この悲運の主人公に救済を! (第22SAS連隊隊員)
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プロローグ

二つの刃が閃き血飛沫が舞う。赤い雫は深紅と深緑の異型に降り注ぎ、その体に新たな彩りを添えた。

ドサリ、と。青い異型が地面に倒れ、その体の下に赤い水たまりが広がってゆく。

 

――イユ……

 

今にも消えてしまいそうな掠れた声で想い人の名を口にし、震える手を冷たい地面に横たわる物言わぬ「彼女」に向かって伸ばす。

ああ、どうして――

徐々に遠のいてゆく意識の中で浮かんできたのは疑問。

 

どうして自分は生まれてしまったのだろう。

 

どうして自分は悪魔に取り憑かれてしまったのだろう。

 

どうして自分は生きることが許されなかったのだろう。

 

それは自問か、はたまた自分にこのような運命を背負わせた神への問い掛けか。

 

――どうして……

 

瞼が落ちると同時に少年――千翼はその短い生涯を終えた。

 

 

◆◆◆

 

 

ゆっくりと目を開く。初めに目に映ったのは白黒の市松模様。

そのまま顔を上げると、正面の少し離れた位置に紙束の乗った小さなテーブルと背もたれの高い椅子が置いてある。

次いで辺りを見回すと、周囲は暗闇で何も見えなかった。

 

「ここ、どこだ……?」

 

「ここは死後の世界です」

 

後ろから疑問の答えが聞こえ、千翼は慌てて振り向いた。

暗闇の中からカツカツと靴音が響き、やがて金髪を揺らしながら白いローブを着た妙齢の女性が――背中に一対の大きな純白の翼を生やした女性が現れた。

次々と起こる理解不能な出来事に千翼が目を見開いて固まっていると、女性は彼の脇を通過し、空いていた椅子に腰掛ける。

 

「死後の世界にようこそ、千翼さん」

 

「……あんた、一体何者だ?」

 

「私は若くして死んだ魂を導く天使。日本地区担当の者です」

 

未だに混乱する頭で、ようやっと浮かんできた疑問を口から絞り出すと、目の前の女性は自分は天使だと名乗った。

 

「すでに理解していると思われますがもう一度言います。千翼さん、貴方は死にました」

 

「……だろうな」

 

自分は死んだ。頭のどこかで理解していた事を他人から改めて伝えられ、奇妙な現実感と共に冷静さが戻ってくる。

少年が事実を受け入れ、会話が可能な状態になったことを天使は確かめると、ゆっくりと話し始める。

 

「ここは死者に審判を下す部屋でもあります。生前の行いでその人が天国へ行き、次の誕生を待つに相応しいか。はたまた犯した罪の重さに応じて罰を受け、地獄でそれを償うのか。それとも……」

 

「それとも?」

 

ほんの少しだけ間を開け、天使は続きを口にする。

 

「危機に瀕した異世界に赴き、そこで魔王を討伐して願いを叶えるか」

 

突然出てきた荒唐無稽な言動に、千翼の思考は停止した。

こいつは何を言っているんだ? とも言わんばかりに怪訝な表情を浮かべていると、それを見た天使は「説明しますね」と言いゆっくりと話し始めた。

曰く、とある異世界では魔王の侵略により人類は滅亡の危機に瀕している。

さらにその世界の死者は余りにも危険すぎる状況に生まれ変わることを拒否し、それに伴って人口は減る一方であること。

事態を重く見た神々は別世界で死んだ若い人間の魂を異世界へと導き、強力な力を授ける代わりに魔王討伐を頼み、それを成し遂げた者には願いを一つだけ叶えることを決定した。

 

「以上で説明を終わります。何か質問は?」

 

「……それって、本当なのか?」

 

「ええ、事実です。嘘偽りは一切ありません」

 

表情が変わらない天使を見て、彼女の先ほどの説明が紛うこと無き真実であることを千翼は確信する。そして千翼は力なく項垂れた。

 

「でも、俺は……」

 

「人を殺した」

 

天使の言葉に千翼の体が微かに震え、両手の拳が硬く握られる。

 

「本来であれば、殺人を犯した者は問答無用で地獄行きが決定します。ですが、貴方は出生に極めて特殊な事情があり、尚且つ殺人についても間接的、やむを得ない理由がありました」

 

目の前の少年の心境を知ってか知らずか、天使は構わずに言葉を続ける。

 

「天界の神々は貴方の処遇について様々な議論を交わしました。地獄行きにするには余りにも理不尽、かといって天国行きにするにも罪を犯したのもまた事実」

 

千翼はうつむいたまま、黙って天使の言葉を聞いていた。

 

「そこで神々は貴方に試練を課すことにしました」

 

「……試練?」

 

天使はその言葉を肯定するようにゆっくりと頷く。

 

「千翼さんが人間として生まれ変わるに相応しい魂の持ち主であるのか、貴方を異世界へ向かわせて見極めよう。これが神々の出した結論です」

 

「俺は……やり直せるのか……?」

 

それを証明できれば。と天使は付け加えた。

 

「無論、これは飽くまで選択肢の一つであり貴方が望めば地獄行きにすることも可能です。ですが……地獄は文字通り罪人を裁くための世界、貴方が想像を遙かに上回る苦痛がそれこそ何千年、何万年と続きます」

 

目の前の女性が真顔で言い放ったことから、それが脅しや誇張で無いことを千翼は本能的に理解する。

今の千翼に提示された選択肢は二つ。一つ目は異世界に向かい、そこで自分が相応しい魂の持ち主であることを証明すること。二つ目は地獄へ向かい、そこでいつ終わるかもわからない贖罪を続けること。

果たして自分は、人であることを証明するのが出来るのだろうか。直接間接問わず、大勢の命を奪った。やはり自分は――

 

 

――お前が人でなくなったら殺せ。母さんがそう言っているんだ。

 

 

違う、俺は人間だ。今度こそ、それを証明してみせる。千翼は閉じていた目を開き、ゆっくりと顔を上げる。その目には確かな決意があった。

 

「わかった、その異世界って場所に行く。そこで俺が相応しいことを証明してみせる」

 

その返事を聞いて天使は微笑む。

 

「わかりました。それでは規定に従い、これから異世界に向かう貴方に一つだけ『力』を授けましょう」

 

パチン、と天使が指を鳴らすと、千翼の足下に紙束が現れる。

驚きつつも千翼は紙束を手に取りそこに書かれている文書を読んだ。

 

「ステータスオールマックス、神殺しの拳、斬鉄剣、リボルケイン……」

 

「これから異世界に向かう貴方は、全てを超越した絶対的な『力』を一つだけ選ぶことができます。不死身の肉体、次元すら切り裂く魔剣、万能の魔法……どれでもお好きな物をどうぞ」

 

天使の説明を聞きながら千翼は紙束に目を落とす。しかし、彼が欲する物など初めから決まっていた。

 

「アマゾンズドライバー。俺が死ぬ直前に着けていたベルトを頼む」

 

「そう言うと思いました」

 

ニッコリと天使は微笑み、指を鳴らす。

すると千翼が持っていた紙束が一瞬で消え、入れ代わりに握り拳ほどの光の球が現れた。光球は徐々に形を変え、やがて奇妙な赤いバックルが付いた一本のベルトになった。

ベルトの存在を確かめるように千翼はバックルを撫でると、金属の冷たさに混じって細かな傷の感触が指から伝わってくる。

 

「それでは、異世界に向かう準備はよろしいですか?」

 

天使の最後の確認に首を縦に振ろうとしたところで、動きが止まる。

 

「どうかなさいましたか?」

 

怪訝な顔になった天使が千翼に尋ねる。目の前の少年は何かを考えていた。

やがて考えが纏まったのか、意を決したように千翼は真っ直ぐ天使を見据える。

 

「なぁ、ちょっといいか?」

 

「なんでしょうか?」

 

「もう一つだけ、欲しい物があるんだ」

 

「申し訳ありませんが特典は一人につき……」

 

千翼は静かに首を横に振る。

 

「違う、俺が欲しいのは――」

 

千翼は天使に自分が欲している物を伝えた。それを聞いた天使は考えるような素振りを見せ、やがて、

 

「そうですね。その程度でしたら問題はないでしょう」

 

そう言って指を鳴らした。

 

 

 

 

 

「それではこれが最後の確認になります。異世界へと向かう準備はよろしいですか?」

 

「大丈夫」

 

目の前の少年が頷く姿を見て、天使は両手を挙げ何かを呟く。すると彼の足下に白い複雑な幾何学模様――魔方陣が描かれた。同時に暗闇の天井からまばゆい光が降り注ぎ千翼を照らす。

さすがに千翼も慣れたのか慌てることも無く、これから起こる出来事に身を委ねるように立っている。

魔方陣と上からの光が徐々に強くなるが千翼は不思議と眩しさを感じなかった。いよいよお互いの姿が見えなくなってくる。

 

「ここだけの話ですが、向こうに着いたらまずは冒険者ギルドを探してください。そこで生活に必要なことは一通り教えてもらえますから」

 

完全に姿が見えなくなる直前に、千翼にだけ聞こえるように天使はささやく。最後に見えたのは、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女の顔だった。

とうとう光が部屋中を白一色で塗りつぶす。それは一瞬で終わり、光が収まった後には椅子と天使だけが残されていた。

 

「行ってらっしゃい、千翼さん。あなたの旅路に幸運があらんことを……」

 

再び暗闇に包まれた天井を見上げながら、天使は旅立った少年の無事を祈った。




2021年2月14日:仁さんの台詞とその前の文章を変更


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Episode1 「A」 NEW WORLD

お約束の冒険者登録、ステータス計測、初クエスト回です。


足裏に確かな感触を感じると、閉じていた瞼をゆっくりと開ける。

石畳の道を進む幌馬車、レンガを積み上げて建てられた煙突付きの家屋、見慣れない服を着た人々……。

テレビや本でしか見たことないような景色が、千翼の目の前に広がっていた。

 

「ここが……異世界……」

 

あの部屋で行われたやり取りは決して夢などでは無かった。自分は本当に異世界に転生してしまったのだ。

今更ながら自分の身に起きた出来事に驚きつつ、送られる直前に天使からもらったアドバイスを思い出す。

――まずは冒険者ギルドを探せ。

その冒険者ギルドなる場所に行けば、生活に必要なことは一通り教えてもらえるらしい。

目的地に向かう前に背負ったリュック――ベルトの持ち運びが不便だろうからと「内緒ですよ」と天使がオマケで付けてくれた、生前愛用していた物――を開けて中を確認する。

暗闇の中から黄色い瞳が千翼を見ていた。

 

「うん、ちゃんとある」

 

リュックの口を閉じると一陣の風が通り過ぎる。数枚の落ち葉が千翼の足下を掠めていった。

寒さに身を震わせると首に巻いたストール――あの部屋で天使に頼んで持ってきてもらった母親の形見を少し巻き直すと、まずは目に付いた大きな建物を目指して千翼は歩き出した。

しばらく歩いて建物に到着し、入口の上に掲げられている落書きなようなものが書かれた看板を見ると『冒険者ギルド』と当たり前のように読むことが出来た。

あの天使が言っていた通り異世界の文字が読めたことに内心驚きつつ、入口の扉を開けると中から酒と香辛料の匂いが漂ってくる。

 

「いらっしゃいませ! お食事の方は空いているお席に、クエストの受注はあちらの受付へどうぞ!」

 

お盆に料理を乗せた女性ウェイターが爽やかな笑みとよく通る声で千翼に挨拶し、あっという間にどこかのテーブルへと料理を運んでいった。

受付と言われた方を見ると、スタッフらしき人間がカウンター越しに剣や槍を背負った集団相手に何かやり取りをしている。その後ろには簡素なベンチがいくつか置かれており、千翼はそこに座って順番を待つことにした。

 

「次の方、どうぞ!」

 

受付の一つが空き、千翼は立ち上がってカウンターに向かう。金髪の受付嬢の前に着くと「本日はどのようなご用件で?」と尋ねられた。

 

「あの、この町には来たばかりで勝手がわからなくて……」

 

「なるほど。それではこの町と冒険者ギルドについて説明いたしますね」

 

ここは魔王の侵略から最も遠い町であるアクセル。冒険者ギルドでは、登録した冒険者を対象にモンスターの討伐や指定物の採集といったクエスト――つまりは仕事を取り扱っている。

それらを達成したかどうかは冒険者カードという身分証明書で確認されること。カードの偽造禁止、紛失時には再発行に手数料がかかること。他にもアクセルにある主な施設や近くの町に関する情報など、一通りのことを受付嬢は説明した。

あの部屋で天使は「相応しい魂の持ち主であることを証明しろ」と言った。となれば、やることは決まっている。

 

「じゃあ、冒険者になりたいです」

 

「わかりました。それでは登録料として千エリスの支払いをお願いします」

 

「……登録料?」

 

まさかの言葉に思わずオウム返しをしてしまう。当然ながら千翼はこの世界の通貨など一切持っていない。

とりあえずは登録し、適当な仕事をこなして今日の宿を探そうと思っていたが、その計画は早速失敗した。

 

「どうかなさいましたか?」

 

目の前の少年が突然俯いて黙ってしまい、受付嬢は心配そうに声をかける。

千翼はこれからどうするかを必死に考え、頭の中の堂々巡りが何週目かに達したとき――

 

「どしたのルナさん、なんかトラブル?」

 

後ろから誰かが話しかけてきた。振り返るとそこには緑色のケープを羽織った十代中頃の少年が。その後ろには青い髪を結い上げた少女、黒い大きなとんがり帽子を被った紅い目が特徴の小柄な少女、重そうな鎧を着た長い金髪をポニーテールにした背の高い少女の姿が。

 

「……」

 

登録料を払おうにも持ち合わせが無い。などとは情けなくてとても言えなかった。かといってどうすることも出来ず千翼は俯いたまま沈黙する。

そんな千翼の様子を見て事態を察したのか、少年が「あー」と小さく声を出す。

 

「もしかして登録料の持ち合わせがないのか? だったらここは俺が払っとくよ」

 

「え……」

 

その発言に思わず俯いていた顔が上がる。少年は懐から財布を取り出そうとするが、その行為に青い髪の少女が抗議の声を上げた。

 

「ちょっとカズマ、今はそんな余裕ないでしょ」

 

「まぁ、待てってアクア」

 

カズマと呼ばれた少年は、カウンターから少し離れた場所に青髪の少女アクアを連れて行くと、周りに聞こえないように小声で彼女に話しかける。

 

「いいか。あの黒髪に顔立ち、服装。そしてこの世界の通貨を一つも持っていない……あいつは間違いなく日本人だ」

 

「見ればわかるわよ。それがどうしたって言うのよ?」

 

はぁー、と呆れたように溜息を吐きカズマは頭を振る。その様子を見てアクアは顔をしかめた。

 

「いいか、あいつはついさっき来たばかりの転生者だ。てことは、ここに来る前にあの部屋で転生特典を選んできているに違いない」

 

「まぁ、間違いなくそうだろうけど……それで?」

 

「お前、今まで何やってきたんだよ……」

 

不思議そうな顔をする女神に今度はカズマが顔をしかめた。

 

「あいつはいま無一文、冒険者になろうにも金がない。そこで俺が金を出す、あいつは冒険者になれる」

 

「ふむふむ」

 

「当然ながらこれで貸し一つだ。だから対価としてあいつにクエストを手伝ってもらう。ここまではいいか?」

 

「大丈夫よ」

 

きちんと理解していることを確認すると、満足げにカズマは頷いて続きを話す。

 

「ここからが重要だ。あいつは転生特典として何らかのチート能力かチート装備を持っているに違いない。きっと早く試したくてウズウズしているだろう。だからちょっと難しい討伐系のクエストを……」

 

ここに来てカズマが何を言わんとしているのか理解し、その美貌に似つかわしくない悪辣な笑みをアクアは浮かべる。釣られるようにカズマの口元が歪んだ。

 

「なぁるほどぉー。いやーカズマさんも相当なワルですなー」

 

「人聞きが悪いなー。知恵が回ると言ってくれよー」

 

グフフ、と。とても人前では出せような忍び笑いを二人は漏らす。そんな二人を千翼は不思議そうな、金髪の少女とトンガリ帽子の少女は何かを疑うような表情で見ていた。

話を終えて二人がカウンターに戻ってくると、カズマは改めて財布を取り出し千エリスを支払った。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「ありがとう」

 

小さく、だが確かな声で千翼は礼を言った。

気にするな、と言わんばかりにカズマは手をヒラヒラさせる。

 

「はい、確かに千エリスいただきました。それではカードに記入をお願いします」

 

受付嬢のルナからカードとペンを受け取り、千翼は空欄に名前、身長、体重等を書き込んでゆく。年齢や生年月日の欄はどう書こうか迷ったが、幸いなことに必要事項ではなかったので空欄にしておいた。記入漏れが無いことを確認してからカードとペンを返す。

 

「チヒロさん、ですね。次にステータスを計測するので、こちらの水晶に手をかざしてください」

 

ルナは千翼の冒険者カードをカウンター脇に置いてある人の頭ほどはあろう、様々な機械が取り付けられた青い水晶の下に置いた。

言われた通りに千翼が手をかざすと、水晶が淡い光を放ち始めた。同時に機械が回り出し光が徐々に強くなってゆく。

やがて光は水晶の下端へと集まり、一筋の青い光線となって下にあるカードを直撃した。すると、光線はまるで意志を持っているかのようにカードのステータス欄を次から次へとなぞり、なぞられた後にはこの世界の文字が書き込まれてゆく。

その様子を千翼は驚いたように、カズマは期待に満ちた、アクア達は真剣な眼差しで見つめる。最後の一文字を書き終えると光線は消え、水晶の光と機械も動作を停止した。

 

「それではこちらが貴方の冒険者……あれ?」

 

出来上がったばかりの千翼の冒険者カードを見たルナは首を傾げた。しばしカードを眺めたあと、それを元の位置に戻す。

 

「申し訳ありません、どうやら不具合が発生したようでして。もう一度お願いします」

 

怪訝な顔を浮かべつつも千翼は再び水晶に手をかざす。先ほどと同じように光が集まって、真下にあるカードに千翼のステータスを書き込んでゆく。

二度目の書き込みを終えたカードをルナは手に取ると、

 

「ええと……」

 

作り直されたカードを見たルナは、なんとも複雑な表情を浮かべていた。この様子にさすがの千翼たちも首を傾げる。

 

「こ、こちらが貴方のステータスになります……」

 

差し出された冒険者カードを千翼は受け取る。出来上がったばかりのカードを眺めていると「俺たちにも見せてくれよ」とカズマ達が横からのぞき込んできた。

 

「筋力、器用度、敏捷性、それに知力は普通だな」

 

「魔力がゼロ? 珍しいわね」

 

「生命力は非常に高いな」

 

「これはすごいですね」

 

彼らの所見によると、どうやら千翼は生命力、魔力以外のステータスは平均値らしい。

そして千翼は知らないが、この世界で冒険者にとってあまり関係のないステータスといわれている幸運。カードの一番下に書かれている最後のステータスを五人は同時に見て、言葉を失った。

 

 

 

【測定不能】

 

 

 

これだけなら「計測できないほど幸運に恵まれている」とも解釈できただろう。しかし、現実はあまりにも非情であった。

測定不能の文字のすぐ左側に、この世界で負の値を表す記号、即ちマイナスの記号が全てを物語っていた。

 

『……』

 

千翼も、カズマたちも一様に押し黙る。

 

「だ……大丈夫ですよ! 幸運の数値は冒険者にはあまり関係のない数値ですから!」

 

彼らの様子をみて居たたまれなくなったのか、ルナがフォローを入れる。

 

「そうそう! 俺も幸運の値がものすごく高いって言われたけど、良いことなんか殆ど起きないぜ!」

 

ルナの言葉にショック状態から立ち直ったカズマもすかさずフォローを入れる。千翼は黙って小さく頷いた。

 

「それではチヒロさん、職業は何になさいますか?」

 

暗い空気を和らげるためにルナが明るい声で千翼に尋ねる。

 

「職業?」

 

その言葉を聞いて首を傾げる。自分はこれから冒険者になるのだが、どうやら冒険者は職業ではないらしい。では彼女の言う「職業」はどういう意味かと千翼は疑問符を浮かべる。

 

「戦士とか魔法使いとか、戦闘での役割のことだよ。前に出て敵と戦ったり、後ろから魔法で援護したりするんだ」

 

RPGをしている人間ならば説明は不要だが、あいにく千翼は生まれてこの方ゲームに触れた経験が無い。

カズマの説明からこの世界に於ける「職業」の概念を大まかに理解はしたが、自分はどんな職業が向いているのだろう。チーム×(キス)や4Cにいたころは便利な道具扱いされていたため、戦闘に於ける役割など考えたことも無かった。

 

「もし何にしたらいいか迷っているようでしたら、まずは基本職である冒険者を選び、そこから自分には何が向いているのか改めて考えても遅くはありませんよ」

 

「そうそう。あとで転職も出来るんだし、やっぱり基礎が大事だって」

 

「それじゃあ、冒険者で」

 

ルナとカズマの後押しもあって、千翼はひとまず冒険者になることを選んだ。

カードを受け取ったルナは、それをカウンター内の何かの機械に入れるといくつかボタンを押す。少ししてカードが排出されるとそれを手に取り、千翼に差し出した。

 

「はい、これにて登録完了です」

 

受け取ったカードにはこの世界の文字で「千翼」と書かれており、職業の欄には冒険者と書かれている。

自分の、自分だけのカード。まるで宝物を手に入れたような気分になり、思わず笑みがこぼれる。

 

「まずは冒険者としての登録おめでとう!」

 

「おめでとう!」

 

「これから貴方の物語が始まりますよ!」

 

「わからないことがあったら遠慮無く聞いてくれ」

 

千翼の新たな門出を祝ってカズマ達が拍手を送る。四人からの祝福を受け、千翼は照れ臭そうにしながら「ありがとう」と小さく礼を言った。

 

「というわけで、このクエストを受けます!あ、パーティーには千翼も入れます!」

 

そして、カズマは一枚の紙を勢いよくカウンター叩き付けた。

 

「さあさあ、私たちはあっちで待ってましょう」

 

「え、あ、ちょっと……」

 

自分たちの目論見がバレないように、アクアは千翼の手を引いて強引にカウンターから引き離す。そのまま隣の飲食スペースへ連れて行き、空いているテーブルに着席した。遅れて金髪と帽子の少女も席に着く。

 

「そういえば自己紹介がまだだったわね。私はアクア、水を司る女神よ。気軽にアクア様と呼んでちょうだい」

 

「め、女神?」

 

突然素っ頓狂なことを口走る少女に千翼は面食らう。アクアと名乗った少女は自信満々といった様子で胸を張っていた。

 

「ああ、彼女の言うことは気にしないでください。そういう芸風なので」

 

「芸風じゃないわよ! 何度も言ってるけど私は正真正銘の女神!」

 

そんな自称女神の抗議を聞き流しながら小柄な少女は勢いよく立ち上がった。羽織っているマントを大仰に翻すと持っていた杖を高々と掲げる。

 

「我が名はめぐみん! いずれは魔道の頂点に立ち、爆裂魔法を以て全てを征する者!!」

 

めぐみんと名乗った少女は堂々と名乗りを上げる。その姿に千翼は呆気にとられ、残る二人は気にも留める様子も無かった。

 

「あー……うん、よろしく」

 

めぐみんは満足そうな顔で静かに腰を下ろした。彼女が着席したのを確認すると、金髪の少女は千翼に軽く頭を下げてから自己紹介をする。

 

「ダクネスだ、職業はクルセイダー。戦闘での壁役は任せてくれ」

 

ああ、良かった。この人はまともそうだ。胸中で千翼が人知れず安堵の溜息を漏らす。

 

「その……もし危ないと思ったら遠慮無く私を盾にしてくれ。いや、むしろモンスターが私を襲っていても構うな! できることなら危険なモンスターを私にけしかけてくれ!!」

 

前言撤回、やっぱり変な人だ。

千翼がそんな失礼なことを考えていると、手続きを終えたカズマが四人の座るテーブルにやってきた。

 

「クエスト受けてきたぞー」

 

「よし、それじゃ張り切って行きましょ!」

 

アクアが勢いよく椅子から立ち上がって拳を上げた。いよいよ千翼の初陣の幕上げである。

 

 

◆◆◆

 

 

冬の寒空の下、五人のパーティが草原を歩いていた。口から白い息を吐きながら時折寒さに身を震わせる。

歩きながらカズマが受注したクエストの説明する。今回の依頼内容は冬眠に失敗したジャイアントトードの群れの討伐。

本来であれば越冬のために冬眠するジャイアントトードが、なぜか今年はかなりの数が冬眠に失敗して今も活動しているというのだ。

当然ながら今の季節は餌となるものも殆ど無いため、もしかしたら餌を求めてアクセルにやってくる可能性がある。一匹や二匹程度なら町の警備兵でも対処できるが、万が一集団が一斉に襲いかかってきたら町は大混乱になるだろう。それを防ぐために今回のクエストが出されたのだ。

 

「もしかしたら誰かさんが爆裂魔法を毎日ぶっ放したせいで、餌となる生き物が逃げた結果、ジャイアントトードが腹を空かせて冬眠に失敗したのかもな」

 

そういって先頭を歩くカズマは自分の後ろにいるめぐみんを睨んだ。当の本人は露骨に目を逸らす。

しばらく歩いて小高い丘を越えたところでカズマが立ち止まる。後ろの四人も歩みを止めると、カズマは前方を指さした。

 

「あれがジャイアントトード、今回の討伐対象だ」

 

「なに……あれ……」

 

千翼が絶句する。

カズマの指す先には一匹の蛙が、象と変わらぬ巨体を持った大きな蛙が丘の上にいた。

外見は日本でもよく見かけた緑色の蛙そのものだが、いかんせんサイズが桁外れである。

なぜ蛙相手にここまで警戒するのだろうと千翼は疑問に感じていたが、目の前の巨大蛙を見て納得した。

 

「群れの数は十匹前後、それを全て倒したら今回の依頼は完了だ。というわけで……」

 

カズマは隣に立つ千翼の肩を叩き、爽やかな笑みと共に右手の親指を立てる。

 

「千翼、お前のデビュー戦だ! 華々しく飾ろうぜ!」

 

「いよっ! 待ってました!」

 

アクアが威勢の良いかけ声をかけると、カズマとアクアが何を考えているのか察しためぐみんとダクネスは、呆れた視線を二人に送る。

千翼は小さな溜息を吐くと、リュックから鳥の顔のような赤いバックルが付いたベルト――ネオアマゾンズドライバーを取り出した。

 

「ベルト……?」

 

てっきり武器を取り出すかと思ったカズマは、意外な物が現れて首を傾げる。

 

「ちょっと離れてて」

 

忠告に従ってカズマ達は千翼から離れた。四人が十分に距離をとったことを確認すると千翼はドライバーを腰に巻く。

次にリュックから銀色の注射器「アマゾンズインジェクター」を取り出し、リュックを少し離れた場所に置いた。

インジェクターをバックルに挿入してのまま持ち上げると、手の平でピストンをゆっくりと押し込んだ。内容物の黄色いゲルがドライバーに注入される。

 

『NE・O』

 

鳥の目が黄色く光り、電子音声と液体を飲み込む音が静かに響く。同時に千翼の瞳孔が黄色に光り出す。

――何が始まるんだ。離れた位置から四人は、事の成り行きを固唾を呑んで見守る。バックルの嚥下音が止まった。

 

「アマゾン!!」

 

叫ぶと同時に千翼の体が赤い爆炎に包まれた。熱と衝撃を伴った爆風が周囲に広がり、草を揺らす。襲いかかる熱風にカズマ達は思わず顔を覆う。

熱風が収まり心地よい冬の冷気を肌で感じると、覆っていた手や腕をゆっくりと下ろす。そして彼らの目に飛び込んできたのは、青い装甲を纏った異形であった。

四人の目が驚きで見開かれる。

異形はインジェクターをもう一度押し込むと「BLADE LOADING」と、再びバックルから電子音声が響く。右手首の装甲が持ち上がり、そこから一振りの剣が生えてきた。

まるで熱されたかのような赤い光を放つ剣は水音を立てながら装甲からせり出してくる。腕と同じ長さまで伸びたところで光が収まり、銀色の細い刀身が冬の寒空の下に現れた。

 

「アアアァァァ!!」

 

手元の剣のグリップを握り締め、雄叫びを上げながら青い異形――アマゾンネオはジャイアントトードに向かって疾走する。それに気が付いたジャイアントトードは大きな口を開き、長い舌を素早く伸ばした。先端が触れる寸前にネオは地面を蹴って跳躍し、その下をピンク色の舌が通過する。

空振った舌を口内に戻した大蛙はネオを捕らえるために上を向くが、すでに青い異形は目前にまで迫っていた。

 

「ハアッ!」

 

気迫と共に振り下ろされた剣はジャイアントトードの鼻先を捉え、そのまま腹を割き、最後には体を真っ二つに切り裂いた。血飛沫と臓物、さらには未消化の何かが青い異形に盛大に降り注いだ。

瞬く間の出来事にカズマ達は呆気にとられ、瞬きすら忘れていた。

と、地面から微かな振動を感じる。それに気が付いたカズマが首を回すと、平原のあちこちから大きな蛙が飛び跳ねながらこちらに向かってくるのが見えた。

 

「うわ、集まってきた!」

 

カズマは慌てて腰からショートソードを引き抜き、それに続いて残る三人も得物を構えた。

貴重な餌を一刻も早く捕らえるために、ジャイアントトードの群れが舌を一斉にアマゾンネオに向かって伸ばす。

それをネオは跳躍し、切り払い、叩き落として躱してゆく。が、一本の舌が左腕に絡み付いた。

見事に獲物を捕らえたジャイアントトードは、それを呑み込むために舌を引っ込めようとする。普通の人間であれば為す術も無く口の中に引きずり込まれているところだが、相手は文字通り()()()()()ではなかった。

腰を落として足を踏ん張ると、ネオは逆に左腕一本で大蛙を引っ張り始めた。負けじと蛙の方も巨体と体重を生かして全力で舌を口内に戻そうとする。腕と舌がギリギリと音を立てながら互いに引き合い拮抗する。

ジャイアントトードの舌を使った綱引きの結果は、アマゾンネオの勝利となった。相手が自分を引き込むために力を抜いた一瞬の隙を逃さず、左腕を全力で振り抜いた。

緑色の巨体が地面を離れ宙を浮き、青い異形に向かって跳んでくる。

 

「フッ!」

 

頭上を蛙の巨体が通過する寸前に、アマゾンネオは右手のブレードを真正面に振り下ろした。斬られた傍から血が噴き出してネオに降りかかり、青い体を赤く染めてゆく。ネオの後ろで腹を裂かれた蛙の死体が地面に転がった。

それからネオは大蛙の頭を蹴りで潰し、脳天を剣で貫き、素手で内臓を抉り出すなど、次から次へとジャイアントトードを仕留めてゆく。

やがて、ネオ以外動くものが草原からいなくなった。緑色の草で覆われていた地面は今や死体と血液、臓物で塗りつぶされており、鼻を抓みたくなるような臭いが辺りに漂っていた。

さっきまで命だったものが辺り一面に転がる。

バックルからインジェクターを引き抜くと、足下の草が凍り付くほどの強烈な冷気がアマゾンネオの体から放たれ、異形は千翼の姿に戻る。

ちょうどそのタイミングで丘の向こうからカズマ達がやってきた。なぜかアクアとめぐみんが何かの粘液塗れになっており、カズマを含めたその三人はうんざりとした、ダクネスだけは残念そうな顔を浮かべている。

しかし、その顔も草原の惨状を見るや否や四人そろって引きつったものになった。

千翼が近寄ってくると、カズマは隣のアクアに耳打ちする。

 

「いいか、こういうときはオーバーなくらい褒めちぎるのがコツだぞ」

 

「オッケー、わかったわ」

 

戻ってきた千翼に揉み手を交えながら、どこかわざとらしく労いの言葉を二人はかける。

 

「いやー、凄いな。まさに八面六臂の大活躍! アンタこそ魔王を討伐する伝説の勇者だ!」

 

「すごいじゃない! あのにっくきジャイアントトードをたった一人で殆ど倒しちゃうなんて、すごすぎよ!」

 

「いきなり姿が変わったと思ったらあの動き……もしや貴方、秘められし力を持つ者ですか!?」

 

「もしかしてこれを全部一人でやったのか? な、なぁ具体的にどんなことをしたんだ? 詳しく教えてくれ!!」

 

カズマとアクアは下心と打算が含まれた、めぐみんは純粋な感心から賞賛と労いを千翼へと送る。ダクネスだけは自分の性癖に忠実であった。

そして当の本人は、

 

「……」

 

カズマ達から視線を外し、どこか複雑な顔を浮かべていた。

 

「え、えーと……」

 

あれ、なにかマズかったかな? 千翼の様子がおかしいことにカズマは戸惑う。

もしかして彼の癪に障るようなことを言ってしまったのだろうか。内心で冷や汗を流していると可愛らしいくしゃみが聞こえる。

 

「カズマ、このままじゃ風邪を引くから早く町に戻ってクエストの完了報告をして、お風呂に入りましょう」

 

「同感……早く体を洗いたい……気持ち悪い……」

 

粘液塗れのめぐみんとアクアの言葉にカズマは了承し、五人はアクセルの町へと戻っていった。

 

 

◆◆◆

 

 

「はい、完了を確認しました。それにしてもすごいですね! ものの数時間で、しかも一人で殆ど討伐してしまうなんて!」

 

夕方近くになって五人は町に戻ってきた。

アクア、めぐみん、ダクネスを先に帰らせ、カズマはクエストの完了報告とその手順を千翼に教えるためにギルドに向かった。

出発してから数時間で帰ってきた二人にルナは驚き、千翼の冒険者カードを確認して討伐の殆どを彼が行ったという事実にさらに驚きの声をあげる。

 

「それでは、こちらが今回の報酬です」

 

カウンターの上に紙幣の束と積み重ねられた硬貨が置かれる。

 

「本来はパーティーで平等に分配するんだけど、今回は千翼のデビュー戦で、しかも一番の戦果を上げたからな。俺たちの取り分はこれでいいよ」

 

そういってカズマは硬貨の塔を手に取った。

 

「え……本当にいいの?」

 

「いいっていいって。戦勝祝いみたいなもんだ」

 

――これはいわば先行投資、千翼を引き込めればすぐに回収できる。

卑しい笑みを心中で浮かべつつ、カズマは躊躇わずに報酬の殆どを一番の功労者に譲った。実を言うと自分たちは四人がかりでやっと一匹倒せただけなので、その後ろめたさが多分に含まれているのだが。

礼を言いつつ千翼がリュックに紙幣を入れていると、カズマは尋ねる。

 

「なぁ千翼。今日って宿泊先は決まっているのか?」

 

「ううん、これから決めるところ」

 

「よかったら俺たちの屋敷にこないか? 部屋はいくらでも空いてるし、大きな風呂も暖炉もあるぜ」

 

カズマからの誘いに千翼は答えなかった。代わりに視線を彷徨わせ、誘いを受けるかどうか悩んでいるような素振りを見せる。

ここでチャンスを逃してなるものかと、カズマはもう一押しする。

 

「遠慮するなよ。それに駆け出しで金もないんだし、少しでも節約しないと」

 

それでもなお悩んでいる千翼だったが、やがてまっすぐカズマの目を見つめる。当のカズマは表向きは微笑みながら、内心では期待と緊張で心臓がうるさいくらいに高鳴っていた。

 

「カズマ……」

 

「おう」

 

「ごめん、遠慮しとく」

 

「え」

 

そう言って千翼は足早にギルドを立ち去っていった。

残されたカズマは呆けた顔のまま固まり、千翼が閉めたドアの音でようやく再起動する。

がっくりと膝を付き「嘘だろおぉ……」と嘆きを漏らした。

最後の最後で目論見が失敗した男を、ルナは哀れむような視線で見ていた。しかし、それも数秒後には業務をこなすためにカウンターの奥へと消える。

 

――それにしても。

 

書類を記入しながらルナは今日新しく冒険者となった少年のことを思い出す。

 

――『アマゾン化』ってなんのスキルかしら。

 

その疑問も、次の瞬間には業務内容の思考に押し流された。

 

 

 

 

 



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Episode2 「B」EAST NATURE

今回は日常回。
カズマの姑息さや乱暴な面が、原作に比べて過剰になってないかちょっと不安です……。


「はぁ……はぁ……」

 

壁に手を付きながら千翼はうずくまった。荒く吐かれた息は白い靄となって溶けて消えてゆく。

 

――ああ、どうして。

 

自分はどうあがいても、人食いの化け物でしかないのか。

 

 

 

この世界に降り立ってから三日が過ぎた。

カズマと分かれてから適当な安宿を探してそこに宿泊し、次の日も金を稼ぐためにギルドを訪れたが、あいにく千翼がこなせそうな仕事は一つもなかった。

暇つぶしがてらアクセルの町を散策して二日目は終わり。三日目を迎えてとうとう千翼が恐れていた、恐れていたが故に考えないようにしていたことが現実となる。

 

「ぁ……ぅ……」

 

口から呻き声が漏れる。無意識に視線が動いた、そこには大通りを行き交う人々の姿が。

季節は冬、誰もが厚着をしており肌の露出は殆ど無い。だからこそ、その下に隠されている血の通った人肌の暖かい肉を想像してしまう。

どれだけ食べようが、どれだけ飲もうが、この飢えは決して満たされない。

泣き叫びたくなるほどの苦痛に己の内なる獣が囁く。食らってしまえばこの苦痛から解放されると。

ああ、そうだ。ここで本能に身を委ねてしまえば――

 

「君、大丈夫か?」

 

理性が本能に押し流される寸前、誰かが近づいてきた。

声のする方になんとか顔を向けると、青い全身鎧を着た金髪の男が心配そうな顔で千翼の傍にかがんでいる。その後ろには同じく心配顔の、男の仲間らしき二人の女性がいた。

 

「どこか怪我をしているのか? それとも具合が悪いのか?」

 

「ポーション持ってるけど、良かったら使う?」

 

女性の一人が袋から何かを取り出そうと手を入れた。しかし、目的の物が中々見つからないのかしきりに袋を漁る。

その女性の――女性の腕の動きは千翼の目にとてつもなく蠱惑的なものに映った。

血色が良く、シミ一つ無い引き締まった腕は、今の千翼にとって極上の肉にも勝る食物である。

無意識の内に涎が口の端から零れ落ちた。

 

「大丈夫だ、すぐに医者を……」

 

金髪の男が千翼に触れようと手を伸ばし――

 

「う、うわあああぁぁぁ!!」

 

その手を払い除けて、逃げるように駆け出した。

 

「あ、君!」

 

男の声も無視して千翼はアクセルの町をひた走る。目的地などない。

己の内で今にも暴れ出しそうな獣を少しでも押さえつけるためには、こうするしかなかった。

一体どれだけ走っただろう。肩で息をし、壁に手を付きながらおぼつかない足取りで歩く。

極度の飢餓感に加え、脳に酸素が行き渡らないせいで意識が朦朧とする。

あてもなくひたすら壁伝いに歩き続け、とうとう限界がやってきた。

 

「ぁ……」

 

掠れた声を漏らし、千翼は気を失った。冷たい石畳の上に倒れ、ピクリとも動かない。

通行人達はそんな千翼に気が付かないのか、はたまた厄介ごとに関わるのを避けるためか誰も近づこうとしない。

少年の体から徐々に体温が失われ、顔から血の気が失せ始めたとき、すぐ傍でドアが開いた。

中から現れた人物は倒れている千翼を見つけると。

 

「だ、大丈夫ですかー!?」

 

女性の叫び声が響いた。

 

 

 

意識が戻ってくると、全身が柔らかく暖かい物で包まれている。ゆっくりと瞼を開けると、モザイクでぼやけた世界が見えた。

時間と共に焦点が定まり、木造の天井が見えてくる。

体の具合を確かめつつ千翼は上半身を慎重に起こすと、ここがどこなのか確かめるために、辺りを見回す。

ベッドのすぐ傍にはカーテンが閉められた窓があり、表の雑踏の音がくぐもって聞こえる。

次に目に付いたのが化粧品が置かれた鏡台、その隣には本が何冊も積まれた文机。

何に使うのかよくわからない物が上に置かれた小さなタンス。壁にはフード付きの大きな黒のローブが掛けられていた。

 

「あ、目が覚めましたか?」

 

一通り見たところでドアが開き、この部屋の主が現れた。

緩やかなウェーブのかかった茶髪を揺らしながら、深い紫色のローブを着た女性が近づいてくる。

女性は千翼の顔色を確かめると、安堵したように小さく息を吐いた。

 

「本当にびっくりしちゃいました。外から物音が聞こえたから何だろうと思ってドアを開けたら、貴方が倒れていたんですから」

 

「あの、ここは……」

 

「ここは私が経営するお店ですよ」

 

女性は微笑みながら答える。

 

「自己紹介がまだでしたね、私はウィズ。このマジックアイテム店を経営しています」

 

「千翼です」

 

「チヒロさん、気分は悪くないですか?」

 

「……まだ、頭が少しふらつきます」

 

そう言いながら手で頭を押さえる。そして、ウィズに気付かれないように、自分の頭を握り潰しそうなほど力を入れた。

こうでもしないと食人衝動が抑えられそうにない。少しでも気を緩めれば、すぐ傍にある窓から表に飛び出して手当たり次第に人を襲ってしまいそうだった。

 

「だ、大丈夫ですか? あ、そうだ!」

 

ウィズが両手を合わせ、何かを思い出したのか「ちょっと待っててくださいね」と言って部屋を出て行った。

しばらくしてから紙袋、スプーンの入ったコップ、水差しが乗せられたお盆を持って戻ってきた。

ベッド脇の小さな机にお盆を乗せると、紙袋からひとさじ分の白い粉をコップに入れ、次いで水差しを傾ける。七割ほど注いだところで水差しを置き、スプーンでよくかき混ぜる。

粉が全て溶けたところで、コップを千翼に差し出した。

 

「はい、どうぞ」

 

「これは?」

 

「今日、入荷したばかりの新商品です。これをコップ一杯分飲むだけで、一日に必要な栄養の殆どを摂れちゃうという優れものでして、それだけでなく、ちょっとした体調不良にも効果があるんですよ! 忙しい冒険者の人たちにきっと売れますよ!」

 

目を輝かせながらウィズはコップの中身を説明した。

要するにこれは栄養剤の粉末を溶かしたものだろう。固形物は食べられないが、飲料ならば口にすることが出来る千翼にとって、これは実にありがたい物であった。

礼を言ってからコップを傾け、それを飲もうと喉を鳴らし、

 

「!?」

 

思わず吐き出しそうになった。

千翼は今、ウィズのベッドに腰掛けている。その上に口に含んだ物をぶちまけるという事態だけは絶対に避けねばならない。

今し方飲んだ物は味もへったくれもなかった。強いて言うならば水ゼリーだろうか。

しかし、ゼリーというには固まりきっておらず、かといって液体にしては妙な舌触りがある。いうなれば水ゼリーの出来損ないモドキ。

ゼリーでも無ければ液体でもない、オマケに味もない。飲食物なのか怪しいものを千翼の本能は明確に拒絶していた。

そんな本能を意志の力で捻じ伏せ、すんでのところで口から吐き出しそうになった物を押し止めると、喉を大きく鳴らし一気に呑み込む。

乾いた五臓六腑に染み渡るような感覚と共に、なぜか飢餓感が少しだけ収まる。

 

「おかわりが必要でしたら遠慮無く言ってくださいね」

 

ニコニコと笑うウィズに曖昧な笑みを返す。それよりも今の千翼にとっては重要なことがあった。

もしかしたらこの粉は、ある意味で自分の命を繋ぎ止めてくれるかもしれない。

正直言って二度と飲みたくない代物だが、背に腹はかえられない。いずれ人を襲ってしまうくらいなら、これを飲んで飢えを凌ぐ方が遙かにマシだった。

 

「あの、ウィズさん。それなんですけど」

 

「どうかしましたか?」

 

「一週間分、売ってください」

 

一瞬の間を置いて、店主の顔が明るくなる。

 

「ほ、本当ですか? 本当に一週間分も買ってくれるんですか!?」

 

ウィズは千翼に何度も礼を言った。

その後、動けるようになったからと言ってベッドを出ようとする千翼と、まだ動いてはいけないと言うウィズの押し問答があったが、なんとか彼女を宥めて千翼はベッドから出ることが出来た。

部屋を出るとその先は店内になっており。見たこともない道具や様々な色の液体が入った瓶、不思議な模様が描かれた本など色々な物が陳列されている。

 

「それでは一週間分ですね」

 

ウィズは店内からお盆に乗っていた物と同じ紙袋を手に取ると、カウンターへと回る。彼女が値段を伝えると、千翼は懐から財布を取り出して代金を支払った。

 

「はい、確かに。それでは袋詰めするので少々お待ちください」

 

ウィズはカウンターの下から大きめの紙袋を取り出すと、千翼が購入した商品をその中に入れる。

食人衝動が落ち着いて冷静さを取り戻したところで、千翼はある違和感に気が付いた。

その違和感の元は、上機嫌に鼻唄を歌いながら紙袋の口を丁寧に折っている人物。

ウィズからは「食欲」を感じなかった。

気を失う前は目に付く人全てに食欲を感じていたのに、彼女に対してはそれが気のせいだったと思えるほどに消え失せている。こんな経験はこれで二度目だった。

一度目は生前に出会った、死から蘇った少女「イユ」だ。

彼女はアマゾン化した父親に喰い殺された。その死体は野座間製薬が回収し、アマゾン細胞の実験台として使われ彼女は生ける屍として蘇った。

だとすればもしかすると彼女も――

 

「あの、ウィズさん……」

 

「はい?」

 

「その……一つ聞きたいことが……すごく変なことなんですけど……」

 

「はい、私が答えられることなら何でも聞いてください」

 

そういってウィズは微笑む。見れば誰もが安堵を覚えてしまうような、慈愛に満ちた笑みだ。

見れば見るほど、感情など欠片も見せなかった出会った頃のイユとは正反対である。

だが、なぜ彼女からはイユと同じく食欲を感じないのか。千翼はどうしてもその答えが知りたかった。

 

「ウィズさんって……」

 

千翼は息を吸い込み、意を決して尋ねた。

 

「一度、死んでいるんですか?」

 

その言葉に、紙袋に封をしようとしていた店主の動きが止まる。

次いで陶器のような白い頬を一筋の汗が伝った。

奇妙な静寂が店内を満たし――

 

「ど、どうして私がリッチーだってわかったんですかああぁぁ!?」「覚悟しなさいクソアンデッド! 今度こそ浄化してやる!!」「なにやっとんじゃ!」

 

ウィズに襲いかかろうと店内に乱入してきた青髪の少女を、茶髪の少年は持っていた短剣の柄で容赦なく頭を叩いた。

ゴスッ、と鈍い音が響き、嫌な声を漏らして少女は頭を抑えながらうずくまる。

少女に制裁を下した少年、カズマが短剣を腰の鞘に収めると、千翼が目が合った。

 

「「あ」」

 

お互い全く同じ声を出して、一拍の間が空く。

 

「よ、よぉ千翼。俺だよ、和真。覚えてる?」

 

「あ、ああ。あの時はありがとう」

 

お互い何を話したらいいのか分からず、どこかぎこちない様子で、一先ずは再会の挨拶を交わす。

すると、殴られたダメージから回復した青髪の少女、アクアが勢いよく立ち上がり。ウィズに向かって指を差す。

 

「チヒロ、こんな腐れアンデッドと関わっちゃダメよ! こいつと一緒にいたら貴方まで腐っちゃうわよ!!」

 

「ひ、ひどい! 何もそこまで言わなくても……」

 

「ややこしいことになるからお前はちょっと黙れ!!」

 

そう言ってカズマはアクアの後頭部を思いっきり引っ叩く。軽快な響いた。

 

「いったーい! カズマさんがまたぶった!! 罰当たり! 引きニート!」

 

「うっさい駄女神!!」

 

「あ、あの……」

 

二人が乱入してからあっという間に置いてけぼりにされた千翼は、なんとか話しかける。

 

「さっきからリッチーだのアンデッドだの……よく分からないけど、ウィズさんってやっぱり普通の人間じゃないの?」

 

「あ……」

 

それを聞いたカズマは両手で頭を抱えた。

件のウィズはオロオロしており、そんな彼女をアクアは親の仇でも見るような目で睨んでいる。

やがてカズマは観念したかのように頭を上げた。

 

「わかった。全部話すよ」

 

そこから先は千翼にとって驚きの連続だった。

ウィズは元は人間であり、今はリッチーというアンデッドであること。

魔王から結界の維持のために幹部を任されていること。

とはいえ殆ど名ばかり幹部であり、ウィズも人に危害を加えるつもりはないこと。

食欲を感じなかった理由に千翼が内心納得していると、カズマは千翼に向かって両手を合わせ頭を下げる。

 

「なぁ、千翼。頼む! このことは黙っててくれ! 代わりに俺たちの屋敷に住まないか? 好きな部屋を使ってくれて構わないし、掃除も洗濯もしなくていい。どうだ?」

 

その申し出に、千翼は迷っていた。カズマの提案はとてつもなく魅力的な物だ。

今は初日に稼いだ金があるが、それでいつまで暮らせるかは分からない。

クエストをこなそうにも、二日目にギルドのルナから聞いた話では、冬場は仕事が殆ど無く。あったとしても内職か近所の手伝いのような極めて報酬が安い物か、非常に危険な代わりに高額の報酬が得られるモンスターの討伐ぐらいしかないらしい。

アマゾンを狩ることで金を稼いできた千翼は、当然ながら前者の仕事の経験は皆無であり、仮にこなせたとしても下手をすればその日暮らしすら怪しい。

かといって後者の仕事は、そもそもモンスターについてよく知らないため、余りにもリスクが高すぎる。挑んだはいい物の、返り討ちに遭って二度目の死を迎える。などということだけは避けたかった。

しかし、提案を受けるとしても、自分は食人衝動という抗いがたい本能を持っている。

この店で飢餓感を抑える手段を手に入れた物の、いつか彼らを襲ってしまうのではないか。

気を失う前は辛うじて理性を保てたが、いつも本能を抑えられるとは限らない。

迷いに迷った挙げ句、千翼が出した答えは――

 

「……うん、いいよ」

 

「ほ、本当か!?」

 

自分のお願いを聞いてくれたことに、カズマは何度も感謝を述べた。

とは言う物の、カズマがウィズを庇った本当の理由は。結界を維持することで魔王討伐の手柄を他者に取られないようにし、自分が魔王を倒せるほど強くなるまでの時間稼ぎが目的なのだが。

当然ながら、千翼はそんな姑息な理由など知る由も無かった。

 

「そういえば、カズマさん今日は何かご用があって来たんですか?」

 

「初めて店に来たときアクアに浄化されそうになっただろ? あれからこいつが隠れてちょっかい出してないか心配になってさ」

 

「え、ええと。だ、大丈夫です。とりあえず()()()()()()()()()()()されていませんから」

 

明らかに何かされている様子のウィズを見て、カズマは隣に立つ容疑者を睨んだ。当の本人はそっぽを向いて黙秘を貫いている。アクアの頭に拳骨が炸裂した。

あんた一体どっちの味方なのよ! という彼女の抗議をカズマは聞き流す。

一先ず落ち着いたところで、ウィズが不思議そうな顔で千翼に尋ねた。

 

「それにしてもチヒロさん、なんで私がリッチーだってわかったんですか?」

 

「え、千翼ってウィズがリッチーだって見破ったの?」

 

少しだけ視線を彷徨わせてから、千翼は躊躇いがちに言葉を紡ぐ。

 

「なんとなく……この人は人間じゃ無いなって感じがしたから」

 

「そ、そんなことがわかっちゃうんですか……」

 

小さな悲鳴を漏らしてウィズがおののく。

それを聞いた少年と女神の目が怪しく光っていた。

ウィズの無事を確認したカズマは、千翼に屋敷の場所を伝えるとアクアと共に店を後にする。

通りに出た二人はしばらく歩き、店から十分離れたところで立ち止まった。

 

「ねぇ、カズマさん……」

 

「ウィズの正体を一目で見抜くなんて、相当なチート能力を持っているに違いない。引き込めて本当に良かったぜ……」

 

そう言って、二人そろって邪悪な笑みを浮かべた。

 

 

◆◆◆

 

 

「ありがとうございましたー」

 

ウィズの店を出た後、もう一つ必要な買い物を終えた千翼は、町の外に向かって歩く。目的地は郊外にあるというカズマ達が住む屋敷だ。

時刻はすでに夕暮れを回っており、通りは買い物客や家路につく人間で溢れていた。

――ああ、自分はなんて欲深いのだろう。

行き交う人々を眺めながら、胸中で独りごちる

飢えを満たせる手段を得た次は、人の温もりが欲しくなってしまい、誘いを受けてしまった。

誰かの隣に居たい。誰かが隣に居て欲しい。

内なる獣(食人衝動)を抑えるために人から離れようとしても、人としての本能は温もりを求めてしまう。

読み書きも会話も問題は無い。今のところ出会ったのは親切な人ばかりだ。

しかし、顔立ちの違う人間が自分の知らない単語で、楽しげに会話する様を見ていると途端に疎外感を感じてしまう。

本来であれば、この世界にとって異物でしかない自分には、居場所など無いことを思い出してしまう。

 

「佐藤、和真……」

 

そんな自分に誘いをかけてくれた少年の名を呟く。

右も左も分からず、挙げ句の果てに一文無しで困り果てていた時に助けてくれた少年。

自分と同じ彫りの浅い顔立ちに、聞き慣れた日本の人名。彼と出会ったときは、心の底から何ともいえない安心感が湧き上がっていた。

カズマの目には、生前の親友である長瀬と同じ邪な光が見えたが、それでも構わない。

誰かに利用されるのは慣れているし、それよりも人の温もりが欲しかった。

やがて町の外に出た千翼は、カズマから教えてもらった方角に歩き出す。彼が言うにはこの先の丘に、自分たちが住んでいる屋敷があるらしい。

歩いている内に日は沈み、夜の帳が降りてくる。丘の上に明かりが、目的地が見えてきた。

屋敷にたどり着いた千翼は、しばしその大きさに圧倒された後、どこか緊張した面持ちでドアをノックする。

中から返事がして、扉が開けられた。

 

「お、待ってたぞ」

 

出てきたのはカズマだった。その後ろには千翼が来ることを聞いたのか、アクア、めぐみん、ダクネスもいる。

 

「いらっしゃい!」

 

「私たちの屋敷にようこそ」

 

「歓迎しよう」

 

三人からの歓迎の挨拶を受け、千翼は軽く頭を下げた。

 

「おじゃまします」

 

どこか遠慮気味に屋敷に入ろうとした千翼に、幼い少女が待ったをかける。

 

「違いますよ」

 

めぐみんが舌を鳴らしながら人差し指を左右に振った。

 

「今日からここは、貴方の家でもあるんですから」

 

「そうそう!」

 

「遠慮はいらないぞ」

 

「だからこういうときは……」

 

カズマに促され、千翼はほんの少しだけ笑って。

 

「ただいま」

 

『おかえり!』

 

この日、カズマ達が暮らす屋敷に住人が一人増えた。

 

 

 




というわけで、カズマ達と合流を果たしました。
ここから彼らと絆を深めていく……そんな物語を書こうと思っています。


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Episode3 「C」RITICAL CELLS

あけましておめでとうございます。
この小説をキチンと完結させることが、今年の目標です。





「うーん……」

 

その日、佐藤和真はギルドの依頼掲示板の前で唸っていた。

 

依頼:雪祭りの準備

内容:フートの都で開かれる雪祭りの準備をお願いします。仕事内容はテント設営、機材運び、その他諸々。

報酬:五万エリス、雪祭りの屋台で使える無料券

 

「ダメだな」

 

そう言って別の依頼書に目を移す。

 

依頼:雪下ろし、雪かきの手伝い

内容:雪が降り積もり生活が不便です。一人ではとても出来ないので、手伝ってくれる方を募集します。

報酬:一万エリス、その他お菓子など

 

「論外」

 

依頼書から視線を外して別の物に向ける。そんなことを繰り返し続けて、とうとう掲示板の貼紙全てを読み終えた。

 

「やっぱり……これしかないのか……?」

 

盛大に溜息を吐きながら、カズマは掲示板から一枚の依頼書を手に取った。

それを持って隣の飲食スペースに移動すると、テーブルに座る四人の仲間の元へ向かう。

 

「カズマさん、なんか良さそうな依頼あった?」

 

「まぁな……」

 

「いやに暗いですね?」

 

露骨に嫌そうな顔をしている上に、声のトーンが妙に暗いカズマを見て、めぐみんが疑問符を浮かべる。

それに答えるように、カズマは持ってきた依頼書をテーブルの中央に置いた。四人が内容を読むために顔を寄せると、三人は苦い表情を浮かべ、一人は特に表情を変えなかった。

 

依頼:雪精を持ってきてください

内容:子供が流行病を拗らせて熱が下がりません。少しでも体を冷やすために雪精を最低でも一匹持ってきてください。

報酬:五十万エリス

 

「「「あー……」」」

 

納得したようにアクア、めぐみん、ダクネスの三人が声を漏らす。

 

「他になかったの?」

 

「他は雪かきの手伝いみたいな安い仕事か、機動要塞デストロイヤーだっけか? それの進路偵察みたいな訳の分からない仕事ばっかだ」

 

がっくりと肩を落としながら、カズマは再び溜息を吐く。

 

「雪精って、そんなに危険なモンスターなのか?」

 

先ほどから一人だけ会話について行けず、置いてけぼりをくらっていた千翼は、件の「雪精」なるモンスターについて尋ねる。

 

「いや、雪精自体は全くの無害だ。ただ……」

 

「そいつらの親玉がヤバいんだよ……」

 

雪精とは、冬になると現れるモンスターで、見た目は小さな白い綿毛に目が付いたような姿をしている。

一匹につき十万エリスもの討伐報酬が貰え。また、このモンスターを倒すごとに冬が半日短くなると言われているらしい。

そして雪精たちの親玉、その名は冬将軍。

もとは姿形を持たない冬の精霊だったが、何者かの強いイメージを受けて鎧武者の姿を得たモンスターである。

高額賞金を懸けられる程の強敵であり。この親玉の存在が、無害な雪精の討伐報酬が高額である理由であった。

 

「正直言ってあいつには二度と会いたくないんだよな……」

 

そう言うと顔を青ざめながら、カズマは自分の首をさすって身震いする。

なるほど、とこの依頼に乗り気でない理由に千翼は納得した。

 

「んで、どうする? 俺はこの依頼を受けるかまだ迷っているから、意見を聞きたいんだが」

 

「賛成! 今度こそたくさん捕まえて、各種飲料用の冷蔵庫を作るわ!」

 

間髪入れずにアクアは勢いよく挙手し、賛成を叫んだ。

 

「私は反対ですね。さすがにもう、あの光景はちょっと……」

 

「どちらかと言えば私は反対……かな? 冬将軍と再び相まみえるのは興奮するが、また肝を冷やすような思いはもうしたくない」

 

賛成が一人、反対が二人となり。残るは千翼の意見となる。

 

「千翼はどうだ?」

 

当の千翼は、依頼書をじっと見ていた。

先ほどから同じところを繰り返し読んでいるらしく、瞳が一直線に左から右に、そしてまた左からと往復している。

やがて何かを決意したのか、真っ直ぐカズマを見つめる。

 

「やろう。その冬将軍ってやつの相手は俺がする。それに……」

 

「それに?」

 

「きっと依頼主の子供は、今もすごく苦しんでいると思う。それを俺がなんとか出来るなら、そうしたいんだ」

 

その言葉にカズマは意外そうな顔をして、次に頬を掻きながら小さく息を吐く。

 

「……そう言われちゃ、受けない訳にはいかないよな」

 

「そうですね、確かに冬将軍は怖いです。でも、ここで引き下がったら冒険者の……いえ、紅魔族の名折れです!」

 

「自分が人々を守る聖騎士(クルセイダー)ということを忘れるところだった。敵の苛烈極まりない猛攻を一身に受け、仲間の壁となり盾となる。そして、最終的には冬の寒空の下であられもない姿を……! 」

 

身をくねらせて一人で盛り上がっているダクネスの脳天に、カズマが軽いチョップを入れて強制終了させる。

あふん! と妙に艶っぽい声を漏らし、頬を上気させながらダクネスは身を落ち着かせた。

 

「そうよそうよ! 雪精は冬にしか現れないんだから、このチャンスを逃したら夏にキンキンに冷えたシュワシュワが飲めないわ!」

 

「お前も少しは千翼の殊勝さを見習え!!」

 

一人だけ見当違いな方向にやる気を出しているアクアの頭を、カズマは全力で引っ叩いた。ギルド内に快音が響き渡る。

 

 

 

「それじゃあ屋敷に戻って準備をしてきてくれ。俺は受注手続きをしてくるから」

 

ここで一旦解散となり、あとで町の出入り口で集合することとなった。

千翼、めぐみん、ダクネス。頭にたんこぶを作って、最後まで恨みがましい視線を向けていたアクアを見送ると、カズマはクエストを受注するためにカウンターへ向かう。

――それにしても、さっきの千翼。

ギルドの係員が手続きを行っている間、カズマは先ほどの光景を思い返していた。

――まるでテレビに出てくるヒーローみたいだったな。

手続きが終わってギルドを後にし、カズマは町の出入り口へ歩き出す。

 

「俺にはあんな真似、絶対無理だな」

 

口から白い靄を漏らしながらそう言って、自嘲的な笑みを浮かべた。

 

 

◆◆◆

 

 

アクセルから少し離れた雪が降り積もった森で、防寒具を身に付けた四人の男女が、曇り空の下で必死に網を振り回していた。

 

「めぐみん、そっち行ったぞ!」

 

「任せてくださ……ああ、また逃げられた!」

 

「ええい、大剣と違って軽すぎるから思うように扱えん……!」

 

「こらー! 大人しく捕まって冷蔵庫になりなさーい!」

 

彼らは宙を漂う白い綿毛目がけて網を振り下ろす。が、綿毛はヒラリヒラリと紙一重で網を躱し、猛烈な速さで逃げ回る。

夏休みに虫取りに興じる子供のような四人を、ドライバーを巻いた千翼は少し離れた位置から、どこか複雑そうな顔で見ていた。

合流後の作戦会議の結果、今回はあくまでも雪精の捕獲が目的であること。千翼は冬将軍に備えて待機し、残る四人は雪精捕獲に専念する。

もし冬将軍が現れたら千翼が応戦し、足止めしている間にカズマ達は撤退。隙を見て千翼も離脱し、アクセルまで逃げる。ということになった。

防寒で着用している母のストールを掛け直し、冬将軍はもちろんだが、他にモンスターが見当たらないか千翼は警戒する。

 

「どぉりゃぁ!!」

 

気迫と共にカズマが全力で網を振り下ろし、宙を漂う雪精を捕らえた。

そのまま逃さぬよう網を地面に押しつけ、腰に下げた小瓶を手にすると素早く雪精を中に入れて栓をする。

 

「ゲットォ!!」

 

苦労の末にようやく捕獲した雪精入りの瓶を、カズマは高々と掲げた。

それを見た網を持つ三人は、その場で立ち止まって荒く呼吸する。

 

「こ、これでクエスト完了ですね……」

 

「依頼主も待ちわびているだろうし、早く届けよう……。本当に大変だった……」

 

「いやー、本当に何事も無くて良かったわ。あ、ゲームだとこういう時にボスが出てくるわよね」

 

その不吉な言葉にカズマの表情が凍り付く。そんなことはお構いなしに、アクアは何とも呑気に言葉を続けた。

 

「お目当てのアイテムをゲットしたら、それを守るメチャクチャ強い番人が……」

 

「ばっ、そういうのはフラ……!」

 

カズマが言い終わらないうちに、ガチャリと、重苦しい音が冬の森に響く。五人は一斉に同じ方向に顔を向けた。

そこには鎧兜を被り、腰に刀を下げた全身白一色の鎧武者が、総面越しにカズマ達を睨んでいた。千翼を除いた四人の顔が一瞬で真っ青になる。

 

「総員撤退! 千翼、頼む!!」

 

その姿を見るや否やカズマは撤退を叫び、真っ先に逃げ出した。

 

「あ、カズマさん置いてかないでー!!」

 

突然逃げたカズマに呆気にとられ、アクアは一瞬遅れてから慌ててその後を追う。

 

「ダクネス、逃げますよ! もしこの期に及んで冬将軍と戦いたい。なんて言ったら殴ってでも……いえ、好きにしてください。その代わり何があっても知りませんので。それでは」

 

「お、お前は私をなんだと思っているんだ! 作戦通り逃げるに決まっているだろ!」

 

めぐみんは隣に立つダクネスに声をかけてから逃げ出し、ダクネスはほんの一瞬だけ、名残惜しそうな顔をしてから同じく逃げ出す。

四人が離れたことを確認してから、千翼は改めて冬将軍と向き合った。

未だに襲いかかってくるような様子は見られず、むしろ千翼の準備が終わるのを待っているようにすら見える。

ストールをしっかりと巻き直すと、相手から視線を逸らさず、千翼はゆっくりと上着のポケットからインジェクターを取り出す。それをドライバーのソケットに挿入し、静かに持ち上げた。

手の平でじわりとインジェクターのピストンを押し込む。黄色いゲルがドライバーへ充填された。

 

『NE・O』

 

心臓の鼓動さえ聞こえそうな静寂の中で、液体を呑み込む音が響く。

やがて、音が止んだ。

 

「アマゾン!!」

 

千翼の体が赤い爆炎に包まれ、足下の雪が湯気を上げながら溶けてゆく。

爆炎が収まると青い異形、アマゾンネオが姿を現した。

 

『BLADE LOADING』

 

アマゾンネオはもう一度インジェクターを押し込み、右手に剣を展開する。

すると冬将軍は刀の鯉口を親指で押し上げ、抜刀した。白い刃が姿を現し、それを八相で構える。

冬の森で青い異形の戦士と、白い氷の武者が対峙する。互いに睨み合ったまま微動だにせず、物音一つ立てない。

耳が痛くなるほどの静寂が辺りを満たし、時折吹く風の音だけが聞こえていた。

そして、その沈黙がついに破られる。

ネオはブレードのグリップをしっかりと握り締めると、地面を蹴って一気に冬将軍に肉迫する。

 

「ハァッ!」

 

そのまま勢いを乗せて銀色の刃を振るうと、甲高い澄んだ音が冬の空に木霊した。

ネオの一撃を刀で受け止めた冬将軍は、そのまま鍔迫り合いに持ち込み、相手を押し切ろうとする。

対するネオも踏ん張り、ブレードを全力で押し込む。互いに一歩も譲らず、膠着状態が続いた。

――みんな、少しでも遠くに逃げてくれ。

ふと、千翼の脳裏を掠めたのは、今も全力で逃げ続けているであろうカズマ達。

自分がこうして足止めしている限り、彼らは安全である。ならばほんの僅かにでも時間を稼いで、彼らの手助けをしなければ。

そう思うと、不思議と力が湧いてきた。しかし、それは次の瞬間に呆気なく崩される。

冬将軍は一瞬だけ体を引いた。相手を押し切ろうとしていたアマゾンネオの体勢が、僅かに崩れた。

その瞬間を逃さず鎧武者は、反動を付けて体当たりをぶつける。青い異形が大きく吹き飛ばされた。

 

「ぐっ……!」

 

雪を撒き散らしながら地面を転がり、ようやく止まったところで慌てて起き上がる。冬将軍はすでに目前に迫っていた。反射的にブレードを構え、追い討ちに備える。

そして冬将軍は――ネオを無視して通り過ぎた。

 

「!?」

 

追い討ちをかける絶好のチャンスを捨てて、冬将軍は滑るように何処へと去って行く。

相手の不可解な行動に困惑しながら、ふと、千翼は足下を見た。

先ほど冬将軍が通った後には氷の道が出来ていた。恐らくこれを使って、文字通り滑りながら移動したのだろう。

では、どこへ向かったのか?

氷の足跡の横には、同じ方向を向いているいくつもの足跡がある。千翼は大急ぎで後を追った。

 

 

◆◆◆

 

 

氷の鎧武者の姿を見て、手筈通りに逃げ出したカズマ達。

脇目も振らず、アクセルの町を目指してひた走る。

 

「見えてきたぁ!!」

 

一体どれだけ走り続けたのだろうか。ようやく丘の向こうに町の影が見えると、たまらずカズマは叫んだ。

あと少し、あと少しでゴールだ。さすがの冬将軍もここまでは追ってこないだろう。少年の心に希望が生まれる。

 

「カズマ!! 後ろ!!」

 

そしてそれは、薄氷のごとく呆気なく砕け散った。

自分よりもかなり後ろを走るめぐみんの叫びに、疑問符を浮かべながら振り返る。

振り返った先には、めぐみんとダクネス。そしてアクアを無視して、滑りながら真っ直ぐ自分に向かってくる鎧武者の姿が。上気して赤くなっていたカズマの顔が、再び真っ青に染まった。

冬将軍が手をかざすと、その周りに鋭い氷柱が展開される。手を突き出すと、氷柱が勢いよくカズマ目がけて撃ち出された。

 

「あれか!? 俺が雪精持ってるからか!?」

 

後ろから飛んできた氷の刃を、まるで見えているかのように、カズマは紙一重で次々と躱す。

何発かは避けきれず頬や指先を掠めて小さな傷を負うが、辛うじて致命傷だけは避けていた。

が、飛んできた一本の氷柱を回避するために身を捻ったところ、体勢が崩れて足がもつれ、盛大に躓いた。

ごろごろと雪原を勢いよく転がり、顔を何度も雪に打ち付けながらようやく止まる。

目を回しながらもなんとか顔を上げると、急に暗くなった。

反射的に後ろを向くと、そこには刀を突き立てようと振り上げた冬将軍の姿が。

 

「おわあああぁぁぁ!?」

 

右、左と冬将軍が刀を突き立て。右、左とカズマが首を振ってそれを躱す。

三度目を振り下ろす前にカズマは喉元を踏みつけられ、頭が動かせなくなった。そして、動けないカズマの顔目がけてゆっくりと刀が持ち上げられる。

 

「「「カズマあああぁぁぁ!!」」」

 

「お助けえええぇぇぇ!!!」

 

四人の叫びが曇天の空に木霊する。この距離ではアクア達の助けは間に合わない、踏みつけられ身動きが取れないカズマはどうすることも出来ない。

このまま刀が振り下ろされ、白い刃が頭を貫く。目を覆いたくなるような光景がカズマ達の脳裏に過った時だった。

三人の少女の間を、紐の付いた何かが凄まじい勢いで通り過ぎた。

それはワイヤーが付いたフックだった。今まさに刀を突き立てようとしている鎧武者の片腕に絡み付くと、猛烈な力でワイヤーが引かれる。

驚いたアクア達がワイヤーの根元を視線で辿ると、丘の上に青い戦士が、右腕を突き出して立っていた。

 

「「「チヒロ!!」」」

 

アマゾンネオは左手でワイヤーを掴むと、まるで一本背負いでもするかのように、体の捻りを加えて全力でワイヤーを引っ張った。

腕を絡め取られた冬将軍は、猛烈な勢いでカズマから引き離され、宙を舞う。

しかし、動かせるもう片方の手に刀を持つと、ワイヤーを素早く斬った。

自由になった冬将軍が空中で体勢を立て直すと、雪を盛大に巻き上げ、重苦しい金属音を響かせながら丘の上に着地する。そして、アマゾンネオを睨んだ。総面の口から白い息が吐き出される。

アマゾンネオはブレードが生えた右手を後ろに引いた。対する冬将軍は刀を鞘に収め、居合いの姿勢を取った。

再び睨み合いとなり、両者は一歩も動かない。空気が張り詰め、カズマ達は固唾を飲んで勝負の行く末を見守る。

丘の上に一陣の風が吹いた。

青い異形と白い鎧武者が同時に雪を蹴って駆け出す。互いに一直線に走り、真っ直ぐ相手を見据えていた。

そして、二つの影が交差する瞬間、二つの刃が振るわれた。澄んだ音が響き渡る。

両者は相手に背中を向けたまま、得物を振り切った姿勢で俯いていた。

すると、アマゾンネオが片膝を付き、左手で右肩を押さえる。

次の瞬間には冬の寒さを上回る冷気を放ちながら変身が解かれ、千翼の姿に戻った。押さえられた右肩からは、赤い血が止めどなく溢れ出ていた。

 

「千翼!」

 

「待って」

 

千翼に駆け寄ろうとしたカズマを、アクアは手で制した。何すんだ、と言いかけたところで、カズマも「それ」に気付いた。

空から何かが落ちてきて、千翼と冬将軍の間に突き刺さる。

それは折れた白い刀身だった。

白銀の鎧武者は手に持つ折れた刀をしばし見つめ、静かに納刀する。

千翼に向き直ると、懐から白く短い棒を取り出した。

 

「何をする気だ……」

 

ダクネスの口から靄と疑問が零れる。

カズマ達が事の成り行きを見守っていると、冬将軍は棒を振る。棒は開かれ、白い日の丸が描かれた氷の扇子になった。

冬将軍がゆっくりと扇子を掲げると緩急を付けながら、優雅に扇子を踊らせる。振るわれるたびに氷の結晶が舞い、キラキラと輝いていた。

 

「あれは……何をしているんですか?」

 

「敵ながら天晴れ……自分の刀を折った千翼を讃えているんだよ」

 

この世界の住人であるめぐみんの疑問に、日本人であるカズマが答えた。

冬将軍は扇子を頭上に掲げると、パチンと音を鳴らして扇子を畳む。

それを懐にしまうと、風が吹いて粉雪が舞うように氷の鎧武者は姿を消した。

いきなり消えた冬将軍に戸惑っていると、漂ってきた血の臭いで、四人は今の事態を思い出した

 

「千翼!」

 

「っ……!」

 

慌ててカズマが千翼に駆け寄る。

斬り裂かれた肩を押さえる指の間から、鮮血が溢れていた。

真紅の雫は純白の大地に零れ落ち、赤い染みを広げてゆく

 

「大丈夫か? すぐにアクアが治療を……」

 

少しでも出血を抑えるため、カズマは千翼の傷口に手を伸ばす。

小さな切傷ができた指先が傷口に触れようと――

 

「触るなぁ!!」

 

叫び声と共に、伸ばされた手が払い除けられた。

 

「俺に……触らないでくれ……」

 

身と声を震わせながら千翼はカズマを拒絶する。

払い除けられたカズマは突然の出来事に呆然とし、三人の少女はいきなり様子が変わった千翼に戸惑い、言葉を失っている。

傷口を押さえ、ふらつきながら立ち上がると、千翼は無言で歩き出した。

 

「ちょ、ちょっとチヒロ! 治療するから待って!」

 

アクアの制止を無視して、千翼は雪原に血の跡を残しながら町へと向かう。

 

「千翼……」

 

その後ろ姿を、四人は見送ることしか出来なかった。

 

 

 




というわけで、冬将軍戦でした。
当初はこの戦いの勝敗をどうするかかなり悩みました。
千翼が勝てばカズマ達は莫大な賞金を手にすることが出来ますが、それだと今後の展開に支障がでる可能性がある。
かといって千翼が負ければ、今度はカズマ達の命がない。
ちょうど良い落とし所として、今回の勝敗となりました。

それでは皆さん、今年もよろしくお願いします。




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Episode4 「D」EAR FRIEND

今回は完全なオリジナルエピソードだったので本当に難産でした……。


冬の寒空に太陽が真上で輝いていた。アクセルの郊外にある屋敷、その広間では暖炉に火が灯され、住人達が思い思いに過ごしていた。

トレードマークである帽子と眼帯を外した紅魔族の少女めぐみんと。普段は結い上げている髪を下ろし、それを一纏めにした少女アクア。二人はテーブルの上に置かれた様々な駒が乗っている、市松模様のボードを挟んでソファーに座っている。

 

「ウィザードをテレポート」

 

めぐみんが魔道士を象った駒を移動させる。

 

「うっ……まっ――」

 

「待ったは三回まで。アクアはもう使い切りましたよ」

 

「う~……」

 

恨みがましい目つきでめぐみんを睨むと、アクアは頬を膨らませながら、盗賊を象った駒を動かした。

めぐみんの隣にはダクネスが座っており、雑誌を読んでいた。

いつもの鎧姿ではなく、ゆったりとした部屋着姿だ。髪を解いて長い金髪を下ろし、紅茶を啜る姿はさながら貴族の令嬢のようである。

そして三人の後ろ。暖炉の前では、ソファに座ったカズマがテーブルの上に置かれた白い布と瓶に入った糊、緑色の細い棒で内職に勤しんでいた。

棒を一本手に取ると先端に刷毛で糊を塗り、そこに布を互い違い貼り付ける。

最後に角度を変えながら布を開いていくと、あっという間に白い造花が出来上がった。

完成した造花を脇に置いてある箱に放り込むと、また棒を取って同じ作業を繰り返す。

 

「んあー、また負けたー!」

 

「ふっふっふ、これで三連勝ですね。この私に勝とうだなんて百年早いですよ」

 

どうやらボードゲームの決着が付いたらしく、めぐみんが勝利を収めた。

負けたアクアは不貞腐れたように、背もたれに顔を向けて横になる。

勝負が一段落したところで、後ろで内職をしているカズマにめぐみんが声をかける。

 

「カズマ、ちょっといいですか?」

 

「んー?」

 

カズマは造花を作る手は止めず、振り返りもせずに声だけで返事をする。

 

「前から言おうと思っていたんですが……やっぱり変ですよ、千翼」

 

造花を作る手が止まる。しかし、すぐに作業は再開された。

 

「変って、どこが?」

 

棒に糊を塗るが、量が多すぎてテーブルに糊が零れた。

 

「食事はウィズの店で購入した、粉末を溶かしたジュースしか飲みませんし」

 

「体質の問題じゃねーの? ほら、アレルギーで食えない物ってあるだろ」

 

次に布を貼るが。片っ端から貼り付けたため、重なっている部分と貼られていない部分が目立つ。

 

「風呂はどんなに遅くなっても必ず最後に入りますし。しかも、入ったあとは徹底的に掃除をする……」

 

「ここに来た初日に『ゆっくり入りたいから、風呂は最後がいい』って言ってただろ。掃除は単に潔癖症か神経質なだけさ」

 

布を開いていくが、角度も順番も滅茶苦茶だったため、白い布が付いた棒きれが出来上がった。

カズマはそれを目の前の暖炉に投げ捨てると、あっという間に燃え上がって灰になった。

 

「確かに……普段の生活でも何となくだが、避けられているような気がする」

 

「あ、ダクネスもですか? 実を言うと私も同じことを感じていたんですよ。部屋からあんまり出てきませんし、今も部屋に籠もってますよね……」

 

「単に人と話したりするのが苦手なだけさ。変に構ったりすると、余計に避けられるぞ」

 

カズマは深呼吸してから、新しい棒を手に取った。先ほどよりも慎重な手付きで糊を塗る。今回は上手く塗れた。

 

「そういえばこの前の冬将軍の時だって、せっかく治療してあげようとしたのに無視されたわね……」

 

「単にパニックを起こしてたんだろ。人間、冷静さを失うと突拍子も無い行動を取るもんだ」

 

不貞寝していたアクアが起き上がり、思い出したように言った。

カズマは一枚一枚、確かめるように布を貼ってゆく。

しばらく唸っていたアクアはやがて何かに気が付いたか、手の平に拳を打ち付ける。

 

「分かった! あの腐れリッチーの店で買った粉が原因よ! あれは人間をアンデッドにする粉で、それを飲んじゃったから千翼はおかしくなっちゃったのよ。ちょっと浄化してくる!」

 

「そうしたらお前がキッチンに隠している秘蔵の酒を飲み干すからそのつもりで」

 

「な、なんであのお酒のこと知ってるのよ!?」

 

アクアの疑問に答えず、カズマは先ほどよりも慎重な手付きで布を開き、造花を完成させた。

 

「うし、ノルマ達成だ」

 

最後に作り終えた造花を箱に入れると、カズマは両手を挙げて思いっきり伸びをする。首を回すと小気味の良い音が鳴った。

 

「そんじゃ、俺はこれをギルドに納品してくるから」

 

箱を持つと、足早にカズマは部屋を出て行った。三人はその背中を、どこか怪訝な表情で見送る。

 

 

◆◆◆

 

 

「はい、納品を確認しました。それでは今回の報酬です」

 

箱一杯の造花をギルドに納め、カズマは内職の報酬を受け取った。

さて、これからどうしようかと思案していると、後ろから元気な声がかかる。

 

「やっほー、そんな暗い顔してどうかしたの?」

 

「ああ、クリス……って、俺、暗い顔してるか?」

 

話しかけてきたのは、頬に刀傷がある銀髪の少女クリスだった。

彼女はカズマが冒険者になりたての頃、どんなスキルを取ったらいいか迷っているカズマに、窃盗(スティール)を始めとしたいくつかのスキルを教えた人物だ。

以前はダクネスと組んでいたらしく、その縁もあってかカズマ達と関わりを持つようになっている。

 

「してるしてる。何か悩み事? アタシで良かったら相談に乗るよ。お昼がまだなら食べながら聞こうか?」

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

この後は予定が無かったこともあり。カズマは彼女の誘いを受けることにした。

ギルドの飲食スペースに移動した二人は、向かい合ってテーブルに座り、いくつかの料理と飲料を注文する。

初めは飲み食いを交えながら近況報告やくだらない話をしつつ、適度に場が温まったところでカズマが千翼について話し出した。

 

「……んで、風呂は必ず最後で、上がったら絶対に掃除をする。食事の時も粉を溶かしたジュースしか飲まないんだ」

 

「ふむふむ、それで?」

 

「この前は冬将軍に襲われたとき大怪我をしてたから、少しでも出血を抑えようと手を伸ばしたら拒否されてな。オマケにアクアの治療も受けずに町に一人で帰ったし……」

 

「なるほど」

 

「なんというか……俺たちを避けてるみたいなんだよな」

 

一通り話し終えたカズマは、喉を潤すためにジョッキを傾けた。

胸の内を話すことが出来てスッキリしたのか、酒気混じりの溜息を吐く。

 

「少なくとも、そのチヒロの気に障るようなことはしてないんでしょ?」

 

「……いや、そういえば初めてクエストに行ったとき。あいつの活躍ぶりを褒めたら嫌そうというか、複雑そうな顔されたんだよな」

 

「ええ、褒めただけなのに?」

 

「ああ……」

 

その時のことを思い出したのか、カズマの顔に影が落ちる。

誤魔化すようにジョッキの残りを一気に呷ると、肺の中の空気を一気に吐き出した。

 

