ハリーポッターと代行者 (岸辺吉影)
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プロローグ

二次創作・投稿ともに初めてです。設定等がばがばなところも多いと思いますがよろしくお願いします。


イギリス郊外の町はずれに小山がある。そのふもとには小さな教会がひっそりとたたずんでいた。毎日行われる教会でのミサが終わると老神父はふっとため息をついた。神に身をささげる以上平和を求めるのは当たりまえだが彼にはそれ以上に平穏と平和は尊い。そのために払った犠牲はとてつもなく大きかったからだ。そんな感傷を抱きながら彼は教会の出入り口に足を向けた。彼のいま守るべきもののところへ。

 

教会を出て裏の小山の方に向かう彼の視線の先に少年が一人鍛錬を行っている。山の木々に向かってあたかもそれが人であるかのように突きや蹴りを繰り出すさまは少年のものとは思えない。足を肩幅よりも少し広くとって腰を落とし、掌底打ちをしている彼の周りは、直径が20メートルほどの円に開けており、その地面は固くふみならされている。親子3代にわたる修練が木々の生い茂るスキさえ与えないほど苛烈であることの証だ。

最後に上段蹴りをして深呼吸で息を整える少年の姿を注視しながら、老神父は声をかける。

 

「調子はどうだい、士堂?」

 

その声に少年は軽い柔軟をしつつ微笑みを浮かべて答える。

 

「上々だ、爺さん。 基本の動きは前よりうまくなってきていると思うよ。」

 

老神父のほうに歩みながら彼は汗をぬぐう。その姿に笑みをこぼす老神父 安倍士柳はタオルを手渡しながら続けて聞く。

 

「あとは体力がどれだけ続くかが問題じゃが、まあこれは時の流れに任せるしかあるまいて。」

 

孫の元気な声に目を細めながら士柳は問を続ける。

 

「懸念事項の魔術の方はどうじゃろう? 先週は確か黒鍵の起動にはもう問題はなさそうだといっておったがの?」

「今日も黒鍵は起動できた。十本連続で起動できたし、いい感じだと思うよ。 実戦で起動しないってことはないんじゃないか。」

「では魔術回路が開けた、ということでいいかの?」

 

朗らかに語っていた士堂の顔が急に崩れる。苦虫をかみつぶしたかのような顔でつぶやいた。

 

「駄目だね。 黒鍵はいいんだけど魔術回路を意識してもイメージできないっていうか… 本当に魔術回路を持っているのかな僕は。」

士柳はためいきをつきながらも士堂の肩に手をかけて励ます。

「やはり…。 じゃがお前が黒鍵を起動できる以上魔力自体は間違いなくある。 なかったら起動自体が出来ぬはずじゃからな。だから魔術回路はあるはずなんじゃが…」

「爺さんにわからないんじゃどうしようもない。黒鍵の起動に問題はないから代行術も黒鍵主体にすればいいんじゃないかな。」

 

そういうと士堂は大きく伸びをしてふっと息をついた。

 

「腹減ったなあ。 昼飯は何だい、爺さん?」

「カレーじゃよ いま婆さんが用意を…」

 

言い終わるのを待たぬまま指導は教会横の住居に駆けていった。

 

士柳は一目散に駆けていく孫の姿をあきれながら、しかしほほえまし気に見つめつつも思案していた。孫が魔術の類を使用できないのは今に始まったことではない。

だが間違いなく魔力は持っているのだ。出なければ黒鍵を展開できるはずがないのだから。しかし士堂は魔術師(士柳は魔術使いと自称するが)なら必ず持つ魔術回路を持っていない。いや持っているのかもしれぬがそれを認知できていない。こんなことは魔術師にとってはイレギュラーだ。今まで魔術に触れてこなかった初代ならともかく安倍家はそれなりの長さを持ついわゆる名門。士柳も今は亡き息子の士厳も魔術回路を持っていた。

この謎はいまだに解決できない士柳の大きな悩みであったが、心当たりがないでもない。ただ確かめるすべを知らぬのだ。

頼りになる古い友人はただ時を待てばわかるとひげを揺らしながら笑っていたが…。 

その「時」が目前になってきたことを思い出しながら士柳は孫と妻の待つ家に足を向けた。

 

 

 

昼飯を食べたあと教会の用事を済ませると日もとっぷりと暮れている。家族3人でいつものように夕食も済ませると、士堂は一階のテーブルで柄のようなものを磨いていた。これは黒鍵の待機状態ともいえるものだ。黒鍵を展開できるのも毎日のように触れているからでは、というのが祖父母の意見である。柄を磨くことは彼の趣味であり心の癒しであった。石磨きを趣味にする人がいるほど、磨くという行為は人をいい意味で夢中にし、ストレスや悩みを考えるスキを与えない。

キッチンでは彼の祖母安倍道子が夕食の片づけと明日の朝飯の仕込みをしている一方で、士柳は本を読みながら暖炉横の長椅子に身を委ねている。この後いい時間になれば各々勝手に寝室に向かうのが安倍家の日常だ。それは何ら変わりない日々の一環であった。このあと訪れる出来事以外は。

 

 

士堂が柄を磨き終えてその見た目に一人満足していると聞きなれない鳥の声を聴いた。夜遅くに鳥の声がするのは普通ではないが珍しくはない。だがその鳥の声は今までこの時間と場所で聞いたことはなかった。ふと気になって視線を上げれば窓の外に白くまるっこい鳥がいるのを見つけた。それだけなら珍しいことだと切り捨てることもできるが鳥は手紙をもっていたのだ。

 

見間違いかと目を細めていると玄関の郵便受けで鳥がバサバサと羽ばたいている。スコンと音がした後に鳥は羽ばたいていった。士堂は見間違いか偶然かとおもったが、なぜか気になって郵便受けに足を向けていた。

見れば一通の手紙が広告と一緒に入っている。手に取ると宛名には「士堂 安倍」と書いているから自分宛かと思いながら差出人に目を向ける。そこには「ホグワーツ魔法学校」と書かれているではないか。聞いたことのない学校名に首をかしげながら、なぜか士堂は本当かどうか確かめたくなった。

 

「爺さん、ちょっといいか」

「うん?」

 

孫からの突然の呼びかけに支流は目も上げず声で応答した。この時までは。

 

「ホグワーツって知ってるかい?

「何!? ホグワーツじゃと?!」

 

ホグワーツという名前を聞いた途端士柳は手に持った本を床にすてながら瞬時に立ち上がる。その顔には驚嘆の色がありありとにじみ出ていた。

めったない大声に驚く士堂をよそに今度はキッチンから士柳の言葉を聞いた道子が駆け寄ってくる。今まで見たことのない二人の反応に士堂は頭が追い付かない。 いたずらではないのか?

 

「今ホグワーツといいましたか 士堂?」

 

驚きで声が出ない士堂はただ頷くのみであるが祖父母は気にもとめず、孫を無視して話しを進める。こんなことも士堂のすぐに思い出される記憶にはなかった。

 

「ホグワーツからなぜ士堂に? もしや士堂は魔術使いではなく・・・・?」

「うむ いたずらで手紙をよこすのはアリエン あってもダンブルドアだろうがこんないたずらをする人ではない、突拍子もないことをしがちではあるがね。

なるほど なればこそ… 魔術回路を… なんとかいてあるかね手紙には!」

 

一人話が読めていない士堂はまごつきながら手紙を開ける。見慣れない紋章の下には文章が綴られている。そこにはホグワーツ魔法学校に入学できることと必要なもののリスト、新学期の日にちと入学の是非の締め切りが書かれていた。気になるのはフクロウ便という言葉だ。 ではさっきの鳥はふくろう?

 

「なんと… では士堂は魔法使いであったのか!? なんという因果じゃろう、よもや魔術使いの家系から魔法使いが生まれるとは…」

 

士柳は手紙の内容に驚きながらどこか納得した表情であった。

 

「魔法使い? 俺は魔術使いだろ? いたずらじゃないのかこんなの。」

 

手紙を読んでも話が読めずにいる士堂の背後から聞き覚えのない声が答えた

 

「いいえ。いたずらでもなく本当にあなたは魔法使いですよ。ミスター士堂。」

 

 

その声に反応した士堂はまた驚きを覚える。そこには妙齢のいかにも魔法使いですという格好の女性がいつのまにやら立っているのだ。黒帽子にローブ、おまけに手には杖までもって!だが驚くのは止まらない。その女性を見た士柳が懐かしそうに声をかけるではないか。

 

「おお・・もしやマクゴナガル先生ではないですか? 何年ぶりでしょうか…。」

「ええそうです、ミスター士柳。あの葬儀以来でしょうか、お久しぶりです。」

 

マクゴナガルと呼ばれた女性は士堂を感慨深げに見てから士柳に答えた。

 

「お変わりないようで・・ということはやはり士堂は・・。」

 

いまだに話の見えない士堂をよそに話を進める祖父とマクゴナガルはその戸惑いの視線に気づいたのか士堂に話を向ける。

 

「初めましてミスター士堂、ホグワーツ魔法学校で教師をしていますミネルバ・マクゴナガルと申します。今日はあなたにホグワーツ魔法学校に関することでお話をしにまいりました。」

 

そういってから一拍置いてマクゴナガルは会話を続ける。

 

「あなたが見事に成長してくれたことをうれしく思います。あなたのご両親とも友人でしたから。」

 

急に押しかけてきたにしては丁寧な対応に反応できなかった士堂であったが慌てて挨拶をする。

 

「あ、初めましてマクゴナガルさん。 えーっと士堂 安倍です。あー、両親や祖父母を知っていたのですか?」

「ええ、それはもちろん。 ミスター士柳とはもっと前からですよ。思い出話もしたいところですが単刀直入に要件を伝えた方がよさそうですね。」

 

ほほえみを浮かべながら話すマクゴナガルは襟をただし、士堂の正面に立つ。その姿には教師というには似つかわしくないほどの威厳を感じることが出来る。

 

「あなたには魔法の才能があります。その才能を生かしたいならホグワーツ魔法学校はあなたを歓迎する用意はできています。」

 

そういうとマクゴナガルは杖を振るう。

するとテーブルに置いてあったコップが一瞬のうちにネズミに変わっているではないか!

 

「ホグワーツ魔法学校では魔法の使い方を勉強し、制御する術を身につけることが出来ます。」

「魔法…。 僕の知っている魔術にはこんなものなかったぞ、爺さん!それに俺の知っている魔法ってのは…!」

 

この日もう何度目かわからぬ驚きに戸惑いながらも士堂は祖父に問を投げるが、それに答えたのは以外にも祖母の道子であった。

 

「あなたの知っている魔術や魔法とマクゴナガル先生の魔法は別物です。―お久しぶりですマクゴナガル先生。教師としてますます成長しておられるようですね。」

 

士柳の隣にいた道子はそういってマクゴナガルとハグをする。

 

「あなたもお変わりなく,ミス道子。 話のとおりあなたの知る魔法や魔術と我々の魔法は違います。 我々はあなたに魔術ではなく魔法の適性があると考えております。心当たりがあるのでは?」

 

急に質問をされた士堂はいままでの鍛錬の記憶を辿っていくと思い当たる節はあった。

 

「僕の魔術が不安定なのも、魔術回路が起動しないのもそこが原因なのか?でも知っていたら教えてくれてもいいじゃないか、爺さん、祖母さん!」

まさかの答えに思わず非難の声をあげる士堂。そんな士堂に祖父は目線を落としながら答える。

 

「いったじゃろう、魔法と魔術は違うのじゃ。考えなかったわけではないが確証がなかった。魔法使いと知り合っているからといって魔法に詳しいわけではないのじゃよ。」

 

ため息をつきながら答える士柳はマクゴナガルに問う。

 

「魔法を学べば士堂は代行術を使いこなせるようになるかの?簡単に申せば士堂は魔術回路を認識できないのじゃ、魔力を持っているにもかかわらずの。」

 

その問いに今度はマクゴナガルが驚きの表情を浮かべる。 

 

「ミスター士堂はすでに代行術を収めているのですか…。 ええ、話を聞く限り魔法を学んだ方が道は開ける可能性は高いと考えられるのは言えますね。そうダンブルドア校長からも伝言を貰ってきましたから。」

 

断言はできかねますが、と注釈をつけたマクゴナガルは士堂に視線を向ける。その目を受けた少年は迷うことなく返答をした。

 

「僕は行きたい、ホグワーツ魔法学校に行ってみたい。」

 

 

翌日マクゴナガル先生を祖父母と玄関前で待っていると時間通りにマクゴナガル先生は瞬間移動のように現れた。

 

「うお、突然現れることもできるのかよ、魔法は?魔術なんかよりすごいんじゃないか?!」

 

そう士堂が感想を述べるとマクゴナガルは無言で手を差し出す。その顔はどこか満足気であった。

 

「では行きますよ。時間はないのですから」

 

無言のまま頷く両祖父母に頷きながら、士堂はマクゴナガル先生の手を取ったと同時に世界がゆがむ感覚に陥った。

 

 




追記 ハンナアボットはハッフルパフでした。申し訳ない。


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賢者の石編
入学


目の前がゆがむ感覚が収まると、どこかについたことが体感できた。恐る恐る目を開けるとそこは暗く、みすぼらしい場所であった。にもかかわらず人が大勢いるのが不思議である。

 

「今のは姿現しという魔法です。見たところ気分は害していないようですね。」

 

そうマクゴナガル先生に問われた士堂は首を回しながら答えた。

 

「ええ、びっくりしたのは確かですがこんくらいは大丈夫ですよ。」

 

鍛えていますからという答えに満足したのか、マクゴナガルはすたすたと歩いていくので慌てて士堂も後に続く。店の裏手にあるレンガの壁を数か所マクゴナガルがたたくと微笑みながら士堂に声を掛ける。

 

「ようこそダイアゴン横丁、魔法の世界へ」

 

 

そこには摩訶不思議の一言では語れぬ世界が広がっていた。見たこともないお菓子や器具に動く写真などの魔法道具はどれも士堂の心を離さない。そんな士堂に合わせるかのように歩みを緩めながらもマクゴナガルは目的地に向かった。

そこはグリンゴッツ銀行と呼ばれる魔法使いの銀行であり、ゴブリンが経営しドラゴンが守護している銀行だ。これに驚く暇もないままマクゴナガルから自分の金庫があることを聞かされる。聞けば両親が残してくれたのだというが、両親は魔術使いであったはずで魔法使いではないはずだ。その疑問にはマクゴナガル先生から答えがなかったものの士堂は必要な分のお金をおろして新入生に必要なものを買いそろえていく。

ローブのサイズを図るときや物を取り寄せるのに魔法がつかわれているのは、これからの生活がどのようなものかを十二分に感じさせるものであった。

 

教科書や服を一通りそろえると次に魔法動物ペットショップに連れていかれた。なんでも学校生活にはペットが必要で主にふくろうやネズミが人気だという。学校の校則ではフクロウにネズミと猫が指定されているが、ほかの動物でも問題はないとのことだった。

 

「いらっしゃい、ここは魔法動物なら横丁一ですよ。」

 

そういった店員から説明を受けながら探しているがピンとこない。ペットが欲しいと思ったことがない士堂は決め手になるものがなかった。

 

「魔法使いにとってペットはただの主従関係にとどまらず、互いに助け合う相棒のようなものです。 後悔がないようにするためにも時間はかかって当然ですよ。」

 

そう店員に励まされながら店を回っていると離れたスペースにぽつんと鳥籠がおかれていた。その鳥かごに入っていたのは片目に傷のついたカラスがいた。そのカラスは前を横切る人々に一々にらみを利かせ、時には声を上げて威嚇している。

 

「へえ、面白いカラスだな。」

 

そう言った士堂はそのカラスの前に立っていた。例外なくカラスが鳴き叫ぶが、士堂は動じることもなく逆に挑発して見せた。

 

「そんだけしか鳴けないのか? 期待外れだな。」

 

そういって士堂が目を閉じると息を小さく吸う。そして臍下丹田に意識を置きながらカラスに向かって気を放つ。

 

「ムン!」

 

小さい声ながらも体の内側から放たれる“気”にカラスは抵抗せずに黙ってしまった。当然ただならぬ気配に店員やマクゴナガル先生も気づくが、店員がカラスを見てびっくりする。

 

「あのカラスを黙らせるとは! 私達はともかく闇払いに対しても鳴いていたのに!」

 

すると士堂は店員に餌を持ってくるように頼んだ。もらった餌をカラスに与えるとカラスは美味しそうに食べていく。

 

「このカラスにしたい。いくら払えばいいでしょうか?」

 

すると奥の方からグリンゴッツ銀行にいたようなゴブリンが出てきた。

 

「代金はいりませぬ。」

 

びっくりする士堂にゴブリンは笑いながら籠を渡す。

 

「そのカラスはフィンランドの方から来たカラスでしてな、正直手に余っていたのですよ。見るとカラスは貴方を信頼しているようですしね、あなたの技にも感心しました。」

 

籠を手渡しながらゴブリンが大声で笑った。

 

「あなたが代行術を習得したとは聞きましたが、本当のようでしたね。」

 

店を出てからそうマクゴナガル先生が士堂にいうと、苦笑しながら士堂が答えた。

 

「祖父はもっとすごいですよ、おそらく気を発現しなくても同じことをして見せますから。」

 

マクゴナガル先生はピクリと眉を挙げながらも小声でそうでしたね、とつぶやいて士堂を次の目的地に誘う。

 

到着した店は古めかしい店の多いダイアゴン横丁の中でも特に歴史を感じる店であった。看板には「オリバンダーの店 紀元前382年創業の高級杖メーカー」と書かれている。するとマクゴナガル先生は入るように促すので一緒に店内に入る。外観同様に歴史を感じる店内には所狭しと杖が置いてあり、一人の老人が同学年ほどの少女に杖を渡していた。

 

「最後にここで杖を買いましょう。杖はこのオリバンダーで買うのが一番です。」

 

マクゴナガル先生の説明に反応して老店主が声をかける。

 

「おお、マクゴナガル先生。ということはそちらの少年は新入生でよろしいか?」

 

士堂が頷くと手で近くに来るように老店主がジェスチャーをする。

 

「オリバンダーの杖は一本一本、強力な魔法を持った物を芯に使っております。一角獣のたてがみ、不死鳥の尾の羽根、ドラゴンの心臓の琴線。一角獣も、ドラゴンも、不死鳥もみなそれぞれに違うのじゃから、オリバンダーの杖には一つとして同じ杖はない。もちろん、他の魔法使いの杖を使っても、決して自分の杖ほどの力は出せないわけじゃ。」

 

そういうとオリバンダーは手を差し出してこう聞いてくる。

 

「杖腕を見せてもらおうかの。」

 

ピンとこない士堂にマクゴナガル先生が利き腕を、と助言する。士堂が右手を差し出すとオリバンダーは腕を観察した後裏手に消え、いくつかの杖を持ってきた。

 

「まずはこれ、ヒイラギの木にドラゴンの琴線、29センチ」

 

試しに振ってみろといわれて振ってみても反応しない。

 

「杖が魔法使いを選ぶのじゃ、魔法使いが杖を選ぶのではなくな。だから心配せんでもいい。」

 

そういうと次の杖を差し出す。

 

「ぶどうの木にトロールのひげ、30㎝。固めにできております。」

 

だが反応しない。

 

「ふむ、普通は合わなくても物を落としたり魔法が勝手に発動するのだが…。珍しいお客さんだが心配せんでも、私が杖を必ず探し当てて見せますぞ。」

 

何本合わしても反応しないことに士堂とマクゴナガル先生が心配になってきたころ、オリバンダー氏は次の杖を持ってきた。

 

「ちと珍しい組み合わせなのだが…。ここまで合わないとすればもしやもある、試してみてくだされ。」

 

もらった杖は茶色身のかかった杖であった。それを手にすると士堂は今まで感じたことのない力が内側から巻き起こってくるイメージが湧いた。同時に杖からは水や火・風に土に雷が飛び出てくる。それもおさまると代の下に隠れたオリバンダー氏が杖について説明する。

 

「どうやらその杖のようですな。トネリコの木にサンダーバードの尾羽の杖、40㎝でしなやかですぞ。芯に使われているサンダーバードの尾羽はあまり出回らんもんで、アメリカの方にこの素材を使う杖づくりがいると聞いています。私も使ったのはこれだけですから…不思議なこともありますな。」

「手間をかけてすみません、どうもありがとう。」

 

代金を払って待っているマクゴナガルに合流すると、紙を渡される。

 

「杖が決まって何よりです。これで入学前の準備は大丈夫でしょう。この手紙にホグワーツ魔法学校入学に使う列車の乗り場が書いています。よく読んでおくように。わからないことがあったら手紙に書いてある住所に送ってください。送り方も書いていますよ。」

 

そういうと士堂の手を取って姿現しをした。

 

 

そしてホグワーツ魔法学校入学の日、用意を済ませた士堂は士柳とともにキングス・クロス駅に向かっていた。歩きながら9と3/4番線を探していると士柳が会話をする。

 

「いいかい、ホグワーツでは黒鍵は使ってはならん。いいかね?」

「魔法と魔術は違うから、だろ?」

 

この忠告は想定していたものだから特段驚きはなかった。

 

「うむ、使うことは起きないと思うが念のためな。」

 

分かっているよと答えながらホームを歩くと通路にある柱の前で大勢の人がたむろしている。同じ年ごろの子供らが壁に向かって走るのを見るとここがその場所のようだ。

 

「じゃ行ってくるよ」

「気を付けてな、連絡待っておるよ。」

 

そういって士柳は士堂を抱きしめて、笑顔を浮かべる。

祖父との挨拶も終わると安倍士堂はホグワーツ魔法学校に向かった。

 

 

列車に乗った士堂が空いているコパーメントに腰を下ろして窓の外を眺めていると一人の少年が声をかけてきた。

 

「あーその、いいかな、となり?」

 

その少年は黒髪に眼鏡をかけたやせ型の少年であった。

 

「どうぞ」

 

その声を聴いていそいそと荷物を入れる少年を士堂が手伝うと、目を伏せながらありがとうという。ずいぶんオドオドしているなと士堂は思った。少年は話したそうにしているのだが会話が切り出せずにいた。こっちから切り出そうと士堂が口を開こうとした時、赤毛の少年が入ってくる。彼の荷物を載せ終わると赤毛の少年が口火を切ってくれた。

 

「僕ロン・ウィーズリー、こっちはネズミのスキャバーズ」

 

末っ子のような少年は黒髪の少年とは対照的に声をかけてくる。

 

「士堂 安倍だ」

 

「僕はハリーポッター」

お互いに自己紹介をするとロンは大きく目を見開く。

「君があのハリーポッター? じゃあ・・もしかして額には・・」

 

ロンの問いにハリーが髪をかき上げるとそこには稲妻型の傷があった。

 

「有名なのか、ミスター・ハリーポッターは?」

「有名なんてものじゃないよ、もしかして君はマグルかい?」

 

ロンのあきれたような言葉に、そういえば非魔法族をマグルというのだったなと士堂が考えながらうなずく。今度はハリーから声を掛けられる。

 

「ハリーでいいよ、君はイギリス人なの?なんか聞いたことがない名前だけど。」

 

「ああ、日本人だ。といっても国籍はイギリスだけどね。祖父母が若い時にイギリスに来てからも名前は日本式なんだ。僕も士堂と呼んでくれ」

 

通りがかった販売車から魔法界のお菓子を買いながら3人で話をする。士堂とハリーは魔法について詳しくないから、実際にロンが魔法をかけようとしていると栗色の髪をした少女が声をかけてきた。

 

「ネビルのカエルを見なかった?」

 

見ていないとみんなで答えるとロンが魔法をかけようとしているのに気づく。

 

「あら、魔法をかけようとしているのね。やって見せて。」

 

そういわれたロンはスキャバーズに魔法をかけようとしたが、上手くいかない。少女はそれを見てからハリーの眼鏡を魔法で直して見せた。

 

「私ハーマイオニー・グレンジャー。あなたは…ハリーポッターね! 入学前に読んだ教科書に載っていたわ。あなたは…東洋の人ね?」

 

やはりハーマイオニーもハリーの傷を見て判断することからかなり有名らしい。こんなことなら教科書を読んどくべきだったと士堂は後悔しながら自己紹介をした。

 

 

時の有名人と顔見知りになった頃、列車はホグワーツ魔法学校についた。にぎやかな道中を過ごすことになったがいざホグワーツを目の前にするとそんなことは忘れてしまうものだ。城の規模や外観は今まで見たことがないものだ。列車を置いてから乗った船の上で士堂はタイムスリップしたような錯覚を覚えた。城の外観は1990年代では見ることが難しい中世風の巨大な城であった。正確に言えば今でも中世風の城は現存しているが、人が住んでいる城は限りなく少ないだろう。目の前のホグワーツはまさしく今、人々がそこで生活しているのが感じ取れた。船の案内人であった大男のハグリッド含め、ここが魔法学校だと実感するには十分なデモンストレーションであった。

 

学校につくとマクゴナガル先生が寮と注意事項の説明をして一年生を引率していく。途中でドラコマルフォイという白髪の少年に声を掛けられるがマグル出身だといったら顔をしかめられる。それまでどこか偉そうな態度をとっていたことからも士堂はドラコなる少年にいいイメージを持てなかった。

城の中はもっと圧巻である。天井にはプラネタリウムのように天体が移っており、シャンデリアもろうそくの火は思えないほど神秘的な光を放っていた。在校生らが長机に座っている奥に黒い帽子と先生たちが並んで座っている。真ん中にいる白髪の老人が長いひげを揺らしながら挨拶をのべる。アルバス・ダンブルドア校長を見た士堂はこの人物が自分の祖父と旧知の中であることが信じられなかった。

在校生への注意事項の後に組み分けの説明がされる。頭の上に帽子を載せるだけらしいが士堂は半信半疑であった。実際に目にするまでは。

組み分け帽子と呼ばれたそれは真ん中ら辺に口ができて、4寮を讃える歌を歌って見せた。奇怪なものだが自分の将来があの帽子にかかっていると考えるとあまり笑えないのが士堂の実際の感情だった。

 

いよいよ組み分けの時間になるとどこか浮かれていた新入生の顔から笑みが消える。それまで騒がしかった会場に静寂が走る。友達同士で腕をさすったり目を閉じて考えないようにする同級生と同様に、士堂も落ち着きはなかった。一見落ち着いているようだが何度も深呼吸しているから緊張しているのだろう。

大丈夫?とハリーに声を掛けられるも頷くぐらいしかできない自分が情けなくなる士堂だった。

 

「ハンナ・アボット!」

 

マクゴナガル先生が名前を呼ぶと女子生徒が前に出て帽子をかぶる。

すると帽子を何事かつぶやきながら考えていると大きな声で寮の名を叫ぶ。

 

「ハッフルパフ!」

 

ハッフルパフの在校生らから拍手と口笛が鳴り響く。その姿を見ていた士堂はマクゴナガル先生の声に体を揺らすことになる。

 

「士堂・安倍!」

 

思わずビクッと反応する士堂に、近くにいたハリーやロンが声を頑張れと声をかけてくれる。椅子に座ろうとしたらハーマイオニーも頑張れと口を動かすのが見えた。

 

「ほう…」

 

後ろでダンブルドア校長が声を漏らすのを聞きながら士堂は椅子に掛ける。

 

ふむふむ。珍しい生徒が入る。君の体に刻まれるは別種の魔法ともいえる代物だな。』

士堂にしか聞こえないような声で話す組み分け帽子に士堂は心を揺さぶられる。

『ああ、心配せずともこのことを話すことはしない。そこらへんの分別は出来ている。』

ホグワーツの案内が来た時のように自分がおいていかれた気分の士堂をよそに組み分け帽子は士堂を計ろうとする。

 

『君はまず知識を求めている。友情も無駄にはしないが興味がないことには動こうとはしない。だが臆病かといえばそうではなく、かといって勇敢かといえばケチがつく。』

 

何やらけなされている気がするが、周りがざわざわしているのが耳に入ってきた。杖の時と同じく自分は時間がかかるのだろうか?

 

『時間がかかるのは悪いことではない。それだけ多様な人格と将来があるといえる。いい意味でも悪い意味でも。では一つ質問をしよう。君は困難と冒険、知恵と平穏のどちらを選ぶかね?』

 

なんだ、その問いはといいたくなるが組み分け帽子は既に答えを得ているようだ。

 

『そうかそうか。君の未来は困難であろうが、必ず道は開かれよう。

ならば答は一つ。グリフィンドール!』

 

帽子の声とともにグリフィンドールから拍手が起きる。机に向かうと上級生が出迎えてくれ、隣りに座らしてくれた。周りの人と握手をしていると年長者らしき赤毛の人が握手してきた。パーシー・ウィーズリーと名乗ったことでロンの兄弟だとわかった。

 

「君、行きの列車でロンと一緒だったんだろう?弟と仲良くしてやってくれ。」

 

そういや列車で兄弟家族皆グリフィンドールだという話をしていたな、と思い出していると何かが飛んでくる気配がした。とっさによけると赤毛の双子が感心したように口笛を吹く。

 

「ああ、すまない。あれは弟のフレッドとジョージなんだ。手にかかるいたずら好きだ…」

 

とまでいってパーシーに液体がかかる。怒ろうとするパーシーに組み分けが始まると笑う双子に士堂はひっそりと笑みを浮かべた。その後ハリーたちもグリフィンドールに入ることが決まり各々近くに座ることになる。

全部の組み分けが終わるとダンブルドア校長の合図で目の前にローストビーフやケーキといった御馳走が並んだ。イギリス流の食事に疑問を抱いていた士堂であったが食事の質は高かった。どれもそんじょそこらの店では出てこないレベルであることに安心した。

今後の学校生活に楽しみを見出せそうな予感を抱きながら、手元の大きなフライドキチンにかぶりつく士堂であった。

 

 




ペットショップの店長はオリ設定です。
オリバンダーのうたい文句はwikiから持ってきたんですが大丈夫なのでしょうか?


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授業とトロール

アンチ要素あります(多分)


入学式が終わり授業が始まる。魔法学校らしく呪文学から薬草学、飛行術に防衛術と多岐にわたる。どの授業もマグルの授業にはないから面白いのだが、何事も例外は存在するものだ。いくつかあるその中でも魔法薬学は最悪だ。

 

「この授業では杖を振ったり馬鹿げた呪文を唱えたりはしない。いいかな。魔法薬調合の微妙な科学と芸術的な技を諸君が理解できるとは期待していない。だが一部の、素質のある選ばれた者には伝授してやろう ― 人の心を操り感覚を惑わせる技を。名声をビンの中に詰め、栄光を醸造し死にすら蓋をする、そういう技を」

 

この歌いだしだけ聞けば全うなのだがそれ以後はグリフィンドール、とくにハリーポッターに対する当てつけがひどい。急な指名はともかく答えられないハリーに対してネチネチと指摘するさまは、士堂ですら反感を覚える。その士堂も状態の悪い材料を渡されるなど嫌がらせともいうべき仕打ちを食らった。

 

「ふむ、山嵐の針もすべてが同じというわけではない。このようにきれいに山の形をしているものは良質だが・・・これはマルフォイ、君たちが使うといい。残りを使いたまえ、ミスター士堂?」

 

マクゴナガル先生の変身術はある意味真逆ともいえる。なぜなら依怙贔屓はなく平等に厳しい。変身術という授業そもそもの危険性と難易度の高さが理由だった。授業の中でマッチ棒を針に変身させる課題が出たとき、成功したのはハーマイオニーだけであった。士堂は針ではなく薄い鉄になってしまったが…。

飛行術の授業では初めての箒飛行で暴走したネビルや、空中に投げられたネビルの思い出し玉をハリーが見事にキャッチしたことがきっかけで、グリィフィンドールのシーカーに100年ぶりに抜擢された。

この授業で士堂は一つ分かったことがある。箒飛行はいわば自転車のようなもので、意外と体力がいるということだ。軽く飛んだだけでも、箒から落ちないように腹筋やら背筋やらを意識しなくてはならない。クディッチの選考メンバーがやせ型なのはそのためかと感心したものだ。

 

あるときハーマイオニーからハリーの父が、グリフィンドールのシーカーだったことを教えられた。ハリーは両親について詳しく知らなかったから、興味を惹かれる。

そこで4人でグリフィンドールのクディッチカップを鑑賞したりしていたら、道に迷った。まだ一年の彼らは動く廊下に翻弄されっぱなしなのだ。彼らはホグワーツの魔法に導かれるように、四階の禁じられた廊下に出てしまう。

 

「ここって入学式の時に校長先生が来ちゃダメだって言ってた場所じゃない?」

 

ハーマイオニーの指摘を受けて慌てて帰ろうとすると、ミセス・ノリスに出くわしてしまう。

用務員のフィルチの飼い猫で、フィルチにこのことがばれたら減点どころではない。用務員のフィルチはなぜか、生徒たちから減点することに快感を覚えているかのような輩なのだ。

 

「まずいぜ、このままじゃ見つかっちゃうよ!」

 

泣きそうなロンの声を無視して士堂は近くの扉を見つける。

 

「ここに逃げ込んで時間を稼ごう!」

 

だが扉には鍵がかかっていて、子供の力では空かなかった。蹴り飛ばそうかと考える士堂にハーマイオニーがあきれながら声を掛ける。

 

「私たちは魔法使いよ、こういう時のための魔法が教科書に載ってるわ。」

 

『アローホモーラ 開け!』

 

空いた扉の奥に急いで逃げ込んで、ミセス・ノリスをやり過ごす。ふーと息をついて顔を上げてみるとそこには巨大な三頭犬がいた!

 

「「「「ああああー!!!!」」」」

 

すぐさまその場から逃げ出す4人。何とか談話室に戻ると男3人はハーマイオニーから釘を刺される。

 

「あなた達といると命の危険があるわ、最悪退学よ!」

 

そう言って部屋に戻る彼女の後ろ姿を見ながら、組み分け帽子の困難と冒険の意味を肌で体感する士堂だった。

 

「あいつ、命よりも退学の方が怖いのかよ。」

 

ロンの言葉が談話室に消える。

 

 

一年生とは思えない激動の時間の中、元々の知名度に相まってハリーへの注目度は日に日に高まってきていた。そんな日々でも、士堂はハリーとロンと3人で行動することがほとんどだった。授業の時はハーマイオニーや同室のネビルやトーマスら一緒になることもあるが、ほとんど3人であった。

特にハーマイオニーが根っからの勉強好きで図書館で課題だの復習だのに没頭するのに対し、3人は課題はこなしてもそれ以上やろうとはしないタイプである。

 

だから休憩時間や授業後の自由時間は3人でお菓子をつまんだり、ロンの双子の兄弟、フレッドアンドジョージのいたずらグッズで遊ぶことが多かった。正確には遊ばれているのだが。

 

「そっち行ったぜ、士堂!」

「よけなきゃまずいぜ、士堂!」

「くそ、花火なのに追尾するのか?!」

 

右に左にステップを切りながら「追尾式笑いロケット花火Ⅱ」の試作品をよける士堂の息は徐々に上がる。組み分けの時に双子がかけてきた水(何の水かは知らない)をよけてから、士堂はちょくちょくいたずらの対象になった。特にこの追尾する花火は、よけることが出来る人材が少ないという理由で、士堂が指名されることが時折あった。

今士堂は学校の校庭で一人鬼ごっこをしている状況なのだが、ハリーやロンは他のグリフィンドール生と一緒に大笑いしていた。

 

「他人事だからって、くそ、もうすぐ授業だってのに!」

 

息も上がってきた士堂の悪態を受けて双子が顔を見合わす。どうやら本当に授業が近いらしい。

 

「じゃ終わりにしなきゃな、フレッド」

「ああ終わりにしなきゃな、ジョージ」

『『アクアメンディ 水よ』』

 

二人の杖から水が飛び出し、士堂を追尾する花火に直撃して沈下させる。思わず座りこむ士堂の肩を双子が同時にたたいた。

 

「冗談きついぜ全く…。」

「お前なら逃げられるからちょうどいい実験になる。」

 

フレッドがしたり顔で言えば、

 

「次はスコージファイを俺たちが打つからそれもよけながら、やってみようぜ。」

 

ジョージが悪い顔つきで提案する。

 

「「その次はグリセオだな」」

「笑えないよ全く。」

 

刺激的な日々でまた事件が起きる。きっかけは呪文学でハーマイオニーがロンの浮遊呪文のアクセントと杖の振りを注意したことからだった。

 

「いい、レビオーサよ、あなたのはレビオサー だってよ冗談きついぜ。」

 

授業終わりにハリーに士堂、トーマスといった面々に愚痴り続けるロンは今までのうっぷんが溜まっていたかのように言葉が続く。呪文が得意でないロンは、簡単に成功させるハーマイオニーへのやっかみからか口が悪くなっていた。

 

「自分が頭いいからってな、偉そうにしてさ、だから友達出来ないんだ。」

「ロン、それは言いすぎじゃないか。」

「ハーマイオニーは勉強好きなだけじゃないか。」

 

ハリーと士堂がやんわりとロンに語っているとロンの方を突き飛ばす人がいた。

 

「聞かれたらしいぞ、ロン」

 

シェーマスの言葉を受けるとロンは少し肩を落として小走りで去っていくハーマイオニーを見つめた。

 

 

その日はハロウィンのパーティーが開かれていたのだがハーマイオニーの姿が見えない。カボチャのランタンにカボチャ料理が並ぶ中、いつもと違うbgmが流れていても3人の心は晴れない。グリフィンドールの席を隅から隅まで見ても見当たらないのだ。

 

「ハーマイオニー、トイレに入ってから出てこないみたい。」

 

グリフィンドール同室のネビルからそう聞いた士堂はロンに釘を刺す。

 

「謝った方がいいぜロン。」

「ロン、その通りだよ。」

 

同調するハリーの声を受けてさすがのロンも肩を落とすしかない。

 

「いきにくいなら一緒に謝ってやるさ。」

 

そう言いながらハロウィン限定のカボチャパイとカボチャジュースに手を伸ばす士堂だった。布巾に包んでハーマイオニーに持っていこうかとぼんやり考えながら、自分の分のステーキも確保して食事を楽しもうとしたその時だった。

 

「トロールが地下室に!!! 現れまし…」

 

そういって闇の防衛術教授クィレル先生が倒れたのを皮切りに、それまでの楽し気なパーティーは一転阿鼻叫喚に陥った。我先にと逃げる生徒たちを目の前にしても稀代の大魔法使いは冷静であった。

 

「各監督生は下級生を集めて談話室に戻るように。先生たちはこっちに来てもらおう。」

 

ダンブルドア校長の迅速な指示で各寮に団体で変えることになったが、帰ろうとしたハリーがほかの二人の袖を掴んで小声でささやく。

 

「ハーマイオニーがまだ残っている!」

「何言っているんだ、ハーマイオニーは女子トイレにいるんじゃ…」

 

士堂はそこまで言って最悪の状況を思い浮かべる。

 

「女子トイレってトロールがいるっていう地下室と…、まさか同じ階じゃないか?」

 

ロンの声とともにハリーと士堂は駆けだしていた。

 

「先生を呼んだ方がいいんじゃないか!」

「そんな時間はないかもしれない、早めにハーマイオニーを女子トイレから出せばいいだけだ!」

 

全速力で地下に向かう士堂にハリーがくっつき、少し遅れてロンがついてきていた。

 

ハーマイオニーは膝を抱えて泣いていた。ホグワーツに来て以来、気にかけていたことをよりによってあの3人にいわれるなんて…。ハーマイオニーは決して孤独を好んではいない。少々浮きがちだった自分でもホグワーツでなら友人ができると淡い期待を込めていた。

実際行きの列車であの3人と会話もできて授業も一緒の席も多かった。そんな3人のうちの一人にあんなこと言われるなんて考えてもいなかった。

 

「ロンのバカ…、 わざわざハリーや士堂に言わなくったっていいじゃない…」

 

そんな負の感情を消化しきれていないハーマイオニーは近づいてくる物音に気付かなかった。

地下についた三人は視界にトロールをとらえる。一瞬先生たちがいるのではないかと確認したが、寮に向かったのか姿は見えない。

 

「まずい、あっちは!」

 

士堂が声を上げるとハリーも続く。

 

「確か女子トイレの方だ!!」

「「「ハーマイオニー!」」」

 

 

ハーマイオニーは涙の流れる目をこすりながらトイレから出てくる。すると普段トイレで嗅ぐことのない臭いと地響きに近い声のような音にゆっくりと顔を上げる。そこにいるのは普段教科書や本でしか見ることのない本物のトロールがいた。

トロールは彼女を視界にとらえるとゆっくりと、しかし確実に近づいてきた。手に持った棍棒が振り上げられたとたん、彼女の叫び声とともにトイレの壁が薙ぎ払われる。ハーマイオニーが間一髪しゃがみ込んで回避したのもつかの間、トロールは次々と壁を薙ぎ払いながら彼女を追い詰める。

 

女性の叫び声がして顔を青くする3人が女子トイレにかけこむと、ハーマイオニーをトロールが追いかけているのが見えた。とっさに士堂はローブの中に手を入れて黒鍵の柄を握りしめる。

トロールにも種類があり、精霊や神霊に近いものから魔の要素が強いものもいる。見たところハーマイオニーを狙うトロールは魔の要素が強いと見えたが、抜けずにいた。祖父の言いつけが頭をよぎって抜けずにいたのだ。

しかし本当のところは怖じ気づいていたのだ。代行術を学んだといっても、実戦経験といえば弱い地縛霊を数例祖父とともに対処しただけだ。

 

目の前にいるトロールの迫力に士堂が躊躇する中ハリーはトロールの気を引こうとその場に落ちている石やら何やらを投げつけていた。それでも気が引けないトロールに対してハリーは無謀にもトロールにとびかかって杖を鼻の穴に刺した!暴れるトロールに腕をつかまれながらもハリーが叫ぶ。

 

「トロールの気を引いてくれ、士堂、ロン!」

 

ハリーの声を聴いた士堂はローブの下で握っていた柄を離し、代わりに杖をもった。そして先端をトロールに向けると、杖がトロールに対抗するかのように光を放出する。

急な出来事に困惑する士堂だったが、同時に魔力の高鳴りを全身に感じながらありったけの力を込めて頭に浮かんだ呪文を叫んだ!

 

『アクアメンティ 水よ!』

 

士堂の杖から水が激流となってトロールの顔にぶつかる!本来トロールには魔法が聞きにくい。失神呪文などは今の士堂が放ったところで効かないのは明確であり、第一士堂は攻撃呪文を知らない。

しかし魔法で生みだした物質そのものはその限りではない。激流が顔にあたったトロールはよろめき、ハリーを投げ飛ばした。幸いそこまで強く降られたわけでもなかったために、ハリーは床にたたきつけられてもケガまではしなかった。杖に魔力を込めて激流を浴びせ続ける士堂を見てハリーが叫ぶ!

 

「いまだロン、浮遊呪文だ!」

「え?!」

「トロールの棍棒を取り上げろ!」

 

ハリーの言葉に驚きを隠せないロンに奥にいるハーマイオニーが叫ぶ。

 

「レビオーサよ、杖を軽くひゅー、とよ!」

 

戸惑いの色を見せていたロンも覚悟を決め呪文を唱える。

 

『ウィンガーデアム レヴィオーサ 浮遊せよ!』

 

ロンの魔法はトロールの棍棒を正確に浮遊させ、トロールの頭に落下させた。

 

「やった!」

 

前に浴びた激流以上によろめくトロールの足元に士堂が畳みかける。

 

『グリセオ、 滑れ!」』

 

トロールの足元に放たれた呪文はトロールの足を見事に滑らした。頭の衝撃に滑りも加わり、頑丈なトロールも床にたたきつけられるとぴくぴくとしか動かなかった。

 

「だ、大丈夫か?!」

 

ロンが声をかけると洗面器の下に隠れたハーマイオニーとたたきつけられていたハリーが手を挙げる。その姿を見て安心した士堂は気絶したトロールの鼻からハリーの杖を引き抜いた。そして自らの杖でハリーの杖に呪文を唱える。

 

『スコージファイ 清めよ。』

 

トロールの鼻くそだのなんだのがついていたハリーの杖は一瞬にしてきれいになり、士堂はハリーに渡す。

 

「ありがとう」

 

ハリーが笑みを浮かべながら杖を受け取ると、ロンが士堂の肩に手をおきながら訪ねる。

 

「いつの間にあんな呪文を覚えたんだ? 習ってないよな、あの呪文?」

「双子が花火を向けてきたときに、今後使おうとしていたやつさ。どんな呪文か気になってね。調べておいたのが役に立ったよ。」

 

ロンと肩を組みながら士堂が答えていると教師人が到着した。

 

「なんということですか?なぜあなたたちがここに?」

 

マクゴナガル先生の追及に組んでいた肩をおろして3人は何とか答えようとするもうまく言葉が出ない。そんな彼らを見てハーマイオニーが状況を説明する。

 

「彼らは悪くありません、私が逃げ遅れたのに気づいてくれたんです、それで私を助けようと…」

 

ハーマイオニーをの弁解にため息をついたマクゴナガル先生はハーマイオニーから5点減点、3人に5点ずつ加点して4人を部屋に戻した。

 

「これは貴方たちの幸運に対してです、勘違いしないように。」

 

帰り道ハーマイオニーが3人に声をかける。

 

 

「その、ありがとう。助かったわ、あなたたちがいなかったら私…。」

「いいんだ、僕も君にひどい言葉かけちゃったもの、気にしないで。」

「そうだよハーマイオニー、僕らも悪いんだ。」

「でも…」

 

ぼろぼろの彼らに申し訳なく感じるハーマイオニーに、士堂が声をかける。

 

「それに友達を助けるのは当たり前じゃないか。」

 

士堂の言葉に目を見開きながらもハーマイオニーは大きくうなずいた。

 

 




授業風景やケルベロスのところはダイジェスト風にしました。(描写できる気がしなった)
トロール戦は既存の魔法から一年生でも使えそうなやつを選んでみました。
何か不自然な点があったら教えていただけると幸いです。


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クヂィッチとクリスマス

事件後はハーマイオニー含めた4人で行動する機会も増えた。ハーマイオニーも3人に勉強を教えるときはあたりがきつくならないようにしてくれたし、3人も彼女と会話するのを楽しむようになった。

 

喧騒の日々の中、ハリーのクディッチデビュー戦が始まろうとしていた。士堂とロンがパンにベーコンと卵を載せたのやらポテトフライやらスープにがっつくのに、試合に出るハリーは緊張からか食欲が出ずにいた。

 

「ハリー、今日は貴方のデビュー戦よ、二人ほどじゃなくても食べなきゃだめだわ。」

 

心配するハーマイオニーの顔を一瞥してハリーはつぶやく。

 

「おなかがすいていないんだ、食べれる気がしないよ。」

 

すると後ろを魔法薬学のスネイプ先生が通りかかり、ハリーの後ろでささやく。

 

「健闘を祈ろう、トロールを倒した英雄殿。君には今日の勝利は簡単だろう、たとえ相手がスリザリンでも。」

 

そういうとスネイプ先生は去っていくがハリーの顔が厳しくなる。それにきづいたハーマイオニーがハリーに向くと、ハリーはひとりでに話始める。

 

「見たかい、スネイプは足を怪我していた。」

「それが何だっていうんだよ。」

 

今度はスクランブルエッグに手を伸ばしながら士堂が聞く。

 

「グリンゴッツで強盗があっただろう、あの金庫からハグリッドが何かを持ち出したのを見た。そしてこの前のトロール。きっとあの三頭犬が守っているものを盗み出そうとしたスネイプがあの日三頭犬に足をかまれたんだ。」

「何言ってんだハリー? 緊張で頭がおかしくなったのか?」

 

さすがの士堂もハリーの突飛な考えに付いていけない。

 

「なんだってスネイプ先生が物を盗もうとする? そんなことをする意味は?」

「わからない」

「わからないって…」

 

あきれながらハリーを見つめる士堂。そんな中心配そうに見つめていたロンが、フクロウ便に気づく。

 

「あのふくろう、箒を持っているけど誰にだろう?」

 

ふくろうはそういうロンの前を通ってハリーのもとに箒をとどけてどこかに飛び去って行く。宛名がハリーなのを確認した本人が荷を解くと、そこには新品の箒が包まれていた。

 

「ハリー、これすごいよニンバス2000だよ、そこらへんの箒とは違う!」

 

クディッチ好きのロンが興奮しながら解説している中、ハリーは教師がいる机から視線を感じた。目を向けるとマクゴナガル先生がにっこりと微笑みながら箒を届けたフクロウを撫でていた。

 

「こりゃ本当に勝たなきゃまずいことになるな、ハリー。」

 

そういって士堂は食後のミルクを飲みほした。

 

 

クディッチ会場は熱気にあふれていた。グリフィンドール対スリザリンというライバルカードに今回からハリーが加わる。グリフィンドールの勝利を望む人と、スリザリンの勝利と人気者のハリーが負けるところを見たい人で会場の熱気は上がる一方だった。

士堂は観客席でロンやハーマイオニーと一緒に応援していた。このクディッチは学校の成績に反映される。更に魔法族の中で屈指の人気のスポーツだからか、先生らも観覧している事に驚いた。

そんな感想を抱いていると試合開始のホイッスルが鳴り響く。序盤は一進一退の攻防であり白熱した試合展開を見せていた。3人も小さい旗を振って応援する。

異変が起きたのは中盤ごろだろうか。ハリーが素っ頓狂な動きを見せ始めたのだ。まるで振り落とされないかのように体を左右に振ったり上下に動いたりと、試合に関係のない動きを見せた。

 

「箒が故障したのか?」

 

士堂の疑問に近くにいたクディッチ狂のシェーマスがそれに答える。

 

「それはないね、古い箒ならいざ知らずハリーの箒は最新式だ。闇の魔法でも使わない限り干渉なんてできないぜ。」

 

その言葉を聞いたハーマイオニーがロンの持つ双眼鏡を手に取ってどこかを確認する。すると興奮した口調で士堂とロンにささやく。

 

「スネイプ先生だわ! 呪文をかけて妨害しているの!」

「何?」

「スネイプ先生がハリーを見つめながら口で呪文を唱えていたのを見たわ!」

 

そういうとハーマイオニーは双眼鏡をロンに返してどこかにかけていく。

慌てて士堂が追いかける中、ロンはスネイプ先生とハリーの動きを監視することにした。

ハーマイオニーは一足先に先生たちの通路の下側にもぐりこんだ。遅れて士堂も到着するが士堂は何をするかが分からない。

 

「どうするつもりだ、ハーマイオニー?!」

 

小声で問いただす士堂に人差し指で黙らすと、ハーマイオニーは通路の隙間から見えるスネイプ先生のローブに呪文を唱えた。

 

『ラカーナム、インフラマーレ』

 

するとローブに火が付き、教師人のボックスが混乱を起こした。と同時にハリーも箒のコントロールを取り戻す。運よくスニッチを見つけたハリーは箒の上に立ってスニッチを呑み込むという荒行で、グリフィンドールに勝利をもたらして見せた。

 

試合の後4人はハグリッドに試合中の出来事とハリーのスネイプ先生への疑惑をぶつけた。

 

「お前さんたちフラッフィーを知っちょるのか?」

 

スネイプ先生への疑惑をハグリッドが否定する中、4階で見た三頭犬の話になった。するとハグリッドがそう漏らしたのを士堂が聞き逃さなかった。

 

「あの犬はハグリッドの?」

「うんだ、去年アイルランドでみしったやつからもらったんだ。今年ダンブルドア先生に貸してニコラス・フラメルの…」

 

そこまで言うと自分の失言に気づいたのか、このことに首を突っ込まないように4人に繰り返し言うと逃げるように小屋に逃げるように帰っていった。

 

「こりゃハリーの妄想でもあながちなさそう…かな?」

 

ロンのつぶやきに反論できるのは少なくともこの中にはいなかった。

 

その後4人でニコラス・フラメルなる人物について調べるもめぼしい情報が見つからない。図書館をよく利用するハーマイオニーはいざ知らず、ほか3人は調べものは課題以外ですることはやはり少ない。おまけに何から調べたらいいかの検討がつかないから本の対象すら絞り込めなかった。そして士堂には大きな疑問が残っていたのだ。

 

「ダンブルドア校長が何かを隠したにせよ、一年生の自分たちがかかわる必要があるのか?」

 

この疑問はニコラス・フラメルと並んで彼らにとっての疑問になるはずであった。

しかしハリーが持ち前の正義感からか自分が守る、ぐらいの気概でいるしロンとハーマイオニーはハリーが狙われた事実から無関係でいられないと考えていた。そんな彼らをみながら士堂は何をすべきか決めかねていた。

 

ホグワーツもクリスマス休暇が近づき帰省の準備をする生徒が多かった。ハーマイオニーは実家に帰る用意をして大広間に降りてきていた。

 

「私は帰るけど皆は?」

 

チェスをするハリーとロン、それを眺めながら柄を磨く士堂はハーマイオニーの問いに答える。

 

「僕はパパとママがビルのところに行くから今年はみんなで残るよ。」

「僕も残る。ホグワーツのクリスマスに興味があるからね。」

「僕は帰ってもね…」

 

三者三様の答えを聞きハーマイオニーは話す。

 

「じゃあ3人も残るんだからニコラス・フラメルのことちゃんと調べておいてね。」

「もう何を調べればいいんだよ、考え付く全部の本に目を通したぜ!」

 

ロンの嘆きに彼女は答えを提示した。

 

「閲覧禁止の棚はまだでしょ? 一般の棚にないならあそこしかないわ。協力して探してね、盗んででもよ。私からのクリスマスの課題よ。」

 

そう言い残してハーマイオニーは大広間を出た。

 

「ハーマイオニー、すっかり悪に染まったな。」

 

士堂のつぶやきにハリーとロンは無言でうなずく。

 

 

ホグワーツのクリスマスはハロウィン同様装飾が施される。談話室にはきらびやかなクリスマスツリーがおかれ、ホグワーツに残った人あての手紙やプレゼントが自動的に置かれている。ベルの音がどこからか聞こえてくるのが目覚まし代わりとなって士堂は目を覚ました。談話室ではすでにロンが起きて、自分宛のプレゼントに目を通していた。

 

「メリークリスマス、士堂。君にもプレゼントが来ているよ。」

「メリークリスマス、ロン。そいつはどうも」

 

士堂宛には祖父母からクリスマス仕様の手作りクッキーの詰め合わせ、ハーマイオニーからは柄を磨くためのクリームとタオルがセットになって入っている。

 

「ああ、またママがセーターを送ってきた。君とハリーの分もあるぞ。」

 

大きく胸にRと書かれたセーターを手に取りながらロンがため息をつく。

 

「そんなこと言うな、僕の祖母から君たち宛のプレゼントだ。うちの教会製の十字架だ。最近作っていないのにな、こっちも張り切ってるよ。」

 

ちょうどその時ハリーも目を覚ます。

 

「「ハリー、メリークリスマス。」」

「メリークリスマス、ロン、士堂。」

 

ハリーはどこか浮かない顔をしながら談話室への階段を下りている。

 

「僕宛のプレゼントなんてないよ、きっと。」

 

そう愚痴るハリーに二人はハリーへのプレゼントがあることを告げると、今まで見た中でも最上級の笑顔を浮かべながら、ハリーが談話室に降りてくる。ロンの母と士堂の祖母、ハグリッドやハーマイオニーからのプレゼントに喜びつつハリーは自分宛のプレゼントの荷を解く。箱の中には手紙と茶色の下地に鈍い輝きを放つマントが入っていた。

 

「ハリー、メリークリスマス、これは私が君の父さんから生前預かっていたものだ。君に返す時が来たようだから上手に使いなさい。」

 

差出人の名がなかったから誰から贈られたか3人にはつかなかった。物は試しとハリーがマントを羽織ってみるとハリーの体が消え、首だけになってしまった!

 

「ハリー、それ透明マントだよ! フレッドたちが持っているものとも違う、滅多にないものだよ!」

 

ハリーは人生で初めてクリスマスが楽しいと思えた。その後は3人でチェスをしたり、ウィーズリー夫人からのセーターを着たりする。

その夜士堂は誰かにたたき起こされた。真夜中に叩き起こされるとは思っていないから、二度寝をしようとすると切羽詰まったようなハリーの大声が聞こえる。

 

「ちょっと来て、士堂!君にも見てもらいたいんだ!」

 

ハリーや同じく叩き起こされたロンとともに4階に行くと、そこには大きな姿鏡がおかれていた。曇ったガラス面やくすんだ額縁から見るに相当古いものだろう。その鏡の前に立つとハリーは二人にせかすように聞く。

 

「鏡に何が写ってる? 何が見える?」

 

そういわれた二人は順番に鏡の前に立つ。するとロンは自分が勉強で主席を、クディッチでキャプテンとして優勝した姿を見る。士堂は

 

「これは…すごいや、決闘で100人抜きをしてるよ。表彰状…かな。そんなものまでもらってるよ。」

 

二人の答えにハリーは驚く。自分が見たときは死んだ両親が微笑みながらハリーの後ろに立っていたのに?!

 

その後もハリーはクリスマスの晩餐にも出ず、時間があったら鏡の前に向かっていた。死んだ両親についてはヴォルデモート卿から自分を守って死んだこと以外知らない。この鏡には一番会いたい人がいることがハリーの心を虜にしていた。鏡の前で両親の姿を見ていると、背後から士堂が声をかける。

 

「ハリー、それはただの鏡だ。あまり熱心にのぞく必要はないぜ。ちょっとおかしいよ君。」

「でも鏡には僕の両親がいるんだ、僕の知らない両親が!!」

「ハリー。君の気持はわかるよ。でも僕らは両親には会えない。」

「でも、ここにはいるじゃないか!! ここには確かに、」

 

士堂が声をかけても食い下がるハリーに別の人物が声をかけた。

 

「友人の忠告は聞くものじゃ、ハリー。」

 

そこにいつのまにやらダンブルドア校長が立っている。目を見開く二人に歩み寄りながらなおも校長は言葉を紡ぐ。

 

「これはみぞの鏡と申してな、その人の心の奥底に眠る願望をうつしだすものじゃ。」

 

そこまで言うと、校長はハリーを自分の前に呼び話を続ける。

 

「君の友人の言うとおり、死んだご両親には残念ながら会うことはできぬ。昔から君のようにこの鏡に魅入られた多くのものがその身を滅ぼしたのじゃ。わしは君に同じ道をたどってほしくはないのじゃよ、ハリー。君には今大事な人がここにはいるはずじゃ。鏡に映る偶像よりも大事じゃと思うがの。」

 

ダンブルドア校長に初めて注意を受けたことでハリーは目をさましたようだ。ハリーに部屋に戻るように言った校長は、帰ろうとする士堂に声をかけた。

 

「君には何が見えたかの?」

 

その問いは士堂には想定外のものであったが、戸惑いながらも答える。

 

「僕は、決闘で多くの勝利を、」

 

そこまで言った士堂の言葉を老人はやんわりと否定する。

 

「君は嘘を言っておるの。君自身も見たのじゃろう?」

 

ご両親を、と続けられた言葉に少年は顔を青くした。なぜそのことが分かった?誰にも言ってはいないのに?

 

「フフフ、なぜわかったかという顔じゃな、まあこれは年寄りの勘というやつじゃ。おそらくご両親と一緒に代行者として活躍した姿、というのが正確かもしれんがの。」

 

さらに顔を青くする士堂に校長は微笑む。

 

「ああ、そんなに慌てなさんな。君が隠したことを責めはしない。なんせ君の持つ技は異端でありまだ誰にも明かしてはおらんじゃろうからの。むしろ当然ともいえる。」

 

そういうと杖を振ってどこからか机とティーセットを呼び出す。

 

「お茶でも飲んで話そうじゃないか、こんなのもまた一興じゃろう?」

 

出された紅茶に口をつけた士堂にダンブルドア校長は問いかける。

 

「君が自らの術を今まで見せびらかそうとしなかったことにわしは感心しておる。普通なら特別な力を持つ者の多くは、それを誇示しようとするもの。」

 

そう言って士堂に目を細めた校長がさらに問う。

 

「特にグリフィンドールとスリザリンはその傾向が出がちなんじゃよ。勇敢は言い換えれば無謀ともいえる。野心はそのまま力の誇示に繋がる大きな要因。二つの寮に選ばれたものは多かれ少なかれ力の誇示に走る傾向を皆持っているのじゃ。」

 

わしもその一人じゃ、とウインクする校長に士堂はふっと笑ってしまう。

 

「その賢明さに免じ、君から質問を受け付けよう。時間がないゆえ、あまり多くは語れぬじゃろうが。」

 

突然の提案に士堂は面食らうが思いのほかスッと言葉が出てくる。

 

「ではもし校長が、首を突っ込まなくてもいい問題に乗ろうとする友人がいたらどうしますか? どうしたらよいのでしょう?」

 

士堂の心からの疑問に、ダンブルドア校長は目を閉じながら答えを口にする。

 

「フム、わしなら止めるやもしれん。危険な道に歩む友を止めるは当然じゃ。」

 

そこまで言って紅茶に口をつけて、中々うまいじゃろうとウインクしてから話を続ける。

 

「じゃが聞く耳を持たぬものはいつ、どんなところにも居る。人の忠告が耳に入らず、一人で考えてあたかもそれがすべてだと信じるものが。もしそんな友人であるなら、わしはあえて火中の栗を拾うじゃろう。かかる火の粉を払いながら、友のそばにおることを選ぶやもしれん。」

 

「士堂、人は最善手を打とうとしてもそれが最善かどうかは結果を待つしかない。ああだこうだは後からいくらでもいえるものじゃよ。だからこそ、その時どうしたいかに委ねるのが案外一番良いやもしれぬ。」

 

これがわしの答えじゃ、といって校長は士堂を部屋に返した。

 

 

 

 

 




クヂィッチのあたり駆け足気味です。


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禁じられた森

結局ニコラス・フラメルの謎はあっさり解けた。ロンがカエルチョコレートに付属されているダンブルドア校長の説明書きから、賢者の石というワードを発見したのだ。

これをきっかけにハーマイオニーが図書館で見直した結果、賢者の石は全ての物質を金に変えるほかに不老不死に使われることが判明した。4階に何が隠されているか分かった4人はハグリッドに夜中忠告することにしたのだ。

 

「おお、お前さんたちこんな夜中にどうした。出歩いていい時間じゃないだろ?それにお前さんらにかまってる暇はないんだ。」

 

そういってドアを閉めるハグリッドに4人が同時に声をかける。

 

「「「「賢者の石のことだよ」」」」

「何?」

慌ててドアを開けたハグリッドは4人を中に招き入れる。内装は木こり小屋のようだ。

大男のハグリッドに合わせて椅子やテーブルは通常よりも大きめであり、ダイアゴン横丁で見かけた魔法道具に似た代物や何かの魔法動物の巣やら卵らしきものがあちこちにおいてある。

4人を椅子に座らせるとハグリッドが訪ねてきた。

 

「お前さんらどこで賢者の石について知った?あれは秘密なんだ。」

「あの石をスネイプが盗もうとしているんだ。! なぜかはわからないけど。」

「なに、スネイプが? ばかいえスネイプ先生は石の守り人の一人だ。なんだって盗む必要がある? 前にもいったがあり得ん。 ささ、帰った帰った。」

「なんだって? 石の守り人の一人?」

「わかったわ。何人かの先生が守りの魔法をかけているのね。」

「そいうこった。特にフラッフィーの守りを破れるのは俺とダンブルドアの二人だけ…、おっといっちゃいけねんだったなこれは。」

 

11歳の誘導尋問にハグリッドは見事に引っかかって、守りの概要

までしゃべってしまった。慌てて4人を返そうとしても、ここまで聞いて帰れるわけでもなく4人は居座ろうとしていた。

その時暖炉にくべられた窯から何かが爆ぜる音がする。ハグリッドはその音を聞いて窯から何かを取り出すと、テーブルの上に大事そうに置いた。

 

「こりゃなんだ、ハグリッド?」

 

士堂の問いにロンが震える声で答えた。

 

「これ僕知ってる、どこで手に入れたんだこんなもの?」

「賭けでな、知らない奴だったが持て余している感じだったからな。」

 

そういっていると件のものはぐらぐらと揺れ始める。中から殻を突き破るように、緑と灰色の混じったような色をした小動物が出てきた。それはロン以外の3人でも一目でわかるほど、マグル界でも有名な魔法動物だった。

 

「ちゃんとママが分かっているな、ノーバンド。」

 

そういうハグリッドのひげを燃やすドラゴンの子供に、声も出ない士堂は外からの視線に気づく。さっと近寄るとすでに走り去った後であったが、きれいなブロンド頭の少年であるのは間違いではなかった。

 

「まずいよ、よりにもよってドラゴンのことがマルフォイにばれた。」

「ハグリッドは前から言っていたんだ、一度ドラゴンを飼ってみたいって。」

「まずいよそれは、とんでもなく。」

「何がまずいの?」

「ドラゴンの飼育は簡単じゃない。許可なしじゃ飼育なんてできない。大体そんな簡単に飼育できるならビルが困っちゃいないよ。」

 

急いで談話室に向かう4人は道中賢者の石ではなく、ハグリッドのドラゴンについてしゃべっている。焦るロンが理由を説明していると、急に士堂とハーマイオニーが止まった。目の前にはランプを持ったマクゴナガル先生と得意げなマルフォイが立っていたのだ。

 

「いいですか、どんな理由があろうと夜中に出歩くのは規則違反です。今回の規則違反の罰として一人50点減点します。」

 

怒りの表情を浮かべるマクゴナガル先生の提示に思わず声を上げる4人であったが、先生は無視する。そして視線を得意げに4人を見つめるマルフォイに向ける。

 

「あなたも50点減点ですよ。マルフォイ。」

「なぜです、マクゴナガル先生! 僕は、」

「ええ、先ほども申した通りいかなる理由があろうとこの時間に出歩いたからです。」

 

自分が減点されるとは考えていなかったのかマルフォイは悔しそうな顔を浮かべているしかなかった。

 

 

5人には罰則としてハグリッドと一緒に、禁じられた森の見回りに同行することになった。最近この森で不審な影とユニコーンの死体が確認されたからだ。

 

「じゃあお前さんたちは分かれて探してもらおう。ハリーとマルフォイにロンとハーマイオニー、士堂はおれについてこい。何かあったら大声で知らせろよ。」

「じゃあファングを貸して。」

 

不安になったマルフォイの提案にハグリッドはファングを二人に付けた。臆病だと忠告して。

禁じられた森でハグリッドから離れるのは、一年生にはリスクが高いように思えるが、罰則としての意味が込められていると考えられた。

各々がランプを片手に歩き始める。禁じられた森はホグワーツと同じ歴史を持ちながら、今なお魔法動物が数多く存在している。大気中には自然の魔力が立ち込めて、ホグワーツとはまた違う雰囲気を醸し出していた。魔術が大気中の魔力も使用する特徴があることからか、士堂はいつもより気が立っている気がしていた。そんな士堂にハグリッドが声をかける。

 

「お前さんとは考えたらちゃんと話したことはなかったな。ハリーの友達だから気に求めちょらんかった。」

「ハグリッドはハリーといつから仲がいいんだ?

」緊張をほぐすために士堂は話を合わせる。

 

「ちゃんと話したんはハリーを学校にいれる時からだな。ハリーのちっこいから知ってるがね。お前さんは寮であった時からか?」

「僕は行きの列車で一緒になってから。ハリーの小さい時を知っているっていつだい。ハリーは襲撃の後すぐに預けられたんじゃなかったか。」

「そのくそったれのところにつれてったんだ。知ってたらあんな所には預けなかったがな。知っとるだろう?」

 

ハグリッドは心底イラついたように言うが、実際のところは士堂も詳しくは知らない。ただクリスマスに銅貨一枚送ってくるあたり、想像するのはたやすかったが。

 

「ハリーとは仲良くしてやってくれ。あの子には友達っちゅうもんもいなかったんだ。お前ら3人はハリーといてやってくれ、な?」

 

大きい体に似合わぬ小さい目をうるうると滲ますハグリッドに無言で士堂はうなづいて見せる。

その時悲鳴声が森の王の方から聞こえてくる。

 

「マルフォイの声だ。」

 

声のする方角に走る士堂は杖を抜いて臨戦態勢に入っていた。

 

途中でロンたちと合流して先を急ぐと、マルフォイが一人で逃げてくる。

 

「あああそこにに。何かかがあ、」

 

怯えたマルフォイをハグリッドに任せると、士堂はマルフォイが来た道を急ぐ。程なくしてその先にハリーの姿を見つけるが近くに何かいるのが分かった。

 

『ルーモス 光よ」 』

 

呪文学で学んだ光の呪文を唱えて見てみると、そこにはケンタウルスが月明かりを浴びて優雅に立っていた。その足元には銀色の液体が流れている。

 

「おお、フィレンツェ。ポッターにあったか。」

「ハグリッド、ここは危険だ。すぐに皆を返しなさい。」

 

よく見えていなかったがフィレンツェの足元にはユニコーンの死体が横たわっていたのだ。

 

 

「じゃああの森に例のあの人がいたっていうの?」

 

ハリーからことの詳細を聞いたハーマイオニーが、夜の談話室で声を潜めながら問う。

ハリー曰く、あの夜ユニコーンの死体にしがみついて血をすする何かを発見して、襲われたところをフィレンツェに助けられたらしい。その時生きながらの死を与えるユニコーンの血の効果とともに、賢者の石をヴォルデモートが狙っていると忠告されたという。

 

「多分スネイプはヴォルデモートの為に賢者の石を盗もうとしていたんだ。」

「もしスネイプ先生がヴォルデモートのスパイだとしたらそれはあり得るけど、教師にはなれないだろ?」

 

ハリーの考えに士堂が反論するも納得していないハリーにおびえた表情のロンが聞く。

 

「じゃあ例のあの人はハリーを殺そうとしていたのか?」

「多分可能なら今夜中にでも」

「僕、君が危険な目にあっていたのに学期末試験のことを考えていたよ…。」

ロンがいたたまれそうにする中、いたく冷静に答えたハリーにハーマイオニーが声をかける。

 

「ハリー、忘れたの。ホグワーツには例のあの人が恐れるダンブルドア校長がいるのよ。校長先生があなたに指一本触れさせないわ。」

 

「そうだな、だからロンが心配していた通り僕らは期末試験のことを考えようか。」

 

そう士堂が区切りをつけてこの夜は解散した。

 

 

学期末試験も終わり4人で部屋に戻る途中で、ハリーが額の傷に手をかけて顔をしかめる。

 

「ハリー、大丈夫か。前にも痛んでいたよな。」

 

心配そうなロンに大丈夫といってハリーは話す。

 

「何かが起きようとしているんだ。傷が痛むってことはそういうことだと思う。」

「でも守りはまだ機能している。ダンブルドア校長がいる中で盗むのは困難だと思うんだけどな。ハグリッドがかかわっているのが不安だけど。」

士堂の問いにハリーは何かに気づいたかのように走り出す。ハリーの突然の行動に3人が慌ててついていくとハリーは自分の考えを話しながらも歩を緩めない。

 

「話がうますぎるんだ! ドラゴンを飼いたかったハグリッドのもとに、たまたまドラゴンの卵を持った人が現れるなんて。しかもパブで会うなんておかしいよ。それにドラゴンの卵はめったに手に入らないんだ。なんで気づかなかったんだ!」

小屋の前で笛を吹くハグリッドを見つけるとハリーが問いただす。

 

「ハグリッド、ドラゴンの卵をくれたのはどんな人だった?」

 

突然のハリーの質問にハグリッドは普通に答えた。  

 

「さあな、フードかぶっていたから顔は見ちゃいねえ。」

「でもフラッフィーのことは話したんだよね。」

 

「まあな、どんな生き物を飼っているか聞かれたからフラッフィーに比べりゃ、ドラゴンなんか楽なもんだといったよ。」

「フラッフィーに興味を待っていたの?」

「まあな、三頭犬なんて魔法界でもそうはいねえからな。なだめるコツさえ知ってりゃ楽なもんさといってやったよ。」

聞いているだけでも頭がいたくなるが、士堂はまさかと思いながら質問をぶつける。

 

「なだめ方なんて教えちゃいないよな?」

「いってやったさ、フラッフィーは音楽をちょっと聴いてりゃねんねしちまうってな。」

 

試験会場で不備がないか確認していたマクゴナガル先生は、グリフィンドールの新たな問題児が駆け込んでくるのを目にする。また何かやらかしたかと身構えると、予想外の問いに直面舌を10個すぐ用意したのにを

「ダンブルドア校長に今すぐ会いたいんです!」

「なぜです、校長先生は急用ができて先ほど立たれました。」

 

そういうと4人が顔をこわばらせる。その表情は規則違反の減免が通用しないと悟ったわけではなく、もっと緊迫した状況を想定しているようだった。

「賢者の石が狙われています!」

 

士堂の口から最高機密の内容が出たことにマクゴナガル先生は驚愕する。一体なぜそのことを。

「どこで石について知ったかは疑問ですが、守りは万全です。なぜ知ったかは今は問いません。他言は無用です、寮に戻りなさい。」

強い口調でそういって4人を返しても彼女の胸には不安が残る。何かが起こる予感が長い人生経験からはじき出された気がするのだ。

 

「フラッフィーの守りについて聞きだしたのはスネイプだ。ハグリッドに目をつけて機会をうかがっていたんだ。」

 

寮に帰る途中ハリーはスネイプ先生への疑惑を深めていた。

「ダンブルドア先生がいなくなる隙に石を狙うつもりだ。絶対にそうだ。」

士堂が反論しようとするとちょうど計ったようにスネイプ先生が通りかかる。

「これはこれは。こんないい天気に外に出歩かずに寮に戻るとは。勇敢で威勢のいいグリフィンドールの英雄らしくない。」

 

そう言ってハリーの瞳をのぞき込むようにしながら言葉を吐き出す。

 

「いわれなき理由で疑われてしまうぞ、ポッタ―。」

 

「ハリー、どうするんだよ。」

スネイプ先生が去ったあとロンがハリーに聞く。

「僕たちで石を守る。動くなら今夜しかない。」

 

 

 




次回からラストに向かいます。


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賢者の石

夜中になってからハリーとロンは私服に着替えて行動を開始する。透明マントと杖を持って談話室に向かおうとすると、目の目に士堂が立っていた。

 

「ハリー、本当に行くのか?」

「当り前じゃないか、スネイプが賢者の石を狙っているのは君も知っているだろ?」

 

ハリーが反論しても士堂が納得していないことにロンが腹を立てる。

 

「なんだって君はハリーを疑うんだ。あんなに怪しいのに何が不満なんだい。」

「本当にスネイプ先生だと思っているのか?」

 

ハリーとロンが訝しげに眉を顰めると、士堂が自分の考えを話す。

 

「君はハグリッドからフラッフィーの守りについて聞いたのはスネイプ先生だと思っているんだろ?」

 

ハリーが頷くのに合わせて話が続く。

 

「つまりそれが本当なら、スネイプ先生はフラッフィーの守りは対処できるはずだ。ならなぜ足に怪我を負うんだ?」

 

どうやらこの考えはハリーらにはなかったらしい。ハリーらを無視して士堂は話を進める。

 

「へまをしたとは考えにくい。あの人はスリザリン贔屓のくそったれかもしれないけど、ダンブルドア校長が信頼するほど優秀な人材なことには間違いないからな。」

 

実際授業中のスネイプ先生は贔屓を抜きに見てみれば、その知識の豊富さと解釈の深さ・実践的なアドバイスを送る。彼の能力に疑問を持つ者はホグワーツにはいないだろう。

 

「誘導にトロールを使うのもおかしいんだ。野生のトロールを操るには専門的知識が必要だし、わざわざトロールを使わなくたって得意の魔法薬を生かせばいいんだから。」

 

自分の想定通りに動くか定かでないトロールよりも、魔法薬を使った誘導の方をスネイプ先生は選ぶだろう。あの人は痕跡を残さずに事を進めることが出来る能力を持っている。

自分の考えの盲点を突かれたハリーだったが、彼には止まる選択肢はなかった。

 

「そんなこといったって石が狙われているのは本当だ! ダンブルドア先生もいないし今がチャンスに違いないんだ! 僕らで止めるしかないだろ!」

 

ハリーが頑として動く気がないことが分かった士堂は、ロンに目を向ける。ロンも自分たちで守ることには変わらないと見えた。ため息をつきながら士堂は降参のポーズをとる。

 

「わかった、僕も行こう。君らだけよりかは戦力になるだろうから。」

 

そういって談話室に向かう士堂に2人は歓喜の表情でついていく。

談話室に出ると、先に来ていたハーマイオニーとなぜかネビルがいる。

 

「遅かったじゃない、時間はないのよ。まさか怖じ気づいていたの?」

「そんなんじゃないよ、ただ僕の考えをぶつけただけさ。」

 

それよりもと3人がネビルに目を向けると、おびえながらもネビルは4人の前に立ちはだかるようにして立つ。

 

「き、君たちまたなにかするんだろ? そ、そうなったらグリフィンドールの点数がまたひかれちゃう。」

 

ネビルの必死な声にハリーは優しく反論する。

 

「ネビル、僕らはいかなくちゃダメなんだ。通してくれ。」

「ネビル。これはマジにやばいんだ。頼むよ。」

 

ロンも続くが、ネビルは首を振って似合わないファイティングポーズをとる。

「こここは通さない。僕戦うぞ!」

 

ハリーに負けないぐらい頑固なネビルにハーマイオニーが杖を向ける。

 

「ごめんなさい、ネビル。こんなことはしたくないんだけど。」

『ペトリフィカス・トタルス 石になれ。』

 

ネビルに青白い光が走ると、気をつけの姿勢で硬直しながらその場に倒れこむ。

 

「君って時々おっかないよね。そりゃあさ、すごいけど。」

 

でもこわいよと杖をホルダーに納めるハーマイオニーにロンがささやく。

 

「行こう。」

 

ハリーの声とともに4人はネビルの横を通って談話室を出る。

 

 

透明マントを使って4階の扉までたどり着いた4人は、フラッフィーが寝ているすきに、下に続く扉に飛び込む。そこには悪魔の罠が設置されており、もがけばもがくほど締め付ける植物だった。身を委ねることで脱出するも、いまだに捕らわれたロンをハーマイオニーが太陽の光で救い出す。

次は空飛ぶ鍵が大量に飛び回っていた。古びたカギをその場にあった箒でハリーがキャッチして突破する。次は巨大なチェスが待っていた。チェスが得意なロンの指示でコマを進めるが、ナイトにいたロンが自らを犠牲に3人を進める。

 

「君たちが先に行って賢者の石を守るんだ! 行け!!」

 

ロンの覚悟をうけたハリーが先に進み、泣き出すハーマイオニーに士堂が寄り添って先に進む。

次は論理パズルと魔法薬の試練だった。ここはハーマイオニーが得意の知識を生かした分析で正解の薬を引き当てる。

 

「私はロンのところに行って助けを呼ぶわ。あなたたち二人が賢者の石を守るのよ。」

 

その言葉に士堂とハリーは薬を飲むことで返事をする。最後はトロールの試練だった。だが以前のものよりも大きいトロールは頭に強打を食らって失神している。誰かが先にいるのは明白だった。

 

先に進むとそこには古代の祭儀場を思わす広間があった。古代ギリシャ風の柱が立ち並びすり鉢状になった中央の平らな場に、みぞの鏡がおいてある。鏡の前にはハリーの予想した黒髪の嫌味な魔法薬の先生ではなく、ターバンを巻いた臆病な防衛術の先生が立っていた。

 

「来たなハリー・ポッター。待ちわびたぞ。」

 

いつものオドオドしたクィレル先生はいなく、落ち着き払った様子で淡々とハリーに声を掛ける。

 

「やはりスネイプ先生ではなかったか。あなたとは考えませんでしたが。」

 

自分の杖を向けながら士堂が声をかけると、意外そうに反応して見せた。

「おやおや、スネイプに疑いを持っていたのはハリーだけだったのか、これは意外だ。勝手に執着していたから好都合だったのだがな。いかにも怪しいスネイプ先生がいれば、ここんなおお臆病ななクィレル先生、には目を向けまい。」

「どうしてあなたが? クディッチの試合でスネイプは僕を殺そうとしていた。」

 

ハリーの疑問にクィレルが忌々しそうに答える。

 

「いいや、あの時殺そうとしたのは私だ。スネイプが反対呪文を唱えて私の闇の呪文に抵抗していたのだ。突然の発火に驚いて目を離さなければ暗殺できたものを。」

「じゃあトロールを入れたのも?」

 

ハリーの問いにさらに忌々し気にクィレルは答えた。

 

「そう私だ。皆が地下室に行く中、あいつだけが4階に向かっていた。いつもいつも私を一人にはしなかったのだ!」

 

その時ハリーの額の傷が疼く。今までない痛みに顔をしかめるのを見た士堂が一歩前に出てハリーを守るように立つと、鏡を向いたクィレルはつぶやく。

 

「だが私は一人ではない。皆は気づいていないが決して一人ではなかった。さあ鏡には何が写る? ああ見えるぞ。私が賢者の石を手にする姿が! ご主人様に手渡し、褒美をもらうさまが! なのに手に入らない。なぜだ。」

 

そう一人でしゃべるとハリーに声をかけてくる。

 

「さあハリー。私の横に立て。立てば何かが見える。」

「そんな誘いは受けれないな。」

 

強く杖を向けながら士堂が前に出る。

 

「ほう、ただの一年生が私に逆らうか。愚かな。」

「それはわからないだろう? こっちもなめてもらっちゃ困るんだよ!!」

 

『ラカーナム インフラマーレイ!!』

 

ハーマイオニーが使っていた呪文を力強く唱えると杖から勢いよく炎が上がる。本来は対象物を燃やす呪文であるが、どういうわけか炎が生成されてクィレルに向かう。その呪文はこれまたどういうわけかとてつもない速さで、クィレルに襲い掛かった!

クィレルは無言で炎をかき消すも予想外の速さに対応が遅れる。そのすきに士堂は自分の知る呪文と魔法をぶつける。

 

『アグアメンティ 水よ!』

 

勢いよく出てくる激流に打ち消すのが精一杯のクィレルにさらに攻勢が続く。

 

『グリセオ 滑れ!』

 

足元を狙った呪文に反応出来なかったクィレルに士堂はあえて距離を詰める。

魔法や呪文ではいつか通用しなくなる。呪文を無言で捌かれている以上それはそう遠くはない。だから突っ込むのだ。魔法を学ぶ前から身に刻まれた術を叩き込むために。

 

杖をしまいながらクィレルから4歩近くの距離になると、士堂は右足で強く地面を蹴る。加速する勢いのまま右足をそのまま前に出しつつ、引いてあった右拳をねじりながら突き出す。右足の着地と同時にクィレルの肋骨の下に右拳をねじりこむと逆手である左拳をフック気味にみぞおちに叩き込んだ。口から苦悶の声が出てくるのを無視し、クィレルの肩をつかんで左足膝蹴りを肋骨になおも食らわせる。

体を九の字に曲げるクィレルを地面にたたきつけ、その顔を思いっきり蹴り上げると、士堂はすぐに距離を取って杖を構えなおす。感触は良かったが、油断はできない。相手が戦闘不能になる寸前まで気を抜かないのは戦闘における基本である。

士堂の武術は中国拳法が主体の独自のものだ。普通の拳法と違い、己が魔力を手や足に集めることで威力を上げている。魔力の集中は魔術回路が認識できなかったころから士堂にはできたのだ。クィレルは体を鍛えているわけではなさそうであったから、いかに大人でも士堂の攻撃は効いているように見える。

見たことのない士堂の体術に動けずにいたハリーが思わず駆け寄る。

 

「すごいや、今の何? もしかしてカンフーてやつ?」

「バカ、近寄るな!! まだ何が起きるかわからな」

 

駆け寄るハリーを突き飛ばした士堂は赤色の閃光をもろに食らって吹き飛ぶ。突き飛ばされたハリーが目を向けるとクィレルが立っていた。

 

ハリーは立ち上がったクィレルに違和感を覚える。目の前の人物はクィレルにしてクィレルにあらず。そう本能が答えを出していた。

額の傷がまた痛む中、クィレルは頭のターバンをゆっくりと外す。後頭部をハリーに向けると、そこには何かが憑依していた。蛇のような皺が顔中に走り目は赤く光っている。見たことがないはずの生物にハリーは、その正体を本能的に理解した。

 

「ヴォルデモート。」

「そうだ、ハリーポッター。また会ったな。」

 

ささやくようにしながらヴォルデモートは話かけてくる。

 

「今の私は誰かを宿主にしなくては生きられぬ体だ、まるで寄生虫のように。ユニコーンの血を吸わなくては生きられぬ体だが、ある物さえ手に入ればそれも解決する。」

「さあハリーポッター、私の横に来るのだ。立って鏡をのぞいてみるのだ。 さもなくばあの者の命はない。」

 

ハリーは横たわる士堂に目を向けながらゆっくりと鏡の前に立つ。鏡には死んだ両親の姿は見えなかった。ハリー自身が写っていたのだ、赤い石を手にして。

たじろぐハリーをよそに、鏡の中のハリーは赤い石をこれだよとばかりに掲げてからポケットの中にいれる。ハリーは自分のポケットに何かが入るのがはっきりと分かった。

 

「見える、見えるぞ。体を取り戻して再び返り咲く私の姿が!! ダンブルドアも魔法省も打ち滅ぼし、私が君臨するさまが!!」

 

鏡をのぞくヴォルデモートの体が不自然に揺らめくのを、ハリーは見逃さなかった。先ほどの士堂の攻撃は予想以上にクィレルの体にダメージを与えているようだ。

もうすぐハーマイオニーが呼んだ先生たちも来るはずだ。ハリーは透明マントで歩く時のようにゆっくりと音をたてないように下がりつつ、士堂のそばに近づく。彼を見捨てる選択肢はなかった。

 

「さあハリーポッター、その手にある賢者の石を渡すのだ!」

 

だがヴォルデモートは賢者の石を手に入れたことに気づいていた。手を振って広間の周りに炎を発生させて逃げ道をふさぐ。そしてハリーを素手で捕まえようと跳躍してきた。

喉元を絞められたハリーは必死に逃れようとするが、子供と大人の力では対抗できない。手に持っていた賢者の石を手放すほどに力が抜けていたハリーは必死の思いでクィレルの手をつかむ。

するとクィレルの手がハリーが触れた場所から燃えるようにしながら崩れていく。

 

「ぐああああ?! 何だ、これは?! 何が起きているのだ、からだが、く、崩れ、」

 

それを見たハリーはとっさにクィレルの顔に手を押しつける!

ハリーが触れたそばからクィレルの体は崩れ行く。砂状に崩壊するその様にハリーが座り込むようにして離れるのを砂状の何かが手らしきものを伸ばすが、触れぬままに崩れ落ちた。

衣服と砂が残った地面を見ていたハリーは疲労が押し寄せる中で士堂に近づく。

 

「しっかりして、士堂! 目を開けるんだ!」

 

そう体を揺するハリーの背後から何か禍々しいオーラを感じた。

そこには霧状のヴォルデモートが苦痛の声を上げながらハリーにめがけて突っ込んできていた。

 

 

ハリーは近くで何かが動くのが分かった。目を向けるとそこには士堂が立っているじゃないか!! 起き上がった士堂は霧状のヴォルデモートを目にしたとたん両腰につけていた柄を両手に取る。

 

『告げる(セット)』

 

その声とともに柄から青白い光とともに一瞬にして剣が伸びていく。およそ30㎝ほど伸びたそれを体の前でx上に交差してから、士堂は剣を振り払うようにヴォルデモートに向けて投擲する!!

右手から放たれた一本がヴォルデモートに刺さるとヴォルデモートは恐怖を感じるような絶叫を上げる。左手の黒鍵を投擲する溜をしつつ士堂は詠唱を開始する。それは世界で一番浸透した宗教の力を根底にする魔に対しての死の勧告であった。

 

『私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。』

 

だがそこで終わる。力尽きるかのように左手に黒鍵を握ったまま士堂が倒れこむと、黒鍵から逃れるようにヴォルデモートはその場を離れていく。

魔法でも呪文でもない、何かを殺すものを士堂が使うのを呆然と見ていたハリーは慌てて士堂に駆け寄る。だがハリーはうつ伏せの士堂を起こしたところで力が抜けるのが分かった。

まるで寝落ちするかのように意識が消えていくハリーは、意識が消える直前誰かがこっちに駆け寄ってくるのを見た。

 

 

 




例のごとく試練の方は駆け足気味に。
原作読んだのがだいぶ前で映画をもとに作っています。その中でなぜ魔法が使えるクィレルがハリーに素手で近づいたのかという部分を自分なりに理由付けしました。
次回詳しく考察したいと思います。
不自然なところがあったら教えてくれるとありがたいです。


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帰還

目を覚ますとつんとした匂いが鼻につく。瞬きしながら士堂が体を起こすとそこは病室だった。ベッドが並ぶ一番奥に寝かされているようだ、と士堂がぼんやりと認識すると妙齢の女性が駆け寄ってくる。

 

「目を覚ましましたね、ミスター士堂? 気分はどうでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ、マダム…ポンフリー?」

 

ホグワーツの医務室を担当している校医の名に自信がなかった士堂にマダムは優しく微笑む。

 

「合っていますよ、私の名を覚えてくれるのはうれしいですが、複雑です。本来は会わないのが一番なんですからね。」

 

視線を足元にずらすと備え付けのテーブルにお菓子やメッセージ入りのカードがおいてある。見ればいたずらグッズもあるからウィーズリー兄弟も来てくれたらしい。

そして枕元には展開されたままの黒鍵が立てかけてある。そこには何も手が付けられておらず、誰も触れていないのが分かった。

 

「誰が黒鍵をここに?」

 

士堂の謎に答えたのはこの世で一番頼れる人だった。

 

「わしじゃよ、士堂。目が覚めて何よりじゃよ。」

 

そういってハリーらを後ろに引き付けてダンブルドア校長が歩み寄ってきた。

 

「大丈夫かい、士堂?」

「目が覚めなくて心配したんだ。本当に大丈夫?」

「そうよ、どこか痛まない? あなたずっと眠っていたのよ。」

 

立て続けの質問にダンブルドア校長が手で制する。

 

「まあまあ、落ち着き給え。マダムの治療は完璧じゃった。体は問題ないじゃろう。それよりも状況を説明したほうがいいかの。」

 

士堂の枕元に3人が寄ってから、ダンブルドア校長はベッドに腰掛けて話始めた。

 

「まず、賢者の石は無事じゃ。あの後わしが回収し、ニコラスと協議した結果砕いておいた。あんなものを残しておいても意味がないじゃろう?」

 

そういって士堂に目を向ける。その視線から士堂は思いつくままに質問をした。

 

「なぜクィレルがヴォルデモートと一緒に行動を?」

「推測じゃがアルバニアの森で会ったと見える。休暇中に立ち寄ったのが分かっておるからの。なぜ、かはさらにあいまいじゃがヴォルデモートの甘言に惑わされたのじゃろう。あやつはそうした術に長けておった。」

「どうやって倒したんです、僕呪文を食らってから記憶があいまいで…」

 

士堂の発言に驚く3人だったが想定内のことかのように校長は話す。

 

「ハリーが倒したんじゃ。ハリーの愛の魔法での。」

「愛?」

 

士堂の言葉を受けさらに話が続く。

 

「ハリーが11年前にヴォルデモートを倒せたのは母親の残した愛の魔法ゆえじゃ。古代から伝わる犠牲の上に成り立つ最強の防御魔法。

これがある限りハリーにヴォルデモートは手出しできずにおるのじゃ。クィレル先生が打ち滅ぼされたのもその魔法の効果じゃろう。」

「ハリーから聞いた話から推察するに、クィレル先生は君との戦闘で体にひどくダメージを受けたと見える。元々憑依されると、生命力と魔力が著しく弱まる傾向があっての。

そこに加えて君との戦闘でクィレル先生は抜け殻に近い状態で魔法に対して抵抗力が削がれたとみている。ハリーに魔法を使わずに近づいたのは使わなかったのではなく、使えなかったんじゃろうな。」

 

クィレルの戦闘について概略をつかんだものの、疑問は残っていた。

 

「なぜ黒鍵が僕のところに?」

「君が使ったからじゃ。霊魂の状態になったヴォルデモートに君が投擲したところをハリーがみておる。」

 

その答えは士堂にとってうれしくないものである。使うことを祖父から止められたにもかかわらずに無断で使ったからだ。

 

「心配せんでもよい。今回の件はわしが手紙ですでに報告済みじゃ。怒ってはおらんようじゃったよ。」

 

そういってダンブルドア校長は、4階で紅茶を飲んだ時のようにウインクして見せる。

 

「そもそも君は不思議ではなかったかの? 君の家族が君が巻きこまれた事件について、心配の声を上げなかったことに。わしがすでに状況を報告しているから、と信頼をしてくれたんじゃ。」

 

思い返せばそうだった。定期的に届く手紙には近況報告と励ましの手紙だけだったから。あの時は巻き込まれた事件で頭がいっぱいで気づいていなかった。自分は冷静だと思っていたがそうではなかったようだ。

 

「じゃが今回の件はわしも想定外じゃった。もし君がいなかったらハリーはおろか、他のものも命が危うかったかもしれん。このことはわしの落ち度でもある、許してくれまいか。」

 

そういって頭を下げるダンブルドア校長に慌てて士堂が答える。

 

「やめてくださいよ、僕は大丈夫ですから。それよりも黒鍵がここにあるってことは僕について皆はどれほど知っているのですか?」

 

士堂の問いにひげをさすりながら校長は答える。

 

「今回の件は秘密にしておる。じゃが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()&()l()t();()b()r()&()g()t();()

目の前がまた暗くなりそうな士堂に隣にいたハーマイオニーが慌てて訂正する。

 

「皆はクィレルとあなたが戦ったということしか知らない。その剣をどう使ったかを知っているのはハリーだけよ。」

「僕は誰にも言っていないよ。だって信じてくれないもの、君がやったこと。」

 

ハリーが肩をすくめながら付け加えると、ロンが我慢できないように口を開く。

 

「なあ、聞いてもダメかも知れないけどさ。君って…何者何だい?」

 

ロンの問いはもっともであったがどう答えればよいかわからない。そんな士堂にダンブルドア校長が助け舟を出す。

 

「皆に教える必要はない。わしは士柳の友人ゆえ説明はできるが、君自身が3人に話すことに意味がある。今回の件があって話さないというのは難しいじゃろう?」

 

その言葉を受けて観念したかのように士堂は3人に目を向ける。

 

「分かった。君たちには話す。でもここじゃない、もっと時間が必要なんだ。根底が一緒のようで違うんだよ。」

 

士堂の答えに納得できないハーマイオニーや首をかしげるハリーとロンにダンブルドア校長が手をたたいて区切りをつけた。

 

「さあ、もうすぐ終業式じゃ。もちろん来るじゃろう?士堂。」

 

その言葉にうなづくと士堂は3人の前で黒鍵を手に取り、柄の状態に戻して腰に差した。

 

着替えた士堂を含めた4人が大広間に向かうとどこからか拍手が起こる。先生らも含めた視線は4人に集まるが、士堂は腰についた柄に目線を向ける生徒が少なくないことに気づく。グリフィンドールの机に座ると、目の前にネビルがいた。

 

「ネビル、無事だったか!」

 

士堂の驚きの声にネビルが背中を丸くする。

 

「僕、君たちが何をしに行くか知らなくて… もし僕が止めたままだったら賢者の石が…」

 

気弱なネビルに声をかけようとするとマクゴナガル先生が机のベルを鳴らし、ダンブルドア校長が立ち上がって話始めた。

 

 

「また一年が終わった。今年も最優秀の寮を表彰したいと思う。では得点を発表しよう。第4位グリフィンドール252点。第3位ハッフルパフ352点。第2位はレイブンクロー、得点は426点。そして第1位は472点で…スリザリンじゃ。」

 

点数が発表されるたび、4人の肩が丸くなり拍手も小さくなる。グリフィンドールの点数は4人で200点下げたからで、これがなかったら順位はまだましだったのだ。

マルフォイらが嬉しそうに騒ぎ、無表情で拍手するスネイプ先生をみながら士堂は気持ちが沈んでいくのが分かる。目の前のチキンやローストビーフがオブジェに見えてきた。

 

「よーしよし、スリザリンの諸君よくやった。じゃがのお、最近の出来事も換算せねばなるまい。飛び込みで得点を挙げた者がおる。」

校長の予想だにしない話にスネイプ先生とスリザリンの顔がこわばる。

 

「ハーマイオニー・グレンジャー。その冷静な頭脳で難題な問題を見事に解いて見せた。よってグリフィンドールに50点。」

 

途端にグリフィンドールのテーブルが騒がしくなり、ハーマイオニーが恥ずかしそうな表情を浮かべる。

 

「次にロナルド・ウィーズリー。ホグワーツの歴史上、近年まれにみるチェスの腕を見せてくれた。50点。」

 

ロンの驚嘆の表情に周りが冷やかす中さらに続く。

 

「3人目はハリー・ポッター。その強い意志と卓越した勇気を讃えたい。―そこでグリフィンドールに60点。」

 

スリザリンのテーブルでマルフォイが顔をこわばらせながらこっちを見ている。大広間の誰もがその先を予感していた。

 

「4人目は士堂・安倍。見事な防衛術と剣の腕前はゴドリック・グリフィンドールを彷彿とさせた、よってグリフィンドールに60点。」

「スリザリンに並んだわ!」

 

ハーマイオニーの声にテーブルが期待感に満ちていく。

 

「最後に、敵に立ち向かうのには大変勇気がいるが、友人に立ち向かうのはもっと勇気がいる。その勇気を讃えネビル・ロングボトムに10点を与える。」

 

呆然とするネビルに士堂は声を掛ける。

 

「皆気にしちゃいないってことさ、逆に誇りに思っているよ。」

 

「では旗を変えなくてはの。」

 

校長の声にこたえるかのように獅子の紋章が入った黄色とオレンジの旗が大広間の天井を埋める。

 

「今年の優勝カップはグリフィンドールに!!」

 

その声とともにスリザリン以外の3寮から歓声が上がる。マクゴナガル先生が頬を赤くしながら拍手を送り、ハグリッドがガッツポーズをする。そしてグリフィンドールが帽子を天高く放ると同時にスリザリン以外の3寮も帽子を放り投げた。隣の人らと次々ハグをしながら今までにない充実感を味わう士堂らであった。

 

 

ホグワーツも区切りの日を迎えた。クリスマスと違い今度はハリーも実家に帰る必要がある。ハグリッドから渡された両親の写真を見ながらハリーがぼやく。

 

「僕、帰りたくない。ホグワーツにいたいよ、ずっと。」

 

ハリーの状況からボヤキとは言えないから訂正ができない。

 

「ハリー、僕んちに来なよ。ママもハリーなら来ていいって言ってるんだ。

「私も手紙を送るから、頑張ってハリー。」

「何なら僕んちでもいいぞ。祖父さん祖母さんしかいないし誘っても大丈夫だぜきっと。」

 

そう3人が声をかけていると列車はキングズ・クロス駅につく。

各々が荷物を持って家族のもとに向かう。ロンの家族は一目でわかった。皆一様に赤毛だったから。

 

「ああ、あなたが士堂ですね!」

 

そういうとロンの母親らしき人が士堂に駆け寄ってくる。

 

「モリー・ウィーズリーです。息子たちがお世話になったみたいで。」

「初めまして、士堂・安倍です。こっちも迷惑かけっぱなしですよ。」

 

ミス・ウィーズリーは士堂の手を握って感慨深そうに言う。

 

「あなたのご両親とは友人でした、あなたの姿を見れば喜んだでしょう。」

「あなたも両親と?」

「ええ、それは… ああ時間がない。是非我が家に来てください。その時話をしましょう。」

 

そういってミス・ウィーズリーは去っていった。

 

士堂があたりを見回すとちょうど祖母の道子が来るのが見えた。

 

「遅くなってしまったわ、ああお帰りなさい。大変だったでしょう?」

 

そういって荷を持とうとする祖母に中々返事が言えない。

 

「私たちは怒ってなどいません。友人を守るために力を行使したことを怒るほど、落ちぶれてはいません。胸を張って帰ってきなさい。」

 

何もかも御見通しの祖母に士堂は胸を張ってこたえる。

 

「ただいま、祖母ちゃん。」

 




区切りの話を書きました。憑依云々はオリ設定です。
秘密の部屋とアズカバンの囚人までは書こうと思っているので頑張ります
次は秘密の部屋の前の話になると思います。
文章は会話文と説明文の間を開けた方がいいんですかね?試しに開けてみました。


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秘密の部屋編
再会


ホグワーツの休暇を通して士堂は鍛錬の日々を送っていた。対クィレル戦において呪文をもろに食らい気絶したのが理由だ。とっさの攻撃に反応できるように、今は士柳の投げる疑似黒鍵を躱す練習に明け暮れていた。

 

「其処じゃ、気が抜けておる! わしの手を見てはならん、全体をぼんやりと見なくてはいかんのじゃ!」

 

繰り出される黒鍵は地面に突き刺さるたびに衝撃で周囲をくぼませる。士堂が手の大きさから一本しか持てないのに対し、士柳は片手に三本をかぎ爪のように指で挟みながら、次々と投擲するのだ。

 

「今日はここまで、まあこればっかしはのお。」

 

士堂の現在の課題は経験不足。これも実戦が増えれば問題はないのだが、実践が増えては危険が増す。そこで命を落としては本末転倒なのでジレンマが生じていたのだ。

 

「なるようにしかならんて。気長に待つしかないのお。」

「それじゃあなあ。」

 

息を整えながら祖父の答えに士堂は不安になる。 本当に大丈夫だろうか。

 

「ま、考えるのは飯食ってからにするか。」

 

そう一人つぶやいて士堂は背伸びを一つ下。

 

「ウィーズリー家に遊びに行く用意はできたのですか?」

 

夕飯後に柄を磨く士堂に道子が声を掛ける。

 

「出発は明日でしょう? それにそのまま学校に向かうってことは、学校の準備も必要になるじゃないですか?」

 

士堂は柄を置いてカラスのフギンに餌をやりながら答える。

 

「用意はできた。必要な教科書も向こうでみんなと買うから。」

「何も起こらないといいけど…」

「それはどうじゃろうなあ。一年生でこれなら今年はどうなることやら。」

 

祖父のどこか抜けた答えに苦笑いするしかない士堂だった。

 

次の日荷物をまとめた士堂は暖炉の前に立っていた。今日は煙突ネットワークなるもので迎えに来るとのことで、そのために暖炉の前にいるのだ。

 

「大丈夫ですか、忘れ物は?」

 

何回目かわからぬ祖母の心配にあきれながら合わせる。

 

「大丈夫、ハーマイオニーがリストを作って手紙で送ってくれたからその通りにしたんだ。」

「あなたが人様のうちに行くのは初めてですからね。失礼があったらと思うと…」

 

話しているうちに暖炉から火が上がり、パーシーがでてきた。

 

「はい士堂、元気そうで何より。準備はもうできてるみたいだな。弟たちも見習ってほしいよ。」

「そっちこそ元気そうで良かった。その様子じゃロンたちも大丈夫そうだな。」

 

パーシーは士堂と挨拶してから祖父母とも挨拶をする。

 

「パーシー・ウィーズリーです。弟のロナルドがミスター士堂と仲良くさせてもらってます。」

「私が士柳・安倍です。隣にいるのが妻の道子です。こちらこそ家までお邪魔するとはご迷惑をおかけします。どうぞウィーズリー夫妻によろしくお伝えください。」

「ええ、両親から顔見知りだと伺っています。両親もよろしくといっていましたから。」

 

簡単な挨拶が終わったパーシーが士堂に声を掛けて、二人は荷物とともに暖炉に消えた。

 

 

孫を見送った後に士柳が玄関の扉を開ける。そこには何もいないが誰かがはいったのを確認するかのように時間を置き、扉を閉めてから声を掛ける。

 

「相変わらずですな、ダンブルドア。教え子の見送りはよろしかったので?」

 

そこにはダンブルドア校長が立っている。苦笑しながら士柳と道子に話しかける。

 

「フム、今回は自信があったがの、ダメじゃった。二人とも久しいの。元気そうで何よりじゃ。」

 

道子が用意した緑茶と和菓子に舌鼓を打ちながらダンブルドア校長が士柳と談笑する。

 

「ホグワーツでは東洋のお菓子はなかなか手に入らん。東洋風のこの茶も飲めるやもしれんが大変での。」

「これは私らもめったに食いやしません。こんな時の為にと常備して、日がたってから余りを口にするぐらいですよ。日本はまだ遠いままです。」

 

大福を口に運び、ほのかな甘みを味わいながらお茶を飲む喜びを味わいつつ、やんわりと士柳が話を進める。

 

「今日はそんなことを話しに来たわけではないでしょう?」

 

そういわれたダンブルドアはピッと姿勢を正して士柳に向き合う。実力者が備える威厳を肌で感じる士柳は身震いを感じた。

 

「今回の賢者の石についてはわしらに不備があったことを伝え、謝罪しに来た。」

 

頭を下げる校長に士柳が問いかける。

 

「そちらの不備、とやらは?」

「お孫さんを巻き込んだことじゃ。これは計画には入っておらん出来事じゃった。」

「詳しく聞きましょう。」

 

そういった士柳に校長は今回の全体像を説明した。

 

「そも今回は賢者の石を狙う輩をあぶりだし、ハリーを成長させる意図があったのじゃ。」

「何と?」

 

話を聞きながらダンブルドア校長の発した言葉に思わず聞き返す。

 

「知っての通り、ハリーは狙われておる。ダドリー家におれば安全じゃが、それでは魔法について知るすべがない。ホグワーツはわしがおるから他よりも安全じゃが、それもいつまでかわからぬ。」

 

「なればこそハリーには困難に立ち向かう術を学ぶ必要があった。これはハリーのための仕掛けだったのじゃ。一年生でも突破は可能な仕掛けでハリーに学ばせつつも、賢者の石を狙うやつもおびき出せる。」

 

そこまで言うと目線を下げて、校長が話す。

 

「じゃが上手くいかんかった。わしはホグワーツから離れるスキを作り、ハリーのもとに駆け付けるのが遅れた。駆け付けたときは二人とも気を失っておった。一歩、いや半歩間違えとったらわしらはあの時と同じく葬儀場で顔を合わせることになっとった。」

「では士堂は想定外、だったとでも?」

 

短い士柳の問いは、とげを帯びてダンブルドアに突き刺さる。

 

「まあ、そうじゃな、うむ。本来はハリーが単独で突破することを想定しておった。むろん友人が手助けしても問題はなかったが、そこに士堂は入るとは思っていなんだ。」

「では、元凶のクィレルとやらは?」

「そこが大問題じゃ。」

 

校長は大きくため息をついて頭を抱えた。まるで自分の力のなさを悔いるように。

 

「怪しいと感じてはおった。挙動不審なところは学生時代からあったが、立派な人間ではあった。

じゃがホグワーツに闇の魔術に対する防衛術の先生候補として面接した時、闇の魔術に触れた痕跡が感じられた。本人は吸血鬼探しのためといっていたが、疑念は晴れぬ。

そこでわしの目の届く位置で監視しようと考えたのじゃ。」

「よもやヴォルデモートが憑依していたとはわからなかった。考えなかったわけではないが、ここまで大胆に潜入するとは。

憑依したのは魂か魔力かの相性が良かったからだと推察しておるが、これがもっと戦闘経験が豊富なものに憑依しておったらわしらも危うかった。」

 

自らの見落としに肩を落とすダンブルドア校長に道子が話に加わってきた。

 

「このことは他の人たちにも話しておられるのですか?」

「全員ではないが、御友人の両親であるウィーズリー家とグレンジャー家には話しておる。ウィーズリー家は知っての通りこういうのには耐性があるが、グレンジャー家は正真正銘のマグルの家系じゃ。会って話せねばなるまい。幸い寛大に許してくれたのじゃ、ありがたいことに。」

 

士柳はじっと考え込むように目を閉じていたが、やがて絞りだすように話す。

 

「私らは士堂の保護者です。あの子が平穏に暮らすことを望んでおりますが、それがかなわぬことも覚悟しております。」

「おそらく、ヴォルデモートがことを起こしたということは平穏に暮らすことは無理でしょう。士厳のこともありますゆえに、あの子も巻き込まれるのはハリーの友人である以上は必定。」

 

古くからの友人の言葉は保護者というよりも、魔を断つ代行者としての言葉でもあった。そこにある悲壮な覚悟は、歴戦の勇士でもある学校長にはわかってしまう。

 

「この年になって少ない友人にこんなことを話させるとは情けない、稀代の大魔法使いが聞いてあきれるわ。」

 

その覚悟にこたえるかのように、手をとって誓う。

 

「わしも、君たちを悲しませるようなことを起こさせないことを約束しよう。君らの孫はわしらがしっかりと育てて君たちのもとに届けて見せようぞ。」

 

時間がたち、ダンブルドア校長は玄関に立って別れの挨拶をしている。

 

「今度会うときはいい話がしたいのお。先が長くない仲なのでな。」

「全く本当ですよ。今度はそちらのお菓子をお願いします。」

 

士柳の言葉にうなずきながら、ダンブルドア校長は跡形もなく消え去った。

 

 

 

 

 

 




時系列的には賢者の石と秘密の部屋の間。
ダンブルドアは事件について説明するんじゃないかと思って書きました。


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脱出

ボン、という音がしたとともに足が地面についたことが分かると、士堂は恐る恐る目を開けた。目の前にパーシーがいることを確認すると思わず息を吐いてしまう。

 

「初めての煙突飛行はどうかな? マグルではこう言った移動はないそうだからね。でも君は姿現しを経験しているんじゃなかったか?」

「いや、あれとはちょっと違うかな。 あっちは手をつないでいる分安心感があったけどこっちは、初めてってこともあって不安だったよ。」

 

煤を払いながら荷物を床に下ろすと、士堂はウィーズリー家の中に目を通す。ダイアゴン横丁で見たような魔法道具がおいてあり、時刻ではなく行動を示す時計に動く写真が表紙の本。ひとりでに掃除する箒に火花を散らすラジオ。初めて見る魔法使いの家はホグワーツほどではなくても、やはり刺激的ではあった。

パーシーに促されて手を洗っていると階段から騒々しい音とともに、フレッド&ジョージとロンが下りてくる。その後ろから赤毛の少女が遅れておずおずと顔をのぞかせる。ちょっと会わないだけで彼らのエネルギーに驚いてしまう。双子が両手に怪しい紙筒を持っていることから目をそらしながら、友人と再会を喜び合う。

 

「ああ、元気だった士堂! 僕が行こうとしたんだけどママから家の片づけをしろって言われちゃってさ。今も兄貴たちと一緒にやってる最中。」

「おお、愛しの士堂。君を今日まで恋焦がれていたんだ。早く堅物野郎が君を連れてこないかと、今か今かとね!」

「我らが発明した自動追尾花火Ⅳの運用テストには、君が一番なのは知っているだろう?

