星の海を渡る船 (仁倉)
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保健室の悪夢と緑の帯

―まただ…

夜半。完全に日が落ち街灯ともる街の上空。私はコンクリート造りのビルの屋上にぽつんと立っている。

―ここは、どこなんだろう。

視線の先、異国の丸みを帯びた塔の頂上に男が立っているのが見える。闇に隠れ曖昧だが金にも似た衣装を纏い、爛々とした目でぞうっとするような笑みを浮かべている。まるでこの世の頂点に立つかのような威圧感が、かなり離れた位置にいる私にも伝わってきて震撼する。その男は、ただ正面を見据えていた。

男の視線の先には、同じように只人では到底上ることもできぬ尖塔の上に立つ青年がいた。

―彼らは、誰。

金髪の男と赤髪をたなびかせた青年の周りには、か細い、しかしとても美しい緑のピアノ線が張り巡らされている。

―これは、まさか。

青年が手を挙げた。緑の糸から、無数のエメラルドが飛び出すのが見えた。エメラルドは一直線に男に向かって煌めき飛んでいく。

その時、男がにいっと嗤った。

 

どん、と後方で音がする。尖塔に立っていた青年が、居ない。

―嫌、だ……

音がした方へ、ゆっくり振り返る。振り返りたく、ない。

赤く赤く、滴る水が目に入った。

 

ぐん、と後ろに体ごと引っ張られる感覚が私を襲う。

―待って、まだわかってない!!

風景が溶けて消える。閃光があたりを走りめぐると同時に、今度は急速に体が浮き上がる感覚が襲ってくる。

―彼を助ける糸口がッ!!

 

 

彼女がばっと目を見開くと、目の前には見慣れた天井。荒く息をつきながら身を起こし、彼女は目覚まし時計を見た。時刻は2:48。それを見て彼女はまたか、と呻いた。

額に流れる冷や汗をぬぐう。もう一度、目を閉じて眠る気にはなれなかった。

 

 

 ***

 

 

十輪寺結(じゅうりんじ ゆい)は非凡な女子高生である。

校内では柔道部のエースとして名が通っており、独特な拳法も体得しているらしくめっぽう喧嘩に強い。以前コンビニ強盗の強行に居合わせて犯人を確保し、表彰を受けたくらいだ。それでいて日本人離れした生まれつきの茶髪と澄んだライトグリーンの瞳。なんでも父方の祖母がイタリア人らしく、その血を濃く受け継いでいるのだとか。

以前その風体に下卑た興味を持った不良グループを単騎でのしてから、彼女に対するそういった類のうわさはタブーとなった。もっとも彼女自身はそれを気にするでもなく、話しかければ気さくに応じる一見普通の少女のつもりではあるのだが、周りは一目置いているといったところか。

……そんな彼女よりも目立つ規格外が校内にいるのだが、それは別の話。

 

 

「おはよう、十輪寺さん!」

「おはよう」

今日もクラスに入ると元気なクラスメイト達の声がする。十輪寺が自分の席に向かうと女子からねえねえと声をかけられる。

「知ってる?今日転校生が来るらしいよ。別のクラスなんだけどね。」

「そうなんだね。」

楽しそうな彼女らに笑み返しながらも、十輪寺の心はこの夜に見た夢にとりつかれていた。どこか浮かない表情の十輪寺を見て女子の1人がひょいと顔を覗き込んできた。

「あれ?寝不足?隈出来てるよ。」

「…ああ、最近勉強が追い付いてない感じでさ。」

前髪を掻き上げながら十輪寺は作り笑いを浮かべる。真面目なんだからァときゃらきゃら笑って彼女は話の中に戻っていった。

それをよそにカバンの中から教科書を取り出しながら、十輪寺は夢の出来事を反芻する。

(あれはたぶん外国。いつなのか、どこなのか…詳しくはわからない…)

夢の出来事が取り出したノートの端に箇条書されていく。

(金髪の男…目は赤。様子からして、捉えられた側。私は会ったことがないはず。)

簡素だが上手い落書きがなされていく。

(赤髪の青年…あれは長ラン?…でも、日本人なら辻褄が合う…。あの緑の、網は、まさか…)

かり、とペンが止まった。彼女はペラリと昨日の授業のページをめくる。そこには同じようにメモと落書きが残っている。彼女がこの夢を見たのは、今日で3度目だった。場面は変わらない。アングルも変わらない。

(いつも見るのは1回きりなのに…一体なぜ…?)

 

 

その日の終業のチャイムがなる中、十輪寺は荷物をまとめバイバイとクラスメイトに手を振る。下駄箱に向かっていると、生徒のざわめきの中、何故かある声が耳についた。

「君。空条承太郎はどこの教室ですか。」

自分に訊かれた訳ではない。それでも耳に残ったのは、訊かれている側の名前が、この学校ではあまりにも有名すぎる人物だったからだろうか。

「ああ?JOJOなら3-Bだけど…今日も来てねぇよ。」

「そうですか。」

十輪寺が振り返る頃にはそれだけで会話は終わっていたのだが、質問をしていたその人物が目の端に入り、十輪寺は雷に打たれたような衝撃を受けた。赤い髪に、緑がかった長ラン。……夢の中の青年、だった。驚いて立ちすくむ十輪寺の横をするりとすり抜け、青年は無表情に人の波に消えて行った。周囲の喧騒に取り巻かれながら十輪寺は立ち尽くした。彼はもう人並みにまぎれて見えなくなっている。

「……今の人…」

ぽつりとつぶやく彼女の声は下校前で楽しげな学校の中に飲まれていった。

 

 

 ***

 

 

ガチャリと自室の扉を通り、十輪寺はカバンを置くこともせずそのままベッドに倒れ込んだ。

「…これは、一体」

ぽつんと呟く。返答は求めていない。

(いつもと…何か違う気がする。)

彼女は深夜にも見た目覚まし時計に視線をうつす。買ってから、ついぞベルをならした記憶のない目覚まし時計。

(誰かに相談するべき…?)

眉根に皺を寄せ目を閉じる。十輪寺には、家族にしか明かしていない秘密が1つある。

悪夢だ。嫌にリアルで、はっきりとしていて、恐ろしい思いをする悪夢。

(どうしよう。でも、まずは…)

脳裏に浮かぶ人物。赤い髪の、緑の長ランの青年。

(調べてからの方が良い。)

それに……と、思考の端に別の興味を浮かべながらも、彼女はまどろみの中に沈んでいく。

(…スタンド使いなら訊いてみなきゃ。)

短い午睡の中に、彼女はそのまま落ちていった。

 

 

 ***

 

 

…夜が怖い。子供のようなことをと思われるだろうが、私にとって夜は最も怖いものだった。何せ眠りという安心が得られず、眠る前にはある程度心構えが必要なのだから。それは今夜も例外ではなかった。…もっとも、懸念していた連日のあの夢ではなかったけれど。

―ここは、保健室?

あの夢でなかったことに少し面食らいながらも、気を引き締める。ここは見慣れた校舎の保健室。カーテンも引かれていないベッドには今朝方見かけた不良がふざけた態度でねそべっている。大方授業をサボりに来たのだろう。何せここの主の先生は美人で優しい人である。視線を移すと、その誰にでも優しい保険医と、彼女の椅子にどっかりと座る意外な人物が目に入った。

―空条承太郎…?

ふと眉をひそめる。学校…いや、この地区一番の不良。男たちの憧れと恨みを一心に買いながらも喧嘩負けなしという、別格の彼。

―…何故ここに?

理由は簡単だった。彼の膝の下辺りに、何やら大きな傷があるではないか。

―まさか、あの空条先輩が喧嘩で怪我なんてないよな…それにしては傷口はきれいにぱっくりと裂けている。まるで鋭利な刃物で切ったような…。

私が思案している間に、保険医は朗らかに笑いながら机に何かを取りに行っていた。立ち上がった空条先輩は何かを落としたようで拾い上げる。

 

その時、今まで無音だった夢の中に悲鳴に似た叫びが上がった。

「せ、せ、先生!?何してるんですかーーッ!?」

ベッドの上の不良たちだ。私と空条先輩がバッと振り返ると、そこには尋常でない形相をし、インクが白衣に滴るのも気に留めず万年筆を振り回す先生の姿があった。

「何って…体温計を振ってるんじゃない!!」

「先生!それは万年筆です!!」

「万年筆ですってぇ!?なんて頭の悪い子なんでしょう!!」

ブンブンと万年筆を振り回しながら不良たちに近づいていく。その足元に、ズル、と、何か緑色の帯が見えた。

―まさかアレがッ!!

思わず女医に手を伸ばすが、手は女医の体を突き抜けていく。

―くっ!!

つんざく悲鳴とともに僅かな血が飛ぶ。……女医の持った万年筆が、不良の目を抉ったのだ。

―夢だっ!これは夢なんだっ!!

バクバクと心臓がなる。助けられない罪悪感と起きたことの凄惨さ。

―なんなの、これ…ッ!?

ぐん、と体が後ろに引かれる。夢から覚めるのだ。逆らうことは、できない。

 

 

パっと目を見開くと、彼女の目にはいつもの天井が映っていた。荒くなっていた息を整えながらずっしりと重く感じる上体を起こす。

(…今度は、保健室。)

十輪寺は時計に目をやった。現在深夜2:16分。

(今までの夢と一緒…じゃあ近いうちに…)

ぐっと唇を噛み締め、ベッドから立つ。カーテンを開くと、まだ開ける気配のない夜がただそこにあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

(大丈夫…)

セーラー服に袖を通しながら、十輪寺は自分に言い聞かせる。

(今回は防げそうなんだ…!あの時だって強盗防いだじゃない。)

夢の凄惨な光景を思い起こし、彼女は人知れず身震いする。長い茶髪をポニーテールにして一息つくと、彼女は自室を出た。母とともに食事をし、玄関を出る。ここまでは普段と変わらない。

(今日か明日かはわからないけど…)

いつもの通学路、彼女は思案する。

(理由をつけて保健室に居座るか、あの不良たちに張り付くか…)

夢を反芻してふと、彼女は1つの違和感にたどり着く。

(そういえば空条先輩、なんであんな怪我をしてたんだろう?)

彼は夢の中の事件では脇役だった。が、十輪寺が最初に感じていた疑問。彼が喧嘩で勝ったという話はそれこそ月2、3回は耳にするが、怪我をしたということは聞いた覚えがない。

(それにあの緑の帯。…アレは、あの夢のときのと一緒なんじゃあ…)

十輪寺が神社の石畳の階段前に差し掛かったときだった。きゃー!と女子生徒の黄色い声が聞こえてきたことで、彼女は一気に現実に引き戻された。前方を改めて見ると、何人かの女子生徒の中に1人、頭1つどころか3つほど抜けた破帽の男が背を向け歩いている。十輪寺はその姿を見てはっと身を引き締める。

(空条先輩だ…)

ただ歩くさますら威風堂々。学区一の不良であり孤高の男は、その家柄や血筋も恵まれているらしく、日本人離れした美しい容貌も持っている。キャピキャピとした女子生徒が寄ってたかってついていくのも納得である。……十輪寺としては、あまり近寄りたくはない存在だったが。

(どうしよう…彼をつけるのはヤダなあ…)

彼をつけているのがバレることはすなわち、取り巻きの女子を敵に回すことにもつながる。空条と女子たちどちらからも目を付けられるのは正直御免だ。

だが、そこまで考えて十輪寺はふと苦笑いを浮かべた。

(…なんて小さいことを。あの人たちを助けるのに、こんな躊躇はしてられないよな。)

彼女が心を決めて前に向き直ろうとしたその時だった。視界の端にある人物が写りこんだ。少し離れた木立の中に、キャンバスに向き合う人影。

(あの人…ッ!)

前のひとふさを垂らした特徴的な赤髪に、深緑がかった丈の長い学ラン。何度も夢に出て来た人物であろう青年だった。思わずまじまじと凝視している十輪寺には目もくれず、青年は暗い目でキャンバスに向かっている。

(…どうする?声をかけるか…?)

十輪寺が躊躇している時だった。今まで丁寧に筆を運んでいた青年が一閃、乱雑に筆を引いた時。

「な、何ぃ!?」

小さな呟きだが、驚愕に満ちた声。十輪寺がはっと目をやると、石階段に差し掛かった空条がバランスを崩して前のめりに倒れかかっているところだった。

「あっ」

同時に彼の左膝下からわずかに血が飛んでいるのが目に入る。そして、一瞬のうちに草影に紛れたきらめく緑。

ほんの、1秒にも満たない一瞬だった。空条が階段下に消えていく。その時になって初めて女子生徒から悲鳴が上がった。

「きゃー!!JOJOー!!」

悲鳴に我に返って石階段に駆け寄ると、十輪寺は己の目を疑う光景を目撃した。空条の肩のあたりから青い隆々とした腕が伸び、木立の枝の一本を掴んだではないか。

「えっ」

取り巻きの女子たちが一心不乱に階段を降りる中、十輪寺はその場に立ち尽くす。

(い、今のはまさか…!)

ドサ、と大きな音を立てて空条は草影に着地した。遠目に見たところ、膝の一点以外目立った怪我はない。

「JOJOが階段から落ちたわッ!」

女生徒の悲鳴混じりの声がする。呆然と立ち尽くした十輪寺の横を1人、ストールをたなびかせながら通り過ぎる影。その人物――赤髪の青年の横顔を見て、十輪寺は身震いした。

ほんの一瞬しかすれ違わなかったが、青年の目にはなんの感情も焦りも浮かんでいなかった。

 

 

(何なんだ…これは、一体…)

階段下では空条と青年が何やら話している。傍目には全く剣呑な雰囲気などない。青年が会釈をして去っていく。

(…追おう。)

冷水をかぶったかのような芯の冷えた心地だが、十輪寺は覚悟を決めて階段に踏み出した。

 

 

 ***

 

 

何事もなく歩く青年を十輪寺は一定の距離を開けて尾行していた。

(とりあえずは学校に向かってるね…)

青年の後ろ姿を観察しながら考える。

(この人は何者なんだ?うちの制服でもないし、見覚えもないんだけど…)

そこまで考えて、十輪寺はふと昨日の友人との会話を思い出した。

(転校生、か。だとしたら…まさか、目的あってこの学校に?)

目的は何だろうと思案する。夢の緑の巣。保険医に巻き付いた緑の帯。

緑の何か。夢の中に、それは付き纏う。そして先程見た草かげに隠れた緑のきらめき。

(あれは、私のモビーと……)

モビー。彼女がそう何かを思い浮かべたとき、ふいに青年が道をそれた。通学路から離れた木立の中に進んでいく。

(気づかれた!?)

十輪寺はわざと速度を遅くしてカバンを漁るふりをし、青年が木立に分け入っていった地点に近づくギリギリまで時間を稼ぐ。

(このままつけるか、素通りするか…。どのみち学校には現れるはず…!)

十輪寺は迷っていた。今、危険をおかして飛び込むか、このまま何事もなく通り過ぎ機を待つか。

(相手が分からぬ以上、今はひいて………ッ!? )

ビシッ!!

後者を選択しようとしたときだった。十輪寺の右腕に何かが音を立てて巻き付いた。そのままグンッ、と一気に引っ張られる。抵抗する間もなく半ば引きずられる形で彼女は木々の中に放り込まれていた。

「なっ!!」

十輪寺は腕に巻き付いたものを視認した。……緑の、きらめく帯。

「しまった…!」

思わず帯を見て呟いた十輪寺の耳に、ただ無機質な低い声が響いた。

「…何がだい?」

ビクリ、と身を固くする。紛れもない殺気。目を、そちらに向けることができない。

「何がしまった、なんだい?やましい事でもしていたのかな。」

水を打ったように静かな声だった。さく、さく、と草を踏む音がする。こちらにその人物が近づいてくるのを理解して、やっと十輪寺は目だけをそちらに向けることができた。前のひとふさを垂らした赤髪。やや華奢にも見えるが鍛えているのがわかるすっと伸びた背。顔は端正だが、目には光がない。

……どこか夢で見た青年とは違う印象を受ける彼が、十輪寺を冷ややかに見下ろしていた。

「い、いいえ…いきなり誰かに引っ張られた気がして…」

冷汗が吹き出してくる。なんだ、この威圧感は。十輪寺は取り繕うように引きつった笑みを浮かべる。だがそれに対しても彼は一切表情を動かさなかった。

「この後に及んでとぼけないでくれるかい。…見えるんだな?」

す、と青年が手を上げる。ゆら……と彼の後ろに緑の人影と、緑の帯が現れた。十輪寺は目を見開き呟いた。

「…幽波紋(スタンド) 。」

「知っているようだな、スタンドを。」

ギュンと帯が伸びてくる。十輪寺は咄嗟に左に飛び退って躱そうとしたが。

ギュワッ!! 

「!?」

飛び込んだ先の地面から、別の帯が十輪寺を狙って正確に飛んできた。そのまま胴をぎりりと締め上げられる。

「うぐっ!」

苦しげな十輪寺に表情を微動だにせず青年は問う。

「答えろ。貴様はJOJOの仲間か?」

「JOJO…?あなたの狙いは、空条先輩か…っ!?」

十輪寺は締め上げてくる拘束に表情をゆがめながらも、キッと青年を睨め上げた。同時に、相手に勘付かれないよう慎重に、呼吸を整えていく。

「…その様子では無関係らしいな。だがあれを見られたようでは仕方ない。…少し眠っていてもらおうか。」

青年の背後から、別の帯がしゅるりと現れた。首を狙われる。そう瞬時に理解した十輪寺は今練り上げたばかりのありったけのエネルギーを放出した。

「コォォ!」 

「なッ!?」

バチッ!!と激しく弾ける音がこだまする。青年はいきなり自身に流れてきた電流のような感覚に思わず怯んだ。それに呼応して帯の拘束が弱まる。その隙を逃さず十輪寺はダンッと後方に飛び退り、拘束から抜け出しながら叫んだ。

「モビー!!アンガーテイル!!」

十輪寺の足元から、まるで錨のような白い影が出現し、地を叩いた。ドンッと大きな音がして地が割れ砂礫が舞う。

「それが貴様の…!」

「答える義理はないッ!」

電流の衝撃から回復した青年が帯を再び構える前に、十輪寺は一目散にその場から逃走した。

 

 

「……ッ」

道行く生徒が不思議そうに眺めてくるのも無視して十輪寺は通学路を駆け抜ける。校門が近づき人が増えてきた中、やっと彼女は速度を落として生徒たちの中に紛れ込んだ。

(間違いない…!あれはスタンド!!)

あれだけ全力疾走したというのに彼女は全く息を乱していない。しかし、そのポーカーフェイスの内では心臓が破裂しそうな勢いで早鐘を打っていた。

(逃げ切れてよかった…!)

十輪寺は袖をまくり、きつく締め上げられた右腕を撫ぜる。そこにはくっきりとした赤い痣が残っていた。

(……どうしよう。このことを、一体誰に…?)

その時頭に浮かんだのは、破帽を被った孤高の青年…空条承太郎だった。

(私の目が正しければ…彼もスタンドの使い手!このことを知らせなければ…ッ!)

彼はどこにいるのだろう。そう思考した十輪寺の脳裏にふと、昨晩の夢の光景が現れる。足を怪我した空条承太郎。……あの夢がこれから起こるのならば、間違いなく、今日だ。

(保健室か…っ!)

グッと腕を抑えながら十輪寺は踵を返した。……自分の鞄に、か細い緑の帯が巻き付いていることに気が付かぬまま。



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操り人形~裁きは下される~

「JOJOだけでなくあなたまでなんて、今日は何か起こるのかしらね?」

うふふと楽しそうに笑う保健医に十輪寺はハハ、と乾いた笑みを返した。

(多分…そのとおりです。)

ここは学校の保健室。十輪寺が腕の痣を理由にしてその戸を叩いたときには既に保健室には夢に出てきた面々が勢揃いしていた。

「にしても変な痣ね。何があったの?」

「…それが、よくわからなくて。」

曖昧に笑って保健医の問いをはぐらかす。十輪寺の頭の中はあの惨劇を止めなくてはの思いでいっぱい……余裕がなかった。

保健医から視線をそらすと、椅子にどっかりと座って横目でこちらを見る空条と目があった。十輪寺は内心ヒヤリとしながらも、努めて表情には出さず目礼を返す。空条は破帽を目深にかぶり直した。彼なりの目礼だろうか。

保健室の奥には、この様子を面白げに見る不良2人の姿があった。学区一の不良と柔道部のエース。傍から見ればそのように見える2人が介しているのだ。気にならないわけがないのだろう。十輪寺が目を向けると2人は慌てて目をそらした。

(全く…見世物じゃないんだから。)

つっぱっていなければ気のいい連中なのだが。なおのこと助けなければと思いを改にする十輪寺をよそに、もう1人の助けたい人物である保健医はコロコロと笑って空条と向き直っていた。

「ほほ、まあいいわ。…さて、見たところこっちの転んじゃったアワテンボさんの治療のほうが先かしらね。」

言って女医はシャキンとなるハサミを取り出した。それを見て空条は眉をひそめる。

「おい待ちな。何をする気だ……?」

「ズボンを切るのよ、手当できないわ。」

それをきいて空条はぱっと立ち上がり保健医から離れる。

「冗談じゃねーぜ、脱ぐよもったいねー。」

その様子を見て保健医はまたコロコロと笑う。セコイやつね、と言いながら今度は不良たちの方を向く。

「さあ、JOJOがズボンを脱いでる間、君たちの体温計って仮病だってこと証明したげるわ。」

そんなぁ、と声を上げる不良たちを尻目に机に向かっていく保健医。……彼らの意識が自分たちから離れたのを確認して、十輪寺は恐る恐る、空条に話しかけた。

「…あの」

「何だ。」

チラ、と横目で十輪寺を見下ろしながら空条は返答した。彼にとってはただ見ただけであろうが、十輪寺にとっては身長差もあってなかなかに威圧感を受けている。相手はゆうに190は超えているのだ。

声をかけたものの、話の糸口が見つからない。彼があの青年のことをどこまで知っているのかも、スタンドに関する知識も不明のまますべてを話すのは疑われるだけだ。仕方なく十輪寺はありきたりなことから尋ねていくことにした。

「…その怪我、どうしたんですか?」

「さっき言ってただろ。転んだ。」

多くを語らない人物だろうなとは思っていたが、ここまでとは。会話が途切れてしまう。無理くりにでも、会話を継続させる。

「…それにしては、スパッと切れているように見えますが…」

「だから何だ?」

「…ええと。」

……いい加減本題にたどり着かなくて耐えきれなくなってきた。十輪寺は意を決して、きっと空条を見上げ核心を突くことを決める。

「誰かにやられたのではないですか?…例えば、先程話していた赤髪の人。」

予想通り、空条は眉間に皺を寄せた。その射抜くような視線を一身に受けて十輪寺は肝が縮む思いをする。空条は十輪寺に向き直る。その時、彼の学ランからハンカチが1枚滑り落ちた。それに構わず空条は続ける。

「そういえば十輪寺てめー、あの場にいたな。…何を知っている?」

あの場にいたことを気づかれていた。その上名前も知られているとは予想しておらず十輪寺は思わずさっと視線をそらす。

疑われている。これでは本当にやましいことをしているみたいだ……と思ったその時、視界に先程のハンカチが映りこんだ。

「…あ」

「…ん?」

落ちた際に広がったのか。……何か、文字が書かれている。思わず声をもらした十輪寺の視線を追って、空条もハンカチの文面を目にした。

『空条承太郎 本日中にきさまを殺す 私の幽波紋で! 花京院典明』

その時だった。十輪寺が不意にカバンを引かれたような感覚を覚え、はっとして目をやるとカバンの持ち手には巻き付いた緑のか細い帯。シュルリ、とそれがほどけた。

「まさか…つけられた…!?」

「何…?」

つぶやきを耳にした空条が十輪寺の方に視線を戻そうとした時だった。不良たちの方から悲鳴が上がった。

「せ…先生!な、なにをしているんです…!!」

十輪寺と空条はさっと振り返る。そこには恐ろしく顔をゆがめ、万年筆を振るう女医の姿があった。十輪寺はバッと女医の足元を見る。――緑のきらめく帯が、女医の足に巻き付き這い上っていく。

「せ、先生!それは万年筆ですッ!!」

「万年筆ですって?!これが!万年筆にみえるの?!」

夢と同じ光景。女医にあれが、彼のスタンドがとりついた。となると次は。

「まずい…ッ!」

判断を下す前から十輪寺の体は動いていた。ぱっと女医に向かって走り出す。

「なんて!頭の悪い子たちでしょうッ!それじゃあよくッ!見てッ!」

ガボゴボと口から泡を拭き異様な形相で万年筆を振るう女医。万年筆を振り回しながらフラフラと恐怖で身動きが取れない不良たちに向かっていく。

「見なさいッ!!!」 

「だめッ!!」

ヒュッと万年筆が不良めがけて振り下ろされる瞬間、彼女は保健医の体に体当りした。バランスを崩し2人はそのまま床に倒れ込む。

操られた女医よりも先に体勢を整えたのは十輪寺の方だった。さっと起き上がった十輪寺はそのまま女医の腕を後ろ手に回し、関節を決めて押さえ込む。が、しかし。保健医は奇声を上げながらその力に抗うようにギシギシと音を立てて動き出した。とても女のものとは思えぬ尋常でない力。十輪寺の額に冷汗が吹き出す。

(まずい…!このまま押さえ込んでたら骨が折れる!!)

「ひっ…!」 

「何してるんだ!逃げて!!」

今までの信じられない光景に悲鳴すら出ない不良2人を十輪寺は必死の形相で叱咤した。その声にハッとした2人は慌ててベッドから降り出口に向かう。

「ひぇぇ〜!先生がぁ〜!!」

音を立てて不良が出ていく。それを確認した十輪寺がバッと保険医から飛び退ろうとしたその時。

ズルリ、と保健医の口から緑の人型が顔をのぞかせた。これが、と十輪寺が考えたときには、人型は十輪寺の体に文字通り重なるように溶け込んでいた。

「しまっ…!」

とりつかれた。思考する前に、十輪寺は体のうちから腕が動かされるような不気味な感覚を覚える。

「何だこれは…!十輪寺ッ!!」

空条が目を見開いて身構えた。彼の呼び声がどこか遠くから聴こえるような奇妙な感覚に、十輪寺は総毛立つ思いを抱く。体が自分の意思に反して立ち上がろうとするのに必死に抗うが、体は軋みながら勝手に動き出していた。

「と、とり…っつかれ…っ!」

声すら満足に出せない。内側から喉が締め付けられる。

(これでは…呼吸も整わないッ!)

女医の持っていた万年筆を、手が拾い上げる。いまいち触った感覚がつかめない。

ギチギチと体が勝手に空条の方に向かっていく。これから自分が仕出かすであろうことを理解して、必死に抵抗を試みるがいうことを聞かない。

「空…せんぱ…逃げ…ろ…ッ」

「…チッ。」

空条は逃げる様子もなく舌打ちをして、ゆうゆうと構えを取った。その様子に焦りを覚えながらも十輪寺は自分の体に抗い続ける。

だが、それは限界を迎えた。ヒュッと万年筆を振り上げ、空条の目にめがけて腕を振り下ろしてしまう。内側から抗っている影響か女医にくらべれば鈍い動きの腕を空条は簡単に捕まえる。だが、力に関しては別だった。ギギギとそのまま振り下ろしていく腕は、空条の片手ですら止められなかった。

「うおおおッ!?」 

「ぐう…っ!」

両手を使って抵抗する空条だったがそれでも十輪寺の腕を止められず彼の頬に万年筆がくい込んでいく。

十輪寺も内から抵抗をしてはいるが、自分のどこにこんな力があったというのか。あり得ない力で空条を突き刺さんとしているのが僅かに伝わる感覚でわかった。

「ち、く、しょ…!」

「この腕力ッ…いくら何でもおかしいッ!石段でおれの足を切ったのも…!」

「そのとおり…」

静かな声が、十輪寺たちの背後から聞こえてきた。

「…あ、な、た…ッ!」

「て…てめーは!」

 

 

 

 ***

 

 

 

水を打ったような静かな声。声の方向に2人が視線を向けると、保健室の窓枠に悠然と腰掛けた赤髪の青年がそこにいた。

「やあ、さっきぶり。お二方。」

くすりと笑って手に持った操り人形を楽しげに揺らしながら青年――花京院は続ける。

「そいつにはわたしのスタンドがとりついて操っている…。わたしを攻撃することは彼女をキズつけることだぞ、ジョジョ。」

その言葉にちくしょう、と十輪寺は歯噛みする。言うなれば自分は人質として利用されているのだ。油断した。

「しかし難儀だな。わたしの”ハイエロファント”にとりつかれても抵抗できるとは。」

ちら、と十輪寺をみて花京院は形だけの関心を寄せる。彼女はそりゃあどうも、と内心吐きすてながら満足に声が出せない自分を呪った。

「き…きさまッ、な…何者だ!?」

ドスの効いた声で空条は花京院に吼える。

「わたしのスタンドの名は『法皇の緑(ハイエロファントグリーン)』。お前のところにいるアヴドゥルと同じタイプのスタンドよ…」

空条に視線を戻しながら、花京院は操り人形を揺らして答えた。

「わたしは人間だがあのお方に忠誠を誓った。」

(人間だが…?)

その言葉を聞いて十輪寺と空条は眉をひそめた。十輪寺は話が見えないため、空条は話しの先がわかったために。

「だから…」

不意にぐん、と自分の中で首が閉まるような感覚が十輪寺を襲った。――息が、出来ない。

「貴様を殺す!!」

まずい。絞め落として完全に操る気だ。反射的に理解した十輪寺は空条に向かってありったけの力で声を上げた。ここまできて能力をひた隠しにしている場合ではない。

「せんぱ…、私を、殴れ…っ!」

「何…!?」

十輪寺が声を上げるため腕の抵抗を解いたので、空条の頬には万年筆がグイグイとくい込んでいく。十輪寺の咄嗟の言葉に空条は驚いたように目を見開くが、構わず十輪寺は唸りあげた。

「早く!!突き飛ばせ…ッ!!」

「ちぃ…!」

空条は顔を歪める。彼のポリシーに合わぬ行動なのだろう。それをなんとなく理解してはいたが、十輪寺とてこのまま操られたままは許したくない。

もうすでに息ができなくなりつつある。ギッと空条を睨みつける他術はない。

……十輪寺の覚悟は伝わったらしい。険しい顔をしながらも、彼はその身から重なるように青い戦士を出現させた。

「……すまねえ。」 

(こちらこそ。)

空条が呟くと戦士は動いた。十輪寺の腹にとてつもない衝撃とともに掌底が飛ぶ。

それと同時に離される空条の手。十輪寺は後方に吹っ飛ぶ。意識まで飛ばされそうな刹那、ありったけの思いで、彼女は自身の分身を呼んだ。

『モビー!!私ごと食い千切れ!!』

思いに呼応するようにズオ、と地面から巨大な歯並びが出現した。そのまま、宙を舞う十輪寺の体に巨大なスタンドの歯がくい込む。

「何ぃ!?」

空条と花京院は、同時に驚愕の声を上げた。空条は十輪寺がスタンド使いであることに対し、花京院は自分の身をかえりみない戦法を取った十輪寺に対し。その声に十輪寺はにや……と笑みを浮かべた。思い切り食われているにも関わらず、十輪寺は至って平静だった。

ギチィ!と大きな音がして、花京院のみがうめき声を上げた。と同時に十輪寺の体から透過した緑の人型がもがき出る。

一気に体が軽くなった十輪寺はふっと自身のスタンドを消して着地し、息を乱しながらも地面に倒れ伏した保険医のそばで構えを取った。

「あんた…舐めるなよ。もう人質は取らせないッ!」

「きっ…さま…っ!!」

血反吐を吐いて花京院は十輪寺を睨みつける。その様子ににっと強がりを返して十輪寺は続けた。

「賭けに勝ったのは私だった。…モビーは私を傷付けたりしない。」

十輪寺が行ったのは自分の体の中に潜むハイエロファントだけを攻撃する事。だが、これは十輪寺自身にとってもハイリスクな賭けだった。何せ自分の体を通り抜けて攻撃させるという荒業など試したことも無かったのだから。

口から血を流し険しい表情だった花京院は、ふとその表情を嘲りの色が混じったものに変えた。

「大人しく操られていればいいものを…」

「…やなこった。」

その嘲りの意味を十輪寺は大体理解している。……口の中に鉄の味がする。大方、出ていくときにご丁寧にも喉を傷つけていったのだろう。ということは。

その言葉の意味には気が付いていない空条はそれを花京院の強がりと捉えた。

「花京院!」

空条はぐんと距離を縮め、己の青い巨人で花京院の緑の人型の首をむんずと捕えた。

「っ!」

「ちょいと締め付けさせてもらうぜ。気を失ったところで貴様をおれのじじいのところへ連れて行く…」

2人のやり取りに注意を向けつつも、十輪寺は女医を慎重に引きずりじわりじわりと戸口に向かう。空条が気を引いているうちに彼女を安全な場所に逃さなくては。

その時だった。――法皇の手から、緑の輝く液体が溢れている。

バタン、と音がして空いていた窓が閉じた。

「くらえ、我がスタンドハイエロファントグリーンの…」

「花京院!妙な動きをするんじゃねえ!!」

「危ない!!そいつを放して!!」

空条と十輪寺が同時に警戒し叫んだ。花京院が操り人形を構える。同様に法皇も手を構えた。その手の間に緑の濁流が流れ出る。

『エメラルドスプラッシュ!!』

ぐい、と法皇が手をひねった。

 

 

この光景に、十輪寺は見覚えがある。

ただし風景から倒れている人物、おかれている状況はそっくり全く異なるものだったが。

音を立てて棚に向かって吹っ飛んだ空条。緑の宝石を飛ばし、平然と立っている花京院。ガラガラと壊れる保健室の壁。

(なんてこと…)

この有様に十輪寺は戦慄した。スタンドとはこんなにも危険で恐ろしいものなのか。

ごふ、と血を吐きながら空条が辛うじて花京院を睨みつける。その有様を見て花京院は冷淡に微笑する。

「『エメラルドスプラッシュ』。我がスタンドハイエロファントグリーンの体液に見えたのは破壊のエネルギーの像!」

勝ち誇ったように花京院は空条のもとにかつかつと進み出る。

「貴様自身の内臓はズタボロよ。」

ダメージのフィードバック。十輪寺は漠然としながら、過去学んだことを思い出していた。

「そして彼女も…」

おもむろにこちらに視線を向けた花京院に、呆然としていた十輪寺ははっと身をこわばらせた。と、同時に抱えていた女医がうめき声をあげる。

「う…あ、あ」

その口からつつ、と血が流れ出るのを目撃し、空条はハッとし歯噛みする。こうなるだろうと予測していた十輪寺はギリリと歯を噛み締めて花京院を睨め上げた。

「わたしのハイエロファントは広いところが嫌いでね…強引に追い出され怒って彼らの喉を傷付けたのだ。…居合わせた貴様、強がってないで本当のところはどうなんだ?」

「…感心しているよ。久し振りに血を飲んだ。」

「それは光栄だ。もっと飲ませて差し上げよう。」

花京院が狙いをこちらに定め向き直った時だった。ガラリと音を立てて空条が上体を起こした。

「おや…?自責の念でも感じてくれたかい?これはお前の責任だ、JOJO。」

花京院にとっては十輪寺など二の次なのだろう。またくるりと空条の方に踵を返し、淡々と空条に言葉を突きつける。

「お前のせいだ。最初からおとなしく殺されていれば女医は無傷で済んだものを…」

余りの言い草に十輪寺はふつふつと怒りが湧き上がるのを感じた。

(こいつ…ッ!助けたいと思ったのが間違っていた!今この場で倒さねば!!)

夢の勇敢な瞳など、彼には無い。濁った目に冷酷さを纏ったこの男は、今倒さなければ大変なことになる。

十輪寺が玉砕覚悟で己の分身を呼び出そうとした、その時だった。

 

 

よろける体を叱咤して、破帽の不良は立ち上がった。

「…この空条承太郎は…いわゆる不良のレッテルを貼られている…」

冬の湖面のように鋭く静かな低い声。十輪寺は思わず息をのむ。

「だがこんなおれにも…吐き気のする「悪」はわかる!!」

水面が一変した。何物にも負けない大河の本流が、その声には宿っていた。

「「悪」とは!!テメー自身のためだけに弱者を踏みつける奴のことだ!!!ましてや女をっ!!」

緑の瞳は、怒りを伴った激しい光を写している。

……滅多に感情を顕にしない空条の怒号が飛ぶ。

「おめーの「スタンド」は被害者自身にも法律にも見えねぇしわからねえ……だから!!」

ビッ!と破帽のつばを一閃撫ぜながら、空条は己の覚悟を口にした。

「おれが裁く!!!」

相対する花京院は嘲りながら高らかに宣言する。

「それは違うな。「悪」?「悪」とは敗者のこと…「正義」とは勝者のこと…生き残った者のことだ!過程は問題じゃあない!負けた奴が『悪』なのだッ!」

法皇の帯が空条に向かって矢のように飛ぶ。さっと空条は横に身を躱すと、壁を走り抜けて花京院の背後を取った。法皇は、彼めがけて帯を飛ばす。――空条は、避けなかった。

ビシリ!と空条の全身を拘束した花京院は、勝ち誇ったように操り人形をかざして言った。

「とどめ食らえ『エメラルドスプラッシュ』!」

きらめきながら飛んでくる宝玉のエネルギー弾。だが、空条はニヤリと笑って分身を……青い戦士を呼び出した。

「なに?敗者が『悪』…それじゃあッ!!やっぱりィ!!」

戦士が腕で宝玉を受け止めた。

「てめーのことじゃあねーかァーーッ!!」

パァァンッ!!

戦士が腕を振り抜くと、あれほどの破壊力を持っていた翠玉が粉々に砕け散る。

「なにィ?!エメラルドスプラッシュを弾き飛ばしたッ?!」

グンッと戦士は手を伸ばす。――速い。逃げる間もなく法皇は首をむんずと摑まれた。

「オララララオラァ!!裁くのはッ!!」

拳のラッシュが法皇を直撃した。

「おれの『スタンド』だッー!!」

最後の拳は、法皇ごと天井を叩き壊すとんでもない威力だった。呼応するように、一直線に教室の窓ガラスが割れる。十輪寺は思わず悲鳴を上げ、女医を庇いながら身を伏せた。

ぱぁん、と花京院の全身から血が吹き出した。

「な………なんてパワーのスタンド…だ……」

ドサリ、と「悪」が崩れ落ちる。勝負は決したのだ。



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空条邸にて

勝負は一瞬にして決した。空条の怒りが、裁きが下ったのだ。

全身から血を流して倒れ込む花京院の姿に半ば安堵を覚えながら、ようやっと十輪寺は次を考えることに思い至った。

(…そうだ、まずは先生の治療をしなければ!)

十輪寺は呼吸を整え始める。スタンドとはまた違う、彼女が持つ力。十輪寺は泰然と立つ空条に勘付かれないよう、微弱なその力を女医に流していく。

花京院が完全に気を失っているのを確認した空条は十輪寺の方を向いた。

「おい、十輪寺。てめー…」

「…ええと」

空条としては特段威圧しているつもりはないのであろうが、彼女にはその視線が強く感じられて思わず目をそらす。それをなんとなく察したのであろう。空条も話の取っ掛かりは踏み込んだものを避けた。

「…女医は無事か?てめーは?」

「ああ、はい。すぐ手当てすれば大丈夫でしょう。」

実際、傷はそう深くないものだった。その上に十輪寺の力を上乗せしている。

「そうか、なら良い。」

ほっと、彼が息をついたような気がした。

「…そちらは?」

「気絶してるだけだ。」

十輪寺としては空条自身のことを訊いたのだが……と声をかけようとしたとき、辺りが騒々しいことにやっと気がつく。遠くから先生が!JOJOが!と先程の不良の声が聞こえてきた。

「…騒ぎが大きくなったな。今日は学校をフケるぜ。」

そう誰にとも無く呟いた空条は、花京院を俵担ぎにして窓に向かっていく。

「十輪寺、てめーはどうする?こちらとしては色々聞きてぇことが山積みなんだが。」

窓からひらりと外に出た空条がこちらを向いて問うのに十輪寺は苦笑した。

「自分も聞きたいことが山積みですが、取り敢えずこの状況を丸く収めておきましょう。」

「…できんのか?」

訝しげな目を向ける空条に対し、彼女はまぁ、なんとかします、と曖昧に笑い返した。……納得はしていないのだろう。だが空条はふんと鼻を鳴らし踵を返した。

「事が済んだら話を聴く。逃げるんじゃあねーぜ。」

 

 

 ***

 

 

保健室からの二度に渡る爆発音は配管からのガス漏れで、何らかの形で引火したのではないか――という、実に曖昧なものとして片付けられることになった。……それしかこの不可解な破壊のあとは説明がつかなかったのだ。

保健室での一件を教師のもとに駆け込んで知らせた不良たちは、二度目の爆発音に巻き込まれたその後、最初に何があったのかを覚えていなかった。知らせを受けて駆け込んだ教師たちも、保健室についた途端それに巻き込まれ一度気を失う。その後、空条の存在や保健医の奇行はこの件を耳にした誰からも、全く忘れ去られていた。

 

 

 ***

 

 

目が覚めたらしい教師たちが慌ただしく指示を飛ばし始めるのを聞き、十輪寺は保健室外の窓の下から人知れず離れた。

二度目の爆発――正確に言うと破壊音を起こしたのは彼女である。さらに彼らを気絶させ、その記憶を曖昧にしたのも。

(…急ごしらえにしては上手く行ったかな。もう大丈夫。)

保健医は何事もなく爆発に巻き込まれたことになるだろう。それにしては傷が不自然ではあるが、事の真相がわからなければどうということはない。

(力の乱用かしら。…まあ、悪いことじゃないしいいよね。)

音を立てず十輪寺は学校を後にするべく窓の死角をすり抜ける。

(さて、どうするか。……決まってる。)

事は収めた。ならば、自分の疑問もある程度解決しておきたい。

彼と相対するのは身がすくむが、この戦いを目にした今、彼に対する恐怖は薄れつつあった。

(空条先輩のお屋敷か…行こう。)

十輪寺はこの地区では有名な、空条承太郎の住む屋敷に向かって歩き出した。

 

 

 ***

 

 

……玄関の呼び鈴を押すのも躊躇われる格式高い屋敷だ。そう十輪寺は思った。

保健室での一件をなんとか収めた十輪寺は今、空条邸の門の前でどうしようかと二の足を踏んでいた。

(なんていうか…。今、ゴタゴタしているだろうしなぁ…)

そういえば、と十輪寺は空条が担いで連れ去った花京院の存在を思い出す。戦いの場で彼は「あの方」と後ろにいる人物を匂わせていた。更に空条が言った、「じじいが会いたがる」の台詞。

まず今は花京院の口を割らせている真っ最中だろう。

(明日にするか…でもなぁ…)

十輪寺がうーん、と頭を抱えたその時、「あら?」と鈴を転がしたような明るい声が聞こえた。

声がしたのは門の中からだった。ハッとしてそちらを見ると、妙齢の白人女性がこちらをきょとんとした顔で見ているではないか。

「どうしたの?承太郎のお友達?」

家の中で何事も起きていないかのような様子で女性はぱちくりとこちらを見ている。

……この人は誰だろう?と十輪寺もぽかんとした。さては家を間違えたか、と表札を見るが間違いなく「空条」と書かれている。そもそも承太郎なんて名前そうそう居ない。そんな十輪寺をよそに、彼女は更に唖然とするようなことを聞いてきた。

「それとも花京院くんのお友達?」

…………空条邸で間違いないようである。中で一体何が起きているというのだろう。

女性の問いに困惑を深めながらも、十輪寺はなんとか声を絞り出した。

「ええと…どちらとも知り合い、です。」

「まぁ、そうなの!?さっきまで大変だったみたいだけど、もう大丈夫よ♡」

ぱあっと文字通り花が飛ぶような笑みを見せて彼女は微笑んだ。思わず、はぁ、と息が漏れる。

今まで自分が頭の中で考えていた……背筋が凍るような光景は、どうやらこの豪邸では起きていないらしい。

訳が分かっていない十輪寺なぞ気にも留めず、女性はうふふと笑って駆け寄ってくる。

「2人を心配してくれたのね?ありがとう!さぁ、上がっていって!」

「え?…ええと…え?」

「ほらほら!2人もきっと喜ぶわぁ〜♡」

グイグイと背中を押され、完全に困惑したままの十輪寺は彼女――空条ホリィに半ば無理やり、屋敷に通されたのだった。

 

 

「…逃げるどころかわざわざ出向いてくるとは関心だな。」

その言いざまは正直どうかと思う。そう考えながらも空条承太郎に迎えられた十輪寺はおっかなびっくり廊下を歩き、居間のある一室に通された。畳敷きで高価そうな座卓のあるその一室には、十輪寺にとって意外な人物が胡坐をかいて座っていた。

「え?…ジョースター、さん?」

「…お、おい承太郎…!その子、ひょっとして十輪寺というんじゃあ…!」

筋骨隆々の白人の老爺、ジョセフ・ジョースターがそこにはいた。ジョセフも十輪寺も目を丸くしてお互いを見る。

「あ?なんだ、知り合いか?」

承太郎がいぶかしげに両者を見やると、はっとしたようにジョセフは答えた。

「知り合いも何も…知古の娘さんなんじゃよ!久しぶりじゃのう!」

「ジョースターさんこそ…!御無沙汰しております。お変わりないようで!」

「小学生以来かの?大きくなったなァ!」

過去に自分に良くしてくれた人物の登場に、十輪寺の緊張がほぐれる。と、そこに別の声が問いかけてきた。

「ということはジョースターさん、彼女が以前おっしゃっていたスタンド使いの子ですか?」

彼女がぱっと声の方を見やるとそこには黒人男性が楚々として控えていた。慌ててお辞儀をすると相手も鷹揚に礼を返す。

「そうじゃ。彼女は十輪寺という。財団職員の娘さんで、かなり特殊な子なんじゃよ。」

「そうでしたか。…私はモハメド・アヴドゥル、しがない占い師だ。君と同じスタンド使いだがね。」

ゆるく微笑んだアヴドゥルに十輪寺も自己紹介する。一連の流れが終わると、さて、とジョセフが話を切り出した。

「十輪寺、今回は災難じゃったのう…。だが詳しい話が聞きたい。いいかな?」

「…その前に、いくつか宜しいでしょうか?」

「ん?なんじゃ?」

ジョセフはきょとんと十輪寺に向かって首をかしげる。

「あの、どうしてジョースターさんがこちらにいらっしゃるのですか?あと…花京院…でしたか、あの人は何なんです?」

なんで学区一の不良の家にジョセフがいるのか、そして空条承太郎が襲われたのか。そもそも状況が全くつかめていない十輪寺は困惑して彼を見つめ返した。

 

 

 ***

 

 

「…というわけじゃ。かいつまんで説明したが大丈夫かの?」

「え、ええと…はい…。ジョースターさんが空条先輩のお爺様で、花京院は別の人に操られていた、ということですね?」

そういうことじゃとジョセフがうなずく中、十輪寺は後ろで立ってこちらをじっと見下ろす承太郎をちらりと見上げた。……世間とはかくも狭いものなのだろうかと思っているところに承太郎の舌打ちが届いてきて、慌ててジョセフの方へと向き直る。

「…彼自身に悪気があったわけではない。今は別室で休ませている。」

言ってジョセフは十輪寺の顔色を窺うようにのぞき込む。それに対して十輪寺はそうですか、とうつむいた。

(じゃあ、悪い人じゃなかったんだ…。それであんなに夢と違う感じだったのか。)

十輪寺は黙考する。

(ということは…もしかしてあの金色の男が操ってた張本人…?)

「…大丈夫かね?」

おずおずとジョセフが尋ねてきたことで十輪寺ははっとする。慌てて何でもないですと頭を振って続けた。

「とりあえず無事なことがわかりました。ありがとうございます。」

頭の端で思う。夢のことは、誰にも話したくない。

 

 

その後、言葉を発したのは承太郎だった。

「それで…今度はこっちから質問だ。てめーは何故、ヤツが犯人だと知っていた?」

「簡単なことです。見えたから。」

彼女は問いに淡々と答える。

「見えた、とは?」

承太郎とは違い、柔らかくアヴドゥルが訊ねてくる。顔を上げて、十輪寺はぽつぽつと話し始めた。

「空条先輩が石段から落ちたとき…落ちる前から怪我をしていたように見えました。その時草むらに緑の帯…彼のハイエロファントが隠れていくのを見ました。」

「俺でも見きれなかったのにか。」

不服そうに眉をひそめる承太郎に対し目を向けながら、困ったような顔で十輪寺は続ける。

「ご存知のとおり、自分はこれでも武道の心得が有る方です。一瞬とはいえ、ハッキリ見ました。」

「ならなぜそれが花京院とわかったんだい?」

「…彼が階段を降りていくとき、緑の影がこっそり戻っていくのを見ましたから。」

これは嘘。花京院はそんな素振りは一切見せなかった。ばれないかと不安になりながら額を撫ぜる。

「ふむ…その場で言わなかったのは他にも人がいたからかね?」

「…ええ。なので、彼の後をつけました。」

嘘に気が付かれず安堵しながら十輪寺はぽろりと漏らす。その言葉に皆ハッと身じろぎをした。

「お前さん…花京院をつけたのか!?」

「…あっ」

「あ、じゃねーよ。…成る程、テメーのその痣は花京院にやられたのか。」

「ええ、まぁ。…すぐに言えず、申し訳ありませんでした。」

慌てて腕を握りながら、承太郎に対して頭を下げる。

「他人には見えないものだし、状況もよくわからなかったもので…」

「…まあ良い。結果として怪我人は先生くらいだったからな。」

興味を失ったように承太郎は十輪寺から視線を外した。……夢のことは隠し通せたらしい。十輪寺は心でほっと息をつく。だが何かに気がついた承太郎はふと視線を戻した。

「そういえば学校の方はどうした?…あれを誤魔化してきたってのか?」

「あ、ええ…。目撃者の2人にちょっと釘を差して…」

曖昧に笑って誤魔化す。……実は大して感心がないのだろう、承太郎はそれで良い様だった。ジョセフが意味深な視線を投げてきたので少々肩をすくめて返すと、ふぅ、と吐息をつかれる。それに対して少々居心地が悪くなった十輪寺は辞去を切り出した。

「あの、申し訳ありませんが…もう、宜しいでしょうか…。部活は出たいので…」

「それもそうじゃった。悪かったのう。……最後に1つ、いいかね?」

ジョセフの言葉に十輪寺は一瞬ぎくりとしたが、問われた内容は全く関係のないことだった。

「『DIO』という言葉に心当たりはあるかね?」

「え…?いえ、なんですか?それは?」

答えを聞いたジョセフはからりと笑った。

「知らないんならいいんじゃよ。引き留めて悪かったの。」

 

 

 ***

 

 

音を立てず廊下を歩いて玄関に向かう。十輪寺を見送るものは誰もいない……傍目から見ると。

十輪寺は背後にある気配を感じていた。慎重で、おそらく鍛錬を積んだものにしかわからない程度の気配。

(…根は優しい人なんだろうな。)

気付いた様子も見せず十輪寺は歩いていく。多分、気がついてしまったら彼を困らせることになるからだ。そして十輪寺自身も今はどう接していいかわからない。

(こういう時どうすればいいんだろう。…ごめんなさい。私はもうなんとも思ってないよ。)

先程の皆での話し合い。それも彼は聴いていたのではないかと思う。その気配は誰も全く気が付かなかったから、スタンドを使ったのだろう。

(今度は偶然を装って会いに行こう。)

夢で見た光景。彼は散る運命なのだろうか。

(…あなたのことは知らないが、それは、変えたい。)

十輪寺は心に秘めた思いを改に、空条邸を後にした。

 

 

夕暮れに日本家屋は映える。こんな美しい光景を生まれて初めて見たような心地を、花京院は感じていた。

(当たり前か。生まれ変わったようなものだものな…)

空条邸を後にした彼女を人知れず見送ったあと花京院は自嘲する。

操られていた。だが、それを言い訳にしてはならない程のことを自分はしでかした。それなのに空条承太郎は自分の命を助け、ジョースターたちは責めることをしなかった。

……だが操られ酷い仕打ちを受けた彼女は別だろう。当たり前である。

花京院は苦痛に顔を歪める。……この後に及んで謝罪のために飛び出せなかった自分の愚かしさに反吐が出そうだった。

(すみません…。次こそは…君の目を見て、謝りたい。)

 

 

 

 ***

 

 

 

―…一難去って、また一難かな…

今日の悪夢はなかなかに手が込んでいる、と私は場違いな思いを抱いた。

まずはいつもの夢…花京院さんがあの男にやられる夢だった。彼の人柄をなんとなく察してしまったから…なかなかに、くる悪夢である。

何度見ても慣れることは決してない。耳に残る衝突音。いつもはここで目が覚めるというのに。

―ここ…空条邸、だよね。

いきなり風景が揺らいで場面が変わったのだ。今までこんなことはなかった。一夜につき1つの悪夢。そういう法則だったはずなのに。

ふすまが少し空いている。外に月明かりはない。

―新月か。いつなのか分かるから参考にはなる。

悪夢は防ぐことができる。ならばいつ起こるかを把握しておけばいい。今までの経験からそれは学んでいる。

―この部屋はどのへんだろう?

部屋の中を見渡すと、かなり広い部屋のようだ。…この屋敷の殆どの部屋は畳敷きなのだろう。無論、この部屋も例外ではない。何も糸口がつかめないので私は隣の部屋に移動する。ふすまをすり抜けると、そこに敷かれた布団には空条先輩のお母様が眠っていた。

―何か起こるのは、この人にか…

胸が一気に苦しくなる。なんだって、こんないい人が不幸に目をつけられるというのか。…原因はわかりきっているけれど。

―襲撃させた男か…

そいつのことはよく分からない。だが、あの夢で花京院さんを襲うあの男が、おそらく。

その時、どす、と音がした。

ハッと彼女に目を向ける。…暗がりでも分かる。彼女の上に何かが覆い被さってはいないか?

―やめて…

全身から血の気が失せる感覚が駆けのぼる。影はいきなり私をすり抜けてダンと音を立ててふすまを突き破った。

残された彼女は。

 

 

その光景を目の当たりにした瞬間、十輪寺は小さく悲鳴を上げてガバリと起き上がった。心臓がバクバクと暴走する。

「嫌だ…嫌だ…ッ!!」

思わず自分を抱きしめ、彼女はベッドの上でうずくまった。……見てしまったのだ。あの、優しいホリィが。

「いつ…?何時だ…!?」

取り乱しながらも彼女はカレンダーに、目覚まし時計に視線をやる。そしてはっと息を呑んだ。

今の時刻は23:58。……いつも彼女が悪夢を見る時刻と大きく乖離している。

「な、なんで…?」

ヒヤリとした悪寒が走るのを彼女は感じていた。だがそれが彼女の思考をより冷静にもさせていく。

「…そうだ!新月!!」

夢に隠された自然の暗号を思い出し、慌てて彼女はカーテンを引いて窓を開ける。

果たしてそこには。……月は、どこにも見当たらなかった。

何も考えず彼女はそのまま窓から飛び降りた。

 

 

 *** 

 

 

裸足のまま十輪寺は夜の住宅街を駆け抜けていく。息は一切乱さず足に自身の有する力を集中させ全速力で空条邸に向かっていた。秋空の冷えた風を一身に受けて、彼女は徐々に冷静さを取り戻していく。

(あの影は…人の形じゃなかった!獣だ!それに、あの気配のなさ!動き!)

次の角は右。そのまた次は直進。音もなく風のように駆け抜けながら彼女は想像する。

(あれは、間違いない…。ゾンビだ!!!)

それは父親や財団から伝え聞いた、最悪の敵。……だが、何故この日本に?

(今はあとだッ!早く、早く!!)

必死の思いの彼女の目に立派な門構えが見えてきた。当たり前なことに戸は完全に閉ざされている。ならば。

彼女はバンっと地を蹴って飛び上がる。足元に、自身のスタンドの錨の()を出現させ、それを蹴って二段飛びをした。がっと高い塀に手をかけると彼女は勢いをつけて空条邸に侵入していった。

 

 

目まぐるしい一日だったせいか、花京院は寝付けず渡り廊下に1人ぽつんと座ってじっと庭園を見ていた。風もなく水面は穏やかに揺れている。

するり、と己の分身を出現させながらただそれをほどいていった。しゅるりしゅるりとハイエロファントは細く緑に煌めきながら広がっていく。それに人知れず安堵を覚えた拍子だった。

不意に視界の端に何か黒いものが入ってきた。はっとしてそちらを見やると、それは人影だった。長髪をたなびかせてその人物は塀を飛び越え池の水面に()()した。

「…え?」

花京院は茫然と声を漏らす。水の上に、人が浮いている。その声に相手もはっとしたようで花京院の方を振り返り、目が合った。

それはそれは澄んだ、目を引かれるグリーンの瞳だった。

一瞬の視線の交錯ののち、侵入者――十輪寺はふいと目をそらしてそのまま水を蹴る。奇妙な波紋が水面に広がりながら、彼女は驚くべきスピードで空条邸の一室へと走っていった。

思わず唖然として見入ってしまった花京院だったが、我に返ると慌てて立ち上がってその後を追った。

 

 

十輪寺がバン、バン、とふすまを乱暴に開けて目的の一室にたどり着いたと同時にその影は部屋の奥からダンッと飛び出してきた。

(モビー!吐き出して!!)