「俺さ……初めて千翼に出会ったとき、すっげー嬉しかったんだ」

 

アルコールで顔が赤くなり、ほろ酔い気分のカズマは呟くように語り出す。

 

「一目見て『あ、こいつは強い奴だ』って確信したし、千翼をパーティーに引き込めたときは『これで楽が出来る』って思えた」

 

「それは聞きたくなかったかな……」

 

クリスが呆れ混じりの苦笑を浮かべる。

 

「でも、一番嬉しかったのは……」

 

「嬉しかったのは?」

 

「俺と同い年の、日本人の男と出会えたことが一番嬉しかった」

 

カズマの頬が少しだけ緩んだ。

 

「俺、ここに来る前は引きこもりでさ、親とも碌に会話が無かったんだよ。んで、色々あってなし崩し的にアクアと一緒にこっちに来たんだ」

 

「へぇ、そりゃ大変だったね」

 

「初めはその日を食っていくのもやっとで、毎日余裕が無かった。生活がある程度安定するようになってから、周りの物を見て驚いたり楽しんだりする余裕ができたんだけど……」

 

そこで言葉が途切れる。

クリスは先を促すようなことはせず、黙ってコップを傾けた。

 

「ある日『ここに日本人はいない』ってことに気が付いてさ」

 

「キミみたいな黒髪に黒目、変わった名前の人って、すぐにこの町を出て行っちゃうからね」

 

「それから何というか、急に寂しくなってさ。同じ人種がいないってだけで、こんなにも孤独を感じるもんなんだな……」

 

やや俯いたカズマの顔には、寂しさと自嘲が入り交じった笑みが浮かんでいる。

 

「俺、千翼と仲良くなりたいんだよ……日本にいたころはリア友なんていなかったし……。一緒に冒険したり、バカやって笑い合えるような男友達がずっと欲しかったんだ……」

 

言いたいことを全て言い終えたのか、カズマは一際大きく息を吸い込むとゆっくり、そして盛大に息を吐き出す。

 

「あー……わりぃ……なんか喋り過ぎて愚痴っぽくなっちまった……」

 

「いいよいいよ、気にしないで」

 

喋り続けて乾いた喉を潤すため、コップに入った水をカズマは喉を鳴らして一気飲みする。

一段落したところで、クリスが提案をしてきた。

 

「ね、良かったらその人から、キミたちを避けている理由を聞き出してあげようか?」

 

「え?」

 

「大丈夫、無理に聞き出すようなことは絶対にしないよ。それとなーく聞き出すから」

 

カズマは腕を組み、首を捻ってうなり声を漏らす。

千翼が自分たちを避けている理由を知ることが出来るなら、是非とも知りたい。そして同時に、知ることが怖い。

何か理由があって避けているなら、それを改善すればいいだけの話だ。

しかし、生理的に受け付けない、そもそも他人と居ることが嫌いといった、どうすることも出来ない理由だったら? それを知ってしまうことを、カズマは恐れていた。

考えに考えた挙げ句『いずれ後味の悪い別れ方をするくらいなら、いま別れた方がお互いのためだ』と無理矢理に自分を納得させる。

 

「……わかった、じゃあ頼むよ。でも、無理に聞き出すのだけは本当にやめてくれよ?」

 

「オッケー、任せといて!」

 

クリスはサムズアップで答えた。

 

 

◆◆◆

 

翌日。

今日も借金返済のために仕事を求めて、カズマ達はギルドを訪れていた。

掲示板を眺めていると、五人の後ろから陽気な声が聞こえる。

 

「みんな、おっはよー」

 

「おう、クリス。おはよう」

 

「おはよー」

 

「おはようございます」

 

「おはよう、クリス」

 

「えっと……おはよう」

 

「ねぇねぇ、キミ達って今日の予定はあるの?」

 

朝の挨拶を交わしたクリスは、カズマ達の今日の予定を尋ねた。

カズマはそれに肩をすくめながら答える。

 

「特に無いな、依頼もめぼしい物は特に無かったし」

 

「だったらお願い! 一日だけそこにいる黒髪の人を貸してくれない?」

 

クリスは両手を合わせ、千翼を見ながらそう言った。

 

「俺?」

 

突然、指名された千翼は、戸惑うように自分を指さす。

 

「実は前から狙っているダンジョンがあって、お宝がたくさん手に入りそうなんだ。でも、アタシ一人だと運べる量に限界があるし、いざという時に思うように動けない可能性がある。そこで、荷物持ちと護衛を兼ねてキミに来てほしいんだ」

 

「あーそれなら確かにチヒロが適任ね。カズマだったら貧弱だから大した量を運べないし、護衛なんて論外。いざとなったらお宝を独り占めして逃げ出すでしょうし」

 

カズマが無言でアクアの後頭部を叩いた。

 

「もちろん、お宝は山分け! どう、悪くないと思うけど?」

 

眉間に皺を寄せて千翼は悩む。自分では決められないのか、助けを求めるようにカズマを一瞥した。

その視線に気付いたカズマは、食ってかかるアクアを押さえ付けながら答える。

 

「千翼さえ良ければ俺は構わないぞ。というか、少しでも借金を減らせるなら是非ともお願いしたい」

 

「……じゃあ、一緒に行くよ」

 

「本当!? ありがとう!」

 

クリスは満面の笑みで礼を述べる。

その後、千翼とクリスは準備を終えたらギルドの前で合流、ダンジョンへ向かうことになった。

去り際にクリスは、カズマにだけ見えるようにウィンクをする。それを見たカズマは申し訳なさそうに小さく手を上げた。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやー大量大量」

 

やや膨らんだ麻袋を担いだクリスは、歩きながら上機嫌で鼻唄を歌っていた。その後ろを、大きく膨らんだ麻袋を担いだ千翼が追う。。二人がダンジョンに潜ってしばらく立つが、収穫は上々であった。

先ほどから回収している、このダンジョンの『お宝』とは。パイルダーオンな超合金人形であったり、三分だけ戦えそうなカプセルであったり、ファンを回すことで変身できそうなベルトだったりと、千翼がどこかで見たことがあるものばかりであった。

鼻唄を歌っていたクリスはそれを止めると。何気なく千翼に尋ねる。

 

「そういえばさ、キミとカズマ君ってどうやって知り合ったの? よかったら聞かせて欲しいな」

 

「俺がギルドで冒険者登録をしようとしたら、持ち合わせが無くてさ。どうすることも出来なくて困っていたら、カズマが代わりに払ってくれたんだ」

 

「へぇ、意外だなぁ。借金してるからカズマ君ってお金には結構シビアなのに。ちょっと驚いた」

 

打算だろうけど、と。クリスに聞こえないように、千翼は小さく呟く。

 

「カズマ君とは仲良くやってる? もしかして、意地悪とかされてない?」

 

後者の質問に、千翼は首を横に振る。

 

「いや、そんなことは全くない。むしろ、俺のことをいつも気にかけてくれてる」

 

「そうなんだ。カズマ君、パーティーに迷惑ばかりかけられててよくピリピリしてるから、八つ当たりされてないか心配だったんだ」

 

「まぁ、しょっちゅう機嫌が悪いのは確かだな」

 

そうだよねー。と言ってクリスは小さく笑う。

 

「カズマ君はさ、ちょっと容赦の無いところがあるし、卑怯なこともするし、女の子相手でも容赦なく暴力を振るうけど、根はなんだかんだ言って良い人だから」

 

「……それ、フォローになってる?」

 

「まぁまぁ――それに、ああ見えて意外と寂しがり屋だから、これからも仲良くしてあげてね」

 

「……善処する」

 

千翼は少しだけ言い淀んだ。前を歩いているクリスには見えなかったが、俯いた少年の顔はどこか悲しげであった。

それから他愛も無い会話をしつつ、二人はお宝を順調に回収してゆく。やがて、二人は大きな鉄扉に辿り着いた。

 

「ここがダンジョンの最深部だろうね。つまりは一番のお宝が眠っている部屋。準備はいい?」

 

千翼は黙って頷く。その腰には既にアマゾンズドライバーが巻かれていた。

二人が扉の前に立つと、大きな音を立てながら扉が上に上がってゆく。トラップや敵がいないことを確認してから、二人はゆっくりと部屋に足を踏み入れた。

そこは巨大な円形の部屋だった。大人数で催し物が出来そうなほど縦にも横にも広い。

どんな技術を使っているのか、部屋の中央から幾筋もの青い光が放射線状に床、壁、天井へと伸び、部屋を照らしている。

そして光源にはこれ見よがしに、豪華な装飾が施された宝箱が置かれていた。

静寂で満たされた部屋に足音を響かせながら、二人は警戒しつつ宝箱に近付く。

 

「ちょっと待ってて。トラップがあるだろうから、それを解除するね」

 

そう言うと、クリスは宝箱の鍵穴を覗いたり、あちこち叩いて音を確かめたりと、宝箱を徹底的に調べる。

やがて、先端が複雑に曲がった二本の針金をポケットから取り出すと、それを鍵穴に差し込んで慎重に動かし始めた。

箱に耳を押しつけ、僅かな音も聞き逃さないよう息も止めて、クリスは解除に集中する。

それを見ていた千翼も自然と呼吸が小さくなり、彼女の一挙一動を見守る。

カチリ、と。小さな音が鳴った。

 

「ビンゴ!」

 

クリスが指を鳴らして声を上げる。

上機嫌で蓋を開けると、そこに入っていたのは、

 

「おお! これは!!」

 

「……」

 

クリスは喜びに満ちた笑みを、千翼は戸惑いに満ちた表情を浮かべる。

宝箱の中身は、トリコロールカラーが特徴的な、頭にV字のアンテナが付いた機動戦士なプラモデルであった。

 

「げんてーもでる? ってやつで、チヒロみたいな黒髪の変わった名前の人とか、物好きな貴族が結構な高値で買い取ってくれるんだよね。それでは、ありがたく頂戴しまーす」

 

クリスは傷つけないように、両手で慎重にお宝を持ち上げた。宝箱が僅かに沈み込む。

 

「「え?」」

 

二人の後ろで、出入り口に鋼鉄の扉が降りた。部屋の壁が次々と持ち上がり、中から剣や槍、ハンマーを装備した人型のゴーレムが姿を現す。

 

「二重トラップ!? 私としたことが……!」

 

自分の犯したミスを悔やみながらも、クリスは麻袋を投げ捨て、腰のダガーを抜いて身構えた。

 

「アマゾン!」

 

袋を投げ捨てた千翼は、リュックからインジェクターを取り出すと、素早くドライバーにセットしてピストンを叩いた。

赤い炎に包まれ、その中から現れたアマゾンネオは、もう一度ピストンを押してブレードを展開する。

 

「チヒロ! ゴーレムの装甲はすごく硬い、関節周りの隙間を狙って、内部を攻撃して!」

 

「わかった!」

 

二人は迫り来る敵の集団に向かって駆け出した。

アマゾンネオはゴーレムにわざと攻撃させ、それを紙一重で回避する。

攻撃後の硬直を狙って脇に回り込むと、首回りの隙間にブレードを刺し込み、捻りながら素早く引き抜いた。

ゴーレムの目から光が消え、そのままゆっくりと倒れる。

一体目を仕留めたネオは、次の獲物に向かって疾走する。

 

「このっ……」

 

一方、クリスは苦戦していた。

ネオと同じく隙間を狙うが、彼女の得物はダガーなのでどうしても長さが足りず、攻めあぐねていた。

 

「こうなったら一か八か……」

 

バックステップで距離を取ったクリスは、空いている左手を自分を狙うゴーレムに向けてかざした。

 

「スティール!」

 

盗賊のスキルである『窃盗(スティール)』を発動させると彼女の左手が輝く。光が収まった時には、その手に透き通った緑色の石――魔石が握られていた。ゴーレムは斧を振りかぶったまま動きを止める。

 

「へぇ、意外と上手くいくもんだね」

 

クリスはゴーレムの動力源であった魔石を投げ捨てると、次のゴーレムに向かって再び窃盗(スティール)を発動させた。

それからネオは刃を突き立て、時にゴーレムの頭を引き千切りながら。クリスは隙を突いて魔石を奪いながら次々とゴーレム達を沈黙させてゆく。

やがて部屋中が動かなくなったゴーレムで埋め尽くされ、静寂が戻ってきた。

ネオは肩で、クリスは大の字になって床に寝そべりながら、荒く呼吸していた。

 

「まさか……こんなことに……なるなんて……私も……まだまだだね……」

 

そう言ってクリスは額の汗を拭う。

それじゃあ、帰ろうか。とよろめきながら立ち上がり、自分の麻袋を持ち上げようと手を伸ばすが、掴む前に袋が持ち上げられる。

視線を動かすと、ネオ(千翼)が大きく膨らんだ二つの麻袋を背負っていた。

 

「疲れてるだろ。俺が持つよ」

 

「ありがと。キミ、きっと女の子からモテモテだよ」

 

クリスはいたずらっぽく笑う。表情は分からないが、照れ隠しをするようにネオ(千翼)は視線を逸らした。

どこかおぼつかない足取りでクリスは出入り口へと向かい、その後ろをネオがついて行く。部屋の出口まであと一歩のところで、クリスが踏んだ床が沈み込んだ。

天井から音が聞こえ、釣られるようにクリスが見上げると、大岩が降ってきた。

突然のことに声を出すことも、動くことも忘れたクリスは、迫ってくる岩を呆然と見つめ――

 

『AMAZON BREAK』

 

銀色の刃が閃いた。

大岩に十字の線が走ると、それに沿って岩が四つに割れる。轟音を立てながらクリスの周りに落下し、土煙を上げながら砕け散った。

 

「怪我はない?」

 

思考を停止していた脳が、その声で再び動き出す。

声のする方を向くと、そこには血払いをするようにブレードを振るう青い戦士がいた。

 

「あはは、最後の最後に助けられちゃったね」

 

照れ隠しのようにクリスは頬の傷を掻いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「今日は本当にありがとね。それじゃ、また何かあったらよろしく!」

 

「俺で良かったら力になるよ」

 

お宝を山分けした二人はアクセルの町に戻り、夕暮れの通りで別れの挨拶を交わす。

元気よく手を振った銀髪の少女は、麻袋を揺らしながら上機嫌で町中へ向かう。

お宝が入った袋を担ぎ直すと、千翼は屋敷のある郊外へ向かって歩き始めた。

 

「大丈夫」

 

歩いていたクリスは突然立ち止まって振り返り。人混みに紛れて消えつつある千翼の背中に向けて呟いた。

 

「キミは、人間だ」

 

そう呟いたクリスの姿は、雑踏の中に消えた。




実は当初のサブタイは「DIE SET DOWN」にして戦闘がメインの話にする予定でしたが、書いている内に「これは違うな」と思い。今回のタイトルに変更となりました。


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Episode5 「E」AT KILL ALL

前回に続いて今回もオリジナルエピソードです。


太陽が沈み、月と星明かりが世界を薄く照らす。夜の冒険者ギルドは昼間よりも賑やかだ。

 

「ん、新メニューの唐揚げすごく美味しいです!」

 

「味がしっかりとしていながら、決してしつこくない。これはいいな」

 

「シュワシュワにもピッタリ。やみつきになる味ね! すみませーん、唐揚げのおかわりくださーい!」

 

「あんまり食い過ぎるなよ。それにしても……うん、確かに旨いな」

 

カズマは唐揚げを一つ口に放り込み、頷きながら味わう。テーブルの隅では、粉末を溶かしたジュースを千翼が静かに飲んでいた。

今日も夜のギルドは賑わっており。あちこちで武勇伝やくだらない話、クエストでの出来事などで冒険者たちは話に華を咲かせている。

 

「本当だって! 本当に見たんだよ!」

 

カズマ達が料理に舌鼓を打っていると、少し離れたテーブルで赤い上着を着た金髪の男が叫んだ。

 

「あのさ……いい加減しつこいわよ?」

 

長い茶髪をポニーテールにした少女が、呆れたように冷めた視線を金髪の男に向ける。彼女の隣と向かいに座る二人の男も、同意するように深く頷いた。それに抗議するように男はさらに声を荒げる。

 

「お前達が信じてくれないからだろ!? 俺は嘘なんかついてない!!」

 

「じゃあ、きっと寝惚けて動物か何かを見間違えたんでしょ。はい、この話は終わり」

 

そう言って少女は尚も叫ぼうとしている金髪の男を無視して、テーブルの上の料理を食べ始めた。二人の男も同じくジョッキを傾け、料理を口に運ぶ。

 

「本当なんだ……本当に見たんだよぉ……」

 

少女から一方的に話を打ち切られ、男が項垂れて泣き言を漏らした。

 

「ダストのやつ、なにやってんだ?」

 

「さっきから何かを見たって言ってますけど」

 

カズマとめぐみんが通路に顔を出し、叫んでいた男が座るテーブルを見やる。

二人の視線の先では、ようやく落ち着いたのか金髪の男――ダストは顔を上げると何気なしに首を回した。カズマと視線がかち合う。

座っていたテーブルから勢いよく立ち上がると、ダストはカズマの元へ駆け寄り、縋るような声と目で訴えた。

 

「なぁ、カズマ! 親友であるお前なら、俺の言うことを信じてくれるよな?」

 

「お前と親友になった憶えはないが、話くらいなら聞いてやるぞ」

 

あっさりと友情を否定されたダストはがっくりと肩を落とす。しかし、すぐに持ち直すと真剣な顔で語り始めた。

 

「俺、見たんだよ! 本当に見たんだ!」

 

「だから、何を見たんだよ」

 

「それは今から説明する!」

 

ダストが言うには一週間前。山を越えた先にある町に、荷物を届けるクエストを終え。アクセルへ帰る途中の出来事だった。

アクセルの近くまで来たが、その時は既に夜中であったため。危険な夜道を歩くよりは、翌日の朝に帰還するほうが安全だと判断し、その日は野営することになった。

その時の見張りはダストであり。自分以外のメンバーが寝静まったころ、尿意を催したので離れた場所で用を足しキャンプに戻ろうとしたとき、突然近くの草むらが動いたという。

 

「そして、草むらから出てきたのが……」

 

「出てきたのが……?」

 

彼の語り口に、いつの間にかカズマ達は聞き入っていた。固唾を飲んでダストの次の言葉を待つと、たっぷりと間を置いてから結末を口にした。

 

「頭がジャイアントトード、身体がスモークリザード、足がコカトリスのすっげー変なキメラが出てきたんだ!!」

 

ダストの言葉を聞いて、カズマ達は身動きを止めた。目を見開き、瞬きすることすら忘れて目の前の男を五人が見つめる。

 

「俺は嘘なんか言ってない。本当に見たんだよ!」

 

「ダスト」

 

カズマは慈愛に満ちた、まるで我が子を見守る親のような顔でダストに語りかける。

 

「おお、信じてくれるかのか! やっぱりお前は俺の――」

 

「少しは酒を控えような。酒は飲んでも飲まれるなって言うだろ?」

 

「ちっくしょー!!」

 

ダストは泣きながらギルドを飛び出していった。

 

「ダスト、これでちょっとはお酒を控えるようになりますかね」

 

「ないない。明日にはまた酔っ払ってるよ」

 

「すみませーん! シュワシュワのお代わりくださーい!」

 

「お前も少しは控えろ」

 

 

◆◆◆

 

雪を掘り返すと、その下から白い雪によく映える、真っ赤に熟した植物の鞘が顔を出す。

 

「お、あったあった」

 

カズマは手袋を付けた手で、鞘を傷付けないように丁寧にもぎ取ると、慎重に腰の袋に入れた。

 

「カジュマしゃ~ん。手がヒリヒリする~」

 

「潰れやすいから手袋付けてやれって言っただろ……雪で洗え」

 

手が赤く腫れ上がったアクアに呆れるように言うと、また雪を掘り返し始める。カズマ達は香辛料の採集クエストで山を訪れていた。

あちこちから雪を掘り返す音が響き、香辛料を見つけては袋に詰める。誰もが黙々と採集に勤しんでいた。

作業を始めてからしばらくが経ち、カズマが香辛料を袋に入れて口を締めると、今にもはち切れそうなくらいに袋が張った。

 

「うし、俺はこんなもんだな。みんな、袋は一杯になったか?」

 

「たくさん採れました!」

 

「私もだ」

 

「俺も」

 

「腫れが引かない……」

 

一人を除いて十分な量を採集したらしく、カズマが町への帰還を告げると、四つの了承の返事が返ってくる。

屈んで作業していたため、すっかり硬くなった腰を叩きながらカズマが立ち上がると。ガサリ、と草むらが音を立てて揺れた。カズマを除いた四人が反射的に身構える。

 

「大丈夫、敵感知に反応がないからモンスターじゃない」

 

カズマの言葉に四人は小さく息を吐いて構えを解いた。なおも草むらは揺れ、ついに隠れている者が正体を現す。

 

「ゲコ」

 

草むらから顔だけを出したのは、カズマ達もよく知るモンスター。ジャイアントトードであった。しかし、

 

「小さい……」

 

アクアのつぶやきに同意するように、四人が黙って首肯する。

目の前の蛙は余りにも小さかった。五人が知るジャイアントトードは、人間の大人を丸呑み出来るほどの巨体を誇る蛙である。しかし、草むらから出ている顔は犬猫と大差ないほどの大きさだった。

 

「ジャイアントトードの子供か?」

 

「バカねぇ、蛙の子供はオタマジャクシに決まってるでしょ。そんなことも知らないの?」

 

カズマが硬く握った雪玉をアクアの顔面目がけて全力で投げつける。二人だけの雪合戦が始まった。

顔を出してから千翼達をじっと見つめていた蛙は、やがてガサガサと音を立てながら草むらから出てきた。

隠れていた首から下が露わになると、千翼達はもちろん。後ろで雪合戦をしていたカズマとアクアも手を止めて、蛙に目が釘付けになる。

茂みから出てきた蛙は――

 

「頭がジャイアントトードで……」

 

「身体がスモークリザードの……」

 

「足がコカトリスな……」

 

「すっげー変なキメラ……」

 

「本当にいた……」

 

頭、体、足がそれぞれ別の生物になっている、ダストが見たと主張する件のキメラであった。

キメラは目の前の人間達に害は無いと判断したのか、まっすぐ近付いてくると、つぶらな瞳でカズマ達を見上げる。

 

「こいつ、どこから来たんだろ?」

 

「やけに人慣れしているな」

 

千翼とカズマ、アクアとダクネスが屈んで顔を近づけるが、なおも逃げ出す様子を見せない。

キメラは興味が移ったのか、目の前で揺れるストールの裾を突っつき始める。千翼は慌ててストールを巻き上げた。

 

「見てください! こっちに足跡がありますよ!」

 

一人だけキメラではなく、キメラが隠れていた草むらを調べていためぐみんは、地面を指さしながら叫ぶ。

千翼達はめぐみんの元へ集まると、彼女が指さす場所を見た。そこには出来たばかりの鉤爪型の足跡が雪の上に交互に並んでいた。

五つの視線が足跡を追うと、その先は森の中へと続いている。

 

「……どうします?」

 

「どうするって……」

 

カズマが右を向くと、三人の少女が期待に満ちた眼差しを送っている。白い息と共に小さく溜息を吐いた。

 

「わかったよ。俺もちょっと気になってるし、どこから来たのか調べるぞ」

 

「そうこなくっちゃ!」

 

キメラを脇に抱えたアクアが叫んだ。それに答えるようにキメラも鳴き声を上げる。

こうしてカズマ達は、キメラの足跡を辿って山奥へと進み始めた。始めはちょっとした探検気分だったが、進むにつれて徐々に木々の密度が高まり、次第に疲れが見え始め歩みに遅れが出てくる。

 

「まだ続いているな……」

 

「この先に何があるのって、うわわ!」

 

突然、アクアに抱えられていたキメラが暴れ出した。彼女の手を離れて着地すると、自分の足跡を辿ってあっという間に森の奥へと消える。

五人は急いでその後を追うと、密集した木々で塞がれていた視界が唐突に開けた。

 

「あれは……」

 

一面が切り拓かれ、雪が積もった敷地と森の境目には柵が立てられている。片隅には奥行きのある半円形の建物が一つだけあった。

その建物に向かって、雪の上に出来たばかりの鳥の足跡が続いている。

 

「牧場……よね?」

 

「牧場ですね。ですが、こんな所にあるなんてどう考えてもおかしいですよ」

 

「町と行き来するには余りにも不便だ。人里に近くて牧場に適した土地など、それこそいくらでもある。何よりもこんな場所にある牧場の話を全く聞いたことが無い。怪しすぎる」

 

アクアの疑問に肯定しつつも、余りにも不自然な場所にある牧場にめぐみんとダクネスは警戒心を露わにする。

 

「うーん……」

 

カズマは迷っていた。

自分の本能が『これに関わったら絶対に面倒なことになる』と告げているが、好奇心の方は『何か面白いことがあるに違いない』と耳元で囁いている。

迷いに迷った挙げ句。

――ちょっとだけ。そう、ちょっとだけ見てみよう。

結果は好奇心に軍配が上がった。なおも叫び続ける本能を意識の底へと追いやると、他の四人を手招きして小声で話し始める。

 

「こうしよう。まず俺が潜伏スキルで中の様子を見てくる。普通の牧場だったら、迷惑をかけないようにそのまま帰るぞ。ただし……」

 

ここで言葉を切った。四人がカズマに注目する。

 

「もし不審な点や犯罪の臭いがしたら、証拠を集めてギルドに通報だ」

 

「で、犯人と戦わずして報奨金を貰おうって魂胆ですね」

 

「……その通りだけどそれは言うな。それと、証拠を集めるときはみんな来てくれ。俺だけじゃ何が証拠になるか分からないし、手分けして集めた方が効率が良い。中に人がいなかったら合図を送る」

 

四人は黙って頷く。それを確認したカズマは潜伏スキルを発動させ、姿を消した。残された四人は草むらからじっと建物の様子をうかがい、ひたすらカズマの合図を待つ。

数分か、数十分か。どれだけの時間が経過したかは分からないが、カズマが再び姿を現した。

畜舎の出入り口の前で大きく手を振り、千翼達に合図を送っている。

合図を確認した四人は隠れていた茂みを静かに出て、姿勢を低くしながら、なるべく音を立てないようにカズマの元へ向かう。

 

「中に人はいないのね?」

 

「あー……うん、いない……」

 

「どうかしましたか? 様子が変ですよ」

 

「その……いや、見た方が早いな」

 

カズマは戸に手を当てると、千翼達に振り返り『心の準備はいいか?』と問いかける。

四人の頭上に疑問符が浮かぶが、カズマは構わずに戸を押して開いた。

中の様子を見た四人は、

 

「え……」

 

「うそ……」

 

「これは……」

 

「むぅ……」

 

それぞれの反応が口から漏れる。

左右の窓から差し込む光で畜舎内の様子がよく見えた。入り口から突き当たりまで中央に長い通路が延びており、その両脇には均等に区切られた囲いがあった。

その中にはこの牧場で飼育されている生物――森で見つけたキメラが所狭しと押し込められていた。

 

「キメラの牧場……」

 

畜舎内の様子を目の当たりにしためぐみんが顔をしかめる。

 

「奥に扉があるだろ。あの先は部屋になっていて色々と置いてあったから、証拠となる物もきっとあるはずだ」

 

カズマが指さす先、畜舎の正面突き当たりには一枚の扉があった。

警戒しつつ五人は畜舎の中を進み、扉に辿り着く。ノブに手をかけると、カズマは扉をゆっくりと開いた。獣の臭いに混じって生活臭が流れてくる。

扉の先は小さな部屋となっており、正面の窓から差し込む光が部屋の中を照らしていた。

窓の下に机が置かれており、何冊もの本が積み上げられている。左側の壁際には、使い古された寝袋が藁山の上に置かれていた。

そして右の壁際には、足下に戸棚が付いた簡素な流し台が設置されており。空になった固形燃料の缶と錆び付いた五徳、包丁やフライパン等の調理器具。調味料と思しき様々な色の粉末や液体が入った小さな瓶が置かれている。

 

「ここで誰か生活してるのかしら?」

 

「こんな山奥の、しかも畜舎の中で……一体なんのために?」

 

「疑問は後だ、証拠を集めるぞ。ダクネスは寝袋、俺とアクアは流し台、千翼とめぐみんは机を調べてくれ」

 

四人は頷くと、手分けして部屋の調査を始める。

ダクネスは寝袋を裏返して中を調べたり、藁山をかき分けて何か隠されていないか確かめる。

流し台を調べるカズマとアクアは、調味料の蓋を開けて匂いを嗅ぎ、戸棚を開けて中を調べるが空振りに終わった。

そして机を調べる千翼とめぐみんは、次から次へと本を手に取っては手早くページを捲り、証拠になりそうに無い本であれば元の位置に戻していた。

 

「これ、なんだろ?」

 

千翼は一冊の本を手に取る。その本だけページのあちこちから付箋がはみ出しており、表紙に不思議な紋様が描かれた本を捲った。

中にも表紙と似たような紋様が描かれている。その隣のページには解説のような文章があるが、千翼は全く理解できなかった。

 

「ちょっと見せてください」

 

千翼から本を渡されためぐみんは、食い入るように紋様と文章を読み始める。

ページを捲るごとに少女の顔が険しくなってゆき、読み終えたころにはこれ以上無いほど真剣な顔つきになっていた。

 

「これは……生物の融合方法が書かれた魔道書ですね。この手の本はとっくの昔に発禁されたはずです」

 

「ということは、あのキメラは……」

 

「間違いありません。あれは人為的に作られたものです。私たちはとんでもない大事件に関わってしまったようです」

 

ダクネスが言わんとしていることをめぐみんは口にした。彼女の最後の言葉に部屋の空気が張り詰める。

 

「キメラを作るのって、そんなに重罪なのか?」

 

「とんでもない話ですよ! そもそも違う生物同士を無理矢理に掛け合わせ、新たな生物を作るという倫理に反する行為。作られたキメラが伝染病の新たな媒介者となる可能性。何より野に放たれたら、生態系が崩壊してしまいます!」

 

「確かにそうだな……在来種と外来種の問題みたいなもんか……」

 

この世界の常識に疎いカズマの疑問に、めぐみんは捲し立ながら、キメラを作ることがいかに重罪であるかを説く。

これは有力な証拠ですよ。と言って魔道書は千翼に渡され、リュックに入れられた。

 

「これは……日記ね。何か手がかりがあるかもしれないわ。読むわよ」

 

流しを調べ終え。他の本を調べていたアクアはその中に日記を見つけた。軽く咳払いして、書かれている内容を読み上げる。

 

 

 

○月×日

まさかこんな山奥にいい場所があったなんて。隠れてやるにはもってこいの場所だ。早速整地を始めよう。

 

○月×日

仲間と協力して邪魔な木の伐採と畜舎の建設がようやく終わった。

さて、ここからは俺の仕事だ。

 

○月×日

以前の実験結果から素材はジャイアントトード、スモークリザード、コカトリスの三種にするべきだろう。

問題はどのモンスターをどの部位にして、割合をどれくらいにするかだ。こればかりは試行錯誤を繰り返すしかない。

 

○月×日

何度か実験を繰り返したが、頭をジャイアントトード、体をスモークリザード、足をコカトリスにするのが良さそうだ。

あとは部位の比率を調整して、ベストな味が出る割合を探さないと。

 

○月×日

今回の比率は上手くいったと思う。さっそく試食してみた。

大成功だ! 臭みも癖も無く、煮ても焼いても蒸しても美味い!

あとは量産体制とルートの確保だけだな。

 

○月×日

量産体制も整った。あとはこれを売り捌くルートだけだ。

いきなり王都みたいな大きな場所でやるのはさすがにマズい。

まずは小さなところから始めて、様子を見よう。幸いにもこの近くにアクセルって町がある。

聞いた話じゃ駆け出しの冒険者達が集まる町で、それなりに人もいるらしい。ちょうどいい、ここから始めてみよう。

万が一ここがバレたとしても所詮は駆け出しの集まる町だ。簡単に返り討ちに出来るさ。

もしギルドに通報されたらさすがにマズいから、その時は大人しく引き上げるとしよう。

しばらく雲隠れしてから、また別の場所で再開すればいい。

 

 

 

最後のページを読み終えて、アクアは日記を閉じる。部屋の中は静まりかえっていた。

 

「売り捌くって書いてあったわよね……アクセルで……」

 

「そういえばギルドの新メニューだが……」

 

「私たちが昨日食べた唐揚げの肉って……まさか……」

 

「ウプッ!」

 

千翼を除いた四人の顔が真っ青に染まり、喉から込み上げてくる物を吐き出さないように口を手で押さえる。

慌ただしくカズマ達は流し台へ駆け込むと、上半身をかがめて一斉に嘔吐した。

しばらくの間、液体が流しに落ちる音と、嘔吐(えず)く声が続く。千翼は四人の背中を代わる代わるさすった。

文字通り胃の中の物を全て吐き出したのか、カズマ達がようやく曲げていた背筋を戻す。その顔は青ざめていた。

 

「と、とりあえず。証拠品はこれで良さそうだな」

 

「念には念を押して、あのキメラを一匹持って帰りましょう。魔道書と日記、何よりも実物のキメラを出せば犯人も言い逃れはできません」

 

口元を拭いつつ、必要な証拠を集めた五人は撤退の準備を始める。

 

「申し訳ないけど、ウチは生体販売はしてないんだ」

 

その時だった。後ろから男の声が聞こえ一斉に振り返る。いつのまにか部屋の出入り口に男がおり、ニヤニヤと笑いながら五人を見ていた。

 

「探知魔法に反応があったから戻ってくれば……まさかお客さんとはね」

 

「貴方があのキメラを作ったのですか?」

 

杖を突き付けながら、鋭い声でめぐみんが問い詰める。

 

「ああ、そうさ。このキメラは俺の努力の賜物さ。ここまで改良するのは本当に大変だったんだぜ?」

 

「ふざけんな! あんな気色悪い生き物の肉を食わせやがって。すぐにでも牢屋にぶち込んでやる!」

 

「まぁ、待ちなよ少年。ここで俺を見逃すってのはどうだ? そうすりゃ俺たちはビジネスを続けることが出来るし、あんたらはこれからも美味い肉を食える。そっちの方がお互い利益がある。悪くない話だろ?」

 

返答の代わりに五人は身構える。残念だ。と言わんばかりに男は肩を竦めると、身を翻して逃げ出した。

 

「逃がすか!」

 

カズマを先頭に、四人も部屋を飛び出す。

部屋から逃げ、畜舎を出た男は牧場の外へと走る。このまま森に逃げ込むつもりなのだろう。そうはさせまいとカズマは更に足に力を入れて男を追いかける。

あと一歩で森に入るというところで男は突然立ち止まった。振り返って不敵な笑みを浮かべる。

 

「野郎、バカにしやがって!!」

 

「カズマ、上!」

 

アクアの慌てた声に反射的にカズマは上を向いた。輝く太陽を背に、何かが降りてくる。

 

「おわっ!?」

 

慌てて飛び退くと、一瞬前までカズマがいた位置に、雪を撒き散らしながら『それ』が降り立つ。

それは竜、獅子、山羊の頭を持ち。背中には鷹の翼を生やした奇妙な姿の生物。

 

「キメラ……!」

 

本家本元の合成獣(キメラ)がカズマ達の前に立ちはだかった。

 

「そいつは俺の最高傑作さ! やっちまえ!」

 

主人の命令に答えるように、三つの頭が雄叫びを上げる。手始めに目の前にいるカズマに前脚を振り上げて襲いかかった。

 

「っぶねぇ!」

 

咄嗟に横へ跳んで、カズマは間一髪のところでキメラの一撃を躱す。鋭い爪と強靱な脚が積雪と、その下にある地面を深々と抉った。

なおも攻撃は止まらず、立ち上がろうとしているカズマに再び鋭い爪が迫る。跳び退く暇すら与えず、合成獣(キメラ)の一撃がカズマに襲いかかり――

 

「ぐっ!」

 

その一撃は、銀色の刃に阻まれた。

 

「千翼!」

 

アマゾンネオ(千翼)がキメラの攻撃をブレードで受け止めた。右手でグリップを握り込み、左手で剣が押し込まれ、ギチギチと音を立てながら剣と爪が拮抗する。

しかし、相手は三つの頭を持つキメラ。この隙を残る頭が逃すはずもなかった。

がら空きになった胴体に、竜の頭が強烈な頭突きを叩き込む。直撃を受けたネオは大きく吹き飛ばされ、雪原を転がった。

 

「千翼! この野郎、これでも食らえ!」

 

初級魔法のクリエイト・アースを唱え、カズマは左手の平によく乾いた土を出現させる。そこに右手を添えると、キメラの顔へ狙いを定めた。

 

「ウィンドブレス!」

 

カズマの右手から風が吹き、手の平に乗った土を吹き飛ばす。

両手を左から右へと素早く動かすと、キメラの三つの顔に土と砂が吹き付けられた。

目や鼻に入ったらしく、左右の竜と山羊の頭は前脚で顔をこすり。中央の獅子の頭は雪に顔をこすりつける。

 

「めぐみん、頼む!」

 

「フッ、あれしきのキメラ。我が爆裂魔法の前では塵芥も同然。唐揚げの憂さ晴らしも兼ねて全力でぶちかましてやります!」

 

カズマがキメラから離れた事を確認すると、めぐみんは空に向かって杖を高々と掲げ、爆裂魔法の準備を始める。歌うように彼女の口から言葉が紡がれ、魔力が練り上げられてゆく。

最後の一節の詠唱を終えると杖をキメラに向けた。あとは彼女が誇る魔法の名を叫ぶだけで全てが終わる。

 

「エクスプ――」

 

その名を口にする前に、土砂を拭ったキメラが三つの頭をめぐみんに向けた。一斉に口を開くと、竜からは炎、獅子からは雷、山羊からは冷気のブレスが放たれる。

三つの息吹は真っ直ぐめぐみんへと殺到する。魔法を放つために身動きが取れず、意識では避けようとしても、彼女の体は動いてくれなかった。

 

「っ!」

 

「危ない!!」

 

間一髪で横からダクネスに突き飛ばされ、めぐみんは雪の上を転がる。遠くの山肌で大爆発が起きた。

本来ならめぐみんに命中するはずだった攻撃をダクネスは受け止め。妙に色っぽい苦悶の声をあげながら恍惚の表情を浮かべる。

 

「くうぅぅ、炎に冷気、さらに雷まで……なんという贅沢な攻撃だ……」

 

右半身は霜が付き、左半身は焼け焦げ、体の中央はパチパチと電気が火花を散らしている。

ダクネスは満足そうな顔をしながら倒れた。二人の少女が雪上で横たわる。

 

「全く、みんな何やってるのよ。ここは女神である私が一肌脱ぐしかないようね」

 

花を象った杖を雪上に突き立てると。アクアは両手の指を鳴らす。

 

「せっかく最高のおつまみに出会えたと思ったのに……女神の怒りを思い知りなさい!」

 

アクアは左手を前に突きだし、右手は拳を作って後ろに引く。深く腰を落として気を発し始めた。

硬く握られた拳に光が集まり、彼女の周りで闘気が渦巻く。拳の光が最高潮に達すると、アクアは地を蹴ってキメラに疾走する。

 

「今、必殺の!」

 

獅子の顔が目前に迫ったところで、アクアは左足を突き出して急制動をかけた。そのまま足を軸に拳を振りかぶる。

 

「真・ゴッドブロオオオォォォ!!」

 

体重と急制動による回転、そして女神の怒りが込められた必殺の拳が放たれる。

突き出された拳は見事に獅子の鼻面を捉えた。衝撃がキメラの体を突き抜け、周囲の雪が舞い踊る。

 

「フッ、決まった……」

 

拳から伝わる確かな手応えに、アクアは勝利を確信し余韻に浸っていた。

 

「なにドヤ顔決めてんだ! 早く逃げろ!!」

 

カズマの焦燥しきった叫びに、疑問を浮かべながら拳の先を見る。

両脇の竜と山羊、そして正面の獅子がアクアを睨んでいた。これっぽっちも痛がっている様子は無い。

 

「え、えーと……」

 

獅子が荒い鼻息を鳴らす。湿った風が女神の水色の髪を揺らした。

 

「助けてえええぇぇぇ!!」

 

先ほどまでの威勢はどこへやら。アクアは泣き叫びながら逃げ惑う。

キメラは自分を攻撃したアクアを最優先で狙い、爪を振るい、ブレスを吐きながら彼女を追いかけ回す。

 

「あ」

 

何かに躓いたのか、アクアの体が一瞬だけ宙に浮き、盛大に雪原を転がる。雪を撒き散らしながら何度も頭を打ち付けて、ようやく回転が止まった。

痛む頭を押さえながら立ち上がろうとすると、急に空が暗くなった。思わず振り返って見上げると、そこには血走った目で睨み付ける三つの頭が。

 

「ごごごごめんなさい! さっき殴ったのは謝るわ! それに、私なんて食べても美味しくないわよ!!」

 

腰が抜けて動けないのか、尻餅をついたまま必死に謝罪の言葉を述べ、アクアは泣き叫ぶ。

そんなことはお構いなしと言わんばかりに、三つの口が大きく開かれた。

 

「誰か助けてえええぇぇぇ!!」

 

三つの頭が一斉に喰らい付き、血飛沫が舞った。白雪に覆われた地面に赤い彩りが添えられる。

アクアは目を固く閉じ、震えていた。どれだけの時間が経ったのだろう。もしかして自分は痛みを感じる間もなく死んでしまったのだろうか。

恐る恐る瞼を開けると、目の前に青い背中が見える。

 

「え……?」

 

驚きで開かれた目に飛び込んできた光景は、キメラから自分を庇う青い異形の戦士、アマゾンネオの後ろ姿であった。

右腕を山羊に噛み付かせ、左手で獅子の口を押さえ込んでいる。残る竜の頭はネオの脇腹に牙を突き立てていた。噛み付かれた箇所から血が滴り落ちる。

 

「ち、チヒロ!」

 

「早く……逃げろ……!」

 

キメラの牙がさらに食い込み、ネオ(千翼)が苦悶の声を漏らす。アクアは礼を言いつつ大急ぎでその場から離れた。

アマゾンネオは何とかしてキメラを引き離そうとするが、両手は使えず、少しでもバランスを崩そうものなら押し切られそうだった。

こうしている間にも血が流れ落ち足下を赤く染める。ネオの両足が震え始めた。

 

「うおりゃ!」

 

右から飛んできた何かが山羊の頭に命中し、砕け散る。赤い破片が散らばった。

山羊が鬱陶しそうに顔を(しか)めると、朱混じりの雪解け水が山羊の目に入る。突然山羊が叫び声を上げ暴れ出し、それに驚いた獅子と竜がネオから口を離す。

脇腹を押さえながら暴れ出したキメラに困惑していると、刺激的な匂いがネオ(千翼)の鼻をくすぐった。

 

「これは……さっきの!」

 

地面を見ると、白い雪に血とは違う赤い点が散らばっている。そこから人間であれば食欲をそそる香ばしい匂いが立ち上っていた。

 

「そら、もう一発!」

 

潰した香辛料の汁をたっぷりと染み込ませた雪玉を、カズマはキメラ目がけて全力で投げつけた。

デタラメなフォームで放たれた真っ赤な雪玉は、緩やかな放物線を描きながらキメラへと飛翔する。ここでカズマの運の良さが幸いしたか、真っ赤な雪玉は吸い込まれるように竜の口内に収まった。

反射的に閉じた竜の口から何かが潰れる音がした。一瞬の間を置いて、竜の頭が文字通り火を噴きながら暴れ狂う。

吐き出された炎の息吹は降り積もった雪を溶かし、白く染まった森林を焦がす。

四方八方に放たれる炎の柱が畜舎を薙ぎ払った。木造の建物に火が付き、勢いよく燃え盛る。

 

「ああ、俺のキメラが!!」

 

余裕たっぷりで事の成り行きを見ていた男から、一瞬で笑みが消えた。

畜舎に駆け寄り、なんとか火を消そうと手の平から水を出したり雪をかけるが、燃え盛る炎の前では余りにも無力であった。

 

「千翼!」

 

アマゾンネオは頷くとブレードを構え直し、暴れるキメラへと疾走する。

唯一まともな状態の獅子がそれに気が付き口から稲妻を吐き出す。しかし、両脇の頭が暴れるせいで狙いが狂い、あさっての方向へと飛んでいった。

キメラを間合いに入れたネオは、獅子の(たてがみ)を鷲掴みにすると、右手の剣を勢いよく獅子の口内に突き刺した。頭蓋を貫通し、獅子の頭から銀色の刀身が突き出る。

そのまま剣を直角に捻ると力任せに右へと押し込む。ミチミチと肉が裂ける音と、何かが割れる音が獅子の頭から聞こえる。

とうとうブレードは獅子の頭を切り裂いて飛び出し、その先にあった山羊の首を刎ねた。鮮血が勢いよく吹き出し、雪原を真っ赤に染める。

残った竜の頭を掴むと、返す刀で素早くブレードを振り下ろす。最後の首が切り落とされ、キメラの胴体が力なく倒れた。

 

「あ……ああ……」

 

今も燃え続け、骨組みだけが辛うじて残っている畜舎を、男はうわごとを呟きながら見ていた。木が爆ぜ、とうとう骨組みも火の中へと倒れる。

後には畜舎だった物と、男が苦労の末に生み出した、キメラ達の黒焦げの死体が残された。

茫然自失となった男の背後から雪を踏みしめる音が響き、男は振り返る。剣を携えた青い異形が男を睨んでいた。

 

「ひっ……ひいぃぃ!」

 

腰を抜かすと男は手で後ずさる。アマゾンネオはゆっくりとした足取りでそれを追う。

後退り続けるが、とうとう男の背中に何かが当たってそれ以上動けなくなった。

異形は目の前までやってくるとブレードを引き、恐怖に歪む男の顔目がけて――

 

「千翼!」

 

「ダメ!」

 

銀色の刃が突き刺さり、飛沫が舞う。カズマとアクアは目の前で起きた惨劇から顔を逸らし、固く目を閉じた。

刃は男の顔――そのすぐ横。男がもたれている、水が入った樽を貫いていた。

 

「お前は殺さない……でも」

 

ネオ(千翼)はブレードを引き抜きながら言葉を句切ると、改めて男を睨む。

 

「命を弄んだことは、許さない……!」

 

千翼の怒気に当てられ、男は白目を剥いて気絶した。

 

 

◆◆◆

 

 

「はい、お釣りです。それはそうと聞きましたよチヒロさん。大手柄じゃないですか!」

 

「運が良かっただけですよ」

 

釣り銭を受け取りながら、千翼は苦笑する。

あれから主犯の男を捕らえ、証拠品と男を引き渡すとギルドは即座に動き出し。アクセルの町で業者に扮した男の仲間達もすぐに逮捕された。

ギルドからの報奨金を受け取ったカズマ達は、疲れていたこともあってそのまま屋敷に戻ったが、粉末が底を尽きそうになっていた千翼は、買い足すためにウィズの店を訪れていた。

 

「ありがとうございました。またのご来店を」

 

ウィズは手を振ってこの店唯一の常連客を見送る。千翼の後ろ姿が見えなくなり、閉店時間がやってきたのでドアの札を裏返すと。今日の売り上げを確認するためレジの金を袋に詰めて奥の部屋に入った。

 

 

 

 

 

通りを行き交う人々をかき分けながら千翼が町の外へ向かっていると、一人の男に目が止まった。

男は千翼に背を向け、どこか遠くを見ていた。その服装は、この世界では珍しいジャケットにジーンズ。そして黒髪だった。

視線に気が付いたのか、男が振り返る。千翼と目が合うと、右手を小さく挙げながらぎこちない笑みを浮かべた。千翼の呼吸が止まる。

 

「よぉ。久しぶりだな」

 

本能が逃げろと叫んでいる。しかし、足が動かなかった。

 

「親子の絆……いや、腐れ縁か? まぁ、どっちでもいいか」

 

手に持つベルトを揺らしながら、ゆっくりと男が近付いてくる。千翼はまるで金縛りにでもあったように、男から目を逸らせなかった。

 

「千翼ぉ……」

 

そして男は千翼の目の前で立ち止まり。獰猛な笑みを浮かべた。

 

「今度こそ、お前を殺しに来た」

 

男――鷹山仁は、そう告げた。




というわけで、満を持して仁さんの登場です。

実を言うと、当初のアマゾンズ側の時間軸はシーズン2終了直後でした。
そこからこの小説を書いている内に全体的なプロットを見直した結果、時間軸を映画「最後ノ審判」後に変更しました。


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Episode6 「F」ATHER

父、再び。


夕焼けに染まるアクセルの町。大通りを、とある親子が歩いていた。父親の背中を黙ったまま、怯えと戸惑いの混じった顔で子どもは追う。

ここじゃあ都合が悪い。場所を変えよう――逃げられると思うなよ?

思い出すだけで体が震える。その時の光景を振り払うように、千翼は何度も頭を振った。

これだけの人混みなら、その気になればいつでも仁を撒くことはできただろう。しかし、頭ではそう考えても、体は見えない糸で引っ張られるように父親の後ろをついて行く。

何度も逃げようとしたが、その度に仁の手が自分を鷲掴みにする光景が頭を過り、体が動かなかった。

そうこうしている内に町を出た。凍った雪を踏みしめながら親子は黙ったまま歩き続け、アクセルの町を望める小高い丘でようやく立ち止まった。

 

「さて……こうして会ってみると、何から話したらいいか迷うな」

 

あれから本当に色々とあったからなぁ。そう言って仁は小さく笑った。

 

「まぁ、とりあえず。お前が死んでからのことを話してやろう」

 

千翼が死んでから仁、緑色のアマゾン――水澤悠と駆除班。そして4Cは溶原性細胞によって変異したアマゾンを狩り続けた。

やがて、残るアマゾンは仁と悠の二人だけとなり。これでアマゾン細胞による全ての因縁に決着が付く――と思われた。

 

「それだってのに野座間の連中、性懲りも無くまたアマゾンを……しかも食用、ようするにアマゾンの家畜を作ってやがった。本当に懲りねえなぁ」

 

頭を振りながら、仁は呆れたような溜息を吐く。

 

「そして俺は、アマゾン達を守ろうとする悠に負けて死んだ……ってわけさ。結局アマゾンを根絶やしに出来なかったのは心残りだったが、まぁ仕方ない。死んじまったからな。これでようやく俺も楽になれる……そう思ったんだよ」

 

「まさか……」

 

「ああ、お前の想像通りだ。死んで目が覚めたらおかしな部屋にいて、しかもそこにいた奴から『異世界に行って魔王を倒し、願いを叶えるか。それとも天国に行っていつ来るかも分からない転生の時を待ち続けるか』って言われてな。人を殺したから地獄に落ちるもんだと思ったから驚いたよ」

 

そう言って肩を竦める。千翼は口を真一文字に結んで、父を見ていた。

 

「生前に心残りがあって、もしかしたら願いが叶うかもしれない。だったらやるしかないだろ?」

 

「父さんは……そこまでしてアマゾンを滅ぼしたいの?」

 

「ああ、そうだとも。俺がアマゾン細胞を研究して、そこからアマゾンが生まれた。だったら俺が責任を持って一匹残らず狩るのが筋ってもんだろ?」

 

さも当然のように言い放つ仁に、千翼は息を飲む。

 

「あの町に立った瞬間、お前の臭いがして驚いたよ。こっちに来てたとは思わなかった。俺もお前も、ずいぶんと神様に嫌われたもんだな。あれだけ苦しんだのに一向に楽にさせてもらえない。まぁ、お互い仕方ないっちゃあ仕方ないがな」

 

一陣の風が吹いた。千翼から仁に向かって冷たい風が通り過ぎ、仁が鼻をひくつかせる。

 

「そのストール、七羽さんのか」

 

「……そうだよ」

 

「……ああ、あの部屋で貰ったのか。いいなぁ、俺も何か貰えばよかった。七羽さん、今頃は天国でのんびりしてるかな」

 

そう言って、仁は紫色から黒のグラデーションのかかった空を見上げた。既に星が瞬き始めている。

 

「さて、おしゃべりはここまでだ。あとは……わかるだろ?」

 

千翼は視線を仁に向けたまま、リュックからネオアマゾンズドライバーとインジェクターを取り出す。

 

「そうだ千翼。一つ教えてやろう」

 

ベルトを巻きながら、仁は何気なしに息子に話しかける。

 

「七羽さん。お前の母さんは生きてたよ」

 

「……母さんが?」

 

ドライバーを腰に巻き、インジェクターを挿入しようとしていた千翼の手が止まる。仁はバックルに取り付けられた左側のグリップを握った。

 

「アマゾンになってな」

 

千翼の顔から感情と血の気が消えた。仁はグリップを捻る。バックルの緑色の双眸が光った。

 

『ALPHA』

 

「アマゾン」

 

仁の体が紅い爆炎に包まれる。あまりの高熱に足下の雪が溶け、みるみるうちに水蒸気となって消えてゆく。

 

『BLOOD・AND・WILD!! W・W・W・WILD!!』

 

「そして、俺を庇って死んだ」

 

紅蓮の衣を破って、赤い異形が姿を現した。緑の双眸が、魂が抜け落ちたように生気を失った千翼を見据える。

 

「千翼……今度こそ、母さんの元へ送ってやる」

 

腕から生えた刃を振りかざし、赤い異形『アマゾンアルファ』が地を駆ける。

 

「っ!」

 

間一髪のところで千翼は正気を取り戻し、攻撃を避けつつ距離を取るために転がる。黒い刃が千翼の首があった場所を通過した。

体勢を立て直しながら千翼はインジェクターをセットし、素早くピストンを叩く。

 

「アマゾン!」

 

赤い爆炎に包まれ、千翼がアマゾンネオに姿を変える。目の前には既にアルファが迫っていた。黒い刃が夕焼けに閃く。

咄嗟にネオは右腕を突き出した。刃と刃がぶつかり合い、火花を散らす。

 

「千翼!! これで分かっただろ!! 俺はなぁ、責任を取るために、何がなんでもお前を殺さなきゃならない!!」

 

アルファ()の気迫と共に刃が押し込まれ、ネオ(千翼)が徐々に後ずさる。

 

「そうしないと、七羽さんが安心して眠れないんだ!!」

 

「っ……俺、は……」

 

アルファの腕が払われ、ネオが大きくよろけた。すかさず回し蹴りをアルファが繰り出し、無防備となったネオの腹に叩き込まれる。

 

「がっ……」

 

蹴り飛ばされたネオは、受け身を取ることもままならず雪上を転がる。ようやく回転が止まり立ち上がろうとするが、腕に思うように力が入らない。

母さんが、アマゾンに――父から明かされた真実に、千翼は困惑していた。全てが変わってしまったあの日の夜、母親は自分が食人衝動に任せて喰い殺したと思っていた。

しかし、母親は生きていた。アマゾンとなって。

なんで、どうして、母さんが――突如として突き付けられた事実に、頭が理解することを拒む。四肢が震え、言うことを聞かない。

 

「終わりだ」

 

アルファが再びグリップを捻る。バックルの双眸が輝いた。

 

『VIOLENT SLASH』

 

アルファの右腕の刃が肥大化し、鋭さを増した。左腕を前に突き出し、右腕を大きく後ろに引く。獲物を狙う猛獣のように姿勢を低くすると、全力で地を蹴った。

凄まじい速さでネオに迫ると、すれ違いざまに右腕を突き出す。漆黒の刃は青い装甲を易々と切り裂き、ネオの胸から首筋にかけて鮮血が吹き出した。

為す術も無く致命の一撃を受けたアマゾンネオは、冷気を放ちながら元の千翼の姿へと戻り、力なく雪の上に倒れた。その下から薄い湯気を立ち上らせながら赤い血が雪に染み出してくる。

アマゾンアルファは姿勢を戻すと、雪を踏み締めながらゆっくりと千翼に近付く。もはや逃げる気力も体力もない息子の頭を掴み上げ、爪を立てながら右手を引いた。

 

「千翼、向こうに行ったら七羽さんによろしく伝えといてくれ」

 

もはや千翼に逃げる術など無かった。あとは赤い異形が腕を振るうだけで、少年の命は呆気なく散ることだろう。

 

「じゃあな」

 

鋭い爪が千翼に迫り、アルファの右腕が氷に包まれた。千翼から手を離して反射的に飛び退くと、先ほどまでアルファ()が立っていた場所が凍り付く。

 

「そこまでです!」

 

女性の鋭い声が丘に響く。アマゾンアルファ()が声のする方へ顔を向けると、紫色のローブを着た女性――ウィズが右手をアルファに向けながら丘を上がってくる。

普段の穏やかな雰囲気からは想像できない、鋭い目つきと一分の隙も無い構えをウィズは見せていた。アルファ()と千翼の間に割って入ると、堂々とした佇まいで警告する。

 

「チヒロさんにこれ以上危害を加えるなら、容赦はしません」

 

アルファが右腕を震わせると、纏わり付いていた氷が粉々に砕け散った。感覚を確かめるように拳を開閉させながら、緑の双眸が闖入者(ちんにゅうしゃ)を見据える。

 

「人間……じゃあないな。だがアマゾンでもない……チッ」

 

舌打ちすると赤い異形はベルトを外す。強烈な冷気を放ちながら、赤い異形は仁の姿に戻った。

 

「おいアンタ。悪いことは言わない、そいつに関わるのだけは止めておけ。そいつは生きているだけで周りの人間を不幸にする」

 

「チヒロさんと関わるかは私が決めることです。貴方が決めることではありません」

 

「ハァ……こっちは親切心で言ってんだけどなぁ……」

 

仁は呆れたように頭を掻く。視線をウィズから千翼に動かすと、先ほどまでの殺意など微塵も感じさせない、明るい口調で話しかける。

 

「千翼、今日の所は見逃してやるよ。正直言うと、俺も病み上がりみたいなもんだからな」

 

二人に背を向けて、仁はその場から立ち去ろうとした。

 

「次に会ったら、必ず殺す」

 

去り際にそれだけ言って、今度こそ仁は二人の前から立ち去った。ウィズは男の姿が完全に見えなくなっても、右腕を突き出し続けていた。

視界から男が消え、戻ってこないことを確認するとようやく右腕を下ろす。小さな安堵の息を吐くと、急いで千翼に駆け寄った。

 

「チヒロさん、大丈夫ですか?」

 

「ウィズ……さん……」

 

「とりあえず手当をしないと。アクア様ならすぐに……」

 

千翼は首を横に振って、ウィズの言葉に拒絶の意思を示す。

 

「カズマのところは……ダメです……」

 

「で、でも。早く手当をしないと!」

 

「だい……じょうぶ……。だったら、ウィズさんの……店に……」

 

ここで押し問答をするよりは、一刻も早く手当てをするべきだとウィズは判断した。

住民に見られて騒ぎにならないように、着ていたローブを千翼に被せると、肩を貸して立ち上がらせる。そのまま引きずるようにして、二人はアクセルの町へと向かった。

何度も人にぶつかり、その度にウィズが謝罪しながらようやく店に辿り着く。自室に入ると千翼をベッドに寝かせ、大急ぎで棚を漁る。

 

「ちょっと待っててください。たしか救急箱が……あった!」

 

目的の物を見つけたウィズは、それをサイドテーブルに一旦置いて部屋を出た。

部屋の外から水が流れる音がしばらく聞こえたかと思うと、水を張った洗面器とタオルを持ってウィズが部屋に戻ってくる。

まずは傷の具合を確認するために千翼の上着を脱がした。胸から首にかけて夥しい量の血糊が付着している。傷周りの血糊を濡れたタオルで拭き取り、脱脂綿と消毒液が入った瓶を手に取ると。

 

「これは……」

 

傷は殆ど塞がっていた。あれだけ大量の血を流したのが嘘だと思えるほどに、今は小さな傷しか残っていない。

ウィズは脱脂綿と瓶を救急箱に戻すと、もう一度タオルを手に取る。千翼の体に付いた残る血糊を丁寧に拭き取ると、上体を優しく起こして傷口にガーゼを当て、その上に包帯を丁寧に巻いてゆく。

最後にしっかりと結ぶと、額の汗を拭って大きく息を吐いた。

 

「ウィズ、さん……」

 

「はい、なんでしょうか?」

 

「俺がいつも買っている粉……あれを持ってきてください……俺には、薬よりも……あれの方が……」

 

一瞬だけの戸惑いの表情をウィズは浮かべるが、すぐにいつもの柔らかな笑みに戻ると「わかりました」と言って部屋を出る。

ガラスが触れ合う音と、何かを注ぐ音が聞こえ。戻ってきた彼女の手には、オレンジジュースが注がれたコップを持っていた。

 

「以前カズマさんから『千翼はあの粉をジュースに溶かして飲んでいる』って聞きまして」

 

「いただきます……」

 

千翼はコップに口を付け、少しずつ啜る。ゆっくりと時間をかけて飲み干すと、コップをウィズに返し、大きな溜息を吐いた。

 

「すみません……少し……寝かせてください……」

 

「大丈夫ですよ。ゆっくりと休んでください」

 

千翼は礼を言うと、体をベッドに横たえ目を閉じた。すぐに規則正しい寝息が聞こえてくる。

ウィズは救急箱を手に取り、静かに部屋を出た。

 

 

◆◆◆

 

 

次の日、太陽が大分高い位置に上ってから千翼は目を覚ました。

雲一つ無い青空から日射しが降り注ぎ、冬場であるのに汗ばむほど暖かい。

慎重に体を起こし、包帯の上から傷を撫でると、微かな違和感があるだけで痛みは全く無かった。

 

「あ、起きたんですね。具合はどうですか?」

 

部屋の扉が開かれ、入ってきたウィズが千翼の体調を尋ねる。

 

「痛みはありません」

 

「それは良かった」

 

まるで自分のことのようにウィズは喜ぶ。ここで千翼は、自分がウィズの店に泊まった。という事実を思い出す。

 

「カズマ、心配してるかも……」

 

「チヒロさんが熱を出して倒れたから、私が介抱している。とカズマさんに昨日伝えておきました。だから心配はありませんよ」

 

「何から何まですみません……」

 

どういたしまして。という返事の代わりにウィズは小さく手を振った。そこでふと、千翼は自分が上着を着ていないことに気が付き、慌てて部屋中を見渡す。

 

「俺の服は!? 血が付いているはず!!」

 

「服でしたら、今から洗濯しようと……」

 

「ということは、まだ洗ってないんですよね? よかった……」

 

一体何が良いのか。汚れ、しかも血が付いた服など、一刻も早く洗いたいと思うのが普通である。服が洗われていないことに何故か安堵する少年に、ウィズは首を傾げた。

 

「ところで……昨日ウィズさんはどうして、あの場所に?」

 

「売り上げを計算していたら、チヒロさんにお釣りを間違えて渡したことに気が付いて。それで慌てて後を追いかけたんです」

 

ウィズはどこか照れ臭そうに頬を掻く。しかし、すぐに不安げな表情に変わると、躊躇うように口を開く。

 

「チヒロさん、昨日のあの人は……いえ、何でもありません」

 

店番がありますから。と言ってウィズは立ち去ろうとする。

 

「待ってください」

 

部屋を出て行こうとする彼女を、千翼は引き留めた。ドアノブに置いた手を離し、ウィズはゆっくりと千翼に向き直る。

 

「全部、話します。俺が何者で……何をしてきたのか」

 

もはや彼女にこれ以上隠し通すのは無理だろう。覚悟を決めた千翼は生前に何があったのか。自分が何者で、あの男は誰なのか。全てをウィズに打ち明けた。

野座間製薬、アマゾン細胞とアマゾン、食人衝動。父親である鷹山仁、溶原性細胞。そして死と転生。

千翼が全てを語り終えるまで、ウィズは静かに耳を傾けていた。

 

「これが俺の……俺が転生する前にあった出来事です」

 

普通であれば、こんな荒唐無稽にも程がある話をされたら笑い飛ばすのが当たり前であろう。しかし、それを聞いていたウィズはまさに昨日、信じられないような出来事を目の当たりにした。

その当事者である千翼が語った言葉に、嘘や冗談など微塵も感じられない。彼女が出来ることは、黙って事実を受け入れることだけであった。

 

「ウィズさん……一つ、頼みがあるんです」

 

ただならぬ雰囲気の千翼に、ウィズは改めて姿勢を正して言葉を待つ。

 

「もし……もし俺が食人衝動に負けて人を襲ったり、溶原性細胞でアマゾンになった人が出たら。俺を殺してください」

 

「な……何を言っているんですか!? そんなことできません!!」

 

自分を殺してほしい。という少年の願いにウィズは声を荒らげる。千翼は静かに首を横に振った。

 

「俺はあの時死んで、それで全てが終わったはずだったんです。でも、本来ならあり得ない二度目のチャンスを得ることが出来た……。それでも俺が人を不幸にするようなら……俺には生きる資格がないってことです」

 

「チヒロさん……」

 

「俺が人を食った時は……それはもう俺じゃ無くて、俺の姿をした人食いの化け物です。大勢の人を不幸にするだけの……」

 

声色から、その頼みが決して揺るがない物だとウィズは悟る。うつむき、両手と唇を震わせ、ようやくウィズは口を開いた。

 

「わかり……ました……」

 

消え入りそうな声で、ウィズは千翼の頼みを引き受ける。

 

「でも……それまで絶対に諦めないでください。私はチヒロさんの味方です。もう一度チャンスを手に入れたのに、それを無駄にしてしまうなんて、悲しすぎます……」

 

「……ありがとうございます」

 

寂しく笑って、千翼は礼を言った。

ウィズは大きく息を吐くと、それまでの重い空気を吹き飛ばすように、いつもの柔和な笑みを浮かべ「念のためにもう一日だけ休みましょう」と提案する。

体の方は治っても、心は簡単に治りませんよ。という彼女の言葉に、千翼はそれを了承し、その日も店に泊まった。

そして翌日、人々が目を覚まし。今日という一日が始まろうとした時だった。町中の穏やかな雰囲気を台無しにするような警報が鳴り響く。

 

『緊急警報発令! 緊急警報発令! 機動要塞デストロイヤーの接近を確認! アクセルにいる冒険者の皆様は、装備を整えて至急冒険者ギルドにお集まりください! 住民の皆様はすぐに避難行動を! 繰り返します――』




次回はデストロイヤー戦となります。

Q:千翼の血が付いた服は結局どうなったの?
A:洗濯した後に、血が溶けた水が完全に蒸発するまで煮沸しました。


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Episode7 「G」IANT SPIDER

今回の話で、一話で書いた容量の記録を大きく更新しました。
序盤の山場、デストロイヤー戦開幕。


アクセルの町は大混乱に陥っていた。

家財道具を荷車に乗せて町の外へ向かう者、装備を整え仲間と共にギルドへ向かう者、家を捨てるか否か口論する者、はぐれた家族を探す者。まさしく混沌の坩堝であった。

何人もの住民とすれ違いながら、千翼とウィズは急いで冒険者ギルドへと向かっていた。

 

「ウィズさん、警報で言ってたデストロイヤーってなんですか?」

 

「とある国が作った巨大兵器です。詳しいことはギルドで説明があるかと」

 

更に足を速め、二人はギルドに到着した。扉を開けると、中は既に大勢の冒険者でひしめき合っていた。あちこちから不安げな声や諦めの声が聞こえてくる。

 

「千翼、こっちこっち!」

 

名前を呼ばれて声が聞こえた方を向くと、見知った顔が人垣の向こうから自分に向かって手を振っている。

狭い隙間を縫うようにしてその人物――カズマの元へとようやく千翼は辿り着いた。アクア、めぐみん、ダクネスの三人も居る。

 

「遅れてごめん」

 

「気にすんな、俺達もさっき到着したばっかだ。それよりも具合は大丈夫か? いきなり熱を出して倒れたって聞いたぞ」

 

「……大丈夫、心配かけてごめん」

 

嘘をついたことに、千翼の心が微かに痛む。返事をするまで僅かな間があったことにカズマは訝しがるが、そんなことはお構いなしに彼を押し退けてアクアが尋ねる。

 

「ねぇ、本当にただの熱だったの? もしかしてあのリッ……あいつに変な薬とか盛られてない?」

 

「あ、アクア様、私は千翼さんを看病しただけで、それ以外は本当に何もしていません。信じてください……」

 

ウィズの言葉を聞いたか聞いていないのか、アクアは疑いの眼差しを彼女に向ける。小さな悲鳴を上げて、ウィズは千翼の後ろに隠れた。

 

「冒険者の皆様、お集まり頂きありがとうございます! まずは中央のテーブルにご注目ください」

 

よく通る声が冒険者達のざわめきを静めた。声の主であるギルドの受付嬢ルナは、飲食スペースの中央にあるテーブルを指さす。そこにはアクセル近辺が描かれた大きな地図が置かれていた。

 

「先ほど近隣の町から、デストロイヤーがこの町に向かっているとの連絡がありました。接触はおよそ六時間後。現在のデストロイヤーの位置は、地図上だと恐らくこの辺りになると思われます」

 

そう言って、ルナはテーブルの下から蜘蛛――正確には蜘蛛の形をした兵器の模型を取り出し、それを地図の端に置いた。

 

「それまでにデストロイヤーを迎え撃つのか、町を捨てて避難するかを皆様に決めていただきます。その前に、デストロイヤーについて説明が必要な方はいらっしゃいますか?」

 

千翼、カズマを始めとした数名の手が上がる。他の殆どの人間は「何を今更」と言わんばかりの顔をしていた。

 

「わかりました。それでは説明します」

 

機動要塞デストロイヤー。この世界随一の技術力を持つ大国ノイズが、巨額の国家予算を投じて建造した対魔王軍用兵器。

完成と同時に開発者が兵器を乗っ取り、手始めにノイズを滅ぼした。以降は世界中を気まぐれに彷徨いながら、道中にある町や国をいくつも滅ぼしてきたという、まさに歩く天災とも言うべき存在である。

素材に魔法金属が使われており、物理的、魔力的な防御力はもちろん。対空兵器としてバリスタが、直接乗り込まれた際の対人兵器としてゴーレムも完備しているという、文字通り隙の無い兵器であった。

始めは興味深そうに聞いていた千翼とカズマだったが、説明を聞く内に徐々に顔が曇ってゆく。ルナが説明を終えた頃には、千翼は口を固く結んで眉間に皺を寄せ、カズマは絶望と諦めに満ちた表情となっていた。

 

「以上がデストロイヤーの説明となります。改めてお聞きしますが迎撃するか、避難するか。どうなさいますか?」

 

「とりあえず迎撃する方向で話を進めようぜ。良い案が無かったら、それから避難に話を切り替えても遅くはないはずだ」

 

「それもそうだな」

 

「賛成!」

 

赤いジャケットを着た金髪の男、カズマの友人、もとい知り合いであるダストの提案に別の誰かが賛同する。一先ずは迎撃する方向で議題が決まり、冒険者達が各々の考えを提示する。

 

「大きな落とし穴を掘って、そこに落とした後に埋めるのはどうだ?」

 

「それはダメだ。以前にも同じ方法を使った国があったが、ジャンプして穴を跳び越えたそうだぞ」

 

「あいつ、跳ぶのかよ……」

 

誰かが驚きと呆れの混じった声を漏らす。

 

「じゃあ、壁を作ってデストロイヤーの進路を変えるのはどうかしら?」

 

「それも無理だ。わざわざ迂回してから町を踏み潰したらしい」

 

嘘でしょ。と別の誰かが絶句する。

 

「無理だ……何をどう考えても絶対に無理だ……そんなの倒せるわけないだろ……」

 

やり取りを聞いていたカズマは顔を真っ青に染め、頭を抱えてしゃがみ込んだ。

――ああ、ちくしょう。サキュバス店のサービスをまだ一回も受けていないのに。それはそれは凄い夢を見せてくれるんだろうなぁ

実を言うと、カズマがここまで絶望しているのはこれが理由であった。

プライバシーの欠片もない馬小屋生活を抜けだし、念願のマイホームを、しかも十分すぎるほどの広さで、『音』を気にする必要がない。この上ないほど最高の物件を手に入れた矢先にこれだ。

男して産まれた以上はどうしても避けることができない、避けようのない『問題』をようやく解決することが出来たと思ったのに。

この町のサキュバス達が再びアクセルで店を開いてくれる保証などない。いや、そもそも復興を待っている暇があったら、さっさと別の町に移住した方がどう考えても効率が良い。

――くそっ、俺のロマンが、男のロマンが。

カズマは歯を食いしばり、人知れず涙を呑んだ。

 

「うーん、私ならやれるかしら……」

 

頭を抱えていたカズマの耳に、デストロイヤーの模型を見ていたアクアの呟きが聞こえた。ピクリと肩が震え、カズマがゆっくりと彼女に顔を向ける。

 

「アクア、お前いま『私ならやれる』って言ったよな。何がやれるんだ?」

 

「ん? ああ、デストロイヤーの魔力障壁よ。私くらいの実力なら、多分だけど破ることが……」

 

「本当か!?」

 

カズマは思わずアクアの両肩を掴み、顔を寄せる。

 

「本当か!? 本当に破れるかもしれないのか!?」

 

「ちょ、ちょっと顔が近い! わ、わからないわよ。もしかして、ひょっとしたら出来るかもって意味であって……カズマさん、顔が怖い!」

 

「出来る出来ないの問題じゃ無くてやるんだよ! もしかしたら何とかなるかもしれない!」

 

「わ、わかったわよ! やるわよ! やればいいんでしょ!?」

 

その言葉を聞いてようやくアクアは解放された。掴まれた箇所をさすりつつ、非難混じりの視線をカズマへと送る。そんなことは露知らず、当の本人はいやに興奮していた。

 

「でもよカズマ。仮に障壁をなんとか出来ても、デストロイヤー本体はどうすんだ?」

 

「それは……」

 

ダストの疑問に先ほどまでの勢いはあっという間に萎み、カズマは口ごもる。

 

「デストロイヤーにダメージを与えるには、大砲を何百発も一斉に撃ち込みでもしないと無理だって聞いたな」

 

「それか爆裂魔法みたいな、余程の火力がない……と……」

 

その冒険者の言葉は最後まで続かなかった。彼の視線はギルド内のとある少女――まるでカッコいい玩具を見ているかのような、キラキラとした眼差しをデストロイヤーの模型へ送っているめぐみんに向けられていた。

視線に連れられて、ギルド内の人間全ての視線が一人の紅魔族の少女へと集まる。

 

「え……な、何故みんな私を見ているんですか?」

 

多数の目が向けられていることにようやく気が付いためぐみんは、杖を抱きしめながら後退る。

 

「そうだ! 頭のおかしい嬢ちゃんは爆裂魔法の使い手だ!」

 

「頭のおかしい嬢ちゃんの爆裂魔法はよく知ってる。あれだけの威力ならきっとデストロイヤーにも!」

 

「まさかこんな頭のおかしい嬢ちゃんが切り札になるなんて!」

 

「おい、いま頭がおかしいと言ったやつ。顔は覚えたからな、覚悟しろよ」

 

とても少女が出しているとは思えないような、ドスの効いた声でめぐみんはそう告げた。

 

「めぐみん頼む! この中で一番火力があるのは間違いなくお前だ! お前しか、お前の爆裂魔法しかないんだ!! 頼む!!」

 

「し、仕方ありませんね。そこまで頼まれたら断れませんよ」

 

カズマの余りの必死ぶりに、若干引きつつもめぐみんは頼みを引き受けた。カズマが飛び上がり、奇声を上げながら狂喜する。

 

「ちょっと待った! それならウィズさんにも協力してもらった方がいいんじゃない? ウィズさんは昔、それは腕の立つアークウィザードだったって聞いたわよ!」

 

「え、ええ!? ちょ、ちょっとリーンさん!」

 

茶髪をポニーテールでまとめた少女、ダストの仲間であるウィザードの『リーン』は、勢いよくウィズを指さした。突如として指名されたウィズは狼狽える。

 

「俺も聞いたことがあるぞ。襲い来るモンスターをちぎっては投げちぎっては投げ、魔王軍からも恐れられるくらい強かったって話だ」

 

「巨大なドラゴンを魔法の一撃で木っ端微塵にしたらしいわ」

 

「山一つを素手で真っ二つに割ったとか……」

 

「誰ですかそんな噂を流したのは! そんなことしたことないですし、出来ません!」

 

余りに突拍子もない数々の武勇伝、もとい噂話に流石のウィズも声を上げて訂正を入れた。

 

「ウィズ、昔はアークウィザードだったって本当か? もしかして爆裂魔法も使えたりするのか!?」

 

「え、ええと。はい、爆裂魔法も使えます。と言っても昔の話ですから、今は流石にあの時ほどは……」

 

「いや、大助かりだ! 今はとにかく火力が欲しい!!」

 

「わ、わかりました。さすがに状況が状況ですからね。私もお手伝いします」

 

彼女が迎撃に加わることを告げると、ギルド内が一気に沸き立つ。ひょっとして、もしかしたら。と、あちこちから期待の声が歓声に混じっていた。

 

「ウィズさん、前は冒険者だったんですか」

 

「はい、昔は仲間と一緒にいろんな場所に行きました。楽しいことも、辛いこともたくさんありましたね……」

 

昔を思い出したのか、ウィズは小さく笑う。しかし、その笑みにはどこか寂しさが混じっていた。彼女の訳有り気な笑みに、千翼はそれ以上話題を広げるのを止めた。

 

「よし、障壁と火力の問題はクリア。あとは操縦している野郎をどうするかだ!」

 

それ以降、カズマが作戦を立案し、その内容に不備や疑問点があれば誰かが指摘。すぐにそれを解決するアイディアを別の誰かが提案するという形で、トントン拍子に対デストロイヤーの作戦は組み立てられていった。

大まかな作戦内容は決まり、続いて内容の精査と確認が行われる。ギルド内は対デストロイヤーの作戦会議でヒートアップし、冬であるにも関わらず蒸し暑いほどの熱気が籠もる。

数え切れないほどの改善案やアイディアが飛び交い、その度にカズマは計画書に修正を書き込んだ。

 

「いける……いけるぞ!!」

 

ついに完成した修正と書き足しだらけの計画書を見て、カズマは歓喜の声を上げる。もはやギルド内に諦めの空気は無く、来たる決戦に向けて誰もが決意を固めていた。

 

「よし、みんな。こうしちゃいられない。すぐに準備に取りかかるぞ!」

 

『おー!』

 

冒険者達は拳を突き上げて応えた。

 

 

 

 

 

それから数時間後、アクセルの冒険者達は正門の前に集結していた。嵐の前の静けさか、辺りは不気味なほどに静まりかえっている。既に住民の避難は完了しており、迎撃のために残った冒険者達は、未だ見えぬ敵へ静かに闘志を燃やしている。

町を囲う防壁の上から、カズマはじっと地平線を睨んでいた。薄く風が吹いて、少年の黒髪を揺らす。

 

「いよいよか……」

 

対デストロイヤー戦の作戦は全部で三段階。

第一段階は、アクアがデストロイヤーの魔力障壁を破壊。そこにめぐみんとウィズが爆裂魔法で脚部を破壊し、動きを止める。

続く第二段階は、各々がデストロイヤーへの足掛かりを作り、そのまま乗り込んでゴーレムを倒し、安全を確保する。

そして最終段階では、要塞内部に入ってデストロイヤーを操縦しているであろう開発者の確保。もしいずれかの段階で作戦が失敗したら、即座に撤退すること。しかし、それは町の放棄を意味する。

一人の『男』として、今回の作戦を何が何でも成功させねばと。カズマは静かに、そして強く決意していた。

 

「なぁ、カズマ。今回の目的は町を守ることだから、デストロイヤーに乗り込む必要は無いと思うのだが?」

 

腕組みしながら、カズマの隣で同じく地平線を睨むダクネスが問いかける。視線を固定したままカズマはその疑問に答えた。

 

「ダクネス。今まで俺たちが『よーし、これで完了だ。さぁ、お家に帰るぞー』で、そのまま終わったことが一度でもあったか?」

 

「……確かに」

 

「予感……というより確信だな。今回の作戦はデストロイヤーを止めただけじゃ絶対に終わらない。俺の勘がそう言っている」

 

カズマの言葉に、ダクネスは納得したように深く頷いた。

苦労してきたんだなぁ。と言いたげな視線を二人の後ろに立つ、ベルトを巻いた千翼は向ける。

 

「それでは、私は町の防衛に戻る」

 

「おう、もしもの時は頼んだぞ!」

 

カズマが親指を立ててダクネスにエールを送ると、彼女は右手を挙げてそれに応え、町へと向かっていった。

 

「なぁ、カズマ。今は少しでも戦力が欲しいから、ダクネスも前線に加えるべきじゃないのか?」

 

離れてゆく聖騎士(クルセイダー)の背中を見ながら、千翼が疑問を投げかける。それに対しカズマは、どこか遠い目でダクネスの背中を見ながら千翼の疑問に答えた。

 

「千翼、ダクネスはとんでもないノーコン。つまり攻撃が全く当たらないんだ」

 

「……命中率が悪いとかじゃなくて?」

 

「ああ、本当にこれっぽっちも当たらない。どれくらい当たらないかっていったら、全く動かない敵に対して一発も当てられないくせに、周囲の岩は一つ残らず切り裂いた程だ。念のために言っておくけど、冗談や誇張じゃなくてマジだ」

 

「……」

 

「だからあいつには『万が一に備えて町の防衛に回ってくれ。戦えない人々を、みんなの帰る場所を守るのが聖騎士(クルセイダー)の役目だろ? お前が最後の砦だ』って言って後ろに控えてもらった。」

 

「本音は?」

 

「ダクネスには大変申し訳ないが、ぶっちゃけ攻撃が当たらないからいるだけ邪魔。それに俺が作戦の指揮を執らないといけないから、あんなドMの面倒見ている暇なんてないっつーの。それに、今回は聖騎士(クルセイダー)なら他にも居るからな」

 

「カズマ……」

 

遠慮容赦ないカズマの本音を聞き、千翼は顔を引き攣らせていた。

 

「あいつ、俺が説得するまで『皆の盾となるのが私の務め』とか言って最前線から動こうとしなかったんだよ。本当はデストロイヤーに蹂躙されたいだけのくせに。だから適当にそれっぽいこと言って、お引き取り願った」

 

もはや千翼はカズマの方を向いておらず、遠い目で天を仰ぎ、青空に流れる雲を眺めていた。

 

『遠方にデストロイヤーを確認! 繰り返す、遠方にデストロイヤーを確認! まもなく目視可能!!』

 

町の警報器から響く声が静けさを破る。その場にいる全員が真剣な顔付きになり、各々の得物を握り締めた。

よし。とカズマは呟くと、大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。足下にある拡声器のような魔道具を手に取り、口の前で構えた。

 

『みんな、聞いてくれ!!』

 

防壁の上から響く、魔道具越しのカズマの良く通る声に、冒険者達がカズマを注視する。

 

『俺はみんなにとても感謝している。町を守るために残ってくれたことを、こんな危険極まりない作戦に協力してくれたことを』

 