さあ、着替えて外に出ようではないか!」

「あ、私はロンの妹のジニー。みんなから話を聞いていたんだけど今度おしゃべりしましょう!」

「ロンも元気そうだなあ。初めまして、ジニー。僕でよかったらいつでもどうぞ。」

 

双子の恐ろしい歓迎を無視してロンとハグをしてジニーと簡単な自己紹介をしていると、庭からウィーズリー夫人が戻ってきた。士堂の姿を見つけたウィーズリー夫人が目を麗しながら、ハグをしてくる。

 

「ようこそわが隠れ穴に。元気そうで何よりですわ。駅で見た時よりも引き締まっているのはさすがですこと。」

「お世話になります、ウィーズリー夫人。これは祖父母からのお土産です。祖父母の生まれ故郷日本の伝統的なお菓子の詰め合わせと聞いています。」

「モリーでいいわよ、堅苦しいのは嫌ですの。まあまあ、気を使ってもらって。これはマグルのお菓子ですわね。今日はアーサーは帰らないとのことでしたが、彼が喜ぶことでしょう。」

 

荷物の中からお土産を渡した士堂はそこでロンになんとなしに尋ねてみた。

 

「ハリーはまだ来ないのか?」

 

 

その夜、ロンの部屋で身を寄せ合ってベッドに横になる士堂とロン。夜が深くなり、聞いたこともない動物の声が聞こえる中で意識を闇に落としていた士堂は、ベッド付近に人の気配を感じる。目をぼんやりと開けると双子が着替えて口元に指をあてている。静かにというジェスチャーに気づくと、ロンがばっと起き上がった。慌てて双子がロンに強く警告すると、ロンもゆっくりベッドを下りながら肩をすくめる。

 

「何してるんだ?」

 

士堂の疑問にフレッドがやけに真剣気味に顔を近づける。他の二人にしても緊張感が漂う雰囲気に自然士堂も身構える。右手に杖を手繰り寄せ、隠していた黒鍵に手を伸ばそうとすると、ジョージが必要ないとばかりに手で静止してくる。

 

「ハリーを助けに行くんだ。お前は来なくていい。」

「何でハリー? しかも助けるってなんだ?」

「君は気づかなったようだけど、僕もハーマイオニーもハリーと連絡がつかない。」

「えっ?!」

 

ロンの言葉に大声を出してしまうと、慌てて3人が口元に手を伸ばして制止してくる。自分の手で口元を抑えて、了解の意を示すと双子が簡潔に説明をしてくれる。

 

「俺たちはともかく、ロンたち3人と手紙の一通も連絡しないなんておかしすぎる。ママもパパが帰ってきたら、迎えに行こうといってるんだ。」

「ロンは30通は書いたんだぜ? そして今日君の証言を持って猶予はなし、とみて俺ら3人が救出に向かう。」

「どう助けるかは秘密だが定員が4人ってことで君はお留守番。朝の時間までママとパーシーの目をそらしておいてくれればよし。いいな?」

 

士堂が首を縦に振ると3人は音もなく下に下っていく。さっきはあんなにうるさかったのに、とのんきなことを考えていると庭先からブルルンという機械音が聞こえてきた。

3人の手段とやらに興味がわくが、指示を思い出してみないことにした。その方がウィーズリー夫人に追及されたときにいいのでは、と考えたのだ。そしてこちらを見ているペットのフギンの籠の扉を開ける。賢き鴉は声も上げずに翼を広げる。士堂が部屋にばらまかれていたロンのハンカチを、フギンの目の前にかざして匂いをかがせる。

ハンカチに顔をうずめるフギンに短く小声で指示を出すと、士堂が部屋の窓の鍵を開ける。

力強く籠の足置きを蹴りだして、フギンは漆黒の闇に身を隠しながらどこかにまっすぐ向かっていった。

 

 

ハリーは大慌てでトランクに服やら教科書やらを詰め込んでいた。ダードリー家の嫌がらせはいつもであるが、今回は屋敷しもべのドビーという妖精がハリーに不幸を招いていた。友人らの手紙を止めてまでハリーをホグワーツに行かせまいとする真意が読めない。友人である賢い彼女ならともかく、ハリーには手掛かりらしいものもないまま悶々とベッドに寝ていたのだ。

ふと目を覚ますと窓の外に空飛ぶ車が浮かんでいる。目を見開くハリーはそこに夢にまで見た友人とその兄弟の姿をとらえる。ロンたちに促されるままに荷造りしていたハリーがペットのヘドウィグを手渡してロンの手を掴んだと同時に、ダードリー家が鍵を開けて部屋に侵入してきた。

 

「行かせはせん、いかせはせんぞ~!」

「ま、ママ! 車が宙にういてるよお!」

「あなた、その子を離しちゃだめですよ!」

 

窓から身を乗り出して車に乗り移ろうとするハリーの足を、バーノンおじさんが必死になって離さない。フレッドがハンドルを切って手を外させようとするが、ハリーまで下に落としてしまいそうになりうまくいかない。

ハリーの手がロンから離れそうなその時、暗闇の中からひゅっと音がしたと同時にけたたましい鳴き声がダーズリー家の周りに響き渡る。その声にペチュニア叔母さんとダードリーが耳を抑えてうずくまる。

ウィーズリー兄弟も顔を顰めるが、彼らほどの衝撃は受けなかった。それでもなおハリーの足首に縋りつくバーノンの手に、漆黒の鴉が嘴を突き立てることで赤い傷が咲き乱れる。思わず手を放して傷を抑えようとするバーノンの顔に、フギンが足爪でひっかき傷をつける。

 

「ぎゃあああ! かお、顔があ!?」

「また来年の夏によろしく!」

 

車に乗り込んだハリーの捨て台詞とともに、エンジン音を響かせながら車は夜空を駆け抜ける。そのあとを追うかのようにフギンが勝利者の鳴き声を奏でながら優雅に翼を広げていた。

 

 

「静かに帰るんだ。ゆっくりと家に入ってしまえばこっちのもんさ。」

 

ジョージが抜き足差し足で家の扉を開けるころ、ハリーは隠れ穴の外観の奇抜さに目を奪われていた。小屋に子供の絵のように部屋が上へと増設されている。見るからに不安定であるのだが、魔法で固定しているからかむしろ頑強なイメージさえ想起していた。唾を呑み込みながら3人の後に続いて家に入ったハリーは、魔法使いの家の内装に興味津々だった。

そんなハリーを無視して上に上がろうとするウィーズリー兄弟が途端に背筋をピンと伸ばす。何事かという疑問がハリーに浮かぶことはなかった。顔を紅く染めたモリーが大声でしかりつける。

 

「何をしたかわかっているのですか!!」

「朝起きたらあなたたちがいなかった時の私の感情が想像できますか、いいえできませんでしょうとも!!」

「勝手にアーサーの車で飛び立ったとわかった時には驚く暇もありません、あきれました!!」

 

あきれてないじゃないか、とつぶやくロンに鋭い眼光を向けたウィーズリー夫人はハリーの姿を視界に入れると、態度を軟化させて優しく出迎えた。

 

「ハリー、ようこそ来てくれました。あなたのことは心配だったんですよ、明日にでもアーサーと二人で迎えに行こうかといっていたんですの。さあさあゆっくりしなさいな。」

「あ、あの、ありがとうございます。」

 

180度表情を変えたモリーに気後れするハリーは上に続く階段から士堂が下りてくるのが見えた。にらみつけてくる3兄弟をいなしつつ、ハリーに小さく手を挙げて挨拶してくる。

士堂がいるのにこんなことを、とブツブツつぶやくモリーの小言を聞く3人がさらににらみつける。士堂は小さく舌を出してウインクすると肩にフギンが降り立ってきた。

 

それから起きてきたパーシーとジニーも一緒に朝ご飯にありつくことになった。料理をしながらウィーズリー夫人はパーシーと他の3兄弟を比較しながらなおも小言を言い続ける。

 

「一体どうしてあなたたちはこうなのです?少しはパーシーの爪の垢でも煎じて飲んでみたらどうです?」

「でもママ、あいつらはハリーを閉じ込めていたんだ、」

「お黙りなさい!」

「でもママ、あいつらはハリーを餓死させようと、」

「黙りなさい!」

「でもママ、」

お黙り! ハリー、ソーセージはいかがかしら? 士堂も遠慮せずにベイクドビーンズやハッシュドポテトをお代わりなさいね。」

 

3兄弟を叱りつつ、ハリーや士堂に笑顔を振りまく。パーシーは無視して食べ続けるし、ジニーはハリーをちらちら見ては茹蛸のように顔を紅くしてうつむく。結局会話らしい会話もないまま黙々と朝食が続いた。

食後のホットミルクを飲みながらぼんやりと時を過ごすハリーは、暖炉から火が上がると同時に中年の男性がのっそりと現れたことに驚く。仕事終わりらしいからか、疲労の色を少し顔に出しながらも食卓の前に立つウィーズリー夫人と話す。

 

「ただいまみんな。いやはや、昨日は大変だった、9件も臨時の調査があると堪えるね。」

「お帰りパパ。何か面白いものでもあった?」

「いや、昨日は縮む鍵に噛みつきやかんといった種もないものばかりさ。」

「縮む鍵なんてどう使うんだろう?」

「いたずらだよ。くだらないものだが、マグルには効果覿面。目の前で魔法が使われても信じないんだからさぞ面白いんだろう。私には理解できんがね。」

「なら空飛ぶ車はさぞかし面白いんでしょうねえ?」

 

息子たちと目を合わせずにバックの中をまさぐっていたアーサーも、モリーの発言に思わず顔を上げる。顔に驚愕と困惑の色を色濃くにじませながら、固まるアーサーにモリーが畳みかける。

 

「昨日フレッドとジョージにロンが、なぜか庭に置いてあった車で、なぜか空を飛んでいきましたの。」

「いやあ、母さん、ああその、車が飛んだ? 本当かね?」

「ええそうです。その車にハリーを載せてきたのですよ。」

「ハリー? ハリーって誰だい?」

 

小さくハリーが手を上げるとアーサーは一瞬固まりながらも、事態を把握する。隣に座る士堂にも気づいたようで、慌てて二人のもとに駆け寄ってきた。

 

「これはこれは、ハリーに士堂。よく来てくれたね。そう言えば君たち二人はマグルの世界について詳しいはずだね?ぜひ話を聞きたい。あと車が空を飛んだというが成功したんだね?!」

 

矢継ぎ早に話しかけるウィーズリー氏の目が爛々と輝きを増す。思わずあとずさりしそうになるハリーだったが、ウィーズリー夫人が一気に引き離して追及をしてきた。

 

「どう言ったつもりですの? あんなものが世間にばれたら一貫の終わりですよ!」

「だ、大丈夫、乗る気がなければ、その。持っている分にはだな、その法律のだな、抜け穴」

「息子たちは乗ってきたといっているんです! もしばれたらあなたは自分自身で自分の退職を迫ることになることが分かりませんの?!」

 

怒り心頭のウィーズリー夫人に頭を下げ続けるのをただただ見続けるハリーと士堂。他の兄弟は興味ないかのように本に目を通したり、眠りに入ろうとしていた。ウィーズリー夫人の説教をあいまいに切り上げて、持っていたハンカチで禿げつつある頭皮を拭きながらウィーズリー氏がハリー達にマグルの暮らしについて質問を浴びせてきた。

電気や科学について知識がないのか、発音を間違えたりイントネーションが違ったりしながらも次々に尋ねては一人で納得したかのように頷く。電話についてひとしきり聞いてマグルの会話手段の発展に関心していたウィーズリー氏が、思い出したかのように士堂に聞いてきた。

 

「時に、士堂君は魔術についてロンたちに説明はしたのか?」

「そういえば、教えてくれるって言っていたよね、士堂?」

 

思い出したかのように合いの手を入れてきたロンの声に士堂はハッとする。確かに前年度の事件後に病室でそう約束したのだった。

 

「僕、興味あるかな。君があの部屋でやって見せたもの、あれは何だったのかわからないから。」

 

ハリーも身を乗り出してきたことに少し士堂はためらいを感じた。しかしパーシーが本を置き双子やジニーも興味ありげに視線を向けていることに気づくと、思わずウィーズリー夫人に目を向ける。士堂の心配が読めたのか、大丈夫というようにうなづくモリーをみて、士堂は軽くため息を吐きながら説明に入ることにした。

 




新年一発目。今回から本も参考に読んでいきます。


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魔術

「まずは魔術と魔法の違いからかな。」

 

手の中でカップの腹を撫でながら士堂が口を開く。目を閉じながら絞り出すように一言一言言の葉を紡ぐ。

 

「魔法は主に自分の体内に宿る魔力をもとに、杖という媒介で現象を再現するのが基本。でも魔術は自分の魔力をきっかけに魔術回路を起動させ、外界に存在する魔力を操作することで外界に干渉するんだ。」

「魔術回路とは人間の生命力を魔力、オドに変換させる器官のことをいうんだな。そしてこの魔術回路で巷にあふれる魔力、マナに働きかけることでいわゆる神秘の再現を行う。僕はこの魔術回路が認識できないから魔術といわれる類のものを一部を除いて使うことが出来ない。」

 

生唾を呑み込みながらロンが恐る恐る質問をしてきた。

 

「あ~、神秘って何?」

「そこが重要なんだ。その説明をしなくちゃならないね。」

 

きっと目に力を込めて士堂が返事を口にする。

 

「魔術を行使するもの・魔術師は、君たち魔法使いと根本的に違うんだ。彼らは根源への到達を目標として生涯を研究にささげていく。その過程で重要になるのが神秘、この世に流布されていない知識と現象。」

「根源って?」

「すべての知識の始まり。一にして全、全にして一。アカシックレコード。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」

 

突然の意味不明な羅列は聞き手の頭の上にクエスチョンマークを浮かべさせた。そんなわけのわからぬものに一体何の価値がある? そんな疑問もお見通しだといわんばかりに補足の説明がされた。

 

「要はなんでもわかる図書館って考えてみてくれ。そこにあるのはちょっとやそっとのことではない。完全な死者の蘇生、虚数の実体化、次元運航に無の否定。現状不可能といわれることを完璧に成し遂げられる知識が思うがまま手に入るんだ。」

「…死者の蘇生…」

 

士堂のフレーズの1つに心惹かれるハリー。思わずコップを握る手に力が入り俄然興味がわいてくる。

 

「根源がすべての知識の始まり、と考えていくと今知られている知識っていうのは川の流れのように、根源に繋がっているといえる。ということは知識を研究していわば遡れば根源に到達できるのでは?と考えるのが魔術師なんだ。」

「注意しなくちゃいけないのはここ。今まで知識といったけどもなんでもいいわけじゃない。その知識には条件があって時の流れと人の意識に細分化されていない、つまり秘匿性・一般に知られていないことじゃないと意味がないわけ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

だから魔術師は研究内容を公開することは少ない。世に広まればその分根源から遠ざかるわけだから自然内向的になっていくものだ。こうして秘匿された魔術師の研究する知識を()()と呼んでいる。とここまで口にして士堂は反応を伺うが皆一様に口を開けて唖然としていた。今までの知識と似ても似つかない、規模の大きい話に思考が追い付いていないようだ。ウィーズリー夫妻は知っていたからかそこまで衝撃を覚えていないようだが、やはり動揺は小さくないらしい。

 

「魔術において秘匿性が重要だとわかったと思うけど、魔術協会といわれる組織がこの秘匿性について干渉している。まあ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というめんどくさいものだと聞いた。」

「では代行者、とは何かね? 私らもまあ、詳しく知らないもんでね。」

 

アーサーの何とも言えない白々しさに頬を引くつかせるが、ちょっかいを出すだろうロンと双子の顔から色気がなくなってき始めたのを見て納得する。

 

「そうですね、そこにも触れましょう。今言った魔術協会とは別に聖堂教会と呼ばれる組織があってね。これはマグルの世界の宗教団体のいわば裏組織。目的は神と教義に逆らう異端者の排除。

その実行者が代行者なんだ。僕の祖父はこの代行者でもあったわけだけど、若いころに脱退してフリーランスとして活動してきた。それを息子の士厳と孫の士堂が受け継いだわけ。」

 

ここまで言うとパンと手をたたいてモリーが話を終わらせる。まだ話していないこともあったが子供達には許容不可能と見たのだろう。意識的に笑顔を作りながら3兄弟に仕事を言い渡す。

増殖した庭小人の駆除ということでしぶしぶ3人が動き出した。3人が扉から庭に出るとモリーが嬉々として、キッチン横の本を取り出して士堂とハリーに見せつけてきた。

 

「見て頂戴、ロックハートは庭小人以外の駆除についても詳しいんですの。本当に素晴らしいわ!」

 

そういってハンサムな男性がウインクやらなんやらし続ける表紙の本を士堂とハリーに見せつける。二人を元気付けるためではなく、本当に夢中のようだ。

女性が何かに夢中になるのをハーマイオニーの勉強姿以外では見たことのないハリーが手伝いと称して庭に飛び出すと、慌てて士堂も後を追う。モリーは本を抱きしめながら感心したように二人の背中を見ていた。

 

「ロン、そこまでしか飛ばせないのか? 切り株まで飛ばすんじゃないのか?」

「口だけだったかい、ロニー坊や?」

「けっ、いうならやってみろってんだ。 あれハリーに士堂もどうした?」

 

キーキー喚く小人をぶん回して、遠くに投げつける双子の横にいたロンが二人に気づく。ハリーは初めて見る庭や小人に心躍らせていたが、士堂は凸凹の禿げ頭に小さな足をばたつかせる小人を掴んでじっと観察していた。

ロンに教えられた通り、ハリーが小人をむんずと掴んで振り回してから手を離した。小人が指を噛みついたのを離すために、ブンブンと振り回したこともあり誰よりも飛ばす。小人が空に次々上がるのを面白がって周りから小人が集まってきた。学習能力がないことを理由にウィーズリー氏が黙認する理由になんとなくハリーは共感できる気がした。

そんなハリーの後ろから士堂が声をかけてきた。

 

「そういやまだ、教えてなかったことがあったんだよな。」

 

士堂が庭小人を5、6人掴んで空中に放り投げる。大の字に体を伸ばして空中に飛び交う庭小人をじっと睨みながら士堂は手に柄を握る。あの部屋で見たように腕をクロスして溜を作り上げていた。

 

「これは黒鍵。代行者の武器であり、概念礼装。悪魔よけの護符であり、神に反した肉体を洗礼によって浄化する節理の鍵。」

告げる(セット)

 

特定の言葉に反応して柄から剣が瞬時に生成された。溜がなされた右腕から勢いよく放たれた黒鍵が集まってくる小人から離れたところに着地する。砂埃を上げて黒鍵が着地すると周辺の地面にクレーターのようにくぼみが形成された。

 

『私が殺す。私が生かす。私が傷つけ私が癒す。我が手を逃れうるものは一人もいない。我が目の届かぬ者は一人もいない。』

『神は御霊なり。故に神を崇めるものは、魂と真理をもって拝むべし。ここに醜き小人の姿を捉え、ここにその名をもって拒まん事を望む。』

 

士堂はハリー達の知る魔法の呪文詠唱とは違う、洗礼詠唱を口にしながら左腕の黒鍵を先ほど放たれた物の対角線に投擲する。大きく窪みを作りながら放たれた黒鍵同士が呼応するかのように青白い光を放つと、中央にたむろする小人たちに青白い稲妻が襲い掛かった。

 

『許しはここに。受肉した私が誓う。 “この魂に憐れみを(キリエ・エレイソン)”』

 

握りつぶすかのように手を握り締めると、庭小人たちにそれまで以上に青白い稲妻が襲う。それはあちこちに飛び散るように放射され、隠れていた庭小人がお尻や頭を抑えながら庭の外の方向に走り逃げていた。キーキーというよりもキィーキィーと悲鳴のような声が聞こえなくなってから士堂の周りにロンと双子も近寄ってきた。

 

「ふへ~初めて見た、君やっぱすごいよ。」

「いやはや、これは俺らとは違う魔術師様らしいな。」

「全くとんでもないよ。生き残った英雄様に魔術師様!」

 

ジョージにどんと肩を突き飛ばされてハリーと一緒にバランスを崩した士堂が、ジョージを追いかけまわす。そのまま誰が鬼かわからない鬼ごっこに発展してキャッキャッと走り回るのだ。隠れ穴の庭はあまり手入れがされていないから草木が伸びっぱなしであったが、その分草原で走り回るかのような爽快感があった。

 

「ははは、もう無理走れない。」

「僕も足パンパン。」

 

庭の真ん中で背中を合わせて座り込むハリーと士堂。息を整えながら士堂が背中越しに誰に言うでもないように話始める。

 

「死者の蘇生なんて考えるなよ。」

「っつ?!」

 

士堂に目を合わせていないのを感謝するほどハリーは目を見開いていた。士堂の根源の話を聞いてからずっと考えていたことを指摘されて、自分の心音がはっきり聞こえるほど動揺しているハリーのことを知ってか知らずか話は一方的に続く。

 

「死者の蘇生には時間旅行に平行世界の運用、無の否定という魔法が絡んでいるとされている。」

「魔法? でも君が言っていたのは…」

「さっき言ったろう? 根源を目指すのが魔術師の目的って。今なお多くの魔術師がそんな夢物語を目指すか不思議じゃないのか?

いるんだよ。史上5人の魔術師が根源に至った。その方法である神秘を魔術師は魔法と呼ぶんだ。その中に少なくとも平行世界の運用は含まれている。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグと呼ばれる魔術師が使えるとされている、らしい。」

「じゃあ使えるってことじゃないか、つまり!」

 

期待感をにじませてハリーが振り返ろうとするが間髪入れずに士堂が否定する。

 

「忘れたか? 根源に至る神秘は秘匿性が重要なんだ。つまり誰かが至った道をなぞっても根源には至らないし、完全な再現もさせないんだよ。キシュア翁は気まぐれな性格だし、聞くところでは観測したり干渉した平行世界が現実となるからそんなに干渉しないらしい。」

 

士堂は隠れ穴に戻るために立ち上がるが、ハリーはその背中を複雑な心境で見つめていた。去り際に残した言葉の意味をハリーは気づいてしまったから。

 

「僕はそう祖父さんに教えられたんだ。」

 

 

その後はアーサーのマグル用品について討論会が開催されたり、双子が試作したいたずらグッズの検証会が同意なく行われた。代行者としての実力を高く評価した双子はこれ幸いとばかりに、自動追尾花火やら爆発するブーブークッション、拭くたびに脂が顔に浮くタオルケットの実験台に任命したのだ。

楽しい日々ではあったがそこにはパーシーはいなかった。普段は部屋に閉じこもっていて何かしているが分からない。ジニーは士堂とは普通に話すのにハリーを見たとたん、足を踏み外すわ食器を落とすわ大変なのだ。このことについて士堂もハリーも大きく指摘することはなかった。

 

「おいおい、マジかよロックハートが7冊だぜ! とんだファンだな、いやフアンか。」

「新しい『闇の魔術に対する防衛術』の先生はロックハートの大フアンだな。きっと魔女だぜ。」

 

そこでモリーと目が合った双子が慌ててジャムに手を伸ばすが、モリーとアーサーはため息をつく。ロックハートなる人物の本は高値らしい。それを少なくとも3人分、今年度入学のジニーの教科書を含めるとあまり笑えない出費だろう。

 

(ビルやチャーリーもウィーズリー家にはそんなに入れられないわけだ。)

 

ウィーズリー家の長男のビルはグリンゴッツ銀行に、チャーリーがルーマニアでドラゴンンの研究をしているといっても仕事上での出費や研鑽にかかる費用はハリーの想像よりも多いのだろう。ウィーズリー氏のマグル製品不正使用取締局なる部署は聞くところでは日陰の部署らしい。つまりウィーズリー家の懐事情はなんというかよろしくはない。

自分は両親の遺産のおかげでお金の心配など当分はいらないのだから、なんだかいたたまれなくなる。ふと隣を見ると士堂がこれでもかと胡椒をかけてスクランブルエッグを口にしていた。士堂もハリー同様金銭面での心配はないから気まずいのだろう。

 

 



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出発

毎度のごとく盛りのいいウィーズリー家の食事が終わると出立準備が始まる。ハリーと合流したことを知ったハーマイオニーが、教科書準備その他もろもろを一緒にしないかと誘ってくれたのだ。

暖炉前の椅子に腰かけながら学校の制服にローブを羽織り、杖や黒鍵の柄を磨きつつ士堂はあくびをかみ殺していた。買い物するだけなのにウィーズリー家の面々が階段を何往復もしている。なんともにぎやかな家庭だな、とあきれながら見ていてもハリーが楽しそうに笑う姿を見ていれば、いいかと思う士堂だった。

なんとか荷物をまとめたウィーズリー家の面々がそろってから、煙突飛行を始めた。待ち合わせの時間にぎりぎりなことからパーシー、ジニーが次々に飛び込んでいく。士堂も煙突飛行粉を掴んで少し咳ばらいをしてから、粉を暖炉に投げ入れて大きくはっきりと答えて見せた。

 

「ダイアゴン横丁!」

 

一気に世界がねじ曲がったかのように移動する感覚に身をゆだねる。姿現しよりも気持ち体感時間が長いそれは、それでも一瞬だろう。地面に足がついたことを確認するとすぐに暖炉から出ていく。行きつく暇もなく各々が到着する中、ハリーの姿が見えないのに気が付いた。

 

「ああ、ハリーがいないわ貴方! なんということでしょう、どこにいるのかしら!」

「落ち着け、母さん。そんな遠くには行っていないはずさ。まあ一戸奥あたりの暖炉にいてくれるさ。」

 

手分けして探すことにした一行の中で、ロンと士堂はペアになるが相方の表情が曇っているのが気になった。

 

「僕ハリーに煙突飛行粉の使い方を伝え忘れちゃったんだ…。 ちゃんと前の日に行っておけばこんなことに。」

「死んじゃいないさ、なんたって生き残った子だぜ? そんな顔しなくても、さ?」

 

ロンの肩に手をまわして励ましながらハリーを探すが見つからない。どこに行ったか分からないことでいよいよモリーの情緒が不安定になってきたころ、士堂はハーマイオニーのことを思い出す。ハーマイオニーは恐らくハリーの迷子を知らないだろうから、このことを伝えなくてはいけない。

そこで一足先に士堂が集合場所のグリンゴッツ銀行に向かうと、玄関の純白の階段で件の人物たちを見つけ出した。ふさふさの栗色の髪をなびかせながら、ハーマイオニーが走り寄ってくる。あいさつ代わりのハグをしていたら、ハリーがなぜかハグリッドと一緒に駆け寄ってきた。

 

「ハリー、どこ行ったんだ?! 僕ら皆で君を探していたんだぜ!」

「ごめん士堂、僕なんか途中で噛んじゃったみたいで…。」

「ハリーは裏手の夜の闇(ノクターン)横丁に出ておったのだ。俺が見つけたから安心してくれい、士堂。」

 

ハグリッドが豪快に笑いながら強烈なハグをしてきたが、わけのわからぬ異臭に思わず顔がゆがんでしまった。肉食なめくじの駆除剤の匂いだとまたも笑うハグリッドが通りの向こうに手を振っている。そこにウィーズリー家の面々が息を荒くしながら走ってくるのが見えた。ハーマイオニーがハリーの手を引っ張って顔を見せると、安どの空気があふれてくる。

 

「ハリー、心配したよ、無事だったかい!」

「はあ、はあ、よかった。せいぜい一つ違いだと思っていたからね、モリーも安心するだろう…。」

 

ウィーズリー家の面々がハーマイオニーやハグリッドと挨拶を交わす間に、モリーも到着した。財宝を見つけた探検家のように狂喜するモリーは、ハリーの煤をはたいて髪を直してからハグリッドと猛烈なハグをしていた。

グリンゴッツ銀行にて必要な金をおろしてから、自由行動をとることになる。ハーマイオニーの両親に質問の雨を降らせるアーサー。悪友のリー・ジョーダンと悪い顔でどこかに走り去る双子に、新しい羽ペンを探すといってフラッとどこかに消えるパーシー。モリーとジニーは中古の制服を買いに行った。

 

「マルフォイに会ったって? 夜の闇横丁で?」

「しかも父親みたいな人がそのボージン・アンド・バークスってお店で何か売っていたんだ!」

 

自由行動の最初に、ピエロの格好のアイスクリームの露店で士堂が4人分のアイスを購入した。ハーマイオニーとロン、特にロンが遠慮するが誘惑に負けたのか普段は買えない味とサイズのアイスを注文すると、みんな思い思いの味を選んでいく。ウィンドウショッピングをしつつ苺とピーナッツバターのアイスにかじりつきながら、ハリーが先ほどまでの出来事を解説して見せていた。バニラとチョコチップのアイスを食べる士堂が、登場人物の名に眉をひそめてしまう。

 

「ハリー、それは怪しい。マルフォイの父親のルシウスってやつはパパが大っ嫌いなやつなんだ。」

 

ストロベリーチーズケーキにクリームブリュレのビッグサイズにむさぼりつくロンが、鼻にアイスをくっつけながら疑心の意を示す。

 

「ロン、鼻についてるわよ。 でも何を売ったのかしら? あんな危ない場所で売るなんていかにもすぎやしない?」

 

ラズベリーパブロバとチョコレートブラウニーのアイスを、一人行儀よくスプーンで食べるハーマイオニーは半信半疑の感じである。言われれば確かに、というやつだが詳しいことなど11の少年少女では想像できる代物ではなかった。

 

アイスを食べ終わってから、横丁においてある自動販売機で飲み物を買った。といってもマグルのものとは違い、ポッドやティースプーンが勝手に動いて紙コップに注いでくれる魔法製。紅茶以外にもサイダーなんかも売られていて、硬貨を箱の中に入れるとビンから注いでくれるのだ。そのビンも宙に浮いていて、どこにストックがあるんだ?と考えるのは野暮というもの。

4人でちびちびサイダーを飲みながら思い思いの店を回る。ロンはクディッチ専門店で贔屓のチャドリー・キャノンズに夢中になっていた。ハーマイオニーがインクと羊皮紙を買うのにハリーと士堂を引き連れていったせいで、ロンは一人でガラスに顔を押し付ける姿をしばらくさらし続けてしまったのだ。

 

ロンの首根っこを掴んで横丁を歩いていくと時間が近づく。双子とチャーリーとも合流し、目的のフローリッシュ・アンド・ブロッツ書店につくがそこは異様であった。人、人、人。密集具合ではキングズ・クロス駅に匹敵かそれ以上である。帽子やマフラーのカラフルな色がひしめきうごめいていた。ロンが苦虫をかみつぶしたかのような顔を見せて来るが、それは他の面々も同様だろう。

 

【サイン会 ギルデロイ・ロックハート 自伝『私はマジックだ』】

 

上階の横断幕が風になびくのをぼんやり見ていると、書店から黄色い声が上がる。モリーと同年代の女性が本を抱きしめながら出てくる隙に、学生らしき人が書店に入っていくのが見えた。本は中で買うしかないらしい。

 

「ああ、楽しみ! 本物の彼に会えるなんて夢のようだわ!」

 

ずいぶんモリーさんも若い声を出すんだな、と士堂が視線を送ると横でハーマイオニーが恋する乙女のように目を輝かせている。祈りを捧げるように手を組んで、奥にいるであろうロックハートに熱烈な感情を抱くハーマイオニー。

 

「おいおい、マジか? 僕が見ているのは魔法か幻覚かい?」

「残念だけどロン。あれは僕たちの友達で一番頼りになるハーマイオニーだよ。」

 

ハリーとロンも初めて見るハーマイオニーに驚きを隠せない。そうはいっても教科書を買わなくてはならないので4人は本を掴むと、先に並んでいたモリーの場所にこっそり割り込んだ。やがて奥にロックハート本人がいた。自分の写真で周囲を囲みカメラから漏れる紫の煙に囲まれる彼は、草色のローブを羽織り三角帽が粋に映える美男子だった。

 

「もしや、ハリーポッター? なんという幸運でしょう! さあハリー、私の横に…」

 

ロックハートは目ざとくハリーを見つけると、その手を強引につかんで写真を撮らせる。何度かハリーが離れようとしても、がっちり肩をホールドして離す気はない。

周りのファンはこの有名人コンビにわっと拍手で湧き上がる。ハーマイオニーやモリーがちぎれんばかりに拍手するも、士堂やロンの顔にはあきれがはっきりと浮かんでいた。

ロックハートはファンに手を挙げて拍手に答えていたが、口に人差し指をあてて静かにさせる。

 

「皆さん、この記念すべき日は永遠に刻まれることでしょう! このハリーポッターは私の本を求めてこの書店に足を運んだのでしょう。そこで私は無償で著作すべてを提供することにします。 これは彼の想像を超える驚きでしょうが、まだまだですよ。

 えへん。んん、ん。 私ギルデロイ・ロックハートは、ここに大いなる喜びと誇りをもって発表します。

この9月から私はホグワーツ魔法学校にて、【闇の魔術に対する防衛術】担当教授職の名誉を承る旨を、アルバス・ダンブルドア校長先生に報告した次第にあります!」

 

それまでで一番の拍手と歓声が上がる中で、書店は大混雑だ。士堂はハリー達と一緒に会計するつもりが、みんなとはぐれてしまう。人混みが周りを無視して何とか会計を済ませると、部屋の一角でハリーたちを見つけるが、状況に眉をひそめた。そこでは顔を真っ赤にしたロンとジニー、得意げで嫌味な笑みのドラコ・マルフォイをにらみつけるハリー。

何よりまずいのはマルフォイの父親とアーサーが対面していることだ。

 

「これはこれはアーサー・ウィーズリー」

「―ルシウス」

「仕事の方は忙しそうですな。この前も抜き打ちが数件ばかりあったとか。だがその報酬がこれでは、魔法使いの面汚しになる甲斐がないというものでしょう。」

「―マルフォイ、この際はっきりといわせてもらう。我々には魔法使いの面汚しという認識に、どうしようもない相違があるようで。」

 

表面上では紳士的にふるまいながら、じりじりと距離を詰める二人。アーサーの顔は熟れたリンゴよりも真っ赤だし、ルシウスも眉間の皺がこれまでかというほど深くなっていた。

冷戦状態のままで済むように双子以外が願う中、ゴングは唐突かつ必然的に下ろされる。

 

「アーサー、こんな連中と付き合うとは君も落ちるところまで落ちたとは思っていましたがね…」

ルシウス…!!」

 

ジニーの大なべが宙に舞うと同時に、大の大人による取っ組み合いが始まる。本棚に体をぶつけながらお互いにはなれる気はない。双子が口笛と歓声で父親を応援し、モリーが悲鳴を上げる。店員やハリーらはおろおろするしかない中、人混みをかけ分けてきたハグリッドがルシウスとアーサーを引きはがした。

お互いに小さい傷を顔に着けていたが、大きなけがにはなっていなかった。ルシウスがジニーの本を無造作に返して書店を出ると、ハグリッドがアーサーに忠告する。

 

「アーサー、あんな奴ほおっておけい。骨の髄まで腐ったやつに付き合う必要はねえ。あそこは家族全員、根性曲がりのくそ野郎だ。

―さあ、皆。とっとと出ようや。」

「ええ、本当に。子供たちにいい手本を見せてくれました。ギルデロイが見ている前でなってことを! 彼がなんということやら…」

 

 

隠れ穴に戻った一行は学校までの日々を、やはり賑やかに過ごした。相も変わらずいたずらグッズが部屋中に飛び交ったし、アーサーのマグル探求は隙を見せては行われる。ハリーにとっては人生初の楽しい長期期間の休暇であったのは間違いない。

ウィーズリー家での最終日はモリーお手製の料理がふるまわれ、双子のいたずら花火が部屋中色鮮やかに飛び回る。ココアを寝る前に飲みながら、ずいぶん余裕があるもんだなと士堂はぼんやり考えたりしていた。

 

余裕などはなかった。鶏の声で起きたから時間はたっぷりあったはずである。

 

「ママ、僕のパンツはどこだっけ・」

「ジョージ、外に干してあるはずよ。さっき伝えたでしょう!」

「ママ、僕のローブを知らないかい?」

「ジョージ、ベッドに置いておきましたよ、早くなさい!」

「僕フレッドだよ、ママ。僕のやつが見当たらないんだ。」

「ああ、大変だハリー! 僕の杖がどっか行っちまった、探してくれないか?!」

「ロン。君の右手に握られているものを、僕は杖と呼んでいるんだ。 やあ、ジニー。準備は終わったの?」

「母さん、私のネクタイは乾燥呪文を…。 ジニー、君が手にしているボロボロの布切れはお気に入りのハンカチに似ているのは気のせいかな?」

「フレッド、それは僕のローブだ。…いや、だから士堂と名前が入っているじゃないか…」

 

やっと準備できた大量の荷物と人間が一度にどうやって移動するか。車のトランクと座席を拡大呪文で広げたアーサーは、得意満面で士堂とハリーにウインクしてきた。

だがウィーズリー家の面々が忘れ物を取りに次々戻ったせいで、時間の余裕が最高にない。脂汗を顔じゅうに光らせた親にせかされたウィーズリー家の面々が、キングズ・クロスの9と4分の3番線に消えていく。士堂もジニーの後にくっつくようにカートとともにはいると、ホグワーツ特急に文字通り飛び込んだ。ちょうど士堂が飛び込んだタイミングで汽笛が鳴り、乗車口のドアが閉まる。荷物をもって乱れる息のまま空いているコパーメントを探していると、横から肩をつつかれる。

 

「あら、ずいぶん息が乱れているわね。私、乗り遅れたんじゃないかって心配していたんだから。」

「…ハーマイオニーか。席、とっといてくれたんだな。」

「当り前でしょう、待っていたのよ。ハリーとロンは?」

「あとからついてきたはずだから、別のコパートメントにいるんじゃないか?」

 

ドカッと席についてから息を整えた。その間にもハーマイオニーが荷物を上にあげてくれて、持参してきたらしい水を手渡してくる。それをグイっと飲み干すと、やっと心身ともに落ち着いた士堂は、通りがかった販売のおばさんから手当たり次第にお菓子とジュースを買い込んだ。

 

「…なるほど。つまりあなたが知っていた魔術と、私たちが習う魔法は似ているようで違うということね。」

「理解が早くて助かりますよ。っていうか驚かないんだな。」

「あなたのその剣が、学校の図書館のどこにも載っていない時点で怪しいとは思っていました。」

「調べていたのかよ。」

「当然。後訂正しておくと、こっちの魔法使いにもあなたの言う根源を追い求める人はいると思うわ。何人かの著名な魔法使いの研究内容が、なぜかあいまいな記述しか残されていないの。てっきり闇の魔術のような禁忌に該当する類だから、なんて考えていたんだけど。」

「それは知らなかったなあ。まあいても不思議ではないかも。」

「そもそも闇の魔術自体、その根源への到達が目的かもしれないわ。意図的に秘匿されているのも、危険だからという理由だけではない可能性はある。」

 

カエルチョコレートを器用につかみながら、ハーマイオニーが自分の考えを説明する。同い年とは思えない考察力に、ただただ感心しながら士堂はカボチャジュースを口にした。

今彼らは休み中に、ハリー達にした魔術について議論していた。ハーマイオニーが席を取っておいてくれたおかげで、ここには2人しかいない。声に一応気をつけながら、魔術について説明したが、逆に彼女に教えられる形にもなっている。

 

「でもおかしいわ。あなたの使う魔術はキリスト教が基盤じゃなくて?」

「そうだよ。」

「さっき言ったじゃない。魔術には秘匿性が必要だって。矛盾しているわ。」

「矛盾はしていない。秘匿性が必要なのはあくまでも根源に至るため。別に聖堂協会はそんなもの求めちゃいない。」

「それじゃあ、魔術協会と聖堂教会はぶつかるんじゃないの?」

「うん、表面上は仲良くしているらしい。例えるならテーブルの上でニコニコ握手しながら、その下で脛を蹴りあっているという表現を祖父さんは使っていたな。」

 

根源に至るためなら()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()魔術協会。片や()()()()()()()()()()()()()()に力を注ぎ、秘匿など考えもしない聖堂教会。仲良くするなど夢物語で、一応の停戦協定もお互いの損失が大きすぎたから。

まるで水と油のような関係性すら、実社会から外れている魔術の世界だからこそ生れるのだ。

 

「大変ね、そちらも。もう一ついい? 魔法の世界にはキリストなんていないじゃない。

あなたの魔術の基盤がないのに、どうして魔術が使えるの?」

「それはちょっと複雑でさ。こっちに確かにおおよそ()()と呼べる物はない。でも神様がいないわけじゃないだろう? それに闇の魔術が禁忌とされているなら、あいまいでも何らかの線引きができる基準が不文律としてあるってこと。この点については祖父さん曰く、マグルの方よりこっちの方が基盤としては強い可能性があるらしい。」

「うーん、なぜかしら。 ―そうか、マグルの方だとキリスト教を信じていない地域もあるし他の宗教の力が強いこともある。でもこっちだと神様という大雑把なものを基盤とする分、一神教に近い効果が得られる可能性があるのね!」

「ご明察。」

 

魔法界ではマグルのように、宗教が存在しない。だが占い学がホグワーツにあり、魔よけの十字架の効力が発揮されるように、不明慮ではあるが「神様」や「祈り」という概念は死んではいないと解釈できる。

士堂はこの「神様」や「祈り」という大雑把な、だが確実に刻まれた信仰を基盤として魔術を行使していたのだ。魔法で占いや祈祷がマグルより頻繁に行われる分、マグルの世界よりも魔術的な基盤としてはこっちの方が強い可能性は高いと士柳と道子は分析をしている。

 

「そんなあいまいなものを基盤にできるなんて、あなたの魔術ってもしかしたらマーリン勲章級の異業なんじゃない?」

「うーん。この魔術に関しては、祖父さんと父さんが研究していたからな。僕はおこぼれをもらっているだけさ。そもそもこんな話はハリー達にはしてないよ。つくづく感心するな。」

「あら、そう? お褒めの言葉として聞いておこうかしら。」

 

そういうとハーマイオニーは、顔を少し赤くしながら葡萄サイダーを勢いよく飲んだ。

彼らは知らない。よもやちょうど真上で、ハリー達が空飛ぶ車でホグワーツ特急を追いかけていたことを。

 




少し間が空きました。テスト期間ということで書き溜めていたものをちょくちょく書き出す形になります。甲申頻度が落ちますが、ご了承ください。

ダイアゴン横丁に出てくる食べ物描写はオリジナル。魔法使いでもマグルのような自動販売機的なやつがあってもいいのでは? ということです。

魔術についても、自分なりの解釈。ハリーポッターに宗教が出てこないことからこのような発想にしました。でもあいまいな魔術基盤は本来脆弱というのが型月設定で在ったと思いますが、物語の進行上でありにしました。


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新生活

ホグワーツに到着しても、ハリー達の姿が見えない。あちこちに目を配って探してみるも、それらしき人が見えないのだ。新学期ということで賑やかな道中も、一緒になったネビルやシェーマスに聞いてみるが成果はない。そうこうしているうちに新入生の組み分けまで終わってしまった。せっかくジニーがグリフィンドールに決まったというのに、士堂たちの視線は不安げにあちこちにさまよっている。

結局彼らと対面できたのは、寮の扉の前である。青い顔で立ち尽くす二人に人が群がったせいで、士堂は落ち着いて事情を聞くのが寝室となった。

 

 

「ああ、なんて最悪なんだ。去年よりもひどくなるなんて想像していなかったよ。」

 

ロンの嘆息の声にどれほどの意味が込められているのだろう。空飛ぶ車で暴れ柳と杖をへし折ったことで、自身の退学と父親の解雇が現実味を帯びた事? そのことでモリーにほえメールでこっぴどく皆の前で叱られた後に、熱狂的なハリー信者の一年生に会ったこと? マルフォイが厭味ったらしくからかってきたこと?

 

「…私の誕生日の理想的なプレゼントは魔法界とマグルのハーモニカですよ。オグデンのオールド・ファイヤー・ウヰスキーでも断りはしませんがね! 皆さん私の著書の読み込みが足らないようで残念です。しかしご安心を。この学期が終わるころには、皆さんは私の偉業について語り合うことでしょう!」

 

間違いなく目の前で自分の経歴を講釈するロックハートに対してだろう。「闇の魔術に対する防衛術」の初回授業だというのに、大半の生徒の顔には落胆の顔色がありありと浮かび上がっている。彼は授業初めに、自分の経歴のみを問う問題を丁寧に50問もテストしてきた。内容はロックハートがべらべら述べてくれる通りだ。

ハリーは表面上は真面目に授業を受けてはいるものの、士堂は机の下で杖を磨いていた。他のグリフィンドール生はいざ知らず、マルフォイですら窓の外に目をやっている。シェーマスやフィネガンがくすくす笑う中、ハーマイオニー含む数人の女子はうっとりと聞きほれていた。

 

「その中でもミス・ハーマイオニーは私の密かな大望も見落とさずに、満点を取っています! グリフィンドールに10点!」

 

息をのむ声とともに茹蛸のような顔になるハーマイオニー。ニコニコと自尊心にあふれた笑みを浮かべるロックハートは、どうやらクラスの生徒全員がハーマイオニーに見えているようだ。

 

「では授業に入りましょう。魔法界にあふれるあまたの危機から皆さんを守る、それがこの授業の目的なわけです。私がいる限り、皆さんに危機が訪れることはありません。

今日は小手遊びとして、連中にご協力をお願いしよう。」

 

ロックハートも教師としての仕事は忘れてはいなかった。覆いのかかった籠から不快な鳴き声がすると、へらへら笑っていたシェーマスたちも黙り込む。ハリーは注意深く籠の中身をのぞきこもうとしていた。

籠の中にいるのは群青色の小妖精である。キーキー喚く小動物に安心したクラスに、ロックハートは挑戦状をたたきつけた。

 

「おや、なめていてはいけません。彼らは危険気まわりない。だが、どうやら皆さん自信があるようだが…。お手並み拝見といきましょう!」

 

憎たらしいほど軽やかに振られた杖とともに、籠の鍵が解除された。籠から放たれた小妖精は、部屋中に散らばっていく。

性根がいたずら好きであるピクシーがやることは、目につく全てへのいたずら以外ない。

シャンデリアや窓に張り付く、机のものをぶち巻かす、ネビルを釣り上げていくなどさんざんである。生徒の半分は机の下に隠れていたし、他の生徒は逃げ惑うしかなかった。

 

「ふふ、どうしたんですか。皆さん、隠れていたら何もできませんよ?」

 

『ペスキピクシペステルノミ ―ピクシー虫よ去れ!』

シーン…

 

イケメン教師の呪文は、ピクシーが彼の杖を窓の外に放り投げるという現象を引き起こした。慌てた彼が姿を隠した瞬間、終業のチャイムが鳴る。と同時に生徒が我さきへと扉に走り寄っていく。

 

「わ、私は本の編集を手伝わなくてはいけないのでね。後は君たちに任せたよ、優秀な諸君。ミス・グレンジャー、よろしく!」

 

そう言い残したロックハートは、姿現しをしたかと思うくらいの速さで教室を後にした。最早言葉も出ない男子をよそに、指名されたハーマイオニーが呪文を唱える。

 

『イモービラス! 動くな!』

 

ハーマイオニーが放った呪文は、まさしく有効な効果を示した。ゆっくりと落ちてくる小妖精を籠に戻しながら、ロンが悪態をつき始める。

 

「見たか?ロックハートのやつ、僕たちに押し付けていったぞ。

君たちに後を任せよう、優秀な諸君! だってさ。」

「ロックハート先生よ。先生は私達に経験を積ませたくて、今回の授業にしてくれたのよ。」

「すんばらしい。見たかハリー。あのロックハートの名演技!杖をとられたときの慌てようったらなかったよな?!」

「士堂までそんなこと言うの?!」

「落ち着いて、ハーマイオニー。士堂のいう事はわかるけどね。」

 

男三人のロックハート評にハーマイオニーは、ずいぶんとご立腹の様子だ。ぶつくさ文句を言いあう士堂とロンを横目に、ハリーは今学期の未来に暗雲が立ち込めてきた予感を覚えた。

 

 

寝室で士堂が静かに眠りについている。土曜の午前にハグリッドの部屋に皆と訪ねる約束があるからと、前日は早めに眠りについていた。だが久しぶりのホグワーツの日々は知らぬ間に疲労をため込んでいたらしい。珍しく熟睡する士堂を揺する何者かがいた。

 

「起きて、先輩! 起きてください!」

「…誰だ…」

 

ぼんやりした頭で目の前の人物を確認すると、一つ下のコリンがいた。熱狂的なハリー信者の彼は、ハリーのあらゆる姿をフィルムに収める。話すこともあるがたいていはハリーの居場所を聞き出すか、これまでのいきさつをインタビューされるぐらいだ。

そんな彼が珍しく血相を変えて、士堂の肩を揺するのだ。たらりと脂汗が顔から落ちるのがはっきりとわかるほど、急いでいる。何かあったことは明白だ。

慌てて着替えてからコリンの後を追いかけると、クディッチ闘技場に人が集まっている。赤のローブと緑のローブの集団が一食触発の空気を漂わせていた。薄ノロ坊ちゃんでも場所とローブだけで、その理由はすぐに検討がつくだろう。

 

「…すくなくとも、グリフィンドールはお金で選んだりしない。こっちは実力で選ばれたのよ。」

「フン、いい気になるなよ。誰もお前なんかの意見は求めていない。この穢れた血め!」

 

士堂が騒ぎの地点に到達したときに聞こえてきたマルフォイの言葉は、事態を悪化させるのに十分だった。ウィーズリー兄弟が襲い掛かろうと飛び出し、チェイサーのアリシアが金切り声で非難する。チェイサー仲間のケイティとアンジェリーナも睨みつけているところを見ると、穢れた血という文言は相当な侮辱だとわかった。ロンがローブから杖を取り出して、マルフォイを狙う。

 

「マルフォイ、思い知れ!」

 

ロンの杖から緑の閃光が迸るが、折れているせいで逆噴射してロンの腹にあたってしまう。ロンが苦し気に嗚咽するとぬるっとナメクジが口から零れ落ちた。そんなロンを見て、マルフォイらスリザリンが爆笑の嵐になった。周りのグリフィンドール生が近づかない中、ハリーとハーマイオニーがロンを連れてハグリッドの部屋に向かうのを、沈黙したまま士堂は見つめている。

 

「ああ、さすがの騎士様もあの醜態は見ていられなかったかな? 穢れた血に相応しい落ちこぼれの面汚しだよ。アレは。そういや君のご両親は…」

「3回目だ。」

「何?」

「お前は俺の前で三回侮辱したな。 ロンとハーマイオニーを。」

 

そういってマルフォイと正対する士堂の顔は、グリフィンドールの騎士と噂されることもある彼ではない。ハリーら数人しか知らない魔を断つ代行者の顔である。その気迫にマルフォイらスリザリンも、直感的に気づいた。  

まずいと。

 

『Crura adepto fortior me velut ferrum  (我の脚は鋼のように強くなる)』

 

詠唱とともに士堂の脚に魔力が集まる。ぐっと腰を沈めて左足の中心部に意識を置くと、右ひざを胸のあたりまで引き上げた。左足の中心部に魔力と重心を置き、腰をねじ込みながら右足刀蹴りが繰り出される。右脚に集まった魔力は足裏全体に靴のように覆われていた。

マルフォイの腹に命中した蹴りは、マルフォイの体を貫通した衝撃で後ろのスリザリン生すら転倒させる。口から吐しゃ物をまき散らすマルフォイが大の字で吹っ飛んだから、真横にいた生徒の首筋にラリアットの要領でマルフォイの両腕がぶつかってしまった。

あっという間にスリザリン生数名が地面に這いつくばる。あっけに捕らわれた他の生徒に目もくれず、士堂はハグリッドの小屋に向かった。

 

 

「誰だ、もうわかっちょる、しつこい… なんだ士堂じゃねえか。さあ入った入った。」

 

不機嫌そうなハグリッドは、士堂の姿を見ると安心したかのように招き入れる。去年と変わりないように見える小屋の中で違うのは、バケツにナメクジを吐き続けるロンと背中をさすりながら泣いているハーマイオニーだろう。

 

「話はきいちょる。まったくあのマルフォイとかいうやつらは性根が腐っとるわい。」

「穢れた血というのは?」

「お前さん、知らなんだか、まあハリーもそうだったからな。」

「穢れた血って言うのは両親がマグル―魔法使いじゃない人たちに対する最悪の侮辱だ。マルフォイたちは両親が魔法使いの純血だから、そうじゃない人を見下しているんだよ。

Owe…」

 

ロンがナメクジを吐きながら代わりに説明してくれる。ロンにしては簡潔かつ明瞭な回答であったが士堂は無視して質問してきた。

 

「なぜ純血を忌み嫌う? こっちじゃそっちでいう純血はそれなりに価値があるんだが。」

「なぜって、そりゃ意味がないからさ。このご時世混血じゃなきゃ魔法使いは全滅だよ。

まさか純血主義に賛成だなんていわないでくれよ。」

「そっちはどうか知らねえ。が、魔術師同士の子が一番魔術回路を持つ確率が高い。だから名家といわれる家系は魔術師同士の婚約が普通だ。」

 

士堂とロンの間に険悪なムードが立ち込めるが、察知したハグリッドが助け舟を出してくれた。

 

「士堂、お前さんは勘違いしちょる。俺たち魔法使いが魔法を使えるかに血筋はあまり関係ないんだ。だから今の時代にそんなものにこだわる理由はないんだがな。」

「じゃあマルフォイは、根拠もなくハーマイオニーを侮辱したのか?」

「そういうこった。だから士堂、お前さんも約束してくれ。そんな言葉を使うのも、ハーマイオニーにそんな扱いもしないってな。」

「なめるなよ、ハグリッド。俺はハーマイオニーを一度でも侮辱したことはないぞ。」

 

その言葉にハーマイオニーが頬を紅潮させるが、ハリーは気づいた。士堂が自分のことを俺と呼んでいる。少なくともここ最近で俺といったことはなかった。それがどういう意味かわからぬ彼ではなかった。

 

 

ハグリッドのハロウィン用のカボチャ栽培を見学した一同は、ロンを支えながら談話室に戻っている途中だ。何かスープでもあればいいが、いや今はバケツの方が必要だなと考えていた士堂は玄関ホールにいる人影に寒気を覚える。

 

「待っていましたよ。あなた方に今晩処罰が下されます。」

「なにをするんでしょうか、マクゴナガル先生…」

「ウィーズリー、あなたはフィルチさんと一緒にトロフィールームで磨き掃除をしなさい。魔法はなしですよ。」

「うげ…」

「ポッター、あなたはロックハート先生のファンレターの返信を手伝うのです。」

「そんな、僕もロンと一緒に…」

「先方のご指名です。ではそれぞれ8時に指定の場所に行きなさい。」

 

青ざめた二人に肩を置くハーマイオニー。他人事だと思ってにやにやしていた士堂は、マクゴナガル先生の次の言葉に絶句した。

 

「士堂、あなたも罰則が科せられているのです。私の書庫の整理を手伝いなさい。」

「な、なぜです? 俺は何もしていません!」

「マダム・ポンフリーが今ベッドに張り付く羽目になったのは、誰のせいでしょうか。8時に私の教授室に来るのです。」

 

さっと顔から色が消えた士堂を含めた男三人は、夢遊病者のように談話室に戻る。ハーマイオニーが彼らを慰めることなどあろうはずもなく、どんよりした空気がずっと漂い続けていた。8時になると目線を下がりっぱなしの彼らは、指定の場所に向かうのだ。

士堂がマクゴナガル先生の教授室につくと、扉がいつぞやのようにひとりでに開いた。部屋の中は小ぎれいに整えられているからか、清潔感が感じられる。小動物の入った籠がいくつか置かれ、黒板には何枚もの羊皮紙が張り付けられているのが見えた。自動筆記羽ペンがそこらじゅうで稼働しており、日刊預言者新聞も一週間分全ページ広げられていた。黒インクの赤チンに似た匂いと鳥やゴブリンの糞の匂いも、何らかの香水で消臭している。

 

「自覚が足りません、ポッターとウィーズリーを止めなくてはならないあなたがあんなことをしでかすなど…」

「別に、そんなのはハーマイオニーがやればいいんですよ。」

 

唇を突き出しながら、ぶつくさらしくない言い訳を言いながら杖を振る。乱雑に開かれた教科書や参考書がひとりでに閉じられていく。まだ浮遊呪文が十分に使えない士堂は重なった本を棚に手で戻していった。

 

「だいたい、自分の立場を心得なくてはいけません。あなたは去年の一件以来好喜の視線が向けられていることを自覚しなさい。」

「はあ。」

「罰を与えましょうか、士堂?」

 

どうも虫の居所が悪いマクゴナガル先生の機嫌を損なわないように、罰則を黙々とこなすことにした。マクゴナガル先生の杖が軽やかに舞うたびに、自動筆記ペンや本が踊りだす。こんなところでも魔法の実力を見せつけられるのは、他に呪文学のフリットウィック先生ぐらいか。知識や観察眼では、スネイプ先生も上げられるだろう。グリフィンドール生に見せつけるときの厭味ったらしさはあるけれども。

 

「マルフォイなんかかばう必要があるんですか。」

 

まだ納得していない彼の心は口からこぼれ出ていた。

 

「わかりませんか。」

「俺は分かりたくありませんね、あんなのをかばう理由なんぞ。」

 

杖をひゅっと振ってからマクゴナガル先生は士堂に正対する。その目が潤っているが、それは何の感情からか。人生経験の少なさを嘆くことすら、士堂の頭に浮かぶはずはなかった。

 

「確かにドラコが言ったことは許されない侮辱です。私はそれを咎めなかったら、あなたを軽蔑しますよ。」

「そうですか。」

「しかし、マルフォイ家の権力は魔法省とホグワーツ両方に根差しているのです。あなたは良くても、他の人の身に危険が及ぶのは目に見えているのです。

人と繋がるとはこういうことです。いいことも悪いこともあるのですよ、士堂。」

 

談話室に帰る道すがら、彼は思案していた。他の人の危険とは何か。直接的な被害が出るわけではなさそうだが、見当がつかない。寝室に一直線に向かうと疲労で顔が青白くなっている友人らとともに、すぐに眠りについたせいで悩みは頭の片隅に消えていった。

 

 

10月のじめじめした空気に合わせるかのように士堂の心は重かった。相も変わらずおかしい授業はそのままで、課題だけが積み重なる。ハリーもクディッチの試合が近いこともあって、土曜日や平日の夕方は時間が取れない。さりとてハーマイオニーが図書室にいくのについていくのもバカらしいから、談話室で時間をつぶす日々が続いていた。

どうやらじめじめした空気は人を愚かにする効果があるらしい。ハリーから話を聞くと、顔をゆがませ息をつかざるを得ない。

 

「すごいわ、絶命日パーティーに生前招かれた人は珍しいのよ! 面白そうね!」

「自分が死んだ日を祝うってどういうわけ?」

 

ハリーがホグワーツに住みつくゴースト「ほとんど首なしニック」にハロウィンの日に絶命日パーティーに誘われたのだという。なんでもフィルチに毎度のごとくやっかみを食らったのを助けてもらったとき、正式に誘われたんだそうな。興奮気味のハーマイオニーに、誘われたハリーも気分はいいようだ。だがロンの声から察するに彼はそうでもないらしい。

 

「ロンとハーマイオニーも誘われたんだ。もちろん士堂も。」

「お断り。なんで幽霊風情のパーティーになんぞいかなくちゃなんねえ。」

「ちょっと、そんな言い方ないわ。お誘いを受けてんだったら行くべきだわ。そうじゃなきゃ失礼よ。」

 

談話室で暖炉の前の長椅子を占拠する士堂は、心底いやそうにしていた。苦手な食べ物を無理やり食わされている子供のような表情は、らしくもない。だから3人は面白がってからかい始めた。

 

「何だい士堂、君首なしニックが怖いってのか? あんなのに怖気つくなんてさ!」

「怖がっちゃねえって。」

「あらそう? 私には怖がっているようにしか見えませんけど?」

「違うっつーの。」

「じゃあ行こうよ。ハロウィンはいつも通りだし、ね? 絶命日パーティーに出た後でもきっとハロウィンには出れるよ。」

 

なんとしても連れていきたいハリーに背を向ける士堂。まるで駄々っ子のように拒否する姿は、彼らしからぬ姿である。なかなか見れないその背中を、3人はにやにやしながら眺めていた。

 

 

あの時、僕も断るべきだったんだ。ロンは今、数日前の自分を罵倒していた。絶命日パーティーに参加しないか誘われたとき、軽い気持ちだった。不安がなかったわけではないが、そこまでひどいものでもないと高を括っていたのだ。

それがどうだ。ロンが目にするもので、心が躍るものなんて一つもない。蝋燭の火は幽かな色だし、空気はひんやりと湿っている。地下に続く道を歩いていくと、黒板を爪でひっかく音がどこからか聞こえてきた。

 

「こんなのを聞かなくっちゃいけないのかい?」

 

大広間のハロウィンパーティーでは、愉快な音楽がBGMだというのに。早く帰りたい気持ちが増す中でも、勇者ポッターは会場へと向かっていった。

 

「親愛なる友よ。このたびはよくぞおいでくださいました…」

 

「ほとんど首なしニック」が黒幕の掛かった戸口で3人を迎えてくれた。その向こうに広がるのは確かにパーティーではある。何百ともいえるゴーストが、ワルツを漂いながら踊っていた。ハッフルパフのゴーストである「太った修道士」が、額に矢を突き刺した騎士と話しているのが見えた。一人で漂い続けるスリザリンのゴースト「血みどろ男爵」もいることから見ると、各寮のゴーストも参加しているらしい。

ゴーストを通りぬかないように、ダンスホールの外側を歩く。ちらりと上に視線を向けると、行きで見た幽かな炎をともす蝋燭が輝く。千本もあろうかという蝋燭は、鋸で奏でられるオーケストラと相まって不気味だ。気持ちがどんどん沈むのだが、3人はまだ希望を持っていた。食べ物はさすがに大丈夫だろうという一抹の希望は、まるで蝋燭の炎のように消えていた。

 

「なんてこった…」

 

パンプキンパイに冷製カボチャジュース。チキンの丸焼きにコテージパイ。ハロウィン限定のクリームチーズソースがかかった、パンプキンケーキ。あちこちから漂ってくる鳥の油やスポンジが焼けた匂い。今日、彼らは思う存分堪能できただろう食事。

だが目の前にあるのは、腐った魚に真っ黒こげのケーキ。蛆が湧いた巨大ハギスにカビ過ぎたチーズ。何より吐き気を催す匂いが漂っているというよりも、部屋中に立ち込めていた。食べ物がおかれた長テーブルを、ゴーストたちが次々と通り抜けていく。口がもごもご動いていたり、顔を綻ばせることから味はわかっているしおいしいらしい。

 

「おそらく、匂いを味わっているんだわ。強い風味を出すために腐らした、と思う。」

 

知的好奇心から腐ったハギスに顔を寄せるハーマイオニー。鼻をつまむ彼女の肩を叩きながら、ロンは先を促した。

 

「もう行こう、気分が悪くなる。」

 

ハーマイオニーは頷きながら、あたりに漂う幽霊を見ていた。そして奥の方に目線を向けると、顔をそむけた。嫌悪感ではないが居心地の悪さを感じているのか、眉が三角形に吊り上がっている。

 

「こっち行きましょう。マートルがいるの。」

「マートル?」

「そう、嘆きのマートル。三階の女子トイレに住み着いた幽霊よ。癇癪が爆発するとトイレを壊しちゃうのよ。ただでさえ水浸しのトイレなんて嫌なのに、あの子の金切り声まで聞きたくないの。ねえ、行きましょう。」

 

早口でまくし立ててから小走りで扉に向かってしまう。ハリーとロンが後に続くが、扉付近で、小男の幽霊が地面から湧いてきた。

 

「聞いちゃった、聞いちゃった。マートルのこと聞いちゃった!」

「ピーブズ、ごきげんよう。」

 

ピクシーに負けず劣らずのいたずら好き、ポルターガイストの「ピーブズ」は小声で話しかけてきた。意地の悪そうな顔が喜色満面なことから、彼の目論見はすぐにわかる。

 

「ピーブズ、お願い言わないで。あの子さっきみたいな言葉、嫌いなの。」

「かわいそうなマートルのこと、言ってたぞお。」

 

「おいい、マートルうう!!」

「ピーブズ!」

 

ピーブズのありがた迷惑な言葉にハーマイオニーが語気を強めると、彼女の胸がほんのり暖かくなった。するとピーブズの頬に淡い色の十字架が浮かび上がり、彼が奇声を上げる。穴が開いた風船のようにすっ飛んでいったピーブズと入れ替わるように、陰気くさい猫毛の少女が眼前に現れた。

 

「こんにちは、マートル。」

「あらこんにちは。」

 

無理な笑顔と明るい声。嘘だと誰でもわかるが、ハーマイオニーはやるしかない。目の前で疑い深い目をした少女の面倒くささを知っているから。

 

「あなた、私のことからかったでしょう?」

「そんなことはないわ。ええ、そうね、そう、素敵っていったのよ。」

「嘘よ、嘘。」

「本当よ、マートル。私言っていたわよね?!」

 

こくこく頷く男子を「嘆きのマートル」は恨めしそうに見つめる。涙をあふれんばかりに流しながら、ハンカチを噛みしめて言ってきた。

 

「知ってるわよ、私のこと陰でなんて言っているか!太っちょ、ブス、惨め!うめきや・ふさぎや・嘆きのマートル!」

「そいつはニキビっ面とも、ギヤあああ?!」

 

後ろでピーブズが何かいったが喚きだしてしまい、聞き取れなかった。涙が洪水のように流れるマートルが、こっちを睨みつけながら壁を通り抜ける。ため息が思わず3人から漏れると、「ほとんど首なしニック」がフワフワ漂ってきた。

 

 

「皆様方、パーティーは楽しんでおられますかな?」

「ええ、もちろん。」

 

なんとか笑顔で噓をつくが、彼は気づいていない。誇らしげに来賓の数を語ってから、彼らの近くに寄ってきた。思わず顔を引いて身構える彼等を無視して、ニックは一人でしゃべりだす。

 

「全く、ピーブズのやつ。いたずらが過ぎるのがねえ。いや悪い奴ではないですよ。ですがあれは性根からですから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「起源?」

 

ホグワーツでおよそ聞かない単語にハリーが聞き返すと、ニックは然もあらんという顔で解説してくれた。

 

「ハリー、すまない。ホグワーツでは聞かない言葉でした。いや何分、久方ぶりに魔術使いを見かけるもんだからつい。」

「魔術について知っているの?」

「もちろん、そりゃあ。なんたって()()()()()()()()()()4()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()

 

初耳の情報にロンでさえも目を見開く。ニックは当然とばかりに話し出した。

 

「君たちのご友人の使う魔術と君たちの魔法は、ある時まで混同されていた。そしてある時枝分かれし、争いを生まないためにお互い干渉しないことを決めたんだそうです。」

 

ニックの話に思わず夢中になる3人の態度はニックにとって、喜ばしいものだったのだろう。饒舌になる彼の話は止まらない。

 

「起源とはあらゆるものの宿命。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ピーブズの場合、【介入】が起源とすればいたずらしたくなるのも道理でしょう。

なぜならそう定められたのだから。」

 

そこまで言うと幽霊は、にこりと笑って話を区切った。ハーマイオニーは詳細を知りたがっているが、ハリーは複雑だった。自分の生き方が確定されているとしたら、と考えるとどこか抵抗感が芽生えたのだ。ロンはただでさえ情報が少ない魔術について、また厄介なものが増えたとうんざり気味だ。

 

「それとこれは忠告です。いらぬお世話かもしれませんが、念のために。あなた方が身に着けているアクセサリー、大切にお使いください。」

 

そっと胸に手を置くと、一年前のクリスマスプレゼントとしてもらった十字架のアクセサリーがあった。

 

「それはいい魔除けになる。誰が作ったかは存じ上げないし知りたくもありませんが、出来はかなりのものです。」

「士堂のおばあちゃんからもらったんです。僕たち3人、クリスマスプレゼントに。」

 

ハリーが思わず入手元をこぼすと、納得したかのように何度も頷いた。

 

「なるほど、それは。そのアクセサリーは魔除けの銀によって、害ある霊と魔を退ける効果があるようです。さっきからピーブズが喚いているのも、原因はお分かりですね?

ホグワーツで彼などのいたずら幽霊があまり動かなくなったのも、理由は同じでしょう。」

「ひゃーすっげえ。これ、そんなにすごかったんだ。毎日磨かないとなこりゃ。」

 

現金なロンが十字架を手で揉み始める。ハリーも胸元から取り出して、きらりと光りを放つアクセサリーを眺めた。その輝きに、思わずニックが顔を背ける。慌ててハリーが手で覆い隠すと、汗をぬぐうかのように手で顔を吹いていた。

 

「ふー、やれやれ。さりとて、霊である私にはあまり見たいものではありませんね。

そして忠告をもう一つ。そのアクセサリーはあくまでも魔除け。霊を退治することはできませんし、()()()()()()()()()()()()()()()()()()それを実感する日が来ないことを祈りますがね。」

 

 

ニックの忠告が終わると、ちょうどパーティーが次の段階に進んだ。首なし騎手に引きつられた馬が会場に現れると、ボルテージが上がる。狩りクラブに入りたいニックを他所に首ホッケーが始まったころ、寒さに耐え切れなくなった一行は帰路につくことにした。歯の震えが止まらない中、会う幽霊に頭を下げて挨拶をする。頭にハロウィンのあの暖かな御馳走を思い浮かべながら玄関ホールに歩いていると、ハリーは誰かの声を聴いた。

 




久方ぶりの投稿になりました。書き溜めていたとはいえ、書き出してみると大した量ではなく呆然としております。
また投稿に期間が開くかと思いますが、なるだけ早く投稿したいので気長にお待ちください。


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事件の幕開け

「…引き裂いてやる…八つ裂きにしてやる…殺してやる…」

 

ロックハートの部屋で聞いた冷たい冷酷な声。石の壁に張り付いて神経を耳に集中する。心臓の鼓動が速く大きくなり、額には汗が滲みだす。友人の奇怪な、さりとて無視できない緊迫した顔にロンとハーマイオニーも顔を合わせた。ハリーは2人を無視して玄関ホールに駆けながら、声の主を探し求める。

 

「…殺してやる…殺す時が来た…」

「また聞こえた!こっちだ!」

「待てよハリー!」

「聞こえるだろう、声が!」

 

二階に上がりハロウィンパーティーを無視して三階を目指すハリーを、友人たちは必死に追いかけた。状況を語らないまま何かを探すハリー。あちこちに目線を配りながら廊下を駆け回る彼は、一足先に人気がない廊下についていた。

 

「ハリー、なんだてっていうんだよ、本当に、」

「そうよ、ロンの、いう、とおり」

 

息も絶え絶えの2人にハリーは震える手で指をさした。その先の壁に30センチほどの文字が描かれ、松明の鈍い光に照らされている。

 

『 秘密の部屋は開かれたり 継承者の敵よ、気を付けよ 』

 

奇妙かつ不気味な言葉にも意識が向くが、ゆらゆらうごめく影が目に入る。ゆっくり距離を縮めると、唐突な水音が廊下に響く。思わずこけかけたハリーを支えると、よく見えた。

松明の腕木に猫がぶら下がっている。フィルチの飼い猫ミセス・ノリスは目をカッと開き、何かにおびえた表情で硬直していた。

 

「ハリー、戻ろう。」

「でも、このまま、」

「戻った方がいい、ハリー。」

 

しばらく動けなかった3人だが、ロンが小声で肩をつついてきた。猫をほおっておけないハリーを、ロンは急かすようにいう。ロンらしからぬ強い口調に3人はその場を立ち去ろうとするが、もう遅い。

パーティーが終わり部屋に戻ろうとする生徒たちの声で、廊下はたちまち喧騒に包まれたのだ。その先頭に立つ生徒が後方の生徒としゃべりながら猫を見た瞬間、驚きの声が上がった。その後すぐに沈黙が廊下を支配し、ただならぬ気配を察知した生徒が前に出ようとしても3人に近づく人はいない。

 

重苦しい雰囲気を唐突に打ち破る、騒がしい声が聞こえてきた。

 

「 継承者の敵よ気を付けろ! 次はお前たちの番だ、この穢れた血め!」 

 

人混みの中から現れたのはドラコ・マルフォイだ。いつになく紅潮した頬とぎらついた目で、ピクリともしない猫を見て彼は笑った。

 

 

「何事だこれは… ああ、ノリス!ノリスじゃないか?!」

 

騒ぎを聞いたフィルチは、飼い猫の無残な姿に顔を覆ってしまう。その指の間からハリーを見定めると、金切り声を上げながらハリーに詰め寄ってきた。

「お前だ、お前だ、お前だ、お前だ! 私のノリスを、殺した、殺した、殺した!

お前が、ノリスを… 殺す殺してやるう、俺がお前を! 殺す!」

「殺す!!!」

 

ハリーに詰め寄ってきたフィルチはピタッと止まる。数人の先生とともにダンブルドア校長が駆け付けたのだ。3人をいったん下がらせてからゆっくり猫をおろす。彼はその長い指や杖で、ミセス・ノリスをくまなく観察していた。その背後でスネイプ先生が笑いをこらえたような奇妙な顔で立ち、ロックハートは舞台中かのように独白している。

 

「皆さん、猫を殺したのは【異形変身拷問】の一種でしょう!何度も見たことがある私さえ居合わせていれば、こんな惨状は起きなかったのに!」

 

彼の名演説の合いの手は、フィルチのすすり泣きだった。一度として猫を見ない彼の姿は文字通り哀愁が漂っている。ダンブルドア校長は呪文を唱えてノリスの体に杖をあてるが、何も起きない。その間にも名演説は留まることを知らなかった。

 

「―のように危険な出来事も私にかかればこの通り。私の自伝に詳しく書かれているのですが、つくづく残念です!楽しいハロウィンの日の惨劇を止めることが出来たのは、この私」

「アーガス、ミセス・ノリスは死んではおらん。」

 

フィルチとロックハートが声を詰まらせて校長を見ると、にこりと笑って安心させようとしていた。

 

「死んでない? でもじゃあ、どうして―こんなに」

「石になっただけじゃ、何故かはわからぬがの。」

 

眉をひそめるダンブルドア校長に、フィルチは真っ赤な顔で訴えた。

 

「あいつです、あいつがやったんだ!」

「これは高度な闇の魔法じゃ。二年生では出来ん代物じゃ。」

「あいつがやったに違いない!」

 

震える手でハリーを指さしてから、ゆっくりと壁の文字に向ける。書かれている文言を苦し気に、だがどこか恐ろし気に見つめながら彼は吐き捨てるように言った。

 

「壁の文字―見たでしょう―あいつは、しっておるのです、わたしが、わたしが―」

「私がスクイブだと、出来損ないの【スクイブ】だと知っているんだ!」

「僕、何も知りません! 猫のこともスクイブのことも何も知らないし分からないんです!」

 

ハリーは大声で否定するが、視線が一斉に集まったことに驚く。壁紙の中の人までもハリーを見てくる中、ゆらりとスネイプ先生が歩みよってきた。嫌な予感が頭をよぎると、肯定するかのようににやりと笑っている。

 

「ポッター、君は偶々居合わせてしまったといいたいんだろう?」

 

スネイプ先生はかすかに首を横に振って否定する。

 

「ではなぜ君はハロウィンの日だというのに、ハロウィンパーティーに参加しなかった?

参加しておれば少なくとも第一発見者ではなかったのではないかな。」

「ぜ、絶命日パーティーに参加していました!」

「そうです!」

「首なしニックや他の幽霊が証言してくれます!」

 

3人の必死の弁解すら、先生は逆手に取った。黒目がギラリと光を帯び、唇がアーチ状に曲がる。

 

「ほうほう、心温まるハロウィンよりも心から冷える絶命日が好みとは。だからパーティーに参加しなかったのかね?」

「ええ、もう疲れているんです。僕たち部屋に戻ろうと。」

「夕食も食べずに?」

「お腹いっぱいなんです。」

 

タイミング悪くロンの腹が雄たけびを上げた。ロンとハリーの顔がほんのり赤くなってしまい、ますます蛇の寮監は得意げだ。誕生日を迎えた子供のような顔で校長に向き直った。

 

「校長、どうやらポッターの証言は信頼性に欠けますな。吾輩としては彼が告白するまで、グリフィンドールのクディッチチームから外すのが妥当でしょうな。」

「そう思いますか、セブルス?」

 

今まで会話に参加しなかったマクゴナガル先生が鋭く切り込んでくる。どうやらクディッチへの不参加がとどめだったのか。

「私にはクディッチまで止める理由が見当たらないのです。あくまでも猫は魔術によって石になったのであって、箒の柄でぶたれたわけでもないのですよ。」

「まあそうじゃな。」

 

ダンブルドア校長の青い目が、ハリーに向けられた。キラキラ輝く目が、今は心の中を覗かれたような気がして恐ろしい。そして校長はきっぱり宣言した。

 

「疑わしきは罰せず。今日は不問とする。」

「何故だ!」

 

思わずといった顔で、フィルチが叫んだ。セブルスも黒目をぎろぎろ光らせているから、両者とも憤慨しているのは火を見るより明らかだ。

それでも校長はニコニコ笑いながら、白ひげを撫でているだけである。

 

「私の猫を石にされた! あいつがやったのに刑罰もないなんてアリエン!」

「校長、甘いのではありませんか?!」

「猫については問題はない。幸いスプラウト先生が、マンドレイクを手に入れられてな。成長し終えたら、薬の調合をしてもらいましょうぞ。必ずやミセス・ノリスは元に戻るでしょうな。」

 

フィルチの顔に安堵の色が浮かび、緊迫した場も少し緩和したように思えた。そういう時を狙ってしゃしゃり出ることが出来る男が、ここにいる。

 

「マンドレイク回復薬のことなら、おまかせください。眠ったって作ることが出来ますよ!」

 

嬉々としながら教師陣に自慢するロックハートは、この場にいる人の中にプライドが高い人物がいたことを失念していた。その人物はねっとりとした声でロックハートを問いただす。ハリーのことを忘れたかのように、冷たい声色だった。

 

「失礼ながら、この学校の()()()()()()()()()()なのだが。いかが?」

「もういい。さあ皆部屋に戻りなさい。先生方はもうしばらくお付き合い願おうか。」

 

ハリー達は限りなく疾走に近い早歩きで、ロックハートの教室の1つに飛び込んだ。詮索されるであろう彼らの為に、ありがたくも使用許可は下りていた。

その部屋でハリーは、魔法族の中で魔法を先天的に使えないスクイブと聞こえてきたうめき声について話していた。

 

「でもハリー。君お手柄だよ。これでフィルチのやつがあんなに僕らを毛嫌いする理由が分かったんだからさ。」

「でも知らなかった。まさかあの人が。」

「そんなもんさ。声については他の人には言うなよ。魔法界じゃ、幻聴は気狂いの前兆っていうんだ。」

「信じていないの?まあ僕も信じれないんだけど。」

「信じているわ。でもあなた以外聞こえない声を、証明するのは難しいわ。だからロンの言う通り、今は黙っておきましょう。」

 

人気がなくなったと思った3人が扉を開けると、目の前に誰かが立っている。思わず身構えた彼らに、人影は声をかけてきた。

 

「幽霊祭りに行ったと思っていたんだけどな。パンプキンケーキとチキンレッグ、コテージパイとカボチャパイ。冷めてはいるけど暖炉で暖めればいいさ。」

 

ため息交じりに士堂は、風呂敷に包んだパーティーの余りものを見せていた。深夜零時が近いこともあって、一行はすぐに談話室に戻る。暖炉の燃え盛る火でチキンなどを暖めてからベッドに戻った。久しく、正確には一日なのだがとにかくありがたかった。何せ匂いや味が五感を刺激してくるのだから、たまらない。ベッドの上で食べる背徳感は、ホグワーツの寮生活の中でも上位に入るだろう。

 

 

その後数日間は、ミセス・ノリス事件でもちきりだった。現場に張り付いているフィルチの犯人捜しが、話題を提供するのも一因だろう。ちょっとでも笑いを浮かべた生徒などを、処罰として部屋に連れていこうとする。当人の気持ちを考えたら当然だが、スクイブだと知られたからか笑いの種になりやすい。

だが、笑いばかりではない。血気盛んなフィルチを恐れる生徒も多いのだ。

 

「なあ、ジニー。考えすぎだよ。ホグワーツでは、こんなのめったないんだぜ。

きっと校長か誰かが、ちょちょっと捕まえるさ。まあついでにフィルチの野郎も…

冗談だよジニー。ほら水飲んで…」

 

猫好きのジニーをロンがからかいながら励ますが、顔の青白さは解決できない。彼女のように得体の知れない事件に恐怖する生徒も多い中、別の生徒がいるのも事実だ。

 

 

「ミス―、アー…」

「グレンジャーです。ビンズ先生、【秘密の部屋】について教えてください。」

 

ハーマイオニーが立ち上がった瞬間、教室が揺れた。今行われている授業は「魔法史」である。

ホグワーツの授業の中で、最も退屈な科目として語り継がれてきたのだ。その理由は教師であるゴーストのビンズ先生による、教科書読み上げにあった。低音かつ一定の口調で、堅苦しい歴史を整然と読む。興味の湧かない内容でこの教え方では、学生がどうなるかは明白だった。

だからこそ、ハーマイオニーの行動はあり得なかったのだ。口を開けて窓を見ていたトーマスは目を見開いた。惰眠をむさぼっていたネビルの肘が滑りおち、ラベンダーの体ががくっと震えた。顔を机にぶつけようかというほど頭を揺らしていた士堂とロンも、額を打ち付けてしまう。

 

「私は魔法史の教師です。事実を教えるのが私であり、神話や伝説は他の幽霊にお尋ねなさい。」

「先生、世界の神話や歴史は事実をもとに創作されたものが数多いはずです。たとえ神話や伝説が空想だとしても、もとになった事実は存在するはずなのでは?」

「うほん、うほん。アー、同年九月のサルジニア魔法使いの…」

「先生、事実があるのでしたら知る権利が私たちにはあります。」

 

ビンズの魔法史史上、ここまで熱心な質問はなかったのだろう。教室の端から端をせわしなく漂う彼はあきらめたように頷いた。士堂たちはここ数日の彼女の行動を理解した。図書館にこもりがちな彼女だが、最近は図書館以外で見かけることがなかったのだ。

「秘密の部屋」なる伝説を調べるために、彼女は「ホグワーツの歴史」を借りようとしていた。だが、探偵に目覚めたのは彼女だけではなかったのか、借りるどころか予約すらできなかったそうだ。そこで教師に直接聞くという手段に走っているのだろう。

 

「はあ。まあ、一理あるでしょう。あなたの言う通り、数ある伝説や神話は何かしらの事実が元になっていると考える学者はいます。これはエウヘリズムと呼ばれているものですな。

例として挙げられるのは、トロイア戦争でしょう。骨董無形な伝説でありましたが、魔法歴史学者シュリーマン君は有名ですね、彼によって事実と認定されました。

彼の発掘した遺跡は時代がずれていたりしますから、トロイア戦争自体の確定はされていません。彼の功績は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()にあるのです。」

 

そこまで言って先生は教室を見渡すと、全生徒が聞き耳を立てていた。初めての光景に気後れした先生は、彼らの知りたい話をし始める。

 

「そして彼はマーリン勲章を授与されました。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そう、【秘密の部屋】ですね。」

 

息をのむ声が聞こえ、教室にかつてない緊張が走る。聞いたことのない事実は、知的好奇心の薄い生徒でも関心を持つのだろう。

 

「皆さん知っての通り、ホグワーツは偉大なる4人の魔法使いによって創設されました。すなわちゴドリック・グリフィンドール、ヘルナ・ハッフルパフ、レオナ・レイブンクロー、サラザール・スリザリン。当時魔法使いとマグルは共存していました。しかし特別な力を操る魔法使いたちは、マグルから様々な目で見られたのです。友人や家族として、あるいは嫉妬の対象や武力として。後者の見方がマグルに広まりつつあった頃、創設者はマグルが来られないこの地に学校を造られたのです。」

「マグルから離れるとともに、当時の魔法の学び方も変えました。各家ごとに伝えられた魔法の秘儀を、同じ屋根の下で学ぶ。しかも当代最高たる4名にです。彼らは協力しながらホグワーツを発展させましたが、やがて袂を分かちます。

スリザリンはあくまでも、魔法使いのみに魔法は伝えようとしました。他の3名は数は多くなかったマグル生まれの魔法使いにも、教育の機会を与えようとしました。断っておきますが、スリザリンの発想は当時としては珍しいものではありません。()()()()

 

そこまで言って一息つくと、核心に迫ろうと話を続けた。

 

「結局スリザリンの意見は通らず、彼はこの地を去ります。その時彼はホグワーツに密かに部屋を設け、秘宝を隠したとされます。彼の後継者のみが部屋の鍵を開けることが出来、中に隠された秘宝―恐怖を解き放つといわれたのです。

ですが、確認できたものはいません。シュリーマン君始め何人もの優れた魔法使いが探索してもなお、その痕跡すら見つかっておらんのです。」

 

生徒の顔に眠気や惰性などない。今自分たちは伝説の一部と相対しているかもしれないのだ。

 

「先生、恐怖とは何でしょうか?」

「何かしらの魔法動物といわれていますが分かりませんな。」

「スリザリンの後継者以外見つけられないのなら、誰が探しても無意味では?」

「オッフラハーティ君、歴代の優れた校長方が発見できなかった時点で」

「ビンズ先生、闇の魔術が使われていたら?」

「ミス・ペニーファイザー、闇の魔術を使えないと使わないでは天と地の差があるのです。」

 

ハーマイオニーのみならず、シェーマスやパーバテイが矢継ぎ早の質問を浴びせる。が、ビンズ先生は取り合おうともしない。事態が事態だから仕方なくいった、といった具合だ。

だが、我らのハーマイオニーがこんなことで屈するはずがなかった。

 

「先生は魔法では見つからないといいました。では魔法以外の、そうホグワーツでは習えない魔術が使われていたとしたら?」

 

ビンズ先生は少し驚いたようだが、士堂を見つけると彼の近くに漂いつつ首を振った。

 

「ないでしょうな。確かにこの部屋には、皆さんの知らない術を学んだ人がいるかもしれない。ですがそれを使ったとしても、優秀な魔法使いの前では無力です。

―さあ、わかりましたね。つまり君たちが思うものは全て確証がないのです。私は確固たる事実のみを教えるのが、職務であります!」

 

 

「どう思う? 本当にあると思う? 伝説の隠し部屋。」

「さあね。ただ一つ言えるのは、猫がやられたってことだな。」

「校長先生ですら、マンドレイク回復薬を待たなくちゃならないのよ。ただの魔法じゃない。」

 

4人は事件現場近くで、痕跡を探していた。ビンズ先生は笑い事だと切り捨てたが、生徒は誰一人そうは思っていない。現にこうして士堂たちは何かないか、探っていた。

 

「まあ、そうだけどさ。士堂、君の魔術で石にできるかい?」

「僕は無理だな。石化は呪いとかそういった類に分類されるんだ。しかも金縛りの上位の呪いだ。あの猫は金縛りじゃなく、完全に石化しているってことは相当のやり手だな。」

「つまりは君でも分からないんだね。」

 

ハリーの言葉に頷いた士堂は、窓に目を向けた。何十匹もの蜘蛛が列をなして逃げていった。するとロンが泣きそうな顔で、目を覆っている。死体でも見たかと見間違うほど、極端な反応だ。

 

「僕、蜘蛛は嫌いなんだ…」

「どうしてまた。」

「昔フレッドのおもちゃの箒の柄を折ったとき、テディベアを蜘蛛に変えられてさ。それ以来あのうじゃうじゃした脚とか見ると、ああもう僕…」

慰められていた時のジニー並みに顔を青白くするロン。慌ててハリーが話の方向性を変えた。

 

「そういえば床が濡れていた。あの水はどこから?」

「確かそこの部屋から。あの時遠くから見て確認した。」

 

ロンが指さす方向には、修理中と書かれた紙が貼られた扉があった。その真下あたりが湿っているのを見つけると、ハーマイオニーがノブを掴みながら言った。

 

「ここ、みんな知っているところよ。入りましょう。」

「お、おい大丈夫か…」

 

ハーマイオニーが中に進んでいった後を、慌ててついていく。そこはトイレであったが、陰気で憂鬱な印象が強い。ひび割れた鏡に壊れた石製の手洗い場は、長い間放置されているらしい。そしてトイレの小部屋を見て、彼らはここがどこかと誰がいるかが分かった。

 

「あー、マートルごきげんよう。」

「ここは女子トイレよ。どうして男子がいるの。」

「まあ、その、素敵でしょうここ。だからみんなに紹介したくて、」

「嘘ね! どうせ私のことバカにしに来たんでしょう! 知ってるわよ、私のことなんて言ってるかぐらい! バカだと思っているんでしょう?!」

 

ハーマイオニーが無理な笑顔で何とかしゃべりながら、肘でハリーを小突く。何を言わんとしているのかわからないハリーだが、マートルの眉間の皺が増えたことで慌てて話を繋げた。

 

「あー僕たち、そのー、ああ、猫が襲われたとき、そう何か見なかった?」

「そんなのわからない。」

 

興奮気味のマートルはあたりをぐるぐる漂い続ける。

 

「私ビーブズにいろいろ言われて、あの後ここで閉じこもったの。そしてね、もう嫌になって死んじゃおうって、でも、でも…」

「もう死んでたって?」

 

強烈なすすり泣きとともに、彼女は便器に飛び込んだ。噴水かと思うぐらいの水しぶきが、4人に降りかかった。ぴちゃぴちゃと水滴の垂れる音とともに、奥の個室からすすり泣く声が聞こえてくる。ハーマイオニーがやれやれといった具合に、首を振る。

 

「これでもいつもよりましなのよね、あの子。さあ、行きましょ。」

 

ゆっくり扉を閉めて談話室に戻ろうとする4人は、階段上から聞こえた声にびっくりした。パーシーが信じられないといった表情で、こちらに向かってくる。どすどす音を立てながら近づくと、ロンを捕まえた。

 

「ロン。そこは女子トイレだぞ!」

「パーシー、僕たちちょっとばかし、探し物をしてただけさ。」

「早く帰るんだ! 今の君たちを見たら他の人はどう思う?!」

 

パーシーが強い口調でロンをたしなめると、反抗するかのようにロンが反論した。売り言葉に買い言葉で、どんどん論争はヒートアップするばかりだ。

 

「僕たちはやっていない、無実だ!」

「僕もジニーにそういったさ! でもジニーは自分のことのように悲しんでいるんだ。あの子があんなに思い詰めることなんてなかった!」

「兄さんはジニーじゃなく、その胸のバッジのように輝く自分の将来が心配なだけだろ?!」

「グリフィンドール、5点減点!」

 

怒りで顔を紅くし、頬や胸が膨らんでいるパーシーはいつぞやのウィーズリー夫人のようだ。士堂とハリーが親子の血筋というものを感じていた時、パーシーは大股で階段を上がっていく。怒りで首筋まで赤いロンをなだめながら、皆で談話室に帰った。

 

 

「闇の魔術に対する防衛術」は、動物を使わなくなった。代わりにロックハートの著作から、寸劇で対処法を学ぶという内容に変わった。だが具体的な魔法につて教えられることはなく、只々自慢話を聞かされる始末だ。たいていはハリーが指名されたが、単に有名人だからだろう。

つまりはくそなわけだが、ハリーとハーマイオニーはいつになく緊張していた。このくそな(ハーマイオニーはそうは思っていない)授業終わりが、ここ数日の中でも重要な瞬間であることは間違いなかった。

 

「今日はここまで。宿題としてワガワガの狼男が私に敗北したことについて、詩を書くこと!優秀者にはサイン入りの本を差し上げましょう!」

「皆が行ってからよ。」

 

宿題を告げたロックハートが使われなかった杖を、丁寧に机に置いた。その時ハーマイオニーが、紙きれを持ってササっと近づく。紙切れを渡しながら、ロックハートに説明した。

 

「先生、実は図書館で本を借りたいのですが【禁書】なんです。先生にサインをいただきたくて。」

「ミス・グレンジャー!君のような秀才がまたどうして?」

「先生の『グールお化けとのクールな散策』に出てくる、ゆっくり効く毒薬について、」

「ああ、あの本ですか!」

 

そのまま上機嫌で彼は紙切れを受け取る。ハーマイオニーが熱のこもった口調で活躍について褒めると、嬉しそうに笑っている。サイン用という大きな羽ペンでサインをするとき、彼は何の本か見もしようとしなかった。上機嫌のまま、クディッチの試合が近いハリーを激励する。

 

「―私の個人レッスンが必要でしたら、いつでもご遠慮なく。ナショナル・チームも見惚れた私のシーカーの実力、能力と才能に欠ける若き人に伝授しましょう!」

「ありがとうございます。いつかまた。」

 

ハリーのあいまいな咳ばらいを合図に急いで部屋を出た。パーシーに叱られた後話し合った結果、怪しいのはマルフォイだというのが結論になったのだ。マグル生まれを憎み、スリザリンと縁が深く歴史も長い。この騒動で得をする人物を上げていった結果だった。

彼らはハーマイオニーが提案した作戦に必要な薬の生成方法を入手するために、禁書が必要になった。マルフォイをだますために使う薬だ。だが簡単に見せることが出来ないから禁書なのであって、そうは許可は下りない。よって簡単に騙せそうな教師を見繕ったのだ。

 

「もっとも強力な魔法薬」を図書館で手に入れた後、3階のマートルのトイレに逃げ込んだ。図書館秘書マダム・ピンスを何とかはぐらかしながら手に入れた本は、題字に負けないおどろおどろしいものだ。いわゆる闇の魔術に該当する人体実験や、非道徳的な薬や魔法薬が詳細に綴られている。

 

「これが【ポリジュース薬】よ。ほら、人が変身しているわ。」

「おう…」

 

挿絵の痛々しい表情を見た瞬間、誰かが声を漏らす。本来授業で類似する内容を学ぶはずだったが、ありがたいことに触れられてはいなかった。

 

「工程も複雑だけど、問題は材料ね。クサカゲロウ、ヒル、満月草にニワヤナギ。まあここは簡単だけど、問題はこれね。二角獣の角の粉末に毒ツルヘビの皮の千切り。」

「どこで手に入る・」

「スネイプ先生の保管倉庫以外心当たりはないわ。後は変身対象の一部。」

 

士堂は頭を抱えたくなった。ただでさえ危険な賭けなのに、賭ける前の段階で大博打を打たなくちゃなんないのだ。

 

「おいおい、無理だろそりゃあ。髪の毛や爪ならどうにかなるけどな。 いくら何でも先生の個人倉庫なんて…」

「何よ、士堂。」

 

ハーマイオニーが本を閉めてにらみつけてくる。赤みの増した顔で不満げではあるが、その瞳は爛々と輝いていた。

 

「私は規則を破りたくはない。だけどこのままじゃ、マグル生まれの生徒は皆殺しよ。ならちょっとぐらいの違反なんかでビビっちゃいられないの。継承者が誰か、マルフォイに聞かなくていいんだったらそれでもいいわ。」

「ここまで来たらそうはいかねえだろ。」

「まさか君に規則違反を促される日がこようとはね。」

「やるよ。でもどのぐらい時間がかかるの?」

「そうね、満月草は満月の時に収穫しなきゃいけなくて。クサカゲロウが21日間煎じるし。」

 

ざっと見積もっても一か月はかかるといわれたロンが、ハリーの背中を小突いた。

 

「君がマルフォイをやってくれりゃあ、早まるぜ。」

 

 




なんとか投稿できました。原作の細かい描写等は書いた方がいいと思うんですが、省くことが多くなりがちですね。

エウヘリズムは、僕の好きな考え方です。アトランティス大陸の伝説も、もとになる古代文明を参考にプラトンが後世への忠告として書いた的な。

シュリーマンが魔法使いでホグワーツ出身なのは、書いている途中で思いつきました。今後も偉人が数人出るかもしれませんが、フェイトクロスなんでよろしくお願いします。

設定等不自然な点は教えていただけると、ありがたいです。


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悪循環

土曜日の朝、士堂たちはクディッチ競技場近くの更衣室に向かっていた。今日はスリザリンとの試合である。ロンがハリーをけしかけたのは、試合中のアクシデントで怪我をさせてしまえという意味だった。

因縁の相手、士かも箒が最新鋭ということもあってかなり緊張感が高い。3人が入っても、ハリーは床の一点を見つめていたのだから。

 

「ハリー、頑張れ。」

「幸運を。」

「できるわよ、ハリー。」

 

短めに励ますと、少しは体がほぐれたように見える。急いで観客席に向かうと、もうお祭り騒ぎだ。レイブンクローやハッフルパフまでもが、グリフィンドールを応援している。スリザリンが負けるところが見たいというのもあるが、マルフォイの箒プレゼントや侮辱も理由だろう。手荒に渡された小旗を振りながら、士堂は試合が一筋縄ではいかないことを確信した。

 

そして予感は当たる。リーダーのフリントとウッドの、宣戦布告に近い握手から幕が開いた試合。最新型の箒は、想像以上だった。それまで見てきたクディッチの試合で、一番動きが捉えづらい。ブラジャーの動きがなかったら士堂でさえ、誰が誰か分らぬほどのスピードでコートを飛び回っている。

だが、試合が開始してからすぐにハリーの動きがおかしくなる。ブラジャーが執拗に追いかけまわすせいで、スニッチを探せない。雲行きが怪しかった空から大粒の雨が降ってきたこともあって、状況は最悪だ。

 

「ハリー、どうしたんだ?」

「ブラジャーがハリーを狙っているような…」

「んな、馬鹿な。ブラジャーは選手全員を狙うんだ。一人を狙い続けるはずがない。」

 

だが、ハーマイオニーの予想は当たったらしい。グリフィンドールがタイムをとって話し合いをしているのは、予想外の展開についてだろう。雨が降りしきるせいで視界が良好ではないが、肩を寄せ合っている背中から余裕など感じることはできなかった。

タイムの後、ハリーが迷いなく上空に飛び上がると観客席のボルテージが急上昇する。グリフィンドールの点数を考えると、最早ハリーによる得点が頼みの綱か。

 

ハリーが必死になってブラジャーを避けているのを、マルフォイがからかっている。視界が悪くてもそのことはわかるから、彼へのブーイングがグリフィンドールの席からうなる。

そのお返しとばかりに、箒から逆さにぶら下がったハリーにスリザリンからブーイングが向けられた。

 

しばらく試合が膠着する中、ハリーの動きが止まる。なぜか空中で立ち往生していた彼の手に、ブラッジャーが文字通り飛び込んだ。思わず観客の半数が顔を背け、残りは息を吞むしかない。ハリーはそれでも折れた右腕を垂らしながら、片足の膝だけで箒を操作していた。

 

「危ないわ、ハリー!」

「いや、行けるぞハリー!」

「踏ん張れえ、ハリー!」

 

その無謀ともいえるプレイングに観客席から、再び大きな歓声が沸きあがる。そしてハリーはマルフォイに急接近すると、彼の頭上に手を伸ばした。慌ててマルフォイが離脱すると、加速したまま地面に突っ込む。その手に黄金に光るスニッチが雨間の中で、きらりと輝いた。

瞬間、観客席から割れんばかりの歓声が広がる。あるものははちきれんばかりに手をたたき、あるものは囲い柵をバンバンたたいた。

 

その中で士堂たちは真っ先にコートに降りた。気絶したハリーに近寄ると、他のチームメンバーも心配そうに駆け付けている。皆泥だらけのずぶ濡れの姿で、試合の壮絶さを物語っていた。フレッドとジョージが、ブラッジャーを箱に戻そうと奮闘している。球体は尚もハリーに飛びかからんとしているのだ。

 

「ハリー大丈夫か、おい?!」

 

士堂が顔をたたくと、眉を顰める。ほっと息をつく間もないまま、あふれんばかりの笑顔でロックハートが近づいてきた。思わずハリーを抱きかかえる士堂に、安心させようと指を振る。

 

「私にかかればこの程度の怪我はすぐです。さあ、ハリーをこちらに。」

「いや先生すぐに医務室に。」

 

士堂が無視して運ぼうとすると、制するかのように杖を向けてきた。そして強引にハリーを寝かすと、折れた腕に杖を向ける。

 

「…先生、何を?!」

「大丈夫、私に任せて。君は混乱しているが、問題はない。」

「やめて、腕はそのままでいいですから、僕は医務室に…」

 

『ブラキアム エンメンド―!』

 

無残にもハリーの骨折は治ってしまった。腕から骨が消えたら確かに骨折ではない。

ぐにゃぐにゃゴムのように曲がるハリーの腕を見た一同がロックハートを見ると、慌てたようにその場を後にした。皆が息を飲む中、彼の声だけが聞こえてくる。

 

「あー、こういうこともある。うん、骨折は治った、うん。それじゃあハリー、医務室に向かいなさい。あー士堂君、ウィーズリー君。肩を貸してあげなさい。ミス・グレンジャー、ハリーの代わりにそのー、なんだ、マダム・ポンフリーに状況の説明を。」

 

 

マダム・ポンフリーは怒り狂った。簡単な治療で済むはずの怪我を、こうも厄介にした所業に。かの愚かな教師の愚行を許すまいと、ずっと小言を唱えていた。

のどに焼け付く「骨薬のスケレ・グロ」をしかめっ面で飲むハリーのベッド脇で、男子と女子が言い争っていた。

 

「君はまだあいつの肩を持つってのか、え?」

「ロン、誰にだって間違いはあるわ。ハリー、痛みはないんでしょう?」

「痛みも感覚もありがたいぐらいにないよ。」

「ハーマイオニー、これを間違いで済ますのはきついんじゃないか。やる必要はなかったんだ。」

「どうして士堂まで先生を悪く言うの? 先生の善意を無視するのはおかしいわ!」

 

遺憾だとばかりに頬を膨らますハーマイオニーが、思いついたかのように口を開いた。

 

「そういえばどうやってブラッジャーに仕掛けをしたのかしら。」

「そんなのマルフォイに聞けばいいさ、あのくそったれの顔といったら。」

 

思い出し笑いをするロンの声に、似た笑い声が聞こえてきた。クディッチチームがお菓子の詰め合わせをもって見舞いに来たのだ。おかげで病室は一気に騒がしくなる。

 

「ハリー、調子はまああれだが。とにかくよくやった。今日の勝利は大きな価値がある。」

 

満足気なウッドの背後から首を伸ばしたジョージが、見舞いのチョコクッキーを手渡しながら喜んでいた。

 

「根性あった飛び方、見せてもらったぜ。それに引き換えマルフォイのやつ、フリントに怒鳴られていやがった。奴さん、頭上にスニッチがあるとは気が付きませんでした。って具合に謝っていたけどしゅんとなっててさ。」

 

そのまま泥だらけの面々でパーティーが開かれようとしていたが、そうはならなかった。騒がしいうえに床やらなんやらを泥だらけにしたおかげで、怒り狂ったマダム・ポンフリーのお灸を添えられる羽目になったのだ。

 

 

 

次の日の早朝、士堂たちはゆっくりと足を忍ばせていた。3階の女子トイレでポリジュース薬を煎じなければいけないのだ。見つかってはまずいとゆっくりと進んでいく。階段を歩いるころ、先頭の士堂がさっと体を隠した。慌てたロンが尻餅をついたせいで、ハーマイオニーが持っていた材料を床にぶちまけるところだ。

 

「何だよ急に?!」

「しっ!!」

 

指で静かにしろと合図を送ると、階段下の廊下をマクゴナガル先生とフリットウィック先生が歩いているのが見える。二人とも肩を落とし、どこか憂鬱そうだ。マクゴナガル先生なんかクディッチの勝利に狂喜乱舞したせいで、ハリーの事故に間に合わなかったぐらいなのに。

 

「…なんてことでしょう。まさかコリンが。まさか被害者が増えるなんて。」

「先生の失態ではありません。クディッチの試合もあって浮かれていたのは我々も一緒ではないですか。」

「フリットウィック先生、そうはいっても…。今回の事件、手がかりが分からないのが。」

「ええ、確かに。カメラのフィルムを焼き焦がして人を石化。私の知る呪文には石化の効果はあれど、物を焼き焦がすなんて知りませんな。はあ…」

 

先生たちが去り、やっとこさトイレにつくとハーマイオニーが準備を始めた。持ち運びのできる防水性の火をくべ、材料を煎じ始めたころやっと口が開いた。

 

「コリンがやられたって本当かい?」

「話の内容的にはそうだな、でもいつなんだ。」

「多分ハリーのお見舞いに行こうとしたんじゃないかしら。それなら出歩く理由もわかるわね。」

 

予測はしていたが、まさかだった。ちょっと雰囲気が重くなりかけたとき、ガチャガチャと扉を開けようとする音が聞こえた。士堂が忍び足で鍵穴を覗くと、ハリーが辺りを見渡しながら入ろうとしている。すぐにハリーを中に入れて、面々に合わした。無事に動くハリーの手に安心したのもつかの間、ハリーから衝撃の事実が告げられた。

 

「きな臭いな、色々。」

 

士堂は最も高度な魔法薬を見ながら温度を測りつつ、髪をかきむしった。ハリーは昨晩屋敷しもべ妖精のドビーから、キングス・クロス駅の妨害やブラッジャーの細工をドビーがしたこと。以前にも開かれた秘密の部屋が再び開き、その脅威がハリーを傷つけようとしていることを告白したらしい。だが、誰がどうやってを聞くたびに自分を殴ったりするせいで、そこのところが曖昧なままということが分かった。

 

「秘密の部屋は以前にも開かれた。」

「うん、決まりだ。秘密の部屋を開いたのはルシウス・マルフォイで、開け方をマルフォイのやつに教えたんだ。にしてもどうしてドビーは怪物について教えてくれないんだろう?」

 

ロンがクサカゲロウの入った袋を破り大なべに、ぶち込む。ハーマイオニーが棒でかき混ぜながらため息をついた。

 

「うーん、透明になったりするのかしら。本で読んだんだけど、そういうカメレオンに似た生物が鎧かなんかに擬態するらしいわ。でも問題はドビーを止めないと、またハリーが傷つくことね。」

 

 

 

コリンの一件はホグワーツに衝撃を与えた。今までと違い生徒が狙われたことは、十二分にも恐怖を与える。一年生は固まって移動し、双子が使うような怪しい防犯グッズが出回った。

ジニーも「妖精の魔法」のクラスがコリンと一緒なこともあって、また顔色が悪くなっている。双子がからかって励まそうとしては、パーシーが真っ赤な体を膨らまして叱る姿を5回は見た。

このせいで例年少ないクリスマス休暇も、めっきり人が減ってしまう。4人が残る申請をしに行くと、マルフォイも申請しているところを見つけた。この際詳しい理由などどうでもいい。この機会を逃すわけにはいかなかった。

 

魔法薬学の授業で、「ふくれ薬」を作っていた時。士堂とハーマイオニーは緊張した面持ちで授業を受けている。いつもならスネイプ先生のグリフィンドールいじりに不快感を示す彼女が、今日は何も言わず材料を図っている。息が荒くなるのを隠しながらなんとか薬を調合していると、先生が鍋を覗いてきた。

 

「…概ね良好なようだな、士堂。だが本当に君が一人でやったかは疑わしい。」

「先方、僕は一人でやりました。」

「では聞こう。フグの目玉を加工するときの注意事項。【基本魔法薬学2】p108の下欄に書かれている物も含めて。」

「目玉はきっかり4グラム、すり鉢で液状に。大鍋の火を強めて煮だった瞬間に入れ、火を弱める。」

「フム。」

「ただし火を強めたとき甘い臭いがしたら、入れた後も火を消さずにかき混ぜ続けます。」

「…よろしい。だが最後の文は正しくは甘い臭いではなく、柑橘系の匂いがした時もだ。研究が足りん、2点減点だ。」

 

そういってハリー達の大鍋を覗くスネイプ先生の後ろ姿を、ばれないように見つめていた。ハリーがこっぴどくやられるのを愉快そうに見てから、他の生徒に目を配る瞬間。ハーマイオニーが小さく頷くと、作戦が始動した。

まずはハリーが「フィリバスターの長々花火」に火をつけると、火薬が爆ぜる音がする。ロンが一気に大鍋の火を強くして、沸騰音でかき消した。あちこちで沸騰音がしているから誰も気にしていない。ハリーが花火をゴイルの大鍋に放り込んだ瞬間、大鍋の中身が爆発した。中身がクラス中に飛び散る中、ハーマイオニーがこっそりと抜け出す。その姿を見られないよう、士堂が派手に机のものをぶちまけた。被害が拡大する中、スネイプ先生が怒り狂いつつ解毒剤を用意している。士堂はばれないように床に転がるゴイルの大鍋の中の、花火を呪文で消し飛ばした。

体の一部が肥大した生徒がずらりと並ぶ中、苦虫をかみつぶした顔のスネイプ先生が治療を行っている。ハーマイオニーが懐を抱えて席に戻ったことをみんなで確認すると、ちょうど治療が終わったようだ。

 

「【ぺしゃんこ薬】をかつてここまで使わせたものはいない。」

 

生気のない顔が血色のいい顔になるほど怒りを覚えた先生は、生徒一人一人を見渡しながら低い声でつぶやく。はれ上がっていた個所をさすりながら皆が鎮まると、ハリーの前に立ち止まって言い放つ。

 

「この騒ぎの首謀者は、覚えておけ。必ずや見つけ出し退学にしてくれるわ。」

 

 

 

「決闘クラブ?」

 

玄関ホールに人が集まって張り出された羊皮紙を見上げている。シェ-マスとフィネガンが、近くを通った4人を呼び寄せて簡単に説明してくれた。

興奮した彼らをよそ眼に羊皮紙を詳しく読むと、ロックハート主催の特別講義らしい。実践的な魔法練習ということもあり、期待度は高かった。

 

「自由参加、ね。」

「決闘の練習なんかそうそうできないしね。」

「ハリー、まさかスリザリンの怪物と決闘するなんて言わないでくれよ。」

「役立つかもよ?」

 

なんだかんだ言ってもハリーとロンは楽しみな様子だ。士堂にしても顔が上気しているし、ハーマイオニーも羊皮紙から目を離さない。自分の魔法がどれだけ通じるか、試したくなるのは性ともいうべきだろう。

夜8時に大広間に向かうと大勢の生徒がひしめいている。杖を持って、今にも決闘を始めんとせんとばかりに興奮していた。いつものテーブルは取り払われ、代わりに金色の舞台が用意されている。蝋燭が数千本も掲げられているからか、舞台の金をきらびやかに光らせていた。

模範講師は残念なことにロックハートだ。これまたきらびやかな紫のローブを身にまとい、自信満々にスネイプ先生を引き連れて登場した。9割の男子がうめき声をあげるが、やはり彼には色めき立つ女子しか見えていないのか。

 

「皆さん、集まって。さあさあもっと近くに。ええそうです、聞こえていたら結構!」

「ダンブルドア校長から今夜、私めが決闘クラブを開催することを許可いただきました。私自身の数えきれない経験をもとに、自己防衛術を万が一の場合に備えて訓練しなくては。詳細は私自身の著作をお読み下さい!」

「そしてスネイプ先生! 彼は勇敢にも私の助手を手伝ってくれるのです。なんでも少しばかりの決闘の知識と経験がおありなんだとか、ああご安心を! 魔法薬学の担当が私になることはありませんよ?」

 

両方やられればいいと、ロンが士堂とハリーの耳元に囁いた。スリザリンの生徒以外の男子が望んでいるだろうな、と士堂は思う。だがそれはないだろう。ここにいる生徒のほとんどは、スネイプ先生の底意地の悪さと知識の豊富さをいやというほど知っているのだから。

 

舞台上で3,4m強の距離をとると、二人は向き合って一礼する。ロックハートが大げさに手足や杖をくねくねして一礼したのに対し、スネイプ先生は顔を下げただけだ。そして杖を顔の前で縦に構えてから、剣のように先を突き出して構える。

 

「本当にロックハートが決闘の経験者? よっぽどスネイプ先生の方が腰が据わっているぞ。」

「士堂、何言っているのよ。ロックハート先生は勇敢な戦士よ。少なくともスネイプ先生なんか敵じゃないわ。」

「御覧のように、この構えをとるのが昔からの作法です。覚えておいて、ああ写真はすぐにとってください!」

 

熱狂的信者のフラッシュがたかれる間、士堂はこの決闘について考えていた。両者の間隔は杖で戦う距離としてはこのぐらいなのか。西部劇の早抜きに近い形で決着がつくと考えると妥当だろう。興味を持ったのは構えだ。フェンシングのように構えたとき、驚いたからだ。

嘗てグリフィンドールの祖、ゴドリック・グリフィンドールは剣で魔法を使いマグルとも戦った。その名残なのか、それとも杖を剣のように扱えということか。

そんなことを考えていると、いよいよ本番が始まるようだ。余裕のあるロックハートに対し、敵意むき出しのスネイプ先生は好対照だ。

 

「3つ数えて最初の呪文を掛けます。無論、危険な呪文は禁止ですよ。」

「では―3・2・1。」

 

『エクスペリアームズ! 武器よ去れ!』

 

紅の閃光がまっすぐロックハートに向かう。彼はただ顔を驚愕の色に染め、対処などしなかった。彼の手から杖が弧を描いて飛び、陰湿な笑みを浮かべる教師の手に収まる。その体は後ろ向きのまま壁に激突し、壁伝いに滑り落ちてから大の字に伸びている。

マルフォイら数人の男子がかんせいを上げる一方で、ハーマイオニーのように顔を覆う女子もいた。大半の生徒は声を出さないだけで、マルフォイと同じ気持ちだろう。

カールした髪が逆立ち、服に皺が出来た見苦しい格好でロックハートは言い訳をした。曰く分かり切った簡単な呪文だが、教育的観点から受けただけだと。スネイプ先生が殺気立った顔で睨まなければもっと聞けたかもしれないが、残念にも怖気づいてしまった。

 

その後二人一組のペアを組んで決闘が行われることになる。隣にいた生徒とやることになるのが普通だが、何人かは先生によって相手を決められた。ハリーはマルフォイと、ハーマイオニーがブルストロードなるスリザリン生と組むことになった。

 

「相手、してくれる。」

 

士堂は近くにいた生徒に声を掛けられた。見事なブロンドが目に入る少女は、どこか不思議な印象を見るものに与える。紺碧の瞳は果たして士堂を見ているのか、他の何かを見ているのかわからなかった。

 

「ええ、まあ。」

「あなた、有名人ね。 レイブンクローでも話になるよん、獅子寮の騎士様って。」

 

耳の後ろから杖を取り出した彼女のフワフワした口調に、思わず気落ちしてしまう。彼女はそんなことを気にすることなく、杖を顔の前でかざしてあちこちを見ていた。まるで結党前とは思えない脱力感の中、士堂は杖を構える。

 

「相手と向き合って、礼! さあ、3つ数えたら武装解除呪文を。行きますよ…」

「3」

「私、ルーナ。ルーナ・ラブグッド。」

「2」

「…士堂。士堂・安倍だ。」

「1」

 

『エクスペリアームス! 武器よ去れ!』

 

なんだかんだ言ってこうした決闘で、有数の経験をもつのは士堂の方だ。赤の閃光がルーナに直撃すると、彼女はその場に座り込んでしまう。だが武装解除はされず、杖はまだ彼女の手の中だ。頭の上にはてなが浮かぶ士堂に、ルーナが座り込んだまま訂正してきた。

 

「ふふ、違うんだよ。エクスペリアームスじゃなくて、エクスペリアームズ。」

「そんなところかよ、くそ!」

「でも発音は大事だよ? フリットウィック先生も言ってったもん、()()()()()()()()()()()って。」

 

手を取って立ち上がせると、周りは阿鼻叫喚だった。おおよそ決闘など行われたのは上級生ぐらいで、大概は喧嘩の域を出ていないか魔法事故だ。ロンの気まぐれ杖はシェーマスの顔色を青白くし、ハーマイオニーはミリセントになぜかヘッドロックをかけられている。ハリーはマルフォイ共々碌な呪文を掛け合ったらしく、肩で息をする始末だ。

士堂がハーマイオニーに駆け寄ると、ちょうどハーマイオニーがミリセントの髪をつかんで投げ飛ばしていた。どこで習ったか知らないが、固め技をかけようとしている。あきれながらハーマイオニーを引きはがし、尚も飛びかからんとするミリセントの襟をつかんで投げ飛ばした。彼女の首筋に、ローブの下から黒鍵を展開して触れさせる。衣服越しの金属の冷気が彼女に恐怖を与えたらしい。急いでその場を離れて、スリザリン生のところに逃げおおせた。

 

「ん、すごいね。」

「どうも、褒められたってうれしかないね。」

 

先生たちは他の生徒に目が行っていたからか、士堂らは眼中になかったらしい。落ち着きを取り戻した群衆にスペースを開けさせると、代表戦を行うといった。

ここでまた、地下に住み着く性悪蝙蝠は名案を思い付いたようだ。ハリーとマルフォイを指名してきた。哀れかな、マルフォイが性悪からアドバイスを受けても、ハリーはきざ野郎からはくねくねの杖捌きしか教えてもらえない。

 

「先生、もう一度呪文とかを見せてもらっても…」

「ポッター、怖気づいたか?」

「そっちのことだろう、マルフォイ。」

 

唇を動かすことなく言い返したハリーが、杖を掲げた。マルフォイも杖を掲げ、形だけ顔を下げてから構える。ロックハートの陽気な合図ともに、決闘の幕が開ける。

 

「1-2-3、それ!」

 

『サーペンソーティア! 蛇出でよ!』

 

マルフォイが先制すると、杖先から蛇が出現した。長黒い蛇は両者の間で鎌首をもたげて、攻撃の態勢に入っていた。周囲から悲鳴が巻きおこるが、ハリーも対処できない。足が埋もれたかのように固まったハリーを、愉悦の笑みでスネイプ先生は見つめている。

余裕綽々のロックハートが撃退呪文をかけるが、いたずらに蛇を宙に投げ飛ばしただけだ。

おかげで蛇の闘争本能を刺激し、近くにいたジャスティン・フィンチ・フレッチリ―が攻撃対象となってしまう。士堂がローブの中の黒鍵に手をかけ、スネイプ先生が杖を向けたその時。

 

「手を出すな、去れ!」

ハリーの眼がかっと見開いているが、むしろ瞳孔は細くなっていた。爬虫類の鳴き声に似た、喉から絞り出したような声が聞こえた。蛇が鎌首を下げておとなしくなると、スネイプ先生の杖から呪文が放たれた。

 

「一体、何のつもりでこんな冗談を?!」

 

スネイプ先生すら信じられないといわんばかりの表情の中、ジャスティンの言葉はハリーに響いたようだ。周囲の誰もが自分をいいように見ていないことぐらい、ハリーが分からぬはずがない。

ロンとハーマイオニーが後ろから袖を引っ張って、大広間を後にする。ハリーの言動に驚きつつも、何がここまで皆を恐怖させているかをわからずにいる士堂。彼の耳元で、ルーナが小声で囁いた。

 

「早くハリーのところに行った方がいいよ。このままじゃ、ハリーは継承者になっちゃう。」

「っつ?!」

 

急いでハリーの後を追う。悲しいことに、ハリー達が帰るときに群衆が割れるように道を作った。士堂は真ん中を走り抜けても、誰からも声を掛けられることもない。

グリフィンドールの談話室では、状況を呑み込めないハリーの手をロンとハーマイオニーがさすっていた。両者とも何か言いたげだったが、士堂が入ってきたことに驚いてしまう。すぐに安心するも、顔から不安の二文字は消えていなかった。

 

