絶望に至る病 (雪哉)
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序曲

『死に至る病とは絶望である』
 ドイツの哲学者、キルケゴールの言葉です。
 では、人を『絶望』に至らしめるものは何だろうと思い、ロンパシリーズをお借りして一筆取ってみました……。

 訥々とした内容ですが、楽しんで頂ければ何よりです。


『絶望』は見ている。

 

 例えば、親友を守るために自らの手を血で汚した少女の姿を。

 

 

『絶望』は知っている。

 

  例えば、その罪を知り、共に背負う覚悟を決めた少女がいた事を。

 

 

『絶望』は聞いている。

 

  例えば、復讐の炎に燃える少年の叫びと、彼の剣として生きる少女の言葉に出来ない声を。

 

 

 

 

 それは堕ちていくまでの物語。

 

 彼女らが『絶望』に至るまでの物語。

                       

 

 

 

 

                      ◇◆

 

 

 

 今日の部活動が終わった。

 『超高校級の弓道家』、佐藤由美(さとうゆみ)は額に残った汗を拭うと、静かに顔を上げる。

 希望ヶ峰学園本館の三階にある弓道場。佐藤が今まで弓を引いていた場所だ。しかし、佐藤の気分は晴れやかとは程遠いものだった。原因は――

(やっぱり、まだ慣れないわね……)

 先日、旧校舎が突然閉鎖された事により、五階にあった武道場は使用出来なくなってしまった。そのため新しく本館の三階に弓道場が設立されたが、佐藤は前の武道場が気にいっていたので、内心残念に思っていた。

(年中咲いてた人工桜が綺麗だったんだけどなぁ……。色葉さんが「武道場に桜を植えるぞー!」なんて言い出した時はどうなるかと思ったけど……)

『超高校級の植物学者』、色葉田田田は主に武道場向かいの植物庭園で次から次へと訳の分からない研究に勤しんでいた。

最近は『廃棄物を直接取り込む雑食植物』の品種改良に全力を注いでいるらしい。何でも、学園長直々の命だとか。佐藤には、そんな物作ってどうするのかさっぱり分からなかったが、兎にも角にも佐藤は色葉には感謝していた。旧校舎が閉鎖されたのは、そんな矢先の話である。

(まあ、仕方の無い事よね……)

 佐藤は小さく溜息をつくと、結わいていた髪を解き、帰りの準備を始めた。

(急がなきゃ……。『みんな』を待たせているし)

 手際良く弓を仕舞い、そのまま制服に着替える。今年の春は例年よりも暖かいので、上着は必要なかった。半袖のシャツに袖を通しながら、佐藤はふと思い出す。

(そういえば、今日は新入生の入学式だったわね……。どんなのが入ってくるのやら)

 そんな事を考えつつも着替えを終え、佐藤は弓具を武道場に置いて鞄を持つと、その場を後にする。一階のエントランスに向かう途中で、見知った顔ぶれがあるのに気付いた。その二人組も佐藤に気付いたらしく、大きく手を振っている。

「あっ、佐藤先輩だ! お久しぶりでーす!」

 健康的に日焼けした少女が佐藤を呼びながら飛び跳ねている。佐藤は微笑を浮かべると、二人に近づいていった。

「久しぶりね、朝日奈。それに……、大神も」

『超高校級のスイマー』朝日奈葵の隣にいるのは、同じく希望ヶ峰学園七十八期生の大神さくら、『超高校級の格闘家』だ。そして――

「久しいな……、佐藤。最近は以前よりも会う機会が少なくなっていたな」

「そっか! 確かさくらちゃんと佐藤先輩って……」

「そ。同じ不知火高校出身よ」

 不知火高校は国内で唯一無二の『武道』の達人を育成する高等学校だ。当然、生徒も推薦入学の者が多い。そして、更にこの希望ヶ峰学園にスカウトされて引き抜かれていく者も数多く存在する。佐藤や大神、それに……、