彼の一言一句を聞き逃すまいと、誰もが静かに一人の少年を見つめていた。

 

『俺はこの町が好きだ。旨い飯、一緒に酒を飲める気の置けない奴ら、穏やかな日常。それら全部がこの町にある』

 

賛同するように冒険者達が頷く。

 

『だが、俺が、皆が愛する町を破壊しようとする奴が迫っている。俺はそいつを許せない。勝手にやってきて全てをぶち壊して踏み潰しといて、勝手に立ち去ってゆく……そんな奴を許せるか!?』

 

『許せない!』

 

『そんな奴を止めたいか!?』

 

『止めたい!!』

 

『そんな奴を殴りたいか!?』

 

『殴りたい!!!』

 

『みんな、そんなふざけた野郎に一発ぶちかましてやろうぜ!!』

 

『おおおぉぉぉーーー!!!』

 

カズマの叫びに呼応して、冒険者達も勇ましく雄叫びを上げる。士気は最高潮に高まっていた。

 

『デストロイヤーを目視! まもなく姿が見えます!!』

 

地平線の向こうに巨影が現れる。太陽の光を照り返し、大地を蹂躙するかの如く踏み砕きながら真っ直ぐ向かってくるそれは、巨大な鋼鉄の蜘蛛であった。大地を揺らしながら地響きと共に『機動要塞デストロイヤー』がついにその姿を現した。

その巨体を見た何人かが僅かに後退るが、自分を奮い立たせると迫り来る大蜘蛛を睨む。防壁の上でカズマは不敵に笑った。

 

『来たな。アクア、まずはお前の出番だ! 宴会の神の実力を見せてやれ!』

 

「だから私は水の女神! 何度も言ってるでしょ!」

 

冒険者達の一番前に立つアクアは、文句を言いつつも杖を掲げ、魔法の詠唱を始める。彼女が言葉を紡ぐ度に光の粒子が杖に集まる。

 

「セイクリッド・ブレイクスペル!」

 

アクアの前に魔法陣が浮かび上がり、そこからレーザーのような光が撃ち出された。

光はデストロイヤーに触れる直前に見えない壁に阻まれ、当たった部分から霧散してゆく。

 

『アクア! お前の力はその程度か! もっと本気を出せ!』

 

「こんの……さっきから好き放題言って……どおおおぉぉぉりゃあああぁぁぁ!!」

 

アクアの雄叫びと共に光の勢いが増す。魔法陣の中央から放たれていた奔流は、今や魔法陣を覆い隠すほどに大きくなっていた。

ピシリ、と。ヒビ割れる音が聞こえた、見えない壁に僅かに亀裂が走る。そこからあっという間に亀裂が広がり、何かが砕け散る音が響き渡った。

 

「ふふーん、どんなもんよ!」

 

『よくやったぞアクア! めぐみん、ウィズ。頼む!!』

 

「わ、わわ。わかりましひゃ!」

 

「任せてください! めぐみんさん大丈夫です、いつも通り、いつも通りに撃てば良いんですよ!!」

 

カズマは少し離れた場所にいる二人。同じく防壁の上に立つめぐみんとウィズに向かって叫んだ。

続く作戦の第二段階。デストロイヤーの脚部を破壊して、その動きを止めるという大役を任されためぐみんは、杖を握り締め、歯をガチガチと鳴らしながら緊張で震えていた。

爆裂魔法を詠唱をしようとするが何度も噛んでしまい。ついには心が折れたのか、その場にへたり込んで震えていた。それを見たカズマは拡声器を千翼に押しつけ、大急ぎで彼女の元へと向かう。

 

「めぐみん、よく考えてみろ。あんなデカくて硬くて黒光りする、お前を満足させてくれる物なんてそうそうないぞ?」

 

「言い方が卑猥です!」

 

「今、この瞬間を逃していいのか? もしかしたらこの爆裂魔法が、お前にとっての生涯最高となる一撃になるかもしれないんだぞ?」

 

「生涯……最高……」

 

めぐみんは唾を大きく飲み込んだ。

 

「ああ、そうだ。今撃たないでどうするんだ。やらぬ後悔よりやる後悔って言うだろ? 断言する。ここで撃たなかったら、お前はそのことを一生後悔する!!」

 

「そうですね……あんな物に爆裂魔法を撃てる機会なんてそうそう……いや、この一度だけしかありませんね!」

 

既に震えは収まっていた。めぐみんはマントを翻すと杖を天高く掲げ、歌うように爆裂魔法の詠唱を始める。それを見たウィズも両手を空に向かって伸ばし、同じく詠唱を開始した。

時間と共に杖と両手に赤い光が集まり、その輝きを増してゆく。デストロイヤーは目前にまで迫っていた。

 

「「エクスプロージョン!!」」

 

二人が同時に叫び、杖と両手が大蜘蛛に向けられる。その先から赤い魔力の濁流が迸り、蜘蛛の左右の足に直撃した。天を衝き、大地を揺るがす大爆発が巻き起こる。石や砂が吹き飛ばされ、辺り一面が砂嵐で覆われた。

冒険者達は吹き飛ばされないよう地面にしがみ付き、異物が目に入らぬよう目を固く閉じる。防壁の上にいるカズマ達も地面に伏せ、両手で頭を押さえて砂嵐が止むのをじっと耐える。

耳鳴りが収まり、砂が当たらなくなってからカズマはゆっくりと頭を上げる。体に異常が無いことを確かめ、慎重に立ち上がった。

そして彼の瞳に、両足をもがれ地面に力なく横たわる大蜘蛛の姿が映る。

 

「千翼!!」

 

素早く立ち上がり、千翼は押しつけられた拡声器を構えた。大きく息を吸って叫びと共に吐き出す。

 

『突撃ー!!』

 

『うおおおぉぉぉーーー!!!』

 

雄叫びと共に冒険者達が地に伏したデストロイヤーへと殺到する。その光景はさながら、瀕死の蜘蛛に群がるアリの大群であった。

アーチャーがロープを取り付けた矢を放ち、ある者は鉤爪が付いたロープを投げ、またある者は長い梯子を立て掛けてデストロイヤーに乗り込む。

 

「アマゾン!」

 

ここからはいよいよ総力戦である。千翼はインジェクターのピストンを押してアマゾンネオへとその姿を変えた。

 

『CLAW LOADING』

 

更にピストンを叩いて右手に鉤爪を形成する。それをデストロイヤーに向けて勢いよく撃ち出す。発射された鉤爪がデストロイヤーの縁に引っかかると、アマゾンネオは防壁から跳び出した。同時に鉤爪を巻き取ると、猛烈な速さでデストロイヤー向けてネオが滑空する。

既にデストロイヤー機上には対人用のゴーレムの集団が、迫り来る冒険者達を迎え撃つために集結していた。ネオはその内の一体に狙いを定めると、腕を振って鉤爪を外す。

空中で体勢を変えて右足を突き出し、滑空の勢いはそのままに狙ったゴーレムの胴体目掛けて蹴りを見舞った。

勢いと体重が乗せられたキックは、ゴーレムをまるでボールのように蹴り飛ばした。その先に居た他のゴーレムを巻き添えにしながら大きく吹き飛ぶ。

着地の体勢から立ち上がったネオは、ピストンを押して右手にブレードを展開する。ちょうどそのとき、冒険者の先頭集団がデストロイヤーを登り切った。

 

「よし、いくぞ野郎ども!!」

 

得物を構え、冒険者達は一斉にゴーレムの集団に襲いかかった。いよいよ最後の戦いが始まる。

 

 

 

 

 

「そらっ!」

 

ダストの仲間であるアーチャーの『キース』が放った矢は、ゴーレムの頭部に付いたレンズを正確に射貫いた。視覚を失ったゴーレムは一瞬だが動きを止める。

 

「どおりゃぁぁ!!」

 

その隙を逃さず、キースの背中を踏み台にしてダストがゴーレムに向かって跳躍する。そして、すれ違いざまに剣を振った。

ダストが着地してから一拍の間を置いて、機械人形の丸い頭部が地面に転がる。次いでゴーレムの巨体がゆっくりと倒れた。

 

「「よし、次!!」」

 

ハイタッチして、二人の男は次の獲物に襲いかかる。

 

「シッ!」

 

リーンはゴーレムに向けてナイフを投げた。短剣は腕の関節に刺さる。

 

「サンダーボルト!」

 

リーンは右手を突き出すとそこから雷撃が放たれる。放たれた雷はまるで意志を持つかのように、ゴーレムの腕に刺さったナイフ目掛けて飛びかかった。

雷の蛇がナイフに食らいつくと、そこからゴーレムの全身に電流が走りあちこちから火花が散る。感電が収まると黒焦げの機械人形は、全身の隙間から黒煙を噴き出しながら倒れた。

 

「楽勝楽勝!」

 

勝利の余韻に浸った微かな時間、彼女の後ろには別のゴーレムが腕を振り上げていた。腕の先端には大金槌が付いている。

人間を容易く肉塊に変えることが出来る凶器が振り下ろされる――ことはなかった。

ゴーレムの首に横一閃の光が走り、首が落ちる。連れて胴体も倒れた。驚いたリーンが振り返ると、そこには剣を構えた一人の青年、アクセルの町で魔剣の勇者と呼ばれるほどの実力者『ミツルギキョウヤ』が立っていた。

 

「ありがとう、ミツルギさん」

 

「だから僕の名前は……! って、合ってますね。失礼しました」

 

キチンと名前を呼んだのに、何故か訂正しようとしたミツルギにリーンは首を傾げる。「お怪我はありませんか?」と言ってさも当然のように触れようとするミツルギから若干距離を取り、リーンは両手を振って無事であることをアピールする。

 

「それにしても……」

 

ミツルギはリーンから視線を外して別の方向を見た。彼女もそれに合わせて同じ方を向く。その先ではダストとキースが前後からの挟撃でゴーレムを撃破していた。

 

「頼もしいお仲間ですね」

 

「……あいつら、あんなに強かったっけ?」

 

「きっと彼らも町を守るために奮起しているんですよ。それだけこの町を愛しているってことです」

 

「そうかなぁ……」

 

リーンは頭上に疑問符を浮かべる。彼女は――いや、アクセルの町の全ての女性は知らないだろう。この町には男達にとって絶対に、何があっても失ってはいけない物(サキュバス店)があることを。彼らはそれを守るために、それこそ死ぬ気で戦っていた。

あれがあるから、例えどれだけレベルが上がってもこの町から離れない。離れられないという男の冒険者もいる程だ。男達はいま正に、ある種の尊厳を守るために全力で戦っているのだ。

 

「さて、僕も負けてられない!」

 

マントを翻し、剣を構えてミツルギは近くのゴーレムに斬り掛かる。リーンもその後に続いた。

 

 

 

 

 

「扉が開いたぞー!!」

 

金属と金属がぶつかり合う音があちこちから響く戦場を、男の叫び声が通り過ぎる。援護に徹していたカズマはそちらを向くと、ハンマーを持った男達のそばに、叩き壊されて無理矢理開けられた扉があった。

 

「千翼、アクア、ウィズ。そことそこのパーティは俺についてこい! 中に入って動かしてる奴を捕まえるぞ! 残りはゴーレムを頼む。制圧が終わったら後に続いてくれ!」

 

任せろ! と威勢の返事が返ってくると、制圧を頼まれたパーティーは近付いてくるゴーレムに容赦なく殴りかかった。その隙にカズマ達は内部に侵入する。

目につく扉を片っ端からこじ開け、中に人が居なければ即座に次の扉をこじ開ける。猛烈な勢いでカズマ率いるパーティーはデストロイヤーの深部へと突き進んだ。

恐らくこれが最後の扉だろう。両開きの大きなスライドドアを無理矢理開け、雄叫びを上げながら中に突入する。

 

「おらぁ!! 責任者でてこい……や?」

 

剣を振り回しながら先陣を切ったカズマは、デストロイヤーの開発者であろう椅子に座る白衣を着た――白骨死体を見て剣を下ろした。後ろに続く千翼や他の冒険者達も、物言わぬ開発者の亡骸に戸惑う。

 

「ど、どういうことだ?」

 

「もしかしてデストロイヤーって、今まで自動操縦で動いていたのか?」

 

最終目標である、デストロイヤーを動かしているであろう開発者の確保。これで全てに決着が付くと思われたが、その結末は余りにも拍子抜けする物であった。

 

「ねぇ、見てみて! これ開発者の日記みたい!」

 

これからどうしたらいいのか分からず困惑するカズマ達に、アクアが呼びかける。

空になった酒瓶や、食品の包装が山積みにされているテーブルに置いてあった本を手に取り、その場の全員に見えるようにアクアは本を掲げていた。表紙には『日記帳』と書かれている。

 

「アクア、なんて書いてある? もしかしたらここで何があったか分かるかもしれない」

 

それじゃあ読むわね。と言ってアクアは本を開き、そこに書かれている開発者の手記を読み上げ始めた。

 

 

 

 

 

○月×日

国のお偉いさん方から対魔王軍用の兵器を作れと言われた。ふざけんな、こんな低予算で魔王軍相手に戦える兵器なんて作れる分けねぇだろ。

頭にきたからクルクルパーになったふりをしてバカなことをしてやった。さっさと取りかかれと怒られた。ちくしょう。

 

○月×日

設計図の提出はまだかとせっつかれる。だからあんな低予算で作れるわけねぇつってんだろ!

イライラしていたら、設計図の上に大嫌いな蜘蛛がいたので叩き潰してやった。

丁度良いからお偉方への腹いせに、蜘蛛の染みが付いた設計図を「これが完成図です」と言って出してやったぜ。ざまぁ。

 

○月×日

え、なんであの設計図が通ったの? しかも「蜘蛛か、その発想はなかった!」とか「なんて斬新なアイディアなんだ!」とか大絶賛だった。この国大丈夫か?

ともかく建造が始まってしまった。俺しーらね。

 

○月×日

なんか動力源がどうたらこうたら。要するにこんだけの巨体を動かせるだけのエネルギーが足りないらしい。

あたりめーだろ、だから無理だって言ったんだ。だったら永遠に燃え続ける性質を持つ、超激レア鉱石のコロナタイトの塊でも持って来いやと言ってやった。

まぁ、どう考えても見つかるわけない。そんなもんがホイホイ見つかったら苦労しないっつーの。

 

○月×日

おい……空気読めよ……マジで持ってくる奴があるかよ……。そんなこんなでとうとう完成してしまった。

「設計者である貴方に是非」と言われて名前を付けることになった。ぶっちゃけこの兵器には愛着もクソもないので、俺が中学生の頃に考えた最強の兵器にちなんで「機動要塞デストロイヤー」と名付けた。うわ、思い返すと恥っず!もうちょっと考えて付ければよかった。

 

○月×日

明日はいよいよ兵器の起動実験をやるらしい。今、デストロイヤー内部には俺以外に誰も居ない。

丁度良い。ここまで色々とあってメッチャ疲れたし、兵器も完成したから酒飲んでもええやろ!

よーし、誰もいないから隠し芸の火吹きやっちゃうぞー! 燃える物もないから思いっきりファイヤーしてやるぜ!

 

 

○月×日

目が覚めたら地面が揺れてる。地震かと思って慌てて外に出たら国が滅んでた。

きっとこれは夢だ、飲み過ぎてこんな夢を見ているんだろう。そう思って中に戻ったらコロナタイトがまぁ燃えてる燃えてる。

え、もしかして昨日の火吹きで点火しちゃったの? 嘘でしょ……。

 

○月×日

もう手遅れだし、開き直って余生をこの中で過ごすことにした。そもそも降りることが出来ないしね!

食料庫に行ってありったけの酒と肴を持ってきて一人で宴会を始めた。無礼講じゃー!

 

○月×日

さけ

うま

 

 

 

 

 

読み終えたアクアは静かに日記を閉じた。彼女の朗読を聞いていたカズマ達は、怒っているとも呆れているとも言えない、何とも形容しがたい複雑な面持ちで白骨死体を見ていた。

 

「はぁ~何なのこれ? 怒る気にもならないんですけど」

 

余りにもふざけたデストロイヤーとその開発者の真相に、呆れ果てたアクアは持っていた日記を後ろへと放り投げた。緩やかに回転しながら投げられた日記は弧を描き、落下地点のコンソールにぶつかってから床に落ちた。ぶつかった箇所のパネルが赤く光る。

 

『自爆装置が起動しました。当機はただいまより動力炉をオーバーロードさせます。総員は直ちに脱出してください。繰り返します。自爆装置が起動しました。当機はただいまより――』

 

けたたましい警報と共に脱出を促すアナウンスが流れる。その場にいる全員が、物言わぬ亡骸からアクアに視線を移した。

 

「え、えーと……」

 

「なんでお前は一々トラブルを起こすんだーーー!!!」

 

カズマの叫びで白骨死体の頭がカクンと傾く。

 

 

 

 

 

「ねぇ~カズマさん。私たちも早く脱出しましょうよ~」

 

「これを何とかしてからな」

 

カズマ、千翼、アクア、ウィズはデストロイヤーの動力源が設置されている中枢にいた。共に突入した冒険者達には、外の人間に一刻も早く緊急事態を伝えるよう命令し撤退させた。

四人の目の前では鉄格子に囲まれた、真っ赤に光り輝く鉱石の塊『コロナタイト』が置かれている。

 

「これがコロナタイト……」

 

「で……これどうやって取り出すのよ?」

 

ともかくコロナタイトをどうにかしなければならないのだが、肝心の目標は鉄格子で囲まれているため手が出せない。

 

「そうだ! 俺がスティールで」

 

「持った瞬間手が黒焦げになるけど?」

 

「……そうですね」

 

会心の名案を思いついたカズマであったが、アクアから結果がどうなるかを告げられ。それ以上は言うのを止めた。

ああ、もう。どうしたらいいんだよ! 打つ手がなくなったカズマは頭を掻きむしって叫ぶ。すると黙っていたネオ(千翼)が前に進み出た。右手のブレードを構えて三人に振り返る。

 

「みんな、離れてて」

 

その言葉に従って三人は後ろへと下がる。十分に距離を取ったことを確認し、ネオは再び目の前のコロナタイトを見据えた。

 

「フッ!」

 

ネオが剣を数回振るうと鉄格子に線が走り、それに沿って崩れ落ちる。手出しできなかったコロナタイトがむき出しとなった。

剣を戻すとネオはコロナタイトに両手を伸ばし、深呼吸してから鉱石の塊を掴み、一気に持ち上げる。

 

「がっ……ぐぅぅ……!」

 

「千翼無茶だ!」

 

「チヒロ!」

 

「チヒロさん!」

 

肉が焼ける音と臭いが一気に広がる。後ろからの制止を無視してはネオ(千翼)鉱石を炉心から取り外し、床に慎重に置いた。手を離したところで慌てて三人が駆けつける。

 

「大丈夫か!?」

 

「チヒロ、早く手を出しなさい。回復するから!」

 

「いや、それよりもこいつを早くなんとかしないと……」

 

コロナタイトはとうとう臨界を迎えたのか、赤から白にその色を変えた。それに伴って先ほどよりも膨大な熱が発生し、四人を熱風が襲う。

 

「ちくしょう、あとはこいつを何とか出来れば……」

 

熱で焼かれないよう腕で顔を隠すカズマは悔しげに呟く。動力源が取り外されたことによって、自爆を告げるアナウンスは既に止まっていた。これでデストロイヤーの自爆は阻止できたが、今度は目の前のコロナタイトをどうにかしなければ結末は変わらない。

 

「あ、あの! 私に考えがあります!」

 

八方塞がりとなって苦悩するカズマに、ウィズが挙手をしながらそう言った。

 

「コロナタイトをランダムテレポートでどこか別の場所に転送するのはどうでしょうか? コロナタイトそのものをどうすることも出来ない以上、これが一番だと思います!」

 

「それだ!」

 

「でも、問題が……」

 

「ああもう! こんな風にウジウジして湿っぽいからリッチーは嫌いなのよ! いいから言いなさい!!」

 

アクアの怒声にウィズは縮み上がるが、それでも何とか続きを話す。

 

「ランダムテレポートは対象を世界のどこかへと飛ばす魔法です。ですが、文字通りランダムなのでどこへ飛ぶのか……最悪の場合、人が密集している場所に……」

 

その『最悪の結末』を想像したのか、ウィズが涙ぐむ。

 

「構わないやってくれ! 大丈夫、世界は広いんだ。人が集まっている場所なんて惑星規模で見たら、それこそ高が知れてる。何かあったら俺が責任を取る。俺を、俺の運の良さを信じろ!!」 

 

迷いも躊躇いも無くそう断言したカズマに、一瞬だけ考えるような素振りをするウィズ。しかし、覚悟を決めたのか大きく頷くと、両手を白く輝くコロナタイトにかざした。

 

「では、いきます!」

 

カズマ、千翼、アクアの三人は力強く頷く。

 

「ランダムテレポート!!」

 

白く輝く鉱石は、四人の目の前から一瞬で姿を消した。

 

 

 

 

 

それからデストロイヤーを脱出した四人は、意気揚々と町へ帰還しようとしたが、デストロイヤー内部に残っていた行き場を無くした熱が暴走。熱による爆発の危険に見舞われる。

本日三度目の絶体絶命の危機に今度こそ死を覚悟したカズマであったが、爆裂魔法で爆発を相殺出来るかも知れない。というウィズの言葉に微かな希望を見出す。

早速、無限に等しいアクアの魔力をカズマはドレインタッチでウィズに送ろうとしたが、神聖なアクアの魔力とリッチーであるウィズは相性が最悪であり、下手をすれば彼女が浄化されてしまうというのだ。

だが、ここで思わぬ救世主が現れる。魔力を使い果たしためぐみんが「ならば自分の出番だ」と名乗り出る。

カズマはアクアから魔力を吸収し、それをめぐみんへと送る。彼女の魔力は余程凄まじかったのか、めぐみん曰く「今までに無いくらい絶好調」の状態で本日二度目の爆裂魔法を放った。

結果、デストロイヤーは跡形もなく消し飛ばされ、今度こそ町を守るための戦いは終わりを告げた。

 

 

◆◆◆

 

 

それから数週間後、アクセルのギルドには町中の冒険者達が集まっていた。誰もがとある一人の少年に尊敬と感謝の眼差しを向けている。

 

「カズマさん。改めて冒険者ギルドを、この町を代表してお礼を言います。貴方の数々の活躍によってアクセルの町は崩壊の危機を免れました。本当にありがとうございます!」

 

ルナが感謝の言葉を述べ、惜しみない拍手を今回の立役者であるカズマに送る。それを皮切りにギルド内の全ての人間が、一人の英雄へと万雷の拍手を鳴らした。

 

「いやぁ、俺は当然のことをしたまでだよ」

 

「おう、それは嫌みか? ヒーローさんよ!」

 

「謙遜も過ぎるとムカつくぞー!」

 

飛んでくる野次にカズマは手を振って応える。

 

「おめでとう」

 

「すごいじゃないカズマ!」

 

「これは後世に語り継がれる偉業ですよ!」

 

「これは表彰ものだぞ、カズマ!」

 

「カズマさん、おめでとうございます!」

 

千翼を始めとしたカズマのパーティーメンバーも、賞賛の言葉を口にしながら拍手を送る。誰も彼もが英雄(カズマ)を讃えていた。

しかし、それは唐突に終わりを迎える。

何かに気付いた一人が拍手を止めると、それに気が付いた別の誰かも拍手を止める。その波は次々とギルド内に広がり、とうとう手を打ち鳴らす音は完全に消え失せた。

今、冒険者達はカズマから別の人物――ギルドの出入り口に立つ、二人の騎士を従えた制服姿の女性を見ていた。

 

「この中に、サトウカズマはいるか?」

 

眼鏡を煌めかせながら女性が厳かに言い放つ。彼女が口にした名前を聞いて、ギルド内がざわめき始めた。

 

「おいおい、まさか国から直々のスカウトか?」

 

「だったらこれからカズマさん……いや、カズマ様って呼ばなきゃな!」

 

冒険者達が囃し立てながら人垣を割り、カズマと女性との間に道を作る。

 

「やれやれ、俺は目立ちたくないんだがな」

 

わざとらしく髪をかき上げ、芝居がかった調子でそう言うと、カズマは堂々とした足取りで女性の元へ向かう。

 

「貴様が、サトウカズマだな?」

 

「ええ、俺が、サトウカズマです」

 

カズマは胸に手を当て、妙に気取った口調で自分が女性の尋ね人であることを告げる。

 

「私は王国検察官のセナだ。本日は貴様に要件があって訪ねた」

 

女性――セナの役職を聞いて、ざわめきが更に大きくなる。

 

「サトウカズマ」

 

「はい」

 

「貴様には現在、国家転覆罪の容疑がかけられている。私と一緒に来てもらおうか」

 

「はい?」

 

印が押された令状を突き付ながら、セナは冷たく言い放った。




というわけでデストロイヤー戦でした!
こういう大規模な乱戦って書いていて凄く楽しいです。



2021年3月14日 誤字を修正しました。


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Episode8 「H」OW DO WE PROVE

前回に続いて、またもかなりの容量となりました。
裁判シーン、本当に書くのが大変でした。


「貴様には現在、国家転覆罪の容疑がかけられている。私と一緒に来てもらおうか」

 

印が押された礼状を突き付けながら、王国検察官のセナは冷たく言い放った。眼鏡の奥からの眼差しが、さらに鋭くなる。

目の前の女性から、国家転覆罪の容疑を告げられたカズマは、目を瞬かせながら鼻先の令状を見つめる。

 

「国家……転覆罪? ええと……」

 

「要するに、貴様はテロリスト、若しくは魔王軍の手先の可能性があるということだ」

 

いまいち事態を飲み込めないカズマに、セナが簡潔に伝えた。突如として告げられたカズマへの容疑にギルド内がざわつく。

 

「テロリスト……はああぁぁ!? 俺が何したって言うんだよ!?」

 

余りにも一方的かつ理不尽すぎる出来事に、カズマは絶叫した。

 

「カズマ、こういうときは素直に謝るのが一番よ! どうせあんたのことだから「これくらいならバレないだろう」って調子に乗って何かやらかしたんでしょ? ほら、私も謝ってあげるから!」

 

「ありえません! カズマはセクハラやのぞき、下着泥棒といった軽微な犯罪は何の躊躇いも無く犯すようなモラルの欠片もない人間ですが、そのくせ大事を前にすると真っ先に逃げ出すような根性なしです! そんなカズマがテロリストだなんてありえません!」

 

「ああ、全くだ。風呂上がりで薄着の私をいつも粘つくような目で視姦してるくせに、夜這いの一つもかけず、下着に手を付けるのが精一杯のような腰抜けにそんなこと出来るはずもない」

 

「お前達が俺をどういう目で見ているのかよーくわかった。後で覚えとけよ」

 

眉をひくつかせながら、怒りと憎しみを込めた目でカズマが三人を睨んだ。

 

「おうおう! 町を救った英雄を犯罪者扱いとは、良い度胸してるじゃねぇか!」

 

「お上だからって調子にのってんじゃねーぞ!」

 

「そんなことやってる暇があるなら真面目に働けー!」

 

町を絶体絶命の危機から救ったカズマを犯罪者扱いするセナに、周りの冒険者は容赦なく罵声を浴びせる。当のセナはどこ吹く風、と言わんばかりに自分の長い黒髪を掻き上げた。

 

「み、みんな……」

 

今、この場にいる全員が味方となり、自分への不当な扱いに憤ってくれている。その事実にカズマは目頭が熱くなった。

 

「言い忘れていたが、こいつを庇った場合は共犯者と見なして連行する」

 

四方八方から浴びせられる罵詈雑言を物ともせず、セナは堂々と言い切った。瞬間、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返る。

 

「て、てめぇら……」

 

今、この場にいる全員は無関係な他人となった。自分への不当な扱いを糾弾してくれる者は一人もいない。その事実にカズマのこめかみに青筋が浮かぶ。

 

「なんだよそれ……おかしいだろ!」

 

いや、一人だけ。それでも彼の味方となる者がいた。

一体誰だ。とギルド内の全ての人間が、臆さずにカズマを擁護する人物を探す。

 

「カズマがあの時なんとかしてくれなかったら、町どころかみんな死んでたかも知れないんだぞ!」

 

それは黒髪の少年だった。カズマと同じく若くして人生の幕を閉じ、この世界へ転生してきた人物――

 

「それだってのに、あんたはカズマをテロリスト呼ばわりするのか!!」

 

千翼はセナから目を逸らさず、彼女を真っ直ぐに見据えて抗議の声を上げる。

 

「それは理解しよう。しかし、そのせいでとある人物が甚大な被害を被ったのだ」

 

「被害者……?」

 

まさか。とカズマの顔が真っ青に染まった。

 

「爆発寸前だったコロナタイト。それがこの地を治める領主殿の屋敷に転送されたのだ」

 

「そんな……お、俺の……俺のせいで犠牲者が……」

 

「勝手に殺すな! 幸いにも使用人は全て出払っていたし、領主殿は地下室にいたから死者は一人もいない。その代わり、屋敷は文字通り跡形も無く吹き飛んだがな」

 

偶然とは言え殺人を――と思い込んでカズマは震える両手を見つめ、すかさずセナが訂正の突っ込みを入れた。

 

「デストロイヤー襲来に乗じて偶然を装い、コロナタイトを領主殿の元へ転送。不幸な事故の犠牲者、という形で亡き者にしようとした。と私は疑っている」

 

「カズマがそんなことする訳ない! 言いがかりも大概にしろ!!」

 

理論立てて冷静かつ理知的に話すセナと、感情にまかせて思ったことをそのまま口にする千翼。このまま論争が続けば千翼がどうなるかは明白であった。

 

「これ以上その男を庇うようなら、貴様も共犯者と見なして連行することになる」

 

「脅しのつもりか? それくらいで」「千翼、もう十分だ」

 

更にヒートアップする千翼を宥めたのは、他でもないカズマであった。啖呵を切ろうとしていた千翼を落ち着き払った声で制止し、セナに近付いて両手を差し出す。

 

「ほら、手錠でもなんでもかけてくれ。俺は逃げねぇよ」

 

「やっと罪を認める気になったか、殊勝な心がけだな」

 

「いーや。俺は絶対に、それこそ死んでも認めないね」

 

不敵な笑みを浮かべ、カズマはセナに堂々と言い放つ。

 

「よろしい。貴様の言い分は取り調べでたっぷりと聞かせてもらうとしよう。連れて行け」

 

セナの後ろに控えていた二人の騎士が、カズマの両脇を固める。彼女が踵を返して出口へ向かうと、それに合わせて騎士とカズマも歩き出した。

 

「あ、あの! 私がテレポートを……」

 

「ウィズ、カズマの思いを無駄にしちゃダメよ。自分を犠牲にして私たちを庇ってくれたんだから。カズマが出所したら、その時は暖かく迎えてあげましょう」

 

「アクア、てめぇマジで覚悟しとけよ」

 

さもカズマの有罪が決まったかのように、アクアはウィズに語りかける。カズマはアクアを、これ以上無いほどの怒りを込めた目で睨み付けた。

 

「カズマ……」

 

「心配すんなって、サクッと無罪を証明して大手を振って帰ってきてやるよ。ついでに犯罪者扱いした国から賠償金をふんだくってやるぜ」

 

不安げな目で見る千翼に、カズマは余裕の笑みを見せた。そして左右の騎士に促され、セナと共に彼は冒険者ギルドを出て行った。

その後ろ姿を、千翼は最後まで見送り続けた。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の真夜中のことだった。静寂の世界に爆発音が鳴り響き、大地を揺らす。

 

「な、なんだ?」

 

屋敷の自室で寝ていた千翼は音と衝撃で飛び起き、急いで窓から外の様子を伺う。丘の向こうから煙が夜空に昇っていた。

 

「なにか爆発したのか……?」

 

呆然と煙を眺めていると、町の方から幾つもの明かりが爆心地に向かっていくのが見えた。恐らくは警察や消防の人間達だろう。

爆発のことは確かに気になるが、翌朝からは予定がある。寝過ごす訳にはいかないので、窓を閉めると千翼は再びベッドに潜った。

 

 

◆◆◆

 

 

「ここだな……」

 

カズマが連行された翌日、朝早くから千翼はとある建物の前にいた。冒険者ギルドに負けず劣らず立派な作りであり、見ているだけでも圧倒される。よし。と気合いを入れて千翼は『警察署』と書かれた門をくぐった。

警察署内では、制服を着た職員が忙しそうに駆け回っていた。電話の着信音がひっきりなしに鳴り響いており、机の上に山積みにされた書類を次から次へと事務員が片付けている。

カウンターでは町の住民と職員がやり取りをしており、その後ろでは順番待ちをしている数人が椅子に座って暇そうにしていた。

 

「面会の受付は……」

 

『総合受付』と書かれた札が、天井から吊るされているカウンターに近付き、そこに置いてある番号札に手を伸ばす。近くを通りかかった職員と一瞬だけ目が合った。ごくりと千翼は唾を飲み込む。

当然ながら、千翼は犯罪行為は一切していない。文字通りの善良な一般市民である。しかし、警察署という普段ならばまず訪れることのない場所であること、これからまだ容疑者とはいえ国家転覆罪に問われているカズマとの面会という、ドラマや映画でしか見たことのないようなことをするので、言い知れぬ緊張が体を強張らせる。

落ち着け、俺はカズマとの面会に来ただけだ――自分にそう言い聞かせ、ゆっくりと深呼吸して心臓を落ち着かせる。それでも心なしか、署内にいる全ての人間が自分を監視しているような気がした。

カウンターに置かれている番号札を取り、待合席に座る。署内の備品やポスター、住人同士の雑談に聞き耳を立てながら、千翼は自分の番が回ってくるのを待ち続けた。

 

「番号札六番の方、どうぞ」

 

自分の持つ札の番号が呼ばれ、千翼は席から立ち上がる。緊張しながらもカウンターへと進み、受付の若い男の職員へはっきりと、そして落ち着いた声で用件を伝えた。

 

「あの、面会をしたいのですが」

 

「はいはい、面会の希望ですね。それではこちらに自分と、面会を希望する相手の名前、それと身分証明書の提示を。差し入れがあったら事前に提出をお願いします」

 

若い職員は紙が挟まれたクリップボードとペンを差し出し、千翼は冒険者カードを出した。カウンターの上で二人が出した物が交換され、千翼は紙に自分の名前とカズマの名前を記入する。

 

「えーと、冒険者で名前は……」

 

男性職員は千翼の冒険者カードを確認し、名前を見たところで怪訝な表情を浮かべ、言葉が途切れる。その間に千翼はペンを走らせ、紙に自分とカズマの名前を書いた。

 

「書きました」

 

「はい、ありがとうございます。ところで……君はもしかしてチヒロくんかい?」

 

「え? はい、千翼ですが……」

 

「やっぱり! 君が噂のチヒロくんか」

 

どうやらこの職員は千翼のことを知っているらしい。しかし、当の千翼は目の前の男に見覚えなど全くなかった。首を傾げていると、職員の男は嬉しそうな顔で事情を話し始める。

 

「デストロイヤーを撃破したあと、カズマくんがあちこちで事あるごとに、自分がどれだけ頑張ったかを話すんだけどね。その際に必ず「あの時チヒロが居なかったら、間違いなく死んでいた」って言ってたんだ。そっかぁ、君がそのチヒロくんか」

 

男から伝えられた事実に、千翼は驚いた。まさかカズマが自分の事を喧伝(けんでん)しているとは思わなかったからだ。そもそも、千翼本人はデストロイヤーとの戦いでは大した活躍はしてないと思っていたため、作戦を指揮した一番の功労者であるカズマが、自分をここまで評価しているとは想像もしていなかった。

 

「今日はカズマくんの面会に来たんだね」

 

「はい」

 

「普通ならば一生縁の無い場所だからね。それに、留置場の環境って俺たちから見ても酷いもんだからさ、こんな場所に無理矢理連れてこられたら、精神的にかなり参っちゃうからね。彼を元気付けてあげて。きっと喜ぶよ」

 

「はい!」

 

千翼は元気よく答えた。その後、面会に関するいくつかの説明を聞いた後、職員の男に案内された面会室は、ドラマ等でよく見る放射状の穴が開いた透明な板で仕切られた部屋だった。

仕切りの前に置かれた椅子に千翼は座り、荷物を足下に置く。今か今かとそわそわしながら待っていると、向こう側の部屋の扉が開かれた。

 

「面会十五分までで、延長は認められない。また、不審な会話があった場合は即座に面会は中止だ。覚えておくように」

 

入ってきた鎧姿の騎士は、自分の後ろにいる人物に注意事項を伝えると、扉の横に控える。そして、開かれた扉から眠そうな顔をしたカズマが姿を現した。

 

「カズマ!」

 

「え……ち、千翼!?」

 

気怠そうな顔に半開きの寝惚け眼は、一瞬で驚きの表情に変わる。

 

「どうしてここに……」

 

「ここは町で一番大きな警察署だから、カズマは間違いなくそこに留置されている。ってルナさんから聞いたんだ。だからすぐに面会に来たんだよ」

 

なるほどなぁ。とカズマは椅子に座りつつ納得した。

 

「大丈夫? 何か酷いことされてない?」

 

「牢屋の内装が粗末なことと、飯が大して旨くないこと以外は大丈夫だ。いきなり「お前との面会を希望する者が来た」って叩き起こされて、そのままここに連れてこられたんだけど……まさか千翼だったなんてな」

 

そう言ってカズマは小さく笑う。

 

「今日は昼から取り調べがあるみたいなんだ。そこで俺の潔白を証明できれば、晴れて娑婆に戻れるってわけ」

 

「大丈夫? あの検察官、カズマのことを完全に犯人扱いしてたけど」

 

「まぁ、警察や司法は疑うのが仕事って言うからな。なーに、あれは緊急事態で本当にやむを得ずしたことだからな、少なくともテロリストだの魔王軍だの言わせるつもりはねぇよ」

 

そういってカズマはふんぞり返り、大きな鼻息を吐いた。その姿に千翼が苦笑する。

 

「あー……ところで千翼。昨日の騒ぎについて何か知ってるか?」

 

「騒ぎ? そういえば夜中に爆発があったみたいだけど……事故でもあったの?」

 

「ああ、いや。知らないならいいんだ! うん!」

 

カズマは慌てて首と手を振る。その様子から寧ろカズマの方が何かを知っている様子で、千翼は頭に疑問符を浮かべた。

 

「それにしても……千翼は本当に良い奴だよ……。あの検察官が来たときも最後まで俺の味方をしてくれて、連行された次の日の早朝に面会に来てくれるなんて……まさに聖人だ……」

 

「大袈裟だよ」

 

千翼の優しさに思わず目頭が熱くなり、カズマは目元を拭う。ここまで褒め称え、賞賛してくれるカズマに千翼は照れ臭そうに笑った。

その後、二人は他愛のない話や、未だに残っているカズマの借金返済に関する計画など。面と向かって話す機会が無かったため、様々な話題で盛り上がった。

しかし、とうとう時間がやってくる。

 

「時間だ。牢屋に戻るように」

 

控えていた騎士はカズマの後ろに立ち、面会の終了を伝える。カズマは寂しそうな顔を浮かべた。

 

「あ、もう十五分経ったのか……千翼、それじゃあな」

 

「うん、カズマも体に気を付けて」

 

名残惜しそうな顔をしつつもカズマは席から立ち上がり、部屋の出入り口へ向かう。

 

「カズマ」

 

部屋から出る直前に千翼から呼びかけられ、カズマは思わず足を止めた。

 

「俺は他の誰がなんと言おうと、カズマの無実が証明されるって信じてるから」

 

千翼の真摯な思いと言葉に呆けたカズマは、次いで不敵な笑みを作る。

 

「へっ……あたぼうよ。すぐに娑婆に戻るから、その時は一杯やろうぜ!」

 

千翼に屈託のない笑顔と立てた親指を向け、カズマは意気揚々と面会室を出て行った。その後ろ姿を見送ると千翼は荷物を手に取り、面会室を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の夜。深夜の時間帯に爆発音と地響きがアクセルの町を襲った。

 

「またか……」

 

さすがに二度目となると、ある程度は落ち着いた千翼は、窓を開けて外の様子を確かめる。昨日と同じく、丘の向こう側から黒煙が立ち上っていた。

 

「本当になんなんだろ……」

 

欠伸をしてから窓を閉めると、そそくさとベッドに戻り。千翼は寝息を立て始めた。

 

 

◆◆◆

 

 

カズマが連行されてから三日が経った。その日、アクセルの町にある裁判所には大勢の人間が詰めかけていた。法廷では老若男女が傍聴席に座り。これから始まる裁判を今か今かと待ち侘びている。

そして法廷中央の証言台には、手錠をかけられたカズマが、力なく俯いていた。

 

「全く、なーにが「サクッと無罪を証明してくる」なのよ。ここまで来たからにはやるしかないわ! 安心してカズマ、女神である私があの検察官を完璧に論破してやるんだから!」

 

「ふっふっふ……法廷……すなわち互いの意見と証拠をぶつけ合い、どちらが正しいかを証明する、謂わば知恵の闘技場……。私の独壇場では無いですか! 紅魔族の知力の高さ、存分に見せてあげましょう!」

 

カズマの右側に立つアクアとめぐみんの二人は、妙に張り切っていた。

 

「その……カズマ。もしもの時は私が何とかする。だから心配するな」

 

「弁護なんてやったことないけど……できる限りのことはしてみるよ」

 

カズマの左側に立つダクネスと千翼は、不安混じりの声でカズマを励ます。

 

「千翼……マジでお前だけだが頼りだ……」

 

「まぁ……頑張ってみるよ」

 

絶望に満ちた表情でカズマは千翼に縋り付いた。

この世界では弁護士という職業は存在しないため、代わりに家族や友人等が被告の弁護を行うことになっている。カズマの仲間である四人は、弁護士として今回の裁判に出廷していた。

五人が立つ証人台の左側の原告席では、セナが相変わらず鋭い眼差しをカズマに向けている。そして彼女の隣には、髪と同じ金の口髭を生やした、肥満体型の男がダクネスに熱い視線を送っていた。

 

「なぁ、ダクネス。さっきからお前を見ているあのオッサン……」

 

「ああ、あれこそ今回の被害者。アレクセイ・バーネス・アルダープだ」

 

「いかにも絵に描いたような悪徳領主って感じだな……」

 

「実際、彼奴からは碌な噂を聞かん。領主の恥さらしだ」

 

カズマが小声でダクネスに尋ねると、彼女は嫌悪混じりの声で男の正体を明かす。当のアルダープは、カズマとダクネスが会話している姿を見ると、怒りの籠もった視線をカズマに向けた。

その時、法廷の正面の席に座る裁判長が木槌で机を叩き、いよいよカズマの命運を分ける裁判が始まる。

 

「静粛に! これより国家転覆罪の容疑がかけられている被告人サトウカズマの裁判を始める! なお、裁判中は私語を慎むように。また、全ての発言はこの嘘を見破る魔道具が判定するため、真実のみを話すように!」

 

そう言って裁判長は机の上に置かれた、天使と悪魔の羽飾りが付いたベルを指す。よく通る声に、傍聴席のざわめきは止んだ。ホール内は静まり、辺りに緊張感が走る。

 

「それでは検察官、起訴状を」

 

セナが立ち上がり、手元の紙を広げて内容を読み上げる。

 

「被告人サトウカズマは、この町に襲来したデストロイヤーを他の冒険者と協力して撃破。その際に動力として使われていたコロナタイトが爆発寸前の状態であったため、被告人はこれをテレポートさせるように指示。結果、コロナタイトはアルダープ殿の屋敷に転送され爆発。幸いにも犠牲者は出ませんでしたが、これにより被害者であるアルダープ殿は屋敷を失い、現在はこの町での宿暮らしを余儀なくされております」

 

セナの言葉に、被害者であるアルダープがうんうんと頷く。

 

「取り調べの結果、テレポートの件は緊急措置としてやむを得ず行ったことは、間違いないことが証明されました。しかし――」

 

ここでセナは言葉を句切った。ホール内が静寂で満たされ、注目と視線が彼女に集中する。

 

「取り調べでの「魔王軍の関係者、若しくは魔王の幹部と何らかの関わりや交流はあるのか?」という質問を被告は否定。その際に魔道具が反応しました」

 

裁判所内が大きくざわめいた。全ての人間の視線が中央に立つカズマに突き刺さる。ビクリと肩を震わせ、カズマは身を縮めた。

アクアは額に手を当て呆れたような表情を。千翼、めぐみん、ダクネスの三人は「あ……」と口を半開きにして、魔道具店を営む店主(ウィズ)を思い出していた。

 

「以上のことから、この男は魔王軍の関係者である疑いがあります! 裁判長、人類を裏切り、魔王軍に寝返ったこの男に有罪を!」

 

堂々と言い切ったセナは着席した。彼女の隣に座るアルダープは、勝ち誇ったような笑みをカズマに向けている。

 

「なるほど、わかりました。続いて被告人と弁護人。陳述を」

 

ようやく自分の番が回ってきた。とカズマは気を取り直し荒く鼻息を吐く。

 

「よーし、こうなりゃ徹底的にやってやる……」

 

 

 

 

 

「――そして、俺は町を壊滅の危機から救った訳ですよ。魔王軍幹部ベルディアの討伐、機動要塞デストロイヤーの撃破。今まで誰もできなかった偉業を二つ! 二つも俺は成し遂げたんですよ! それなのにこの扱いだ。国から表彰されてもいいと思うんですけどね」

 

たっぷりと嫌味を込めて、カズマはいかに自分がこの町に貢献しているのか。そしてテロリストでも魔王軍の手先でも無いことを証明するために、自分の活躍を語った。ちなみに、彼が話した内容は少々大袈裟に語られていた。

カズマの陳述中、魔道具を逐一確認していた裁判長は、最後まで道具に反応が無かったことに戸惑いつつ気を取り直す。

 

「う、うむ。魔道具が反応しないところを見ると、被告の陳述に嘘は無いようですな……。それでは検察側、反論はありますか?」

 

「はい。被告の有罪を証明するため、証人をお呼びします」

 

出入り口に立つ騎士にセナが合図を送ると、騎士は頷いて法廷を出て行った。

 

「これより、被告がテロリスト、及び魔王軍の関係者であることを証明いたします。今から被告のことをよく知る証人達に証言を行ってもらいます。それを聞けば、この男がどのような人間であるかきっとお分かりいただけるかと」

 

セナが言い終わると、法廷の扉が開かれた。

 

「それでは、証言をお願いします!」

 

一人目の証人が入廷してくる。

 

 

 

 

 

「それでは、貴方は公衆の面前で下着を剥ぎ取られ、しかも「返して欲しければ金を払え、さもなくばこの下着は奉られ。多くの人々に参拝されるであろう」と脅迫された。間違いありませんね? クリスさん」

 

一人目の証人、頬の刀傷と銀髪が特徴的な盗賊の少女クリスは、躊躇いがちに小さく頷いた。

 

「え、ええと。まぁ、その通りです……。でも、それを言ったら私は先に彼の財布を――」

 

「なるほど、ありがとうございました。次の証人を!」

 

「おい! クリスはまだ言い終わってないぞ! 勝手に打ち切るな!」

 

カズマの叫びも虚しく、半ば強制的にクリスは退廷させられた。

 

 

 

「貴方は愛用していた剣を奪われ、後日返却を求めたところ既に売り払われていた。これは事実ですか? ミツルギさん」

 

二人目の証人、カズマや千翼と同じく日本からの転生者であるミツルギは、困ったように頬を掻きながら肯定した。

 

「まぁ、その通りですが……しかし、あの時は勝負の結果そうなった訳だから、僕もグラムの所有権については――」

 

「その男! 汚い手を使ってキョウヤを気絶させたんです!」

 

「それだけでじゃなくて。私たちが文句を言ったら、それはもういやらしく手を動かしながら「それ以上言うと俺のスティールがここで炸裂するぜ」って脅してきたんです! あれは間違いなく破廉恥なことを企んでいたに違いありません!」

 

ミツルギが言い終わる前に、彼の仲間である二人の少女が証言を遮ってカズマを非難した。二人の発言に法廷内の視線がカズマに集中する。

 

「ふむ……証言ありがとうございました。被告、妙に女性に関するトラブルが多いですね?」

 

「クッソ、あんのアマども……」

 

未だに何かを言おうとするミツルギの背中を押しつつ、二人の少女はカズマに向かって舌を出しながら、法廷を出て行った。

 

 

 

「よぉ、カズマ。親友である俺が来たからにはもう大丈夫だ! お前の正当性と潔白を証明する完璧な証言を――」

 

三人目の証人、カズマの親友だと主張するダストは、自身たっぷりに証人台に立った。

 

「すみません、その男はただの知り合いです。友人でもなんでもありません」

 

「……魔道具が反応しないところを見るとそのようですね。失礼しました。証人、お引き取りください」

 

「お、おい! 何でだよ! 同じ留置所の飯を食った仲だろ!? 俺とお前の絆は――」

 

騎士に両脇を担がれ、ダストは証人台から引きずり下ろされた。最後まで喚いていたダストが扉の向こうに消え、法廷に再び静寂が戻ってくる。

現在、カズマの旗色は非常に悪かった。取り調べでの質問に対する魔道具の反応、証人達による人間性に関する証言。それらが原因で裁判長の心証はかなり悪くなっているらしく、厳しい目でカズマを睨んでいた。

もはや自分の無実を証明することは不可能だと確信したのか、カズマは力なく項垂れていた。諦めの色が漂うカズマを見て、千翼が静かに挙手する。

 

「裁判長、俺からも言いたいことが」

 

「弁護人、発言をどうぞ」

 

千翼はカズマを一瞥すると、短く息を吐いて呼吸を整える。

 

「これは、俺がカズマと初めて出会った時の話だ」

 

そして、千翼はこの世界に降り立った時の出来事を話し始めた。

 

「俺はこの町に来たばかりで勝手が分からず、とりあえず冒険者ギルドで説明を聞いて、冒険者になろうと思った」

 

アクアとめぐみんが横目で千翼を見て、うんうんと小さく頷く。

 

「でも、俺は金を一切持っていなくて、登録料が払えなかった。そんな時に俺を助けてくれたのが、カズマだったんだ」

 

俯いていたカズマはその時のことを思い出し。ゆっくりと隣に立つ千翼に顔を向ける。

 

「あとから知ったんだけど、カズマはかなりの借金を抱えていて。それなのに赤の他人である俺の代わりに、登録料を払ってくれたんだ」

 

ほう。と裁判長が小さく感心の声を漏らす。セナは意外そうな顔でカズマを見た。

 

「普通だったらそんなことする余裕は無いし、そもそも助ける義理も無い。でも、俺を助けてくれた。あの時カズマがいなかったら、俺は間違いなく野垂れ死んでいた」

 

この場で初めて語られた、カズマのかつての善行に、傍聴人たちが小声で話し合う。

 

「仮にカズマがテロリストか魔王軍の仲間なら、俺を無視していたはずだ。国を支配するか滅ぼすことが目的の奴が、そんな無意味なことをするはずがない!」

 

千翼は堂々と言い切った。最後の言葉にカズマは身を震わせ、頭を更に俯かせる。次いで口を固く結んで、喉の奥から漏れそうな声を必死に押し止めていた。

裁判長、セナ、アルダープが魔道具を凝視するが、ベルが鳴ることはなかった。

 

「ふむ、そんなことが。被告人、念のために確認しますが、今の話は事実ですか?」

 

「え、ええと……はい、確かに登録料を代わりに払いました……」

 

ちら、と裁判長は魔道具を見るが、ベルは最後まで沈黙を守っていた。

 

「どうやら、被告の人間性を見直した方が良さそうですな」

 

そう言って、裁判長の目つきが幾分か柔らかくなる。

――俺、最低な人間だ。

対して、カズマは今にも罪悪感で押し潰されそうだった。あの時、千翼を助けたのは転生者としての戦力目当て。つまりは完全な打算目的で近付いたのだ。

それなのに当の千翼は、あの時の手助けを善意による物だと思っている。更にその時の出来事を、窮地に陥った今になって話し、カズマのピンチを救った。

今すぐにでも千翼に土下座して、あの時のことを詫びたい衝動に駆られるが、今は自分の裁判中である。

いつか、絶対にこのことを謝ろう。そのためにも自分の無実を証明せねば。カズマは静かに決意を固めた。

 

「いいえ、裁判長。それは大きな間違いです」

 

和やかな空気になった法廷に、セナの冷たい声が響く。

 

「もしかしたら被告は一時の気まぐれか、ただの偶然で弁護人を助けた可能性があります。それに、今までの証言によって明らかにされた被告の問題に比べれば、実に微々たる物」

 

「ちょっとあんた、人のいい話にケチ付けるつもり!?」

 

「いくら検察官といえど、言って良いことと悪いことがありますよ!」

 

水を差すセナに、アクアとめぐみんが抗議する。

 

「いいえ、検察官だからこそです。普段は悪行ばかりしている人間が、ちょっと親切をしただけでまるで聖人のように見える。その逆もまた然り。私は法に携わる人間として、情に流されない客観的な視点を常に心がけています」

 

飽くまで自分は、情では無く事実に基づいて人間を判断している。そう主張したセナは眼鏡を少し持ち上げると、カズマを冷たい目で見据えた。

 

「被告、もし貴方が本当に魔王軍の関係者でないのなら、今から私がする質問に正直に答えてください」

 

「わ、わかった……」

 

どこか余裕のあるセナの態度と雰囲気に、カズマは固唾を呑む。背筋を悪寒が走った。

 

「質問です。被告は本来であればアンデッドしか使えないスキル『ドレインタッチ』を使用していたとの目撃情報があります。被告、このスキルをどこで、誰から教わりましたか?」

 

「そ、それは……」

 

言い淀んだカズマの額から、滝の如く冷や汗が流れ落ちる。視線が宙を彷徨い、酸素を求めて口が幾度も開閉する。

 

「答えられませんか? それもいいでしょう。しかし、今の私の質問に答えられないということは、なにかやましいことがある。と思われても仕方がありません。そのことをよく理解するように」

 

憤ることも無く、冷静にセナはそう言った。しかし、彼女の隣に座る人物はそうではなかった。とうとう我慢の限界を迎えたのか、アルダープが勢いよく立ち上がりカズマに指を突き付ける。

 

「裁判長、もう十分だ! この男は偶然を装ってワシの屋敷に爆発物を送りつけ、殺そうとした! 今までの発言といい証拠といい、そして今の質問に対する反応! この男は間違いなく魔王軍の手先だ! 今すぐ死刑判決を!!」

 

「原告、静粛に。判決はまだ出せません」

 

しびれを切らしたアルダープは、声を荒らげてカズマへの死刑判決を求める。裁判長は穏やかな声でそれを制止した。

絶体絶命の危機に追い込まれ、もはやこれまでかと諦めかけていたカズマの耳に、アルダープの『魔王軍の手先』という言葉が聞こえた。脳内に閃きが走る。

 

「しかし裁判長、傍聴人達もきっと分かっているはずだ。この男は――」

 

「俺は魔王軍の手先じゃ無い!!」

 

アルダープの発言を遮り、カズマは堂々と発言した。

 

「いいか、もう一度言うぞ。俺は、魔王軍の、手先じゃ無い」

 

ホール内にいる全員に発言が聞こえるよう、今度は言葉の一つ一つを区切る。セナ、裁判長、アルダープの三人は慌てて机上の魔道具を見た。ベルは鳴らなかった。

 

「裁判長、今の俺の発言に魔道具は反応しませんでしたね? つまり俺は魔王軍の手先では無いことが証明されました。検察が魔道具の反応を証拠にするなら、今の俺の発言は十分な証拠になります」

 

してやったり。という顔でカズマはアルダープを見ると、顔を真っ赤にし殺意すら感じる眼差しで、身の潔白を証明したカズマを睨んでいた。

 

「確かに、被告の今の発言に魔道具は反応しなかった。検察側は魔道具の反応を根拠に被告を訴えましたが、これでは証拠能力として疑わしい。判決を言い渡す、被告人サトウカズマは無罪と――」

 

「何をおっしゃいます裁判長、この男が有罪なのは明白です。ささ、死刑判決を」

 

判決を言い渡そうとした裁判長を遮り、アルダープは飽くまでもカズマの死刑を求めた。じっと裁判長を見つめる。

 

「……そうですな、被告が有罪なのは明白。判決を言い渡す、被告人サトウカズマは有罪。死刑とする」

 

そして、先程と真逆の判決を言い渡した。法廷が水を打ったように静かになる。

 

「ちょっと待て、おかしいだろ!! なんでさっきと言ってることが真逆なんだ!!」

 

いきなり判決を覆され、カズマは怒鳴り散らしながら裁判長へ猛抗議した。

 

「……ハッ、わ、私はいま何を?」

 

裁判長は自分が下した判決に首を傾げ、困惑していた。その様子を見て、何かに気が付いたアクアがアルダープを指差す。

 

「ちょっと待った! さっきそこの男から邪悪な力を感じたわ! きっと何か隠していることがあるはずよ!」

 

「ええい、うるさいぞ小娘! 判決は下ったんだ! 大人しく結果を受け入れろ。見苦しいぞ!!」

 

「あ、アルダープ殿、落ち着いてください! 裁判長も直前で判決を変えるとはどうされましたか!? それと被告! 気持ちは分かるが静かにしなさい!」

 

「うっせぇ!! こっちは生きるか死ぬかの瀬戸際だぞ!! 一度無罪判決は出たんだ、絶対に黙らねぇ!!」

 

カズマは声を更に大きくして自分の無罪を主張し、対するアルダープは有罪を認めろと叫ぶ。二人のヒートアップしてゆく口論に感化されたか、傍聴席からも声が上がった。

 

「おい、裁判長! 相手が貴族だからって忖度しやがったな!!」

 

「それでも法の番人かー!!」

 

「恥知らず!!」

 

一度は無罪判決を出したにも関わらず、アルダープが促した後に有罪判決を下した裁判長に、傍聴席から非難の声が雨霰(あめあられ)と降り注ぐ。

 

「ち、違う! 私はそんなつもりでは……せ、静粛に、静粛に!! せ――テメェら静かにしろつってんのが聞こえねぇのか!!!」

 

とうとう堪忍袋の緒が切れた裁判長が、木槌を傍聴席目掛けて投げ付けた。それが口火となり、傍聴人達は裁判長へ殴りかかろうとする。

警備兵が暴徒と化した人々を必死に押し止め、その後ろではカズマ達とアルダープが言い争い、裁判長が腕捲りしファイティングポーズを取って傍聴人達を迎え撃つ準備を、セナが何とか場を収めようと右往左往していた。法廷はまさに混沌の坩堝と化す。

しかし、今にも乱闘が起きそうな法廷の中で、一人だけ沈黙を貫いている人物がいた。その人物は握り拳をゆっくりと振り上げると、次の瞬間勢いよく振り下ろす。証人台の手摺りが叩かれ、轟音が鳴り響いた。あれだけの大騒ぎが、一瞬にして静まった。

 

「皆、静粛に。ここは法廷だ。裁判を行う場であって乱闘をする場では無い」

 

静かに、されど凜とした声で人々を窘める。法廷内の全ての視線が、手摺りへの一撃を以て場を収めた人物――ダクネスへと集まっていた。

 

「裁判長、此度の裁判少し待っていただきたい」

 

そう言ってダクネスは胸元に手を入れると、ペンダントを取り出した。それをこの場に居る全員に見えるよう、頭上に掲げる。初めは胡乱げな目で見ていた裁判長は、ペンダントに描かれている紋様を見た途端、驚きで目を見開いた。

 

「あ、あなたは!」

 

「そんな……まさか……!」

 

裁判長だけでなく、セナも口に手を当てて驚いていた。

 

「私の名はダスティネス・フォード・ララティーナ。裁判長、ダスティネス家に名に於いて、どうかこの裁判を私に預からせてほしい。時間さえ貰えれば必ずや、このサトウカズマの潔白を証明してみせる」

 

ダクネス――ダスティネス・フォード・ララティーナは、静かに告げた。




Q:千翼はカズマが打算目的で近付いてきたことを知っているんじゃ無いの?
A:この辺りについては、後の展開で描写します。予定だと11話の前後辺りになりそうです。


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Episode9 「I」NSTINCT IN REASON

直に折り返し地点になります。


ダクネス――ダスティネス・フォード・ララティーナは、ペンダントを掲げて今回の件を預からせて欲しいと裁判長に告げた。

 

「ダスティネスって確か……」

 

「王家に次ぐほどの権力を持つ大貴族じゃないか!」

 

ダクネスが名乗った家名に、傍聴人達はどよめく。

 

「う、うむ。ダスティネス家のご令嬢の頼みとあらば、今回の裁判は一時中断にしてもよいのですが……原告、どうしますか?」

 

額の汗を拭いながら、裁判長はそう尋ねた。当の原告であるアルダープは、顔を若干顰めつつ控えめに抗議の声を上げる。

 

「い、いくらあなたの頼みといえど、その男は大罪人。死刑判決も下されたから一刻も早く処刑すべきかと……」

 

「おい! 俺はまだ有罪を認めてねぇぞ!!」

 

早く処刑を行うべきだと主張するアルダープに、カズマが猛烈な勢いで食ってかかる。隣に立つダクネスがそれを手で制した。

 

「アルダープ。私は今回の件を無かったことにしてほしいのでは無く、結論を出すのを少し待ってほしいだけだ。それまでにこの男の潔白を証明し、破壊されたあなたの屋敷も必ず弁償させる」

 

「し、しかし……」

 

「当然、無条件とは言わない。代わりに私が出来ることなら、一つだけどんな言うことでも聞こう」

 

ダクネスが提示した条件を聞いた瞬間、アルダープの目の色が変わった。ごくりと唾を飲み込み、努めて平静を装いながら着席する。

 

「し、仕方ありませんな。そこまで言うのなら、今回の裁判はあなたに預けるとしましょう」

 

やむを得ず条件を飲んだ。という体でアルダープはダクネスの提案を了承した。その目には欲望に満ちた怪しい光が宿っていた。

 

 

◆◆◆

 

 

「ダクネス! あなたって貴族のお嬢様だったの!?」

 

「しかもあの大貴族であるダスティネス家の人間だったなんて! 驚きですよ!」

 

屋敷に帰ってきて早々、アクアとめぐみんは興奮しながらダクネスに詰め寄っていた。

 

「すまない。隠すつもりは……いや、あったな。私が貴族の人間だと分かると、どうしてもそういう目で見られてしまうから、ずっと隠していたんだ」

 

視線を逸らしながら、どこか照れ臭そうにダクネスは頬を掻く。

 

「貴族のお嬢様ってことは、要するにお金持ちなんだよな? なんで冒険者なんかしてるんだ?」

 

千翼の疑問も当然であった。冒険者というのは常に死の危険と隣り合わせ。収入も不安定な上に、余程の実力がなければ長続きしない仕事である。

それを貴族、しかも王家に次ぐほどの力を持つ大貴族の令嬢が冒険者をしているというのは、どう考えてもおかしい。

 

「それはもちろん、屈強なモンスターに痛めつけられ……じゃなくて、貴族たるもの世界を見据えなければな。知見を広めるために身分を隠して冒険者をしているんだ」

 

予想通りの答えが返ってきたため、アクア、めぐみん、千翼の三人はどこか生暖かい視線をダクネスに向ける。

 

「あ、あのダスティネス……さま? そ、その、あなた様に対する過去の無礼は……」

 

カズマは震えながら、今まで彼女に対して行ってきた数々の狼藉(セクハラ)について尋ねた。その様子にダクネスは呆れたように溜息を吐く。

 

「カズマ、今はそんなことを言っている場合ではないだろう。裁判が再開されるまでにお前の無実を証明しなければならない。それに、例え無実を証明しても今度は屋敷の弁償が残っている。休んでいる暇はないぞ」

 

「だ、ダクネス……!」

 

カズマの乱暴な振る舞いの数々を気に留める様子も無く、寧ろ彼の現状をダクネスは憂いていた。その優しさにカズマは思わず涙ぐむ。

 

「そ、それに……お前の責めは私のツボを的確に突いてくるからな。何かお詫びがしたいと思っているなら、今までに以上にハードな責めを……!」

 

そこでダクネスは妄想(自分の世界)に入り。自身の体を抱きしめ、身をくねらせながら荒く息を吐いていた。零れ落ちそうだったカズマの涙が引っ込む。

 

「それはさておき……皆に一つ頼みがあるんだ」

 

しばらくして妄想の世界から帰ってきたダクネスは、咳払いをすると真剣な面持ちで話し始める。

 

「もし、カズマの無実が証明されていつもの日常に戻っても。私のことはダスティネス家の人間としてでは無く、一人の冒険者ダクネスとして今まで通りに接して欲しいんだ……頼めるか?」

 

真摯な彼女の頼みにカズマ達は顔を見合わせ、互いに笑い合った。改めてダクネスに向き直ると、口を揃えて答える。

 

『もちろん!』

 

 

◆◆◆

 

 

裁判から数日後、辛うじて死刑を免れたものの、依然として状況が悪くなっていることに変わりはない。裁判が再開されるまでにカズマは為すべきことは二つ。

一つは魔王軍の関係者ではないことを証明すること。これを聞いたアクアは即座にウィズを突き出すべきだと主張したが、カズマに拳骨を落とされあえなく却下された。

もう一つはアルダープの屋敷の弁償だ。過失とはいえ屋敷を爆破してしまったのは紛れもない事実、こればかりは何とかして金を工面するほか無かった。

弁償の方は今すぐに払う必要はないので、後回しでも問題ない。しかし、無実の証明は大至急取りかからねば、それこそカズマの命に関わる問題である。

しかし――

 

「どうすりゃいいんだよ……」

 

広間のテーブルの上で、カズマは頭を抱えて突っ伏していた。まずは身の潔白を証明するためにはどうしたらいいか。というテーマで話し合いの場を開いたものの、話は全く進まなかった。

この世界の人間では無い千翼とカズマはもちろんのこと、知力は高くとも法律に関する知識はないめぐみんもアイディアを出せず、アクアに至っては話を度々脱線させるため、いつの間にか皆から無視されていた。

そもそもとして、彼らは法律に詳しいはずも無く。そんな四人が集まったところで所詮は烏合の衆、話し合いが進むはずも無かった。

 

「全然進まないね……」

 

「そりゃあ、私たちは法律の勉強なんてしていませんからね……」

 

千翼が疲れた様子で呟き、めぐみんがそれに同意する。

 

「ああ、クソ。こんな時にダクネスがいてくれれば」

 

ダクネスは昨日の夕方に、アルダープに呼び出されて彼の元へ向かった。貴族の令嬢である彼女なら、もしかしたら何か打開策を思いつくかも知れない。しかし、いくら名前を呼んだところで彼女はいない。虚しさを誤魔化すようにカズマは頭を掻き毟った。

 

「ダクネス、今頃はどうしてるかしら……」

 

「そりゃあ……あれだろ……」

 

カズマとアクアは曖昧な内容の会話を交わす。アルダープの欲望に満ちた目を思い出すだけで、彼女(ダクネス)がどような目に遭うかは想像するに難くなかった。

 

『……』

 

誰も彼もが、ダクネスのことを思い口をつぐむ。と、その静寂を破る者は唐突にやってきた。

 

「サトウカズマ! サトウカズマはどこだ!!」

 

玄関の扉が乱暴に開かれる音が屋敷中に響き、次いでかなりの勢いで階段を上る音が聞こえる。それが終わった後に広間の扉が蹴り開けられた。

 

「ここにいたか! もう逃がさんぞ!」

 

髪を乱したセナが、肩で息をしながら現れた。ここに来るまでに余程の勢いで走ってきたのか、冬場であるにも関わらず額には玉のような汗が浮かび、眼鏡は彼女の体温で曇っていた。

 

「裁判を預けられて大人しくしていると思ったら、貴様と言う奴は!」

 

「ちょ、ちょっと待った! 何の話だ!?」

 

「とぼけるな! 町の近辺で冬眠中のジャイアントトードが一斉に目覚めて大騒ぎになっているぞ! 貴様の仕業だろう!!」

 

「知らん! 本当に知らん!! 言いがかりだ!!」

 

喰い殺さんばかりの勢いでセナは詰め寄り、彼女の余りの迫力と怒気に、カズマは無関係を訴えながら震え上がる。見かねた千翼達が仲裁入り、ようやくセナは落ち着きを取り戻した。

 

「ジャイアントトードが目覚めた原因だが、ここ数日、町の近くで爆発が――おそらくは爆裂魔法だと思われる物が発生している」

 

静かに逃げようとしていためぐみんの肩を、カズマはしっかりと掴む。

 

「そして、この町で爆裂魔法を使えるような人間は、そこにいる紅魔族の方だけだと――」

 

「待ってください。爆裂魔法を使ったことは素直に認めます。ですが、使うように指示したのはアクアです」

 

慌てて逃げだそうとしたアクアの肩を、カズマはガッチリと掴む。二人の様子を見て、千翼は「あの時のことか」と呟いて納得したような顔をしていた。

 

「よーし、二人とも。今から後始末にいくぞ。自分でしたことは自分で片付けないとな」

 

額に青筋を浮かべ、眉をひくつかせながら、いやに爽やかな声と表情でカズマはそう言った。

 

 

◆◆◆

 

 

銀色の刃が閃き、縦に線が走る。その線に沿って巨大な蛙の体は真っ二つに切り裂かれた。臓物と体液が雪原に零れ落ちる。

青い異形の戦士――アマゾンネオは空高く跳躍すると、眼下に点在する大蛙の一匹に狙いを定めた。

空中で体勢を変えると、下に向けてブレードを構える。重力に引かれてネオが落下し、加速しながら一匹のジャイアントトードに近付いてゆく。

両者の距離が限りなくゼロに近付いた時、ネオはブレードを突き出した。鋭い切っ先が蛙の脳天を貫き、顎下から刃の先端が顔を出す。

蛙の巨体をクッションにして落下の衝撃を和らげると、青い異形は素早く次の獲物に襲いかかった。

引き起こした騒動の後始末。関係ないにも関わらず、心配だからと言って千翼も同行してきた。

結果、主犯と実行犯であるアクアとめぐみん。二人がまた何か余計なことをしないように、そして逃げないように御目付け役も兼ねて同行したカズマは特に出番もなかった。

 

「凄い……たった一人であれだけの数を物ともしないなんて……」

 

「凄いでしょ! 冒険者として登録したその日に、ジャイアントトード十匹近くを一人で倒したんだから!」

 

「それだけでなく、あの冬将軍と互角に渡り合い、違法に作られたキメラを単独で撃破出来るほどの実力者ですよ!」

 

「なんで偉そうに言ってんだよ。凄いのは千翼であってお前らじゃねぇだろ」

 

立会人として同行したセナの驚きに対して、さも自分の事のように自慢げに話す二人。その様子にカズマは呆れ混じりの突っ込みを入れた。四人が見ている中で、またもネオ(千翼)が一匹の大蛙を仕留める。

 

「こりゃ俺たちの出る幕じゃないな。また千翼に迷惑かけちまった……」

 

白い息と共に、申し訳なさそうにカズマが呟く。戦闘はいつも千翼に頼りきりで、少しでも彼の負担を減らそうと『弓』と『狙撃』のスキルをこのあいだ習得したばかりだ。

ひ弱な自分はどう考えても前線に出たところで邪魔になるだけ。ならばせめて援護くらいはと習得したのだが、今回は出番もなく終わりそうであった。

新品の弓と矢筒を背負い直して俯く。冷たい空気を吸い込み、靄と共に吐き出した。ドシン、と。地面が揺れる。

 

『え?』

 

四人が同じ方向を見ると、そこには一匹のジャイアントトードがつぶらな瞳でカズマ達を見ていた。四つの顔が青ざめる。

 

「しまった!」

 

自分が注意を引きつけていれば、後ろの四人は安全だろう。そう考えて出来る限り大袈裟に動いていた千翼は、思わぬ方向から現れたジャイアントトードに焦燥した。

 

「いやあああぁぁぁ! 来ないでえええぇぇぇ!」

 

「丸呑みだけは嫌です!」

 

「な、なんで私まで!」

 

「蛙はもう懲り懲りだ!」

 

大声で叫びながらカズマ達はジャイアントトードから逃げ惑う。それが更に注意を引いてしまい、一匹、また一匹と千翼を無視してそちらに向かい始めた。

 

「まずい!」

 

殴り倒した大蛙にブレードで手早く止めを刺し、自分の脇を通り過ぎようとした一匹を斬り裂く。そうしている間に二匹がカズマ達へと向かった。どう見ても千翼一人で対処できるような状況では無い。

あっという間にカズマ達はジャイアントトードに囲まれ、逃げ場を失った。背中合わせの四人が震える。

 

「ちょっとカズマ、なんとかしなさいよ!」

 

「こ、こうなったら、爆裂魔法で……!」

 

「めぐみん、それだけは絶対に止めろ! こんな至近距離で使ったら俺たちもお陀仏だ!」

 

「な、なんでこんなことに、私はただの立ち会いに来ただけなのに……」

 

もはやここまで、蛙の粘液塗れになることを四人が覚悟した時であった。

 

「ライト・オブ・セイバー!」

 

涼やかな声が雪原に響き、光の刃が閃いた。カズマ達に襲いかかっていたジャイアントトード達に光の線が走ると、上半身と下半身が左右にずれ、そのまま真っ二つとなって雪の上に倒れる。

そのまま光の刃は雪原を薙ぎ払い、他のジャイアントトードも同じように両断してゆく。刃が消えた時には、生きている大蛙は一匹も残っていなかった。

 

「す、すげぇ……何が起きたんだ!?」

 

「今のは上級魔法……あの子が使ったのかしら?」

 

アクアの視線の先には、めぐみんと同世代ほどだろうか、髪を左右で結い、黒のマントを羽織った少女が近付いてくる。カズマ達から少し離れたところで立ち止まると、鮮やかな紅い瞳でめぐみんを見据え、手に持つワンドを鋭く彼女に向けた。

 

「ひさしぶりね、めぐみん! あれから修行を重ねて、上級魔法を使えるようになったわ。さぁ、私と勝負よ!」

 

「貴方は……!」

 

めぐみんの緊迫した声に、空気が張り詰める。ただならぬ雰囲気に呑まれ、その場の誰もが身動きが取れなかった。

風が吹いて粉雪が舞い。めぐみんはゆっくりと口を開く。

 

「……誰ですか?」

 

めぐみんの何とも気の抜けた一言に、紅い目の少女はガクッと体勢を崩した。危うく転びそうになるが、何とか踏みとどまる。

 

「わ、私よ! ゆんゆん! 紅魔の里の学校で同期だったでしょ! 本当に忘れちゃったの!?」

 

自分を指差しながら、めぐみんの同期だと名乗る紅魔族の少女ゆんゆん。それに対して、当のめぐみんは疑うような目つきで彼女を見ていた。

 

「怪しいですね……本当に紅魔族の人間なら名乗りを上げるはずですが……」

 

「う、うう……知らない人も居るのに……」

 

ゆんゆんは顔を赤く染めながら、マントを翻して声を震わせながら名乗りを上げた。

 

「わ、我が名はゆんゆん! 上級魔法を操り、いずれは紅魔族の長と――」

 

「ああ、ゆんゆんですか。久しぶりですね。元気ですか?」

 

名乗りを途中で遮られ、今度こそゆんゆんは転んだ。素早く起き上がるとめぐみんに猛烈に食ってかかる。

 

「わざとでしょ!? 本当は最初から覚えてたのにわざと忘れたふりをしてたでしょ!?」

 

いやぁ、懐かしいですね。などと、めぐみんは白々しく過去を思い返していた。そこへ元の姿に戻った千翼がやってくる。

 

「えーと……どういう状況?」

 

「ああ、チヒロ。紹介しますね、こちら私の同期でいつもぼっちのゆんゆんです。友達を欲しがっているので、仲良くなると泣いて喜びますよ」

 

「ちょっとめぐみん!! 紹介するだけで何で言わなくていいことまで言うの!?」

 

余程それには触れられたくなかったのか、ゆんゆんは涙目になりながら叫ぶ。めぐみんはそれを華麗に無視した。

その態度が火に油を注ぎ、ゆんゆんは更にめぐみんに詰め寄る。男二人はその迫力に気圧され何も出来ず。寒いから早く帰りたいとアクアがぼやいた。

収集の付かない混沌とした状況を、パンパンと手を打ち鳴らす音が鎮める。

 

「はい、そこまで。まずはチヒロさん、ジャイアントトードの討伐お疲れ様です。見事な戦いぶりでした」

 

「いえ、それほどでも」

 

千翼は首と手を小さく振る。

 

「そしてサトウカズマさん。仲間の行動についてはもう少し把握するようにしてください。毎度毎度こんな騒ぎを起こされては、堪ったものではありません」

 

「仰るとおりです……」

 

カズマは力なく項垂れる。

 

「さて、私はこれで失礼します。サトウカズマさん、裁判の再開は未定ですが、それまでに今回のようなことが続けば心証がどんどん悪くなりますよ。気を付けてくださいね」

 

最後に念を押すようにそう言って、セナは去った。彼女の姿が見えなくなって、ゆんゆんは改めてめぐみんと対峙する。

 

「さて、それじゃあ改めて、私と勝負よ!」

 

「いえ、お断りします」

 

ゆんゆんがまたもガクッと体勢を崩した。

 

「ずっと外にいたから体が凍えています。どうしてもと言うなら仕方ありませんが……もし風邪を引いたらゆんゆんのせいですよ。そうなったら治療代を請求しますからね。ついでに私の体調より私情を優先したとあちこちに言いふらしますよ?」

 

「わ、分かった分かったわよ! 今回はやめておくわ……」

 

半ば脅迫じみためぐみんの言葉に、ゆんゆんはあっさりと折れた。カズマ達に一礼してから彼女は立ち去り、残された四人はジャイアントトードの残骸が散らばる雪原を見やる。

 

「さて、ギルドに報告して俺たちも帰ろう。早く風呂に入ろうぜ」

 

賛成! とアクアの嬉しそうな声が寒空に木霊した。

 

 

◆◆◆

 

 

ダクネスがアルダープの元へ向かってから二日目。少しでも屋敷の弁償代を稼ぐために、朝からカズマ達はギルドへ向かったが、めぼしいクエストは一つも無かった。仕方なく今日は自由行動となり、その場で四人は解散する。

やることが無くなった千翼は、アクセルの町を探索することにした。ここ最近のアクセルは活気づいており、デストロイヤー撃破の報酬は参加した全ての冒険者に支払われたので、その報酬目当てに様々な人間がこの町に集まっていた。

大通りでは露店商たちが威勢の良い声で客引きをしており、あちこちで珍品や名品を売る者、屋台を開いて食欲をそそる匂いを振りまく者、くじ引きや的当てゲームの屋台を開いている者など、実に様々な露店が並んでいた。

 

「あれは……」

 

千翼の視線の先では、髪を左右に結った紅い目の少女が串焼きを売っている屋台の前でウロウロしていた。

やがて、意を決したように屋台へ向かうと、妙に緊張した面持ちで店主に向かって指を三本立てた。それを見た店主の男は、焼き上がったばかり三本の串焼きを紙袋に入れ、ゆんゆんに手渡す。

それを受け取ると、ゆんゆんは妙に慌てた様子で懐から財布を取り出し、代金を支払ってそそくさと屋台の前から立ち去った。近くに空いているベンチを見つけて腰掛けると、先ほど購入した串焼きを一本取り出して頬張る。

実に幸せそうな顔で咀嚼して飲み込むと、串に残った肉を一気に頬張った。肉が無くなった串を袋に戻すと次の串焼きを取り出し、それも同じように口にする。

あっという間に二本の串焼きを平らげると、紙袋から最後の一本を取り出し、大きな口を開けてかぶり付こうとした時だった。自分に向けられる視線に気が付いたのか、口を開けたまま首を動かすと、千翼と視線がかち合う。

しばしの間、ゆんゆんはそのまま動きを止め、やがて湯気が出てもおかしくないほどに顔が真っ赤に染まった。視線を彷徨わせると、まずは開いたままの口を閉じ、手に持つ串焼きをそっと紙袋に戻す。そして袋の口を丁寧に折り畳むと、それを隠すように抱きかかえつつベンチから立ち上がり、何かを迷う素振りを見せたあと千翼に近付いてきた。

 

「こ……こんにちは、チヒロ……さん……? き、昨日はどうも……」

 

「えーと、こんにちは……」

 

ゆんゆんは俯いたまま、蚊の鳴くような声で挨拶した。

 

「……その、今日は人が多いですね」

 

「……そうだね」

 

「……」

 

「……」

 

それ以上会話は続かなかった。二人の間になんとも気まずい空気が流れる。

 

「それじゃあ、これで」

 

このまま居ても状況は悪化するだけだ。そう確信した千翼は早々に退散を決め、片手を上げてその場を立ち去ろうとする。

 

「……っ、あ、あのチヒロさん!」

 

それを引き留めたのは、ゆんゆんの上擦った声であった。踵を返し、踏み出しかけていた千翼の足が止まる。

 

「その……ええと……きょ、今日ってお暇ですか!?」

 

「まぁ、特に予定もないけど……」

 

「よ、よよ良かったら一緒にお店を見て回りませんか!?」

 

恐らく、彼女はかなりの覚悟を決めて千翼に尋ねたのだろう。全身が小刻みに震えて、抱えている紙袋がカサカサと音を立てている。

千翼は少しだけ迷い、彼女の誘いに答えた。

 

「うん、いいよ」

 

「本当ですか!」

 

その言葉を聞き、少女が花の咲くような笑みを浮かべた。

それから千翼とゆんゆんは、弓矢を使った射的、輪投げ。くじ引きやダーツなど、様々な屋台を回る。

多種多様な景品を抱え、楽しげに鼻唄を歌うゆんゆんを見ながら、千翼は生前を思い出していた。

――イユも、本当は楽しかったのかな。

脳裏を過るのは生前の記憶。まるで人形のように無感情な彼女(イユ)を喜ばせようと、野座間製薬を二人で抜け出して遊園地へ向かったあの日を思い出す。

結局、彼女は遊園地でも終始無表情だった。だが、もしかしたらあの時の彼女は、表に出せなかっただけで楽しんでいたのかもしれない。

カラスのような真っ黒な服を着た、死ぬ間際まで喜びも、悲しみの感情も見せなかった彼女(イユ)

生前の彼女との思い出を振り返っていると、ゆんゆんが突然立ち止まった。

 

「あ、あのチヒロさん! ちょっとここで待っててください!」

 

何かを見つけたゆんゆんは、そう言って慌ただしくとある屋台へ向かった。何かを注文すると、店員はボウルから生地を鉄板に広げる。何かを店員が尋ねるとゆんゆんは一瞬固まり、やがて慌てた様子で答えた。

焼き上がった二枚の生地の上に、店員が次から次へと何かを乗せ、それを素早く巻き上げる。ゆんゆんが代金を払うと出来上がったものを彼女に渡した。

両手に屋台で購入した物を持ちながら、ゆんゆんは上機嫌で千翼の元へ帰ってくる。

 

「はい、どうぞ!」

 

笑顔のゆんゆんは、そう言って真っ白な生クリームと、色とりどりの果物が乗せられたクレープを差し出した。

 

「えっと、これは……」

 

「クレープです! 私、誰かと一緒にこういう物を食べるのが夢だったんです!」

 

満面の笑みで、彼女はそう言った。

 

「あ、ありがとう……」

 

思わず受け取ったクレープを千翼はじっと見詰める。当然ながら目の前のクレープに対して食欲は全く湧かない。そうしている間にゆんゆんは、満足そうな笑みでクレープを味わっていた。

一度受け取った物を今更返すのは不自然すぎるし、何よりもせっかく買ってくれた彼女に対して余りにも申し訳ない。手に持つこれをどうしたらいいのか。千翼が迷っていると、ゆんゆんは不思議そうな顔をする。

 

「あれ、チヒロさんどうかしましたか?」

 

「あ、いや……」

 

――大丈夫、一口くらいなら何とかなる。

ゆんゆんの目の前でとりあえずは一口食べ、適当な理由を付けてすぐに彼女と別れる。その後でクレープは処分すればいい。

罪悪感と、こんなことを考えている自分に嫌悪感を抱きながら、覚悟を決めて千翼はクレープを口にした。

口の中で柔らかい何かと、薄い何かが歯で噛み切られ、磨り潰される。味は全く感じなかった。顎を数回動かし、食べた物が十分小さくなると、それを飲み込むために千翼の喉仏が持ち上がる。

 

「ッォェ! ゴホッ!」

 

クレープが喉を通り過ぎようとした瞬間だった。喉奥からの強烈な不快感と共に、食べた物を吐き出しそうになる。

慌てて口を押さえた拍子に、持っていた残りのクレープを地面に落とした。それに構わず、千翼は近くにあった草むらに急いでしゃがみ込むと、胃液と飲み込もうとしたものを盛大に嘔吐する。

 

「ゥオェ……エホッ……」

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

ゆんゆんは少年の背中を必死に擦った。大事ない、と千翼は小さく手を上げる。

 

「……喉に、詰まった」

 

「な、なにか飲み物いりますか!?」

 

千翼は首を横に振り、ゆんゆんに謝ろうと向き直る。

先ほど吐き出した反動だろうか、彼女の顔を見ようとした目は、細い腕に釘付けになった。周りの全ての音が消える。

 

――あの……チヒロさん?