「ねえ、どうして皆そんな顔するの?」

「ハリー、どうしてパーセルマウスって言ってくれなかったんだ?」

「パーセルマウス。蛇と会話できる人のことだよ。」

 

ハリーは何を言われているのか理解していないらしい。しどろもどろに過去、遊園地で話しかけてきたブラジル産の大ニシキヘビを魔法事故で逃がしたと回顧する。その話を聞いてハーマイオニーが大きくため息を吐き、ロンが手で顔を覆った。

 

「蛇語を話せるって言ったけど、いつからだ?」

「わからない、気が付いたら何言っているか分かったって感じだし。」

「まずいわ、ハリー。本当にまずい。」

 

いつになく深刻な表情で、ハーマイオニーはハリーの手を握った。

「いい、パーセルマウスは魔法界の歴史でも数えるぐらいの人しかいないわ。」

「そんな、でもたかが蛇と話せるぐらいで何で?」

「ええ、そのたかがが重要なの。サラザール・スリザリンは有名なパーセルマウスで蛇使いよ。だから、スリザリンの寮印は蛇なの。」

「うわっちゃ~。」

 

思わず士堂が頭を抱えるが、ハリーも事の重大さを理解したようだ。唇から色がみるみる消えていくが、たまらないように意見を求めてくる。

 

「で、でもそれだけで僕が後継者にはならないだろう?」

「サラザール・スリザリンの血はどう受け継がれたかわからないんだ。つまりさ、君にスリザリンの血が流れているかいないか。誰にも証明はできないんだ、ハリー。」

「僕は傷つけようとなんてしていない! 僕はジャスティンを傷つけないように言っただけだ!」

「ハリー、あの場にいた人はそうは見ていないわ。あなたがジャスティンをけしかけたって見る人は多いと思う。」

「パーセルマウスがそんな…、士堂の知り合いにいるよね?」

 

八方ふさがりを自覚し始めたハリーが救済の言葉を待つ。ロンとハーマイオニーも心配そうに見てくるが、力なく首を振るしかない。

 

「うーん、心当たりはない。動物語を理解する技能自体はあるけど、詳細はな。少なくとも魔術世界では封印指定に該当する可能性もある、特殊技能だから。蛇は忌み嫌われる動物だけど、反対に脱皮する生態から転生の象徴としても見られてきた。要は神の使いって見方もされるし、聖書だと人間の祖をたぶらかした悪魔の化身。」

「つまり蛇語を理解するのは、相当魔術的な意味が強いといえる。そんな人の情報は、それこそ聖堂教会のトップしか知らない極秘案件だよ。」

 

ハリーががっくり首を折るが、それはここにいる全員の心境だ。信じていないわけではないが、これでは擁護するのにも骨が折れる。燃え盛る暖炉で、材木がばきっと爆ぜる音が響き渡った。

 

 




クディッチから決闘まで行きました。他の人の作品と比べると文字数が少ないんじゃないかと不安に駆られています。
ようやく、秘密の部屋も折り返しの地点に来れたという印象です。


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ポリジュース薬

決闘クラブはホグワーツに何か好影響を与えたのだろうか。ハリーに向けられる疑惑の目が強まり、ハリーの神経は緊張しっぱなしだ。口数が減り、ベッドの上で急に頭をかきむしる。イライラが止まらないハリーを見かねて、ハーマイオニーが提案した。

 

「そんなに気になるなら、ジャスティンに直接説明すればいいじゃない。」

 

何度か思案していたハリーが談話室を駆け抜けたころ、お互いにチェスをしていたロンと士堂はハーマイオニーを見つめる。

 

「何よ、あのままじゃ私たちまで変になっちゃう。」

「いやさ、とがめているわけじゃないけど。」

「うん、僕たちハリーがちゃんと説明できるか心配で言い出せなくってさ。」

 

士堂のナイトがマスを移動するのを眺めながら、ハーマイオニーは複雑な顔をしていた。

 

「そうね。でもハリーが言わなくちゃいけないことかもしれない。私達が何言っても聞いてくれなくなってきたものね。」

「ハリーが言ってもわからないけどさ。一理あるかな。」

 

溜息を同時についた時だ。非常に通る声で、どこからか声が聞こえてきた。続いて扉が勢いよく空いた音と、悲鳴が聞こえてくる。3人の体が飛び跳ねるように反応して、談話室を飛び出た。ロンの大事なチェスが床にぶちまけられるのも無視して、階段を駆け下りた。

騒ぎの場所にたどり着くと、そこは悲惨な状況だ。

ジャスティンが天井を見上げたまま、恐怖の顔で石化している。そして天井はもっと悲惨だ。

「ほとんど首なしニック」が恐怖のまま石化している。普段は透明な真珠色で奥が見えるのに、今は黒く透けて壁紙すら判別できない。

 

「襲われた、襲われた! 生きてる? 死んでる? 関係ない! みーんーな皆、おーそーわーレーター!」

「♪おー、ポッター、嫌な奴、嫌な奴― お前はなにした、お前は生徒を皆殺し お前はそれが大愉快♪」

 

ビーブズが大声で歌いだす。最初に聞こえた声はビーブズだったのだ。この騒ぎでうろたえる生徒が面白くてたまらない彼の歌は、ショックで静かな廊下では嫌によく聞こえた。

ジャスティンたちを検分するマクゴナガル先生が、我慢できないといった顔で一喝する。

 

「お黙りなさい、ピーブズ。」

 

ハリーにあっかんべーをしてから帰るビーブズは、文字どおり壁に消えていった。「ほとんど首なしニック」は奇妙な方法で運ばれる。マクゴナガル先生が作り出したうちわであおられながら、ホバークラフトのように空中を移動していく。死んでから与えられた移動の自由が、こんな形で奪われるとは。普段なら爆笑物のはずなのに、今は一つも笑える気がしない。

壁に張り付いて呆然とするハリーを抱きしめながら、マクゴナガル先生がどこかに消える。

 

 

そのころ、談話室で顔を寄せ合って3人は相談をしていた。今日起きたことは、それまでの前提自体を大きく変えるにふさわしい、重大な出来事だった。

 

「いい、まずは今日起きたことを整理するわ。マグル生まれのジャスティンと、ほとんど首なしニックが石化した。」

「さっき見たんだが近くの窓から蜘蛛が大量に移動していた。静かな時カサカサ言っていたから確かだ。」

「それは僕もわかった。どうしてあんなのがこんな時に…」

 

ロンがわなわな震えていると、談話室の窓の止まり木にフギンが止まった。窓を開けると口に手紙を、脚に小さな布袋を掴んでいる。荷物を受け取ってから、晩御飯の余り物の湯卵とビーフステーキを放った。器用に嘴で捕まえると、止まり木で御馳走にありつき始める。

その手紙を士堂が熟読する中、ロンとハーマイオニーが催促してきた。

 

「何が書いてあるんだい、その手紙?」

「爺さんにハリーのことと今までのことを簡潔に伝えた。その返事だな。」

 

ハーマイオニーに手紙を渡して、内容をロンと共有する。

 

「まずは怪物だが、心当たりなし。石化させる魔獣はそんなにいないし、現在確認できてはいないとのことだ。人間でもない、人の痕跡がなさすぎるし石化の魔眼はランクが高いからな。」

「能力的には魔獣というよりも幻獣より、てあるけど。」

「魔獣、いわゆるマグルの図鑑に載らない特殊生物のランクさ。魔獣・幻獣・神獣の三段階で、ここに竜種が最上位に加わるって感じ。」

「おいおい、真ん中じゃんか。大丈夫かよ、それ。」

「手紙には可能性が低いってあるわ。心配しないで、ロン。」

「いや、残念ながら幻獣だ。生あるものを対象にするだけなら魔獣でもありうるけど、生なき物まで対象に取れるのは幻獣の類だよ。」

 

そして士堂は、小袋の中身を手に出した。中から黒鍵の柄が何本も出てきたのをみて、二人が黙り込んでしまう。手紙の内容と袋の中身。一筋縄どころの騒ぎではなくなっているのだ。

 

「でもさ、どうやって手なずけているんだよ。そんな化け物。」

「知らん、爺さんでも分からねえのにわかるかい!」

「いらだってもしかたないわ。今はポリジュース薬でマルフォイから聞き出すことに集中しましょ。」

 

ハーマイオニーが話に区切りをつけたころ、ハリーが戻ってくる。校長室に行ったものの、おとがめなしの処分だったようだ。一同ほっとしたところで、ハリーに手紙の中身を伝える。

 

「そんなのがホグワーツに? 僕信じられないよ。」

「みんなの感想だぜ、ハリー。君が言うとしゃれにもならないから気をつけてくれ。」

 

 

今度の事件が生徒の恐怖を煽ったことは間違いない。いかに魔法使いでも、死んだものまで相手取るなんて聞いたことがなかった。冬期休暇のホグワーツ特急の予約は、過去最速を更新したらしい。教職陣にも、有効な手が思いつかない以上止めるわけがなかった。

いつになくがらんとするであろうホグワーツは、士堂たちにとっては幸運だった。まずハリーは、通常向けられていた疑惑の目がなくなる。次にポリジュース薬の生成に人の目を考えずに済む。幸い幽霊までやられたとあって、ビーブズすらいつもの半分ほどしかうろついていない。だから監視の目は、それまでと比べ物にならないほど緩くなっていた。

 

フレッドとジョージは、思う存分暴れまわっている。ハリーの前で行進しては、

「者ども下がれ、下がれ。邪悪なる魔法使いのハリー様だ。後継者の怒りに触れれば…」

などとやってパーシーに怒られている。無論ハリーではないと思っているからこその、いたずらなのだが。

士堂が心配になったのはジニーだった。誰よりもハリーを信じている彼女は、双子の冗談を冗談として対処できていない。毎度泣きそうになると、背中をさすりながら慰める羽目になった。

 

「大丈夫か、ジニー。最近なんか泣きっぱなしなような…」

「平気、ちょっとホグワーツの事件に慣れていないだけさ。」

 

ロンの能天気な考えは、本当に大丈夫かと我が事のように思う士堂だった。さらに反応していたのがマルフォイだ。双子が騒ぐのを目にするたびに、イライラを隠さずにいる。苦虫を嚙み潰したような彼を、ロンはこう評した。

 

「大方、本当の継承者は俺だといいたいんだろうね。悪行全てを君に奪われて屈辱なんだ。なんせクディッチでも、君に負けてるんだからなハリー。」

 

学期が終わり、冬期休暇だ。予想通りとはいえ、ここまで静寂が包むとは思っていなかった。グリフィンドールの寝室や談話室から、物音が聞こえてこないのだから。そうなればもう双子の独壇場だ。「爆発ゲーム」や「おなら爆弾」といったいたずらグッズが寮中に飛び交っても、誰も文句を言わないのだから。

皆で決闘をしたり、黒鍵を投げたりして遊ぶ。ハリーは初めて黒鍵を手にしたとき、ズシリと感じた重さとは違う何かを感じた。腕にまとわりつくというか、何かが体を駆け巡る感覚だった。

 

「へえ、才能あるよ。黒鍵の魔力を感じてるんだ。」

「魔力? でも魔法を使う時とは違うね。」

「いった通り根本が違うからな。剣としてはみんな使えても、洗礼とかは僕らだけじゃないか。普通の魔術使いの黒鍵とも、操作系統が違うんだよ。」

 

双子が用意した的に向かって投げる。的にはデフォルメされた変顔マルフォイやらスネイプ先生やらが描かれていて、ランダムに動いている。投げ方を教わりながら、ダーツ感覚で遊んでみた。

 

「難しいよ、士堂。君こんなのよく投げていられるね。」

「物心ついた時から触れてるからな、いやでも投げれる。」

「それに士堂が投げたら地面がへこんだじゃないか。」

「あれを教えてくれよ、騎士様。」

 

フレッドが肩をもみながら、からかってきた。ジョージも士堂の前で手をもんで手下感をアピールする。だが、笑いながら士堂は首を振った。

 

「手甲作用は無理だ。ありゃ格闘技を学んだうえで、魔術的な【強化】が出来なきゃな。」

「手甲作用、ね。」

「もとは聖堂教会の裏の組織、代行者より強大な人間の集まる埋葬機関由来なんだと。でも爺さんが死に物狂いで習得したんだってさ。」

「士堂のおじいさん、そんなにすごい人だったの?!」

 

ジニーが大きく目を見開て驚くも、士堂はすぐに否定した。

 

「いや、爺さんは埋葬機関じゃない。詳しくは知らないけど、埋葬機関所属のある人をずっと見てて、独学で習得したんだって。」

「それもすごいよ、見ただけで覚えるなんてすごくない?」

「うん、教わっていないって。でもなぜかは知らないんだけど、この話になるたびに祖母さんが怒るんだよ。爺さんも肩を落とすし。」

 

こんなに賑やかでもパーシーは自室に引きこもるばかりだ。曰く子供っぽい、ばからしい、付き合えない。監督生として教師陣の手助けをしてこそ、監督生はその本領を発揮するだのと高尚な言い分をしてきた。士堂とハリーとハーマイオニーは、この兄弟の中でパーシーはどうしてこんなに真面目なんだろうかと不思議に思わずにはいられなかった。兄弟を持たない彼らにとって、もしかしたら永遠にわからないかもしれない。

 

クリスマスは見事に雪が降っていた。おかげで男子は暖かい布団で惰眠をむさぼっていたわけだが、早朝に起こされる。着替えを済ませたハーマイオニーが、3人へのプレゼントを持って部屋にやってきたのだ。

 

「メリークリスマス、さあ起きて。」

「ハーマイオニー、君はここに来ちゃまずいんじゃないか。」

 

ロンが目をこすりながら起きる。ぼさぼさの髪のハリーや、口によだれの跡がついた士堂も目を覚ました。覚醒前の彼らにプレゼントを渡しながら、ハーマイオニーは言った。

 

「もう一時間も前に起きたわ。クサカゲロウを煎じ終えた薬と混ぜ終えたの。ポリジュース薬は完成したわ。」

「本当?」

「本当よ。だから仕掛けるなら今夜よ。」

 

とたん目がばっちり覚めた。さすがにハーマイオニーだとやんややんや言っていたら、窓からヘドウィグがスーと入ってくる。ホグワーツに来る前に下敷きにされるなど散々だった鳥は、ハリーに大層怒っていた。その度にさみしそうだったハリーは、喜色満面の笑みを浮かべた。ダードリー一家の爪楊枝一本のプレゼントを無視して、談話室に届けられたプレゼントを見に降りていく。

ハグリッドから糖蜜ヌガーと特製パンプキンジュースが全員に送られている。ロンは好きなクディッチチームの本を、ハーマイオニーは豪勢な羽ペンに士堂は高級インクを贈りあった。ウィーズリー夫人から手編みの新作セーターとブラムケーキが送られている。士堂の祖母からはそれぞれに贈り物があった。ハリーには高級眼鏡吹きと眼鏡ケース。ロンにはおしゃれなセーターピンとクディッチのプロマイド。そしてハーマイオニーには魔法の最新論文ともう一冊贈られている。

 

「魔術協会1992判基本学書? これロンドンの時計塔で使う教科書だ!」

「時計塔って何さ、士堂?」

「ロン、簡単にいや魔術師のホグワーツだよ。ここでは日夜魔術の研究と研鑽が行われている、そんな場所。」

「なんだって士堂のおばあさんはそんな物…」

 

ハーマイオニーは興奮したように教科書をめくりながら、理由を説明してくれた。

 

「私、魔術に興味がわいたからあなたの家に手紙を書いたの。そうしたらこの本が届いたのよ!これで研究が進むわ!」

「…ハーマイオニーは魔術を使えるんだっけ。」

「…いや、原則魔術回路がなきゃ使えないが、僕が使える形ならもしかしたら…」

「…というかハーマイオニーは魔法だけじゃ足りないのか?あんなに図書館に張り付いているのにまだ勉強するなんて正気じゃないよ。」

 

ロンの言葉に力なく頷く士堂とハリー。彼等のことなど気にも留めていないハーマイオニーは目を輝かせながら、本に目を通していた。

 

 

クリスマス・ディナーの御馳走はいつだって楽しいしおいしい。豪華絢爛な大広間は、綺麗に飾られたクリスマスツリーとヒイラギとヤドリギの小枝でいっぱいだ。魔法の暖かい雪が降りしきる中、丸鳥のオーブン焼きやローストビーフにビーフストロガノフ。ビーフステーキにチーズがかかったマッシュポテト。クリスマス・プディングにクリスマスケーキ、クッキーとともにカボチャやブドウなどのジュースが用意されている。

校長のクリスマス・キャロルをBGMにハグリッドがエッグノッグを飲み干していく。パーシーの「監督生」バッジが「劣等生」バッジに変えられていたから、グリフィンドールの席は大盛り上がりだ。気付かないパーシーがあれこれ訪ね歩くもんだから、皆腹を抱えて笑うしかない。御馳走を口いっぱいにほおばる間も、ポリジュース薬のことは頭の片隅から消えたことはなかった。

 

「おいおい、こんなのに引っかかるなんて。おったまげ~。」

 

ポリジュース薬の材料の最後の1つは、変身相手の体の一部だ。ハーマイオニーは、スリザリンのミリセントの髪の毛を手に入れている。決闘中につかんだ髪の毛から、抜きとっていた。ハリーとロンがマルフォイの腰巾着、クラップとゴイルの一部が必要だったのだ。

そこでカップケーキに眠り薬を混入し、こん睡させる作戦に出た。だが内容が人気のないところにカップケーキを浮かばせる、という前代未聞の計画だ。こんな作戦に引っかかるわけがないと思ったが、想像を超える薄ノロだったらしい。

今、目の前で口にケーキかすをつけて眠る巨漢2人を見て、ロンは心底あきれ返っていた。士堂が二人を抱えて物置に隠そうとするが、これがまた大変だった。鍛錬を怠ることはない彼でさえ、大粒の汗を光らせて運ぶのが精一杯だ。ハーマイオニーが浮遊呪文で少し浮かせてから、3人でやっとこさ隠した。クリスマス・プレゼントの小型の黒鍵で髪の毛を切っても、眠りから覚める様子がない。

ハリー達がクラップらの靴などを拐取しているころ、士堂は別のスリザリン生を探していた。透明マントで身を隠しながら、物色する。あらかじめ誰にするか決めるようには言われていたが、寮同士の関係もあってうまくいかない。息をひそめて対象を探していった。

 

 

「ねえ、本気?ほかにいたでしょう?」

「まあ、悪手なのはわかっている。でもこんなにいないとは思わなかったんだよ。」

 

ぼさぼさの茶色の毛を握った士堂を、ハーマイオニーが問い詰めている。彼が選んだのはパンジー・パーキンソン。女性だった。

眠ったような彼女をゴイルたちと隣の物置に詰めながら、ハーマイオニーは首を振る。

 

「どうする気?! 確かにポリジュース薬に男女差は関係ない。変身だけなら問題ないわ。でも服はどうする気なの。返答次第なら…」

「お、落ち着け落ち着け。要はさ、脱がさなきゃいいだろ? スリザリンの紋章入りのカーディガンだけ、脱がそうや。な?」

「脱がさなくていいのよ、ちょっと考えたら?」

 

グラップたちを担いだ時よりも汗をかきながら、何とか答えを絞り出す。納得していないようだが、今はそんなことを問い詰めている時間がないことを、彼女は理解していた。パンジーのカーディガンやローブの裏を見て、頬を膨らましながら去っていく。少し遅れて、トボトボと士堂は後を追った。

その後嘆きのマートルのいる3階のトイレで、最後の調整が行われていた。ブクブク音を立てて、黒い煙を吐く大鍋が小部屋で大忙しだった。遅れてきたハリー達も、異様な色の煙に顔を顰めながら入ってくる。

 

「はい、二人のローブ。士堂、あなたのも洗濯物置き場から調達しといたわ。」

「こいつはどうも。」

 

泥っとした煎じ薬をタンブラー・グラスに注ぎながら、ハーマイオニーは「最も強力な魔法薬」のページを読み込んでいた。タンブラー・グラスを鼻に近づけて顔を顰めたりしていると、ハーマイオニーは自分のグラスに髪を振り入れる。

すると沸騰音に近い音がしたと思ったら、煙とともに薬が黄色に変化していた。むかむかするような色を一目見たロンが、胸糞悪そうに舌を出す。梅干を口いっぱいに頬張った顔でハリー達も、自分の薬に髪を入れた。ゴイルは鼻くそカーキ、クラップが濁り暗褐色、パンジーはくすんだ灰色に変化する。

 

「じゃあ、一気に…」

「ちょっと待って。ここでいっぺんに飲んだら狭くなる。皆変身後は大柄な体型ばかりだよ。」

「よく気づいたな。」

 

ハリーがそういって止めると、ロンが戸を開けて同意した。それぞれ小部屋に移動すると、ハリーが呼び掛けてきた。

 

「いいかい?」

「「「いいよ。」」」

「1…2…3!」

 

合図とともに薬を呑み込む。色が一番ましだった士堂の薬は、匂いが一番強烈だった。腐りきったチーズと魚を、腐った牛乳で煮込んだような匂いがする。一気に呑み込んでから口に広がる発酵臭と腐敗臭に、こめかみがずきずき痛み出した。

体が変わる奇妙さは、筆舌に尽くしがたい。便器の上で体を九の字に曲げると、焼けるような熱さが全身を覆いつくす。皮膚が内側に巻き込まれ、全身が溶けていくようだ。思わずローブを噛みしめて声を出さないように、踏ん張ることしかできない。その間自分の体が細くなり、あるべきものがなくなっていく感覚がした。

 

息が乱れるまま、顔にかかる髪の毛を払った。その時初めて、髪の毛で視界が遮られたなと思う。普段は短髪と長髪の中間ぐらいだが、髪の毛のことなど考えたことがなかった。

急いでハーマイオニーが用意した服に着替えた。着方が分からないブラジャーなどはつけずに、見てくれだけを整えた感じだ。

ふらふらになりながら部屋を出ると、両サイドの醜い巨人が驚きの声を上げた。

 

「ひゃー、士堂かい? いやーすっかり女の子だよ、うらやましいな~」

「冗談じゃないよ、大事なもんがなくなっちまったんだぞ。もとに戻れなかったら大惨事さ。」

 

お互いに顔を触れ合い、鏡でのぞき込む。意地の悪さが見て取れるような、そんな顔つきにため息が漏れそうだ。

 

「急ごう、効果は一時間しかない。スリザリンの談話室の場所さえ分かればいいけど…」

「士堂、ハーマイオニーはまだかな? おい、行かなきゃ。」

 

ロンがハーマイオニーのいる部屋をどんどんたたくと、妙に甲高い声が返ってくる。

 

「私行けない―3人で言ってちょうだい―」

「ハーマイオニー、ミリセント・ブルストロードのブスさなんて知ってるよ。誰も君とは思わないって。」

「駄目―ほんとにだめ―いけないわ―早くいって、時間はないの。」

 

当惑したハリーは、まさしくゴイルだった。そんな悠長なことも言っていられないのも事実だから、急いでトイレを出る。ハーマイオニーのことを気にしながら、スリザリン生を探すが困ったことになる。

今は事件の影響で人がほとんどいない。故にハリー達は誰にもばれずに、ポリジュース薬を製造できた。だが頼るべきスリザリン生を、発見できなくなっていたのだ。彼等がたむろする場所に心当たりなどあるはずがないから、朝食会場に向かう時に彼らが出てくる地下に行くことにした。

石階段が下に続く中、ひんやりした空気が頬をかすめる。15分も歩いていると時間ばかっりが気になってきた。心配が頭を支配してきたころ、意外な人物に会う。

 

「そこにいるのは―クラッブかな。」

「やあ、こんなところで何の用かな。」

 

パーシー・ウィーズリーは目の前のクラッブが、弟のロンだとは思ってはいない。そっけなく対応するのは当然だが、ロンには癪に障ったようだ。

 

「暗い通路でうろうろしない方がいい、早く帰れ。」

「自分はどうなんだ。」

僕は、監督生だ。恐れるものも、襲うものもない。」

スリザリン生とグリフィンドールの監督生の小競り合いは、兄弟げんかである。だがパーシーはそんなこと考えたこともないから、はたから見たら本当の小競り合いに見えるだろう。

背後から声をかけてきた少年は、だからこそ違和感を覚えることはなかった。

 

「お前たち、こんなところにいたか。」

 

マルフォイのきざった声がこだまする。

 

「二人とも、今まで大広間でバカ食いか? 面白いものがあるんだ…、パンジーか珍しいな。」

「ええ、あたしもお茶してたから。それで一緒に。」

「なら来いよ、君も見ればいいさ。」

 

マルフォイとパンジーは遠い関係ではなさそうだ。特に疑われもなく誘われた3人が、ばれないようにほっとする。そのころ、マルフォイはパーシーを威圧するかのように見ていた。

 

「ウィーズリー、何の用かなこんなところで。」

「監督生に敬意を払いたまえ! 君の態度はなんだ!」

 

カンカンのパーシーに、申し訳そうな顔をハリーが向ける。ロンがそっと腕をつねって注意すると、意識して嫌な顔をした。マルフォイが談話室まで先導する中、勝手に話をしてくる。

 

「ピーターだっけか。」

「パーシー。」

「何だっていい。この頃こそこそ嗅ぎまわっているが、フン。大方、スリザリンの継承者探しで駆けずり回っていたんだろう。」

 

マルフォイの言葉にドキドキしながら、3人はついていく。正直な話、通路の蝋燭が10本でも多かったら怪しまれたかもしれない。ぎりぎりの橋を渡る気分のまま、隠された石の扉についた。

 

「新しい合言葉は、えーと、純血。」

 

細長く天井の低い地下室は、粗削りの石造りだ。天井からぶらさがった緑のランプが、壮大な彫刻の施された暖炉を照らす。暖炉周りに彫刻入りの深椅子が並び、数人の生徒が団らんを楽しんでいた。

マルフォイが何かをとってくる間、3人はできるだけ寛いだように振舞っている。士堂は嫌に細い指で椅子をなぞりながら、あたりを観察していた。ホグワーツの内装は豪華だが、スリザリンのものはさらに高級感がある。雰囲気も厳かというか、形式ばっていた。ふと、スリザリンは貴族階級、お金持ちが多いことを思い出しているとマルフォイが戻ってきた。

 

彼が見せてきた新聞の切り抜きを見たとたん、ロンの顔が驚きで満ちる。無理な笑顔でハリーに渡すと、彼も沈んだ表情になった。グラッブたちと一緒に見るほどの中ではないと見て、士堂はじっと待っていた。震える手で渡された紙面に目を通す。

 

―日刊預言者新聞― ミス・ペーメーの今日の政治コーナー

魔法省での尋問

マグル製品不正使用取締局局長、アーサー・ウィーズリーはマグルの自動車に魔法をかけた容疑で今日、金貨50ガリオンの罰金が言い渡された。

ホグワーツ魔法魔術学校理事の一人、ルシウス・マルフォイ氏はウィーズリー氏の即刻解雇を要求している。

マルフォイ氏はわが社の記者に対し、魔法省への信頼を損ねたと非難したうえで、ウィーズリー氏が制定に関与している【マグル保護法】の廃棄を要求すると発表した。

ウィーズリー氏のコメントは入手できなかったが、彼の妻から記者に対し、屋根裏お化けをけしかける等のコメントが取れた。』

 

「どうだ、面白いだろう?」

「え、ええ…」

 

全く笑えないが、無理して笑うほかない。士堂たちの必死の演技に気づかないか、気にしていないのかマルフォイは楽しそうだ。

 

「アーサーなんちゃらはマグルびいきなんだから、杖をへし折ったって文句はないさ。大体純血かどうかも怪しいね。」

 

クラッブの顔が怒りで歪む。士堂がわき腹を小突いても、我慢できないようだ。

マルフォイは医務室に行って「穢れた血」でも蹴っ飛ばせと笑う。

 

「それにしても、いまだ事件の報道がされていないことに驚くな。」

「多分ダンブルドアだ。マグルびいきの校長がいる限り、この学校は最悪だと父上はおっしゃっている。父上は相応しい人物を校長に任命し、あのおべんちゃらなクリービーとかいうやつを退学させるね。」

 

マルフォイはコリンそっくりの物まねをするが、悪意に満ちていて笑えない。彼はカメラの格好を解いて首をひねった。

 

「何だい二人とも。パンジーまで。」

 

慌てて口角を無理やり上げると、満足気に背もたれによりかかった。普段の彼らのどんくささに感謝しなくてはならない。

 

「聖ポッター。彼があのグレンジャーと付き合う愚か者でなければね。どうも知能が足りていないと見えるね、僕には。しかし皆は、あいつがスリザリンの後継者と思っている!」

 

ついに来た。3人が固唾をのんで見守る中、マルフォイは口惜しそうな表情をした。

 

「一体だれが継承者なのか僕が知っていたらなあ。」

「えっ。」

「手伝うのに。」

 

ロンの顎ががくっと下がったせいで、より愚鈍な見た目になった。士堂も口をあんぐり開けたまま、腑抜けた顔をさらしてしまう。ハリーがかばうように、質問をした。

 

「誰が影で糸を引いているんだろう…、君は知ってるんじゃ」

「いやない。ゴイル、君にはいったはずだ。」

「父上は前回の事件について、全く知らせてくれない。最も50年前だから父上の前の時代だが、すべてご存じだ。でも今は全てが伏せられているから、かえって僕が知りすぎると怪しまれるというんだ。一つ言っておられたのは、前回一人のマグルが死んだ。だからいつかは死ぬのさ、【穢れた血】がね。」

「グレンジャーだったら最高だな。」

 

ロンの両腕をばれないように、士堂とハリーがつかむ。今にも殴り掛からんとするロンの気持ちはわかるが、今は抑えなくてはならない。

 

「パンジー、なぜグラッブの腕なんか掴んでいるんだ。」

「え、まあ、グラッブの袖にゴミが…」

「フーン、君がグラッブをね…」

 

何やらマルフォイの中のパンジーに、新たな情報が追加された気がする。だが、そんなことは士堂には関係なかった。

 

「前の事件の首謀者はどうなったんだっけ?」

「ああ、それか。誰かは知らないが、追放されたと聞いた。アズカバンだろうね。」

「アズカバン?」

 

魔法界に疎いハリーがいつものように聞き返してしまう。マルフォイがあきれたようにゴイル―ハリーを見た。

 

「ゴイル、お前の薄のろ加減だと後ろ向きに歩き出しかねないな。魔法使いの牢獄だよ。」

「なんにせよ、父上は後継者の好きにさせておけばいいといっておられる。粛清が必要なのさ、この学校には。でも父上は家のことで手一杯だから、関わることはよせって。僕の館に魔法省の立ち入り検査が入っただろう?」

 

マルフォイの館自慢を聴いていた時、問題が発生する。ロン雄髪の毛が赤くなってきたのだ。ハリーが恐怖の顔でロンを見ると、ロンも士堂を恐怖の顔で見ている。一時間が経過したのだ。急激な変化で形を変えたのだから、急激に戻るのが通りだった。

 

「胃薬だ、腹がちょっと、」

「わ、わたし課題のことでちょっと…」

 

3人はあっけに捕らわれたマルフォイに、目もくれずに走る。長い通路の途中で完全に元に戻ったため、走りづらい。何せぶかぶかの靴やローブ、スカートまで履いているのだから。士堂が隠し持っていた透明マントで姿を隠しても、服が無駄にこすれる音は隠せない。なんとかトイレに逃げ込むと、一同疲れはてていた。

 

「まあ、時間の無駄にはならなかったな。」

 

ロンがゼイゼイ言いながら、トイレの鍵を閉める。

 

「襲う犯人はわからなかったけど、明日パパに手紙書いて応接間の床下を調べるよう言っておく。」

 

 

 

普段着に着替えてからハーマイオニーを呼ぶことにした。なぜかハーマイオニーは、一歩も外に出ていないようだ。小部屋のドアをたたきながらロンが呼び出すも、中からすすり泣く声が聞こえてくる。

 

「ハーマイオニー、出てこいよ。僕たち話すことが山ほどあるんだ…」

「帰って!」

「もう変身は終わったんじゃないのか?」

 

頑なに開けることを拒むハーマイオニーに、疑問がわいてきた。すると嘆きのマートルがするりと現れる。楽しくてたまらないといった感じの彼女は、けたけた笑っている。

 

「おおおお、見てのお楽しみよ。」

「ひどいから!」

観念したかのように、ハーマイオニーが出てきた。頭までローブを被った彼女を見て、さらにはてなマークが浮かぶ。ロンがゆっくりローブを外すと、背後の洗面台まで飛び下がった。

顔が黒毛で覆われ、黄色の目に長い三角耳。顔を覆って泣き喚く彼女を、士堂が背中をさすりつつ慰める。

 

「あ、れね、猫の毛だった!」

「み、ミリセントは、ね、猫を、飼っていたのよ! そうに、ちがい、ないわ!」

「そ、それに、この薬は、動物の毛を使っちゃダメなの!」

 

狼狽するハリー達の周りを、マートルは嬉しそうに漂っている。彼等は、何とかハーマイオニーを励まそうとしていた。

 

「大丈夫だ、ハーマイオニー。」

「そうだよ、医務室に行こう。マダム・ポンフリーは追及する人じゃないし。」

「あんた、ひどーくからかわれるわよ。皆があなたのしっぽ、なんていうのかしらー!」

 

 

 

 




ポリジュース薬まで来ました。こうして読んでいると、マルフォイが結構くずなんだなと思います。

手甲作用については、公式でも詳しい解説がなかったので想像です。

おじいちゃんがまねした埋葬機関の人物は、一番埋葬機関の中で有名な人です。


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蜘蛛の教え

ハーマイオニーはベッドに釘付けだ。生徒たちは新たな犠牲者の誕生と思い、恐怖した。マダム・ポンフリーが気を利かせて、彼女をレースで隠したことが原因だった。しかしロックハートからの、自己紹介の方が長い見舞いカードをもらって、満足そうでもある。

彼女を見舞ってからやれスネイプの宿題が多い、ハーマイオニーに聞いておくんだったと愚痴りあう。そんなことを言い合っていると、フィルチの金切り声が聞こえてくる。なんだと思って野次馬しに行くと、ぶつくさ文句を垂れる老人がいた。

 

「…また余計な仕事が増えおった。一晩中モップ掛けをして終わらない? これでも働き足りないというなら、もうたくさんだ。ダンブルドアのところに…」

 

足音が消え、遠くでドアの閉まる音がした。あたりを見回していってみると、水浸しだ。ミセス・ノリスの事件よりひどい量の水が流れている。その原因のトイレから、嘆きのマートルがなく声が聞こえてきた。

トイレは廊下以上にひどい。あまりに溢れた水のせいで、蝋燭まで消えている。鼓膜が破れるのではと思うほどの大声量で、マートルは泣いていた。裾を上げながらいつもの小部屋に近づくと、ごぼごぼと声が聞こえる。

 

「どうしたの、マートル。」

「誰なの、また物を投げつけに来たのね?」

「何だって? 僕は物なんか投げやしないよ。」

 

マートルが姿を見せると、もっと水が溢れる。士堂とロンが裾をさらに上げようと躍起になっている間、ハリーはマートルと話していた。

 

「本をぶつけられたのかい? でも本は通り抜けるんじゃないの?」

「さあ、マートル当てゲーム! 大丈夫、あいつは何も感じない! 腹なら10点、頭なら50点‼ 私は動く的なんかじゃないわ!」

「そんなこと思っていないよ。投げたりもしない。その本はどこにある?」

「知らない… U字溝のところに座って死について考えていたら、頭に急に…」

 

マートルが睨みながら手洗い台の下を指さす。3人がゆっくり近寄ってみると、確かに本があった。それはボロボロの黒い表紙の、小さい本だ。本というよりは手帳に近いそれを、ハリーがとろうとするとロンが制する。

 

「気は確かか。危ないかもしれないのに!」

「危険? ただの本だよ。」

「ハリー、油断しちゃだめだ。パパから言われたんだけど、危険な本は山ほどあるんだ。読んだら目が燃える、ばからしい詩を歌い続ける、読むのを止められない本― とにかく一杯あってそれから―」

「もういいよ、わかった。」

 

ハリーはロンの制止を無視して、本をとってしまう。士堂があっと声を漏らすが、気にしないとばかりに中身に目を通していた。本には一文字も書いておらず、真っ白な紙しかない。最初のページに小さく「T・Ⅿ・リドル」と書いてあること以外、何もなかった。

 

「この名前知ってる。T・Ⅿ・リドル。50年前、学校から【特別功労賞】をもらった人だ。」

 

 

「へえ~、もしかしたら何か隠れた魔力があるかもしれないわ。」

 

やっとこさ元に戻ったハーマイオニーが、トムの日記を詳細に調べている。だがロンは、いまだにこの日記に興味を抱くこと自体が、嫌なようだ。

 

「魔力を隠し通すなら、完璧すぎるね。恥ずかしがり屋なんじゃないか。ハリー、さっさと捨てちまった方がいいよ。」

「僕はなぜこれが捨てられたのか、それが知りたいんだ。【ホグワーツ特別功労賞】をもらった理由も知りたいしね。」

「そんなの決まってるさ。O・W・Ⅼ試験で30科目習得とか、大イカに捕まった先生の救出とかな。案外マートルを殺したことが表彰されたり。」

 

ハリーはじっと考え事をしているハーマイオニーは、自分と同じ考えだと思っていた。

ハリーがそれとなく合図を送ると、彼女は根拠を話始める。

 

「いい? 秘密の部屋は50年前に開けられたの。そうだったわよね。」

「ああ、マルフォイの野郎が言ってたもんな。それが?」

「そしてこの日記は50年前のものよ。」

「うん。」

 

見かねた士堂が助け舟を出す。手に持っていた本を投げ捨て、顎を黒の本に向けた。

 

「秘密の部屋を開けた人も50年前に追放された。リドルが表彰された。つまり考えられるのは、リドルがスリザリンの継承者を捕まえたってことだ。」

「そう。少なくとも当時の状況はわかるわ。部屋の開け方から怪物まで、継承者につながる情報を持っているかもしれないの。」

「そいつはすんばらしい。だがな、その日記には何にも書かれちゃいないんだぜ。」

 

ロンが白紙のページを指さす。しかしハーマイオニーは、鞄から杖を取り出した。軽く杖で3回、日記をたたく。

 

『アパレシウム 現れよ』

 

何も起きない。ハーマイオニーは予測済みだといわんばかりに、鞄から真っ赤な消しゴムのようなものを取り出した。

 

「【現れ消しゴム】よ。ダイアゴン横丁で面白そうだから、買っていたのよ。」

 

ゴシゴシこすっても、うんともすんとも言わない。士堂も策はないという顔をするから、ロンは言わんこっちゃないと万歳をした。

 

「だから言ってるじゃないか。何も見つかりはしないよ。」

 

 

マンドレイクの生育が順調だという報告と、リドルが主席名簿に名を連ねる優等生だったことは何よりの朗報である。事件の解決策と、正体不明の青年の輪郭を捉えたからだ。

そんなハッピーな気分を吹き飛ばす事件が起きた。ロックハートが生徒を元気づけようと、バレンタイン・イベントを催したからだ。それはクリスマスの時とは違う、けばけばしいセンスのない飾り付けからも明らかだ。ギフト・カードを小人に配らせるという、愚行まで決行してみせる。

おかげでハリーはジニーからの詩を、公衆の面々の前で熱唱させられた。おまけにからかったマルフォイから日記を取り返すために、武装解除呪文まで使ったのだ。士堂には何も送られなかったが、これほど嬉しかったことはない。

 

その夜、眠りにつこうと士堂は寝室に入ろうとしていた。双子に散々からかわれたからか、ハリーは姿を談話室には見せなかった。ロンとともに、ハーマイオニーが持ってきた資料に目を通していても進展などなかった。体がだるいと感じる疲れを解消すべく、ベッドに入ろうとしていた。

 

「何かな、見落としている気がするんだがなあ。」

「僕もそんな気がするんだ。でもさ、士堂やハーマイオニーがピンとこないんじゃね。」

 

ガチャっと寝室を開けると、息を弾ませたハリーがこっちを見ている。パジャマに汗がぐっしょり滲んでいて、何かあったことは間違いはなかった。

 

「士堂、ロン分かったんだ。ハグリッドだよ。ハグリッドが50年前、秘密の部屋の扉を開けたんだ!」

 

「リドルが犯人を勘違いしたんじゃないかしら。怪物は別だったんじゃ…」

「ホグワーツにどんだけ怪物がいることになる?」

 

ハリーが夜に語った内容はこうだ。夢の中で50年前のホグワーツを覗くと、ハグリッドが毛むくじゃらの怪物を飼っていたことが分かった。その怪物を追い払ったのがリドルだったのだ。

ハグリッドの大きく危険な動物を愛する癖は、嫌というほど知っている。なにせ去年は、めったに見れないドラゴンの子供と三頭犬を拝めたのだ。彼が追放されたのは知っていたことだったが、まさか原因がこれとは。

 

「でもハグリッドが追放された後、被害者は出ていないんだと思う。じゃなきゃ、リドルが表彰されるはずがないもの。」

 

ハグリッドと一番仲のいいハリーは、がっくり肩を落として項垂れていた。なんだか惨めな気持ちになってきて、視界がぼやけてくる。だがロンからすれば別の見方もあった。

 

「リドルってパーシーみたいだよ。ハグリッドをわざわざ密告しろって、頼んだのは誰だ?」

「でもロン、人が死んだんだ。黙る方がおかしいぜ。」

「それにホグワーツが閉鎖されたら、リドルは孤児院に戻らなきゃいけなかった。リドルはホグワーツに残りたかったんだ、僕わかる気がする…」

 

ダードリー一家のもとで育ったハリーの意見に、皆言葉を出せない。重苦しい沈黙がしばらく続き、結局なし崩し的に解散となった。ハグリッドに聞きたいのはやまやまだが、追放の原因をおいそれと話すはずがない。誰かが襲われたら、それとなく聞くことになった。

そう決めてから暫くは何も起きなかった。ハリーのみが聞こえる、異様な声も聞かない。被害者が出なかったことで、徐々にだがホグワーツに平穏が訪れた。

 

 

異変が起きたのはクディッチの試合前日の夕方のことだ。士堂とロンは、シェーマスやデイーンと一緒に寝室に戻る途中だった。

 

「明日のさ、試合でのチップ。士堂、ちょっと弱気じゃあなかったかい?」

「そっちがおかしいんだ、4ガリオンは正気じゃないよシェーマス。」

「いうなよ士堂、シェーマスってば女の子の前で言いきっちゃったんだ。明日のウィーズリーの賭けで当てて見せるって。」

「デイーン、君も3ガリオンに5シックルだから大概だよ。」

 

バカ話で盛り上がりながら寝室に向かうと、一同言葉を失った。ハリーの衣服からなにやら、そこら中にぶちまけられていたのだ。小机の引き出しの中身からトランク、挙句にベッドの天蓋やシーツまで切り裂かれている。ハリーが必死に整理するのを、青白い顔でネビルが手伝っている。

 

「ぼ、し、知らなかったんだよ、本当だしんじて…」

「誰も疑わないよネビル。君がやるはずがない。」

「そうだ、ネビル。」

 

ロンは床に落ちているローブを、士堂に投げてきた。全部のポケットが裏返されている。

 

「何かを探していたんだ。ハリー、なくなっているのはないか?」

「こんなに散らかってちゃ、わからないよ。」

 

散らばった本をトランクに投げ入れると、やっと元の状態に戻った。ハリーが無くし物がないかチェックしていると、声を上げる。

 

「リドルの日記がない。」

「「えっー!」」

 

慌てて士堂とロンも探すが、ない。3人は急いでグリフィンドールの談話室に駆けていった。

「魔術協会1992版基本学書」を読んでいたハーマイオニーに、事情を説明する。

 

「そんな―だってここはグリフィンドールの塔よ。つまりグリフィンドール生以外は入ることすらできないわ。」

「問題はそこだな。あの日記を欲しがる生徒がグリフィンドールにいることになる。」

 

士堂の言葉は、ハリー達ですら想像していないことだった。この事件は、単なるスリザリンの継承者を探せばいい話ではなくなった。

 

日記について知っているのは4人だけだ。心に暗雲が立ち込めていようとも、クディッチ当日は変わらない。ハリーが憂鬱そうにパンをかじっていると、ウッドが選手のさらに山盛りのスクランブルエッグを持ってきた。

 

「ハリー、緊張しているな。朝食をしっかり食べれば心配も吹き飛ぶぞ!」

 

ウッドは知らない。至極当たり前だから、ハリーは薄ら笑いを浮かべるだけだ。この長机を囲んでいる生徒の中に、日記を狙う人物がいる。つまりは一連の騒動の黒幕なのだ。

ハーマイオニーは先生に盗難届を出すべきだと助言してくれたが、ハリーは断った。話せば異質な日記やハグリッドの過去に触れなくてはいけない。それは避けたかった。

 

「ハリー、犯人は僕とロンが探す。ハーマイオニーは怪物について調べてくれるし、今はクディッチに集中したほうがいいよ。」

「士堂、そうは言ってもさ。」

「でも今のままじゃ勝てないよ。僕たちだってそこそこやれる。心配するな。」

 

士堂とロンが励ましてくれて、幾分か心がましになった。山盛りのスクランブルエッグにケチャップをかけて、胃袋に流し込む。ウッドの言う通り、腹に何かあると不安は消えていった。

大広間から会場に向かおうと4人で歩く。ハリーが箒を取りに戻ろうとしたとき、あの声が聞こえてきた。

 

「今度は殺す…引き裂いて…八つ裂きにして…」

「またあの声だ!」

 

大理石の階段場で大声で叫ぶ。皆はハリーのそばから飛びのいてしまった。だが、ハリーの顔を見てなにがあったかはすぐにわかる。

 

「まただ、聞こえたよね?!」

「…何も。」

「人の声は聞こえたけど。」

「そんな、はっきりといったよ。殺すって!!」

 

その時ハーマイオニーがハッと額に手をやった。何か見落としがあったことに気付いたかのように。

 

「そうだわ。()()()()()()()()()()()() 私、思い付いたことがある!図書館に行ってくるわ!!」

 

見たこともない速さでハーマイオニーは駆けていった。ハーマイオニーは何を探すのか気になるが、今は声が先決だ。ハリーが声のありかを探そうとあたりを見渡す。

 

「ハリー、君は闘技場に行った方がいい。さっき言ったろう。僕とロンで日記と一緒に探すよ。」

「でも、君たちに声は聞こえていない!」

「まあ心配だよ。でもこれで意味がクディッチで負けるのも嫌だからさ。」

 

士堂はハリーの肩に手を置いてから、ロンに目で促した。ハリーに軽くハグしてから、ロンが連れ立っていく。人混みがまし、にぎやかになる大広間でハリーは2人の背中を見ていた。

すぐに決心した面持ちで、ニンバス2000を取りに行く。駆け足で校庭を横切って更衣室に入った。紅のユニフォームに袖を通すと、次第に気分が高揚してくる。あの声がずっと頭の片隅に残っているが、友人を信じるしかないのだ。

 

万雷の拍手の中コートに入ると、選手各々が準備に入る。ハリーも箒にまたがって、スニッチを掴む姿をイメージしていた。ハッフルパフがスクラムを解除し、相対する。いよいよマダム・フーチが競技用ボールを取り出して笛に手を置いた時。

マクゴナガル先生が巨大な紫色のメガホンを持って、グラウンドの向こうからやってきた。行進歩調で半ば走るような先生の、虚ろな顔を見た瞬間ハリーの心が固まる。まさかという思いが頭をよぎる中、拡大された声がスタジアムに響き渡った。

 

「この試合は中止です。」

 

観客席から怒号やヤジが飛び交う。応援用のミニメガホンや旗がコートに投げつけられる中、ウッドが箒にまたがりながら駆け寄ってきた。

 

「先生、なぜです! 是が是非でも試合を…グリフィンドールの優勝はどうなります!」

「全生徒は各寮の談話室へ! 各寮監から詳しい説明があります。皆さん早急に! 監督生と上級生は誘導をしなさい!」

 

聞く耳の持たないマクゴナガル先生は、ハリーに合図してついてくるように言った。なぜかという思いと、頭に浮かぶ最悪のシナリオがむくむくと頭を出し始めた。城に向かう途中で士堂とロンが、不思議そうな顔をしていた。

 

「ああ、士堂にウィーズリー。ええ、あなた方も一緒の方がいいでしょう。私についてきなさい。」

 

ハリーの両側で肩を並べながら、3人は小声で会話をする。

 

「試合はどうした?」

「中止。マクゴナガル先生が急にね。そっちは?」

「全然。君以外に怪しい声どころか、音すら聞いていない。幽霊たちにそれとなく聞いても一緒だった。」

 

肩透かしの報告に肩を落とす暇もないまま、大理石の階段を上がった。誰かの部屋に連れていかれるわけでもなさそうだったが、医務室前に来た時だった。

 

「少しショックを受けるかもしれません。少しならばいいですが、いや違いますね。」

 

驚くほど優しく、少し悲し気にマクゴナガル先生が言った。

 

「また襲撃です。そしてまた2人、()()()()()()()()()()()

 

ハリーの頭によぎったシナリオは、当たるかもしれない。まさかと思いながら、中に入る。士堂とロンもハリーと同じ予感がしているようだ。ゆっくり、一歩一歩進むとマダム・ポンフリーが女学生の上にかがみこんでいる。スリザリンの談話室に行く途中見かけた学生だ、とハリーが思い出した瞬間だった。

 

「ハーマイオニー!!」

 

ロンのうめき声が上がる。士堂の唇からさっと色が引き、ハリーの箒を持つ手が震えだした。

ハーマイオニーは身動きもせず、大きく見開いた目はガラス玉のようだ。石化した彼女を見ながら、マクゴナガル先生が状況を説明する。

 

「二人は図書館の近くで発見されました。そして近くにこれが。」

 

小さな丸鏡を手に、3人に見せてきた。力なく首を横に振ると、ため息を漏らす。

 

「あなたたちでも分からなくては、どうしようもありません。ではグリフィンドール塔には、皆で帰りましょう。説明しなくてはなりませんから。」

 

かつて聞いたことのない、重苦しい口調だった。

 

「全生徒は夕方6時に寮に絶対帰宅、外出禁止です。教室へは、先生が必ず一人引率者として着きます。トイレに行く時も、先生と一緒に行くため集団で行くことになります。クディッチの練習と試合、一切のクラブ活動は当面休止です。」

 

先生は羊皮紙を重苦しい口調で読み上げていた。超満員の談話室に、羊皮紙を巻く音と暖炉の火の音だけが聞こえる。

 

「いうまでもありませんが、これほどの落胆を覚えたことはありません。最悪ホグワーツは閉鎖されるでしょう。犯人の心当たりのある生徒は些細なことでも、申し出るよう強く望みます。」

 

少しぎこちない足取りでマクゴナガル先生が去ると、一気にボルテージが上がった。

ウィーズリー兄弟の友人、リージョーダンが熱弁する。

 

「どうして先生は動かない? 今までやられたのはスリザリン以外だ。スリザリンの継承者に怪物、被害者。追い出すのはスリザリン生じゃないか!」

 

大拍手が起こる中、パーシーが腑抜けた顔で座り込んでいた。青い顔で何も考えられないといった感じだ。ジョージがハーマイオニーと一緒にいた生徒が、レイブンクローの監督生だったことが原因だと教えてくれる。3人は肩を寄せ合い、ハグリッドの件について話し合った。

 

「どうする? ハグリッドは疑われるかな。」

「そりゃな。2人もやられたら前の被疑者は怪しまれる。」

「うん、リドルは孤児院に戻りたくなかったんだ。僕犯人が分かったら、すぐ密告したいもの。」

「でもハグリッドがやったと思う?」

 

ロンの疑問にハリーは首を振った。

 

「ハグリッドがやったとは思わない。でも50年前何があったか、それは知らなきゃいけないと思う。だからハグリッドに会おう。」

「でも監視はきついぞ。先生たちが夜中廊下に張り付くみたいだ。」

 

士堂の目を見ながら、ハリーは言った。

 

「透明マントを使う。なんとしても、ハグリッドに話を聞かなきゃ。」

 

 

ネビルたちの秘密の部屋討論が終わり、寝静まったころ。ローブを来た3人は、透明マントで姿を消した。夜中に抜け出したことは何回もあるが、こんなに人気がある城は初めてだ。先生や幽霊が、脱獄者を探すかのようにくまなく目を光らせている。音を消せない透明マントだから、必要以上に音を忍ばせなくてはいけない。抜き足差し足で正面玄関の菓子のとびらをくぐった時、3人はほっとしたものだ。そこからハグリッドの小屋までは全速力だったが、マントはぎりぎりまで脱がなかった。

 

ハグリッドの小屋の扉をたたく。ハグリッドは戸を開けるや否や、石弓を突き立ててきた。

後ろでボアハウンド犬のファングが威嚇している。ハリー達と分かると、拍子抜けした顔をしていた。

 

「何じゃお前さんら。一体何しちょる。」

「用があってね、ハグリッドは何でそれを?」

「何でもねえ、何でも…」

 

ハグリッドはあからさまに動揺していた。3人にケーキとお茶を出そうとしてくれているのだが、満足にやかんに水を入れられない。そのはずみで暖炉の火をけしかけるは皿を割るわ、ティーバッグを入れ忘れるわ散々だ。

3人にケーキを出した後も、ちらちら外を見てはピクっと体を揺らしている。

 

「ハグリッド、大丈夫? ハーマイオニーのことは聞いた?」

「ああ、聞いた、確かに。」

 

ハグリッドの声の調子が落ちたとき、戸を強くたたく音がした。はっとなったハグリッドが、姿を隠すようジェスチャーする。とっさに3人は、部屋の隅にある木材の山の陰に隠れた。

入ってきたのは深刻そうな顔のダンブルドア校長と、悩み事を抱えた顔のちんけな男だ。細縞のスーツに真っ赤なネクタイ、黒長のマントを羽織った彼を見たロンがささやいた。

 

「魔法省大臣コーネリウス・ファッジだ! パパの仕事写真に写っていたよ。」

 

士堂は黒鍵を展開すると、椅子の近くにあった透明マントを手繰り寄せる。幸いなことに、大人たちは顔以外に視線を配らなかった。

 

「ハグリッド、残念ながら状況は良くない。」

「俺はやってない! 先生、ダンブルドア先生様。俺は、俺は…」

「わかっておる、ハグリッド。コーネリウス、これだけは確かじゃ。ハグリッドをわしは全面的に信頼し、それに彼もまた応えた。」

「しかしな、アルバス。」

 

コーネリウスは言いにくそうに、視線を床に落とした。そのタイミングで何とか透明マントを手繰り寄せ終えて、3人は姿を完全に隠した。

 

「士堂、傷はついていないよね?」

「大丈夫だ、できるだけ優しく扱ったつもりさ。」

 

少し安心する子供たちとは裏腹に、大人達の会話は一向に良くならなかった。

 

「…ハグリッド、わかってくれ。君の無実が晴れれば、すぐに釈放する。これは約束…」

「アズカバンにいれるのが? 気は確かか?」

 

その時戸を強くたたく人が来た。ダンブルドアが戸を開けたとき、ハリーは思い切り横腹をつかれる羽目になった。ルシウス・マルフォイが大股で小屋に入り、冷たい微笑を浮かべた。

ファングがうなると、ハグリッドも嫌な顔をする。

 

「もう来ていたか、ファッジ。よろしい。」

「お前が何の用だ、さっさと出ていけ!」

「汚犬が吠えておる。言われずともこんな物置小屋からは、すぐにおさらばするさ。」

 

狭い丸太小屋を一瞥してから、手に持った長い羊皮紙の巻紙の止め具を外す。止め具についた小さな紋章を見たダンブルドアの目が、火を放つかのように輝いた。

 

「ルシウス、君の要件とは何かね。」

「全く嘆かわしい、実にね。アルバス・ダンブルドア校長。先日我らホグワーツ理事会は正式に、校長の役職を停止することにした。ここに12人の署名が揃っている。

理由としては、今回の事件に対する後手後手の対応だ。生徒が何人被害を被ったのか。今日もまた二人、何とも嘆かわしい… このままではホグワーツからマグル出身者が一人もいなくなる、嘆かわしい未来が見えるのですよ。」

「おお、聞いていないぞルシウス!」

 

コーネリウスの子には驚愕の二文字が浮かんでいる。士堂は大臣が、ホグワーツ理事の決定を知らないことに驚愕した。

「ダンブルドアが停職になったら… 誰が解決できる?一体全体…」

「校長の任命権と罷免権は理事会の特権。忘れたわけではありませんな。」

「いや、わかっておる。だが、だが、アルバスが無理なのにだが…」

「優秀な教師はホグワーツには、大変多い。誰かが、このお痛ましい事件を解決してくれましょう…」

 

我慢できないといった感じで、ハグリッドが立ち上がる。ぼさぼさの髪が天井をこするが、お構いなしだ。

 

「聞いておれん! ええ、ルシウス。何人だ、何人の理事を脅した。ダンブルドアを超える先生がいるものかい!!」

「おうおう、吠えるな吠えるな。そう荒っぽいとアズカバンでは苦労するぞ。私と違い、あそこの看守は気が短いからな。忠告しておこう。」

「ダンブルドアを辞めさせるなら、やってみろ! マグル生まれは本当に死んじまうぞ!」

「ハグリッド、もういい。」

 

ハグリッドにつられて荒ぶるファングをなだめながら、ダンブルドアはルシウスに言った。

 

「理事の決定に逆らう気は毛頭ない。わしは校長を退こうぞ。」

「校長!」

「しかしだ。」

 

ダンブルドアは悠然と、だが確かな口調で言葉を紡いだ。それはまるで、オペラの独白の場を見ているようだ。

 

「覚えておくがよい。わしが本当にこの学校を離れるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして努々忘れるな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ダンブルドアは3人を一瞬見た気がした。一瞬だったが、見れれた3人は確かにそう思った。ルシウスが白々しく別れの挨拶をしてから、小屋の戸を開けた。ダンブルドアが去り、ファッジがハグリッドを先に送り出そうとする。

 

「あー、そうだな。もし誰かが何か知りたきゃ蜘蛛を追え。そうすりゃ知りたいことの、糸口はわからあな。あとファングに餌やってくれたら助かるがなあア。」

 

全員が去ってから、ロンがかすれ声で言った。

 

「大変だ、学校は閉鎖だ。ダンブルドアがいないホグワーツなんて、無法も同然だ。」

 

 

学校は静かだ。誰もダンブルドアが去るなんて、考えてもいなかった。笑い声も聞こえなくなり、ハーマイオニーの面会すら危ないといわれるぐらいだ。学校周りの自然が夏の訪れを告げているのに、どんよりとした空気が漂っていた。ハリー達も手掛かりとなる蜘蛛を探すのだが、一匹も見つけられなかった。

 

そんな学校の中で、溌溂と活動する若者がいた。マルフォイは水を得た魚のように、生き生きとしている。皆理由をわからずにいたが、魔法薬学の教室で理解できた。

 

「父上はやってのけたよ。常々言っておられた、ダンブルドアが最悪の校長だって話さ。次の校長はしっかりとした人が選ばれる。秘密の部屋を閉ざそうなんて考えない、優れた指導者がね。スネイプ先生は、校長職に立候補されますか。」

「これこれ、マルフォイ。ダンブルドア先生はあくまでも停職だ。いずれ、復職されると吾輩は信じておる。」

「それはどうでしょう。先生が立候補すれば、父は指示投票なさいますよ。僕が父に、スネイプ先生は最高の先生だと言ったら賛同します…」

「それはありがたいな。お世辞として聞いておこう。」

 

薄ら笑いを浮かべながら繰り広げられる会話は、スリザリンには心地いいようだ。おかげでグリフィンドール生たちが、一斉に吐きマネや舌出しをしたことに気づいていない。

マルフォイは声高らかに、おしゃべりを続けていた。

 

「しかしまだ【穢れた血】が荷物を纏めないのに、驚くね。金貨5ガリオン賭けてもいい、次は死ぬ。まあグレンジャーじゃなかったのは残念だ。」

 

彼は幸運だった。いったと同時に終業のベルが鳴ったのだ。生徒が教科書を抱えて出口に向かう中、ロンを抑えるのにハリーと士堂は必死だった。

 

「やらせてくれ、杖がなくったってやれる、頼む…」

「駄目だロン、抑えろ。校長がいない今は耐えなきゃ…」

 

腕を振り払ってでも殴り掛かろうとするロンは、結局教室間の移動でも手を掴まれたままだ。次の薬草学の授業では、ハリーを疑っていたアーニーが謝ってきた。ハリーが犯人なら、ハーマイオニーを石化するはずがないからだといっている。3人は彼女の犠牲で疑いが晴れたことが、なんとも言えなかった。

そんな気落ちした気分のハリーが、唐突に声を上げた。急いでロンと士堂に声をかけると、蜘蛛が数匹這っている。蜘蛛は禁じられた森に、姿を消していったようだ。

 

「もう一度、透明マントを使おう。ファングも一緒だ。」

「まあ、そりゃあ、うん。」

「ロン、僕たち3人だ。心配しなくてもいい。」

 

 

その夜、ハリー達はまた抜け出した。ロンは最後まで嫌がっていたが、ハーマイオニーがいない椅子を見ると決心した。ロックハートが場違いな陽気さを見せてくれたことも、後押ししてくれた。彼はハグリッドを捕まえた以上、安心だといったのだ。逮捕について詳しいといったとき、ロンが反論しようとするからひやひやした。あの時、公には生徒がいたはずがないのだから。

 

双子の爆発ゲームにつきあったせいで、12時を回るまで動けなかった。ハグリッドを訪ねたときのように慎重に歩くが、3人だとなかなか困難なのだ。滴る汗すら鬱陶しくなる。

校庭を月明かりを頼りに歩く間も、ロンはぶつくさ何か言っている。よほど嫌だったのかと、士堂はトラウマに恐怖してしまう。

ファングに糖蜜ヌガーを食べさせて鳴き声を抑えてから、いよいよ散策だ。ぬっちゃぬっちゃと音を立てながら歩くファングのリードは、ハリーが持つ。

 

『『ルーモス 光よ』』

 

杖の先に、小さな灯がともる。やっと蜘蛛の動きが終えるぐらいの光量が、二つだけだ。淡い光を蜘蛛を頼りに30分ほど進む。小枝が折れる音や落ち葉がかすれる音だけが響き、暗闇の深さはぐっと増した。

暫く歩くと蜘蛛が脇にそれた。ハグリッドから、脇にそれるなと言われていたのを思い出す。

もう助けてくれる人はいないんだと、ハリーは不安になった。暗闇の中で、友人に判断を仰ぐことにする。

 

「どうする?」

「行くしかない、ここまで来たら。」

「僕も賛成。怖いけど。」

 

こわごわ森を歩いて30分は経っただろうか。道は道でなくなり、足のローブやズボンには無数の穴が開いていく。そんな道を照らしながら歩いていると、ファングが大声で吠え始めた。ロンがハリーと士堂のローブを掴みながら、あたりを見渡す。耳を澄ませると、遠くの方から声だが折れる音が聞こえてきた。

 

「もうだめだ、おしまいだあ!」

「ロン声が大きい!」

「大きいだって? ファングの方が大きいよお!」

 

小枝が折れる音が大きくなり、ゴロゴロと奇妙な音が聞こえた瞬間、静寂が訪れた。しばらくあたりを照らしていると、右の方から強烈な光が目に入ってきた。

 

「うわあ?!」

「何?!」

 

ファングが今まで聞いたことのない声で喚く中、ロンの顔が変わった。なぜか彼は、嬉しそうだった。

 

「ハリー、士堂見て! 僕たちの車だ!」

「本当だ…」

「嘘だろ…」

 

車は少し開けた場所にあった。誰も載っておらず、泥や傷まみれの胴体がそこにある。車はロンにヘッドライトをこすりつけるように当てているが、まるでファングがじゃれているみたいだ。

ロンによると、野生化しているらしい。自動運転という魔法が一種の自我として、機能しているようだった。蜘蛛じゃなく嬉しそうなロンをしり目に、士堂は蜘蛛を探していた。

 

「蜘蛛は… つ、伏せろ!」

 

3人の頭上でカシャカシャと音がした。士堂の声に反応できなかった2人が天を見上げると、胴体を掴まれた。何か黒くてもじゃもじゃしたものが掴んでいる。するとあっという間に体は宙を舞い、森を駆け巡った。逆さまな状態で、ハリーは何が自分を掴んでいるかを理解した。

蜘蛛だ。夢で見た蜘蛛の一回り大きいサイズが、3人を2本の脚で掴んでいる。耳元で風が横切る音と、一対の鋏がぶつかる音が聞こえてくる。あまりの驚きに叫びたくても叫べないまま、連れられていた。そして窪地に投げ飛ばされると、そこは大量の蜘蛛がいた。星明りの下で、もっと恐ろしい蜘蛛を見る。馬車馬かと思うほどの大きさで、ハリー達を連れてきた蜘蛛の仲間だろう。仲間の帰還に興奮しているのか、鋏をガシャンガシャンとぶつけている。

ロンは半ば気絶しかけている。ハリーやファングも声を上げられない中、士堂はロンの肩を抱きながら睨みつけていた。ハリー達を連れてきた蜘蛛が何かしゃべっている。聞くと、人語であることが分かった。

靄のような蜘蛛の巣ドームから、小型象ほどもある蜘蛛がゆらゆらと現れた。「アラゴグ」なる蜘蛛の体毛には白い毛が混じり、目も白濁している。

 

「盲目…か。」

 

士堂がつぶやいた時、あら互具が鋏を鳴らしながら話始めた。その声は他の蜘蛛と違い、どこかかすれた音質だ。

 

「何用だ。眠っておったものを。」

「人間です。」

「ハグリッドか?」

「知らない人間です。」

「では殺せ。」

「ちょっと待って!」

 

ハリーが震える声で叫んだ。足は見るからに震えており、目は虚ろだ。あざ笑うかのように蜘蛛が鋏を鳴らすと、空気が波打つようだ。アラゴグはハリーに近づいてから、歩みを止めた。

 

「ハグリッドはこの窪地に人をよこしたことは、一度もない。」

「ハグリッドが大変なんです。」

「ほう?」

 

アラゴグの声に、若干の気遣いの色が見えた。そう士堂は感じ取った。ハリーがアラゴグと対峙する間、ロンとファングをなるだけ近くに呼び寄せていた。

 

「しかし、なぜハリウッドは来ない?」

「は、ハグリッドは疑われています。学校の皆は怪物を生徒にけしかけたのは、ハグリッドだって。それでハグリッドは逮捕され、アズカバンに。」

「アズカバン!」

 

アラゴグが鋏をかき鳴らすと、周りの蜘蛛も呼応する。その音色はどこか、悲しさとやるせなさを感じた。この蜘蛛の種類は、鋏を鳴らすことで感情を表すのだと士堂は気づく。

 

「しかしはるか前の話だ。忘れるはずがない、私がここに来たのもハグリッドが退学したのも。すべてわしが、秘密の部屋の怪物だと信じ込まれてしまったからだ。」

「では、秘密の部屋から出てきたのでは?あなたがいた部屋は…」

「違う!わしはこの城で生まれたのではない。ハグリッドが卵の状態から、育ててくれた。城の物置に隠し、食事の残り物を与えてくれてな。冤罪を被った時も殺される前に逃がしてくれ、妻のモサグまで見つけてくれた。ハグリッドがいなくては、今のわしはない。ハグリッドは親友だ。」

「では人を襲ったことは?」

「一度もない、誓ってな。襲うのが本能だとしても、ハグリッドの為に我慢してきた。殺された少女はトイレで発見された、だがわしは物置から外に出たことも出ようともしていない。わしらは暗くて静かな場所を好むゆえに。」

「では、誰が。何が襲ったのか…」

 

今までで一番の音が響く。怒りと恐怖が入り混じった協奏曲が、深い森で奏でられるのだ。ロンが士堂のローブをぎゅっと握るが、その顔は涙と涎まみれだ。士堂はロンの姿に苦笑しながら、何か引っ掛かりを覚える。

 

「城の化け物のことなら、知っている。それはわしら蜘蛛の仲間全てが、恐れ忌み嫌う。

はるか太古からの、化け物だ。そいつが城内を動き回っている気配を感じたとき、外に出せと何度頼んだか。ハグリッドに必死に懇願したことを覚えている。」

「その生物の名は?」

「わしらはその生物の話はしない! 何度ハグリッドが訪ねても、これだけは言わなかった。」

 

ハリーはここが潮時だと思った。アラゴグは疲れたかのように、蜘蛛の巣のドームに帰っていく。だが、周りの蜘蛛はじりじり距離を詰めてきた。

 

「それじゃあ、帰りますね。」

「帰る?」

 

ハリーは後ろに下がりながら、何とか声を出した。だがアラゴグは、ハリー達をみて愉快そうに言う。

 

「なるまい。わしはハグリッドを傷つけようとすることは、固く禁じた。しかし、わざわざ歩いてきた新鮮な生肉を無視するほど、愚かではない。さらばだ、ハグリッドの友人。」

「伏せろ、ハリー!」

 

ハリーが瞬間的にしゃがみ込む。士堂はローブから黒鍵を取り出すと、一か八かの賭けに出た。彼が使える魔術は、この黒鍵を利用した洗礼魔術ぐらいだ。最近、徐々に他の魔術が使えるようになってきたが、未知数な点も多い。今から使う魔術も、過去成功したことがないものだ。

 

『sanna kika lux dies re sheng (聖なる光は輝き、日はまた昇る)』

『主よ、この不浄を清め給え!』

『火葬式典!』

 

投擲された黒鍵が着地すると、炎が巻き起こった。襲い掛かる蜘蛛が次々に燃え、連鎖的に広がっていく。苦しみと怒りで、蜘蛛たちの鋏は鳴りやむ気配がない。士堂が第2弾を放った時、窪地にまばゆい光が差し込んだ。

ウィーズリー氏の車が、荒々しく斜面を駆け下りてきた。ハリー達の前でドアが開くと、それっとばかりにハリーが乗り込む。ファングの腹を抱えたロンが、後部座席に犬を宝利昆田助手席に乗り込んだロンが、窓から叫ぶ。

 

「士堂、早くこっちにこいって!」

「今行く!」

 

士堂が後部座席に乗り込んだ瞬間、誰の操作も受けずに車が走り出した。猛スピードで坂を駆け抜け窪地を抜け、森の中に進む。見知った道を走るかのように、巧みに広いスペースを潜り抜けていた。

 

「大丈夫?」

 

ハリーが心配げにロンに聞くが、力なく頷くだけだ。だが執拗な蜘蛛は、ハリー達を付け回し続ける。屋根に張り付いた子蜘蛛が窓にまで来ると、ロンが絶叫する。

 

「ハリー、援護頼む!」

「了解!」

 

士堂が背後のミラーと屋根を、黒鍵で吹き飛ばした。暗闇でうごめく集団に照準を合わせると、二人は椅子に立ち上がる。

 

『火葬式典!』

『アラーニア・エグズメイ! 蜘蛛よ去れ!』

 

まばゆい光と鋼が、闇に突き刺さった。燃え広がる炎に呪文が同調して、蜘蛛を散り散りに吹き飛ばしていく。手持ちの黒鍵を使い果たした士堂が杖を取り出すと、二人同時に叫んだ。

 

『『アラーニア・エグズメイ!! 蜘蛛よ去れ!!』』

 

うごめく影が見えなくなったころ、背後から光が差し込んだ。入口についたのだ。ファングはすぐに出ようと、吹き飛んだ屋根をよじ登って小屋に駆けていった。今だ硬直するロンを抱えて、2人は急いで小屋に戻る。車に手を振ると、嬉しそうにエンジンをふかして森に帰っていった。

小屋につくとファングは毛布にくるまり、ロンはキャベツ畑で盛大に戻していた。

士堂とハリーも一言も話せない中、ロンが戻ってきて愚痴をこぼし始めた。

 

「蜘蛛を追いかけてみろだって? 僕たち生きてるのが奇跡だ。」

「アラゴグは傷つけようとしないって思ったんだよ。」

「ハグリッドはそれだ! いつも怪物を悪者扱いするのは皆だって! 怪物は怪物なんだ! あんな目にあって僕たち、何もわかりゃしなかった。」

「あるよ。」

 

ハリーが透明マントをかぶせながら、歩くように促す。士堂はポットに水を入れると、一思いに飲み干していた。

 

「ハグリッドは無実だ。」

 

 

なんとかベッドに帰ってこられたといっても、頭には今日の出来事が駆け巡っている。寝返りの多さから3人一緒だった。ハグリッドの無実はわかった、では誰が?あの蜘蛛

全てが名を出さない怪物とは? リドルは間違いだった。

事実を頭で考えては消して、また考える。ずっと同じ調子だったハリーは、アラゴグを思い返していた。あの盲目の蜘蛛は、ハグリッドが育てた。そして追放されるとき、ハグリッドが逃がした。その時彼は城では歩いたことはない。そして…

月明かりが顔を照らした瞬間だった。ハリーは体をがばっと起こした。まだ聞かなくちゃいけないことがある。急いでロンと士堂を起こした。

 

「いい―アラゴグは言っていた。死んだ女子生徒はトイレで見つかったって。」

「ああ、言っていた。」

「士堂、いいかい。もしも、もしもだよ。死んだその子がまだトイレにいて、住み着いたとしたら?」

 

士堂は目を見開き、ロンはピンと来たように手をたたいた。

 

「もしかして、50年前の犠牲者は嘆きのマートル?」

 




何とか書けました。続けて投稿します。


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秘密の部屋

そうとわかったところで、聞きに行けない。トイレは最初の犠牲者の、すぐ近くなのだから。透明マントを使おうにも、あのトイレは水浸しだ。足音を消すなんて容易ではない。

そんなあと一歩手が届きそうな、いじらしい感じは消し飛んだ。マクゴナガル先生が、一週間後に期末試験を行うというのだ。こんな状態でも試験が行われるなんて、全員晴天の霹靂だった。

 

「先生、正気じゃありません!」

「シェーマス、私は正気です。このような状況でも、皆さんの教育は重要なのです。復習していれば、問題起きないレベルですよ。」

「聞いたか?!」

 

ロンが士堂の脇を小突く。士堂も、この展開は予想していなかった。皆が唇を突き出して文句を言うのも無理はないだろう。だが試験3日前の情報は、間違いなく朗報だった。

 

「スプラウト先生によれば、マンドレイクの収穫ができます。犠牲者のうち何人かが手掛かりを話してくれれば、事件は解決するでしょう。私は犯人逮捕という幕引きが、可能だと期待しています。」

 

歓声が爆発した。皆が騒いでも先生は、何も注意せずに微笑むだけだ。そんな中でつまらなそうにいるのは、マルフォイら数人のスリザリン生だけだった。

 

「それじゃあマートルに聞く必要もない! ハーマイオニーが全部知っているよ。すぐに事件は解決、でも試験が3日後なんて聞いたらまた石化するんじゃないか?」

 

その時ジニーがハリーの横に座ってきた。何か言いたげなジニーだったが、何故かパーシーが遮ってきたのだ。まだその時は、この後の事件を知らなかったからのんきであった。

明日にでも話してくれるさ、と兄らしく笑うロンは、この後悔やみきれないほどの後悔をするのだった。

 

 

確かに事件解決の糸筋が見えたことは、教師陣にも嬉しいだろう。だがロックハートのお気楽ぶりは、笑えてきそうだ。彼はハグリッドが犯人だと疑わないし、生徒の引率すら億劫なようだ。

 

「ハグリッドがやったと皆が証言します。なのになぜ、こんなにも厳重にするのか。マクゴナガル先生が、神経質になる理由がわかりませんね。」

「そうです、先生。」

 

ハリーの発言に、ロンと士堂は教科書を落としそうになる。ハリーは彼らを無視して、先生と話す。

 

「やはり、そう思いますか。うんポッター、君は優秀だ。私には次の授業の準備があるというのに、引率に見張りまでやるのですから。」

「先生、もう教室は廊下を渡った先です。もう帰ってもよろしいのでは。」

「ハリー、君は勘がいい。まさしくそうしようと思っていた。では諸君、私はこれで。」

 

足早に消えるロックハートをしり目に、じゃりーは嘆きのマートルがいるトイレに向かった。後からロンと士堂がついてくる。

 

「準備だって。髪のカール以外にやることがあると思う?」

「ハリー、マートルに直接聞かなきゃならないのか。」

「僕正体について、マートルの意見も必要だと思う。聞けるなら僕らしか居ないよ。」

 

3人がトイレに入ろうとしていた瞬間だった。奥からマクゴナガル先生が、真一文字に唇を固めてやってきた。

 

「ポッター、ウィーズリー、士堂! 何をしているのです!」

「僕―あ~、その。 様子を僕ら、」

「ハーマイオニーの。」

 

どもるロンを、士堂がフォローする。皆の視線が集まる中、士堂は急いで付け加える。

 

「先生、僕らはハーマイオニーにずいぶん会っていません。たとえ意味がなくても、ハーマイオニーに知らせてやりたくて。」

「マンドレイクが完成したとだけ、伝えるつもりだったんです。」

 

ハリーがさらに付け加えると、先生は3人をじっと見つめる。こりゃまた罰則かと覚悟していたが、帰ってきたのは意外な言葉だった。

 

「…そうでしょう。グレンジャーとあなた達はいつも一緒でした。その友人と会えないつらさは計り知れないでしょう。いいです、許可します。ビンズ先生とマダム・ポンフリーには私から、伝えておきます。」

 

先生が廊下に消えると、鼻をかむ音が遠くから聞こえてきた。こうなれば医務室にいかなくてはいけない。泣く泣く医務室にいっても、マダム・ポンフリーがいい顔をするはずがなかった。

それは当然だ。彼等がベッド脇に来たのに、何も言わずに天井を見つめているのだから。こうして直視すると、化け物の恐ろしさが分かってくる。

 

「でもハーマイオニーは見たのかな。こっそり忍び寄られたら、誰もわかりゃしないぜ。」

「あの時ハーマイオニーは図書館に行ったよな。何か見つけたんだったらな。」

 

士堂の言葉を聞いたハリーが、ピンときたようにハーマイオニーに目を配った。目線の先は、ハーマイオニーの右手の中身だ。固く握られた手の中に、くしゃくしゃの紙切れが握りしめてあった。ハリーが急いで2人に伝えると、取り出すことを提案された。士堂がマダムの動きと目線に気を配りつつ、ハリーとロンが紙を取り出す。固く握りしめられた手から、器用にロンが取り出した。

 

「フレッドたちと遊んだ時、くじ引きを引かせまいとされてさ。その時の経験だよ。」

 

ロンが取り出した紙切れは、図書館のかなり古い本の一部だ。皺を伸ばすと3人で読んでいく。

 

「我々の世界に数多生息する怪物、怪獣。その中で最も珍しく破壊的な生物は、バジリスクを置いて他に類を見ない。【毒蛇の王】とも呼ばれ、巨大な体格ながら数百年は生きながらえる。ヒキガエルの腹の下で鶏の卵が孵化されるとき、バジリスクは生を受ける。

強力な毒牙のほかに、睨むことで生命の息の根を止めることが出来る。蜘蛛にとっては宿命の天敵で、バジリスクが来る前触れに蜘蛛が逃げ出すだろう。バジリスクの唯一の弱点は、雄鶏の時を作る声だ。」

そして見慣れたハーマイオニーの筆跡で、「パイプ」とだけ書かれている。

まるでパズルの、なくなっていたピースを見つけたようだ。次々に事件の真相が見えてくる。

 

「秘密の部屋の怪物はバジリスク―蛇、だから僕は声が聞こえた。蛇語が分かるからだ。

バジリスクは目で殺す。でも直接見なきゃいいんだ。コリンはカメラ越しに、ジャスティンは首なしニック! ハーマイオニーと監督生は―」

「鏡。ハーマイオニーは気が付いて、廊下であった監督生に行ったんだ。怪物の目を見ないように、鏡を見るように。先生に伝えてもらおうと思ったんだ。」

「そうだと思う、士堂。そしてその時見たんだ。ミセス・ノリスは水浸しの床で見たんだ。

ハグリッドの雄鶏が殺された、弱点だから。蜘蛛が逃げ出し、名を言うのも怖がる。」

「でもどうやって動くんだ。そんな怪物目につかないはずがない。」

 

ロンの疑問は、ハーマイオニーが答えてくれた。震える手で、紙きれを指で追う。

 

「ロン、パイプだ。城中を巡る配管の中だから、僕はどこでも声を聴いた。」

「そして配管が使われるのは水道管理。50年前の被害者、マートルの死んだ場所は。」

「…トイレ。そうか、あそこが入口なら納得だ。トイレにはいくつもの配管が集まってもおかしくないし。」

 

士堂の言葉をロンが続けた。あまりにも、衝撃の結果だった。だが士堂は不安な点があった。

 

「バジリスクは目で殺す。似たような神話は多い。有名なのはギリシャ神話のメドゥーサだな。石化の魔眼、これを打ち破ったペルセウスは鏡のような盾を使って倒した。直視しなきゃ大丈夫だからな。でもバジリスクは反射しても石化する。能力としたらケルト神話のバロールが近いな。」

「それってまずい?」

「格としてはバロールの方が脅威だ。多分何百年も生き続けることで、幻獣クラスに成長できるんだな。魔眼としてのランクは最上位の虹に近い。魔術界でも数例しか報告されていない、強力なものだ。」

「そんな…」

 

ハリーの落胆の声を聴かずに、士堂はすぐに医務室を飛び出した。その脚が職員室に向かうのを、ハリーとロンは理解した。

 

「すぐに伝えた方がいい。経験が豊富な先生でも、やられるぞ。」

「早くマクゴナガルに伝えなきゃ!」

 

だが、無理だった。構内に拡声器で生徒の避難と教師陣の集合が呼びかけられたのだ。慌ただしく廊下に足音が響く中、とっさに3人は先生のマントが詰まったタンスに身をひそめることになった。先生の報告を聞いてから、真実を伝えようと決める。

 

「…最悪の事態です。生徒が一人、秘密の部屋に連れ去られました。そのものに。」

「なぜはっきりと?」

「継承者の伝言が、最初の伝言の下に加えられていました。」

 

陰から見える職員室は地獄だ。フリットウィック先生が泣き始め、スプラウト先生やマクゴナガル先生は顔面蒼白だ。スネイプ先生ですら、椅子の背をこれでもかと握りしめている。

腰の抜けたマダム・ポンフリーが、弱々しく聞いた。

 

「誰なんです。どの子が連れ去られたのですか?」

 

「ジニー・ウィーズリー。彼女の髪の毛が落ちてました。もうホグワーツは閉鎖でしょう。おしまいです、何もかも。」

 

ロンが力なく崩れた。ハリーと士堂が目を合わせるが、放心状態だった。暫く先生たちの声を聴く余裕がなかった。嘆きの声もおきぬ職員室のドアを、勢い良く開けた人物がいる。

 

「大変失礼しました。著書の書下ろしとラブレターの返事で少々。―何か?」

「なんと。適任者だ。」

 

ロックハートは笑いながら入ってきた。この状況で笑みを浮かべるお調子者は、先生たち全員の憎悪の目にひるんでいるようだ。いや、ひるんでいる。

 

「ロックハート、君の出番だ。麗しき女学生が秘密の部屋に誘拐された。あなたの冒険の腕前、見せてもらいましょう。」

「その通りだわ、ギルデロイ。昨晩入口の場所について、知っているといってたわね。」

「私、その―その―」

「そうです、私も怪物の正体について4時間熱弁されましたよ。」

「言いましたか? き、記憶に…」

「あなたは一人なら、怪物退治できると私に行った。証明してもらいましょうか。

今夜、絶好のチャンスですわよ。」

 

口がわなわなと震えるロックハートは、見たことがない。視線が定まらぬ中、曖昧な返事とともに自室に帰っていった。鼻の穴を膨らませながら、マクゴナガル先生は明日一番汚ホグワーツ特急で帰宅させることと厳重警戒を伝えた。

 

 

あれからどうやって戻ったのだろう。グリフィンドールの談話室は、見たことがない光景を見せている。前日までふざけていた双子すら、微動だりしない。パーシーは両親にフクロウを送ってから、自室に閉じこもってしまった。

 

「僕がバカだった。あの時ジニーの話をきいてりゃ…」

 

ロンが口を開いた。まるで力のこもっていない声だが、ハリーはタンスに隠れて以来聞いていない声だった。

 

「ジニーは何か知っていたんだ。じゃなきゃ純血のジニーが、ジニーが…」

 

士堂も部屋に閉じこもったまま、姿を見せない。ハリーは窓の外の、地平線に沈む太陽を眺めた。あの太陽のように、ジニーの命は消えるのだろうか。ロンがこんなにもジニーを思っているからか、最悪の結末がよぎる。

 

「ねえ、ハリー。ジニーはまだ―まだ…」

「ロン…」

「そうだ、ロックハートだ。ロックハートは秘密の部屋に行くはずだろうから、僕

たちの持ってる情報を伝えよう、ね?」

 

ハリーは半信半疑だった。少なくとも職員室の姿を思い出せば、怪しいと思う。だが何もせずにいるのは、たまらなく苦痛だった。ロンが少しでも楽になるならと賛同して、談話室を出る。グリフィンドールの生徒は将来に絶望して、2人を見ることすらしなかった。

 

ロックハートの部屋は、ハリーが一度行ったことがあるからすぐに着いた。部屋の中から、騒々しい音がしていた。ノックをすると、ほんの少し扉を開けてきた。非常に迷惑層だったが、結局は中に2人を入れた。

部屋は荒らされた時のハリーの部屋のように、乱雑だ。大きなトランクが2個置いてあり、色とりどりのローブが投げ込まれている。

 

「どこに行かれるんですか?」

「うー、あー、あおう。 緊急の、火急の…」

「僕の妹は? ジニーはどうするんですか?」

 

愕然とするロンを無視して、ロックハートは引き出しのものを手あたり次第トランクに詰めている。彼に戦う気はないのだ。

 

「先生、先生は【闇の魔術に対する防衛術】の教師でしょう?! 今戦わずにいつたたくんですか?!」

「ハリー、残念だが… こうした業務について、そのお、なんだ。職務内容には…」

「逃げ出すんですか? 本に書かれているギルデロイは、こんなこと引き受ける以外なかった!!」

「ウィーズリー君、本は時に誤解を招く。」

 

ロックハートはやれやれといった具合に、トランクを閉めた。顔を顰めて、言いたくないといった具合に話始める。

 

「いいですか。物語や名言、そういった語り継がれるもの全般に言えますがね。

大事なのは何をやったのか、ではない。誰がやったかが重要なのです。

アルメニアの醜い魔法戦士が狼男を退治した、誰が読みたい? 皆が求めているのは、白馬に乗った貴公子なのですよ。」

「やっていないことを、やったといったんですか? 人の手柄を盗んだのですか?!」

「ハリー、物事はそう単純ではない。まずは英雄を探す。どうやったかを聞き出す。

そして【忘却術】をかけると、相手は何をしたか忘れる。私の自慢の呪文ですよ。

有名になると、サインや広告写真を撮らなくてはいけない。この仕事に耐えることが出来るのは、たゆまぬ努力は必要なのです。…これでおしまいかな。」

 

トランクを纏めてから杖を取り出す。その目にあるのは、ゆるぎない自信だった。

 

「坊ちゃんたちには気の毒だが、【忘却術】にかかってもらいます。私の秘密は高値で売れますからね。安心なさい…」

 

 

『エクスペリアームズ 武器よ去れ!』

 

ハリーの杖が、一瞬先に呪文を放った。ロックハートは後ろに吹き飛び、杖は窓の外に消えていく。

 

「スネイプ先生にこの呪文を教えたのが、間違いでしたね。ついでに決闘もやらせてもらったので。」

「わ、私は何も知らない。力にはなれない!」

「僕たちはありかを知っているかもしれない。さあ、行こう。」

 

激しい口調でハリーは、ロックハートを追い立てた。背中に杖を突きたてながら、嘆きのマートルがいるトイレにたどり着く。ロックハートを先にいれると、彼は小刻みに震えだした。

 

「あら、あんただったの。」

「君が死んだときの様子が聞きたいんだ。」

 

ハリーは、初めてマートルから誇りを感じた。嬉しそうに状況を思い出している。

 

「おおお、怖かったわ。オリーブ・ホーンビーに眼鏡をからかわれて、泣いていたの。

この小部屋よ。そうしたら誰かが入ってきて、聞いたことのない言葉をしゃべっていたの。嫌だったのは、それが男の声だった。だから追い返そうと思って扉を開けたら、死んでいたわ。」

「どうやって?」

「わからない。覚えているのは、大きな黄色い目玉が2つ。体全体が金縛りにあったと思ったら、なんかフーと軽くなって…

気づいたら、こうよ。オリーブを呪ってやるって常々思っていたから。あの子、からかったことを後悔してずっと泣いていたわ。」

「どこで目玉を見た?正確に知りたい。」

「そこらへん、正確な場所は覚えちゃいないわ。」

 

小部屋前の手洗い台だ。ハリーとロンは急いで調べ始めた。ロックハートは恐怖をにじませながら、ゆっくり出口に脚を運んでいる。普通の手洗い台のようだが、2人はわずかな違和感も見落とさないように、念入りにチェックしていく。手で凹凸を探っていたハリーは、銅製蛇口の脇に、窪みを見つけた。埃を払うと小さな蛇が、ひっかいたと思うぐらいの小ささで彫られている。

 

「その蛇口、壊れっぱなしよ。」

「壊れているんじゃない。元々通っていないんだ。」

 

蛇口をひねっていたハリーに、ロンが考えを言った。

 

「マートルが聞いたのは蛇語だ。だから蛇語で話せば?」

「よし。  開け。」

「普通の言葉だって。わかったよ。」

 

ハリーが蛇語を話せるのは、本物と対峙したときだけだ。何とか彫刻を蛇だと思おうとすると、蝋燭の光加減で動いたように見えた。

 

「開け」

 

ハリーは初めて、蛇語をしゃべったとわかる。聞こえてきたのは奇妙なシューシューという音だったから。すると蛇口がまばゆいばかりの光を放ち、回る。手洗い台が動き出すと、大が沈んで太いパイプが見えた。ちょうど大人一人が、滑り込める大きさだ。

 

「僕はいく。」

「僕も行くよ。」

「私は用済みのようだ、ではここで…」

 

初めて2人はロックハートが、出口にいたことに気づく。牽制で杖を向けるが、彼はもう出ていった後だ。しかし、すぐに戻ってきた。後ろに下がりながら、両手を上にあげている。

 

「お、落ち着き給え。ああ、危ないこんな代物は…」

「ほう?」

「い、今時剣など古臭いものは…」

「あんた、黒鍵を知らない? ははん、化けの皮がはがれたな。」

 

ローブを見にまとった士堂が、ロックハートの首筋に黒鍵を突き立てている。2人はほっとした顔で、彼を見ていた。

 

「士堂、来てくれたんだね!」

「助かった! 正直3人はきついって…」

「悪い、ちょっと準備にね。着いたらこいつが逃げようとしてたってわけよ。」

 

ロックハートがじりじり下がっていると、足に何かが当たった。首を回せば、あるのは底の見えないパイプである。息をのむ暇もないまま、肩に力が加えられた。

 

「いってこい、ばか教師。」

「うわああああああああ!」

 

暫く耳を澄ませば、小さな音が聞こえた。どうやら下はあるようだ。ハリー、士堂、ロンの順に穴に飛び込む。パイプは、ぬめぬめした暗い滑り台といったところか。ハリーは見たこともなかったが、ウォータースライダーを思い浮かべた。

床に放り出されると、通路に出た。パイプの天井は頭がぶつかる高さだったが、ここは余裕をもって立ち上がれる。天井から地面までは湿気を帯びていて、ぬめりがあった。

 

「スリザリンの談話室より、下の方に違いないよ。」

「湖の下だよ、たぶん。」

「見た感じ、相当古くからあるみたいだ。ほら。」

 

『ルーモス・マキシマ 光よ』

 

士堂が杖から、まばゆいばかりの光を放った。目が光に慣れてくると、地面に無数のネズミの骨が転がっている。あまりの多さに、地面が白だと勘違いしてしまいそうだ。

湿った足音と骨を踏んだ乾燥音以外、何も聞こえてこない。ロックハートは目を隠しながら、女の子歩きで歩いている。ハリーと士堂が光呪文で辺りを見渡しつつ歩いていると、何かを見つけた。

 

「あ、あれは…」

「眠っているだけかな?」

「一応、目を瞑っておける用意はしとけよ。」

 

士堂が杖をかざすと、そこに在ったのは抜けがらだった。巨大な蛇の抜け殻が、とぐろを巻いて横たわっていた。毒々しい鮮やかな緑の皮は、優に6メートルはあるだろうか。

 

「なんてこった。」

「本体の大きさはこんなんじゃあない。本当、神話みたいな大きさじゃなきゃいいけどさ…」

 

 

後ろでロックハートが、つまずいて床に座り込んでいる。いらだったようにロンが杖を向けると、彼はロンにのしかかった。あっという間にロンから杖を奪うと、輝くようなスマイルで立ち上がった。

 

「坊やたち、茶番はおしまいだ。私はこの皮を持って帰りこう言う。

少女は手遅れ、勇敢なる学生は悲しみと恐怖に支配された。哀れにも錯乱してしまったとね。さあ、何もかもとお別れだ!!」

「やめろ!」

 

『オブリビエイト! 忘れろ』

 

だが、呪文は失敗だった。杖が爆発したように吹き飛び、ロックハートを壁にたたきつける。その衝撃からか、元々もろかった壁が崩落してしまった。3人はとっさにその場を離れるが、大きな岩塊が天井から落ちてくる。砂埃と小石が舞う中、何とか声を上げた。

 

「ローン? 大丈夫、ローン?」

「ここだ! 怪我はない、ロックハートも無事だ!伸びちまっているけど、ざまあみろってやつ!!」

「よかった…」

 

一息つく暇もない。ちょっとやそっとの魔法で、どうにかなるものか。ハリーがちらりと士堂を見ると、首を振った。だが向こう側では、ロンが石をどかす音が聞こえてくる。

ハリーも小石をどけてみるが、これでは何時間もかかってしまう。もうジニーは何時間も前に、ここに連れてこられたのだ。そう考えると、やれることは一つしかない。

 

「ロン、僕はいく! もし、もし僕が先に行って。2時間たっても戻らなかったら…」

「ロン、俺も行く。いいか、マクゴナガルとスネイプ、フリットウィック。この3人に知らせろ。」

 

もの言いたげな沈黙の後、意外にも元気な声が返ってくる。

 

「僕は少しでも、ここの岩石を取り除いている。そしたら―そしたら―、帰りが、ハリーも士堂も―」

 

それは懸命にも、自分を鼓舞する声だった。それでも2人はロンに別れを告げ、先に進む。道はくねくねと曲がり、途方もなく長い。通路自体が蛇を模しているようだ。張り詰めた緊張感の中歩いていると、前方に固い壁が見えた。2匹の蛇が絡まり、その瞳は大粒のエメラルドが嵌め込まれている。

 

「開け」

ハリーがためらいなく口にすると、やはり蛇の声だ。2匹の蛇が左右に消え、壁が開いていく。ひんやりとした空気が流れ込むと、2人の杖を握る手に力が入った。

部屋は細長く、薄暗い。蛇が絡み合う彫刻が施された石柱が、上へ上へとそびえたつ。

石柱のあいだを用心して歩く間、ハリーは不安でしょうがなかった。継承者は誰か、ジニーは無事か。バジリスクはいつ襲ってくるのか。足元の水音すら、今は心臓に悪いといえた。

 

最後の石柱の先に、それまでとは比べ物にならない石像が立っている。老猿のような顔に、細長い顎鬚が石のローブの先まで伸びている。灰色の巨大な脚の間で、ジニーはうつ伏せで寝ていた。

 

「ジニー!」

「あれは…サラザール・スリザリンか。」

 

ハリーは駆け寄ると、膝をついて名を呼んでいた。彼女の顔は青白く、目は固く閉じられている。

 

「ジニー、死んじゃだめだ、お願いだから目を覚まして!」

「その子が目覚めることはない。」

 

必死にジニーに問いかけていたハリーは、ぎょっとした。いつの間にか近くの石柱に、男が立っている。背の高い、黒髪の端正な少年は輪郭がぼやけていた。

 

「トム―トム・リドル?」

「こいつが…」

 

曇りガラスのようにあやふやだが、ハリーは確信していた。杖を向けていた士堂も、驚きで目を見開く。彼は50年前の学生だった、では幽霊か?

 

「幽霊ではない。そしてその子は生きてはいるが、目覚めはしないさ。」

「では何者だ。」

「記憶。日記に残された、50年前の記憶だ。」

 

リドルが指をさした先に、あの黒い日記があった。ハリーは一瞬動揺する。盗まれたものがここにあるとは、思わなかったから。だが、そんなことよりも大事なものがある。

 

「トム、手伝ってくれ。ジニーを運び出さなきゃ、バジリスクって化け物が…」

「トム・リドル?」

 

リドルはハリーのことを無視して、動かない。汗だくになってジニーを持ち上げてから、杖を取ろうとした時だ。

 

「ちょっと待った。人のものを無言でとるのは、いつの時代も罪だ。」

「ほう、よく気づいた。褒めてあげる。」

「目の前で取っておいてよくも…」

 

ハリーの杖を、リドルがとろうとしていたのだ。間一髪、士堂が呪文で制したのが幸いした。ハリーは、目の前にいる人物が何者か怪しくなる。リドルの目が細くなった気がした。

 

「ハリー・ポッター。君に会いたくて、僕は呼んだんだ。君という人物は、実に興味をそそられたから。」

「ジニーはどうして? 君は何を知っているの?」

「面白い。だが話すと長いんだ。ジニー・ウィーズリーはなぜこうなったのか? その答えは得体のしれない人物に心を開き、自らの秘密をすべて打ちかけたことだ。」

「何を言ってるの?」

 

リドルの目がきらりと光った。ハリーと士堂は、ダンブルドアの目を思い出す。だが彼の慈愛と正義の光ではない、狡猾な雰囲気がした。

 

「日記にオチびさんはなんでも書いたよ。やれ兄がからかう、おさがりばっかで新品のローブが欲しい、有名で偉大で素敵なハリーが私を見てくれるはずがない…」

「そんな戯言、反吐が出てくる。それでも聞いてあげたら、簡単だったよ。ちょっと同情したり慰めたり、親切にしてね。彼女は夢中だったよ。【トム、あなたぐらい私をわかってくれる人はいない。まるで親友がポケットにずっといるみたいね…】」

 

そこでリドルが笑った。外見からかけ離れた、冷たく甲高い笑い声だ。2人の背中に、寒気が走った。

「僕はね、ハリー。人を惹きつける才能があるんだ。その才能で僕は、ジニーの心を開けさせた。そして彼女は心を打ち明ける中で、魂まで僕に注いでくれた。これが必要だったんだよ。僕はジニーの心の闇を魂と一緒に喰らい、力をつけたんだ。そしてちょっとばかし、僕の魂を与えた。」

「何を言った?」

「部外者は黙っていな。…つまりこうだ。一連の事件は全てジニーがやった。秘密の部屋を開け、雄鶏を殺して壁に文字を書いた。バジリスクを穢れた血と猫に仕掛けたのも、ジニーだ。

最初は自覚などしていなかった。だが気づいたようだ、その時の愉快さといったら!

【トム、私記憶喪失みたい。ローブが羽だらけで、ペンキがついて… パーシーが顔色が悪いって言ってくれても、記憶がないの。トム、私なのかな? 私が皆を襲ったのよ!!】」

「そんな…」

「僕は幸運だ。バカなジニーが僕を捨てた後、誰が拾った? 君だ、ハリー。ジニーが嫌というほど教えてくれた、世紀の英雄ハリー・ポッター。」

 

リドルの目が獲物を狙うように、ハリーの稲妻型の傷を見つめる。

 

「君をもっと知りたい。ジニーはバカだったからね。そこで僕の記憶から、ウドの大木のハグリッドの逮捕劇を見せたわけだ。」

「君は嵌めたんだね、僕の友達を。勘違いしただけだって、帰りたくないから。そう思ったのに。」

「嵌めた? 人聞きの悪い。あのアーマンドおじさんたちはこう考えたんだ。

一人は貧しいが優秀な生徒、もう一人はトラブルを巻き起こすしか能がない薄ノロ。危険動物しか愛せないあの大男を、先生たちは疑いもせずに追放したよ。考えてみな、このぼくですら見つけるのに死力を尽くして5年かかったのに、あのぼんくらが後継者?

うまく行き過ぎたことは認める、僕は驚きあきれたからね。」

「ダンブルドアは違った。最初から僕を疑っていたね。だからハグリッドを森番にし、学校に残すよう説得していた。他の先生が疑わなかったなか、彼だけは違ったな。」

「わかっていたんだろう。校長は。」

「…確かにそうだ。卒業するまでそれ以後、しつこいぐらいに監視をするようになったからね。だから在学中に秘密の部屋を開けるのは、危険だと判断した。そしてこの功績を引き継げる、新たな後継者の為に残したのだ。僕の16歳の記憶とともに。」

 

ハリーは杖を向けながら、勝ち誇ったように叫んだ。

 

「でも誰も死んでいない! 石化しただけで、もう元に戻る。君は負けたんだ!」

「それがどうした? 僕の真の狙いは忌々しい奴らではない、君だよハリー。」

 

話が見えるようで、見えない。リドルの目が額の傷から、ハリー全身に移った。

 

「君のようなちんけな小僧が、どうやって不世出の偉大な魔法使いを打ち破れる? あのヴォルデモート卿が砕け散ったのに、どうして君は傷1つで生きながらえた?」

「どうして…ヴォルデモートは君より後の人間じゃないか。」

「ヴォルデモートは、僕の過去であり、現在であり、未来だ。ハリー・ポッター、よく見ておけ。」

 

リドルは指で空中に字を書く。魔法で書かれた字は、揺れながらも淡い光を放っている。

 

『tom marvolo riddle』

 

腕を振るうと、文字が並び変わって別の文章が現れた。

 

『I am Voldemort』

 

「これが真実だ。汚らわしいマグルの名など、とうに捨てている。母方は偉大なサラザール・スリザリンの血を引いているというのに! ただ魔女だというだけで母を捨てた、忌々しいマグルの名を使うか、いや使わない!

ハリー、僕はわかっていた。いつの日かこの名を恐れるものが現れる、世界中にだ。世界で一番偉大な魔法使いとして、魔法界に君臨するその日がね!!」

「そうかな。」

 

脳天が揺れる思いのハリーは、何も言えなかった。目の前の孤児が、ハリーの両親を殺したのだ。だから士堂が口をはさんだとき、虚をつかれた思いだった。

 

「ヴォルデモートが世界で一番? 笑わせるな。今世界で一番偉大な魔法使いは、アルバス・ダンブルドアだ。第一ヴォルデモートは全盛でも、ホグワーツに指一本触れることはできなかった。知り尽くしているはずだ、卒業したのだから。

だが、このありさまだ。今は幼き頃の記憶とやらで粋がるしかない。」

「マグル風情が、僕に口答えを?ダンブルドアはもういないのに。」

「そうだよ、分からないか。ダンブルドアはいない、そうだな。

だからどうした? 俺たちはそんなに弱くはない、ダンブルドアに育てられたからな。」

「それにダンブルドアは、君が思っているほど遠くには行っていないぞ!!」

 

ハリーはとっさに、士堂の言葉に続けて叫んだ。でまかせだったが、心の中では信じていた。そうあってくれという願望に近かったが。

その時、不思議なことが起こった。この世のものとは思えない、喜怒哀楽を全て練りこんだような旋律だ。ハリーと士堂の毛が逆立ち、心臓が倍以上に膨らんだような感覚だ。

白鳥ほどの真紅の鳥が、旋律を奏でながら飛んできたのだ。クジャクのような金色の尾羽を翻らせ、まばゆい爪にボロボロの布切れを掴んでいた。その布切れをハリーに渡すと、肩に留まる。ハリーの肩の上で鳥は、しっかりとリドルを見据えていた。

 

「不死鳥か。」

「フォークスなの? これは…」

「組み分け帽子、だな。なんで校長はこんなものを…」

 

リドルの高笑いがこだまする。響き渡る声が反響して、不快な合唱曲のように聞こえてきた。

 

「ハハハ、笑えるな。ダンブルドアは不死鳥一匹と古帽子で何とかしてみろといったんだ。

君たちの言う偉大な魔法使いは、ここに助けをやりもしないようだね。

まあ、お遊びはここまでだ。偉大なサラザール・スリザリンの継承者たるヴォルデモート卿と、ハリーポッターとダンブルドアの精一杯の加護とご友人。力比べといこうじゃないか。」

「黙れ! いいか、ヴォルデモートが倒されたのは母さんの力だ。母さんは死ぬとき、僕を護る魔法を遺してくれた。だからヴォルデモートは負けたんだ!」

「…成程。君個人の能力ではないのか。古代から伝わる魔法、言われれば合点はつく。

だが、君は強くないと白状したと同じ。死ね。ハリーポッター。」

 

「スリザリンよ。ホグワーツ4強の中で最強のものよ。我に話したまえ。」

「そして殺せ。」

スリザリンの巨大な石像の口が開いた。暗闇で何かがうごめいている。確かなのは、蜘蛛ではない。シャーという声がした瞬間、ハリーと士堂は目を閉じた。何か大きいものが床を這う音がしたと思ったら、フォークスが飛び去る。そのまま何も見えない中で、大きな物体が近づいてきたことが感覚でわかった。

 

「ハリー、壁伝いに逃げるぞ!」

「う、うん!」

 

必死に壁を手で確認しながら、奥に走っていく。背後から聞こえてくるリドルの笑い声と、何かがぶつかる衝撃音は刻一刻と近寄ってきた。ハリーが背中に生ぬるい湿気を感じたとき、急に羽音がした。その後何かがのたうち回る音と、何かが柱にたたきつけられる音が聞こえてくる。リドルの笑い声が次第に小さくなっていくから、ハリーはうっすら目を開けた。

フォークスがバジリスクの頭周りを飛び回っている。毒々しい鮮緑色の頭が宙をかんでいくが、巧みにフォークスが交わしていた。まるでハリーと士堂に目を向けさせまいとしているかのような不死鳥は、高空から一気に急降下する。その勢いのままバジリスクに突き刺さると、再度浮上してから同様の攻撃を加えていく。ハリーの前に黒い血が飛び散り、毒蛇の樫の木のような胴体が揺れ動いた。見れば黄色い目があったはずの場所は、黒い血が滝のように溢れている。

 

「違う、小僧だ! 小僧をやれ! 匂いを探ればいいだろう!!」

「ハリー、目を開けて逃げろ! 俺が援護する!」

 

ハリーは杖と帽子をもって、網目状に張り巡らされたパイプを走った。背後から蛇の鳴き声と金属音が、立て続けに聞こえてくる。何事かと影に隠れて見てみれば、士堂が黒鍵を次々に投擲しているではないか!

 

「ここで一発、ギャンブルよ!」

 

『corvus volant quoque nihil mons sheng (鴉は飛び立ち、山々を超える)』

『主よ、この不浄を喰い改め給え!』

『鳥葬式典!』

 

両手から放たれた黒鍵は、正確にバジリスクの鼻を突いた。すると黒鍵の刀身が砕け散り、無数の黒鴉に変化する。鴉たちが顔じゅうにへばりついて、手加減なしに嘴を突き立てていった。

 

「君か、見たことのない魔法を使う男とは!」

「って、くそ?!」

 

見ると憎悪の顔のリドルが、手を突き出している。その背後には、見慣れない文字が6角形の配置で浮かんでいた。その文字を見た瞬間、士堂の頭に閃きが舞い降りた。

だが、その体は宙に吹き飛ばされた。リドルの手から緑の閃光が飛び出し、士堂を直撃したのだ。不敵に口を歪ませたリドルは、すぐに驚愕の表情になった。

 

「まだ、生きているのか?」

「…ご生憎。死に運はないもんで。」

「ちっ! この小娘の魔力じゃこんなものか。ではもう一度、死ねぇ!!」

 

リドルの背後の文字が、ゆらゆらと揺らぎ始める。文字から色とりどりの魔法が飛び出し、士堂を狙ってきた。前後左右に躱しながら、士堂は目の前の敵の強大さを噛みしめていく。

 

 

士堂が必死に戦っていたころ、ハリーは逃げ惑っていた。フォークスと士堂のおかげで、バジリスクを見ながら逃げることはできる。が、毒蛇の牙は依然として難敵であることは、変わりない。蛇が噛みついた石柱が、噛まれた場所から溶けていっているのだ。あんなものに噛まれたら、ひとたまりもない。さっきから魔法を撃っても、滑らかな光を見せる鱗にはじかれる始末だ。

 

(助けて、助けて!!)

 

ハリーは逃げ惑いながら、作戦を考えてはいない。士堂ならともかく、ハリーには有効な手段など思いつくはずがなかった。バジリスクの尾を間一髪よけたとき、手に握った組み分け帽子が気になった。ダンブルドア先生は、なぜこれを渡してきたのか。この帽子に何の意味が?そう思うハリーが再び尾をよけたとき、偶然帽子が頭に乗った。

ハリーは物陰に隠れて、心から願った。

 

助けて!! このままじゃ僕もジニーも士堂も! 助けて!!)