「時に、佐藤よ。辺古山は息災なのか? あやつとも最近話す事が少なくてな……」

 そう。『超高校級の剣道家』辺古山ペコも不知火高校の出身だ。希望ヶ峰学園でも佐藤と辺古山は同期の間柄だったが、

「うーん、どうだろ。あの子、昔から気難しいからねー。九頭龍と良く一緒にいるのを見かけるけど、まあ、取り敢えず元気なんじゃない?」

「そうか……。それなら良いのだが……」

 大神は目を閉じて頷いている。その隣で朝日奈が嬉しそうに言った。

「でも、先輩が元気そうでよかった! ほら、だって変な『噂』もあったし……」

「止さぬか、朝日奈。佐藤が目の前にいるのだぞ。こやつにとっても聞いていて楽しい話ではなかろう……」

 大神の制止を受けて、朝日奈はしょぼんと項垂れる。

「そっか……、さくらちゃんの言う通りだね。ごめんなさい、佐藤先輩!」

 そう言って頭を下げる朝日奈に対し、佐藤は軽い調子で片手を振った。

「だーいじょうぶ、大丈夫だから! 私は全然気にしてないし。でも――」

 と、佐藤は二人に視線を送る。

「結構広まってんのね……。その『噂』」

 口にするのが躊躇われたのだろう。どちらも顔を伏せている。それを見た佐藤の顔には苦笑いが浮かんだ。

 話に上がっている『噂』とは、『呪い』のことだ。

 ここ数週間で、希望ヶ峰学園七十七期生の内、三名が原因も分からないまま退学している。『超高校級の生徒会長』村雨早春、『超高校級の神経学者』松田夜助、そして『超高校級の諜報員』神代優兎の三人だ。他にも行方の知れない者がいたらしいが、いきなり三人も欠けた事の方が大きく映ったらしい。少しして、こんな噂が流れた。

『七十七期生は呪われている』

 馬鹿馬鹿しい、と佐藤はその噂を初めて聞いた時に思った。何が『呪い』だ。そんなの偶然が重なっただけに決まっている。『みんな』も気にはしているだろうが、心の底ではそんな噂を鵜呑みにしてはいないだろう。

(……。まあ、若干そうでもないのもいるけど……)

 心の中でそう呟くと、佐藤は少し可笑しくなった。「佐藤さぁん、私呪われちゃったんですかぁ……。そんなの嫌ですぅ」と泣いていた彼女をみんなで慰めたのは、つい一昨日の話だ。

(あの子はいつもあんな感じだしね。いくら言ってもざんばら髪を直してこないし……)

 彼女の顔を思い浮かべている内に、佐藤は『みんな』を待たせていることに気付いた。慌てて二人に別れを告げると、その足で再びエントランスに向かう。『みんな』は待っていてくれているだろうか。佐藤の胸に不安がよぎる。そのせいか自然と足取りは早くなっていった。

 

 

                      ◇◆

 

 

 佐藤がエントランスに着いた時、そこには誰もいなかった。

(やっぱ帰っちゃったか。これからどうしよ……)

 肩を落として振り返ったその瞬間、

「由美ちゃん!」

 と、自分の名前が呼ばれた。驚いて顔を上げると、「パシャリ」というカメラのシャッターを切る音が正面から聞こえた。佐藤はカメラの主を見て一瞬安堵したが、すぐにしかめっ面を作ると不機嫌そうな声を上げる。