 

遠くからぼやけた音が聞こえた。そんなことは直ぐに頭の片隅に追いやられ、目の前の白い腕を見ているだけで口の中から涎が絶え間なく溢れてくる。

そして、血色も良く、程よい肉付きの腕に噛み付こうとして――

 

「本当に大丈夫ですか? どこか具合が悪いんですか?」

 

ゆんゆんの声は届いた。本能に呑まれかけていた千翼の意識が、すんでのところで踏み止まる。

自分が何を考えていたのか、何をしようとしていたのか悟った千翼は慌てて口元を押さえた。

 

「ッ! ごめん、急用思い出した!!」

 

叫ぶようにそれだけ言うと、ゆんゆんを置き去りにして千翼は走り去った。

 

「え、あ、チヒロさん!?」

 

急いでこの場から離れなければ。さもないと本能のままに彼女を襲ってしまいそうだった。所詮、自分は人食いの化け物でしかないのか。どれだけ取り繕っても、その下にある本能を無くすことは出来ない。

千翼は少しでも人が少ない場所を求めてひた走る。幸いにも人の居ない路地裏を見つけ、そこに駆け込むと急いでリュックから水筒を取り出し、蓋を開けると直接口を付けて勢いよく飲み始めた。喉を鳴らしてあっという間に水筒を空にすると、大きく息を吐く。

先ほどまでの食人衝動は幾分か収まり、本能に支配されかけていた頭に理性が戻ってくる。

 

「ハァ……ハァ……」

 

荒く息を吐き、ずるずると背中を建物に擦りながら、千翼は力なく座り込んだ。そのまま膝の間に顔を埋めて、町の喧騒が聞こえないように耳を塞ぐ。

あんなにも楽しそうにしていた、自分にクレープを奢ってくれた少女に対して、食欲が湧いてしまった。余りの情けなさに涙が出てくる。せめて声だけは外に漏らすまいと、千翼は口を固く閉じた。小さな嗚咽が路地裏に響く。

石畳を涙で濡らし、やがて声も枯れてきた。しばらく一人になったおかげか、ある程度は冷静さを取り戻すことが出来た。

もう、屋敷に帰ろう。そう決めると水筒をリュックに戻し、涙を拭って千翼はゆっくりと立ち上がる。このまま人の近くに居続けたら、誰かを襲ってしまいそうだった。

路地裏を出て、すれ違う人々をできる限り見ないようにしながら、千翼はアクセルの町を出た。さっきよりも足を速め、やがて屋敷に到着すると自分の部屋に直行し、リュックを適当に投げ捨てそのままベッドに倒れ込んだ。

今は何も考えたくない。とにかく一刻も早く眠りたい。千翼は目を閉じて眠ることに集中する。数分もすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。



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Episode10 「J」ABBER DEVIL

書いている内にとんでもない容量になりました。どうしてこうなった。


ダクネスがアルダープの元へ向かい、今日で三日目の朝を迎えた。

広間では千翼がソファに座って本を読み、その隣でめぐみんがマグカップに入ったココアに息を吹きかけ冷ましている。暖炉前の特等席では、カズマとアクアがいつもの小競り合いを繰り広げていた。

 

「誰か! 誰か居ないか!」

 

朝の穏やかな時間に似つかわしくない、焦った声が屋敷に響く。一体何事だ。と住人達が部屋の出入り口を見やると、勢いよく扉が開かれた。

 

「ここに居たか。みんな、大変なんだ!」

 

「……えっと、どちら様ですか?」

 

広間にいきなり入ってきた人物――長い金髪を三つ編みにして前に垂らし、細やかな刺繍が入った純白のドレスを着た女性を見て、カズマが疑問交じりに尋ねる。

 

「んんっ! たった三日で他人行儀な扱い……じゃなくて、私だ! ダクネスだ!」

 

カズマの言葉に身を悶えさせると、謎の美女は気を取り直して自らの名前を名乗った。

この三日間、カズマ達が安否を心配していた仲間(ダクネス)だと言う美女に、一同が押し黙る。

 

『ええーっ!?』

 

そして、たっぷりと間を取ってから叫んだ。

 

「お前……本当にダクネスなのか?」

 

「全然分からなかった……」

 

男二人は普段の鎧姿からかけ離れた服装に戸惑い、

 

「ダクネス、とっても綺麗よ!」

 

「鎧姿も様になってましたが、ドレス姿はそれ以上に似合ってますよ!」

 

女二人は彼女の美麗な姿を賞賛していた。

 

「あ、ありがとう……って、そうじゃなくて! 大変だ、大変なんだ!」

 

アクアとめぐみんの言葉に、頬を赤らめながらダクネスは感謝を述べるが、危うく雰囲気に流されそうになったところで踏み止まった。

 

「このままでは結婚させられてしまう!」

 

そしてダクネスはアルダープの元に行っていた数日間に、何があったかを話し始めた。

流石のアルダープも、大貴族の令嬢であるダクネスに直接手出しをすることは出来ず。特に何もされてはいなかった。

その代わり、彼女が条件として出した『何でも一つだけ言うことを聞く』という約束に対し、アルダープは自分の息子との見合いをダクネスに勧めてきたという。

この見合いに娘の冒険者家業を辞めさせたいダクネスの父は大いに喜び、今も着々と見合いの話が進んでいる。

 

「いつもなら見合い話は遠慮無く断っているのだが、今回は父も相手を気に入っているし、見合い相手は領主であるアルダープの息子。下手に断ると家名に傷が付くから私も強く出ることができないんだ……」

 

「で、これがその見合い相手の息子さんなのね」

 

「すごい爽やかな好青年じゃないですか」

 

「何このイケメン、なんかムカつく」

 

「あの領主の息子とは思えないな……」

 

ダクネスから渡された見合い相手――アルダープの息子であるアレクセイ・バーネス・バルターの写真を見て、カズマ達は感想を述べた。

 

「実際、父親と違ってそれは領民思いな男でな。積極的に人々の意見を聞いたり、困っている人に配給を行ったり、時には過ぎた振る舞いをする父を諫めたりと。絵に描いたような聖人君子だ」

 

「なんだよ、超優良物件じゃねぇか」

 

「どこがだ! いいか、そもそも私が結婚相手に求めるのは、まず必須条件として一年中はつじょ――」

 

「うん、止めてくれ。その先は大体予想が付くから」

 

余り人前で言うべきで無いことを口にしようとしたダクネスを、げんなりした顔でカズマは止めた。

 

「んで、肝心の見合いだが――その話、受けようぜ」

 

「カズマ、話を聞いていたのか!? 私はこの見合いをどうやって断ればいいか相談を――」

 

「だから、そのために見合いを受けるんだよ」

 

そう言って、カズマはニヤリと笑った。

ダクネスの見合いを無かったことにするために、こちらからではなく相手から断らせる。それがカズマの考えた作戦であった。

一先ず見合いを受け、相手と行動を共にする。その中でダクネスの残念な部分をこれでもかと見せつければ、幻滅した見合い相手が自ら断ってくるであろう。

こうすれば「相手の方から断った」という事実があるため、ダスティネスの家名に傷も付かず、娘の行動を見た父親も次の見合い話は慎重にならざるを得ないという、まさしくうってつけな作戦であった。

 

「完璧だ! 完璧すぎるぞカズマ!!」

 

「ふっ、もっと褒めてくれ」

 

ダクネスが尊敬と感謝の眼差しを向け、カズマは髪を掻き上げると自慢げに胸を張った。

 

「それは良い案ですね! 面白そうだから是非とも一緒に行きたかったのですが、私はゆんゆんとの約束が……」

 

「俺も遠慮しておくよ、こういうのは向いてないだろうし。クエストでもこなしてくる」

 

残念そうな顔をするめぐみんと、申し訳なさそうな表情の千翼はそう言った。

 

「そっか。それじゃあ、俺とアクアがダクネスのサポートに付こう」

 

「ね、ね。ダクネスの家って高級なお菓子やお酒って置いてあるの?」

 

「遊びに行くんじゃ無いぞ」

 

アクアの頭を軽く叩き、カズマが窘める。

こうして、五人は各々の予定にしたがって解散した。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の夕方、妙に疲れた顔をしているカズマがソファで横になり。広間では残る四人が静かに過ごしていた。

直に空が暗くなり、夕飯の時間が近づいてくる頃、扉が勢いよく開けられる音が屋敷に響く。

 

「サトウカズマアアアァァァ!! 今度という今度は言い訳させんぞおおおぉぉぉ!!」

 

次いで窓ガラスが震えるほどの怒声が放たれ、何者かが凄まじい速さで階段を駆け上がる。次の瞬間、扉が壊れる程の勢いで開けられた。

 

「サトウカズマ! やはり貴様の仕業か!!」

 

憤怒の形相のセナが広間に飛び込んできた。そのままカズマに凄まじい剣幕で詰め寄る。

 

「ちょ、ちょっと待った! 一体何なんだ、状況を説明してくれ!」

 

「とぼけるな、町の近くにあるキールダンジョンだ! あそこから奇妙なモンスターが発生しているとの報告を受けた。貴様の仕業だな!!」

 

「待ってくれ! 確かに最近あのダンジョンに潜ったのは間違いない。でも、探索をしただけで本当に何もしてないぞ!」

 

「……本当だな? 本当に心当たりは無いとエリス様に誓えるか?」

 

「無い! 本当に全く無い! お前らも無いよな?」

 

助けを求めるようにカズマが仲間に同意を求める。千翼は首を傾げ、残る三人は首を横に振った。

その様子を見て、どこか疑わしい顔をしつつもセナは一先ず落ち着く。

 

「わかりました。今は貴方たちの言葉を信じるとしましょう」

 

冷静さを取り戻して疲れが一気に出てきたのか、セナは大きく息を吐いた。

 

「本来であれば貴方たちも調査に協力して欲しいのですが、今はそれどころでは無いでしょう。私はこれから冒険者ギルドに協力を要請してきます。もし、気が変わって協力してくれるというのなら、何時でも待っています」

 

それでは。と一礼してセナは屋敷を出て行った。扉が閉まる音が聞こえると、思い出したかのようにカズマは大きく呼吸する。

 

「……っはぁー! 本当に何なんだよ全く。一応聞くけど、千翼はともかくお前達本当に心当たりは無いんだよな?」

 

「ありません。爆裂魔法絡みのことならともかく、全く心当たりはありません」

 

「私はそもそも、ここ数日はアルダープの所に居たから何もできないぞ」

 

「まぁ、そうだよな……で」

 

二人の言葉に頷きつつ、カズマは残る一人に鋭い視線を向けた。

 

「……アクア、本当の本当に何もしてないんだな?」

 

カズマの疑惑に、アクアは眉間に皺を寄せた。

 

「まー失礼しちゃう! 何で私だけそんなに疑われなくちゃいけないのよ。気分最悪なんですけど!」

 

「え、本当に今回はお前じゃないのか?」

 

「知らないわよ! そもそも私はあれ以来、キールダンジョンには潜ってないわ」

 

頬を膨らませ、アクアは不機嫌そうにそっぽを向いた。

 

「そうなのか。いや、疑ってすまなかった。ここのところ災難続きでイライラしてて……」

 

もしアクアの仕業なら、問い詰めた時点で動揺を見せるか、あからさまに怪しい挙動をするはずだ。そう思って確認をしたカズマであったが、彼女の反応はいつも通りで特に不審な動きは見せなかった。

殊更疑ったことを謝罪するが、次の彼女の言葉でそれは即座に無意味なものとなった。

 

「寧ろあのダンジョンに関しては感謝して欲しいくらいよ。あのダンジョンの主であるリッチーを浄化した際に作った魔法陣は、そりゃあもう本気を出して作ったんだから。今でも残っているだろうし、あのダンジョンに邪悪な存在は近寄ることすら……」

 

最後まで言い終わらぬうちに、カズマはアクアの頭をガッチリと掴んだ。

 

「へぇー、じゃあつまりなんだ。あのダンジョンの奥には、お前が作った魔法陣が今でもしっかり残っていると?」

 

「そ、そうよ。ところでカズマ、笑顔がすっごく恐いんですけど。というか私の頭を掴んでいる手に少しずつ力が、いた、いたたたた! 中身が出ちゃう!!」

 

カズマの手をバシバシと叩いてアクアは藻掻くが、無意味な抵抗であった。彼女がギブアップしたところでようやくカズマは手を離し、アクアは痛む頭を擦る。

 

「こうしちゃ居られない。すぐにでも魔法陣を消しにいかないと余計な誤解を招く! お前はもちろん来るよな?」

 

「い、行くわよ! 行けばいいんでしょ!」

 

 

◆◆◆

 

 

背中に弓と矢筒を背負い、掃除道具を携えたカズマを先頭に、五人は夜道を歩いていた。一刻も早くアクアが作った魔法陣をセナが見つける前に消さなければ、カズマへ更にあらぬ疑いが掛けられることとなる。

ただでさえ無実を証明する方法が見つからなくて困っているというのに、これではカズマの立場は更に悪化する一方である。

 

「なぁ、カズマ。キールダンジョンってなんだ?」

 

「アクセルの近くにあるダンジョンだよ。詳細は長くなるからは省くけど、その昔キールって大魔術師とお姫様が駆け落ちして、追っ手を返り討ちにするためにキールが作ったダンジョンさ。ほら、ちょうど見えてきた」

 

その質問に答えつつカズマが指を差す。その先には大きな洞窟があった。そして、その中から小さなが何かが絶え間なく出てきている。

 

「何かいるみたいね……」

 

「このままだと鉢合わせだな。みんな、茂みに隠れてダンジョンに近付くぞ」

 

五人は脇道の茂みに素早く隠れて出来る限り背を低くし、音を立てないようにしながらダンジョンに近付く。出入り口前の様子がよく見える距離まで近付くと、カズマ達は木陰に隠れながら少しだけ顔を出した。

 

「なんだあれ……」

 

ダンジョンから仮面を着けた人形が、列をなしてゾロゾロと現れていた。背丈は人の膝ほどで、一糸乱れぬ隊列と歩調でどこかへと向かっている。

 

「あれが検察官が言っていた奇妙なモンスターでしょうね」

 

「本当に変わっているな、あんなモンスター見たことがないぞ」

 

めぐみんとダクネスが物珍しそうに呟く。一体どれほどの数がいるのか、こうしている間にも次から次へと人形が姿を現す。

 

「あら、サトウさん。なぜこんなところに?」

 

後ろから名前を呼ばれたカズマが振り返り、続いて千翼達も後ろを向く。そこにはセナと、頑丈そうな鎧や盾を装備した冒険者達がいた。

 

「もしかして、手伝ってくれるのですか?」

 

ギクリ、とカズマは肩を震わせる。

 

「え、ええ。俺も色々と考えたのですが、やはり一人の冒険者として今回の件は見過ごせなくて。こんな時こそ俺たちのような人間の出番だろうと」

 

「……まぁ、今はそういうことにしておきましょう。協力には素直に感謝します」

 

明らかな疑いの眼差しをカズマに向けつつも、セナは特に追求はせず感謝の印として頭を下げる。てっきりここに居る理由を根掘り葉掘り聞かれると思っていたカズマ達は、彼女の意外な反応に呆気に取られた。

 

「ええと、とにかく。あの人形が奇妙なモンスターで間違いないんだな?」

 

「はい。数日前から突然現れまして。恐らく自然発生したものではなく、何者かが召喚しているのでは、と考えています」

 

人形は途切れることなくダンジョンから出てきている。確かにこの数は自然発生にしては余りにも多過ぎだ。

と、人形をじっと見詰めていたアクアの眉間の皺がどんどん深くなり、それに合わせて表情も険しくなる。

 

「なんでかしら……あの人形を見てると妙に腹が立つというか……石投げてやる!」

 

「あ、ダメです!」

 

セナの制止も間に合わず、アクアは足下に落ちていた石を拾うと、それを人形目掛けて思い切り投げ付けようとした。すると、人形の一体がアクアの方を向き、凄まじい勢いで走ってくる。

 

「ヤバい! みんな逃げろ!」

 

アクアを残して全員が四方八方に逃げた。一人反応が遅れたアクアは、周りをキョロキョロ見回して立ち尽くす。そんな彼女の脚に人形が抱きついた。

 

「あら、抱き付くなんて意外と可愛いじゃないの。それによく見ると愛嬌があるわね」

 

「アクアさん! 今すぐそれを引き剥がして!」

 

セナが大慌てで叫ぶが、対するアクアは肩を竦めた。

 

「何言ってるのよ、こんなに愛くるしいって、あれ? なんかだんだん熱くなってきあちちちちち! 熱い熱い!!」

 

抱き付いた人形から煙が上がり、辺りに何かが焼ける音と臭いが広がる。次の瞬間、人形が爆発した。辺り一面に爆風を撒き散らし、砂埃や小石を巻き上げる。

 

「アクア!」

 

カズマの悲鳴にも似た叫びが夜空に木霊した。肝心のアクアの姿は、爆煙で隠れて何も見えない。

爆煙が晴れた時、そこにあったのはクレーターの中央で蹲るように倒れたアクアの姿であった。

 

「何よこれ! なんで爆発するのよ!!」

 

しかし、彼女は即座に起き上がって叫んだ。全身が煤だらけだが、特に怪我をしている様子は無い。

 

「これがこのモンスターの厄介な性質でして、僅かでもダメージを受けたり、近くに動く物がいると抱き付いて自爆するんです。しっかりと防御を固めていれば耐えられないことはありませんので、幸いにも犠牲者は出ていません。ですが、とにかく数が多くて調査を進めることができず困っています」

 

「あれ全部が爆弾なのか……」

 

「いや、ヤバすぎだろ」

 

千翼とカズマは改めて洞窟から出てくる人形の群れを見た。初見はただの人形だと思っていたが、今は絶対に近付きたくない恐怖の存在に見えた。

 

「面倒くさいですね。爆裂魔法で入り口を塞ぎましょう! これでダンジョンに入らずとも全て解決です!」

 

「だ、ダメです! もしかしたらあれを召喚している犯人はテレポートが使えるかも知れません! もし逃がしてしまったら一大事です!」

 

意気揚々とめぐみんは杖を掲げ、お得意の爆裂魔法の詠唱を始めるが、セナが慌てて中止させた。不満そうな顔をしつつも、めぐみんはしぶしぶ杖を下ろした。その影で、カズマは残念そうに小さく舌打ちする。

ほっと胸を撫で下ろすと、セナはポケットから奇妙な紋様が描かれた二枚の札を取り出す。

 

「これは強力な封印の魔法が込められた札です。召喚陣の中には自動的に召喚を続けるタイプの物もありますが、これを貼れば即座に封印することができます。万が一を考えて予備も渡しておきますね」

 

札を受け取ったカズマは、それを落とさないようにズボンのポケットに入れる。札の存在を確かめるように上からポケットをパンパンと叩き、困り顔で人形達を見た。

 

「あとの問題はあれだな……って、何やってんだダクネス!!」

 

見ると、ダクネスが人形に向かって真っ直ぐ歩いていた。当然ながら人形が反応し、先ほどのアクアと同じように脚にしがみ付く。次の瞬間、人形が爆発してダクネスの姿が見えなくなった。

誰も彼もが息を飲んで爆煙を見守っていると、風が吹いて煙を吹き飛ばした。そこにはあちこちに煤を付けたダクネスが、何事もなかったかのように立っていた。

 

「ふむ、問題なし。これならいけるな」

 

爆発のことなど気にせず自分の体の具合を確かめると、ダクネスは振り返った。

 

「カズマ、先頭は任せろ。私の本気を見せてやる」

 

自信満々で彼女はそう言った。

 

 

 

 

 

「ふはははは! この程度か、ドンドンこい!」

 

ダンジョンの先頭を歩くダクネス目掛けて、人形が次々と襲ってくる。ダクネスは手に持つ大剣を右に左に振るうと、人形はあっさりと切り裂かれ爆発した。

至近距離で爆発を受けたにも関わらず、ダクネスはお構いなしにドンドン前に進んでゆく。

 

「すげー、ダクネスがまともに聖騎士(クルセイダー)やってる」

 

「頼もしい限りだね」

 

その後ろ。彼女から少し離れた場所で、カズマと千翼は高笑いする仲間の聖騎士(クルセイダー)の活躍を眺めていた。

ダクネスが戦闘に集中できるよう、カズマは持ってきたデッキブラシの先端にランタンを引っかけ、それをダクネスの頭上に掲げている。

暗闇の向こうから新手の人形が姿を現すが、それらは全て大剣で斬り裂かれ爆散した。

 

「いやはや、まさか聖騎士(クルセイダー)が居るなんて」

 

「これで騒動の犯人を捕まえられるな!」

 

カズマ達の更に後ろでは、守りを固めた冒険者達が余裕の表情で会話をしていた。

――まずい、このままじゃ。

カズマは人知れず冷や汗を流した。

もし、彼らと共にダンジョンの最深部に辿り着いてしまったら。そこにあるアクアが作った魔法陣の存在がセナに知られてしまう。そうなったら最後、ただでさえ自分を疑っているセナは、その疑惑を確信に変えるだろう。それだけは何が何でも避けなければならない。しかし、そのためにはどうすればいいのか、カズマは思い付かなかった。

 

「つまらん! なんならこっちから行くぞ!」

 

そんなことは露知らず、作業的に人形を斬っていたダクネスは気持ちが高揚していたのも相まって、突然走り出した。

――チャンスだ!

そして、カズマはこの好機を逃さなかった。

 

「千翼、俺たちも走るぞ!」

 

「え、でも!」

 

千翼が戸惑っていると、後ろから冒険者達の悲鳴が響く。

 

「う、うわあああ! モンスターが!」

 

「こっちくるな!」

 

壁役のダクネスが一人突っ走ってしまい、横道から現れた人形の群れは、後ろを歩いていた冒険者達に襲いかかっていた。

抱き付いてきた人形を必死に引き剥がそうとするが、間に合わずに次々と爆発する。

 

「あいつら防具はしっかりと着込んでいるから、そう簡単に死にはしない。申し訳ないが魔法陣が最優先だ、ほら行くぞ!」

 

千翼の背中を叩いて、カズマは急いでダクネスの後を追った。悲鳴を上げながら人形と戦う冒険者達を一瞥し、千翼は申し訳なく思いつつ、心の中で謝罪してから走り出した。

 

 

 

 

 

後ろのことなど気にもかけずに突っ走ったダクネスを必死に追いかけ、いつの間にかカズマと千翼はダンジョンの最深部に辿り着いていた。まずは上がりきった息を整え、何故か立ち止まっているダクネスに近付く。

 

「おい、ダクネス。立ち止まってどうしたんだ?」

 

「カズマ、あれを見ろ」

 

ダクネスは大剣で前方を指した。千翼とカズマがその先を見ると、そこには口元の開いた仮面を着けた黒のタキシード姿の男が、胡座を掻いて地面に座っていた。白手袋を嵌めた両手で地面の土をかき集めると、それを丁寧に捏ねる。次に形を整えると、ここまでの道中で嫌というほど見てきた人形があっというまに出来上がった。

 

「どう見てもあいつが元凶だよね」

 

「まぁ、今まさに人形を作ってるしな」

 

仮面の男はカズマ達の存在に気付かないのか、一心不乱に人形の細かい部分の微調整をしている。

ダクネスが鎧を鳴らしながら男に近付き、手に持つ大剣の切っ先を突き付けた。

 

「貴様、ここで何をしている」

 

ここでようやく仮面の男はダクネスの存在に気が付いたらしく、人形を作る手を止め、目の前の女騎士を見上げた。

 

「おや、人間が何故こんな奥まで?」

 

「そんなことはどうでもいい。貴様がその人形を作っているのだな? おかげで外が大騒ぎになっているぞ。ここで成敗してくれる!」

 

「外? ということはダンジョン内の掃除は終わったと言うことか、じゃあ次は……」

 

ダクネスを無視して、仮面の男はブツブツと独り言を呟く。自分の存在を無視されたのが癇に障ったか、ダクネスの片眉が震えた。

 

「ふざけた真似を。覚悟しろ!」

 

「まぁ待て、最近腹筋の割れ目がより鮮明になってきたことを気にしている女よ。理由も聞かずに斬り掛かるとはさすがにどうかと思うぞ」

 

仮面の男の言葉に、ダクネスが盛大に吹き出した。

 

「だだ、誰が腹筋を気にしている女だ!」

 

顔を真っ赤にしながら、ダクネスが大声で怒鳴る。

 

「お前が人形を作っているのは間違いないとして、アンタはどこの誰で、何の目的でこんなことをしているんだ?」

 

叫び続けているダクネスを無視して、カズマが質問した。その様子に男は感心したように何度も頷く。

 

「ほう、ギルドの受付嬢かいっそのこと店員で夢を見るのもありかなと考えている男よ。汝は話が分かるようだな」

 

男の言ったことが理解できないダクネスと千翼は首を傾げ、カズマは慌てて「あいつの言葉に耳を貸すな」と誤魔化した。

仮面の男は手元の人形を崩し、土に戻してから立ち上がった。服に付いた土埃を払い落とすと改めてカズマ達を見やる。かなり大柄な体格で、自然と三人を見下ろす形になった。

 

「聞かれたならば名乗るのが礼儀というもの。聞け、我が名はバニル! 悪魔達を率いる地獄の公爵にして、魔王軍幹部が一将! 全てを見通す眼を持つ大悪魔なり!」

 

「魔王軍幹部だと!」

 

「ま、マジかよ!」

 

「っ!」

 

魔王軍幹部という想定外の敵の出現に、カズマ達は反射的に身構えた。ダクネスは大剣を構え直し、千翼はベルトにインジェクターをセット、カズマは弓を手に取り素早く矢を番える。

相手がいつ動いても対処できるよう、三人は片時も眼前の悪魔から目を離さなかった。

 

「貴様が魔王軍の幹部と聞いて、なおさら退くわけにはいかなくなった。刺し違えてでも貴様を討つ!」

 

「ほほう、飽くまで戦いを挑むか鎧娘よ。我輩は魔王からの頼みで、とある調査と私用でこの地を訪れただけであって、汝らとやり合うつもりは毛頭も無いのだが」

 

「っ! ダクネス、ちょっと待て!」

 

バニルの『戦う気は無い』という言葉にカズマは反応し、今にも斬り掛かりそうなダクネスを止める。当の本人は納得いかない顔でカズマを睨むが、構えていた剣を一先ず下ろした。

 

「じゃあ、つまりなんだ。アンタは魔王に頼まれて調査に来ただけで、別に侵略しにきた訳じゃないんだな?」

 

「その通りだ、魔道士の娘か鎧娘の下着、どちらを拝借しようか毎晩悩んでいる男よ。我輩の目的は幹部であるベルディアを誰が倒したかの調査。そして、やる気がひたすら空回りして、商才の欠片も無い能なしリッチーに用事があってやってきたのだ」

 

「な、なんでそれを知ってんだよ! ダクネス、顔を赤らめながら不満そうな顔を向けるな! それと千翼、その顔はマジで止めてくれ……反省してるから……」

 

ダクネスと千翼、それぞれから意味深な眼差しを向けられたカズマは、勘弁してくれと言わんばかりに顔を覆った。

 

「言っただろう、我輩は全てを見通す悪魔。その者の現在はもちろんのこと、過去も未来も、何もかも我輩は全てお見通しだ。隠し事など無意味だと理解するのだな」

 

「俺、こいつすっげぇ嫌いだ……」

 

「うむ、実に美味な悪感情だ、感謝するぞ。ちなみに我輩のような悪魔は、食事として人間の悪感情を頂いている。つまり人間を殺すこと、それは即ち金の卵を産む鶏を締めるようなものだ。故に我輩は人間を絶対に殺さないと決めている」

 

「どうでもいい情報ありがとさん」

 

憎たらしげにバニルを睨みながら、カズマは吐き捨てるように言った。

 

「そのリッチーって……もしかしてウィズさんのことか?」

 

「如何にも。我輩はとある壮大な、生涯をかけて追い求める夢を実現させるために金が必要でな。それを稼ぐために、古い友人であるポンコツリッチーの店でしばらく働こうと思ってやってきたのだ」

 

千翼の質問にバニルは答え、次いで両手を広げて天井を仰ぎながらそう言った。

 

「生涯をかけて実現させたい悪魔の壮大な夢って、嫌な予感しかしないぞ……」

 

「ふっ、こんな時でも鎧娘と約束した『ものすごいこと』に何を要求してやろうか悩んでいる男よ。その程度の脳味噌しか持たぬ貴様には、我輩の高邁(こうまい)な夢は到底理解できまい」

 

「それはいま関係ないだろ! 期待に満ちた眼差しでハァハァするなダクネス! 千翼、お願いだ。引かないでくれ。あの時は状況的にそう言うしかなかっただけで……」

 

眉間に皺を寄せながら、千翼はカズマから一歩距離を取った。

 

「それで、汝らは戦う気があるのか? 我輩としては面倒を避けたいのだが」

 

「俺たちの目的は奥の部屋にある魔法陣を消すことだからな。アンタがこれ以上の人形作りを止めて、戦う気が無いって言うなら、さっさと用事を済ませて帰るよ」

 

「ほう、あの忌々しい魔法陣を消すことが目的とな? あれは人間にとっては良いこと尽くめの代物、何故それを消す?」

 

「こっちもこっちで、色々と事情があるんだよ」

 

さっさと目的を果たして帰りたい一心のカズマは、面倒くさそうな顔をしながらそう言った。しかし、その態度が逆にバニルの好奇心を刺激してしまったらしく、大悪魔は口をニヤリと曲げる。

 

「なるほど、色々と込み入った事情があるのか。では、汝の過去をちょっと拝見……」

 

「あ、止めろ! 勝手に覗くな!」

 

バニルは手で庇を作り、それを額に当ててカズマを見詰める。勝手に自分の事情を覗き見られたカズマは、両手を顔の前でぶんぶんと振り回した。

 

「ふむ……ほうほう……ククク……フハハハハハ!!」

 

どうやらカズマがここ来た理由を全て見たらしく、バニルは両手を広げ、体を仰け反らせながら狂ったように笑う。

 

「なるほどなるほど、そういうことか! そして、この魔法陣を作ったのはあの駄女神か! 我輩の夢を邪魔したことを後悔させてくれるわ!!」

 

目を赤く光らせながらバニルは両手の拳を握る。どうやら駄女神(アクア)が作った魔法陣が余程邪魔だったらしく、先程までとは打って変わってその声は怒りに震えていた。

 

「アクアのところへ向かうつもりか? そうはさせんぞ!」

 

ダクネスが勇ましく叫び、バニルは不気味な笑い声を口から漏らす。

 

「クックック、超強いと評判の我輩を食い止めるつもりか? だが安心しろ、先程も言ったとおり人間は絶対に殺さないのが我輩のポリシーだ」

 

「舐めるな!」

 

ダクネスが気迫と共に飛びかかり、大剣を振った。白銀の刃は悪魔の首目掛けて迫り、触れる寸前にバニルは微かに仰け反った。切っ先が喉元を掠める。

 

「ほらほら、もっとよく狙わないと!」

 

バニルは自分の首を指差しながら挑発する。

 

「アマゾン!」

 

インジェクターのピストンを叩き、千翼はアマゾンネオに姿を変えた。再度インジェクターを叩いてブレードを展開し、バニルに突撃する。

 

「ハッ!」

 

「おおっと、今のは危なかったぞ!」

 

猛烈な速さで繰り出されたブレードの突きを、バニルは腰を横にずらすことで回避した。

千翼とダクネスは一旦飛び退いてバニルから距離を取る。横目で互いを見ると小さく頷き、今度は二人同時に斬り掛かった。

 

「フハハハ、無駄なことを!」

 

絶え間なく繰り出される二人の斬撃を、バニルは紙一重で次々と躱していた。

首を捻り、体を仰け反らせ、時には関節をあり得ない方向に曲げる。まるで宙を漂う羽毛のように軽やかに、鮮やかに二人の猛攻を易々と避け続ける。

――まだだ、まだ撃つな。

矢を番えたまま、カズマはじっとチャンスを窺っていた。今、矢を放ったら二人を誤射してしまう恐れがある。それに適当に矢を放ったところで、あの悪魔には掠りもしないだろう。

自分の為すべきことは敵を倒すことではなく、二人の援護をすること。そう言い聞かせて姿勢を保ち続ける。

そして、好機はついに訪れた。

千翼とダクネスはもう一度飛び退いてバニルから距離を取った。バニルとカズマの間に一直線の空間が生まれ、ついに射線が通った。カズマは大きく息を吸い込む。

 

「おい、バニル! こっちを見やがれ!」

 

「なんだ?」

 

いきなり自分の名前を呼ばれ、バニルは思わずそちらを向いた。そこには弓を引き絞るカズマの姿が。

 

「狙撃っ!」

 

右手が離され、弦が勢いよく元に戻る。それに合わせて番えられていた矢が押し出された。

『狙撃スキル』の効果により、カズマの幸運が矢に作用する。放たれた矢は()()()()()真っ直ぐバニルに向かっていた。猛烈な回転を伴って、カズマの一撃が飛翔する。

悪魔の仮面に矢が直撃した。よほど硬い材質なのか金属音を立てて矢は弾かれ、そのまま地面に落ちた。

 

「ぐはっ! この、よくも我輩の仮面に……!」

 

「もらったぞ!」

 

仮面に矢が当たり、その衝撃で一瞬だがバニルが硬直する。その僅かな時間は戦闘時に於いて余りにも致命的だった。

動きが止まった瞬間を逃さず、ダクネスとネオ(千翼)は左右からバニルを切り裂いた。血は一滴も流れなかったが、大柄な悪魔の体が横に三分割される。

上半身、腹、下半身が地面に落ち、バニルは自分の身に起きたことが信じられないのか、戸惑いながら驚愕する。

 

「バカな……我輩が、この程度の輩に……こんなことが……」

 

カズマ達の見ている前でバニルの体はあっという間に土塊に変わり、崩れ落ちてダンジョンの一部と化した。後には仮面だけが残される。

 

「……」

 

「……」

 

「今の反応からして……やった……よな?」

 

不用意なことを言わないように、慎重にカズマが口を開く。十秒ほどの時間が経過したが、何も起こらなかった。三人が一斉に息を吐く。

 

「終わったな……」

 

「倒せて良かった……」

 

「はぁー! マジでどうなるかと思ったぜ」

 

魔王軍幹部を撃破し、緊張から解放されたカズマ達はようやく肩の力を抜いた。

ダクネスは構えていた大剣を下ろし、千翼はインジェクターを引き抜いて元の姿に戻る。カズマは弓を背負うと、ダンジョンの奥――アクアが作った魔法陣が設置されている部屋を見た。

 

「さて、それじゃあ魔法陣をちゃっちゃと……」

 

「フフフ……ハーッハッハッハッ!」

 

突然、笑い声が響き渡り、三人は即座に身構える。声の主を探して辺りにくまなく視線を走らせるが、姿は見当たらない。

 

「まさか不意打ちを食らうとはな。流石に汝らを甘く見ていたようだ」

 

地面に落ちた仮面がカタカタと震えると、その下にあった土を吸い上げ人の形を取る。次の瞬間には、タキシードを着た大柄な男がそこに立っていた。

 

「嘘だろ、こいつ不死身かよ!?」

 

「我輩があの程度でやられると思った? 残念でした! 本体はこの仮面だから、これをどうにかしない限り我輩は何度でも蘇るぞ!」

 

「クッソ、まじでうぜぇ……」

 

悪感情の提供感謝するぞ。と言いながら、バニルは何故かダクネスを見詰めていた。何かを思いついたのか、露出した口元を歪める。

 

「このまま汝らが疲れるまでやり合ってもよいのだが、それでは余りに芸がない。そこで、我輩は面白いことを思いついた!」

 

言いながらバニルは仮面に手をかける。

 

「そこの女! 汝の体、貰い受けるぞ!」

 

そして、仮面をダクネス目掛けて素早く投げた。

 

「「ダクネス!」」

 

カズマと千翼、二人が声をかけた時は既に遅く、彼女の顔には白黒の仮面が貼り付けられていた。バニルの体が土塊に戻り、崩れ落ちる。

ダクネスは両手を垂らしたまま俯き、微動だにしない。カズマと千翼が息を呑んで様子を窺っていると、女騎士はゆっくりと仮面を着けた顔を上げ、口元に怪しい笑みを作る。

 

「フハハハハ! 乗っ取りかんりょ(おお、こ、これは!)さぁ、大切な仲間を相手に(敵に体を乗っ取られ、止むなく味方と刃を交えるというシチュエーション!)汝らはこの女を犠牲に(死ぬまでに味わいたいプレイがこんなところで叶うなんて!)やかましい!!」

 

バニルと体を乗っ取られているはずのダクネスが交互に喋る。自分の台詞を一々遮るダクネスに、業を煮やしたバニルが叫んだ。

 

「クソッ、どういうことだ。なぜ支配が(カズマ、チヒロ。私に構うな!)普通ならば一瞬で(私の犠牲でこの悪魔を討てるならば本望だ! やれ!)一体どうなって(くぅぅぅ……この台詞を一度言ってみたかった!)やかましいと言っておろうが!!」

 

端から見ればダクネスが自分自身と言い争いをしているという、何とも言えない光景にカズマと千翼は戸惑っていた。どうしたらいいか分からず、どうすることも出来ずに二人は只々立ち尽くす。

やがて、カズマは当初の目的を思い出し、足下の掃除道具を拾い上げる。

 

「千翼、あれは大丈夫そうだし、ほっといて魔法陣を消そうぜ」

 

「あー……うん」

 

一先ずバニルの動きを封じることには成功したので、二人は魔法陣の消去に取りかかることにした。

奥の部屋に入ると、件の魔法陣が煌々と光を放ち部屋を照らしている。カズマと千翼は手分けして掃除を行い、跡形もなく綺麗に消したことを確認してから部屋を出た。

 

「ええい、往生際がわる(クッ、たとえ体を好きに出来ても、心まで好きに出来ると思うな!)もうこの際だからハッキリと言うぞ。貴様この状況を楽しんで(ば、バカなことを言うな! 大ピンチで焦っているぞ!)だったらさっきから溢れんばかりに湧き出るこの喜びの感情はなんだ!! 隠せると思うたか!!」

 

部屋から二人が出ると、心なしか先ほどよりも色々な意味で状況は悪化していた。

 

「うわぁ……」

 

まさに混沌としか言い様のない状況に、カズマは思わず心の声が漏れた。千翼も同感だったらしく、二人揃って顔を歪める。

と、何かを思い出したのか。カズマはズボンのポケットに手を突っ込みながら、未だに言い争いを続けるダクネス(バニル)に近付く。彼女の傍までやってくると、ポケットから手を出して何かを仮面に貼り付けた。

 

「ほい」

 

「ん? 貴様何を貼り付け……なんだこれは、触れない」

 

カズマが手をどかすと、悪魔の仮面にはお札が――セナから受け取った、封印の魔法が込められたお札が貼られていた。

ダクネス(バニル)がそれを剥がそうとするが、触れる度に小さな火花が散って指先を弾く。

 

「それは封印のお札だ。もしかしたらと思ったけど大当たりみたいだな」

 

「何!? クッ! この体から抜け出せない! よくもやって(カズマ、でかしたぞ! これでバニルは逃げられない!)」

 

ダクネスの体にバニルを閉じ込めることに成功し、カズマは小さく笑みを浮かべる。自分を嵌めた少年に、ダクネス(バニル)は歯ぎしりしながら睨み付けた。

 

「おおっと、我輩としたことが大切なことを言い忘れていた。支配に抵抗すればするほど、この女の体に激痛がはし(くううぅぅ、先程から絶え間なく感じているこの痛み。堪らん!) 貴様には恥じらいという物がないのか!! それから喜ぶな!!」

 

もはや呆れ果てたカズマは盛大に溜息を吐いた。そして千翼は、焦るどころか寧ろ喜んでいるダクネスに引き攣った笑みを浮かべている。

 

「とりあえず、地上に戻るぞ。アクアならきっと何とかしてくれるはずだ」

 

「(いや、私はこのままで一向に構わんのだが)」

 

『……』

 

ダクネスは隠すことなくハッキリと本心を口にする。

聞かなかったことにしよう。ダクネスを除いた三人は、全く同じことを考えた。

 

 

 

 

 

それからカズマ達は、ダクネスに封じ込めたバニルを今度こそ倒すため、地上を目指して来た道を引き返していた。

あれでも一応は女神であるアクアなら、きっと何とかしてくれるだろう。期待と不安を半分ずつ胸に抱きながら、カズマは走り続ける。

途中で人形達に襲われていた冒険者の集団とすれ違った。どうやら人形は全ていなくなったらしく、応急処置を施したり、歩けない者に肩を貸すなどして助け合っていた。

 

「あれ、さっきの聖騎士(クルセイダー)の姉ちゃんじゃねぇか」

 

「なんであんな変な仮面着けてんだ?」

 

カズマ達は走る速度を上げた。ダンジョンの奥で何があったのか、正直言って説明するのが余りにも面倒くさかったからだ。

誰かに話しかけられるが、聞こえないふりをして通り過ぎる。この問題を解決すべく、一刻も早く地上に戻りたかった。

やがて、通路の先に月明かりで照らされた外の景色が見えてくる。あとはアクアに任せれば今回の件は全て解決だ。そう思った時であった。

ダクネス(バニル)の口元が笑みを作ると、出入り口に向かっていきなり全速力で走り出す。

 

「フハハハハ! バカめ、我輩が人間如きに手こずると思ったか!(あ、ああ……私の意識が……これが堕とされる快感……)少しは自重しろ!!」

 

「しまった! あいつ手加減してたのか!」

 

カズマと千翼が急いでその後を追うが、差はドンドンと開くばかり。

 

「さぁて、何も知らないあの駄女神め。仲間からいきなり攻撃されたらどんな顔をするのか、実に楽しみだ!!(こ、このままでは……)」

 

ついにダクネス(バニル)は地上に躍り出た。月明かりに悪魔の仮面が照らされる。

 

「さぁ、覚悟しろ駄女神! 我輩の恐ろしさをたっぷり(アクア……逃げてくれ……)」

 

「セイクリッド・エクソシズム!」

 

「ぎゃあああああ!!(ぎゃあああああ!!)」

 

地上に飛び出したダクネス(バニル)が闇夜を照らす白い炎に包まれた。月と星が浮かぶ夜空に二つの悲鳴が響き渡る。

 

「ダンジョンからいや~な臭いがしたから魔法を撃ったけど、大当たりね。ほんと、悪魔の臭いって鼻が曲がりそうだわ」

 

魔法を放った当の本人、アクアは鼻をつまみながら、臭いを散らすように手を扇ぐ。

遅れてダンジョンから出てきたカズマと千翼は、地面に倒れる仲間の姿を見て目を見開いた。

 

「何やってんだ! ダクネスが巻き添えになってるだろうが!!」

 

「大丈夫よ。浄化魔法は人間に一切効果がないから」

 

「(あ、本当だ。なんともない)」

 

アクアの言うとおり、人間であるダクネスの体は特に異常はなかった。しかし、悪魔であるバニルは今の一撃で相当なダメージを受けたらしく、仮面のあちこちがヒビ割れ、薄く煙が立ち昇っていた。

ダンジョンから出てくるなり問答無用で魔法を放った女神に、ダクネス(バニル)は拳を震わせながら怒りを露わにする。

 

「おのれ駄女神。出会い頭にいきなり魔法をぶち込んでくるとは随分な挨拶だな!!(と、ところでアクア。さっきの臭いというのはもちろんバニルのことであって、私のことではないよな!?)許さん、絶対にゆるさ(私とて騎士である前に一人の女だ。身嗜みには人一倍気を遣って)少しは黙らぬかあああぁぁぁ!!!」

 

とうとう悪魔の堪忍袋の緒が切れ、ダクネス(バニル)は天高く咆えた。肺の中の空気が一つ残らず全て吐き出され、雄叫びが木霊する。

女騎士は肩を上下させながら貪るように息を吸い、ある程度息が整ったところでアクアを睨む。

 

「さて、悪名高きアクシズ教の女神よ。自己紹介がまだだったな。我が名はバニル! 魔王軍幹部が一将にして、全てを見通す眼を持つ大悪魔なり!!」

 

「ま、魔王軍幹部ですって!?」

 

「か、カズマ! なんでダクネスが!?」

 

「二人とも下がってろ! あいつはマジでやばい!」

 

セナとめぐみんを庇うように、カズマと千翼は彼女達の前に並び、バニルと向き合って身構えた。

 

「カズマ、これは一体どういうことですか!? なんでダクネスが幹部などと……」

 

「人形を作っていたのはあの仮面の悪魔で、そいつがダクネスの体を乗っ取って操っているんだ!」

 

「カズマが封印の札を貼ったから、あいつはダクネスから離れることができない。でも、仮面が本体だからそれを何とかしないと倒せないんだ!」

 

「だ、ダスティネス家のご令嬢の中に!? サトウさん! 貴方は自分が何をしでかしたか理解しているんですか!?」

 

でも、本人は結構喜んでるぞ。危うく口から漏れそうになった言葉を、二人は何とか飲み込んだ。

 

「雑談は終わったか? そこの男が言ったとおり、この女は我輩が支配している。下手なことをしようものなら大変なことになるぞ! ま、汝らはともかく。下品で野蛮で、オマケに頭も足りないアクシズ教の女神にどうにか出来るとは思わんがな。(あ、アクア。今のはバニルの言葉だぞ!)」

 

下品で野蛮、オマケに頭も足りない。という言葉に反応し、アクアの片眉が跳ね上がった。両手を突き出すと息を吸い込み、大声で魔法を唱えた。

 

「セイクリッド・クリエイトウォーター!!」

 

アクアの手から大量の水が勢いよく放たれ、一直線にダクネス(バニル)へと向かう。

 

「がぼぼぼぼぼ!!(がぼぼぼぼぼ!!)」

 

高圧の水が直撃し、ダクネス(バニル)の姿を隠した。水しぶきが空高く舞い上がり、月明かりに照らされた水滴が夜空に虹を架ける。

 

「バカ! ダクネスが溺れ死ぬだろ!!」

 

「おっと、いけないけない」

 

カズマの慌てた声を聞いて、アクアは素直に放水を止めた。濁流の中からずぶ濡れになった聖騎士が姿を現す。

 

「え、ええいこの駄女神が……調子に乗りおって……!」

 

ダクネス(バニル)は歯を食いしばり、自分を水責めにしたアクアを睨む。その時であった。

勢いよく水をかけられ、濡れて粘着力が落ちたのか。仮面に貼り付けられていたお札が剥がれ落ちた。湿った音を立てて札が地面に落ちる。

 

『あ』

 

その一部始終を見ていた者は、全員が口を開いて同じ音を発した。

ダクネス(バニル)はしばし自分の足下に落ちたお札を眺め、仮面をペタペタと触るとニヤリと笑った。

 

「フハハハハ!! さすがは駄女神! こともあろうに厄介な札を剥がしてくれるとはな、感謝するぞ!!」

 

嬉しくて堪らないといった様子で、バニルは感謝を述べた。

 

「そうとくればこんな体とは(こ、こんな体とはなんだ!)オサラバするのみ! そして次の我輩の傀儡となるのは……」

 

バニルはめぐみんを見た。いきなり視線を向けられてめぐみんが震える。

 

「爆裂狂いの紅魔族の娘……その魔法は魅力的だが、一発屋というのはどうにも頂けない」

 

一発屋、と言われてめぐみんの眉間に皺が寄る。爆裂魔法の詠唱を始めようとしたが、仲間達から慌てて止められた。

バニルは次にアクアを見る。

 

「アクシズ教の女神……うむ、論外中の論外。あんな奴の体を乗っ取るくらいなら、それこそ退屈な一生を送り続ける方がマシなのである」

 

アクアが無言で再び両手を構えた。何かを唱えようとしたが、カズマが彼女の頭を殴って無理矢理止めさせる。

その次にバニルはカズマを見た。

 

「うーむ……平均を遥かに下回る身体能力……唯一の取り柄は運の良さだけ……使えんな」

 

「運しか取り柄が無くて悪かったな!」

 

カズマの叫びを無視して、仮面の悪魔は次に千翼を見る。

 

「……まぁ、別にいいか」

 

ものすごく何か言いたそうにしている千翼のことなどお構いなしに、バニルはこの場にいる最後の人物――セナに視線を移すと、無言で彼女を見詰める。

悪魔に見詰められたセナは、小さな悲鳴を上げると自分の体を抱きしめた。

 

「検察官……そこの男は係争中……なるほど、これは面白そうだ。決めた、次の操り人形は……そこの眼鏡の女、貴様だ!!」

 

「え、わ、私!?」

 

バニルから指名されたセナは、自分を指差し面食らう。こうしている間にもダクネス(バニル)は仮面に手をかけた。

 

「さぁ、大人しく我輩の操り人形になるがよい!!」

 

そして、仮面を勢いよく投げ付ける。

投げられた仮面は真っ直ぐセナに向かい――突き出されたカズマの手の平にぶつかった。

パァンと乾いた音が鳴り、一拍の間を置いて仮面が地面に落ちる。

 

「これは……う、動けん! というか体が作れん! どうなっている!?」

 

「まさに手も足も出ない、ってか?」

 

カズマはしゃがみ込んで、地面の上で喚き散らす仮面(バニル)に向かって得意げに言った。

 

「ハッ……まさか!」

 

「万が一に備えて予備は持っておく。備えあれば憂いなしってね」

 

言いながらカズマは仮面(バニル)の額部分――予備の札が貼られた箇所を指先でつついた。

 

「……フッ。まさか、このような形で最期を迎えるとはな……」

 

「お、とうとう観念したか。意外に素直じゃないか。それじゃあ遠慮なく止め刺させてもらおうかね」

 

言いながらカズマは腰の剣を引き抜き、両手でそれをしっかりと握る。

 

「……汝よ、せめて最後に我輩の壮大な夢を聞いてはくれぬか?」

 

「……まぁ、遺言くらいは聞いてやるよ」

 

感謝するぞ。と言い、バニルは自身が追い求める『壮大な夢』をゆっくりと、そして穏やかな口調で語り始める。

 

「我輩の夢……それは至高の悪感情を味わって滅びること……。もはや自分でも覚えておらぬほどに、我輩はそれはそれは永い時を生きてきた。そして……生きることに飽き飽きしたのだ」

 

自分の生涯を振り返っているのか、感慨深げな声で懐かしむようにバニルは語り続ける。

 

「至高の悪感情を得るために我輩は考えた。まず自分専用のダンジョンを作って、道中に手強い魔物、凶悪な罠を配置し、最深部にはとてつもないお宝が眠っているという噂を流す。当然ながら、それを聞きつけた冒険者が次々とダンジョンにやってくるだろう」

 

月明かりの下、心臓の鼓動が聞こえそうな程の静寂の中で語られる悪魔の『夢』に、誰もが聞き入っていた。

 

「傷付き、それでも前に進み続ける冒険者達。やがて最深部で待ち構える我輩と相見え、死闘を繰り広げる。その果てに我輩は打ち倒され、最後にこう言うのだ。『見事だ、悪魔を倒した勇者よ。さぁ、その奥に眠る宝を受け取れ。我輩を倒した証を……』とな。そして、奥にある宝箱を開けると――」

 

「開けると……?」

 

ごくりと唾を飲み込んで、カズマは尋ねる。一刻も早くその先が聞きたかった。

 

「そこには『スカ』と書かれた紙切れが一枚だけ入っているのだ。そして自分たちの苦労が無駄に終わった冒険者達の至高の悪感情、それを味わいながら我輩は滅びたい……」

 

自身の『夢』を語り終え満足したのか、仮面から長い溜息のような音が聞こえる。

 

「これが、我輩が追い求める夢だ」

 

「うん、やっぱりお前は倒した方が世の中の為だわ」

 

余りにも悪辣すぎるバニルの夢を聞いていたカズマは、これ以上無いほど嫌悪の感情を剥き出しにしていた。

 

「さぁ、悪魔を出し抜いた人の子よ。止めを刺せ。そして、我輩の命を以て汝の無実を証明するが良い」

 

カズマは剣を両手で改めて握り、頭上で振りかぶった。

 

「じゃあな、バニル」

 

息を大きく吸い込む。

 

「お前とは、二度と会いたくないな」

 

剣が勢いよく振り下ろされた。

 

 

◆◆◆

 

 

バニルとの戦いから一週間後。アクセルの冒険者ギルドには、大勢の人が集まっていた。

 

「サトウカズマ殿、この度は貴方にあらぬ嫌疑を掛けたことを深くお詫び申し上げます。そして、貴方の活躍により魔王軍幹部であるバニルは討伐されました。その活躍をここに讃えます」

 

頭を深々と下げたセナは、目の前に立つカズマに謝罪の言葉を述べる。検察官である彼女の目の前でバニルを倒したことにより、カズマに掛けられていた魔王軍関係者の疑いが晴れたのだ。

気にしてませんよ。と言いながらカズマは小さく手を振る。何故かその顔は期待に満ちており、視線はセナの隣に向けられている。

 

「デストロイヤー撃破とバニル討伐の報奨金。そこから町の修繕費とアルダープ殿の屋敷の弁償代を差し引いた分、四千万エリスが渡されます」

 

セナの隣に控えていた騎士が、抱えていた大きな袋をカズマに渡す。ずっしりとした重さにカズマは思わずよろけた。

 

「改めて、サトウカズマさん。魔王軍幹部の討伐、おめでとうございます!」

 

感謝の言葉を述べ、セナは拍手をカズマに送った。それに続いて周りのギルド職員や冒険者達も盛大な拍手を送る。

 

「やったわねカズマ!」

 

「幹部を二人も討伐だなんて、凄すぎます!」

 

「カズマ、見事だぞ!」

 

「おめでとう、カズマ!」

 

仲間達からの祝福、周りの冒険者達からの拍手と指笛、野次が雨霰と少年に降り注ぐ。当の本人は照れ臭そうな顔をしながら頭を掻いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「別に付いてこなくてもよかったのに……」

 

「一人だと話しづらいし、気まずいだろ? それにちょうど粉末も切らしてたからさ」

 

受け取った賞金を一先ず仲間に預け、ギルドを後にしたカズマとある場所へ向かっていた。本人は一人で行くつもりだったが、千翼が「自分も付いていく」と言ったため、二人揃って行くことになった。

やがて二人の目の前には道具店――やる気だけは人一倍あるリッチーの店主が営む、魔法道具店が今日も店を開いていた。

 

「……」

 

「カズマ、いざとなったら俺がフォローするよ」

 

これから店主であるウィズに、カズマは昨晩起きたこと、彼女の古い友人であるバニルを手に掛けたことを伝えなければならない。

状況が状況だったとはいえ、あの悪魔を殺したという事実は変わらない。そして、例え敵であったとしてもウィズにとっては友人。彼の身に起きたことを伝えるのが手を掛けた者の務めだろう。

息を吸い込み、意を決してカズマは店の扉を開けた。

 

「よぉ、ウィズ。今日はちょっと話が……」

 

そして店内には、いつもの柔らかな雰囲気を纏った店主の姿――の代わりに、ピンク色のエプロンを着け、仮面を被った大柄なタキシード姿の男が。

 

『え?』

 

二人揃って口から間抜けな声が漏れる。店の掃除をしていたのか、羽箒を持った男はニヤッと笑う。

 

「へいらっしゃい! ここに来るまでポンコツ店主にどうやって話を切り出そうか迷っていた男よ。残念でした、我輩は夢を叶えるまで決して滅びぬ!」

 

腰に手を当て、男は仰け反りながら高笑いした。

 

「あ、カズマさん、チヒロさん。いらっしゃいませ! こちら私の友人のバニルさんです。話は聞きましたけど、もうお知り合いなんですね!」

 

「という訳で、魔王軍幹部改め、店員のバニルである! 今後ともよろしく」

 

ウィズはいつも通りの明るい様子で新人店員(バニル)を紹介した。当の二人は、死んだはずの悪魔が目の前にいきなり現れた。という事実に頭の処理が追いつかず硬直している。

 

「あ、そうそう。バニルさんはもう魔王軍幹部じゃありませんから、心配はいりませんよ。それに、前々から幹部の仕事を面倒くさいからって辞めたがっていましたし」

 

「汝よ、貴様のおかげで堂々と魔王軍幹部を辞めることが出来た。そのことについては大いに感謝しているぞ」

 

「いや……ちょっと待て。確かにお前は倒したはずじゃ……。冒険者カードの討伐記録にもハッキリと……」

 

カズマの言葉を肯定するように、千翼が何度も首を縦に振る。

ああ、そのことか。と当のバニルは大したことではないといった様子で、仮面の額の部分を指差した。そこにはローマ数字でⅡと書かれている。

 

「前の我輩は間違いなく死んだ。そして、二人目……いや二代目か? まぁ、どっちでもよいか。ともかく、我輩は蘇ったのである!」

 

何とも大雑把かつ適当すぎる説明に、カズマは耐えきれず崩れ落ちた。

 

「ちくしょう……俺の決意と覚悟を返しやがれ……。やっぱりお前嫌いだ……」

 

「うーむ、なんとも美味な悪感情。汝と知り合えて本当に良かったぞ。これからも我輩の飢えと渇きを癒やしてほしい」

 

呻き声を漏らすカズマを容赦なくバニルは嘲笑う。その様子を千翼とウィズは曖昧な笑みを浮かべながら見ていた。

 

「ところで、話は変わるが汝ら二人に相談がある。我輩は汝らの持つ知識に非常に興味がある。お互いが手を組めば大きな利益を上げられること間違いなし! どうだ、我輩と契約せぬか?」

 

悪魔は口元で笑みを作り、カズマと千翼にそう囁いた。

 




というわけで、バニル登場回でした。
次回は水の都アルカンレティアへ、物語も後半へ突入します。


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Episode11 「K」EEP A RELATIONSHIP?

活動報告にも書きましたが、腰をやってしまい、しばらくまともに動けませんでした。


季節は真冬を過ぎ、春が近付いてくる。最後に雪が降ったのも随分と前のことであり、今は降り積もった雪を暖かい日射しがゆっくりと溶かしていた。

アクセル郊外の屋敷、その広間では暖炉にくべられた薪が、パチパチと小気味の良い音を立てながら熱気を放っている。

屋敷の住人であるカズマと千翼はテーブルを挟んで向かい合っていた。二人の間には何かのメモや、設計図らしき絵が描かれた紙が乱雑に置かれている。

頭上に電球の幻影が現れると、鉛筆を咥えていたカズマはパチンと指を鳴らす。

 

「そうだ! 自転車なんてどうだ? ここの主な移動手段は徒歩か乗り合いの馬車だし、練習すりゃ誰でも乗れて、場所も取らない。これはきっと売れるに違いない!!」

 

対面に座る千翼はしばし考え、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

「いや、それは無理だと思う」

 

「え、どうして?」

 

「まず自転車に絶対必要なチェーンとブレーキ。これを作れるだけの技術力がないと話にならない。カズマだって、ブレーキのない自転車になんか乗りたくないだろ?」

 

「あ……」

 

千翼から問題点を指摘され、カズマは思いだしたように声を出した。

 

「それに、夜に備えてライトも必要だ。これは魔石を電池代わりにするか、タイヤで回すモーター式にすれば解決できる。だけど、その場合は魔石電池を作り、それでライトを灯す技術。モーター式は、それこそモーターを作らないと」

 

「確かにそうだ……」

 

次いで指摘された問題に、カズマは腕を組んで唸り声を漏らす。

 

「それだけじゃなくて、安全も考えて反射板も取り付けないと。転倒した時のことを考えて、運転の邪魔にならない軽くて丈夫なヘルメットやプロテクターも絶対にあった方が良い」

 

「……」

 

腕を組んだままカズマの頭が俯き始める。

 

「あと、タイヤもだ。人が乗って、尚且つ石やガラス片とかを踏んでも簡単にパンクしない丈夫なゴムチューブ。それに合わせて空気ポンプと修理キットも作らないと」

 

カズマの頭が九十度傾き、つむじが千翼に向けられる。

 

「自転車が故障したり壊れたりしたら、それを直すための工具も必要だし。自力で修理できない人のために、直せるだけの技術と知識を持った人間も要るな。修理工は俺たちでどうにか出来る問題じゃないけど」

 

俯いたまま耳を塞ぐように、カズマは両手で頭を抱える。

 

「一番の問題はこれら全ての部品、道具を量産できる体制と、同じ寸法で作れるだけの精度。多くの人に売れたら、それだけ沢山の部品と道具が必要になってくるし、やることもかなり増えるな」

 

もはや「自転車を売ろう」などと軽々しく言い出したことが恥ずかしくなったのか、カズマは頭を抱えて小刻みに震えていた。

その時、広間の扉が開かれ二人の少女が入ってくる。カズマと千翼へ近付くと、呆れたような顔をしながら口を開いた。

 

「カズマ、それにチヒロも。二人ともそんな物に籠もって遊ぶ暇があったらクエストに行きますよ」

 

「暖かくなってきてモンスターも冬眠から目覚める時期だ。早くしないと美味しい依頼を取られてしまうぞ」

 

めぐみんが言った『そんな物』――カズマがスキルで作った、日本の伝統的な暖房器具『炬燵』に籠もる二人を見て、めぐみんとダクネスは揃って溜息を吐いた。

 

「あのな、これは遊んでるんじゃ無くて立派な仕事なの。それも俺と千翼にしか出来ない仕事なんだ。例えばガソリンだの電池だの聞いて、お前達はそれが何で、どんなことに使うのか理解できるのか?」

 

「がそりん……?」

 

「でんち……?」

 

カズマの口から出てきた聞き慣れない謎の言葉に、二人の少女は揃って首を傾げる。ほれ見ろ、と今度はカズマが溜息を吐いた。

 

「ごきげんよう! ご近所の人気者バニルさんの登場である!」

 

広間の扉を勢いよく開けて、仮面の悪魔が爽やかな声と共に現れた。

 

「おお、バニルか。丁度良いところに……って、その体どうしたんだ?」

 

見ればバニルの体はあちこちがヒビ割れていた。歩いたり喋ったりする度にヒビから砂粒が零れ落ち、今にも崩れそうだった。

 

「ああ、これか。これはだな……」

 

「ちょっと……なんでそいつがここに居るのよ……」

 

カズマ達の前までやってきたバニルは自分の体について話そうとするが、それは地獄の底から響き渡ってくるような、ドスの効いた低い声に遮られる。

五人が声のした広間の出入り口を見ると、寝間着姿のアクアが、信じられないものを見るかのような目でバニルを睨んでいた。

 

「この屋敷には、私がそれはもう念入りに結界を張ったから、邪悪な存在は一切立ち入れないはずなのに……なんで……」

 

「結界……おお、あのチリ紙よりは丈夫そうなよく分からない物。あれは汝の作った結界であったか!」

 

ポン、とバニルが拳を手の平に打ち付け、思い出したような声を出す。アクアの眉間に皺が刻まれる。

 

「いやはや、我輩がちょっと触っただけで粉々に砕け散ってしまった。なにせ我輩は超~強い悪魔のバニルさんであるからな」

 

「……やだもー! バニルさんったら、やせ我慢しなくていいんですよー? そう言ってる割に、体が今にも崩れ落ちそうじゃないですかー。ほら、こことかこことか」

 

実にわざとらしく喋りながら広間に入り、アクアはバニルの体のあちこちを(つつ)き回す。触れた場所がボロボロと崩れ、土の破片となって床に落ちた。

 

「ハッハッハッ、心配ご無用。この体はいくらでも替えの効くいわばダミー。本体である仮面が無事な限り、我輩は不死身である」

 

「あらー、そうなんですかー。オーホホホホホ!」

 

「ハッハッハッハッハッ!」

 

悪魔と女神は向かい合いながら高らかに笑う。その様子に不穏な空気を感じ取ったカズマ達は、二人から距離を取った。両者の高笑いは時間と共に大きくなり、ついには叫び声と変わらぬほどになった。

やがて、笑い声が唐突に止む。水を打ったように静まり返る広間に、暖炉の薪が爆ぜる音だけが静かに響く。燃えて炭になった薪が崩れる音が聞こえた。

 

「こんの腐れ悪魔!! 塵一つ残さず浄化してやる!!」

 

「やるか、邪神より邪悪な駄女神!!」

 

アクアとバニルは飛び退いて距離を取り、相手から視線を外さないようにしながら身構えた。

 

「セイクリッド・ハイネスエクソ――」

 

「やめんか!」

 

渾身の浄化魔法を放とうとしたアクアの脳天に、カズマのチョップが炸裂した。詠唱が強制中断され、アクアは痛む頭を押さえる。

 

「いったーい!! あんた何すんのよ、今からあのクソ悪魔を浄化するのに!!」

 

「喧嘩するなら外でやれ。つか、バニルは俺たちと商売の契約を結んだ、いわばビジネスパートナーだ。その大切な取引相手に浄化魔法ぶちかまそうとすんな」

 

「契約を結んだ!? よりにもよって悪魔と!? あんた悪魔と契約を結ぶのがどういうことか理解してるの!?」

 

カズマと契約した件の悪魔を指差しながらアクアが叫ぶ。それを見たバニルは呆れたようにやれやれと肩を竦めた。

 

「誤解の無いように言っておくが、我々悪魔は相手を騙すような契約は絶対に結ばない。悪魔にとって契約はそれほどまでに重要なのだ」

 

「ちゃんと内容も確認したし、ウィズにも立ち会ってもらった上で契約を結んだから心配ねぇよ」

 

「じー……」

 

結んだ契約は安全なものであることをカズマは説明するが、アクアは全く信じられないのか、据わった目でバニルを睨んでいた。

 

「全く、これだからアクシズ教の女神は。我輩はそこの男達が作ったサンプルを見に来ただけであって、争いに来たわけではないぞ」

 

「そういうこと。ほら、邪魔になるからどいたどいた」

 

邪魔者のように扱われたことが余程腹に据えかねたか、アクアは頬を膨らませると足取り荒く暖炉前のソファに向かい、そのまま不貞寝した。

カズマは作ったサンプルを準備していると、バニルは興味深そうに炬燵をじっと見詰める。

 

「この背の低いテーブルに、やたらと分厚いクロスはなんだ?」

 

「それは炬燵って言って、俺と千翼の国の伝統的な暖房器具だよ。とりあえず入ってみろよ」

 

「では、失礼して……」

 

バニルが炬燵の布団を捲り、両足を中に入れる。始めは背筋を伸ばした姿勢だったが、次第に背中が丸まってきた。

 

「おお……こうしているだけで、どんどんやる気が削がれてゆく……。悪魔である我輩を堕落させるとは、なんと恐ろしい……」

 

流石の悪魔も炬燵の魔力には敵わなかったか、背中を丸めてリラックスした姿勢でバニルは呟く。

 

「本当はそれも提出しようと思ったけど、もう時期が過ぎてるからな。次の冬までにはもっと改良した物を作っておくよ」

 

「ううむ、これよりも更に快適な物を作るとは……。恐ろしくもあり、楽しみでもあるな」

 

悪魔が炬燵を堪能している間に、サンプルがその上に広げられる。背筋を正したバニルは、それらを一つ一つ手に取ってチェックを始めた。

 

「これはなんだ? 蓋の着いた金属の板のようだが……」

 

「それはライターっていうんだ。ここを指で押さえながら、勢いよく擦ると……」

 

ライターのホイールを親指で押さえ、それを素早く下に向かって降ろす。小さな火花が生まれ、ライターから顔を出した芯に着火し、小さな火が灯った。

 

「とまぁ、こんな感じだ」

 

「おお、ティンダーやマッチを使わずとも火種を生み出せる道具か。確かにこれは便利だな」

 

カズマお手製のライターを見たバニルは、感心したように声を漏らす。この世界の住民であるめぐみんとダクネスは、魔法も使わず火種を生み出した道具に、興味津々といった様子で目を見開いていた。

 

「これは? 見たところ何かのボードゲームのようだが……」

 

「それはオセロだ。俺の居た世界では誰もが知っているメジャーなボードゲームさ。ルールも簡単で、二人で白黒の駒のどちらかを選ぶ。そして相手の駒を自分の色の駒で挟むと、それをひっくり返して自分の物にできるんだ」

 

「なるほど、そして最終的に自分の色が多い方が勝ちというわけか。うむ、実に単純明快でわかりやすいルールだ。これなら子どもでも簡単に遊べるな」

 

その後もいくつかのサンプルを確認したバニルは、出来栄えに満足したのか何度も頷いていた。

 

「どれもこれも直ぐに商品として売り出せそうな物ばかりだ。ところで、作った商品の知的財産権を我輩に売るつもりはないか? 今見たかぎりだと……これらに三億エリスは出せるぞ」

 

『さ、三億エリス!?』

 

バニルが提示した金額にカズマ達はもちろんのこと、ソファで不貞寝していたアクアも起き上がって驚いた。

 

「そうでなくとも、毎月売り上げの一割を支払う利益還元でも構わん。それだと……月々百万エリスは固いな」

 

『つ、月々百万エリス!?』

 

次に提示された一ヶ月ごとの収益を聞いて、再び驚きの声が上がる。いつのまにかアクアが炬燵に足を突っ込んで、バニルに顔を近付けていた。

 

「まぁ、返事は急いでいないし、汝の人生を左右する重大な決断。ゆっくりと温泉にでも浸かりながら、よく考えて返事をするがよい」

 

それではこれで。バニルは商品サンプルを風呂敷に纏めてから別れの挨拶をすると、名残惜しそうに炬燵から立ち上がり広間から出て行った。その背中をアクアがあっかんべーをしながら見送る。

 

「三億か月々百万エリス……額が大きすぎて想像もできませんね」

 

「なんというか……俺とカズマがしていた仕事って、こんなにも大きな物だったんだな」

 

「三億……一ヶ月ごとに百万……高級シュワシュワ毎日飲み放題……」

 

バニルから提示された金額を聞いて、余りの額の大きさにめぐみんと千翼は困惑し、アクアは一人恍惚の表情で夢のような生活に思いを馳せていた。

 

「カズマ、これは非常に重大な決断だぞ。その時の気分で返事をしていい案件では無い」

 

「分かってるよ。それこそ温泉にでも浸かって、頭をスッキリさせた状態でじっくりと考えるさ」

 

三人と違って比較的冷静なダクネスは、カズマに釘を刺すように忠告する。始めは驚きの余り心ここにあらずといったカズマも、彼女の声を聞いて落ち着きを取り戻した。

 

「温泉……そういえば、こっちに来てから旅行なんてしたことないな……」

 

どこか遠い目をしながらカズマが呟く。

 

「お金が無くて生活費を稼ぐので精一杯。やっと生活が安定してきたと思ったら、とんでもない額の借金を背負うハメになって。更にその後は屋敷の弁償代と裁判騒ぎ。とてもじゃないけど遊んでいる暇なんて無かったわね」

 

「その借金の原因はお前だと記憶しているんだがな」

 

まるで他人事のように思い返すアクアに、カズマは睨みながら嫌味をたっぷりと込めて言い放った。

温泉、という言葉を聞いて、めぐみんは何かをブツブツと呟いている。すると、勢いよく立ち上がった。

 

「だったら、アルカンレティアに行きましょう!」

 

「「アルカンレティア?」」

 

「アルカンレティア!?」

 

「アルカンレティアか」

 

疑問の声が二つ、歓喜と感心の声が一つずつ上がる。

 

「温泉で有名な大きな都で、観光名所ですよ。誰もが一度は行きたいと言われるほどの場所です」

 

「温泉かぁ、今の季節には最高じゃないか! 金はたんまりあることだし、丁度良いから皆で行こう!」

 

「賛成!!」

 

「ですよね!」

 

「みんなで旅行か、楽しそうだな」

 

「うん、行ってらっしゃい」

 

一つだけ明らかにおかしな返事が聞こえた。皆が固まり、発言者であろう人物――千翼に視線が集中する。

 

「おいおい何言ってんだよ。みんなで行くんだから千翼も当然一緒だぞ」

 

「俺は遠慮するよ」

 

首を横に振って、千翼は自分の意思を表す。

 

「どうしましたか? もしかして、旅行が嫌いなんですか?」

 

「えと、その……」

 

千翼が答えに窮していると、アクアが納得したような声を出した。

 

「ああ、肌が弱くて温泉の成分が染みるのね。大丈夫! アルカンレティアにはそういう人のために、お風呂付きの宿もあるから心配要らないわ!」

 

「お前やけに詳しいな?」

 

「当然よ! なんたって私はアクシズ教の水の女神なんだから!」

 

カズマの疑問に、アクアは胸を張って答える。アルカンレティアとアクシズ教、この二つに何の関係があるのか理解は出来なかったが、一応は水を司る女神だから温泉に関することも詳しいのだろう。そうカズマは結論付けた。

 

「だってさ千翼。これなら一緒に旅行に行けるだろ?」

 

「私たちだけで楽しむのも忍びないですし、一緒に行きましょうよ」

 

「ああ、旅行は皆で行くからこそ楽しいんだ」

 

三人から説得され、千翼は気まずい顔になる。目を閉じ、俯いてしばらく考えると、やがて顔を上げた。

 

「……わかった、俺も一緒に行くよ」

 

「そうこなくっちゃな!」

 

カズマが満面の笑みでサムズアップする。

 

「アルカンレティアへ向かう商隊の乗り合い馬車は、毎日早朝に出ています。というわけで――」

 

「今日は旅支度をして、明日は早起きするわよ!」

 

おー! と四人が拳を突き上げた。

その様子を、千翼は複雑な表情で黙って見詰める。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝。

普段なら絶対に起きていないであろう時間に、カズマは朝靄が漂うアクセルの町を歩いていた。

アクアと共にかなり早い時間に起床した二人は、何時まで経っても起きない三人に業を煮やし。カズマは乗り合い馬車のチケットの確保、アクアは千翼達を叩き起こすこととなる。

町に着いてからふとバニルの事を思い出したカズマは、チケットを買いに行く前に魔法道具店に立ち寄ることにした。

 

「おーっす」

 

「おや、こんな早朝に訪ねてくるとは珍しいな」

 

店の扉を開けると、山積みの木箱の前でバニルが何かを箱詰めしていた。

 

「昨日言ってた知的財産権の話だけどさ、今からアルカンレティアに旅行に行くから、返事は帰ってきてからでも大丈夫か?」

 

「なんだ、そんなことか。構わんぞ。むしろ今すぐ返事をされても、金も設備も人手もない現状ではどうすることもできず困るからな」

 

「そりゃ良かった。ところで……」

 

ちら、とカズマは視線を横にずらす。

 

「なんでウィズが黒焦げになってんだ?」

 

そこには、店主であるウィズが全身煤まみれの姿で床に倒れていた。

 

「我輩がほんのちょっと目を離した隙に、またガラクタを大量に仕入れてな。さすがの我輩も頭にきたから、バニル式殺人光線をお見舞いしてやったのだ」

 

「ああ、なるほど……で、今度は何を仕入れたんだ?」

 

「飲めば気力、体力、魔力が溢れんばかりに湧き上がってくるドリンクだ」

 

バニルが先程から箱詰めしている物、手の平ほどの大きさの瓶をカズマに見せながらそう言った。

 

「エナジードリンクみたいなもんか。普通に売れそうじゃん」

 

「ただし、飲んでから二日後には起き上がることすら出来なくなる程の疲労感、倦怠感、筋肉痛が数日は続くというオマケ付きだ」

 

「うん、絶対売れないわ」

 

ドリンクの副作用を聞いたカズマは、即座に評価をひっくり返した。

 

「む……」

 

「どうした?」

 

カズマの声に答えず、バニルは無言で手に持つ瓶を見せてくる。その瓶は貼られたラベルが大きく破れていた。

 

「はぁ、これは買い取るしかないか……。くれてやる、どっちみち商品にならんからな」

 

バニルは持っていたドリンクをカズマに向けていきなり放り投げた。緩やかな弧を描いて瓶が宙を舞い、慌てて掴み取ろうとしたカズマの手の上で数度跳ね、ようやく両手に収まる。

 

「……まぁ、タダだし貰っとくよ」

 

効果よりも、その後の『オマケ』の方が何倍も大きいという、普通ならば絶対に金を出さないであろう代物。それをいきなり渡されたカズマは、困惑しながらも瓶を鞄の中にしまった。

 

「ついでだ、そこに転がっている消し炭も連れて行ってくれるとありがたい。そいつが居る限り金が貯まらんから、いつまで経っても計画が進まん」

 

「えー、なんでだよ」

 

「ちなみに其奴は大の温泉好きでな。アルカンレティアに行けば大喜びで温泉巡りをするであろう。ポンコツリッチーのことだから、うっかり混浴に入るかもな」

 

「任せとけ、これも俺たちのビジネスのためだ」

 

先程の実に面倒くさそうな表情と態度から一転、何とも頼もしい表情と態度で、カズマは頼みを引き受ける。

未だに目を覚まさないウィズを丁寧に抱きかかえ、慎重に背負う。その際に何かを確かめるように、何度も背負い直した。

それじゃあな。と別れの挨拶をし、店を出ようとしたところで後ろから声がかかる。

 

「ああ、そうだ。汝に一つ言っておきたいことがある」

 

「なんだ?」

 

「我輩と初めて会ったときに汝と一緒にいた、まるでこの世すべての不幸を背負ったかのような男についてだが……」

 

「……千翼のことか? まぁ、確かに幸運のステータスはとんでもなく低いけど」

 

いきなり何だ。とカズマが頭上に疑問符を浮かべる。

 

「もし汝があの男を本当に仲間だと思っているなら――信じてやれ。それがあの男を、引いては汝のためにもなる」

 

「はぁ? なんだよそれ。訳分かんねぇ」

 

「我輩は全てを見通す悪魔。その悪魔からのありがた~い忠告だ。素直に聞いた方が身のためだぞ」

 

普段は基本的に人をおちょくるような事しか言わない悪魔のバニル。その悪魔が極めて珍しく、真剣な声で忠告をしてきた。

もしや、何か裏があるのでは? それとも本当に善意からの言葉なのか?

