ダンジョンでできちゃった婚をするのは間違っているだろうか (たわーおぶてらー)
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できちゃった①
謎の閃が産んだ迷作
アルス・ラドクリフという男は英雄だ。
迷宮都市最大派閥の一角たる【ロキ・ファミリア】の誇る精鋭にして、対格たる【フレイヤ・ファミリア】の筆頭たる【
二つ名は公式非公式を問わなければ十を超え、神々はその在り方を面白がりながら恐怖する。
偽りなき
その身は決して砕けることがなく、その心は決して折れることがない。
大地を砕く剛腕、不動なる豪脚、不壊なる剛体。眼には消えぬ光、心には不滅の炎。
ただ一人の為にと死線を駆け抜ける姿は多くの冒険者を奮い立たせ、同時に神々をも湧き上がらせ畏怖させた。
その道程を阻む者であれば、たとえ神であれども弑逆する。
本来禁忌であることすら成しながら、しかしその在り方に微塵の曇りもない理想的な英雄の姿。
故に、神々より与えられた二つ名を【
恐ろしき道化の神に従う綺羅星の如き男。
曇りなき英雄として語られていた彼が初めて心の底から折れかけ、不安と絶望に苛まれることとなる事件を彼のファミリアではこう呼んだ。
──剣姫デキ婚事件、と。
※
できちゃった婚。略称をデキ婚。
これは二人の同意のもと結婚前に子どもを授かる『授かり婚』とは違い、二人が予期せずに子どもを妊娠してしまった状態から結婚に踏み切ることを指している。
授かり婚ならば計画性も感じるし前向きではあるが、できちゃった婚となると後ろ向きなイメージを拭うことは難しい。
どれだけ言い繕っても、避妊する努力を怠った結果、予想外の形で命を宿すこととなったと言われる可能性が残る。
そして大抵の場合、責められるのは男であり病んでしまうのは女である。これには諸説あるが、迷宮都市オラリオにおけるギルド調査によればこの傾向にあるらしく、中には妊娠した女性を責め立てる心無い者もいるらしい。
そういった輩が湧いてこないように対処せねばならぬ、と頭を悩ませるのはオラリオにおける最大派閥の一角で副団長を務める女だった。
名をリヴェリア・リヨス・アールヴ。紛うことなきエルフの王族にして、できちゃった婚をやらかした団員の尻拭いをやらねばならぬと義務感に追われる哀れな女である。
「その、なんだ、申し訳ない……」
「謝らないでくれ。お前たち自体はそう悪くないだろう……」
沈痛な面持ちで女王に頭を下げるのは人間であり、【ロキ・ファミリア】に所属する第一級冒険者。
名をアルス。現在、ファミリアどころか迷宮都市全体で数えても二人しかいないLv.7への到達者にして、今回のできちゃった婚騒動の張本人である。
心に炎を灯し、多くの偉業を成し遂げ、その背を以て大勢の家族を導いてきた青年は今、ともすれば自死しかねないほどに思い詰めていた。
「…………俺が悪いんだ。祝いの席だからと酒に吞まれ、後輩のカップルに影響されて恋人が欲しいとか叫んであの娘を刺激した俺が悪いんだよリヴェリア……」
事の発端は、凡そ二ヶ月前に遡ったある日のこと。
酔い潰れたアルスを部屋まで送った少女が送り狼と化し、避妊という概念を投げ捨てて一発カマしたところから始まった。
初めてだったこともあり、翌日には少女の母親役を務めるような者であるリヴェリアにバレ、しかしお前たちが交際するならそれはそれで認めようと話はそこで収まったはずだったのだ。
問題は、主神や他のメンバーに隠れてこそこそ付き合いながら過ごしていた二ヶ月間で避妊に失敗したとかしなかったとかいうわけではなく、最初の一発が
さもありなん、二次性徴を終えた少女の肉体は子を宿すことを可能としていた。
タイミング、時の運と呼ばれるものさえ味方すれば子宝を授かることはなんら不思議なことではなかった。
それに気がつくことなく凡そ二ヶ月を過ごし、朝食を食べて腹ごなしをしていた時に唐突に起きた少女の体調不良。
慌てて対応したアルスとリヴェリアだったが、リヴェリアが救護院に連れて行って発覚した妊娠という事実は、彼らの立場を考えるとあまりにも重すぎた。
二人の間には確かな愛情があり、幼かった頃から彼らを見守ってきたリヴェリアも懐妊自体は慶事だと捉えているが、それを素直に良しとしない輩が多数いるのもまた事実。
子どもを堕せなどという愚物が近くにいないのはほぼ確かなのでまだいいが、心無い言葉で傷つく可能性だけは拭えなかった。
特に妊娠した少女のことを思えば彼らの主神は一時的であれアルスを非難する可能性は極めて高く、同調した馬鹿どもとアルスとの間で争いが起こる可能性も高い。
そういうバカ騒ぎを娘のように愛する少女が初産で悩んでいる近くで起こされるわけにはいかず、かといって素直に公表すれば前述の通り騒ぎになりかねない。
騒ぎになれば子を宿したことで不安定になりやすい少女によくない影響が出る可能性は捨てきれず、かといって内密にするわけにもいかない。
だが、とにかく妊婦の負担になることは排除しようと潔癖な程に気を配ろうとする男女経験皆無のエルフと、いきなり子どもが出来て絶賛動揺中の二十代の男が顔を突合せて悩んでも答えが出るはずなどなかった。
「やべぇ、やべぇよ。子ども? 子どもってのはやべぇよ。もちろん結婚はするけど妻子持ち冒険者なんて危ないこと今すぐやめて居酒屋でも開いた方がいいのか……?」
「まあ待て落ち着け。あの娘がどうしたいかにもよるだろうそこは」
「腹に子ども抱えてダンジョンに潜るのはダメだ。どれだけ泣かれても止めるぞ」
「それには同意するが産んだ後だ。人生は長い。これから先をしっかりと生きていく為にはより慎重に選ばねばならん。お前に居酒屋の店主が務まるかどうかは怪しい」
「ぬぅーん……」
会話内容は極めて真っ当だったが、目の前に存在している問題からは目を逸らしていた。
個室でうんうん唸る二人だが、次の遠征までには団内に周知しなくてはならないのだと理解はしているのだ。
ダンジョンの深層へと向かう遠征は初期段階とはいえ妊婦を参加させていいものではなく、幹部候補である少女を理由もなく省くことは出来ない。
そうなれば来月に迫る遠征までに少女の不参加を確定させる必要があり、その為には団内への周知と少女自身への説得が不可欠だった。
「詰んでないか?」
「騒ぎになるのは避けれんだろうな」
「親指が疼くぜ」
「やめろ縁起でもない」
団長の特技をネタにして遊び出すアルスを窘めたところで、部屋のすぐ外で止まった足音に二人して口を噤む。
控えめな扉を叩く音に入室を促せば、恐る恐る扉を開けて部屋に入ってきたのは渦中の少女だった。
「……邪魔、だった?」
「大丈夫だよ。おいで」
部屋に入ってきた少女を手招きし、横抱きにして膝の上に座らせる。金の髪を手で梳かせば心地良さそうに目を瞑る少女の姿。
リヴェリアはそれを見て目を細め、アルスは表情を和らげた。
「なんか馬鹿らしくなってきたな」
「否定は出来ん」
「……?」
何やら二人だけで楽しそうに笑いだしたのを見て、何となく不満を感じた彼女は不満そうな目でアルスに抱き着くことで意志を表明。
苦笑いを浮かべた彼が長い髪を一房手に取って口付けた。次いで額、頬へと唇を落とす。
「ロキに言おう。あんまり騒ぐようなら拳でケリをつけてみる」
「大丈夫か?」
「どうせ隠せないんだ、ロキだけ呼んで味方に引き込めるまで説得するよ」
それがかなり難しい事というのは想像に難くない。彼らの主神ロキは彼女を溺愛している為、交際の未報告に加えて妊娠となれば大荒れは確定である。
それ故にどうしたものかと頭を悩ませていた二人だが、長年共にいる少女の幸せそうな姿を見ていれば不安も多少は和らぐというもの。
これから彼女の幸福を守らなくてはならないアルスもまた、腕の中の温もりを思えば罵詈雑言の嵐程度は乗り越える意思が固まった。
「ロキ、どうかしたの?」
「ああ、交際についても隠してたし騒ぎそうだから気後れしててな」
「……大丈夫だよ」
「ほう?」
主神に対して信を向ける少女にリヴェリアが瞠目する。
「ロキなら、大丈夫。認めてくれるよ?」
「そうか」
娘のように育ててきた少女の眼差しを受けて微笑みながら息を吐いた。
瞳には暗い炎ではなく、どこか温かな光が宿っている。それはかつて彼女たちが溶かせなかった、リヴェリアの教え子の一人である青年が心を溶かし導いたものだ。
彼女もまた、改めて覚悟を決めた。扉の外でこそこそしている主神の気配を感じ取り、アルスと目を合わせて彼女をこの部屋に連れ込むことを決める。
再度開けた扉のすぐ外には彼らの主神がいつも通りに笑いながら立っていて、その少し気張った雰囲気に最古参であるエルフが溜め息を吐いた。
「なんで溜め息吐いたんや!?」
「お前の趣味の悪さに呆れただけだ、ロキ」
膝の上で甘える姿を見ても何も言わないのはそういうことだろう。リヴェリアもアルスも思わず溜め息を吐き、交際自体は普通にバレてたなと確信する。
それを見て変なものを見たような顔をしたロキが笑い、アルスたちの向かい側に腰を下ろして口を開く。
「いやまぁ、流石に付き合いだしたなーってのは分かるで? 距離感とかちょいちょい縮まっとったしなぁ」
「デスヨネー」
「で、分からんのが今や」
無駄話を続けるつもりはないと言外に切り捨て、本題に入る。
「朝からアイズたんの体調が悪いのは分かっとった。それにリヴェリアとアルスが気を使うんも理解出来る。けどこうしてこそこそしとるんだけはよーわからんのや」
「ちゃんと話すよ」
「大事な話なんやろ?」
「ああ、とても大事な話だ」
極めて、非常に、大事な話だ。
アルスは今後のファミリアの活動、ひいてはアイズの冒険者としての今後にも関わるものだと前置きする。
その時点でロキはある程度を察しただろうが何も語ることはなく、続きがアルスの口から告げられるのを待ってくれていた。
膝に乗っていた少女を下ろし、両手を膝の上に置いてロキと正面から向き合う。
「アイズが身篭った。俺の子だ」
そして、神の心臓が停止した。
「凡そ二ヶ月と診断された。早くなったが結婚する。今後に関してはまだ話し合いの途中だが夫婦として子を育てるつもりだ」
神の頭があまりの出来事に機能停止した。
全身はもはや燃え尽きた灰のような有様だった。
そんな有様を見てもアルスは至極真面目な態度を崩さない。
「どうか認めてほしい。無理なら俺のことはいくら詰っても構わない。ただ、アイズと子どもを祝ってやってほしい」
戸惑うことも迷うことも無く、ただ真っ直ぐにぶつけられる言葉に女神が再起動して事態を飲み込んでいく。
妊娠。年齢。遠征。冒険者。引退。休止。子ども。結婚。アイズ。アルス。祝福。怒り。歓喜。
多くの感情と思考が過ぎり、その全てを終えるまでにしばらくの時間を要した。
ほんの少し前まで子どもだった彼らの未来。憎悪に身を焦がす少女と家族に飢えた迷子。
それが、目を離していたわけでもないのに大きく変わっていることに気がつくのに時間はかからなかった。
感動に瞼が熱くなり、再び湧き上がってきた思いの丈に震えながらも彼らの
「ちょっとタイムで!」
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できちゃった②
