炭になれなかった灰 (ハルホープ)
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始まり

何番煎じのオリ竈門家の中で何とかオリジナリティを出そうとした結果
ネタ被りあったらごめんなさい


 僕は運命とか宿命とか受け継がれる意志とか、そういう言葉が嫌いだ。

 自分のやりたいことは自分で決める。神様が決めた運命も先祖が定めた宿命も故人から託された意志も関係なく生きていきたい。

 

 でもそう思うのは、自分がそういうものに囚われているってことを、僕自身が一番分かっているからだ。

 

 きっと僕は、生まれた時から……長男ではなく次男として生まれたその日から、運命が決まっていたのかもしれない。

 

 

 あの日僕は、壊れかけの窓の修理作業に没頭するふりをして、炭を売りに行く兄を見送りに行かなかった。

 別に兄が嫌いなわけじゃない。けれど、貧しい中でも底抜けに明るい家族、特に2つしか違わないのに皆を引っ張る兄と一緒にいると、なぜだかたまに、すごく疲れることがあって……少し距離を置きたくなった。

 

 そんな、雪の降る日のことだった。大家族に1人くらいはいるような陰気な次男でしかなかった僕にとっての、転機が訪れた……いや、押し入ってきたのは。

 

 

 


 

 

 

「ハッ、ハッ……! かひゅ……」

 

 傷だらけの体で必死に息を吸う。何が起こったのか分からない。

 ほんの少し前まで、いつも通りの生活だった。

 

 山奥の炭焼きとしての生活。

 母は家事をして、兄は炭を売りに街へ。姉は小さな弟妹の面倒を見て、僕は家で使う小物を繕う。

 

 きっとそれは、かけがえのないもの。貧しくも死ぬほどではない。質素でも惨めなほどではない。そんな普通の暮らし。

 父は病死したが、それでもみんなで支え合った、暖かい家族。

 

 そんな日々が今、目の前で奪われている。

 

 母の腹部は切り裂かれ、妹の首は抉られた。弟を逃がそうとした姉も、2人纏めて串刺しにされた。

 

 僕自身も肩から横腹にかけて深い傷を負っている。多分もう長くはないと、どこか他人事のように思う。

 

 それをもたらしたのは賊や熊ではない。もっと残虐で、もっと理不尽な『何か』だ。

 

 

「この程度の血に耐えられんとは……む、まだ血を与えていない者がいたか」

 

 その『何か』は意味の分からないことを言うと、僕に歩み寄って来る。

 

 

 迫りくる死を前に、走馬灯のように今までの人生が去来する。父が死んだ日のこと、忙しそうに家事をする母のこと、いつも同じ着物を繕っている姉の後ろ姿、無邪気に走り回る幼い弟妹たちの元気な姿。

 それらが浮かんでは消え、浮かんでは消え……最後に唯一この場にいない兄、炭治郎のことを考えた。

 

 

 兄は心の綺麗な人だった。鼻が利いて、町の人達にも頼りにされていた。けれど兄はいつも我慢していた。いつも譲っていた。分け与えていた。それでいて下の弟妹にはいつも我慢を強いていると思い込んでいた。

 

 

 僕はそんな兄さんの力になりたいとずっと思っていた。あの人は僕の理想そのものだった。

 

 家族が皆殺しになったと知ったら、きっとあの人は苦しむ。まだ10代前半だというのに家族を守るのが生きがいと思っている兄は、一人だけ生き残ったらどんな顔をするのだろうか。

 

 

「君は……」

 

 家族に惨劇をもたらした男は、興味なさげに周囲を見回していたが……僕が目に入ると少し驚いたような、意外そうな顔をした。

 

 

「なぜ、笑っているのだ? 自分が殺される事の何がおかしい?」

 

 

 ────笑っている? 僕が? 

 

 血に濡れた手で頬を触る。顔にべったりと血がつくことも厭わずに。

 ああ、これはもうまずい。改めて自分の出血量を認識したら、急に意識が遠くなり、頭がボーっとしてきた。

 

 けど、そんな状態でも分かるくらいに……僕の口元は吊り上がっていた。

 それを意識した瞬間……心の『枷』が外れた気がした。

 

 

「おかしいんじゃない、嬉しいんだ……」

 

 朦朧とした意識のせいか、無意識に自然と言葉が口をつく。

 自然と……ずっと心の中に隠していた本心がさらけ出される。

 

「自分が死ぬことか? それとも……」

 

 

 家族が死ぬことか? 

 そう続けた男の言葉に、僕は笑みを強くする事で、後者だと返す。

 

 

「家族が、いなければ……自由になれると、思ってた」

 

 家族というのは呪いと同じだ。生まれたその時からずっと縛り付けられ、天涯孤独にならない限り生涯付き纏う。人によってはその呪いが心地いい者もいる。兄さんがそうだ。

 でも僕は家を出たかった。炭売りの一家として一生を終えることに、どこか不満があった。こんな所で何者にもなれないで終わる人生なんて嫌だった。

 

 

 

 だけど兄が自分を犠牲にして家族に尽くしているのを見ると、家を出たいなんて言えなかった。もちろん『いつか』は僕も家を出たはずだ。姉さんや妹はいつか嫁に出るだろう。兄がいつか子供を作って実家が安定すれば、僕や弟も独り立ちしただろう。

 

 

 だけど、そんな遠い『いつか』じゃ嫌で、それじゃあ結局大人になるまで敷かれた道の上を歩いてるだけで、自分の望んだものじゃなくて。

 

 ただただ待っているだけじゃ、自分が本当に望んでいたものを忘れてしまいそうだった。

 つまらない大人になってしまいそうで、けれどもどうしようもなくて、漠然とした不安だけが日に日に大きくなっていった。

 

 

「兄さえいなければ、自分らしく、生きられると思った」

 

 

 兄が不自由であればあるほど、家族に尽くせば尽くすほど、自由を求める自分に負い目を感じていた。

 兄は別に弟が何を望もうと笑って許し、応援してくれるだろう。そしてまた自分を犠牲にして弟の分も働くだろう。それが分かっているからこそ、何も言えなかった。

 

 もしも家族や兄さえいなければ、こんな山奥の閉じた生活なんて何の未練もなく捨てられた。

 そんな歪んだ想いを、自分でも気づかない内に胸に抱いていた。

 

 

 ずっと隠していた。自分の心すら偽っていた。でも僕は間違いなく……兄以外の家族が皆殺しにされた事で、爽やかな解放感を得ていた。

 たとえその死者の中に、自分も含まれていたとしても。

 

 今この瞬間、死ぬまでの僅かな今際の際だけは、僕は自由だ。

 

 

 

「……気に入った」

 

 

 ポツリと、家族を殺した男が漏らす。その顔には、惨劇の返り血に似合わぬ明るい笑みが浮かんでいた。

 

 

「その通りだ。君は無為に生きて死ぬような人間ではない」

 

 

 そのままゆっくりと、僕の近くに座り込む。

 

 

「私が救ってあげよう。その死にかけの傷からも、くだらない家族ごっことも」

 

 君だけは確実に耐えられる程度の量にしておこう、と続けた男の言葉の意味は分からない。

 ただ一つ分かるのは……どうやら僕の自由は、今しばらく続くようだということ。

 

 

 

「君は今日から鬼だ。名前は、そうだな……」

 

 男は僕の傷口に手を添えつつ、周囲を見回す。

 炭を焼いている炉に目を留めたようだ。

 

廃灰(はいかい)。廃れた灰、とでも名付けておこう」

 

「うぐっ!」

 

 満足気にうなづきながら、男は僕の傷口に乱暴に指を入れる。

 その直後、凄まじい痛みに襲われた。まるで体を内側から作り変えられていくような感覚に、ゾクゾクとした怖気と……僅かな高揚を感じる。

 

「す、廃れた灰、か……僕には、相応しい。字も、元のと似てるし」

 

 長男になれなかった次男。たとえ何事もなく生きていても、多分僕は炭焼きにはなれなかった。

 

 いや、炭焼きに限ったことじゃない。僕はきっと生まれた時から、何者にもなれないという運命だったのだ。

 炭になれなかった灰は、ただ無為に朽ちていくだけだ。

 

 

 きっと父さんも母さんもそんなことを思って名前の文字に灰を入れたわけではない。けれどいつからか僕は、自分の名前が嫌いになった。余りに、僕に似合いすぎていたから。

 

 僕だけが家族に歪んだ八つ当たりめいた感情を持っていた。僕だけが他のみんなと違った。僕だけが家族の普通と乖離していた。そんな僕の……

 

 

 

「僕の、本当の名前は……」

 

 

 

 

 これは、太陽(長男)に焦がれ、憧れた……灰の鬼(次男)の物語。

 

 

 



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人喰い

「君にもそろそろ働いてもらおう」

 

 廃灰(はいかい)が鬼になって2年以上が経過したある日。突然彼の前に現れた無惨は、前置きなど時間の無駄と言わんばかりに言い放つ。

 

「先日、ある一画を任せていた鬼が死んだ。君はその周辺に赴き、青い彼岸花及び鬼狩りの本拠を探れ」

 

 返事も待たずに言い切る無惨。廃灰が平伏する一瞬の間に要件をほとんど言い終えてしまった。

 

「とはいえ、しばらくは噂集めでもしつつ人を食って力を付けていればいい」

 

「分かりました、無惨様」

 

「それともう一つ。私の名について、これまで以上に気を付けるように。もし私を前にした時以外に名を呼んだら、君とて容赦はしない」

 

「……呪いの件は重々、承知しています」

 

「そうか、ならばいい。では最低限の身支度だけして、この地図に記された一帯に向かえ。根城は好きにしていいが、前任の鬼と同じ村は避けた方が無難だろうな」

 

 そう言い残した無惨は地図だけを置いて、現れた時と同じように気配も残さずにあっという間に去っていった。廃灰はお気に入りということもあり、彼にしては懇切丁寧に説明した方である。

 

 

「……行くしかない、か」

 

 廃灰にとっては気がすすまないが、命令に逆らうという選択肢はない。彼にとって無惨は恩人であり、何より生殺与奪の権を一方的に握られている相手なのだから。

 

 


 

 

 鬼である以上、人を食べなければ生きていけない。当然それは廃灰も例外ではない。

 しかし、まだ人間の頃の感情が色濃く残っている彼は、浮浪者の吹き溜まりにいる死にかけの人間や、自殺の名所にいる現世に絶望した人間などしか食えていない。

 そんな有り様で血鬼術が発現するはずもなく、廃灰は無惨のお気に入りでありながらも未だ下級の鬼であった。

 

 

 そしてそれは仕事を任されてからも変わらない。あれから無惨の命令通り北西の地域に住処を移した。しかし、主な餌場が有名な自殺名所の崖になった以外特に変わったことはない。一応青い彼岸花や鬼狩りの噂話を集めてはいるが、どれもこれも噂の域を出ない不確定な情報ばかりだ。

 

 結局、鬼になったからと言って、廃灰にとって何かが劇的に変わったわけではない。名前や生態などという細かいことは多く変わっても、胸を締める言いようのない閉塞感はまだ残っている。

 

 あの日死にかけた時には確かにあった解放感は、未だ脳裏を過る兄のせいで徐々になくなっていた。今も兄はこの世界のどこかで生きている。そう思うと罪悪感や劣等感、様々な感情が去来する。

 

「こんな所を根城にしてるから、辛気臭い考えが抜けないのかな」

 

 廃灰は上述の通り自殺の名所である崖際付近を根城としている。フラフラと死にたがった人間がたまに現れるので、食事に困らないという理由だ。

 しかしさすがは自殺の名所というべきか、なんだが近くにいるだけで気が滅入ってくるような場所だった。

 

「……ん?」

 

 そろそろ拠点を変えようかと思っていた所に、若い男の気配を察知した廃灰。だがその男性はこんな所に来た割にしっかりとした足取りだったので、ただの観光客かもしれないと警戒する。無抵抗以外の人間を食うのは気がひけた。

 

 廃灰が自分の家で鬼化した時は、周りにほぼ死体しかなかったのと、無惨によって連れ出されたのもあって飢餓状態のまま誰かを食うことはなかった。

 

 或いはそのせいで、いまだに人を食う事に抵抗感が残っているのかもしれない。

 そう思いながらも、ここ最近人間を食えていない廃灰は、隠れて男の様子を伺うことにした。

 

 


 

 

 

「……こんな所に来て、どうするつもりだったんだろう」

 

 和巳……少し前に人喰い鬼に婚約者を殺された青年は、一人崖際で佇んでいた。

 彼は婚約者の仇を取ってくれた鬼狩りの少年……竈門炭治郎の別れ際の言葉を思い出す。

 

『失っても失っても、生きていくしかないです。どんなに打ちのめされても』

 

「あの子は、ああ言ったけど……俺には無理だよ。君みたいに、強く生きられないよ」

 

 失ったものを忘れることも、受け入れることもできない。仇を取った事すら、彼女の両親に伝えられない。人喰い鬼など、実際に目にしなければ信じてもらえない。

 自分の娘が最後の犠牲者になった事で、彼女の父親は一層和巳を憎むようになった。

 なぜよりによってあの日、もうすぐ事件が沈静化するという時に限って、娘を外に連れ出したのだと……

 

「里子さん……僕は……僕は……!」

 

 

 俯き、言葉にならない思いを、失った婚約者の名前と一緒に吐露する和巳。そんな彼に近づく黒い影があった。

 

「……トキエさん?」

 

「すいません、後をつけるような真似をして」

 

 トキエ……人喰い鬼に攫われたが、鬼狩りの少年に助けられた少女である。

 あの事件以降、2人は時たま近況報告を兼ねて顔を合わせるようになっていた。

 表向きは事件の衝撃を忘れられないトキエを和巳が気遣っていることになっているが……その実、反対だ。

 婚約者を失った喪失感に蝕まれ続ける和巳を、トキエが心配して見てくれていると言った方が正しい。

 

「こちらこそ心配をかけてすいません。その、滅多な事を考えているわけではないんです。ただ……」

 

「簡単には割り切れませんよね」

 

 沈痛な顔で曖昧に肯定するトキエ。彼女には和巳の気持ちが痛いほど分かる。

 

「私が生きているのは、犠牲になった女の子たちのおかげ……」

 

 人のできた娘であるトキエは、会ったこともない犠牲者たちを悼み、感謝していた。自分が助けてもらえたのは、自分の前に犠牲になった少女たちのおかげだと。

 故に、命の恩人の忘れ形見とも言える和己には、何とか立ち直って幸せになって欲しいと願うのだ。

 

 

 

「男女で心中でもするんですか? 明治の文芸みたいでお熱いですね」

 

 その時、2人の重い空気を壊すかのように、第三者の声が突然響く。トキエが現れた時は和巳も声をかけられる前に人の気配で何となく気づいてから対応した。だが、今回は声をかけられる今の今まで全くその存在に気づけなった。

 

「……失敬、どうやら恋仲というわけではなさそうですね」

 

 驚いて振り向いた2人の先にいたのは、奇妙な出で立ちの少年だった。

 

 彼の身につけている黒い着物自体はどこにでも売っているものに見える。少し着崩しているが、だらしないというよりはお洒落と利便性重視といった感じでおかしな所はない。

 

 ではどこが奇妙かというと……少年は、なぜか着物と同色の黒い布を目元に巻いていた。

 そのせいで表情も顔つきもどこか不明瞭で判然としない。

 

「君、目が見えないの? 危ないからこんな所に一人で来てはいけないわ」

 

 トキエが優しげに少年に声をかける。少し歩けば断崖絶壁があるこの場に、目の不自由かもしれない子供がいるとなっては、気にかけるのは彼女にとって当たり前の行動。

 だが和巳はどこか異様な雰囲気の少年に気圧され、何も言えないでいた。

 

「ああ、ご心配なく、何となく見えてるんで。この布は薄いんです」

 

「え?じゃあどうして……あ、ごめんなさい、なんでもないわ」

 

少年の額に歪な半月のような火傷痕があるのを見つけたトキエは、痕を隠す為か何か、とにかく触れられたくない理由かもしれないと思って追求を止めた。

 

「き、きみは……何者なんだ……?」

 

 トキエの横で和己がようやく絞り出した一声は、酷く曖昧な質問。

 それは初対面の相手の出身地や年齢を尋ねるような、会話の為の会話と同じようでいて、実は違う。

 

 酷く警戒する和己に、少年が意外そうな表情を浮かべた……ように和己には見えた。目元が隠れて分かりにくいので、実際の所は不明だ。

 

「勘がいい……いえ、元々存在を知っていたんですか? お察しの通りです」

 

 少年はクイッと、目に巻いていた黒布を少しずらす。すると、その下に隠されていた目が顕になった。

 

「人喰い鬼……少し前にこの辺りで噂になったアレと同じですよ」

 

 瞳がない虚ろな目。あの時見た鬼の目と同じ特徴だった。

 そう、「同じ特徴の目」であって「同じ目」ではない。

 あの鬼のような知性も理性もない、ただ暴虐を尽くすだけの化物の目とは違った。

 

「ひっ」

 

 一度人食い鬼に攫われたトキエは、息を呑んで一歩後退る。

 

「なんで、隠してて……なんで、教えて……?」

 

 トキエを庇うように一歩前に出ながら、整理されていない言葉を紡ぐ和巳。

 

「ある確認をしたかったんですが……それをなるべく穏便に済ますためですよ」

 

 すぐに目隠しを元の位置に戻した少年は、何事もなかったかのように話を続ける。

 

「あなたが自殺しに来たのか否かを……ね」

 

「じ、自殺? そりゃ、確かにここは自殺の名所だが……なんで鬼が?」

 

「食べるためです。人喰い鬼ですから」

 

 なんてことのないように少年は続ける。

 

「抵抗されると面倒だし、死にそうもない人が消え続けたら鬼狩りが来るかもしれない。だから僕は死にたがってそうな人しか食べません」

 

 本当のことを言っているようにも、何かを誤魔化すように説明口調になっているようにも聞こえる。

 

「運が良かったですね、僕が話の通じる鬼で。見たところ少し魔が差しただけのようですし、ここは見逃してあげますよ」

 

 わざと尊大な態度で突き放すような振る舞い。ひょっとしたら目の前の少年は、人を食べたくないのかもしれない。鬼狩りの少年が連れていたような「良い鬼」なのかもしれない。そう思った和巳は、内から湧き上がる感情を抑えられなくなった。

 

 話をしたい。鬼について理解したい。婚約者はどうして死ななければならなかったのかもっと知りたい。

 そうすれば自分は変われるだろうか。あの鬼狩りの少年のように、強くまっすぐ、生きられるだろうか。

 

「か、和己さんっ!?」

 

 そんな疑問とも欲求とも取れない感情の波に突き動かされ……気がつけば和己は、一歩踏み出していた。後ろで困惑するトキエの声も、耳に入らない。

 

「教えてくれ、君は鬼狩りの彼が連れていたような良い鬼なのか? 良い鬼と悪い鬼がいるなら、なんで悪い鬼が生まれてくるんだ? どうして里子さんは死んだんだ? 彼は、多分、僕を気遣ってだろうが、あまり詳しいことは教えてくれなかった……」

 

「良い鬼? 鬼狩りの彼?」

 

 無防備にも鬼に近寄って、堰を切るように言葉を紡ぐ和巳。断片的な情報の中から、鬼の少年は耳寄りな言葉だけを聞き取る。

 

 

 

 ──合理的に考えれば、この時の和巳の行動は非難されるべきことである。目の前の少年が鬼と分かった瞬間、トキエを連れて一も二もなく逃げ出すべきだったのだ。

 

 だが、きっとこの時向き合わなければ、和巳は婚約者を失った喪失感に苛まれたまま、死んだように生きるしかなかった。望む答えなど返ってこないかもしれない。それどころか殺されるかもしれない。けれど、『納得』したかった。

 

 それが彼にとっての『打ちのめされても生きていく』だ。それを批判することなど……誰ができようか。

 

 

「僕らの村にいた鬼を退治した子だ。確か名前は、竈門……」

 

 

 次の瞬間、少年はそれまでの穏やかな雰囲気を一転させた。そしてそれを和巳が感じ取るよりも早く……彼を強引に地面に押し倒した。

 

「う、うわっ!? は、離れろぉ……!」

 

 突然の強行にジタバタと暴れる和巳。そして何を思ったか鬼の少年は和巳を押し倒したまま、彼の顔に鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅ぎ始めた。

 

「なに、を……」

 

 何をする、と言いかけた和巳の脳裏に、鬼狩りの少年の姿が浮かぶ。

 鬼を探してまるで犬のように地面を嗅いでいた彼と、今和己に鼻を近づけている鬼の動きは、鏡写しのようだった。

 

 まさかと思う和己の前で、急に激しく暴れた反動か、あるいは先ほど少しズラして緩くなっていたのか、少年の目の黒布がハラリと落ちる。

 

 そこから現れたのは、さっきまでの理知的な瞳ではない、赤黒く濁った瞳が顕になる。だが、はっきり目元が見えたことで分かったことがある。動きだけではない。顔立ちもどこかあの鬼狩りの少年と似ている。

 

 

「まさか、君は……」

 

「……兄さんの、匂いがする」

 

「え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?」

 

 気がついた時、僕の目の前には、怯えきった少女と……既に事切れている男の亡骸があった。

 

「なん、で……」

 

 なんで僕は、先ほどまで普通に話し、見逃すつもりだった2人を、襲っている? 

 竈門と聞いて、まさか兄さんかと思って、つい匂いを嗅いで、懐かしい匂いがして……それより後の記憶がない。

 

「違う、僕は……!」

 

 殺すつもりはなかった。自殺志願者ではないと分かった時点で見逃すつもりだった。まだ、死ぬ気もない人を食べる覚悟がなかったのに。

 

「ひっ! いやっ! 来ないでぇ!!」

 

 腰の抜けた少女が這うようにして離れる。僕は呆けたまま、それを眺めていたのだが……

 

「飢餓状態か……やはり君は特別なようだ」

 

「無惨、様……?」

 

「あ、あぁ……」

 

 逃げる少女の前に、いつの間にか無惨様が立っていた。少女は目の前にいるのが僕よりもずっと危険な存在なのを直感的に理解したのか、這うのを止めてただただ震えている。

 

「通常、飢餓状態は人間をしばらく食べていない時になるが……君の場合は肉親、いや、兄に繋がるものを見つけると飢餓状態になるようだ」

 

「肉親……兄……」

 

「廃灰、君はあまり積極的に人を喰っていないだろう。それで飢餓状態にならないのが不思議だったが、特殊な進化をしているようだ」

 

 太陽を克服するのが私の宿願。特殊な進化をする鬼は大歓迎だ。そう続ける無惨様の声も、耳を素通りする。

 

「前任の鬼を倒したのが、兄さん? そんな、ありえない……」

 

 兄さんは愚かなくらい優しい人だった。復讐なんて無意味なことをやるような人じゃない。

 いや、でも未来の平和の為に自分を礎にするのは、いかにもあの人らしい行動に思えた。

 

 俯いて考え込む僕の目に、いつの間にか外れたのか、目元に巻いていた黒布が映る。

 ああ、僕はなんで特に意味もなく目を塞いでたんだっけ? 

 

 

 目を塞いだことで、嗅覚が研ぎ澄まされる。僕が憧れた兄さんみたいな、鋭い嗅覚になる。

 目を塞いだことで、目の前が暗くなる。眩しくてつい背を向けたくなる兄さんを、見ないで済む。

 

 そんな理由だった。自由を求めて鬼になったのに、結局、兄さんに縛られ続けている。でも、もう兄さんと会うことを諦めていたけど……鬼として生き続ければ、兄さんに会える? 

 鬼と鬼狩りとして出会い……どうしたいのだろう。僕の手で殺したいのだろうか、無惨様や他の鬼に殺して欲しいのだろうか。何がしたいかすらも、実際に会うまで決められない。けど、けど会わなければ、僕はずっと兄の幻影に囚われたままで、自由になれない。それだけは分かる。

 

「君の鬼としての才能、活かさないのは惜しい」

 

「ごふっ!!」

 

 無残様はそう言って、彼の足元で這いつくばって震えている少女を蹴り飛ばし、僕の方に転がしてきた。

 

「ひ……いや、死にたく、な……」

 

「兄を探すのだろう? 自由になるのだろう? ならばお前はもっと強くならなければならない。鬼狩りに負けぬ力を手に入れなければならない」

 

 僕は兄さんが大好きだった。鬼になってもなるべく人を食べたくなかった。それは嘘ではない。だがそれと同時に……

 

「人を喰うのだ廃灰。炭を妬み、焦がれる灰の鬼よ」

 

 僕は兄さんが妬ましかった。鬼として人を喰い、人の迷惑とかそういう事を気にせず自由気ままに生きたかった。それもまた事実。

 

「僕の望み、は……」

 

 そうだ、迷うことなんてない。好きでも嫌いでも、その両方でも、僕の望みは変わらない。

 兄さんに会いたい。それだけは変わらないし曲がらない、今の僕の唯一の望み。それ以外は、もうどうでもいい。

 

 

「いや……いやぁああああ!!!」

 

 

 この日、僕は初めて……嫌がる人間を無理矢理喰った。自殺志願者や浮浪者の骨ばった肉とは違い、若い女の子の肉はとてもおしいかった。

 

「あ、はは……あはははは……」

 

 また一つ、心の枷が外れた気がした。別にもう、どうだっていいけど。

 

 

 




オリ主のビジュアルはニー○オートマタの9Sが和服っぽいのを着てるようなイメージです。


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蜘蛛

今回はちょっとした小話です。


 廃灰(はいかい)がトキエと和巳を喰い、鬼としての宿命を受け入れた数日後。彼は無惨の勧めにより……那田蜘蛛山に訪れていた。

 

「……母さん」

 

「ひっ! な、なにかしら、累?」

 

 先方には既に話を通していたらしく、気色の悪い人面蜘蛛の案内で山奥の廃屋にすんなりと辿り着いた廃灰を待っていたのは……累と名乗った同い年くらいの見た目の少年と、その母親に見える鬼だった。

 無論、それが「見える」だけなのは、廃灰にも分かる。

 

「お客さんだよ、おもてなししなきゃ」

 

「そ、そうよね累、滅多に来ないあなたのお友達だものね。今、保管してた血を椀に入れて持ってくるわね」

 

「友達?」

 

 ピクリと、累が不快そうに眉を顰める。

 

「勝手に僕の友達関係を決めないでよ。この人はあの方の紹介で会ってみただけの相手だよ」

 

「ご、ごめんなさい累!! そうよね、まだ会ったばかりでお友達なんて相手にも失礼だものね! お、お母さんを許して!!」

 

「……いいから早く、血」

 

「す、すぐ持ってくるわ!!」

 

 バタバタと慌ただしい音を立てて、母親役の鬼が奥へ引っ込んで行く。

 その慌ただしい足取りは、まだ色濃く残る人だった頃の記憶にある幼い妹によく似ていた。

 そんな幻影を振り払うように、廃灰は佇まいを正してから累に語りかける。

 

「他の鬼とは何回か会ったことがありますが、もてなしをされたのは初めてですよ。鬼同士で暮らしてるのを見るのも」

 

「そうだね……僕たちは家族だから」

 

 微塵も情など感じさせない声で、自分や周囲に言い聞かせるように、累は言う。兄と比べてそこまで鼻の発達していない廃灰にも、彼らからは嫌悪と恐怖の匂いしか感じなかった。

 

「けど、アレは駄目だね。いつまで経っても母親らしい態度ってものを覚えない。何より、僕より圧倒的に弱い。あれじゃあ僕を守れない」

 

 本当は母親などではないということを隠そうともせずに吐き捨てる累。そこで、少々気にかかる内容があった廃灰は訪ねる。

 

「守れない? 十二鬼月ともあろう人が、部下に守られることを望むんですか?」

 

 その瞬間、累の纏う雰囲気が鋭いものになる。

 

「……部下じゃないよ。家族だって、言っただろう?」

 

「……失礼しました」

 

「言葉には気をつけてよね。鬼が鬼を殺す方法なんて、いくらでもあるんだから」

 

 基本的に鬼同士の戦いは決着が着かないので無意味であるとされる。だが事実、累は自らの元から逃げようとした『姉』を蜘蛛糸で拘束し、太陽の下に晒して殺害した事がある。

 廃灰にはそれは知る由もない事だが、その気迫から脅しではないと察した彼は、素直に謝罪した。

 

「母さんだけじゃない。今はみんな出払ってるけど、父さんも兄さんも姉さんも使えない人たちだよ。家族っていうのは、下の子を守るものなのに」

 

 無惨の紹介で会ったはいいものの、あまり迂闊なことは言えないしどんな発言で気を悪くするか分からない。適当な相槌だけ打ってしばらくしたら帰ろうと思っていた。だが──

 

 

「──守られるだけの存在なんて、虚しいだけですよ」

 

 

 だが廃灰は、言わずにはいられなかった。

 

「守ってくれるのが家族なら、なおさらです」

 

 頭に浮かぶのは、人間だった頃の記憶。父に、母に、姉に、兄に守られるしかなかった頃の自分。

 

「初めて一人で炭を焼けた時、僕はもう大人で、もう守ってもらわなくて大丈夫だと思ってた。けど……けど本当は親や兄弟に守られてるだけの子供だった。それに気付いた時に、僕は初めて兄さんに……」

 

 そこまで言って、敬語が崩れているのと、自分語りが過ぎていることに気付く。

 だが累は気を悪くした様子もなく、興味深そうに廃灰を見ている。

 

「……君、面白いね。あの方が気に入るのも、僕に会うように勧めたのも分かるよ」

 

 雰囲気を軟化させた累は、柔らかな口調で告げる。

 細部は違えど、廃灰も累と同じように家族へ複雑な心情を持っている。それが何となく分かったが故の友好的な態度である。

 なんだかんだ友好的に接されれば廃灰も悪い気はしないので、雑談の幅を広げることにした。

 

 

「ご、ごほん。そういえば、ご家族を強くしたいなら麓の町に稀血がいるという噂がありますよ。或いはそれを飲めば……」

 

「父さんや母さんでも僕より強くなるかもしれないって?」

 

 頷く廃灰。

 

「本当は僕も狙っていたんですが……まぁ、見聞を広める事を優先したわけです。あの方の誘いを断れるわけもありませんしね」

 

「へぇ、それは悪いことをしたね。稀血ではないけど、まぁ血でも飲んでってよ」

 

 にこやかに……というわけではないが普段より饒舌に会話していた累だが、そこまで言った後にイラついたような声を出した。

 

「母さん!! 遅いよ、まだ?」

 

「い、今持っていくわ!」

 

 再びバタバタという慌ただしい音。さらに少ししてから、ようやく母親役の鬼が椀に入れた血を持ってくる。

 

「ど、どうぞ」

 

「ええ」

 

 震える手で差し出された椀を受け取る廃灰。彼も多少は気の毒に思うが、特に何かを言ったりはしなかった。他所の慣習にまで口を出す趣味はない。

 しばらく無言で血を飲んでいた累と廃灰。稀血の件だけど、と前置きしてから、累が口火を切る。

 

「止めておくよ。今から行っても、どうせ他の鬼が食べた後だろうし」

 

「そうですね……噂では元十二鬼月が、文字通り鬼気迫る表情で探しているとか」

 

「元、ね……一度数字を剥奪された鬼が、稀血の一人や二人で返り咲けるとも思えないけど」

 

 そう言って累は、おもむろに手から蜘蛛糸を出してあやとりを始める。

 

「君も早く十二鬼月になるといい。何なら、下弦の肆や陸辺りの席を空けておこうか?」

 

 あやとりの蜘蛛糸を二本、累が引きちぎる。

 

「陸はともかく、肆? 貴方は下弦の伍では?」

 

「家族に分けた分の血を回収すれば、もっと上に行けるさ」

 

「ひっ」

 

 無感情に、今度は4本、蜘蛛糸をちぎる累。それを見た母鬼の、本日何度目か分からない息を呑む小さな悲鳴。

 

「止めておきますよ。今空席ができても、どうせまだ僕には相応しい実力がない」

 

「……それもそうだね」

 

 少し前に自分が言ったのと似たようなことをオウム返しされる累。ともすれば皮肉にも聞こえかねない内容だが、不思議と累も悪い気はしなかった。

 

「実を言うと、あの方のお気に入りなのにまだ弱い鬼がいると聞いて、僕の兄さんにしてあげようと思ってこの場を設けたんだけど」

 

 サラリと恐ろしい事をいってのけながら、累はあやとりの糸を一本、別の糸に繋げようとして……止める。

 

「君とはそれなりに距離を保った方が、いい関係になれそうだ。家族は同じ方がいいけど、友達は少し違うくらいがいいや」

 

 糸を近くに放り投げてあやとり遊びを止めた累は、まっすぐに廃灰の目……黒布に覆われた目を見る。

 それなりに礼儀というものを弁えているこの新米鬼が、それでも一度も外さなかった布。その隠された目を見透かすように、しばらくじっと観察していたが……ふ、と力を抜いて軽く累が微笑む。

 

「それに君は、兄って気質には見えないからね」

 

「……そうですね」

 

 一応廃灰には弟も妹もいたが……それを言って反論するのは止めた。

 彼にとっては、自分が兄であることよりも、自分が弟であるということの方が大きなアイデンティティを占めている。それは紛れもない事実だからだ。

 

「たまには顔を出しなよ。家族以外と関わるのも、悪くない」

 

「そうですね……とりあえず、下弦と並べるくらいの力を手に入れたら考えますよ」

 

「大きく出たね。下弦の参辺りが聞いたら怒りそうだよ」

 

 

『家族』という存在に歪んだ思いを持ってしまった少年鬼二人。

 両者はっきりと口に出したわけではないが、立ち振る舞いから互いが同類である事を察した二人。

 鬼は群れない生き物だが、彼とは交友を持ってもいいかもしれない。

 互いがそんな風に思いながら、この日はそこでお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 累が柱に殺されたと廃灰が聞いたのは、それから一ヶ月も経っていないうちの事だった。

 




まとめサイトとか読んでるとちょくちょく見る、累は家族に血を分けて弱体化してる説を採用してます。
間違ってたらすいません。


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産屋敷

 炎柱煉獄杏寿郎が鬼が出るという列車に向かい、その応援に竈門炭治郎、竈門禰豆子、我妻善逸、嘴平伊之助たちが後を追っている頃。

 産屋敷の館では、産屋敷耀哉と冨岡義勇、そして胡蝶しのぶが膝を突き合わせていた。

 

「忙しいのにすまないね、二人共。これは会議ではないから、楽にしていてくれ」

 

 耀哉が穏やかにそう言った事で、しのぶは正座は崩さないままに雰囲気を多少弛緩させた。

 義勇の方は、眉を一瞬ピクリと動かしただけで、分かりやすい変化はない。

 

「お館様、話とは……?」

 

「炭治郎に関係する、ある情報が入ったのだが……入れ違いになってしまったようだから、まずは君たちに話しておこうと思ってね」

 

 義勇は炭次郎と禰豆子の保護者……とまではいかないが、監督責任を負う立場にある。

 そしてしのぶもつい先日まで両者の身柄を自らの蝶屋敷で預かっていた身。

 鬼舞辻無惨に繋がり得る特殊な立ち位置にいる炭治郎に関する情報を、彼と近しい2人に一先ず話すのは至極自然な流れである。

 

「炭治郎の家族の中に、一人行方不明の子がいた事は聞いているね?」

 

「……はい、存じております」

 

 鬼が人を跡形もなく食うのなど珍しくない。遺体も残らなかったというのは痛ましい事ではあるが、それはそれとして特に不自然さを感じるような事ではなかったので、なぜそれが今ここで出てくるのかと、義勇は訝しげな表情をする。

 

 ……尤も、その表情の変化は極めて分かりにくいものであったが。

 

「そしておそらく炭治郎は、その子が……弟が生きていると信じている」

 

「……二年前は確かにそう言っておりました。しかし、流石にもうそのような甘い考えは捨てているでしょう」

 

「いえ、そんなことないですよ。覚悟はしていても信じることも止めないと、うちの子たちに言っていましたよ?」

 

 耀哉の言葉を否定した義勇の言葉を、しのぶが横から否定する。機能回復訓練中、蝶屋敷の面々と仲良くなった炭治郎がそう話しているのを聞いたのだ。

 

「…………そうか」

 

 それもまた良し、たとえ無に等しい可能性だとしても、希望は怒りとはまた別の力を生みだす原動力になる……と思う義勇。

 

「冨岡さん、私がいつの間にか炭治郎くんと仲良くなってたからって拗ねないでくださいよ」

 

「別に、拗ねているわけじゃない」

 

 思うだけでそういった態度をおくびにも出さないせいで、傍からは何やら拗ねているようにしか見えないのであったが。

 そんな二人のやり取りをにこやかに見ていた耀哉が、これはまだ未確定なんだが、と前置きしてから続ける。

 

 

「その子も鬼になっているかもしれない」

 

 その言葉を受けて、少々弛緩し過ぎていた雰囲気が戻る。

 

 義勇としてもその可能性自体は認識していたが、あくまでも可能性の一つ。既に死んでいると考えた上での『もしかしたら』程度の認識でしかない。

 

「順を追って話そう。北西の崖……所謂自殺の名所に鬼が出るという噂があった」

 

 ス、と床に広げられていた地図の北西部の辺りを指差す耀哉。その指から少しズレた所に赤い丸の付けられた箇所があった。

 

「場所が場所だけにその手の噂は多いからね。しばらく経っても噂が絶えないのを確認してから、子供たちではなく鎹鴉を偵察に出した」

 

 鬼が出るという噂を一々真に受けていては、あくまで政府非公認組織の鬼殺隊の戦力では到底手が回らない。

 行方不明者も出ていない、或いは出てもおかしくない場所の鬼の噂というのは、どうしても優先順位が下がる。

 

「結果は当たりだったよ。噂通り鬼を発見した。だが探知に長けた鬼だったようで、鴉が捕まってしまった」

 

「まぁ、可哀想に」

 

 鴉が鬼に捕まるというのは死を意味する。だが事前調査に力を割けない鬼殺隊に於いては、どうしても鎹鴉や階級の低い隊士を試金石にせざるを得ない。

 

「ところがだ」

 

 耀哉が目配せをすると、部屋の奥から彼の妻、産屋敷あままねが、少々羽が乱れている鴉を伴って現れる。

 

「その鬼は何もせずに鴉を逃したんだ。追跡の血鬼術かもしれないから、念の為藤の花の家を転々とさせたけれど、その形跡もなかった」

 

「カァーー!! カァーー!! 外見的特徴、黒イ目隠シ!! 外見的特徴、額ニ火傷痕!! 探知能力高シ!! 探知能力高シ!!」

 

 まさか捕まえた上でただの鴉と思ったわけでもないだろうと、耀哉は2人に向けて微笑む。

 

「彼はどうやら心根の優しい鬼のようだね」

 

 しのぶはもちろん、義勇も耀哉の言わんとすることが分かった。

 黒い目隠しはともかく、額の火傷痕と高い探知能力……そして何より、コソコソと自分を探っていた鴉を殺さなかったという慈愛にも見える行動。

 しかも一見ただのカラスにしか見えない鎹鴉を見つけるというのは、ただ探知能力が高いだけでは難しい。そう、それこそ悪意や敵意を匂いで察知できるような、炭治郎の鼻のような能力でもない限りは。

 

「……失礼ですが、それだけで炭治郎の家族とは判断できないのでは?」

 

「ふふ、そうだね。これは勘だよ、いつも通りのね」

 

 あくまでも参考程度に留めて欲しいのだが、と前置きしてから、耀哉は続ける。

 

「懸念すべきは、禰豆子と同じような特殊な鬼が、鬼舞辻の手に渡ったかもしれないということ」

 

 鬼としての適性はある程度血縁関係に由来する。無惨の血の量や個人差で上下はするものの、一家揃って鬼になった場合、基本的にその強さは近くなる。

 

「鬼舞辻の目的が何にせよ、そう簡単に1000年叶っていない進化をするとは思えない。だが、調べるに越したことはない」

 

 長年の付き合いの悲鳴嶼行冥にさえまだ言っていない事だが、耀哉の勘によれば鬼舞辻無惨の目的は『永遠』。特殊な進化を経て太陽を克服した鬼が現れたとしたら、無惨は間違いなくその鬼を喰って自らも太陽を克服する。禰豆子に起こっている『予想外の何か』も、おそらくは太陽の克服に繋がる進化だ。

 

 そして輝哉は産屋敷家特有の勘を信用はしているが盲信はしていない。確認が取れるならば取った方がいいという地に足のついた感覚を持っていた。

 

「特殊かつ協力的な鬼かどうかだけでも分かれば、やりようはたくさんある」

 

 まだ接触はしていないが、『協力者候補』である珠世の存在を脳裏に浮かべる耀哉。太陽を克服し得る鬼と、無惨の呪いを克服した鬼……それは無惨を誘き出す最良の策になる。

 血を克服した禰豆子でも太陽を克服する可能性はあるが、選択肢は多い方がいい。それに、最早耀哉の子供同然である禰豆子は可能ならば囮にはしたくない。無論、それが最善手であるならば躊躇いなく実行できるのが産屋敷耀哉という人間だが。

 

「……御意。では私は失礼して、早速目撃情報のある場へ……」

 

「すいません、その任務、私の継子に任せていただけませんか?」

 

 早々に退出しようとする義勇を制したしのぶ。基本的に必要最低限の議題が済んだらすぐに退出する義勇も、浮かしかけた腰を降ろすしかなかった。

 

「構わないよ。重要性の割に柱に任せる程の危険度ではないからね」

 

「胡蝶、何を企んでいる?」

 

「その鬼は炭次郎くんや禰豆子さんのご家族かもしれない鬼で、鴉を無傷で逃がしたと……」

 

「胡蝶、見る限り鴉は軽症だが打ち身をしているようだから無傷ではないぞ」

 

 義勇の純粋な訂正は屁理屈にしか聞こえなかったので、しのぶはチラリと義勇の方を見てから無視した。

 

「ということは禰豆子さんのように、人間とも仲良くできる鬼かもしれない、ということですよね?」

 

「ああ、その可能性も少なからずあるね」

 

「つまり、ただ斬るのではなく、臨機応変な対応が求められると」

 

 数年前に戦死したしのぶの姉、胡蝶カナエは最期まで鬼と人間の融和を願っていた。

 ならば多少なりと話の通じる鬼がいるとなれば、自分たち遺された姉妹の手で調べたいというのが人情だ。

 

「ちょうどカナヲの手が空いたので、調査に行かせる事ができます。あの子はあの子で問題はありますが、冨岡さんよりは調査向きかと」

 

 だが、生の感情をあまり周囲に曝け出したがらないしのぶは、まるで言い訳のようにそう付け足した。

 事実、炭治郎たちの機能回復訓練が終わったカナヲは今、予定に余裕がある。

 

「そうだね、ならばこの任務はカナヲに一任するとしようか。義勇もそれで構わないかな?」

 

「御意のままに」

 

「ではこの件はこれで決まりだ。二人共、下がっていいよ」

 

 

 


 

 

 

「胡蝶、何を企んでいる?」

 

 耀哉の元を去った後、義勇は会議の場でなし崩し的に無視された発言を再び繰り返していた。

 

「はい? なんのことですかぁ?」

 

「とぼけるな。まさかお前に限って、本気で人に無害な鬼がいると思って継子を送り出したわけではないだろう」

 

「えぇ……冨岡さんがそれを言うんですか?」

 

 禰豆子を人に無害な鬼だと信じ、自らの切腹まで賭けている冨岡には言われたくない、と思うしのぶ。

 

「炭治郎を庇った姿を直接見た俺と、お館様の話を聞いただけのお前を同じにするな」

 

「はぁ、そうですか」

 

 しのぶからすれば、炭治郎を庇ったという初耳の情報で偉そうにされても困る。というかなぜそういった具体的な情報をあの時那田蜘蛛山で話さなかったのだろうと文句の一つも言いたくなった。

 

 ……まさか「あれは二年前」から詳細に経緯を話すつもりだったのだろうか? と、考えるのが面倒になったしのぶはため息を吐き、最初の質問に事務的に答えることにした。

 

「別に他意はありません。あの子もそろそろ臨機応変さを身につけた方がいいと思っただけです。件の鬼が有害にせよ無害にせよ、調査任務ならお誂え向きですから」

 

「そうか。あまり親交はないが、確かに不器用で口下手そうな娘だったな」

 

「うふふふ、そうですね」

 

 会話も面倒になったしのぶは適当に相槌を打って会話を終わらせた。

 その額に僅かに青筋が浮かんでいたことには、義勇は終ぞ気づかなかった。

 




次回、オリ主の初バトルです


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接触

戦闘描写に手間取り+戦闘の前置きが思ったより長くなったので分けます。すいません。



 栗花落カナヲは任務により、北西部にある崖際へと続く小道を歩いていた。

 今回の任務はそこを根城とする鬼と接触し、調査することだ。

 

 黒い布を目元に巻いた、額に火傷痕のような傷のある鬼、という特徴は予めしのぶより聞いている。

 

 なんでもその鬼は特殊な鬼だそうで、場合によっては協力関係すら結べる相手とのこと。

 無論まだ不確定な情報で、カナヲ自身そんな鬼が禰豆子以外にそう続々と現れるとは思えない。だからこそ調査の為に向かっているのだが、その足取りは僅かに重い。

 

 その鬼に鬼の祖である鬼舞辻無惨への翻意があるか、人間に協力する意志があるか……これを相手の『態度』で測らねばならない。

 それは、心というものを閉ざして自分を守ってきたカナヲには、荷が重いと言わざるを得なかった。

 

 

『カナヲは心の声が小さいんだな。俺の弟もちょっとそんな感じだったよ』

 

 ふと炭治郎の言葉を思い出したカナヲは、おもむろに懐から硬貨を取り出す。今まで物事の判断、その全てを委ねてきた硬貨をじっと見つめながら、考える。

 

 もう一つ、今回の調査対象の鬼について聞いている事がある。その鬼は、炭治郎の行方不明になっていた家族かもしれない、とのこと。

 

『うーん、指示に従うのも大切なことだけど……それ、貸してくれる?』

 

「炭治郎……」

 

 ブンブンと頭を振って雑念を払う。対象の鬼が炭治郎の弟の可能性があるのと、今炭治郎の事を思い出すのに全く関連性はない。

 通常の鬼と同じように戦闘になる可能性だってある。気を引き締めなければならない。

 硬貨をしまい、表情を改めたカナヲは、崖に続く小道を鋭く観察しながら歩く。

 

 しばらく進んでいくと……空気が変わった。先日の那田蜘蛛山のような、ピリピリとした張り詰めた空気だ。

 只人ならば気づかないか、自殺の名所だからそういうこともあるだろうと見過ごすような僅かな変化。

 優れた隊士であるカナヲは、その僅かな揺らぎを見過ごさなかった。

 抜刀し、警戒しながらさらに進んで行くと……いた。

 

 崖際に腰掛ける、炭治郎と同じほどの背丈の少年。背を向けているせいで分かりにくいが、情報通り目に黒い布を巻いているようだ。

 

「……そろそろ来る頃だと思ってましたよ、鬼狩りの方」

 

 その鬼はカナヲに背中を向けたまま、ゆっくりと立ち上がる。

 

「ここ最近は、この辺りまで来る人間はほとんど食べてましたし、何よりコソコソと探っていた鴉を逃しましたからね」

 

「確認するわね。貴方は人間に協力する意志がある?」

 

 腹芸はおろか戦闘以外での精神的駆け引きも苦手とするカナヲは、単刀直入にも程がある確認をする。

 

「はい? なんですか、僕を狩りに来たわけではないんですか?」

 

 そう言って振り向いた鬼……廃灰(はいかい)の額には、情報通り額に火傷痕があった。その表情は黒布のせいで見えないが……協力、という予想だにしなかった言葉に少々面食らっているようだ。おそらくは戦う心積もりだったのだろう。

 

「今回の任務は調査だから」

 

「調査? 鬼狩りの体制は知りませんが、随分と悠長な……鬼と鬼狩りが協力できるとでも思ってるんですか?」

 

「できるできないを判断するのは私じゃない。私はただ、あなたにその意志があるかどうかを確認するだけ」

 

 表面上は理性的に言葉を交わしながらも、カナヲは日輪刀を鞘に納めない。廃灰も漫然と立っているように見えて、カナヲを具に観察している。

 

(調査って、どうやればいいんだろう……こんな感じで大丈夫かな)

 

 無表情にツンとしているように見えて、カナヲは逡巡していた。硬貨の裏表、二つに一つの選択以外を判断するのは苦手だ。もっと言えばその二つに一つの選択にしても、自分で判断しているわけではなく運否天賦。

 そんなカナヲだからこそ柔軟な判断能力を高める為に調査任務を充てがわれたというのは理解しているが、苦手なものは苦手である。

 

 相手が是か非かで答えてくれればそれをそのまましのぶに報告すればいいだけだが、そう単純なやり取りだけでは終わらないだろう。

 事実、廃灰は顎に手を添えて考え込んでいる様子を見せている。

 

「貴女がどの程度の協力を想定しているかは分かりませんが……難しいでしょうね」

 

 しばらくすると、廃灰が否寄りの回答をして来た。

 実を言うと、カナヲもその返答は大方予想していた。確かに情報通り、あの鬼はこちらを見て襲うでも逃げるでもなく普通に会話が成立する。しかしだからといって、いきなり協力しろと言われて協力する鬼……いや、人間同士だとしても、そんな者は滅多にいないだろう。

 細かい判断は今のやり取りをそのまましのぶに伝えて考えてもらえばいい。後の接触は適当な隠にでもやってもらえばいい。

 

 だから問題は、この場でカナヲが複雑な判断をしなければならないような内容の言葉を続けないかであったのだが……。

 

「ですが、互いにある程度の利益がある取り引きなら構いませんよ」

 

「取り引き?」

 

 カナヲの表情が苦いものになる。取り引きという事は、こちらから相手にも何かをしなければならないということ。何を望まれるかは分からないが、どこまでなら鬼の目的を手助けしていいのか、カナヲには判断しかねる。最悪、その取り引きを受けるかどうかも硬貨で決めようか……と身構えていると、軽い口調で廃灰が続ける。

 

 

「僕には探している鬼狩りがいます。その人の居場所を教えてくだされば、僕の譲歩し得る対価を払いましょう」

 

 

 ──実際のところ、廃灰は目の前の蝶の髪飾りをした少女に情報を期待していなかった。同じ鬼狩りだからと言って、探し人である炭治郎のことをピンポイントで知っているとは限らないことは分かっている。

 ただ少女の隙がない立ち振る舞いに自分では勝てないと見て、調査及び協力が目的ならば戦わずにこの場は茶を濁そうと、適当に協力的に見えそうな態度を取っただけだ。

 

 最大限の譲歩とさも親切な風に言っても、鬼狩りの望む無惨の情報は呪いで口にできない……という、詐欺師紛いの言い訳で自分の名前だけ教えて煙に巻くつもりだった。

 

 

「探している人……?」

 

 だから、カナヲがじっとこちらを見てから、ポツリと、その名を呟くとは思ってもいなかった。

 

「それってひょっとして、炭治郎のこと?」

 

 サァ、と爽やかな風がそよぎ、廃灰とカナヲの髪を揺らす。

 直後、彼らの間を揺らめいていた雑草を踏みしめて、廃灰が一歩一歩近寄る。

 

「っ!」

 

 咄嗟に日輪刀を構えるカナヲだが、廃灰はある程度まで近寄ると立ち止まる。そして、感極まったように上を向く。

 

「そうか、やっぱり鬼狩りになったのか……復讐なんて柄じゃないだろうに」

 

「あなた、本当に炭治郎の弟なの……?」

 

「そこまで広まってるんですか、鬼狩りの情報網も案外馬鹿にできませんね」

 

 無遠慮に近づいて来る廃灰。先ほどまで互いに警戒して距離を保っていたのが何だったのかと言いたくなるような行動。

 

 だがそれでも考えて行動しているようで、刀の間合いの目と鼻の先、接敵ギリギリの所でピタリと止まる。

 

「ふっ!」

 

 カナヲは頸に届かないのを分かっていながら、脅しの意を込めて日輪刀を振る。

 

 目と鼻の先という事は、目元には辛うじて届くということ。カナヲの示威行為によって、廃灰が目元に巻いていた黒布がハラリと落ちる。

 

「ここまで近づけば、目を塞いで鼻を強くしなくても分かる……」

 

「っ!?」

 

 目隠しの下から、充血し、赤黒く染まった目が現れた。なぜか言葉を発せてはいるが……飢餓状態にしか思えない目が。

 

「あの時の2人の残り香とは違う、強い匂い……兄さんの、匂い」

 

 カナヲの任務はあくまで調査だが、これだけの至近距離で飢餓状態になれば戦闘は必至。

 素早く飛び退き、改めて刀を構えるカナヲ。

 

「ああ、貴女……兄さんの場所を聞きたいんですが、交渉を続けませんか?」

 

 だが廃灰はあくまで正気を保っている……ように見える。

 

 

「この前は、足掛かりを掴む前に、正気を失ってしまいましたから……ここしばらくちょっと『人に慣れる』練習をしてたんですよ。兄さんに会う為に」

 

『人に慣れる』……野生動物が人に懐くかのような言い回しだが、鬼にとってのそれがそんな牧歌的であるはずもない。

 無論、こんな所に来る人間はほとんど自殺志願者だろうが、それが人喰いを容認する理由にはならない。中には純粋な観光客だっていただろう。

 

 だが、それよりも……カナヲにはどうしても気にかかることがあった。

 

 

 

 

 

「本当に、会いたいの?」

 

 

「……どういう意味です?」

 

 

 一瞬だけ目を見開いた後、廃灰は聞き返す。

 

 

「貴方の目線は嘘を付いてる時のように揺れている。なのに顔には嘘を付いた時の筋肉の強張りがない」

 

 目のいいカナヲは、敵を観察すれば相手が何を考えているか大体分かる。喜怒哀楽はもちろん、次の動きも予測することができる。そんなカナヲから見ても、廃灰の言葉の真偽は分からなかった。

 

「目線、発汗、血流……その全てがちぐはぐ」

 

「人間なんてみんなそんなものでしょう。複雑な心情をそんな生理現象だけで測ることなんてできませんよ。まして鬼は極端な生態ですしね」

 

「違う、確かに誤差も個人差もあるけど、普通体は嘘をつけない。貴方のはまるで……」

 

 カナヲは昔……まだカナエが生きていた頃の事を思い出す。

 余りにも無趣味かつ無感動なカナヲを見かねてか、カナエとしのぶは非番の日に自分を華やかな劇団へ連れて行ってくれた。

 

 劇自体は何が面白いのか全く分からなかったが、劇団員……特に花形の演技には目を見張るものがあった。

 大仰な仕草で嘘のお芝居をしているのに、その表情には嘘が見えなかった。

 

「まるで、駆け出しの役者みたい……嘘と本当が混じり合った、歪な表情」

 

 

 ただ、花形以外の演技にはほんの少し嘘が混じっていて、それが何だか面白かったのを覚えている。

 ……観賞後に感想を聞かれた時に、話の内容はほとんど覚えていなかったのをしのぶに呆れられたものだが。

 

「炭治郎に会いたいって言ってるのに、心の奥では会いたくないと思っていて、でもそのさらに奥ではやっぱり会いたいと思っているような……」

 

「うるさいなぁ」

 

 ボソリと、底冷えするような声がした。

 実力で言えばおそらくはカナヲの方が上。それが分かっていてなお、重圧感が伸し掛かるような殺気。

 

「それともわざと挑発してるんですか? だとしたら敵ながら天晴れ、と言わせてもらいますよ」

 

 目がより赤く発光する。先ほどよりも重度の飢餓状態だ。なるほど確かに普通の鬼とは飢餓状態に入るきっかけが違うようだ。

 

「……すいません師範。やはり、私に調査任務は無理だったみたい」

 

 必要ないことを喋って興奮させてしまった。いくらある程度の理性を保っていたとしても、あそこまで激しい飢餓状態になられたら戦闘は必至。

 しかも義憤に駆られたというわけでもない。相手が炭治郎の弟で彼に会いたがっていると思うと、普段なら気にしないような事がどうしても気になってしまった。

 失態だ。と、カナヲは自らを激しく責める。

 

「でも、別の形で任務は達成する。生け捕りにしてお館様に引き渡す」

 

「僕は自由になりたくて鬼になったんだ。手強そうだからって逃げるような真似はしたくない。何よりそれじゃあ、あの方に申し訳が立たない」

 

 鬼は爪を前に出し、剣士は刀を構える。

 結局の所、どこまでも順当な結果。

 鬼と鬼殺隊が出会った以上、この成り行きは必然だったとも言える。

 

 こうして、廃灰と栗花落カナヲの戦いは始まった。

 

 



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神楽、血鬼術

今回は独自解釈強めです。


 寄せては返す波の音が微かに聞こえてくる崖際。そこでは、その風流な音を掻き消すように、激しい金属音……刀と爪がぶつかり合う音が鳴り響いていた。

 

「はぁあぁあ!!」

 

「ふっ!」

 

 廃灰(はいかい)とカナヲの戦いは、カナヲ有利で進んでいた。

 

「戦い慣れてないわね」

 

 考えてみればそれも当然のこと。

 廃灰はそこまで多くない人数、それも自殺の名所を隠れ蓑に人を食ってきたような鬼だ。当然、鬼殺隊との戦闘経験もない。

 既に柱に迫る勢いの実力を身につけているカナヲにしてみれば、はっきり言って相手にならない。

 鬼を相手に初めての生け捕りで手間取っていなければ、とっくに勝負はついていただろう。

 

「がふっ!!」

 

 大振り過ぎる攻撃はカナヲには掠りもしない。躱しざまの横回し蹴りが横腹にクリーンヒットし、廃灰はたたらを踏む。

 カナヲは警戒し過ぎたか、と思いながらも、首を刎ねないように目の辺りを狙って技を放つ。

 

 

「花の呼吸、肆ノ型……紅花衣」

 

 

 

 前方へ弧を描くような斬撃を放つ型。それは寸分違わず廃灰の目を一閃。

 

「ぐ、ぁあぁああああ!!!」

 

 咄嗟にゴロゴロと転がって距離を取りながら、廃灰は叫び声をあげる。先ほどの殺気が錯覚に思えるような、素人としか言いようのない戦い方。

 カナヲは肩の力を抜くと、悠々とした足取りで廃灰へ近づく。

 

「僕を……どうする、つもりです?」

 

 肩で息をし、斬られた目を庇いながら、這々の体で廃灰が聞く。

 カナヲは一瞬迷った後、懐から硬貨を取り出して、片手で空中へ弾く。小気味良い音を立てて跳ねた硬貨を手中に収めてから、カナヲは答えた。

 

「生け捕りにする。炭治郎に会わせるかは、お館様や師範が決める。どちらにせよ、最後には藤の花の山に閉じ込めるだろうけど」

 

 淡々と答えるカナヲを見て何を思ったのか、廃灰は片手で顔を押さえ、ヨロヨロとふらめきながら後退る。

 

「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ……! 僕は、僕はまだ何も……!」

 

 そんな廃灰の脳内を駆け巡るのは……やはりバラバラで不揃いな、生の感情。

 

 

 

 

 ────僕はまだ何も……何も、何だろう。何も成し遂げていない? 何者にもなれていない? 