 

その時帽子がキュッと縮み、頭上に重いものが降ってきた。目の前に星が見えるほどの衝撃に顔を顰めるが、バジリスクの攻撃が来て真横に転んだ。すると帽子から剣の柄が見える。

黒鍵とは違い、煌びやかな宝石に飾られた銀の剣だ。迷わず柄を引き抜くと、細長い大剣が出てきた。その剣でバジリスクの鱗を切ると、蛇は体をよじって苦しむ。が、有効打ではない。よじって振ってきた頭をよけるも、舌に触れてしまう。

獲物を見つけた大蛇は今までで一番大きい口を開けて、ハリーに襲い掛かった。ハリーは全体重を剣に乗せて、一思いに蛇の口蓋に突き立ててやった。バジリスクの生暖かい血が腕全体にかかるが、ハリーにはどうでもよかった。腕に毒牙が一本、深々と突き刺さっている。

剣と牙を思い切り引き抜くと、弱々しく声を上げて蛇は痙攣するだけだ。その場に座り込んだハリーの視界はかすみ始め、嫌に体が冷たくなっていく。遠くで何かを叫んでいる士堂が見えるが、もうはっきりとは分からない。傷ついた腕にフォークスが留まると、力ない言葉が漏れた。

 

「ありがとう、フォークス。僕、頑張った?」

 

もう靄にしか見えない視界の中で、ハリーは傷口にフォークスが頭を預けていることだけが分かった。向こうで叫んでいる士堂に、魔法が直撃する。リドルの高笑いが響き渡り、士堂がなんとか立ち上がるところが見えた…。

 

「…僕の勝ちだ! ヴォルデモートは新たな勝利者になった!」

「…ハリー、しっかりしろ! 死ぬなよ此畜生! ロンが待ってるんだぞ!」

 

…そうだ、ロンが待っている。今頃必死に石をどかして僕たちを…

ハッとハリーは気が付いた。いつの間にか視界は澄み渡り、悪寒どころか活力が湧いてきた。慌てて傷を見れば、フォークスが泣いている。綺麗な瞳から零れる雫が傷に滴る度に、醜くえぐれている肉がふさがっていった。

 

「…不死鳥の涙か。運がいい奴め。」

「…ハリー、無事か…」

「士堂!」

 

片膝をついて息を荒くする士堂に駆け寄ると、リドルが好戦的な目でハリーを挑発した。まるで決闘前かのようにお辞儀する彼に、杖を向けようと腰に手を置いた時だ。

フォークスが何かを落とした。ハリーの眼の前には、リドルの日記が落ちている。一瞬時が止まったように、皆の動きが静止した。次の瞬間ハリーはためらいなく、近くに在ったバジリスクの牙を日記に突き立てた。

 

「やめろぉぉぉぉ!!!」

「終わりだ、ヴォルデモート。いや、トム・リドル。」

 

『告げる』

 

リドルが魔法を放とうとすると、顔面に黒鍵が突き刺さった。それまで魔法で撃ち落としていた攻撃を、ハリーに意識を奪われたがために防げなかったのだ。ハリーは日記に牙を突き立てながら、士堂を見つめていた。

 

『私が殺す。 私が生かす。 私が傷つけ私が癒す。 我が手を逃れうる者は一人もいない。 我が目の届かぬ者は一人もいない。

 

打ち砕かれよ。

敗れたもの、老いた者を私が招く。 私に委ね、私に学び、私に従え。

休息を。 唄を忘れず、祈りを忘れず、私を忘れず、私は軽く、あらゆる重みを忘れさせる。

装うことなかれ。

許しには報復を、信頼には裏切りを、希望には絶望を、光あるものには闇を、生あるものには暗い死を。

休息は私の手に。 貴方の罪に油を注ぎ印を記そう。

永遠の命は、死の中でこそ、与えられる。

────許しはここに 受肉した私が誓う。

 

    キリエ・エレイソン』

『────“この魂に憐れみを”』

 

初めて聞いた。隠れ穴の時聞いたフレーズとは違う、本当の洗礼詠唱。リドルの日記からどす黒いインクが流れ出ていき、黒鍵が青白く光る。この世のものとは思えない絶叫を発しながら、リドルは跡形もなく消え去った。もう日記からインクは零れず、焼けただれた大きな穴が開いているだけだ。

 

かすかなうめき声がして、ジニーが目を覚ました。ハリーが日記をもって近くに歩み寄ると、彼女はハリー達を見て泣き出してしまう。

 

「ごめんなさい、はりー。私、私、ずっと言わなきゃって。でも、でも言えなかったの。パーシーがいて、う、嘘じゃないリドルがやったの。」

「大丈夫、分かってるよ。」

「り、リドルが、わたし、何も覚えていないの、リドルが日記から出てきて…」

「もう大丈夫、リドルもバジリスクも倒した。さあ、帰ろう。」

 

震えるジニーを抱きしめながら、ハリーは士堂のもとに行く。士堂はジニーに力なく笑うと、また泣き出してしまった。ハリーは何も言わずに士堂の肩を担いで、出口に向かう。

なんとか雪崩付近につくと、ロンが向こう側から笑っていた。ロンは石を大量にどかして、人ひとり分は十分通れるほどにしていたのだ。

 

「ジニー! 生きていたのか!夢じゃないだろうな、大丈夫か!」

 

最初にジニーを抱きしめると、彼女は何も言わずに抱きしめ返すのみだ。それでも嬉しそうなロンは、力ない士堂を見て不安そうになる。

「士堂? 生きているよね、士堂!」

「…大丈夫だ。ただ力が入らなくて…」

「ロン、ロックハートは?」

 

肩にフォークスを載せたハリーが聞くと、ロンはトンネルからパイプへの道筋を、顎でしゃくった。見ればロックハートは、場違いにもおとなしく鼻歌を歌っている。

彼は記憶を失った。忘却呪文が逆噴射と暴走を起こしたのだ。ロンの杖が壊れていることを、先生たちはみな知っていた。ただ自業自得だから、何も言わなかっただけなのだ。もし彼が、少しでも真面目に授業をしていたら、ロンの杖は使わなかっただろう。

ハリーに質問する内容も口調もおかしいのを見ていると、哀れな気分になってくる。

問題はロックハートだけではなかった。

 

「僕たち、どうやって帰ろうか?」

 

 




戦闘終了。アトはエピローグを載せます


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生還

ハリー達はフォークスの尾羽に捕まって、戻った。まるで箒で飛んでいるかのような疾走感を味わうも、すぐに行かなくてはいけないところがあった。

 

「ジニー!」

 

マクゴナガル先生の部屋に向かうと、戸口を開けたとたんウィーズリー夫人がいたのだ。泣き崩れていた夫人が真っ先にジニーを抱きしめ、ウィーズリー氏も続いた。

その奥でダンブルドア校長がにっこり微笑み、マクゴナガル先生が大きく深呼吸をしている。ハリー達を抱きしめた後、マクゴナガル先生が尋ねてきた。

 

「ポッター、教えてもらいましょう。今夜の出来事全て。」

 

ハリーは一部始終を語る。それこそ最初は声なき声を聴いた時からだ。大人は皆黙って話に耳を傾けている。何度も生唾を呑み込みながら、順番に話すが厄介な点があった。

ジニーのことだ。彼女は純血だから、襲われる理由を知りたがるのはわかっていた。

 

「ハリー、わしはな。ヴォルデモート卿がどうやってジニーに魔法をかけたか、それが知りたい。わしが知る限り、ヴォルデモートはアルバニアの森に隠れているはずじゃが。」

「ジニーが? なぜです、なぜ…」

「日記です。リドルが16歳の時書いた物です。」

 

ハリーはまるでパイプをくだったあと、フォークスが上に運んでくれたかのような気分になった。それとなく助け舟を出してくれた校長の配慮が嬉しかった。ダンブルドアがヴォルデモートの過去・トムリドルの頃の話をしてくれる。

 

「それは良い、問題は何故ジニーがヴォルデモートの日記なんかを…」

「私、その日記に色々書いていたのよ。学校生活のこととか悩み事を」

「ジニー! 冗談はよせ、あれ程強くいったのを分かっていないのか?()()()()()()()()()()()()()()()信じちゃ駄目だとキツくいったはずだ。訳の分からない魔法具で溢れる今、身を守る術だと教えたじゃないか?!」

「ごめんなさい、でもママの用意した教科書の中に紛れていたから…」

「やはりのう。」

 

長い白髭を撫でながらダンブルドアは何度も頷いた。ジニーやロンの顔から見る見る血の気が引いていく。ハリーは過去自分のやってきた事を思い返していた。

 

「私、私退学なの? ヴォルデモートなんかの計画に加わっちゃって。」

「そんな、駄目、駄目だ!そんなの駄目だ…」

「ふむ、過去わしはこういった。次何か規則違反があった場合は退学と。覚えているなハリー。」

 

ハリーの口がパクパク動く。いつかの校長室で言われたフレーズに、恐怖が湧き上がってきた。毒蛇の毒を喰らった時と似た、視界の滲みを感じ始めたハリーだった。

 

「前言撤回じゃの。ハリー、ロン、士堂にはホグワーツ特別功労賞を与える。追加得点で1人につき、200点もな。」

 

一気にロンの顔が、薔薇が咲いたかのように明るくなった。ニコニコ微笑むダンブルドアはウィーズリー夫妻を見る。

 

「ウィーズリー君。ジニーは巻き込まれたのじゃな。恐らく何らかのタイミングでリドルの日記を、彼女の教科書の中に紛れ込ませた輩がある。それにリドルに魅了されたのは、熟練の魔術師もいたのじゃ。子供を責めるのは筋違いじゃろうて。

ジニーは医務室に行きなさい。ホットココアを飲めば、気分も落ち着くじゃろう。わしのお墨付きじゃ。ロンはジニーに付き添ってあげなさい。

士堂、君も医務室へ。そのままでは君は死んでしまう。」

 

全員が黙り込む士堂を見た時だ。士堂のローブから血が滴っている事に皆が気づく。彼が青白かったのは不安からではない、血が抜けていたのだ。だが彼は掠れた声で拒否した。

 

「…大丈夫です…」

「士堂、死んじゃ駄目だよ!」

「そうだよ早く行こう! 血が!」

「…校長に…どうしても…」

「分かった。ではウィーズリー家は医務室へ。マクゴナガル、大広間で盛大に祝う準備をしておいてくれ。今日は良いじゃろう。」

「ええ、勿論です。  士堂、ちゃんと医務室へ行きなさい。」

「後はロックハート。君は?」

「ん? あなたはずいぶん歳をいってますな。サンタクロースみたいだ、はは!」

 

ロックハートの現状を伝えると、皆悲しそうになる。彼は憎くはあったが芯からの悪人ではなかった。彼も医務室で治療を受けることになる。そしてウィーズリー家と共に医務室に行くロックハートの笑顔と、何か言いたがなロンの顔が見えなくなった。

ダンブルドアは彼らを見送ってから、微動だりしない士堂の胸から腹のあたりをじっと見分していく。

 

「大変じゃ。魔法使いではない魔術師、魔術使いはの。そう思わんかハリー。」

「先生、士堂はどうしたのですか?どうして?」

「まあ、大丈夫じゃけど。わしの手にかかれば。忙しいマダム・ポンフリーを助けても罰は当たるまい。」

 

杖を振って何かの瓶を出すと、ダンブルドアは中身を士堂の口に流し込んだ。無理やり飲まされる形だった士堂の目がカッと開く。

彼の腹から大量の破片がこぼれ落ち、床が銀色に見えた。声の出ないハリーに、ダンブルドアは飴を持ちながら説明した。

 

「それは黒鍵じゃ。正確には砕けた、と言える。砕けた破片が服を引き裂き皮膚にめり込んでおった。一個一個の出血は大したことはなくても放っておいたらあの量になる。」

「何を飲ませたんですか。破片が一杯落ちました。」

「ハリーはゴドリック・グリフィンドールを知っておるな。彼は剣を使って魔法を使役した魔法剣士じゃ。彼の時代はそれなりにいてな、彼らの剣での戦闘は凄まじいものじゃったそうな。

剣と剣がぶつかるとき、刃こぼれした破片が額や頬に突き刺さる。その破片を直ぐに取り除く為の薬じゃよ。今は虹色ハリネズミの癇癪で身体中トゲだらけになった人用じゃがな。」

「でも何でこんなに砕けたんですか?」

 

ハリーの疑問に、血の気の戻った士堂が答えた。校長から渡された飴を舐めながら、思い出すように目を閉じている。

 

「リドルの魔法を食らったとき、黒鍵が自動的に反応して身代わりになってくれた。お陰で魔法の効果では傷一つついてないんだけど。

こんなこと今まで無かったし教えられたこともなかった。ただただローブの中で破片が溜まっていってさ。ほら、大量に黒鍵を入れる為にちょっと袋みたいになってるだろ?そのせいで破片が中で食い込んできてな。」

「偶然の産物じゃろう。リドルの悪意ある魔法に反応した黒鍵が、展開した。魔法一つに黒鍵が左様、5、6本は身代わりになっておる。それを複数回受ければまあ、そうなるな。」

 

ダンブルドアは代わりの飴を手渡しながら、本題に切り込む。その目は強い危機感を覚えていた。

 

「何故、君がそこまで魔法を食らう。ジニーの魔力では大した速さの魔法は打てんはずしゃが。」

「彼は古代ルーン、恐らく神代のものを使いこなせます。ジニーの少ない魔力でルーンを描き、それを六角形に配置することで魔力を生成、魔法を使っていました。俺が一刻も伝えた方がいいと思ったのはこれです。」

 

飴を受け取りながら報告した士堂を、ダンブルドアは何とも言えない顔で見ていた。その目は彼ではなく別の人物を投影しているようだ。

 

「リドルはホグワーツ有数ではない。史上最高の天才じゃ。16歳で魂を変哲もない本に閉じ込めるだけでなく、古代ルーンの中の神髄まで復活させてあったとは。少々、見くびりすぎていたかもしれん。」

「古代?神代?」

「ハリーは来年度からかの。古代ルーンは文字を刻むだけで効果を発揮する、優れた魔法じゃ。その起源はケルト神話の神々が使っていたものじゃが、今の古代ルーンはそれの複製でな。本当の古代ルーンはとうの昔に歴史に埋れてもうた。」

「魔術世界では、復活しているんだよ。それを復活させた魔術師は爺さんの顔馴染みでね。その人が爺さんに残した論文や研究成果やらが家にあるんだ。なんでも分かったからもういらない、とさ。こっちではまだ分かっていないと聞いていたんだが。」

 

 

ダンブルドアは2人の肩に手を置きため息をつく。憂を帯びた表情で考えを伝えた。

 

「ハリーは分かったかの。ヴォルデモートはお主が考えているよりずっと強大じゃ。彼の全盛の時ホグワーツが無事だったのは、創設者達から積み重ねられた護りがあったからじゃ。わしの力は微々たるもの。」

「そんなことはないでしょう! 先生はこの世で一番…」

「ハリー。嬉しいがこれだけは伝えよう。魔法は不可能すら可能に変える力を持っておる。だがそれに溺れれば、全てを失うじゃろう。決して魔法に頼りすぎてはならん。」

「先生…」

「ならばこそ、ホグワーツは存在する。互いに足りないものを補うことができれば、それは魔法を超えた奇跡じゃ。ホグワーツの創設者から続く護りの要じゃよ。」

 

腑に落ちないハリーを先生は責めなかった。まるでいつか分かると言わんばかりに。その時、雑なノックの後に来客がやってきた。

ルシウス・マルフォイはドビーを連れて、仏頂面のままダンブルドアと相対する。

 

「おお、ルシウス。よくぞ来てくれた。この少年達が全てを解決してくれた。老いぼれも無用だったよ。」

「それは、それは。全く素晴らしい、ことですな。」

「どうした、ルシウス。表情が固いじゃないか。もっと喜びたまえ。」

 

ハリーはドビーがルシウスを指差したあと、日記を指差してから自分の頭を殴る様をじっと見ていた。士堂は飴を舐めながら、ルシウスの杖を持つ手の震えを観察している。

 

「ところでルシウス、風の噂じゃがの。わしがここに戻って来れたのは理事会からの要請があったからじゃ。その時理事から興味深い話を聞いた。

ある理事から更迭に賛成しないと、家系そのものに呪いをかけてやると脅されたというのじゃ。その数は半数を超えており、その脅しがなかったらわしの更迭はなかったらしいの。」

「興味深い、話ですな。」.

「またな、今回の主犯はジニー・ウィーズリーじゃった。知っておろう、アーサーの娘じゃ。可哀想に、あのヴォルデモートの魂に操られて事件を起こしたそうじゃ。ここにその証拠がある。」.

「ほう…」

「彼女は母から貰った教科書類の中に入っていたと言っておる。だがそれは有り得ん。では誰が入れたのか。

もしもじゃ。マグル保護法の制定に携わるアーサーの娘が、マグルを襲ったとしたら。マグル保護法に賛同するか迷いかねている人達を含めて大多数が、制定に反対するじゃろう。そうすると得する、或いは好ましい人物が意図的に日記を忍ばせたと考えられんかね。」

「そうですか。それは大変なことで。」

 

何とか平静を保つルシウスの頬は、ビクビクと痙攣している。その顔を見たハリーは、日記を彼に手渡した。

 

「どうぞ、マルフォイさん。これはあなたのものでしょう。」

「何? 何故それが私の物だと?」

「ジニーの教科書に紛れ込ませることは、あなたにしかできない。あの本屋での喧嘩の時ジニーに教科書を渡しましたね。その時バケツに忍ばせた、違いますか?」

「証拠は、あるのかね?」

「いいえ。でもさっきから日記が気になっていたようですので。」

 

苛立ったように日記を受け取るとドビーに投げ渡した。さっと戸口に向かう彼の耳は、真っ赤に染め上がっている。ドビーは渡された日記をおずおずと開いていた。

 

「何をしている?早く来い!」

「ご主人様が…ご主人様が衣服を下さった!ドビーは自由だ!」

「小僧、小癪な真似をしおって!!」

日記には靴下が挟まれていた。小さくハリーが舌を出して笑う。

赤鬼のようなルシウスが杖をハリーに向けて呪文を放とうとすると、ドビーが打ち消した。指パッチンをするとルシウスの体は5メートルは吹っ飛んだだろう。誰もいない廊下に叩きつけられた彼は、絵本の中の悪役顔負けの顔で睨んでいる。

 

「もしハリー・ポッターに手出ししたら命は無い!」

「…許さん。いつかこの借りと屈辱、晴らしてくれるわ!」

 

ズンズンと大股で去るルシウスを見送ることなく、ドビーはハリー日記別れを告げた。士堂ががりっと飴を齧りながら無造作な拍手を贈る。

 

「よく気づいたなハリー。相当意地が悪い誘導だったのに。」

「いいさ、なんたってホグワーツ特別功労賞だよ僕たち。」

「ほっほっほっほ。なんのことか老人は察しが悪くて叶わん。

では体を休めなさい。今日の夜はちょっと違うわい。」

 

 

ハリーと士堂はマダム・ポンフリーから薬を貰って部屋に戻る。談話室にも寝室にも誰もいなかったが、2人は薬を飲んだ後倒れるように眠りについた。2人が目が覚めると日はとっぷりと暮れている。ベッドの上でロンも目を擦っているではないか。

 

「僕君達ほどじゃないけど頑張ったんだ。寝させてくれてもいいじゃないか。」

「何も言ってないよ。」

 

そのままお風呂に3人で入り、パジャマに着替える。丁度着替え終わったタイミングで、拡声器で大広間に呼び出された。

3人が大広間に向かうと、割れんばかりの拍手と歓声が聞こえてくる。それはリドルのゾッとする笑いとは違う暖かい拍手だ。席に座る間拍手をしていると、ハーマイオニーが席を空けて待っていた。

 

「ハーマイオニー、元気になったんだ!」

「やったわね。3人がやったのね!」

「ハーマイオニーのメモがなかったら、どうにもならなかったよ。」

「まあMVPはハーマイオニーだな。」

 

彼女とハグをしてから席に座ると、校長の祝辞が始まる。その中でホグワーツ特別功労賞の贈呈と特別加点が発表され、2年連続のグリフィンドールの優勝が決まった。

クリスマスとハロウィンと新学期に終業式。ホグワーツのイベント毎の限定の品々が所狭しにテーブルに並んでいる。例えばケーキでも、イチゴやパンプキンにマロンと何種類も揃っていた。皆がご馳走を腹に収めていくと、ハリーはジャスティンの謝罪に苦笑いしていた。士堂がチキンフィレとポークジンジャーを交互に口に運んでいると、肩をつつかれる。

 

「ヤッホー。やっぱり帰ってきたね。」

「…ニーナか。こっち来ていいのか?」

「ン、皆席移動してるもん。気にしないの。」

 

辺りはなし崩し的に無礼講の雰囲気だ。寮関係なく行き来しながら、騒ぎまわっている。先生達は何も言わずに、嬉しそうにワインを口にしているだけだ。

 

「士堂は強いんだネ。幽霊倒したんでしょ?」

「まあ幽霊じゃないんだけど。話すとややこしくて長いんだよこれが…」

「そういえば私何も知らないの。詳しく聞かせてちょうだい。」

 

ハーマイオニーが身を乗り出すと、隣にいたシェーマスとディーンも参加してきた。次々に他の生徒達もヤンのヤンのと言ってくる。

 

「そうだ、何があったか教えてくれ!」

「ドラゴンを倒したらしいな?」

「壁を埋め尽くす蜘蛛を召喚したって本当?」

「士堂は石を投げつけるらしいな、僕本当だって言ってかけちゃったんだ。本当だよな?」

 

士堂の周りは生徒で一杯だ。ハリーとロンもご馳走を片手に、経緯を話しているように伺える。彼も友人達に習って最初から話し始めた。

英雄譚に会場がどっと湧くが、最高潮はマクゴナガル先生のサプライズ発表だった。わざわざ鈴を鳴らしてまでの告知とは、今学期の期末試験の特別免除だ。一斉に帽子が宙に舞い、あちこちで踊り狂う人が続出する。

そんな中で面白くなさそうなのは、マルフォイとその取り巻き。そして。

 

「そんな、せっかく勉強してきたのにそんなのって無いわ!」

 

 

楽しかった晩餐会から帰省まであっという間だ。ホグワーツ特急のコパーメントを、パーシー以外のウィーズリー兄弟と4人で占拠して遊び惚ける。爆発ゲームに一区切りついた頃、ロンが思い出したかのようにジニーに尋ねた。

 

「そういやさ、ジニーが話してくれそうだった時あったろ。なんでパーシーは止めたんだ?あの時はジニーの行動なんて分かってないはずじゃ無いか。」

「ああ、それ?」

 

持っていた冷製カボチャジュースを飲みながら、ジニーは真相を語った。

 

「パーシー恋人いるの。レイブンクローの監督生の女の子。今回被害者だった。」

「えっ。:」

 

フレッドが手に持っていた本を、ジョージの頭に落としてしまう。ジョージは怒ることなく妹を眺めるだけだ。ジニーはコパーメント中の視線を受けて、恥ずかしそうに補足していく。

 

「パーシー、学校に来る前から文通をずっとしていたの。授業が始まってからも人目を忍んで会っていたらしいんだ。私がそれを偶々見ちゃって、キスしてるとこ。口止めされたから言わなかったんだけど、気が気でなかったみたい。だから石になった時あんなに落ち込んでいたのよ。」

「あのパーシーがねぇ。」

「朴念仁に春来たる。こりゃ畑の作物が豊作になるぞ!」

「ねぇ揶揄うのはやめてあげてよね。」

「「もちのロンさ。」」

 

双子の信用できない返事に苦笑しながら士堂は外を眺めていた。するとハリーが羊皮紙になにかを書き殴ってロンとハーマイオニーにも渡してくる。

 

「これ、うちの電話番号。頼む、せめて電話でもしてくれないと気が狂いそうなんだ。」

「いいけど。今回のあなたの活躍で、少しは待遇をマシにしてくれるんじゃ無いの?」

「まさか。蛇に襲われたなんて言ったら、そのまま噛まれていればよかったなんて言うに決まってる。ねえ、電話してくれるよね。」

「するよ。約束する。」

「ハリー、心配するな。パパが気電を引いて話電を使えるようにするって、いってたんだ。」

 

ロンは多分無理だろう。ロン以外がそう思っていると、列車は駅に近づいていた。各々荷物を持ってフォームに降りると、家族のもとに帰る。

 

「祖母さんただいま。」

「おかえり。また大変でしたね。ウィーズリー家に偉く感謝されましたよ。」

「まあ、だろうね。」

「積もる話は家でしましょう。何が食べたいですか?」

「カレーかな。」

「作ってあります。今日はトンカツとスクランブルエッグも用意してありますよ。」

 




やっと秘密の部屋終了。申し訳ありませんが、次のアズカバンはまた日数が開くことになります。それまでは過去の小説の手直しなどをするぐらいです。
それでは次の作品までまた。


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アズカバンの囚人編
家出


ホグワーツの学期休みは、大体の生徒にとって天国だ。マグルだろうと魔法使いだろうと、勉強について考えずに済むというのは嬉しい。

だが学年が上がるにつれ、先生達からの宿題という名の呪いは強大になっていくものだ。

その呪いも、頼れる友次第だが。

 

「士堂。宿題はどうだい、区切りはついたかね。」

「もう終わった。本当、頼るべきは賢者って感じ。」

 

イギリスよりも緯度が低いからか、肌に触れる風は何処か温い。匂ってくる青草の香りは、心の疲れを掻き消してくれる。ロッキングチェアに深く腰掛けながら、安倍一家はフランスを満喫していた。

ベランダの外に広がる景色を眺める彼らに、背後から男性が話しかけてきた。

 

「如何ですか? フランスは中々来ないそうですが、来てみると快適でしょう?」

「ええ、ミスター・グレンジャー。誘ってもらわなくては、怖くて来れませんでしたな。楽しませてもらってます。」

「私達も同じでしてね、以前一度来ただけでしたから。旅に行くことに慣れませんと、そうなりますよ。」

 

眼鏡をかけた中年男性ーグレンジャー氏は微笑みながら、二つのシャンパングラスをテーブルに置く。その後ろにグレンジャー夫人と道子が、談笑していた。彼女達の腕には、バスケットに入ったシャンパンが2本飾られている。

意図を察した士堂が席から立つと、部屋の奥の廊下から若い女性の声が聞こえてきた。

 

「士堂? ちょっとこっちこっち、面白いもの見つけたわ…」

「はいはい。じゃあグレンジャーさん。僕はちょっと。」

「勿論。娘を頼みますよ、士堂君。私達大人も大人なりに、遊ばせてもらうからね。」

 

士堂はグレンジャー夫人に頭を下げてから、屋内の階段を駆け上がった。階段から二階に上がった先の、大きな部屋の扉が空いている。部屋の大ベッドでは、ハーマイオニーが大量の本を広げて、メモを取っていた。

 

「ハーマイオニー、冗談はよしてくれ。せっかく旅に来たのに、勉強だなんて馬鹿げている。というよりその本の量はちょっとした研究もんだぞ。」

「しょうがないわ、あるんだもの。ブリターニュ地方にバスク地方の魔法史を加えてたら、ビンズ先生のレポートを2枚オーバーしちゃったのよ。」

「マジかよオイ。ロンが頭抱えているぜ全く…」

 

魔法史のレポートは、退屈な歴史をまとめる典型的な宿題だ。大抵の生徒は羊皮紙に書く文字の大きさを大きくしたり、無駄な情報で傘増しして提出するのが普通だ。

それを目の前の賢者は、限りなく小さな文字を隙間なく埋めて尚、文字数がオーバーしたと言っている。成績優秀なパーシー・ウィーズリーもこんな感じで宿題をこなしているのだろう。ウィーズリー兄妹のからかいが収まらないわけが、初めて理解できる気がした。

 

「あなたも追加したら? 魔法図書館で熱心に本を読み漁っていたじゃないの。」

「それは単に自己防衛の為さ。これまでの経験から見ても、知識があった方がいいのは体で覚えたしね。」

「それを言われちゃったらね… そうだ、ロンからの手紙見た?ハリーへの電話失敗したらしいって。」

「見たよ。エジプトに行ったのもロンの杖が新調したのも読んだし、パーシーが有頂天なのも分かった。」

 

ウィーズリー家は今、エジプト観光に出掛けている筈だ。高額の宝くじが当たったおかげで、家族水入らずの旅行を楽しんでいるらしい。

そんな士堂達の友人のロンは、観光前に一つのミスを犯した。ハリーの電話番号を教えてもらった彼は、魔法嫌いの家に電話をかけた。かけることは良いのだが、問題は最初の言葉だ。

 

「あー、きこえるー、僕! はりー、僕だ! ハリー?!」

「誰だね、君は?」

「僕、ロン、ロン・ウィーズリー! ホグワーツーホグワーツでのハリーの友達!」

 

結果はハリーの監禁に終わった。ロンは自分のミスで、ハリーが孤独に苛まれている事に、多少落ち込んでいた。後でマグルに興味を持つ父から、注意を受けたことも効いたらしい。

 

「どっちかというと、ハリーの親の問題だろうよ。」

「そうよね、でも何であんなに変な人たちの元に、ハリーは預けられたのかしら。もっと理解のある人はいたでしょう?」

 

それは、恐らくハリーがずっと抱いている疑問だった。だが士堂がその答えを持っている訳でも、手掛かりを掴んでいるわけではないのだ。ハーマイオニーも直ぐに諦めて、ブリターニュ産バタークッキーを口に運んだ。

 

「パパ達は何の話をしているのかしら?」

 

その頃大人達は、シャンパンやワインを飲みながら優雅に寛いでいた。

 

「ハハハ、ミスター・グレンジャー。このシャンパンは、口当たりが軽くて飲みやすいですな。手が止まりませぬ。」

「学生時代の友人がワイン畑を持っていまして。彼に選んでもらいましたから、味の保証は確かですよ。」

「本当に美味しいですよ。シャンパンにこのフレンチ・フライがまた合いますな。小指ほどの大きさで、いいおつまみですよ。」

「子供っぽいと言われがちですが、ちゃんとしたところのフレンチ・フライは大人の味がするものです。」

 

ベランダのテーブルと室内の大テーブルで、各々グラスを傾けている。室内ではミス・グレンジャーと道子が子供の成長具合について、語り合っていた。

上機嫌でグラスを空にした士柳に、シャンパンを注ぎながらミスター・グレンジャーが話を振ってくる。その表情は、旅先だというのに少しばかり曇っているように伺える。

 

「実はですね。ミスター士柳、こうした場で話すことではないかもしれない。」

「私、そういった雰囲気を心得る礼儀が些か欠けておりましてな。」

「…まあ、そういって頂けるとこちらとしても有り難いです。」

 

椅子をグッと近づけて、夫人達の耳に入るか入らないかの声量で、彼は本題に入っていった。

 

「ホグワーツについてお伺いしたい。正直言って、ハーマイオニーをこのまま通わせる事に疑問がありまして。」

「詳しく聞きましょう。」

「ご存知の通しでしょうが、あの娘は2年間危険に晒されています。一年の時は友人を救う為でした。これはいいのです。問題は…」

「石化していた。寧ろそれは運が良く、本来ならこの世には居なかった。」

「そうです。いくら何でもこんなにも命の危機に晒されるとは、想像を超えています。私は、どうしたらいいのでしょう?つまりあの子をこのまま…」

 

分かっているとばかりに、士柳は話をやめさせた。暫しの間、手元のシャンパングラスを緩やかに回す。

その後シャンパンを口に含んでから、士柳はグレンジャー氏の手を軽く握った。そしてゆっくりと自らの考えを、言葉を選ぶように述べた。

 

「私の予想ですがね、貴方の娘さんは今後も危機に苛まれますよ。」

「そんな、またあの子に危険が?!」

「それは間違いない。何せ彼女の親友はあのハリー・ポッターです。何かしらの危機は常に降りかかりましょう。当然、近くにいる友人にも。」

 

顔を覆いながら、グレンジャー氏は溜息をつく。賢明な医者である彼のことだ。当然頭の片隅にあった憶測だっただろう。我が子を案ずる父の姿に、同じ経験をした立場で士柳は話し続ける。

 

「私に貴方の決断を止める理由はありません。無論、ダンブルドアにもです。貴方の心配は当然だと、ホグワーツは考えているでしょう。」

「そこなんです。何故ホグワーツはこんなにも危ないのでしょう?ハリー君や士堂君にも、あそこまで危険が襲うのに平然としているように思えるのです。」

「でしょうな。ですが少々訂正が必要かと思われます。

まずホグワーツは平然とはしておりません。今年の教師 ー例の闇の魔術のに対する防衛術の教師ですなー 信頼できる人物を迎えたと、校長より手紙が届きましたから。最善の努力は尽くすようですぞ。

そして何故危機がここまで続くかと言えば、グレンジャー氏。娘さんの友達が関係している。」

「というと?」

「グレンジャー氏、貴方は御友人に世界を救った英雄はおられますか?」

 

話の流れから外れたような質問だったから、グレンジャー氏は面食らった。しかし直ぐに記憶の海を彷徨い始める。だが、これといった回答が浮ばない。

 

「残念ながらハーマイオニー君は今後も危険です。

彼女の友人、ハリー・ポッターの魔法界での重要性を例えるなら、ヒトラーとムッソリーニの暗殺に成功した英雄です。彼の功績で、魔法界は暗黒の時代から、平和な今に至りました。

その友人になった以上、ネオナチのような魔法界の危険団体から狙われるのは避けられんでしょう。」

「ああ…」

「その危機から身を守るには、残念ながらホグワーツが適しているのは間違いない。現在考えられる最高の魔法使い、ダンブルドアの足下では、彼らも表立った活動はできないからです。

成人するまでの間は、彼女はそうした連中からは守れます。」

 

グレンジャー氏は微かに頷きながら、シャンパンを飲み干した。その手が微かに震えていることも、顔中に滲む脂汗も指摘するほど士柳は野暮ではない。

グレンジャー氏が落ち着きを取り戻したタイミングで、士柳がシャンパンを注ぎ返すと、彼は軽く礼をいう。

 

「ありがとうございます… そうですか。そう言われると、ホグワーツに行かせておくのが良さそうですね。まさかネオナチの例えが出るとは…」

「あくまでもわしの考えです。心配なさる中での決断は、止めはしません。何度も言いますが、本来その方が正しいと言えるのです。我らマグルにとっての、と付け加えさせて頂きますが。」

「いえ、話を聞いて決心しました。あの子の未来の為には、ホグワーツで学んでもらうのが良さそうです。」

 

そういうと士柳の目を見つめながら、思いを口にし始めた。

 

「あの子はどうも賢すぎましてね。ホグワーツに入る前も、あまり交友関係は広くはなかったのです。あの年頃の子供達は、頭でっかちは嫌いますからね。

それがホグワーツに行ってから、次々に友人の話が聞けるようになりました。その中でもハリー君、ロン君、言わずもがなで士堂君。私は嬉しかった。」

「そうでしょうとも。」

「ですから何度あの子を引き離そうと考えても、本当に幸せなのか疑問になりまして。こうして事情を把握しておられる貴方に、こんな場所と場面であることを無視してでも、話を聞いた訳なんです。やはり、聞いてよかった。

暫くはあの娘を見守る事にします。」

「それは大変辛い決断ですぞ。一筋縄では行きません。

しかしその決断、大変勇気ある行動だ。この老人、微力ながらお手伝いしましょう。」

「ええ、お願いします。どうかあの娘を…」

 

硬く手を取り合って、2人の男は意思を確認しあう。

そのタイミングで子供達が、2階から降りてきた。手に何冊もの本を抱えた士堂に、室内にいたグレンジャー夫人が、驚きの目で彼を見ていた。

 

「まあまあ、士堂君。その本の山はもしかしてうちのハーマイオニーの?」

「まあ、そうなります。」

「あの子はまたもう、こんな旅で。ハーマイオニー、折角の旅なんですよ。」

「ママ、分かっているわ。でもちょっと教科書に書いてあることに疑問があるの。魔法史の教科書に書いてある記述と、地元に伝わる古書とで解釈の部分で無視できない矛盾が生じているわ。

これから近くの本屋で、詳しい資料を探してみる。」

 

呆れる母親のことなど目に入っていないらしい。玄関から駆けていくハーマイオニーを、慌てて士堂が追いかけた。古書を片手に街に消える娘と、本を落とさないように腰を落としながら走る少年の姿を見て、グレンジャー氏は苦笑する。

 

「やはり、あの子はホグワーツに行かせた方がいい。知識欲旺盛な娘と、お宅のお孫さんは仲良くしてもらえますかね?」

「当然ですよ。それに彼女を守るホグワーツは、非常識を真剣に学ぶ学舎です。彼女は逞しく成長しますよ。」

 

争いに否応なく娘が巻き込まれる、親の不安をある程度解消できた。老ぼれにできる数少ない人助けだと、人知れずほくそ笑む士柳。

そんな彼の心境を知ってか知らぬか、魔法界の瓦版的な役割を果たす、フクロウ便が届ける日刊預言者新聞が、部屋の片隅に落ちてきた。

 

フランス旅行の途中で、子供2人の下をフクロウが訪ねてきた。ハリーのペット・ヘドウィグは、ハリーの誕生日の数日前に唐突に舞い降りたのだ。主人の誕生日を祝いたいという、ペットなりの親孝行か。

そこで2人は相談して、フクロウ便のギフトセットから箒関連のグッズを送った。チョイスはハーマイオニー、費用は士堂持ちだ。ハリーの元に無事に届くように願いながら、学期前に会う日を待つ事にする。

 

楽しい旅はあっという間に終わりの時を迎えた。ハーマイオニーの肌は小麦色に焼け、士堂も若干頬や額にニキビが目立つようになってきている。

グレンジャー氏の運転する車でフランス中を回る旅の終着点は、無論イギリスだ。ハリーとロンに列車に乗る前に合流する約束だから、まずダイアゴン横丁に行く必要がある。学校に必要な荷物を固めて、両親と別れの挨拶をする時、士堂は違和感を感じていた。

 

「士堂、くれぐれも気をつけたまえ。何があるか、分からないのだ。何かあると思って行動するように。」

「分かってるよ、嫌に慎重だな。」

「何を言っている、あのシリウスブラックが脱獄したのだ。そんな悠長にだな…」

「知っているよ、預言者新聞の一面を1週間は独占だ。でも脱獄犯になんか気をつける必要があるか?」

「当然だ、脱獄犯はいついかなる時も用心せねばならん。特にこのシリウス・ブラックは。」

 

預言者新聞の一面で、舌を出して挑発してくる写真のシリウスの頭を、何度も叩いている。こんな祖父は初めて見た。苛立ちを我慢できないクレーマーのように、余裕がない。

何かおかしいと思いながら、ハーマイオニーと連れ立ってダイアゴン横丁に入る。杖で煉瓦の壁を叩いた先は新学期前ということもあり、人で溢れかえっていた。

荷物を抱えた人をなんとかくぐり抜けながら、2人はなんとかグリンゴッツ銀行の白い大理石の階段を見つける。

 

「おーい、こっちだ!おーい!」

 

階段の反対側に、ウィーズリー一家が固まっていた。先頭で、そばかすが増えたロンが大きく手を振っている。他の兄妹も手をあげてくれるが、パーシーだけが仏頂面で2人を見ていた。

 

「はい、ロン! 見ないうちに背が伸びたんじゃなくて?」

「こっちのセリフだよ、そんなに日焼けしちゃって! そうだ見てよこれ! 新しい杖だよ!」

 

新品の杖を嬉しそうに振るロンを、ハーマイオニーが腹を抱えて笑っている。隣でジニーや双子と挨拶をしていた士堂は、横から伸びてきた手に驚いた。

 

「久しぶりだな、ミスター士堂。大変健康的におられるようで、自分としても恐悦至極の心境だ。」

「何言ってるんだ?」

 

中世の時代、初対面の上司に言うような、無駄に堅い口調だ。最早不気味とも思えるパーシーだが、双子が無言で指差す場所に答えがあった。

胸に輝く首席バッジは、パーシーの優等生街道を確固たるものにしたようだ。双子がやいのやいのとからかおうが、眉一つ動かさない。直ぐそばで、ハーマイオニーとジニーが肌に関する女性トークで盛り上がる中、ロンが話しかけてきた。

 

「ハリーと一緒だと思ったんだけど… 身長伸びた?」

「数センチぐらい。ロン、電話の使い方教えておいた方がよかったな。」

「うん、ごめん。吠えメールみたいなものかなって思ったんだよね。ハリーは電話で怒られていたこともあるって言ってたろ?」

「それはハリーだけなんだよなぁ。こっちも気づくべきだったかなぁ。」

 

魔法使いとマグルの違いには、一体いつになったら慣れるのだろう。答えの出ない問いだとしても、やはり考えてしまうものだ。

アーサー氏がハリーが漏れ鍋にいるという情報を持って、彼等らに駆け寄ってきたのはそんな時だ。士堂はてっきり祖父達同様、帰宅していたとばかり思っていたから、野太い声に一瞬ヒヤッとしたものだ。そのことを告げると、アーサー氏の視線がぐるりぐるりと廻る。

 

「まー、いやー、そのなんだね。そう、仕事だ! 魔法省から頼まれた仕事が。いや急にだね、キングス・クロスの駅で待ち合わせることになったもんだから。

さー、行こう行こう!」

 

ここでも怪しい言動を見せる大人がいた。士堂は頭を傾げるばかりなのだが、大人達は答えを教えようとしない。

自分に関係のないことなのか、いやでは祖父の忠告はなんなのか? 堂々巡りしかねない、難解な問題を彼は投げつけられた気分だった。しかしウィーズリー兄弟はそんなことは考えてもいないし、ハーマイオニーも一緒だ。ハリーを探しにもう一回漏れ鍋に向かう道中で、士堂はその難題を頭の片隅に追いやっていた。

 

 

結局ハリーと会うのには、休みの最終日を待たざるを得なかった。あっちにいると思えばハリーが移動し、ハリーが追いかけてきたときには此方が移動している。

行き違いを繰り返す中で、やっとこさフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラス席でハリーを発見した時は、ちょっとした大騒ぎだった。

そして対面した友人を見た士堂は、溌剌とした笑顔で近寄る彼に対して、なんとも言えない表情で出迎えてしまう。

 

「なんというか、うーん。」

「何さ、士堂。僕の何が変なの? 何か言いたいことがあるならはっきり言ってくれよ。僕たち友達だろう。こうして久しぶりに会ったのに。なんだってそんなに変な顔してるんだい?」

「変ではないんだけど、変だな。こう言うしか無い。」

「なんだよ、訳わからない。せっかく会えたんだから、なんだって言ってくれよ。僕頭おかしくなりそうだったんだよ。」

「つまり、あなたが痩せこけて見えるけど、血色がいいもんだから変な印象だってことよ。」

 

聞けばハリーは案の定、ロクな食べ物を与えられずに休暇を過ごしていた。その休暇に訪れた親戚に両親を侮辱されたから、癇癪が爆発してしまったらしい。親戚に魔法をかけて、学校用具を一式持ったまま家出したそうだ。

幸い杖を使っていない不安定な魔法だったことから、ハリーはお咎めなしの判定を受けた。その代わりダイアゴン横丁に留まるよう言われたが、その間に栄養を休暇分まとめて取り込んだと見える。

その結果が、痩せかけた顎と赤みがさす頬という、アンバランスな顔つきに表れたわけだ。そのことを指摘するのを躊躇った士堂なのだが、案外ハリーは気にしていない。ハーマイオニーの解説を聞いて、さもあらんとばかりに頷いていたから。

士堂の背後からひょっこり顔を出したロンは、どこかしょげた面持ちでハリーを出迎える。

 

「ハリー、本当にごめんよ。僕の話電のせいだ。君がそんな目に遭っているのに僕と言ったら…」

「よしてくれ、ロン。君の責任じゃ無い。僕は君たち家族が楽しそうで、本当に嬉しかったんだ。後ロン、電話だよ。

そうだ、エジプトの話を聞かせて。僕イギリスどころか家すら碌に出たことないから。ジニーも、ああ…」

 

久しぶりの友人との再会に心踊るハリーのマシンガントークも、呆気なく終わった。去年の事件の首謀者にして、最大の被害者。ジニー・ウィーズリーのハリーへの憧れは、益々大きくなったらしい。熟れた林檎以上に顔を真っ赤に染める彼女を見ては、ハリーも言葉を続けることができなかった。

それでも喋り足りないハリーは、ロンの新しい杖やハーマイオニーの目を見開く量の教科書について喋り回る。双子と挨拶してから堅物パーシーに驚く、までを猛スピードでこなしていった。

こうしてホグワーツでも有名な、あの4人が無事顔を揃えた。

 

士堂が薄々勘づいていた、胡散臭さが匂ってきたのはその日の夕食だった。アーサー氏が明日キングス・クロス駅には、魔法省の車で向かうと言ったのだ。この事はウィーズリー家も初耳だったようで、仏頂面のパーシーの両脇から双子がからかい始める。

 

「パーシー、やったじゃ無いか。君のために魔法省が車を手配して下すったぞ。」

「きっと『HB』の旗がひらめいているに違いない。

『首席』? ノンノン。『石頭』の『HB』だ!」

 

パーシーとウィーズリー夫人以外が、思わず吹き出ししてしまう。それでもハリー含め、何か裏で糸を操る影を考えなかったのは、もしかしたらパーシーだけかもしれない。

そして魔法省の車が手配された訳は、意外にもハリーが聞いた。夜、パーシーの首席バッジが紛失したと騒ぎになった。ついでにエジプト旅行以来体調の優れないロンのスキャバーズの、栄養ドリンクも。

皆で探す中、荷物をまとめ終わった士堂が上階の部屋を見て回った後のことだ。同室のハリーは階下に探りを入れに行った訳だが、帰ってくるなり興奮した面持ちで帰ってきた。

 

「おいおい、どうした? やけに興奮した顔してるけど…」

「士堂、その。…ううん、大丈夫。明日、また話すよ。絶対。」

「そうか。じゃあ、明日聞かせてくれ。」

 

その後2人並んでベッドに入る。士堂は眠りに落ちるまでの間、ハリーが何回も寝返りをうっていたことに、当然気が付いていた。

 

 

夜が明けた。ビンはベッドの下に、首席バッジは石頭バッジとして、無事発見された。だが恋人の写真に紅茶がついただのと不貞腐れるパーシーと、何故かスキャバーズに絡むハーマイオニーの新しいペット、クルックシャンクスに苛立つロンを士堂は宥めてばかりだ。

それにハリーの隣にウィーズリー氏がぴたりといるお陰で、ハリーの話を聞くタイミングは中々訪れない。そしてようやく腰を落ち着けて聞く体勢が出来たのは、ホグワーツ特急の中だった。

ロンとハーマイオニーを連れて、人が1人しかいないコンパートメントに乗りこむ。先客はつぎはぎだらけのローブを着た、病人の様な男だ。若いと思われるが、青白い顔に白髪が見える頭部では年齢以上の印象を受ける。

 

「僕ホグワーツ特急で、初めて大人を見たかも。ほら、売店のおばさん以外生徒しか乗らないじゃ無いか。」

「この人、誰だろう。見た感じ怪しすぎて、僕ちょっと心配。」

「ルーピン先生よ。ほら、タグに名前が入っているわ。」

 

声を顰めながら同乗者について話すロンに、ハーマイオニーが指を差しながら話した。彼の頭上に置かれた疲れ切った鞄にR・J・ルーピン教授と書かれている。

 

「何の先生だろう。なんか不安になるよ、僕…」

「まあ、今空いている教師の枠と考えれば。前年演芸会を楽しんだあの授業だろうよ。」

 

士堂の吐き捨てる様な予測に、3人の顔が曇った。前年のホグワーツを襲った事件において、闇の魔術に対する防衛術を担当した人物は忘れられない。無能と虚構を体現したと言える、彼の言動に4人は見事に振り回された。一昨年は事件の首謀者だったこともあり、件の授業は呪われているともっぱらの噂になっている。

 

 

「おいおい、それは不味いよ。よりによってあのシリウス・ブラックじゃないか!」

「なんてこと。シリウス・ブラックが脱獄したのはあなたを狙う為? ねえ、お願いハリー。もう面倒ごとには飛び込まないで、ねえ…」

 

ハリーから話を聞いた3人の反応はそれぞれだ。頭を抱え、不安に苛まれるロン。また身の危険に巻き込まれるハリーを心配するハーマイオニー。そして。

 

「そうか、それで祖父さんは僕に。なるほど。」

 

納得する士堂。ハリーが話してくれた話は要約するとこうなる。

 

①シリウス・ブラックが脱獄したのは、ハリー・ポッターの暗殺を目的としていると見られている。

②彼は何らかの手段を講じて、脱獄不可能と謳われたアズカバンから抜け出した。その事実は確かだ。

③魔法省は緊急策として、ハリーのホグワーツ特急までの身辺警護を、ウィーズリー氏に依頼していた。ホグワーツ側への対策として、アズカバンの看守を派遣している。

④その為、ハリーの魔法使用に対する処分を魔法大臣自ら行った。加えて何故かウィーズリー氏から、自分からシリウス・ブラックを探しに行くなと警告された。

 

恐らく祖父は、ハリーが聞いた話の概要を大まかにでも知っているのだ。それを元に、士堂にそれとなくハリーの事を任せたのだろう。

思い返して祖父とウィーズリー氏の挙動不審さが分かった。2人は隠していたのだ。事情を知らぬ者にバレぬ様、神出鬼没の脱獄犯の影を警戒しながら。

 

「大丈夫か、ハリー。僕心配だ。だってあのアズカバンを抜け出すなんて考えられない。パパがあそこだけは死んでも行きたく無い、って言う様な場所だよ。」

「でも捕まるわよ。そうでしょう、マグルまで総動員してシリウス・ブラックを追跡している訳だもの…」

「しかしなんだって、ハリーが脱獄犯を探さなきゃいけないんだ。そりゃトラブルに飛び込むのはハリーの癖だけど。」

「僕、トラブルに飛び込んでなんかいない! いつだって向こうが勝手に僕の方に来るだけだ!」

 

心外だと言わんばかりに声を荒げるハリー。その時ハリーが買った安物のスニーコスコープが鳴ったことから、3年生から行けるホグズミードの話になった。

 

「僕ホグズミードに行ったら、ハニーデュークスの店に行くんだ。何だってあるんだ、お菓子屋さ。

口から煙が出る激辛ペッパー、イチゴムースやクリームたっぷりの大粒のふっくらチョコレート。授業中なら舐めても怒られない、砂糖羽ペン。ほら、考え事している様に見えるだろう、羽をこう小さく舐めてれば。」

「マグルが1人もいない、イギリスでただ一つの村。『魔法の史跡』によれば、1612年の小鬼の反乱で拠点になった場所。イギリスで一番恐ろしい呪われた幽霊屋敷、『叫びの屋敷』が確認されている…」

「後巨大炭酸キャンディ! 食べたら数センチは床から浮かんだぜ!」

「その希少性の高い文化から、ホグワーツの上級生に限り、訪問が許可された。ここで魔法史研究や魔法具開発の手掛かりを掴んだ学者も多い…」

かたやお菓子のバリエーションを、かたや村の歴史と有名建築を。異なる視点で熱弁する2人に、ハリーは泣きそうな顔である事実を付け加えた。

 

「僕は行けない。バーノンおじさんから許可証を貰えなかった。魔法大臣に頼んでも、親代わりじゃ無いからだめだって。」

「そんな… そうだマクゴナガル先生に頼めば良い。」

「うーん…」

「じ、じゃぁ、フレッドとジョージに頼もう。あの2人なら秘密の隠し場所の一つや二つ、知ってる筈さ。」

「駄目だ、ロン。ハリーを狙う奴からしたら、人が少なくなるホグズミードは格好の的だ。さらに言えば、テンションが上がった人が多いから、少々変な音がしたとしても、誰も気に留めやしない。

そんなところにハリーを行かせるはずがないね。」

 

例え叔父から許可証を貰えたとて、シリウスの逮捕が確定されるまではハリーはホグワーツから一歩も外には出れまい。可哀想な事だが、危険度からすれば妥当だろう。

話がひと段落ついた時、コンパートメントのドアが乱暴に開けられた。

 

「これはこれは。ポッター、ポンティーのイカレポンチ。ウィーズリー、ウィーゼルのコソコソ君じゃぁないか!」

 

スリザリンのドラコ・マルフォイはいつものささら笑いのまま、ハリーとロンを詰る。相変わらず青白い顔のドラコの背後には、これまた無駄に体格の宜しいノロマなクラッブとゴイルが付き添っていた。

コンパートメントの中をジロジロと見ながら、ドラコはロンにちょっかいをかけてくる。

 

「おめでとう、君のご家庭にも小金が入ったそうじゃぁないか。まあ僕の父上はあの程度の金額、毎週でも稼がれているけれどね。

ショックでお母様が死んでいないといいが。吠えメールみたいに叫びながら、ねぇ?」

「マルフォイ、よくもペラペラと!」

 

ロンが勢いよく立ち上がったせいで、クルックシャンクスの籠が床に落ちてしまう。同時にルーピン先生が大きなイビキをかいた。

マルフォイはルーピン先生がいる事に気がつかなかったらしい。恐らく薄汚れた格好だから、自然と視界から消していたのか。

 

「そちらの人は… どうやら高貴なるホグワーツ特急に相応しくも似つかわしくもない、大層面白い風貌の方のようだが?」

「ルーピン先生。新しい防衛術の先生だ。」

 

マルフォイは自分の言った言葉が、瞬間違う意味を帯びかねないことに気がついた。よろける様に廊下に後ずさる彼に対し、ハリーが畳み掛ける。このままロンを放っておけば、マルフォイを殴りかねない。

 

「マルフォイ、なんて言った? あまり乱暴な言葉を吐くもんじゃない。」

 

マルフォイとて新任の先生の前で小競り合いを続けるほど、そこまで愚かではない。忌々しそうに唾を吐き捨ててから、隣の列車に乗り移って行った。ドアが閉まる音がしてから、小さく士堂が口笛を吹き、ハリーとロンが肘をぶつけ合う。そんな彼らを、呆れた様にハーマイオニーは見ているだけだった。




久々の投稿。やっとアズカバンの囚人編突入です。
何とか頑張ります。


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吸魂鬼との対面

ハリーがシリウスについて話している時から、外は俄かに曇りがちだった。ハリーの現状の様に薄暗く湿った天気は、今や本降りとなっている。列車の窓に大粒の雨が叩きつけては、ボタボタと音を立てる。

自然と薄暗くなる車内にランプが灯った頃。ホグワーツ特急の速度が緩やかに減速し始めた。

 

「やった。やっとこさホグワーツに着いたんだ、やれやれ。」

 

グッと身体を伸ばして欠伸をするロン。しかし急いで取り出した懐中時計と細長い紙を交互に見ながら、ハーマイオニーが被りを振った。

 

「いいえ、違う。まだホグワーツには着いていないはずよ。到着予定時刻はまだまだですもの。」

「じゃあどうして、」

 

止まろうとしているんだい。そう言おうとしたロンの言葉は、声にはならなかった。急にブレーキがかかり、皆前につんのめったのだ。戸棚から荷物が落ちて、周りのコンパートメントから悲鳴が聞こえてくる。ドアに近いハリーが咄嗟に廊下に出ると、不思議そうな表情の生徒が次々に顔を出してきた。

その時だ。それまで車内を照らしていた、ランプの火が突然消えた。

 

「きゃっ!」

「何だ?!」

 

車内はたちまち、不自然なほどの暗闇に落ちた。隣のコンパートメントどころか、隣の人の顔すら見えない。手探りで席に戻るハリーの裾を、誰かが引っ張ってきた。

 

「誰、引っ張ってるよ!」

「あ、ごめんハリー。そうか、窓はこっちか。

あ、ごめんなさい、多分先生だよな? うん、ごめんなさい…」

 

何かを叩く音が数回聞こえてから、キュッキュッと窓を拭う音が聞こえてくる。水滴を拭って外の景色を見ようとするロンが、目を凝らしながら叫んだ。

 

「あれ、なんだろう?! 何か乗ってくるよ!」

「私、車掌室に行ってくるわ。何があったか確かめないと。」

 

ハーマイオニーが立ちあがろうとするが、手元がよく見えない。自分の杖を探すものの、手元すら見えないのではどうしようもなかった。そんな時、車内に光が灯る。

 

【ルーモス 光よ!】

【天にまします我らの父よ。願わくば御前を崇めさせ給え。

ming lux】

 

士堂が発光呪文を唱えてから、文字が長々と書かれた紙を放り投げた。杖から灯された光は、眩い光を放つ紙が宙に浮く様を、幻想的に写し出している。何処か温かい光を放つ紙を、暫くボーと見ていた3人は、深い眠りについていたルーピン先生がモゾモゾと動き出した事に気がつかなかった。

突然、コンパートメントのドアが開いた。またマルフォイかと言い出しかけたハリーだが、足元に転がり込む人物を目にすると、思わず笑みが溢れてくる。

 

「大丈夫、ネビル? どうしてここに来たの? さあ、立って立って。」

「あれ、ハリー! そうだほらみんな、ほら暗くなったから僕怖くて、でもあれ、明るいや。」

「心配するな、明かりなら魔法を使えば…」

「うわわわ!!」

 

士堂の顔を見たネビルが、蛙のように飛び上がった。壁に頭をぶつけて蹲る彼を余所目に、ハーマイオニーが廊下に出た。光呪文で先頭車両に行こうとする彼女だが、廊下は予想以上の混乱振りだ。

 

「あいた、誰踏んでるの?!」

「あなた誰? もしかしてジニー?」

「その声はハーマイオニー? あたしロンを探しているの。」

「僕ここ。こっち来いよ、ジニー。他の皆んなは?」

「パーシー達は何処かに集まってるはず。他の子はよくわからないの。」

「ジニー、気をつけて、ネビルが、」

「ハリー!!!」

 

隣にいる人物を認識したジニーが、飛び上がった。ネビルよりも高く飛び上がりすぎて、彼女は壁どころか天井に頭をぶつける。決して広いとは言えないコンパートメントに激突音が響くと、隅にいたルーピン先生の意識が完全に目覚めた様だ。

 

「みんな、静かに。動かないで。と、この光は…」

 

あいも変わらず、顔色は見事な迄の灰色だ。だがその瞳は一寸の油断も隙もなく、現状を把握しようとする戦士の輝きを灯している。

先生の懐からとり取り出した杖から、光が放たれた。瞬時に周りを見渡しながら、簡潔に指示を出す。ルーピン先生は室内に浮かぶ光る紙と士堂を交互に見てから、ドアに視線を向けた。

士堂は彼の瞳が、自分を写し見た時見開いた様に思えた。そして何処か安心する、見知っていると直感する。どうしてそんな事が頭をよぎったのか分からなかったが、考える暇もなく直ぐに別の出来事が起こった。

 

「何だ、何だ何だ? 急に胸が…」

「ネックレスよ。ネックレスが光ってるわ!」

 

廊下にいるハーマイオニーと、席の真ん中に座るロンが同時に叫んだ。ハリーが胸に手を当てると、一昨年クリスマスプレゼントととして貰って以来、肩身離さずつけてい十字架のネックレスが光っている。

去年も悪戯幽霊のビーブスと相対した時、勝手に追い払ってくれた。ほとんど首無しニックお墨付きの、除霊のネックレスだ。そのネックレスがかつてないほどの光と、跡がつきそうなくらいの熱を帯びている。

 

「皆んな動かずに、頭に部屋の光を思い浮かべながら目を閉じなさい!」

 

切羽詰まった様なルーピン先生の声に、反応できたのは僅かだ。ネビルとロンは、もう大分前から目を閉じていた。廊下にいたハーマイオニーとハリーの横でアップアップしていたジニーは、すぐさま言われた通りにする。

問題はハリーだ。次から次に起こる怪奇現象に翻弄され続けていた。ならばロン達の様に目を瞑り続けるか、ハーマイオニー達の様に指示に従えばまだ救われただろう。

しかし怪奇現象に翻弄されていても、それまでの経験から身体はそこまで混乱していなかった。ハーマイオニー達は恐怖から咄嗟に指示に従ったに過ぎない。対してハリーはというと精神は混乱、反対に身体は危機的状況に適応してしまっているという、相反する状態だった。

 

だからだろう、ハリーはドアを開けて入ってきたそれを、完全に直視してしまう。

それはホグワーツで見る、幽霊だとかお化けなどとは根本から違う霊だった。マントを頭から被り、顔をはっきりと見えない。マントから覗く手は、灰白色の肌に汚れた瘡蓋が点在する、骸骨の手だ。思わず息を飲むが、更なる追い討ちが迫る。

それが息を長く細く、しかしはっきりと吸い込んだ。部屋の気温を、一気に氷点下に下げる様な冷気が、全員の肌に張り付く。特にハリーは息が胸の途中でつっかえ、寒気が肌と鼻と口を通して、体中に染み込んできた様に思えた。

 

そこから突然、彼の記憶が曖昧になる。薄れていく意識の中で、誰かの声が聞こえた様な気がした。

底なし穴に落ち続ける様な感覚の中、ハリーは叫び声が遠くで聞こえた気がする。何処か懐かしい気分になったから、彼はその声の方向に手を伸ばすが、何も掴めない。

このまま、落ち続ける。そんな考えが脳内を占めた時だ。

ロープで身体が引っ張られた。今度は逆に天高く飛んでいる様だ。思わず叫び出したくなる、愉快な気分だ。一瞬で、漆黒の闇夜から澄清の青空に飛び込んだ、ハリーはそう思えた。

 

「…リー…」

「…リー!」

「ハリー!」

「う、うーん?」

 

ハリーは頬を誰かが叩いている事に気がついた。目に入ったのは、薄汚れた天井だ。天井は不規則に揺れていた。力の入らない身体を起こしながら、汗を拭う。額から顎まで、冷や汗がびっしょり伝っていた。

横を見ればロンとハーマイオニーが、心配そうに側に座り込んでいる。ハリーは床に寝そべっている事に、この時初めて気がついた。ホグワーツ特急も無事に運行を再開している様だ。

席ではネビルとジニーが、青白い顔で肩を寄せ合って座っている。開いているドアの向こうで杖を片手に持つルーピン先生と、何かを呟く士堂が立っていた。

 

「大丈夫かい。気分は?」

「最悪。ねえ、誰か叫んだ? 僕どっからか声が聞こえたんだ。」

「叫ぶ? 誰が叫ぶっていうんだ。」

「でも僕聞いたんだー」

 

パキッと乾いた音がした。ルーピン先生が巨大な板チョコを一口大に割りながら、ハリーに大きい欠片を渡してくる。

 

「チョコだ。食べると気分が落ち着くはずだ。さあ。」

「あの、あれは一体…?」

 

ハリーがチョコを頬張りながら、ルーピン先生に訪ねる。他の面々にチョコを配りながら、淡々と先生は教えてくれた。

 

「ディメンター。吸魂鬼ともいう。」

「えっ?」

「悪名高き、アズカバンの看守の一体さ。」

 

銀の包み紙をポケットに押し込めながら、先生はチョコを食べる様促す。車掌と話すと言ってどこかに消えた先生のことを、ぼんやり見る友人達に、ハリーは恐る恐る尋ねた。

 

「僕、訳が分からなくて… 何があったの?」

「ええ、そうね、でもね。ハリー、私目を瞑っていたの。

それで物音がー そう音がしてー 私目を開けたら、あなたが床にー」

「僕も、その時目を開けたんだ。そしたら君がこう、引きつけ? 起こしたみたいにー」

 

青白い顔で語る2人の体は、まだ震えていた。ハリーの肩に添えられた手が、肩越しに分かるほど震えていたからだ。

 

「君は床に倒れちゃった。そしたらまず士堂が君に声をかけた。何かを取り出そうとしたらー」

「ルーピン先生が止めたのよ。そのままあなたと吸魂鬼のに間に入ってこう言ったわ。

『シリウス・ブラックをマントの下に匿っている人は1人もいない。立ち去れ』って。

でも動く気配もなかったの。先生、小さく呪文を唱えたら杖から銀色の光が出てきて、そしたら吸魂鬼は去っていったのよ。」

 

席で半べそをかいていたネビルが、泣きそうな声で付け加えた。

 

「僕怖かった… あいつが入ってきた時の寒気といったらありゃしないよぉ〜…」

「他に何もなかった?」

「他は、ジニーが転んじまったみたいだけど、詳しく…」

 

ということはハリーだけか。彼だけが半ば気をうしないかけたという訳だ。ひどい風邪をひいている様な、倦怠感と吐き気を覚えながら、情けなくて恥ずかしさまで込み上げてくる。

 

「気にすんな。あんなのに襲われて普通な方がおかしいんだ。」

 

士堂が戻ってきて、ハリーに声をかける。反対側からきたルーピン先生が、まだチョコに手をつけていない生徒達に、チョコを食べる様促した。士堂の口端にチョコがついているのを見たハリー達は、やっとこさチョコを口にする。すると今までの鬱な気分が嘘の様に、スーと消えていった。まるでそんな事を考えてもいなかったかの様に。

 

その後は誰も喋らないまま、ただホグワーツに向かう時間を過ごすしかない。吸魂鬼による気分の悪化は無くても、記憶がこびりついているのだ。チョコを食べた時の様な落ち着きは、既に無くなっている。彼らにとって、ここまで憂鬱なホグワーツ特急の旅路は、初めてだった。

 

 

折角ついたホグワーツは、吸魂鬼が通り過ぎたかの様に凍てつく寒さだ。氷の様な雨が地面を叩く音と、生徒のペットの鳴き声が狭いプラットホームを埋め尽くす。その騒音に負けない、あの野太い声が奥から聞こえてきた。

 

「いっち年生はこっちだ!! さあさあ並んだ並んだ!」

 

ホグワーツの森番にしてハリーの親友、ルビウス・ハグリッドの声が聞こえた時の、ハリー達の喜びは大きかった。やっとこさ、ホグワーツに来たのだと実感できる。彼は毎年、不安に駆られる生徒を湖からのルートで、ホグワーツの城に送り届ける仕事をこなしているのだ。

 

「元気にしとったか、4人ともおぉぉ〜!!」

 

モジャモジャの口髭から聞こえる声が響き、人混みでも分かる巨体が大きく手を振ってくれる。士堂を除く3人は、あらん限りに手を振って応えるが、雪崩れ込んでくる生徒達に巻き込まれて、その場を離れざるを得なかった。

士堂は3人ほどのリアクションを取らなかったが、手を高く上げて、サムズアップだけして彼らの後を追う。ハグリッドはそれを見逃さなかった。人混みに紛れた士堂がチラリと視線を向けた時、その大きな手でサムズアップを返していたから。

 

ホグワーツの校舎に行くのには、馬車を使う事になっていた。馬車といっても籠車のみしか見えない。それでも乗ったら一人でに動くから、見えない馬車だと思うしかなかった。カビと藁の匂いが充満しガタガタ揺れる車内では、ロンとハーマイオニーがハリーが倒れるのではと、ずっと側に寄り添っている。ハリーも普段なら恥ずかしがるだろうが、今はそんな余裕すらない。

 

馬車道を進んで豪勢な城が近づくと、手前に大きな鉄の門が見える。その脇に猪の石像が載った石柱が2本、聳え立っていた。その周りを警護しているかの如く、2体の吸魂鬼が漂っているではないか。

咄嗟にハリー達が目を瞑るが、小声で士堂がこう言ってきた。

 

「ルーピン先生からの伝言だ。ネックレスを手に取りながら、好きな事を思い浮かべつつ、目を瞑ってろってさ。」

 

ハリーは慌てて首元からネックレスを取り出して、また強くギュッと目を瞑る。

ブツブツ呟く士堂の声と、微かに聞こえる吸魂鬼の声というか音をBGMに、ハリーはクディッチの試合風景を思い浮かべる事に集中する。彼の両肩に、ロンとハーマイオニーが頭を寄せて同じ事をしていた。

 

門をくぐって城の入り口までは、それなりに長い距離がある。ハリーは丁度半分くらいまできた時、ポンポンと肩を叩かれた。吸魂鬼が近くに居なくなった事を、士堂が教えてくれたのだ。城の尖塔や大中の塔がはっきりと見え、壁の微かな汚れや苔が視認できる距離になった頃。

大きな揺れとともに、馬車が停止した。

 

やっとこさ着いたと一息ついたハリーだが、背後から頭にくる声が聞こえてきた。

 

「ポゥッター! ロ〜ングボトムが言ってたぞ〜。君気絶したのか? 分かるかい、き、ぜ、つ。」

 

気取った、だがとてつも無く嬉しそうな声だ。マルフォイはハーマイオニーを肘でどかしながら、ハリーの目の前にたつ。怒りで顔を赤くするロンが、しっかりと反撃した。

 

「うるさいぞ、マルフォイ!!」

「なんだいウィーズリー。その反応から見れば… 失礼、列車で気絶したのは1人ではなかったのか!! 数の換算を間違えたよ!!」

「マルフォイ…!!」

 

今にも飛びかかりそうなロンを止めようと、士堂が一歩踏み出そうとした時だ。背後からまた声が聞こえてくる。今度は穏やかな、知性を感じさせる声だ。

 

「どうした? おや、君は…」

「ああ、いえ、別に。何もありませんよ、先生。」

 

ルーピン先生だとわかったマルフォイは、和やかに笑みを浮かべた。しかしその瞳は、明らかに嘲笑を込めている。視線が先生の薄汚れた格好を、舐め回す様に動いていた。

マルフォイが配下と共に城に消えると、後ろから来た生徒達が次々に城に入る。他の生徒と樫の門から玄関ホールを抜け、今日の夜空を映す天井が特徴の大広間についた時だ。

 

「ポッター、グレンジャー! 私の所においでなさい!」

 

厳格な声が大広間に響き渡る。4人が所属するグリフィンドールの寮監、ミネルバ・マクゴナガル先生は声から分かる厳格な性格だ。ハーマイオニー以外の3人は、厄介な事がある時必ずといっていいほど会う人物である。

 

「大丈夫です。今回は少々、事務的にお話したいことがあるだけです。あなた方は皆と一緒に行きなさい。さあ、着いてきて…」

 

ハリーとハーマイオニーが先生の後を付いていった。生徒の波に乗りながらも、残された2人はじっとその後を見ている。

 

「なんだと思う? ハリー、また何かしたのかな?」

「何もしてないだろ? それに怒ってる感じはしなかったし…」

 

とはいえマクゴナガルの名を聞くだけで、ドキッとするぐらいに厄介ごとを起こしてきたのだ。グリフィンドールの席に着くまでは、ハリー達が気になる2人だった。

姿を見せないまま、新学期の催しが始まった。まずは恒例の新入生の組み分けだ。今年は知り合いがいないから、2人は初めて野次馬的視点で、組み分けを見る事になる。新入生が期待と不安に苛まれながら古ぼけた椅子に腰掛け、これまた古ぼけた帽子によって将来を決められる。傍観者としてこの儀式を見てみれば、ちょっと面白いものだ。グリフィンドールに入ってきた新入生と握手と挨拶を交わしていく。

 

「あなたがたがあの!」

「あの?」

「いえ、なんでもありません、よろしくお願いします!」

 

概ねこんな感じで挨拶されるもんだから、士堂とロンは度々顔を見合わせた。考えられるのは、やはり今までの出来事だ。

新入生の組み分けが終わり、組み分け帽子と椅子が片付けられた頃に、ハリー達は戻ってきた。身を顰めながら席に座る2人だが、ハリーの事を新入生がゴニョゴニョ囁きあっている。

 

「僕のことどうして見るんだろう。もしかして、吸魂鬼のことがもう知られているの?」

「そんな早いの? もうやになっちゃうわ。」

「諸君!」

 

ダンブルドア校長が立ち上がった。彼はマクゴナガル先生の厳格さと、ルーピン先生の穏やかさと知的さの両方を感じさせる。まるでサンタクロースの様な、立派な白髭を蓄えた老人が放つ穏やかなオーラはハリーにとって心休まるものだ。

そんな校長だが、毎年恒例の新入生歓迎の言葉と注意事項を述べると、細い眼鏡の奥の眼を細めた。

 

「今年は良いニュースと悪いニュース、両方あるのじゃ。重要かつ危険なこと故、先ずは悪い方を話させてもらおう。

知っているものも多いと思うが、吸魂鬼が今年はホグワーツの警護を担当する。理由は簡潔。脱獄犯を警戒してじゃ。」

 

ここで一呼吸入れると、声のトーンを少し落とし始めた。

 

「吸魂鬼は、大変恐ろしい。ホグワーツに住んだおる幽霊達と、同じに考えては相ならん。話が通じる事はない、化け物じゃ。決してホグワーツから無断で外に出ぬ事。また出ることが許可される事はない、と考えてもらいたい。

彼等から身を守る術は、誰でも扱えるものではない。だから君達が知りうる、逃走・回避の手段は通用しないと肝に銘じて欲しい。たとえあの透明マントを使ったとしても無駄じゃ。」

 

校長がそれとなく、ハリー達の方に視線を向ける。ハリーはおもわず、ローブに置いた手を握りしめていた。

 

「そこで監督生、男子女子の新たな主席の諸君。下級生をよろしく頼みたい。吸魂鬼とのいざこざが起きぬよう、気を張ってもらいたい。」

 

遠くでパーシーがこれでもかと胸を張っていた。だがそんな事をしているのは彼ぐらいで、皆事の深刻さに表情が暗い。校長はやけに真剣かつ深刻な面持ちで、生徒たちの表情を観察しているようだ。

 

「まあ、暗い話はこれぐらいにしようかの。さて楽しい話題じゃ!

闇の魔術に対する防衛術は空席じゃった。そこでリーマス・ルーピン先生が、この教科を担当してくださる。」

 

パラパラと拍手が起き、先生席にいたリーマス先生がぺこりと頭を下げた。彼の知識を知るハリー達数人は、拍手喝采だ。そんな薄汚れた先生をある人物が見ている。

 

「ねえ、士堂。スネイプ先生を見てみて。ルーピン先生を睨んでるわ。」

「知ってるだろ? あの人の担当したい講義は魔法薬学なんかじゃないって。有名じゃないか。」

「そうだけど、あんなに睨む必要あるかしら。ルーピン先生は優秀でしょう。なのに殺しそうなぐらい、睨んでるのよ。」

 

件の人物 セブルス・スネイプ先生は、ルーピン先生を確かに睨んでいた。手だけは義務的に拍手しているが、その眼はハリーに向けるものに匹敵するほど、悪意に満ち溢れている。狙うポストを奪ったライバルに向けるには、少々やり過ぎだろう。

 

「そしてもう一つ、空席が生じてあった。『魔法生物飼育学』じゃ。手足のあるうちに余生を楽しみたいと、ケトルバーン先生は退職なされたのじゃ。そこでここにいるルビウス・ハグリッドに、後任を任せる事になった。森番と並行して、皆の授業を受け持ってくれる。」

 

まさしくサプライズだろう。生徒から拍手が、特にグリフィンドールからは歓声すら上がっている。4人は割れんばかりの拍手をしながら、ハグリッドを見上げた。ハグリッドは顔を真っ赤にしながらゴニョゴニョしているだけだ。最後まで拍手を続けた4人は、スネイプ先生のスの字も忘れ去っていた。

 

「では食事じゃ!!」

 

ダンブルドア校長の声と共に、絢爛豪華な食事が始まった。ご馳走にありつきながらも、やはり4人はハグリッドが気になってしょうがない。

かつてハグリッドは、無実な罪を押し付けられて杖を奪われた。不憫に思ったダンブルドア校長が森番にしなかったら、どうなっていたか。紆余曲折を得て彼が手にした職の意味は、言葉では言い尽くさないものだ。

 

ハグリッドと会話できたのは、食後のデザートのカボチャパイがすっからかんになり、会がお開きになってからだ。4人がハグリッドの近くに駆け寄ると、テーブルクロスで涙を拭っているではないか。

 

「お前さん達のお陰だ… ダンブルドアはお偉い… 真っ直ぐだ。ケトルバーン先生の退職が決まったその晩… 真っ直ぐ来てくだすった…」

 

彼が本当に望んだ職なのだ。涙が止まらない彼にエールを送ると、マクゴナガル先生から部屋に戻るよう促された。

波乱に満ち溢れるホグワーツが、また始まりの刻を刻んだ。



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新任教師

ホグワーツはマグルの学校と同じく、進級する毎に必須科目と選択科目が設けられる。生徒は必須科目の他に、各々自由に選択科目を受講できるシステムだ。

どの科目を選ぶかは、大まかに分かれば二つだろう。興味ある科目を取るか、簡単な科目を取るか。ここに将来の志望や現在の成績、友人や先輩との繋がりが絡んでくる。

 

こうした選択授業でありがちなのは、「聞いていた、思っていたものとは違う」という一種のギャップだろう。学校生活ではありがちなのだが、人によっては不満の元になり得るものだ。

その典型例が、ホグワーツのとある講義で見受けられた。

 

〜ホグワーツ北塔 『占い学』シビル・トレローニー先生の教室〜

「皆さん、お茶の葉をよ〜くご覧下さい。 あらあなた。これは…

隼。 何という。あなたは恐ろしい敵をお持ちなのね。」

「そんな事みんな知ってるわ。ハリーと例のあの人の関係なんて、知らない方がおかしいもの。」

「…もう少し見てみましょう。 この模様は… 何と、何という事でしょう! これは山高帽なんかではありません! 

グリム! 死の前兆たる、不吉な犬です! あなたに死の前兆が!」

「いいえ、わたしには犬には見えないわ。」

「…ミス・グレンジャー。申し訳ありませんが、あなたにはオーラを感じることができていない。未来への感受性というものが、根本的に欠けていますわ。」 

 

〜数時間後 大広間 昼食会場〜

「ねえ、信じられる? あんなにインチキくさいなんて思ってもいなかった。分かっていたら、同じ時間の魔法数学を履修していたってのに!

ねえ、そう思うでしょ?!」

「え〜、あー、うん。」

「第一、学術的な根拠が乏しいものを学ばせる方がおかしいわ。それもマクゴナガル先生が乏しいと言っているのよ!!」

「まあ、うん。」

「まだあるわ。毎年の恒例だが何だか知らないけど、何いい気になって人の死を予言しているのよ。そりゃいつか人は死ぬでしょうよ!」

「はい。」

 

三年生から受講できる科目に、「占い学」がある。内容はもう読んで字の如く、でしかない。古代から続けられてきた未来予知の方法を、一年を通して学ぶ講義だ。

そしてこの講義とハーマイオニーの相性が最悪だった。

初っ端に担当のトレローニー先生が教科書が重要でないとかましたのだ。曰く『眼力』が大事だから、書物は当てにならない。教科書を読み込み、万全の準備で授業を受けるスタイルのハーマイオニーは、面食らってしまう。

その後トレローニー先生は占いのデモンストレーションとして、ネビルの祖母の寿命を警告したり、パーバディに赤毛の男子に気をつけろといい出した。(隣にいたロンは、椅子を遠くに引かれ遠ざけられた。)

 

そして紅茶の葉による占いで、ハリーに死の予言をした訳だ。ハーマイオニーはこの先生に対し、ずっと嫌味な返答を繰り返していた。どんな講義でも真面目に受ける、優等生な彼女にしては珍しい反応である。

先生の方も彼女の不貞腐れた態度には、拒否反応を見せていた。

ハーマイオニーは終わるや否や教室を飛び出した。次の講義に間に合うためというよりは、耐えられないと言った感じだ。

そして直後の『変身術』の講義でマクゴナガル先生が、占い学の欠点を指摘してからは、士堂相手に悪態をつき続けているのだ。

 

一方ロンと言えば、浮かない顔でハリーを眺めている。ハリーの紅茶占いで見られた死の前兆、グリムがどうにも気になるらしい。

 

「ハリー、君大きな黒い犬を見たって言わないでくれよ?」

「見たよ。ダーズリーの家を飛び出た時、道路の向かいにいたんだ。」

「ハリー!!」

 

手に持ったスプーンがガタガタ震えている。ロンの怖がり方をハーマイオニーが大袈裟だと言っても、変わりはしなかった。

 

「ハリー、グリムを見たなら不味い。僕のー 僕のビリウス叔父さんは見たって言ってー24時間後に ー死んじゃったんだ!!」

「偶然よ。」

「ハーマイオニー、気が触れたのか?! グリムと言ったら魔法使いは聞いただけで縮み上がるんだぜ?!」

「そう考えるから死んじゃうの。つまり死の予兆ではなくて、死の原因よ。

だいたいハリーは24時間後どころか、今も生きてるわ。ハリーはそのグリムを見たと言っても、死んだとなんて考えていないのよ。」

 

口をパクパクさせるロンを無視して、ハーマイオニーは『数占い学』の教科書を取り出す。これ幸いとばかりにシチューとパンに食らいつくハリーと士堂だが、彼女からすればもう眼中にすらないようだ。

 

「とにかく、占い学はいい加減な点が多すぎるわ。当てずっぽうな点が、あんなに多いのは考えられない。」

「あのカップを見てそう言ってるのか? あの死神犬を見たじゃないか?!」

「あなた、先生が指摘するまで羊だと思ってらっしゃったわ。」

「はん! 君は悔しいだけだ。トレローニー先生が君にオーラがないって言ったのが、気に食わないだけさ。まともなオーラすらないんだから!」

 

触れてはいけない点を、彼女自身が薄々気づいていた負の面を、ロンはついてしまった。顔を真っ赤にしながら教科書を叩きつけると、ハーマイオニーは昼食もそこそこに会場を後にする。

叩きつけられた時に飛び散ったシチューをモロに被った士堂とハリーが、ジト目でロンを睨むと、肩をすくめながらマッシュポテトを食べるロンだった。

 

 

一言も会話をしないロンとハーマイオニー。彼等の間に挟まれながら、ハリーと士堂は、次の講義に向かう。救いなのは次の講義は、彼等にとっては期待と不安に満ち溢れた物であることか。

講義会場に指定された禁じられた森に向けて、何人もの生徒が連なって歩いている。そう、これは『魔法生物飼育学』つまり ハグリッドの記念すべき初めての講義だ。

 

ハリー達は森の側にある、放牧地に向けて更に歩みを進める。柔らかな草を踏みしめるたび、心地よい反動が靴を伝ってきた。特にハリーにとって、今はそれが楽しくてしょうがない。

 

「ふぅおおおお〜…」

「「うひゃひゃひゃwww」」

 

時折あるのだが、この講義は異なる寮による合同講義だ。グリフィンドールとスリザリンの生徒が、目的地に向かって歩いていた。

そしてハリーの前でスリザリンのあの3人組が、奇怪な動きと声をしては笑い合っている。マルフォイはハリーが吸魂鬼に襲われた事を、度々ネタにしていた。ハリーがマルフォイを目にすると、絶対と言っていいほど彼はやっているのだ。

またか、とか辞めろ、と言うことも馬鹿らしい。悲しい事に今のハリーは険悪なムードの友人に挟まれていた。頼るべき最後の友人、士堂は何やら1人、ズボンのポケットの中に手を突っ込みゴソゴソしている。

自然ハリーは孤立した状態になっていることもあり、草の感触で気を紛らわすしかなかった。

 

「おぉ〜い、こっちダァ。 よーしよーし。皆揃っちょるな。」

 

ハグリッドは、厚手木綿のオーバーコートを着込んで待っていた。側には飼い犬のファングもいる。禁じられた森を探検した仲だからか、ファングはハリー達を見ると、尻尾を振ってくれた。

 

「よーし。皆集まってくれ! 初めての授業だからなぁ、すんごいもんを用意したぞ!!」

 

生徒を集めたハグリッドは実に嬉しそうだ。皆が手に持っている、カバーに牙がついた噛み付く教科書『怪物的な怪物の本』を見せながら、授業を始めようとする。

 

「そんじゃぁまあ、先ずは教科書開いちょくれ。」

「何を開くんです?」

「ん? 教科書に決まったろうが。なんじゃお前さんら、まだ開いちゃおらんのか?」

「開ける本だとは思いもしなかったな。」

 

マルフォイが、嫌味な口調でせせら笑う。だが彼の言っていることは正しかった。本屋の店員のみならず、買った筈の所有者にすら容赦なく噛み付いてくるのが、この教科書だ。

学期前に届く教科書リストには取り扱い方法どころか、注意書きすら書かれていなかった。しかも取り扱う人が少ないせいか、どう扱うかを説明する本が分からない。ハーマイオニーが旅行中含め、休暇中に読み方を探し当てようとしても、全く掴めなかった程だ。

生徒が教科書をベルトやらロープやらで固定しているのに気が付いたのか、ガックリした感じのハグリッド。

 

「撫ぜりャー良かったんだ。知らなんだか?」

 

知っていて当たり前だと言わんばかりに、言ってのけた。ハーマイオニーの教科書をハグリッドの親指が人撫でするだけで、成る程普通の本のように大人しくなった。

しかしこの特殊な本の扱い方は、ある人物の琴線に触れたらしい。

 

「いやはや、なんと愚かだったんだろうな、僕たちは!」

「撫ぜりャー良かったんだなぁ、撫ぜりャーねぇ。なんともまあ、あたりきなことだろうなぁ?!」

「す、すまん。面白い本なもんだから… それに皆すぐに分かると思って…」

「面白いですよ! 危うく本に噛まれたせいで指がなくなることでしたからね!!」

「黙れマルフォイ。」

 

マルフォイは単純に、この巨人のような大男に教わること自体が気に食わないらしい。名家に生まれたプライドからか、執拗に騒ぎ立てる。

ハグリッドは思いもよらなかったのか、項垂れるだけだ。何とか授業を成功させたいハリーが、静かに反論する。

動揺を隠せないハグリッドは、講義プランを完全に忘れたようだ。ぶつくさ行った後、フラフラと森に消えていってしまう。マルフォイとハリーは、ハグリッドがいない間ずっと言い争いをしていた。

 

「おおおぉぉぉぉぉー!!」

 

突然ラベンダー・ブラウンが咆哮した。彼女が指さす先には、ハグリッドがいる。森の陰で見えなかったのだが、彼の背後には動物というか怪物がいた。

胴体と後脚、尻尾は馬。前脚と羽根、頭部は巨鳥。特に頭部の残忍に輝く鋼色の嘴と橙色の瞳は、鷲のそれである。前脚の鉤爪は15.6センチはあろうかというほど、巨大だ。人間の胴回りはあるかと思える首輪が首について入るものの、全く信用できないと生徒は思った。

 

「どうどう… どうだ、ヒッポグリフだ!」

 

誕生日プレゼントを渡す親のように、ハグリッドは嬉しそうだ。だが可哀想なことに、ハリー達含め生徒の顔には困惑と恐怖がひしめき合っている。誰が見ても分かるほど顕著な動揺に、悲しいかなハグリッドは疎かった。

 

「いいか、今日はこいつらと仲良ーなってもらう。まあちょいとばっかしプライドが高いのが玉に瑕なんだがな。そいつもやり方さえあってりや、何の問題もねえ。

さあ、こっち寄るんだ。」

 

ざっと生徒が後ろに下がる。唯一ハリー達は後ろに下がらなかった。下がらなかった、というより下がれなかった、の方が適切だろう。

ちょいちょいとハグリッドが手招きして、ハリーを呼び寄せる。流石にハリーも戸惑いから足がすくむが、ロンとハーマイオニーが背中を押してきたから、ヒッポグリフの前に来てしまった。

ハリーが士堂に振り返る。そして今まで見たことのない速さで、士堂の腕を掴むと、隣に引き寄せた。虚をつかれた士堂も、フラつきながら怪物と対面するハメになる。

 

「うーん、やはりお前さんらだったか。さあ、先ずは挨拶だ。言った通り、こいつらはプライドが高ぇ。そこで挨拶が重要になる。

いいか、大事なのはこっちが先に頭を下げる。

んじゃまぁ、バックビーク、こいつに挨拶することにしよう。」

 

ヒッポグリフのうちの一頭が、ハグリッドに連れられてハリーの前にやってくる。その鋼色の嘴と鋭利な爪を目の当たりにすると、ハリーも股下が縮み上がる思いがする。

涙で目がしょぼしょぼしてきたハリーが目を拭こうとすると、慌ててハグリッドが止めに入った。

 

「ハリー、目ぇ開けとくこった。目をしょぼしょぼさせる奴ぁ、ヒッポグリフは信用しないからな。」

 

涙で溢れる顔をゆっくりとだが下がる。ハリーは首が切り裂かれるのではと怖々していたが、何とか大丈夫だった。橙色の瞳で睨みつけるバックビークが、グルルと喉を鳴らした。

生徒達は獲物を捉える獣の音だと思い、息を飲む。しかしバックビークはゆっくりと前脚を下げると、軽く頭を垂れた。

 

「よし!よーしよーし! よくやったハリー!ささ、頭撫でてやんな。」

 

もう泣きかけているハリーだが、震える手でヒッポグリフに触る。色とりどりに変化する体毛は、意外なほど優しく手を押し返してきた。ゆっくり嘴を撫でても、気持ちよさそうに喉を鳴らしている。

スリザリンの3人組以外から、歓声が漏れた。士堂も見様見真似で別のヒッポグリフと挨拶すると、認められる。その後はハグリッドの提案で、ヒッポグリフによる空中遊泳という滅多ない機会を楽しめた。

 

2人の空中遊泳は、生徒達を勇気づけた。ようは同じ通りにすれば、酷い目には合わない。興味が湧いた生徒達が、怖々放牧地に入ってきた。特に問題なくヒッポグリフと交流する生徒だが、1人の生徒は違った。

 

「…へへ、簡単じゃあないか。」

 

マルフォイは膝を折ったビックバーグに尊大な態度を取り、あろうことか、とんでもない事を言ってしまう。

 

「ポッターに出来て、僕に出来ないはずがない。まあ格の違い、という奴だ。そうだろ、醜いデカブツ怪獣君?」

 

彼はこの生物が人語を理解できないと思っていた。しかし交友に礼儀を求め、相手を観察する知能を有している時点で、ある程度の言語把握能力があることぐらいは推測できる。彼は仮にもホグワーツで2年は魔法について学び、魔法生物についての知識もそれなりに備わっていた。

にも関わらず、軽率にこの生物を侮辱した事で、彼はとんでもない事態を引き起こした。

 

「ひ、ひいいいい〜?!?!」

 

突如ビックバーグの鉤爪が天に伸び、マルフォイに襲い掛かろうとした。瞬間士堂が杖で呼び出したロープがマルフォイに絡まる。鉤爪が垂直に振り下ろされると同時に、士堂が杖を手前に引き寄せた。

鉤爪が地面にめり込み、マルフォイは士堂の足元に転がり込む。去年彼に土手っ腹を蹴り込まれて以来、グリフィンドール嫌いの中でも特に苦手としている人物の、足元に転がり込んだのだ。怒りと屈辱に顔を歪ませるマルフォイだが、けたたましい鳴き声でビックバーグが襲い掛かろうとしてきたのが視界に入ると、顔面が瞬く間に白チョークの色に変わる。

 

「し、死んじゃうよー!!!! 助けてママ〜!!!!」

 

腹に巻きついたロープが足元に絡まり、何度も地面に転がるが、それでも必死に城に向かって逃げていった。ハグリッドが飛びついて首輪をつけ、何とかあやそうと格闘している。

 

「今日の授業は、これまでだ! 皆次の講義に向かっとくれ!」

 

 

その後の昼食から午後は、まさしく騒然としていた。スリザリンの寮生は皆、ハグリッドの授業を酷評する。対してグリフィンドールの寮生はマルフォイの非礼を非難していた。昼食会場の大机は、他の2寮を挟む形で置かれている。ここで侃侃諤諤の討論が起これば、当然衝突も起きる。それぞれの監督生と首席が事を収めるものの、当の本人達も今すぐに決闘を始めそうな雰囲気は、醸し出していた。

 

士堂以外の3人が心配から、昼飯に碌に手をつけていなかった。溜息をついては、ハグリッドの今後を心配する。ただ1人、士堂だけがビーフパイをお代わりしていた。

 

「ねぇ、ちょっと。ハグリッドのことは心配じゃないの? 」

「全く。」

「何言ってるんだよ、士堂?! マルフォイの奴、何にも怪我していないのに医務室に駆け込んだんだぞ! ハグリッドに精神的ウンタラカンタラを何たらっていって!」

「精神的苦痛を与えられた、よ。士堂、何でそんなに呑気なの? ハグリッドは私達の友人よ?」

「そうだ。ハグリッドはどうにもなんない。間違い無いよ。」

 

頭に疑問符が浮かぶ3人に何も言わず、士堂はビーフパイにケチャップをかけると、ガブリと齧り付いた。

 

その夜、余りに心配になった3人は隙を見てハグリッドに会いにいった。案の定、ハグリッドは酒に酔いつぶれていたが、3人の励ましを受けて何とか立ち直ったようだ。ハリーは酔いを覚ましたハグリッドに、夜出歩かない事をきつく言い渡されたが。

 

 

何故、士堂が余裕綽々だったのか。それはマルフォイと共に受ける、魔法薬学の講義の時はっきりと分かった。

 

「先生、ご覧の通り手が震えてまして。雛菊の根を切れません。」

「宜しい。話は聞いておるぞ、マルフォイ。

ウィーズリー、根を。切って。差し上げろ。」

「…っちっ!」

「せーんせーい。ウィーズリー君が根をこのように切って渡してきました〜。」

「ウィーズリー、お前の根と交換しろ。」

「ええ、何でですか先生?!」

「交換、するのだ。ウィーズリー。」

 

マルフォイは、ハグリッドの講義で精神的ダメージを受けたと主張していた。いかに万能に見える魔法でも、精神的な面のケアではマグルと大差ない。処置を誤れば、何処かの元教師の隣に永遠に釘付けになりかねないからだ。

マルフォイはこの点をついて、悠々綽々とロンをこき使っている。スネイプ先生と好都合とばかりに止めはしなかった。

 

「へぇ、そんなに震えるかい。」

「ああ、見てくれ。こんなにも震えるんだ。あのうどの大木のお陰で散々だよ。」

「そうか。まあ、聖獣を小馬鹿にした罰にしては、軽いんじゃないか。」

「何?」

 

後ろの席から、士堂がマルフォイに声をかけた。マルフォイに目を合わせず、ひたすら魔法薬の材料を切り刻んでいる。最初は腕をこれ見よがしに見せつけていたマルフォイだが、顔色を変えた。

 

「言いがかりはよしてくれ。何と言ったって?」

「君は聖獣を馬鹿にした、と言った。」

「スネイプ先生、ミスターアベが僕を侮辱しました。言いがかりです。」

 

黒いローブを翻して、先生が振り返った。教室中の視線が集まる中、士堂はびくりとも表情を変えない。

 

「ミスターアベ。マルフォイが言っていることはまことかな。」

「いいえ先生。僕は真実しか言っておりません。」

「ほお? まるで証拠があるかのような口ぶりだ。」

「あるなら見せて欲しいな。ええ、そうでしょう先生。」

 

ニヤニヤと笑みを浮かべながら、マルフォイが語りかけてくる。スネイプ先生始め、クラスのスリザリン生全員が、士堂を小馬鹿にしていた。

だが彼の口から予想外の言葉が発せられる。

 

「証拠ならあります。」

「へぇ?! 証拠がある? 是非見てみたいなぁ?!」

「授業中ですから。」

「構わん、出したまえ。だがもしも、信頼するに値しない代物なら、我輩から校長に正式に抗議しよう。」

 

先生の言葉が言い終わると同時に、机に何かがごとりと置かれた。それは水色の巻貝の貝殻だった。表面についている細かい粒子が、部屋の光を反射してキラキラ光を放っている。

それを見たマルフォイらスリザリン生から失笑が漏れるが、唯一スネイプ先生だけ、土色の肌を若干顰めた。

 

「何だいこりゃ。ただの貝殻なんか取り出すとは、まだ君は海水浴を楽しむ…」

「『…へへ、簡単じゃあないか。ポッターに出来て、僕に出来ないはずがない。まあ格の違い、という奴だ。

そうだろ、醜いデカブツ怪獣君?』」

「な、何だこれは?! ど、、どうして」

 

元々青白い顔面が、襲われた時のように青味がなくなっていく。マルフォイが漏らした疑問に答えたのは、意外にもスネイプ先生だった。

 

「何故貴様は『録音貝』なぞを講義中に使っている?」

「ある人から頼まれまして。曰く『ルビウス・ハグリッドが初めて人に教えるとなった時、どのように教えるのか非常に興味があるのじゃ』とか。」

「んな…」

 

ホグワーツで老人言葉を使うのは1人しかいない。絶句するマルフォイを尻目に、スナイプ先生は録音貝を取り上げて、注意深く観察する。

 

「…確かに。あの方の所有物だ。間違いなかろう。」

「先生ならお気づきだと思いますが、この道具に意図的な工作ができるほどの技術と知識、僕にあると思いますか?」

「…貴様のような異端を走るしか能のない者に、軽々しく扱える代物ではない、ことは確かだ。」

「ドラコ・マルフォイ君の発言は、どう解釈してもヒッポグリフを侮辱している事は事実。ハグリッド先生は、この聖獣に非礼は禁物だと忠告しているにも関わらず、です。」

 

ハーマイオニーに詰められた時のロンのように、マルフォイは口をパクパクしている。顔色が怒りで赤くなったかと思えば、彼を見つめる先生の視線ですぐに青くなり、真っ白に変わった。

 

「聞いてほしいのは、先生。ここです。」

「『し、死んじゃうよー!!!! 助けてママ〜!!!!』」

「僕たちグリフィンドールと、マルフォイ君のスリザリン。相反する点が多い寮ではありますが、幾つか共通点があります。」

 

ここで一拍置いて士堂はスネイプ先生を直視する。澱んだ瞳に負けずに、彼は言って退けた。

 

「スリザリン生に求められる素質、『断固たる決意』や『やや規則を無視する傾向』は勇敢とも言えるものです。

彼の危機に瀕した際の対応は、勇敢なるスリザリンにあるまじき行為。ましてや自分が巻いた種にも関わらず、です。」

「…ドラコ・マルフォイ。」

「先生…?」

「吾輩が聞いた話と、違う点があるな。」

 

今度は本当に全身を震わせながら、マルフォイが弁明する。まるで死刑宣告された罪人のようだ。

 

「先生、これは偽物ですよ何かの間違い…」

「貴様は私の見立てが間違っているとでも?」

「違います、そう」

「私が聞いたのは、貴様が何もしていないにも関わらず、いきなり襲われた、だ。このような発言は初耳だ。」

「先生、」

「何より獣程度から逃げたことが許せん。貴様の父親は、こうした時決して逃げなかった。スリザリンの本質をそのまま体現した、素晴らしき学生であり吾輩の導き手であった。父君なら、決して脚を後ろに下げるなどという、見下げた行動は取るまい。

貴様はスリザリンと父親の誇りをも、穢したことにすら気づかないのか。」

 

最早マルフォイは石像のようだ。カタカタとゆっくり正面を向くと、そこから一言も喋らない。スネイプ先生も見下げた奴など視界に入っていないかのように、無視した。気まずい空気が流れる中、士堂は隣に座るトーマスと後ろにいたシェーマスに、軽く肩を殴られた。無論、それが意味するのは『ナイス』だ。

しかし憐れかな。苛立ちを隠せないスネイプ先生は、初歩的なミスを犯したネビルに対し、執拗なまでの叱責を繰り返した。全く自信というものを喪失したネビルを、隣にいたハーマイオニーが隠れて手助けする。

果たして『縮み薬』の結果はうまくいったものの、不必要な手助けをしたとしてグリフィンドールが5点減点された。

 

「今日の授業は色々ありすぎだ! まずはえーと、ええい、スネイプだ! 何でハーマイオニーがやったからって減点なんだ?!

そもそもハーマイオニーが上手く隠せば… ハーマイオニー?」

 

教室を出て興奮気味のロンが、後ろにいたハーマイオニーに振り返った。と、思ったのだがハーマイオニーはいない。ハリーも士堂も後ろから彼女がついて来ていたのは知っているから、顔を見合わせる。

彼等の後ろにいたのは、マグルでいうところのロボットのように、かくつきながら階段を上がるマルフォイと、ひたすらオロオロするだけの取り巻きだった。

するとあっ、と小さい声をハリーが出した。階段を上がった先に、息を切らしたハーマイオニーがいたのだ。彼女は普通なら学期始めと帰省の時ぐらいしか使わない、大きな教科書用バックを肩にかけている。

 

「ハーマイオニー、どこ行っていたんだ? ぼくたな僕たちの後ろにいたんじゃなかった?」

「え、えーと。そうね、その…」

 

視線を合わせずにモゴモゴ口を動かすハーマイオニー。彼女はバックに入りきらなかった大量の教科書を士堂に押し付けると、足早に次の教室に消えていった。

訳が分からないという顔のロンに、返す言葉をハリーも士堂も持ち合わせてはいなかった。

 

 




・録音貝 主に大西洋沿岸地域に極小数生息する、巻貝の一種。本来は捕食してくる生物の天敵の鳴き声などを記録し、危機の際に再生する防御能力を有する巻貝である。
この特性を活かし魔法職人の手で加工された一品は、一定時間周囲のあらゆる音を記録し、保存する。特殊な加工のため、並大抵の魔法使いでは弄る事が出来ない。
故に魔法裁判においては、証拠品として高い信頼を寄せられる魔法界の一品。

元ネタはワンピース。

追記 ご指摘を受けて一部文章を訂正しました。


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魔法薬学の後は、『闇の魔術に対する防衛術』の授業だ。呪われているともっぱら噂の ー実際士堂達は3年連続で教師が変わっているー 種な訳だが、少し期待感があるのは士堂達だけだった。列車内で見せた優れた危機管理能力から見るに、能力については問題視する必要はない。後は教師として大事な、教える能力があるかどうかだけだ。

 

ルーピン先生は、そんな疑問を吹き飛ばした。手始めに教科書を仕舞わせれると、実地授業をすると言ったのだ。不思議がる生徒を引く連れて移動していた先生は、運悪くビーブスに鉢合わせる。

悪戯好きの城付きの幽霊に対し、先生はこれ以上ない対応をしてみせた。

 

「ルーニー、ルーピン、ルーピンピン。バーカアーホドジマヌケ…」

「ビーブス、鍵穴にガムを詰め込むのはやめたほうがいい。フィルチさんが箒を取れなくなる。」

「なーに言ってんだこのタコガァ?! やっぱりルーピはドジマヌケ…」

「やれやれ… 見ててくれ、簡単な魔法だ。でも案外役立つものだから、覚えておくことをお勧めしよう。

 

『ワディワジ! 逆詰め!』」

 

先生は杖を鍵穴に向けてから、ビーブスに向き直した。するとチューインガムが勢いよく鍵穴から飛び出す。さながら弾丸と見間違えるほどの速さで、ビーブスの鼻の左穴に命中する。

もんどり返った幽霊が悪態をつきながらその場を離れると、生徒達は歓喜の声をあげる。期待感で胸を膨らます彼等だが、移動した先で顔を顰めた。スネイプ先生が、まるで何かを見張っていたかのように立っている。扉から出ようとした先生は、去り際に嫌味を言って消えた。

 

「ルーピン、一つ吾輩から忠告せねばなるまい。ここにいるネビル・ロングボトムは稀に見る生徒だ。」

「というと?」

「あまり難しい課題をこなせないようでね。ミス・グレンジャーの手助けがあったら、まるで見違えるような成績を残すだろうが。

ーでは失礼する、どうぞごゆっくり、授業を行いたまえ。」

 

苦虫を噛み潰したような顔の生徒達に、ルーピン先生はにこやかに笑ってみせる。頭がトマトになったと思えるようなネビルに、優しく声を掛けた。

 

「心配ないよ、ネビル君。僕は君に、初めての授業でのアシスタントを任せようと思っている。君ならきっと出来るはずだ。」

 

そう言って教室の奥にある、古い洋箪笥のそばに立つ。先生が着替え用ローブの保管に使っているものだ。先生が横に立った途端、1人でに箪笥が震えだす。

 

「心配はいらない。大丈夫、ジョーダン。大事なローブが千切れてしまうよ。ネビル、気を確かに。

さて、この中には真似妖怪が入っている。ボガートと呼ばれている。」

 

これは不味いのでは? 前年度の先生も、こうしてデモンストレーションをしてからあの様を見せてくれた。不安が伝わったのか、安心させるようにゆっくりとした口調の、解説がはじまる。

 

「ボガートは暗く狭い所を好む習性がある。例えば箪笥。ー正にこれだねー ベットの下、流し下の食器棚とかも候補に挙げられる。

さて質問だ。ボガートの生態は言った通り。では彼等の行動の特徴は?

ーミス・グレンジャー、どうぞ。」

「形態模写です。人間の一番の恐怖を判断し、その姿に変化します。」

「素晴らしい。私以上の解説だ。 

つまり、ボガートは一眼につかない場所ではどのような姿か、誰も分からない。一度一眼につけば、瞬時にその姿を変えてしまうのだ。」

 

そこで一呼吸置くと、チラリと士堂を見た。先生は少し意地悪するような、しかしスネイプ先生とは違う、試すような口調で質問をぶつけてくる。

 

「士堂君。私達と、ボガート。どちらが有利な立場にあるか分かるかな?」

「現在は僕達の方が有利です。」

「何故かな? 理由を聞かせてもらえると助かる。」

「複数人の人がいれば、一体のボガートでは、誰に化ければいいか分からなくなります。」

 

ハーマイオニーがずっと手を挙げていたが、先生は士堂に質問をぶつける。その答えを聞くと、何度か頷いた。

 

「その通り。だから一番簡単なのは、誰かと一緒にいると言うことだ。私は半身死体、半身ナメクジのボガートを見たことがある。そうだね、恐ろしくも何ともない。

しかし1人の時はどうするか。退散呪文は存在する、難易度は低いよ。

重要なのは笑い、恐怖の反対だね。

では杖なしで唱えてみよう。

 

『リディクラス 馬鹿馬鹿しい!』」

『リディクラス 馬鹿馬鹿しい!』

 

一斉に唱えた声を聞くと、ルーピン先生はネビルを呼んだ。裁判にかけられると思っているのか、ネビルは顔面蒼白だった。

そんなネビルに優しく話しかけながら、最も怖いものを聞き出そうとする。

 

「スネイプ先生」

「すまない、聞こえなかった。もう一度、頼めるかな?」

「スネイプ先生。」

 

教室を笑いが満たした。ルーピン先生はそのなかで、1人真面目な顔をしている。

ネビルの祖母について尋ねると、そこから話を広げる。

 

「いいかいネビル。君のお祖母さんの格好を思い浮かべるんだ。

いつもはどんな格好をしているのかな?」

「どんなって… 帽子被ってる。たかーくて、ハゲタカの剥製付き。緑のドレスに、えーと、狐の毛皮の襟巻き。いつも同じだよ。」

 

どうも趣味がよろしくない格好だと士堂は思った。特に頭にハゲタカの剥製付きの帽子を被るのは、一体どういう趣向なのか。

正しく魔女と言うべきファッションセンスだと受け取れるが、周りの魔法族はそうは受け取っていない。ということは、年老いた魔女は皆そういう格好に行きつくのか?

くだらない事を考えていると、ネビルが洋箪笥の前で杖を構えた。恐怖から目が虚ろな彼の背後に、彼ほどではないにしろ、恐れ慄く生徒が並んでいる。

先生の指示でネビルが対処に成功すると、後ろの人が一歩前に出る。つまり代わり代わり、箪笥の中のボガートと対峙していくことになった。

 

士堂は列の中間地点付近にいた。前も後ろも、必死になってイメージトレーニングをしている。士堂の前のハリーもロンも、目を瞑りながら独り言をこぼしていた。

ロンの脚をもぎ取ってどうたらという、鬼気迫る独り言をBGMに、士堂も想像する事にした。何だろうか、自分の中の恐怖とは?

思いつくのは、ホグワーツ入学前に祖父と見た地縛霊だろうか。対魔の現場に慣れるための、一種の予行練習だった。そこで見た英国の幽霊。魔法省ですら干渉しない、とびきりのものだ。

初めては怖かったな、と邂逅しつつそれをどうにかする為に、更に思考の海に潜った。次は面白い格好。奇天烈な思い出を引っ張り出さなくては。

 

『り、り、リディクラス! 馬鹿馬鹿しい!?』

 

ネビルの上ずった声と共に、パチンと鞭がなったような高い音が響く。

目を開けてみれば、前方にとんでもない光景が写っていた。

あのスネイプ先生が、長いレースで着飾れられたドレスを羽織っている。趣味が理解しにくい、ハゲタカの剥製付き帽子と赤のハンドバッグ付きだ。

ハロウィンでもここまでの仮装はお目にかかれまい、教室は大爆笑の渦だ。1人スネイプ先生が ー 正確にはボガートだがー 途方に暮れたように立ち止まっている。本物のルーピン先生が声を掛け、次々別の生徒を試していく。

 

『リディクラス! 馬鹿馬鹿しい!』

パチン!

『リディクラス!馬鹿馬鹿しい!』

パチン!

『リディクラス! 馬鹿馬鹿しい!』

パチン!

「素晴らしい、ロン! さあ次は…」

 

ハリーが一歩前に出ようとすると、ルーピン先生が前に割り込んだ。

思わずハリーがえっ、と声を漏らすがボガートは銀白色の玉に変化している。先生はゴキブリに姿を変えてから、横にいたネビルに最後を託した。

今度は真正面からボガートに向き合ったネビルによって、ボガートは細い煙の筋となり、消え去った。

 

「よくやったネビル!! これは正しく君自身が掴んだ成果だ。

もちろん皆素晴らしい。ボガートに対峙したグリフィンドールの生徒全員に5点ずつ加担しよう!

勿論ネビルは10点。2回分だ。あとハーマイオニーと士堂。私の質問に見事に答えた。よって2人にも5点。」

「今日の授業はこれまで! 教科書を鞄から引っ張り出してボガートの章を読んでくるように。月曜日迄に内容をまとめてくる事!」

 

〜ホグワーツ新任教師の講義風景〜

「皆、レポートありがとう。よくよく読ませてもらう事にする。

さて今日はこいつだ! この生き物についてわかる事を聞きたい。

ハリー、何だと思う? おお、ロン分かるかな。そう赤帽鬼(レッドキャップ)だ。」

 

「……今日はレタス食い虫について教えちゃる……」

 

「赤帽鬼の生態は、血の匂いのする所を好むのが特徴的だね。例えば戦場跡の深い穴。こういった場所に隠れて迷い込んだ物を襲う。

では何で襲うか? シェーマス、お見事棍棒だ!」

 

「……まあ、レタスを用意してあるから、食わしてやれ。」

 

「対策は何があるか? 血の匂いがする所を好むということは…

ハーマイオニー、素晴らしい! そう、生肉を用意すれば良い。なんでも良い。酷いものは腐った魚の半身にすら、食いつくという報告もある。

その後は棍棒を取り上げれば良い。武装解除呪文、浮遊呪文なんでもオッケーだ。主にこの二つを駆使して、棍棒を取り上げてやれば忽ち逃げ帰る。」

 

「……レタスはそこにあるから、足りなくなったら出せばええ……」

 

「先週迄のレポートを読ませて貰ったが優秀な一言に尽きる。減点する所を探す方が大変だった。努力の成果が垣間見れるね。

今日はこの妖怪だ。そう妖怪、これはヒントだ。何故ヒントかまで分かると、喜ばしいね。

うん、その通り。士堂が言った通り、こいつは河童だ。アジア地域、特に日本と呼ばれる地域では、こうした怪物をしばしば妖怪と呼称する。

つまり妖怪なんて言葉が説明文にあったら、生息地は自ずと絞られやすい。…ハーマイオニーは察しがいいね。」

 

「……レタス食い虫が腹減っちょる。食わしてやれ……」

 

「生態について聞いてみよう。 パーバティ、惜しいな。

水辺に生息するのは正しい。ただ海では見られないか、もしくは大変珍しいと言える。大抵湖が生息地として挙げられる。後は川が住処とも報告があるかな。

さて河童は何をしてくるか… ラベンダー、よく教科書を読んでいた。

水中に引き摺り込んで、水掻きのある手で絞め殺そうとしてくる。」

 

「……レタスはここに置いちょる。」

 

「対処についてはどうするか? ハーマイオニー、完璧だ。

最も簡単な撃退方法は、お辞儀をすればいい。河童にとってお辞儀は、全面的な降伏に匹敵する、最大級の作法だ。

ではお辞儀するとどうなるか? 皿の水が溢れて、慌てて水中に飛び込むのさ。

水辺から離れ、冷静になれるかがポイントになるね。」

 

「……レタス、足しておいたら帰ってええぞ……」

 

新任2人に対する生徒の評価は全くの真逆だ。どちらも予想を大きく裏切ってくれた。

ルーピン先生は、いい意味でだ。分かりやすい解説と生徒を立てる講義は、一部生徒を除いて大変人気となった。

オドオドしがちなネビルなんかもこの講義ではイキイキとしているし、目が輝いていた。この講義を受けて以来、士堂達にとって最良の先生だろう。一部生徒のやっかみすら、ルーピン先生にはまるで効いていない。

対照的に悪い意味でハグリッドは裏切った。初回の失敗を引き摺り、なんとレタス食い虫についてしか、講義を行っていない。碌な説明もなく、ただ時間を潰す以外しないのだ。

レタス食い虫はレタスさえやってれば良いから、教えようがないとも言える。そんな事にすら気づかないハグリッドは、残念ながらダメ教師のレッテルを貼られてしまっていた。

 

他は概ね例年通りという評価に落ち着いたようだった。あえて言えば、2つ例外が挙げられる。先ずは以前にもましてネチネチと、特にグリフィンドールを虐めるスネイプ先生の魔法薬学だろうか。特にネビルは口から泡でも拭くのではと心配になる程、口攻撃の対象にされてしまった。ルーピン先生の時とは対照的に、文字通り蛇に睨まれた蛙のように自信喪失状態だ。

もう一つ()()占い学は、ハーマイオニーのように胡散臭い目でしか見ていない生徒と、パーバティ達のように熱狂する生徒に二分された。熱狂する生徒は女子が中心で、まるで世界の全てを見透していると言わんばかりの態度を取ることが増えている。熱狂する生徒の代表例であるパーバティ・パチルの夢みがちな文言が聞こえてくると、必ずと言っていいほどハーマイオニーの教科書が音を立てて閉じられた。

 

 

波乱が巻き起こりそうな講義を無我夢中でこなしていくと、いつしか月日は10月を迎える事になる。

この頃になるとハリーはクディッチ練習に明け暮れていた。一週間に三度、みっちりと仕込まれるのも、キャプテンを務めるオリバーが今年で卒業だからだ。何年もグリフィンドールは優勝杯を獲得できていない。今年は是が非でも優勝しなくてはならなかった。

熱のこもる練習に、ハリーは講義のストレスをぶつけるかのように集中していく。士堂とロンも次のクディッチの予想掛け金を、想定し始めていた。学校中でクディッチ熱が燃え上がり始めているのだ。

そんなある日の夜、ホグズミード行きの掲示板について話し、天文学の宿題を解いていた時だ。談話室の机で課題をこなしていると、部屋の隅から頭を撫でるような獣声が、小音ながら耳に入ってくる。音の方向に視線を動かしたロンの機嫌が急激に悪くなった。

 

「おい、よりによって僕にそれを見せるのか?」

「そんな言い方やめて。クルックシャンクス、お利口さんね。」

「そいつを僕に近づけるな。なにせスキャバーズが僕の鞄で寝てるんだ。」

 

ハーマイオニーのペット、クルックシャンクスを見たロンが、顔をくしゃくしゃに歪めていた。そんなロンを嗜めると、ハーマイオニーはクルックシャンクスを飼い主として褒めてやる。

だがロンの嫌いな蜘蛛の死骸を、クルックシャンクスはその口に直接咥えているのだ。蜘蛛にいい思い出がないものだから、とびきりの嫌な顔をしたままのロンは、しっしっと猫を追い払おうとしていた。

結局追い払えないまま天文学の宿題、星座図をハリーに写させるために渡したロンが、嫌な顔をしながら片付けを始めた時に騒動が起きた。

 

「おい、止めろ!!!」

「クルックシャンクス!」

 

じっとロンを見ていた猫が、唐突にロンの鞄に爪を立てたのだ。ロンが慌てて離そうとしても、深々と突き刺さった爪は容易に剥がれようとはしない。

強引に鞄を離そうとロンが振り回すと、ハーマイオニーが悲鳴を上げた。それでも離そうとしない猫だが、振り回した勢いでスキャバーズが外に飛び出してしまう。

 

「誰かあの猫を捕まえてくれ!」

 

叫ぶロンの声も虚しく、鼠を追う猫は誰にも止められない。場所が談話室だったから、生徒が捕まえようと手伝ってくれた。

しかし悪戯坊主のウィーズリー兄弟の匠の手すら、クルックシャンクスはすり抜けてしまう。やっとこさ整理箪笥に隠れたスキャバーズと、その前で体を震わせて威嚇するクルックシャンクスを捕まえると、今度は飼い主同士の言い争いに発展した。

 

「おかしいよその猫は!! どうしてスキャバーズを狙うんだ?!」

「猫なのよ、しょうがないわ! 悪い事だと思っていないんですもの!!」

「そいつ絶対僕の会話を聞いていたんだ!」

「この子は匂いで嗅ぎ分けただけよ、言いがかりは大概にしてちょうだい!」

 

次の日の薬草学は、またも険悪なムードだ。ロンとハーマイオニーはむすっとしたまま、一言も会話を交わす事なく講義を受けている。2人に挟まれた士堂とハリーは、身体が一回り小さくなったと思えた。特に士堂は事件当時、図書館にいたもんだから巻き添えに近いのだ。

不幸ではあるものの、ハリーは次の変身術の講義の後、ホグズミード行きの書類についてマクゴナガル先生と話さなくてはならない。友人の喧嘩にホグズミード、頭が一杯なハリーだ。

 

マクゴナガル先生の厳格な雰囲気を初めて気にする事なく、終業のベルが鳴った。喧嘩中の2人に挟まれた緊張感からか、深々と溜息をついた士堂は、暫く席から離れられなかった。

目も合わせない2人も、ハリーを待っているからか席を離れない。士堂が年季の入った机の滲みを、動物に見立てて時間を食いつぶしていた時だ。

 

「…そんな…」

「…ポッター、これは…」

「だめそうだなぁ。」

「そりゃないぜ、マクゴナガルは血が通っていないのか?!」

「危ないからに決まってるわ、当然の判断よ。」

「その言い方は何さ、ハリーはどうする?」

 

またも言い争いを始める2人に、士堂は床の埃すら愛おしいと思えてきた。

 

4人が、特に2人がわいわい言い合いながら教室を後にすると、マクゴナガル先生は暫く動かなかった。ホグズミード許可証の束を握りしめたまま、憂いを帯びた瞳を紙に向けている。

そんな折、教室の扉が開いてスプラウト先生が入ってきた。

 

「マクゴナガル、少しご相談が。…何かありましたか?」

「ええ、ポッターがホグズミード行きの許可証が保護者から貰えなかったと。そう言ってきましたので。」

「まぁ何と、それは酷な。このご時世では行けないのはしょうがないにしろ。」

「そんな気遣いがあの家にあるとは思えません。何も危険がないなら、私の方でどうにかしてもいいのですがね。」

 

悲しげに首を振ったマクゴナガル先生は、一枚の紙をスプラウト先生に見せた。その紙に目を通したスプラウト先生は、思わず口を押さえてしまう。

 

「やはり、校長の懸念通りという事ですかマクゴナガル?」

「ええ、アルバスが学期前に話した、避けるべき事態ですよ。何とも言えません、無力な自分が恨めしい。」

 

その紙にはこう記されていた。

 

私、士柳・安倍は保護者として士堂・安倍のホグズミード行きを、許可するものである。

追記 この度私、士柳・安倍は保護者として士堂・安倍のホグズミード行きの許可を、急ぎ取り下げる事をここに記す。」

 

 

ハロウィンの日がホグズミード行きの日だ。その日ハリーにとって憂鬱な朝を迎えたのだが、勿論表情に出さないようにしていた。

玄関ホールまでロンとハーマイオニーを見送って、嫌なマルフォイの目を逃れる。

熱心なハリーファン、2年のコリンをかわしつつぶらぶらと城内を彷徨いていた時だ。

 

「ハリー、何をしている?」

 

同じ言葉をフィルチにかけられたハリーだが、声の主はルーピン先生だった。先生のそれは、優しいものだ。

 

「ロンたちは?」

「ホグズミードです。」

 

その言葉を聞いた先生は、ハリーをジーと見つめる。そのまま教室にハリーを誘い込むが、ハリーを入れてから廊下の奥の方に大声をかけた。

 

「君も来たければ、来て良いぞ!」

先生の声は誰もいない廊下に響き渡るが、反応する音は聞こえてこない。それでもルーピン先生は、扉を閉めずに自室へと足を踏み入れた。ハリーは部屋の中で、水槽に入った怪物を繁々と調べていた。鋭い角が特徴の緑の怪物は、顔をガラスに押し付けて百面相をしている。

 

「そいつはグランデロー、水魔だ。あまり難しくはない、何しろ河童の後だ。

ー特別だよ。こいつ特徴はやはり長い指だね。一度掴まれると厄介だが、工夫次第では脆くもなる。

…勿論講義で正解しても、点数はあげられない。」

 

片目で不器用なウインクをしてから、ルーピン先生は杖を一振りした。教室の食器棚から、3人分のティーセットが瞬く間に用意される。小汚いが手入れの行き届いたそれが、几帳面にテーブルに並んだ。

 

「あの、僕たちだけです。一つ余分では?」

「僕もいるんだ、紅茶ぐらい飲んでもいいだろ。」

 

ハリーは心底驚いた。横にいるのは士堂ではないか? しかし彼はロン達とホグズミードへ…

そんな疑問は、一枚の紙切れで吹き飛んだ。そこには見慣れない文字と英語の一文が書かれている。

[分かるな。 安倍家66家宗主 安倍 士柳]

 

「この文字は? 筆記体みたいだけど英語じゃないよね?」

「日本語。見ての通り、僕たちは日本人の家系だから。僕なんかは英語の方が親しみあるけど、祖父さんは家族間の手紙じゃ、どうしても名前は日本語で書いてしまうんだな。

字は筆で書いているんだ。動物の毛で作った筆で、一筆で書くイメージ。もう日本人でも書ける人は多くないし、読めない人も多いよ。」

 

異国の文字に驚くハリーだが、大事な事はこんな事ではない。何故士堂が城に居るか、そこだった。

 

「つまりハリー、君を1人にしない為さ。祖父さんはよっぽど、シリウス・ブラックを警戒しているみたいだ。マクゴナガル先生に朝言われたよ。直接取り消しの文書が届けられていたんだと。」

「先生達も気をつけてはいるよ。それでも近しい人がそばにいる方が、より安全だ。何より安心するからね、君が。

ティーパックで入れたものだが、紅茶には違いない。」

 

ルーピン先生が入れてくれた紅茶を飲み、用意されたパウンドケーキを齧る。洋菓子に奪われた口内の水分を紅茶で補いながら、先生の話を聞く事になった。

 

「さて、何か話そうか。何でもいい、質問をしてみてくれ。」

 

ハリーは何かを考え込むかのように、紅茶のカップを見つめていた。やがて決心がついたのか、おずおずとルーピン先生に尋ねる。

 

「先生、その。何故真似妖怪の授業の時、僕の前に立ったのですか?」

「えっ?」

「僕が戦えない理由がありましたか?」

 

意外だとばかりに、ルーピン先生の眉が上がる。

 

「ハリー、言わなくても分かると思っていた。」

「何故なんです?」

「それはだね… ボガートが君を見たら、ヴォルデモート卿に変化すると思った。理由はそれだけだよ。」

 

今度はハリーが眉を上げる。ハリーにしてみれば、考え付かなかった答えだ。何故なら。

 

「僕はヴォルデモートよりも吸魂鬼の方が思い浮かびました。」

「そうか… そうかそうか。 いやね、僕は感心している。

つまり君自身の恐怖は、吸魂鬼 ーすなわち恐怖そのものだという訳だ。 うんうん…」

 

ケーキとお茶のお代わりを渡しながら、先生は何度も頷いた。その姿からは、どこか嬉しそうというか感慨深いという言葉が似合う、そんな印象を見受けられた。

先生は話の矛先を士堂に切り替えた。

 

「君はどうかな? 何か疑問や悩みなんかは?」

「そうですね。それなら僕からもハリーと似た事を。

ホグワーツ特急で吸魂鬼と会ったとき、僕の前に立ち塞がったのはハリーと似た理由ですか?」

「それも答えは簡潔だ。吸魂鬼に立ち向かえる力は君にはない。」

 

その言葉に顔を顰めたのは士堂だった。心外だとばかりに眉と眉をくっつける士堂に、ルーピン先生は講義のような話し方で説明してくれた。

 

「僕は君の魔術について多少知識があってね。吸魂鬼を君の魔術で排除出来るか? 出来るかも知れない。しかしそのとき、君自身も危険な目に遭う事は避けられないんだ。

あの時、吸魂鬼を追い払おうとは考えていなかっただろう? 君は排除しようとしていた。」

「そうです。浄化しようとしました。」

「吸魂鬼は存在自体が魔法なんだ。例え彼らを浄化出来たとしても、正の感情を抜き取ろうとする、魔法というより呪いに近い現象はその場に残る。

無論、カスに近い。が、危険な代物だ。何せ感情を吸い取ろうとだけする、台風みたいなものだからね。」

 

つまりだ、と言ってルーピン先生は一呼吸置く。

 

「あの時私が止めなかったら、君は吸魂鬼の浄化には成功していたかも知れない。しかし吸魂鬼を浄化出来たとしても、そこに残る残骸に英気を吸い取られる事になっていたね。

廃人とまでは行かなくても、聖マンゴ病院に半月は縛り付けられていた可能性は、十分高いと言えるよ。

いいかい、奴等に通用する術。それは近づかないか、ある魔法以外ないんだ。」

 

その時、スネイプ先生が教室に入ってきた。何やら煙が立っている、怪しげな薬をルーピン先生に手渡す。苦味が酷いのかしかめ面で薬を飲むルーピン先生を、スネイプ先生は瞬きもせずに見つめていた。

 

 

日が暮れて談話室に戻ると、ホグズミードに行った生徒が戻って来ていた。ロンとハーマイオニーは喧嘩のことなど忘れたかのようで、矢継ぎ早に村の詳細を教えてくれる。

魔法用具のダービッシュ・アンド・バンクス、悪戯専門店のゾンコ、有名なバー「三本の箒」、お菓子屋のハニーデュークス。2人の為に買ってきた大量のお土産をぶちまけながら、さながら日刊預言者新聞の「今日のお勧めスポット inロンドン」のようだ。

ロンとハーマイオニーはその後のハロウィンのご馳走も、全部お代わりしている。去年食べられなかったからか、もしくはホグズミードで飲んだというバタービールの影響か。

 

マルフォイの取り巻き達のような腹をさすりながら、ゆたゆたと歩くロンと共に、談話室に帰っている時だった。談話室の前でグリフィンドール生が、すし詰めになっている。

どうやら門番の役割をしている肖像画が、扉を閉め切っているらしい。パーシーが偉そうに胸のバッジを見せつけながら、先頭に向かっていった。

まるでこういうトラブルを待っていたかのように、自信に満ち溢れている。肖像画の前に着いたパーシーの生徒に注意する声が、聞こえなくなった瞬間だった。

 

「誰か、ダンブルドア先生を呼んでくれ、早く!」

 

パーシーの叫び声が、廊下に響き渡る。その声は悪戯とかではなく、緊迫した状況である事を示していた。その声を聞いたグリフィンドール生が、一斉に騒ぎ始め、周囲に戸惑いと混乱の声がひしめき合い始めた。

その時、音もなくダンブルドア校長が現れる。生徒が自然に道を開けると、後ろの方にいたハリー達も、肖像画を目にすることが出来た。

 

「ああ、なんて事なの?!」

 

ハーマイオニーが隣にいるハリーの腕を、がっしり掴んで叫ぶ。

肖像画は無残な姿を、あられもなく晒している。絵は滅多切りに、かなりの部分が切り取られていた。キャンパスの切れ端が床に散らばり、凄惨さを強調している。

ダンブルドア校長がもの悲しげに視線を落としていると、マクゴナガル先生始め数人の先生が、階段を登って校長に駆け寄ってきた。眉を顰めつつ、校長はマクゴナガル先生に指示を出すが、その顔色からするに彼自身ショックを受けているようだ。

 

「マクゴナガル先生、すぐにフィルチを呼んでくれたまえ。婦人を探してもらわなくてはならん。」

「ええ、勿論です。すぐに。」

「おお〜 ふとった、太ったレディはぁ〜 門番失格失格、見つかったら〜 お慰み〜」

 

神妙に頷いたマクゴナガル先生が来た道を戻ろうとした時、ビーブスはここぞとばかりにやってきた。大惨事や心配事をこよなく愛するポルターガイストは、先生達の上をひょこひょこ漂い続けている。

 

「ビーブス、詳しい話を聞かねばならんようじゃの。」

 

さしものビーブスでも、校長となれば例外である。特に今の校長の問いには、いつもの融和な声色は一切なかった。ポルターガイストはねっとりとした作り声で、嫌味ったらしく会釈する。

 

「校長閣下、恥ずかしいのです。ズタズタのあの女は、5階の風景画まで一目散に逃げていきましたよ。

ええ、ひどく泣き叫び、枝木を掻い潜ってね。ご愁傷様です。本当に。」

「婦人は誰にやられたか、何か言っておられたかの?」

「ああ確かに言ったました。そいつは婦人が中に入れないもんだから、酷くお怒りでしたねぇ。昔から何も変わっちゃいない。」

 

ビーブスは空中で宙返りすると、脚の間から校長を覗きつつ、なんとも言えない顔でニヤついていた。

 

「癇癪持ちのやる事は怖いですねぇ。あのシリウス・ブラックって奴は。」

 

 




講義に出てくる生物の一部説明は、オリジナルを加えさせてもらいました。
赤帽鬼の撃退方法、河童のお辞儀をする理由がオリジナル設定になります。


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膨張した悪意

シリウス・ブラック襲撃が判明した夜、全ての寮生は大広間で雑魚寝する事になった。監督生と首席が交代で見張りをしていると言っても、やはり気が気でない生徒が多く、大半はうたた寝程度の睡眠しかできない。

標的となったハリーと親しい友人達は、特に要注意対象だ。常に誰かが、枕元の周りを歩き回っている。眠れるはずもなく、大広間の扉近くで話し込む先生達の話声も、自然と耳に入ってくる。

 

「…校長、吾輩が学期前にお伝えした話、覚えておいででしょうかな。」

「無論じゃ。忘れてはおらんよ。」

「ご忠告した筈です。ブラックが校内に侵入する手段 ーそれは内部からの協力以外考えられないと。」

「セブルス。そのような不埒な輩は城内にはおらん。忘れたかの?」

 

聞こえてきた校長の口調は、断言的だ。この話題について話す気がないと、そう無言でスネイプ先生に伝えている。だが士堂にとっては、その後の校長の口調の方がやけに耳にこびり付いた。

 

「わしは吸魂鬼達に会わねばならん。セブルス、大広間を任せる。」

「校長先生、吸魂鬼は手伝うとは言ってこなかったのですか?」

「パーシー、これだけは言っておく。

わしが校長職にある限り、ホグワーツの敷居をあの連中に跨がせるという、愚かな決断はせん。」

 

 

事件以降、目立った事件は起こらなかった。変わったと言えばパーシーと士堂が常にハリーに寄り添っていることか。共に保護者からの命令だから、やる以外の選択肢はない。先生達も、常にハリーの視界に1人は入る距離にいた。

関わりのない生徒にとっては残念なことに、事件の影響で宿題が減るとか、講義が休みになるということもなかった。だが代わりにクディッチの試合もまた、予定通り行われることに変わりはなかった。

グリフィンドールのクディッチチームの練習が終わった後、帰ろうかと思っていた矢先、怒り狂ったキャプテンのウッドがやってきた。

 

「みんな聞いてくれ! 対戦相手が急に変わった! 相手はスリザリンではない、ハッフルパフだ!」

「冗談だろウッド? 練習のしすぎで幻聴まで聞こえ始めたか?」

 

フレッドがヘラヘラ笑うものの、ウッドは聴こえていないようだ。怒りで肩を震わせながら、手に持つ箒を握りしめている。

 

「フリントが直接言ってきた!! なんでもシーカーが箒に乗れる状態ではないとのたまっている! 