難産。何も考えずに書いて一話目を投稿するからこうなる
沢山の評価、お気に入り登録ありがとうございます
その男は少女の英雄だった。
小さかった少女の為に手を尽くし、いつも傍らに立ち続けた。
辛い時も苦しい時も、嬉しい時も楽しい時も。いつだって彼は彼女の手を握ってくれた。いつだって彼は彼女を守ってくれた。いつだって彼は彼女の背を押してくれた。
怒られる時は一緒に怒られてくれて、泣いている時は涙を拭ってくれた。
友と呼ぶにはあまりに近く、家族ではあるがそうでなく、兄と慕うには恋し過ぎた。
相棒とか、妹分とか言われる度に拗ねて困らせること数年。一度もその想いを告げることはなかったが故に、いつか訪れるはずだった決壊。
本当は素直に好きと言いたかった小さな少女がいた。
ただ、少女はどうしようもなく不器用だった。
胸の奥の身を焦がすような炎を失って、温かな太陽のような彼が欲しくなって仕方がなくて。
いつの日か、彼女の荷物を一緒に背負うと言ってくれた彼を他の誰にも渡したくないと願ってしまった。
お酒で箍が緩んだ隙を突き、確実に攻めて落とすのだと好機を伺った。
不器用でも口下手でも、それでも手に入れたいものがあるのだと彼に示した。
けれど、触れ合う肌の熱も、言葉で伝えられる熱情も、どれか一つでは彼女を満たしてはくれなかった。
彼の熱も言葉も瞳に灯る光も心も全てを彼女のモノにして、その日ようやく彼女は満たされた。
だからその時、少女は初めて自分を欲張りだと自覚した。
※
レフィーヤ・ウィリディスという少女にとって、アイズ・ヴァレンシュタインという少女は特別だった。
エルフである彼女から見てもアイズは美しく可憐であり、その類稀なる強さも相まって憧憬を抱かざるを得ない。
しかし、学区を出て迷宮都市最大派閥である【ロキ・ファミリア】に入団した彼女を待っていたのは、敬愛する少女の傍を離れない男の姿だった。
忌々しい男の名をアルス・ラドクリフ。種族はアイズと同じく純粋な
そんな字面だけでも尊敬できる男をレフィーヤが内心忌々しく思うのは、敬愛する少女にその男が張り付いていて離れないからである。
朝、朝食は必ず隣の席。その後、ダンジョンへ行く時は他に誰が同行していようと必ず一緒。ダンジョン内でも食事の際は必ず隣に座り、地上に戻ってからは共に換金しに行く。もちろん、夕食も隣の席で食べている。
これを毎日繰り返し、レフィーヤがアイズを視界に入れる時には九割を超える確率で一緒にいる。
親しいにしても一緒に居すぎていて、正直ありえないというのが感想だった。
あの男は何故、あの人の傍を離れないのか。そもそもなんであんなにベッタリで嫌がられないのか不思議でならない。
団員の多くが疑問に思うものの触れることの出来ない話題である。
とはいえ付き合ってるとか付き合ってないとか恋仲とか恋仲じゃないとか、そういう話の次元じゃないというのがレフィーヤの見解だった。
「……レフィーヤ?」
だからこそ、こうして今アイズだけが横にいるという極めて稀な事態において、レフィーヤ・ウィリディスはエルフの誇りにかけて問いたださねばならないと強く思う。
入団してから二年、金髪金眼の彼女の傍からあの男がいない絶好の機会を逃す選択肢はない。
朝からダンジョンに向かった彼を見送ったというアイズを捕まえたレフィーヤは、しかし二人きりで中庭の長椅子に腰掛けたところで硬直して動いていない。
彼女の憧れの人、多くの団員から憧れと誇らしさを抱かれるLv.5の冒険者。さて、そんな人物に可能な限り無礼なく聞こうとすればそれは中々難しいことであった。
仲はまあそれなりにいいと自負する彼女だが、二人きりになるのは初の体験だったのも大きい。
浮世離れした金髪金眼の美しい少女は整った容姿をしたエルフであるレフィーヤでも息を呑む上に、十日ほど前から急激に変化した彼女の纏う雰囲気はどこか艷っぽい。
「あ、あのっ、私ずっと聞きたいことがあって!」
「うん」
慌てなくていいよ、と僅かに微笑む姿に再び呼吸を忘れかけたのを堪えて意を決して口を開く。
「その、アルスさんとはどんな関係なのか気になるんです。もちろん変な意味じゃなくてアイズさんと付き合ってるのかとかそういうのでして!」
「うん」
「あの……本当に、どうしていつも一緒にいるのか気になるんです」
結局、気になるのはそこだった。
付き合ってるとか付き合ってないとかはレフィーヤにとってはどうでも良くないがどうでも良くて。
どうして彼らが比翼のようにあるのかというのが気になって仕方がない。
「……不思議?」
「不思議です。その、お二人の仲がいいのは分かるんですけど距離感とか、まるで二人で一つみたいな扱いが気になって……」
団長であるフィンがアルスに指示を出す時は必ずアイズが行動を共にするし、逆にアイズに対して出された指示はアルスがそうする。
単体で完結するはずの戦闘であっても二人を投入する行為に疑問を抱かないはずもなく、勇気ある団員による質問は訳ありとしか返答を貰えない。
それが噂に拍車をかけているし、レフィーヤのように疑問を抱えている者は少なくない。
だから、アイズから返ってきた答えに固まって動けなくなった。
「アルスは私だけの英雄だから」
彼を英雄と称えるのは理解出来た。レフィーヤだって、何度もあの背中に魅せられた。
仲間を背に立つ雄姿。団員を家族だと慈しみながら時には挑戦へと背を押す先達として。
オラリオ最強の一角である彼を英雄であると、彼女もまた認めている。
だが、アイズだけの英雄というのはどういうことだろう。
アイズ・ヴァレンシュタインだけの英雄。
言葉にすれば簡単だが、それがどういう意味なのかは理解が及ばない。
考えすぎてレフィーヤの頭はぐるぐるしてきた。
「……だ、大丈夫?」
「大丈夫ばないです」
小首を傾げるアイズだが、レフィーヤの心情は結局わけの分からない関係に荒れ狂っていた。
「なーんか難しいようで難しくない話してるわね」
「あ、ティオネ」
褐色アマゾネス姉妹の姉が呆れを隠さない態度で中庭に現れた。
会話をある程度耳にしていたのだろう彼女はうんうん唸るレフィーヤの頭を軽く叩きその隣に腰掛けた。
「英雄だとか言ったって伝わらないわよ」
「……えっ」
「当たり前でしょ。私だってラウルから聞いてないと意味わかんなかったわよ」
ガーン、と凹む音が聞こえそうなほどアイズはしょんぼりした。
表情はそこまで動いていないが、付き合いの長いティオネには確りと伝わった。
「ほらアイズ、もうちょっと詳しく説明してあげなさい」
ティオネがレフィーヤを叩いて再起動させながらそう言うが、どう説明すれば伝わるのかが彼女にはちっとも分からなかった。
だってアルスはアイズの英雄で、まだ内緒にしないといけない内容もある以上そう説明する他がないのだ。
どうせもう数日もしたらティオネには話されるだろうしいっそ話してしまおうかとも思うが、リヴェリアたちが真剣に悩んでいるのを考えるとそうもいかない。
アルスは何やら朝からダンジョンに潜ってしまっているし、困った時のロキとリヴェリアは友人に会いに行くと言って外出中だ。
フィンは遠征の準備で忙しく、ガレスはベートを筆頭とする戦闘中毒者を扱いている。
つまり、今のアイズには味方がいない。
そのことに気がついた彼女は自分でなんとかしなくては、と全くこれっぽちも必要ない使命感を抱いた。
この瞬間、フィンの胃が破壊されることが確定したことを知るものは誰もいない。
「えっと……アルスが一緒なのは、約束したから」
「約束ですか?」
「……うん。ずっと、一緒にいるって」
「なんですか、それ……」
何かを思い出したのか、含羞む彼女に絶句する。
過去に交した約束一つを守るために彼と彼女は共にいる。第一級冒険者として並び立ち、同じファミリアの中でも一線を画する実力に至った比翼。
片や迷宮都市最強の女剣士とまで言われ、片や『頂天』を争う文字通り最強の一角。
そんなのまるで英雄譚じゃないか、とエルフの少女は言葉を失って固まった。
「アルス・ラドクリフってのはそういうやつよ。相手が神だろうと殺して進む大馬鹿野郎ね」
「大馬鹿野郎は言い過ぎじゃないですか……?」
「あんなの大馬鹿よ、大馬鹿。この二年は大人しいけどね、レフィーヤもそのうち分かるわ」
さすがに言い過ぎなのではないかと思うレフィーヤだが、アイズも特に否定はしないので口を噤んだ。
彼女の二年に対してティオネは四年。これはきっとそれ故に生まれる理解と距離の差だった。
入団時期によるその差は埋め難い。時間の積み重ねはどうしたって差を生むけれど、今のレフィーヤにはその当たり前がどうにも歯がゆかった。
「で、結局アイズはあいつとどこまでいったの? 抱かれた?」
「……えっ」
ティオネの鋭すぎる言葉に今度はアイズが硬直した。
「だ、だだだだ抱かれたなんてそんな破廉恥なこと!」
「……ふぇっ」
レフィーヤの一言に心の中で幼いアイズが涙目になった。
「ふーん?」
「あ、アイズさん!?」
どうしてティオネには全部筒抜けなのだろうとアイズは思う。
ティオネとついでにここにはいないティオナはいつもいつも、アルスとの間にあったことを当ててくる。
「…………」
「黙っちゃって可愛いわねぇ」
にやにやと愉しそうなティオネが止まらない。
対するアイズは恥ずかしくて仕方がないのだが、その様子を見て遂に薄らと笑声が漏れ始めた。
真っ赤になって頬を膨らませるといよいよ堪えきれなくなったのか堪える素振りもなく笑声を上げた。
とはいえ、やられっぱなしは許せない。
だから、渾身の一手をティオネに叩きつけた。
「──できた、から」
「……え? なんて?」
「子ども、できたから。だから、ティオネより、私の方がすごい」
「………………はい?」
直後、空気が凍る。
あ、これやべぇ地雷踏んだ、と内心で大量の汗をかくアマゾネス。あんまりな発言に考えることをやめたエルフ。言ってから秘密の暴露をしたことに気がついて蒼くなって震える天然娘。
特にこの発言を誘発したアマゾネスの恋する乙女は高速回転する思考がとんでもない事実を導き出して背中を嫌な汗が伝った。
元々、彼女がこの場でアイズに絡んだのは最近様子がおかしい彼女を探る為だったのと、愛しの団長たちが集まって何をしているのかを聞くためだった。
ちょっと揶揄うことに興じてしまったが、そのせいでダメ元だった知りたい内容を全て知ってしまったのだと彼女は理解した。
すなわち、最近アイズの様子がおかしいのはその胎に子を宿したからであり、フィンたち首脳陣が集まっているのはそれに関してどう扱うかではないか、と。
第一級冒険者であるアイズの戦線離脱。相手はアルスで確定。三週間後には遠征。騒ぎそうな馬鹿の顔。内外で発生する騒動の予想。
その他、様々な事柄がティオネの脳裏を超高速で駆け抜けた。
全身から血の気が引く感覚を覚えた。同じように顔を蒼白にしたアイズの方へと勢いよく振り向いて肩を掴む。
「ほ、他のところで言っちゃダメよ!? 私は聞かなかったことにするから!!」
「……う、うん」
「こども。アイズさんの、こども……?」
「レフィーヤ! 正気に戻って口を閉じてレフィーヤ!!」
(やべぇ、やばすぎる。やらかした。付き合いだしたとか一発ヤッたとかそんな話じゃねぇ! ふざけんな、ちょっと前の私!)
