NEMESIS (オンドゥル大使)
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序章
第X話


 昏睡の中に沈んだ街を見下ろすのは、天を衝く摩天楼だった。

 

 そこから一羽の雛鳥が飛び立つ。その実、それは雛鳥ではない。灰色の無骨な構造部の両端に九十度可変が可能なローターを有しており、腹部を膨張させた不恰好な輸送機だった。

 

 上昇しようとした矢先、輸送機の翼から黒煙が上がる。たちまち爆風が表皮を吹き飛ばし、雛鳥は空を知る前に空中で四散した。

 

 爆発の余韻が耳の中に居残る。彼はぐっと奥歯を噛んだ。

 

 ――間に合わなかったというのか。

 

 白いワイシャツ姿の彼は屋上へと続く階段を駆け上がり、状況を確かめようと首を巡らせる瞬間、襲撃を受けた。樹木のようなポケモンが長い両腕を垂らして間断のない拳を打ち込んでくる。彼は自身の手持ちポケモンと共にそれを応戦していた。彼の手持ちは口角の両端に牙を有したポケモンだ。緑色の装甲のような表皮に、赤まだら色が混じった灰色の皮膚は戦士の様相を呈している。

 

「オーロット! シャドーパンチ!」

 

 オーロットと呼ばれた相手のポケモンが影の色に染まった腕を突き出してくる。彼は叫んで応戦する。

 

「オノンド! ドラゴンクロー!」

 

 オノンドと呼ばれたポケモンの両牙に青い光が纏いついたかと思うと扇状に広がった。それが一直線に集束し、オーロットを押し出す。

 

「ダブルチョップ!」

 

 鋭い一撃が二重に突き刺さり、オーロット共々、相手トレーナーは逃げ出した。彼がそれを追って駆け出す。

 

 出たのは広い空間だった。ヘリポートらしき場所があり、屋上からはヤマブキシティの全景が窺える。

 

 カン、と階段を踏み締める音が耳朶を打った。彼が目を向けると青いコートを身に纏った少年がクレーンの陰から階段を伝って降りてきていた。白いマフラーが風に棚引いている。

 

「よくもまぁ、ここまで来たものだ。ぬけぬけとよくも」

 

 憎悪の滲んだ声だった。その眼には敵意以外の感情がない。機械と形容したほうがまだマシだった。

 

「輸送機を墜としたのは、お前か?」

 

 先ほどの輸送機爆発と目の前の少年は無関係とは思えなかった。少年は鼻を鳴らす。

 

「だったらどうする?」

 

 彼は息を呑んだがすぐに持ち直した。会話をしたところで平行線なのは目に見えている。何よりも、お喋りをするためにここまで来たわけではない。

 

「お前はオーキド・ユキナリだ」

 

 名前を呼ばれ彼――ユキナリは睨む目を向けた。

 

「お前はカンザキ・ヤナギだ」

 

 同じように名を呼ぶ。

 

 この瞬間、二人は決して相容れない敵として、お互いを認識した。

 

 



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泡沫の章
第一話「第一回ポケモンリーグ」


 

「王が死んだ」

 

 その報告が伝わったのは未明の事だった。セキエイ高原の重役達はまさしく寝ぼけた横っ面を引っ叩かれた感覚を味わいながらその報告を聞いた。

 

「まことか」と誰もが慌しく王の崩御という異例の事態を飲み込めずにいた。一地方にとってそう何度も経験する事のない非常時だ。重役連は寝ぼけた頭を引きずりながら会合を開いた。集まった人々は一様に硬い面持ちをしていたがそのうち幾つかは寝不足によるものだったのかもしれない。

 

 カントーの王。すなわち現チャンピオンの死。それがどれほどの意味を持つのか、容易に説明出来る人間は少ない。というのも、セキエイ高原によってチャンピオンの選定は一手に任されており、チャンピオンが死を迎える前に次のチャンピオンが選ばれるという形式を取っているためである。よって、元チャンピオンの死はあっても、現行のチャンピオン崩御に立ち会う事などまずないと考えていた重役連からは戸惑いの声が漏れた。

 

「死因は何だね?」

 

 高官の誰もがまずそれを聞いたが帰ってきた言葉は意外そのものだった。

 

「自殺です」

 

 ざわり、と総毛立つと共に彼らは瞠目した。チャンピオンが自殺。それはセンセーショナルなニュースとしてカントーを騒がせる事だろう。しかし、何故。次に浮かんだのはそんな疑問だ。

 

「どうして自殺など」

 

「これを」と手渡されたのは一枚の用紙であった。そこにチャンピオンの直筆で「遺書」と書かれていた。

 

「どういう事かね」

 

「言葉通りの意味かと」

 

 秘書官が発する言葉に苛立ちを募らせた高官が同時多発的に発生した。チャンピオンの遺書。カントーの民草はそれに従わなければならない。最後の最後に面倒な事をしてくれたものだ、と彼らは一様に考え、遺書の中身は役員総会にて開示される事になった。

 

 チャンピオンの死から明けて二日後。役員総会で渋面をつきあわせた重役達は情報関係へと話を通す前にまずは自分達でどうこう出来る問題なのかどうかを判断せねばならないという重責を負わされた。問題の如何によってこれは内々で押し隠さなければならない。カントーの王は最期に何を望んだのか。

 

「チャンピオン付きの秘書官。遺書には何と」

 

 背の高い女性の秘書官が歩み出て、チャンピオン自らがしたためた遺書を読み上げた。仮面をつけた奇妙な相貌に全員が息を呑む。

 

 眼が七つ並んだ奇矯としか言いようのない仮面をつけていた。比して、体躯はスマートで、マネキンのようだ。

 

 その外見からは想像も出来ないほどに朗々とした、よく通る澄んだ声だった。その内容に高官達の顔色が変わった。

 

「……ありえん。我々セキエイの政治家の意味をなくそうとでも言うのか」

 

 高官の一人が声を震わせながら口にすると、「しかし、王の遺志であるのは明白です」と秘書官が仮面を向けて応じる。

 

「だから、その王の遺志が本当にそうであったのか伝える術がないだろう」

 

 机を叩いて興奮気味に語る高官を無視して秘書官はこの場で最も発言力のある人間へと視線を据えた。

 

「どうなさいますか。これは王の勅命です」

 

「だが、その王は既に死している」

 

 白い顎鬚をたくわえた高官は重々しく告げた。チャンピオンの死は他言すべきではない、とする意見もある。それはイッシュとの緊張関係もあるからだ。

 

「冷戦状態にあるというのに、これ以上の不安要素を民に与えていいものか」

 

「しかしカントーの民はこの情報を共有すべきです。遺書にもそうある」

 

 秘書官の声に、「君は部外者だから、そんな悠長な事が言えるのだ」と怒りの声が湧いた。

 

「我々の立場からすれば、今までのチャンピオン、及び軍備増強を全て無に帰せと言われているようなもの。これでは何も納得出来んよ」

 

「遺書には軍部の新体制についても書かれているのだろう。つまり、その遺書に書かれている事を実行している間、軍部は空席となる。イッシュの支配を甘んじて受けろと言っているようなものではないか」

 

「ですが、これが王の遺志なのです」

 

 仮面の秘書官は譲る気配はない。意思決定の手段は重役にはなく、全てチャンピオンの遺志を尊重せよとの無言の圧力を感じる。

 

 どうにか遺書の穴をつけないか、と重役達が頭を巡らせる中、重々しい声が響き渡った。

 

「それが王の遺志である事は明白なのだな」

 

 この場で最も発言権の強い重役の声に一同、鉛を呑んだようにしんとする。仮面の秘書官は、「はい」と頷いた。

 

「王の遺志に相違ありません」

 

「では、その案を許諾する」

 

 紡がれた声に重役達は色めきたった。

 

「しかし! これが実行された場合、カントー全域の混乱が予想されます。このような事でカントーの民の心を乱すべきではないと判断します」

 

「しかし、王の崩御は伝えなくてはならない。どちらにせよ、混乱は伝播するものだと考えるが違うかな」

 

 それは、と言葉を濁す高官に、「私は何もこれを混乱の種にしようというのではない」と言葉が続けられた。

 

「むしろ、逆だ。これによって、カントーの混迷を収束させようと考えている」

 

「何か策がおありなのですか」

 

「ふむ」とひと息をついた高官は白い顎鬚を撫でながら、「どうせならば仮想敵国であるイッシュも一枚噛んでもらおうではないか」と告げられた。その意味を吟味しようと高官達は視線を交わし合う。

 

「それは、どういう……」

 

「この遺書の内容を交信可能な全域に発布。人種、国籍を問わない競技とする」

 

 その言葉にはさすがの高官達もざわめいた。その中で一番若い高官が、「長官!」と立ち上がる。長官と呼ばれた男は、「何か」と冷静な様子だ。

 

「そうなれば玉座に収まるのは純粋なカントーの民でなくなる可能性があります。今まで純血を守ってきた玉座に、別の地方の人間を招き入れようなど言語道断」

 

「そうだ、そうだ」と同調する声が響く中、「ではどうする?」と長官は返した。

 

「カントー地方のみを混迷の渦に巻き込んで、他地方からの侵略行為を是とするか? それではカントー内部が手薄になる一方だ。それに、これを内紛と取る地方もあるだろう。毒を食らわば皿まで。他地方にも、この戦いに肩入れしてもらう事でカントーのみの軍事力の手薄という隙をなくす」

 

 長官の言葉に若い高官は言葉もなかったようだった。そこまで考えているとは、という諦観もあったのだろう。何も言わずに彼は席についた。

 

「異論がないのならば、これをジョウト、イッシュ、ホウエン、シンオウにも発布。カントー内での発表は三日後とする。大喪の礼を催し、その後、これを全域に、勅命として下す」

 

 誰しも長官の言葉に異議は唱えたかったが、しかし有効な手段があるわけでもなかった。どちらにせよ、大喪の礼は必要だ。戦争へと傾かせようとする一派を黙らせるためにも。

 

「あくまでも王は病気によって逝去された。マスコミにはそのように報せるように」

 

 一地方の王が自殺では他地方からの弾圧が強くなる一方だ。カントーはそうでなくとも体面は守りたい。長官の言葉に異議はなかった。

 

「情報操作に関しては君に一任する」

 

 仮面の秘書官は、「つつがなく」と一礼した。誰しもその一挙一動に薄ら寒いものを覚えないわけでもなかった。一体、この仮面の秘書官は何者なのか。勘繰る言葉を皆が選ぼうとして、それがやぶへびに繋がりかねないと密かに好奇心を仕舞った。

 

「しかし、長官。これは国家そのものを揺るがす一事ですぞ。そう簡単に容認していいものでしょうか。いくら先代の王の遺志とはいえ」

 

 びくついた声を出すのは親の七光りで高官へと選ばれた者だ。元来、カントーの重役連は世襲制を取っている。その基盤が脅かされようというのだから胸中穏やかであるはずがない。

 

「しかし、無視するわけにもいかないだろう。後々、遺書が何らかの形で公開された時のリスクを考えてみよ。そうなった場合、我々は王の遺志を無視した非国民だ」

 

 民の上に立つ人間がそのような危険をはらんでいるのでは他地方との牽制にも役立たない。むしろ、他地方から攻撃される隙を作っているようなものだ。高官達は押し黙ったが、何か言いたげなのは明白だった。

 

「これは閣議決定だ」と長官はそれ以上の追及を拒んだ。

 

「以後の処理は君に任せる。出来るかね?」

 

 仮面の秘書官は、「問題ありません」と応じた。

 

「では三日後にこれを全市民に伝える。カントー地方第一回ポケモンリーグ。それが王の望みならば」

 

 その言葉に重苦しい沈黙が流れた。その沈黙を是と受け取ったのか、仮面の秘書官は拝礼した。

 

 



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第二話「若者のすべて」

 

 草むらが揺れる。息を詰まらせて見つめていると、茶色い翼を広げてポケモンが飛び出した。

 

 ポッポと呼ばれるポケモンだ。距離は五メートル。草むらを挟んでいるので向こうはこちらに気づいた様子はない。ポッポは短い足でゆっくりと着地すると何度か身体を揺らしてから特徴的な声を発して歩き出した。

 

 喉の奥でくぐもったような声だ。そう感じながらユキナリは鉛筆を立ててポッポの大きさを目視では測る。ポッポの動きが変わらないうちにスケッチブックに当たりをつけ、まずは骨格と動きをイメージする。頭の中で組み上げた動きと現実の動きの齟齬を出来るだけ少なくする。これは削り取る、という作業に似ている。

 

 現実の動きは得てして頭の中で描くよりも豊かで、どう行動するのか読めない。だから頭の中で固定化する。幾つかある動きの選択肢を削って、最適化してキャンバスに落とし込む。ユキナリは乾いた唇を舐めて、「動くなよ」と呟いた。スケッチブックに描かれていくポッポの姿が輪郭を帯び、あともう少しで生き生きとした稜線が描き出される、と思われたその時である。

 

「あー! やっぱりここにいた!」

 

 無遠慮な声にポッポが驚いたのか、飛び去っていった。ユキナリが名残惜しそうにそれを眺めていると後ろから蹴りが飛んだ。よろめいて草むらへと顔を突っ込む。紫色のねずみポケモン、コラッタが慌しく二、三匹駆けていく。ユキナリは自分を蹴った相手を振り返った。

 

「何するんだよ」

 

 視線の先にいたのは少女だ。茶髪をポニーテールにして結っており、強気な吊り目が印象的だった。腰に手をあて高圧的に口を開く。

 

「何するって、あんたこそ何してんのよ。ユキナリ」

 

「僕はいつも通りスケッチだよ。そっちこそ何? ナツキ」

 

 幼馴染の名前を口にすると、ナツキは唇をへの字にした。

 

「またスケッチ? あんた今日は平日よ」

 

 その言葉に、「心外だな」とユキナリはスケッチブックについた土を払う。

 

「休日と平日の違いくらいは分かっているつもりだけど」

 

「だったら!」とナツキがユキナリの耳を引っ張った。

 

「スクールにきちんと通いなさいよ!」

 

「痛い! 痛いって! 暴力反対!」

 

 ユキナリはナツキの手から逃れながらふぅとため息を漏らす。

 

「スクールって言ったって、ニシノモリ博士の個人塾じゃないか。都会のスクールとは違うんだよ」

 

「あんた、本当に馬鹿ねぇ」

 

 やれやれとでも言うかのようにナツキは首を振る。ユキナリは少しばかりむっとした。

 

「何が馬鹿だって言うのさ」

 

「ニシノモリ博士はポケモンの権威よ。その博士が、わざわざこんなド田舎、マサラタウンまで来て個人塾を開いてくださっているのは何のため?」

 

「自分の権威をひけらかすためだろ」

 

 ユキナリが冷淡に告げるとナツキは、「違う!」と喚いた。

 

「ニシノモリ博士は都会と田舎の学力格差に憂いていらっしゃるのよ。だから、こんなド田舎の町で個人塾を開いてくださっているの。なのに、あんたは今日も行かないで」

 

「僕が行こうが行くまいが勝手だろ」

 

 ユキナリは額から両端に垂らした前髪を払った。スケッチブックを脇に挟み、立ち上がる。

 

「ナツキはどうしてそんなにニシノモリ博士を信用してるのさ。そんなに偉いのかな」

 

「当たり前じゃない」

 

 常識だと言わんばかりのナツキの声音に、「どうだか」とユキナリは視線を流した。

 

「トレーナーズスクールなんて、この国に都合のいい兵隊を作るための口実だよ。都会だけならまだしも、そんな赤紙をこんな田舎まで発布するようになったって事は、カントーは相当やばいって事なんじゃないかな」

 

「またお得意の戦争批判?」

 

 ナツキの言い草に、「お得意の、っての、僕は嫌いだな」と口にする。

 

「だって戦争なんて、真っ平御免さ。カントーは戦力の拡充のためにポケモントレーナーを育成する土壌を作ろうとしている。イッシュだかシンオウだかが攻めてくるのは分かっていても、僕は兵隊なんて嫌だね」

 

「でも戦える力を蓄えるのは、悪い事じゃないわ」

 

 ナツキの言葉にユキナリはため息を漏らす。「何でそうなるかな……」と呟きながらスケッチブックを捲った。ナツキが覗き込んでくる。

 

「見るなよ」

 

「見てもいいじゃない。それにしても」

 

 ナツキは含み笑いを漏らす。

 

「何だよ」

 

「ポッポとコラッタばっかり」

 

 ナツキの指摘はもっともだった。スケッチブックにはポッポとコラッタのデッサンばかり描かれている。

 

「仕方がないだろ。一番道路には出ないんだから」

 

「それで画家志望とは、随分と嘗めた判断だと思うけど」

 

 ナツキの苦言にユキナリは顔をしかめる。確かにポッポとコラッタばかり描いているのでは絵も上達しない。

 

「僕の勝手だ」

 

「一生、マサラタウンで過ごすつもり?」

 

 挑発めいたその発言に、「何が言いたいんだよ」とユキナリは食いかかる。

 

「あたし達はさ、ポケモンさえ持っていればどこにでも行けるんだよ。若者には無限大の旅が約束されているってニシノモリ博士も言っているし」

 

「またニシノモリ博士か」

 

 ユキナリはうんざりした様子で口にする。

 

「好きになれない」

 

「でも、ポケモンの権威よ。あたしの相棒もニシノモリ博士に貰ったし」

 

 ナツキは腰のホルスターに拳大のボールを留めていた。上部に開閉スイッチがあり、一緒にマイナスドライバーを手にしている。マイナスドライバーでスイッチを緩め、押し込む事で開閉する装置。ポケモンを封じ込めておく道具、モンスターボールだった。

 

「相棒、ね。ポケモンのほうはどう思っているのか分からないけれど」

 

 含んだ言い回しをするとナツキはむくれた。

 

「何よ。あたしとストライクの関係を侮辱しようっての?」

 

「別に。ただ、そう素直に別の種族が相棒だの家族だのになれるのかって話だよ」

 

「あんただってポケモンをスケッチしているじゃない。本当はポケモンに興味があるんじゃないの?」

 

 ナツキの言葉にユキナリは顔を背けた。

 

「興味なんてない。ただ、デッサンの対象を人間にだけ絞っていても上手くならないから描いているだけだ。他意はないよ」

 

「本当かしら」とナツキは納得していない様子だ。ユキナリはその場から立ち去ろうとする。その背中をナツキが呼び止めた。

 

「ちょっと。どこ行くの」

 

「帰るんだよ。小うるさいのが近くにいるとデッサンに集中出来ない」

 

 ユキナリの言葉にナツキは、「悪かったわね!」と大声を出した。またポッポが飛び去っていく。それを眺めながらナツキへと胡乱そうな眼差しを向けた。ばつが悪そうに一瞬だけ視線を逸らしたが、真っ直ぐにユキナリを見つめる。

 

「どうして自分のポケモンを持たないの?」

 

「興味がない」

 

「ポッポでもコラッタでも、近くに置けばいいじゃない。そうするとポケモンと一緒にいる人生がいかに豊かなのかが分かるわ」

 

「それも、ニシノモリ博士の受け売り?」

 

 ユキナリが茶化すとナツキは、「本当の事よ」と少しだけ語気を強めた。

 

「モンスターボールならスクールに通っていれば貰えるし、学費だってかからない。慈善事業でやってくださっているのよ」

 

 その言葉にユキナリは肩を竦める。

 

「随分とご執心で。それほど信頼の厚い大人なのかな、ニシノモリ博士は」

 

「……博士を馬鹿にしないで」

 

 ナツキが目に見えて怒りを滲ませた口調で歩み寄った。ユキナリは、「馬鹿になんてしてないよ」と返す。

 

「ただ、そう簡単に大人を信用するもんじゃないって思っているだけさ。右か左か、どっちに傾いているのか知らないけれど、大人なんて子供を体よく利用しようとしか思っていない」

 

 ナツキがぐんと近づいた。振り返ると胸倉を掴み上げられた。ユキナリが落ち着いた眼差しを向ける。対してナツキの瞳には怒りの色がありありと映っていた。

 

「あんた、そうやって斜に構えて、何でもやる前から否定して……!」

 

「何でもじゃない。僕は、戦いたくないだけだ。ナツキ達のやっているポケモンバトルだって、僕は好きになれないな」

 

 ニシノモリ博士が構える研究施設兼スクールでよく同い年程度の子供達がポケモン同士を競わせているのを目にする。ポケモンバトル、といい、競技人口は年々上昇していると言う。しかし、それとて争いだ。戦争の準備に遊びの要素が追加されただけに過ぎない。

 

「戦いたくないってのが、現実から逃げているんだって気づかないの?」

 

「どっちが。ポケモンバトルなんかで目を眩まされるほうが、僕は御免だね」

 

 ナツキの手を振り払い、ユキナリは踵を返す。その背中へとナツキの大声が突き刺さった。

 

「オーキドの名前が泣くわよ!」

 