 分からない。何も分かっていない。何をしたいのか、兄に会ってどうしたいのか分からない。殺したいのか、話したいのか、愛し愛されたいのか、☓☓したいのか。思考には黒いモヤがかかったようで、自分でも何を考えているのか分からない。

 

 いつだって僕はハッキリしない人間だった。ウジウジした人間だった。そんな僕自身が嫌いだった。それでも無条件で受け入れる家族の愛が眩しかった。

 

 そうだ、僕は……

 

 僕はいつも蚊帳の外だった。家族が仲良くしているのを、少し離れて見ているばかりだった。

 自分から歩み寄れば絶対に受け入れてくれる。それは分かっていたけど、何となく一人でいるのが好きで、でもやっぱり本当は少し寂しくて、見ているだけだった。

 あの時もそうだった。兄さんが父さんから神楽を教わっていた、あの時も……

 

 

 遠くからじっと、そっと、ずっと……見ているだけだった────

 

 

 

 

 

「花の呼吸、肆ノ型……紅花衣」

 

 カナヲは一気に踏み込み、先ほどよりも深く、顔の上半分を斬り落とすつもりで同じ型を放つ。

 

 

「……え?」

 

 だが、必中の確信を持って放たれた日輪刀は、廃灰にほんの一歩軸をズラされただけで、余裕を持って躱される。

 

 

 

「っ……! 花の呼吸、伍ノ型……徒の芍薬!!」

 

 

 

 一撃で躱されるならば数を打つ。流れるような動きで9連撃を放つが、それも全て上半身の動きで避けられる。

 

 それ以後もカナヲの出す型をまるで『知っている』ように避ける廃灰。明らかにおかしい。不自然だ。

 

 鬼が過去に殺した鬼殺隊の呼吸法を見切っていることはある。だが同じ技でも使い手が違えば癖というものがある。実力が上ならば技のキレも別物のように代わる。普通、型を見切っただけでは完封はできない。

 まして廃灰は明らかに鬼殺隊と戦い慣れていない。本来、こんなことは有り得ない。

 

 ヒヤリと、戦闘が始まって初めてカナヲの背中を寒いものが走る。戦う前に感じたこの鬼の不気味さの片鱗を垣間見た気がした。

 その間にも咲き乱れる花のように続けて繰り出される型を、廃灰は舞うような動きで避け続ける。

 

 

 カナヲは戦闘中だというのに、楽しいような懐かしいような、奇妙な感覚に襲われる。まるで炭治郎と鬼ごっこをしていた時のような既視感だ。

 違うのは、自分が追う側であるということ。追われている側こそが鬼であること。

 

「なんでだろう……貴女の動きが分かる」

 

 それから何回の型、何十回の斬撃を見舞っただろうか。流石のカナヲも少し息が上がりかけてきた時に、廃灰はボソリと呟いた。

 

「ああ、分かった……似てるんだ、あの神楽の動きに」

 

 

 

 竈門家に代々伝わるヒノカミ神楽……日の呼吸は全ての呼吸の始祖。

 

 それ以外の全ての呼吸法は日の呼吸の派生系……元柱であるところの煉獄槇寿郎の言い方を借りれば「猿真似をし劣化した呼吸」に過ぎない。それは当然、花の呼吸も同じだった。

 

 しかし実際の所、日の呼吸そのものが圧倒的に他の追随を許さない強さを誇るわけではない。

 最強の日の呼吸は、使い手が始まりの呼吸の剣士、縁壱だからこその最強。それ以下の実力の者が使っても、強いには強いが最強という程ではない。

 

 最強の呼吸の使い手であるはずの炭治郎が劣化呼吸の使い手でしかない柱たちに及ばないのを見ても、それは一目瞭然だろう。

 

 日の呼吸を知っているからと言って、元々の実力差を覆すには至らない。

 

 では、今廃灰がカナヲに善戦できているのはなぜか? 

 

 結論から言えば、それは相性の問題である。

 日の呼吸自体は圧倒的に強いわけではない。しかしそれは、鬼を滅することを目的とした時の話。

 

 逆に考えた場合……()()()()()()()()を目的とした場合はどうだろうか? 

 

 日の呼吸の使い手にしてみれば、他の呼吸の動きは自分の動きが大元のものばかり。故に、曖昧にだが敵の次の動きが分かる。一方的に相手の手の内を知っているようなものだ。

 

 これまでは隊員同士の私闘が禁止されていたこと、何より日の呼吸の使い手がいなかった事で、全く表に出てこなかった本来意図しない強さ。それが廃灰とカナヲの実力差を埋めている。

 

 日の呼吸の熟練度で炭治郎が終始「できる」と「使いこなす」の間にいるとしたら、今の廃灰はそのさらに下……「知っている」と「できる」の間にいると言える。彼は動きを目に焼き付けているだけで、日の呼吸そのものを使えるわけではない。

 

 それでもなお十分だ。

 

 鬼と戦う鬼狩りの呼吸の始祖であるからこそ、鬼狩りと戦う鬼にとっては最強の呼吸と化す。

 それはとても運命的で……とても皮肉なことだった。

 

 

 

「父さん……本当は、こんな使い方じゃないんだろうね。間違ってるなんて、分かってる」

 

 カナヲと戦いながらも、その赤い目は彼女を見ていない。遠く、今は無くした何かを見つめているようだった。

 

 

「貴女は、自分の周りが全て壊れてしまえばいいと考えた事がありますか?」

 

「急に、何を……」

 

「僕はあります」

 

 困惑するカナヲを無視して、廃灰は語る。

 

「世界なんて滅茶苦茶になればいい……なんて、大きなことは思えませんでした。ただ何か天災でも起こって、僕の周りだけでも滅茶苦茶にならないかと夢見てた」

 

 カナヲのきめ細かな肌が粟立つ。今廃灰が語っていることは、カナエとしのぶに救われるよりも更に前……毒親からの暴力に心を閉ざす前の自分も、よく思っていたことではないか? 

 

「ここに来て僕に食べられた人は、みんな安心したような顔をするんです」

 

 避けているだけだった廃灰が、少しずつ反撃してくる。カナヲの攻撃の合間合間に、鋭い爪を突き立てようとする。

 

「死にたいけど自殺するのは自分の心の弱さを認めるようでできない……そんな人たちは理不尽な死を望んでいます」

 

 徐々に徐々に、廃灰の反撃の数が増えてくる。

 

「自分のせいじゃない、誰かが悪いわけでもない、天災や怪異に殺されたがる」

 

「それで、その人たちは、殺されて幸せだったとでも言うつもり?」

 

「いえ、僕が言いたいのは……あの時僕が笑ったのも、別に特別なことじゃない。僕程度に世の中を悲観してる人は大勢いる……それが分かったということです」

 

 気が付けば、カナヲが攻めて廃灰が守るという構図が逆転していた。廃灰の攻めの合間を縫ってカナヲが刀を振っている。

 

(ただ動きが読まれてるだけじゃない……この鬼自身の動きも、どんどん良くなってきてる!)

 

 

 急成長。これもまるで炭治郎のようだ。

 動きを読んでカナヲに付いて来ているだけではない。カナヲの方が動きを読み切れない瞬間も多くなってきた。

 

(ど、どうすれば……!)

 

 分からない。分からない。任務は調査及び威力偵察。ある程度力量を把握し、あまり積極的に人を食わないという性格も理解。だからといって人間に協力的というわけでもないという情報も手に入れた。任務は完璧ではないが既に達成している。離脱しようと思えばすぐにでも逃げられる。

 

 

 けれど、この鬼は危険だ。きっと、もっともっと強くなる。そう、まるで炭治郎のように、成長の歯止めがない。やがてはその爪が、牙が、未だ見ていない血鬼術が、しのぶや炭治郎に襲いかかるかもしれない。今なら任務を放棄して殺す気でやれば、勝てる可能性はある。

 

(だ、だめ、決められない……! こ、硬貨を……!)

 

 任務を優先して離脱すべきか、自分の判断を優先して戦うべきか。一度大きく距離を離し、カナヲは懐に手を入れる。

 だがそれで飛び道具や暗器を警戒したのか、一気に近づいた廃灰が、カナヲの手に握っているものを確かめもせずにはたき落とす。

 

「あっ……」

 

 やはり廃灰の戦闘経験は希薄だ。懐に隠せる程度の飛び道具や暗器など、鬼にとっては驚異でもなんでもない。にも関わらず警戒し、腕を振るって硬貨をはたき落としに来た。今、彼の左腕は伸び切り、体の守りは薄い。

 今なら斬れる。硬貨に頼らずに、今この瞬間に決意さえできれば。

 

(カナエ姉さん……炭治郎……!)

 

『きっかけさえあれば、人の心は花開くから大丈夫』

 

『表が出たらカナヲは、心のままに生きる!』

 

 

 

「花の呼吸……!! 陸ノ型、渦桃!!」

 

 

 

 一閃。

 

 

 

 

 

「っ、ぁああぁあ゛゛あぁ゛あ゛あ゛!!!!」

 

「しまった、浅い……!」

 

 頸を斬りきれなかった。苦悶に満ちた叫び声をあげる廃灰の頸は半分ほどまで切り込みが入り、落ちかかっているが、それだけた。

 再生も始まっている。致命傷ではない。

 

 考えようによっては最初の目的の生け捕りを狙える状況だが、既にカナヲは廃灰を殺す意思を固めていた。

 再生に手間取っているうちに、トドメを刺さなければならない。

 

 廃灰も先ほどのように転がることはなく、頸を押さえながらもその目はまっすぐに敵を見据えている。

 

 ……いや、違う。これは急にこちらの動きを読んだ時と同じだ。カナヲを見ながらも、その目はその奥に別の人影を幻視している。

 

 

 

 

『……父さん』

 

 廃灰の目には……父親、竈門炭十郎が映っていた。一種の走馬灯なのか、その手前にいるカナヲの動きは酷く緩やかに見える。幻影の父と、会話ができるほどに。

 

『ここで止まれ。このままだと、お前の行き着く先は……地獄の彼方だ』

 

『地獄の彼方でも世界の果てでもいいよ。自分の意思でそこへ行けるなら』

 

 鬼になったのは成り行きだが、廃灰はそれを拒まなかった。人を食べて生きていくのを受け入れた。拒もうと思えば自殺だって出来たが、それもしなかった。

 それは……普通に生きている間に感じていた、人生の雁字搦めから、閉塞感から逃げ出したかったから。どこか満たれないで、空っぽな大人になりたくなかったから。自由になりたかったから。

 自分が、世の中にたくさんいる鬱屈した人々と違うのは、ひょんなことから力を手に入れたこと。ならば……たとえその先に何が待ち受けていようと、走り抜けていきたい。

 

 

『……そうか、お前は……自分の意志で道を歩きたかったんだな』

 

 幻影の炭十郎は、儚げに微笑む。

 

『すまない、お前を……導いてやれなかった』

 

 背を向けてどこかへ去っていく父の背中。背を向けたまま、炭十郎はその名を口ずさむ。もう長い間聞いていない、その名を……

 

『神楽を思い出したお前には、既に力はある。その力をどう使うかは……お前の自由だ、灰■』

 

 なぜか、自分の名であるはずのそれが、廃灰にはよく聞き取れなかった。けれど……伝わったものもある。

 

「血鬼術……!」

 

 

 誰に習ったわけでもない。ただの感覚として、廃灰は自らの血鬼術の使い方を理解する。幻影が消えた瞬間カナヲの動きも元に戻ったが問題ない。

 

「落日散血!!」

 

 廃灰はその鋭い爪を、血の止まりかけていた自らの首へと振るう。

 わざと煩雑に、掻き毟るように切り裂かれた首から、大量の血がまき散らされ……血はひとりでに動き出し、血の刃となってカナヲに殺到する。

 

「なっ……! 花の呼吸、弐ノ型、御影梅!!」

 

 広範囲に斬撃を振るう型で血の刃を斬りおとすカナヲ。この戦いの中で血鬼術までも会得した廃灰に、殺意を新たに斬りかかろうとするが……

 

「流石に僕も、これ以上深入りするつもりはありません。肉体はともかく……心が疲れたので」

 

 廃灰から噴き出す血は霧状に姿を変え、彼の体を包み込む。

 無惨以外の血には感染力はないとはいえ、無闇に摂取していいものではない。霧の中に入ればどうしても口や鼻の粘膜に触れる。霧中では自分の目もほとんど役に立たない。

 一瞬の躊躇の間に、血の霧はどんどん広がり……それが晴れた後には、何も残されていなかった。

 

 

「逃げられた、か」

 

 

 足跡の痕跡を探りながら、なぜ殺せなかったのか自問するカナヲ。決して殺せない相手ではなかった。

 任務はあくまで特殊な鬼の調査で討伐ではない……が、まるで炭治郎のような急成長に危機感を覚え、硬貨の裏表も見ずに討伐しようと決意したのは紛れもないカナヲ自身である。

 

「炭治郎……」

 

 そう、あの鬼は炭治郎の弟だった。

 

 もしもあの鬼を斬ったら、彼は悲しむ。せめて彼自身の手で引導を渡させるべきだ。そう思うと殺意にほんの少しの陰りが生まれてしまい、結果的に逃がしてしまった。

 

 あの鬼を殺そうと思ったのは炭治郎のため。あの鬼を殺せなかったのも炭治郎がきっかけ。

 

 

「あの鬼……」

 

 炭治郎にも似ているのは勿論だが……どこか、自分にも重なる気がした。

 救われる前の、心を閉ざしていた自分と。

 

 




日の呼吸関連の独自解釈強めだったので、読者様方の反応が知りたいです。
よろしければ評価・感想お願いします。


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炭治郎

炭治郎サイドの話です。
六太の名前を七太にするか迷った末、名前を出さずに茶を濁すことにしました。
この前読んだ竈門一家系オリ主だと普通に六太だったんで気にすることもないかもしれませんが、念のため。


「それじゃあ、炭を売りに行ってくるよ」

 

「ええ、雪が降ってるから気を付けるのよ」

 

「早く帰ってきてねー」

 

「気を付けてねー」

 

 山奥に住む炭売りの少年竈門炭治郎は家族の見送りを受けて街へ繰り出していた。周囲には雪が降りしきっているが、正月のささやかな贅沢のためにも今のうちに稼いでおきたい。

 

「お兄ちゃん」

 

「禰豆子」

 

 そこに、一番下の弟を寝かしつけていた妹、禰豆子とバッタリ出くわす。

 禰豆子はいつも幼い弟妹の面倒をよく見るしっかりした妹だ。彼女がいるから炭治郎も安心して炭を売りに行ける。

 

「お父さんが死んじゃって寂しいんだね。みんなお兄ちゃんにくっついて回るようになった」

 

 クスリ、と明るく笑う禰豆子。だが兄である炭治郎はそこに潜む影を見逃さなかった。

 父親が死んで悲しいのは自分も同じなのに、それをおくびにも出さないで、周囲を安心させようとする気丈な姿。

 そこに一抹の侘しさを覚えながらも、だからこそ長男である自分がよりしっかりしなければ、と決意を新たにする。

 

「あれ、アイツは?」

 

 と、そこで炭治郎は、出かけ際に唯一顔を見ていない、一番上の弟の姿を探す。てっきり禰豆子たちと一緒にいると思ったのだが。

 

「ああ、あの子は隙間風が酷いから窓を補強するって」

 

「そうか、アイツにも助けられてばっかりだな」

 

 上の弟は手先が器用だ。目もいいから細かい作業に向いている。

 炭治郎の家は山奥故に頻繁に家具を買い換えて運び込むわけにもいかず、騙し騙し使って行くしかない。弟は一人で黙々と作業をするのが得意なようで、気づいたらガタの来ていた椅子や机を整えてくれていたりする。

 

 きっと気づかないうちに受けている恩恵も多いことだろう。

 

 無口でよく一人でいるが、それでも心の奥にある優しさを、家族の絆を疑ったことはない。

 

 

(そう、あの時も……あの時もそうだった)

 

 炭治郎はそっと、自分の額……火傷痕に手を這わせる。

 この傷は今禰豆子に抱かれている下の弟が火鉢を倒した時に、()()()()()()()()()()付いた痣だ。だがこれは炭治郎にとっては痣である以上に勲章であり、絆の証である。

 

 慌てて弟に抱きついて背中に庇った俺と、火鉢そのものを蹴り飛ばして遠くにやろうとしたアイツ。結局はやかんの熱湯が俺とアイツにかかって二人揃って火傷を負ってしまったが、幸い大事には至らなかった。

 弟の顔にも火傷痕を残してしまったのは悔やまれるが、それでも2人で協力して下の子を守れたのが嬉しかった。

 それに弟自身は、父の生まれつきの痣にも少し似たその火傷痕を気に入っているように見えた。事実炭治郎も、この火傷を誇りに思いこそすれ、恥ずかしく思ったことは一度もない。

 

 

「それじゃあお兄ちゃん、行ってらっしゃい」

 

「ああ、行ってきます」

 

 

 禰豆子らと別れ、再び歩みを進める炭治郎。

 

(生活は楽じゃないけど、幸せだなぁ)

 

 そんな事を思いながら、雪に足を滑らせないように歩く炭治郎。だがその歩みを止める声が響く。

 

「兄さん」

 

 涼やかでいて、どこか儚げな呼びかける声。上の弟の声だ。

 

「あれ、お前ここにいたのか。てっきり家の中で家具の修理でもしてると思ってたよ」

 

「僕は、皆と賑わいの中にいるより、一人でいる方が好きだからね」

 

 思い詰めているようにも、無感情にも聞こえる声で続ける弟。小声なはずなのに、その声はどうしてか雪に吸収されず、鮮明に耳の奥に届く。

 

 

「そんな、そんな普通の人間だった。僕程度に陰気な人間も、僕程度に歪んだ人間も、きっとたくさんいたんだ。ただ、それが爆発する前に、みんな大人になって忘れていくだけ」

 

 弟はなんだかよく分からないことを言う。彼はいつだったか「一冊で長く楽しめるから」という理由で分厚い本を買ってから、難しい言葉や持って回った言い回しを使いたがる時期があった。でもその時もこんな不明瞭なことは言わなかったし、1年もしたら恥ずかしがって止めていたのに。

 

「僕はあのままじゃ、きっと何者にもなれなかった。けど、世界にはそんな人の方がずっと多いのかもしれない。虚無感を恐れる必要なんてなかったんだ」

 

「なぁ、さっきからどうしたんだ? 今日は様子がおかしいぞ……って、俺も今日はなんか変な気分なんだけどな」

 

 炭治郎自身も今日はなんだが調子がおかしい。先ほど家族を見かけた時になぜか涙が止まらなくなったり、禰豆子が外に出ていると聞いて慌ててしまったり……そこに来て弟の妙な言動。本当に、今日は不思議な日だ。

 

「……本当は分かってるくせに」

 

「え?」

 

 弟はいつの間にか、手に刃物を持っていた。細々した作業の時に使う、万能小刀(ナイフ)

 

 そんなもの持ち歩くのは危ないぞ、と言おうとした矢先……信じられない速さで駆け出した弟が、炭治郎の腹部に刃物を突き立てていた。

 

「あ、う、ぁ……?」

 

 だが、痛くない。なぜか? 隊服を着てるからだ。ちょっとした刃物くらいなら受け止めてくれる。隊服? 隊服ってなんだ? 鬼殺隊の服だ。鬼を狩り、人々を守る組織の……鬼殺隊の、隊服と、刀……

 

 その瞬間、炭治郎の脳内に、見たこともないはずのに、何故か知っている景色が溢れ出す。

 

 

 

『俺の家にはもう一つ、嗅いだことのない誰かの匂いがした。みんなを殺し……たのは多分そいつだ!』

 

『それに、その匂いと一緒に、あいつの……弟の匂いもした! あいつは犯人に連れ去られたんだ! なんでかは分からないけど……』

 

『簡単な話だ。鬼が食いもせずに人を連れ去る理由などない。つまり、お前の弟もまた人間ではない』

 

『なっ……ち、違う、弟も妹も人間だ!』

 

『傷口に鬼の血を浴びたから鬼になった。人喰い鬼はそうやって増える』

 

『俺の家族は、人を喰ったりしない!』

 

『よくもまぁ今しがた己が妹に喰われそうになっておいて』

 

『違う! 俺のことはちゃんと分かってるはずだ!』

 

『ならばお前以外のことはどうだ。弟は今この瞬間にも人を喰っているやもしれんぞ』

 

『それは……!』

 

『な、治す方法を探す! アイツが人を喰ってたら、人間に治してから、俺も一緒に一生かけて償う! 禰豆子にも、誰も傷つけさせない!』

 

『治らない。鬼になったら人間に戻ることはない。だからお前の妹だけでも、ここで殺す』

 

『ま、待ってくれ! 家族を殺した奴も俺が見つけ出すから! 俺が全部、ちゃんとするから……!』

 

『やめてください……どうか妹を殺さないでください……お願いします……』

 

『生殺与奪の権を他人に握らせるな!』

 

 

 

 

『妹が人を喰った時やることは二つ。妹を殺す、お前は腹を切って死ぬ。鬼になった妹を連れて行くというのはそういうことだ』

 

『そして弟が鬼になっていた場合。お前は腹を切らなくていいが、弟は必ず殺せ』

 

『身内へのケジメを見せなければ、妹を連れて歩くことは叶わなくなると思え』

 

 

 

 

 

『君は心が綺麗ですね』

 

『私の姉も、君のように優しい人だった。鬼に同情していた。自分が死ぬ間際ですら鬼を哀れんでいました』

 

『優しくなんてないですよ』

 

『あ、しのぶさんのお姉さんは、貴女の言う通りの人だったんだと思います』

 

『でも俺は……弟に言われたんです。同情は優しさじゃないって。哀れみは悪意がなくても人を傷つけるって』

 

『……面白い事を言う弟さんですね』

 

『ええ、俺は……俺は信じてます。そりゃ、最悪の覚悟もしてるけど……アイツは、生きているって』

 

『昼間うちの子にそう話しているのを聞いた時は、何を甘いことをと思いましたが……私もそう願いますよ』

 

 

 

 

 

 

『置き去りにしてごめんね炭治郎。禰豆子を頼むわね』

 

 

 

 

 

『あの子を……止めて』

 

 

 

 

 

 あの日の、全ての始まりの記憶を取り戻した炭治郎。それを皮切りにして、その後の鬼殺隊としての日々も、後から後から沸騰したお湯の泡ように湧き出てくる。

 そうだ、自分は今、鬼が出るという無限列車の中にいる。炎柱の煉獄さんや同期の善逸と伊之助、勿論禰豆子とも一緒にいた。

 なのにいつの間にか鬼からの攻撃を受け、夢の中にいた。

 

 

 きっとみんなも眠らされて夢を見ている。すぐにでも起きなければならない。

 

 弟のおかげで本当の記憶だけでなく、夢からの脱し方も分かった。『夢の中の死』が『現実の目覚め』に繋がる。

 一人なら怯んでしまうことでも、弟と一緒なら大丈夫。

 

 

「ありがとう……起きて戦ってくるよ」

 

 弟の握る刃物に手を添えて、そっと自らの頸に充てがい……躊躇わずに、一気に切り裂いた。

 その瞬間、覚醒の兆しを感じ、炭治郎は笑顔を弟に向ける。

 

 

 だが、なぜか夢の中の弟は……泣いてるようにも笑っているようにも見える、ぐしゃぐしゃな顔をしていた。

 

 例え幻影だと分かっていても、目が覚める前に、その涙を拭ってやろうとして……手が触れる直前で、目が覚めた。

 

 

 

 

 

 

 この夢の中の弟は炭治郎の本能の警告。既に気づいていたはずの夢から抜け出す手がかりを理解できていなかった為に、本能が弟の姿を借りて現れたに過ぎない。

 

 けれど、それならば弟にあのような不穏な言動や行動を取らせる意味などない。

 

 炭治郎の本能は分かっていたのかもしれない。弟が鬼になっていることも、弟が家族に……自分に対して複雑な心情を抱いていたことも。

 

 けれど、それを炭治郎が本能ではなく理性で理解するのは……ずっと後のことになる。

 

 

 



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同じ場所

あけましておめでとうございます。

去年の12月23日に日間ランキングの下の方に入っていたようで、お気に入り、評価、感想ありがとうございます。励みになります。
年末に忙殺されてなければ連続更新したかった……


 那田蜘蛛山。かつて十二鬼月下弦の伍、累が拠点としていた山である。彼が討伐された今となっては人気がないだけのただの山であるそこに、廃灰はいた。

 カナヲとの戦いの後、流石に住処を変えるべきだと思い立った廃灰だったが……些か思うところがあり、ここに立ち寄ったのだ。

 

 

「貴方とは気が合いそうだったんですが……残念です」

 

 少なくとも今まで会った鬼の中では、彼が一番気が合った。彼も同じような考えを持っていたと思うのは、決して自惚れではないだろう。

 彼もきっと、『家族』というものに対して、愛憎入り乱れた歪んだ感情を持っていたはずだ。

 

「貴方はどうです? 最期に、家族に対して何か見つけることができたんですか?」

 

 返事など返って来ないと分かっているが、それでも語りかけるのが止まらない廃灰。今の自分は感傷的になっているのは自覚している。だが、無惨にこのような情けない醜態を晒すわけにもいかず、死者に語りかけるなどという事をやっている。

 

「貴方と同じ場所で同じ景色を見れば、何かが変わったんでしょうかね」

 

 血鬼術は発現した。下級の鬼という烙印はこれで免れるだろう。義務として無惨に報告した所、血を操るのは上弦の陸の血鬼術に近い性質とのこと。ともすれば既にかつての下弦に近い実力はあるとも言われた。

 だが最早それでは足りない。下弦の鬼が解体された。唯一赦された下弦の壱も、最終的には鬼狩りに殺されたらしい。

 

 なんでも柱や、柱ではないものの無惨が執心する鬼狩りを相手に敗北したとのこと。詳しい話は廃灰も知らない。機嫌の悪い無惨に突っ込んだ話を聞くのが自殺行為であることは、廃灰も鬼となってからの数年で知っている。

 

 十二鬼月に求められる強さは、実質上弦並。柱でもない鬼狩りに苦戦しているような自分ではまだまだ未熟だ。

 

 そして廃灰は、先日の戦闘のことを思い出す。

 

 ふとした拍子に家に代々伝わる神楽を思い出し、その直後、あの蝶々の髪飾りの少女の動きと神楽の動きが重なった。なぜかは分からない。おそらくは大元の起源が同じなのだろうといった、曖昧な推測しかできない。

 さらに、追い詰められた時に見えた父の幻影。あれで血鬼術も発現した。

 

 

「……父さん、兄さん」

 

 父はこんな自分でも助けてくれている。では、兄はどうだろう。自分が鬼であるという情報は鬼狩りに伝わっていた。よしんば未確定情報だったとしても、あの少女の報告によって決定的なものとなる。

 

 知られたくなかったようにも、いっそのこと決別されたいようにも思う。

 

『炭治郎に会いたいって言ってるのに、心の奥では会いたくないと思っていて、でもそのさらに奥ではやっぱり会いたいと思っているような……』

 

「……くそっ!」

 

 髪飾りの少女の言葉を思い出し、苛立たしげに土を踏みしめる廃灰。

 あれは図星だった。だからこそ腹立たしい。少女ではなく、自分への鬱屈した怒りだ。

 

 結局、何をするにも力が足りない。兄を探すのも無惨の役に立つのも、この心を占める鬱々とした思いを振り払うのにも。

 

 もし、脳裏に焼き付くあの神楽を練習し、自分のものにすれば、もっと強くなれるだろうか。けれど、習ったわけでもないものを自分の記憶だけで物にするのは困難と言わざるを得ない。

 

 溜息をついてから、廃灰が山を去ろうとした時、騒がしい喧騒が近づいて来た。

 

「逃がすな、追え!! 鬼を山に隠れさせるな!」

 

「ひ、ひぃいい……! な、なぁアンタ、鬼だろ!? 助けてくれよ!」

 

 喧騒の元にいたのはいかにも、といった風体の鬼だった。大方、調子に乗って人を食べ過ぎた結果鬼狩りに目をつけられたのだろう。少し後ろを複数人の鬼狩りが追ってきていた。

 

 

「噂で聞いたんだ、この山の鬼は、弱い鬼を匿ってくれる、強い鬼だって! アンタがそうなんだろ!?」

 

「すごいですね、全部違います」

 

 累は匿っていたわけではなく、家族ごっこに付き合わせる奴隷の如く扱っていただけだ。そもそもその累はとっくに死んでいる。彼は……今にして思えば、そこまで強い方ではなかった。下手をすれば自分と互角だった花の呼吸の使い手相手にも敗北していたかもしれない。そして言うまでもなく、廃灰は累ではない。

 

「残念ですけど人違いです。あまり鬼同士で馴れ合うのもあの方の不興を買うでしょう。僕はこれで」

 

「待て! 逃がすと思うか! 風の呼吸……」

 

 隊士の1人が、足早に立ち去ろうとする廃灰に立ち塞がり、日輪刀を振るう。

 彼我の実力差も分からない愚者なのか、分かっていてなお立ち向かった勇者なのかは……抜き手で心臓を貫かれた今となっては、永遠に分からない。

 

「なっ!?」

 

「こ、この鬼、強いぞ!」

 

「……やっぱり、この前の鬼狩りが特別強かったんだな」

 

 仲間を一瞬で殺された鬼殺隊たちが、慌てて廃灰を警戒する。だがその中でも冷静だった一人が、落ち着いて逃げていた方の鬼を狙う。

 

「まずは頭数を減らす! 水の呼吸、壱ノ型、水面斬り!!」

 

「ひぃいいいいい!! いいぃいやあああぁああああ!!!!」

 

 迫りくる白刃に情けない悲鳴をあげる鬼。

 見苦しい。そう思った廃灰は……手首を斬り裂いて血鬼術で血の刃を飛ばし、その鬼の頸を斬り落とした。直後、剣士の日輪刀が直前まで鬼の頸だった箇所を虚しく斬る。

 

「いっ、てぇええ!!! な、なぁ、もうちょい優しく助けてくれよ!」

 

「よく喋る人ですね」

 

 跳んできた頭部を片手で掴み、適当にその辺りに投げ捨てようとしたが……ふとそれを止めて、じっと首の接合部から血を流している鬼を見る。

 

「……思いついた事が2つほどあります」

 

 底冷えするような視線と声。その鬼は今さらながら、とんでもない奴に助けを求めてしまったのではないかと後悔した。

 

「あの方の血がもっと欲しい。けれど、何の手柄もないのに不躾に頼むのも憚られる」

 

「ぐ、ぎぃ……!」

 

 ミシミシ、と鬼の首を握り潰さんばかりに力を込める廃灰。

 

「西洋の諺によれば、樽一杯の葡萄酒に一滴の泥が混ざれば、それはもう泥だそうです」

 

 ス、と指を立てる廃灰。その指には先ほど切った手から流れ落ちた血が付着している。

 

「貴方の血が葡萄酒なんて洒落たものかはともかく……僕の血は正しく泥のようなものですね」

 

 自嘲するように笑った後……廃灰は血の滴る自らの手を、鬼の額に突き入れた。

 

「ぐわぁああぁあ!!」

 

 それはまるで、自分が無惨に鬼にされた時と同じような行動。それにより……鬼は口から、大量の血を吐き出した。

 

「貴方の血と僕の血が混ざったことで、貴方の血を操れるようになった」

 

 口だけではなく、耳、鼻、目……頭部の穴という穴から血を吹き出す鬼。

 だが、死なない。鬼は無惨の呪い以外では、太陽の光を浴びるか日輪刀で頸を斬られない限り殺せない。

 

「流石はあの方の血……濃い所は僕の血鬼術程度では操れない」

 

 鬼の頭部に僅かに残った血……廃灰の血鬼術で操りきれなかった分の血こそが、無惨の血の最も濃い部分。

 

「累さんが他の鬼に血を分けたり、回収したりしていましたが……僕なら回収だけをできると思ったんです」

 

「て、め、ぇ……! ぐぎゃ!?」

 

 恨み節を言おうとした鬼を遮り、その顔をさらに切り裂いて……無惨の血の濃い部分を吹き出させる。そこに、まるで恋人に口付けでもするかのように、ゆっくりと、勿体ぶって口を近づけて……血を飲み込んだ。

 

「んくっ、んくっ……なるほど」

 

 無惨の血の濃い部分。それを飲み込んだ廃灰だが……いまいちその表情は芳しくない。

 飲み損ねた1滴の紅い血が、滑るように口元から顎へと流れて行く。

 

「元々分けられた血が少なすぎて、これじゃあほとんど意味がない。上弦並の鬼にやらないと無意味か」

 

「あ……ぅ、お……」

 

 息も絶え絶えな様子の鬼を、廃灰は冷めた目で見つめる。

 

「まぁ、死ぬよりは安いでしょう? この山なら陽も届かないし、余生を過ごすように生きていてください」

 

 興味を失ったと言わんばかりに乱雑に、その鬼の首を放り投げる。ゴロゴロとどんぐりのように転がりながら、鬼の首はどこかへ消えていった。

 

 その一部始終を息を呑んで見つめていた隊士たち。

 目の前の鬼は危険だ。強さもさることながら、それ以上に、どこか寒気を覚える異常性がある。

 

 場合によっては隊士一人か二人を殿に退却し、柱とまでは行かずとも甲の隊員に増援を頼むべきか、だがあの鬼はたまたま立ち寄っただけで、この山を拠点にしているわけではないようなことを言っていた。

 ここで狩らなければ、あの危険な鬼をまた見つけるのは難しいかもしれない。だがここで全滅するわけにはいかない。

 そう迷っていた隊士たちだが……

 

「もう一つの方を試しましょう」

 

 ゆっくりと目元の黒布を外し、風に乗せて遠くへと放る廃灰。その後、まるで誘い込むかのように、両手を広げてただその場に立つ。

 

「あなた方の技……全集中の呼吸でしたっけ? どうぞ、打って来てください」

 

 挑発……というにしても余りにも無防備過ぎる。まるで、ただ攻撃を受けることこそが目的かのように……ただただ無防備に、不気味に立っている。

 だが、こんなまたとない状況でなお逃げの手を打つような人間は、そもそも鬼殺隊などに入らない。

 ほんの一瞬迷った後、隊士たちは各々の型の全集中の呼吸を繰り出した。

 

「水の呼吸、壱ノ型、水面斬り!!」

 

「雷の呼吸、肆ノ型、遠雷!」

 

「風の呼吸、弐ノ型、爪々・科戸風!!」

 

「炎の呼吸、壱ノ型、不知火!」

 

 頸だけは守りながら、隊士たちの斬撃をその身に受ける廃灰。普段は隠している目を大きく見開き、その一挙手一投足を見逃さないように……

 

 

「はぁ、はぁ……くっ、こいつ、頸が硬い!!」

 

「やはり強い鬼か……! 仕方ない、増援を頼むぞ!」

 

 これだけの連撃をしても倒しきれない。諦めて鎹鴉を送り出す隊士たち。飛び去っていく鴉を、何もせずにただ見送る廃灰。

 

「無駄なことを。その鴉が鬼狩りの本拠地に着く頃には、とっくに終わってます」

 

「なに?」

 

「……あなた達の動き、覚えましたよ」

 

 廃灰は自分の爪で手首を切る。人間であればそれだけで失血死する程の夥しい血が、手首から地面に落ちていき……接地する直前でひとりでに浮き上がり、彼の右手を中心に、長刀のようなものが形作られる。

 

「没刀天、とでも名付けましょう」

 

「血の、刀……!?」

 

「刀剣を扱ったことはないですが……貴方たちを参考にするなら、剣術が合いそうですからね」

 

 重さのない、自らの血鬼術による血の刀。剣術は素人だが、それが逆に血鬼術と刀の融合を自然なものとさせた。

 ある程度剣術を齧っていたら、重さのない長刀など逆に使いにくいだけの無用の長物であっただろう。

 

「感謝しますよ、僕の記憶だけでは成し得なかった、欠けた部分を上手く補えそうです」

 

 全集中の呼吸は、全てが日の呼吸の派生。派生ということは、部分的にせよ彼らの型には日の呼吸と重なる部分があるということだ。

 無論廃灰は、ヒノカミ神楽の元になった日の呼吸が、全ての呼吸の始祖であることまでは知らない。だが、何となく起源が同じであるというところまでは推測できていた。

 

 ならば彼がこの行動を取ったのは……目を見開いてわざと技を自ら喰らい、全集中の呼吸の動きを知ろうと試みたのは、必然だった。

 

 

「ヒノカミ神楽……円舞!!」

 

 円舞。ヒノカミ神楽の中でも基本的な、神楽の中で最初に舞う踊りだ。まだ基本中の基本のこれしかできない。だが、もっと鬼狩りと戦い、もっと全集中の呼吸を見れば……どんどん別の舞もできるようになるはずだ。

 

 円を描くように振るわれた血の刀が、鬼殺隊の剣士数人の首を一気に落とす。

 

「なっ……! 全集中の呼吸!?」

 

「そんなはずはない! 見たことのない動き、アレはただの猿真似だ!」

 

 残った隊士のうち二人が散会し、左右から挟み込む。だが、円の動きに対して挟み撃ちというのは、些か悪手だったと言わざるを得ない。

 

「ヒノカミ神楽、円舞!!」

 

 再びのヒノカミ神楽で、廃灰を挟み撃ちにしていた隊士は二人とも殺された。

 

「く、そぉおおお!!」

 

 最後に残った隊士が、雄叫びをあげて迫りくる。

 

「落日散血!」

 

 刀を形作っていた血が、散弾銃のように弾け、最後の一人の体のあちこちを抉る。

 

「くく、くくははは……」

 

 

 覚醒した。ただ思い出しただけではなく、あの神楽を自分はものにできた。その全能感、爽快感に、廃灰は暗い笑みを浮かべる。

 奇しくも廃灰は、炭治郎と同じ場所でヒノカミ神楽に目覚めたのである。

 

 久方ぶりに感じる清々しさと共に、廃灰は山を去った。

 

 

 

 

 

 

 

「イテテテ……あの鬼め、よくもやりやがったな……」

 

 ゴロゴロと転がりながら、廃灰に首だけにされた鬼は愚痴る。体の再生にはまだまだ時間がかかるだろう。

 確かに命は助かったが、このままでは人間も食えない。しばらくしたら襲い来る飢餓状態に、今から憂鬱になる。

 

「あん?」

 

 急に目の前が比喩でなく真っ白になり、その鬼は困惑する。何かで視界を塞がれたようだ。少し首をズラして、白の正体を確認する。

 

「なんだ、ただの花か」

 

 自然への造詣が深くない鬼は、そのまま何も気にせずに再びゴロゴロと転がっていく。

 

 彼が去っていった後には……明らかに自然に咲いたものではない一輪の白百合が、まるで死者への手向けのように、そっと供えられていた。

 



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出会いとも呼べない何か

 鬼舞辻無惨はすこぶる不機嫌であった。下弦の中ではそれなりに見所のあった下弦の壱、魘夢がほとんど何もできずに死んだのも、わざわざ向かわせた上弦の参、猗窩座が柱一人を殺した程度で満足し、あまつさえ例の耳飾りの鬼狩りに一撃を受けたことも、全てが忌々しい。

 

 あれからそれなりの日数が経ったが、どこそこに配置した鬼が狩られただの、最近の鬼狩りは柱以外も強いだのといった不快極まりない情報ばかり入ってくる。不機嫌を治すような朗報は一つとしてない。

 

「どいつもこいつも使えぬ者ばかり……」

 

 無限城の中で思わずため息を吐く無惨。そこに、無機質な声がかけられる。

 

「無惨様、廃灰(はいかい)殿がお見えです」

 

 鳴女。空間移動系の血鬼術を発現した鬼だ。彼女自身の戦闘力はほぼ皆無だが、これほど便利な血鬼術を体得した鬼は他にいない。常に傍に置いて、自らの移動や他の鬼の呼び出しによく使っている。

 

「そうか、繋げ」

 

「はい」

 

 ベベン、という琵琶の音。鳴女の血鬼術の合図と共に、一人の鬼が現れる。

 10代半ばほどの少年の体躯に黒い目隠し、同色の着物、そし額の醜い火傷が特徴の鬼だ。

 

「無惨様、お呼びにつき参上しました」

 

「直接会うのは久しぶりだな、廃灰」

 

 廃灰。太陽を克服する鬼を産み出す為に襲った民家にいた少年だ。個人的に気に入ったのでほぼ確実に耐えられる程度の血を与えて鬼にしたが、彼を発掘できたのは久方ぶりの収穫と言える。

 

 あまり人を喰わなくても飢餓状態にならない変わった鬼で、ともすれば太陽すら克服し得ると無惨は見ている。

 鬼にした当初はあまり人を喰っていなかったが、最近は前よりは積極的に人を喰っているようだ。それでも継続して喰う必要がないが故に、平均的な鬼と比べたらその数は微小だ。

 

 だが無惨は彼を制裁しようとは思わない。

 これで成長が頭打ちであればさっさと人を食いに行かせる所だが……

 

「君は会うたびに成長しているな……人食いよりも元々の素養が大きいのか、猗窩座に近い性質だ」

 

 彼の成長速度は無惨から見ても著しいの一言だった。少し前まで血鬼術もない下級の鬼であったのに、今は既に下弦より一回りは強い実力を備えているように見える。

 

「ありがとうございます、無惨様」

 

 性格もやや陰気過ぎるきらいはあるが従順で好ましく、その内に潜む歪さも評価点だ。思考を読んだが、今も無惨の褒め言葉を素直に受け取り、喜んでいるようだ。

 

「君を呼んだ理由だが……会わせたい鬼がいる」

 

 基本的に無惨は鬼同士が手を結ぶのを好まないが、塁や廃灰のようなお気に入りは例外だ。或いは……

 

「会わせたい鬼……? 累さんの時と同じような紹介、という認識でよろしいですか?」

 

「当たらずも遠からず、だな。会わせたい鬼というのは……そこにいる鳴女だ」

 

 鳴女のように他の鬼と共に運営して初めて真価を発揮するような鬼も例外の一つだ。

 

「そして累の時のようにただ会わせるだけではない。お前たちに仕事をさせたい」

 

 無惨はいつの間にか持っていた地図を広げていた。

 

「君の感知能力と鳴女の血鬼術があれば、面白い事ができるだろう」

 

「感知……?」

 

「君の鼻だ。ある程度限定した範囲でなら、君の嗅覚に勝る索敵はない」

 

 そう言っても廃灰はピンと来ていなさそうな顔をする。

 

「貴方がそう仰るのであれば、そうなのでしょうが……失礼ですが、実感がないです」

 

「血鬼術よりもただの五感が優れているというのは、私も思う所があるが……実例もある」

 

 それこそ先ほど例に出した猗窩座なども、血鬼術はあくまで補助的な役割に過ぎず、自らの拳を武器に戦う性質だ。それでなお、上弦の参に君臨している。事実として、優れた鬼の身体能力は血鬼術を超えることもあるのだ。

 

「鳴女には索敵手段がない。或いはもう少し血を与えれば発現するかもしれんが……鳴女の血鬼術は利便性に優れる故、博打のような真似で失いたくはない」

 

「ありがたいお言葉にございます」

 

 そこで初めて廃灰の前でも声を出す鳴女。廃灰はチラリと彼女の方を見たが、それ以上の行動を鳴女に対しては行わなかった。

 

「将来的には鳴女に血を与えて広範囲の索敵手段を覚えさせるが、その前に試運転、というわけだ」

 

 無惨なりにここ最近の鬼たちの不甲斐なさに危機感……というより我慢の限界があり、下の者たちの中でも見所のある鬼を育てようという気概があった。

 そこで白羽の矢が立ったのが移動に重宝している鳴女と、成長著しい廃灰というわけである。どちらも十二鬼月ではないものの、従順かつ有能な手駒だ。

 

「話は分かったな? では本題に入る」

 

 そう言って再び地図を広げる無惨。

 

「上弦の陸が根を張っている遊廓がある」

 

「遊廓、ですか……」

 

 思考が読める無惨でなければ分からない程僅かに、廃灰が嫌そうな声で答える。

 

「別に君をそこに行かせるわけではないから安心しろ」

 

 無惨は基本的に自分に逆らうような鬼、自分の言うことを否定する鬼はよほど有能でない限り即座に粛清する。だが、その嫌悪感が自分ではなく遊廓という場所そのものに向かっているのが分かっている無惨は、特に気にせずに続けた。

 無惨とてあのような淫売女まみれの穢れた場所に好き好んで行きたいわけではない。

 

「その遊廓に、鬼狩りが潜み混んでいたようだ。堕姫が上手く釣りだしたらしい」

 

「堕姫?」

 

「そういえば君は知らなかったか……上弦の陸は二人で一人の鬼なのだよ」

 

 あくまで上弦の陸は兄である妓夫太郎で、妹の堕姫はオマケ……という本心までは、無惨も言わなかった。

 その横では鳴女が可愛らしく小首を傾げている。無惨がこのように一々疑問点を丁寧に説明することなどほとんどない。よほど廃灰が気に入っているのだな、と彼女は改めて認識する。

 ……初耳の情報を説明しただけでそんな印象になる辺り、普段の無惨の傍若無人っぷりが窺い知れる。

 

 

「敵の規模は不明。柱の存在もまだ確認できていないが、いると考えて動くべきだろう。どちらにせよ、鬼狩りも柱を増援に送ってくるはずだ。君にはその察知及び足止めをしてもらう」

 

 鬼狩りは見ただけで鬼を正確に察知するが、鬼は基本的に柱かそれに準ずる力を持つ者以外は見ただけでは鬼狩りだとは分からない。

 無惨もそれは常々疎ましく思っていたことだが……逆に言えば柱やそれに準ずる者は、ある程度容易に判別できるということだ。

 

「柱を察知したら鳴女の血鬼術でそこまで行き、妓夫太郎たちが鬼狩りを倒すまで食い止めろ」

 

 鳴女の能力を使えばわざわざこんな迂遠な手を使わずとも直接遊廓へ増援を送ることもできるが……そこは本来なら他の鬼を組ませたがらない無惨のこだわりだ。

 あまり大人数の派手な戦いをして鬼という存在がこれ以上世間に認知されるのも、無惨の望まない所である。

 

「柱を倒せとは言わない。日の加減によっては早めに切り上げてもいい。だが、あまり無様な戦いは見せるなよ」

 

「はい。しかし無惨様、本当に足止めだけでよろしいのですか?」

 

「……上弦の参すら柱一人と互角だった現状、認めたくはないが今代の柱はかなりの手練揃いと見える。今の君では勝てないさ」

 

 心底忌々し気に吐き捨てる無惨。嫌なことを思い出してしまった、とでも言わんばかりの苦い表情だ。

 

「本拠地である遊郭で現在潜伏している鬼狩りを殺し、体制を整えた上で増援の柱も葬る。ある程度お膳立てしなければ、上弦とはいえ厳しい相手だろう」

 

 その後も苦虫を噛み潰したような表情で続ける無惨。鬼狩りが手強いのも、上弦とは言え末席の陸では柱が二、三人いれば対処されてしまうことを認めるのも、心底腹立たしいようだ。

 

 説明は終わりだ、とやや早口に言い切った無惨は、近くに置いてあった椅子に腰掛ける。

 

「細かい作戦は鳴女と二人で詰めるといい。私はしばらくここでやることがある」

 

 そう言って分厚い医学書を開いて読書に耽る無惨。青い彼岸花について、彼も自らのツテを頼りに調べているのだ。

 

「はい……では無惨様、失礼します」

 

「失礼します、無惨様。御用の際はお呼びください」

 

 再びベベン、という琵琶の音。気がつくと廃灰と鳴女は、無限城の別室にいた。

 

「さて、と」

 

 無惨の前を辞したことで体勢を楽にした廃灰は、組むことになった鳴女に向き直る。

 

「今回はよろしくお願いしますね、鳴女さん」

 

「はい」

 

 

 ……沈黙。事務的に撤退の合図や地図の再確認をした後、二人の間には気まずい沈黙が流れる。

 

 

「……目、どうしたんですか?」

 

「貴女こそ」

 

 廃灰も鳴女も目の周りを隠している。布を巻くのと髪で覆うという多少の差異はあるが、これはまたとない共通点にして話題の種だ。だが……

 

「……あまり、あのお方以外に知られたくありません」

 

「そうですか。僕も別に大した理由じゃないですよ。説明すると長くなるんで」

 

「そう、ですか」

 

「ええ」

 

 ……再び沈黙。元来廃灰は内気な性格である。そうでなくとも、鬼化して以降付けている、兄へのコンプレックスの現れの一つである目隠しのことを喋る気にはならなかった。

 

 累の時はまだ話しやすかったのだが、彼や廃灰以上に陰気で無口な鳴女とは、特に会話が弾むこともなかった。

 

「……んっ」

 

 もぞり、と鳴女が身じろぎする。

 

「どうかしましたか?」

 

「あのお方より伝達です。上弦の壱、黒死牟様がお見えになります」

 

 上弦の壱。言うまでもなく上弦最強の鬼である。上弦の壱ともなれば事前の連絡(アポイントメント)なしで会いに行っても咎められることはないのだろう。

 

「そうですか……とりあえず僕は、そこで失礼のないようにじっとしてますよ」

 

 そう言いながら、部屋の隅で片膝を付いて頭を垂れる廃灰。

 それを確認してから、ベン、ベベン、という琵琶の音を響かせる鳴女。そしてその数瞬後には、威厳すらある重厚な存在感が……上弦の壱、黒死牟が現れた。

 

「……あのお方の……お耳に入れておきたいことが……ある……繋げ……鳴女……」

 

「かしこまりました」

 

 無言で平伏する廃灰と、それを認識していながら視界にも入れない黒死牟。後から振り返っても味気なさすぎるそれが……二人のファーストコンタクトだった。

 

 



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蛇柱

鳴女の能力便利過ぎて逆に困りましたね…


 蛇柱、伊黒小芭内は吉原遊廓へ向けて夜の道なき道を走っていた。疚しい目的ではない。そこを根城にしている鬼が上弦の可能性が高いと聞いて、急ぎ助太刀に向かっているのだ。

 先行している音柱、宇髄天元も中々の手練だが、単独で上弦相手というのは荷が重い。

 一応は例の竈門炭治郎やその同期たちも同行しているようだが、伊黒は彼らに弾除け程度の期待しかしていなかった。

 

 

「……見つけた」

 

 

 この草原を抜ければ、もう10分もしないうちに着く、と思った直後。前方に突然、月を背にして鬼が現れていた。

 なぜ急に鬼が、と思うよりも先に、伊黒の体はその身に染みついた動きをほとんど無意識で行っていた。

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り」

 

 走っている勢いを殺さぬまま、一直線に鬼に接敵した後、蛇のようにうねる斬撃で首を狙う伊黒。その鬼はせめてもの抵抗か、手を前に出すと……親指と中指を擦り合わせ、空気の破裂音を響かせる。

 鬼の全力の握力で行われるそれは、最早『指パッチン』などという生易しいものではない。それこそ今伊黒が救援に向かっている宇随なら喜びそうな、派手な炸裂音。

 

 その数瞬後……鬼の姿が突如掻き消える。

 

「なにっ!?」

 

 先ほど突然現れた事といい、瞬間移動のような血鬼術の使い手なのかと警戒する伊黒。

 流石にこの時ばかりは遊廓へ急ぐ足を止め、次にどこから現れるか探る。

 

 その少し後、やや遠くにある背の高い草の辺りに、突然鬼の気配が現れる。

 

「遠隔援護は改善点が多いですね……小回りが効かなすぎる」

 

「そこか!」

 

 また逃げないうちに、素早く接近して日輪刀を振るう伊黒。

 速度を得た代わりに得意の正確性を犠牲にした一撃は、鬼の手から──厳密に言えば、先ほどの指パッチンで弾け跳んでいた指から──伸びていた血の刀で防がれる。

 

「その隙のない身のこなし、そして判断の早さ、何より体に染みついた鬼の返り血の匂い……やはり柱ですね」

 

「ちっ、足止めか……鬼も集団行動というものを覚えたらしいな」

 

 単純な腕力では、伊黒は柱の中でも下から数えた方が圧倒的に早い。防がれたまま無理に力押しするのを止めて、一度距離を取る。

 

 逸る心を抑えながら、日輪刀を捩じ込む隙を探す為にその鬼を観察する。

 

 見た目はあまり鬼らしくない鬼だった。角も見当たらず、異形でもない。なぜか黒い布を目の周りに覆っているのが、唯一の直人(ただびと)らしからぬ要素だ。

 

「なぜ顔を隠しているんです?」

 

「ふん、そっくりそのまま貴様に返そう」

 

