ぼくらの血盟二次創作がないので、捏造して書いてみた ~彼と彼女の血盟~ (雨 唐衣)
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彼と彼女の血盟
走る。
走っていた。
夕暮れの都心部、人目を避けるように、人間の衣服を着た獣が走っていた。
人間の身体能力ではない。
――人間は壁を蹴り飛ばして飛び上がることはできない。
人間の動きではない。
――人は車に匹敵する速度で路地を駆け抜けて、雑踏を飛び越えていくことは出来ない。
人間ではない。
――人は飛び越えた雑踏の、若い女を見て涎を垂らすようなことをしない。
走る。
喉の渇きをそこらの家畜で潤したい衝動を堪えて、走る。
駆け抜けて、汗を流しながら、あたかも人間の男のように見える獣は逃げていた。
「ここまでくれば!」
三駅分は走っただろうか。
後ろを振り返り、物陰に隠れながら、腰に備え付けたカバー付きの携帯ペットボトルの口を捩じ切って、中身を飲み干す。
ドロリと真っ赤な液体を、喘ぐ体に流し込む。
ふぅ、ふぅっと鉄錆びた吐息を吐き出して、血走っていた目が周囲を見渡す。
誰もいない。
「ビビらせやがって! 人間如きが、くそが!」
赤い痰を吐き出し、汚れた口元を袖で拭う。
(あそこの縄張りはいい女学生が多かったってのにしばらく戻れねえな)
財布を取り出し、残った小銭入れの枚数を数える。
さてどうやって戻るか。
「その金額だとタクシーは呼べないわね、貧乏ったら憐れだわ」
声がした。
獣が振り返り、見た先には先ほど迄いなかったはずの少女がいた。
ふわりと空気を孕んだフリルを付けた真っ赤な洋装、掃き溜めには似つかわしくない澄んだ黒髪、首に嵌められた銀色のチョーカー、半月のように歪んだ口元、愛らしい少女の顔つきを恐ろしくするほどのギザついた歯。
「てめ、同族か!?」
臭いから理解する。
目の前の少女が、人型の獣と同族だと。
「一緒にしないで、ケダモノが」
笑みを消し去り、澄ませた顔つきで少女が告げる。
「無恥の塵、愚かしい愚者、人喰いの化け物、人殺しに同族などと呼ばれたくはないわ」
憐れみと侮蔑を混じらせた声が嘲笑う。
「――私はニンゲンなの」
「
叫び、襲い掛かる。
目の前の恥知らずな、少女を肉塊と変えんと拳を振り上げて。
人外の速度で飛び掛かり、彼は忘れていた。
それまで何に追われていたのかと。
「灰は灰に」
銀鋼が閃いた。
「塵は塵に」
獣の首が、伸びた手と共に寸断される。
振り抜かれたのは刃。
「土は土に」
真っ黒な外套に、真っ白な長身痩躯の男。
それが上段に振り抜いた鋸鉈に、彼の首は切り裂かれていた。
「なっ」
回転する。
獣の目は空を見ていた。
(どこから)
路地裏のどこから現れたのか察した。
(ビルの上から)
高さ十数メートル、人間では決して飛び降りることが出来ない高さを。
(だと)
回転する。
地面を見た。
ひび割れた男の足元を。
(飛び降り)
振り下ろされた軍靴の下で、獣の意識は砕け散った。
「鎖の下へ」
永久に。
「吸血鬼と人間は共存し得ない」
「吸血鬼は人ではなく鬼であり、獣だからだ」
「奴らは血に依存する」
「半日も血を飲まなければ狂暴化し、四日も経てば吸血獣と呼ばれる本来の姿に戻る」
「奴らの本性は獣であり、血によって人の形を保っているだけに過ぎない」
「いいか」
「奴らは獣である」
「人の言葉を話し、人の格好をし、人の振る舞いをしていても、言葉を使う獣だ」
「獣は狩らねばならない」
「恐怖を以って、痛みを以って、柵から出ることなきように躾ける」
「我らは羊飼いである、獣に羊の皮を脱がせないための羊飼い」
「そして、これは犬だ」
「羊飼いが使う犬だ」
「お前が調教し、逃すことなく使え」
そう言われ、与えられた犬は――怯えた目をした少女にしか見えなかった。
肉を喰らい、草を食み、運動をする。