 立ち止まり、ユキナリは舌打ちを漏らす。しかし挑発には乗らず、帰路についた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 額縁に飾られているのはマサラタウンで受賞した絵画コンクールのものだった。しかし、どれもめざましい活躍とは言えない。マサラタウンはカントー地方の南端部にある小さな田舎町だからだ。こんな町でいくら有名になっても画家になれるとは限らない。所詮、井の中の蛙。ポッポとコラッタしか描いていない事を指摘されて、何も間違いではないとユキナリは感じる。

 

 それらの額縁に混じって、一回り大きな肖像画が飾られていた。その肖像画の下には「オーキド・マサラ」という名前が刻まれている。ユキナリは自室に飾られている賞状の中に混じっている異物へと声をかけた。

 

「……あんたの名前が、僕の人生を縛っているんだよ。何でポケモンの権威なんかなんだ。僕の祖先は」

 

 オーキド・マサラはポケモントレーナーとして活躍した人物だ。ここマサラタウンの出身であり、元々は「マッシロタウン」という名前は彼の功績にちなんで改名させられた。オーキドの血筋を引くユキナリにはいつもこの重責がついて回った。オーキドの子孫なのだからきっと強いのだろう。ポケモンを操る天性のセンスがあるに違いない。いつだって注目されるのはユキナリの名前ではなく、それに付随する「オーキド」の名前だ。

 

 ユキナリ自身、これは呪縛だと考えていた。血の呪縛。決して逃れられないもの。絵画コンクールでいくら好成績を収めてもそれはユキナリの功績というよりもオーキドの名がもたらした恩恵と取られる。それがユキナリにとっては不快だった。このマサラタウンにおいてオーキドの名は絶対だ。だから、ユキナリ自身の能力というよりも贔屓されていると取られる事のほうが多かった。

 

 ならばマサラタウンを出ればいい、とナツキは簡単に言う。マサラタウンを出るには一人暮らしをする決意が必要だ。画家の能力だけで生きるには自分の力が至っていない事は誰よりも自分がよく知っている。だからと言って他の大多数のようにポケモントレーナーになって身を立てるかと言えばそうでもない。

 

 ユキナリはベッドに寝転がった。鼻筋を掻きながら、「どうせなら、無名でよかったのに」と呟く。

 

 何も持たないのならばよかった。権力の笠を着ていると言われる事もなければ、自分の実力だけなので諦めもついたろう。下手に有名なのが性質の悪い事だ。ユキナリはベッドの上で丸まった。ナツキは明日もスクールに来いと言うだろうか。その度に喧嘩紛いの言い合いを交わし、捨て台詞を吐かれるのは気分のいいものではない。一回くらいはニシノモリ博士のスクールに通うべきかと思うのだが、そうなってくるとまたオーキドの名前が邪魔になる。妬む人間もいるだろう。

 

 ユキナリはため息を漏らす。この鬱憤を晴らす方法がないものか、と考えた。スケッチブックを取り出し、今まで描いて来たポケモンや人物画を見直した。そうしていると少しだけ穏やかな気分になれる。時には静物画も描いており、コンクールに出した作品の習作もあった。いつか、もっと多くの人にこの絵が評価される時がくるのだろうか。オーキドの名前など関係なしに。自分という個人を見てくれる人がいるのだろうか。

 

 その時、階下から自分の名前を呼ぶ母親の声が聞こえた。ユキナリが降りていくと母親はテレビの前で手を振っていた。白黒のテレビに表示されているのは短いが克明な文章だった。

 

「チャンピオン、崩御」と読めた。

 

「まさか、王が亡くなるなんてねぇ」

 

 母親の声にユキナリはそう言えばチャンピオンの名も知らない事を思い出す。父親が新聞紙を片手にテレビに見入っている。ユキナリは訊いてみた。

 

「チャンピオンって、そんなに大変な事なの?」

 

「そりゃ、大変だとも。何せ、チャンピオンが入れ替わる事なく死ぬなんてそうそうないからな」

 

 父親の声にそういうものか、とテレビに視線を移す。映し出されるチャンピオンの偉業はどれも現実から遊離していた。何度防衛しただの、外交関係に力を入れていただの、現状のカントーのパワーバランスを築いた人物だの褒め称えられている。いつだって死んだ人間が誰よりも偉いのだ。

 

「チャンピオンが死んだって事は、どうなるの?」

 

 母親に尋ねると、「新しいチャンピオンが就くのだろうね」と答えられた。父親に、「お隠れになられた、と言いなさい」とたしなめられる。どれほどチャンピオンが偉いのか分からないが、言葉に気をつけなければならないほどなのだろうか、と疑問に思う。

 

「新チャンピオンは誰なのさ」

 

「政治家から繰り上がりかしら」

 

「いや、今の役人じゃ不甲斐ないだろう。何か、新しい人じゃないのか」

 

 父母の会話にもついていけず、ユキナリは、「もう寝るよ」と自室に篭った。天井を眺めながら、チャンピオンという存在はまさしく雲の上の存在なのだろうな、と思いを馳せる。

 

 寝返りを打ってオーキド・マサラの肖像画を視界に入れた。

 

「あんたとどっちが偉いんだろうね」

 

 フッと自嘲の笑みを浮かべてユキナリは眠りについた。

 

 



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第三話「片牙のポケモン」

 

 朝刊は「チャンピオン、崩御」の報で持ちきりだった。ユキナリはどのチャンネルに回しても同じ事を言っているのが不思議に思えて仕方がない。

 

「誰が新チャンピオンなのかはまだ不明らしいな」

 

 対面の椅子に座った父親が新聞紙に目を走らせながら呟く。ユキナリはパンを口に運びつつ、「誰でもいいんじゃない?」と軽い気持ちで言った。

 

「誰でもいい事はないだろう。この地方の王だぞ」

 

 父親とユキナリの会話に母親が割って入った。

 

「本当にねぇ。誰になるのかしら」

 

「政治家辺りが利権を狙うんじゃないか? チャンピオンの椅子欲しさに」

 

 父親は新聞記者なのでこういうニュースには目ざとい。母親はおっとりした声で、「そうねぇ」とテーブルについた。

 

「まともな人ならいいんだけれど」

 

「分からんな。玉座は誰のものになるか」

 

 父親は懐に入れている手帳へと何かを書きつけた。恐らく今のコピーを新聞の三面記事にでもするつもりなのだろう。

 

「ユキナリは誰がいいと思う?」

 

 突然の質問にさすがのユキナリでも、「誰でもいい」と答える事はまずいと判断した。

 

「まともな人ならいいよ」

 

 お茶を濁すと、「そうだよなぁ」と父親はテレビを眺める。

 

「多分、選挙だろうな」

 

「一地方の王が、ですか?」

 

「新鋭のポケモントレーナーもいないし、出来レースめいているがな」

 

 父親は朝食を切り上げ、出勤の準備を始めた。母親が玄関まで出送る。ユキナリはテレビで放映されている「大喪の礼」という儀式を見つめていた。霊柩車に乗せられたチャンピオンの遺体は葬列と共にトキワシティへと運ばれていくらしい。トキワシティは隣町なので不思議と他人事とは思えなかった。

 

「このチャンピオン、トキワの出身なのかな」

 

 何の気もなしに呟くと、「そういうわけじゃないみたいよ」と戻ってきた母親が答えた。

 

「何で?」

 

 普通ならば死ねば遺体は故郷に帰されるだろう。ユキナリの疑問に、「王ってのはそういうわけにもいかないの」と答える。

 

「王は地方の財産みたいなものだから。トキワシティがセキエイ高原から一番近いから選ばれているんでしょう。このチャンピオンはハナダシティの出身みたいよ」

 

 ハナダシティとはマサラタウンからならばオツキミ山という巨大な山を超えなければ辿り着けない街だ。そう考えると随分と遠いように感じられる。「ふぅん」とユキナリはひとまずの納得をした。

 

「自分の故郷にすら帰れないのか」

 

 どこか寂しいな、とユキナリは感じた。その胸中を見透かしたのか、「死んでまでお国に尽くすってのも大変ね」と母親が呟く。どうやら大喪の礼はシーエムなしで行われるらしい。いつもなら流れる富国強兵のカントー国営シーエムが空気を乱す事はなかった。ユキナリは自室に戻り、今日のスケッチの準備を固めた。どうせ一番道路より先に行かないので準備、と言ってもありふれたものであるが。

 

 スケッチブックと鉛筆をチェックしていると下階から声が聞こえてきた。

 

「ナツキちゃんよ」という声に、またか、とユキナリはげんなりした。どうせスクールに行けとどやされるのだろう。どちらにせよ、外に出るのだ。ユキナリが玄関まで向かうとナツキは不服そうな顔をしていた。その表情の意味を解せず、「何?」とこちらも胡乱な声で答える。

 

「ニシノモリ博士からの伝言。呼んで来いって」

 

「スクールになら行かないよ」

 

「そうじゃなくって」

 

 ナツキは頭を振って指差した。その先にはニシノモリ博士の研究所が佇んでいる。

 

「あたしにも分からない。ただ、ユキナリを呼べって博士が」

 

「どうして僕なのさ」

 

「博士に聞けば? あたしだって知りたいわよ」

 

 ナツキはそう言ったきり、ユキナリへと視線を向けようとしなかった。無言のまま歩き出す。付いて来いという了承と取ったユキナリはスケッチブックを手にナツキの後ろに続く。ナツキは余計な事は言わない性格だ。それは理解している。しかし、今回ばかりは説明がなさ過ぎる。何故、拒み続けたニシノモリ博士の門扉を叩かねばならないのか。問いかけようとすると、「まーた一緒でやんの」と囃し立てる声を聞いた。

 

 マサラタウンの少年達だ。ナツキからしてみれば学友だろう。「デキてんのかー」という声にユキナリも腐れ縁のようなものなので笑いながら、「バーカ」と返す。そのありふれたやり取りに、「うっさいわね!」とナツキが激昂した。

 

 少年達もユキナリもナツキがそれほどまでに怒っているとは思わなかったので唖然とした。その沈黙を察してか、ナツキは鼻を鳴らす。

 

「行くわよ」

 

 ずんずんと歩いていくナツキの背中にユキナリは黙って付いていった。少年達は、「なんだよ……」と不満を漏らしながら散り散りになっていく。ユキナリは何故だか悪い事をしたような気になっていた。

 

「そんなに怒らなくっても」

 

 ようやく口を開けたのはニシノモリ研究所の門前だ。煉瓦で組み上げられた研究所は無骨な印象はなく、研究所という看板さえなければ工房と言われても遜色はない。ユキナリの声に、「ニシノモリ博士が呼んでるのよ」と再三繰り返した。一体、ナツキは何が気に食わないのだろう。それを解そうとしたが、その前に研究所の豪奢な扉をノックし、ナツキは入っていく。ユキナリはおっかなびっくりと言った様子で続いた。工房の印象が強かった暖色の外観と比べ、内装は冷淡と呼べるほどに寒々しい。銀色のチューブや実験器具が置かれており、研究所なのだと再確認させられる。

 

 研究員がナツキを認めて、「先生、ナツキさんです」と声がかけられた。すると、階段を降りてくる人影が、「おお、待っていたよ」と温和な声を投げる。ユキナリはその姿を視界に入れた。

 

 白衣を身に纏い、白髭の威容は研究者に相応しい格好だった。眼光が少しばかり鋭く、視力が弱いのか分厚い老眼鏡をつけている。それでも相殺出来ない眼力にたじろいだ。

 

「オーキド・ユキナリ君」

 

 フルネームで自分の名前が呼ばれ、ユキナリは顔をしかめる。大抵、フルネームで呼ばれる時はいい事が起こらない。ナツキは、「あたしはここまでね」と一歩下がった。

 

「博士、あとは」

 

「おお。ご苦労だった、ナツキ君」

 

 博士が労う言葉を発するとナツキは笑顔を向けたが、それが体面だけのものであるとユキナリは見抜いていた。何か、ナツキは気に食わないらしい。何が、というのは相変わらず分からなかったが。

 

「ユキナリ君。ここに来てくれ」

 

 博士は一階にある応接室を示した。ユキナリは無言で頷いて応接室に入る。応接室には歴代のポケモンの権威の肖像画が多くあった。それだけではなく、博士本人の功績をたたえるトロフィーや賞状が数多く揃っている。家具は暖色系で纏められており、外観の趣味は博士のものなのだと知れた。

 

「まぁ、座りたまえよ」

 

 博士はソファに目をやり、自分がまず腰を下ろした。ユキナリもそれに続いて対面のソファに座る。博士はユキナリを見つめて、「どこから話すべきかな」と会話の糸口を探しているようだった。ユキナリは先制する。

 

「スクールへの勧誘なら、母の口から止められているはずでしたが」

 

「ああ、そうではないんだ。今日は、それではない」

 

 ユキナリは眉をひそめる。それ以外に博士が自分に用があるとは思えない。博士は懐から拳大のボールを取り出した。それはナツキがホルスターにつけているのと同じ、モンスターボールだ。博士はまずそれをソファの間にある応接机に置き、「一つ、言っておこう」と神妙な顔つきになった。

 

「ちょっとばかし暴れるかもしれない。研究用具を傷つけるわけにはいかないから、この部屋にした事を了承してくれ」

 

 ユキナリは意味が分からず、「はぁ……」と生返事を寄越す。博士がマイナスドライバーを取り出してボール上部にある開閉スイッチを緩めた。その瞬間、ボールが揺れ、大量の蒸気が噴き出した。突然の事にユキナリが狼狽しているとボールから出現した小さな影が跳躍した。

 

「上だ!」

 

 博士の声に、「上……?」と顔を上げる。すると、視界に緑色の矮躯が大写しになった。

 

 顔を踏みつけられる。ぽん、と自分の顔面を足場にして何かは応接机へと着地する。それをすかさず博士が捕まえた。両手でがっしりと掴まれたそれをユキナリは目にする。

 

 緑色を基調とした小型の獣だった。爬虫類系の生物であるのが大きな眼と口周りで判別がつく。赤い瞳をしており、口腔の両端には鋭く牙が突き出ている。しかし、左側の牙の先端は何故だが折れていた。亀裂も走っており、右側の牙は磨き上げられたように真新しいのに対して、左側はくすんでいる。

 

 ユキナリが観察の目を注いでいると、「これはポケモンだ」と博士が告げた。博士の手の中でもがくポケモンは未発達の短い手足をばたつかせる。しかし、どうやら博士程度の人間の力でも押さえつけられるほど非力らしい。

 

「ポケモン……」

 

「見た事はないだろう?」

 

 ユキナリは咄嗟に似たようなポケモンを記憶の中に探そうとしたが合致するものはなかった。

 

「これは新種でな。この間友人から貰い受けた。まだ学名もついていない、正真正銘の新種だ」

 

 新種、という言葉にユキナリは博士に抱えられたポケモンを見やる。短く鳴き声を発している。

 

「どこのポケモンなんです?」

 

 マサラタウンから出た事もほとんどないユキナリは尋ねていた。博士は、「遠い、異国の地方だよ」と応じる。

 

「そんなポケモンがどうして?」

 

「恐らくは群れではぐれたのだろう。友人もカイリューの群れの中に紛れていたのを発見したそうだ。調べたところドラゴンタイプのようなのだが、類似する情報がない。巨大な翼で地球を何周もするカイリューについていけるはずもないポケモンでな。取り残されたところを捕獲したそうだ」

 

 ユキナリはそのポケモンを眺める。すると、威嚇するように口腔を開いて両端の牙を翳した。ユキナリは怯んだが博士は臆する事はない。

 

「そうびくびくする事はない。このポケモン、闘争心は人一倍だが、なにぶん力がとても弱い。それに加えて、これは研究して分かった事だが、本来ならば両端の牙は生え揃っているのが普通のようだ」

 

 その言葉を踏まえてユキナリはポケモンを見やる。片牙のポケモンはどこか弱々しく映る。

 

「どうかな。ユキナリ君。君はポケモンを持っていないだろう? この子を引き取ってみる気はないか?」

 

 思わぬ言葉にユキナリは、「僕が?」と聞き返していた。博士は首肯する。

 

「そう、君が。学名も付けてもいい。君がこのポケモンの生態を調べるんだ」

 

「どうして? だってスクールにはもっと適任の子がいるでしょう?」

 

 自分よりポケモンの知識に秀でた人間は多い。だというのに、博士は何故、このような重大な事を自分に喋っているのだろう。

 

 その疑問に博士は腕を組んで、「勘、だな」と呟いた。

 

「勘、って……」

 

「君にはセンスがある。勘も鋭い。だからこの依頼を受け取ってくれれば、この片牙のポケモンも、いるべき場所を見つけられると思ったんだが……」

 

 博士は慈愛の瞳でポケモンに視線を落とす。居場所のないポケモンを同じように居場所のない人間に押し付けようというのか。その事実にユキナリは腹が立った。

 

「お断りです。僕に、出来る事なんてない」

 

 顔を背けると、「しかし、このポケモンは君の事を気に入った様子だが」と言い含める。片牙のポケモンはユキナリをじっと見つめていた。その視線から逃れるように手を翳す。

 

「学名をつけるなんて大それた事、したくないです」

 

 あくまでも拒むユキナリに博士は心底困りきったように顎鬚を撫でた。

 

「そう、か……。だが、君に関してはナツキ君からよく聞いていたんだが」

 

「ナツキから?」

 

「うん。君は不思議とポケモンに恐れられないとね。人間でありながら自然と協調する術を持っている、と。いつも、そのセンスを何故ポケモントレーナーとして使わないのか理解出来ない、で締めくくられるんだけどね」

 

 苦笑を漏らす博士にユキナリは言葉もなかった。ナツキがそんな風に自分の事を見ていたなんて。

 

 同時にだからナツキは怒っていたのだと理解出来た。自分にないものを持っていながらそれを行使しないユキナリがじれったいのだろう。恐らくナツキは博士からユキナリならばこのポケモンを上手く扱えると教えられていたのだ。

 

「でも、僕は全くの初心者です。ポケモンも懐いてくれるか分からないし、生態調査なんて」

 

「難しく考える事はない。このポケモンの嗜好や、進化があるのか、ないのか。夜行性なのかどうか、そういう些細な事で構わない」

 

 ユキナリは博士の腕にあるポケモンを眺める。赤い瞳が真っ直ぐに何かを告げているように感じた。

 

「……僕に出来る事なら。出来る事しかしませんけれど」

 

 ユキナリの言葉に博士は微笑んだ。

 

「それでいいよ。この片牙のポケモンはもう、君の相棒だ」

 

 相棒。ナツキがよく使っていた言葉だ。それも自分が体験する事になるとは思いもしなかった。モンスターボールが突き出されユキナリが手に取る。片牙のポケモンは博士の手から跳ね上がってユキナリの腕にしがみついた。しかし、短い手のせいですぐにずり落ちてしまう。

 

「学名をつけよう」

 

「僕、そういう専門的な事は――」

 

「いいんだ、いいんだ。難しく考えなくって。このポケモンに似合う名前をあげよう。後は私がきちんと資料を集めるから」

 

 博士の言葉にユキナリは片牙のポケモンを見やった。片牙のポケモンは少し濁った鳴き声の持ち主だった。

 

「片牙……、牙のポケモン……、キバゴ……」

 

 呟いた声に博士が両手を上げる。

 

「いい名じゃないか! キバゴ。とてもいい名前だ」

 

「いや、今のは考えながら呟いたのでそんな名前にするつもりは……」

 

「いいよ! いや、いい! キバゴにしよう。このポケモンにぴったりだ」

 

 博士の勢いに押される形でユキナリはそう名付けられたポケモンに視線を落とす。キバゴ、の名を与えられたポケモンはユキナリの足にしがみついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「早速だがキバゴの能力だ。それを見よう」

 

 博士の言葉にユキナリはほとんど行きずりの形で研究所の裏にあるスクールへと迎えられた。博士の本当の目的はこっちなのではないのだろうかと勘繰ったが、博士はスクールのグラウンドにあるフィールドへとユキナリとキバゴを案内した。視線の先には案山子があり、いくつもの攻撃で傷つけられているのが分かる。

 

「あれは覚えた技を試すための案山子でね」

 

 そんな事は言われなくても分かる、とユキナリは感じながら案山子へと目をやった。人型をしているが、ポケモンの技が通っても倒れないようにきっちりと土台作りがされている。編まれているのは藁と木材だが、特殊な赤い塗料が塗られており、遠目には血まみれの人間に見えなくもない。博士はあれがスクールの生徒の間で「血まみれの人体模型」と呼ばれている事を知っているのだろうか。

 

「さぁ、キバゴの能力を存分に発揮したまえ」

 

 恐らくは知らないのだろう。ユキナリは一つため息を漏らす。キバゴが何を覚えているのかも分からないのにいきなり技を試せとは無理難題だ。ユキナリは博士へと視線を流す。

 

「キバゴは何を覚えているんですか?」

 