 鬼……廃灰の軽口にも、取り付く島もない。数ヶ月前、伊黒の恩人の息子である煉獄杏寿郎も、上弦と単独で戦闘し、あと一歩の所まで追い詰めながらも死亡した。そのことが余計に伊黒の心を急かしている。無駄口を叩いている暇はない。

 

「僕はまぁ、あれです、所謂゛ふぁっしょん゛というやつですよ」

 

「興味、ないな!!」

 

 再びの激突。なぜか最初に使ってきた空間転移は使わず、血を操る血鬼術で攻撃してくる廃灰。

 よもやまだ別の鬼がいて、空間転移はそちらの鬼の血鬼術かと推測する伊黒。

 

(だとしたら、なぜコイツはバカ正直に俺と戦う? 足止めならば空間転移を繰り返して一撃離脱を繰り返すのが上策のはず……)

 

 なにか制限があるのか、思惑があるのか。結論から言ってしまえば両方である。

 

 戦闘区域から離れて琵琶を弾いている鳴女からは、細かい戦闘の様子が見えない。先ほどの指パッチンのような合図があった時に転移させてはいるが、それも小回りが効かない。伊黒にピッタリと張り付いて足止めし続けるのは無理だ。かと言ってほとんど戦闘力のない鳴女を目視で戦闘を確認できるような近距離に近づけるわけにもいかなかった。

 そしてもう一つ……せっかくサポートありで柱と戦うという機会があるのだから、その研ぎ覚まされた全集中の呼吸を見て、ヒノカミ神楽と重なる部分を探りたいという廃灰の思惑があった。

 

「ヒノカミ神楽……円舞!!」

 

 柱相手に出し惜しみの必要はない。すぐにヒノカミ神楽を使う廃灰。だが流石は柱、以前戦った隊士たちとは身のこなしが段違いだ。

 

「蛇の呼吸、弐ノ型……狭頭の毒牙」

 

 廃灰の円の動きに対して、隙間を縫うような正確無比な斬撃を次々と放つ伊黒。致命傷は与えられていないが、少しずつ廃灰の回復が追いつかなくなっていく。

 

「終わりだ!!」

 

 伊黒の青紫の日輪刀が、廃灰の血の刀……没刀天を大きく弾く。返す刀で頸を狙う伊黒。だがその前に、廃廃は再び指を鳴らして爆音を立てる。

 そしてまたも指から飛び散った血が、弾丸のように伊黒を襲う。無論伊黒は何の問題もなく身を躱したが、そうやって稼いだ数瞬の間に、合図を聞いた鳴女が廃灰を少し離れた場所に転送する。

 

 

「厄介な……」

 

 戦っているうちに、伊黒は鬼が二人組であることを察した。一回目も二回目も不必要な程に大きな指を鳴らしてからの発動。そして指を鳴らしてから転移までの一瞬というには少し長いタイムラグ。さらには相対している時に使っている血を操る血鬼術。転移という足止めにうってつけの能力がありながらそれを多用しない鬼……これだけの情報があれば、戦闘経験豊富な伊黒には簡単に推測できる。

 

 無論、血鬼術の発動に指を鳴らす、楽器を弾く等の行動を必要とする鬼は見たことがあるし、分身や潜伏といった複数の血鬼術を覚える鬼も見たことがある。だがその両方の性質を持っているというよりは、遊郭へ向かうのを阻止している事からも分かるように、集団行動をしていると考えた方が伊黒には自然に思えた。

 

 鬼というのは本来群れないものだが、例外がないわけではない。

 

「なるほど、蛇のようにクネクネと曲がる手先で頸を狙うわけですか」

 

 伊黒が脳裏で素早くそんなことを考えている間に、離れた場所から戻ってきた廃灰がポツリと告げる。

 

「そういう貴様は妙な技を使うな、まるで全集中の呼吸だ」

 

 伊黒は勝負を急いでは逆に時間がかかると見て、焦りを抑える意味を込めて敢えて廃灰の軽口に付き合った。

 

「まだまだこんなものじゃないですよ。もっと面白いものをお見せしましょう」

 

 そう言うと廃灰は、手首を切り裂いて再び血の刀に作る。

 

「やはり柱は効率が段違いだ……今の僕ならできる」

 

 意味の分からないことを言いながら歪んだ笑みを浮かべる廃灰に、伊黒が警戒を新たにした瞬間……廃灰が跳んだ。

 

「ヒノカミ神楽、火車!!」

 

 

 垂直方向にクルクルと回転しながら、鋭い斬撃を見舞う廃灰。

 この数ヶ月の間に、廃灰はそれなりの数の鬼殺隊と戦い、その動きを見てヒノカミ神楽との共通点を見出し、覚えていた。そこに来て優れた呼吸……猿真似ながらヒノカミ神楽に近い呼吸を使う柱との戦い。蛇の呼吸は伊黒が独自に編み出した呼吸だが、その大元は水の呼吸だ。ヒノカミ神楽の習得に使えない道理はない。

 

 つまり、今まで円舞しか使えなかった廃灰が、柱との戦いの中で他のヒノカミ神楽を使えるようになったのである。

 

「ふんっ……蛇の呼吸、肆ノ型……頸蛇双生」

 

 廃灰の攻撃をバックステップで躱し、そのまま揺れ動く剣筋で左右から挟み込むように……二つ頸の蛇が獲物を狙うように頸を狙う型を出す。

 

「斜陽転身!!」

 

 再び空中に跳び上がりながら、躱しざまに横薙ぎに刀を振るう。

 本来なら、ヒノカミ神楽を極めていない者が連続して舞うのは激しい疲労を伴う。だが……

 

「疲れない呼吸が不完全でも、鬼なら関係ない」

 

 鬼には体力の上限がない。かなり鍛錬を積んだ炭治郎ですら神楽の連発にはかなりの負担がかかる。

 だが、鬼には関係ない。鬼になったから、神楽を十全に扱える。本当はもっと尊い何かの理由で先祖代々伝わっているのが分かっていながら、鬼になって人に仇なす目的でなければ使えない。

 その矛盾を振り払うかのように、次々とヒノカミ神楽を連続して舞う廃灰。

 

「右目がほとんど見えてないようですね!!」

 

 戦っているうちに気づいたのか、片方の目の色が違うのを見て察したのか。廃灰は常に伊黒から見て右側……見えていない方の目に回り込む形を維持する。

 

「ネチネチとした嫌な戦い方だな……だが!」

 

「シャーーー!!」

 

 伊黒の連れている蛇、鏑丸が鳴き声をあげた瞬間、伊黒はまるで見えているかのような正確な動きで、死角にいたはずの廃灰に刀を振るう。

 

「くっ!?」

 

 まともに打ち合えば柱には勝てないことを分かっている廃灰は、これまでは舞うように跳び回りながらのヒットアンドアウェイで戦っていた。

 だが死角にいて油断したのか、伊黒の斬撃を正面から受け止めてしまい、鍔迫り合いの要領になる。

 いくら伊黒自身は非力とはいえ、血鬼術でそれらしい形にしただけの没刀天では、鍔迫り合いは不利。しかも両手が塞がっているから、鳴女に合図を送ることもできない。

 

「盲導犬ならぬ盲導蛇ですか……大したものですね」

 

「ふん、それだけでは……ないっ!」

 

「ごふっ!!」

 

 鍔迫り合い中の刀から片手を離した伊黒が、廃灰が力を入れて押し返すよりも早く……彼の腹部に重いアッパーを放つ。しかもどういう理屈なのか、腹部にめり込んだ拳を中心に、廃灰の体が動かなくなる。

 それは奇しくも、伊黒が柱合会議の折に炭治郎に対して行ったのと、同じ系統の技であった。

 

 こうなっては隙だらけだ。何度目かも分からないが、今後こそ廃灰の頸を斬ろうとした伊黒だが……その瞬間、没刀天の鍔の部分が、伊黒の顔目掛けて伸びてきた。

 

「ちぃっ!」

 

 咄嗟に飛び退いたおかげで、頬を軽く斬っただけで済んだ。幸い何事もないようだが、鬼によっては毒を仕込んでいる事もある。本当なら掠り傷も負いたくなかった。

 

「俺としたことが、見た目に騙されたな……鬼の使う刀が真っ当な刀であるはずもないか」

 

 頬から流れる血を乱雑に拭う伊黒。上弦どころか下弦ですらない鬼相手にこのザマとは、と歯噛みする。だが……

 

「……どうして喜んでるんです?」

 

「なに?」

 

「人の核心に踏み込むのは嫌いですが、気になってしまいましてね」

 

 だが廃灰には、歯噛みする伊黒が違う風に見えたようだ。

 

「貴方、血を流して喜んでいたでしょう? 匂いましたよ」

 

 伊黒にとって自らの血は、罪深い一族の穢れた血でしかない。叶うことなら全ての生き血を抜いて取り替えたいくらいだ。

 故に、生まれてきたことそのものが赦されざる罪である自分が、鬼との戦いで人を救うことには真っ当な喜びだけでなく……血を流すことによる暗い喜びがあったのも事実だ。だがそれを見抜かれたのは初めてだ 。しかも、こんな短期間で。

 

 

「……鬼と話す舌は持たん」

 

「舌? ああ」

 

 シュルリと、廃灰は目に巻いていた黒布を外す。あれを巻いていても特に問題なく見えていたようだが、それでもない方がよく見えるのか、露わになった目でジッと伊黒を見つめる。

 

「そういうことですか、舌というか口というか」

 

 その瞬間、自分の蛇のように裂けた口を……一族が寄生し、盗品を恵んで貰っていた鬼にやられた傷を見透かされているような気がして、伊黒は駆け出していた。

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り!」

 

 ガキン、と鈍い金属音。伊黒の日輪刀は廃灰の没刀天によって防がれていた。

 

「どうしました? 動きが荒くなってますよ」

 

「黙れ……」

 

「血を流して喜ぶのと、その口の傷が関係あるんですか?」

 

「黙れ……!」

 

「何かに負い目があるんですか? 生きていることそのものに負い目があった僕に……鬼になったばかりの頃の僕みたいな目をしてますよ」

 

「貴様のような悪鬼と一緒にするなぁああ!!」

 

 目隠しを外した途端、見透かすようなことを言い出す廃灰に、伊黒は激怒した。

 

「蛇の呼吸……! 参ノ型、塒締め!!」

 

 蛇がとぐろを巻いて獲物を締め付けるように、ねちっこく、執拗に斬撃を浴びせる伊黒。

 技巧派の彼らしくない、力任せの滅多打ち。だがそれでも素の実力が上故に、その太刀は廃灰をどんどん追い詰めて行く。だが、目の前で一心不乱に刀を振るう伊黒の型を間近で見て……廃灰はまたも笑みを浮かべた。

 

「ヒノカミ神楽……炎舞!!」

 

「ぐうっ!」

 

 炎舞。演目の終わりに舞うヒノカミ神楽で、一度伊黒と距離を置く。円舞と炎舞、そして他のいくつかの型……使いこなすとはとても言えないが、ただ舞うだけなら十分と言える型を思い出し、物にすることができた。

 

「潮時か……これ以上やってるとそのうちやられてしまいそうですし、足止めは十分ですね。後は上弦に任せましょう」

 

 廃灰は没刀天にそっと触れる。すると、刀を形作っていた自らの血がゆっくりと水蒸気のように蒸発し……それがそのまま煙幕となって廃灰を隠す。

 

「なっ……待て!!」

 

「皆既ノ簾!!」

 

 血の煙幕がより大きく、高く、モワモワと周囲に散漫する。それでも果敢に煙幕の中に飛び込み、気配を読んで日輪刀を振るう伊黒だが……

 

「ちっ、また転移か……」

 

 気配は現れた時と同じように、なんの跡形もなく消えていた。

 また現れたら面倒だが、あの鬼の目的は本人も言っていたような足止めで、既に目的は達成されているのだろう。

 おそらくはこれ以上無理に自分を襲っては来ないと結論付けた伊黒は、先ほどの鬼についてしばし思案する。

 

 妙な鬼だった。特にあのこちらを見透かしたような発言。不愉快極まりないと同時に、図星でもあった。

 

 そういえばあの鬼はふぁっしょん……ファッションという横文字を使っていた。明治維新すら既に伊黒が産まれるより前の事である大正の世の今、別に横文字くらい使う人間はいくらでもいる。しかし、長く生きている強い鬼はそういった新しい言葉を使いたがらない傾向にある。

 だがあの鬼は、まるで本で知ったばかりの言葉を使いたがる子供のような言い方で横文字を使っていた。

 鬼の見た目というのは年齢を図る材料には使えないが……あの鬼は見た目通りの年齢なのかもしれない。

 

 無論伊黒は相手が本当に子供だとしても、鬼である以上手加減などしない。自分の過去を見透かしたようなことを言ってきたのは……子供特有の勘か、あるいは……

 

「そんなことを考えている暇はないな」

 

 つい思考の海に沈んでしまいそうになった伊黒だが、かぶりを降って考えを捨てる。

 確かに妙な鬼だったが、今はそれよりも重要なことが……仲間の救援がある。

 

「思わぬ足止めを食った……死ぬなよ、宇随」

 

 そして再び遊廓へ向けて走る伊黒。今度は、途中でその足を止める存在は現れなかった。

 



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炭治郎‐弐

再び炭治郎視点です。
回想ゴリ押し以外でも描写できるようになりたいなぁ。


 煉獄の死を乗り越えて、無限列車から帰還した炭治郎たち。

 取り急ぎの応急手当を受けた炭治郎は、煉獄の遺族に彼の遺言を伝えるために、機を見て病室から抜け出そうとしていたが……そこに突然、カナヲが現れた。

 

「炭治郎」

 

「カナヲ? どうしたんだ?」

 

「……伝えなければならないことがある」

 

 神妙な面持ちで炭治郎にそう告げるカナヲ。だがその真剣な空気を壊す空気の読めない男たちが彼の周りには多い。

 

「た、たた、たたた炭治郎ぉおお!!! ま、まさかおみゃえぇえ!! カナヲちゃんとぉおおおお!!!」

 

「おい、うるせぇぞ紋逸!」

 

「うるせぇぇええええ!! これが落ち着けるかぁあああ!!! 炭治郎お前、お前は前から怪しいと思ってたけどさぁ!! 女の子に個別に呼び出されるとかもうアレじゃん!! 絶対アレじゃん!!」

 

「アレってなんだ? 貢ぎ物か!? カツヲがお前らの親分である俺様を差し置いて、炭八郎に山の幸を捧げるってのか!?」

 

「ちょ、ちょっと伊之助さん! 善逸さん! ああもう……!」

 

 病室での大騒ぎに何事かとアオイが来てみれば、いつも通り善逸が意味の分からないことを言いながら叫び回って、それに便乗して伊之助も騒いでいる。

 カナヲが炭治郎に大事な話があると言っていたが、こんな状況では話すのは無理だろう。

 炭治郎は応急手当はしたが安静にしなければならない。ここは比較的軽傷かつギャーギャーうるさい二人を引き離すべきだろう。と、アオイは冷静に判断する。

 

「カナヲ、あの二人は私がどっかにやるから、炭治郎さんとはここで話してね」

 

 そう耳打ちするアオイ。カナヲがこくり、と頷いたのを見てから、アオイはなぜか善逸に組み付いている伊之助の肩をガッシリと掴む。

 

「行きますよ伊之助さん! そのまま善逸さんを抑えててくださいね!」

 

「ぎゃああぁあああ!! やめろぉ!! 引っ張られるならアオイちゃんがいい!! なんで俺を掴んだ伊之助をアオイちゃんが引っ張ってるのぉ!?」

 

 いぃいいやぁあぁ〜、猪突猛進ーー! といつも通りの叫び声を響かせながら去っていく善逸たち。

 そんな二人を苦笑しながら眺めていた炭治郎が、カナヲに向き直る。

 

「それで、どうしたんだ、カナヲ?」

 

「ごめんなさい炭治郎。こういう時、どんな風に言えばいいのか分からないから、結論だけ言うね」

 

 しのぶに報告した時にどう伝えるべきか相談もしたが、結局ただありのままを伝えるしか思いつかなかった。

 

「貴方の弟は、鬼になってた」

 

 瞬間、炭治郎が固まる。時が止まってしまったかのような沈黙が、二人を支配する。

 

「あまり積極的ではなかったけど……人を、食べてたみたい」

 

 沈黙に耐えきれず、そう続けるカナヲ。

 

「……ごめん、殺せなかった。貴方の弟は、きっとこれからも……罪を重ねる」

 

 違う。こんなこと言いたいわけじゃない、と歯噛みするカナヲ。でも回らない舌と鈍い脳みそは、気の利いた言い回しなんてできない。もっと言い方というものがあるはずなのに、ただただ淡々と言うことしかできない。

 

 それ以上言えずに、俯いてしまうカナヲ。けれど……

 

「ありがとうカナヲ、伝えてくれて」

 

「え?」

 

 けれど炭治郎は、そんなカナヲにも、笑顔だった。

 

「炭治郎……」

 

「俺は大丈夫。冨岡さんや鱗滝さんから、覚悟はしてるように言われたから。それに」

 

 そう言って、何かを思い出すように上を見上げる炭治郎。

 

「どれだけ辛くても、胸を張って生きる。心を燃やす。そう……煉獄さんと約束したから」

 

 それは裏を返せば、今とても辛いということ。当たり前だ。

 カナヲには今の炭治郎がどれだけ辛いか見当もつかない。カナエの訃報を聞いた時は悲しかった。目の前が真っ暗になった。けれど鬼殺隊である以上、その覚悟はずっとしていた。

 でも、死んでしまう覚悟と鬼になってしまう覚悟は違う。

 もし、もしもカナエがあの日死なずに鬼になってしまったとしたら。それで人を襲ってしまったとしたら。自分は勿論しのぶだって、折れてしまっていたかもしれない。そんなこと、考えたくもない。

 

「ごめん、でも、少しだけ……少しでいいから、一人にさせて貰っていいかな」

 

「……うん」

 

 もっと違う伝え方があったのかもしれない。先延ばしにしても仕方ないとはいえ、煉獄の死に苦しんでる今じゃなかったのかもしれない。けど自分は、すぐに伝えなかったら、いつ言えばいいのかも分からない。

 暗い表情のまま、病室を出ていくカナヲ。少し、どうするべきか迷って、そのまま部屋の前で立っていたが……啜り泣くような声が聞こえてきて、逃げるようにその場を去っていった。

 

 

 その後、炭治郎が傷も癒えない中で煉獄の遺言を伝える為に彼の家へ向かい、カナヲが炭治郎がいなくなったのは自分のせいかもしれないと慌て、蝶屋敷が大騒ぎになった。

 

 

 それから、4ヶ月後……炭治郎は音柱、宇髄天元の援護のため、遊廓にいた。

 

 単独で上弦の陸の片割れ、堕姫と戦う炭治郎。戦いの中で一時的に気を失ってしまい、代わりに禰豆子が戦っている間……ふと、真ん中の弟の……竹雄の言葉を思い出す。

 

『兄ちゃん、兄ちゃんと姉ちゃんはよく似てるよな。優しいけど怒ると恐い』

 

『姉ちゃん昔、小さい子にぶつかって怪我させたガラの悪い大人にさ、謝ってくださいって怒ってさ』

 

『その時は周りに大人が大勢いたから良かったけど、怖かった俺。人のために怒る人は、自分を顧みない所があるから』

 

『そのせいでいつか、大切なものを無くしてしまいそうで怖いよ』

 

 その後、少しの間を空けてから、竹雄は続けた。

 

『それに……ちぃ兄ちゃんのことも心配なんだ』

 

『ちぃ兄ちゃんはあの時、姉ちゃんの横に立って……姉ちゃんのかんざしに手をかけようとしたんだ』

 

『向こうからは見えてなかったみたいだけど、もし揉み合いになってたら……かんざしを刺してたかもしれない』

 

『ちぃ兄ちゃんは、自分に自信がないみたいだけど、やる時はやる人だよ。でも……やりすぎないか心配だよ』

 

 

 その後目を覚まし、暴走して人を襲いかけていた禰豆子を必死に止める。

 何とか禰豆子をなだめ、宇髄天元とも合流して堕姫を倒す。だが、真の上弦の陸、妓夫太郎が現れ、堕姫もなぜか復活し、遅れて合流した善逸や伊之助、宇髄の嫁も含めての大混戦となった。

 

 二人で一つの鬼である妓夫太郎と堕姫の頸を同時に落とさなければ、上弦の陸は倒せない。二手に分かれ、炭治郎は宇髄と共に妓夫太郎と戦うも……途中、気を失ってしまう。

 

 そこで夢に見るのは……再び、過去の記憶。かつて禰豆子に言われた言葉。

 

『謝らないでお兄ちゃん。どうしていつも謝るの? 貧しかったら不幸なの? 綺麗な着物が着れなかったら可哀想なの?』

 

『そんなに誰かのせいにしたいの? お父さんが病気で死んだのも悪いことみたい』

 

『精一杯頑張っても駄目だったんだから仕方ないじゃない。人間なんだから誰でも……何でも思い通りにはいかないわ』

 

『幸せかどうかは自分で決める。大切なのは"今"なんだよ。前を向こう、一緒に頑張ろうよ、戦おう』

 

『謝ったりしないで。お兄ちゃんならわかってよ、私の気持ちをわかってよ』

 

 そう、泣きながら言っていた。そうだ、俺は、ダメな兄貴だったなぁ。気を使うあまり、禰豆子にあんなことを言わせてしまって。そう朦朧とした頭で考えるうち、別の景色も頭をよぎる。

 そう、あれは……確か、弟に……

 

『兄さん、頑張れって言わないで。僕は僕なりに精一杯頑張ってるつもりだよ。これ以上は無理だよ』

 

 ああ、分かってるよ。でも、辛そうだったから、少しでも楽になって欲しくて。確か、そんな感じのことを返したと思う。

 

『……兄さんは凄いね、周りから期待されればされるほど、それに応えようと、どこまでも奮起できて』

 

 ああ、だから俺は、お前にも……

 

『でも……みんながみんな、兄さんみたいには、できないよ。重すぎる期待は、人を潰す……それを、忘れないで』

 

 

 

 そこで、目を覚ます。そして、上弦の陸、妓夫太郎と戦い……仲間たちとの共闘の末、妓夫太郎と堕姫を同時に倒した。

 

 その後、負けた責任を押し付けあって醜く言い争う鬼の兄妹。それを見て炭治郎は……そっと、仲裁に入った。

 

「仲良くしよう、この世でたった二人の兄妹なんだから」

 

 鬼は哀しい生き物だ。

 

「君たちのしたことは誰も許してくれない」

 

 鬼として人を喰ったことは、決して赦されない。

 

「殺してきたたくさんの人に、恨まれ憎まれて罵倒される」

 

 その憎悪の波に晒されながら、最後は灰になって消える。

 

「味方してくれる人なんていない。だからせめて二人だけは……お互いを罵りあったらダメだ」

 

 それが鬼の運命。宿命。そうすることが鬼殺隊が代々受け継いできた意志。

 

「悔しいよぅ悔しいよぅ!! 何とかしてよお兄ちゃあん!! 死にたくないよぉ、お兄っ……」

 

「梅!!」

 

 堕姫と妓夫太郎が灰になって消えていくのを見届けてから、炭治郎は宣言する。

 

「禰豆子、俺は……アイツを止める」

 

 あの日、炭治郎の弟は鬼になった。禰豆子のように寝るだけで済むのは奇跡的な例外。弟は既に人を食っている。赦されないことをしている。

 ならばやることは一つ。

 

「あの日……お前が連れ去られないように、守ってくれたのかな」

 

「う、うー?」

 

「はは、覚えてないか、そうだよな」

 

 それでも、心のどこかでまだ弟を思いやる心が残っている。けれどそれはもう仕方ない。家族なのだ、情を完全に捨てることなどできない。でも、だからこそ……

 

「これ以上罪を重ねる前に、俺が……せめて俺の手で、兄ちゃんと弟として、殺してでも止める」

 

 慈しく、哀しい鬼退治への決意を固める炭治郎。

 

「うー! うー!!」

 

「禰豆子……?」

 

「ううーー! ううーー!!」

 

 だが禰豆子は、一人で決意を固める炭治郎に、不満そうに声をあげる。

 

「そうか、禰豆子……お前も、一緒に……戦ってくれるのか」

 

 コクリと頷く禰豆子。そうだ、これは鬼と鬼殺隊の問題である以上に、家族の問題でもある。禰豆子も一緒に、弟殺しの十字架を背負ってくれる。

 そのことに、少しだけ安堵しながら……炭治郎は後始末のために現れた隠と合流し、治療を受ける。

 

 

 

 そして、溜まりに溜まったダメージのせいで、昏睡状態に陥っている間……炭治郎はまたも夢を見る。

 細胞の記憶。これは炭治郎の記憶ではない。祖先の誰かの、過去の記憶だ。炭治郎の視界の前には、自分や父のような痣を持った男性がいた。

 

『炭吉、道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ』

 

『時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく』

 

『お前には私が何か特別な人間のように見えているらしいが、そんなことはない』

 

『私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ』

 

『何の価値もない男なのだ』

 

 ああ、そんなふうに、そんなふうに言わないで欲しい。どうか、頼むから自分のことをそんなふうに……

 

 

 

 思わず口にしようとした瞬間、景色が切り替わる。

 さっきまで見えていた痣の男性が搔き消え、中年の農夫が目の前に現れた。

 

 

『あそこの廃寺? 昔、気狂いが子供を殺すって事件があってから、鬼だの幽霊だのと変な噂が絶えないけどねぇ』

 

 農夫の男性は、手拭いで汗を拭きながらそう言う。

 

『肝試しもいいけど、今日はもう日も落ちたし、せめて明るい時に大人と下調べしてから行くんだよ。幽霊は迷信にしても、浮浪者が住み着いてるかもしれないからね』

 

『ええ、ありがとうございます』

 

 あっ、という声にならない驚き。これは、弟の声だ。炭治郎は今、鬼になった弟の、過去の記憶を見ている。そう、直感で理解した。

 そのまま荒れ果てた廃寺に行く弟。無遠慮に周囲を散策していると……供花を携えた少女がいた。

 

『食べやすい浮浪者を探していたら、女の子に会うとは……運が良いのか悪いのか』

 

 やめろ、殺すな。喰うな。必死に叫ぶけれどその声は届かない。なぜならこれは弟の記憶。既に起きてしまった、不変の過去だから。

 

『こ、殺す、の……?』

 

 少女は花を落とし、怯えたような目で弟を見る。

 

「ええ、殺します。正解に言えば食べます」

 

 止めてくれ。こんなもの見たくない。既に起こったことで、もうどうにもできないとしても……いや、だからこそ見たくない。弟が人を食う姿なんて。

 

『自分の罪を誤魔化す気はありません。今日、僕は……鬼になる。人を食べる。そうしなきゃ、ならないんです』

 

 葛藤を捨てきれない声で宣言する。ああ、当たり前だ。禰豆子は大丈夫だったけど、普通は鬼になったら人を食べなきゃならない。きっとこうして弟は人を喰い、後戻りができなくなって、心まで鬼になってしまったのだろう。

 そうして、弟が震える手を目の前の少女に伸ばした瞬間──

 

 

 

 

 

『待ってたよぉ』

 

 

 

 

 少女が嗤った。

 

『え?』

 

 突然の豹変に、弟の手が止まる。

 

『ずっと、こんな日が来てくれないかと思ってた。自殺したら負けだから……皆が死んで、私だけ守られて、なのに守ってくれた人を裏切って、それでも生きるしかない事に絶望してた』

 

 早口で捲し立てながら、ずい、と弟に近寄る少女。

 

『親切な人の養子になって、声も出せるようになって、表面上の幸せで蓋をしてた』

 

 そのまま着物を引っ張って、自らの血色の良い首を露出させる。

 

『鬼なんでしょ? あの時みんなを殺したのと同じ、鬼なんでしょ? なら殺してよ。もう疲れたの。あの人を探すのも、あの人や友達に負い目を抱えて生き続けるのも』

 

 かろうじて、この少女は過去に鬼に大切な人を殺されたことがある、ということは伝わった。だが、行動の意味は分からない。

 

『でも自分から死んだらあの人を裏切るから……これ以上あの人を裏切れないから』

 

『さっきから、何を……?』

 

『私はあの日ここで死ぬはずだったの! 生き残るなら私じゃなくて、ちゃんと先生を庇える子が生き残るべきだったの!!』

 

 何を言っているのかは分からない。けれどこの子は……死ぬのを望んでいる。しかもただ自殺するのではダメなようだ。偶発的に鬼と出会い、どうしょうもない状況で殺されることを望んでいた。ひょっとしたら嫌な噂のある廃寺に足を運んでいるのも、気の長い自殺だったのかもしれない。

 

『ねぇ、殺してよ!! あの時はここで、私の友達を笑いながら殺したじゃない!』

 

『ひっ』

 

 目を剥いて、鬼気迫る表情をした少女がにじり寄る。弟は気圧され、後ずさる。

 

『あ、頭おかしいんじゃないですか……!?』

 

 そのまま一歩、二歩と少しずつ少女と距離を取る。

 

『ま、待って!! ねぇ、アナタに、鬼に殺されないと意味がないの!! 殺してよ、やっと会えたのに、それはないでしょ!?』

 

 そのまま女の子は着物がはだけるのも厭わずに、弟の足に縋り付く。

 

『殺して……私を殺してよぉおおぉおおお!!!』

 

『ぼっ……! 僕に触るなぁ!!』

 

『あがっ!』

 

 縋り付いたまま、半狂乱になって叫ぶ女の子を、力の限り振り払う。鬼の全力で地面に叩きつけられたその子は……頭から大量の血をダラダラと流して、ピクリとも動かなくなった。

 

『あっ、あ、ああぁあっ……!』

 

 青い顔をした弟が、ワナワナと震えながら後ずさる。

 

『違う、なんで、なんでこんな……っ!!』

 

 そのまま人を呼びもせず、女の子を食べるわけでもなく、逃げるように全力で走ってその場を離れる弟。

 

『はっ、はっ、はっ、はっ……! あぐっ!?』

 

 鬼の全力疾走により、周りの景色がどんどん変わっていく。そのままどこまでも走り続けていくかと思われたが……木の根に足を引っ掛け、顔面から盛大に転ぶ。

 

『っ、なんで……どうして喜ぶんだ……! どうして、僕は間違ってるって、言ってくれなかったんだ……!』

 

 大地に身を投げ出したまま、土を握りしめ、うずくまる弟。その声は泣きそうな、何かに縋りたそうな、聞いているだけで胸が締め付けられるような声。

 

『抵抗してくれたら、僕は……僕は……!!』

 

 

 

 止めてくれ。せっかく決意したのに、その先の言葉を聞いたら、俺は……

 

 

 

 

『助けて、兄さん……』

 

 

 

 

 そこで、炭治郎は目を覚ます。夢で見た内容は、ほとんど忘れていたが……その頬には、なぜか涙が伝っていた。

 

 




最後に出てきた女の子は悲鳴嶼さんが面倒見てた孤児の生き残りの沙代ちゃんです。
なんか悲鳴嶼さんを看取った隠が沙代ちゃん説とかありましたけど、僕は違うと思います。
もしファンブックとかで沙代ちゃん説が確定したら、似たような境遇のオリキャラだったってことにします。


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決戦の予感

土日に更新したかったのですが間に合いませんでした。
今週は頑張ります。


「鳴女さん」

 

 遊郭へと向かう柱の足止めを終えた後のこと。廃灰は感情を感じさせない声で言う。

 

「明日以降、たくさんの鬼狩りと戦う任務があったら、なるべく僕に回してくださいよ」

 

「それは……」

 

 それは本来なら十二鬼月に回ってくるような任務。当然にべもなく断わろうとする鳴女。

 

「柱とも劣勢ながらやり合えるのは今証明しました。すぐに互角……いや、殺せるようになりますよ。徒党を組んだだけの鬼狩りなら問題になりません」

 

 だがそれよりも早く、廃灰が制止を逆に制する。

 

「別にあのお方の命令に背けと言っているわけじゃありません。自由が効く時になるべくで結構です」

 

「……確約はできませんよ」

 

「ええ、それで結構です」

 

 相変わらず何を考えているのか分からない廃灰。上弦ではない故にその後の妓夫太郎と堕姫が殺されたことによる会議にも参加しなかった。

 ともすれば気ままにも見えるフットワークの軽さだが、鬼狩りは積極的に狩っている故に無惨から叱責されることもない。

 

 それから幾ばくかの時が流れたある日のこと。それなりの規模の鬼狩り部隊の動きを察知した鳴女は、上弦の誰かを送り込もうとしていたのだが、たまたま居合わせていた廃灰が自分が行くと言い出した。

 

「殲滅できるなら誰が行こうと問題ないでしょう?」

 

「それは、そうですが」

 

「上弦も忙しいでしょう? 僕にできることなら僕がやるのは、互いに得しかないと思うのですが」

 

「……分かりました」

 

 廃灰の言うことは一理あるのも事実であり、鳴女は根負けして廃灰を鬼狩りの大部隊の元へ送る。鳴女にとって不幸だったのは、その少し後にたまたま手が空いていた黒死牟が現れたことだ。

 

「鳴女……先の……鬼狩りの件だが……私が出よう……」

 

「それが……廃灰殿が、多くの鬼狩りと戦いたいと申しまして。既に彼を送っています」

 

「なに……?」

 

 黒死牟がその大量の眉をひそめるのを見て、鳴女は補足説明をする。

 

「敵部隊の殲滅は、彼だけでも十分可能かと思わたので」

 

「鳴女……私は……任務の合否を……問うているわけではない……序列の乱れを……憂いているのだ……」

 

 黒死牟は同じ十二鬼月だとしても、上弦の参の猗窩座が上弦の弐の童磨を軽視するような行動を取れば咎める。

 それがいくら無惨のお気に入りとはいえ、十二鬼月でもない鬼ならばなおさらだ。

 

「廃灰殿も、悪気はないかと。鬼が組織という認識があまりないのでしょう」

 

 鳴女の推測はあながち間違いでもないが正解でもない。

 組織という認識云々以前に、廃灰は精神的にも実年齢的にも子供だ。上司の仕事を何も言わずに横から奪うのが、面子の問題になるという認識がない。

 

「闇に生きる……我々は……確かに……組織体系としては……歪……だからこそ……締める所は……締めなければならん……」

 

 実の所、無惨は黒死牟が意識しているほど組織体系を気にしていない。大量の部下を引き連れて悦に入るような性格ならいざ知らず、無惨は本来は鬼を増やしたくないのだ。組織立って行動できる程の数がいるというのも本来なら好ましくない。

 無惨は自分に忠実で不快にさせないならば──彼の沸点を考えると、不快にさせないのが困難なのだが──部下がどこで何をしようと関与しない。故にこれは、未だに侍の頃の癖が抜けない黒死牟の個人的趣向とも言えるが……なまじ正論ではあるだけに、鳴女も何も言えない。

 

「木っ端であれば……捨て置くが……あの方が……評価している……鬼ならば……少し……釘を刺して来よう……私も送れ……」

 

「はい、黒死牟様」

 

 

 


 

 

 

 鳴女の血鬼術で遠くへ送られた廃灰は、そこにいた鬼殺隊たちを壊滅させていた。

 まだ立っているのは一人だけ。その剣士はそれなりの使い手だったがそれなり止まり。呼吸を見たいのもあって廃灰はわざとまだ殺さぬように……いたぶるように遠距離から即死しない程度に血鬼術で攻撃する。

 

「獪岳、危な……ぎゃあああ!!」

 

「くそっ、このままじゃ……!」

 

 最後に残った剣士……獪岳は近くで倒れている役立たずを盾にして廃灰の攻撃を防ぎながら、何とか逃げる算段を立てていた。

 獪岳は雷の呼吸の使い手でありながら基本である壱ノ型を使えないが、素早く走る為の足運び自体は習得している。

 獪岳の見立てでは、この鬼には勝てないにしても逃げることは不可能ではない。何とか鬼が遊んでいるうちに隙を見て逃げようとするが……やがて、盾にしていた隊士の生き残りがいなくなってしまった。

 かくなる上は死体を盾にしようとした獪岳だが……そんな彼を見て廃灰はため息を溢す。

 

「はぁ、もう結構です。雷の早業を見たかったのですが、これ以上は時間の無駄のようですね」

 

 いつまで経っても反撃せずに逃げ回るだけの獪岳に痺れを切らし、廃灰は血鬼術で刀を作る。

 

「せめて最期は、何か型を見せてから死んでくださいよ!」

 

「ひ、ひぃいい……! 待ってくれ、俺の知ってる情報なら全て話す!! だ、だから……!」

 

「ヒノカミ神楽、火車!」

 

 恥も尊厳もかなぐり捨てて命乞いをする獪岳。これで廃灰が上弦であれば勧誘という選択肢もあったが、彼は現状その権限がない。

 故に、鬼殺隊でありながら鬼に媚びる異質で卑劣な裏切り者に興味を持つこともなく、ヒノカミ神楽を放つ。獪岳は死を覚悟するが……

 

 

 

「月の呼吸、参ノ型、厭忌月・銷り!!」

 

 

 

 そこに、本来居合わせるはずだった人物が、遅れて現れる。

 

 

「ごあっ!?」

 

 血鬼術で具現化した月輪に吹き飛ばされる廃灰。錐揉み回転しながら、近くの廃屋に叩き付けられる。

 

「ひいぃいいい!?」

 

 獪岳は情けない悲鳴をあげているが、恐怖と威圧感のあまり逃げ出すこともできずに震えている。

 廃灰はまだ隙を見れば逃げることもできたろうが、今現れた鬼……黒死牟は次元が違う。逃げるどころか背を向けることさえもできずに殺される。彼我の実力差が分かる程度の実力は供えていたのが、却って不幸だった。

 

 だが黒死牟は最早獪岳など見ていない。彼の六つの目は、四百年以上その脳裏に焼き付き続ける弟の技を使った、目の前の鬼に釘付けとなっていた。攻撃したのも、勝手に体が動いていたからだ。

 

「ぐ、ぐぁああ……!!」

 

 廃灰は突然の不意打ちに全く対応できなかった。吹き飛ばされた先の家の残骸からは必死に這い出したが、立ち上がることができないでいる。

 黒死牟はうつ伏せで倒れる廃灰に近づくと、刀の切っ先で廃灰の顎をクイ、と持ち上げて凄む。

 

「その技は……どこで覚えた……」

 

「じ、上弦の、壱……? なぜ、ここに……」

 

「答えろ……! その技を……日の呼吸を……どこで覚えた……!」

 

 何が何だか分かっていない廃灰を、有無を言わさぬ凄みで威圧する。

 日の呼吸の適正を持った、黒刀の剣士自体は少ないながらも存在する。だが日の呼吸を知る者は黒死牟と無惨が皆殺しにした。あの技を使える者がいるわけがない。

 

「ごふっ、ごふっ……! うちに、代々伝わる神楽ですが、それが何か?」

 

「神楽……だと……? それが……舞踏の……類いだとでも……言う……つもりか……?」

 

 ツゥ、と顎の先の首に刀を滑らせる黒死牟。

 

「僕にだってよく分からない。ただなぜか、戦いに応用できた……それだけです」

 

 多分、兄さんもそうだ。

 そう続けた廃灰の言葉を聞くや否や、黒死牟は刀を鞘に収めると、今度は自らの手で廃灰の首を掴んで持ち上げ、その顔を穴が空くほど見つめる。

 

「違う……私の……奴の血縁ではない……それでもなお……あの男は……何かを後世に……遺したとでも……言うのか……?」

 

 透き通る世界。それによって廃灰の体組織を見透かした黒死牟は、自分や縁壱の……継国の血は廃灰に入っていないことを確認した。

 

「……そういえば、鬼狩りの使う呼吸も、この神楽と似てるんですが……貴方は知ってるんですか?」

 

「私、は……何を残した……? 何を残せる……? こんな所でまで……私は……あの男に……縁壱に……!!」

 

 廃灰の言葉も耳に入っていない。嫉妬に塗れた表情で、折れるほど歯を噛み締める黒死牟。ミシミシ、と、廃灰の首を掴む手にも力が入る。

 

「かっ……はっ……!」

 

 どれだけ気道を圧迫されようと、鬼が酸欠で死ぬことはない。苦しい事は苦しいが、どこか冷静に、激昂している黒死牟を見つめる廃灰。

 

 その醜い嫉妬、燃えるような激情、偏屈な劣等感……それらが滲み出している黒死牟の表情は……どこか、自分と似ている気がした。

 

 

「そこまでだ、黒死牟」

 

 その時、またも突然その場に現れたのは……全ての鬼の祖、鬼舞辻無惨。無惨の声が聞こえた途端、黒死牟は廃灰の首を放す。

 地面に倒れ伏した廃灰が激しく咳き込む。

 

「無惨様……なぜ、こちらに……?」

 

「半天狗と玉壷が敗れた。だが……半天狗は里なんぞよりもっと良い情報をもたらした」

 

 上弦が一度に二人も敗れたにも関わらず、無惨は全く気分を害していなかった。それは……千年求め続けた宿願が、遂に達成間近だからだ。

 

「耳飾りの剣士と共にいた鬼が、太陽を克服した」

 

 わざと少しもったいぶってから、無惨が禰豆子……太陽を克服した鬼について語る。

 

「耳飾りの……剣士……?」

 

 だが無惨の思惑とは裏腹に、黒死牟の意識は太陽を克服した鬼ではなく、耳飾りの剣士の方に向けられた。

 

「無惨様……もしや……耳飾りとは……あの男の……? だとしたら……なぜ……私に……伝えてくださらなかったの……です……」

 

 黒死牟にしては珍しく、非難めいた口調を無惨に向ける。無惨は少し気を悪くしたようだが、機嫌が良かったので饒舌に返す。

 

「その剣士の戦いは他の鬼を通して見た。確かに耳飾りは同じだったが、技は別の呼吸が主だった。実力もあの男とは比べるべくもない。わざわざお前に伝えるほどのことでもないと思ってな」

 

「……そうですか……」

 

「そう憮然とするな、私とてあの化物のことは忘れたい。あまり私やお前で相対したくなかったのだ」

 

 その結果、中途半端な鬼をぶつけたり放置しているうちに、柱に次ぐ程の実力を身に着けているが……それも問題だとは思っていない。

 鬼狩りなど居場所さえ見つければ上弦たちだけで……最悪自分自身で戦えば簡単に殲滅できる。鬱陶しいのは潜伏して邪魔されることだけだ。と、無惨はほとんど危機感を覚えていない。

 

「とにかく、太陽を克服した鬼が現れた以上、最早是非もない。鳴女に血を与えて上弦とし、鬼狩りの本拠を探る」

 

「いよいよ……無惨様の……悲願が……成就されるの……ですね」

 

「総力戦だ。私も血を惜しむつもりはない。各地の鬼に血を与えて下弦程度の力を持たせる」

 

 故に、これより鬼側も総力戦に向けて戦力を整えるため、一時的に各地での鬼被害が消えることになる。と、そこで無惨は、ようやく黒死牟の攻撃から立ち直って平伏する廃灰に目を向けた。

 

「廃灰、君には上弦の伍の数字を与える。私の役に立つがいい」

 

「……上弦の伍? 僕が?」

 

「単純な強さは君の方が上だろうが、鳴女の血鬼術の利便性を考えればな」

 

「いえ、そうじゃなくて、僕が、上弦に……」

 

「何を言う。鳴女の他に新たな上弦に相応しい者は、君しかいない」

 

 きょとん、と、イマイチ実感のなさそうな様子の廃灰。彼は究極的には兄と再会することにしか興味がない。鬼としての地位を上げると言われても実感がないのは致し方ないと言える。だが……だからこそ、この後に起こることは彼にとっての一大事だった。

 

「早速血を分けてやろう。なに、君ならば耐えられるはずだ」

 

「うぐっ!」

 

 そう言って、治りきっていない黒死牟に付けられた傷口に、無遠慮に指を突き入れる無惨。まるで、鬼になった時の再現。違うのは、与えられる血の量が、あの時よりも遥かに多いこと。

 

「ぐ、ごぽっ……!」

 

 溢れ出そうな嘔吐感に、思わず口を抑える。だが無惨の思惑通り、苦痛はそこで終わり、肉体が弾け飛ぶようなことはなかった。

 

 そして、あの時と違うことがもう一つ。

 無惨の血が増えたことで、無惨の細胞に刻まれた記憶が流れ込む。それは、魘夢が無惨の血を分けられた時に、塁の目を通して見た耳飾りの剣士の顔を見たのと同じ現象。

 

 半天狗の目を通して、無惨が常々鬱陶しく感じていた耳飾りの剣士の顔を、ここで初めて確認する。

 

「は、ははは……」

 

 それは、廃灰が焦がれ、憧れ続けた男の顔だった。その横には、見知った顔もある。

 

 

 

 

「あはははははははははははは!!!!」

 

 

 

 狂ったような笑い声をあげる廃灰。鬼に血を分けた時の反応として、高揚感に酔うのは別段珍しいことでもない。故に無惨は特に気にせず、無惨が現れてからずっと命乞いを繰り返している獪岳を鬼にでもしてしようと近づく。

 

 

「なんだ、そうだったんだ……無惨様が言ってた剣士が、兄さんだったんだ」

 

 ずっと探していた人は、間接的に関わって来ていた鬼狩りだった。

 

「太陽を克服した鬼が、姉さんだったんだ」

 

 あの日鬼になったのは自分だけではなかった。姉もまた鬼になった。だが人を喰い、太陽の下を歩けぬ自分と違い、姉は人を食べなかった。太陽すら克服してみせた。

 

「やっぱり凄いよ、兄さん……それに姉さんも」

 

 ただ流されるままに鬼になり、人を喰ってきた自分とは違い、二人は運命に抗ってみせた。それがとても眩しくて……どこか妬ましい。

 

 けれど、こんなやりようのない閉塞感と雁字搦めを感じるのもすぐに終わる。

 

 兄が鬼狩りとして生きているということを改めてハッキリと知った。復讐なんて柄じゃない兄が戦う理由も知った。これで向き合える。戦える。決戦の時は近い。

 

 

 

 

 

 ──やっと、やっと兄さんと会える。そうすればきっと何かが変わるはずだ。僕は本当の意味で、自由になれるんだ。

 

 

 

 

 嬉しそうに、ただただ嬉しそうに笑う廃灰。そんな彼を……黒死牟はどこか興味深そうに見ていた。

 

 




無惨様たちって絶対報連相できてないと思う。
黒死牟って炭治郎のことどのくらい認識してたんですかね?
まだファンブック読めてないので後から修正するかもです。


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番外編~在りし日の記憶~

朝の日間ランキング17位!ありがとうございます!
モチベ爆上がりしたので挟むタイミングなくてボツにしたネタを手直しして投稿します。
ファンブック読んだり兄上エミュの参考に他の二次読んだりしてるので、本編の方はもう少しお待ちください。


「三人とも、着いて来てくれ」

 

 あれは、過ごしやすい秋の日のことだった。あの頃はまだ比較的元気だった父さんは、俺と禰豆子と上の弟……年長の三人を連れて、山の麓まで降りて来ていた。

 

「父さん、どうしたの? 炭も持たずにここまで来るなんて」

 

「そこの農家に用があってな。いい機会だから、お前たちも連れて来たんだ」

 

 いい機会、と言われても意味が分からず、俺たち三人は顔を見合わせる。しかも父さんは俺たちにここで待っているように言いつけると、一人で農家の中に入って行った。

 

「お父さん、どうしたんだろう?」

 

 禰豆子が不思議そうな顔でそう口にする。だけど、俺も弟も首を傾げるしかない。

 

「僕らを連れて来たってことは、お得意さんへの挨拶とかだと思ったけど、違うみたいだね」

 

 弟は一応の見当は付けていたようだが、その推測も外れてしまったようだ。

 

 そうして、三人で話しながらしばらく待っていると、父さんが戻って来た。

 その手に、もぞもぞと激しく動いている麻袋を抱えて。

 

「と、父さん、なに、それ?」

 

 三人を代表して俺が尋ねると、父は無言で袋の中身を取り出した。

 その中身は──足を縄で縛られた、生きた鶏だった。

 

「うわっ」

「きゃっ」

 

 禰豆子と弟が驚きの声をあげる。

 俺たちの家は山奥だから、野生動物はたくさん見たことがある。けれど、こんな……足を縛られて、麻袋に入れられて、激しく暴れて……今すぐにでも食べる下拵えの為に締められそうな生き物は、見る機会がなかった。

 大正の世の今、食肉というものはある程度加工されて店頭に並ぶことがほとんどだ。農家でも猟師でもなく炭焼きの俺たちには、縁がないものだった。

 

「いい機会だから、誰かコイツを締めてみないか?」

 

 父さんが続けた言葉は、薄々予想はしてたけど、それでも衝撃的なものだった。

 

「父さんたちは命を食べているということを、実感して欲しいんだ」

 

 父さんの言うことは分かる。普段俺たちが食べている肉も魚も、元々はひとつの命だった。今日の夕食になるであろう鶏を、自分たちの手で締めることで、命の重みについて教えたいのだろう。

 

 

 事実俺は、命について分かっているつもりで分かっていなかった。縛られながらも激しく暴れる鶏を前にして、呆然と立ち尽くしてしまう。

 

「父さん、俺がやるよ」

 

 それでも俺は長男だから。両隣で顔を引き攣らせている弟と妹を見たら、自然と一歩、踏み出していた。

 

「炭治郎、頑張れよ」

 

 父さんはいつもと同じ、穏やかな表情。けれどその中に確固たる意志を感じさせながら、俺に刃物を渡して、鶏を地面に強く押さえつける。

 

「こ、こけー! こけーっこっここけーーこ!!」

 

 本能的に身の危険を感じたのか、より一層激しく暴れる鶏。預かった刃物を握る手が震える。

 

 ああ、可哀想だな。でも、誰かがやらなきゃならないことだから。せめてなるべく痛くないように、苦しまないように、一息でやらないと。

 

「炭治郎、それではダメだよ」

 

 なるべく一振りで即死させられるように、刃物をがっしりと掴んで首を切り落とそうとする。でも父さんはそんな心を読んだかのように、俺を止めた。

 

「え?」

 

 何がダメなのか分からなくて、そのまま立ち尽くして固まってしまう俺。

 

「父さんたちは炭焼きであって農家じゃない。上手く血抜きしてやれないんだよ」

 

 その後に父さんが続けた言葉も、俺にはよく分からなかった。

 でも弟は分かったようで、俺の隣に立つと、そっと手を添えて俺から刃物をスルリと抜き取る。

 

「あっ……」

 

「分かったよ父さん……兄さん、僕に任せて」

 

 いや、ここは俺が。そう止める間もなく、弟はそのまま刃物を振りかぶり……首に向かって勢いよく、躊躇わずに振り下ろした。直後に響く、鶏の激しく甲高い悲鳴。俺は思わず目をそらしてしまう。それでも俺の鼻をつく、濃厚な血の匂い。俺は生まれて初めて、自分の鼻の良さが少し嫌になった。

 

「ちょ、ちょっと、何してるの!」

 

 その時、禰豆子が悲鳴のような声をあげたので、視線を元に戻してみる。すると、弟は刃物をグイグイと捻り回して、無理矢理血を噴き出させていた。鶏の断末魔の叫びも抵抗もより一層激しくなっている。

 

「酷いよ、わざと苦しめるなんて!!」

 

 普段は温厚だけど怒ると怖い禰豆子が、その時ばかりは本気で怒ったように見えた。だけど弟は、諭すように、ゆっくりと首を横に振る。

 

「姉さん、兄さんも……死ぬ前になるべく血を抜かないと、食べられなくなるよ」

 

 その言葉に、俺も禰豆子も動けなくなる。父さんが言っていたのは、こういうことだったのか。血抜きしなきゃいけないことくらい知っていたはずなのに、困惑のあまりそれを忘れていた。

 

「僕らが鶏を食べるには、なるべく苦しんで死んでもらわなきゃならない。そうしないと、鶏の死が無駄になっちゃうんだ」

 

 こんこんと説くように、紙芝居屋が小さな子供に言って聞かせるように続ける弟。その声はストンと、俺の心の中に自然と入っていった。

 

「だからそうしないのは……それは優しさじゃなくて、ただの我儘だよ」

 

 やがて、血を噴き出しながら激しく痙攣していた鶏が、完全に動かなくなった。

 弟は刃物を抉るのは止めたけれど、そのまま固まっている。父さんが弟の肩に手を置くと、ビクンと震えた後、ゆっくりと刃物を鶏の死体から引き抜く。

 

 

「よく頑張ったな」

 

 父さんが一仕事終えた次男の頭を優しく撫でている。弟は照れくさそうにはにかんでいたが、急に恥ずかしくなったようで「鶏触った手で撫でないでよ」とふくれる。

 

 それで困ったように苦笑する父さんと、微笑ましく見守る俺と禰豆子。

 つい今しがた一つの命を奪ったというのに、いつもと変わらない日常の風景。でもそれは今までだって同じことだった。俺たち家族が暮らす傍らには、いつもたくさんの命が犠牲になっていたんだ。ただそれを、しっかりと実感できていなかっただけで。

 

「人間が他の動物の命を奪わずに生きることはできない。俺たちには精一杯生きる義務があるんだ。それを、忘れないで欲しい」

 

 笑いあった後、父さんは真剣な口調で俺たちに告げる。

 

「父さんは家族を守ることで、命に責任を持ったつもりだ。お前たちにはまだ難しいかもしれないが、きっといつか、奪った命への報い方が見つかる」

 

 そう言うと父さんは、落ち着かない様子の弟をしっかりと抱きしめる。アイツは一見なんでもなさそうに淡々としているように見えて、心の中では人一倍傷ついたり落ち込んだりしていることを、俺たちは知っている。

 

 

「灰■……今日のことを、どうか忘れないでくれ」

 

 父さんが色々な感情の匂いをさせて、万感の思いを込めて息子を抱きしめているのが分かる。立ち尽くしていただけの俺にはまだよく分からないけど、きっと弟は今日、命の重み以上の何かを、父さんから教わったんだ。

 

 

 その後家に帰ってから、禰豆子を中心に三人で羽を毟ったり内臓を出したりして、改めて『鶏』を『鶏肉』にしていく。そうして食卓に並べられた鶏肉は、今まで食べてきたどんなものよりも美味しかった。

 

 俺たちはきっと、今日のことを忘れない。言葉にはしなかったけど、その思いはみんな同じだったはずだ。

 

 あれから俺も機会を見つけて、自分自身で生き物を絞めようと思った。けれど、どうしてもできなかった。苦しむだろうなと思うと、どうしても振り上げた刃物を降ろすことができなかった。

 

「兄さんは無理してやらなくていいんじゃないかな。兄さん、幽霊に塩を撒くのにも同情しそうだし」

 

 俺がどうしても命を奪えないのを見ていた弟は苦笑する。

 

「そういうわけにもいかないだろ。誰かがやらなきゃいけないんだし、お前だってやったのに」

 

「兄さん、誰かがやらなきゃいけないことだからって、兄さんがやらなきゃいけないわけじゃないよ」

 

 そう言うと弟はあの日のようにそっと俺に手を添えて刃物を取ろうとする。俺は今日も弟にばかり頼るのが嫌で、抵抗する。

 

「いいや、今日こそは俺がやる!」

 

「相変わらず頭固いなぁ……って兄さん、刃物持って揉みあうのは危ないって!」

 

 一瞬刃物の奪い合いになりかけたが、弟がすぐに手を離した。

 

「……兄さん、今ので分かったでしょ?」

 

「うん? 何がだ?」

 

「僕が臆病だってこと。自分で持ってない刃物とか……制御できない火が怖いんだ」

 

 そうして表情を暗くする弟。俺は励まそうとして口を開いた。

 

「なんだ、炭が上手く焼けないことを気にしてるのか? 大丈夫、すぐ上手くなるさ。それにお前ができなくても、俺たちが支えるから、お前はできることをやってくれれば……」

 

「僕が言いたいのもそういうことだよ、兄さん」

 