熱気が生じるほどに過酷な鍛練を、表情一つ歪めずに繰り返す。
白髪の痩せた男が淡々と動いているのを、黒髪の少女は楽しそうに見ていた。
「かみら、いつも見ているが愉しいか?」
「楽しいわ♪」
何が楽しいのだろうか。
お子様向けの小さな椅子に座って、足をブラブラさせているかみら……カーミラは、白髪の男――ハクを見て笑顔を浮かべていた。
「そうやって生きて動いて、私のための美味しい血が造られていると思うとゾクゾクしない?」
「気持ち悪い」
気味が悪かった。
「なんでよー!! 今のぐっとくるプロポーズじゃない!? ムラってしない?!」
「貧血気味だし、貧乳だし、なにより俺はロリコンではない。QED、証明完了だ」
「すぐにボボボーンってボディになるわよー!」
「お前の成長は既に止まっているのだろう」
「そんなの遅れてるだけだもん!!」
うっきーと猿のように喚いて、手足を振るうカーミラの振る舞いに。思わずため息が出る。
少しだけ口元が綻んだ。
「下がっていろ、あれは人を喰う」
肩口を食いちぎられ、血を流す男性を庇うように彼は立つ。
目の前の骨を鳴らし、不気味な躍動を行いながら変形していく幼い子供――それに憑り付いた吸血獣から庇うように。
「娘が! 娘が化け物になってしまったんだ! 助けてくれ! あの子は、人間なんだ!!」
「努力はする」
「そんな!?」
「はいはい下がっていて、おじさん。貴方がそこにいたら助けたくても助けられないから」
後ろから近付いたカーミラがスカートの裾に隠れたポーチから取り出した止血テープで男性の止血を施していく。
「あの子は悪くないんだ! ただ三日前からおかしくなって、いつもは大人しい子だったのに。何か悪い病気なんだ、悪くないんだ!」
「あの子は吸血獣に憑り付かれてるの。人間に寄生して、自分の肉体を得ようとしてる獣に」
「な、そんな! そんなことが!?」
今だに騒いで今にも娘に駆け寄ろうとする男性の額に、カーミラが手を当てると、ふっと意識を失う。
ここからは衝撃的で、悪い夢になってしまうから。
「ハク、助けられそう?」
「俺だけでは殺すだけになる」
手に持つのは仕掛け武器の鋸鉈。
吸血鬼を引き裂き、失血させ、吸血獣に有効な結晶を仕込んだ武器ではあるが、憑依した吸血獣を解体するには暴れ過ぎる。
これは苦しめて、嬲り、惨たらしく殺すための武器。
決して救うために振るわれるものではない。
だから。
「かみら、頼む」
「いいわ、私を使って」
少女が首元に手を伸ばす。
銀色のチョーカー、猟犬としての証、
「我が血潮よ、澄んだ緋の閃きを見せよ」
真紅の血が舞う。白髪の青白いハクの手に収められて。
「鎖を護る刃となれ」
そこにあったのは紅の剣。十字の両手剣。
「一撃で殺す」
殺して救う。
狩人はそれしか出来ないのだから。
「全人類のうちの0.2%が吸血鬼だ」
「す、少なくない?」
「違う。
0.2%。
1000人中二人、500人中一人、数字だけだと勘違いしそうだが。
「康太、世界人口今何人いるか知っているか?」
少年の名前を呼んで、伊達メガネをつけたハクが薄く微笑む。
「七十億だ」
「え」
「そのうちの0.2%は1400万。東京都一帯の人口数に匹敵するし、小さな小国と同じぐらいの人数だ。オランダが確か1700万ぐらいだったかな?」
「せん、ななひゃくまん……いてっ!」
理解が追い付いてない顔をする康太に、バチンとカーミラがデコピンをした。
「とにかく、沢山いるってことよ。寂しくなんてないんだからそんな顔してなくていーの」
叩かなくていーじゃねえーかと涙目でぼやく少年に、カラカラと鈴が鳴るような声で彼女は笑った。
降り注ぐ雨の中だった。
両手足を杭に貫かれ、鎖で縛られて、磔のまま雨水を必死飲み干しながら少女が喘いでいた。
血を流して、縄で縛られた少年から目を必死で目を逸らしながら。
「さぁ、見なさい! これが本性だ、これが真実だ!