「さぁね。まだ戦闘に出した事がないから分からないんだ。体当たり、引っ掻く辺りを試してみるのが順当だと思うが……」

 

 どうやら博士からしてみても初の試みだったらしい。「たいあたり」と「ひっかく」はほとんどのポケモンが覚えるオーソドックスな技だ。ユキナリは息を吸い込んで命令した。

 

「キバゴ、体当たり!」

 

 キバゴはしかし、動く気配はない。博士がうーん、と唸った。

 

「体当たりは覚えていないようだ。だったら、次は引っ掻くか、鳴き声か」

 

 ユキナリは博士の無計画さに呆れる。「なきごえ」しか覚えていないのだとしたら、この試験で技を試す事は出来ないではないか。

 

「キバゴ、引っ掻く」

 

 半ば諦め気味にユキナリが命令すると今度はキバゴに動きがあった。案山子まで一気に距離を詰めると短い手で引っ掻いた。しかしほとんど案山子にダメージがあったとは思えない。案山子には技が付けられた痕があり、その痕跡は下地に塗られた塗料の黒が浮き出ているのでよく分かるのだが今の攻撃は上塗りされている赤い塗料ですら傷つけられなかった。

 

「博士……」

 

 ユキナリが振り返る。博士は、「そう焦る事はないぞ」と胸元を叩いた。

 

「どんなポケモンでも最初は弱い。当たり前だ」

 

 それ以前の問題ではないのか、とユキナリは言おうとしたが諦めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モンスターボールに収納して家に持ち帰るとまず母親から追及の声があった。

 

「ニシノモリ博士は、何だって?」

 

「いつものスクールの勧誘。断ったよ」

 

 あえて嘘をついてユキナリは自室に戻った。しばらくベッドで仰向けに寝転がっていたが、懐にあるモンスターボールを取り出す。

 

 射出機構が複雑であり、大量の蒸気を噴き出すためにそう易々と屋内では使えない。ユキナリは夜半を待つ事にした。その頃にはマサラタウンは閑散としているだろう。懐にボールを入れ、寝ようと目を瞑ろうとしたその時、階下から呼ぶ声を聞いた。

 

「何?」

 

 母親が何か興奮気味に自分を呼んでいる。ユキナリが胡乱そうな目を向けると母親はテレビに映し出されている文字に興味の対象があるらしい。緊急速報が入ったテレビをユキナリは見つめた。

 

『カントー政府は本時刻より、これを実施の方向に持っていくという方針を採りました。なお、全てのポケモントレーナーにこの権利はあり、ポケモンを有しているのならば事前申請さえあれば競技に組み込む事は可能だとしています』

 

「何なのさ、これ」

 

 ユキナリは事の次第が理解出来ずに声に出す。母親は、「次の王の選定だって」と口にした。

 

「次のチャンピオンを決めるために、政府はポケモントレーナーを募って戦わせるみたいよ。第一回、ポケモンリーグだって」

 

 母親の言葉にユキナリは呆然としていた。

 

「全部の、ポケモントレーナー?」

 

「そりゃ、制限はあるでしょうけど、聞いた限りじゃほとんど全トレーナーみたい。国籍も、経歴も問わないとあるわ。十歳以上、三十歳未満という規定はあるけどね」

 

 カントーでは十歳成人法というものが先日法案を通ったばかりだ。ポケモントレーナーや一般人に関わらず、全てのカントー国籍の人間は十歳で進路を決める権利を有するという法律であり、悪法だと非難する声も多い。

 

 今回のポケモンリーグはその十歳成人法を利用した競技のようだ。

 

「ポケモンを持っている人間はこっちに駆り出されるわけね。戦争の道具にされない代わりに、自国の王を決める戦いに巻き込まれるわけ、か」

 

 ユキナリはテレビに映し出される事柄をただ見守るしか出来ない。母親は、「よかったじゃない」と声をかけた。

 

「あなたはポケモンを持っていないのだから」

 

 ついさっき、ポケモントレーナーになったとは言い出せなかった。

 

 



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第四話「ポケモンリーグ記者会見」

 

 扉を叩く音に、カンザキは視線を振り向け、「何だ」と胡乱そうな声を向けた。

 

 扉を引いて入ってきたのは今回のポケモンリーグ騒動の報道関係を任せている秘書だ。カンザキへと恭しく頭を下げる。秘書が敬愛しているのはカンザキだけではない。この部屋にある調度品も含めて、だ。イッシュから仕入れたシャンデリアや一流の調度品がセキエイ高原にある一室に合っている。しかし、カンザキはやはり自分の邸宅が一番だと吟味する。ジョウトにある邸宅を離れて三日。息子と妻を連れてきているものの、慣れない感覚は依然としてあった。

 

 妻は異常事態に寝込む始末で、息子はといえば平時の落ち着きをそのままにカンザキの命令を待っている。よく出来た息子さんだと褒め称える声の一方で、まるで冷徹な機械だと蔑む声があるのも知っている。

 

「リーグ執行官、カンザキ様」

 

 秘書の告げた言葉に今は「リーグ執行官」という面倒な肩書きがついているのだと自覚する。カントーが押し付けてきた役職だ。ジョウトで力のある財閥であるカンザキ財閥に今回のポケモンリーグを丸投げするつもりなのだろう。カントーの思惑は透けて見えたがそれを糾弾するにはジョウトという田舎育ちの自分には声が足りなかった。

 

「何だ」

 

 再び、不機嫌そうな声を出す。秘書は、「ポケモンリーグ発表から、明けてまだ一日ですが……」と澱んだ声を発した。

 

「既に各報道機関はパンク状態です。リーグへの通用年齢がある意味、戦時下での赤紙と大差ない事や強制参加なのかどうかという問い合わせが殺到しています。それに、まだルールも明文化されていない状況。都市部と田園地帯との情報格差はさらに広がる一方でしょう。こんままでは全トレーナーによるポケモンリーグ開催というスタート地点から揺るがされる結果になりかねません」

 

「報道関係についてはお前に一任している」

 

 カンザキは執務椅子から立ち上がった。窓から望める景色はセキエイ高原の中枢地帯、その中庭という一等地であるが中庭には奇妙な人々がたむろしていた。

 

 七つの眼が刻まれた仮面を被っている少年少女達だ。彼ら、彼女らは何者なのか。定刻になると一回り年齢が高そうな女性が連れて行くのだがこのセキエイで何が起こっているのかを推し量るのは難しかった。

 

 無邪気に遊び回るでもなく、中庭の噴水を背に彼ら彼女らはどことも知れぬ眼差しを注いでいる。その中の一人が自分を見たような気がしてカンザキは咄嗟に窓際から離れた。

 

「しかし、今回は異例尽くしです。カントーの王を決めるためにジョウトの財閥が手を貸すなど。その裏側にはカントーがジョウトの政府を丸め込もうとしているのが明け透けではありませんか」

 

「聞こえるぞ」

 

 カンザキのいさめる声に秘書は口を噤んだ。実際のところ、秘書の言う事は当たらずとも遠からずだ。カントー政府が隣り合っている地方であるジョウトを丸め込もうとしているのは事実であり、外交的価値をちらつかせて軍備強化に一役買わせようというのが誰の目にも明らかである。

 

 カントーに外交的価値は存在する。ジョウトはカントーの技術支援がなければ潰えていた国かもしれないのだ。未だに後進国に遅れを取っている面のあるジョウトをカントーが特別誘致しているのはカントーを牛耳っている重役連がジョウトの貴重な財源を確保したいがためだろう。ジョウトには文化財としての一面もあり、もしこの先カントーとの友好関係が発達したのならばカントーも恩恵に与れる事になる。加えてジョウトからしてみてもカントーを窓口として技術支援や情報などの遅れを取り戻す意味合いもある。お互いに相手の腹を探り、利用したいという意思が見え隠れしている。

 

「ジョウトの政府はほとんどその機能を失っている。王など絶えて久しい。ならばカントーの王に希望をつなぐのはいけないことではないだろう?」

 

 王がいないからと言って国が亡んでいるわけではない。ジョウトは髪の毛一本の緊張感で成り立っている国家だ。政府中枢がまだ辛うじて存命しているために王という絶対的な支配が必要ない土地柄でもある。

 

 しかし、そのような場所は往々にして犯罪組織の温床になる。ジョウトは治安の悪さが際立ち、警察機能も麻痺しているために取り締まりの強化も出来ない。このような国家の価値など財源以外の何者でもない。

 

「しかし、カントーの王に与するという事はジョウトがカントーの軍門に下るという事」

 

 カンザキはフッと口元を緩めた。秘書の肩を叩き、「お前のほうが私よりも随分と政治に向いていそうだ」と口にする。「滅相もない」と秘書は半歩下がった。

 

 今のジョウトを任されているという重責を鑑みれば、確かに滅相もない話だろう。

 

「傷ついた土地を慰撫するのはいつだって新しい息吹だ。私はそれを今回のポケモンリーグという制度に感じている」

 

 カンザキの言葉に秘書はそれ以上言葉を重ねる事はなかった。

「時間だな」と時計を見やって口にする。

 

「記者会見だ。賑やかな席になるぞ」

 

 そう言って部屋を出た。少しでも自分を鼓舞してやらねば折れてしまいそうだ。たとえそれが虚勢でも必要だと感じた。

 

 会見場はセキエイ政府が用意したものだった。既に大勢の記者が詰め掛けている。カンザキは会見の席に座り、隣を秘書が座った。

 

 会見を取り仕切る人間が、「質問のあるものはまず挙手をお願いします」と前置きする。すると早速、真ん前に座っていた記者が手を上げた。

 

「カントー新報のウエスギです。カンザキ執行官。今回のポケモンリーグ制度について、まず明確な説明をお願いします」

 

 それはカントー全ての民の願いでもあるだろう。このポケモンリーグという巨大な競技に対してまだガイドラインも設置されていないのだ。不安を煽ってしまうのも無理はない。

 

「このポケモンリーグという競技は、それぞれの街に点在するポケモンジムのジムリーダーと戦い、勝利し、八つのバッジをより多く、より早く集めた者の勝負となります。参加者は十歳以上、三十歳未満ならば国籍、プロ、アマチュアは不問。所持ポケモン一体によるトキワシティから出発し、決められたチェックポイントを通ってルートを遵守していればどのような速度でも構わない」

 

「ポケモンジムとは、現在各地で展開されているトレーナーの実力格差の是正のために配置されているトレーナーズスクールの発展型と考えてもいいのでしょうか」

 

 カントーではトレーナーの実力格差、つまりどの街の出身かで大きく実力、及び所持ポケモンに差が出てしまう事を憂慮し、ポケモンの権威によるトレーナーズスクールの開校を行っている。

 

「そう考えてもらって間違いはない。ジムリーダーとは、その地区において教鞭を執る事を許可された特別なトレーナーの事だ」

 

 他の記者から手が上がった。仕切り屋が、「そこの君」と指差す。

 

「マサラの友のニイジマです。各ジムトレーナーの経歴を教えてもらっても結構でしょうか?」

 

「それは出来ない。予めそれぞれのポケモントレーナーの所持ポケモンが明らかになればアンフェアだろう。ジムリーダーでさえもそれは同じ。今回のポケモンリーグにおいてジムリーダーやジムトレーナーでさえも参加者と同じ資格を有しているものとする」

 

「タマムシ新聞社のヤグルマです」

 

 そう言って立ち上がったのはしなびた服装の記者が多い中、ぴっしりと清潔な黒いスーツを着込んだ記者だった。タマムシ新聞社といえば一流企業だ。

 

「今回、ポケモンリーグに出資している企業名をお願いします」

 

「カントーからはシルフカンパニー、ホウエンからはデボンコーポレーションが主な出資者だ。他にも大小様々だが百社近くの企業がポケモンリーグへの出資を希望している」

 

「ありがとうございます。次に、チェックポイントについてお聞きしてもよろしいでしょうか」

 

「チェックポイントとは、各地に点在するポケモンジムの事です。これらを順番通りに通っていただければ、その街での過ごし方はどのようでも構いません」

 

 秘書が与えられた情報を基に答える。

 

「それはつまり、あえてジムバッジを取らず、セキエイを目指すというのも可能だという事でしょうか」

 

「その通りだ」

 

 カンザキは早速出るであろう質問に応じた。

 

「ジムバッジを取らず、通過する事は可能であるし、その場合、トキワシティからより早くセキエイに辿り着けるだろう。だが、八つのジムバッジ、ジムリーダーの洗礼を受けてきた者達が早足だけを目的とした人間に負けるとは思えない」

 

「ジムバッジは本当に八つだけなのでしょうか」

 

「どういう意味か」と秘書が問いかける。ヤグルマと名乗った記者は目ざとく質問した。

 

「もし、ジムバッジが複数存在しているのならば、裏口取引も可能になるのでは」

 

 失礼な質問に違いなかったがそれは気になるところだろう。

 

「ジムバッジは八つ。それは予め決められている。複数の人間が跨って取る事は出来ないし、並大抵の強さではジムリーダーを下す事すら不可能だ」

 

「それはつまり、相当な熟練度が必要だという事ですよね?」

 

「質問、いいですか?」

 

 ヤグルマ記者とのやり取りだけに業を煮やしたのか他の記者が挙手する。仕方がないのでヤグルマ記者との話は切り上げて他の記者の質問に移った。

 

「空を飛ぶ、テレポートなどの移動技があります。これによって移動する事が可能だとすれば、単純にトレーナーの熟練度によって左右される勝負になる」

 

「それはありえない。空を飛ぶ、テレポートは禁止されている。もし、それを感知した場合、即座に出場停止処分とする」

 

「しかし、どうやって判断するんですか」

 

「ホウエンのデボンコーポレーションが開発したポケモンの個体識別装置がある。それにまず参加者は個体識別し、そのポケモン独特の生命反応を取る事によって空を飛ぶやテレポートが使われていないかを判断する。ちなみにこの装置はまだ一般には流布されていない。極秘装置のためこの技術の悪用はまず不可能と考えてもらっていい」

 

「では常に個体識別をするので?」

 

「いや、それはプライバシーの観点からしてみても適切ではないだろう。個体識別装置が起動するのは空を飛ぶ、テレポートなどの長距離移動が行われた場合のみ。短距離移動ならば作動しないし探知される心配もない。安心して欲しい」

 

「しかし、通信可能な地方全てからの挑戦者を招き入れるという事は、カントーの玉座に別地方の人間が就いてもおかしくはないという事ですよね? これに関してセキエイ高原は意見を一致しているのでしょうか」

 

「セキエイ高原でもその意見は割れたが最終的に一致した。この戦いはいわばサバイバルだ。誰がなってもおかしくはない。同時に、誰が落ちてもおかしくはない」

 

 完全な実力主義。その側面を強調すると記者達がごくりと唾を飲み下したのが感じられる。カンザキはその事を殊更強めたいわけではなかったが、誰がなってもおかしくはない、という部分に噛み付いた記者がいた。

 

「カンザキ執行官は、純血を守ってきたチャンピオンの座に、他地方の人間が混ざってもいいとお考えで?」

 

 こういう面倒な手合いが仕事を増やす。カンザキはため息を漏らしそうになりながら、「そういう意味で言ったのではない」と告げた。

 

「ただ君達の新聞社がそう書きたいのなら好きにしたまえ。我々は一々、三面新聞のタイトルにまで気を配っている暇はないのでな」

 

 言外にそのような質問は無粋だと込めたつもりだったが、質問した記者は憮然とした態度で座り込んだ。どうやら侮辱されたのだと感じたらしい。買わなくていい喧嘩を買ったな、とカンザキは少しばかり後悔する。それをおくびにも出さず、「他に質問は」と促した。

 

「総距離はカントー平野丸々一周、つまり百キロ前後を行く事になるのですがそうなってくると一周までにかかる日数はどうなりますか?」

 

「データはない。カントーを徒歩で計測し、現在の地図を書き上げた偉人ですら230日かかった。100日前後の旅が予想されるが今の技術は進歩している。二桁で踏破する人間がいても何ら不思議はない」

 

「参加費についてお尋ねします。十歳から参加可能とはいえ参加費がかかっていますよね。一人五万円。これは十歳の少年少女のトレーナーには厳し過ぎるのでは?」

 

「そうは思わない。ジムの建設やトレーナーを受け入れる環境作り。及び、全ての街におけるトレーナーの価値基準の統一化。さらに言えば旅先のホテルや生活に関する事。それらを我々が一任するのだ。五万円はむしろ安い、良心的な価格設定だと思うが」

 

 この意見も槍玉に挙げられるのだろう。そう考えながらカンザキが口にしていると次の質問が飛んだ。

 

「ポケモンを扱う競技となれば当然、参加者間のポケモンバトルも予想されるわけですよね? そうなった場合、負傷者が現れる可能性も考慮に入れていますか?」

 

「当然だ。ポケモンバトルは彼らの専門分野とはいえかなりの危険が付き纏うだろう。しかしポケモンを所持している以上、ポケモンバトルを禁じる事は出来ない。先ほどの回答と被るが、五万円の参加費はこのためもある。負傷による退場、及び治療費を負担する。そのための前金だ。しかし、意図的にトレーナーを害する行為は禁止する。もし、それが目撃された場合、その参加者には重大なペナルティを、場合によっては失格処分もやむをえない」

 

「人殺しが起きる可能性を、黙認するわけですか」

 

「君達は料亭の調理場を気にするか? もしかしたら包丁で指を切っている人間がいるかもしれない、と」

 

 カンザキのたとえに記者が閉口する。

 

「ポケモントレーナーにポケモンによって怪我を負うかもしれない、死ぬかもしれないというのは無粋な質問だ。そのような事は承知の上で、彼らは戦っているのだから」

 

 その言葉にその質問は撤去された。代わりのように新たな質問が上がる。

 

「今回の参加表明をされたトレーナーの中で優勝候補と目されるトレーナーを教えてください」

 

 秘書から事前に強力な参加者だと判断された紙を受け取り、「これはあくまで推測であって事実、彼らが強いというわけではない」と前置きする。

 

「実績や戦歴から捻出された人々だが」

 

「出来れば経歴も同時にお願いします」

 

 遮って放たれた無遠慮な声に秘書が顔をしかめるがカンザキはほとんど表情を変えずに応じる。

 

「デボンコーポレーションの御曹司、ツワブキ・ダイゴ! 彼は一代でデボンを興した男だ。ホウエン地方の出身で鋼タイプの専門家としても名高い。数年前までは学会で存在を認められていなかった鋼タイプの研究に一役買ったとして研究機関からも優遇されている。ホウエンでの実力者がカントーに挑む、というわけだ」

 

 ツワブキ・ダイゴの顔写真が背景に映し出される。銀色の髪に銀色の瞳の青年だった。おおっ、と記者達がざわめく。

 

「シンオウからは麗しき考古学者、シロナ・カンナギが挑戦! 学会が注目する美人トレーナーだ。その美しさが戦いにも通ずるのかは不明だが、彼女はシンオウの催す大会で何度も好成績を収めている」

 

 黒い衣装を身に纏った少女の姿に記者達がシャッターを切った。

 

「ジョウトからは秘境の村、フスベタウンでドラゴンの秘術をその身に刻んだ凄腕のドラゴン使い、イブキが参戦だ! 彼女は弱冠十二歳にしてドラゴン使いの家系の長になる事を約束された存在。大会成績はないが今まで魔境と呼ばれていたフスベタウンからの参戦は皆が注目している」

 

 水色の髪を一つに結っており、マントを翻させたポーズの少女に記者達が釘付けになる。

 

「イッシュからは赤い髪の好青年、アデクの参戦! 彼はイッシュ地方において実力のみで成り上がった原住民族の末裔! その色濃い血が今回のリーグでも勝利を誘うか、否か」

 

 モンスターボールを構えた赤い髪の青年の威容に記者達は感嘆の吐息を漏らす。

 

「カントーからはシルフカンパニー社の後押しを受けたサカキという無名の新人の参戦! 彼はシルフカンパニーにおいて戦闘分野でのポケモン技術の開拓に協力したとして優遇されている。無名の新人トレーナーでありながら、戦闘に関して言えばプロをも超越する実力者だ」

 

 涼しい瞳の少年の参戦に記者達が色めき立つ。

 

「優勝候補者と目される人々は以上。参加者はこれからも増える事が予想されます。ぎりぎりまで参加者は募るつもりです」

 

 秘書の締めくくる声に一人の記者が手を挙げた。

 

「今回、カントーは威信をかけてこの一大事業を行うわけですよね? カントー政府の決心、その現れ、と考えてよろしいのでしょうか?」

 

「もし、今回のポケモンリーグが失敗すればカントーという土地の信用は失墜。このような制度を二度と催せなくなりますし、多数の参加者を招いた事による国際的混乱は避けられません。それに緊張関係にあるイッシュの参加者も受け入れるとなればなおさら……。もし失敗された場合、どうなさるおつもりですか?」

 

「消されるんじゃねぇの?」と記者の誰かが小さくこぼす。カンザキは真っ直ぐに記者団に視線を据えて、「失敗か」と口を開いた。

 