「へーえ、隠れてたってわけね……。随分意地悪になったじゃん……、真昼」

「ごめんごめん。日寄子ちゃんが、由美ちゃんの驚いた顔を撮りたいって言って聞かなくて……」

 そう言って笑っているのは『超高校級の写真家』小泉真昼。佐藤と小泉は、この希望ヶ峰学園に入学して以来の大親友だった。続いて三人の女子生徒が後ろから現れる。

「小泉おねぇ! どう、佐藤おねぇの写真上手く撮れた?」

「ヤッホーウ、ドッキリ大成功っす! 唯吹、ずっと静かにしてるのキツかったけど頑張ったっす!」

「ごごご、ごめんなさい、佐藤さん……。悪気があったんじゃなくて、その……、えーと……、ごめんなさぁい!」

「……なんでドッキリを仕掛けた方が泣いてんのよ……」

 佐藤は呆れていたが、どこかほっとしているのが自分でも分かった。いつもの風景。見慣れた日常。騒がしくも、楽しい毎日。佐藤が希望ヶ峰学園で得た大切な宝物だ。

「ほら、もう分かったから。泣くんじゃないわよ、蜜柑」

 うゆぅ……、と目を擦っているのは『超高校級の保健委員』罪木蜜柑。髪がざんばらになっており、良く包帯を巻いている。今は巻いていないが、その内どこかで転んで傷をこさえてくるだろう。入学してからしばらく経つが、この気弱な性格と天性のドジが直る気配は一向に無かった。すると、

「おねぇの言う通りだよ! いつまで泣いてんのさ、このゲロブタ!」

 打って変わって毒舌なこの少女は『超高校級の日本舞踊家』西園寺日寄子。日本舞踊界の期待の若手で、国内海外を問わず活躍している。とても高校生とは思えないほど幼い容姿だが、それに似合わない苛烈な性格と物言いが特徴だ。最後に、

「まあまあ、日寄子ちゃん。ここはこの唯吹の顔に免じて許してあげるっす! たっは―! 『顔に免じて』とか、唯吹、そんなに偉くなかったっすねー!」

 飛び抜けてハイテンションな彼女は『超高校級の軽音楽部』こと澪田唯吹だ。超人気ガールズバンドのギター担当だったが、脱退してソロで活動していた最中、希望ヶ峰学園からのスカウトが来たらしい。脱退の理由は音楽性の違いらしかったが、彼女の目指す音楽がどんな類の物だったのかは、数年の付き合いの中で嫌というほど身に染みて理解させられた。

 そんなこんなで全員が集まったわけだが、

「ほら、由美ちゃんも来たし、そろそろ寮に帰ろうよ。下校時間も迫ってるし」

 小泉がそう言って全員を見ると、

「えーっ、つまんないっすよー。このままみんなでお手て繋いでカラオケ行くっす! 唯吹の新曲がこないだ入ったんすよ!」

 澪田がマイクを持つ真似をすると、佐藤・小泉・罪木の三人がギョッとしたように一歩引いた。すぐに佐藤が、

「い、唯吹……、それは……」

 と、言いかけたが、西園寺の歓声に掻き消されてしまう。

「やったー! わたし澪田おねぇの曲大好き! 早く行こうよ!」

「おやおや、唯吹の曲が聞きたいとは、日寄子ちゃん分かってるっすねー! そうと決まれば、全速前進! 門限の彼方までアクセル全開っす!」

 止める間もなく、二人は走って先に行ってしまった。その後ろ姿に向けて佐藤が叫ぶ。

「さらっとヤバいこと言うんじゃないわよ! 唯吹、あんた『次に門限破ったら寮から追い出す』って寮長が怒ってたの忘れた!?」

 その言葉は届かずにエントランスに虚しく響いた。佐藤は大きな溜息をつく。すると、小泉と罪木が後ろから声を掛けてきた。

「まあ、大丈夫でしょ。いざとなったらアタシも口添えするし、とにかく二人を追いかけようよ」

「わ、私も頑張りますぅ! 前は澪田さんの歌を聞いてたら気を失っちゃいましたけど……。今日は何とかなる気がするような、しないような……。はわわっ、何だか自信か無くなってきました!」

 一人で勝手にパニック状態に陥っている罪木を宥めながら、佐藤と小泉は顔を見合わせて笑った。

「……そうだね! じゃ、行こっか!」

 未だに両手で頭を抱えている罪木を間に挟んで、三人がエントランスから出ようとした、まさにその時だった。

 