人気のない廃墟の中で、クスクスと血の染みだらけのワイシャツを羽織った男が嗤う。
手を叩き、足で床を鳴らしながら、愉しげに笑う。
「そろそろ四日目です、もうすぐ獣になる。王の一族だろうが飢えには逆らえない、そうでしょう?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
手足が震える、獣の角が生え出し、牙が伸びる。
綺麗な真紅の瞳が、異形の瞳へと半ば変わりつつある。
それでも。
彼女が、吸血鬼の少女が本気で暴れれば鎖など簡単に引き千切れた。王の一族の血を継ぐ彼女ならばなおさらに。
だがそれをしない。
それをすれば――
「いいじゃないですか、血を吸いたいのでしょう?」
男が、否、血吸いを良しとする捕食者が囁くように言う。
足が折れて、動けない人間の少年を壊さない程度に強く踏みつけて、呻く彼を嘲笑う。
「飲んでしまいなさい。ちんけな動物や死人の血とは違います。生きた人の血はとても甘いですよ?」
「しな、いもん!」
「何故です? 見なさい、貴方の有様を。怖がっていますよ、化け物だと人間は畏れ震える」
痛みに呻く少年の意志を無視して、その首根っこを掴み上げる。
その喘ぐ呼吸になまめかしく動く少年の喉を見て、カーミラの目が僅かに揺れた。
「美味しそうでしょう?」
丁寧な口調に、どこまでも邪悪に歪んだ唇から澄んだ声が囁く。
「獣に落ちたくないでしょう。ならば」
「わだ、じ、は、血をのヴぁない! だめだって、友達だからぁ!」
涙を流しながら必死に首を背ける子供に、男が不愉快そうに顔を歪めた。
「ともだち!? ともだちですと?! ふざけるな!!」
足を振り上げ。
「ぎゃぅ!!」
鎖で縛られた少女の腹が蹴り抜かれる。
後ろのコンクリートの壁が轟音と共にひび割れる。
「見なさい! 今の一撃で死なない、私たち吸血鬼は生命力も力も何もかも人間以上だ! それを何故我慢する、抑制する! お前のような牙を抜かれたペットに成り下がる必要がある! 答えろ!」
もう一度蹴りが突き刺さる。
悲鳴を上げて少女が叫ぶ。
「ああ腹立たしい! 王の血を継ぐ者が飼い犬になりさがる! まるで家畜だ、愛玩動物に成り下がって、王はどんな教育をしたのだ! 恥知らずが! さっさと「やめろ!」 ん?」
「やめろぉ! カーミラを虐めるな!」
叫んで抵抗する少年に、吸血鬼の男は不愉快そうに蹴りつけた。
「がっ!」
「麗しい友情、ですか? 笑えますね、身の程も知らない血袋が!」
「ども、ダヂなんだ……!」
「友達? 愚かな、吸血鬼が人間と友達になれるわけがない!」
愚かだと男は笑う。
子供ならではの夢夢想だと見下し、獣が嗤う。
「心があるなら! 人間も吸血鬼も違わないだろう!!」
ピタリとその瞬間、カーミラの震えが止まった。
獣に歪んだ目が、涙を浮かべて少年を見ていた。
「こう、た……ぁ!」
泣いていた。
「人間如きが我らが血族を同じにするな!」
さほど長くない男の堪忍袋の緒は千切れ果て、掲げた手に結晶化した血の短剣を出現させる。
どちらにしろ、肉塊にして食わせれば同じだと考え直す。否、正当化した。
「やヴぇでぇ! 逃げで、ごぅだぁ!」
「さあ目に焼き付けなさい、貴方の愚かしい行為が彼を殺すのだ!」
高らかに笑い、怯えるだろう康太を見下ろして。
目が合う。
康太は怯えることなく、その目を見ていた。
真っすぐに。
