいにしないでください」

 

 怖い怖い。

 

 一度伸びをした後、名残惜しい気持ちを抱きながら俺はソファーから立ち上がる。

 このソファー結構柔らかくて良いのに……俺の椅子と交換してくれないかな。

 

 俺はそのまま帰る……と見せかけて立ち止まる。

 

「今日発売の漫画貸してあげようと思ったけど……中川が冷たいので貸しませーん」

「えっ!?」

 

 ガタっと立ち上がる菜々。

 ふふふ……俺が大人しく帰ると思ったか?

 

「買ったらそのまま売ろうかなー。もう読まないだろうからなー。……じゃあな、中川」

 

 俺はわざとらしく言うと、そのまま生徒会室から出ようとする。

 

「ま、待ってください!」

「んー? なんだどうした中川? 真面目な外波先生はさっさと戻って仕事をだな……」

「本当に……ドSなんですから……」

「せつ菜だけにS――」

「それはもう聞きましたら結構です」

 

 俺の渾身のボケが潰された……。

 それもめっちゃ冷静に潰された……。

 

 ――なんて、おふざけをしていると。

 

 『コンコン』と、扉をノックする音が室内に鳴り響いた。

 

 菜々と顔を見合わせると、すぐに表情を変える。

 俺はいつもと変わらないが、菜々は生徒会長モードへと器用に切り替えた。

 

「どうぞ」

『失礼するわね』

 

 菜々の声の後、すぐに開かれる扉。

 

 今の声――。

 恐らくだが――。

 

「あなたたちは……」

 

 姿を現した生徒たちを見て、菜々は一瞬驚いた表情を浮かべた。

 やってきたのは一人ではなく……四人の生徒。

 

「あ、外波先生」

「よっ、桜坂」

 

 桜坂しずく。

 

「外波先生~おはようございま~す」

「おう、もう夕方だけどな」

 

 近江彼方。

 

「先生! こんにちは!」

「うむ、エマはいつも元気だな」

 

 国際交流学科三年、エマ・ヴェルデ。

 元スクールアイドル同好会の部員。

 

 そして――。

 

「あら先生……邪魔しちゃいました?」

「ちょうど終わったところだから大丈夫だ。んで、朝香(あさか)まで来て……一体どうしたんだ?」

 

 エマの親友。

 ライフデザイン学科三年、朝香果林(かりん)

 

 スタイル抜群のモデル体型美人で、全身からお姉さん感を漂わせるクールな生徒。

 元スクールアイドル同好会の部員……ではない。

 

「えぇ、そこにいる生徒会長さんに用事があってね」

 

 朝香たちは菜々の前まで歩いていく。

 

 今気が付いたのだが――。

 

 朝香以外の……元同好会部員たちが浮かない顔をしているのだ。

 なにか……あったのだろうか?

 

 その疑問は、次の朝香の行動によって解消されることになる。

 

「あなたにこれを返しに来たのよ」

 

 朝香は鞄から一冊のファイルを取り出し、菜々のデスクに置く。

 そのファイルを見て……俺と菜々は、彼女たちがなぜここに来たのかを理解した。

 

 『生徒名簿』――。

 

 ファイルには……そう書かれていた。

 

「生徒名簿……」

 

 ポツリと菜々が呟く。

 この学園の全生徒の名前が載っているそのファイルは、普段は生徒会室に置かれているものだ。

 

 それを菜々がいない間に持って行ったということか……。

 

 例え正体不明だとしても、この学園の生徒である以上その情報がないはずない。

 

 なるほど……よく考えたものだ。

 

「勝手に借りてごめんなさいね。――でも、優木せつ菜……なんて名前、どこにも載っていなかったわ」

 

 朝香はスッと目を細めて……核心を突いた。

 

 とんだ名探偵がいたものだ……。

 まさかこんな手でくるとは予想つかなかった。

 

 たしかに少し考えれば思いつきそうではあるが……だからこそ予想外でもあるのだ。

 

 なにも返事をしない菜々に対して、朝香は言葉を続ける。

 

「存在しないはずの人物と……どうやって連絡をとったのかしら? 教えてくれる?」

 

 真実へとたどり着いた朝香が……最後に言い放つ。

 

「――優木……せつ菜さん?」

 

 途端に空気が張り詰める。

 

 桜坂たちも複雑な表情で菜々を……優木せつ菜を見ていた。

 

 自分たちと一緒に活動していた優木せつ菜が――。

 廃部の一件以来連絡がつかない優木せつ菜が――。

 

 今……目の前にいる。

 それも……生徒会長として。

 