 俺の言葉はそこで遮られた。

 

「え? あっ……」

 

 今言ったことはそっくりそのまま、自分に返ってくることに気づいて、俺は手で口を抑える。

 

「……お前は大人だな」

 

「兄さんの方が兄さんでしょ。それに……大人じゃないよ。僕みたいな子供は不自由ばかりだ」

 

 そう言うと弟は空を仰ぐ。

 

「一人で街を歩けば周りからお父さんはお兄ちゃんは? って心配される。遠出しようとしたら三郎さん辺りに止められる」

 

 何だか今日の弟は機嫌が良い。饒舌に喋りながら、太陽をまっすぐ見上げている。

 

「大人になって自由になったら、一回、地平線をどこまでも走ってみたい」

 

「あ、いいな、それ!」

 

 どこまでも走るという夢。なぜか俺もそれに惹かれて、二人で大人になったらやりたいことを語り合う。

 

「兄さん、色々あるだろうけど、大人になって自由になるまで支え合おうよ。僕は兄さんと……そういう兄弟になりたい」

 

「そうだな……お前がまた明治の作家の本を読んで自殺とかに憧れだしたら、俺が止めるよ」

 

「ちょっ……それはもう、忘れてよ……」

 

 笑いあう。俺の弟は自慢の弟だ。きっと俺よりもしっかりしている。でも、何だか儚げというか危うげというか。放っておけない雰囲気もある。だから、あの時の俺は……長男と次男として、支えあって生きていければいいな、って……どちらかが道を踏み外したら、どちらかが戻してやれるようになりたいって……そう、思ってたんだ。

 

 




いつも評価、感想、お気に入りありがとうございます。励みになります。


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歪んだ日と欠けた月

──太陽に憧れたのは、君みたいだから──

──太陽を遮ったのは、君みたいだから──

 

 

 

 鬼は人間程には睡眠を必要としないが、それは眠らないというわけではない。廃灰は黒死牟から受けたダメージと、無惨に血を分けられたことによる衝撃により、激しい睡魔に襲われていた。

 何とか無惨と黒死牟と共に無限城へ帰還した後、廃灰は自らに割り当てられた部屋で爆睡する。単なるダメージならば人を喰った方が早く回復するが、無惨の血による衝撃はそうもいかない。故に、睡眠で──皮肉にも、禰豆子が人喰いを克服したのと同じ方法で──回復を図る。

 

 

 鬼になって以降、ともすると初めてかもしれない熟睡。

 

 そこで廃灰は、夢を見る。それはかつて炭治郎が見たのと同じ、細胞の記憶。先祖の記憶を夢として追体験する夢。

 

『炭吉、道を極めた者が辿り着く場所はいつも同じだ』

 

『時代が変わろうともそこに至るまでの道のりが違おうとも、必ず同じ場所に行きつく』

 

『お前には私が何か特別な人間のように見えているらしいが、そんなことはない』

 

『私は大切なものを何一つ守れず、人生において為すべきことを為せなかった者だ』

 

『何の価値もない男なのだ』

 

 そして廃灰には、無惨の細胞……無惨の血も宿っている。堕姫が炭治郎に縁壱の幻影を見たように、ある程度血を分けられた鬼はふとした拍子に無惨の記憶を見ることもある。

 

『何が楽しい? 何が面白い? 命を何だと思っている?』

 

『どうして忘れる?』

 

『人間だったろうお前も。かつては、痛みや苦しみにもがいて涙を流していたはずだ』

 

 だから炭治郎と比べて、二つの視点から縁壱を見ることができた。それによって……かなり曖昧だが、黒死牟と縁壱の関係も……兄弟だということも、何となく、察しが付いた。

 

「……夢、か……こういうのは、柄じゃないな」

 

 夢から醒めた廃灰はそう呟きながら立ち上がり、無限城の一室に向かう。先ほどの夢の確認に。そして何より……ただ、己の目的のために。

 

 

 

 

 

 

 パチン、パチン。

 

 黒死牟は決戦に向けての精神集中を兼ね、自室で碁を打っていた。両の石を自分で打つ一人遊びだが、ただただ定石通りの手を打つのもそれはそれで乙なものであった。

 

「……何の……用だ……」

 

 入室してから何も言わずに後ろで待機している新たな上弦の伍に、痺れを切らして問いかける黒死牟。

 廃灰はそう聞かれた後も少し言葉を考えていたようだが、やがて諦めたように端的に話した。

 

 

「夢で彼に会って来ました」

 

「夢……? 彼……?」

 

「僕の先祖に、神楽を教えてくれた人の顔を見たんです」

 

 それを聞いて、黒死牟は碁を止めて廃灰に振り返る。

 

「細胞の記憶か……あの方のではなく……祖先の記憶……というのは……初めて見るが……」

 

「彼は貴方とよく似ていましたよ。顔も、その痣も」

 

「……遺憾だが……血の繋がりは……否定できん……痣の男は……私の弟だ……」

 

 淡々と告げる黒死牟。だがそれは努めて淡々としなければ、激情に呑まれてしまいそうだから、敢えて何でもないことのように話しているように見えた。

 

「詳しく聞かせてくださいよ、急に斬られた件の迷惑料代わりにでもしますよ」

 

 廃灰が、根絶やしにしたはずの日の呼吸の使い手であることに、黒死牟も複雑な心情がないではない。だが鬼として無惨の為にその力を振るっている以上、本来ならそれを疎ましく思う必要もない。

 そもそもこの四百年で黒刀の鬼狩り自体は少ないながらいたが、彼らは得てして弱い。無論、適性のない呼吸を使っているのだから弱くて当たり前なのだが……縁壱ならばそんな理屈は吹き飛ばしていただろう。

 

 そう、特別なのは日の呼吸ではなく縁壱だ。自分が日の呼吸を覚えられなかったのは単なる適性の問題だ。

 

「その前に……ひとつ聞かせろ……お前はなぜ……目を隠している……?」

 

 黒死牟からしても、廃灰が何かに──先の会話を鑑みれば兄に対して──執着し、ともすれば自分の縁壱へのそれに近い程の感情を持っているのは見て取れた。だというのに廃灰は目を隠している。黒死牟は縁壱の剣技に焦がれ、自分のものにしたいという欲求から目が六つになったにも関わらず。

 

 同じように見えてその実正反対。それが黒死牟の興味を引いていた。

 

「……見たくないけど、でも本当はあんな風になりたい。言うなれば、羨望と嫉妬……ですかね」

 

 兄に憧れて鼻を強くする為に目を隠した。憧れが眩しくて直視できないから目を覆った。羨望と嫉妬が入り混じったのが、この目隠しだ。

 それを聞いて満足したかどうかは定かではないが、黒死牟はポツリポツリと語り始める。

 

「神の寵愛を……一身に受けた存在を……見たことはあるか……」

 

「神の寵愛?」

 

 訝しげに眉をひそめる廃灰。

 

「あの人はよくできた人だったけど……神がかりとまでは行きませんね」

 

「そうか……ならば……お前は幸運だ……」

 

 天を仰ぐように顔を上に向け、黒死牟は何かを思い出しているようだ。

 

「人を妬まぬ者は……運がいいだけだ……出会ったことがないだけだ……神々の寵愛を……一身に受けた者に……」

 

 そう前置きして続けられたのは……黒死牟の過去。

 

 化物染みた才能を持つ弟がいたこと。

 才に劣る自分が寺に出されるはずだったのを、弟の慈悲による出奔で跡取りに『させてもらえた』こと。

 再会した時には弟は鬼狩りになっており、その剣技に執着して妻子も家も捨てて鬼狩りに入ったこと。

 それでもなお弟の呼吸……日の呼吸は習得できず、猿真似に過ぎない月の呼吸を覚えたこと。

 技術として教わった、力を引き出すための『痣』は寿命の前借りに過ぎず、痣を出した者は二十五になる前に死ぬこと。

 限られた寿命では弟に追いつき追い越す事は敵わないと見て鬼になったこと。

 

 話したくないのか忘れているのかは定かではないが、黒死牟の語りは端的だった。

 だがそれでもなお、彼の内に潜む激情は感じることができた。

 

「老いた弟は……私が殺し……日の呼吸を知る者も……根絶やしにした……だが……それを元にした神楽にまでは……手が回らなかったようだ」

 

「老いた?」

 

「そうだ……あの男だけは……二十五を越えても……死ぬことはなかった」

 

 含みのある言い方だ。老いたとはいえずっと追いかけ続けた弟を越えたにしては、全く嬉しそうにしていない。

 だがそのことに関しては本気で話したくないようで、そこで自分の話を打ち切ってしまう。

 

「次は……お前が話せ」

 

「僕が? 何も話すようなことはありませんよ。察するにヒノカミ神楽もその人が技術を何らかの形で残したかっただけでしょう?」

 

「そんなはずはない……あの男は自らの技が途切れるというのに……未来への期待で笑っていた異常者だ……自分から技を残すなど……有り得ない」

 

 ハッキリと断言する黒死牟。

 

「心境の変化くらい誰にでもあるでしょう」

 

「お前に何が分かる……あの男は……そう簡単に思想を変えん……何かがあったに……違いない」

 

「それは、細胞の記憶を少し垣間見ただけの僕には、分かりかねますが……」

 

 黒死牟の執着を分かっていて話を聞いた廃灰だが、流石に少し面倒くさくなる。

 

「とにかく、貴方の望む話はできません。僕が話を聞きたかったのは……貴方の執着がどこに向かっているか見たかったからです」

 

 そう言うと廃灰は顔を黒死牟に近づけて凄む。礼儀正しそうに見えて、上弦になったばかりで上弦の壱に対して威圧するという跳ねっ返りぷりは、黒死牟も嫌いではない。

 

「兄さんと戦うのは僕です。誰だろうとそれは邪魔させない。貴方がヒノカミ神楽そのものに執着してたら面倒でしたが……貴方は弟さんに焦がれているようで、安心しましたよ」

 

 黒死牟は凄む廃灰を正面から見据える。この鬼もまた、兄弟に異常とも言える執着を示している。自分と縁壱の戦いは不満しかない結果になったが、果たして廃灰とその兄の戦いは、満足いくものになるだろうか。

 

「……それじゃあ僕はこれで。上弦の参にも釘を刺して来ないといけないので」

 

「待て」

 

 立ち去ろうとする廃灰を、黒死牟が止める。

 

「お前の……日の呼吸は……まだ完全ではないだろう」

 

「それが何か? 心配しなくても、多分鬼狩りと戦ってるうちに覚えますよ」

 

「私の……月の呼吸は……日の呼吸に……最も近い呼吸だと言える……」

 

「だから、それがどうし……っ!?」

 

「鬼狩りの技よりも……参考になるだろう……」

 

 廃灰が振り返った瞬間、黒死牟は自らの刀……虚哭神去を振りぬいていた。斬撃の衝撃で碁石がバラバラに吹き飛んでいく。以前は全く不意打ちに反応できなかったが、大量の無惨の血を分けられた今、回避するだけなら可能だった。

 

「私から技を盗め……そして完全になった日の呼吸を……あの御方の為に……鬼狩りを殺す為に……使え……」

 

 どういう風の吹き回しか、黒死牟は廃灰を鍛えると言う。一見すると、主の為になるならば無償で後進を育てようとする『侍』染みた行動に見える。

 

「……穢せるのが楽しみなんですね、神の技を。蹴落とせるのが嬉しいんですね、神の子を」

 

 だが廃灰は、その奥に潜む歪な感情を見逃さなかった。

 

「口では侍ぶっていても、その内面は僕と同じ、嫉妬と劣等感に溢れてる」

 

「……ほう……」

 

 神の技を穢す……それが鬼殺隊を相手に日の呼吸を使うことを指しているのは明白だ。それを楽しみにしているというのは、ある程度内面を知っていれば分かることだろう。

 だが、神の子を蹴落とす……それは黒死牟の内心を的確に見抜いていないと出てこない言葉だ。

 

 そう、黒死牟は、廃灰を鍛えて、炭治郎に勝たせることによって、間接的に縁壱に勝とうとしていた。

 全てにおいて弟に敵わなかった黒死牟だが、『後継者育成』ならば勝てると踏んだのだ。

 無論、ただ神楽として伝わった日の呼吸を覚えているだけで、直接的な師匠はそこらの鬼殺隊に過ぎない炭治郎に、黒死牟が今から直接育成する廃灰が勝ったとしても、『後継者育成』で勝ったとは言い難い。

 だが四百年以上に敗北感を抱えたまま生き続け、これからも一生それを覚悟していた黒死牟にとって、仮初でも弟に勝てるならば構わなかった。

 

 そんなことまで分かるのは……やはり、二人が似ているからだろう。

 

 

 廃灰からも黒死牟からも、互いが似ていることは分かっていた。そして、似ているが故に余計に浮かび上がる僅かな違いも認識していた。それが互いにどうしても理解できない。

 同族意識もあるにはあるが……それ以上の同族嫌悪と、自分とは違う者への嫌悪感……彼らはその両方を互いに抱いていた。

 

 神に愛されたとしか言いようがない才能に嫉妬した。だがそれ以上に、兄でありながら全てが弟に劣る自分を嫌悪していた。もしも最初から自分が弟として生まれていたら、何の後腐れもなく寺に預けられていたのに。武家という競争社会でもないのに、兄という純粋に憧れていればいい存在を妬む気持ちが理解できない。

 

 兄に頼るしかない弟という立場に甘え続けてしまう自分が嫌いだった。いつしか兄に頼るのは、ひいては兄自身が、自分を縛るものだと考えるようになった。遠い所で侍として生きることを選べたのに、いつでも鬼狩りを離れて自由になれたはずなのに、自分から弟に縛られ続けた姿が滑稽に映る。

 

「けど、それはそれとして貴方の申し出はありがたく受け取りますよ」

 

「……そうだ……それでいい……私もお前を……利用させてもらおう……」

 

 廃灰も血鬼術を使い、血の刀……没刀天を発現させる。

 歪んだ日と欠けた月は、ジリジリと距離を詰めて対峙する。

 

「ああ、そういえば聞きたかったんですが……貴方、なんて名前なんですか?」

 

「……黒死牟……知っているだろう……」

 

「人間の頃の名前です」

 

「そんなものに……興味があるようには……見えないが……」

 

「別に貴方個人に興味があるわけじゃないですよ。有名な武家なら話を聞いてみたかっただけです」

 

「……くだらん……お前こそどうだ……? そもそも……本当の名前を……覚えている……のか……?」

 

「僕の名前……?」

 

『その力をどう使うかは……お前の自由だ、灰■』

 

 あの時、自分を呼ぶ父の声が聞こえなかった。長らく耳にしていないうちに、自分でも忘れかけているのだろうか。だが兄は自分を人間の名を呼ぶだろう。遠くから呼ばれても分からなかったという事態は避けたい。

 そう、確か、僕の……

 

「僕の、本当の名前は……」

 

 


 

 

 廃灰と黒死牟が歪な師弟関係を結んでいる頃。鬼殺隊たちは柱稽古をしていた。

 

 

「風の噂でお聞きしたのですが、甘露寺さんのその髪は桜餅をお食べになったことが原因だとか」

 

「え、ええっ!? ど、どうしてしのぶちゃんが知っているのかしら!?」

 

 一般隊士は柱を周りそれぞれの技術を伝授される。柱は人に教えることによって自らの理解をより深くする。

 

「子供は無垢だが残酷だ……君もそうは思わないか、時透」

 

「僕には、よく分かりません」

 

 また柱同士の手合わせによってさらに技術を上げ、さらに咄嗟に連携できるように特訓を行う。

 

「行くぜ冨岡ぁ!! 死に晒せやぁ!!」

 

「…………ふん」

 

 各地での鬼の被害が一時的に消滅したことで、じっくりと鍛錬を積む時間ができたのだ。

 

 当然炭治郎も本来であれば柱稽古で鬼のような猛特訓をするのだが……今だけは座して部屋の中にいた。同じ部屋には栗花落カナヲと、蛇柱の伊黒小芭内もいる。

 

「皆様方、お待たせいたしました」

 

 と、炭治郎が訝しんでいると、お館様こと産屋敷耀哉の妻、産屋敷あまねが現れる。少し前より、病気の悪化した耀哉に代わりあまねが当主代行をしていた。

 

「今回の議題は、上弦の対策についてです」

 

「あの、なんで俺たちが集められたんですか?」

 

「黙っていろ竈門炭治郎。今奥方様が説明してくださる」

 

 残る上弦は壱、弐、参の三体。上弦の参は煉獄との戦いを見ていた炭治郎たちの証言によってある程度の戦闘方法が。上弦の弐はカナエの遺言を聞いたしのぶによって見た目の情報がそれぞれ鬼殺隊内で共有されている。

 

 もし新たな情報が入ったのだとしても、この面々が集められたのはおかしい、と思う炭治郎。

 

「先ほど病床の耀哉様が仰っていました。竈門様の弟御は……おそらく上弦になると」

 

 それを聞いても伊黒は無反応で、カナヲは心配そうに炭治郎を見る。炭治郎は……唇を噛み締めていた。

 

「栗花落様と伊黒様は直接戦闘を行っています。その鬼に対する情報を纏め、隊内に広めて欲しいとのことです。竈門様を同席させるのも、耀哉の指示です」

 

「俺が……アイツを止めたがっているからですか」

 

「貴方が一番、その鬼と戦闘になる可能性が高いからです」

 

 じっ、と炭治郎を見据えるあまね。炭治郎も正面からその視線を受け止め……やがて拳を握りしめながら平伏し言った。

 

「分かりました……カナヲ、伊黒さん、聞かせてください……アイツが、どんな風に……戦ったのか」

 

 そして、その部屋の外でも、各々の思いが渦巻いていた。

 

「爺ちゃんが、切腹……!? 介錯も付けずにっ!?」

 

 手紙を読みながらわなわなと震える善逸。鬼殺隊を裏切った兄弟子……否、元兄弟子の暴挙に、善逸は恐怖を塗り潰すほどの怒りを覚えた。

 

 

「伊之助さん、どれだけ食べるんですか!?」

 

「山の神である俺が、大食いで負けたままでいられねぇ!! うおおお!! 猪突猛進! 猪突猛進!! アオイ! もっと持ってこい!! 稽古はその後だ!」

 

 伊之助は柔軟運動を主とする甘露寺の柱稽古の後、甘露寺の大食漢もとい大食乙女っぷりを見て、勝手に大食い勝負を挑んだのだ。そこで初めて大食いで負けた伊之助は、リベンジに燃えていた。

 

 こうして、最後の休息の時間は過ぎていく……

 




最初の文はLISAさんの別のアニソンから取りました。


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名前

2021年2月22日0時26分、展開修正。
投稿直後に見てくださった方には申し訳ありません。

修正箇所は後書き及び活動報告に書きます。


「これで視覚や聴覚の共有ができるんですか? 便利ですね」

 

 十二鬼月となった鳴女の血鬼術で発見した産屋敷邸に、無惨が襲撃をかけている頃。廃灰は無限城の一室で、鳴女の自律型探索血鬼術と視覚を共有し、無惨と産屋敷耀哉が対峙する光景を見ていた。

 

 

 産屋敷一族への恨みつらみを自らの手で晴らしたい無惨は、太陽を克服した鬼……禰豆子を探すのも兼ねて、単独で行動していたのだ。

 

 廃灰の役目は、禰豆子がいた場合速やかに鳴女の血鬼術で移動して彼女を確保し、その場から連れ去ることである。本来であれば無惨がすぐに吸収したい所であるが、敵の本丸故に最低でも柱二人は護衛がいると思われる。大立ち回りの最中に逃げられる……最悪巻き込まれて死亡する危険を考えたら、確実に確保する人員は割くべきだと考えたのだ。

 とは言えほぼほぼ産屋敷邸に禰豆子がいないのは調査済。故に廃灰は心の準備もせずに、気楽に構えていた。

 

 否、気楽にというのは正しくないかもしれない。廃灰は黒死牟との訓練時以外には、近づく兄や姉との決戦を前に、かつての日々を……輝かしくも胸を締め付けるあの日々に思いを馳せてばかりいた。

 

 自分を犠牲にする二人を見ていると、幸せなはずなのに悲壮感の方が強く感じられた。家族への愛は、自分を戒める鎖になっていた。

 

 そう、だから自由が欲しかった。だから何もかも捨てて生きてみたかった。

 

 

「君は永遠を夢見ているんだろう」

 

 

 だが、無惨と対峙している産屋敷の言葉を聞いて、思わずピクリと反応する。

 無論それは廃灰に向けて言っているわけではない。だがそれでもなお、耳に入る彼の言葉は心地よく、考えさせられてしまう。これは、産屋敷耀哉の『声』……F分の一揺らぎによる高揚感によるものが大きいが、当然廃灰にはそれを知る由はない。

 

 そうして彼は思考の渦へと呑み込まれていく。

 

 

 

 

「永遠というのは人の想いだ。人の想いこそが永遠であり、不滅なんだよ」

 

 

 

 ────永遠? 

 永遠は……想いこそが永遠? 誰かの記憶の中に、語り継がれる話の中に生き続けることが? 

 

 それも確かに一つの永遠の形なのかもしれない。

 でもそんなものは違う。僕が望むのは永遠じゃない。僕は結局、刹那的に生きている。目の前のことしか考えていない。そうでなければ鬼になるのを望むはずもない。

 

 なのにどうしてこんなに胸が騒ぐのだろう。どうして『永遠』という言葉が耳を離れないのだろう。

 

 僕は……自由を望みながら、独り立ちの準備を進めるでもなく、ただただ流されるように、漫然と生きてきた。年齢のせいにしてきたけど……本当は、本当は違ったのかもしれない。

 

 僕は自由を望みながらも……あの日々がずっと続くことを、『永遠』を望んでいたのかもしれない。

 炭売りとしての一生に不満があった。でもそれ以上に、未来への不安に押し潰されそうだった。

 

 未来という不安から逃げ出す為の、今すぐに欲しい『自由』。不安の種が去来して来ないように、今という日がずっと続く『永遠』。

 一見相反するように見えて、最終的に望んでいたものは同じだったのかもしれない。

 

 だから、永遠よりも自由の方を強く求めたのは単なる偶然。もしも永遠を……それも人の想いを望んでいたら、今とは違う未来があったかもしれない。そこでは、鬼になんてなっていないかもしれない。

 

「大切な人の命を理不尽に奪った者を許さないという想いは不滅だ」

 

 いつからだろう。命を奪うことに何も思わなくなったのは。いつからだろう。理不尽を理不尽とも思わなくなったのは。でもそれでも構わないと思っていた。これが僕の生き方で、これが僕の望みだから仕方ないって。

 

 

 

『いや……いやぁああああ!!!』

 

 

『殺して……私を殺してよぉおおぉおおお!!!』

 

 

 

 

 ……今さら悩むことに意味なんてない。僕は運命って言葉が嫌いだけど、それでもこれは運命だったと思ってる。

 僕の望みは、自由。我儘だって理不尽だって、その時したいと思ったことをすればいい。だから……だから今は、行こう。会いたい人に、会いに行こう。

 

 空間が歪む。大勢の鬼狩りを、この無限城に引き込んだのだ。その瞬間、今までで一番近くに、兄さんの匂いを感じた────

 

 

 

 

 

 

 

 

「鳴女ぇえええ!!!」

 

 

 炭治郎が柱全員と珠世と共に無惨を包囲したと思ったのも束の間。足元には上下左右がぐちゃぐちゃな和室が出現する。

 

「これで私を追い詰めたつもりか!? 貴様らがこれから行くのは地獄だ!」

 

 無惨に密着していた珠世以外は謎の和室の中に落ちていく。広がって包囲していたのが祟って、分断されてしまう。

 

「目障りな鬼狩り共! 今宵皆殺しにしてやろう!」

 

「地獄に行くのはお前だ無惨! 絶対に逃がさない、必ず倒す!!」

 

 ようやく戦いの舞台に引きずり出した、全ての悲劇の元凶。今まで抱いたこともないほど絶大な殺意を滾らせて啖呵を切る炭治郎。

 

 

「お前に弟が……私の廃灰が斬れるというなら、やってみろ! 竈門、炭治郎!!」

 

 落ちていく直前の舌戦が終わる。襖も障子も滅茶苦茶な空間に落ちていく。珠代もいつまで無惨を抑えておけるか分からない。一刻も早く無惨の元へ辿り着かなければならない。

 

 

「──っ!」

 

 

 遠く。半分ほど開きかけの襖の奥に、見えた。炭治郎が斬らなくてはならない相手。無惨以上の宿敵と言える相手。かつてあった絆は、因縁となった。

 

「炭治郎!?」

 

 気づけば、炭治郎は駆け出していた。周りに浮かぶ襖や障子を足場に、見えた鬼の元へ走る。

 その少し後ろからは義勇が付いてきている。

 

「アイツがそうなのか、炭治郎」

 

「はい、俺が斬らなければならない相手です!」

 

 本来産屋敷輝利哉が考えていた作戦は一路無惨の元へ行って一刻も早く珠代を掩護するという単純明快なもの。事実炭治郎もさっきまではそうするつもりだった。だが現実問題として、上弦の相手をしなければ無惨の元へ辿り着くことは難しい。

 炭治郎がそこまで考えていたかはともかく、無防備に姿を現した上弦を追うのは間違った判断ではない。

 

 激しく揺れる無限城の中で、逸れないようにしながら前へ進む炭治郎と義勇。

 

 だが、再び琵琶の音が鳴った瞬間……炭治郎の横合いから、嫌な匂いがした。直後、一際近くで声が響く。

 

「竈門炭治郎!! あの時の一撃の借りを返すぞ!!」

 

「がっ!?」

 

 咄嗟に刀をそちらに向けて防御した直後、激しい衝撃に襲われ、吹き飛ばされる。ピッタリと張り付いていた義勇と炭治郎が、分断されてしまう。

 

「一撃程度は、上弦の伍も気にしないだろう」

 

「猗窩座!? くっ、どこまでも卑怯な奴……!」

 

 炭治郎を吹き飛ばしたのは上弦の参、猗窩座であった。猗窩座は無限列車の時に喰らった一撃の借りを返すため、炭治郎を自らの手で殺したがっていた。だが廃灰が炭治郎と戦いたがり、無惨も鳴女もそれを了承した以上、猗窩座はそれを諦めざるを得なかった。

 だがあの一撃の分だけでも借りを返さねば腹の虫がおさまらなかった猗窩座は、奇襲──声をかけてから攻撃するのを奇襲と表現していいかはともかく──をしかけたのである。

 

 その一撃だけで死ぬようならば、所詮それまで。上弦の伍が相手をするまでもなく道中の下弦相応の鬼に殺されていただろう。

 

「義勇さん! 俺は大丈夫です! それよりも猗窩座を!!」

 

「炭治郎ーーー!!!」

 

 二人は分断された。だがこれで逆に、炭治郎が突き進むのに遠慮はいらなくなった。義勇のことは心配だが、他の味方も合流して煉獄の仇を取ってくれると信じる炭治郎。今は目の前の『敵』に迫る方が先決だ。

 

 

 ────炭になれなかった灰は、ただ無為に朽ちていくだけだ。

 

「…………ぃ…………」

 

 

 

 ────きっと父さんも母さんもそんなことを思って名前の文字に灰を入れたわけではない。けれどいつからか僕は、自分の名前が嫌いになった。余りに、僕に似合いすぎていたから。

 

 

 

 邪魔をして来る鬼を斬り捨て、襖に向かって手を伸ばす。まだ届かないのは分かっていても、伸ばさざるを得なかった。

 

 

 

 

 ────僕だけが家族に歪んだ八つ当たりめいた感情を持っていた。僕だけが他のみんなと違った。僕だけが家族の普通と乖離していた。

 

 

 

 叫ぶ。廃灰なんかじゃない。ただ一つの、その名前を。

 

 

 

 

灰里(かいり)ーーーーー!!!」

 

 

 

「ああ、やっぱり……僕は、僕の名前が嫌いだ」

 

「絶対に……絶対に俺が、お前を止めてやる!!」

 

その後、切なそうにも悲しそうにも嬉しそうにも見える複雑な笑みを浮かべて……炭治郎の弟は……灰里は、両手を広げる。まるで、兄が甘えたがりの弟を誘うように。実際は逆だったというのに。

 

 

 

 

 そして、無限城別所。あちこちに飛ばされた鬼殺隊の面々がそれぞれの決意を胸に、或いは困惑しながらも、城内を突き進んでいた。

 

 

 

「聞こえる……アイツの音が……!」

 

「カァー! カァー! 我妻隊士! 単独行動ハ危険デアル! 自ラノ鴉ノ指示に従ッテ別ノ隊士ト合流セヨ!」

 

「悪いけど、断る……俺は、俺の手でアイツを殺して……爺ちゃんの仇を取る!」

 

 

 

「次から次に湧くゴミ共……かかって来いやぁ、皆殺しにしてやる!」

 

 

 

「どうやら敵の牙城のようですね……上手く上弦の弐と接敵できればいいのですが」

 

 

 

「しのぶ姉さんを、上弦の弐なんかに殺させない!」

 

 

 

「猪突猛進!! 猪突猛進──!!! 修行の成果を見せてやるぜー!」

 

 

 

「鬼舞辻と珠世殿の元へ急がねば……っ! 時透!」

 

「俺に構わず進んでください!! ぐっ、くぅっ!」

 

「来たか……鬼狩り……ん……? お前は……何やら……懐かしい……気配だ……」

 

 

 

 

「先ほどの会話を聞かせてもらった。お前は義勇と言うそうだな!」

 

「……鬼と話す舌は持たん。そうでなくとも俺は喋るのが嫌いだから話しかけるな」

 

「そうか、お前は喋るのが嫌いなのか。俺は喋るのが好きだ!!」

 

 

 

 だが蝶の羽ばたきが、竜巻になるように。一つの計算ミスが、やがて膨大な数字になるように。

 本来なら存在しなかったはずの灰がばら撒かれたことで……歩むはずだった道から、灰で足を滑らせるように……物語は、徐々に徐々に、変わっていく。

 

 

 

 

「なんだアイツは……また上弦の肆!? もう補充されやがったのか……! 兄貴は無事なのか!?」

 

 

 

 

「わぁ、若くて美味しそうな女の子だぁ、後で鳴女ちゃんにありがとうって言わなくちゃ!!」

 

「じ、上弦の弐!? 私、多分そんなに美味しくないわ!」

 

「……下がってろ、甘露寺」

 




展開遅かった上に原作まんま過ぎたので最後の描写を変えてマッチメイク一部お洩らし。
あとなんか炭治郎とオリ主の対峙がなんか仕切り直し臭すごかったのでそこも少し書き方変えました。


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仲間

前回の後書きにも書きましたが、前話のラストを少し改訂してます。
前回の話を投稿直後にお読みになった方はご注意ください。


 無限城で最初に上弦と遭遇したのは、冨岡義勇だった。

 しかしそれも当然のこと。鬼殺隊の面々が無限城に誘い込まれた時、上弦の参、猗窩座は炭治郎に一撃を加えて吹き飛ばした。そしてその瞬間まで義勇は炭治郎のそばにいたのだ。

 少し探索するだけで両者が鉢合わせたのは、必然と言う他ない。

 

「術式展開──破壊殺・羅針……さぁ、始めようか、義勇」

 

「水の呼吸、参ノ型……流流舞い」

 

 戦う前の問答を楽しもうとした猗窩座だが、義勇はそれを無視して一気に斬りかかる。

 

「水の柱か! これはいい、遭遇したのは五十年ぶりだ!」

 

 嬉々として義勇の攻撃を真正面から受け止めた猗窩座は、自らの拳による連撃を放つ。

 

「破壊殺・乱式!」

 

「水の呼吸、拾壱ノ型……凪」

 

 その場から一歩も動かず、正しく凪のように平然としながら猗窩座の連撃を防ぎきる義勇。長く生きた猗窩座からしても初見の技に、興奮気味に叫ぶ。

 

「見たことがない技だ! 以前殺した水の柱は使わなかった!」

 

 相手が手練れなのは見ただけで分かっていたが、よもや長い歴史のある水の型に新たな技を生み出す程とは思っていなかった。終始笑顔の猗窩座に内心苛つきながら、義勇は無表情に攻める。

 

「水の呼吸、漆ノ型……雫波紋突き」

 

 義勇が牽制に放った突き技は、然したる脅威ではないと言わんばかりに軽い動きで弾かれる。

 

「水の呼吸、陸ノ型……ねじれ渦」

 

 弾かれた衝撃を逃がす為に身体を捻り、かと思えばその捻りを利用して一気に斬りかかる。その流れるような動きは、正に変幻自在の水が如し。

 

「流麗! 練り上げられた剣技だ、素晴らしい!!」

 

 惜しみない賞賛の声をあげながら、猗窩座は姿勢を低くして懐に入ろうとする。

 

「水の呼吸、捌の型……滝壺!」

 

 当然、真下への斬撃を繰り出す義勇。しかし猗窩座はわざと刀を腕で受けて、食い込ませることで無理矢理流れるような型の連鎖を止める。

 

「くっ」

 

 だが義勇もさる者。予見していたのか刀は猗窩座の目論見ほど深くは食い込まず、すぐに抜けてしまう。だがその一瞬で十分だった。

 

「脚式・流閃群光!!」

 

「がっは!!」

 

 腕で防いでいる間に蹴り飛ばす。言ってしまえばそれだけのことであるが、猗窩座の膂力で行われたそれは致命の一撃となる。姿勢を低くしたのも、懐具合潜ると見せかけて蹴りの威力を上げる為だ。義勇がすぐに腕から抜いた刀で防いだのと、衝撃を殺す為に咄嗟に自分から後ろに飛ばなければ、彼は蹴り一発で死んでいただろう。

 

 それでも衝撃は抑えきれず、激しく吹き飛ばされる義勇。だが流石は水柱と言うべきか、吹き飛ばされた勢いを利用して、防御から一転、上方向へ垂直に刀を振るい……歪ではあるが弐の型、水車を放って猗窩座の追撃を一瞬遅らせた。さらには吹き飛ばされながら何とか体勢を制御して、足場の悪い箇所での攻防の技……玖ノ型、水流飛沫・乱の足運びで衝撃を殺すのも忘れない。

 

 

 そうして可能な限りの防御をして飛んでいった義勇を追いかけてみれば、案の定というべきか既に義勇は立ち上がり、迎撃の構えを取っていた。だが、それでもなお激しく打ちつけたであろう背中の傷が痛々しい。

 

「俺は頭に来てる。蹴り飛ばされて背中が猛烈に痛いからだ。よくもやってくれたな上弦の参」

 

「義勇、強がりは止せ。単独でこの俺に勝てるわけがないだろう。せめて柱がもう一人いれば、体力の消耗を抑えられただろうが……既に息が上がっているぞ?」

 

「…………ちっ」

 

 

 上弦の強さは柱三人分、というのが鬼殺隊側の大まかな指針だ。上弦の伍を実質一人で打倒した時透無一郎のように、相性次第かつ上弦下位が相手ならば単独でも勝ち目がないではないが……義勇と猗窩座の間に、それは当てはまらない。

 それを義勇も分かっているのか、その表情は無表情が常の彼にしては苦々しい。

 

「だが、ここで殺すには惜しい。義勇、お前も鬼にならないか? もっともっとその技を研ぎ澄ますことができるぞ」

 

「……興味ないな」

 

「そうか……残念だ!」

 

 どうせ勧誘は無駄だと内心では分かっていたのか、一気に距離を詰めてくる猗窩座。

 

 

ズ……

 

 

 

 義勇は極力刀を抜きたくはないと常々思っている。誰彼構わず娯楽のように手合わせするのも好きではない。

 けれども今。己が圧倒される強者と久々に出会い、短時間で感覚が鋭く練磨されるのが分かった。

 

 閉じていた感覚が叩き起こされ、強者の立つ場所へ引きずられる。

 ギリギリの命の取り合いというものが、どれだけ人の実力を伸ばすのか……義勇は理解した。

 

 

 

ズズズ……

 

 

 

「水の呼吸、壱ノ型……水面斬り」

 

 迫りくる猗窩座に対して放ったのは、水の呼吸における基本技。先ほどまでならば余裕を持って受け止められていたであろう斬撃で……猗窩座の腕に浅くない切り傷ができる。

急に技のキレが増した義勇の頬には……寄せては返す波のような形の痣が発現していた。

 

 

「痣が発現したか! いいぞ、速度が上がっている!!」

 

「水の呼吸、肆の型……打ち潮」

 

 どこまでも楽しませてくれる義勇が嬉しくてたまらないという様子の猗窩座。

 痣の発現によって上がった技の速度に、猗窩座は瞬時に付いてくる。

 

 ここに来て、義勇は猗窩座という男の本質を知る。

 この男は修羅だ。戦うこと以外全てを捨てた男。

 

 いくら痣を出したとはいえ、鬼と人の体力差は埋まらない。徐々に義勇の動きは鈍くなっていく。

 

「くっ……水の呼吸、拾の型……生生流転!」

 

 凪が守りの奥義ならば生生流転は攻めの奥義。不利だからといって博打のように一か八かで大技を使うというのは義勇も本来嫌う所である。だが現実問題、動けるうちに使わなければ追い詰められていくばかり。隙が多いリスクを許容してでも連続攻撃を放つ。

 

 龍のようにうねる連続回転攻撃は、羅針によって動きを見切っている猗窩座でも何発かは喰らう。だがそれだけだ。猗窩座の正確な防御の前に、やがて回転を維持することができなくなる。

 

「どうやら水の型は全て出し尽くしたようだな……もう十分だ義勇、終わりにしよう」

 

 そうして待っていたのは、至近距離で脇腹を晒すという最悪の状況。

 刀を犠牲にしてでも一撃だけは耐えようと構えるが、そんな咄嗟の甘い防御に防がれる猗窩座ではない。

 

「よくぞここまで持ちこたえた!!」

 

 そして、猗窩座の拳が、これみよがしに振りかぶられた時……光が迸る。

 直後、今まさに義勇の体を貫かんとしていた猗窩座の右腕は、斬り飛ばされていた。

 

 

 

 

★ ★ ★

 

 

「輝利哉様、よろしかったのですか? 彼の近くには別の上弦がいた可能性もありましたが……」

 

「想定以上に義勇が上弦と接触するのが早かった。義勇の救援に行ける『速さ』を持っているのは、鬼殺隊広しといえど彼しかいない」

 

 

★ ★ ★

 

 

 

 

 

「雷の呼吸、壱ノ型……霹靂一閃」

 

「お前は……我妻?」

 

 一瞬、先ほどまでの激闘が嘘のようにシン、と静まり返る。カチン、と刀を鞘に納める音……そして猗窩座の腕が地面に落ちる音が、場違いなほどハッキリと響いた。

 その一瞬の静寂を破いたのは、喜色にまみれた猗窩座の声。

 

「素晴らしい!! 不意打ちは好かんが、ここまで完璧に決められると認めざるを得んというものだ!」

 

 猗窩座は義勇から離れ、斬り飛ばされた右腕を掴んで傷口にグリグリと押し当てながら叫ぶ。いくら上弦の鬼とは言え、手ならともかく腕を生やすのは少々手間だ。再利用する方が早いと踏んだのだろう。

 

「俺の羅針の範囲外からの、目にも留まらぬその早業……雷の剣士だな?」

 

 無限列車の時に善逸は猗窩座の近くにはいたのだが、彼は禰豆子と共に後方車両を守っていた。その後は禰豆子を太陽から守るのに必死で、猗窩座と煉獄の戦いの場には行けなかった。故に、善逸と猗窩座に面識はない。

 

「闘気も練られてはいるがまだ若々しい。継子か? 是非お前の名前を聞かせてくれ! 我妻というのは家名だろう?」

 

 早口に捲し立てる猗窩座とは対照的に、善逸は静かに答える。

 

「我妻善逸……柱でもなきゃ継子でもない、平隊士だよ」

 

「そうか、俺は猗窩座。善逸、お前の技は素晴らしかったが、それ故に惜しいぞ」

 

 繋ぎ合わせた腕の調子を、拳を握りしめたり緩めたりして確かめながら猗窩座が言う。

 

「あとほんの一瞬遅く……俺が義勇を殺した瞬間に、腕ではなく頸を狙っていれば、俺とて危うかったというのに」

 

 義勇は強敵故に、致命傷を与えてから実際に息絶えるその瞬間までを最も警戒する。事実猗窩座が煉獄と戦った時も、最後の最後で気を抜いたからこそ太陽で灼け死ぬ一歩手前まで追い詰められたのだ。目の前の相手を最も警戒するからこそ、不意打ちのタイミングとしては完璧。だというのに善逸はそれをせず、義勇を助ける為に猗窩座の振りかぶった腕を斬り落としてきた。

 

「やはり下らぬ情に邪魔される人間の身というのは枷でしかない。どうだ? 善逸、お前も鬼に……」

 

「うるせぇよ」

 

 善逸は最初、仲間の救援になど行くつもりはなかった。

 鬼になった裏切り者の兄弟子、獪岳を殺して師匠の仇を討つつもりであった。

 

 それは、彼の鎹鴉ならぬ鎹雀のチュン太郎が必死に誘導して来ても変わらない。

 チュン太郎と組んだ当初こそ他の鴉と違って喋れないチュン太郎との意思疎通には困ったものだが、流石に無限列車以降、単独任務が増えてきた辺りからある程度なら伝えたいことも分かるようになった。

 

 そのチュン太郎の必死さから、なんとなく誰かが危ないということは善逸にも伝わる。

 だが、善逸には斬らなければならない相手がいた。裏切った兄弟子の不始末も師匠の仇も、何としても善逸がやらなければならないことだ。

 

 だから、無視しようとした。

 可愛い女の子や仲の良い炭治郎と伊之助が死ぬかもしれないというのに思うところはあるが、それ以上に獪岳を殺すという使命感が勝る。

 鬼殺隊の連中なんてみんな死ぬ覚悟がある奴らばかりだ。情けない自分や裏切り者の獪岳のような者なんて普通はいない。

 

 そう考えた時、ふと、善逸は昔師匠から言われた言葉を思い出す。

 

『善逸、獪岳、なぜワシがお前たちを弟子に取ったか分かるか?』

 

『才能あると思ったからだろ? 俺はその期待には答えられそうにないけどさ』

 

『は、とことん覇気のない奴だ』

 

 アレはまだ獪岳も善逸も鬼殺隊の選別に行く前。3人で暮らしていた頃のことだ。

 

『才能だけじゃないぞい』

 

 指導の時以外は気の良い爺ちゃんでしかない師匠が、珍しく飯時に説法めいた事をしたから、善逸もよく覚えている。

 

『現役の頃のワシは、鬼が憎くて、走って、走って、走って……気がついたら、周りには誰も残っていなかった』

 

 遠い目をする師匠の姿は、老いてなお盛んな元柱ではなく、くたびれた老人のそれにしか見えなかった。

 

『もう二度と大切なものを失いたくないから鬼殺隊に入ったが……全て失ってから、仲間の大切さに気づいた。復讐に囚われ、本質を見失った』

 

 その時ばかりは獪岳も、憎まれ口を叩かずに黙って聞いていた。

 

『怒りは強さに繋がる。だが同時に……憎しみは人の目を曇らせる』

 

「俺は、お前らを倒しに来たわけでも、爺ちゃんの仇を討ちに来たわけでもない……」

 

『善逸、獪岳……お前たちのように、鬼に憎しみを抱かない若い芽が、今の鬼殺隊には必要なんじゃ』

 

 

「柱の人たちとか何か怖いし、炭治郎と伊之助以外の人はガツガツしてて話しづらいし、禰豆子ちゃん以外ぶっちゃけどうでもいいと思ったこともあるよ。でも……」

 

 

 

『善逸、鬼に恐怖するのは構わない。だから憎むな……憎しみに囚われそうな時は思い出せ……苦楽を共にした仲間を!』

 

 

 

「禰豆子ちゃんだけじゃない……俺は、仲間を守りにきたんだ!!!」

 

 

 啖呵を切った善逸の言葉を聞いた瞬間……猗窩座の耳に、どこか懐かしい、声が聞こえた。

 

『お前はやっぱり俺と同じだな。何か守るもんがないと駄目なんだよ。お社を守ってる狛犬みたいなもんだ』

 

 




無限城編はこんな感じで独自解釈マシマシになる予定です。
おっかなびっくり書いてるので評価、感想くださると執筆の助けになります。気が向いたらよろしくおねがいします。


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忘れないで

『狛治さん、もう止めて』

 

「っ!!」

 

「……何やってんだ?」

 

 仲間を守るという善逸の覚悟を聞いた瞬間、一瞬よぎった謎の声。それに怖いほどの懐かしさを感じた猗窩座は腕を振るう。だが、当然そこには何もない。

 善逸と義勇もその奇行に訝しげな顔をする。

 

「軟弱……その考えは軟弱だぞ善逸! 死ぬ奴は弱いだけだ、強い者が弱い者を庇うなどあってはならない。杏寿郎もそれで死んだんだぞ!」

 

「爺ちゃんが言ってた……失ってから後悔するなって、仲間を守れって!!」

 

『親父……なんで自殺したんだよ……俺は、親父を守りたかったのに……これじゃ、俺が殺したようなものじゃないか……!』

 

「っ……! 黙れぇえ!!」

 

 幻影を振り切るように、猗窩座が善逸へ向けて突進してくる。

 

「霹靂一閃……三連」

 

 善逸も真正面から受けに行く……と見せかけて途中で斜めに方向転換し、横合いから斬りかかる。

 だが先ほどの不意打ちと違い、来ると分かってさえいればどの方向からの攻撃でも羅針で反応して迎撃するのは猗窩座にとって容易い。

 

「脚式・飛遊星千輪(ひゅうせいせんりん)!!」

 

「がはっ!?」

 

 速度が乗った状態で迎撃されると、相手の攻撃に自分の勢いも加わって余計に危険だ。霹靂一閃の強力故の欠点。

 雷の呼吸の速度を見切った蹴りが直撃し、善逸は大きく吹き飛ばされる。

 

「我妻! しっかりしろ、俺もまだ動けるから無闇に突っ込むな!」

 

 だが吹き飛ばされた先に素早く移動した義勇が、両手でしっかりと善逸を受け止めて彼が地面に激突するのを防ぐ。

 

「イヤァアアアアアア!!!! なんで俺男にお姫様だっこされてんのぉおおおおおお!? 俺にソッチの趣味はねぇえええええ!!!」

 

「……大丈夫そうだな」

 

「ぶべっ!」

 

 武器を構えていない時間を増やしたくない義勇は、すぐに善逸を放り投げて刀を構える。

 

「おい我妻、早く立て」

 

「ええ……俺、滅茶苦茶カッコ付けてアンタ守ったのに、反応薄くない? 酷くない?」

 

 ブツブツ言いながら立ち上がった善逸が、義勇と並んで刀を並べ、再び霹靂一閃の構えを取る。

 

「また同じ構え……そうか、善逸は愚直に一つのことを極め、その若さでそこまでの域に達したのだな!! 気持ちのいい奴だ!」

 

 殊更に善逸の強さを認め、無理矢理に先ほどまでの調子に戻ろうとする。

 

『お前筋がいいなぁ、大人相手に武器も取らず勝つなんてよ、気持ちのいい奴だなぁ』

 

 だが、止まらない。一度思い出してしまえば、後から後から連鎖するように、人間だった頃の記憶が蘇ってくる。

 

「くっ、がっ!」

 

 ──誰だコイツは!? 俺は何を見てる? 俺の記憶なのか!? 

 

 猗窩座が苦しんでいるのも露知らず、善逸はボソリと、構えは解かないまま義勇に話しかける。

 

「冨岡さん、多分今しか言えないから言っとく」

 

「……なんだ?」

 

「禰豆子ちゃんを守ってくれてありがとう。俺、絶対禰豆子ちゃんと添い遂げるよ」

 

「……今だけはお前のそのお気楽な頭が羨ましいよ」

 

 ──守る……? 添い遂げる……? 

 

『怪我……大丈夫?』

 

『いつもごめんね』

 

『私のせいで鍛錬もできないし遊びにも行けない』

 

 ──なんだ、なんだこの女は!! なぜ俺は今になって、こんなことを思い出す!? 

 

 

『私は狛治さんがいいんです……私と夫婦(めおと)になってくれますか?』

 

『はい、俺は誰よりも強くなって……一生貴方を守ります』

 

 

「……先ほどの鬼になれという発言を撤回しよう……貴様は不快だ、惨たらしく殺す」

 

 ゆらり、と幽鬼のように蠢いた猗窩座。その瞳からは、今までの楽しむような感情はなく……ただただ純粋な、殺意のみがあった。

 

「殺してやる……殺してやるぞ我妻善逸!!」

 

「ええ!? 俺だけ!? なんで俺だけなのぉ!?」

 

「砕式・万葉閃柳(まんようせんやなぎ)!!」

 

 力任せの振り下ろし。義勇と善逸はそれぞれ左右に跳んで回避する。

 

『誰かが井戸に毒を入れた! 慶蔵さんやお前とは直接やりあっても勝てないから、あいつら酷い真似を!』

 

『惨たらしい……あんまりだ! 恋雪ちゃんまで殺された!!』

 

「守るなどと嘯いた所で、何ができる! お前のか弱い仲間は今この瞬間にも殺されているだろう!!」

 

 実際の所は猗窩座も知らないが、上弦が手を出さないような一般隊士が下弦級の力を持たされた鬼相手に無傷というのは考えにくい。

 事実その言葉を受けて善逸は顔をしかめ、義勇は眉を一瞬だけひそめた。

 

「守るなどという言葉の無意味さを知れ!」

 

 左右に離れ、互いに助けに入れない状況。それでも善逸の速さを考えればこの程度の距離はすぐに詰められる。故に猗窩座は善逸を狙う。

 怒っていても、こと戦闘においては決して冷静さを失くしてはいないようだ。

 

「霹靂一閃……六連!!」

 

「無駄だ!」

 

 既に霹靂一閃は見切った。数を増やそうと関係ない。方向転換を繰り返して背後から急襲した善逸を、裏拳で吹き飛ばす。

 

「死んでくれ善逸!! 尊敬すべき強者として、綺麗な思い出のまま!!」

 

 とはいえトップスピードの善逸にクリーンヒットさせるのは猗窩座としても困難。裏拳は当てることだけに注力したもの。

 雷の如き速度がなくたった善逸に、改めてトドメを刺すべく、猗窩座は拳を振るう。

 

「破壊殺、空式!!」

 

「水の呼吸、拾壱ノ型……凪」

 

 だが、猗窩座の攻撃に割り込んだ義勇が、凪で攻撃を切り払う。

 

「死に損ないが邪魔をするなぁ!!」

 

 接近して、義勇に拳を振るう。だが……ボロボロであるはずの義勇は、正面から猗窩座の拳を受け止めた。

 

「なにっ!? 馬鹿な、義勇、お前のどこにこんな力が残っていた……!?」

 

「弱い者を守るのが無意味だと言ったな……」

 

 義勇が思い出すのは、親友の錆兎のこと。弱い義勇や他の試験生を守り、自分だけが犠牲になってしまった友。

 少し前まで、自分は水柱に相応しくないと思っていた。ただ守られただけの自分が柱などおこがましいにも程があると。

 

 でもそれは、逃げていただけだ。守られた者、残された者が果たすべき責任から、目をそらしていただけだ。

 

 

「錆兎は俺たちを守って、そのせいで選別で死んだ。何も残せなかったという奴もいるだろう!! アイツが守った者たちも、ほとんどは1年もしないうちに死んだ!! 本来なら実力がなかったんだ、それも当たり前だ!!」

 

 こんなに喋ったのはいつぶりだろう。炭治郎と初めて会った時以来かもしれない。そう思いながらも、義勇の魂の叫びは止まらない。

 

「でも、俺がいる! 村田たちもいる! たとえ一人もいなくなっても、俺たちが守った者たちが後に続く!!」

 

 それが、人の永遠。人の想いの力。鬼殺隊が繋いできたもの。

 

「我妻! お前も守れなかったからと言って不貞腐れるな!! 死んだ者に対してできることをやり抜け!!」

 

 

 ──死んだ者に対してできること……? ふざけるな、そんなこと、あるわけがない! 死んだらそこまでだ!! だから俺は……

 

 

「たとえ守れなくても、ソイツを忘れない限り、本当の意味で死ぬことはない! だから俺は、俺たちは錆兎を絶対に忘れない!!」

 

 ──黙れ。黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!!! 俺に、俺に思い出させるな!! 