「どんな事にでも失敗と成功が付き纏う。それは人生の常だ。だが、この戦いにおいて失敗などと口にする事は参加者の戦意を削ぐ事に繋がると考えろ。失敗とは、戦わぬ者達が安全圏から見下ろす結果に過ぎない。その過程にこそ、輝き、そして価値があるのだ!」

 

 カンザキは記者達に向けて声を放つ。

 

「この戦いに失敗はない! いるのは挑戦者と手強い者達だけだ! 彼らは誇りを賭けて戦うだろう! そのバイタリティこそが、この戦いの価値に他ならない!」

 

 シャッターが焚かれカンザキの姿が撮影される。それらの光を受け止めながらカンザキの言葉は記者達に広がっていった。

 

「これで会見は終了とさせていただきます」

 

 秘書の声でカンザキはようやく会見場から出ていく事が出来た。記者達はどう記事を作るのだろう。カンザキや秘書の言葉の揚げ足を取る者もいるかもしれない。全員に理解されようとは思っていなかった。

 

「ようやく、解放されたな。ああいう場は、私は嫌いだ」

 

 カンザキの率直な物言いに、秘書が苦笑する。

 

「あのような場で緊張しないほうがどうかしています。私とて何度うろたえたか」

 

「答えを間違えれば厄介なところで揚げ足を取られる。まったく、偉くなったつもりもないのに、面倒事ばかり」

 

 ぼやいたその時、進行方向に記者が歩み出てきた。秘書が前に出て、「君、質疑応答は終わっただろう」と声を発する。

 

「いえ、そういうのとは別の用件で」

 

 顔を上げた記者の名前をカンザキは覚えていた。

 

「ヤグルマ、とか言ったか」

 

「覚えていただいて光栄です」

 

 ヤグルマは帽子を取って会釈する。カンザキは厳しい声音で、「何の用だ」と口にする。

 

「質問ならば先ほどの場で充分だったはずだが」

 

「私は、質問を浴びせようというんじゃありません。ただ、カンザキ執行官と対等にお話がしたいだけです」

 

「帰りたまえ」と煙たがる秘書の肩を掴んで、「いや」とカンザキは歩み出た。

 

「用件を聞こう」

 

「執行官? しかし一記者相手に……」

 

「彼は他の記者とは違う。それはさっきの質問の内容から分かった」

 

 カンザキの強い口調に秘書は気圧されたようだった。ヤグルマは口元に笑みを浮かべて、「少しだけお話を」と提案する。カンザキは、「応接用の私室がある。そこで話そう」と踵を返す。ヤグルマは秘書に会釈してカンザキの後をついていく。取り残された秘書は少しばかり納得がいっていない顔をしていた。

 



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第五話「鬼子」

 

「タマムシ新聞社のヤグルマだったな」

 

「はい。その通りです」

 

 ヤグルマはカンザキと肩を並べて歩く。

 

「この現場を他の記者にでも垂れ込まれれば厄介だぞ」

 

「心配ご無用。先ほどの茶番で、ほとんどの記者は満足しています」

 

 記者会見を茶番と形容したヤグルマにカンザキは苦笑を漏らす。

 

「そう見えたかね?」

 

「ええ。私には、本質が隠されているように感じられました。このポケモンリーグ、ただのレースやスポーツの一部だと判断するには少々きな臭い」

 

「それはそうだ。玉座がかかっているのだから」

 

「私は結果論を言っているんじゃありません。純血だとか、そういう話は政治家の手合いだ。この戦いを提案したのが、カントーの頭の固い重役にしちゃ思い切りがよ過ぎると感じたんですよ」

 

 彼は見抜いているのだろうか。この戦いが先代の王の遺書に基づくものであると。それはごく一部の政府関係者やカンザキのように執行官を任ぜられた者しか知らないはずだ。

 

「確かに。緊張状態にあるイッシュや縁の薄いシンオウまで巻き込むというのは度し難いか」

 

「私はね、この戦いがスポーツの祭典だとか、そういう楽観主義の側面で捉えている人間が一番理解出来ない。カントーの王の崩御、その直後に発表されたポケモンリーグ。出来すぎのシナリオだと思いますがね」

 

「陰謀論か」

 

「そんなちゃちなもんじゃありませんよ。この戦いにはさらに大きな裏がある。そう考えるのが妥当でしょう」

 

「ふむ」とカンザキは首肯してから応接室に通した。ヤグルマは心得ているのか、なかなか部屋に入ろうとしなかった。口封じ、という手段もある、と察したのだろう。

 

 カンザキが先に入り、上座の席につくまで、ヤグルマは動きさえしなかった。ようやく部屋に入り、カンザキが顎でしゃくったソファへと腰を下ろす。

 

「この部屋」とヤグルマは口を開いた。

 

「防音設備は」

 

「大丈夫だ。抜かりない」

 

「そうですか。聞かれるとまずいので」

 

「それは、誰に、だ?」

 

「上役の方々ですよ。うちの会社にだってばれればこれです」

 

 ヤグルマが首筋を掻っ切る真似をした。カンザキは失笑する。

 

「そうまでして君が得たいものは何だ?」

 

「さっきの質問の延長線上ですが、バッジは本当に八つですか?」

 

「ああ。なんだ、やけにこだわるじゃないか」

 

「いえね、ちょっと耳寄りな情報を持っているもんですから」

 

「耳寄りな情報?」と聞き返すと、ヤグルマは鞄から数枚の資料を差し出した。机の上に広げる。それは七つの眼を有する仮面の人々だった。自分も知っている事なだけに鼓動が収縮する。それを押し止めて、カンザキは何でもない事のように尋ねた。

 

「これは?」

 

「王の崩御より数年前から、王の近辺で動いていたと思しき人々です。全員が同じ仮面をつけている。右に三つ、左に四つの眼を持つ仮面」

 

「何が言いたい?」

 

「これはこの世界ではあまり流布されていない伝承ですが、黙示録の仔羊にこれと似た文様があります」

 

 写真を指で叩きながらヤグルマが口にする。

 

「黙示録?」

 

「はい。ご存知ないかもしれませんが、そういうもの、聖書と呼ばれる存在のものは無数に存在する。その中の一つです。古い考古学資料だと考えてもらって結構です」

 

「その考古学資料と、仮面の人々の関係は?」

 

「依然、不明です。しかし、彼らは歴史の裏側に巧妙に隠れている」

 

 ヤグルマはカンザキを真っ直ぐに見据える。その眼差しには探求の光があった。

 

「彼らを暴きたいと、思いませんか?」

 

 その言葉の意味するところをカンザキは吟味する。

 

「つまり君は、今回のポケモンリーグにも彼らが関与していると?」

 

「可能性はありえます。彼らは今まで歴史の節目に現れては、何か重大な事を決めていった」

 

「それこそ、陰謀論ではないか」

 

 一笑に付そうとしたがカンザキの表情が思いのほか強張っていたせいだろう。ヤグルマは、「何か、ご存知なんですね」と目ざとく訊いてきた。仮面の少年少女の姿が脳裏に浮かび、「何も知らんよ」と無意識中に答えていた。

 

「仮面の人々は何のために、歴史を矯正しようとしているのでしょう? 何のために、現れては消えているのでしょう?」

 

 ヤグルマの言葉を妄言と切り捨てる事は出来た。しかし、カンザキの中にもしこりがあったのは事実だ。

 

「私の下にこれを持ってきてどうする? 私に探れというのか?」

 

 ヤグルマは頭を振って、「いいえ」と否定した。

 

「探るのは私です。カンザキ執行官にはそれを許していただきたい」

 

 その意味するとことをカンザキはようやく察した。

 

「君を駒にして、私が真実を知れというのか」

 

「タマムシ新聞社のエリートです。力不足ですか?」

 

 不敵に微笑んでみせたヤグルマにカンザキは内心に感嘆する。

 

 この男は自分を売り込みに来たのだ。政府直属の記者として。さらに言えば真実を探る諜報員として自分を雇え、と。カンザキの立場ならば仮面の人々と対面する事もあるだろうという確信だろう。ヤグルマは、「悪くないお話だと思うのですが」と続けた。

 

「君を使い、私が政府の裏の顔を探る。その情報を自分のものにするのもよし。あえて封印するのもよし」

 

「どうなさいます?」

 

 ヤグルマの言葉は甘い蜜のようだ。寄り付けばおこぼれに与れる事は明白である。しかし、甘い蜜には必ず裏がある。薔薇に棘があるように何か、触れてはいけない禁忌が存在しているような気がした。

 

「面白い」

 

 カンザキは資料の仮面の人々を指差し、「こいつらを暴く事が、我々にとって有益であるのならば」と続ける。

 

「この提案、受け容れよう。君は、どうやって彼らを探るつもりだ?」

 

「バッジは八つか、と聞きましたよね」

 

 ヤグルマは仮面の人々に視線を落としながら呟く。

 

「何故、八つのバッジなのでしょう? カントーには八つ以上の街がある。だというのに、何故、指定されたルートを通り、バッジを集める必要があるのか」

 

「記者会見でも聞いていたな。バッジを集めずにセキエイに行ったほうが速いのではないのか、と」

 

 ヤグルマは首肯し、「この競技」と顎に手を添えた。

 

「何かがおかしい。八つのバッジの出所を探ったところ、私は彼らの存在に気づきました。このような面倒な競技を何故提案したのか、私はそこにこそ意味があるような気がします」

 

「意味、とは」

 

「これは推測ですが」とヤグルマは前置きし、資料を繰った。そこには細かい文字で何らかの資料の引用文が書かれている。

 

「彼らは何かを再現しようとしている。これが私の推測する目的、その一です」

 

「再現……。何を?」

 

「イッシュ建国神話、ホウエンの伝承、シンオウの神話、あらゆる方面の神話、及び伝説を探ると、どうしてだかある一点で彼らの存在が出てくる。建国神話に関してはその末裔を辿っていくと、彼らのうち一人に行き着くんです」

 

 カンザキは怪訝そうな顔をした。それが伝わったのか、「何も酔狂でここまで調べたわけじゃありません」とヤグルマは言った。

 

「実際にその人物にアプローチは?」

 

「出来るわけがないでしょう。揉み消されますよ」

 

 どうやらヤグルマは当てがあるらしい。当てがないのにここまで壮大な事を調べているのは逆に感嘆に値するが。

 

「私はこの中のどれか、あるいはまだ解明されていない神話、伝承を彼らが再現するために今回のステージを用意したのではないかと考えます。そのために必要な要素が、八つのバッジだった」

 

 そこで言葉を切りヤグルマは、「カンザキ執行官は」と探る目を寄越した。

 

「バッジの詳細についてはご存知ですか?」

 

「ああ、聞いているよ」

 

 あまり話し過ぎれば痛くない横腹までも突かれるはめになる。慎重に言葉を区切った。

 

「私が調べたところによると、グレーバッジ、ブルーバッジ、オレンジバッジ、レインボーバッジ、ピンクバッジ、ゴールドバッジ、クリムゾンバッジ、グリーンバッジという八種の名前は明らかになりました」

 

 逆に言えば名前以外は何も知らないという事だ。カンザキは、「それが何か?」と尋ねる。

 

「バッジを集める事に意味があるのならば、これらのバッジには効力があると考えるのが妥当でしょう」

 

「効力」とおうむ返しにする。ヤグルマは頷いた。

 

「全く開示されていない情報なので恐縮ですが」と資料を捲ると黒塗りだらけの一枚の紙が現れた。

 

「ハッキングスキルのある友人がいましてね。彼に頼んだのですが全く分からない箇所ばかり。唯一、ニビシティのジムリーダーの名前とグレーバッジの効力が明らかになりました」

 

「その効力とは」

 

「秘伝技の一つ、フラッシュが使用可能になると共に攻撃力の補正が行われるそうです。ただこのバッジを持つだけで、ですよ」

 

 カンザキは顎に手をやって、「それは」と口にした。

 

「奇妙だな」

 

「他のバッジにも効力があると考えるのが順当でしょう。ニビシティのジムリーダーはタケシとありますが彼の素性に関しても不明な点が多い。仮面の人々によって用意された人間である可能性があります」

 

「それほどまでに脅威として考えるべきなのか?」

 

 カンザキにはヤグルマが神経質に過ぎるようにも映ったが、ヤグルマは退かなかった。

 

「仮面の人々は何かを隠している。それも重大な何かを、です。私は、ちょっと奇妙に考えている事がありましてね。この国、カントーだけ建国神話、あるいは伝承が全くと言っていいほどないのです。遡っていくとある時、カントーという地域があった、という曖昧な結論に行き着く」

 

「まさかそれも仮面の人々による偽装だと?」

 

 考え過ぎでは、という声音も含んだカンザキに、「ありえます」とヤグルマは即答した。

 

「何かがおかしいんです。カントーは。まるで人工の場所のように感じられる。最初から最後まで人が作り上げた場所のような」

 

「神話がない、というのは古い考え方が残っていないだけではないのか」

 

 カンザキの言葉に、「それにしたってないんですよ」とヤグルマは資料に目を落としながら応じる。

 

「何かになぞらえるような話が残っているはずなんです。なのに、何もない。しかし、ポケモンの発祥地点のかなり初期の時点でカントーは認定されています。何か、順番がねじれているように感じられるんです」

 

「疑い深いな、君は」

 

 カンザキが笑い話にしようとすると、「そういう性分なので」とヤグルマは愛想笑いを浮かべる。

 

「ですがこれくらいの駒のほうがいいでしょう? 簡単に鞍替えしなさそうで」

 

 ヤグルマの言葉に、「確かに」とカンザキは肩を竦める。

 

「粘り強くはありそうだ」

 

 ヤグルマは資料を鞄に仕舞って、「今日はこの辺でお暇しましょう」と立ち上がる。

 

「書面で契約は必要ないのか?」

 

「いえ、そういうものが後々残っているとお互い身動きが取りづらくなります。私の電話にかけてください」

 

 そう言ってヤグルマは腕時計を示した。しかし、その腕時計は類を見ない形状をしていた。灰色で小型の端末が装備されている。

 

「私の知り合いが開発したポケギアという通信機器です。まだ一般には出回っていません。これに電話をかけてください。ああ、番号はこれです」

 

 ヤグルマはメモ用紙に番号を書き付けると、破ってカンザキに手渡した。

 

「暗号化機能がついていますから盗聴の心配はないです。では、これで」

 

「次に連絡する時は、いつがいい?」

 

 部屋を出て行く直前にヤグルマへと声をかける。「ポケモンリーグ開幕前日にしましょう」と彼は提案した。

 

「僭越ながら私にも腕に自慢がありまして」

 

 ヤグルマは腰に手をやった。ベルトにモンスターボールが留められている。まさかトレーナーだったとは、とカンザキは驚きを新たにした。

 

「挑戦者か」

 

 カンザキが微笑むと、「この方法が一番です」と彼は返した。

 

「しかし、それではフェアじゃないな」

 

「私の目的は優勝ではありません。玉座にも興味がない。ただ仮面の人々の思うがままに事がすすむ事を危惧しているのです」

 

 つまり勝ち進む気はさらさらないという事だ。セキエイへとバッジを取らずに向かってもいいのか、と尋ねた意味をようやく理解した。

 

「戦わずして事の成り行きのみを見届けようと?」

 

「戦いはしますよ。最小限に」

 

 ヤグルマはそう言い置いて去っていった。ヤグルマが残したポケギアとやらの電話番号を手にカンザキは窓際に歩み寄った。中庭には仮面の少年少女がまばらに遊んでいる。話を聞かれなかったか、と安堵する。何故だか彼らには、どのような場所で話しても筒抜けのような気がしていた。

 

 扉がノックされる。秘書だろうか。「入れ」と促すと、現れたのは小柄な少年だった。水色を基調とした服装で、モンスターボールにまで行き届いている。射るような鋭い眼差しを持つ少年にカンザキはハッとした。

 

「どうした? 記者会見には来るなと言っていただろう」

 

「申し訳ありません。どうしても俺の勘が父上に何かがあると告げていたので。俺のポケモンもそうです」

 

 水色のラインが施されたモンスターボールを少年は手に取る。

 

「ウリムーが感じ取っています。周囲の空気の流れ、少しぴりついていますね。いつもの父上らしくない」

 

「しばらく顔を出すなと言っていたはずだ」

 

 カンザキは思わず歩み寄った。しかし少年は怯む気配がない。

 

「分かっています。ポケモンリーグで玉座を目指す人間が関係者に会っていたとなればまずいからでしょう」

 

「分かっていたのなら何故、来た? ヤナギ」

 

 自分の子供の名をカンザキは呼んだ。ヤナギ、と呼ばれた少年は、「嫌な予感がしたからです」と冷淡に応じる。

 

「先ほどの男は何です? 関係者には見えませんでしたが」

 

「大人の世界に首を突っ込むものではない」

 

「しかし、奴はトレーナーですよ」

 

 ヤナギは即座に見抜いたのだろう。我が子ながらその審美眼は時に恐怖さえも感じさせる。

 

「私の仕事上の付き合いのものだ。恐らく、これからも顔を合わせるだろう」

 

「それは母上よりも大事なのですか?」

 

 暗に家族をないがしろにしているカンザキを責める口調だったが、その言葉にはいささかの棘もない。むしろ、平淡なくらいだった。

 

「……母さんは、ジョウトに帰そう。きっと、それが一番いい」

 

「俺もそれには承諾です。しかし、今回のポケモンリーグ、俺は参加しますよ」

 

 母親と共に帰れと言って帰るヤナギではない。元より、玉座はカンザキ家において悲願だった。そのためにヤナギは故郷で鍛え上げられたのだ。

 

「ヤナギ。私はお前ならば玉座に就けると思っている。その素質もある。だから些事にこだわるな。私の事情には口を挟まなくっていい」

 

「先ほどの男は危険です。何か、とてつもない災厄をもたらします」

 

 ヤナギの人物評は当たる。故郷でそれは怖いくらいに的中した事をカンザキも知っている。

 

「だからと言って、お前が危険と思わない人間だけで周りを固める事は出来んよ。それこそ、大人の事情というものだ」

 

「承知しました。では、俺の忠告を頭の片隅にだけ留めておいてください」

 

 ヤナギは引き下がったが、カンザキにとってしてみれば呪縛の言葉だった。部屋を後にする我が子の後姿を眺めながら故郷で囁かれた噂を思い返す。

 

 ――あれは鬼子だ。

 

 カンザキは苦渋を噛み締めて窓の外を見やった。仮面の少年少女達はもういなかった。

 

 

 

 

 



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第六話「仮面の子供達」

 

 父親が自分を愛していない。

 

 それは最初から分かっていた。むしろ畏れの対象だ。ヤナギはジョウトのカンザキ財閥の御曹司として何不自由なく過ごしてきたつもりだった。しかし幼少時から「子供らしくない」という印象が自分について回ったのは確実だった。

 

 協調よりも勝負にこだわり、惰弱よりも鍛錬を重ねた。まるで課された十字架のように、ヤナギは自分自身に安寧を与えなかった。心の安定が誰しもあるとすれば、ヤナギには今のところ存在しない。それが必要なのかすら分からなかった。

 

 だから玉座というものがあるとすれば、それは自分のような人間が相応しいのだろうと考えていた。誰も必要とせず、誰にも必要とされない。そんな孤独の闇に自分を浸す事が最善だと。父親も母親も、自分と一緒にいるべきではない。自分は期せずして災厄を導く存在であると感じていた。

 

 中庭に出る廊下でヤナギは仮面をつけた少女を認めた。少女は他の仮面をつけた者達よりも幾分かとろいようで、そうやって独りでいる事が多かった。灰色の髪をした少女の名をヤナギは呼んだ。

 

「キクコ。またみんなからはぐれたの?」

 

 仮面の少女は自身の名前を呼んだヤナギへと振り返る。七つの眼を刻んだ威容にたじろいだのは最初のほうだけだ。今は、キクコの名前を落ち着いて呼ぶ事が出来る。

 

「ヤナギ君」

 

「仮面なんて俺の前では外しなよ」

 

 ヤナギの言葉に、「駄目だよ」とキクコは仮面を撫でた。

 

「だって、先生達が怒るもの」

 

 キクコが周囲を忙しなく見渡す。どこから「先生」に見られているのか分からないのだろう。ヤナギは周囲の気配を感知したが、どこからでも見ているようであるし、どこからも見ていないようでもあった。

 

「大丈夫。誰も見てない」

 

「本当?」

 

 キクコは遠慮がちに仮面をずらした。すると、赤い瞳のあどけない顔立ちが視界に入る。白い肌は太陽の光を今まで受けた事のないように透明感があった。

 

「私、またはぐれちゃったの……」

 

「みたいだ。でも、俺が案内するよ」

 

 手を差し出すとキクコはすがり付いてきた。

 

「ヤナギ君。怖いのはやだよ」

 