彼女が念じるとすぐそれは手元にひゅっと現れた。水に濡れた絹のようなマフラー。それを一気に振りかぶりながら十輪寺は呼吸を練った。

青緑の波紋疾走(ターコイズブルーオーバードライブ)!」

マフラーから放たれた水滴がバチリと光る。それはまるで弾丸のようにもう1つの侵入者の頭を打ち抜いた。

『ギャアアアアア!!!』

耳をつんざくような悲鳴が屋敷内にこだまする。ほぼ耳元でそれを聞いたホリィは何事かと飛び起きた。

「な、な!?え!?」

自身の隣を見てホリィは驚愕する。暗がりの中、狼のような何かがおぞましい悲鳴と音を立てて溶けていくではないか。その光景に思わず悲鳴を上げそうになったその時。今度は自分の後ろにとすっと何かが動く音がした。ひっ、と身をこわばらせる間もなく、何かの手がホリィの目と口を覆う。

「ごめんなさい。今は眠ってて。」

バチッと弾ける音とともに、ホリィは意識を手放した。

 

 

声がしたのは母の部屋の方ではないか。柄にもなく全力疾走し、乱暴にふすまを開いた承太郎が目にしたのは、じゅうじゅうと溶けていく何かと布団の上で倒れ伏す母を抱えた人影だった。

人影がさっとこちらを振り返る。……こいつは。

「てめー…!!」

そこまで思考して承太郎は己の半身を勢いのまま出現させる。青い戦士が拳を振り上げた。

 

 

あの拳が飛んでくる!避けることはできないと確信した十輪寺は咄嗟にホリィを庇うように抱き締め目を瞑り衝撃を待った。……しかし、一向に骨を砕かれる激痛は襲ってはこない。

恐る恐る目を開いてそちらを見ると、青い拳は、十輪寺の目と鼻の先でピタリと静止していた。ぞわり、と寒気が走る。呼吸が止まっていたことに今更気が付き、十輪寺がややあって整え始めたその時、バタバタと多方向から音がして別のふすまがバンと開いた。

廊下からは花京院が。奥の部屋からはジョセフとアヴドゥルが。みな切迫した表情で部屋の有様に目をむいている。

「なんじゃ?!何事じゃ!」

「ど、どうしたんだJOJO!?」

「君は…!何故ここに!?」

三者三様に声を漏らすなか、承太郎――いや、青い戦士は拳をゆるゆると引き、闇に溶けて消える。

承太郎が口を開いた。

「けたたましい叫びが聞こえて来たらそこの得体の知れんやつが溶けていた。そしてこいつがババアを抱えてた。だから殴りかかった。」

「だからって…君…ッ」

花京院が焦った表情で承太郎の肩に掴みかかる。それを意に返さず承太郎は続ける。

「だがこいつはすんでのところでババアを庇った。だから殴らんでおいた。」

「…っ!」

それを聞いて、十輪寺は初めて体から少し力を抜いた。勢いのまま殴りかかってきたと思ったら意外と冷静かつ論理的な判断だったようだ。

「…てめー、どういうことか説明しな。」

有無を言わさぬ声。当たり前だ、と返そうとしたその時。ゾクリ、と背筋が泡立つ感覚に十輪寺は息を詰めた。……まだ何か居る。

自身の呼吸を最大限かつ、静かに整えていく。コォォ、と呼気からわずかに音を響かせながら、周囲全体に、見えない何者かの動きがわかるよう集中する。

「…おい、てめ…」

痺れを切らした承太郎が声を掛けようとしたが、十輪寺はぱっと手を突き出してそれを妨げる。

「……取り急ぎ、1つだけ。」

冷汗が止まらない中、静かな声で十輪寺は皆に向かって言った。

「相手は人間じゃあない。弱点は頭。吹き飛ばさない限り行動停止はしない。…噛まれてはいけない。スタンドで攻撃して。」

「…!」

その言葉に一同は身構える。敵がまだ潜んでいると暗に伝えられたからだ。

各々がスタンドを出現させた。火が灯り部屋が一気に明るくなる。緑の帯が地を駆け抜ける。みな十輪寺の周りに背中合わせになるようそろりそろりと近づいて来た。

僅かな音も聞き逃してたまるか。皆が思ったその時。真っ先に反応したのは花京院だった。

「ハイエロファントに触れたッ!西の方角ッ!来るぞッ!」

声と同時にふすまを突き破って獣が躍り出た。ホリィを抱えた十輪寺は、咄嗟に自身のスタンドに命令する。

「モビー!!アンガーテイル!!」

巨大な錨が畳を殴打し跳ね上げた。獣はそれにぶつかり十輪寺たちから一旦飛び退る。それを許さんとした承太郎の青き戦士は、既に拳を獣の頭に向かって振り抜いていた。

『オラァ!!』

グシャリと嫌な音がこだまする。それを合図にしたかのように得体のしれない気配が一斉に動き出したのを、ハイエロファントを通じ花京院は感じ取った。

「なっ…!数が多いッ!しかも早いぞ!」

「なんだと?」

花京院とアヴドゥルが焦りに表情を歪ませる。それに対しジョセフは冷静に判断し返した。

「敵の狙いはわしらじゃ!固まって外に出るぞ!!」

さっと承太郎がホリィを抱えあげる。さきがけをアヴドゥル、中央にホリィを守る承太郎とジョセフ、しんがりは十輪寺と花京院という形で庭へ駆け出した。手前から、奥から、ゾンビ共がふすまを突き破って湧いてくる。

「『レッドバインド』!!」

アヴドゥルの炎のムチが広範囲に、かつ的確に敵の頭を落としていく。後方から迫る連中は十輪寺が水弾で、花京院がエメラルドスプラッシュで片付けていった。それでも取り逃したゾンビは承太郎の青い正確な拳と、ジョセフの紫の茨がはたき落としていく。

ただの一瞬。それでも力の差は歴然で、空条邸の面々は数の不利を覆していた。だっと外に出た一同は、広大な池に掛けられた橋を超える。最後にいた十輪寺は錨に命令してそれを叩き落とさせた。

池の向こうから、まだわらわらとゾンビ共は湧いて出てくる。……その様子に十輪寺は眉をひそめた。

「抜けたぞっ!次はどうする?」

「私と花京院で迎え撃つ!撃ち漏れたものは頼みます、ジョースターさん!承太郎!」

「こやつら…!まさか!」

誰ともなく声を掛け合い連携していく。敵に覚えがあるのだろう、ジョセフが声を上げる。だが十輪寺は一同のそれを制した。

「待ってください。おかしい。こいつらがこんなにいるなんて!」

「…どういうことです?」

「こいつらはゾンビ。吸血鬼の血でしか増やせない。…吸血鬼を生み出す石仮面はとうの昔に財団が根絶させたはず!」

「なんだそれは?」

承太郎の問いに今は後でと返しながら十輪寺は続ける。

「こいつらは太陽のもとに出られぬ奴ら。日本でゾンビなんて聞いたこともなかった!こんな大規模なヤバい連中…噂になるはず。なのにそんな事件耳にしたこともない!」

早口で捲し立てられる疑問にジョセフは唖然と聞き入っている。逆にゾンビがなんたるかを詳しく知らぬ承太郎は冷静に切り返した。

「つまり親玉が1人いて、つい最近日本で増やしたってことだろ。…そしてそいつはすぐそばで指示を出している。」

至ってシンプルかつわかりやすい解釈に、十輪寺は強く頷いた。

「そういうことでしょう。親玉を叩けば烏合の衆。あとは逃さないよう散滅させるのみ!」

「わかったぜ。おい花京院!こいつらの中で人型の奴の位置を炙り出せるか?」

判断を下したあとは早かった。承太郎は花京院に索敵を頼む。花京院もすぐさまハイエロファントの触脚を周囲に貼り巡らせていく。

「やってみせよう!それまでは奴らを食い止めてください!」

「…自分がやります。一気にカタをつけるので、できる限りあのあたりに敵を集めてほしい。」

池の手前の開けた砂地。真っ直ぐそこを指した十輪寺に訝しげに承太郎は問う。

「…できるのか?」

「スタンドよりも効果のある力がある。…自分の全力なら問題ないです!」

「わかった…!レッドバインド!!」

「…任せたぞ十輪寺!ハーミットパープル!」

炎と紫の茨がゾンビを牽制しつつ徐々に一箇所に敵を追い込んでいく。

その時、花京院が承太郎に声を掛けた。

「いた…!コイツだ!!屋敷じゃない、塀の外10メートル東!!」

「ナイスだ。片付けてくる。」

ダンっと承太郎が青い戦士を使って軽々飛び上がり塀の外に消える。その様子を不安そうにチラ、と十輪寺がみやると、残った花京院がフ、と笑いかけた。

「大丈夫です。わたしも援護する。」

「…見えないのに?」

「いいえ、見えてますよ。…君のスタンドは見えないんだね。」

視覚を共有できるスタンド。スタンドに対して知識の少ない十輪寺は目を丸くする。

前線で動いていた2人が声を上げた。

「これでどうじゃ!?」 

「一点に寄せたぞ!」

2人の叱咤に、十輪寺はハッと敵に向き直った。……一掃するのに十分な敵の位置取り。

「…よし!」

十輪寺は呼吸を整え駆け出した。……水面すら、意に返さず。



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倒れたホリィ

池の水に足をとられる。そんな思考を十輪寺は持ち合わせていなかった。

彼女は水面を文字通り走り抜けてゾンビ達に肉薄する位置に陣取った。足元には美しく奇妙な波紋が水面をゆらしていた。

その光景に場に居合わせた3人は息を呑む。――十輪寺が、水面に立っている。

「彼女は…水のスタンド使い…!」

花京院が言葉を漏らす中、いや……、と否定する声。ジョセフだった。

「あれこそが……『波紋』ッ!」

 

 

「出ろ!『白鯨(モビー・ディック)』!!水を飲み込め!!」

水面に立った十輪寺は高らかに自身の分身を呼んだ。それとともに、ゆうに5mはあろうかという巨体をくゆらせ、それは現れた。

純白の体に帆のような背びれ。オールのような胸びれに錨型の尾。どこか船を思わせるような装甲を持つ、鯨の姿の、スタンド。

アヴドゥルが感嘆の声を上げる。

「なんと巨大なスタンド…!」

それは主の言葉通り轟音を立て池の水をがぶりと口に取り込み、ゾンビ達に向き直った。

「ゾンビ共、覚悟。」

静かに言い放った十輪寺は、手に波紋を集中させた。モビー・ディックが口を開く。

ゾンビがその首をとらんと飛び掛かってくる中十輪寺は己のありったけの力をもって、最も得意とする技をモビーと共に放った。

「『青緑色の波紋疾走(ターコイズブルーオーバードライブ)!!!』」

濁流が青緑の光を纏い、ゾンビの群れに押し寄せる。その水に触れた先から、彼らは悲鳴を上げながら塵のように溶けていった。

ズドドドドド!!

轟音が尽きる頃には、ゾンビは一体を除いてその原型を留めてはいなかった。

最後の一体がうなりを上げて、溶けた体もかえりみず十輪寺に躍りかかる。それを身構えることなく十輪寺は見据えていた。

(ああ、何でだろう…?)

ドス、と音がして、緑のきらめく帯がゾンビの脳に突き刺さった。その死を待たずして、炎と茨がその体を砕いていった。

(こんなに怖くないだなんて。)

ほうっ、と息を吐くと彼女の足は水の中にザボンと落ちた。とと、とバランスを崩しかけると、自身の分身が器用に前に出てその体に手をつかせてくれた。紺色の瞳がこちらを見る。

「…ありがとう、モビー。」

それに微笑むと、白鯨はふうっと消えていった。

後方からドサッと音がする。振り返ると無傷の承太郎が悠々と帰還したところだった。

その姿にジョセフは「さすが我が孫!」と嬉しそうに声をかける。「やれやれだぜ。」と帽子を目深にかぶり直す承太郎。「なんとかなりましたな」と朗々とした声でアヴドゥルが締めると、花京院はほっと息をつき「そうですね」とハイエロファントを呼び戻した。

その光景を池の真ん中から見て十輪寺は温かい心地になる。……ともに戦えて、良かった。

そう独り言ちていると、陸の方からおずおずとした様子で緑のきらめく触脚が伸びてきた。その主を見ると心配そうな、それでいて迷いに迷った表情を浮かべている花京院と目が合う。その様子にふっと笑み返し十輪寺はハイエロファントの手を取った。

 

 

 ***

 

 

「…まさかゾンビまで現れるとはな。」

破壊を免れた畳敷きの一室。一同はそこに介し、あるものはでんと座り、あるものは立ったまま、ジョセフの言葉に耳を傾ける。

波紋の力で眠らせたホリィは別室で休ませている。この話を穏やかな彼女に聞かせる必要は無いとの、ジョセフの親子心からの判断だった。一連の話の中で必然的に十輪寺のスタンドの話になる。

「私のスタンドは『モビー・ディック』と財団の方に呼ばれています。」

「成る程…『白鯨』か。」

畳にどっしりと腰掛けたアヴドゥルが呟く。対照的にジョセフはあっけらかんと十輪寺に言葉を投げかけた。

「いやー、見えるようになってたまげたわい。あんなに大きいとはな…しかも波紋との組み合わせ技まで編み出しているとは!」

「……すみません、その…『波紋』とは?」

部屋の隅でもたれて立つ花京院がおずおずと尋ねる。どう説明しようかと十輪寺が迷っていると、それを見たジョセフが簡潔に回答した。

「…わしの祖父、ジョナサン・ジョースター。そして若い頃のわしが学んだ…『吸血鬼殺し』の力、とでも言うべきかな。」

「そんなものがあるのですか?」

「…もとはチベットの奥地で生まれた生命力を活性させる特殊な呼吸法。ですがそれは、吸血鬼の弱点たる『太陽』の力を帯びたものでした。」

ジョセフの言葉に十輪寺が補足していく。

「…そもそも『吸血鬼』ってのがよくわからねぇ。おとぎ話の世界のヤツとはどー違うんだ?」

渡り廊下に面した戸口に立つ承太郎が更に疑問を呈す。今度は十輪寺がそのまま答えた。

「吸血鬼は『石仮面』という、人間とは別の種族が生み出した呪具によって生まれた…人間の成れの果て。血液が栄養源なので吸血鬼と呼んでいますが…。弱点は太陽光と、波紋くらいなのです。」

「石仮面?…別の種族?」

わけが分からぬ、といった表情の3人に対し十輪寺はええと、とジョセフを見る。……ジョセフは苦笑して話を続けた。

「…今は石仮面のことだけでいいじゃろう。そもそもの発端は、わしの祖父が石仮面を研究していたこと、ディオ・ブランドーという男がジョースター家を乗っ取ろうとしたことに始まる。」

神妙な面持ちでジョセフは語りだす。

「…乗っ取りに失敗したディオが、石仮面を被り吸血鬼となった。祖父ジョナサンはそれを打ち取るために波紋を学んだのじゃ。…多くの犠牲を出してジョナサンはディオを討ち取ったかに思えたが…」

「…ディオは生きていた。」

「そういうことじゃ。そして、呼応するようにわしらにスタンドが目覚めた。…おそらく、DIOも。」

成る程、と十輪寺は点と点が繋がったような心地になった。

「敵のDIOは吸血鬼なのですね。それも最近目覚めた…」

言って十輪寺は顔を歪めて続けた。

「…ということはつまり…あのゾンビは。」

「まさしくDIOのせいじゃろう。」

ジョセフがShitと呟くなか、今まで静観していたアヴドゥルが口を開く。

「失礼。話は変わるのだが…君はなんで波紋を身に着けているのだい?平和な日本の高校生だというのに。」

ああ、とアヴドゥルに向き直って十輪寺は答える。

「私の家系が代々波紋の適性を持っていて、万が一に備えて財団で働いているのです。その上私にはモビーが現れましたし…」

「成る程…」

「…あの、度々すみません。財団とは…?」

困惑した面持ちの花京院が再度問いかける。そういえばそうじゃったな、とジョセフは答えた。

「『スピードワゴン財団』じゃ。名前は聞いたことがあるじゃろ?」

「え、ええ。あの石油系の…」

「創始者のスピードワゴンはわしの祖父の親友でな。…表向きは医療も牽引する存在だが、実際は吸血鬼やスタンドを研究し、平和のために動いているのじゃ。」

その言葉に花京院は目を見開いた。承太郎も身じろぎしている。祖父が言う財団におおよそ検討はついていたが、実態は知らなかったのだろう。

「…医療に通じる波紋も研究対象です。だから父は波紋部で働いています。それでスタンドが目覚めた折にジョースターさんとお会いして。」

「スタンドという概念は知られていたが、まさか知古の娘さんに発現するとは思ってなくての。それでわざわざ出向いたというわけじゃ。」

ま、その時はなァんにも見えなかったけどね、とジョセフがおどけたことで場の空気が和んだ。

「…そうでしたか。君は、なぜ戦うことを?」

アヴドゥルのその問いに、困ったように十輪寺ははにかんだ。

「スタンドは…良くも悪くも『精神力の強さ』ですから…」

 

 

 ***

 

 

夕暮れ時と同じように、十輪寺は空条邸の廊下をひたひたと歩いていた。……違うのは、後ろから声がかかったことくらいだろうか。

「…あの!」

つと立ち止まり振り返ると、そこには花京院の姿があった。どこか所在なさげな様子を纏いながら、彼は頭を下げる。

「…本当に、申し訳ありませんでした。君に対しては…謝っても、謝罪しきれない…」

その様子を当然だと十輪寺も思う。非道なやつだと罵られるのは、きっと怖い。どう返せば怒っていないと伝えられるのだろう。

「……あれは、喧嘩の場ではなく、殺し合いの場でした。」

迷った末に庭の方に体を向けて、おもむろに十輪寺は語り出した。花京院は頭を上げて十輪寺を見る。

「…殺し合いに、卑怯も悪もへったくれもないと思う。貴方がしたことは、私は悪だとは思わない。」

え、と花京院が呆然とするのを聞きながら十輪寺は自嘲する。

「むしろ…殺し合いならば、あれは最善手。…自分なら迷わず人質も取るし、もっと卑怯なことをしてたと思います。…だから気にしないでください。まして操られてたんですから。」

自嘲を隠さぬまま彼を見ると、花京院はだが、と口を動かし押し黙った。その手はぎゅっと握りしめられ震えている。表情は硬い。瞳には確かに自己嫌悪が宿っている。

ああ、と十輪寺は悟った。

(…この人は、高潔な人なんだ。)

非道なことをした自分が死ぬほど許せない。十輪寺の言葉に一切救いを求めなかった。操られたことを理由にしなかった。

(私とは違う、良い人なんだ。)

そんな彼にこんな言葉をかけたのは的外れもいいところだ。自分を恥じながら十輪寺は花京院に向き直る。

「…ごめんなさい。当てつけのようなことを言ってしまいました…」

逆に頭を下げた十輪寺をみて花京院は息をのんだ。

「い、いや…!」

「…どうか気に病まないでください。私はもう、なんとも思っていないから…」

素直に言葉がこぼれ落ちた。ややあって、花京院に向かって手を差し出しながら礼をする。

「改めまして、十輪寺 結と申します。…どうか、お見知りおきを。」

そういえば彼は自分が初めて出会った同胞ではないか。そのことに気がついた十輪寺は、恐る恐る彼に言葉をかけていた。

驚きに硬直する花京院をみて、まずかったかな、と少し後悔する。す、と手を下ろし、踵を返そうとしたときだった。

「…わたしは花京院 典明。君のように勇敢ではないですが…。宜しくお願いします。」

同じように恐る恐る差し出された手。

十輪寺は迷わずその手を握り返した。

 

 

 

 ***

 

 

 

悪夢は十輪寺の精神を、じわじわと確実に削っていっていた。

いつもの夢。……もはやその人間性に敬意を抱いた彼女にとっては、花京院の死は暗暗たる呪縛となっている。

(…今日も眠れなかったし。)

2限目の英語。これに関しては財団職員とのやり取りで覚えた彼女にとって退屈な授業である。睡魔と戦うしかすることがない。

ぼんやり窓の外に目をやった。青空には不気味なほど雲がなかった。

 

 

「そう〜今日もJOJOきてないのよォ〜。」

授業後あまりの眠気にボーッっとしていると、承太郎の取り巻き女生徒が悲しそうな声で話すのを耳にした。

(来てないんだ、空条先輩。…ま、当たり前か。)

昨日の屋敷での戦闘を思い出して苦笑する。修繕も大変だろうなぁと考えていると、クラスメイトのうわさ話も耳に入ってくる。

「転校生、真面目そうでかっこいいんですって。でも今日も来てないみたいでみんな噂してるのよ。」

花京院のことだろう。

「噂って?」

「実は不良なんじゃないかって。どうやらJOJOを探していたらしいの。2人で話してたって噂もあるし。あとは…JOJOと喧嘩したとか!」

その噂に十輪寺は思わず吹き出した。……大方当たってしまっている。これは花京院さん学校に復帰したとき大変だなぁと考えたその時、ふと違和感を覚えた。

(あれ?なんで花京院さんも来てないんだ…?)

普通に戻ったはずなのだから登校しそうなものである。というよりもジョセフたちがそうさせそうなものなのだ。

(……まさか、ね)

嫌な予感がした。

 

 

 ***

 

 

空条邸の門構えを前にして、またしても十輪寺は躊躇って二の足を踏んでいた。

結局自分の妙な勘を信じて早引きしてきた彼女は、昼前だというのに邸宅の前につっ立っている。

この間のようにホリィが都合よく迎えに来てくれないものか……などと考えていたとき、くい、とカバンを何かに引かれた気がした。覚えのある感覚に目をやると、そこには極細の法皇の触脚が巻きついている。門の中、よくよく目を凝らしてみると……実に細やかに、緑の網目が敷かれているではないか。思わずぽかんとしてまじまじとその網を観察しているとガラッと扉が開いた。……花京院が、青ざめた顔を覗かせている。

「十輪寺さん…!来てくれ!!」

切迫した花京院の様子に、十輪寺は予感が的中してしまったことを悟った。

 

 

『ホリィさんにスタンドが発現して倒れた』

道すがら花京院から伝えられた十輪寺はまさか、とホリィのもとへ急ぐ。

足音も隠さぬままその部屋に向かうと承太郎が立っておりこちらを険の有る瞳で見る。それを気にもとめず部屋の中を覗き込むと、そこには伏したホリィと側に寄り添うジョセフがいた。

「…十輪寺。」

ジョセフの声に返事もせず、目を凝らす。……ホリィのうなじあたりから、半透明のシダのような何かがのぞいている。

「これって…!」

床に伏したホリィを見てつぶやくと、十輪寺は慌てて彼女のもとに駆け寄って波紋を流す。それを見てジョセフがわずかに喜色を滲ませたが、十輪寺は首を振った。

「…財団が見た中でこの状態から回復したのは1人しかいないと聞きました。けれど」

「もういい。アヴドゥルの話と一緒だ。」

苦虫を噛み潰した表情で承太郎が低く唸った。

「やはり、DIOを倒す他ねぇ様だな…」

その言葉に十輪寺は身を固くした。

 

 

 ***

 

 

「父さん、どうしよう…!このままだとホリィさんが…!」

波紋がホリィの苦痛を和らげられるかもしれない。そう言って十輪寺は研究者である父に電話したいと申し出た。……十輪寺を案内した承太郎はそのまま彼女の様子を観察する。彼女は冷汗をにじませ必死の様子だ。が。

(なんだってこいつは、こんなにも都合よく現れる?)

花京院のときといい。ゾンビ、そして今回といい。悪い心を持っているようには見えない。むしろ逆だろうが。

(妙な奴だ…。自分で戦うことも視野に入れてやがるしな。)

ガチャン、と受話器が置かれた。険しい表情でこちらを見た十輪寺に無言で結果を言うよう促す。

「…今、財団の人たちに連絡を取り合うと。」

「そうか。」

言って踵を返し、承太郎は母のもとに戻るべく歩き出した。後ろから十輪寺が苦渋を隠しきれない重い表情で続く。静けさをたたえた庭に面した廊下にて、十輪寺がおもむろに承太郎に声をかける。

「…血筋、とおっしゃってましたね。」

ん、と承太郎が目だけやると、険しい表情をした十輪寺はうつむいまままだった。

「DIO、という吸血鬼については昨日伺いました。…けれど、何故それが貴方がたのスタンド発現に繋がったのかが分からない。」

承太郎はそういえば、とはたと気づく。

「…言ってなかったな。DIOという野郎の首から下は…ご先祖さん、ジョナサン・ジョースターの体だ。」

な、と目を見開く十輪寺に対し、詳しくはじじいに訊きなと背を向けた。その場に立ち尽くした十輪寺を置いて承太郎は先に進んだ。

彼がホリィのもとに戻ると、ホリィは目を覚ましていた。ジョセフが甲斐甲斐しく……いや、過保護に世話をしている。朗らかに笑っているように見えて、二、三こと話をしただけでホリィはまたふっと意識を失った。

「自分のスタンドのことを隠そうとしていた…っ」

ジョセフの声には苦渋が色濃く混ざっていた。承太郎は、ただ黙して祖父と母を見やる。

「わしらに心配かけまいとした!…娘は、そういう子だ…」

とと、と僅かな音を立てて寝室に戻ってくる足音。ややあって十輪寺がおそるおそる廊下から顔をのぞかせた。それを見たジョセフがどうだったのかと声をかけようとしたちょうどその時、今度は離れの方角からどど、とかけてくる足音が聞こえてきた。

足音の主、アヴドゥルは十輪寺をみて少し目を見開いたが、何も言わずジョセフたちに向き直る。

「ジョースターさん、見つけました…!コレです!」

さっと2人の顔色が変わるのを目の当たりにし、十輪寺はなんとも言えぬ緊張を持った。

 

 

アヴドゥルが持ってきたのは虫の図鑑。……写真に写りこんでいたハエを調べていたのだが、そのことを知る由もない十輪寺はただ、3人とは離れたところで聞き耳を立てている。

「エジプト!DIOはエジプトにいるッ!それもアスワン付近と限定されたぞ!」

(エジプト…?)

思わず十輪寺は眉をひそめた。日本とは遠く離れた、縁もゆかりもない異国の地。まさか、と、嫌な焦燥が押し寄せてくる。

(あの夢の男がDIOだとしたら…!)

その時、一番聞きたくなかった彼の声が十輪寺の耳に聞こえてきた。

「やはりエジプトか。」

その場の皆が声がした廊下の方にざっと視線を送る。

「花京院…」

承太郎が訝しげ呟く。花京院は厳しい何かを覚悟したような表情で真意を話しだした。

「私がDIOに肉の芽を植えられたのは3ヶ月前。家族でエジプト旅行に行った時だった。」

はっと全員が息をのむ。花京院は続けた。

「…いつ出発する?私も同行する。」

ああ、やはり。十輪寺は顔を歪め俯いた。

(やっぱり、こうなるのか…)

そんな十輪寺の様子には目もくれず、他の面々は各々別の反応を取る。ジョセフとアヴドゥルは目を見開き、どこか期待するような眼差しを彼に向けた。承太郎は眉をひそめ難しい顔で彼に問いかける。

「同行するだと?なぜ?お前が?」

一見すると威圧し、花京院のことを疑ってかかっているようにも見えるその様子。だが、関わりの浅い十輪寺でも、花京院でも、その真意は読み取れていた。……危険と分かりきっているのに巻き込みたくないという、根底の思い。

それを理解しているからか花京院はフッと笑い肩をすくめてみせる。

「そこんところだが…なぜ同行したくなったのか、わたしにもよくわからんのだがね。」

その言葉を聞いて承太郎は眉をひそめると、ケッと吐いて目をそらした。……何かこの応酬に覚えでもあるのだろうか。承太郎が素直に引いたことに、十輪寺は焦りを覚える。

「お前のお陰で目が覚めた。…それだけさ。」

花京院は額に巻かれた包帯をとんとんと指差し言った。

……この場にいる4人、その各々が覚悟を決めホリィに襲いかかる宿命に相対そうとしている。1人、離れたところからそれを十輪寺はただ、見ていることしかできないでいた。

(…このままでは)

十輪寺が最も恐れていたことが現実に近づきつつある。あの男がDIOであり、吸血鬼なのだとすると――あの一撃を食らった花京院の命は、まず無い。

だがその一撃がどのように彼に当たるのかが全くわからないのだ。

花京院を助ける最も簡単な方法。……それは、彼を旅立たせないこと。

(…けど、それは…)

十輪寺は再び俯いて考える。

(それは、彼の誇りに傷をつけることだ。彼が、誇りを取り戻すことを邪魔することだ…)

十輪寺には解っていた。花京院……いや、ここに居る男たち全員が、矜持の為に殉ずることができるような人々なのだと。誰かのために命を張ることも厭わない、闇夜を鮮烈に駆け抜けて行ってしまう流星のような。僅かに関わっただけだというのに、まるで知っていたかのように彼らの人となりを理解していた。

(駄目だ。止める訳にはいかない…)

十輪寺のなかで……羨望と恐怖が渦巻いていた。

 

 

「…輪寺。十輪寺!」

十輪寺がその声にハッと気がついたのは、何度か呼びかけられたあとだった。慌てて返事をし皆の方を見上げる。

真っ先に目が合ったのは心配そうな顔をしてこちらを見るアヴドゥルだった。

「…大丈夫か?顔色が悪いぞ。」

その隣には同じように心配の色が見えるジョセフ。だが、その瞳にはまるで懇願するかのような切迫性も宿っている。

十輪寺はその目線で意図を悟った。……ホリィの警護。

(…ああ。)

ゾンビが襲ってきたことを鑑み、この地を守ってほしいと頼みたいのだろう。だが十輪寺の心の中は既に別の懸念が支配していた。

(このままでは花京院さんが死んでしまう!)

咄嗟に十輪寺は答えていた。

「私も行きます。」

その言葉に一同は目をむいた。

旅への同行。敵は強大、こちらは多勢に無勢なのは昨日の戦いで明らか。少しでも戦力は欲しい。だがそれは命を賭けた死出の旅路と相違ない。赤の他人の命のためにその身を賭してくれ。そんな事、他人に……ましてや女子高生に言えるわけがない。

「駄目だ。」

承太郎は即答してぎっと十輪寺を睨みつけた。その視線を一身に受け、彼女の心の中の恐怖が再び表に浮かび上がる。……吸血鬼はゾンビよりも更に強大。その上スタンド使いが大勢いるはずなのだ。臆病な自分は、最期まで戦い抜けるのだろうか?恐怖に屈せずにいられるのであろうか?

(けれど…少しでも!)

十輪寺は考える。今まで常に、自分は怯えとともに戦ってきた。夢という恐怖を克服するために波紋を学び己のスタンドを独自に考察してきていた。それが自分の宿命でもあるから。

「嫌です。」

十輪寺はきっと承太郎に視線をぶつけ返した。

「…なんだと?」

「敵にゾンビがいるならば苦戦するでしょう。…私は戦えます。」

それに、と彼女が言葉を募ろうとした時だった。

「駄目じゃ十輪寺!!」

ジョセフが必死の形相で怒鳴ったのだ。その場に居合わせた面々は何事かとジョセフを振り返る。

「君を巻き込むわけにはいかんッ!()()()をもう戦いに巻き込むわけにはいかんのじゃ!」

そう言い切ってジョセフはダン、と座卓に拳を打ち付けた。

「…話は仕舞じゃ。わしからも財団に連絡を入れる。君もお父さんとよく話し合いなさい。」

有無を言わさぬように立ち上がってジョセフは廊下へと出ていった。

 

 

 ***

 

 

「スピードワゴン財団の医療チームだ。24時間体制でホリィの様子を看てくれる。」

空条邸の門前がにわかに慌ただしくなる。幾つかの車両が止まり中から機材を運び出す白衣の人々がせわしなく門を出入りした。……その中に十輪寺は父親の姿を見つけてさっと駆け寄った。

「…父さん。」

青ざめた娘の顔を見て父はそっと肩に手を置く。

「よく知らせてくれた。我々にできる限りのことをしよう…手伝ってくれるな?」

父のその言葉に、十輪寺はまって、と今にも消え入りそうな声で呟いた。

「…夢を、見たの」

その言葉に父は息をのんだ。それで、と促してきたので彼女は夢の内容をぼかしながら伝える。……一行の誰かが死ぬことになると。誰なのかは明かさなかった。

「…お前はどうしたいんだ…?」

その言葉にしばしの沈黙を置いて、十輪寺は考えをまとめた。

(あの星たちを、守れるのならば。)

「…私も、同行したい。どんなに危険でも。」

その言葉に父は目を閉じて暫し、分かった、と答えた。

 

 

「ホリィ。必ず…助けてやる…」

ジョセフが病床のホリィに悲痛な面持ちで声をかける中、十輪寺親子はよろしいですか、と声をかける。

「…どうしたんだね。」

病床から離れて廊下。ジョセフは硬い表情で親子に向き合った。……これから何を言われるのか分かっているのだろう。だがしかし、十輪寺の父は退かずに静かに答えた。

「この子を同行させてあげてください。きっと助けになるでしょう。」

静かに視線がぶつかり合う。ジョセフの無言の圧力にも親子は怯まなかった。

「…ジョースター家だけで戦わないでください。これは()()()()()の戦いでもあります。」

「ここでホリィを守ってくれるのも重要な戦いだとは思わんかね。」

「それは私の仕事。スタンドも波紋もこの子は優秀です。…どうか。」

決して折れる気はないと2人してじっとジョセフの目を見据えた。

――無言のにらみ合いの末、折れたのはジョセフの方だった。

「分かった…。ただし、危険と判断したならばすぐに前線から離脱させる。…それでよいな?」

「…はい!」

ぴっと身を正して十輪寺結は緑の瞳に火をともした。



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紺の白鯨~空の密室~

十輪寺も旅に同行する。その意見に皆難色を示したが両親からの許可や本人の確固たる意志が折れないとなっては仕方がない。

カイロ行きのチケットの手配をしている間、十輪寺は空条邸の庭に降りて風景を見まわしていた。それを見て興味を持ったアヴドゥルは十輪寺に話しかける。

「よく決意してくれたね。ありがとう。」

十輪寺ははっと会釈を返すと苦笑いを浮かべた。

「…空条先輩は複雑そうでしたね。花京院さんがついていくことにも、どこか遠慮をしているような。」

ああ、とアヴドゥルも頷いて答える。

「あれでいて、かなり他人思いの性分なのだろうさ。決して君を拒んでいるわけではない。…私は、君の勇気ある決断に感謝する。」

穏やかに微笑むアヴドゥルに、十輪寺はチラと笑み返したあと庭に目をやった。その笑みにはどこか自嘲の色が見える。ポツリと十輪寺はこぼす。

「…勇気ではないのかもしれません。弱い自分の場合は蛮勇なのかもなって。」

その言葉にアヴドゥルはすうっと目を細める。

「君は弱くなんてないぞ?」

曖昧に笑うだけで十輪寺は答えない。アヴドゥルは十輪寺の頑なな様子に、これは、実は承太郎や花京院並みに扱いの難しい子なのかもしれないと考える。

(素直で勇敢に見えるが…実際のところは自罰的。表向き孤高で信頼を得にくくみえるJOJOや、己が認めたものとしか付き合いたがらない花京院とはまた違ったタイプか…)

占い師として今まで多くの人々を見てきたアヴドゥルは、正確にその人間の人となりを見抜くことができる。僅かな会話からでも、ある程度は予測がつくのだ。

(ジョースターさんから伺ったが彼女もDIOの因縁に関係する血筋だという…。それに小さい頃から鍛錬を積んできたというが…)

アヴドゥルは隣に立つ少女を見つめながら思案する。

(何が彼女をそのようにしているのだろうか?)

アヴドゥルは予感していた。スタンドや波紋をあれほどまでに鍛えているのは何か別の理由があるのではないか。でなければ一介の女子高生がこんなに強くあるはずがない。

(何かわからぬ上に…こちらから踏み込むことは逆に避けられそうだな。)

例えば承太郎ならばこちらが嘘偽りなく接すれば、彼も信頼で返してくれるだろう。花京院ならば、こちらが信頼に足ると証明すれば全幅の信頼を置いて応えてくれる。

だがこの十輪寺という子の信頼を得るには……その秘密を、彼女自らが安心して話せるようにならねばならない。アヴドゥルは、それは実に難しいことなのではないかと直感した。

(気長に構えていたほうがいいかもしれんな…)

アヴドゥルが黙しているのが気まずかったのか、十輪寺は迷い迷い話し出す。

「あの、アヴドゥルさんは生まれつきのスタンド使いなのでしょうか?」

「そうだよ。」

そういえば昨日、花京院からも同様の声をかけられたな、とアヴドゥルは思い返す。だが、それ以上十輪寺に探りを入れることはなんとなく憚られた。この子が話すと決めたときまで待っていたほうがいいと思ったからである。そのかわりにアヴドゥルは別の話を振ることにした。

「時に十輪寺、君はスタンドの事をどれだけ知っているんだい?」

一瞬きょとんとした十輪寺はううん、と顎に手を当て悩みだす。

「…詳しくはないです。知っていたのはダメージが使い手に戻ってくること、それぞれに特殊な力を持っていることくらいですかね…」

「成る程。ではスタンドに暗示がある場合があることも知らないのだね。」

「暗示?」

十輪寺は怪訝な表情をして首を傾げた。うむ、とアヴドゥルは頷いて懐からおもむろにカードの束を取り出した。

「例えばタロット。例えば何処かの神。例えば星座。…稀に、暗示を持って生まれるスタンド使いがいるのだよ。私達は皆、どうやらタロットの暗示を受けているらしい。」

JOJOはまだ分からないがね、とアヴドゥルは笑って言い、カードを伏せたまま片手で器用に広げる。

「ここに、22枚カードがある。…無造作に引いてご覧。」

 

 

十輪寺はカードとアヴドゥルを交互に見て、躊躇いがちに手をそろそろと伸ばした。迷いつつ1枚のカードを引き抜く。さあ、と促されて恐る恐るカードを表に返した十輪寺は「え」と目を見張った。

「…白紙?」

カードには何も描かれていない。呆然とその1枚を見る十輪寺に実はとアヴドゥルは穏やかに話しかける。

「このタロットには乱丁が1枚混じっていてね…。私は、出会ったスタンド使いにこのタロットを用いて暗示があるのかを視ているんだ。…不思議なことに、出会ったほぼすべてのスタンド使いがその1枚だけを引いた。今のところ私が占った中で乱丁を引かなかったのはジョースターさんと昨日行ってみた花京院、そして私自身だけだった。」

「…つまり、自分は暗示がない、と」

「恐らくな…。まぁ、むしろあることのほうが珍しいものなのだが。ここまで揃ってくると…敵の方も怪しいものだ…」

アヴドゥルが神妙に言うのを、十輪寺は別の方向で捉えていた。

(…やはり自分は、皆の仲間足り得ない…?この戦いにおいて…本当は、無関係の運命だったということ?)

どこか現実を突きつけられた心地になった十輪寺は、その悲しみを押し殺して笑って返す。

「不思議な宿命を負って生まれたということなのでしょう。…ですが、暗示が出なかった私が加わることで何か別の目が出るかも知れません。相手方にまだ、私とモビーは知られていないはずですから。」

「ああ、そのとおりだと思う。君の強さはスタンドだけによるものでは無い。…期待しているよ。」

アヴドゥルは穏やかに笑う。……十輪寺の咄嗟の裏を返しただけの話の奥の感情に気づいたのか気づいていないのか。十輪寺には判別できなかった。

(多分この人は無意識に人を把握できる人だ。)

十輪寺がほんの少しの警戒感を抱いていることもお見通しなのだろうか。アヴドゥルはこちらの域に踏み出してくることはない。見守るタイプなのだろうな、と十輪寺は考える。

穏やかな笑みのまま、そういえばとアヴドゥルが切り出した。

「これは私の主観なのだが…。不思議なことに、君のスタンドから白以外の別の色を連想したんだよ。」

「え?」

十輪寺はキョトンと彼のブラウンの目を見た。アヴドゥルは十輪寺の緑の目を見返して答える。

「…紺色だ。それも、真夜中の星を引き立たせるような紺色のイメージを持った。」

それをきいて十輪寺は思わず目を丸くしていた。え、と息が漏れる。思わず呆然としたかのようなその様子に、何か思い当たる節があるのだろうと判断したアヴドゥルは興味から少しだけ踏み込んでみることにした。

「どうしたんだい?」

「………いいえ。予想外の色が出てビックリしただけです。」

長い沈黙のあと、十輪寺は額に触れて目をそらしながら言った。明らかに何かを取り繕うその様子に、アヴドゥルは素直に引き下がることにする。

その時「ただ…」と十輪寺が躊躇いためらい言葉を選びながら発言しだした。アヴドゥルはじっとその様子を見守る。

「…その直感は、多分…とても正しいものなのかなと思いました。…私もモビーから感じる色は、白ではない気がしていたので。」

十輪寺がアヴドゥルを見上げた。その顔には僅かに笑みがこぼれている。

「…その」

十輪寺は言いよどむ。無言で先を促すと、十輪寺は恐る恐る声を出す。

「もし、よければ…私のモビーにも『色』の名前が欲しいな、なんて思って…」

どこかおっかなびっくりな様子を不思議に思いながらも、そこには触れずアヴドゥルは笑いかけた。

「ならば『紺の白鯨(ネイビー・モビー・ディック)』と呼べば良い。…私は色も暗示の1つだと考えているんだがね。」

『色も暗示』。その言葉を聞いて十輪寺がばっと顔を上げる。……先程の様子と直結している何かがあるのだろう。アヴドゥルは続けた。

「これも感じない者からは感じぬものなのだよ。偶然か否か、私達には共通してこれを感じる。魔術師の赤、隠者の紫、法皇の緑……JOJOは恐らく白金だろうか。」

まじまじと見つめられながらも、アヴドゥルは微笑んで十輪寺に言葉を返す。

「君のモビー・ディックは間違いなく色の暗示を受けている。しっくりきたのであれば、紺を名乗るべきだ。日本では『名は体を表す』と言うんだろう?」

「…ありがとうございます。」

十輪寺は再び庭に目を移した。だが、その顔には隠しきれない喜色が見えている。

その様子で、アヴドゥルはああ、と悟った。

(彼女は…十輪寺は、我々の仲間で在りたいのか。)

ほんの少しでも心を許されている。そう直感したアヴドゥルは光明を見た気がした。

 

 

財団の医療車両や人の行き来を十輪寺含めた高校生3人は門の外で控えながら見守る。ややあってジョセフとアヴドゥルが門から出てきた。

「JOJO。」

アヴドゥルが承太郎に歩み寄り、声をかける。その手にはあのタロットカードが握られている。

「占い師のこの俺がお前の『スタンド』の名前をつけてやろう。…運命のカード、タロットだ。絵を見ずに無造作に一枚引いて決める。」

その片手に束になってカードは用意される。

「これは君の運命の暗示でもあり、スタンドの能力の暗示でもある…」

アヴドゥルの説明を聞いた承太郎は、何も躊躇うことなくカードをひと束持ち上げ、一枚、引き抜いた。パラリ、とその一枚は表に返された。

「…星のカード!名付けよう!君のスタンドは…星の白金(スタープラチナ)!!」

ここにタロットの暗示を受けた戦士がまた1人、名を冠した。

 

 

 

 ***

 

 

 

新東京国際空港。海外旅行の時には必ず通る空の玄関口。だが今回は勝手が違う。紛れもない、緊迫感を持ち合わせている。

(エジプトが、多分夢の地なんだ…)

鋼鉄の翼を遠巻きに見る搭乗口ロビー。完全に日の没した滑走路には、どこか心細くなる程度のライトしかともっていないように感じる。窓から視線を外し、共にエジプトに向かう人々を見た。目を閉じ椅子に足を組む承太郎。電話をしに行き姿の見えないジョセフ。歩く人並みに目をやるアヴドゥル。……そして、十輪寺と同じように硬い表情でガラスにもたれ外を望む花京院。

(…特別視するわけじゃない。けれど、死の暗示が出てる以上最優先は花京院さんだ。)

ホリィを助けたい。この皆の命も守りたい。……自分は臆病者だというのに、つくづく強欲に誰かを助けることを望んでいる。彼をじっと見ていてしまった。視線に気がついた花京院がふとこちらを見る。前髪をかきあげて、何事もなかったように十輪寺は彼から視線を外した。

 

 

空港を発って1時間。ジョースター一行の席はちょうど、機内の中央の窓側に位置していた。花京院とアヴドゥル、ジョセフと承太郎、そして十輪寺という席次だ。離陸直後から目を閉じていた十輪寺が、おもむろに目を開ける。

(…なんてこと。敵が、スタンド使いが紛れ込んでいる…っ!)

腕時計を見ると21:41。くっと、人知れず唇を噛んだ十輪寺は、つかの間の休息を取る面々を起こさないよう、こっそりと席を外しあたりを観察しながらトイレに向かうふりをする。

機内の席はまばらに空いていた。時刻も時刻なので、皆一様に眠りに落ちている。経由地のバンコクまではまだ時間がある。

その中で十輪寺はある人物たちを探していた。

(…居た。この列か!)

見つけられた安堵すらおくびにも出さず、一旦彼女は機内後方のトイレの中に消えた。

 

 

―いわば空の密室か…

悪夢だった。目が覚めたというのに立ったままだったからそうなのだろう。…機内で、何かが起ころうとしている。

―そして、やっぱり。

皆のいる方を見やる。狭い機内の廊下に立って、臨戦態勢の彼ら。空条先輩の手と口からは血が流れている。だというのに。

…私の姿はどこにも無い。

―やっぱり、私は…

考える隙などなかった。ブゥンと耳元を何かが弾丸のように通り過ぎた。

さっと見ると、それは…大きなクワガタのようなスタンドは、眠っている乗客の真後ろへ。

まさか、と誰かが口にしたその時だった。

ボッ!!!

スタンドは弾丸のように乗客の後頭部から口を抜けて、一気に4人の舌を引き千切った。

ぐん、と、後ろに引かれる。

―ちくしょう!これじゃあ…!!

無関係の人も巻き込む…っ!!

 

 

(…完全に夢の通り行くとは限らない。だけど…)

1人きりの狭い密室で彼女は必死にどう立ち回るかを考え出す。

(まず最優先は乗客の命。次はパニックを起こさせないこと!)

彼女は結わえた髪から数本、毛を無造作にピッと引き抜く。コオオ、と呼吸すると、それは針のようにビンっと硬質化した。

(一瞬でもこれが乗客に流せれば気絶させることは可能…とにかく戦闘を見られないようにしなくては!)

パニックに関してはなんとか防ぐ見通しが持てた。しかしあの弾丸のような突進攻撃を見切る術を十輪寺は持たない。

(…ならば、これしかない!)

動悸を止めるため、彼女は深呼吸する。覚悟を決めて、彼女はトイレの戸を開いた。

機内は飛行音と寝息しか聞こえて来ず静かなものである。今度は一転、前方のスチュワーデスたちがいるエリアに向かって十輪寺は歩き出した。道中、手の届く範囲にいる乗客にはわずかに触れ波紋を、届かぬ客には波紋を滞留させた髪を人知れず漂わせて届け。ジョースター一行を中心とした範囲の客はこれで眠りに落ちたはずだ。

パチっと僅かな音を立てて乗客の頭がかくんとおちるのをみて、半ば申し訳ない心地のまま十輪寺は前に進み出た。客室エリアの境目、スチュワーデスが働く僅かなスペースに十輪寺はあの、と声をかける。

「はい、どうなさいましたか?」

十輪寺の予想通りスチュワーデスが1人そこに詰めていた。

「すみません…ちょっと気分が悪くて。お水、頂けませんか?」

「大丈夫ですか?少しお待ちくださいね。」

スチュワーデスはテキパキと紙コップを準備して水を注ぐ。十輪寺のことを気にかけながらすっと水を差し出した。

「どうぞ。」 

「ありがとうございます。」

コップが十輪寺の手に渡るその時、十輪寺はわざとスチュワーデスの手先に触れた。その瞬間、コップの水がパチっと光り、奇妙な波紋を描いた。

『あなたは何も見ない。何も聞かない。しばらくここで、じっとしている。』

さっとスチュワーデスから手を離して踵を返す。……スチュワーデスは、何事もなかったように、無言でコップをかたし始めた。

(波紋による操作。敵はいつ襲ってくるかはわからない。1時間は持ってくれよ…!)

十輪寺は祈るような心地で、ジョースター一行の方へと戻っていく。

(次は、位置取りだ。)

通路側に座るアヴドゥルは目覚めていたらしい。どうした、とこちらを見る彼にささやかな声で断りを入れておく。

「少し落ち着かないので後ろの方にいます。大丈夫、気が急いてしまっているだけなので…」

「そうか…無理するなよ。」

「ありがとう御座います。」

言って彼らとは離れた座席に、十輪寺は移動していった。……額の冷汗は、見られずにすんだだろうか。

 

 

最初の違和感に気がついたのはジョセフと承太郎だった。

「…見られた。」

「ああ。」

その様子を遠巻きに見て、十輪寺は始まる、と直感した。人知れず座席の影に隠れ、移動する。

ブゥーン、と僅かな虫の羽音。スタンドを介して話しながら、一行も動き出した。

『早くも新手のスタンド使いかッ!』

ブオン!と音がしていきなりそれは承太郎の横に姿を表した。

『JOJO!君の頭の横にいるぞ!』

不気味な音を立ててクワガタは口から針のような何かを繰り出してくる。

『気を付けろ…人の舌を好んで食いちぎる虫のスタンド使いがいるときいたことがある。』

ギュン、とスター・プラチナが手刀を繰り出す……が。軽々と虫はその正確無比な攻撃を難なくとかわしていた。

『スター・プラチナの動きより早いッ!』

アヴドゥルが切迫したように言うと、虫はせせら笑うかのようにヒュンと距離を取る。

『どこだ…使い手は何処に潜んでいる!?』

花京院がはっと気づいた瞬間、虫の口針がビュカッと承太郎めがけて伸びた。

『承太郎!』

後方から見る十輪寺は、思わず飛び出しそうになる自分を叱咤し押しとどめた。

 

 

ギリギリ、と歯で噛みしめる音がする。……虫の口針は、スター・プラチナの口めがけて一直線だったが、すんでのところで、彼は歯で受け止めていた。

『こいつは…やはりヤツだ!タロットでの塔のカード!破壊と災害…そして旅の中止の暗示をもつ……灰の塔(タワー・オブ・グレー)!』

アヴドゥルがぎり、と歯を鳴らす。

『タワー・オブ・グレーは事故に見せかけ大量殺戮をするスタンド!昨年のイギリスでの飛行機墜落はこいつの仕業と言われている…』

そんな、と耳をそばだてていた十輪寺は目を見開く。…スタンドの悪用が、身近にも潜んでいた事実に戦慄する。

次の一手は承太郎だった。針を咥えたまま拳打と手刀のラッシュが飛ぶ……が。

『かわされた…!両手でのスピードラッシュまでも…。何という早さ!』

一同が呆然とする中、今まで沈黙を保っていた灰の塔がくく、と嘲笑いだす。

『たとえここから1cmの距離より10丁の銃から弾丸を打ったとして…俺に触れることさえできん!』

ぎりりとジョセフは周辺乗客に目をやった。この静かな殺し合いの中、一様に眠りにつく乗客たち。

(本体さえ…そいつさえ分かれば…っ)

その時。ふっと灰の塔が一行の前から姿を消した。

 

 

来た。十輪寺の心臓がバクバクとなる。……あの速さを前にして、果たして。

博打であった。

『いたぞ!あそこだ!』

花京院の声が飛ぶ。せせら笑うタワー・オブ・グレー。ブブ、と助走をつけ、乗客に飛び込もうとしたその時。

『させるかっ!!』

弾丸の前に十輪寺が躍り出た。なに、と敵がつぶやく一瞬。自身に被るように出現させ大口を開け待ち構えたネイビー・モビー・ディックがそのままタワー・オブ・グレーを飲み込んだ。

『十輪寺?!』

一行が驚愕の声を上げる。やった、と十輪寺が安堵した刹那、喉から舌にかけて激烈な痛みが走った。

「うぐっ!」

思わず口を開けると、白鯨も呼応するよう悶え口を開く。……ブンとクワガタは飛び出した。

『小娘…貴様よくもッ!!』

その口針にはネイビー・モビー・ディックの舌と思われる肉片。十輪寺の口の中は血の味で溢れている。ゴボと崩れ落ちながらも十輪寺は波紋の呼吸を整え、舌に空いた穴を治すのに集中させた。

『ふんっまぁいい!俺の狙いは…!』

モビー・ディックーーいや、十輪寺の血をまとった肉片を持って、タワー・オブ・グレーはひゅっと壁に文字を描いていく。

『Massacre!!』

『大丈夫かっ、十輪寺!』

慌てて駆け寄るジョセフにうなずき、血反吐を垂らしながらも十輪寺は言う。

『…飛び出さずここに控えていてよかった。乗客に怪我は?』

『大丈夫じゃ!もういい、喋らんで傷を治せ!』

こくんと、頷いて十輪寺は半ば這いながら後方に引き下がる。……ここから先の、暗示はない。

(後はどうなる…?私が見たのは、乗客が死ぬところまで!皆がどうなるかはわからない…!)

承太郎、十輪寺を傷つけたどころか、無関係な乗客すら狙おうとしたタワー・オブ・グレーにアヴドゥルが吼える。

『おのれ!焼き殺してくれるッマジシャンズ…!』

炎熱とともに火の鳥が出現したところだった。

『待て、待つんだ!アヴドゥル!』

花京院の冷静な声が脳内に響いた。ハッとしたアヴドゥルは一旦、スタンドをひく。

するとその時、一行とはやや離れたところに座っていた老爺が物音に目をさました様子で起き上がった。

「…なんか騒々しいのぉ…う〜ん、トイレでも行くか…」

うっと顔をしかめて十輪寺は老爺を見る。……席が離れていたため、波紋を届けていなかったのだ。これはまずいと周囲を見回す。今のところ、彼以外は起きる様子がないのは救いか。

老爺がトイレの前……いや、タワー・オブ・グレーが悠然と飛ぶ領域に入った。そしてあろうことか血文字に触れる形で手をついた。

危ない、と思わず花京院が息をのむ。だがクワガタは老人よりもこちらに注意を向けていた。べちゃりと妙な感覚を掴んだ手を、老人はまじまじとみた。

「なんじゃこれは……血?」

思わず口をパクパクとさせながら老人は後ずさる。

「ひ…!ち…血が!ちぃぃッ」 

「当て身。」

老爺が叫びださんとする一瞬、彼のうなじに花京院が一撃手刀を入れ昏倒させた。

ゆらりと倒れかかる老爺を尻目に花京院はすっと皆を見回す。

『…他の乗客が気付いてパニックを起こす前に奴を倒さねばなりません。』

落ち着き払った花京院の目に、十輪寺は不思議とどこか安心感を得た。花京院はタワー・オブ・グレーと向き合う。

『ここは私の静なるスタンド、ハイエロファント・グリーンこそヤツを始末するのにふさわしい。』

敵に対して大胆不敵にも啖呵を切り、彼は構えた。

『花京院典明か…DIO様からきいてよーく知っているよ。…やめろ。』

くくく、とおぞましい虫がせせら笑う。

『貴様のスピードでは俺を捉えることはできん!!』

『そうかな。』

花京院が動いた。構えたと同時に瞬時に法皇が現れエメラルドスプラッシュを発射する。

固唾を飲んで見守る面々の中、十輪寺も焦りとともに彼の戦い方を見ていた。

虫はいとも容易くといった様子で緑の弾丸の間を縫う。高笑いして虫はハイエロファントの眼前に迫った。

『まずい!やはりあのスピードに…!』

アヴドゥルが叫ぶと同時にクワガタは口針で法皇の口の装甲を砕いた。途端、花京院の口から血が吹き出す。一撃を受け花京院が通路に倒れ込むのを見て、灰の塔は実に愉しげに勝ち誇ったように飛び回る。

『スピードが違うんだ!…ビンゴにゃあのろすぎるぅぅ!!』

タワー・オブ・グレーは再び花京院の前に浮遊した。高笑いしながらタワー・オブ・グレーは勝利を確信する。

『俺に舌を引き千切られると狂い悶えるんだぞッ!苦しみでなァ!』

だが。

 

 

ハッと、十輪寺は息をのんだ。……戦いの潮流が、変わる。

『なに?引き千切られると狂い悶える?』

落ち着き払った顔で、花京院がゆるりと笑った。

『私のハイエロファント・グリーンは……』

タワーニードルが花京院に迫ったその時、ドン、と多方向から何かが突き破る音が響いた。

『グエッ?!』

それは、あらゆる方向から伸びた法皇の触脚。触脚は勢いそのまま、灰の塔一点に突き刺さる。

『引き千切ると、狂い悶えるのだ、喜びでな…!!』

法皇がひと捻り動いた。たったそれだけ。それだけの動きで、突き刺さったタワー・オブ・グレーは引き千切られた。

『ぎぃぃぃやァァァァ!!!!』

灰の塔が残骸となりはて消えていくと同時に、グボアと血を吐く音がした。一同がその方をさっと見ると、先程昏倒させた老爺。その、虫の入れ墨の入った舌がビリリと裂けて血を吹き出していた。

『…さっきの爺が本体か。おぞましいスタンドにはおぞましい本体がついているものよ。』

花京院は吐き捨てると口を拭った。

 

 

「…少ししびれます、申し訳ない。」

「いいや。助かります、ありがとう十輪寺さん。」

舌を治し波紋の呼吸を整えた十輪寺は、承太郎と花京院の口元に手をかざし波紋を流す。……他者の治癒は十輪寺は得意ではないのだが傷の治りを早くすることはできる。

花京院は穏やかに笑って礼を言う。だが、承太郎は目礼を返すのみで十輪寺とは目を合わせようとしなかった。

(…疑われている、のだろうな…)

これだけ都合よく十輪寺が動いたことで犠牲者がでなくなるのも妙である。それは彼女も重々承知しているが、守りたいと思った以上動かないわけには行かない。

(良いんだ。これが私の役目なのだから。)

ある程度傷を塞いだためすっと手を離しもう大丈夫、と声をかける。口元をさすりながら花京院が言う。

「不思議ですね、傷のところが少し熱くなったと思ったらこんな短時間で塞がるとは…」

「自分自身はもっと完全にできるのですが、如何せん他の人に行うのは難しくて。」

それでもすごいのに、と花京院は肩をすくめた。そしてふと、灰の塔の使い手の亡骸に目をやる。

「そういえば…奴には肉の芽が埋め込まれていないようだが…?」

肉の芽を知らない十輪寺は眉根を寄せる。だが、それに気が付かず面々は話し始めた。

「こいつはもともと旅行者を殺し金品を巻き上げている悪党。金で雇われ、欲に目が眩んでDIOに利用されたんだろうよ。」

アヴドゥルが灰の塔の人となりについて話していると、不意にぎぎぎ、とあまり耳慣れない音がした。

「とと…?」

ぼんやり立っていた十輪寺は、何故か左の方に躓きかける。カラン、とどこかの座席から紙コップが落ちてきた。コロコロと左の方に勢いをつけて転がっていく。

「…変じゃ。さっきから気のせいか機体が傾いているような……」

この時になって、ようやっとジョセフはハッと息をのんだ。




ネイビー・モビー・ディック 
『紺の白鯨』

破壊力:A
スピード:D
射程距離:E
持続力:D
精密動作性:E
成長性:D

能力:『積載』
飲み込んだものを留め置き、任意に吐き出すことができる能力。
口に入るサイズならなんでも飲み込める。およそ2m四方が目安。

ビジョン:5mほどの帆船のような背びれを持った白鯨。胸びれは何対かのオール、尾は錨。背中は甲板のようになっている。
半自立型で本体との視覚共有は無し。

『アンガーテイル』
錨の尾を叩きつける。一撃は重いが隙がでかい。
錨(アンカー)⇔怒り(アンガー)の言葉遊び。


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魔術師vs戦車

「まさか」

呆然とつぶやいたジョセフは慌てて機内前方に向かって走り出す。顔を見合わせた後、他の面々もややあって共に向かっていった。

追いついた先はコックピット。ジョセフが失礼、とスチュワーデスを強引に避けさせて扉を開ける。

次に続いたのは承太郎だった。これ以上の侵入者はと立ちはだかろうとした彼女たちは承太郎の美しい姿をみて思わず惚けるが、どんと押しのけられてしまう。

(ショックゥ〜…!)

「おっと。」

その後ろに続いていた花京院が2人を優しく受け止めた。

「失礼。今は緊急事態。許してやってください。」

「は、はい…!」

花京院の紳士的な対応に思わず顔を赤らめる彼女たち。

この、なんとも言えない奇妙な寸劇に、後ろにいたアヴドゥルと十輪寺は唖然とする他なかった。

(…同年代って、なんだっけ…?)

 

 

だがしかし。コックピット内はうって変わって最悪な状況を呈していた。

「なんてこった…!してやられたッ!!」

最後尾だった十輪寺がコックピットに入り見たもの……それは、全面に飛び散った血痕と、舌を抜かれ倒れ伏す機長たちの亡骸だった。あまりの凄惨さに思わず十輪寺は口を覆う。

(しまった…!機長たちを狙う手があった!)