「もちろん先生も……知らないとは言わせないわよ?」

 

 フフッと笑い、俺に向かって発せられた言葉。

 その言葉により、桜坂たちの視線も俺へと移る。

 

 まぁ……そうなるよなぁ……。

 

 これはどうやら――。

 

 逃げられない状況のようだ。

 



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第五話 彼女が奏でる音色

大変お久しぶりでございます。
サラッと表紙イラストを投稿していました。
よろしければ見ていただければ嬉しいです。


 カチ、カチ……と秒針の音が鳴り響く。

 そんな秒針の音がやけにうるさく感じてしまうほど、室内は静まり返っていた。

 

 元スクールアイドル同好会の子たちと朝香果林。

 そして……彼女たちに正体がバレてしまった優木せつ菜……もとい、生徒会長中川菜々。

 

 そして、このような状況に身を置かれてめっちゃ胃を痛くしている俺、外波空。

 

 むむむ、一体どうしたものやら……。

 

 それにしても。

 

 ――『もちろん先生も……知らないとは言わせないわよ?』……か。

 

 朝香のあの言い方……当然俺が優木せつ菜の正体を知っているという前提で話していた。

 まぁ、教師だから知らないはずがないという意味かもしれないが……。

 

 昨日桜坂の前であんな嘘をついたばかりなのに……。

 正直……ちょっと気まずいな、うん。

 

 朝香の質問に対して、菜々は沈黙を保っていた。

 

 それだけで答えを言っているようなものだろう。

 

「……」

「否定しないのね? あなたが優木せつ菜だということを」

 

 朝香が小さく笑い再度問いかける。

 

 一方の菜々は自分の正体がバレたというのにも関わらず、焦ったり否定したりしない。

 朝香の言葉を受けて焦るどころか『あぁ……ついにこの時が来たのか』というような落ち着いた表情をしていた。

 

 彼女たちが来る前は、俺の言葉一つあんなに焦っていたというのに……。

 

 遅かれ早かれ、正体がバレることは分かっていたのかも知れないな……。

 

「元々……隠しきれるものだとは思っていませんでしたから」

 

 菜々は俺たちに背中を向けて口を開いた。

 

「あら、そうなの?」

「ですが……同好会以外の方に指摘されるとは予想外でしたよ」

 

 それは正直俺も予想外だった。

 優木せつ菜の正体にたどり着くのは同好会の誰かだと思っていた。

 

 それがまさか……同好会とは関係のない朝香とはな……。

 

 同好会とは関係ない――。

 

 ……いや、一概に関係ないとも言い切れないか。

 

「ふふ、たまたま同好会に親友がいてね」

 

 そう、朝香とエマは親友同士だ。

 同好会の情報はエマからすべて聞いているのだろう。

 

 親友が悩んでいる。

 親友が困っている。

 親友の居場所を奪った優木せつ菜は何者なのか。

 

 ――親友のため。

 

 朝香が動いた理由は……そんな単純なものなのかもしれない。

 

「どうして生徒会長が名前を隠してスクールアイドルをやっているのか興味があるけれど……」

 

 朝香はこちらに背を向けたままの菜々を見据える。

 

「彼女たちが今聞きたいのは……そんなことじゃないのよねぇ」

 

 朝香は真剣な表情で告げる。

 

 まぁ……朝香の言う通りだろう。

 

 なぜ生徒会長がスクールアイドルなのか――。

 なぜ名前を変えて活動しているのか――。

 なぜ自分たちにそのことを教えてくれなかったのか――。

 

 聞きたいことは多くあるはずだ。

 しかし、今彼女たちが聞きたいことはたった一つ。

 

「せつ菜ちゃん……」

 

 エマの悲しげな呼び声に菜々は肩を震わせる。

 

「ちょっとお休みするだけ~って言ってたじゃん」

「あの日のことがあってから、せつ菜さんの様子は少しおかしかったです。そのときから決めていたんですか……? 私たちとはもうスクールアイドルをやらない……って」

 

 三人からの言葉。

 

 彼女たちが聞かされていたのは、近江が言った通り『活動休止』的な言葉だったのかもしれない。

 同好会が上手くいっていない以上、このまま活動していくのは少し危険だ。

 

 だとしたら少しお互いに時間を取ってこれからのことを考えよう……みたいな。

 

 菜々のことだ。

 そんな感じで伝えていた可能性はある。

 

 しかし、いざ蓋を開けてみれば活動休止どころか『引退』。そして『廃部』。

 