不審と疑問混じりの眼差しを向けると、バニルは大仰な声と仕草でカズマを指差す。

 

「おおっと、勘違いされては困るぞ。もし汝らに万が一のことがあると()()()! ひっじょーに困るからな! そうならないために言っているだけである!」

 

「……まぁ、一応覚えとくよ」

 

今度こそ店を出たカズマは、背負ったウィズと共に朝靄の中に消えた。

 

 

◆◆◆

 

 

「もう、カズマったら。馬車のチケットを……って、なんでその腐れリッチー連れてきてんのよ……」

 

既に馬車乗り場で待っていたアクアは、カズマの姿を見るなり文句を言おうとしたが、彼が背負っている者を見て別の文句に切り替わる。

 

「こいつがいると金が貯まらないから、しばらく預かってくれ。ってバニルから頼まれたんだよ」

 

「信じらんない! よりにもよってこんなのと一緒に旅行に行くの!?」

 

相も変わらずカズマの背中で眠るウィズを指差しながら、アクアが声を荒らげる。そんな彼女をめぐみんとダクネスはまあまあと宥めた。

 

「よし、みんな荷物は持ったか? 出発前に最後のチェックはしといた方がいいぞ」

 

「確認するまでもなくバッチリよ! 昨日の内に何度も確かめたから!」

 

「私とダクネスはさっき確認したから、問題ありません」

 

「うむ」

 

「あ……」

 

三人が自信満々に返答する中、自分のリュックの中身を確かめていた千翼は小さく声を上げた。

 

「ごめん……財布忘れた……」

 

「馬車が出るまでまだ時間があるし、取りに行っても間に合うぞ。俺はチケットを買うから、行ってこいよ」

 

「うん、すぐに戻るよ」

 

申し訳なさそうな顔を浮かべ、ストールを(なび)かせながら千翼は屋敷へと駆け出した。

 

 

◆◆◆

 

 

朝の冷たい風を頬に感じながら、千翼は小走りで屋敷へと向かう。正門が見えてくると、その前で右往左往する人物がいた。

 

「う~やっぱり早すぎたかな……でも、めぐみんってばすぐに出かけちゃうし……」

 

左右のお下げと、両手の果物が盛られたカゴを揺らしながら、紅魔族の少女ゆんゆんが同じ場所を何往復もしていた。

 

「……ゆんゆん?」

 

「へぁ!? って、ち、チヒロさん? お、おはようございます!」

 

「お、おはよう……」

 

後ろからいきなり話しかけられ、ゆんゆんは奇妙な叫び声を上げる。声の主が誰なのか理解すると、慌てた様子で朝の挨拶をした。

 

「えっと、何か用があるの?」

 

「その……まぁ、用事と言えば用事なんですが……」

 

千翼に尋ねられ、ゆんゆんは顔を赤くしながら口ごもる。

ふと、彼女の姿を見て。千翼は『あの時』の事を思い出した。

 

「ゆんゆん、あの時はごめん!」

 

「へ? あ、あのとき?」

 

いきなり頭を下げ謝罪の言葉を口にする少年に、ゆんゆんは面食らう。

 

「せっかく奢ってくれたクレープも台無しにしちゃったし、途中で勝手に帰っちゃったし……本当にごめん!!」

 

千翼は再び頭を深々と下げた。千翼が謝罪する理由を理解したゆんゆんは、両手と首を激しく振る。

 

「い、いえ。気にしないでください! それよりもあの後は大丈夫でしたか? チヒロさん、具合が悪そうでしたけど」

 

「……うん、大丈夫。なんとも無かったから」

 

それは良かった。とゆんゆんが胸を撫で下ろす。あの時の真相は口が裂けても言えないし、言うつもりもない。彼女に嘘を付くような真似をしてしまい、少年の胸が罪悪感で痛んだ。

 

「ところで、めぐみんはいますか?」

 

「めぐみんなら……というか、俺たち今から旅行に出かけるんだ」

 

「……旅行?」

 

ゆんゆんが固まる。そのことに気が付かぬまま、千翼は言葉を続ける。

 

「裁判が終わってようやく落ち着いたし、賞金も手に入ったからみんなでアルカンレティアって所に旅行にいこうって。めぐみんなら町の馬車乗り場にいるから、何か用があるなら一緒に……」

 

少女の体が微かに震え始め、目にうっすらと涙が浮かんできた。

 

「りょ、旅行……みんなで楽しくお泊まり……美味しいご飯……お土産選び…………」

 

「……ゆんゆん?」

 

ここでようやく、千翼はゆんゆんの様子がおかしいことに気が付いた。だが、そのときは既に手遅れであった。

 

「チヒロさん! 私のことは気にせず旅行を楽しんできてくださいっ!」

 

それでは! と言って、ゆんゆんは涙を散らしながら走り去っていった。

少年の声が届く前に少女はあっという間に姿を消した。一体何だったんだろう。と千翼は首を傾げ、自分が屋敷に戻ってきた理由を思い出すと慌てて中に入った。

それから千翼は馬車乗り場に戻り、席の関係で誰が荷台に乗るか一悶着があったりと、慌ただしい出来事を挟みつつ馬車隊はアクセルの町を出発する。

あとは馬車に揺られながら、のんびりとアルカンレティアへの旅路を楽しむ――はずだった。

 

「千翼、今だ!!」

 

「ダクネス、ごめん!!」

 

「おかまいなくうううぅぅぅ……!」

 

澄み切った青空を背景に、女騎士が宙を舞う。やがて重力に引かれ落下を始め、嫌な音を立てて荒野に落ちた。

その上をダチョウのような鳥の大群が、次から次へと華麗にジャンプして通過し、その先にある大きな岩山の洞窟へと姿を消す。

 

「めぐみん、やれ!!」

 

「エクスプロージョン!!」

 

そこへすかさず爆裂魔法が炸裂する。辺り一帯の砂埃を一つ残らず吹き飛ばすほどの爆発が岩山を襲った。

すぐ近くにいたカズマ達は、爆発が収まったことを確認してから慎重に顔を上げる。そこには崩れた岩が、まるで墓標のように積み重なっていた。

 

「とりあえず、一件落着か……」

 

そう言って、カズマは馬車の屋根の上で大の字に倒れた。視界が澄み渡る青空で埋め尽くされる。

 

「旅行に来たってのに、なんでこんな目にあうんだよ……」

 

そのぼやきに答える者はいなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

アルカンレティアの到着は明日になるため、馬車隊は荒野で野宿することになった。防風と戦闘時には遮蔽物となるように馬車を円形に並べ、その中で人々は今夜の食事を取っていた。

焚き火を囲みながら乗客や御者達が夕飯に舌鼓を打ち、暖かい飲み物を口にしながら談笑している。

 

「はい、花鳥風月!」

 

大勢の前で宴会の神、もとい水の女神であるアクアが両手に持った扇子と、何故かウィズの頭に乗せられているコップから水を噴き上がらせる。見事な水芸を披露した女神へ、観客達は歓声と拍手を送った。

 

「やっぱあいつ、こっちで食っていけるだろ……」

 

もう一度芸を見せて欲しい、と懇願する人々へ芸のなんたるかを語るアクアを見て、カズマは顔を引き攣らせながらコップを傾けた。熱々のお茶が口から喉を通り、腑へと染み渡る。

お茶で温まった息を口から白い靄と共に吐き出すと、横目で隣に座る千翼を見た。粉末を溶かしたお茶を口に運びながら、突発的に始まった隠し芸大会を眺めている。

 

「昼間は本当に助かったよ。まさかあんなトラブルに巻き込まれるなんて」

 

「あれぐらい大したことないよ。とんだハプニングだったね」

 

そう言って、二人の少年は小さく笑い合う。

 

「前から思ってたけど千翼ってさ、仮面ライダーみたいだよな」

 

「仮面……ライダー?」

 

聞いたこともない名前に、千翼は聞き返す。

 

「日本で毎週日曜の朝に放送してる特撮番組だよ。主人公がベルトを装着して、ポーズを取って……変身! って叫ぶとヒーローの姿になるんだ。んで、怪人と戦うんだよ」

 

「へぇ、そんなのがあるんだ」

 

「俺も最初は特撮なんてガキの見る物だってバカにしてたけど、ある日たまたま見たらこれが意外と面白くってさ。それ以来、日曜日の朝だけは早起きするようになったんだ」

 

それまでは昼過ぎまで寝てて、起きたら夜中までゲームが当たり前だったなぁ。と懐かしむようにしみじみと語るカズマを見て、目の前の少年がどのような生活を送っていたのか察した千翼は、彼のプライベートには可能な限り触れないようしようと密かに決めるのであった。

 

「千翼もベルトを巻いて変身するだろ? それに俺たちはパーティー組んでから戦闘はずっと千翼に頼りっぱなしだし、まさにヒーローだよ」

 

『ヒーロー』という言葉を聞いて、千翼は微かに顔を曇らせて俯く。マグカップのお茶に映る自分の顔を見ながら、ゆっくりと首を横に振った。

 

「俺は……ヒーローなんかじゃないよ」

 

「でも、少なくとも俺にとって千翼はヒーローだ。冬将軍やキメラと戦ったり、デストロイヤーのときはコアを取り出してくれたり。俺が裁判にかけられた時は真っ先に面会に来て、弁護もしてくれたし。ほんと、助けられっぱなしで頭が上がらないよ」

 

いかに自分が千翼に助けられているのか、カズマは苦笑交じりに語る。

 

「色々と迷惑かけるかもしれないけど、これからもよろしくな」

 

 

◆◆◆

 

 

固い荒野の大地に簡素な寝具を敷き、毛布を被って商隊の人々は眠っていた。

この辺りで夜行性のモンスターはおらず、夜盗なども出たことがないので、最低限の見張りだけを立てて乗客や御者達は寝息を立てている。

 

「!」

 

カズマは突然起き上がった。周りを見るが、自分以外に起きている人影は見当たらない。どうやら見張りもいつの間にか眠ってしまったらしい。

 

「なんだ……この違和感……」

 

何故かは分からないが落ち着かない。先程から背中にゾワゾワとした感触があるが、寒気とは違う。確認のために暗視のスキルを使って周囲を見回すが、動く者は居ない。

今度は更に千里眼のスキルを使って視界を拡大し、それに合わせて敵感知のスキルで脅威となる存在がいないか確かめる。馬車の向こう側、離れた場所から暗闇に紛れて人型の集団が、ゆっくりとこちらに近付いてくるのが視えた。その色は赤、つまりは敵性存在。

 

「みんな起きろ! なんかこっちに来てる!」

 

慌ててカズマは大声を出しながら、傍に置いてあった得物を手に取る。真夜中の静寂を乱す声に、次々と周りの人間が目を覚ます。

 

「な、なんだなんだ?」

 

「何も見えないわよ……」

 

「みなさん落ち着いてください! その場から動かないで!」

 

寝惚けた声と緊迫した声が、暗闇のあちこちから響く。すぐに松明に火が灯され、闇夜を照らした。

この騒ぎにカズマの隣で寝ていた千翼も目を覚まし、周囲の様子からただならぬ状況をであることを即座に理解する。

 

「カズマ、何かあったのか?」

 

「よく分からないけど、人型の何かが近付いてきてる。敵感知に反応があったから、敵なのは間違いない」

 

それを聞いた千翼は自分のリュックからアマゾンズドライバーを取り出し、素早く腰に巻いた。インジェクターをセットし、何時でも戦えるよう身構える。

護衛の一人が馬車の外側に向かって松明を投げた。火花を散らしながら炎の塊が暗闇を舞い、やがて荒野の大地に落ちる。それを光源に、暗闇の中で歩みを進める人型――体のあちこちが欠損し、死臭と腐敗臭を撒き散らす死者たちを照らし出す。

 

「ぞ、ゾンビだああぁぁ!!」

 

肉片と腐った体液を滴らせながら近付いてくる死者に、大勢が悲鳴を上げた。

既に馬車の周りはゾンビの大群に囲まれており、逃げ道は無い。

護衛の冒険者達が乗客を守るよう円を描く。ゾンビ達が一歩踏み出す度に、その輪は少しずつ小さくなっていった。

 

「ゾンビ……要するにアンデッドか。こういうときは!」

 

アンデッドに対するエキスパートをカズマは知っている。曲がりなりにも彼女は女神、不浄なる存在を許さず、命の理に反する者を認めない聖なる神だ。

普段が普段なので忘れられがちだが、その実力は本物。こういった事態にはうってつけの存在である。

今も寝ているであろう彼女を叩き起こそうとカズマは駆け出すが、既にその場所は多くのゾンビが集まっていた。

 

「わああ!? なになに!? なんでゾンビに囲まれてるの!?」

 

酒瓶に抱き付きながらいびきを掻いていたアクアは、目を覚まして悲鳴を上げた。せっかくほろ酔いで気持ちよく眠っていたのに、起きたら鼻を抓みたくなるような悪臭を漂わせる死者の群れ。これは悪夢なのかと自分の頬をつねる。

 

「アクア! 一発浄化魔法を頼む!」

 

「わ、わかった! セイクリッド・ターンアンデッド!」

 

酒瓶片手に水の女神が聖なる魔法を唱える。彼女の足下を中心に白い魔法陣が描かれ、闇夜を照らした。

 

『おおおおおぉぉぉぉぉ……』

 

そして、魔法陣に触れたゾンビ達はどこか安らかな表情を浮かべながら、腐り落ちた体が跡形も無く消え、そこから魂が天に昇ってゆく。

予想通りの結果に、カズマはガッツポーズを取った。

 

「ああ、もう! せっかく気持ちよく寝ていたのに最悪の気分よ! こうなったら徹底的にやってやるわ!!」

 

アクアが怒りと共に拳を握ると、息を大きく吸って浄化魔法を乱れ撃つ。

 

「ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッド! ターンアンデッドオオオォォォ!!」

 

女神が魔法を唱える度に闇夜が白く照らされ、十体、二十体と死者達が浄化され天に召してゆく。その光景を見たカズマは安堵の溜息と共に冷や汗を拭った。

 

「これでもう大丈夫だな、さすがは腐ってもめが――」

 

「いやぁ、アークプリーストが居て本当に助かった」

 

「ここら辺は普段ゾンビなんか出ないはずだけど、珍しいこともあるもんだな。何はともあれ良かったよ」

 

普段は出ない? 護衛の一人が発した言葉にカズマは妙な違和感と既視感を感じた。

そういえば、魔王軍幹部のベルディアが死者の軍団を呼び出した際、何故か軍団は他の冒険者には目もくれずアクアだけを執拗に追い回していた。

それにキールダンジョンに彼女と一緒に潜った時も、何故かアンデッド系のモンスターばかりに襲われた。そしてそのとき、確か彼女(アクア)はこう言ったはずだ。

 

――きっと魂の救済を求めて、神聖な魔力を持つ私に引き寄せられるのよ。ほら、私って女神だし?

 

カズマはゆっくりと、浄化魔法を連発する女神を見た。

普段は出ないはずのゾンビ、神聖な魔力、魂の救済。点と点がつながり、答えを導き出す。

 

「あはははは! 私がいたことが運の尽きね! アンデッドの百や二百、どうってことないわ! さぁ、片っ端から浄化してあげるからドンドンかかってきなさい!!」

 

――すんません。俺の仲間がほんっとすんません。

彼女(アクア)が居なければ、恐らくは今回のゾンビ騒ぎも無かっただろう。昼間に続いて図らずも二度目の自作自演をしてしまい、カズマの心は今にも罪悪感で押し潰されそうだった。

当の本人はそんなこと知る由も無く。酒瓶片手に今も浄化魔法を唱え、ゾンビの群れを次ぎから次へと成仏させている。

 

「なんと美しい……」

 

「舞うように魔法を唱える姿……まさに女神だわ!」

 

そして、アクアは一晩中踊り狂いながらアンデッドの群れを浄化し続けた。

余談だが、魔法の余波を受けてリッチーであるウィズが危うく浄化されかけたらしい。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやー、道中は本当に助かりました! こんなものしか渡せませんが遠慮無く使ってください!」

 

「い、いえいえ。お気になさらずに……」

 

商隊のリーダーである恰幅の良い男は、満面の笑みを浮かべながら六枚の紙をカズマに渡した。引き攣った笑みを浮かべながら、礼を言いつつカズマはそれを受け取る。

 

「それでは私はこれで。アルカンレティアの観光を楽しんでください!」

 

リーダーの男は馬車を走らせながら手を振る。それに対してカズマは遠慮がちに手を振り返した。

馬車の姿が完全に見えなくなったところで、カズマは先程受け取った紙――宿泊券に目を落とした。

 

「うわ、これってアルカンレティアで一番大きなホテルの宿泊券じゃない。本当にラッキーね!」

 

カズマの心苦しさなど知るはずも無く、脇からのぞき込んだアクアは歓喜の声を上げた。

昨夜のトラブルを起こした張本人に何か言おうと思ったが、今回ばかりは流石に言いがかりも甚だしいので、喉まで上がってきた言葉を何とか飲み込む。

宿泊券を懐にしまい、気を取り直してカズマは勢いよく振り返ると、そこには山の麓に作られた水と温泉の都『アルカンレティア』の街並みが広がっていた。

 

「何はともあれ、やっと着いたぜ!」

 

「ようやく来たのね、愛しのアルカンレティア!」

 

カズマとアクアは大はしゃぎし。千翼、めぐみん、ダクネスの三人は白と青を基調としたアルカンレティア、それに山と空が合わさった美しい風景に息を呑んでいた。

昨夜の騒ぎで危うく浄化されかけたウィズは、カズマの背中ですやすやと眠っている。

 

「と言うわけでようこそ! アクシズ教の総本山アルカンレティアへ!」

 

風光明媚な街を背景に、アクシズ教が崇める女神はそう言った。

 

『え?』

 

「?」

 

三人がアクシズ教の名を聞いて固まり、一人は意味が分からず首を傾げた。

 

「アクシズ教の総本山……?」

 

「嘘……ですよね?」

 

「あのアクシズ教の……」

 

カズマ、めぐみん、ダクネスが慄いていると、一人だけ話しについて行けなかった千翼がカズマに耳打ちする。

 

「カズマ、アクシズ教ってなんだ?」

 

「……ものすごく簡単に言うと、誰もが名前を聞いただけで震え上がる、下手したら魔王軍よりも性質(たち)が悪いって噂の宗教団体だ。そういやウィズが、デストロイヤーが通った後はアクシズ教徒以外、何も残らない。って言ってたな」

 

「……なんとなく分かった」

 

カズマの表情と口調で『アクシズ教』がどれだけ恐ろしい存在なのか、千翼は本能的に理解した。

 

「とにかく、荷物を宿に置いて……」

 

まずは荷物を置いて、それから観光を楽しもう。ここに至るまでの道中で二度も大きなトラブルに巻き込まれ、目的地までの道のりを楽しむ余裕など全くなかった。せめてこのアルカンレティアでその分を取り戻したい。

ここがアクシズ教の総本山と聞いてから、何故か嫌な予感が止まらないカズマは、それを振り払うように街へ足を向ける。すると、街の方から大勢の人が騒がしくやって来て、あっという間にカズマ達を取り囲んだ。

 

「ようこそアルカンレティアへ! 観光ですか? 洗礼ですか? それとも入信ですか?」

 

「アクシズ教に入信すると宝くじが当たったり、病気が治ったり、異性からモテモテになったり良いこと尽くめですよ!!」

 

「ここは入信ですよね!? やっぱり入信ですよね!? 入信するしかないですよね!?」

 

狂気に目を輝かせながら、アクシズ教の信者であろう人々は熱心に入信を勧めてくる。

恐怖すら感じる猛烈な勧誘に、めぐみんは小さな悲鳴を上げて震え、あのダクネスも思わず引き気味になっている。

 

「まぁ、なんて綺麗な青色の髪と瞳かしら! まるでアクア様みたい!」

 

「それは当然よ、なんたって私は――」

 

「すみません、急いでます!!」

 

アクアが余計な事を言ってこの場を混乱させる前に、カズマはそれだけ言って彼女をグイグイと人垣の外へ押し出すと、風のようにその場を立ち去った。

 

「あ! お、置いていかないでくださーい!」

 

一人先に逃げ出したカズマを見て、めぐみんが大慌てでその後を追う。残された千翼とダクネスも彼女の後に続いた。

 

『アルカンレティアは、いつでもあなた方の入信をお待ちしてますよー!』

 

背中から聞こえてきた大合唱に、カズマ達は冷や汗を流しながら身を震わせた。

 

 

◆◆◆

 

 

「はぁ、到着早々なんなんだ……」

 

荷物を置き、未だに目を覚まさないウィズを宿で寝かせたカズマは、千翼とダクネスと共にアルカンレティアの街を歩いていた。

アクアは「アクシズ教のアークプリーストとして、教団本部に遊びに行ってくる」と言って宿を飛び出し。それを見ためぐみんは「アクアがまたバカなことをしないか心配だから」と言って、彼女を追った。

先程のアクシズ教徒による勧誘攻撃に辟易としていたカズマであったが、気持ちを切り替えてアルカンレティアの観光を楽しむことにする。

 

「見ろ、大きな噴水だ!」

 

普段の厳格な雰囲気はどこへやら。鎧を脱ぎ、身軽な服を着たダクネスは、興奮した面持ちで広場を指差す。

そこには中央に女神の石像が置かれた、大きな噴水があった。その縁に人々が腰掛け、軽食を食べたり本を読んだりと寛いでいる。

 

「おー、水の都だけあって立派な噴水だな。女神像はかなーり美化されてるけど……」

 

カズマの最後の一言に、隣に立つ千翼は苦笑いを浮かべた。

三人で見事な造りの噴水を眺めていると、近くを通りかかった若い女性が石畳に躓く。

 

「あ、ああリンゴが!」

 

そして、女性の持つバスケットから真っ赤なリンゴが幾つも零れ落ちた。それを見たカズマ達は手分けしてリンゴを拾い上げ、女性に渡す。

 

「はい、どうぞ」

 

「親切にありがとうございます。よかったら……」

 

言いながら女性は懐に手を入れた。

 

「いえいえ、悪いですよ。これくらいどうってこと――」

 

「入信しませんか?」

 

そして、アクシズ教の入信書を三枚取り出し。それをカズマの眼前に突き付ける。

 

「ええと、これは……」

 

「私、一目見てわかったんです。あなた達のような親切な人はアクシズ教に入るべきだって。だから、入信しましょ!」

 

「結構です」

 

キッパリと断って、カズマは踵を返す。即座に女性が回り込んできた。

 

「大丈夫、毎週のお祈りとか説法を聞きに集まるとか、そんな面倒なことは一切ないから! 入信して、アクシズ教の素晴らしさを広める! たったそれだけでいいの!!」

 

「遠慮します! いらないです! 間に合ってます!!」

 

グイグイと入信書を押しつけてくる女性と、それを何とかして押し返そうとするカズマ。一体どこにそんな力があるのか、狂気に染まった瞳を輝かせながら、女性が少しずつ圧してゆく。突然の事態にどうしたらいいか分からず、千翼はカズマと女性の顔を交互に見ることしかできなかった。

あと少しで入信書がカズマの顔に押し付けられそうになったとき、横から伸びてきた手がそれを止めた。

 

「申し訳ないが止めて頂きたい。彼は入信する気がないと言っている」

 

丁寧に、それでいて毅然とした声でダクネスは女性を止めた。

一先ず二人を引き離すと、ダクネスは胸元から変わった形のペンダントを取り出した

 

「見ての通り私はエリス教徒。女神エリス様にこの身を捧げると誓ったので、改宗するわけには――」

 

「ぺっ!」

 

女性はダクネスの足下目掛けて遠慮無く唾を吐いた。三人が呆気に取られていると、女性はそそくさとその場を離れ、

 

「ぺっ!」

 

ダクネスに対してゴミでも見るかのような視線を送ると、去り際にもう一度だけ唾を吐いた。

 

「……」

 

「いや……なに今の?」

 

「ん、んんっ!」

 

「お前も感じるな」

 

 

◆◆◆

 

 

先程の女性は何だったのか。確かに気になるが、自分たちは旅行に来たのだ。

気を取り直し、改めてアルカンレティアを観光していると。

 

「誰か! 誰か助けて! この男が私に乱暴しようとするの!」

 

「なぁ、姉ちゃん。俺と一緒に楽しいことしようぜ?」

 

道の向こうから助けを求める女性と、その後ろから下品な笑みを浮かべた筋骨隆々の男が近付いてきた。

それを見た千翼は真剣な顔付きになり、女性を助けるため力強く一歩を踏み出す。

 

「千翼、ちょっと待った」

 

しかし、二歩目を踏み出そうとしたところで、後ろからカズマに肩を掴まれた。

 

「なにしてるんだ、早くしないとあの人が」

 

「違う、よく見てみろ」

 

カズマが今にも襲われそうになっている女性を指差す。

 

「ああ、ここにアクシズ教徒が! 強くてかっこよくて頼りになるアクシズ教徒がいてくれたら! そうしたらこんな邪悪なエリス教徒はすぐに逃げ出すのに!」

 

「へっへっへっ。そうとも、俺たちゃ極悪非道、冷酷無情のエリス教徒! 立ちション、食い逃げ、ポイ捨て。他にも様々な悪事に手を染めてきた根っからの極悪人だ! そんな俺でもアクシズ教徒だけには敵わない。もしこの場にアクシズ教徒がいたら尻尾巻いて逃げ出すだろうな!」

 

若い女性はアクシズ教の入信書をこれ見よがしに振り回しながら、実にわざとらしく喋っている。千翼は目の前の出来事が茶番だと悟ると、途端に醒めた目になった。そして三人は足早に女性と暴漢の脇を通り過ぎる。

 

「ああ、待って! 私を助けるためにアクシズ教に入信して! ここに名前を書くだけでいいの、たったそれだけでいいの!」

 

「アクシズ教に入信したら、俺みたいな邪悪なエリス教徒よりもムキムキになれるぞ? そうしたら人生バラ色。良いこと尽くめだ! なによりも、邪神を崇めるエリス教徒を蹴散らすことが出来る!」

 

それでもしつこく入信を勧めてくる二人に一切顔を向けず、カズマ達は更に足を速めた。それに合わせてアクシズ教徒であろう男女の足も速くなる。

 

「大事なのは信じる心! アクア様を信じる心に関して、アクシズ教徒はどんな宗教にも負けない! 入信すれば、エリス教がいかに欺瞞に満ちていて、アクア様がどれだけ素晴らしいかがきっと分かるわ!」

 

「そうそう。多数派だからってなんとなーく入信しているようなエリス教徒と違って、アクシズ教徒はアクア様を心の底から信仰している! そもそもエリスが女神というのが間違いで、あれは邪悪な――」

 

突然、ダクネスが立ち止まった。勢いよく振り返ると、なおもエリスとその教徒を侮辱する二人を睨み付ける

 

「いい加減にしてもらおうか。さっきから黙って聞いていれば、エリス教徒である私の前でエリス様を邪神などと……」

 

「「ぺっ!」」

 

男と女は揃ってダクネスの足下に唾を吐いた。そして踵を返して三人から素早く離れる。

 

「「ぺっ!」」

 

ダクネスに対して穢らわしい物でも見るかのような視線を送ると、去り際にもう一度だけ唾を吐いた。

 

「……」

 

「んんっ! 堪らない!」

 

「お前ほんと自重しろよ」

 

 

◆◆◆

 

 

「そこのお兄さん、アルカンレティア名物のアルカン饅頭はいかが? もし入信してアクシズ教徒になってくれるなら、割引するよ!」

 

「そこのお姉さん、お風呂で温泉気分を楽しみたくありませんか? 入信してくれたら、アクシズ教徒限定の入浴剤をプレゼントしますよ!」

 

「え、オススメの観光スポット? うーん、知ってるには知ってるが、そこはアクシズ教徒しか入れない場所なんだよ。ちょうど入信書を持っているから、今すぐ入信すればそこを教えるよ」

 

「久しぶり、元気してた? あたしよあたし……って、分からないわよね。だってアクシズ教に入信してから成功の連続で、学生時代と全然違うから。ねぇねぇ貴方もアクシズ教に入信しない? 私たちで同級生の皆にアクシズ教の素晴らしさを広めようよ!」

 

 

 

 

 

「クソがあああぁぁぁ!!!」

 

自分たち以外誰も居ない薄暗い路地で、カズマは叫んだ。

 

「なんだよ、なんなんだよここは!? 店に入れば入信、道を尋ねれば入信、目が合えば入信! 入信入信入信入信入信うるせえええぇぇぇ!!! こちとら旅行に来たんだぞ!? ストレス解消のために温泉に浸かりに来たんだぞ!? 入信に来たんじゃねぇんだぞ!?!? ここには頭のおかしい連中しかいないのか!?!? これじゃストレス解消どころか溜まる一方じゃボケえええぇぇぇ!!!」

 

肺一杯に吸い込んだ空気を雄叫びと共に全て吐き出し、カズマは膝に手を付いて貪るように息を吸う。

 

「な、なぁカズマ。一つ提案なんだが、みんなでここに移住しないか? 私はこの街がとても気に入ったぞ」

 

「おめぇもさっきから一々感じてんじゃねぇぞこのドMクルセイダーが!!!」

 

「んんんっ! もっと激しく罵ってくれ!」

 

せっかく温泉旅行に来たというのに、いざ到着してみれば待っていたのは狂信者達の執拗な勧誘の嵐。

硫黄の臭いを嗅ぎながらの歴史的な建造物の見学、ここでしか食べられない豪華な食事、仲間と相談しながらのお土産選び。そして何といってもカズマにとって最大の目的である混浴、ひょっとしたらそこで起こるかも知れない『ハプニング』。期待に膨らんでいた胸はあっという間に萎んでしまった。

こんなはずじゃ無かったのに。と呟き、カズマは盛大に溜息を吐いた。

 

「って……あれ?」

 

冷静さを取り戻したカズマは、あることに気が付いた。

 

「千翼、どこいった?」

 

 

◆◆◆

 

 

「まいったな……」

 

アクシズ教徒のしつこい勧誘を振り切っている内に、千翼はいつの間にかカズマ達とはぐれてしまった。

どうしたらいいものか。と頭を悩ませるが、自分もカズマもいい年である。いざとなったら宿泊しているホテルに戻ればいいと結論づけ、千翼は一人で異世界の観光を楽しむことにした。

アクセルとは違った街並みを楽しみながら、思わずよそ見をして歩いていると誰かにぶつかった。

 

「っ、すみません」

 

「おっと、わりぃな。にいちゃん」

 

体格の良い浅黒い肌の男に謝罪すると、向こうも特に気にしていないのか、短く謝罪の言葉を述べて去って行く。

二人の男がすれ違い――

 

「?」

 

千翼は振り返った。先程の男の姿は見当たらず、観光客や街の住人が通りを行き交っている。

 

「……気のせい、だよな?」

 

きっと疲れているのだろう。この街に到着してから絶え間なく襲いかかる勧誘のせいで、ちっとも心が休まらない。そのせいで勘違いしたに違いない。

自分に言い聞かせ、納得した千翼は再び観光を楽しむことにした。

 

 

◆◆◆

 

 

アルカンレティアを一望出来る高台に、その教会はあった。

街並みと同じく白と青で彩られた教会は、荘厳さと神聖さを感じさせ、その大きさも相まって見る者を圧倒させる。

教会を背に、あちこちから湯気が立ち昇るアルカンレティアを眺めていた千翼は、ほんの少しだけ視線を後ろに向けた。

 

「そこのお二方、もしかしてカップルですか? 結婚式を挙げるなら是非ともアクシズ教の教会で! もし入信していただけるなら――」

 

アクシズ教徒に話しかけられた二人組の男女は、悲鳴を上げながら走り去っていった。それでも教徒は諦めずに二人の後を追う。

こんなにも良い街なのにその一点(アクシズ教)が、その一点(アクシズ教)こそが全てを台無しにしていた。

信者がいなくなったことを確認してから、千翼は後ろを振り返る。今にも自分に向かって倒れてくるのでは、と錯覚するほど大きな教会が少年を見下ろしていた。

 

「教会……」

 

思い出すのは、生前の記憶。

少女(イユ)と共に教会へ逃げ込み、そこで彼女の時計(レジスター)が動き出してしまった。

それを何とかして止めようと野座間製薬本社に乗り込むが、目的は果たせなかった。そして二人で彼女の思い出の動物園に逃げ込み――

何かに引き寄せられるように千翼は教会へ向かい、出入り口の扉をゆっくりと開ける。

 

「おや。ようこそ、アクシズ教の教会へ」

 

左右に長椅子が並べられた巨大な礼拝堂では、一人のシスターが箒で掃除をしていた。

 

「ここはエリス教徒を除いた全てを受け入れる場所。休憩するも、祈りを捧げるも、待ち合わせに使うも自由です。どうぞごゆっくり」

 

前半の言動に引っかかる物があるが、それを気にしないようにして千翼は礼拝堂を眺める。正面と左右の壁からはステンドグラス越しの日光が差し込み、礼拝堂の中を色鮮やかに照らしていた。

幻想的な光景に見惚れていると、どこからか嗚咽が聞こえてくる。音の元を探して首を回すと、礼拝堂の片隅に隣接して設置された二つの小部屋に目が止まった。どうやら嗚咽はあそこから聞こえてくるようだ。

小部屋の片方から一人の男が出てきた。男はまるで憑き物が落ちたかのような晴れ晴れとした顔で、パッドがどうたらこうたら言いながら、やけに軽やかな足取りで礼拝堂を後にする。

 

「あちらは懺悔室です」

 

「懺悔室……」

 

珍しそうな顔で小部屋を見ていた千翼に、シスターが説明する。

 

「どのような人であれ大なり小なり罪を犯し、他人には言えない秘密や後ろめたいことがあるもの。そういったことを聞き届け、神に赦しをもらうための部屋です」

 

ドラマなどで見たことがあるが実際に、しかも異世界で実物を見ることになるとは千翼も思わなかった。

興味深そうに眺めていると、それを見たシスターは更に説明を続ける。

 

「アクシズ教ではそれだけでなく、単純に人に聞いて欲しいことや悩み事なども受け付けていますよ。もちろん、懺悔室で聞いたことは決して口外しないことをお約束します。また、当然ながらお互いの顔は見えないため、プライバシーに関してもご安心を」

 

「へぇ……」

 

どうやらアクシズ教は懺悔だけでなく、個人的な悩みや相談事も受け付けているらしい。

これで信者達があんな人間でなければ、どれだけこの街は素晴らしくなるのだろうか。実に惜しいものである。

ここでふと、千翼はシスターに尋ねる。

 

「あの、本当にどんなことでも聞いてくれるんですか?」

 

「ええ、どんなことでも」

 

「……どれだけ突拍子のない話や、あり得ないような話でも?」

 

「もちろんです。突拍子のない話でも、あり得ないような話でも、どんなことでも。それに、誰かに自分の話を聞いてもらうというのは、思った以上に心が軽くなってスッキリしますよ」

 

シスターが断言するのを見て、千翼は改めて懺悔室を見た。その顔は何かを覚悟し、決意した表情だった。

 

「懺悔室をご利用ですか? もし入信して頂けるなら、悩み事に対するアドバイスのサービスが――」

 

どこからともなく入信書を取り出したシスターを無視して、千翼は懺悔室に向かった。

二つの小部屋が隣接する懺悔室にはそれぞれ扉があり。片方には神父用、もう片方には懺悔用と扉に書かれている。

懺悔用の部屋に入り、中に置かれている椅子に腰掛けると部屋の反対側。つまりは神父用の部屋から扉の開閉音と、誰かが走り去る音が聞こえた。

 

「あー、あー。迷える子羊よ、よくぞ来た。さぁ、ここで汝が犯した罪の全てを話しなさい」

 

薄暗い部屋の中、目の前の小さな仕切りカーテンの向こうから若い男の声が聞こえる。少しでも威厳を見せるためなのか、若干声を作っているようだ。

 

「あの……少しいいですか?」

 

「なんなりと」

 

「その……ここはどんなことでも、それこそあり得ないような話でも聞いてくれるそうですが……」

 

「ここはアクシズ教の懺悔室。罪の大小、悩みの種類、話の内容を問わず全てを聞き届けます。神はきっとお赦しになるでしょう」

 

「……わかりました」

 

今度こそ覚悟を決め、千翼は息を吸い込む。それを緩やかに吐き出して呼吸を整えると、静かに語り出した。

 

「これは、俺がこの世界に来る前の話です――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これが俺の、俺が犯した罪の全てです」

 

自分が生まれた日本での出来事、そこで起きた、起こしてしまった惨劇の数々。そして死を迎え、転生によって異世界にやってきたこと。この世界で危うく犯しかけた罪の数々――

それら全てを、千翼は詳らかに語った。

千翼は今までカズマ達に自分の素性や食人衝動を隠してきた。それがまるで彼らを騙しているようで、日に日に積もる罪悪感は千翼の心を少しずつ、しかし確実にすり減らしてゆく。

そんな時にこのアルカンレティアで見つけた懺悔室は、まさに千翼にとって救世主であった。

異世界だの転生だの、果てはアマゾン細胞や食人衝動。どれもこれも余りに現実離れした非常識にも程がある話だ。突然やってきたどこの誰とも分からない顔の見えない人間から、いきなりこんな話をされて真面目に聞く者はまずいないだろう。それが狙いでもあり、そうしてもらえることが千翼にとってはこの上なく有難かった。

誰でもいいから決して他人には話せない、話すわけにはいかない事を聞いて欲しい。ただ『聞いてもらう』だけでいい。

そんな矛盾した悩みをずっと抱えていた少年は、藁にも縋る思いでこの懺悔室を訪れた。

胸につかえていた物の全てを口に出し、千翼は緩やかに息を吐く。

 

「……」

 

「……あの?」

 

「っ! あ、えー、よ、よくぞ話した。神は汝の罪をきっと赦すだろう。さぁ、懺悔室を出て前を向いて歩いて行きなさい」

 

明らかに先程とは声の様子がおかしい。自分の話す余りにも突拍子も無い内容に、途中から聞き流していたのか、はたまた居眠りでもしていたのか。どちらにせよ反応からして、千翼の話をまともに聞いている様子は全くなかった。

礼を言いつつ懺悔室を出て、思い切り伸びをした。懺悔をする前より身も心も軽くなったような気がする

掃除を続けているシスターに会釈をして、千翼は教会を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやぁー危ないところだった。もうちょっとで揚げたてが売り切れる所だったわ」

 

少年が教会を出てから数分後、紙袋を抱えたアクシズ教の女神は、満面の笑みを浮かべながら神父用と書かれた懺悔室の扉を開けた。

 

「留守番ありがとね。お礼に一個くらいなら食べても……カズマ、どうしたの?」

 

懺悔室の中では、椅子に座り、机の上で組んだ自分の両手を無言で見詰める少年の姿があった。

その体は、微かに震えていた。




というわけで、アルカンレティア編です。
懺悔室のシーンは当初からどうしても書きたかったシーンの一つであり、千翼の過去をカズマが知るタイミングはここしかないと思っていました。


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Episode12 「L」ETHAL TOXIC

大変お待たせしました。十二話の文量がとんでもないことになったので、分割することにしました。


鼻先から零れた滴が湯に落ちて波紋を作る。広がる幾重もの輪が、水面に映る少年の顔を揺らした。

 

「千翼は……人間じゃない?」

 

教会の懺悔室で知った、知ってしまった真実をカズマは呟く。

初めは自分と同じ転生者が来たと思っていたが、懺悔を聞いている内に関心は疑惑に、疑惑は確信へと変わった。

 

「日本の企業が人喰いの化け物を創ってた……? ははは……なんだよそれ……悪の秘密結社かよ……」

 

口から乾いた笑いが漏れた。こうして真実を知った後だと、今までの千翼の奇妙な行動の数々にも全て納得がいく。事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだ。

死んだ人間が異世界へ転生する。というだけでも十分すぎるほどにおかしな話なのに、自分が生きていた日本ではそれと同等か、下手をすればそれ以上の有り得ない事が起きていた。

懺悔室では余りの衝撃に頭が追いつかなかったが、こうして温泉に浸かって幾分か冷静さを取り戻したところで、ようやく知ってしまった事実を一つ一つ理解することが出来た。

だが、そうしたところでそれを受け入れられるかは別の話である。

 

「千翼はイユって女の子を助けようとして、父親と悠って男に殺された……。なんでだよ……千翼が何したって言うんだよ……。あいつは……ただ……生きようと……」

 

これ以上考えても仕方ない。カズマは湯船から立ち上がるとカランへ向かい、蛇口の下に桶を置いた。

栓を捻ると蛇口から大量のお湯が吐き出され、みるみるうちに桶に貯まってゆく。十分に注がれてから栓を戻してお湯を止めると、桶を両手で掴んで持ち上げ、頭上で勢いよくひっくり返した。

大量のお湯で黒髪が寝かしつけられ、毛先からポタポタと幾つもの水滴がしたたり落ちる。しばらく桶をひっくり返したままの姿勢で止まっていたカズマは、やがて大きな溜息を吐くと桶を戻し、どこかフラフラとした足取りで脱衣所へと向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

「戻ったぞー。夕飯って……」

 

少しでもこの沈んだ気持ちを紛らわそうと夕飯の話題を振ろうとしたが、部屋にいた人物を見た瞬間に言葉が途切れる。

 

「それは大変でしたね。まさかアルカンレティアがアクシズ教の総本山だったなんて」

 

「カズマとはぐれた後も観光をしてたんですけど、あっちこっちから勧誘されて……振り切るのが本当に大変でした」

 

自分でもうるさく感じるほどに心臓が脈を打つ。大きく喉を鳴らして何とか唾を飲み込んだ。いつの間にかホテルに帰ってきた千翼は、部屋でウィズと談笑していた。

傍から見ればいつもと変わりない、見慣れた光景だ。しかし、カズマは千翼から目を離すことが出来なかった。

 

「あ、カズマさん。お風呂いかがでしたか?」

 

「……え、あ、ああ。いやー、さすが温泉の都だな。最高だったよ!」

 

千翼に意識を向けすぎて反応が遅れる。取り繕うように無難な返事と笑顔を作るが、自分でも顔が強張っているのが分かった。

おっとりとしたウィズでもその不自然さに気が付いたのか、どこか怪訝な顔を浮かべている。

ここで咄嗟に、ホテルに帰ってきてからアクアを見ていない事に気が付いたカズマは、追求される前にその事を話題に振った。

 

「そ、そういえばアクアは?」

 

「アクア様なら、温泉の管理人さんのところへ向かわれましたよ。どうしても聞きたいことがあると仰ってましたが……」

 

「へ、へぇー、なんだろうな」

 

話はそこで終わってしまった。このままではウィズが不自然なカズマの態度について尋ねてくるだろう。そうなる前に何か話題を探して場を繋がねば。

必死に頭を回転させ、話の種になるような物はないかと視線を忙しなく巡らせる。

 

「カズマさん……」

 

「はぁー……いいお湯でした」

 

「もうじき夕食の時間になるそうだ。そろそろ食堂に向かおう」

 

ウィズが尋ねようとしたとき、カズマの後ろから風呂上がりのめぐみんとダクネスが現れた。夕食が近いことを知らせるとダクネスはそのまま食堂へ向かい、それを聞いたウィズと千翼も後に続いて部屋を出て行った。

間一髪の所で助かったカズマは、気の抜けるような安堵の息を吐くと壁に寄りかかる。

あと少しでも二人の到着が遅れていたら、ウィズの質問にしどろもどろになっていただろう。下手をすればそこから千翼にも怪しまれ、懺悔室での一件が最悪の形で露呈していたかもしれない。

自分の幸運と、奇跡的なタイミングで現れてくれた二人に感謝していると、当のめぐみんが何かをカズマに差し出した。

 

「はい、カズマ」

 

めぐみんはオレンジジュースの入った瓶をカズマに差し出した。いきなり目の前に出されたジュースの意味が分からず、カズマは小首を傾げる。

 

「私からの奢りです。遠慮せず受け取ってください」

 

「あー……ありがとな。でもなんで?」

 

「まぁ、その……カズマにはいつも迷惑をかけてますから、お詫びというか……」

 

歯切れの悪い返事にカズマの首が更に傾く。めぐみんはどこか照れ臭そうに頬を掻くと「食堂に行ってますね」と言って、部屋を出て行った。

受け取ったジュースの瓶をカズマはしばし眺め、栓を開けると口を付ける。腰に手を当てると瓶と頭を真上に向けた。

豪快な嚥下音が静かに部屋に響き、音が鳴る度に少年の喉仏が上下する。瓶の中身はみるみるうちに下に落ちて無くなってゆき、あっという間に空になった。

 

「っぷはぁー……!」

 

何とも気持ちの良い呼吸音が口から吐き出される。カズマは口元を拭うと瓶に再び栓をして、それを部屋のゴミ箱に入れると食堂へ向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

「なぁ、アクア。私はこの街への移住を真剣に考えているのだが、多くのアクシズ教徒が集まる場所を知らないか? そこで部屋を借りたいんだ」

 

「あら、もしかしてアクシズ教の素晴らしさを分かってくれたの? アクシズ教に入信してくれるなら移住する際に――」

 

「二人とも、お願いですから食事の時にアクシズ教の名前を出さないでください。せっかくの美味しいご飯が台無しです」

 

「ちょっとめぐみん、それってどういう意味よ! 私の可愛い信者達が何をしたっていうのよ!」

 

「あ、アクア様。どうか落ち着いてください……」

 

荒ぶるアクアと、嫌悪の表情を隠そうとしないめぐみんとの間で火花が散る。何とか穏便に済ませようと、ウィズが慌てて仲裁に入った。

そしてその様子には目もくれず、カズマは先程から作業的に目の前の食事を口に運び、咀嚼、そして飲み込んだ。味は全く感じられない。原因は自分の筋向かいに座る千翼である。

千翼は女性陣の姦しいやり取りを見ながら小さく笑っている。何の変哲も無い微笑みであるが、何故かその笑顔がカズマにはとてつもなく恐ろしい物に見えた。

 

――落ち着け。

 

自分にそう言い聞かせ次々と口に料理を放り込む。余計な事を考えないように、頭を咀嚼することで一杯にする。

 

「カズマ、そんなに頬張って。お行儀悪いですよ」

 

めぐみんに咎められ、カズマは謝罪代わりに片手を小さく上げた。呆れたように息を吐くと、めぐみんは食事を再開する。

結局、カズマは味もよく分からぬまま夕食を終えた。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の夜。カズマはベッドに寝たまま天井を眺め続けていた。頭の中を巡り続けるのは、昼間の教会の出来事と千翼の事ばかり。

目を閉じて何度も眠りに就こうとしたが、その度に瞼の裏に千翼の顔が浮かび、反射的に目が開かれる。

 

「バニルの言ってたことって、このことか……」

 

あの仮面の悪魔の忠告を思い出す。今思えば、最後のふざけた態度で誤魔化されたが、忠告を口にするときの声色は真剣そのものだった。

 

「俺……どうしたらいいんだ……」

 

呟きに答える者は居なかった。

 

 

◆◆◆

 

 

月が姿を隠し、入れ替わりに太陽が昇り始める。結局、カズマは一睡も出来なかった。

眠気と疲れでふらつく体を引きずりながら部屋を出て、朝食を摂るために食堂へ向かう。階段を下りると既に女性陣が集まって、おしゃべりを楽しんでいた。

 

「おはよう……」

 

何とか喉の奥から声を絞り出して、朝の挨拶をする。

 

「あはよう、カズ……マ」

 

「お、おはよう……」

 

「おはようございます、カズマさ……」

 

「カズマ……その顔どうしたんですか?」

 

寝起きのカズマの顔を見た女性陣が戸惑い、見かねためぐみんが驚きながら指を差す。

 

「え……あー……その……眠れなくって……」

 

思うように働いてくれない頭を動かし、乾いた唇からしわがれた声を出して返事をする。カズマの目の下には見事な隈が現れており、背中は今にも崩れ落ちそうな程に折れ曲がっていた。余りにもみっともない姿にめぐみんが呆れる。

 

「温泉にでも入ってスッキリしてきたらどうです? この時間でも開いてますよ」

 

「あー……そうするわ」

 

気怠げな足取りで、入浴道具を取りにカズマは部屋に戻っていった。

 

 

 

 

 

タオルと着替えを持って、カズマはホテルの温泉へと向かう。その足取りはひたすらに重々しかった。

このままじゃダメだ。と頭を振って気持ちを入れ替えると、『混浴』と書かれた暖簾を通り過ぎ男湯へ向かおうとして――

 

「……」

 

ここでふと、カズマは今回の旅行で一番の目的を思い出し、男湯に向かっていた足を反転させ『混浴』と書かれた暖簾をくぐった。

脱衣所で手早く服を脱ぎ、浴場に続く戸を勢いよく開ける。

 

「……まぁ、流石にこんな時間から居るわけないか」

 

戸を開けて、その先にある景色を見たカズマはどこか残念そうに呟く。彼の視界には誰もない浴場が広がっていた。

昨日は千翼のことであれだけ苦悩していたくせに、一日経ったら混浴へと向かっている自分に呆れ、嫌悪する。手早く頭と体を洗って湯に体を沈めると、気の抜けた声が少年の口から漏れた。

寒い時期にピッタリな熱めの温泉に浸かっていると、疲れと共に頭の中の悩みも湯に溶けていくような感覚を覚える。

――このまま何も考えたくない、この状態がずっと続けばいいのに

せめて今だけでも目の前の現実を忘れたくて、半ば意識を失いかけている頭でそんなことを願っていると。ガラリ、という音が出入り口から聞こえた。反射的にカズマは振り返る。

 

「あら、カズマさん。こちらにいらしたんですね」

 

「うぃうぃうぃうぃうぃウィズ!?!?」

 

あと少しで眠りに落ちそうだった意識は急速に覚醒し、何度もどもりながら来訪者の名を叫ぶ。

 

「私、混浴に入るのって初めてなんですよ。実を言うとちょっと興味がありまして」

 

「そそそ、そうなんですか!!」

 

物珍しそうに辺りを見回しながら、ウィズが近付いてくる。歩く度にバスタオルに包まれた彼女の双丘が揺れ、カズマの視線は釘付けになった。

ウィズがカランの前に座ると、これから彼女が何をするか理解したカズマは、慌てて顔を前に戻す。

こういった展開を期待はしていたが、心の準備が全く出来てない不意打ちにも等しい出来事に、カズマの頭はあっという間にパニックを起こしていた。

これが気心知れた仲間なら「丁度良いから背中を流せ、ついでに前も洗え」と堂々と命令(セクハラ)できるが、彼女たち(三人娘)ほど距離が近いわけでは無いウィズに、そんな事を言えるほどの度胸は童貞のカズマには無かった。

後ろから衣擦れの音が聞こえ、桶が置かれる音と、蛇口から勢いよくお湯が流れ出る音が聞こえる。

 

「~♪」

 

ウィズが鼻唄を歌いながら桶を傾けたらしく、お湯が浴場の床にぶつかる音が響いた。次いで髪を丁寧に洗う音が微かに聞こえてくる。

直接見るような度胸は無いが、代わりにどんな小さな音も聞き逃さないように、目を閉じたカズマは耳に全神経と意識を集中させる。

桶を傾け再びお湯が床に打ち付けられ、今度は体を擦る音が少年の耳に届く。聴覚を除いた全ての五感を遮断し、カズマは神経を極限まで研ぎ澄ませた。

三度桶が傾けられ、ペタペタと湿った足音が近付いてくる。

 

「お隣、失礼しますね」

 

「どっ、どどどどうぞ!!」

 

ここ意識が現世に戻ってきたカズマは急いで体を左に向けると、一拍の間を置いて波がカズマの背中に当たった。次いで艶っぽい声が耳に届き、少年の心臓が破裂しそうな程に高鳴る。

 

「はぁ……やっぱり、温泉っていいですね」

 

「そっ、そうですね!」

 

今ここで振り返れば、恐らく自分が拝めることは一生無いであろう光景が広がっている。首をそちらに向けようとするが、すんでのところで自分の中の理性がそれを押し止めた。

こんなチャンスは二度と無いぞ。と自分の本能が右から囁き。

不名誉な称号をこれ以上増やすつもりか。と自分の理性が左から囁く。

本能と理性、相反する二つの意識がカズマの脳内で、静かな激闘を繰り広げていた。

 

「カズマさん」

 

「ひゃい! なんでしょうか!」

 

しかし、その戦いはウィズの一声で瞬時に無効試合となった。

上擦った声で返事をし、もしや見ようとしたことがバレたか? と少年の背筋を冷たい物が伝う。

 

「昨日、何かありましたか?」

 

その言葉で急速に頭が冷えてゆく。あれだけ高鳴っていた心臓はあっという間に落ち着きを取り戻し、今度は違う意味で早い脈を刻む。

 

「なに……って?」

 

「昨日、ホテルに戻ってきてからずっと様子がおかしかったので。何かあったのではないかと」

 

「ええと……あ、アクシズ教だよ! あいつらの勧誘が余りにしつこくてうんざりしてさ……」

 

ここで昨日、千翼がウィズに話していた内容を思い出し、実際に自分も勧誘(被害)を受けたアクシズ教の名を出した。街を歩いているだけで、あれこれと理由を付けては入信させようとしてくる信者達に気が滅入っていたのは、紛うこと無き事実。これに関して何か聞かれても、違和感なく答えることが出来る。

 

「本当に、それだけですか?」

 

ドキリと、カズマの心臓が一際大きく鼓動する。まるで自分の心の内を見透かされているような感覚に、体が自然と震えた。

 

「……あ、ああ。本当に、それだけだよ」

 

これ以上話してもボロが出るだけだと判断し、ようやく絞り出せた言葉はそれだけだった。

 

「……そうですか」

 

ウィズは何かを察したのか。それ以上の追求はせず、小さく鼻唄を歌いながら再び温泉を楽しみ始めた。あんな質問をされた直後ではカズマも動くに動けず、諦めて肩を湯に沈める。

後ろから聞こえてくる鼻唄を聴きながら、カズマは水面に映る自分の顔を、黙って見続けた。

 

「えっと、俺、そろそろ上がるね」

 

やがてカズマは湯船から立ち上がった。なるべくウィズの方を見ないようにしながら、そのまま逃げるように脱衣所へ向かう。

 

「カズマさん」

 

脱衣所の戸に手が伸びたところで、再び背中からウィズが声をかける。

 

「もし悩み事があったら、遠慮なく私を頼ってくださいね」

 

「……ああ、そうするよ」

 

脱衣所の戸を静かに開け、中に入ったカズマは音もなく戸を閉めた。

 

 

◆◆◆

 

 

「由々しき事態よ!」

 

「そうか、大変だな」

 

「まだ何も言ってない!」

 

ベーコンが刺さったフォークを握り締めながら、朝食の席でアクアが真剣な声を挙げる。隣でサラダを食べていたカズマは、興味なさそうに適当な返事をした。

 

「ここ最近、アルカンレティアの温泉の質が悪くなっているらしいの。湯に浸かった人の肌がかぶれたり、具合が悪くなったり。酷いときには倒れて入院する人まで出ているのよ」

 

「そういえば、入浴禁止になっている場所がいくつかありましたね」

 

コーンスープを冷ましていためぐみんが思い出したように言った。

そう、それよ! と叫んでアクアはベーコンの刺さったフォークをめぐみんに向ける。行儀の悪さを叱るように、カズマが女神の頭を小突いた。

 

「でね、私わかったの。これは魔王軍による破壊工作に違いないって! あいつら正面から戦っても勝ち目が無いから、温泉を潰して経済的にアルカンレティアを陥落させようとしているに違いないわ!」

 

「へー、そりゃすごいな」

 

「ちょっとは真面目に聞いて! ちゃんと確証もあるの!」

 

見てて。と言って、カズマの前に置かれたコーヒーにアクアは指先で触れる。すると、黒い液体は一瞬にして澄んだお湯に変わった。

 

「私の力を以てすれば、温泉くらいの水量なら一瞬で浄化できるの。それなのに、汚れた温泉を浄化しようとしたら一分以上もかかったわ。これは明らかに誰かが猛毒を入れたのよ!」

 

「おい、それはわかったが俺のコーヒーはどうしてくれんだ?」

 

カズマの文句を無視してベーコンを口に運び、手早く噛んで飲み込むとアクアはフォークを高々と掲げる。

 

「というわけで、私は朝食を食べ終わったら早速調査に向かうわ! もちろん、みんな手伝って……」

 

「パス。なんで観光地に来てまでクエスト紛いのことやらなきゃいけないんだよ。今日はまだ行ってない場所を見て回るって決めてるんでな」

 

「すみません、私もパスで。もうアクシズ教徒に関わるのは懲り懲りです……。今日はカズマと一緒に観光します」

 

「普通ここは『もちろんです。女神アクア様のためならば』って言うところでしょ!!」

 

間髪入れずに二人から拒否され、アクアは立ち上がってフォークを振り回しながら怒鳴った。見かねたカズマが彼女の頭を押さえ込み、強制的に着席させる。

アクアがいじけながらフォークでコーンスープをかき混ぜていると、コップを傾けているダクネスに目が止まった。

 

「ダクネス、お願いだから手伝って! もう貴女しかいないの! おーねーがーいー!」

 

「わ、わかったわかった、手伝うから泣き止んでくれ。そうしないとウィズが……って、ああ、ウィズ大丈夫か!?」

 

ダクネスに泣きつき、アクアは彼女の肩を激しく揺さぶる。

泣き落としで手伝ってもらうという、子供じみた方法を使う女神を、コーヒーだった物を飲みながらカズマは呆れた様子で見ていた。

一先ずダクネスの協力を取り付け両手を挙げて喜ぶアクアを余所に、当のダクネスはアクアの昂ぶった神性に充てられ、体が半透明になって消えかかっているウィズを必死に介抱していた。

早朝からの騒ぎに疲れたように小さく息を吐くと、カズマは視線を僅かに動かして、筋向かいに座る千翼を盗み見た。

介抱されているウィズを心配そうな顔で見詰めており、しばらくすると正面に向き直る。その際に視線がかち合い、カズマの心臓が胸中で跳ね上がる。

 

「カズマ、何か用?」

 

「えっ、あー……その……ち、千翼は今日はどうするんだ? また観光に行くのか?」

 

「まだ見てない場所もあるし、そのつもり。今日も一緒に行く?」

 

「い、いや、今日はお互い自由行動にしよう。せっかくの旅行なんだから、一人で好きなように観光するのも悪くないだろ?」

 

それもそうだね。と言って千翼は頷き、水筒を傾けた。

 

 

◆◆◆

 

 

アクアの神性に充てられて、またもや天に召されかけたウィズを部屋に寝かせ。カズマはめぐみんと共に、二日目となるアルカンレティアの観光に乗り出した。

今日は互いに見てない場所を回ろうと言うことで、街の案内板を見て興味深そうな所に目星を付けると、威勢良く目的地へと向かう。

桶作り体験や、オリジナル入浴剤作り。地熱を使った蒸し焼き料理など、温泉街ならではの体験を二人で楽しむ。昨日に続き、何度もアクシズ教への入信を勧められたが、二日目ともなるとスマートに無視することが出来た。

初めは観光を楽しむカズマであったが、その脳裏には千翼の影がちらついていた。

こんな時まで考えてどうする。と無理矢理振り払おうとするが、頭の中から追い出す度に影はその色を濃くして、何度もカズマの頭の中に現れる。

いつの間にか表情も忘れてしまい、それに気が付いためぐみんが心配そうに声をかける。

 

「カズマ、どうしましたか。もしかして疲れましたか?」

 

「……そうだな、ちょっと疲れた」

 

「あそこが木陰になっていますし、休憩しましょう」

 

めぐみんが指差す先にはベンチがあり、傍にある木がちょうど日光を遮って影になっていた。パタパタと走り寄ってベンチに座っためぐみんは、カズマを急かすように自分の隣を手で叩く。

カズマは若干覚束ない足取りで向かうと、ゆっくりとベンチに腰を下ろして溜息を吐いた。

 

「あらー、今日も良い天気だわ! これも女神であるアクア様の恩恵ね!」

 

そばを通りかかった小脇に鍋を抱えた老婆が、実にわざとらしく叫んだ。横目でカズマとめぐみんに狙いを定めると、瞳を怪しく輝かせながら顔を近付ける。

 

「この鍋ね、焦げ付かないの! なんたってアクア様の御加護があるからね! いま入信してくれるなら、アクシズ教特製の調理器具一式が無料で付いてくるわよ!!」

 

休憩しようと思った矢先に、アクシズ教の勧誘攻撃。すっかり油断していためぐみんは小さな悲鳴を上げる。

 

「ヒィ! か、カズマ助けてくだ……カズマ?」

 

「……」

 

「あ、あのーカズマ。聞こえていますか?」

 

「……」

 

「も、もしもーし?」

 

カズマは俯いたまま、全く動かなかった。

不審に思っためぐみんが横から顔をのぞき込むと、虚ろな目で瞬きもせず、まるで石のように固まったままカズマはじっと足下の石畳を見詰めていた。

あまりの異様な様子にめぐみんが唾を飲み込む。

 

「……ご、ごめんない。どうやらお取り込み中のようね。それじゃあ」

 

ひたすら一点を見詰め続けるカズマを見た老婆は、居心地の悪そうな顔をすると素早く立ち去った。

とりあえず厄介ごとをやり過ごしためぐみんは一息付くと、未だに反応を見せないカズマの肩を揺する。

 

「カズマ、カズマ! 聞こえてますか?」

 

「……え? ああ、悪い。なんだ?」

 

ここでようやくめぐみんの呼びかけが届き、カズマは目が覚めたように肩を震わせた。

 

「なんだ、じゃありませんよ。私の声が聞こえなかったのですか?」

 

「……ちょっと考え事してて」

 

「カズマ、本当に大丈夫ですか? 昨日の夕食の時も、今朝もそうでしたけど、何だか様子がおかしいですよ。具合が悪いなら大人しく寝ていた方がいいです」

 

「……大丈夫だよ、心配すんなって」

 

カズマはそっぽを向いてぶっきらぼうに言う。人の心配を無下にする少年に、めぐみんは呆れるように肩を竦めた。

 

「親愛なるアクシズ教徒のみんな、聞いてちょうだい!」

 

その時、妙に聞き覚えのある声が二人の耳に届く。一体どこからだと首を回すと、広場の方に人だかりが出来ていた。

 

「あっちだな」

 

「行ってみましょう」

 

ベンチから立ち上がった二人は足早に広場の方へ向かった。

広場では、噴水を中心にして円形の人垣が出来ていた。二人は何とか中の様子を見ようと、カズマは背伸びし、めぐみんは近くにあった植え込みに上がる。

 

「この事態に、私は立ち上がることを決意したの!」

 

噴水の前では、木箱の上に乗った青い髪の少女――水の女神アクアが両手を広げながら演説をしていた。彼女の隣では顔を真っ赤にして俯いているダクネスの姿が。

 

「いま、このアルカンレティアが魔王軍の卑劣な工作によってピンチになっているの! 奴らは温泉を汚して、経済的にアルカンレティアを潰そうとしているわ! そこでお願い、温泉に入るのを止めて!」

 

街中で突然演説を始めたかと思えば、今度はいきなり「温泉に入るな」と叫ぶ少女に群衆がざわめく。

アクアは隣で俯き、体をモジモジとさせているダクネスに耳打ちした。

 

「ほら、ダクネス。一緒にお願いして」

 

「入らないで……ください……」

 

蚊の鳴くよりも小さな声を、ダクネスは口から漏らした。当然ながら周囲の音にかき消される。

 

「おいおい嬢ちゃん、温泉はこの都の目玉だぜ。それは無理な話ってもんだ」

 

「確かにここのところ温泉の質が悪くなってるけど、魔王軍ってのは大袈裟じゃないか?」

 

「いいえ、これは魔王軍の破壊工作に違いありません。私にはハッキリとわかります。なぜなら私は――」

 

「ここにいたか! もう逃がさねぇぞ!!」

 

アクアが何かを言いかけ、それは男の怒鳴り声で遮られた。

噴水の周りに集まった全ての人間が声のした方に顔を向けると、怒り心頭の様子でアクアを睨む何人もの男達がいた。

 

「みんな、そいつは温泉をただのお湯に変えちまう悪質な女だ! さっきその女がウチの温泉に入っていったら、お湯に変わっちまってたんだ!」

 

口角泡を飛ばしながら男がアクアを指差す。群衆が眉を顰めながら、先程とは違う意味でざわめいた。

 

「ちょ、ちょっと待って! 私がさっき入った温泉は既に汚染されてて、浄化する必要があったの! この騒ぎが解決したら、直ぐにでも元の温泉に……」

 

「何が魔王軍による破壊工作だ! 温泉をお湯に変えるお前こそが魔王軍の手先だろ!」

 

その一言で、群衆のアクアを見る目付きが一気に敵意に満ちた物になった。

 

「さてはお前が温泉の質が悪くなった原因はお前だな!」

 

「毒でも入れたんだろ!」

 

「足が付きそうになったから、今度はお湯に変えて嫌がらせしてるのか!」

 

男の叫びが決定打となり、アクアはあっという間に汚染騒ぎの犯人にされてしまった。

彼女は純粋な正義心と自分の信者達を思う気持ちから汚れた温泉を浄化したのだが、群衆は当然ながらそんなことは知る由も無い。

 

「あ、アクア。流石にこれ以上は……もう止めよう……」

 

巻き添えをくらっているダクネスは、辛うじて聞き取れる声量でアクアに囁く。しかし、当の本人は聞こえているのか聞こえていないのか、口元を引き締めて何やら覚悟を決めたようであった。

 

「こうなったら仕方ないわね……。みんな、驚かないで聞いてちょうだい!!」

 

アクアの真剣な表情と声色に、罵声を浴びせていた群衆が静まる。

彼女のただならぬ雰囲気に何かを感じ取ったのか、誰も野次や罵声を飛ばすこと無く次の言葉を待った。

 

「あー……めぐみん、逃げるぞ。ここにいたら俺たちまで巻き添えをくらうハメになる」

 

「アクアとダクネスには大変申し訳ありませんが、その意見に賛成です……。今すぐ逃げましょう」

 

この後に何が起こるのか本能的に理解した二人は、アクアに見つからないようにこっそりと広場を離れた。

二人が曲がり角の向こうに消えたところで、アクアは意を決して口を開く。

 

「私の名はアクア、アクシズ教徒である貴方達が崇める女神よ!!」

 

堂々と自分の正体を明かした女神アクアに、人々は驚きで一瞬だけ顔を見合わせる。一瞬だけだった。

 

「ふざけんなー!!」

 

「何が女神だ! 魔王軍の手先め!!」

 

「髪と目が青いからってアクア様の名を騙るなー!!」

 

罵詈雑言の雨霰が容赦なく彼女へと浴びせられる。予想とは真逆の反応を見せる信者達に、アクアは慌てふためいた。

 

「ま、待って! 私は本当に水の女神アクアで……ダクネスお願い! 貴女からも何か言って!」

 

「か、彼女は……ほ、本物の……」

 

先程よりも更に小さい声でダクネスは囁く。無論、群衆の罵声にかき消された。

時間と共に人々の怒りはヒートアップしてゆき、道ばたに落ちていた石や枝。中には野菜や果物を手に持つ者まで現れ始めた。今にもそれを投げ付けてきそうな程に殺気立っている信者達に対して、アクアは必死に呼びかける。

 

「お、お願い! お願いだから話を聞いて! そうすれば、きっと私が本当に水の女神だって……」

 

澄み渡る青空に、女神の悲鳴と群衆の怒号が木霊した。

 

 

◆◆◆

 

 

「なんでよー!! なんで私が女神の偽物呼ばわりされなくちゃいけないのよー!!」

 

太陽が地平線に沈み、月が顔を出し始めた夜の入り時。アクアは泣き伏しながら、八つ当たりするように宿泊している部屋のベッドを叩いていた。

あれから一番最後にホテルに帰ってきたアクアに、何があったのかカズマが尋ねると。広場での騒ぎから命からがら逃げ出し、その後も自分を探すアクシズ教徒達から逃げ続け、夕方を過ぎてようやくホテルに戻ってくることできた。そして話終えた彼女は突然泣き出してベッドを叩き始め、今に至る。

 

「ぐすっ……わ、私は信者のみんなを、アルカンレティアを守りたくて、こういう時こそ女神の私が何とかしなくちゃって……。だから凄く頑張ったの、一刻も早くみんなが安心して温泉に入れるように……それなのに……うわあああぁぁぁん!!」

 

カズマと千翼は哀れむような視線を彼女に送り。ウィズはなんとか慰めようとするが、感情が昂ぶって神聖な魔力が溢れ出しているアクアに近付けず、オロオロと狼狽えるばかり。

 

「あ、アクア、泣き止んでください。シュワシュワでも飲みますか?」

 

「な、何か欲しいおつまみはあるか? いくらでも買ってきてやるぞ。そうだ、ついでにデザートも買ってこよう。リクエストはあるか?」

 

いつものアクアならここで即座に食いつくが、今回は余程堪えたのか。めぐみんと、アクアの代わりに群衆の攻撃を一身に受けて、どこか満足そうなボロボロのダクネスの言葉も届かぬほどに泣き叫ぶ。

さしものカズマも、余りにも不憫な目に遭った彼女にいつもの調子で乱暴な事は言えず、ここは同性である彼女たちに任せた方が良いと判断し、黙っていた。

 

「すんっ……もう犯人を直接捕まえるしか無いわ! そうすれば信者の皆だって、私が女神だってきっと信じてくれるわよ!」

 

しかし、ここまで打ちのめされてもアクアの心はまだ折れていなかった。鼻をすすりながら立ち上がると拳を握り締め、犯人確保への決意を固める。

その様子を感心と呆れの混じった眼差しで見ていたカズマはふと、表が騒がしいことに気が付く。カーテンの隙間からこっそり外を見ると、ホテルの前には何本もの火の付いた松明が掲げられ、その下で沢山の何かが蠢いていた。

 

「な、なんだなんだ!?」

 

目をこらしてよく見ると、松明の下には何十人もの人間がいた。異様にギラついた目でホテルを睨んでいる。

 

「ここだ! ここにあの女がいるらしいぞ!」

 

「畏れ多くも我らがアクア様の名を騙る不届き者を許すなー!」

 

「悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!」

 

誰かが叫んだ言葉はあっという間に伝播し、群衆は一丸となって繰り返す。

 

『悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!』

 

もはや群衆は、いつホテルに雪崩れ込んできてもおかしくないほどに殺気立っていた。カズマが顔を青ざめさせながらその光景に戦慄していると、アクアが近付いてくる。

 

「ぐすっ……どしたの、外でなにかあった?」

 

「あっ! 顔を出すな!」

 

アクアを窓から引き離そうと腕を伸ばすが、一手遅かった。ホテルの前に集まったアクシズ教徒の姿を見ると、泣き腫らした顔から一転して満面の笑みを浮かべ、窓を勢いよく開け放ち、上半身を乗り出して愛すべき信者達に向かって手を振った。

 

「みんなー! やっぱり私が女神だって分かってくれたのね! 安心して、汚染騒ぎは直ぐにでもこの私が――」

 

「いたぞー! 魔女だ!」

 

殺意に満ちた幾つもの視線が女神に突き刺さる。さしものアクアも様子がおかしいことに気が付き、手を振るポーズのまま固まった。

 

「魔女を捕まえろー!」

 

「絶対に逃すな!」

 

「アクア様の名を騙る魔女め!」

 

群衆は一斉にホテルへと殺到する。すぐに部屋の扉の向こうから何人もの怒号と荒々しい足音が聞こえてきた。

 

「みんな、荷物を持って直ぐに逃げろ!!」

 

カズマ達は大慌てで荷物を引っ掴むと、逃げるようにホテルを後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

アクシズ教徒達の捜索を何とか逃れた六人は、街を出て源泉のある裏山へ向かっていた。

逃げている最中に、温泉を汚した犯人は次はどう出るか? と話しあったところ、浄化能力を持ったアクアの存在が街中に知れ渡ったため、当然ながら犯人の耳にもそのことは届いていると判断。温泉を一つ一つ汚しても、アクアが片っ端から浄化してイタチごっこになるため。源泉そのものを汚し、まとめて温泉を潰そうとするはずだとカズマ達は結論付けた。

だとすれば、この騒ぎに乗じて犯人は源泉に向かっていると考え、一行はアルカンレティアの裏山を目指すことになった。

この事態を解決せねば、アクアだけでなくカズマ達も魔女狩りに遇ってしまう。最早自分たちにかけられた疑いを晴らすためには、この汚染騒ぎの犯人を捕まえるしかなかった。

魔女狩りの危機を脱し、ようやく落ち着いたところで、アクアがホテルに続いて再び泣き出す。

 

「なんでー! なんでなのよー! 女神どころか魔女だなんてー! あんまりよー!!」

 

山道を歩きながら、アクアは人目も憚らず泣きじゃくる。

本人曰く『愛すべき可愛い信者達』から女神として認められず、それどころか『アクアの名を騙る魔女』の烙印を押されてしまい、彼女は今まさに不幸のどん底であった。

さすがに見かねためぐみんとダクネスが、彼女の背中を擦りながら必死に慰めている。

 

「こうなったら、たとえどんな手段を使ってでも汚染騒ぎを解決してみせるわ! そして犯人に、私を敵に回した事をたっぷりと後悔させてやる! 女神の意地を見せてやるんだから!」

 

涙で濡れた顔で鼻息を荒く吐いて、アクアがずんずんと前に進む。遅れないように五人もその後に続いた。

しばらく歩くと、大きな門が見えてくる。源泉が湧いている山への道は門で固く閉ざされており、その前には槍を携えた二人の門番が突然やってきたカズマ達を鋭い目つきで睨む。

 

「すみません、俺たち源泉の調査に来たんですけれども、ここを通してくれませんか?」

 

アクアが不用意な発言をして余計なトラブルを起こす前に、カズマは彼女よりも先に門番に尋ねた。門番は揃って、無表情で首を横に振る。

 

「ダメだ。ここは関係者以外立ち入り禁止だ。というか、源泉の調査に行くのになんで武器なんか持ってるんだ?」

 

「ええと、これはですね……」

 

今回の汚染騒ぎは人為的な物、それこそ魔王軍の破壊工作の可能性がある。そうなれば犯人との戦闘は避けられないだろう。それに備えて装備を整えてきたのだが、門番からしたら『武器を持った怪しい団体』でしかないため警戒するのも無理からぬ話であった。

カズマが返答に窮していると、アクアは胸を張って二人の門番を指差す。

 

「そこのあなた達、緊急事態だから今すぐここを通してちょうだい! 大至急、源泉を調査しなくちゃいけないの!」

 

「ここは通せないと言っている」

 

「通してって言ってるでしょ! 緊急事態だって分からないの!?」

 

「少し前に管理人の爺さんから『源泉を調べてくるから、誰もここを通すな』って言われてな。今頃は調査の真っ最中だろうし、行ったところで仕事の邪魔になるだけだ。というか、あんたらそもそも部外者だろ? だったらなおさら通すわけにはいかない」

 

門番から至極当然且つ、真っ当すぎる理由を返されて今度はアクアが返答に詰まるが、それでも何とか言葉を返す。

 

「私はアクシズ教のアークプリーストよ! あなた達も同じアクシズ教徒なら――」

 

「俺はエリス教徒だ」

 

「自分も」

 

「なんでよー! なんでエリス教徒が源泉の入り口を守ってるのよー!」

 

にっくきエリス教徒がアルカンレティアの源泉を守っている。という事実にアクアは地団駄を踏んで喚いた。

その後もアクアが喚き、門番が突っぱねるというやり取りが何度も繰り返され、それを見ていためぐみんは首を横に振りながら溜息を吐いた。

 

「埒があきませんね。ダクネス、今こそ『あれ』を使うときですよ」

 

「『あれ』……? あれとはなんだ?」

 

「ほら、カズマの裁判の時にダクネスが出した『あれ』ですよ」

 

『あれ』と言われて首を傾げるダクネスであったが、カズマの裁判と聞いてめぐみんが言う『あれ』が何を指しているのか、理解した。

 

「ダメだダメだ! あれは無闇に見せびらかすようなものではない!」

 

「緊急事態というやつです。さ、大人しくあれを出してください」

 

「例え緊急事態であっても絶対に出さないぞ! 昔からお父様から。貴族たるもの、権力を振りかざすような真似をしてはいけないと厳しく言われて……」

 

「はいはい、とにかく行きますよ」

 

貴族の心構えを語るダクネスを無視して、めぐみんは彼女の後ろに回り込むとグイグイと背中を押し始める。

それにダクネスは抵抗しようとするが、却ってバランスを崩してしまい、たたらを踏む形で自ら門番の前に出ることとなった。

 

「今度はなんだ? どんな理由があってもここは通せないぞ」

 

「いや、違うんだ。これは……」

 

「控えおろうー! この方をどなたと心得る。王家に次ぐ権力を持つ大貴族、ダスティネス家のご令嬢なるぞ! 頭が高い!」

 

堂々と胸を張って、手の平でダクネスを差しながら、めぐみんは高らかに叫んだ。

この国で知らぬ者はいないであろう貴族の名を出されて、門番の二人は一瞬驚くが、すぐさま胡散臭い物を見る目付きになる。

 

「ふーん、ダスティネス家の……で、その証拠は?」

 

「ほら、ダクネス。さっさとあれを出してください」

 

「断る! なんと言われようと絶対に出さないぞ!」

 

「……そうですか、だったら仕方ありませんね」

 

めぐみんは手をワキワキとさせながらダクネスににじり寄る。その動きに不穏な物を感じ取ったダクネスは、後退りしながら身構えた。

 

「め、めぐみん、一体何をするつもりだ?」

 

「これが最後の警告です。今すぐあれを出してください。さもないと、私の恐ろしさを嫌というほど味わうことになりますよ?」

 

「脅されようが私の答えは変わらない! 絶対に出さん!」

 

「……わかりました」

 

飽くまでも家紋を出そうとしないダクネスに、呆れながらめぐみんは手を降ろした。

 

「やっと分かってくれたか。いいか、そもそも権力という物は――」

 

「――だったら無理矢理にでも奪い取るのみ!! こーちょこちょこちょこちょこちょこちょこちょ!!」

 

諦めたと見せかけてダクネスの一瞬の油断を突き、めぐみんは飛びかかった。細い指を彼女の首筋や鎧の隙間に差し込むと、容赦なく(くすぐ)り始める。

 

「め、めぐみん、そこはやひははははは!! お、お願いだからそこをくすぐるのはあははははは!」

 

「アクア、今です!」

 

「分かったわ! さぁ、大人しく渡しなさい!」

 

くすぐられて思うように抵抗の出来ないダクネスに、今度はアクアが飛びかかった。

 

「あ、アクア! これだけは渡さひゃははははは!! へ、へんな所を触るな! 余計にくすぐったあははははは!!」

 

アクアは何とかして家紋を奪い取ろうとし、ダクネスは笑いながら辛うじて出せる力でそれに抗った。しかし、その結果ダクネスをよりくすぐる形となってしまい、女騎士は更に甲高い笑い声を上げる。

目の前で突如として始まったキャットファイトに、カズマと千翼、門番の二人は困惑し。止めるべきか否か判断の付かないウィズはオロオロと狼狽える。

しばらくの間、ダクネスの笑い声が夜空に木霊し続けた。

 

「この家紋が目に入らぬかー!」

 

くすぐり責めによって精も根も尽き果て倒れ伏すダクネスを差し置き、彼女から奪い取った家紋のペンダントを、アクアは堂々と門番に見せつけた。

始めは胡乱げな目で見ていた門番も、それが本物であることを確かめた瞬間、背筋を真っ直ぐに伸ばして敬礼する。

 

「た、大変失礼いたしました! まさか本当にダスティネス家のご令嬢とは。どうぞ、お通りください!」

 

二人の見張りは素早く門を開けた。アクアは振り返ってサムズアップすると、めぐみんもサムズアップを返し。カズマ、千翼、ウィズの三人は顔を引き攣らせ、地面に倒れているダクネスは一瞬だけピクリと震えた。

 

 

◆◆◆

 

 

「うう……とうとうやってしまった……」

 

両手で顔を覆ったダクネスは、歩きながら泣き言を漏らす。

 

「いいじゃないですか、別に減る物でもありませんし」

 

「そうそう、減らないんだったらドンドン使うべきよ」

 

「減るとか減らないとか、そういう問題では無い!!」

 

他人事のように言う二人に怒鳴ると、ダクネスは疲れたようにがっくりと肩を落とす。

手段はどうあれ、源泉の管理地に入ることが出来たカズマ達は、モンスターの襲撃を警戒しながら一本道を歩き続ける。

道の脇には街へ温泉を供給している配水管が何本も走っており、歩くにつれて徐々に硫黄の臭いもしてきた。

 

「うわ、こりゃ酷い」

 

道中にあった小さな源泉を見たカズマは、その色を見て驚いた。

通常ならば透き通った熱湯が湧き出ているはずの源泉が、今はまるで原油のように真っ黒に染まっていた。

下からゴボゴボと泡が吹き出る様子は、まるで沼のようである。

 

「う……臭いを嗅いでいるだけで気分が悪くなってきます……」

 

「めぐみん、離れた方が良い。恐らく有害な物質が蒸発して瘴気になっているんだ」

 

上着の袖で鼻と口を覆っためぐみんは、頷きつつ源泉から離れる。

一体何を使ったらここまで汚染することができるのか、そしてこんな危険な真似を躊躇いなく実行に移せる、まだ見ぬ犯人にカズマは恐怖を覚える。もしかしたらアクアの言った『魔王軍による破壊工作』というのは、あながち間違っていないのかもしれない。

 

「ねぇ、みんな。これ見て!」

 

源泉から少し離れたところで、何かを見つけたアクアが手招きする。五人がそちらへ向かうと、彼女が指差す物を見て揃って首を傾げた。

 

「動物の毛皮と骨……これ、溶けてるのか?」

 

地面に動物の死骸、正確には死骸の一部が落ちていた。しかし奇妙なことに血の一滴、肉片の一つも見当たらず、そこには溶けかかった毛皮と骨だけが残されている。

 

「カズマ、これは触らない方がいいですよ」

 

「今も薄くだが煙が出ているな……溶かされたのはついさっきか?」

 

「薬品……じゃないよな?」

 

斬られたわけでも、焼かれたわけでもなく。溶かされて死んだという余りにも不自然な死に方に、六人の頭上に疑問符が乱れ飛ぶ。

 

「って、今は動物の死骸なんてどうでもいいわ! それよりも急いで源泉に向かわないと!」

 

謎だらけの死骸に気を取られていたが、自分たちの本来の目的を思い出したアクアは勢いよく立ち上がる。動物の死因についてあれこれと議論を交わす五人を無理矢理立ち上がらせ、背中を押した。

 

「アクア様。すみませんが調べたいことがあるので、先に行っててください。すぐに後を追いますから」

 

しかし、どうしても死骸が気になるらしく。申し訳なさそうにウィズが手を合わせた。

 

「なによ、源泉より溶けた動物の方が重要だっていうの!?」

 

「い、いえ。決してそういう意味では……」

 

アクアが言いがかりを付けてウィズに食ってかかり、余りの迫力に彼女が後退る。

 

「こら、ウィズが困ってるだろ。それにこんな所で文句を言ってる暇があったら、それこそ時間の無駄じゃないのか?」

 

カズマの正論に悔しそうな顔をしながらアクアはウィズを睨む。その様子にウィズの困り眉の角度が更に下がった。

 

「悔しいけどその通りね。こんな薄情リッチーは置いてさっさと行くわよ!」

 

不機嫌そうな早足でアクアは山道を進んでゆく。その背中を呆れながらカズマは見送った。

 

「ウィズ、調べたいことってなんだ?」

 

「源泉を汚している物質と、溶けた動物の死骸なんですが。どうしても気になることがあって……すぐに終わるので、私のことは気にしないでください」

 

「手伝いはいらないのか?」

 

「大丈夫です。私一人で十分ですから」

 

心配いらない、とウィズは小さく手を振る。当の本人がそう言っているので、ここにいても邪魔になるだけだろうとカズマ達は判断し、アクアの後を追った。

 

「さて……」

 

五人の後ろ姿を見送ったウィズは、まずは動物の死骸を調べ始めた。




と言うわけで、次回はいよいよハンス戦です。恐らく今までで一番の山場になると思われます。


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Episode13 「M」ORTAL COMBAT

今回の話は間違いなく一番の難産でした……。本当に疲れた……。


「誰かいるな……」

 

岩陰に隠れながら、千里眼のスキルで源泉の周りを偵察していたカズマは呟く。

山頂の源泉、その傍で誰かがしゃがんでいた。湯気でよく見えないが、輪郭からして恐らくは男だろう。

自分の武器をしっかりと確認してから岩陰を出たカズマ達は、ゆっくりと人影に近付く。そばまで寄ると、人影はの正体は浅黒い肌のがっしりとした体格の男だと分かった。

カズマ達の足音に気が付いた男が振り返ると、一瞬だけ驚いたような顔を浮かべて立ち上がり、すぐに険しい顔付きになる。

 

「なんですか、あなた達は? ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ」

 

「あんたが温泉を汚した犯人ね! 大人しく――」

 

「すみません、俺たち温泉の質が悪くなった原因を調査してまして。もしかして源泉になにかあるんじゃないかと」

 