「ねえ、ちょっと待ってくれない?」

 

 突然の声に佐藤たちは驚いて振り返る。

 そこには一人の少女の姿があった。

 金髪の髪。

 勝ち気そうな瞳。

 両手を腰に当てて、ふんぞり返るその人物を見た瞬間、小泉が驚いたように目を見開いて声を漏らした。

「! あんた……」

 その反応に満足したのか、その少女はニヤリと笑う。

「お初にお目にかかる人もいるので、自己紹介させて貰います!」

 そう言って自分の胸に手をかざすと、彼女は見栄を切る。

 

「希望ヶ峰学園七十九期生、九頭龍小春(くずりゅうこはる)。『超高校級の妹』って触れ込みで今日からお世話になります。またよろしくお願いしますね――

 

 ――こ・い・ず・み・先・輩」

 

 

 

 それは、再会にして最悪の災厄だった。

 

 

 

 正常に動いていた歯車は、この時を持って静かに狂い始める。

 




プロローグは以上です。ご一読ありがとうございましたm(_ _)m
「そっちかよ!」と驚いて貰えていたら嬉しいです……()

意図的に、あらすじでは「あの人」を思い起こさせるようにしていましたが、途中でさくらちゃん達を登場させたので、そこで察した方もいらっしゃるかと思います。

更新は頑張って行っていきます……




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第一段階  『否認』

 

 七十七期生・小泉真昼

 七十九期生・九頭龍小春

 

 

 その再開と時を同じくして、とあるミステリ研の地下では二つの影が揺らめいていた。薄暗い部屋の中には静寂が漂っている。やがて、一つの影がもう一つの影へと近づいていき、声を掛けた。

「……ねえ、盾子ちゃん。今日は七十九期生の入学式だったらしいよ……。……えっと、聞いてる……?」

「…………」

 もう一つの影からの反応はない。若干の間をおいて再び、

「……ねえ。……じゅん……」

 と、言いかけたその時だった。

「ああーっ!! もう、うっさい、うっさい! 聞こえてるっつの! 何べんも話しかけてくんじゃないわよ、この残ねぇ!」

 足置きにしていた机を蹴り上げて、影が立ち上がる。天井に吊り下げられた電灯がその顔を照らし出した。

 派手なメイクの女子高生だった。金髪の髪を、白と黒のクマの髪留めでツインテールにまとめている。大胆にはだけた胸元といい、パッチリとした目といい、『ギャル』特有の妖艶な雰囲気と愛くるしさを見事に兼ね備えていた。

『盾子ちゃん』と呼ばれたその少女は、声を掛けてきた影を一瞥すると、

「……あのねお姉ちゃん、残念なお姉ちゃん。そんなことあんたに言われるまでもなく、とっくの昔に知ってるんだけど? せっかく面白そうな『絶望』の匂いに浸ってたのに、よくも抜けぬけと邪魔してくれたわね!」

「ご、ごめんなさい……、盾子ちゃん。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――」

 真っ青になって延々と謝罪を続ける片割れを見て、『超高校級のギャル』にして『超高校級の絶望』である江ノ島盾子は小さく舌打ちをする。

(全く、こいつは相変わらずね……。これがアタシの「双子の姉」だなんて、ほんっと『絶望』だわー)

 妹に叱咤され、俯いてしまった黒髪おかっぱ少女の名前は戦場むくろ。傭兵部隊「フェンリル」上がりの『超高校級の軍人』である――のだが、

「はぁー……、戦闘しか能が無いってどうなの? 役立たずにも程があるでしょ。それでもマジでアタシの姉のつもりなの?」

 江ノ島の言葉攻めはヒートアップしていく。それに応じて、そばかすの浮いた戦場の顔は青色を通り越し、白へと変わってゆく。あわや失神するかというところで、

「飽きた」

 江ノ島は唐突にそう言うと、先程蹴り飛ばした机の上に座って腕を組んだ。そのまま何かを考え込むように頭を振っていたが、ピタリと動きを止めると、首だけを戦場の方に向けて問い掛ける。