怒りを湛えて、お前なんかには負けないというように。
「ッ、ならばくだらない夢を見たまま死ぬがいい」
「だずけで、はくぅ!」
「死んだ人間に祈っても無駄ですよ!」
泣き叫び、助けを求める少女の声を背にしながら、獣は己が牙を振り下ろした。
「獣は夢を見ない」
手が空を切った。
「あ?」
何も起きない。
男は自分の手を見た。
手首から失われた自分の手を見た。
「人は夢を見る」
吹き飛んだ。
首の骨がへし折れるほどの衝撃を受けて、放物線を描いて捕食者が転がり跳ねる。
予想だにしない衝撃に、低くうめき声を漏らして。
「なっ」
そして、今なお迸る手首の血の先に立つ抜けるような白と黒。
白髪の狩人を見た。
「康太、かみら、お前たちはニンゲンだ」
黒いコートから、手に持つは銀の剣、それは畏れるべきもの。
「俺は、ヒトを護るもの。獣を狩るもの、血盟の抑止力なり」
牧場の護り手。猟犬の飼い主。そして、ヒトに仇名すものを滅ぼす抑止力。
「康太。少しだけ目を閉じていろ。すぐに終わらせて、家に帰してやる」
低く、涼しげに、安心させるように彼は告げて。
「かみら、少しだけ我慢してくれ。遅くなったが、すぐに迎えに行く」
薄く、嬉しそうに、安心させるように彼は笑った。
二人のヒトに言葉をかけた。
「きさ、ま。確かに殺したはずじゃあ……!」
(不死性の高い吸血鬼? 傷を防ぐ能力があるか、それとも分身で偽装したか……いや、まて)
降り注ぐ雨の中で、気付くのに遅れた。
足元から染み出る紅の血、その匂い、独特の忘れることのない獲物の香しき香りが。
――二種類ある。
片方は子供の血。もう片方は、あちこちに血を滲ませた包帯から漂う狩人の血。
すなわち。
「
叫ぶ。
吸血鬼の気配と香りしかしなかった。
だから当然のように同族だと思っていた、だがこの男は。目の前の狩人は。
「ああ、人間だ。だがお前たちを殺す者でもある」
雨に濡れたコートを脱ぎ捨てる。
わき腹を、肩を、手足のところどころに穴を開けられ、今まさに失血で気を失いかけながらも、白蝋めいた顔に熱帯びた眼光を宿す。
「怪物を斃すのはいつだって人間だ」
「ほざけ! 家畜が!!」
戦いが始まった。
何の変哲もない駄菓子屋。
そこの店主は年若い少女のような吸血鬼。
この時点で変哲さは失われてしまって。
その地下はもっと変哲さからかけ離れていた。
「こんな地下で、武器を作ってるの? アリス」
アリスと紹介された少女のような外見の吸血鬼。
抑止力と吸血獣を狩る双方に、吸血獣に有効な武器を制作して提供している絶対中立の職人。
彼女に連れられて、壊れた武器の修復と新調のために訪れた地下に広がっていたのは洞窟だった。
「材料の維持と確保のためには人目がつかず、それなりに大きな空間が必要なのよ」
「材料って?」
「ほら、あれよ」
アリスが指さした先には、めぇーめぇーと羊めいた鳴き声を上げる羊型の吸血獣。
「ふわぁ、可愛いー! あんなタイプもいるのね!」
「うかつに近づくな。頭から齧られるぞ」
「そんなヘマしないわよ! へぇ、野生の吸血獣なんてこんな所に住みついてるのね」
よく見れば洞窟のあちこちに、吸血獣がいる。
どうやら敵意も薄く大人しいのばかりのようだと、楽し気にカーミラは眺めていて。
「
「………………え?」
「前よりも少し増えているな。そんなに数が増えたのか?」