アクアが余計なことを言ってトラブルになる前に、カズマは素早く彼女の口を塞いで押さえ込んだ。何とか捕縛を抜け出そうとアクアは暴れる。

 

「それは管理人である私の仕事であって、あなた達のような部外者がやるべき事ではありません。さぁ、仕事の邪魔になるから帰った帰った」

 

「ですよね……。ほら、アクア。管理人さんが言っているんだし、ここは専門家に任せて俺たちは帰るぞ。アルカンレティアには戻れないから今日はどっかで野宿して、調査結果を聞いてから改めて行動したほうが良い」

 

いつの間にか大人しくなったアクアから手を離し、カズマは来た道を指差して下山を促す。

アクアは今も自分たちを睨む男をじっと見詰めると、おもむろに口を開いた。

 

「ねぇ、あんた誰?」

 

「誰って……聞いてなかったのか? さっき管理人だって……」

 

「管理人って、口髭を蓄えた頭の禿げ上がっているおじいさんよ? 私、昨日会ったわ」

 

アクアの言葉を聞いて、源泉を後にしようとしていた面々は足を止めた。踵を返すと、不思議そうな目で管理人を名乗る男を見つめる。

 

「……すみません、言い方が悪かったですね。私は具合が悪くなった管理人の代わりに、源泉の調査を頼まれまして」

 

「待ってください。入り口にいた門番は『管理人のおじいさんが誰もここを通すな』と言って源泉の調査に向かったと言ってましたよ。本当に管理人は具合が悪いんですか?」

 

管理人の代理で来た。という男にめぐみんが即座に矛盾点を指摘する。カズマ達の視線が疑問混じりの眼差しになった。

 

「……ええと、そうです。私は管理人と一緒に来たのですが、その……途中でおじいさんの具合が悪くなりまして。それで私に調査を任せて先に下山を」

 

「それはおかしい、入り口からここまでは一本道だ。もし管理人が途中で引き返したのなら、私たちと会っているはずだ。ここに来るまで誰とも会わなかったぞ」

 

どこか焦っている様子の男は、額に薄らと冷や汗を浮かべながら、たどたどしい口調で説明する。

それに対してダクネスが間髪入れずに反論し、男は大きく肩を震わせた。カズマ達の目がいよいよ不審者を見るそれとなる。

 

「ええと……その……。あ、ああそうだ! もしかしたら管理人は具合が悪いから、道を外れたのかもしれません! こんな寒い季節に遭難でもしたら大変だ。すぐにでも探しに」

 

「お前、人間じゃないだろ」

 

言い終える前に、千翼の鋭い声が遮る。男の顔が驚愕に染まり、肩が竦み上がった。

 

「チヒロ、それって本当なの?」

 

アクアの言葉に、千翼は男から目を離さず頷く。

 

「間違いない。一目見たときからこいつは人間じゃ無いって直ぐに分かった。最初は何か事情があるかと思ったけど、さっきからいい加減なことばかり言って怪しすぎる」

 

初めてウィズに会ったとき、彼女の正体を一目で見抜いた千翼は確信を持って断言した。カズマ達は静かに各々の得物に手を掛ける。

 

「さ、さっきから一体何なんですか、あなた達は! 立ち入り禁止の場所に勝手に入ってきたかと思えば、次から次へと言いがかりを! これ以上居座るつもりなら通報――」

 

「遅れてすみませーん!」

 

怪しい男が苦し紛れに通報をちらつかせると、一触即発の緊迫した空気に似つかわしくない和やかな声が響く。

カズマ達と男が声のした方を見れば、息を切らしながらウィズが山道を走ってきた。

 

「もしかしたらと思って源泉と動物の死骸を調べていたんですが、私の思った通りでした! 恐らく汚染の原因は――」

 

ウィズと目が合った男は、慌てて顔を逸らした。そして先程よりも更に焦った口調でカズマ達に立ち去るよう命ずる。

 

「と、とにかく!! さっさと立ち去ってください!! これ以上何か言うなら――」

 

「あー!」

 

男の姿を見たウィズは口を押さえながら指を差した。男の肩が今までで一番大きく跳ね上がる。

 

「ハンスさん、ハンスさんじゃないですか! やっぱり貴方だったんですね!」

 

まるで旧知の仲のように、自称管理人の男の名前を親しげに口にする。

 

「ウィズ、知り合いなのか?」

 

「はい、あの人は私と同じ魔王軍の方でして。デッドリーポイズンスライムのハンスさんです。久しぶりですね、最後にあったのは魔王城以来でしょうか?」

 

カズマの質問にウィズは嬉々として答える。『魔王軍』という聞き捨てならない言葉に、五人は一斉に身構えた。

 

「はぁー……そうだよ、俺は魔王軍幹部のハンスだ」

 

他ならぬウィズが言ったため、男――ハンスは諦めたように白状する。先程までの丁寧な口調と打って変わって、本来の喋り方であろう乱暴な言葉遣いになった。

 

「ったく、あとちょっとで汚染が終わったってのに……。おいウィズ、俺とお前との間には『戦闘に携わる者以外に手を出さない限り、お互い干渉しない』って取り決めがあるだろうが。ここは俺の正体に気が付いても、空気を読んで黙っているのが筋ってもんだろ。そんなんだからバニルからポンコツだの能無しだの言われんだよ」

 

「ひ、酷い! ハンスさんまでそんなこと言うんですか!?」

 

最近入った新人店員だけでなく、旧知の仲の者からも見下されたウィズは涙を浮かべた。

 

「さて、計画はバレちまった訳だが……どうする?」

 

「どうするだって? そんなの決まってんだろ」

 

カズマの言葉を口火に、パーティーメンバーは持っていた荷物を投げ捨て、各々の得物を構えた。

アクアは花を象った杖の石突を勢いよく地面に打ち付け。

めぐみんは紅い宝玉がはめ込まれた杖を天に掲げ。

ダクネスは大剣を両手で握り締め、切っ先をハンスに向ける。

千翼はアマゾンズドライバーを腰に巻いて、インジェクターをセットした。

 

「今宵の刃は、血に飢えている――」

 

カズマは腰に佩(は)いた刀の柄を握り、ゆっくりと鞘から引き抜いた。静かな音と共に鯉口から、鏡のように磨き上げられた刀身が闇夜と星を映しながら姿を現す。

血払いをするように横一文字に振るうと、鍛えられた刃が大気を鋭く斬り裂いた。ゆっくりと左手で柄を握ると、切っ先をハンスに向けてゆらりと構える。

 

「行くぜ、相棒――」

 

「ちゅんちゅん丸です。ちゃんと名前で呼んでください」

 

「だーもー!! 人が格好良く決めているときにその名前を呼ぶんじゃねぇ!!」

 

何とも気の抜ける名前を口にしためぐみんに、カズマは愛刀――ちゅんちゅん丸を振り回しながら叫んだ。

カズマが冒険者として駆け出したときから使っていたショートソードに代わる新たな武器。アクセルの鍛冶屋に頼んで、賞金と自分が知りうる限りの知識をつぎ込んで作ってもらった特注品――日本刀。

男なら誰しもが憧れるであろう武器を手に入れたカズマは、それは喜んだ。そしてこれから苦楽をともにする相棒の名前は何にしようかと、あれやこれやと悩んでいる内に、めぐみんが銘を刻む札を勝手に刀に貼り付けてしまった。

『ちゅんちゅん丸』という名前を書いて。

 

「まぁ、ともかく。どうやら魔王軍は相当な人手不足らしいな。まさかスライムが幹部だなんて」

 

「あぁ?」

 

明らかに自分を侮っているカズマを、ハンスは鋭く睨み付けた。

 

「こいつの初陣がスライムなのは残念だが、一応は魔王軍の幹部。そこは我慢すると……」

 

「ねぇ、カズマ。まさかとは思うけどスライムに勝てると思ってるの? 弱っちぃくせに」

 

「俺だってレベルアップして強くなってるっつーの! つか、どんだけ俺が弱いと思ってんだよ!」

 

めぐみんの余計な一言で台無しになった空気を仕切り直そうと、かっこ付けてちゅんちゅん丸を振っていたカズマにアクアが水を差す。

 

「スライムって言ったらあれだろ。主人公が一番始めに戦う、経験値とお金が一しかもらえない雑魚モンスターの代表格。デッドリーポイズンなんて大層な名前が付いてるけど、毒なんてアークプリーストのお前が居れば……」

 

「一体どこの世界の話をしているんですか? スライムは時にベテラン冒険者さえ仕留める強敵ですよ」

 

「……マジで?」

 

めぐみんが黙って頷いた。

 

「スライムは体が液状だから、物理攻撃は殆ど通用しない。それに体に纏わり付かれたら引き剥がすのは極めて困難だ。そのまま顔を覆われて窒息死、なんてよくある話だぞ」

 

「……マジで?」

 

ダクネスが黙って頷いた。

 

「カズマさん、ハンスさんはデッドリーポイズンスライムの変異種で、極めて強力な毒を持っています! 剣だろうと鎧だろうとあっという間に溶かすことが出来ますし、体に触れようものならそこが一瞬で腐り落ちてしまいます! 触られたら即死だと思ってください!」

 

「……マジで?」

 

ウィズが黙って頷いた。

 

「カズマ、さすがの私でも跡形もなく溶かされたら蘇生は出来ないわよ。あいつに喰われたら、その時は潔く諦めてちょうだい!」

 

「……マジで?」

 

アクアが黙って頷いた。

 

「カズマ、悪いけど俺は物理攻撃しか出来ない。確かカズマは魔法が使えたよね? 申し訳ないけど攻撃は任せた!」

 

「……マジで?」

 

千翼が黙って頷いた。

まるで錆び付いた機械のように、カズマは首を軋ませながら改めてハンスを見た。毒々しい色の煙を吐きながら拳を鳴らし、カズマを睨んでいる。

 

「で、やんのか?」

 

「すみません、見逃してください」

 

刀を素早く鞘に収め柄をハンスに、刃を自分に向けて右脇に置き。カズマは両膝と両手を地面に付いて深々と頭を垂れた。

感心するほど美しい土下座を披露したカズマに、一同は押し黙る。

 

「ちょっとカズマ! さっきまでの勢いはどうしたのよ!」

 

「うるせー! 俺みたいなへっぽこ冒険者が、触っただけで死ぬような猛毒スライムに勝てるわけないだろ!!」

 

余りにも情けなさ過ぎる絶叫に、千翼達は顔を引き攣らせた。

 

「そうそう、わかってるじゃねぇか。管理人のジジイみたいに下手に抵抗せず、勝てないと分かったなら逃げるのが賢い人間ってもんだ」

 

「あれ……そういえば管理人のおじいさんは? ここに来ているはずですが」

 

めぐみんは未だに姿を見ていない管理人を探して、キョロキョロと辺りを見回す。門番は『管理人が誰も通すなと言って、源泉へ向かった』と言ってたので、ここへ来ていることは間違いないはずである。

 

「それは俺の擬態だ。なんたって俺はスライム、その気になれば種族、年齢、性別を問わずどんな姿にだって擬態することができる。それを使って門番を騙したんだよ」

 

「なるほど。ということは管理人のおじいさんは無事――」

 

「ああ、それなら俺が喰ったぞ」

 

事もなげに言ったハンスの一言に、カズマ達が固まる。空気の温度が数度下がったような気がした。

 

「お前……いま、なんて……」

 

「だから、管理人のジジイなら俺が喰ったぞ。さっき何でも擬態できるといったが、それには相手を喰って情報を取り込む必要がある。しかし、やっぱ老人ってのは食い出がねぇんだよなぁ。小腹も満たせねぇ」

 

そう言いながら、ハンスは不満げに腹を擦る。

――きっと何かの聞き間違いだ。頼むからそうであってくれ。

微かな希望に賭けてカズマはハンスに尋ねたが、それはあっさりと打ち砕かれた。

 

「ともかく、俺とやり合う気が無いならさっさと失せろ。俺はこの源泉を潰したら晴れてあの街からオサラバできるんだ。邪魔しないんだったら見逃してやっても――」

 

「あああああぁぁぁぁぁ!!」

 

カズマ達の背後で赤い爆炎が噴き上がった。人型の紅蓮の炎は雄叫びを上げながらカズマ達の間を通り過ぎ、ハンスへと突撃する。

 

『BLADE LOADING』

 

人型の右腕から長剣が生えた。そして炎の中から青い装甲を纏ったアマゾンネオが姿を現し、助走の勢いを乗せて大上段から思い切り刃を振り下ろす。

凄まじい殺意が込められた突然の攻撃に、驚いたハンスは冷や汗を垂らしながら思わずその一撃を躱した。

 

「お前えぇ!! お前えええぇぇぇ!!」

 

「な、なんだいきなり!」

 

ネオの怒声と迫力に気圧され、ハンスは次々と襲いかかってくる白刃を必死に避ける。

 

「人を!! 人を喰ったなぁ!!」

 

「それがどうした! 俺はスライム、喰うことが本能だ!」

 

何度目かになる攻撃をハンスは避けようとしなかった。冷静さを取り戻したのか、先程までとは違いその顔には余裕の笑みが浮かんでいる。

ハンスの左肩を長剣が捉えた。そのまま並外れた膂力で刃が押し込まれ、袈裟斬りに男の体を――斬り裂けなかった。

 

「!?」

 

手応えに違和感を感じたネオは、本能的に飛び退く。ハンスから十分な距離を取って着地したところで、右手のブレードを見た。白銀の刃は中程から刀身が溶けて無くなっていた。

 

「言っただろ、俺はデッドリーポイズンスライム。取り込んだ物は人だろうが金属だろうが、あっという間に溶かして吸収できる!」

 

ハンスの左肩に銀色の刃が突き刺さっていた。しかし、血は一滴も流れず、ハンス本人も痛みを感じている様子は全くない。

カズマ達が驚きで目を見開いていると、刃はあっという間に跡形もなく溶かされ取り込まれた。

 

「先に手を出したのはそっちだからな、もう容赦しねぇ。一人残らず喰って――」

 

「カースド・クリスタルプリズン!」

 

カズマ達の後ろから冷たい女性の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、ハンスの左腕が巨大な氷塊に飲み込まれた。

 

「管理人さんを食べた? ハンスさん、あなた、自分が何をしたのか理解していますか?」

 

女性――ウィズが一歩踏み出すと。足の周りの地面が凍り付く。ハンスは何とか腕を引き抜こうと必死に藻掻いていた。

 

「冒険者の方々はモンスターを狩ることで生計を立てています。だからこそ、同時に自分が狩られる覚悟も持つべきです」

 

ウィズが反対の足を踏み出す。先程よりも広範囲の地面が凍り付いた。普段の柔和な雰囲気は完全に消え去り、心理的にも物理的にも背筋が凍るような声で喋るウィズに、カズマ達は震えが止まらない。

 

「騎士の人たちも、税を取る代わりに戦えない人々に代わって、彼らの生活を守っています。それが彼らの仕事であり使命ですから」

 

徐々にウィズの纏う冷気が勢いを増してゆき、彼女の周りを氷の粉が舞い踊る。ウィズはゆっくりと、ハンスに向かって手の平を向けた。

 

「ですが、管理人さんは明らかに無関係な人です。そしてハンスさん、あなたはその無関係な人間を食べた!」

 

「ま、待てウィズ! ジジイを喰ったのは計画を進める上で仕方なかったんだ! あれは必要な犠牲であって――」

 

「言い訳は聞きません。さようなら、ハンスさん。ちゃんとあの世で管理人さんに謝ってください」

 

ウィズの手に魔力と冷気が集まってゆく。このまま行けば、十分に収束させた魔力が絶対零度の一撃となってハンスに襲いかかり、愚かにも氷の魔女の逆鱗に触れた男は粉々に砕け散るだろう。

 

「カースド・クリスタル――」

 

――悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!

 

身動きの取れないハンスへ止めの一撃を放とうとしたウィズは、遠くから木霊する声に思わず魔法の詠唱を止めた。

 

「おい、この声ってまさか……」

 

頼むから幻聴であってくれ。祈りながらカズマ達がゆっくりと後ろを向くと、彼らが歩いてきた山道を何本もの松明が照らしていた。

 

『悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし! 悪魔殺すべし! 魔王しばくべし!』

 

そして、アクシズ教徒達が物騒なスローガンを繰り返し唱えながら、徐々に近付いてくる。

 

「アクシズ教の連中、こんな所まで来やがったのか!」

 

「丁度良いわね、源泉を汚した犯人を今から処刑するところだったし、これを見たら私への疑いがようやく晴れるわ!」

 

恐ろしい執念を見せつけるアクシズ教徒達にカズマは顔を青ざめ、アクアはこれでようやく自分の無実が証明できると喜んでいた。

 

「いたぞ! やっぱり源泉を狙ってやがった!!」

 

「待って! 今回の騒ぎの犯人は私じゃなくてあいつなの! あいつは魔王軍の幹部で――」

 

「この期に及んでまだ嘘を言うのかー!」

 

アクアが何とかしてアクシズ教徒達を落ち着かせようとするが、彼女が何か言う度に信者達はヒートアップし、逆にますます状況が悪くなる。このままではマズいと、カズマ達も説得に加わった。

そして、ハンスはこの隙を逃さなかった。右手を振り上げて凍り付いた左腕に手刀を振り下ろす。肘が砕け散った。

 

「もう終わりだ! ここに居る奴ら全員喰ってやる!」

 

ハンスの失われた左腕から毒々しい色の液体が溢れ出し、徐々に人の形が失われてゆく。

 

「しまった!」

 

ウィズが再び魔力を収束させて魔法を放とうとするが、遅かった。ハンスは人としての形を完全に失い、黒や紫の入り交じった粘液と化す。

 

「こ、これは……」

 

「あの嬢ちゃんの言ってたことは本当だったのか!」

 

目の前で男がスライムに変貌する一部始終を見たアクシズ教徒達は、驚きでざわめいた。

 

「ね! 私の言ったとおりでしょ!」

 

「危ないからこっち来い!」

 

信者達に自慢げに胸を張るアクアの首根っこを掴み、カズマは迫り来るスライムの粘液から、彼女を無理矢理引き離した。

地面を侵食しながら無秩序に広がろうとしていた液体は、突如として巻き戻し映像のように一箇所に集まり始める。それだけでなく、まるで元の質量を無視するかのように徐々に大きくなり始めた。

大人の目線の高さほどだったものが、段々と見上げるほどになり、ついには首を真上に向けても天辺が見えないほどに巨大化する。

 

「おお、なんと大きなスライムだ! 毒さえ無ければ連れ帰って私のペットにしたいのに、実に惜しい!」

 

「ちょ、ちょっと大きすぎませんか……?」

 

「ね、ねぇウィズ。あいつってあんなに巨大なスライムなの?」

 

「いえ、これはどう見てもおかしいです! ハンスさんはここまで大きいはずでは……」

 

「まだ大きくなるのか……?」

 

ふと、カズマは上を向いていた視線を下に向ける。そこで見た物は、スライムの下の部分がどっぷりと源泉に浸かっており、湧き上がる湯を片っ端から吸い上げていた。

 

「あいつ、源泉を吸って水膨れしてやがる!」

 

異常なまでの巨大化の原因がわかり、カズマは叫んだ。このままではハンスは際限なく大きくなり、アルカンレティアを直接襲ってもおかしくない。一刻も早く事態を解決させるために、ウィズに向き直る。

 

「ウィズ、さっきみたいにハンスを凍らせてくれ!」

 

「す、すみません。流石にあの大きさとなると、私でも……」

 

「じゃあ、めぐみんの爆裂魔法であいつを!」

 

「やめてー! そんなことしたらスライムが飛び散って辺り一帯が汚染されちゃう!」

 

「ああ、もう! どうすりゃいいんだよ!!」

 

頼みの綱であるウィズでも手に余り、ならばここは最大火力を誇るめぐみんの出番だとカズマは叫ぶが、二次被害を懸念したアクアによって却下された。打つ手が無くなったカズマは頭を抱えて叫ぶ。すると、ウィズが恐る恐る手を挙げた。

 

「あ、あの……一つだけ、ハンスさんを倒せるかもしれない方法があります」

 

「あるのか!? どんな方法なんだ?」

 

「外側ではなく内側からハンスさんを凍らせれば、倒せるかもしれません!」

 

ウィズの提案したハンスを倒せる方法を聞いて、カズマ達は一瞬理解が追い付かなかった。一拍の間を置いてようやっと脳が彼女の発言を理解し、今度は寸頓狂な声を上げる。

 

「内側って……あの猛毒スライムの中からか!? そんな手段は俺たちには無いぞ!?」

 

「武器に冷気を纏わせる魔法があります。それで内部を攻撃して、中から凍らせることが出来れば!」

 

「なるほど、じゃあ俺の弓矢にそれを使ってくれ! そのまま狙撃スキルで奴をぶち抜けば!」

 

「カズマ、いくらなんでもそれは無理です! あのスライムの猛毒を見たでしょう? 矢を放った所で、凍らせる前に溶かされるのがオチですよ!」

 

「それと……言いそびれたんですが、あのサイズのハンスさんを凍らせるとなると、魔力が全然足りなくて……」

 

「やっぱり八方塞がりじゃねぇか!」

 

一筋の光明を見出したカズマであったが、それはあっさりと消え失せた。再び絶望的な状況に陥り、頭を抱えて叫ぶ。

 

「俺がやる」

 

しかし、希望はまだ残されていた。

 

「俺のブレードに魔法をかけて、あいつの体をぶち抜くんだ。そうすれば奴を倒せるはずだ」

 

触れただけで死に至らしめるような猛毒スライムを貫く。そんな危険極まりない役目を買って出たのは、千翼だった。

 

「ぶち抜くって……まさか、あのスライムに飛び込むつもりですか!?」

 

「無茶だ! いくら何でも無謀すぎる!」

 

「チヒロ、さっき言ったでしょ! 跡形も無く溶かされたら流石に蘇生できないわ!」

 

成功する保証など全く存在しない、文字通り命懸けの提案に三人娘が声を張り上げる。

 

「でも、これ以外に方法があるのか?」

 

千翼のもっともな言い分に、三人はそれ以上言い返すことが出来ず、唇を噛んで押し黙る。それを黙って見ていたカズマは、千翼を見据えると覚悟の程を確かめるように問い掛けた。

 

「頼めるか? 失敗したら間違いなく死ぬぞ?」

 

千翼は、黙って大きく頷いた。

 

「分かった……。だったら、俺たちも出来る限りのサポートはするぜ!」

 

その様子を見たカズマは、自らも覚悟を決めると不敵に笑った。

 

「攻撃手段は出来た。次の問題は魔力だ。ウィズ、具体的にどれくらい必要なんだ?」

 

「ハンスさんを確実に凍らせるためには、それこそ私の全魔力を使わないと……。めぐみんさん四、五人分は必要です」

 

「要するに、全然足りないってことですね……」

 

「魔力……魔力……」

 

ウィズの「魔力が足りない」という言葉を聞いて、何か思い当たる節があるのかカズマはブツブツと呟く。やがて、その『何か』を思い出して手の平に拳を打ち付けた。

 

「そうだ、あれがあった!」

 

急いで投げ捨てた自分の鞄を漁り、中身を次から次へと外に放り出すと、何かを掴んでカズマは歓喜の声を上げる。

 

「あったぁ!!」

 

掴んだ物を頭上に掲げた。それは、ラベルが大きく破れたドリンクの瓶だった。

 

「あれ、それは私が先日仕入れた栄養ドリンク……」

 

「バニルから効果は聞いてる。これで魔力の問題は解決だ! ウィズ、早くこれを飲むんだ!」

 

カズマの持つそれは、旅行に出発する前に仮面の悪魔(バニル)からタダでもらった『飲めば気力、体力、魔力が溢れんばかりに湧き上がってくるドリンク』であった。まさにこの状況を打開するに相応しいアイテムである。

しかし、ウィズは何故か申し訳なさそうな顔をしながら、眉の角度を下げた。

 

「すみません……そのドリンクを仕入れたとき、バニルさんが『お前もたまには客の気持ちになれ!』と言って私に無理矢理飲ませたのですが、リッチーになって体質が変化したせいか。殆ど効果が無くて……」

 

「アンタはまず自分で商品を試してから仕入れなさいよ!!」

 

「だ、だって。私はともかく、普通の人ならきっと欲しがると思って……」

 

これで問題を解決出来ると思ったカズマは口をきつく結んだ。本人に効果がないなら、残された手段はウィズを除いた五人の内の誰かにドリンクを飲ませ、それをウィズがドレインタッチで吸収するしかない。

ウィズ本人は先程言ったとおり効果がない。だからといって無限に等しい魔力を持つアクアは、リッチーである彼女と魔力の相性が最悪のため無論却下である。

では、アクアに次いで豊富な魔力をめぐみんなら――と考えたが、爆裂狂いの彼女の事だから、調子に乗って持て余した魔力を爆裂魔法を連発することで発散してもおかしくない。そんな事になれば裏山は跡形も無く吹き飛ぶであろう。その可能性を考慮して、彼女に飲ませるわけにはいかなかくなった。

残る千翼とダクネスだが、この二人は元々魔力のステータスが低い根っからの前衛型である。特に千翼に至っては魔力の数値がゼロ。仮にこの二人に飲ませた所で、小さな器に水が湧くのを一々待ちながらポンプで汲み上げるようなもの。余りにも効率が悪すぎる。

だとすれば、ウィズがドレインしても彼女にダメージが無く、余った魔力を暴走させる心配も無く。前衛二人よりも魔力のステータスを持つ人間が飲むしかなかった。それは即ち――

 

「ああクソっ! 結局こうなるのかよ!!」

 

カズマは瓶の蓋を開けると、口を付けて真上を向いた。そのまま喉を鳴らしながら一気に中身を飲み込んでゆく。

一滴残さず中身を飲み干したカズマは、瓶から口を離すと大きく息を吐いた。そしてなぜか、瓶を持つ手が震えていた。

 

「キタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキタキターーーーー!!!!!」

 

持っていた瓶が音を立てて握り潰された。耳や鼻から蒸気が勢いよく噴き出し、汽笛のような音が鳴り響く。少年の体が小刻みに震え、目が血走っていた。

 

「す、スゴイ! か、体中に力が(みなぎ)る! い、今ならすべてを滅ぼせそうな気がする!!」

 

「ね、ねぇ。あのドリンク本当に大丈夫だったの……?」

 

「だ、大丈夫です。少なくとも体が爆発するようなことはありませんから……」

 

呼吸をする度に鼻から蒸気が噴き出すカズマを見ながら、アクアとウィズが不安げに言葉を交わす。ぐるり、とカズマの首がウィズの方を向いた。小さな悲鳴を上げてリッチーが竦み上がる。

 

「ウィズ、ドレインタッチで俺から魔力を吸収してくれ! 時間が無いから俺もそっちに魔力を送る。遠慮はするな!」

 

「わ、わかりました!」

 

二人は互いの手を握ると「せーの!」の掛け声で同時にドレインタッチを発動させた。ウィズはカズマから魔力を吸収し、カズマはウィズへ魔力を送る。

凄まじい勢いでカズマから魔力が吸い取られていくが、それを上回るペースで体の底から新たな魔力が湧き出してくる。

 

「ウィズ……まだか……!」

 

「もう少し……もう少しです!」

 

それを聞いてカズマは唸り声を上げながら、先程よりも勢いを強めて魔力を彼女へと送る。対するウィズも歯を食いしばり、更にペースを上げて少年から魔力を吸い上げる。

常人ならばとうに気絶してもおかしくない程の魔力を吸われても、カズマはまだ意識を保っていた。一刻も早くウィズの魔力を満たすために、全身全霊を込めて送り続ける。

そして、ついにその時は訪れた。

 

「充填完了! 魔力満タンです!」

 

「よし、それじゃあ魔法を――」

 

「スライムが動き出したぞー!!」

 

アクシズ教徒の誰かが叫び、その場にいた全員の視線が途方もなく巨大になったスライムに集中する。十分大きくなったと判断したのか、巨大スライムの膨張はいつの間にか止まっていた。

源泉からゆっくりと離れると、地面を浸食しながら少しずつカズマ達とアクシズ教徒の集団がいる方へ近付いてくる。

 

「みんな、この源泉は俺たちの財産だ! 自分の物は自分で守るぞ!」

 

誰かが威勢良く叫ぶと、アクシズ教徒達はその声に応えるように『おー!!』と叫んで腕を突き上げる。

 

「このスライム野郎! これでも食らいやがれ!」

 

「アルカンレティアから出て行けー!」

 

アクシズ教徒の集団は、持っている物を片っ端から巨大スライム目掛けて投げ付けた。

石鹸、饅頭、鍋、箒――ありとあらゆる物が幾重もの放物線を描きながら、黒い球体に殺到する。投げられた物は命中するも、それらは全て瞬時に溶かされ、跡形も無く吸収された。

巨大な黒い球体から何本もの触手が伸び、それらはハンスに当たらず地面に落ちた饅頭や酒瓶に触れたと思うと、一瞬にして溶かして吸収される。

 

「ハンスの奴、食い物を優先してるのか?」

 

「さっき『小腹も満たせない』って言ってましたし。きっと空腹なんですよ」

 

あれだけの巨体なら、そのまま源泉に飛び込むだけで目的(汚染)が果たせるというのに、ハンスはそばにある源泉は無視して、地面に落ちている食べ物に夢中になっていた。それを見てカズマの頭脳に閃きが走る。

カズマは素早く周囲の状況を確認し、自分たちが取るべき行動を頭の中で思い描く。この場でやらなければならないことは全部で四つ。

一つ目は汚染された源泉の浄化。今こうしている間にも、ハンスによって汚された湯がアルカンレティアの各温泉へと供給されている。仮にハンスを倒せたとしても、街の温泉が全滅しては意味が無い。そうなったら本末転倒である。

二つ目はハンスを倒す場所の確保。あちこちに源泉が湧いており、更に大勢のアクシズ教徒がいるこの場では、下手に立ち回れば双方に被害を及ぼしかねない。それを避けるためにも、源泉からも信者達からも離れた場所にハンスを誘導する必要があった。

三つ目はアクシズ教徒達の安全確保。素直に逃げてくれれば苦労はないのだが、巷で『狂信者の集団』『魔王軍よりも質が悪い』『アクシズ狂徒』と呼ばれるだけのことはあり。誰一人として逃げようとせず、それどころか自分たちの源泉を守るために、今も巨大スライムに挑んでいる。

四つ目はハンスの撃破。これは頼みの綱である千翼とウィズの仕事である。この二人の内、どちらかが欠けていたら、あの巨大スライムを倒すことは叶わない。そのためにもそれまで二人は安全な場所にいてもらう必要がある。

それぞれの仕事に的確な人物は誰か。カズマは素早く役割分担を決めると、五人の方を向く。

 

「みんな、聞いてくれ! これからハンスを倒すための作戦を伝える!」

 

いつになく真剣な少年の声色に、五人も自然と顔と意識が引き締まる。

 

「アクアは汚染された源泉の浄化、めぐみんは爆裂魔法をあの地点にぶっ放して出来る限り大きなクレーターを作ってくれ、俺がそこにハンスを誘導する。ダクネスはアクシズ教徒達の護衛を頼む!」

 

「分かったわ! 浄化は私の十八番よ!」

 

「了解です! 特大の一撃をお見舞いしますよ!」

 

「任せろ! 壁役は私の専売特許だ!」

 

三人からの頼もしい返事を聞き、カズマは大きく頷く。

 

「千翼とウィズは一緒に安全な場所で待機して、俺がハンスをクレーターに誘い込んだら来てくれ。そしたらウィズは千翼のブレードに魔法をかけて――」

 

ここでカズマは言葉を句切り、千翼を見た。

 

「トドメは任せたぞ、千翼」

 

「分かった」

 

千翼は静かに、されど確かに頷いた。

カズマが拳を突き出すと、千翼はそれに自分の拳を突き合わせる。

 

「ようし、それじゃあ行動開始だ!」

 

六つの掛け声と、六本の腕が上がった。

 

 

 

 

 

持っていた物を投げ尽くしたアクシズ教徒達は、一旦ハンスから距離を取り、相手の出方を窺っていた。散発的に石や折れた枝などが投げ込まれるが、それらは黒い球体に触れると一瞬で溶けて消える。

スライムになったハンスは、信者達の攻撃を気にしている様子も無く、地面に落ちた食べ物を片っ端から触手で消化して取り込んでいた。本来の姿になって理性よりも本能が強くなったのか、源泉を汚すよりも腹を満たすことを優先していた。

 

「おい、ハンス!!」

 

食事に夢中になっているハンスに、誰かが大声で呼びかける。返事をするようにスライムの巨体が震えた。

 

「腹が減ってんだろ? 食い物ならいくらでもあるぜ!!」

 

そこには、はみ出すほどに食べ物が詰め込まれた鞄を体中に巻き付けた、カズマが立っていた。鞄の中から饅頭の箱と串焼きの入った袋を取り出すと、ハンスに見せびらかすように大きく振る。

すると、スライムから四方八方に伸ばされていた触手が全て引っ込み、粘液の巨体が音を立てながら少しずつカズマににじり寄ってくる。

 

「そら、こっちだ!!」

 

口の端で笑みを浮かべたカズマは、走り出した。

 

 

 

 

 

ハンスが先程まで湯を吸い上げていた源泉に片手を突っ込み、アクアは液体を浄化する魔法をひたすら唱え続けていた。

 

「ピュリフィケーション! ピュリフィケーション! ピュリフィ熱い熱い熱い!! で、でも、これも可愛い信者達のため!! 女神を舐めるんじゃないわよ!!」

 

あまりの熱さに苦悶の声を上げ、何度も手を引っ込めそうになるが、その度に反対の手で自分の腕を掴み、歯を食いしばって耐え続ける。

 

「あ、あの娘。汚れた源泉を浄化しようとしてるのか?」

 

「無茶だ嬢ちゃん! 手が大火傷するぞ!」

 

信者達の心配を余所に、アクアは煮えたぎる黒い源泉に手を入れて、必死に浄化魔法を唱え続けていた。

自分の体よりも源泉を優先する彼女の姿に、始めは呆気に取られていた信者達たちであったが、何も出来ない代わりにせめて応援だけでもと、アクアに向かって声援を送り始めた

 

「頑張って! 私たちも援護するわ!」

 

『ヒール!』

 

『ヒール!』

 

『ヒール!』

 

アクシズ教のプリ-スト達が少しでもアクアの浄化を助けようと、彼女に向かって一斉に回復魔法を唱える。

 

「みんなありがとう! 見てなさいあの薄汚いスライムめ! 女神を……アクシズ教を舐めるんじゃないわよ!!」

 

アクアは手を更に沈ませ、先程よりも力強く魔法を唱えた。

 

 

 

 

 

ハンスはカズマの後をひたすら追いかけ回していた。しかし、ドリンクによって強化されたカズマの体力と気力。ハンス自身も巨大になりすぎた故に動きが鈍く、オマケに小回りが効かないため両者の距離は一向に埋まらなかった。

何時まで経っても獲物に追いつけない状況に苛立ったか、巨大スライムが怒ったように体を激しく震わせた。振動に合わせてスライムの飛沫が飛び散り、雨のように辺り一面に降り注ぐ。

 

「スライムが飛んでくるぞー! 物陰に隠れろ!!」

 

降ってくる猛毒の雨を見た信者が叫び、それを聞いた周りの人間は急いで大岩や木の陰に逃げ込む。

その時、母親に手を引かれて岩陰に隠れようとした幼い少女が躓いた。膝を怪我したのか、両手で自分の片膝を押さえて目に涙を浮かべている。

母親が急いで立ち上がらせようとするが、飛び散るスライムの一つが、親子目掛けて落下してきた。

 

「危ない!!」

 

間一髪の所でダクネスが母子を庇うように抱きしめる。スライムはダクネスの背中に直撃し、頑丈な鎧が煙を上げながら溶かされる。

 

「ぐうぅ!」

 

「おねえちゃん!」「冒険者さん!」

 

「大丈夫……私はクルセイダー……これしきのこと……」

 

苦痛に顔を歪ませ、額から汗を垂らしながらも、ダクネスは二人を安心させるために努めて笑みを浮かべる。

ダクネスは一先ずスライムの雨が止んだ事を確認すると手を離し、岩陰を指差した。

 

「さぁ、早く。ここは危険だ」

 

「うん! おねえちゃん、頑張って!」

 

「ありがとうございます!」

 

返事の代わりにダクネスはサムズアップを送る。親子が岩陰に隠れたことを確認すると、大剣を引き抜き、やってくる雨の第二波を睨んだ。

 

「私はクルセイダー。人々の壁となり盾となる者!」

 

白銀の大剣が閃き、猛毒の飛沫を打ち払った。

 

 

 

 

 

「私の爆裂魔法は世界最強、砕けぬ物などこの世に存在しない……」

 

大岩の上に登っためぐみんはカズマから指定された場所を視界の中央に捉え、意識を集中させて歌うように魔法の詠唱を始めた。掲げた杖の先端に魔力が渦を巻きながら集まってゆく。

杖にはめ込まれた紅玉が燃え盛るように輝きを放ち、暗闇を紅く照らす。めぐみんは目標地点を鋭く睨むと、極限まで収束させた魔力を解き放った。

 

「エクスプロージョン!!」

 

星空に少女の叫びが木霊し、次いで闇夜を取り払う紅蓮の大爆発が巻き起こった。山脈を震わせる爆発音が天高く鳴り響く。

天を衝くほどの爆炎が収まった後には、山肌が大きく削り取られ、円形の巨大なクレーターが出来ていた。

 

「あとは頼みましたよ……」

 

自身の仕事をやり遂げた少女は、へなへなとその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「ナイスめぐみん! そらそらこっちだ!」

 

計画通りクレーターが出来上がり、役割を完璧にこなした少女へカズマが逃げながら称賛を送る。

今までぐるぐると円を描くように逃げ続けていたが、ここで急激に進路を変更し、出来上がったばかりのクレーター目指して全速力で走り出す。

クレーターの縁が目前に迫ると、一瞬だけ後ろを見た。予想通りそこには毒々しい色の巨大スライムが真っ直ぐ自分を追ってきている。カズマがほくそ笑んだ。

よし。と気合いを入れると、カズマは臆すること無くクレーターの中へ跳び込んだ。

 

「うわっととっ!!」

 

危うく斜面で転びそうになるが、なんとか体勢を立て直して滑り落ちてゆく。

背後から嫌な気配を感じ後ろを振り返ると、カズマを追っていたハンスが斜面を転がり落ちてきた。

 

「よしよし、この調子だ!」

 

体を何度も捻りながらバランスを取り、斜面を下ってゆく。いよいよ斜面の終わりが近付いてくると、カズマは一際大きく跳躍した。

あとはこのまま勢いに乗ってクレーターの中心まで走り、荷物を捨てる。そうすればハンスは食べ物に釣られ、しばらくは動かないだろう。そこから先は千翼とウィズの仕事だ。

空中で体勢を整え、着地に備える。右足の裏に固い感触を感じると――

 

「どわっ!」

 

着地の衝撃で暴れ回る大量の食料によってバランスを崩し、派手に転んだ。

鞄の中身をばら撒きながら二度三度と転がり、回転が終わる頃には鈍い痛みで全身が軋んでいた。

目眩で揺れる頭を押さえながら立ち上がると、何かが近付いてくる音が耳に届く。反射的にそちらを向くと、触れれば即死の粘液の塊が目前に迫っていた。

 

「っぶねぇ!!」

 

間一髪の所で横に跳ぶと、すぐさま黒い粘液の濁流が通り過ぎていった。余りにも巨大化しすぎたせいで自分でもコントロールが効かないのか、ハンスはそのまま滑るように転がってゆく。

謀らずともクレーターの中心で勢いが収まり、巨大スライムはようやく停止した。計画はいよいよ最終段階へと移行する。

 

「カズマ!」

 

「カズマさん!」

 

自分の呼ぶ声に振り返ると、ウィズを抱きかかえたネオが斜面を滑り落ちてくる。カズマの傍で急停止すると、ウィズをそっと降ろした。

 

「二人とも、頼む!」

 

「はい! チヒロさん!!」

 

千翼がその声に応えて頷き、ベルトのインジェクターを叩く。

 

『BLADE LOADING』

 

ネオの右手首の装甲が僅かに開き、その隙間から赤熱した刃が生えてきた。新たな剣が完成すると、それをウィズの前に差し出す。

銀色の刃に両手をかざすとウィズは意識を集中させ、冷気を含んだ魔力を手の平に集めてゆく。やがて彼女の手の中に、青い魔力の球が出来上がった。

 

「エンチャント・フリーズ!」

 

ウィズが叫ぶと魔力の球は一本の紐のような形になり、螺旋を描きながらブレードの周りを漂う。

徐々に白銀の刀身に霜が下りてゆき、魔力の紐が消える頃には、水蒸気の白煙が溢れ出すほどの冷気を刃は纏っていた。

魔法をかけ終えたウィズは崩れるように座り込み、貪るように呼吸をする。

 

「っ……」

 

「ウィズ!」「ウィズさん!」

 

「だ、大丈夫です、魔力を使い過ぎただけですから……。それよりも、ハンスさんを!」

 

ウィズが指差す先には、自分たちを食らおうと少しずつ近付いてくる巨大なスライムの姿が。

アマゾンネオは一度ブレードを振り、ハンスを見据える。深く呼吸し大きく息を吐き出すと、青い異形の戦士は巨大な猛毒スライムに向かって猛然と駆け出した。

スライムの化け物に臆さず立ち向かってゆく仲間の背中を見て、カズマの脳裏を悪魔(バニル)の言葉が過る。

 

――本当に仲間だと思っているなら、信じてやれ。

 

違う。あの悪魔が言ったから信じるのではない。共に暮らし、肩を並べて戦い、いつも直ぐそばで千翼を――『千翼という人間』をカズマは見てきた。

 

「いけ……」

 

自然と口から言葉が漏れる。

教会の懺悔室で千翼の過去を聞いたときは、告げられた真実を受け入れることが出来ず、彼に恐怖心を抱いてしまった。だが、いま思えばなんと馬鹿馬鹿しいことをしていたのだろう。

あれだけ一緒にいた仲間を信じることができず、疑ってしまった情け無い自分に、カズマは腹が立った。

 

向かってくる異形の戦士に何かを感じたのか、巨大スライムは体を震わせ、アマゾンネオ目掛けてスライムの飛沫を降らせる。

 

「いけ……!」

 

千翼が衝動の赴くままに人を喰らうような化け物だったなら、自分たちはとっくに喰われているはずだ。だが、今もこうして誰一人として欠けることなく自分たちはここにいる。

死んでもおかしくないような目に何度も遇ってきたが、その度に窮地を救ってくれたのが千翼だった。しかしその裏で、彼は人知れず自分の中で暴れる本能に抗い続けていた。

食欲という生きていく上で決して押さえることが出来ない本能。それを押さえ込むというのは、想像を絶する苦痛であっただろう。その苦しみを誰にも話せず、話すこともなく千翼は耐えていた。

 

異形の戦士が冷気を纏った剣を振るうと、刃に触れたスライムの飛沫は一瞬で凍り付き、砕け散る。

 

「いけ!」

 

たとえ前世で周りの人間から畏怖と嫌悪を向けられ、人であることを否定されても。千翼は人間という存在を決して憎まなかった。

それどころか、自分の力で誰かを助けられるならと。余りにも重すぎる十字架と本能を背負い、今にも押し潰されそうになりながらも。見知らぬ誰かを救おうとした。

 

「いっけえええぇぇぇ!!」

 

それは、まさしくヒーロー(仮面ライダー)の姿であった。

 

「うおおおぉぉぉ!!」

 

雄叫びを上げながら地面を全力で蹴り、右手を突き出してアマゾンネオは前に跳んだ。

降り注ぐスライムの一部は切っ先に触れた瞬間に凍り付き、刃に貫かれ粉々に砕け散ってゆく。星々と月の光を受けて煌めく氷の粒を纏いながら、青い刃となって一直線にハンスへと飛翔する。

迫り来る絶対零度の刃を飲み込まんとスライムが大口を開け、巨大な空洞が産まれた。その中へネオが跳び込むと同時に口が閉じられる。

刹那、巨大スライムは凍り付き、氷塊へと姿を変えた。その中から何かが跳び出すと、氷の山は音を立てて崩れ落ちた。

中から跳び出したアマゾンネオは砕けた氷山を背に、右手のブレードを突き出した姿勢で動きを止めていた。その切っ先は紫色のクラゲ――ハンスの眉間を貫いていた。

 

「クソ……あと……少しって……ところで……」

 

それが魔王軍幹部の最期の言葉だった。

ハンスは一瞬にして氷に覆われ、皹が走ったかと思うと氷ごと粉々に砕け散る。しばしの間を置いてからネオはゆっくりと姿勢を戻すと、血払いをするように刃を左右に振る。

星と月明かりの中で佇むその姿は、まるで神話の一幕のようであった。

 

「終わった……な……」

 

「終わり……ましたね……」

 

ハンスを倒したことを確信したカズマとウィズは、思い出したように呟く。ここに来てとうとう張り詰めていた緊張の糸が切れたカズマは、ウィズの隣で尻餅をついた。

両手を後ろに回して上半身を支え、黒い空を見上げて盛大に溜息を吐く。思う存分気を緩めていると、何やら背後が騒がしい。

首を回して振り返ると、クレーターの縁にアクア、ダクネスに背負われためぐみん。そしてアクシズ教徒達が集まっていた。

 

「見たか……?」

 

「ああ……あんな大きなスライムを一撃で……」

 

どうやら一部始終を見ていたらしく、信者達は誰も彼もが信じられない様子で、静かに佇むアマゾンネオを見ていた。

 

「御使いさまだ……」

 

群衆の中で誰かが呟いた。

 

「ああ、御使いさまに違いない……」

 

「あの神々しくも勇ましい青の鎧……アクア様が我々の危機を感じ取り、あの御使いさまを遣わしてくださったに違いない……!」

 

困惑の眼差しは徐々に崇拝へと変わってゆき。それに合わせてざわめきも大きくなってゆく。

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

感極まった信者の一人が、涙を流しながら両手を天に挙げる。

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

「御使いさま、ばんざーい!」

 

一つ万歳をするごとにその声は増え、やがて夜空を震わせるほどのアクシズ教徒達による万歳の大合唱となった。

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

『御使いさま、ばんざーい!!』

 

 

◆◆◆

 

 

その後、アルカンレティアは大騒ぎになった。

汚染の原因が本当に魔王軍の仕業だったこと加え、間一髪のところでアクアの蘇生が間に合い、現世に帰ってきたハンスに捕食された管理人の証言。そして事件の犯人であるハンスをアクシズ教徒達の目の前で討伐した千翼は、信者達から『女神アクアが下界に遣わした御使い』として崇められていた。

『御使いが魔王軍幹部を倒し、アルカンレティアの危機を救った』という話はあっという間に街中に広まり、アルカンレティアを救った英雄を祝い、讃えるための大規模な祝賀会が突発的に開かれ、街全体がお祭り騒ぎとなった。

 

「どうしてよー!! なんで私じゃなくてチヒロがちやほやされてるのよー!! んぐっんぐっ……ぷはぁー!」

 

会場として選ばれ、飲めや歌えやの大騒ぎとなっているアクシズ教の教会。その中でアクアは泣きながらジョッキを呷り、中身を一気に飲み干した。

 

「まぁまぁ嬢ちゃん、そんなに泣くなって。ほら、今日は思う存分飲んで嫌なことは忘れようぜ?」

 

「どんな手品を使ったか分からないけど、汚れた源泉を聖水が湧き出る源泉に変えちまうなんて、あんた一体何者だ? まぁ、聖水温泉って新たな観光の目玉が出来たし、感謝してるよ!」

 

アルコールと涙で顔を真っ赤にしたアクアを慰めながら、隣に座る男が空になった彼女のジョッキに新たな酒を注ぐ。

 

「私が、私こそが女神なのにー!! んぐっんぐっ……かぁー! もう一杯!」

 

彼女曰く、目に入れても痛くない程に愛らしい信者達は、自分こそアクシズ教徒が信仰する女神であるアクアその人であるのに、それは酔っ払いの戯れ言として片付けられ、誰も彼もが千翼を御使いだと信じて疑わなかった。

自分の正体を知っているカズマからは未だに女神扱いされず。千翼、めぐみん、ダクネスからは『芸風』として扱われ。総本山であるこの街では信じてもらえないどころか『アクアの名を騙る魔女』として魔女狩りに遇い。正体を見抜いているのは、自分が忌み嫌う存在であるリッチー(ウィズ)悪魔(バニル)だけという、何とも皮肉なものであった。

 

「女神なのに! 私は本物の女神アクアなのにー!!」

 

アクアは、本日何杯目かのジョッキを呷った。

 

 

◆◆◆

 

 

「悪いな、急に呼び出しちまって」

 

「いいよ、俺も抜け出せなくて困ってたから」

 

宴もたけなわを過ぎ、アルカンレティアの都も徐々に静かになってきた真夜中。

こっそりと宴を抜け出したカズマと千翼の二人は、熱した体を冷ます心地よい夜風を浴びながら、静まり返った街を歩いていた。

『大事な話がある』と何時になく真剣な顔付きのカズマに呼び出された千翼は、ただならぬ雰囲気を察して何も言わずに二人で外へ出た。

しばらくの間、二人は無言で街を歩き続け。やがて街の中央に位置する湖までやってくる。

周りに人がいないことを確認すると、カズマは傍にあったベンチに腰掛け、千翼もその隣に腰を下ろす。ベンチに座った二人は、何をするわけでも無くしばし夜景を眺めた。

カズマは話を切り出す決心が付かないのか、月や湖を眺めたり、手を擦り合わせたりと落ち着きが無い。その様子から余程重要な話だと悟った千翼は、急かすようなことはせず、黙ってカズマが話すのを待ち続けた。

何度目になるか、月を眺めていたカズマは盛大に息を吐くと、ゆっくりと口を開く。

 

「あのさ。俺、千翼に言わなきゃいけないことがあるんだ」

 

「うん」

 

それからカズマはまた黙ってしまった。今度はろくに瞬きもせず、じっと足下の石畳を見詰めている。

たっぷりと間を置いてから、再びカズマは喋り出した。

 

「千翼って昨日、俺たちと街を見て回っているとき、はぐれたよな?」

 

「確かにはぐれたね」

 

カズマは一際大きく深呼吸すると、たっぷりと時間をかけて肺の中の空気を吐き出した。

 

「はぐれた後……教会に行ったよな?」

 

「よく知って――」

 

そこで言葉が途切れた。カズマの言わんとしていることを察した千翼の顔から、血の気が消えてゆく。

 

「俺……あの懺悔室に居たんだ……だから……」

 

千翼の顔が俯く。両手の拳が硬く握られ、震えた。

 

「でも!!」

 

ここで勢いを失ったら、何も言えなくなる。そう確信したカズマは、自分を突き動かすように言葉を吐き出した。

 

「千翼が過去に何をしたとか、何があったとか。俺にはそんなの関係ない!! 人間になりたいから、人間に生まれ変わりたいから千翼はこの世界に来たんだろ? そこで俺たちと会って、パーティー組んで、一緒にクエストして、一緒に暮らして、一緒にバカやって……」

 

言葉尻が萎んでゆく。このままではいけないとカズマは頭を激しく振ると、隣に座る少年をまっすぐ見据えた。

 

「それなのに……今更お別れなんて、そんなことだけは止めてくれよ……」

 

カズマの目から涙が溢れ、景色が滲む。零れ落ちた熱い雫が、少年の拳の上に落ちた。

 

「本当に……いいの?」

 

俯いた千翼からの静かな問い掛けに、カズマは黙って大きく頷いた。

 

「当たり前だ。千翼は俺の……俺たちの仲間だろ?」

 

袖で涙を乱暴に拭い、盛大に鼻をすする。この調子だと言葉が続けられそうになかったので、カズマは努めて明るい口調で話し始めた。

 

「トラブルばかり起こす威厳の欠片も無い駄女神、爆裂狂いの厨二病ロリっ子、鎧だけじゃなくて腹筋も硬いドMクルセイダー。そこに訳有りの『人間』が一人増えたところで、今更って話だ」

 

カズマが言い切った後、二人の間に長い沈黙が訪れる。しばしの間、川のせせらぐ音だけが周囲を満たしていた。

やがて、千翼は俯いていた顔をゆっくりと上げると、カズマを見た。千翼は――ほんの少しだけ、笑っていた。

 

「カズマ……ありがとう」

 

呟くように千翼は、感謝の言葉を口にする。

 

「それじゃあ、千翼。改めて――」

 

カズマは右手を差し出す。千翼は目の前に差し出された手をじっと見詰め、やがて自分の右手でそれを握った。

 

「これからもよろしくな!」

 

夜空に浮かぶ月と星の下で、二人の少年は固い握手を交わした。




Q:ハンスはアマゾンネオのブレードを取り込んだけど、溶原性細胞は大丈夫なの?
A:溶原性細胞は水がないと生きていけず、ハンスは猛毒の塊なので、細胞は跡形もなく消化された。と設定しました。

これにてアルカンレティア編は完結です。
次の話は久しぶりのオリジナルエピソードにするか、時系列を少し入れ替えた話にしようかと思っています。


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Episode14 「N」O WAY BACK

お久しぶりです。大変長らくお待たせいたしました。
リアルで本当に色々とあって、小説を書く時間がほとんど取れませんでした。


冬が過ぎ去り、穏やかな春が顔を見せ出す時期。

アクセルの町にある売れないことで有名な魔法道具店で、二人の男が向かい合ってテーブルに座っていた。

 

「……」

 

「……」

 

顔の上半分を覆う左右が白黒の仮面を着けた男は、仮面越しにルーペを覗いて手に持つ物を黙って観察していた。向かいに座る黒髪の少年は時折唾を飲み込み、緊張した面持ちでその様子を静かに見守っている。

仮面の男が小さく声を漏らし、ルーペと手に持つ物をテーブルに静かに置く。

 

「ど、どうだ?」

 

その問い掛けに仮面の男は口をニヤッと曲げると、上機嫌でしゃべり出す。

 

「うむ、今回も素晴らしい出来だ。量産体制も整いつつあるから、そう遠くないうちに売り出せるぞ」

 

「良かったー……」

 

仮面の男――バニルからの合格判定を聞き、黒髪の少年カズマは息を吐きながら椅子にもたれかかる。

目の前の悪魔と結んだ『現代日本での知識を生かしてカズマが商品を作り、それをバニルが売る』という契約に基づき、今日もカズマは作った商品のサンプルチェックを受けていた。

しかし、バニルのサンプルチェックは何度経験してもカズマの心臓を嫌な意味で高鳴らせていた。徹夜して作ったサンプルに容赦なく不合格判定を下されたり、逆に片手間で適当に作った物が大絶賛されたりと、毎度毎度の結果が全く読めないからだ。

バニルがチェックを済ませたサンプルを片付けていると、カズマは旅行から帰ってきて以来、ずっと気になっていたことを尋ねる。

 

「なぁ、バニル。ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ」

 

「あの貧乏店主の今日の下着の色か?」

 

「ちげーよ!! いや、それはそれで気になるけど……じゃなくて!」

 

危うく流されそうになるが、すんでのところで頭を振って気持ちを切り替える。

椅子に座り直したカズマは、目の前の仮面の悪魔を真っ直ぐ見据えると、ゆっくりと口を開いた。

 

「キールダンジョンでお前と初めて会ったとき……その……見たんだろ。千翼の過去をさ」

 

「ああ、視たぞ。あの男の生前に何があって、何をしたのか。文字通り全てな」

 

「……なんであの時、何も言わなかったんだ?」

 

「ふむ……丁度良い機会だ、その事について色々と話そうか。待っておれ、茶を淹れてくる」

 

バニルは椅子から立ち上がり、テーブルの上に広げられた商品サンプルを残らず抱えると、店の奥に消えた。それからしばらくして陶器が触れ合う音やお湯を沸かす音が聞こえ、やがてティーポットと二つのカップを乗せたお盆をバニルは持ってきた。

ソーサーを持ってカップをカズマの前と、自分が座っていた席の前に置くと、最後にティーポットをその間に降ろす。お盆を邪魔にならないようにテーブルの端に置くと、バニルはポットを手に取ってカズマのカップの上で傾けた。

注ぎ口から琥珀色の液体が湯気を上げながらカップへと落ちてゆく。七割ほど注いだところで水平にポットを戻し、同じように今度は自分のカップの上で傾けた。

二つのティーカップに紅茶が注がれ、ポットが元の位置に置かれた。バニルは自分のカップを手に取ると、それに口元に運んでゆっくりと傾ける。

 

「うむ。今日も良い味だ」

 

「あれ、お前って食事は必要無いはずじゃ?」

 

「確かに悪魔に食事は必要無い。だが、要らないだけで食べられない訳ではないぞ。悪魔にとって食事とはいわば嗜好品のようなもの。無くても困らないが、あった方が楽しいことに違いないからな」

 

ふーん。と感心しているのか興味が無いのか分からない返事をして、カズマは紅茶が注がれたカップを持ち、静かに傾ける。程良い暖かさと茶葉の香りが口の中に広がり、喉を通って腑へと染み渡ってゆく。じんわりと体の中が温まり、緊張が幾分か解れた。

 

「さて、はじめに言っておくが、我輩は同情したからあの男の過去に触れなかった訳ではないぞ」

 

「え、違うのか?」

 

溶原性細胞、食人衝動、父親――余りにも壮絶すぎる千翼の過去に、隙あらば人をおちょくるバニルも流石に同情した。とカズマは思っていたが、その考えは当の悪魔によって開口一番に否定された。

 

「確かに我輩は悪感情を得るためにその者にとって知られたくないことを暴露している。しかし同時に我輩は『おちょくりはしても侮辱はしない』というルールを自分に課しているのだ」

 

「それって同じ意味じゃないのか?」

 

小首を傾げて疑問符を浮かべるカズマを見て、バニルは呆れたように肩を竦めた。

 

「いいや、この二つは全く違うぞ。例えば我輩が汝に『お前はろくに働きもせず毎日自堕落な生活を送り、嫌なことからすぐに目を背けて問題を先送りばかりにして。ちょっと褒められると直ぐに調子に乗って痛い目に遭うくせに全く反省せず。チョロそうな女を見かければあの手この手でスケベなことをしようとする、本当にどうしようもないゴミクズのような人間だな』と言ったらどう思う?」

 

「それは今ここで、お前をぶん殴ってもいいって意味か?」

 

こめかみに青筋を浮き立たせ、固く握った拳を震わせながらカズマがドスの効いた声で脅した。

 

「そう、その反応だ。汝は今、我輩に対して『殴ってやりたい』と思っただろう? だが、逆を言えばそこまで。殺してやりたいとまでは思っていないはずだ。口では『殺すぞ』とは言っても、謂わば脅し文句のようなものだから、本気でそう言っている訳ではあるまい?」

 

「……まぁ、そうだな」

 

物の見事に図星を突かれ、カズマは勢いを一気に削がれる。やり場のない怒りを誤魔化すように少し大きな音を立てて紅茶を啜った。

 

「では、今度は我輩が『××××は××××だから××××すべきだ。××××もそうだし××××もついでに××××しておいた方がいい。前々から××××は××××だと思っていたが、やはり××××が××××だな。社会や人々のためにも××××は絶対に××××しなければならない』と××××に向かって××××しながら言ったらどうなると思う?」

 

カズマが傾けていたカップの中に向かって飲みかけていた紅茶を盛大に吹き出した。ティーカップの底で跳ね返った紅茶が少年の顔を直撃する。

 

「お、おお、お前! それは冗談でも絶対に言っちゃいけない奴だろ!! 聞かれたら殺されるぞ!!」

 

バニルがある特定の層をこれ以上ないほどに差別する例え話を聞き、カズマは慌てふためきながら誰かに聞かれてないか、店の中と外を確認する。この店の主であるウィズは買い出しに出かけているため不在、現在はカズマとバニルの二人きり。外には数人の住民が通りを歩いているが、店の扉はしっかりと閉じられているため、二人の会話が外に漏れる心配は無かった。

誰にも聞かれていない事を確かめたカズマは胸を撫で下ろすと、バニルが差し出したおしぼりを礼を言いつつ受け取り、紅茶塗れになった自分の顔を念入りに拭いた。

 

「汝の言うとおり。もし今の話を該当する者に聞かれたら、我輩は問答無用で殺されるだろうな。まぁ、我輩はその程度では死なぬが。しかし、そうなるのも当然だ。その者を『侮辱』したのだから」

 

「あ……」

 

バニルが言わんとしていることを理解したカズマは、口から声を漏らした。

 

「人間を侮辱することによって味わえる悪感情、さぞや美味であろう。しかし、我輩から言わせれば――品がない。最高級の食材を最高の腕を持つ料理人に調理させ、出来上がったフルコース料理を手掴みで貪り食うようなものだ。そんなことをするくらいなら、我輩は人間という種が滅びるその時まで、退屈で何の面白みもない生活を送ったほうがマシなのである」

 

キッパリと言い切って、バニルはカップを傾けた。

 

「ま、あの男に過去に触れなかったのはそういうことだ。我輩とてマナーや常識くらいは弁えておるぞ。そうしなければ人間社会で生活など出来ぬからな」

 

「その……ありがとな。あの時、俺たちの前で千翼の過去に触れないでくれて」

 

あの時、千翼の過去を暴露しなかった真相を聞き。カズマはどこか照れ臭そうに礼を述べた。

 

「おっと、汝が旅行に行く前に言ったはずだぞ? 汝らにもしもの事があったら『我輩が』非常に困るとな」

 

そう言って、仮面の悪魔は意地悪そうに口元を曲げる。

やっぱりこいつ、自分のことしか考えてないな。カズマは苦笑しつつカップを傾けた。

 

 

◆◆◆

 

 

「ただいまー」

 

『おかえりー』

 

住まいである屋敷に帰り、仲間達が寛いでいる広間の扉を開けて帰宅の挨拶をする。部屋のあちこちから返事が返ってきた。

 

「ああ、カズマ。ちょっといいか? 大事な話があるんだ」

 

「どうした、そんなに改まって?」

 

すると、屋敷の中であるにも関わらず、何故か部屋着ではなく鎧姿のダクネスがカズマに話しかけた。今日はクエストに出かける用事もないのに鎧を着ている彼女の姿に、カズマは微かに首を傾げた。

 

「実はな、ギルドからクーロンズヒュドラの」

 

「断る」

 

如何にも危険そうなモンスターの名前がダクネスの口から出てきた瞬間、カズマは間髪入れずに断りを入れた。

 

「まだ何も言ってないぞ!?」

 

「聞かなくても分かるわ!! どうせ高額賞金が懸けられているメチャクチャ危険なモンスターを退治してくれって依頼だろ? 大方、アルカンレティアで俺たちがハンスを討伐したって話を聞いた奴が、誰もやりたがらない厄介ごとを片付けるために俺たちに押し付けようとしてんだろ? 絶対に嫌だ!! 俺は受けないからな!!」

 

今まで散々厄介な目に遭ってきただけのことはあり、カズマの直感は常人のそれを遥かに上回っていた。

 

「し、しかしだな。ヒュドラに懸けられている賞金は中々の大金だぞ? それこそ当面は遊んで暮らせるほどの」

 

そこまで聞いたカズマは、ダクネスを小馬鹿にするように鼻を鳴らす。

 

「残念でした。俺はバニルとのビジネスで大金が転がり込んでくることが確実なんでな。今更金で動くような男じゃありません~。というか、どうせお前のことだから『ヒュドラを前にして為す術も無くいたぶられ、仲間の撤退する時間を稼ぐために囮となり、そのままヒュドラにいいように弄ばれる』なんてシチュエーション期待してんだろ?」

 

「そ、そんなこと期待して……ない……ぞ?」

 

「いや、そこは建前だけでもキッパリ否定しろよ……」

 

歯切れ悪く否定する生粋のドMクルセイダーを見て、カズマは呆れた。

 

「ともかく、俺は嫌だからな。なんでそんな自殺行為みたいな真似しなくちゃならないんだよ」

 

「……どうしてもか?」

 

「おう。それを押し付けた野郎に『俺を動かしたかったら、お兄ちゃん大好きな可愛い子を俺の義理の妹として寄越せ』と伝えとけ」

 

欲望ダダ漏れにも程がある要求を何の臆面も言い放ったカズマを見て、千翼は顔を引き攣らせた。女性陣に至っては軽蔑の眼差しを向けている。

 

「そうか……いやぁ、実は今回の依頼は国からでな。もし問題を解決出来たのならば、国王から表彰してもらえるかもしれないんだ」

 

「はっ、表彰がなんだ。名誉で腹は膨れないっつーの」

 

わざとらしく依頼人の名を明かすダクネスであったが、それを聞いてもカズマは鼻で笑った。ならばと、ダクネスは更にもう一押し。

 

「数多の強敵を倒し、国王直々の称賛を賜った男。もしかしたらその実力が認められ、王立騎士団からスカウトが来るかもしれんな」

 

「王立騎士団? 冗談じゃないよ。そんな軍隊みたいなとこ誰が行くってんだ。どれだけ頼まれようが俺はお断りだね」

 

シッシッと手を払うカズマを見て、ダクネスは微かに口元を歪ませる。すると、先程よりも更にわざとらしく、そして大きな声で喋った。

 

「国王からの称賛を受け。家柄ではなく実力で、しかも騎士団側から入って欲しいと頼まれるほどの男だ。もしそんな男がいたら、貴族達は『是非とも娘との縁談を』と言って放っておかないだろうなぁ」

 

カズマの肩がピクリと震える。手応えあり、と言わんばかりにダクネスが口元が更に歪む。

 

「この国には、大小合わせてそれこそ数え切れないほどの貴族達がいる。その貴族との縁談ともなれば、様々な女性との出会いがあるだろう」

 

『様々な女性との出会い』と聞いて、カズマは再び震えた。獲物が完全に食い付いたことを確信し、ダメ押しで更にダクネスは畳み掛ける。

 

「そういえば、私の知り合いにも伴侶を探している者がいたなぁ。あんなに美人で私に勝るとも劣らない程スタイルも良くて、性格も素晴らしい文句の付けようが無い娘なのに」

 

とうとうカズマが小刻みに震えだした。かかった獲物を釣り上げるべく、ダクネスは最後の一押しに出る。

 

「いやぁ、本当に残念だ。この問題を解決出来れば英雄として歴史に名を残し、見目麗しい伴侶との甘い生活が――」

 

「やれやれ。強さってのは時に厄介ごとを引き寄せてしまうものだな。しかし、その責務を全うするもの、また強き者の定め。一肌脱ぎますか」

 

やけに芝居がかった仕草で髪を掻き上げると、先程までの態度はどこへやら。仕方ないといった様子で肩を竦める。

 

「みんな、準備をしろ。思い立ったが吉日、直ぐに討伐に向かおうじゃないか」

 

そう言って、カズマは足早に部屋を出て行った。少年が広間から姿を消してしばしの間を置いて。

 

「チョロいわね」

 

「チョロいですね」

 

「チョロいな」

 

女性陣は無表情で呟いた。

 

 

◆◆◆

 

 

アクセルの町を出て、半日ほど南下したところにある小さな山の麓。あちこちから鳥の鳴き声が聞こえる森の中に五人はいた。

周りを木々で囲まれているため、奇襲を受けないようにそれぞれが別の方向を警戒しながら、慎重に目的地である湖に向かっている。

 

「ヒュドラはこの先の湖を住処にしていて、そこから出ることはないらしい。厄介なのはピンチになると湖に潜って、傷が癒えるまで出てこようとしないんだ」

 

「要するに、ヒュドラを仕留めるには短期決戦一択ってわけか。ま、めぐみんの爆裂魔法で一発だろ」

 

ダクネスから討伐目標であるクーロンズヒュドラに関する情報を聞きながら、カズマはめぐみんを横目で見た。

大型モンスターに思いっきり爆裂魔法を撃つことが出来る。という爆裂狂である彼女からしたら夢のようなシチュエーションに、めぐみんは忍び笑いを漏らしている。

 

「くっくっく……とうとう私もドラゴンスレイヤーの称号を得るときが来てしまいましたか……。竜殺しの二つ名を持つ紅魔族、ゆんゆんが羨ましがること間違いなしですね」

 

「なんでお前は一々ゆんゆんに嫌がらせしようとするんだよ……」

 

今回の仕事には一切関係のないゆんゆんの名を出し、めぐみんが不敵に笑う。ここではないどこかで紅魔族の少女が小さなくしゃみをした。

 

「なぁ……俺、本当に来て良かったのか? そのヒュドラって湖に住んでいるんだろ?」

 

不安げな声で千翼がカズマに尋ねるが、それに対してカズマは余裕の笑みを浮かべながら親指でアクアを指した。

 

「心配すんなって。もしもの時はアクアを湖に放り込んで浄化すりゃいいだけの話だからな」

 

千翼の体を構成する溶原性細胞は水を感染源としており、実際に生前の日本では何者かがウォーターサーバーの採水地に細胞の源を埋め。それが原因で大勢が細胞に感染し、アマゾン化した人間があちこちに現れるという大惨事を引き起こした。

あの惨劇を二度と繰り返さぬよう、千翼はこの世界に来てから水の扱いには一際注意しており。今から戦う相手(ヒュドラ)が湖を住処にしていると聞いて、始めは断ろうとしていた。

しかし、何故かカズマは「絶対に大丈夫だ」と妙に自信満々で断言し。「唯一まともな戦力であるお前がいないと話にならない」と懇願され、やむを得ず同行することにしたのである。

 

「ちょっと。私を便利な道具扱いするのは止めて欲しいんですけど。そろそろ本気で天罰下すわよ?」

 

へーへーと全く気にする様子も無くカズマは返事をした。それが女神の癪に障ったらしく、何時まで経っても自分を敬う気が無い不届き者に殴りかかるが、あっさりと避けられた。奇声とも怒声とも付かない奇妙な声を上げて、アクアが更に殴りかかる。

千翼の過去と体質については、今や女性陣は全てを知っている。

彼の真実を知ったとき三人は大層驚いたが、千翼の出生やこの世界に転生した理由。今まで誰にも知られず、知られるわけにはいかない『本能』に一人で抗い続けていたこと。今度こそアマゾンという人喰いの化け物では無く、人間として生きたいという決意。それらを聞いた三人は自分たちが少しでも力になれるならと、彼を改めて仲間として受け入れた。

 

「ところでカズマ、腰の矢筒は何ですか?」

 

めぐみんが歩きながらカズマの腰を指差す。そこには背負った物よりも小さい矢筒が提げられており、羽根が赤く塗られた矢が入っていた。

何度目かになるカウンターのデコピンをアクアに浴びせ、ようやく大人しくなったところでカズマがめぐみんの質問に答える。

 

「ああ、これか。これは爆裂矢だよ」

 

「ば、爆裂矢!? なんですか、私をときめかせるその素敵な名前は!」

 

『爆裂』という生涯を捧げて究めんとしているの物の名を聞き、めぐみんは目を輝かせる。

カズマは腰の矢筒から一本の矢を取り出すと、何かを包んでいる布が巻き付けられている(やじり)の部分を指差した。

 

「矢の先端に火薬が仕込んであって、命中すると爆発するんだ。これなら普通の矢よりも大きなダメージを与えられるし、矢が刺さらなくても爆発と衝撃で怯ませることぐらいはできるからな」

 

「なるほど……しかしですね、カズマ。私と共に毎日爆裂散歩に出かけ、爆裂道を極めんとしている貴方なら既に理解しているはずです……。そんな物を使わなくても爆裂魔法を修得すれば事足りると。というか、そろそろいい感じにスキルポイントが貯まっているのでは? この際だから今ここで爆裂魔法を修得しちゃいましょう! 善は急げですよ!!」

 

「あー、うん。前向きに考えとくわー」

 

矢を戻しながら、明らかに気のない返事をカズマは返した。

と、カズマがいきなり立ち止まる。何事だ? と仲間達も歩みを止めた。

 

「なぁ……なんか臭わないか?」

 

それを聞いてアクアは自分の鼻を抓むとカズマに向かって手で扇ぎ、非難するような目でカズマを睨んだ。

 

「ちょっとカズマ。自分が疑われる前に誰かに擦り付けようとするのって、人としてどうかと思うんですけど」

 

「おならじゃねーよ!! なんかこう、生臭いような……」

 

臭いを確かめるためにカズマが鼻をひくつかせると、四人も同じく臭いを嗅ぐ。

 

「うーん、ほんのちょっとだけど確かに臭うわね」

 

「何の臭いでしょうか?」

 

「意識してようやく分かる程度だな」

 

カズマに言われてようやく彼女たちもその臭いに気が付き、臭いの元は一体なんなのかと唸り声を上げる。

四人が腕を組み、首を傾け、悩ましい声を漏らしている中で。千翼だけは微かに顔を強張らせていた。

 

「チヒロ、どうかしたの?」

 

「これ……血の臭いだ」

 

突如として告げられた臭いの正体に、四人の動きが止まる。

 

「間違いないのか?」

 

「うん。多分だけど、臭いの元はあっちだと思う」

 

そう言って千翼はある方向を――自分たちが今まさに目指している、ヒュドラが住む湖の方角を指差した。五人の顔が自然と引き締まる。

 

「こっからは今まで以上に警戒して進むぞ。血の臭いだなんて、ただ事じゃ無い」

 

言いながらカズマが愛刀を引き抜き、それに習って仲間達も得物を手にする。今まで以上に周囲への警戒を強めると、先程よりも慎重に五人は歩き出した。

森の奥に進むにつれ臭いはどんどん強くなってくる。始めは意識してようやく分かるほどだったものが、鼻から息を吸うだけで感じ取れるほどに、終いには顔を顰め鼻と口を覆いたくなるほどに強烈な血の臭いが森の中を満たしていた。

清涼な森林に漂う全く似つかわしくない臭いに、五人の警戒心は否が応にも高まってゆく。やがて、木々に覆われていた視界が唐突に開けた。

 

「何があったんだ……」

 

五人の目の前には広大な湖が。真っ赤に染まり、湖面のあちこちに何かの肉片が浮かぶ湖が広がっていた。

周囲の木々や茂みには血肉が飛び散っており、ここであった戦闘の激しさを物語っている

 

「別の大型モンスターがヒュドラと縄張り争いして喰われたのか?」

 

「違う……これはヒュドラの血だ」

 

ダクネスが指差す先には、首を根元から切り落とされた竜の頭が湖に浮かんでいた。

 

「じゃあ……ヒュドラ以上の強いモンスターがここに来たってことか?」

 

「それも考えづらいですね。ここら辺でヒュドラと同じか、それ以上に強いモンスターなんていたら大騒ぎになってますよ」

 

それもそうだな。と言って、カズマは改めて水面に浮かぶ竜の首を見遣る。光りを失った瞳が少年を映していた。

 

「だとしたら残った可能性は……私たち以外の冒険者が討伐したのか?」

 

「それは流石に……」

 

「いや、きっとそうだと思う。というか、それ以外考えられない」

 

ダクネスの言葉を否定しようとしためぐみんを遮り、カズマは同意した。

 

「アクセルにはたまに俺や千翼みたいな、黒髪で顔の彫りが浅い人間がいるだろ? そういう奴って例外なく強い力を持ってるもんだし、きっとそういった連中の誰かが討伐したんだよ」

 

「確かに……それなら合点がいくな」

 

現代日本から転生し、その際に特典としてチート能力を貰った転生者。規格外の力を持つ彼らなら、貰った自分のチート能力を試すためにヒュドラを倒した。ということなら何らおかしい事では無い。

今までカズマや千翼以外の転生者を見てきたであろうダクネスとめぐみんは、納得したように小さく頷いた。

 

「それはともかく、ギルドへの報告はどうしましょうか?」

 

「……俺たちが倒したわけじゃ無いけど、ヒュドラは討伐されたんだ。そのまま報告するしかないだろ。ま、結果オーライってことで」

 

大型モンスターに全力で爆裂魔法を撃ち込む。というシチュエーションに胸を期待で膨らませていためぐみんはそれが思わぬ形で露と消えてしまい、残念そうにガックリと肩を落とした。隣に立つダクネスも、ヒュドラに甚振られるという彼女にとっては垂涎の展開が叶わなくなってしまい、同じように肩を落としていた。

 

「そんじゃ帰ろうぜ。そろそろ昼だから腹が減ってきた」

 

「賛成! 早くギルドで一杯やりましょう!」

 

昼間から堂々と飲酒を宣言する女神を見て、カズマは呆れるように溜息を吐いた。肩透かしな結果に終わったものの『ヒュドラの討伐』という目的は達成できた。となればこれ以上ここにいる用事は無い。

踵を返そうとした五人の背後で何者かが草を踏みしめる。カズマ達が身構えながら素早く振り返ると、そこには浮浪者のような男が立っていた。伸ばし放題の髪と髭、ろくに洗濯されていないであろう服はあちこちが薄汚れ、すり切れている。

そして、何故か手に『ベルト』を持っていた。

カズマ達と男はしばし無言で見つめ合い、男の瞳が片方から反対側へとゆっくり動く。

ダクネス、めぐみん、カズマ、アクアの順で視線がぶつかり。最後に千翼と目が合うと、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「よぉ、また会ったな」

 

「父さん……」

 

カズマは達は一斉に千翼を見ると、次いで目の前の男――千翼の実の父親である鷹山仁を見た。

 

「父さんって……」

 

「じゃあ、あの人が……」

 

「チヒロの父親……」

 

目の前に現れた千翼の父親――生前、彼の命を付け狙い、そして最後には奪った張本人。実の息子を執念深く付け回し、何の躊躇いも無く手にかけた危険極まりない男にカズマ達は顔を強張らせる。

見た目はどこからどう見ても路頭を彷徨う浮浪者そのものだが、纏う空気は明らかに違う。

身構えている訳でもないのに一分の隙も見当たらない。それどころか、瞬きした次の瞬間に自分が狩られるのでは。と警戒させるほどの危険な雰囲気を放っていた。

ふと、カズマの頭に一つの予測が浮かぶ。目の前の男は生前に千翼を殺した。転生特典無しであの強さを誇る千翼を倒したということは、相当な実力者なはずだ。しかも、バックルのデザインこそ違えど仁の手には、千翼と同じく変わったベルトがある。

ということは――

 

「ちょっと待て……まさか、あんたヒュドラを……」

 

「……ああ、そいつは俺がやった。近くを歩いていたらいきなり襲ってきたんでな。返り討ちにしてやった」

 

カズマの予感は見事に的中した。心底どうでもよさそうに、この世界の人間が聞いたら耳を疑うような事を仁は口にする。

 

「返り討ちだと……!」

 

「まさか……ヒュドラをたった一人で……!?」

 

めぐみんとダクネスは息を飲んで仁を見る。カズマと千翼、アクアだけは納得したように小さく頷いた。

 

「さて……」

 

仁は持っていたベルトを腰に巻く。それに合わせてカズマ達も得物を構え直した。

 

「おい、そこのお前ら。これは俺とそいつの問題だ。巻き込まれたくなかったらさっさと逃げろ」

 

「嫌だね」

 

千翼を庇うようにして、カズマ達は二人の間に割って入った。それぞれの武器をしっかりと握り締め、仁を睨む。

 

「カズマ……みんな、止めてくれ! これは俺と父さんの問題なんだ!!」

 

「水臭ぇこと言うなよ。仲間が殺されそうだってのに、見捨てる奴があるか」

 

これは生前から続く自分と父親の因縁。無関係であるカズマ達を巻き込みたくない一心で千翼は叫んだ。それに対し、当のカズマ達は特に気にする様子も無く不敵な笑みを浮かべている。

 

「……お前達が守ろうとしている奴が、どういう存在なのか分かっているのか?」

 

「知ってるよ。千翼が何者で、前世で何があったのか。全部な。それでも俺は……俺たちは千翼を信じるって決めたんだ」

 

仁は盛大に溜息を吐き、呆れたようにゆっくりと首を横に振る。

 

「ったく、あの女といい。ここには聞き分けのない奴らしかいないのか」

 

仁はバックルの左グリップを握り、勢いよく捻った。バックルの双眸が緑色に光る。

 

『ALPHA』

 

「アマゾン」

 

呟くと、仁の体が紅蓮の炎に飲み込まれる。

 

『BLOOD・AND・WILD!! W・W・W・WILD!!』

 

仁の周りの草木に炎が燃え移り、パチパチと爆ぜる。男の体を包んでいた炎が収まると、そこには緑色の双眸を持つ傷だらけの赤い異形が立っていた。

 

「これって……!」

 

「まさか……」

 

めぐみんとダクネスは驚きで目を見開き。

 

「やっぱり……」

 

「チヒロと同じ能力って訳ね」

 

カズマとアクアは特に慌てた様子を見せず。

 

「……」

 

千翼は無言で父親を見詰めていた。

赤い異形――アマゾンアルファは掌に拳を打ち付ける。乾いた音が小気味よく森に響いた。

 

「安心しろ。俺は人間を絶対に狩らないと決めている。ただし、場合によっちゃあ怪我をさせるかもしれんが……そこら辺は覚悟しとけよ?」

 

両腕をゆるりと開き、赤いアマゾンが身構えた。

 

「あんたこそ、俺たちをガキだからって舐めるなよ。こちとら魔王軍の幹部や化け物と何度もやり合ってんだ」

 

それに対するように、カズマ達も自分の武器を握り直す。

 

「千翼、親父の狙いはお前なんだろ? 今のうちに逃げろ」

 

「……いや、俺も戦う」

 

少しだけ迷うような表情を見せ、次に千翼は背負っていたリュックを離れた位置に投げた。乾いた音を立ててリュックが地面に落ちると同時に、バックルに装填されたインジェクターに手を添える。

 

「こうなったのも、全部俺のせいだ。だから……自分の始末は自分で付ける!」

 

「……OK。そんじゃ、さっさと終わらせて昼飯食いに行こうぜ」

 

そう言ってカズマはニヤッと笑った。千翼も笑みを返すとインジェクターを押し込む。中身が注入されバックルの黄色い瞳が輝いた。

 

『NE・O』

 

「アマゾン!!」

 

仁と同じく千翼の体が紅蓮の炎に包まれた。足下の草を燃やしながら、少年の姿がみるみるうちに異形へと変貌してゆく。炎が収まるとそこには青い異形、アマゾンネオが立っている。

再びピストンを叩いて右手首から銀色の長剣を形成すると、前に出てカズマ達と肩を並べ、父親を見据えた。

 

「これが最後の警告だ。今なら見逃してやるぞ。千翼、お前はもちろん絶対に殺すがな」

 

返答は沈黙であった。

五対一という、素人目から見てもどちらが勝つか、戦う前からわかりきったような状況。しかし、仁の纏う殺気と気迫は、数の差など無意味だと言わんばかりの圧力を放っている。

 

――ダメだ、隙が全く見当たらない。

 