――十輪寺の悪夢の落とし穴。当然、見ることができない最悪の未来も存在する。呆然とこの有様を見る十輪寺の前で承太郎とジョセフは冷静に状況を分析する。

「降下しているぞ…。自動操縦装置も破壊されている…!」

ジョセフは皆に向かって冷汗隠さぬまま、宣告した。

「…この機は、墜落するぞ。」

皆が息をのんだその時だった。十輪寺が自身のうなじにひたりと一滴水滴が触れたのを感じて振り返ったその時。

「ぶわばばばあはははーーーッ!!」

突然、死んだとばかり思っていた灰の塔の本体が血反吐を撒き散らしながら現れた。不気味にも高笑いするその老爺に思わず悲鳴を上げかけながら十輪寺はさっと後退する。

なに、と皆呟き構えを取るが老爺に戦う余力は残されてはいない。ただ、ジョースター一行を嘲笑う。

「わしは事故と旅の中止を暗示する「塔」のカードを持つスタンド!お前らはDIO様の所へは行けんン!!」

吹き出す血すら気に止めず、老爺は呪詛を撒き散らした。自分の命を顧みない。そのおぞましい忠誠心から来る断末魔に、皆震撼する。

「DIO様は『スタンド』を極めるお方!DIO様はそれらに君臨できる力を持ったお方なのドァ!貴様らはエジプトへは決して行けん!!」

最期の最期、倒れ伏すその時まで、灰の塔はDIOを讃えて息絶えた。

ひっ、と、一部始終を後方から見ていたスチュワーデスが息をのむ。叫びを必死にこらえた彼女たちに終始冷静だった承太郎はクイッと、操縦席に座った自身の祖父を示しながら指示を出した。

「このじじいがこの機をこれから海上に不時着させる!他の乗客に救命具つけて座席ベルトをしめさせな。」

その物言いに、どうするべきかと必死に思案していたジョセフは思わずわしが?と自分を指差す。それを無視し承太郎は言い切った。

「じじい…」

承太郎は祖父に目で訴えかける。ううむ……と、ジョセフは顔をしかめて呟いた。

「プロペラ機なら経験あるんじゃがの…」

「プロペラ…」

セスナだろうか。花京院が思わず反芻する。実際のところは飛行機の操縦経験があるだけでも感心すべきところだが、命がかかっている以上それどころではない。十輪寺も青褪めてジョセフを見る。

……皆の様子を知ってか知らずか。ジョセフは、こんな状況下だというのに、言ってはならぬことをぼやいた。

「しかし承太郎…。これでわしゃ3度目だぞ。人生で3回も飛行機で墜落するなんて、そんなヤツあるかなぁ…」

頬をかき本当に疑問、といった様子でそれをつぶやくジョセフに、皆思わず呆然と溜息をつく。

「……二度と。」

承太郎はため息まじりに言葉を漏らした。

「二度とテメーとは一緒に乗らねぇ。」

 

 

 ***

 

 

神にも祈る、とはこの状況を言うのだろう。コックピットすぐ近くの座席前で十輪寺はその時を待ち構える。

「…十輪寺、今はジョースターさんに任せるしかない。君もシートベルトを。」

かろうじてパニックにはなっていない機内の中、泣き声やつぶやき声に混じってアヴドゥルが声をかける。それに十輪寺は険しい顔をして答えた。

「…もし。もしも危なくなったときのために自分はこのままでいます。…ヤバくなったらモビーがいつでも動けるように。」

「…どういうことです?」

花京院が顔を歪めて問うのに、十輪寺はぎゅっと手を握りしめて答えた。

「彼女に皆を飲み込ませます。どれだけの人を救えるかはわからないけれど…とりあえずモビーの中に入れてしまえば安全です。」

冷汗隠さぬ十輪寺の様子にアヴドゥルは息をのんで問うた。

「十輪寺。…君のネイビー・モビー・ディックの能力は、一体?」

「…飲み込んで吐き出す。それだけです。」

目をそらして十輪寺は答える。そのまま彼女は続けた。

「…自分は波紋で衝撃に耐えることもできる。着水がうまく行かなかったその時は」

「十輪寺。」

焦りから来るその言葉を制したのは花京院だった。

「自分も勘定に入れてますか?」

「…え?」

花京院の紫の目がひたと十輪寺を見据えていた。

「自分の命を守ることも換算してください。…皆を救うことは至極大事だが、君が命を落とすリスクがあるならわたしは反対する。」

その言葉にアヴドゥルも頷いた。

「何、私たちもその時はできる限り皆を救うために動くさ。」

十輪寺は呆然と返す言葉無く立ち尽くした。それに苦笑して花京院とアヴドゥルはさあ、と肩を叩き十輪寺を席に座らせる。

「…大丈夫ですよ。ジョースターさんならどうにかするじゃあないかな。」

苦笑いを隠さず花京院は言った。

 

 

 ***

 

 

結果として、ジョースター一行を乗せた飛行機は香港沖35kmの地点で無事着水に成功した。衝撃で大勢怪我人はでたものの、不幸中の幸い犠牲者は出なかったようである。

……ジョースター一行は騒ぎに乗じてスピードワゴン財団の手を借り、一足先に空港を極秘裏に脱した。灰の塔の老爺の件などの事後処理も財団が関与するそうである。

 

 

――という内容をジョセフが公衆電話でやり取りするのをそれとなく聞きながら、十輪寺は香港の町並みに目を移す。……まさか、エジプトではなくこんなところにたどり着いてしまうとは。

(香港か…中国に来ちゃうなんてね。)

中国は波紋の生まれた広大な国。万が一のため、十輪寺は中国語もわずかに読めるようにはしている。ぼんやりとあの看板の意味は何だったか……などと考えているとアヴドゥルたちから声がかかった。見ると何やら屋台で粥を頼もうかと話していたところらしい。

「十輪寺、君もどうだい?」

「あ、私は…」

その時がちゃんと音がしてジョセフが大声をかけて皆を呼び寄せた。4人して顔を見合わせる。どうやら屋台のおいしそうなお粥は平穏を取り戻すまでおあずけらしい。

 

 

「ここがわしの行きつけの店じゃよ。」

今後の話をするために、とジョセフはある料理屋に皆を連れてきた。立派な中華式の門構えに整備された中庭。……見事に高級料亭である。

そんな料亭にそのまま入っていくジョセフ。割と気に止めていないのかそれに承太郎とアヴドゥルが自然とついていく。

「……予想通り、というか。」

「なんていうか。…お金持ちって、凄い。」

躊躇ってからそれに続いた花京院と十輪寺は、自然と最後尾になり思ったことを共有できる相手としてボソリとつぶやく。

「…花京院さんはこういうところ来たことある?」

「流石にないかな。家族と来たときはここよりグレードの低いところでした。」

「結局あなたもそこそこ金持ちか…」

そういえばエジプトくんだりまで家族旅行するんだものな、と十輪寺は思い返して溜息をついた。よくよく考えれば花京院は英語を完璧に話している。彼女の物言いに花京院は苦笑いした。

「そうなのかな。今まで同世代の家庭事情なんて気にしたことがなかったので…」

「自分ちは毎年の飛行機代くらいしか余裕ないですよ。」

席に近づいたため十輪寺は話を切り上げ承太郎の右隣に座る。花京院は一瞬目を伏せたが、すぐに承太郎の左隣の席に腰掛けた。

「…波紋でホリィが少しでも楽になると良いのだが。」

ジョセフがううむとうなりながら言う。

「根本解決にはなりませんが、苦痛はある程度は抑えられるはずなのです。」

十輪寺が悲しげに笑いかける。その言葉にうむ、と頷いてジョセフは話を切り出した。

「そう…限界が来る、50日以内にDIOを倒さねばならぬ。」

その言葉に一同はさっと身を引き締める。花京院が悔しげにあの飛行機なら今頃……とつぶやくと、皆の目が一瞬暗くなった。

だが、とジョセフは顔を上げ、皆を安心させるようにウインクして言った。

「案ずるのはまだ早い…。ジュールベルヌの小説では80日間で世界一周を旅する話がある。飛行機でなくても50日あればエジプトまで行けるさ。」

そこで、とジョセフは世界地図を取り出した。

「ルートだが、わしは海路を行くのを提案する。船をチャーターしマレーシア半島をまわってインド洋を突っ切る。」

地図を目でおって、皆ルートを確認する。

「私もそれがいいと思う。陸は国境が面倒だし足止めを食らう危険がいっぱいだ。」

アヴドゥルの補足説明に花京院と承太郎も納得する。

「お二人に従うよ。」

「同じ。」

皆が納得したか、と顔を見回せば、十輪寺だけは地図をじっくりと眺め考え込んでいる。

「…十輪寺、君は?」

アヴドゥルが尋ねると、ハッとした十輪寺は顔を上げごまかすように手を降った。

「失礼、自分も賛成です。海上で何もなければ最短でしょう。」

どこか含みのある言葉にジョセフは頷いて答えた。

「…確かに。一番の危険はDIOが差し向けてくるスタンド使いだ!いかにして、見つからずにエジプトに潜り込むか…」

ここで一旦話は終わった。ジョセフはあらゆる想定をと考え込み始め、アヴドゥルとともに地図のルートを再確認している。隣では承太郎と花京院が何やらお茶について話しているようだった。

……そんな中十輪寺はアヴドゥルの手元にある地図の、インドのある地をぼんやり見つめて考えていた。

(インドには波紋の一族の残した遺跡がある。もし時間があれば…何か戦いに役立つものがあるかもしれない。)

ぼんやり考えるがすることもない。十輪寺はすっとメニューに手を伸ばしパラパラとめくる。いまいち理解するのに時間がかかる漢語に悩んでいると、一行の席に1人、男が近づいてきた。

「すみません…私はフランスから来た旅行者なんですが、どうも漢字が難しくて…助けてほしいのですが…」

銀髪を立ち上げた独特の髪型をした男がメニューをもって申し訳なさそうに声をかけてくる。承太郎がすげなく「向こうへ行け」と返すが、ジョセフがそれを咎めた。フランス人からさっとメニューを受け取ると、ええと、とジョセフは指でおっていく。

「わしゃ何度も香港には来とるからメニューぐらいの漢字は大体わかる。」

フランス人とジョセフがやいのと話すのを見ていると、ふいに「おい」と承太郎から声をかけられ十輪寺はビクリと彼を見た。

「はい」

その明らかにびびった様子にしかめっ面を変えることなく承太郎は言った。

「おめー、メニュー読めるだろ。まともで美味いもん頼んどけ。」

「え?」

十輪寺は意外な注文にキョトンとし、同じく不思議そうな顔の花京院と目を合わせたあと、承太郎に目を戻す。やれやれだぜ、といつものセリフを言ったあと、承太郎はボソリとつぶやく。

「あのじじいが、まともなの頼めると思うか?」

「…ああ」

2人は納得し、高校生組だけで食べたいものをウェイターにこっそり伝えた。

 

 

そして来た料理は承太郎の想像のさらに上を行くものだった。

「エビとアヒルとフカのヒレ…ではなくて、貝と魚とカエルの料理に見えますが…」

「こうなると思ったぜ。俺達の分はまだか?」

はぁ、とため息をついて皆でジョセフを見やる。ジョセフは笑ってごまかした。

「ま、いいじゃないか!何を注文しても結構美味いものよ、みんなで食べようじゃないか!わしのおごりだ!」

一瞬の沈黙の後、各々とりあえず手を出し始める。……もちろん、カエルの丸焼きには誰も手を伸ばしはしない。

「他は食べられるだろうが…これは、な。」

「…安心してください、第二陣は普通の中華料理です。」

「なんじゃと?!聞き捨てならんぞ2人とも!」

承太郎のボヤキに十輪寺が普通を強調して返す。慌てつつも怒るジョセフすら、蛙には手を付けなかった。

「…おお、これは!」

だが口にした料理は味付けもしっかりとしていて美味しいものだった。……こうなってくると十輪寺としては蛙が気になってしまい仕方がない。そろそろと丸焼きに手を出す様子に「チャレンジャーだな」と頭上からボソリとつぶやきが降ってきた。

「まずくはないと思うのです。」

「ですが見た目が…」

花京院も茶々を入れてくるがそれに「足だけにします」と返して彼女はおっかなびっくり解体していく。その様子を高校生2人が食べるのも忘れてじいっと見守るのを、ジョセフとアヴドゥルは半ばあきれた心地で見やっていた。

「…何やっとるんじゃ、お前ら。」

「解体捕食ショーを見てるんだぜ。」

「…その例えやめて頂けません?」

何とか肉のみにしたところでパクり、と十輪寺はカエルを口に放り込んだ。2人が息をのみ、2人がそれに呆れる。

「……悔しいけど美味しい。」

「美味いのか。」

「悔しいですが…」

「なんじゃその悔しいとは!頼んだわしに対する当てつけか!?」

やいのやいのとテーブルが盛り上がったところだった。フランス人が舌鼓をうっていた中、一言言葉をこぼしたことで場の雰囲気がさっと一変した。

「手間ひまかけてこさえてありますなあ…ほら、この人参の形。星の形、なんか見覚えあるなぁ〜…」

『星の形』。その一言に、皆がざっとフランス人を睨んだのを見て、十輪寺は困惑する。……ジョースター家の星のアザを、十輪寺は知らない。

「首筋にこれと同じ形のアザを、もっていたな……」

その一言で一同が臨戦体制に入ったことを十輪寺は察する。それに倣うように呼吸を整え始めたその時だった。大皿に守られた粥がいきなりボコリと音を立てたかと思うと、ガボン!!と一筋の剣が突き上げられた。そのままの勢いで剣はジョセフに振り下ろされる。彼は咄嗟に義手である左手でそれを受け止めた。スタンドで叫んだアヴドゥルは、魔術師を出現させ剣に放つが。

『何ッ!』

剣は、ひとふり弧を描くと魔術師の炎を文字通り捌いた。

剣の先――いや、剣の持ち主の姿が顕になる。銀の甲冑をまとった騎士。剣先にまとわせた炎を、今度は騎士が突き放った。

アヴドゥルが防御のためにテーブルを倒してそれを防ぐ。――防いだかに見えたが、それも敵の計算内だったようだ。

……テーブルに、火時計が描かれていたのだ。

「な、何という剣さばきッ!」

思わず驚愕の声を上げる一行に、彼は名乗りを上げた。

「俺のスタンドは戦車のカードを持つ『銀の戦車(シルバーチャリオッツ)』!」

男はカッと目を見開いて宣言した。

「貴様ら全員を血祭りにしてやろう…。まずはモハメド・アヴドゥル!!貴様からのようだな!」

男の銀の戦車がサッと切っ先でテーブルを指し示す。

「そのテーブルに火時計を作った!火が12時を燃やすまでに貴様を殺す!!」

 

 

「全員表へ出ろ!順番に切り裂いてやる!」

 

 

 

 ***

 

 

 

ポルナレフと名乗った敵はこちらに背を向けたまま先を進んでいく。

(後ろから襲われても平気というわけか…)

その様子を見て十輪寺は思案する。相手に隙はない。先程の言動からしてよほど自信を持っているのだろう。

(それにしても…どこへ?)

一行がそう考えていた時だった。前方に奇怪なオブジェの数々が見えてくる。

――タイガーバームガーデン。

クルリとポルナレフは向き直った。

「予言してやる…アヴドゥル。貴様は貴様自身のスタンド能力で滅びるだろう。」

挑発だろうか、余裕綽々でポルナレフはそう言ってのけた。それを見てアヴドゥルはマジシャンズレッドを出現させる。

「これだけ広い場所なら思う存分スタンドを操れるもの…」

構える騎士と、揺らめく炎。相対した2名は戦闘に入った。

 

 

(どうなるんだろう…そしてあの敵の余裕は何だ?)

剣戟を躱す魔術師を見ながら十輪寺は固唾を飲んで見守る。……彼女自身はスタンドバトルの経験がない。花京院と多少やり合った程度だ。だから見て対処を練る必要があると感じていた。

(悪夢は見ていないけど…だからと言ってどうにかなる問題でもない…!)

シルバーチャリオッツの剣捌きが途端に早くなる。たまらずマジシャンズレッドが火を放つと敵はそれを巻き込んでアヴドゥルの後ろを攻撃する。するとそこには。

「ああ!」

背後の岩をくりぬいて作られたのは実に精巧なマジシャンズレッドの彫像。剣と炎によってそれを、敵はやってのけたのだ。

「野郎ッ!コケにしている…!」

ジョセフが悔しそうに歯噛みする中、相も変わらずポルナレフは不敵に笑う。

「なかなか…この庭園にマッチしとるぞ、マジシャンズレッド。」

……だが、アヴドゥルは冷静だった。手をすっと構えると魔術師が呼応するように熱を帯び始める。その様子にポルナレフも目をすがめた。

「来るな…本気で能力を出すか…。面白い、うけて立ってやる。」

それを見てジョセフがはっとしたように皆に指示を飛ばした。

「何かに隠れろ!アブドゥルのあれが来る。…とばっちりで火傷するといかん。」

(あれ?)

皆が疑問に思った瞬間だった。

 

 

「クロスファイヤーハリケーン!!」

アヴドゥルの声とともに、アンクをかたどった炎の塊が放たれた。熱気に思わず皆が手を出し身をかばう。しかしポルナレフはそれを真っ向から受け止めた。

「これしきか?この剣は炎を弾き飛ばすと……いったろーがァ!!」

その言葉は決して、決して誇張ではなかったのだ。シルバーチャリオッツが剣を振りかざす。舞う火の粉。煌めく銀の太刀筋。

銀の戦車はアヴドゥルのクロスファイヤーハリケーンをその勢いのまま魔術師へと返したのだ。炎がマジシャンズレッドもろともアヴドゥルを包む。

「ああっ!」

十輪寺は思わず声を上げた。……件の男が言っていた『予言』とはこのことなのか。

「予言通りだな…自分の炎で焼かれて死ぬのだ!!」

だがアヴドゥルは意に返さなかった。そのまま魔術師をポルナレフに差し向けたのだ。

「やれやれ…悪あがきかッ!見苦しい!」

ポルナレフが一線、放った時。……その正確な剣捌きで彼は異変に気がついた。

「妙な手ごたえッ!これは…」

言い終わらぬうちに、今度はポルナレフ自身が火に包まれていた。

「炎で目がくらんだな…」

焼かれていたはずのアヴドゥルが無傷で悠然と立ち上がるのを、十輪寺は茫然と見ていた。皆が感嘆の声を上げる。

「貴様が切ったのは人形の方だ!関節を溶かし操った…。そして改めてくらえッ!クロスファイヤーハリケーン!!」

今度こそ、怯んだ銀の戦車に炎熱が直撃した。

「占い師の私に予言で戦おうなどとは…10年早いんじゃあないかな。」

 

 

皆がポルナレフの状態を確認する中、十輪寺はただ唖然とするよりほかなかった。

(みんな…強い。)

彼女はそれを見て手をぎゅっと握りしめる。やはり自分はまだまだなのだ。保健室での承太郎といい、飛行機での花京院といい。そして今回のアヴドゥルのバトル。なぜあんなにも勇敢に立ち向かえるのだろうと十輪寺は考える。幼少のころから悪夢を現実化させないために、悪夢をコントロールできるようにと鍛錬を積んでいても、自分はその悪夢に振り回され続けるという恐怖は離れていかない。

(私も強くあらねば…)

皆がポルナレフに背を向けるのを見て追従しようとした時だった。バコン、何かが外れる音がした。

一同はさっと振り返る。――そこには宙に飛び上がったポルナレフ。

「ブラボー!おお、ブラボー!」

その体に大火傷の様子は見られない。何故、と皆が思ったのを予期してポルナレフは言った。

「ふふ…感覚の目でよく見ろ!これだッ!!」

着地したポルナレフの隣には……細身になった、甲冑の取れたシルバーチャリオッツがいた。

どういうことだ、と皆があっけにとられる。炎を放ったアヴドゥルも目を見開いている。

「…私の能力を説明せずに君を始末するのは騎士道に恥じる…。説明させていただいても?」

アヴドゥルは瞬間彼をじっと見つめた後、「畏れ入る」と頭を下げた。

「私のスタンドの防御甲冑を脱ぎ去ったのだ…。そして、甲冑を脱ぎ捨てたことによって!!」

その言葉を合図に、シルバーチャリオッツが7体に分裂した。皆が驚愕する中、ポルナレフは不敵に笑った。

「ば…ばかな!?スタンドは1人1つのはず…」

「これは残像。感覚に訴える残像だ!」

そして彼はチャリオッツに命令する。

「今度の剣捌きはどうだァー!!」

 

 

そこからは激戦だった。アヴドゥルの放ったクロスファイヤーハリケーンは悉く捌かれ、地に落ちていく。そのかわり彼の顔にはアンクの形の傷が刻まれる。7体に分裂したように見えるシルバーチャリオッツに攻撃を放ったところですべて本物ではない。

「アヴドゥル!」

ジョセフが焦りの声を上げる。アヴドゥルはよろめきながらポルナレフに言った。

「なんという正確さ…これは相当訓練されたスタンド能力!」

「訳あって10年ほど修業した。次なる攻撃で君にとどめをさす!」

その言葉にアヴドゥルが反応した。

「あくまで騎士道精神にのっとり礼を失せぬ奴…!ゆえに私も秘密を明かそう。」

「ほう…」

彼らは不敵に笑った。

「実は私のクロスファイヤーハリケーンはバリエーションがある…分裂させ放つことが可能!!」

 

 

「クロスファイヤーハリケーンスペシャル!!躱せるか!?」

その声とともに魔術師は十字架をいくつも発射したが、それでもポルナレフは余裕を崩さなかった。

「くだらん!甘い甘い甘い!!前と同様にこのパワーを貴様に!!」

万事休すかと思われたその時。――地面の中から、クロスファイヤーハリケーンが現れた。

「な、何ィ!?」

一同は驚愕する。状況を冷静に見ていたジョセフが言う。

「炎で穴を掘っていたのか…!」

「言ったろう。私の炎は何体にも分かれて飛ばせると…」

クロスファイヤーハリケーンが直撃したチャリオッツ……いや、ポルナレフは炎の中で崩れ落ちる。それを見たアヴドゥルはすっと短剣をかざして彼の前に放った。

「炎で焼かれるのは苦しかろう。その短剣で自害するといい。」

言ってアヴドゥルは背を向ける。その様に十輪寺は心音が止まらぬ思いで見守った。

(まだ…まだ背中を狙ってくるかもしれないのに!)

ポルナレフは、はたして短剣を握った。そして逡巡したのち。

「…うぬぼれていた。」

からん、と彼は剣を手放した。

「このまま潔く焼け死ぬこととしよう…それが君との戦いに敗れた君への礼儀…」

そう言って彼はがくりと気を失った。それを見たアヴドゥルは火をぱちんと消す。その様を、十輪寺は唖然と見ていた。――いや、もう1人も。

「あくまで騎士道とやらの礼を失せぬ奴!DIOからの命令をも超える誇り高き精神!!」

アヴドゥルはポルナレフに駆け寄り抱きかかえた。

「何か理由があるはず…ハッ!!」

その額には、何かうごめく肉の塊のようなものがあった。……十輪寺は知る由もなかったが、それは肉の芽だった。

「これは…JOJO!」

承太郎がスタープラチナを出す。経緯が分からない十輪寺は首をかしげるがそれに対しジョセフが言う。

「うええ~!十輪寺!見ない方がいいぞ!あの触手は気持ち悪いからなあ!」

「触手…?」

そんなやり取りをしている間に承太郎の方で動きがあり、十輪寺は目を向けた。……結果的に目を向けない方がよかったと思うわけだが。

「…あの、あれは、なんです…?」

後ろではジョセフがギャーギャーとわめいている。青ざめた顔の十輪寺に対し、答えたのは花京院だった。

「肉の芽。DIOが人を操るために脳内に埋め込んだものです。」

「…え?てことはあれ、花京院さんにも…?」

「まあそういうことです。」

硬い声で花京院はそっけなく答えた。その間にも触手はびちびち動いている。その動きにジョセフは早く抜け!とわめきたてる。十輪寺はそのグロテスクさに固まって動けなかった。

 

 

肉の芽が抜け、ジョセフが冗談を飛ばす。火傷を負っているだろうポルナレフの治療のために十輪寺が波紋を流す中、花京院は1人ポルナレフをじっと見つめていた。

(同じように肉の芽を植えつけられていたというのに、彼は最後まで卑怯なことをしなかった。)

先程の戦いを見て花京院は考えていたのだ。なんで自分はあんなにも卑怯な戦法をとってしまったのだろう。何故、どうして、と。

(…僕の心が弱かったせいだ。だからDIOに声をかけられたとき安心してしまったんだ。全て委ねてしまったんだ。)

彼は3ヶ月前のことを想起していた。反吐を吐くほどの恐怖に屈した自分自身を思い出し、人知れずこぶしを握り締める。

(僕も、強くありたい。)

彼は仲間たちを見る。高潔な意思とは彼らのことを言うのだろう。……尊敬するなら、こういう人たちがいい。

友人になるなら、こういう人たちがいい。



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予定された沈没

ジョースター一行は当初の予定からは大きく軌道の逸れた旅路を歩むことになった。軌道修正のために取られた手段は海路を経由してのエジプト入り。

(そのためとはいえ…)

十輪寺は船風を受けながら、半ば呆れた心地で船員と話すジョセフを見ていた。

(まさか帆船1つその場でチャーターした上に船員まで完全手配させるとは。)

一体、どれだけの莫大な財産が……いや、考えないでおこう。

「しっかしいい天気!こんな時は泳ぎたくなるよなァ~!」

そんなことを思う十輪寺の横で笑うのは件のフランス人。

「君ならどんな水着も似合うんだろうな、ユイ!」

にししと笑うポルナレフに、ひきつった笑みを返すことしか十輪寺には出来なかった。

(…なんでこんなことになってんの?)

 

 

無事にチャーターした船に乗ることができた一行には、ポルナレフという頼もしい味方もできた。

ポルナレフが自身の過去を明かしたのだ。DIOに付け込まれた理由。それは、無残にも殺された妹の敵討ち。仇を探すポルナレフを、DIOは利用した。

おぞましい話だと十輪寺は思う。スタンド使いの下衆が、この世に大勢居る。……そして、それをもおそらく手中に治めるDIOという吸血鬼の存在。

ポルナレフは一行との同行を望んだ。DIOを追えばおのずと仇とも相見えるだろうと。一行にも異存あるものはいない。味方は多いほうがいい。かくして、ポルナレフはジョースター一行の一員となったのだった。

だがこの頼もしい味方、重たい過去に似合わない能天気さと一行の中誰にもなかった軽薄さも合わせ持っていたらしい。そんなこんなで、ナンパまがいの絡まれ方を十輪寺は朝から受けているわけである。

(…フランス人なめてた!)

いい加減うんざりしてきた十輪寺はため息をついて言うことに決めた。

「…ポルナレフさん、お褒めにあずかり光栄ですが…眠れてなかったので部屋に居ます。…失礼。」

足早に船内に去っていく十輪寺をぽかんとして見送ったポルナレフは、ややあって、感心したように呟いた。

「日本人てのはお固いなァ!あれが俗に言う『大和撫子』ってヤツか!」

「…十輪寺を否定するわけではないが、違うと思うぞ…」

あまりの考えの相違に、ため息まじりにアヴドゥルは返すしかなかった。

 

 

ポルナレフから逃げるように来た自室に入ると、十輪寺はすぐにぼふりとベッドに倒れ込む。

(優しいのは嬉しいけど!慣れない!!)

このやり取りがしばらく続くのか……と頭を抱えて彼女は仰向けに寝そべる。

(それどころじゃあないと思うんだけどなあ!)

ふと、今空条邸で臥せっているホリィを思い起こす。

(必ず、間に合わせます。だから、どうか…)

柄にもなく、神に祈るように十輪寺は呟いた。

「…この旅の末に、幸運を」

 

 

 ***

 

 

―前途多難なのはどうしようもないらしい…

いつの間にか眠りに落ちてしまったようで、私は船の無線室にいた。乗船してから何度か見かけた船員たちが話し合いながら無線に手をかけ何やら行っている。

―転覆でもするのかな…はは…。笑えない…

無線室にこんなに人が集まってすることなんて、ただ1つ。…そもそも不吉な夢しか見ないのだ。まぁ、十中八九そういうことだろう。

―さて、沈没なんてどう防ごうか。何が原因かしら?

うーんと頭を抱えようとした時。視界の一部が…いや、壁の配管の一部がぐにゃりと歪んだ。

―えっ!?

それを皮切りに、今度は計器もメキョメキョと音を立てて動き出す。船員が驚いて後ずさろうとしたとき。

………虐殺が始まった。

 

赤い血が飛び交う中、またしても風景が切り替わる。

呆然と、その波に飲み込まれるしか、無かった。

 

今度は甲板に放り出された。今しがた見たおぞましい光景に頭の中の整理がつかない中、今度はジョースターさんたちと誰かが対峙している様を、その誰かの後ろから見る位置にいる。

―2つめの、夢?

混乱の中、整然と進んでいく夢の流れを見ていく他、私にできることはなかった。

敵だろう男をよく見ようとする前に男は空条先輩のスタープラチナに吹っ飛ばされて海の中に落ちていく。

―あっ、しまった!

見逃した、と船の縁までぱっと向かう。…男のスタンドか、半魚人のようなものが女の子を抱えて落ちていく。すんでのところでスタープラチナが掴みあげたが、その腕には岩のような何かが増殖していた。

―何だこれ…!

そしてまるで引きずり込まれるようにして先輩も海に消えた。駆け寄った皆も思わず海中を仰ぎ見るが、何も見えては来ない。

…ほんのしばらくして、いきなり海がうずまき始めた。他の面々がスタンドを送る中何かに弾かれたように渦には近づけない。

ここまで来て、私はある違和感に気がついた。

―…あれ?何だか…まるで、早送りのような…

夢の展開が異様に早くはないか?ジョースターさんたちの動きも、どこかいつもと違う。

…まるで時間がないから、要点だけ伝えられているような。

ふと、渦を見ると。少しずつ渦の勢いが弱まってきている。先輩が相手を倒したのだろう。

……もう?

―あっしまった!顔を見ていない…!

ハッと気が付き、私は一瞬躊躇したもののそのまま柵を乗り越え海の中に飛び込んだ。

水しぶきもない。呼吸だってできる。ただ、すっと湯船に浸かったときのような浮遊感だけがあった。

視界の先には浮上していく影と沈んでいく影。浮上するのは先輩だろうと踏んで、沈んでいく方に近づこうと水をかいた。

―…っ!?アレはッ!!

影が、なにかポケットから出してはいないか。その男はまるでスイッチを押すように指を動かした。

背後から、バッと閃光のように強い光と振動。

思わず振り返り浮上すると…

―沈没の原因は…爆弾!?

 

ぐん、と、後ろに体がひかれた。

 

 

ガバリと十輪寺は起き上がる。部屋の中にはゆりかごのような一定の揺れと静かな波と機械音しか響いてこない。

「…どう、いう。」

この船は特別チャーターで、船員の身元確認もしっかりしているはず。

十輪寺は時計を探す。……壁掛時計の時刻は11時。船に乗ってから4時間といったところ。そして、眠りに落ちてからは30分も経っていない。

「…なんで」

あえぐように息をついて。十輪寺は混乱の只中にいた。

 

 

 ***

 

 

「嬢ちゃん!ここはあんたの来る場所じゃねぇぜ!ほら、用があるのはどこだい?」

船の中枢にひょっこりと現れた十輪寺に船員は呆れながら行き先を尋ねてくる。

「ごめんなさい。ちょっと探険で、つい。…この船の設計図ってありますか?」

「ああ?んなもん渡せるわけ無いだろう。」

「そこをなんとか。…こっそり返しますから!」

初めての船で興味津々、でもきちんと気をつけます、と見えるように十輪寺は船員にお願いするが「ダメだね」とすげない返事をして船員は手を振った。

「ほら、あっち行った!こっから先は関係者以外立入禁止!」

「…失礼しました。」

チラリ、と横目に見た無線室は……夢のものとは、異なっていたように思う。

(…流石に設計図は無理か。となると…)

客室の廊下、十輪寺はその壁に掛けられた船内図をじっと見つめる。

(これしかないんだよね。…でも、まさか客室に爆弾仕掛けるとは思えないし。仕掛けるとしたら船底貨物室とかの見つからない場所だよね。)

はぁ、とため息をついて十輪寺は頭を抱えた。

 

 

「しっかしこんな暑いというのに…お前たち、学ラン脱がぬのか?」

「僕らはガクセーでして。ガクセーはガクセーらしくですよ。…と、いうのはこじつけか」

十輪寺が船内探索に動き出した時、他の面々は甲板にて穏やかに会話して過ごしていた。

「十輪寺もセーラーだからなぁ…日本のガクセーとは、わからんもんじゃ…」

「…そういえば彼女は大丈夫でしょうか?」

ポルナレフが散々かまい倒したせいで逃げるようにして自室に行ってしまった彼女のことを、ふとアヴドゥルが話題に出す。

すると横にいた元凶が「俺、ちょっと行ってご飯誘ってこよっかな〜」などと言い出したため、アヴドゥルは呆れ果てながら窘め始めた。

「お前な…嫌がられているのがわからんのか…」

「何言ってるの!女の子をひとりぼっちにしとくのは良くないぜ?」

「…少なくともポルナレフが出る幕ではないと思いますが。」

「同じ。」

ビーチベッドに寝そべったガクセーふたり組まで参加してポルナレフをいじり始める。「なんだよお前らー!」とポルナレフが絡みに行って、その場がにわかに賑わい出す。その様子を微笑ましいと感じながら見ていたジョセフが声をかけた。

「…全く。わしがちと行って様子見てくるから、皆ポルナレフを食い止めといてくれ。」

「ちょっとジョースターさんまでぇ!」

非難の声を上げるポルナレフを無視して手をひらひらと返すとジョセフは船内へと向かっていった。

 

 

食堂からかすめ取ったボウルに水を注ぐ。息を整え、コオオ……と独特の呼吸音が響いたその時、ボウルの中の水面が不可解な波紋を描き始めた。

(人、人、人…当たり前か。人の場所はこれでなんとなくつかめるけれど、こんなのでは爆弾なんて夢のまた夢だわ…)

十輪寺が行っていた試み。それは波紋を使った爆弾の探知。だが、そんなことができるわけがない。波紋は生命に働きかける力。水面の波紋が描くのは、辛うじて近くにいるであろう人間の位置くらいなものである。

(…ああ、探索できるスタンドがほしい。ハイエロファントやハーミットなんて先が予見できれば心強いこと間違いなしなのに。)

思ってはっとし、十輪寺は自嘲する。

(…ダメダメ!モビーを否定してるみたいじゃない。彼女がいたから、私は私になれたのに。)

ふぅ、とため息をついて十輪寺が虱潰しに船内を捜索することを決断した時ある変化があった。ふと水面が大きく波紋を描き、それは中心部に移動してくる。

(あら?こんなに強い波紋…初めて見る。こっちに向かってきているわ…)

十輪寺が今まで見たことのない軌跡に思わず見入っていると廊下の角からジョセフが現れた。

「おお、十輪寺。こんな所におった…って、何をしとるんじゃ?」

何やら盆をのぞき込んでいる十輪寺をみて彼は怪訝な表情で近づいてきた。

「え?あ、ジョースターさん。…成る程。これはジョースターさんの波紋だったのか。」

「んん?」

ジョセフもともに水盆を覗き込む。大きな波紋が中心部で揺れている。

「なんじゃ、波紋を使っての探知か?…何だってこんなことしとるんじゃね?」

「え!?…ええと…」

しまった、と思いながらも彼女はハハ、と取り繕う。

「や、なんとなく不安になっちゃって。…飛行機の件がありましたし。」

まぁ杞憂ですよ……と十輪寺は微笑んで盆をかたそうとした踵を返しかけた時、待てとジョセフが制した。

内心ビクリとしながらも十輪寺は彼の顔を見る。ジョセフは難しげな顔をして十輪寺を見ていた。

「……いや、一理あると思ってな。して十輪寺。君は何を探していたんじゃ?」

「何、とは?」

「そのままの意味じゃ。スタンド使いそのものか?…それとも、爆薬などの危険物か?」

爆薬を言い当てられて内心焦りを持ったが、夢のことをできれば話したくはない。十輪寺は誤魔化すように前髪をかき上げ苦笑した。

「いや…特には考えてなかったです。そもそも波紋で探知できるのはどこに生き物がいるか程度。…それこそ、悪意の探知でもできれば良いのでしょうが…」

へらりと笑ってジョセフに返す。そんな十輪寺をしばし見たあと、ジョセフはふむと口を開いた。

「…丁度いい。わしもこのハーミットパープルの力を試したかったしな。新たな活用法を模索したい。」

「新たな?それはカメラを使わないということでしょうか?」

ジョセフは頷いて十輪寺に説明する。

「地図を使った念写じゃよ。何とか行けるのではないかと思ってな。」

「なるほど…!もしかすると位置を割り出せるかもしれない…!やっぱりもう一度交渉が必要ですね!」

喜色にじませながら十輪寺はくるりと操舵室の方に足を向ける。

「ジョースターさんと一緒なら貸してもらえるはず!お願いできますか?」

「…もちろんじゃ。行くかの。」

……十輪寺の発言を一言一句聞き逃してはいなかったジョセフは、それを全く表には出さずに微笑んで頷いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「…まぁ、依頼主が言うんじゃあしょうがねぇけど…」

大人がいるということの効果は絶大である。ジョセフが船員に交渉したところ、彼はあっさりと地図を手に入れ戻ってきた。

「どう言って借りてきたのです?」

うまい口実が見つからなかった十輪寺が思わず尋ねるとジョセフはサラッと答えた。

「なに、単に万が一も兼ねて船の構造を知りたいと言っただけじゃよ。急なチャーターで向こうも訳ありだとわかっているじゃろうから、それをそのまま利用しただけ。」

「ああ、直球でよかったのか…」

思わずポツリと呟いて、十輪寺はさっと船内図に目を落とす。

「客室と船員室…貨物室がある最下層…。およそ、3階層というところですか。」

真剣に地図を見る十輪寺をただじっと見つめていたジョセフはさらりと彼女に言う。

「…ま、亀の甲より年の功というところじゃな。十輪寺はまだ子供じゃし、しかも女とあっては相手も軽く見る。わしの名を出せば良かったのにィ」

それに一瞬ムッとした十輪寺は、しかし事実だと解っているからか軽く毒を返す程度にとどめた。

「…確かにそうでしたね。今度からは遠慮せずお名前使わせて頂こうかな?」

「おおい!怖いことに使うなよ?」

大仰におどけてジョセフは返答した。さて、と彼は続ける。

「食堂の机でも拝借しようか。十輪寺、コインかなにか持ってるか?」

はい、と移動しながら彼女はポケットから財布を取り出し何枚か手に握る。

「コインはどんなものでも大丈夫です?」

「平気じゃ。……さて、地図の上にコインを放ってくれ。」

足早に食堂の戸を開いた十輪寺に続きジョセフは机に地図を広げる。十輪寺は迷わず手に握った5〜6枚のコインを軽く地図に放った。それを確認したジョセフは、手に茨を出現させる。

「ハーミットパープル、探知せい!」

バチバチと音を立てて地図の上を茨は駆け抜ける。するとコインが3枚反応した。不自然に転がり、船最下層の見取り図の上の3地点に倒れ込む。その様に十輪寺は息をのんだ。

「3ヶ所…!ここに、何かある!ジョースターさん!」

パッと興奮隠しきれずに顔を上げる十輪寺に、ジョセフは頷くにとどめた。

 

 

「…まずは1ヵ所目じゃな。何があるか分からん、用心せい。」

船底の貨物室。船員の目をどうにかかい潜り、2人は地図に示された一点の部屋の前にたどり着く。

「食物庫でしょうか…。この時間なら船員が頻繁に出入りしていたはず。…開けます。」

昼食の準備で何人か出入りしていたであろう今の時刻。そこから推察するに扉をあけて爆発することはないと踏んだ十輪寺はキイと扉を開いた。

中には棚と木箱に入れられた食材や調味料が並ぶ。その合間を2人は慎重に抜ける。

「ふむ…とりあえず探知を………。ハッ!?」

ジョセフが茨を狭い室内に張り巡らせたときだった。狭い部屋の中……隠者はある木箱に触れた途端、その正体を探知した。十輪寺もジョセフの声にさっと振り返る。

「十輪寺…コレじゃ!この木箱の中…火薬と発火装置!間違いない、爆薬じゃ!」

冷汗を垂らしながらジョセフは箱を凝視する。

「なんてことじゃ…!この量があと2つだと?…発火したら確実にこの船は木っ端微塵じゃないか…!」

その言葉に十輪寺もさっと顔を青ざめさせた。くっと歯噛みしてそろりそろりと箱の前に近づく。

それを、ジョセフは止めなかった。――ただ、じっと彼女の出方を窺った。

「…どうする?十輪寺。箱を動かす訳にもいかんぞ?」

ジョセフの言葉に返答せず、十輪寺はただじっと箱を凝視する。食物庫の中は、緊迫の糸が張り詰めていた。

――暫くして大きく息を吸い込んで、彼女は勢い良く腕を上げた。

「ネイビー・モビー・ディック!飲み込んで!!」

声とともに床から大口が飛び出す。白鯨は爆薬の入った箱だけをまるで蟻地獄のように下からがぼりと飲み込んだ。

な、とジョセフは彼女の決断に動揺する。白鯨は箱を飲んだ瞬間にフッと姿を消す。

場に、沈黙が流れた。

 

 

……何秒経っただろうか。何十分にも感じられた沈黙のあと、十輪寺が、はぁぁ、と大きく息を吐いてその場にへたり込んだことで止まった時間が一気に動き出した。

「十輪寺!?」

呆然としていたジョセフは慌てて彼女に駆け寄る。それに若干荒い息をつきながらも、十輪寺はへらりと笑って答えた。

「ジョースターさん…!これで大丈夫、一個解除しました!」

「なんと…!爆弾を飲んで平気なのか!?」

コクコクと糸が切れた様子で笑いながら十輪寺は頷く。よほど緊張していたのだろう、額には幾筋も汗が流れていた。

「良かった…。これなら、あと2つも行ける…!」

ぐっと汗をぬぐって、彼女はようやっとふらりと立ち上がった。ジョセフに対して力強く笑いかける。

「私があと2つの解除に回ります。ジョースターさんは早く皆にこのことを知らせて敵襲に備えてください!」

一瞬間をおいたあと、うむ、とジョセフも頷いて判断を下した。

「…解った。これでハッキリしたな。敵は確実にこの船内に侵入しておる!十輪寺、すまんが、残りは任せたぞ。」

真剣な眼差しでコクリと頷いた十輪寺は、ジョセフの横をするりと抜けて食物庫の扉を開けて出ていった。

残されたジョセフも、ふぅ、と息をつくと十輪寺とは反対の方、階段を上って皆のいる甲板に出るべくして歩き出した。

……その間、ジョセフは今までの経緯を考察していた。

(…全く持って奇妙じゃ。まるで、先にわかってたとでもいうように動いている。)

十輪寺のことだった。今までの彼女の様子、そして会話を思い返しながらジョセフは考える。

(まずはホリィを助けたあの戦い。波紋使いとはいえ、遠方からゾンビが現れる場所を特定する?そんなことは出来ぬはず。)

あの夜、ジョセフはあえて訊くことはしなかった。仮にも愛娘を助け出した恩人であるからだ。

(次に飛行機でのこと。まるで乗客を狙う事を知っていたかのような位置取り。…あの速さすらわかっていたようじゃった。)

心配して駆け寄ったものの、十輪寺がいた場所にはずっと引っかかりを持っていた。アヴドゥルから後で聞いたが彼女はわざわざ前もって移動していたというではないか。

(そして今回。口ではああ言っていたが…確実に、爆薬があると分かっていたのじゃろう。事前に地図を借りようとしていたり、コインを複数準備したり…。お陰で、わしも危険物に的を絞って探知ができた。)

十輪寺の言動の端々をジョセフは分析していたのだ。巧妙に鎌をかけながら。対処すべき大きな物事があると、彼女はそれに気を取られるのであろう。見事に、全てに引っ掛かってくれた。それで爆弾があるとわかったからこそハーミットパープルでの探知が可能となったのだ。――流石に何があるかわからない、誰が敵なのかもわからないでは探知能力も精度が落ちる。

そして彼女の奇妙な言動に対しても、ある程度目星がついた。

(十輪寺は、確実に何が起きるかを知っている!!だが、それは断片的なもの!!)

おそらく、とジョセフは考察する。

タワー・オブ・グレー戦後の機長の死による飛行機不時着を、彼女は知らなかった。知っていたら今までの言動から察するに何がなんでもコックピットを死守するように動いていたはずだからだ。

また、今回の件も「爆弾がある」ことしかわからなかったのだろう。だから捜索しようとした。数もわからなかったからコインを複数準備した。

(…考えうるは2つ。1つは本当に未来がわかるということ。……もう1つは…)

ジョセフも、おそらく他の面々も薄々感じて疑いを持っていること。

……一行の行動が、敵に筒抜けとなっている。つまり秘密裏に偵察されているということだ。

だが誰もその気配を感じ取っていない。こちらには正確無比に観察できる承太郎も、彼方を探索できる花京院も居るというのに、だ。勿論念写できるジョセフも何度か試したが、対象がわからぬでは探知しようがない。

つまり現状が表しているのは、遠隔視ができる未知のスタンド使いが相手方にいることと。

(…内通者。考えたくもないわい…!)

ジョセフはその疑念を払うように頭を振る。だが、これは危険な旅路。考えうる全てを、チームの要であるジョセフは想定しなければならなかった。

(だが彼女には肉の芽なぞ植わっていない。しかしスタンド能力は1人1つのはず。)

十輪寺の行動と先程の笑顔。どう考えても善良な者にしか見えないが……彼女もまた、取り繕うのが上手い。悲しいことにジョセフや花京院のように嘘をはきなれているところがある。ジョセフは交渉や敵を欺く武器として使うため、仲間に対してはからかい程度にしか使わない。花京院は、おそらく信頼したもの同士嘘は嫌う質なのだろう。他人にはサラリと嘘をはいて丸め込んでいる様を目撃したがジョセフたちには至極素直に応対する。

だが、十輪寺は皆に対して何かを必死に隠そうとしていた。それが未来がわかるということなのか?モビー・ディックの能力をすぐ開示しなかったのもおかしい。

(…十輪寺。君は、一体。)

甲板への扉に手をかけて、ジョセフは皆のところに急いだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

甲板に照りつける太陽にくらんだジョセフの目が慣れた時、眼前では皆が何やらドヤドヤと囃し立てているようだった。よもやすでに敵襲か、と皆のもとにかけたジョセフが見たのは、海に飛び込む承太郎の姿。

「なんじゃ!?何があった!」

慌てた様子で現れたジョセフに、ああ、とアヴドゥルが若干狼狽えた様子で事情を説明しだす。

「ジョースターさん、密航者です。あの少年が逃げようと海に飛び込んだのですが…鮫がいる!」

「何?密航者じゃと?」

バッと海の方に目をやったその時、ばしゃりとひときわ大きな音がして鮫が宙に吹き飛んだ。それを追って現れたのは承太郎のスタープラチナ。拳のラッシュを鮫に叩き込んでいるではないか。

「…で、彼を助けようとJOJOが飛び込んだというわけですが…あの様子なら大丈夫そうですね。」

海に目をやりながら花京院が苦笑いして続けた。

ジョセフは呆然と承太郎の姿を追う。密航者の少年――いや、帽子の下の長い髪を見ると少女のようだ――を、承太郎が掴んでこちらに泳いでくる。

「おおっと、女の子かよ!おい、救助用のなんかねーのかい?」

ポルナレフが呑気に船員に対して問いかけるなか、何故か固まったままのジョセフの様子に気がついたアヴドゥルが彼に問いかける。

「ジョースターさん?どうかしたんですか?」

「あ、いや…!」

ハッと我に返ったジョセフが船の危機を皆に伝えようとしたときだった。あっと海の2人を見ていた花京院が声を上げる。

「何だあの影…大きい!JOJO!何か来るぞ!急げ!」

その影を目視した承太郎は急いで浮き輪に向かってくるがしかし、影の方がスピードは上だった。あわやというところで花京院が一声を上げる。

「あの距離なら僕に任せろ!」

すんでのところで放たれた法皇が承太郎の腕をつかんでそのままに引きずり上げた。と同時に何ものかによって浮き輪が木っ端みじんになる。そしてそのまま、影は消えた。

「スタンドだ!今のは!」

「海底のスタンド…うわさすら聞いたことがない…」

各自が警戒する中ジョセフははっとする。

(仕掛けてきたか…!だがまだ爆弾の解除が終わっていない!)

彼はスタンドでの会話に切り替えて皆に危険性を伝える。

『皆!結果から言う、この船に爆弾が仕掛けられておった!』

『何だと…?』

承太郎が険のある瞳でジョセフを睨む、それにうんと頷きながら彼は一同を見まわした。

『たった今十輪寺が解除に回っている。ここは敵を見極め慎重に時間をかせぐぞ!』

その言葉に皆軽く目を見開いたが、承太郎だけは表情を変えないままジョセフをじっと見ていた。

『となると…いちばん怪しいのはこの女の子か…?』

すっとアヴドゥルが目線をずらすと、そこには名も知れぬ少女が息を乱して手をついている。密航者。他の船員の身元ははっきりしている中、唯一分かっていないのは彼女のみだ。じっと一同が見ていることに気が付いたのだろう、少女ははっとナイフを構え威嚇してくる。

『くっ…証拠が足りん。何か正体をつかむ方法はないものか…』

そのジョセフの言葉でアヴドゥルは鎌をかけることにした。

「おい、DIOの野郎は元気か?」

「DIO?なんだそれはっ!おれと話したいのかそれとも刺されてーのかどっちだァ!?」

そんな言葉を発しながらも、その少女の様子はまるで蛇ににらまれた子猫のように見えた。

「この妖刀が340人目の血をすすりたいと慟哭しているぜッ!」

その言葉に思わず花京院は吹き出した。それを見て少女はあわあわと慌てている。

「なんか、この子は違う気がしますが…」

「うむ…しかし…」

ジョセフがでは誰なのだ、と思案したのと同時刻。

 

 

「…あった!この箱だ!」

船底の貨物室に食糧庫と同じ形の箱――爆薬を見つけて十輪寺は喜色を滲ませた。これで3つ目、最後だ。十輪寺は迷わずそれをモビー・ディックに飲み込ませる。床板から出現した白鯨は箱だけを飲み込んで消える。

「これでよし!あとはジョースターさんたちに…」

彼女は踵を返そうとしてはたと気が付く。……夢の内容では、起爆スイッチを相手は握っていたはずだ。もし、もしもだが起爆スイッチを押された場合、モビー・ディックの中に取り込まれた爆薬は反応するのだろうか。それとも反応しないのだろうか。……前者だった場合。

(私は、内臓破裂なんかじゃあ済まされない…!)

ここまで思考してやっと十輪寺は己がしたことの行き当たりばったり性に気が付いたのだ。このままでは転覆すると思わず動いたはいいものの、その後のことをきちんと考えられていない。冷や汗がどっと流れてくる。命の危機がまたやってきた。恐怖に身がすくむ。

(なんて愚かなことを!)

しかしモビー・ディック以外ではこの事態をどうにかするものはいないのだ。他の人間では解除ができない。皆を守らねば、と震えを抑えようとした時、ふわりと半身がマストだけを床板から出現させた。……これは、彼女たちだけの合図。白鯨が十輪寺に甘える時にする動作。だが、今はそれが違うものに映った。――励まし。

……ここは、賭けるしかない。

「起爆装置を奪うんだ…!」

十輪寺はマストをポンとたたく。それと同時に白鯨はまた潜行した。

 

 

 ***

 

 

「シブイねえ…オタク。本物の船長はすでに海底で寝ぼけているぜ。」

承太郎の鎌かけに見事引っかかった船長……いや、偽物は本性を現した。彼はとうとうと語りだし一行を挑発する。

「じゃあてめーは地獄の底で寝ぼけな!」

承太郎が返した時だった。

「きゃああああ!!」

海中から突如として現れたスタンドが少女をつかんで人質にとったのだ。そして敵は自分がタロットの月、暗青の月(ダークブルームーン)であることを朗々と名乗り上げる。

「1人1人やろうと思ったが仕方がない。今から小娘と一緒にサメの海に飛び込む!当然海中に追ってこざるおえまい!」

言って彼が海に向かって後退しようとした時だった。

「モビー!吐き出して!!」

船室の方から弾丸のように十輪寺が駆け出してきた。なに、と一同が見る中、その手には果物ナイフ。彼女はまっすぐ船長に向かって突き進む。

「おおおお!!」

その勢いのまま、彼女は偽船長の右腕に一太刀、果物ナイフを突き刺した。

「うぐあ!な、何ィ!?」

呼応するようにスタンドからも血が噴き出る。それを横目に捕らえて彼女はモビー・ディックに命令を下す。

「射程内に入った!モビー、アンガーテイルッ!!」

鯨の錨の尾が宙に出現する。それはおもいきり振りかぶってダークブルームーンの体目がけて直進していく。それと同時に、十輪寺はナイフを引き抜いた。そして、ナイフを偽船長のポケットへ一閃。さくりと布が裂け、そこには。

(あったッ!起爆装置ッ!!)

モビー・ディックの尾が迫る。偽船長は一瞬のうちに起きているこの事態に対応できていない。十輪寺はポケットから零れ落ちたスイッチに手を伸ばす。なんとしても地に落ちる前に掴まなければ。

十輪寺の目にはそれがスローモーションに見えた。自分の動きがスローすぎて焦りが先行する。

(なんとしてでも!思い通りにさせないッ!!)

手がスイッチに触れた。ボタンは上向きだ。このまま掴める。掴んだ。そして振りぬかれたモビー・ディックの尾がダークブルームーンの背に触れた。

(あとは…この子を船上に戻すだけ!!)

錨を振りぬいた。衝撃は調整している。少女だけを手放す程度の威力。それを船上の方向へ。十輪寺は足にぐっと力を入れてダークブルームーンの方に振り返った。そしてそのまま。

「こっちにその子を飛ばすんだ!!モビー!!」

モビー・ディックは忠実に、ダークブルームーンの背だけに錨をたたきつけていた。もんどりを打って偽船長とダークブルームーンが、少女を受け止めた勢いで跳ねた十輪寺と同時に飛んでくる。

旅の仲間たちはその時正確に動き出していた。花京院がハイエロファントグリーンで十輪寺を受け止めると同時に、承太郎がスタープラチナで飛んできた偽船長にラッシュを食らわせた。

「オラオラオラァ!!」

船長が海上に殴り飛ばされ水しぶきを上げるとともに、十輪寺の緊張の糸がぷつんと切れた。そしてその勢いのまま、彼女は気を失ってしまった。

 

 

 ***

 

 

「…う。」

「!」

呻き声とともに十輪寺が目を覚ました時はすべてが終わっていた。少女を受け止めた勢いで腹をしたたかに打った十輪寺は起き上がろうとして再度呻く。それに付き添っていたジョセフが波紋を流して痛みを緩和しようとしてくれた。

「全く!無茶しおってからに!」

「ご、ごめんなさい…。あの、敵は?」

「承太郎が倒した。爆弾の起爆スイッチもほれ、そこに置いてある。」

言ってジョセフはくいと親指でテーブルをさす。そこには誤って押されないように固定された起爆装置があった。それを見て十輪寺は人知れずほっと息をつく。その様子をすがめになりながらジョセフは続けた。

「十輪寺…わしに嘘ついたな?解除できるならスイッチなんていらぬ…。なんという無茶をしたのだ!」

「ち、違います!飲み込んだ後でそのことに気が付いて…。慌てて取って返したらあの子が人質になってるものだから、つい。」

「ついって…お前さんなァ…!」

ため息をつきながらジョセフは事の経緯を説明した。曰く、少女は無傷であること。あの後偽船長を殴った承太郎にフジツボのようなものがまとわりついて海下に引きずり込まれたこと。渦潮のなか承太郎が敵を討ったこと。一連をとうとうと聞かせるジョセフに頷きながら、十輪寺はまた安堵する。

(夢と乖離がない…本当はあの一撃で倒せればよかったんだけど。)

しかし贅沢も言ってられまい。船の爆破を防げただけましだ。十輪寺は呼吸を整え、自身の痛みを軽減した。そのままベッドから起き上がりながら爆弾の起爆スイッチに手を伸ばした。

「じゃあ、これはモビー・ディックに飲み込ませておきます。シンガポールで解除なりした方がいいでしょう。」

「わしとしては今すぐにでも吐き出してもらいたいんじゃが。」

「…海、汚すことになっちゃいますよ。」

「それどころではないのが分からんか!命かかっとるんだぞ!!」

ジョセフの焦りからくる怒号に笑いかけながら、十輪寺は言った。

「大丈夫。モビーの中に入れてしまえば誰にも取り出せません。私以外、ね。」

 

 

十輪寺が目を覚ました。ジョセフからもたらされたその一言で皆が一様にほっとするのを承太郎はどこか冷めた心持で聞いていた。いや、心配でなかったわけではない。ただ不信感がぬぐえなかっただけだ。

(今回もそうだ…都合がよすぎる。詳しい経緯を聞いちゃいないが爆薬を見つけたのも十輪寺だろう。)

今のところそれで支障が出ているわけではないが、疑念は尽きない。……スタンド能力は1人1つのはず。十輪寺にとってそれは『飲み込んで吐き出す』能力のはずだ。となると彼女固有の何かがあるとみるべきか。

(いずれにせよ、しゃべらない上に無茶しやがる。どうにかなんねェモンか…)

視界の端でポルナレフが見舞いに行くと言ってアヴドゥルに止められている。それに目をやりながら、彼は口癖にやれやれと独り語ちるのだった。



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謎の貨物船

……予定された沈没から辛くも逃れたこの船は、船長を欠きながらも予定の進路を航海する。頭が偽物だったと知った船員たちの狼狽はあったものの、そこは船の操り手としての意地があるのだろう。すぐに指揮形態を整え進みだしていた。

甲板でぼんやりと風を受けながら十輪寺は思案する。

(爆発は防げた…これで、予定通りに進めるはずだけれど…)

十輪寺のなかには1つ大きな引っ掛かりがあった。――あの時夢に見た、もう1つの光景。見慣れぬ通信室で虐殺されゆく船員たちの夢だ。

(あれは一体何?この船ではないとしたら…また、敵襲があるとでもいうの?)

あれから2日経った。シンガポールは目前に迫っている。船長入れ替わり事件のどさくさにまぎれ十輪寺はこの船の通信室を見た。……が、その内装は明らかに夢のものとは異なっていた。

以来その場面の夢は見ていない。見るのはいつものあの夢だ。

(…なんでこう自由が利かないものなのかな。花京院さんの夢が一番こたえるというのに。)

視線を甲板に移すとすっかり馴染みとなったビーチベッドで本を読む花京院の姿がある。彼はここが気に入っているのか、大体船室内に姿が見えないときはここに居る。他の面子は別のところで暇をつぶしているのか今は見当たらない。

(…逆?こたえて、一番どうにか変えたい未来だからこそ何度も見てしまうの?)

十輪寺の視線に気がついたのか、花京院がふと顔を上げて視線がかち合う。ぎこちなく笑いかけて、十輪寺は海に視線を戻した。

……そのため、彼女が花京院の顔に憂いの影がさしていることに気がつくことはなかった。

 

 

しばらくして、ザザンと静かな波の音だけを聞いていた十輪寺のもとに花京院が歩み寄ってきた。

「…何か見えますか?」

「いいえ、何も。」

実際、変わり映えのない風景が続いていた。陸が見えるでもない、魚の影が見えるでもない。だから他の皆は船内に居るのだろう。大方賭けポーカーでもしているんじゃあないかと十輪寺は思っていた。

海を見たままぼんやりと質問に答えた十輪寺に被せるようにしてまた花京院の問いが飛ぶ。

「では、なぜいつも海を見ているんですか?」

珍しいな、と彼女は花京院を盗み見た。この青年がこんな不毛なことを聞いてくるとは。

「…質問の意図は?」

思わず問い返すと、彼は海を見たまま、いえ、特にと返してくる。

「あなたはいつも海を見ているようでしたので。」

「ああ…そうかもしれないですね…」

それを言ったらあなたはいつもそこで本を読んでいるじゃあないか、とは返さず十輪寺は答えた。

「別に何もないですよ。ぼんやりするにはうってつけなだけです。」

探りを入れられているようで虫の居所が悪くなった彼女は髪を掻き上げながら戯けた。

「最近はここにいるほうがポルナレフさんから逃げられるみたいだし。…お邪魔なら退散しますが?」

「…失礼。無粋でしたね。」

十輪寺のつっけんどんな物言いにやっとこちらへ目を向けた花京院は苦笑した。

「もしかして敵襲を警戒しているのではと思って。そうでないならば良いのです。」

敵襲、と十輪寺は反芻し、半分的を射ているなと考えた。実際夢の内容が気になっているのだから当たってはいるのだ。

「…それは申し訳ない。そこまで殺気立ってはいないですよ。」

苦笑いを浮かべて十輪寺は返した。そしてふと今浮かんだ疑念を花京院にぶつけた。

「…まさか花京院さんもそうじゃあないですよね?」

チーム唯一の遠隔操作の利くスタンド使い。その役割を遂行するためにあえて外にいるのでは?

「……そのまさかだったら、どう思います?」

真意を読み取れぬ作り笑いを口に浮かべて花京院が切り返してきた。十輪寺は困惑したが、思ったことを素直に言うことにした。

「…頼もしいですが、心配です。あなただけじゃあ大変でしょう?」

「そうですか……くく…っ」

その言葉を聞いて……花京院は口元をおおってクスクスと笑いだした。その様子に謀られたと悟り十輪寺は恥ずかしくなる。

「ちょっ!からかいましたね!?人が真面目に言ったのに嘘か!!」

「ノホっ…!すみま、せん、怒らないでください、半分は本当ですから…っ」

花京院は十輪寺を宥めるが、笑いが抑えきれていない。全く、と多少ブスくれながらも半分という言葉に彼女はとりあえず怒りを引っ込める。

「半分に免じて許しますけど…そんなに笑うことですか?」

「ふふっ。…すみません、違うんです。」

ひとしきり笑ったあとふぅと息を吐いて花京院は微笑む。

「…嬉しくて笑ったんだ。ほら、他の皆なら気にしすぎだとか、臆病だと言われるかもしれないでしょう?」

「ああ…なるほど。」

そういうことか、と十輪寺も笑った。やはり花京院も自分と同じで慎重派なのだと再認識する。そして、その言葉に思うところがありポツリと彼女は呟く。

「…臆病と慎重の差って、何でしょう。私は臆病だけどあなたは慎重なだけだ。」

「捉え方の差なのでは?僕からすればあなたは全く臆病には見えないんですが…」

困ったような顔で花京院は十輪寺を見る。それに対し十輪寺も苦笑する。

「…花京院さんは自分のこと臆病だと思ってます?」

「ええ。…少なくとも、この中では。」

船室の方に視線を移して花京院は言う。その目に憂いが宿っているのを見て、十輪寺は自分と同じだと感じた。……だからなのか、自然と言葉が口をついて出てくる。

「…波紋の教えに、こういう意味のものがあります。」

ん、と興味を持った花京院がこちらを見る。十輪寺は笑って海に目を移す。

「『恐怖』を感じることは悪ではない。『恐怖を乗り越えることができる』からだ。…恐怖を感じないことは即ち『勇気』も知らない。」

言って、にっと十輪寺は彼に笑いかけた。

「私の座右の銘みたいなものです。」

「…なるほど、発想の転換ですね。いい言葉だ。」

花京院の目から憂いの色が薄くなった。フッと彼も笑って続ける。

「…『臆病者』同士、お互いの『恐怖』を乗り越えられるよう願ってます。」

互いに笑いあった時だった。――不意に、青い空が見えなくなった。

はっと息をのんで2人はさっと視線をめぐらせる。あたりは白くもやがかり、先程まで明るく照らしていた太陽すら見えない。

「…霧の中に突っ込んだ…?」

十輪寺の言葉に「馬鹿な」と花京院も呟く。

「さっきまでそんなもの全く見えなかったぞ…!」

まるで風景だけが切り替わったような不気味な変化。これは敵襲だ、と判断した2人の行動は早かった。花京院はさっと法皇を出現させ船室に向けて全速力で伝令に走らせる。十輪寺も白鯨の全身を出し、いつでも波紋が打てるよう呼吸を整えた。

十輪寺が船の前方、花京院は後方と背中合わせに船の縁で構えた時だった。不意に大きく暗い影が甲板に差し掛かった。 

「え!?」

影は船右舷からいきなり現れた。ちょうど、2人がいるその場所に目掛けて来たその影は。

(衝突する…ッ!!)