誰かに聞かれたら団長たちの努力が水の泡だ。馬鹿みたいな騒動になりかねないし、纏まった場での発表ではなくうっかり聞いたような形で広まるのだけは不味い。
間違いなく混乱になるが、幸いなことに付近から人の気配は感じられない。
誰も聞き耳を立てていなかったことを無理矢理信じて、正気を失ったレフィーヤの頬を叩いて気を取り戻される。
「はっ! アイズさん!?」
「レフィーヤ、1回黙って私の話を聞きなさい」
据わった目で肩を掴むティオネの剣幕に憐れなエルフはこくこくと無言で頷いた。
掴まれた肩からみしみしと聞こえてはいけない音が聞こえてくる。地味だが無視できない痛みだった。
「今、アイズから聞いたことは忘れなさい。口に出さず紙に記さず考えずなかったことにするのよ」
「で、でも」
「いい? これは団長の、ひいてはリヴェリアの意思よ。逆らっていいと思う?」
あくまで推測に過ぎないが、リヴェリアがこれを知らないはずがない。アイズに何かあった時の相談は必ずリヴェリアにいくはずだし、間違っていたとしてもこのまま通すしかない。
強い視線に憐れなエルフはこれもまた首を横に振って思惑通りにならざるを得ず、その場はあまりにも痛々しい空気に包まれて沈黙した。
※
ところ変わって、ここはダンジョン第九階層のとある
周辺のモンスターは軒並み斬られるか殴られるかして殺し尽くされ、夥しい数の魔石の収拾を終えた二人の男が微妙な空気で立ち尽くしていた。
「……なにこれ?」
「フレイヤ様より、祝いの品だそうだ」
現オラリオにおいて最強を競う二人。【
アルスは正直手元にある籠を捨てたかったが、祝いの品だと言われるとなんとも言えない気持ちになってしまって捨てられない。
オッタルはなんの祝いなのか分からない上、受け取ってから複雑そうな顔をする男になんとも言えない気持ちになっている。
「色々言いたいことがあるんだが」
「奇遇だな、俺もだ」
変なとこで気が合うね、とアルスが諦めたように息を吐く。
オッタルは顔を顰めたが何処吹く風。祝いの品は有難く、と軽く掲げながら彼に告げた。
「じゃあこれで──」
「その前に一つ問う」
「なんだよ」
内容をある程度予想しているのか、気だるげに返答する彼の瞳にあるのはそれと相反する熱意の炎だ。
場合によってここで一戦構えるぞ、と視線で通じ合う二人だったが対するオッタルの態度は変わらない。
「目出度いこととはなんだ?」
「……は?」
「新たな領域に至ったわけではなく、稀有な武具を手に入れた様子でもない。ならばこそ、俺にはお前の身に起きた慶事というものが分からん」
「あー、なるほど。そういうことか」
つまりこのオッタル、女神からとりあえず祝いの品をアルスに届けろとしか聞いていないらしい。
それだけで態々ダンジョンまで追いかけてきて渡すのが頭おかしいよなぁ、と考えるアルスだが誰かがそれを聞いたらお前ら大差ないだろと言われるのは間違いがなかった。
だが、ここにいるのは二人だけ。誰か来たとしても二人の姿を見れば巻き込まれまいと足早に立ち去るだろう。
「んー……」
「何を渋る? 慶事であるならば俺もまた祝福しようと思うのだが」
「いや、ちょっとあれな話でなぁ」
アルスにとってタチの悪いことに、オッタルには悪意がない。
かつてより超えるべき壁だった男は今や競い合う好敵手であり、宿敵ではあるがその仲は決して険悪なものではないのだ。
だからこそ言ってもいい気がするのだが、しかし他言する恐れがないとはいえ他派閥の人間にいうのもどうなんだと悩む。
いつか知られることではある。隠し通せるようなことではないし、本来ならば隠すようなことでもない。
とはいえ団員にもまだ言ってないのに告げるのはなぁ、とうんうん唸るが答えは中々出ず、珍妙な沈黙と湧いてきたモンスターが瞬く間に殺害される状況が暫し続いた。
長い沈黙の末に、オッタルの心做しかしょげた丸い耳にアルスは絆された。
「驚いて変な声出すなよ? 他のやつに言うのも禁止な?」
「ああ」
他言する気は無いだろうが念を押した。
丸い耳が元気を取り戻すのをアルスの海色の瞳は確り捉えた。
「子どもが出来たんだ」
「……ほう」
相手は、と聞くようなことはしなかった。
アルス・ラドクリフが子どもが出来たことを幸せそうに語る人物など唯一人しかいるはずがなく、この男がこの手のことで不義理を働く輩でもないと彼は理解していた。
であれば、彼は彼の愛を手にしたのだろうと納得する。
かつて己に挑んだ少年は青年となり、確かに己の願いを形にしたのだろう。
そう考えた時、オッタルの口は自然と言葉を紡いでいた。
「いずれ、改めて祝いを贈ろう」
「悪いな」
「気にするな」
そう言って、今度こそ立ち去るアルスを彼は追わなかった。
立ち去る男に背を向けて、下へと向かって歩みを進める。
その対比が彼にはなんとも面白く、思わず頬を釣りあげながらダンジョンの奥へと姿を消した。
頂点の席は一つだけだ。
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できちゃった③
お気に入りと評価がえぐい事になっててビビってます。ありがとうございます
例の件がティオネとレフィーヤに知られてから二日。事態は最悪の手前まで進行した。
ティオネの祈りも虚しくアイズの爆弾発言は聞き耳を立てられ、噂としてファミリア内外を駆け巡っていることが確認されている。
とはいえそれを直接確かめようとするものもおらず、そもそも団内でも一等特別な彼女に話しかける猛者もいなかった。
なお、どこぞの狼男はおろおろしながら話しかけようとした瞬間、闇討ちにあったとかあってないとか。
とはいえ、放置という訳にもいかないというのが首脳陣の結論だった。
胃痛に悩むフィンが出した結論は団員を集めて誤解のないようにアイズを遠征から外す旨を告知し、同時にその懐妊を理由として説明するというものだった。
それを決めたのが件の問題が起きた二日前の夜。
それからロキは噂がファミリア外に広まってしまったことで来た耳聰い神をアルスを盾にして追い返し、ガレスは噂を否定することなくだとしたらなんだ、という態度を取ることで大騒動になりそうな目を少々潰した。
暴露してしまった件を聞いた当初は怒ったリヴェリアだったが、身重である少女に強く出ることは出来ないのか、むしろ人として当然の営みに多少の不自由があることを私が不甲斐ないと悔しがる始末。
日頃からママだのお母さんだのと言われるリヴェリアだったが、フィンの目にはもはや初産の娘を甲斐甲斐しく世話する婆にしか見えなかった。
更に彼の胃を痛めつけるのは、アイズが身篭ったことを他派閥の神であるフレイヤに知られているというアルスの報告である。
しかも、因縁深いあの女神が祝いの品などと言って贈ってきたものは甘い果実と菓子の詰め合わせ。悪意の欠片もなかった。
相手の意図はともあれ、他派閥に知られている可能性があるという事実がフィンの中にある危機感を助長した。
そういった要因もあって決定した本日の夜における食堂での発表だが、始まる前から疼く親指と痛む胃にフィンは疲労を隠せない。
ところで、頑丈なはずのフィンの胃が痛むことを疑問に思った男がいた。
その名をアルス。齢十五の少女を孕ませた張本人であり、今も長椅子で幸せの絶頂と言わんばかりにアイズを膝に乗せるダメ男である。
「アルス、一つ君に言いたいんだが」
「おう」
「よく襲われて受け入れたね、君」
「ああ」
この胃の痛みを知らぬか貴様、と恨めしそうな目で見ながら文句になっていない文句をつけたフィンだが、あまりにも淡白な返事に己の敗北を察した。
「ぶっちゃけた話、俺の我慢が限界迎えるのが先かどうかみたいなとこあったしな」
「……ああ」
思わず遠い目をしたフィンの目の前でアルスはアイズに強請られてそっと唇を重ねる。
この差が生まれたのは果たしてどこだったのだろう。
ファミリアにおける年長組に属する年齢のフィンと未だ歳若い二人の差はあまりにも明白だった。
フィンとて決して好意を持たれない訳では無いが、襲われても許容できる相手や自分から手を出したいと思える女性はいない。
種族の英雄たらんとする在り方故の問題ではあったが、こうも幸せそうな姿を見せられると思わなくていいことも思ってしまう。
その上、アイズがアルスに迫った手口はフィンに他人事ではないという危機感を抱かせていた。
何を隠そうこの男、恐るべきアマゾネスであるティオネに好かれているのである。
酒を飲んで酩酊状態のところを襲われて子どもが出来てました、なんて笑えない事態に陥る可能性は十分にあった。
そうは言うものの、言葉少なくアルスに甘える少女の姿にフィンとて明るい気持ちを何も感じない訳では無い。
その前途を祝いたい気持ちは真実であるし、リヴェリアではないが彼等は娘と息子のようなものだ。
この立場さえなければ小躍りでもして酒を飲んでいたことだろう。
現実はそうもいかないのが世知辛いところだった。
「まあ、今日は一発二発殴られるといい」
「簡単に殴らせてもやらんけどな」
まず、第一級冒険者以外は萎縮する。そうであってもラウルは無理だろうな、とフィンは次代として期待する男を思った。
確実に殴りに行くのは二名だとして、それだと不足だし煽ってみるかなどと考えていれば、定めた集合時刻が間近に迫っていた。
まさかここから阿鼻叫喚の地獄絵図に苦しむことになるとは、フィンも予想だにしていなかった。
※
ホームである黄昏の館に存在する食堂は大きい。
そもそも居住の為にあるホームである以上、食事の場である食堂は大きく、遠征に関しての発表であると集められた第二級以上の冒険者を全員収容することも容易だった。
そうして集められた彼らは、発表があるというフィンと共に立つガレスとリヴェリア。そして、普段と違ってそこに並んでいるアイズとアルスを目にする。
この時点でティオネはわなわなと震えるレフィーヤの肩を抑えており、自分たちの対面の席が空いてるのはそういう事なんだろうなと諦めて嘆息した。
「突然集められて戸惑う者も多いと思うが、次回の遠征について大きな変更があったためにこうさせてもらった。まずはこの場を借りて、ダンジョンにいたのを呼び出した者には感謝と謝罪を述べる」
出だしはなんとも無難だった。ロキが酒を飲むを準備していること以外は極めて順調な滑り出しと言えるだろう。
「さて、あまり長々と話すのも時間の無駄だし簡潔に伝えよう」
小人族の勇者に食堂中の視線が集中する。
慣れきった彼はそれに動揺することも気負うこともなく、あくまでも自然体で言い放った。
「今回の遠征からアイズを外す。今後どうするかは不明だが、向こう一年ほどは参加させないつもりだ」
「えー!?」
「こらティオナ!」
立ち上がって声を上げるアマゾネス妹をアマゾネス姉が抑え込み、食堂内は隣や正面とコソコソ話し合う声で満たされた。
この二日で広まった噂について話す者もいれば、アルスがキメたかと納得するような者もいる。
そんな無秩序な空間はフィンが手を叩いたことによって瞬時に沈黙した。
「色々と詮索したくなるのは分かる。よって、本人たちの了承の元で理由を公表することにした」
暴れ出すような愚か者はいないはずだが、なぜだかフィンは親指が疼いて仕方がなかった。
「アイズが離脱する理由は
瞬間、黄色い声と昏い慟哭がフィンの聴覚を破壊した。
彼の発言に注目していた者たちはあらゆる秩序を喪失したかのように騒ぎ、彼もそれを止める気が完全に失せた。
わーきゃー騒ぎながら会話するのは主に女性陣であり、昏い空気を隠そうともしないのは密かに焦がれていたであろう男たちである。
ロキが酒盛りを始めたのを見てフィンの中の本能が警鐘を鳴らしたが、もはや離脱する機会を逃したことを悟る。
気がつけばアイズとアルスの姿は食堂の片隅にあるテーブルにあり、彼らはティオナやレフィーヤと軽食を摘み始めていた。
あまりの速さに思わず瞠目するが、その僅かな遅れが全てを終わりへと導く。
「酒を持てぃ、男ども! 祝いの酒盛りじゃあ! 祝杯を掲げよ!!」
「飲むでぇ飲むでぇ! アルスはあとでぶっ殺したるわァ!!」
だから、ガレスが宴会にしてやると酒盛りを始めたのにロキが便乗するのを止められなかった。
これが後に続く事件の幕開けであることなど、知る由もなく。
勢いよく迫り来る女性陣に嫌な予感とともに顔を引き攣らせながら、フィン・ディムナは己の失態を悟ったのだ。
「……妊婦いるのに酒盛りってありなのか?」
「馬鹿どもが……」
僅か数十秒で大宴会の様相を呈した食堂にリヴェリアは思わず顬に手をやり、アルスは顔を顰めて苦言を呈する。
とはいえ彼らに悪意がある訳ではなく、ガレスとロキに至っては酒を飲ませていい思い出にしてやろうという意図すらある。
アルスは知る由もないが彼とてアイズほどではないにしろ人気はあり、相手が彼女であるからといって諦めきれない女性団員だっていた。
そして、男も女も関係なく心とは複雑なものだ。