 

 

 

「俺がアイツの、生きた証だ!」

 

 

 

『狛治さん、私が、病気で死んだら……一つだけ、お願いがあります』

 

『そういう事を言うのは止めましょう。それに、心残りを残しておいた方が生きる気力になります』

 

『いえ、それでも……言わせて欲しいんです』

 

 ──恋雪は母が看病疲れで自殺したと聞いた時、どう思ったのだろう。申し訳なさで一杯だったはずだ。本当はもっと伝えたいこともあったはずだ。

 

『たとえ、お別れになっても……時々でいいから……私のこと、思い出してください』

 

 ──俺は自殺する気など毛頭ないが、心配の種を残すのも憚られた。だから真剣に、彼女の話を聞いていた。

 

『私のこと……忘れないで』

 

『確かにいつかは俺もこの道場から出ていきますが、別に会いたくなったらいつでも会えばいいでしょう』

 

『え……? いつ、でも……?』

 

 ──道場を継ぐような話でも降ってこない限りいつかは出ていく。それでも、それで交流が終わるとは思えないくらいには、彼らを信頼していた。

 

『ん、どうかしましたか?』

 

『いえ……ありがとうございます、狛治さん』

 

 

「ああもう! さっきから何自分語りしちゃってんのこの人ぉ!! 錆兎って誰ェ!?」

 

「アレはもう何年前になるか、俺が鬼殺隊に入る前……」

 

「いや今説明する!?」

 

「お、れ、は……」

 

 守る力。欲しくて欲しくてたまらなかったはずのそれを、目の前の少年は持っている。

 忘れない心。大切な人が死んで、全てを投げ捨てた自分になかったものを、あの青年は抱いている。

 

 それが、それがとても……羨ましくて、妬ましい。

 

 ──ああ、廃灰はこんな感情を、ずっと抱いていたのかもしれない。アイツのことはよく知らないが、不思議とそう思う。

 

「終式!! 青銀乱残光(あおぎんらんざんこう)!!!」

 

 どうにもならない激情をぶつけるように、猗窩座は自身最強の技を放つ。全方向に向けての、数え切れない乱撃。

 

 正面にいた義勇も凪で防御するが、到底防ぎきれるものではない。

 義勇の後ろにいた善逸にも、無数の攻撃が迫り……

 

 

「雷の呼吸、漆ノ型……火雷神(ほのいかずちのかみ)!!!」

 

 

 再び、猗窩座の右腕が斬り飛ばされる。先ほどの不意打ちとは違う。善逸がいることが分かっていてなお、全く見えなかった。

 善逸が自分だけで考え編み出した独自の型。壱ノ型を極め抜いたその先に開花した新たな境地。

 

 突撃技しか使えない善逸が、牽制技しか使えない兄弟子と共に肩を並べて戦うことを想定して生み出した型。

 だから、当然と言えば当然ながら……義勇の補助的な立ち回りを受けて放つそれは、とても使いやすかった。

 

 義勇の凪と違い、完全新規ではなくあくまで基礎は霹靂一閃だったのも、合わせやすさに一役買った。義勇としては善逸が霹靂一閃を打ちやすいように受け流していたからだ。

 

「水の呼吸、壱ノ型……水面斬り!!」

 

 片腕になった猗窩座。しばらくしたら腕も生える。決めるなら今しかない。義勇は渾身の力を込めて、横薙ぎを払う。

 

 

 

パキン

 

 

 

「あっ……」

 

 思わず口をついて出た、間の抜けた声。猗窩座との闘いの中で酷使に次ぐ酷使を繰り返していた義勇の日輪刀は、最悪の時に折れた。クルクルと回りながら、真上に飛んでいく。

 

「刃が保たなかったか……今度こそ終わりだ!!」

 

 善逸は神速を超える速度の犠牲に、急停止ができずに遠くにいる。助けに来ることはできない。死んだ、とどこか冷静に俯瞰する。

 

 最期の一瞬になって思い出すのは、やはり錆兎のこと。

 

 錆兎の遺体は見つからなかった。ただ、半ばから折れた刀だけが見つかった。

 他の試験生を助ける過程で無茶をし過ぎたせいというのは、誰の目にも明らかだった。

 

 今、義勇の刀も同じように折れた。錆兎と同じ死に方をするのは、悪くない終わりに思えた。

 

 

『お前は絶対死ぬんじゃない。姉が命をかけて繋いでくれた命を、託された未来を、お前も繋ぐんだ義勇』

 

 

 ……いや、違う、錆兎なら……男ならまだ諦めない。たとえ刀が折れても、最後の最後まで諦めなかったに違いない。

 

 どれだけ零れ落ちても、心を燃やす。俺たちは、ずっと一緒だ。

 

「錆兎ぉおおおおおおお!!!」

 

 刀が折れて逆に身軽になった。義勇は空中に跳んで猗窩座の残った左腕の薙ぎ払いを避ける。そして……落ちてきた刀の刃先……折れた部分を素手で掴む。

 

 折れた刀の刃先と、半ばで折れた鍔がある方の二刀流。いや、二刀流とも言えない、ヤケクソとしか言いようのない攻撃。なんの型でもない、ただ刃物を振り回しているだけ。

 

「くっ、ぅおおおお!!」

 

「ああぁあああああ!!」

 

 普段から雄叫びを上げるように叫ぶような性格でもない二人が互いに声を大にして張り合う。

 猗窩座の切り飛ばされた右腕が再生し、頸を狙う二刀を両手でそれぞれ防ぐ。

 

「うわあああぁあああ!!!」

 

 その後ろから走り来るは……我妻善逸。

 

 火雷神(ほのいかずちのかみ)は足に深刻な負担をかける。連続しては放てない。霹靂一閃も漆ノ型のすぐ後には使えない。

 型を使えないなら、使わなければいい。善逸が繰り出したのもまた、型でも何でもない。ただ走り寄って、ただ斬るだけ。

 

 義勇の二刀流も、まるで彼一人が握っているのではないように力強い。少しでも気を抜けば、そのまま頸にまで届きそうだ。

 

 

 故に猗窩座は……迫りくる善逸の刃を、受け入れるしかなかった。

 

 

「勝っ、た……? 勝ったぞぉおおおお!! やったよ禰豆子ちゃぁああん!!」

 

「……いや、まだだ!!」

 

 頸を落として無邪気に喜ぶ善逸。だが義勇は、まだ猗窩座の闘気が消えていないのを感じていた。

 

 

 頸を落とされながらも、フラフラと立ち上がり再び構える猗窩座。義勇は折れた刀を構え、善逸が絶望の叫びを上げた時……彼らの間に、黒服の壁が出来上がった。

 

 

 

 ★ ★ ★

 

「輝利哉様、先行部隊の一部が、予定通り増援に行きました」

 

「ああ、それでいい。柱やそれに準ずる戦力抜きに先行しても、無惨の餌になるだけだ。ここは確実に上弦の参を潰す」

 

 

 ★ ★ ★

 

 

 

「冨岡さんと我妻が弱らせてる!! 何としてもここで仕留めろ!!」

 

「二人は早く無惨の所へ! 出戻りだけはさせません!!」

 

「俺たちの命で、二人の一分一秒を稼ぐんだ!!」

 

「冨岡さん、俺の日輪刀を使ってください!!」

 

 現れたのは、無惨の所へ向かっていた先行部隊。輝利哉の判断で、善逸と義勇の救援に赴いたのだ。

 

「……頼む。行くぞ、我妻」

 

「ええ!? ちょっと休ませ……引っ張らないでぇええ!! マジで体痛いのぉおおおお!!!」

 

 不安はあるが、それでも仲間を信じている。一度頸を落として弱まった以上、数の暴力で押せば勝てる。最後の一押しで、無惨に抵抗できる戦力を疲弊させるわけにはいかない。

 

 そう判断した義勇は、休みたいだの痛いだの疲れただの騒ぐ善逸を連れて、無惨の元へ走った。

 

 

 その間にも、猗窩座の体は勝手に再生を始めている。だがそれを無理矢理抑え込んで、一般隊士たちの刃が届くのを待つ。

 

(ああそうか、俺は……)

 

 目の前の隊士たちの姿が、あの日の道場生たちと……恋雪と慶蔵を殺された復讐に行ったら、武装して待ち構えていた道場生たちと重なる。無論、正義の心を持って悪鬼を討たんとする彼らと、悪逆無道の道場生たちを同一視するのは、彼らに失礼であるが、それでも重なって見えた。

 

(俺は本当は、あの時……)

 

 守る力も、思いやる心もない。そんな役立たずの狛犬が自分だ。

 役立たずが役立たずなりにやらなければいけなかったことは、無意味な復讐などではない。

 

 あの時自分は、彼らを殺すべきではなった。

 

 いつだったか、破竹の勢いで十二鬼月となり、数字を上げている猗窩座に、無惨が言った言葉がある。

 

『猗窩座……流石は人の身の頃から道場を二つ潰して、鬼呼ばわりされただけのことはある』

 

 あの時は記憶がなかったから気にも留めなかったが……無惨は確かに二つと言った。なぜか? そんなの考えるまでもない。猗窩座の隣の道場と……猗窩座自身の道場だ。

 

 猗窩座が殺した道場生たちは鬼の仕業ということになった。それと前後して隣の道場に変死者が出ていれば、それも鬼の仕業ということになる。当たり前だ。奉行所の書類にはともかく、人の間を好き勝手に流れる噂ではそういうことになるだろう。

 それに毒殺の証言自体はあったろうが、加害者も被害者もいなければ奉行所とは言え調べようがない。

 

 

 彼らさえ殺さなければ……

 

 恋雪たちの死が鬼の仕業による変死の一つとして流されてしまうことはなかった。

 アイツらを哀れにも変死した鬼の被害者に仕立てあげることもなかった。

 あの世で父親をさらに哀しませることもなかった。

 

 奉行所がアイツらを裁いてくれることを信じて、一つでも多くの証拠を残すために……

 

 

 

 

(俺はアイツらに、殺されるべきだったんだ)

 

 

『狛治さ……』

 

「来るな!!!」

 

 駆け寄ってくる恋雪の幻影を制止する。彼女はきっと、地獄まででも付いてくるだろう。でもそれは駄目だ。彼女のような善人が、極悪人に寄り添って地獄に墜ちるなどあってはならない。

 

『「怯むな! 相手は一人だ!! 行けぇええええ!」』

 

 そして向き直る。鬼狩りの勇者たちに。人殺しの愚者たちに。地獄への道先案内人に、恋雪や慶蔵は勿体なさ過ぎる。あの道場生たちが丁度いいだろう。

 

 

「死ねぇええええええ!!!! 悪鬼ぃいいいい!!!」

 

『死ねぇええええええ!!!! 狛治ぃいいいい!!!』

 

「お前さえいなければ、煉獄さんは死なずに済んだのに!」

 

『お前さえいなければ、俺が恋雪と結ばれていたのに!』

 

「……ありがとう」

 

 上弦の参、猗窩座は一般隊士四十余名に斬り刻まれた。頸を斬られてもなお生き汚くしぶとく再生する猗窩座に手間取ったが、根気強く斬り刻み続ける隊士たち。一般隊士たちにも広く慕われていた煉獄の仇である猗窩座をこの手で倒すという正義を胸に、何度も何度も刀で滅多刺しにした。

 そして、最早朝まで死なないのではと思えるような、長い長い時間をかけた末……とうとう猗窩座を滅することに成功する。

 

 その間、猗窩座は一切抵抗することはなかった。

 だが、興奮状態だった隊士たちは、後から全員の無事を確認するまで、終ぞそれに気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「これで良かったのか?」

 

「はい、俺は……俺はきっと、優しさに甘えて、恋雪さんを地獄に巻き込んでしまったかもしれない。けど、そんなの許されない」

 

 地獄とも天国とも付かない、夢か現実かも分からない、あの世。狛治の前には光に溢れた暖かい場所があり、師範と恋雪が悲しそうに立っている。

 そして狛治の後ろには、地獄の業火が燃え盛る仄暗い空間が広がっており、かの道場生たちの怨嗟の声が響いている。

 

 こちらから光へ行くことはできないが、あちらから地獄へ来ることはできる。恋雪は今にもこちら側に来そうだ。けれどそれを、狛治が首を横に振って止める。

 

「あんな所に貴女を連れていけない。恋雪さん、お願いです……俺に貴女を守らせてください」

 

「狛治さん……」

 

 手を伸ばして、ゆっくりと狛治の手を自らのそれと絡める恋雪。数百年越しの想いを確かめ合うように、互いに触れ合っていたが……やがて名残惜しそうに、二人の手が離れる。

 

「私、忘れません。貴方の罪が赦されるまで待ちます。来世でもその次でも、貴方が生まれ変わって……また巡り会えることを、信じています」

 

「俺も……今度こそ忘れません。罪を償えたら、きっと貴女に会いに行きます」

 

 少しずつ遠くなっていく、天国との距離。今抱きしめたら、きっと恋雪は地獄の果てまで付いてきてくれる。でも、それはダメだ。だから最後だけは彼女を守れた自分を、ほんの少しだけ好きになれた。

 

「狛治ィ……たかが二人殺しただけの俺たちが未だに地獄にいるんだ……お前が輪廻転生できる日なんて、一生来ねぇよ」

 

「……かもしれないな。それでも構わない。恋雪さんと師範を、今度こそお前たちから守れるなら」

 

 後ろから迫る道場生たち。狛治は遠くなる天国の二人に背を向けて、道場生たちと向き合う。あの手この手で狛治をダシに恋雪を誘い地獄に、また良からぬことを企んでいるに違いない。

 だが今度こそそんなことはさせない。

 

「守る。善逸のように。想いぬく。義勇のように」

 

 いつか一緒に、輝くために。

 

 

 




猗窩座ファンの方、すみません。炭治郎と闘わなかった猗窩座が救われるのがどうしても想像できず、このような展開になってしまいました。
ある意味これも炭治郎と戦うのを横取りしたオリ主の罪とも言えるかもしれない……。



3月11日、ラストにあの世の描写を追加しました。


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恋の味は何の味?

今回ファンブックの内容と一部矛盾する描写があります。ご容赦ください。


 時は多少前後して、上弦の弐が君臨する、蓮の花の部屋。そこでは蛇柱伊黒小芭内と、恋柱甘露寺蜜璃が上弦の弐、童磨と対峙していた。童磨の足元には、彼の宗教、万世極楽教の信者の女性たちが倒れ込んだり蹲ったりしている。童磨の口元に溢れる血を見れば、既に女性たちが何人も犠牲になったことは想像に難くない。

 

「やぁやぁ初めまして、俺は童磨。君たちは?」

 

 朗らかに話しかける童磨を無視して、伊黒は甘露寺に耳打ちする。

 

「甘露寺は捕まってる女たちを頼む。俺が時間を稼ごう」

 

「ええ、まずはあの人たちが最優先ね!」

 

 今は一刻を争う事態だが、だからといって犠牲者を増やすことはしたくない。特異体質である自分の力を誰かを助ける為に使う甘露寺はもちろん、罪深い一族の贖罪の為に戦う伊黒も、その想いは同じ。

 

 だが……伊黒が童磨を引きつけるように、わざとその身を晒すように躍り出た瞬間……

 

「きゃああああああああ!!!」

 

 童磨の近くにいた女性が、凄まじい悲鳴をあげる。

 伊黒と甘露寺はもちろん、童磨ですら何事かとその女性に目を向ける。

 

 

「なんでよぉ……! なんでアンタがここにいるのよぉ……! なんで教祖様の邪魔をするのよぉ……!」

 

「き、さま……!?」

 

 伊黒はその時初めて、童磨の近くに蹲っていた女性の顔を見る。それは、記憶の中のそれとは違うが、確かに面影を残していた。

 

「この生贄が!!!! どこまで私の人生の足を引っ張るのよ!! 私はただ、前みたいに、一生遊んで暮らせる所に……極楽に行きたかっただけなのに!!」

 

 かつて生き別れた、伊黒の従姉が、そこにいた。

 いつからか行方が分からなくなり、生活能力のなさからどこかで野垂れ死んだのかと思ったが……変な宗教にハマっているとまでは思わなかった。

 

「あれぇ? 君、あの人の知り合い?」

 

 それまで伊黒の従姉を餌としてしか見てなかった童磨も、ここで初めて彼女に興味を持ったようだ。

 

「お前……! くっ、話は後だ、早くこっちに来い! ソイツから逃げろ!」

 

「嫌よ! 私は、私は極楽に行くんだから!!」

 

「馬鹿! ソイツがただの鬼なのはお前だって分かるだろう!」

 

 伊黒が思わず声を荒らげた瞬間、さぁ、と風が吹き……伊黒が口に巻いていた布が、童磨に擦り取られていた。

 

「ふぅん、なんで口を隠してるのかと思ったら……そういうことか」

 

「き、さ、まぁ……!」

 

「あれぇ、怒っちゃった?」

 

 いくらよそ見していたとはいえ、殺意も殺気もなかったとはいえ、柱である伊黒が知覚できない速度で布を取り去られていた。そのことに焦りを覚える。

 そしてそれ以上に、誰にも触れられたくない傷を、従姉がいる時に、よりによって甘露寺の目の前で晒してしまったことで……伊黒は腸が煮えくり返るような怒りを童磨に向ける。

 

 

「伊黒、さん……? その傷……」

 

「か、甘露寺……」

 

 だがその怒りも、甘露寺の困惑したような声を聞いた瞬間に霧散していた。伊黒にとって口の傷は、ただの古傷ではない。自らの生涯……産まれてきたことそのものが罪深い自分への罰の象徴である。

 鬼にへりくだり、鬼が人様から奪った金で贅沢三昧の優雅な生活を送る、盗っ人猛々しいという言葉でもまだ生温い最低の一族だ。

 

 思わず顔を背け、傷を隠そうとする伊黒。

 

 

 

 

「野性的で素敵だわ……! 不死川さんの影に隠れて、伊黒さんも傷の似合う男の子だったのね!」

 

 

 

 

 だが甘露寺は、伊黒の焦燥も知らずにいつも通りキュンキュンしていた。

 

 

「甘露寺、これは、ただの古傷じゃない。これは……いや、それより構えろ、来るぞ!!」

 

「いや行かないよ。俺も君のお話聞きたいなぁ。そうだ!」

 

 さも名案を思いついたとでも言いたげに、パン、と手を叩く童磨。その瞬間、童磨の近くで気絶していた女性たちが目を覚ます。

 

「女の子たちが逃げるまでは手を出さない。その代わり、退屈しのぎに君の話を聞かせてよ」

 

「そ、そんな、私たちは教祖様に救済されて極楽に行くはずでは!?」

 

「アハ、君面白いね! 食べられる直前になっても俺が神の子だって信じてるおバカな子は中々いないよ!」

 

「た、たべ……!? ひぃいいいいい!!」

 

 童磨が鬼であることなど分かっていたであろうに、ギリギリまで神と極楽を信じていた愚かな従姉。

 

「生贄! どうせ隠すような話じゃないし、話してやりなさい!! 私はその間に逃げるわ!!」

 

 腰を抜かしたかと思えば、従弟の複雑な心情などお構いなしに近くにいた女性を踏みつけ、自分だけでも助かろうと必死に逃げ出す。

 そんな彼女に、伊黒は怒りよりも哀れみを覚えた。

 里の中にいるだけで、何も働かなくても鬼が金を運んで来てくれる。周りの大人は誰もそれに疑問を覚えていない。そんな環境でずっと過ごしていて、まともな人間になれるわけもない。ある意味彼女も一族の被害者だ。

 

「さて、と……話は聞いてたよね? まずは君たちの名前を教えてよ。自己紹介は大事だからね!」

 

「か、甘露寺蜜璃、です……」

 

「……伊黒小芭内」

 

「うんうん、さっきも言ったけど俺は童磨! よろしくねぇ二人とも」

 

 女性たちが逃げるのを尻目に伊黒と甘露寺に話しかける童磨。甘露寺は警戒しながら、伊黒は苦虫を噛み潰したような顔で、それぞれの名を名乗る。

 

「それじゃあ、君のその傷やさっきの子との関係について、話してくれるよね?」

 

 ギリ、と唇を噛む伊黒。できれば自分の過去など話したくない。そもそも鬼と言葉を交わそうとも思わないくらいだが、囚われた女性たちを見殺しにするわけにはいかない。守りながら戦うには、上弦の弐という数字は重すぎる。

 結局伊黒はポツリポツリと、甘露寺が聞いている前で自らの虫唾が走る生まれについて話すしかなかった。

 

「俺の、家は……鬼に媚び諂う、クズの集まりとしか言えない一族だった」

 

「へぇ、襲われて命乞いでもしたの?」

 

「……違う。鬼が襲った家から金品を貰う代わりに……生贄を定期的に出していた」

 

 それから語るのは、伊黒にとって認めがたいが忘れることもできない、唾棄すべき過去。

 

 ある一体の鬼に寄生するクズ共のこと。そんなクズの間に産まれ、地下牢に閉じ込められ、生贄として食べられるのを待つだけの人生だったこと。信じられるのは蛇の鏑丸しかいなかったこと。一瞬の隙をついて逃げ出したら、怒った鬼に一族が従姉以外皆殺しにされたこと。自分も殺される寸前で炎柱に助けられたこと。炎柱は従姉と引き合わせてくれたが、逆恨みした従姉に大人しく死ねば良かったのにと詰られたこと。

 

 それから、一族の……自分に流れる罪深い血の贖罪に、鬼殺隊の道へ進んだこと。

 一通り話し終える頃には、女性たちは全員蓮の部屋から出ていた。どこかで隊士と会えれば、隠に保護してもらえるだろう。

 

「アハハハ! 面白いお話だったね!」

 

 白々しい声を出しながら顔だけはニコニコとしている童磨。

 

「蜜璃ちゃん、君は今の話を聞いてどう思った?」

 

「どう、って……」

 

 甘露寺は伊黒の方を見る。今度こそ伊黒はハッキリと視線をそらし、彼女の視線から逃げる。だが甘露寺は大きく動いて目を背けた伊黒の正面に回ると、まっすぐに伊黒の目を見て言う。

 

「みんな色々事情があるのは知ってたから、驚きはしたけど、それだけだわ!」

 

 ……本当は「影のある男性って素敵!」と思って相も変わらずキュンキュンしていたが、流石に空気を読んでそこまでは言わなかった。

 

「甘露寺……俺はみんなのような、純粋な被害者とは違う。鬼に寄生するクズから生まれた、罪深い命なんだ」

 

「でもそれ以上に、たくさんの人を鬼から救ったわ! それに伊黒さんは、ただそういう場所に産まれただけで、何も悪いことしてないじゃない!」

 

「甘露寺、君は……君は本当に、まっすぐで眩しい人だ」

 

「ふーん、そうかそうか、つまり君たちはそういう関係だったんだね!」

 

 儚げに微笑む伊黒と、それにまたときめく甘露寺。そんな二人を見ていた童磨が、なぜか未だに楽しそうな顔をしたままで立ち上がって、扇子を構える。

 

「まぁいいや、それじゃあ……」

 

 始めようか、と続ける前に、伊黒が素早く切り込んでいた。

 

「おっと、せっかちだなぁ」

 

「蛇の呼吸、弐ノ型……狭頭の毒牙」

 

 蛇のようにうねる斬撃で、扇子の防御をすり抜けて童磨に斬りかかる。

 童磨は面白そうに伊黒の手首のうねりを見てから、悠々と後退する……が、その手には、伊黒から奪った布がなかった。

 

「ふん、布は返してもらったぞ」

 

「傷も素敵だったけど、やっぱりそれがあった方が伊黒さんって感じがするわ!」

 

 童磨から奪い返した布を口元に巻き直す伊黒。後から刀を構えた甘露寺も、それを見て笑顔を向ける。

 

「うーん、本当はもう少し遊びたかったけど……これ以上はあのお方にも怒られちゃうし、仕方ないか」

 

「戯れ言を……蛇の呼吸、参ノ型……塒締め!」

 

「恋の呼吸、壱ノ型……初恋のわななき」

 

 それぞれの全集中の呼吸で迫る二人に対し、童磨は扇子から大量の氷……自らの血を凍らせた粒子を粉雪のように振りまく。

 

「血鬼術……粉凍り」

 

「……うぐっ!?」

 

 伊黒も甘露寺も優れた隊士だが……否、優れた隊士であるが故に、それを避けられなかった。警戒すればするほど、全集中の呼吸を深くしてしまう。

 粉凍り……吸った者の肺胞を壊死させる粉雪は、全集中の呼吸の剣士の天敵。初見で避けるのは不可能に近い。

 

 だが流石は柱というべきか、二人とも少し吸った段階で冷気の危険性に気付き、全集中の呼吸を止め、口と鼻を抑えて普通の呼吸に切り替えた。

 

 だが、たとえ冷気をほとんど吸わなかったとしても、呼吸を止められたという事実は重い。

 

 特に伊黒の体力は少ない。幼少期のことがあってほとんど物を食べられなくなった伊黒に、恵まれた体を作ることはできなかった。呼吸を中心とした技巧派である伊黒にとって、呼吸を封じる上弦の弐は特に相性の悪い相手。思わず氷がまだ来ていない後方まで後退る。

 

 

「たぁあああああ!!!」

 

 

 だが逆に、全集中の呼吸なしの素で常人の八倍の筋力を発揮する甘露寺ならば、比較的相性が良い相手だ。扇子から飛んでくる迎撃の氷を避けて、甘露寺は童磨に日輪刀を振るう。

 

「すごいね、呼吸なしでここまでやる柱は初めて見たよ!」

 

 しかし甘露寺と童磨の相性の良さは、あくまで「呼吸なしでも筋力が強い」という一点において、という話でしかない。並の鬼ならともかく、上弦の弐相手にそれでは、些か以上に見劣りすると言わざるを得ない。

 甘露寺の刀を難なく受け止めた童磨は、全集中の呼吸無しでのその威力に少し驚いたようだ。

 

「なるほど、見た目の割に凄い筋肉だね! 特異体質ってやつかな?」

 

「えっ、ひゃああああああ!!?」

 

 いつの間にか甘露寺の後ろに回り込んでいた童磨。だが彼は遊んでいるかのように攻撃をしない。彼女の柔肌の下に隠れる筋肉を確かめるように、ねちっこい手つきで無遠慮に二の腕を触る。

 

「これなら、俺の氷にも少しは耐えられるかもしれないね!」

 

「え? んっむぐぅ!?」

 

 童磨は二の腕を触っていた手を甘露寺の顔に持っていき、口と鼻を塞ぐ。その童磨の手には微量の粉凍りが張り付いており、嬲るように少しずつ、氷が甘露寺の口内から体内へ入っていった。

 

「やっぱり辛かったかな? ほらほら、早く逃げないと死んじゃうよ?」

 

「むご……んー!! んぐうぅううう!!!」

 

「貴様ぁ!! 甘露寺から離れろゴミがぁ!!」

 

 それを見て、伊黒の怒りは爆発した。何とか全集中の呼吸を繰り出すべく、氷の少ない地面スレスレまで顔を伏せる。

 

 彼は思い出す。生贄……いや、家畜の自分を肥え太らせようと脂っこいものを大量に地下牢に持ってこられた事を。噎せ返る油の匂いから逃れる為に、匂いを嗅がないように少ない空気で必死に呼吸していた頃を……! 

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り!」

 

 一気に間合いを詰めた伊黒が、未だにベタベタと甘露寺を触っている童磨を袈裟斬りにする。今度は先ほどの余裕綽々の態度ではなく、思わず、といった調子で後退る童磨。

 童磨から解放された甘露寺は激しく咳き込み、足取りが覚束ないが……伊黒の日輪刀を持っていない方の手で抱き支えられて安定する。

 

 

「大丈夫か、甘露寺」

 

「げほっ、こほっ! い、伊黒さん……!」

 

(キャーー!! キャーーー!! 伊黒さんに抱っこされちゃったわ!! お、重くないかしら!? 重くないかしら!?)

 

 恋愛に関して夢見がちな所のある甘露寺は、悪漢に襲われている所をカッコいい男の子に助けられたいという、囚われのお姫さまめいた願望を持っていた。

 そもそも彼女が鬼殺隊に入った理由は──特異体質である自分の本当の居場所を守るという目的の、あくまでオマケだが──結婚相手足り得る強い男を探すためというもの。

 今はそれどころではないというのは重々承知しているが、憧れのシチュエーションに大興奮である。

 

「うーん、やっぱり面白いなぁ、君たち」

 

 そんな二人を楽しそうに見ている童磨だが……その実、彼には感情がない。感情豊かに見えるのも、そういう振りをしているだけで、伊黒の過去の話を聞いても本当は何も心に響かない。

 

 だが、先ほど甘露寺が叫んだ恋の呼吸というのを聞いて、少し興味が湧いた。初めて聞く呼吸だ。

 

 たとえば恋の味、という言葉もある。食べてみたら、意外にも恋というものが分かるかもしれない。

 無論、別に本気で期待しているわけではない。だが長く生きていると、そうやってちょっとした事に暇つぶしの種を見出すのが上手くなる。

 

 恋云々抜きにしても、甘露寺は『おいしい』獲物だ。数年前に女の柱を食べ損ねて殺してしまった時は随分と損をした気分になったものだが……ようやく極上の餌にありつけそうだ。童磨には感情はないが、味覚はある。美味しいし栄養もあるので若い女性の肉を好むの自体は間違ってない。

 

 上品に扇で口元を隠しながら……ペロリと、彼は唇を舐めた。

 




ファンブックによれば伊黒さんの従姉は本当は宗教なんかにハマらずに、残った財産を使って普通に暮らしてるそうです。
あと、上弦戦は基本二話で決着がつく感じになります。思ったより進まなかったですが、次回で童磨戦は終わらす予定なのでお待ちください。


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甘くて苦い、蜜の味

今回も独自解釈多めです。


「そらそら、どんどん行くよ! 血鬼術、蔓蓮華!」

 

 伊黒と甘露寺は少しずつ遊びを止めて全力を出していく童磨を前に、徐々に追い詰められていた。

 

「蛇の呼吸、伍ノ型……蜿蜿長蛇」

 

「こ、いの呼吸……! 陸ノ型、猫足恋風!」

 

 体の燃費の良い伊黒はまだかろうじて戦えていたが、甘露寺は優れた肺活量が仇となり動き難そうだ。

 

「そろそろいいかな……血鬼術、散り蓮華!」

 

 風に舞い散る花びらのように、広範囲を襲う氷の花。避けるのは不可能と見て、それぞれ氷の薄い所に移動して防御する。

 互いの動き、特に曲がりくねった甘露寺の日輪刀の動きを阻害しないように二人が離れた隙を見て、童磨が甘露寺に近づく。

 

 

「甘露寺!」

 

「おっと、君はこいつらと遊んでてね」

 

 助けに入ろうとした伊黒に立ち塞がったのは、童磨の半分ほどの大きさの氷像……結晶ノ御子。だが御子の使う血鬼術の威力は、半分などという生易しいものではない。

 ほとんど同じ戦闘力を持つ御子二体に、伊黒は完全に足止め……否、気を抜けばやられるような激闘を演じさせられてしまう。

 

「わ、私は大丈夫! 足手纏いには、ならないわ!!」

 

「ふふっ、強がっちゃって可愛いなぁ」

 

 既に肺をやられている甘露寺に、上弦の弐を単独で相手取れるわけもない。伊黒が焦れば焦るほど、御子の動きは狡猾になっているように感じられた。

 

 

「こほっ、恋の呼吸、弐ノ型、懊悩巡る恋!」

 

「わぁ、すごい連続攻撃だね! じゃあ俺も……血鬼術、枯園垂り!」

 

 互いに正面切っての接近戦。単純な力のぶつかり合いであるからこそ、地力で劣る人間の方が追い詰められていく。

 

「くっ、そぉおおお!!」

 

 御子の片方を力任せに切り払う伊黒。まだ助けには行けない。

 

「はぁ、はぁ……伍ノ型……! 揺らめく恋情・乱れ爪!」

 

 体を蝕む氷に苦しみながら、力を振り絞って型を打つ。舞うように後方へ飛びながらの斬撃の型。

 これは、彼我の実力差が分かっているが故の後退。後退中は隙ができるが故の斬撃。客観的に見て、甘露寺の判断は間違っていなかったと言える。ただ、正しい判断をしたからといって、求める結果が得られるとは限らない。

 頸以外は致命傷にならない鬼、ましてや上弦である童磨には、斬撃による牽制などほぼ無意味。

 

「……捕まえたよ、っと」

 

「っ!?」

 

 にこやかに微笑みながら、甘露寺の剣戟を受けても無理矢理前進する童磨。

 先ほどと同じだ。遊んでいるから戦いが成立しているだけで、一息に殺そうと思えばすぐに殺せる実力差を、嫌でも感じさせる。

 違うのは二点。流石にそろそろ柱の一人も殺さないと無惨の怒りを買うかもしれない事と……甘露寺の『恋の味』に、少し興味が出てきたこと。

 

 片腕で刀を持つ腕を抑えられ、片腕で首を掴まれる。先ほどは助けに来た伊黒は今、結晶ノ御子と戦っていて手が離せない。

 

 甘露寺は手首のスナップで日輪刀をしならせて首を折ろうとしてきた腕を斬り落とす。しかし、その後が続かない。腕の再生までの僅かな時間を稼いだだけだ。

 

 

「うぉおおおおお!!」

 

 伊黒は残った一体の御子を斬り伏せる。だが、粉凍りの薄い所を選んで戦っているうちに、大分距離が離れてしまった。童磨の腕が再生した。その腕で馴れ馴れしく甘露寺を抱きしめる。

 

「無駄だと分かっていて最後まで抗って偉い!! 君は俺の中で永遠を共に生きるに相応しい人だ! 言い残すことはあるかい? 聞いてあげる」

 

「甘露寺! 持ちこたえろ!! 君は、俺が死なせない!!」

 

 それがせめてもの罪滅ぼしなんだ。そう続けようとした伊黒を、諦めたような、でもどこか晴れやかな顔で甘露寺が制する。

 

「伊黒さん、自分のことを罪深いなんて言わないで」

 

 伊黒は体に粉凍りが入るのも構わずに全力疾走する。彼女はこんな所で死んでいいような人じゃない。普通の女の子だ。死ぬのは自分のような人間だけでいい。その万感の想いを乗せて伸ばした手は、虚しく虚空を切って届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「許してあげて、一族のことも、あの女の子のことも……何より伊黒さん、貴方自身のことを」

 

「甘露寺ぃいいぃいいい!!!!!!」

 

 

 

 

 恋柱、甘露寺蜜璃は……上弦の弐、童磨に吸収された。

 

 

 

 

「っ!? 美味しい……! 若い女の子はみんな美味しいけど、その比じゃない! この子は……蜜璃ちゃんは格別だよ!!」

 

 童磨には感情がない。だが味覚はある。稀血のものとはまた違う……筋肉がとてつもなく凝縮された、引き締まった味。

 鬼として強くなる為の栄養なら稀血だろうが……美味しさではこちらの方が上だった。

 

「蜜璃ちゃんは今日、俺に食べられる為に生まれてきて、辛い修業にも耐えてきたんだね! ありがとうね!!」

 

 美味しいものを食べたら喜ぶ。感情のあるフリを続けてきた童磨は、意識せずとも喜んでいるフリをする。大なり小なり特異体質の鬼狩りはたまにいたが、ここまでの極上の食糧は初めてだ。だから涙すら流して、普段の食事ではしないような白々しい感謝の言葉を述べる。ともすればこの時の童磨は演技ではなく本気で『感動』していたかもしれない。

 

「ぅああぁあああああああああああああ!!!!!」

 

 伊黒のこの世の終わりのような叫び。万力の力で日輪刀を握りしめ、刀が灼熱の如く赤く染まり、隊服の下に痣が発現する。

 

 

「余韻を邪魔しないで欲しいなぁ、まったく」

 

 だがそれでも、圧倒的な差は埋まらない。再び生み出された氷のつぶてが、伊黒に襲いかかろうとした時……

 

「どりゃああぁああ! 天空より出でし伊之助様のお通りじゃああ!」

 

 天井が崩れ、上から猪の被り物をした少年……伊之助が降ってきた。

 

「嘴平……!?」

 

「獣の呼吸、伍ノ牙、狂い裂き!!」

 

 伊之助によって氷は防がれた。赫刀の覚醒の余波でふらついていた伊黒も、すぐに体制を整える。

 

「てめぇ上弦の弐だな、バレてるぜ! てめぇが上から二番目だってことを俺は知ってる! ハハーァ! てめぇを倒せば俺は柱だぁ!!」

 

「別に上弦の弐だってことは隠してないけど……面白い子が来たなぁ」

 

 鴉からの伝令をろくに聞いていなかった伊之助は状況をろくに把握していない。だが事ここに至っては、敵が目の前にいることだけ理解していれば十分だ。

 

「俺が柱になったら呼び名は野獣柱か!? そうなったらしのぶと蛇男は自動的に俺様の子分……っておい蛇男! お前ボロボロのフラフラじゃねーか!」

 

 ようやく伊黒の状態に気づいた伊之助が心配する。

 

「稽古の時も思ったがもっと飯を食え飯を! そんなんじゃ肝心な時に動けねぇし大食いの神に心配されるぞ!」

 

 伊之助の言う大食いの神……すなわち甘露寺のことを聞いた伊黒は、童磨に向けていた射殺すような目を伊之助にも向ける。

 

「……死んだのか? 甘露寺」

 

 その動作で、伊之助も分かってしまった。そして、柱稽古の時の思い出が、彼の脳裏によぎる。

 

 

『キャー! 凄い柔らかさよ伊之助くん!! 私より柔軟できる子なんて初めて!』

 

『がはははは!! あたぼうよ!! このまま大食いでも勝ってやるぜ!!』

 

 

 

「……噛み殺してやるゴミが」

 

「止せ! お前では無理だ! 奴の氷は肺を壊す!」

 

 伊黒の制止も聞かずに走り出した伊之助が、童磨の扇子と打ち合う。が、すぐに吹き飛ばされる。

 

「無茶苦茶な太刀筋だね、それで成立してるんだから本当に面白……?」

 

 

 だが童磨は、『食べ残し』が……面白い形だったから取っておこうとしていた甘露寺の日輪刀がなくなっているのに気付く。

 

「俺らじゃ使えねぇけど、あんな奴に持ってられたままってのも気に食わねぇだろ」

 

「……そうだな、その通りだ」

 

 童磨から甘露寺の日輪刀を取り返した伊之助は、墓標のように床に突き刺す。

 

「気付かなかったよ、君やるねぇ」

 

「当たり前だ、俺様はそこいらの有象無象とは……!?」

 

「面白い被り物だねぇ、わ、やっぱり本物の猪なんだ!」

 

 意趣返しのように、目にも留まらぬ速さで伊之助の被り物を奪う童磨。

 

「てめぇ、返しやがれ」

 

「あれー? なんか見覚えあるぞぉ、君の顔」

 

「あ?」

 

「そうだ思い出した、あの時の子供だ! 母親に崖から落とされた!」

 

 それから童磨が語るのは、十五年前の出来事……琴葉という名の一人の母親が、暴力を振るう夫から赤子と共に逃げてきたこと。

 琴葉は指切りげんまんの歌をよく歌う女性で、可愛げがあって童磨も気に入っていたこと。

 しばらく家族紛いの生活を送って暮らしていたが、ひょんなことから人を喰っているのを目撃されて逃げられたこと。

 追っているうちに赤ん坊だけでも逃がそうとした母親が、崖から我が子を落としたこと。

 その後、その母親を童磨が殺して喰ったこと。

 その赤ん坊こそが、今目の前にいる伊之助その人であること。

 

「いやぁ、奇跡みたいな巡り合わせってのはあるもんだねぇ。琴葉は何の意味もない不幸な人生だったけど、最期に子供を助けられたのは幸福と言えるかな?」

 

「ころ、された……? 俺の、母親……指切りは、しのぶだけど、しのぶじゃなかった……?」

 

「あ、でもここで君は俺が殺すから、結局琴葉の人生に何の意味もないのには変わらないか!」

 

「下衆が……! 嘴平、いつまでも呆けてないで構えろ! 甘露寺と……お前の母の仇を討つぞ!」

 

「ああ、奇跡だぜこの巡り合わせは……俺の母親と、仲間を殺した仇が、目の前にいるなんてよぉ!」

 

 母親からも単なる生贄としか見られなかった伊黒は、 童磨の話に思う所があったのか、伊之助に寄り添うような言葉をかけた。

 伊之助も伊黒も、殺意と憎しみの籠もった瞳で童磨を見据える。

 

「うーん、君たちとお話するのは楽しかったけど、極上の食事の後に口を汚したくないから……そろそろ終わりにしてあげるよ」

 

 童磨は面倒くさそうに扇子を構える。直後、彼の世界は反転した。

 

「……え?」

 

 部屋が逆さになったわけではない。ドロリと、童磨の目玉が溶け落ちていたのだ。

 

 


 

 

「風の噂でお聞きしたのですが、甘露寺さんのその髪は桜餅をお食べになったことが原因だとか」

 

「え、ええっ!? ど、どうしてしのぶちゃんが知っているのかしら!?」

 

 柱稽古の時の一幕。何気ない会話。だが突然、しのぶは甘露寺に土下座した。

 

「ちょ、ちょっとしのぶちゃん!?」

 

「甘露寺さん、恥を偲んで頼みます。どうか、藤の花を摂取して頂けませんか?」

 

「え?」

 

「貴女は摂取したものの吸収効率がとてつもなく高い……今からでも藤の花の毒と同じ体質になることができると思われます」

 

 しのぶは自分の体を藤の花の毒と同じ体質になるようにしたこと。この体を使って捨て身の覚悟で姉の仇である上弦の弐を討とうとしていること。現実問題毒だけの討伐は難しいが、弱体化は確実にさせられること。本来なら長い時間をかけなければ藤の花の体質にはなれないが、特異体質である甘露寺ならば可能性があることを話す。

 

「上手く私が上弦の弐と接敵できるとは限りません。そこで同じ『女』であり『柱』であり、さらには特異体質である甘露寺さんに、藤の花の摂取を頼みたいのです。無論、私のようにわざと吸収されろなどと言うつもりは毛頭ありません」

 

「は、話は分かったから土下座は止めて! むしろ私の体を武器にしてくれるなら、こっちからお願いしたいくらいだわ!」

 

「いえ、もう一つお話があります。臨床実験は私の体で行っていますが……問題が起きていないのは『現状』、としか言えないんです」

 

「つまり、しのぶちゃんでもこれから何が起こるか分からないってこと?」

 

 土下座を止めさせようとする甘露寺だが、しのぶは頑として床に頭を擦りつけ続けた。甘露寺に何の危険もないなら、しのぶとて土下座まではしなかっただろう。彼女が誠心誠意頭を下げるのは……この実験には危険が伴うため。

 

「私が上弦の弐とぶつかる可能性は低くないと思っていました。しかしお館さまの話では、カナヲや伊黒さんが僅かに接触しただけの上弦級の敵がまだいるとのこと……」

 

 残る上弦が三体ならばしのぶは甘露寺に相談せずに、自分だけを毒にして戦いに臨んでいただろう。だが分かっている上弦級の鬼が一体増えた現状、少しでも可能性を増やしたくなったのだ。

 

「私に叶えられることならば何でもします。もし生き残れたら、体を元に戻す手術の研究に一生を捧げます。私が死んでもアオイが研究を引き継いでくれるはずです。ですからどうか、どうか藤の花の毒を、摂取してください!!」

 

「……顔を上げて、しのぶちゃん」

 

 土下座を続けるしのぶに、静かながら有無を言わせぬ気迫を込めて告げる。恐る恐る、といった風に顔を上げたしのぶ。甘露寺はしのぶの肩を掴んで、しっかりと正面から彼女の瞳を見つめる。

 

「私より年下の女の子が、自分の体を犠牲にして頑張ってるのに……私だけ何もしないわけにはいかないわ!! 」

 

 


 

 

「な、に、これ……? 毒……?」

 

「嘴平ぁ!! 畳みかけるぞ!!」

 

「おう!!」

 

 身長も筋肉もあるが故に、甘露寺の体重はしのぶよりも重い。その分しのぶより毒も大量で、効くのも早い。少し過去話をしていただけで、童磨の体に毒が回るほどに。

 

 そして伊黒と伊之助は、その隙を見逃さなかった。毒のことは知らないが、童磨を討つまたとない好機であることは明らかだ。

 

 

「血鬼じゅ……」

 

「させるかぁ! 獣の呼吸、思いつきの投げ裂きぃ!!」

 

 慌てて血鬼術を使おうとした童磨に、伊之助は刀を投げる。ギザギザの刃が、童磨の頸に深く食い込んだが……落としきれなかった。

 

「霧氷・睡眠菩薩!!!」

 

 そして、這々の体ながら血鬼術が発動。巨大な氷の仏像が現れ、凍てつく冷気が広範囲に充満して二人の動きを阻害する。しかしここで退いては回復の暇を与えてしまう。

 

「蛇の呼吸、壱ノ型……委蛇斬り!!」

 

 毒のせいで血鬼術が荒い。肺が壊死しきる最後の一呼吸で、伊黒は隙間を縫うように前進し、伊之助の刀を押し込もうとする。

 

「鏑丸……!」

 

 だが、氷の寒さに蛇の鏑丸に限界が訪れ、力なく伊黒の首に巻き付いて視覚の補助ができなくなってしまう。

 無論それで戦えなくなる伊黒ではないが、目の悪い伊黒だけで術の隙間をくぐり抜けるのは不可能だ。

 

 

「うぉおおおおお!!!」

 

 その後ろから、伊之助が叫びながら突進する。彼の手には先ほど投げた日輪刀ではなく……そのさらに前、床に突き刺した甘露寺の日輪刀があった。

 

『恋の呼吸は体の柔らかさと音感、それと心のドキドキを使うの』

 

『ドキドキってなんだ? 疲れた時のアレか?』

 

『そういうんじゃなくて、こう、心がキュンキュンしてぽわーってなるアレよ』

 

『ぽわー? つまりほわほわのことか!』

 

『そう! それよ! あーあ、伊之助くんが我流じゃなかったら継子にできたのになー、恋の呼吸を使えそうな人は少ないのよ』

 

『でも俺、おんかん? なんて持ってねーぞ』

 

『うーん、歌に合わせて体を動かしてみたことないかしら?』

 

『ねぇな、俺を育ててくれた猪も言葉を教えてくれた爺も、歌なんて歌わなかったし』

 

 

 

 

 

『伊之助、一緒に指切りげんまんの歌を歌おう。ほら、歌に合わせて、こうやって指を振って?』

 

『ゆーびきりげーんまん……そう、上手よ伊之助』

 

 

 

「思いつきその二!! 猫爪裂きぃい!!」

 

 伊之助の使う獣の呼吸は、性質が多少風のものに近いというだけで、完全なる独自の呼吸。だが、今伊之助がやっている、血鬼術の隙間を縫うようにグネグネと柔軟に体と刀を曲げる様は……恋の呼吸に似ていた。

 

「……甘露寺?」

 

 ぼやけた伊黒の視界には……伊之助の姿が一瞬、甘露寺のそれと重なって見えた。

 

 

「っ、うぉおおおおおおおおおお!!!!」

 

 

 伊之助が刀を捩じ込んだルートをなぞるように刀を沿わせた伊黒。二つの刀が、童磨の頸に食い込んだもう二つの刀を押し込み……ついに、童磨の頸を斬った。

 

 

 ゴロゴロと床を転がる童磨の頸。童磨は一瞬何かを期待するように力んだが、すぐに諦めたように力を抜いた。ボロボロと体が崩れていく。

 

 

「ははは……恋の味は、毒の味か……それなら、そんな感情知らずに死んで、良かったかもしれないな」

 

 そんな捨て台詞とも独り言とも付かない言葉と共に……童磨は消滅した。

 それを見届けた伊黒と伊之助だが……上弦の弐相手に勝利したという感慨もなく、ただ黙って立っていた。

 

「……蛇男。甘露寺と母ちゃんが……力を貸してくれたんだ」

 

「そう、か……そうだな」

 

 ポツリと呟いた伊之助の言葉に、伊黒は彼が持つ甘露寺の日輪刀に目を向けてから、頷いた。

 

「行くぞ、伊之助。俺はこれから……自分を許す為に戦うことにした」

 

「……おう」

 

 甘露寺の最期の言葉。一族も従姉も、そして自分自身も許して欲しいという願い。

 罪深い一族と、その一族の血が流れる自分。多分一生許せない。けれど……甘露寺のおかげで、許したいとも思えるようになった。

 

 そして許すためには、やらなければならないことがある。全ての元凶を……無惨を殺す。これ以上、悲劇と惨劇を生まない為に。

 

「……伊之助、その刀はお前が持っていろ。おそらくお前にしか使えん」

 

「……いいのか?」

 

 伊之助とて伊黒が甘露寺に特別な想いを抱いていたことくらいは察している。その遺品を他人に持たせるという言葉に、思わず伊之助は聞き返して確認してしまう。

 

「正直、腸が煮えくり返るが……ああ、それも許すさ」

 

 




伏線という程ではないですが、実は甘露寺さんとしのぶさんの会話は何話か前の柱稽古の時に冒頭だけ載ってたりします。

しのぶさんは自分で童磨と戦える確率が下がったら滅茶苦茶悩んだ上でこういうことしそう。
副作用の危険<無惨や上弦と戦う危険なのは明らかですし、多分できさえするなら多少安全面に不安があってもカナヲや一般隊士を藤の花体質にしてたと思うんですよね。


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数字の低い者たち

「ちぃ、どうなってやがる!」

 

 鳴女と接触した玄弥。接近しようとすれば琵琶の音と共にどこかに移動させられ、遠くから銃撃しても再び琵琶を掻き鳴らされると着弾する前に空間が歪み、どこか遠くからバスッと着弾音がするだけだ。

 

 

「くそ、弾もそんなに多くはねぇ……騙し騙し、増援を待つしかないか」

 

 下手に銃を乱射して弾のスピードを見切られると、最悪発射した瞬間背中から自分に弾丸がズドン、というのもあり得る。ここは辛抱強く待つべき時だと、玄弥は鳴女と距離を保ちながら睨み合う。

 

 

「おい、そこの半鬼……お前だお前」

 

「あぁ?」

 

 その時、玄弥の後ろから彼を呼ぶ声がする。振り返ると、隊服を着た見たことのない少年と、見覚えのある隊士何人かがいた。

 

「いいか、今はあの鬼は適当にあしらえ。鴉から伝令があってから俺が攻撃するのを補助しろ」

 

「はんき? 玄弥お前、変なあだ名で呼ばれてるな。なんかこいついつの間にかいたんだけど、知り合いか?」

 

「いや、知らねぇが……はんき?」

 

 はんき……半鬼。半分鬼。少年……愈史郎の言っている意味が分かった玄弥は、思わず食って掛かる。

 

「テメェ!」

 

「不本意か? ならそれ以上喰わんことだ。そのうち、戻れなくなるぞ」

 

 掴み掛かった玄弥の手を鬱陶しそうに払う愈史郎。だが刺々しいながら玄弥を気遣う言葉を投げかけられ、玄弥は怒りを収めた。

 

「ちっ……言われなくても、好きで喰ってるわけじゃねぇよ」

 

「ふん。とにかくアイツが空間転移の血鬼術の使い手で間違いない。制御を奪ってこのふざけた城を手中に収めるぞ」

 

「なら急いだ方がいいんじゃねぇのか?」

 

「無惨は間抜けだが馬鹿じゃない。今行っても制御権の奪い合いになるだけだ。やるなら柱が無惨に攻撃をしかけて注意が逸れてからだ」

 

「柱か……兄貴たちは無事なのか? さっき甘露寺さんの訃報があったが……」

 

「さぁな。途中で一人、柱とすれ違ったが……手助けも必要なさそうだったからこっちに来た。アイツならすぐに無惨の所に着くだろう」

 

 

 

 

 

 

 

「ぁあああああ!!! クソ! クソォ!!! 善逸のやつ逃げやがって!! あのカスさえ来たらこんな怪力坊主の相手しなくてすんだのによぉ!!! 話が違うじゃねぇかクソぉおおおおお!!!」

 

「獪岳……」

 

 悲鳴嶼行冥は時透無一郎と分断された後、彼を追いかけていたが、上弦と遭遇して足を止めた時に琵琶の血鬼術で再びどこかへ移動させられて完全にはぐれてしまった。

 その上弦とは、新たなる上弦の陸……獪岳。かつての僧侶時代に面倒を見ていた孤児の、成れの果てだった。

 

「クソ坊主も少しは加減しろよゴミが! そんなんだからガキ共に逃げられるんだよ!!」

 

「……鬼となったお前は、最早私の生徒ではない。お前を滅することに、何の躊躇もない」

 

 柱最強の悲鳴嶼と上弦最弱の獪岳の戦いは、一方的なものだった。速度だけは獪岳が僅かに上だったが、血鬼術を付与した雷の呼吸は鉄球に防がれ、移動は鎖によって妨害される。

 反撃の鉄球を受けて、頸だけは守ったものの吹き飛ばされて全身の骨が折れた。再生は間に合わない。間に合ったところでどうしようもない。勝敗は一瞬で決した。

 

 

「ヒヒ……ギャハハハハハハハ!!」

 

 獪岳は自分の死を認めた。だが、それで潔く死ぬ獪岳ではない。狂ったような笑い声をあげ、ゆらりと立ち上がる。

 

「南無阿弥陀……」

 

「俺が鬼を連れてった」

 

 追撃しようとしていた悲鳴嶼の手がピタリと止まる。

 

「俺を見逃してもらう代わりにな。ほんのちょっと金をくすねただけで追い出された腹いせもあったが」

 

「……子供というのは無垢だ。その無垢さは、時に残酷になる」

 

「遠回しに言って誤魔化してんじゃねぇよ。俺なんか……ガキなんかクズだって思ってんだろ?」

 

 一人で死ぬのは惨めだが、自分が命を懸けた所で鬼殺隊最強を道連れにするのは不可能だ。ならばせめて、少しでもあの男を苦しめてから死ぬ。

 

「金と鬼だけなら俺がクズって話かもしれねぇけど、他の奴らもアンタを見捨てて逃げたんだろ? しかも沙代に至ってはアンタに濡れ衣を着せた」

 

「……なぜお前が、それを知っている……!」

 

「爺が教えてくれたよ。善逸より俺を特別扱いさせる為にちょっと大袈裟に話したら必死に調べてくれてよぉ。本人には言うなとか宣ってたが、あんな老害の言うことなんか知らねぇよ」

 

 その瞬間。無言で投げられた悲鳴嶼の鉄球が、獪岳の頸を抉る。鉄球の重さで引き千切られた顔がゴロゴロと転がって灰になっていくが、それでも獪岳はその口を止めない。

 

 

「アイツらはアンタを裏切ったんだよ。人間を裏切った俺を殺すってことは、アイツらを殺すってことだ」

 

「戯言を言うな……!」

 

 どんどん体が崩れていく獪岳。それを見下ろしていながら、まるで悲鳴嶼が追い詰められているかのような会話が続けられる。

 

「沙代もなんか死んだらしいぜ。あの寺の跡地でさ」

 

「なにっ!?」

 

「せっかくアンタを犠牲に生き延びたってのに、数年で死ぬなんて、アンタへの裏切りだよなぁ」

 

 ほとんど灰になった顔を醜く歪ませて嘲笑う。

 

「裏切られ続けた人生を恨みながら、せいぜい惨めに殺されるんだなぁ……」

 

 最後の最期まで呪詛を吐き続けた獪岳は、その言葉を最後に完全に灰化した。後にはただ、何も成せなかった男が残るのみ。

 

「う、ぉおおおおおおおおおお!!!!」

 

 既に灰になっているのを分かっていながら、激情のままに拳を振り上げる悲鳴嶼。

 

 ────悲鳴嶼さん! 