ありがたいことにマダム・ポンフリーのお墨付きだそうだ!!」

 

ハリーはウッドにバレないように、なんとか表情を崩さないようにしていた。

スリザリンのシーカーは、ドラコ・マルフォイである。魔法薬学の講義以降、嫌味と挑発が生き甲斐の御坊ちゃまは、ブリキのおもちゃかのように静かだった。

何せ校内において最大の味方である、スネイプ先生に半ば見捨てられたようなものだ。ハリーとすれ違っても、視界に入っていないかのように素通りしてしまうほど、ショックを受けていた。

 

クディッチのシーカーに求められる能力は、卓越した箒乗りのセンスに優れた動体視力だ。このうちマルフォイはいずれもハリーに劣ってはいるものの、並のシーカーよりはマシだ。

そのマルフォイを使えないとスリザリン側が言うとなれば、よっぽど心理状態は良くないのだろう。

 

「これで今まで練習してきたフォーメーションも戦術も、全て対スリザリン用だ。つまり全て一から洗い直す必要がある…」

「ウッド、うちのチームを少しは信じろ。ハッフルパフなんぞに苦戦はしないさ。」

「甘い、甘いぞジョージ! あそこの新キャプテンを誰か知っているのか?」

 

目から火が出るのではと思うほどに、ギラギラと目を光らせるウッド。

するとアンジェリーナ、アリシア、ケイティの女子3人がクスクスと笑いだしたもんだから、ウッドは顔を顰めた。

 

「セドリック・ディゴリー。」

「背が高くてハンサムで。」

「無口で強そうな。」

 

女子からの受けは、かなり良さそうだ。ハリーはセドリックを知らなかったが、一体どんな人物か少し興味が持てた。だが彼、キャプテンウッドは違う。

 

「舐めたらこっちが負けるぞ! ディゴリーは優秀なシーカーだったが、さらに恐るべき人物になっている!

最早ハッフルパフはかつてのチームではない、強力なチームに生まれ変わっている!」

「諸君の油断が、試合の敗北に繋がりかねない! 神経を集中し、ハッフルパフを打ち砕こうぞ! 

皆いざいかん、勝利の喝采を浴びようぞ!!!」

 

目の大きさが二倍になったかと見間違うほど、ウッドの目は見開いていた。白目が血走りすぎて赤く染まる、そのあまりの迫力に、あのフレッドが毒気を抜かれたような声を上げる。

 

「オリバー、落ち着けよ! 俺たちハッフルパフの事真面目に考えているよ。俺たち誓うよ、クソ真面目さ。」

 

 

試合の日は、猛烈な嵐に見舞われた。マグルの屋外競技なら間違いなく、今日の試合は延期だろう。しかし魔法使いにとって最も人気のあるクディッチが、この程度の雨で延期するはずが無い。

試合当日、ハリーは朝の4時半に目が覚めた。窓を強烈に打つ雷雨と、壁を吹き飛ばしかねない強風の音がやけに耳にこびりつく。ベッドに包まっても眠りにつけず、ハリーは談話室の暖炉前で時間を潰していた。

 

ハリーの脳内では、対戦相手のセドリック・ディゴリーが颯爽と箒に跨っている。城内で見た、女子の言うとおりの男子だった。あの体格なら、今日の強風も対して影響しない。それに対して…

そこまで考えると被りを振るハリーだが、中々体格の良いシーカーを脳内から消すことは容易ではなかった。

 

朝食のオートミールを食べてから、やっとこさハリーは目が覚めた気分になれた。いつもの真紅色のユニフォームに身を通し、競技者部屋に集まる。外の雷雨はますます激しさが増し、隣にいる人の声も聞こえづらい。

フィールドに出れば、強風の強さに意識が持っていかれた。何せ先頭に立つウッドすら、よろめきながらフィールド内を歩いているのだ。ハリーはこの時、友人達に相談しなかったことを後悔してしまう。士堂とハーマイオニーに何か助言を貰えば、対策の一つも取れたと言うのに…

 

ここ数日ハリーは過保護とも言える、警護体制に嫌気が差し始めていた。常に誰かがそばに居る状況は、12歳の少年にとって普通ではない。

だからハリーは、士堂との会話が徐々に減ってしまった。ハーマイオニーはずっと教科書かノートを覗き込んでいて、話しかける雰囲気ではない。

 

ハリーは何の対策もする事なく、この悪天候の中の試合を戦う状況を、自分で作ってしまったことにこの時気がついたのだ。だが無常にも時間は待ってくれない。試合開始の時はあっという間に訪れた。

 

「…箒に…乗って…」

 

フーチ先生の声は微かにしか聞こえない。それでもクディッチの始まりの言葉は、いつも一緒だ。一気に腹を決め、力強く地面を蹴って天空に昇り立つ。

 

 

選手がお互いの声が聞こえないなら、観客席は当然聞こえるはずもない。選手の姿すらはっきりと見えないのに、それでも観客席の熱気は高まる一方だ。観客席にはボロ布やら破傘やらが置かれてはいるものの、意味をなしているとは言い難い。結局観客はレインコートを羽織らなくては、とてもではないが観戦できない。

士堂とハーマイオニーは、どうしてフィールドや観客席にちゃんと耐水魔法をしないのか気になっていたが、クディッチ狂の1人ディーン・トーマスが教えてくれた。

 

「それはね、悪天候でもやるのがクディッチなのさ。『クディッチの醍醐味は悪天候の中、飛び回る選手の鬼気迫る姿にある。』なんて言った人もいる。誰だと思う? クディッチワールドカップの発起人だよ。」

「士堂達も分かるよ! パパとチャーリーと一緒にワールドカップを見た時は今日みたいな大雨でさ。声枯れるぐらい叫んだんだよ、あの時は楽しかったな。」

 

その狂った信念の下行われる試合は、最早異様でもある。灯りといえば、観客席に置かれた松明と鳴り響く雷のみ。黒い塊が四方八方を飛び回っているようにしか側からは見えないから、得点や状況を把握できた生徒が逐一周りに伝えていっていた。

どうやら試合はグリフィンドール優勢ではあるようだ。だがグリフィンドールが問題ないのかといえば、そんなことはない。

 

「ねぇ、ハリー達集まってない?!」

「それは、タイムを取ったからだ!ウッドは何か策があるのかな?!」

「じゃあ私ちょっと行かなきゃ!!」

 

ハーマイオニーはそう言うと、席を後にする。何が起こっているか分からない士堂は、目を凝らしてグリフィンドールらしき集団を見ようとした。

結局何をしているか分からなかった。分かったのはハーマイオニーがハリーに何かしている、程度だ。まだ目の強化と言った細かい強化魔術を使えない士堂では、これが今の限界だった。

しかしタイム以後、ハリーらしき影の動きがタイム前と比べ、見間違えるほど良くなっている。どうやらハーマイオニーは、ハリーの手助けは出来たようだ。

 

「よーしよし、いいぞハリー!!」

「やっちまえ! そうだそこだウッド!」

「カッコいいわ、ハリー!! ちょっとフレッドあれ? 何してるのよ、しっかり弾き返しなさいよ!」

 

グリフィンドールの雨にも負けないとばかりの声援が響く中、異変が訪れる。雷が鳴り響く空模様が、雷すら見えなくなったのだ。にも関わらずあの耳を切り裂くような爆音は、そこら中に響き渡っている。

この異変に気づけたのは1人だけだ。教師陣の中、ダンブルドア校長の表情が曇ったものの、マクゴナガル先生含め他の教師は目の前の試合に熱中していた。

 

「アルバス? どうしたのです、そのような顔をして?」

「…うむ。わしの気にしすぎだったようじゃ。何でもない、何でもない。」

 

そう言って校長は節が何個もついた長い杖を、そっと握りしめていた。

 

一方試合の方では動きがあった。ハリーがスニッチを見つけたのか、上空に急上昇している。姿格好はよく分からなくても、明らかに動きは段違いに上手いから直ぐに分かる。当然観客席は凄まじいまでに、沸き立つのだ。

あいも変わらず酷い雨模様だが、選手も観客席も一向に気にしていない。むしろ悪天候が彼らの熱狂を煽っているかのように、ヒートアップするばかりだ。

 

その時だ。雨にも負けない歓声が、水を差されたかのように沈黙した。

誰もが、顔を見合わせている。一秒前まで自分も叫んでいたはずなのに、それは遠い昔のように思えてきた。何故声を誰もあげないのか、自分があげられないのか全く理解できなかった。

そして生徒の1人が破傘の下から指を差した。震える指先の先には、黒く蠢く無数の亡霊ー

 

『天にまします我らが父よ。願わくば御前をあがめさせたまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ。

 

MALI SUPIRITUS DISCEDE 悪霊よ去れ!!』

 

瞬間、士堂が黒鍵と紙を空中に放り投げた。ローブの下から次々に黒鍵を取り出しては、矢継ぎ早に投擲していく。その剣先には筆記体で何か書き込まれた羊皮紙が突き刺さっており、目にも留まらぬ速さで青白い火となっていった。

計五本の黒鍵が空中に投擲されると、それぞれを結ぶかのように青白い光が紡ぎ出される。それは五芒星を漆黒の闇に描き出すと、更に頂点を囲む円が空中に投影された。完成した魔法陣から淡い光が放たれ始め、光を浴びた吸魂鬼が苦しそうに宙を舞い始めている。

それでも闇の手先は、魔法陣を突き破ろうと何体もぶつかってきた。士堂がローブから杖を取り出して魔法陣の中心に向けて構えると、膨大な魔力が注ぎ込まれる。魔法陣が青白い光を放ちながら、その輝きを増していく。魔法陣から雷のような閃光が瞬き、吸魂鬼達は避けるように辺りを漂い続けた。

より除霊の効果を増した魔法陣が吸魂鬼を遠ざけようとするも、敵の数は100はゆうに超えるだろう。13歳の少年魔術使いでは無理があった。吸魂鬼の黒いオーラが止めどなく放出され、ジリジリと魔法陣が地面に向けて押されていく。

 

士堂と吸魂鬼のせめぎあいが続くかと思われた時、その魔法陣の一番近くにいたハリーが、気を失ったかのように急降下した。先生達に指示を送っていたダンブルドア校長が地面に向けて杖を振り、華麗な杖捌きでハリーを瞬時に捉える。

綿毛が床に落ちるかのように、ゆっくりとハリーの身体が落下していく事を確認して、怒り叫ぶようなダンブルドアの詠唱が闘技場に轟いた。

 

『エクスペクト・パトローナム!! 守護霊よ来たれ!!』

 

純銀の不死鳥が杖から解き放たれ、真っ直ぐ吸魂鬼に向かうと瞬く間に散り散りとなっていく。声も手も出ない生徒と教師の顔をまた雷が照らし出した。

慌てたように両方のクディッチチームが地面に降り立ち、雨に打たれながら気を失うハリーに駆け寄った。ざわざわと観客席が響めき出した頃、グリフィンドールの席でドサっと何かが倒れる音が聞こえてくる。

 

「し、士堂! ど、どうしたんだよしっかりしろ!」

「ちょっと士堂、大丈夫?! ねぇ、しっかりして!!」

「…魔力を使いすぎた。大丈夫…」

 

青白い顔で笑う士堂だが、力が入らないのか何度も膝を打って躓いた。

その士堂の両肩をトーマスとフィネガンが支えて、彼を手助けする。

 

「よし、2人は士堂を医務室に行かせるんだ、皆談話室に戻ろう!」

「…マダム・ポンフリーからは薬を貰えればいい。魔力の回復をしたいと言ってくれれば…」

「オッケー、それは俺がやる。ロンとハーマイオニーはハリーの所に行ってやれ。パーシー、皆んなを頼む!」

「リー、それは僕の仕事だ! 首席の役目を勝手に奪うんじゃない!

さぁ皆んな固まって動こう! 6年生以上は杖を取り出しておけ、何があるか分からないぞ!」

 

双子の親友リー・ジョーダンが取り乱れる生徒たちにいち早く指示を出すと、不貞腐れたようにパーシーが後を引き受ける。リーはマクゴナガル先生の横で、実況解説を行うのが常である。その彼がこのタイミングでここにいることが、今の緊迫した状況を物語っていた。それでもすぐに下級生を誘導するのは、責任感の強さからだろう。

ロンとハーマイオニーが地面に倒れ込むハリーの下に駆け寄っていくのと入れ違いに、マクゴナガル先生が観客席にやってきた。その顔には憔悴の色が見え、元からある顔面の皺が更に深く刻まれていた。

 

「おお、士堂! 大丈夫ですか? 何があったのです、まさか奴らに襲われたとでも?」

「いえ、ちょっと魔力を使いすぎました。今リーが薬を貰いに行ってくれて。」

「そうですか、一応談話室に必要な物を届けさせましょう。トーマス、フィネガン。丁重にお送りしなさい。 

パーシー!」

「はい先生!」

「生徒達の避難は任せます。私は全体の警護をしなくては…」

「大丈夫です、先生。既に下級生は塔に戻っています。」

 

大きく胸を張ってパーシーが答えた。胸の首席バッジが雨に打たれて鈍く光るのを、マクゴナガル先生は苦笑していた。

抱き抱えられながら塔に戻ろうとする士堂の背中に、マクゴナガル先生が声をかける。

 

「貴方の行動はアルバスに匹敵しました。その勇気ある行動に対し、グリフィンドールに50点を与えます。」

 

 

クディッチの試合がグリフィンドールにもたらしたものは、単なる敗北だけではなかった。まずは吸魂鬼を、必ずしもダンブルドア校長が御しているわけではないという事。あの時の校長の反応からすると、付近を飛んでいた事自体があり得なかったのだろう。

士堂の力も完全ではない。また吸魂鬼が規則を破った時、学校内でも肩を並べるものがいない魔術使いであると共に退魔師(エクソシスト)たる士堂ですら、塞ぎ切れたとは言いづらかったのだ。

もう一つ、これはハリーにとって最も辛いと言える、残酷な現実が伝えられた。ハリーが落下した時乗っていた、クディッチデビュー以来の相棒ニムバス2000。この箒が運悪く落下中に飛ばされ、暴れ柳に当たってしまったのだ。目が覚めたハリーの手元には、原型を留めていない木の切れ端が渡された。

 

ハリーがこれ等のことを知ったのは医務室のベッドの上でだった。目が覚めたとき視界に入ったのは、真っ赤な目にびしょ濡れのローブをきたロンとハーマイオニーだ。グリフィンドールのクディッチチームも見舞いに来てくれていたが、格好はロン等とそう変わりはない。つまり皆試合の後、ずっとハリーに付き添っていた訳だ。

士堂と再会できたのは、医務室から退室してからだった。ロン等と談話室に駆け込んだ時、暖炉の前で寛いでいた士堂を見ると、ハリーは思わず抱きついてしまったのは笑い話だ。

 

しかしこれ等の不幸な出来事も、次の事実に比べれば屁の河童だった。

ハリーが講義に戻り始めた頃、それは嫌でも目に入ってくる。

「ふおおおお… ああ、魔力がなくなってしまう、おおおお…」

「「ハハハハハハ!!」」

「助けてくれええええ! 箒から落っこちまう、シーカーがスーと落ちちまうよおお…」

「「ハハハハハハハハ!!!!」」

 

マルフォイを目にしたスリザリン以外の生徒は、水を得た魚、という慣用句の実例をまざまざと見せつけられている。正しく息を吹き返したかのように、マルフォイは生き生きとしているのだ。

ハリーの転落と士堂の魔力切れは決して失態ではない。それはあの会場にいた全ての人の意見だ。しかしマルフォイからすれば、そんなことはどうでもいい。あのハリーと士堂がやらかした、この一点のみが重要なのだから。

講義前に皆が集まる時や魔法薬学の講義の時、同級生に向けて2人の真似事を必ずと言っていいほどするのだ。かなりマイナスの嗜好が強められた真似だが、スリザリン生は皆腹を抱えて笑っている。たとえ講義中とてそんな真似をしたら注意される筈だが、スネイプ先生はマルフォイが真似をしている時、版を押したかのように背中を向けていた。そしてロンやシェーマス達が嗜めるときには、決まって真っ直ぐ様子を観察しているのだ。

 

そして遂にロンが癇癪を爆発させ、授業中にマルフォイに向かって大きなワニの心臓を投げつけてしまい、()()()()()()スネイプ先生によってグリフィンドールは100点の減点を食らった。

減点を言い渡した時のスネイプ先生は、まるで砂漠のど真ん中でオアシスを見つけたかのように、不自然なほど喜んでいた。あの能面のような顔がニヤリと笑みを描いた時と言ったら、ちょっとしたホラー小説なぞ相手にならない程不気味だった。

そんな扱いを受けて、黙っているグリフィンドール生はいない。口々に悪態をつくのを、ルーピン先生が苦笑いしていた。

 

「まあまあ。気持ちはわかるが、スネイプ先生だからといってそんなに僻んでもダメだ。ロンが行った行為は紛れもなく減点されるべきだからね。」

 

尚も不貞腐れるグリフィンドール生をあやすためではないだろうが、ルーピン先生は面白い生き物を用意していてくれた。おいでおいで妖精という、無害そうな生き物についてジョークを交えながら解説してくれたのだ。

授業後、あの無害な生き物の話題で盛り上がる同級生と一緒に教室を出ようとしたハリーと士堂は、ルーピン先生に呼び止められた。

 

「話がある。少しここに残ってくれ。」

 

 

皆がでた後、教室には3人だけしかいない。そしてこの3人が話すことは、考えられる限り一つしかない。

 

「試合の事は先生方から聞いている。箒は残念だったね。元には戻らないか?」

「暴れ柳が木っ端微塵にしてくれました。」

「ああ、暴れ柳か。あれは私がホグワーツに入学した年に植えられた。

皆で幹に触れられるかどうかゲームをしたものだ。デイヴィ・ガージョンという生徒が片目を抉られそうになって、近づく事は禁止されたけどね。」

「先生、どうして吸魂鬼は…」

 

ハリーが言いにくそうに話を切り出した途端、先生はそれを遮った。話さなくてもいいと無言で言っているようだったが、ハリーは我慢できないかのように言葉を吐き出す。

 

「どうして僕ばっかりなんですか? 他の人じゃなくて、明らかに僕だけ狙われている! つまり僕が…」

「弱くはない。ハリー、それは決して違うよ。」

 

ハリーの言わんとする事を、先生は強く否定した。

 

「吸魂鬼が君を狙う理由は、君の過去があまりにも惨たらしいからだ。それ以外の理由はないよ。」

「吸魂鬼は地上を歩く生物の中でももっとも忌まわしい生物のひとつだ。もっとも暗く、もっとも穢れた場所にはびこり、凋落と絶望の中に栄え、平和や希望、幸福を周りの空気から吸い取ってしまう。マグルでさえ、吸魂鬼の姿を見ることはできなくても、その存在は感じ取る。吸魂鬼に近づきすぎると、楽しい気分も幸福な想い出も、ひと欠けらも残さず吸い取られてしまう。やろうと思えば、吸魂鬼は相手を貪り続け、しまいには吸魂鬼自身と同じ状態にしてしまうことができる――邪悪な魂の抜け殻にね。心に最悪の経験だけしか残らない状態だ。

そしてハリー、君の最悪の経験はひどいものだった。君のような目に遭えば、どんな人間だって箒から落ちても不思議はない。君はけっして恥に思う必要はない」

 

ハリーの肩を掴もうと腕を伸ばすが、何か躊躇ってルーピン先生は手を引っ込めた。俯きながらハリーは、喉が詰まったような声で話し続ける。

 

「あいつらがくるとー ヴォルデモートが僕の母さんを殺した時の声が聞こえるんです。」

「ハリー…」

 

隣に座る士堂が肩を撫でてやる。それを見て、深い溜息をついたルーピン先生はドサリと椅子に腰掛けた。頬杖をつく様は、窓から降り注ぐ冬の日差しに照らされて、やけに老けて疲れて見えた。

 

「どうして奴らはハリーの試合に現れたんですか。確かに会場は城の外と言えなくもないですが、校長が許可するとは思えません。」

「飢えていたんだ。人間という獲物が目の前にいるのに喰らえないものだから。あのクディッチの闘技場を埋め尽くす精神の興奮を感じれば、我慢するなんて考える頭は持ち合わせちゃいない。」

 

忌々しそうに士堂が地団駄を踏むと、ルーピン先生はやめるように目で促してくる。

 

「…じゃあ先生。このままハリーが吸魂鬼に怯える日々を過ごせと仰るのですか?!」

「そんな事は言っていない。校長を信じるしか手立てはない、シリウス・ブラックを捕まえられるまでね。」

「そういえばどうしてシリウス・ブラックはアズカバンを抜け出せたのです?」

 

荷物箱に教科書を詰めながら、ルーピン先生は士堂の疑問に答える。

 

「分からない。あのアズカバンから抜け出せる方法を、考えついたのだろう。それしか私からは言えないね。」

「そうだ、先生! 先生は列車の中で吸魂鬼を追い払いましたよね?!

その方法を教えてください!」

「ハリー、それは無茶なお願いだ。あの魔法は非常に特殊であり、私は吸魂鬼の専門家では…」

「先生、今度クディッチの試合で奴等が現れたら、僕何も出来ません!」

「そうか… よし、分かった。でも休暇が明けてからにしよう。やる事が山積みな上にほら、病気がね。全くどうしてこんな時に…

士堂、君にも教えておこうか。」

「しかし先生、僕には、」

「いや、ハリーと一緒にいるのだから、覚えておいた方がいい。それに今の君では、多数の吸魂鬼に対処できないだろう?」

 

ルーピン先生の言葉は、何処か冷酷な意味合いが含まれていた。少なくとも士堂にはそう感じられたから、彼の手は硬く握りしめられた。

膝上で握りしめられる手を視界に入れつつも、冷めた視点からの言葉は尚も続く。

 

「言ったはずだ。君の除霊・浄化魔術では限界がある。この事実はいかに認めたくなくても、あの会場にいた人全てが知っているよ。居なかった僕でさえもね。」

「しかし!!」

「士堂。私は君の能力を疑っては居ない。もしかしたら成功する可能性、まあ無いわけではないからね。

だがね。私の経験と憶測から言えば、ここで学んでおく方が友人は救えると思うよ。」

 

士堂の顔が俯いたまま、微かに頷いたように見えた。それを見たルーピン先生はにっこりと、満面の笑みをハリーに向ける。すぐに周りの荷物を魔法で整理しだした。

だがハリー達に背を向けて、トランクを整理する先生の顔には、酷い疲れと何かしらの感情が隠しきれていなかった。

 




クディッチ戦です。 何故悪天候でもクディッチが行われるか、自分なりに考えてみて設定しました。何か理由でもあるんですかね?


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未成熟故の難しさ

あの忌まわしいクディッチの試合の後、訪れたのは平穏だった。頭にくるマルフォイを無視さえすれば、どうということはない。レイブンクローがハッフルパフに勝利したことで、グリフィンドールの優勝がまだ完全になくなったわけではなくなったから、ウッドもまたクディッチの狂信者として蘇った。吸魂鬼も城内には一歩も入らない事を見ると、よほどダンブルドア校長に手酷くやられたと見える。

 

正しく平穏と言うべき日常がホグワーツに訪れている訳だが、ハリーはちっともそうは思えなかった。

 

「クリスマスショッピングはあそこで済ませられるわ。パパママもハニーデュークスの『歯磨き糸ようじ型ミント菓子』をきっと気にいると思うわ!」

 

学期末、またホグズミードへの許可が降りた。ハリーの為に学期休みもホグワーツに残るロンとハーマイオニーだが、ホグズミードには行くらしい。つまりは三年生で城に残るのは、またハリーと士堂だけだ。

 

「ハリー、そんな顔すんな。僕は城内にいるんだからさ。」

「うん、分かってるよ。大丈夫。」

 

ハリーは士堂にそう言うものの、顔には嘆きと悲しみがありありと浮かんでいる。何とかロン達と共にハリーを励ます士堂だが、その光景を見ていた人物がいた事には、全く気づかなかった。

 

 

ホグズミード行きの土曜日は、ホワイトクリスマスらしく朝から雪が降る寒い日だった。マフラーやスカーフに覆われたロンたちを見送ってから、ハリーと士堂はグリフィンドール塔に戻ろうとしていた。

 

「ハリー、談話室で何するんだ?」

「僕は『箒の選び方』を読み直す。あの流れ星って箒じゃ、とてもじゃないけど試合に勝てない。もっとマシなの買わなきゃ…」

「そうか。僕も本を読むつもりなんだけど、図書館で調べなきゃなんない。どうしようか。」

 

ハリーは苦笑いすると、面倒くさそうに手を振った。

 

「うん、行っていいよ。僕の事は心配しないで。士堂も張り付いてばかりじゃ大変だろうし。」

「本当に大丈夫か? こっちとすりゃ一緒にいるぐらい…」

「大丈夫。そんなに時間はかからないでしょ? もし見つけられたら談話室に来て。」

「了解。お言葉に甘えて図書館で探し物させてもらうかな。」

 

士堂はそう言うと、ハリーに手を軽く振ってから階段を降りていった。もし、この時半秒でも降りるのが遅かったら展開は変わったかもしれない。階段の上で微かに見えた二つの影を、見逃す士堂ではなかった。だが残念ながら、丁度士堂が背を向けたタイミングで、チラリと影が動いたのである。

 

 

士堂は真っ直ぐに図書館に向かうと、人気のない本棚をするすると抜けていく。図書館には二回生以下の生徒と、極少数の上級生以外見当たらなかった。

図書館の構造としてはまず無数の本棚があり、一定の間隔ごとに読書用の机が置かれている。そして本棚の奥にあるのが、何度かお世話になっている禁書の棚だ。本棚にはそれぞれ数字と番号が振られており、索引が簡単に出来るようになっていた。そして索引は、ホグワーツならではの方法である。本棚の隅に置いてある古ぼけたノートを、士堂は手に取った。薄茶色に汚れた表紙には、金色の文字が辛うじて浮かんでいるだけで、何と書かれているかは全くわからない。その表紙に向かって士堂は杖を振る。

 

『フィンド 探せ。 守護霊の魔法』

 

パタパタとノートが1人でにページを捲り、外見に釣り合わぬほど真っ白な1ページを開いた。するとリドルの日記のように、文字が滲み出てくるではないか。やがてはっきりと現れた文を一読してから、士堂はページを切り取った。

 

(もしかしたらヴォルデモートは、この図書館専用の索引ノートから、あの日記を思いついたのか?)

 

数字と番号を確認しながら、ふとそのような事を考えていた士堂は、目当ての棚にたどり着いた。棚自体は番号で区分され、棚の段ごとに数字が割り与えられ更に細かい番号が振り分けられる。例えばクディッチのことなら、CからEの棚、Fの3段目の四番までと言う具合だ。

 

「えっと、G Gの2番… 」

 

紙と棚を交互に見ながらの作業は、周囲への関心が薄れやすくなる。この時の士堂も、その典型例であった。

 

「おわ?!」

「きゃ?!」

 

本を取ろうとした手に、隣から伸びてきた別の手が触れる。予想だにしていなかったことだから、思わず声が両方から漏れた。奥から図書室の司書であるピンズ先生の咳払いが聞こえてくる。

 

「ごめんなさい、気づかなくて…」

「いやこちらこそ申し訳ない…」

 

慌てて謝る両者は、初めて面と面を合わせた。一瞬触れた感触的に男性ではないと直感していた士堂だが、よくよく見てみれば、彼女はハーマイオニーやジニー、ルーナとはまた違う印象のある女性だった。

まず大人びて見えた。少し士堂よりは高いだろうか、上級生だろう。茶色の瞳と真っ黒な髪に目を惹かれるものの、一番気になるのはー

 

「…アジア? 日本人じゃないな。何というか…」

「チャイナ。中国よ。私の両親はどちらも移民系。ホグワーツではまだまだ珍しいのよね。私達アジア人って。」

 

士堂は全くわからないが、彼女は士堂を知っているらしい。当惑しているのが態度か表情に出ていたのか、彼女はクスリと笑った。

 

「あなた有名人よ。グリフィンドールの生き残った子の友人で除霊師。噂じゃ摩訶不思議な魔法を使う、勇敢な剣士だってレイブンクローでも聞く話よ。」

「すっかり変な噂が広まってるじゃないか…」

「変じゃないと思うけど。初めまして、私チョウ・チャン。今四年生で、レイブンクローのシーカーを担当しているわ。」

「上級生?! いや、えー士堂・安倍です。知っての通りですが…」

 

慌ててローブを整える士堂だが、チョウは気にすることなく話しかけてくる。彼女が髪をかきあげると、ふわりとジャスミンのような、爽やかな香りが士堂の鼻腔を刺激してきた。

 

「いいわよ、堅苦しくてやだわ。少ないアジア系として仲良くしましょ。ねぇあなたが探しているの、守護霊の魔法について?」

「そう…で、OK、だね。ちなみにチョウ…も同じものを?」

「ふふ、そう。考えている事は多分同じ。少し違うのは私は自分の身を守る為、かな。」

 

チョウが手に取った本の背表紙には、銀白の文字でタイトルが書かれている。みれば周辺の本には幾つも同じタイトルの書き方が見つけられた。

 

「一緒に探してみない? 折角同じ事を探しているんだし、何かの縁じゃなくて?」

 

 

「つまり守護霊の魔法の難易度は極めて高いわ。学術書がここまで少ないのも、そもそも使いこなせる或いは研究できるレベルに習得できた人が少ないのね。」

「道理で資料が少ない訳だ。こうもあやふやな記述ばかりだと本を信用できなくなるな。信頼できそうな資料の多くが闇払いに関係しているのは?」

「現状使える人は闇払いが殆どなのよ。闇払いの試験でこの守護霊の魔法があるから、使えない人はいないと思うけど。なんにせよ、本から学べるような魔法ではなさそうね。」

 

何冊も積み上げられた本の山に埋もれながら、2人は同じ本を睨み合っていた。チョウはハーマイオニーほど優秀ではないが、流石にレイブンクローのシーカーを務めるだけあって頭が切れる。士堂とのやり取りに遅れる事はなくいいテンポで相槌を打つから、自然と2人の話は盛り上がっていた。

士堂の頭からはすっかりハリーの事は抜け落ちていた。今はチョウと共に、守護霊の魔法習得に必要な環境を探す方法を論議している。

 

「場所は特に指定はないけど、隔離された空間がいいと思う。精神統一の要素が割合強く含まれているわ。そして1人でやるのは反対ね。」

「どうして? この難易度なら1人で集中しなきゃ習得できないんじゃないか。」

「フリットウィック先生が仰ってたわ。難易度が上がるほど、他人と練習し合う方が習得は早いって。お互いに教え合うことで自分もコーチングすることになるし、失敗する時の前兆に気付き易くなると言うの。」

「なるほど。と言う事は誰か習得した人を呼ばなきゃいけないな…」

 

そこまで行ってから、士堂は外の薄暗さに気がついた。既に日はとっぷりと沈み、星の光が見え始めている。チョウも外の光景から今の時間に気が付いたらしい。本を返却棚に一斉に返すと、身支度を手早く整えていった。

 

「ごめんなさい、長い時間かけちゃったわ。もう戻った方が良さそうね。」

「ああ、そうしよう… しまった、迂闊だった!」

「どうしたの?」

「ハリーを1人にしちまった! ごめんチョウ、守護霊についてはまた改めて話したいな!」

「ええ、いいタイミングがあればいいわね。 お気をつけて!」

 

風のように図書室を出る士堂の後ろ姿を見ながら、小さくチョウが呟いた。

 

「友達守る為に必死になるなんて、やっぱり剣士じゃない。」

 

 

士堂は借りた本を脇に挟みながら、できる限りの速さでグリフィンドールの談話室に飛び込んだ。もう夕食の時間すら過ぎていたが、彼にとってはどうでもいい。双子が浮かれ気分で、ホグズミード土産のクソ爆弾を爆発させる中、士堂はハリーの姿を探していた。

探していると妙なことに気がついた。それは息を何度も吹き付けながら首席バッジを磨くパーシーでも、習ったばかりの骨占いに耽るラベンダーでもない。

 

どんよりと沈んだ雰囲気を漂わせる、ロンとハーマイオニーだった。少なくとも朝彼らを見送った時、躊躇いは見えたもののこうも落ち込んではなかった。

 

「おい、ロン? ハーマイオニー? どうした?」

「ああ、やややぁ、しし士堂?! 」

「? どうしたロ…」

「ああ私まだ読めてない教科書があったわね。し、失礼しますわ。ご機嫌よう!」

「お、おい…」

 

全く可笑しかった。2人の反応は今まで見たことが無かったほど、不自然極まりない。まるで何かを隠しているかのようだ。

そして士堂は、まだ寝込む時間ではないが故にまだ1人もいないと思われる寝室に向かった。

 

「…ハリー。」

「っぅ?! …士堂…」

「ごめん、ほったらかしにしちゃったな。大丈夫だったか?」

「う、うん。大丈夫、僕は大丈夫だよ士堂。 まあ、僕疲れたから寝るね。」

 

ハリーは何かをじっと見つめていた。士堂に声をかけられて慌てて隠したものの、チラリと見えた中身は士堂の脳裏に焼きついた。

 

「ご両親の写真を見てどうしてた?」

「な、何でもない。」

「ハリー。 …まさかな」

 

挙動不審のハリーを見た士堂は、一計を講じる。壁にかけられたハリーのユニフォームを見ながら、さも今気がついたかのように問いかけた。

 

「ハリー、口についてるのはバタービールか?」

「えっ、泡なんてついちゃ…」

「バタービールを飲んだら口元に泡がつくなんてよく知ってるな。飲んだことあるわけないのに。」

 

口元を拭う仕草をしたハリーの顔から、みるみる生気がなくなっていった。

 

「ハリー、俺と離れてから何があったか言え。これは友人として言っているんじゃない。魔術使い、安倍士堂が言っているんだ。」

 

「…呆れた。呆れたよハリー。」

「……」

「君自身がホグズミードに抜け出した? 笑い草だ、ええ?

俺や校長達が躍起になって君を守ろうとしてるってのに、その君が防護網から抜け出すとはね?!」

「…ごめんなさい。」

「分かっていない。いいか、君の行動の問題点。それは対策を君自身が潰しているんだ。先生達が如何に君を守ろうとしても、その対策に重大な穴が開くんだぞ。

君が襲われてよしんば帰れたとしても、反省できるわけがない。そうだろう、守られる対象自らが抜け出すんだ。どうしようもない。」

 

士堂が怒っている事は明白だった。それを分かっているからこそ、ハリーは半泣きでベッドの上に正座しているのだ。

しかし士堂にとっても、ハリーから聞いた話は厄介だった。先ずは抜け道の存在。あの悪戯双子が愛用した「忍びの地図」。抜け道どころか、周囲にいる人間すら感知する優れものだ。

ハリーはこの便利アイテムを使い、誘惑に負けてホグズミードに抜け出したのだ。そしてロンとハーマイオニーと合流したのち、有名なバー「三本の箒」でバタービールを引っ掛けていたらしい。そのワクワクするような逃避行も、直ぐに終わった。

 

「シリウス・ブラックはポッター夫妻の花婿付き添い人。そしてハリーの名付け親、か。そのシリウスを捕らえようとしたのがジェームズ・ポッターの友人、ピーターペティグリュー…」

 

なる程、頭の片隅にあった謎のいくつかが解けた。1つはシリウス・ブラックがハリーを執拗に狙うのは、彼の名付け親だから。彼はハリーの両親、特に父親と親友だった。そしてポッター夫妻が身を顰めるとき、考えられる最大の護りとしてシリウスを秘密の守人にしたのだ。

この魔法の特徴は、守人が内容を明かさない限り秘密が漏れる事はない点にある。ハリーにかけられた愛の魔法と同じ、原初の魔法だ。だがシリウスはヴォルデモートの手先として、裏切った。更なる帝王への土産として、遺児であるハリーを付け狙っていたのだ。

 

2つ目は祖父のあの反応だった。珍しく苛立った様子でシリウス・ブラックについて話していたのは、彼を知っているからこそだったのだ。恐らくダンブルドア校長に協力していた時、顔見知りだったのだろう。2人の友好関係も目にしていた筈だ。

だから許せなかった。怒りを隠しきれないほどに、乱れたのだろう。

 

「まあ、色々と言いたいが… とりあえず地図は持っておこう。」

「駄目! これは渡せない、駄目だ!」

「ハリー、分かっていないのか?!」

「分かってる、でも駄目だ! これだけは駄目なんだ、離しちゃ駄目な気がするんだ!! 」

 

士堂が手を伸ばして古い地図を取ろうとすると、ハリーは必死に抵抗してきた。まるで宝物を守る子供のようにー事実まだハリーは子供と言えるがー彼は地図を隠している。その姿から見てかなり頑固であること、無理やり取ろうとしたら厄介なことになることは明白だった。

 

「…ったく。わかった。何でこんな意固地なんだよ…」

 

半ば呆れたように呟くと、士堂は自分のベッドに寝転んだ。士堂は背後からハリーの視線を感じていたが、無視して掛け布団を頭まで羽織った。暫くしてからロンが寝室に戻ってきた。恐る恐る入った所を見るに、彼自身も少なくない負い目を感じているようだ。そのような3人の葛藤を知らないネビル達が帰ってくるまで、嫌なほどの静寂が寝室に流れていた。

その静寂の中、士堂は誰にも言っていない事実について考えていた。それは祖父母も触れたがらない、ある人物達の事だ。シリウス・ブラックやジェームズ・ポッターの話を聞いてから、どうしてもその人達の事が頭から離れなかった。彼らはシリウス達と浅くない付き合いだったはずなのである。士堂自身詳しく知らないものの、直感的にそうだと信じていた。

しかし相談出来る人は居なかった。胸の奥に閉じ込めると、明日からの問題を忘れるかのように士堂は眠りにつくー

 

 

次の日は冬季休暇の一日目で、談話室にはロンとハーマイオニー以外誰もいなかった。士堂が階段を降りてくると、それまで額を寄せ合ってヒソヒソ話し合っていた2人が、パッと離れて視線をあちこちに飛ばしている。

 

「別に怒っちゃいないから、昨日何があったかだけ教えてくれ。」

「そう言っている人って、大概怒ってるんだよね。」

「ロン!」

「ご、ごめんよハーマイオニー。でも信じてくれ、士堂。僕達だって知らなかったんだ。」

 

2人はハリーの独断行動を知らなかった。ハリー達へのお土産を物色していた時に、後ろから小突かれたらしい。ハーマイオニーは士堂同様に嗜めたらしいが、ハリーの寂しさを感じていたロンが庇ったようだ。

そこまで聞いて士堂は問題の難しさを感じていた。恐らく双子もハリーが寂しさを感じている事に薄々気づいていたから、あの地図を手渡したのだろう。そもそも13歳には耐え難い仕打ちである事は間違いないのだ。

そして士堂は幼少期、年相応に遊び道具を与えられたしそこそこに外に出かけはしていた。しかしハリーは違う。抑圧された幼少期を過ごしながら、自由の身になった途端にこれだ。ハリーの限界が超えたとしても、士堂に彼を責める事はどうしても難しかった。

ハリーの独断を許しては、ホグワーツの護りそのものが覆る。本来なら強引にでも地図を奪い、ハリーを縛りつけるぐらいはしなくてはならない。だが士堂には前日の叱責が限度だった。あれ以上の行動を取るには、あまりにも経験と度胸が足りていないのだ。

 

そして今、4人はハグリッドの小屋に向かって歩いている。昼食の時間まで寝ていたハリーが、どうしても行きたいと言って引かなかったのだ。ハグリッドにシリウスについて問いただしたい思いが、抑えられないようだった。

少なくともハリーのストレスが少しでも解消出来るなら、とハグリッドの小屋に向かった訳だが、粉砂糖のような雪が屋根に降りかかった小屋で予想外の現実を知ることになる。

 

「ピックバーグが? どうして?」

「どうしてもこうしてもあるかい。『危険生物処理委員会』は今までも面白え動物を目の敵にしてきた!」

 

4人が目にしたのは、大泣きしているハグリッドだった。髭に無数の涙をつけるハグリッドを宥めつつ話を聞くと、あの初回の騒動の決着がついたらしい。

だがその決着が問題だった。ハグリッドへのお咎めはないものの、マルフォイに襲いかかったヒッポグリフ、バックビークは殺処分に晒されると言うのだ。

 

「にしても面白い、ねぇ…」

「ハグリッド、バックビークの処分は覆せる。無罪だって勝ち取れるに違いないわ。」

 

士堂はハグリッドの言う面白い動物を思い浮かべると、口端がひくつくのを止められなかった。どうやらこの危険生物処理委員会とハグリッドでは、認識に大きな食い違いがある。だが大いに泣き、嘆くハグリッドを哀れに思ったハーマイオニーがなんとか励まそうと頑張っていた。

 

「しっかりした強い弁護をやれば大丈夫よ。心配しないで。」

「変わらんわい!! 連中はルシウスの手の内だ、奴らは恐れて言いなりなんだ!! バックビークは、あいつは…」

 

両腕に顔を埋めて、おいおいとハグリッドは泣き叫んだ。その様子はまるで玩具を没収された子供のそれであるが、彼はいい大人なのだ。あまりの嘆きように引き気味になりながら、ハリーが聞いた。

 

「ダンブルドアはどうなの? ハグリッド。」

「あのお方は、俺の為に十分すぎるほどに手を尽くしてくだすった。」

 

そこまで言うとチーンと鼻を噛んだ。涙に加えて鼻水までもが髭について、こう言っては悪いが汚らしいと士堂は感じずにはいられない。

 

「でもこれ以上望むのは無理なこった。ただでさえ吸魂鬼を城内から締め出したり、シリウス・ブラックの対策で毎日のように考え事をしてなさる… 手一杯だ。」

 

ハリー以外の3人は、ハリーをチラリと見た。ブラックについて聞きにきたのは、ハリーの要望だったから。しかしハリーは小さく首を振って、聞く意思がない事を示した。今のハグリッドからシリウスについて聞きたいことが聞けそうにもないし、こんなにも悲しむハグリッドが不憫で仕方なかった。

 

「ねぇハグリッド。諦めちゃダメだ。何か方法があるはずだよ。」

「そう、そうだわ! 私ヒッポグリフいじめ事件の本を読んだことがある。ヒッポグリフは釈放されたはずよ。詳しい資料を探してあげるから元気出して。」

 

ハーマイオニーの提案を聞いた途端、余計に大泣きするハグリッドをなんとか宥めつつ、あれやこれやと話を続けた。そうしないといつまでも泣き続けそうなのだ。

その中で士堂にとって、去年ハグリッドが連行された吸魂鬼のアジト、アズカバンについての話が興味深かった。

 

「別にどうってこたない場所の筈なんだ。石造の牢屋に鉄格子が取り付けられただけなんだわ。しかし奴らがウヨウヨいると、ひどい思い出ばっかり思い出すだ。

ホグワーツを退校した日… 親父が死んだ日… ノーバートが行っちまった日… どれもこれも辛え思い出だがあん時はもっと悲しく思えた…」

「暫く…どんくらい経ったのか分からねえが、何にもやりたくなくなった。とにかく死にてぇと思うんだが、それすら億劫というかやる気にならねぇ。寝ている間にこう、ぽっくりいきてえとそればかり考えた。

それ以外考えられなかった。恐ろしい、恐ろしい所だ…」

 

士堂は何故魔法省が吸魂鬼を使役するのか、その理由の一つが分かった気がした。ようは安いのだ。彼らは獲物、特に選り好みしないから凶悪な犯罪者だろうがお構いない。ただ囚人を隔離する部屋を設け、奴らを放し飼いにさせておけば、監獄として成立するのだ。

 

(面倒事も起きないし、関わりさえしなければこれほど楽な事はないな…)

 

役人の責任回避の末路、その弊害が此方に降り注いでいると考えるととにかくやるせなくなってきた。

 

 

冬季休暇を利用して、4人はバックビークの裁判に向けて準備を始めた。図書室に置いてある資料を手当たり次第読み漁り、有利な情報をかき集める。今彼らに出来る最大限の協力だった。

 

「これはどうかな……1722年の事件……あ、ヒッポグリフは有罪だった。――ウヮー、それで連中がどうしたか、気持悪いよ――」  

「これはいけるかもしれないわ。えーと――1296年、マンティコア、ほら頭は人間、胴はライオン、尾はサソリのあれ、これが誰かを傷つけたけど、マンティコアは放免になった。――あ――だめ。なぜ放たれたかというと、みんな怖がってそばによれなかったんですって…」

 

談話室でうんうん言い合っている間にも、着々とクリスマスの飾り付けは完了していく。廊下に柊や宿木を編み込んだリボンが飾られ、小さなもみの木が可愛らしく置かれている。大広間に例年通り12本のクリスマスツリーが飾られると、準備も大詰めに入ったのか御馳走の匂いが漂ってきた。

 

クリスマスの朝、起きた士堂は暖炉の前の椅子に腰掛けて、プレゼントを開けて行った。包み紙を剥がし終えたタイミングでロンも起きてきた。

 

「メリークリスマス、士堂! わざわざ下に降りてプレゼントを開けているの?!」

「メリークリスマス。寒い中で開けたくないんだよ。そっちのプレゼントは開けたのか?」

「いつものプレゼントに決まってるじゃんか。ママがあれ以外のプレゼントくれた事なんかないもの。」

 

ロンは士堂の開けたプレゼントを指さしながら、肩をすくめていた。士堂には紫の手編みセーターにミンスパイ1ダース、ミニクリスマスケーキとナッツ入りの砂糖菓子が同封されていた。

 

「わお、ママったら何だよその色。僕の栗色と大差ないじゃないか?!」

「そう言うなよロン。僕は結構気に入ってよ。」

「そう君とハリーが煽てるもんだから、ママが調子乗るんだ。士堂のお祖母さんを見習って欲しいよ…」

 

ロンは懐に抱え込んだ、道子からのクリスマスプレゼントを見せてくる。しかし士堂は呆れた感じで、手を上げた。

 

「お言葉返させてもらうぞ。本当に祖母さんのプレゼントいいって?」

「うん。美味しいよ、これ。」

「いや、上手いからって煎餅は流石にな…」

 

士堂は道子の送ってきたプレゼントを眺めて、溜息を漏らす。今年は何と煎餅の詰め合わせだった。如何に士堂が祖父母の影響で渋好みだとしても、これはどうかと思ってしまう。

だが意外にもロンは次々に煎餅を取り出しては、バリバリと食べ進めていく。

 

「日本のお菓子って僕ら食べることないからさ。ライスクラッカーね、色んな味あって美味しいよ。」

「これ、年寄りが食べるお菓子だぞ。いや、お菓子なのか?」

「でもさ、百味ビーンズみたいに変な味入って無いんだろ? メモに書いていてくれてる。」

「まぁ、失敗はないだろうが成功もないと…」

 

ボロボロと煎餅のかけらを撒き散らしながら、ロンはハリーを起こしに行った。ぶつぶつと呟きつつ、士堂は祖母からの贈り物を再度吟味する。中身は他に、大福の詰め合わせに日本のカルタ。そしてー

 

「こいつは…」

「メリークリスマス、士堂。ロンのお母さんと君のお祖母さんからもプレゼント届いていた。ありがとう。」

「メリークリスマス、ハリー。あー、僕の祖母からの贈り物は今年はちょいとばかし、あれだから期待期待しないでくれ。」

「そんな事ない。ライスクラッカーだろ、ロンが食べてた。」

 

そう言ってハリーも、プレゼントの箱を抱えて暖炉の前の椅子に座り込んだ。ハリーは士堂達と同じプレゼントに加え、一際大きなプレゼントを抱えている。

まずはロンの母と士堂の祖母からのプレゼントを開封し、その中身にハリーは目を輝かせていた。舌舐めずりをしてから、ミンスパイを口にして、羽衣煎餅を口にする。

 

「うん、美味しい。美味しいよ士堂。どうして君は文句ばかり言うの?」

「いいよ、僕が馬鹿だった。そんなに喜んでくれるなら祖母さんも喜んでいるよ。」

 

どう考えても後味が変になる食べ方だが、ハリーは気にしていないようだ。ナッツ入りの砂糖菓子と醤油煎餅を手にしたところまで見て、士堂はロンの叫び声を聞く。

 

「ハリー、こいつはすごいや! 変な感触のお菓子だ、中に甘い炭とクリームが入ってるぞ! こっちは苺も!」

「それ、この綺麗な封がされているやつ?もしかしてロン、ビリビリにしちゃったの?」

「あっ、しまった! そうだもっと綺麗に破けばよかった。失敗したぁ〜。」

 

口に餡子のカスをつけながら、ロンは額に手をやった。士堂は呆れが頂点に達しながら、ミントパイを口にする。

 

「…それは大福ってお菓子でさ。外は餅米の粉から作った皮で、中身は豆を甘く煮たもの。今回のは限定品だからクリームとか苺とか入ってるんだな。」

「こいつは上手い! こんなの毎日食べれるなんて君、羨ましいよ。」

「そんなしょっちゅうは食べないぞ。これはそれこそクリスマスとか新年とか食べるぐらいだ。」

 

その後口や足元を汚しながら食べるロンを世話しながら、次の箱を開けにかかった。

 

「これは士堂のお祖母さんからだね。見たことないけど、お守り?」

「ハリーのは特注だな。こりゃよっぽど危機的状況だよ。」

 

ハリーが包みから取り出したのは、長方形の布の形をした、薄い袋のようなものだった。上部には紐が複雑に結ばれており、首から下げられるように輪になっている。

布の真ん中には、五芒星が銀色の糸で縫われていた。その裏には同じ五芒星ながら、その辺がより太く描かれている。

 

「ハリー、それは五芒星。僕たち安倍一族の家紋だ。」

「家紋? えっと紋章みたいなものかな。」

「そうだな。それぞれの家ごとに伝わる、固有の紋章のことを言う。

そのお守りは安倍一族が代々使う魔除けの護法符だ。」

 

ハリーはそこまで言われて気がついたようだ。ロンも慌ててプレゼントをひっくり返し、同じお守りを見つける。

 

「吸魂鬼用に、てことだね。」

「効果はあると思えない。自分なりに調べてみているけど、こうしたお守りが効く相手じゃないからな。それでも気休めにはなると思うよ。」

 

ハリーは神妙に頷いて、首から下げた。以前貰った十字架と合わせて、首につけるとロンが眉を顰める。

 

「なぁ、君の家は教会だよな?」

「そうだ、それが何か?」

「良いのか? その、詳しくはないけど神様が違うんじゃないかな。そう言うの良くないってパパとかママは言っていたの、覚えてるんだよ。」

 

ああ、と相槌をうつと士堂は自分の十字架とお守りを2人に見せる。

 

「この十字架は、救世主を崇めている宗教の象徴だ。厳密に言えば他の宗教でも広く使われるデザインだけど、うちではね。そしてこっちのお守りは、日本固有の神話に出てくる神を崇める場所で作られる。

因みに僕の家の家紋は、陰陽道という中国から伝来した学問というか思想に基づいているんだ。」

 

そこまで説明した士堂が続きを言おうとすると、それを遮る人が現れる。

 

「日本では沢山の神が崇められているのよ。だから複数の神にお祈りを捧げるのも、祭り事を行うのも私達ほど抵抗感があるわけではないの。

恐らく士堂のお祖母様は基本的に教会の教えを守りつつ、自分たちのご先祖様の教えも守っているだけじゃないかしら。」

「…完璧な解答、どうもありがとうハーマイオニー。メリークリスマス。」

「メリークリスマス。クリスマスプレゼント、どうもありがとう。後のお楽しみに取っておくわ。」

 

ガウンを羽織ったハーマイオニーが、女子部屋から降りてきていた。一体いつからいたんだ、とか何でなん降りてこなかったんだ、という質問をぶつける者はここにはいない。

しかし彼女が抱き抱えるクルックシャンクスに噛み付くのは、今1人だけいるのだ。

 

「メリークリスマス。でもその泥棒猫だけは近づけるな。スキャバーズが折角元気になってきたんだ。」

「メリークリスマス。余計なお世話よ。でも居心地がいいこの場所にクルックシャンクスは居るから、お安心ください。」

「はい、ハーマイオニー。メリークリスマス。」

「メリークリスマス、ハリー。あらもしかして、もうお菓子食べちゃったの?ゆっくり楽しめばいいのに。」

 

ハーマイオニーが空いている席に座ると、いつものメンバーが揃った。多少ロンとハーマイオニーがギスギスしてはいるものの、やはりクリスマスだからか2人とも大らかに過ごそうとしている。

ハリーは最後に、彼だけに贈られてきた大きなプレゼントを開封することにした。それは彼の背丈はあろうかという、かなり大きめで長いが、幅は薄いプレゼントだった。やけに丁寧に梱包された包み紙を几帳面に剥がすと、現れた物はあまりにも衝撃的だった。

 

「そんな、まさか。」

「ホントかよ。」

「信じられん。」

「嘘でしょ?」

 

それはあまりにも眩い輝きを放っていた。発光する材料を使っている訳ではない。厳選された至高の材料が熟練の職人の手に渡ることでのみ得られる、究極の芸術品が放つ輝きだった。例え箒に詳しくない人でも、使われている材木の質の高さと加工した職人の手腕を、疑う人はいまい。

ハリーが登校前、ダイアゴン横丁でガラス越しに眺めていた、世紀の箒。

『炎の雷』 が悠然とハリーの目の前、丁度膝頭の高さで佇んでいた。




図書室の描写なのですが、あの広い図書室に検索機能がないとは思えませんでした。そこで自分なりに考えたものになります。簡単に言えば図書室に置いてある検索用のパソコンだと思ってください。

宗教については、当初書く予定はありませんでした。しかしクリスマスプレゼントをお守りにした時、イギリスなら不思議に思われるだろうと思い、付け加えた形です。この考察は深く掘り下げると色々書けるし指摘できると思いますが、ここではこの程度にしています。

図書室の検索について原作で言及があった場合は、この創作オリジナルということで目を瞑ってください。


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守護霊の呪文

誰だって贈り物、特に自分が欲しかった物が譲られると言われたら喜ぶのが普通だ。ましてや高い値段や希少だとかで手に入らないと思っていた物ほど、手に入るとなったらその価値は計り知れなくなる。

逆に言えば、一転手に入らないとなった時の落ち込みもそれは凄いものになるのだ。

 

正にハリーはそうだった。彼の手は虚空を彷徨い、何もない空間で何かを撫でる様な動作を繰り返している。

 

「ハリー、そう落ち込むな。没収された訳じゃあるまいしさ。」

「士堂は分かっていない。あれがどれだけ素晴らしい箒なのか、知らないからそんな事言えるんだ。」

「分かってるよ。あれが一番高い箒だってのは。」

「違うね。あれはそんな言葉じゃ言い切れない。トネリコとシラカンバの小枝の組み合わせなんて、考えられてきた中で一番の組み合わせだったんだ。誰もが夢見たけど、その金額から作る人がいなかったのにー」

 

横槍を入れるようにロンが入ってきた。贈られてきた訳でないのに食いつくのは、いくつかの理由がある。

 

「それが作られて、ハリーに贈られてきた。この奇跡を士堂も真面目君も分かっちゃいない!」

「あら真面目で悪うございました。私図書室に用があるので、失礼します。」

 

沢山の教科書とノートを抱えたハーマイオニーはそう言い残すと、スタスタと談話室を後にした。その後ろ姿に舌を出すロンと、恨めしげな眼差しを向けるハリーに、士堂は頭を抱えるしかなかった。

 

 

クリスマスの朝、確かにハリーに炎の雷は贈られてきた。だがかの箒はものの数時間ハリーの手に収まったっきり、遠くに行ってしまう。

ハーマイオニーがマクゴナガル先生に相談し、炎の雷を点検するように進言したのだ。ハリーとロンは烈火の如く怒り狂い、特にロンが酷かった。クリスマスの日にクルックシャンクスがスキャバーズをまたも捕らえようとした事が、この怒りに油を注いでしまっている。

 

「士堂、マクゴナガル先生がお呼びだそうだ。」

「分かった。すぐ行く。」

「士堂、僕の炎の雷が返ってくるの? 返してくれるって言ってくれる?」

「ハリー、無茶言うな。もうフリットウィック先生は解体している筈だから、予定まで返ってこない。一応進展だけ聞いといてやるから座って待ってろって。」

 

パーシーからの伝言を聞いた士堂が席から立つと、ハリーは袖を掴んで箒の所在を確かめてきた。適当にあしらいつつマクゴナガル先生の元に向かうと、先生は黒縁メガネをかけながら何やら本を読んでいた。

 

「マクゴナガル先生、士堂・安倍です。伝言を聞いてやってきました」

「ミスター・安倍、早い到着でしたね。さあさあお掛けになりなさい。」

 

マクゴナガル先生の部屋は、以前罰則で訪れた時と何ら変わってはいない。古椅子に腰掛けた士堂は、先生が読んでいた本の背表紙に既視感を覚える。

 

「最近のあなたの変身術、成長の跡が伺えます。以前の目も当てられない所から、よくぞ此処まで持ち直したものです。」

「まさか先生に褒められるとは思いませんでした。」

「いいえ、今学期最初のあなたにははっきり言って失望しましたから。よもや針を数ミリ歪ませることしか出来ないとは、夢にも思いませんでした。」

 

赤っ恥をかいた、初回の講義を思い出して士堂は赤面する。あれは生涯でも一二を争う失敗談である事は間違いなかった。ホグワーツ生徒が陥りやすい、休み明けの勉強忘れにまさか自分が当てはまるとは思いもしなかったからだ。

恥ずかしさから頬が火照ってきた士堂は、なるだけ自然な動作を心がけながら先生と話すことにした。

 

「でも先生。そんな事伝えたくて僕を呼んだわけではないでしょう?」

「ええ勿論。恐らくあなたが私に一番聞きたい、例の事についてです。」

 

先生は開いていた本を閉じると、此方をじっと見つめてくる。まるで何かを見定めようとしているようだ。

 

「ご承知の通り、私はミス・グレンジャーからの報告を受けて炎の雷を点検しています。」

「はい。」

「聞きたいのは、あなたの考えです。あなたはあの箒の贈り主がシリウス・ブラックだとお思いですか?」

 

 

炎の雷は、最高級の箒である。ハリーは一年生の頃マクゴナガル先生からニンバス2000を贈られているが、桁数は全く話にならない。つまり「可哀想なハリー、この箒で自由に飛び回りなさい。」などと善意で譲るには、あまりに高価すぎるのだ。

恐らく魔法界でもかなり高給と言えるホグワーツ教師陣だろうと、月の給料数ヶ月分は吹っ飛ぶ。そのような大金を使いこなせる、蓄えているのはかなり数が絞られるのだ。

 

「私が考えるに、ポッターにあの箒を贈れる資産家は数少ない。ポッターの今の状況を正確に把握できる者は、もっと少ないでしょう。」

「そうだと僕も思います。」

「ブラック家は魔法界では有数の名家です。その一族は今や没落し、シリウス・ブラックの他にその血を継ぐ者はいません。残された資産の全容は知り得ませんが、シリウスが保有していてもおかしくはない。」

 

マクゴナガル先生の目は、とても澄んでいた。士堂はダンブルドア校長と話す時と、同じ印象を覚える。此処で隠し事をするのは得策ではないし、する意味もない。やましい事があるわけではないが、覚悟を決めて考えを話すことにした。

 

「僕はあの箒を贈ってきたのは、シリウス・ブラックだと言う考えに反対するつもりはありません。」

「続けて。」

「しかし賛成するつもりも、またありません。」

「何故です?」

 

これでは士堂の尋問である。そう捉えて少々むかっとしてきたのは、彼がまだ少年だと言うことであろう。

 

「確かに何かしらの細工をした箒を届け、ハリーに使われる手は悪くありません。ハリーはシーカーとしてそれなりのプライドがあるから、そんじょそこらの箒で満足はしないからです。あの箒を使わずにいるはずがない。」

「そうでしょうね。」

「しかし問題は贈ってきた箒が炎の雷である点にあります。あれ程高価で最高級な箒。当然盗難や妨害対策は万全な筈です。そもそも普通の箒でさえ、第三者が妨害するには闇の魔法に秀でる必要があります。」

 

膝頭で握りしめる手に、じわりと汗が滲んでくる。友人の為とはいえ、此処まで緊張しなくてはならないのか、士堂の中でシリウス・ブラックに対する八つ当たりに近い怒りが湧いてきた。

 

「そもそも炎の雷を贈った時点で、相当な額が使われた。そのお金さえあれば、逃亡に必要な家や資材を必要以上に調達できます。作戦失敗のリスクが成功のリスクを上回っているのではないでしょうか。」

「そして箒に細工できる闇の魔法に秀でていたと仮定します。そのような使い手なら、単純にハリーを仕留めた方が簡単では? 回りくどいやり方で標的を仕留める犯罪者はいますが、シリウス・ブラックがそう言う人なのかは僕は分かりません。」

 

マクゴナガル先生は、何も言わなかった。士堂の話が終わった時から、じっと目を閉じている。何か考えを推挙しているのか、部屋に静寂が訪れようとも先生は口を開かなかった。

 

「…あなたの考えに概ね賛同しましょう。私があなたに聞きたかったのは、私自身疑問が多すぎるからでした。」

「先生もですか?」

「ええ。これがニンバス2000なら何も考えはしません。しかし炎の雷ですからね。念には念と言いますでしょう。」

 

士堂は先生が読んでいた本を、やっと思い出した。ハリーがクリスマスの日に読んでいた、『箒の選び方』だ。

 

「先生、単純に製造元に聞けばいいのでは? そうしたら買った人物もお金の出どころも分かる筈では?」

「そこが難しいのです。あの箒の材料は、魔法界でも希少性が高い素材。その保護の為に幾つもの法による規制がかけられています。

今回は製造元が、更に保険をそれはそれは厳重にかけてきました。その法と保険の中には、ゴブリンが関係しています。」

「ゴブリンというと、あのグリンゴッツが?」

「ええ。彼らは例外を認めることなく、規則を守ります。故に銀行を任される程信頼されている。

しかし今回はそれが裏目に出ているのですよ。魔法省に問い合わせてみましたが、正規の手順を踏まなくては誰が購入したのか明かさないそうです。シリウス・ブラック逮捕の為という理由も通用しない。恐らく数ヶ月はかかるとのことでした。」

 

先生は本を開くと、とあるページを指差してきた。そのページの見出しには『箒の材料』と書いてあり、多種多様な素材が事細かな説明を添えて記載されている。炎の雷に使われていた素材には一番多い数の星が添えられているから、先生の説明も頷けた。

ようは分からないということだった。先生は士堂が、別の考えに辿り着いた可能性を感じたのだろうか。

 

「先生、僕の考えは既に考えていたのではないですか?」

「はっきり言ってしまえば、答えはYESです。もしかしたら、と思いましたがあなたに期待するのは酷なことでした。結構です。」

 

先生がそう言うと、後ろの扉が一人でに開いた。士堂は古椅子から立ち上がり、談話室に戻ることにする。先生に会釈してから部屋を出ようとした時、背後から声をかけられた。

 

「フリットウィック先生は、箒の扱いに慣れておられます。炎の雷は、寸分の違いなく、ハリーの元に帰ることは保証しますよ。」

 

 

「じゃあ何かい? ハリーの箒は木っ端微塵にされているのか?」

「んなわけない。ちゃんと元通りに返してくれるってマクゴナガル先生が言ってるんだぜ。ちょっとは自分の寮監を信用しろよ。」

「君は本当に分かっていない。あの箒の素晴らしさ、考えただけで頭がとろけてくるよ…」

 

談話室でロンと顔を寄せ合いつつ、士堂は黒鍵の柄を磨いていた。息を吹きかけ、ハンカチで微かな汚れや手脂を綺麗に拭き取っていく。綺麗にすることよりも、磨いている時の方が頭がスッキリしてくるのだ。

ロンは士堂の反応に向かっ腹が立つのか、教科書を乱雑に机に置いた。クディッチにかける思いの強さは、士堂達マグルのそれとは、桁が違う。

 

「次の試合がいつか分かっているのか? いくらハリーだからと言っても箒の扱いに慣れなきゃいけないんだ。」

「そのぐらい分かっているよ。」

「それなのに三週間だぜ。全くマクゴナガルも頭がイカれているよ。サッサと調べりゃいいのにさ。」

 

不満げなロンだが、その顔が少し歪んだ。士堂が訝しげに眉を顰めたその時、背後から強引に手が伸びてきた。トロールに匹敵するかもしれない、恐ろしい怪力によって彼は強制的に振り替えざるを得ない。

 

「士堂、よーく聞くんだ。いいか、ハリーの炎の雷はマクゴナガルの元にあるというのは本当か?」

「う、ウッド。急にな…」

「あの箒なのか?! これはハリーだけではなくグリフィンドールの問題だ! さぁ答えろ。 あの箒の場所はマクゴナガルか?!?!」

 

血走った眼に、荒々しい鼻息。オリバー・ウッドは興奮を隠すことなく士堂の肩を揺さぶりながら、ハリーの箒について問いただしてきた。士堂の首が前後に大きく揺れようと気にすることはない。驚く暇もない士堂が何とか首を縦に振ると、揺さぶっていた手を力強く叩いた。

 

「そうか… ならハリーの箒はーー ヨシヨシ。 ハリー、今から俺はマクゴナガルの所に行ってくる。これは試験よりも大事な事だーー

それならフォーメーションを変えなきゃいけない。死ぬことはないだろうからーー」

 

ブツブツ言いながら大股で談話室を後にするウッド。急に頭を揺すられた士堂が痛めた首筋を摩っていると、ウッドの影に隠れていたハリーが尋ねてくる。

 

「大丈夫? 実はウッドから箒について聞かれたんだ。おすすめを買えって言われたからつい言っちゃった。」

「…首を痛めはしなかったんだな。」

「まぁ、うん。点検されているって言ったら興奮しちゃって…」

 

頬をひきつかせつつ、何とか笑みを浮かべるハリー。彼は首を伸ばす士堂と哀れみの視線を向けるロンを見つつ、ウッドの死ぬとか死なないとかいう呟きについて考えることを、止めようと脳内で格闘していた。

 

 

新学期が始まり、ハリーは一つの補講を受けることになっていた。それは罰ではなく学期休みになる前、ルーピン先生と約束したものだ。木曜日の夜に『魔法史』の教室で行うことになった。

 

「でもルーピンの病気は治ってないみたいだよな。何か知ってる?」

「あら、分かりきってるわ。」

 

ロンがハリー達に疑問を投げかけると、答えたのは別の人間だった。通路に置かれた鎧の足元に座り込みながら、今にも溢れそうな教科書を鞄に詰め込みつつ、ハーマイオニーは澄ました顔を見せてくる。

 

「君、何か知ってるのかい?」

「何でもないわ。」

「何でもあるだろ。ルーピンがどこが悪いって言った君はーー」

「知ってると思ったの。」

 

癪に障るような優越感を隠さない彼女に対し、ロンも不快感を隠さなかった。

 

「教えたくなかったら言わなくてもいいんだぜ。」

 

小さな舌打ちを打ってから足早に去っていったハーマイオニーを、ロンは憤慨しながら睨みつけていた。

 

「僕たちと話したいんだろうけど、僕はやだね。」

 

どうやら友人関係はこじれに拗れてきたようだ。士堂は2人のやりとりに、思わずため息を漏らさざるを得ない。

 

 

木曜日の夜、士堂はハリーと共に教室に向かった。教室には既にルーピン先生が待っており、荷造り用の箪笥を机に置いている。

 

「やぁやぁ。2人とも時間通りだね。」

「先生、それは?」

「また真似妖怪だ。フィルチさんの書類棚に潜んでいるのを、火曜日に偶然見つけた。ハリー、君なら吸魂鬼に変化するだろうから、いい練習道具になる。」

 

先生は箪笥を叩きながらそういうと、自らの杖を取り出した。

 

「士堂、君は練習台は用意できない。呪文についてどこまで知っている?」

「本で調べた程度なら。」

「よろしい。ハリーの練習をよく見ておくんだ。どこが大事なポイントか、分かると思う。」

 

先生は杖をハリーに向けると、優雅に先を踊らせる。

 

「ハリー、私がこれから君に教えようと思っている呪文は、非常に高度な魔法だ。――いわゆる『普通魔法レベル(O・W・L)』資格をはるかに超える。『守護霊の呪文』と呼ばれるものだ。」

「どんな呪文ですか?」

 

ハリーの顔にみるみる不安の色が浮かび上がる。

 

「守護霊、つまり君を守る保護者のようなものが現れる。吸魂鬼と君との合間で盾になってくれるよ。」

 

ルーピン先生は、そこで言葉を躊躇した。それは適切な表現を頭の中で探し求めているようだった。

 

「守護霊は一種のプラスのエネルギーで、吸魂鬼はまさにそれを貪り食らって生きる――希望、幸福、生きようとする意欲などを。――しかし守護霊は本物の人間なら感じる絶望というものを感じることができない。だから吸魂鬼は守護霊を傷つけることもできない。ただし、ハリー、一言言っておかねばならないが、この呪文は君にはまだ高度すぎるかもしれない。一人前の魔法使いでさえ、この魔法にはてこずるほどだ」  

「守護霊ってどんな姿をしているのですか?」

 

ハリーは知りたかった。  彼の脳内では、一年生の頃に見た鈍間なトロールが棍棒を振りかざしているからだ。

 

「それを創り出す魔法使いによって、一つひとつが違うものになる」

「どうやって創り出すのですか?」  

「呪文を唱えるんだ。何か一つ、一番幸せだった想い出を、渾身の力で思いつめたときに、初めてその呪文が効く」

 

ゆっくり目を閉じると、ハリーは手探りで幸せだった記憶を追い求める。ダドリー一家を忘れ、ホグワーツでの思い出を遡っていった。

 

「…大丈夫。オッケーです。」

「よろしい。呪文の詠唱はこうやるんだ。」

 

『エクスペクト・パトローナム。守護霊よ来たれ。』

 

小声で何度か口ずさむと、ハリーは大きく息を吸い込んだ。その横で見ていた士堂も、手に杖を構えてコクリと頷く。

 

「ハリー、今から扉を開ける。僕たちは一旦後ろに下がるよ。手順は覚えたね?」

「はい。」

「よし… 3カウントでいく。」

「3・2・1!」

 

勢いよく開かれた扉から、おぞましい瘴気が立ち込めてきた。肌に突き刺さる冷気が、途端にあのホグワーツ特急の記憶を呼び覚ましてくる。

そして吸魂鬼がゆらりとハリーの眼前に現れると、それはより鮮明になってきた。

 

『エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!』

 

ハリーは腹の底から声を出した。杖から白い靄が漏れ出てくるが、まるで線香の煙のようにか細い。全神経を杖の先に集中しようとしても、ハリーの頭は箒に初めて乗った時の興奮ではなく、記憶の片隅に追いやられた母親の叫び声で一杯になったーー

 

【ハリーだけは、ハリーだけはーー お願い、私はどうなってもーー】

【邪魔だ、小娘ーー 失せろ、失せろーー】

 

「…リー、ハリー!ハリー!」

 

視界に入ってきたのは、高い天井だった。冷や汗が体中に滲み、息が走った後のように乱れている。震える手で机を掴むと、反対の肩を担いで、士堂がハリーを座らせた。

 

「ハリー、これを食べて深呼吸しなさい。落ち着いたらもう一回だ。」

「先生、声が益々聞こえてくるんです。母さんやあいつの声がーー」

 

何かが床に落ちたような大きい音がした。ルーピン先生の顔は青白く色褪せ、目はどこか虚ろだ。先生は慌てて床に落としたランプを拾い上げると、躊躇いがあるような口調になっていた。

 

「ハリー、これは大変きつい練習だ。君が辞めたいというなら僕は止めはしない。」

「ダメです、続けます!」

 

蛙チョコレートを噛み砕きながら、ハリーは力強く杖を握りしめる。

 

「もう後がないんです! レイブンクローとの試合であいつらが来たら、僕はまた堕ちちゃう! 負けられる試合なんかじゃないんです!」

「ハリー、今日じゃなくてもいいんだ。先生だって時間は作ってくれるさ。」

 

士堂がそう言っても、ハリーはもう一度箪笥の前に立った。

 

「ハリー、僕が思うにいい思い出が薄すぎる。もっと最近の、印象的な思い出が必要だな。」

 

ハリーは士堂の助言を受けて、また頭を整理しているようだ。その姿を見て、士堂はこの呪文の最大の難点を、強烈に意識せざるを得ない。

 

「…いけます。お願いします、先生。」

「よし、いくぞそれ!」

 

また部屋が冷気に包まれる。辺り一体のランプが消え、嘘のように静かだ。箪笥から皺まみれに枯れ果てた、細い手がにょろりと伸びてくる。

 

【リリー、ハリーを連れて逃げろ!】

『エクスペクト・パトローナム! 守護霊よ来たれ!』

【あいつだ、行くんだ早く! 僕が食い止めるー】

『エクス、ペクト…パトローナム…』

【ハハ、フハハハハハハハ!!!】

『エクス……ペクト……』

 

倒れ込むハリーを抱き抱えると、士堂は直ぐに杖を振った。ボォと明るい火が灯り、優しくハリーを照らしていく。しかしその彼の表情は、一寸の隙間なく苦痛に埋め尽くされていた。

真似妖怪を箪笥に押し込めたルーピン先生が、白髪が混じった髪を乱暴に掻きむしる。

 

「ああ、くそ! もっと他にいい練習台があれば!」

「先生、そうは言っても他に手立てなんかないでしょう?」

「そうだな。そうだがこの練習は私にはきつい。心臓が痛くなるよ。」

 

心配そうにハリーを覗き込むルーピン先生は、ハリーが目を覚ますと安心したかのように、大きく息を吐き出した。だがハリーがぽつりと呟いた言葉に、再び息を呑むことになる。

 

「父さんの声だ…」

「ハリー。」

「初めて聞いた。父さんは僕と母さんを逃がそうとして、独りでヴォルデモートに立ち向かったんだ…」

「ジェームズの声を聞いた?」

 

息を呑んでいた先生の声には、どこか不思議な響きを感じさせた。

 

「はい、でも先生は父さんのことは」

「わ――私は――実は知っている。ホグワーツでは友達だった。さあ、ハリー――今夜はこのぐらいでやめよう。

この呪文はとてつもなく高度だ……言うんじゃなかった。君にこんなことをさせるなんて……」

 

そう言うと、ルーピン先生は箪笥に手をかけた。慌てて士堂に抱き抱えられていたハリーは、立ち上がって杖を構えた。

 

「やります!」

「ハリー、僕は。」

「やります。今までの僕の記憶は弱かっただけです。もっといい記憶を呼び覚まして見せます。」

 

ハリーは箪笥に向けて杖を構えたまま、ピクリとも動かなかった。

ルーピンの視線が士堂に向くが、こうなったらハリーは頑固なのを知っている士堂は、被りを振る。

 

「いいんだね?気持ちを集中させるんだ。」

「ハリー、呼吸を止めるなよ。いつも通り、息吸って吐けばいいから。」

 

 

ガタガタと窓が揺れる。3度目の冷気は、窓の三分の一強を凍てつかせていた。

 

『エクスペクト・パトローナム!! 守護霊よ来たれ!!』

 

その冷気に負けぬよう、ハリーは今ある全ての力を込める。ダドリーの元を去り、初めてホグワーツに来ることがわかった日。ハグリッドと見たダイアゴン横丁、初めてのホグワーツー

あの喜び以上のものがあるわけが無い。心の底からそう思うと、杖が応えるかのように淡い光を放つ。微かに漏れ出てきた銀色の霞が、その勢いを増していった。煙ではなくまだ弱々しいものの、ハリーの目の前に広がった銀色の霞は、小さな円盤状に広がる。

その時ハリーは、胸の辺りが妙に暖かいことに気がついた。暖かみは次第に腕に伝わり、杖にまで達する。すると円盤状に広がる煙が段々と形を形成し、よりはっきりとした盾のようになっていった。そして少しずつではあるが、吸魂鬼を奥へ奥へと押し返していっている。

 

『リディクラス! バカバカしい!』

 

ハリーを押しのけるように出てきたルーピン先生は、すぐに杖を振った。

力なく飛び上がる風船を器用に誘導すると、ルーピン先生は真似妖怪を箪笥に戻した。バタンと箪笥を閉める音と、ハリーがその場に崩れ落ちる音が重なる。士堂が杖で火を灯すと、ハリーは彼の肩に手をかけて何とか立ち上がった。

「無理すんなよ、椅子に座った方が良く無いか?」

「大丈夫、ありがとう。」

「よくやった!」

 

先生はやや興奮気味にハリーに近寄る。机に置いてあった鞄から、ハニーデュークスの最高級板チョコを手に取ってハリーに渡した。

 

「素晴らしい出来だ、お見事だ! ここまで出来るとは想像以上だよ!」

「先生、もう一回お願いします。もう一回やればもっと出来る気がするんです。」

「駄目だハリー。もう消耗具合から見てこれがラストだ。」

 

ハリーは悔しそうに俯くが、納得したのか板チョコの包装に手をかけた。チョコを食べるハリーを尻目に、士堂は後片付けに入るルーピン先生に歩み寄った。

 

「先生、僕はやはり何もなしになりますか?」

「まさか本物は使うわけにはいかない。君が真似妖怪で吸魂鬼を出せるかは不確定だし、そうだとしてもお勧めはしないな。私がカバーできるか不安だ。」

「そうは言っても…」

 

ルーピン先生は士堂の肩に手を置くと、ゆっくり首を横に振る。

 

「君は理論については知っているし、恐らくだがある程度は出来るのでは無いかな。」

「まぁ、ハリーよりは。」

「ならいい。大抵の魔法使いは、ハリー以下の場合が大半だ。あれ以上の完成度なら、今のところ問題はないよ。」

「今のところは、ですか。」

 

士堂がその先について若干匂わすと、ルーピン先生はなんとも言えない顔になった。その時、チョコを食べていたハリーがふと思い出したように声をかけてくる。

 

「先生はシリウス・ブラックを知っているのですか?」

「な、何故そう思う。」

「いえ… 父さんとシリウスが友達だったと聞いて。父さんの友達だったルーピン先生は、シリウスについても知っているのでは?」

 

あぁ、と小さく声を漏らす。ルーピン先生は鞄のファスナーを閉じながら、ハリーの方に向き直った。

 

「そうだね。知っていた。」

 

その目は酷く澄んでいた。しかしダンブルドア校長のそれとは違う、何処か空虚な澄み具合だ。

 

「知っていると思った、かな。」




原作では誰も入手経路を調べなかった、炎の雷。考えられるとしたら、こうでは無いでしょうか。


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侵入者

ハリーは忙しなく羽ペンを羊皮紙に走らせると、目もやらずに横に捨て置く。教科書を閉じて次の教科書を取り出すと、お目当てのページを探し始めた。

 

「魔法史のレポートが終わった。羊皮紙3枚分は書けた…」

「僕も呪文学のレポート終わらせたよ。ほらハリー、さっさと写した写した。」

 

カリカリとペンを動かしていたロンが、大きめな文字が羅列する羊皮紙を突き出してきた。口だけを動かして礼を言うと、ハリーは新しい羊皮紙を取り出す。

 

「僕残っているのは魔法薬だけだ。」

「そっちは終わらせてある。ハリー、写し終わったら呪文学の方見せてくれ。」

 

レイブンクロー対スリザリンの試合は、僅差ながらレイブンクローに軍配が上がった。これでグリフィンドールの順位が2位に上がる事が可能となる。レイブンクローに勝てれば、の話だが。

ウッドは手にしたチャンスを逃さない為に、練習を週5みっちりと詰めてきた。ハリーはそこに守護霊の呪文の練習があるから、休みは1日しか無いのだ。そこで唯一の休日に、一週間分の宿題をこなさなくてはならない。

普段ならハーマイオニーに頼み込めば課題はすぐに終わるのだが、生憎様彼女もまた膨大な課題に押し潰されそうだ。ハリー達3人分はあろうかと思える程の教科書とノート、羊皮紙の山に埋もれながら血走った目で羽ペンを凄まじい速さで走らせている。

 

「おかしいと思わないか、ハーマイオニー。」

 

士堂の魔法薬学のレポートを写しながら、ふと思い出したようにロンが呟いた。

 

「今朝、ハーマイオニーが『数占い』のベクトル先生と話してるのを聞いちゃったんだ。昨日の授業のことを話してるのさ。

だけど、ハーマイオニーは昨日その授業に出られるはずないよ。だって、僕たちと一緒に『魔法生物飼育学』にいたんだから。」

 

ハリーはロンをチラリと見るものの、すぐに羊皮紙に視線を落とす。士堂は用済みの教科書を片付けながら、肩をすくめた。

 

「誰かに聞いたんじゃないか。レイブンクローとかには勉強熱心な学生はいるから、その人達に聞いたとか。」

「それは無い。アーニーが言ってたんだけど、『マグル学』も休んで無いらしいんだ。考えてみてよ、『数占い』と半分時間割被ってるんだぜ。」

 

士堂の脳裏に、学期始めに見たハーマイオニーの時間割が浮かんできた。あの時間が何個も重なった、摩訶不思議な時間割表。

 

「まぁ、何かあるんだろうけど。今はハリーの方に集中したい。」

「吸魂鬼の事? レイブンクロー戦には間に合いそう?」

 

辺りをチラリと見渡すと、士堂はロンの近くに顔を寄せる。ロンも顔を寄せてきて、小声で話し始めた。

 

「多分無理だな。間に合いそうに無い。」

「不味いよ、もしハリーが気絶したらグリフィンドールはどうなっちゃうんだ? ウッドはどうなる?」

 

士堂とロンはハリーの肩を乱暴に叩きながら、「ハリーがスニッチを掴んだ後落ちても構わない」だの「命よりもクディッチ」とか喚くウッドを眺めながら、溜息をつくしか無い。

 

~夜、魔法史教室にて~

 

人気が無い教室に、乾いた音が響いた。若干乱れる鼻息が、妙に耳に残るほど他の音は聞こえてこない。カラカラと転がる杖を拾い上げると、士堂はハリーに投げ渡す。

 

「杖は大事に扱ったらどうだ?」

「分かってる!!」

 

苛立ちを隠せないハリーが乱雑に杖を振り上げるが、背後に回ったルーピン先生に手首を掴まれた。

 

「ハリー、少し落ち着くんだ。今の君はよくやってるんだよ。」

 

しかし焦りを隠せないハリーは、声を荒げて2人に向かってくる。その様子はさながら暴れ馬のようだ。

 

「もう4週間、成長していないんだ! ただの霞しか出せないし、真似妖怪にすら満足に抵抗できない!!」

「高望みはしてはいけない。」

 

 

だがルーピン先生は何処までも冷静だった。淡々と、それこそ講義の時よりも落ち着いたトーンでハリーを諭す。

 

「何回も言うよ。守護霊の呪文は高度なテクニックが要求される。13歳の少年が例え霞に近いものであっても、形作れる時点で十分すぎるんだ。」

「でも…」

「焦るのは仕方ない。だが今度の試合では、吸魂鬼が出てくるとは限らないじゃないか。ダンブルドアの怒りかたからして、向こうは手を出してはこない。」

 

ハリーは納得していない。本人は隠しているつもりだろうが、明らかに不貞腐れていた。その様子からルーピン先生は練習に区切りをつけて、ハリーだけを一先ず寮に帰した。

部屋には先生と士堂の2人だけだ。溜息を零した先生が後片付けをしていると、士堂が辺りを彷徨き出した。

 

「先生は勿論守護霊の呪文は使えるんですよね?」

「そりゃ、一応はね。」

「いつ頃です?」

「習ったのは5年の頃かな。だが何も出来なかった。ジェームズ達と練習して、やっと成功出来たのが卒業の半年前ほどだったはずだ。」

 

ルーピン先生は薄汚れたローブから杖を取り出すと、軽く先端を振る。軽やかに宙を舞った杖先から、銀色の狼が颯爽と出現した。狼は本棚や机の上を走り回ると、最後は士堂の足下に歩み寄って喉を鳴らして、文字通り霧のように霧散した。

 

「狼、ですか。先生のイメージとは違いますね。」

「まぁ、人それぞれだからね。そういう君は何処までできるようになった。ハリーにつきっきりで、君の事をちゃんと指導してこなかったから。」

 

若干戸惑いの色を見せつつ、ルーピン先生は士堂に守護霊の呪文を促してきた。その流れは少々不自然な点があったが、士堂は気づかずに、手にしていた杖を天井に向ける。

 

『エクスペクト・パトローナム。守護霊よ来たれ。』

 

すると士堂の胸元が淡く光り、杖から銀の霞が漏れ出てくる。それは量を増していき、人一人隠す程の大きな円を描き出した。円はまるで盾のように、士堂を覆い隠している。しかしその外縁は朧げで、風が向かいから吹き付けているように、薄れていっていた。

凡そ2、3分ほど経った頃、先生が手を挙げて終了の合図を送る。士堂が杖を下げると、跡形もなく円は消え去っていた。

 

「うーん。そこまでいっていながら、実体化はまだだったか。」

「はい。成功どころか、あの円形から変化したこともありません。」

「いや、上出来だよ。その円を形成出来ているなら、撃退はともかく防衛は間違いなく可能だろうね。持続時間もそこそこあるし、実戦でも使えはする筈だ。」

「しかし実体化出来なくては、撃退はできないのでしょう。先生、どの程度で僕はものにできますか?」

 

ルーピン先生は、キャンディサイズのチョコを士堂に投げ渡しながら、少しばかり目を細めた。

 

「そうだね。僕は君よりもずっと、その円を作り出すのに苦労した。多分、6年の後半ぐらいにやっとこさという感じだったな。でもそこからは早かったよ。練習時間の問題で卒業前になったが、練習時間はそこまで多くはなかったと記憶している。」

 

ルーピン先生はそこまでいうと、しかしと前置きをしてきた。

 

「君だからいうけれど、直ぐには行かないかもしれない。というのも、君にはまだ思い出ー幸福な記憶が少ないからね。」

「僕の幸福の記憶が弱いというんですか。」

「そうは言っていない。しかし私の場合、ジェームズ達友人との交流が、習得を助けてくれた点は否定できない。いや、寧ろ彼等の存在が僕に呪文を与えてくれた。だから士堂も、もっと沢山の経験を積めば、自ずと形作れるようになる筈さ。」

 

そう言われるとそこまでだが、士堂は納得出来たかと言えば、そうではない。ハリーを嗜めておいてなんだが、やはり気持ちははやってしまう。ダンブルドアの保護があるといっても、一歩校舎を出れば外にはあのおぞましい化け物が、うじゃうじゃいるのだから。

言葉で理解しているといっても、これはどうしようもなかった。士堂は口に含んだチョコを噛み砕きながら、窓の外に目を向ける。外は雲一つない星灯を、煌々と照らしていた。

 

 

夜も遅くだから、士堂はすぐに寮へと戻ろうとしていた。人気のない廊下を歩くことに、何の違和感も抱かなくなってきた自分に末恐ろしくなってきた頃だった。

寮へと続く階段の途中で、何やら話し声が聞こえる。咄嗟に身を隠して覗き込むと、見慣れた後ろ姿が視界にチラついている。

 

「ミスター・アベ! あなたもこんな時間に何用ですか。」

「マクゴナガル先生。あー、ルーピン先生の所に質問を。」

「リーマスの所? 珍しい、一体どこが疑問だったのです。」

「以前習った河童について。あの生き物は日本と関係がありますから。ルーピン先生に詳しい話を聞きたくなりました。」

 

取ってつけた言い訳だが、どうやら通じたようだ。若干引っ掛かりを覚えているようだったが、マクゴナガル先生は深く追及してこなかった。

そして先生とハリーの手には、あの炎の雷が、見る人全ての視線を引き寄せる、機能美と神秘に溢れた輝きを放っている。

 

「先生、妨害は無かったという事ですか?」

「そうでした。その話をポッター、あなたにする為にここにきたのです。

さぁお取りになりなさい。炎の雷は、あなたに危害を及ぼす事は決して有りません。良い友人をお持ちのようですね。」

 

そういうと先生は、そっとハリーに箒を手渡した。まるで我が子を渡すかのように慎重かつ繊細な扱いは、先生の箒とクディッチにかける想いと、炎の雷の栄光を物語っている。

感慨深げに受け取ったハリーが、持ち手の辺りを愛でるようにさすっていると、マクゴナガル先生は我慢できないかのように狭い階段をうろちょろし始める。

 

「土曜日までに、慣らし運転をするのでしょう? 是非なさい。

そして勝つのです。敗北は決してあり得ません。我が寮は8年連続での寮杯未所持となります、これは大変な不名誉です。」

「はい、勿論です。」

「その意気です。全く有り難い話なのですが、つい昨夜この事実をスネイプ先生が、懇切丁寧に思い出させてくれました。ええ、確かに。」

 

どうもマクゴナガル先生はクディッチとなると人が変わる。スネイプ先生とのいざこざは、大半がクディッチに関してであり、後は授業方針だの何だと言った細かいことばかりのはずだ。

確かに爽快感あるクディッチは面白いとは思うが、士堂はここまで入れ込む事はまだできなかった。

 

 

 

談話室の扉前で合言葉を忘れたネビルと一緒に戻ると、起きていた生徒が一斉に群がってきた。皆この最高峰の箒に興味津々だ。

この素晴らしい箒の装飾としてグリフィンドール生の指紋が増えていくなか、士堂は部屋の片隅にいるハーマイオニーに声をかける。

 

「どう、調子は。」

「お陰様で万事健やかですわ。何か御用?」

 

生乾きのインクが光るレポートが、何枚も散らばっている。どれも違う講義のレポートで、一つにつき3、4枚は最低限書いているようだ。しかも参考にしたらしい教科書や資料の背表紙を見るに、高学年向けであるのは明らかだ。

 

「どう考えても、僕たちに求められている量を超えていない?」

「これが普通なの。あなた達が適当すぎるの。」

「こんなにやるのが普通ね。」

 

士堂はハーマイオニーの手首を掴むと、その下にあったレポートを読んでみる。マグル学のレポートは電気使用の考察だが、実体験と科学の歴史、挙句に心理学までに踏み込んだレポートだ。読んでいると頭を締め付けられるような内容の濃厚さに、わざとらしく吐くポーズをとる。

 

「ハーマイオニーは博士号でも取ったのか?」

「とる予定よ。」

「いくつかやめたらどう? 数占いとかさ。いくらなんでも」

「何言ってるの? 止めるはずないわ。これは統計と実験に基づいた、数学と魔法両方の…」

 

数占いの素晴らしさを熱弁し始めたハーマイオニーだが、その先は聞くことがなかった。突如談話室に聞こえてきた、押し殺すような叫び声が全員の注意を引く。

寝室に向かう階段から駆け足で降りてくる足音ともに、血相を変えたロンが談話室に飛び込んできた。

 

「見ろ!」

「見ろよ!!」

 

その手に持ったシーツは、ロンのものだ。ハーマイオニーに詰め寄ったロンが荒々しくそれを見せつけるが、訳の分からない彼女はどうする事もできない。

 

「お、おい落ち着けロン。何だどうした。」

「どけ! 僕はこいつに話がある!!」

「何だ落ち着けよ。一体どうした?」

 

庇うように立ち上がった士堂に、ロンはシーツを掴んで尚も見せつけてくる。怒りで震える手で何とかシーツを広げると、真ん中付近に赤い斑点がポツポツと付着していた。

 

「血だ!!! スキャバーズがいない!!!」

「そんな… 嘘よ、嘘よそんな事…」

 

サッと青ざめるハーマイオニーに、ロンは更に畳み掛けた。シーツを床に投げ捨てると、ハーマイオニーの手元に何かを投げつけてきた。

それはヒラヒラと宙を舞うと、書きかけの翻訳文の上にゆっくりと落ちてくる。

 

「ああそんな……」

 

顔を覆い隠すハーマイオニー。緊張の面持ちの士堂は、クルックシャンクスのオレンジの毛を、じっと見つめるしかなかった。

 

 

何かとぶつかることの多いロンとハーマイオニーだが、今ほど仲が絶望的だった事は無いはずだ。お互いにお互いの主張を頑として変えないから、いつまで経っても平行を辿る。

2人だけなら問題ないのだが、周囲に自分の正しさを見せつけたいのか、ロンはこれ見よがしに溜息をつくし、ハーマイオニーは今まで以上に勉強にのめり込んでいた。こうなると周囲の雰囲気は悪くなる。2人に解決するタイミングは当分考えられないから、皆の矛先が向くのは、別の2人だった。

 

「ハリー、君はロンのところへ行ったほうがいい。」

「そんな。ぼくもハーマイオニーを励ませるよ。」

「そこは心配していない。交互に話しかけながら、何とかどっちかだけでも味方だと思ってくれないと、こっちも割を食うぞ。」

 

呆れたようにハリーがロンの隣に座りこむのをよそ目に、士堂はハーマイオニーの向かいに腰を落とした。

 

「何よ。あなたも私の可愛いクルックシャンクスを疑うの?」

「まだ何も…」

「ただ毛が数本落ちているだけよ。」

「だから確実ではない。それは賛成。」

 

周囲の視線も相まってか、ハーマイオニーの怒りの琴線は下がる一方だ。乱暴に教科書を積み上げる彼女に、士堂も声のかけようがなかった。

 

~クディッチ闘技場にて~

 

闘技場には、一種の張り詰めた空気が漂っている。観客席に座るロンと士堂、フーチ先生にグリフィンドールのクディッチチームの視線は、コート中央で箒にまたがるハリーに注がれていた。

 

「全くどこの誰か分りませんが感謝を伝えたいですね。見てください、いい箒にはいい乗り手がふさわしいことが分かりますでしょう。稀代のシーカーらしい背筋が伸びた姿勢。それを照らす太陽の光を輝かせる、炎の雷の柄。黒のトリネコ材は、中々お目にかかれませんよ。私が触った中でトリネコ材の質は…」

「もう飛びますよ先生!」

「おやおや失礼。しかしあれはいい箒ですこと…」

 

先生の蘊蓄はコート内から続いている。それ程炎の雷が持つ魅力は図りしえないのだ。だがそれを操るハリー本人にとって、そんなことを気にしている暇すらない。体を柄に近づけるようにかがみこみ、抑えられない興奮と期待を燃料に地面を力強く蹴った。

 

士堂は風を切る音が一段と高いことに驚いた。コート中を縦横無尽に飛び回る炎の雷は、全員の誇張された想像を、更に凌駕していく。

急ターンの角度のきつさや上昇速度、どれを見ても圧倒的だ。

 

「ハリー、スニッチを離すぞ!」

「オッケー!」

 

黄金の球体から透けた金の羽が伸びると、ウッドの手から大空へと飛び立つ。常人には視認すら難しいスニッチと、炎の雷はそん色ない跳躍を見せてくれた。士堂ですらその変則的な軌道は、集中しなくては輪郭を捉えられない。

ものの10秒でスニッチを捉えたハリーは、たちまちクディッチメンバーに囲まれた。あれよあれよと思い思いに空を飛び回り興奮しているなか、下に降りたフーチ先生がハリーと士堂に話しかけてくる。

 

「ポッター、レイブンクローのシーカーについて知っていますか?」

「チョウ・チャン、でしたよね。」

「ええ。お節介かと思いますが、油断なさらずに。華麗な見た目に惑わされがちですが、箒の腕前はまさに蝶舞蜂刺といえます。」

 

その後フォーメーションの確認が順調に進み、意気消沈していたロンが炎の雷に乗ってハイになっていた時だ。嬉しそうなロンを下から眺めていたハリーは、隣に立つ士堂がいきなり話し出したことに驚いてしまう。

 

「ハリー。明日は心配するな。吸魂鬼は襲ってはこない。」

「うわ! なんだびっくりさせないで… でも本当に?」

「さすがにダンブルドア先生は警戒を強める。」

「襲われたらどうする? 僕、まだ何もできやしないのに。」

 

不安そうなハリーに、士堂は彼の胸を大きく叩いた。胸ポケットに忍ばせていたお守りが若干皮膚に食い込み、顔を顰める。

 

「な、何すんの?!」

「気づいているかもだがハリー。祖母さんが送ってくれたお守りには、魔力を増強する効果がある。だから奴らが来たら、全力で魔法を唱えればいいさ。」

「何となくわかっていたけど、大丈夫それ?」

「時間稼ぎができれば十分なんだよ。そうだな、10秒我慢出来たら先生たちのいる特等席付近に、全力で突っ込め。」

 

要はいち早く吸魂鬼から離れ、頼れる大人の近くに行ければいい。士堂の助言を理解できたハリーは、杖とお守りにそっと手を置く。いくら頼りない魔法でも、今はこれが最善だ。そう自らに言い聞かせて、天才シーカーは息を吐いた。

 

翌日、グリフィンドール対レイブンクローの試合前とあって盛り上がる校内の中は、まさしくお祭りムードだ。すでにハリーの炎の雷については皆が知っているのだが、あの箒はさすがに間近で見たことがある人間は、ごく少数のようだ。

 

「ポッター、君には勿体無い箒じゃないのか。臆病ポッターの為に、素敵な送り主がパラシュートを付けてくれているといいな。

ひゅう~ぴゅるゆる~ってパラシュートを開かないようにな。」

「ありがとう。でも、君も予備の腕はつけておいたら? また何かで折っちゃうかもしれないし。

ああ、ごめん。またパパとママに泣いて直してもらうんだったね。」

 

現にマルフォイが、わざわざ確認の為にちょっかいをかけてきた。反省というか教訓を得ない彼だが、ハリーの思わぬ反撃は予想していなかったらしい。そんなやり取りを尻目に見つつ、多くの同級生に囲まれたハリーを遠くに見るようにして士堂は喧騒の中をかき分けていった。

 

向かった先には、何人もの女子がたむろしている。その中心にいる彼女は、人混みの中にまぎれた少年の姿を一瞬でとらえた。取り巻きの少女たちに一言かけてから、柱の陰に隠れるように移動する。士堂がそのあとを追うと、2,3メートルの距離で止まるよう手のひらを突き出してきた。

 

「そこまでよ。」

「おいおい、僕が何かをするとでも?」

「そうじゃない。でもあなたと一緒にいるところを見られると、色々まずいのよ。」

 

そういうとチョウ・チャンは、後ろに垂らした長髪をかき上げると、小さく首をかしげてくる。初めて見る女性のしぐさに、士堂の内心は激しく動揺した。

 

「いや、簡単な話さ。守護霊の呪文について、どういった具合か知りたくて。」

「ああ、そのこと。確かに私にとっても他人事じゃないけど、そっちは深刻だものね。」

 

チョウはローブから杖を取り出すと、小声で呪文を唱える。すると彼女を取り囲むように薄い霞が、杖の先からこぼれ出てきた。丁度全身を隠せる程度に漏れた霞だが、周囲の視線を気にしたのか彼女はすぐにそれを消した。

 

「まだこんなもんよ。」

「こっちも同じぐらいだな。実体化できるのは上級生にはいるのか?」

「いいえ。私以外、靄すら出ない。不安にさせてもなんだから、校長と先生方を信じるように言ってあるの。」

 

あまりいい報告とは言えない。つまり競技中に発生した吸魂鬼による襲撃には、先生たちの助力を仰ぐ以外選択肢はないということだから。

 

「その感じじゃ、あなたも大差ないんじゃない?」

「まあ、お察しの通りってところ。」

「そう。でもしょうがないわ。本来私達には手に負えないものだもの。」

 

チョウは杖をしまい込むと、取り巻きのところに戻ろうとする。知りたいことを知れた士堂に止める理由もないから、少し離れてついていった。

 

「あなたも見に来るんでしょう?」

「まあね。できれば友人の新しい船出だから、手加減してもらえるとありがたいんだけど。」

「聞く理由があるの?」

 

彼女は自信ありげに髪をなびかせると、士堂の方に一度も向くことなく去っていった。士堂はどぎまぎしたことがばれていないことを祈りつつ、ハリーも惑わされないことを、祈るしかなかった。

 

 

大騒ぎするグリフィンドール生がごった返す中、談話室の隅で分厚い本を読む少女がいた。彼女は『イギリスにおける、マグルの家庭生活と社会的慣習』を丁寧にめくりながら、一言一句逃さないかのように読み込んでいる。

そんな彼女の視界に、金色のゴブレットが入ってきた。不機嫌そうに視線を上にずらすと、彼女の友人である士堂が、手に持ったゴブレットを差し出していた。

 

「ハーマイオニー、オレンジジュース。さっきフレッドたちが抜け出して買ってきた、『三本の箒』特製だよ。」

「あらありがとう。でも私はこの本を今日中に読まなきゃ。」

「読みながらでも飲めるさ。」

 

そう言ってもう片方のゴブレットを傾ける士堂をにらみながら、ハーマイオニーはゴブレッドを受け取る。ちらりと口に含むとまた本に集中するハーマイオニー。士堂は聞く気もない彼女に、一人ごとのように話始めた。

 

「見てみろよこの騒ぎ様。優勝したらどうなるんだろうな。」

「知らないわ。私には関係ない。」

「今日の試合は見た?」

「ええ、一応は。噂の箒も、吸魂鬼とやらもはっきりとね。」

 

皮肉めいた口調で言葉を返したハーマイオニーは、彼の表情に違和感を持った。歯に何かが挟まったかのような、複雑な表情をしているのだ。

 

「何か変なこと言った?」

「いや何も。ただ、あの馬鹿のせいで吸魂鬼対策が万全かどうかが分からないってのがね。」

 

試合結果は、勿論グリフィンドールの勝利だ。ハリーと炎の雷は、本番でも素晴らしい活躍ぶりだった。そこまでは士堂とて、嬉しくないわけではない。

しかし肝心のー 士堂が最も気になった吸魂鬼対策は、不明瞭な結果に終わった。試合終盤に黒い幽霊のような影がハリーを襲ったことは事実だ。そしてハリーは、今までで一番はっきりした銀の霧状の塊を、砲丸投げのように奴らにぶつけることが出来た。

 

だが意味がなかった。吸魂鬼だと思っていたのは、なんと黒いフードを被ったマルフォイたちだったのだ。大方吸魂鬼にトラウマに近い恐怖を抱くハリーを、脅かそうとしたのだろう。自分たちのニンバス2001より高性能な、炎の雷を手に入れた彼に対する嫉妬もあっただろう。

士堂にとってみれば、ハリーの防御が成功したかどうかの判断がつかないことが腹立たしい。これが本物の吸魂鬼だったならば、ハリーは大きな自信をつけることが出来た。それは即ち、ハリーの守護霊の呪文の成功に一歩近づくことを意味したのだ。

捨てがたい大きなチャンスをふいにされた腹立たしさから、士堂は素直に勝利を喜べなかった。

 

「はい、ハーマイオニー。ねえ、こっち来て何か食べない? バタービールもカボチャフィスもあるよ。」

「ハリー、どうもありがとう。そしておめでとう。だけど奥でこっちをにらんでいる人がいるから、遠慮するわ。」

 

喧騒から抜け出したハリーが、滅茶苦茶な髪をそのままにハーマイオニーに話しかけてくる。彼も彼女が心配なのだが、ことはうまくいかない。奥でステップを踏んでいるロンを一瞥したハーマイオニーに気が付いたのか、末っ子は聞こえよがしに叫び出した。

 

「あーあ。誰かさんのせいでスキャバーズがいないからなあ。ハエ型ヌガーで一緒にお祝いしたのに。」

 

ロンの言葉は彼女の限界のラインを超えさせたようだ。涙目で本を抱えながら部屋に戻るハーマイオニーを心配そうに見送った士堂とハリーが、ロンに詰め寄る。

 

「あの言い方はないだろ。ハーマイオニーだって仲直りしたがってるのに。」

「あいつが認めないのが悪い。飼い猫が可愛いんだったら、僕だってスキャバーズが大事さ。」

「ロン、もういい加減許してあげよう。」

「聞いていたのかハリー? あいつはスキャバーズなんかどうだっていいのさ。あいつが大事なのは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

最早意固地になっているロンは、どうしようもない。いじけた顔のロンをどうすればいいのか、ハリーも士堂も顔を見合わせるしかできなかった。

 

 

夜も更けきるまで続いた喧騒も、さすがに深夜には収まった。とはいっても形上解散しただけで、各々ベッドの中で興奮を語りつくさなくては飽き足らないらしい。気狂いといえる魔法使いのクディッチ熱に、ハリーは少々あきれてしまう。暗闇の中で目を凝らすと、士堂も布団で頭をくるんで寝ているのが見えた。ハリーもそれをまねしてベッドにもぐりこむと、ドッと疲れが噴き出てきて眠りにつく。

 

そしてハリーは見た。炎の雷に乗った彼は、森の中を颯爽と飛んでいる。前方に見える、銀色の光を放つ何かを追っていた。草木を器用にかいくぐるそれは、ハリーを振り切ろうとしているのか、加速するように駆けていく。必死に追いかけるハリーの耳に、今度は音が聞こえてくる。カツカツと甲高いその音は、何かが走る度に聞こえてきた。それが蹄の音だと直感したハリーの視界が急に開ける。目の前には空き地が広がり、そして―

 

「あああああああああああああああ!!!!!! やめてええええええええ!!!」

頭を揺さぶるような声が、突如として部屋中、いや寮棟に響いた。寝室のドアが開く音と何かが切り裂く音。続けざまに衝撃音が聞こえてくる。何が何だか分からないハリーはカーテンを闇雲に閉め、掻くように小棚に置いていた眼鏡と杖を手に取る。

 

「ハリー、動くな! 杖を持ってじっとしていろ! トーマスとフィネガンはネビルと一緒にベッドに! ロンは動くなよ!」

士堂の叫び声が聞こえたとたん、よからぬことが起きたのは分かった。慌てふためくネビルをあやすトーマスとフィネガンも気になるが、ロンの叫びの方がハリーは気がかりだ。

 

「ブラックだ! シリウス・ブラックが! あいつナイフを!!」

軽く開けたドアの隙間から廊下を覗いていた士堂が、ロンのカーテンを開けてなだめる。

 

「落ち着けロン! …よし廊下は平気だ。皆杖を持ったか? トーマス、ネビルを連れて先に談話室に。ハリーは俺と。そのあとをフィネガン、ロンと一緒に。」

「あ、ああ分かった。」

「僕もだ、大丈夫。」

 

青ざめた顔のトーマスとフィネガンが頷くと、士堂は蹴るようにドアを開ける。もう一度廊下を確認すると、口笛を鳴らしてフギンを呼び出した。外でフギンの羽ばたく音と鳴き声が聞こえる中、がたつくネビルを抱えたトーマスがドアに近づく。

 

「ど、どうすれば?」

「難しく考えるな。真っ直ぐ談話室に。他に目を配らなくていい。」

 

士堂が軽く背中をたたくと、2人は階下に降りていった。下では騒ぎに気づいた女子や上級生が騒いでいる。

不安で布団にくるまるハリーの背後で、何かがたたく音がする。振り返ると、背後の窓をフギンが嘴でつついていた。するとカーテンの隙間から士堂が顔を入れて、手招きしている。慌ててベッドを降りると、肩を抱かれた。ハリーを抱えたまま、士堂はロンとフィネガンにも合図を出す。

ハリーはその時、何が起きたのかはっきりしだした。月明かりとフィネガンの手持ちランプに照らされたロンのカーテンは、無残にも切り裂かれている。その切り口は、とても乱暴であり刃物であるのはハリーにも分かった。

 

「俺とハリーが下りたら、すぐに来てくれ。」

「お、OK。頑張る。」

「フィネガン、君ならやれる。さあ、行こう。」

 

かがむようにしながら階段を駆け下りたハリーは、グリフィンドール生が集まる談話室にほっとする。皆何事かわかっていないようだが、士堂の恰好を見ると空気が張り詰め始めた。

士堂の手には、杖と黒鍵が握られている。夜の談話室で煌めく黒鍵は、夜の怪しげな雰囲気を一層際立たせていた。

 

「士堂、何をしている! 皆早く寝室に!」

「パーシー、ブラックが僕を襲ったんだ! 信じてくれ!」

「ナンセンスだ。騒ぎすぎて見た悪夢だろう。」

 

騒ぎを聞きつけたパーシーは、弟の叫びを無視した。噓ではないと騒ぎたてるロンと言い争うパーシーを、士堂は全く気にしていない。あたりをぐるぐると見渡しては、サッと身構えていた。

 

「おやめなさい!いったい何事ですか。いくらクディッチに勝利したからと、ひどすぎます!」

「そうは思わなかったけど。なんなら2回戦もどうだい?」

 

憤慨するマクゴナガル先生に対し、フレッドが軽口をたたく。お調子者をにらみつけてから、先生の矛先は主席に向かった。

 

「何事です。このような時間までバカ騒ぎを許した覚えはありませんよ。」

「先生僕ではありません。弟がバカな夢を見て騒いだのです。」

「夢じゃない! 僕はブラックに襲われた!」

 

ロンの必死の叫びも、本当とはそこにいた誰もが信じなかった。張り詰めた空気はあるものの、皆信じたくなかったのだ。

 

「マクゴナガル先生。」

「おお、何をそんな大仰な…」

「ロンは襲われました。()()()()()()()()()()()()()()()<()b()r()>()

そう言った士堂が握りしめていた手を開くと、マクゴナガル先生の表情が一変する。わなわなと唇が震え始め、急にその場をうろつき始めた。そしてフラフラと覚束ない足取りで、寮の外に出ていった。入口付近にいるのだろう、信じられないといった声色は明瞭に、談話室にいる誰もが聞こえてくる。

 

「カドガン卿。今しがた寮に男を一人通しましたか?」

「通しましたぞご婦人! 薄汚れた不可思議な男だった!」

 

この場にいる誰もが耳を疑った。ハッと息をのむ声と、パーシー達上階生が一斉に杖を手にする、衣服のこすれる音だけが談話室で鳴る。

 

「と、と、通した?」

「ええ、確かに!」

「あ、あ、合言葉は? 貴方は一週間毎日合言葉を変えるはずでは?」

 

まるで古ぼけた蓄音機のようなマクゴナガル先生の声の後に、寮の門番である肖像画のカドガン卿の、誇らしげな大声量が聞こえてきた。

 

「合言葉は合っていましたぞ! 恐らく一週間分の合言葉を書いたのでしょう、小さな紙切れを読み上げながらでしたが()()()()()()()()()()()()




久々の投稿です。リアルがドタバタしており、投稿が遅れました。今回若干急ぎ足感が否めないと思いますが、ご容赦ください。
アズカバンでは書きたいシーンが幾つかありますので、そこを目指して頑張りたいです。


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修復

士堂は白陶磁器のティーカップをゆっくり置いた。今は少しでも雑音を立てると、未来が真っ暗になるような、そんな気分がするのだ。

 

「どうじゃろ、紅茶の味は? お気に召したかな。」

「ええ、まあ。」

「結構結構。最近特といい紅茶葉が手に入りにくくなったのじゃ。このダージリンはその中でも貴重な逸品での。」

「校長。」

「ダイアゴン横丁のカフェを知っておるかの? やや小道にそれるが、ハムスター印の看板が以外に目立つのじゃ。店主のリチャードが少々遊び人なのが難点じゃが、味と知識と腕前は保証するぞ。なかでもお勧めは…」

「ダンブルドア校長。」

 

趣味の話に熱が入ったダンブルドア先生を、隣に立つスネイプ先生が窘める。気まずそうに長い白ひげを揺らすと、校長は気を取り直して目の前に腰掛ける士堂に問いかけてきた。

 

「では最初から。昨日の夜、君の記憶を詳細に、老人に聞かせてほしい。」

 

 

あの夜、士堂たちの寝室は他の部屋同様に深夜になったところで、おとなしくなる様子はなかった。小声で興奮を分かち合っていたロンたちが、疲労から寝落ちした深夜1時から2時あたりだろうか。やっとこさ眠りにつけた士堂は、突如として背中に走った悪寒で目が覚めた。彼の今までの教育上、こうして夜中に目が覚めるというのは、頻繁にあることではなくても珍しくもなかった。

 

「…やっと寝れたってのに…」

 

一人愚痴ってベッドで惰眠を貪ろうとした時だ。どこか酸味を帯びた、腐臭が鼻腔をついてきた。清潔感が特徴でもあるホグワーツの、しかもここはグリフィンドール寮だ。スネイプ先生の魔法薬学用の備品室でもない。

ゆっくりと起き上がった士堂の鼓膜に、今度は何かを割くような、斬裂音が響いてきた。ここでただならぬ予感を感じ取った士堂は、枕元に忍ばせていた黒鍵を2本取り出し、刃を展開する。

呼吸を浅く、しかし確実にとりながら音を忍ばせつつベッドの上に片膝立ちで起き上がった。音の方向はちょうどロンが寝ているベッドの方だ。カーテンの隙間からのぞき込むと、ロンのカーテンが切り裂かれているのが、見える。

両手に取った黒鍵を交差するように構えてから、士堂は侵入者を狙い定めようとした。今の状況で闇雲に投擲すれば、ロンに被害が出かねない。ロンのカーテンの裏で黒い影がうごめき、何かを高く掲げた。それが振り下ろされる瞬間、士堂の両手が解き放たれる。

 

右手から放たれた黒鍵は真っ直ぐに、腕らしき影に突き刺さった。が、本体にはかすらなかったようだ。同じタイミングで目を覚ましたロンが絶叫したとき、士堂の左手から放たれた黒鍵は影の胴体部分を直線的に襲う。が、これも無意味だった。侵入者は小さな舌打ちとともに、すべるようにドアから階段へと滑り逃げていったー

 

 

「これが僕の、あの晩の記憶となります。」

「ふむ…」

 

士堂の回顧を聴いていたダンブルドア先生は、長い白髭を梳かすように撫でていた。同じく純白の眉毛が、物憂げな曲線を描いている。その傍で立つスネイプ先生は、対照的に能面のような顔を、士堂に向けていた。

 

「何か言い忘れたことは?」

「思いつく限りは話したかと。」

「ふん。代行者たるものが侵入者を仕留めそこなうなど、情けない。ミスター・士柳の血を引いているとは思えませんな。」

 

その言葉は、十分に士堂の怒りを呼び起こした。内心気にかかっていた事実を、こうも淡々と述べられて冷静でいられるほど、士堂は大人ではない。

 

「まあ、セブルス。そう簡単にことが済めば、我々とて苦労はしてまい。」

「は。しかしながら、奴を捕まえることが出来たのは事実。」

「セブルス。この子はまだ幼い。他の子と経験が少しばかり差があるだけの、ただの生徒じゃ。」

 

そういうと、ダンブルドア先生はテーブルの上に置かれた、パレットを手に取った。モスグリーンの布の上に置かれた、ちぎれかすのような薄汚れた布切れが、中に置かれている。

 

「検査結果はどうじゃ。」

「は。ものはそうですな、こちらの黒色の方は、ロンドンの砂が出てきました。恐らく、拾いものかと。」

「ほう?」

「しかしながら、もう一方。それは10年以上は使用されていた衣服の一部。摩耗具合から見て、疑う余地はありませんな。繊維の高級な素材と色合いから見て、シリウス・ブラックの脱獄時の衣服とみて間違いないと、小生は導きました。」

 

これだからこの先生は嫌いだ。己が有能さをしれっと見せつける彼を、士堂は恨めし気に睨んでいた。そんな少年に微笑みながら、ダンブルドア先生は目を軽く閉じる。

 

「十中八九、ブラックじゃろ。わしはそれを疑いはせん。問題は、侵入経路じゃ。」

「獅子寮の大馬鹿者の間抜けが、合言葉を教えたようですな。」

 

寮の入り口には、こうした状況を想定した肖像画による検問がある。用意された合言葉を言わなくては中に入れない、至極単純な仕掛けだ。しかしグリフィンドールの臨時の門番だったカドガン卿は、複雑怪奇な文言を日ごとに変えてきた。それでも記憶が命の魔法使いの卵たちは、何とか乗り越えていたのだ。ただ一人を除いて。

 

「ロングボトムへの処罰はどうしますかな。」

「ミネルバがこっぴどく搾り上げておった。哀れにも、お祖母さんからは、ほえメールまで届いたのじゃ。これ以上、あの子をおびえさせても無意味じゃ。」

 

合言葉すべてを紙にメモしていたネビルは、生憎それを落としてしまった。そのことで今彼は、ホグワーツの幽霊の仲間入りしそうなほど、死相が全身に表れていた。

 

「確かに迂闊な行動じゃ。だがの、セブルス。わしには不可思議な点がいくつかある。」

「拝聴しましょう。」

 

白陶磁器の入れ物から、黄色の飴玉を取り出すとポンと口に頬張った。口内で転がしながら、校長は口を開く。

 

「うむ、レモンじゃ。定番だが、故に飽きが来ない。…さて、不可思議な点というのは、どうやって奴はこうも入り込めるのかじゃ。」

「内通者がいると、吾輩は再三申し立てておりますぞ。」

「いや、それはない。もしいたとしても、ブラックはあまりにも自由にうろつきすぎじゃ。」

 

ピクリと、スネイプ先生の頬が引きつる。思わず士堂も、目の前の老人を見つめていた。

 

「というのは、ロングボトムのメモじゃ。恐らく落としたのは廊下か教室、宴会場のいずこか。じゃが知っての通り、どこも警戒を厳に強くしておる。」

「ええ。確かに。」

「とる機会はめったない。その希少なタイミングで、いとも簡単に盗って見せた。それに校内に侵入すると言っても、周りには吸魂鬼がごまんとおるのじゃ。わしが制限している為に飢えに餓えた、あの化け物をどのように?」

「手引きしたものがいれば、容易では?」

「ブラックはアズカバンに何年いたか思い出せ。50メートルは遠くても、心身ともに支障が出るはずじゃ。しかし合言葉をかいくぐり、士堂の黒鍵からも逃れる精神力と体力は、何故じゃ。」

 

この一連の事件、シリウス・ブラックは校内を我が庭かのように闊歩している。確かにいくら何でも向こうが有利すぎる。

 

「奴らは学生時代、何度も抜け出してはいたずらを繰り返していました。その浅ましい悪知恵でしょうな。」

「ではなぜ気づかん? わしらとていたずらに手をこまねいているわけではない事は、お主が分かっていないはずがない。それにな、不可思議と申すのは、城の幽霊や動物すらなんら異変を感じ取れんことじゃ。」

 

その言葉を聞くと、答えに窮したかのようにスネイプ先生の目線は下がった。問うかのような視線が士堂にも向けられるが、慌てて首を振る。そうか、と小さく呟くとダンブルドア先生は深々とため息をついた。

 

「そして、なぜハリーではなくロンを狙ったかじゃな。奴はいったい何を企んでいる?」

 

 

ほとほと疲れた士堂がグリフィンドールの寮に戻れたのは、夜も遅くだ。返されたのはもっと早くだが、その間の帰り道は酷くゆっくり帰っていたのだ。

 

(ブラックは何を目的としているのか、か。校長のいう【不可思議な点】ってやつ。)

 

10数人を虐殺したシリウス・ブラックは、ホグワーツで人ひとりどころか虫けらすら殺していない。侵入しても、狙ったのはハリーではなくロンだった。侵入までの過程は微かな抜け道を見つけ、隙間風のように自然に入り込んだのに、ロンはなぜか刃物で殺そうとした。

 

(魔法を使っていないのか? いや魔法を使わずにホグワーツにどうやって。)

 

一歩踏み出すたびに、深く考えてしまう。幸いにホグワーツはブラック襲撃の衝撃と、数日後に控えるビックイベントに頭がいっぱいで、廊下の隅を寂しく歩く士堂を気に留めるものはいなかった。

 

(僕がブラックなら、最善の策はどうする。)

「…う?」

(杖はいるだろう。どこかに隠していた杖でもって…)

「…どう?」

(そうだ、杖だ。魔法を使っていないのは使えないんじゃないか?)