 キクコは常に何かに恐怖しているようであった。その対象が何なのか、ヤナギにも明確な説明はつけられない。しかし、ヤナギはそれを取り除ける。その資格が自分にはあると確信していた。キクコの恐怖が何によるものであれ、自分は強い。誰よりも強くあれば、誰にも害される事はない。キクコも、自分もそうだ。

 

「キクコ。俺はもうすぐ開催されるポケモンリーグに出場することが決まっている」

 

 ヤナギの言葉にキクコは、「聞いているよ」と答える。

 

「先生達はその前準備に躍起になっている。仮面の選定者の中から何人か選ぶみたい」

 

「まさか、キクコが?」

 

「私はないよ」

 

 キクコは弱々しく微笑んだ。

 

「だって、とろいんだもん」

 

 その言葉にヤナギは内心安堵した。キクコが戦いの場に駆り出される事はあってはならないと感じていたからだ。

 

「そう、か。でも仮面の選定者の中で誰かは選ばれるんだな」

 

「うん。玉座とか、私にはよく分からないけど」

 

 キクコと並んでヤナギは歩く。繋いだ手のぬくもりに、キクコだけは、とヤナギは強く願った。キクコだけは争いに巻き込まないで欲しい。

 

 その時、不意に暗闇が蠢動した。凝った影が人の形を取る。ヤナギよりも一回り背の高い女性が足音一つ立てずに前に出てきた。

 

「先生」

 

 キクコの声に、「また遅れたのですね」と冷たい声音が響く。キクコが自分から離れて先生と呼ばれた女性の前に駆け寄ると、先生はあろう事かキクコを引っ叩いた。ヤナギが、「何を!」と声を出す。

 

「カンザキ執行官の息子さんですか。我々の子供達に関わるのはおよしなさい」

 

 有無を言わせぬ口調にヤナギは言葉を呑み込む。キクコはしゃくり上げながら、「ごめん、なさい……」と謝っている。

 

「仮面をつけなさい。誰が取っていいと言いましたか」

 

 キクコは再び仮面をつけて先生の手を握る。先ほどまで自分の手を握ってくれていたキクコが離れていく事にヤナギは耐え切れなかった。

 

「待ってください!」

 

 覚えず出した大声に先生が肩越しに振り返る。

 

「何ですか」

 

「キクコは何も悪くないんです」

 

 自分が取っていいと言ったからキクコは仮面を取った。遅れたくて遅れているわけではない。ヤナギはキクコの気持ちを最大限に汲んだつもりだったが、「それがどうしたと言うのです」という先生の言葉に掻き消された。

 

「何、を……」

 

「この子の問題は我々の問題です。あなたが関わる事ではないでしょう。出しゃばると痛い目を見ますよ」

 

 その忠告を潮に先生とキクコは去っていった。ヤナギはその場に縫い付けられたように固まっていた。二人の気配が消え去ってから自分の無力さに歯噛みする。

 

「俺は……何も出来ないのか」

 

 キクコのために。分かっていても動かない身体がもどかしく、ヤナギは自分を引っ叩いた。



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第七話「軟弱者」

 

 ポケモンリーグに関するニュースは電光石火のようにマサラタウンを駆け抜けた。新聞社、マサラの友はこう記している。

 

『第一回ポケモンリーグはカントーとポケモントレーナーの威信をかけた一大事業となるだろう』

 

 そのキャッチコピーの通り、マサラタウンのスクールでも瞬く間にその文言は子供達の話題となっていた。だから久しぶりに顔を出したスクールでがやがやと騒がしくしている生徒達はユキナリの存在を気にも留めなかった。ただ一人、ナツキだけがユキナリへと駆け寄った。

 

「ユキナリ。あんた、通う気になったんだ」

 

「気紛れだよ。ほんの気紛れ」

 

 実際のところ、胸中は穏やかではない。全ポケモントレーナーの出場が呼びかけられた今回の事業。ポケモンを手にしていなかった自分ならば全くの無関係を貫けたものの、ニシノモリ博士から受け取ったキバゴとポケモントレーナーになったという事実は見過ごせるものではなかった。

 

 ユキナリはちらりと教室の中の空気を読み取り、鞄を下ろして席についた。ナツキはユキナリへと話しかける。

 

「久しぶりに来たって言うのに、なんて仏頂面してるの」

 

「放っておいてくれよ。僕だって来たくて来たわけじゃない」

 

 博士に会うにはこれが手っ取り早いからだ。ユキナリの言葉の意味を解していないナツキは、「ねぇ、どういう……」と言葉を続けかけて入ってきた博士の声に掻き消された。

 

「授業を始めよう」

 

 博士の姿を認めた子供達が一様に席につく中、ユキナリは博士へと目配せした。博士も意味するところを理解したのか、「ユキナリ君は後で私と来なさい」と口にした。その言葉でようやくユキナリの存在を認めた子供達が、「久しぶりじゃんか」と声をかける。

 

「どういう風の吹き回し?」

 

「別に。ちょっと用事があるだけだよ」

 

 ユキナリは素っ気なく答える。授業が始まるがユキナリの目的はそれではなかった。一時間分、何を考えるでもなく過ごし、博士に呼びかけられてユキナリは教室を出た。トレーナーズスクールは研究所の裏庭にあり、大きく取られた裏庭にはポケモンが駆け回っている。

 

「キバゴの事だね?」

 

 博士の発した声に、「ええ」とユキナリは応じる。

 

「それだけじゃないんですけど」

 

「分かっている。ポケモンリーグ」

 

「知っていたんですか?」

 

 知っていてユキナリをあの日、誘い込んだのか。それだけは確認しておきたかった。博士は肩を竦めて、「寝耳に水だ」と答える。

 

「分かっていて君にキバゴを預けたわけではない。そこまで狡猾な大人だとは思わないで欲しいな」

 

 博士は温和な声で応じたがユキナリには冷たく響いた。

 

「今日、僕が窺ったのは、他でもありません」

 

 博士が研究所の裏口から入って昨日と同じ応接室にユキナリを招く。ユキナリはソファに座る事なく、冷徹に告げた。

 

「キバゴを返しに来ました」

 

 ユキナリの言葉を意外と見るでもなく、博士は、「……そうだろうと思ったよ」と半ば諦め混じりの声を出す。ソファに身体を預けユキナリを見やる。ユキナリはモンスターボールを差し出した。「しかし、何でだ?」と博士はユキナリを視界に入れる。

 

「そこまでして戦うのが嫌な理由が分からない」

 

「僕は、戦いたくないんです。ポケモンバトルなんて特にそうだ」

 

「ナツキ君から聞き及んでいるよ。しかし、絵描きになりたいのならば、旅をするのは悪くないと思うんだが……」

 

 博士はこめかみを掻きながら呟く。

 

「普通の旅ならば、まだ考えます」

 

 ユキナリはモンスターボールに視線を落として、「でも、これは」と続けた。

 

「キバゴという新種を使った、実験みたいなものだ。それに、玉座に就くトレーナーを、決める? そんな大それた話、僕は乗りたくない」

 

 率直な言葉に博士は、「言葉もないね」と応じた。

 

「実験、と言われてしまえば。だが、玉座に全く興味がないのかい? トレーナーならば誰しも憧れる――」

 

「僕はトレーナーじゃない」

 

 博士の言葉を遮りユキナリは断じる。博士は後頭部を掻いて、「参ったな」とこぼした。

 

「確かにポケモンを持っていなければトレーナーではないだろう。でも、君に託したんだ。もうキバゴは君のポケモンだよ」

 

「無理やりみたいなものでしょう。キバゴを使って玉座に収まるなんて真っ平だ」

 

 ユキナリがモンスターボールをつき返そうとする。博士は落ち着いた口調で、「持っているといい」と返した。

 

「何で。僕はいらないと言っています」

 

「この部屋から出たら、多分、君には必要だよ」

 

 その言葉の意味が分からなかった。博士は、「もう少しだけ、キバゴのトレーナーをやる気はないかい?」と顎を撫でながら提案する。

 

「お断りです」

 

「でもキバゴは君に懐いている。ベストパートナーを引き剥がすほうが、私には酷に映るけどね」

 

「どうとでも。僕に、ポケモンは必要ない」

 

 ユキナリは応接机にモンスターボールを置いて部屋を出ようとした。すると、目の前に立っている影があった。覚えず立ち止まる。

 

 ナツキが、ユキナリの目を真っ直ぐに見据えていた。聞かれていた、とユキナリが感じるとナツキは早速問い詰めた。

 

「どういう事なのか、説明してもらえる?」

 

 博士はナツキが立ち聞きしている事を感じ取っていたのだろう。ユキナリは舌打ちを漏らして視線を逸らす。

 

「何でもない。博士と僕の話だ」

 

「誤魔化さないで!」

 

 ナツキはユキナリへと食ってかかった。ユキナリは醒めた眼差しを送る。

 

「どうしてナツキに関係があるんだよ。僕が決めた事だ」

 

「ポケモンリーグがあるから、そこから逃げようとしているわけ?」

 

「誰も逃げようとなんて――」

 

 その言葉の先を平手打ちが遮った。頬に熱を感じる。乾いた音が響き、研究員達が呆けたようにナツキとユキナリを見つめている。

 

「何を……」

 

「軟弱者!」

 

 弾かれた言葉はユキナリの心を鋭く抉った。ナツキは捲くし立てるように続ける。

 

「戦うのが怖い? 玉座に就くのが怖い? 甘ったれるな! そんなしみったれた精神で、最初から戦うのを拒否している限り、あんたは何もなれない! 何も目指すな! 夢なんて中途半端に持つんじゃない!」

 

 ナツキの言葉にユキナリは声を詰まらせていたがやがて苛立ちを募らせた。

 

「聞き捨てならない。画家を目指すのと、ポケモントレーナーになるのは何の関係もない」

 

「いいえ。関係はあるわ。戦わないのなら、あんたに何かを夢見る事なんて出来やしない。戦わなければ、何も掴めないのよ」

 

「それはナツキの理屈だろ。僕にとって関係はない」

 

 ユキナリはナツキを無視して歩き出そうとした。その背中に、「そのポケモン!」とナツキの声が飛んだ。

 

「あんたのなんでしょう?」

 

「だから、僕は押し付けられただけで……」

 

「それでも、あんたのなら、受けてもらうわ」

 

 ナツキの言葉にユキナリは、「何を……」とうろたえた様子で受け答えする。ナツキは応接机に置かれたモンスターボールを手に取りユキナリに突き出した。

 

「あたしと戦いなさい。ポケモンバトルよ。これであたしに勝ったのなら、何をしようがもうあんたには干渉しない。でも、あたしが勝ったら、言う事を聞いてもらう」

 

 一方的な言葉に、「何を勝手な事を」と返そうとすると博士が立ち上がった。

 

「そうだね。トレーナーは目を合わせたらポケモンバトルだ」

 

 博士からしてみてもユキナリにキバゴを預ける名目が出来て都合がいいのだろう。舌打ちを漏らし、「呆れた」と口にする。

 

「勝負にならない。昨日今日トレーナーになった僕とナツキじゃ、対等なんて言葉はないじゃないか」

 

 ユキナリが身を翻そうとすると、「怖いの?」とナツキが声をかけた。覚えず立ち止まり、ユキナリは振り返る。

 

「負けるのが怖いわけ? その程度の実力だって規定されるのが」

 

 挑発には乗らないつもりだった。しかし、どうしてだか胸のうちからふつふつと湧いてくるものがある。これは何だ? 掴みあぐねているとナツキはモンスターボールを差し出した。

 

「戦いなさい」

 

 有無を言わせぬ口調にユキナリはやけになったように、その手からモンスターボールを引っ手繰った。

 

「……分かったよ。ただし、僕が勝てば、もう何も言うな」

 

 ナツキは頷き、「博士」と振り返った。

 

「なんだい?」

 

「バトルフィールドを借りても?」

 

「ああ、構わないよ。私も見物したいからね」

 

 博士は読めない笑みを浮かべてナツキを先導した。ユキナリはモンスターボールを手にしながら考える。これで勝てば、もう煩わしい事に関わらなくって済む。ナツキのお節介や、博士の押し付けからも解放される。そのための一戦くらいなら泥を被ろうではないか。どうせナツキも、対等な勝負など望んではいない。やりたいようにやらせれば満足するだろう。

 

 裏庭にバトルフィールドがあった。四角い線で縁取られた簡素なフィールドの両端にユキナリとナツキが立つ。博士は審判を買って出たようだ。手を叩き、「二人とも、準備はいいね」と声をかける。

 

「いつでも」と言うナツキにユキナリは、「僕も構わない」と応じる。

 

 その様子に釣られたのか、スクールの窓から勝負を見届けようとする子供達が寄り集まってきた。ユキナリはマイナスドライバーを取り出す。ナツキも同様だった。モンスターボール上部にあるボタンを緩める。

 

「一対一バトル、レディ――」

 

 博士が手を十字に組む。次の瞬間、二人同時にボールを投擲した。

 

「ファイト!」

 

 その言葉に相乗するようにナツキの声が弾ける。

 

「いけ、ストライク!」

 

 ボールから蒸気が迸り、中からポケモンが射出される。ナツキのモンスターボールから現れたのは緑色の外骨格を身に纏ったポケモンだった。両手に鋭い鎌を有しており、背中には翅がある。昆虫のような身体的特徴に対して、顔は獣のような作りだった。鋭い眼差しを湛え、そのポケモンは一声鳴いた。ナツキの手持ちポケモン、ストライクだ。

 

 ユキナリの放ったモンスターボールから出てきたキバゴはその気迫に気圧されたようだった。身体を小刻みに震わせ、ユキナリをちらと見やる。ユキナリは、「キバゴ、いくんだ」と指示を出した。

 

「キバゴ、ってのがそのポケモンの名前ってわけ」

 

「何か問題でも?」

 

「いいえ。いい名前だわ。でもね……」

 

 ストライクが身を沈ませる。ユキナリは、来る、と判断した。

 

「戦わなければ一端の名前なんて! ストライク!」

 

 ストライクが地面を蹴りつけてキバゴへと肉迫する。その速度にキバゴは明らかに追いつけていなかった。

 

「真空破!」

 

 鎌に纏い付いていた風を解放し、一気に打ち放つ。弾丸のような一撃がキバゴを打ち据えた。キバゴが吹き飛ばされる。その身へとストライクの追撃が放たれた。

 

「連続切り!」

 

 鎌を振り翳し、キバゴの身体へと鋭い一撃が打ち下ろされる。キバゴは抵抗出来ずにその攻撃を満身に受けた。ユキナリが指示を飛ばす。

 

「引っ掻くだ! キバゴ!」

 

 ユキナリの声を受けてキバゴは短い手で引っ掻くが、その攻撃が届く前にストライクはキバゴの腹腔へと蹴りを放った。キバゴがバトルフィールドを転がる。

 

「連続切り!」

 

 ナツキの声に呼応してストライクが鎌を凶暴に輝かせた。その一撃がキバゴへと放たれる。

 

「耐えろ!」と指示を飛ばすがキバゴの守りは容易に打ち崩された。

 

「さっきよりも、威力が上がっている?」

 

「連続切りは出す度に威力の上がる技。どうするの? 逃げてばかりじゃ、敵は落とせないわよ!」

 

 ナツキの挑発にユキナリは手を薙ぎ払う。

 

「キバゴ、連続切りをかわして引っ掻くだ」

 

 キバゴはしかし、おろおろとするばかりでまともに指示が行き届いているとは思えない。ナツキが鼻を鳴らす。

 

「そんな大雑把な指示を聞けるほど、まだ信頼関係が築けていないみたいね」

 

 ストライクが「れんぞくぎり」の猛攻を浴びせる。キバゴは懸命に手を伸ばして引っ掻こうとするがストライクの鎌のほうがリーチは長い。キバゴの距離は即ちストライクの距離でもある。しかも、至近まで近づかなければ「ひっかく」は命中しない。

 

「ストライク、終わりにするわよ。峰打ち!」

 

 ストライクが鎌を大きく後ろに振りかぶり、キバゴへと接近する。ユキナリは指示を飛ばした。

 

「回避して反撃を――」

 

「遅い!」

 

 キバゴが指示を聞き届ける前に、ストライクの一閃がキバゴの腹を打ち据える。キバゴはその場に膝を折った。博士が手を挙げる。

 

「キバゴ、戦闘不能。よって勝者、ストライクとナツキ」

 

 ナツキがストライクへと歩み寄り、功績を労わってからモンスターボールに戻した。内部から網が現れストライクの身体が収縮してボールに収まる。ユキナリは倒れたキバゴを見つめ続ける事しか出来なかった。敗北、その二文字を背負うにはユキナリの勝負に対するスタンスは幼かった。

 

「キバゴ……」

 

 負けた、とすぐに判ずる事は出来ず、ユキナリがぼんやりしているとナツキが歩み寄ってユキナリからモンスターボールを引っ手繰った。何をするのか、と思っているとキバゴをモンスターボールに戻す。ユキナリに振り返ったかと思うと、ナツキは、「呆れたわ!」と捲くし立てた。

 

「あんな戦い方! それに負けて負傷したポケモンをすぐにボールに戻さないなんて!」

 

 ナツキの声は糾弾の響きを伴っていた。ユキナリはナツキの持つキバゴのボールを取ろうとするが、それは阻まれる結果になった。

 

「どうして……」

 

「あんたにポケモンを持つ資格はない。キバゴだって、あんたに使われるのはかわいそうよ」

 

 ユキナリには返す言葉もなかった。自分の無力さゆえにキバゴは傷ついた。それは事実だからだ。

 

「どれだけ強いポケモンでも、弱いポケモンでも同じ。トレーナーが強くなければその真価は発揮出来ない」

 

 ナツキはユキナリへと侮蔑の眼差しを向けた。

 

「あんた、ポケモンが勝手気ままに動いてくれるもんだと思ってるんじゃない? そうじゃないのよ。トレーナーとポケモンってのは……」

 

「ナツキ君、それくらいにしてあげてくれないか」

 

 博士が歩み出てナツキを制した。ナツキはまだ言い足りないようで、「でも」と声にする。

 

「彼はまだ素人なんだ。ポケモンの技に関しても、育てる事に関しても、ね。君のストライクとはレベルも違うだろう。私は――」

 

 そこから先の言葉は聞き取れなかった。ユキナリは反射的にその場から逃げ出していたからだ。

 

「あっ! あんた……」

 

 ナツキの言葉が届く前にユキナリは駆け出す。自分達の戦いを面白がって眺めていたギャラリーも、全て嫌気が差した。ユキナリは自分がどこをどう走ったのか、まるで分からなかった。気がつくと一番道路の脇に出ていた。樹の幹へとユキナリは拳を叩きつける。

 

 胸の奥から湧き上がってくるのは悔しさだ。言いようのない感情が堰を切ったように溢れ出す。それは一筋の涙となって景色を歪ませた。

 

「どうして……。僕は、戦いたくないのに」

 

 最初からナツキとの戦いなど断ればよかった。馬鹿馬鹿しいと切り捨てればよかった。だというのに、あの場で逃げなかったのは自分にも意地があったからだろう。あるいは、ナツキとの戦いならば勝てるという思い過ごしがあったのかもしれない。

 

 どちらにせよ、嘗めていたのだ。現実を。ナツキを。それは失礼に当たるものだった。

 

 普段ならば近づきもしない一番道路の草むらに入った。もう、どうにでもなれ、というやけっぱちな気持ちがそうさせた。このままポケモンに襲われて死んでしまってもいい。少なくとも生き恥を晒すよりかは。

 

 ユキナリは乾いた笑いを浮かべた。足元をポケモンが行き過ぎる。しかし、コラッタやポッポは向こうから怖がって飛び出しては遠ざかっていった。野生ポケモンにまで拒絶されているような気がした。

 

「考えてもみろよ。一番道路のポケモン程度で死ぬわけがないだろ」

 

 自分の浅知恵にほとほと嫌になる。ユキナリは当て所なく一番道路を歩いた。しばらく歩くと果てが見えた。開けた場所には看板が刺さっている。

 

「トキワシティ……」

 

 トキワシティはマサラタウンから出たトレーナーが最初に行き着く街だ。第一回ポケモンリーグのためか、平時よりも賑わっているように映った。ユキナリは全てが自分の弱さを反射する鏡に見えた。第一回ポケモンリーグという輝かしい舞台に紛れ込んだ三文役者。それが自分のように思える。

 

 キバゴを手に入れたからと言って何かが変わったわけでもなかった。同時にキバゴを手離したからと言って何かが変わるわけでもない。自分はこの国に消費され、この国で生きていくしかない、惨めで情けない人間だ。

 

 生きる事を諦められたら、どんなに楽か。ユキナリは中途半端な自己を持て余した。祭りの後のようにポケモンリーグのために設営されている舞台や慌しく行き交う人々が遊離して映る。街の端に座り込み、ユキナリは自嘲した。

 

「ナツキの言う通りかもな。僕に夢を持つ資格なんてないのかもしれない」

 