 そりゃもう……残されたメンバーからしたら意味が分からないだろう。

 

「せつ菜ちゃん」

 

 悲しみを帯びたエマの呼びかけ。

 

 彼女たちは菜々を問い詰める資格は十分にある。

 一方的な引退。一方的な解散。

 

 上手くいっていなかったとはいえ、彼女たちの居場所を菜々が奪ったことは事実なのだ。

 

 菜々は彼女たちに説明する必要がある。いや、説明しなければいけない。

 

 ――しかし。

 

「優木せつ菜は――」

 

 今ここで簡単に片付くのならば、ここまで事態は複雑化していないだろう。

 一同の視線が菜々に集まる。

 

 俺には大体予想がつく。

 

 今の菜々には――。

 

「優木せつ菜はもういません! ……もう、いないんです! 彼女は……私は、スクールアイドルを辞めたんです」

 

 彼女たちの問いかけには答えられないだろう。

 

 背を向けたまま強く言い放つ菜々。

 顔は見えないが容易に分かる。

 あいつは今……必死な表情を浮かべているのだろう。

 

 それもそのはずだ。

 

 自分自身で『解』を得ていないのに、彼女たちの問いに答えられるわけがない。

 

「ラブライブを目指すのなら……皆さんだけで続けてください」

 

 震えた声が生徒会室に響き渡る。

 

 しかし朝香たちはまだ納得していないような表情を浮かべている。

 

 そりゃ一方的に『私は辞めた。あと自由にやってくれ』って言われても納得できない。できるわけがない。

 彼女たちには彼女たちの想いがある。優木せつ菜に伝えたいことがある。だからこそ今ここに立っている。

 

 ――とはいえ、このまま黙って見ていられないな……。

 

 今どんな言葉を菜々に投げても無駄だ。なにも言っても答える気はないし、考えを改めることもないだろう。

 

 俺は小さく息を吐き、口を開いた。

 

「……今日はこの辺にしておこう。これ以上なにを聞いてもそいつは答えないぞ」

 

 俺が言葉を発したことにより、朝香たちの視線がこちらに向いた。

 

「でも先生――」

「頼む」

 

 桜坂の言葉を遮り、俺は真剣な表情で告げた。

 そんな俺の態度が珍しいのか、彼女たちは一瞬驚いた表情を浮かべると、それぞれ顔を見合わせて小さく頷いた。

 

「やっぱり先生とせつ菜ちゃんって……」

 

 ポツリと呟かれた近江の言葉。

 

 彼女の気持ちは分かる。言いたいことはすごく分かる。

 だが、これ以上問い詰めてしまったら菜々が強引に『解』を出してしまうかもしれない。

 

 自分の納得できないことを自分の気持ちとして無理やり納得させてしまうかもしれない。

 

 ただでさえ昨日俺は菜々にいろいろ言ったのだ。

 

 今は一旦離れて……菜々に時間を与えたい。

 

 少し甘いかもしれないが……。

 

「……分かりました。たしかに先生の言う通り、これ以上聞いても答えてくれなさそうだもの」

「……悪いな、朝香」

「先生……」

 

 なにか言いたげな桜坂の視線が俺に突き刺さる。

 

 桜坂にも悪いことをした。

 優木せつ菜のことを知らないといった矢先にこれだ……。

 

 だが……今はこうするしかない。

 

 桜坂にはあとでしっかり謝るとしよう。

 

「うん……。せつ菜ちゃんを困らせたいわけじゃないしね~」

「そうだね……」

「……分かりました」

 

 それぞれ思うところはあるだろうが、とりあえず一旦納得してくれたことに俺は安堵する。

 

 でもあれだな……このまま解散したらそれはそれで空気が悪くなりそうだな……。

 

 ……よし。

 

「よし、それじゃあお礼も兼ねてこのかっこいいお兄さんの空先生が皆を送ってあげよう」

「あ、私は大丈夫ですさようなら」

 

 ちょっと朝香さん?

 

「わ、わたしも寮なので……」

 

 エマさん?

 

「彼方ちゃんも大丈夫で~す」

 

 あの近江さん?