たとえどれだけ認めざるを得なかったとしても。
たとえ主神のお気に入り二人、尊敬する二人だったとしても。
たとえ憧れていただけで手を伸ばさなかったと分かっていても。
そういう関係というのには嫉妬するし羨ましいのだ。
そういう意味で、彼らのいいガス抜きにはなる。
良いことがあったら酒を飲んで騒ぐ。
悪いことがあっても酒を飲んで騒ぐ。
昇格したら酒を飲んで騒ぐ。
いいドロップを拾ったら酒を飲んで騒ぐ。
何かあったら酒を飲んで騒げば割となんでも解決する。
世の中の半分くらいは酒が解決してくれるという理論に基づき、彼らは飲んで騒いで飲んでいた。
だが、ここに例外が存在する。
飲めぬ者、飲んではならぬ者もまた存在するのだ。
それをアルスとリヴェリア、レフィーヤとティオネとティオナはよく理解していた。
かつてとんでもない速度で酔っ払ったアイズがロキを半殺しにして魔法までぶっぱなした事実を、彼らは決して忘れていない。
その上、今の彼女は妊婦だ。そして如何なる悪影響も許してなるものかと意気込むリヴェリアの決意はオリハルコンよりも固い。
よって、彼らが出した結論は色々話したいけどとりあえず食堂から離脱することだった。
あっという間に撤収の準備を終え、思考に追いつけなかったティオナとレフィーヤはそれぞれ姉と師匠に担がれる。
この間僅か数秒であり、第一級冒険者としての能力が遺憾無く発揮された無駄な機会であった。
だが、酒を飲んでいようと第一級冒険者は第一級冒険者である。
離脱しようとする憎き男をその目に捉えた醜い男の嫉妬はその数多の腕を以てアルスの足を引いた。
それを見て振り返る彼女たちに彼はやけに締まった顔で向き合った。
「お前ら、俺に構わず先に行け……!」
まるで感動の光景で吐かれる台詞のようだが、実態は酒盛りから逃れる数人とその足を引く醜い者たちに捕まっただけの男だった。
やろうと思えば強引に引き離せるアルスだが、彼とて幹部の端くれ。人の心情についてもある程度の理解があるゆえに、ここは俺も甘んじて酔い潰されるかと諦めていた。
そんなくだらなさの極みのような茶番を終えてアイズたちが離脱した結果、残るのはオアシスのない砂漠である。
ロキが度数と値段の高さで酒に強い団員を殴り、ガレスがドワーフの火酒をがぶ飲み。それに便乗した団員が次から次へと潰れたり出来上がったりする地獄のような光景だった。
辺りを見回してもフィンの姿はアルスの目には映らない。
そして、目の前に座る古参のドワーフを見る。
馬鹿みたいな度数の酒を飲んでも酔い潰れない酒への耐性を持つ彼が器と酒を持って目の前に座っているということはつまりそういうこと。
差し出された器を受け取ってまずは一杯。
喉が焼けるような感覚を堪えながら一気に飲み干し、あまりにも高すぎる酒精に苦しみながら耐え抜いた。
周囲から感嘆の声が漏れる。
「ほう、中々やるの」
「……ま、まだまだいけるぞ。舐めんなよガレスぅ!」
「言いよるわ若造が!」
豪快に笑いながら注がれる火酒を見て、アルスの脳裏に後悔の文字が浮かぶ。
しかしここで引くわけにはいかぬとそれを煽り、喉を焼く感覚を堪えながら嚥下する。
それを見た周囲の男どもは騒いで囃し立て、一気一気とコールが始まって数度の後に地獄の蓋は開かれた。
「お前らも飲めやァ!!」
顔を赤くして立ち上がったアルスが囃し立てる者たちに酒を勧めて飲ませ、飲み終わったら一発ずつ殴り合うとかいう謎ルールが発動。
喜び勇んでガレスが挑み、一瞬で食堂が地獄と化した。
酔っ払ったLv.6とLv.7が加減も忘れて互いの顔面を殴った結果、余波で机が数個吹き飛んで壊れた。
少なからず酒の入った愚かな男たちにそれを見て逃げようとか冷静な判断が出来るはずもなく、加速する酔いと増えていく被害という最悪の相乗が発生した。
気が大きくなった馬鹿が嫉妬する心を隠そうともせず叫びながら殴り付け、完全に酔って口の軽くなったアルスがブチ切れながら腹を殴って反対側の壁に叩きつける。
ラウルが泣きながら殴り、気持ちが悪ぃ! と顔面中央を右ストレートで撃ち抜いて壁をぶち抜いた。
蘇ったガレスの全力でアルスが壁をつきぬけ、戻ってきた勢いをそのまま載せた拳がドワーフを錐揉み回転させながら吹き飛ばす。
次から次へとやられていく者たちの中に幹部のが混じっていようが、ワンチャン誰か死んだのではという疑惑があっても止まらない。
「飲めェ!」
「死ねぇ!」「俺たちのアイドルをよくもぉ!!」「ぶっ殺してやらァ!!」「アイズさぁあああん!!」
「拳が軽いんだよォォォオオオオオ!!!」
拳と怨嗟と絶叫が絶え間なく飛び交う。
テーブルは砕け椅子は粉々になり吐瀉物は飛び散っている。
そして、騒ぎの序盤で目敏く逃走したロキ率いる女子軍団がいないことでストッパーも存在せず、ファミリアに所属する男の凡そ九割が食堂の床か壁の向こうに沈んだ。
それでもなお頑丈すぎるガレスは二桁に及ぶ連続挑戦で戦っていたが、二十を迎える直前で力尽きた。
「オラァ!! 伸びてんじゃねぇぞベートォ!!」
そしてガレスまでもが倒れた状況で他に生存者はいるはずもないが、酔っ払った馬鹿はそれに輪をかけて馬鹿だった。
どこかで倒したベートを叩き起して目の前に酒を差し出して飲むことを強要する。
「て、てめぇ……!」
「おら飲めやクソ狼! ヘタレ! チキン! アイズを見る目がやらしいんだよカスがッ!!」
「ッ!!?」
もはや言いがかりか何かなのでは? と他に人がいたら言いそうなことを言いながら、ベートが酒を口にする前に顔面を殴ってぶっ飛ばした。
最初に決められたルールもくそもない。完全無欠に理不尽な謂れなき暴力が悪口狼を襲う。
ベートもただ無抵抗でやられてなるものかと応戦の構えを取り、ルール無用の拳撃が開始する。
互いに
途中で起き上がった勇気ある者が横から殴ることに成功するも反撃で沈み、その隙を突いたベートの蹴撃がアルスの鳩尾を抉る。
僅かに怯んだ瞬間を狙い済ましたように復活したガレスが背後から強襲し、何回転かしながら吹き飛んだアルスが酔いもあって箍を外した。大笑しながら瓦礫を砕く。
「ハハハハハハハ!」
「クソがァ!」
「まだまだこれからじゃなあ!!」
ベートは完全なとばっちりだと嘆きながらも、日頃の思いをぶつける為に背を向けない。
ガレスは心底楽しそうに、喜ばしいと立ち向かう。
アルスは深く考えず、とりあえずぶん殴るという訳の分からない理由で二人に向けて加速する。
そうして、三者は一様に楽しそうな雄叫びを上げて仁義なき乱闘が再開される。
月に照らされたその夜、黄昏の館の食堂は完全に崩壊した。
【行方不明者】
フィン・ディムナ
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できちゃった④
沢山の評価、お気に入り登録ありがとうございます。感想の膨大な量に対し、貧弱な語彙でおもしろく返しきれないことをこの場を借りて謝罪します
はじめの頃、よく分からない子どもだと思った。
自らの主神であるロキが連れてきた出自不明の少年。聞けば他の神が遺した子であるという。
既に還ったという神の遺言で来たとは言うが、当時の彼女たちに知らされたのはそれだけだった。
だからそんな十二歳の少年を相手に何をしてやればいいかなんて、当時のリヴェリアには分からなかった。
困ったので、とりあえず彼女の知識を彼に与えた。
はじめにダンジョンの知識を。次に魔法の知識を与え、最後に常識の欠如に気がついてそれを教えた。
教えている時の彼は大人のように大人しく、落ち着き払った彼は基本的にリヴェリアの出した指示を堅守する良い子供であったと思う。
教えれば学び、教えなくとも己を磨く。向上心がある子供だったように思う。
ただ家族が欲しいと言う少年はどうにも空っぽで、その瞳が伽藍堂の蒼を映すことが彼女は何故か苦手だった。
それでも師として接した焦げ茶色の髪に美しい蒼の瞳の少年は、着実に階梯を登って行った。
入団当時Lv.2だった彼が二年でLv.3に到達して彼女の手を離れた頃、新たな少女を導くことになったのは間が良かったのか悪かったのか。
それから一年と少しして、大切な少女が彼と出会ってから、彼が大きく変わったのを彼女だけが知っている。
真面目で勤勉なだけだった少年は茶目と遊びを覚え、仏頂面で参加していたパーティを抜けて少女を構い倒すようになった。
少女に合わせてる為か装備も武器も一新して戦うのを見るのは最初肝が冷えたが、天才的と言う他ない習熟の速度に不安は消失した。
三人で共にダンジョンに潜ることを原則としていたが、抜け出して無茶をする少女に少年が付き合い始めてから彼女の気苦労が倍加したのは内緒の話だ。
怒ろうとすれば庇う少年に何度拳骨を落としたかも分からない。それと同じだけ彼に隠れて少女にも落としていたのだが、終ぞ彼らは脱走と無茶を辞めることがなかった。
良くはないが良い傾向もあったのが今でもなお悩ましいが、彼らが自身を大切に思えるようになったことを考えると良かったのだろうと思う。
復讐に取り憑かれた少女はいつの間にか母となり、空虚だった少年は確かに父となった。
彼らの纏う空気が妊娠の発覚から一気に変化したことを、リヴェリア・リヨス・アールヴは心の底から嬉しく思っている。
陽だまりの様な少女と太陽のような青年。
いつの日からか娘のように思う少女と息子のような青年の幸福を、彼女は心の底から祈っている。
いつの日か、彼の抱える『運命』とやらが訪れようとも、必ず守り抜くと決意している。
※
とある日の朝、天下の【ロキ・ファミリア】のホームが半壊したらしいという噂がオラリオ中を駆け巡った。
それどころか夜中にどかんどかんうるせぇ! とギルドには何とかしてくれという嘆願と苦情が大量に来ていた。噂どころか事実らしい。
そうなると、ギルドでは誰が最大派閥に文句を言いに行く不幸を背負うのかという話になり、醜い押し付け合いが発生した。
結果、哀れな犠牲者はとある女性職員に決定する。
名をエイナ・チュール。エルフの母と人間の父をもつハーフエルフであり、あのリヴェリア・リヨス・アールヴとも縁がある血筋だ。
間違いなくそれが理由なんだろうなぁ、と下っ端職員に過ぎない彼女はあまりにも醜い押し付け合いの結末を受け入れざるを得なかった。
そもそも夜中に暴れてホーム壊すって何? と思う彼女だったが、どう足掻いても上からの命令には逆らうこと叶わず。
どんよりとした空気を背負ったエイナが昼過ぎに黄昏の館に辿り着いた時、その目に映った光景は酷すぎるの一言だった。
飛び散った瓦礫と砕けた建築。全壊でも半壊でもないが、まあ酷いと言わざるを得ない。
前に見た時は完璧に綺麗だったんだけどなぁ、と遠い目をするエイナを服装からギルドの職員と判断したのであろう山吹色のエルフの少女が彼女に声をかけてくる。
「えっと、ギルドの方ですよね? 一体どんな用でしょうか……?」
「ギルドから派遣されました、エイナ・チュールと申します。本日は昨夜に起きた騒ぎの確認と寄せられた陳情を送りに来ました」
「あぁ、やっぱり……」
嘆息した山吹色の少女だったが頭を振ってそれを振り払ったのか、少し疲れた様子でエイナを門の中へと誘う。
「とりあえずですけど中へどうぞ。事情の説明をリヴェリア様からお受けください」
「分かりました。ありがとうございます」
案内されながら歩みを進めるエイナだが、その顔には緊張がにじみ出ている。
それはエルフの王族であるリヴェリアがその先で待つからというのが大きいが、それ以上に恐ろしい噂が満載の冒険者がこのファミリアには所属しているからだ。
毅然とした態度で臨まねばとは思うものの、最強の一角を前にして維持出来るかと言われれば彼女にその自信はなかった。
会う可能性は高くはないが、低くもないのが悩みどころである。
【
特にエイナには三年前に起きた虐殺と弑逆の惨状を目にしており、その恐ろしさを目の当たりにした過去がある。
敵対した主神を殺すのを妨げたからと三十名に及ぶその眷属を
これを恐怖しないわけがなかった。
「リヴェリア様、ギルドの方をお連れしました」
「御苦労。入ってくれ」
「失礼します」
応接室の扉を山吹色のエルフがノックして問いかければ、聞き覚えのある声が入室を促した。
開かれる扉の先には見覚えのある翡翠髪のエルフに金髪金眼の少女が並んで腰掛けている光景があった。
そして、少女の膝に頭を載せて瞳を閉じた男の姿もそこにある。
部屋自体は橙を主とした暖色で彩られ、居心地はいいのだろうが中にいる人物がエイナにとってはよろしくない。
「うちのファミリアが迷惑をかけてすまないな」
「いえ、そのようなことは……」
「まあ座れ。そして茶を飲め。ふむ、アルスは見ての通り二日酔いで役に立たんから私が茶を淹れてやろう」
「えっ!?」
お茶を淹れる!? 高貴なハイエルフであるリヴェリア様が!? というか元気だったらオラリオに二人しかいないLv.7に淹れさせてた!? とひたすら驚くエイナだが、我が道を行くハイエルフは止まらない。