 俯いて呟く。涙が頬を濡らす。もう何も見たくなかった。

 

「もし、君」

 

 顔を伏せていると不意に声をかけられた。最初、自分を呼んでいるのだと分からなかったが、「少年」と呼ばれて顔を上げた。立っていたのはまだ歳若い男だった。全身を黒一色で包んでおり、まるで影の具現者のようだった。

 

「すまないがトキワシティの役所はどこかな。歩いて近くか」

 

 ユキナリは役所までの道なりを説明した。男は、「ありがとう」と会釈する。

 

「なにぶん、トキワは初めてでね。もうすぐこの場所がポケモンリーグ開催の地になると考えるだけで胸が高鳴るよ」

 

 男はまるで子供のように目を輝かせていた。ユキナリは尋ねる。

 

「参加者ですか?」

 

「うん? まぁ、みたいなものだ。少年、君もそうなんだろ?」

 

 問われて、「いや……」とユキナリは視線を逸らした。その様子に怪訝そうに男は訊く。

 

「少年くらいの年齢なら、ポケモンリーグへの憧れは持っているんじゃないか。この国の王だぞ」

 

「僕にはそんなものは要りません。ただ夢を追う資格さえあればいいんです」

 

 達観した物言いになっていたせいだろう。男は追及した。

 

「まるで、その資格すらないかのような言い草だな」

 

 その通りだった。自分にはもう何もない。がらんどうの人間だ。男はユキナリから離れようとせずに、「夢を追う資格のない人間などいない」と告げる。

 

「夢諦めた人間と、世の中を斜に構えた奴らが否定するだけだ。誰しもその資格だけは奪えないんだ」

 

 その言葉に自然と視界が滲んだ。ユキナリの様子がおかしい事に気づいたのだろう。男は肩に手をやった。

 

「少年、君の帰る家があるだろう。それを教えてくれ」

 

 ユキナリはマサラタウンの住居を教えた。すると、「ポケモンもなしに来たのか」と男は驚く。

 

「僕には資格がないんです。夢を追う事も。ポケモンを持つのも」

 

「そんな事はないよ。少年、マサラタウンの出身だと言ったな。帰りながら話を聞こう」

 

 男に道を教えるはずがユキナリは男を伴ってマサラタウンへの帰路を行く事になった。ユキナリは男の質問にどうして自分に資格がないと感じたのかを話した。男の質問はまるで万能の鍵のようにユキナリの心へと浸透した。

 

「なるほど。少年、君は言うなれば自らのプライドゆえに、自らが許せなかったわけか」

 

「そんな高尚なもんじゃないですよ。僕は、何一つ成し得ない事を証明されただけで」

 

「何一つ成し得ない人間などいない」

 

 男の声は不思議と強い口調だった。ユキナリが視線を向けると、「大事なのは、そこから逃れるか、挑戦し続けるかどうかだ」と続けられた。

 

「少年。君には悔しいと感じられる心がある。世の中を斜めに見ている人間ではないんだ。君は、言い方は悪いが一度逃げた。これから先、何度逃げる気だ?」

 

 ナツキの放った言葉が今さらに分かってくる。ただの嫉妬ではない。出来るのに何も成そうとしない足踏みする人間の歯がゆさがあったのだろう。

 

「……もう、逃げたくありません」

 

 自分の中で結実した言葉に男は満足そうに応じた。「それでこそ、男だ」と。

 

「少年。君にはこの世界と戦えるだけの実力がある。さなぎの期間を経て、蝶は飛び立つんだ。君はこれからさなぎの強さを得ることになるだろう。それまでの受難、それを受け止められるか、否か」

 

 男の言葉はユキナリの心を試しているかのようだった。これからどうするのか。それを決められるのは他ならぬ自分自身だと。ユキナリは問いかける。

 

「でも、僕にもう一度、出来るのでしょうか?」

 

 一度失ったものは二度と取り戻せない気がした。しかし、男は言ってのける。

 

「強さを一番に理解するのに、必要なのは敗北の苦渋、弱さだ。負ける事で成長する。自分の弱さを体感し、行ける道筋を感じ取る。少年、君は今回、その苦渋を噛み締めた。ならば、自分がどこに行けるのか、もう分かっているんじゃないのか」

 

 ユキナリは自身に問いかける。自分はどこまで行けるのか。本当に、なりたいものは何か。ぎゅっと拳を握り締め、ユキナリは自分の言葉で返す。

 

「……僕にも、出来る事がある」

 

「そうとも」

 

 マサラタウンが見えてきた。ユキナリは道案内をするはずの人間に人生の道案内をされた事が気恥ずかしくもあった。

 

「すいません。トキワシティを案内するつもりだったのですが」

 

「いいさ。お陰で私は、人生の袋小路に迷っている一人の少年を助けられた。それだけでも功績だよ」

 

 フッと微笑んでみせる男にユキナリは問いかける。

 

「あなたの、お名前は?」

 

 ここまで自分を導いてくれたのだ。自然とその質問がついて出た。男はしばらく考える仕草をしていたが、「礼儀だな」と懐から名刺を取り出した。

 

「このマークは?」

 

 ユキナリは名刺に刻まれている一文字のアルファベットを見て小首を傾げる。男は、「我が社のシンボルみたいなものでね」と答えた。

 

「近々、その企業を立ち上げようと思っているんだ」

 

 男の言葉に、「じゃあ、あなたはその社長ですか」と尋ねる。後頭部を掻きながら、「恥ずかしながら道も分からぬ社長さ」とはにかんだ。

 

「このマーク、Rのマークですけど、どういう意味ですか?」

 

「まだ明かせない。ただ一つだけ、予言するとすれば、そのマークが世の中を席巻するだろう。近いうちにね」

 

 ユキナリは名刺に刻まれている赤いRの文字を眺めた。血のように赤いRの下に名前が簡潔に印字されている。

 

 キシベ・サトシとあった。

 

「キシベさん、と呼べばいいんですか?」

 

「好きに呼ぶといい。私は何でもいい」

 

 ユキナリはキシベと名乗った男に頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

「何故、礼を言う?」

 

「ちょっとだけ、自分を見失っていましたから」

 

 その言葉にキシベは微笑んだ。

 

「道を見失うのはよくある事。大事なのは道がある事をきちんと知っている事だ。そうでなければ闇に堕ちてしまう」

 

 まるで自身が闇に堕ちたかのような言い草にユキナリは苦笑する。

 

「忠告みたいですね」

 

 キシベは暫時、沈黙を置いてから、「みたいなものかな」と息を漏らした。踵を返し、「私はトキワシティでポケモンリーグを待っている」と告げた。

 

 その背中を眺めているとキシベは不意に肩越しの視線を振り向けた。

 

「君を待つ」

 

 ユキナリは首肯した。

 

「きっと、行きます」

 

 誓いを立てた言葉にキシベは歩き出した。ユキナリもマサラタウンへと向かう。やるべき事はもう決まっていた。

 

 研究所へと転がり込むと、博士はユキナリが来る事を予期していたかのように応接室で待っていた。その隣にはナツキもいる。ナツキは少しばかり顔を伏せていた。昼間の事を悔やんでいるのかもしれない。

 

 博士はスケッチブックの入った鞄を差し出す。

 

「忘れ物だよ」

 

 それを受け取りながら、「それだけじゃないでしょう」とユキナリは言っていた。博士がわざとらしく小首を傾げる。

 

「ナツキ」

 

 呼ぶとナツキは肩を震わせた。言い過ぎた、と思っているのかもしれない。しかし、ユキナリにとってはいい薬だった。

 

「僕と戦って欲しい」

 

 思わぬ言葉にナツキは顔を上げた。博士はユキナリの決意を汲んだのか、「もう一つ、忘れ物があったね」と懐からモンスターボールを取り出す。ユキナリはそれを手にナツキへともう一度宣言した。

 

「二ヵ月後のポケモンリーグで戦えるだけの実力になるために。僕は強くあらねばならない」

 

 ユキナリの言葉にナツキは戸惑いがちに、「そんな、いいの?」と訊いていた。ユキナリは微笑む。

 

「いいのかって、戦わなければ何も掴めないって言ったの、ナツキだろ」

 

「でも、ユキナリには画家の道もあるのに」

 

 ナツキの狼狽を他所に、ユキナリは、「そっちだって戦いだ」と返す。

 

「気づいたんだ。飢えなきゃ勝てないって」

 

 一番道路で燻っている限り、どちらも手に入れる事は出来ない。ナツキはしばらくユキナリを見つめていたが、「キバゴは?」と博士へと確認する声でハッとしたようだ。

 

「回復してある。戦えるよ」

 

「なら、ナツキ。僕はこの二ヶ月で追いつく」

 

 鋭い決意の双眸にナツキはようやく悟ったようだった。伊達でも酔狂でもなく、ユキナリがようやく前に進んだ事を。ナツキは柔らかく笑んだ。

 

「……馬鹿じゃないの」

 

 立ち上がって言い放つ。

 

「二ヶ月であたしとストライクに追いつくって」

 

「馬鹿げているかもね。でも、それくらい現実味のないほうが面白い。それでこそ、夢って奴だろ」

 

 ナツキは本来の調子を取り戻したようだ。腰に手を当てて、「いいわ」と返す。

 

「二ヶ月でどこまで来れるか。見せてもらいましょう」

 

「ニシノモリ博士。お願いがあります」

 

 改まって発した言葉に博士は、「何かな」と応じる。

 

「僕に、ポケモンの基本を教えてください」

 

 今まで無視してきたものだ。それを今さら教えてくれとは虫が良すぎるのかもしれない。そう感じたが、博士は快活な笑いと共にその考えが杞憂だと吹き飛ばす。

 

「よかろう。ただし、二ヶ月の特別授業だ。ハードになるぞ」

 

 ユキナリはナツキと視線を交わし合った。お互いに笑みを浮かべ、ようやく自分のスタートラインに立てたのだとユキナリは実感した。

 

 



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第八話「第一回ポケモンリーグ開催」

 

 影が凝っている。

 

 トキワシティの街の片隅で、彼らは一様に黒装束を纏って集まった。十数人、いるかいないかだが宵闇に紛れているせいで何十人にも感じられる。キシベは視線を巡らせた。人々は皆が鋭い双眸を湛えている。これは野心の光だ、と感じ取る。ここから躍進しようという人間のエネルギーは何よりも人の意思を爆発させる。

 

 先ほどの少年とて例外ではない。名前を聞きそびれたがいずれ出会う事もあるだろう。彼には素質があった。ポケモンを操り、人間の心をも超越する何か。それは指導者に通ずるものだろう。今はまだ小さな芽だがやがて大きなうねりに関わる事になるのだと確信する。

 

「揃ったか」

 

 ゆらり、と傾ぐ影達にキシベは声をかける。トキワシティの外れなので潜めたような声は聞きとがめられる事はない。

 

「――是」

 

 空間を鳴動させるような肯定の声にキシベは満足そうに瞳を閉じた。これが次の世代へのうねりとなる。それが胸の中で感じ取れる。

 

「今はまだ、シルフの抱えている小さな組織だ。だが、これがやがて大きな、この国を次のステージへと移行させる力になると、私は期待している」

 

 シルフカンパニーは今回のポケモンリーグの出資者の一つでもある。影の人々は左胸の前で拳を作って固めた。キシベも直立姿勢で左胸に拳を当てる。その下には「R」の赤いバッジがあった。

 

「我ら、ロケット団のために。その御身があらん事を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『第一回、ポケモンリーグ。開催当日の朝の様子です。これは開催地、トキワシティの映像です』

 

 レポーターの声と共にカメラが移動し、並び立つ人々を映し出す。その映像は所々に備え付けられた定点テレビにも映し出されていた。実用化されたばかりでまだ家庭には普及していないカラーテレビの映像に誰もが足を止める。そんな中、早足で向かう影があった。

 

「……全く、ぎりぎりまで特訓してるから」

 

 人影のうち、少女のほうがぼやく。それを先導する少年の影が、「しょうがないだろ」と応じた。

 

「キバゴを万全の状態にしたい。そのために苦労を惜しまないって決めたのはナツキじゃないか」

 

 ユキナリは早足で開場ブロックへと向かう。事前に申請しておいたポケモンの個体情報と個人識別のトレーナーカード。それを開場時刻である八時までに届け出なければならない。

 

「だからって、夜遅くまでの特訓は堪えるわ。まだ眠い……」

 

 ナツキは目を擦りながら首を横に振る。ユキナリはナツキの手を引いて、「来いって」と言った。

 

「そんな足取りじゃよろけてしまう」

 

「分かってるってばぁ。でも、眠いんだって」

 

 ナツキがだらしなく欠伸を漏らす。「ああ、もう!」とユキナリが焦れた声を出した。

 

「早くしないと開場する」

 

 ユキナリは受付につくなり、トレーナーカードを差し出した。受付嬢は確認する。

 

「オーキド・ユキナリ様で間違いないですか?」

 

「あと、あたしも」

 

 ナツキのトレーナーカードの確認も終え、今度はポケモンの個体識別に入った。モンスターボールを機械の窪みに入れると自動的に個体識別IDと呼ばれる番号を振られるらしい。番号の一致を確認してから受付嬢が微笑む。

 

「では、最大の健闘を」

 

 ユキナリは周囲を見渡した。仮設テントや露店などでトキワシティは一ヶ月前から大賑わいを見せている。毎日が祭りのようなものなので特需が上がり、カントーの株価も上昇しているらしい。めいめいにモンスターボールを持った人々が目に入る。これから、何十人いるか分からない人々と戦うのだ。そう考えると足が竦むと同時に、血が沸き上がるのを感じた。自分の中で育ち上がった闘争の遺伝子が戦いを望んでいる。二ヶ月で仕立て上げた因子だが、ユキナリにはこれまでと世界が違って見えるようになったのは確かだ。

 

「ナツキ」

 

 ユキナリの声にナツキは、「うん?」と応じる。

 

「二ヶ月間、僕に付き合ってくれてありがとう」

 

 素直な感謝の気持ちに、「当たり前でしょ、幼馴染なんだから」とナツキは顔を背けた。少し照れているのかもしれない。

 

「でも、負けない。僕だって中途半端で終わる気はない」

 

 ユキナリの戦意を感じ取ったようにナツキも微笑んだ。

 

「あたしだって。ユキナリなんかには遅れを取らない」

 

 勝気な言葉にユキナリは拳を突き出す。ナツキも拳を差し出してコツンと押し当てた。この二ヶ月で幾度となく繰り返したお互いの闘志を確認する挨拶だ。

 

『間もなく、第一回ポケモンリーグが開催されます! 出場選手は登録番号のブロックへと移動をお願いします!』

 

 

 

第一章了

 



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開幕の章
第九話「隔絶」


 

 大きな動きはない。

 

 カンザキは窓辺から窺える仮面の少年少女を視界に入れる。今日まで、彼らが大きく何かを行った形跡はなかった。だが、油断は出来ない、とカンザキは強く感じている。それは彼らが全くの無害となった、というわけでは決してないのだ。

 

「……いや、そもそも害悪なのか」

 

 問いかけてみても答えは出ない。仮面の人々に関する出自をカンザキは洗おうとしたが、頑なに人々は口を閉ざし、「あれには関わらないほうがいい」という意味深な言葉を吐いてカンザキの視界から消えていった。

 

 カンザキは時折、あの仮面の人々がカントーにとって何の災厄でもなく、むしろあらねばならぬ存在なのではないかと考える事もあったが、それにしては不穏分子という意味合いを含んでいる。第一回ポケモンリーグを取り仕切るに当たり、彼らの存在は特に大きかったわけではない。むしろ、ほとんどの介入はなかった。カンザキと他数名の重役で決められる会議にも彼らは出席しない。しかし、王の崩御の時、彼らは一番にそれを伝えに来た。カンザキは全くの無関係ではないと感じていた。

 

「王の死。その直接の原因ならば……」

 

 ならば、どうするというのだ。結びかけた言葉が霧散する。王のために、今さら義憤の徒にでもなろうというのか。馬鹿な。最早後には退けぬのはカンザキとて同じだ。

 

 暮れかけた夕日がセキエイ高原を照らし出す。セキエイ高原の表す色は石英、つまりは無色透明。その色は時勢や人間によって左右される。斜陽の時にあるのならば、その身を赤く染め、宵闇の中にあるのならば青く横たえ、真昼の陽射しの下にあれば、その身は照り輝く。

 

 まさに千差万別。あらゆる色合いを含むのがセキエイという場所であり、同時に、王の存在が不可欠であったのもここならば頷ける。カントーの民の間にはまだ王の不在は大きな隔たりとして介在していないかもしれない。だが、いずれはこの喪失感をカントーの民草が受ける事になるのだ。

 

 カンザキはセキエイ高原の地にてそれを感じていた。大きな虚無。喪失の苦しみ。どうとでも言い換えられるが、重要なのはその感傷をカントーの民が味わってはならない。そのためのポケモンリーグだ。カンザキは執務机にある電話を手に取った。自然と繋げる相手は決まっていた。念のため秘匿回線に紛れ込ませ、カンザキは数回コールする。すると、相手が出た。

 

『はい』

 

「私だ。カンザキだ」

 

 電話口の相手はさして驚くでもなくむしろ当然のようにその声を受け容れる。

 

『そろそろ来るのだと思っていましたよ』

 

「ヤグルマ記者。ついに明日に迫ったポケモンリーグ開催。どうなっている?」

 

『どうって言うと、随分と慌しい、というのが本音ですが……。ああ、今デスクなんでちょっと外しますね』

 

「頼むよ」

 

 カンザキはヤグルマが歩きながら話すつもりなのだと感じ取った。誰かに聞きとがめられれば、というのがあるのだろう。

 

『カンザキ執行官。集められるだけの資料を集めました。そこで得た私の推論なんですが、やはりきな臭いですよ。仮面の人々はね』

 

 ヤグルマが自分に得られない情報を得るのは難しい事ではないと考えていた。元より、自分に接触してきた男の腹など知れたものではないが、それだけのコネクションを瞬時に持ちえる人間ならば蜘蛛の巣のようにネットワークがあっても不思議はない。

 

「私は全くの無駄だった。この二ヶ月、手を尽くしたつもりだったが、情報はほとんど手に入らなかった」

 

 その言葉すらブラフの可能性はある。それを汲んだのか、『情報は手に入った速度ではないです』とヤグルマが返した。

 

『正確さと速さ、両方を備えていなければガセだって情報として機能する。カンザキ執行官、あなたに求められているのは正確さ。私の場合は速さです。一人では決して、この闇を掻いていく事は出来ない』

 

 それは暗に共存関係がうまくいっていると言いたいのか。カンザキの考えを他所に、『あらゆる方面の専門家と、私は話しています』とヤグルマは続けた。

 

「専門家……」

 

 二ヶ月前に情報を盗み見ようとした知り合いの事も含んでいるのだろうか。カンザキは独自の線を持ってヤグルマの事も内偵した。その結果、彼に協力者が複数いる事は確定したのだが、その協力者そのものが点在しており、今回のポケモンリーグ参加者、という人間も少なくない。カンザキはここであえて鎌をかけてみる事にした。

 

「マサキ、という人間の事か?」

 

 協力者の一人として炙り出せた名前だが、それ以外の素性は一切不明。タマムシ大学出の人間である、という部分程度しか知らない。しかし、ヤグルマは感嘆したように声を上げた。

 

『へぇ。調べられたので?』

 

「随分と親しいようだ」

 

 手元にあるのはマサキとヤグルマとの通信記録だ。しかし、これはただの記録であって、何を話されたのか、何の情報が交換されたのかに関しては依然、謎のままだ。

 

 自分の放ったカードにどう対応するか。カンザキはその動きからヤグルマという男の本質を探ろうとしていたが次には発せられたのは意外な声だった。

 

『マサキは私の親友です。今回、最も信頼を寄せている人物。情報戦において彼に勝る人材はいない』

 

 なんと、ヤグルマは自分からマサキとの関係を話し始めた。しかし、これはヤグルマからしてみれば策の一つなのだと、カンザキは早々に実感した。こちらにマサキとヤグルマを追い詰める決定的なカードがない以上、話された内容が全てだ。ここからさらに探りを入れれば、こちらの持っている情報量が分かる。逆にそれ以上探りを入れられなければ、こちらの持っているのはその程度だと判断がつけられる。やられた、とカンザキは思うと同時に食えない男だと痛感した。

 

『マサキは今回のポケモンリーグには不参加ですが、彼はシルフカンパニーにも顔が利く。裏方としては会う機会もあるでしょう』

 

 ヤグルマはあえて開示した情報によって、自分の安全は確定されたと宣言しているようなものだ。同時に自分とヤグルマの密談はそこまでなのであって、マサキとやらと他の協力者に関して自分の差し挟む口はない。

 

「なるほどな。では、一つ。君の見解を聞きたいんだが」

 

 カンザキは執務椅子に座って話題の矛先を変えた。

 

『なんでしょう?』

 