「ええ、そうよ。貴方たちは基本殺すけれど、掟破り。生きた人間の血を啜ったものを連れて来たり、最近はそうね。血を飲み忘れた、あるいは与えるのを億劫にして子供を変えしてしまったのが多いわね」
やれやれとアリスはため息を吐き出す。
そんな平坦な、日常会話のような声音に、カーミラは信じられないと言いたげな顔に歪めた。
「なんで!? 吸血鬼が、こんな、こんなところで獣になってるなんて、嘘でしょ!? どうして」
「ここは牢獄であり、贖罪の場なのよ」
壁にかけていた武器掛けの一つから、アリスは赤く染まった剣を手に掲げた。
「吸血獣を狩る武器は、吸血獣の結晶から作られている。すなわち吸血鬼を狩るのに吸血鬼の力を使う必要がある。王の血統である貴女なら知ってるでしょ?」
「血を使った武器は、魔性と人間にとって致命となる刃となる」
「そう。狩人が使う獣狩りの武器も、吸血獣の結晶を仕込み、血を吸わせてその性能を引き上げている。吸血鬼の天敵は吸血鬼、吸血鬼を殺すのに最も優れたのが混血のヴァンピール、或いはクルースニクであるように」
彼女は、少女を見た。
アリスは、カーミラを見つめる。
王の血を引く猟犬、首輪を付けられたいと高き血族のものに、同族殺しの血に染め上げた下賤なる者が優しく微笑む。
「首輪の王女よ、私たち吸血鬼は同族を殺さねば生きてはいけないのです。それがヒトであるための血塗られた宿命なのだから」
暗い闇を引き裂いて、ガラス越しの太陽の光が差し込む。
光に当てられるのは吊るされた肉塊。
手を切られたもの、足を千切られたもの、首を刎ねられたもの、頭を毟り取られたもの。
恐怖と苦痛に歪んだ表情で絶命し、その下に掲げられたワイングラスに血を捧げていた。
「我らは牙を取り戻さなければならない」
透明なワイングラスに、流れ出す血を受け止めて啜るものたちが数十。
あるいは息を潜ませて、ステンドグラスに彩られた檀上に目を向けていた。
「我らは虐げられている」
静かに、しかしはっきりと響き渡る声を発するのは白く月光のような長髪の偉丈夫。
青く染め上げられたコートから見える口元を、つややかな毛並みのマフラーで覆い隠している。
「我々の数は今なお全人類の0.2%に過ぎない。儚い種族である」
それでも声は響く。
「なぜ我々が虐げられるのか、何故我々だけが迫害されるのか」
段々と声に熱がこもる。否、篭るのは熱気だった。
声を聴くものたちが沈黙し、血を啜る喉を鳴らす音だけが響き渡る。
心臓の鼓動のように。
「人間が悪い!」
声が弾んだ。
「数が多いというのに、奴らだけが傷つくことを嫌がる! 何十億と数がいるくせに、一人が死んだだけで泣きわめく! 脆弱な種族だ!」
そうだ、と声が囁かれた。
「コップ一杯の血をくれと叫び、くれた者がいるか? いない! 我らが日々耐えている渇きを、これがどれほど苦しいのか知らずに!」
そうだ、と声が響いた。
「血が欲しい! 血が欲しい! 私たちを獣から、苦しみから解放してくれる血をくれ! 私たちは動物ではない、温かい血をくれ。これがそれほどまでに傲慢な願いか」
違う、と声が上がった。
「私たちはただ生きたいだけなのだ」
そうだ、と声が湧いた。
「私たちは自由になるべきだ! 全ての人民は平等であるべきだ! すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等であるのだから!」
声が上がる。
喝采が上がる。
自由を求める声が上がる。
「我々に自由を!」
我々に自由を!