予め用意してあったカップにこれまた予め用意してあった紅茶を注いで固まってしまったエイナの前に置いた。
硬直したエイナを見て苦笑を隠せないリヴェリアだったが気にした様子はなく、彼女が再起動するのを暫し待った。
「す、すみません……」
「楽にしてくれればいい、と言いたいが私よりもアルスの方が恐ろしいと見える」
「……はい」
リヴェリアからの指摘にエイナは素直に頷いた。偽りを述べるより、真実を告げることで万が一の不興を買いたくなかったが故である。
「安心しろ。見ての通り、今のこいつは嫁の膝で伸びているだけのダメ男だ。そう怖がる必要も無い」
「は、はぁ………………え、嫁?」
「嫁だ」
「お嫁さん、です」
「えっ」
嫁ってなんだっけ、とエイナの脳が一瞬壊れかけた。
そして【剣姫】と名高いアイズ・ヴァレンシュタインはあのアルス・ラドクリフの嫁であるという事実を認識する。
「そこがお前が来た要件にも関わっていてな」
「……はい」
なるほど、そこからどうやって黄昏の館で大騒ぎになるのかという話であったか、とエイナは理解した。
そして、頭の良い彼女は人気者である少女を娶る男へのやっかみでやんちゃがあったのかな、と脳内で瞬時に大筋を予想する。
報告書として紙に詳細を記載する構えを取る。
「まず、この娘がアルスとの子を孕んだ」
「……はい?」
初手で彼女の予想の斜め上を越えられた。思わずペンを持った手が止まる。
彼女の知る限り少女の年齢は十五。男の年齢は二十二である。マジで? というのが素直な感想だった。
「それで遠征からアイズを外すことを発表するのと同時に、この子たちのことについても話をした」
「はい」
「何故かそのまま宴会になって酔っ払った男共がアルスと殴り合って食堂が壊滅した。以上だ」
「……は、い?」
エイナ・チュール。長く生きてはいないが、こんな訳の分からない理由を報告書に書かなきゃいけないのか、と気が遠くなる思いだった。
なんで宴会から殴り合いになるのかとか、殴り合いで建物が壊れるってどんだけ本気でやったんだとか、言いたいことが山ほど出来た。
けれどそんな馬鹿げた理由でギルドには大量の苦情が寄せられ、自分は尻拭いに貧乏くじを押し付けられたのだ。
たまったものではなかった。
「意味がわからないという顔だな」
「そう、ですね。ちょっと考えられないです」
「そうだろう? 私もそう思うよ」
くつくつと、愉快だと笑いを堪えられずに漏らすハイエルフ。口は悪いのにそこには深い情を感じさせるもので、エイナは呆気に取られてしまった。
同時に、リヴェリアという人物を少し理解する。
「何はともあれ、ギルドには苦情を受けて再犯の防止に務めると答えよう。アルスも懲りただろうしな」
「……懲りるの俺じゃなくない?」
「お前
「おっしゃるとおりですごめんなさいゆるしてくださいせっきょうだけはゆるしておねがい」
「……リヴェリア、怒っちゃだめ」
「アイズ、夫だからと甘やかしてはダメだ。少々厳しい方がいい」
甘やかしてないよ、と主張するアイズの頭をリヴェリアが撫でる。それに含羞む少女の姿はまるで本物の家族のような光景だ、とエイナが瞠目する。
彼女の知る【剣姫】はこんな表情なんてしなかった。
いつも血に濡れて戦いを求めるような少女だったはずだが、何がそんなに彼女を変えたのだろうか。
少女の膝に横たわる不条理の権化が答えなのだが、彼女にはそれを知る由もない。
「うごぉー……」
ついでに、この都市の最高戦力に数えられる男が二日酔いで倒れているのが本当に意味不明だった。
こんなのがLv.7? 貴き者とか呼ばれてるの? と疑問に思うエイナだが、現実は何も変わらない。酒には勝てない、これが真理だった。
なんだかちょっと怖がってたのが馬鹿らしくなってきたエイナだった。
「ところで、だ」
「どうされました?」
「なに、アイナに手紙を届けて欲しくてな。送ろうと思っていたが、娘が来てくれたのは好都合だった。頼まれてくれるだろうか?」
「もちろんです、お預かりします」
「ありがとう」
リヴェリアが懐から出した手紙を受け取る。一応、ギルドに報告するのはこういう内容になります、とさっさと書き上げた報告書を彼女に見せておくのも忘れない。
必然的に【剣姫】の妊娠婚姻が漏れることになるが、そこはリヴェリアも認めるところではあるらしい。
そこでふと、エイナは気がついたことを口にした。
「そういえば、結婚式はどうされるんですか?」
エイナの言葉を聞いたアイズが膝上の頭を撫でていた手を止めて硬直し、リヴェリアがカップに口付ける手前で固まった。
そう、結婚式。式なんて必要ないというか、挙げることが出来ない人も多数いるが、少なくとも金銭的に問題が無いはずの彼らがそれを行わない理由はないように思われる。
それ故の質問だったのだが空気は凍りつき、部屋の時間は止まってしまった。
唯一アルスだけがうんうん頭痛に苦しんでいるが、先程よりも苦しそうなのはエイナの気の所為ではないだろう。
これは何かあったなと確信するには十分過ぎた。
「……実は、だな」
「は、はい」
「タイミングが分からなくて難儀している」
「あ、そうですか」
エイナが思ったよりも普通の悩みだった。
「妊娠した状態でもお腹が大きくなる前に式を挙げることもあると聞くが、私としてはやはりアイズの負担が気にかかるので賛同できん。となれば産んだあとかとも思うのだが、そうなると少なくとも七ヶ月は先になるだろう。それはそれで寂しくないか、と思ってしまうし私だってアイズの晴れ姿を少しでも早く見たいという気持ちはあるんだ。しかしやはり妊婦の体に差し障る何かがあったらと思うともう何も出来なくてな。どうしたものかと日々悩んでいる」
「………………はい」
ああ、このお方ってヴァレンシュタイン氏が大好きなのか、と彼女がとあるハイエルフを理解することは何も難しいことではなかった。
娘は今にも頭を抱えそうな母を見て困ったような雰囲気を醸し出しているし、息子の方も似たようなものだった。
「そもそもアイズに合わせたドレスを用意するのが難しいのだ。最近はデザインが多く幾つか見てみたがどれもアイズには似合うからこそ選び難く結婚式が一度しかないことを呪う羽目になったぞ? ロキはロキで露出が多いものを選ぼうとするから止めるのに苦労した。……いや、似合うだろうとは思うのだが神聖な式は貞淑な姿で行う方が良いだろうし何よりやはり露出が少ない方がこの娘は美しいと思うのだ。しかし露出が少ないものを選ぶにしろ今度は再びデザインで悩むことになって朝から晩まで悩んでも決めきれん」
「……………………そうですね」
なるほど、理解。私、地雷、踏んだ。
助けを求めて【剣姫】を見るが、知らぬ存ぜぬとばかりに膝上の男の髪を撫でている。
起爆した親バカは既に暴走を始めており、もはやエイナにはそれを黙って聞く以外の選択肢が存在しなかった。
それから、滔々と語り続けるリヴェリアから彼女が解放されたのは日が暮れた頃だった。
途中から聞くのも飽きたのか少女と男は寝ていた上に、様子を見に来た山吹色のエルフが新たな犠牲者として巻き込まれたことでエイナとの間に謎の連帯感が生まれたのは良かったのか悪かったのか。
疲れ果てたエイナは肩を落として黄昏の館からギルドへと帰って行った。
それを見送ったリヴェリアの内心はついやってしまった、と若干の後悔が滲んだものではあったがそこまで深い反省ではない。
むしろ娘夫婦の話を出来て満足感すら覚えているのだが、生憎とそれが婆臭いことこの上ないことに気づく者も指摘する者もいなかった。
応接室で仲良く眠る二人を夕食の為に起こしに向かう。
「……起きろ、二人とも。そろそろ日が暮れる。夕食を食べに行こう」
「……ん」
「はいよー」
眠そうに目を擦るアイズを、二日酔いが治まったのか元気そうに膝から離脱して立ち上がったアルスが手を取って立ち上がらせる。
そのまま自然に手を繋いで、部屋を出るリヴェリアの後を追う。
夕陽に照らされた三人の姿を家族のようだと、すれ違った山吹色のエルフは思った。
色々頑張って設定を爆速で煮詰めることに成功しました。これで気まぐれに過去やら原作時間軸も書けます(白目)
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マネーマネー①
ある日の夜、あの【
──事の発端は、三日前に遡る。
※
「食堂の修繕費はひとまず、貯蓄していた資金から賄うことに決定した。それに伴ってアルス、ベート、ガレスの三名には各々二千万ヴァリスを。騒動に加担した他の団員には貯蓄金額の一割をファミリアに納める賠償を命じる。これが対象者のリストだ」
数日行方不明になっていたフィンがケロッとした顔で帰ってきて告げたのは、男たちにとって絶望的な宣告だった。
なるほど、確かに飲んで暴れ回った奴らが絶対的な悪ではあろう。特に名指しされた三名は大悪である。
そして払えないことも無いのが何ともいやらしく、毟りすぎなのでは? というとある超凡人の意見は算出された被害額によって抹消された。
その額を見ればこの機にファミリアの財政を潤わせる為に毟り取りに来た訳ではなく、お前らがどれだけやらかしたか分かってんだろうな? というフィンの怒りは彼らに嫌でも伝わった。
浮いた金はファミリアの貯蓄として有事の際のために蓄えると言われれば、彼らもそれ以上文句を言うことは無かった。
大人しく要求されただけの金額を納め、遠い目をするだけである。
しかし、それだけではすまない懐の痛み方をした者もいた。
その男は額を聞いた瞬間にふらふらと部屋に戻って項垂れて地面に手を付き、絶望に満ちた表情で床を見つめていたのだ。
先程は様子がおかしかったとフィンを伴って尋ねてきたリヴェリアはそれを見て、もしやと冷や汗が背を伝った。
「アルス、まさかとは思うが……」
払えないことはないよな? という無言の問いかけに対し、項垂れたままのアルスは何時になく暗い声音で返答する。
「払える。払うのはいいッ。いいんだッ。しかし二千万となると貯蓄がッ……!」
その言葉に、吹っかけたはずのフィンの額にも冷たい汗が伝う。
これがベートであれば笑い話ですむ。ガレスであっても同様だ。
だがしかし、これからアイズと産まれてくる子を養う男が貯蓄を失うのは少々不味い。いや、かなり不味い。
なにせこの冒険者とかいう存在、日々の探索だけでもじゃぶじゃぶ金を使う。
浅い階層なら高レベルの暴力で特に消耗もないが実入りも良くないし、そんなことをすれば下の人間の取り分を奪う卑劣漢に堕ちてしまう。
そのような行為は【ロキ・ファミリア】として、第一級冒険者として許されるはずがなかった。
そしてしっかり潜れば時間と装備の摩耗、消耗品の消費によって金銭面で苦しめられる。
「……幾らになる?」
「残金四千万をギリ切るくらい……」
「少々心許ないな」
「冒険者じゃなければ金持ち判定なんだけどなぁ……」
四千万もあれば当面なんの問題もないと思われがちだが、アルスをはじめとする冒険者たちはその限りではない。
たとえば、彼の主武装である両手剣は一本で七千万ヴァリス。大盾は一枚で一億ヴァリスだ。予備はあるが使用しているものには劣るし、所詮予備は予備でしかない。つまり壊れたら後がないのである。
しかし数千万稼ぐとなるとしばらく時間と手間を要求される為、一筋縄ではいかない問題だ。
とはいえ罰則が緩くなる訳もなく、約二週間後の遠征に備えて貯蓄を増やしにダンジョンに向かわねばならなくなった。
ちまちま稼ごうとすると整備費用で利益が薄くなるからどうしようかなぁ、とアルスの脳内では凄まじい勢いでお金が計算されていた。
「ぐぬぬぬぬぬぬ」
「……最悪貸してやるから無理せず稼いでこい。深層で無茶をしなければ壊れることもなかろう」
「明日から頑張るかぁ……」
彼には
それこそ中層の
アレを討伐して魔石とドロップを持ち帰れば足しにはなるが、アルスはそれに思い至った瞬間に今は
気づいて、もう一つ余計なことに気がついてしまった。
瞬間、彼の脳裏を駆け巡る金銭計算。
次瞬、弾き出される収入、導き出される消費。
異様な雰囲気を感じ取ったリヴェリアが嫌な予感に顔を顰めるのも気にせず、アルスは勢いよく立ち上がった。
「来た! これは勝った! 大儲けの予感ッッ!!」
「……はぁ」
「明日から少し空けるよ。アイズにも伝えてくるわ! ありがとうリヴェリア!」
その姿は脱兎の如く。彼は一陣の風となって己が妻の自室へと走り去った。
ポツンと残されたハイエルフも溜め息を吐いて歩き出した。
※
そんなことがあった翌日、黄昏の館では己の神的発想が恐ろしいなどと宣って上機嫌な馬鹿と、それに巻き込まれようとする馬鹿アマゾネスの少女が山吹色のエルフと共に武具を携えて門の前に立っていた。
「おはよう、二人とも」
「おはようございます……」
「おはよー! あたしだけだとあれだと想ってレフィーヤも連れてきちゃった!」