咄嗟に花京院は十輪寺の腕を掴んで先に放っていたハイエロファントに己の体を船室に向かって引かせた。十輪寺は白鯨の尾を襲い来る影の主に向けて思いっきり叩きつけさせる。

同時にそれが行われた反動で2人は勢いをつけて船室の方に吹っ飛ばされた。

バキバキバキと轟音を立てて彼らのいた位置が破壊されていくのを視界の端に捉えながら、花京院は十輪寺を庇うように引き寄せ背から壁に向かっていく。十輪寺は白鯨を壁と彼の間に滑り込ませるように出現させた。

ドンッ!と大きな衝撃が襲い、2人とも一瞬激痛に息が詰まる。だが、モビー・ディックをクッションにしたことで予想していたよりは衝撃は軽く、2人ともすぐに身を起こすことができた。

「十輪寺!怪我は!?」

「平気です!痛みを緩和します!」

十輪寺が整えていた波紋をそのまま治癒に転じさせようとした時だった。バンと勢い良く音がして船室と甲板をつなぐ戸が開いた。中から真っ先に躍り出たのはジョセフだ。

「なっ…!こ、これはッ!どういうことじゃあ!?」

彼は自らの目に映った信じられない光景に思わず叫んだ。

「どうしたジョースターさん…って、うおあ!?な、なな…!」

バタバタと複数の足音がする。船員も含む皆が甲板へと出てくる度に仰天し思わず絶句する。

「皆!」

花京院の呼びかけにようやくハッと我に返った面々は慌てて2人の方を見た。

「花京院!十輪寺!一体何が起きたッ!?」

「わかりません!いきなり霧に覆われたと思ったらアレが突っ込んできました!」

十輪寺は波紋を花京院に流しながらさっと衝突してきたものの方を指差した。その額には、冷汗がダラダラと流れている。

「…私達が、ちょうど立っていたところです…」

皆、一様に視線をそれに戻した。

……船首を無残に破壊し、轟音とともにその動きを止めた……この船より一回りはあるであろう、大きく古びた貨物船に。

 

 

 ***

 

 

「ボートは無事か?」「全員入るな?」「早く!」

船員たちの怒号が飛び交う中、十輪寺はただじっと衝突してきた貨物船を見据えていた。

(さすが鋼鉄船…全く破損なしとは…)

深い霧の中突如として現れた貨物船は、この船を完全に廃船にした。船室に損害がなく、乗員1人として重傷者が出ていないのは不幸中の幸いか。

「おい!通信おくれ!ひとまず相手方に引き上げてもらうぞ!」

バタバタと動く船員と、ボートの準備を手伝うジョセフたち。しかし十輪寺はただ立ちすくんで貨物船をじっと観察していた。

(…こんな大きな船、一体どこから現れた?直前まで私達が海を見ていたというのに?)

つい、と十輪寺は視線を花京院に向ける。彼はそのスタンドの射程を活かして、すでに貨物船を偵察している。同じことを考えているのだろう、その目には鋭い光が宿っている。

(不自然すぎる…敵が乗ってるのは間違いない…)

十輪寺が貨物船を睨んでいると、ふと頭上に影が降る。目だけその方に向けると、彼女と同じように船を睨んだ承太郎が横に立っていた。

「…どう、思いますか?」

視線をまた貨物船に戻しながら十輪寺は尋ねる。承太郎はわずかに目を細めながら返答した。

「…こんだけの事をしておいて、誰も顔を覗かせないのは何故だろうな。」

「ええ。…それに、衝突のときもまるで見計らったかのようでした。」

「…てめーらが立ってたとこドンピシャってわけか。」

「はい。」

簡潔に淡々と2人が情報を整理していると、法皇をそのままに花京院も歩み寄ってきた。

「…2人とも、バッドニュースだ。…あの船、誰もいないかもしれない。」

「えっ?」

「まだ甲板だけしか探ってないが…人の気配すらない。これだけの衝突事故…向こうにも何らかの損害があってしかるべきだろうに…」

十輪寺たちの中の疑念が大きくなる。おおい、と背後からボートへの避難を呼びかける声がする中、貨物船に最後の一瞥をくれて、3人は身を翻した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「スタンド使いが潜んでいる可能性がある…心せよ、皆。」

「わーったよ!ま、気配を感じたら即対応、だな!」

降りてきたタラップに足をかけたアヴドゥルとポルナレフが先を行く。血気盛んな船員たちは、もうすでに乗船済みだ。

考察を残りの3人に伝え話し合った。結果、この不気味な貨物船に乗船して敵を叩くことと相成ったのだ。船を破壊されて怒り心頭の船員たちを抑えられなかったこともあるが、もし敵の船だとしたらボートでは到底逃げることはできないというのも事実。この大洋で漂流することになるよりは幾分かマシ、と、虎穴に入ることとなったのだ。

「…ああも気楽になりたいものだな。」

「自信がある、というのは強みですね。実際強いから羨ましい…」

花京院と十輪寺がポルナレフを評しながら後に続く。最後尾はジョセフと承太郎……と、あの家出少女、アンだった。

「…捕まりな、手を貸すぜ。」

タラップに飛び移った承太郎がアンにさっと手を伸ばす。が、アンはその手とタラップに立つ2人を交互に見て、ポンっとジョセフの腕の方に飛び込んだ。

承太郎の方をちらりと振り返ってべえっと舌を出す少女に「…やれやれ」と承太郎はため息をつく。それにジョセフも苦笑し、少女を下ろしてタラップを登っていった。

 

 

 ***

 

 

甲板から船内へ。船内すぐの階段を下り無線室、そして操舵室へ。船のことは船乗りに、と数人の船員を引き連れジョースター一行はここまで来たのだが。

「…操舵室に船長もいない。無線室に技師もいない。なのに見ろ…!計器や機械類は正常に作動しているぞ…!?」

操舵室は奇妙なことにもぬけの殻だった。舵がかってにからり、からりと不気味に揺れている。

「どういうことだ…?」

花京院の言ったとおり、確かにこの船に人の気配は見当たらなかった。

この不気味な貨物船を調べる中……十輪寺は見てはいけないものを見たような感情の中に突き落とされていた。

(………まさか…)

ここには誰もいない、と無線室から皆すぐに出て戸を閉めた。最後尾だった十輪寺は中を見てはいない。だが、操舵室まで来て、ふと、思い至ったのだ。

夢に出てきた無線室。虐殺される船員たち。――もし、この船の無線室がそれと一緒だったなら?それが脳裏から離れない。

なぜ今まで失念していたのだろう、と十輪寺は臍を噛む。先程から誰の言葉も頭に入っていなかった。

(それに…こんな状況だから?…感覚が変だ。)

十輪寺は胸が重苦しく締め付けられるような、独特のプレッシャーを感じていた。……何故か、いたる所から見られているような感覚。誰かが裏でほくそ笑んでいるような気分の悪さ。船内に入った瞬間から、それは増している。

「…一旦甲板に戻りましょう。」

胸に手を添えたまま十輪寺は提案した。夢では配管や計器が襲ってきた。即ち、相手は機械を操るスタンド使い。ならば囲まれているここは危険だ。……それだけではない。息苦しい、一刻も早くここから出たい、外気に触れたい、と彼女の心も身体も今までに経験したことがないほどの警鐘を鳴らしているのだ。

「そうじゃな、そうしよう。ひらけた場ならば相手の出方も分かるじゃろう。」

ひとしきり操舵室を観察したジョセフの鶴の一声で、一同は来た道を戻るべく動き出した。早く逃げたいと怯える心を押さえつけながら十輪寺も列に加わる。と、するりと合間を縫って花京院が彼女の隣に滑りこんできた。恐らく彼女しか彼の挙動に気がついた者はいないだろう。怪訝に思った十輪寺が花京院を見上げると、彼も同じ様な表情で彼女のことを見ている。

「…大丈夫かい?気分が悪そうだ。それとも、さっきの衝突の影響か?」

他の誰にも聞こえないよう小声で伺ってくるあたり、本当に気の回る人だ。そう思いながら十輪寺は力なく笑って「臆病風に吹かれただけです」と返した。

 

 

(…また、だろうか?)

返答したきりこちらも見ず周囲に気を張っている十輪寺を、花京院はただ見据えていた。

(何かが起きるから、彼女は甲板に戻るよう言ったのか?)

ジョセフの一声で皆甲板に戻るべく動き出している。だが、そのきっかけを作ったのは彼女の一言。ジョセフや他の面々は操舵室内に気を取られていたため気がついていなかったようだが、花京院はその時彼女の方を振り返っていたのだ。……あの一言を、彼女は今にも吐きそうな青ざめた顔で絞り出していた。

(臆病風?そんなやわなものでは無い表情だった…)

そのため、彼は思わず側に寄ってまで尋ねたのだった。勿論、十輪寺の体調が心配だったこともあるが……彼女の、奇妙なほど正確な勘に不信感を持っているからだ。

(十輪寺は…まるでこれから何が起こるか解っているかのような行動をとる時がある。…敵と通じているのではと疑うくらい…的確に行動する!)

花京院が十輪寺に違和感を持ったのは、ほかでもない、最初に出会ったときからだった。肉の芽の影響でぼんやりとした記憶ではあるのだが、キャンバスに向かう自身を十輪寺が凝視していたのを不審に思ったのは覚えている。

(あの時僕は、ハイエロファントを階段の方に放っていた。だが、彼女は僕の方を見ていた。その後すぐにつけてきた…最初から僕が本体だとわかっていたんだ!)

一歩先を行く十輪寺の背中を見ながら花京院は目をすがめた。

(だが…今まで彼女が奇妙な行動を取ったとき、僕達が被害を被ったことはない。寧ろ逆だ。)

花京院は思う。

(この秘密は、見過ごすわけにはいかない。)

自分の先を行く十輪寺の背中は、どこか小さく怯えているように見えた。

 

 

 ***

 

 

「みんな、来てみて!」

一行が甲板に出る、その時だった。不意にあの少女の呼び声がどこかから聞こえてきた。

ハッとしてジョースター一行は声がした方に早足で向かう。一度甲板に出て、開け放たれている戸の先、ひらけた船室の中にアンがいた。彼女はこちらを見て奥を指差した。

「…猿よ。檻の中に猿がいるわ。」

猿…?と、花京院とジョセフは中に入っていく。緊急性はないと判断したアヴドゥルとポルナレフは甲板を探索する船員たちの方に向かっていった。承太郎は二者を見たのち、戸口のところで立ち止まり中を伺う。十輪寺もそれに倣って恐る恐る中をのぞき込んだ。単純に、船室内に入りたくなかったのだ。

そこには確かに檻があり、中に大きな茶色の毛皮をまとった猿がじっと大人しく彼ら来訪者を見つめていた。

「オランウータンだ…」

何故こんな所に、と花京院が呆然と呟くが、ジョセフは猿の存在から逆説的に、飼育している何者かの存在を考える。

「こいつに餌をやっている奴を手分けして探し…」

ジョセフが甲板の方に振り返りながら言ったときだった。

音もなく、貨物クレーンのフックが、揺れ動いた。それも、勢いをつけて、すぐ近くにいる船員めがけて。

「アヴドゥル!その水兵が危ないッ!!」

ジョセフが叫んだ時には……もう、後の祭りだった。

 

 

ドガァ!!! ……ばりばりばり……

「うおおおっ!?」

クレーンのフックはいともたやすく1人の船員の頭部に突き刺さった。そのままギギギと音を立ててクレーンは引き上げられた。ばりばりと、皮膚が裂ける音がこだまする。大量の血がボトボトと流れ落ちる。……さながら、見せしめのようにクレーンは巻戻って船員を吊るし上げ、ピタリと止まった。

「きゃあああ!!!」

現状を理解したアンが悲鳴を上げる。と、承太郎がさっと彼女の目を手で覆い隠した。

「…やれやれ。こういう歓迎の挨拶は女の子にゃあきつ過ぎるぜ」

「だ……誰も!操作レバーに触らないのにクレーンが動いたッ!!」

船員からも恐怖に満ちた叫び声が上がる中、ジョースター一行は冷汗をダラダラと流しながらも、スタンドでの会話に切り替えて会話する。

『誰か、今…スタンドを見たか?』

『…いや』

『すまぬ…クレーンの一番近くにいたのに感じさえもしなかった…!』

脳内を皆の会話が駆け抜けていく中、十輪寺はただ呆然と吊り上げられた船員を見ていた。会話の内容など頭の中に入っていない。

『よし。わたしのハイエロファントグリーンを這わせて追ってみるッ!』

ギュンと緑の光が足元を駆け抜けたことで彼女はやっと我に返った。途端、わなわなと震えが這い上がってくる。

「おい!機械類には決して近付くなッ!全員いいと言うまで下の船室内で動くなッ!」

ジョセフが半ば怒号のように船員に指示を飛ばす。船員は自分たちのほうが専門家だと不満げではあったが、その剣幕に押され渋々従うように船室の方へと歩をすすめる。アンも、それに従うようにこちらを振り向き、振り向きながらもついて行った。

そこまで来て十輪寺はハッとする。船室内に船員だけが向かっているこの現状。……夢の無線室には、旅の仲間たちは誰1人としていなかったではないか、と。

まずい、と体を動かそうにも震えが止まらなかった。何もできず見るしかなかった惨状に一歩が踏み出せない。声も出ず、その場に立ちすくむことしかできない。

(どうしよう…どうしよう!)

その時だった。船員とともに向かっていたはずのアンが壁の影からこちらを見ているのと、目が合った。怯えと不信感の混じったその瞳。……十輪寺の視線の先に気が付いたジョセフが少女に向かっていく。すっとしゃがんで目線を合わせ、ジョセフは力強く笑って言った。

「君に対してひとつだけ真実がある。……我々は、君の味方だ。」

――その言葉を聞いた途端、十輪寺の体からすっと力が抜けた。アンに向けた言葉だというのに、彼女の心にもその言葉は温かく力強く染み込んできた。自然と、体の震えは収まった。

パシ、と顔を軽く叩き十輪寺は呼吸を整える。深く呼吸ができた。

(そうだ。…1人じゃない。)

十輪寺はすっと一歩を踏み出し、ジョセフのもとに向かった。



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力の貨物船

「よし。ではわしとアヴドゥル、承太郎とポルナレフの組で船内を捜索する。花京院はここに残り伝令を。…十輪寺、君には船員たちの警護、任せたぞ。」

ジョセフの指示に皆頷いて、それぞれの方向へ歩き出した。……船員の警護は十輪寺自身が申し出たものだった。もしも人質として取られたら厄介だと告げ、自分の白鯨ならばいざとなれば飲み込むことで皆を守れると説明し、了承を得た。

(また不審がられるでしょうけど…気にしてられない。)

船室に向けて十輪寺は踏み出す。心身が嫌だと拒否する中、それを押し殺して進み出す。

(あんな大惨事…絶対、起こさせない!)

船員が入っていった猿の檻がある船室に踏み込むと、ちょうど少女と船員が合流したところだったようだ。

「さあ、向こうの部屋で我々と一緒に…。おや、嬢ちゃん?」

十輪寺に気が付いた船員から声がかかる。それに答えながら十輪寺は質問する。

「私も皆さんと一緒にいるように、と。船内はどんな感じですか?」

「それがようわからん…!勝手に計器が動いてるってのが謎だよ。一応、シャワー室は水が出るみたいだがそれ以外はまだ調べてねぇ。」

「!ありがとう。充分です。…とりあえず何もない船室に行きましょう。みんなで固まっていたほうがいい。」

(水が使える!ならば波紋で探知ができる…?)

十輪寺の心にわずかに光が差し込んだ。まだ、自分でも役に立てることがあるかもしれない。

……そのことに気を取られて十輪寺は気づいていなかった。アンが不安げに猿の方をじっと見遣っていることに。

 

 

食堂室で休むよう船員を誘導し、十輪寺は厨房にあった大平鍋に水を注ぐ。幸いなことに水はここでも蛇口をひねれば出てきた。

足音を感じて振り返ると、男ばかりの船員の中で不安だったのだろう、アンが顔をのぞかせている。

「お姉さん…何してるんだ?」

「う…。なんて言えばいいかな…」

直球な質問に十輪寺は返答に窮した。その様子に、すかさずアンはまくし立てるように言う。

「あんたたち何者なの?ただの人じゃあないんでしょ?まさか…超能力者?」

アンの目に怯えよりも好奇心の色が強いことに、十輪寺は少し驚く。自分よりよっぽどこの子のほうが肝が座っている。これならば多少話しても差し支えないだろうとみて十輪寺は答えた。

「…そう思ってくれていいよ。今からちょっと超能力で敵を探ろうと思ってね。」

途端、アンの目がキラキラとしだした。おずおず近づいてきた彼女に見えるように鍋をテーブルに置く。

「…これで?どうやって?」

「見ててね…」

十輪寺は呼吸を整えて鍋に触れた。すると、大きな波紋がうわんと走ったあと、小さな波紋がいくつも盆の中心すぐ近くに不自然に現れた。

「なにこれ…?水面が変だわ…」

「この波紋1つ1つが人で私が中心。…つまり船員さんとあなたぐらいしかこのあたりにはいないってこと。」

「そんなことがわかるんだ…!じゃあ、誰か来たらわかるのか?」

「ええ。…ほら、縁の方からこっちに向かってきてる。この波紋の大きさはジョースターさん。」

水鏡の説明をしていたちょうどその時、一際大きい波紋が1つ、こちらに近づいてくるのを見つけて説明する。ジョセフがこちらに探索に来たのだと十輪寺は思った。

――だが、波紋は中心目前まできたというのに足音も声もしない。

「…え?」

ひたり、と悪寒が走りかけたその時、スタンドを介した声が聞こえてきた。

『それは多分わたしだ。ハイエロファントが換気口を通して君たちの近くにいる。』

ハッとして顔を上げ厨房の壁を見回すと、天井すぐに設けられた排気口に緑の煌めく帯が居た。それを見て十輪寺はほっと胸をなでおろす。

『花京院さん!でも、なぜ?この大きさはジョースターさんの波紋の力だとばかり…』

『…?よくわからないが、スタンドの影響で波紋が大きくなってるんじゃあないか?』

「あっそうか。波紋じゃなくてスタンドの方なのか…」

突然の独り言にアンが首を傾げるのをみて、ハッと十輪寺は息をのみごまかし笑いを彼女に向けた。

「何でもないわ。この波紋は敵じゃないよ。」

そして排気口の法皇に向けて声をかける。

『こちらは今の所動きなしです。そちらは?』

『…くまなくハイエロファントを這わせたが…人1人として居ない。探索チームは今、スタンドの手がかりを探すために戻ってきてるよ。』

『ありがとうございます。引き続きこちらもこれを使って探ってみます。』

『わかった。…君は人命優先で動いてくれ。交戦は我々が請け負う。』

言って、きらびやかな帯はするりと消える。それをただじっと見ていた十輪寺に不意にアンから声がかかった。

「…なあ、お姉さん。この、時々混じるでっかい波紋はなんなんだ?」

「え?」

アンの言葉に十輪寺は鍋に視線を落とした。しばらくじっと見ていると、確かにアンの言ったとおり、中心から鍋の縁にまで行く大きな波紋が1つ混じった。

(…?見たことない波紋の形だ…)

まるで中心にコインでも落としてたった、さざ波のような、一見すると普通の波紋。だが、この水鏡を行っている最中にそのような波紋が起きたことはなかった。訝しがる十輪寺の隣から、「船の揺れのせいかなぁ?」ともっともらしい意見が出る。

「…そうかもね」

気には掛かったが、誤差の範囲だろうと十輪寺も考えることにした。

 

 

水鏡をそのままに2人が食堂に戻ると、船員たちが真剣に話し込んでいた。

「やはり通信は打ったほうがいい。この船…不気味すぎる!」

「ああ。…幸い無線室は生きている。早めに脱出したほうがいいぜ。」

無線室、という言葉を聞いて十輪寺はピタリと動きを止めた。押さえ込んでいた恐怖の波が、勢いを増す。

(船員さんの言っていることはもっともだ…。どうする…!?)

夢のとおりにしたくなければ彼らを機械に近づけないのが手っ取り早い。しかし、この場で彼らを納得させるだけのすべを十輪寺は持たない。……その上。

(皆、敵の正体は掴めていない!事態は膠着している…。ならば。)

ゴクリとつばを呑み込んで、十輪寺は船員たちに声をかけた。

「…行きましょう。救難信号をお願いします。」

事態を動かす方に彼女は賭けることにした。

 

 

 ***

 

 

『花京院さん、居ますか?』

船員を先頭にしんがりを務める形で進む中、何処かにいるであろう法皇に向けて十輪寺はスタンドで声をかける。……何秒かおいて、わざと存在を隠さないで来たのだろう、左の壁に気配を感じた。

『…配管にいる。どこへ移動するんだい?』

『無線室です。船員さんたちが救難信号を打つと。…私は彼らを一気に庇えるよう動いています。』

十輪寺はぎゅと拳を握り直す。それを知ってか知らずか、壁の気配は十輪寺に並走して答える。

『…そうか。ならばわたしも付いていこう、何か動きがあるかもしれない。』

『恩に着ます。』

スタンドを介したやり取りをしているうちに、船員たちから声が上がる。いよいよ件の無線室だ。果たして、その中は。

十輪寺は呼吸を整えて中に踏み込んだ。

(……ああ、やっぱり)

最初の感情は、諦念だった。無線室の内観は夢に見た場所そのままでそこに存在していた。遅れて寒気と警戒心がじわじわと押し寄せてくる。

(やるしかない。彼らの命は私にかかっている。)

ふうと大きく息をつき、彼女は腹を括った。無線機を取り囲む船員たちから少し離れた戸口のすぐ近く、駆け出せば一気に白鯨が皆をがぼりと飲み込める位置に陣取った。

船員たちが「随分旧式だ…」「トンツーと繋がってないんじゃないか?」と準備する中、十輪寺は壁にもたれ、わざと気を抜いているようにゆるりと腕を組み船員を眺める。実際は壁に、機器に意識を集中させ、何かが動き出すその時を見逃してたまるかと構えている。

『…今JOJOがこちらに向かっている。無線を使うならば敵も動く可能性が高い。』

壁の中の存在が天井の通気口に移動しながら状況を報告する。かすかに頷いて十輪寺も答えた。

『助かります。…花京院さんも気をつけて。多分、一番攻撃を受けやすいのはこうして機械に面しているハイエロファントだから。』

『解っている。…やはり、機械を操るスタンドだと思うか?』

『ええ…。敵は貨物船というフィールドをわざわざ準備して出向いてきていますからね。』

するり、と通気口から法皇の触脚が姿を表す。さながら船員たちを俯瞰するように動いたとき、彼は『…ん?』と声を上げた。

『あの少女はどこだ?一緒じゃないのか?』

「えっ」

十輪寺はハッと息をのんで慌てて船員の中にその姿を探す。――確かに、アンがどこにも居ない。

「まさか…ッ!」

十輪寺がさっと廊下の方を振り返った瞬間に、それは貨物船内で同時多発に起きた。

 

 

「…!!」

アンが皆から離れシャワーを浴びようとしたのは、ただの出来心だった。ボートに飛び乗る時に波をかぶってしまい、ただ、ベタベタした髪をキレイにしたかっただけ。

なんで、と彼女は後悔する。なんでこの船から脱出するのを待てなかったのだろう。

「きひひ…」

アンの目の前に、あの猿がいた。シャワーを浴びるため服を脱いだ彼女の目の前に。

思わず声も出ないまま、咄嗟にタオルで身をくるみ後ずさる。

思えば、この猿は最初からおかしかったのだ。何もない貨物船に、なんでこの猿だけが乗っているんだろう。――そして、アンしか見ていなかった、この猿の奇妙な行動。錠を開けろと指差したり、今しがたカットしたかのような果物を渡してきたり。……人間の女の子のピンナップを見ていたり。

……猿が、アンに手をぬっと伸ばしてきた。

 

 

カンカンと音を立てて、承太郎は1人無線室へと向かっていた。あちらには十輪寺と花京院の法皇がいる。敵が仕掛けてきたとしても、あの2人のことだ、初撃は余裕で対処できるだろう。しかし、人命優先に動く2人だけでは防戦一方になりかねない。自分の役目はオフェンスだ。

(そして、本体の見当もついたというべきか…)

承太郎はその手に握った大きな錠をちらりと見やる。この幽霊船で、ただ1人……いや、1匹だけ最初からいた存在は、どうやったのかその檻から抜け出したようである。

(隅々まで探しても人はいねぇ。ならば、そうとしか考えられねぇな。)

まさかとは思うが、と承太郎は歩を早める。他にも謎も残るのだ。

(…クレーンを操った時、スタンド像は見えなかった…それは一体?)

承太郎がその謎の壁に向かい合った時だった。

「きゃああああ!!」

女の悲鳴。十輪寺ではない。あの少女だと判断し、承太郎は声の方に駆け出した。

 

 

 

 ***

 

 

 

法皇は艦内をくまなく這いまわった。部屋はすべて把握した。それでも、一行以外の人は影も形もない。これでは埒が明かないと考えていたその時、船員が行動に出ると報告を受けた。

……彼らを囮にするのは褒められることではないだろうが、それしかないと十輪寺には動いてもらう。花京院も十輪寺のサポートのため、法皇の伸ばした触脚を一旦戻し無線室に集中させた。

花京院が意識を無線室の方に移していたその時だった。不意に足元が沈むような、奇妙な感覚が襲ってきた。

意識を自身に引き戻しはっと下を見たとき、体が――いや、法皇が握りつぶされんばかりに拘束された。

 

 

『ぐあッ!!』 バキィッ!!「きゃああああ!!」

大仰な音を立てて壁の配管がぎちりとうねった。同時に花京院が呻く。どこか離れたところから少女の悲鳴が聞こえてきた。一瞬それに気を取られた十輪寺が再び振り向いたときには船員が触れていた無線機までもが不気味にガタガタと震えだしていた。

「なっなんだ?!」 

「うおぉ?!」

船員が無線機から離れた刹那、壁の配管が、唸りを上げた。

一刻の猶予もない。十輪寺に躊躇はなかった。ダンッと床を蹴り悲鳴に近い叫びで分身を呼んでいた。

「モビィィーッ!!お願いッ!!助けてぇッ!!」

船員に突っ込むように駆ける十輪寺の足元からそのスタンドは現れ、大口を開けて彼らを一気にすくい上げた。

 

 

猿がアンに襲いかかる一瞬、「おい」と男の声がした。なんだと猿が振り返った瞬間に頭に鈍器が振り下ろされる。猿は思わず悲鳴を上げて倒れ込んだ。「JOJO!」とアンは歓声に似た声で彼を呼ぶ。

「てめーの錠前だぜ、これは!!」

悠々と構えた承太郎に、猿はなんとか飛び上がり怒りに満ちた表情で掴みかかる。

「このエテ公…ひょっとするとこいつが!」

猿は右手で殴りかかってくる。承太郎がスタープラチナに拳でガードさせた途端……猿は、ほくそ笑んだ。後方でばきりと音がした。異音に承太郎が振り返る間もなく扇風機の刃が勢いのまま承太郎の肩に突き刺さる。

「うぐっ!」

承太郎の呻きに猿はニマニマ笑っている。

「こいつが外したのか…!しかし…スタンド像はなぜ見えない?」

ふいに右肩の痛みが増した。承太郎がはっとして見るとプロペラがぐんと曲がり、今度は承太郎を殴り飛ばした。勢いのまま彼は鉄の扉に激突し、扉ごと後方にふっとばされる。猿が吠えた。すると窓ガラスがバリンッと割れて不自然なことに承太郎の方めがけて飛んできたではないか。彼は咄嗟に分身を出現させる。

「スタープラチナ!!」

その正確な動作でガラス片を指で止める。それをそのまま武器として猿に殴りかかるが。

「…ぬうっ!?」

猿を殴った感触がない。あるのは壁に拳が当たった硬い感触。はっと見ると、猿が壁にめり込んで高笑いをしているではないか。そのままズブズブと猿は鋼鉄製の壁の中に消えた。

(エテ公が壁にめり込んで消えやがった…!)

やばい、と直感した承太郎は少女を呼ばう。慌てて駆け寄る少女をかばいながら承太郎は周囲を警戒する。

(奴に触れたとき…確かにスタンドのエネルギーが出ているのを感じた。なのに、何故見えな……)

その時、承太郎は1つの可能性に至った。

(まさ…か…。もう、見えている…としたら…!)

 

 

ガンッ、と殴られたような衝撃を感じて十輪寺は呻く。船員を狙った配管が白鯨を叩きつけたのだ。だが、それを確認して彼女はどこか安堵していた。

――紙一重だった。敵の攻撃より、僅差で白鯨が船員を飲み込むほうが早かった。

救えた。彼女がつかの間そう思った時にはしかし、敵の魔の手は彼女の足元に伸びていた。ギギギ、と音を立てて不意に十輪寺の足元が沈んだ。彼女がハッと下を見ると、文字通り、まるで流砂に飲まれるように足が床にめり込んでいくではないか。飲まれた足に、締め付けられる鈍い痛みが走った。

 

 

甲板に残った面々は床に取り込まれ、もがくことも許されないまま呻く。

廊下で交戦していた承太郎は、急に壁から伸びた配管に縛り上げられ壁に叩きつけられた。

「こ、この貨物船は!?まさか、この『船自体』がッ!?」

ジョセフが叫ぶ。

「『スタンド』はこの貨物船かっ!!」

敵を理解した承太郎はぐうと唸った。

「この船がッ!?水夫や女の子にも見えるスタンドがあるのかッ!?」

飲まれながらポルナレフが叫ぶ。

 

 

「あ、足がっ…!うあッ!!」

十輪寺が痛みに悲鳴を上げたときだった。壁の中の法皇が苦しげに声を絞りだして言う。

『十輪寺ッ…逃げろッ!コイツは機械を操るスタンドじゃあないッ!船自体がスタンドだッ!!』

「な…ッ!」

馬鹿なと目を見開く十輪寺に法皇は続けた。

『僕たちも捕まった…!今にも胴を切断されかねないッ!君はまだ足だけ…君だけでもどうにかして逃げるんだ…!』

「そんなっ」

彼女が声をあげたその間にも敵の攻撃は止むことはない。壁からベキベキ音を立てて配管が十輪寺と白鯨に襲い来る。

(どうにか…どうにか!!)

一瞬のうちに思考した十輪寺はまず足を引きずり出すために波紋を流した。独特の呼吸音が響く。が、しかし波紋は床で散れてしまって効力をなさない。

(ならば!)

「アンガーテイル!」

彼女は一度消えたモビー・ディックを再度出現させた。そして錨の尾を思い切り床にたたきつけさせる。床が一瞬たわんだ。それを見逃さず、足にぐっと力を込めて引きずり出す。締め付けられていた靴が脱げると同時に、彼女はモビー・ディックの船体に捕まり地面から離れた。

「やった!」

だがそれでも敵は執拗だった。配管や計器がみちみちと音を立てて十輪寺たちに向かってくる。モビー・ディックの巨体では躱せない。体にしたたかに打ち付けられる。そしてそのまま配管が巻き付こうとしてきた。

(マズい…!このままだとパワー負けする!)

十輪寺は打開策を考えようとした。だが思いつかない。白鯨の体が拘束された。――このままでは、全滅。

その一言が脳裏に浮かんだ時だった。モビー・ディックがあるものを勝手に吐き出したのだ。それは――

 

 

拘束された承太郎の前に猿は船長服を着て現れた。そして挑発するように辞書を見せつける。―Strengthの文字。それはタロットの暗示。そのまま見せつけるように敵はルービックキューブをカチャカチャといじった。その隙にスタープラチナで拘束を破ろうとしたが防がれる。

(このエテ公…勝ち誇ってやがる!)

猿がルービックキューブを完成させた。そのまま力を見せつけるかのように握り砕く。奴はにやにやと嘲笑いクルリと承太郎に背を向けて、少女の方に手を伸ばした。

この状況の打開策を承太郎はすぐさま思いついていた。ぐぐ、と制服に手を伸ばしてボタンに手を伸ばす。それを引きちぎって猿の頭にこつんとぶつけた。

「…それはてめーのスタンドじゃあねーぜ。」

その安い挑発に、まんまと猿は乗ったのだ。猿がこちらに襲い掛かろうとした時、すぐ近くの船室から爆音が響き渡った。

 

 

「こ、このままでは…おしつぶ…される…!」

同刻、甲板。捉えられた4人は呼吸すらままならないレベルで船に取り込まれていた。圧迫が強まる。万事休すかと思われたその時、下部から爆発音とともに一頭の鯨が躍り出るのを目視した。

「あれは…ネイビー・モビー・ディック!」

その尾には船の天井らしき鉄板が突き刺さっている。――船体を突き破って出てきたのだ。その証拠にジョセフたちの拘束が一気に緩まった。

「爆音…!まさか!飲み込んでいた爆薬を使ったのか!!」

ジョセフが気付いて唖然と叫ぶ。それが正解とでもいうかのようにモビー・ディックはふらふらと下降してくるではないか。その口をがばりと開く。そこには頭から血を流した十輪寺の姿……それでも彼女の目は強い光を宿していた。

「もう一発だッ!!アンガーテイルを皆の近くに!!」

その言葉でふらりとしていた白鯨は軌道を持ち直した。噛みしめるように大口を閉じ、再度甲板にその尾を振りぬく。どしん!と大音を立てて甲板に振動が伝わった。それとともに拘束がさらに緩まる。

「これなら!マジシャンズレッド!!」

アヴドゥルの炎が、的確に全員の周囲の船体のみを焼き尽くした。

 

 

『ぎゃあああああ!!!』

猿が悲鳴を上げ始めたのはそれと同時だった。腹を抱えもんどりをうって悶え苦しむ。

「ほう…船体にでけー穴でも空けられたってとこか。あの爆弾を使われたワケだな。」

言って承太郎は配管を引きちぎる。猿はその様を目視してさらに悲鳴を上げて壁まで後ずさった。服を引きちぎり腹を見せる。降伏のサインだった。

「…許してくれってことか?しかしテメーは動物の領域をはみ出している…」

 

 

「だめだね。」

 

 

スタープラチナのラッシュが決まったと同時に甲板では皆が抜け出して脱出を図っていた。再び口を開いたモビー・ディックの中から十輪寺が声をかける。

「上に乗ってください!スタンドならできるはず!このまま一気に乗ってきたボートに移ります!」

各自はうなずいてスタンド像と己を重ねる。そのまま白鯨の背に飛び乗ってボートを目指した。ボートが目前に迫った時、十輪寺はモビーに命じる。

「船員を吐き出すんだ!ボートに乗るように!」

それを待っていた、とでも言わんばかりに一行が乗るボートとは違うものに白鯨は口から船員を一気に吐き出した。……そして、モビー・ディックは限界だというようにふっと消えた。それとともにまた十輪寺の意識も暗転していった。

 

 

「…全身を軽く火傷しておる。これくらいなら治療は簡単じゃろうが跡は残るやもしれん。」

2隻のボートが離れることなく海上を漂う中、ジョセフは気絶した十輪寺を抱えながらそう言った。あの後ボロボロに姿を変えた貨物船は跡形もなく小型船に変わり、流されていった。猿がどうなったかは言う必要もあるまい。十輪寺に助けられた船員たちは訳も分からず、といった様子で順々に目を覚ましているが肝心の彼女はまだ起きない。

「…この子、無茶をしすぎだぜ…よりによって爆弾起動させるなんて。」

ポルナレフがぼそりと呟く。それに伴って一同には沈黙が流れた。船頭達はできる限りの範囲で潮流を見てボートを操作し救助を待っている。

「助けられたのは事実。船員たちも皆無事だ。…だが、これ以上は。」

一同の懸念は、十輪寺の過剰な自己犠牲に終始していた。

 

 

彼女が目を覚ましたと同時にシンガポール行きの漁船に救助されたのは、実に2時間後の事だった。



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鯨の中の星の海

シンガポールは快晴で雲が遠くに美しく見え映えているが、十輪寺の心はどんよりと雲に覆われて今にも雨が降り出しそうな状態だった。

話は救助されて病院に運ばれた時に戻る。旅の一同、皆大小さまざまに傷を負い手当てを受けていた。中でも一番の負傷だったのは十輪寺だった。モビー・ディックの口の中に退避したとはいえその身は軽いやけどを広範囲に被った。これだけならば自身の波紋ですぐに跡形もなく治るだろう。十輪寺はそう高をくくって平然としていたが他の皆は違った。――年端も行かない女子に傷跡を残すことになるのを良しとしなかったのだ。

『これからの旅はより過酷になると考えられる。君はもうここで日本に帰った方がいい。』

ジョセフとアヴドゥルからそう告げられた時、十輪寺は硬直して動けなかった。言い返そうと思ったが咄嗟に言葉が出なかったのだ。戦力外通告をされたわけではない。純粋に心配してもらっているのだと頭ではわかっていてもショックを隠し切れなかった。

(私は、どうしたいんだろう。)

十輪寺は思い悩みながらホテルへの道筋を皆の後方につきながらとぼとぼと歩く。結局のところ夢に見る事象を起こしたくないからということに終始するのだが、このペースで行ったら本当に十輪寺自身の身が持たなくなるかもしれない。それがイコール仲間の足を引っ張ることにつながると考えると、離脱も視野に入れるべきなのだろうか。それともいっそ夢の話を正直に話して対処してもらうのが一番だろうか。信じてもらえるだろうか。

十輪寺の心の暗雲は晴れそうもなかった。

 

 

 ***

 

 

「となると十輪寺とその子でもう1部屋…ポルナレフだけ1人になるが構わんか?」

「なあに、1人部屋の方が快適だぜ!」

シンガポールの高級ホテルでジョセフがチェックインするのを尻目に、十輪寺は浮かない顔で少女の方をちらりと見やる。父親と待ち合わせしていると言っていたが、どうもこれは家出なのではなかろうかと思う。

(なんか、私と変わらないのかもしれない…気持ちは正反対だけど。)

病院でのことはとりあえず今は一旦保留になっている。十輪寺の処遇はもめること間違いなしだからだ。ここで折れるほうが皆のためなのだろうかと思いつつ、ルームキーを受け取る。

「こっちだよ。」

アンの手を取りながら一緒に部屋を目指していると、彼女は興味津々といった感じに声をかけてきた。

「ねェお姉さん、JOJOや花京院さんとはおんなじ学校なの?普段の2人ってどんな感じ?」

「うーん…詳しく知らないんだよね。空条先輩は学年違うし、花京院さんは転校生だし。」

「そうなの?じゃあなんで旅してるんだ?」

その言葉に一瞬返答に詰まる。どこまで話していいのやら。

「ええと…ごめんね、私からは。ジョースターさんに聞いてね。」

どのみちジョセフにはっきりと同行を許さないと言われてしまったら十輪寺はここで離れることになるのだ。うかつなことは話せない。曖昧な答えにそっか、と答えたきり少女はホテルの内装の方を見ることに意識を移したようだ。部屋に到着して鍵を開けると歓声を上げてベッドに飛び込んでいく。その様子を上の空で見ながら十輪寺は考える。

(そう。何も知らない。私は皆のことを何も知らないけど、助けたいんだ。)

だが結果さえ知っていれば皆自身で身を守れるのではないか。自分は特別スタンドバトルに秀でているわけではない。感情は堂々巡りだった。

 

 

「…わしはこれ以上傷つくのは見ておれんのじゃ。あの子はわしの戦友の妹の孫。戦いの場にそもそも巻き込みたくなかった。」

十輪寺がアンとともに部屋に入っていった同刻、承太郎たちは一旦ジョセフたちの部屋に来て話をしていた。……十輪寺の処遇についてだ。

「彼女はあまりにも無茶をしすぎている。それが気になるのです。何が原因やら…」

アヴドゥルが悩ましげに腕を組みながら言う。ちなみにポルナレフはさっさと休みたいと1人部屋に向かって行ったのでこの場にいない。

承太郎が口を開く。

「…何か隠しているのは確実だ。いまいち信用に欠ける。」

その言葉にジョセフがつっかかった。

「なんじゃと!確かにあの子が動いた時に何かが起こるが、どれも人の命を救っておる!」

「だが飛行機は墜落したぜ。」

「…十輪寺は一体、何があってこの旅について来たがっているのでしょう。」

皆思い悩む中、花京院だけはじっとその様子を黙って観察していた。

 

 

 ***

 

 

『ジョースターさん!俺の部屋にスタンド使いが潜んでいやがった!油断するな…いきなり足を切られたんだ!』

ポルナレフからの電話を受け取ったのは丁度皆が無言になって考えていた時だった。アヴドゥルが呟く。

「悪魔の暗示のデーボ…。呪術師の触れ込みで商売する殺し屋です。自分を痛めつけさせて恨みのパワーでスタンドを操るのです。」

「…対策を練る必要があるな。5分後にポルナレフが来るということだから十輪寺にも連絡してこちらに来てもらおう。」

「来させていいのか。」

「1人にしておいてデーボの術中にはめるほうが良くない。私もジョースターさんに賛成です。」

皆の意見は十輪寺の処遇よりも先に、現れた敵の対処に変わった。ジョセフが受話器を握って十輪寺に連絡を取った。

 

 

「…わかりました。そちらに向かいます。」

ポルナレフが敵襲にあった。その連絡を受けて十輪寺は受話器を置いてすぐにアンに向き合う。

「ごめんね、呼ばれちゃった。ちょっとこの場を離れるから誰が来ても開けないようにしてね。」

「えー!あたしも行きたい!」

「…危ないことなんだ。ごめん。」

有無を言わさぬよう彼女ははっきりと伝え、鍵を持って部屋を出る。少なくともこの一般人の少女を巻き込むわけにはいかない。ここで離れるかもしれない自分が思うのも難だが、安全圏にいてもらわないと困る。……そして十輪寺だけ呼ばれたということはスタンド使い単独では危険ということだ。

(…ポルナレフさん、大丈夫かなあ。怪我してるみたいだし、合流して連れて行こう。)

そして十輪寺は豪奢な廊下を抜けてエレベーターに乗った。隣には救急箱を持ったボーイがいる。

(あら?もしかして…)

ふいとエレベーターの番号を見ると9階が押されている。ポルナレフの階だ。おそらく彼に頼まれでもしたのだろう。ということは敵はもう逃げ去った後なのか。

(…なんか不自然だなあ。怪我をさせておいて一旦引くなんて。何もないといいけど…)

ボーイに声をかけて救急箱を預かってしまおうかとも思ったが、その決定をする前にポーンと音が鳴って扉が開いた。ボーイが一礼して先を促す。それに礼を返して十輪寺は廊下に出た。後に続いたボーイは迷わず角を曲がり指定された部屋に向かって行く。十輪寺がフロアマップを見ると丁度それはポルナレフの部屋の方角だった。

(やっぱりポルナレフさんの所か。)

十輪寺はボーイの後についてその部屋に向かうことにする。救急箱は無用と化すかもしれないがまあご愛嬌というものだ。そう軽く考えていると。

「来るなァー!!殺されるぞ!!」

ポルナレフの声。そう認識した瞬間十輪寺は慌てて駆け出していた。彼はまだ敵襲にあっている。ならばあのボーイも危ない。幸いボーイとの距離は離れていない。

「ど、どうしたのです!これは!」

ボーイが悲鳴に近い声を上げて部屋に入りそうになる。まずい、と判断して十輪寺は手を伸ばした。

「入っちゃだめ!!」

急に後ろから叫ばれてボーイはびくりと振り返って止まる。それを見逃さす十輪寺はボーイの手をガッと掴み思いっきり廊下に引っ張り出した。瞬間、ひゅっと何かが空を繰る音がする。それを、十輪寺は見てしまった。

人形だった。人形が刃物を思い切り振り下ろしていた。

「!!」

「ちっ…逃がしたか!」

人形がしゃべっている。ボーイを引っ張った影響で2人して倒れこむ寸前、人形はまた一撃を繰り出そうとしてきた。十輪寺は咄嗟にモビー・ディックの一部を出現させて斬撃を防ぐ。オール型のひれに当たった。そのフィードバックで十輪寺の腕がぱくっと切れる。

十輪寺たちはしりもちをつく。それに怯まず彼女は白鯨に人形が部屋に向かうよう弾き飛ばさせた。白鯨は難なくそれをこなし、さすがの勢いに人形は室内に吹っ飛んでいった。

「ぎぎぎ!!」

「ひっ…ひぃ…!」

これでボーイは人形を見ていないはずだ。部屋の惨状に気を取られただけだろう。

「下がってて!危険だッ!!とりあえず誰か人を!!」

「は、はいィ!!」

人を呼ばせるのはリスキーだが、この場を収めるためには致し方ない。そう判断して十輪寺はボーイを走らせた。つまりタイムリミットだ。人が来る前にこの状況をどうにか収めなければならない。十輪寺は再び部屋に目をやるとポルナレフに向かって叫んだ。

「ポルナレフさん!どこですか!今助けます!!」

白鯨にマフラーを取り出させながら訊くと。

「その声はユイ!ベッドの下だ!!だが無理するなよ、敵はちいせえ人形だ!!」

彼の言葉を聞きながら彼女はベッドに駆け寄っていた。ベッドの下にポルナレフがいるというのなら、浮かせてしまえばいい。そんなの白鯨にはお茶の子さいさいだった。

「モビー、ベッドを咥えて!人形は私が防ぐ!」

再び奇声を上げて人形が槍を振り回しながら跳んでくる。その動きは弾丸のようで捌き切れるかはわからない。だが十輪寺はその場を動かず波紋の呼吸を整えた。そしてそのまま跳躍する人形目がけてマフラーを振りかぶる。

(一発だ!一発足止めすればいい!)

波紋を帯びたマフラーは人形に触れた瞬間その動きを変えた。ぎゅるりと人形の腕と胴を拘束する。

「な、なにぃ!?なんだこれは…!」

「ご対面…ってところかな?」

一瞬の隙だった。マフラーのせいで相手が動きを止めた瞬間に白鯨はベッドを浮かせた。そしてチャリオッツはポルナレフの手足のコードを切断したのだ。

と、なれば。

「メルシー、あとは任せな。ユイ。」

 

 

ホテルに敵の、呪いのデーボの断末魔が響き渡るのに少しの時間もかからなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

悪魔が残した痕跡は、ジョースター一行の足止めをするには十分な威力を持っていた。

ポルナレフの部屋の荒れ様とトイレでの不審死体、そして生き残ったホテルマンの証言から彼は事件に巻き込まれた被害者として事情聴取されることになったのだ。勿論その場に居合わせた十輪寺もである。とはいえもう時刻は夕方。現場の調査のほうが先なので、と警官に伝えられた2人は、ひとまずジョセフとアヴドゥルの部屋に向かった。

「…ったく!災難なもんだぜ〜」

怪我もしたというのに災難の一言で済ませる彼に内心舌を巻きながらも彼女もそうですね、と相づちをうった。

「…なんか敵に筒抜けな気がする。どういうことなのでしょう。」

「だな。ま、でもい〜んじゃねぇの?襲ってくるってんなら片っ端から倒すだけよ!」

パシっと手と拳を突き合わせてポルナレフは気楽に言う。半分呆れながらも、彼の強さと機転ならば何となく問題なく切り抜けられそうな気がして十輪寺は思わず笑顔になる。

「なんだよユイ〜?」 

「いいえ?」

怪訝そうに十輪寺を見たポルナレフは、「そうだ!」と彼女に向き直る。

「駆けつけてくれて本当に感謝してるぜ…!おかげでヨケーな怪我をせずに済んだ。ありがとよ、女神サマ。」

ニカッと気持ちのいい笑顔。そして、あくまで「ヨケーな怪我をせず」な所に、十輪寺はさらに笑みを深くした。

「どういたしまして。…女神にしては血気盛んですけれど。」

「何言ってんだ!昔から勝利と正義の神サマは女と相場が決まってる。」

ぽん、と十輪寺の肩に手を置いたポルナレフは笑顔の中に真剣さを込めた瞳で言った。

「もっと胸を張って自分を誇ってやれ。…お前は、強くて優しい良い奴なんだから。」

どこか諭すような色を含んだ言葉に思わず呆けると、今度はバシッと背を叩いてポルナレフは先に進む。

「だからって無理だけはするなよ!なんかあったら遠慮せずみんなを頼れ。…お前は決して、独りじゃないぜ。」

ひらひら手を降って先を歩くポルナレフ。一瞬呆然とした十輪寺は慌てて小走りに彼の横につく。

(…まるで、見透かされているようだ。)

十輪寺は思う。自身の中でずっと凝り固まっていた思いが、思考の前面に現れていた。

(未来がわかるなんてズルをしている時点で、私は、強くなんてないのに。)

 

 

大惨事となったポルナレフの部屋はもちろん使えない。ホテル側の好意で別室を用意してもらったが……あんなことがあった後では流石に単独で泊まるのはまずいとなり、彼は結局ジョセフたちの部屋の備え付けベッドを利用することになった。

部屋割的にアンと一緒の十輪寺はほぼ単独という状況になるが、彼女はアンに悟られ、結果巻き込むことになるのもまずいと話す。

「あくまで彼女は一般人です。今1人にするのもまずいし…かと言って、男性と一緒も嫌がりそうですし。」

「…まぁ、そうじゃよなぁ。というか十輪寺、お前さんはあくまで彼女を理由にするんじゃな。」

「あ、私は同室でも別に構いませんから。」

「わしらが困るんじゃて…」

「…本当に大丈夫か?」

ポルナレフが心配そうに言うのに、十輪寺は困ったような笑みを浮かべて返答した。

「何かあったら交戦せず、いの一番にこちらに逃げ込みますよ。…大丈夫。モビーならば壁を突き破るくらいはわけないです。」

「大胆だな!?」

「私だけじゃない、アンちゃんの命もかかってますから…」

ではおやすみなさいと十輪寺は部屋を出ていった。

ポルナレフが思わず「本当に突き破ると思う?」と誰にとも無く尋ねると、「…思う」とこれまた誰ともなく即、返事が飛んだ。

 

 

 ***

 

 

――夜、彼はふと目を覚ます。今日の件があったせいか、いまいち警戒心が解けず眠りにつけなかったようだ。

隣のベッドに眠る男はきちんと寝息を立てている。起こさないようにそろそろとベッドを抜け出して消灯台の電子時計をちらりと見る。時刻は2時に近づくかというところ。

半端な時間に起きてしまったな、と内心ため息をつきながら少し風でも浴びようかとベランダに向かう。

音を立てずに外に出た彼は、空を見上げた。貨物船に衝突された後に見たものよりは星の見えない夜空。街の方はまだ明かりが灯っており、そちらのほうがよほど星空にも見える。

ふう、と彼が一息ついてホテルのプールに目をおろした時。視界の端に、見覚えのある尾びれが映りこんだ。

はっと息をのんで目で追う。……十輪寺の、ネイビー・モビー・ディックが悠々と階下のベランダすぐ近くを漂っている。まさか何かあったのかと身構え彼は白鯨を見た。……が、しばらく見ていても、その巨大なスタンドはただその場に漂っているのみで動きはない。

眠れていないだけか?と彼は一旦安堵するが、スタンドはいるのに十輪寺の姿はいくら目を凝らしても見つからないことに違和感を持つ。緊急性はないだろうが……と、思いつつも、恐る恐る、彼は鯨に小さく声を掛けた。

「…十輪寺?」

ふと、白鯨がこちらを見たような気がした。いや、見たのだろう。白鯨は、おもむろに鰭で宙をかき浮上してきた。その不自然さに、え、と彼は思わず声を上げる。ネイビー・モビー・ディックの射程距離はスタープラチナよりも短く、十輪寺のすぐ隣にしかいることができないはず。白鯨の上に十輪寺の姿はない。ならば口の中だろうか、と貨物船事件の際の様子を思い出して彼は考える。だが、それも違った。ゆるゆると目前に来た白鯨は大きな口を開いた。……そこに、十輪寺の姿はない。

呆然と、口を開けたモビー・ディックを見つめる。……彼女は何処だ?スタンドだけが動き出すなんてこと、ありえるのか?

彼はしばらく白鯨の前に立ったまま動けずにいた。物言わぬ鯨は、ただ口を開けたまま、まるで待ち構えているかのようにその場を浮遊する。しばらくして、彼の中に1つの可能性が浮かんだ。思わず彼は白鯨に問いかける。

「…まさか、奥にいるのか?」

ネイビー・モビー・ディックの能力。その口を介してものを出し入れする能力は、彼女自身にも適応されるのか。

白鯨は何も答えない。ただじっと、彼の前に漂っていた。

まるで。と彼は思う。

(まるで入れと言っているかのようだ…)

意を決して彼は柵を超え、白鯨の口の中にその身を入れた。

白鯨が口を閉じる。後方からの光が狭まるとともに、前方に窓でも開くかのように、別の光景が現れ始めた。

 

 

え、と呆然と彼は突っ立ったまま息をもらした。

そこには満点の天の川が見える星空があった。そして、まるで鏡のようにそれを映しこむ先の見えない一面の紺色の凪いだ海。

ふと足元に目をやると木の板組が目に入る。彼はこの場所が船の甲板なのだと理解した。

(これは、一体…?)

彼があたりをぐるり、と見回したときだった。ちょうど彼の背後に海の先をみるように、椅子にぽつんと座った後ろ姿がある。

見覚えのあるその姿に、呆然と彼は呟いた。

「……十輪寺?」

彼女はつぶやきを耳にして、飛び上がらんばかりに驚き彼の方を振り返った。

「…花京院さん!?」

 

 

静寂しかないはずのこの空間で、予期せぬ声が聞こえたことに十輪寺は驚愕しながら振り返った。

視線の先で、確かに立ってこちらを呆然と見つめているのは花京院だった。

「…花京院さん!?」

十輪寺は思わず叫ぶようにして声を漏らす。その語気に花京院はビクリと身を引く。その様子にハッとした十輪寺は、うろたえながらしどろもどろに声を上げた理由を説明する。

「あっ。い、いや、ごめんなさい…!まさかここに誰か来るとは思わなくて。」

今までここに入った者……正確に言うと十輪寺が入れた者以外、誰もこの空間には彼女の意識外では立ち入ることはなかったのだ。あまりに狼狽する十輪寺に、花京院も慌てて言葉を返す。

「いえ…こちらこそすみません。君がいないのにモビー・ディックだけが居たものだから…僕のそばに来て口を開けたので、まさかと思って。」

その言葉に、え、と十輪寺は目を丸くした。

「……モビーが?」

呆然と彼に問い返すと、困惑した面持ちの花京院はええ、と頷く。

「…その。すまない。いきなり立ち入ったりして…」

「あ、いえ違うんです…!」

彼を非難する意図はないのだと慌てて否定した十輪寺は、ふとどこか寂しげな表情をして笑った。

「……そう、ですか。モビーが…。心配させてしまったのかな。」

「心配?」

その言葉に、少し違和感を持った花京院は問い返す。

「まるで、スタンドが勝手に僕を呼んだみたいですが…」

その言葉に彼女は怪訝とした表情をして返す。

「え?ええ、そうです…。彼女は、私の意思で動かしてるわけじゃあないですから…」

今度は花京院が目を丸くする番だった。

「そうなのかい?確かにハイエロファントも予期せぬ動きをすることもあるが…」

「…スタンドにも、色々なものがいるらしいですね。」

苦笑して彼女は下を向いた。……会話が、途切れる。それを良しとしないのか、十輪寺は誤魔化すように笑って言葉を続けた。

「ここで誰かと話すことが出来るとは思ってなかったな…。スタンド使いは、普通に立ち入れるんですね。」

見てください、と彼女は左の方を指し示す。花京院がそちらを見ると、やや離れたところに毛布にくるまって寝ている人影が見えた。――あの家出少女だ。

「あれは…」

「普通の人は、ここに入ると眠ってしまうようなんです。入った瞬間も覚えていない。…このあいだはそれを利用して船員たちを助けたのです。」

彼女は取り繕うように作り笑いを浮かべた。

「ここが何処なのかは私にも分からないけれど…。これがモビーの本当の能力です。異空間にものを留めておく能力。タワー・オブ・グレーでは失敗したから、スタンドには破られてしまうようだけど…」

「…何故、今まで黙っていたんです?」

責める意図はなく、純粋に気になった花京院は努めて穏やかに問う。

「…。さっき言ったとおり、私以外誰も見ることはないと思ってたから。」

十輪寺は髪を掻き上げながら答えた。……花京院は、思う。

(…嘘だ。僕たちを信頼しきれていないからだ。)

なんとなく今までの関わりから、花京院は十輪寺が皆に対して壁を作りたがっているのは察していた。そして、それが皆に潜在的な不信感を抱かせている。

昼間のことを思い出し、花京院は眉根を寄せる。承太郎は十輪寺を信頼しきれない、と言っていた。だが、その表情はどこか苦渋が隠れてて。……彼女を信じたいのだ。命を張って誰かを助けるその様はどう考えても『善』のもの。たとえそれがまるで知っていたかの様に不自然なものでも、必死に戦う彼女の姿は間違い様もなく、疑う心を責め立てる。

(…このままでは。)

花京院はずっと危惧していた。彼女の存在が、仲間の和を僅かに乱し始めている。仲間を信頼しきれていなければ、この旅は恐らく最悪の事態を招くのではないか、と。

(そして…一番信用されていないのはきっと僕だ。)

ずっと前から感じていたこと。ふとした時に十輪寺からなんとも読み難い視線を感じることがあった。目を合わせると曖昧に笑って誤魔化されるか逸らされる視線。

出会いが最悪だったのだから当然だ、と言い聞かせては来たものの、このまま旅を続けるのはチームとして問題だとわかっていた。

(……今、話さねば。)

花京院は自身が向けられたくない言葉をも受け止める覚悟をして、十輪寺の方に歩み寄っていった。



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ひとりぼっちだったはずの夜

きィ、きィ、と音を立てて甲板の木がなく。花京院は十輪寺に近づいて行った。

「…隣、座ってもいいですか。」

十輪寺の瞳が僅かに警戒するように揺れたが、ええ、と彼女ははにかんで答える。

遠慮することなく、花京院は彼女の隣の椅子に腰を下ろす。しばらくの沈黙の後、彼は十輪寺に言葉をかけた。

「…僕のことは、信頼できないですか。」

はっと身じろぎする十輪寺を無視して、彼は続ける。

「それどころか皆も。…あなたは、僕たちに対して壁を作っている。何か話したくないことを抱えているのではないですか?」

十輪寺はこちらを見ない。ただ、自分の手元を見てうつむいている。

「今まであなたは何人もの命を救った。…まるで、分かっていたかのように。皆、それを訝しんでいます。」

花京院の言葉は、この空間に静かに響く。

「けれど同じくらい、皆あなたを信じたがっている。…僕はあなたにあんな酷い仕打ちをした。だから、僕のことは疑っていて構わない。…けれど」

自分の心を、誇りをえぐられる心地を持ちながらも、花京院は言い切った。

「皆のことは、信じてあげてほしい。…誰かに、話してほしいんだ。僕は、秘密を抱えたままなのは嫌なんだ。」

 

 

 ***

 

 

寄せては返す波の音。沈黙の降りた星空の下には、ただ静かな波だけが規則的な潮騒を繰り返す。

沈黙の中、花京院は彼女の言葉を待った。どんな言葉であれ、受け止めるまでは引く気はなかった。

……幾ばく経っただろうか。迷い、迷いに。十輪寺が口を開いた。

「…花京院さんは、ハイエロファントは生まれた時からいたの?」

一見して全く関係のないような話。だが彼女がこの後に及んで話をそらすことなどありえないと確信した花京院は質問に答えた。

「…ええ。物心ついた時には手足と一緒で、ずっと側にありました。」

そっか、と彼女は息をついた。

そしてややあって、意を決したように海を見据え、語り出した。

「私は、5歳の時からです。…忘れもしない、50日の高熱で苦しんだ…あの後から。」

はっと、花京院は息を呑んだ。

「…まさか」

「ホリィさんの病床で言った、「1人だけ助かった人間」…あれは、私なんです。」

ぎこちなく微笑んだ彼女はその身を抱きしめるかのように腕をぐっと握りしめる。

「幸か不幸か…。生まれつき、波紋の素質があった私は、昏睡状態に陥りませんでした。」

うんと頷いて、花京院は無言で彼女の話を聴いている。決して急かすことないその様子に彼女も少しずつ、考えをまとめながら話を続ける。

「でも…熱に浮かされる中、私が経験したのはそれだけじゃあなかった。」

十輪寺はぐっと、痛くなるほど腕を握りしめた。

「…両親が、車に乗って…事故にあい、焼かれる夢、でした。」

え、と、思わず花京院は息を漏らす。そのときになって、ようやっと彼をちらりと見た彼女は、悲しげな硬い笑顔を浮かべていた。

「…発症して50日目。危なくなった私を別の病院に送るため……両親は、車に乗り込みました。」

「まさか…!」

花京院は狼狽して身を乗り出した。十輪寺はそんな彼を見て……フッ、といきなり柔らかい笑みを浮かべた。

「なぁんて、ね!」

「……は?」

唖然として彼がぽかんとする中、彼女はクスクスと笑いだした。

「花京院さん、今私の両親が大怪我したって思ったでしょ?まさか、何事もなく健在ですよ。」

あっけに取られる彼を前に、彼女は心底おかしい、という様子で笑う。花京院はハッとして、思わず言い返した。

「ならば思わせぶりに言わないでくださいよ…ッ!…全く、紛らわしい。」

「ふふっ…。ごめんなさい。」

笑顔のまま彼女は謝る。……だが、その笑顔にまた、先程の悲しげな色が混じった。

「…ですがね。本当に、事故は起きたんですよ。」

彼女の表情の変化と語られた内容に、花京院は怒りの穂先を引っ込めた。それで、と先を促す。

「相手車両の脇見運転だった。…その瞬間が、スローモーションに見えたのもはっきりと憶えてます。」

そして、と彼女は海の方を見た。

「父さんと母さんを助けなきゃ、と思ったその時に、モビーが助けてくれたんです。」

あ、と花京院は目を見張った。

「…スタンドは、強い精神力の具現化。」

「そう。あの一瞬で私は何も考えずに2人の手を掴んだ。…モビーは私ごと飲み込んだんです。」

花京院は絶句するよりほか無い。申し訳なさそうに十輪寺は眉を寄せる。

「…ごめんなさい。この話をおいては先を話せなくて。…皆さんが疑っていた、「わかっていたかのような行動」の確信に触れるには。」

花京院に向き直って、十輪寺は息を整える。まるで覚悟を決めるような彼女の様子に、花京院も真剣な面持ちで言葉を待った。とつとつと、彼女は語り始めた。

「その後嘘のように私は回復していきました。モビーという分身も得た。…けれど、それと同時に、私には「戦う」目的も生まれたのです。」

息を整えて、十輪寺は花京院の目をまっすぐ見て、言った。

「…私は、「夢」を見るようになった。それも、「その人が大怪我する様を見せつけられる」ような悪夢を。」

 

 

 ***

 

 