カズマの頬を一筋の冷や汗が流れた。

仁は千翼と同じくベルトを使って変身している。ということは、あのベルトさえ何とか出来れば自分たちにも十分な勝機はあると踏んでいた。ここは自分の十八番である『窃盗(スティール)』の出番。直ぐにでもベルトを奪って無力化しようと考えていたのだが、遅かった。

赤い異形に姿を変えた仁は、ほんの僅かな隙さえ見せない。何があっても直ぐに対応できるよう、無駄な力を入れずに佇んでいる。スティールを使おう物なら、即座に仁はカズマを仕留めにかかるだろう。千翼と同等か、それ以上の身体能力を持つ男。スキルの発動が間に合うとは到底思えない。出鼻を挫かれたカズマは歯噛みし、顔を歪めた。

その代わりと言わんばかりに先陣を切ったのはダクネスであった。力強く地面を蹴り、手にした大剣を振りかぶる。赤い異形が剣の間合いに入り、白銀の刃が常識外の膂力で振り下ろされた。

当たりさえすればひとたまりもない致命の一撃に対し、冷静に太刀筋を見切った仁は腰を少しだけ下ろし、右腕を引く。仁の遥か頭上を大剣が猛烈な風切り音を伴いながら通過した。

剣が振り切られ、ダクネスは体が慣性に引っ張られないように足腰に力を入れて、振った向きとは逆に腕の力を入れる。常人ならば大剣の勢いが余って体が回ってしまうところを、彼女は日々の鍛錬と経験でによって見事に止めてみせた。しかし、それは同時に無防備な瞬間を晒すのと同義である。仁はダクネスの顎を掠めるように右の拳を振った。

 

「っ――」

 

女騎士の脳が激しく揺さぶられる。ダクネスは一瞬にして平衡感覚を失い、意識が混濁する。大剣を杖に何とか立ち続けようとするが、その努力も虚しくあっけなく崩れ落ちた。

まずは一人目を戦闘不能にしたアマゾンアルファ目掛けて矢が飛んでくる。寸分違わず直撃し矢が爆ぜた。爆発音が森と空に響き、黒煙が赤い異形の姿を覆う。

 

「おお!」

 

「直撃ですね!」

 

カズマ自作の爆裂矢の威力を見て、アクアとめぐみんが感嘆の声を上げる。

 

「油断するな! あれで終わるわけが無い!!」

 

「来る!」

 

しかし、カズマと千翼の二人は真逆の反応であった。煙の中から赤い影が飛び出すと、それは一直線にめぐみんへと向かった。

 

「え?」

 

自分の視界の端に赤い何かが居ることに気が付き、彼女は反射的に視線と首をそちらに向けた。緑色の目を持つ赤い異形が、すぐ隣に立っていた。めぐみんの首の後ろに手刀が振り下ろされる。

 

「ぐぇ……」

 

口から少女らしからぬ嘔吐(えづ)きが漏れ、めぐみんは愛用の杖と意識を同時に手放した。

相手がすぐ傍に居ることに気が付いたカズマは、持っていた弓を手放すと右手を腰の後ろへと伸ばし、愛刀の柄を握る。引き抜く前にアマゾンアルファは次の動作に移った。

腰を落として右腕を引くと、めぐみんの隣に居たアクアの腹に向かって猛烈な速さで掌底が繰り出される。が、当たる寸前に掌はピタリと動きを止めた。不可視の拳圧がアクアの腹を貫き、彼女の五臓六腑を容赦なく衝撃が襲う。

 

「うぷっ……!」

 

危うく口から逆流したものを吐き出しそうになるが、そこは腐っても女神。すんでのところで口を両手で押さえると、喉まで上がってきた物を何とか飲み込んだ。

余りにも気持ち悪すぎる喉越しと、口内に広がる味わったことの無い酸味に顔を歪めながら、水の女神は白目を剥いて地面に倒れた。そして、この瞬間をカズマは逃さなかった。

相手は今、攻撃を終えた状態。ここから次の動作に入るまではどうしても隙が生まれる。カズマは反射的に手に持つ刀を振り下ろした。太陽光を照り返す白刃が、赤い異形に迫る。

 

「わりぃな」

 

刃が異形を斬り付ける前に、少年の鳩尾に肘がめり込んだ。彼の手から刀が零れ落ちる。

 

「……!」

 

声を出すことすらままならず、肺の空気が強制的に全て吐き出される。

仁は伸ばした右腕と右足を軸に半回転。カズマに背を向けつつ左肘を鳩尾に叩き込んだのだ。かなり手加減された一撃だったが、それ故に気絶して楽になることができず、倒れたカズマは蹲るようにして自分の体を抱いた。

 

「がぁ……おぇ……」

 

口から呻き声と大量の唾を吐き出す。呼吸をしようにも肺が痙攣して、吸うことも吐くこともままならない。

 

「カズ……!」

 

ネオの顔面に全力で振るわれた拳がめり込む。手加減無しで見舞われた一撃によって、青い異形の体が宙を舞った。数秒だけ滑空したのち、大木に背中を激しく打ち付けてようやく勢いが止まった。何枚もの木の葉が舞い落ちてくる。

ずるずると背中を擦りながら青い異形は崩れ落ち、力なく首が傾く。草木が凍り付くほどの冷気が放たれ、青い異形が少年の姿へと戻った。

自分以外誰も立っている者がいない中で、仁は悠々とした足取りで千翼へと近付く。目前にまで迫ると、太陽を背に息子を見下ろした。

 

「三度目はないぞ。もうお前を助けてくれる奴は誰もいない」

 

仁は千翼の髪を乱暴に掴み、そのまま自分の眼前まで持ち上げる。痛みで呻き声を上げる息子に構わず、右腕を引いた。

 

「今度こそ、仕留める」

 

 

◆◆◆

 

 

「……っ……ぁ……」

 

その光景を見ていたカズマは震える手で地面を掴み、這いつくばるようにして千翼の元を目指す。

仮にたどり着けたところで何も出来ないだろう。だけど、このまま何もしないで千翼が殺されるのをただ待つのだけは絶対に嫌だ。

何でもいい。何でもいいからこの状況を打破できる物を――

手が何かを掴む。鉛のように重い頭を何とかしてもたげ、切れかかった電球のように明滅を繰り返す意識を必死に繋ぎ止め、掴んだ何かを見た。

恐らくは倒れた際に矢筒の中身が散らばったのだろう。それは、羽根が赤く塗られた矢だった。この矢を命中させれば、少なくとも僅かな隙を作ることは出来るはずだ。そうすれば千翼が逃げ出せるチャンスが生まれる。

カズマは運良く直ぐ近くに落ちていた弓に手を伸ばし――その手を止めると、代わりに地面に手を付く。

 

「……ぅぅ」

 

思うように力が入らない腕に必死に力を込め、やっとの思いで片膝立ちになると、今度はその膝を支えにして反対の足を立たせる。

ようやく立ち上がることが出来たが、気を抜くと今にも倒れそうだった。矢を番える時間すら惜しい。カズマは羽根が赤く塗られた矢を握り締めると、震える両手足を使って必死に立ち上がる。

自分が今から何をしようとしているのか、それを理解した防衛本能が『止めろ』とやかましく叫ぶ。

 

――うるせぇ。邪魔すんな

 

鬱陶しい叫び声を無理矢理捻じ伏せて黙らせる。

チャンスは一度。やるとしたら全力でやるしかない。幸いにも仁の意識は千翼に向けられており、カズマが立ち上がっている事に全く気付いていない。

カズマは矢を握り締めると、残り滓のような気力と体力を振り絞って、今の自分が出せる最大の速さで駆け出した。

 

「うあああぁぁぁ!!!」

 

そして、躊躇うことなく赤い異形に跳びかかり、その頭に矢の先端を叩き付けた。鏃が爆ぜ、少年の手と異形の頭部の間で爆発が起こる。

予想だにしていなかった背後からの奇襲。しかもそれが頭部に直撃し、さしもの仁も千翼を手放して倒れた。

 

「千翼ぉ!! 逃げろぉ!!」

 

肺に残った僅かな空気と気力を振り絞ってカズマは叫んだ。

 

「か……カズマ……ゆ……指が……!」

 

仁から解放され、這いつくばるように倒れた千翼は震えながらカズマの右手を――今にも千切れそうな皮一枚で辛うじて繋がっている、小指と薬指がぶら下がっている右手を指した。

 

「逃げろ……! 逃げてくれ!!」

 

カズマの心からの叫びに、千翼は怯えたように体を震わせる。右手から止め処なく血を流すカズマと、呻き声を上げながら何とか立ち上がろうとする仁の間で、千翼の視線が往復する。

やがて、悔しそうに唇を強く噛み締め、千翼は何度も転びそうになりながら逃げ出した。

仲間の背中が見えなくなり、カズマは微かに笑みを浮かべる。

 

「ハハハ……やって……くれる……じゃねぇか……」

 

不意打ちで強烈な一撃を貰い、仁はふらついていた。先程の一撃で変身も解け、元の人間の姿に戻っている。

 

「逃げられると思うなよ……」

 

息子が逃げた方向を睨むと、歯を剥き出しにして笑みを見せた。一歩目を踏み出そうとして何者かがその足を掴む。

 

「千翼のとこには……絶対に……行かせねぇ……」

 

一体どこに力が残っているのか。カズマはまだ動かせる左手で仁の足を掴んでいた。まるで万力のようにギリギリと締め上げ、手の甲に青筋が浮かぶ。

 

「……」

 

しばしの間、仁は自分の足を掴む少年を見下ろす。やがて、足を振って無理矢理カズマの手を引き剥がすと、千翼の後を追った。

 

 

◆◆◆

 

 

一体どれだけ走ったのだろう、体はとうに限界を越えていた。本能が休むことを許さなかったせいか、不思議と苦痛は感じない。

カズマが自分の手を犠牲にしてまで作ってくれた千載一遇のチャンス。それを無駄にしないためにも、千翼はひたすら走り続けていた。

 

「ハァ……ハァ……ハァ……」

 

流石にもういいだろう。千翼は目に付いた大木の陰に隠れ、腰を下ろす。ようやく休むことが出来たところで、今まで忘れていた痛みと苦しみが一気に襲ってきた。

肺が焼けるように痛み、足は痙攣して震えが止まらない。全身から噴き出す汗で服と前髪が体に張り付き、不快なことこの上ない。

自分たちでは父親には勝てない。だとすれば逃げるしか無いだろう。今はとにかく仁の追跡を何とか撒いて、仲間達と合流せねば。その後に急いでこの森を脱出しなければならない。

背中を木に預け、今は酷使した体を休ませる事に専念する。下手に動き回って自分の位置を感付かれたら、今度こそ殺されるだろう。

時間と共に早鐘のように脈を打っていた心臓は徐々に落ち着きを取り戻し。それに合わせて浅く早かった呼吸が深く遅い物へと変化してゆき、平常時の間隔に戻ってくる。

どれだけ休んだかは分からないが体の熱も大分収まり、呼吸もほぼ整った。万全とは言えないが、少なくとも動くことは出来る。父親に追い付かれる前にカズマ達と合流し、一刻も早く森を出なければ。

一度大きく深呼吸してから千翼は立ち上がろうと――

 

――ザッ

 

何者かが草を踏みしめる音が千翼の耳に届いた。反射的に体が震え、呼吸が止まる。

 

――ザッ

 

少し間を開けて同じ音が響く。急いで自分の鼻と口を両手で塞ぎ、呼吸音を抑えるために出来る限り長く、ゆっくりと指の隙間から息を吸う。

 

――ザッ

 

足音は確実に近付いていた。千翼は大木に背中をピッタリと付け、足を体に寄せる。少しでも気配を隠すために、目を閉じた。

 

――ザッ

 

自分のすぐ後ろ、つまりは大木の向こう側で足音は止まった。

 

――頼む……頼むから向こうに行ってくれ。

体が恐怖で震え、呼吸が乱れる。ほんの少しでも震えを抑えるために、千翼は自分の舌を噛み千切りそうな程に強く噛んだ。大木の向こう側にいるであろう人物は自分の位置を探っているのか、次の足音は聞こえない。

どれだけの時間が過ぎたのだろう。一分か、はたまた一時間か。時間の感覚を忘れる程の恐怖が千翼の心臓を鷲掴みにし、再び早鐘のような鼓動が始まる。

首筋に冷たい感触が走った。千翼は咄嗟に倒れる。少年が頭を固い木の根に強かにぶつけると同時に、一瞬前まで少年の首があった場所に線が走った。

大木が軋みながら、痛みで頭を押さえている少年に向かって倒れてくる。すんでのところで千翼は転がると、轟音を響かせ、枝葉を撒き散らしながら大木が地面に激突した。

何が起きたのかを確認するより前に、千翼は一瞬でも早く起き上がろうとする。黒いつま先がその腹を捉えた。

 

「がっ……」

 

体がくの字に折れ曲がり少年の体が宙を舞う。その先にあった木に背中を打ち付け今度は逆くの字に体が曲がると、仰向けの姿勢で地面に落ちた。

 

「言ったはずだ、次に会ったら必ず殺す」

 

葉と草を踏み締めながら、アマゾンアルファが身動きの取れない千翼に近付く。馬乗りになると左手で首を押さえ付け、右手首の刃を構えた。

 

「今度こそ、終わりだ」

 

目前に迫る死神()に、千翼は恐怖で何も出来ない。

 

「――」

 

音の無い声が千翼の口から漏れた。同時に千翼の体から蒸気が噴き出し、幾千もの触手が伸びる。それらは枝を落とし、岩を貫き、木々を一振りで切り倒した。

蒸気の勢いで吹き飛ばされたアマゾンアルファは空中で受け身を取り、着地すると即座に腕を振るう。襲いかかってきた何本かの触手が切り落とされた。

その後も腕を振るい続け次々と迫り来る触手を正確に、そして手際よく斬り裂くものの、徐々に押され始める。ついに迎撃が間に合わず、数本の触手が赤い体を叩いた。赤い異形が僅かによろめく。

その隙を逃さず触手の束が叩き付けられ、赤いアマゾンが宙を舞い、地面に落下する。強烈な冷気を放ちながら赤い異形が男の姿へと戻った。その様を触手の根元――蒸気の奥で爛々と輝く赤い双眸が、唸り声を上げながら仁を睨んでいた。

 

「ハハ……ハハハハ……」

 

仁は乾いた笑いを漏らす。その声に恐怖の色は一切ない。

 

「また……『ソレ』を使ったな……?」

 

常人ならば恐怖で足が竦むか、我先にと逃げ出したくなるほどの圧倒的な殺意。それを一身に浴びせられながらも、仁は全く動じていなかった。

 

「お前が一番分かっているはずだ、千翼。お前は……」

 

――アマゾンだ。

それが最後の台詞であった。カクンと首が傾き、仁はとうとう意識を手放す。

白煙の奥の存在は気を失った仁をしばし見詰めると、やがてゆっくりと蒸気が晴れてゆく。完全に消えると、そこには一人の少年がいた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

千翼は両手と膝を地面に付き、藻掻くように息をする。顔から幾つもの汗の粒が滴り落ち、地面に落ちると一瞬にして染みとなり消えた。

 

「あ……ああ……」

 

とうとう使ってしまった。自分が何よりも忌み嫌う、自身が化け物(アマゾン)であることの証。

これだけは何があっても絶対に使わないとあれだけ誓ったのに、使ってしまった。

地面に付けていた手を離し、ゆっくりと眼前に持ってくる。土と草で汚れた手の平がそこにあったが、千翼は血で染まった自分の手を幻視した。

フラフラと立ち上がると、覚束ない足取りで千翼はその場を立ち去った。

 

 

◆◆◆

 

 

再びあのむせるような生臭さが鼻を刺激する。何はともあれ仁を倒した千翼は、仲間の元へと急いでいた。極限まで消耗した体では歩くことすらままならないが、そんな事を言っている暇は無い。

自分を逃がすために右手を犠牲にしたカズマを一刻も早く治療しなければ。あの怪我の具合からして、恐らく今のカズマはかなり危険な状態になっているだろう。

血の臭いを頼りに森を歩き、草むらをかき分けて視界が開けると、そこには強張った表情で得物を構える魔道士と女騎士が自分を睨み、その後ろで木にもたれかかっている少年を女神が庇っていた。

お互い何が起きたのか分からず一瞬だけ沈黙が流れ、目の前の人物が仲間だと理解するとその名を叫ぶ。

 

『チヒロ!!』

 

「カズマ!!」

 

足をもつれさせながらカズマの元へ千翼が駆け寄る。

 

「カズマ、右手が!」

 

「大丈夫。アクアのおかげですっかり元通りだ。……つっても、流石に失った血までは治せないけどな」

 

千翼を安心させるように傷一つ無い右手をカズマは見せびらかす。皮膚で辛うじて繋がっていたのが嘘のように、小指と薬指は元通りになっていた。

驚きで目を見開き右手を凝視する千翼を見て、カズマは青白い顔で力なく笑った。

 

「チヒロ、さっきの男は?」

 

「上手い具合に撒けたのか?」

 

「……恐らく父さんはしばらく動けない。今のうちに逃げよう」

 

少しだけ言い淀んだ千翼にカズマ達は怪訝な顔を浮かべるが、今はそれどころではない。今すぐにでもこの森を出なければ、またあの男が千翼を殺すために追ってくる。

ダクネスは剣を鞘に収めると素早く、しかし丁寧にカズマを背負った。

 

「急ぎましょう!」

 

「こっちです!」

 

アクアとめぐみんの二人が先導し、残る三人が後を追う。女騎士の背中に揺られながら、カズマが隣を走る千翼に向かって微笑んだ。

 

「本当に千翼は凄いな……あんな強い奴を倒しちまうなんて」

 

それは、心からの称賛の言葉であった。そして、千翼はそれに応えること無く、微かに俯いた。




というわけで、久方ぶりの仁さんでした。
仕事の状況がどうなるか分からないため次回の更新は未定ですが、気長にお付き合いして頂ければ幸いです。


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Episode15 「O」UT OF THE BLUE

大変長らくお待たせしました。この2年間に何があったかは活動報告書を読んでいただければ幸いです。
いよいよ紅魔の里編ですが、分量が大きくなりすぎたため分割して投稿することにしました。後編については出来る限り間を開けないようにして投稿したいと思っています。


カズマ達がアルカンレティアから帰ってきて一週間が過ぎた。温泉旅行に出かけた先での魔王軍幹部ハンスの討伐、ヒュドラ退治に向かった矢先で仁との戦闘という思わぬ大仕事を終えた五人は、この一週間で伸ばしきれなかった羽を思う存分伸ばしていた。

立て続けに色々とあった後だから、しばらくはゆっくりしたい。というカズマの意見に全員が賛成し、クエストにもいかず思い思いに寛ぎの日々を過ごす。

暖かい日差しが降り注ぐ空の下、いつものようにウィズの店で粉末を購入し家路に着いている千翼は、屋敷の前に見知った人物がいることに気が付いた。

 

「う~、どうしよう……。やっぱり日を改めて……でも、こうしている間にも……そ、そうよね。こういうのは勢いが大事だから」

 

「ゆんゆん、どうかしたの?」

 

「ひゃあ!?」

 

独り言を呟きながら何か決意を固めたところで、後ろから突然話しかけられた少女は驚いて叫び声を上げる。勢いよく振り返った少女、紅魔族の少女であるゆんゆんは千翼の姿を見ると、勢いよく頭を下げた。

 

「こ、こんにちは! チヒロさん!」

 

「こ、こんにちは」

 

上擦った声で挨拶され、戸惑いながら千翼も挨拶を返す。そこでゆんゆんは言葉に詰まってしまい視線を右往左往させるが、千翼の持つ粉末に目が止まる。

 

「そ、その。具合というか……体は大丈夫ですか?」

 

「大丈夫だよ。この粉末を飲んでいれば大分抑えられるから」

 

言いながら千翼は買ってきた粉末を持ち上げて見せる。アルカンレティアから帰ってきた千翼は「自分の事をゆんゆんにも伝えたい」とカズマ達に話した。

隠し事というのは何れはバレるもの、遅かれ早かれ彼女も千翼の過去を知ることになるだろう。だったら今のうちに自分から話しておきたいと語った。

何かあったらフォローする。と言ってカズマが付き添いに名乗りを上げ、それだったら私も、とめぐみんが続き。ダクネスも、ここまで来たら行かないわけにはいかない。と言って三人が千翼に付き添うことになった。

 

「じゃあ、行ってらっしゃい。私はここで待ってるから」

 

そう言って一人だけ留守番をしようとしたアクアをカズマが無理矢理引きずっていき、結局全員でゆんゆんの元へ向かうことになった。

彼女をウィズの店へ誘い、千翼の過去、そして食人衝動について話すとゆんゆんは大層驚いたが、自分も千翼の事を信じる。出来ることがあれば遠慮なく頼って欲しい。とすんなりとその事実を受け入れた。

 

「あ、あの! 今日ってカズマさんは屋敷にいますか!?」

 

「うん。カズマだけじゃなくてみんな居るよ」

 

「そ、その。実はカズマさんにお願いがあって……」

 

「立ち話もなんだし、とりあえず屋敷に上がろうか」

 

千翼に促され、ゆんゆんは彼と共に屋敷に入る。階段を上がって広間の扉を開けると、いつもの面々がいつものように寛いでいた。

 

「ただいま」

 

「お、お邪魔します……」

 

「おかえりー、ってゆんゆん? めぐみんに何か用?」

 

「お、久しぶりに勝負しますか? ちょうど退屈してたところです」

 

ソファの上で暇そうに寝そべっていためぐみんは、ライバル(幼なじみ)の姿を見るや否や不敵な笑みを浮かべながら体を起こす。

 

「えっと、今日はめぐみんじゃなくてカズマさんに用があって」

 

それを聞くとめぐみんは不満そうに頬を膨らませ、再びソファに寝そべった。カズマは自分を指差しながら首を傾げる。

 

「俺に用事?」

 

ゆんゆんは真っ直ぐカズマの元に向かうと、顔を真っ赤にしながら二、三度深呼吸する。そうして呼吸を整えると、目の前の少年を真っ直ぐ見据えた。

 

「カ、カカ、カズマさん!!」

 

「お、おう」

 

どもりながら何とか言葉を紡ぐゆんゆんに、カズマは思わず気圧される。

 

「わ、私と!」

 

「私と?」

 

ここでゆんゆんは再び深呼吸。肺の底まで空気を吸い込み、吐き出す。この行動を三回繰り返し、ただでさえ赤い顔を更に赤らめながら、意を決して叫んだ。

 

「こ、ここ、こここ、子供を作ってください!!」

 

突如として少女の口から飛び出した「自分と子供を作ってほしい」という言葉に世界が停止する。

ソファで不貞寝しようとしためぐみんは飛び起き、ダクネスは手に持つカップから紅茶を床へ流しながら、男二人は目を極限まで見開いて。四つの視線がとんでもないことを口にした少女に突き刺さる。

 

「ねー、カズマさん。今日の晩ご飯はなに? 私は魚の気分かな」

 

「アクア、お前ちょっと黙ってろ。ゆんゆん。とりあえず座って」

 

「は、はい!」

 

カズマは自分の対面に座るように促し、ゆんゆんは言われたとおりに彼の正面に座った。カズマの顔を直視することが出来ないらしく、相変わらず顔を真っ赤にしたまま視線を逸らしている。

 

「で……誰の仕業だ?」

 

「へ?」

 

カズマはとても穏やかな、まるで聖人のような微笑みを浮かべながらゆんゆんに尋ねる。

 

「ゆんゆんは凄く純粋で優しいからな。それでいて人から頼み事をされると断れない性格だろ? きっと『カズマって男に私と子供を作ってくださいと言ってこい、友達なら頼みを聞いてくれるよね?』ってそそのかされたんだろ?」

 

「え? いや、その……」

 

口調こそ穏やかだが、言葉に端々には静かな、それでいて確かな怒気が滲んでいた。

 

「大丈夫、そんな不届き者は死ぬほど……いや、死ぬよりも惨い目に遭わせてきっちり反省させてやるさ。で、誰の仕業なんだ?」

 

「ち、違います違います!」

 

ここでゆんゆんは目の前の少年がとんでもない勘違いをしていることに気が付き、両手をぶんぶんと振りながら慌ててその間違いを訂正した。

 

「実はこんな手紙が届きまして……」

 

ポケットから折り畳まれた手紙を取り出すと、ゆんゆんはそれをカズマに渡した。手紙を開くと、興味を引かれた仲間達がカズマの後ろに集まり、手紙を覗き込む。手紙にはこう書かれていた。

 

『ゆんゆんへ。この手紙が届く頃には私はこの世にいないだろう。』

『とうとう魔王軍の本格的な侵略が始まった。奴らは軍事基地を建設し、我々はそれを破壊できずにいる。』

『更に悪いことに、今回の侵略には魔法に強い魔王軍の幹部が派遣されており、戦況は芳しくない状況だ。』

『私は紅魔族の長として最後の最後まで戦い抜くつもりだ。仮に紅魔の里が滅んだとしても、紅魔族の血は最後の生き残りであるゆんゆんがきっと繋いでくれると信じている。』

『だから、あとは頼んだぞ。どうか生きてくれ、愛する我が娘よ。』

 

「これって……!」

 

「はい。紅魔の里にいる私の父さんから届いた手紙です。少し前から里に魔王軍が攻めてきているという報せはあったのですが、どうやらここ最近で状況が一気に変わったようでして……」

 

「ちょっと待ってください。少なくとも紅魔族はここにもう一人いますよ? なんで私は居ないような扱いなのですか?」

 

「幹部を投入したということは、今回の戦いで紅魔族を滅ぼすつもりだろうな……」

 

「魔王軍は本気みたいね……」

 

めぐみんの不満げな声が聞こえているのかいないのか、ダクネスとアクアの二人が深刻な面持ちで呟く。

 

「でも、この手紙の内容と俺とゆんゆんが子供を作ることに何の関係があるんだ?」

 

「それは二枚目の手紙を読んでください」

 

ゆんゆんの父から届いた手紙の下にはもう一枚手紙があり、カズマは一枚目をその下に回すと次の手紙に目を通す。

 

『始まりにして駆け出しの地にて出会いし真紅の瞳を持つ少女と漆黒の瞳を持つ少年。何の才能も取り柄もなく、臆病なだけの少年はやがて真紅の瞳を持つ少女を妻に迎える。それこそが星が示す宿命であり、世界が定めし因果である。』

『世界が魔の王によって暗黒に覆われ、人々は絶望と嘆きに打ちひしがれるだろう。大地は渇き、川は濁り、山は崩れ、世界は人ならざる異形の者たちが跋扈する地獄と化す。』

『だが、世界が深い闇に沈むその時こそが、希望が最も輝く時である。真紅と漆黒が交わるとき、この世界を照らす大いなる光が産まれ落ちん。』

 

二枚目の手紙を読み終え、その内容にカズマ達は複雑そうな表情を浮かべていた。

 

「これは……なんだ?」

 

「予言……かな?」

 

先程の手紙とは打って変わって、今度は抽象的な内容にカズマと千翼は揃って首を傾げる。

 

「これは恐らく、里にいる腕利きの占い師さんが見た未来です! きっと父さんはこの占いの結果に希望を見出したのだと思います!」

 

「占いねぇ……そらまぁこんな状況だから藁でも何でも縋りたい気持ちも解るけど……ん?」

 

再び読み返したところでカズマ達はある一点で視線が止まった。五つの眼差しがそこに書かれている文字をじっくりと読むと、顔を上げてゆんゆんに尋ねる。

 

「なぁ、ゆんゆん。ちょっと聞きたいんだけど、この手紙ってちゃんと最後まで読んだのか?」

 

「もちろんです。読み飛ばしが無いかキチンと確認しました」

 

「いや、そうじゃなくて。本当に()()()()読んだの?」

 

ゆんゆんが不思議そうな顔をすると、カズマは読んでいた手紙を彼女に見せて最後の一文の下、余白の部分を指差す。そこには――

 

【紅魔英雄伝 第一章 著者:あるえ】

追伸:郵便代が高いのでおじさんに頼んで同封させてもらいました。続きは書き上がり次第また送ります。感想くれると嬉しいです。

 

「ああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」

 

引っ手繰るようににしてカズマからを手紙を奪い、それをグシャグシャに丸めると、ゆんゆんはそれを見事なフォームで暖炉に向かって投げた。投げられた手紙だった物は吸い込まれるように暖炉の火の中へと飛び込み、あっという間に火が付いて灰になった。

最高潮に顔を真っ赤にしたゆんゆんは肩で息をしながら、今にも泣き出しそうな目で全身を震わせていた。何とも気まずい空気になってしまい、誰も彼もが迂闊に口を開けない。

 

「えーと……」

 

このままではいけないと思ったカズマは、一先ず場の空気を和ませようと悩ましい声を上げる。今はとにかくゆんゆんが盛大に勘違いし、見事に自爆して出来上がったこの空気をなんとかしなければ。

何か別の話題はないかと頭を働かせると、自分の手元にまだ持っている一枚目の手紙が目に入った。

 

「と、とりあえずアレだ。ゆんゆんと俺の子ども云々はともかく、一枚目は間違いなく親父さんからの手紙なんだよな?」

 

「は、はい! あれは間違いなくお父さんの字でした!!」

 

話題に食い付いたゆんゆんは、誤魔化すように大きな声でカズマの質問に答える。

 

「だとすると、紅魔の里がピンチってのは間違いないよな……」

 

「こうしてはいられません! 今すぐにでも里に向かいましょう!」

 

めぐみんは勇ましく声を上げるが、それを聞いたカズマは露骨に嫌そうな表情を浮かべた。

 

「おいおい勘弁してくれよ。この前アルカンレティアでハンスと戦ったばかりだってのに、また魔王軍の幹部とやり合うのか? 今回ばかりは本当の本当にパス。こんなこと続けてたら命が幾つあっても足りないっての」

 

「別に命の心配は必要ないでしょ? 死んだら私が蘇生させればいんだから」

 

「そういう問題じゃねーよ」

 

実際に彼女に蘇生させてもらった事があるとはいえ、余りにも命を軽視するような発言をするアクアにカズマは呆れたような視線を向ける。

 

「と言うわけで、申し訳ないけど。今回は俺に期待はしないでくれ――って、いつもなら言うところだけど……」

 

カズマは首を回すと、後ろに立つ千翼を見遣る。

 

「千翼、行くんだろ?」

 

「ゆんゆんの故郷が危ないんだろ? だったら行かない理由は無いよ」

 

「それもそうだな。友人のピンチを見捨てるなんて、俺もそこまで薄情じゃねぇよ」

 

そう言って、カズマはニヤッと笑った。

 

「カズマさん、チヒロさん……!」

 

「めぐみん、紅魔の里ってどこにあるんだ?」

 

「アルカンレティアの近くにある平原を越えた先です。里までは徒歩で二日はかかりますね。魔王軍だろうが何だろうが、私の爆裂魔法で消し炭にしてあげます!」

 

「その平原だが、なんでも危険なモンスターがウヨウヨと居るらしい……今から楽しみだ!」

 

「ふふん、ちょうど良いわ。このまま幹部の連続討伐といきましょう!」

 

やる気になっているめぐみんと、別の意味でやる気になっているダクネス。ここ最近魔王軍幹部を立て続けに討伐して妙な自信が付いているのか、やたらと張り切るアクア。

発奮している女性陣を落ち着かせるようにカズマが手を叩き、注目を集める。

 

「急ぐ気持ちは分かるけど、相手は魔王軍だ。今日はしっかり準備をして明日の朝に出発しよう。と言うわけで、一旦解散!」

 

カズマの号令を聞き、五人は頷いた。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝。太陽が地平線から顔を出し、眠っていた町が目を覚ます。小鳥たちは澄み渡る空を背に羽ばたき、人々は今日一日の仕度を始める。

朝靄が薄く漂うアクセルの町で、カズマ達六人は出発前の最終確認を行っていた。

 

「よーし、全員忘れ物はないか?」

 

カズマの確認に各々が「大丈夫」「バッチリ」と元気よく返事をする。それを聞いたカズマは満足そうに頷いた。

 

「それじゃ、アルカンレティアに出発だ」

 

号令をかけてカズマが足を踏み出すと、めぐみんが不思議そうな顔をしながら呼び止める。

 

「カズマ、馬車乗り場はこっちですよ?」

 

「いや、今回は馬車は使わない。もっと良い方法がある」

 

以前アルカンレティアに向かった時と同じく馬車乗り場に向かおうとしたところ、カズマは何故か違う方向へ歩みを進めていた。めぐみんが不思議そうな顔でそのことを指摘すると、当の本人はニヤッと笑った。

とにかく付いて来いよ。というカズマに従い、五人は頭上に疑問符を浮かべたまま少年の後を追う。馬車乗り場を離れて向かった先は商店街。しばらく歩くと馴染みの深い店の前でカズマは足を止めた。

 

「ここさ」

 

「えー、なんでよりにもよって朝っぱらからこんな辛気臭い場所に用があるのよ?」

 

カズマが立ち止まった場所――六人にとっては非常に馴染みのあるウィズ魔法道具店を見て、アクアは露骨に嫌悪感を露わにする。

そんな彼女の様子を気にする素振りも見せず、カズマは店の扉を開けた。

 

「へいらっしゃい! 相変わらずやる気のない顔をしておるな」

 

「はいはい、いつもの嫌味どうも。ウィズ、ちょっと頼みがあるんだけど」

 

店に入ると燕尾服の上からピンクのエプロンを締め仮面を付けた長身の男、ここの店員である元魔王軍幹部のバニルが出迎えた。

挨拶代わりのバニルの嫌味を軽く流すと、カウンターの奥で作業をしていた店主のウィズにカズマは話しかける。

 

「あ、おはようございますカズマさ……って、アクアさま!?」

 

自分の天敵である水の女神を見て、リッチーであるウィズは慄いた。そのままカウンターに隠れると、目から上だけを覗かせて恐る恐る尋ねる。

 

「え、ええと。今日はどのようなご用件でしょうか……」

 

「朝早くから悪いな。実は紅魔の里に行くことになったから、ウィズのテレポートで近場のアルカンレティアまで転送を頼みたいんだよ。この前の旅行で転送先に設定したんだよな?」

 

「ああ、そういうことでしたか。それならお任せください。ですが、この作業が終わってからでもいいでしょうか? すぐに片付きますので」

 

「大丈夫だ」

 

カズマは片手でアクアを押さえ込みながらウィズに目的を告げる。それを聞いたウィズはゆっくりとカウンターから出てくると、背を向けて作業を再開した。二人の会話が終わったタイミングを見計らって、今度はバニルがカズマに話しかける。

 

「ところで汝よ、商談の件だがこれまで開発した全商品の知的財産権を総額三億エリスで我輩が買い取る。本当にこれでいいのだな?」

 

「ああ、それで頼む」

 

『三億エリス!?』

 

バニルが口にした金額を聞き、ウィズを除いた女性陣が素っ頓狂な叫び声を上げる。

 

「チヒロ! カズマと一緒になにかやってたのは知ってましたが、なんでこんな大金が入るって教えてくれなかったのですか!」

 

「えっと、そういうのはよく分からないから、全部カズマに任せてて……」

 

「カズマもカズマよ! こういうことは私たちにも教えるべきでしょ?」

 

「こういうことになるから、お前達には絶対に教えないと決めてたんだよ」

 

途方もない大金が入ってくると知っためぐみんとアクアは、目の色を変えて男二人に詰め寄った。その様子を見てうんざりした顔のカズマは、すぐに表情を切り替えてバニルに向き直る。

 

「それで具体的な日程だけど……」

 

言い終わる前にカズマの服の両袖が小さく引っ張られた。首を回せば、そこには期待に満ちた眼差しを向ける水の女神と紅魔族の少女の姿が。

 

「カズマさんカズマさん。私、自分だけの酒蔵が欲しいの。そこに世界中のありとあらゆるお酒をコレクションして、好きなときに好きなだけ飲みたいなー」

 

「私は魔力の増幅と伝達効率を高める宝石が欲しいです! あれを体中に身に付けて、生涯最高の爆裂魔法を撃ってみたいです!」

 

「三億エリス……一生遊べるだけの金額……まるで働こうとしないダメ亭主……くううぅぅ、堪らん!」

 

「三億……私のお小遣い何年分なんだろう……」

 

女性陣は各々が「三億エリス」という大金に思いを馳せて様々な反応を見せる。その様子を見てカズマは呆れたように溜息を吐いた。

 

「あのな、何か勘違いしているようだが、この三億エリスは俺と千翼のアイディアに付けられた値段。つまりは俺達の正当な稼ぎだ。お前達は何もしてないだろうが」

 

「何よ。三億もあるならちょっとくらい使ってもいいでしょ?」

 

「お前のちょっとは最終的に全部になるだろうが!」

 

「何よ! カズマのけちんぼ!」

 

不満そうに頬を膨らませてアクアはそっぽを向き、カズマは先程よりも大きく溜息を吐いた。

 

「それに、これは生活費や遊ぶ用の金じゃなくて、万が一に備えての蓄えだから緊急時以外で手を付けるつもりは無い。ただでさえ俺達はトラブルに巻き込まれやすい上に、そのたびに借金を背負うハメになっているんだ。これくらいの金がないと何時路頭を彷徨うことになるのか分かったもんじゃない」

 

カズマの言葉にアクア達は意外そうな表情を向ける。

 

「意外ね……引きニートのカズマの事だから『これでもう働かなくて済むぞー!』って一生遊んで暮らすかと思ったのに」

 

「そういうことは思っても口にするな。少なくとも、今の俺は真剣に魔王の討伐を考えてるつもりだ」

 

先程とは打って変わって、真剣な口調と声色のカズマの様子に店内の空気が張り詰める。

 

「俺はな、少しでも千翼の力になりたいと思っている。アルカンレティアで千翼の過去を聞いたとき、俺は決めたんだ。ここで千翼から逃げたら俺は一生そのことを後悔するし、その後の人生でも永遠に逃げ続けるって。だから決めたんだ。俺は逃げない、真剣に千翼と向き合うって」

 

今まで見たことがないようなカズマの真剣な様子に、誰も彼もが口を開くことが出来なかった。

いま、ここに居るのは、安泰で楽な生活を望む元引きこもりの少年ではなく、一人の友人のために少しでも力になろうとする男であった。

 

「汝……」

 

耳が痛くなりそうな程の沈黙が支配する中で、仮面の悪魔がゆっくりと口を開く。

 

「大丈夫か? なにか変な物でも食べたか、頭を強く打ったか?」

 

バニルがどこまでも真剣な、心配するような口調でカズマに話しかけた。

 

「人が真剣に語ってるのにその言い草はねぇだろ!!」

 

「ふははは! 美味な悪感情の提供感謝する!」

 

見事に空気を読まず茶化すバニル。それに対して食ってかかるカズマと、それに乗じて浄化しようと魔法を唱え始めるアクア。

店内はあわや女神と悪魔の戦場となりかけたが、作業を終えたウィズがすんでの所で仲裁に入り事なきを得たのであった。

 

 

 

 

 

「それでは皆さん、一箇所に集まって下さい」

 

その後、店内にいた全員はウィズに促され店の外に出た。彼女の指示に従ってカズマ達六人は出来る限り距離を詰めて一つの場所に集まる。

 

「準備はいいですか? 動かないで下さいね。それでは――テレポート!」

 

ウィズがテレポートの魔法を唱えると、カズマ達の足下に魔法陣が描かれ光を放つ。その光が六人を覆い隠すと光の強さは急速に弱まり、完全に収まる頃にはカズマ達の姿は消えていた。

 

 

◆◆◆

 

 

まばゆい光が収まり、眩しさの余り閉じていた目をゆっくりと開く。ぼやけていた視界が徐々に明瞭になり、ピントが合ってくると目の前の景色がはっきりと見えてくる。そこには一週間前に見た景色が目の前に広がっていた。

 

「みんな居るな? よし、テレポートは成功だな」

 

「ねぇ、折角アルカンレティアにまた来たんだし、ちょっと遊びに……」

 

「はいはーい、寄り道しないでさっさと行こうな」

 

可愛い自分の信者達がいる都に遊びに行こうとする女神の首根っこを掴み、カズマはアクアを引きずりながら紅魔の里へと向かう道を歩きだした。

 

 

◆◆◆

 

 

「この先の平原を越えたら紅魔の里だけど、本当にいろんなモンスターがいるみたいだな……」

 

「カズマ、危なそうなモンスターを見かけたら直ぐに私に知らせてくれ。囮は任せろ!」

 

「これから魔王軍と戦うのに消耗してどうすんだよ。とにかく戦闘は避けながら里を目指すぞ」

 

今まで出会ったことも無い新たなモンスターとの戦いにダクネスは目を輝かせるが、即座に却下され残念そうに肩を落とした。

しばらく道なりに歩いていると、道の先に何かがいることに気が付いたアクアが立ち止まって指を差す。

 

「あれ……あそこ……」

 

その先には道端の岩に腰掛ける幼い少女の姿があった。

 

「子供……ですよね?」

 

「なんであんな所に子供が?」

 

「しかも一人ですよ」

 

「って、よく見たらあの子ケガしてるじゃない! 早く治療しなきゃ!」

 

少女が腕や足に包帯を巻いている事に気が付いたアクアが急いで駆け出す。

 

「待った」

 

が、走り出したアクアの襟をカズマが掴んで急停止させた。いきなり襟を引っ張られた当の本人は、首を支点に体がくの字に曲がり「ぐぇ」と嫌な呻き声を口から漏らす。

 

「いきなり何すんのよ!」

 

抗議の声を上げるアクアを無視して、カズマは前日に冒険者ギルドから貰ったガイドブックのページを次から次へと捲っていた。その態度が女神の怒りの火に油を注ぎ、更に燃え上がる。しかし、その炎は次の瞬間にあっさりと消え去った。

 

「アクア、あいつ人間じゃ無い」

 

「……え? どういうこと?」

 

「千翼の言うとおりだ。敵感知がビンビンに反応してる……あったあった」

 

少女から目を離さずに発した千翼の緊張感に満ちた声に、アクアは不思議そうな顔をする。その隣で目当てのページを見つけたらしく、カズマは一度咳払いをすると全員に聞こえるように声を張りながら読み始めた。

 

「えーと、『安楽少女。見た目は幼い少女の姿をしているが、その正体は植物のモンスターである。人里から離れた場所に現れることが多く、その可愛らしい見た目から庇護欲を掻き立てられるが、それこそがこのモンスターの最も危険な部分である』」

 

「聞いたことがあります。街道などでケガをしている一人ぼっちの子どもを見かけたら、それは安楽少女だから無視しろ。と教わりました」

 

「直接危害を加えてくることもないと聞いたな」

 

「私も、安楽少女と出会ったら耳と目を塞いでさっさと通り過ぎろって言われたことがあります」

 

カズマから目の前の少女――安楽少女の名を聞き、めぐみんとダクネス、ゆんゆんの三人は思い出したようにその特徴を語った。

 

「続きを読むぞ。『一見するとこのモンスターはケガをしているように見えるが、それはケガに見せかけた模様であり、こうやってか弱い子どもの振りをして人間をおびき寄せるのである。そうしてまんまと術中に嵌まってしまった者はこのモンスターを守るために、その場から離れられなくなってしまうのだ』」

 

「『安楽少女は時折果実を差し出すが、この果実も安楽少女の一部である。味は大変美味であり非常に瑞々しいが栄養は殆ど無くほぼ水だけある。さらにこの果実には麻薬のような成分が含まれており、食べてしまうと空腹や睡眠といった生理的な欲求が麻痺してしまうのだ。こうして安楽少女はかかった獲物を衰弱死させ、その死体を栄養源としているのである。』……可愛い顔してえげつねぇな」

 

安楽少女の生態を知ったカズマは、苦々しい顔をしながら当の少女を一瞥する。その視線に気付いた安楽少女は微かに震えた。

 

「と言うわけで」

 

安楽少女に関する解説文を読み終えたカズマは、ガイドブックを掛け声と共に閉じた。

 

「あれが危険なモンスターと分かったから、無視してさっさと行くぞ」

 

そういうとカズマは安楽少女と目を合わせないように、早足で少女の目の前を通り過ぎた。

それに続いて千翼は警戒の眼差しを向けながら、めぐみんとダクネスはチラチラと少女を見ながら、アクアは名残惜しそうにしながら、ゆんゆんは我慢できずに立ち止まってしまうが、めぐみんに無理矢理引っ張られながらそれぞれ安楽少女の前を通り過ぎる。

あとはこのまま目的地である紅魔の里へ向かうだけである。その時であった。

 

「……ヒトリニシナイデ」

 

鈴を転がしたような可愛らしい、それでいて庇護欲を掻き立てられるか細い声がカズマ達の耳に届いた。千翼を除いた五人の足が止まる。

 

「……モウ……ヒトリハイヤ……」

 

続いて少女の口から零れる悲しげな声に、五つの首が軋みを上げながら回る。

 

「ダレカ……ワタシヲマモッテ……」

 

とうとう五人の体が震えながら安楽少女の方を向き始めた。そのまま五人は踵を返して少女の元に――

 

「みんな!! 目を覚ませ!!」

 

「っ! あぶねぇ!」

 

千翼の叫び声でカズマ達は正気を取り戻し、未だに頭の中に残る安楽少女への庇護欲を追い出すように頭を振る。

 

「ほら皆、さっさと行くぞ。駆け足!」

 

掛け声に合わせて、六人は安楽少女の元から走り去っていた。その後ろ姿を少女は悲しげな瞳で見詰める。

 

 

 

 

 

少しでも早く安楽少女から離れるために、一刻も早く安楽少女の事を忘れるために六人は走ることに集中する。息が上がってこれ以上走れなくなったところでカズマ達は立ち止まった。

 

「よ、よーし。ここまで来ればもう大丈夫……って、あれ?」

 

何かに気が付いたカズマは、自分の両手を見た後にポケットを探ったり自分の全身をまさぐったり、背負っている鞄を漁ったりと何かを探していた。

 

「なぁ、俺が持っていたガイドブック知らないか?」

 

五人は一斉に首を横に振った。では、先ほどまで自分が持っていたはずのガイドブックはどこに消えたのか? カズマは腕を組んで首を捻ると、すぐに答えが出てきたらしく「あ」と短い声を発する。

 

「さっき慌てて走ったときに落としたのか……ちょっと取ってくる……」

 

うんざりした顔で先程走ってきた道を小走りで引き返すカズマ。その背中は哀愁に満ちていた。

カズマの姿が見えなくなると、どこか不安げな顔をした千翼も来た道を引き返した。

 

「俺、心配だから行ってくるよ。万が一の事もあるし。みんなはここで待ってて」

 

もしかしたらガイドブックを取りに行き、そのままカズマが安楽少女に魅了されてしまう。そんな可能性を考えた千翼はカズマの後を追った。

 

 

 

 

 

千翼は全力で走ってきた道を息が上がらない程度のペースで戻り、やがて安楽少女が座っていた場所まで戻ってきた。

落としたガイドブックを取りに行ったはずのカズマは、何故か道端の茂みに身を隠して何かの様子を伺っている。

 

「和真、何してるの? ガイドブックはあった?」

 

「ああ、千翼。それは拾ったんだけどさ……」

 

カズマは自分の後を追ってきた千翼に気が付くと、小声で喋りながら道の先を指差す。その先を見ると、そこには大きな(まさかり)を担いだ男が安楽少女の目の前に立っていた。

大木のように太い首に、服の上からでも分かるほど筋骨隆々の男は悲しげな顔をしながら安楽少女に話しかける。

 

「悪く思わないでくれ。こうしないと犠牲者が出てしまうんだ……」

 

男は意を決したように鉞を両手で握り、頭上に構える。あとはこのまま振り下ろせば、安楽少女は真っ二つになるだろう。

 

「アナタハナニモワルクナイ……ワタシガタマタマコウシテウマレテシマッタダケダカラ……」

 

安楽少女は目に涙を浮かべながら悲しげな眼差しを向ける。そのまま目を閉じると、自らの運命を受け入れるように俯いた。

 

「……だ、ダメだ! やっぱり俺にはできねぇ!」

 

構えられた鉞が振るわれることはなく、男はそれを力なく下ろした。大きな溜息を吐いた男は再び鉞を担ぐと安楽少女に背を向けて歩き出す。

 

「すまねぇな。俺には犠牲者が出ないことを祈ることしかできねぇ……」

 

去り際にそう呟いた男は、肩を落としながら去って行った。一部始終を見ていた少年二人は口を堅く引き締め、なんとも複雑な表情を浮かべる。

安楽少女とて望んでモンスターに生まれたわけではないだろう。だが、こうして生まれてしまった以上、彼女は本能に従って人間を魅了し、その屍肉を糧としながら生きていくしかないのだ。

世の不条理さと残酷さに二人が胸を痛めていると、どこからか舌打ちの音が聞こえる。

 

「チッ……くっそー。あとちょっとだったのに」

 

安楽少女の口から出てきたのは、先程までの可愛らしい声とは正反対の何ともガラの悪そうな低い声であった。二人の少年の目が点になる。

 

「さっきの六人組を逃したのは本当に惜しかったな……。それにしてもあの黒髪の男、なんで一目見ただけで私の正体が分かったんだ? 魅了された様子も全く無かったし……」

 

座っている岩の上で行儀悪く胡座を掻き、頬杖を突きながら愚痴を零す安楽少女。思わず守りたくなるような可愛らしい少女の姿はもはや存在せず、そこには素行の悪い不良娘の姿があった。

 

「クソッ、他に人間も来そうにないし、光合成でもして時間を潰すか」

 

下品な声と共に大あくびをすると、枕代わりに両手を後頭部で組み、安楽少女は岩の上で寝転んだ。再び大あくびをすると目を閉じる。

 

「もう一人のチョロそうな男は嵌められそうだったのにな……ちょっと色仕掛けすればホイホイ着いてきそうな下心丸出しの間抜け面だったし」

 

「へぇー。ひょっとして、ちょっと色仕掛けすればホイホイ着いてきそうな下心丸出しの間抜け面ってこんな顔か?」

 

「そうそう。いつもサボることと楽することばっか考えてそうな、如何にもって感じのダメにんげ……」

 

そこまで言ったところで安楽少女は目を開いた。視界にはにこやかな笑みを浮かべる、少女曰く『ちょっと色仕掛けすればホイホイ着いてきそうな下心丸出しの間抜け面』の少年が。

 

「そっかそっかー。俺ってそんな風に見えるのかー」

 

言いながら、カズマは腰に差した愛刀のちゅんちゅん丸をゆっくりと引き抜く。太陽の光を照り返す刃が何時もに増して鋭く見えた。安楽少女の顔から滝のように冷汗が噴き出す。

 

「アノ……サッキノコトバハ……」

 

銀色の刃が閃いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「あ、カズマ。どうだった?」

 

「ああ、やっぱり走ったときに落としてたよ」

 

「ガイドブック一つを拾うにしてはやけに時間がかかりましたね。何かあったんですか?」

 

「いや、別に。何も無かったよ。なぁ、千翼?」

 

「え……あ、あー……うん」

 

千翼の曖昧な返事に女性陣は怪訝な顔を浮かべるが、日が暮れる前に野営地を見つけよう。というカズマに流されてそれ以上聞かれることは無かった。

とてもじゃないが言えなかった。騙した上に『ちょっと色仕掛けすればホイホイ着いてきそうな下心丸出しの間抜け面』と自分を評した安楽少女に激怒したカズマが、口にするのも憚られるような罵詈雑言を吐き散らしながらちゅんちゅん丸で安楽少女を滅多刺しにし、最終的に細切れの木片にしたなど、口が裂けても言えなかった。

このことは墓まで持って行こう。千翼は一人決意するのであった。

 

 

◆◆◆

 

 

その日の内にカズマ達は平原に辿り着き、今日はこのまま野営をして明日の朝に平原を越えることにした。風除けのために森の中で一晩過ごし、朝がやって来る。

目を覚ました六人は手早く朝食を済ませると野営の後片付けを始めた。

 

「へっくし!」

 

静かな朝の森に少年のくしゃみが木霊する。

 

「カズマ、大丈夫ですか?」

 

「あー、大丈夫だ。さすがにもうちょっと毛布掛けて寝れば良かったな……へっくしょん!!」

 

めぐみんの心配する声に鼻をすすりながらカズマは答える。答え終わると先程よりも大きなくしゃみが出た。

 

「ちょっと、私にうつさないでよ」

 

「心配すんな。ナントカは風邪を引かないって言うだろ」

 

その言葉が聞き捨てならなかったらしく、アクアはカズマに襲いかかった。

四人が少年と女神の争いを無視して荷物をまとめていると、カズマは突然その手を止めて森の一方向を睨んだ。

 

「カズマ、どしたの?」

 

「敵感知に反応があった……結構な数……まずい、こっちに向かってる!」

 

六人は大急ぎで荷物を鞄に詰め込むと「隠れてやり過ごすぞ」というカズマの提案に乗って、近くの大きな茂みに身を隠した。

すぐに複数の足音が近付いてくると、武装した人型モンスター達――魔王軍の兵士達がやってきた。

 

「さっきこっちの方から確かに声が聞こえた! まだ近くに居るはずだ、探せ!」

 

リーダーらしきモンスターの命令に従って、兵士達は近くの茂みを持っている武器で突いたり、木に登ってあちこちを見回したりとカズマ達を探し始める。

しかし、幸いなことに当のカズマ達が隠れている場所は見逃しているのか、誰一人として近寄ってこなかった。

 

「このままあいつらが立ち去るのを待とう。音を立てるなよ」

 

カズマが仲間だけに聞こえるよう囁くと、五人は小さく頷いた。そのまましばらく兵士達の動きを見ていると、リーダーが集合をかける。

 

「何か見つかったか?」

 

「ダメだ、何も見つからない」

 

「俺たちに感付いて逃げたか?」

 

どうやら兵士達はカズマ達が既に逃げたと勘違いしているらしく、この場からどちらへ向かうかを相談していた。

後はこのまま息を潜めて待っていれば、いずれ魔王軍の兵士は立ち去るだろう。しかし――

 

「は……」

 

よりにもよってこんな時にカズマは鼻にむず痒さを感じた。時間と共に鼻の奥のむず痒さはどんどん大きくなってくる。

 

「カズマ、鼻を擦って下さい……!」

 

めぐみんに言われてカズマは自分の鼻を乱暴に擦った。しかし、人体というのは不思議な物で、こういうときに限っていつもならすぐに収まるはずのむず痒さが何故か余計に大きくなるのだ。そして――

 

『ハックション!!』

 

奇跡的にカズマがくしゃみをするのと全く同じタイミングで、魔王軍の兵士の一人がくしゃみをした。六人は自分の口を手で押さえ、僅かな物音も立てないように石の如く固まったまま魔王軍の反応を窺っていた。

 

「うー、鼻水が止まらねー……」

 

「腹を出して寝るからだ、風邪ひいて当然だろ」

 

会話の内容からして兵士達はカズマのくしゃみに気付いた様子はなく、相変わらずどの方向へ逃げたのかを相談している。

カズマ達がほっと胸を撫で下ろし、引き続き兵士達が動くのを待っていると、

 

「ぶえっくしょい!!」

 

水の女神が盛大なくしゃみをした。五人が信じられないものを見るような表情でアクアの顔を凝視していた。

 

「いたぞ! そこの茂みだ!」

 

「こんのバカたれが!!」

 

カズマは一先ずアクアを怒鳴りつけてから茂みから姿を現す。六人が茂みの外に出ると、魔王軍は既に周りを取り囲んで得物の切っ先をカズマ達に向けていた。

 

「お前は他の奴らを呼んでこい。ケケケ、さぁて、どうしてくれようか」

 

リーダーが仲間に命令し、カズマ達を見ながら口から笑い声を漏らす。連れられて他の兵士達も笑い声を漏らした。カズマは冷や汗を流しつつも、冷静に状況を分析する。

自分たちは今、完全に包囲されている。数は向こうの方が上、こちらでまともに戦力になるのはゆんゆんと千翼の二名のみ。更に先程、敵のリーダーが仲間を呼びに行かせたため直に増援もやってくる。だとすれば作戦は逃げの一手。あとはこの包囲網を負傷者を出さずどうやって突破するかだ。怪我人が出たら背負って逃げるなど不可能である。

何とかしてこの包囲を抜け出せないか。とカズマが必死に頭を働かせていると、ドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。兵士達とカズマ達が揃って音のする方を見れば、新手の魔王軍の兵士達がこちらに向かって猛然と走ってくる。

 

「お、意外と早かったな。おーい、こっちだ!」

 

リーダーの兵士は満面の笑みを浮かべながら手を振る。こうしている間にも増援の魔王軍はどんどん近付いてきた。やがて、表情まで分かるほど程の距離までやってくる。走る兵士達の顔は――必死だった。

時折、後ろを確認しながら全速力で走る魔王軍の兵士達。まるで何かから懸命に逃げているようであった。

 

「な、なんか様子がおかしいな?」

 

とても自分たちの援護に来たようには見えない増援の様子に、リーダーの兵士は首を傾げる。新手がやって来て覚悟を決めたカズマも、頭に疑問符を浮かべた。

 

「お、お前らも逃げろぉ!!」

 

『逃がさんぞ魔王軍!!』

 

突如として、何も無い空間から黒いローブを纏った四人組が現れた。その姿を見た走っている兵士達は驚愕の表情を浮かべ、更に走るスピードを上げる。

 

「観念しろ! これは天命だ!」

 

「くくく……貴様らの命、残らず刈り取ってやろう!」

 

「我が主の供物になるがいい!」

 

「あああ! 静まれ、俺の右腕!」

 

四人組はどこか場違いな台詞を芝居がかった調子で叫ぶ。そして四人の目は――鮮やかな紅だった。

ローブの集団が一斉に手を突き出すと掌に光が集まる。徐々に光は大きくなってゆき、やがて手を覆うほどの大きさまで成長した。

 

『我ら、対魔王軍遊撃部隊! 人類に仇なす者どもよ、塵になるがいい!!』

 

死刑宣告にも似た言葉を高らかに叫ぶと、四人は一斉に手を振るう。

 

『ライト・オブ・セイバー!!』

 

カズマ達の左右を光の刃が通り抜ける。そこに立っていた兵士達は声を上げる暇も無く身体を真っ二つにされて地面に倒れた。

 

「こ、紅魔族!? なんでここに!!」

 

「逃げろ! 勝てるわけが無い!」

 

運良く生き残った兵士達は武器を捨てると一目散に逃げ出す。その場から生きている魔王軍の兵士が一匹も居なくなると、ローブの集団がカズマ達に近付いてきた。

 

「ふっ、他愛も無い」

 

「その命、天に還せ……!」

 

「我が主よ! 見てくださいましたか!」

 

「ぐうぅ……血だ……もっと血を寄越せ……」

 

各々がそれぞれポーズを決めながら意味不明な事を口走る。カズマは一先ずそのことを無視すると、助けてくれたことに対する感謝を述べた。

 

「ありがとう、助かったよ! ところであんた達って紅魔族だよな?」

 

「如何にも、我が名は――」

 

「誰かと思えばぶっころりーじゃないですか。相変わらずこんなことしてるんですか。いい加減に実家の靴屋を継いだらどうです?」

 

以前にもどこかで見たようなやり取りがなされ、ぶっころりーと呼ばれた男はカッコ良くポーズを決めようとしたが、勢い余ってそのままずっこけた。

 

「め、めぐみん! 余計な事言うなよ!」

 

「余計も何も事実じゃ無いですか。靴屋のおじさんだって「息子がいつまで経っても店を継ごうとしてくれない」って嘆いてましたよ」

 

「お、俺には家業を継ぐより里を守るという大事な使命があるんだ! それにだな……」

 

ぶっころりーはそこから魔王軍の危険性だの、先手を打つことの大切さだの、言い訳じみたことをを延々と喋り続けた。それに対して『対魔王軍遊撃部隊』を名乗った三人はうんうんと共感するように頷く。

 

「な、なぁめぐみん。この人たちって結局何者なんだ?」

 

「全員仕事もせずにフラフラしている穀潰し。要するにニートです」

 

カズマの質問に対するめぐみんからの容赦のない返答に対魔王軍遊撃部隊(ニート)の四人組は「うっ」と呻き声を漏らすと、気まずそうに視線を逸らした。

 

「え、だってさっき対魔王軍遊撃部隊だって……」

 

「それは勝手に名乗って、勝手にやってるだけですよ。周囲の視線が痛いから、俺達はニートなんかじゃない、こうやって里のために日々働いているんだ。って誤魔化すためにニート仲間で勝手に結成しただけですよ」

 

ようやっと評判通りの魔法のエキスパートである紅魔族に出会えたと思ったカズマだったが、彼らの正体を明かされてがっくりと肩を落とした。

ついさっきまであれだけカッコ良く魔法で敵を撃退したかと思えば、その実態はまさかのニート集団。しかも、頼まれてもいない遊撃部隊を勝手に結成して、ニートであることを誤魔化すために日々活動しているという余りにも情けない実情に、生前は同族であったカズマは堪えきれず、項垂れながら膝から崩れ落ちる。

 

「と、とにかく! 君たちは俺達の里を目指しているんだろう? まだ周囲に魔王軍の軍勢が居るだろうし、危険なモンスターもうろついているからテレポートで一緒に里に行こう」

 

気を取り直したぶっころりーがそう申し出ると、カズマはその提案を有り難く受け入れた。ぶっころりーが威勢良くテレポートの魔法を唱えると、その場に居た全員の姿が一瞬で消えた。




というわけでまずは紅魔の里前編です。後編もある程度書き上がっているので、いましばらくお待ちください。


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Episode16 「P」EACEFUL TIME

今回で紅魔の里編は終わるだろう。と思っていたら書いている内に文量がどんどん増えていき、またしても分割することにしました。申し訳ありません。


カズマが目を開けると、そこには山間にできた村の光景が広がっていた。人々は畑を耕し、洗濯物を干し、子供達は無邪気に笑いながら走り回っている。

 

「ありがとう、本当に助かった!」

 

「これぐらいお安い御用さ。それじゃあ俺達は哨戒任務に戻るよ」

 

カズマ達を送り届けたぶっころりーはそう言って、対魔王軍遊撃部隊(ニート)の四人は一瞬で姿を消した。

 

「それにしても……」

 

カズマは改めて紅魔の里を見渡す。空から降り注ぐ暖かい日差しの下、里の住民達は特に怯える様子も無く日常生活を送っている。どこからどう見ても平和な田舎の風景だった。

 

「とてもピンチには見えないよな……」

 

「そもそも戦闘の後が見当たらないね」

 

カズマと千翼は手紙に書いてあった話と余りにも違う様子に揃って首を傾げた。

壊された住居、飢えに苦しむ住民、希望を失った人々――映画やニュースでみた戦災によって荒廃した光景を覚悟していたが、実際に里を訪れてみればそんな物は全く見当たらなかった。

 

「とにかくお父さんの元へ向かいましょう」

 

状況を確認するためにも、手紙を送った張本人である父親に会いに行かねば。五人はゆんゆんに案内されて彼女の家へと向かった。

 

 

◆◆◆

 

 

「いやぁ、よくいらっしゃいました。私が族長のひろぽんです。どうぞよろしく」

 

カズマ達にそう挨拶をしたのは、口髭が特徴的な壮年の男。紅魔の里の長でありゆんゆんの父親のひろぽんである。

魔王軍と戦争中とは思えないほど呑気な様子の父親に、ゆんゆんは手紙の真相を確かめるために食ってかかる。

 

「ねぇ、お父さん。あの手紙は何だったの!? この手紙が届く頃には、とか。魔王軍の軍事基地を破壊できないとか書いてあったから、私すごく心配したんだよ!?」

 

「何を言っているんだゆんゆん。この手紙が届く頃にというのは、紅魔族が手紙に書く時候の挨拶だろう。そういえばお前とめぐみんは優秀だから書き方を習う前に学校を卒業していたか」

 

「じゃ、じゃあ、軍事基地を破壊できないっていうのは?」

 

「アイツらの作った基地がこれまた見事な出来映えでな。そのまま残して観光資源にするか、邪魔だからやっぱり破壊するべきかで意見が割れているんだよ」

 

「な、なによそれ……」

 

自分の故郷が存亡の危機に瀕していると思い、同封されていた手紙で盛大な勘違いをし、それが原因で友人達の前で大恥をかいた。そして魔王軍と戦う覚悟を決め、決死の思いで故郷に帰ってきてみれば、里は滅亡の危機どころか平和そのもの。

時間を巻き戻せるなら、あの時の自分を殴ってでも止めてやりたい。ゆんゆんの胸は激しい後悔で埋め尽くされていた。

そんな娘の気持ちなど露知らず、父親は手紙を書いたときの事を思い出しているらしく感慨深げに頷いている。

 

「いやはや、書いている内にだんだんと筆が乗ってしまってね。気が付いたらあんな文章に……」

 

「なぁ、ゆんゆん。お前の親父さんを一発ぶん殴ってもいいか?」

 

「どうぞ遠慮無く。一発と言わず十発でも二十発でも」

 

「ゆ、ゆんゆん!?」

 

カズマが拳を鳴らしながら族長に近付こうとしたときであった。けたたましいサイレンの音が里中に響き渡る。

 

『魔王軍襲来、魔王軍襲来。規模は千匹。繰り返します。魔王軍襲来、魔王軍襲来。規模は千匹。手の空いている者は対処をお願いします。繰り返します――』

 

「ま、魔王軍だって!?」

 

「おお、ちょうど良いところに」

 

ここでまさかの魔王軍襲来の警報が鳴り響く。しかもその規模は千匹。桁外れの軍勢の襲来を聞きカズマは顔を青ざめさせた。

それに対してひろぽんは緊張感の欠片も無い、なんとものんびりとした口調でゆっくりと椅子から立ち上がる。

 

「よかったら、皆さんも見ていきませんか?」

 

 

◆◆◆

 

 

「シルビアさまー! 我々には構わず撤退を! 貴方だけでもお逃げ下さい!!」

 

「だから紅魔の里に攻め込むのは嫌だって言ったんだー!!」

 

「まだ彼女もできてないのにー!!」

 

「おかーちゃーん!!」

 

魔王軍が襲来しているというのにまるで焦る様子の無い族長に連れられて、カズマ達は里の端にある崖の上にやってきた。ここからなら紅魔の里はもちろんのこと、外の平原を一望出来るほど見晴らしの良い場所だった。

そして――

 

「そ~れ、それそれ~!」

 

「いつもより余計に出しておりまーす!」

 

「それじゃあ、そろそろ私の十八番。いっちゃうよー!」

 

崖の上に並んだ紅魔族のアークウィザード達が、色とりどりの魔法を次から次へと放つ。

紅魔族の人間が魔法を放つ度に魔王軍の勢力は業火で焼かれ、極寒の吹雪で凍り付き、雷に打たれ、地割れに飲み込まれ、竜巻で空の彼方へ飛ばされる。

 

「どうですか。魔法のエキスパートである紅魔族による魔王軍との手に汗握る激闘! これは新たな観光の目玉として大勢の観光客を呼び込めますよ!」

 

「は、はぁ……」

 

力説するひろぽんに対して、カズマ達の反応は何とも微妙な物であった。

激闘、とは言っているものの、目の前で繰り広げられる光景はどこからどう見ても紅魔族の一方的な虐殺であった。地面を埋め尽くすほどの大群で押し寄せてきた魔王軍を、五十人ほどの紅魔族が魔法で片っ端から片付けている。

ここまでくると流石のカズマも魔王軍に対して哀れみを禁じ得なかった。きっと彼らは勝ち目などないことを初めから分かっていたのだろう。しかし、上司(魔王)が「やれ」と言われたら下っ端である彼らは従うほか無い。まさか異世界で社会に於ける上下関係の厳しさを見せつけられるとは思わず、カズマは沈鬱な表情を浮かべた。

次に彼らが生まれ変わるなら、戦いとは無縁な人生を送れますようにと、人知れずカズマは哀れな魔王軍の兵士達の安寧を祈るのであった。

 

 

◆◆◆

 

 

その後、生き残った魔王軍は撤退したためその場は解散となった。時刻も既に夕方近くを回っていたため、挨拶がてらめぐみんを実家に送り届けてから今日の宿を探す運びになった。

 

「見えてきました。あれですよ」

 

「……あれがめぐみんの実家か?」

 

「そうですよ。私の家族が住んでいます」

 

そう言っためぐみんが指差す先には、一見すると馬小屋にも見えかねない木造の建物がある。

庭の方に設けられた縁側、格子組のガラス戸の玄関、風で飛ばないように石が乗せられた屋根。そのまま日本の昭和ドラマにでも出てきそうな木造の平屋がそこにあった。

玄関の前に辿り着き、めぐみんが扉を軽く叩く。少しするとトタトタと軽い足音がガラス戸の向こうから聞こえ、磨りガラスに小さな人影が映る。

戸が横に動くと、黒猫を抱えた小さな女の子がカズマ達を見上げた。

 

「こめっこ、ちょむすけ。ただいまですよ」

 

「かわいいー! ちっちゃなめぐみんみたい!」

 

「本当に小さなめぐみんといった感じだな」

 

アクアとダクネスの二人がしゃがんで女の子、めぐみんの妹であるこめっこに目線を合わせると、それに倣って男二人もしゃがんだ。

 

「こんにちは、君のお姉さんのお友達です」

 

「よろしくね」

 

こめっこは大きな紅い瞳でカズマと千翼の二人をジッと見詰め続けていた。突然、後ろを向くと息を大きく吸い込み――

 

「おとうさーん、おかあさーん!! 姉ちゃんが男引っかけて帰ってきた!! しかも二人!!」

 

そんなことを叫びながら、あっという間に家の中に消えていった。

当の男二人は、目の前で起きたことに頭の処理が追い付かないのか固まっていた。やがて、

 

『ちょ、ちょっと待ったああぁぁ!』

 

二人揃って慌てて少女の後を追いかけた。

 

 

◆◆◆

 

 

壁のあちこちが板で雑に修繕され、ボロボロの畳が敷かれている居間は妙な緊張感に包まれていた。

ちゃぶ台の前で胡座を掻き、学帽を被り黒いマントを羽織った男――めぐみんの父親であるひょいざぶろーは、目の前で正座する少年に二人に厳しい眼差しを向けている。

カズマ達がめぐみんの家に上がるや、男二人を見たひょいざぶろーは開口一番「そこに座りなさい」と有無を言わさない迫力でちゃぶ台の反対側を指差した。

ただならぬ雰囲気に気圧された二人は、黙って従う他なかった。

 

「君がカズマくんで」

 

「ど、どうも……」

 

ひょいざぶろーに真っ直ぐ見詰められたカズマは、喉の奥から何とか声を絞り出す。

 

「君がチヒロくんだね」

 

「こ、こんにちは……」

 

そのまま父親の視線が横に移動し、カズマの隣に座る千翼を捉えた。

蛇に睨まれた蛙、とはまさにこのことだろう。千翼は全身に緊張が走り、どこか上擦った声で挨拶した。

 

「はじめまして。めぐみんの父親のひょいざぶろーです。そしてこちらが」

 

「母親のゆいゆいです。どうぞよろしく」

 

睨むような目付きの父親と違って、母親はにこやかな表情と声で自己紹介した。ゆいゆいの穏やかな雰囲気に、カズマと千翼の緊張が僅かに解れる。

 

「単刀直入に聞こう。君たちは娘とどういった関係なのかね?」

 

一体何を聞かれるのか。緊張で生唾を飲み込んだ二人は、余りにもあっさりとした質問に思わず拍子抜けする。

 

「めぐみんとの関係……」

 

「どうって……」

 

カズマと千翼は顔を見合わせる。別に二人ともめぐみんとは特別な仲でも何でも無い、正真正銘ただの冒険者仲間である。やましいことなど何一つとしてない。

 

「めぐみんと俺達は共に冒険する大切な仲間……」

 

「ぬがあああぁぁぁ!!!」

 

ひょいざぶろーは突然叫ぶと、目の前のちゃぶ台に手をかけてひっくり返そうとした。しかし、すんでの所でゆいゆいが覆い被さってそれを阻止する。

 

「あなた止めて! ちゃぶ台だってタダじゃないのよ!!」

 

「そんな見え透いた嘘をつくなああぁぁ!! 若い男と女が一緒に居て何も無いわけが無いだろおおぉぉ!!」

 

なおもひょいざぶろーはちゃぶ台をひっくり返そうと力を込める。その後、カズマと千翼の必死の説得もあってひょいざぶろーはなんとか落ち着きを取り戻した。

 

「すまない、つい興奮してしまった。しかし、娘を持つ父親としてどうしても交友関係……特に異性絡みとなると心中穏やかではいられなくてね。どうか分かって欲しい」

 

「い、いえいえ。そりゃ娘が一人旅をしているんですから心配になるのも当然ですよ」

 

「そ、そうそう」

 

ここで下手なことを言えば先程の二の舞である。とにかく父親を興奮させないように彼の話に同調した。しかし、それでも先程の騒ぎで空気が更に張り詰めている。ここは何とかして場を和ませなければ。

頼みの綱であるめぐみんは久々の妹との再会が余程嬉しいのか、二人のことなどお構いなしにこめっこと遊ぶことに夢中になっている。アクアとダクネスの二人は面倒ごとに巻き込まれるのを嫌ってか、一緒になって遊んでいた。

この場は自力でなんとかせねば。そんな時、カズマの脳裏に鞄に入っているある物が浮かんできた。急いで鞄を引き寄せて中を漁ると目当ての物が見つかる。

 

「あの、これ詰まらないものですが……」

 

カズマがおずおずと鞄から取り出したのは、アルカンレティアの温泉旅行で購入した温泉饅頭であった。里に出発する前に何か甘味が欲しいと思って鞄に入っていた物をそのまま持ってきたのだが、思わぬところで活躍の機会が訪れた。

 

「おお、わざわざすまないね」

 

強張っていたひょいざぶろーの顔が微かに綻び、カズマと千翼は内心で安堵の息を吐いた。

温泉饅頭をちゃぶ台の上に乗せて父親の方へ押しやると、二つの手が箱に置かれる。

 

「あなた、これは今日の夕飯にするのよ? まさかとは思うけど酒の肴にする気じゃありませんよね?」

 

「母さん、何を言っているんだ。これは彼がワシにくれた物だぞ? どう食べようとワシの勝手だろう」

 

「ねーねー、これってもしかしておまんじゅうって食べ物? 私はじめて見た!」

 

夫婦の間で視線がぶつかり合いバチバチと火花を散らす。そんなことは露知らず、幼い娘は生まれて初めて見る饅頭に目を輝かせていた。

そういえば、めぐみんはやけに食い意地が張っている。食事の機会とあらば是が非でも逃さない。もしかすると彼女の食い意地の源は――

カズマがふと隣を見ると、どうやら千翼も同じ考えに至ったらしくこちらを見ていた。そのまま二人は静かに頷くと自分の鞄を漁り始める。

 

「あのー、これ。すごーくつまらないものですが、よかったら家族の皆さんで……」

 

「俺からも……」

 

二人は鞄から今回の食料として持ってきたアルカンレティアの土産の数々をちゃぶ台の上に乗せ差し出す。山のように積まれたお土産の数々を見て、ひょいざぶろーの顔が満面の笑みに変わった。

 

「いやいや、本当に申し訳ない!」

 

「い、いえいえ。お気になさらずに。遠慮無く家族の皆さんで召し上がってください」

 

「本当に助かるわぁ。これなら一ヶ月は持ちそうね」

 

「ねーねー、おまんじゅう食べていい?」

 

その後、持ってきた饅頭を早速開け。気を良くしたひょいざぶろーは饅頭を片手にしながら、カズマと千翼を相手に他愛のない話を交わす。

 

「カズマ君、失礼だが収入はどれくらいかね? 冒険者というのは職業柄どうしても収入が不安定になるから、娘が三食キチンと食べているか心配でな」

 

「それなら心配しないで下さい。今は食べるには困っていませんし、近いうちに知り合いとの取引でまとまった金が入るんで万が一の時も安心です」

 

「ほう、どれ程かね?」

 

「三億エリスほど……」

 

『三億エリス!?』

 

「カズマ!」

 

千翼の声にカズマはうっかり口を滑らせた事に気が付いて慌てて自分の口を手で塞ぐが、時既に遅し。

 

『三億……三億……』

 

ひょいざぶろーとゆいゆいは目を見開き、互いに見つめ合ったまま同じ言葉を繰り返していた。

カズマが隣を見ると、千翼は片手で顔を覆い。後ろを見ると三人娘が呆れた表情でカズマを見ていた。

 

「母さん、今日はカズマさんに家に泊まってもらおうじゃないか!」

 

「ええ、そうね。お客さん用の布団はどこにしまったかしら」

 

なし崩し的にカズマ達の今日の宿が決まった。

 

 

◆◆◆

 

 

「お風呂、上がりました」

 

「はいはい、次は私ね」

 

風呂から上がった千翼が居間に姿を現すと、入れ替わりでアクアが足早に風呂場へと向かった。溶原性細胞のことを知ってから、千翼が風呂に入った後はアクアが入って風呂の湯を浄化することになっている。

 

「あ、チヒロさんちょうど良いところに。ダクネスさんがこんな所で寝てしまって、寝室まで運ぶのを手伝ってくれませんか?」

 

困り顔のゆいゆいの足下には、ダクネスが居間の畳の上で爆睡していた。普段からは想像も付かないような無防備且つだらしない姿に、千翼の顔が引き攣る。

 

「え、ええ。わかりました」

 

両家の令嬢として礼儀作法はキチンとしているダクネスが何故こんなところで寝ているのだろう。不思議に思いつつもゆいゆいと協力してダクネスを布団が敷いてある部屋まで運び、寝かせた。

 

「ありがとうございます。助かりました」

 

「いえいえ。ところでカズマは? 先に風呂から上がった……」

 

「スリープ」

 

ゆいゆいの指先から靄のような物が現れ、それは千翼の顔を覆った。瞬きするよりも早く千翼の意識は深い眠りに落ちた。

 

 

◆◆◆

 

 

翌朝、千翼は布団の上で目覚めた。

上体をゆっくりと起こし、両腕を上げて思い切り伸びをする。寝ぼけ眼で隣を見るとダクネスとアクアが布団で寝ていた。

 

「……昨日、なにかあったっけ?」

 

上手く回らない頭で昨晩の事を思い出そうとするが、眠る直前のことがどうしても思い出せない。ダクネスが居間で寝てしまっていたので、ゆいゆいと共に寝室まで運んだことは覚えている。だが、そこから先の記憶がぷっつりと途絶えているのだ。

何かをゆいゆいに聞こうとしたような気がするが、その内容が思い出せない。腕を組み、首を捻ってみるがやはり思い出せない。しばらく考えたところで、別に思い出せなくても問題は無いだろう。と納得することにした。

直にダクネスが目を覚まし、いつまで経っても起きる気配の無いアクアを二人で起こしたところで、カズマとめぐみんが寝室にやってきた。朝食が出来ているので、みんなで食べようということで五人は居間へと向かう。

居間のちゃぶ台の上には四人分の茶碗と箸が置かれており、それが本日の朝食だった。朝食、といってもその内容は僅かばかりの米が入った茶碗に並々と水を注いだもの。もはやお粥どころか食事とすら言えない物であった

 

「懐かしいですね。家にいた頃はこれが朝の定番でした」

 

「めぐみん、アクセルに帰ったら美味いものたくさん食べような」

 

実家で暮らしていた頃を思い出し懐かしむめぐみんを見て、カズマはどこまでも優しい声と眼差しでそう言った。

五人は「いただきます」と食事前の挨拶をして朝食を食べ始める。

が、何の変哲も無い朝の風景のはずなのに、妙な雰囲気が漂っていた。正確にはカズマとめぐみん、この二人の間に形容しがたい奇妙な空気が流れている。先程からチラチラとお互いを横目で見ては、もじもじと落ち着かない様子なのだ。

千翼とダクネスの二人はそれに気が付いてはいるが、別に言葉にするほどでも無いだろうと見て見ぬふりを決め込む。

 

「……ねぇ、二人ともどうかしたの? なんか何時もと違う感じだけど」

 

水の女神を除いて。

 

『べ、別に!』

 

カズマとめぐみんは二人揃って慌てて否定した。

 

「と、ともかくあれだ。魔王軍と戦うつもりで来たけど、別に必要無かったな。そりゃこんだけ魔法のエキスパートがいれば、そもそも心配なんていらないか」

 

あからさまに話題を逸らすカズマに、胡乱げな視線をアクアは向ける。それ以上追求される前に、今度はめぐみんは口を開いた。

 

「どうします。今日で帰りますか?」

 

「いや、せっかく来たんだから観光でもして明日帰ろう。めぐみんの故郷がどんなものか見てみたいしな。案内頼めるか?」

 

「任せてください。紅魔の里の一押しスポットを紹介しますよ!」

 

自分の故郷を仲間に案内することとなり、めぐみんは張り切った様子で元気よく応える。朝食を食べ終えたカズマ達は、家を出るとめぐみんの案内で紅魔の里の観光を始めた。

 

「それで、最初はどこに行くんだ?」

 

「まずは……って、ゆんゆんじゃないですか。こんな朝早くから何をしているんですか?」

 

「あ、皆さん、おはようございます」

 

カズマ達は最初の観光スポットに向かう道中で、ゆんゆんと出くわした。

話を聞くと族長である父親から用事を頼まれたので、今からそれを済ませに向かうらしい。

今度は逆にゆんゆんが、めぐみん達は今からどこへ向かうのか? と尋ねると、どこか自慢げにめぐみんは胸を張って答える。

 

「私は今からカズマ達に紅魔の里の観光スポットを案内するところです。こんな機会は滅多にありませんからね」

 

「……そっか、頑張ってね」

 

どこか寂しそうな、羨ましそうな顔をしながら、ゆんゆんはそう言った。

その様子を見ためぐみんは面倒臭そうに溜息を吐くと、ゆんゆんに近付く。

 

「ゆんゆん、その用事って昼までには終わりますか?」

 

「え? ま、まぁちょっとした事だからすぐに終わるけど」

 

「だったら……」

 

めぐみんはいきなりゆんゆんの肩を掴んで引き寄せると、カズマ達に背を向け、お互いの顔を近づけて内緒話を始める。

目の前で堂々と内緒話を始めた二人を見て、カズマ達は首を傾げるしかなかった。

 

「うん、わかった! それじゃあね!」

 

「頼みますよ」

 

内緒話が終わると、先程とは打って変わってゆんゆんは明るい表情を浮かべていた。

カズマ達に手を振りながら別れると、鼻唄を歌い、スキップをしながら用事を済ませに向かう。

 

「なぁ、さっき二人で何を話してたんだ?」

 

「大したことではありません。さて、改めて観光に行きましょう」

 

 

◆◆◆

 

 

「これが、この里に祀られている御神体です! なんでも、ご先祖様がとある旅人を助けた際にお礼として貰った物だそうで。その旅人曰く『これは命よりも大切な御神体なんだ』と言ったそうな。そして奉るならこういう建物にしてくれ、と言って建てられたのがこの施設です」