「ねえ、お姉ちゃん。そういえば今日入ってくる七十九期生の中に『九頭龍』っていたわよね?」

 突然の質問にしどろもどろになりながらも、戦場は小声で答えた。

「……えっと。うん、盾子ちゃんの言う通りだよ。九頭龍小春さん、七十七期生の九頭龍冬彦くんの妹だったと……思う……けど……」

 自信が無かったのか、最後の方は尻すぼみだったが、江ノ島は満足そうに頷いていた。

「やっぱりね! 『絶望』の匂いの大元は『その辺』かもしれないわ。うぷぷぷぷぷ! そろそろ動き始めてもいいかもね……!」

 江ノ島はゆっくりと立ち上がると、地下室の扉へと歩いてゆく。戦場はその背中をぼんやりと眺めていたが、はっと我に返ったように、

「じゅ、盾子ちゃん? どこ行くの?」

 と、叫んだ。江ノ島は振り返ることなく片手を挙げると、

「さ・ん・ぽ」

 それだけ言い残して彼女の姿は闇の中に消えていく。

残された戦場は、妹を追いかける事も出来ず、ただ一人部屋の中で立ち尽くしていた。

 

 

 

                     ◇◆

 

 

 

 昼休み。

 希望ヶ峰学園の食堂は、毎日のように人で溢れ返っている。

 生徒がその大半を占めていることは間違いないが、教職員の姿もちらほらと見受けられた。

『超高校級の料理人』の指揮の下で振る舞われる学食は、一種の麻薬のような中毒性を有しているとまで言われ、多くの人の心をつかんで離さない。

 長蛇の列からようやく解放された佐藤は、食事の乗ったトレイを持ちながら、きょろきょろと周りを見渡していた。すると、

「由美ちゃーん! こっちすよ!」

 声のした方を見ると、澪田・小泉・西園寺・罪木の四人が固まって席を取っていた。澪田が大きく手を振っている。佐藤は急ぎ足で一同の所まで歩いていくと、トレイを机の上に置いて椅子に腰かけた。既に学食の半分を平らげていた澪田が、怠そうに背もたれに寄りかかった佐藤を見て言う。