「…士堂?」

(体力温存。ということは侵入方法は体力か魔力、いずれか若しくは両方消耗する。)

「士堂? 大丈夫?」

 

目の前ではハーマイオニーが、怪訝そうな顔つきで士堂を見ている。その時初めて士堂は、彼女が向かい側から歩いてきたと気が付いた。見れば両手いっぱいの鞄に、ぎゅうぎゅうに詰めた教科書や参考書を抱え込んでいる。

 

「何でもない。ちょっと昨日のことでね。ハーマイオニーは。」

「あー、うん。私は図書室に。新しい資料が欲しくなったの。」

 

士堂はハーマイオニーの返事を聞くや否や、彼女の鞄の1つに手を伸ばす。驚く彼女を無視して手首をどけて鞄をとると、肩にひもをかけた。

 

「いいわよ。私は持てるのに。」

「噓つけ、足取りがおかしいぞ。今だってじっとできずに微かに動いているの、知ってる?」

 

余りにも負荷のかかる荷物を持つと、バランスをとるために肩や膝を小刻みに動かすのが普通だ。そうやって荷物の重心と自らの重心を調整する。

まだ不満げなハーマイオニーだが、士堂が顎をしゃくると、やれやれといった感じで歩き出した。

 

「ハーマイオニー、君大丈夫か。」

「何が? 私はこの通り元気よ。」

「手首が細くなったよな。この前と比べて。」

「何言ってるの?あなた気持ち悪いわ。」

 

心外だとばかりに歩調を早める彼女にピタリと並走しながら、士堂は会話を続ける。

 

「手首は脂肪の減りが顕著に表れる。ハーマイオニー、君の手首は君の想像以上にか細いんだ。」

「だから何よ。貴方には関係ないわ。」

「確信はないが、ハグリッドの裁判にも手を貸していやしないよな。」

 

突然ハーマイオニーの足が止まる。まさかとは思っていたが、士堂は呆れるしかなかった。

 

「ハーマイオニー、君には無理だろ? 僕たちでも理解不可能な量の授業を受けてまだ足らないのか?!」

「無理なんかじゃない。じゃあ誰がハグリッドを助けられるのよ! やっと手に入れた教職よ、それなのにこんなのって!」

「でも君の限界を超える必要はない!」

「私は平気よ!」

 

すると士堂はハーマイオニーを強引に引っ張ると、近くの柱陰に引き込んだ。まるで風船のように彼女の体は、いともたやすく士堂に引っ張られた。

 

「じゃあ聞くが、一昨日の晩御飯は何が出た?」

「え?」

「一昨日の晩御飯だ、君が一昨日の出来事を忘れると?」

 

今士堂とハーマイオニーの顔の距離は、かなり近い。普通なら噂になる光景だが、夜も更けこんだこの時間帯、人気のない図書室に向かう廊下に、人気らしい人気は幸いなかった。

 

「え、えっと… ライ麦パンにソーセージ、あとクリームシチューよ。」

「やっぱりな、ハーマイオニー。」

「何よ、何は言いたいのよ!」

「それは5日前のメニューだ。君、ご飯をそこそこに勉強をしているから、こんなことになる。」

 

ハーマイオニーは信じられないといった表情を浮かべている。見れば眼頭に透明な液体が滲み、今にも零れそうだ。

 

「私は、私は…」

「お、オイオイハーマイオニー?! 何で泣くんだ?」

「私はやらなきゃ… ロンのスキャバーズも、ハグリッドのビックバーグも私が頑張らなきゃ駄目なの…」

 

限界まで抑え込まれた抑圧が、一気に噴出したようだった。ポロポロと涙がこぼれ落ちはじめたハーマイオニーを、士堂は彼女を軽く抱きしめる。士堂は泣いている女性の扱いなど習った事はないが、これが最善だと信じてやるしかなかった。

 

柱影の中で涙したハーマイオニーが落ち着いたのは、どれほどかかっただろうか。肩をひくつかせる彼女が落ち着きを取り戻すと、ローブの裾で顔を拭って上げた。

 

「…ありがとう、もう大丈夫。」

「なあ、今日は課題はいいんじゃないか。じゃなきゃ次会うのはマダム・ポンフリーの元になっちまうぞ。」

「それは嫌ね。でも明日古代ルーン文字の課題出さなきゃいけないわ。だから無理な話かも。」

 

図書室に着くと、2人は山のような教科書が詰まった鞄を抱え直した。すると図書室司書のピンス先生が、何とも言えない顔をして待っていた。

 

「ミス・グレンジャー。貴女が特例だから、この処置を認めているのです。その事を理解していただくことは出来ませんか。」

「ピンス先生、申し訳ありません。でも必要なんです。」

「はあ… 勉強しない生徒は論外ですが、し過ぎも問題ですね…」

 

司書用の机に鞄を置くと、入れ替えるようにピンス先生は教科書の山を置いた。背表紙に書かれた題字を見た士堂は、教科書を詰めるハーマイオニーに聞かれないよう子声で質問した。

 

「先生、何ですかこれ。【上級魔法数学】なんて聞いたことないですよ。」

「ええ、そうでしょうね。文字通りあと2、3年後にならなくては触れない書物です。上級生も難解さから手放したりするほどですよ。」

「うひゃー」

 

ロンのような素っ頓狂な声が出たが、大袈裟ではなかった。

 

「あんなの必要ですかね。」

「私の立場からすれば、ミス・グレンジャーの方が正しいと思います。自ら学ぶ者をこの部屋と管理人は拒みませんから。」

「肝に銘じておきます。でもハーマイオニーは異常ではないですか。」

「その理由を私は全部は知りません。大方予想はつきますが、例え正解だとしてもあなたに教えるつもりは、ないと言っておきます。」

「はぁ。」

 

納得できない士堂に、ピンス先生は何も言わない。そのまま帰れと言わんばかりに、手をヒラヒラと振ってきた。頭に疑問が残るものの、たしかにもう時間は遅い。肩にずしりとのしかかる鞄の重さに辟易しながら、空いている手は自ずと黒鍵と杖のしまってあるポケットに置いてある。

 

「ねえ士堂。その、ハリーの地図のこと。」

「ああ、あれね。どうかした?」

「あれ、ほっといていいのかしら。私、先生に伝えた方がいいと思うわ。」

 

帰り道、ハーマイオニーが思い出したように、あの古ぼけた地図のことを持ち出した。その話題が出た途端、士堂の顔に翳りが見える。

 

「あれはハリーがご執心でさ。こっちも取り上げようとしたんだけど、泣きそうなほどにしつこいんだ。」

「そう… でもハリー、今度のホグズミード行きにまた行こうとしているわよ。」

「まさか。いくらなんでもこれで行ったら馬鹿だよ。」

「ハリーはやるわよ。多分、お馬鹿だから。それにロンもいるじゃない。」

 

確かに自覚なき悪ガキはハリーを甘い誘惑で、さしたる考えもなしに誘う事はありありと思い浮かぶ。

 

「でもどうしようもない。止めようにもね。」

「どうして? 止めなきゃハリー死んじゃうわ?!」

「そのハリーに、ホグワーツでの楽しみを奪うのかって言われてみろ。心休まるのは此処しかないって。僕は分からないよ。」

 

そう言われたハーマイオニーは、気まずそうに口を閉ざす。悲しいかな、士堂もハーマイオニーも親の愛というものは存分に浴びてきた。その彼らがハリーにそう言われると、どう返せばいいのか検討がつかなかった。

 

「それに僕も、守護霊の呪文を研究したい。暫くは本と睨めっこだな。」

「手伝うわ。私も必要に…」

「駄目だ。まず寮に戻ったら何か食べなきゃならない君は。こっちは助っ人もいるから、心配しなくてもいい。」

「ハリーを放っておくの? 大丈夫?」

「僕は信じるよ。ハリーが馬鹿な真似はしないって。」

 

ずしりと肩にかかる教科書の重みが、随分と増したようだ。それは歩き続けていたからでもあるが、心境からでもある。

 

「確かフレッド達がお菓子を前のホグズミードの時、大量に買い込んでいたよな。余っていると思うから分けてもらおう。」

「うーん、気が乗らないわ。あの人達が渡すもので、まともなものなんてあったかしら。」

 

 

土曜日の朝、まだハリーが寝ているのを確認してから士堂はこっそりベッドを抜け出した。規則正しい寝息を立てる友人の枕元に何かを置いた後、音を立てないように着替えて部屋を出る。

向かった先は、普段は使われていない教室だ。実はとある考えを持った士堂が、ルーピン先生にお願いして用意してもらった部屋だ。室内は取り立てて他の教室と変わった点はないが、机や椅子の数が極端に少ない。中央に大きなスペースが設けられ、ぽつりと案山子が置いてある。

 

「これが魔法界の案山子ね。」

 

それは日本の案山子とは似ているようで違った。日本の案山子が十字に交差した木の棒に服や帽子を被せたものだとすれば、これはもっと人形的だ。下半身のない人形のやつであるが、直線的に伸びた手と胴体から、太い棒に衣服を着させていることが分かる。

 

「何だっていい。今日で終わらせるぞ。」

 

強い口調で呟くと、彼の右手には黒鍵が、左手には杖が握られていた。

 

『天にまします我らの父よ。願わくは御名をあがめさせたまえ。』

 

胸の辺りに白い光が集まり、杖から白い靄が漏れ出てくる。床に散乱している汚れた砂や埃が、風が流れているかのように蠢いていた。

 

『魂の名の下に、我が父とその子達へと告げる。我が目にすは、御名を汚すモノ。モノが汚すは、魂と御心。』

 

次第に高らかになる声ととともに、辺りを蠢く白い光が輝きを増す。彼の目に写るのは、布切れでできた案山子ではない。あの黒い、自らを脅かす輩ー!!

 

ガチャリと音を立てた扉をくぐると、ルーピン先生は鼻を突く匂いに顔を顰めた。何かが焼けたような、それもよからぬモノを焼いたかのような、気を悪くする事に特化したような匂いだ。

鼻を詰まんで扉を急いで閉めると、中央で佇む少年に声をかける。

 

「どうやら。上手くいったようだね。」

 

少年は荒い呼吸をそのままに、首だけを回して此方を見ている。その目は獣ののように鋭く、ピンと張り詰めた糸のような、凄まじい緊張具合を表していた。

 

「でもその話をしにきたのではない。僕がここにー 君との約束を破ってまで来たのは訳がある。」

 

眉をピクピクと動かしながらそういった先生は、未だに古臭いローブから、1枚の羊皮紙を取り出した。何の変哲もない紙切れを持った先生の目には、幾つかの感情がありありと浮かんでいた。その感情の多くは、マイナスの傾向のものである事は間違いない。

 

「なぜ黙っていた。君がこの紙が持つ危険性を、見逃す筈がない。何故かを教えて貰わなくては、困るんだ。」

「…何の話ですか。よく分かりませんね。」

「白々しい物言いは慎んで貰おうか。この羊皮紙には、抜け穴から門番の位置まで、ホグワーツの秘密が隠されている。その秘密が他人に、この学校に危害をもたらそうとしている連中に渡ったりしたら。」

「先生、僕はこういった筈です。ハリーは抜け出す。だから止めて欲しいと。僕ではなく、貴方が。」

 

プルプルと震える手を抑えようとしているルーピン先生に、士堂は不自然なほどに静かな目を向けていた。先生は口から出る言葉を飲み込むかのように、首を傾げたり口をモゴモゴと動かしている。

しかし何も言わない先生を無視して教室を去ろうとする士堂に、先生はやっとこさ声をかけた。

 

「覚えておくんだ。君が対峙するかもしれない奴は、相当手強い。」

「ご忠告どうも。」

「あとハーマイオニーと会った時、彼女が伝言を頼んだよ。負けた、とさ。」

「そうですか。ありがとうございました。」

 

ルーピン先生を一瞥もせずにその場を立ち去る士堂。先生は室内にいくつも空いた、地面の凹みを眺めていた。

 

「どうしてこの年頃の子供は、大人の忠告を聞かないんだろうな。ジェームズ。」

 

焼けた石の匂いに顔を顰めつつ、先生は物憂に溜息をつく。そして重々しい手つきで杖を振り上げると、散乱した室内が瞬く間に元通りになっていった。

 

 

士堂は脇目も振らずに、談話室へと向かった。若干の早歩きで、かつ大股で歩く士堂の雰囲気は何かを警戒するかのように、ピリピリとひりついていた。早い息遣いで歩いていると、談話室から出たすぐの廊下、その柱の影に隠れるように身を潜める、最近見なかった3人組を見かける。

 

「ああ、どこいってたの? 僕今から君を探しに行こうとしてたんだ。」

「ちょっとね。…ハーマイオニーは?」

「うん。見ての通りって感じかな。」

 

肩を震わせて蹲るハーマイオニーを、ロンが優しく背中をさすりながら宥めていた。顔には困惑や憐れみといった様々な感情がみてとれるが、彼女の憔悴ぶりには心底心配しているようだ。

 

「ハーマイオニー、僕だ。伝言は聞いた。」

「ぐず、ううう… な、何も、何も出来なかったの。あ、あんなに頑張ったのに、あ、」

「君の努力は無駄じゃない。この処分は、もう決定済みだったてっことさ。」

 

士堂が彼女の隣に座り込むと、ハーマイオニーはその胸に飛び込むようにして、一段と肩を震わせ始めた。

 

「ハーマイオニー、大丈夫?」

「これまで頑張りすぎて、反動が出ているんだ。今はそっとしておこうか。」

「うん、僕も賛成だ。ほら、もう僕たち仲直りできたし。」

「ハーマイオニーに謝れたのか、ロン。」

「まぁね。僕も大人だし、スキャバーズもいい年とったネズミだから。いつまでもクヨクヨしてられないよ。」

 

そう言って呆れたように肩をすくめるロンだが、士堂にはそうとは思えなかった。大方ハーマイオニーの予想外の弱りっぷりに、意固地を張らなくなったのだろうが、ひとまず友人の仲直りを喜ぶべきだろう。

 

「ハリーには言いたいこと山ほどあるけど、今はいいや。」

「…バレてる?」

「バレないと思った訳が知りたいよ。ったく、ちゃんとクデイッチ優勝して貰わなきゃたまらないよ。」

 

 




やっと投稿。文章がゾロ目で書けたから、いつもより若干少ない文字数ですが。

かなり端折って書いているのですが、書きたい場面まで何とかこぎつけたいので、今後も駆け足気味に話が進むかと思います。


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死神犬

「まぁ、おめぇさんも大変なこった。毎度毎度、碌に学園生活を送れちゃらん」

「諦めたよ、こうなるとね」

「ううむ… いやしかし、せっかくのホグワーツなのに、そないなこっちゃ可哀想だわい。俺もお前さんには迷惑かけちゃるしな…」

「気にしてないって。で、実際どうだバックビークは。あれから」

「変わりねえ。でも気づいてはいるだろうな、賢い子だから… 今度、ノクターン横丁に出かけて泥キャベツでも買ってこようと思っておる。値がはるが、こんくらい安いもんだ…」

 

ハグリッドがしわくちゃのシーツで鼻を噛み、涙を拭く。もう何日も洗っていないと思われるシーツで顔を拭うから、その後には薄汚れた跡が残っていた。しかしハグリッドは気にすることなく、身体に見合った大きなジョッキを傾けて、勢いよく葡萄酒を流し込む。

 

「あまり飲みすぎない方がいいんじゃ? 気持ちは分かるけどさ」

「でも飲んでなきゃやっとれん。あのルシウスのクソ野郎の思い通りに事が進んじまったてのが、どうにもこうにも諦めつかんのだ」

 

空になったジョッキに葡萄酒を注ぎながら、ハグリッドは数えるのも馬鹿になるほど聞かされた溜息を吐いた。やや呆れかけてきた士堂は、岩のように硬いビスケットを紅茶でふやかしながら、その様子をぼんやりとみていた。

 

「しかしな。ハーマイオニーはどうしちまったんだ。あんなに荒くれる子じゃなかろうて」

「なぁ。ハグリッドの裁判が上手くいかなくて、勉強漬けになっているのはわかるけど、まさかね」

 

 

どうやら士堂やハグリッドの想像以上に、ハーマイオニーは追い詰められているらしかった。ロンとの仲直りを果たして大きな悩みが消えたと思っていたのだが、それは予想だにしない言動で覆された。

最初は毎度の如くのスリザリンの三馬鹿だった。

 

「なあハグリッド。元気出してくれ。そんなに泣いたって、ね?」

「ハグリッド、僕が悪かった。今度は僕が裁判に協力するよ。告訴だろうが控訴だろうが、僕に任せりゃ大丈夫!」

 

通告の葉書が届いてから気落ちするハグリッドをロンや士堂が慰めていた時、丁度魔法生物学の講義を受ける他生徒がゾロゾロ横を通った。その中には三馬鹿もいた訳だ。

 

「見ろよ。あのけむくじゃら、鼻水垂らして泣いてラァ」

「汚い」

「見たくもないね」

「らしいこと言うじゃないかゴイル。まあ、あんなのに教わる僕らの身にもなってくれたまえ。奇怪な生物の次はお父様に奴を処刑してもらおうか」

 

冗談では過ぎないマルフォイの言動に、男3人の血がたぎったのは言うまでもない。全員がローブに手をやり、思いつく悪戯呪文を唱えようと口を開きかけた時だった。

 

『エヴァーテ・スタティム! 宙よ踊れ!』

 

ハーマイオニーの絶叫が長閑な平原に響き渡る。途端三馬鹿の身体が宙に浮いたと思えば、リズム感のかけらも無い貧弱な踊りを始めた。呆気に囚われた周囲の人間達は、何が起こったのかさっぱり分からなかった。

 

「や、やめてくれぇ! 」

「ど、ドラコぉ、僕宙に、宙に浮いたぁ!」

「うるさい黙れ、そんなこと分かってる! おい、お前なにを、ぬぁ?!」

 

マルフォイは当たり前だが、ハーマイオニーの方に顔を向けて憤慨してきた。すると瞬時にハーマイオニーの杖が舞い、マルフォイの身体は哀れにも宙ぶらりんにされてしまう。これで手足を水に落ちた虫のようにばたつかせているのだから、あまりに滑稽な光景だ。

周囲を取り囲むグリフィンドール生が歓声を上げるものの、男トリオはそうもいかない。今何が起こっているのか全く理解できなかった。

 

「おお、おいこの女! 早く僕を、」

「た、助けてぇ!」

「足が、足がうぼになっちゃう〜!」

「黙るのはあなた達よ!」

 

『シレンシオ! 黙れ!』

 

三馬鹿が喚き散らしていたのが嘘のように、静まり返る。三馬鹿の口は固く閉ざされ、石化呪文を食らったかのように薄青い色の光を放っている。

 

『ディセンド! 落ちろ!』

 

グシャという音とともに、三馬鹿の身体は地面に文字通り落ちた。自由落下を更に加速させる呪文のお陰で、三馬鹿の意識は呪文と同じスピードで暗闇に消え去った。

ビクビクと身体を痙攣させる三馬鹿にスリザリンの女子生徒が駆け寄る中、ハーマイオニーは一瞥することなくその場を後にした。すっかり涙も溢れきったハグリッドが肩を叩かなくては、トリオはいつまでもその場を離れなかっただろう。

 

 

続けてその日の占い学での講義だった。トレローニ先生が最もらしく水晶玉について語っている時、ロンは握り拳を口に入れなくてはならないほど笑いそうになっていた。辺りを見渡せば大半の生徒が、水晶玉の内部に漂う薄煙のように、ぼんやりと先生の話を聞いている。

如何に摩訶不思議な世界に生きる魔法使いの卵とて、胡散臭さには個々人の定義が大なり小なり備わっている。トレローニ先生は、そのラインを超えることに関しては、学校1の才能を持っているようだ。

 

「さぁーさ〜。玉に挟む遥かなる神秘を読み解く、手助けを求める子羊はどこかしら?」

「当ててみせる。今夜は霧が深くなるでしょう、だ。貴方の悩みと同じようにってな。」

「なんと! あなたは神聖なる予兆を軽はずみに扱うのですか? なんとなんと!」

 

この先生は、しかしホグワーツの他の先生同様の地獄耳だけは持ち合わせているようだ。仰々しい物言いで、腰をクネクネと捻りながら、一歩やや外気味に踏み出した足を跨ぐように次の足を踏み出す、珍妙な歩き方で此方に寄ってきた。

 

「見ろよ。ありゃパリコレビックリのモデルウォークだ。感動で泣けてきた。」

 

士堂が小声で隣に座るハリーに呟くと、彼も小さく頷き返してくる。近寄る先生に関係ないとばかりに視線を逸らした2人だが、なんと先生に対して毅然とした態度を取る生徒がいた。

 

「ご覧なさい、この水晶玉の内に潜む白煙を。これは不吉な予感を示している… 皆さんよくご覧あれ。これは正しくあの」

「死神犬なんて言ったら笑いもんだわ。阿呆らしい!」

「あなた! この教室に入ってきた時から、いえ初めて目にした時から感じ取れましたわ。貴女には予兆を読み解くのに必要な、高貴な精神が備わっていないようですね。ここまで俗な生徒は初めてですわ。」

 

ハーマイオニーが我慢できないかのように叫ぶと、トレローニ先生は寧ろ憐れむかのように彼女に話しかけた。まるで善意で忠告していると言わんばかりの彼女の態度に、ハーマイオニーは一瞬沈黙した後、指定教科書の【未来の霧を晴らす】を大きな鞄に詰め込みながら言い放った。

 

「結構よ!! 何の根拠もなく、ただ煙だけ見てるだけで未来が読み通せるなら苦労しないわ! 大体あなた達の予言なんて、ありそうな事を適当に挙げておいて、似たような事実が起こったらさも的中したかのようにはしゃぐだけじゃない!! こんな事を分からないなんて、魔法使いが聞いて呆れるわ!」

 

ハーマイオニーがまたも、振り向く事なく教室を後にすると、彼女と対極な立場のラベンダーがトレローニ先生の予言について語り出した。先生もそれに乗って彼女が言ったらしい「この場から1人永久に立ち去る」なる予言を詳細に語る中、やはり男トリオは目にした事実を受け止められずに、顔を見合わせるしか無かった。

 

 

「先生達の間でも話題になっちょる。幸いハーマイオニーはええ子だから、庇ってくれる先生も多くてな。スネイプの野郎がネチネチいってきおったが何、マクゴナガル先生が反論してくれておる。大丈夫だ」

「にしても、ちょっと危なかっしいと思わないか?」

「付き合っちょる友達の影響だろうな」

 

意味ありげに伸び放題の眉を動かすハグリッドに、士堂は不服そうにそっぽを向いた。ふやてけて噛み砕けるようになったビスケットを口にする士堂に、ハグリッドはお代わりの紅茶を注いだ。

 

「何にせよ、お前さんがいてくれりゃあの子は平気だ。目ぇ離さんといておくれ」

「ん、分かった」

「ハリーの事もあるし大変だろうが、ハリーの方は先生やグリフィンドールの子達も気にしてるから、ちょっとぐらいは構わねぇ。でもハーマイオニーは、特に最近1人な事が多いから」

「そのハーマイオニーがな、最近講義を受け過ぎだと思うけど、なんか知ってる?」

「いや、何も分からん。そういうこたはさっぱりだ。どうした?」

 

士堂の脳裏に、最近の彼女の姿が思い浮かんだ。隣にいたと思ったら姿を消し、いないと思ったら先にいる。まるで瞬間移動でもしているかのように神出鬼没な彼女の行動は、士堂としては気にかかるものだ。

 

「ハグリッドがわからないってなると、先生達の中でも情報が遮断されているのか?」

「ん? 何の話だ? さあさあ食ってくれ。ハリーに前食わせたんだが、その時腹が減ってないのか手をつけなんだ」

「ん、じゃあもらうよ」

 

ドップリとビスケットを紅茶にくぐらせつつ、士堂は更なる悩みの種が増えたような、厄介な予感がしていた。

 

 

イースター休暇は、悲しい結末を迎えた。生徒の安全のために外出が制限されたからなのか、先生達の課題は文字通り、一日中机と教科書と睨めっこできるほど膨大な量だった。各々が口から泡を吐き涙を流し、時には錯乱して悪戯花火をぶっ放す中、士堂は部屋の片隅で教科書の山を形成する生徒の横に椅子を持っていった。

 

「はぁい、ハーマイオニー。ご機嫌いかが?」

「…用がないなら出てって」

「元気そうで何より」

 

士堂はこちらを見ようともしないハーマイオニーを気にすることなく、自分の教科書を広げる。中に挟んでおいた紙を取り出して、魔法薬学の課題を解き始めた。

 

「なぁハーマイオニー。飯は食べてる?」

「その節は心配かけたわね。でも大丈夫」

「そうか」

 

暫くカリカリと羊皮紙に羽ペンが走る音のみが、耳に聞こえてくる。紙を撫でる音とインクにつける音ぐらいしか、他の音は聞こえてこない。時間の経過も忘れるほどに集中して取り組んだお陰で、意外なほど士堂の課題は早く終わりを迎えた。

 

「ふぅ、終わった」

 

ポキポキと首を鳴らして背伸びする彼を無視するかのように、ハーマイオニーは眼前の課題をこなす。

 

「聞いていいかわからないけどさ、何を使った?」

「…」

「ロンも心配してるんだ。ハーマイオニーがいたらいなかったりするからな。これは勘違いじゃないって僕たち思ってる」

「…そう」

「ホグワーツの事だから、何かがあるんだろうな。いくら君でも1人で魔法を使いこなせるとは思えない。となれば何かの魔法具を使っている」

「…」

「ハグリッドが知らないって事は、先生達の間でも君について知っている人とそうでない人、2種いるってことかな。その観点でいくと、図書室に行ってまず探すとしたら、魔法具の目録。その中で特に、講義とかそう言った単語に関係ある欄を見れば何か分かるかもな」

 

ハーマイオニーの忙しなく動いていた手がぴたりと止まった。教科書の山から覗いてくる視線には、驚きと同時に懇願の色が見える。

 

「…時間も時間だし、おさらばするか」

 

しかし士堂はスッと立ち上がって、教科書を抱え込んだ。首をポキポキ鳴らしながらその場を離れようとする彼に、何かを言いたげなハーマイオニーは思わず立ちあがろうと机に手をかけた。

 

「…調べやしないよ」

「…え?」

「何か有れば僕ら3人の誰かに、今度は言ってくれるだろ?」

「…いいの? 調べなくて」

「君が知られたくない事らしいし、知らなくていい事もある。そういうもんだろ?」

 

そう言って談話室の出入り口に向かう士堂の姿は、小さくなっていった。小さく溜息を溢して、ハーマイオニーはまた課題に取り組み始めた。少し課題をこなしてから、人の目がない事を確認して、ハーマイオニーは溜息程度に呟く。

 

「…ありがとう」

 

 

イースター休暇明け、ホグワーツ始まって以来有数のイベントが待ち構えていた。それはグリフィンドール対スリザリンという、クディッチの人気カードだからというだけではない。

グリフィンドールには、炎の雷を携えたハリー・ポッターと精鋭のメンバーが揃っている。ウィーズリー家の次男、チャーリーが成し遂げて以来の優勝杯獲得のチャンスなのだ。キャプテンのウッドの最終ゲームという事も相まって、モチベーションは最高潮に達している。

対するスリザリンには、個々人の恨みつらみが重なっていた。特にドラコ・マルフォイにはそれまで1番高級な箒乗りだった事を剥奪され、ハリーがホグズミードに抜け出した時、泥を浴びせられた過去がある。証拠不十分でお咎めなしだった事で、彼のハリーへの怨念は強まるばかりだ。

そしてスリザリンは、特にグリフィンドールからシリウス・ブラックについてイチャモンをつけられている。曰く闇の魔法使いを手引きするとしたら、スリザリンだと。スリザリンの方もシリウス・ブラックの出身はグリフィンドールなのだから、怪しいのはグリフィンドールの方だと面と向かっては言わないものの、陰で噂を広めている。

 

この一連の流れが齎したのは、かつてない緊張感だ。最初は単なるハリーの護衛だった筈のグリフィンドール生達だが、対抗するかのように固まって移動するスリザリン生に煽られて常に杖を手に携えている。

そうでなくても廊下で目を合わせようものなら、喧嘩を始めそうなほどに一触即発の張り詰めた空気がホグワーツ全体を覆っている。先生達も厄介ごとが増えたと悩むばかりだが、当の寮監同士が目を合わせないのだから始末が悪い。やれ点数が辛いだ逆に甘いだ、会うたびに小競り合いをするから生徒が静まる訳が無かった。

 

試合の日の前まで異様な空気が包む。それは双子のはじけんばかりの騒ぎでハーマイオニーすら勉強できないほどだった。そんな試合前の最後の夜、試合当日の早朝だった。

 

「士堂、士堂! 起きて起きて!」

「お、おお?!」

 

出るわけでもないのに寝付きが悪かった士堂が、やっとこさ惰眠を貪ろうとしていた時だ。唐突に肩を揺さぶられた彼は、咄嗟に杖と黒鍵の柄を握りしめる。

見ればハリーが真っ青な顔で窓の方を指差している。

 

「いた、いたんだ! いたんだよ、士堂!」

「な、何が?」

「死神犬だ! クルックシャンクスと一緒に! あそこの校庭にいたんだよ!」

「はぁ?」

 

焦りを隠せないような声色のハリーだが、士堂とすれば何を言っているんだというしかない。念のために校庭を見渡すが、何もいなかった。

 

「バスに乗った時、クディッチの試合の時と見たあの黒い犬だ! 間違いないよ、本当だ!」

「分かった、分かった。落ち着け」

 

士堂はハリーの肩を撫でながら、ゆっくりベッドに寝かせる。士堂の寝巻きにひしとしがみつくハリーを、あやす様に撫で回す。

 

「緊張で野犬でも見たんだろ」

「そんな事ない、本当だ! 信じてよ、嘘なんか言わない!」

「うんうん。人間緊張や恐怖であやふやなものを見ると、勝手にイメージで補完しちまうんだ。大体その黒い死神犬が、どうしてハーマイオニーのクルックシャンクスと一緒にいるんだ」

 

ハリーははっと目を見開いた。どうやらその考えはなかったらしく、何か言おうとするものの言葉になっていない。

 

「ほら、寝た寝た。例え1時間だろうが1分だろうが寝ておかなきゃならないだろう?」

 

次に士堂が目覚めると、ガヤガヤと人が入ってきていた。まるでハリーを担ぎ出すかの様に生徒がハリーを連れていったおかげで、士堂がその光景を見届けた後には誰も残っていなかった。釈然としない気持ちで身支度を整えて朝食を食べようと一階に降りると、大広間に続く廊下の真ん中で上を見上げる生徒がいた。

 

「…ルーナか?」

「はぁーい士堂。元気?」

 

レイブンクローの2年生、ルーナ・ラブグリッドは後ろに立つ士堂ににこりと振り返ってみせた。士堂がルーナの見上げていた視線の先に目を向けると、ペンダントが梁に引っかかっている。

 

「あれ、君のか」

「うんうん」

「何でまたあんなとこにあるんだ。普通置いとかないだろ」

「うん、同級生の子とおしゃべりしたの。あなたにはオカミーが仲良くしたがってるって。そしたらその子、私のペンダントをポイって」

「はぁん。なるほど」

 

士堂が杖を一振りすると、ペンダントはゆっくり梁から落ちてきた。士堂がタイミングよく落ちてきたそれを掴み取ると、ルーナは曲芸を見たかのようにパチパチと拍手をする。

 

「すごいね〜。流石だなぁ〜」

「朝食を食べるんだろ。もう皆食べてる頃だ」

「うん、ありがと。じゃぁね〜」

 

そういうと焦りを微塵も感じさせない歩き方で、ルーナは大広間へと歩いていった。その向かいからチョウ・チャンが早歩きで此方に向かってきている。2人はすれ違いざまに2、3の言葉を交わして、直ぐに離れた。そのまま帰るかと思ったチョウだが、どうやら士堂に用があるらしい。

 

「士堂、朝からごめんね。迷惑かけたかな」

「大した事ない。というより、レイブンクローはルーナをどうしてるんだ。あの調子じゃルーナはいつもこんな目に遭ってるんじゃないか」

 

若干強い口調の士堂に、チョウの細い眉が哀しげに弧を描いた。

 

「分かってるよ。でもほら、見ての通り不思議ちゃんでしょ。正直、レイブンクローの中でも持て余してるっていうかな」

「おいおい」

「あまり気の合う子がいない様なの。でもグリフィンドールの同級生に友達がいる様だし、あなたも好いているみたいだから、よろしくね」

「いや、そりゃ」

「うん。だからこっちでも何とかするけど、お願い」

 

手を合わせて軽く頭を下げると、チョウは真っ直ぐ大広間へと歩いて向かって駆けていった。その後ろ姿を見ながら、士堂は内に潜むモヤモヤとした感情の向かう先を定めきれず、苛立ちをぶつけるかの様に大きく床を踏み抜いた。

幸い大広間では朝食が賑わいを見せつつあって、廊下に響いた振動は聞こえていなかった様だ。それでもお付きのポルターガイストの連中が物珍しそうに士堂を見るものだから、彼は懐の黒鍵をチラつかせる事で彼らを追い払うことにする。

 

「やなもん、見ちゃったな」

 

1人浮かれない気分の士堂は、朝食もそこそこにクディッチ会場へと向かう。悲しいかな、ロンやハーマイオニーさえも今はスリザリンの敗北を今か今かと待ち望んでいるから、士堂の気分など詮索することすら考えていない。まるで嵐の様な騒ぎが会場へと続く道から観客席にまで続いている。

かつてない熱狂ぶりに選手の表情が強張るのを遠目に見ながら、士堂は何気なく視線を観客席全体に向けていた。観客席全体の半数以上が、グリフィンドールかそれを応援するハッフルパフとレイブンクローの生徒達だ。全体の総数には劣るものの、スリザリンはプライドがなせる技かホグワーツに響き渡る様なブーイングを途切れる事なく続けている。

しかし士堂の視線はその人間が蠢く場所にはなかった。丁度最上段の観客通路、人がいない場所。そこにオレンジの毛玉がフリフリと動いているのが見えた。

 

(クルックシャンクス? でもあの隣…)

 

問題はその隣だった。黒い、毛並みがボサボサの塊がじっとその場に佇んでいる。黒い塊は丸っこいクルックシャンクスとは対照的に、か細い形状である。その中央にはギラついた光を放つ薄灰色の目があった。

 

(犬? じゃああれがハリーの言っていた、死神犬か)

 

試合が始まり、お馴染みのリー・ジョーダンの実況が聴こえてくる。

「さあ、グリフィンドールの攻撃です。グリフィンドールのアリシア・スピネット選手、クアッフルを取り、スリザリンのゴールにまっしぐら。いいぞ、アリシア! あーっと、だめか――クアッフルがワリントンに奪われました。

スリザリンのワリントン、猛烈な勢いでピッチを飛んでます――ガッツン!――ジョージ・ウィーズリーのすばらしいブラッジャー打ちで、ワリントン選手、クアッフルを取り落としました。

拾うは――ジョンソン選手です。グリフィンドール、再び攻撃です。行け、アンジェリーナ――モンタギュー選手をうまくかわしました――アンジェリーナ、ブラッジャーだ。

かわせ!――ゴール! 10対〇、グリフィンドール得点!」

リーの喉から絞り出す様な声が、スリザリンの野太いブーイングでかき消される。しかし士堂にはそんな事はどうでもよく、あの死神犬から目を離せない。

 

(たしかにおかしい。野犬があんなにじっとクディッチを見るものか?)

 

ハリーが知る限り、黒い犬をペットとして飼う生徒は聞いたことがない。だとすれば野犬で、なるほど魔法界に生きる野犬ならクディッチの試合を観に訪れても、ここの魔法使いは特に疑問を持たないだろう。

だが士堂はあくまで魔術使いだ。彼にとって、あの死神犬は尋常のものとは思えない。

隣で騒ぎ立てるロンとハーマイオニーに声をかけることなく、士堂は忍足で階段を降りていった。そして以前ハーマイオニーがやった様に、席の下側にある狭い空間を通り抜けつつ、クルックシャンクス達がいる反対側に向かう。

 

これは想像以上の難易度があった。試合が白熱しているのか、観客はー当たり前なのだがー 席で飛び跳ねるわ地団駄を踏むわ忙しない。まさか自分達の足元で人が必死に移動しているなど考えるのは、それこそ頭がイカれているとしか言いようがない。

だが士堂とすれば、厄介きまわりない事だった。探す対象が人より小さい生物なのだ。足の隙間から時折覗き込んでは、観戦用の双眼鏡で例の生物を探す。幸い死神犬は薄灰色の眼を一点に向けたまま、暫くその場を動いていなかった。

 

(勘違いであります様に…)

 

ここまでして本当に不味い事だとすると、いよいよ笑えなくなる。せめて考えすぎであることを祈りつつ、士堂はしゃがんだまま着実に距離を縮めて行っていた。

 

「このゲス野郎!このカス、卑怯者、この――!」

 

試合はスリザリンの面目躍如、違反スレスレどころかど真ん中の違反行為の連発で、波乱の展開を見せている。普段はリーを嗜めるマクゴナガル先生が身を乗り出してスリザリンの選手を非難しているから、相当酷いようだ。一応想定されていたのであろう、グリフィンドールとスリザリンは席を離されて観戦していたが、彼らの中間地点にいたハッフルパフやレイブンクローの生徒すら、2分割に意見が割れていざこざを、始めた。それを見た近場の2寮の生徒が言い争いを始め、コート内だけでなくコート外でもライバルの衝突が巻き起こってしまっている。

 

しかしこの喧騒は、士堂の影を限りなく薄いものにしていた。お陰で時間はかかったものの、士堂はクルックシャンクスらがいる近辺に移動することができた。

 

(さて、死神犬は何を見ている?)

 

息を潜めて忍び寄る。木製の床や梁がその度に軽く軋むのが、こんなにも恨めしく思えるのか。早る気持ちを押し殺し、かの生き物がいる段の右下から覗きあげる位置に着いた士堂は、死神犬に近い目線を手に入れた。

 

(おいおいやめてくれ…)

 

死神犬の目線の先には、高速で飛び回るハリーの姿があった。偶然かと思ったが、他の生徒には目も暮れずに、ひたすらハリーの飛行を見つめている。細かく動く薄灰色の目は、鷲寮の切り札をしっかり見据えていた。

 

(でもこいつはなにもんだ。使い魔、若しくは式神? この距離で何も感じないとすれば、相当高度だ。これはちょっと本腰入れるぞ)

 

手に持っていた杖をローブの細い輪に通してしまい込むと、代わりに中指を中心として左右の手、2本ずつ計4本の黒鍵を手に取る。そして静かに息を吸い込むと、床下から階段へと抜ける隙間をしっかりと確認する。

 

(3.2.1!)

 

カウントを数えてから、士堂は足を強く蹴って階段へと躍り出た。弾丸の様に飛び出た士堂の姿は、ハリーを見つめていた死神犬も直ぐに気がついた様だ。クルックシャンクスが威嚇の鳴き声をあげる中、黒犬は背後の壁をするすると駆け上る。

士堂は着地した右足を軸に、身体を斜めに傾ける。階段へと飛び出た方向から、右後方へ鋭角に30度ほど急激に傾けた。そして左足を静かに下すと間髪いれずに、次の踏み込みに入る。魔力を込めた右足が士堂の身体を、今度は斜め前方へと跳ね上げた。強化魔術で通常よりも数倍の跳躍力を手にした彼の身体は、正確に死神犬と同じ方向に消えた。

 

ハリーがスニッチを追ってマルフォイと名チェイスを繰り広げて会場を虜にする中、一匹と1人は会場外へと逃走を始めた。高さ30メートルはあろう最上階から飛び降りた犬の直ぐ後で、士堂もまた地面に舞い降りる。着地の瞬間に強化魔術を足裏に展開するものの、衝撃は完全には殺せなかった。一瞬うめき声をあげるものの、視線は細長い黒い塊から離れていない。

直ぐに駆け出し始めた士堂は、強化魔術を施し直す。

 

『加速せよ、我が脚! Accelerate pedibus meis!』

 

視界に入る木々が、まるで水を溢した絵の具の様に溶けていく。と同時に犬の後ろ姿もまた、どんどん近くになってきた。気合と共に投げ飛ばす2本の黒鍵は、犬の左右に音を立てて突き刺さった。衝撃で砕け散る刃が辺りに散らばるが、犬は気にする事はない。

黒犬は会場から禁じられた森へと続く小藪の中に突き進む。その後を追う士堂だが、何如せん小枝などをかわさなくてはならず、一気にスピードが落ちてしまった。薄暗い木々の中で徐々に獲物を捉えきれなくなっていった士堂は、残り2本の黒鍵のうち1本を、引き絞る様にして解き放つ。

『corvus volant quoque nihil mons sheng (鴉は飛び立ち、山々を超える)』

『主よ、この不浄を喰い改め給え!』

『鳥葬式典!』

黒鍵は命中する事なく、ジグザグにステップを踏む黒犬の横にまたもや突き刺さった。しかしその破片が鴉となって犬に襲い掛かろうとするや否や、ぐじゃっとした鈍い音が聞こえてくる。

 

「や、やったか?」

 

魔術強化を解除した士堂が側に近寄ると、鴉達も黒い霧となって霧散した。彼の目の前に落ちていた黒い塊を見た途端、胸糞悪い感情が湧き上がってきた。

 

「…何? マジか?これ?」

 

しかし目の前には犬の死体があったわけではない。黒いビニール袋が、鉄の破片で食い破られた無惨な姿を晒しながらその場に落ちていた。

犬は、死神犬は逃げ延びたのだ。




気分的に乗れたのか、今回は比較的早く書けました。また不定期的に書くことになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。


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29話

クディッチの優勝杯は、ハリーの獅子奮迅の活躍によりグリフィンドールが手にした。あの夜の喧騒は、筆舌に尽くし難い。それほどまでに寮全体が、まるで1つの生き物になったかの様に一晩中喚き散らし、踊り狂っていた。

その中ではハーマイオニーすら勉強をせずにめちゃくちゃな踊りを披露していたのだが、士堂そのは半分も喜ぶ事が出来なかった。

 

(…あれ、変わり身の術だろ)

 

あの後、士堂はビニール袋の残骸ぬくを手にルーピン先生の元を訪れていた。先生はお祭り騒ぎに加わらない士堂に驚きを隠さなかったが、事情を察して自室へと向かいいれてくれた。

 

「それは本当か? 見間違いではなくて」

「それは有り得ません。確かに仕留めたと思ったんですが」

「いや、失礼。疑った訳ではないが、しかしこれは、ふーむ」

 

先生の隈は益々酷くなっているが、気づいていない様だ。ガシガシと髪の毛をかきあげると、パラパラとフケの様なものが舞っているのが見える。

 

「ひとまずこれは僕からダンブルドア先生に伝えておこう。士堂はもう休みなさい」

「説明は直接した方が、」

「いや駄目だ。これはちょっと雲行きが怪しくなってきた。ここから先は、大人の世界だよ士堂」

 

そういうと先生は、小さな粒チョコを袋に詰めて士堂に持たせてくれた。それを手土産に戻った士堂は、通りかかる人それぞれにチョコを配りながら、ぼんやりと考え事に耽ってしまう。

 

(黒鍵を躱せるなんて、ただの犬じゃない。でも使い魔にしては上等すぎやしないか?)

 

黒鍵の初速は、拳銃の弾丸のそれに匹敵する。それほどの速さの投擲を躱せる技量のある魔法生物なら、もっと他にも能力がある。それを使われると、士堂とてハリーを助ける事ができるか甚だ怪しくなってきた。

憂鬱になりそうな士堂に、浮かれ気味のロンがやってきた。顔には落書きが多数書かれていて、服にはココアやらジュースやらが飛び散っている。

 

「イャっはあー!! 盛り上がってるかい士堂!! ふーふー!!」

「まぁ、楽しんでるよ」

「何だい、辛気臭い顔して!! さぁ、士堂も踊ろう踊ろう!! グリフィンドール万歳!!」

 

士堂の心境など艶知らず、最近の調子が嘘の様なロンが彼らしからぬ力で士堂を談話室の真ん中に連れてくる。何の統一性もない、ただ思い思いに踊り散らす同級生に手を取られると、否応なく踊らざるを得ない。

こうなればやけくそよ、と心に決めた士堂は、漠然とした不安を心の底に押し込むと、騒ぎの中心に身を投じることにした。

 

 

楽しかったクディッチ後夜祭は、正しく最後の晩餐とも言えるひと時だった。魔法使いにとって将来を左右するO・W・L(普通魔法レベル)試験を控えているのは双子のウィーズリーだ。パーシーはN・E・W・T(めちゃくちゃ疲れる魔法テスト)という、ホグワーツ校が授与する最高の資格テストを受ける準備をしていた。

勿論士堂達もそこまでではなくても、全く無視できない期末試験を迎える用意に入らざるを得ない。談話室には嘘の様な静かさが場を支配し、緊張感が漂い始めた。しかしクディッチの時の様な寮の誇りをかけたものではなく、各々の未来の為の後がないが故の緊張感だった。

当然皆心にゆとりがなく、パーシーとハーマイオニーは些細な物音1つにも苛立ちを隠さない。かと言ってそれを咎める余裕も時間も、士堂達にも有りはしなかった。

 

地獄のような試験前から試験本番に移ると、皆の顔から生気が無くなってきた。鐘の音ともに廊下に出ると、うめくような嘆きが次々に聞こえてくる。しかし時間は待ってはくれないから、次の試験のための準備で必死だ。

そうした中で、魔法生物飼育学の試験中に、ハグリッドが小声で話しかけてきた。

 

「お前さんには言わなきゃなんねぇ… バックビークの件、裁判は明後日に決まった。多分最後だ。あいつは酷く参ってる。ここ最近は狭い小屋に押し込められていたから…」

 

ハグリッドはショックのあまり、レタス食い虫の1時間の生育という試験を出したのだ。この生物は放っておく事で元気を得る様な虫だから、実質机に1時間座るだけで満点が貰えるボーナス試験だ。

事情を知らない生徒にとっては歓喜だが、士堂達は心に石の塊が沈んでいくかの様に、気分が落ち込んでいった。

 

その後の試験を淡々とー 多少ハーマイオニーにハプニングがあったがーこなす中、問題の日が訪れた。魔法大臣のコーネリウスが、裁判の立ち合いの為に来校していたのだ。面識のあるハリーが2、3言葉を交わしていたが、やはりルシウス・マルフォイの影響は健在の様だ。付き添いのガタイの良い黒髭の男が持つ斧が、日光を反射して黒々と輝いているのを見た士堂は、バックビークの未来が垣間見えた気がした。

占い学の試験で適当に受け答えした後、談話室に戻ってロンとハーマイオニーと合流しようとした時だ。にこやかな笑い声が聞こえてきたと思えば、この時期にしては珍しくダンブルドア先生が廊下を歩いている。

 

「ヤァヤァ、皆ご苦労様。試験は無事に済んだ様じゃ何より、何より。おやジェレミー、浮かない顔をしておるな? ふむ、心配している魔法史の試験は大丈夫じゃろ、皆あそこは間違えている所故にな。

メイ、君はスネイプ先生の試験の失敗かな? あれはしょうがないの。混乱薬のコツは、如何に材料の刻み具合を正確に出来るか、これに尽きる。来年度もまた、課題で出るだろうからよく覚えておくのじゃ」

 

生徒1人1人と会話するダンブルドア先生は、実に御満悦げな表情を浮かべている。しかし年齢を感じさせる両手は、指の節々を交互に撫で回したりと、見る人が見れば落ち着きがないことは直ぐに分かるだろう。

 

「おお、士堂か。試験は…聞くまでも無さそうじゃ」

「校長先生、ちょっといいですか?」

「構わない。ここでは何だから、ささこっちにこっちに…」

 

正門前の草原、生徒が居ない場所に移動した校長は、少し遅れてやってきた士堂を待つ様にその場をぐるぐると歩き回っていた。

士堂が横に到着すると、目を合わせずに独り言を言うかのように切り出す。

 

「して、この老人に何用かの?」

「はい、実は例の件でして」

「おお、あれか。まあ君たちも何とかしたいのは分かるがの、さてさて難しいの」

 

意表をつかれたかの様な士堂だが、校長は気にすることなく、物憂気に語り出した。

 

「あのお偉いさんは、危険という言葉がこの世で1番嫌いなのじゃ。例えどんなに危険でなくても、自分達に利がない限り、例外は認めん」

「あ、あの校長。そうではなく」

「皆まで言わなくても良い。わしも最善は尽くすが、覚悟は決めておいてほしい… 導き手としては情けないの一言に尽きるの」

 

悩ましげに首を振っていたダンブルドア校長は、どうやら自分が的外れな話題を出していたことに気がついたらしい。目線が定まらない士堂に、ゆっくりと歩み寄る。

 

「士堂。君はてっきりハグリッドの件について聞きに来たかと思っておった」

「いえ、あのそれも気にはなりますが。あの、聞いてはいないのですか?」

「何を? わしは最近あの化け物達とハグリッドのペットの事で大忙しじゃ。今日からはそこに、試験結果についての会議も始まるのでな。寝る間が欲しいものじゃ」

 

士堂は想定していない事態に、頭の中でサイレンが鳴り響く様な、危険信号を感じ取った。身体が発するこの信号は、えてして無下にできないというのが経験上、知り尽くしている。

 

「ルーピン先生から報告とかは?」

「いや何も。聞いていないはずじゃが… ふむ、お主もしやすると、」

「失礼します」

 

校長の話を最後まで聞かずに、士堂は踵を返して校内に戻る。呆気に囚われて少年に伸ばした手の行き先を見失った老人は、すぐに意味あり気な手つきで髭を撫で始めた。その時、彼に声をかけてくる魔法省の役員達がやってきたので、すぐに猫を被った態度を取らざるを得ない。結果的に、士堂の行動については最も頼りになるはずの彼でさえ、今暫く時を待たなくてはわからなくなってしまった。

 

急いで校内に飛び込んだ士堂は、真っ先に図書室に向かう。そして焦る手を懸命に制御しながら、何冊もの本をピッキングした。試験も終わり、この部屋に用があるのは物好きな生徒だけだ。読書スペースには幸にして他の人間はおらず、奥の人気のないブースに人影がチラつくのが見える。

自分に向けられる視線がない事を確認した士堂は、ざっと辺りを見渡すと、真新しい参考書から触れるだけで崩れていきそうな程古ぼけた古書に至る、幅広い範囲の参考書に目を通す。お目当ての記述はしかし中々見つからないのか、士堂の手はイラつきを隠さない様に震えていた。

 

その日の夜、ハリー達3人組は外にいた。ハグリッドから、正式にバックビークの処分が決まったと知らされて、居ても立っても居られないのだ。ハーマイオニーがまたもや危険を顧みない行動で、ハリーが隠した透明マントを回収してきた。彼女は裁判に相当数入れ込んでいたから、ちょっとやそっとでは諦めつかなかったのだ。

 

「ハリー? ロンとハーマイオニーか? お前さんらここでなにしちょる?」

「ハグリッド、本当にバックビークはその、なんていうか…」

 

透明マントで夜抜け出した3人は、真っ直ぐハグリッドの小屋に向かった。そこでは茫然自失という感じの、腑抜けたハグリッドが暖炉の前で座り込んでいる。ハリーのノックにも気づかなかった彼だが、再三にわたるノックで、やっとこさ中に入れてくれた。

彼の円な、黒々とした目には生気がなく涙が溢れんばかりに溜まっている。手元にはグジャグジャのシーツが握り締められており、カップには水一滴も注がれてはいなかった。彼の丸太のように太い足の付近には、砕け散ったカップの残骸が残っている。

 

「あ、私カップ用意するわね。まだ残りがあるでしょ?」

「ハリー、お前さんら一体なにしにきちゃのじゃ?」

「ねぇ、バックビークは助からないの? 本当に?」

 

状況が飲み込めていないハグリッドだが、ロンの問いかけに力なく頷いてみせた。そのあまりの痛々しさに、ハーマイオニーが顔を伏せて、奥のキッチンへと駆け込んでいった。

 

「今は外にある。最後の月夜だ。今日は綺麗な満月が見えるからな…」

「ハグリッド、どうにかならないの?」

「ならん。つーよりもハリー、お前さんはとっとと寮にけぇりな」

 

ハグリッドの憔悴ぶりに気がかりでならないハリー達だが、彼は何度も瞼を擦りながら3人を玄関まで連れて行った。まだ成長途中の3人では、束になってもハグリッドに敵うわけもなかった。

 

「ハグリッド! 僕たちバックビークを見捨てられない!」

「ハリー、目ぇさまさんか! バックビークはもう助からねえ!! ダンブルドアも助けてくださったが、どうにもならねぇこともある! ここは大人しく引き下がるしかねぇ!!」

「でも、でも!」

「こうしてる間にも、あのブラックのクソ野郎がお前さんを狙ってると、なぜ分からないんだえ?! ダンブルドアや他の先生達は勿論、お前さんの友達皆んながお前さんを心配しちょる! その気持ちをこうも踏みにじることはあってはならねぇ!!」

 

そう言ってハグリッドは、強引に3人を外に出した。まだ納得できない3人はドアを強くノックして中に入ろうとするが、それは叶わなかった。

彼らの背後から、小声ながらも話し声が聞こえてきた。慌てて透明マントを被り直し、身を寄せ合って隠れる。しゃがんだままで正門目指してゆっくりと歩を進めると、ダンブルドア校長が見えた。しかし校長は隣にいる老人ー 恐らくコーネリアスーに訴えている様で、こちらには視線を向けもしなかった。彼らが老人で、歩くのがハリー達と同じくらい遅かったから、何とか3人は城に向かう芝生を登りはじめた。太陽は沈む速度を速め、空はうっすらと紫を帯びた透明な灰色に変わっていた。しかし、西の空はルビーのように紅く燃えている。

透明マントの裏から覗き込む様にして外界を見渡すと、ハグリッドが背中を丸めて来客を向かい入れている。しかし彼らは中には入ろうとはしなかったから、辛うじて声が断片的に聞こえてきた。

 

「……当に…念… ハグ……」

「ああ… ……」

「……コーネリ……わし…………」

 

ハグリッドの大きな腕が大袈裟に振り回されると、コーネリアスらしき人物が、目に見えて狼狽えていた。ダンブルドア校長の白髭は薄暗い今でも煌びやかに輝いているから、ここからでもはっきりと分かる。

そして数日前に見た黒髭の男の持つ斧もまた、周りの景色と同化するどころか逆に存在感を放つ様に、黒々とした刃を少年達の瞳に焼きつけてきた。

言葉もなく3人が固唾を呑んで見守る中、彼らの足元で草のたなびく音が聞こえてきた。直後素っ頓狂な声を上げたロンをハーマイオニーが小突くが、ロンは慌てたかの様に手で全身を弄っている。

 

「ちょっと何してるの、バレちゃうわ!」

「違うんだ、スキャバーズだよ! スキャバーズが戻ってきたんだ! 」

 

なる程見てみればロンの肩にはあの小鼠がちょこんと乗っかっている。しかしその姿はみるも無惨なほどに痩せかけており、愛くるしかった目は怯えているかの様に四方八方を向いているではないか。

落ち着きのないペットはそこら中を駆け回るものだから、ロンが透明マントの中で身体をくねらせ始めた。マントはそこそこの大きさはあるものの、中で暴れ回るのを許容できるほどのスペースは生憎持ち合わせてはいない。

焦るロンを無視するかのように、このペットは身を捩り主人に噛み付いて、まるでここから逃げようとしているかの様だ。

 

「スキャバーズ! 落ち着いてくれどうしたんだよ!」

「あ、ああ?!」

 

今度はハーマイオニーが声を上げた。ハリーとロンが視線を向けると、いつの間にやらハグリッド達の姿がない。しかしハグリッドの泣き叫ぶ声がここまではっきりと聞こえてくる。丁度小屋の裏手の方か。

そして一瞬の静寂が訪れた。まるで時が止まったかの様な、自分の息遣いさえも聞こえない様な静寂だ。永遠かと思われたその間はすぐに消え、微かに鈍い音が聞こえてくる。ハグリッドの野太い叫びが耳に入ってきた。

 

「ああ、やったのね。あの人達、本当にあの子を、やってしまったわ!!」

 

 

ハリーは透明マントがあって、心底良かったと思えた。泣き叫ぶハーマイオニーとスキャバーズをいつものポケットに捩じ込もうと努力するロンを、半ば強引に引っ張りながら正門まで連れてきた。まだ夕暮れだと思っていたが、いつの間にか日は完全に沈みきり、深い常闇が辺りを覆い隠している。ゆっくりと門を開けて、中に入ろうと木製の扉に手をかけた時だ。

 

「いたたた、何すんだよ、こいつ! 僕だよロンだって!」

 

スキャバーズがロンの指にかみつくと、反射的に透明マントから放り出してしまった。空中に投げ飛ばされたスキャバーズだが、ハリー達から少し離れた位置に着地した様だ。頭でその場に蹲るロンをあやそうとしたハーマイオニーが、あっと声を上げた。

 

「そんな、クルックシャンクス?!」

 

黄色い目をした彼女の飼い猫は、草むらに潜んでいたのかその顔だけをひょっこりと出している。か細い小鼠がその細い顔をあげて辺りを見渡した時、凶暴と化した猫もまた獲物を捕らえていた。

 

「やめて、クルックシャンクス!! お願いよ、私の声を聞いて!」

 

最早隠れる気もないのか、ハーマイオニーは大声を上げた。ハグリッドの小屋裏で何やら話し声が、断片的にハリーの耳に入ってくる。事は一刻を争う事態に陥ったことを分かったハリーは、慌てて透明マントを2人に被せて中に入ろうと試みた。

 

「うわ?!」

「きゃっ?!」

「何だ?!」

 

しかしそれは叶わない。透明マントを軽く空中にかけた時、何かがマントを掴んで奪い取ってしまった。哀れ蹲踞の姿勢の3人は、その姿を曝け出してしまう。

何が起こったのか分からない3人は、目の前で低いうめき声がしているのを、信じられない面持ちで見ていた。

 

「あ、あの犬… あの犬だ。僕が何度も見た…」

「し、死神だぁ?!」

「冗談でしょ! やめてよ、こんな時に!」

 

ハリーが零した呟きに、ロンは泣きそうな声で悲鳴を上げた。ハーマイオニーが信じられないと言った表情で被りを振るが、目の前には確かに黒い野犬が、銀色の下地に虹色の煌めきを放つ、聖なるマントを口に咥えている。

その犬の、薄灰色の目がハリーの双眸を捉えた時だ。

 

「離れろ、ケダモノ」

 

ハリーの頬に冷たい風がよぎったかと思えば、地面から砂煙が巻き上がった。一歩引いてこちらを睨みつける黒犬に、続け様に銀色の閃光が伸びてくる。

軽やかにそれを躱しながら、犬は透明マントを咥えて何処かへと駆け去っていった。言葉も出ない3人に、背後から声をかけるのは、聞き慣れた友人の声だ。

 

「勝手に動くの、やめてもらっていいか?」

「し、士堂!」

「た、助かった〜。僕死んじゃうかと思ったよ〜」

 

情けない声で泣き始めたロンだが、士堂は彼の肩に手を置くだけだ。彼の視線は、常闇に消えたあの黒犬に向けられている。

 

「3人は帰ってろ。俺はあの犬を追う」

「何言ってるの?! 君も早く帰ろう!」

「透明マントをどうするきだ。今ならまだ間に合う。早くルーピン先生か、マクゴナガル先生を呼べ」

「でも、」

「早く!!」

 

あまりの剣幕に、震えながら頷いた3人が、慌てて校内に逃げ込んだ。士堂はそれを確認すると、すぐさま強化魔術を展開する。いつの間にか手慣れてきたこの魔術の力を実感しながら、彼の身体は一直線に闇を切り裂いていった。

 

黒い野犬は、透明マントを被るなどとは考えてはいない様だ。お陰で常闇の中でも、獲物の姿ははっきりと分かる。士堂はこれが相手方の作戦だと感づいていたが、今はあえてその罠に飛び込む決断を下す。

敵は士堂が黒鍵を投擲しようとする度、透明マントを身代わりにするかの様に身体を捩ってくる。透明マントには透明化以外の効果が無いことを、知っているかの様子だ。その重要性と希少性故に傷をつけられない。思わず口の中で舌打ちを鳴らしていると、かの獲物は校庭を駆け抜けると、学校の名物の前にやってきた。

 

「暴れ柳…?」

 

黒犬は透明マントを口に咥えて、またこちらを睨みつけてきた。その薄灰色の目が何を語ろうとしているのか、士堂には全く掴みようがなかった。しかしその目には敵意というよりも、訴えかけるような切実な想いが、心に響いてきたように思える。

士堂の足が歩みを止めると、黒犬は暴れ柳の麓に走り始めた。思わず手を伸ばして静止しようとした士堂だが、そこで驚愕の事実を目にする。

 

「…止まったのか? でも… いやしかし確かに止まっている…」

 

暴れ柳の厄介な所は、近づく全てのものを薙ぎ払わんとする、大きな枝葉にある。ただでさえ長いリーチの枝に、大小の枝葉が根元まで連なっているのだ。それが大きさからは考えられない速度で振り回されるから溜まったものではない。規則性があるのかもしれないが、士堂でも一見で見抜くのは至難の業だった。

それをあの黒犬はスルスルと、まるで蛇のように枝を潜り抜けると、幹の根本にある瘤に触れた。するとそれまでの騒がしさが嘘のように、ただの大樹となって士堂の目の前で鎮座しているではないか。

 

何がなんだか、と言った感じだが、向こうは待ってはくれない。根本にいつの間にか出現した隙間に、黒犬はスルスルと滑り込んでいった。士堂も覚悟を決め、その後を追って隙間に身体を投げ入れた。

ウォータースライダーのように地下へと滑りながら、この感覚を一年おきに味わうかもしれないと、士堂は考えたくもない考えを持ってしまう。既視感のある感覚が終わると、やはり既視感のある、細長いトンネルのような空間にたどり着いた。

 

『ルーモス! 光よ!』

 

右手に杖を持ち、灯りを灯す。人1人分しかないような狭いトンネルを延々と進むと、急に上へと伸びる坂が出現する。迫り出した小石に脚をかけながらよじ登ると、それまでの土とは違う何処か温もりのある空気が士堂の顔になだれ込んできた。

上には部屋があった。その部屋が木で覆われていたから、何処か生温い空気になっていたのだ。しかしその床は木板が何層にも打ち付けられ、窓には✖︎の字状に板がかけられている。一応机や椅子といった家具は置いてあるものの、脚や手摺は悉く壊され、原型を留めていないものも辺りにいくつも転がっていた。

 

「ここが、有名な幽霊屋敷ね。訪れた人は最近どころか、暫くは居なさそうだな」

 

杖の灯りで周囲を見渡していると、右手のドアが開いていることに気がつく。注意深く周囲を見渡しながらその先へと進むと、更に上階へと上がる階段がある。埃だらけの床に、犬の足跡が規則正しく見えており、足跡は上階へと登っている様だ。

 

『ノックス。 消えよ』

 

杖の灯りを消し慎重に歩を進める。足跡は塞がれた窓から差し込む月明かりの中で、はっきりと見えた。一つだけ開いているドアの先に脚を踏み入れると、そこは寝室の様だ。

壮大な4本柱の天蓋ベッドに、クルックシャンクスが喉を鳴らしてくるまっている。士堂の存在に気がつくと、ゴロゴロと意味ありげに喉を鳴らして黄色い目を閉じてしまった。

 

「中々利口なようだな。ホグワーツ在籍時は、変身術がそこそこできたようじゃないか。それにあの術は魔法省への届け出が必要だけど、強制力がある訳じゃない」

 

士堂は辺りを見渡しながら、突然1人で喋り始めた。

 

「不思議だったのは、どうやって吸魂鬼の包囲網を潜り、ホグワーツの魔法の隙間をぬったか。確かに、人間相手では無敵とも言えなくもない守りだが、人間じゃなきゃいいってのは、コロンブスの卵的発想かもな」

 

士堂が窓を背中にして振り返ると、扉の裏側から、くぐもった笑い声が聞こえてきた。もぞもぞと影が蠢くと、扉が軋む音を立てながら、閉まっていく。

 

「しかしもしかして杖は必要なのか? その【動物もどき】には。生憎まだ正式に習わせてくれないんだ、マクゴナガル先生は」

「…くくく。相変わらずあの婆さんは手厳しいか。変わっていなくて結構、結構」

 

汚れきった髪がもじゃもじゃと肘まで垂れている。暗い落ち窪んだ眼窩の奥で目がギラギラしているのが見えなければ、まるで死体が立っているといってもいい。

血色の悪い皮膚が顔の骨にぴたりと貼りつき、まるで髑髏のようだ。ニヤリと笑うと黄色い歯がむき出しになった。シリウス・ブラックだ。

 

 




最終局面に突入。ここからやりたい事が始まり、オリジナル展開が増えていきますが、どうかお付き合いください。


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明かされた真実

「そうかそうか… 賢明な子に育ったな。年頃らしからぬ話し方は、ある人物を真似ている、のだろう」

 

彼がー いや彼と言っていいのかー シリウス・ブラックは不健康そのものと言った風体で、士堂と対面した。その格好から見て、今の士堂とやり合えるとはとても考えられない。

しかし士堂は、一瞬たりとも気が抜けなかった。彼の脚は爪楊枝のように細く弱々しい。腕は貧弱そのもので、胴体は言うも及ばずだ。だがその姿勢はまるで一本の鋼の棒か突き刺さっているかのように、毅然とした見事なものだ。肩幅よりやや広く取られたスタンス、均等に中央に配置された重心の置き方、脱力し切った腕は身体側面にだらりと垂れてはいるものの、爪の細かい動きから神経一本一本に気が配られているのが見て取れる。

つまりシリウス・ブラックは死に体ではあるものの、反撃の体勢は十二分に用意されているのだ。

 

「…見事。よくぞ気を抜かなかった。もしも一時ー そう瞬き一つでもしようものなら、容赦なく襲わせてもらうつもりだった」

「お褒めにあずかり、嬉しい限りだ」

 

士堂のこめかみ付近から、たらりと汗が滲んできた。それは彼の滴を弾くような肌を伝い、ローブへと染み込んでいく。

 

「…何が目的で此処に来た。愚問かもしれないがそれを聞こう」

「こっちが優位なんだよ。質問するのはこっちの方だ。透明マントは何処に隠した」

 

シリウスは問いかけに対し、脂肪と水分が抜け切った指をゆっくりと動かした。その先には丁寧に畳まられた透明マントが、椅子の上に置かれている。

 

「あそこにある。とって確認するか?」

「いや、いい。あのマントの価値は忘れちゃいないようだ」

 

士堂は杖を向けたまま、黒鍵を握る左手を動かす。一度甲を相手に見せるように動かしてから、再度元に戻した。カチャリと金属音が部屋に響くと、士堂の身体がバネのように動き出した。

 

『corvus volant quoque nihil mons sheng (鴉は飛び立ち、山々を超える)』

『主よ、この不浄を喰い改め給え!』

『鳥葬式典!』

 

黒鍵から放たれた無数の鴉が、ブラック目掛けて襲いかかる。しかし彼は微動だりもしないまま、その場で動かない。いよいよ鴉が黒い嘴を彼の身体に突き立てようとした時、ローブをさっと翳した。

すると鴉の身体がバタバタと地面に落ちた。その間は1秒もないだろう。ギラギラと強烈な意思を放つ瞳は、油断なく士堂を見つめていた。

 

『コンフリゴ! 爆発せよ!』

『sanna kika lux dies re sheng (聖なる光は輝き、日はまた昇る)』

『主よ、この不浄を清め給え!』

『火葬式典!』

 

追撃の黒鍵を2本投擲した士堂は、容赦なく畳みかけた。士堂は訓練の中で、同じ腕から放つ黒鍵の初速と軌道を、敢えてずらすことが出来る。

まず一本めの黒鍵がシリウスに到達するよりも前に、右手の杖で意図的に爆発呪文をかけた。黒鍵は瞬く間に砕け散り、さながら手榴弾のように衝撃を撒き散らす。その爆風と衝撃がシリウスを襲うや否や、時間差の2本めがその役割を果たす。

今度は黒鍵自体を使った魔術によって、更なる火の手を追加するのだ。炎の塊が、頼りないシリウスを覆い隠すかのように覆っていく。

 

「ほう… だが甘いな。実戦では常に2手先を読まなくてはならぬ」

 

『アクアメンディ・マキシマ。 来たれ、爆流よ』

 

いつの間にか握っていた杖を振り上げたシリウスの前に、大きな滝が出現する。それは彼の前で水の壁となって、凄まじいまでの爆風と火球を防ぎ通した。

2つの攻撃の接触面から忽ち蒸気が湧き出て、辺りを覆う。クルックシャンクスが毛を逆立ててベッドの下に隠れるのを、知るものはいない。

 

「分かってる。だからこれが3手先を行く、俺の手だ!!」

『ベントス! 風よ!』

 

だが士堂とて、想定していなかった訳ではない。杖から放たれた呪文は、突風を巻き起こした。それは恰も薪を燃やす風のように、いや山火事を燃え広がさせる春の嵐のように、爆風と火球の勢いを後押しした。

箪笥やクローゼット、小机が水壁に遮られた爆風で次々と木っ端微塵に吹き飛んでいく。

シリウスは水の壁越しに圧力を増す攻撃に、ニタリと黄色い歯を見せた。

 

『グレイシアス。 氷河となれ』

 

忽ち水の壁は冷気を放つ氷壁と化した。さしもの火球も、氷の壁は越えられない。爆風で氷壁は壊れはしたものの、シリウスの身体には傷一つついてはいなかった。

 

「素晴らしい。この歳でここまで手を考えるとはな。しかし敵が4の手を考えているとは、思いもやらなかったようだ」

「お前、どこにそんな気力がある? アズカバンで生気を抜き取られて、飯も碌に食っていないはずなのに…」

 

士堂は俄かに信じがたいと言った表情で、目の前の極悪人を見つめている。この男は、間違いなく瀕死だ。なのに自分の繰り出した攻撃は、彼にかすり傷一つとて与えられていない。

こんな事は士堂の短い人生といえども、経験のない出来事だ。

 

「何故か? 私にはやり残した事がある。これを成さなくては、私は死んでも死にきれん。その想いが、その恨みが、その憎しみが」

 

シリウスの両手がゆらりと天を向く。救世主かのような格好をとる彼の眼は、確かに正気を保っていた。

 

「私は命を燃やしているのだ。悪魔に魂を捧げようと、今日必ずやり遂げてみせる。私は今、どんな攻撃にも耐えて見せよう」

 

 

その時、ドアが強引に開かれた。

 

『『『エクスペリアームズ!!! 武器よ去れ!!!』』』

 

同時に3本のオレンジの閃光が迸り、ドアの前に立つシリウスの背中に直撃する。シリウスが持っていた杖が天井まで吹き飛ばされ、クルクルと回転しながら落ちてきた。

 

「士堂! 大丈夫?!」

「怪我はない?!」

「心配したよ! っおっとっと」

 

先ずハリーが真っ先に部屋に入り、次にロンが後を追ってきて最後にハーマイオニーが士堂に抱きつく。ハリーは地面に横たわるシリウスに杖を向け、ハーマイオニーは士堂の胸に顔を埋めたまま何も言わない。ロンは吹き飛ばされたシリウスの杖を両手で受け止めようとして、バランスを崩していた。

 

「士堂、これが?」

「ン、こいつだ」

「なぁ、何がどうなってるんだい? うわ、これミイラってやつじゃないよな。僕呪われたくないよ」

 

ハリーが息荒く、杖を何度もシリウスに突き立てる。ロンはシリウスの枯れ切った手脚をみて、酸っぱいものを食べたかのように顔を萎めていた。

 

「さっきルーピン先生を呼んだ。先生も後から追いかけてくれるって」

「何をしているんだ、先生は」

「さぁ、他の応援を呼ぶつもりなのかな?」

 

ハリーが士堂の横に立つと、士堂はハーマイオニーを引き剥がした。それから、今伝えておくべき事を、出来るだけ彼なりに話し始める。

 

「シリウスは動物もどき(アニメ―ガス)だったんだ。魔法省に登録していない、違法な魔法使いだったんだな。さっき図書室で確かめたら、吸魂鬼は人間の生気を吸い尽くすとしか書かれていなかった。

つまり動物、犬には興味ないんだよ。だからアズカバンを脱獄できた。魔法省は動物もどきとは知らないから、そこら辺を対策しなかったんだな。犬なら小さい影にも潜めやすいし、ホグワーツの中を自由に行き来できる」

 

ハーマイオニーを身体から離して、士堂は今分かりきっている事をハリー達に伝えた。ハリーは表情を動かさずに聞いていたが、ロンとハーマイオニーは衝撃を受けているようだ。

 

「嘘でしょ?! 動物もどきは凄く危険なのよ?! 中途半端な魔法だと、一生そのままかもしれないのに!」

「それにコイツ、十何年もそれを隠していたのか? 頭おかしいよ」

 

4人は各々の思いで、頭が一杯だったようだ。だからこそ、次の展開には全く反応出来なかった。

 

『エクスペリアームズ! 武器よ去れ!』

 

ドアの奥から飛んできた呪文は、瞬く間にロンとハーマイオニーとシリウスの杖を奪い去った。士堂とハリーが視線を動かした時、横たわっていたシリウスが、素早く起き上がって彼らの前に再び立ち上がってきていたのだ。

 

「えっ、あっ、」

「そんな、どうして?」

 

「杖を下ろしてくれ、ハリー。士堂。手荒な真似はしたくない」

 

暗闇から来たのは、見たことのない険しい顔つきの、ルーピン先生だった。

 

 

ルーピン先生は杖を向けたまま、静かにシリウスの横に立った。奪い返した杖を受け取りつつ横を見た極悪人は、ニタリと大仰な笑みを浮かべる。

 

「リーマス、何だその格好は。私とさして変わらないじゃないか」

「あの頃と同じ、服装に拘りが無いだけだ。君とは違う」

「そうか、どうして此処に来た」

「あいつの名前を、忍びの地図でハッキリと見たんだ」

「ほう、まだホグワーツにあるのか。てっきりあの用務員が燃やしたかと… 傷はついちゃいないだろうな」

「勿論、僕たちの後輩が、懇切丁寧に有効活用してくれた」

 

ルーピン先生は士堂達に杖を向けつつ、辺りを注意深く観察していた。しかしシリウスのそれが危険察知だとすれば、先生は何かを探すかのように、壊れた箪笥や机の上を忙しなく見ている。

 

「あいつは何処だ?」

「あいつはもう既に捕らえている。用が済めば、引っ張り出すつもりだ」

 

ハーマイオニーはロンと手を取り合いながら、泣き顔でその場でしゃがみ込んでしまった。ロンが側から見ても分かるほどに身体を震わせつつ、彼女を胸に抱くようにして、何とか2人に相対そうとしている。

 

「せ、先生は何を言ってるの?」

「やはりあいつだったのか。僕達は、追うべきモノを見誤っていたのか?」

「そうだ」

「僕はー長年君を裏切ってきた。そんな僕でも、許してはくれるかい、友よ」

「何故赦さないのだ。私も落ち度がー いや私にしかないかもしれない。あの地獄の牢獄にいた時から、君の友情を疑ったことなどない」

「わ、わ、私!! 私、私」

 

ルーピン先生とシリウスは、そこでお互いに肩を抱き合ったまるで数年来のー 実際はそうなのだがー 劇的な親友の再会そのものだ。

2人の仲睦まじげな光景を見たハーマイオニーは、その場から立ち上がれずにいた。勢いよく泣き出した彼女は、大粒の涙を嵩んだ床に零している。

 

「先生、しんじ、信じたの!! 先生だけは違うって、なのに!!」

「ハーマイオニー、説明させて欲しい。君を裏切る気は無かった」

「おい何のことだよ、さっきからハーマイオニーにしろルーピンにしろ、どうかしちゃったのかよ?!」

 

混乱したロンが説明を求めると、ルーピン先生は躊躇いがちに口を閉ざしてしまった。そんな彼を見ぬまま、ハーマイオニーはロンのローブに顔を埋めながら口を開く。

 

「先生は… ルーピン先生は…先生は、狼人間よ!!」

「えっ? せ、先生、本当ですか?!」

 

ハリーは杖をシリウスではなく、ルーピン先生に向き直した。その目にははっきりと、怒りと当惑の色が滲んでおり、持ち手は痙攣するかのように忙しない。

 

「…本当だ」

「先生は、先生は僕達の味方だと思った。ブラックとは縁を切って、ダンブルドアの為に働いてるって!」

「きっとブラックを手引きしたのも、先生よ!あわよくばあなたを殺す気だったの!」

「…聡明な君らしからぬ正答率だ。信じてもらえないだろうが、私はシリウスとはつい数時間前まで友人では無かった。ハリーの事も本気で守ろうとしていた。これは今もだよ。

だが、私は… そうだな、私は狼人間だ」

 

それを聞いた途端、ロンから息を呑み込む声が聞こえてきた。ハリーは驚愕の表情を顔全体に浮かべるが、士堂は顔色一つ変える事なく、シリウスを睨みつけていた。

 

「まだ君が私を先生と呼んでくれるなら、理由を聞かせてくれハーマイオニー。何故そう思った?」

「…スネイプ先生の臨時課題を解いた時。ハリーのクディッチの試合の時いなかったし、それに最初の」

「まね妖怪。一瞬ひやりとしたのは確かだ。それでも生徒達は、私の正体を気づかなかったし、知ろうともしなかった。スネイプ先生の目論見は確かだったな」

「スネイプ先生? 何を言ってるリーマス」

「彼は魔法薬学の教授で、僕は闇の魔術に対する防衛術の教授。今や同期ではなく、先輩後輩の立場だよ」

 

それを聞いたシリウスは、忌々しいとばかりに舌打ちをした。その顔に満ちた嫌悪感の凄まじさに、士堂達は何故か既視感を覚える。

シリウスの悪態に苦笑いすると、ルーピン先生は士堂達の目をしっかり1人1人、射抜くように見てきた。

 

「君達には話しておきたい。私の過去を。そして信じてほしい」

 

そう言ってルーピン先生は、奪い取ったロンとハーマイオニーの杖を持ち主に投げ渡すと、自分の杖を床に落とした。そして両手を広げて、降参のポーズを取ったのだ。

 

 

「呆れた。正気ですか?」

 

士堂は信じられなかった。ルーピン先生が狼人間だという事ではなく、彼らの学生時代について。士堂とて褒められた学生では無いかもしれないが、彼らのやった事は悪戯ではなく立派な犯罪である。何なら魔法省に届け出れば、相当の審査を何個も受けられるだろう。

 

「返す言葉もない。あの頃は自分達の才能に酔っていた。誰にも出来ないことを平然とやってのける、そんな英雄的発想に呑み込まれたんだ」

「リーマス、さっさと蹴りをつけるぞ!! 無駄話は後にしろ!」

「スネイプ先生のハリー嫌いはその事が原因なのですね。いじめっ子の子供だから」

「あいつはどうでも良い。裏に隠れてコソコソ闇の魔術を使っていたのだから、あのぐらい誰かがやってたさ」

 

悪びれもなくいいのけたシリウスは、可笑しくて堪らないと言った具合に戯けてみせる。士堂含め、彼の性格というものについて若干の不安を抱えたのも無理はない。

 

「言っただろう、ポッター。所詮貴様の父親は勇者的とは言えない、傲慢なだけだと」

 

その時、ゆらりと空気が震え、痺れるような感覚が一同を襲った。全員が振り向くと、スネイプ先生が杖を構えて部屋にやってきているではないか。この事はルーピン先生も予想していなかったらしく、目を限界まで見開いていた。

 

「す、スネイプ先生。いつからここに…」

「ルーピン。君が脱狼薬を飲み忘れていたようだから、吾輩は()()()()君の部屋に赴いたのだ。すると君は部屋にはおらず、あの忌々しい羊皮紙が置いてあるではないか」

 

そう言ってスネイプ先生は真っ黒なローブから、『忍びの地図』を取り出して見せた。

 

「摩訶不思議だった。そこにはホグワーツを生きる人の動きが、手にとるように分かるではないか。そして地図で吾輩の気を引いたのは、普段誰も寄り付かないあの暴れ柳の近くに、ポッター一味と君がいた事だ」

 

そしてスネイプ先生は、直前のシリウスと似た、嘲るような笑みをしてみせた。しかし元々灰色に近い肌が、月明かりでより一層不気味さを増し、その表情はさながらピエロが無理に笑っているかのように不気味だ。

 

「しかも屋敷には、あのシリウス・ブラックがいる。現行犯で重罪人を捕らえる事が出来ようとは、夢にも思わなかった」

「セブルス、聞いてくれ。ブラックは、シリウスは無罪なんだ」

「聞いたか、ポッター、ミスター・アベ! 此奴はこの極悪人を庇うのだ。校長にあれほど忠告したにも関わらず、あの方は頑として私の意見を拝聴してくださらなかった。

ああ、天は私を見捨てなかった。今宵、吾輩の正義が証明されるのだ」

 

目が爛々と輝くスネイプ先生は、どう考えても異常だった。正気ではなく、杖からは線香花火のような火花が、時折チラついている。恐らく、自分の魔力が杖に流れ込んでいるのだろう。

 

「ふん、変わらんな。その陰気くさい顔も、妙に物々しい話し方。使う魔法も不気味とあれば、嫌われるのは当然だ」

「喋るな犯罪者。これ以上妙な真似をすれば、アズカバンに直ぐにでも送りつけてやる」

「セブルス、頼む。この通りだ、お願いだから話を聞いてくれ」

 

そういうとルーピン先生は、スネイプ先生に縋るように抱きつき懇願を始めた。そこまで必死なルーピン先生は、想像すらした事が無い。それは古い付き合いのスネイプ先生とて、同じだろう。

 

「…妙な真似はよせ、ルーピン。言い訳は校長の前で聞こう」

「頼む、今日だけ。今日だけでいいから私を信じてくれ…」

「しつこいぞ…」

 

縋るルーピン先生を払い除けようと躍起になるスネイプ先生だが、以外にも抵抗が激しく中々上手くいかない。始末に手こずっている時、我慢できないようなシリウスがそっとその場を動こうとするが、すかさず士堂が杖を向けて威嚇する。

 

「時間がないのだ… もう我慢出来ん。ここで奴を始末する。止めてくれるな」

「さっきから奴とは誰の事を言っている? ここには俺達含めて7人しかいないじゃないか」

「…違う…!! 7()()()()()()()()()8()()()()()()()()()

 

ルーピン先生は叫ぶと、顔馴染みが手に握りしめた忍びの地図を指さした。

 

「頼むセブルス。一度でいい、その地図を確かめてくれ」

「何を迷いごとを。気でも狂ったか?」

「もう時間がないんだ、リーマス!!」

「ハリー達には知る権利がある!! いいか、僕の為に動物もどきを習得したのはジェームズとシリウスだけじゃない!! そいつは習得には手こずったが、成功したんだ!!()()()()()()()()()()()()()4()()()()()()()()()()()

 

その瞬間、能面のようなスネイプ先生の表情に変化が見られた。しかしそれは軽蔑だ。

 

「馬鹿な戯言を」

「いいや、嘘じゃない。僕がここに来たのはハリー達が助けを呼んだからだけじゃない。あいつの名前を見つけたからだ…!!」

 

「ピーター・ペティグリュー。そいつが僕達友を裏切った、張本人だ」

 

 

「何故それを信じなくてはならん。吾輩の記憶ではあんなウスノロ、スパイにすらならないとあるが」

「それについては私が言わなくてはならない」

 

降参とばかりにその場にしゃがみ込んだシリウスが、深々と溜息をつく。そのまま地面に視線を落としたまま、独白を始めた。

 

「…奴は… 情報を持っていた。これ以上ない、格別なものだ。それがあるから、奴は生き延びられた」

「喋るな、ブラック」

「奴は… すまないハリー、士堂。これからいう事は君達に取って、何の言い訳にもならないものだ」

 

スネイプ先生は、杖をシリウスに向けていた。その目には爛々とした輝きが依然としてあるが、その頬は土色の肌とは対照的な、赤みがかった紅潮が見てとれた。

 

「…あの時。ジェームズ達が狙われていると知った私達は、ポッター家を隠すことに決めた。そして考えられる最善の防護魔法をかけたんだ。

秘密の守人をー」

「そうだ、あなたがその守人だった! あなたが裏切らなければ、僕の両親は死ななかった!!」

「黙れポッター! 静まらんか!!!」

「…私は狙われている。それは良かった。ジェームズから頼まれた時から覚悟はできていたから。しかし、ある時ふと思った。皆が狙わない人物を守人にすれば、二重の策となると」

 

スネイプ先生はシリウスの棒切れのような身体を強引に起こし、彼の喉元に杖を突き立てた。杖から火花が散り、彼の皮膚に軽い火傷が生じる。

 

「何をいうつもりだ、愚か者…」

「誰もが見向きもしない。それでいて逃げ足は素早い。奴は適任だと思った。私は愚かにも、その事をジェームズ達に伝えた。

2人は心配していたが、私は大丈夫だと言って強引に言いくるめたんだ。私はそう、学生時代と同じく酔っていたんだ…」

「ま、まさか貴様!!」

 

目と鼻の距離に顔を近づけたスネイプ先生が、喉から絞り出すように声を出した。

 

「…冗談にしろ、言い訳にしろクオリティが低すぎるぞ」

「本当だ。私は奴を、ペティグリューを守人にしたんだ。その後は…」

「冗談をぬかしおって!!」

「嘘だと思うなら、本人に聞けばいい!! 奴はここにいるのだから!!」

「何を?!」

「セブルス・スネイプ。地図を見れば分かる。地図にははっきりと名前があるはずだ、ピーター・ペティグリューとな」

 

スネイプ先生はシリウスを手放すと、2、3歩フラフラとその場を歩いた。信じられないと言った視線を、ルーピン先生に向ける。何度もルーピン先生を向ける視線が不安定だったのは、彼の心境を表しているのだろう。先生もまたスネイプ先生と似たような、しかし何処か悲しげな面持ちでゆっくりと首を縦に振った。

それを受けたスネイプ先生はゆっくりと羊皮紙を覗き込むと、細い目をギロギロと動かし始めた。そして深々と溜息をつくと、羊皮紙が破れそうになるほど、手に力を込めていた。顔を地面に伏せたまま、シリウスを見向きもせずに、彼は問いただす。

 

「…奴は何処だ」

「そこに縛り付けてある」

 

苛立ちと怒りを隠さないシリウスが杖で空中に小さく円を描くと、ベッドの下から何かが飛び出てきた。皆が密集する部屋の入り口付近、丁度窓の近くに転がり落ちた。それは紐で何重にも縛られた、スキャバーズだった。

 

「す、スキャバーズ? えっ、何がどうなってるの?」

「あいつはネズミに変身出来た。ロン、スキャバーズとやらは指が最初から無かったのかな」

「うん。何かの事故で切り落としてしまったんだろうってパパが…」

「奴は逃げる直前、指を切り落としたんだ。ハリー達も知っているだろ。逃走現場には、奴の指しか残っていなかった」

 

それまで口を挟む事すら出来なかったロンが、恐る恐る口を開いた。しかしそれは士堂達も同じで、事態の急展開についていけていないのだ。しかし子供たちを他所に薬学教授は、魂がこもっているとは思えないほど暗色の瞳をぎょろつかせると、シリウスをにらみつける。

 

「…何故奴と知れた」

「査察にきた魔法省大臣が、私に新聞を寄越した。なんとなしにちらりと見たよ。いつもはその程度の気力しか湧いてこなかった。だが

そこに載っていた写真…見間違えるものか、何十回も見てきた。奴だとはっきり分かった。飼い主がホグワーツにいると知って、丁度ハリーが入学している頃だと思い出した。

信じられないかもしれないが、ハリーの身を守る為に、ここに来たんだ」

 

そこまで聞いたスネイプ先生は、杖を今度はスキャバーズに向けた。そして迷いなく杖を振り上げると、青い光を放った。光は一直線にスキャバーズに向かい、小さい身体を空中に放り投げた。

ロンの悲鳴が聞こえたと同時に、ネズミの身体がもんどりかえり始めた。

 

木が育つのを早送りで見ているようだった。頭が床からシュッと上に伸び、手足が生え、次の瞬間、スキャバーズがいたところに、一人の男が、手を捩り、後ずさりしながら立っていた。クルックシャンクスがベッドで背中の毛を逆立て、シャーッ、シャーッと激しい音を出し、唸った。  

小柄な男だ。ハリーやハーマイオニーの背丈とあまり変わらない。まばらな色あせた髪はくしゃくしゃで、てっぺんに大きな禿げがあった。太った男が急激に体重を失って、萎びた感じだ。

皮膚はまるでスキャバーズの体毛と同じように薄汚れ、尖った鼻や、ことさら小さい潤んだ目には、何となくネズミ臭さが漂っている。男はハァハァと浅く、速い息遣いで、周りの全員を見回した。

 

「や、やぁ…… 嬉しいな……リーマス……シリウス…ぁぁ…セブルスも……」

「見た目よりは元気そうだな、ピーター」

「会いたかった」

 

小男は身体を縮こませながら、3人の顔見知りに合図を送った。しかし3人はピクリとも反応せず、彼を睨みつけている。その視線は皆一様に憤怒の焔に燃えており、特にスネイプ先生の杖からは火花どころか炎が巻き起こりそうだ。

 

「…ほうほう。では嘘ではなかったと見える。これはこれは面白い。聞きたいことが山ほどあるぞ、ピーター」

「な、何を…僕は何もない…」

「何もない? そうか無実だと言うなら、吾輩の質問には全て正直に答えられる筈だ」

 

そういうとスネイプ先生は、ピーターが寄りかかる壁の横と、彼の真正面の床を砕いた。瞬きする間の出来事だった為、ルーピン先生すら反応できていない。完全な脅しだと体感したピーターの顔が横に倒れ始め、彼は醜く伸びた爪を噛み始めた。

 

「では最初に。奴が、シリウス・ブラックが言ったことは本当なのか」

「ぼ、ぼ、僕僕にはな、何のことやら… 知らない…知らない…」

「吾輩の目を見て言え」

「セブルス…助けてくれ…頼む…昔の同級生」

「答えろ!!」

「ひぃっ?!」

生徒を問い詰める時ですら見た事のない気迫に、ねずみ男はすっかり心が折れたようだ。あからさまに挙動不審な動きが増え、手足はそこら中を蹴るのかもがいているのか、不自然な動きを止められないようだし、益々その小さい身体を縮こませていた。

しかしハリーも士堂も、ペティグリューの視線が窓やドアに何度も向けられるのに気がつく。試しに士堂がゆっくりとドアに移動すれば、彼はあからさまに動揺して、あらぬ方向を見るではないか。

 

「私に嘘をつけば、どのような結末を迎えるか想像できるか」

「ぁ、ぁ、い」

「先ずはゆっくりとお前のその醜い爪をへし折ってやる。何簡単だ、その手足に【逆巻きの呪文】をかければいいのだ。

そして後は絵本が如く、その矮小な身体を押し潰してやる」

 

先程の脅しを考えれば、スネイプ先生は本気なのは明白だ。それを心底実感したのか、か細い声が件の人物の口から聞こえて来る。

 

「ぼ、僕はただ聞かれただけだ」

「何と?

「う、裏切ったんじゃない。た、だ、ただあ、あの人にその、おど。おど、脅されて」

 

最後の一言が口から漏れた時、シリウスがスネイプ先生を押し除け、ペティグリューの身体を壁に押し付けた。それまで渋々と言った感じながら、スネイプ先生に任せてはいた彼だが、彼の許容範囲を超えた、何かがあったのだ。

 

「その口から何をほざくかと思えば……」

「やめて、やめてくれぇ… お願いだ、お願い…」

「ここに誰がいるか分かっているのか? ここにはあの子たちの子供がいるのだ!!」

 

シリウスの手がペティグリューの襟にのび、服で首を絞めるような格好になっている。押しのけられたスネイプ先生は、心底不快そうな顔つきで、シリウスの首根っこを掴んだ。

 

「どけ、犯罪者が。これは吾輩の責務だ」

「いや駄目だ。セブルスお前はともかく、こいつは何も分かっちゃいない。自分が何をしでかしたのか、まるっきりわかっていないのだ。それは私が教えなくてはならない」

「覚えていないとは言わせない。あの日、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()そして、」

 

「士厳と桃も、あの日死んだ! 貴様が、あんな奴に口を割ったお陰でな!!」




シリウス登場。大きな予定が片付き、話のストックができました。この夏で3章は終わらせられそうです。
今作(特に今回)のシリウスですが、他作品原作含めかなり呪文を使えます。これにも理由がありますが、それは後程。


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暴露と豹変

シリウスの叫びを聞いた他の人間の反応は、様々だった。スネイプ先生は怒りからか、憤怒の色を色濃く残してペティグリューを睨みつけたままだ。ルーピン先生は顔を手で覆い隠し、何かを小さく呟いた。

お互いの手を握りあってこの急展開を半ば鑑賞していたロンとハーマイオニーも、同じようにお互いを見合って顔を回し、友人の方に向き直る。ハリーは口の中で水分が急になくなる感覚に襲われるが、それでもやらなければならない事があるとわかっていた。

 

「…士堂…?」

 

3人が心配そうに見つめる少年は、顔から生気が失われていた。青白い顔は普段のスネイプ先生とよく似ているが、唇も同じ色になっているのは違う。両手に握られた杖と黒鍵の先は小刻みに震え、今にも埃まみれの床に零れ落ちそうだ。

 

「貴様が、貴様が、貴様が…?!」

「わ、私は君たちとは違うんだぁ!」

 

現実の時は、少年たちを待ってはくれない。シリウスとスネイプの狂気的な怒りを突きつけられたペティグリューは、我慢できないようにこれまでで1番の大声を上げた。

 

「し、シリウス。勇敢な君には分からないだろう。あの恐ろしい、あのお方が私の命を狙っていたのだ… 何か分からない、しかしとてつもなく恐ろしいあの方が… 私は、私はただ怖かったのだ……」

「ヴォルデモート。性根が腐りきった主人に媚びへつらっておいて、」

「わた、私は殺されたかもしれないんだ! あの時言わなくては?!」

「嘘を言え! お前はその前、1年も前からヴォルデモートの手先だった!! 拠点への襲撃が急に増えたのは、お前の密告だったんだな?!