 

 だが玄弥や炭治郎、柱の仲間たちの声が脳裏によぎった瞬間……悲鳴嶼は手を止めた。

 

「……それでも私は……私のやることは変わらない」

 

 獪岳との戦い自体は勝負にならなかったが、逸れた無一郎と完全に分断されてしまった。今から探すよりも、一刻も早く無惨の元へ辿り着くことの方が先決だろう。

 

 ────もし、死に際にあの子たちが現れても、もう素直に受け止められないかもしれない。

 

 そんな悲観的な思いに囚われながらも、悲鳴嶼は走り出す。

 

 

 

 

 そして、無限城別所。

 

「久しぶりだね、兄さん」

 

「灰里……」

 

「不思議だ、会えるかもしれないって時はあんなに冷静になれなかったのに……今はとても、落ち着いた気分だよ」

 

 運命の再会を果たした兄弟もまた、鬼と鬼狩りとして対峙していた。

 

「少し話そうよ。あの人は兄さんを……ヒノカミ神楽を警戒してる。僕が鬼狩り一人に執心しても、許してくれるさ」

 

 シュルリと、最早必要ないとばかりに目の布を捨てる廃灰。炭治郎は咄嗟に青眼に構える。それを見て何がおかしいのか、廃灰はクスリと笑う。

 

「止めなよ。今の僕に兄さんが勝てるわけないだろ?」

 

「灰里、言いたい事も聞きたい事もたくさんある。けど、お前と会ったら躊躇せずに斬ると……俺は鱗滝さんや義勇さんと約束した。だから……!」

 

「相変わらず頭硬いなぁ」

 

 炭治郎の悲壮な決意を、まるで家の戸締りを心配し過ぎなのを揶揄するような軽い口調で流す。

 

「上弦を一人で足止めできるって考えたら、むしろそっちに得だと思うけどね。戦ったら何人か仲間を引っ張って来ないと勝負にならないんじゃない?」

 

 これ見よがしに髪をかき上げて、両目の数字を……上弦の伍の数字を見せる。

 

「確かに、そうかもしれない……けど俺たちは、鬼と鬼殺隊である前に、兄弟だ! 一対一で、決着をつける!」

 

「兄弟か……そうだね、けど僕はもう鬼で、あの頃とは違う」

 

 切なく悲しそうにも、どこか嬉しそうにも聞こえる声で、廃灰は続ける。

 

「話してあげるよ。最初に殺したのは女の子だった。自罰的って言えばいいのかな? 昔鬼に襲われた時に色々あったみたいで、どうしようもない状況で鬼に殺されたがってた」

 

 炭治郎は、そのことはもう知っていた気がした。一度見た夢の中に、そんな光景があったからだ。

 

「そうそう、あの村……女の子が次々消えるって噂のあった村! あそこの近くに拠点を置いた時期があったんだけど、知り合いがいたよね? 名前は聞いてないけど男女二人組のさぁ!」

 

「なっ!? 灰里、まさか和已さんとトキエさんを……!」

 

「殺して食べたよ。兄さんの知り合いだと思うと、我慢できなくなってね」

 

 最初は食べるつもりはなく、飢餓状態になった結果ほとんど不可抗力で食べてしまった……ということは言わなかった。どんなつもりで食べたかなんて関係ない。

 

 自殺の名所を拠点にして散々人を食べたこと。中には単なる観光客もいたこと。それとは関係なしに大勢の鬼狩りを返り討ちにして殺して、殺して、殺して……気がついたら上弦の伍にまでなっていたこと。

 

「分かったろ? 僕はもう灰里じゃない、廃灰なんだ」

 

「灰里、なんで……」

 

 それでもなお弟を人の頃の名前で呼んだ炭治郎は、ゴクリと唾を飲み込んでから続ける。

 

「なんでそこまで覚えてるんだ? なんでそこまで俺に話したんだ?」

 

「なんで? それは……」

 

 話したくなったから話した。そんな表面的なだけの回答は求められていないしする気もなかった。

 確かに、これまでに殺した人間のことなど、普通の鬼は話さないし覚えてもいないだろう。

 

「僕はさ、何となく将来とか家のことに不満や不安があった」

 

 それをこうして覚えているのは、兄に話して……『本当の望み』を叶えるため。

 

「自分の周りを滅茶苦茶にしてみたいっていう、子供なら一回くらいは考える他愛もない妄想。僕が他と違うのは、たまたま力を手に入れただけ。馬鹿げた望みを実現できる力が」

 

 会ってどうしたいかなんて自分でも分からなかった。けれど直接会って分かった。血を分けた兄を鏡として、ようやく自分の望みが分かったのだ。

 

「僕はね、家族が死んで自由になれたみたいで清々した。僕は、僕はずっと息苦しかったんだ。暖か過ぎる家族、まっすぐ過ぎる兄さんや姉さん。だから僕は人間をやめた。そして……」

 

 そこで息継ぎした廃灰は、唇を歪ませて笑う。

 

「そのなんでも僕の我儘を許してくれそうな顔を、ずっと歪ませたかったんだ」

 

「っ!」

 

「太陽みたいな兄さんを、空から僕のいる大地に引きずり下ろして、安心したかったんだ。僕らは同じなんだって」

 

 廃灰は両手を広げる。何かを迎え入れるように。

 

「さぁ、僕を憎んでくれ。憎んで恨んで、その激情を僕とぶつけ合おう!! 初めて僕らは対等な、醜い争いができるんだ!!」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

「小僧、答えろ。小生の血鬼術は、凄いか……?」

 

「凄かった。でも、人を殺したことは……」

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

「赦すよ」

 

「……え?」

 

「他の鬼なら、どんな理由があろうと人を殺した事は赦せない。けど、お前なら……俺だけはお前を赦す」

 

 変わらない慈しみ。掴みついて離さない愛。

 

「俺たちは兄弟だろ。罪も過ちも、全部を……人生を、分け合うんだ」

 

「な、にを……」

 

 廃灰は後退る。

 

「お前が戦いたいなら戦ってやる。その覚悟はしてきた。でも今は非常時だ、お前が無惨を倒すのを邪魔しないでくれたら、別の道もある」

 

「なんでだよぉ……!」

 

「罪を償おう。鬼を人間に戻す薬ができたんだ。それで人間に戻れる」

 

「や、やめろ……! 僕に、優しくしないでくれ! こんな気持ちにさせないでくれ!!」

 

「お前は許されないことをした。殺そうとする人だって大勢いる。でも、罪を償うなら生きるべきだ。憎まれて恨まれて蔑まれて、それでも誰かを助けて償う為に一生を生きるんだ!」

 

「僕は!!! 化物として兄さんに憎まれて恨まれて蔑まれて!! 思うまま戦いたいんだよぉ!!」

 

「なら来い! お前がどうしても戦うというなら、俺が受け止めてやる!! せめて俺の手で、お前を……!」

 

「だからぁ……! そういうのが嫌だって言ってるだろぉおおお!!! なんでそんな、まっすぐな目でクズになった弟を見れるんだよぉ!!!」

 

「弟だからだ!! この、バカ野郎!!!」

 

 頭を抑えて被りを振る廃灰。そんな弟に近寄った炭治郎は、刀を鞘に納めて一気に走り寄ると……その頭に、渾身の頭突きを喰らわせた。あくまでも、兄弟として。

 

「はぁ、はぁ……!」

 

 荒い息を吐きながら、弟をまっすぐ見据える炭治郎。廃灰は頭突かれた額を押さえながら呆然としていたが……

 

「は、ははは……分かったよ兄さん、今のままじゃどうやっても、僕を憎んでくれないんだね」

 

 押さえていた手を上げて、まるでお手上げとでも言うように首を振った。

 

「もう鬼と鬼狩りの闘いは止めにしよう。化物の身に甘えて兄さんが恨んでくれると思ってた僕が間違ってたよ」

 

「ああ。たとえ戦うとしても、俺がお前を憎むことは、絶対にない」

 

「そうだね、だからこれは人間と化物の闘いじゃなくて……兄弟の戦いだ。いや、戦いとも言えないような、歪んだ八つ当たりかもね」

 

「……灰里?」

 

 それでも、歪んだ弟の、炭になれなかった灰の暴走は止まらない。止まれない。最早それだけが……兄を自分と同じように歪ませるのが、廃灰の、灰里の存在理由。

 

「兄さんが悪いんだよ。僕のこと憎んでくれないから」

 

「待て、灰里!!」

 

「皆既ノ簾!」

 

 炭治郎が手を伸ばすより一瞬早く、廃灰が自らの手首を切る。得意の血の煙幕により、廃灰の体は隠される。

 

「慌てなくても、まだ夜は長い……後でゆっくり相手するよ、兄さん」

 

 そうして、廃灰は炭治郎の前から消え去った。炭治郎は唇を噛み締めながら、複雑極まりない無限城の別の道を探す。

 

 

 

 

「姉さんを探したい所だけど、流石にこの状況で外に行ったら何言われるか分からないな……まずは他の鬼狩りを殺して、場を整えよう」

 

 地に落ちた灰は汚れ続ける。泥や砂を吸収し、混ざり合い……やがては炭でも灰でもない、形容しがたい何かになっていく。

 




次回、上弦の壱戦。


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血の力

ずっとモンハンライズしてましたが、輪るピングドラム劇場版決定したので創作意欲が湧きました。
例によって例の如く暗くて凄惨な展開なのでご注意ください。


 無惨の実質的な最後の砦。上弦の壱、黒死牟が控えている部屋。そこに飛ばされた霞柱、時透無一郎は黒死牟と遭遇し、気圧されながらも果敢に立ち向かっていたが……圧倒的な実力差によって片腕を斬り落とされ、柱に釘付けにされてしまう。

 

「我が末裔よ……あの方にお前を……鬼として使って戴こう」

 

さらには透き通る世界によって無一郎が自らの子孫だと知った黒死牟によって、鬼に勧誘されていた。

 

「技の継承者は見つけたが……己が細胞の末裔とは……また別の感慨深さがあるものよ……」

 

 激痛に脂汗を浮かべながらも、無一郎は無言で黒死牟を睨む。

 

「そう案ずることはない……腕ならば……鬼となったらまた生える……まともに戦える上弦は、最早二人のみ……あの方もお前を認めてくださる」

 

「ぐっ、がっ……! 誰が、鬼なんかに……!」

 

「そうか……私も……一度に二人の面倒を見れるほど器用ではない……自ずから鬼にならないならば……斬り捨てるまで」

 

 廃灰……似ているが同じではない、同族嫌悪と同時に、自分とは違うものへの忌避を感じさせる相手。そして縁壱の後継者を殺して、関節的にでも自分を縁壱に勝たせてくれる弟子。

 

 彼がいたことで勧誘への意欲がやや欠けていた黒死牟は、一息に斬ろうとする。

 

「死とはそれ即ち宿命……お前がここで私に斬り捨てられるのも……所詮それまでの男だったということ……」

 

 そこまで言った瞬間、突然黒死牟の姿が霞のように掻き消え……

 

「お前も……そう……思わんか……?」

 

「なっ!?」

 

 隠れて隙を伺っていた栗花落カナヲの、少女故の身軽さを活かした斬撃は虚しく空を切る。

 直後、彼女の顔……右目の辺りが深々と斬り裂かれた。

 

「ぐぅううう!?」

 

「栗花落さーーーん!!」

 

「女とはいえ……刀を握っている以上……一人の剣士として扱おう」

 

 構え直し、カナヲにトドメを刺そうとする黒死牟。無一郎は助けに行こうともがいているが、すぐには脱出できそうにない。

 

「まずい、目が……!」

 

 カナヲは自分の目など仲間や姉の命に比べたら気にしない。だが右目が斬り裂かれ、距離感が一瞬掴めなくなる。終ノ型は今使ったら後が続かない。上弦の弐とは渡り合う自信があったカナヲにしてみても、上弦の壱は予想以上の大敵だった。

 

「風の呼吸、肆ノ型 昇上砂塵嵐!!」

 

 直後、風のような剣戟が吹きすさび、黒死牟を後退させる。

 

「……風の柱か」

 

「その通りだぜ、テメェの頸をォ、捻じ斬る風だァ」

 

 現れたのは風柱、不死川実弥。右目からダラダラと血を流すカナヲを見て、実弥は激昂する。

 

「よくもカナエの忘れ形見を傷つけやがったなクソがぁ!!! 許さねェぞ目玉野郎!!」

 

「……大丈夫ですか、カナヲ?」

 

「姉さん!」

 

 そして現れたのは実弥だけではない。いつの間にか無一郎を助けていた蟲柱、胡蝶しのぶが、カナヲの傷を覗き込んでいた。無一郎の傷も応急処置ではあるが手当されており、ただ止血しただけの先ほどまでより調子が良さそうだ。

 

「ほう、兄弟姉妹で鬼狩りとは……懐かしや」

 

「不死川さんの言葉と重複しますが……よくも妹の目を潰してくれましたね」

 

「姉さん、私の目なんかどうでもいいの! ひょっとして恋柱様は……!」

 

「……貴女の想像通りです。彼女は吸収効率が高かったので、藤の花の毒を摂取して頂きました」

 

 それを聞いて複雑そうな表情を浮かべるカナヲ。仇を自分たちの手で討てなかったが、そのおかげで姉はわざと吸収されずに済んだ。しかしそのせいで仲間が死んだ。自分が藤の花の体質になれれば、甘露寺は死なずに済んだかもしれない。

 だが今は後悔している暇はない。下手をしなくても宿敵である上弦の弐以上に危険な上弦の壱が目の前にいるのだ。

 

「柱三人に継子一人か」

 

 応急処置された腕の斬り口を見ながら、無一郎は冷静に分析する。上弦を柱三人分と仮定した場合、数字の上では鬼殺隊側がわずかに有利。だが柱と一口に言っても差がある。

 紛うことなき天才だが経験が浅い無一郎、頸を斬れないので鬼殺の手段を毒に依存しているしのぶ……上弦を相手にするには、些か相性が悪い。

 ましてや相手は上弦の壱。無惨の血の力を最も多く分け与えられた鬼なのだ。

 

(悲鳴嶼さんがいれば……っていうのは贅沢な上に弱気だな。いる人材でやるしかないんだ)

 

 泣いても笑っても四人。他の仲間の状況は分からないが、恐らくはこれ以上鬼殺隊は戦力を割けないだろう。決意を胸に日輪刀を構えて黒死牟に向かっていく四人。

 

「月の呼吸、伍ノ型……月魄災渦」

 

「ちぃ、振り抜かずに斬撃を飛ばせるのかよ!」

 

 

 四人それぞれが回避行動を取る。しのぶと実弥は必要最低限の動きで避けてすぐに黒死牟と戦っているが、経験の少ない上に手負いの無一郎とカナヲは大きく動いて避けてしまっている。

 

「ほう、私の動きについて来るか……風の柱……お前を討ち果たせば……残りは容易くすみそうだ」

 

「はっ! 過分な評価ありがとうよォ!」

 

 さらにしのぶも恵まれない体格のせいで真っ正面からぶつかり合うことができず、ほとんど実弥が一人で切り結んでいた。しのぶの刀による、それ自体は致命傷にならない刺突もしっかりと防ぐせいで、毒の注入もできない。

 

 どんどん実弥の体に細かい裂傷が増え、出血量が増えていくが……しばらくすると、黒死牟の動きが鈍る。

 

「これは……?」

 

「猫に木天蓼、鬼には稀血……オイオイどうした? 千鳥足になってるぜ! 上弦にも効くみてェだなぁこの血は!」

 

 実弥の血は稀血。鬼殺隊に入る前、ずぶの素人時代に生き残れたのは、この稀血の性質によるところが大きい。

 

「俺の血の匂いで鬼は酩酊する、稀血の中でもさらに稀少な血だぜ! 存分に味わえ!!!」

 

「今こそ反撃の機! 一気に畳み掛けますよ!」

 

「はい! 師範!」

 

 しのぶ、さらには追いついたカナヲと無一郎も加わっての、四つの呼吸、四つの刀による総攻撃。

 

「風の呼吸、漆ノ型……勁風・天狗風!」

 

「蟲の呼吸、蜻蛉ノ舞……複眼六角!」

 

「花の呼吸、陸ノ型……渦桃!」

 

「霞の呼吸、伍ノ型……霞雲の海!」

 

「ぬうぅ……!」

 

 たまらず防御した黒死牟の着物の袖が、斬撃を受けて破れた。通じる。四人がかりならば上弦の壱にも勝てる。そう確信した面々がより一層日輪刀を握る手に力を込める。

 

「まだだ! 油断するな! 頸を斬るまでは、頸を……!」

 

「そうだ、その通りだ」

 

 次の瞬間、常識的な刀の範囲にはいなかったというのに……黒死牟の攻撃が届いた。

 

「着物を裂かれた程度では……赤子でも死なぬ……」

 

 黒死牟のとてつもなく長い刀……虚哭神去の真の姿を解放した際の一撃。たった一撃で四人を壊滅させる程の威力が込められた斬撃はしかし、黒死牟が思っていた程の戦果を上げなかった。

 

「え……?」

 

 カナヲの頬に、生暖かい液体が触れた。鬼殺隊として戦っていく中で何度も触れてきたもの……血。

 黒死牟の攻撃に全く反応できず、ここまでかと思われたが、なぜかカナヲは無傷だった。一番重傷だった無一郎もそれ以上の怪我は負っていないし、実弥から流れる稀血の量も増えていない。

 

 

「しのぶ姉さ、ん……?」

 

「ご、ぽ……!」

 

 胡蝶しのぶが両手を広げ、黒死牟の攻撃をほとんどその身に受けていた。

 

「姉さぁあああああああん!!!」

 

 カナヲは頭が真っ白になった。目の前に敵がいるのに、しのぶを抱き抱えて後退してしまう。

 

「ちくしょう……ちくしょうちくしょう!! なんで庇ったんだよしのぶ!? 俺は、俺はカナエの忘れ形見すら……!!」

 

「上弦の壱ぃいいいい!!」

 

 しのぶが盾になったことで無傷だった実弥と無一郎が叫びながら黒死牟と切り結ぶ。目の前で仲間を切り刻まれた二人の技量は益々冴え渡り、一時的にせよ互角に渡り合っている。圧倒的なリーチの差も、一度踏み込んでしまえば致命的なものではない。

 

 

「即死しない、とは……私も甚だ……悪運が強いですね」

 

「姉さん、喋っちゃダメ!」

 

 しのぶを連れて後退した後、服の裾を破いて必死に止血するカナヲ。何とか溢れる血は止まったが、傷が治ったわけではない。衰弱していくのを止められない。

 

「止血は……終わりましたか……?」

 

 ちょうど止血が済んだ時にしのぶが、血を口元から垂らしながら尋ねる。自分の身を顧みないしのぶが、手遅れと分かっていながら治療するカナヲを止めない。そのことになぜか……カナヲは嫌な予感がした。

 

「止血が済んだならば……貴女にはやらなければならないことがあります」

 

「ぁ……」

 

 それだけで分かった。分かってしまった。なぜしのぶが上弦の壱の攻撃から自らを盾にしたか。どうして『それが一番効率が良い』と判断したのか。姉妹の育んできた絆が、阿吽の呼吸が、しのぶの望んでいることを理解したくもないのに分からせられる。

 

「で、できない……私にはできないよ……!」

 

「できないではありません。やりなさいカナヲ。鬼殺隊の一員として、責務を果たしなさい」

 

 首を横に振って姉にすがりつくカナヲ。そんな妹を、しのぶは地に倒れながらも毅然とした態度で叱責する。

 

(カナエ姉さん……?)

 

 そんなしのぶの凛々しい姿に、もう一人の姉の姿を幻視するカナヲ。呆然とする妹に、しのぶは表情を和らげてふわりと笑う。

 

「私を、甘露寺さんに命をかけさせておいて、自分は逃げる卑怯者にはしないで。私を……上弦の壱なんかに殺させないで」

 

「う、うう……うぁああああああああああああああ!!!!!」

 

 

 

 カナヲは絶望と悲壮感に満ちた渇いた叫びをあげて……しのぶの腹部に、日輪刀を突き刺した。

 

 

 

 

「それで、いいの……」

 

 しのぶは優しく微笑み、カナヲの涙をそっと拭う。止血のおかげで先ほどの傷口から血が大量に溢れることはない。血が無為に床に散らばることはない。

 

「辛い役目を押し付けて……ごめんなさい……」

 

 そしてぎゅっと、妹を抱きしめた。感極まったカナヲも、力の限り抱きしめ返す。けれどやがてその身から力が抜けていく。暖かさが消えていく。

 介錯とはいえ自分自身が姉の、何よりも守りたかった人の命を奪ったことに、顔を涙で濡らしながら……カナヲはしのぶの腹部から日輪刀を引き抜く。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい姉さん……! 絶対に、姉さんの血を無駄にしないから……!」

 

 しのぶの血でべったりと濡れた日輪刀を拭いもせずに、カナヲは黒死牟へと突撃する。

 

「あぁぁあああああ!!」

 

 実弥と無一郎との打ち合いの片手間にカナヲの攻撃を防ぐ黒死牟。だが、次の瞬間……彼の刀はボロボロと崩れ出した。

 

「なにっ、これは……!?」

 

「でええぇりゃああああ!!!」

 

 武器を失った一瞬を見逃さず、実弥と無一郎は刀を✕状にクロスさせて黒死牟に一気に斬りかかる。

 

「ぐっ、が……!」

 

 着物ではなくその身に、初めてまともに斬撃を喰らった黒死牟は、たたらを踏んでよろめきながら後退する。

 

「逃がすか!!」

 

「待ってください霞柱様、風柱様! 今無理に攻めても仕留められません! お二人は姉さんの所に!!」

 

「ああ? 何言ってんだおま、え……」

 

 ようやっと上弦の壱が見せた隙に、一気に斬りかかろうとした二人を止めるカナヲ。訝しげに眉をひそめながら実弥がカナヲに目を向け……ベッタリと血に濡れた刀を見て絶句する。

 

「栗花落お前、まさかしのぶを……!?」

 

「姉さんの体には、藤の花の毒が染みこんでました」

 

 ギリ、と奥歯が折れるのではないかと思うほど強く歯を食いしばりながら、カナヲが絞り出すように語る。それを聞いて実弥と無一郎も……しのぶの血で濡れた日輪刀が黒死牟の刀を砕けた理由を知った。しのぶがその身を盾にしたのは……『新たな武器』を他の三人に渡すためだった。

 

「本当はわざと上弦の弐に吸収されて弱らせるはずだったけど……そうならなかった。代わりに……」

 

 左目から涙を、先ほど斬られた右目からは血の涙を流しながら、悲壮な表情で日輪刀を構える。

 

「姉さんの血を、力を纏ったこの刀で……お前を討つ!! 上弦の壱!!」

 



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400年後の君へ

遅くなりました。申し訳ございません。


 しのぶの血……藤の花の毒を纏ったカナヲの日輪刀によって、黒死牟は一瞬武器を失い、実弥と無一郎の攻撃を喰らった。

 彼は咄嗟に飛び退って距離を取ると、再び自らの肉から刀を生成する。

 

「今のうちに、お二人は私と同じように……刀を姉さんに!!」

 

「……ごめん」

 

「ああっ、クソっ!! どいつもこいつも死に急ぎやがって!!」

 

 そうしてできた一瞬の隙間。仕切り直しの間に、カナヲは刀を構え、無一郎と実弥は飛び退ってしのぶの遺体の元へ行く。

 しのぶの血は値千金の武器だ。それを纏ったカナヲの日輪刀によって、あれだけ苦戦した上弦の壱の刀を不意打ちとはいえ破壊した。

 

 つまり……自分たちもそれをやらない理由がない。

 

「くっ……!」

 

(躊躇うな俺!! また上弦の壱が攻めてくるまで時間がない!! 躊躇うんじゃない……兄さんならこういう時、理屈で無理矢理自分を納得させて動けるのに!!)

 

 だが、まだ若い無一郎にとって、仲間の死体を利用するのはそう簡単に割り切れるものではない。片腕で握る日輪刀の刃先が震える無一郎の目線の先で……実弥の日輪刀が、しのぶの遺体を貫いた。

 

「……すまねぇ、しのぶ……すまねぇ、カナエ」

 

 愛する妹に介錯されたからか、穏やかな顔で息絶えているしのぶ。実弥もかつての想い人の面影を色濃く残す彼女を、このまま安らかに眠らせてやりたかった。

 

 いや、眠らせたかったのではない。本当はせめて忘れ形見くらいは守ってやりたかったのだ。なのに結局守れず……こうして、鬼を討つために遺体まで傷つけている。

 

「ブッ殺してやるクソ鬼がぁあああ!!!!」

 

 そのどうしようもない激情を叫びに乗せて解き放ち、血に濡れた刀で黒死牟へ突進する実弥。無一郎も覚悟を決めて、遺体に刀を突き刺した。

 

「有用とはいえ……死した仲間に鞭打つとは……狂気なり」

 

「うっせぇぇええわぁあぁあああああ!!!!」

 

「この血で……私たち四人で、絶対に勝つ!」

 

「ハァ、ハァ……!」

 

(俺が動ける時間は残り少ない……せめて役に立ってから死ね!! 胡蝶さんのように、次に繋がる死に方をしろ!!)

 

 柱稽古を経て連携が抜群に取れるようになった三人が、一斉に斬りかかる。無一郎もしのぶの応急処置のおかげでただ止血しただけよりは大分状態がいいが、それでも戦い続ければ失血死は免れない。短期決戦を臨むしかない。

 

 

「ふむ……同時に向かってくるより他に手はあるまい……しかしこれで、こちらも三者同時に仕留められる」

 

 スゥ、と刀を構える黒死牟。六つの目は三方向から迫る鬼殺隊を正確に捉えている。

 

「月の呼吸、拾肆ノ型……兇変・天満繊月(きょうへん てんまんせんげつ)!」

 

 巨大な月輪が、三人の行く手を阻む。一つ避けても刀を一振りする度に新たな月輪が生まれ、近づけない。

 

(入れ入れ入れ!!! 間合いの内側を抜けろ!! 俺に攻撃を集中させて二人に道を作るんだ!!!)

 

「無駄だ……ぐっ!?」

 

 無一郎が死を覚悟で特攻した直後。何か固いものが黒死牟の手に当たった。

 

「女の髪飾り……!?」

 

 カナヲが戦闘中に緩んでいた自らの髪飾り……カナエの形見の髪飾りを投擲したのだ。まるで意思を持つ蝶のように飛んでいった髪飾りによって、黒死牟の手元が僅かに狂う。

 

(カナエ姉さん、乱暴に扱ってごめんなさい……あの時泣けなくてごめんなさい……! 全部終わったら、二人を隣の墓に入れて……今度こそちゃんと、お別れを言うから……!)

 

 ずっと大事にしていたカナエの形見だが、黒死牟にぶつかってひしゃげて折れてしまっているのが見えた。また一つ心にポッカリと穴が空いたような、何か大切なものを失くしてしまった気持ちになるが、それでもカナヲは泣かない。もう涙を拭ってくれる姉はいないのだ。今は目を滲ませるわけにはいかない。

 

(あの小娘、私と同じ世界が見えているのか……? いや、それにしては動きが悪い……なるほど目か)

 

 それでも落ち着いて状況を判断する黒死牟。多少動きは鈍ったが、あの距離で放たれた攻撃を無一郎が避けられるわけがない。

 

「塵旋風・削ぎ!」

 

 そこに飛んできた暴風を飛び退って躱す黒死牟。直後、左足首を斬り飛ばされながらも飛んできた無一郎が、黒死牟の刀に毒の血の刀をぶつけた。

 

「ぬぅ!?」

 

(髪飾りで手元が狂ったとはいえ、手負いの子供が私の攻撃をくぐり抜けて来た……私と同じ世界が見えているのは、こちらの方だったか!)

 

 

 流石に二回目ともなると先ほどのようにすぐに消滅とはいかないが、黒死牟の嵐のような月輪の攻撃が一瞬止んだ。

 もう一人柱がいれば攻撃の密度がそちらに行って刀ではなく体に刀を突き刺せたかもしれないが、これでも十分だ。

 

「いくぜぇえええ!!!」

 

「はあぁああああ!!!」

 

 

 攻撃が止まった間に、実弥とカナヲが挟み撃ちにするように迫る。黒死牟の脳裏によぎる、四百年ぶりの忌むべき感覚。あの赤い月の夜に感じたのと同じ命の危機。縁壱が老いてなお圧倒的な実力で黒死牟を散々に叩きのめしておきながら、トドメを刺す直前に寿命で死んだあの夜。

 

 縁壱に……鬼狩りの歴史上最も優れた剣士に討たれるという誉れ高き死はもう望めない。ならば勝ち続けるしかない。

 

 

 ──そうだ、勝ち続けることを選んだのだ、私は。このような醜い姿になってまで。兄を追いかけつつ同時に逃げてもいる女々しい廃灰とは違う……私は、誉れある侍だ! 

 

 

 

「うおおおおおおおおお!!!!」

 

 黒死牟は体中から刀を生やし……無数の斬撃を放つ。

 

「ご、ぷ……!」

 

「くっ!」

 

「終ノ型っ……!」

 

 経験によって紙一重で避ける実弥。終ノ型を一瞬だけ使い、右脇腹を深々と切り裂かれながらも致命傷は避けたカナヲ。だが、至近距離で黒死牟の刀を抑えていた無一郎は、日輪刀を握っていた腕を両断されてしまう。

 

(体中から刃……!? さっきまであれだけ一本の刀に梃子摺ったのに、この化け物……! まずい、失血量が多すぎて死ぬ……まだ何の役にも立ってないのに……!)

 

 日輪刀を黒死牟の刀ではなく体に突き刺していたら、咄嗟の回避もできずに胴体まで両断されていたかもしれない。腕で済んだのは不幸中の幸いだが、これで無一郎は刀を振れなくなった。

 

 ドサリと、両腕と左足首を失くしてバランスを保てなくなった無一郎が倒れ伏す。

 

「ぐっ、目、がぁ……!!」

 

 そしてカナヲもすぐには動けない。ごく短時間の使用とはいえ、終ノ型はカナヲの目に凄まじい負荷をかける。ましてや先ほど片目を斬られたせいで負荷は残る片目に集中している。急速に視界がぼやけるが、何度も瞬きを繰り返して無理矢理視界のピントを合わせる。この際脇腹の傷は放置だ。

 

「くっ、そやろぉおおおおおお!!」

 

 一人動ける実弥が、月輪を毒血の刀で相殺しながら一気に斬りかかる。だが相殺の代償に、しのぶの血はどんどん薄れていく。血がなくなって血鬼術が消せないようになってしまえば、近づくだけでも一苦労どころか命懸けの相手に勝つのは不可能だ。ましてや無一郎が倒れた今、仕切り直しても状況は悪くなるだけだ。故に実弥は捨て身の特攻をかける。

 

「風の呼吸、捌ノ型……初烈風斬り!!」

 

「月の呼吸、玖ノ型……降り月・連面」

 

 

 ここに来て正面切っての激しい剣戟。死を目前にして実弥の剣技は益々冴え渡る。だが、常に黒死牟の攻撃を矢面に立って受けていた実弥にも、とうとう限界が訪れる。

 

 刃が半ばから折れ、深々と腹部を切り裂かれた。

 

 辛うじて立ってはいるが、大量に吐血する実弥。黒死牟も直接大量の稀血を浴びて再び酩酊するが、この状況ならばどれだけほろ酔おうと最早勝ちは揺るがない。

 

「……見えた」

 

 実弥と無一郎が敗れた絶望的な状況の中。ボソリと、静かな声でカナヲが呟いた。

 

「さっきの一瞬の顔の強張りで分かった……上弦の壱、あなたは……戦いの渦中、死を感じたその時でさえ……何か遠くを見てた」

 

「……なに?」

 

 何か思うところがあったのか。無視すればいいものを、黒死牟はカナヲの言葉に耳を傾けた。

 

 黒死牟は、以前カナヲが相見えた廃灰と同じ。カナヲを……命の危機を目の前にしてなお何か遠くを見て、失くした何かに思いを馳せる。いつまでも昔のことに囚われ、間違い続ける哀れな男と同じ目。

 

「あなた……何の為に戦ってるの? 戦う意味も生きる意味もないなら……早く死んでくれない?」

 

 氷のように冷たい無表情で告げるカナヲ。そこで初めて、黒死牟が表情をハッキリと変えた。まるで痛い所を突かれたのを誤魔化すかのような激しい憤怒。

 六つの目全てが、体中から生える刀全てがカナヲに集中しよつとした、正にその時。

 

「やれぇえええええ!! 時透ぉおおおおお!!!!」

 

 

 実弥の腹部から、無一郎の日輪刀が生えてきた。それは黒死牟のような異能の力ではない。奥歯が折れるほど強く柄を噛みしめた無一郎が、残された右足のバネで力の限り跳んだのだ。

 致命傷を与え、完全に意識の外に追いやっていた無一郎の、成長しきっていない小柄な体躯を活かしての跳躍特攻。ましてや両腕がないことで実弥の背中に完全に隠れ、心理的にも物理的にも完全に死角に入られた。

 

「んんん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ぅ゛う゛!!!」

 

「がっ……!?」

 

 実弥の稀血としのぶの毒血が混ざった刀が、黒死牟に深々と突き刺さる。黒死牟といえど、攻撃を行うことができない。

 本来なら刀が刺さっただけなら血鬼術の阻害まではされないが、藤の毒があれば話は別だ。

 酩酊する稀血、藤の花の毒……その二つがべったりと塗りついた刀で貫かれ……さらには文字通りの死力を尽くして柄を噛み締める無一郎の刀が赤く染まる。赫刀による激痛も加わり、無防備になってしまう。

 そこに、終ノ型の後遺症で血の涙を流しながらも、決して目を閉じなかったカナヲが突っ込んでくる。

 

「花の呼吸……! 陸ノ型、渦桃!!」

 

「ぐっ、まだだ!! 私は、まだ……!」

 

 

 

「ごめんな、玄弥……俺、もう……お前を、守ってやれねぇや」

 

 最後の抵抗を試みる黒死牟の目の前で、実弥が折れた日輪刀を自らの首に宛がい……一気に振りぬいた。またもや大量の酩酊する稀血が溢れ、黒死牟の動きを鈍らせる。

 

 

 

 

 

「姉さんの……みんなの、仇ぃいいいいい!!!」

 

 

 

 

 

『後継をどうするつもりだ?』

 

 ──縁壱、お前が笑う時、いつも俺は気味が悪くて仕方がなかった。

 

『兄上、私達はそれほど大層なものではない。長い長い人の歴史のほんの一欠片。私たちの才覚を凌ぐ者たちが、今この瞬間にも産声をあげている』

 

 ──何が面白いというのだ

 

『彼らがまた同じ場所までたどり着くだろう。何の心配もいらぬ。私たちは、いつでも安心して人生の幕を引けば良い』

 

 ──手足を切り落とされても口で刃を掴み、人間が藤の花の体質になり。

 

『浮き立つような気持ちになりませぬか、兄上』

 

 ──斬られても斬られても失血死せず、人間離れした視力を持つ。

 

『いつか、これから生まれてくる子供たちが……』

 

 ──そんな未来を想像して何が面白い。己が負けることなど、考えただけで虫酸が走る。

 

『私たちを越えてさらなる高みへと、登りつめてゆくんだ』

 

 

 

 ──だが、あのようなことを宣っていた縁壱も結局は自らの技が惜しくなって後継を残した! 

 そして私も四百年の時を経て弟子を取った!! 廃灰があの耳飾りを継いだ剣士を殺せば、私は、真の侍に……!! 

 

 ──そうだ、俺は、まだ死ねん!!! 

 

 

「なっ!?」

 

 頸を切り落として勝利を確信したカナヲが驚愕の声をあげる。黒死牟の出血が止まり……頭部が再生したのだ。

 

「ば、化け物め……!」

 

(まずい、もう、目が……! 諦めちゃダメなのに、みんなが命を賭して繋いでくれたのに……!)

 

 動けない。脇腹からどんどん血が失われていく。終わりだ。絶望と失血に、カナヲは倒れ伏してしまう。だがまだだ。視力は大分落ちたがまだ見えている。この手に握った日輪刀は決して手放さない。油断して近づいてくれる一縷の望みに賭けて、失血死するまでに刺し違えてでも殺す。

 

 そんなカナヲの悲壮な姿など意にも介さずに……黒死牟は頸の切断による死を克服したことに歓喜する。

 

 ──克服した……! これでどんな攻撃も無意味。太陽の光以外は。これで私は、誰にも負けることは……! 

 

 歓喜に震える黒死牟。だが次の瞬間、彼の目に飛び込んで来たのは……無一郎と実弥が作った血の海に映る、自らの醜い姿。ブヨブヨとした触手とも棘とも言えぬ何かが全身から生え、口にはぐちゃぐちゃで不揃いな牙。不気味に蠢く血管が顔中に浮き出ている。

 

 ──なんだこの、醜い姿は? 

 

『兄上の夢はこの国で一番強い侍になることですか? なら俺は……この国で二番目に強い侍になります』

 

 ──侍の姿か? これが……これが本当に俺の望みだったのか? 

 

 

 ボロリと、無一郎に刺された箇所が崩れた。だがそれだけだ。見えていないカナヲは黒死牟が近づいてくるのをひたすら待っている。追撃してくることはない。

 

 ──頸を落とされてもなお負けを認めぬ醜さ……生き恥。こんな生き恥を晒すために何百年も生きてきたのか? 死にたくなかったのか? このような化物に成り下がってまで。

 

 自らの生き恥に気づいた所で、殺してくれる相手はもういない。自分の手で殺してしまった。

 目の前の鬼殺隊たちも……縁壱も、自分が殺した。頸を斬られても負けを認めぬ見苦しさによって得た、敗北よりも色褪せた惨めな勝利。

 

 ──違う私は……私はただ、縁壱、お前になりたかったのだ。

 

「私は……一体、何の為に、生まれてきたのだ……」

 

 

 

 

 

 

 

 その時。黒死牟の体を、後ろから刀が貫いた。

 

「ぐっ、が……!?」

 

 ──まだ鬼狩りがいたのか? だがこれは、日輪刀ではない。この刀は……

 

「文豪って、なんで自殺する人が多いんでしょうね。頭の良い人の考えることは分からないものです」

 

「はい、か、い……?」

 

「でも、貴方の考えてることは何となく分かります。同類ですから。急に恥ずかしくなったんですよね? 確かにそういう時は、死にたくなります」

 

 炭治郎の元を離れ、別の鬼狩りを狙っていたはずの廃灰がいた。

 

「あなたは僕と似ている。きっと誰よりも分かり合える。けれど根本的な所が少し違う」

 

 突然現れたのは鳴女の空間転移だろうが、なぜ……と、黒死牟はぼんやりと考える。

 

「あなたは太陽になりたかったんだ。けど僕は……太陽を落としたかった」

 

「自分が……特別になるのではなく……神の子を、人の子に……というわけか……」

 

 廃灰の望みは……兄に自分を憎んでもらうこと。荒んだ激情に身を窶させ、自分と同じ所まで落ちて来させた上で戦うこと。

 

「唯一無二の太陽に手を伸ばす貴方と、降らば降れと陽を睨みつけていた僕……やっぱりそれは、少し違います」

 

 グ、と力を込めると、廃灰の手首から流れ出る血で作った刀……没刀天を伝って、黒死牟の血が廃灰に流れ込んでいく。刃先を血に戻すことで、黒死牟の体内で自らの血を操作し、黒死牟の……無惨の血を吸収しているのだ。

 

「貴方に分けられた大量の血……僕が、貰います」

 

 以前、那田蜘蛛山で失敗してからも試行錯誤を重ねて作った、他の鬼からより高密度の無惨の血を奪う血鬼術。その名も、光芒成。

 

「あなたは僕に殺される為に生まれてきた……それで、いいじゃないですか」

 

 別に廃灰も最初から血を奪う気はなかった。黒死牟の元へ来たのは援護のためだった。なのに彼を後ろから刺したのは……黒死牟の背中が煤けていたから。生きる気力が感じられなかったから。

 もういらないのなら、自分が貰う。何も成せずに絶望の淵にいるくらいならば、踏み台にして淵を飛び越える。

 

 

「それも、また……私の望んだ、結末……私の、生まれてきた、意味……」

 

 ボロボロと、体が崩れていく。頸を落とされたことによる体の崩壊を無理矢理抑え込んでいた所に力を吸われ、体を維持できなくなっているのだ。だが……

 

 

「罪も……力も……命も……運命も……全てを分け与えられる者に託す、か……存外に、悪くない……」

 

 

 背中に廃灰を感じながら……黒死牟の体は、完全に崩れ落ちた。後にはただ、真っ二つに割れた笛だけが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「柱は皆殺し、継子は生きてはいても無力化……流石は上弦の壱ですね」

 

 

 廃灰はしばらく黙っていたが、ゆっくりとカナヲの元へ歩いて来た。カナヲは最後の力を振り絞って立ち上がろうとするが……

 

「ごふっ!?」

 

「貴女には以前の借りもあります……既に死に体の相手を殺すのは不本意ですが、まぁいいでしょう」

 

カナヲが立ち上がるよりも早く、彼女の体に足をかける廃灰。それだけで全身の傷から血が溢れ出す。もう、どうしようもない。

 

「カナエ、姉さん……しのぶ、姉さん……」

 

 無念さに、ツゥと涙が流れる。上弦の壱は確かに死んだが、その力が廃灰に受け継がれた。これではしのぶは、実弥は、無一郎は、何の為に死んだのか。あの世の仲間たちにも……今も戦っている仲間たちにも、合わせる顔がない。

 

 

 

「ごめんね、炭治郎……」

 

 

 目を閉じる直前にカナヲが見たのは……何か信じられないことを聞いたとでも言いたげな、廃灰の驚愕の顔だった。

 



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灰に陰る

今回はちょっとリョナ注意です。
時間がかかったのもそれ関係でバランスに滅茶苦茶悩んだからです。


「んっ、ぅ……」

 

 脇腹を走るジクジクとした熱と、肩に感じる引っ張られるような痛みで、栗花落カナヲは目を覚ました。カナエがよく褒めてくれた長い睫毛すら重く億劫に感じる中、ゆっくりと瞼を開ける。

 目を開けた直後だからだろうか、いつもより視界がボヤけている……と考えた所で、自分の目が悪くなっていることと、今はそんなことを考えている場合ではないことを思い出す。

 

 

「目が覚めましたか、カナヲさん……でしたっけ? もっと寝ていればよかったものを」

 

 

 目の前には歪んだ和室……さっきまで黒死牟と戦っていた場所とは別の無限城の光景が広がっていた。無表情にこちらを見ている廃灰の姿もある。どうやら、廃灰は気絶したカナヲにトドメを刺さずに別室に連れ込んだようだ。気絶している間に全て終わってしまうという最悪の事態は回避できたようだが……それでも最悪に近い状況なのは変わらない。

 

「っ……!」

 

 カナヲは拘束されていた。天井から伸びる血のように赤い縄で手首をひと纏めに吊るされ、足も一つに縛られていてあと少しのところで地面に付いていない。肩に感じた痛みは、全体重を肩だけで支えていたせいだった。

 

「僕の血の縄なんで、下手に暴れない方がいいですよ」

 

「廃灰……!」

 

「とはいえ、これからすることを考えたら、暴れるなって方が無茶ですかね」

 

 そう言う廃灰が手に持っているのは、松明。夜目の効く鬼が、暗くもないのになぜそんな物を持っているのか、カナヲには分からなかった。

 

「気の利いた止血の仕方なんて知らないんで、原始的な方法で行きますよ」

 

 止血という言葉にカナヲが疑問符を浮かべるよりも早く。黒死牟に斬りつけられて血が溢れているカナヲの右脇腹に、燃え盛る松明が乱暴に押し付けられた。

 

「ぐっ!? がっ、あがあぁあああああ!!! ふぐっ、ぐ、ゔぁあああ!!」

 

 

 ジュウジュウと肉の焼ける音が響き、焦げ臭い匂いが充満する。あまりの激痛にカナヲはのたうち回るが、拘束されていては逃げることも叶わない。

 暴れれば暴れる程、手首を縛る縄は食い込んでいくようだ。鬼との戦いは無傷で済むばかりではなかったが、炎に焼かれた経験はなかったのと、黒死牟との戦いで精魂尽き果てた直後のせいで、悲鳴を抑えることができなかった。

 

「おあ"あ"あ"あ"があ"あ"あ"あ※###…………!!」

(ぐっ、こんな、奴に……! 悲鳴を聞かせても、喜ばせるだけ、なのに……!)

 

「あー、舌だけは噛まないでくださいね」

 

 猟奇的な趣味でもあるのかと思ったカナヲだが、廃灰は特に悲鳴を聞いて喜んでいる様子もない。ただ淡々と、5秒、10秒、20秒……たっぷり1分間、松明を押し付け続けた。

 

「ぐっ、ッはぁっ!! ああ゛あ゛あ゛っ……! ああっ……う゛……あぁあぁあぁ゛……ぇぇぁ……」

 

 その間にも痛みで何度も何度も気を失うが、その度に更なる熱と痛みで無理矢理目覚めさせられる。

 カナヲの悲鳴も擦り切れた頃。廃灰はようやくカナヲの体から松明を離した。彼女の脇腹には、痛ましいまでの火傷痕が付き、皮膚も爛れているが……出血も止まっていた。

 

「これで失血死はしないでしょうし、精々役に立って貰いますよ、囚われのお姫様」

 

 その辺りに松明を放り捨てる廃灰。やり方は物を扱うかのように雑だが、行為自体は治療……いや、延命措置である。

 息も絶え絶えながら、気丈に廃灰を睨み付けるカナヲ。

 

「……一体、なぜ……私を、生かしているの……? 人質に、でも……するつもり? なら……!」

 

「おっと」

 

 舌を噛もうとしたカナヲの顎を掴んで、自害を止める。やはり、カナヲを生かすつもりのようだ。

 

「んむ、ぅ……!」

 

「死ぬならもう少し待ってからにしてくださいよ。せっかく傷を焼いたんですか……ら!!」

 

「ぅぐっ!」

 

 顎を掴んだ手に力を込めて、顎が外れるかと思うほどの強さで締め付ける。ミシミシと嫌な音が響き……突然パッと、手を離した。ジンジンと麻痺して口に力が入らず、カナヲは舌を噛むことができない。

 

 

「……ええ、貴方なら察知していたと思いますが、彼は呆けてしまっていました。もう戦力にはならなかったですよ」

 

 急に手を離した廃灰は、虚空に向けて何か語りかけている。

 

「いいじゃないですか、その辺りは鳴女さんに頑張ってもらわないと。ええ、僕はあくまで当初の予定通り動きます」

 

 ブツブツと呟く様に不気味さを感じると同時に、無惨との連絡だと気づいたカナヲは何とか鬼殺隊に有利な情報が聞けないかと耳を傾ける。

 

 だが結局、有用な話は何も聞けないまま、廃灰は話を打ち切ったようだ。虚空に向けていた顔を、カナヲに向けなおす。

 

「さて、なんで貴女を生かしたか、でしたっけ? 簡単です。貴女……兄さんが好きでしょう」

 

「……は? あ、貴方、何を言って……」

 

「気持ち悪いんですよ、あの頃、漠然と考えてた不安な未来が……家族が結婚して離れていって、一人ぼっちになる未来が、生々しく感じる」

 

 気絶する直前に炭治郎の名を呟いたのを見て、カナヲが炭治郎に淡い気持ちを抱いているのを察した廃灰は、暗く濁った瞳で彼女を見る。何か汚いものでも見るような目付きだ。

 

「いや、違うな。それは人間の頃の僕の言葉だ。今の僕の言葉で言うなら……兄さんもそうかもしれないから」

 

 鋭い爪を立てた右手をカナヲの首筋に当てながら、説明する気が微塵もない、自分の中を整理する為の言葉を紡ぐ廃灰。

 

「兄さんの目の前で貴女を殺したら、兄さん、貴女のこと忘れられなくなるかな」

 

 首筋から心臓の辺りにツゥと指を這わせる。出会ったあの日、下級の鬼であった頃ならば破くのにも苦労したであろう隊服はあっさりと裂かれる。

 

「僕のこと、憐れまずに、本気で憎んでくれるかな」

 

「……可哀想に。貴方は、自分を見て欲しくてたまらないのね。まるで、親に構って貰えなくて拗ねる子供みたい」

 

「は、よくこの状況で挑発できますね」

 

「挑発なんかじゃない。本気でそう思ってるの。貴方は憎まれる土台にすら立っていない。貴方が何をしても、ただただ哀れまれるだけ。貴方のやってることは、無意味な空回りに……うぐ!?」

 

 カナヲの言葉が終わるよりも先に、彼女の首を締め上げて言葉を中断させる。

 

「まったく、舌ばかりよく回る人だ」

 

「ぐぅ……あ゛ぁ゛っ!」

 

 ギリギリと締め付けられながらも、カナヲは見透かしたような目で廃灰を見る。その視線が余計に煩わしくなったのか、廃灰は絞め落とす前に乱暴に手を振るってカナヲを離した。

 

「げほっ、こほっ!」

 

 呼吸ができるようになったカナヲは咳き込んで必死に空気を吸い込む。と、咳き込んで揺らされたことで、裂けた隊服から『あるもの』が滑り落ちそうになる。

 

「……貴女、面白いもの持ってますね」

 

 先ほどまでの苛立たしげな様子を消してと近づいてきた廃灰は、カナヲの体に手を這わせる。 昔、買われた男に「まぁこんなんでもニ、三年もしたら抱けるようになるか」と言われて触られた事を思い出し、ビクリと体を弾ませるカナヲ。

 だが廃灰は身を固くしたカナヲに気づく様子もなく、無遠慮に懐に手を入れて目当てのものを見つける。

 

「ああ、あの方に打ってた薬ですか?」

 

 廃灰の手に触れたのは……人間化薬。無惨に使ったものとは別の、残された切り札。

 

「止めて、それは……!」

 

 これは切り札である以前に、自分の手で介錯したしのぶの形見とも言えるもの。渡すわけにはいかない。だが拘束されたカナヲにできることはなく、抜き取られてしまう。

 

「こんなもので人間になるのかな」

 

 手の中で人間化薬を弄ぶ廃灰。

 

「これで人間として罪を償うなんて綺麗事が真実になるのかな。ねぇ、どうして僕にあんなこと言ったんだい? 殺す覚悟はとっくにできてたんでしょう?」

 

 

 薬をその辺りに立て掛けた廃灰は、ゆっくりと振り返る。

 

 

 

「……兄さん」

 

「言ったろ。俺は……たとえ殺す覚悟をしていても、赦すこともやめない」

 

 そこには、鳴女の血鬼術で転移させられた炭治郎がいた。

 

「ずっと考えてたんだけど、やっぱりこの状況が悪いよね。そりゃあ赦す赦さない以前に、上弦の伍なんて下っ端放っておいて本丸を叩きたいに決まってるさ。逃れ者の鬼と協力してるのも似たような理由だろう?」

 

「た、んじろ、う……」

 

「っ! カナヲ!!」

 

「へぇ? やっぱり兄さんもこの子のこと、憎からず思ってるんだ。あの朴念仁の兄さんがねぇ、僕は嬉しいよ」

 

 脳裏で読み上げる、と言った表現が似合う白々しい声音で告げる廃灰。

 

「カナヲを離せ。俺たちの戦いには関係ないだろう」

 

「鬼狩りの時点で関係大ありだよ。それに、兄さんに恨んで貰いたいって言ったろ」

 

 廃灰がパチンと指を鳴らすと、カナヲを吊るす血の縄とは別に、もう一つの縄がカナヲの全身を締め上げる。

 

「ぐっ、くぅっ!」

 

「これで準備は整った。仮にこの子が死んだら別の鬼狩り。それでもダメなら、姉さんを探しに行く」

 

「灰里、お前……!!」

 

「怒ったのかい? そうだよ、その顔が見たかったんだ!!」

 

 炭治郎はグ、と唇を噛む。

 

「それでも、やっぱりもう一度聞かせてくれ、なんで、なんでそんな……!」

 

「なんで? 理由なんてないさ。あったとしても、それ自体はくだらないものさ」

 

 廃灰は目を閉じる。鬼なんて、どいつもこいつも自分勝手で我儘な……廃灰のような幼稚な精神性のものばかりだった。

 

「たとえば、頑張って書いた小説を貶されたから。何となく苛ついたから。人を超える力を持った化物が一線を超えるきっかけなんて、そんなくだらないことだと思う」

 

 自らの手首を切って、血鬼術による刀を作り出す。

 

「人間だって、たまに信じられないくらいくだらない理由で人を殺すだろう?」

 

 それは、ただ血で長刀の形を作っていただけの没刀天が、さらに長く進化したもの。槍のような長さの血刀……神去雲透(かむさりのくもすき)

 

「僕が兄さんに理由をあげる。僕を恨む理由を。慈愛の心を持って正面から討つなんて綺麗事、許さない」

 

「ぐぅっ!? あがッ!! ぐああああああああああ!!!」

 

 

 廃灰が腕を高く掲げれば、カナヲへの締め付けがさらに強くなる。血を吐きながら悲痛な悲鳴をあげるカナヲ。

 

 

「思い出すなぁ、昔締めた鶏もこんな風に縛られてて、こんな風に鳴いてたっけ。ククク、何なら今回も兄さんはそこで見てるかい? このまま僕が、この子を絞め殺す瞬間を!!」

 

「っ! 灰里ぃいいい!!!」

 

 かつて炭治郎は、家畜を締めることができなかった。鬼を殺すこともできなかった。それは慈しみの心が強すぎたから。鬼殺隊に入ってからも、炭治郎は慈愛の心を保ったまま鬼を討ってきた。

 

 

 けれど今。目の前でカナヲを傷つけられ、幼い頃の思い出まで穢すような発言をされ。駆け出した炭治郎の心には、燃えるような怒りがあった。このまま背中を押し続ければいつかは落ちる。廃灰は満ち足りた気分に浸りながら迎え撃つ。

 

 

 

 

「ヒノカミ神楽!!! 円舞!!」

「ヒノカミ神楽!!! 円舞!!」

 

 

 

 

 

「……綺麗……」

 

 締め付けられながらも炭治郎の戦いを見守り、廃灰の隙を見つけて脱出しようとするカナヲ。彼女の目に……同じように舞い、同じように戦う兄弟の姿が映る。神楽の名の通り、舞うような動きで戦う彼らの姿は……とても美しかった。

 このような状況でなければ、思わず見惚れてしまいかねない程に。

 




今回無駄にネチネチとカナヲをリョナっただけじゃないか……
こんなんしなくても「静かに暮らせばいいだろう」理論を言えばキレさせられますけど、そこまでの精神性はオリ主にはないのでお膳立てする必要がありました。


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アイシテル〜喪失〜

めっちゃサボってて申し訳ありませんでした!!
次は遅くならないようにしたい…


「火車!」

 

「陽華突!」

 

 車輪のように飛び回りながらの斬撃。それを研ぎ澄ました突きで迎撃する。

 

「灼骨炎陽!」

 

「幻日虹!」

 

 斬撃を止められたものの、回転の勢いを縦から横に変えて、陽炎のように揺らめく横薙ぎを振るう。それに対し、同じように回転しながらの足運びで、範囲の広い横薙ぎを躱す。

 

「斜陽転身!!」

 

「輝輝恩光!!」

 

 一連の勢いを維持したまま天に飛び上がり、上空から重力を味方につけた斬撃を放つ。追うように空へ飛び上がりながら、真っ向から迎え撃つ。

 

「炎舞!!」

「炎舞!!」

 

 正しく舞踏のように、一つの型を出したら続け様に別の動きを見せて戦う兄弟。一進一退に見える、同じ型同士のぶつかりあい。

 だが十二の型の最後、本来なら最初の型の円舞へと繋がるはずの炎舞を互いに出して、一旦距離を取った後……片膝をついたのは、炭治郎の方だった。

 

「ぐっ、がはっ……!」

 

 苦しそうに息を吐く炭治郎。父のような選ばれし者ではない炭治郎にとって、ヒノカミ神楽の連発は負担が計り知れない。

 

「使い勝手の悪い呼吸だよねぇ、ほんと」

 

 同じく選ばれし者ではない……適性で言えば炭治郎以下の廃灰であるが、彼は体の負担など関係ない鬼だ。疲れ知らずの体は、本来かかるはずの負荷を踏み倒している。

 

「鬼を殺す呼吸なのに、鬼の方が使うのに適しているなんて、皮肉だと思わない?」

 

「思わない!! 俺たちはずっと不利な状況で戦ってきた! それが……」

 

「それが呼吸にも当てはまろうと、不利で元々、か……少しは僻んだりしないの?」

 

 実の所、先ほどの一連の戦いは全て廃灰にコントロールされていた。炭治郎に一呼吸置かせたり別の呼吸を使わせる隙を与えずに、連続してヒノカミ神楽を「出させる」ように立ち回っていたのだ。

 ヒノカミ神楽の隠された十三ノ型……煉獄慎寿郎が歴史書を破損させてしまったが故に炭治郎は知らないそれを、黒死牟から日の呼吸について教わった廃灰は知っている。

 

 十三ノ型……一から十二までの一連の舞を夜明けまで続け、太陽が鬼を殺してくれるまでひたすら耐え続ける、終わりの見えない辛い苦行。結局、都合よく敵を倒す隠された秘技など存在しないのだ。

 

「やっぱり兄さんは僕とは違うなぁ」

 

 今の一瞬の攻防で既に息が上がる炭治郎に感じるのは、弱き人間の体への哀れみと……圧倒的に不利な状況でも折れない心への、昔から変わらぬ憧憬。

 

「僕だったら絶対、なんであの人だけって妬むに決まってるのに」

 

「炭治郎!! くっ!!」

 

 拘束されているカナヲは炭治郎が苦戦しているのを見ていることしかできない。それを億劫そうに一瞥してから、廃灰は兄に向き直る。

 

「あの日もそうだったね。僕を置き去りにして、父さんと熊退治に行った日も」

 

「あの日、って……あの時お前は……」

 

 それは炭治郎もよく覚えていた。父が死ぬ数日前、近くに人喰い熊が出たことがあった。我が家への接近を誰よりも早くそれを察知した父は、炭治郎だけを連れて熊退治に出たのだ。

 

「僕だって、本当はたまたま起きてた。あの日僕も一緒に行ってれば、僕はきっと……」

 

 そこで言葉を区切り、天を仰ぐように上を向く。

 努力家でみんなに愛されてでもそれをひけらかさないような、自慢の兄。そして父も母も他の兄弟も、みんな優しい人だった。鬼にならないで、普通の人間のままでいて……あの人たちのようになれただろうか。父の武術を見たからと言って、何かが変わっただろうか。

 

「きっと……何だろうね」

 

 結局廃灰は、ただ言葉を濁すしかなかった。

 

「俺も……後になって気づいた。あの時父さんは、見取り稽古をさせてくれたんだって」

 

 炭治郎のその言葉を聞いて、廃灰は一度唇を結んでから、ゆっくりと朗読でもするかのように言葉を紡ぐ。

 

「大切なのは正しい呼吸と正しい動き。最小限の力で最大限の力を出すこと」

 

「灰里?」

 

「絶対に諦めるな。考え続けることだ。どんな壁もいつか打ち破る。弛まぬ努力で」

 

 それはかつて父が言っていたのと同じ言葉。弟がその言葉を知っているのは不思議なことではないが、なぜ今……

 

 

 

 

「兄さんはもうとっくに頭の中が透明になってるはずだ。『領域』には辿り着いてる。あとは……もう一度父さんの言葉を思い出してみて」

 

『やがて体中の血管や筋肉の開く閉じるを、まばたきするように早く簡単にこなせるようになる』

 

『その時光明が差す。道が開ける』

 

『頭の中が透明になると……透き通る世界が見え始める』

 

 直後、炭治郎の視界が文字通りクリアになった。

 

 

「これは……!」

 

 廃灰の血管や筋肉の動きがハッキリと見える。同時に、後方で縛られているカナヲが予想以上に衰弱していることも分かった。

 

「透き通る世界に入ったみたいだね……待ってたよ。弱すぎる兄さんと戦っても意味ないからね」

 

「灰里……どうして……」

 

「あ、勘違いしないで欲しいんだけど、僕個人の目的じゃないよ。これはあの方も望んでいることさ」

 

「無惨が?」

 

 廃灰は刀の切っ先を撫でて弄びながら、炭治郎の目も見ずに話し続ける。

 

「どう言えば伝わるかなぁ……人はみんな、生きる上で安心を求める。日銭以上のお金を稼ぐのも将来の安心のためだし、雨風凌げる以上の家に住むのも生活の安心のためだ」

 

「……何が言いたい」

 

「蜜蜂は地面に転がってる雀蜂の死体を弄んだって安心できない、ってことさ」

 

 直後、廃灰は飛び退り、炭治郎が現れてからほとんど視界にも入れていなかったカナヲの横に着地する。

 

「今は蝶々で例えた方が分かりやすかったかな?」

 

 廃灰はそのまま、カナヲの血の縄を消して、自らの手で首を掴んで持ち上げる。

 それを止めようと突き進む炭治郎に対し、カナヲを盾にするように突きだした。

 

 

 

「安心に必要なのは体験なんだよ。恐ろしい天敵を実際に撃退する成功体験」

 

 

 仲間を盾にされて日輪刀を止めようとする炭治郎。しかし廃灰は刀が止まるより早く、カナヲの首を炭治郎の刃に押し付けようとして……

 

 

「水の呼吸、肆ノ型……打ち潮!」

 

 

 突如軌道が変わった太刀筋によって、廃灰の腕が斬り落とされた。

 

「大丈夫か、カナヲ」

 

「た、ん、じろ……う……」

 

 廃灰の腕が斬り落とされたことで解放されたカナヲを、炭治郎は片手でしっかりと抱き留め、片手で日輪刀を油断なく構えている。

 

 

「なるほど、水の呼吸も使うんだっけ……焦り過ぎたかな」

 

 ウゾゾゾ、と血肉を不気味に蠢かせて斬られた腕を再生させる廃灰。

 

「事故でも無理矢理でも自分の手でその人を殺させる『体験』をさせたかったけど……まぁ、そろそろ兄さんを怒らせるのも十分か」

 

 衰弱しきったカナヲを抱きしめながら厳しい目で自らを見据える炭治郎の様子に、廃灰は満足気に頷く。

 

 ビキビキビキビキ、と廃灰の持つ刀──廃灰の没刀天と黒死牟の虚哭神去が合わさった、神去雲透──がさらに伸び、刀身の半ばから別の刀身が生えてくる。

 

「兄さんが少しは日の呼吸の適応者としてマシになった、これからが本番だよ!」

 

「炭治郎……! 飛ぶ斬撃に、気をつけて……!」

 

 今のカナヲの衰えた視力でも分かるほど、廃灰の刀は黒死牟の刀と似ていた。ならば、同じような技が……

 

「月の呼吸、壱ノ型……闇月・宵の宮」

 

 月の呼吸が飛んでくることは、何ら不自然ではなかった。

 

「くっ……! カナヲ、ごめん!!」

 

 炭治郎はカナヲをなるべく優しく、痛くないように遠くへ投げると、飛んできた斬撃をヒノカミ神楽で受け止めようとする。

 

「ヒノカミ……」

 

「ヒノカミ神楽、日暈の龍・頭舞い!!」

 

 だが廃灰は、月の呼吸の月輪に、ヒノカミ神楽の動きで一気に追いついてくる。

 横薙ぎの月輪と縦に振るう血鬼術の刀が、十字を描くように迫りくる。

 

「なっ!?」

(同時に来た……!? まずい、防ぎきれな……!)