「今回のポケモンリーグ、勝つ見込みのある人間は絞れたか」

 

『それは、王の資質のある人間は、という事ですかね』

 

 沈黙を是とすると潜めたような笑い声が聞こえてきた。眉をひそめていると、『失敬』とヤグルマが返す。

 

『優勝候補の選出はそちらの専売特許でしょう。私に聞くのはいささか筋違いかと存じますが』

 

 確かに二ヶ月前に発表した優勝候補の名はある。だが、カンザキはその質問を重ねた。

 

「二ヶ月で、随分と参加状況が変わった。百人集まればいいほうだと考えていたのがその倍、二百人は下らない。私はこの大会の遅延だけはあってはならないと感じているが、場合と状況によっては挑戦者の選定をしなければいけないかもしれない」

 

『挑むに値する者達か、どうかですか』

 

 こちらの思考の先を読んだような言い草に苦笑しつつ、「別に君に頼もうというのではないよ」と応じる事が出来た。

 

「二百人は確かに多い。だが、その中に王の資質を持つ人間がいるかもしれない事もまた、確かなのだ」

 

『リーグルールに関しては』

 

「ああ。君がシルフカンパニーやデボンに技術提供でもしたのか? 試作型だが、この二ヶ月で一万台以上のポケギアが発売され民間に渡った」

 

 二ヶ月前に民間にはまだ渡っていないと言われたものが発売もされればカンザキとて焦る。しかし、当の本人であるヤグルマは涼しげな様子だった。

 

『あれは私の物というわけではない。簡潔に言えば開発者がそれの必要性に駆られたから世に出したんでしょう。本来なら、あと三年は世間に知れ渡らないはずでしたが、参加者が膨れ上がったのならば持っていなければ不都合です』

 

 ポケモンリーグのルールを施行するに当たり、ポケギアの携帯は必須になった。それによって二百人の参加者を纏め上げるルールが完成したのだ。

 

「君の差し金ではないと、私は判断すればいいのかね」

 

『差し金、というのは不穏な言い草です。あれは世に出るべくして出た。そう考えてください』

 

 妙な勘繰りは毒だと言われているようなものだ。カンザキは薮蛇になる可能性もあると早々にその話題を仕舞った。

 

「そうだな。私としても明日の荷が重いと感じる。執行官という立場は伊達ではない」

 

『ポケモンリーグは何が起こるか分かりません。明日からこそ、連絡を密に取り合う必要に迫られます』

 

 ヤグルマの言葉にその通りだ、とカンザキは感じる一方、ここまで一参加者、あるいは一記者に傾倒するのはまずいのではないのかという危惧もあった。彼が安全だとは、誰も保障していないのだ。ただ、仮面の人々も含め、今回のポケモンリーグ、分からぬ事が多い。その闇を引っぺがすために協力関係を仰いでいるに過ぎない。そう考えるのが精神衛生上、いいような気がした。

 

「そうだな。今日はこの辺にしよう。ちなみに聞くが君のポケギア、通信履歴からは」

 

『言わずもがなでしょう。履歴は全く残りません』

 

「助かるよ」とカンザキは言い残して通話を切った。自分はヤグルマに踊らされているのかもしれない。いいように駒として扱われ、最後には責任を取らされる可能性もある。だが、その時には一緒に引っ張り込んでやるくらいの気概はあった。闇に堕ちるのならばせめて巻き添えにする。カンザキ自身に義憤の炎があるわけではなかったが、自分が悪と結託しているわけではないという逃げ道はない。ヤグルマは善か悪か。その本質を見極めるにはまだ早い。

 

 ノックの音が聞こえ、カンザキは思考を中断した。「入れ」と促すと青いコートに身を包んだヤナギが恭しく頭を下げた。

 

「ヤナギか」

 

「ご多忙のところすいません。父上」

 

 ここ最近、ヤナギにもまともに構っていられない。母親は神経衰弱のために故郷であるジョウトに帰したがヤナギは今回のポケモンリーグへの参加を強く希望し、カントーの地に居残った。しかし、大会主催者が参加者を擁立する事はいい方向には転がらないだろう、という配慮により、この二ヶ月ほとんど会わない生活が続いていた。ヤナギ自身はポケモンと己を鍛えるためにはちょうどいいと受け容れたが、年頃の息子と全く話す事なく、距離ばかりが募っていくのはカンザキの胸にもあった。

 

「何の用だ。言っておくが、こんなところを誰かに見られればいい心象は持たれないぞ」

 

 何よりもヤナギのために口にした事だが、改めてみると自分のために言い繕ったように思える台詞だった。しかしヤナギは頭を下げて従順にカンザキの言葉に従う。

 

「分かっております。ただ一言だけ、言いに来て参りました」

 

「何だ」

 

 急かす声はヤナギを必要としていないようにも聞こえるかもしれない。だが、それは何よりもヤナギのためなのだ。息子の未来を閉ざす可能性を親が持ってどうする。自分の穢れは自分のものとして処理する。それが大人のけじめというものだ。

 

「勝ち抜き、俺が王になります。それだけを言いに来ました」

 

 本当に、その一言だけを、か。と問い返しそうになったほど簡素な声だった。自分の息子が急に他人のように感じられた瞬間にカンザキは狼狽の声を出す前にヤナギは身を翻した。

 

「それだけです。では」

 

 閉められていく扉の向こうのヤナギの表情は窺い知れなかった。何か、決定的な断絶が親子の間に横たわったような気がしたが、それを確認する前に扉は無常にも閉ざされた。

 

 



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第十話「氷の少年」

 

 本当に、それだけのつもりだった。

 

 余計な事を言えば嫌われる、という意識もあったのかもしれないが自分にとってそのような女々しい意識は希薄だろうと冷静に分析する。自分はただ勝てばいい。父親もそれを望んでいるはずだ。ジョウトの地に戻された母親も、同じであろう。

 

 ヤナギは左手に備えたポケギアを見やる。お陰で母親との会話も容易に出来るようになった。この開発に感謝はしたが、同時にこれがポケモンリーグ参加トレーナー必須アイテムとして登録された事で、恩恵の道具は忌むべき対象にもなった。母親と話せる便利な道具だとただ単純に思えるのならばどれほど楽か。これは首輪だ、とヤナギは感じていた。恐らくはポケモントレーナーを監視するための。このポケモンリーグという歯車を潤滑に回すための。

 

 舌打ちを漏らし、ヤナギはセキエイ高原の壁を殴りつけた。収まらない噴煙のような燻りが自分の中にある。この燻りを解消せねば。そう感じていると手前から誰かが歩いてくるのが気配で伝わった。覚えず壁際に身体を寄せてやり過ごそうとする。父親と会話していた事がばれればお互いに動き難いだろう、と判じたからだった。大人達は何かしら言葉を交わしている。その中の断片的情報だけが耳に入った。

 

「……実戦投入は危険ではないか?」

 

「何を言う。……は実戦を経て完成する」

 

「しかし、……メンタルバランスが不安定だ。改良と改善を施さなくては」

 

「もう猶予はない」

 

 一際通る声はヤナギにも聞き覚えがあった。キクコやその他の仮面の少年少女達を管理していた「先生」と呼ばれる女性の声だ。どうしてこんなところで、と思う間に、「やらねばならぬ」と先生は告げた。

 

「それが我らの悲願ならば」

 

 その意味するところはヤナギには全く分からなかった。ただ正体不明の焦燥に駆られた。彼らが通り過ぎてからヤナギはいつもの道を駆け抜けた。一刻も早く、顔を見たい。その一心で、ヤナギは中庭に出る。そこには灰色の髪の少女が仮面を被って編み物をしていた。ヤナギが歩み出るとその気配を察したのか少女はハッとしてこちらを振り返る。

 

「ヤナギ君」

 

 控えめな声にヤナギは安堵する胸の内を感じた。会わねば、と思っていたのだ。

 

「キクコ」

 

 その名を呼ぶとキクコは仮面をずらして顔を見せた。どこか気後れしたように微笑む。ヤナギはキクコの手にある編み物を見やった。

 

「それは?」

 

 尋ねるとキクコは慌ててそれを背中に隠した。何なのだろう、と感じていると、「内緒だから」とキクコは上ずった声を出す。

 

「内緒?」

 

「だって、ヤナギ君に内緒で作っていたのに。そんな、ばれちゃうなんて……」

 

 後悔を滲ませた声にどういう事だろうとヤナギは思っているとキクコは顔を伏せて紅潮した。何か悪い事でもしただろうか。

 

「キクコ?」

 

「そのっ……、これっ!」

 

 キクコは編み物を思い切ったようにヤナギへと差し出す。それは白色のマフラーだった。ぽかんとしているとキクコは早口で言った。

 

「その、下手だけど、作ったの。ヤナギ君、いつも寒そうだけれど、マフラーはしていないから、持っていないのかなって思って。でも、下手だから! 本当、下手だから! いらないかもしれないけれど」

 

 キクコは何度か頭を振って、「ゴメン、やっぱり……」と仕舞おうとした。その手をヤナギは握る。キクコはハッとしたように顔を上げた。

 

「いらないわけないだろう。ありがとう、キクコ」

 

 ヤナギの柔らかな声音にキクコは安堵したのか、瞳を潤ませる。「泣くなって」とヤナギはおどける声を出した。

 

「そんな大層な事じゃないだろ」

 

 いや、キクコにとっては一大決心だったのかもしれない。だがヤナギは純粋に嬉しかった。キクコが自分のために何かをしてくれた事が。同時にヤナギは確認していた。キクコの両手にはポケギアはない。どうやら杞憂だったようだ、と自らの急いた思考をいさめる。そもそも、どうしてキクコがそのような対象になるのか。彼女のポケモンは――。

 

「ねぇ、ヤナギ君。手首、掴みっ放し……」

 

 恥らう素振りを見せたキクコにヤナギまで釣られて赤くなってしまう。「ご、ごめん」と手を離してしまうが、微妙な距離感が開いてしまい次の言葉が発しづらくなった。

 

 どうするべきか、と沈黙を繰っていると、「つけてみて」とキクコが何の打算もない声を発する。ヤナギは手にあるマフラーに視線を落とし、自分の首もとに巻いてみた。キクコが手を叩く。

 

「やっぱり! 似合う!」

 

 ヤナギは自分の身の丈ほどもあるマフラーの全長に辟易していたが表情には出さなかった。キクコが一生懸命作ってくれたのだ。

 

「ありがとう」

 

 こちらも打算のない感謝を述べるとキクコは、「変だったら言ってね」ともじもじした。

 

「もし、肌触りが悪いとか、編み加減がおかしいとかあったら」

 

「大丈夫だよ。見ての通り、ぴったりだ」

 

 ヤナギの発した言葉にキクコは安心したようだ。ヤナギもまた、キクコへと尋ねる事があったのだが今は保留にしておいた。ポケモンリーグに参加しないのならば勘繰る事でもない。

 

「キクコ。俺は、王になる」

 

 改めてキクコの前で宣言したかった。キクコはその意味を解していないようだ。少しばかりきょとんとしている。良くも悪くも浮世離れしているのがキクコという少女だった。

 

「王になって、その時に迎えに来るよ」

 

 このちっぽけな中庭から。ヤナギは空を仰ぐ。閉ざされたような中庭から望める暮れかけた空は狭い。キクコにはもっと大きな空を見せてやりたい。そのために自分は戦う。自分の理由なんてその程度でいい。

 

 キクコは意味が分かっていないのか小首を傾げる。「いずれ分かるさ」とヤナギは頷いた。キクコも、「うん」と微笑む。

 

「マフラーありがとう。大切にするよ」

 

 ヤナギはそう言い置いてキクコの下を離れた。また一緒にいれば「先生」に咎められるかもしれないからだ。

 

 ヤナギはセキエイ高原から出ているバスに乗車し、トキワシティに向かった。トキワシティにはこの二ヶ月で新たに設営された選手村が栄えている。いつでも昼間のお祭り騒ぎが繰り広げられていた。殊に今夜は前夜祭が催されるだろう。人々の熱狂は最高潮に達するに違いない。ヤナギはどこか醒めた頭でそれを考えていた。

 

 自分には人々の営みなど関係がない。ただ聳え立つ敵を討てばいい。自分とキクコの未来のために。他はいらないと断じられる強さがあった。

 

 ヤナギはトキワシティの選手村にある自室へと戻ろうとした。その背中へと声がかかる。

 

「よう、ボウズ」

 

 振り返ると前夜祭だからか、顔を赤らめた男達が歩み寄ってくる。三人の屈強な男はモンスターボールを携えていた。つまりは参加者だ。

 

「何か?」

 

 ヤナギが冷静に声を返すので男の一人が、「カッチョイーねー」と囃し立てる。

 

「参加者だろ。ちょっと金貸してくれよ」

 

 トキワシティに集まる参加者は皆、多かれ少なかれ金を持っている。それは暗黙の了解であった。参加費がまず高いためにある程度の富裕層が参加する事は想像に難くない。

 

 ヤナギは無言を返した。それが気に入らなかったのか男は頤を突き出す。

 

「おい」

 

 低く押し殺した声にもう二人がヤナギの道を遮るように立った。ヤナギはため息混じりに口にする。

 

「何の真似だ?」

 

「何の真似もあるかよ。金出せって言ってんだろ」

 

 男の口調が乱暴になった。ヤナギはフッと口元に笑みを浮かべる。「何がおかしい!」と男達がいきり立った。

 

「低俗なサル共が。そう青筋を立てるな。底が知れるぞ」

 

 ヤナギの思わぬ言葉に男は酒で赤らんだ顔をさらに赤くした。モンスターボールのホルスターへと二人が手を伸ばす。「運の尽き、って奴だぜ。ボウズ」と男が懐からナイフを取り出した。

 

「明日の参加を前にして、どうやら出場辞退みたいだなぁ」

 

 ナイフが掲げられ銀色の輝きが視界に入る。しかしヤナギは冷静に事を俯瞰していた。

 

「そうだな。少なくとも」

 

 ヤナギが男達を指差す。「三人は」と告げられた言葉に男達が呆然とした。

 

「三人の出場枠が失われるのはもったいないな。それだけ欲しいものが買えたというのに」

 

「ガキぃ!」

 

 ナイフの男が掴みかかってくる。その手がマフラーに触れた瞬間、ヤナギは怒りを露にした。

 

「汚らわしい手で、このマフラーを掴むんじゃない!」

 

 振り払い様にヤナギはモンスターボールを突き出す。その威容に一瞬だけ男達がたじろいだが、「なんて事はねぇ」とせせら笑った。

 

「どうせ、てめぇみたいなのは最初のほうでリタイヤする底の浅いポケモンだろうがよぉ。親の威光で出てるんだかしらねぇが」

 

「そう思うのならば、こいつの一撃を受けてみろ」

 

 ヤナギは親指と人差し指を使い、ボール上部のネジを回転させる。緩まったボールから圧縮された蒸気が噴出し、その場にポケモンが現れた。男達が息を呑む。その視界の先にいたのは――あまりにも小さいポケモンだった。

 

 足首までもない大きさで、茶色い毛むくじゃらのポケモンである。小さな糸目と豚鼻を有しており、足も未発達に映った。男は一瞬でも緊張状態に置かれた自分達を嘲るように、「何だ、そのポケモン」と笑みを交わし合った。

 

「ちっちぇえ奴だな。そんなので俺達のポケモンを出すまでもねぇ。ガキ。金を出しな」

 

 男が再びナイフを掲げようとするが、その刃先から凍てついた空気が噴き出した。「何を――!」と男が声に出す前にナイフを掴んだ手が凍結した。一瞬にしてナイフと手が氷によって括りつけられる。男が瞠目している間にヤナギはにたりと笑みを浮かべた。

 

「瞬間冷却、レベル1」

 

「何をしやがった!」

 

 後ろの二人がヤナギを組み伏せようとする。しかし、それが果たされる前に指先から血色が失われた。手を覆った侵食は腕から血の気を奪い、茶色く変色していく。ヤナギの肩を掴もうとした指は、ぼろぼろと崩れ落ちた。その事実に男達は歴然とする。

 

「血液凍結、レベル1。お前らにはレベル1の凍結精度で充分だな」

 

 ヤナギが顎をしゃくり、「そのナイフ」と口にした。今、この場で未だ両手が健在なのはナイフの男だけだ。

 

「今すぐ病院に行け。そうすれば凍傷も酷くはならない」

 

 その言葉に男は逆上してナイフを振り上げる。

 

「嘗めんな、ガキが!」

 

「――やれやれ。それでも愚を犯すか。一つ、伝え忘れていたが」

 

 ヤナギが指を立てると男の凍てついた手が振るわれた傍から剥がれ落ちた。ナイフをヤナギに突き立てるかに思われた男は自らの手が崩壊した事に狼狽を隠せないようである。何度か声にならない悲鳴を上げていると、「凍てついた体温は錯覚する」とヤナギが冷徹に告げる。

 

「まだ動くのか、動かないのか、その境目が分からなくなる。自分でも無意識のうちに組織の崩壊を早めている場合がある。そして今、お前は動かない、いわば氷の彫刻と化した腕を力一杯振るったわけだ。極度の低温に晒された人体はすぐに壊死する。それを俺のポケモンが皮一枚で防いでいたのだが、その必要はないらしい」

 

 男はナイフを持っていた腕だけではない、身体中の感覚器の麻痺についていけないようだ。血走った眼で男がヤナギを見つめる。その瞳孔が収縮し、瞬く間に凍り付いていく。

 

「既にお前らは氷の虜にある。――凍てて死ね」

 

 ヤナギが指を鳴らすと、男達はその場に膝をついて倒れた。ヤナギはポケモンをボールに戻す。余計な時間を食ってしまった。ヤナギは何食わぬ顔で選手村にある宿舎へと向かう道を歩いていった。

 

 



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第十一話「スタート」

 

 個体識別番号、というものは振られているのは妙な感覚だ、とナツキは口にした。

 

「何で?」

 

 ユキナリが問い返すと、「だって」とナツキはホルスターのモンスターボールに手をやった。

 

「ストライクは何体も野生にいるのに、あたしだけのポケモンって言うのが」

 

「いいんじゃないの?」

 

「何か妙なのよ」

 

 ナツキは腕を組んで怪訝そうにする。テクノロジーに慣れていないだけだろう、とユキナリは言い返そうと思ったが、ナツキは抗弁の口を開くに決まっているので黙っておく。

 

 ユキナリの視界には今回のポケモンリーグに集まった選手達が映っていた。誰もがホルスターにモンスターボールを携えている。視界に入るだけでも百人はいると思える参加者にユキナリは緊張で乾いた喉へと唾を飲み下す。

 

「こんなにいるのか……」

 

「あたしも、ちょっと意外。今回のポケモンリーグ、色んな地方からの参加者を募っているって話だけれど、トキワシティがパンクするわ」

 

 その言い回しは言いえて妙だ。トキワシティの敷地を様々な人種の人々が行き交うのはどこか遊離して見える。

 

 ユキナリは無意識に二ヶ月前に出会った男を目線で探していた。確か参加者だと言っていたが。

 

「きょろきょろしていると、おのぼりさんみたいよ」

 

 ナツキの指摘に、「実際、そうなんだし」と返す。ユキナリもナツキも、用のない限りはトキワシティより都会には出ない。その都会が人混みでごった返すとなれば一大事である。

 

『参加選手は手持ちの個体識別とトレーナーカードの提示を行ってください! 受付はあと十分で閉じます!』

 

 ほとんど悲鳴に近いアナウンスの声だった。あと十分で開会、となれば人々もいよいよ賑わってくる。中には応援目的で駆けつけたギャラリーもいるが、参加者とギャラリーは黄色いロープで区切られていた。ユキナリはポケモンリーグ開催に当たって配布された端末に視線を落とす。左手に時計を模したポケギアと呼ばれる端末があった。事前に説明されたルールによって必要不可欠とされた道具だ。選手は皆、これをつけていなければならない。

 

「このポケギアって開発されたばかりの技術なのに、トレーナーなら無償貸与って気前いいわよね」

 

 ナツキがまだポケギアの扱いになれていないのか悪戦苦闘しながら呟く。ユキナリは既にラジオ機能や通話機能など様々な機能がある事を確認済みだった。

 

『これより、開会式に当たって、楽団の演奏と大会のシンボルであるモンスターボールのデザインを提供したシルフカンパニー社の祝辞、及び多くの方々の祝電が――』

 

 どうやらそろそろ開会らしい。ユキナリは舞台に上がる一人の男を見やった。髪に白いものが混じっているがまだ博士と同い年くらいだろう。何度もテレビで目にしたので知っている。

 

「カンザキ執行官だ」

 

 このポケモンリーグを取り仕切る人間。彼がマイクスタンドの前に立つと先ほどまでの騒音が嘘のように静まり返った。皆がこの歴史的瞬間に息を呑んでいる。カンザキは短い挨拶を述べた後、手を差し出した。何をするのかと思えば彼の背後には巨大な玉座が控えていた。黄金の彩をされた玉座の威容に人々が感嘆する。