「ホントこの食堂の込みようはスゴイッすねー! 唯吹のライブ並みに人が群がってるっす」

「そういえば、唯吹のライブって何だかんだ言ってすぐ完売するもんね……。かなりマニアックな層に受けてるんだっけ?」

「ガビーン! 『何だかんだ』って酷くないっすか、由美ちゃん! 時代が唯吹のイカした音楽に追いついてきた証拠っすよ!」

 人差し指を突き立てて叫ぶ彼女に、「はいはい」と適当に相槌を打った佐藤は食事に箸を伸ばしながら、全員に問いかけた。

「そういえばさ、みんなって夏休み何か予定あんの?」

「夏休み……ですか? 結構先の話ですね……。私は今のところは何の予定もないですぅ……」

 罪木が答えると、その言葉に反応した西園寺がニヤリと笑った。

「どーせ、罪木はそうだろうと思ったよ! 遊びに誘ってくれる友達もいないだろうしー」 

「え、ふええっ? わ、私たちお友達じゃなかったんですかぁ……?」

「えーっ? そうだったっけー? 覚えてなーい」

「はいはい、その辺にしときなさい、日寄子。蜜柑も真に受けてんじゃないわよ、しっかりしなさい」

「でもでも、由美ちゃん。何でいきなりそんなこと聞いたんすか?」

 実はね……、と佐藤は一枚のポスターを取り出すと、机の上に置いた。

「これ、どこか分かる?」

 全員が首を振る。佐藤は満足そうに頷くと、

「最近完成したらしいんだけどね……、『ジャバウォック島』っていうリゾート地なんだって。せっかくだし、今年の夏休みにみんなで行くのもありかなーって……。どう?」

「リゾートかー。ま、いいんじゃない。わたしは、ちょうど海外公演も控えてるし現地で落ち合えるかもね」

「へー、日寄子ちゃんは、夏休みに海外公演やるんすか?」

「そうなんだよねー。それに、ここだけの話なんだけどさ――」

 西園寺が声を潜める。

「――実は今回の公演、お父さんが見に来てくれることになってるんだ。色々と拗れるから公にはなってないけどね……」

「そ、そうなんですか、西園寺さん。良かったですね……、本当に良かったですぅ……」

 嬉しそうに手を組んでいる罪木を見て、西園寺が照れたようにそっぽを向いた。

「べ、別に、そんな大したことじゃないし……」

 その様子をニヤニヤと見ていた佐藤だったが、先程から小泉が一言も喋っていないことに気付いた。

「どうしたの、真昼? さっきからずっと黙り込んで……」

 その言葉ではっと我に返ったように小泉は佐藤を見た。そのまま慌てたように目を逸らすと、

「ご、ごめん。ぼーっとしてた……。で、何の話だったっけ?」

「いや、夏休みにどこか行くかって話だったけど……、あんた、本当に大丈夫? どっか具合でも悪いんじゃない?」

 佐藤は心配そうに小泉の顔を覗き込んだが、

「何でもないよ、大丈夫だから」

 そう言って彼女は立ち上がった。

「ごめん、みんな。今から部室に行かなきゃいけないんだ。また、放課後にエントランスでね!」

 小泉はそそくさとその場を去って行った。佐藤たち四人は揃って顔を見合わせる。

「なんか真昼ちゃん、変じゃなかったっすか?」

「私もそう思いますぅ……。食事中ずっと下を向いてましたし……」

「小泉おねぇ……。何かわたしたちに隠してるのかな……?」

 不安げな声を漏らす西園寺を励ますように、佐藤は言った。

「心配しなくても大丈夫よ。私が聞き出しとくから」

 佐藤はそう言って自分の胸を叩く。だが、何か得体の知れない不安、悪い予感のようなものを感じる。佐藤は心の中で小泉の名を呼んだ。

(真昼……、あんた、ほんとは何があったの……?)

 

 

 

                      ◇◆

 

 

 

 希望ヶ峰学園の写真部室は本館の四階にある。

 階段を登る小泉の足取りは重い。

(……はあ。つい飛び出してきちゃったけど、このままじゃ駄目だよね……。みんなに心配かけてるし……)

 小泉自身も、『問題』を先送りにしたくない、というのが本音だった。

(やっぱり、ちゃんと「あの子」と話をしよう! 今ならきっと仲良くできるはず……!)

 そう心に決めた小泉は、他に行く当てもなかったのでそのまま部室へと向かうことにした。

 部室前に着き、ドアノブを捻って中に入る。と、その瞬間誰かが部室の中に立っているのが視界に入った。

 扉に背を向けていたその人物は、小泉の方を振り返る。

「あら。奇遇ですね、先輩」

「小春……ちゃん……」

 小春は「ふん」と鼻を鳴らすと、

「『小春ちゃん』なんて馴れ馴れしい呼び方やめて下さいよ。不愉快ですから」

「はは、そっか……。えーっと、ごめんね……」

 小泉は困ったように笑顔を浮かべたが、小春は仏頂面のままだった。そのまま、

「でも、懐かしいですよねー。こうして先輩と写真部室で顔合わせてるってのも」

 と、全く懐かしんでなどいない様子で部室を見回している。小泉はその様子を見て、中学時代を思い出していた。

 小泉真昼と九頭龍小春は、二人とも灯林学院中学の写真部だった。その頃から小春は何かと小泉に突っかかってきていた。小泉の写真家としての才能は既に開花しており、彼女の友人たちは、小春が嫌がらせをしてくる理由は、小春が小泉の才能に嫉妬しているからだと話していた。