 

「えっ、み、みなさんせっかく先生が……」

 

 桜坂さん優しい。

 

「みんな酷い! そんなに即答しなくてもいいじゃない! もう知らないわ! 私帰ってやるんだから!」

「ほらしずくちゃん、先生が泣いちゃったよ~」

「わ、私のせいですか!?」

「はぁ……相変わらず温度差が凄まじいわねあの先生は……」

 

 プンプン! と俺は生徒会室を出ていき、朝香たちも俺に続くようにして出ていく。

 

「……」

 

 去り際にチラッと菜々の様子を見てみたが、やはり彼女の背中はとても小さく見えた。

 

 俺は……俺には……。

 

 菜々のために……なにができるのだろうか――。

 

 × × ×

 

 ――翌日。

 

 諸々の仕事の終えた俺は放課後、校舎内をボーっと歩いていた。

 昨日から頭の中にあることは菜々のことだ。

 

 いったいどうすれば正しいのか、どのような結果になればいいのか。

 

 菜々はなにを望んでいるのか。なにを思っているのか。

 

 そして俺は……なにがしたいのか。

 

「本当に俺は……どうしたいんだろうなぁ……」

 

 今の菜々を救ってあげたい? その通り。

 菜々のサポートをしてあげたい? その通り。

 悩んでいる菜々が『解』を得られるように導いてあげたい? ……それはちょっと違うな。

 

 なにかを強制するつもりはないし、俺は彼女が最終的に選んだ答えであれば受け入れたい。

 それがどのような結果であろうと、彼女が悩んで、必死に考えて見つけたのなら否定するつもりはまったくない。

 

 つまり俺は……。

 

「あー……だめだだめだ。こんなに悩むなんて俺らしくない」

 

 ブツブツ呟きながら廊下を歩く二十五歳独身男性。完全にヤバい奴だなこれ。

  

 しかし、そんな俺の足はとある『音』を耳にしたことで止まった。

 

『――♪』

 

 これは……ピアノの音……? 音楽室から聞こえてきているということで……。

 

 俺が足を止めたのは、ピアノの音が聞こえたからだけではない。

 

 その音は拙く、とても経験者が弾いているとは思えない。

 そして――。

 

 なによりこの音の主が奏でているメロディーは……()()()()()()()()だった。

 何度も聴いた曲だ。俺が聴き間違えるはずがない。

 

 この曲は――。

 

「走り出した……想いは……」

 

 メロディーに合わせて自然と歌詞を口ずさむ。

 

 優木せつ菜の曲――。

 

「『CHASE!』……」

 

 先日彼女が歌っていた曲。

 優木せつ菜が……最後に歌った曲。

 

 でも……一体誰が――?

 

 なんて考える前に、俺の足は音楽室に向けて再び動き出していた。

 

 音楽室に近付くほど大きくなっていく音色。

 

 そのお世辞にも上手いとは言えないピアノの音が一つ一つ、しっかりと俺の耳に届く。

 

「これを弾いているやつは……」

 

 音楽室で足を止める。

 その僅かに開いた扉の先に見えた光景――。

 

「……マジか」

 

 そこでは、予想外の人物が鼻歌交じりにピアノを弾いていた。

 

 まさか()()()がピアノを……それもこの曲を弾いているなんて……。

 でもそういえば、ライブを見て衝撃を受けたって言っていたもんな……。

 

 俺は目の前に広がる光景にどこか嬉しさを感じ、小さく微笑んだ。

 

「おーい、そこのお世辞にも上手いとは言えないピアノを弾く女子生徒」

 

 ガラッと扉を開けて俺は告げる。

 ニヤリと笑い、彼女に向けて――。

 

「音楽室の使用許可は取ってるのか? ……()()?」

「え、あっ、ご、ごめんなさ――」

 

 突然声をかけられたことで驚いた音の主……高咲は、慌てて椅子から立ち上がる。

 そして勢いよく頭を下げようとしたところで俺と目が合った。

 

「……なーんだ先生ですか」

 

 ……。

 

 あれー……この場合怒ればいいの? 自分の威厳のなさに悲しめばいいの?

 

「なんだとはなんだこら」

「いやー……外波先生だから別にいいかなーって」

「おい。お前らほんと俺をなんだと思ってるの?」

「……人?」

「いやそうだけど! 人だけど! というか新しいなその返し!」

 

 むしろ人じゃなかったらなんなんだ!

 

 まったく……俺は相変わらず生徒たちから軽く見られているらしい。特に目の前のこのツインテールから。

 やっぱあれか? 一回あのツインテール引っこ抜くべきなのか?