……呆然と、彼女の話を反芻する。

「それは、つまり…予知夢。」

こくり、と彼女は頷いた。その目はなにか恐れている様に揺れていて。

にわかには信じられないような話だ、と咄嗟に思った。ファンタジーやメルヘンじゃああるまいし、と。

だが。もしそうだとしたら。

(今までのすべてに、辻褄が合うじゃあないか。)

パズルのピースがパチリと噛み合うように、すんなりと合点がいった。

僕の正体に気が付き尾行していたこと。保健室でいち早く僕の凶行を止めたこと。空条邸での異変に真っ先に現れ対処したこと。タワー・オブ・グレーを欺いて乗客を助けたこと。船内の爆弾を全て解除したこと。船員を貨物船から守り抜いたこと。

すべて事前に見ていたのだ。彼女は。

彼女の目をそろそろと見返せば、彼女は未だ怯えたような硬い表情で。ああ、と何となく僕は察する。

(この目は、何度も疑われてきた人の目だ。)

息を呑みこんでから、僕はなんとか、言葉を返した。

「分かった…。話してくれて、ありがとう。」

僅かに彼女の表情が歪む。どこかすがるような表情がすべてを物語っていた。

「信じるよ。」

何も意識することもなく、僕はそう言っていた。

 

 

 ***

 

 

信じる。その言葉を聞いて、十輪寺は自分の中の張り詰めていた何かが音を立てて切れたのを感じた。文字通りすっと体から力が抜ける。

「…本当に?」

ポツリと確かめるように呟かれた言葉は震えていた。

「ああ」

力強く頷かれた肯定に、何かが溢れてくる。

「…気味悪いだとか、ない?」

「それは思ってもみなかったな…。言われたことがあるんですか?」

と、花京院は問い返したが……答えを待つ前に、慌てたように十輪寺に手を伸ばす。彼女にはその姿は何故かぼやけてよく分からなかった。

「十輪寺?大丈夫かい?」

「……あり、が、と…」

感謝の言葉は嗚咽にまぎれて途切れ途切れになってしまった。

星空の下で、しゃくりあげる声が響いていた。花京院は何も言わずただ十輪寺の背を優しくさすっている。

しばらくした後、段々と泣き声が収まってくる。呼吸を整えぐっと目を拭った十輪寺は、改めて花京院に向き直った。

「取り乱してすみません…。ありがとう…」

「いいえ。…今まで、信じてもらえなかったのかい?」

おずおずと尋ねられた言葉に十輪寺は頭を振る。

「そうじゃ、ないんです。両親も信じてくれてる。…でも、やっぱり両親が困ってるのが伝わってくる。」

ふっと、彼女は笑った。今までにない、どこか晴れやかな笑顔だった。

「なんででしょう?あなたの信じるで、ホッとした。」

「…わかる気がする。ただ受け止めてほしかったんだろう?」

ふと、花京院は自身の法皇が周りの誰にも見えないと気づいたときのことを思い出していた。…そんなものはいない、と言われてから後、ひた隠しにしていた苦い思い。

「そっか。…そうか。」

うんうんと頷いた十輪寺は、改めてありがとうと返す。それにまた気にしないでくれ、と花京院も笑い返す。

花京院は彼女の笑顔に、自分が懸念していた負の感情が実はまったくなかったことを悟り安堵していた。……しかし、それなら、とも心の端で思う。それなら、なぜ彼女はあんな視線を自分に向けていたのか。

(…まさか)

そう思った瞬間おもむろに、十輪寺が話し出す。

「…この際だから、聞いてもらっても、いいですか」

内心ビクリとしながらも彼はなんだい、と返した。

「…私の夢には…法則性があるんです。」

予想していた言葉とは違い、一旦安堵を覚えた花京院は「法則性…?」と聞き返す。うん、と頷いて、困ったように彼女は続ける。

「見る夢は必ず未来の不幸…」

瞳に悲しげな色が宿る。だが、言葉は淡々と、まるで自分に言い聞かせるかのように発される。

「でもそれは…。私が動くことでひっくり返せる運命なんだ…と、思う。」

運命、と花京院は反芻する。

「そう。病気とかどうにもならない事ではないんです。」

「…まるで、君に動けと誰かが下しているような…」

その言葉に全くだ、と十輪寺も頷いた。

「少しずつ違うけど…ほぼ、夢の事はそのまま起こる。…たちの悪い未来予知、ですね。」

暗い面持ちの十輪寺は海を見る。暗夜の海は、ただ紺色だ。「他にもあったんです」と彼女は続ける。

「例えば一回しか見ないとか、見る時間はだいたい決まって2時頃…この時間とか…」

言って彼女は顔をしかめて花京院の方を見た。

「…今はその法則が崩れています。ちょうどあなたたちに出会う3日ほど前から。違う夢を2つ見たり、昼にふと眠った時に早送りのように見ることがあったり。…同じ場面を繰り返すものも、ね」

だから旅についてきた……嫌な感じがするのです。そう締めくくって彼女はまた海の方を見て押し黙った。その横顔は厳しく、悩んでいるようにも見える。

「そうでしたか」と花京院もポツリと言ったあと、同じように海に視線を移す。2人の間に沈黙が降りたが2人とも取り繕うこともなく、ただ各々物思いにふけっていた。

 

 

彼女の話を自身の中で噛み砕いていた花京院は、ふと感じた疑問を口にした。

「…十輪寺。例えば、つまり…保健室で僕は本当は彼の目を貫いていたし、あの船は爆破されていたってことですよね。」

「…多分。」

苦々しい思いをしながら花京院が尋ねると、十輪寺は頷く。何もしなければ十輪寺が見たとおりの展開になっていたのは、ほぼ間違いない。ならば、と花京院は尋ねた。

「ならば…夢の中では、君はどう動いているんだい?君がいるなら起こるはずがないだろう?」

その質問に、十輪寺は悲しげに微笑んで答えた。

「…花京院さんは鋭いね。……居ないんだ。」

「え?」

「夢の世界に、私は、居ないんです。」

呆然とする彼をよそに、彼女は言った。

「両親の事故のときもそうだった。…私は居なかった。」

「それは、どう、いう」

喘ぐように声を絞り出した花京院に、十輪寺は感情を込めず、ただ言った。

「夢の中では、ただ見るしかないんだ。見ることしか、できないんだ。」

「……」

花京院は、その悪夢のどうしようもない不可解さと残酷さに絶句する。

(…目の前で起きる凶行を…ただ、見るだけ)

花京院は思う。そうしたらこの人は夢を見る度、一体どれだけ恐ろしい思いをしているのだろう。しかもその世界に自分は居ないのだ。まるで自分が異分子だと突きつけられているような。

彼の無言からその考えが伝わったのか、十輪寺は慌てて取り繕うように言う。

「心配しなくて大丈夫です…!現実に起きることを防ぐため、前向きになろうと決めました。だからこの旅についてきたし、離脱もしたくなくて。…私は皆の命を、守りたいん、だ…」

語尾はゴニョゴニョと気まずげに小さく言い、十輪寺はさっと顔を背ける。

「…驕り、でしょうか?」

「いいえ!」

咄嗟に口から否定の言葉が出る。伺うようにこちらを見返した十輪寺に、花京院は考えをまとめながら声をかける。

「…君は純粋に夢を現実にしたくないだけなんだろう?行動に移せているんだし…難しいこと考えないで、苦しむ必要は無い。」

十輪寺は目を見開いて彼を呆然と見ている。ややあって、ポツリ、と呟いた。

「…私は、ずっと「ズル」をしていると思ってたんです。」

「…ズル?」

ええ、と彼女は頷く。

「…愚痴になるから、誰にも言えなくて。」

言ってもいいですか、と恐る恐るかけられる言葉に花京院は勿論、と先を促した。

「…だって、夢で見たことは『知ってる』んですから。対処を考えるだけでいいんです。夢だって、たまたま私がそんな力をもっているだけ。…持っていなければ、きっとこんなに戦えていない。私は臆病者なんです…」

彼女の告白を花京院は黙って聞いていた。……一拍沈黙をおいてから、彼は答えた。

「…それは違うと思います。夢で見たからといって対処できるわけではない。まして、正面切って戦うなんて覚悟持っている時点で十分でしょう。」

彼女は目を丸くし、「本当にそう思っていいのか?」と、戸惑っている。花京院は思う。

(…これは厳しく一言添えておいたほうがいいな。)

花京院は強い口調で言った。

「君のその考えは「謙遜」や「驕り」ではない。「卑屈」だ。自分を痛めつけているのは見ていて…気分のいいものじゃあない。」

ハッと十輪寺が息を呑むのを見て、花京院は語気を弱めて続けた。

「…僕は、友人や仲間なら尊敬できる人と付き合いたい。あなたのことももちろん仲間だと思いたい。身の危険を顧みず戦っている時点で十分だ。…僕が尊敬する人を、貶めないでくれ。」

 

 

 ***

 

 

星空の下、しばらく沈黙が流れた。……ようやくして、十輪寺は、ポツリと呟いた。

「……ありがとう」

泣きそうな顔を歪め、彼女は笑って答えた。

ああ、と花京院は思う。こちらの思いは、伝わった。

「やっと、腹を割って話せたというところでしょうか?」

わざとおどけた口調で花京院がいうと、十輪寺はこくこくと頷く。

「今までごめんなさい。…仲間になりたいと思ってて…でもみんなが眩しくて。…もう仲間だと認めてもらえてたんだね。」

その言葉に花京院は顔をしかめる。

「当たり前だろう。そんなこと言ったら最初敵だった僕の立場がないじゃないか。」

その言葉に思わず十輪寺は吹き出した。クスクスと本当に楽しそうに笑うのを見て、花京院は不本意に感じながらもつられて笑みが浮かんだ。

その笑みに陰りを混ぜながら彼も言う。

「…あのときは本当に申し訳なかった。操られていたことを理由にできないとポルナレフを見て思ったんだ。…腕のアザはどうですか?」

恐る恐る訊く花京院にああ、と十輪寺は明るく笑う。

「前も言いましたが、私はなんとも思ってないですよ。アザもこの通り、治ったから大丈夫。」

彼女は袖をひらりとまくって答える。その腕に法皇が残した赤アザは確かに無い。

「…なるほど。尊敬できる人、か。私もあなたを尊敬してますよ。冷静で的確。…何より、大胆不敵なくせして安心感がありますもの。」

十輪寺はコロコロと笑って最後はからかうように言った。花京院は不服そうに返す。

「なんですか、人が心配したというのに!からかわないでください。」

ごめんなさい、と十輪寺は手を振って笑う。

「…ありがとうございます。…話せて、本当に良かった。」

笑みを穏やかなものに変えて、十輪寺は言う。最後の最後で煙に巻かれたようで花京院としては面白くなかったが、彼女の様子にどこかホッとした。

 

 

 ***

 

 

「ありがとう。…もう日をまたいだけれど、また明日。」

鯨の口の中から彼女は笑って言うと自身の部屋へと降下していった。

ぼんやりと、花京院はそれを眺める。なんとなく部屋の中に戻る気も起こらずだいぶ光の消えた町並みに目をうつした。

(これで、大きな問題は解決しそうだな)

自分に話せたのだからきっと他のメンバーにも打ち明けられるだろう、と花京院は思う。

(…あのことについては、訊けなかったけれど)

夜が明けるまで、まだあともう少し。



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星屑は旅を続ける

翌朝。ジョースター一行は必然的に3グループに別れることと相なっていた。

まず警察の事情聴取を受けるポルナレフと十輪寺の2人はホテルに残る。次にインドに向かうチケットの手配を行うグループ。これはアンが「ジョジョと一緒に観光する!」と駄々をこねて聞かなかったため、必然的に承太郎が担うことになった。もう1つは財団からの報告連絡のためにとどまる係。ジョセフかアヴドゥルでないとならない。

「…と、いうわけじゃが。わしは何度かここにも来とるし…アヴドゥル、お前さんは観光に行って良いぞ。」

「親切痛み入りますが、何かあっては大事。なるべく1人にならないようお供させていただきましょう。」

いいのぉ?とのんきな声に笑ってアヴドゥルも連絡係として残ることに決めた。彼らは高校生2人に少しでも羽を伸ばしてこい、笑いかける。

「…では、お言葉に甘えまして。」

かくしてチケット調達係は承太郎、花京院、家出少女3人となったのである。

 

 

「ええ〜?まじかよ…」

がっくりとうなだれるポルナレフを見て、十輪寺は(ご愁傷さまです…)と心の中で呟いた。

警察の事情聴取は、事が事なだけにかなり詳細に証言を求められるものだった。だが、ポルナレフは気を利かせて十輪寺をうまい具合にかばった。彼女が避難しに一旦現場を離れ、犯人はその隙に廊下から逃げていったと証言したのだ。

そのため、十輪寺は多くのことを聞かれず聴取から開放されたのだが実際の被害者のポルナレフはなにやら書類やら書かなければいけないらしく署に同行しなければならなくなったのである。

「…あの、ポルナレフさん。私も一緒に行きましょうか…?」

おずおずと話しかける十輪寺にハッとしたポルナレフは、いやいやと笑いかける。

「ユイ、気にすんなよォ!お前まで来るこたァない。…どーせなら観光、楽しんできな!」

にこっと笑いかけてウインクをしポルナレフは警官の方に歩いていった。十輪寺は半分感謝、半分申し訳ない気持ちで彼らをロビーまで見送った。

 

 

(…さて、どうしようか)

ぽつねんとロビーに立ったまま、十輪寺は腕を組む。

(観光に行くにしてもジョースターさんたちに一言言わなきゃね…)

そう考えながらエレベーターに向かう。だが、昨日のことを思い出し、ふと、暗い面持ちとなってしまう。

(私は帰れって言われるんだろうな…)

夢について話さなければならないことは重々承知している。だが、昨日花京院に話したことで、思った以上に彼女は疲れてしまってもいた。信じてもらえるかわからないのは、つらい。

(…弱いなぁ。…休んでから言いにいこう。少し、眠い)

そう考え、エレベーターは自室の階のボタンを押していた。ポーンと音がなり扉が開く。フラフラとした足取りで部屋に向かった。鍵を差し込み部屋に入る。真っ先に彼女はベッドに向かっていきぼふりと倒れ込んでいた。

(…どう説明するかも考えないとな)

途端に眠気が襲ってくる。それに緩やかに抗いながら、彼女はどうしようかと頭の中でシュミレーションしていく。

その時十輪寺はふと、花京院のことを思い出した。

(花京院さんは、なんで一度で信じてくれたのかな…)

いぶかしむでも、怯えるでも、好奇心でもない――ただ、信じると笑ったその反応。

(…きいて、みたい、な)

そのまま、十輪寺はゆるゆると眠りに落ちていった。

 

 

(…置いていくことはないだろうに。)

何度めかのため息をつきながら、花京院は誰もいないプールサイドのベンチで本を片手に考えていた。

一旦部屋に忘れ物を取りに行ったそのタイミングで承太郎とアンがいなくなっていた。……彼をおいて先に行ってしまったらしい。

はぁ、とまたため息をつく。正直なところ、本の内容など頭に入らない。

(十輪寺から疑われてないとわかって安心したというのに…本当はこちらか。)

承太郎からどうでもいいと思われているのか、と花京院は少し不安になる。

(…今まで極力人付き合いを避けてきたツケがこんなところで回ってくるとは。)

こうしていても気が晴れる気がしない。部屋に戻ろうとパタン、と本を閉じて花京院は立ち上がった。

 

 

(…そういえばポルナレフたちはどうなったかな。)

エレベーター前まできた花京院は、ふとロビーの方を振り返って考える。ロビーにはまだ警官がちらほらいるのだが、彼らの姿はどこにもない。

(現場検証、というやつだろうか。あの一室にいるのかな…見てみよう。)

ポーンと音がしてエレベーターが到着した。ただ自室に戻るのもなんとなく気が向かなかった花京院は、事件があった階のボタンを自然と押していた。ふわりと花京院の分身が隣に現れる。戸が開いたなり、するりと緑の人型は封鎖エリアの中にすべりこんでいった。本体の花京院は妙な疑いを持たれないよう、ごく自然に反対方面に歩いていく。

結果として事件のあった部屋には捜査員しかおらず、ポルナレフも十輪寺もいなかった。花京院はなんだ、と少しつまらなさそうにそっとため息をつく。スルスルと法皇を引っ込めて、次はどうしようかとぼんやり考える。

(ここにも居ないとなると…聴取が終わって部屋にでも戻ったのだろうか。ポルナレフはジョースターさんたちのところだな。)

来た道を戻りエレベーターに乗り込んだ花京院は、少し考えて、ある階を選択する。

(十輪寺はなんとなく、1人でいそうな気がするな…)

昨夜のことを思い返しながら彼はエレベーターの階数表示をぼんやりと見る。昨夜の出来事は、花京院にとってはまさに夢を見ていたかのように不可思議な体験だった。朝、何食わぬ顔で皆と合流した十輪寺は花京院を特に見ることもなくポルナレフと去っていった。何も変わり映えのしないその様子が夜あったことは嘘だったのではないかと信じてしまいそうなほど自然だったのである。

(…本当は何も起きてなくて僕の夢だったりして。)

思わず苦笑いをこぼしながら、エレベーターが開くのを待つ。扉が開き、彼はコツコツと靴音を鳴らしながら彼女らの部屋に向かっていく。

(…十輪寺は、僕と一緒…いや、僕以上に孤独を感じているんだろうな。)

花京院は自身の中に秘めていた、一生続くものだと考えていた思いと向き直る。……緑の相棒が誰にも見えないと知ったとき。両親から疑いと怯えの視線を受けたとき。そんなやつはいないと同学年の子に怪訝な表情をされたとき。いつもそばに思えば法皇は現れた。緑の友達、と親しんでいたと同時に、君がいなければ、とも思ったこともある。

一生解り合える人なんていないと思い込んでいた。

(結果として、得難い縁を運んできてくれた。)

……初めて出会った同類があの忌まわしい男だったのは、正直言って反吐が出るような思いではあるが。命を救ってくれて、ともに仲間として迎えられ。……不謹慎だが今、花京院の心は満たされているのだ。だが、と彼は考える。

(予知夢と独りで戦うとは…どういうことなのだろう。きっと、寂しいことなんだろうな…)

そうこうしているうちに、花京院は十輪寺たちの部屋の前までたどり着いていた。一瞬躊躇いを感じたが、意を決して部屋の戸をノックする。

……しん、と答えすら返って来ない。

(いないのか?)

しかし何となく彼女はここにいる気がしてならない花京院は、まさか、と嫌な考えに至る。

(敵襲じゃあないだろうな…?)

嫌な考えを払拭したくなり、花京院は法皇を出現させると戸の隙間から彼をするりと滑り込ませていた。

 

 

法皇の目を通して部屋の中を見る。ドア前の廊下を抜け、角まで来る。窓側のベッドに彼女はいない。ソロリ、と角から慎重に手前のベッドの方を見た。

(…いた。)

ベッドの上には、まるで胎児のように丸くなって横になる十輪寺がいた。規則正しく静かに寝息を立てて寝入っている。周囲を見回しても特別危険な様子はなく、ただ寝ているだけだったということに花京院はホッと息をついた。

(良かった、何もなかった…。神経質でいけないな…)

十輪寺に目を戻した花京院は……このときになってようやく、自分がしていることが見つかったら言い逃れのできないなかなかにマズイことであることに気がついた。

(ていの良い覗きじゃないか…!なんてことしてるんだ自分は!)

慌てて法皇を引っ込めようとしたその時、うう……と十輪寺が呻きを上げた。さっと彼女を見るとその表情は険しくなっており、手もぎゅっと握りしめられている。しかしその目は固く閉ざされており、目が覚めたときの身じろぎではないことを物語っている。

十輪寺の表情が、段々と苦しげなものに変わってきた。……額に、冷汗が浮いているのではないか?呼吸があえぐように苦しげではないか?

咄嗟に花京院は法皇に感覚を委ね、十輪寺に呼びかけながらその肩を揺さぶった。

『十輪寺!十輪寺っ!』

呻き声がやまない。どうしよう、と焦燥にかられ始めたその時、う……と、十輪寺は一声上げ少し身じろいでから、ゆっくりとまぶたを開いた。

「……ここ、は」

ややぼんやりとした様子ではあるが荒い息はついておらず、彼女は呟く。夢の余韻を引きずっていなさそうなその様子に花京院……法皇はホッとしたように目を閉じ息をついた。

(まさか、あんなに苦しそうだとは…)

良かった……と思わずつぶやいた時、ふと、十輪寺がまじまじとこちらを見つめていることに気がつく。きょとんとし、目を見開いて法皇――花京院をじっと見ている。

あ、と、声を上げて彼は十輪寺から飛び退いて距離を取った。覗きと疑われる!と慌てて彼は釈明する。

『ち、違うんだ十輪寺!その、ノックしても反応がなかったから心配になって…ええと…!』

ぽかんとしていた十輪寺は、アワアワと泡を吹く法皇の声を聞いて、ハッとした。

「あ、花京院さん!」

慌ててベッドから転げ落ちるようにして十輪寺は立ち上がりドアの方に向かう。まずい、どうしよう、と花京院は手を上げサッとドアの前から一歩離れた。ガチャリと時を待たずしてドアが開かれる。切迫したような様子の十輪寺が顔を出し……バッと、頭を下げた。

「ごめんなさい!眠ってて気が付かなかった…!」

え、と、思わず花京院は呆然とした。頭を上げて十輪寺は慌てた様子で身振り手振りしながら続ける。

「お見苦しいところをお見せしました…!起こしてくれてありがとう。心配させてしまったようでごめんなさい…!」

下手をすると自分よりも慌てているのではないか、という彼女の様子に唖然としていた花京院は、ええと、と前置きをしてから恐る恐る尋ねる。

「…怒らないんですか?」

「え?」

心底不思議という様子の彼女に内心頭を抱えながら続ける。

「その。僕がやってたことっていわば…覗きかな、と…すみません…」

後ろめたくなり花京院は目をそらす。ポカンとそれを見ていた十輪寺は、ややあって「ああ」と笑って呟いた。

「だって花京院さんがそんな考えでするはずないでしょう?…ご心配おかけしました。」

「…それでいいのかい?」

彼女は困ったように、しかし嬉しそうに笑いかけてくる。

「心配してくれた上に、起こしてまでくれた。ありがとう。…これが下心ありなポルナレフさんとかだったら波紋をお見舞いしてるかもしれないけれど。」

言葉の最後にはニヤリと笑った冗談。今度は花京院がきょとんとする番だった、ん?と、十輪寺が首を傾げるのに「いや…」と呟く。

「…イメージが変わったというか。そんな冗談も言うんだなって。」

その言葉に十輪寺はうっと口に手をやり、申し訳なさそうに彼を見た。

「ごめんなさい。つい、馴れ馴れしくなってしまいました…。肩の荷が下りたような気がして…つい…」

至極申し訳なさそうにする十輪寺を見て、花京院は段々笑みがこみ上げてきた。

(なるほど。これが本当の君なのか。)

いいえ、と頭を横に振って花京院は声をかける。

「心を許してもらえたようで嬉しいです。…同じ学生なんだ、これくらい気楽に行きましょう?」

その言葉に、一瞬目を見張った十輪寺は嬉しそうにクスクスと笑いながら、そうですね、と彼を部屋に招き入れた。

 

 

「そうか、ポルナレフは警察に…ご愁傷さまだな…」

部屋付けのポッドでコーヒーを入れて一息つきながら、2人はのんびりと話している。

「あ、おんなじこと思ってる。…なんて、庇われた私が言っちゃいけないんだけど。」

クスクスと本当に楽しそうに十輪寺は笑う。その様子に今までかなり気を張っていたんだろうなと感じながら、花京院も笑って続けた。

「いいんじゃないですか?船で散々付き纏われてたんだ、ちょっとした罰でも当たったと思えば。」

「花京院さんてば辛辣だねぇ。アレは困ってました。」

「アヴドゥルさんなんて呆れ果ててものも言えない感じだったなぁ。」

船での一件を思い返して2人して苦笑する。お調子者を気取っているポルナレフに対して、2人とも割と容赦はしない質らしい。それでも、2人は妹の復讐に心を燃やすポルナレフの事が心配でならないほどには、既に彼のことを慕っていた。

「…ポルナレフさんのこと、どう思ってます?」

苦笑の色を変えて十輪寺が尋ねる。質問の意図を正確に読み取った花京院は心配です、と返す。

「若輩者の僕が言うべきではないが…。彼も、独り…なんでしょうね。独りで戦っている。」

コーヒーに目を落とし花京院は呟く。その様子を見ていた十輪寺はしばし黙したあと、コーヒーをすすってから言った。

「…なんとなくですけれど。あなたならどうにか出来る気がする。」

え?と花京院が十輪寺をみやると、彼女は穏やかに笑って続けた。

「花京院さんは誰よりも仲間思いです。そして皆と正面切って向き合えるだけの強さもある。…きっかけさえあればポルナレフさんも心を許すと思うな。」

今まで友人と呼べる存在も作らなかった花京院は、十輪寺の柔らかい笑みすら少し痛く感じ、すっと目をそらして自嘲する。

「…そんなこと、ないです。」

自分を卑下する花京院に、いいえ、とはっきりと十輪寺は笑って言い切った。

「大アリですよ。あなただから私も勇気をだして話せたんだし、空条先輩もあんなに気安く接しているんでしょう?」

朗らかに笑う十輪寺に、え、と花京院は目を丸くした。

「彼…あれで気安いのかい?」

……あまりにもな言い草に、十輪寺は思わず吹き出した。腹を抱えて笑う十輪寺に、あ、いや、と花京院も少し笑いながら答える。

「そういう意味じゃあないんだ。僕はあの様子が普通なんだと思っていて。他人と接するJOJOなんて見たことなかったから…」

「分かってますよ…!言い方が面白くって、つい…!」

ひとしきりけとけと笑って十輪寺は続ける。

「…私も詳しくは知らないけれど、そもそも先輩が自分から相手に話しかけに行くってことが稀だと思うなあ。ひたすら一匹狼って印象でしたから。誰かと親しげに話してるなんて見たことなかった。」

「そうだったのか…。というか、あれで親しいというのもちょっと考えものだな。」

全くだ、と頷いて十輪寺は言う。

「彼に普通に接する同年代もほとんど見たことなかったですよ?だから空条先輩もなんだかんだ嬉しかったんじゃないかなぁ。私も近寄りたくない存在だったし。」

「…まあ、確かに…あれでは、ね」

思い当たるフシのある花京院は苦笑した。見た目、家柄、雰囲気。どれを取っても近寄りがたい存在である。花京院もスタンドがなければ確実に彼から距離をおいているのは間違いない。

「話してみれば普通なんだが…」

「…普通と思えるから、花京院さんには気安いのか…」

ぼそっと納得したように十輪寺は呟く。それに苦笑して花京院は続ける。

「…今、置いてけぼりを食らっているからそうでもないと思っていたよ。」

「ああ、それ…なんか不自然ですよねぇ。よっぽどの何かがあったのかしら?」

十輪寺は不可解だと首を傾げる。どうやら本当に自分は承太郎と仲がいい部類なのだな、と花京院は内心ホッとした。

まあ、いいですよと彼は言う。

「こうして君とゆっくり話せているから。…でもなんだかすみません。十分休めてないだろう?」

それを聞いてとたんに彼女は顔をしかめた。

「…いえ、全然。むしろ感謝しています。…夢見が悪くて、しばらく寝たくない。」

とても気分転換になってるんです、と十輪寺は微笑んだ。その表情を心配そうにじっと花京院は見守る。少し沈黙が降りたあと、十輪寺は花京院を見返して、疑問をぶつけた。

「…夢の内容、訊かないんですね。」

直球な質問に、花京院は僅かに動揺する。ふ、と口に笑みをたたえて彼は返した。

「教えてくれないってことは、言いたくないんでしょう?…根掘り葉掘り聞くのは好きじゃあなくて。それに、思い返させるのも…辛いでしょうから。」

――確かにそう思っている。でも違う、と花京院は思う。

(…本当は。僕が死ぬ夢だったらどうしようと、訊けないんだ。)

十輪寺はじっと花京院を見る。ややあって、十輪寺はふと微笑んだ。

「……。優しいなぁ。嫌な未来を回避する前に、私のことを心配してくれるなんて。」

十輪寺はどこか泣きそうな顔でニコッと笑い、その後真剣味を帯びた瞳で花京院を見据えた。

「危機が迫ったら私が必ず動きます。もちろん、あなたの危機にも。…だから」

震える声で、彼女は続けた。

「だから……。頼っても、いいでしょうか。見たときは、夢のことを、話してもいいでしょうか」

彼女の声で、花京院はハッとした。夢の内容を話すということを、彼女は「巻き込む」と考えていると気がついたのだ。

「当たり前です。」

花京院は即答していた。そして、ぎこちなく笑って続けていた。

「運命を変えるなんて大仕事、独りですることはない。遠慮なく言ってくれ。」

安心させるように笑いかける。十輪寺は、泣きそうな顔で笑った。

「…ありがとう」

 

 

 

 ***

 

 

 

シンガポールの街は美しく整備されている。十輪寺と花京院の2人は道すがら今までの襲撃と夢の話をしつつ宛もなく歩いていた。気を抜くために散歩をすることになったのだ。

「…成る程。タワー・オブ・グレーの時や貨物船の時は乗客や船員が死ぬのを見て敵の力がわかった。逆に、ダークブルームーンの時は敵である船長の瀕死を予見した副産物で爆弾の存在を知った、ということか。」

花京院の要約に全くもってそうだと十輪寺はコクコク頷く。

「ええ。本当に副産物というのが的確ですね。…夢の対象者は今まで出会ったことがある人だけでした。でも対象を絞ることはできないし、勿論予知できないこともあります。」

「…飛行機の機長の死や、クレーンで殺された船員の時は夢に見なかったからわからなかった。君の行動にムラがあったのはそういう事だったのか。」

花京院は理解が早い。その言葉に暗い顔をして十輪寺は「はい」と答えた。それに対し花京院は自分を責めないでください、と返す。

「すべてが見えたなら…君はそれこそ、ただすれ違った人の運命までも背負わされる事になる。そんなの無理難題だ。むしろ、本来犠牲になるはずだった命を救えたことを誇りに思うべきです。」

嘘偽りのないはっきりした口調で肯定されたことで、十輪寺の心は幾ばくか持ち直す。ほうっと息をついて彼女は少し微笑んだ。

「…ありがとうございます。」

その様子に花京院も微笑んだ。

 

 

「…でも悩んでいるんです。このままついて行っていいのかなって。」

そういってふと彼女は表情に陰りを見せる。そのことに関しては花京院も周知しているが、ここは彼女の意思を尊重すべきなのではないかと今となっては思っていた。

「昨日の件なんですが。」

そう切り出して彼は続けた。

「別に予知夢を見たわけではないでしょう?それでも咄嗟の判断でポルナレフを助けたんだ。僕個人としては心強いと思うがね。」

そう言われて十輪寺は困惑している。花京院ははぁとため息をつきながら呆れたように言った。

「…僕は君がついてきたいなら反対はしないよ。口添えもしよう。だが、無茶なことはされたら困るってだけさ。」

「いいんですか?」

「いいも何も…僕も似たような立場ですし、君の強さは見てきて分かっている。夢のことも話すんだろう?ならば異存はないかな。」

その言葉を聞いて、十輪寺は目を丸くした。そしてぐっと手を握って強気に笑った。

「わかりました。となれば私の有用性ももっとアピールしてみましょう。」

怪訝な表情をした花京院に彼女はニヤッと笑いかける。

「モビー・ディックにいろんなものを積載してもらうんです。そうすれば旅も安全に進める。」

彼女はくるりと背を向けて市場の方へと足を向けた。その足取りは軽やかだ。

「手伝ってください、花京院さん。着替えとかテントも積んじゃいますから!」

先程とはうって変わったその表情に、花京院はあっけに取られるほかなかった。

 

 

 ***

 

 

2人がホテルに戻ったのは15時をまわる頃だった。ひとまずジョースターさんに戻ったと伝えよう、と彼らの部屋に行くと、戸をノックした途端血相を変えたアヴドゥルがいきなり顔を出す。

「なっ…!花京院!!お前、今までどこにいたんだ!?」

「えっ?」

ともすれば怒っているかのようなその様子に、思わず花京院と十輪寺は身を引く。その様子を見てアヴドゥルはハッとして謝り、2人を中に招き入れた。

中には同じく驚いた様子のジョセフと仏頂面の承太郎、その彼に抱きついて離れず花京院を凝視するアンがいた。承太郎は学ランを脱いでおり、よく見ると腕や顔にまで火傷に似た跡があるではないか。

「…あの、何か?」

嫌な予感を抱えつつ花京院は尋ねる。ジョセフとアヴドゥルは顔を見合わせ、承太郎は帽子を深く被る。

「…やれやれだぜ。こちらはテメーに散々な目に合わされたというのに、テメーはのんびりデートかよ。」

花京院はデート、という単語をわざと聞き逃しながらその若干棘を含んだ彼の不可解なジョークに問い返す。

「は?話がよくわからないんだが…」

2人は困惑した面持ちでちらりとジョセフたちをみる。コホンと咳払いをしてジョセフが答えた。

「簡単に言うと、花京院になりすましたスタンド使いに襲われたようなんじゃ。この通り倒したようじゃが。」

「えっ」

他人になりすますスタンド。その存在に花京院と十輪寺は思わず顔を見合わせた。

「ホテルから出る時にすり替わったらしい。で、今まで本物のお前がいなかったからまさか、というところだったんだぞ…?」

アヴドゥルが頬をかきながら言う。ジョセフも安心と呆れが混じったため息をついていた。花京院は思わず苦笑して事情を説明する。

「…それはなんだかすみませんでした。置いてけぼりを食らって、この通り十輪寺と合流できたので街の方に。」

彼がさっと手を向けると、十輪寺も肩をすくめて苦笑する。

「私はポルナレフさんのおかげで聴取がすぐ終わったもので。…言ってから行くべきでしたね。」

「全くそのとおりじゃ!ま、無事ならいいわい。」

ひらひらと手を振ってジョセフは言った。その後、アンが居るからかスタンドを介した言葉に切り替えてこちらを見ずにサラリと言う。

『承太郎が敵について聞き出している。ポルナレフが戻ったら会議だ。』

その言葉に皆さっと表情を引き締める。ジョセフはチラと十輪寺を見て伝える。

『十輪寺、悪いがこの少女と部屋にいてくれ。』

『…承知しました。』

その言葉に一瞬表情を硬くしたものの、ぱっとそれを柔らかいものに変えて、十輪寺は承太郎の隣につくアンに声をかける。

「大変だったね。一旦部屋に帰って休みましょう?」

穏やかな笑みの十輪寺を見てアンも険しい表情を少し緩める。が、彼女は承太郎から離れようとはしなかった。

「だ、大丈夫だよ!あたしは襲われてないし…。それにここに居たほうが皆いるじゃないか!」

アンの本音は危険から守ってくれた承太郎から離れたくない、なのだろう。それを察した十輪寺は半ば戯けて話を強引に持っていくことにする。

「あら?私を信用できない?それともやっぱり怖かった?」

「なっ…!そ、そんなわけじゃあーねぇよ…!」

まだ年端もいかない少女はちらり、と承太郎を見上げてそのズボンを握りしめる力を強くする。その様子を見て十輪寺はにまりと笑って続けた。

「じゃ、あなたを守ってくれたナイト様が付き添えばお部屋にも戻れるかな、お嬢さん。」

「!」

「おい、十輪寺てめー…」

承太郎が眉根を寄せて不服そうに言おうとするが、十輪寺はちらりと目線で黙殺する。彼の言葉を遮るように彼女は決まり!とアンの肩を叩く。

「お部屋に行きましょう?ナイト様は最後までお嬢様に付き添ってくださるんでしょ?」

にっこり笑って十輪寺は扉をクイッと指し示した。アンが引っ張るのを感じ、承太郎はハァーと長いため息をついたあと、重たい腰を上げて立ち上がった。

 

 

「……さて、花京院。悪いが詳しい話を聞かせてくれるかの?」

十輪寺たちが出ていったあと、ジョセフは花京院に向き直り、おもむろに問いかける。真剣な眼差しのそれから花京院は話の内容を悟る。

「十輪寺のことですね?」

花京院が目を細めて問うと、ジョセフとアヴドゥルは一瞬目を合わせ頷いた。アヴドゥルが言う。

「花京院、今の様子から察せたよ。…お前は彼女から何か聞き出せたのだろう?」

『何か』。それは彼女が自分から言うべきことである。どの程度まで前置きしておけば良いだろうかと考え、花京院は逡巡したあと頷いた。

「…そうか。」

アヴドゥルは目を閉じて一瞬思案したあと、彼を見据えて言った。

「お前から話さない、ということは彼女が打ち明けるのを待てということだろうか?」

その言葉に花京院はわずかに目を見開いた。はい、と頷く。

「彼女は…僕に話す時も、相当躊躇っていました。ですが時が来れば話すでしょう。そして、彼女は何が何でもこの旅についてきたいと言っている。」

一旦言葉を切って、彼は強く続けた。

「僕は彼女の意思を尊重します。十輪寺は強い。そしてもう自分独りで抱え込むこともさせません。…仲間として連れて行ってあげてください。」

その一言に、2人は顔を見合わせ沈黙した。花京院はまっすぐと2人を見る。

暫しの間をおいて、ううと唸りながらジョセフが言葉を紡いだ。

「まさかお前さんがそっちにつくとはな…。女の子なんじゃぞ。」

戦友の親類だから巻き込みたくないのが本音なのだろう。そんな煮え切らないジョセフにはっきりと花京院は返した。

「それ以前に、1人の誇り高き人間です。僕はその由縁を知りました。だから味方します。」

誇り高き。その一言を聞いてジョセフは目を見開いた。……そして、しばしののち。

「……わかった。ここは折れよう。戦士に対して生まれ云々は無礼に当たるな。」

ジョセフは決意を固めた瞳で花京院を見返した。

「いずれ話してくれるんじゃな?」

花京院は強く頷いた。

「はい。僕は、十輪寺を信頼しています。」

花京院の目をじっと見たあと、ジョセフはふっと笑って手を振った。

「ならば良し!お前さんが言うなら大丈夫じゃろう。ま、気にはなるがお預けというところか。」

その言葉にアヴドゥルも笑みを浮かべ頷いた。それを間近に見て、花京院は思う。

(…そうか。僕も不安だったのか。)

花京院はふと思い返す。敵として前に立った自分をどう思っているのだろう?ふとした瞬間に前はよぎっていた考えが、最近はとんとなくなっている。

(僕も、信頼されているんだ。)

花京院は今までにない満足感を得ていた。

 

 

家出少女と手をつなぎ前を歩く十輪寺の姿を見て、承太郎は考える。

(…花京院の奴。何か聞き出したようだな。)

十輪寺の態度が若干軟化したのを承太郎も感じ取っていた。そして、花京院の様子にも。

(昨日の夜か?)

早朝まだ日が白む頃合い。目が覚めたときには、ベッドに花京院の姿はなく、ベランダの戸が空いていた。承太郎がカーテンを開けると空を見る彼がいた。そういえばおはようと声をかけてくる花京院が、どこか嬉しそうだと感じていたのだ。

(…まぁ、良い。ヤツが何も言わんなら、そういうことなんだろう。)

承太郎は花京院の人となりを思い返して納得していた。十輪寺が自分から話すまで待てということなのだろう。

怜悧とはあいつのことを言うのだろう、と承太郎は花京院を評している。サポートに徹することができるほどの判断力と能力を持つというのに、時として大胆不敵な戦法を取る。最初こそ敵として良いイメージは持たなかったが、その本質は高潔で筋の通った信頼できる男である。承太郎としては特に多くを語らずとも察してくれる点も評価している。

(気になるもんだが…仕方ねェ。保留にしておいてやろう。)

やれやれだ、と独り言ちながら前ゆく女子2人の後ろをヌシヌシ歩く。彼女のその明るい笑いに、嘘は見えなかった。




2/14追記
この話だけ文章量が多くなってしまったのでラストの章を次話に改稿しました。


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インド上陸

*注意*
前話が長くなってしまったので、前話の最後の章をこちらの話に移動させています。重複ではないのでご了承ください。
もう読んだ方は後半をお楽しみいただければ幸いです。


ポルナレフが戻ったのはそれから1時間は経った頃だった。電話を受けそれぞれの部屋に散っていた高校生たちはジョセフの部屋に向かう。そして、その電話は十輪寺にも来た。

『…たった今こちらも覚悟を決めた。君にこの旅についてきてもらいたい。…良いかな?』

ジョセフの一言に内心舞い上がりつつも気を引き締めなければ、と十輪寺はアンを説き伏せて彼らの部屋に向かった。

最後に部屋に来たのは十輪寺だった。「あの子は?」とアヴドゥルの言葉に「なんとか留めてきました」と苦笑する。

「すまんの。やはり我々の戦いに巻き込むわけにはいかんし…」

「いえ。…それは彼女も薄々わかっているようです。同行はここまででしょう。」

手をひらりと振って十輪寺は皆の輪に近づく。ふと皆に見えないように笑った花京院が自分のすぐ隣に置かれた椅子を示した。十輪寺もちらと目だけで礼を言ってそこに収まる。

「お?ユイ、何か雰囲気変わったな?元気になったっていうか!」

「ありがとうございます。…で、敵に関してですが」

「ちょ…急くなァ。全く、頼もしい子だぜ。」

十輪寺の態度にめげないポルナレフに皆ため息と苦笑が漏れる。その波が去ったのちジョセフが切り出した。

「あー、敵に関してだが。…やはり、タロットの暗示を持つ者たちが控えておるようじゃ。承太郎が4~5名聞き出しておる」

その言葉にすうと皆の目が真剣味を帯びた。

「タロット…。偶然ではなく必然、か。アヴドゥルさん、残りは何人と考えられますか?」

花京院の問にアヴドゥルも頷いて答える。

「タロット通りとしたら…『女教皇』、『女帝』、『皇帝』、『恋人』、『運命の輪』、『正義』、『吊られた男』、『死神』、『太陽』、『審判』…そして『世界』の10人だ。」

10人、とジョセフは顔をしかめた。

「わんさとよって集ってメンドーだな。…今こちらに向かっているのは『女帝』『皇帝』『吊られた男』『死神』…だとよ。」

フンと息をついて承太郎が言う。十輪寺が指折り考えながら言葉を発する。

「少なくとも4人…暗示に基づいた能力なのでしょうか?」

「うむ…今までのことを考えるに、一見関係ないようだが、何か繋がる点があるやもしれない。」

アヴドゥルが首をひねりつつ答えた。……スタンド能力は対峙したそのときにならないと解らない。敵は情報網からこちらの手札はわかりきっている。

「…憶測で動くわけには行かねぇ。なんてアンフェアな戦いなんだか。」

はぁ、とため息をついたポルナレフにふと、十輪寺は気になったことをぶつけてみた。

「ポルナレフさん…それと、花京院さんも。心苦しいことをお聞きしますが…敵のことで何か覚えていることはありませんか?」

ポルナレフと花京院は顔を見合わせ、どちらも頭を振って否定する。

「…肉の芽を植えられたあと、僕はほとんど夢の中のように意識が曖昧だった…。それに、DIO以外とは顔も合わせていない。」

「オレも似たようなもんだな。すまねえ。」

「…いいえ、すみません。答えてくれてありがとう。」

場に沈黙が降りた。各々現状と敵について考えていると、おもむろに、承太郎が口を開いた。

「……1人だけ、手掛かりのある奴がいる。」

ハッとした全員の目が承太郎に向かう。だが、彼にしては珍しくどこか躊躇うように、承太郎は言葉を続けた。

「『吊られた男』だ。…鏡を使う、スタンド使いらしい。」

「鏡…」と誰かが反芻し、十輪寺は思わず部屋のドレッサーの鏡を振り返った。そこには難しい顔をした自分と皆の顔、姿が映るのみ。鏡だけではどういう性質の敵なのかがわからない。

なおも表情険しいままの承太郎。それを読み取れるものはなかなか居ないだろう。だが花京院はその彼の些細な表情から、承太郎が発言を躊躇っていることがあると見抜いていた。

「JOJO、1ついいかい。」

花京院が声をかけるとピクリと承太郎の肩が動いた。

「…君、まだ何か話していないことがあるんじゃあないか?」

さっと皆の視線が承太郎に向いた。……ややあって、ハァーと大きくため息をついた承太郎は、意外なことにある人物をきっと見据えて発言した。

「…『吊られた男』は…。ポルナレフ、おめーの妹の仇だ。」

皆が驚きに目を見開く中、ただ、ポルナレフはその目に鈍い光を宿した。

 

 

「しっかしよぉー、居ないとちょいと寂しい気もするが…。なあ、JOJO。」

シンガポール発寝台特急の食堂車。ガタガタと軽い揺れを感じながら一行は次の目的地に向かっている。ポルナレフがいつもの軽い調子で承太郎に絡むのを尻目に、アヴドゥルは1人、ポルナレフを盗み見て思案していた。

(ポルナレフ…平静を装っているが、あのときの目は復讐に燃えていた。)

あの一瞬だけカッと宿った暗い炎。それは、燃え上がるような爆発の火ではなく、グラグラと地を這うような溶岩のようなものだった。一見落ち着いて見えるが、最も火力の高い熱。

(…妹の仇、か。…もし、ポルナレフが敵と出会ったなら…。こいつは、きっとすべてを振り切って鉄砲玉のように飛んでいくんだろう…)

自分たちをも突き放して。

アヴドゥルが懸念していることも露知らず、旅の面々は談笑している。ポルナレフは例の通り十輪寺に絡み、彼女はのらくらとそれを躱す。合間に花京院が窘めるのを承太郎はただわずかに笑って眺め、ジョセフはポルナレフをからかった。

「ジョースターさん!そりゃひどいぜぇ!」

ポルナレフの気がジョセフにそれた。

「なーに言っとるんじゃ。お前のようなやつが良いように手玉に取られるんじゃよ。なぁ、アヴドゥル?」

「…全くです。少しは恥じるべきだな、ポルナレフ。」

「なんだとぉ!?エラソーにィ!!」

ポルナレフの怒りに思わず笑ってしまったことで、アヴドゥルの思案は途切れた。

 

 

ポルナレフが2人に絡んでいったことで、丁度テーブルで別れる形となる。それで花京院はそういえば、と思い出す。

「しかし…。全く、嫌な気分だな。僕そのものに化けるスタンドなんて…」

話の折に出てきていた花京院の偽物――黄の節制(イエローテンパランス)のことではぁ、と彼は溜め息をついた。

「私、ちょっと見てみたかったかも…」

ボソリとつぶやかれた十輪寺の言葉にムッと花京院は彼女を睨むが、彼女は意に返さず平然と承太郎に尋ねる。

「空条先輩…似てたんですか?」

好奇心抑えられない様子の十輪寺とどっこいな、人の悪い笑みを承太郎も浮かべた。

「まあまあ似てたぜ。ま、早い段階で似せるのをやめたのか奇行が目立ってたがな。」

「奇行…?何ですそれ、どういう」 

「十輪寺!」

妙にキラキラとした目で十輪寺が聞き出そうとしているのを花京院は一声押しとどめた。

「…JOJOも言わないでくれ。僕は、聞きたくない。」

ジトッと睨め上げる様子が物珍しく感じたのか、承太郎はさも面白そうに片眉をひょいと上げて言葉尻を突いた。

「ほお…。十輪寺、聞きたければ後で話してやる。本人は自分がいない所なら良いらしいぜ?」

「くっ…!言葉の綾だ!君、なかなかに嫌なやつだな…!」

「わかりました。では後ほど…」

「だから十輪寺っ!」

常に思慮深く周りを見ている花京院の珍しい慌てように、承太郎も十輪寺も完全に悪ノリしておちょくっていた。2人がニヤニヤと笑う中、花京院はぐぬぬと押し黙り、そっぽを向くしか残された手がない。全くもって多勢に無勢。幸いな事に一番からかってくるであろうポルナレフは向こうのテーブルで逆にからかわれているのだが。

「ごめんなさい、ごめんなさい。花京院さん怒らないで」

へそを曲げられて困ったように十輪寺は言うが、口元は笑ったままである。

「武士の情けで言わないでおいてやる。」

そして何故か上から発言の承太郎。

「…君たち全く反省してないだろ。というか言う気満々な笑みを浮かべるな承太郎!」

思わず彼を呼び捨てながら花京院が返すと、あははと十輪寺が楽しげに笑った。承太郎も目元を破帽で隠しながら肩を震わせ笑っている。

2人を見てふん、と息をつきながらも、どこか満足している自分がいるのを花京院は感じていた。

 

 

花京院の珍しい様子が見れて満足した十輪寺はクスクス笑いを少しずつおさめ、残していたフルーツに手をのばす。十輪寺がもぐもぐと食べだしたことで、この話は終わったと判断したのだろう、花京院もふぅ、と一息ついて気持ちを切り替えていた。ふと、彼は承太郎の更に残った赤いふた粒にまた目を戻していた。

「そういえばジョジョ。そのチェリー食べないのか?ガッつくようだが僕の好物なんだ…くれないか?」

ああ?と承太郎は自分の更に目を落とす。そういえば食べないで残していたのだった。先程散々からかった詫びとしてもいいだろう、と、皿を花京院の方に出した。

「サンキュー」

嬉しそうに笑って花京院はチェリーを咥えてぷちりとヘタを取った。そして。

「レロレロレロレロレロレロ…」

……その様に承太郎と十輪寺は唖然とした。特に承太郎は、己が戦った花京院の偽物を思い出してしまい開いた口が塞がらない。2人が彼の意外すぎる癖に呆然としていることに気が付かない花京院は、窓の外の風景に目を移していた。

「レロレロ…おっ見ろ!フラミンゴが飛んだぞ!」

呑気に声をかける花京院の様子に、先に持ち直したのは十輪寺の方だった。だが、調子が狂ったのだろうか、彼女も思わず的はずれなことを訊く。

「…あの、花京院さんって…。もしかして、ベロでヘタ、結べたりする?」

「ん…?ああ、1つだけならできるよ。」

言ってヘタを口の中に入れ、まごまごと舌を動かす花京院。それをまじまじと見守る十輪寺。

承太郎は、突っ込むことも諦めて、こっそりため息をついた。

「…やれやれだぜ。」

その、目の前でそいつが繰り広げているそれこそがテンパランスがしていた奇行の1つだ……とは言えず、承太郎は思わず目を伏せる。

(花京院……案外、わからんやつだな…)

おおォ!とはやし立てる十輪寺の声がするということは、その特技はどうやら成功したようだった。

 

 

 ***

 

 

シンガポール国内では寝台列車を乗り継ぎ、港に出た後は船を2つ乗り換えて。ジョースター一行は敵の目を欺く工作を幾度も重ねながら最短の距離を移動する。

今までの旅路と反してシンガポールからインドへの道は実に安穏としたものだった。刺客の警戒は怠らなかったものの、何故か彼らが襲ってくることはない。

「大方、インドで迎え撃つよう備えているに違いない。心せねば。」

「うむ。今の所ほぼ単独で襲い掛かってきているのが幸いじゃな。…スタンド使いにとって、自分のスタンドの情報は最も明かしたくないもの…か。」

アヴドゥルとジョセフというチームの要2人が甲板の隅で話し合うのを横目に、十輪寺はモビー・ディックの帆のような背びれを撫でた。

(スタンド能力が知られる、すなわち対処方法を練られる、か)

十輪寺はこの仲間にも白鯨の能力の詳細は明かす気がなかった。……いや、明かしたところで皆の認識とは大差ないのではあるが、なんとなく鯨の中の星の海は、自分だけのものにしておきたかったのだ。

(…でも、それをあなたは望んでなかった。だから彼を呼んだのかい?)

撫ぜているひれの主は答えてはくれない。ふぅ、と息をつき、また海の方に視線を戻す。触れた手が離れたことでか、白鯨はその姿を消した。

(…これからどうしよう。あれ以来新しい夢は見ていない…。大怪我すら負わずに乗り越えられるという裏返しだといいのだけど。)

十輪寺の夢は、断片的でやや正確性に欠ける。そう彼女は認識していた。見たい場面が見られるわけではない。その人の危機を必ず見ることができるという訳でもない。

(不安でしかない…条件がなくなったというのに…)

十輪寺の夢の、今はなくなってしまった法則性。夢を見る時間は深夜2時前後。見るのは一場面。同じ夢は見ない。そして。

(…予め出会ったことのある人の危機しか、わからない。)

しかし、この原則こそが……実は、まっさきに崩れたものだった。

(あの時点では、花京院さんと会ったことなんてなかったのに。)

また、今夜もあの夢を見ることになるのだろうか。顔をしかめて海を眺めていると後ろから「十輪寺」と声が掛かった。振り返ると、件の花京院が十輪寺のもとに歩み寄ってくる。

「花京院さん。…本は読まなくても大丈夫そう?」

ニッとジョークを混ぜて笑いかけると、彼も片眉をひょいと上げて苦笑する。

「乗る前に乗客乗員は把握したし、危険物も調べたからね。…まあ、ぼちぼち読む程度でいいかなと。」

「さすが」

本当に抜け目がない。頼りになる人となりとそのスタンドに頭が下がる思いで、十輪寺も続けた。

「…こちらも新しい夢は見てないです。多分インドまでは無事につけるんじゃあないかな。確信は持てないのですが。」

不安は消えないが今のところは大丈夫と、十輪寺は花京院に笑いかける。その顔を、花京院は難しい表情をしてじっと見ていた。それに気が付き、十輪寺は怪訝に首を傾げる。

「どうしました?」

いえ、とどこか迷う様子の花京院。……十輪寺は黙って彼の言葉を待った。花京院は、ためらいながら口を開いた。

「…ならば、今はどんな夢を見ているんだ?君の目の下から隈が消えてないということは、悪夢自体は見ているんだろう?」

やはり確信に迫る内容だった。十輪寺はすっと目をそらす。その行動は、花京院がずっと抱えていた考察を裏付けるものだった。

花京院は、暫し沈黙したあと、意を決して十輪寺に語りかけた。

「……僕は、受け止める覚悟は出来ている。」

はっと十輪寺が花京院の顔を見上げた。それにぎこちなく笑って彼は続ける。

「君はよく僕のことをじっと見ていたからね。…警戒されているのだと思っていた。でも、違った。ならば答えは1つだろう…?」

十輪寺の瞳が揺れる。ああ、正直な人だなと、どこか他人事のようなことを思いながら花京院は言った。

「……僕も、まずは1つ『恐怖を乗り越えよう』と思ったんだ。」

彼は笑みは崩さなかった。だが、その目には強い光が宿っている。

十輪寺も、その光を見て……覚悟を決めた。

「……大怪我をするかもしれない。私の想定が崩れるかもしれない。…でも、今の所の私の仮定を述べます。」

花京院は、ただじっと言葉を待っている。

「この旅路…あなたは無事にエジプトに辿り着くでしょう。」

迷い迷い、十輪寺が言うのを彼は静かに問い返す。

「……途中で死ぬ、ということはないんだね?」

「おそらく。……あの男が、DIOならば…」

その言葉に花京院は目を見開いた。思わず、ポツリと彼は言葉をこぼす。

「僕は……DIOに、殺される…?」

ゾクリ、と背筋に寒気が走るのを花京院は感じた。DIOと対面した状況がフラッシュバックする。甘美であり、おぞましいほど心の中にすべりこんでくる声を思い出す。優しくかけられた…嘘とわかりきっているのに逃れられなかった、あの言葉。

ぞわりと全身鳥肌が立つ恐怖を彼が押し殺そうとする様子を見ながらも、十輪寺は夢のことを述べるのをやめなかった。

「…私が見たのは、金髪の大男とあなたが対峙する場面。…敵の攻撃はわからない。けれどあなたはそいつのスタンド能力で、殺される。」

十輪寺も悪寒が止まらなかった。面と向かって誰かに死を予言することなど今までなかった。ましてそれが仲間に対してになるだなんて、誰が想像するというのだろう。

重たい沈黙が降りた。花京院と十輪寺、互いに今になって突きつけられた恐怖と人知れず向き合っている。

船の柵を手が白くなるまでギュッと握りしめながら、十輪寺は息を殺して花京院の言葉を待っていた。

暫くして、花京院が口を開いた。

「…ひとつだけ、聞きたい。」

十輪寺は彼を見守り、言葉を待った。花京院は床を見たまま微動だにしなかった。

「僕は、DIOに立ち向かえているのかい?」

答えるまでもなかった。十輪寺は彼に向き直り、力強く頷いた。

その様子を視界の端に捉えたのだろう。硬直していた花京院はその目を閉じ、ややあって1つ大きく息をついた。そして、十輪寺をみて…笑った。

「なら、良い。僕は恐怖を乗り越えられるんだね。」

その笑顔に晴れやかさが混ざっていることに危機感を覚えたが……十輪寺が、それを口にすることはできなかった。

 

 

 ***

 

 

「アヴドゥル…いよいよインドを横断するわけじゃが…その…」

カルカッタへの到着を艦内放送が告げる中、ジョセフがおそるおそる、という様子でアヴドゥルに話し掛けている。

「わしは実はインドという国は初めてなんだ…」

その言葉に後方にいた十輪寺も思わず苦笑いする。彼が言いたいのは、自分も2~3年前に思ったことだと直感したからだ。

「インドという国は乞食とかばかりいてカレーばかり食べていて…熱病かなんかにすぐにでもかかりそうなイメージがある…」

その考えに賛同するようにポルナレフも合いの手をいれる。

「オレ、カルチャーギャップで体調を崩さねェか心配だなー。」

その言葉にアブドゥルは笑って返答した。

「フフ、それは歪んだ情報です。心配ないです、皆…素朴な国民のいい国です。私が保証しますよ。」

ギギギと音がなって、船のタラップが降りていく。

「さあ!カルカッタです。出発しましょう!」

ぞろぞろと皆がアヴドゥルに続く中……十輪寺はわざと最後尾につき、皆より一歩遅れ付き従った。

 

 

しかして、そこは。

「ねぇ!恵んでくれよぉ!」 「ドルチェンジレートいいね!」 「ホテル紹介するよ!」 「歌歌うから聞いておくれぇ!」

インド、カルカッタの港。船を降りた一行を待ち構えていたのは…刺客ではなく大挙した民衆だった。皆大声で我先に「恵んでくれ!!」とよってたかる。見るからに外国人なジョースター一行は特に群衆の格好の的だったのだ。

「お金ちょうだい!」 「女の子紹介するよ!」

人だけではない。道路には牛がゆうゆうと闊歩し、場を気にもとめず糞をする。群衆から外れたところにはお構いなしに道路に寝そべる現地人。人だけでなく、ハエも多くたかってくる。

「恵んでくれ!」 「恵んでくれないと天国へいけないぞニイチャン!」

恐れ知らずの子どもたちは、あろうことが承太郎にまでそんなことを言う。

「うえぇ〜!!牛のウンコ踏んづけちまったチクショー!!」とポルナレフが嘆けば。

「僕はもう財布をスられてしまった…」とポケットを探る花京院も嘆く。

「た…たまらん喧騒だ!タクシー!あれに乗ろう!」と、ジョセフが車を指差した途端。

「おれだ!」 「俺がドアを開けてチップをもらうんだ!!」 「駄賃くれ駄賃!」

タクシーの扉にまで群衆が群がるのだ。しかもそのタクシーは神聖なる動物の牛が目の前にいるから動かない、という。

「ア、アヴドゥル…これがインドか?!」

「ね。いい国でしょう。これだからいいんですよ、これが!」

アヴドゥルがおおらかに笑う中、その圧倒的な活気と欲に一行は皆閉口した……

……のを、十輪寺は少し離れた店の中からジトッと見て(大変だなぁ)と考えていた。

(みんなに群がったスキにくぐり抜けられてよかった…。でも、どうしよう。)

実を言うと、十輪寺は一度父の研究の付き添いでインドを訪れたことがある。その際散々に揉みくちゃにされたため、とてもではないが二度と経験したくないと今回皆をおとりにしたのだった。……わざわざ駆け込んだ先の店主にチップを握らせて、さっと店内に紛れ込んで。

(とりあえず救出するか。ええと、コインをっと…)

十輪寺がポケットを探り、店を出ようとした時だった。

トントンと肩を叩かれて十輪寺が振り返ると、そこには満面の笑みでアクセサリーを掲げた店主。

「オネエサン安くしとくよ!!1つどう?!半額だよ!フレンドだからね!!」

大声で言う店主に観光客だと振り返る数人の浮浪者たち。

……今度は駆け込む店も選ばねばならない、と抜けがけをした十輪寺は学んだ。

 

 

「おい、人が悪いんじゃあねえのォユイ!おめーオレたちエサにしたろォ!?」

「なんのことやら…」

「こら!オニイチャン怒るよ!?」

その後……少し離れたところで十輪寺がコインを何枚か犠牲にしたことで乞食から逃れたジョースター一行は、カルカッタの中では高級店が立ち並ぶ大通りにほうほうの体で駆け込んだのだった。流石にここは浮浪者は少ない。寄ってくる何人かを手で追い払いながら一行はとりあえず宿を探す。

遠くから皆を助けたことから、逆に皆をおとりにつかったことがバレてしまった十輪寺はポルナレフから絶賛お説教を食らっている。

ごめんなさい、と苦笑して十輪寺はポケットから包を取り出した。

「お詫びの印ってことで、どうぞ。」

「…なんだよコレ?」

「ネックレス。ナンパにでもお使いください。」

そのやり取りに盗み聞いていた他の面々は思わず吹き出す。ポルナレフが「あのなァ〜!」と言いげんこつを準備するのを見て、十輪寺は前行く花京院の影にサッと隠れた。突然巻き込まれた花京院も笑いながら、されるがままポルナレフと彼女の間に立っている。

「…おい、花京院!ここはちょいとお説教が必要だよなァ?」

「花京院さん助けて。ネックレスあげるから」

「…うーむ、これは困りましたね。どうしようかな。」

三者三様笑いを隠しきれない顔で睨み合う。さながらじゃれあっているような様相に他の3人も笑いが抑えきれていない。

「この間の件で、僕も十輪寺には恨みがあるしなあ…」

そう嘯いて彼はくるりと十輪寺と場所を入れ替える。「ええ〜!」と非難の声を上げる十輪寺をよそに、ポルナレフも花京院もニヤニヤが止まらない。

「ポルナレフ、程々にどうぞ。」

「よっし!グリグリの刑!」

げんこつを十輪寺の頭にコツンと当て、軽く力を込めてポルナレフは拳をグリグリと回す。ポルナレフと、きゃーと痛がりつつも楽しげに笑う十輪寺を見て一行も朗らかに笑った。

 

 

 ***

 

 

「要は慣れですよ。慣れればこの国の懐の深さが分かります。」

「中々気に入った。いい所だぜ。」

アヴドゥルと承太郎のやり取りにジョセフが突っ込みを入れる中、ポルナレフはトイレに向かって席を立つ。もっとも、悲惨なことに独特な方式のトイレに怯んで悲鳴を上げることになるわけだが。

「ったく災難だぜ…こいつァ一生馴染めんような気がするな…」

ポルナレフは思わずつぶやいて手洗いに向かう。手を洗ってついでに顔も拭っていると、テーブルの方ではもう料理が運ばれてきている。おっと急がなければと鏡に向かった時に異変は起きた。

背後から、ミイラのように包帯ずくめのスタンドがぬるりと窓を開けて侵入しようとしてくている。

「!!」

振り返って構えをとるが、そこには何も見えない。幻覚かと再び鏡に向き合うとそこにはいる。

「何だコイツは!?鏡の中だけにッ!見えるッ!」

ヤバいと直感したポルナレフは咄嗟に鏡を突き割った。そして勢いよくレストランホールに駆け戻る。

(両右手の男…本体はどこだ!いない!?)