 

 一本の刀では一つの攻撃しか防げない。月輪を避けて体勢が崩れれば刀が、刀を受け止めればその隙間を月輪が、それぞれ襲い来る。

 

 ここで致命の一撃を受けるわけにはいかない炭治郎は……敢えて中途半端な選択肢を選ぶ。

 

「ぐあっ……!!」

 

 防ぎきれないと分かった上で、可能な限り両方を防ごうとしたのだ。

 月輪によって左手の指が何本か千切れ、右肩には深々と神去雲透が突き刺さる。

 

「驚いたかい?」

 

 刀を突き刺したまま、廃灰は腕を上げて刀ごと炭治郎を持ち上げる。

 

「日の呼吸と月の呼吸を合わせた最強の呼吸……明けの神楽とでも名付けようかな?」

 

 さらに長くなる廃灰の神去雲透。ぶん、と刀を振るえば、投げ飛ばされた炭治郎が、近くの襖をぶち破りながら無限城の下へと落下していく。

 

「兄さん、姉さんの次に大切な人は誰? そこの女の子? それとも他の仲間?」

 

 落ちていく途中で体勢を立て直した炭治郎が、空中に浮いている引き戸に着地する。

 

「月の呼吸、陸ノ型……常世孤月・無間」

 

「ヒノカミ神楽……円舞一閃!」

 

 縦方向に伸びる無数の月輪が飛び交い、登ってくる炭治郎を阻む。炭治郎は霹靂一閃の高速移動を加えた独自の型で、月輪の間を一気に抜ける。

 

「大切な人がいなくなる瞬間って、どんな気持ち?」

 

 躱しきれずに満身創痍になりながら、無限城の上下左右がバラバラの空間を駆け上ってきた炭治郎は、再び廃灰と対峙する。

 

「月の呼吸、漆ノ型……厄鏡・月映え」

 

「ヒノカミ神楽……碧羅の天!」

 

 地を這うようにうねる5つの月輪に対し、着弾する直前、全ての月輪が近くに迫るタイミングで日輪刀を振り下ろして迎撃する炭治郎。

 

「ヒノカミ神楽、飛輪陽炎は攻撃の長さを誤認させる……月の呼吸と合わせると、月輪陽炎ってところかな」

 

 だが、5つの月輪の中に一つだけ見た目より長い月輪があったことに気づかなかった炭治郎は、袈裟斬りのように肩から脇腹にかけてを深々と斬り裂かれた。

 

「ぐあぁっ!!」

 

「ずっと思ってたんだ。僕は普段普通に怒ったり笑ったりするけど、心の奥ではどこか冷静で、他の人と比べて麻痺してるんじゃないかって」

 

 炭治郎はしばらく踏ん張っていたが、やがて出血多量によって仰向けに倒れる。

 

「誰も愛せないし誰からも愛されない……家族が離れ離れになった後、そんな大人になってしまうと思った」

 

 コツコツと倒れた炭治郎に近づいた廃灰は、彼が決して手放そうとしない日輪刀を蹴飛ばして遠くへ放る。

 

「たとえば、僕は父さんが死んだ時、泣けなかった。もちろん父さんは昔から病弱で、幼心にそう遠くないうちにいなくなってしまうと悟ってたさ」

 

 蹴飛ばした勢いをそのままに、空中に上げた足を炭治郎の脇腹……傷口に振り下ろす。

 

「ぐ、があああぁああ!!!」

 

「だから父さんが死んだ時に泣かなかったのは、覚悟ができてたから。そう考えると今度はこんな疑問が出てきた」

 

 グリグリと傷口を踏み躙りながら、どこまでも淡々と廃灰は語る。

 

「母さんや兄さんたちが死んだ時、泣いたりするんだろうか……って」

 

 踏む箇所を別の傷口に移す。その度に炭治郎の悲鳴が高く響くが、廃灰はピクリとも表情を変えない。

 

「多分どこかが普通の人と違ったんだ。僕は……人間として存在してちゃいけないような生き物だったんだ」

 

 そうしてようやく足を炭治郎の体からどかした廃灰は、炭治郎の隊服の襟首を掴んで持ち上げる。

 そして、憎悪に染まっているはずのその顔を見ようとして……

 

 

 

「なぜ笑うんだい? 何が嬉しいの?」

 

「嬉しいんじゃない、おかしいんだ……そんな風になっても結局、お前は何も変わってないよ」

 

 

 それでも、どこか呆れたような笑顔を貼り付けている炭治郎に、廃灰は……怒りよりも、なぜか恐怖を感じた。

 この先の会話を聞いてはいけない、これ以上兄と話してはいけないと、本能が怖がっているような……

 

 

「父さんが死んだ日のこと……本当に覚えてるのか?」

 

「なに?」

 

「鬼は人間の頃の記憶が薄れるから仕方ない、か」

 

「だから、何が言いた……」

 

「あの時……父さんが死んだ日に、お前は泣いてたじゃないか」

 

 聞いちゃいけない。今すぐ兄を殺せ。無視しろ。反論したら負ける。

 

「ち、違う……父さんの遺体の前では、泣いてない……」

 

「それはそうだ、だってお前はあの日……父さんが危篤で……家族みんなでお別れを言っていた時に」

 

 

 止めろ。聞くな。言うな。

 

 

 

 

「逃げたじゃないか」

 

 

「痩せ細ってて、死臭がしてて……まるで、父さんじゃないみたいで、怖くて逃げたって……俺の前で泣いてたじゃないか」

 

 

「ち、違う……うるさいうるさいうるさい、うるっさあぁあああいいいい!!!!」

 

 

 半狂乱になって、炭治郎を突き飛ばす廃灰。

 

『下の子だって、ちゃんとしてたのに……僕は、僕は……! 自分が、情けないよ……! 消えてしまいたい……!』

 

「結局お前は、ちょっと捻くれて異常者ぶってるだけの……普通の男の子だよ」

 

『ごめん、ごめん父さん、ごめん兄さん……! ごめんなさい、ごめんなさい……!』

 

「ふざけるな……! こんな、こんなになってまで、兄さんは、僕のことを……! 僕さえいなければ、竈門家は理想の家族でいられたのに!」

 

「でも、そんな綺麗な記憶だけを思い出と呼びたくない。あれから嫌なこともたくさんあったから、今の俺があるんだ」

 

「黙れよ……うるさいんだよぉ!! もういい加減ウザい!!! 死ね!!! 死ねよ!!! 死ねぇええええぇえええ!!!!」

 

 別に今までは遊んでいただけで、実力の差は圧倒的だ。既に炭治郎は死に体だ。日輪刀も蹴り飛ばされて持っていない。ただ闇雲に刀を振り回すだけで、もう殺せる。

 

 

 ✿ ✿ ✿

 

 

「たん、じろう……」

 

 このままでは炭治郎が危ない。カナヲは拘束からは抜け出せたが、日輪刀は体から抜き去られていた。視力も落ちて足腰もほくに立たず、その上武器もなければ、彼女とてどうすることもできない。

 

『カナヲ』

 

「……しのぶ姉さん?」

 

 声が、聞こえる。失血性貧血で朦朧とした意識が、もう会えない優しい姉の幻聴を聞かせているのかと思ったが……

 

『こっちよ、カナヲ……まだ貴女は生きている。まだ、やれることがあるはずよ』

 

「カナエ、姉さん……」

 

 それでも、姉たちの声の聞こえる方へ這いずって移動していく。あの二人は、ずっと見守ってくれている。たとえ幻聴でも、その声を信じてみたかった。

 

 そうして辿り着いた、声の先には……

 

「姉さんの、血……そっか、私を呼んでくれたんだね……」

 

 未だにしのぶを介錯した時の血が、多少乾いてはいてもハッキリと残る……カナヲの日輪刀があった。

 

 ✿ ✿ ✿

 

「うぁああああ!!!」

 

 炭治郎を殺そうとする、廃灰の遥か後ろで……満身創痍でもう動けないと思っていたカナヲが、力の限り自らの日輪刀を投擲する。

 

「そんな破れかぶれの攻撃……!」

 

 片目が黒死牟に斬られ、残る片目も一瞬とはいえ終ノ型の使用で視力が落ちている。

 

 どうやって刀を見つけたかは知らないが、そんな状態で狙った箇所に物を投げられるわけもなく、少し体を捻るだけでカナヲの投げた刀は廃灰を通り過ぎ……炭治郎の手の中に収まった。

 

 

「なにっ!?」

 

 

 花の呼吸は水の呼吸の派生。それでなくとも全ての呼吸は日の呼吸の派生。炭治郎に花の呼吸の刀を使えない道理はない。

 

 

「さよなら灰里……俺の、弟」

 

 止めなければ。そう思っているのに、なぜか体は動かない。もう、無理してまで兄を怒らせて、殺しても……悦に入ることすらできず、きっと虚しくなるだけだ。黒死牟のように、何者にもなれない。彼とは違い、何の為に生まれたのかも分からぬまま、死ぬこともできないだろう。

 ああ、それなら死んだ方がマシだ。本当は僕はずっと、兄さんに会って……殺したいのではなく、止めて欲しかったのかもしれない。きっと勝てない。あんな真っ直ぐな目をした兄さんに、勝てる気がしない。

 

 

「……愛してる」

 

 きっと兄さんはこの灰を潜り抜けるだろう。純然たる太陽によって月でもなければ日でもない何かは退けられ、真の夜明けが訪れるのだろう。

 

 

 炭の周りを漂っていた燃えカスの灰は、綺麗サッパリ洗い流され……

 

 

 

 

 

「なんで……なんでそうなるんだよ」

 

 

 

 日輪刀が廃灰に届く直前。

 炭治郎は息絶えていた。

 

 

 

「違う……違う違う違う!!! 僕は、僕はこんな結末……!」

 

 ──違う。僕が望んだ結末だ。あれだけいたぶれば、いつ死んでもおかしくない。それを分かった上でやっていたはずだ。

 

 なのにいつも間違えてしまう。後からああすればよかったこうすればよかったなんて、後悔ばかりだ。

 

「炭治郎……? 炭治郎ぉおおおお!!!」

 

「でも、まだだ……まだ、挽回できる」

 

 それでも、やり直せる。後悔や選択に遅すぎるなんてことはない。できなかったことがあるなら、もう一度やり直せばいい。

 

 ──そうだ、まだ細胞は死滅しきってはいない。今ならまだ間に合う。

 

 絶望の声をあげるカナヲを尻目に、廃灰は懐にしまった、歪な師匠の歪んだ形見……折れた笛を握りしめる。

 

 ──僕は……あの人とは違う。まだやり直せる。

 

 

「奇跡を……それが呪いでもいい……復活を……兄さんに、鬼の血を!!!」

 



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ツバサ

1ヶ月以上空くのがデフォになってしまいましたが、地上波無限列車編ブーストで仕上げました。


 無限城最奥。無惨が珠世から受けた毒を分解している部屋では……いよいよ珠世が無惨に吸収されようとしていた。

 取るものもとりあえず、慌てて来ると予想していた餌たちは来なかったが、それでも無惨は上機嫌だった。

 

「ふむ、どうやら指揮を取っている人間は相当優秀らしい。中途半端な戦力を送って私の力が増すのを嫌ったか……或いは、先行部隊を組む余裕もなかったか」

 

 無惨の推測はどちらも正解だ。

 本来なら毒を分解しきっていないうちに無惨を攻撃するはずだった先行部隊は、猗窩座への最後の一押しに向かわせてしまった。

 それに加えて総合的に考えて柱やそれに準ずる戦力抜きの攻撃はただ無惨の餌になるだけで無駄と判断したのも事実である。

 

 

「どちらにせよ、鬼狩りから見捨てられた気分はどうだ? 珠世よ」

 

「わたしの……夫と子供を……返せ……」

 

「ふん。ならば今すぐ死んで、己が殺した身内の元へ行くがいい」

 

 あいも変わらず同じような恨み節をぶつけてくる珠世に、無惨は興味を失ったかのように鼻を鳴らして、最早半分ほどの顔部分しか残っていない彼女を、完全に吸収した。

 

 

 そして、毒を分解する為の繭からゆっくりと現れた無惨の姿は……体中から口が生え、黒かった髪は白い長髪になっていた。

 

「誰も彼も役には立たなかった。鬼狩りは今夜潰す」

 

 

 

 

 

 

「カァーー! 上弦ノ壱トノ戦闘ニヨリ、胡蝶しのぶ、時透無一郎、不死川実弥、死亡! 栗花落カナヲ、戦闘継続不能!」

 

「上弦ノ壱、死亡確認!! 竈門炭治郎、上弦ノ伍ト戦闘開始ィ!」

 

 伝令係の鎹鴉が忙しなく飛び回り、鬼殺隊たちに戦況を伝える。

 上弦の陸、参、弐に続き、壱を撃破したというのは本来なら朗報だ。これで無惨への道を阻む上弦はほとんど消えた。

 だが……その犠牲もまた、大きかった。

 

「兄貴が……上弦の壱に、殺された……!?」

 

 上弦の肆、鳴女と対峙していた玄弥は、兄の戦死の報を聞いて目を見開く。

 

「お、おい玄弥……」

 

「フゥウウ、フウゥウウウ!!」

 

 怒りに身体を震わせる玄弥。今まで柱が無惨を攻撃するまでの時間稼ぎに徹していたが、怒りに任せて銃を鳴女に、何も考えずに向けようとした時……

 

「不幸面をするな」

 

 愈史郎が玄弥の襟首を掴んで無理矢理動きを止めた。

 

「ぐっ!」

 

「ち、ちょっと、お前も止めろって……」

 

「コイツが今あの鬼を全力で攻撃したら、この城の制御を奪う作戦が台無しになる……柱がこっちにもいたらもう少し楽だったろうがな」

 

「うる、せぇ……お、まえらに……俺の、何が、分かるんだよ……! 母親も……弟も妹も……兄貴まで、俺は……!」

 

 ギリギリと襟首を締められながらも、射殺すような視線を愈史郎に向ける玄弥。

 

 そんな玄弥に対して苛立たしげに舌打ちした愈史郎は、襟首を掴んだまま玄弥を引き寄せてその目を間近で見据える。

 

「俺だって大切な人が殺された……今、この瞬間にな」

 

 底冷えするような低い声でそう言った愈史郎に、ハッと目を見開く玄弥。

 自分の襟首を掴む腕がプルプルと震えているのは、力を入れすぎているからだと思っていたが……愈史郎もまた、身を焼き尽くすような怒りの激情を感じているのだ。

 

「不幸比べは好かんが、そこの奴らだって身内を殺されているんだろ」

 

 それでいてなお、愈史郎も鬼殺隊士たちも、全体の為にその怒りを抑えている。殺傷能力の低い空間操作の鬼相手に、柱が無惨を攻撃するまでの時間稼ぎ兼目眩ましという地味な役回りでも、精一杯こなしている。

 

「自分の憂さ晴らしを優先して、無惨を討つ好機を棒に振るつもりか?」

 

 しばらく目を見開いたまま固まっていた玄弥だが……ガクリと項垂れると、絞り出すようなか細い声を出す。

 

「すまねぇ……俺が冷静じゃなかった」

 

「ふん。だが心配するな、すぐ無惨と戦う時が来る……嫌でもな」

 

 

 

 そして、時は収束していく。

 

 

「遅かったか……すまない、珠世殿」

 

 

 岩柱、悲鳴嶼行冥。

 上弦の陸との戦いをほとんど一瞬で終わらせた彼が、無惨の元へ一番乗りをした。

 

 それはまるで、産屋敷邸の再現。

 

「今こそ好機……!」

 

 鬼殺隊最強戦力でありながら、上弦との戦いにほとんど参加できなかった。そのせいで甘露寺やしのぶ、実弥や無一郎が死んでしまった。ならばこそ……本丸との戦いで出し惜しみをする理由がない。

 悲鳴嶼はすぐに全身に力を込め、痣者に覚醒する。

 

 鬼殺隊最強とはいえ一人の人間。本来なら警戒するに値しない。だが、相手が痣者であれば話は別だ。ましてや産屋敷邸での苦い記憶が新しく、毒から復活したばかりの無惨は多少なりと警戒の姿勢を見せる。

 それでなくともまた妙な血鬼術を使う人間側の鬼がいないとも限らない。

 

 

 そうして無惨の警戒が自らの周りに集中し、他の鬼の監視がわずかに緩んだ瞬間。

 

「カァーー!!! カァーー!!! 作戦開始ィ!!」

 

 

 

 

 

 

「よし、お前ら適当に騒いで奴の注意を逸らせ!」

 

 透明の血鬼術の札を自らに付けた愈史郎が、鳴女へ向かっていく。

 無惨の注意が逸れているうちに、鳴女の脳を破壊して無限城の制御を奪わなければならない。

 

 鳴女は、これまで散発的に銃が来るだけだった物陰から、急に複数の隊士が猛然と飛び出てきて僅かに驚いたが……柱でもない一般隊士程度、落ち着いて対処する。

 

「おわっ!?」

 

「止まるな、走れ走れぇ!!!」

 

 血鬼術で高所や足場のない空間に転移させられるが、刀を支えにするなどしてすぐに体勢を立て直し、再び猛然と鳴女へ迫る。

 

 だが、戦闘能力は低いとはいえ上弦の肆。一般隊士では陽動とはいえ荷が重い。余裕を持って隊士を次々と転移させられ、近づけない。

 虚をついた攻勢によって得た多少の精神的優位も、時間が経つことによって失われていく。

 

(やべぇ、ここで躓いてちゃ話にならねぇってのに!)

 

 玄弥の胸中に焦りが溜まっていく中、踏み込んだ時に砕けた床の木材が玄弥の口に入る。

 

 無意識に吐き出そうとした玄弥だが……

 

(木……? それに、上弦の肆……半天狗とかいう鬼と、同じ……この城も、奴の血鬼術……)

 

 電流の如き閃きが走る。直後、玄弥は床に這い蹲ると、木の床を……『無限城』を、食べ始めた。

 

「えぇ!? 玄弥、何してんだ!? 腹減ったの!?」

 

「うるせぇ!」

 

 困惑する仲間の声を無視して無限城を咀嚼し続ける。腹の中に入れる度に体中が熱く脈動していく。

 

 そう、これはただの木材ではない。血鬼術で生み出された木だ。ならば半天狗の時と同じように……喰って自らの力に変えることができる。

 

「喰らい、やがれぇえええええ!!!!」

 

 玄弥の銃がビキビキと蠢き、目玉が浮かび上がる。血鬼術に侵食されていく。だがそれでいい。これこそが呼吸の使えない自分の選んだ戦い方だ。

 

「血鬼術!!」

 

 玄弥の銃から放たれた弾丸は、琵琶の音色によって見当違いの場所へ着弾する。だがその直後……弾痕から巨大な木が生えてきて、鳴女を拘束する。

 

「……っ!?」

 

「よし、でかした!」

 

 鳴女の身動きが取れなくなっているうちに、気配を消してにじり寄っていた愈史郎が鳴女の後ろを取った。

 

「これで終わりだ! 無惨を朝までこの城に閉じ込める!!」

 

 そして、愈史郎の腕が鳴女の頭に突き刺さる。

 ビクンビクンと体を震わせる鳴女。だが流石は上弦の肆というべきか、狂ったように琵琶を掻き鳴らしながら愈史郎の攻撃に耐えている。

 

「くっ、この糞アマァ!!」

 

 木を足場にして鳴女と愈史郎に駆け寄った玄弥は、叫びながら鳴女に噛み付いて血を啜りだした。

 

「っ!? 半鬼、止せ! コイツは上弦だぞ! それだけの血を飲んだら……!」

 

「黙って集中してろ!」

 

 

 

 

 

「鳴女……!?」

 

 鳴女の異変に気づいた無惨。すぐに鳴女を殺して万が一にも城の制御を奪われるのを防ごうとする。

 

「岩の呼吸、参ノ型……岩軀の膚!」

 

「ええい、鬱陶しい!!」

 

 だが執拗に邪魔してくる悲鳴嶼の鉄球により、狙いを定めにくい。こちらの触手は紙一重で躱される。上弦戦でほとんど消耗していない万全の鬼殺隊最強は、無惨にとっても倒される心配こそなくとも厄介な相手だった。

 

 鉄球の攻撃に晒されながら、雑に狙いを付けて鳴女を処理しようとしたが……その狙いは逸れた。

 

 

 

 

 

「がっはぁ!!」

 

 玄弥の頭と鳴女の頭が半分ずつ吹き飛ぶ。

 

 鬼の血を接種し続けて鬼になりかけている玄弥の気配と鳴女の気配が混じり合い、鳴女を狙った無惨の呪いがほんの僅かに逸れたのだ。

 

 無惨はすぐに改めて鳴女にトドメを刺す。彼女の頭がグチャグチャに飛び散り、無限城は崩壊を始めるが……

 

「よくやった玄弥……お前の稼いだこの一秒で、主だった鬼殺隊を一斉に無惨の元へ送る!!」

 

 無惨を夜明けまで無限城に閉じ込めるという最善の結果こそ得られなかったが、愈史郎とてそう上手くことが運ぶとは思っていない。

 あのまま鳴女を殺されていたら、鬼殺隊士たちを地上にバラバラに飛ばさざるを得なかった。そうなれば戦力の逐次投入の愚は避けられなかっただろう。

 

 だが、玄弥の活躍により……バラバラに行動していた柱やそれに準ずる者たちを、一箇所に集めることが出来た。

 

 その上で戦力的には劣るが透明化の札を持っている者は、無惨から少し離れた所に集結させた。

 

 これにより……鬼殺隊士たちは、いよいよ宿敵と相見える。

 

「あ、アイツが……鬼舞辻無惨!?」

 

「我妻、落ち着け」

 

「いや俺は落ち着いてるけど……ってヒィイイィィ! 落ち着けと言いつつこの人めっちゃ青筋立ててるーーー!!!??」

 

「……行くぞ、伊之助。罪を赦す前に……まずは元凶を潰す」

 

「俺様の新たな技を見せてやるぜ!」

 

 

 悲鳴嶼行冥に加え、冨岡義勇、伊黒小芭内、我妻善逸、嘴平伊之助。

 以上5人が、無惨と正面から戦い得る人材。頭を吹き飛ばされた玄弥はまだ戦線には復帰できない。炭治郎とカナヲは上弦の伍との戦闘に入った後、鴉でも行方を掴めていない。

 

 上弦との激しい戦いを潜り抜けてきた鬼殺隊たちの殺意の籠もった視線を受けた無惨は、億劫そうに口を開く。

 

「しつこい……お前たちは本当にしつこい。飽き飽きする。心底うんざりした。口を開けば親の仇、子の仇、兄妹の仇と馬鹿の一つ覚え。お前たちは生き残ったのだからそれで十分だろう。身内が殺されたから何だと言うのか。自分は幸運だったと思い元の生活を続ければ済むこと」

 

「いや、だっていつまた襲われるか分からないじゃん……ねぇ冨岡さん」

 

「我妻、少し黙っていろ」

 

「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え。何も、難しく考える必要はない。雨が、風が、山の噴火が、大地の揺れが……どれだけ人を殺そうとも、天変地異に復讐しようという者はいない」

 

「ケッ、山の猪だって、氾濫しそうな水辺のすぐ近くには住処を作らない程度の対策はするっての」

 

「そういうことだ。貴様には復讐という言葉ですら生温い。これから俺たちが行うのは……単なる対策、駆除作業に過ぎん」

 

「死んだ人間が生き返ることはないのだ。いつまでもそんなことに拘っていないで、日銭を稼いで静かに暮らせば良いだろう。殆どの人間がそうしている。何故お前たちはそうしない?」

 

「死者が蘇ることはなくとも、無念を晴らし、安らかに眠ってくれることを祈ることはできる。戦う理由など、それで十分だ」

 

「違うな。理由は一つ……鬼狩りは異常者の集まりだからだ。異常者の相手は疲れた。いい加減終わりにしたいのは私の方だ」

 

 主だった鬼狩りの戦力を同時に相手にするのは骨が折れるが、逆に考えれば一度で憎い鬼狩りを殲滅できるとも考えられる。

 無惨が全身から触手を生やし、鬼殺隊たちへ向けようとした時……彼の脳内に声が聞こえてきた。

 

 

『発言をお許しください!! 僕の血を貴方の血にする許可を!!』

 

 それは、唯一生き残った上弦……廃灰からの要請であった。

 

『廃灰か……よくぞ日の呼吸の継承者を殺し、我が長年の溜飲を下げた。褒めてつかわそう』

 

『ならば僕の血を!!』

 

『だが、それとこれとは話が別だ。私が本来は鬼を増やしたくないというのは知っているだろう。鬼狩りを潰し太陽も克服できる今、君の見立てとはいえ鬼を増やすつもりはない』

 

 敵のまともな戦力はたったの五人。一人か二人は休息なり潜伏なりしているかもしれないが、それも大したことはないだろう。

 最早憂慮すべき事態は何もない。この土壇場でわざわざ鬼を増やす必要などない。

 

 

『しかし!!』

 

『しつこい。私は忙しいのだ』

 

 

 

 

 

 

 

 一方的に念話を切られた廃灰は、ぼうっとしたまま左手首を爪で切り裂くと、炭治郎の顔にビチャビチャと血をかける。

 

「どうしよう……ねぇ兄さん、どうすればいいと思う? 兄さんだってこんな終わり嫌でしょ?」

 

 無惨の許可を得ていない以上、その行為には何の意味もない。炭治郎が蘇ることはない。

 

「やっぱり今のうちに姉さんを捕まえるべきかなぁ……それかいっそ姉さんを殺して、兄さんを鬼にすれば太陽克服するかもって言うとか……」

 

 そんなことをつらつらと述べていた廃灰だが……背中に走った僅かな違和感に、億劫そうに振り返る。

 

「これ以上……炭治郎を、弄ぶな……!」

 

 視力が落ち、日輪刀も失い、傷だらけの体を引きずりながら、廃灰に近寄ったカナヲが、廃灰の着物を掴んでいた。

 

「まだいたんですか? 貴女にもう用はないんですけど」

 

「あぐっ!」

 

 ほんの少し力を込めて振り払うだけで力なく崩れ落ちるカナヲ。それでも、地に這いながら炭治郎が持っていた自らの日輪刀に必死に手を伸ばす。

 

「せめて兄さんと同じ場所で殺してあげますよ」

 

「ダメ……せめて上弦の伍だけでも、ここに足止めしないと……みんなが、無惨を、倒す、まで……!」

 

「随分、夢見がちな乙女ですね」

 

 カナヲの細い首を持ち上げる廃灰。別に力を入れずとも、これだけで首が絞まってそのうち死ぬだろう。

 カナヲは苦悶の表情を浮かべながらも、廃灰を鋭く睨み付け続ける。

 

「力が欲しい、って顔ですね。僕も、今を変える力が欲しかったっけ……でも鬼にでもならない限り、人はそう簡単に変われな……」

 

 突然言葉を止めた廃灰は、カナヲを絞めていた手を離した。激しく咳き込むカナヲ目に入らずに、何かブツブツと呟いている。

 

「そうか、変わればいいんだ。あの人が頼れないなら、僕が僕自身を望む形に変えるしかない……幸い、変わりかけの姿は知ってる」

 

 廃灰は炭治郎が死してなお握っているカナヲの日輪刀をゆっくりと抜き取る。

 

「猗窩座さんも黒死牟さんも、あと一歩の所で逃した進化、革命、変革……それを、今の僕ならできる」

 

 廃灰は倒れたカナヲの手を取って、その手に無理矢理日輪刀を握らせると……自らの頸にあてがった。

 

 

「何の、つもり……?」

 

「僕が憎いでしょう? ほら、さっさと斬ってくださいよ」

 

「ふざ、けないで……何かに、利用するつもり、なら……その手には、乗らない」

 

「そうですか……あ、そういえばなんですけど」

 

 カナヲに日輪刀を握らせた体勢のまま、廃灰は彼女の耳元で妖しく囁いた。

 

 

 

 

 

「……黒死牟さんの部屋にあった死体、どうしたと思います?」

 

 

 

 

 気がつけばカナヲは、日輪刀を一気に振り抜いていた。直後、しのぶの遺体に手を出していたら、毒に苦しんでいるはずだというのに気付く。

 謎の自殺行為によって、廃灰の頸は落ちていく。

 

 

 

 ────あなたは……翼を手にしましたか? 

 

 

 

「妙な形だけど……でも、仇は取ったよ……炭治郎」

 

 

 ────人は翼を持つと……自由になれるんですか? 

 

 

 

 

「……え?」

 

 カナヲは信じられないと同時に、見覚えのある光景を目にする。頸を落とされた廃灰の血が止まり……ゆっくりと、頭部が再生していく。

 

 

「なに、これ……」

 

 

 先ほどの黒死牟と違い、顔には大きな変化は見られない。その代わり、その背中からは……

 

「片翼の……灰羽……?」

 

「灰羽というより廃羽……かな」

 

 片方だけの、歪な翼が生えていた。その翼をバサッ、と翻す廃灰。

 

「僕は……鬼を越えた」

 

 鴉のように漆黒でもなければ白鳥のように純白でもない灰色。そして……今にもボロボロと崩れ落ちそうな、見ていると思わず切なくなるような……廃れた羽。

 

 

「僕こそがあの方を……無惨さんを超える……真の鬼の王だ」

 

 

 

 

 

 ────私には……翼は見えていますか? 

 

 

 

 

 

 

 



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真夜中〇〇戦争

気づいたらとっくのとうに初投稿から1年過ぎてましたね…こんな投稿ペースですが、終わり自体は何とか見えてきたのでよろしくお願いします。


「にゃーお」

 

「なんだ? こんな所に、猫?」

 

「カァー! カァー! ソノ猫ハ味方デアル! 無惨ノ血ノ毒ヲ緩和スル血清ヲ持ッテイル! 至急投与スベシ!」

 

 無惨と対峙する鬼殺隊員たち。玄弥の活躍によって愈史郎に余裕ができ、鬼殺隊の主だった剣士……さらに猫もその場に現れ、無惨の攻撃に含まれる血による即死を免れる血清を隊士たちに投与する。

 悲鳴嶼は無惨の注意を引いた際に掠り傷を負っていたが、血清により体力が回復した。

 

「また珠世の差し金か。死んでなお忌々しい女だ」

 

 最小限の労力で鬼狩りを殺害できる毒を予防され、無惨は腹立たしげに舌打ちをする。

 だが、鬼殺隊員たちにとっては毒の心配がなくなっただけでは、事態が好転したとまでは言えない。

 毒を予防したとて無惨の力は健在だ。

 こちらは5人がかりだというのに、そもそもの手数が違い過ぎる。何とか触手を避けつつ接近して斬っても、その場で瞬時に再生されて足止めにすらならない。

 

「触手は本体ほど再生が早くない! 無理に攻めず、守りを固めろ!」

 

「それでもめっちゃすぐ生えてくんじゃん! こんなこと朝までなんて無理ぃいいい!!! 死ぬぅううう!!!」

 

「泣き言垂れてんじゃねぇぞ善逸!」

 

 

 守ってばかりのジリ貧の状況に業を煮やした伊之助が、無惨へと向かっていく。

 

「嘴平! 無茶をするな!」

 

「いや、これでいい! 冨岡、悲鳴嶼! 今のうちに刀をぶつけるぞ!」

 

「伊黒の日輪刀から熱を感じる……そうか、それが赫刀の条件か!」

 

 童磨に甘露寺を殺された際、自らの限界を越えた力で日輪刀を握りしめた結果、刃が赫く染まった。つまりは赫刀にする条件は……万力の握力及び、それに比類する衝撃。

 

 柱3人が刀をぶつけ合い、まだ赫刀に覚醒していなかった二人の日輪刀が赤く染まる。

 痣のない善逸は離れて別の触手を切り落としている。

 

「赫刀か……あの男のものとは比べるべくもないだろうが、それでも不愉快だ」

 

 向かってくる伊之助を無視して、自らを不快な気分にさせる赤い刀の持ち主たちへ触手を飛ばす無惨。

 

「俺様を無視してんじゃねぇええええ!!! 新たなる秘技……まずは投げ裂き!」

 

 伊之助は二刀流の片割れを投擲して、柱たちに迫る触手を斬り落とす。

 

「愚かな」

 

 確かに投げられた刀によって狙っていた柱への攻撃は妨害された。だが二刀流の剣士が刀を軽々に放り投げるなど……

 

「伊之助! これ!」

 

 触手を斬り落とした勢いのまま宙を舞う伊之助の日輪刀に、善逸は得意の早足で追いついた。そして日輪刀を伊之助の元へ投げ返す。だがその速度は善逸の足ほど速くない。日輪刀の片割れが伊之助の元に届く前に、無惨の触手が伊之助に迫り……

 

「次なる秘技! 猫爪裂きぃ!!」

 

 いつの間にか引き抜いていた甘露寺の形見の日輪刀によって、無惨の触手は斬り落とされていた。

 直後、伊之助はパッ、と甘露寺の刀を宙に放る。その間に善逸が投げ渡してきた日輪刀を掴み、元々の二刀流で攻める。そして空中の刀が落ちてきたのを掴むと同時に、また二刀流の片割れを投げ上げる。

 

 ある時は従来の二刀流で。ある時は甘露寺の日輪刀を交えて。それは言うなれば……

 

 

「三・刀・流だゴラァアアアア!!!」

 

 

『ほら伊之助、歌おう? ゆーびきりげーんまん、ウーソついたらはーり千本飲ーます♪ 指切った♪』

 

『伊之助くん、こうやって踊って、音感を身に着けるの! 歌に合わせて体を動かすのって、楽しいのよ!』

 

「〜〜〜♪ 〜〜♪」

 

(なんだこの男、私を前にして歌なんぞ口ずさみおって……やはり狂人か)

 

 3本の刀による絶え間ない連撃。すぐに再生するとはいえ、無惨からすれば鬱陶しいことこの上ない。

 

(こんな大道芸、投げ上げた刀を弾けばいいだけのこと)

 

 伊之助が投げ上げた刀に触手を飛ばす無惨だが……突然、その触手は斬り落とされた。

 

(なんだ、今のは? どこから斬られた?)

 

 柱たちではない。雷の呼吸の剣士でもない。別の触手で彼らの動きはしっかりと制限している。

 

(そもそも三刀流とはいえ、先ほどからこの狂人に斬り落とされる触手の数が多すぎる。私の目にも追えない速度の斬撃をしているようにも見えん。となれば……)

 

「……そこか」

 

 無惨はあらぬ方向に触手を叩きつけた。何もなかったはずの空間から、べシャッ、と肉が潰れるような音と、大量の血が流れ出す。

 触手が退いた後には、透明化の札を付けた鬼殺隊士の死体があった。

 

「まずい、バレた!」

 

 透明化で存在が発覚していないのを利用して、さり気なくサポートしていた一般隊士たちだが、その術も見破られてしまう。

 

「くだらん術だが、面倒だ。一息に殺してくれよう」

 

 

 姿は隠せても息使いや土埃などの痕跡は消せない。大体の見当は付けられてしまう。

 柱やそれに準ずる戦力を持たない一般隊士たちは、無惨が軽く振るった攻撃で次々と倒れていく。

 

 赫刀への覚醒が済んだ柱たちが戦線に加わるまでの時間を稼いだだけで、一般隊士に夥しい数の犠牲が出た。

 

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「ああ、なんとか致命傷で済んだ! 死ぬ前に盾くらいにはなれる!」

 

 無惨の相手ができる柱たちに疲労を溜めさせないために、ほんの一息の休憩を挟ませるために……それだけのために、即死した者の屍を踏み越えて、仲間たちが肉の盾として死んでいく。その姿を見て、善逸は日輪刀を握りしめる。

 

(クソ、みんなが……! ここで負けたら禰豆子ちゃんまで危ない! 炭治郎もいないし、まさかやられたのか!? くっ、爺ちゃん、爺ちゃんっ!)

 

 死んでいく仲間を見ながら思い出すのは、師匠のこと。

 兄弟子が裏切った責任を取って、介錯も付けずに切腹した育ての親。

 

(爺ちゃん、ごめん、俺……爺ちゃんの仇を討てなかった)

 

 口では弱気なことばかり言っているが、善逸は無惨を討つのを諦めたわけではない。彼が心中で謝っているのは……自らの手で獪岳を討てなかったこと。

 

(俺が獪岳を倒そうと思ってたけど、冨岡さんを、仲間を守りたくて。爺ちゃんが言ってた、憎しみ以外の力のために、俺は……!)

 

 

 

『善逸』

 

 

 声が、聞こえた。

 

 

 

 

『お前は儂の誇りじゃ』

 

 

 

 

「霹靂一閃……乱打!」

 

 

 6連、などというものではない。数えている余裕などない。

 ただひたすらに走って、走って、走って……仲間たちに迫る無惨の触手を斬り落として行く。

 

「我妻!? 俺たちのことはいい! それより無惨を……!」

 

「うるせえ!」

 

 負担を掛けたふくらはぎの辺りからブチブチと嫌な音が鳴る。足なんて、とっくのとうに攣っている。それでも……

 

「別に、別に俺は、お前らみたいなガツガツギラギラした奴ら苦手だ! けど、けど……!」

 

「そうだ、我妻の判断は正しい。これは夜明けまでの持久戦だ。お前たちも盾になるよりなるべく長く戦うことを考えろ」

 

 感情的に言葉を紡ごうとした善逸の横で、義勇が無表情で淡々と告げる。

 

(えぇ……今のは俺がカッコよく決めるとこじゃん……なんでそういう素っ気ないこと言うかな)

 

 それで気勢を削がれた善逸は続く言葉を呑み込んだ。

 

 そんな一幕がありながらも、鬼殺隊士たちは徐々に追い詰められて行く。負傷した隊士は一時後退して愈史郎の元に行き、透明化の札の補充も兼ねて休養を取る。

 愈史郎は負傷した隊士を治療し、場合によっては追加の血清を打ち込みと尽力しているが、死傷者の数はどんどん増えていく。まだ夜明けまで大分ある。

 

「くっ、あの五人のうち一人でも倒れたらすぐに戦線が崩壊するぞ……! 炭治郎は何をしてる!」

 

 口ではそう言いながら、おそらくは炭治郎は上弦の伍の足止めで精一杯か、或いは既に死んでいるかというのは分かっている。

 ただでさえ絶望的な状況だというのに、もしこれで上弦まで来たら……

 

 

「……玄弥?」

 

 ふと周りを見渡すと、頭を半分吹き飛ばされて休んでいたはずの、玄弥の姿がなかった。

 

 

 

 

「やっと分かったよ、兄貴……俺のことを、守ろうとしてくれてたんだよな……」

 

 無限城の制御を奪った愈史郎が「たまたま回収できたからやる」と言って渡してくれた刀……実弥の折れた日輪刀を撫でながら、玄弥は無惨との戦いの場まで行く。

 

 先ほど鳴女を狙った無惨の攻撃が半分自分にも来たということは、無惨は玄弥を殺そうと思えばすぐに殺せる。自分は戦いの土台にすら立てない。

 

 だから……不意打ちの一撃に全てを賭けるしかない。たとえその後に、戦いにすらならずにすぐ殺されることが分かっていても。一瞬の足止めにしかならなくとも、それで救える命がある。

 

「きっと兄貴は怒るよな。でも俺も……俺だって、守りたかったんだ。兄貴や師匠を」

 

 玄弥の血鬼術でビキビキと膨らんだ銃が、実弥の日輪刀を取り込む。軍人の使う銃剣のような形になっていく。

 

 

「行くぜ、兄貴……これが俺なりの、俺たちなりの……」

 

 そして玄弥は、引き金を引いた。

 

 

「塵旋風・削ぎ!!!」

 

 

 

 

 突然物陰から襲ってきた暴風に、無惨は体勢を僅かに崩す。しかも、その風は何かに操られているかのように無惨に纏わりついて動きを阻害し続ける。

 

 明らかに鬼狩りの使う技ではない。これはむしろ血鬼術の性質……そこまで考えた所で、鬼の気配を近くの物陰から感じた。

 

「先ほど鳴女を殺す時に感じた気配は貴様か」

 

 鬼ならばわざわざ触手を飛ばさずとも、ほんの少し念じれば殺すことができる。無惨はゆっくりと両手を開き、そして閉じていく。

 

「っ!! 玄弥、逃げろぉ!!!」

 

 悲鳴嶼の叫びが虚しく木霊する。だが無理だ。どれだけ距離を取ろうと無惨の呪いからは逃れられない。無惨の前に出てきて存在を認識された時点で彼の死は避けられない。でもそれはほとんどの隊士が同じだ。だから、兄のように誰かを守ったことを誇りに思いながら、玄弥が死を受け入れようとした時……

 

 

 

 

 

 

「いくら鬼食いとはいえ、直接血を摂取せずに鬼になるとは……生命の神秘を感じますね」

 

 

 

 

 羽が、落ちてきた。

 灰色の羽が。

 

 

 

「まぁ、僕の進化の前では霞みますけど」

 

「なにっ!? これは、まさか猗窩座や黒死牟がなりかけた、鬼ではないものへの進化……!?」

 

 

 今まさに殺そうとしていた玄弥のことなど忘れ、無惨の動きが止まる。険しい目つきで羽が落ちてきた方向を眺めだす。

 

 

「生き物が子孫を残すのは、自分が死んだ後も何かを残したいから」

 

 美しい羽だった。純白ではないが、淡く灰銀に輝いて、まるで天使の羽のようだった。

 

 

「だとすれば完全な生物には繁殖は必要ない。もちろん、わざわざ他人を同種に変えることもない」

 

 死に際の鶏が暴れた後のように、次から次へと降ってくる美しい羽。

 その幻想的な光景に、一人の隊士が、何の気なしに羽へ手を伸ばす。

 

「っ!! 止せ、触るな!!」

 

 本質を見る目を持つ悲鳴嶼が声を発するが、僅かに遅い。

 

 

「僕の血では兄さんは生き返らなかった」

 

 

 鬼殺隊士が触れた途端、羽は爆発した。爆炎がその隊士を飲み込む。

 

「貴方と違って完全であるが故に、一番の目的が叶わないのは皮肉ですが……貴方を利用すればいいでしょう」

 

 鬼殺隊士たちは急いで離れるが、羽はあまりに広範囲に降り注いでおり、たとえ避けても地面で爆発を起こして彼らを傷つけていくが……それ以上の勢いで、張り巡らされた無惨の触手が爆破されていく。

 

「無惨さん」

 

「廃灰……!」

 

 事ここに至っては、許可もなしに自らの名を呼んでも死なないことに疑問など持たない。

 片方だけの灰色の翼を翻しながら、ゆっくりと廃灰が降り立ってきた。

 廃灰は目元に黒い布を巻いていた。それは前からのことだったが、無惨には上弦の伍の数字を隠しているようにしか見えない。

 

「貴方には感謝してますよ。成り行きにせよ何にせよ、僕に力をくれた。でもまぁ……今となっては邪魔者だ」

 

 爆破跡から立ち上る粉塵が廃灰の周りを舞う。

 

「まさかあの耳飾りの剣士の蘇生か……!? そんなことのために、一度頼みを断られた程度で、大恩ある私を裏切るというのか!?」

 

「そんなこと、か……そもそも、ちゃんとした理由もなしに裏切るような人でもない限り、人間を……家族を裏切って鬼になんてならないですよ」

 

 鬼殺隊たちは無惨戦に加えて廃灰の羽の爆破でほとんど総崩れとなった。ボロボロの状態で、無惨と廃灰の成り行きを伺っている。

 

「その血を……細胞さえ死滅していなければ、死者すら蘇らせる禁断の力を」

 

 廃灰は進化の前から使っていた血の刀……神去雲透を発現させる。

 

「鬼を越えた鬼の王が、唯一貴方に劣る力を、無理にでも使わせてもらいます」

 

「鬼を越えただと……鬼の王だと……!?」

 

 超然とした態度の廃灰に、ギリィと奥歯を噛みしめる無惨。

 

「よくもそんなことが言えるな。君の心は知っているぞ、廃灰」

 

 怒りの形相を浮かべ、血管を浮き出させた無惨が、触手を展開する。

 

「父親が死んだ時、逃げて死に目にも会わなかった臆病者が」

 

「月の呼吸、参ノ型……厭忌月・銷り」

 

 廃灰の刀から飛ぶ月輪が、無惨の左側に広がる触手を斬り落とす。

 

 

「家族が殺された時、自由になれるなどと言って笑っていた異常者が」

 

「落日散血」

 

 廃灰の操る血の刃が、無惨の右側に展開する触手を迎撃する。

 

「兄に執着し続け、自らの手で殺しておきながら、今更になって後悔するような、優柔不断な愚か者が!!」

 

「ヒノカミ神楽……炎舞」

 

 残った僅かな触手も、廃灰のヒノカミ神楽の前に朽ち果てていく。

 

 

 

 

「千年を生きたこの私に勝てると思うな!」

 

 

「うるさいですね……」

 

 

 廃灰が、無惨の頸を斬り落とす。再生する前に切り刻み、その髪を掴んで持ち上げる。

 

「ぐぁっ!!」

 

「万全ならともかく、今の貴方では僕の足元にも及ばない」

 

「……なに?」

 

「あれ、気づいていないんですか? その髪」

 

 呆れたような声で言う廃灰。無惨は珠代を吸収した際に接種した毒で急速に老化が進み、著しく弱体化していた。無惨の白髪は老化の象徴である。

 

「そのザマじゃ鬼狩りに殺されててもおかしくないですね……なら却って良かった。貴方だって太陽で灼け死ぬよりは僕に殺される方がマシでしょう?」

 

「ふざけるな……!」

 

 無惨は縁壱から逃げる時に使った体を爆発させる技を使おうとするが、毒とダメージのせいで発動しない。

 

「太陽と月はいつも一緒だけど、めったに交わることもない……近いけど遠い存在」

 

 廃灰が指を鳴らすと、繭のようにして何かを包んでいる灰色の羽が落ちてきた。

 

「太陽が出てる間、明るくて見えないだけで……月は確かに、そこにあったんだ」

 

 羽の繭がゆっくりと開くと、そこには息絶えた炭治郎が横たわっていた。

 

「それが分からなくて、太陽ばかりが眩しくて、太陽を落としたけど……やっぱり、それだと暗くて寂しいんだ」

 

 廃灰の血鬼術、光芒生。本来は他の鬼から無惨の血を奪って自らの力とするものだが……今は無惨の血を死体に移し替え、炭治郎を蘇生させようとしている。

 

「この後どうしようかなぁ……とりあえず兄さんや姉さんは生かしておくとして、いっそ童話の悪役みたいに悪逆の限りを尽くすのもありかなぁ」

 

「……最早抵抗は無意味、か」

 

 光芒生で血が炭治郎の死体に流れ込んでいく。まだ朝は遠いが、力が失われていくのを感じる。廃灰に付けられた傷は遅々として再生しない。逃げることも不可能だ。事ここに至り、無惨は千年間で初めて死を覚悟した。

 

「おや、貴方にしては物分かりがいいですね」

 

「だが、貴様の思い通りにはならない」

 

 人間らしい感情を捨てた上で執着を持たなければ鬼は強くなれない。そういう意味では廃灰は最高傑作だ。そう、あくまで自分が作った存在。自分が上。下剋上など認めない。

 自らの死がどちらにせよ避けられない状況だ。『生きる』という最大目標の下に隠れた、ほんの少しの誇りが、無惨を動かした。

 

「ならば敢えて……全ての血をこの少年に流し込む!!」

 

 

 炭治郎に、全ての力を分け与える無惨。再生する程度に調整して血を入れていた廃灰だが、突然抵抗がなくなったせいで、その注入を止められなかった。

 力比べが拮抗している時に、逆に手を引くことで相手の態勢を崩すことができるのと同じだ。

 

「死ぬか、あるいはお前のように鬼とは似て非なるものになるか! 見物だな!」

 

「無駄な足掻きを!」

 

 無惨の『生きる』という本能は最早昆虫に近い。そんな本能を持つ者が最後に行うのは、奇しくも先ほど廃灰が言った言葉通りの行動であった。

 

「お前が私の夢を叶えろ炭治郎!! 私の代わりに、鬼狩りと、この裏切り者を滅ぼせ!!!」

 

 すなわち、『死んだ後も何かを残そうとする』意思。

 

 

「……でも、これはこれで良かったかもしれないな。鬼舞辻無惨、最期まで僕にとって都合のいい男だ」

 

 

 無惨が灰になって消えた後に、ゆっくりと翼の繭から立ち上がる炭治郎。その目は鬼のものとなっていた。

 

 

「動ける者……! 誰か、まだ動ける奴はいないかっ! 炭治郎が、鬼にされた!」

 

 

 上弦戦で想定よりも遥かに大きな損害を受け、なけなしの戦力で無惨と戦い、さらには廃灰の羽の爆発に巻き込まれた鬼殺隊士たちに、最早戦う力は残されていなかった。

 

 悲鳴嶼は大量の羽から玄弥を始めとした特に年若い者を庇い、重症を負っていた。善逸と伊之助も庇われて致命傷は避けたようだが、爆風で気絶していた。

 

「落ち着け冨岡。アイツらはおそらくこのまま潰し合う……残った方を全力で仕留めるぞ」

 

「くっ……!」

 

 かろうじて動けるのは、義勇と伊黒の二人のみ。

 もし炭治郎が勝てば、自分たちの手で炭治郎を殺さなければならない。だからといって仇敵である廃灰に勝って欲しいわけがない。

 

 どちらにせよ、彼らは最後に残った二人の鬼の戦いに割って入れる力はない。

 

 

 

 元々分けられた無惨の血、上弦昇格の際の血、黒死牟の血、そして頸斬りの克服。段階を踏んで進化した廃灰。

 死んだ後に鬼の祖の血を全て分け与えられ、一足飛びに進化した炭治郎。

 

 兄弟二人だけ、二人きりの、今度こそ本当の最終決戦が始まろうとした時……

 

 

 

「……お兄ちゃん? 灰里?」

 

 

 

 胸騒ぎを感じて、本来の歴史よりも早く、まだ人間化が完全ではないまま戦場に駆けつけて来たのは……禰豆子。

 

 

 

 炭治郎、禰豆子、廃灰……否、灰里。

 

 鬼となった竈門の三人が……一堂に会した。

 



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夜明け

「なんだ、姉さん……もうほとんどただの人じゃないか」

 

「灰里……」

 

「心配しなくても姉さんと兄さんは生かしておいてあげるよ」

 

 三つ巴、というには禰豆子は無力過ぎた。最早血鬼術も使えず、人よりは多少丈夫という程度。時間が過ぎれば過ぎるほどただの人間になっていくだろう。それでも、この戦いに割って入らなければならなかった。

 

「ごめんね……灰里が悩んでいるのを知ってたのに、そういう年頃だからって、無視してた」

 

「今さらどうでもいいよそんなこと。実際僕の悩みなんて大したことじゃなかったさ。多分同じような人はたくさんいるよ」

 

 鬼化した炭治郎はまだ動かない。変化した直後でまだ自意識がないのだろう。

 

「でも確かに……僕にとっては生きづらい世の中だった。きっと何者にもなれない人生だった」

 

 いざ戦いが始まれば獣のように暴れ狂うだろうが、それまでは自分から動くことはないだろう。

 

 

「一生懸命生きてる人は偉いけど、でも、とても馬鹿らしくも見えた。そんなに必死に生きて何になるんだろうって」

 

 それが分かっているから、灰里は姉に語りかける。

 

「だから僕は全部を壊すよ。そうだ、こんな人を超えた力を持ちながら、やることが人に紛れて暮らすだなんてあり得ないよ」

 

「確かに私たちは必死に生きて、必死に死ぬことしかできない。でも、だからってそんな私たちから、必死に死ぬことまで奪うの?」

 

「僕はたまたま力を手に入れただけの子供だけど、だからこそ僕が全ての生きづらい人たちに代わって、力を手に入れることもなく、ただ生きるしかない人に代わって……この世界を壊す。子供の我儘と止めるなら止めればいいさ」

 