 

 俺はジトっと高咲を見る。

 

「……うわ、先生ちょっといやらしい目を向けるのやめてください」

「向けてねぇよ! この自意識過剰ツインテールめ!」

「ツ、ツインテールは関係ないじゃないですか! 先生だって自意識過剰じゃないですか! 顔が!」

「失礼すぎるっっ!!」

 

 なんだよ顔が自意識過剰って。生まれて初めて言われたわ。

 とまぁ……いつも通りのやり取りを繰り広げた後、俺は溜息をつく。

 

 俺は改めて高咲を見た。

 

「まったく……というかお前、音楽室の使用許可取ってないだろ」

「え、あー……あははは」

 

 こいつ笑ってごまかしていやがる。

 

 本来であれば事前に許可をとらないと音楽室を使用できないのだが……。

 

「まぁいいけど別に。俺じゃなかったら大変だったぞお前」

「むしろ先生は怒らないんですね……」

「おう。面倒だからな」

「先生ってほんと先生っぽくないですよね……」

「お前それ褒めてる?」

「ほ、褒めてます! べた褒めです!」

「うむ、なら良し」

「いいんだ……」

 

 ――おっと危ない。

 高咲と話しているといつも無駄話が多くなるから本題を忘れてしまう。

 

 俺はコホンと咳払いをし、音楽室内に足を踏み入れる。

 

「それより高咲、さっき弾いていた曲なんだが……」

「……あ、これはえっと……」

「『CHASE!』……だろ?」

 

 俺の口から出た言葉に高咲は驚きの表情を浮かべる。

 

「せ、先生知ってるんですか!? 優木せつ菜ちゃんの曲!」

「ああ、まぁな」

 

 こいつ……すっかりファンになってるな。

 俺は高咲の言葉に頷き、ピアノの近くに置いてある椅子に座る。

 

「もう一回、聴かせてくれよ」

「え……?」

「さっきのピアノ、もう一回聴かせてくれってこと」

 

 高咲は最初こそ『こいつ急になに言ってるの?』という顔をしていたが、すぐに困惑の表情を見せた。

 

「で、でも……誰かに聴かせられるほどじゃ……」

「いいんだよ。俺はお前の演奏が聴きたいんだからさ」

「……わ、分かりました」

「おう。急に来たのに悪いな」

「ほんとですよ」

「いつも一言多いなお前は!」

 

 へへっと楽しそうに笑う高咲に俺は溜息をつく。

 

 そんな高咲は再びピアノの前に座りなおすと、小さく深呼吸をする。

 ゆっくりと鍵盤に上に手を置き――。

 

『――♪』

 

 一音一音、しっかりと弾き始めた。

 

「ララ……ラ、ラ、ラーラー……」

 

 ペースは遅く、たまに音は外れる。

 しかしそれでも……。

 

 その音はとても心地良く、しっかりと俺の心に届いた。

 

『~♪』

 

 ピアノの音色が音楽室に鳴り響く。

 

 あぁ……なんかいいな……こういう時間。

 

 目を閉じ、響く音に耳を澄ます。

 

 その時――。

 

「――なんでその曲を……」

 

 音楽室の扉から、別の女子生徒の声が聞こえてきた。

 

「……え?」

「……?」

 

 高咲はピアノを弾く手を止め、俺は目を開け、その声の主に視線を向ける。

 そこに立っていたのは――。

 

「うわっ! せ、せ……生徒会長!?」

 

 まさかの人物の登場に驚き、高咲はガタッと椅子から立ち上がる。 

 さっきも見たなこの光景。

 

 それにしても……。

 

 まさか菜々が来るとはな……。

 いや、この場合は優木せつ菜が来たと言った方が正しいのか?

 

 高咲が弾いていた曲に関しては、誰よりも菜々がよく知っているはずだ。

 

 恐らく俺と同様、よく知っているメロディーが聞こえてきたことが原因でここまで足を運んだのだろう。

 

 菜々はスッと目を細め、高咲に向かって歩き出した。

  

「高咲侑さん。音楽室の使用許可は――」

 

 うーむ……これもさっき見た光景だな。

 

 菜々は驚く高咲を見つめた後……。

 

「……え」

 

 その近くで堂々と座る俺を視界に捉えた。

 『なんであなたがここに……』と、その目は物語っている。

 

「よっ、生徒会長」

 

 俺は手を振り上げ、陽気に挨拶をする。

 

 昨日の今日だ。気まずさもあるだろう。

 ここ数日は廊下ですれ違っても視線を外されたり、サラッと挨拶だけしてすぐに立ち去られたりする場合が多いし……。まぁ後者は全然問題ないんだけど。

 

「……」

 

 数秒俺を見つけた菜々は。

 

「……はぁ」

 

 盛大に溜息をついた。

 

 ……。

 

 目を合わせただけで女の子に溜息をつかれる二十五歳独身男性。

 

 うーむ……なるほどなるほど。

 

 ――普通に辛いなおい。

 



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