すわ何事かと旅の一行含め皆が見る中彼は外へ駆け出した。それでも外は大人数。雑踏の騒めきの中で敵を補足できそうもない。

「…くっそぉ!」

「どうしたポルナレフ!何事だ!?」

仲間の声にポルナレフはいつになくドスの利いた声で答えた。

「…俺の妹を殺したドブ野郎……ついに会えるぜ!」

その言葉に全員がはっと息をのむ。ということは、次の相手は鏡を使う「吊られた男」。ポルナレフにとっては仇敵だ。これは最大限の警戒を積んで挑まねば、と誰もが考えた時、思わぬ言葉がポルナレフから飛んできた。

「ジョースターさん…俺はここで別行動をとらせてもらうぜ。」

皆がポルナレフを見た。彼の目にはいつになく燃えたぎる暗い炎が灯っていた。常日頃の彼はどこに行ったのか。ポルナレフは続ける。

「この近くにいるとわかった以上待ちはしない。こっちから探してぶっ殺す!」

「…相手の顔もスタンドの正体もわからないのにか?」

ジョセフの問いにも彼は耳を貸さなかった。

「『両方右手』とわかってれば十分!奴も俺に寝首を掻かれないか心配のはずだしな。」

ポルナレフの言葉はどこまでも冷たく鋭い。だがそれとは裏腹に冷静さを欠いているように一行には映った。それを危惧してか、冷静な声で苦言を呈した人物がいた。――アヴドゥルだ。

「こいつはミイラ取りがミイラになるな。ポルナレフ、別行動は許さんぞ。」

「なんだと…?」

そこからは口論だった。互いが互いの地雷を踏みぬくかのような発言の数々。雑踏の民衆すら足を止めるその有様。他のメンバーは動けなかった。緊迫感が場を制圧する中亀裂はどんどんと広がっていく。

「アンタはいつものように大人ぶってドンと構えとれや!アヴドゥル。」

「…こいつッ」

思わずアヴドゥルが手を上げようとするのを制したのはジョセフだった。

「もういい、やめろ。…行かせてやろう。こうなっては誰にも彼を止めることはできん。」

腕を下げながら、苦しそうにアヴドゥルは言葉を漏らした。

「彼に対して幻滅しただけです。…あんな男だとは思わなかった。」

遠ざかっていくポルナレフの背中と少し小さく見えるアヴドゥルの背中。高校生たちはそれをただじっと見るよりほかなかった。

 

 

(ポルナレフさん…)

十輪寺はたった今起こった口論に硬直するしかなかった。ポルナレフの「最初から独りで戦っていた」という発言が胸に深く突き刺さる。その気持ちが分かるとともに、間違った考えだと自覚したからこそ、彼女の心をえぐっていた。

(敵は多分狡猾だ…ポルナレフさんをわざと分断したんだ。このままでは…!)

ぎゅっと手を握ったところだった。肩をポンとたたかれはっと振り返る。手の主はジョセフだった。彼は帽子に手をやり十輪寺に目線も併せずレストランの中に戻っていく。他のメンバーもそれに続いていく中、迷い迷い、十輪寺もそれに続いた。席まで戻ってきたところで彼女は思う。

(…お願いします。今日こそ正確な予知を、見せて。)

でなければ、ポルナレフの命が危ない。

出された食事を、スパイシーだともおいしいだとも誰も言わずに食事は続いていった。



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ベナレスへの道中

その日半ば重責を感じながらも眠りについた十輪寺は、予想に反して夢を見ることなく目を覚ましてしまった。別に決して見たかったわけではない、悪夢なんて見ない方がいいのだ。だが危険があるならば先に知っておきたいのも事実。

(…これが何も起きない好調の印ならばいいんだけれど。)

心なしかとぼとぼと朝食の場に向かう。朝食はホテルのレストランだ。他のメンバーもぱらぱらと集まりつつある。最後にアヴドゥルが席に着いたことでまた味気ない食事会が始まった。テーブルには1つ、空席がそのままである。

「…結局帰ってこなかったのォ…」

ジョセフがぽつんというのに皆一様にその席を見つめるのみだった。

 

 

「十輪寺。」

部屋への道すがら花京院に呼び止められて十輪寺は振り返る。何を聞かれるかわかっているつもりだった十輪寺は首を振った。それをみて花京院は表情を曇らせた。

「…そうじゃない。君、顔色が悪いですよ。何度でも言うが思いつめないでください。」

その言葉に十輪寺ははっとする。ぱしりと己の顔をはたいて花京院に向き合った。

「そうでした…失礼。とにかく今日は皆さんどうするつもりなんでしょう?」

それに花京院も首をかしげる。

「ジョースターさんがもう少し待ってみようとおっしゃってたよ。けれど迷っているようだった。ポルナレフの復讐だからどう関わるべきかって。」

「…ですよね。私は部屋にいます。何かあったら教えていただけると。」

分かったと返事をして彼は去っていく。その後ろ姿を見て十輪寺もまた踵を返した。

(そう。もう気負う必要はそんなにないんだ。独りで解決しなくていいんだから。)

十輪寺は少し肩の荷が下りたような心地で部屋に戻って椅子に座る。その時だった。

 

 

「…花京院。アヴドゥルみてねーか?」

花京院が部屋の前に戻るとそこにはジョセフと承太郎がいた。ジョセフは周囲をきょろきょろとし、承太郎は難しい顔をしている。

「え?いいえ…アヴドゥルさんがどうかしたんですか?」

「いや…さっき部屋に行ったら返事もなくてのォ…」

ジョセフが頬を掻きながら答える。これはもしかしなくてもポルナレフのもとに向かったのだろう。しかし独断で動くとは。

「…探しに行った方が。」

「じゃよね。うむ。…悪いが十輪寺にも声をかけて…」

ジョセフが言い切らないうちにバタバタと大きな足音が廊下に響いた。さっとそちらを見やると十輪寺が血相を変えてこちらに向かってきているではないか。

「十輪寺!?ど、どうしたんです…」

がっと彼女は花京院の腕をつかんで顔を上げた。その顔は恐ろしいほど蒼白だっだ。呼吸を整える暇もなく彼女はあえぐようにうったえた。

「アヴドゥルさんが危ない…!殺される!!」

尋常でないその様子に3人は一瞬顔を見合わせた。

 

 

 ***

 

 

それは白昼夢なんて生ぬるい、頭痛のように脳裏に走った像だった。

開けた泥道。雲が若干さす青空。濡れて水たまりがかった足元。

前方には相対する人。背中を向けているのはポルナレフさんだった。向かい側にいる帽子の男は銃を構えているように見える。場の景色が嫌にスローモーションに見えた。一瞬にしてシルバーチャリオッツが甲冑を脱ぎ捨て剣を払う。だが、弾丸は曲がってその軌道を変えた。

そこからは怒涛だった。ポルナレフさんが突然駆け寄ってきた誰かにかばわれそれを躱す。かばったのはアヴドゥルさんだ。マジシャンズレッドを出して迎撃態勢をとるアヴドゥルさんに弾丸が弧を描いて返ってくる。迎え撃つ、というその時に彼の背中から血が飛んだ。そして。そして。そして。

 

 

 ***

 

 

「嫌だ…!!」

頭を抱えて崩れ落ちそうになる十輪寺を花京院は慌てて支える。今にも叫びだしそうな彼女を目にし、ジョセフと承太郎は唖然とするしかない。花京院が顔を上げて2人に早口でまくし立てる。

「僕が何とかします。2人は先にアヴドゥルさんの捜索に向かってください!早く!」

「お、おう…わかった。任せたぞ。」

2人は背を向けて先を急ぐ。花京院はそれを目の端に捕らえながら十輪寺を軽く揺さぶった。

「落ち着け!まだ起きていないことなんだ、変えられるんだろう!?とにかく落ち着くんだ。大丈夫、みんないる。」

その言葉にはっと息をのみ少しずつ平静を取り戻してきた十輪寺は荒げていた呼吸を整え始める。

「……ごめんなさい。大丈夫、大丈夫。」

自身に言い聞かせるようにつぶやく十輪寺の背をたたいて花京院は急かし気味に言う。

「辛いだろうが状況を教えてくれ、見えたんだろう?アヴドゥルさんとポルナレフを絶対に助けるぞ。」

彼の強い意志を感じる声に十輪寺はうなずいて、見た光景を何とか反芻して花京院に伝えていった。

「…つまり、敵は」

「2人です!」

その言葉とともに2人は外へと駆け出した。

 

 

 ***

 

 

「銃は剣よりも強し…ンッン~名言だな、これは。」

独り仇の両右手の男を探すポルナレフの前には西部劇から出てきたような男が立ちふさがっていた。ホル・ホースと名乗るその男は両右手の男を知っていると嘯きながらも余裕綽綽でポルナレフを挑発する。

「おれのスタンドは拳銃だ。ハジキに剣では勝てねぇ。」

「なに?おハジキだぁ?」

余裕を崩さず突然笑いだす両者。――先に仕掛けたのはホル・ホースだった。

「ブッ殺す!『皇帝(エンペラー)』!!」

煙草を打ち抜きながらの一発。だが弾丸くらいなら見切れる。そうポルナレフはチャリオッツを出現させる。甲冑を脱ぎさえすれば。

だが目論見は外れることになる。皇帝の弾はチャリオッツがその剣を振りぬこうという瞬間に軌道を変えた。

「な、何ィ!?」

(弾丸だってスタンドなんだぜェ!予想しなかったあんさんの命取りなのさァ!)

弾がポルナレフに迫る。あと数センチで着弾する。

「ポルナレフッ!!」

 

 

2人はジョセフたちから遅れてホテルを飛び出し、インドの雑踏の中をかき分けていく。

「どんな場所だった!?」

「人がほとんどいない泥道!メイン通りから離れてるけど露店が並んでたわ!」

十輪寺の言葉に従って花京院は先導しながらわき道に逸れて周囲を見渡す。そこに幸運なことに雑踏から声が飛んだ。

「おい、あっちで喧嘩みたいなのが起きてるぞ。」

その言葉に2人は顔を見合わせ賭けることにした。同時に何も言わずにそちらへ方向転換し角を右に左に曲がっていく。

――その光景を先に見たのは一歩早かった花京院だった。

背中から噴き出す血、眉間から噴き出す血。倒れていく体。花京院に続く十輪寺も当然それを見た。目の前の見覚えしかない光景に彼女の目が見開かれる。

(間に合わなかった…!!)

「こいつァラッキー!この軍人将棋にもう怖い駒はないぜ!」

夢で見たガンマンがにやりと笑う中2人はアヴドゥルに駆けよる。それを一瞥してポルナレフは舌打ちした。

「説教好きだからこうなるんだぜ。だから独りでやるのがいいと言ったんだ。」

花京院がポルナレフに怒りをぶつけそうになるが、そのやり取りすらも十輪寺に頭には入ってこなかった。ただ呆然と、抱えられたアヴドゥルを見つめて動けない。

(私が取り乱したせいだ。冷静に、すぐに動けなかったせいだ…!)

仲間を失う恐怖に振り回された結果、現実になった。わなわなと震える手でせめて、とアヴドゥルに触れようと手を伸ばす。

そうして、彼女は触れた瞬間気が付いた。――まだ、微弱ながらも生命エネルギーが、ある。

(…!!)

既に手首からの脈はない。だが、と十輪寺は思い起こした。手首の脈がないからといって頸動脈の方は。花京院がポルナレフになにがしかを叫んでいるが聞こえてこなかった。そろそろとアヴドゥルの首に触れる。……微弱ながら、脈が触れた。

(まだ生きてる!!ならば!!)

死なせるわけにはいかない。誰にも気付かれないように波紋の呼吸を整え始める。敵が2人いるこの状況下で彼の命をつなぐために真っ先にすべき行動は……敵も味方も欺くことだ。

「…花京院。敵を引きはがして。私は隙を見て亡骸を運びます。奴らが遺体に何するかわからない。」

十輪寺はアヴドゥルの生存を秘匿して小声で花京院に伝える。花京院ははっとし目だけで応答した。ポルナレフに向かって声を絞り出す。

「あのトラックに乗って逃げるぞ!ここは一旦退くのです!」

「…ち、ちくしょ……」

『おい、ポルナレフ…クク…』

ポルナレフが断腸の思いで踵を返そうとしたタイミングで、仇は卑劣にもガラスという安全圏から挑発してきた。

『お前の妹は可愛かったなァ…聞かせてもらうといい。どーやって俺に殺してもらったかをなァ~』

「や……野郎!!!」

「挑発に乗るなァー!ポルナレフ!!」

――ポルナレフはそのガラスを砕いてしまった。途端敵はその位置を次から次へと移っていく。

『ホル・ホース、撃て。とどめだ。』

「アイアイサー!」

弾丸とナイフがポルナレフに迫る。それを見た花京院は一刻の猶予もないと行動した。

「『エメラルドスプラッシュ』!」

その瞬間、花京院と十輪寺は別々に行動した。花京院はトラックに駆け寄りエンジンを。十輪寺はアヴドゥルを白鯨に飲み込ませ大通りに向けて。だがこれが功を奏すことになる。ホル・ホースが咄嗟に皇帝を構えようにも二手にばらけた後。しかも片方はすぐに走り去り射程圏外となった。

「ちっ…だが女を狙うのもなぁ…」

そうこうしているうちに十輪寺も走り去っていく。やれやれ、とため息をついたホル・ホースはふと気づく。相棒の吊られた男、J・ガイルがいない。

「ヒヒ…とことんポルナレフを始末する気だな?」

 

 

 

 ***

 

 

 

大通りに出てきてまず十輪寺が目指したのは承太郎とジョセフとの合流だった。一刻も早く怪しまれずにアヴドゥルを病院に運ばねばならない。それにはジョセフの助力が必須だった。

(どこ?どこなの!?急がなきゃ!!)

周囲に目を走らせながら十輪寺は人混みを縫っていく。と、その時「十輪寺!」と呼ぶ声が聞こえた――承太郎だ。

「空条先輩!!」

この外国でも頭一つ抜けて大きい彼を見つけ十輪寺は急いで人をかき分けていく。そして開口一番に告げた。

「アヴドゥルさんが瀕死です!ジョースターさんはどこに!?」

「なんだと…!十輪寺、お前」

承太郎がすがめになる。だがそれに怯んでいる暇なぞ十輪寺にはなかった。

「説明は後でします。だから早く病院に!このままだと死んでしまう!!」

「…わかったぜ。」

恐ろしく蒼白で尋常ではない様子の彼女を見て、承太郎は踵を返しジョセフと別れた地点へ向かいだす。十輪寺も歩幅の差に慌てて走りながらそれに続いて行った。

 

 

――その後の吊られた男とポルナレフの仇討ちの顛末は語るまでもないだろう。

ポルナレフと花京院の機転で吊られた男が倒されようとしていたまさにその時、現地の大病院にて緊急手術が終わろうとしていた。あの後間もなくジョセフと合流した十輪寺はすぐさま人のいない脇道でアヴドゥルを白鯨に吐き出させ波紋治療に当たった。

そして彼女は今、手術室前のベンチに腰掛け項垂れている。ジョセフはその隣、承太郎は壁にもたれて。2人とも手術室の扉をじっと見つめていた。沈黙は手術が始まってからずっと下りたまま。それほどまでにアヴドゥルの容体は危険な状態だった。

(どうか…どうか。)

祈る他ない十輪寺の前で手術室の扉が開かれる。中から出てきた医師がマスクをとりながらジョセフに向かって微笑むのを見て、やっと彼女は肩から力を抜くことができた。

 

 

「おいおいおいおいおい…デマ言うんじゃあねーよ…この俺にハッタリは通じないぜ?」

皇帝を乱射しながらホル・ホースが言うのに対し、2人はしらっとした様子でそっけなく答える。

「300m先に奴の死体があるぜ。見てくるか?」

「………」

ポルナレフの冷徹な言葉にホル・ホースがとった行動は逃げの一手だった。

「よし見てこよう!!」

「野郎ッ!逃げる気か!?」

(こいつはかなわんぜッ!俺は誰かと組んではじめて実力を発揮するするタイプだ!1番よりナンバー2!)

ホル・ホースが通りに逃げ込もうとしたその時、不意に拳が一撃、彼の頬を直撃した。その先にいたのは。

「ジョースターさん!承太郎!十輪寺!」

「アヴドゥルのことは十輪寺から聞いた…簡素だが埋葬してきたよ。」

ジョセフの言葉にポルナレフと花京院は一瞬目を伏せたがぎっとホル・ホースを睨みつける。旅の一行全員がホル・ホースを逃がさんと包囲した。

「判決を言うぜ……死刑!!」

ポルナレフがチャリオッツを出現させ切りかかろうとした瞬間。

「お逃げください!ホル・ホース様!」

偶然か必然か、運はホル・ホースの味方をしたのであった。

 

 

 ***

 

 

「ったく…あんのやろ~…君もあんなのに騙されるんじゃあないぜッ!」

次の目的地を聖地ベナレスに定めた旅の一行は、まずは電車に乗りバスをつかまえることにした。そしてベナレスはホル・ホースに利用された……と思われる女性の出身地らしく、そのまま道すがら同行といった形になった。ポルナレフはその若い女性に対して半ば説教めいた恨み言を口にしながらも、フランス男の性なのかちゃっかりとエスコートしている。その様にため息をつきつつ、ジョセフが承太郎に切符を渡しながらつぶやいた。

「あー…あの様子じゃと娘さんに迷惑がかかるかもしらんからわしもついて行くわい。お前たちは空いてるところに座りなさい。」

「ああ。分かったぜ。」

女性を伴ってずんずん進んでいくポルナレフについて行くジョセフを見送り、承太郎達高校生組は反対方向に運よく空いていたボックス席を見つけて滑り込んだ。窓際に十輪寺と花京院、彼女の横に承太郎。一応女である十輪寺を気遣っての席次である。

「…ポルナレフのやつ。調子がいいのだから。」

ぼそりと花京院が苦笑をたたえながら呟く。それに曖昧に笑って十輪寺が返した。

「きっと強がりもあるんだと思う。でも、もう大丈夫でしょう。」

花京院はふっと笑みを消して俯いた。

「…代償が大きかったからね。…アヴドゥルさん…」

その言葉に承太郎と十輪寺は顔を見合わせた。そして承太郎はちらりと周囲を見渡す。そして声を潜めてそっと告げた。

「それなら朗報だぜ。…アヴドゥルは生きている。」

「!!」

花京院が目を見開き唖然とするのに若干笑みを浮かべて承太郎は続けた。

「病院に担ぎ込んだのが間に合った。だが傷が傷だ。死んだことにして一旦離脱させた方が身のためってことであんなことを言った。」

十輪寺も言葉をつなぐ。

「ホル・ホースが逃げてくれた分、敵にも目くらましがきくでしょう。…傷が治り次第合流できるか相談といったところでしょうか。」

「…そうか……。無事、なんだね?」

「ええ。」

2人の強い首肯に、花京院は目を潤ませた。良かった、と心からの言葉を呟く彼に十輪寺が申し訳なさそうに眉を下げる。

「あの時はごめんなさい。敵がいる手前生きてるって悟られるわけにはいかなかったから…」

花京院は首を振る。

「それでよかったんだ。無事ならそれでいい…。このことはポルナレフには?」

またしても承太郎と十輪寺は顔を見合わせる。わずかに渋い顔をして承太郎が言った。

「少なくともじじいは悩んでるぜ。あの様子だと浮かれてしゃべくっちまいそうだしな…」

「ああ…僕もそう思う。灸をすえるという意味でも黙っていた方が賢明だと思うね。」

「皆辛辣なんですね…。わかりました。内緒の方向で行きましょうか…」

苦笑いしながら十輪寺も同意した。ポルナレフのことを考えてどうするべきか迷っていたようだ。だがアヴドゥルの安全には変えられない。それに対しやれやれだぜ、と口癖を言いながら承太郎は言う。

「でけー秘密黙ってたお前が言うんじゃあないぜ。そんなに俺たち信用できなかったのかよ。」

承太郎の思わぬ言葉に花京院が反応した。この言葉の意味は、つまり。

「十輪寺、2人に夢のことを話せたんだね?」

「…はい。」

恥ずかしそうにはにかみながら十輪寺は言った。曰く、実績があったので割とすんなり信じてもらえたと。疑われるのは杞憂だった。肩をこてんと落としながら十輪寺は言う。

「ジョースターさんにはもう無茶をするなとこってり絞られました…」

「あたりめーだ。」

「まぁ当然だね。今後は夢を見たらひとりで抱え込まないこと。」

2人の言葉に肩をすくめながら、困ったように笑って十輪寺は礼を言った。

 

 

「しかし、君のその夢って何なんだろうな?モビー・ディックの能力は飲み込んで吐き出す能力なわけだろう?」

花京院のもっともな疑問に十輪寺も難しげな顔をして唸る。

「ええと…前例?はあるみたいなんです。父が言うにはどうも波紋の才能が由縁じゃあないかって。」

「波紋ってのは何でもアリか。じじいは何も言ってなかったが?」

承太郎の訝しげな言葉に十輪寺も唇に手を当て思案しながら言った。

「どうやら波紋使いでもかなり珍しいみたいなんです。一流の占い師みたいに未来を予言できる人がまれに生まれると。100年前の老師がそうだったらしくて調べてくれてたんです。」

「100年前…ちょうどDIOがご先祖さんと戦った時期だな。」

「そういえば私はそのあたりのこと教えてもらえてないんですよね…。私の血筋にもかかわることだってジョースターさんも言ってたのに。」

口をへの字に曲げる彼女に対して花京院が返す。

「そりゃあご両親も教えたくないだろうさ。予知夢で苦しませたくなかったんでしょう。」

「でも、蚊帳の外にされたみたいでなんかちょっと…」

「やれやれだぜ。」

なおも食い下がる十輪寺に対して2人は内心嘆息する。こんなことを言っているのに、どこが臆病だというのか。壁を取っ払った彼女の物言いはやはり普通の女子高生とは思えないほどの豪胆さをはらんでいる。それが常に表に出るのも危なっかしいが、とは思いつつも前の独りで抱え込んでいた時に比べればよくなっているため、2人は特に何も言わなかった。

「…まあ空条先輩も最近知らされたんですもんね。そういうものなのかな…」

うーんと考え込む十輪寺にふと花京院が気が付いたように言う。

「そういえば十輪寺は先輩呼びをやめないのか?なんかよそよそしいように見えるけど。」

「ええ…?だって先輩ですもん…それに名前呼びなんて後が怖いですし…」

大仰にわざと承太郎から距離をとるように窓にぴたりと寄って十輪寺はおどけた。

「この状況だって空条先輩のファンクラブに知られたらどうなることやら…。花京院さんは知らないからそんなこと言えるんですよぉ。」

「…おめー喧嘩つえぇのに何言ってるんだ。」

「喧嘩強くても孤立するのは嫌です。」

べっと舌を少し出して十輪寺は承太郎に応戦した。それに苦笑しながら花京院はさらりと告げる。

「じゃあせめて僕に対しては敬語もやめてくれ。同学年なんだしいいだろう?」

「…わかりました。善処します。」

「早速敬語じゃないか。」

一戦終わった後の車内に朗らかな雰囲気が流れた。十輪寺がそうだ、と花京院に対して言う。

「ボタン全部外しちゃったんでしょ?裁縫箱だしま…出すね。」

言って彼女は周囲を確認しすっと白鯨に裁縫箱を吐き出させた。このさりげない動作もこなれたものになりつつある。ああ、と花京院は彼女の裁縫箱に手を伸ばした。

「自分で縫うよ。これでも学ランは自分でやってるから。」

「そうなの!?…私より上手いじゃん…」

とほほ、と十輪寺が何故か落ち込む中、花京院は苦笑するしかなかった。



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波紋の遺跡の秘密

「う~むむ…なんかこんなところの病院なんて…まぁ仕方ないか…」

そう言ってジョセフは1人医者に向かい。

「どうせなら彼女を送り届けてくるぜ!んじゃな!」

と、ポルナレフは女性……ネーナを伴って雑踏の中に消えていく。

「…さて、僕たちはホテルを探す感じかな?」

「そうだな。久しぶりにまともな宿が取れそうだぜ。」

男子2人が相談する中、後方に控えた十輪寺は市外に位置する岩山をただじいっと見据えていた。

 

 

「…波紋の遺跡?」

「ええ。ちょうどこの近くにあって。…伝承だと『鍵』なるものがあるらしく。」

適当な宿を見つけて三室借り、そのうちの一室で一息ついた後、十輪寺は2人に話し出した。

「ひょっとしたらこの旅で何か役に立たないかなあと。でも許可取る前にジョースターさん病院行っちゃいましたからね…」

「いいんじゃねぇか?4時にあの地点集合さえ守りゃあ文句言わねぇだろ。」

承太郎の返事にうーんと唸りながら十輪寺は続ける。

「それが、盗掘除けの仕掛けがあるらしくて。ちょっと危ないかなと悩んでます。」

「だが僕たちにはスタンドもあるのだし…承太郎、僕たちも行ってみよう。どうせすることもないのだから。」

うなずく2人を見ながらそれならば心強い、と十輪寺も喜色を滲ませた。

 

 

 ***

 

 

(それがまさか、ここまで危険なものなんて思わないでしょ…!)

天井に無数に下がった鎖の一本に掴まりながら十輪寺は下を見下ろす。そこには迷路のようにやや入り組んだ岩壁と、いくつかの点在する遺物。

(確かに、確かに聞いたことがある!波紋はスタンドに近づくための技術だったって!)

入ってきた扉から風が吹き込んだ。十輪寺の前髪を撫ぜていったとともに、瞬き1つで景色に僅かな違和感が生じる。

(だからって…!この部屋自体がスタンドなんて!!どういうことなの!?)

鎖が不穏に揺れる中十輪寺は必死に思考を巡らせ始めた。

 

 

 ***

 

 

数分前。ベナレスからそう遠くない岩山にある洞穴の前に3人は立っていた。周囲は財団管轄の土地らしく、ところどころ錆びたフェンスとキープアウトの看板が無造作に立っているだけ。随分と不用心だなと承太郎が言うのに対し返事をしながら十輪寺は洞穴に入っていく。

「そうそう簡単に突破できないからですよ。まず最初の関門が波紋でしか突破できません。」

中は意外なことに迷路のように枝分かれしていた。十輪寺は懐中電灯片手に迷わず足場の悪い道を進んでいく。

「随分詳しいな。」

「一回来てるんです。その、扉の前まではたどり着いたんだけど、開けて試練に挑むのは何があるかわからないからと財団でも保留中で…」

「それに挑むんってんだからおめーも度胸あるよな。」

「そこまでしないと…相手は吸血鬼ですからね。」

そう話していると、不意に開けた空間に3人は出た。そこには風化したのか、あるいは意図的なのか腕一本がようやっと通りそうな穴がいくつか開いており、僅かに陽光が差し込んでいる。空間――もはや部屋といった方がいいだろう――の中心部には四方に伸びた鎖とそれにつながる壁に埋め込まれた鉄製の燭台。そして視界の先には石造りの扉。

「…本当に遺跡じみてるな。まるでインディ・ジョーンズさながらだ。」

花京院が呟くのに「私も思いましたよ」と十輪寺は軽く応じて鎖をつかむ。

「それは何だい?」

「第一の関門ってやつです。これ、あの燭台と繋がってるでしょう?これを使って同時に火をつけるんです。寸分違いなく。」

そんなことがスタンドなしで可能なのかと2人が顔を見合わせる中彼女は呼吸を整え始める。

「実は私はこの技苦手なんですけど…やるだけやってみます。」

コオォと呼吸音が空間に響いた。そして鎖の上に赤い光が迸る。

緋色の波紋疾走(スカーレットオーバードライブ)!!』

赤い閃光は同時に燭台に届き、それを伝って炎が一瞬で駆け抜けていった。燭台に火が付く。部屋が一気に明るくなるとともに、ギギギと何かの駆動音がした。

「できたっ!」

十輪寺の跳ねた声とともに石扉に隙間ができる。徐々に扉は開いていくが人一人が滑り込めるかどうかというところでぴたりと止まってしまった。

「…どうやら老朽化してるようだな。俺がこじ開ける。」

言って承太郎はスタープラチナを出現させて扉に手をかけた。さすがのパワー型の怪力に沈黙していた扉も動き出す。

「ありがとうございます。」

「これくらいどうってことはねぇ…が、次は面倒そうだな。」

扉の向こうを見た承太郎がぼそりとこぼすのに首をかしげながら十輪寺がのぞき込むと、そこには一面の岩でできた針のむしろが存在していた。

 

 

「…波紋てのは本当に何でもありだな。」

波紋の呼吸をしながら針の先端をバランスを取りながら歩いていく十輪寺を見て承太郎はぼやく。それに全くだと返しながら花京院は腕を組んだ。

「まぁハイエロファントの射程圏内までは付き添えるからいいけどね。十輪寺!危なくなったら手を出すからな!」

その声に応答するように小さく暗闇に溶け混みそうな十輪寺の影が手を上げる。針の道をスタープラチナで壊しながら進むことも提案したが当の彼女が頑として譲らなかったのだ。曰く、遺跡を壊すのは先人に対する非礼だと。波紋で突破してこそ意味があるのだと。

「…頑固な奴だぜ。おかげで変な疑いまで持っちまった。」

やれやれだとため息をつく承太郎に花京院も苦笑する。

「氷解したからいいものの、というやつだな。さて、僕は向こうに集中するよ。」

緑の触脚をきらめかせながら法皇も遠ざかっていく。それを見てふと承太郎は疑問に思ったことを口にしていた。

「…そういえば花京院、おめーそういうふうにスタンドとばしてる時どういう風に見えてるんだ?」

「どうって…説明が難しいな。君こそスタープラチナの視界はどうなっているんだい?」

逆に問われて承太郎もむと押し黙る。思い返してみると確かに口で説明できるものではない。

「…スタンドは人それぞれだね。波紋も大概だがスタンドも大概だと僕は思うよ。」

そんな話をしていると奥の方からおおい、と十輪寺の声がした。どうやら第二の関門を渡り終えたようである。

 

 

『とりあえずただの道が続いているな。』

「そうですね。でも仕掛けがあれだけだとは思えない。」

『先行しようか?』

「いいえ、大丈夫。とりあえず進んでみましょう。」

針のむしろの先は一本の道になっていた。十輪寺と法皇は話しながら先に進んでいく。光は届かないため懐中電灯を使って足元を確認しているが、入ってきた時とはうって変わってきれいに整地されている。入口のあれはフェイクだったのだろう。

『今僕たちから離れて80mってところかな。』

「距離分かるんだ?というより、よくそこまで離れても平気ですね。」

『承太郎にも言われた。…と、どうやら第三関門のようだぞ。』

法皇が軽いトーンだった声をくぐもらせ指をさす。その先には今度は金属製の扉が岩盤に埋め込まれたかのように鎮座している。十輪寺もいったん立ち止まって、ふうと息を吐いた。

「今までのはそこそこ鍛えた波紋使いなら突破できるレベルの仕掛けでした。だけど、次は多分もっと高度なものになってくるはず。…行きますね。」

十輪寺は扉に手をかけた。何かが発動するような気配はない。力を込めて引くとずずずと音を立てながら扉は地面をこすりながら開いた。来た道からのわずかな気流がその先にも入り込んでいく。十輪寺が恐る恐る部屋の中を覗き込むと、暗闇で先の見えない一本道が続いている。だがその一本道の壁は2mほどの高さという中途半端さだ。天井には無数の鎖が垂れ下がり、壁の向こう側の空間の存在を示唆している。

「これは迷路でしょうか。でも何だろう、それにしては抜け穴が多いように見えるけど…」

『確かに妙だな。念のため僕は上の方を見てくるよ。』

言って法皇は十輪寺の隣からふわりと浮上し天井の鎖を見分しだす。それを見送って十輪寺も先に目をやりながら一歩踏み出した。

 

 

こつん、と靴の中に違和感を持った。

(…?石が入っちゃった?)

何が起こるか全くわからない遺跡内である。万全の状態で行きたいと考えた十輪寺はひょいと片足を上げて靴の中を確認した。その時、ふと周囲が暗くなったような気がして振り返る。

先程の、扉がない。

道が続いている。

「えっ」

足を下してまた先の方を見ようと後ろを向く。と、そこには先程までなかった――明らかに異様な物体が壁にめり込んでいた。暗闇の中十輪寺が目を凝らすと、それは。

「!!」

人間の頭蓋骨だ。それがまるで埋め込んだかのように平らな石壁から半分突き出ている。

それを認識した瞬間に十輪寺は思わず後ろに飛び退った。瞬きを1つ。するとそこには曲がり道があった。――先程まで先が見えなかったのに?

これは、と十輪寺が思ったと同時に離れたところから法皇が声を上げた。

『十輪寺?どこに行ったんだ?』

「花京院気を付けて!この部屋おかしいッ!!」

法皇を捕捉しようと上を見上げるために体勢を変える。すると今度は垂れ下がった鎖の位置が変わった。それとともに左袖が引っ張られるような感覚を持つ。

見やると、ちょうど手首の上あたりの布地が、壁にめり込んでいる。

(…まずい!!)

咄嗟に十輪寺はポケットからサバイバルナイフを取り出し布を切った。そして壁から離れようとまた一歩……後退する前に踏みとどまった。

また風景が変わったのだ。目の前にあった壁が瞬きの一回で道に変わる。これは、もしかしなくても。

「空間転移…ッ!まさかッ!天井の鎖はッ!!」

踏み込みだ。今まで一瞬のままに起こってきた変異は踏み出したことを契機に始まっている。十輪寺は波紋の呼吸をしながら跳躍し天井から垂れ下がる鎖に手を伸ばした。またしても鎖の位置が変わるが、幸運なことに他の鎖の先端ぎりぎりをつかむことに成功する。

「くっ!」

『十輪寺!?いつの間にそんなところに移動したんだ!?』

法皇が後方から声を掛けてしゅるりと十輪寺のすぐそばに飛んでくる。それを横目に見ながら十輪寺は腕の力だけで鎖を上りつつ、早口で法皇に仮説をまくし立てた。

「この床が原因です!一歩踏み込むごとに空間転移させられた!だからこの鎖があるの…床を使わずに移動するためにッ!!」

『なんだと…!?そんな技術があるというのか!?』

その言葉に鎖に揺られながら彼女はつばを飲み込み答えた。

「いいえ…こんな超常現象、波紋で聞いたこともない。」

 

「これは、スタンドよ…!」

 

 

 

 ***

 

 

 

『この部屋自体がスタンドだというのか!?そんな馬鹿な!!』

大体、と法皇は暗闇の中その身を煌めかせながら声を上げた。

『本体がいないじゃあないか!ここは遺跡!そして間違いなく今この場には僕たちしかいないッ!』

「でもこんな超常現象が他にあるというの…?」

『…とりあえずそれは置いておこう。十輪寺、今すぐ戻ってくるんだ。何があるか分かったもんじゃあない…!』

十輪寺も冷や汗を流しながらその言葉に同意しかけた。だが、ふと周囲を見渡してあるものに気が付く。燭台だ。鎖につながるように燭台が点在している。これは第一の関門と同じく、波紋でつけることを想定されているものだと思い至る。

「…花京院さん、ちょっと離れてて。」

『え?』

彼女は呼吸を整え集中した。やってみるだけの価値はあると踏んだのだ。そして来た時と同様緋色の波紋疾走(スカーレットオーバードライブ)を放つ。鎖を伝って燭台に火が灯っていくとともに部屋の内部構造が明らかになった。

室内は単純な迷路のように石壁が簡素に設けられている。その壁にはところどころ不自然に布やら木片やらが埋没されていた。――この空間転移は困ったことに非常にざっくりとしたものらしい。転移先に物があった場合重なってしまうのだろう。

(思えば最初の靴の中の石もこれだったんだわ…偶然転移が重なって入り込んだんだ。)

床には無造作に古代の貨幣袋と思われるものが点在している。朽ちかけた木箱もだ。勿論壁にめり込んだものもある。儀礼用の刀剣、波紋の秘宝と思われる織物、水を湛えた儀式用の背の高い水盆など、まさに遺跡らしいものもその場に――いや、瞬間転移して場所が変わった。

(…この中から探せ、というのが試練なわけね。つまりここが最後の関門…)

十輪寺は黙考する。この、人命が懸かっている旅路の最中に無理をしてまでもその鍵と例えられたものを手に入れる価値があるのだろうか。それを行った場合のリスクと引き換えにできるほどの何かを得られるのだろうか。

ややあって彼女は他の鎖に手を伸ばした。……扉とは逆方向の、中心部に向かうために。

『…十輪寺?何を考えてるんだ…?』

法皇が狼狽するのに謝罪をしながらも、十輪寺は言い切った。

「ごめんなさい。これを、この試練を解き明かして乗り越えてこそ、私は自信を持てる気がするの。…今選択するべきじゃあないかもしれない。でも、何かの役に立つかもしれない。」

『…それが君の覚悟か。』

こくん、とうなずきながら十輪寺は鎖を伝って中心へ、上へと向かった。そして部屋を一望できるところにまで来て目をすがめる。その額には未だ冷や汗が流れていた。それでも挑むと、決めていた。

『…わかった。ただし、口は出させてもらうよ。仲間なんだから。』

「ありがとう。」

 

 

 ***

 

 

扉から隙間風が吹いてくる。不規則なタイミングで床に置かれたものの転移は起こっている。

「…?床から私が離れたのにまだ起こっているの?しかも時間が一定じゃないわ…」

十輪寺はたるんだ鎖に足を掛けながら事態を慎重に静観していた。…腕の力だけでぶら下がったままではとてもではないが体力が持たない。そのうえ鎖の上から物を見つけて取り、それで間髪おかずにまた鎖に戻って出口に向かわなければならないのだ。体力は温存しておくことに越したことはない。

『…今考えたんだが。』

法皇が前置きをして横から仮説を述べてくる。

『例えばこれがスタンドだとして、本体がいないのならば…トリガーが存在するんじゃあないか?』

「トリガー?」

『だって意思が伴わないわけだろう?ならば何をもってこの転移が引き起こされているというんだ。今のところ現象はランダムに起きている。…何かあるはずだよ。』

その言葉に十輪寺も転移の原因を探そうと目を凝らして見下ろす。幸いにも光源のおかげで中のものは壁の陰に隠れていない限りは見渡すことができている。法皇も慎重に十輪寺から離れその死角をカバーするように探索を開始した。

(何か。…不自然な何かがあるはず。)

天井から下がった燭台の炎が揺れるとともにまた転移が起こる。試しに木箱に近づいていた法皇がそれが目の前から消えた事に歯噛みする。

『くっ…これじゃあ調べることすらままならないぞ…!一体何が原因だ?』

「…整理しましょう。まず、私が床にいた時。一歩歩いただけで転移は起きた。」

目を走らせながら十輪寺は言う。風が額を撫でた。また物の配置が変わる。

『次、今のように何も床を踏んでない時に起こる転移。それの契機になるような…今起きたことは何だ?』

法皇の応答に十輪寺は眉根を寄せて考える。何か不自然なことは起きていないはずだ。ならば自然な何かだろう。――自然な、何か?

「……風?」

『何?』

「風が吹いたわ。扉から流れ込んでくる風。…まさか!」

十輪寺は燭台に再び目をやる。それにはっとしたように法皇も浮かび上がって部屋内部を注視した。

燭台の炎が揺れた。

転移が起きた。

「揺れた!」

『!!あたりだッ!十輪寺!!』

風と共に転移が起こる。そうして十輪寺はふと思い至った。

「あの扉…そういえば引き開けた時地面をこすっていた。隙間風一つ通さないような作りになっていたのね…!」

『…成程。これはそもそも1人で挑む試練ではないのかもしれないな。』

「というと?」

『扉はこの部屋から見たら外開きだ。開いた扉を地面に接さずに閉めなおすなんてできっこない。』

その言葉に確かに、と十輪寺は思い返す。入り口近くに鎖はあるが長さが足りないのだ。逆にすべてが終わった後に蹴破って出ることができる仕様、ともいうべきか。

「…でも風程度の接地でこれが起きるっていうならそれこそ地面に近づいた時点でアウトですよね。大本は別のものなんじゃないかしら。」

『それなら…心当たりがあるぞ。十輪寺。』

法皇は言いながら指をさす。

『思えばこんなものがあるなんて、不自然だったんだ。遺跡だからと見逃していたが、そうでもない限りこれはとても不自然なものだったんだ。』

炎が揺れるとともに、それの水面が、揺れた。転移が起きる。

『大本は……本体は十輪寺、あの水盆だ…!!』

再び転移して別の場所に現れた水盆を示しなおしながら、彼は言った。

 

 

 ***

 

 

十輪寺はごくりを唾をのんだ。その儀式用の水盆は今はさざ波一つなく沈黙している。

法皇の……花京院の仮説はおそらく正しいと直感が告げていた。水盆は妙に背が高い。それこそ鎖の先端ぎりぎりにぶら下がれば手を浸けることができるほどの高さだ。そしてこのギミックの骨端が、十輪寺には見えた。

「…床を歩く振動や風による振動であの水面が揺れる。でも、波紋を通したら水面の揺れは止められる…」

はっと法皇は十輪寺を見た。そしてしゅると水盆に近づいていく。そして彼はその中に沈められたものに気が付いた。

『石だ…石のような何かがあるぞ!』

「石?赤いですか?」

石と聞いて十輪寺がすぐに思い浮かべたのはエイジャの赤石だった。もしもまだ純度の高いそれが現存するのであればこの管理に納得がいく。だが違う、と法皇は首を振った。

「むしろ何の変哲もない石のようだが…。まるで金属片のようにも見えるとがった黒い石だよ。」

十輪寺は首をかしげながらも他の遺物をざっと見まわす。確かに貴重なものはあれど鍵と呼ばれるにふさわしいかといわれれば疑問を持つものばかりだ。

「…考えてもしょうがないですね。その石が何なのかわからないけど…やってみましょう。」

そして彼女は法皇に頼みごとをする。

「花京院さん、扉を閉じて向こうで待っててください。…必ず戻ります。」

『…5分だ。それまでに戻らないなら助け出す。』

 

 

ずずずと扉が閉ざされることにより炎が揺らめいて空間転移が起きたが、完全に閉ざされたのち、それはぴたりと収まった。ふうと一息ついて十輪寺は策を巡らせ始める。

(まず位置ね。長い鎖のところに水盆を誘導する必要がある。)

「…ネイビー・モビー・ディック、まずは服を吐き出してみて。」

彼女の分身が巨体をくゆらせ口からシャツを出す。一瞬ひらりと漂った後それは床に落ちた。――転移が起きる。水盆はすぐ近くまで転移したが鎖の長さが足りない。

「この程度の振動でも転移するのか…。今積載してるもので一番多かったものって何だったかな…」

鎖の上でバランスを取りながら十輪寺は思案し、とりあえず余分に積んでいたものを思い出しては吐き出させていった。何個か物を落とし、水筒がからんと音を立てて落とした時ちょうど長い鎖のすぐ下に水盆が転移した。

(来た!慎重にいかなければ…!)

波紋の呼吸を整えて彼女は鎖を伝っていく。機敏に、しかし風を立てないようにできる限り天井に近い所を伝ってその鎖の所を目指す。汗が滴った。指先に波紋を集中させて鎖にくっつく波紋を流していく。2分といったところだろうか。やっと目的の鎖にたどり着く。花京院に告げられた時間まであと3分弱。それに十輪寺の体力と緊張の糸がどこまで持つかわからない。意地を通すためには早期決着が望ましい。

十輪寺は慎重に慎重に鎖を降りていく。腕に余計な力が入るが気にしていられない。あともう少しで片腕を伸ばせば届くかといったところで……汗が、一滴したたり落ちた。

「!!」

まずい。反射的に十輪寺は鎖を揺らして壁を蹴り、水盆の方に飛び込んだ。振動で水盆が転移する前にかたをつけなければならない。両手に波紋を集中させる。彼女が最も得意とする水を操る波紋。指先が水に触れた瞬間水面が氷のように固定された。そのまま落下の勢いで手を水中に沈めつつもう片手で水盆の淵にぶら下がった。波紋の光が迸る中、十輪寺は沈められていた石を掴んだ。

 

 

波紋を流しながら彼女は水盆をよじ登ろうとした。だが、それより先に恐ろしいことが起きてしまった。……勢いのまま衝突するように飛び込んできた彼女の重量に、水盆が耐え切れなかったのだ。その軸はあまりにも細く、地面に固定されているわけでもなかった。――水盆が、傾き始めたのだ。

「!!」

掴まった状態だった十輪寺にはどうすることもできなかった。ガシャン、と音を立てて水盆は倒れる。その拍子に十輪寺は水盆から離れてしまった。

風景が切り替わった。水盆が消失するとともにまたしても風景がどんどんと移り変わっていくいく。

(まずい!倒れたことによって予期せぬ反応が起こり始めたんだ!!)

変わっていく風景の中、十輪寺は身動きが取れなかった。天井の鎖に掴まろうにもすぐに場が置き換わるため狙いが定められない。

(…こうなったら…!一か八か!!)

十輪寺は覚悟を決めて起き上がりざま波紋の呼吸で跳躍した。――鎖に掴まるためではない。出口を見つけるためだ。飛び上がった一瞬の中で扉の方を見定める。

「モビー!アンガーテイル!!」

自分の足元に鯨の尾を出現させて、振りかぶらせた。

 

 

 ***

 

 

「…で、得られたその石が何だっていうんだろーな?」

洞穴から出たことで目を眩ませながら高校生3人は話し出す。

「わかりません…こればっかりは研究者さんに丸投げかなあ。でもなんか使い道あるかもしれないし、この旅の間はお守りがわりに持っとこう。」

訝し気な2人に対し十輪寺はどこか晴れやかだ。よほど遺跡の仕掛けを突破できたことが嬉しかったらしい。無茶をする奴だと思いながらも承太郎は黙っておいた。

「さて、今15時か…そろそろ合流地点に向かおう。そういえばジョースターさん虫刺されは大丈夫かな?」

「へーきだろ。あのじじいのしぶとさはピカイチだからな。」

「そんなこと言って…ジョースターさんだってお歳なんですからね?」

やいのと言い合う3人はまだ知らない。今夜のためにせっかくとった宿が、その虫刺されが原因でふいにされてしまうことを。



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パキスタン、霧の街

デリーで四輪駆動を入手した一行は次の国、パキスタンへとむけて一路西へと荒れ地を突き進む。道中あの家出少女ことアンと再会したのには驚いたが、なし崩し的に空港まで同行させるしかなかった。

アンが世界を見て回りたいと話す中、誰も聞いてない一行のごとく十輪寺もまた思案にふけっていた。

(最近ぱったり夢を見なくなっちゃったのは、なんでだろう。)

それは十輪寺を苦しめていた予知夢の件だった。インドに入ってからこのかた、アヴドゥルの時の白昼夢以外は何も見ていないのだ。…それこそ、毎晩のように見ていた花京院の死ぬ予知ですら。おかげで最近目覚めは良いが、逆にそれが時折彼女の不安をあおって仕方がない。

(まさかあの石のせいだったりして。でもちょっと時期がずれるかな…)

最後に花京院の夢を見たのは、それこそ船の上だったはず。…つまり彼に予言をしてからパタリと止まったというわけだ。そのことに表情には出さないが彼女は苦渋する。

(全くつかめなかった…DIOが何をしてくるのかわからない。)

仲間の死によって見えかけた敵のスタンド能力が十輪寺は解けずにいる。皮肉なことだと思う。精神をすり減らすことがなくなった代わりに糸口は遠ざかった。

花京院は自身の夢のことを仲間の誰にも話していないらしい。十輪寺も当然、怖くて話せたものではなかった。

そんなことを考えていると急にクラクションが鳴った。先ほど追い越していった車が後方から煽ってきているようだった。

 

 

「おい!無茶な!承太郎!ジョースターさんまで!!」

街道の茶屋。一行は先程の事故を誘発してきた車の運転手をあぶりだそうと暴挙に及んでいる。花京院が止めようとする中、十輪寺はアンと呆然として様子を見ていた。

(いや、あそこまでされたし気持ちはわかるけど…)

だからといって一般人の可能性が高い人たちに手を出す気には到底なれない。ポルナレフが1人の客に手を上げようとした瞬間、背後からバタンと車の戸を閉じる音がした。一同がはっとして振り返るとその車は走り去っていく。

「俺たち…ひょっとしておちょくられたのか!?」

(ひょっとしてなくても、おちょくられてると思う。)

内心そう思いながらも十輪寺は四駆に乗り込む一同を止めはしない。はたしてこの相手は敵の追っ手なのだろうか。とりあえずアンを白鯨に飲み込ませた方がいいのだろうかと判断を仰ぐ前に車は急発進してしまった。

――そうこうしているうちに敵…『運命の車輪(ホウィール・オブ・フォーチュン)』は承太郎と花京院の活躍によってあっさりと倒されてしまったのだが。

 

 

 ***

 

 

「う~ん…モビー・ディックが車を飲み込めるくらいでかければもっと便利なのかもしれない…」

「それは求め過ぎってもんだぜユイ。十分いろんなもの積み込めてるじゃあねーか。」

ベッドに腰かけた能天気な声が応答するのに十輪寺は答える。

「でもポルナレフ、あの戦いで少しも役に立てなかったのはちょっと癪なの…」

「…それは俺も同じだから言うなって。」

その後一昼夜荒原を走り抜けて一行は国境を超えた。今はパキスタンのラホールという街で無事宿をとり休息中である。ここはポルナレフと花京院の部屋。することが特になかった十輪寺は要するに駄弁りにこの部屋を訪ねた。ちなみに夢のことを話して以来ポルナレフとはため口である。彼の持つ雰囲気が十輪寺の堅苦しさを取っ払ったのだ。

「そういえばあの家出っ子は?」

「ああ…空条先輩と離れたくないって駄々こねにあちらの部屋に。こちらこそ花京院は?」

「飲み物買いに行ったぜ。あいつはい~よなァ、遠距離見えるから。単独行動してもなんも文句言えねぇわ。」

べーと舌を出しながらポルナレフはおどける。それに笑い返しながら十輪寺も言った。

「そんなこと言って…。シルバーチャリオッツは純粋に強いじゃない。レイピアなんて珍しいしどうやって鍛えたの?」

「ん~?ちっせえ頃はこいつも結構自由に動き回っててな。最初は遊びがてらチャンバラやってたんだが、親父とお袋が亡くなってからは本格的に鍛えだしたって感じだ。」

彼はさらりと自身の重たい過去を話す。ウィンクまでして言うのだから本当にタフな人だと十輪寺は思いながら微笑み返した。

「私も似たようなものかな。夢を見だしてから怖くなって波紋を学んだの。まだまだ全然だけどね。」

「まだ上目指してんのかァ!真面目ちゃんだなあ。そういうトコ肩の力抜いたほうがいいぜ?」

ポルナレフは大仰に言って肩をすくめる。

「もっとこう、年頃の女の子なんだからおしゃれとか恋とかそっちに気を使ってみろよな~」

「あ、そういうのはいいです。」

「即答かよ…」

手を振りながらにこにこ笑って言う十輪寺にげーと辟易したような表情をポルナレフは返した。それを見て十輪寺は吹き出した。

「だって物心ついてからこれなんですもん。今更軌道修正なんて難しいわ。」

「そんなことないと思うぜ?あの家出娘だってどう化けるか…女の子は変わるもんだからなあ。」

ポルナレフはおもむろにベッドから立ち上がり荷物から櫛を取り出す。そしてドレッサーの前でわざと恭しく礼をした。

「さてお嬢様。まずは形から入ってみるのも楽しいと思うぜ?試しにやってみっか?」

ポルナレフの意外な行動に十輪寺はぱちくりと瞬きした。

 

 

部屋の前まで戻ってくると中から楽しそうな笑い声が2つする。トーンからして十輪寺が遊びに来ているようだ。そう判断して扉を開けた花京院の目の前には不思議な光景があった。

「…何やってるんだ2人とも?」

「おーおかえり花京院!」

「お帰りなさい。見ての通り、髪の毛いじってもらってるの。」

目線だけ花京院によこした彼女の亜麻色の髪は確かに、こめかみから結び目にかけて編み込みがなされていた。十輪寺はくすぐったそうに笑う。

「ポルナレフがおしゃれは形からなんていうから。」

「そりゃこんな旅の中じゃ癒しが必要だろォ?」

ポルナレフは器用なことにするすると束ねた先も三つ編みにしていく。花京院も思わず笑みを浮かべて茶々を入れることにした。

「やましいことは考えてないだろうな?十輪寺、そう思ったら波紋使っていいんだぞ?」

「わかってる。これでも呼吸は整えてるのよ?」

「おいおいなんだよお前ら!ひでェんじゃねーの!?」

2人がこんなことを言ってしまうのはポルナレフの懐が広いからだ。つい辛辣なことを言ってからかいたくなる。それでも許してくれるのが彼の度量の深さだろう。

しかし、と花京院は首をかしげながらベッドに腰かけた。

「慣れたもんだな。君にそんな繊細なことができるとは思ってなかったよ。」

「あぁ!?口が減らないおぼっちゃまだなァ!よくシェリーにやってやったんだよ。これくらい慣れっこだぜ。」

にかっと笑って彼は予備のヘアゴムを手に取る。ポルナレフは平素の陽気さに似合わぬ過去を抱えた1人の大人なのだと再認識して、2人は思わずぎこちない笑みを浮かべた。それを見て見ぬふりすることも彼は得意なようだった。

「女の子は髪も命だぜ?ユイ。お前こんな旅だからって手を抜いてるだろ?オニイチャンわかっちゃうんだよな~。」

「…バレました?」

鏡越しに上目遣いでポルナレフを窺う十輪寺にこつんとこぶしを頭に当ててポルナレフは言う。

「俺や花京院が気を使ってるのにお前ときたら…。ほれ、フィニッシュだ!」

言って彼はパッと手を挙げた。その顔はにやりと笑って満足気である。十輪寺も鏡の前でこめかみの編み込みを確認しながら楽しそうだ。

「わぁ…!凄い!たまにはこういうのもいいかも…」

「お、乗り気だな?じゃあ明日の朝もやってやるよ!」

やいのと盛り上がる2人を見て、兄弟がいたらこういう感じなのだろうかと花京院は思う。似合う?と聞いてくる十輪寺にうなずき返して彼は今しがた買ってきた水の瓶を開けるのだった。

 

 

 ***

 

 

そんな平穏な夜を過ごした後は、道なき道をただひたすらにカラチに向けて南下するパキスタン縦断の旅となった。いつのまにやら濃霧まで立ちこめるようになってくる。悪路が続く中崖下に街が見えたので、一行は少し早いが宿を取ろうと相成った。

「なかなかきれいな街じゃ。ホテルもありそうだな。」

ジョセフがそう言いながら先導する中、十輪寺は得も知れぬ妙な不安感に囚われていた。

(この感覚…覚えがある。何だったっけ…)

街は異様に静かで歩く人々の囁きすら聞こえない。彼らはただ粛々と生活をしている。それも相まってなのか言い表せぬ不気味さが彼女に警鐘を鳴らす。

「どうしたユイ?」

「…ううん、何でもない。」

前髪をかき上げながら十輪寺は笑って誤魔化した。承太郎と花京院も彼女をちらりと見たのち街のほうに目をやる。…彼らも若干この地の様子が引っかかっているようだった。

視界の端でレストランの店主にすげなく会話を打ち切られたジョセフを捉えつつ十輪寺は考えた。そしてはたと気が付く。

(…あ。あの時と、似てるんだ。貨物船の時と…)

静かにかかるプレッシャー。裏で誰かが手ぐすね引いているような予感。何故かはわからないがそのような感覚に彼女はまた陥っている。

(…どうか何もありませんように。)

見上げた空は濃霧に包まれている。彼女がそれに気を取られているのと同時にポルナレフから叫び声が上がり、皆はっとしてそちらに向き直った。

 

 

「…テレビは映らんか。やっぱり怪しいのォ…」

こんこんと備え付けのテレビをたたきながらジョセフが言う。不気味なこの街で穴ぼこだらけの死体を見つけたのち、宿をとって現在その一室で会話中である。

「これでは念写も念聴もできないですね。十輪寺ももうカメラのストックがないんだろう?」

「…ええ。怪しい街だというのに。」

彼女は表情を曇らせる。旅路の最中、少しでも刺客やDIOの情報を得ようと積載していたカメラを使ったことがあだとなった。よりによってこのタイミングで切れるとは。

「…いずれにしろおかしいな。君もそう思うんだろう?空条。」

「ああ。俺はあの婆さんも警戒すべきだと思うぜテンメイ。」

2人は常にない呼び方でお互いに声をかける。それを見て「わしもやっとくんじゃったなあ」とぼやくのはジョセフだ。それに同意するように十輪寺も軽くうなずいた。

「しかしの…念写で映るのは暗闇とDIOばかりと考えると何らかの邪魔をされてるとしか考えられんのじゃ。」

今までに念写で出てきたのはDIOの姿のみで、新たな刺客の情報は皆無だった。そして時折ジョースター2人が感じる『見られた』という感覚。

「…ハーミットパープルと類似するスタンド使いが向こうにもいるのでしょうか?」

「遺跡でのことを考えると物、という可能性もあるがね…」

十輪寺の言葉に花京院がぼそりという。それにそういえば、とジョセフが十輪寺を見た。

「お前さんが遺跡でとってきた石とやらをゆっくり見てなかったな…。ちと見せてくれんかね?」

はい、と応答して十輪寺は石を彼に手渡す。ジョセフはためつすがめつしてフームと顎に手を当てた。

「一見ただの鉄鉱石だのぉ。じゃが、儀式的な何かに使うとなれば…隕鉄の可能性も出てくるな。」

「隕鉄?」

学生3人組は聞きなれぬ言葉に疑問符を浮かべる。ジョセフはほれ、と石を十輪寺に返しながら言った。

「隕石じゃよ。大昔は空からもたらされた鉱石として珍重されとったんじゃ。それで剣を作ったりなんだりしてな。…まァ波紋でなんで隕石を守ってたのかはさっぱりじゃが。」

そう締めくくってこの話は終わった。話題はもとの敵襲の話に帰る。だが、答えは霧の街よろしく五里霧中で出ることはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「…ポルナレフが遅い。気になるから見てくるぜ。」

そう言い残して承太郎は階下へ行った。残った3人はばらけるのもよくないと部屋にとどまったままである。

「ほんと何なんでしょう、この街…人の騒めきすらしないなんて、やっぱりおかしい。」

窓の外を見ながら十輪寺がぽつんとつぶやくのにジョセフも唸る。

「警戒するに越したことはないが、まさか街1つを飲み込むようなスタンドなんてあるわけないと思いたいんじゃが…」

「わかりませんよ…あの貨物船の件があります。いつでも迎え撃てるようにしておかないと、ですね。」

3人は顔を見合わせて今度は部屋のドアを見た。確かにポルナレフが帰ってくるには遅すぎる。大方宿の女将と話しているのだろうが、その人物も他のメンバーから見たら要注意人物だ。

「まったく…危機感を持ってほしいものだな。」

花京院が嘆息するのに苦笑いを返しながらジョセフは言った。

「それもポルナレフの良い所ではあるんじゃがな。…この状況、対策は練らねばなるまい。十輪寺、すまんが夢は見ていないのだね?」

「…はい。何も。」

十輪寺が表情を曇らせるのに違うのじゃよ、と手を振りながら彼は続ける。

「お前さんは気にしすぎじゃ。こういう時は臨機応変に対応できるよう肩の力を抜いてな。」

にかっとジョセフが笑った時だった。

 

 

ひたひた、と急に廊下から何人かの人が近づいてくる音がした。高校生2人がはっと身構えるのにジョセフは人差し指を唇に当て制する。足音のようなそれはまだ止まらない。音の数と歩き方からしてポルナレフと承太郎ではない。足音は部屋の目前まで来た。途端ピタリ、と止まる。

『…包囲された、か。僕が隙間から見ましょうか。』

『いや、スタンド使いだったら厄介じゃ。ここから構えておいてくれ。』

スタンドの性質上ジョセフは攻撃手段に乏しい。そして十輪寺は確実に部屋を破壊してしまう上に一撃ごとの隙もでかい。この、扉を挟んだ狭い通路という場での攻撃に適しているのは花京院だろう。彼はそろりと扉の前に陣取る。

…沈黙がしばし続いた後、それは唐突に起こった。ガタタンと大きな音を立てて扉が大きくたわんだ。そしてそれを突き破って人が、確かに現地民がなだれ込んできた。

「一般人だと…!?操られ…!」

「花京院わしが代わるッ!ハーミットパープル!!」

なだれ込んでくる人は正気とは思えない形相をしている。だが仮にも一般人だ、傷つけるわけにもいかない。咄嗟にジョセフは花京院を下がらせ人々の進路を茨で塞いだ。

「くう…ッ何じゃこの数は!?ハーミットパープルが押されとる!」

花京院も法皇をクモの巣状に展開させてそれに加勢するが如何せん何の変哲もないホテルだ、壁に茨と触脚を突き立てても杭の役割にはならない。2人が作り上げた紫と緑の網から武器を持った腕が隙間を縫って出てきて振り回される。

「Shit!この数じゃあ時間の問題じゃ!」

その時十輪寺はあるものを目撃した。その飛び出した腕に空いた穴。後方の人の顔に這っていった虫。そしてどこかから漂う肉の腐ったような臭い。

「まさか」

呆然と十輪寺がつぶやいたのに何事かと2人は振り返る。それに十輪寺は、言った。

「この人たち…ゾンビなんじゃあ…」

「…!ま、まさか…街1つを犠牲にしたとッ!?」

ごくりと唾を飲み込んで十輪寺は一歩踏み出した。

「波紋ならわかります。人間なら気絶するしゾンビなら溶ける。それだけです。」

言って彼女は身に着けたマフラーをしゅるりと解いて飛び出た腕に向かって放った。

山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)!!』

バチバチと音を立てて閃光が飛ぶ。固唾をのむ3人の前の人の群れは、果たして。

「えっ…!?」

びりりと引きちぎられるマフラー。ものともしていない人の波。――彼女の予想とは全く違う挙動。

「波紋が効かない!?」

ぎちぎちと人の圧は高まっていく。生きているか死んでいるかわからない人の山。このままでは決壊する。

「やむ負えん!十輪寺、アンガーテイルを撃ちこんでくれッ!!タイミングを合わせるぞ!!」

十輪寺がうなずいてさっと前に出る。とともに白鯨はその尾を床から出現させた。…ここはすでに敵地だ。ホテルを破壊することになっても敵は倒さねばならない。

花京院とジョセフが同時にスタンドを消した。人の波が前のめりに倒れ込みそうになる一瞬をついて錨の尾は人波を吹き飛ばすように思い切り振りかぶった。

「アンガーテイル!!」

めきゃりと嫌な音を立てて先頭の者に尾が激突した。勢いのまま人の波ごと後方にボンと吹っ飛んでいく。人の波は廊下の向かいの壁にしたたかにぶつかった。

「Oh…パワー型はほんとシャレにならん威力じゃの…」

「言ってる場合じゃないです!相手は波紋も効かないんですよ!?この程度でなんとかできたとは思えない…!」

十輪寺とモビー・ディックは再び構える。そしてその予測通り亡者はゆらりと立ち上がりつつあった。

「どうします…!?これじゃあ消耗戦です!私じゃあラッシュができないから食い止められるのも少しの間だけ…!」

「敵本体を叩くしかないだろう。幸い相手は人だ、スタンドを攻撃はできない。僕が這わせて追ってみるッ!」

「頼んだぞ花京院、わしと十輪寺で捌く!階下の承太郎たちが動いてるといいのじゃが…!」

死人が1人包丁片手に飛び出してくるのを茨で受け止めながらジョセフは早口にまくしたてる。その人物の腹に波紋を込めた蹴りを放ち十輪寺はジョセフをかばうように立った。

「モビー、もう一度だ!」

3人ほどが徒党を組んで襲ってくるのを尾ではじき返しながら自分のほうも亡者を足払いする。十輪寺の頭上を紫の茨がひゅっと通り抜け横なぎに人を払う。その足元の隙間を縫って触脚が走って階下に向かっていった。

「まずは承太郎たちを見つけ…っ!?」

花京院は触脚を通してみた光景に息をのんだ。1階で繰り広げられていたのは亡者の群れと1人奮戦する承太郎。こちらよりも多い人数を彼は難なく吹き飛ばしていく。

『承太郎!』

『花京院か、丁度いい。その婆さんが本体だ、ちょいと締め上げな。』

足に怪我をしているというのに至極堂々と冷静な彼を前に一拍反応が遅れたが、ああ、と応答して法皇は老婆の背後からひゅるりと忍び寄ってその首を取った。

 

 

 ***

 

 

「おほんおほん!…だからど~でもいいだろうがよォ!訊くなって!!」

激しい咳ばらいをしながらポルナレフが誤魔化し、ジョセフがからかう。先ほどまでの緊迫感はどこへ行ったのやら…と十輪寺は苦笑しながら救急セットを出した。敵の老婆はもう拘束して波紋を流してある。そうそう目が覚めることはないだろう。

「皆…外へ出てみろ。」

ふと承太郎の声がして皆顔を見合わせ外に出てみる。すると、そこには今まで確かにあったはずの街が、ない。そこにあったのは。

「…ここは荒野の墓場だったのか。」

「今度は街全体がスタンドだったのかという感じだが…」

各々がそれぞれの反応を示す中、十輪寺は思わず老婆のほうを振り返っていた。ジョセフも同じ心地だったらしい、ポツリと言葉を漏らす。

「スタンドの霧で街に仕立て上げたうえに墓下の死体を操る…この婆さん、とんでもない執念だ。」

そのまま話は老婆の処遇へと移っていく。

「この婆さんは連れて行く。幸い気絶させるには波紋が使えるし、喋ってもらわないとならないことがたくさんある。」

「…DIOのスタンドと刺客の情報、ですね。そう簡単に口を割るとは思えませんが…」

花京院の言葉にジョセフは己のスタンドを出した。

「わしのハーミットパープルを忘れるなよ…?」

「なるほど!そしたらテレビのある次の街で…」

一行が話し合っている時だった。この場にいた闖入者の存在を、彼らは完全に忘れていた。ジープのエンジン音がして振り返るとその先には走り去っていく車とホル・ホース。

「あの野郎!我々のジープをッ!!」

「俺はやっぱりDIOにつくぜ!忠告しておいてやるがその婆さんはすぐ殺したほうがいい!さもないとDIOの恐ろしさを改めて思い知ることになるぜ!」

ひひひと笑いながら彼は言い残して荒野の先に消えていった。

 

 

「~ッ!!んの野郎!!アヴドゥルの時といい今回といいッ!!今度会ったらただじゃあおかねぇ!!」

ポルナレフが地団太を踏みながらホル・ホースを罵る。――もっともアヴドゥルは今インドの病院で静養中ではあるのだが。

ともあれ、足がなくなった以上次の街までは歩きということになる。それには一行も頭を抱えざる負えなかった。

「…やっぱりモビーがもうちょっと大きければ…」

「それ以上大きいのも考えもんだがな。やれやれだぜ。」

はぁとため息をつく十輪寺の隣には老婆を背負った承太郎。当初老婆をモビー・ディックに飲み込ませようかと提案したのだが、老婆が目を覚ました瞬間に内側から攻撃されたらまずいということになって男メンバーが交代で背負うことになったのだ。時刻はもう日がほぼ傾いている16時30分頃。町はおろか民家一軒も見つからない。崖路を上ったので皆疲労が見えている。

「…潮時かの。ここは開けておるしテントを張るか。十輪寺、お前さんがいるから荷物の心配はしなくてすんでるんじゃ。それこそ車なんて飲み込んでみぃ…代償がありそうで怖いわい。」

ジョセフはぶるりと体を震わすジェスチャーをする。それに合わせて十輪寺も顎に手をやって応答した。

「重さで顎が外れちゃったりして。」

「シャレにならないぞ!だから高望みはやめるんじゃな!」

あはは、と笑い返して十輪寺はテントを吐き出させた。もうこの準備も皆慣れたものだ。いつもよりちょっぴりハードな環境での野営。ただ、それだけだった。

だから十輪寺は油断していた。久しくそれから離れていたことも相まってなのかもしれない。

 

 

 ***

 

 

―…え?