片手を挙げて挨拶するアルスの腰には片手剣。背には大盾と両手剣を背負いながら、防具は最低限という奇妙な身なりだ。
その後ろからは見慣れた金色と緑色の母娘。
「おはよう」
「おはようございます、リヴェリア様! アイズさん!」
「ん、おはよ」
「おっはよー!」
当たり前のように合流し、誰が何を言うことも無く門を出る。
「アイズたちはどうしたの? 見送り?」
「見送りと、朝ごはんを買いに」
「私はその付き添いだ」
「なるほど〜」
アイズが戦闘衣じゃないのも見慣れてきたねー、と言いながらティオナは進む。
喜色満面、これからダンジョンに潜るのが楽しみで仕方がないというように足取りは軽い。
巻き込まれたレフィーヤは手を繋ぐアルスとアイズをなんとも言えない表情で見ており、そんなに機嫌は良くなさそうだった。
「夫婦、お二人は夫婦だから……くぅ……!」
「あはははは、変なのー」
「戻ってきたら矯正した方が良さそうだな」
「ひぃっ」
震えるエルフと愉悦に浸るハイエルフ。それらを笑うアマゾネスという恐怖の光景を背に、手を繋いだままの彼らは朝早くから店を出している通りを歩いていく。
朝とはいえ往来の多い通りであるため見目麗しい彼女たちは当然のように視線を集めるが、次の瞬間には皆一様に手を繋ぐ男と【剣姫】へと視線が吸い寄せられていく。
その度に絶望と怨嗟の視線がアルスへと集まるが、彼は持ち前の胆力でこれを完全無視。隣を歩く少女を愛でることに集中していた。
朝陽に照らされた髪が綺麗だな、とか。以前より髪に艶がある、とか。全体的に可愛らしくなった、とか。その服似合っている、とか。
夫婦というよりは付き合いたての恋人のように彼はアイズを褒め、彼女はそれを受けて含羞んでいた。
「ほんと、可愛くなったなぁ……あ、勿論だけど前も可愛かったからな? なんかこう、最近は輪をかけてそう感じるだけで」
「……うん。気にしてないよ?」
「そっかそっか、ならいいんだ」
朗らかに笑いながら、ふとアイズの目に入った露店の商品が美味しそうだということで立ち寄って購入する。
その名をじゃが丸くん。
じゃがいもから作られたシンプルでありながら根強い人気を誇る商品である。
嬉しそうに戻ってきたアイズにアルスは目を細め、着いてきていたリヴェリアたちも苦笑する。
「……美味しい」
「じゃが丸くん好きすぎない?」
「だって、美味しいから……」
「一口くれない?」
「……だ、だめ」
「ブレないなぁ」
じゃが丸くんを譲らない姿勢だけは出会った頃から変わらない。渡さないよ、とそっぽを向く姿に笑いを堪えるので必死だった。
少女の幼い側面に喜べばいいのか悲しめばいいのか微妙な心境になるアルスだったが、別に悩むほどのことでもないかな、と自己解決してスッキリした。
自分のお嫁さんが可愛いならなんでもいいやの精神である。
「そういえば」
「ん?」
じゃが丸くんをしっかり味わいながらも中々の速度で食べ終えたアイズは、不意に思い浮かんだ疑問を口にする。
「今回は、どこまで行くの?」
「三十七階層。ぼろ儲けの計算よ!」
ぐへへへへ、と怪しい笑い方をする男は平然と深層に行く旨を述べた。
そうなれば当然、たった三人でそんな所まで潜ることに恐怖を覚える哀れな妖精が一人。
「さ、三十七階層!!? む、無理です! やっぱり私無理ですってティオナさぁん!」
「えー、余裕だよ余裕! 何かあってもアルスが全部片付けてくれるでしょー?」
「まあ、ティオナには
「レフィーヤのこと、守ってあげてね?」
「もちろん」
「アイズさんまでそんな無慈悲な!?」
一気に騒々しくなる一行だったが、どれだけ騒いでもティオナはレフィーヤを連行するつもりだったし、アルスもこの騒々しい後輩を連れていくことに否はなかった。
戦力としてはアルス一人で事足りるし、何だったらティオナすら必要ない。それでもレフィーヤを『深層域』に連れていく理由は『お勉強』である。
【ロキ・ファミリア】の最大戦力の戦いを見ること。それから、これから彼女も参加するであろう遠征に向けての経験積みという名目だった。
未だ彼女に直接告げてはいないが、アルスにとってもレフィーヤというエルフの少女は他の
なにせ、あの【
これに関してはリヴェリアからも頼まれていることであり、アイズやヒリュテ姉妹と共によく行動を共にしていたのも安全に危険を体験させるためという理由があった。
つまり、今回もまたどれだけ悲鳴を上げようがリヴェリアは彼女の味方になりえない。
空気だけでも学んで来いと無理矢理に押し出すだろう。
「……アルスが全部倒すから、レフィーヤは大丈夫、だよ?」
「うぅ、アイズさぁん……」
「よしよし」
そんなこんなでアイズがレフィーヤをあやしていれば、あっという間にバベルへと辿り着く。
留守番のアイズとリヴェリアとはここでお別れとなる為、入口の付近で脇に逸れて一度止まる。
「ここでお別れかな」
「ああ、気をつけるんだぞ」
「うん、気をつけて」
お前はさっさとアイズから離れんか、とティオナがレフィーヤを引き剥がして荷物を背負わせる。
いきなり現れた背中の重みに呻くが、仮にも冒険者としてそれなりのレベルにある彼女は平然とそれを背負ってみせた。
「おう。二日か三日で戻るから、身体に気をつけてな」
「……うん」
「リヴェリアを大いに頼るんだぞ」
「うん」
「ロキのセクハラに気をつけてな」
「それは大丈夫」
「頼もしいな」
拳を握るアイズを見て、彼は己が主神の生存を祈った。
神といえどもLv.5の拳を受けて無事ではいられまい。不滅不朽とはいえ、下界にある限り彼らは人と大差がない。
少女が力加減を誤らないことを祈りつつ、主神が愚行に及ばないことも祈るアルスだった。
「アルスー! 行こーよー!」
手を伸ばして髪に触れていたアルスはティオナに呼ばれてそちらを向こうとして、前触れもなく顔に伸ばされた手に動きを止められた。
そのまま有無を言わさず口付けられ、頭一つ背の低い少女が顔を赤くしているのを見て破顔する。
「可愛いやつめ」
「……うぅ」
「二日で帰るよ。約束だ」
三日かかるかもと予想していた予定をしれっと変えながら、俯く少女の頭を雑に撫でて彼は今度こそダンジョンへ向かって消えていった。
※
そうして、レフィーヤ・ウィリディスは地獄のような苦しみを味わうこととなる。
発端は『上層』である第三階層を歩いていた時のこと。
湧いてくるモンスターが湧いた瞬間に息絶え、視界に映ったモンスターは瞬きすら間に合わない速度で魔石に変わる。
どれだけ数がいようと一閃、銀が閃けば全滅する。
そんな圧倒的な光景に畏怖しながらも彼女がアルスとアイズが口付けていたことについてティオナと会話しながら歩いていた時、このアマゾネスはとんでもない事を言い出したのだ。
『めんどくさいし、レフィーヤ背負って走り抜けない?』
などと巫山戯たことを宣ったアマゾネスにアルスが賛同し、レフィーヤは背負っていた荷物をアルスに強奪されてあっという間にティオナの背に背負われていた。
そして、そこから始まる地獄の行軍。
とにかく速さを意識しているのか目まぐるしく変わる景色。轢き殺されるモンスターの数々。激しい揺れ。変な絶叫を上げるレフィーヤに愉快だと大笑するティオナ。
どれだけ悲鳴をあげても先導するアルスは速度を緩めることはなく、もしやアイズさんとの関係について騒いだ復讐!? などと見当違いのことまで考え始め、余計な体力を消費する始末に陥った。
そんなこんなでレフィーヤだけがフラフラになりながら辿り着いた第十七階層。
本来であれば
ここで止まったのはリヴィラに行くのに一度レフィーヤを落ち着かせようという優しさからであり、ついでに少し扱くかという悪魔的発想からだった。
「さて、お前たちには話すことがある」
「ん?」
大盾を置き、両手剣を片手で持ったアルスが座り込むレフィーヤとその傍らのティオナに向けて口を開く。
あからさまな闘志、殺意の欠けらも無く、気怠そうな様子を隠そうともしないながらもそこには明確に戦う意思があった。
「アイズの離脱によって俺たち【ファミリア】の戦力は大きく低下することになる」
「そうだね」
「そして、俺たちにはダンジョンを攻略する必要がある。これは果たさなくてはならないことであり、俺たち全員に共通した意思だ」
当たり前のことを当たり前に語りながら、手を引かれて立ち上がったレフィーヤとティオナが身構えるのを待つ。
どれだけ手を抜いても、どれだけ必要だからとやる気が欠けていても彼はLv.7。冒険者たちの頂点の一角。緊張に身を固まらせる彼女たちを責めるものはいない。
「まあ強いやつが必要な事情は色々あるが、アイズが抜けた穴を可能な限り小さくするためにはLv.6以上の四人で下を育成するべきだと判断した」
「それで、アルスはあたしとレフィーヤの担当ってこと?」
「そういうことになる。正直、俺にそういうのは向いていないと思ったんだがなぁ……」
手加減というものに心底苦手意識があるアルスは提案された当初かなり渋った。
しかし、お前がアイズ孕ませたのが原因といえば原因じゃないか? などと遠回しに脅迫されれば否とは言えない。
「なんでアルスがレフィーヤなの? リヴェリアの方が適任じゃない?」
「そこは事情があってな。俺の方である程度やったらリヴェリアに変わる予定だ。そういうことなので、レフィーヤはくれぐれも頑張るように」
「……は、はい」
「今日はお試しだから夜までシバく。明日は三十七階層に行ってそこから地上に走って帰る予定なのでそのつもりで」
「え゛っ!?」
思わぬ強行軍にティオナが目を剥くが予定を変えるつもりはないらしい。
そして、夜まではまだ暫くの余裕が有る。
「さて、構えろ。強くなってもらわないと俺が困る」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!?」
「一切待たん。死ぬ気で頑張れ、レフィーヤ・ウィリディス」
時間はない。早くしろ、と既に準備万端のティオナを顎で指しながら急かす。
まずは
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マネーマネー②
気がつけばお気に入りが五千を超えて日刊一位にもなってました(過去形)。読んでいただきありがとうございます
筆が乗ったので本日二話目。
妖怪魔石置いてけとレフィーヤたんのお話
レベルの差とは『器』の差だ。
高ければ高いほどより強く、差が大きければ大きいほどどうしようも無い。
それは覆せない絶望的な差であり、冒険者が積み上げる他に変えられない宝だ。
時間をかけて力を蓄え、その果てに『偉業』を以て己の『器』を昇華する。
それが冒険者。それが神々が子供たちに授けた『恩恵』。『神時代』における不変の法則。
その到達点、現存する冒険者における最高は、レフィーヤにはあまりにも遠すぎた。
大笑しながら挑んだティオナはズタボロになってスキルを吐き出しても尚あしらわれ、レフィーヤは渾身の魔法すら斬り裂かれた。
モンスターを相手にする時のように大盾を持つこともなく、素手でティオナの全力を受け止める。
リヴェリアの魔法を『召喚』しても一閃で両断し、持っていた杖で蹴りを防げば次の瞬間には背中が壁に激突していた。
あまりにも、理不尽だったと思わざるを得ない。
正面にいるはずなのに動作が見えず、師であるリヴェリアにも認められる『魔法』を歯牙にもかけない。
圧倒的な暴力。研ぎ澄まされた技量。積み上げられた経験値。蓄えられた知恵。
そしてなにより、レフィーヤが気圧されるその瞳。
彼女はその『差』を、思う存分に味わった。
倒れればポーションをかけて起こされ、悲鳴を上げれば追いかけ回され、立ち向かえば限界まで痛めつけられて壁に投げられる。
治療はレフィーヤとティオナの両名が倒れた時にのみ行われた為、ティオナはレフィーヤよりも更に長く扱かれた。
それでも笑顔を絶やさずにいられる姿に素直に感動すら覚えたものだが、同時に自分の不甲斐なさを痛感する一日だった。
そうして、ともすれば心が折れかねないほどの蹂躙を受けたレフィーヤは翌朝、治したはずの身体が痛む気がして目を覚ました。
彼女の記憶はポーションを馬鹿みたいに浴びたことによる臭いを気にして水を浴び、そのままテントでティオナと並んで寝たところで終わっている。
気だるい身体を叱咤して起き上がり、先に起きて何やら火を見ているティオナに挨拶する。
「おはようございます」
「おっはよー! 意外と早かったね!」
はいこれ朝ごはん、と差し出されたのはパンと暖められたスープ。それから足りなかったらこれも、と携行食が差し出される。
受け取って感謝して、隣に腰かけてそれを口にする。
特別美味しいというわけではないが不味くもなく、やはりダンジョンは食の娯楽が薄いのだけはどうにもならないな、と心の中で少しだけ悲しくなった。