 そんな我儘程度で壊れる世界なら壊れてしまえばいい。文明開化も大正浪漫もくだらない。ただ何も考えず、生きるために生きていた原始の時代になるまで日本を、この翼で海すら越えて世界を壊す。

 しかしそう語る灰里を、禰豆子は悲しげな瞳で見ている。

 

「灰里、それが本当に灰里の望みなの? 違うよね、ただ引っ込みが付かなくなってるだけだよね。確かに灰里はもう戻れない。でも止まることはできるんだよ?」

 

「うるさいなぁ……この期に及んで説教? ちょっと黙っててよ」

 

「きゃっ!?」

 

 億劫そうに呟いてから、パン、と乾いた音。灰里が平手で禰豆子の頬を強く張ったのだ。

 

 手加減しているとはいえ、あくまで死なない程度。禰豆子はその一撃で力なく倒れ込む。打たれた頬は赤く腫れ、口から吐いた血が灰里に飛び散った。

 

「あー、ごめん姉さん、やりすぎたよ。でも姉さんが弱すぎるのもいけないんだよ?」

 

 白々しくそう言いながら、形だけ気遣うように、禰豆子を立ち上がらせるために手を伸ばそうとする。

 

 

 

 

「伊黒……俺はあの時、『違う』と思った。今までの鬼になった奴らと禰豆子は、何かが『違う』と」

 

「どうした、急に?」

 

「それはあの時……抵抗する炭治郎を気絶させて、禰豆子を殺そうとした時……禰豆子が炭治郎を守ろうとしたから」

 

 

 

 灰里が手を伸ばした先では。

 

 

「やっぱり、お前たちは……違うんだな」

 

 

 

 炭治郎が腕を広げて、禰豆子を庇うように立っていた。

 まるで、あの雪の日、全ての始まりの日……炭治郎を庇った、禰豆子のように。

 

 

 

 

「素晴らしい……素晴らしいよ兄さん!!!!」

 

 灰里の背にゾクゾクとした快感が走る。

 

「流石は僕らの兄さんだ!!」

 

 興奮のままに炭治郎に詰め寄る灰里。翼によって以前よりさらに加速した灰里はしかし、炭治郎に蹴り飛ばされる。

 

「ぐっ!?」

 

 

 

 灰里は鬼になってから、最初のうちはカナヲや伊黒といった強者に苦戦することもあったが、どちらかと言えば鬼の圧倒的優位性にものを言わせて楽に殺してきた。

 炭治郎が相手でも、精神的にはともかく本気で戦ったら負ける気はしなかった。

 だが今の炭治郎は違う。鬼となった炭治郎は、無惨すら超える強さを身につけていた。

 

「自意識もろくにないのに、やるね兄さん……ああ、でもそうだ、こうやって何も考えず考えさせず、兄さんと喧嘩してみたかったんだよ!」

 

「ぅがぁあああああ!!!!」

 

「月に映えるヒノカミ……明けの神楽!!」

 

 炭治郎が鬼としての身体能力に任せて獣のように戦い、灰里が父と師から受け継いだ全集中の呼吸で舞う。

まるで善と悪が逆転したようだった。

 

「禰豆子、危険だ! 下がれ!」

 

「冨岡さん、私は大丈夫です!」

 

 炭治郎も灰里も、近くで戦いを見届ける禰豆子を極力巻き込まないようにしながら戦っていた。とはいえ炭治郎のそれは無意識であり、灰里は死なない程度に意識しているだけだ。危険なことには変わりはない。

 

「月の呼吸、伍ノ型……月魄災渦! ヒノカミ神楽、日暈の龍・頭舞い!」

 

 刀を振らずに発生させた月輪を纏いながら、龍がうねるように駆けての斬撃。

 炭治郎は月輪に切り裂かれるのをものともせずに、灰里の刀を受け止める。

 

 

「なにっ!?」

 

「うがぁあああああ!!!!」

 

 ぶん回し。そうとしか言いようのない動きで、刀ごと灰里を投げとばす。

 

 

「これは少し……想像以上かな」

 

 近くの建物にぶつけられた灰里だが、すぐに立ち上がって再び炭治郎に向かっていく。

 

「月の呼吸、拾陸ノ型……月虹・片割れ月! ヒノカミ神楽、斜陽転身!」

 

 月と日、それぞれの型の、上空からの斬撃の型を同時に放つ。

 炭治郎は上からの攻撃に対応できずに両腕を斬り落とされる。腕が再生するまでの一瞬の隙きをついて、斬撃を隠れ蓑に背後から飛んできていた血の刃が、炭治郎の頸を斬り落とす。血鬼術による攻撃では頭部もすぐに再生するが、問題ない。

 

「本命は、こっちさ!!」

 

 これは隙を作る為の、言うなればジャブ。灰里はその辺りに大量に落ちている日輪刀を蹴り飛ばし、炭治郎の頸を狙う。

 

「ゔ、あああああああ!!!!」

 

 炭治郎は頭部が再生していないが危機を感じ取ったのか、見えていないままの足払いで石礫と土煙、そして衝撃波を放つ。

 

 それによって灰里の投げた日輪刀は逸れた。と同時に頭部が再生して視力の戻った炭治郎の目に、黒い日輪刀が映る。

 

「殺しはしないけど、自分の武器でダルマになるがいいさ!」

 

 だが、灰里の剣技はあくまで素人だ。ヒノカミ神楽の動きを真似るのに都合がいいから血で刀を象った武器を使っていただけで、黒死牟もわざわざ鬼が本物の刀を使うことはないだろうと、剣術までは教えなかった。

 

 雑に振るわれただけの日輪刀は炭治郎には当たらず、必要以上に振りかぶって隙だらけだった灰里の横腹に、炭治郎の拳が突き刺さる。

 

「がっ!?」

 

 さらにもう一発、と炭治郎が再び拳をめり込ませるが、灰里は肉弾戦には付き合わず、バックフリップで距離を取る。そして着地はせずに、片翼をはためかせて空中に浮いた。

 

「あー、鬼同士の戦いは決着が付かないから無意味って聞いたことあるけど、確かにそうだね」

 

 一進一退、といえば聞こえはいいが、ようするに互いに決め手がないのだ。これならば例え力は弱くとも人間の頃の兄と戦っていた方がヒリついて楽しかった。

 

「流石に飽きてきたよ。こんなことを鬼狩りはやってきてたんだね。ご苦労さまというか、よくやるというか」

 

 灰里は炭治郎から目を逸らして、徐々に白んできている空を見上げた。

 元々鬼殺隊は無惨と戦っていた時点である程度朝は近づいていた。いよいよ、朝が来たのだ。

 

「時間切れ、か。僕は行くよ。兄さんや姉さんが世界を守るなら、今日また陽が沈むまでに僕を見つけてみるといい」

 

 灰里は広げた翼を畳んで自分の体を包む。ついつい朝日が昇るギリギリまで戦ってしまったが、こうすれば身を守れる。

 

 そのままとりあえず太陽を凌げる所に行こうとしたその時、炭治郎と戦っている間はほとんど視界に入れていなかった禰豆子を見ると……禰豆子は長い爪を灰里に向けていた。

 

 

 

 

「お姉ちゃんを……甘く、見るなぁああああ!!!!」

 

 最後の最後、完全に人間に戻る前の一瞬に、禰豆子は血鬼術を発動させた。

 

 爆血、文字通り血を爆発させる血鬼術によって……先ほど叩かれた時に灰里に飛び散っていた血が、一斉に爆発する。

 

 

 

「しまっ……!」

 

 爆発によって翼は吹き飛んだ。爆血の性質のせいですぐには再生しない。爆風で地面に叩きつけられる。

 

 この程度、灰里には多少の足止めにしかならない。だが、今の、朝日が今まさに出ようとしている今だけは、その一瞬が命取りになる。

 

 以前、普通の鬼ならもう少し時間に気をつけていただろうが、進化によって灰里は傲っていたのだ。

 

 

 もっと言えば、彼は最早、太陽すらも克服できると思っていた。自分は鬼を超えた存在だ。鬼である姉が太陽を克服できたなら、鬼の王である自分も克服できないわけがない。

 意識的にせよ無意識にせよ、そう高を括っていたのである。

 

 

 

 

 そんな傲りを討たれて翼を失い、地に伏した灰里に、太陽の光が襲いかかり……

 

 

 

 

「ぐ、があ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 

 

 灰里の濁った叫びが、周囲に響き渡った。

 

 

「うぐうおぉっ……! ぁ゛……ぐぁ゛…………!」

 

 

 だが死にはしない。悶え苦しみのた打ち回りながらも、灰にはなっていない。確かに灰里は太陽を克服してはいたのだ。

 それは灰里の期待していたような完全なものではなかったが。

 

「ゔああああああ!!!」

 

 当然、炭治郎にも陽の光がサンサンと降り注ぐ。が……

 

 

「炭治郎っ! ……え?」

 

 爆風の気絶から目覚めた善逸が思わず駆け出そうとした先では、炭治郎が一瞬だけ苦しんだ後……何事もなかったかのように立ち上がっていた。

 

 

 既に太陽を克服していた上に人間へ戻った禰豆子は勿論、炭治郎もすぐに太陽を克服したのだ。

 そんな二人の前で……灰里は未だ這いつくばっていた。

 

 死にはしない。だが炭治郎のようにすぐに克服できたわけでもない。しばらくすれば同じように克服できるかもと期待した灰里だが、いつまで経っても苦しみから解放されない。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!!! う゛う゛う゛あぁああ゛あ゛あ゛ぁあぁあああ゛!」

 

 灰色で壊れかけの、灰羽にして廃羽。その翼が溶け落ち、再生したかと思えばまた溶け落ちる。

 

「あ゛、あがが……! おげえ゛え゛え゛っ……! な、ん、で……!」

 

 込み上げてきた衝動のまま吐血する。

 

「僕は、鬼の王なんだ……兄さんも姉さんも黒死牟さんも無惨さんも超えた、真の鬼の王、なのに……!!!」

 

 這いつくばりながら、灰里が上体だけを上げて叫ぶ。その視線の先には、自分と違い太陽を克服した二人。

 

「ど゛う゛し゛て゛だ゛よ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛!!!!」

 

「簡単な話だ。鬼としての適性は炭治郎の方が遥かに上だった」

 

 血反吐を吐きながら叫ぶ灰里に、近くの物陰で陽の光から身を守りながら、愈史郎が語りかける。

 

「借り物の力で得意になり、いつも不意打ちで現れて誰かの力を奪う。そうして得た偽の強さじゃ、所詮ここまでということだ」

 

 

「ふさ、け……! 知ったような、口、を……! が、あ゛ぁ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!」

 

 太陽に灼かれる痛みに体中を掻きむしりながら、灰里は地面の上を転がり回る。

 

 暴れたせいで、服の隙間からコロコロと、人間化薬が転がっていく。

 転がる人間化薬を拾い上げたのは……カナヲ。進化を果たした灰里がカナヲなど眼中にない様子で飛び去った後、カナヲも愈史郎によって地上に転送されていたが、重症故無惨との戦いには参戦できなかったのだ。

 

 姉の残した形見とも言えるそれを、カナヲはギュッと胸に抱いた。

 

 

「か、え、せぇ……!」

 

 このままではどうにもならない。一瞬人間化薬を接種して、半分人間の状態になって太陽を無効化しつつここを離脱する。その後体内で薬を分解すれいい。

 

 激痛で鈍る頭の中で算段を立てた灰里はフラフラと立ち上がってカナヲに向かっていく。だが目の前に着いたところで限界を迎え、再び地に倒れた。

 

 さっきまであれだけカナヲを甚振ってきた相手だというのに、今は自分の足元で這いつくばっている。その姿に憐れみさえ感じながら、カナヲは首を横に振った。

 

「これは姉さんが私に持たせてくれたもの……貴方のものじゃない。これは、炭治郎に使う」

 

「く、そ、ぉお……!」

 

 カナヲに背を向けて、近くの日陰へ這って行く灰里。日陰で一旦落ち着きさえすれば、なんとか翼を回復させて身を守れる。

 

「おい、テメェ……なに、逃げようとしてやがる」

 

 しかし当然、黙って逃がすわけがない。

 

「俺たちを庇って、数珠のオッサンの腕が千切れた!! 他にも何人もテメェの羽で、一緒に飯を食った仲間が死んだ!!」

 

 体中から血を流した伊之助が、這いつくばる灰里の前に立ち塞がった。

 

「返せよ、俺の仲間を返しやがれ! それができねぇなら……百万回死んで償え!!!」

 

「えぐぅうう゛う゛う゛う゛ッ!!」

 

 日陰に避難しようとしていた灰里を、思い切り蹴り飛ばす伊之助。激情のままさらに追い打ちをしようとする伊之助の肩に、伊黒が手を置いた。

 

「もういいだろう、伊之助。鬼とはいえ無意味に拷問するほど悪趣味じゃない」

 

「……そうだな、その通りだ」

 

 義勇が一歩前に出た。

 炭治郎がまだ鬼の今、この哀れな少年を斬るのは自分の役目だろう。

 

「水の呼吸、伍ノ型……干天の慈雨」

 

 灰里は自ら頸を差し出したわけではないが、最早ほとんど無抵抗だ。憐れみを持って慈悲の技を放つ義勇によって、灰里の頸が落とされた。

 

 

「伍ノ型? なんで、よりによって」

 

 だが、灰里の頸はゆっくりと再生した。太陽に苦しんでいても、頸斬りによる死を克服したことは変わらない。猗窩座や黒死牟と同じだ。頸を斬っても再生する。猗窩座は隊士たちが斬り刻み続け、黒死牟は血を奪えば滅することはできたが、それも猗窩座や黒死牟自身に生きる気力がなかったからだ。

 

 まだ生きようとする意志があり、ましてや変わりかけだった猗窩座や黒死牟と違い、完全な進化を果たした灰里は頸を斬っても死なない。

 

 

「僕の、嫌いな数字の型を……!!」

 

 再生された灰里の頭部には、もちろん普段巻いている黒布はない。露わになった瞳には……上弦の伍の数字が、ハッキリと残っていた。

 鬼を超えたと豪語しても、頸を切り落として再生しても、決して消えなかった数字。結局のところまだまだ無惨の生み出した鬼という枠組みから逃れられていないと言われているようで、黒布で隠した伍の数字。

 

 

 

 

「……どうする? 死ぬまで殺すか?」

 

「それしかないだろう……哀れだがな」

 

「憐れむ、な! 今さら死ぬのは怖くない、けど、憐れまれるの、だけは、ゆる、さ、な……!」

 

 結局、太陽は克服できなかった。炎に焼かれて売り物になる炭と違い、灰はただただ焼かれた後に残るだけのゴミ。

 ゴミはゴミらしく、疎まれ憐れまれながら、処理されるだけの運命。

 

「灰里……」

 

「そんな、そんな目で僕を見るなぁ……!!」

 

 灰里は目の数字を隠すように、視線から逃れるように、手で顔を覆った。

 

 

 

 そんな灰里を無表情で見ながら、未だどこかボウッとしている炭治郎は、自らの額に……痣に触れていた。生まれ持ってのものではない。元々は下の兄弟を庇った時についたものだ。

 同じ痣が……兄弟二人で下の子を守った証の痣が、灰里にもあった。必死に顔を隠す指の隙間から覗いている。

 

 

「ぁ……ぃ……ぃ」

 

 

 

 

 炭治郎はそっと、苦しむ灰里の上に覆い被さった。太陽の光から、弟を守るように。

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 ──突然失礼致します。此れは不幸の手紙ではありません。

 

 

「止せ炭治郎、そんなこと無意味だ」

 

 ──だってほら、真冬と云ふのに、なまあたたかい風が吹いている。

 

「待って、冨岡さん」

 

 ──時をり海の匂ひも運んで来る。道では何かの破片がきらきら笑ふ。貴方の背を撫づる太陽のてのひら。

 

「お兄ちゃんは……灰里はもう死ぬしかないってことが分かってる」

 

 ──貴方を抱く海苔の宵闇。留まっては飛び去る正義。

 

「それでも、それが分かっていても……目の前で苦しんでる弟を、放っておけないんだよ」

 

 

 ──どこにでも宿る愛。そしていつでも用意さるる、貴方の居場所。

 

 

 

「兄さんってやっぱり、暖かい、ね……なんで、僕はこうなっちゃったんだろうね」

 

 

 ──ごめんなさい。いま、此れを読んだ貴方は死にます。

 

「僕は兄さんのことが……家族のことが、大好きだったはずなのに」

 

 ──すずめのおしゃべりを聞きそびれ、たんぽぽの綿毛を浴びそびれ

 

「ここじゃないどこかを探してた。自由の翼を、どこへでも行ける魔法の靴を探していた」

 

 ──雲間のつくる日だまりに入りそびれ、隣りに眠る人の夢の中すら知りそびれ

 

『私は、何者にもなれなかった。ただ、縁壱になりたかったのだ』

 

「そんなものなくても、本当は何にだってなれたしどこへだって行けたのに、ただただ自分で自分を諦めていた。僕はそういう人間だった」

 

 

 ──家の前の道すらすべては踏みそびれながら、ものすごい速さで次々に記憶となってゆくきらめく日々を、貴方はどうすることもできないで

 

『私は一体……何の為に、生まれてきたのだ』

 

「そうして自分を縛っているうちに、本当にどうしようもない人間になってしまった」

 

 ──少しずつ少しずつ小さくなり、だんだんに動かなくなり、歯は欠け目はうすく耳は遠く、なのに其れをしあはせだと微笑まれながら。

 

「でも、だけど」

 

 ──皆が云ふのだからさうなのかも知れない。或いは単にヒト事だからかも知れないな。貴方などこの世界のほんの切れっ端にすぎないのだから。

 

 

 

「たとえ何者にもなれず、誰も愛せず、誰からも愛されず……何のために生まれてきたのかも分からない人生でも」

 

 

 ──しかもその貴方すら、懐かしい切れ切れの誰かや何かの寄せ集めにすぎないのだから。

 

 

 

 

 

 

「この世界の片隅に……生きていたんだ……」

 

 

 

 

 

 竈門灰里は、激痛の中に感じる兄の温もりの中で、ゆっくりと意識を失った。

 

 その寝顔は、まるで、父に、母に、兄に、姉に、家族に叱られた後、仲直りした子供のように……安らかであった。

 

 

 

 ──どこにでも宿る愛。変はりゆくこの世界のあちこちに宿る、切れ切れのわたしの愛。

 

 

 

 



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灰色と青

完結まで一気にいくつもりが悩んでるうちに一ヶ月も経ってしまった……


「……ここは……」

 

 炭治郎が目を覚ますと、あちこちに彼岸花が広がる不思議な場所だった。

 

「僕らの、或いは無惨さんの力を得た者の……心の中だよ」

 

「灰里?」

 

「僕らは向こうで気を失ったようだ。そうしたら心の中で会えるなんて、素敵だね」

 

 そこにいたのは炭治郎だけではない。彼の弟灰里も、人間の姿でそこにいた。憑き物が落ちた……とまではいかないが、自分の中で気持ちの整理を付けたような、落ち着いた表情をしていた。

 

「限界まで意地を張ってやっと吹っ切れたよ。僕も相当意地っ張りだけど、兄さんの頑固さには負けたね」

 

「灰里……」

 

 最後の最後まで意地を張り続けた灰里と、そんな弟を最後まで愛し続けた兄。

 ただ兄は家族を、弟を無償で愛した。それだけのことだった。

 

「僕はただ、僕でしかない。僕がどんな人間でも、家族の愛は平等だ。そんな簡単なことに気づくのに……時間も犠牲も払いすぎてしまった」

 

 自嘲するように笑う灰里。そんな弟に対して、炭治郎も微笑みかける。

 

「でも、後悔はしてないんだろ? 無惨に殺されかけた時に……生きることを選んだのを」

 

 そう言われた灰里は一瞬目を瞬かせた後、ゆっくりと頷いた。

 

「うん、どんな形であれ、僕は生きていたかった。綺麗な思い出になるより、汚くても存在し続けたかった」

 

「俺もだよ。たとえ鬼になったとしても、家族に死んでほしいなんて思うわけない」

 

「……同じだね」

 

 灰里はそう言うとその場に仰向けに寝転がる。炭治郎も灰里の横に歩いていくと、その隣に同じように転がった。

 

「こうやって寝そべってると、小さかった頃を思い出すな」

 

「……そうだね」

 

 その空間には空がない。空があるはずの場所には水面があり、その向こうには仲間たちの姿が見えた。

 

「帰りたいなぁ」

 

 ポツリと呟く炭治郎。

 

「みんなの所に、思い出がたくさんあるあの家に帰りたいよ」

 

 けれど炭治郎は鬼だ。しかも太陽まで克服した鬼。今は何とか仲間を襲わずに済んでいるが、それもいつまで保つか分からない。だから帰れない。

 

「兄さん、人間化薬はカナヲって子が持ってる。だからもう少ししたら……多分兄さんは人間に戻れる」

 

 灰里が告げるのは、珠世亡き今唯一残った人間化薬のこと。太陽を克服した炭治郎にまで効くかは五分五分と言った所だが、炭治郎自身に強い意志があれば戻れるだろう。

 

「お前はどうするんだ?」

 

「後始末くらいは自分でやるよ。自分でも分かってる。たとえ兄さんや姉さんが赦しても、もう僕は死ぬしかない」

 

 目覚めたらまた太陽に身を灼かれる痛みに襲われるだろう。たとえ兄が覆いかぶさって守ろうと、陽の光は確実に灰里を蝕む。

 

 

 そのことを心配する炭治郎に、灰里は笑いながら手を上にかざす。

 それはかつてのように太陽に憧れ、焦がれ、太陽のようにはなれないと分かっていながら手を伸ばし、自らと同じ地面にまで引きずり降ろそうとしていた頃とは違う。

 ただ自分は自分として、ありのまま手を伸ばすだけだ。

 

 

「兄さんが人間に戻れば、僕が最後の鬼だ。そしてその鬼は頸を斬っても死なず、太陽の光にも耐える」

 

 その手は灰化と再生を繰り返していた。現実世界の灰里と同じだ。

 

「けど太陽の克服は未完全だ。なら一つだけ方法がある。陽光山だ」

 

 陽光山。それは日輪刀を作る材料である、猩々緋砂鉄と猩々緋鉱石が採れる山。陽に一番近く、一年中太陽の光が溢れる場所。

 

「あの山ならいつかは僕の不完全な再生を越えて、殺してくれるかもしれない」

 

「……本当にそれでいいのか?」

 

「もう逃げ飽きたよ。逃げて、逃げて逃げて……その先に辿り着いた果てが、ここだった」

 

 灰里は寝転がったまま、掲げていた手を地に落として大の字になる。指先が、炭治郎に触れた。

 

「だからもう……いいんだ」

 

「そう……か」

 

 炭治郎は、灰里の手を優しく握った。

 

「一年か十年か……ひょっとしたら千年。無惨の生きた時を越えてなお、苦しみ続けるかもしれない」

 

「覚悟の上だよ」

 

「それでも俺と禰豆子以外、誰もお前を許さない。どれだけの贖罪をしても、お前が殺した人は帰ってこない」

 

「分かってる」

 

 ただ、兄と姉は許してくれる。それだけで救われる。それだけでよかった。それだけで意味のある人生だった。だから、これ以上は何もいらなかったのに。

 

 

 

 

「だから……俺だけは、一緒にいてやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

「炭治郎! 今薬を……え?」

 

 炭治郎に人間化薬を注射しようとするカナヲ。だが鬼化した炭治郎はゆっくりとカナヲの手から人間化薬を抜き取ると、あらぬ方向に向かって投げた。その先には……

 

 

 

「炭……治郎?」

 

 鬼食いの影響でほとんど鬼化し、無惨の消滅に伴って少しずつ灰化していた玄弥がいた。

 

「ばっかやろう!! 俺のことなんかどうでもいいだろうが! 俺にはもう誰もいないけど、お前には禰豆子が……!!」

 

「玄弥」

 

 中の薬を注入せずに、突き刺さった注射針を抜こうとする玄弥。

 そこに、玄弥や伊之助、善逸を庇って致命傷を負った悲鳴嶼が、そっと手を添える。

 

「し、師匠?」

 

「玄弥、お前は生きるんだ。炭治郎も……自らが鬼化してなお、それを望んでいる」

 

 そして刺さった注射器を押して、玄弥に人間化薬を注入する。

 

 

「ありがとう……獪岳に唆され、信じることを恐れてしまった私を……君たちが救ってくれたのだ」

 

 

 獪岳との闘いの際に、信じていた子供から裏切られたことをまざまざと自覚させられ、子供たちのことを信じられなくなった。

 

『先生、ごめんなさい。私……私、先生のことを、裏切るつもりなんかじゃ……!』

 

「分かってる。いいんだよ、沙世……」

 

 盲目の自分に今見えている幻覚も、都合のいいただの願望かもしれない。

 

『先生、あの時先生の言いつけを無視してごめん。でも俺たちは先生のことを見捨てたわけじゃないんだ。先生のことを守らなきゃって思って……』

 

 だが、願望だろうとそうではなかろうと関係ない。あの子たちが生きていてくれるならば、見捨てられたって構わないから。

 ただ、生きていてくれるだけでよかった。見捨てられたのか守ろうとしてくれたのか、そんなことはどうだっていいんだ。

 

 

「謝るのは私の方だ……守ってやれなくて……すまなかった」

 

『先生!』『先生!』

 

「ああ、今行くよ……まだ、教えたいことが……君たちには、たくさん……」

 

 

 

 灰里の羽で受けた致命傷に加え、25歳を超えている彼は痣を発現させた時点で死が確定していた。

 だが、悲鳴嶼行冥の最期は……安らかであった。

 

 

 

 

 

 

 

「俺も鬼のままでいるよ。そして同じように、陽光山で死ぬ」

 

「……兄さん、僕にこれ以上付き合う必要はないよ」

 

「違う。それだけが理由じゃない。あの薬は……もっと必要な人に使う」

 

 もっと必要な人と聞いて、灰里は自分の乱入で結果的に命を救うことになった鬼狩りが思い当たった。

 

「必要な人……? そういえば鬼狩りには、半鬼がいたね」

 

 晴れやかな表情でうなづく炭治郎。

 

「玄弥も救えて、お前とも一緒にいられるなら……こんなに嬉しいことはないよ」

 

 道を踏み外した家族への情に加え、仲間への情。その二つを満たせる選択肢があるなら、選ばない理由がなかった。

 

「そっか。なら、目が覚めたら……このまま二人で一緒に灰になっていくのも、いいかもね」

 

『いいや、それは許さん』

 

 その時。どこまでも優しい空間だったそこに、突如としてドスの効いた声が響く。

 

 

『お前たち兄弟は私の最高傑作だ……私に代わり、永久に生き続ける義務があるのだ!!』

 

 それは炭治郎と灰里の血に残る、無惨の残留思念。狂い咲く彼岸花の中から現れた無惨が、恨めしそうに灰里と炭治郎に手を伸ばす。

 

 

「本当にしつこい男だな……」

 

 灰里と炭治郎は立ち上がる。

 

「兄さん、一緒に踊ってくれないかな」

 

 いつの間にか握っていた日輪刀を、炭治郎に投げ渡す。自らは神去雲透を構える。縁壱の日輪刀を研ぎ直した刀と、黒死牟の刀を吸収して作った血刀。

 

「ああ、俺たちは縁壱さんや父さんのような選ばれた人じゃなくても、俺たちにしかできないことがある」

 

 すれ違ったまま終わってしまった兄弟の刀が、400年の時を経て手を取り合う。

 

「ヒノカミ神楽!!」

「月の呼吸!」

「水の呼吸!」

「ヒノカミ神楽!!」

 

 

 長い旅路の中でそれぞれが覚えた月と水。昔から踊っていたヒノカミの舞。それを前に、残滓でしかない無惨の残留思念は何もできない。

 

『やめろ……私を消すな、私を置いていくなあぁあああああ!!』

 

 やがて無惨の姿は掻き消えた。

 

 

「終わったのか?」

 

「いや、一時的に消えただけだよ。死ぬか人間に戻らない限り、彼の血は残り続ける」

 

「そうか……ならそろそろ起きるか」

 

 そう言って手を差し伸べる炭治郎に、灰里は微笑を浮かべる。

 

「今、無惨さんのおかげで思い出したことがある」

 

「……灰里?」

 

 炭治郎は、嫌な予感がした。

 

 

「兄さん、幸せの青い鳥って知ってる? 海外の童話なんだけどさ」

 

 灰里と炭治郎の間に、大量の彼岸花が新たに咲き誇る。まるで、二人を裂くように。

 

「ある兄妹が幸せの青い鳥を探して冒険するんだ。でもそんなものはどこにもなくて……」

 

 灰里は足元に生えている青い彼岸花を摘む。しかしそれはすぐに灰化してしまった。

 

「結局幸せはいつも身近な所にあるっていう話さ。ありがちといえばありがちな話だよね」

 

 炭治郎は駆け寄ろうとするが、分け入っても分け入っても彼岸花が絶えない。向こう側へ行けない。

 

 

 

「結構好きな話だったのに……どうして、忘れてたんだろう」

 

「灰里!!」

 

「兄さんはやっぱり戻らないといけない」

 

 彼岸花の向こうで、鳥のさえずりがした。青い鳥が、バタバタと羽ばたいている。

 

「青い彼岸花を探して。無惨さんがずっと探していた薬の材料だ。それがあれば人間に戻れるはずだよ」

 

 炭治郎に背中を向ける灰里。

 

「お前を置いていけない!! 灰里!! 俺が戻れるなら、お前も……! お前も人間として罪を償え!!」

 

「本当にあるかどうかも分からないものを探して、人間に戻るのを待つには……僕は殺しすぎた」

 

「待て、知ってる! 確か一回見たことがあるぞ、青い彼岸花! 母さんが教えてくれた!」

 

 一度だけ見たことがある。家の近くにあったお墓から、数年に一度だけ咲く青い彼岸花。

 母が教えてくれたこと。灰里は「青い花なんて生えるわけないよ」と言って取り合わなかった花。兄弟の中で炭治郎だけが見たことのある花。

 

 

「同じことだよ。本当に青い彼岸花を見つけても、珠世さんが死んだ今、そう簡単に薬は作れない」

 

 灰里は預かり知らぬ所だが、珠世と同じように薬に精通しているしのぶも戦死した今、新たに人間化薬を作ることはできない。ましてや新しい薬……青い彼岸花の薬は、愈史郎やアオイでは手に余ると言わざるを得ない。

 

 花畑の中へ消えていこうとする灰里に、炭治郎は叫ぶ。

 

「そうやって理屈を捏ねて逃げるな! 死んで楽になりたいなんて思うな!!」

 

 炭治郎の叫びに、灰里の動きが止まる。

 

「そうだね……僕は楽になりたいのかもしれない。贖罪した気になって、死に逃げしたいのかもしれない」

 

 動きが止まっているうちに、無理矢理に行く手を阻む彼岸花を飛び越えて、灰里の手を掴む。

 

「逃げるのは飽きたんじゃなかったのか!?」

 

 

 そう言われて振り返る灰里の顔は……泣いていた。

 

「知ってたはずだろ? 僕が……弱虫だって」

 

 掴んだ手を離すまいとしているのに、花が、茎が、二人を引き離す。

 

「怖いんだよ。憎しまれながら謝り続ける強さは……僕にはない」

 

 昔。灰里が何か不注意で街の人に迷惑を掛けたことがあった。その時に一緒に謝ってあげたことがある。今になって、なぜかそんなことを思い出す。

 

「最後までダメな弟で……ごめんね」

 

「許さない……こんな夢の中じゃなくて、直接謝るまで絶対に許さない!!」

 

 

 炭治郎の体が花に包まれ、水面に……現し世への狭間へと上っていく。

 

「兄さんならきっとすぐ青い彼岸花で人間に戻れるよ」

 

 灰里は灰になっていく。花畑に包まれる炭治郎と灰化する灰里。夢の中からの消え方にも、端的に二人の違いが表されている気がした。

 

「俺は待ってる!! お前が太陽に罪を許されて、もう死ぬしかないってなった時!」

 

 光が見える。仲間たちの待つ場所からの光。けれどその光溢れる場所へ行く前に、どうしても伝えておかなければならないことがある。

 

「廃灰じゃなくて、灰里として帰ってきて……俺に謝るまで!! 25を越えても、待ち続けてやる!!」

 

「無理だよ、兄さん」

 

「無理じゃない!! 忘れるな、灰里……たとえ離れていても……心は、絆は、繋がってるんだ!」

 

「……さよなら」

 

「またなって言えよ! 灰里ぃいいいい!!!」

 

 

 夢が覚めていく。でも、夢で終わらせない。

 

 炭治郎が目を覚ました時、既に灰里の姿はなかった。

 灰になってどこかに消えていった灰里を見て、死んだのか逃げたのか判断しかねている鬼殺隊の面々を前に、鬼の長い爪を手のひらに食い込ませた炭治郎は……一人、静かに泣いた。

 




次回、最終回です。


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最終話~空が灰色だから、手をつなごう~

最終回です。


 これはそれからの話。

 

 多大な犠牲を払いながらも無惨を討伐し、本来なら喜びを噛み締めているはずだったであろう鬼殺隊士たちは、どこか重苦しい空気を醸し出していた。

 

 怨敵無惨は倒したが、炭治郎がまだ鬼のままだ。灰里も灰になって消えたが、どうにも滅したのか逃げられたのか判断に困る消え方だった。禰豆子は灰里は生きている気がすると言っており、輝利哉の産屋敷家特有の勘も同意見だった。

 

 これは完全勝利ではない。故に「まだ終わりではない」という不完全燃焼感の中、怪我人の治療に当たっている蝶屋敷はどこか重い空気に包まれていた。

 

「って、伊之助さん、また盗み食いして! それは皆さんにお出しする料理ですよ!?」

 

「し、してねぇよ、盗み食いなんて!」

 

「口いっぱい詰め込んでなに言うのよ」

 

「別にいいだろ! どいつもこいつも辛気臭い面して飯あんまり食ってねぇし、それなら俺が食う!!」

 

 だがそんな空気を読まないのが嘴平伊之助という男だ。

 

(しっかし、なんでコイツすぐ俺に気づくんだ? もしかして強ぇのか?)

 

 口に詰め込んだ料理をモグモグと無理矢理飲み込む伊之助に、アオイは呆れたようにお盆を差し出した。

 

「ほら、お腹空いたならこっち食べて。このお盆に載ってるものはあなた専用ね。これだけはいつでも食べていいから」

 

「お、おう……ありがとよ」

 

「だから盗み食いは止めてね」

 

 そう言って再び料理を続けるアオイに……伊之助は今までで一番、ホワホワした。

 

 

 

 それから数日後。

 

 山奥にある竈門家では、竈門禰豆子、我妻善逸、嘴平伊之助、栗花落カナヲ……そして竈門炭治郎が集まっていた。

 いつもの顔ぶれに見えて、しかしそれは少し違う。

 

「禰豆子ちゃあああああああん!!!! ほんとにほんとに行っちゃうのぉおおおお!??」

 

「うん、今度は私が旅に出て、お兄ちゃんを治す」

 

 

 禰豆子は今まで兄が背負っていた籠を背負い、炭治郎は今まで妹が着けていた猿轡を嵌めていた。

 いつもの顔ぶれに見えて、正反対の兄妹。でも正反対に見えて、互いを思いあう心は何一つ変わっていない。

 

「本当はお兄ちゃんには多分、籠も口枷もいらないけど」

 

「ゲン担ぎってやつだな!」

 

 太陽を克服し、人も食べる必要がない。誰も炭治郎が人を襲うとは思っていないが、やはり念には念を入れるべきだ。それに伊之助の言うように、ゲン担ぎの意味もある。

 

 

「カナヲちゃん、家のことお願いね」

 

「うん、こっちに青い彼岸花が咲いたら、鴉に頼んですぐに知らせる」

 

 これからカナヲは炭治郎の家に住んで二人の帰りを待ちながら、青い彼岸花が咲いていないか確認する。

 右目は黒死牟に斬られ、左目は終ノ型の使用で視力が落ちたが、どちらも見えないわけではない。戦闘や旅は無理だが、普通に生活するくらいなら支障はない。

 それにアオイたちも頻繁に様子を見に来てくれるとのことだ。

 

(しのぶ姉さん、カナエ姉さん……お嫁に行きます、っていうのは、気が早すぎるかな?)

 

 カナヲは髪飾りにそっと触れる。元々着けていたカナエの形見の髪飾りは黒死牟との戦いで投擲した時に壊れてしまった。今着けているこれはしのぶの形見だ。

 しのぶ、実弥、無一郎の遺体は残っていた。黒死牟の力を吸収した灰里は、そのまま死体を捨て置いてカナヲを別室で縛ったのだ。

 今さら人喰いなんてしても意味がないと思ったのか、或いは心の奥底に残っていた良心がそうさせたのか、それとも単なる気まぐれか……それは分からない。

 

 とにかく遺体が残った。二人を隣の墓で眠らせることができた。それだけで今は、少しだけ救われた気がした。

 

「っ!!」

 

 その時、カナヲの手にあの時の感触が……しのぶを介錯した時の感触が蘇ってくる。

 肉を斬る感触なんて鬼で何度も味わった。なのにあの時のことだけは今でも手に残っているようだ。

 今でもたまに飛び起きることがある。

 

 そうして震えているカナヲの手を……炭治郎が握った。

 

「炭治郎?」

 

「むー」

 

 竹の猿轡を噛んだ炭治郎は言葉を紡げない。けれどそんなもの必要ない。この手の温もりだけで、炭治郎の思いが、優しさが伝わってくる。

 

「……ありがとう」

 

 あの時のことはきっと一生忘れられない。でも忘れるつもりもない。

 だって辛いことも含めて全部、みんなとの思い出だから。

 

 

 

「きぇええええええええい!!!! 見せつけんじゃねぇえええええ!!!!」

 

 手を握りあう二人を見て、善逸が暴走して奇声をあげた。

 

「うっうっ……禰豆子ちゃん、やっぱり俺も着いて行っちゃダメかなぁ!?」

 

 大声を出したと思ったら急にめそめそしだした善逸が未練がましく言う。善逸は特に行く宛もないし、付いてきてもらっても別に問題はない。けれど……

 

「ありがとう、でもこの旅は、私たちだけで行きたいんだ。そうしなくちゃいけない気がするの」

 

 この旅は鬼との戦いとは違う。もちろんある程度の危険やトラブルはあるだろうが、禰豆子と炭治郎の二人なら何の問題もないだろう。

 

 それに最初のように、家族だけの旅。その果てにこそ、探し求めているものが見つかる気がする。

 

 

 禰豆子はそっと懐から、灰を取り出す。これは灰里が消えた時その場に残っていた灰だ。

 ほんの少しだけ握った灰を風に乘せると、いつも風向きを無視してある方向に……陽光山の方に向かっていく。

 

 灰里はきっと生きている。そして日の光で死のうとしてる。だけど、死ぬしかない罪があるとしても、その前に人間として罪を償うことはできるはずだ。

 

 幸せの青い鳥を探した兄妹は、結局それを捕まえることはできなかったけれど、「本当の幸せ」を知ることができた。

 

 だから、家族がいる幸せを知っている自分たちなら、きっと幻の青い花を見つけることができる。

 

「行こうか、お兄ちゃん!!」

 

「むー!!」

 

 新しい旅路は、こうして始まった。

 

 

 

 

「行ってくるよ、兄貴、師匠」

 

 玄弥は鬼殺隊士たちの墓……兄の墓の前にいた。玄弥は上弦との戦いで、無惨との決戦で、灰里の強襲で、戦いが終わった後に鬼化の影響で、本当ならいつ死んでもおかしくなかった。けれど兄に、師匠に、友に守られて生き残った。

 

「お館様の図らいで、警察の練習所に入れることになったんだ」

 

 守ってくれた人たちのように、自分もこれからは人の為に生きる。幸い産屋敷家のコネがあれば道は選び放題だった。軍人か警察か迷ったが……人を守る警察官の道を選んだ。

 

「分かってる。だからって自罰的になるなって言うんだろ。もう師匠の説法は耳にタコができるくらい聞いたよ」

 

 玄弥は悲鳴嶼の墓石を撫でる。

 

「警官やりながらどっかで所帯もって……家族増やして爺になるまで生きて……お袋にしてやれなかった分も、弟や妹にしてやれなかった分も……兄貴に返せなかった分まで、俺の家族を守る」

 

 そう言いながら玄弥は、実弥の……兄の墓石に向き直る。

 

「兄貴は、最初っから俺にそうして欲しかったんだろ?」

 

 兄の気持ちに気づくのが遅すぎた。兄の優しさなんて、自分が一番知ってたはずなのに。

 

「俺の、お兄ちゃんは……世界で一番、優しい人、だか、ら……!」

 

 そこで感極まったように崩れ落ちる玄弥。

 

「う、うぅ、ゔわぁあああああああああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ……少し休憩しようかな」

 

 鬼殺隊士たちの治療が終わり、全員が蝶屋敷を去った後。

 アオイはしのぶの残した資料を元に、鬼の人間化及び青い彼岸花について研究を続けていた。

 だがそれは無惨が1000年かけても分からなかった分野。しのぶや珠世のような才媛がいない中での研究は、あまり順調とは言えなかった。

 けれど止めるわけにはいかない。これはいつか禰豆子が青い彼岸花を見つけて帰ってきた時の為に、やらなくてはならないことなのだ。

 

「よぉアオイ!」

 

「伊之助さん?」

 

 勢いよく扉を開けて伊之助が入ってくる。入口には立入禁止の立て札をしていたはずだが、彼には効果がなかったようだ。休憩中だったからよかったものの、これが実験中だったら危険なことこの上ない。

 

「ほら、これやるよ!」

 

 注意しようとしたアオイの前に、伊之助はどんぐりや花で溢れそうな両手を差し出した。

 

「あのー、伊之助さん? これは?」

 

「珍しい花だろ! お前のやってるけんきゅーに役立つかと思ってな!」

 

「はぁ……いりません。しかも四葉のシロツメクサって……珍しい花ならせめて彼岸花にしてくださいよ」

 

 青い彼岸花以外にも珍しい彼岸花なら何か人間化への手がかりになるかもしれない。そう思って頭の中でまた研究についての計算を始めたアオイは、伊之助が急に屈んだことに気づかなかった。

 

「おら!」

 

「わわっ!? 伊之助さん、なにを!?」

 

 伊之助はいきなりアオイの足を掴むと、有無を言わさず肩車した。慌てて肩を掴んでバランスを取るアオイ。

 

「ガハハハ! 一回捕まえちまえばこっちのもんだぜ! 猪突猛進!! 猪突猛進ーー!」

 

「え、ちょ、このまま表に出るつもりですか!?」

 

 そのまま外に出てどこかへ走る伊之助。通りがかる人の奇異の視線が恥ずかしい。

 

「伊之助さんってば! ああもう! 研究の途中だったのに! 一体なんなんですか、嫌がらせですか!? そんなに私のこと嫌いですか!?」

 

「俺はアオイは好きだが辛気臭い奴は嫌いだ!」

 

「えっ」

 

 あおいはすきだがしんきくさいやつはきらいだ。

 伊之助の言葉を一泊置いて咀嚼しているうちに、いつの間にか近くの花畑まで来ていた。

 

「いい加減降ろし……きゃっ!?」

 

 暴れた拍子に二人揃って転んでしまったが、下は柔らかい花畑だったので幸い大事なかった。そもそも二人とも少し転んだ程度で怪我するような鍛え方はしていないが。

 

 

「しのぶでも無理だったんだ、お前にできなくても誰も何とも思わねぇよ」

 

 二人揃って花畑で寝そべる形になった後、伊之助がボソリと呟いた。

 戦えなかった自分が、生き残った者ができるせめてものことだと思って、アオイは怪我人が去ってから研究室に籠もりきりだった。

 ということはつまり、伊之助は……

 

「伊之助さん、ひょっとして私のこと、心配してくれたんですか?」

 

「ま、まぁな! あれだ、てきざいてきしょってやつだ! アオイはややこしいことよりも美味い飯作ってる方が似合ってるぜ!」

 

 どういう風の吹き回しか知らないが、伊之助は自分のことを心配してくれたらしい。しかし考えてみれば、彼は鬼殺隊に入ってからどんどん人間らしくなっていた。

 仲間への思いやりが、心が強くなっていた。

 

「ありがとうございます、伊之助さん」

 

 伊之助、善逸、炭治郎と関わる機会の多かったアオイは、最初から精神的に成熟していた炭治郎やいまいち成長してるようで成長してる気がしない善逸と違い、伊之助がどんどん大人になっていくのをそばで見てきた。

 

 そんな彼の思いやりに触れ、アオイははにかんだように笑う。

 

 

「お、おう……だーー!! 俺様をホワホワさせんじゃねぇ!! 走るぞアオイ!! 俺もお前もこういときゃ走りゃスッキリするもんだ!」

 

 そう言うと伊之助は、再びアオイを肩車する。

 

 

「ちょ、ちょっと伊之助さん! もう!」

 

(ホワホワって藤の花のお婆さんとかによく言ってるやつよね……さっきの好きって、ひょっとしてお母さんみたいとかそういう意味!?)

 

「おらおら、猪突猛進ー! しっかり捕まってろよアオイ!! 落っこったら……針千本飲ますからなー!」

 

「それは約束を破った時の……きゃ! 危ないってば伊之助さん! あははは!!」

 

 

「ガハハハ!!!」

 

 

 その日。二人の明るい笑い声が、花畑中を駆け巡っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 産屋敷邸には、当主である産屋敷輝利哉と、柱の生き残りである冨岡義勇、伊黒小芭内がいた。

 

 

「正式に鬼殺隊を解散しようと思う」

 

「お館様……」

 

「まだ鬼は絶滅したわけではない。分かっているよ。だがもう、組織として維持できるほどの人材もいないし、きっとこれからは増えることもない」

 

 炭治郎は人を襲わないだろう。灰里は死んだわけではないというのが禰豆子や輝利哉の勘だが、同時にもう彼は人を襲わないというのも両者の勘であった。それに隊士たちは次々に自分の新しい道を歩みだしている。もう、頃合いだろう。

 

「もちろん、炭治郎と禰豆子の旅への支援、アオイの研究の援助は続ける」

 

 それ以外にも支援を望む元隊士がいれば、助力を惜しまない。玄弥のように次に歩む道を決めた者がいれば、招待状や推薦状をいくらでも書く。

 

 そう続けた輝利哉は、妹と共に二人に頭を下げる。

 

「長きに渡り世のため人のために戦って頂き、産屋敷家一族一同、心より感謝申し上げます」

 

「顔を上げてくださいませ! 礼など必要ございません!」

 

「鬼殺隊が鬼殺隊であれたのは、産屋敷家の尽力が第一」

 

「輝利哉様が立派に努めを果たされたこと、御父上含め産屋敷家の御先祖の皆様も、誇りに思っていることでしょう」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 そう言って年相応に泣き出す輝利哉。それを見て、柔らかな表情で顔を見合わせる伊黒と義勇。

 

 

「冨岡、お前はこれからどうするんだ?」

 

「そうだな……碁を打ちながら盆栽でもしてみるか」

 

 老後の余生の過ごし方として何となく想像できるものを言ってみた義勇。

 伊黒はその姿を脳内で描き、似合っているな、と思った。

 

「ふ、お前らしい発想だな」

 

「……? どういう意味だ?」

 

「お前はそのままでいい、って意味だ」

 

「よく分からないが……」

 

 首を捻る義勇の天然っぷりに苦笑いする伊黒。

 

「義を見てせざるは勇なきなり」

 

「急にどうした?」

 

「いや、いい名前だと思っただけだ。お前は両親から愛されて生まれてきたんだな」

 

「……ちゃんと喋ったのは初めてだが、伊黒は以外と面白い奴だな」

 

 

 こうして、最後の柱合会議は和やかに終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 伊黒小芭内は、とある山の麓に辿り着いた。彼は鬼殺隊解散の柱合会議の後、部屋に残って「ある頼み」を輝利哉にしたのである。

 

『それで小芭内、望みとはなんだい?』

 

『私に、陽光山の監視を命じて頂きたいのです』

 

 その頼みを聞いた時、輝利哉の表情は曇った。

 

『鬼殺隊はもうなくなるんだよ、小芭内。それに陽光山に廃灰がいるというのはただの勘でしかない』

 

『存じております』

 

『そんな勘の為に君のこれからの人生を縛ることは、私にはできない』

 

『私は鬼に寄生した里で生まれました。鬼が滅び、鬼殺隊が解散しても……私と鬼の縁は切れません』

 

 

 悲しげに首を横に振る輝利哉にしかし、伊黒はなおも畳み掛けた。

 

『自分が生まれてきたことを赦し、幸福と思いたい。そのためには……最期まで鬼と向き合わなければいけない』

 

『そうか……それが君の願いなんだね』

 

 ゆっくりと目を瞑り考えた後、輝利哉は微笑んだ。

 

『分かった。それに元々監視を頼む予定だった萬屋ではいざという時に対応できないだろう……陽光山の監視を、君に任せる、小芭内』

 

『ははっ!! お館様、このような余命幾ばくもない男に大任を任せていただき、ありがとうございます』

 

 

 

 

 

 

「最早残された余生を無為に過ごすしかないと思っていたが……こんな俺にもできることがあった」

 

 用意してもらったのは簡単な小屋。住まいはこれで十分だ。あの頃の牢屋暮らしに比べれば天国だ。

 

「安心しろ甘露寺、君の家族は平和に過ごせる……何も心配しなくていい」

 

 共に上弦の弐と戦った伊之助のように山の幸を取って生活することくらい、伊黒には簡単だ。だから用意してもらう物は最低限でよかった。

 

「遠い未来……君の弟の子孫と……俺の従姉の子孫が交わる日が……いつか来るかもしれない」

 

 自分たちには訪れなかった未来。でもいつか起こるかもしれない未来。

 

 

「そんな未来が訪れるまで……君も、この世界も、俺が守る!!」

 

 

 

 大正末期から昭和初期、まだ国が村々の全てを把握しきれていない頃に、その村はできた。

 

 富士山よりは低いが日本一日当たりのいい山と言われる陽光山の麓。私有地であるが故に観光地としては栄えなかった山の麓にその村はあった。

 

 行き場のない者が集まってできた集落。人が集まるにつれ仮住まいの小屋を後から後から改修増築し、いつの間にかみんながそこに定住した。

 

 その村には、ある言い伝えがあった。

 

 山から悪しき者が降りてくる。その時は全力で山に追い返せ。ただし蛇の神が赦した者は通していい……そういった信仰とも噂とも付かない話が伝わっている。

 

 

 


 

 

 

「……思ったより、早かったな」

 

 とある山奥に少年がいた。その少年の体は、ボロボロと崩れていっている。異常にしか見えない状況にしかし、少年は満足気だ。

 

「まだ生きてるかも分からないしこの体が保つかも分からないけど……行こう」

 

 崩れかけの体に鞭打って山を歩く少年の前に……大蛇が立ち塞がった。

 

 

 客観的に見れば少年の方が危険に見える状況。だが少年は真っ直ぐな瞳でじっと大蛇を見つめていた。大蛇もまた、正面から少年を見据える。

 

 やがて大蛇は満足したように頷くと、シュルシュルと山の奥へ消えていった。

 

 お前のことは見定めた、と言わんばかりに。罪を償う為に前へ進むのだと、厳しく背中を押すように。

 

 

 そして少年はゆっくりと山を降りていく。近くの村から「山から人が!?」「蛇神様……蛇神様だ……なんとお懐かしい」「言い伝えは本当だったのか……!」とざわめく人々が出てくるのを尻目に、迷いのない足取りで進む。

 

 

 そうして歩いていった先で、子供の泣き声が聞こえてきた。

 少年は泣き声の聞こえてきた方に目を向ける。そこで泣いている幼い子供の顔立ち見て、一瞬驚いたような表情を浮かべた少年は……子供に歩み寄った。

 

「泣いてるの?」

 

 少年は屈んで子供と目線を合わせると、優しく問いかける。

 

「お父さんとお母さんは?」

 

「……おうちにいる」

 

「そっか……まだ、元気なんだ」

 

 そう呟いた少年に、子供は首を横に振った。

 

「元気じゃない。お父さんがね、死んじゃうの。みんなはお別れを言いなさいって言うんだけど、お父さんが死んじゃうなんて信じられなくて」

 

「それで、ここまで走ってきたんだ」

 

 少年は子供の頭を優しく撫でる。初めて会ったひとなのに、子供はなぜか嫌な気分がしなかった。

 

「君はお別れを言わなくちゃいけない。そうしないと、ずっと後悔するよ」

 

「うん、分かってる……でも、お父さんが死んじゃうのをみんなが受け入れてて……僕だけ仲間外れにされたみたいで……不安なんだ」

 

 どうして嫌な気分がしないのか分かった。その少年はどこか、子供の父に似ている気がした。だから子供は、初対面の少年に対して、素直な心情を吐露できた。

 

「不安、か……そうだよね、僕も未来が不安だった。父さんがいなくなる時に逃げてしまった」

 

「お兄ちゃんも?」

 

「うん、逃げて逃げて……後悔ばかりの人生だった」

 

 そう言って再び子供の頭を撫でようとする少年。けれど少年は自分の右手を見て、そっと手を引っ込める。その手からサラサラと灰が流れていることに、ついぞ子供は気づかなかった。

 

 少年は代わりに、まだ灰になっていない左手を差し出した。

 

「……手を繋ごう」

 

「え?」

 

「誰かと手を繫いで、一緒にいれば……不安は消えないけど、立ち向かう勇気が湧いてくる」

 

 そう言われた子供は、オズオズと少年の手を握った。

 

「お兄ちゃんの手……冷たいね」

 

「君のお父さんの手は温かいだろう?」

 

「うん。お父さんは……太陽みたいに、あったかい」

 

「なら、お父さんの手を握りに行こう」

 

「……うん」

 

 子供が頷いたのを見てから、少年は子供の手を引っ張って歩きだす。

 

「僕のおうち知ってるの?」

 

「君のお父さんのこともよく知ってるよ。最後に会ったのはずいぶん前だけどね」

 

 そう言いながら少年は空を見上げる。太陽のような人が天に召される日には相応しくない、生憎の雨模様だった。今にも雨が降り出しそうなほど、灰色の空をしている。

 

「一雨降りそうだね。助かるよ」

 

「助かる?」

 

「日焼けしちゃうからね」

 

 おどけて言う少年に、子供は首を傾げる。

 

「お兄ちゃんは雨が好きなんだ。でも、僕は……雨が振りそうな時は、何だか不安になるんだ」

 

「太陽が隠れるから不安なんだよ。太陽が嫌いな人なんていないさ。たまに眩しすぎて目を背ける時もあるけど……それは嫌いだからじゃない」

 

「それじゃあ……空が灰色だから、手をつなごう?」

 

「もう繋いでるよ?」

 

「こっちの手も!」

 

 そう言って少年のもう片方の手を握る子供。少しサラサラした感触が、気持ちよかった。

 

「こうすれば勇気2倍だよ!」

 

 先ほどまでの影のある態度はどこへやら、朗らかに笑う子供。それを見て少年は、なぜか泣きそうな顔になる。

 

「そうだね……足りないなら、もっと欲しいって自分を曝け出して……もっと求めればよかったね」

 

「お兄ちゃん?」

 

「雨が振りそうで、未来が不安で、どうしようもない時は……こんな風に、手を繋げばよかったんだ」

 

 そうして少年と子供は辿り着いた。たくさんの思い出がある、自らの生家に。

 

 

 

 

 

 

「……やぁ」

 

「遅いよ、ばか……」

 

 

 

 

 ────僕は、運命とか宿命とか受け継がれる意志とか、そういう言葉が好きだ。

 

 

 

 

「おかえり」

 

 

 

 

 

 ────どんな時も一人じゃないって、信じられるから。

 

 

 

 

「ただいま」

 

 

 

 

 




途中で長い間更新が空くこともありましたが、何とか完結できました。
ありがとうございました。


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