目が覚めた、と思ったら私はその場に立ち尽くしていた。街の中、日は中天に差し掛かっている。

―これは…予知夢!!

ざっと周囲を見回す。露店が立ち並ぶ大通り、壁のいたるところに張られたポスターと看板から察するに、ここはカラチ。

後方に馬車があった。旅のメンバー、相変わらず私は居ない。それを視認した瞬間からそれが始まった。

老婆の目から、鼻から、口から…触手があふれ出した。

「あばばばばぁ!!!」

老婆が馬車から転げ落ちながら叫ぶ。

「何故貴様がわしを殺しに来るぅぅぅ!!!」

振り返ると男が1人。4人を前にして端然と名乗りを上げていた。老婆の体を侵食する触手。

「DIO様がわしに肉の芽を植えるはずが…」

―肉の芽ですって!?

ぞわりと悪寒が走った。花京院とポルナレフに植わっていた、それが。思わず目が釘付けになる。急に耳が遠くなったような足元から崩れ落ちてしまいそうな感覚にとらわれる。

ジョースターさんが老婆に駆け寄ったところで、後ろにぐんと体を引かれた。

「DIO様は、わしを信頼してくれている…言えるか。」

老婆の最期の言葉が嫌に耳に残った。




ストックが無くなりかけているので次回から不定期更新にさせていただきます。


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蝶の羽ばたきは時として残酷で

「ひっ…!」

小さな悲鳴を上げて十輪寺は飛び起きた。テントは女である十輪寺に配慮して1人用のため、その悲鳴を聞き取ったものはいない。彼女は慌てて外していた腕時計に手をかけて時刻を確認する。2:24。いつも夢を見る時刻帯だ。肩で軽く息をしながら時計を握り締める。

どうするべきか。十輪寺の頭の中はそれで埋め尽くされていた。これは独りで抱えていい案件ではない、すぐにでも報告すべきだろう。握り締めていた手をそっと開く。白くなった手に血色が戻っていく。それを確認してしばしののち、十輪寺は寝袋から身を引きずるように這い出てテントのドアに手をかけた。

 

 

エンヤ婆を交えての旅路だったため、一行は今夜見張りを1人立てて交代制にしていた。テントから十輪寺が出ると、焚火に当たる承太郎が寝ずの番でそこにいた。胡乱げに承太郎は彼女を見やる。

「交代にはまだちと早いぜ。」

「……」

十輪寺は彼を見、その対角に寝かされたエンヤを見、そろりそろりと承太郎の隣に向かう。その間エンヤから視線を外すことができなかった。その様子を承太郎は訝しむが、聡い彼はすぐに気が付いた。

「…何を見た?」

淡々と彼は訊くがその表情はわずかに曇っている。十輪寺は声を小さく、絞り出すようにしてとつとつと語りだした。

「あのお婆さんが、次の刺客に殺されます。肉の芽を埋め込まれて…」

「肉の芽?…妙だな。あの婆さんには植わってないぜ。」

「よくわかりませんが、もしかしたら体内に埋め込まれてるのかも…。でもそれだと波紋を流した時に対処できてるはず…」

十輪寺の言葉に承太郎はいよいよ眉をゆがめて答える。

「敵は後から肉の芽を持ってきて植えられるってことだろうな。…他に分かったことは?」

「場所はおそらくカラチ。時刻は太陽が上に昇っている頃だから昼前でしょう。私たちは馬車で移動している。お婆さんの発言からして情報は得られなかった。…次の刺客ははねっ毛で黒髪の男、顔を見れば一発で分かります。」

「…詳細だな。」

「慣れてるので。」

十輪寺はその時になってやっとエンヤから目を離し承太郎に弱弱しく笑いかけた。それに不満そうな顔を返しながら承太郎は答える。

「…全員の意見をまとめる必要があるな。だが時間的に起こすには早すぎる。テメーも休んどけ。見張りは慎重にやっておく。」

有無を言わさぬその発言を聞いて、静かに返事をして彼女はテントに戻った。

眠気が再び襲ってくることはなかった。

 

 

 ***

 

 

「……拙いことになったな。」

早朝、焚火の跡を前に囲んで一堂は会した。話を聞いたジョセフは顎に手を当て考え込む。十輪寺の予知夢では、街に入った後情報を得る間もなく刺客にエンヤを殺される。敵対し、こちらを憎悪している相手とはいえ生かして捕らえた以上斯様な最期をとげさせる訳にもいかない。だが、情報を得るためにはカラチに出てテレビを入手し動かさなければならない。万が一のために小型発電機はモビー・ディックに積載している。だがテレビは考えてもみなかった。発電量で念写をあがなえるだけの時間を稼げるかも未知数だ。

「俺は街の中に入らなければいいと思うね。ユイがテレビ買って街の外まで運んでくれればいい。そうすれば婆さんと刺客が鉢合うこともない。」

ポルナレフがいつになく真剣な顔をして件の老婆に目をやりながら言った。一番憎まれている彼として思うところはあるのだろうが、彼は善の人だ。エンヤを死なせるのは嫌なのだろう。

「確かにそれが最善な気もするが…どのみちこのままこの老婆を抱えたままというわけにもいかない。どこかで見切りをつける必要が出ます。」

冷徹に切り返すのは花京院。老婆のほうに視線はやるがポルナレフに比べて情はない。同じ、と前置きして承太郎も続く。

「この婆さんはおそらく『知りすぎてる』んだろうぜ。それに想定が正しいなら敵は何らかの方法で肉の芽を植えられる。波紋があるとはいえそもそも街に入るのすら避けたほうがいい。」

「…ならば…この老婆を説得する、というのも視野に入れるか。」

ジョセフが言うのに十輪寺が待ったをかけた。

「この人はいまわの際でもDIOを信じ切っていました。話す気がさらさらないといったように。だから、それは危険かもしれません。」

それに、と十輪寺はうつむいて言った。

「…散々予知を変えてきた私が言うのはおかしいですが、予知と乖離した場合どうなるのかが予想付かないんです。敵と別のところで鉢合わせしたらこちらに危険が及ぶ可能性も。」

その言葉に全員一瞬沈黙する。それに対し、だが……と続けたのはジョセフだった。

「花京院の言った通りじゃ…いずれ、この婆さんを解放する必要がある。しかしスタンドの性質から言って財団に預けるのもなかなかにまずい。一般人が対処できるラインを超えとる。」

彼は再び手を顔にやって真剣に悩みだした。

「かといってこのまま見殺しにするのはいかん。…十輪寺、君は波紋による暗示は使えるか?」

「…持って1時間、それも表層的なものです。根底に信仰心や復讐心があるのであれば、どうにかできるものではないかと…」

「では、その1時間で決着をつけて情報を引き出すというのは?先手を打たれる前に情報を得てしまえばこの老婆が殺される可能性も低くなるはず。だって敵の目的は情報漏洩を防ぐことなのですから。」

花京院の言葉にポルナレフがそうだ、と加勢する。

「ジョースターさんも波紋が使えるんだろ?こう、2人で相乗効果的に何とかできねぇのかな…。ユイの力を底上げする感じで。」

「ううむ…わし自身は人間相手に経験ないんじゃよね…だが呼吸を合わせれば何とかなるか…?」

十輪寺とジョセフが顔を見合わせた。十輪寺は「ジョースターさんに従います」という。この場で最も年長で意見をまとめることに長けているのは紛れもなく彼だ。皆もジョセフの決定を待つ。

ジョセフが下した判断は、賭けに出るほうだった。

「今、これから婆さんを説得する。波紋で精神安定をさせながら、な。それで駄目なら即気絶させて念写にしよう。…街に入るのは十輪寺とわし。婆さんは街の外に置いていく。…これでいいかな?」

 

 

 ***

 

 

「では、ジョースターさん。呼吸は私に合わせてください。」

十輪寺の言葉に過去の友を一瞬思い浮かべつつ、ジョセフはそれを表には出さずにうなずいた。あの時も人命がかかっていた。…波紋を使うときは、いつもそうだった。

呼吸を整えていく。2人が集中しているのを他の3人は固唾をのんで見守った。十輪寺がうなずいて老婆に手を伸ばすのと同時にジョセフも老婆に触れた。ぱちぱちと僅かな閃光がほとばしった。そののち。

エンヤがゆっくりと目を覚ます。ぼんやりとした目つき。殺気は感じない。ポルナレフと花京院を目に映してもそれは変わらない。

成功か、とジョセフを十輪寺に目をやるが彼女は老婆をじっと見据えて集中している。何が何でも抑え込む気でいるのだろう、その緑の目はどこまでも真剣だ。

彼女は呼吸を乱さない。そう判断して、ジョセフが質問を切り出した。

「…単刀直入に言うぞ、婆さん。DIOのスタンドの正体を教えてほしい。さもなくば、あんたは刺客に殺される。」

エンヤは沈黙する。その目が、順々に一行を捉えていき……ややあって光を取り戻した後、くっくっくと笑い出した。

「…このエンヤが憎きジョースターにそれを明かすと思うてか?ん?」

老婆は歯を剥き出して不気味に笑った。

「わしとDIO様は、信頼しあっておる。…DIO様がこのわしを殺す?そんなこと、あるはずがない。」

静かに、だが確信しているように老婆は言葉を吐いた。霧の街では全く見せなかった聡明さと老獪さが垣間見える。――波紋が効いているのだ。これがおそらくこの老婆の冷静な時の態度なのであろう。

「そもそもどこのどいつが殺しに来るというのじゃ?それを何故貴様らが確信し、こうしてまじないごとを介してまで尋問してるというのだね?ええ?」

余裕綽々。そのうえ逆にこちらの意図を読み透かそうとまでしている。思わずポルナレフが前に出た。

「ごたごた言ってんじゃねーよ婆さ…」

「ポルナレフ。僕たちでは刺激することになる、下がるんだ。」

エンヤの愛息子を殺した自分たちでは分が悪い。そう説き伏せて花京院はポルナレフを下がらせた。老婆はその様子になおも笑い続ける。

「図星かえ?…なるほど、アヴドゥル並みのまじない師がまだいるらしいの。じゃがその占いは外れるぞえ。DIO様がそんなことをする筈がないのじゃからな。」

かっかっかと声を上げてエンヤは空を見上げた。

「あ~可笑しいわい!目を覚ましてみれば何事か!ジョースターがこうべも垂れず情報をわしにねだってくるとは!落ちたもんじゃのう!」

「…安い挑発には乗らんぞ、婆さん。本当にあんたの命が危ないから言ってるのじゃ。このままでは本当に殺される。情報さえ吐いてくれれば安全なところに逃がそう。」

ジョセフが老婆の顔をのぞき込みながら言うのに、老婆はぎょろりと目を合わせて切り返してきた。

「…わしの思考を乱そうとしているのはお前じゃないな?ジョセフ・ジョースター?」

はっとジョセフが息をのんで十輪寺を見やると、彼女は額に冷や汗を浮かべていた。――彼女は、秘密裏にエンヤをさらに深い暗示にかけようとしていたのだ。エンヤも視線を十輪寺に移す。

「成程、成程…小娘、まじない師はお前かえ。それもただの占いの類ではないと見た。DIO様の為を思って波紋については一通り調べておる。天性の才を持った預言者だな?なれば斯様な結論に至ったのがよおくわかったよ。」

――その言葉は、預言の肯定。だが、老婆は余裕を崩さずにやりと笑ったのだ。

「せいぜい足搔くといい。これから仲間が次々と死んでいく予知に苦しみながらも、どうにもできない自分自身になァ。」

「ジョースターさん、これまでです。情報は取れません。」

十輪寺が唇をかみながら早口に告げた。だがジョセフは諦めなかった。

「このままだと殺されるんじゃぞ!?婆さん!!」

「DIO様は見ておられる。ここまでされて情報を吐かないわしを見ておられる!未来を変えるというのならもっと慎重に事を運ぶべきだったなぁ!!」

高笑いしだす老婆に皆が底知れぬ畏怖を感じかけた瞬間だった。

「だがな、婆さん。あんた、失敗したんだぜ。」

承太郎がポツリと漏らした言葉にエンヤはピタリ、と高笑いをやめた。

「…埒が明かねぇ。やはりハーミットパープルで…」

承太郎が続けようとした時、老婆も今までの老獪さが嘘のように一言をこぼした。

「そうか…わしは、失敗したんじゃもんなぁ…」

皆が老婆に視線を戻した。もしかしたらという期待もあったのかもしれない。だが、その期待は、いともたやすく打ち砕かれた。

「『正義(ジャスティス)』ッ!!!」

ずおと姿を現した霧の髑髏は、実体が無い筈なのにあろうことかジョセフと十輪寺を殴りつけて吹っ飛ばしたのだ。

「がっ…!?」

「何ィ!?」

そして正義はその手で老婆の首をむんずと掴み上げてそのまま宙に向かっていく。老婆の足が見る見る間に地から離れ、上空に浮く。

「クソッ!?逃げる気か!?」

花京院が法皇を伸ばそうとした刹那、あたりにエンヤの声がこだました。

「DIO様ァァァ!!わしはあなた様を信じておりまする!!見ておられますな!!どうか、このエンヤの最期をお許しくだされェェェ!!!」

 

 

正義が、老婆の首を、へし折った。

ぼきりとあっけない音が聞こえたとともに天高く居た老婆の体がどさりと落ちてきた。

 

あまりにも軽い音だった。

 

 

 

『そんな…そんな!!』

狂乱を起こしかける少女の姿を、水晶玉を、ジョセフの視点を介しながら眺めるものが1人。その部屋にはすえた臭いが充満している。地球儀がパキスタンを示して止まり、地図にはチェスのコマ。声はラジオから漏れている。机に散らばったタロットのⅧが不自然に滑り絨毯に落ちた。

「…実に面白い。最期によい働きをしてくれたな、エンヤよ。」

男は立ち上がって書斎を出ていく。明かりもない部屋に再び沈黙が訪れた。



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再起

天候は快晴。先ほど手に入れた馬車を引く馬の歩調にも乱れはなく、車輪も小石をひっかける程度で揺れも少ない。順調だった。一行の心を除いて。

皆、どこか気もそぞろで泥濁とした飲み込みがたい感情を抱えたままである。事の発端に近い十輪寺などはもうそれどころではない、深い深い後悔に苛まれていた。エンヤの最期の声がこだまする。そしてそれが今後の暗闇を暗示しているようでならなくなり、彼女は人知れずまた身震いする。……仲間の予知を見た時点で覚悟はしていた。だが、それ以上のものを見せられることも今後は免れない。それを見た時……今回のように、相談していいものか?今回のように最悪の結果を迎えるのではないか?

エンヤの死は免れなかったのだろうか。十輪寺の脳内にはそのことだけがこびりついている。

道中皆無言だった。あの底抜けに明るいポルナレフも、場を和ませてくれるジョセフも、無言だった。

 

 

「…次を、考えねばな。」

馬車の音がガタガタ響く中小さな声でジョセフが切り出すのを皮切りに、彼らはそうだな、とぽつぽつと話し出す。

「敵はカラチにいる。だがカラチは航路上避けては通れない。」

「何かされる前に先に手を出さなきゃだよな。相手の顔が割れてるのが幸いなとこだぜ。」

「肉の芽を使われても波紋がありますし…大丈夫だと思いたいですね。」

男たちが努めて平静にそれぞれ発言する。彼らなりの配慮だろうか、十輪寺に質問が飛ぶことはなかったし、予知夢に踏み込むこともなかった。エンヤについて触れることも。

そのため十輪寺は馬車の端でうつむいて、ただ沈黙していた。何か発言するべきなのはわかっている。だが、口が糸で縫われたかのように開けなかった。

ここにきて彼女の決心が揺らぎかけていた。暗闇の中でしるべを失ったかのように、彼女は独り、取り残されていた。

 

 

 ***

 

 

結局のところ敵の具体的な能力がわからない以上どうしようもないため話はすぐに尽きた。たわいもない話をして日が暮れるまで荒れ地を突き進み、敵襲に備えて交代で見張りを立てて眠ることを継続する。エンヤがいなくなっただけで昨夜と変わらないローテーションだった。

十輪寺の担当は夜明け前の最後の時間帯。それまで、と彼女は自分のテントに入るが勿論寝付けない。ただ茫洋と、テントに背を預け座って手元を見ていた。

(私は、何のためにいるんだろう。)

予知は彼女自身を振り回してきた。小さい頃から、見ず知らずの人が事件事故にあう様を見せつけられた。防げた事例もあるにはある。だが、ほとんどは彼女のあずかり知らぬところでその通りに起こってしまっているのは明白だった。何せ彼女自身顔を覚えていないような通りすがりの相手の夢を見るのだから。コンビニ強盗を防いだ時だって、見逃せなかっただけだと思っている。知っていたから動けたのであって、知らなければよかったとも思ってしまった。

本当は、誰にも会いたくなかった。高校も電車を避けて近所を選択するしかなかった。彼女はいつもクラスメイトや顔見知りが夢に出てきませんようにと祈りながら生きてきた。そして、特別仲の良い人を作らないよう、しかし何かあったときに悪い未来から引き離せるよう適度な関係は築くように、と。

それが今、良い意味でも悪い意味でも崩れ去ろうとしている。夢のことを話せて信頼できる仲間たち。しかし、その人たちをも一緒に振り回しているこの予知夢。

十輪寺は頭を抱えてうずくまった。どうするのが最善の選択なのだろうか。

 

 

彼女が思考の悪循環にはまりそうになった時、不意に外から小さな声が聞こえた。

「…ユイ、起きてっか?」

彼女ははっと顔を上げはいと返事する。声の主はポルナレフだ。一番手に見張りをしている彼が何の用だろうか。さっとドアを開けると困ったような顔をした彼がそこにいる。

「…あー…これといって用がある訳じゃないんだけどな?ちょっと話さねぇ?入っても大丈夫か?」

きまりの悪そうな彼を十輪寺は招き入れた。隣に座ったポルナレフはしばらくの沈黙を挟む。その後に、ポツリと話し出した。

「…あんま気に病みすぎるなよ。お前がいなきゃあ、あの婆さんはもっと悲惨な最期を迎えてた。」

彼は言う。

「裏切られて死ぬより、信じ切って死ぬほうが、きっといい。」

言葉を選びあぐねているのだろう。彼はいつになく迷っているようだった。口にしている内容をまるで自分に言い聞かせるように話している様子に、彼もやりきれないのだと十輪寺は察する。

「…けれど、死なせてしまった。」

うつむく彼女にポルナレフは間をおいて静かに言う。

「それだけの覚悟だったんだと思うぜ。何としても敵に情報を渡すわけにはいかなかった。…因縁的には複雑だが、俺はあの婆さんの気持ちがちょっぴりわかる気がする。…あれは、どうにかできる問題じゃなかった。」

まあ、DIOのカリスマはわかりたくもないがな、と彼は続けて沈黙した。肉の芽で強引に狂信を植え付けられたのだ、拒絶したいのだろう。

十輪寺は言葉が継げない。ただ、足を抱えて座り込む。そんな沈み切った様子の彼女を見て、ポルナレフは再び声をかけた。

「仕方なかったとは言わない。だが、お前は最善を尽くしてくれた。それは間違いない。…だからそんな顔するな。お前だけの十字架じゃない。俺たち皆で背負うぜ。」

 

「仲間なんだから。」

 

見張りがあるからな、とそれを言ってポルナレフは出て行った。残された彼女は言葉を反芻する。こんなすぐに揺らいで脆い自分に対しても仲間と言い切ってくれた嬉しさと、申し訳なさ。勇猛果敢で先陣を切る彼が共に背負うと言ってくれた心強さ。

再び彼女は思案する。最善は一体、どこにあるのだろうか。

 

 

 

時間は経過していく。いつもの夢の時刻がやってきた。あんな夢を久しぶりに見た彼女はこの時間だけは眠らないと決めていた。足を抱えたまま、その時間が過ぎるのをただ待っていた。思考の波はポルナレフのおかげでほんの少しだが凪いできた。だが根源を止めるまでは至らない。彼女の中に深く根付いてきた考えは、簡単には取り払えない。

そんな彼女のもとにまた声が掛かる。起きてるか、と簡素に聞いてきた声は承太郎だった。はいと返事を返したら、なら出てこいと声が言う。

焚火のもとに承太郎が片足を立てて座り空を見上げている。夜空には一面の星と天の川があった。

承太郎は何も言わなかった。ただ、星を見上げていた。励ますこともない、言い聞かせることもない、責めることもない。彼らしい対応だと十輪寺は思う。

こちらから話さない限り彼は何も言わないのだろう。とつとつと彼女は言葉を口にした。

「私は、最善を探しています。皆にいい結果をもたらせる、最善を。」

「…そんなもの、ないと思うぜ。」

承太郎はそっけなく返す。

「どっちかを立てようとしてもう片方が倒れることなんてザラだ。共倒れすることだってありうる。…厄介なものを抱えて生まれてきちまったのは察してやる。が、これから先それが増えることは明白だ。」

承太郎は一瞬目を閉じて十輪寺をちらりと見た。

「抱え込むことは許さねぇ。これはお前だけの責任じゃない、お袋の命がかかってる以上俺たちの責任だ。…すべて話せとは言わない。だが1人で抱え込まれるほうが危なっかしくて見てられん。」

十輪寺は言葉に耳を傾ける。『抱え込むことは許さない』、その言葉が彼女の中の天秤を左右させる。共有することは彼女の重荷を確かに軽くする。しかし話すことで未来を大きく変えてしまっては本末転倒なのも事実である。

真剣に悩む彼女を見て承太郎は言った。

「十輪寺、悪いがお前には裁量を任せねぇとならねぇ。話すか話さないかの裁量だ。話さないことで事態が良いほうに傾くというのなら。」

 

「俺たちは信じるぜ。お前の判断を。」

 

十輪寺には返す言葉がなかった。それきり沈黙があたりを包む。こんな自分でも信じてもらえる。彼はこう言いたいのだ、抱え込むことと話さないことは違う、と。たとえ話さなくても信じてくれるのだ、この不確定要素の多い予知夢のことを。

鮮明で聡明な星が希望を与え、後押ししてくれているような気がした。

2人は焚火を挟んで、星光る夜空とはぜる炎をじっと見ていた。

 

 

 

次に起きてきたのは何とも思いっきり眠そうな様子をしたジョセフだった。あくびをしながら「なんだ、十輪寺も起きてたのォ?」と暢気に問うてくる。眠れなくて、とぎこちなく笑いかけるとふむ、と顎に手をやる。

「そんなんじゃあ明日以降に響くぞ。ほれ承太郎交代じゃ。お前もよく休むように。」

「ああ。」

承太郎はすっと男たちが使う大きいテントのほうに戻っていった。入れ代わるようにジョセフは十輪寺の横によっと腰かける。

「眠れないなら何か温かいものを飲むのがいい。わしも眠気覚ましにコーヒーが飲みたいし一式出してくれんかね?」

「は、はい」

十輪寺はネイビー・モビー・ディックにやかんとステンレスマグカップ、インスタントコーヒーに水入りの瓶を出させる。

「おー、助かる。旅において一番貴重なのは水だもんなぁ。贅沢できてありがたいわい。」

ニコッと笑ってジョセフは早速準備しにかかった。自分は何を飲もうかと思案しているとジョセフは思い出したようにおどける。

「あのとんでもないにおいの紅茶は捨てたんじゃろうな…?まさか積んでるものににおい移ってたりしてないよね?」

それはインドでのこと。とりあえず現地の食べ物に色々興味が湧いた皆が買って積載したもののなかにそれは紛れ込んでいた。エキゾチックなにやらと書かれていたその紅茶は開けた瞬間部屋に何とも言えないにおいをまき散らしてくれたので、皆でテープでぐるぐる巻きにしてまで封印したものだ。その時のありさまを思い出して思わず十輪寺も吹き出した。

「さすがにすぐ捨てましたよ!なんとかにおいも残ってないし、大丈夫です。」

なんだか、たった1日だというのに久しぶりに笑ったような心地だった。それににかりとジョセフも笑みを深めて湯を沸かす。

「…やっと笑ったの。思いつめるのがお前さんの良くないところじゃよ。」

笑みを優しいものに変えてジョセフは火を見た。そしてため息をついて言う。

「あの婆さん、最期の最期に呪いのように揺さぶりをかけていきおってからに。…大丈夫じゃよ、十輪寺。わしらは軽々しく命を危険にさらしたりしない。それは誓おう。」

暖かく包むような、暗夜に火をともしてくれるような優しい道しるべの言葉だった。

 

「勇気をもって立ち向かってくれて、ありがとうの。」

 

ココアを一杯飲んだ後にもう寝なさい、と十輪寺はテントに返された。彼女は再びテントの中で足を抱えて背を預ける。しかし先ほどまでの心細い感情はもうほとんど消えかけていた。彼の言葉とホットココアは彼女の心までも温かくしてくれている。……迷うことは悪いことでは無い。言葉に出さずともそう教え諭してくれたジョセフには頭が上がらないなとふと笑みが漏れる。

 

 

 

時刻は4時を回った。それでも十輪寺は眠る気にはなれなかった。なんとなく、彼も来てくれるのではないかという期待があったからだ。そしてそれはその通りになる。外から本当に小さな声で問いかけがあった。皆が気にかけてくれている。その事実がうれしくて彼女はわずかに笑みを持って花京院をテントに迎え入れた。

「…心配する必要はなかったかい?」

十輪寺の斜め前に座りながら花京院が苦笑する。それに彼女は首を振って答えた。

「やっと持ち直したところです。…もうひと押しほしいかな。」

おどけて返す彼女に花京院も笑い返す。

「それは大役だな。さて、僕は何を聞けばいいでしょう?」

その笑顔が嬉しいとともに、十輪寺にとっては枷でもある。この旅のきっかけは目の前の青年を死なせないがためだったのだから。十輪寺は目を伏せて、彼に問う。

「花京院は、怖くないの?」

多くを問わずとも伝わっている。花京院も目を自身の手に落として話し出した。

「…怖いさ。けれど、立ち向かうと決めた。だからこの輪の中にいるのだし、戦い抜いてみせるよ。」

ふっと笑みを見せて彼は十輪寺を見やる。

「それにまだ決まった訳じゃない。それを君は身をもって証明してくれている。君がいなかったら助からなかった命がたくさんあった。それは紛れもない事実だろう?」

「そうなのかな。」

「きっとそうさ。飛行機の乗客だって、船員だって…保健室にいた彼らだって助けたのは君じゃないか。いい加減自信を持ってくれ。」

花京院は気まずげに保健室のくだりを言う。……もう、あれから20日近く経つ。そういえばそんなこともあったなと十輪寺は笑みをこぼした。

「あの時は助けようと思ったのが間違いだった、なんて思っちゃったなぁ。」

「そうだったのかい?まあ、当たり前か。僕どう見ても悪人だったものな…」

一転、真剣みを帯びた瞳で花京院は宣誓する。

「もう、あんな卑劣なことをする自分には戻らない。必ず打ち勝ってみせる。」

そして十輪寺に笑いかけた。

「君だってそうなんだろう?恐怖に負けてたまるかって、さ。」

 

「大丈夫、一緒に乗り越えていこう。」

 

じゃあ引き続き皆には内緒でね、と彼は言い置いてテントを出て行った。相も変わらず高潔で、それでいて共感を示してくれる彼にも頭が下がる思いで十輪寺は己の手を見る。

救えた命、救えなかった命。自分にはこの小さな手とモビーしかいない。そう思っていたが、それはもう過去のことでいいのだ。

これから先を、全力をもってサポートしていこう。心に余裕が戻ってきた。

 

 

 ***

 

 

テントに花京院が戻っていくのを見送って少し経った頃、彼女は朝食の準備をしだす。そのために己の半身を呼び出すと、白鯨はあろうことか腹から浮上してきてその紺の瞳でこちらをじっと見てきた。

「…もう。縁起悪いからやめてって言ってるでしょ。」

ネイビー・モビー・ディックは鯨は鯨だが、船でもあると十輪寺は思っている。だから転覆を思わせるその動作はあまりしてほしくないのだ。半身だというのに比較的自由に出現するこの白鯨はまた地面に一旦潜って今度はちゃんとマストを上にして出現してきた。……多分からかっているのだろう。十輪寺が持ち直した後には大抵こうして腹から出てくるのだ。こういう時彼女は自身のスタンドが自立意思を持っていることに感謝する。独りではないと思えるよすがだったのだ。

白鯨は言われたものを口から出す。フライパンに皆の分のステンレスカップに食材。料理ができるわけでもなかった十輪寺だが一通りのことはこの旅のおかげでなんとかこなせるようになった。準備をしだそうとする十輪寺をよそに、モビー・ディックは何故か浮上したままでどこかへ向かおうとゆっくり泳ぎだした。

「ととと…待ってモビー、どうしたの」

モビー・ディックのパワーは言わずもがな、本体である彼女を引きずることすら訳ない。仕方なしに白鯨の向かうほうに歩き出した十輪寺の目に映ったのは。

「…わあ…」

崖の合間から昇りくる、朝日だった。暗闇を背にして彼女は今、温かい太陽のもとに立っている。

「…ありがとう。」

十輪寺にとってこの夜は、忘れられない一生の思い出になった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「…で、お前ら何話してたわけ?」

カラチを目前とした馬車の中。端に座った十輪寺が眠りに落ちたのを見てポルナレフが言う。

「何のことだ。」

「はて、コーヒー飲んでただけじゃよ?」

「僕もよくわからないな…君、寝ぼけたのか?その歳で?」

「…へへっ。そ~いうことにしといてやるよォ。」

振り返って皆を見ていたポルナレフは馬車の手綱に視線を戻した。

全員どこか眠そうに見えるが、その話題について触れることは誰一人としてなく。ただ、仲間の1人がこうして安眠できていることにどこか安堵を覚えるのだった。

 

 

「うむ、わかった…。おおい!十輪寺!ちょっといいかの?」

カラチの手前で運よく電話を使えたジョセフはこれ幸いと方々に連絡を取っていた。その間他の皆は寂れた飲食店で休養を挟んでいる。そのさなか十輪寺はジョセフに呼ばれて席を立ち電話のもとに向かった。

「…アヴドゥルが話したいと言っとる。お父さんと話してることにしとくから終わったら切っていいぞ。」

言ってジョセフは仲間のもとに戻っていく。

「もしもし、変わりました。どうされたんです?」

『やあ、十輪寺。…昨日戯れに占っていたら君が随分と悩んでるようだったからね、杞憂だといいんだが。』

その言葉に十輪寺は目を丸くした。そうでした、と回答するとアヴドゥルは笑った。

『ならば解決したのだな。それはよかった。…君は数奇な運命のもとに生まれている。だが、同時にそれを切り開いて前進するだけのパワーも持ち合わせている。占うまでもない。』

 

『再会するのが楽しみだよ。皆にもそう伝えておいてくれ。』

 

先を灯す炎そのものからの激励にはい、と返事を返した。傷の具合は回復傾向、あと少しで皆が再び揃う。十輪寺にはそれが、不謹慎かもしれないけれど楽しみでならなかった。

 

 

 ***

 

 

「…十輪寺、すまんが頼むぞ。」

「大丈夫です。注意してあの男を見つけ出します。先手は取られるわけにはいかないですからね。」

カラチの標識が見えたところでジョセフが皆に号令をかける。敵の能力は不明。肉の芽を何らかの方法で植えてくるということしかわからない。十輪寺は波紋の呼吸を最大限集中して練り上げていた。

馬車が街の入り口の露店の立ち並ぶ一角に入った。夢で見た光景が思い浮かぶ。看板の位置、張り紙の配置が酷似している。

(何としても守ってみせる。)

この手で命を救うのだ。そう決意改にしようとした時だった。

 

 

不意に手に違和感を感じた。まるで手を合わせて拍手をしている時のような軽い衝撃が数度。波紋ではない。妙な感覚に十輪寺は首をかしげる。

そして道の真ん中に、1人の男が拍手をしながら堂々と立っていた。

「…あの男です!」

十輪寺は小さく鋭く皆に告げた。手を上げ目を閉じて馬車の前に立ったその男を見て皆さっと警戒を強める。一行は馬車を止めカラチの大地を踏んだ。

「…あー…、そこの方。馬車の邪魔になるから、ちと退いてくれないか」

「必要ないですよ、ジョセフ・ジョースター。」

ジョセフがわざとらしく言うのを、その男は制した。

「私の名はスティーリーダン…。そこの4人、お命頂戴いたします。」

 

「そして十輪寺結…。あなたには、私と同行してDIO様に跪いていただきます。」

 

スティーリーダンがそう言ったと同時に承太郎はすでに動き出していた。

『おらあッ!!』

スタープラチナがこぶしを一発入れて彼を吹き飛ばす―――それとともに十輪寺の体が後方に吹っ飛んだ。

「ぐあっ!?」

「何ッ!?」

窓ガラスに叩きつけられるダン。咄嗟にモビー・ディックを出現させてそれに衝突した十輪寺。

「ユイがこいつと同じように飛んだ…!?」

ポルナレフの驚く声にふふ、とスティーリーダンは不敵に笑いながら起き上がる。

「馬鹿が…説明もまだしてないというのに。もう戦いは始まっているのですよ。」

 

「彼女の脳の奥には私の『恋人(ラバーズ)』がもう潜り込んでいるのだから!」



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ラバーズは相手を見ていない

その一撃は重く、気絶しなかっただけましというありさまのものだった。十輪寺はよろりと膝をつき、何とか呼吸を整えようと浅い呼吸を繰り返す。

スタープラチナの一撃。自身のモビー・ディックの尾打すらまともに経験したことのない彼女にとってはとんでもないものだった。慌ててジョセフが駆け寄ってくる。他の一同は敵の姿を捕捉しようと周囲を見渡すがそれをダンは嘲って立ち上がった。

「愚か者どもが…探しても見つかりはしない。」

言って彼は札を取り出し道にいた少年にぴっと投げ渡す。

「小僧、その箒で私の足を殴れ……殴れといったんだ!」

少年は一瞬躊躇ったものの、思いっきりダンの足を殴りつけた。――十輪寺の足に激痛が走る。

「ぐ…っ!」

呼吸を整え終えていた彼女でも呻く痛み。……これはおかしい。

「どうしたユイ!?」

何がなにかわかっていない一同の前に、ダンは高らかに宣言した。

「私のスタンドは体内に入り込むスタンド!もう既に彼女の中に入り込んでいる…。スタンドと本体は一心同体!私が傷つけばラバーズは暴れて数倍の痛みにしてお返しする!」

 

 

その言葉は十輪寺の中で棘のように引っかかった。

(また…また、人質にされた…!)

同じ轍は踏むまいと決めていたのに、再びとりつかれた不覚。それに打ちひしがれかける彼女を再び激痛が襲う。先ほどの子供がお金欲しさにまたダンの足をぶったのだ。ぐっと歯噛みする十輪寺を尻目にダンは子供を殴りつけ追い払う。

「ま、はっきり言って私のラバーズは髪の毛一本動かせない史上最弱のスタンドさ。だがね、人を思い通りにするのに力なんぞ要らないのだよ。」

そしてダンは肩をすくめて決定的な一言を放ってきた。

「まぁ、もともとエンヤ婆を殺すのは私の役目だったのだが手間が省けたというところか。お前たちが勝手に追い詰めてくれたおかげでな。しかし哀れな老婆だよ、情報を抜き取られそうになって自殺とは…。そもそも予知なんて眉唾だろうに、DIO様も酔狂なものだ。」

その言葉を聞いた瞬間、十輪寺は勢いよく立ち上がった。腹も足もひどく痛むが気にかけてられなかった。

「十輪寺…」

ジョセフが声をかけようとするのも気にも留めず彼女はダンに向けて一直線につかつかと距離を詰める。その表情は一行からは窺い知れない。場に緊迫した空気が流れる中ダンはまたせせら笑った。

「おや…物わかりのいいレディだ。大人しくついてきてくださるなら手荒な真似はしないし仲間たちにも手を…」

 

瞬間、十輪寺がとった行動に皆が度肝を抜かれた。

彼女はあろうことかダンに跪いてその靴にキスを落としたのだ。

顔を上げた彼女は険のこもった瞳でにっと笑って言った。

「……誰がついていくもんですか、このドサンピン。」

 

 

その言葉にかっとなったのはダンだった。十輪寺の三つ編みを掴み上げて彼女をしたたかにひっぱたく。勢いで転んだ彼女を足蹴にする前に、十輪寺は体勢を立て直しさっと後ろに飛びのいた。

十輪寺は頬を抑えつつ相も変わらず心底嫌だという目でダンを睨みつけて声を出す。

「残念。私が傷ついてもそちらにフィードバックはしないのね。」

「この小娘が…!」

一連の行動を見ていた一同はさっと動き出した。今にも飛び掛かりそうなほど相手を凝視する十輪寺を後ろに下げさせる花京院とジョセフ、前に出て臨戦態勢を整える承太郎とポルナレフ。

「こいつ…ッ!優位に立ってられるのも今のうちだ!ユイぶん殴った分はきっちりお返ししてやるッ!!」

その言葉にふん、と襟を正しながらダンは返す。

「できるならやってみるがいい。どうだ?なんなら私のラバーズが動く前に私を殺してみるか?ん?」

そんな余裕綽々な態度のダンの胸ぐらを掴み上げたのは承太郎だった。

「あまり舐めた態度とるんじゃねーぜ。それしか方法がないってんならやってやろーじゃあねえか。」

胸ぐらを掴み上げられ首が締まるような感覚が十輪寺を襲うが、彼女は息を乱すだけで何も言わない。その様にジョセフと花京院が焦る。

「やめろ承太郎!十輪寺を殺す気か!!」

「…空条先輩。やってください。」

承太郎の剣幕と十輪寺の物言いに、流石に余裕を持っていたダンも冷や汗を流した。スタープラチナがゆらりと出現する。その拳を振りかぶる。

拳が放たれた瞬間花京院とポルナレフが慌てて抑え込んだ。

「早まるな承太郎!!」

「やめろ承太郎!こいつは本気でユイからスタンド解除しやがらねーぞ!!」

2人はどうにかダンから承太郎も引きはがす。それを後ろから見ていた十輪寺が今度は自分がと前に出そうになるのをジョセフが食い止めた。

「十輪寺もやめるんじゃ!ここは一旦退いて」

「それでは私の気持ちが収まりませんッ!あの男よりにもよってあのお婆さんのことを…ッ!」

十輪寺は常日頃あった慎重さを全く感じられないほど切れている。このままでは本当に身の危険顧みずダンに攻撃してしまうだろう。ジョセフはさっと目線を花京院にやる。花京院はその視線に気が付いてうなずき、彼女の腕を取って駆け出した。

「ちょ…花京院!」

「そいつからできるだけ遠くに離れる!そいつを近づけないでください!!」

十輪寺の非難を封殺して花京院は彼女を強引に引っ張っていく。たたらを踏んで、十輪寺も走りだす。

彼らに追従しようとジョセフが動きだそうとした瞬間、ダンから鋭い声が飛んできた。

「おっとジョースターさん!!あなたにはここにいてもらわないと困る。…彼女ごとDIO様のもとに参じる『足』が必要ですからねぇ…」

その言葉にジョセフはピタリと動きを止めざる負えなかった。ダンが、バタフライナイフをちらつかせている。

「ふふ…遠くへ離れればスタンドが消えると思ったな?だが私のラバーズは力がない代わりにどのスタンドよりも遠隔操作が可能なのだ…何百キロもな。」

その言葉に残った3人は顔をゆがめた。

「てめぇ…だんだん品が悪くなってきたな。このツケは必ず返してもらうぜ。」

「できるならやってみるといい。どれ、じゃあもっと借りておくかなァ。」

 

 

 ***

 

 

十輪寺はなけなしの力で抵抗しようとするが、花京院が強引に腕を引っ張るためそれができないでいた。引きずられるようにして市街を走り抜けていく。道中どちらも無言だった。

かなり距離を置いたであろう所まで来てようやっと花京院は止まる。だが十輪寺を掴んだ手はぎゅうと強く握りしめられたままだった。振り返り様、彼は十輪寺を怒鳴りつける。

「君は馬鹿かッ!!あんな挑発するような真似に命を捨てるような真似ッ!!死んでいたらどうするつもりだった!!」

「じゃあ言いますけどあなたはあいつにむかつかなかったとでも言うんです!?私たちどころかあのお婆さんのことまで落としていったのよ!?」

花京院は十輪寺の突飛な行動に怒っていたし、十輪寺もダンの言動に切れていた。両者ともに譲らない、と睨み合う。

「それで死んだら元も子もないだろ!!無茶はするなと言ったはずだ!!」

「無茶?ええ、そうでしょうね、この旅は無茶しないと乗り越えられませんもの!皆だって死ぬほど無茶してるわ!」

肩を上げ息を乱しながらがなり合う2人を市中の人々が遠巻きに見ている。それにばつの悪い顔をして花京院は声をくぐめた。

「…その状態じゃあ勝てる戦いも勝てなくなるぞ、冷静になれ。」

十輪寺はぐっと押し黙った。悔しげにギリギリと歯ぎしりする。花京院はそんな彼女を連れながらまずは、と水道を見つけハンカチを取り出す。蛇口をひねって濡らしたハンカチをぞんざいに十輪寺に渡した。

「…冷やしてください。あとで腫れる。」

彼女は黙ってそれを受け取り頬に当てた。その表情は険しく、いまだ納得がいっていない様子で。

それに構わず花京院は悔しそうに口にした。

「…ジョースターさんがついてこない。あいつに留まるよう言われたか…予定が狂ったな、どうするべきか…」

「え…?」

十輪寺が困惑げに花京院を見上げると、彼はフンと鼻を鳴らして言う。

「やっぱり冷静さを欠いている。ただ逃げて射程外に出るだけだと思ったのか?ハーミットパープルなら念写で敵がどう動いているのかわかるはず。だから理由をつけて逃げたんだ。」

花京院は柳眉をゆがませた。

「だからハイエロファントも細く細くしてジョースターさんに結び付けている。これで僕たちの位置はわかるはずだが…あのダンとかいう男が、ジョースターさんから離れないと念写ができない…!」

はっと息をのんで十輪寺が目を凝らす。宙にか細い緑がきらめくのが目に映って、十輪寺は固まった。ややあって彼女はうつむき、ぽつりと言った。

「ごめんなさい。私、どうかしてました。…全く、気が付かなかった。」

「…今は後にしよう。僕も言い過ぎた。あいつをどうにか追い出して倒すぞ。」

その時十輪寺の足に激しい痛みがまた走る。呻いて彼女がよろけるのに慌てて花京院は手を伸ばした。

「くっ…この細さじゃああちらがどうなっているか見えない!何をしてるんだ、奴は!」

 

 

 ***

 

 

「なかなかいい橋になっとるじゃあないか、ホレホレホレ」

背の高い堀の上に承太郎が橋代わりになってダンを支え渡らせている。拒んだ瞬間十輪寺にダメージが行くなにがしかを仕掛けてくる以上、断ることは、できない。

後ろで見守っていた2人もダンから「それで渡るように」と言われ歯ぎしりが収まらない。よりにもよって承太郎を橋にしたうえに「それ」呼ばわり。だが、今逃げて距離を置いている彼女の足を止めさせることは、できない。

「くそ…!すまねぇ、承太郎…!」

ポルナレフたちが踏み越えていくのも支えながら承太郎は静かに怒りを蓄積させていく。

「ん~目的のところまであと少しだ。凱旋するにふさわしい『足』をご提供願おうか?ジョースターさん。」

ダンは大仰に手を伸ばしたが、はたと気が付いたように肩をすくませほくそ笑んだ。

「そうだそうだ…さっきの彼女の汚い一撃といい、この薄汚れた橋を渡ったことといい…靴が汚れてしまったな。…ポルナレフ。磨け。」

一行は歯ぎしりをするしか、残された抗いようがなかった。

 

 

 ***

 

 

「…私へのダメージは計算外においてください。まず一番は『敵をどうやって追い出すか』、です。」

花京院と十輪寺は相談して1つの目的地を定めた。そこに向かって市中を駆けながら言う。

「1つ目の言葉に同意はしかねるが相手の立場に立って考えるのは悪くない。そもそもまずこいつはどうやって君の脳内に侵入した?ハイエロファントと同じように透過したり口から?」

「でも何も感じませんでした!多分だけどコイツ…発言からしてもスタンド自体が脳に潜り込めるほどかなり小さいんじゃあ…!」

「その線で仮定しよう。とすると耳か?一番脳に近いのは耳だったはず。…おそらくそれが正解だろうな。」

敵の正体を考察しながら彼らは周囲を見渡す。

「ならば君から出ていくシチュエーションさえ作ってしまえばこっちのものだ…!」

そして、彼らは目的のものを見つけ出した。

 

 

 ***

 

 

「ははっ!!DIO様からの報酬だけでなくベンツまで!なんと役得な仕事だ…!」

ダンが向かっていた先は高級外車店だった。着いた直後ゆっくり品定めしながら、ジョセフに即金で支払わせ、それに乗り込む。

「んん~!最高の気分だ!この後遊んで暮らせる金が手に入ると思うと素晴らしいな!」

言ってダンはジョセフに向き直る。今にも殴り掛かりたい、という顔をしたジョセフに対してにたりと笑って彼は地面を指した。

「さぁてジョースターさん、最後の仕事だ。地面に這いつくばって彼女の位置を念写してもらおうか。なんせあのじゃじゃ馬なお姫様を迎えていくだけで報酬が1.5倍になるんだからなぁ。」

ジョセフはダンを睨みつけながら、しかし忠実に地面にしゃがみこんでハーミット・パープルを出現させた。砂道が地図を生み出していく。そして、目標の位置も。

「素晴らしい。ああ、これでDIO様もお喜びになるだろう!では諸君、さよならだ。ま、いきなり脳を食い破られる恐怖に怯えながら過ごすんだな。」

車に乗り込みながらダンは言い捨てて去っていく。それが遠ざかったところでポルナレフが「クソッ!!」と悪態をつきながら地団太を踏んだ。

「どうすんだよ!!これじゃああいつの思惑通り…!!ユイが連れて行かれちまう上にあいつも倒しきれねぇ!!」

ポルナレフが吠えた。……が、その時、ジョセフはくるりと振り向いて――にやりと笑ったのだ。

「なに、案ずるなポルナレフよ。承太郎も、気が付いているんだろう?」

「…ああ。」

えっとポルナレフが承太郎を振り返ると彼は何某かを手帳に書き込んでいる。ポルナレフがのぞき込むと、そこにはダンがやっていった悪行の数々が書き連ねられていた。

「あいつへのツケだ。これから返せると思うとワクワクするな。」

にっとジョセフと承太郎が顔を合わせて笑う。1人ついていけてないポルナレフは困惑気味だ。

「簡単なことじゃよポルナレフ。花京院が機転利かせてくれたおかげであいつを倒せそうじゃわ。」

 

「十輪寺の傍にいる花京院が、ハイエロファントを伸ばしておいてくれたおかげでな。」

 

 

 

 ***

 

 

 

「……探しましたよ?レディ。」

高級外車を道端に止めて降り立ったその男は、ぎっと睨んでくる2人組をものともせす飄々と礼をした。

「さて、紳士的にふるまっている間に決めるんだな。…素直に私に同行してDIO様にかしずくか、さらなる苦痛を受けつつ強引に連れ去られるか。」

ダンは余裕ぶって笑った。

「私のラバーズがいる限り、あなた方は手を出せませんからねぇ、だろう?花京院。」

ぎり、と唇をかむ花京院は十輪寺に目をやった。

「…いいでしょう。ついていきます。ただし私に指一本でも触れようとしてみなさい。全力の波紋をお見舞いしてみせます。たとえ私が死ぬレベルのものだとしても。」

十輪寺が冷徹に言いきるのにダンは嫌な笑みを深くした。

「素晴らしい。まぁ無礼な振る舞いをしてくれたことは水に流してやろう。さあ、後部座席にどうぞ?私は指一本触れないよ。」

花京院はただそれを見守ることしかできない。十輪寺が乗り込む瞬間、花京院に目配せをした。それに花京院も目線だけで答える。

ベンツが走り出すとともに、花京院は行動をとった。

 

 

『ジョースターさん、聞こえますか!十輪寺が敵についていきました!僕の射程外に出る前に仕留めますよ!』

スタンドを介しての会話。それを、数百メートル離れたジョセフに向かって飛ばす。

『ああ、聞こえとるぞ花京院。でかした!お前さんがこっちにハイエロファントを伸ばしててくれたおかげで話ができる。いいか、重要なことしか言わない。わしたちはそちらに向かって移動中。十輪寺にハイエロファントは結んだか!?』

『ええ、もう既に。しかし相手は車。急いでください。繰り返します。一直線に何も考えず僕のところに来てください。』

『わかった!そちらに向かうからお前さんはできる範囲で奴に追いすがれ。』

『了解。』

脳内をスタンドの会話が駆け抜けていく。それはまるで糸電話のようにジョセフと花京院と……十輪寺を繋いでいた。

十輪寺は聞こえてくる声に応答はしない。ただ、足を組んで腕を組んで待っていた。

慢心しきっている敵に一撃を与えるその瞬間を、待っていた。

 

 

(馬鹿どもめ…スタンド同士の会話は十輪寺に結んでいる時点で私にも聞こえているッ!!)

ダンは人知れずほくそ笑んだ。ラバーズは脳内に侵入するスタンド。ならば十輪寺に結ばれた今にも切れてしまいそうなこのか細い緑から伝う会話が聞こえないわけがないのだ。

十輪寺は何も言わない。何の様子も見せない。ダンに気づかれまいとしているのだろう。

(滑稽!もう聞こえているんだよ愚か者!そして私のラバーズのほうが花京院のハイエロファントより射程は上!!)

その時が来るのは、もう近い。何と簡単な仕事であろうか。

(エンヤのおかげでいい目に出会えた…!私にあの連絡が来たのは巡り合わせだったのだッ!!)

 

 

 ***

 

 

それはダンがカラチの酒場で作戦を練っている時に来た。店の店主が何故か電話がかかってきたとダンの名を呼びながら彼を探していたのだ。不審に思いつつ出ると、電話の主はかの館で執事を名乗っていた慇懃無礼な男だった。

『DIO様からの火急の伝達です。エンヤ婆の殺害は不要。たった今、自害したとのことです。』

なんだと、とダンは息をのんだ。彼らの拠点たるエジプトからパキスタンは直線距離にしても3700kmはゆうに届く。だというのにDIOはエンヤが死んだことを把握している。それどころかこうしてダンが今いる酒場すら当てて電話をつないできたのだ。

ダンはうすら寒い感覚を覚えた。知らぬ間に行動をすべて把握されている。これは、脅迫に近かった。

執事は淡々と続けた。

『そして追加のオーダーです。一行の中の女…十輪寺結を献上してください。なんでも予知能力者だとか。そうすれば報酬を1.5倍にすると仰せです。』

その言葉にダンはごくりと喉を鳴らした。元から提示されている額とて少額ではない。むしろこの家業の中では破格。それがさらに上乗せされる。

「…いいでしょう。乗った。従います。」

DIOの底知れなさと金の誘惑に、ダンは逆らわなかった。

 

 

 ***

 

 

内心大笑いしながらダンは車を港に向けてとばす。何と簡単なオーダーなのか。これであとは安全圏からジョースターたち1人1人に知らぬ間に肉の芽を植え付けていけばいいだけの話だ。初手でそれをしてもよかったのだが、ダンは優位に立って相手を加虐するのが好みだった。そのためわざわざ彼らのもとに現れて屈辱を残す形で立ち回った。とても爽快な気分である。

その時、また花京院の声が聞こえてきた。

『ま、まずい…ッ!これ以上進まれたらハイエロファントの射程からでるッ!!十輪寺!!聞こえるかッ!?十輪寺!?』

十輪寺は微動だにせず、表情も変えずに応答した。

『まだなんとか…!足止めしましょうか!?』

『たの…じゅ…』

『花京院!?』

危機的状況に陥っても平静としているその様はまあ褒めてやらんでもない、とダンは思いつつ笑いが止まらなかった。本当に、滑稽だ。これが私に筒抜けではないと思い込んでいるとは。

(はぁ~おかしいッ!笑いをこらえるのが大変だ!さて、そろそろネタ晴らしをしてやろう。)

車を進めたままダンはくくく、と笑い出した。十輪寺が何事かと眉をひそめるのにダンは大笑いしながら答えてやった。

「今までの会話ッ!!お前の脳内に入り込んだ私に聞こえていないと思ったのか!?ははは!!馬鹿が!!」

十輪寺がしまった、という表情で目を丸くする。ダンは痛快な気分になりながら種明かしをする。

「いやあ…これで私に射程距離を教えてくれるとはありがたい限りだ!!さて、あとはいつあいつらを殺してやるかだなァ。一番面倒そうな花京院から殺ってやるよ!!」

「貴様…!私が花京院にそんなことさせると思うの!?」

「できるさ!!何せいつとりつかれたか分からなかったんだものなァ。いつ出ていくかも分からないだろう!?お前は無力だよ!!十輪寺結!!」

そう話しつつもダンは命じていた。

(私のラバーズ!!花京院のもとに飛べ!!肉の芽を持って、さぁ!行くのだ!!)