そのせいで、あの日士厳達までもが…!!」

「違う…違う… おお、ルーピン… 君なら、君ならわかってくれるだろう…?」

 

この中で性格が穏やかなルーピン先生に助けを求めるも、返ってきたのは凍てつくような、冷ややかな視線だけだった。それでも諦めがつかないのか、今度は子供達に必死になって呼びかけを始める。

 

「た、助けてくれロン… 君はいつだって私を助けてくれた… そうだろう、私のご主人様…」

「お前なんかと、僕は毎日寝ていたのか…?」

「お嬢さん…君なら僕の無実を証明できる筈… だってあの鳥の為に、あんなにも必死になっていたじゃないか…」

「あなた、バックビークと自分が同じ境遇だと思っているの?」

 

ロンは記憶を消したいと言わんばかりに首をブンブン振り、ハーマイオニーはやや呆れた口調で、押さえつけられた男を見ていた。

 

「子供達にその穢れた声をかけるな、ピーター!」

「助けてくれぇ、ハリー… 士堂… 君達のご両親と僕は、友達だった… 君達のご両親なら、きっと僕を助けてくれた筈だ… 頼むぅ…」

「誰がお前なんかを助けるか! 父さんと母さんはお前が殺したんだろ!」

「…そうらしいな。お前が色んな人を殺した。ハリーの両親に、俺の両親」

 

ハリーが喚くようにペティグリューを突き放した時、ゆらりと士堂が動いた。右手の杖はいつの間にか懐に仕舞われ、両手には黒鍵が左右2本ずつ、指の間に挟まれていた。その目に宿る負の感情は、我慢の限界を迎えたように彼の身体全身から迸っているかのようだ。

その刃が微かに差し込む月明かりを反射し、冷徹な殺気を憐れな男に向けている。その殺気を感じ取ったのか、ただでさえ大袈裟だったペティグリューの震えは、ここにきて更に激しくなっていった。

 

「覚悟を決めろ、ペティグリュー…」

 

そう言って黒鍵をその首に向けて突き立てようとした士堂を、誰かが突き飛ばした。体勢を瞬時に取り直した士堂は、相手を睨みつける。

 

「ハリー、邪魔をするな。大人しくここは下がっていろ」

「ペティグリューは、アズカバンに送るべきだ」

「何を言うんだ。こいつは生かしておく意味がない。俺が始末をつけておく」

「ポッター、止めておく義理はないのでは。復讐は蜜より甘いのだ。大人しく友人の復讐劇を堪能しておくがいい」

「駄目だ、ここで殺したら、君が捕まっちゃう。それにせめてシリウスと同じ目に合わせないと」

 

ハリーは自分でも何を言っているのか、分かっていないようだ。ただ頭に浮かんだフレーズを口にしているのか、顔には脂汗が滝のように流れている。しかし士堂を止めなくてはならないのは、確かなはずだ。

そんな彼を無視するように、士堂は手をゆっくりと振りかざした。

 

「やめて、士堂!! あなたペティグリューを殺しても何もならないわ?!」

「そうだよ、ホグワーツを退学になっちゃうよ、それでもいいの君は?!」

「五月蝿い、黙れ。殺しておくべき奴は、直ぐにでも殺さなくてはいけない」

 

ロンとハーマイオニーも泣きそうになりながら止めにかかるが、士堂の耳には届かないようだ。スネイプ先生は復讐の炎に身を焦がす士堂をニヤニヤと見つめるだけで、止めようとはしない。

反対にシリウスとルーピン先生は、それまでペティグリューに向けていた杖を仕舞い込むと、士堂の両側に回り込み、彼が振り上げている黒鍵を無理やり下ろそうとしていた。

 

「いけない、駄目だ士堂… ! これは私達がやるべき事だ、君がすべきではない…」

「止めないでくれ、やらせろ…」

「落ち着くんだ、士堂… 君の怒りは当然だが、君にはまだ家族がいるだろう? 帰る場所は、自分から捨てるものじゃない」

 

そう言われた時、士堂の脳裏に2人の人間が浮かび上がる。彼らの微笑む顔が、彼から闘志を奪い去るような気がした。それでも尚高まる復讐心は、彼の足元に突き刺さる4本の黒鍵に、如実に現れていた。

 

「くそ…」

「いいんだ、士堂。それでいい。さぁピーター・ペティグリュー。お前はアズカバンに送ってやる」

「やめてくれ、やめてくれえ…?!」

「リーマス。こいつとそこの黒ブツは、ここで始末せねばなるまい。吾輩が引き受けよう」

 

何回目か分からない、スネイプ先生の殺害示唆を、今度はルーピン先生が止める。その目には、覚悟が見て取れた。

 

「それは駄目だ。ピーターがやったことは、やはり裁判にて正当に裁かれるべきだ」

「吾輩の耳に異常がなければ、この程度の子悪党を見逃すと? 貴様は先輩たる吾輩にそう、申されているのかな」

「見逃すんじゃない。吸魂鬼に引き渡して、アズカバンにぶち込んで貰おう」

「てっきり吾輩、貴公も殺せと言うかと考えてはいたのだが」

「考えてはいた。だが駄目だ。少なくとも今は僕も君も教師だ。生徒の前で教師による人殺しは、賛同できない」

「吾輩に教師の心得を説くとは笑止千万。

して、その代償を貴様は弁えているのかな。その答え次第では、吾輩の立ち振る舞いは検討せねばなるまい」

 

この時のスネイプ先生は、実に嫌らしい顔をしていた。まるでその先の未来が読み取れるとでも言いたげな視線だったが、ルーピン先生は何も言わない。

 

「…お主を信じるのも、悪くはない手だ。吾輩は、行く末を愉しませてもらう」

「…君には迷惑をかけたね。大丈夫だ、落とし前は私自身で付けさせてもらう」

 

するとスネイプ先生は、忌々しげなー しかしどこか嬉しそうな表情でペティグリューを縛り上げた。そして颯爽とローブを翻して部屋を後にし、ドアの向こうで待機している。ルーピン先生が縛り上げられたペティグリューと共に部屋を出る。その後をロンとハーマイオニーに支えられた士堂が続き、最後にハリーとシリウスが部屋を後にした。

 

 

「大丈夫? しっかり… ああ、無理な話だねそれは」

「…うん、平気、だと思う」

 

まだ士堂の顔には、血の気は戻っていない。しかし興奮を隠し切れないのか、病的な白さの頬には紅潮が現れており、複雑な心境が色濃く反映されていた。心配げに話しかけるロンと対照的に、ハーマイオニーは士堂の右手に抱きついたまま、一言も発していない。時折聞こえてくる篭った声で、啜り泣いているのが何となしに分かるだけだ。

 

「色々ありすぎだね、今日っていうか今夜は」

「そう、だな」

「ねぇ。僕達この後どうなるのかな。何があるんだろう」

 

叫びの屋敷から伸びる、あの細い通路を伝って行くときに、ロンが小声で話しかけてきた。確かに今夜の出来事は、一言では表せない。この先に待つ運命など、今の士堂には想像すら出来なかった。だから前で士堂の方に何度も振り返る、不安そうなロンに何も返せなかった。

やっと木の股から抜け出すと、外は若干の静かさと冷たさが支配していた。未だに何かを呟くペティグリューをスネイプ先生が後ろから蹴り上げると、素っ頓狂な声が出てくる。哀れな小男をスネイプ先生とルーピン先生が両側から捕捉し、引き摺るように校舎へと向かっていた。背後で何やら親しげに話し合うハリーとシリウスを他所に、ロンとハーマイオニーは士堂の側から離れない。

 

「本当に君、大丈夫かい。こう何度も聞くのはあれだけど」

「うん、まぁ」

「君らしく無いよ。兎に角帰って休もう。授業も試験もないし、ちょっとぐらい寝坊しても許されるって」

「そうね。今日は休みましょ。休んでまた明日、特にあなたのご両親のこと考えたらいいわ」

 

ハーマイオニーはそういうと、涙を拭うように手で顔を隠した。ロンもそれを見て何も言わずに、士堂の肩に腕を回した。愛しのペットの真実も彼なりに消化できたのか、悲しみは感じられない。だからロンの足元でクルックシャンクスが走り回っても、今の彼には苛立ちなど起きなかった。

 

「クルックシャンクス、お前は頭がいいんだなぁ。お前のお陰で、あのネズミ野郎をとっ捕まえる事が出来たんだ」

 

クルックシャンクスはロンのお褒めの言葉も気にする事なく、彼、というよりも士堂達3人の周りを、ぐるぐると駆け回っていた。そして甲高い鳴き声で、どこと言わずに鳴きまくっている。それは3人の足取りが緩やかにホグワーツ城に向かっている時でも変わらずであり、むしろ鳴き方は大きくなっていた。最初は微笑ましげに見守っていた3人も、彼女の異変に気がついたのか、足取りを止めて、皆一様にこの橙色の猫を見る。

 

「どうしたの、クルックシャンクス。もう終わったのよ。あいつは捕まったの」

「どうしちゃったのかなぁ、こいつ。さっきから空を見たりあっちを見たり、忙しいったらありゃしないのに喚き散らして。そらどうどう…」

 

ロンが手を伸ばしてクルックシャンクスを抱き抱えようとした時だ。士堂は両親の事がそれまで頭から離れなかったが、暴れる猫に注意するよう、一応ロンに警告しようとしたのだ。するとクルックシャンクスは、常に同じ方向を見ている事に気がつく。一度空を見上げると前方に吠え、それを何度も繰り返していた。

気になった士堂が空を見上げると、満点の星空が暗闇に燦然と輝いている。その広大なスケールのキャンバスで、士堂達を一際強い印象と瞬きで見守る天体が、丁度士堂の視界の中央にいた。

 

「月か。綺麗な満月だな…」

 

ロンに抱き抱えられたクルックシャンクスは、満月に向かって吠えていたのだ。ハーマイオニーがなんとか受け取って、子供をあやすように猫を揺らすが、お構いなく甲高い鳴き声は止まない。その短い首が月に伸びたかと思えば、今度は城に向かって振られる。

 

「…城じゃない?」

 

士堂の頭から、まるで手品のように両親についての考え事が消え去った。次に脳内に溢れたのは、今夜の登場人物が一通り出揃う時の発言だ。

 

「ー ルーピン。君が脱狼薬を飲み忘れていたようだから、吾輩は親切にも君の部屋に赴いたのだー」

「ー僕は狼人間だー」

 

瞬間、マグルでいうサイレンが脳内で響き渡る。すぐに声を出そうとするが、口が乾燥して言葉にならない。口をパクパク始めた士堂は、一度大きく唾を飲み込んで、掠れるような声でロンとハーマイオニーに叫ぶ。

 

「…逃げろ…!」

「? 何言ってるんだ士堂?」

「そうよ、何から逃げるのよ」

「…脱狼薬は定期的に飲まなくては、意味が無いんだ」

 

「ルーピン先生が、狼人間に化けるぞ!!!」

 

 

 

士堂の大声と呼応したかのように、前方で異変が起きた。ルーピン先生がフラフラとペティグリューの側を離れると、苦しそうにその場で蹲る。異変を察知したスネイプ先生が杖を構え直しペティグリューを抱え込むが、時既に遅かった。

ルーピン先生の身体が急激に膨らんでいく。露出している肌からは忽ち剛毛が生えてきて、全身を覆い隠していった。服が破け、腕と脚が伸びる。細長い胴体には薄らあばら骨が浮いてはいるものの、筋肉質な体がみるみる巨躯へと変貌していくではないか。手は鉤爪に変わり、顔は細長くしかし獰猛な、狼のそれに変わっていった。

 

ルーピン先生ーもとい狼人間は、一度その大きな背中を丸め込んだ。そして月に向かって、大きな口で吠えたのだ。

 

「あおおおおおんんんんんん…」

 

それは吠えるというよりも、咆哮と言った表現が相応しい。その場にいた全員が思わず耳を押さえてその場に蹲り、身動きが取れなかった。口から涎を垂らしながら、獣の手でそれを拭う狼人間は、ロープで縛り上げられたペティグリューを掴み上げようと、その鋭い爪を光らせた。

その手がペティグリューに延びた途端、小男は予想だにしない動きを見せた。瞬時に身体を捻り、ロープを狼人間の爪に引っ掛かると、拘束を振り切ったのだ。次に口を窄ませると、か細く泣くような、篭れ声を出す。

 

「小賢しい真似をしおって… その場に跪け!」

 

いち早く体勢を立て直したスネイプ先生が、再度拘束しようと呪文をかけようとした時だ。黒のローブを見に纏った先生に、何か小さい物が一斉にへばりついてきたのだ。

 

「おお、何なのだ一体?!」

「…ふへへ…」

 

何処からか現れた無数の鼠が、スネイプ先生に取り付いていっているのだ。さしもの先生も振り払うのに精一杯で、1人手を振り乱すしか無い。無数の鼠の大群は狼人間にも襲いかかるが、此方は鋭い鉤爪と鋭利な歯で次々と噛み砕かれているようだ。

 

「ま、不味い! ペティグリューが逃げるぞ!」

 

大量の個体が、辺り一面を覆い尽くさんとしていた。その喧騒の中心にいたペティグリューは、チラリと士堂の方に小さく潤んだ瞳を向けると、汚れた手を子供のように左右に振ってきた。挑発的な別れの挨拶を済ませると、瞬く間に鼠へと姿を変える。

子供達の中で1番早く立ち直った士堂が皆に叫んで知らせつつ、懐から黒鍵を取り出してすぐさま投擲した。

 

 

『corvus volant quoque nihil mons sheng (鴉は飛び立ち、山々を超える)』

『主よ、この不浄を喰い改め給え!』

『鳥葬式典!』

 

黒鍵の刃が空中で砕け散り、破片が次々と鴉へと変化する。その嘴が鼠を噛み砕いていくものの、その中にピーター・ペティグリューがいるかどうかは、はっきりと判別がつかないのだ。しかしそれまでしつこい程にスネイプ先生と狼人間を襲っていた鼠が、一斉にその場を離れていくのを見た士堂は、ピーターが逃走に成功したと直感している。

 

「ああおおおおおんんんん…」

 

またもや響き渡る咆哮を何とか耳で塞いで抵抗するものの、士堂の身体は動かなかった。まるで足裏に釘が突き刺さるかのように、脚が全く意思通りにいかない。チラリと背後を振り返ると、まだ1回目のダメージが残っている時にまともに食らったせいか、皆地面にひれ伏していた。

 

『ステューピファイ! 麻痺せよ!』

 

すると狼人間に橙色の閃光がぶつかる。胴体に直撃した魔法に、多少のダメージが与えられたのか狼人間の動きが鈍くなった。

 

「士堂! 今すぐここを… いや吾輩を援護したまえ! 」

 

スネイプ先生はそう言うと、杖を振りかざして空中に線を描く。するとその線から光弾が、さながら戦艦の並び立つ砲塔から発射したかのように、放射され始めた。横に伸びた光は呪文の弾幕となって、狼人間に向かっていく。

しかしその弾幕を、化け物はとんでもない方法で避けた。あっという間に4、5メートルもの高さに跳躍したかと思うと、四本脚で地面に降り立った。背後で爆風が巻き起こるのもものともせず、獣の走りでスネイプ先生に襲いかかる。

 

「こいつ…」

 

左右に身体を振って何とか避けるスネイプ先生は、その最中でも手の動きを止めることはなかった。何度も七色の光が狼人間にぶつかるも、その身体を包み込む体毛に当たると、まるで霧のように霧散していくのだ。体毛は銀色の光を放ち、闇夜に幻想的な輝きで士堂達に強烈なイメージを残す。

 

「士堂! ()()()()()()()()()()()()()()()()! だからちょっとやそっとの魔法は効かんぞ!」

 

離れた位置で黒鍵を構えていた士堂の耳横に、生暖かい風が通る。通りしなに聞こえた忠告を聞き返すまもないまま、シリウスが変身した黒犬が、狼人間の耳に噛みついた。さしもの怪物も動物の例に及ばず、耳は弱いようだ。

スネイプ先生に襲い掛かろうとしていたが、顔に噛みつく厄介者に気を取られ、その鋭い爪を顔に当てている。すると悲鳴に近い、低い遠吠えが闇夜にこだました。そして狼人間の顔に張り付いていた黒い影が、空中に放り出される。

 

「いやぁぁぁぁ?!?!」

 

声を出す暇もなく、今度は士堂達の背後からまたもや悲鳴が聞こえてきた。士堂が振り返ると、それまで安静にしていた暴れ柳が、その長い枝木を乱暴に振り乱し始めているではないか。その激しさといえば、さっきここに来た時よりも数倍は凄まじい。何せその空を切る風や葉の重奏は、狼人間の咆哮をもかき消しかかねない爆音なのだ。思わずハーマイオニーが、耳を塞いで甲高い悲鳴をあげてしまう。

「うおおおおおおおんんんんん…!!!」

(ガサガサ、ずしゃああああ!!!!)

「…うわァァァ…?!」

 

地上での喧騒など関係なく、月明かりがその神々しい光を増す。呼応するように狼人間は月に向かって吠え、暴れ柳は踊りのように草木を振り乱すのだ。するとそれまで耳に聞こえたとたん、石化したように動かなかった身体は、何事もなかったかのようにぴんぴんしている。

 

(暴れ柳は狼人間の咆哮をかき消す事もできるのか)

 

一瞬そんな事を考察した士堂だが、それも直ぐに後悔する。かつてない暴れように、飛び散る草木がまるで矢のように、辺り一面に散らばっていくのだ。それをハリー達3人はもろに食らっていた。さらに運の悪い事に、太い枝木の直撃をロンがまともに喰らったのである。

その身体が地面すれすれに吹き飛ばされる様子が、まるでスローモーションのように士堂には見えた。強化魔術を発動しながら、ロンに向かって一気に加速する。ロンと衝突するかのように一直線に突き進む士堂は、ロンとの距離、見積もって5、6メートルの距離になると、急激に地面を踏みしめて減速した。

先ず、背中を向ける格好でこちらに向かってくるロンの身体を、真正面で受け止める体勢を取った。次にロンの身体が士堂にぶつかるその瞬間、士堂はロンの身体の中心線から4、5センチほど自分の身体の中心線をずらす。ロンの身体が砲弾のように士堂にぶつかるが、既に身体の右半身全体に士堂は強化魔術を施していた。

ロンの身体を抱きしめるように腕を回すが、2人の身体は吹き飛ばされた勢いを幾分か殺しはしたものの、依然として勢いは消える事なく2人を宙に舞い上がらせた。しかし士堂が受け止めたからか、空高くは飛ばずに地面に近い位置で吹き飛ばされたのだ。地面に対して鋭角に2人の身体が落ちようとする刹那、士堂は懐に忍ばせている杖を意識して、更に強化魔術を身体に施した。

 

士堂は、所謂魔術回路を生まれた時から宿してはいない。故に魔術の行使はかなりの制限が存在していたが、ホグワーツにきて打開策ができた。それは魔法使いの必需品である杖を、魔術回路のように意識する事で、魔術の行使が上手くいく事が分かったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()ものの、これによって強化等の基本的な魔術を、レパートリーに増やす事に成功した。

だがあくまでも基本的なものだけなのだ。今士堂が瞬間的にこなしている魔術は、訓練など全くしてはいない。だが物心ついた時から祖父から仕込まれた、彼の防衛術は彼の意識外において、予想だにしない結論を導き出している。

 

士堂は地面から15センチほどの高さで身をぐいっと、限界まで捩った。一方向に向けられていた運動エネルギーに、強引に回転を加えたのだ。そして自分の左半身がいよいよ地面にぶつかるその瞬間、彼の無意識は強化魔術を左半身に施ている。

地面を転がるようにして、何とか士堂とロンは受け身を取れた。しかし士堂は回転が弱まった時、一気に空気を肺から吐き出した。若干の血の気が混じっているのは、喉の奥を切ったのだろうか。彼の胸に抱き抱えられているロンは、痛みと衝撃で混乱し切っているようだ。士堂が何とか抱き起こすものの、先程までのペティグリューのように、ガタガタと身体を震わすだけだった。しかし右手が枝木の直撃を受けたのか、震える身体と対照的に、ピクリとも動いてはいない。

 

「落ち着いて、ここでじっとしているんだ。いいか?」

 

何度も頷くロンを、下り坂になっている坂に寝転がす。ここなら狼人間の視界には、すぐには入らない筈だ。士堂はまた強化魔術を脚に唱えるが、ずきりと痛みが走る。

短時間に慣れない魔術を連続行使した事で、身体が悲鳴を上げ始めていた。しかし目の前で七色の光が空に瞬くのを見て、逃げ出すわけにはいかない。奥歯がガリっと言うほどに力を振り絞って、現場に直行した。

 

 

丁度ロンが吹き飛ばされた時、ハリーはハーマイオニーの手を取って何とかその場を離れようとしていた。草木が皮膚を切り裂き、全身がヒリヒリと傷むが、泣き言を言っている暇はない。そして目の前で繰り広げられる狼人間ー ルーピン先生とスネイプ先生の熾烈な戦いを見たハリーは、いち早く決断した。

 

「ハーマイオニー、シリウスと一緒に逃げるよ!」

「で、でも放っておくつもり?!」

「僕たちは何もできない、足手まといになるだけだ!」

 

過去2年の経験から、ハリーは今は逃げることが最適だと直感していた。ロンと士堂が暗闇の中を吹き飛ぶのを目にしたハーマイオニーが涙目になって、その場から助けに行こうとするのを強引に引き戻す。そしてシリウスが吹き飛ばされた方向に、必死になって脚を動かしていた。

それでも彼女の顔は友人たちの方向ではあったが、スネイプ先生の呪文が狼人間を直撃しても、傷1つつかない光景にハッと息をのむ。スネイプ先生の呪文は連なる火球だったが、全く有効打にはなりえていない。無言の攻撃呪文の難易度と威力については、ハリーよりもハーマイオニーの方がその情報を知っている。つまり彼女は、自分の理解と実力では到底及ばないレベルの戦闘だと、はっきり認識したのだ。

 

シリウスが吹き飛ばされたのは、ホグワーツ城と反対側の草むらの方だった。このタイミングでの不運を恨めしく思うが、そうは言っていられない。

覚悟を決めお互いに血が止まるほど、強く握りしめあって駆け抜けるハリーとハーマイオニーは、草むらの中で横たわるシリウスを見つける事に成功した。

 

「し、シリウス? しっかりしてシリウス!」

「ああ、駄目よ死んじゃダメ!」

 

ピクリともしないシリウスに動揺を隠せないハリーは、黒い身体を持ち上げた。黒犬はハリーに抱きかかえられてもなお、反応を返すことはない。この緊迫した状況の中、一刻を争いかねない事態に、2人の声は声にならない。あわあわと口を開いては閉じ、目線を上下に下げて、手をはちゃめちゃに動かす。やるべきことはわかっているのだが、焦りと緊張で精神と肉体に齟齬が生まれている。ハリーは去年ジミーの危機に立ち会っているが、あちらはまだ呼吸が微かに残ってはいたし、そのあとでヴォルデモート卿との邂逅があった。人の死という恐怖を感じる暇が、今にして思えばなかったともいえるのだ。

やっと会えた心を許せるかもしれない親類の危機にハリーが何もできずにいる中、何とかズボンのポケットから杖を取り出したハーマイオニーが、一度胸を強く殴って強引に気を鎮めた。

彼女にしては珍しく、両手で杖を握りしめている。

 

『エピスキー! 癒えよ!』

 

暖かい熱が、杖から溢れ出した。傷だらけの身体を撫で回すように、杖の先端を動かしていくと、シリウスの身体から力がどんどん抜けていくようだ。呪文が失敗したと思った2人は絶句するが、やがて黒犬の身体がムクムクと縦に伸び始め、黒い毛が引っ込んでいくかのように消えていく。ペティグリューの時と同じく、時が巻き戻されていくようだ。見る見るうちに手足が細長く伸び、見窄らしい男が地面に寝そべっていた。

 

「シリウス、しっかり! しっかりして!」

「…は、ハリー? ああ嬢ちゃんも…」

「え、とシリウス、そうここは危険だわ。早く私達、あのその、助けを」

 

ハーマイオニーのあたふたした話にシリウスは、直ぐに現状を理解できたようだ。

 

「…リーマスは? リーマスは何処に?」

「あっちでスネイプと士堂が…」

「何という事だ。早く助けを呼ばねば…」

 

そう言って震える手で杖を構えると、シリウスは何かの呪文を唱えようとした。しかしそれは叶わずに、膝から崩れるように地面に跪いてしまう。慌ててハリーが肩を持つが、シリウスのその肉体の軽さにハリーは心配が込み上げてきた。

何せさっき手を引っ張っていたハーマイオニーよりも、シリウスの身体は軽く感じるのだ。ハーマイオニーの体格が優れているわけではないから、シリウスは子供並みか、それ以下の身体しかないという事になる。

しかも叫びの屋敷での、まるで獲物を見つけた獣の無ような、ぎらつくような目は消えていた。死人のように力がない瞳、今にも折れそうな手足、水に濡れたように折り曲がる頼らない背中…

 

人形のようなシリウスをハリーが抱き抱え、その隣でハーマイオニーが杖で明かりを照らしていた。この大騒ぎだというのに、ホグワーツ城では何の音沙汰もない。自分達が抜け出した事がバレていないとすれば朗報だが、今のルーピン先生の事を考えれば悲報である。

ハリーはダンブルドア校長が、今の事態を把握していないとは考えていなかった。絶対に自分達を助けてくれるはずだ。

何の根拠もなしに、ハリーはそう考えていた。せめて城の近くまで行けば、何かしらの助けがくると。それを信じて、ハリーは草原を必死になって走り抜けていた。

 

そう信じる少年を嘲笑うかのように、彼の前方に不気味な影が集まりつつあった。それは最初は一つだけだったのだが、やがて何処からともなく集まり始め、遂には桁が10を超え、あともう少しばかりの時を待てば、100は優に超えるだろう。

 

そう思えるほど、実に素早く的確に、吸魂鬼達が、ホグワーツの月夜に集結していたのだ。

 




連続投稿です。作中の「咆哮」ですが、元ネタは某有名ゲームから来ています。新作が出た4月ごろから、こう書きたいと考えたはいました。しかしここまで来るのに時間がかかりすぎ、タイムリーなネタでなくなっているという。


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狼人間

少年は、目を閉じようと何度も瞼を瞬いていた。止めどなく溢れる涙は、目尻を伝って平伏している地面の草に潤いを与えている。彼はこの分泌される液体を止めたかった。ただ普通に居たいのに、普通の状態でいられないのが、堪らなく嫌なのだ。

 

(止まれ、止まれ、止まれ)

 

心の中で何度念じた事だろう。しかし念じる度に、彼の右腕が燃えるように痛みを、脳内に知らせてくるのだ。それは耐え難いものであり、おまけに身体のあちこちが切り裂かれたように、切り傷に覆われている。何処の関節も熱っぽく、思うように動かせない。その熱が、彼の視界を未だに滲ませてくるのだ。

 

(どうして僕は何も出来ないんだろう?)

 

ロナルド・ウィズリーは、坂に身体を伏せたままの状態で、坂の輪郭の頂点にいた。

 

 

彼の眼下に広がるのは、絵本の世界の戦いだ。人2人分はある背丈の化け物が、胸を張るようにして空を見上げる。その口から透明な振動が発せられると、ロンの鼓膜がビリビリと刺激され、身体から意思というものが消え去るのだ。しかし化け物に対峙する2人は何ら変わりなく、隙を与えないと言わんばかりに呪文攻撃を繰り出している。

 

その戦場では、スネイプ先生が怒りを爆発させているところだった。おりしも爆発呪文をルーピン先生にぶつけたところであったのだが、その偶然を笑える余裕は、士堂には存在しない。

 

「…リーマスが【上位種】に噛まれていただと?!?!」

「さっき、シリウスが俺にそう教えて、」

「馬鹿者が! そういう大事な話はもっと早くにしなくてはならん!」

 

スネイプ先生は、忌々しいという言葉がこれほど似合うのか、と言いたくなる表情をしていた。口をへの字に曲げ、反比例するように目は若干吊り上がり気味で、頬は全く動いていない。ただでさえ黒目が大きい人であるのに、今は白目が消えたのではないかと思うほど、黒目が大きくなっていた。

 

「なんたる不始末だ… 校長はこのことを知っておいて、奴めをこの学舎に招き入れたとは…筆舌に尽くしがたい…」

「上位種、というと報告例は数える程しかないのでは」

「吾輩が与えた課題を、それなりにこなしてはいたようだ。左様、報告されている狼人間の上位種は片手に数える程しかあるまい… だがその詳細と被害者は保護の為に我々には分からぬよう、伏せられてきた…」

 

狼人間は、無垢の人間を噛む事で仲間を増やす。この時噛む狼人間の歯から対象者の体内に流入される、ライロンスカーピーと呼ばれる感染症が、狼人間になる決定打であるのだ。そして歴史上存在した狼人間には、上位種と呼ばれる個体がいる。

この上位種は長い銀色の毛に覆われた身体が特徴であり、月の光を浴びるごとに魔力が増すのだ。魔力を浴びた体毛は生半可な魔法を相殺してしまう。つまり通常の魔法使いでは対処できず、闇払いなど限られた戦闘員でなくては、対応できない厄介な個体だ。

他の特徴として、独特の咆哮がある。これは通常の遠吠えと異なり、声が大気中に段階的に増大する音波、所謂衝撃波に変換されるのだ。

 

しかもその性格は惨虐そのもの、狼人間の獣の性が極端に際立っており、人間体の場合でもその性格を隠しきれないという。

上位種に噛まれた人間は、狼人間になるとこの特徴を引き継ぐ事が多いと報告されている。士堂の見立てでは、少なくとも魔力に満ちた体毛と行動を阻害する咆哮は、残念ながら引き継いているようだ。

 

 

狼人間の例に及ばず、獣人と呼ばれる生命体は、多くが高い魔力と知性を持った獣と人間が結びついた時生まれたと、士堂は士柳から聞かされた事がある。肉体の交わりがあった事も、交わりは無しに子が産まれた事もあるとかー

士堂は士柳から多くの知識を伝授されたが、その中に獣に対しての心構えがあった。

 

『獣、獣人。心に刻まねばならぬのは、知性とは人間固有のものではないという事。人間が知性を形作り、後世に伝える事ができるだけで、獣とて皆それなりの知性は、人間が思うより持っておる』

 

そう言われて読まされたのが、アメリカの狼の伝承だ。しかも単なる伝説の類ではなく、実話が基になっているという。その伝記本を読んでいた士堂に、士柳は煙管をふかしながら、深々とこう言ったものだ。

 

『大事なのはな、士堂。獣とて愚かと思ってみくびるから、皆命を失うのじゃ。あくまでも4本足で歩く人間、とまではいかぬでも、ある程度の敬意を持たねば、簡単にこっちがやられるものよ』

 

さもあらん。目の当たりにしている狼人間は、確かに知性と獣性が共存しあっている。だが感心する暇もなく、士堂を捕まえんと件の獣は捕らえる為の行動を開始した。

まず細長い鉤爪を振り回してくるのを、その場で屈伸した後に前転する事でかわす。するとそれを読んでいたかのように、狼人間の口が士堂の喉元を正確に狙ってくる。背後にステップを踏んで回避すると、自分がいた位置に、狼人間の涎が溜まっているのが分かった。

 

地面に溜まるよだれが放つ、鼻を啄むような悪臭に顔が顰めるが、狼人間は待ってはくれない。一直線の跳躍により、続け様の噛みつき攻撃を繰り出してきた。それを右脚を後方に引き、上半身をやや半身にして突進を躱し、士堂は左手の黒鍵を右腰の辺りに構えた。

そして後方に引いた右脚、正確には右の股関節に体重を乗せると、脚の親指を正面に向けるように捻る。連動して膝と腰が捻れていく間、士堂の上半身は未だに半身のままだ。右腰が周りきる寸前、体重を左股関節に移し替えると士堂は上半身を一気に捻り上げる。

上と下で生じていた捩れは備わった筋肉以上の力学を、士堂の黒鍵に伝えるのだ。加速する左腕を、感覚的に左肘を狼人間に並行の位置に突きつけるように、前方に向かって伸ばす。

そして左肘が突き出た時、肘を支点に腕が遅れて伸びた。すると士堂の左腕はまるで鞭のようにしなりを帯び、黒鍵が円弧状に歪んだように見受けられる。実際は歪んではいないものの、士堂の黒鍵は半長円の軌道を描いて、狼人間の脇腹を切り裂いた。

 

そこは体毛の薄く、肋骨が浮き出ているような脂肪分の少ない箇所だ。瞬時に反応して身を捩るも、鋭利な切先はその弱点を仕留めた。左手に柔らかい重みを感じつつ、士堂は2の手を繰り出している。左腕を突き出すと同時に、右腕の黒鍵も展開していていたのだ。左腕が薙ぎ払われた軌道の、真後ろに当たる位置から今度は殴るように、右腕を直線的に突き出す。

士堂からみて右に身体を捩った狼人間の挙動を見ながら、彼はコンマの世界で軌道を修正し始めた。左腕を振り切らず、そのまま自分の腰の方に引くように戻す。そして下げていた右脚を狼人間の方向に、体重が乗っている左股関節を軸に大きく踏み込んだ。そのまま後方の位置につく事になる左脚で、強く地面を踏み抜く。

 

身体の加速と体重が乗った黒鍵による逆手突きは、もろに狼人間の腹に突き刺さった。しかし3センチほど突き刺さったかと思うと、刃が砕け散ってしまう。まるでガラスが割れるかのように砕け散る刃を無視して、士堂はそのまま柄を狼人間の脇腹に突き立てた。

中途半端に残った、歪に形を留めた刃の残骸ごと身体にめり込ませると、化け物の身体が後方に大きくふきとばされる。

 

「ふん、リーマスが教えた防衛術は奇怪なものよ」

「先生の呪文よりは効きましたよ」

「口だけは達者なようだ」

 

汗を拭いつつ、スネイプ先生はネチネチと嫌味を言ってくる。彼が士堂に向ける視線には、心配などの感情ではない何か別のものがあると、士堂は感じ取った。

それを聞く暇もなく、スネイプ先生は杖を高々と振り上げる。

 

『マフリアート。 耳塞ぎ』

「ううううおおおおおんんんんん…」

 

狼人間の咆哮の前に、スネイプ先生がかけた呪文のお陰で、士堂は何らダメージを受けることはなかった。士堂の与えた傷は少なくないダメージを狼人間には与えているようだが、未だにその殺戮本能は衰えを知らないようだ。

 

「先生、狼人間はあれほどまでに凶暴でしたか?」

「いや…恐らく脱狼薬の影響だろう。トリカブト系の薬だが、狼人間の本能を麻痺させるだけだ。厳密には本能を抑制するのではない。

これまで薬で強引に押さえつけられていた本能が、急に解放された事で暴走状態にあるのではないかね」

 

まるで実験結果について考え込む博士のような口調のスネイプ先生に、士堂は思わず語尾が荒々しくなる。

 

「先生、何を呑気な事を?! 早くルーピン先生を助けなくてはならないでしょ!」

「まぁ落ち着きたまえ。焦らなくても、吾輩が静かにさせてやろう…」

 

スネイプ先生は、その時口角を上げて士堂と視線を合わせた。その不気味な顔は、士堂の背筋に冷たい汗を滴らせるには十分だった。

 

『メテオロジンクス・レカルト』

 

スネイプ先生の杖から黒い閃光が、天高く伸びていった。外は月明かりと星灯りしかないのだが、その中でも吸魂鬼のようにその黒さは認識できる。

みるみる内に月を覆い隠すように、灰色の雲が出現した。それまで銀色の淡い光を放っていた狼人間の体毛から輝きが消え、狼人間も頭を抱えて苦しそうな声を上げる。

 

『コンフリゴ・マキシマ。 大爆発』

 

狼人間から赤い爆風が巻き起こり、煙の中から掠れるような遠吠えが聞こえてきた。それでもスネイプ先生は杖を左右に軽やかに振り、同じ呪文を何回も炸裂させる。その度に爆音と爆風が響き渡り、焼けるような風が辺りに広まっていく。

あまりの凄まじさに絶句する士堂だが、かけている本人は実に愉快げな笑みを隠そうともしていない。呪文を物ともしなかった化け物だが、月の加護のない上での、呪文の波状攻撃は見た目よりダメージが大きいようだ。口から弱々しい咆哮しか鳴らず、それまで漲る活力の象徴のようだった尻尾は、地面に力なく垂れ下がっていた。

 

「最後だ、リーマス。薬を飲み忘れた己が不手際を呪いたまえ」

『アバ…』

 

『ステューピファイ!! 麻痺せよ!!!』

 

とどめとばかりに杖を頭の位置まで持っていったスネイプが、呪文を唱えようとした時だ。横からオレンジ色の閃光が死に体の狼人間の腹に直撃した。閃光が肉体に吸収されるように消えると、その肉体に似合わない、か細い鳴き声を上げながら狼人間はその場に突っ伏した。

微かに上下する胸以外動かさない狼人間を、見下す形でスネイプ先生は近くに寄った。

 

「先生、もう終わった筈です。もう辞めてください」

「甘いな、ミスター・アベ。秘蔵っ子は、化け物退治の重要な約束事を学んではいなかったとお見受けした。

確実に、正確に息の根を止めねばならんのだ。今その手本を、甘ったれた小童に親切なる吾輩が披露してみせよう」

 

士堂が焦った口調で止めに入るが、相手方は既にこの後の行動は決定事項らしい。最早誰が見ても死に体の狼人間、その頭部に杖を向けてスネイプの口が動きかけた時だ。

 

「終わりじゃ、セブルス。それ以上は行ってはならん」

 

それまでの会話にはなかった、温かみのある声がスネイプ先生の呪文詠唱を止めさせた。士堂が振り返ると、ダンブルドア校長が、杖を構えていつの間にやらそこにいるではないか。皺が見える右手には、特徴的な節々が盛り上がった、あの杖がある。

 

「セブルス、もう終わりじゃよ」

「しかし校長。ここにはか弱き生徒があるのです。念には念を入れるのが、筋というものではないでしょうか」

「その必要がない。最早ルーピン先生は一歩も動けんじゃろ。相当に痛みつけられてあるしの」

 

不服そうなスネイプ先生だが、ダンブルドア校長の眼光が強くなったことに目敏く気が付いたのか、杖を懐に戻す。誰にも聞こえない声量で何か呟く彼を横目に、校長は坂から一部始終を見ていたロンに話しかけた。

 

「もう泣かんでよいぞ。よくぞ、無事であったな」

「だ、ダンブルドア校長……僕、僕、何も」

「おお、おお、心配しなくてもよい。出来なくていいのじゃ、出来なくても。腕が折れてあるの、早くマダム・ポンフリーの所に行かねばならん」

 

『フェルーラ。巻け』

『エスピキー。癒えよ』

 

ロンの痛々しい右腕に添え木を当てると、校長の呪文で腕に布が巻かれた。血の巡りが悪く、青白くなってきていた腕が元の肌色になると、ダンブルドア校長は満足げに何度も頷いた。

 

「聞かねばならん事が山ほどある。皆もう少し老人に時間を貸してくれると、ありがたいことよ。ささ、早く城に帰ろうか」

 

士堂とスネイプ先生が近くに来てから、ダンブルドア校長の杖が一振りされる。すると4人の姿が一瞬で消え、その場には傷だらけの狼人間ー ルーピン先生がいつまでも横たわっていた。

 

 

士堂は鼻をつく、つんとした匂いで目を覚ました。それは医務室ではお馴染みの、消毒用アルコールの匂いである。朦朧としている意識が現状へと引き戻されようとしていたが、その現実はあまりにも慌ただしかった。

 

「…だからシリウスは無実です、信じてください大臣!!」

「私達、ペティグリューが逃げた事も確認しました! 嘘なんか言っていません!」

「おお、おお、うんうん。ああその、どうなのだろうか、セブルス。スネイプ君。その彼らの言っていることは…」

 

まだ若干重い身体を起こすと、ベッドの周りで数人が言い争っているのが分かった。ハリーとハーマイオニーが、老人に向かって激しく抗議している。そして老人ー魔法省大臣、コーネリウス・ファッジは年甲斐もなくオロオロしながら、背後に立つスネイプ先生に助けを求めていた。もとより頼り甲斐のない、前屈み気味の格好だが今は地面と平行になるまでに背骨が曲がってしまっている。顔には困惑と恐怖がまざまざと浮かび、情けない印象を強めていた。

大臣の慌てように口を出さなかったスネイプ先生は、待っていましたと言わんばかりに、仲間のはずであるのに実に恐ろしい、ゾッとするような笑みを浮かべた。

 

「ええ、ポッターの言っていることは概ね真実でしょう」

「な、何と。ピーター・ペティグリューが… 彼は英雄だぞ?」

「ええ、おっしゃる通り、彼は英雄でした。しかし残念ながら吾輩も奴が生き延びたことを、はっきりとこの目で見ております故に」

 

それは魔法省としては、あってはならない事実なのだ。彼を英雄として扱う事にしたのは、他の誰でもない当時の魔法省であるのだから。そしてこの事実は、誰からも隠す事も出来ない事は明白である。この先に待つのは、魔法省のトップであるファッジにとって大変な苦労しかないのだ。

のしかかる気苦労から、ベッドの手すりに力なく寄りかかるファッジに、スネイプ先生は実に優しく肩を添えた。

 

「しかしですな。ポッターの言うシリウス・ブラックが無実である、これは些か疑問符が付きますな」

「な、何を言っている?! シリウスは無罪だ! 」

「口を慎め、ポッター。なる程ペティグリューを探してホグワーツに来たのは確かですが、シリウス・ブラックには幾つか疑念があります。

一つは何故秘密の守人をペティグリューなぞに譲ったか。本人は敵の関心を自分に引きたかった、等と弁明しておりましたが、本当は別の誰かに命令された、と考えた方が筋が通るでしょうな。そうでなくては余りにもお粗末な考えでしょう」

「シリウスは真剣に父さんたちの事を考えてくれた!!」

「第一ですな、例えペティグリューが有罪だとして、何故シリウスまでもが無罪と言い切れますか。順当に考えれば、両名とも名前を言ってはいけないあの人の手下と考える方が自然ではありませんか」

 

スネイプ先生はシリウスの無罪を信じる人たちの、最大の弱点をはっきりと指摘した。そう、例えペティグリューが有罪だったとして、シリウスの無罪は確定しない。何故なら秘密の守人が変更された事を知るのは、ペティグリューとシリウス以外には死んだハリーの両親しかいないのだから。

シリウスは安全策として誰にも相談しなかったのだが、今はこれが悪手となっている。せめてダンブルドア校長に相談の一つも有れば違っただろうが、今言える事だろう。

無罪を叫ぶのは子供達だが、何せハリー達は、明確な証拠があってシリウスを信じている訳ではない。この短時間、特にハリーは叫びの屋敷から出てくる時に2人で話した感覚から、彼を信じているだけなのだから。

 

「ハリー… その何か、証拠でも? シリウス・ブラックが無罪とする…」

「それはその…」

「あります、シリウスはハリーを何回も助けようとしました! これは事実です、出なかったら私もハリーもさっき死んでいたわ!」

「黙れ小娘ー ミス・グレンジャー。 失礼大臣。あまりにも衝撃的な体験から、些か生徒の精神に混乱が見受けられる。吾輩は兎も角、生徒達の証言は法廷では到底使えますまい」

 

ハーマイオニーも必死に弁明するが、その結果は火を見るよりも明らかだ。駄々を捏ねる餓鬼のように何度も生徒とスネイプ先生を見る大臣は、力のない声でマダム・ポンフリーを呼んだ。

 

「終わりましたか、この子達は休まなくてはいけないのですよ」

「ああ… チョコを食べさせてやりなさい。ハリー、後は私達大人に任せて、今はゆっくり休みなさい…」

「待って、待って」

「マダム、後は頼みましたよ。ささスネイプ。君に与えられる勲章について話さなくてならない…」

 

とぼとぼと歩くファッジとは対照的に、いつもよりも大股で外に出るスネイプ先生。その後ろ姿を睨みつけ呼び戻そうとするハリーだが、マダム・ポンフリーに強引にベッドに寝かせ付けられた。

士堂は今こそ録音貝を忍ばせておくべきだったと後悔した。あの在庫は手元にないが、もしかしたら校長から貰った残りが実家にあったかも知らない。こうなる事を事前に想定しておけば、何か証拠が残せたのにー

ベッドの上で火照る身体を飲み水で冷やしつつ、士堂は自分の不甲斐なさを痛感した。

結局ハリー達よりも経験豊富であっても、これでは何ともならない。自覚した途端、心が波を打つように不安定になり制御できなくなった。慌てて枕に顔を押し付けて、表情を隠す。

 

「くそ…」

 

人知れず溢れた言葉は、頬を伝う一筋の液体と共に医務室に消えていった。

 

 

目を覚ましたロンも含めた4人がチョコを刻むように食べていると、医務室のドアが開く。それまで誰も口を聞かず、蕩けるように甘い口内とは対照的に雰囲気は最悪だった。マダム・ポンフリーは入ってきた人物を見るや否や、信じられないと言った口調で押し返そうとした。

 

「校長、何をしてますの? あの子達は休まなくてはなりません、さあ早くお帰りになってくださいませ」

「申し訳ないマダム。しかし私も幾つか、あの子達と話さなくてはならない。分かってくれるかな」

「何とまぁ、正気の沙汰とは思えませんー ああもう、ほんの少しですよ」

「心配かけるのぉ。これは今年の給金に遊びを加えねばならまいな」

 

ダンブルドア校長の悪戯っぽいウインクを無視して、マダム・ポンフリーはタオルを抱えて奥に消えていった。ウインクを無視されて少し悲しかったのか、一瞬浮かない顔をした校長だが、ロンのベッドの横に腰掛ける。

もうロン以外は起き上がれる状態だった為に、ベッドを降りて自然ロンのベッドに皆が集合した。

 

「ダンブルドア先生。僕達の話を聞いて、」

「分かっておる、分かっておる。今しがた、拘束されたシリウス・ブラックから同じような話を聞かされた。どうやらお前さん方と内容は一致するようじゃな」

「じゃあ、シリウスは?」

「それは別問題じゃ。いいかい、何せあの時間には証言も証拠も出揃っておるのじゃ。これを覆すには、決定的な証拠が必要なのじゃ。

ハリー、シリウスは正当に裁かれた。であるならば、普通は正当に抗議しなくてはならない」

 

ハリーの言葉を優しく遮って、やはりファッジと同じ事を言う校長。堪らなくなったのか、横からハーマイオニーが参戦してきた。

 

「ダンブルドア校長は、ルーピン先生をお忘れです。先生なら、シリウスの無罪を証言してくれます」

「そこがの。君も知っての通り、狼人間はまだ魔法界では忌み嫌われておる。過去の被害が、根強く残っておるのでな。

そうでなくてもルーピン先生とシリウスは、古くからの親友じゃ。まず、庇っていると言われてしまうじゃろ」

「先生は、私達を信じてくれないのですか?」

「そうは言っておらん、そうは。わしはお前さん達を信じておるよ。いつも、これからも。

しかしこれはわしには、どうしようもできない」

 

つまりシリウス・ブラックはこのまま行くと、アズカバンに連れ戻されるかもしれないのだ。いや、恐らくはアズカバンに行くことなく、吸魂鬼のキスが待っているだろう。以前ルーピン先生から話を聞かされ、つい先ほどそれを行おうとする現場を目撃したハリーは、背中に冷たい汗が噴き出てきたのを感じる。

 

「このままでは、間違いなくシリウスは殺されよう」

「じゃあどうしたら」

「大事なのは、時間じゃよ。のう、ミス・グレンジャー」

 

ダンブルドア校長は、何故かハーマイオニーを見つめて意味深に言った。士堂もハリーも訳が分からないが、ハーマイオニーは気がついたようだ。

 

「そうか、そうですね。その手があったわ!」

「規則は忘れてはならん。シリウスはフリットウィック先生の事務所、西棟右から13番目の窓に囚われておる。今宵2人が首尾よくこなせれば、罪なき命を一つならずとも、何個も救えるじゃろう。

だが、念を押すが見られてはならん。気付かれてはならん。聞かれてはならん。分かっておろう?」

 

ダンブルドア校長は、何処からか果物とお菓子の盛り合わせを取り出した。お菓子の中からグミを何個か取り出すと、無造作に口に入れる。

 

「今は真夜中5分前じゃ。左様、今回戻るべき刻を鑑みればー 3回がいい具合じゃろうて」

 

ハーマイオニーが戸惑いを隠せないハリーを引っ張って部屋を出ると、士堂とロンは一斉に校長に視線を向ける。

 

「まぁ、詳しいことは明日には分かる故、今は身体を休めようぞ。

ささお食べお食べ。珍しい龍の名を冠する果実もある。これは南国のアレでな、中々どうしてお目にかかれない珍味じゃ。左様金貨は2桁飛ぶかもしれん」

 

それを聞いたロンが、目をくりくりさせ始めた。ダンブルドア校長が果物バスケットから紫色の、曲がりくねった棘が特徴的な楕円形の果物を取り出すと、いつの間にやら皮を剥いて食べやすく小分けにしていた。

ロンが目を輝かせながら、それを恐る恐る口に運ぶ間、士堂と校長はルーピン先生について話し合っている。

 

「先生は上位種に噛まれたとか」

「そうじゃ。誰からそれを?」

「シリウスが。校長、不安はなかったのですか。その、普通ではないでしょ、流石に上位種となると」

「うむ。じゃがリーマスは人間の時は普通じゃし、根底にあるのはそうした野生への恐怖のみじゃった。だからわしは彼を此処に招き入れた、それだけの事」

 

さも当然と言わんばかりに髭を撫でるダンブルドア校長だが、その決断はかなり勇気がいる。何せ暴れたら並大抵の魔法使いでは餌に過ぎないのだから。

 

「先生はやけに獰猛でした。あれほどとは知りませんでしたね」

「ふむ、わしの予想ではの。色々聞かさせてもらったが、ペティグリューが逃げる時に確か鼠を呼び寄せた、と申しておったの。

恐らくじゃが、鼠を数匹ばかし、喰べたのではないかな。そうならば、不思議ではない」

「それは?」

「リーマスは狼人間になってから、一度も人は襲ってはいなんだ。それだけ被害が出る事を嫌っておった。

しかしそれが今宵無駄になった。数十年溜め込んだ野生の欲求が、彼の中で目覚めてしまったのだろう」

 

悲しげに首を横に振って、ダンブルドア校長は葡萄を一粒、口に放り込む。

 

「それよりもじゃ。ペティグリューがわしらを悪い意味で、色々と裏切ってくれたの。奴が使える呪文は、ホグワーツの卒業資料には載っていないものばかりじゃ。

動物もどきはさておき、操鼠術を心得ていたとはな…」

「操鼠術? 聞いたことありません、そんな呪文は」

「文献が多くはない。わしの知るところでは、笛などの楽器を使うと言うのじゃが。達人はそれ、人間すら操ることができると言う。異国の地方の街では、笛吹の音色に魅入られた子供がごっそり行方不明になったそうな」

 

皮を小鉢に吐き捨てると、ダンブルドア校長は葡萄を一房、今度は丸ごと取り出した。それを口一杯に房ごと頬張ると、器用に身だけを絡め取っている。口の中で葡萄ジュースを拵えて満足そうに味わうと、大量の皮を小鉢にまた吐き捨てた。

 

「葡萄はこう食べると美味い。以前フランスの葡萄園を渡り歩いた時、教えてもらったのじゃよ。

さてさて、しかしあれじゃな。ペティグリューの事を考えると折角の葡萄の味が落ちてしまうわい」

「先生。ペティグリューは、いつ実用的な呪文を学んだのでしょう?」

「それは分からぬ。奴がスパイとなった時、あるいは逃亡中か。何れにせよ、奴は我々が思うより厄介という事は確かじゃ」

 

校長はバスケットを膝の上に乗せると、次々に皮を剥いて切り分けていく。それを杖無しにやって見せるのだから、士堂としてはどう対処すればいいか、全く検討が付かなかった。

だがそれよりも校長がペティグリューの話を切り上げて、一息つこうとしている事が予想外であった。

 

「あ、あのいいんですか。というよりハリー達は一体?」

「そうだ、どうしてハリーとハーマイオニーだけ何処かに行ったんです?」

「それはさてさて、あともう暫くすれば自ずと知れよう。それまでは、精々自然の恵みを味わい尽くそうではないか。のう」

 

悪戯っ子のようなウインクをしながら、校長はオレンジを丸ごと口に放り込んだ。溢れる果汁を手で抑える老人をジト目で見ながら、士堂とロンはそれぞれ林檎や梨を手に取る。口の中に爽やかな果汁が広がると、疲れた身体に活力が漲る気がしてくるのは、生物としての本能だろうか。

 

未だ月夜は煌々と医務室に差し込むが、聞こえてくるのは小鳥の囀りと、夜風が震わす草木の音色だけだった。




一区切りの話になります。
あと一話ほどで3章は終わりにしたいですね。


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過去から未来へ

「解決策が他にあるわけじゃないしさ、いいけど。どうも軽く考えすぎなんじゃないの」

 

湖に気持ちよく日光が注ぎ込まれている。自然界の気まぐれな性質から生まれる反射は、古来人間が絵として残したいと思って来た光景であろう。試験もない休みに学校に残る酔狂な生徒がいないお陰で、問題の4人はこうして日光浴を楽しんでいた。

それでも士堂からすれば、昨日の夜行われた事件については納得できていない。

 

「君しつこいよ。僕たち校長とお菓子食べてたんだもん」

「そういう問題じゃないって」

「嫉妬してるの?ハリーとハーマイオニーが美味しいところ持ってたからって。やだな〜」

「違うっての」

 

ロンがやけに嬉しそうに士堂の頬を指で突いて来た。士堂が腕で払い除けようとすると、面白がってロンの手は脇に伸びる。指が鍵盤を弾くように動くと、士堂の体が上下に揺れ始めた。

堪らず士堂が笑い声を上げると、つられて他の面子も笑い始める。

 

 

昨晩、ハリーとハーマイオニーはある魔法具を使用した。逆転時計と呼ばれるそれは、文字通り使用者を過去の時間に飛ばすという単純明確な道具だ。ハーマイオニーが今学期本来不可能な量の講義を受けていたのも、この逆転時計で時間を何度も遡ったからだ。どうやらホグワーツでは伝統的に、優秀かつ将来性豊かな生徒に貸し与える事で更なる教育を施して来たらしい。貸し出したマクゴナガル先生も、慎重を期していたとはいえ大丈夫と考えていたに違いない。

士堂が文句を言ったのは、時間という概念が分かりきっていない彼女に、容易く学校が道具を貸したことにある。そもそも時間というものについて、考察が複雑かつ議論が収まらないのはこの概念の理解不足にある。

 

根本的に、時間を遡る行為自体どう定義するか。人1人過去に飛ばしたとして、それはその人なのか。飛ばされた先が、出発点と次元的に同じであるという証拠は?そもそもどうやって時間旅行を証明するのか?

つまりそれだけ専門家でも議論が止まない、気安く触れていい概念ではないのだ。有史以来、何人もの魔術師・魔法使いがこの難題に取り掛かって来た。しかしその結果は不幸を招くと相場は決まっている。悲しい事に時間旅行という行為は、既に魔術の世界では道が半分以上途絶えているのだ。

士堂の知る中で時間旅行が可能なのは、ゼルレッチ翁ぐらいである。そう、彼の行使する「平行世界の運行」に「時間旅行」が含まれているのだ。魔術は一度至った道を再度通るには、その方法以外ありえないからこの系統での魔術開発は不可能な事である。後は他の魔法使いが似た事例を引き起こした起こしていない、限定的な体内時間の操作なら可能…どれも噂話程度でしか知識としてなかった。

 

それにもし今回の事件が無かったら、ハーマイオニーはパンクしていただろう。目に見える変化でなくても、彼女の根本が歪んでいた事は間違いない。ハリーとの時間移動で、その重さを十二分に理解した彼女は今後は使用しないと決めていた。

士堂達は反対しなかった。ハリーとロンは純粋にハーマイオニーの身体と心を心配していたが、士堂は時間旅行の影響が未知数である事を考えている。

 

他にも問題はあった。例えば今回の逆転時計。この道具については祖父としっかり話し合わなくては、士堂も対策のしようがない。もしかしたらゼルレッチ翁が関係しているかもしれないが、士堂には知るすべはない。だが逆転時間呪文を考案した人物や道具の製作者が不明な事から、多かれ少なかれあの変人は関わっているに違いなかった。

祖父母はゼルレッチ翁と旧知の仲、とは言い難い曖昧な関係だと聞いたことがある。士堂もよく知る魔術師ー ()()()人形師と自負しているー の()()()()が何でも件の人と親しい間柄なんだとか。その縁で何回か顔を合わせたことがあるらしいが、詳しい話は教えてもらえなかった。

 

「人間、知性と品性は両立し得ないというか、並外れた知性が導く品性は凡人には理解できん」

 

士柳がふとこぼしたことがあるが、道子が珍しく同意していた事は記憶していた。滅多に人を悪く言わない祖母だが、どうもトラウマのような厄介事に巻き込まれたのか…

士堂は全身を走るこそばゆい感覚に身を捩りつつ、頭の片隅で壮大なスケールの悩みを悶々と考えているのだった。

 

 

笑い声が草原にこだまする。湖で大イカが触手を唸らせては水中を軽やかに水泳しているし、色とりどりの蝶が4人を祝福するかのように飛び去っていった。

すると4人の鼻腔に、甘い匂いが香ってきた。その方向に顔を向けると、ハグリッドが涙を拭きながら此方に歩いて来ている。すっかり湿り気を帯びたハンカチを何度も目頭に押さえつけながら、片手には大きな木製ジョッキが握られていた。

 

「おお、お前さんらなにしちょるこんな所で」

「ゆっくり休んでた。試験終わったし」

「そうか、そうだったな。お前さんらは皆満点だ。言っても構わねぇと思うが、一応皆んなには秘密にしておいてくれや」

 

あの試験で落ちるほうが難しい。そう言葉を言い出しかねなかったが、ハグリッドの為に生唾と共に身体の奥底に飲み込んだ。ハグリッドは子供達の配慮など気づくはずもなく、背中に背負った大樽からジョッキに液体を注いでいる。透明感のある黄色がかったそれからは、爽やかで新鮮な果実の香りが上品に漂っていた。

 

「シードルだ。ダイアゴン横丁のバーにしか売ってねぇ代物なんだが、何せな。バックビークの奴がほら、なぁ?」

 

高級な酒を一気に飲み干すと、彼の髭だらけの頬が更に赤くなった。原材料と同じくらいに赤みがかった頬をハンカチで拭きながら、ハグリッドは満面の笑みを浮かべる。

 

「行けねぇ、ブラックの事もあるのに… でも奴らは馬鹿だった。賢いあの子をしっかり止めとかねぇからなぁ!」

「あーそうね、えぇ、しっかり止めとく方が良かったかも」

 

昨晩、ハリーとハーマイオニーはシリウスと共にバックビークも解放した。魔法省はしっかり鎖で捕縛していたのだが、まさか人間それもホグワーツ現役生徒が逃したとは考えていなかった。今はシリウスと共に何処かの山奥にでも隠れているはずだ。

そんな事は露も知らず、上気分なハグリッドは今にも踊り出しそうだ。何はともあれ彼が嬉しそうな事で、4人は救われたような気分になる。しかしゆったりとした時間は、唐突に終わりを告げた。

 

「でもこんな所におってええんか。もうすぐリーマスが行っちまうのに」

「何の話? ルーピン先生がどうなの?」

「知らなんだか? てっきりお前さんらは知っちょるもんかと…」

 

気まずそうに顔を拭きながら、ハグリッドはシードルを煽る。そして空になったジョッキに注ぎつつ話し始めた。

 

「今朝早く、スネイプ先生が漏らしちまったんだ。スリザリンの連中が集まった席でな。オラァ皆知ってると思うとった。そうでなきゃあの方が教師なんかになさらねえ。

そんでもってリーマスは今朝に退職願いを届け出たんだと」

「そんな…」

 

ハリーはその場で立ち上がると、茫然自失としていた。他の3人も言葉がない。皆何処かでこの結末を覚悟していた様な、そんな気はしていた。しかしダンブルドア校長が引き留めてくれると、根拠もない自信だけはあったのだ。

それだけ彼等にとって、ルーピン先生は適任であったのだろう。

 

「僕先生に会ってくる!」

「でも先生はもう決めてらっしゃるわ」

「そうだよ、行ってもどうにもなんないよ?」

「それでも行かなきゃ!」

 

ハリーが一目散に城に向かって走り出した。慌てて士堂達が後を追いかけると、湖にはハグリッド1人が残された。

 

「いっちまった。まぁ、いいわさ。へへ、へ…」

 

ハグリッドは湖で泳ぐイカや人魚達にジョッキを傾けると、並々注がれたシードルを豪快に飲み干していく。暫くホグワーツの誇る日光浴のスポットでは、野太い笑い声が一日中、いつまでも聞こえていたそうだ。

 

 

ハリーが急な階段を段を飛ばして駆け上り、お目当てのドアを強く押し開いた。室内はこれまでとは少し違う。数々の水槽や檻はそのままに中で小動物が暴れ回ってはいるものの、部屋の奥の教員机には沢山の鞄やトランクケースが置かれており、服や本で溢れかけている。

そしてルーピン先生は窓際の小さな机に肘を置いて、何かを熱心に見つめていた。

 

「君達をずっと見ていた。団欒を楽しむ所からハグリッドに会い、そしてここに来るまで」

 

忍びの地図を畳みながら、ルーピン先生は口角を上げて見せた。彼の表情はおよそ退職する教師とは思えない、清々しいものがあった。

 

「ハグリッドから聞きました」

「そうか」

「どうしてお辞めになるんです? 校長先生は庇ってくれなかったんですか?」

 

悲痛な表情を浮かべるハリーに対し、先生は実に淡々としかし軽やかに答えてくれた

 

「いやいやちゃんと説明してくれた。ファッジに対して、僕の働きなくては事件は解決しなかったと。向こうはどう思ったか分からないし興味はないがね。

でもそれでセブルスー スネイプ先生のマーリン勲章は消え失せた。それに怒った先生が朝ついポロッと漏れてしまったらしい」

「そんな事でお辞めにならなくてもいいでしょう?!」

 

ハリーの叫びに、先生は頷いてはくれなかった。

 

「いや、辞める。明日の今頃は、保護者やらなんやらから苦情の手紙が押し寄せてくる。皆狼人間に教えてもらいたくはないんだ。

それにね。本当のところ僕は教師としては失格だ」

「そんなことありません! 先生は今までで最高の先生です!」

「ハーマイオニー、ありがとう。君に褒めてもらえて光栄だ。でもね。

昨日脱狼薬を飲み忘れて、生徒を危険に晒したのは紛れもない事実だ。そしてその生徒の前で人を殺めようとした」

「でもルーピン先生は思い止まったじゃないか」

「ロン、それは君達がいたからだ。君達を見て、すんでの所で思い止まれた。もしもシリウスと2人だけだったなら、僕は間違いなくペティグリューを殺していたよ」

 

初めて自嘲的な笑みを浮かべたルーピン先生は、忍びの地図をハリーに手渡した。

 

「君に返そう。もう教師でない私からすれば、君達に渡した所で何も躊躇う事はない」

「先生は、あの時こう言いました。この地図の制作者が、君を誘い出すって」

「そうとも。ムーニー・ワームテール・パットフッド・プロングス。ホグワーツ史上屈指の悪戯小僧がね。特にプロングスは、自分の息子がこの城の抜け道を一つも知らずに卒業するなんて、大いに失望しただろう」

 

忍びの地図の表紙に、4人の名前が浮かび上がる。その中の一つにハリーが指を添えると、先生は机に腰を下ろしてハリーをじっと見た。

 

「教えてくれ。昨日の晩何が有ったか。ハリー、君がどうやって守護霊呪文を成功させたのか」

「どうしてそれを?」

「それ以外に吸魂鬼は追い払えない。そう講義で教えたじゃないか」

 

 

ハリーから昨晩の話を聞いた先生は、一瞬顔を伏せたがすぐにハリーを見つめ直す。

 

「そうだ。プロングスー ジェームズは牡鹿に変身した。君の想像通りだ。そうか、それを聞いて安心した」

 

先生は微笑んでそういうと、ハリーの肩を優しく叩いた。

 

「今年から昨晩にかけて、君が学んだ事は計り知れない。そしてその知識で多くの人を救った。

知識だけでは駄目だ、その智を持って行動がともわなくてはならない。私が好きな教えだが、言葉にしなくても君は学びとってくれた。こんなに嬉しい事はないよ」

 

そう言って話を終わらせた先生は、スーツをトランクに仕舞い始めた。まだ引き止める言葉を探すハリーが黙りこむと、部屋には静寂が訪れた。時計の針の音と服の擦れる音、部屋に多数いる小動物の金切り声のみが聞こえるなか、突然口火は切られた。

 

「先生と僕の両親はどういう間柄なのですか」

 

その質問が投げかけられた時、ルーピン先生は動かしていた手を止めた。ハリー達も一斉に視線を1人に向ける。向けられた少年は、その視線を受けながら口を動かした。

 

「教えてもらわなくては困ります」

「…そうだね。君には知る権利がある。だが、いいのかな。これは君の最も親しい人から聞くべき事でもある」

「いえ、今教えてもらいたい」

 

ルーピン先生は士堂の目を、澄んだ瞳で覗き込んだ。士堂は一言も発しないが、先生は小さく頷く。次に他の3人に視線を向け直すと、士堂が何も言わずに頷き返した。ハーマイオニーがこっそり士堂のローブを摘み、ロンがそっと肩に手を置く。ハリーも士堂の横に立つと、その光景を見た先生は何かを堪えるようにまた下を向いてしまった。

 

「…済まない。つい思い出した… 大丈夫だ、問題ない」

 

何かを振り払うように先生は首を振り、士堂達に話始めた。

 

「そもそも何処から話すべきか… 僕たちは勿論のこと例のあの人に対抗していた。だが君たちには実感がないかもしれないが、当時の闇の陣営はとてつもなく巨大な組織だった。

厄介だったのは、敵の中心にいた大半の面々が貴族階級にあった事なんだ。知っての通り反マグル主義は貴族階級に好まれたからね。お陰で例のあの人に反対ではあるものの、配下の貴族の金と権力に恐れをなしてしまい、抵抗しようとする人間は思いの外多くはなかったんだ」

 

ルーピン先生の目は、窓の外に向けられた。その目は眼科に広がるホグワーツの自然ではなく、戦火に燃える過去が写っているかのように遠くを見つめていた。

 

「対抗組織のリーダーは、ダンブルドア校長だった。校長は賛成してくれるメンバーを手当たり次第に集めていったよ。そして少ない中でも集まっていったんだ。私達含めロンやネビルのご両親もね。

そして校長は、魔法使いだけではなく他の陣営も仲間にしようとした」

「魔術師ですね」

「そう。僕たちは縁が無かったが、校長は君の祖父上と以前から親しい友人だったと聞いている。その彼を通して色々と協力を要請したけれど、いい返事は返ってこなかったそうだ」

 

士堂の唇が震え、手には脂汗が滲む。心音がどんどん高まり、先生の声が自分の鼓動で掻き消されてしまうような、そんな錯覚に陥りそうだ。

 

「結局、仲間に加わった魔術師は4人だけだった。彼らは僕たちの仲間というより、支援部隊という立ち位置の校長の直属だったね。

士柳・安倍。道子・安倍。そして士堂のご両親、士厳・安倍。桃・安倍」

 

それはあの時、シリウスが言った人の名前だ。士堂以外の3人にもどんどん実感が出てきた。部屋には緊張感が走り、ルーピン先生もそれまでの余裕のあった表情は何処かに消え失せていた。

 

「君の父上は魔法罠の設置や敵の妨害を担当する、後方支援が主な仕事だった。博識な人でずっと部屋に引きこもって何かを研究していた。そうそう、ジェームズとシリウスがその度がつく真面目さを面白がって悪戯を仕掛けていたな。屁をする羽ペンとか狸に化けるクッションを仕込んだりしていたよ。

君の父上には特殊な精神安定剤を調合してもらっていた。ホグワーツ卒業前後までは満月が近づくにつれ、憂鬱な気分になって自傷したりしたんだ。それを抑える薬を作ってくれたよ、今も飲ませてもらっている…」

 

先生が小さなポーチから、錠剤が入った瓶を取り出した。液剤や薬草が主な薬の形である魔法界において、たしかに錠剤は珍しい。

 

「母上は祖母上と一緒に救援を担ってくれた。怪我をした時の治療とか、隠れ家の衣食住、身の回りの世話をしてくれたんだ。あの頃の楽しみと言ったら2人の作る賄いぐらいしかなかったね。それだけ過酷な戦争だった」

 

遠い目をした先生はそこまでいうと、眉を顰めた。まるで自分を責めるかのような、激しい後悔の色が漂っている。

 

「あの忌々しい日の数ヶ月程前に、僕たちはある予言を入手した。それは例のあの人を倒す可能性を秘めた、1人の子供についてだった。予言の中身から該当するかもしれない子供と親は各地に分散されて、安全を期した。

それでも向こうに情報が漏れている事は考えていた。いや、漏れてなくても子供を片っ端から襲うに違いない。僕たちは此方の戦力を分散して、各個撃退の方針をとった」

「子供を襲う一番の標的は、聖マンゴ魔法疾患傷害病院だ。彼処は知っての通り、イギリスでも随一の魔法病院だ。今でもそうだけど、高度な魔法治療においてあそこに匹敵する病院は世界でも数少ないだろうね。つまり敵味方関係なく、必要な場所だ。だから一応不侵略の了解があったけど、そんなものは信じるに値しないと思っていたから。そこに人員を多く割こうとしていたが、何せ人数が少ない。

そこで本来は前線に出ない士厳と桃も、聖マンゴ魔法疾患傷害病院で前線待機することになった。2人ともそんじょそこらの魔法使いなら、相手にならないぐらいの実力者だったから」

 

先生はそこではっと息を呑む。後悔の色がより一層濃さを増し、声に震えが出始めていた。見れば机にかけてある手も震えを抑えきれていない。

 

「そしてあの日。案の定、それぞれに分散した子供達と親の隠れ家が襲われた。聖マンゴ魔法疾患傷害病院には、1番の大軍が押し寄せたらしい。病院付近は壮絶な戦闘が繰り広げられて、大勢の死者が出た。

ー士堂、君のご両親もその中にいたんだ」

「私はその時イングランド北部に用事があった。向こうで知らせを聞いた時の感情は、生涯忘れる事はない。自分の親友の3人がこの世から消えて、仲間が大勢命を落とした。

あの日君のご両親を病院に残したのは間違いだった。その用件も本来は他の人間が行ってもよかったんだ。でもご両親が大丈夫といったから、その言葉に甘えてしまった。

考えたら分かったのに、前線に殆ど出ていない2人をそのままにしておいてはいけなかった…」

 

ルーピン先生はそこで言葉を区切った。その後も話は続くようだが、次の言葉を探しているかのようだ。あの冷静沈着だった先生が言葉に窮する光景を、4人は初めて見た。そのあまりの衝撃に声も出ない子供達だが、先生は視界に入らないのかそのまま独白の形で続けた。

 

「……1人は殺され、1人は裏切り、1人は裏切りを止めるために殺された。2人は子供を守るために身を挺した…

耐えきれなかった。その後暫くは記憶が途切れ途切れでね。正直な話、話す事はもうない。だって話せるほど覚えていないから」

 

先生は皺が目立つハンカチで目を拭うと、ハリーと士堂の頬に手を置いた。そして2人を再度覗き込んでくる。

 

「君たちは本当にご両親そっくりだよ。君達と会えてよかったー」

 

先生はローブの懐から杖と共に、小さな布切れのようなものを取り出した。土汚れやほつれてきた糸の残骸が見窄らしさと年月を感じさせるが、それはハリー達がクリスマスの時に贈られた、安倍家のお守りと同じものだった。

 

「君の母上から貰ったものだ。これは手放せなくてね。ずっと肩身離さず、大切にしているよ」

 

先生は手にしたお守りを仕舞い込むと、杖を一振りした。開けっ放しだったトランクが一斉に閉じ始め、部屋に置いてあった荷物は綺麗に箱に収まりきった。そして大きなトランクを一つ手に持つと、ルーピン先生は机から腰を下ろす。

 

「行かなくてはね、長居は無用だ。君達とはまた会える。その時まで君達の成長と幸運を陰ながら応援させてもらおうかな」

 

ドアに向かって歩き始めたルーピン先生を出迎えるように、ドアからダンブルドア校長が部屋に入ってきた。校長は4人を見ても驚く事なく、部屋を後にしようとするルーピン先生を出迎える。

 

「リーマス、外に馬車が来ておる」

「ありがとうございます。ではハリー、士堂、ロン、ハーマイオニー。お元気で。校長、お見送りは結構ですから…」

 

ダンブルドア校長と握手を交わしてからルーピン先生は足早に、まるでここには長く居たくないとばかりに部屋を去っていった。ダンブルドア校長の顔は暗く、いつもは悠然と構える彼らしくもない。何かを考え込むかのように目を閉じて、部屋の入り口付近で微動だりしなかった。

士堂はその時、身体の震えが止まらない事に気がついた。ゆっくりと右手で左腕を掴むと、堪えるように力を入れる。彼は気がついてはいないが、唇には血の気は無く顔は地中海の壁の漆喰かのような白さだ。ハリー達は心配そうに彼を覗き込んできて漸く、口角を無理やり上げて大丈夫と合図を送る。

 

「話は終わったようじゃな」

「…ええ、そうですね。全部終わりました」

「あの、ダンブルドア校長は、士堂達の話を聞いたらしたんですか?」

 

ロンが生唾を飲み込みながら、恐る恐る聞いて見た。すると校長は初めて破顔して、被りを振る。

 

「まさか。そんな無粋な真似はせぬよ。ただ朝の時点で相応に身支度を整えていたリーマスがまだここに残っておって、お前さん達がいる。後は老人の長年の勘というやつじゃ」

 

その時、ハリーが我慢できないかのようにダンブルドア校長に歩み寄る。校長は驚く事なく、少年に視線を向けた。

 

「ダンブルドア先生。ペティグリューはどうなるのですか?」

「無論指名手配をかける。今魔法省が総出で捜索しておるところじゃ」

「僕、何も出来ませんでした。ペティグリューは逃げ出したし、ルーピン先生は学校を去るし」

 

校長はハリーの心の奥底から出てきた言葉を、吟味するかのように聞いていた。

 

「…ハリー。君は素晴らしい事をした。真実を明らかにし、長年言われなき罪を強いられた男を救ったではないか」

「でも…」

「それで充分なのじゃ。ハリー、君はまだ13にしかならない学生じゃよ。何もかも思い通りに事が進むなんて、都合が良すぎる」

 

ハリーは納得できていないようだ。不服そうに若干頬を膨らませるハリーに、校長は何も言わない。

 

「…僕には分かりません。だって僕と士堂の両親を裏切った奴です」

「だとしてもじゃ。()()()()()()、免れられなかった運命から、人を切り離したのじゃ。これは大変な仕事じゃよ。わしらはこれで満足せねばなるまい」

 

その言葉を聞いた士堂も、深く息を吐き出した。鼻と口から大きく空気を吐き出して、頭のモヤモヤを無理矢理跳ね除けた。目を強く閉じてから、カッと見開く。そして隣で心配そうな面持ちのロンとハーマイオニーに、今度はにっこりと笑ってみせた。それが無理やりであるのは百も承知だが、それでもロンとハーマイオニーは笑顔を返した。

そんな友人達を尻目に、ハリーの目は忙しなく動いていた。校長が言った何気ない一言が、彼の脳裏に仕舞い込まれていた記憶を呼び覚ましたのだ。

 

「そうだ、ダンブルドア校長。お話があります!」

「何じゃ?」

「占い学の試験の時だったんです。トレローニ先生と試験をしていたら、先生急に変になって」

「ほう? 詳しく聞こうかの」

 

ダンブルドア校長は微笑を浮かべつつ、眼鏡をかけ直してハリーと向き合う。その目と眼鏡の縁が、キラリと窓からの光を反射した。

 

「声が太くなったんです。それに白目を向いて天井を見つめ始めて… 苦しそうでした。手をこうなんていうか…」

「もがいておったのじゃな。溺れているように、手を高く上に向けて掲げておったか?」

「はい、まさにそうです。それで言ったんです。

今夜、真夜中になる前、その召使いは自由の身となり、ご主人様のもとに馳せ参ずるであろう……闇の帝王は、召使いの手を借り、再び立ち上がるであろう」

ハリーの話を聞いた校長は、何やら意味深な反応をみせた。何回も頷いては移動する事なく、その場でぐるぐると歩き回っている。そして士堂もハリーを引き寄せると、その肩を激しく揺すった。

 

「お、おいまじか? どうしてそれを言わないんだ?」

「だって急だったし、さっきまで忘れていたんだ。あの先生本当に頭がイカれたんだって思ったから」

 

だが校長と士堂の2人はそう考えてはいない。その場で回り続ける校長先生に、士堂がハリーに変わって問いかけをした。

 

「ダンブルドア校長、トレローニ先生の近親の出身はギリシャですか?」

「そうじゃな。出身までは知らぬが少なくとも、母上までの代がその国にいたのは確かじゃった」

「ギリシャの、何処です?」

「デルポイじゃよ」

 

士堂はその名前を聞いた途端、空いた口が塞がらなかった。ハリーとロンは士堂が何に驚いているのかも、ダンブルドア校長が何を考えているのかも検討がつかない。ハーマイオニーは1人眉間に人差し指を当てて、考え事に耽り始めていた。

 

「校長先生、あのどういう事です?」

「うん? まぁそうじゃな。さてさてトレローニ先生の給与を上げねばならん。これで2つめじゃからな」

「本当の予言って事ですか?もしかしたらですけど、もしかしたらペティグリューがその召使いって事ですか?」

「ハリー、君何を言ってるんだ?!」

「でもそうなんでしょう?! そしたら僕のせいでヴォルデモートが復活しちゃう! 先生どうしたらいいんですか?!」

 

ハリーがたどり着いた答えを、ダンブルドア校長は否定しなかった。ロンが口を押さえて悲鳴を上げる中、校長は子供達に優しく諭す。

 

「焦らなくても、怖がらなくてもよい。わしはハリーや士堂がペティグリューを救った事が、今後何かの縁を生むと考えとる」

「そんな事あり得ません! あんな奴は、ヴォルデモートの手下になるに決まっている!」

「ハリー、君は逆転時計で何をなし得た? そこから学ぶべきは、未来は誰にも分からないという事じゃ。そうじゃろ?今はあの時から見たら未来じゃ。もしやすると、君が時を遡る事もペティグリューを逃す事も、必然であったかもしれん」

「そんな…」

「いやいや、ハリー。それに皆もよく聞くのじゃ。未来とは選択の積み重ねじゃ。ペティグリューはハリーや士堂に半ば見逃してもらうという選択を、自ら選んだ。

ここが肝じゃ。ヴォルデモートがそんな男を信じ切るとは思えん。いつの日か、ペティグリューを救ってよかったと思える日が来ると、わしは信じとるよ」

 

憮然とするハリーと士堂やショックで声も出ないロン、まだ何かを思い出そうとするハーマイオニーを微笑ましげに眺めながら、ダンブルドア校長の意識は別の事にあった。

 

(はてさて、そうはいったものの状況はよろしくないのぉ。これは()()にも一度会わねばなるまい)

 

何事か言い合いを始める少年たちの声が、部屋にこだまする。ルーピン先生が置いていった水魔などの小動物は、思い思いに狭い空間で暴れ回っていた。

 

(長年止まっておった歯車が回り始めたかもしらん。残念ながら、雲行きは悪い方向に転がり始めおった…)

 

ホグワーツを包み込む天気は人間の思いなど無視するかのように、燦然と太陽の恵みを降り注いでいた。健康的な色合いの草が風に揺られて、豊潤という言葉を体感させてくる。

 

(どうか見守っておくれ。君達の子供は、逞しく成長しておる…)

 

アルバス・ダンブルドア校長は澄み渡る青空を窓越しに覗きながら、ここには居ない誰かに向けてそう呟いた。




次で一応3章は終了となります。


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2つの再会

学期末の試験結果は、4人とも概ね良好だった。少なくとも落第といった科目はなかったからだ。その点で言えば魔法薬学が合格した事にハリーは驚いていた。

今回の事件は、スネイプ先生の中の憎しみをより一層強く根深いものに変えたらしい。試験以後の数回の講義中、彼はハリーに向かって無言で何か呟きながら曲がりくねった指を何度も折り曲げていた。まるで今すぐにでも首を絞め上げて真横にへし折りたいと言わんばかりだ。ハリーはスネイプ先生から呪いがかけられていないか不安で、クリスマスに贈られた安倍のお守りを講義中ずっと握りしめなくては、落ち着かなかった。

 

学校中でブラック事件が大騒ぎになったのは言うまでもない。皆思い思いに考えを大声で騒ぎ立てるが、真実に近づけたものはいなかったはずだ。あの日の出来事はハリー達4人以外、当事者はいないのだから。

だがグリフィンドール寮には重い空気が漂っている。全員が慕うルーピン先生の退職が原因だった。先生の正体でとやかく言う人はいないものの、初めてまともな講義を受けられた喜びがこんなにも早く消え去るとは、夢にも思わなかったのだろう。少なくとも先生のいない闇の魔術に対する防衛術の講義は、あの楽しかった雰囲気が嘘のように湿っていた。

他にはマルフォイがハグリッドがシリウスやらバックビークやらを逃したと信じて怒り狂い、パーシーが恋人のペネロピーに魔法省への提言とやらを熱弁しているぐらいだった。

 

しかしながら終わりはごく平凡に迎えられた。久しぶりのクディッチ優勝も相まって今度は正々堂々とグリフィンドールが優勝できたからだ。これで3年連続の栄冠だ。恒例といってもいいぐらいには馴染んできたどんちゃん騒ぎを、ハリーや士堂達は存分に楽しみ尽くした。

 

そんな日々は矢の如く過ぎ去り、帰省の時期を迎える。日に日に憂鬱な面持ちになるハリーを慰めがら、帰りのホグワーツ特急に乗り込んだ。ホグワーツ特急には既に吸魂鬼が居ないにも関わらず、大量のチョコレート菓子が積まれていた。皆次々にチョコレート菓子を購入していくところを見ると、よっぽどトラウマになったらしい。ルーピン先生の試験で大量の吸魂鬼が見られたというのも無理はなかった。

しかし士堂達は嫌と言うほど食べたから、丁寧にチョコレート菓子を除外してランチに勤しみながら会話を楽しんでいた。

 

「信じられるか? あのデルポイだぞ。紀元前まで遡る歴史が、今やあれか?」

「しょうがないわ。私達が期待しすぎているだけかも。偶々同じ場所に住んでいただけかも知れないし」

「そうだと願おう。あまりに馬鹿げている」

「うーん、うーん… あれ、違うか… うーんダメだ。やっぱり聞いたことないや。パパやママは知っているのかなぁ。そのデタパイって言う…えっと…」

「デルポイの巫女。ちょっとぐらい単語を覚えなさいな、お願いよ」

「ねぇ、士堂。それって学校で習うことかな、僕神話とか何も知らないから」

「うーん、ギリシャ神話で有名な巫女だからな。幼児向けの絵本とかには載ってないだろうし、知るとしたら神話の読み聞かせとかかな。後は高学年になったら図書館で読むことはあるだろうけど… 僕の知るハリーの従兄弟がギリシャ神話を読み聞かされているとは、到底思えない」

 

トレローニ先生が以前住んでいた土地ー デルポイは古代ギリシャにてアポロン神の神託が執り行われた聖域である。デルポイの巫女による神託は国策の決定にまで影響を及ぼした、特別なものだ。ギリシャ神話にも言及されるこの神託だが、祈祷の際焚かれた薬草に大麻が含まれていたとされ、巫女達は陶酔状態で神託を受けていたと言う説がある。

トレローニ先生が見せた本物の予言は、この陶酔状態が何らかの引き金で偶発的に脳内で再現され、行われるのだろう。ダンブルドア校長は2回と言っていたが、最初の1回を見た時に本物だと確信できたのは、稀代の天才魔法使いの頭に、予言に関する知識が備わっていたからなのか。魔術師の世界でもそうした突然の憑依と考えられる状態で予言を行う巫女はいることはいる。だが聖堂教会が発表する数多の報告書の中に、そうした報告例は少ない。曰く聖堂教会は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、らしい。

 

士堂はハリーの説明を聞いて、ハーマイオニーはデルポイという単語からトレローニ先生の出自を導き出して驚いた訳だが、ハリーとロンは説明を受ける今の今まで要点を掴めていなかった。幼少期から特殊な生活を送ってきた士堂はともかく、ハーマイオニーの豊富な知識に裏付けされた勘の良さには少々恐れをなし始めている2人だ。

それでも4人のトレローニ先生に対する印象は変わりなかった。数千年の歴史も今や…と言った具合だ。知識の継承の難しさの実例として、士堂達の教訓として今後も関わるかもしれない。

ハグリッドが帰りの飲み水として渡してくれたノンアルコールシードルを喉に流し込むと、ハーマイオニーがふっと息をついた。何か大事な話があるようだ。

 

「私マグル学を来年は辞めにするわ。逆転時計は私には荷が重すぎたのね」

「それがいいさ。あんな代物平気で使う方がおかしい」

「大体僕たちに教えてくれたっていいじゃないか。士堂がいうには僕たちに言ったところで大した影響はなかったかもしれないんだろう?」

「私はマクゴナガル先生と約束したの。誰にも言わないんだから、いうはずないでしょ」

「ケチくさいな。そんなんだと話電はハリーと士堂のところにしかしてやらないぞ」

「電話よ。マグル学が必要なのはあなたの方よ。そう思わない?士堂」

「うん? まぁそうだな」

「聞いてたその返事? ちょっと私も食べたかったのよ、クランベリーケーキ。どうして全部食べちゃうのよ」

「さっき食べてたじゃないか」

「何よ、文句ある?」

「「ありません」」

 

シャキシャキのレタスとトマト、脂の乗り切ったベーコンが挟んであるBLTサンドイッチ―あと数時間で食べられなくなる手の込んだ料理だ―を頬張りながら、駄弁を貪っている友人をぼんやり見ていたハリーはコツコツと聞こえてくる音に気がつく。最初は気の所為かと思ったが、何回も続くものだから何気なく注意を向けてみた。

見れば窓の外で小さなフクロウが、懸命に列車に食らい付いていた。ホグワーツ特急の鋼鉄の身体が生み出す気流に飲み込まれながらも、ハリー達のコパートメントの窓をひっついている。慌ててハリーが窓を開けて腕を伸ばすと、その手に綿菓子のような感触が伝わってきた。

 

窓から腕を引っこ抜くと、小さいフクロウは一通の手紙をハリーの手元に落とした。4人は心当たりのないフクロウ便に顔を見合わせるが、答えは勿論出てこない。手紙には差出人の名前が入っていたが、ハリーは事件のこともあって本物かどうか判断しかねていた。士堂が宛名を確認し、封筒の裏表に目を通すと、ハリーに手渡してきた。

 

「開けても問題ないと思う。大丈夫だろうけど、用心は大事だから」

 

士堂が懐に手を差し入れながらハリーを促すと、ハリーはゆっくりと便を切った。コパートメントの中ではハリーに手紙を届けることができた事が嬉しいのか、フクロウがけたたましい鳴き声ではしゃぎ回っている。

 

 

手紙はシリウス・ブラックからだった。今回の経緯の説明と現状報告がハリー宛に綴られている。

 

「怖いもんだね。10数年分の復讐心があれほどまでに、人間に活力を与えるとは」

 

シリウスはペティグリューの存在を知ってから、ずっと静かに復讐の時を待っていた。そして彼を殺そうと決めた確固たる決意は、彼の肉体に宿る最期の燃料を激らせたようだ。士堂相手に不釣り合いなほど呪文を連発できたのも、全てペティグリュー殺害の執念が成し遂げたものだったのだ。それがハリーと運良く和解できた途端、安心したのか一気に活力が消え失せたらしい。吸魂鬼に囲まれた時は、最早照明呪文すら唱えられないほど魔力が枯渇していたと、手紙には記されている。

 

「あなたも危なかったわね。そんな人と対決したなんて」

「まぁいい経験だと思うさ」

「君の事も書いてあるよ」

 

ハーマイオニーがブルっと身体を震わせていると、ハリーが手紙を士堂に渡してきた。不安定な、土や凸凹の石の上で書いたかのように読みにくい文字が書き綴られた手紙は洞窟のような場所で手紙が綴られた事を示唆しており、シリウスが相当人の目を気にしている事の証拠だろう。士堂は所々歪んでいる文体に目を通し、お目当ての箇所を見つける。

 

[……これを恐らく士堂も読む事だろう。そうでなかったらハリー、是非彼に渡して欲しい。

さて士堂、君には謝らなくてはいけないな。あの時は状況が状況だった事を理解して欲しいのだ。私はリーマスのように教師ではないから、説明など考えてもいなかった。許してくれ。

思い返せば君の家族、特にご両親には、何度助けられたか。私達は同世代という事もあってあの短く狭い時の中でも、良い関係を築いていた。平和になったら普通に交流できると信じていたが、それももう夢の話だ。それでもハリーや士堂の顔を見た時、真っ先に君たちの親の顔が思い浮かんだよ。

君には何もしてやらないが、遠くから見守っているとだけ伝えよう]

ハリーが手紙が入っていた封筒から、何かを見つけ出した。それを目にしたハリーは、無言で士堂に渡してくる。渡された一枚の小さな紙を、ロンとハーマイオニーと一緒に覗き込む。

 

[君は知らなかったと思うが、私はフギンとも親しくさせて貰った。彼は優秀だ、見知らぬ私の話を聞いてから判断を下してくれたよ。ペティグリューの捜索も時間を見つけてやってくれたというが、成果は無しだ。そんな優秀な鴉に頼んで、主のいないブラック家の隠し場所から探し出して貰った。これは私があの思い出したくないような暗い日々の中で、皆に黙って取った隠し撮りの中の一枚だ。つまり平和になった時に話の種になると思って撮ったんだが、今は私の持つ2人との数少ない繋がりとなった。

これは士堂、君に託そう。きっと君に預けるべきだろうし、ご両親もそう願うはずだから]

 

紙切れは魔法界のカメラで撮られた写真だった。何やら和やかに話し合う2人の男女ー 士堂は見たことがなかったー が写っている。男の方はかなり痩せ型で線が細く、小柄なように見える。細縁の眼鏡をかけた姿は、言われなくては何処かの学者か文芸者と答えるに違いない。女性の方はというと、小柄な男性より幾分か体つきはいいものの、やはり小柄な部類に入るだろう。髪をお団子状に頭頂部で纏めているのが分かる。その笑顔は正しく天真爛漫を絵に描いたような、明るいの一言そのものだ。

2人の目尻や顎を注意してみると、士堂との共通点が多く見受けられる。特に若干切長な眼は男性に、その奥に眠るつぶらな瞳は女性に瓜二つだ。

 

「ー父さん、母さんー」

 

士堂がぽつりと呟くと、2人はこちらを向いて笑っていた。女性が手をヒラヒラと動かし、男性はちらりと視線を向けるだけだ。それだけでも、士堂にとってこれが初めての両親との邂逅だった。彼の頭上の棚に置かれた籠では、フギンが頭を鉤爪で掻きむしりながら、小さく声を上げていた。

 

 

コパートメントには、しまった空気が包み込まれていた。皆目頭にうっすら涙を浮かべており、言葉を発するものは1人もいない。列車の車輪音が殊更大きく聞こえる中、その中心にいた士堂が被りを振る。

 

「…大丈夫、大丈夫。もう大丈夫だから、な?」

「…そうだね。せっかくの帰りだし」

「そうだな、明るく楽しくしなきゃ勿体無い!こうパーとなるものやろう! 双子の奴らから貰った爆発スナップはまだ残っているかな?」

 

その後は一気に空気が変わった。爆発スナップは文字通り湿った空気を吹き飛ばし、コパートメントには嘘のように笑い声が響き渡る。ロンの髪が爆発で霞んだ色になってしまい、口から煙を吐くロンを指差して爆笑していた時だ。

 

「ちぇ、何だいまったく僕ばっかり… そうだ、ハリーも士堂も次のワールドカップ見にくるだろう?」

「ワールドカップ? 君達()()()()なんか見たか?」

「んん? (カサ)が何だって?? 僕が言っているのはクディッチのワールドカップだよ! 世界中からクディッチのプロチームが集まるクディッチ最大の祭典だ!!

パパが魔法省のつてで毎回チケットを貰ってくるんだ。今回は余分にお願いしておくから、君達もおいでよ!」

 

煤だらけの顔が興奮で赤くなり、まるで焼き林檎のようだ。そんなロンの提案に無論士堂とハーマイオニーは反対するはずもなかったが、問題はハリーだ。その事が嫌でも分かっているハリーだが、今回は少しばかり雲行きが違っていた。

 

「説得してみる。おじさん達は僕が家から出てくれるなら、何だって喜ぶだろうし。見に行けると思う」

「よーし、じゃぁパパとフレッド達と相談するよ。君のお出迎えの方法、考えておくね!」

「それじゃあ、またハリーが迷惑しちゃうわ。もっとマシな人に相談なさいな」

 

呆れたように言うハーマイオニーに、ロンが心外だと反論する。やいややいやと討論を始めた2人を、ハリーと士堂は参戦する事なく傍観していた。

ふと2人の視線が交わる。彼らは言葉を発さずに、アイコンタクトだけでお互いの心情を読み、伝え合った。その時交わされた意思をここで書くのは無粋だろう。2人の少年は思いを口にする事なく、愉快な友人達の喧騒に参加するだけだった。

 

 

闇夜など関係ない、とても暗い森だった。高く細長い木が生い茂っており、木の皮はささくれだっているようにざらついている。葉の形が細長い事から、針葉樹林だろうか。だがこの森は、動物の鳴き声はおろか虫の囀りすら聞こえてこない。不気味なまでの、完璧たる静寂の2文字が王のように君臨している。

そんな森の地面を、枯れた草木を掻き分けなかがら何かが這いずり回っていた。断続的に聞こえてくる擦れた音は、焦っているかのように不規則かつ乱れている。時折見える茶色い影は実にすばしっこく動いていた。

 

やがて森の中心部に近い場所で、1つの陰が引き返すように反転した。来た時よりも早い動きで消え失せる陰を、茶色い陰は追おうともしなかった。茶色い陰は暫くその場に留まり、時は平然と過ぎ去っていく。

数時間はたっただろうか、茶色い陰は草木が生えていない場所にのそりと動いてきた。よく見ればそれは鼠である。茶色い毛の鼠が、辺りを見渡すようにつぶらな瞳をキョロキョロと動かしていた。

草木が生えていないと言ったが、正確に言えば朽ち果てていた。不気味な森であるものの、草木が生え鼠がいる事から死んでいない事は確かである。しかしその場所は全く生気が感じられず、草の根一つ地面には根ざしていない。

 

鼠はその死んだ土地の奥に、切り立った場所を見つけた。小さな丘のような場所だったのだろが、今はただ切り立った地面が剥き出しになっている。その真下に暗闇が広がっている。鼠は実に慎重になりながら、まるで虎穴に入らんとするかのように、一歩一歩踏みしめるように穴へと進んでいった。

穴は深くはなく、2、3メートルあるかないか程度だ。鼠はその奥にお目当てがあるようだが、また歩みを止めてしまう。

 

 

その時だった。穴の奥からどす黒いオーラのようなものが噴き出してきた。それは黒い瘴気となって鼠を襲う。鼠は小柄な身体を地面に打ち付けながら、穴の外へと弾き飛ばされた。力のない声が細い口から漏れると、鼠の身体が不自然に震え始める。すると時間が巻き戻るかのように鼠の身体が変化していき、1人の小さな男がそこにいた。

 

「ひぃ、ひぃ?! ヒィイィィ?!?!」

「……何ものだ……」

 

男が情けない声をあげながらのたうち回っていると、穴の奥から声が聞こえてくる。しかし人間のそれではなく、シューシューという音が声の後に続けて聞こえており、高く冷たい声だ。人外の問いかけに答える事なくのたうち回る男ー ピーター・ペティグリューは奥から漏れ出てきた瘴気に、また悶絶した。

 

「うわぁぁぁ?! ううう…」

「……その声は……聞いた声だ……俺様は知っている……そうか、ピーター・ペティグリューか……」

ゴロゴロと地面を転がりながら起き上がらないペティグリューに、穴の奥の人外は興味を持ったようだ。シューシューという音が幾分か音階が高くなった事から、気分は良いらしい。

 

「……顔を見せろ……」

「あううう、ひうううう…」

「……ペティグリュー……」

「ううう、はぁ、ふううう…」

「…ペティグリュー…」

 

続け様に襲ってきた瘴気は、ペティグリューの身体を地面から空中に跳ね飛ばした。強く打ち付けられたペティグリューは、泣きながら這いつくばって穴へと進む。その顔にはありありと恐怖が浮かんでおり、まるで喉の渇きに苦しむ人が水を求めるように、生命の危機を感じているようだ。

穴の奥、声が聞こえてくる方向に深々と頭を下げたペティグリューに人外はクックっと音を鳴らした。それが笑いなのかどうなのかペティグリューには判断しかねたが、そうである事を心から祈るしかない。

 

「…久しいな、我が僕よ…」

「…ご主人様、ええその通りです。わ私、ごご主人様の元にに馳せ参じました事と、ここに報告致します…」

 

元々小さな身体を更に縮ませながら、ペティグリューはその場で頭を地面に擦り付ける。額に砂地で細かい傷がついても、今の彼にはどうだってよかった。

 

「…どうやってここを見つけた…」

「ね、ね、ね、」

「…何だ…」

恐怖から言葉が上手く出てこないペティグリューは、哀れにも瘴気をまた身体に浴びる羽目になった。瘴気をいく度も喰らったせいで、身体の自由が効かなくなってきたような、それほどまでに節々が痛み震えが止まらない。

 

「…ペティグリュー…」

「ね、鼠でございます…! 鼠達が言っていた場所に必ずやご主人様が居られると、そう信じておりました…!」

「…ほう…」

人外の声色から負の感情が若干薄れたようだ。シューシューという低い音が笑っているかのように続けて鳴り響き、それだけでペティグリューの頭は地面にめり込んでいく。やがて暗い穴から陰が一筋伸びると、奥から人外が姿を見せてきた。

 

 

それは蛇だった。黒々とした大きな蛇、長さは優にメートル級だろう。しかし健康的な鱗がヌメヌメと光を発しているのかと思えば、尻尾の方は逆に干からびたような皮が見受けられる。前方の身体が自由自在にくねらせているのに、尾の方は身体の意思を拒むかのように、引き摺るような格好で地面を弱々しく這っていた。

つまり下半身が死んでいるような蛇であるが、上半身から放たれるオーラはただの蛇ではない。まさに人外というべき瘴気が溢れかえり、辺りから正気を消し去っていくが、当人には自覚がないようだ。本人の意思関係なく正気を奪うのだとすれば、本人が備え持つ能力なのかー

 

しかしペティグリューは出てきた蛇を一向に視界に入れることなく、ガタガタと震えながら頭を地面に打ち付けるばかりだ。口元が小さく動いており、許しの言葉のようなものを必死に呟いている様は、借金から逃れようとする債務者のようである。

 

「…そいつらは何と言った…」

「あ、アルバニアの森に、おそ…不思議な場所があると。ご主人様お許しください、ああ何もありませんー ぇーぁーそこでは…」

「…言うがいいペティグリュー。寛大なる王の慈悲をお前に与えようぞ…」

口端から泡が吹き出ているペティグリューは、躊躇いを見せていた。何を言うのを恐れているのか側からは分からないが、視線は慌ただしく動いており定まりを知らない。人外の蛇はその黄色い瞳を細めながら、観察するようにペティグリューを見ていた。

蛇の促しを受けて、ペティグリューは指をアワアワと震わせる。無造作に伸びた爪がカチカチと震え、ちょっとしたオモチャのようだ。

 

「鼠達はそのー ああお許しくださいー 誰も立ち寄らない死があるとー

私は悪うございません! ーどうか寛大なる心をー

ええはい、その何と申せば… 邪悪なる影が全ての命を奪うと…」

「…つまり命を吸い尽くすのが…俺様だと…お前はそう言っているのか…」

突然、蛇の口から赤い舌が伸びた。鮮血の紅ともいうべき、赤々とした舌の先端が乱雑に踊り狂う。上下に備わる牙からは涎が分泌され、捕食の前段階といった具合だ。

それをチラリと視界に入れただけで、ペティグリューの意識は半分以上消え失せた。口端から漏れていた泡の量が尋常ではなくなり、目玉は反り返って充血した白眼がグロテスクに露わになっている。

 

「…お許しください、お許しください、お許しください…」

「…だが今は力も肉体もない…お前のような無力なウスノロでさえ、今の俺様には…」

 

人外は最後まで言い切らずに、首をペティグリューの近くまで伸ばした。耳元で聞こえる蛇の金切り声に、小男は大袈裟に恐れ慄く。

 

「ペティグリューは、私めはあなた様を裏切りはしません! どうか、この肉体でも何でも、ご自由にお使いくださいませ!」

「…それが愚かな答えだと気付かぬようだなペティグリュー… 今の衰えきった俺様の魔力に耐えられないお前の肉体に、俺様の崇高で高貴な魂を宿すだと…

吹けば飛ぶような存在の癖に、思い上がり甚だしい…!」

 

ペティグリューの提案を一顧に介さず、人外は更に声を上げた。あまりの恐怖から顔を上げられないペティグリューは、地面に嫌と言うほど頭を擦り付けているのに変わりはない。人外は細い滑らかな肉体を利用して、ペティグリューの顔と地面の僅かな隙間に器用に潜り込んだ。

ひんやりとした感覚に肝を冷やすペティグリューがほんの僅か、目を開けた途端黄色い瞳が彼をしっかり覗き込んでいた。そのあまりの恐ろしさから半分以上気絶している彼の股からは、生暖かい水が滴り落ちている。

 

小男の醜態を人外は実に愉しく、愉快げに細い目を更に細めながら眺めていた。決して強いとは言えない小男が戦慄する様を見て心を弾ませているのだから、およそ正気とは言えない。

ペティグリューは目の前の人外の口が殊更大きく開き、中に潜む4本の鋭利な器官が露わになったのを見せつけられると、意識を強引に戻さざるを得ない。

 

「お待ちください、お待ちくださいませご主人様!! ペティグリューは、ペティグリューめは手ぶらで参上したのではございません!!」

「…ほう。申してみろ、ペティグリュー…」

「は、はいご主人様… ありがたきお言葉、ご配慮に感謝します…

ああ、はい申し上げます…私めはこの森の外れで身体を休めようと…

いえ違います… いえ違いませぬ、私めは腹が減っていました…おゆしぐださいー もう嘘は申しませんー いえ今までの話は本当ですとも、嘘などついておりませぬー

と、とにかく近くにあった宿に顔を見せた訳なのです…」

 

ペティグリューがその貢物について話すと、人外は最初は一笑した。なんとか信じてもらおうとペティグリューは、ボロボロのコートを弄り紙切れを取り出す。それはボロボロのコートに身を包み泥だらけのズボンを履いて髪を伸ばしっぱなしのペティグリューに似つかわしくない、実に上質な高級紙であった。文字が数行書かれているが、使われているインクも田舎町では用意できない上等な代物だ。人外はそれを一目で見抜いたようで、つまりはそれだけの見識を持ち合わせていることになる。

ここで初めて人外はペティグリューが用意した貢物なるものに、興味を示した。保険というよりも無いよりはマシ程度、つまりダメ元だった貢物が有益だと分かったペティグリューは、喜び勇んで来た道を矢のような速さで引き返していた。

彼の体が瞬く間に闇夜に消えると、人外は死んだ土地で1人その場を彷徨いながら想いを馳せていたー

 

(俺様の運は尽きたと諦めかけたが、これはもしやするかもしれん)

 

言うことの聞かない下半身を身体を揺すって引きずりながら、人外はその場をぐるぐると回っていた。

 

(3年だ。3年間、俺様はあの小僧に受けた屈辱を思い出し続けなくてはならなかった)

 

人外の細く黄色の瞳に、怒りと憎しみの炎がはっきりと燃え上がっている。その炎が全身を包むかのようにその細い肉体から漏れ出す邪悪な魔力が、尋常ざる瘴気となって空間に満ちて行った。

 

(俺様の記憶が正しければ、今年はあれがある筈だ。貢物はそれについて知っているだろう。もしそうなら、あいつは間違いなく隙を作る。

いや造らざるをえない)

 

人外の視界に、ペティグリューが見えた。小さく薄汚れた身体を揺らしながら、何かを引き摺っている。貢物である筈なのに丁重に扱うなど考えもしていないその行動は、ペティグリューの余裕のなさからだった。

 

(運命は転がり始めた。俺様は運命に運ばれるがままに、欲望を捨ててやる。肉体蘇生の方法も考え直してやろう)

 

ペティグリューは貢物を人外の真正面に放り出すと、地面にまた額を擦り付けて主人の回答を待っている。貢物は人間だった。ボロ切れを口に咬まされた女性で、まだ麗しき若い女性である。手足を紐で縛られた彼女は、完全に意識がないらしくモノのように扱われても反応すらしない。身につけた服は毛皮で出来たコートと、その下に下ろしたてのスーツを着ている。どれも泥や傷が目立つものの、素の素材はかなり質が高く値段も張るのは間違いない。何しろこれだけ乱雑に扱われても尚、コートについている動物の毛でできたは柔らかな感触を損なっていないのだから。

貢物を確認した人外は、彼女がペティグリューが先程渡してきた紙切れに書いてある通りの女性だと確信していた。となれば頭の中で組み立てた計画は形にできない妄想ではなく、実現可能な未来へと変化した事を意味している。それは人外にとって、またとない好機であった。

 

(待っていろ、アルバス・ダンブルドア。お前の前に必ず姿を表してやろう)

 

人外はその貢物を見下しながら、死の土地で叫んだ。

 

「ハリー・ポッター!!! 俺様が直々にお前の命を奪ってやる!!!