 ただし、実際に表立って小泉を庇う人間はいなかった。なぜなら、小春の実家は国内最大の指定暴力団、「九頭龍組」であったからだ。小春自身もその後ろ盾をいいことに、かなり好き放題やっており、その上彼女が写真好きであったことが小泉にとっては不運となった。

 小泉には何の責任もなかったが、小春のプライドは小泉の知らないところで傷つけられていたらしく、数々の嫌がらせが行われた。

 小泉は最後まで小春と和解する道を模索していたが、高校に進学するのと同時に希望ヶ峰学園からのスカウトが来たため、結局有耶無耶になったまま二人は別れる事となった。

そして数年の時を経て、二人は向かい合っている。

「昨日は先輩のお友達もいたようだったから、ちゃんと話せませんでしたけど、改めて宜しくお願いしますね、小泉先輩」

 小春は睨み付けるような視線を小泉に送っている。それを受けた小泉は、先程心に決めたことが揺らぐのを感じていた。

(……わだかまりはまだ残ってるのね……。いや、それでもアタシは……!)

 小泉は小春に近づき、

「こは……、いえ、九頭龍さん。あなたはアタシが嫌いかもしれないけど、アタシはあなたと仲良くしたいと思ってるの。すぐにとは言わないから、少しずつ歩み寄っていこうよ、ね?」

 そう言って小泉は右手を差し出した。小春は黙って差し出された手を見ていたが、それを無視して部室から出ていこうとした。小泉は慌てて、

「く、九頭龍さん! 待って……!」

 と、その後を追おうとしたが、小春が片手でそれを制した。

「先輩は何か勘違いしてますね」

「……勘違い?」

「ウチが先輩に会いに来たのは、仲良くお話するためじゃありません」

 小春はそのまま部室の外に出ると、一言だけ残して去っていく。

「『宣戦布告』、のためです」

 ドアが「バタン」と大きな音を立てて閉じる。

 

 それは、小泉の願いが決定的に踏みにじられた音でもあった。

 

 

 

                    ◇◆

 

 

 

 

「……やあああっ! メーン! 小手ェッ!……」

 剣道場は竹刀をぶつけ合う音と、気合の籠った叫びで熱気を帯びている。中央では紅白戦が行われており、最後の大将戦が始まった直後だった――のだが……、

「……面!」

 一瞬で一本が決まる。続く二本目も、

「…………胴!」

『勝負あり! 白、辺古山ペコ!』

 あっさりと二本を先取したのは『超高校級の剣道家』辺古山ペコだ。紅白戦が終わると、対戦相手は苦笑いしながら面を外した。

「……噂には聞いていましたが、これ程とは……。参りました。完敗ですよ……」

「とんでもありません。まだまだ修行中の身です。お手合わせありがとうございました」

 全日本選手権の優勝者を、赤子の首を捻るように倒した辺古山は顔色一つ変えることなくそう言うと、深々と礼をする。貫録も、もはや達人の域に入っていた。

 身支度を整えると、彼女は身を翻して脇目も見ずに剣道場から出ていく。向かう先は、

(……今は昼休みか。となると――)

 眼鏡の奥の赤い瞳が鋭く光る。辺古山は本館の屋上へと上がった。扉を開けて、屋外に出ると、

「……冬彦坊ちゃん。やはりこちらにいらっしゃいましたか」

「その声……! ペコか……!」

 手すりにもたれ、ぼんやりと校庭を眺めていた九頭龍冬彦は、驚いた様に振り返った。童顔の小柄な少年だったが、『超高校級の極道』という物々しい肩書きを持っている。

 一匹狼の九頭龍は、他人と一緒にいることがほとんどなかった。昼休みも、いつも屋上で一人でいる事が多い。それを見越した辺古山の読みは当たっていた訳だが……。

「なあ、ペコ。いつも言ってんだろ、『この学園では俺たちの関係はチャラだ』ってよ。何回言わせりゃ気が済むんだ?」

「……恐れながら、坊ちゃん。他の生徒の前ではしっかりとそのように振る舞っております。間違いなく気付かれてはいないはずです」

「それは……、そうだがよぉ。だから、俺が言いたいのはそういうことじゃ……なくてだな……」

 言葉を濁した九頭龍は、苛立ったように頭を掻いた。

(ペコの野郎、まだ自分の事を『道具』だと思ってやがる……。そうじゃねえ。そうじゃねえだろうがっ……!)