ラバーズが十輪寺の中から出ていく。彼女は全く気が付く様子も見せず怒りに震えている。

「私は己の弱さを知っている…史上最弱が…最も恐ろしいのだよ!!!」

ダンが高笑いする中、十輪寺は歯をかみしめて俯いて耐えている。

 

(勝った!!!私の勝ちだ!!!)

 

 

ダンがそう思ったと同時に、ある人物も同じことを考えた。

 

 

瞬間、ダンの体にボキリ、と嫌な音がした。

 

 

 ***

 

 

「…えっ?」

ダンは突然体に走った痛みにまず、困惑した。

次に来たのはさらに激烈な痛み。思わず悲鳴を上げて車を急停止させた。と、するとさらにボキリという音。――見ると、左腕が、折れている。

「な…にぎゃぁぁぁぁあ!!!」

まさか車に何か仕掛けられていたのか、とダンは這う這うの体で車から脱出する。と、今度は足に衝撃が走った。

「ぎゃあああ!!」

ダンは慌てて視界をラバーズのほうにゆだねる。すると、ラバーズは……青い何かの隙間に挟まっているではないか。それが、ぎちりと狭まってラバーズを押しつぶしている。

「これは…これはぁぁぁぁ!?」

ダンが悲鳴を上げる中「あら」と軽い調子で車から降りながら十輪寺が言った。

「思ったよりも早く私の中から出て行ったんですね。あ~よかった。これで自由だわ。」

「なッ……なんだとッ!?」

十輪寺はことん、と首をかしげながらあるものを指に絡めて言った。

「あと、ハイエロファントの射程からまだ出てないみたいですから。ちゃんと見ておかないとだめですよ?聞こえてますもん。」

「あっ」

彼女の指に絡まったのは緑にきらめく糸だった。十輪寺は続ける。

『花京院、こちらは無傷です。そっちもうまくいった?』

「『…ばっちりさ。僕に忍び込もうとしたラバーズをスタープラチナが捕まえたよ。作戦通りだったが、思ったよりあっけなかったな。』…だそうです。」

「な…なんだとお!?」

ダンは驚愕した。

「だからといって!!わたしがラバーズを移動させるタイミングはわからなかったはず!?ど、どうやって…!?」

その時道路後方からワゴン車が一台駆け抜けてきた。十輪寺たちの目前まで来て、それは止まる。

「えっとですね…種明かしするとね?」

十輪寺の言葉にワゴン車の扉が開かれる。中には、運転席に座るポルナレフに助手席の花京院。その後ろでラバーズを摘まむ承太郎とスタープラチナ。そして……

「わしが、十輪寺が積載しとった発電機とテレビを使って念写してた…。と、いうわけじゃよ、お若いの。」

にかりとジョセフが笑って全員が車から降りてくる。ダンを取り囲む形で布陣した一行に、ダンは震えあがった。

 

 

 ***

 

 

まず最初に花京院と十輪寺が目指したのは電気屋だった。そこで積載していたジョセフのポケットマネーを申し訳ない思いを持ちながらも使ってテレビと発電機を購入する。即座にそれをモビー・ディックに飲み込ませながら十輪寺たちはわざと車が通りやすい場に移動した。ジョセフから車を買わされる、という伝達をハイエロファント越しに聞いていたのだ。

「さて、ここで仮定します。相手は私の脳にいるってことはスタンドの会話も聞こえるんじゃないかしら。」

「…だとするなら、僕の射程を偽っておびき出しをさせれば行けるな。大方、相手が次に忍び込むとすれば僕かジョースターさんの脳だろう。君はそれがどちらなのか聞きだして伝えてくれればいい。…演技してもらえるかい?」

「任せてください。腹に決めて演技するのは得意なほうです。」

そして次。積載していたテレビと発電機を道路の端において十輪寺はわざとダンに誘拐される。ジョセフたちにはこの時点で作戦は伝えていなかったが、老獪な戦士たる彼はすぐにそれを察して『重要なことしか言ってはならない』と伝えてきた。だから花京院は即座に『何も考えずに僕のもとに来てほしい』と伝達した。ラバーズの動きを観察するテレビもそれをまかなう発電機ももう既に場には揃っていたので。

ジョセフたちは予想通りワゴン車で現れた。あとは機材を積み込んで偽の情報を十輪寺……ダンに向けて流すだけだった。

 

 

 ***

 

 

「…って感じですけど、言う前に吹っ飛ばしちゃうんだもん。私も一発殴りたかったんですが。」

「ユイは元気だなぁ。…それ以上に承太郎のオラオラが凄まじかったけどよ。」

「やれやれだぜ。」

ネタ晴らしをすべて聞かせる前にダンはスタープラチナが繰り出したオラオララッシュによって壁に叩き込まれ、再起不能である。十輪寺が肩をすくめる中、一行は承太郎のメモ帳をのぞき込んでは笑って何かを書いていく。それは十輪寺の手にも回ってきた。

十輪寺は思わず吹き出す。……ダンの悪行が書き連ねられた後に、他のメンバーの署名。十輪寺も迷わずそれに名前を書き込んで承太郎に返した。

「己を知るってのはいい教訓だが…テメーは敵を知らなさすぎだ。勉強不足だったな。」

承太郎はそのページをびりりと破いてふわっと風に飛ばした。

 

「ツケの領収書だぜ。」



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砂漠に薄っぺらな嘘

一行は船旅を経てパキスタンからアラブ首長国連邦に入った。政情の安定しているルートを通っての現地入り。イスラム圏内であるため、女の十輪寺はアバヤという伝統衣装で顔を隠し、他のメンバーが誰か1人は必ずそばにいるよう体制を整えることとなった。申し訳なさ半分の十輪寺だったが、ジョセフたちは他のことも危惧していた。

「…DIOに予知夢のことがばれておる。しかも我々が見られたという感覚無しで、だ。」

ジョセフが唸るのに承太郎は低く返す。

「こっちを観察するスタンドが向こうにあるとみて間違いねぇ。ハーミットパープルを妨害しつつこっちを見てやがる。」

「それで敵は正確に刺客を送り込んでいるんじゃろうな…」

アヴドゥルがいない中旅の中核を担っているのはジョセフだ。だが彼も旅慣れているとはいえ限度がある。都度、ポルナレフの注意が外れた時にアヴドゥルに連絡を取っているがそれすらもバレていたらと思うと。

「…今後彼に連絡を取るのは避けよう。それに重要なことはもう伝えた。」

ああ、とうなずいて承太郎は部屋を出る。これ以上一族2人が固まって話しているのも、よくない。

もしも敵にラバーズのようなものがまだいて、とりついているのだったらアウトだな、と承太郎は思いながら自室に向かった。

 

 

自室に戻ると、ジョセフからこちらで待つようにと伝えられていた十輪寺が見慣れない格好で、見慣れた教科書とノートを片手に花京院と日本語でやいのとやり取りをしている。もうこの件があった以上十輪寺を単独で泊まらせるわけにはいかないため、部屋割りはジョセフ・ポルナレフ・十輪寺と承太郎・花京院という風になっていた。当の十輪寺はそれに難色を示すこともなく、理由についても気が付いていないようである。

気が付いていたらいたで気を揉みそうな彼女だ。だからそれに関しては触れないようこうして十輪寺のいない場で話していたわけなのだが。部屋に戻ってきた承太郎に2人は顔を上げてお帰り、と言う。

「…ポルナレフの奴は?」

「街に下りて行きましたよ。1人で行動しないようにって言ってるのに…」

肩をすくめながら目しか見えない十輪寺が言うのに承太郎は嘆息する。ポルナレフは地味に問題児だな、と思いつつも彼らのテーブルに近づいていった。

「で、お前らは何やってんだ?」

「ああ、そうそう。良い所に来てくれたよ承太郎。十輪寺が教科書持ってたものだから今どのへんかなって。」

ほら、と花京院は手元の冊子を指し示す。そこには承太郎が去年使っていた懐かしいものが何冊もあった。なるほど、急な出立だったからその日の科目はモビー・ディックに積載させていたらしい。

「どうせならご教授願えないか?帰ってから勉強ついていけません、じゃあ面倒だしさ。」

花京院がおどけるのにニヤッと笑って承太郎は良いぜ、と答える。過酷な旅や不安を忘れるにはこういうのはもってこいだ。

ひと時の余暇を、彼らはガクセーらしく自習に努めることにした。

 

 

 ***

 

 

「これからのルートじゃが…まずヤプリーンという村に出て、セスナを買ってサウジアラビアの砂漠を横断しようと思う。」

この旅にかかっている費用はどれくらいなのだろう、と場違いなことを思いながら十輪寺は後部座席で揺られている。そもそもこの車だって何故かこれから砂漠に向かうというのに高級外車だ。そのうえセスナまでとは。

「生涯に3度も飛行機で落ちた男と一緒にセスナなんか乗りたかねーな。」

承太郎がぼそりというのにムッとしつつも、ジョセフは次の案を出す。それは…

 

 

「なあおい…車と交換したはいいが本当に乗れるのか?乗ったことあるのか!?」

ジョセフの奇策。それはラクダに乗っての砂漠越えだった。だが肝心のラクダが言うことを聞かない。ついには強引に追い縋ってラクダを座らせようとする始末だ。見本たるジョセフがこれでは…と他の面子も唖然とするよりない。

暫く格闘した末彼はやっとこさラクダに乗り上げて解説していく。だが他の面々はしらっとした顔でそれを聞いていた。なにせジョセフがうまくラクダを操れなくて転げ落ちるものなので。

そんな前途洋々とはいかない出発となったがなんとかこぎつけた。なお、最初ラクダの繰り方をわからず全員が別々の方向に進みそうになったことは置いておく。

 

 

 ***

 

 

「やはり…どうも誰かに見はられている気がしてならない…」

花京院が言うのにポルナレフは「気のせいだろ」と気楽に返すが、他の面々も同様に視線を感じていた。灼熱の陽光下でスタープラチナが周囲を見渡しても何もない。

「何も見えない…が、何か妙だ…」

あまりの熱気に全員が汗を流す中ポルナレフが先を促しながら言う。

「おい、見ろよ…気温が50度もあるぜ。」

うんざり顔で温度計を見た彼は水筒に口をつけた。そんなさなかジョセフも時計を確認して言った。

「今が一番暑い時間…」

はっと息をのむ声。何事だろうかと熱でもうろうとしながら十輪寺はジョセフを見やる。と、そこでジョセフが叫んだ。

「承太郎!お前の時計いま何時だ!?」

「8時10…!?」

その言葉に一同は愕然とする。――午後8時を過ぎているのに、この太陽はなんだ?

途端に太陽が牙をむいた。

「馬鹿な!?温度計がいきなり60度に上がったぞ!」

「太陽が西からどんどん昇ってくる…!?まさか…あの太陽が、スタンド!!」

 

 

熱光が一行を襲う。ここは砂漠のさなか、敵の気配はどこにもない。まずいとジョセフはラクダを飛び降り岩陰に入る。

「一晩中蒸し照らして俺たちをゆでダコにする気か!」

「いや…サウナでも30分以上は危険とされる…そんなに、時間はかからない。」

これでは消耗戦、時間の問題。熱でうまく回らない頭で十輪寺は咄嗟にモビー・ディックを出現させた。

「とりあえずこのままでは危険!皆、モビーの口の中に退避してください!なんとかなるかもしれない!」

言って彼女は有無を言わさずラクダごと一行を飲み込ませた。

「なっ…!?十輪寺、それはどういう…」

「…こういうこと、です。」

白鯨が口を閉じたと同時にふっと熱気が掻き消えた。そして灼熱の太陽が照らした真昼間から、満天の星を抱えた真夜中に。足元は何も生えない砂礫から、踏むと鳴き声をあげる木板に。目の前は、荒涼とした砂漠ではなく、一面の凪いだ海に変化していた。

「なんだこりゃあ…!?風景が、変わった!?」

船の柵に身を乗り出しながらポルナレフが驚きの声を上げる中、十輪寺は淡々と説明した。

「ネイビー・モビー・ディックの『船内』です。いつもここにものを積載してるのです。…ここなら、モビーが口を開けない限り、何も立ち入らない。」

十輪寺は皆に背を向けながら甲板をきぃきぃ鳴らしラクダに近づいていった。崩れ落ちている5頭のラクダに手を当て「大丈夫みたいですね」とぼそりと漏らした。

「『中』が存在するとはな……お前が中にいる場合モビー・ディックはどうなってやがる?」

十輪寺はアバヤの頭の覆いを取って振り返らないで答えた。

「私とモビーは視覚共有していませんから、外の様子がわかりません。そして私が中にいる場合ネイビー・モビー・ディックは自立行動をとります。よって、長時間ここにいることも危険でしょう。…対策を、早急に練らなければ。」

この中に通ったことがあるのは花京院だけ、他の3人は思わず呆ける。その中、花京院は十輪寺の様子がどこかおかしいことに気が付いた。彼女を追って、その肩に手をかける。

「十輪寺?どうした?」

彼女は汗でぐっしょりぬれた前髪をかき上げながらそっけなく返した。

「大丈夫…なんでもない、です。」

花京院は眉をひそめる。嫌な予感がする。だから彼は声をくぐめて一言言った。

「十輪寺。1つ忠告だ。…君は嘘をつくとき、前髪をかき上げる癖がある。」

はっと彼女が息を飲むのが聞こえた。彼女の方が硬直するのが伝わってくる。――そして、彼女の体が異様に熱いのも。

「君自身はモビー・ディックのフィードバックを受けてるな?」

唇をかんで十輪寺は振り返った。その顔はいまだ汗が噴き出して止まらない状態で。

「…どうやらそのようです。そして、攻撃も。」

十輪寺は「皆!」と声を大きくして全員の注意を向かせた。

「モビー・ディックが攻撃されています!おそらくあの太陽から何かを打ち出して!…腕から血が…!」

彼女が言った瞬間、今度は彼女の足元に血が滴った。

「…!十輪寺、わしらを外に出すんじゃ!どのみちこのまま躱し続けることもできん!承太郎!出たらすぐにスタープラチナで穴を開けろ!!」

 

 

一旦インターバルを挟んだとはいえ、外は地獄のような熱気を呈しており、地面に穴が数多も開いているという悲惨な状況だった。幸い様子を見る限りモビー・ディックはその場を旋回することで攻撃を躱していたらしく、元居た地点と思われるところからは離れていない。再び灼熱の中に放り出された一行はすぐさま穴の中に逃げ込んだが、今度は敵の思うつぼ。双眼鏡を出して外を見ようとするジョセフが穴からそれを出した瞬間に撃ち抜かれる。

「Son of a bitch!どこにいやがる!!」

「今の攻撃…!やはり敵はどこからかこっちを見ているぜ!どこだ!?」

熱でぼうっとするどころではない十輪寺はもう目を閉じる寸前だった。大丈夫か、という声ももう遠くに聞こえかけている。辛うじて、うなずく。

「なんとか…なんとかしなければ…!」

ジョセフが地面を拳でダンと叩いた時だった。…横から、耐えきれない、とでもいうように妙な笑い声が聞こえてくる。

「くっくっく…ひひひひ…ッのほほ…ッ!!」

「…花京院?」

その笑い声に反応するかのように、同じように笑い出したのは。

「うひひひ…ふはははは!!」

「じょ、承太郎!?お前もか…!?」

ジョセフと十輪寺がいよいよぞっとしかけた時、ポルナレフも笑いだした。

「ははははは!!!」

ジョセフは承太郎の胸ぐらを掴んで呼びかける。

「気をしっかり持てッ!冷静に対処すれば必ず勝機はあるはず…!!」

「はははっ…!勘違いしないでくださいジョースターさん!」

声を上げたのは最初に笑い出した花京院。

「あそこの岩、人が隠れられるほど大きくありませんか?そして、その反対側にある岩も見てください。」

花京院が指さす先の岩を見て、ジョセフと十輪寺は首をかしげた。それが何だっていうのだ。

「反対側に全く対称の形をした岩があって、影も逆についている…ということは?」

そしてスタープラチナが動いた。

 

 

 ***

 

 

「あ~あ!鏡に隠れて尾行してきてるとはな!気が付かなかったぜぇ。」

太陽のカードは星の投擲の前にあっさりと沈んだ。呆然とするジョセフと十輪寺に承太郎が辛辣な言葉を浴びせる。

「暑さのせいで頭が鈍ったことにしといてやるが…勘が悪いんと違うか?」

「あう…」

十輪寺は肩を落とす。ラクダをかばった以外良い所がない。

「さぁ、次の目的地へ向かいましょう。それにしても砂漠の夜は冷えますね。」

その言葉に合わせたかのようにポルナレフからくしゃみが飛ぶ。砂漠に一行の笑い声が響いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うわあああああ!!!ああああ!!」

突如叫び声をあげて花京院は飛び起きた。同室だったポルナレフに驚かれながらも、花京院は今しがた見たはずなのに覚えていない悪夢に頭を悩ます。

それから始まった朝だった。

 

 

 ***

 

 

ジョセフと承太郎は起きてもうセスナの確認に行っているという。では彼らと同室だった十輪寺はというと、浮かない顔をしながら持っていく荷物の整理積載をそのスタンドを活かして請け負っていた。ポルナレフがおはようと元気よく声をかけてくる中、十輪寺は何ともはっきりしない様子で返事する。

「なんだよォ~!そりゃセスナが4人乗りで、体格的に貨物スペース行きになるのはユイだからって気を落とすなよな。」

「そうじゃあないです…もっと別のことなんだけど、何か漠然としててはっきりしないのです。」

十輪寺は曇った顔で首をかしげる。と、ポルナレフについてきた花京院に対して「あれ?」と首をかしげる。

「花京院、なんかどっかで会わなかった?」

その言葉にポルナレフは吹き出した。

「何言ってんだよ!毎日顔付き合わせてるじゃあねーか!!」

ポルナレフが思わず突っ込む中、花京院は十輪寺と目を合わせて同様に顔を曇らせた。

「…奇妙な言葉だけど…わかる気がする。なんだろうな、これ…」

2人が思い出せないような何かに直面する中、ポルナレフは「ヒマなこと言うなよな」と行って食堂に向かっていく。残る2人も引っかかりを覚えながら、それに続いた。

 

 

「赤ん坊が熱!?わしらにも人の命にかかわる理由がある!2日も足止めを喰らうわけには…!」

「じゃあおたくらに飛行機を売ってあの赤ちゃんを見殺しにしろというのかね?」

飛行場ではジョセフが飛行機のオーナーと口論になっていた。何でも村の女性が連れてきた赤ん坊が高熱を出してすぐにでも医者に連れていく必要が出たらしい。

赤ん坊、と花京院と十輪寺はまた既視感を覚える。先だって見た犬の無残な亡骸や今朝会った時の妙な感覚といい、何かを忘れている気がする。

「あの…こうしてはどうでしょう。赤ちゃんをこの人たちに任せて連れて行ってもらうというのは…」

赤ん坊の母親と思しき人が提案するのにジョセフは渋るが、ふと、十輪寺は思ったことを口にしていた。

「連れて行きましょう。いざとなったら私がかばいます。それでいかがです?」

それに追従するようにポルナレフも飛行機を蹴っ飛ばしながら言った。

「それによ、ジョースターさん、この飛行機は正真正銘メカだぜ。」

「赤んぼの母親の意見を取るしかなさそーだな。俺はスタンドよりじじいの操縦のほうが心配だがね。」

かくして赤ん坊を連れて次の町に向かうことが決まった彼らはセスナの乗り込んだ。

 

 

「ところであの赤ちゃんどこの子かしら?」

「え、あんたが母親じゃあないのかね!?」

「なんか…あの子の鳴き声を聞いていたら飛行機に乗せなきゃって気になっちゃって…でも牙のような歯が生えてたわ!気持ち悪い…」

 

 

 ***

 

 

離陸してからしばらく。後部座席に座った2人が眠りについた頃、十輪寺は貨物スペースで身を縮めながら今朝のことを考えていた。

(…私はたぶん悪夢を見た…でも、内容が思い出せない。)

それは彼女にとって初めての経験だった。おそらく内容は朝見た犬の死なのではないかと推測するが、それにしては何かがおかしい気もする。いつもは鮮明に残って消えないドラマのような夢が、何故。

十輪寺がこのことを話すべきかどうか思案しているとなんだか嫌なにおいが漂ってきた。そして操縦するジョセフが何やらうなされている様子だったポルナレフを起こす。

「ポルナレフ!赤んぼのおしめを取り換えてやってくれ!」

ああ、それで、と十輪寺は納得して白鯨からごみ袋を取り出させる。……赤ん坊のおしめなど換えたことはないのだが多少は手伝おうと身を乗り出すと、ポルナレフの顔は心なしか青ざめていた。

「なんか…スゴク恐ろしい夢を見た気がするんだが思い出せない…」

夢。その単語に十輪寺は再び引っ掛かりを覚えた。

 

 

「これでいいのかなぁ?ま、い~ことにしよっ。」

ポルナレフがちょうどそれを終えた時だった。横で目を覚まさなかった花京院がまたしてもうなされる。そして。

「うわああああ!やめろ!やめてくれ!!」

唐突に眠ったまま花京院が叫びだし操縦席のほうを足蹴する。その勢いでジョセフが操縦桿を手放し。

飛行機のバランスが大きく乱れてきりもみし落下していく一瞬で十輪寺が目をやった先の花京院は、不自然にもいまだ目を覚ます気配すらなかった。

 

 

 ***

 

 

「花京院!一体どうなってるんだ、こうなったのはお前のせいだぜ!!」

飛行機墜落の影響で急遽砂漠のど真ん中での野営となった中で、ポルナレフの叱責が花京院に飛ぶ。うつむいた花京院に「疲れているんだろう」とジョセフが肩を叩く中、やはり十輪寺の心は晴れないままでいた。

(なにかが変だ。今朝から私も、花京院も…多分ポルナレフも、おかしい。)

3人に共通するのは『眠りと夢』。十輪寺自身は朝目が覚めた時から違和感がぬぐえない。セスナ内で目覚めた時のポルナレフの青ざめ方も尋常ではなかった。そして花京院の眠ったままで狂乱する様。明らかに何かが起きている。

(スタンド攻撃?でも確証が持てない…)

十輪寺は和やかなジョセフとポルナレフのやり取りを後ろに花京院を盗み見る。頭を抱えうなだれる彼は憔悴しきった様子で、やはり妙だ。

(…スタンド使いがいない場合もある。何か積載物に不自然なものが紛れ込んでないか確認しなおそう。)

そう考え彼女はモビー・ディックを呼び出して『船内』に入り込んだ。……その間に、事態が暗転するとはつゆ知らず。

 

 

 ***

 

 

「本当なんです!!この腕の傷を見てください!!」

船内に不審物は紛れ込んでいない。ならば原因は何なのだろうと考え十輪寺が出てきた時、花京院は窮地に立たされていた。

「これは警告なんです!夢の中でついた傷なんだ!!」

夢。その言葉に十輪寺も花京院の腕に目をやる。刃物でつけられた痛々しい『BABY STAND』の文字。

まさか、そんな馬鹿な、と十輪寺は咄嗟にそう思った。赤ん坊がスタンド使いだなんて、と。

だがその次に見た花京院の瞳の色で、その考えを思いなおすことになる。

(あの目は)

あの目は――かつて十輪寺が夢のことを打ち明けた時に皆に向けていた眼差しと同じだった。

 

 

だが事態は十輪寺の時とは真逆のほうに動こうとしていた。唖然とする旅の仲間たち。その顔は如実に『信じられない』と言っている。

「Oh,My,God…」

ジョセフの口から洩れた言葉に、花京院は見るからに動揺した。その目は泳いで皆を順繰りに見て、赤ん坊のほうに。

(まずい)

十輪寺は直感した。追い詰められた彼が何をするかわからないが、このままでは敵スタンドの脅威を暴けなくなる気がする。一行の皆が花京院を疑いの目で見ている。能力の詳細が、赤ん坊がスタンド使いだと気づいたことで逆にあだとなるものだったとしたら。十輪寺は咄嗟に花京院に鋭く声をかけた。

「花京院、落ち着いて。お願い。」

その言葉で、赤ん坊に向けられていた花京院の絶望したような視線が十輪寺に向いた。十輪寺はこの場を切り抜けるために一瞬で必死に考えをまとめて、ある動作をした。

 

 

「きっと疲れているんです…少し水でも飲んで、落ち着きましょう…?」

十輪寺はわざと前髪をかき上げながら、花京院に視線だけで『信じてる』、と伝わってくれと祈りながら、声をかけた。

花京院の目が見開かれる。――伝わったのか、果たして。

 

 

「……すみません…向こうで、休みます…。十輪寺、水をください。」

 

花京院が赤ん坊から背を向けて十輪寺のもとに歩み寄ってきた。――伝わってくれた。内心ほっと溜息をついて十輪寺は花京院とともに墜落したセスナの向こう側へと歩いていった。

 

 

 ***

 

 

「…自分でも、信じられないとは思ってる」

岩に腰かけかすれた声で花京院が言うのを片膝つき見上げる形で聞いていた十輪寺は水筒とカップを出す。

「軽率だった…確証が持ててないのにスタンド使いの前でそれを暴くような真似」

「大丈夫。落ち着いてください。まずはこれを飲んで。」

今にも消えそうな花京院の言葉をさえぎって十輪寺は水を渡した。これ以上は彼の神経を摩耗させるだけだと感じたからだ。現に彼はうわごとのように自分を責めている。ややあってカップに手を伸ばした彼はそれを一口含んで飲み下した。そして、その弱りきった目が十輪寺に向く。

「……信じて、くれますか」

彼を安心させるように十輪寺は困ったような笑顔を浮かべて返す。

「今朝からずっと引っかかってたんです。…私ね、今まで目が覚めた時に夢を忘れたことがないんだ。」

それに、と彼女は笑みを真剣なものに変えて言った。

 

「あなたは信じてくれたじゃあないですか。」

 

十輪寺は花京院の隣に座りなおして空を仰いだ。

「……能力の考察と対策を練りましょう。皆を説得するのは厳しいかもしれないけど、手をこまねくだけなんてきっと駄目。」

目を花京院に戻したことによって、視線がかち合う。――彼の瞳にいつもの怜悧さが戻ってきた。

(そう、あなたはそうでなくちゃあ。)

ニッと十輪寺は彼に笑いかけた。

(独りじゃない。敵の思うつぼになんか、させない。)

この人たちを守ると決めたのだ。なれば赤子とて手を抜くわけにはいかない。

 

 

 ***

 

 

(くくっ…ジョースターたちは花京院のことを信じていない!お前たちは自分たちに負けたんだッ!)

口の中に含んで隠していたサソリを吐き出してマニッシュは一息つきほくそ笑んだ。後方ではポルナレフがしきりに「花京院はもうだめなんじゃあないか」と言っている。状況はこちらが圧倒的有利だ。

(あとはこいつらをばらまいた後…あの女を合流地点まで連れていくだけだ!)

花京院とともに今はセスナの裏に回ってやつを宥めている謎の女。DIOからの伝達で『生かして捕らえれば安全は盤石にしてやる』と言われたがマニッシュにとってはどうでもいいことであった。一応、念のため朝花京院とともに夢に引きずり込んで『マニッシュ自身を連れて行くように』と暗示をかけはしたが。

(どのみち俺の能力を倒すすべはもう封じられたッ!後は全員引きずり込んであの女にもっと深い暗示をかけてやるだけだ!!)



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夜戦

「手短にいこう、この状況で長話してるのは双方に怪しまれる。まず、敵の能力だ。」

冷静さを取り戻した花京院は口元に手を当てながら早口に思案する。十輪寺もそれにうなずいて同様、まとめていた意見をすぐに発言する。

「『夢の中で何かする』能力でしょう。それも、あなたの腕の傷を見る限りおいそれと目覚めさせてくれない夢に引きずり込めるとみて間違いないかと。」

一拍置いて十輪寺は続けた。

「ポルナレフが起きたのはジョースターさんが起こしたからだったと思う…。そして夢でおきたことは忘れてる。ただ、ものすごく嫌な夢を見たという感覚だけが残ってる。」

2人は顔をしかめる。花京院は腕の傷をなぞりながら疑問を呈した。

「1つ、僕は夢に引きずり込まれた際にナイフで自分の腕を切ってこれを残した。そこまでするということは…スタンドを使えない状況だったんじゃないかと思うんだが。」

「…眠ってる間、ですもんね。だからスタンドを出せないのでは…」

その回答にたどり着いて十輪寺は半ば絶望的な心地になる。これでは本体をどうにかすることしか打つ手がないが、相手は赤ん坊。しかも先ほどの花京院の殺気立った様子からジョセフたちのガードは固くなっているはず。皮肉にも味方が障壁になっている状態だ。

「…モビーの中に一度入れてみて、起きてるのを確認させたら…」

「それも考えたが、ジョースターさんたちはそのことを知らない。いきなり話して、比較対象がない状況で信じてもらえるかがわからない。」

花京院は軽く頭を抱えつつ言う。そもそも赤ん坊がスタンド使いで、こちらを害そうとしている状況だというのが信じられないような状況。しかも花京院が言うにはサソリを的確に殺したところから考えて、おそらく彼の知能は相当高いとのことで。

「……自分で言ってて信じられなくなってくるな、まさしく幻覚でも見てたようだ。」

「何か…ほかに残された、手掛かり…」

花京院が自嘲する隣で十輪寺も必死に首をひねる。何か、引っかかることがあったはずだがそれが思いつかない。眉間に皺を寄せて思考する十輪寺を見て、花京院はぼそりとつぶやいた。

「…君は疑わないんだな、赤ん坊が本体だって。実際に見た僕ですら信じられない思いなのに。」

十輪寺は彼の言葉に意外そうな表情をして答える。

「だって、あなたやポルナレフたちは生まれつきスタンドがいたんでしょう?なら赤ちゃんがスタンドを持つのも不自然じゃあ無いかなって。そりゃあ大人並みに頭がいいって話は信じ切れないけど…。スタンドが一人歩きして暴走することだって普通にあるんだし、どのみち対策は練らないと。」

「…なるほど。君、意外と論理的だったんだな。」

そこまで言って花京院はニヤッと笑う。――いつもの調子が戻ってきた証だ。そう思った十輪寺はわざと不服げな表情を作って返した。

「意外とは余計です。今まで感情的で悪かったですね。」

「おっと失礼、失言でした。」

くすっと笑ったのち花京院は真剣な表情をして、ポケットから折り畳みナイフを取り出す。

「しかし…こんなものに頼らなきゃあならなかった状況は危険だよな。相手はスタンドだから攻撃なんてできないわけで…」

花京院がそれの刃を立てて見まわす仕草を見て十輪寺ははっとした。

その実物を、花京院が自らを傷つけてまでヒントを残した()()()()それを。

「それだわ花京院。このスタンド…眠るときに身に着けてるものは持ち込めるんじゃないかな…!」

十輪寺の意見にはっと花京院も息をのむ。……光明が、見えた。

「……そうか。なら話は早い。眠るときにスタンドを()()()()()逆手にとれる。」

花京院は十輪寺に目を合わせた。

「だがこれは賭けだ。もし目論見が外れたら敵の術中にまっしぐらだからね。危険になったらさっき同様腕を傷つける。だからその時は君は皆を起こして回れ。」

十輪寺は目を丸くして花京院に言う。

「…眠ったままスタンドを出せるの?」

「できるだろうが確実性を取るには君の協力が必要だ。ハイエロファントを地面に潜り込ませて隠すから、君の波紋で僕を気絶させてくれ。…その様子では君は眠ったままスタンドを出すことはやったことがないな?じゃあ必然的に役回りはこれになる。」

花京院の傍らに一瞬ハイエロファントが出現し、地面の中にするりと潜行した。

「波紋を流す理由は僕を落ち着けるためでいいだろう。寝ずの番を頼むのも忍びないが…頼まれてくれるよな?」

 

 

 ***

 

 

(…何故だ?なんであの女は眠ってない?)

その深夜。マニッシュは皆が眠りについたころ合いを見計らって死神(デス)13を発動させた。……だが、その中に招いたと思っていたはずの女が見当たらない。ちらり、と本体を見やると一見眠っているように寝袋に収まって固く目を閉ざしているのだが。狸寝入りしているのだろう、これではうかつにマニッシュも動けない。自身も寝たふりをしながら意識を夢の世界に向ける。

(どうする?この人数を一気に招き入れた上にポルナレフは二回目だ。さすがに起きた時に違和感が残っちまう…。決行するっきゃねーか…!?)

まさかあの女は花京院の話を信じているのだろうか。2人きりで数分ほど話していた時に情報共有がなされたのか。だが確信してる様子には見えなかったし、ハモンとやらで花京院を眠らせたところから考えて墓穴を掘っているのは間違いない。

(…どのみち夢の中にスタンドは持ち込めねぇ!眠ってる間に発動させてられる奴なんてそうそういねぇからな…。運は俺に味方してる!女は生かして捕らえろと言われてるしな。このままやってやるッ!!)

 

 

 ***

 

 

十輪寺は寝返りをうつふりをして赤ん坊のかごに背を向け、花京院のほうに顔をやり薄目を開けた。眠る前に寝袋の位置取りは慎重を期した。花京院からのSOSが赤ん坊に見えないように、かつ見落とさないように。

(あとは忍耐ね…。早いところあの赤ん坊がぼろを出すか行動に移してくれれば…)

十輪寺が起きていることは赤ん坊の能力からしてお見通しだろう。ふと、十輪寺は催眠能力がなくてよかったと頭の端に思い浮かべる。

(無防備な夢の世界に放り込むだけでも脅威的なのに、これに催眠術でも持ってたら手に負えなかったな…)

今のところ緩やかな眠気が襲ってくるだけで何かされている感覚はない。これならば悪夢を見たくなくて起きていた時と大して変わらない。内心ほっと息をつきながら十輪寺は花京院に視線を合わせた。

(夢の中にスタンド…無事連れてけたのかな。でも今のところサインはないし、表情もうなされてる感じじゃない…)

そう思考していたその時、うう、と背後のほうで声が漏れた。――この声は、ポルナレフ。

(…始まった?)

起きてる彼女は後回しにすることにしたようだ。十輪寺は眠気から一転緊張感をもって集中するが、花京院に変化はない。

(お願いします…どうか、うまくいって)

無言の、長い静かな戦いが起きていた。他の3人からうなされるような苦しそうな声が聞こえてくる。赤ん坊と花京院からは何も聞こえない。変化がない。

それは本当に長かった。寝たふりをして誤魔化すしかない十輪寺にとって、とても長かった。

だが、数十分経った頃にぐっ……と別のところから声が聞こえてきた。――赤ん坊のかごから、だった。

次第に赤ん坊が苦しそうにひゅうひゅう吐息をしてせき込む。これはおそらく、と十輪寺も予想する。

(ハイエロファントに締め付けられてるんだ…!)

途端、かごからごそりと音がして赤ん坊が這い出てくる気配を感じた。這いずる音がこちらに向かってくるように感じたが……途中で、それは止まる。そして。

 

 

「…もう手出しするなよ。今度は本体であるお前の首を絞めるぞ。」

パッと、眠っていたのが嘘のように花京院が起き上がって十輪寺越しに赤ん坊のほうにどすの効いた声を投げかけた。

それに目を見開いた十輪寺に花京院は目を合わせて微笑んだ。

「作戦成功だ。もう2時は過ぎてるんだろう?…後は僕が起きてるから、君はおやすみ。」

 

「信じてくれてありがとう。」

 

 

 ***

 

 

翌朝。朝食を作りハキハキとした声で花京院が皆を叩き起こしている中、十輪寺だけはその対象にならず彼らより少し後に起きて気持ちのいい目覚めを得られた。ジョセフとポルナレフがベビーフードを赤ん坊に食べさせようと動いている中、花京院はアウトドアテーブルに戻ってきて顔を洗ったばかりの彼女にホットケーキを差し出す。

「はい、どうぞ。」

「ありがとう。」

十輪寺が折り畳み椅子に腰かけると花京院も隣に座った。そして小さな声で伝えてくる。

「予想は大当たりだったよ。寝たままスタンドを持ち込むのは有効だった。一件落着だな。」

上機嫌に花京院が言うのに十輪寺も微笑み返す。そして、ふと過去思ったことを訊ねてみようと思い至った。

「そうだ、ちょっと関係ないのかもしれないけれど…」

「ん?」

「あの、私が夢のことを話した時にどうしてすぐに信じてくれたの?」

その問いに花京院は一瞬手元のステンレスマグに目をやって「ううん…」と呟いて、十輪寺に目を合わせた。

「多分、理由は今回と一緒だと思うよ。違和感があって、それにぴたりと当てはまる答えがあった。突拍子もなくても、お互いの人となりを知ってたから信じられたんじゃあないかな。」

「…そっか。改めてありがとう。」

ペコっと頭を下げる十輪寺に花京院は肩をすくめた。

「これではお礼の言い合いになるからもうやめとくけど、僕もだよ。心強かった。」

2人で笑いあった瞬間、ジョセフとポルナレフの壁に隠れて見えない赤ん坊が尋常でない叫び声をあげたのに十輪寺はぎょっとした。

「な、なに?」

「さぁ?」

コーヒーをすすりながら花京院はしれっと言う。……その様子に十輪寺は思わず訊ねた。

「……あの、花京院、何をしたの…?」

「なんのことやら。」

何となしに花京院が答えるのに十輪寺は顔をしかめた。

「あなたは嘘をつくのがお上手ね。自然すぎて分からないわ。」

「君が分かりやすいだけだろ。まあ、あまり嘘はつかないほうがいいんじゃあないか?」

十輪寺はその物言いにむぅと黙り込む。それをみて花京院はまた笑った。

「ま、いいじゃないか。これに懲りてもうスタンドは乱用しないだろう。」

「…本当に何をしたの?」

「ちゃんちゃん、ってやつだね。」

花京院が十輪寺の問いに答えることは結局なかった。



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血の轍

波の音は寄せては返し、海風に野草が揺れる。今頃先に上陸していた『審判(ジャッチメント)』がこの島のどこかで動きを見せているのだろう。

その場に立った壮年の男は常人では持ち得ない視力で浜辺に集まる一団を遠方から見る。ジョースター一行は2人を除いてあそこに集まっている。

「期は、今。そして雪辱もまた、今。」

 

 

「阻まれた50年前の悲願、達成させてもらうぞ。……ジョセフ・ジョースター。」

 

 

 ***

 

 

「えっ…船を叩き壊す?でもそれじゃあ帰りはどうするんです?」

紅海上のとある孤島。一行はここでアヴドゥル――変装していてポルナレフだけ気が付いていない状態だったが――との合流を果たした。今はその晩である。

1人になったポルナレフが不安だということでアヴドゥルが追いかけていったその後、ジョセフたちは浜辺に来て出立の準備をしていた。そしてジョセフは十輪寺に乗ってきた船の破壊を頼んでいる。

「なに、アヴドゥルに頼んだとっておきがあるから大丈夫じゃよ。船は証拠隠滅のために一応壊して進んでおこうと思ってな。」

にかっと笑うジョセフを前に十輪寺は首をかしげる。とっておきとは何のことなのだろう、と他の2人に目をやるが、どちらも同様に知らないようだった。

「まぁ、わかりました…。空条先輩と一緒にやればいいんですよね?」

「おめー1人でできるだろ。尾を振り下ろせば一撃だ。」

承太郎はあくまで手伝う気はないらしい。確かにこの大きさの船舶ならモビー・ディックの全力の一撃で行けるだろう。はぁ、と軽くため息をついて十輪寺は白鯨を出現させる。

「じゃあ本当に行きますよ?モビー、アンガー…」

十輪寺が白鯨に錨を振りかぶらせた瞬間だった。――どこか遠くから異音がする。

「何だ?」

不審に思って全員動きを止めてそちらの方を見た。ギャリギャリギャリと不快な響きをもってその音は近づいて――もはや、轟音というのに近い響きとなってきた。

「何か来る…!まさか敵襲か!!」

承太郎がスタープラチナを出現させ構えを取る。それと間もなくしてその轟音の正体が闇夜に浮かび上がった。

巨大で赤黒い鈍く光る回る車輪。返り血を浴びたかのように毒々しいまだらの入ったドームのような(ほろ)。進むたびにぎしぎしと悲鳴を上げる湾曲した角の生えた車体。

それは禍々しい様相を呈した幌馬車だった。牽き手となる獣もいないのに、それは猛スピードで一行に向かって、生い茂る草に車輪を取られることもなくただ一直線に向かってくる。

「スタンドか!?なんだあの幌馬車は!?」

花京院が叫ぶようにして声を上げる。そうでなくては声すら通らないような酷い音が響き渡っているのだ。そしてその判断を下す間もなく幌馬車は一行の目前まで迫っていた。

「ちぃッ!受け止めきれるか!?」

スタープラチナが拳を振りかぶる。もう一刻の猶予もない。スタープラチナが全力で拳を繰り出し幌馬車と衝突した瞬間メギャリ!!と凄まじい音とともに衝撃波が周囲に波及する。

「ぬうっ!?」

承太郎の足が砂をえぐって後退させられている。スタープラチナが押されている状況に彼は咄嗟に拳をラッシュに切り替えた。

『オラオラオラオラァ!!!』

だがそれでも幌馬車は止まらない。スタープラチナごと承太郎を轢き殺さんばかりに車輪がギャリギャリと不吉な音を立てる。砂塵が凄まじい勢いで舞い、承太郎の後ろに控えた3人も思わず目を保護するように腕を構えざるをえない。未だラッシュが続く中、幌馬車は壊れる気配すらなく承太郎を押し戻す。

「モビー!!アンガーテイル!!」

これはまずいと判断した十輪寺も承太郎に加勢すべく白鯨の一撃を繰り出した。未だ回転する車輪の片方に向けての重い尾打。グワン、と盛大な音がしてさすがに車体のバランスが崩れた。その隙を見てスタープラチナは正面からではなく横殴りに車体に一撃を与えて横転を狙う。

紙一重だった。紙一重で一直線だった幌馬車の軌道が逸れ一行は辛くも衝突を免れた。砂浜をえぐって片輪走行で馬車は海に突っ込んだと同時にそのヴィジョンを消す。

「やはりスタンドッ!!わしらを一網打尽にしようとしたな!?」

ジョセフが言う間もなく、再び異音があたりに響き出す。――幌馬車がまた、こちらに目掛けて突進してくる。

「よけろ!!パワーはやべぇがあの馬車はきっと曲がれねぇ!!」

承太郎のうなりに応じて4人は十輪寺とジョセフ、承太郎と花京院で左右に走り分かれた。それからものの数秒もしないうちに幌馬車は一行の後方にあった船を轢き潰し再度消失する。

「なんという破壊力とスピードだ…!2人の全力でやっと軌道を変えられるレベルだと…?」

分析する間もなく轟音が迫りくる。3撃目。十輪寺とジョセフの組を狙った攻撃。

「止まってはいかん!!横に走り抜けるんじゃ!!」

2人は全力疾走して一直線にしか進まない幌馬車から逃れようとする。が、それを察したかのように幌馬車は姿を消したかと思うと、一瞬間をおいて走っている2人の()()()()()()出現した。

「な、なにぃ!?」

慌てて方向を変え跳ねとんだ2人の後方を幌馬車は駆け抜け、今度は承太郎と花京院のほうにまっしぐらに向かっていく。承太郎たちもジョセフたち同様に横に跳んだ。

幌馬車が消失する。そしてまた異音が鳴り響く。次は一行が一直線になったちょうどのところを目掛けて突進してくる。

「まずい…!いやッ!まずいどころではないッ!!敵はこちらの消耗を狙っているッ!!」

「スタンド自体が壊せない!なら本体を狙うしか…!」

その勢いは『運命の車輪(ホウィール・オブ・フォーチュン)』と比肩して相違ないだろう。それがヴィジョンを消しては即座に軌道修正して向かってくるという異常事態。このままでは息が上がるのに何分とかからない。

これは早期に決着をつけなければ全滅もありうる。ならばとまず動いたのは花京院だった。

「ハイエロファントグリーン!上空から敵を探ります!!」

法皇が触脚を伸ばしながら出せる全力をもって天に向かう。が、その間も幌馬車はこちらを狙って(わだち)を作る。承太郎が花京院の腕をがっと引いて叫んだ。

「やめろ花京院!スタンドで見てる間テメェ自身が手薄になるし格好の的だ!!おい!!皆一度固まって原っぱに戻るぞ!!一瞬隙を作ってくれりゃあ俺のスタープラチナで捕捉する!!」

その号令に皆うなずいて一斉に元居た草地に駆け出した。するとそれを待っていたかのように幌馬車は一拍の間をおいて、一行の進行方向からこちらに差し迫る。

それを見て、承太郎は確信した。そして指示した。

「十輪寺!躱したら即横からアンガーテイルを叩き込め!!」

それを言うと同時に彼は地に転がっていた礫をスタープラチナでさっと掴んだ。そして自身は迫りくる幌馬車を前にして、泰然と構えた。他3人から悲鳴に近い警告が飛ぶ。それでも彼は動かない。ギリギリまで軌道から外れない。

「射程に入った!!アンガーテイルッ!!!」

十輪寺は半ば祈るようにその瞬間に一番の威力でもって尾打を叩き込ませた。巨大なスタンド像同士が衝突を起こす。衝撃波が炸裂する中スタープラチナは投球の構えを取った。幌馬車が横に傾いだ、その一瞬。承太郎の、スタープラチナの目は確かに横転しかける幌馬車とモビー・ディックの巨体の合間を縫う、たった数センチの一直線な一点の軌道を見い出した。

『オラァァ!!!』

スタープラチナが全力で礫を投球する。礫は未だ消えない2つの巨大なスタンドの合間を潜り抜けて剛速球で向かっていった。

そしてそれは間もなくゴキャリ!と嫌な音を立てて何かに衝突した。と、ともに幌馬車のヴィジョンが揺らぐ。

「な…なんじゃ…!?」

3人が呆然とする中、承太郎は淡々と言った。

「賭けは成功したな。やれやれだぜ。」

ヴィジョンが掻き消える前に、と承太郎は拳の向きを変えて幌馬車に向かってラッシュを叩きこむ。

『オラオラオラオラオラ!!!』

幌馬車に僅かにひびが入った。が、それを良しとしないように姿はすぐに消える。ちっと舌打ちして承太郎は幌馬車が来た方向目掛けて駆け出した。

「今本体に石ぶち込んでやったから動けねぇはずだ!こいつは確実に再起不能に追い込まねぇと後が面倒だぜ。」

「じょ、承太郎…なぜ敵がそっちにいるとわかったんだ!?」

追い縋りながら花京院が問うと承太郎は振り向きもせず告げる。

「一方向にしか走れねぇってことは発動起点が本体の可能性が高ぇ。しかも軌道が90度近く変わったとき一瞬()があった。おそらく本体が移動したんだろうぜ。」

「なるほど…それでさっきスタンドをギリギリまで避けなかったんですね…!?」

「避けたら移動されるか攻撃が当たらねぇからな。……見えてきたぜ、あいつだな。」

下草を無残にえぐっている轍の上を駆け抜けた先に、その人物は――

 

立っていた。

何の怪我も負わず、ただそこに佇んで、こちらを黄色く濁った眼でじっと凝視していた。

 

 

(なんだと…!?)

承太郎は人知れず驚愕した。スタープラチナは全力で礫を投石した。そして衝突音も確実に聞こえた。だというのに相手はさも平然と立っている。まるで何事もなかったかのようにこちらを見てくる相手に承太郎は得体のしれない違和感を持った。

「……今の一撃。」

男は緩慢に手を上げる。そして両手を広げて肩をすくめて言うのだった。

「私でなければ再起不能だった。まぁ、これだけ距離が離れていたのも功を奏したが。」

こんこん、と頭を指さして男は続ける。

「見事なコントロール。今の一撃は私の前頭葉を揺さぶりこの地に膝をつかせた素晴らしき一撃だった。DIO様が警戒なさるのも納得の一撃。」

DIOの単語を聞いて4人はより警戒心をむき出しにして男を睨みつける。だが男は構いもせず口に手を当て思案しだした。

「これはひょっとしたら楽しみかもしれない…。お前たちを見逃して、DIO様との対決を見るのもまた一興かもしれない。…だが、お前たちは『覇者』たりえない。統一するという意志を持っていない。『君臨する』という意志を持っていないのだ…」

「おい、何ごちゃごちゃ言ってやがる」

「君臨者たるもの『野心』が不可欠だ。だがお前たちにはそれがない。あのお方のような、ひいてはDIO様のような『器』ではない。」

承太郎の言葉を黙殺して男はぼそぼそと独り言を言う。そして一転、手を上げある人物を指さした。

「なによりあのお方を弑した蛮行は許すまじ。ならば私はここでお前たちを轢き潰し糧にする必要がある。……特にお前だ。」

その指は、ジョセフを指し示していた。ジョセフは内心冷や汗をかきながら平然とした態度で肩をすくめ返して男に問う。

「何じゃあお前さんは?『あのお方を弑した』?わしが?なんのこっちゃ分からんね。」

それに対して男はわずかに口角を上に歪ませた。

「そうか。しかし……50()()()と聞いてもそう言えるか?」

その言葉にジョセフははっとする。

50年前。世界の、人類の存亡をかけた戦い。しかしそんなはずはない。目の前の男はどう見ても壮年だ。その当時赤子ですらなさそうな風体。

だが、可能性が1つだけあった。

それを証明するかのように、男はにいっと口を開いて、そこに生えている鋭く尖った犬歯をまざまざと見せつけた。

「ジョセフ・ジョースター……これはカーズ様という『覇者の器』を破壊した貴様を葬るための戦いでもあるのだ。」

 

 

「覇者たる器無き者皆悉く、我が『血の轍(ブラッド・オン・ザ・トラックス)』の糧となれ。」

 

 

 

 ***

 

 

 

「お前は……まさかあの時の吸血鬼!?始末しそこなっていたのかッ!?」

愕然としたようにジョセフが叫ぶ中、黄ばんだ目で一行をまざまざと見渡したその男は犬歯を見せてかかと笑う。

「おお、耄碌していなかったようだ。その通り。私はあの時カーズ様に吸血鬼にしていただいた雑兵のうちの1人。」

吸血鬼ときいて他3人も思わず身構えた。それを一転険のある目で見やって吸血鬼は続ける。

(わっぱ)どもは話伝手しか知らなんだろうが、カーズ様は種の頂点たる『器』の究極地におられた。しかし、そこの今は老いさばらえた男に弑されたのだ。真の理想体系を理解しようともしないただの人間に。」

男はぼそぼそとただ言葉を紡ぐ。4人を相手にしてもまるでどうということはないというように。

「私は果てしなく長い生を得てもなお『仕えるべき主君』を探していた。そしてその方は再び私の前に現れた。DIO様だ。あの方は我が悲願、『完全に統一された世界』を築き上げるだけの器がある。」

「…何言ってるかさっぱりだな。イカレてんのかテメー。」

承太郎が険しい顔で睨むのに吸血鬼は肩をすくめて眉を下げた。

「分かってもらうつもりもない。私が語ったのはジョセフ・ジョースターに対するただの当てつけだ。これから糧になってもらうお前に対してな。」

『糧』。先ほども出てきた言葉だとジョセフは警戒する。ジョセフは黙ってその吸血鬼を見据えて拳を握った。この男は理性を保った吸血鬼だ。そのうえ先ほどの凄まじい威力のスタンド。これは吸血鬼としての性質が反映されているのだろうか。だとしたらDIOもその可能性があることを考慮しなくてはならない。どのみち、ここで倒される我々ならDIO打倒は夢のまた夢だ。

「わしらを倒せるなら倒してみるがいい。お前のスタンドは直線一方の攻撃。この距離でこの4人で躱して攻撃できないとでも?」

ちょいちょいと指でこちらを招きながらジョセフは挑発したが、吸血鬼は一笑に付しただけだった。

「いいだろう。口車に乗ってやる。」

 

 

言った途端、男の姿が忽然と掻き消えた。

「!?」

そして件の轟音が一行の()()から響きだした。

「なッ!?まさか今の距離を一瞬で移動して…!?」

幌馬車は轍を作って差し迫る。即座に飛んで躱す一行に、今度は別方向からまたヴィジョンを一旦消して向かってくる。

「しまった…!吸血鬼の身体能力は人間よりはるか上!!一定の距離をもって跳びまわって攻撃してくるのなんて朝飯前!」

「その通り。」

瞬間、吸血鬼はジョセフの()()に居た。

「!?」

「そして我がブラッド・オン・ザ・トラックスにはある特性がある…」

吸血鬼はその長く伸びた爪で何かを摘まんでいた。――それは、羽虫だった。

「この並外れた威力と速度の代償として『命を糧として発動する』のだ。」

ぐしゃり、と男が羽虫を潰した瞬間ジョセフの前に幌馬車が現れた。――この距離では退避が間に合わない、そう直感したと同時にスタープラチナが幌馬車の側面に重い一撃を与える。幌馬車はまたしても紙一重の片輪走行で軌道をそらして走り抜けていった。

「惜しい。童が近くにいたか。」

「…確かにパワーとスピードは驚異的だがそれは正面だけのようだな。横っ腹はがら空きと見たぜ。」

承太郎と十輪寺がそれぞれヴィジョンを出して吸血鬼を睨む。こちらにはパワー型が2人、どちらも側面への一撃によって馬車を横転させるには支障ないスタンド使いだ。だが吸血鬼は顎に手を当て余裕を見せる。

「…童と舐めていたがそれもそうか。おまけに波紋使いが2人。ならば私は隠れることにしよう。」

男は後方にだんと跳躍した。たった一蹴りだというのに十数メートルは距離が離れる。逃がすか、と承太郎が投石するがその前に幌馬車が前に躍り出て石を砕き向かってくる。

「ちっ…!」

再び躱しざまに幌馬車に打撃を与えるが本体は吸血鬼。ダメージはすぐに回復してしまう。これではフィードバックが無いに等しい。直撃は免れるが正攻法での対処ができていない。

「これでは消耗するばかり…!本体を叩くしかないというのに逃げられるッ!!」

「しかもこの草原!小動物や虫なぞ無尽蔵…相手の能力発動を封じる術がない…!」

轟音が駆けてくるのを躱しざまジョセフが指示を飛ばした。

「離れてはいかんッ!そして2人も対抗策が見つかるまでパワーを温存するんじゃ!!」

「しかし!敵の位置を補足する為には『隙』を作らねばッ!」

またしても別方角から下草を薙ぎ払って襲い来る幌馬車を皆で息を合わせて避けながら十輪寺も叫んだ。

「一か八か波紋を通した一撃をこのスタンドに当ててみます!空条先輩どうか援護をッ!」

「それがよさそうだな…!」

本体が吸血鬼だというのならスタンドを介して波紋エネルギーを流し込むことができるかもしれない。となればヴィジョンを足止めした瞬間に流し込むのが得策だろう。

「よし…!その役目はわしが引き受けるッ!この分じゃと真っ向から止めない限りあれは進んでいっちまう!2人で正面から受け止めるんじゃ!!」

幌馬車は角度を変えて進み来る。ぎしぎしとけたたましい悲鳴を上げながら差し迫る。承太郎と十輪寺が残り2人の前に出た。スタープラチナとネイビー・モビー・ディックが予備動作を取る。

幌馬車が射程圏内に入った。

『オラオラオラオラァ!!!』

「アンガーテイルッ!!!」

衝撃波と爆音が草むら広範囲にわたって波及した。ともすれば本体2人すら吹き飛ばされそうな程の凄まじい威力。草々は薙ぎ倒され、地面には陥没が生み出される。

それでも幌馬車はまだ沈黙しなかった。パワー型2人の全力をもってしても正面は破壊される兆しがない。だが隙は生まれた。すかさずジョセフがハーミットパープルに波紋を流して幌馬車に茨を伸ばす。茨は衝撃波に押されながらもなんとか衝突を繰り広げるスタンド像の合間を縫って到達した。

「『波紋疾走(オーバードライブ)』ッ!!」

独特の音を立てながら茨のまとわりついた先から電撃がほとばしった。

しかしそれは幌馬車の『表面』を走り抜けただけだったようだった。――血の轍は、沈黙しなかった。

 

 

「波紋が効かない…ッ!!」

轢き潰してこようとする勢いは留まることを知らないばかりか、スタンドヴィジョンの変化すらない。十輪寺は咄嗟に白鯨に身を翻させ側面の車輪にアンガーテイルを叩きこむ。幌馬車が再び横転する。ヴィジョンが掻き消えようとする。

「Holy Shit!スタンドを介してだと効果がないのか!?」

ジョセフが叫んだその時、ふと、承太郎はその精確無比なスタープラチナの視点を介してあるものを捉えていた。

幌馬車の前面の垂れ布が一瞬ふわりと浮き上がったのだ。その先――すなわち幌馬車の中に空間が確かに存在したのを目視した。そして、そこに。

「あれは…ッ!?」

承太郎は思わずつぶやいた。

ヴィジョンが消える僅か数コンマにも満たない瞬間。だが承太郎にとっては十分な時間であり、このスタンドの成り立ちについて判断するに問題ない根拠となり得た。

「おい!俺の勘が正しけりゃあ突破口が見えたぜ!」

「なにッ!?それはなんじゃ承太郎ッ!」

承太郎が説明しようとする間もなく別方向から血の轍は再び異音を立てる。これでは埒が明かないうえに体力も消耗する。そう判断した承太郎は要点だけを叫んで再び構えた。

「もう一発俺と十輪寺でアレを止めるッ!!その隙に花京院とじじいはあの幌馬車の()()()を引きずり出せッ!!」

「中だとッ!?」

血の轍は既に目前に来ていた。3人は言葉に驚愕する前に対処に迫られる。だが、ほかならぬ承太郎の言葉を疑う余地もなかった。すぐさま迎撃態勢を整えた十輪寺は再び承太郎と息を合わせ幌馬車との激突をこなしてみせた。

またしても巻き起こる爆風。それでも2人のパワー型は耐えてみせる。その隙を縫って花京院とジョセフはスタンドを放ち幌馬車内部に滑り込ませた。

「こ…こいつはッ!!」

ハーミットパープルとハイエロファントグリーンが、そこにいる何かに触れた。慌てて2人はその存在を拘束し、思いっきり勢いをつけて引きあげた。

幌馬車の垂れ幕がたなびくと共にそれはみちみちと嫌な音を立ててついに外界に存在を露呈させた。――今にも朽ちて果てそうな細くボロボロの上半身に、らんらんと光る赤い瞳。ミイラのようなスタンドヴィジョンが幌馬車の荷台と同化していたのだ。今にも荷台から引き剥がされようとしているミイラが遠吠えの如く咆哮する。そのちぎれかけた腕を振り乱してもがいている。

承太郎が叫んだ。

「そいつがこのスタンドの本丸だッ!馬車のほうはチャリオッツのアーマーみてぇなもんなんだ!そいつになら波紋が効くかもしれねぇ!!」

「わかったぞ!承太郎!!『』!!」

ジョセフは再び呼吸を整え波紋を放った。雷撃が紫の茨を伝い走っていく。それは間もなくミイラに到達し独特の反響音を響かせた。

『ぎゃああああああああ!!!』

あたりにけたたましい断末魔が、響き渡った。

 

 

 ***

 

 

「ば…か…な……ッ」

男の体には波紋症による損傷が確かに現れていた。それは彼にとって驚愕以外の何もでもないことだった。数多もの命を糧として引き潰してきたはずのブラッド・オン・ザ・トラックスが崩れ去る。DIOという秩序の頂点に立つに値する器に再び巡り合えたというのに、その行く末を向届けることができなくなる。

(おのれ…波紋…ッ!おのれ!ジョースターッ!!)

最後の力を振り絞ろうにも、もう既に腕はぐずぐずに崩れていた。スタンドを出そうにも力が入らない。油断していたつもりはないが、完敗だった。

歯ぎしりする余裕もない中、さく、さくと何者かが近づいてくる音がした。

「………」

男は無言で足音の主――ジョセフ・ジョースターを見上げた。ジョセフはただ、吸血鬼を静かに見下ろしていた。

「…無様だと思うか?」

吸血鬼の自嘲に淡々とジョセフは答える。

「いいや。正直そのスタンドには震撼したわい。じゃがわしらの敵ではなかったな。」

「……やはり衰えている。お前ひとりではなく、童が居なければ何ともならなかった…」

もう息も絶え絶えの吸血鬼はなけなしの力で嘲笑ったが、ジョセフは意に返さなかった。

「それがなんだというのじゃね?それこそが人間じゃ。仲間があって、困難に打ち勝っていく。そしてその意志すらも受け継いでいく。」

ジョセフは波紋の呼吸を整えた。

「吸血鬼に落ちたものには、もう解らんじゃろう。…わしらは先に進む。ここで止まるわけには、いかんのじゃ。」

「……DIO様は、私の比ではないぞ。」

「それでも打ち勝ってみせよう。運命に決着をつけるのが、脈々と受け継がれてきた我々の意志なのじゃから。」

波風が吹き抜ける草むらにぱちりと僅かな波紋が響いた。

 

 

 ***

 

 

「ちっくしょ~ォ!!俺だけ仲間外れにしやがってェ!!」

ジョセフたちとは正反対の浜辺で『審判(ジャッチメント)』に襲われていたポルナレフの嘆き声がこだまする。それに軽く申し訳ないと返しつつ、本格的なアヴドゥルとの合流を皆喜んでいた。

「で、とっておきって何なんです?船などは見当たりませんが…」

「それがとても目立つ買い物でな……さぁ、それに乗って出発するぞォ!!」

ジョセフの掛け声とともに海の中からそれ――潜水艦が浮上した。

「こ、ここまで買う!?」

 

 

現在地点は紅海のとある島。……エジプト上陸まで、もう間もなくだった。



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