それでも食事は有難いものだし欠かせないものであるから摂るのだが、無言で食事を続ける彼女の脳裏に浮かぶのは昨日の光景ばかりだ。
渾身の『魔法』を両断した姿。
ティオナの全力を片手で受け止めてそのまま殴り返した姿。
彼女を射抜く、その奥に何かを宿す蒼い瞳。
どれもが彼女の力不足を突きつけてきていて、器を握る手に力が篭もる。
「どうかしたの?」
「えっ、いえ、なんでもないですよ」
「ほんとー? どっか痛いとことかあったら言ってねー?」
その時はアルスに文句言うから! と快活に笑う彼女に僅かに張り詰めていた気が緩んだ。
この元気が良いアマゾネスの少女に、入団ばかりの頃からレフィーヤは何度も助けられたことを思い出す。
それと同じかそれ以上に困ったこともあったのを思い出して、彼女はすぐさま微妙な気持ちになった。
「いやー、それにしても昨日のアルスやばかったねー。前から強かったけどやっぱ別格って感じ」
「そう、ですね……」
戦う姿は何度か目にした。しかし正面から相対するのは初めての経験であり、それを前にして折れはしないまでも奮起するのは難しかった。
彼女は憧れの遠さを知った。
アイズ・ヴァレンシュタインは彼と肩を並べて戦えるのだ。
彼と並び、支え合うことが出来る。
レフィーヤとはレベルの差があるとはいえ、やはり差は大きい。強くなりたいと願うものの、彼女の背中はあまりにも遠い。
「まあでも、そんなに凹むことはないよ! 相手してくれてるってことは、レフィーヤにそれだけ期待してるってことなんだからさ!」
「でも……」
「そもそもアルスと正面から戦えるのなんて、団長たちと【
「頑張ること……」
「あたしは頑張って頑張って頑張って、それでいつかギャフンと言わせてやるんだ! レフィーヤも頑張ってアイズに褒めてもらいなよ!」
「そう、ですね!」
そうだ、このままではいられない。あの憎き男から、せめてアイズさんの隣で戦う資格は奪わなければ! とレフィーヤは奮起した。
単純な少女である。エルフにしては珍しく直情的な傾向にあるが、それが幸いしている。
そして
なんだか勝手に壊れた妖精に軽く引いたティオナだったが、そこはアマゾネス特有の大雑把具合で乗り越える。
ちょっと面白い友人なのでこれくらいは平常運転と言えるだろう。たぶん。
「あれ、そういえば」
「どしたのー?」
「アルスさんはどこに?」
彼のテントは片付けられており、野営の跡が残っているだけ。装備も置かれていないし、彼のバックも置かれていない。
その事に気がついたレフィーヤの発言だったが、ティオナの返答に絶句することとなる。
「早起きして三十七階層に行ったよ。なんでも一人の方が都合が良いんだってさ〜」
酷いよねー、とそのまま置いていかれたことを愚痴る。
レフィーヤは頭が疑問符でいっぱいになった。
荷物持ちとして連れてこられたのでは? という疑問から始まり、最終的には、もしかして昨日の
「な、なんなんですかもぉ〜〜〜!!!!」
※
ウダイオス。三十七階層に君臨する
討伐には【ファミリア】単位で臨むべき階層主。
巨大な迷宮構造をした三十七階層のとある『ルーム』。そこに出現しているそれは、今、一人の冒険者によって殺されようとしていた。
骸骨のモンスター、『スパルトイ』をそのまま巨大化させたような漆黒の巨躯。
闇が充満する巨大な眼窩に灯る朱色の怪火。
手にはこれまで誰も目にした事の無い、全長6
巨大なウダイオスからすれば小さなそれは人にとっては理不尽極まりない質量であり、正面から受ければ無事でいられるはずもない。
その上で無限に湧くスパルトイは圧倒的な数の暴力を体現し、剣山を産む力は足場と動きを阻害する。
故に、無謀にも単独で挑んできた男の末路は本来ならば死あるのみ。
足掻くことも許されずにその命を散らす、はずだった。
『オオオオオオオオオオオオオォォォォォッ!!』
苦悶の叫びを上げるのは絶対者であったはずのウダイオス。
銀の閃きと共に核関節の一つが砕けて片腕を失い、巨躯の髑髏は痛烈に殴打された。
スパルトイの群れを瞬く間に魔石を宿したガラクタへと変えながら、大盾と剣を携えただけの冒険者がウダイオスを一方的に痛めつけている。
残った右腕の核関節が輝く。実行されるのは剣を振り上げて下ろすだけの単純な動作。召喚したスパルトイを巻き込んで押し潰すそれは片手に持った大盾で受け止められ、そのまま弾き返された。
返す刃で周囲のスパルトイの群れが全滅。更なるスパルトイを召喚し、懐に飛び込んで殴打されて肋骨が一本砕けた。
『オオオオオオオオオオオオオォォォ!!!!』
「いやうるせぇよ。黙ってスパルトイを出せスパルトイを」
人の身でありながら階層主を膂力で上回る。物量も意味をなさないほどの隔絶。
その圧倒的な光景を作り出す冒険者こそ、都市最強の一角、Lv.7の到達者である。
彼の狙いはウダイオスが呼び出すスパルトイの魔石。
本来ならば三十七階層を走り回ってモンスターを殺して回る方がいいのだが、迫る遠征に向けて討伐しておく気遣いの結果なのかもしれない。
本来ならば【ロキ・ファミリア】が全戦力をつぎ込んで討伐に臨むことで安全とは言い難いまでも確実に討伐する予定だったが、既にフィンに話してアルスが討伐することで話はついていた。
結果として発生する、一方的な光景。
全ての抵抗を正面から捩じ伏せ、全て出し尽くさせるような戦い方で嬲るようにウダイオスの巨躯を削っていく。
剣山は砕かれ、黒大剣には既に亀裂が走った。スパルトイが湧く間隔は明らかに長くなっており、変わらないのはひび割れた髑髏の眼窩の怪火のみ。
どこもかしこも痛み、傷つき、壊れかけている。
戦闘が開始されてから早くも一時間。
殺しきらないギリギリを攻めるような攻撃で散々嬲られたウダイオスに意思があれば、それはもう盛大に怒り狂って憎悪していただろう。
巨躯の振り下ろす大剣を何度も受けた腕はそれでもなお健在であり、硬い骨を蹴った足もまた然り。
細かな傷すらないアルスがやっていることは、正しくただの甚振りだった。
ただ、当人は追い込んでも何も無いしこれは
「引き出しも尽きただろうし、そろそろ終わらせるか」
わざとらしい嘆息が一つ。
刹那、大地を蹴る豪脚。そして、一閃。
一歩で懐に飛び込んだアルスがそこから更に跳ね、その一閃でウダイオスが剣を握る右肩の核関節が砕け散った。両腕を喪失する。
『オオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!』
ウダイオスの咆哮に喚ばれたのか大量のスパルトイが出現、更には大量の剣山が地面から伸びてくるが、両手剣を握るアルスの右腕はそれらを一顧だにせず、一閃。
骨格に守られていた巨大な魔石は骨諸共に砕け、漆黒の巨躯が灰へと還る。そして、次の瞬間には残されたスパルトイの群れが首から上を消失して全滅した。
あまりにも呆気なく、あまりにも盛り上がらない幕切れだった。
「おお、なんか変な大剣ドロップしてんな。儲けた儲けた」
床に転がった大量の魔石をバックパックへと収集しながら何となく懐中時計を開けば、予定よりも遊んだつもりが遊べていなかったことを把握する。
これならもう少し稼いで帰れるな、と判断して三十七階層を軽く走り回ることを決めた。
見たことの無いドロップの大剣もあるし、やはり大儲け成功であると内心小躍りする勢いだった。
けれど、思わず独り言ちるのはなんとも言えない言葉。
「……それにしても、こんなに弱かったのか」
かつては苦戦した。死にかけた。
黒大剣なんて持ち出しては来なかったが雑兵のスパルトイも手強く、なんなら本体に傷をつけるのも割と一苦労だったと記憶している。
それが、今の彼からすれば本気でやっていれば軽く嬲る程度となった。
「強くはなれたなぁ……」
確かにこれは成長したと言えるだろう。進歩したと言えるだろう。
だが、それは同時に終わりの見えない停滞に陥ることを意味していた。
果たして、今のアルス・ラドクリフの『冒険』はどこにあるのか。
更なる高みへと至る為の『偉業』とは、なんだ。
※
第十八階層、リヴィラの街の外縁。
野営を片付けてアルスの帰還を待っていたティオナとレフィーヤは、彼が行ってきたという所業に瞠目した。
「う、ウダイオスの単独撃破ぁ!?」
「この通り終わらせてきた。魔石は大量、レアドロップも確保。これで貯蓄も潤うというわけよ」
「え、えぇ……?」
そんなんでいいの? と流石のティオナですら首を傾げる。
「それって『偉業』なんじゃ……」
「残念ながらそんな歯応えはなかった。ステイタスが少し伸びてたら御の字かなぁ」
「で、デタラメな……」
階層主の単独討伐、それも『深層域』のとなれば間違いなく膨大な経験値と『偉業』なのではと思ったレフィーヤだったが、目の前の男にとっては全くそうでは無いらしい。
カラカラと笑う男を見て感心すればいいのか呆れればいいのか分からないが、オラリオの人々はこれを『偉業』だと称えるんだろうなとは予想出来た。
ただ余人の『偉業』は彼にとってそうではないだけで。
「幾らになるかな〜、幾らになるかな〜」
だというのに、上機嫌で金勘定しかしていないこの男は何なのだろう。いや、愛しき憧れの人であるアイズの佳い人である。
鼻歌でも歌うように言葉を繰り返しながら地上に向かって歩き出した男には、その背の大盾についた傷の他に目立って傷も汚れもない。
だが、スキップでもしそうなくらいに軽い足取りで金勘定をしては小躍りする姿は滑稽だった。
複雑な心境がより複雑になった。数時間前まで畏怖すら覚えていたけれど、なんだかただの馬鹿にすら見えてきた。
行きのように無理矢理に運ばれるという苦難に陥らなかったことに安堵するレフィーヤは、長引きそうになった自分の思考を打ち切った。
そんなことよりも、今はあの背中を見るべきだと。
自分の憧憬の隣に立つために、己の無力を呪うが故に。
何でもいいから学び取るという強い意志で、彼女は前を向いて歩いた。
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マネーマネー③
お気に入り6000ありがとうございます
「ふふ、はははっ!」
堪えきれぬとばかりに哄笑が零れ落ちる。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
我慢をやめて、呵呵大笑。夕暮れ時のオラリオにテンションを振り切った男の笑声が響き渡る。
それは不気味さすら孕んだ上機嫌。己の気分の良さをこれでもかと外に押し出した大笑いにほかならなかった。
その声は辺り一体に響き渡るだろう大きさであり、視界に入った者たちは皆一様に何事かと視線を向けざるを得ない。
そうやって視線を向けた先にいるのは、呵呵大笑する【貴き者】。あきらかに関わってはいけない人だったので揃って目を逸らした。
何せ都市最強の一角である。誰も機嫌を損ねて不興を買いたくない。買取を担当した職員は目と耳を塞いだ。
だが、端的に言って彼は近所迷惑だった。
何せ煩い。騒々しい。喧しい。
笑うにしても場所を選べというものである。
よりにもよってギルドでそんなクソでかい声で笑わないでくれ、というのが一同の意見だった。
誰もがドン引きする中、そんな光景に気がつくことも無く笑い続けた男は五分ほどで駆けつけた翡翠髪のハイエルフにどつかれ、静かになって帰っていった。
※
そこは黄昏の館にアイズたっての希望により超特急で確保された、アルスとアイズの為の部屋。
彼らが穏やかに過ごせるようにと暖色で彩られ、真新しい木製の家具と武具を安置するための銀の立て掛けが調和した部屋は、二人部屋であることを加味してもなお広い。
そんな広々とした部屋に響くのは静かな怒りの声であり、帰ってきてから一時間ほどとある姿勢で放置されたアルスの苦悶に満ちた声である。
「──で、ギルドで大笑いして不用意に目立った馬鹿はどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「フィンと結託して内密に単騎でウダイオスを討伐した阿呆はどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「妻子を地上に待たせながら階層主の単独討伐などという不必要な愚行を犯したのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「レフィーヤとティオナを鍛錬でボロ雑巾にしたのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「帰ってきて早々に私を無視してギルドまで走り抜けたのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……ッ!」
大量の拳骨によって彼は既にボコボコだった。
そこに自分の罪を突きつけられて精神もボロボロだった。
床の上に足を畳んで座る、極東より伝わる正座を強制して肉体を痛めつけた上で精神を抉るハイエルフ。