 その辺古山は静かに立ったまま、微動だにしない。九頭竜は溜息をつくと、

「もうすぐ昼休が終わる。教室に戻ろうぜ」

「はい」

 二人は屋上を後にして、教室へと向かう。その途中で、一人の少女がドアを開けて目の前に飛び出してきた。

「……! 小春!?」

「えっ? あ、兄貴!? ペコちゃんも!」

 九頭龍と小春は互いに目を丸くしている。

「小春、おめえ……。希望ヶ峰学園に入学するって話は聞いてたけどよぉ……。何でツラを見せに来なかったんだよ」

 機嫌悪そうに目を逸らしている兄に対し、小春は笑いながら片手で後ろ頭をさする。

「あはは……。これから会いに行くつもりだったんだけどね。ちょっと先に挨拶しておきたい人がいてさ……」

「挨拶? 誰にだ?」

 九頭龍が怪訝な顔で小春に問いかけると、小春は黙って親指で後ろを指し示した。その先には――

「……写真部室……。もしかして小泉か?」

「そ。中学からの知り合いだし」

「ふん、なるほどな……」

 九頭龍が腕を組んで納得したように頷いたその瞬間、昼休みの終わりを告げる鐘の音が校内に響いた。

「やっば! 次の授業に遅れちゃう! じゃあまたね、兄貴! ペコちゃんもバイバイ!」

 小春は二人に手を振りながら走り去っていく。その後ろ姿を目で追いながら、九頭龍の顔はどことなく綻んでいた。

「……ったくよぉ。あいつは昔から変わんねえな。なあ、ペコ」

「ええ、そうですね……」

 辺古山はそう頷きながら、九頭龍の横顔をそっと覗き見る。

(きっと冬彦坊ちゃんは妹君が希望ヶ峰学園に入学されたことが嬉しいのだろうな……)

『超高校級の極道』として入学した九頭龍だったが、その本人は『極道として相応しいのは妹の方だ』と常日頃から考えていた。そのため、『超高校級の極道』として希望ヶ峰学園に入学する機会を妹から奪ってしまったことは、九頭龍の心に重くのしかかっていたはずだ。

(妹君が希望ヶ峰学園に入学できたことは、幾らかの救いになったのだろう……)

 辺古山は小さく笑うと、

「さあ、坊ちゃん。私たちも参りましょう。授業が始まります」

「……だから、『坊ちゃん』はやめろって……」

 

 

 

 

                   ◇◆

 

 

 

 

――九頭龍と辺古山が立ち去ったその場には、いつのまにか『誰か』が立っていた。

「ふーん。そういうことね……。うぷぷぷ、面白いじゃん!」

 

 小泉真昼

 九頭龍小春

 九頭龍冬彦

 辺古山ペコ

 

 陰に潜みながら、全てを見聞きしていた『江ノ島盾子』は声を上げて笑う。

「いいわ! いいわ! 『絶望』の予感だわ!」

 そうと決まれば行動は早い方がいいだろう。まずは――

「……取り敢えず小泉の周りから揺さぶってみますか!」

 

 

 

 『超高校級の絶望』江ノ島盾子は動き出す。

 全てが絶望に終わる、そんなバッドエンドに胸を躍らせながら――

 

 




ご一読ありがとうございました。
更新が遅くなり申し訳ないです……。
それでは次回、 第2段階 『怒り』 まで今しばらくお待ち下さいm(_ _)m


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