ふ、ふはは! ふはははははは!!!ふはははははは!!!」

闇夜は光を奪い、死の土地から明かりという名の希望が静かに立ち去って行ったー




これで3章は完結となり、次回は4章となります。原作の文章量が増えることからここら辺で完結までが苦しくなるようなので、頑張っていきたいです。


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炎のゴブレット編
世界


リトル・ハングルトンはロンドンから300キロ離れた場所にある田舎町である。とりたてて特徴のない、強いて言えば老人が人口の大半を占めつつあるだけの、それだけの村であった。そして村を見下ろす丘に聳え立つ館は、村を何十年も前から見守ってきた。

館は屋根瓦が剥がれ落ち蔦にまみれた壁はそのままに、ボロ木で塞がれた窓に隙間風が吹き込んでいる。手入れなどされた痕跡すら残っていないボロ屋敷であるが、村どころか近隣にすら無い大きさの館だ。所有主は大金持ちで、村の人は税金対策のために壊さないと言っているが、その意味を理解できる人間は1人もいない。

 

だがこの館は今尚、50年も前の持ち主の名前をとって『リドルの館』と呼ばれていた。50年前、この館で住人3人が死亡する事件が発生したのだ。単なる殺人であろうが自然死だろうが暇な村では噂話になりうるが、これだけは毛色が違ったのである。

 

3人とも死んではいる。しかし解剖した医師が死因を特定出来なかったのだ。死因とは文字通りその死体が死に至るプロセスであるが、全く持って分からない。身体には何ら変哲もなく、毒物どころか異物すら検出されないのである。担当医師曰く、それまで健全に活動していた心臓が電池が切れた時計のように、ピタリと止まったとしか言いようが無いらしい。

そんな事が非現実的だと言う事ぐらい、ここの住人ですら理解できた。とりわけ3人の死に際の表情が、恐怖という字が描かれているかのような凄惨なものだった事が住人を恐れさせた訳だ。お陰でこのリドルの館に近づくのは悪戯好きの子供ぐらいであり、住人は遠くから暇な時丘を指さしながら語り継がられてきた怪談を怖がるだけだった。

 

だからリドルの館に真夜中灯りがついたとしても、どこかのガキが忍び込んだとしか考えなかった。館を管理する変哲な老人がいることだから、誰も館など気にも留めていない。

その館で老人が事切れた身体を投げ出していることも、村ではお目にかかることのない、奇妙な人間達が集まりつつあることも知られていない。正確に言えば知られてはいたのだが、知っている人間は既にこの世から消え去ったのだが。

 

 

うってかわってロンドンから遠く離れた郊外、西に200キロは離れた場所にソールズベリーと呼ばれる土地があった。700年の歴史を持つ大聖堂が有名だが、なんと言ってもストーン・ヘンジが有名な都市である。誰が作ったかなぜ作ったか、明確な答えが出ていないものの多くの人を虜にしてきた遺物でだろう。

ストーン・ヘンジを遠くに見る町外れの丘に、教会があった。それほど大きくもなくとりたてて特徴のない教会であるが、その裏にある森からは連日のように土煙と騒音が撒き散らかされていた。近所の住民には何一つ勘づかれていないが、素質ある者は異常な音と衝撃を感じ取る事ができたはずだ。

協会に隣接する小屋の中で、人の女性が台所の前で手を吹いている。年齢を感じさせる外観であるが、立ち姿からは老いなどみじんも感じさせないものがあった。彼女は疲労から痛む腰を手でさすりながら、裏手の森に足を運んだ。

 

「士堂、もうお上がりなさい。支度をしましょう」

 

道子が声をかけると、爆音がピタッと音を止めた。その後森から出てきた少年は下に短パンをはいているだけで、上半身には何も着ていなかった。

 

「何です行儀の悪い。上ぐらい羽織りなさいな」

「いいじゃないか、誰かが見ているわけでもあるまいし」

「そう言う問題ではありません。みっともない格好は恥ですよ」

「誰かがいるなら辞めますよ。そうじゃないなら気にする必要ないじゃん」

「屁理屈ばかりいうようになりましたね」

 

少年の背丈は同世代でも高い部類だ。その細身ながら引き締まった肉体は、汗にまみれて日光を反射させている。祖母から渡されたタオルで体をぬぐいながら、彼は小屋に帰ろうとしていた。

 

「準備はできていますね」

「何回めだよ、大丈夫」

「まあ、なんという口の利き方… 気をつけなさいな。これから行くお宅は言葉遣いで態度をころころ変えますよ」

「わかってる」

 

祖母と並んで歩きながら小屋に戻った士堂は、まっすぐ台所の冷蔵庫に向かった。背後から祖母の叱りの声が聞こえてきたから、肩をすくめて手を洗うことにする。軽く手を流水で注いでから、冷蔵庫の中身を物色し始めた。中から麦茶を取り出した士堂は茶色い液体をグラスになみなみと注いでは、一思いに飲み干していく。2杯3杯と立て続けに飲み干してから、空の容器とグラスを台所の流しに置いて2階に上がっていった。

自室でトランクの中身を確認した士堂が荷物を玄関口に置いていった。最後にフギンの籠を抱えて下に降りると、化粧をした祖母が玄関口に立っている。

 

「士堂、飲み終わったら自分で洗いなさいな」

「いいじゃないか、たいした量じゃないし」

「よくありません。まったく困った子ですね…」

 

道子は右を向けといったら左を向くようなものいいの孫にあきれつつも、それ以上何も言わなかった。彼女は黒のワンピース、それもゆったりとした袖がついたくるぶし丈のものを着ていた。裾の大きいベール上の頭巾をかぶり、革の腰ひもには十字架のネックレスがつけられている。いわゆるトゥニカ・ウィンプル・ロザリオと呼ばれるカトリックのシスターの正装だった。

 

「なんでまた修道服なんか来てるんだ?」

「あちらの家は警戒心が強いですからね。こうした格好の方が都合がいいでしょう」

 

対する士堂の格好は赤のtシャツに灰色のパーカーを羽織った程度の、何の変哲もないものだ。祖母と並ぶと指導された子供のように見えなくもないが、言ったところでどうにもならない。士堂は玄関先に止めてあるアストンマーチンDB5のトランクを開くと、次々に荷物を放り込んでいった。

 

「祖父さんは来ないのか?」

「ええ、今は客人とお話し中です。話すと長くなるそうですから、私達だけで行きますよ。

ーまあ、早くお乗りなさい! 時間が無くなってきましたわよ!」

 

祖母が首に下げている懐中時計を見たとたん、慌てて運転席に乗り込んだ。無駄話はしているつもりはなかったのだが、案外時間を悠長に使っていたようである。だが既に助手席に乗り込んでいた士堂にとって、それは馬鹿げた話だった。彼は祖母がMTのレバーをガチャガチャと動かし、急発進する車体の中で今年も波乱の一年が待っていることを確信するのだ。

 

 

士堂の住む教会には、いくつかの地下施設が存在する。あまり広い土地を持てない祖父母が生み出した苦肉の策であったが。強いて言えば、地下に近くなるにつれて霊脈と呼ばれる強大なマナの効能を、より効率的に活用できるメリットがある。大地が自然の営みの中で得た莫大なマナは、今ストーンヘッジの中心部に向かって伸びているそうだ。古代の民は霊脈を用いるために、あの遺跡を建てたという魔術師が一定数いるのはそのためである。

地下施設は個々に特性があり、一つとして同じものはない。マナを浴びた粘土質の壁が剥き出しとなっているこのトンネルは、古代の民が築き上げたものを士柳が再利用させて貰ったものだ。ともすれば張り付くようなマナを感じるトンネルを下に降っていくと、大きな部屋に辿り着く。奥の壁中央に暖炉が置かれており、地下特有のひんやりとした空気を赤々とした木炭が灯りと熱を放ちつつ、暖かく包み込んでいた。

 

「さてはて、このクッキーで挟み込んだアイスはいつ食べても格別じゃな。ワッフルコーンのほれ、上にチョコがかかったあれもの。暖炉の前に座るとついついアイスが進むのぅ。残念なのは炬燵(東洋の発明品)と今日はご対面できんことじゃ」

 

暖炉の前には大机と深椅子が置かれており、まるでホグワーツの、それもグリフィンドールの談話室と似た構図であった。深椅子に腰掛けつつ最中アイスを口いっぱいに頬張りながら、ダンブルドア校長は次のアイスの袋を破っている。

 

「アルバス、食べすぎるとまた腹を壊す。髭に細かい屑が沢山」

「ん? あっはっはっ。一々細かいことを申すな。ちょっとぐらい老い先短い老人のデザートタイムを楽しませては、くれんかの」

 

熱い紅茶でアイスを流し込むと、今度はチョコレートで全面をコーティングされたアイスを口にする魔法使い。士柳が呆れ気味に額に手を置くと、彼の隣でパチリと音がする。

 

「そこの痴呆老人。私はアンタとは違ってまだまだ先があるんだ」

「チッチッチ。そう慌てなさるな、減りゃせんわい」

 

女性だ。すらりと伸びた脚から見て分かる通り、かなりプロポーションがいい。だが紅色のロングヘアも鼻筋の通った顔立ちが与え聡明な印象も、気怠そうな彼女の表情が打ち消してしまう。銀色のジッポの蓋を閉じ、細い煙草を緩慢に吸っては、糸のような煙を吐いていた。

しかしダンブルドア校長は女性からの非難の視線を、軽やかにかわしてみせる。手元の小机に置いてあるクーラーボックスからアイスを幾つか取り出すが、差し出す前に女性はダンブルドア校長をこれでもかというぐらいに睨みつけてきた。

 

「そんなに睨まんでもいいじゃろうに」

「爺様。こんなボケ老人に合わせてたら頭の脳細胞が腐っていくよ」

「口が悪いの、本にお前さんは眼鏡さえしてくれりゃいい女なのにの。橙子や」

 

青崎橙子は士柳の愚痴を一蹴すると、紫煙をくぐらせながら再度魔法使いに視線を向けた。丁度彼が手にしたアイスを食べ終わった時を、見計ったかのようだ。

 

「で? わざわざ英国の地下で日本のアイスを自慢するために、私を呼んだわけじゃないだろう」

「どうじゃろう。お前さんはあまり遊びがないからの」

「もしそうなら、私は帰らせてもらうよ。まだ研究しなきゃならない資料が山積みなんでね」

 

橙子の言葉は刃のように鋭かった。常人ならたじろいでしまうほどに心の障壁を切り崩すだろうが、魔法使いは何も動じなかった。顔中に刻まれた深い皺一つもピクリとしない、岩のような魔法使いは手にしたティーカップを小机に置く。

 

「じゃがいつまでも君を揶揄うのは、大人として恥ずかしい。故に本題に入らせてもらう」

 

息を吸い込んだダンブルドア校長は、深椅子に背中を預けるようにしていった。灯りは暖炉しか無い部屋で椅子に深く座り込むと、彼の身体は暗闇に半分以上飲み込まれ、辛うじて輪郭がわかる程度である。橙子もまた肘掛けに肘をつきながら、紫煙をくぐらせていた。

 

「今魔法界に、かつてない危機が迫っておる。大半の人間は信じとらんが、これは間違いなく現実なのじゃ。確かな情報筋からの知らせというものが、悉く悪い方向へと転がりこんでおる」

 

校長は指を腰の辺りで絡ませる。また背もたれに体重を預けたから、彼の輪郭すらおぼつかなくなってきた。それでも橙子は動じる事なく、小机に置いである灰皿に灰を落とす。

 

「もしわしらの懸念が回避できないとするならば、少なくない人災となってしまう。わしらはどうにかそれを回避し、よしんば出来なくとも最小限に留めたいのじゃ」

「わしも同意見じゃい」

 

士柳が会話に入り込んできたが、橙子は一瞬視線をずらしただけでまたダンブルドア校長に真っ直ぐ向き直った。

 

「ここからが大事な事じゃ。懸念が現実と化した時、少なくない悪影響が魔法界のみならず、そちら側ー魔術界にも出ると考えておる。

だからこそ、君に遠路はるばる招待させてもらったわけじゃ。どうじゃろう」

「断る。話は以上だ」

 

ダンブルドア校長が言い終わる前に、橙子は被りを振った。煙草の火が斜め下に煙を吐き出す中、彼女はそれ以上何も言わない。以外にも士柳は橙子の返答に驚くことなく、一息ついてからダンブルドア校長の方に目配りをした。

 

「…理由を聞かせてもらってもいいかな」

「一々訳を話さなくては分からないなら、そもそも論外としか言いようがない。私は耄碌した老人の後始末をしなくちゃならない道理も義理も無いね」

 

校長は深く腰掛けたまま、やはり岩のように動かない。だが腰辺りで組んだ手が小刻みに震え、互いの指の背を撫で回し続けていた。

橙子の発言から会話が止まり、薪が割れていく音と炎が燃え盛る音がBGMとなっている。橙子は限界まで吸い尽くした煙草を灰皿に押し付けると、新しい一本を箱から取り出しジッポの蓋を開けた。間抜けな乾いた音の後にチッという音がすると、濃い紫煙が部屋の真ん中に撒き散っていく。

 

「そう言わんで貰いたい。耄碌老人に、解説してくれはせんかの」

「…アルバス・ダンブルドア。それは本気で私に言っているのか?それともまだおとぼけ老人のままかい?」

「君の見立てに従うまで」

 

 

青崎橙子は視界の端に見える灰が垂れ下がってきたのを見て、煙草を灰皿の淵に落とす。指で軽く淵を叩きながら、丁度向かいに腰掛ける老人を、名状しがたい表情で見ていた。

 

「…私とアンタ達は短くない付き合いだ。爺様は元々魔術師では無いにしても、近しいものである事に変わりない。そして今は違くても、曲がりなりにも青崎の正当後継者だった私」

 

橙子は理解できなかった。

 

「私達魔術師ーつまり本当の意味でのー は、根源に至る。それが目的であると同時に、それ以外興味がない生き物さ。手段としての魔術や妖術、道術、陰陽道に世界の理。彼等に関心を向けるのは、偉大にして途方も無い、呪いにも似た目的が明確に存在するからだ」

 

彼は私達をよく知っている筈なのに。

 

「君達の懸念とやら。成る程人間として考えてみれば、迷惑きまわりないかもしれない。でもねアルバス。

たかだか数百万人死ぬ程度の重みの無い殺人鬼に、私達はどうも無い」

「数百万人が、かな」

「ああ。神秘の欠片もない気が狂った人間なぞに、付き合うだけ無駄だね。だってそうじゃないか。彼は成し遂げていない。何をした?何を変えた?」

「…奴は殺人鬼である。だが君と同じ功績を残した稀代の天才じゃ。甘く見ては」

「噛みつかれる猫は君だって? 噛み付ける度胸があるならそれでいい。14年前、あの男が私達にしたことを忘れてはいない。

あの時点で私達は、そいつを見限っているんだ」

 

魔術師は世界の平和など望まない。中には望む者もいるが、多くは先祖代々の悲願という名の、自己満足の世界から抜け出せない異常者である。そんな連中が人を殺すだけしか頭にない人間に、どうして興味を向けると思うのか。

聞けばいい。時計塔も聖堂教会もアトラス院も、工業製品のような返答を発表するに違いないのだから。

 

「人が、無垢の民の命がかかっているのだぞ。どうしてそのような事が言えるのじゃ」

「泣き落とし? 冗談じゃなく本当に耄碌し始めたのか?」

 

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士柳は隣に座る長年の友人が口を開かなくなったことに、一抹の不安を感じていた。彼自身も橙子の返答は簡単に予想できたのだが、友人はどうやら違うように見受けられた。

20年前も同じ答えだったが、何をこの友人は期待しているのだろうか。目を細めて頬杖をつく橙子と共に、士柳はダンブルドア校長に無言の問いかけをしていくのだった。

 

「…そうか。それがやはり君達の、魔術師の答えと言うわけか」

「二言はない、アルバス」

「ふぅむ。こうもはっきり断言されると、心がへし折られるようじゃ」

 

校長は椅子と同化するのではないかというぐらいに、深く腰掛けて溜息をついた。お陰で橙子も士柳も彼の表情を窺い知ることができなかったが、2人は例え見れるとしても見る気はさらさらなかった。

 

「泣き言をついでながら言わせて貰いたい。いいかの?」

「私でよければ」

「聞いてくれるのかの?」

「聞かないと言っても喋るんだろ?なら最初から聞いておくよ」

 

喉から出た掠れ声のような笑いをすると、ダンブルドア校長は語り出した。それはまるで独り言のように、誰に聞かせる訳でもないと言った具合だ。

 

「…ヴォルデモートの復活は間違いなく、迫っておる。無論に阻止するつもりじゃが、わしは止められるとは思っていない」

「予言のことが?」

「予言っていうとあの時の?」

「そうじゃ、ミス・青崎。あの予言に従うならば、あの男の復活は避けては通れない。いや避けてはならん事だと考えておる」

 

橙子と士柳はお互いに目を見合わせた。

 

「2人には言っておらんかったかの。つい最近、トレローニ先生が新たな予言をしたのじゃ」

「信用性がないな、爺様が信じていなきゃ私は彼女をどうとも思わないが」

「ハリーの前で、予言したのじゃよ」

「なんと…」

 

士柳は口元に手を置いて、眉に皺を作った。橙子の目から揶揄いが消え、真剣な色が出てくる。

 

「成る程、それなら信用性がある。で、それと魔術師とがどう関係ある」

「魔法界ではヴォルデモートはタブーじゃった。名前を出すことすら許されず、本にもまともに名前が出ておらん。わしは常々恐怖の歴史を隠すのではなく、大人達が正確に伝えていかなくてはならないと言ってきた。そして残念ながら、わしが恐れていたことが起きたのじゃ」

 

ダンブルドア校長は深々と溜息をついた。それは力のない、落胆の溜息だった。

 

「ミス・青崎はクディッチは知っておるかな? クディッチのワールドカップが今年、それもあと数日で始まろうとしておる」

「…へぇ。そちらさんも酔狂な催しをするもんだね」

「防犯対策はしておる。じゃがわしら魔法使いは能天気なところがあっての、マグル対策を講じても平気で破る輩がおる。ウィズリーのように好奇心からやるのとは違い、単なる奢りからじゃ、マグルには分かるまいというな」

「私にはどっちも理解できないが。どう転んでも大勢の利益にはならない」

「そうだろうとも。魔術師の秘匿性は関わりづらくて敵わないが、ことこういう時には羨ましくてならない」

 

魔法使いだろうと魔術師だろうと、関わりのない一般人から隠れようとはする。しかし個々の繋がりが乏しい魔術師と比べ、魔法使いは一つの世界を形作る程に縦横の繋がりが深い。つまり誰かが秘匿してくれるから、自分達は気にする事はないと考える魔法使いは一定数存在するのだ。

普段なら問題ない彼らだが、こと魔法使いが一番熱狂するスポーツの祭典において、この能天気さは自分達の首を絞める行為になりかねない。更に残念な事に、普段は弁えている魔法使いまでも浮かれ気分でマグルからの視線を考えなくなってしまう。

 

「そんな時に、防犯などできん。策を練っていない訳ではない。それは当たり前じゃが、マグル対策の方に人員を避けなくてはならないのじゃよ」

「そんな馬鹿な事があるか? アルバス」

「ミス・青崎。さっき話した弊害というのはの。魔法使いの連中はヴォルデモートが復活するとは考えていないのじゃよ。いや正確には、考えたくないのじゃ。子供だけでなく大人すら怖がっているものだから、そんな物騒な不安など、頭から消し去りたくてたまらないのじゃ」

 

ワールドカップは文字通り世界から観戦客が集まる。ヴォルデモートが復活するならば、この機会は滅多ない。普段なら警戒される遺跡も使いやすくなり、大規模な魔法陣も余裕を持って準備できる。例え復活の儀式でなくとも、何らかのアクションが起こる事は容易に想像できた。

しかし魔法省はヴォルデモートのヴの字も出さなかった。出そうものなら降格処分が下されかねない雰囲気なのだ。警戒対象はあくまでも魔法犯罪や魔法泥棒の類で、ヴォルデモートのことなど想定すらしていないのだ。

理由は繰り返す事になるが魔法省、つまりは大人が考えたくないという一心で警告を握りつぶしているからに過ぎない。

 

「だから君達が必要だったのじゃ。どうかな、これでもまだ」

「関わりはないね。正直目の前で大虐殺が起きても、手元にある失われた原書に気を取られるのが私達だ。目の前や世間の災害から目を逸らして、夢追いという名のマスターベーションに走る、それが魔術師の本性」

 

魔術師は秘匿に絶対的ではあるが、外界と接触しない訳ではない。アトラス院という例外はあるにせよ、何らかの形で外界と結びついている。

外界から断ち切る事ができず、さりとて深く関わろうとはしない。青崎橙子は魔術師の、己が弱さをはっきりと自覚していた。

 

「ふむ… これは無理だろう。わしとしたら優秀な人材は猫の手も借りたい程に欲しているのだが。その調子では知人関係を頼るのも脈なしじゃろう。

やれやれ、わしらだけでやるしかないわい」

「爺様は助けるんだろう?」

「根源に興味はないからな。旧友が困っているのであれば、老ぼれでも出来ることはするさな」

 

橙子はふっと笑うと、ジッポの蓋を閉じた。ダンブルドア校長が肘掛けに手を置いたのを見て、彼女は咥えていた煙草を灰皿に押し付ける。ゆっくり立ち上がった校長が暗い通路を登ると、背後から士柳と橙子の2人が続いた。

地下通路を登り切った3人が地上に出ると、教会の背後の森だった。森から教会の目の前に走る道路まで歩きながら、3人は別れの挨拶を交わす。

「では詳しくは手紙に書いておいた。何か疑問があればフクロウ便を飛しておくれ」

「分かった。どうせワールドカップには行くことになりますし、誰か信用できる人間を推薦してもらえると助かる」

「手配しよう。ではまたいつか、ミス・青崎。君の書く論文も非常にわしの関心をひかせるが、どうだろう。今度は是非ホグワーツに来るといい。わし自ら案内しましょうぞ」

「岸の向こう側の学校は少しばかり興味があるね。暇が出来たら呼んでくれ、それでいい」

 

橙子は別れの挨拶をしながら何処からか出した眼鏡をかけた。するとそれまでの緊張感ある男性的な雰囲気が、一気に変わった。融和的な、本来の女性らしい丸い印象が前面に出てくる。

 

「それでは、またいずれ。ミスター・アルバス・ダンブルドア。貴方の輝ける魂に幸がある事を」

「ああ、ありがとうミス・青崎。論文とご来訪、待っておりますぞ」

 

道路を背にして手を振るダンブルドア校長に、軽く会釈する士柳と橙子。和やかに微笑むダンブルドア校長は、最後に手元に持った杖を一振りした。

 

 

「これは君の優秀なる頭脳と未来への投資です。どうかお楽しみいただきたい」

 

言うや否や彼の身体はその場から消え去った。橙子は手元に現れた大きな箱を抱き抱えながら、その場に立っている。

 

「それはなんじゃろう? 彼がこんな無粋な箱を贈るとは考えられんのだが」

「…もしかしたら」

 

箱は古ぼけた段ボール箱で、側面には中国語で何かが書いてある。インクの途切れ方や雑な印字からして、年代は多少遡るようだ。橙子は何を思ったか贈り物の箱を無造作に開封して、中身を漁り始めた。

 

「それはもう作成されていないのではなかったか?」

「ええ。恐らく何らかのー 方法を使ったのでしょうね。全くつくづく面白い」

 

煙龍という名のこの煙草は、台湾の職人から箱一箱だけ橙子が受け取った特別な品である。彼女曰く不味いで終わる煙草だが、コレクションの中でも片手に入る程度には気に入っている品であった。ダンブルドア校長は魔法を使い、それを丸々一式同じものを彼女に贈った訳である。

 

「この量があるなら、誰かに多少譲っても支障をきたさない。まぁそんな人間は少ないでしょうけれど」

「わしが入っているようでよかった」

 

段ボール箱から取り出した小さな箱を一つ、士柳に手渡すと彼は苦笑いを浮かべた。

 

「わしは吸わんけれども、気持ちだけ貰っとこう」

「あら、息子さんは吸うのに、爺様は吸わなかったんでしたっけ」

 

途端士柳の顔が、苦々しくなった。表情の見事なまでの裏返りに、橙子はコロコロと言った感じで笑い始めた。

 

「いい顔しますね、相変わらず」

「よくもまぁ、触れてくれるな。普通なら空気を読んで触れんところぞ」

「爺様が面白いのがいけないんです」

 

その笑いは魔術師特有の、常人ではない笑いだった。つまり人間らしい感情の起伏であったり五感の反応、それが発現したことに対する一種の嘲笑に近い。魔術師は異なる理を進むが故に、常人の思考というものを排除するのだ。正確には一見普通の人間らしく振る舞うものの、実態は空虚な仮面を場面に応じて使い分けているのに過ぎない。

人間らしさが魔術師の中では強い橙子であっても、これなのだ。士柳が関わってきた魔術師は、皆何らかの方法で彼の感情を揺さぶろうと一度はしてきた。全て観察によるインスパイアを得ようとしたものだったが。

 

「魔術師は凡人には気を配らぬ筈だろうに」

「貴方の人徳でしょう。でもあまり気にしてはいないようですね。息子さん達の件」

「気にしてどうなるものではない。2人は死んだ、それは未来永劫変わる事はない」

 

橙子が言うのは、先日訪れた来訪者の事だ。士柳は詳しく語ってはくれないものの、先の大戦での会話だと言う事を橙子は推察していた。その反応を見るに、彼なりに思うことがあった筈だが、橙子には1ミリも話す機会を与えてはくれない。

 

(まぁ、死人の思い出話を掘り返したところで私に益はない)

 

橙子は大事そうに段ボール箱を抱えると、まだ口をモゴモゴと動かす士柳と共に、教会に向かって歩き出した。

 

「そう言えば、そろそろハリー達を連れて士堂が戻ってくる頃だろう。どうだい、会ってみないか?」

「よろしいので?」

「とって煮るような真似はしまい。それに単なる子供ではなく、『死を乗り越えた人間』と言えば、会いたくもなるだろう」

「『死を乗り越えた人間』 興味を惹く言い回しですこと。一度お目にかかっても損はしないでしょう」




4章開始。やっと青崎橙子登場です。


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平穏なる脱出

昆虫の中には、動物の体毛にしがみつく事で自分の体力消費を最小限に抑える種類が多数報告されている。植物も動物の糞に種子が残るように創りを変化させ、己が生息領域を全世界へと自ら動く事なく広げていくのだ。つまりこの地球において、移動手段なるものは何かで代用するのが摂理であると言えなくもない。

 

そして人間が得た移動手段の中で、現在地上移動で最も有効であり使用頻度が高い代物に、士堂は身を預けていた。窓の外では茶色の煉瓦でできた家々が視界から消えたと思うと、窓ガラスで覆われたビルが目に入る。節操もない光景が連続的かつ秩序なく流れる様を、彼はただただ眺めるだけだった。

アストンマーティンは黒の車体を実に滑らかに走行している。1960年代のオールドカーであるが、年代を感じさせない走行ぶりから如何にこの車に手入れが施されているかは、素人目にも明らかだ。

 

「あなたはハリーの育ての親と会ったことはありましたか?」

「見ただけだな。話しかけづらいというか、向こう側が話したくない雰囲気を出していたよ。祖母さんもそうだろう?」

「ええ。会釈しようとしたら、とんでもないぐらいに睨みつけられました。粗相があったかどうか分からぬままに、彼等は消えていきましたもの。あの調子だと考えると、ハリーがよく耐えていると思いますよ」

 

完全には耐えてはいない。思わず反論しそうになるが、士堂は言わずにいた。ハリーは年々ダーズリー家の扱いに慣れを見せつつあり、最近では親戚のダイエットに付き合わされて困っているという手紙を寄越してきた。直ぐに日持ちする乾燥食物を送ったが、他にも友人達から援護の物資が彼の部屋に届いている筈だ。もうハリーも子供じみた反抗をするだけでなく、こうした隠れた抵抗ができるようになった。それでもハリーの心も身体も、限界のラインぎりぎりを彷徨っているであろうことは、簡単に想像できてしまう。

ならばさっさとハリーを連れて帰ればいい。結論は意外なほどまで単純であるが、士堂が考えられる手段はこれ以外思いつかなかったのも事実である。そんな士堂の決意を知ってか知らずか、祖母が駆るアストンマーティンは着々と目的地へと近づいていた。

 

プリベット通りはサリー州はリトル・ウィンジングにある通りの一つだ。煉瓦造の戸建てが建ち並ぶ、イギリスでは何ら珍しくもない平凡な通りであった。4番地にある戸建てもまた、外観は他の建物と大差ないとしか言いようがないのである。

だが中に住まう人達は、朝から落ち着きのない生活を送っていた。住居に住む4人は用もなくその場を歩き回り、壁に立てかけてある時計をチラ見しては、溜息をついたり苛立ったりしている。不快な形容詞を付けたくなるほど肥えた大男と子供、彼等に栄養を奪い去られていると推察してしまいそうな線の細い女性は、どうやってこの時間をやり過ごすかで頭が一杯のようだ。

対してリビングの片隅で鞄を抱え込んで床にしゃがみ込む少年は、一見すると時間のやり繰りに困っているようだ。しかし彼は時間が早く過ぎてくれる事を待ち望んでいるのだ。ダースリー家から離れられる千載一遇のチャンスなのだから。

 

 

ハリーがこれほどの高揚感をこの時期に覚えた事は、一昨年以来だったであろうか。昨年はつまらぬ意地でー ハリーからすれば全く許しがたく、つまらなくもないがー 家を飛び出してしまった。一昨年はロン達が不遇なハリーを助けに来てくれたのだ。あの時の高揚感を、また味わえるとは夢にも思わなかった。しかも今年は真正面から、ダースリー家からお別れすることができる。

 

元々ハリーはロンから、今年開催されるクディッチ・ワールド・カップに招待されてはいた。だがあくまでも可能性の話であり、ロンの父のアーサーがチケットを確保してくれなかったら御伽噺にしかならない。ハリーは期待をあえてせずに、ロンからの吉報を自室で待つ事にしていた。

チケットが無事に取れたとロンから連絡が来た時、ハリーは飛び上がらんとする自分を抑えるのに精一杯だった。学期前の休暇を忌々しい自室で過ごさずに住む事に感謝した訳だが、問題があったのだ。

そもそもの問題の根底は、ハリーの実の両親が魔法で殺害された故に、彼を魔法を使えぬ一般人の家庭で保護している事にある。これでハリーを実の子のように大切に育ててくれるのであれば問題ないのだが、育ての親はハリーを、邪魔者扱いしていたのだ。そして魔法という名に対して、過剰なまでの拒絶反応を示すのである。

 

これが困った。ハリーは今すぐにでも飛び出したいのであるが、ロンとその家族は純然たる魔法使いである。正面から挨拶しようもんなら、猟銃でも使われかねない。しかもマグル(非魔法使いの事だ)に関しては先見の明があるアーサー・ウィズリーにしても、適切な対処が出来るとは思えなかった。彼のことは非常に好いてはいるのだが、マグルの特に道具に対する好奇心には若干引くような目で見ることがあったからだ。

その彼が典型的なマグルの家を訪れて何もないはずがない。混乱は目に見えていた。

 

解決策がハリーの元に届いたのは8月中旬の夜だっただろうか。ダースリー家の長男、ダドリーのダイエット食に付き合われたハリーが辟易しながらグレープフルーツを口にしていた時だ。既に食事を終えた主人のバーノン叔父さんが、届けられた郵便物を仕分けしていた。

チラシや手紙の中に埋もれた一封の封筒を手に取った叔父さんが、封を開けて中身を確認したときだ。

 

「…ハリー。お前小学校の時、教会なんか行っていたのか?」

「えっ?」

「教会からお前宛に手紙が来ている」

「教会? …ああそうか、そうだね。うん、知り合いが教会にいるんだ」

「知り合い? お前なんかに知り合いなんか…まさか、この前来た詐欺まがいの手紙と関係あるとは言わせんぞ、そんなことは認めやせん!」

 

叔父さんは一旦ハリーに手渡そうとした手紙をひったくると、自分で読もうとした。叔父さんの座る座椅子の背から覗き込んだ手紙には、几帳面な筆記体でツラツラと文面が記されている。その字を見た時、ハリーは何故かハーマイオニーを思い出した。

 

[主の御名を讃美します。バーノン・ダースリー様。突然の手紙の送付、ご無礼だと存じます。

私はソールズベリー大聖堂・第5分院所属シスター、道子・安倍と申します。

今回私どもの教会で、御不幸などでご家族を亡くされた遺児達への、支援プログラムを実施する事になりました。内容としてはイギリスで行われるサッカーの試合を生観戦しつつ、周辺地域の観光をする事で子供達のストレスを発散し、養父母方との円滑な生活をお送りできる手助けをしたいと考えています。

対象となるイギリス全国の遺児達へと送付しておりますので、当日は全国から少年少女が参加する事になります。この機会に新たな交友関係を築いてみては如何でしょうか?

主の御下命のままに、イギリス国教会とバチカンの遺児救済募金と遺児救済積立金の御補助により、保護者の方々が負担する費用は全くありません。

参加をご希望されるようでしたら、郵便でご返答ください。専用の通信士を用意させていただきましたから、当日の朝までご対応できます。

良い返事をお待ちして、貴方に御国が来ますことを]

 

「9月1日? この前、うちに来た頭のおかしい連中の祭りも9月1日だったな?さてはお前何か企んだか?」

「そんな訳ない。僕は教会に知り合いはいるけど、手紙をワザと送ってくれなんて頼まないし。それに僕がクディッチのワールドカップに行くなんて分からないよ」

「わしの、前で、その名を、言うな!!」

 

バーノン叔父さんは頭がおかしくなりそうなほどに、怒りまくっている。ペチュニア叔母さんはいつもなら叔父さんと2人でハリーを責めるものだが、今は宥めるのに必死でハリーの事は放っておいていた。学校に押し付けられた、不本意なダイエット中のダドリーが親の目がない隙に、お菓子やホットスナックを求めてその場を這いずり回るのにも気にせずにハリーは叔父さんに話しかけた。

 

「でも叔父さん、考えた方がいいよ。もし僕がこれに参加したら、叔父さんが嫌いなほではじまる学校に行かなくて済むかもね。だって予定表を見たら結構長い日数かかるみたいだし、もしかしたら列車に乗り遅れるかも」

「そんな言葉信じられるか! お前はわしを騙そうとしている!」

「でも普通にこの手紙は届いた。普通の郵便物として。もし魔法使いならこんな手は使わないし、何処か変な形で送ってくるよ。宛名に変な点はないし、信用できるんじゃない?」

「それにあなた、ソールズベリー大聖堂と言ったらイギリスでも指折りの教会じゃなかったかしら。そんな所があの悍ましい学校と手を組むはずが無いわ」

「だがわしは知らんぞ、そんな場所。何で知っとる?」

「ご近所様が自慢してたもの。先月の日曜礼拝、そこにわざわざ行ったそうですよしかも毎回。あの3軒隣のキュキさん。スーパーの前で立ち話していた時、聞いてもいないのに教えてくれましたわ」

 

ちっとも羨ましそうには見えない顔で、ペチュニア叔母さんは言った。バーノン叔父さんは手紙と封筒を交互に見てからハリーをマジマジと見つめると、鼻息を吹く。

 

「…癪だが認めるしかあるまい。行ってこい」

「本当? 叔父さんありがとう!」

「だが荷物は」

「それは無理だよ。サッカー会場から学校に行かなきゃならないかもだし。それにこんなもの部屋にあったら、叔父さんの心がおかしくなるかもよ。何故かは分からないけど」

 

ハリーが意味ありげに眉毛を動かすと、叔父さん夫婦は顔を見合わせた。鼻穴を大きく膨らませていた叔父さんはハリーの顔、特に額に刻まれた稲妻型の傷をマジマジと見つめて、ぶるりと身体を震わせる。

 

「わしは、知らん! さっさと出て行けこの怪物が」

 

 

ダーズリー家は、あれからよく眠っていないようだ。ハリーが密かに学校用具をまとめている時も、玄関先に持って行きやすくする為に整理するときも、昼間だろうが夜中だろうが1日の内何処かで怒鳴り声と鳴き声が聞こえてきた。昨晩は喧騒が1番長く続き、真夜中にドアの開閉音が大きく聞こえたのが最後だったように思われる。

とにかく人生で初めて平穏にこの家から離れることが出来る、夢物語実現まであともう少しだった。

 

午後5時になった。外は夕焼けが沈み始めたものの、季節もあってまだまだ日が登っている。窓から指す日光が一際強くダーズリー家に入り込んだ。

ドアベルが鳴った。3回、一定のリズムで。落ち着きのなかった4人の動きがピタリと止まり、全員の視線が玄関先に向けられた。皆何か言いたげな表情であるが、手を動かすことすらない。

数分経っただろうか、またドアベルが3回鳴った。バーノン叔父さんは意を決したかのように、大袈裟なまで慎重にドアノブに手をかけた。鍵を開けつつドアノブを捻っていく叔父さんの手が後方に引かれそうになった時、ドアが自然に開いた。ハリーにはそう見えたが、バーノン叔父さんはそうとは受け取らなかったらしい。体勢を後ろに崩しながらドアを開けると、2人の人間が玄関先に立っていた。

 

「我らの父と神と主人より、あなたに平安と祝福があらんことを。ミスター・バーノン・ダーズリー。私、手紙を差し上げましたソールズベリー大聖堂第5分院所属シスター、道子・安倍で御座います」

 

道子は義理堅く丁寧にお辞儀をしてから、胸につけたロザリオで簡単に祈りを捧げた。まさか玄関先に初老の老婆と少年が立っているとは思わなかったのか、拍子抜けしたような表情の叔父さんは、ぎこちなく祈りを返す。

 

「後ろに居ますのが孫の士堂。今日は私の手伝いをして貰っています。ではミスター・ダーズリー。お子さんのプログラム参加、許可なさりますね」

「あ、ああ。金を払わずにあいつがいなくなるなら何だっていい。さっさと連れて行ってくれ」

 

プリベット通りにはアジア系が少ないからだろうか、ダーズリー家は安倍家を奇妙な面持ちで眺めていた。叔母さんなぞは頬杖をつきながら、道子の全体をしげしげと見ているのだ。

その好奇心が隠せない視線を目の当たりにしながら、道子は顔のパーツを1ミリたりとも動かさなかった。鋼鉄の人形であるかの如く、確固たるものがある。ハリーはプラットフォームで会って以来の彼女に挨拶をしようとしたが、それが出来ない空気である事に気がついた。見れば道子の背後で士堂が、しきりに首を後ろに向けていた。ハリーは戸惑いつつも、道端に留めてあるアストン・マーティンに自分の荷物を詰めていく事に専念する。

子供達が次々にトランクに荷物を仕舞うなか、叔父さん夫婦は道子に話しかけた。

 

「ここら辺じゃ見ない顔だな、え? ペチュニアや」

「本当に。本当に珍しいですこと」

「アジア系はこの近辺にはいませんか。私の街では珍しいものでもないのですが」

「いや、何。ここはイギリスだ。まぁ、珍しい方が当たり前じゃあないか?」

 

意地の悪い笑みを浮かべたおじさんは、道子に顔を寄せた。道子は前で組んだ手の指で、気づかれないように一回ローブを小突いた。

 

「あまり私達とは似ていないな」

「血縁関係はございませんでしょう? ミスター・ダーズリー」

「おお、すまぬすまぬ。まだ英語が苦手なようだ。ハハ…」

「あなた失礼よ。英国のブラックジョークは高度な教育が必要だもの」

 

ペチュニア叔母さんがこれまた意地悪そうに口を挟んだ。あらかた荷物を詰め終えた子供達が玄関先に振り返ると、まだ夫婦は話し続ける。その間にも、道子は小さく1回指でローブを小突いた。

 

「やはり何だな、ペチュニア。あのハリーが仲良くなるのは、いつだって日陰ものなのかもしれないな」

「あなた言い過ぎですよ、日陰ではなく物陰かもしれませんもの」

「あいつら…!」

 

はっきりとした侮辱だ。ハリーが杖を構えようとしたとき、士堂が背後から羽交い締めにしてハリーを抑え込んだ。

 

「な、何するの士堂?! 君のお祖母さんが…」

「まぁ黙って見とけ」

 

ハリーが玄関先を再度振り返った時、道子はまた1回小突いていた。

 

「…3回でしたね」

「ん、何だよく聞こえん?」

「3回。今の会話で酷く特徴的な物言いは、私の換算では3回でした」

 

道子はにこりと微笑みながら、胸元のロザリオを手に取った。それはあまりに自然であり、違和感のかけらも持たせない。

 

「酷く、特徴的な物言いでしたね。私達家族と、その友人に対して」

「な、何を言っている?」

「変な人ね、あなたもう中に入りましょう」

 

道子が話す内容に薄気味悪さを感じた夫婦が中に入ろうするが、何故かその場で立ち止まり、道子の持つロザリオを凝視していた。道子の右手がロザリオの下を優しく持っている。ロザリオは純銀で出来ていて、その中央部と辺の頂点に計5つの宝石が埋め込まれていた。

 

「貴方がたは酷く、酷く、特徴的な、物言いだった」

「な、な、」

「あ、ああ…」

 

道子の左手が5つの宝石を順に撫でていく。それにつられるように、夫婦が言葉を話せなくなっていくではないか。

 

|『Secundum revelationem a DeoSunt 10 verba, quae homines debent custodire』《神からの啓示に曰く 人には護るべき10の言葉あり》

 

X verba 9th(10の言葉 第9)

Non periurabis proximo tuo』(隣人には偽証してはならぬ)

 

道子は挨拶することなく、その場を離れた。両親の目が離れた途端、性懲りも無くハイカロリーの食べ物を探し求めていたダドリーは、両親の様子が変だと言う事には気が付かなかった。

 

「…お前はいつだってそうだ。可愛いダドリーをお前はなんとも思っていない!」

「…第一あなたがもっと稼いでいれば、可愛い坊やがダイエットなどしなくて済んだのです!」

「…パパ、ママ?」

 

玄関先で立ち尽くすバーノンとペチュニアは、ぎこちない動きで向かい合うと、堰を切ったようにお互いの不満をぶつけ合い始める。およそハリーの事や自分のダイエットぐらいでしか争わない両親の喧嘩に、ダドリーはただならぬ予感を感じた。

 

「五月蝿い、この楊枝女が! 細ければいいなんて浅はかな考えしか持たん癖に!!」

「ー低脳がー 何を今更! あなたのー立場がー 上でしたら、あんな栄養士とっくにクビにできていますわ!!」

「パパ、ママやめて! どうし…」

「ー五月蝿いーお前は果物でも食べていろ!」

 

あろうことか、止めに入った息子を突き飛ばしてまで夫婦は喧嘩を始めた。あまりの恐怖と事態の飲み込めなさにその場で座り込んだままのダドリーは、アストン・マーティンが水冷直列6気筒のDOHCエンジンを唸らせながら道路を走り去ったことも、ドアが開けっ放しのままなせいで近隣住民が冷やかしに集まっている事にも頭が回らなかった。

 

「ここいらじゃ、あなたのせいで私の立場が低く見られていること、自覚したらどうなんです?! そのーでっぷりでたお腹ー をもう少し使って、坊やの為に働く気はないのですか?!」

「大した仕事をせん女にとやかく言われたくはない! 栄養士を言いくるめることが出来んかったのは、お前のー言葉足らずと気の弱さー からだろうが!! 全くあの女の姉なだけある!」

「何と言いましたか、今何と!!!」

「私は何度も言ってやるさ、何度もな!」

 

 

ハリーは後部座席で脚を揃えて座っていた。高級そうな革のシートは、ダーズリー家の乗る成金趣味な車のシートとは違う。明らかに触り心地も座り心地も別格だった。だがその感触を楽しむ余裕はなく、バックミラーに写る運転手の視線がどうにも気になって仕方がない。

そんなハリーに気がついたのか、可笑しそうに士堂が祖母の脇腹を小突く。

 

「え、祖母さん。ハリーが怯えてるぞ、やった事に対して」

「そんな訳がありません。全く口の… あらあらまあまあ」

 

ハンドルを巧みに捌きながら孫の指摘を笑い飛ばそうとした道子だったが、バックミラーに映るハリーの怯えた視線に気がつき頬を引き攣らせてしまった。

 

「ハリーはまだ魔術を知りませんでしたね。私が行ったのは【魅了】の魔術ですよ」

「はぁ」

「心配なさらなくても、もうじき効用は切れます。今頃は自分達が何をしていたのかも忘れ、慌てふためいている事でしょうね」

「その、なんというかえっと…」

「私は2度のチャンスを与えました。彼等は私の信仰心を理解できなかったから、当然の報いを受けたまでです。ですから自分が喜びの感情を覚える事について、罪悪感を抱くのは至極当たり前です。人は自分を虐げていた人が傷つくことを、悪いと知りつつも内心では望んでしまうものですから」

 

サラリとハリーの内心を言い当てた道子は、真っ直ぐ正面を見ている。ハリーは騒つく胸を押さえながら、言われた事に関して考え込んでしまった。

 

「しかし大事なのは、次です。ハリー、あなたは次同じ場面にあった時、一度や二度赦すことはできますか?」

「…頑張ります」

「結構。報いはあくまでも最終手段ですから。毎回やっては相手と同じ地獄の道に堕ちます。私達信者は裁きを下す資格なぞ、は本来持ち合わせていない。いわば私の行いは、許されざる罪とも言えます。その事、忘れてはいけません」

 

道子の話は、俗に言う説教のようなものだった。ハリーは信仰心の薄い家庭で育ったから説教なるものにはあまり関わりがなかったが、こんな感じではないかと思った。

 

「折角の初対面でんな事言うかね」

「迷える若者を導くのは、当たり前の事です。あなたも同じ道を歩むのですから、弁えなくてはいけません」

「へぇーへぇー」

「何ですかその返事は。大体あなたは…」

 

今度は士堂に説教を始める道子に、ハリーはロンの母親モリーを思い浮かべた。厳しくも愛あるその光景に、ハリーは自分の育った環境の違いというものをまざまざと見せつけられる気がして、あまりいい気分ではなかったが。

だがアストン・マーティンは憂鬱なハリーを別世界へと連れて行ってくれる。ハリーの今まで見てきた世界は、魔法界を除けばあまりにも狭かった。本や話でしか知り得なかったマグル側の世界が、こんなにも広いとは実感が湧かなかったのだ。ふと窓へと視線を動かせば、広々とした高原に伸びる一筋の道路がよく分かった。ホグワーツやウィズリー家の隠れ穴の庭とは違う、何処までも広がる草原をハリーはその目に焼き付けていく。

 

 

アストンマーティンはやがて幹線道路を外れ、横の小道に入った。入ってすぐの空き地で停車すると、士堂達はシートベルトを外し始めた。ハリーが後に続いて外に出ると、空き地の側に古い小屋のような建物が見える。近づいてみると、個人商店の跡地のようだ。古臭い剥がれた広告や埃とカビに塗れた窓ガラスは、相当前に捨てられたことが窺える。

そしてその商店の前で2人の人物が立っていた。

 

「ハリー! 無事だったか!」

「お元気ハリー! 心配したわよ!」

「ロン、ハーマイオニー! おーい!」

 

友人2人を確認したハリーはすぐ様駆け出し始める。お互いにハグをして挨拶を交わすと、数ヶ月前に別れた時より大人びた2人に驚いた。士堂もそうだが目線が上がり、抱き合う腕が背中を優に越してしまう。

 

「それを言ったらハリーだって。心配したぜ、あの訳わかんないマグルのせいでダイエットなんて始めたって聞いた時はさ。ママだって失敗するのにマグルの連中が上手くいく訳ないじゃないか。この前なんか氷魚のオイル漬けを熱心に食べてた」

「ええ本当よ。そんなに身体がほっそりしていなくて良かったわ」

「俺たちが贈ったお菓子を食べてたんだから逆に太ったんじゃないか」

「士堂! へいへい元気だった?!」

 

祖母と並んで歩いてきた士堂にロンが挨拶代わりのハグをかます。元気そうなロンのハグをあしらってから、ハーマイオニーともハグを交わした。

 

「お久しぶり、士堂」

「おう。ハーマイオニーもそんなに変わってないな。前よりかは背伸びた?」

「ええ。5センチぐらいかしら、ちゃんとは測っていないけれど」

 

ふーんと軽い相槌をしながらハーマイオニーと話すと、彼女とロンの足元に置いてある荷物を手に持つ。

 

「これハーマイオニーのだろ? じゃあ運ぶぞ」

「僕はそんなに持ってきてないから、ハーマイオニーのを手伝うよ」

「あら、悪いわ。荷物ぐらい私だって持てます」

「お久しぶりね、ハーマイオニー。そして初めましてではないかもしれませんが、ロナルド・ウィズリー。挨拶しておきますね。士堂・安倍の祖母、道子・安倍です。どうぞお見知りおきを… さてハーマイオニー、貴女には頼みたい事があるんです」

 

ハーマイオニーが自分の荷物を手に取ろうとするが、道子に呼ばれる。ハーマイオニーは突然の呼びかけに驚いた様子だったが、直ぐに道子に挨拶をした。だがロンはというとハリーの身体を確かめるように、叩いたり何やら測ったりしている。

 

「ミス士堂、ご挨拶が遅れました。今回はどうもありがとうございます。 ロンあなたも挨拶しなきゃ駄目じゃない!」

「あ、初めまして!ロン、ロン・ウィズリーです。僕もえっと、ありがとうございます!!」

「ふふ、お気になさらず。ささ、こちらに来て手伝ってくださいな」

 

慌ててロンがペコリとお辞儀をするが、ハーマイオニーに脇腹を小突かれていた。ロンの恨めしげな視線を無視してハーマイオニーは道子と共に廃屋の裏手に消えていく。

アストンマーティンのトランクに荷物を詰めながらも、士堂とロンは廃屋の裏手に関心を向けていた。

 

「このトランク、僕たちの車と同じやつだね!」

「そう。俺はてっきり魔術で拡張していると思っていたけど、どうやらアーサー氏が魔法をかけたらしい」

「なんてこった。パパ、きっとママに言わずにやったなこれ。あれ以来ママはマグル絡みの魔法に、前以上に五月蝿くてさ」

「当然だろ? 車が暴走して森の中に消えたなんて聞いたことないしな」

「でも面白いからいいじゃんか。…そういえば、ハーマイオニーと君のお祖母さんは何を話しているんだろう?」

「さぁ? 用って言うけどんな事あったかなぁ。今日はハリー達を迎えるぐらいしかないはずなんだが…」

「女の人が話すことって怖くない? ママとジニーがコソコソ話すとさ、大抵僕か双子が怒られるんだ。お陰で2人が陰に隠れると嫌な汗が流れちゃう」

「ロン、それは君達が悪戯ばかりするからじゃない? ジニーもモリーさんも悪くないよ」

「ハリーはいい子ちゃんだな。何だかパーシーみたいだよ、勘弁してほしいな」

「パーシーと言えば僕の手紙に書いてあったよね。変な質問するなって」

「そうなんだ。聞いてくれ、ハリー士堂。知っての通り我らがパーシーは」

 

ハリーが思い出したかのようにロンに質問を投げかけると、ロンは待ってましたとばかりに飛びついた。荷物を詰め終わったトランクの蓋を勢いよく閉じると、士堂とハリーの肩に腕を回して引き寄せてくる。どうやら随分と言い分や鬱憤が溜まっているようだったが、話し始めた正にそのとき、道子とハーマイオニーが戻ってきた。

 

「お待たせしました。ささ行きましょう。荷物は詰め終わりましたでしょう?」

「ああ。そういや何の用があったんだ?今日は皆を連れてくるぐらいしか用なんかなかっただろう?」

「あなたには関係ない事ですよ」

「ハーマイオニー、一体何の話してたの」

「教えません」

「何でさ、教えてくれたっていいじゃないか」

「お喋りなロンには絶対教えないわ。早く乗りなさいな」

 

有無を言わさぬと言ったハーマイオニーが後部座席に座り込む。男3人は一同目を見合わせるが、全く何が何だか分からなかった。

 

「またハーマイオニーの奴、逆転時計でも使うつもりなのかな?今度は授業じゃなくて他の勉強をしたいとか言い出しそう」

 

ロンがハリーに小声で嫌味を言うが、その光景をハーマイオニーはすごい形相で睨みつけていた。

 




若干日にちが開きました。本のボリュームが増えた事で、描写などが中々浮かび上がらないですね。ぼちぼちやっていきます。


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異文化との邂逅

ハリー・ポッターはイギリス人である。両親はイギリス出身のイギリス育ち、ハリー自身もイギリス生まれで育ちも変わらない。だが一般的なイギリス人かと言えば、そうではなかった。彼が魔法使いの素質があるかはあまり関係ない。彼はキリスト教が、驚くほど生活に根付いていなかった。

 

彼は思えば、教会なる場所にいつ行ったのだろうか。魔法使いになる前はマグルとして育った訳で、当然キリスト教にも触れている筈である。なのに彼の記憶には十字架だとか聖書だとか、キリスト教絡みの記憶はないに等しかった。彼を預かるダーズリー家は宗教絡みの話題は本当に少なかったのだ。

イングランド国教会が存在するからと言って、イギリス国民全てがキリスト教を信仰しているとは限らない。何らかの理由や意図の元で無神教を選択している人間はいるのだから。ダーズリー家もそうだっただろうか。

 

あの家族はおおよそ神というものについて、深く考えたことがあったとは考えられない。祈る時は大抵宝くじを買った時とかダードリのもらったおもちゃクーポンの当選とか、実に打算的なタイミングだった筈だ。

 

「それは珍しいですね。イギリスに暮らしているのに、実に日本人的で」

「そうなんですか?」

「私達の世代はともかく、今の日本人はあまり宗教に馴染みがないのです」

 

へぇと口にしたハリーだが、隣に座るハーマイオニーが身を乗り出して会話に参加してきた。

 

「でも日本には古くから様々な宗教が混在しているのでは?」

「おっしゃる通りです、ハーマイオニー。しかしあまりに多くの宗教と触れ合い、そしてこれは日本的というべきですが、ある種全てと迎合したわけです。

完全に拒むではなく、日本の古来の伝統に上手く紛れ込ませた。

ーここに関しては専門的な学者によっては解釈が分かれ、ややこしくなるので省きますねー

これにより宗教が生活に深く根付いた反面、特定の宗教を信仰することが減ったわけです。そこに加えて、日本の家族の在り方が変わり、各家庭で培ってきた従来の宗教感が世間と乖離し始めているのですよ」

「つまりどういう事?」

「今の日本人は意識して宗教を信仰する事が減ったってこと」

「ふーん。でも宗教っての、僕たちよくわからないんだよね。神様とか何かしっくりこない」

「そっちの世界だと魔法使いの方が偉いもんな」

「僕からしたらマーリンとかの方がよっぽど凄いと思うけどなぁ。だってそうだろ、神様とかと違ってちゃんと魔法を残してくれたんだから。マグルはどうも変だよね。クィディッチにも興味ない人多いし」

 

この手の話題になると、ハリーは頭が痛くなる気がするのだ。特段頭が悪いとも良いとも思わないが、こういった教科書的な会話は苦手な部類である。それはロンにしろ士堂にしろ同じであるが、当然と言ったらおかしいかもしれないがハーマイオニーは違うわけだ。

今も目がキラキラと輝いているのはハーマイオニーだけで、ロンはフワフワとした話をするし、士堂はしれっと会話から抜け出そうとしていた。それでもやはりダードリ家での会話に比べたらマシだと思えるのは、自分が捻くれているのだろうか。

 

ハリーは外の光景を眺めながらそんな事を考えていたが、視界に現れた遺跡に途端目が離せなくなる。それはマグルの世界について、悲しい事に疎いハリーでも知っている、あまりにも有名な、石であった。

 

「わぁ、凄いや…」

「私も初めて見たわ。本物よ」

 

遠目からではあるが、イギリスが世界に誇る遺跡が確かにあった。幼児が遊び尽くした積み木を重ねたように見えるそれは、一つの巨石の集合体である。そして無造作に見える石の配列は、実に巧妙なのだ。

 

「観光客が多いものですから、今は近くに寄れません。しかしハリーはこういった有名な場所すら来た事ないと思いまして」

「はい、初めてです。ありがとうございます」

「礼には及びません。それに貴方がた魔法を使うものにとって、あの遺跡は興味深い筈です」

「へぇ、あんな石が積み重なっているのに? マグルは本当に不思議だよ〜」

「あの石は、天文学に深く関わりがあります。夏至の日には、あの真ん中の円の中央に、最初の光が差し込むのです。円上に配置された門のような石積み、あれも暦の月を表しているとか神を模している、中には人間の器官を表現しているとも言われているのです。

そして何より、あの石の中央にはイギリス屈指の霊脈の中心点が存在します」

「霊脈というのは巨大な魔力の源よ。魔術の世界ではマナと呼ばれているの。地球上様々な場所で観測され、ある程度は一定でも時折量に変化が生じる事から地球の呼吸として考え、地球に意志があるとするガイア論の根拠にもなっているわ。

その土地土地に存在する霊脈の中心点には、大抵有名な遺跡とか宗教の建物が建造され、土地の有力者や第一人者の魔術師によって管理されているのよ。魔術師は人工物の神秘と自然のマナを用いて、魔術行使のための魔術基盤を、より確固たるものに改良し続けるんですって」

「丁寧な御解説、恐悦至極の極みに尽きる。ありがとう、我らがミス・ハーマイオニー・グレンジャー先生のよくわかる魔法講座でした!」

 

ロンがすかさず皮肉を口にすると、むすっと頬を膨らませてハーマイオニーは知らん顔をした。既にストーン・ヘンジは見えなくなったが、ハリーはもしかしたらホグワーツの地下にも、霊脈というものがあるのかも知れないと思った。それならスリザリンが秘密の部屋を地下に作った訳が分かるような気がするのだ。何だか少し賢くなった気がして、ハリーは口元を思わず緩めてしまう。

 

アストン・マーティンは黒い車体を駆りながら郊外へと出た。やがて前方に白い壁と屋根に乗った十字架が特徴的な建物が見えてくると、徐々に車の速度が減速し始める。建物横の小屋のシャッターが自動で開き、車は静かにその中へと姿を消した。

 

「長旅ご苦労様でした。ここが私達の住処、ソールズベリー大聖堂第5分院です」

「じゃあ降りて荷物を中に入れよう。俺腹減った」

 

士堂はそういうとそそくさと車を降りてしまった。ハリー達も後に続いて降りるが、いつになく士堂がゆったりとしているように見える。やはり彼でも我が家にいれば安心するのだな、と友人達は妙な感想を抱いた。彼は世間にいる時は、若干猫をかぶるところがあるように思えるからだ。

 

「士堂達はここに住んでるんだね」

「厳密にいや、教会には住んではいない。教会を挟んだガレージの反対側に、住居というか別館がある。俺達は普段そこにいるわけさ」

「へぇー。僕マグルの教会なんて初めて見たなぁ。意外と広いんだね」

「ええ、あなたの話だともっとこじんまりしているものかと思ったけれど、立派な建物じゃない」

「ソールズベリーとどうしても比べちゃうんだな。向かうが本部みたいなものだから、どうしたって見劣りする部分が目に入るっていう?」

 

すっかり日が暮れてしまった中、ハリー達は各々荷物を持って反対側に歩いていた。先頭を歩く士堂が玄関のドアに立つと、見計らったようにドアが開く。

 

「おお、やっと来たか。ちょっと遅れてはいないか?」

「まぁ、ハリーの家でちょっとね」

「なるほど、さもあらん。 

これはこれは、皆よく来て下さった。私が士堂の祖父、士柳・安倍です」

「こんばんは、お世話になります。ハーマイオニー・グレンジャーです」

「ハリー・ポッターです。よろしくお願いします」

「ロン・ウィーズリーです。えー、父と母から、よろしく言っておいてほしいと、伝言を、えーうけた… 受け取ってきました」

「これはどうもご親切に。君のご両親とは、旧知の仲だ。おいおいその話もしたいものだ。

ささ、皆狭い家だがお入りなさい」

 

ドアの向こうに立つ士柳に各々挨拶すると、彼は皆を中に招き入れた。挨拶をしたことに若干ロンがいばり腐ってハーマイオニーを見るが、彼女は気にせずに中に入る。

 

「あー、一応なのだが靴を脱いではくれまいか」

「へ?」

「我が家は日本式なのだよ」

「?」

 

ハリーが室内に入ろうとすると、慌てて士柳が止めに入る。確かにこの家の玄関口は珍しく、一段低い場所にあるようだ。何個もの靴やサンダルが置いてあり、丁寧に並んだスリッパがトイレでもないのに用意されている。

 

「ハリー達は知らなかったか… 日本では家の中では靴を脱ぐんだ」

「だから玄関が低い場所にあるのね?」

「んー、玄関が低いんじゃなくて、居間が高くなっている、かな。慣れないかもしれないけど、靴はやめて欲しいんだ」

「士堂、別に靴でも構いやしないんじゃないか。僕たちの靴、そんなに汚くはないぜ」

「うん、後で分かる。とにかく靴じゃ駄目なんだ」

 

初めて知る異国の文化に3人は戸惑いつつ、士堂の見様見真似をしながら靴を脱いで上がった。中に入ると、そこは普通のーイギリス風のー家であった。どちらかといえばダーズリー家の間取りに近いだろうか。

恐る恐ると言った感じでハリー達は中を進む。ハリーは最後に中に入った道子が靴を綺麗に揃える光景を、不思議な感じで見ていた。

 

「先に荷物を置いてもらった方がいいのではないかね。食事まで少しばかり時間がある」

「じゃあ、2階で良いんだな」

「うむ、そうしてくれ」

「皆こっち来てくれ。部屋に案内する」

 

士堂が先導するままに階段を上がると、部屋がいくつか連なっていた。ハリー達が2階に上がると、奥の部屋の前で士堂が待っている。彼の目の前には白い引き戸があった。

 

「何これ。ドア…だよね?」

「襖。引き戸だ。白い部分は紙で出来ている」

「冗談やめてくれ、僕たちの部屋は紙で出来ているっていうのかい?

もうちょっとマシな場所に泊めさせてくれよ」

「日本式の部屋が我が家の寝床なんだ。まぁ気にいるかはさておき、悪くは無いと思う」

 

士堂が器用に脚で襖を開けると、室内が目に入ってくる。

 

「わぉ。こいつは…」

「凄いわ、初めて見た!」

「うん、こんな場所見たことないや…!」

 

そこは魔法とは違う、異文化が醸し出す異世界というべきだろうか、ある種異質な空間が待っていた。ハリーが最初に驚いたのは匂いだった。引き戸が開いた途端鼻をついたのは、干草のような香りだったのだ。干草というとダードリーが持ってきた馬用のそれを思い出すものだが、この部屋から漂うのはもっと陽の光を感じる匂いだった。

部屋は思いの外広く、大人3人は十分な程だ。壁には横板が設けられており、板の上に花瓶やら文字が書いてある巻物らしきものやら引き戸がついた戸棚やらが備わっていた。窓は半円状のものが1つ上部にあり、その下に大きめの窓が3つばかし並んでいる。その窓には木の棒が格子状に張り巡らされた引き戸のようなものがついていた。

天井を見れば木の太い棒が規則的に張り巡らされており、機能美というものを感じさせる。

 

初めて見る和式の部屋に興味津々のハリー達を横目に、士堂は乱雑に荷物を置いた。

 

「ハーマイオニーは向かいの部屋使ってくれ。俺達は3人ここで寝る」

「ベッドはないの? 机もないじゃない?」

「下が畳だからベッドは使わない。床に布団ひいて寝ることになる。机が欲しかったらちゃぶ台が箪笥の中に入っているから」

「床で寝るの?」

「布団は敷くって。それに畳は藺草という草を編んで作る床板みたいなもので、消臭効果もあるって話だ。慣れない匂いかもしれないけど、案外良いもんさ」

「へぇー。君達の国についてはクィディッチぐらいでしか聞かないから、初めて知るものばかりだな」

「桜がトレードマークなんだろ」

「そうそう。試合前、なんかこう腕をこう交差する真似をして、レースを始めるんだ」

「桜は日本の有名な木だ。春になるとピンク色の綺麗な花を咲かせる。うちの庭にも植えてあるよ。腕を交差するのは武士の儀式を真似たんじゃないか」

「武士って言うと、にんじや?」

「忍者。違うんだけど、説明がややこしくて… また今度するよ。下降りよう、小腹減った」

「士堂、机を出したいんだけど手伝ってくれないかしら?」

「ああ、ごめんハーマイオニー… 君まさか勉強するきかい?」

「当たり前よ。学ぶべき事柄は山ほどあるわ」

「…物置から大きいちゃぶ台持ってくる。ハリー、ロン手伝ってくれ」

「…関心するよ。ハーマイオニーなら魔法省に今から入れる」

「ロン、ハーマイオニーがすごい顔してるよ」

 

ハリー達がひいこらいいながら大きめのちゃぶ台をハーマイオニーの室内に運び終わった時、彼女は既に下に降りていたようだ。3人ともなんだか納得できないような、何とも言えない気分のまま下に降りる。

リビングは一転して見慣れたイギリス式だった。要は1階がイギリス、2階が日本だということなのか。分ける意味がハリーとロンには分からなかったが、考えても無駄だろう。小腹がすいたという士堂を追って台所へと歩いていた。

 

「あれ、ハーマイオニー?何してるんだ?」

「あ、しまった…」

「祖母さん、何でハーマイオニーがここに?」

「…何故でしょう?」

「…まさか用意がまだ済んでいなかった?」

「…作り終わってはいました」

「…ハーマイオニー呼んだ理由は、これ?」

「…あなたは家事ができませんから」

「盛り付けを手伝っているだけよ。そんなに怒らないで」

「怒りはしません。私何も出来ない孫でございますから。じゃあ、失礼」

 

罰が悪そうな道子を庇うハーマイオニーをあしらい、士堂はテーブルに置かれた皿を一つ持ってそそくさとリビングに戻る。

 

「…僕たちも手伝おうか?」

「ロン、あなたが家事ができるなんて初耳ね」

「僕手伝うよ」

「ハリー、あなたまで良いのですよ。私のわがままにハーマイオニーを巻き込んだだけですから」

「いえ、やらせてください。ダードリのところで散々やってきたし」

「ですから」

「こっちの方が美味しそうだから、僕やりたいです。それに見たことのない料理がたくさんあるし。これ、何ですか?」

「私も気になっていたんです。初めて見るわ」

「申し訳ないことです。客人の手を煩わせるなんて… それは鴨です。こういった薄く切って食べることはイギリスでは少ないかもしれませんね。薄く切った鴨の身をこの鍋で煮て食べるのです。この鍋の中身は醤油という豆から作った調味料で…」

 

 

「放っておいていいのかな」

「俺たちに出来ることは料理を美味しく食べるだけさ。そうだろ、我が友よ」

「もちのロンさ。そこに関してはホグワーツでも負ける気がしない」

 

爪楊枝に刺さったアスパラのベーコン巻きを頬張りつつ、士堂とロンはちゃっかり小腹を満たしていた。広い机にはナイフとフォーク、そして箸が几帳面に置かれており、成程必要な準備は料理だけだろう。

するとリビングの奥のドアが開き、士柳と共に女性が入ってきた。

 

「何じゃ、行儀の悪い。皆が揃っていないのに先に摘みおって」

「いいじゃないか… あれ、橙子さんですよね。

橙子さん、お久しぶりです! 来ていたとは知りませんでした」

「野暮用があってね。本当はすぐにでも帰ってしまおうか迷った訳だけど、君たちが来ていると聞いたものですから」

「士堂? この女性は誰?」

「ロンは知らないか。この人は…」

 

面識のある士柳の横にしれっと立っている赤髪の女性に対して、訝しげな視線を向けるロンに士堂が紹介しようとすると、奥から道子達が料理の乗った台車を持って現れた。道子は橙子を見てすぐに微笑むが、ハーマイオニーは違った。橙子を見た瞬間。口元に手を置いてワナワナと震え始めたのだ。

 

「ハーマイオニー?どうし…」

「…もしかして、ミス・青崎では?!」

「ええ、そうですわ。失礼、あなたは」

「ハーマイオニー、ハーマイオニー・グレンジャーです! 魔術協会1992判基本学書!ルーン文字の変遷と復活の過程、ルネサンスにおける人体錬成研究! あなたの書かれた論文、全て拝読させてもらいました!」

「あ、あら、そう? 私の記憶が正しければあなたは」

「ホグワーツ生です! でも友人である士堂が示す通り、魔法使いだからといって魔術が使えない訳ではないと考えました!

私達にもつまり無意識的な魔術回路が備わっており、そして」

「…嘘つきイケメンの次は何だい、東洋のミステリアスな美人さんかい?ハーマイオニーは案外、節操がないんだな」

 

ロンが呆れたように溜息をつく間、ハーマイオニーは文字通り橙子を押し倒そうとする勢いで捲し立てている。その光景を時計塔の人間が卒倒するのではないかと思えるほどに、橙子という人間を知っている人からすれば珍しい光景であった。

 

「ははは、さっきは面白かった。あの橙子嬢があそこまで狼狽えるとは、中々見れない珍妙なものよ」

「酷いですわ、爺様。か弱き乙女を虐めるなんて」

「そうです。ご覧なさい、あなたの無神経なからかいでハーマイオニーが困っていますわ」

 

顔を真っ赤にして俯くハーマイオニーが力無く被りを振る姿を見て、ロンとハリーは笑いを堪えるのに必死だった。ハーマイオニーがとてつもない眼光でこちらを睨んできたから、目の前の食事に食らいつくふりをして何とか誤魔化す。

しかしハリーにしろロンにしろハーマイオニーにしろ、目の前の食事は珍しいの一言についた。もっぱらハリー達が食べる食事はトマト味かバターが定番なのだから、醤油や味噌と言った発酵食品は馴染みが深くない。生の魚を薄く切った刺身などは、初めは中々手が伸びなかったものだ。

 

「どうかな、ハリー君。日本の味は」

「はい、とても美味しいです」

「うん。それは良かった良かった。本当ならもっと美味い料理があるのだが、いかんせんここはイギリスなのでな。食材が中々思うようにいかない」

「そうなんですか?」

「いや、手に入らぬ訳ではないのだが、高くつくのでな。今日は皆が来るから張り切って作って貰ったが、常日頃は食べやしない。わたしたちでもパスタやサンドイッチと言ったイギリス料理はよく食べるしの」

 

士柳が大根と鮭、ジャガイモに人参を甘辛く醤油で煮たものを皿によそってハリーに渡してくれる。空になった茶碗にお櫃の御飯も添えてくれた。ピカピカと光る白米は、普段食べるパンとは違う未知なる世界をハリーに教えてくれる。ロンは牛肉の時雨煮をそのご飯にかけてスプーンでかきこみ、ハーマイオニーは以外にも器用に箸で鴨しゃぶを食べていた。

 

「ハーマイオニー、いつのまに箸なんか使えたんだ?」

「ええ、前に使う機会があったの。その、パパのお友達が、箸を使うものだから」

「上手いもんだな。中々そこまで綺麗に箸を持てるのは日本でも多くはないんじゃないか」

 

士堂が関心したようにいうと、ハーマイオニーは口をパクパクさせて何事か呟いた。言わんとする事を士堂が聞き返そうとしたものの、ハーマイオニーは鴨の切り身を10枚ほど掻っ攫い、豪快に口に放り込んでしまう。

 

「士堂、君達の国は最高だな! 麺を音を立てて食べていいなんて! ママにもいってやりたいよ、いつも煩いんだ。

ロナルド、音を立てて食べるのはおよしなさい。行儀が悪い、恥ずかしい」

 

士堂の横でそう言いながら、ロンは蕎麦をフォークで掬って食べていた。実はさっきまで箸を使って食べようとしていたのだが、慣れない箸にフラストレーションが溜まったのか、投げ捨てるようにフォークを使って蕎麦を食べ出したのだ。だが安倍家の人々はハリー達が箸を器用に扱えるとは思っていなかったから、フォークやスプーンを使おうが美味しく食べてくれればそれで良かった。

ロンが食べているのは、小さいざるに小盛りの蕎麦を入れ、鴨しゃぶの中で軽く湯掻いたものだ。うどんだとか素麺だとか、一口大の麺を鍋で湯がいて食べるのは士柳の好みであり、季節問わず節目の日には頻繁に食事の席に出される。

ロンが蕎麦を気に入ったようで良かったと士堂が胸を撫で下ろしている頃、士柳は茶碗によそったご飯にカレーをかけて食べようとしていた。

 

「あら爺様。食事のしめはまだカレーなのですね」

「ん。若い頃からの癖じゃからの」

「お身体に障りますよ。若くはないのだから、刺激物はお控えなさった方が宜しいのでは?」

「三つ子の魂百までじゃ。今更変える気はない」

 

仏頂面で答える士柳は、脇目も振らずカレーを口にしていく。何気なく橙子がテーブルの面々を見た時、道子と視線が合った。何も言わずにロンの皿に胡瓜の山葵漬けと蕪の酢漬けを載せていく道子を、橙子は実に楽しそうに眺めている。

 

「本当に。三つ子の魂百まで、ですわね」

 

日本食のおもてなしを存分に満喫したハリー達は、次に安倍家の地下室を案内された。ハリーとロンは地下への通路を下っていく時、ポリジュース薬を飲んで潜入した、スリザリンの寮を思い出す。スリザリンの寮からは無機質な冷たさを肌で感じたが、安倍家の地下室からは地面の温もりのようなものを感じる気がした。少なくとも逃げ込むなら断然こっちの方が嬉しいに決まっている。

 

地下室の一室、団欒室のような部屋に腰を下ろした彼らは、改めて自分達の自己紹介をすることになった。ハリー達は自分の家族について簡単に話したが、それは皆知っている。3人とも自己紹介とは名ばかりの、一言二言で終わる説明を口早にしただけで、自分の椅子に前のめりで腰掛けた。

 

「ええ。皆さんの思っている事はよく分かります。私の事は、ハーマイオニー嬢は兎も角、少年2人はよく存じ上げない筈ですね」

 

士堂の祖父母についても気にはなるが、やはり彼女が、今不敵な笑みを浮かべる東洋の麗女を、どうしても無視できない。くくと小さく笑ってから、青崎橙子は深く椅子に座り直した。

ハーマイオニーが目を見開き、士堂が自分の指の爪を噛み始める。ハリーとロンは思わず生唾をゴクリと飲み込んで、彼女にありったけの視線を注ぐ。

 

「私の名前は、青崎。青崎橙子。フリーの魔術師にして、人形師よ」

「人形師? あの玩具の?」

「いえ。貴方が考えているのは、文字通りの人形。人を模して作られる道具。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()7()()()()()()()()()()()()()()()よ」

「はぁ…」

 

ピンとこない。ハリーもロンも、橙子が自分達をいいように言いくるめ、煙に巻いていることぐらい察しがついた。

 

「申し訳ないけど、今の貴方達に初めから言うつもりはないの。貴方方は純粋な学生であり、根源を目指す追求者ではないのだから」

「つまりハリーや僕が魔法使いで、ホグワーツに通っているから教えてくれないって事ですか?そんなのおかしい!」

「一つ言っておくわ。私の前で『魔法』と言う言葉、軽々しく使わないでほしいわね。私達にとって、『魔法』とは特別な意味を持つのよ。

この世において、神と救世主のみに許された奇跡の再現。太古、人間のみならず生きとし生けるもの全てが追い求め、追い続ける永遠の希望(テーマ)を叶えうる文字通りの悲願。

()()()()使()()()()()()()()と、同一視されては困るのよ」

 

瞬間、橙子が放つ柔らかな雰囲気が一変し、針のような殺気がハリーとロンに降り注がれる。隠れ穴で教わった魔法について思い出しながら、ハリーとロンは首振り人形のように首を縦に振る。

橙子はゆっくりと眼鏡を外すと、手元のテーブルに置いていたタバコの箱を手に取り、火をつけた。道子とハーマイオニーが顔を顰めるのも気にする事なく、橙子は男性的な口調で話を続ける。

 

「さっきも言ったと思うが、ハリー。ハリー・ポッター。私は君に興味があって、今宵この英国の古びた地下室の埃を肺に吸い込んでいる訳だ」

「貴女の煙草のせいではなくて?」

「ハリー・ポッター。君はヴォルデモートを打ち破った事でそちら側の世界では英雄となり得ている。だが君の存在の本質的な意義は、そんな場所には存在しない事を、良く理解しておいてほしいんだ」

 

道子が横目で鋭い視線をぶつけるのも無視して、橙子は深く座り込んでいた椅子から立ち上がった。そしてハリーの正面へと一歩一歩近づいていく。

 

「君は、ヴォルデモートから受けた『死の呪文』を母親の『愛の呪文』で退けた。成程、私とてこの事実にケチをつけるつもりはない。

現にこうしてここに君は確かに生きているのだから。私の眼に、狂いはない」

 

橙子の赤みがかった瞳が、俄に光ったようにハリーは思えた。まるで合わせ鏡のように光が反射を繰り返すかの如く、刹那の輝きを放ち続けている。

 

「そして。ここに呪文の名残が残っている。名残というよりも、()と言った方が正しいだろう。この世の理。魂。抽象的で曖昧だが、しかし確実に在る何かへの」

 

橙子の煙草を持っていない右手がゆっくりとハリーに向けられる。彼女の手に嵌められた茶色の手袋が実に良く、ハリーは見えた。その上級そうな材質の革や微かに見える縫い糸、見えないが纏わりついている力。

 

「君の肉体に。そう、ここだ」

 

ゆっくりと近づく橙子の右手が形を変えていく。まるでそれは、エレベーターのボタンを押すかのように。

 

ハリーの、あの忌々しい家族を奪った印である稲妻型の傷に。

 

橙子の右手人差し指が触れた。




連続投稿する作者さんは本当に凄いです。
実は諸事情で電子書籍が読めず困っていたのですが、今回と次回の話はオリジナルなのだから本要らないんじゃね?と今更気がつきました。
ですので今回と次回はオリジナルの描写が出てきます。
原作者は日本についてあまり詳しくなさそうなので、ハリー達も予備知識ほぼゼロではないかと思っています。


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未知なる存在

橙子の人差し指がハリーの傷に触れた途端、世界が歪んだ。ハリーの意識は渦を巻くように撹乱し、まるで自分の額の傷に自分の身体が吸い込まれるようである。

掃除機がゴミを吸い込むようにハリーの意識が消えていく中、紅の閃光が矢のようにハリーの傷に吸い込まれるのを、ハリーは確かに感じとった。

 

それは不思議な空間だった。七色のーしかし赤や青といったありふれた色ではなく、赤紫や群青といったあまり見かけない色が多いようだー

光が煌めきながら、渦を巻くように中心に流れ込んでいる。ハリーの体というか意識は、その光と共に吸い込まれていくのだ。

 

(君の過去は想像通りと言った所だ。ありがちな話ではあるけれども、当事者からしたらたまらないものよね)

 

何処からともなく、橙子の声が聞こえてきた。ハリーが振り返ると、青崎橙子はこの幻想的な空間の中で、平然と立って正面を見据えていた。そのまま家の中を歩くかのように真っ直ぐに歩き始めるではないか。ハリーはこの状況もそうだが、目の前の女性の異常さに勘づき始めていた。

 

(君、まだ寝ているのかい?ここは君の過去の記憶なんだ。君自身がしゃんとしてくれなきゃ困るんだがね)

(な、何を言って…)

(君でもビデオは見たことがあるはずだ。あれを巻き戻した時、画面が早送りのように戻るから、虹色の歪みが見えるだろう?

正しくそれなんだ。今ここで君の過去を巻き戻しているところだ。私が気になることがあるから、少しばかり覗かせてもらうつもりだったんだが… 主人たる君はどうしたって入り込んでしまう訳だ)

 

ハリーは橙子が眼鏡を外している事に、今更気がついた。そして橙子の口調と言い纏う雰囲気といい、明らかについ先ほどまでの彼女ではない事が分かる。口調が物々しいというか、男らしさが滲み出ているというのだろうか。彼女であるのは確かなのに、彼女とは言い切れない形容し難い感覚だった。

 

(何にしても、私が見たいのはここでは無い。君の、君達の始まりの話だ)

 

壊れたビデオのように流れる映像は、どんどんハリーの記憶にない幼少期に近づいているようだ。チラチラ見える養父母は、今より脂が乗って肌艶も良く、憎たらしさだけ変わりないように思える。そんな彼らも消え去り、辺りが真っ暗になった。

 

聞こえてくる。蛇のような掠れた声がー それは扉を開ける呪文だ。ハリーは今更その事に気がついたー した後、扉が軋みながら開く音が。

ハリーの知る生前の父の声、母の叫びが。夢で見た、あの恐ろしい日の事が、臨場感を増して彼の目前で蘇っている。

 

(へぇ。姿は異形らしくはあるが、能力等は得ていない。ならここまでの肉体の変化を齎す何かが、彼には必要だったのか?

魔力も中々なものだ。ー何て事だ。どうやら君の父はこの事態を想定していなかったようだね。反撃がかなりお粗末だ、呪文の質からして彼の実力はこの程度でない事は明らかだがー)

 

ハリーの心境など興味がないのだろう、橙子はジェームズが呪文を放つシーンを冷静に分析していた。そしてジェームズの肉体に緑の呪文がぶつかった時も、ただただ見ているだけだ。

 

(おお、流石に…だがこちらの使い手は呪文の恐ろしさを分かっているのかね。死を齎すなんて代物では済まされないんだが。大方便利な呪文程度にしか考えていないのが目に浮かぶよ。

…君の母君は、杖を持たないのか。ああいや、これは母の本能だね。結末からすればどうとは言えないが、恐らく賢明な判断だったかもしれない)

(ど、どういうことですか)

(君、いじめっ子を見たことがない訳無いね。彼等からすれば、か弱き人間の必死の抵抗ほど、心くすぐられるものはない。それも例えば子を守ろうとする母の反撃なぞ、こういった人種にとっては好物みたいなものさ。

なまじ変に反撃でもしていれば、君の母親は生前の姿そのまま残っていなかったかもね)

 

教科書を読み上げるように橙子は言った。ハリーは何と言えばいいか分からない。ハリーの母は反撃しなかったから、良かったのか?

その間、リリーは緑の呪文を受けて絶叫しながら死に絶えた。そして奴が、ヴォルデモートが杖を振り上げてハリーに呪文を向ける。

 

鮮やかな緑だ。エメラルドに例えたくなるような、鮮やかな光だ。ハリーに向けられた緑の閃光は直撃するが、迸る閃光がヴォルデモートにも降り注ぐ。

彼の地を割るような絶叫と身体が溶けていくかのように輪郭が乏しくなっていく映像の最中、橙子が軽く右手を挙げた。

ビデオの一時停止のように、記憶の再生が止まる。彼女はハリーの記憶に歩み寄るとー表現がおかしいかもしれないが、実際そう見えるのだから仕方がないー 橙子はかざした右手で触れた。

 

(…これは一体…)

 

 

それはハリーには全く分からなかった。ハリーとヴォルデモートの丁度中間、緑の閃光が一際強い箇所だ。橙子の細い指がなぞるようにそこに触れた時だ。

 

例えるなら、針で開けた穴だ。それよりも小さな、肉眼では認識できない程に小さな穴だ。ハリーも薄ぼんやりとしか覚えていないが、マグルの世界で物理という講義で習うはずの、原子だとか素粒子だとか、そのレベルで小さいと言うものだ。

だがハリーは、橙子は分かった。橙子が指し示した途端、それまで全く分からなかった穴に気がついたのだ。

 

 

その穴を認識した途端、ハリーはゾッとした。

 

何かが見ている。

 

 

 

ハリーははっと息を呑んだ。彼はさっきまで同様、士堂家の地下室でくつろいでいた。

 

「どうしたのハリー。変な顔してるわ」

「えっ、そ、そうかな」

「ええ。お化けでも見た顔してる。顔も青いし、寒いんじゃなくて?」

「それはいけません。暖炉の火を強くしましょう、湯たんぽも用意しましょうか。すぐ持ってきます」

「そんなに冷えるかの。ロン君、どうじゃろ」

「僕は全く。全然大丈夫、こんなに快適な部屋はホグワーツ以外なかったぐらいなのに」

 

おかしい。周りにいる皆は何事もなかったのように寛いでいる。自分は妄想でもしていたのかと考えたが、それは間違いだった。橙子はいつの間にか椅子に腰掛けている。彼女は煙草をユラユラとくぐらせてはいるが、ハリーはわかった。

橙子の手元にある灰皿には、真新しい煙草が一本無理やり押さえつけられたように捨てられている。

 

「はいハリー。これを腹のあたりに抱えておけば、冷えもすぐ良くなります」

「生姜湯も作って置いた。檸檬も入れてあるから、身体が温まるはずだわい」

「まるで病人の介護でもしているようだ。大袈裟な夫婦だこと」

「お前さんはそこらで寝転んでも平気じゃろうが、何せ青崎の家のものだからな」

「そりゃどういう意味合いだ、爺様」

「何じゃい、青崎を嫌っているのか?それとも妹君の事がまだ引きずっているのか? ったくこれだから魔術師とやらは付き合いを考えねばの。執念深いと言ったらありゃしない」

 

口の中で小さく舌打ちをしながら士柳が愚痴ると、橙子は何も言わずにライターの蓋を何度も開け閉めした。甲高い音が部屋に響くと、嫌な緊張感が漂い始める。

 

「もう2人ともおよしなさい。子供達が怖がりますでしょうに」

「…ふん」

「何でこう頑固なんでしょうねぇ… 御三方飲みたいものを飲んでくださいね。ハーマイオニーとロンは何を飲みます?」

「あー…あたし紅茶を」

「…僕はじゃあココア! あっ、クリームとかって乗っけて貰えます?」

「勿論です。アイスなんかは如何?」

「わぁお。信じられるかハリー? ママは夜中にココアとアイスなんか一緒に出してくれた試しがないよ」

 

躊躇いが見えたハーマイオニーに対し、ロンは現金なものですぐに注文を出すようになった。だがロンにしても首筋に汗が滲んでいることを考えれば、あえてなのかもしれないが。

士堂は緑茶を祖母に頼んでから、ハリーと橙子の2人を視界に納める。さっき橙子が立ってハリーの傷に触れたかと思えば、すぐに席に戻ったのだが、それ以来2人の雰囲気がおかしい。ハリーは目線がおぼつかないし、橙子にしても先ほどまではあんなにイライラしているようには見えなかったのだから。

 

「おい、ハリー。一体全体何があったんだよ」

「何がって?」

「とぼけるなよ。橙子さんが額の傷に触れてからおかしいって」

「そうかな? 気のせいだと思うけど」

「ロンもハーマイオニーも薄々勘づいてはいるんだ。何か…」

「なんでもないよ。なんでもないから」

「おい」

「大丈夫。僕は大丈夫」

 

これだ。どう考えても大丈夫ではないが、ハリーは頑として話してはくれない。ハリーはどうも自分の問題で他人を巻き込みたくないという意志が強いのだが、士堂等からすれば笑い話である。

そもそもハリーの友人として一緒にいる時点で何かしらの出来事はあると覚悟しているからだ。士堂はかなり早い段階でー ハリーの過去を知った時点でー 覚悟したわけだが、ロンにしろハーマイオニーにしろ明確な時期は知らないし知るつもりはないが、ある程度は了承しているのはずである。それでもハリーは中々打ち明けてくれない。

しかしハリーの抱える問題は魔法界にとってかなり大きな問題である事が多い。ハリーの気持ちは分からなくはないが、どうにもやり切れない思いをする事を、ハリーに知ってほしい士堂である。

 

 

結局その日は夜遅くまで内容のない話をしていたような気がする。朝早くに出発しなくてはいけないのに夜更かしを決め込んだ訳だが、そこは腐っても千年の歴史を持つ安倍家であった。

 

「んー… よく寝たなぁ。目覚めはスッキリ、頭はバッチシだ」

「本当にスッキリ起きれたわ。ハリーはどう?」

「最高。頭の重い感じもないし、本当に昨日3時まで起きていたなんて信じられない」

 

日本に伝わる秘薬を子供達は処方されて眠りについた。それは睡眠薬の一種であるが、効果は全く違う。睡眠薬は脳を麻痺させて睡眠に近い状態にするものであるが、この秘薬は本格的な睡眠状態に一瞬で導くものだ。それも数時間分の眠りを数十分で得られるというのだから、優れものとしか言いようがない。

 

「残念だわ。あの薬さえあったらもっと勉強時間が確保できそうなのに。ねぇ士堂、どうにかお祖母様に頼んで分けてもらえないかしら」

「そりゃ無理だろう」

「少しでいいのよ。そうねぇ、2ヶ月分で十分よ。ねぇお願いだから」

「ハーマイオニー。多分お祖母さんは君には分けてくれないと思うな。2ヶ月が少ないと思う君には特に」

 

ハリーが呆れ気味に首を振ると、士堂とロンも同意する。ハーマイオニーは実に心外だとばかりに腰に手を置いた。

 

「あのね。いくら私でもあの秘薬の危険さは十分に理解しています。毎日飲まないことも、数日間は普通の睡眠を取らなくては効果が期待できないことも承知した上で、今後の為に必要だと言っているのよ」

「ホグワーツの談話室であの薬をがぶ飲みしているハーマイオニーが目に浮かぶよ」

「士堂、それは甘いな。僕だったらピンス司書の目を掻い潜って図書室で飲む姿まで想像できるね」

 

ロンが口をへの字に曲げながら顎でハーマイオニーを指す。ハリーも士堂も、ロンの想像した姿がありありと目の前で浮かんできた。真っ黒な隈を作りながら、本の山に埋もれ大量のインクと羽ペンを消費するハーマイオニーだ。昨年ほぼまんまの彼女を見知っているだけに、あまり笑える話でも無いのだが。

 

士堂達がアストン・マーティンのトランクに荷物を積め、出発の準備をしていた。これから指定されたポイントまで車で移動し、ロンの家族等と合流するのだ。わいのやいの言いながら荷物を整理する一行から離れて、ハリーは教会を眺めていた。

ハリーには凡そ信仰心なるものは、ピンとくるものでは無い。それでも今は、神というものに縋りたいと願う人の気持ちが、なんとなしにわかる気がする。まだハリーは昨晩のあの光景が、目から離れなかったのだ。

 

「ハリー、支度は終わりましたか?」

「お祖母さん。はい、僕の荷物は全て積み終わりました」

「結構です。我が孫は呆れたことに、教科書の類を危うく一式忘れるところでしたから。情けないと言ったらありゃしません」

「そうかな、士堂には助けられていますよ」

「いえいえ、あまり過大評価なさらずに。まだあの子には甘い点が幾つもある」

 

住処から出てきた道子は、エプロン姿で現れた。手をエプロンで吹きつつ、溜息を何度か吐く。ハリーは朝忘れ物で大騒ぎした友人を庇いつつも、自分の中で消化しきれない話をするかどうか迷っていた。

士堂やロンがトランクで右往左往している。どうやら荷物が上手く入りきらないらしく、一度仕舞った物を外に出して整理し直していた。手で鞄などのサイズを確かめるハーマイオニーや士柳等を見ていたハリーは、意を決して道子に質問した。

 

「あ、あの」

「なんでしょうか、ハリー?」

「あのお祖母さんは、その。士堂から聞いたんですが、マダム・ポンフリーみたいなことが出来るんですよね?」

「マダム・ポンフリー…?」

「あ、えっとなんていうのかな、傷の手当てをしてくれるんですけど」

「ああ成る程、医療者ですか。ー思い出しました、あの時に見た人かもーええそうです。私の専門は治癒魔術です」

 

 

ハリーは生唾を飲み込んだ。

 

「では傷についても詳しいんですよね?」

「ええ、普通の人よりは詳しいかと。何処か怪我でもなさいましたか?」

「その、ここで怪我をしたんじゃなくて、そのなんていうのかな。

ここの傷… なんです」

 

ハリーが髪をかき揚げ額を露わにすると、一瞬道子はたじろいだように見えた。しかし流石というべきか、衣をただしてハリーの額の傷に指を伸ばしてくる。

 

「そうですか、私は失礼ながら初めてお目にかかるもので… 」

「痛むんです。前からあったんですが最近特に頻繁に」

「傷が痛む。間隔的には、どの程度?」

「まばらです。でも変なんです、前に痛んだ時は、ヴォルデモートが近くにいた時だけでした。それなのに今はあいつが近くにいないのに、傷が痛むんです」

 

道子は何か言いたげに目を瞑りながら、ハリーの傷に触れてきた。ハリーは一瞬昨晩のような事が起こるかと思い身体を反応させたが、思い過ごしで済んだのは幸いだった。

 

「この傷については、何と言われましたか?」

「ダンブルドア校長は、ヴォルデモートとの繋がりだと。母さんの愛の魔法で死の呪文を防いだ時、ヴォルデモートと魂での繋がりが生まれたと」

「ええ。それは正しい。…ハリー、貴方は何が知りたいのです?」

「えっ?」

「この傷について私が知ることを伝えるのは容易です。しかしそれが貴方を救うか、私には確信はありません。寧ろ不安を増大させるだけだとさえ言えましょう」

「それでもいい。教えてください」

「…分かりました。私が知る話を語るべきでしょうね」

 

道子はそういうと、ハリーの額の傷をゆっくりなぞりながら、話し始めた。

 

「ハリー。貴方は『傷』を何と考えますか」

「傷を、ですか」

「『傷』の持つ意味は何に刻むか、そこが重要なのです。古来、特に私達救世主を信じる者からすれば、肉体は神からの贈り物とされてきた。

その身体に『傷』をつけるとは、何を意味するか」

「…」

「つまり神への一種の反逆ともいえます。古来から人々は身体に傷をつけ、色をつけました。それは敢えて傷をつけることで、刻まれた傷が持つ意味を強調する意図があった訳です。刺繍、刺青と呼ばれる物ですね。

貴方の世界に神はいないとされる。しかし肉体が神ないしはそれに準ずる高次元のモノから与えられたとする考えは、概ね変わらないでしょう」

「はぁ…」

「つまりですね。傷をつける行為の持つ意味の深さも、同じという訳です。貴方の傷は、例えヴォルデモートが意図していなかったとしても、向こうとの深い繋がりを意味している。その傷は敢えて言ってしまえば、ヴォルデモートそのものと言えます。ヴォルデモートの感情や魔力が爆発する度に、傷は疼くことでしょう」

「で、でもそれはあいつが近くにいた時だけでした。今あいつは近くにいないのに、どうして傷が痛むんですか?」

「それは…」

「教えて下さい」

「…ヴォルデモートの力が以前よりも強まっているからでしょうね」

 

ハリーは金槌で頭を殴られたような、激しい衝撃を受けた。よもやそのような指摘を受けるとは、ハリーは考えもしなかったのだが。

 

「…ハリー。一つ尋ねたいのですが、貴方は何故衝撃を受けるのです?それほど驚くことではありません」

「だ、だってヴォルデモートが力を増してるなんて…」

「復活したとは申しておりません。ただ以前よりも出来ることが出来た、私の知る話から推察するに仮初の肉体は得ている筈です」

「そんな、そんなの不味い! だってクレル先生に取り憑いていた時、あいつはゴーストのようだった」

「ハリー。厳しいことを申しますが、それは想像できたはずですよ。仮に貴方がヴォルデモートだとして、何年もそのゴーストのような状態に甘んじますか? しかも復活しかけた時、よりによって元凶たる貴方に邪魔されたというのに」

「それは」

「ヴォルデモートは我々の想定を超す執念を持っていることは、想像するに困りません。彼が仮初の肉体の純度を上げながら、真なる復活を目論みつつあっても、それは不思議ではない」

「…」

「だから申し上げました。私には貴方の不安を解決することはできません。これはもう単なる魔術師が介入できる代物を当に越しているのです」

 

ハリーの顔からみるみる血の気が無くなってきた。そんな不安に苛まれる少年を道子は抱きしめながら、背中をさすっていく。

 

「ハリー。一つ言えるのは、覚悟を決める必要があるということです」

「…覚悟、ですか」

「近い将来、貴方はヴォルデモートと相対することになる。これは間違いない。その予兆が傷の痛みなのですから。

受け止められない現実は、もしかしたら5年後だとか、夢みる時間はないのです。だから、覚悟はしておいた方が賢明ですよ」

「…近い、と思いますか」

「貴方は分かっている。でも認めたくないのではないですか」

「僕は…」

「かまいません。貴方の年頃なら、そんな事を考えずに他の事を考えたくなって当たり前です。私とて、酷な話をしているのは重々承知しています。

しかし、もう猶予はないのです」

 

ハリーの手は自然と額の傷に延びる。彼とてどこかで分かってはいた。これまでの経験から言っても、流石に想像できる事だから。それでも彼は、認めたくないと思った。

 

「でも、それは外れるかもしれませんよね?」

「…ええ、所詮は部外者の余計なお節介に過ぎませんから。当事者であるハリー、貴方の心に従いなさい」

「…分かりました」

「迷うならば、アルバスかミネルバに頼ってはどうです? 2人とも事情は察してくれるでしょう」

 

確かに賢明だ。だがダンブルドア校長は兎も角、マクゴナガル先生には何だか頼りたくないと思ってしまうハリーだ。単に成績の事でとやかく言われるのが目に見えているからかもしれないが。

 

「婆様。世間話は終わったかしら」

「ええ、終わりましたよ。貴女は支度を終えたのですか」

「私は荷物はコンパクトに纏めるのが自慢の種でして」

「そうでしたか?」

 

胡散臭そうに見られるのを厭わない橙子は、意味ありげにハリーにウインクする。直ぐに察したハリーは、道子に頭を下げた。

 

「ありがとうございました。お陰で悩みが解決できた気がします」

「そう、ですか。お役に立てたなら光栄です」

「あの、橙子さんと話してきてもいいですか? 学校についていろいろ相談したい事が」

「学校? ええ構いません。それならば若い彼女の方が適任でしょう。しかしもうすぐ準備が終わりますから、手短に」

「はい。本当にありがとうございます」

 

既に橙子は数メートル離れた所で煙草の火をつけようとしている。もう一度道子に頭を下げてから、ハリーは紫煙が揺らぐ場所まで小走りで駆け寄った。

橙子はハリーが近寄ってくると煙草をくぐらせながら、それとなく辺りを見渡すと、人差し指で何かを描いた。ほんの一瞬、ハリーと橙子の脚元に見慣れない文字が投影される。だがハリーは何ら気がつく事なく、息を軽く乱しながら眼鏡をはずした橙子の真横まで来た。

 

「はぁ、はぁ… 遠過ぎませんか?」

「群れるのが嫌いでね。見送りとかも性に合わないし、立ち聞きなんてもっての外だから」

「何となく分かります。そんな感じですものね」

「君、私の何を知ってるんだい? そんな口聞けるほど親しくなったつもりはないけれども」

 

満更でもない顔でそう言うと、橙子の切長の瞳が細まる。

 

「話は、察しの通りだ」

「なんなんですか? あれは一体」

「その事だが。君が見たものは幻想だ。今すぐ忘れたまえ」

「な、何を言ってるんですか?!」

「幻想だよ。君が見たものは幻想だ、いや幻想でなくてはならない。これはね、ハリー。大事な事だ。

《あれは幻想のまま、幻想として留めておかなくてはならないんだ》」

 

ハリーには、理解できない。例えるなら訳の分からない国語の問題とも言うべき、明確な解答が存在するとは思えない橙子の言葉は、ハリーから言葉というものを奪う。

だから橙子はハリーの耳元に顔を寄せると、辺りを憚るような仕草を見せた。

 

「君、ホグワーツで悪夢や夢魔について習ったかい?」

「多少は、です」

「そうか。では一介の魔術師として君に忠告する。悪夢や予知というものの対処法は幾つか存在するが、今回の場合君があれを現実だと認識することが1番の問題となる」

「現実だと思えば」

「それが狙いなんだ。君があれの存在を信じれば信じるほど、向こう側の存在にとっては好都合だ。

いいかいハリー。あれは君だから対処できないんじゃぁない。ダンブルドアだとて、対処はできない途轍もない代物だ。手軽に調べたりはしないように」

「ダンブルドア校長でも対処出来ないって、何が僕の身体に?!」

「君じゃない。君ではないが、君でもある。ハリー、これだけは他言無用だ。今回の件については、私が対処する」

 

橙子の強い口調からは、あの時見たものが自分の理解の範疇を超えた代物だと、十分理解できた。ハリーは背中に居心地の悪い寒気を感じるが、橙子はお構いなしだ。

 

「君を信用していない訳ではないが、保険として暗示をかけさせてもらう。あの件を他言しないように」

「それって魔術ですか? 魔法と似ているって士堂は言っていたけど、実際」

「ハリー。言い忘れたが1つだけ忠告しなくてはならない」

 

橙子の両手がハリーの両肩を掴むと、2人は正面で相対する格好となった。

 

「魔術師の前で、特に私の前で軽々しく『魔法』などと使ってくれるな」

「え…」

「君たちには実感できないかもしれないが、私達のいう『魔法』は文字通りの意味を遥かに超えている。

 

ー世界の根源から漏れ出た原初の理ー

 

大袈裟だって? 冗談じゃない。『魔法』が齎すのは、神話の世界で神々すらなし得なかった大偉業。誇張抜きで世界を塗り替える力を有するものだ。

それを受け継ぐ者は、並大抵の素質がなくては務まらない。家族や感情抜きに最適な人材が用いなくては、瞬く間に人の手から零れ落ちる」

 

橙子の言葉には、並々ならぬ想いが載っている。少なくともただの忠告ではない別の意味も含まれていることだけは、はっきりとハリーには伝わった。もしこの事をハリーが尋ねたら橙子は答えてくれるだろうか。

ハリーは質問したい気持ちも山々だったが、どういう訳かしようとはしなかった。虫の知らせなのか知りえぬが、ハリーはしない方がいいと思えたのだ。

 

「ごめんなさい。今度から気をつけます」

「分かればいい。ではハリー・ポッター。君に暗示をかけるが…最後の忠告だ」

「はい」

「君の立場、ヴォルデモートを打ち倒しただけが特別ではない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。心に刻んでおくといい」

 

ーまるで舞台の幕が降りるように、世界が暗くなるー

 

ーハリーには暗示などかけられたことすら認識できないー

 

ーそれでも最後に見た魔術師はー

 

ー笑っていたー

 

 

人気の多い石造りの街並みの中に、突風が吹き荒ぶ。皆コートやセーターの襟元で口を覆い、自然の猛威から逃れようとしている。街並みの一角にある古ぼけたアパートの一室で、ポットが湯気を立てていた。

 

「冷えるね」

「ふむ。私はそう思わないけど」

「君閉じこもりすぎじゃないかい。季節が変わることをもう少し肌身で感じてはみないのか」

「余計なお世話よ。季節なんて大々的な魔術を使う時以外考慮する必要がないもの。私の専門分野ではそんなものどうでもいいし」

「考古学に季節が絡まないとは思えないが。古今東西の文化文明は、歴史と地理と人間の、三すくみで成り立っているものだろうに」

「それは人間界の話。魔女は自然から隔離されるモノ。

ー嘘よ嘘よ。確かに季節は考古学では切っては切れない。でも私の専門は『解析』ではなく『発掘』。気にするのは湿度が主なもので、中身はどうでもいいから」

 

年季の入った木製の椅子に座る女性は、面倒臭そうな面持ちで髪を嵩上げながら、ポットを火から離す。ティーポットに熱湯を注ぎながら、彼女は突然の来訪者たる女性に背を向けながら問うてみた。

 

「でもあなたが来てくれるなんて、何の風の吹き回しかしら。あなたの専門分野に関して言えば、私の力になれることなんかあったとは思えない」

「そっくりそのまま返させて貰う。自分自身でも驚きを隠せないが、それでもやはり君が適任だと言わざるを得ない」

「そう。何か別なことをお探しのご様子で」

「自分で言うのも何だが、厄介なモノを引き受けてしまったことは否めないね」

「では何を探せばいいのかしら。何でもいいわよ。

どんな本でもあなたの手に」

 

 

「そうだな、先ずは思いつく所から。1431年頃フランス王国の資料だ。特にこの貴族に関して集めてくれ。名前はー」




間隔が開くことがデフォになってしまう…
何とか書けました。若干ハリポタと関係ない要素が絡みますが、ある疑問に関することなので。
上下巻となるほどのボリュームの為、気長にやっていこうとは思いますが、出来るだけ間隔は詰めたいです…


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ワールド・カップ

歩く度に聞こえてくるのは、例えば音楽家志望の子供が奏でるバイオリンの音色ではない。小鳥の囀りや木々の風に揺れる自然の音でもない。

欠伸を噛み殺すなんとも言えない小声と、早朝に叩き起こされたことに対する呪詛の言葉だ。

 

「…朝早いっても程度ってもんが…」

「…老人といえどもこんなに早いと身体に堪える…」

 

足取りが重い面々は、緩やかな丘を目にした途端に更に溜息をついた。

 

「…ここ登るのロン…」

「…パパ? ポータルは何処にあるのかってハリーが…」

「…うん? この丘の頂上だ。そんなにキツくない、さぁ登った登った!」

 

活気のあるアーサーは、拳を力強く掲げながら一同を先導する。お互いに頭を殴り合う双子や手を擦り合わせるジニー、何故か小さな手帳を読み込んでいるハーマイオニーと言ったメンバーと共に、ハリー一行はやっとこさクディッチ・ワールドカップの会場へのパスへと近づいている。

道子と橙子に実に丁寧に見送られた一行は、まずロン達の住居である隠れ穴へと向かった。無駄な行軍だと思われるが、何せウィズリー兄弟全員も行動するというから、致し方ない。

 

ハリーと士堂は隠れ穴にて、ウィズリー兄弟全員と相対した。ドラゴン使いの長兄ビルと銀行に勤める次男チャーリーは、なるほどウィズリー家らしい快活な性格をしている。少し違うのは双子やロンと違い、大人の常識と余裕というものを持ち合わせているところだろう。これではモリーが自慢話をしたくなって当然だと、士堂は感心してしまった。

勿論問題のパーシーとも再会した。彼はロンの嘆いた通りものの見事に変貌している。口を開ければ「役所、役所、役所。クラウチ、クラウチ、クラウチ」である。堅苦しい口調はもはや芝居じみており、目つきも刺々しくなった。幾ら魔法界で魔法省が屈指のステータスを誇る職場だとはいえ、こうも露骨にアピールするのは、グリフィンドールというよりスリザリンの連中が得意とすることだ。

ハリーと士堂に魔法省の素晴らしさを熱弁する様は、同様の傾向を持つハーマイオニーですら顔を顰めている。家族からの複雑な視線にも気がつかないパーシーは、文字通り典型的な舞台の登場人物のようだ。ハリーと士堂は、パーシーについてどうこう話す気は失せ、どうにか彼の話題を誰かに向けるように努力しようと、固く心に誓ったものだ。

 

丘はストーンヘッド・ヒルなる名前を持っていたようだが、どうでもいい。見た目以上の急勾配と、ランダムに配置された嫌がらせのようなウサギ穴に、皆脚元を掬われ上手く歩けないでいる。鍛えている士堂と士柳が先に丘に着くと、必死の形相で丘を登る皆が良く観察できた。

凍てつく寒さに手を震わせる士堂は、丘の頂の向かい側に2人組の男性がいる事に気がつく。士柳も気がついたのか、目を凝らして黒影をじっと見ていた。

向こうの人影もこちらの視線に気がついたようだ。1人が丘の頂を駆け足で下ってくる姿に、士柳が小さく感嘆の声を漏らす。

 

「…ええ走りするの…」

 

近づいていてきたのは、青年だった。長身の白人男性は、士堂を視界に入れるや否や、手を振ってくる。士柳が孫に目配せするが、孫の方は誰だかさっぱり認識できていなかった。

 

「知り合いじゃないのか?」

「うん…あんなにいい走りをする同級生や知り合いは心当たりがなくて」

「奴さんはお前さんのこと知っとるようじゃが」

 

青年は士堂より年上の、顔立ちが整っているのが印象的だ。爽やかなはにかみを見た時、士堂の記憶が一瞬で呼び起こされる。

 

「セドリック・ディゴリーか」

「覚えていてくれて嬉しいな、士堂」

「こちらこそ。ハリーは兎も角、俺の名前を覚えているなんて」

「君有名人だからね。投げ物の鷲騎士なんていや、ホグワーツで知らぬものなしだ」

 

祖父の冷たい視線を無視して、セドリックと士堂は握手する。

 

「ということは、ワールドカップに」

「でなければこの時間にこんな場所にいないさ。だろ?」

「そりゃそうだ」

「他には、やっぱりハリーとかも?」

「ああ。もうすぐ来ると思う」

「おおい、エイモス!!!」

「ああ、アーサー! 見つけたぞ、ここにあったここにあった!息子よ、こっちにあったんだ!!」

 

2人の背後から大声で会話し始めると、静寂に包まれていたストーンヘッド・ヒルが途端騒がしくなる。丘の頂からやってきた、古ぼけたブーツを手にした血色の良い魔法使いは、セドリックの父親エイモスだ。

出来のいい息子の自慢話が止められない父親の姿は、去年不幸な出来事で敗北を知った、グリフィンドール・クディッチチームメンバーにはウケが悪い。しかも少しばかり三男の兄貴を思い起こさせてしまう節が会話にあるもんだから、双子のフレッドとジョージは顰めっ面を長時間続ける羽目になった。

 

それ以外の面々は、初めて見る『移動キー』なるものに興味津々だ。マグルが触れないようにガラクタが使われるというが、なるほどいい塩梅で汚れて壊れているブーツなぞわざわざ拾う暇人はいない。ところかしこに感じられる魔法使いの妙な感の良さは、士堂からすれば笑い話なのだが、生憎このジョークが伝わる仲間を彼は持ち合わせてはいなかった。

そうこうしている間に時間はあっという間に迫ってくる。一同はブーツを中心に円状に詰めあった。全員なんとかブーツに指をくっつけている状態で、お互いのカバンやらコートの紐やらが顔や胸に押し付けられている。いかにも魔法使いらしいすっとぼけた光景も、アーサーの声で楽しむ余裕が消え失せた。

 

「もうすぐ時間だ、いくぞ!!」

「3!」

「2!」

「1」

 

 

まるで質の悪いコーヒーカップに乗っていたかのようだった。ひたすらに振り回されながら、目まぐるしく動く景色を見るしか出来ることはない。回転が収まり地に足がついた時、手をつかなかったのは安倍家とアーサー、ディゴリー家ぐらいだった。バランス感覚に優れたハリーや双子達も、心なし顔色が悪いようである。

 

「気持ち悪いかも…」

「口の中変な味する…」

「僕も同じだジニー…」

 

ハリーの何気ない言葉で頬に赤みが戻ったジニーが顔を伏せる姿を、双子はニヤニヤしながら一部始終脳裏に焼き付けていた事は、彼女が知る由もない。

一方アーサーが背中のバックパックから取り出した小さな粒をハリー達に渡しながら、目の前にいる魔法使いと思しき人物と何か話している。その間安倍家の2人は、小声で話し込んでいた。

 

「そもそも祖父さん、何で来たんだ? スポーツなんてテレビで見るぐらいじゃないか」

「わしとて来たくて来たわけでもないのじゃが。興味がないと言えば嘘になるが、頼まれごとがあっては断れん」

「頼まれごと」

「大人の話じゃ。何にせよ何事もなかったら、わしの仕事なぞ無いようなものよ。久しぶりにこちら側の空気や景観を味わうのも悪くはなかろうて」

「大事な頼み事頼まれた割には楽しそうだけど?」

「言うな言うな」

 

霧の中を20分ばかし歩いた所にある広い空き地に、目的のモノはあった。大量のテントが用意されており、キャンプ場のように見える。だが風見鶏や孔雀、煙突にオベリスクを模した柱など豪華絢爛な飾り付けがなされたテントの数々は、常人からすれば怪しむのに苦労しない外観であった。

 

「これだけの魔法使いが集まるから、当然魔法は禁止なんだ。だがまぁ、これまで見てもらった通りそんな事を気にするのは、あまり居ないのが現状なんだ。

うん、そうだろう。言わんとしていることは分かるが、だがそれだけクディッチ・ワールド・カップは神聖であり偉大なんだ。それに考えようによってはだね、こうしてマグルのキャンプを体験できるなんてそう滅多に出来るもんじゃない! さあまず何からやれば良いのやら… この紙は何だい?」

 

簡潔に言えば興奮しているから隠せません、ということらしい。おまけにアーサーはマグル式テント作成でテンションが頂点に上り詰め、テント用の杭を打ち込むことすら出来なかった。キャンプに連れて行ってもらったことがないハリーと、そうしたアクティビティには疎いハーマイオニーに、野外活動の経験もある安倍家の2人が指示を出して、4人でテントを作り上げる。

出来上がったテントは、中に車のトランクにかけられた空間拡張魔法の延長線にあるのか、古風なアパートに繋がる仕様となっていた。外観から10人は入れないだろうと考えていた4人は、目を大きく見開いて魔法の奇抜さに驚くばかりだ。

 

「何とも実用的だ。全く実用的だ」

「何だい僻んでいるのかよ」

「僻みはせん。ただこういった変化を魔法と表現するのは… 好きになれん」

 

ハリーは複雑な表情で荷物を置く士柳に、どう声をかけたらいいか分からなかった。しかしそんな彼の横で荷解きをしていた士堂が、呆れ気味に呟く。

 

「あんなの気にしなくていいんだよ」

「でも橙子さんと同じこと言ってるね。魔法って言うなってさ」

「それがおかしいんだ。橙子さんはれっきとした魔術師だけどな。祖父さんは魔術を実用的な実践道具としてしか扱わない、魔術使いと呼ばれる類の人間なんだよ。

のくせしてああやって魔術師みたいなこと言うんだから、溜まったもんじゃあない」

「でもそれだけ魔術師とか魔法に敬意を持っているってことじゃなくて? 素晴らしい精神だと思うわ私」

「そんなこと言うのは君だけだ、ハーマイオニー」

「そんな風に捻くれているのも貴方だけではなくて?」

 

虫を噛み潰したような顔をした士堂は、また荷解きに取り掛かる。祖父と孫の微妙な関係には、ハリー達も知り得ないものがあるようであった。

 

 

時間となりテントからクディッチ会場へと歩く道すがら、マグル出身者は道行く魔法使い達の奇抜な格好と、デザインを無視しているかのようなテントに目を奪われていた。ローブを身につけているのは分かるが、白のローブに虹色のリボンを彼方此方に付けるなど、センスが理解しにくいのだ。

 

「ハリー君、どう思う彼らの服装は」

「どうって… 珍しいと思います」

「うむ。わしらの歴史で言うところの中世、魔女狩りを受けた人々の服装によく似ている」

「へぇ! そうなんですね。魔女狩りに遭っていたけど、なんともなかったって授業で習いました」

「服装については聞いておらなんだか。いや面白いのはな。わしらの今の見解だと、魔女と呼ばれた人々は実際にはフレスコ画等に描かれたような服装はしていなかったと言うのが最新なのだよ。

ところが実際は、ほれ」

 

士柳が目を流した先では、老夫婦が手を繋ぎあって歩いている。彼らのとんがり帽子やマントには、小さな鳥籠が無数にくくりつけられ、多彩な鳥の鳴き声が撒き散らされていた。

 

「事実は小説よりも奇なり」

「そう、ですね」

「だから、面白い。わしらも彼らも、な」

「はい」

 

ハリーは不思議だった。彼がこうして歳が離れた人と話すのは、ホグワーツを除けば極々僅かだったから。ダドリーの祖父母は会いに来ることはあったが、ハリーは顔を知らない。大体狭い自室に閉じ込められ、大人しくしていなくてはいけなかったからだ。

今士柳と並んで歩くと、可笑しな表現かもしれないが懐かしいと思える。

 

「君のことについてはあまり知らんのぉ。孫が話すのは学校での奇想天外な出来事ばかりでの」

「僕って普通だと思います」

「いやいや、わしが知りたいのは君についてじゃ。好きな食べ物とか映画とか、あとは好きな女子のこととか、の。うっふっふっ…」

「そ、そんな事聞いて何になるんです?」

「おやおやまだそう言う色のついた話はまだかの。これは面白うなってきおったわい。おお〜い、双子の坊や! 何処かで飲み物買える場所ありゃせんかの〜」

「東方のお祖父様、彼方にアップルシードの屋台が出ておいででしたよ」

「もしも大人の味が思し召しならば、右手にありますのはダイアゴン横丁名物、ドラゴン畑印の葡萄酒」

「「他には何をご所望で??」」

 

前方で固まっていたのに、ペットのような素早さで駆けつけた双子のウィズリーは、大仰に腰を折った。2人の肩に手を置きながら、士柳はくぐもった笑いをする。

 

「お前さんらは知っておったか。生き残った男の子は女子の話に疎いようじゃ」

「なんてこった」

「なんてこった」

「それはいけないぜハリー坊や。頼りない我が弟に言えないのなら、俺らがちゃんと聞いてあげるよ」

「お気に入りの子と話したきゃ、ホグワーツの悪戯コンビにお任せあれ。お薦めするグッズ、『好きなあの子に届くアロー』も特別定価だ」

「ちょ、ちょっとちょっと」

「どこ行くんじゃ、折角の祭りじゃよ。羽目を外して楽しもうぞ! はっはっはっはっはっはっ!」

 

「ジニーはクディッチに興味あるんだよな」

「そうね。私は見るのもやるのも好きなの」

「ロンはブルガリアの選手を応援していたから、ジニーも同じか?」

「妥当だからね〜。かっこいいもん、ビクトール・グラム。だからってチームは別。アイルランド一択ね」

「ふーん。出身地を応援するのが当然か」

「あなたは何処を応援するの? やっぱりマホウトコロ?」

「日本、ね」

 

ジニーと並びながら辺りを見回す士堂は、チラチラと映る桜の旗に目をやる。ホグワーツのような魔法学校は世界中に存在し、士堂の故郷日本にも、マホウトコロという名の魔法学校が実在するそうだ。

 

「日本、数回しか行ったことがないからな。実感湧かない」

「あらどうして?」

「もう安倍家は離散しているから、親戚なんて知らないしね。祖父さん祖母さんこっちの方が長いから、2人が帰るって言わない限り、俺が行く理由がないのさ」

「ああ、そうだったの…」

「気にすんなよ。寂しいなんて思ったことないしさ」

 

表情が曇ったジニーに慌てて微笑むと、彼女はまた微笑を浮かべる。内心ホッとした士堂は、後方で1人歩くハーマイオニーに視線を向けた。

「…由々しき事態だわ。魔法省が動かないなら魔法使いの屋敷しもべに対する認識の問題…」

「…障害なのは意識。改革するから教育と啓蒙だわ。屋敷しもべに関する講義は、召喚術に。あと魔法史に…」

「…いいえ。いっそのことマグル学の方面から切り込むわ。自由主義について論ずれば共感者が得られる…」

ハーマイオニーの異変。ハリーが親しくなった屋敷しもべ・ドビーと見間違えた屋敷しもべの一言が、事の起こりだった。

 

「ああポッター様。貴方様のお陰でドビーは変わってしまいました!」

 

曰く屋敷しもべは主人に仕えることが絶対。仕事を楽しむや手当を貰うなど言語道断。簡単にまとめると2行に収まったが、実際は泣くわ喚くわで散々だ。

問題はハーマイオニーが引っかかったのだ。屋敷しもべとて対等な扱いをしなくてはいけない。意気込む彼女はハリーが皆に買ってくれた万眼鏡を片手に、目を閉じながら思案に耽っているのだった。

 

「折角のワールド・カップなのにハーマイオニーったら何考えているのかしら」

「聞けば良いじゃないか」

「嫌よ。どうせ私、ハーマイオニーと同部屋だから嫌でも聞かされるわきっと」

「賭けるかい?」

「賭けてもいいわ。1ガロン使える自信があるもの」

 

 

会場に着くと、広大な敷地を使ったスタジアムが目に入ってくる。10万人は入ると言う会場は、ホグワーツのクディッチ闘技場を全体的に拡張し派手にしたイメージだ。観客席の階段に敷かれた絨毯や手摺りを飾る宝石は、豪華絢爛の一言に尽きる。

アーサーの尽力で手にした最上階貴賓席は金箔の椅子が並んでおり、ダンブルドア校長ですら座らないだろう煌びやかさだ。貴賓席の真正面には、ワールドカップのスポンサーが出す広告を写す巨大な黒板があるが、金文字で描かれる品々もまた、値の張りそうなものばかりだった。

流石に来賓席にきてクディッチを頭から消すことはできないのか、ハーマイオニーが配布パンフレットを読み込んでいる。

 

「試合に先立ち、チームのマスコットによるマスゲームがあります」

「ワールドカップの見どころだ。見応えがあってね、ナショナルチームが自分の国から動物を連れてきてやるんだよ」

 

見応えがあるショーはまだ見れない。士堂達が座るのは貴賓席である、つまり他の席に座る人物は自ずと限られてくる訳で、魔法省の高官や他国の官僚が次々現れる。友人でもある世の中の有名人がやいのやいの言われている中、士堂達も知る魔法省の顔馴染みが見えた。

 

「ああ、ファッジ。お元気ですかな? 妻のナルシッサ」

「これはこれは、お初にお目にかかります。 ご紹介いたします、こちらはオブスランク大臣ー オバロンスクだったかなー ミスター、あー、ブルガリア魔法大臣閣下です。ああ気になさらんでも結構、ブルガリアの言葉は分からんのですよ。

アーサー・ウィズリー氏とは顔見知りで?」

 

ちょっと考えれば彼等が来るのは想像できた。イギリス魔法省魔法大臣コーネリアス・ファッジは、もしやアーサーとルシウスの関係を知らないのだろうか?

 

「これはこれはアーサー。貴賓席なぞ随分と、なんと申せば良いか…身の丈に合わん真似事をしなさったな」

「ルシウスは聖マンゴ魔法疾患障害病院に多額の寄付をしてくれてね。感謝の意味を込めて、私が招待したんだ」

 

知らないようだ。

 

「それはー 流石はマルフォイ家ですな。実にー 実に結構なことで」

 

アーサーの奥歯に物が挟まったような物言いは、精一杯の努力だろう。ファッジは何故アーサーが身体を震わせているのか分からないようで、頭の上には?を浮かべていた。

ルシウスはアーサーを鼻で笑うと、ハーマイオニーと士堂、士柳に視線を移した。以前のことを思い出したハーマイオニーが健気に睨み返すなか、若干頬が赤く染まる士柳が、彼女を遮るようにルシウスの眼前に立つ。

 

「どうもルシウス・マルフォイ氏。私士柳・安倍と申します。私の孫もホグワーツに通っておるもので、お宅の息子さんと同学年なのですよ。以後お見知りおきを」

「ほう? 貴方の、お孫さんが。今後とも宜しくお願いしよう。

だが失礼ながら貴公を拝見する限り、杖は使われないのですかな。魔法使いというには、少々不釣り合いのようだ」

「生憎まだ足腰は丈夫でしてね。杖なぞ使わんでも、多少の手品は出来ましょうや」

 

士柳はルシウスの嫌味を受け流した瞬間、左手のローブから銀色の刃が覗いた。刃の先端が青く光った途端、地面に向かって白い稲妻が迸る。

ファッジ等政府高官達は世間話に乗じて気が付かなかったが、ルシウスには充分見せつけることはできたようだ。ルシウスの瞼がピクリと痙攣したが、変化といえばそれだけだった。

 

「…東方の珍妙な手品。とくと拝見致しました」

「他にも趣味嗜好を変えたものをご覧になれましょう」

「残念ながら、私は手品ではなく優れた魔法使いによるスポーツを見にきたのだ。ここで失敬させて頂く」

「それは御足労をおかけした。願わくば私の手品をご覧になる機会がないことをお祈り申し上げます」

 

ルシウスが無理やり口角を上げてお辞儀すると、踵を返して貴賓席に戻っていく。彼の妻が後に続き、彼の息子ドラコがハリーに向かって意味深な笑みを返して立ち去ると、アーサーが大きくため息を吐いた。

 

「やれやれ…」

「えっ。大人になったなアーサー」

「おやめ下さい士柳さん。ルシウスの奴がどれだけ魔術について知っているか、私どもは分からんのですから」

「じゃが収穫はあった。アーサー、警備の者は全員で50人ほどだったか?」

「ええ」

「そうか… 誰かマルフォイにつけろ。それとなくでいい、見張らせとけ」

「はっ? な、何故ですか」

「彼奴、わしの魔術を見た時、不思議そうにもせなんだ。言うなれば力量を見極めるような目をしとった…

まるでこの後、わしの魔術を見る機会があるかのようにの」

 

 

不穏なー感じ取っていたのは士柳とアーサー、僅かに士堂とハリーぐらいだったがー 雰囲気を残しつつ、クディッチ・ワールドカップは幕を開いた。ナショナルチームのマスコットによるショーは、各国の魔法生物が催しを盛り上げてくれる。決勝戦のカード、イングランド対ブルガリアではブルガリアのマスコット・ヴィーラによる魅了と、イングランドのレブラコーンによる金貨の雨が観客を文字通り有頂天にさせた。

普段は何処か熱狂的な催しを冷めた目で見がちな士堂も、手を腫れんばかりに叩き、床を踏み鳴らす。

 

特に凄かったのが実際の試合であった。ホグワーツのクディッチも爽快感ある試合運びが人気の理由だが、眼前の試合では試合展開もプレイ速度もホグワーツの比ではない。

 

「凄いな、肉眼ではとてもじゃないが追いきれない! 魔術強化で何とかなるぐらいだ!」

「わぁ、凄いや! 僕何にも見えやしないよ、こんなにいい試合してるっていうのに!」

「ハリー、あなた何のために手に持っているのを買ったのよ! 今使わなきゃいつ使うの?!」

「ひゃー、おったまげだハリー!万眼鏡って凄いんだなぁあー!! グラムがこんなに見えるよー!!」

 

子供達が選手のプレーと会場の熱気に酔いしれるなか、士柳は金のグラスでワインを呑みながら、会場を隅から隅まで観察していた。試合が序盤から中盤に差し掛かり、殆どの観客の視線はコートに向けられている。その中でも仲間のために買い出しに行く人々は多少なりともいるものの、数は極々僅かであった。

士柳は極々僅かである買い出しに行く人々や、出入り口の周りに目を凝らす。出入り口の側では黒のフードを被った男が数名、人目を憚るように頭を寄せ合っていた。

 

「アーサー、アーサー」

「いけぇー!!! っどぅぁー!!! 今のは反則だ! 反則だ!」

「おいアーサー… ったくこれだからこっちの世界の連中は…」

 

士柳はワインを飲み干すと、貴賓席から立ち上がった。彼の立ち上がるまでの動作はあまりにも自然で、周りの観衆は誰一人として、彼が先を立ったことに気がついていない。風のように人混みを避けながら士柳は、黒のフードを被った連中を視界の端に留めながら、着実に対象との距離を近づけていく。

黒のフードの連中は会場を出て、宿泊テントへと脚を運んでいる。士柳は先回りをして、テントや木の影に身を潜めつつ、耳をそば立てた。

「…もの準備はいい…」

「…な、なぁ。本当なんだな。本当に…」

「…らない。だがあいつが俺に言っ…」

「…証拠は? あいつが本物だ…」

 

複数の人物が顔を寄せ合いながら話し込んでいる。皆白の仮面をつけているのだが、士柳は黒のフードと白の仮面を身につける連中を見て、眉を顰めた。

 

「…かく、決行する…」

「…ああ。やるしか…」

「…では手筈通り…」

 

士柳が密かに近寄ろうとした瞬間、集団は霞のように姿を消した。暫く物陰に隠れていた士柳は、姿が消えた地点に忍足で近づくと、懐から一冊の本を取り出す。黒の背表紙には白の文字が短く記されているだけで、他に装飾の類はない。

 

「念には、念をな」

 

彼は本の1ページを切り取ると、地面に落とした。

 

『願わくは、聖父と聖子と聖霊とに

栄えあらんことを。

始めにありし如く、

今もいつも世々にいたるまで。

 

願わくば迷える子羊の跡を辿り。

迷える子羊に道筋を教えたもう。

 

アーメン』

 

地面に向かって落ちる紙は、空中で士柳の詠唱に合わせるかのように燃え上がる。生い茂る草には、微かに燃え滓が触れたかどうかといった程度だ。

燃え滓は黒い線となって空中を漂うと、何処へと言うことなく消え去っていった。

 

「忙しくなるわい」

 

士柳が会場に戻ると、たった今試合が終わったようだ。緑の帽子が波のように揺れ、あちこちでクローバーを模した大旗がひらめいている。観客達が手に持っていたものを所構わず空中に放り投げるものだから、飲み物やプログラムやら何やらが雨のように降ってきた。

頭を下げながら席に戻った士柳は、林檎のような顔をしているアーサーの肩をもう一度小突く。

 

「アーサー、大事な話がある。アーサー」

「うおおおお!!! アイルランドが、アイルランドが勝った! 

オーオー、オオオオー、オオオオー!!!」

「だめだこりゃ」

 

深々と貴賓席に腰を落とした士柳は、ロンと肩を叩きながら会場の中央付近を指差す孫の姿を微笑みながら見つめていた。しかし彼の皺が目立つ手は、懐のローブの中に潜んでいる。手は一本の剣の柄を握りしめていた。

士柳は剣を見ることなく、柄を握る手をゆっくりとずらしていく。カチリと小高い音が鳴った後、ローブの隙間から光が漏れた。よく磨かれた剣の刃は銀色の光を放ちつつ、以後に起きる騒動の前触れを感じ取るかのように、光沢のある輝きを保ち続けていた。



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