恐怖を体現したその姿に、はじめは庇おうとしたアイズも近くで震える他はなかった。
正座で足の限界を超越しつつあるアルスはいい歳こいて半泣きだった。
情けないにも程があるが、
誰かが通りかかれば呆れと共に憐れみを抱いただろう。
きっとこの男は生涯彼女たちに敗北し続けるだろう。
リヴェリアの口から滔々と語られる説教とアルスがいなかった間のアイズの様子。
前半は彼の植え付けられたトラウマを刺激し、後半は己の罪過による心の苦しみを味わう苦痛だった。
三十分もしない内に真っ白に燃え尽きたアルスに嘆息したリヴェリアは後をアイズに任せて部屋を出た。
「…………鬱だ、死のう」
「むぅ」
「冗談だから足つつくのだけは許して」
「やだ」
「嘘だろおい」
ツンツン、ツンツン。痺れる足。つつかれる足。悶え苦しむ男の姿がそこにはあった。
「ぐああああああああああああ!?」
「懲りた?」
「懲りました、もうしません……」
瞬く間に敗北宣言。全面降伏だった。
階層主を単独で討伐出来ても勝てない相手はいるらしい。
アルスの宣言に満足したのか、アイズは足をつつくのをやめて寝台に腰掛ける。
「……おいで?」
そのまま膝を叩きながら誘えば、灯りに惹かれる蛾のようにアルスはふらふらと寄って頭を乗せた。
細いが骨ばった感触ではなく、しなやかな筋肉と柔らかさ。鼻腔を擽る香りに表情が緩む。
「おつかれさま」
「……おう、ありがとう」
「身体は大丈夫?」
「問題ないよ。かすり傷もない」
「……それなら、よかった」
そっと髪を梳く細い指は擽ったく、薄く微笑む少女の頬におもわず手を伸ばす。
そのまま滑らかな頬を撫でた。
擽ったそうにしながら頬を薄く染めて含羞む姿は見慣れた彼の思考を溶かすほどに愛らしい。
彼らに闇雲に身体を重ねて愛情を求める必要はない。互いの熱情に溺れる必要も無い。
積み上げた時間が齎す精神の結び付きはそれだけで心を溶かし、胎に命が宿るという事実がその愛を証明する。
愛していると口にすることはなく、好きだと口にする必要も無い。
ただ優しく触れ合い、互いの熱に触れるだけで今の彼らは満たされていた。
「なぁ、アイズ」
「……なに?」
「ごめんな」
「…………?」
その唐突な謝罪が何に対してのものか、アイズには分からなかった。
二日も放置したことへの謝罪なのかもしれない。
彼女を置いてダンジョンに潜ることへの謝罪なのかもしれない。
或いはもっと別の何かへの謝罪なのかもしれない。
とにかく分からない。分からないけれど、込められたのは真摯な意思であることに間違いはなかった。
だからまあ、浮気じゃないなら赦してあげようと彼女は思った。
「うん、いいよ。──謝らなくて、いいよ」
だから彼女は、謝っている内容が分からなくても赦すと告げた。
夫婦だから、相棒だから、家族だから。
理由は沢山あるけれど、言わなくてもきっと分かってくれるからそこは省いてただ赦した。
それが正しかったのかは分からないけれど。少し嬉しそうな彼を見て、きっと間違っていなかったのだと思う。
「──でも、浮気はしちゃダメ」
「するわけないだろ?」
「むぅっ……」
苦笑いするアルスだが、アイズの見立てでは彼に這い寄る敵は何人か目処が立っている。
特に妻が妊娠している時にこっそり浮気する男は多いとの情報が匿名希望のエルフから齎されているし、気をつけるにこしたことはないのだ。
酒で酔いつぶれたところを一発キメにくる悪逆非道の徒がいないとも限らない。
もし、仮に、ありえない話ではあるがそうなってしまえば、アイズは泣いて喚いて塞ぎ込む自信があった。
そう思った途端に、一気に不安が込み上げてくる。
心の中で小さなアイズが泣き出した。
考えれば考えるほど悪い方向に思考が向かう。
有り得ないと一蹴できるはずの暗い想像を振り払えない。
身体が良くない熱で、内側から沸騰する。
黙り込んだ少女を見て何かを察したアルスは身体を起こし、考えに耽って微妙に雰囲気が暗くなった彼女を優しく抱き締めた。
「……アイズ」
「なに?」
「いや、やっぱりなんでもない」
抱き返した少女に何かを言うことをやめて、背中に回した腕に少しだけ力が篭る。
苦しくはならないが強く、集中すれば互いの心臓の脈動が分かる程度の抱擁。
アルスは不安定な少女に言葉を尽くすのではなく、温もりを共有して乱れる心を鎮めることを選んだ。
リヴェリアにこういう状況になる可能性を口酸っぱく言われていたこともあるが、それ以上に彼は彼女にかける言葉を持たなかった。
常ならば抱かなかった不安に駆られ、心の乱れやすい状態にあるとされる時期の少女に「大丈夫」とか「心配ない」みたいな言葉をかけても効果があるとは思えなかった。
だからどうすればいいのかなんて答えはなかったけれど、彼の経験上ならこうしていればそのうち落ち着いてくれる。
そうして抱き締め合う間、感じるのは互いの温もり。
服を挟むとはいえ感じる体温、聞きなれた吐息の音色、僅かに伝わる脈動、心地良い香り。
静寂に満ちた部屋の中で、ただ温もりを分かち合う。
それはきっと当たり前の幸福に満ちていて、誰もが当たり前に求める幸せの形だった。
どれほどの時間をそう過ごしたのだろう。
始めた時間が分からないから時計を見ても分からないのでアルスには知りようもなかったが、少女は規則正しい呼吸と共に寝入っていた。
背に回された腕を解き、起こさないようにそっと寝台に横たえる。
「変わったな……」
幼く痩せ細っていた少女は細身程度に育った。頬は痩けていないし、血色もいい。
眠る姿も折れてしまいそうな危うい儚さではなく、可憐な花のような儚さと美しさを宿していた。
初めて出会った頃とは大違いだと微笑んで、寝台に横たわろうとしてから風呂に入ってないことを思い出した。
流石に良くないな、と判断したアルスは音を立てないように気をつけながら替えの衣服を用意して部屋を出た。
※
人の気配が薄いホームを暫し歩いて辿り着いた浴場には、どうやら先客がいるようだった。
湯船に浸かって寛ぐ気配に足が少し止まる。
言い方は悪くなるが、弱い下部団員の前にアルスが姿を出すと恐縮されたり畏怖されたりでお互いに気が休まらないのだ。
団員の全てを同じ【ファミリア】、同じ神を親とする『家族』だと看做すアルスの思考は、それだけで人間関係が纏まるものではない現実によって偶に負ける。
まあ、だからどうしたと言える精神を持っているからこそ彼は彼なので、そのまま脱衣を敢行。
ラウルだったらビビらせてシバくとか考えて、シャワーを浴びる。
勢いよく浴びせられる熱湯に心地良さを覚えながら、明日からの予定を少し考える。
遠征が近いため、ダンジョンに潜るのは必要にかられない限りなし。
装備の整備は必須だが急務ではなく、ポーション類の補充は必要ない。
そうなるとアイズと過ごす事が最優先で問題ないことになり、気分の良さを感じながら溢れる熱湯を止めた。
湯船に浸かっていこうと歩みを進めれば、見覚えのあるドワーフが一人で酒を飲んでいた。
「む、アルスか? 一杯どうじゃ!?」
「なんだ、ガレスか」
お前風呂で酒飲むなよなー、と小言を言いながら一杯受け取る。
時間的にも寝酒には丁度いいという判断からであり、度数もそう高くはなかったのでアルスはそれで満足した。
米酒、極東の酒の類だなと当たりをつけて、今度高いのを見繕うことを決める。
「一杯だけで満足なのか?」
「アイズもいるしな。一杯なら別に匂わんだろうけど、それ以上は流石にな」
「そうかそうか!」
酒を断られたというのにガレスは上機嫌だった。
残念そうにすることもなく、返事を聞く前よりも嬉しそうに酒を飲んでいる。
彼が酒を豪快にがぶがぶと飲むのではなく、お猪口に注いでじっくり飲む姿は非常に珍しい。
鯨飲するのが常のドワーフに何があったと思うが、ここしばらくの出来事を考えたアルスは尋ねることも無く納得した。
この男も、リヴェリアではないが嬉しくて仕方がないのだ。
リヴェリアはもちろんのこと、ガレスもアイズを愛している。それはアルスに対しても同じことだ。
彼らにとって自分たちは子どものようなものだという自覚があったし、それなりにやんちゃをして心配をかけた自覚がある。
「……あのチビッ子が、随分と大きくなったもんじゃ」
「まあ、子どもだったからネ」
「よく言うわ。あの頃の方が今よりよほど大人だったじゃろうに」
「やさぐれてた時期の話はやめてくれ……」
相当恥ずかしいのだろう、そっぽを向く横顔は赤かった。
「本当に、大きくなった」
「ガレス?」
思い出に耽けるように虚空を見るドワーフに、彼はそれ以上の言葉を紡げなかった。
「思う存分に酒盛りが出来んのは些か不自由じゃがのう」
「そこはまあ、リヴェリアが厳しいしな」
「お主も相当じゃろうて……」
自覚がないのか、惚けた顔をするアルスにガレスはにんまりと笑って背を叩く。
子どももいないのに、孫がいればこういうものなのかと二人を見てきたドワーフは、背を叩かれた男が噎せる姿を見て豪快に笑った。
「大して痛くはないけど吃驚するんだがッ?」
「なぁに、孫娘を奪う男なのだ。甘んじて受け入れておけ!」
「もしや俺は孫ではない!?」
「それとこれとは話が別よ……ッ!」
「そもそも似たようなくだりで殴り合わなかったっけ!?」
「儂は何度でも構わんからな!!」
ガッハッハッ、と豪快に笑う。
空っぽになった徳利が倒れ、少ししてお盆がひっくりかえってお猪口は徳利と一緒に湯船に浮かんだ。
背を叩く手は止まらない。上機嫌なガレスは酒がなくなっても止まることはなく、アルスの背中に微妙な痛みを与え続ける。
しばらく続いたそれは、新たに浴場に訪れた誰かの気配によって中断された。
「なんだ、やけに騒がしかったけどもういいのかい?」
「フィンか! 酒はもうないぞ!」
「いや、湯船に浸かりながら飲む気は無いかな」
苦笑と共に
小柄ながらも鍛え抜かれた肉体は逞しく、その身体には古傷が幾らか見える。
小さくとも戦い抜いた戦士の肉体だった。
しっかりと鍛え上げた肉体が三つ、湯船に浸かる。
普通にむさ苦しいことこの上ないが、子どもにしか見えない容姿の若作り男が現れたことで僅かな緩和を得ていた。
同時に、背を叩く手が止まったことにアルスが心の中で感謝した。
「それで、何を話していたんだい?」
「なに、小さかったこやつらが子までこさえたじゃろ。大きくなったと喜んでおったところよ」
「ああ、なるほど。確かに大きくなったね」
「なんか恥ずかしいから上がっていいか??」
そんなことを彼らが許す訳もなく、アルスは抵抗虚しく湯船から離脱できなかった。
「まあ実際、僕も嬉しくは思うよ。食堂を壊したこと以外はね」
「うっ……」
「ぐぬっ……」
「アルスはいつも僕の胃を苛めるから、そこはまだ子どものままかな」
「誠に申し訳なく……」
謝罪に乾いた笑いを返してくるフィンに眉根を下げるアルスだったが、弁明のしようもないので黙ることで対抗する。
それを見てガレスがガハハと笑い、フィンが意地の悪い顔をするので拗ねたアルスが顔を逸らした。
「まあ胃が痛くなったらまた失踪するのでそのつもりで」
「……【勇者】の名が泣いてないか?」
「なに、その程度で揺らぐ名声じゃないさ。それに戦略的撤退もまた勇気ある決断だとも」
「どうせ事務処理はラウルあたりに押し付けるんじゃろ。小狡いやつじゃ」
「ノーコメントで」
「フィン……」
いないところで犠牲者にされる男を憐れむ者はここにはいない。
一頻り談笑したところで十分に温まったと判断したフィンが初めに湯船を出たのを切っ掛けにして、アルスとガレスもそれに続いた。
これ以上の長湯は無意味との判断である。
三人仲良く並んで体を拭いて、それぞれが寝やすさを優先したシャツとズボンを纏った。
「ああ、そうだ」
じゃあおやすみ、と別れようとしたところでフィンは不意に二人を呼び止めた。
立ち止まった二人がフィンに顔を向け、それを受けて少しだけ表情を引き締めて口を開いた。
「リヴェリアにも明日伝えるつもりなんだけど、最近どうも嫌な予感がする」
「いつもの親指か?」
「いや、もっと漠然としたものだ。正直な話、僕も困惑していてね」
ふむ、とそういったことを感じていない二人は唸った。
とはいえ、フィンのその手の話は気をつけていて損は無い傾向にあるので無視などしない。
少々不気味だが、直近で何かあるならば遠征かと二人は結論を出した。
「心当たりはないが、儂も気をつけておこう」
「俺もだな。暇な時にでも色々と手を回しておく」
「ありがとう、助かるよ」
今度こそ、三人はそれぞれの部屋へと戻った。
変わらない日常と迫る遠征。
何が起こるかなんて誰にもわかるはずはなく、暗がりの中を歩くように。彼らは導なき旅路を行く。
それを、いつかの誰かは『冒険』と言った。
【次回予告】
アイズさんのにちじょー
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