 

「……」

 

「……」

 

「あ、これ知ってる。たしか限定版なのよね」

 

「珍しい形の御神体だな」

 

一番最初にめぐみんに案内されたのはファンタジーなこの世界には余りにも場違いな施設――神社であった。

そして祀られている御神体というのは、間違いなく転生者であろう日本人が持っていたスク水を着た猫耳美少女のフィギュアである。

まさか異世界に来てまで神社を訪れ、しかも祀られている御神体が美少女フィギュアという、何一つとして合っていない組み合わせにカズマと千翼は押し黙るしかなかった。

 

 

◆◆◆

 

 

次にやって来たのは、岩に突き刺さった剣がある小高い丘だった。

ゲームなどではよくある光景を実際に目の当たりにして、カズマは感嘆の声を上げる。

 

「おおー! なんか如何にもって感じだな!」

 

「これは、選ばれし者だけが引き抜ける聖剣です。抜くことが出来た者には世界を統べる力を授けてくれるとか」

 

聖剣、選ばれし者、世界を統べる力。男心をくすぐるワードの連続にカズマの背筋に心地よい刺激が走る。彼の心の中に住む中学二年生が歓喜の声を上げていた。

しかし、岩に刺さった剣を見た千翼は訝しげな顔になり、近付いてまじまじと剣を観察する。

 

「ねぇ、めぐみん。この剣っていつからここにあるの? 気のせいかやけに新しく感じるんだけど……」

 

「四年前からですよ。この剣は鍛冶屋のおじさんが観光名所にするために作った物です。引き抜きの挑戦者が丁度一万人目で抜ける魔法がかけられているので、まだ時間を置いたほうがいいですね。あ、それから挑戦するなら鍛冶屋のおじさんに挑戦料を払わないとダメですよ」

 

「おい、俺がさっきまで感じていた歴史的な重みとか、ありがたみを返してくれよ」

 

鍛冶屋が作った設置されてから僅か四年というなんとも歴史の浅い剣に、カズマの心は一気に冷え切った。

 

「ねぇ、私の解呪魔法で抜けそうなんだけど、これ持ち帰ってもいい?」

 

「や、やめてください! 里の大切な観光資源なんです!」

 

手をわきわきと動かしながら、今にも剣に触ろうとしているアクアをめぐみんが必死に阻止している横で、ダクネスは何故か拳を鳴らしていた。

 

「面白そうだな……ちょっと試してもいいか? 私の力と剣にかけられた魔法、どっちが強いか勝負してみたい」

 

「すみません、ダクネスがやると魔法とか関係なしに岩ごと抜けちゃいそうなんで、本当にやめてください」

 

 

◆◆◆

 

 

次にやって来たのは、めぐみん曰く『とっておきの場所』

それは崖の上に建てられた学校だった。

凝った作りの鉄細工の校門の前では、大きなバッグを持ったゆんゆんが待っており、カズマ達の姿を見ると頭を下げる。

 

「みなさん、こんにちは!」

 

「カズマ達はちょっとここで待っててください。ほら、行きますよ」

 

辿り着くや、めぐみんはゆんゆんを問答無用で引っ張って学校の中へと入っていった。

まだ何か言おうとしているゆんゆんが校舎の扉の向こうへ消えてから数分後、入っても良いというめぐみんの声が学校の中から聞こえ、カズマ達は校舎の中へと向かう。

 

「ようこそ、紅魔の里が誇る魔法学校、その名もレッドプリズン! ここで多くの紅魔族の少年少女達が日夜勉学に励んでいるんですよ!」

 

「よ、ようこそ……。制服姿を見せるの、なんか恥ずかしい……」

 

中に入ると、お揃いの制服を着ためぐみんとゆんゆんが待っており、マントを翻しながらめぐみんが学校の名を自慢げに口にする。

なぜ『スクール(学校)』ではなく『プリズン(刑務所)』なのだろうか。カズマはその点を突っ込みたかったが『紅魔族だから』ということで納得することにした。

 

「あ、今朝ゆんゆんとしてた内緒話ってもしかして……」

 

「その通り! 由緒ある学校を案内するなら、キチンと正装に着替えないといけませんからね。ゆんゆんに頼んで制服を持ってきてもらったのですよ」

 

今朝方、めぐみんとゆんゆんの二人がしていた内緒話の内容を察したカズマ。それを称えるように、めぐみんは右手で指を鳴らしてそのままカズマを指差した。

 

「今日は学校が休みなので、自由に見学が出来ますよ。まずは私とゆんゆんが居たクラスに……」

 

「めぐみん、それにゆんゆんも。久しぶりだね」

 

めぐみんが自分たちの在籍していた教室へ案内しようとしたところで、二人の名を呼ぶ声が響く。一体誰だ、と。カズマ達がキョロキョロと辺りを見回していると、学校の出入り口の扉が勢いよく開かれた。

逆光で姿がはっきりと見えないが、出入り口にはそれぞれポーズを取った三つの人影が。

 

「我が名はあるえ。紅魔族随一の発育にしてやがて作家を目指す者!」

 

「我が名はふにふら。紅魔族随一の弟思いにして、ブラコンと呼ばれし者!」

 

「我が名はどどんこ。紅魔族随一の……随一の……なんだっけ……」

 

最後の一人がなんとも締まらない名乗りを上げるが、構うこと無く三人はカズマ達の元へやって来た。

 

「めぐみん、それにゆんゆんも。無事に帰ってきたようだね」

 

「久しぶりですねあるえ、それにふにふらとどどんこも」

 

あるえと呼ばれた、左目に眼帯をした少女は片手を上げると、めぐみんは自分の手でそれを叩き再会のハイタッチをする。

隣に立つふにふら、どどんこの二人とも同じようにハイタッチをし、校舎内に乾いた小気味の良い音が三回鳴った。

 

「ところで……」

 

ちら、と。ふにふらは視線をカズマ達の方へと向ける。

 

「そこに居る人たちが、手紙に書いてあったゆんゆんの?」

 

「はい! 紹介しますね! 私のお友達のカズマさん、チヒロさん、アクアさん、ダクネスさんです!」

 

「……ちょっと待ってほしい」

 

ゆんゆんが嬉しそうにカズマ達を紹介した途端、あるえはいきなり待ったをかけた。そしてふにふら、どどんこと共に後ろを向いて顔を寄せ合う。

 

「ゆんゆんに友達? しかも四人も?」

 

「ないない、絶対に無いって」

 

「きっとあれだよ、レンタル友達みたいなサービスに決まってるって。それを四人も雇うなんて……」

 

「ちょっと三人とも! 聞こえてるからね!」

 

カズマ達を友人役として雇われた業者だと思っているあるえ達。自分の交友関係を疑うような会話を交わす三人に対して、ゆんゆんは抗議の声を上げた。

 

「しかし、ゆんゆん。君がどれだけぼっちなのかは里でも有名だぞ?」

 

「学生時代は登下校もお昼休みもいっつも一人だったし……」

 

「一人で二人用のボードゲームとか、一人四役でババ抜きとかやってたし……」

 

「そ、それは昔の話! 今は関係ないでしょ! カズマさん達は本当に私のお友達なの!!」

 

まさかこんな所で自分の絶対に明かされたくない過去を暴露され、ゆんゆんは顔を真っ赤にし、涙目になりながら先程よりも大声で抗議する。

しかし、ムキになって否定する姿が余計にあるえ達の疑念を深めてしまい。会話は堂々巡りとなる。

このままでは話がどんどん拗れるだろう。そう判断したカズマは一歩前に進み出るとあるえ達に挨拶をした。

 

「はじめまして、ゆんゆんの友達で冒険者仲間の佐藤和真です。ちなみに言うと、俺達は業者じゃありませんよ?」

 

「千翼です。よろしくお願いします」

 

「私は水の女神アクア、癒やしと清浄を司るアークプリーストよ!」

 

「ダクネスだ。よろしく頼む」

 

堂々と名乗った四人を見て、あるえ達は目をぱちくりとさせた。

 

「え……もしかして本当にゆんゆんの?」

 

「正真正銘、ゆんゆんの友達です」

 

少しだけ胸を張って、カズマは自信満々に答えた。あるえ達は再び後ろを向いて顔を寄せ合う。

 

「まさかゆんゆんに友達が四人も……」

 

「てか、その内二人は男じゃん……」

 

「え、もしかしてゆんゆんに先を越された……?」

 

「ぼっちのゆんゆんに……!?」

 

「だから聞こえてるって言ってるでしょ!!」

 

 

◆◆◆

 

 

その後、紅魔族五人による案内で学校見学を終えたカズマ達は、あるえ達三人と別れて次なる観光スポットへ向かう。

学校見学の感想を話し合っていると、道中で写真とカメラの絵が描かれた看板を掲げている店の前で、一人の男が箒を手に掃除をしていた。めぐみん達に気が付くと、掃除の手を止め片手を上げて挨拶する。

 

「やぁ、めぐみんちゃん、ゆんゆんちゃん。こんにちは。おや、その人たちはもしかして外からのお客さんかな?」

 

「はい、私の仲間で、里を案内しているところです」

 

「おお、それならば!」

 

聞くや否や、男は持っていた箒を巧みに振り回すと最後にポーズを決め、紅魔族おなじみの名乗りを上げる。

 

「我が名はげれげれ、紅魔族随一の写真屋!」

 

その姿勢のまま数秒が経過すると、満足そうな笑みを浮かべながらゆっくりとポーズを崩した。

 

「こんにちは、げれげれさん。この人たちは私の……私のお友達でもあるんです!」

 

「と、友達……?」

 

写真屋の手から箒が離れ、乾いた音を立てて地面に転がった。そしてゆんゆんの両肩を掴むと、凄まじい顔付きで詰め寄る。

 

「ゆ、ゆんゆんちゃん! いま友達って言ったよね!?」

 

「ひあっ!? は、はい、確かに私のお友達と……」

 

「それってあれだよね!? 一緒にご飯食べたり遊びに行ったりするような人たちのことだよね!? 最近若者の間で流行っているよくわかんない物だったり、いかがわしい物や行為の隠語とかじゃないよね!?」

 

「は、はい。そうです。一緒にご飯を食べたり遊びに行ったりする人たちです……」

 

それを聞いた途端、げれげれの両目から滝のように涙が溢れ出した。

 

「あのいつも独りぼっちだったゆんゆんちゃんに友達が……しかもこんなに沢山……」

 

とうとう堪えきれなくなったのか、げれげれは両手で顔を覆って嗚咽を漏らし始めた。それでも流れる涙を堰き止めることは出来ず、指の隙間から透明な雫が次々と零れ落ちる。

やがて、思い切り泣いてスッキリしたのか、両手を顔から離す。そこには打って変わって強い決意を秘めた顔があった。

 

「この歴史的な瞬間を是非とも写真に収めねば! ちょっと待ってて、直ぐにカメラを用意するよ! ああ、もちろんお代なんていらないからね!!」

 

当の本人の返事を待たず、げれげれは店に飛び込むと十秒もしないうちに再び姿を現した。その手には黒いカメラが握られている。こうして、唐突に撮影会が始まった。

 

「ゆんゆんちゃん、めぐみんちゃん。もう一歩だけ中央に寄って。男の子二人、あと半歩だけ下がって。騎士のお姉さん、気持ち顎を引いてみようか。青い髪の女の子、変なポーズ取らないでいいから普通にしてて。そのまま、動かないで……ハイ、チーズ!」

 

パシャッ、と小気味の良いシャッター音が切られ、げれげれは満足げな笑みを浮かべながらカメラを撫でた。

 

「うんうん、良い写真が撮れた。ちょっと待っててね、すぐに現像してくるから!」

 

言うや否や、カメラを抱えて再度店の中へ駆け込む。勢いに飲まれて呆然とするカズマ達は、止むなく現像が完了するまで待つことにした。そして数十分後。

 

「はい、出来上がったよ! いやぁ、まさかこんな歴史的な瞬間に立ち会えた上に写真まで撮れるなんて。あ、焼き増しがもっと欲しかったら遠慮無く言ってね。百枚でも二百枚でもあげるから!」

 

現像の終わった写真を持ってきたげれげれは、それを一枚ずつカズマ達に手渡す。

出来たての写真を見てみると、そこには店の前で微笑みを浮かべるカズマ達の姿が写っていた。

 

「まぁ、これも旅の記念ということで」

 

思わぬ所で記念の一枚を撮影してもらえたカズマは、それを大切に懐にしまった。

 

 

◆◆◆

 

 

カズマ達は里の商店街にやってきた。

既に昼を回っているので喫茶店で昼食を取り、その後は腹ごなしも兼ねてのんびりと軒を連ねる店を見て回ることにする。

魔法使いの村らしく見たこともないマジックアイテムを売っている店や、この里でしか採れない野菜を売っている八百屋など、アクセルとは趣の違う店の数々をカズマ達は楽しんでいた。

その内の一軒の前でダクネスが足を止める。彼女が立ち止まったのは鍛冶屋だった。

 

「ほぉ、これは中々……」

 

「お? お嬢ちゃんその鎧の良さが分かるのかい?」

 

「ああ、私はクルセイダーだからな。鎧に関する目利きにはちょっと自信があるぞ」

 

店主の質問に、ダクネスはどこか得意げに答える。店内に並べられた金物の数々、その中でもダクネスは鎧に興味を惹かれていた。

手に取っては表面を撫でたり、軽く叩いて音を確かめたりと鎧を取っ替え引っ替えしては品質や具合を確かめる。

 

「すまない、ここで鎧を見たいのだが構わないか? なんなら長くなりそうだから、私のことは気にせず観光を続けてくれ」

 

「そうするよ。ダクネスも俺達のことは気にしなくていいからな」

 

カズマ達とダクネスはここで別れ、夕方にはめぐみんの家で合流することとなった。

その後、五人は通りに面した店を眺めながら歩いていると、めぐみんがある店の前で立ち止まった。その店はシャツの絵が描かれた看板を軒先に吊している。

 

「すみません。ちょっと服を見たいので店に寄ってもいいですか?」

 

「いいけど、何か買うの?」

 

「別に構わないぞ。というか、俺も紅魔族の服屋を見てみたいな」

 

「俺も」

 

「私もー!」

 

四人が賛成の声を上げ、めぐみんが店の扉を開けると、ドアベルが涼やかな音を立てる。来客を知らせる音に気が付いた店主がカウンターから出てきて出迎えた。

 

「こんにちは」

 

「やぁ、いらっしゃいめぐみん、それにゆんゆん。あれ、後ろの人は外から来た人かい?」

 

めぐみんが頷くと、服屋の店主は紅い目を怪しく輝かせる。そして羽織っていたマントを翻すとポーズを取りながら高らかに名乗りを上げた。

 

「我が名はちぇけら。紅魔族随一の服屋!」

 

「へぇ、随一って凄いじゃないですか。さっきの写真屋といい、もしかしてめぐみんってそういう店に顔が利くのか?」

 

「いやいや、紅魔の里に服屋はここ一軒しか無いからね。ついでに言うと靴屋とかパン屋とか、それこそ写真屋も里にあるお店は全部一軒ずつしか無いよ」

 

「あ、ああ。そういうことね……」

 

てっきりめぐみんは一流店の常連かと思ったが『随一』の理由を聞いたカズマは呆れながら納得した。

 

「それで、今日はどんな御用で?」

 

「今着ているローブの予備が欲しくて。これと同じ物はありますか?」

 

「はいはい、それなら同じ物が丁度染色が終わったところだよ。ついてきて」

 

ちぇけらに案内されてカズマ達は店の裏にやってきた。そこには物干し竿にかけられた何枚ものローブが快晴の空の下、風で静かに揺れている。

 

「さぁ、どれでも好きな物をどうぞ」

 

「うーん、これは中々……いや、でもこっちの方が色合いが……」

 

どれも同じだろ。という台詞を飲み込んだカズマは、めぐみんが購入するローブを選んでいる間、紅魔の里の風景を眺める。

白い雲がまばらに浮かぶ空、遠くを見れば雄大な山脈。近くを見れば川のせせらぎを背景に汗水を流して働く人々、楽しげな笑い声を上げる子供達。絵に描いたような長閑な田舎の景色にカズマの顔が思わず綻ぶ。

こんな静かで穏やかな時間は何時ぶりだろうか。事あるごとに自分たちは騒動に巻き込まれ、その度に事態解決のために東奔西走するはめになっている。

この穏やかさがずっと続けば良いのに。暖かい日差しを浴びながら、眠気混じりの頭でカズマはそんなことをボンヤリと考えていた。

 

「ねぇ、カズマ……」

 

「ん?」

 

「あれって……」

 

隣に立つ千翼が何かを指差す。カズマは指された方向に視線を動かすと、ある物が視界に入り首の動きが固まった。眠りの淵に立っていた意識が一瞬で覚醒し、目をこすって見間違いで無いか確かめる。

 

「おいおい、これって……」

 

近付いて上下左右、ありとあらゆる角度から「ソレ」を観察する。

細長い筒にその下には折り畳まれた二脚、その後ろの方には握りやすそうな形のグリップに引き金。右側面に取り付けられたボルト、本来であれば肩を当てるためのストックの部分は何故かラッパのようになっている。それは剣と魔法のファンタジーなこの世界には余りにも似つかわしくない――

 

「ライフルじゃん……」

 

「らいふる? それは家に先祖代々伝わる物干し竿さ。錆びないし、軽くて丈夫だから重宝してるよ」

 

何故、この世界にこんな物が? 魔法が発達したこの世界では基本的に飛び道具と言えば弓矢である。火薬を使った武器と言えば大砲であり、銃の祖先とも言える火縄銃やフリントロック式のピストルはこの世界では見たことも聞いたことも無い。

では、なぜオーバーテクノロジーも甚だしいライフルがこんな所にあるのか? 考えられる原因は一つしかなかった。

カズマはめぐみんとゆんゆん、ちぇけらに聞こえないようにアクアを少し離れた場所に引っ張ってから顔を近づけると、ドスの効いた低い声で唸るように喋る。

 

「おい、アクア。あれどう見ても転生者が造ったやつだよな? あれが碌でもない奴の手に渡ったらどうするつもりだ?」

 

「し、知らないわよそんなこと。私の仕事は若くして死んだ人間にチート能力を与えて送り出すだけなんだから。そういうのは他の神の仕事なの」

 

カズマは更に問い詰めようとしたが、千翼の仲裁もあってそれ以上の追求は止めることにした。

その後、悩みに悩んだめぐみんが予備の一着を選び、それを購入して五人は店を後にした。

 

 

◆◆◆

 

 

「ここは、謎の施設です」

 

「なんだよ、謎の施設って」

 

「そのまんまですよ。誰が、いつ、何の目的が作ったのか分からない。文字通り謎の施設です」

 

「この施設、本当になんの為に建てられたんだろうね?」

 

めぐみんに案内されて次にやってきたのは謎の施設。彼女が言うにはかなり昔からあったそうだが、一体何のための施設なのか未だに分からないらしい。

 

「ねぇカズマ、これって……」

 

「まぁ、間違いなく同郷の人間だよなぁ」

 

カズマと千翼はそう言って謎の施設――鉄とコンクリートで出来た外壁に、その壁を這うように巡らされた何本ものパイプ。見上げれば屋根に煙突やレーダー、電波の存在しないこの世界で何を送受信するつもりのなのか理解に苦しむ各種アンテナ。

この世界ではオーバーテクノロジーの塊である工場のような施設を見て、二人は誰が作ったのか即座に察した。

 

「噂では、この施設には『魔術師殺し』と呼ばれる禁断の兵器が眠っているそうです。それを悪用されないよう封印のためにこの施設が建てられたのではないか。と言われてますね」

 

「そう言えば小さい頃、めぐみんが中に入ろうとしてこっぴどく叱られたっけ」

 

「ゆんゆんも私が誘ったらホイホイ付いてきて一緒に叱られたと記憶してますが」

 

「そ、それは言わないでよ!」

 

「ねぇ、めぐみん。紅魔の里に他にこんな感じの場所ってあるの?」

 

「ああ、それでしたら――」

 

「ほんっと紅魔族ってそういうの好きだよな……」

 

姦しくお喋りする三人を見ながら、カズマは呆れと感心の入り交じった息を吐いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「なーんか変な物ばっかりだったな……」

 

「変な物とは失礼ですね。どれもこれも一押しの観光スポットですよ」

 

日も暮れて世界が茜色に染まる中、カズマは今日一日の感想を口にする。

ゆんゆんは父親が心配するだろうからと家に帰り、頃合いと判断したカズマ達も現在帰宅中である。

今日一日めぐみんの案内で里を回ってみたものの、どれもこれも珍妙な物ばかりで何故か妙に疲れてしまった。

明日になったらテレポートで直接アクセルまで送ってもらい、また冒険の日々が始まる。バニルとのビジネスに今後の自分たちの戦力強化、魔王討伐に向けてやらなければならないことが山積みである。

まるで月曜日に怯える社会人だな、と自嘲気味に笑っているとカズマは突然足を止めた。視線は一方向を向いたまま固定され動かない。

 

「石碑……?」

 

「それは紅魔の里が出来た時からここにある石碑です。今まで何人もこの石碑に刻まれた古代文字の解読に挑戦しましたが、未だに一文字も解読は進んでいません。噂によればこの石碑には世界の隠された真実か、余りの危険性故に禁じられた魔法の使い方が記されているとか……」

 

カズマの視線の先には人の背丈を優に越えるほどの大きな石碑があった。石肌の表面には上から下まで、めぐみん曰く古代文字で文章が刻まれている。

何故か妙に見覚えのある字面に違和感を憶え、カズマと千翼は石碑に近付く。そして、石碑に刻まれた文字が読める程に近付いたところで、二人は揃って驚いた。

 

「いや……これって……」

 

「日本語だ……」

 

石に刻まれていたのは漢字、ひらがな、カタカナの三種類の文字で綴られた文章。カズマと千翼の生まれた国である日本で使われている文字であった。

 

「ニホンゴ? もしかしてカズマとチヒロはこの文章が読めるのですか!?」

 

「読めるも何も、これは俺達の国の文字だよ」

 

「久しぶりに見たけど、なんだか不思議な感じだね」

 

「だったら早く読んでください! 私たちは今、歴史的な瞬間に立ち会っています!!」

 

「はいはい、そう急かすなよ」

 

カズマは咳払いをすると、石碑に刻まれている文字を読み上げ始めた。

 

 

 

『この世界の人間はどうせ日本語なんか読めないだろうし、腹が立ったので愚痴代わりにここに残します。』

 

『今日、俺の部屋に王がやってきた。魔王を倒せる兵器を造れだってよ、無茶言うなっつーの。今までどんだけチート能力使って色々造ったと思ってんだ。もう、アイディアなんか浮かばねぇよ。「争いは何も生まない。憎しみの連鎖を生むだけだ」とそれっぽいこと言って誤魔化そうとしたら助手の女に殴られた。マジで痛かった。でも、気持ち良かったです。』

 

『仕方ないので色々と考えてみる。ダメだ、何も思い浮かばん。が、ここで俺に天啓が降りてきた。強い兵器を造るんじゃ無くて、元からある物をめっちゃ強くすればいいんじゃね? それなら一から造るよりずっと楽じゃん! なんでこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。』

 

『試行錯誤してみたが、最終的な結論としては魔王を相手にするなら兵器を改造するより人間を改造した方がいいと言うことだ。しかし、適当に被検体を選んで改造なんてそんな悪の秘密結社みたいな真似はさすがにしたくないので、志願制にすることにした。これなら向こうが同意したから俺の責任じゃないからね。』

 

『マジかよ……募集かけたらめっちゃ応募きたわ……。改造されたら記憶が無くなるってハッキリと書いておいたのに、ここの連中はどれだけ改造人間になりたいんだよ……。』

 

『めんどくせー!! いざ改造手術をしようとしたら「目を紅く光るようにしてくれ」だの「一人一人に入れ墨で個体番号を彫ってくれ」だの「スキルや魔法を使う際に身体に光る回路が浮かび上がるようにしてくれ」だの注文が多すぎんだよ!! それを拒否しようとしたらあいつら帰ろうとするから、渋々応えることにした。でも、そういう厨二要素は嫌いじゃあない。』

 

『というわけで改造人間が出来ました! 試しに戦わせてみたらこれがまぁ強い。ただ、俺のことを「マスター」とか呼んだり「我々に名前を付けてください」とか言ってくる。めんどくさいので目が紅くて魔法が強いから適当に『紅魔族』とか名付けたらすげー喜んでた。あ、そういうノリでいいんだ』

 

『以前造った対魔法用の試作兵器『魔術師殺し』を見た紅魔族の連中が「これは我々の天敵だ」「この世にあってはならない存在」とか騒いでる。更に「こいつが暴走したときに備えて、対抗手段となる抑止力が欲しい」と言いだした。なんでそんな物まで造らなきゃいけねーんだよ。でも『抑止力』という言葉、嫌いじゃあない。どうやら俺の心の中学二年生は未だに現役のようだ』

 

『やっべー、魔術師殺しの抑止力として造った兵器がとんでもねー威力だわ。さすがにやり過ぎたかな? と焦っていたら「これがあれば安心だ」とか「これぞ世界の均衡を保つ、相反する二つの力」とか紅魔族の連中には妙に好評だった。名前を付けようかと思ったけど、良い名前が浮かばなかったので『レールガン(仮)』とでも名付けておきます。動力は魔法だし発射するのも凝縮した魔法弾だし、電磁誘導とか導電性みたいな科学的要素は欠片も入ってないけど、やっぱレールガンって響きはカッコいいよね!』

 

『この結果に気を良くした王が「次は対魔王軍用の兵器を造れ」と無茶ぶりしてきた。ざっけんな! どんだけ疲れたと思ってんだ。「これ以上は新たな火種を生むだけだ。過ぎた力は身を滅ぼす」と適当にカッコいい台詞を言ったら助手の女にビンタされた。凄い痛かったけど、それ以上に凄い気持ちよかったです。おしまい。』

 

 

 

「……」「……」

 

石碑の文章を読み終えたカズマと千翼は、揃って顔を引き攣らせていた。

――なんだ、このふざけた文章は。というか、この文体どこかで聞いたことあるぞ。

余りにも酷すぎる内容にカズマは途中で音読を止めて黙読になっていたが、日本語を読めないめぐみんがカズマの服の袖を引っ張って続きを急かす。

 

「カズマ、どうしたのですか? 早く続きを読んでください」

 

「え? あ、ああ。えーとな、要するにこの石碑には、みんなで力を合わせて紅魔の里を立派にしていきましょう。って書いてあるな」

 

『紅魔族の始祖は転生者の手よって造られた改造人間である』なんて口が裂けても言えなかった。そんな事が知れ渡ろう物なら紅魔族のアイデンティティーは間違いなく崩壊するだろう。下手をすれば人の手によって生み出された忌むべき種族として、謂われ無き迫害や差別を受けかねない。

カズマはめぐみんが日本語を読めないことをいいことに、咄嗟に当たり障りの無い適当な嘘をついた。

 

「何ですか、それ……。てっきりこの世界の隠された真実とか、禁じられた魔法の使い方とかが書いてあるかと思ったのに……」

 

期待していたようなことは書かれていないと知っためぐみんは、盛大に溜息を吐いてがっくりと肩を落とした。

 

「え、なに言ってるのよカズマ。この石碑には紅魔族の……」

 

「さーて、もう夕方だからめぐみんの家に戻ろう。ついでに晩ご飯の材料でも買って帰ろうか!」

 

「え、もしかしてお金を出してくれるんですか? だったら今晩はすき焼きにしましょう!」

 

「よーし、任せとけ! 今日はみんなですき焼きパーティーだ!」

 

今日の夕飯がすき焼きに決まり、めぐみんは大喜びでスキップをしながらカズマ達を置いて先を行く。充分に離れた事を確認してからカズマはアクアを睨んだ。

 

「いいか、この石碑に書かれていることは絶対に誰にも言うなよ? 元はといえばお前が碌に審査もせずに転生者をこっちにホイホイ送り込んだのが原因だからな」

 

「わ、わかったわよ。そんなに怖い顔しないでよ……」

 

凄まじい形相で脅されて、アクアはたじろぎながら首を縦に振った。そして、急ぎ足でその場を離れてめぐみんの後を追う。

その場に残された転生者である男二人は、互いの顔を見ると黙って頷いた。

――この事実は俺達の胸の中にしまっておこう。永遠に。




今回は戦闘が無い日常回となりました。
次回はいよいよシルビア戦です。


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Episode17 「Q」UIRKY SENSE OF METHOD

お待たせしました。紅魔の里編の後編となります。


市場で夕飯の材料を買い揃え、夕日を浴びながらカズマ達は家路に着いていた。各々の両手には袋が提げられており、中には食材がギッシリと詰められている。男二人は事もなげに、アクアはだるそうに、めぐみんは楽しげに鼻歌を歌いながら帰り道を歩く。

 

「お父さんとお母さん、こめっこもすき焼きなんて生まれて初めてです。カズマ、本当にありがとうございます!」

 

「いきなり大人数やって来たのに泊めてもらったからな。これくらいのお礼はさせてくれ」

 

言いながら、カズマは地平線に半分ほど沈んだ夕日を見た。空にはカラスが鳴き声を上げながら自分たちの上を通り過ぎてゆく。

どこか懐かしい感覚を覚えるこの景色も今日で見納め。明日にはアクセルに帰り、また忙しい日々が始まる。

生活費を稼ぐためのクエストに、魔王討伐に向けてのパーティーの強化。山積みの課題を思い浮かべ、カズマは小さく息を漏らすのであった。

自分の気持ちを少しでも慰めようともう一度夕焼けを見遣ると、突然、近くで大きな土煙が上がった。同時に爆発音が響いてくる。

 

「なんだ?」

 

「爆発……?」

 

「あそこは村の外との境界線ですね。たまに迷い込んだモンスターが入ってこようとするので、気が付いた人が対処するんですよ」

 

不安げな顔で見るカズマと不思議そうな顔で見る千翼、それに対してめぐみんは事もなげにそう語った。

しかし、カズマは妙な胸騒ぎを感じていた。あの爆発は本当にただのモンスター絡みか? いくら紅魔族達が圧倒的有利な状況とはいえ、今この里は魔王軍と戦争の真っ最中である。

 

「……ちょっと行ってみよう。なんか嫌な予感がする」

 

自分の予感に従い、カズマは急いで土煙が上がっている場所へ向かった。遅れて千翼達もその後を追いかける。

 

 

◆◆◆

 

 

「こ、こいつ。さっきから一体何なんだ!」

 

赤いドレスを身に纏った褐色肌の女が困惑の声を上げる。彼女の周りにいる魔王軍の兵士は、武器を握り直すと女を守るように陣形を組んだ。

 

「シルビア様、お下がりください!」

 

「ずっと攻撃を受けているのにまるで効いてねぇ。こいつ聖騎士(クルセイダー)に違いないぞ!」

 

村の境界線では、魔王軍が一人の聖騎士と対峙していた。

 

「ふははは! さぁどうした、私はまだ戦えるぞ!」

 

全身が土で汚れ、髪は振り乱れているいうのにその目は異様なまでに爛々と輝いていた。魔王軍と対峙する一人の聖騎士――ダクネスは実に嬉しそうな笑い声を上げる。

ここに来るまでに通過する平原で、凶悪なモンスターにいたぶられるという彼女にとっては御褒美であるイベントを期待していたが、特に何も起きずにあっさりと紅魔の里に辿り着いてしまった。

更に当の紅魔の里も魔王軍に対して圧倒的に優位な戦況であり。正直言って自分たちの出る幕など無いに等しい状況。

このまま何事も無く明日にはアクセルに帰ると思った矢先、魔王軍が里に侵入を試みている場面に偶然出くわした彼女は、喜び勇んで魔王軍の前に躍り出た。

そして今、ダクネスはこれまでの鬱憤を晴らすべく思う存分魔王軍の攻撃を一身に受けている。

 

「ダクネス、大丈夫か! 里の人たちを連れてきたぞ!」

 

「おお、カズマ! 見ての通り魔王軍が襲撃してきてな。いたぶ……食い止めていたところだ!」

 

そろそろ人を呼ぶべきか? と引き際を見極めていたダクネスの後ろから、カズマが紅魔族を大勢連れてきてやってきた。ダクネスは慌てて言い直すが、彼女との付き合いもそれなりに長いカズマ達は敢えてツッコまなかった。

何はどうあれ、こうして魔王軍の侵攻を食い止めてくれたのだ、結果オーライとしよう。カズマはそう自分に言い聞かせる。

 

「カズマ……? あんたまさか、ウチの幹部を三人も倒して、あの機動要塞デストロイヤーを破壊したっていうサトウカズマか!?」

 

赤いドレスの女は、自分たちの前に現れた少年の正体に驚き、そして慄く。連なるように兵士達も唾を飲み込んで、改めて得物を握り直した。

 

「……ああ、そうさ。俺の名は佐藤和真、いずれは魔王を打ち倒す者だ!」

 

臆することなく、カズマは堂々と名乗りを上げた。その勇ましい姿に、彼の後ろに居る紅魔族達が「おおー!」と感嘆の声を上げる。

 

「こりゃまたとんだ大物が現れたわね……名乗られたのなら、こちらも名乗るのが礼儀。私は魔王軍幹部が一将、強化モンスター開発局局長にして、グロウキメラのシルビア!」

 

赤いドレスの女――魔王軍幹部のシルビアはカズマに負けじと名乗り、周りの兵士達が盛り上げるように鬨の声を上げる。

 

「で、どうするんだ。このままやり合うのか?」

 

「悔しいけど、この状況じゃ私たちは手も足も出せずに全滅でしょうね。だから……」

 

「だから?」

 

「総員撤退! 全力で逃げるわよ!」

 

シルビアの撤退宣言に、魔王軍の兵士達は一斉に回れ右をして来た道を全力で走り出した。

このまま一戦交える覚悟だったカズマは、魔王軍の余りにも潔い撤退に反応できず、遠ざかってゆくシルビア達の後ろ姿を呆然と見送ることしか出来なかった。

 

「この野郎、また性懲りも無く!」

 

「今日という今日は逃がさねぇぞ!」

 

「とっ捕まえて魔法の実験台にしてやる!」

 

そして、逃げる魔王軍の背中目掛けて、紅魔族達が次々と魔法を放つ。

ある者は火だるまになりながら、ある者は体に氷塊を付けながら、ある者は感電しながらも、魔王軍の軍勢はその場からあっという間に逃げ(おお)せた。

 

「……うーん、やっぱり俺達いらなくね?」

 

 

◆◆◆

 

 

夜、めぐみんの家に帰ったカズマ達は宣言通りすき焼きパーティーを開いた。

生まれて初めて食べるすき焼きにめぐみんの一家は感動で咽び泣き「この御恩は一生忘れない」と、カズマは何とも返答に困る礼をされた。

そして全員が風呂に入り、昨日と同じくゆいゆいが千翼達にスリープの魔法をかけて無理矢理寝かせたあと。既に日付は変わり、里中の灯りが消えた真夜中の時間であった。

夜の静寂を引き裂く、けたたましいサイレンの音が紅魔の里に響き渡る。

 

「なんだ?」

 

「敵襲か!?」

 

「ふあーなになにー?」

 

布団で寝ていた千翼達は耳をつんざくようなサイレンの音に目を覚まし、次に流れるであろう放送を待つ。

 

『魔王軍侵入、魔王軍侵入。里の人間は捜索に当たってください。繰り返します。魔王軍侵入――』

 

魔王軍侵入の放送を聞いた千翼とダクネスは、素早く布団から飛び出す。

着替えてくる、と言ってダクネスは足早に部屋を出て行き、アクアはまだ半分寝ているらしくゆっくりと船を漕いでいた。

千翼は枕元に置いてある服に手早く着替えると、アマゾンズドライバーの入った自分のリュックを引っ掴む。そして姿の見当たらないカズマとめぐみんを探すべく部屋を出ると――

 

「るぉらあああぁぁぁ!!!」

 

隣の部屋の襖が勢いよく横滑りし、鬼のような形相のカズマが部屋から飛び出してきた。そのまま玄関へ向かうと外へ駆け出す。

 

 

◆◆◆

 

 

「……いないわね、どこにもいないわよね?」

 

民家の物陰から辺りに誰もいないことを確認したシルビアは、足音を立てないように抜き足差し足でゆっくりと姿を現す。

これ以上、自分を慕ってくれる部下達を犠牲にしたくない。そのため危険を承知でシルビアは単身で紅魔の里に侵入し、目的である『ある物』を確保することにした。

あれさえ手に入れば形成を逆転できる。そうすればこの里などあっという間に滅ぼせる。散っていった部下達の仇を取るために、何がなんでも『アレ』を手に入れなければ。

 

「おおおぉぉぉらあああぁぁぁ!!! どこにおんのじゃあああぁぁぁ!!!」

 

突如、直ぐそばの民家から一人の少年が飛び出してきた。血走った目で辺りを睨み付けると、こちらを驚いた様子で見ている褐色肌の女と目が合う。

 

「テメェか? テメェだな!? テメェの仕業だな!! あとちょっとってとこで邪魔しやがって!! ぜってぇ許さねぇぞ!! 健全な男子高校生のリビドーを邪魔しやがって!!」

 

「え……いや、何の話?」

 

民家から飛び出していきなり怒鳴り散らす少年――カズマの凄まじい剣幕に、シルビアは逃げることも忘れてただただ首を傾げるしかなかった。

理由は全く分からないが、凄まじく怒っている。一体何が理由でここまで激怒しているのだろうと疑問に思っていると、顔を赤らめ妙に内股のめぐみんがモジモジしながら後からやってくる。それを見たシルビアはカズマが激怒している理由を察したらしく、含みのある笑みを浮かべた。

 

「あらぁー、ごめんなさいね。もしかしてこれからおっぱじめるとこだったかしら?」

 

「ちち、違います!」

 

「ああ、そうだよ! これから二人でぐんずほぐれつしながら大人の階段を登るとこだったんだよ!!」

 

恥じらいで顔を赤らめながら否定するめぐみんに対して、怒りで顔を真っ赤にしたカズマは大声で肯定した。

 

「ちょっとスタイルが良いからって優しくしてもらえると思うなよ!! 俺は男だろうが女だろうが気に食わない奴にはドロップキックをかます真の男女平等主義者だ!! 覚悟しろ!!」

 

シルビアを指さし、そう宣言したカズマは腰から愛刀を引き抜く。余程の力が込められているのか、柄を握る手の甲には幾本もの血管が浮かんでいた。

 

「死に晒せえええぇぇぇ!!!」

 

愛刀のちゅんちゅん丸を振り回しながらカズマはシルビアに斬り掛かる。怒りと共に振り下ろされた白刃は、白い手袋を嵌めた二本の指にあっさりと白羽取りされた。

 

「あるぇー?」

 

「ねぇ、アンタ本当にあのサトウカズマなの? ウチの幹部を三人も倒して、デストロイヤー破壊の指揮も執ったって聞いてるんだけど。なーんかイメージと違うわね」

 

「う、うるせー! 俺は頭脳派だ! 世の中頭のいい奴が最後に勝つんだよ!」

 

余りにも呆気なく勝負がついてしまい、シルビアは目の前の少年が本当に噂に聞く人物なのかと首を傾げた。

そのとき、めぐみんの家から玄関の引き戸を開ける音と、複数の足音が聞こえてくる。

 

「あ、めぐみん。カズマ見なかった? さっき飛び出して行ったんだけど」

 

「んもー、一体何なのよ。気持ちよく寝てたのに……」

 

「魔王軍め、一体どこに……って、お前は!」

 

「おっと!」

 

準備を終えた千翼達三人が家から出てきた途端、シルビアはちゅんちゅん丸を叩き落とすと、素早くカズマの身体を抱き寄せて首に手を回した。

 

「あなたたち、動かないでちょうだい。ちょっとでも変な真似をしたらこの坊やの頭が前後ろ逆になっちゃうわよ」

 

「みんな! 俺には構うな……って言いたいところだけど、やっぱり助けてえええぇぇぇ!! また死にたくない!!」

 

反応が遅れてしまい、カズマを人質に取られた千翼達は悔しそうな表情を浮かべるしか無かった。魔王軍幹部であるシルビアなら、人間の首を反転させるなど容易いことだろう。

不意を突こうにもここからシルビアまでの距離は余りにも長すぎる。ここは大人しく動かないでおく他無かった。

 

「良い子ね、そのまま大人しくしてなさい。この坊やは人質としてもらっていくわ」

 

シルビアは背中から触手を伸ばすと、それをカズマに巻き付けてゆく。カズマの身体を反転させると、逃げられないようにしっかりと自分の身体に縛り付けた。褐色の豊満な双丘に涙を浮かべた少年の顔がぴったりと収まった。

これから自分はどうなってしまうのか。恐怖でカズマの呼吸が荒くなる。

 

「た、助けて……」

 

「大丈夫よ、大人しくしていれば危害は加えないから。それよりも……んんっ! そんなに息が荒いと色々と蒸れちゃうわ」

 

艶っぽい吐息を吐きながら、シルビアは両肘で自分の豊満な胸を強く挟んだ。それに伴って捕まっているカズマの顔が褐色の双丘に圧迫される。

 

「あはぁ~、今まで顔を埋めてきたどんなクッションよりも柔らか……って、違う違う!」

 

シルビアの豊満な胸に挟まれカズマは恍惚の表情を浮かべるが、すぐに頭を振って正気を取り戻した。

 

「うふふ、こんな状況でも欲望に抗おうとするなんて。中々見所があるじゃない」

 

「な、舐めんじゃねぇ! 俺だって冒険者の端くれだ、これでも真剣に魔王討伐を目指してんだよ!」

 

「んまぁ素敵! そこまで大見得切るなんて敵ながら尊敬するわ。同じ()として惚れちゃいそう!」

 

頬を赤らめ、シルビアは嬉しそうに身をくねらせる。そして聞き間違いなのか、今シルビアの放った言葉の中に明らかにおかしな単語が混ざっていた。

 

「……男?」

 

「そういえばまだ説明してなかったわね。私の種族はグロウキメラなのは知ってるでしょ?私は他の物を取り込んでその特徴や特性を自分の物に出来るの。この胸だって後から取り込んだものよ」

 

「え……じゃあつまり?」

 

「私の今の性別は男でもあり女でもあるの。元は男だけど、まぁ細かいことは気にしないで。それにしてもあなた見れば見るほど良い男ね。下半身がキュンキュンしちゃう!」

 

そう言って、シルビアは前後に激しく腰を振った。シルビアが腰を前後させるたびに、それに併せてカズマの腰が不自然に持ち上がる。まるでナニかに押し上げられているかのように。

カズマは顔中から滝のように汗を垂れ流し、異様に早口で捲し立てた。

 

「あのー、シルビアさん。つかぬ事をお伺いしますが。さっきから俺の体に何かが、具体的に言うと尻の辺りに棒状の()()かが当たっているんですがこれあれですよね。ちょっと変わったデザインのお洒落なベルトの金具とかですよね。そうですよね!?」

 

「ああ、それは――」

 

それに対してシルビアは怪しい笑みを浮かべた。

 

「私のエクスカリバーよ」

 

認めたくなかった、聞きたくなかった真相をシルビアから告げられた瞬間、カズマの意識は闇へと消えた。

 

 

◆◆◆

 

 

頬に固さと冷たさを感じ、底に沈んでいた意識がゆっくりと浮き上がってくる。

重い瞼をなんとかして持ち上げると、ぼやけた視界が広がった。時間と共に目の焦点が合っていき、カズマは自分が冷たい石畳の上に横たわっていること。視界の端でシルビアが背を向け扉のそばで何かをしていることを理解する。

ふらつく頭を押さえながら慎重に体を起こすと、気が付いたシルビアが振り返った。

 

「あら、目が覚めたようね」

 

「っ!? み、みんなは!?」

 

「大丈夫よ。あの後『手を出さなければこの子の命は保証する』って言ったら、みんな大人しくしてくれたわ。その隙に私は貴方と一緒にここに来たって訳」

 

「……ここ、どこだ?」

 

カズマは自分がいま居る部屋を見回す。壁や天井はこの世界には普及していないはずのコンクリート、天井には目が眩みそうな程の明かりを放つ電灯。

そして、シルビアが何かをしている扉の上には漢字で『保管庫』と書かれていた。

 

「紅魔族の連中が『謎施設』って読んでいる場所よ……うーん、やっぱり上手くいかないわね……」

 

カズマの疑問に答えつつ、シルビアは相変わらず扉の脇で何かをしていた。先程からカチカチと何かを押すような音が彼女の手元から聞こえる。

興味を惹かれたカズマはシルビアから距離を取りつつ、横に回り込んで何をしているのか覗き込む。彼女が手に持つ物を見て、少年の目が大きく開かれた。

 

「あれ……『それ』って……」

 

カズマは驚きながらシルビアが持つ『それ』を指差した。

 

「ああこれ? この扉を開けるための鍵なんだけど、そのためには鍵のあちこちに付いている出っ張りを特定の順番で押さないと開かないのよね。この中にある物がどうしても必要なんだけど……」

 

扉を開けるための鍵。それはカズマが生前暮らしていた日本でよく見かけた物――家庭用ゲーム機のコントローラーであった。

シルビアが手に持つコントローラーのボタンを何度か押すと、ブザー音と共にシルビアの目の前に設置されたモニターに『コマンドが違います』と日本語でメッセージが表示される。

 

「ああん、もう。また失敗した。この文字がヒントなのは間違いないけど、全く読めないのよね……」

 

疲れたような溜息を吐き、シルビアは再びコントローラーのボタンを押し始める。

カズマはモニターの上の部分に何か文字が書いてあることに気が付き、視線をシルビアの手元から上にずらした。そして書かれている文字を音読する。

 

「ゴナミコマンドを入力しろ……なんだ、簡単じゃ」

 

そこまで言ってカズマは慌てて自分の口を塞いだ。しかし、シルビアにはしっかりと聞こえたらしく怪しげな笑みを浮かべながらカズマの方を見ていた。

 

「へぇー、あんたこの文字が読めるんだ。しかもいま簡単って言ったわよね? 私の代わりにこの扉を開けてくれる?」

 

「だ、誰が魔王軍の手伝いなんかするかよ!」

 

武器は無いがせめてもの強がりとして両拳を構えるカズマ。その健気な姿にシルビアは思わず忍び笑いを漏らす。

 

「んもぅ、強情ねぇ。でもいい加減にした方がいいわよ。さもないと……」

 

「さ、さもないと……?」

 

シルビアはコントローラーから手を離すと、ゆっくりとカズマに歩み寄る。思わず後退るカズマであったが、すぐに背中が壁に付いて逃げられなくなった。

一体何をする気だ。と緊張するカズマの耳元にシルビアは口を近付け、色っぽい吐息と共に形の良い唇を動かす。

 

「後ろの卒業式が始まっちゃうわよ」

 

言い終えると、わざとらしく舌なめずりをした。

 

「上上下下左右左右BA!!」

 

固く閉じられていた扉が、重苦しい音を響かせながらゆっくりと左右に開いてゆく。扉の向こうは部屋の明かりが届かないほどの暗闇が広がっていた。

 

「サンキュー! 愛してるわ坊や!」

 

シルビアからの濃厚な投げキッスに、カズマは小さな悲鳴を上げながら自分の身体を抱き締めて震え上がった。

ついに開いた扉の先を覗き込み、シルビアは一歩、また一歩とゆっくり階段を降りてゆく。

 

――や、やべぇぞ。どうすりゃいいんだ!?

 

尻の貞操の危機を感じて思わず扉を開けてしまった。このままでは彼女の思惑通りに事が運んでしまう。

今からでも誰かを呼んでくるべきか? ダメだ。呼びに行ったところで、その頃にはシルビアは目的を達成しているだろう。

では、自分がシルビアを倒すか? どう考えても無理だ。今の自分は丸腰、それ以前にまとも戦ったことすらない自分が挑んだところで返り討ちに遭うのがオチだ。時間稼ぎにすらならないだろう。どうすることも出来ない悔しさに歯噛みしながら手元のコントローラーに視線を落とす。

ここで、カズマの頭にある疑問が浮かんだ。魔王軍幹部ほどの実力者なら、わざわざ正規の方法で扉を開けずとも力尽くで開けられるはずだ。それなのにシルビアは何故か律儀に扉を開けようとした。いや、もしかして開けようとしたのではなく開けられないから正攻法で挑んだのではないか?

コマンドを入力したら扉が開いた。ということはもう一度コマンドを入力したら?

目の前には無防備に背中を見せるシルビア、そのシルビアでさえびくともしないであろう頑丈な扉、そして自分の手元には扉の開閉を操作できるコントローラー。少年の顔が邪悪に歪む。

 

「暗いわね……ねぇ、坊や。明かりになるようなもの持ってない?」

 

「ああ、それならこれをどうっぞ!」

 

言うや否や、カズマはシルビアの背中をかけ声と共に遠慮なく蹴っ飛ばした。赤いドレスに包まれた褐色の体が一瞬宙に浮き、直ぐに暗闇へと消えた。

 

「キャアアアァァァーーー!?」

 

暗闇の向こうから石段に何かがぶつかる音が連続して聞こえ、やがて最後に大きな音が響いて止んだ。

 

「上上下下左右左右BA!!」

 

素早くコマンドを入力すると、扉が再び重苦しい音を響かせながら閉じてゆく。それに気が付いたシルビアは慌てて立ち上がると凄まじい勢いで階段を上がってきた。

 

「ま、待って――」

 

あと一歩の所で、無情にも扉は再び閉じられた。

 

『こら! 開けなさい! 開けろ!! 開けろっつてんだろゴラァ!!!』

 

すぐさま扉を激しく叩く音と、くぐもったシルビアの怒声が聞こえてくる。カズマは扉の前で腕を組み、勝ち誇った笑みを浮かべていた。

 

「言っただろ? 頭が良い奴が最後には勝つって」

 

「カズマ!」

 

後ろから自分の名を呼ぶ声と複数の慌ただしい足音が聞こえ、カズマはそちらに振り返る。めぐみんを先頭に仲間達が焦燥しきった様子でやってきた。

一先ずカズマが無事であることを確かめためぐみん達は安堵の息を盛大に吐くと、彼を掠ったシルビアがどこに行ったのかを千翼が尋ねた。

 

「カズマ、シルビアはどこに行ったの?」

 

「ああ、奴さんならこの中だよ」

 

『いた~い、さっき転んだときにおっぱいに怪我しちゃった~。ねぇ、坊や。ここを開けて私のおっぱいにお薬塗って~……。おい、聞こえてんだろ!! はよ開けんかいゴルァ!!』

 

得意げな顔で自分の後ろにある扉を指差す。実にわざとらしい猫撫で声が聞こえたかと思えば、すぐに怒鳴り声と猛烈な勢いで扉を叩く音に変わった。

ここで何があって、カズマが何をしたのか悟った仲間達は、実に非力な彼らしい機転の利いた、もとい狡賢い方法に呆れと感心の入り交じった複雑な笑みを浮かべる。

 

「あとはこのまま閉じ込めて、充分に弱らせたあとでトドメを刺せば俺達の勝ちだ」

 

「……ところでカズマ」

 

「ん、どした?」

 

またしても幹部を撃破した。と得意げになっているカズマにめぐみんが疑問を投げ掛ける。

 

「シルビアの種族はグロウキメラでしたよね?」

 

「ああ、そういえばそんなこと言ってたな。んで、それがどうかしたのか?」

 

「確かグロウキメラは、普通のキメラと違って非生物でも取り込めると聞いたことがあるのですが」

 

「へぇ、さすが魔王軍幹部だな。んで、それがどうかしたのか?」

 

「昼間にも言いましたが、この施設の地下には『魔術師殺し』と言われる古代の兵器が眠っているという噂が……」

 

めぐみんがそこまで言ったところで、突如として地面が揺れ出した。

 

「地震か!?」

 

「まずい、みんな外に行くぞ!」

 

五人は大急ぎで外に出て、全速力で施設から離れる。

十分に離れたところでカズマ達の背後で建物が爆発した。爆風と衝撃が背中を直撃し、五人は吹き飛ばされるように地面に倒れる。

 

「みんな、大丈夫か?」

 

「だ、大丈夫……」

 

「こっちもです……」

 

幸いなことに誰も負傷はしておらず、被った砂埃を払ったり、口に入った砂利を吐き出したりしながら立ち上がる。

後ろを振り返ると、先程まであった施設は瓦礫と化していた。

 

「……シルビアの奴、あれじゃあ下敷きだよな?」

 

「まぁ、そうでしょうね……」

 

流石の魔王軍幹部といえど、あれだけの瓦礫に押し潰されたらひとたまりもないだろう。というよりも、頼むからそうであってくれ。とカズマは内心で祈った。

そのまま一分、二分と時間が過ぎるが、何も起こらない。聞こえてくるのは思い出したように吹く夜風の音だけ。

 

「……はぁー、よかった。これで魔王軍も撤退を――」

 

カズマが安心して盛大に溜息を吐くと、瓦礫の山が揺れ出した。

鉄とコンクリートが擦れ合う耳障りな音が響き、次の瞬間、瓦礫の山から何かが勢いよく飛び出す。

 

「あーはっはっは!! 予定とはちょっと違うけど、とうとう魔術師殺しを手に入れたわ! 感謝してるわよ坊や!」

 

夜空に浮かぶ月を背に、シルビアはカズマ達を見下ろしながら高笑いを響かせ、感謝を述べる。

 

「あ、あれが……」

 

「封印されていた禁断の兵器、魔術師殺し……!」

 

シルビアの下半身は、二本の脚の代わりに巨大な蛇の胴体が生えていた。

間違いなく人の手によって作られたであろう銀色の蛇の下半身が、月明かりを受けて鱗を銀色に輝かせる。

 

「さて、やっと目的の物を手に入れたことだし、お礼に参りに行かないと。貴方たちはそこで里が滅ぶ様を見ていなさい!」

 

シルビアは蛇の肢体をくねらせると、里に向かって一直線に向かっていった。

 

 

◆◆◆

 

 

目に付く家屋に手当たり次第に体当たりし、胴体を伸ばして息を大きく吸い込んで、高所から薙ぎ払うように口から炎を吐き出す。

紅魔の里は、魔術師殺しと融合したシルビアによって火の海と化していた。

その様子を住民である紅魔族達は、里を一望出来る丘の上から黙って見詰めている。

 

「里が……」

 

「仕方あるまい……相手が魔術師殺しでは私たちは太刀打ちできない……」

 

ある者は手で顔を覆い現実から目を背け、またある者は諦めるような表情で、せめて故郷の最期の姿を見届けようとしっかりとその光景を見据えていた。里の中で、何度目かになる爆発音が響く。

 

「俺が……俺が扉を開けたばっかりに……」

 

「カズマのせいではありません」

 

「そうですよ。私だってカズマさんと同じ状況だったら、間違いなく同じ事をしています」

 

少しでもカズマを慰めようと、めぐみんとゆんゆんが必死に励ます。

自分が扉を開けてシルビアを中に入れた結果、紅魔の里は壊滅状態となってしまった。

機転を利かせて勝利を収めたつもりが、逆に敵に手を貸すこととなり、この事態を招いてしまったカズマは座り込んで項垂れていた。罪悪感と自分の浅はかさに耐えられなくなり、頭を抱えて蹲る。

 

「みんな、気を落とすな。幸いにも人的な被害は全く無い。魔王軍の目的は我々紅魔族を滅ぼすこと。だが、こうして私たちは誰一人として欠けること無くここにいる、これは紅魔族の勝利と言ってもいいだろう。残念だが里はああなってしまっては捨てるほか無い。だが気を落とすな! また一から作り直せば良い! そして、今日という日のことを決して忘れず、いずれは魔王に紅魔族の意地を見せてやろうでは無いか!!」

 

気落ちする人々に向かってひろぽんは堂々と、そして力強く演説を打つ。族長の前向きな言葉に人々は頷きで応えた。

 

「あ、しまった!」

 

これから自分たちはどうしたらいいのか、不安でざわめく群衆の中で、誰かが声を上げた。

 

「逃げるときに先祖代々の物干し竿を持ち出すのを忘れた……あれ、本当に便利なのに……」

 

それは紅魔族随一の服屋の店主であるちぇけらだった。彼は火の海と化した里を残念そうに見遣ると、大きな溜息を吐いて諦めるように首を横に振る。

 

――先祖代々の物干し竿?

 

物干し竿、と聞いてカズマの脳裏を過るのは昼間に彼の店を訪れた時に見た光景。風に揺れる染色が終わったばかりのローブ、そしてそれを乾かす為に設置された物干し竿、その中に一本だけあった明らかに違うモノ――

次に過るのは夕方の帰り道に偶然見つけた、この世界にやって来た転生者が遺した石碑。そこに書かれていた文言が頭に浮かんでくる。

魔術師殺し、抑止力、レールガン――

ひょっとして、もしかしたら。絶望に沈んでいたカズマに一筋の光が差す。

 

「あ、あの!」

 

カズマは意を決して立ち上がり、勇気を振り絞って声を上げた。

 

「紅魔族の皆さん、俺に考えがあります! もしかしたらアイツを倒せるかもしれません!!」

 

燃え盛る自分たちの故郷に背を向けていた紅魔族達は、打開案があると叫ぶ少年を不思議そうな目で見つめる。

 

「魔術師殺しの封印を解いたのは俺です。そしてこの作戦には、どうしても皆さんの協力が必要なんです。厚かましいことを言っていることは理解しています!だけどお願いします! 俺に……俺にチャンスをください!!」

 

そう言って、カズマは躊躇うことなく紅魔族達に向かって土下座をした。いきなり自分たちに向かって土下座をした少年に人々は戸惑い、ざわめく。中には「アイツが封印を?」と眉を顰める者もいた。

このまま罵倒されようが、石を投げられようが構わない。それで作戦に協力してもらえるなら、カズマはどんな仕打ちでも受け入れる覚悟だった。

黙って土下座を続けるカズマの元へ誰かが近付く。一歩ごとに足音が近くなり、カズマのすぐ前で立ち止まった。

 

「お客人、顔を上げてください」

 

優しげな声で話しかけ、土下座するカズマの肩に静かに手が置かれる。

カズマがゆっくりと顔を上げると、目の前には穏やかな顔のひろぽんがしゃがんでいた。

 

「こうなってしまったのはお客人の責任ではありません。元はといえば私たちがさっさと幹部を倒していれば、そもそもこんな事になっていませんでした。だから、これは戦況の優勢に胡座を掻いていた私たちの責任です」

 

優しく、そして諭すようにひろぽんはゆっくりと語りかける。

 

「私は彼に協力しようと思っている。みんなの意見はどうだ?」

 

一瞬だけ沈黙が流れると、誰も彼もが期待と勇ましさに満ちた笑みを作り、声と拳を上げた。

 

「確かに、このままやられっぱなしってのも癪だよな」

 

「せめてアイツに一泡吹かせてやりましょう!」

 

「ここに来て起死回生の妙案……燃えるねぇ!」

 

もはや、カズマの過ちを責めるようとする者は誰もいなかった。そんな事よりもあの憎き魔王軍幹部に一矢報いることが出来るならと、全員が協力の姿勢を見せている。

 

「皆さん……本当にありがとうございます!!」

 

とうとうカズマは堪えることができず、涙を流しながら感謝の言葉を述べ再び頭を下げた。

 

「それでお客人、作戦は?」

 

「はい、まずは――」

 

 

◆◆◆

 

 

足りない、まだ足りない。

一体どれだけの家屋を破壊し、焼き払っただろうか。

魔術師殺しは手に入れた、これさえあれば紅魔族の魔法など怖くない。

始めは抵抗していたが魔法が全く効かないと分かるや、奴らは尻尾を巻いて逃げた。あれだけ舐め腐った真似をしたくせに、危なくなった途端に戦いもせずに姿を消したのだ。

このままでは今まで散っていた部下達が報われない。せめてこの里を跡形もなく破壊し尽くさなければ、シルビアの腹の虫は収まらなかった。

 

「魔王軍幹部シルビア!!」

 

その蛮行を咎める声が夜空に響く。シルビアが振り返ると、大勢の紅魔族が崖の上に並んでいた。

 

「よくも俺達の里を……この代償は貴様の命で払ってもらうぞ!!」

 

ぶっころりーがシルビアに向かって真っ直ぐ指を差す。逃げ出したと思った紅魔族達がまさか戻ってくるとは思わず、シルビアは満面の笑みを浮かべた。

 

「あらあら、逃げたと思ったのにわざわざ戻ってくるなんて。あとでじっくりと追い詰めて一人ずつ始末するつもりだったけど、おかげで探す手間が省けたわ」

 

「そう言っていられるのも今の内だ! はあああぁぁぁ!!」

 

ぶっころりーは体の前で両手を向かい合わせると、魔力を集中させる。手の間に収束された魔力が光球となって現れ、輝きを増してゆく。

極限まで練り上げた魔力の塊を右手で握り締めると、ぶっころりー地を蹴って猛烈な勢いでシルビアに突撃する。

 

「くらえ! 紅魔流魔法究極奥義!!」

 

自分に向かってくるぶっころりーを、シルビアは余裕の笑みを浮かべながら見ていた。

何をしてくるかは分からないが、結局は魔法を使った攻撃。そんな物はこの魔術師殺しで何もせずとも無効化できる。

手始めにアイツから血祭りにあげてやろう。その後は一人ずつ嬲り殺しにしてやる。

シルビアがどんな方法で紅魔族を殺してやろうかと考えている内に、ぶっころりはー彼女の目の前まで迫っていた。そして拳を勢いよく振りかぶり――

 

「テレポート!」

 

拳が当たる直前にテレポートで姿を消した。

 

「……は?」

 

渾身の一撃が無駄に終わり、あの男は呆然とした表情を浮かべるだろうと予想していたシルビアは、いきなり姿を消したぶっころりーに逆に自分が呆然の表情を浮かべた。

先程までぶっころりーが立っていた崖を見れば、澄まし顔で当の本人が自分を見ている。

 

「バカめ! こっちが本命だ!!」

 

「なにっ!?」

 

呆けたのもつかの間、シルビアの頭上から木刀を構えた男が猛烈な勢いで迫ってくる。

 

「覚悟おおおぉぉぉ!!」

 

木刀に魔力を纏わせ、上段で振りかぶる。そしてシルビアの顔目掛けて――

 

「テレポート!」

 

「……へ?」

 

またしてもテレポートで男は姿を消した。まさかと思い崖を見れば、木刀を持った先程の男が鼻をほじりながらこちらを見ていた。

 

「隙ありいいぃぃ!!」

 

今度はシルビアの背後から女が蹴りを繰り出す姿勢で迫る。女の次の行動がなんとなく読めたシルビアは、わざと何もしなかった。

 

「テレポート!」

 

女が消えた瞬間、崖の方に視線を移す。予想通り背後から迫っていた女が欠伸をしながら退屈そうにしていた。

 

「てめぇら……ふざけてんのかああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

夜空にシルビアの激怒の咆哮が轟いた。

 

 

◆◆◆

 

 

「みんな、頑張って……!」

 

「カッコいいー!」

 

「ああもう、いつになったらカズマは戻ってくるんですか!」

 

「気持ちは分かる。だが、焦るなめぐみん」

 

「……信じよう」

 

千翼達はその様子を遠くから伺い、めぐみんはこめっこの手を握りながら、その場にいないカズマに苛立ちを見せる。

作戦の第一段階は、紅魔族がシルビアの注意を引きつけ、その隙にカズマがレールガンを回収するというものであった。

少しでも長く相手の気を逸らすために、紅魔族達は攻撃するふりをしては直前でテレポートを唱えて離脱する。という戦法を繰り返す。

まんまと作戦に引っ掛かったシルビアは怒鳴り声を上げながら蛇の胴体をメチャクチャに振り回し、四方八方に炎を吐き散らす。

カズマがレールガンの回収に向かってからどれだけの時間が経ったのだろうか。五人の後ろで光が集まり、光が消えたかと思うとそこには二人の男が立っていた。

 

「みんな、お待たせ!」

 

「まさかその物干し竿が切り札になるとはね。それじゃ、私も行ってくる!」

 

一人は長い筒、シルビア撃破の鍵となるレールガンを肩に担いだカズマ。もう一人はカズマと共にテレポートで店に向かったちぇけらであった。

「後は頼んだよ」と言ってちぇけらは片手を上げ、再びテレポートを唱えて姿を消した。

 

「カズマ、遅いですよ!」

 

「わりぃわりぃ、瓦礫の下敷きになってて取り出すのに手間取って」

 

言いながらカズマはレールガンの二脚を立てて地面に置き、ボルトを往復させる。ゲームで散々見てきた動作なので、その動きに淀みは無かった。

これで発射準備は完了。あとは狙いを定めて引き金を引くだけで弾が発射される。はずであった。

 

「……」

 

「カズマ、どうかしましたか?」

 

「……このレールガン、弾薬ってどうなってんだ?」

 

確かこういうときは――カズマはゲームでの動作を思い出しながら、ボルトをゆっくりと引いた。普通の銃であれば存在するはずの排莢口が無かった。これでは弾薬が装填されているか確認のしようがない。

それどころか、このレールガンには銃に必ずあるはずの給弾口がどこにも見当たらない。これでは弾切れを起こした際にどうやって弾薬を再装填するのだろうか。

給弾口と思しき物としてストックの後端にラッパのような口が付いているが、どうみてもあそこから弾薬は装填出来そうにもない。

 

「ちょ、ちょっとカズマ! ここにきてやっぱり撃てないなんて言わないでくださいよ!?」

 

「わ、わかってるよ! これは転生者が造った物だ。本物と違って操作は簡単なはず……」

 

あちこちを弄ったりするが、そんな事をしても弾を装填出来そうな部分は見つからない。焦り始めたカズマは思わず手の平で銃身を叩いた。

 

「いたっ!」

 

軽く叩いたつもりだが、思わぬ痛みを感じて手を引っ込める。

見てみると手の平が火傷しており、あちこちに小さな火ぶくれが出来ている。

 

「って、カズマ。手を火傷してるじゃない」

 

「ああ、レールガンの上に乗っていた瓦礫をどかした時だな……。必死だったから全然気が付かなかった」

 

「ほら、手を出して。治療してあげる」

 

カズマは大人しく両手を差し出すと、アクアは彼の手に触れて回復呪文であるヒールを唱える。これで火傷した手はあっという間に元通りになるはずであった。

 

「あ、あれ。魔法が……」

 

が、アクアがヒールを唱えると、カズマの手に作用するはずであった魔法が、光の粒となって何故かレールガンの方へ向かう。そのままストック後方のラッパのような口へと吸い込まれていった。

 

「アクア、なんかしたか?」

 

「何もしてないわよ。何時も通り普通にヒールを使っただけなのに……」

 

「ねーねー、なんか出てるよ?」

 

こめっこがレールガンの側面を指差している。カズマ達がその部分を見ると、そこには小さな画面が付いており『1%』と表示されていた。

 

「なにかしら、この数字?」

 

「……そっか、これは名前ばっかりのレールガンで、実際は魔力弾を撃ち出す魔法銃だったな!」

 

ここでカズマは夕方に見た石碑の内容を思い出した。これを造った転生者はレールガンと名付けたが、実際は凝縮した魔法弾を撃ち出す代物である。ともなれば、この銃の弾薬は言うまでもなかろう。

 

「アクア、出来る限り魔力を消費する魔法を連発してくれ! それがこのレールガンのエネルギーだ!」

 

「わかったわ! すぅー……セイクリッド・ハイネスエクソシズム! セイクリッド・ハイネスエクソシズム! セイクリッド・ハイネスエクソシズム! セイクリッド・ハイネスエクソシズム! セイクリッド・ハイネスエクソシズム!」

 

アクアはレールガンの後ろに回り、給弾口ならぬ給魔口の前に立つと両手を構えて浄化魔法を連続で唱える。

彼女の両手から光の帯が伸びて、それが給魔口へと吸い込まれていった。

 

「……ダメだ、魔力が全然足りない!」

 

魔力の充填率を表示する画面を見ていたカズマだったが、アクアがあれだけ魔法を連発してやっと3%になった。これでは充填が完了するまでどれだけ時間がかかるか分からない。

だが、幸いにも魔法のエキスパートが、それも二人も直ぐそばに居た。カズマはそちらの方を向いて叫ぶ。

 

「めぐみん、ゆんゆん。すまないが二人も魔法を唱えてくれ! アクア一人じゃ間に合わない!」

 

「了解です!」

 

「わ、わかりました!」

 

二人はアクアの両隣に立つと、それぞれ自分の杖を構え魔法の詠唱を始める。真紅の目が輝き、杖の先端に魔力が集まりだした。

 

「エクスプロージョン!」

 

「ライト・オブ・セイバー!」

 

詠唱が完了し、二人が揃って魔法を唱えると、アクアよりも遙かに太い帯が杖の先から伸びて吸い込まれていく。

レールガンの充填率はみるみるうちに上昇していき、あっという間に100%になった。魔力の充填が完了すると表示が『FULL』の文字に変わり、レールガンの銃身のラインに光が走る。

 

「チャージ完了! 千翼、ダクネス。頼んだぞ!」

 

二人は頷くと、紅魔族相手に暴れているシルビアの元へと駆けていった。

 

 

◆◆◆

 

 

「クリムゾンスラッシュ! に、見せかけてテレポート!」

 

「紅魔流超奥義、天魔虚空波! と、思わせてテレポート!」

 

「喰らえ! 光と闇を混じり合わせた我が最強魔法! じゃなくてやっぱりテレポート!」

 

紅魔族は先程から攻撃すると見せかけてはテレポートで離脱を繰り返していた。それに対してシルビアは鬼のような形相になりながら殴りかかり、火を吹き、尻尾で薙ぎ払う。

向こうが攻撃するつもりがないなら無視しても構わないのに、何故かシルビアは一々相手をしていた。

 

「ハリセンアタック!」

 

「あいたぁ!?」

 

シルビアの頭上から落下してきた男が、体重と落下速度を乗せたハリセンの一撃を彼女の頭に叩き込むと、何とも心地よい紙の破裂音が響く。

攻撃の直前でテレポートを繰り返す紅魔族だが、隙を見せるとダメージにはならない物の、実に鬱陶しい事をしてくる輩がたまに混じっているのだ。

青筋を浮かべながらシルビアが男に殴りかかる。

 

「そしてテレポート!」

 

が、振るわれた拳は虚しく空を切るだけだった。シルビアの額に更に青筋が増えた。

 

「どいつもこいつも……逃げたと思えばわざわざ私をおちょくりに戻ってくるとは……一人残らずぶっ殺してやる!!」

 

血走った目で崖の上に並ぶ紅魔族を睨み付けるシルビア。その時、紅魔族の背後から何者かが崖を蹴って自分に迫ってくる。

またしても攻撃に見せかけたテレポートだろうと舌打ちするが、迫り来るそれには紅魔族と違い、明確な殺意を放っていた。それに気が付いたシルビアは咄嗟に尻尾を盾にして攻撃を防ぎ、金属同士がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

突然の襲撃者をそのまま尻尾で払うと、襲撃者は空中で体勢を整え地面に着地した。そこには青い鎧を纏った異形の戦士と、白銀の鎧を纏った聖騎士の二人がシルビアを睨んでいた。

 

「そこまでだ!」

 

「今度は俺達が相手だ」

 

「その声……坊やと一緒に居た子ね。よかった、やっとまともな相手が来た。逃げてばっかりで戦うつもりの無い紅魔族の相手はもう、うんざりよ」

 

ようやっと自分と真っ向から勝負する者が現れ、シルビアは実に嬉しそうな笑みを浮かべる。紅魔族は後回し、先にこいつらから片付けよう。

舌舐めずりすると、シルビアは二人に襲いかかった。

 

 

◆◆◆

 

 

作戦の第二段階は、千翼とダクネスによるシルビアの誘導。

千翼が攻撃を担当し、防御をダクネスが担う。そして戦いながら少しずつカズマがいる方へと誘導し、射程に入った所で作戦の最終段階――射程に入ったシルビアを、カズマがレールガンで狙撃する。

銀色の尾がネオに襲いかかるが、(すんで)のところでダクネスが割って入りその一撃を受け止める。

 

「私の鉄壁の防御、甘く見るな!」

 

「やるじゃない! 戦いってのはやっぱりこうでなくちゃ!」

 

自分の一撃を正面から受け止めた少女に賛辞を送るシルビア。ダクネスが相手をしている内に、ネオがシルビアに斬りかかる。これを上半身を捻って躱すと、お返しと言わんばかりにシルビアが殴りかかった。

カウンターの一撃を右手の刀身で受け止め、ネオはその勢いを利用して大きく後ろに飛び退く。ダクネスも尻尾を振り払うとそれに合わせて後退した。

シルビアはこれまでで余程鬱憤が溜まっていたらしく、攻撃することばかりに集中して自分が誘導されているなど露程も考えていないようであった。

二人はシルビアと戦いながら感付かれないよう、カズマが待ち構えている方向へと少しずつ移動する。自分が優勢と勘違いしたシルビアは、更に激しく二人を攻め立てる。

 

「あと少し……あと少しだ……!」

 

地面に寝そべってレールガンを構え、千里眼でその様子を見ているカズマは、焦る自分の心に言い聞かせるように呟きを繰り返す。

銃身の上で倒れていたパーツを起こすと、丸い魔法陣のような光の輪が幾重も現れる。中心を覗き込むと、その部分だけ拡大されてこちらに向かってくる千翼とダクネス、そして二人を追いかけるシルビアの姿がはっきりと見えた。

ついにシルビアが射程圏内に入り、作戦の最終段階へと移行する。

 

「まだだ……焦るな……」

 

魔法陣のスコープにはロックオンカーソルが表示され、シルビアに狙いを定めている。どうやらまだロックオンが出来ていないらしく、一定のリズムで電子音を刻んでいた。

 

「もう少し……」

 

段々と電子音の音階が上がり、リズムも早くなる。そして、カーソルがシルビアに固定され、電子音が止むと『LOCK ON』の文字が表示される。

 

「狙撃!!」

 

威勢の良いかけ声と共に、カズマはレールガンのトリガーを引いた。銃口から魔力の塊が発射されると同時に、レールガンの先端が爆ぜた。銃が爆発の勢いでひっくり返ると、当然ながらそれを構えていたカズマも吹き飛ばされる。

 

「!?」

 

爆発音と閃光に気が付いてシルビアが思わず視線を動かすと、自分が追っている二人の間から光の弾が猛烈な勢いで飛んでくる。瞬きするよりも早くそれはシルビアの眼前に迫った。

レールガンから発射された魔力の弾丸は褐色の――褐色の頬を掠め、奇妙な軌跡を描きながら空へと上り、夜空に大輪の華を咲かせて消えた。

 

「ゲホッゲホッ! な、なんだ今の!?」

 

爆発の際に生じた煙を吸ってしまったカズマは、咳き込みながら何が起きたかを確認しようとする。レールガンは確かに発射された、狙いもキチンと合わせた、自分の狙撃スキルを使って放った一撃だ。間違いなくシルビアに命中しているはず。

だが、カズマの期待を打ち砕くようにめぐみんの悲痛な叫び声が耳に届く。

 

「カズマ、レールガンが!」

 

彼女が指差す方を見れば、レールガンの銃口が花のように四方八方に裂けている。どう見ても次を撃つことは出来ない。唯一の対抗策が完全に壊れてしまい、カズマの顔が絶望に染まった。

 

「う、嘘だろ!? こんな時に!」

 

猛烈な風切り音が迫ってくる。音のする方を見れば、残虐な笑みを浮かべたシルビアが真っ直ぐこちらに向かっていた。

 

「カズマ!! よけ――」

 

千翼の叫び声を認識する前に、カズマの体が空高く舞い上がった。彼が最後に見た光景は、シルビアに吹き飛ばされる仲間達の姿だった。

 

 

◆◆◆

 

 

「っぁ……ぅ……」

 

カズマは地面に倒れていた。周りは炎で囲まれており、息をする度に火傷しそうなほど熱い空気が肺を焼く。

両肘を付いて何とか上半身を起こすと、顔から滴り落ちた赤い液体が地面に小さな染みを作り、直ぐに乾いた土に吸い込まれる。

立ち上がるためにまず腕を立て、次に足に力を込めようとするが、全く動かなかった。不思議に思って緩慢な動きで、何故か感覚の無い自分の足を見ると、血塗れの左足があり得ない方向に曲がっていた。

 

「坊や、潔く負けを認めたら?」

 

芋虫のように這いつくばることしか出来ないカズマに、上から勝ち誇ったような余裕に満ちた声がかけられる。

朦朧とする意識を何とか繋ぎ止めながら、カズマが声が聞こえた方にゆっくりと顔を向けると、シルビアが自分を見下ろしていた。

 

「さっきの一撃は流石に肝が冷えたわ。ねぇ、坊や。魔王軍に来ない? 私あなたのことがとっても気に入ったの。私の下にくれば悪いようにはしないわよ?」

 

「冗談じゃ……ねぇ……世界の半分をくれると言っても……お断りだね……」

 

頭から流れる血で顔を塗らしながらも不敵な笑みを浮かべ、震える右手で自分を見下ろす魔王軍幹部に向かって中指を立てる。

シルビアはすぅっと目を細め。猫撫で声ではなく感情の籠もっていない冷たい声色で口を開いた。

 

「あら残念。坊やのこと本気で気に入ってたんだけど、そこまで言われたら仕方ないわね」

 

シルビアは下半身を持ち上げると、鋭い先端部分をカズマに向ける。

 

「バイバイ」

 

尻尾の切っ先が身動きの取れない少年に向かって襲いかかった。

 

 

 

月を背景に、シルビアの後ろから異形の戦士が飛び掛かる。気配に気が付いたシルビアが振り返った。

右手を振りかぶると、手の甲から伸びた刃――幾本もの青黒い触手を束ねた刃が擦れ違いざまに褐色の首を撫でる。

異形の戦士が着地すると同時に、シルビアの体から斬り落とされた物が燃え盛る炎の中に落ちて、見えなくなった。

 

「千翼……」

 

一部始終を見ていたカズマはそれだけ呟くと、とうとう意識を手放して地面に倒れた。

ネオ――千翼は着地すると同時に気力を使い果たし、そのまま地面に倒れる。体から強烈な冷気を放ちながら、異形の姿が少年の姿に戻った。

炎が照らす夜空の下で二人の少年と、首の無い死体が倒れていた。

 

 

◆◆◆

 

 

目を刺激する光に顔を顰め、ゆっくりと瞼を開ける。初めに目に入ってきたのは、雲がまばらに浮かぶ青空。

 

「カズマさん!」

 

「目を覚ましたか。カズマ」

 

「カズマ、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫よ、めぐみん。この私がそりゃもう念入りにヒールをかけたんだから」

 

そして、心配そうに自分を取り囲む少女達。

目を覚ましたカズマは、しばし目の前の景色をぼうっと眺めてから、気を失う前の出来事を思い出して慌てて起き上がる。

 

「千翼は!?」

 

「大丈夫、あっちで寝てますよ」

 

めぐみんが自分の後ろを指すと、そこには木の根元でリュックを枕代わりにしている千翼の姿があった。

胸が小さく上下しており、めぐみんが言ったとおり眠っているようであった。

 

「良かった……って、そういやシルビアは?」

 

「チヒロが倒しましたよ。覚えてないんですか?」

 

「……そっか……あの時はもう無我夢中で……正直言うとよく覚えてないんだ」

 

「無理もない。アクアが回復魔法をかけるのがあと少し遅れていたら、間違いなく死んでいたぞ」

 

「そういうこと。この私に感謝してよね!」

 

偉そうに胸を張るアクアに、カズマは呆れたような笑みを作った。彼女のおかげで命拾いしたのは間違いない、アクセルに帰ったら酒の一杯でも奢ってやろう。

そんなことを考えていると、カズマ達の元に一人の男が近付いてきた。

 

「おお、目が覚めましたか! いやー、皆さん。今回は本当にありがとうございました! あなた達の活躍がなかったら今頃どうなっていたか」

 

やってきたのは、紅魔族の族長であるひろぽんだった。カズマが無事であることを確かめると、シルビアを倒して里を救ってくれたことに対する礼を述べる。

 

「いや、ちょっと待ってくれ。それよりも……」

 

礼を述べる族長に待ったをかけ、カズマは戸惑いながら族長の後ろを指差す。

そこでは石で出来た巨人(ゴーレム)達が瓦礫を片付けたり、資材を運んだり、運ばれた資材を手に建築をしていたりと忙しなく働いていた。

 

「ゴーレムがなにか?」

 

「なにか。じゃなくて、里があれだけメチャクチャになったし、里を捨てるとか……」

 

「それなら心配には及びません。ゴーレム達が24時間体制で働いてくれるので、里は三日もあれば完全に元通りになりますよ」

 

「み、三日……?」

 

「それと里を捨てるというのは、族長として一度ああいう台詞を言ってみたかったんですよ。前々からあの手の台詞をずっと考えていたのですが、いざそういう場面になると変なスイッチが入っちゃって、なんかもう色々とアドリブで言っちゃいましたね!」

 

そう言ってひろぽんはあの時のことを思い出しているのか、目を閉じると腕を組みながら実に感慨深そうに何度も頷く。

自分はあの時決死の思いで土下座をして罵倒されることも覚悟していた。そんな自分に優しく語りかけ、それどころか作戦の協力を仰いでくれた。

これが人の上に立つ者、族長としての器の大きさを見せてくれた、あの時のひろぽんに対してカズマは尊敬の念すら抱いていた。

が、騒ぎが収まってあの時の真相を聞いてみれば、どれだけ立派なことを言ってもやはり紅魔族。心の中の中学二年生が疼いた結果、口から出た適当な出任せであった。

 

「なぁ、ゆんゆん。お前の親父さんを五、六発思いっきりぶん殴ってもいいか?」

 

「どうぞ遠慮無く。気が済むまで殴って下さい。というか、私も殴らせて下さい」

 

「ふ、二人とも!?」

 

凄まじい怒気を放ち、拳を鳴らしながら近付いてくるカズマとゆんゆんに、ひろぽんは思わず後退る。このままでは大変な目にあう。そう確信したひろぽんは二人に背中を向けると全速力で走り出した。

 

「待てやコラ!」

 

「お父さん! 今日という今日は許さない!」

 

一瞬遅れてカズマとゆんゆんがその後を追う。里の復興まっただ中で、突如として鬼ごっこが始まった。

 

「はぁ、とんだ里帰りになりましたね」

 

呆れの溜息を吐いためぐみんは、ひろぽんを追い回す二人を見ながら独り言ちるのであった。

 




というわけで、これにて紅魔の里編は完結となります。
当初は一話で終わるだろうと思っていましたが、容量が膨れに膨れ上がって、結果的に三分割しなければならないほどの文量となりました。
次回は王都編を予定しております。


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