「我々に権利を!」
我々に権利を!
「当然の権利を! 生存するための権利を! 吸血鬼としての栄華を歩むための未来を!」
我々に未来を!
「我らの牙を取り戻せ! 奪われた牙を取り戻せ! 冷たく、卑しい鼠の血を啜る日に終わりを告げよ!」
手を叩き、檀上の男は――”反逆の王”は告げた。
「緋月の名において、全ての血族を奴隷より開放する! 紅牙の名を叫べ!」
喝采が上がった。
虐げられてきた吸血鬼たちの興奮の声が、夢想の中の憤然の声が上がった。
血に汚れた口元で叫び続けた。
人間の血を飲み放題の未来が来ると。
「紅牙と名乗る吸血鬼たちを知っているか」
暗い闇。
太陽の挿し込まない暗所にて。
「吸血鬼共が自由を叫んでいる」
椅子が並ぶ。
満月のように丸い円卓の中に、彼等は座っている。
「解放しろと」
座るのは老人。
人間の頭部ほどもある銀の槌を抱えた年老いた老人、その後ろにはあどけない孫娘ほどの少女。
「動物の血では我慢出来ない、人間の血を吸わせろと飲ませろと」
座るのは男。
無造作に沿った髭面に、傍に日本刀を、右手に丸太を立てかけた息の荒い男。
「まったく献血手帳もカードも作ったことがない連中だ」
座るのは黒いコートを羽織った美青年。
無造作に座り、手に持つ携帯ゲームでピコピコと遊んでいる。
「…………人喰いは殺すだけだ」
右手がない青年だった。
右の二の腕から包帯を巻いて、焦点の合わない目のままに、淡々と告げた。
「狩らねばなるまい」
ギィっと音が鳴った。
車いすに座り、骨と皮で出来上がったオブジェのような老骨が告げる。
「かねて血を畏れよ」
それは最強の狩人。
「人を畏れよ」
それは最も古く、もっと獣を殺したもの。
「恐怖を以って知らしめよ」
彼は、彼等は、羊飼い。
「我らは抑止力。血に狂う獣に、皮を被せるもの」
人と獣の境界を遮るもの、護り、繋ぐもの。
「獣を狩らねばならない」
恐怖を与えるもの。
自由を、歪んだ支配を望む自由を殺す血盟の護り手。
見上げるほどの巨躯だった。
怪獣と呼ぶしかない化け物だった。
王が狂う、獣へと成り下がり、喰らい尽くした。
人も、吸血鬼も関係なく貪り、山のように。
全身から取り込まれた吸血鬼たちの手が、空へと伸び揃う。牙のように。
絶望的な状況だった。
国が亡びるかもしれない。
人類は終わるかもしれない。
けれど、それでも、彼女は立っていた。
「私と貴方は血盟の鎖で繋がれた同士」
「貴方死ねば私は飢えて獣に落ちる」
「だから」
「死なないで、私を人にし続けて」
「貴方と私は共に死ぬ、それが無明の血盟よ」
「貴方のいない夜明けなんて無いのだから」
彼女は微笑んで、彼はその手を取った。
人であるために、獣から畏れられよう。
人であるために、私たちは戦い続けるのだと誓った。
「我らが血潮よ」
真紅の血が舞う。
「澄んだ命の閃きを見せよ」
夕焼けに空に、それよりも澄んだ輝きを以って。
「絆を護る刃となれ」
それは命の輝き。
一方的に奪い、奪われず。
一方的に与えず、与えられず。
共に、生きるために、その輪を護るために。
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