 

「これこそが! セキエイ高原の玉座であります! この玉座の黄金の輝きは皆様の闘志の輝きでもある。その輝きを、どうか最後の最後まで持っていただきたい! その闘志を持つ者こそが新たなる時代の王に相応しいからです!」

 

 その言葉に呼応するように人々の中から雄叫びが上がった。優勝候補と目された人々が入場してくる。ヒーローは遅れて登場するものとでも言いたげに、彼らは群衆に手を振った。

 

『デボンの御曹司、ツワブキ・ダイゴの登場だ! その後ろにはシロナ・カンナギの姿もあります!』

 

 銀色の髪と瞳をした青年が手を振っている。シロナ、と呼ばれた女性は無愛想に通り抜けていく。

 

『イッシュの異端児、アデクだ! ジョウトのイブキもそれに続きます! カントーの新鋭、サカキは颯爽と登場!』

 

 赤い髪の青年は笑みを振りまきながら入場する。肌が茶褐色で荒らしい顔立ちである。先住民の末裔という情報は嘘ではなさそうだ。マントを翻して水色の髪を結った少女がピンヒールをつかつかと音を立てさせて入ってくる。その後ろにはあまり目立たないが涼しい目元の少年が続いた。

 

『全選手、スターティングポジションへと移行してください』

 

 アナウンスの声にユキナリは自分のID下三桁と一致するグリッドの中へと入った。ナツキは少し離れたところからのスタートとなるがいずれ合流するだろう。今は、とユキナリはトキワシティから真っ直ぐ北に向かう道を見据えた。

 

『モンスターボールからポケモンを出すのはスタートの花火が上がってからお願いします。スタート、二分前』

 

 スタートの花火、それを待っていながらユキナリはモンスターボールに触れた。この二ヶ月、やれる事はやった。後は自分の実力がどれほどまでに及ぶのか、それを確認するまでだ。

 

 アナウンスの声がその思考を遮る。

 

『第一回ポケモンリーグ、スタート時刻です!』

 

 



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第十二話「開幕」

 

 カンザキは記者団と出資者達を連れ立って、トキワシティから別ルートを辿る列車に呼び寄せていた。トキワシティからニビシティまでにはトキワの森と呼ばれる森林地帯がある。その場所を何の武装もしていない彼らが渡るのには危険過ぎる。街と街の間に特別に設えられた列車が行き交うのだ。

 

「さぁ、皆様方。どうぞ列車にて特別席をご用意しております。今回のポケモンリーグ、快適な旅をお約束いたします」

 

 列車に乗り込んでいく記者の中にカンザキはヤグルマの姿を見つけたがあえて声をかける事はなかった。向こうも心得ているのか、特別な視線を送る事もない。

 

 カンザキが乗り込むと同時にスタートの花火が上がった。黒い波のような人々のうねりがトキワシティから一本の道へと雪崩れ込んでいく。見た事のない、まさしく前人未踏の光景に記者達は息を呑んだ。

 

「ここで記者の方々にポケモンリーグのルール確認を行わせていただきます」

 

 カンザキの声に記者達は素早くメモ帳を構えた。

 

「このポケモンリーグは加算ポイント制。チェックポイントを通過する事によって得られるポイントと基本ポイント3000点、それにバッジを得る事によるボーナスポイント、それらの集計によってセキエイ高原に帰ってきた時の優劣が決定いたします」

 

 これはテレビで何度も口にした内容だったが、改めて説明する必要があるだろうと感じていた。何故ならばいくら言葉を重ねようとも、実際にやってみるまでは全くの謎だからだ。

 

「ポイントの交換、及び譲渡は参加者が持つポケギアで行われます。ポケギアを必須の道具としたのはこれが理由です。また各種施設の利用にはトレーナーカードと事前に申請した個体識別番号が必要になります。ポケモン識別番号はデボン社の技術ですが、今回は公用として全ポケモンに適応しました。今大会でポケモンの交換は可能ですが、それは所持ポケモン同士の交換のみ。つまり、新しくポケモンを捕まえたり、識別番号外のポケモンを使ったりする事は不可能です。ただし例外としてポケモンが深刻な戦闘不能に陥った場合、トレーナーが無事ならば捕獲あるいは譲渡によって復帰が認められます」

 

 もっとも、そのような状況に陥ればまずポイントを奪われ、一文無しになる事は確実だったが。

 

 記者の一人が手を挙げた。秘書が、「どうぞ」と促す。

 

「そうなってくると、初期値の弱いポケモンは不利ですよね。必然的に高個体値が生き残る事になる」

 

「必ずしもそうはならない。たとえば、あえて戦わせずチェックポイントの通過のみを狙う選手だって出てくるだろう。あるいは戦わせて研磨させ、弱いポケモンでもそれなりに強く育て上げる事が可能だ。私は弱いポケモンを使っているからと言って、最終的にそれが優劣に繋がるとは考えていない」

 

 カンザキの言葉に、「ポイント制ですが」と質問が飛んだ。

 

「チェックポイント通過、及びジムバッジの所得は何ポイントですか?」

 

「いい質問だ。チェックポイントの通過は加算1000ポイント。ジムバッジ取得はバッジの種類によるが最初のジム、ニビジムでも3000ポイントである」

 

「それはつまり」

 

「そう、圧倒的にチェックポイントとジムバッジは取ったほうが有利に働く。二ヶ月前にただセキエイを目指すだけで得られるものはないと言った意味が分かったかな」

 

「トレーナー同士の戦闘におけるポイントの譲渡や交換はあるのですか」

 

「ああ、認めたよ。基本的にはポケモン勝負で勝った者に支払うのは持ちポイントの四分の一。ポケモン勝負で地道にポイントを稼ぐのもありだが、どちらにせよ、ポケモンは育てなければならないな」

 

 つまりこの勝負、最初から逃げ腰の人間には不向きだという事が伝わっただろう。記者は、「ジムトレーナー、ジムリーダーにも同等の権利があるとの事でしたよね」と確認する。

 

「そうなってくると、彼らは遠くの街であるほどに最初の街から出発した者とのポイント格差が生まれるのでは?」

 

「いいや、そうならないために彼らの持ち点は多くしてある。それに彼らはいわばシンボルエンカウント。挑戦者に敗北しなければ動けないシステムなのだから何も贔屓は発生しないだろう」

 

「ジムバッジは一人一つですよね? だとすればジムバッジの争奪戦が起こる可能性は?」

 

「視野に入れている。だが、そんな事をしている間に、次のジムバッジを取るために動くのが賢明に感じるが違うかな?」

 

 どのように優先順位を置くかは参加者の自由。つまりこの大会は何が起こっても不思議ではない。

 

 何に重要度を置くかは人次第。この大会で弱者を潰す事に快感を覚える人間もいるだろうし、強者へと立ち向かう事こそが美徳だと考える者もいるだろう。それらの考えを抑圧する事は出来ない。ただ出来るだけ前に進む原動力としてポイント制を導入しただけだ。

 

『おおっと! トキワの森へと向かう一本道を他にはない速度で突っ切っていく人影がある!』

 

 アナウンスの声に記者とカンザキは同時に目を向けた。双眼鏡を構える彼らの視界に映ったのはポケモンに騎乗する人々だ。その中でも炎の馬に乗った人間が飛び抜けていた。

 

『ギャロップに跨った影が前に出る。圧倒的速度で後続集団との差を伸ばしていきます!』

 

 ギャロップは地上を走る速度では比肩する者のないポケモン。逃げ切るか、とカンザキが考えているとギャロップへと向けて水の砲弾が放たれた。その砲弾が土を穿ち、ギャロップがよれる。後続集団の中の水タイプ使いがギャロップへと正確無比な射撃を加えた。ギャロップは一撃目の回避には成功したが二つ、三つと重なる水の砲弾を避ける事は叶わなかった。ギャロップに乗っていたトレーナーが転倒する。早速のリタイヤだ。

 

『波乱を帯びてきました! これこそが競技なのです! ポケモンを扱う競技となれば技の使用も視野に入れるべきだ!』

 

「トキワの森に入る前から負傷者が出るとは……」

 

 記者の言葉に、「これからトキワの森に入れば余計に分からなくなる」とカンザキは返した。

 

「トキワの森に関しては空中からの観察気球の情報以外は不明だからな。トキワの森で、最初の潰し合いが行われる事だろう」

 

 それは間違いようのない事実だった。ニビシティに辿り着く頃には二百人はいる参加者は何人になっているだろうか。この大会そのものの根幹を揺るがしかねない事実にカンザキはただ、唾を飲み下した。

 

 



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第十三話「勝負の火蓋」

 

 他の者達に同調してはいけない。

 

 ユキナリはそれだけを感じてトキワの森へと続く道を真っ直ぐに上った。既に戦闘が始まっているが乱戦状態だ。ここでキバゴを出すのには向いていない。ユキナリは出来るだけ戦闘は避け、必要最低限に留めるつもりだった。走っている間にも水や炎、あるいは草の刃が疾風のように駆け抜ける。

 

「すごい事になっているわね」

 

 いつの間にか近づいてきていたナツキが声を出した。ユキナリは首肯し、「これくらいが予想される事だろう」と返した。

 

「もっと派手に仕掛けてくる奴がいても不思議じゃないけれど」

 

「ジムバッジを手に入れるためには先手を打つ必要性もある。この戦い、ただ強いポケモンを持っていればいいってもんじゃないわ」

 

 先ほど先行したギャロップのトレーナーを見れば明らかだ。早く辿り着けば有利とはいえ、あまりに先行し過ぎればそれは悪目立ちする。格好の的になるのだ。ユキナリは自分とキバゴがそのような戦法ではない事はこの二ヶ月で身に沁みていた。

 

「僕は、出来るだけ一対一の戦い以外はしたくない」

 

「それはキバゴを使うに当たって博士と約束した事でもあるものね。でも、意外」

 

「意外って何が?」

 

 怪訝そうに聞き返すとナツキは微笑んで、「二ヶ月前には、戦いさえもしたくないって言っていたあんたが」と口にする。ユキナリは、「今だってそうさ」と応じた。

 

「戦いはしたくない。でも、勝たなければならないんだ。そのためならば、僕は戦う」

 

 矛盾した言い回しに聞こえただろう。しかしユキナリの中にある確固とした自己はそれに集約されていた。勝利のための戦い。

 

 ナツキは、「そうね」と答えた。

 

「あたしのストライクも乱戦向けじゃない。今は出来るだけ静かに、目立たないようにするべきね」

 

 その時、不意に前を駆けていたトレーナーが後ろへと振り返った。モンスターボールが投擲され、空中で二つに割れる。中から出現したのは全身から管を伸ばしたポケモンだった。紫色で眼は血走っている。口腔が全身の半分を占めていた。管から蒸気を噴出し、そのポケモンが吼える。一度の咆哮で何人かが吹き飛ばされた。

 

「音波攻撃……!」

 

 どうやら後続集団をここで潰そうというらしい。ユキナリがモンスターボールを掲げようとするとナツキがそれを制した。

 

「あたしので充分。いけ、ストライク!」

 

 ナツキがマイナスドライバーで上部ボタンを緩め、モンスターボールを放る。ストライクが飛び出し、鎌へと空気を纏いつかせる。次の音波咆哮による一撃が放たれる前に、肉迫したストライクが空気の一撃を打ち込んだ。

 

「真空破」

 

 ストライクの放った「しんくうは」が紫色のポケモンに突き刺さる。後退した相手は蒸気を噴き出す管を用いて空中で姿勢制御をしようとするが翅を開放したストライクが地を蹴って鎌を打ち込んだ。紫色のポケモンが瞠目する。

 

「峰打ち!」

 

 ストライクに突き飛ばされた開いてポケモンが転がる。恐らくは戦闘不能に追い込まれただろう。この先、トキワの森を越えねばならないのだから死活問題だ。相手は大きく遅れを取った形となる。

 

 ユキナリは口笛を吹かした。

 

「乱戦は苦手って、よく言うよ」

 

 ナツキはストライクを伴って口にする。

 

「ストライクとならばあたしは無敵よ」

 

 強気なその言葉にユキナリはフッと口元に笑みを浮かべる。トキワの森へと入る木立が現れた。ユキナリ達はトキワの森へと突入する。トキワの森は平時より少し薄暗い。草むらも多く、ポケモンが群生している地帯だ。

 

 トレーナーの中にはここで野生を倒して経験値を得ようという輩もいるらしく野生ポケモンに手を出している者も見受けられたがユキナリはそれよりも通過だ、と判断していた。

 

「ナツキ。ここは野生に目をくれている場合じゃない。ここで警戒すべきは……」

 

「監視の目が緩くなったのをいい事に仕掛けてくるトレーナー」

 

 その言葉に首肯する。トキワの森を越えられるか。ここが第一関門になる。

 

 早速、各所でバトルが巻き起こっていた。その中の一つに目をやる。白い羽毛のような身体のポケモンが躍り上がっていた。赤い触手を有しており、眼は水色である。とてもではないが戦闘用には見えないそのポケモンを操るのは優勝候補の一人、アデクだった。アデクは猛々しい声を上げる。

 

「メラルバ! ニトロチャージ!」

 

 赤い触手が輝きを増し、一瞬にして速度を上げたメラルバと呼ばれるポケモンが相手のポケモンを下した。あまりの早業に目を奪われる。アデクとメラルバはここで消耗を続けるつもりはないらしい。ユキナリの視線を感じながらも早々に切り上げてトキワの森攻略を目指すようだ。ポイントだけはちゃっかりといただいていくようだが。

 

「見た事のないポケモンばかりだわ」

 

 ナツキの感想はそのままユキナリの感想だった。通信可能な全地方から参加者を招いているのだから当然だろう。どのようなポケモンが出てきてもおかしくはない。今のメラルバとて、何タイプなのか全く見当がつかなかった。

 

「スケッチが出来たらなぁ」

 

 ユキナリは思わずぼやいた。これほどポケモンに恵まれているというのに、スケッチの暇もない。ナツキが睨みを飛ばす。

 

「ユキナリ。そんな場合じゃ」

 

「分かっているよ。冗談さ」

 

 半分は本気だったが、冗談にしておいた。この大会で様々なポケモンが見られる事に昂揚感を覚えないわけでもない。

 

「トキワの森を抜けましょう。ここを抜けたら、ニビシティのはず」

 

 二人は視線を交し合って駆け出す。ここでバトルをしてポイントを荒稼ぎ、という人間もいるだろうが、この大会は百日にも及ぶ長期戦。あまりに早く手持ちを見せればその対策を練られる。つまり早期に勝ちに拘るのも得策ではない。本当に賢しいのならば、全く手持ちの正体を見せず、なおかつチェックポイントを回る事だろうが、それにしたところで目立たないわけにはいかないだろう。全く目立たずにセキエイ高原へと戻る事は出来ない。どこかでぼろが出るシステムになっている。

 

 キャタピーやピカチュウが飛び出すが、他のトレーナーに恐れを成してほとんど好戦的ではなかった。元々、トキワの森のポケモンは大人しい。血気盛んなトレーナー達に挑みかかるほど命知らずな野生ポケモンはいないだろう。出てくるポケモンはほとんど先行した人々が倒していったのだろう。ところどころ、焼けた地面や刈られた草が広がっている。

 

「出口よ」

 

 トキワの森の終点が見えてきた。ユキナリ達はほとんど目立たずにトキワの森を抜けるかに思われたがその安息を命令の声が遮った。

 

「竜の怒り!」

 

 放たれた水色の光条が瞬き、ユキナリは森の終点で多くの人々が立ち往生しているのを視界に入れた。

 

「何かが起こっている?」

 

 その中には先ほどのアデクもいる。輪の中のトレーナーとポケモンが吹き飛ばされ、尻餅をついた。

 

「つ、強い……」

 

 その声にユキナリは目を向ける。マントを身に纏い、威風堂々としたそれは皇帝の威容だ。腕を組み、仁王立ちをしているその姿は水色の髪を結った少女だった。ユキナリはその姿に見覚えがある。

 

「優勝候補の一人、ドラゴン使いのイブキ……」

 

 ナツキが呟き、ぐっと息を詰まらせる。イブキは森の終点にまるで番人のように立っていた。

 

「私を倒せないのならば、この先に残ったって仕方がないでしょう? ここでドラゴン使い、イブキを破ってみせる気概のトレーナーはいないのかしら!」

 

 どうやらイブキ自身には驕ったところがあるわけではないらしい。ただ単純に自分よりも弱い相手がこの先に残るのが我慢ならないと言った様子だ。イブキは横に控えているポケモンの肌を撫でる。青を基調にしたドランゴンタイプだった。水色の宝玉が首周りと尻尾にあり、黒曜石のような瞳が射る光を灯している。

 

「知っているわ。ドラゴンポケモン、ハクリュー。一進化よ」

 

 ナツキが潜めた声で口にする。イブキは仁王立ちのまま、全く動こうとする気配はない。どうやら挑戦者を待っているようだったが先ほどの戦闘に恐れを成したのか、あるいはここでポケモンを消耗させる事をよしとしないのか誰も挑まない。このままでは立ち往生する一方だ。

 

 アデクが歩み出ようとする。しかし、その前にユキナリが前に出ていた。イブキは、「挑戦者かしら?」と尋ねる。

 

「ええ。僕では不満でしょうか」

 

「ちょっと! ユキナリ!」

 

 ナツキが止めに入ろうとするが既にユキナリはホルスターからボールを抜き放っていた。

 

「何考えているのよ。相手は優勝候補よ」

 

「だからこそ、だよ」

 

 その言葉にナツキは疑問符を挟んだ。

 

「いずれ戦わなければならないんだ。それに、僕もキバゴも、ただ無為に二ヶ月を過ごしたわけじゃない。それを証明したい」

 

 ユキナリの強い口調にナツキは気圧されたように、「でも……」と返す。

 

「相手はドラゴン使い。キバゴじゃ」

 

「それも分かっている」

 

 分かっていて、戦おうとしている。それ以上止める言葉を持たなかったのか、ナツキは、「やるのね」と覚悟を問い質した。ユキナリは頷く。

 

「よく分からないけれど、あんた達、どっちかなら通してもいいわ。一人は私と戦ってもらう」

 

「僕が残る。ナツキは」

 

「ええ。先に行くわ」

 

 駆け出したナツキをイブキは素直に通した。それを、「意外ですね」とユキナリは評す。

 

「何で?」

 

「あなたなら、それでも通さないと思っていた」

 

「約束は違えないわ。それに、片方は私が優勝候補だと分かっていて挑もうとしている。勇気は素直に評価するべきよ」

 

 ユキナリはフッと笑みを口元に浮かべる。

 

「あなたはいい人だ」

 

「そのいい人に、あんたは負ける」

 

 イブキが堂々とした立ち振る舞いですっと片手を上げた。何をするのかと思えばイブキはびしりとユキナリを指差した。

 

「ポケモン勝負よ!」

 

 ハクリューがイブキの闘争心を引き移したかのように甲高く吼えた。ユキナリはマイナスドライバーで上部ボタンを緩め、ボールを放り投げる。

 

「いけ、キバゴ!」

 

 放たれたキバゴが強く声を上げた。それを見てイブキが、「ドラゴンタイプね」と看破する。

 

「でもこの辺では見ない……。他の地方のポケモンかしら。どちらにせよ、その未発達な腕と足では、ハクリューの攻撃を避ける事も叶わないでしょう」

 

 ハクリューの宝玉が光り輝き、水色の渦が収束したかと思うと一挙に弾け飛んだ。

 

「竜の怒り!」

 

 水色の光条がキバゴへと直進する。命中するかに思われたそれは草むらをジュッと焼いた。もうもうと煙が上がる。しかし、その射線上にキバゴは既にいなかった。それを認めたイブキがハッとする。

 

「どこへ……」

 

 視線を巡らせる前にハクリューが動いた。主人の命令よりも先に動いたのは動物的勘が働いたからであろう。あるいは歴戦の成果か。足元にいるキバゴにハクリューは気づいて全身をばねにして叩きつけた。

 

「いつの間に、足元まで」

 

 イブキも迂闊だったのだろう。キバゴの戦力を完全に嘗め切っていた。ハクリューの鋭い刺突のような攻撃がキバゴを射抜こうとする。だが、キバゴは軽いステップでかわした。

 

「当たらない、ですって……」

 

「キバゴと僕は、それなりに鍛錬を重ねた。もちろん、ドラゴンの弱点が同じドラゴンである事も承知している」

 

 ユキナリは静かな語り口調で告げる。二ヶ月に渡る修行の記憶が脳裏を掠めた。

 

 



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第十四話「活路」

 ストライクの鎌が空気を纏って奔る。

 

「キバゴ! 回避を!」

 

 ユキナリの指示はしかし遅い。キバゴは身体の中心にストライクの「しんくうは」を受けた。吹っ飛ばされぜいぜいと荒い息をつく。博士がジャッジした。

 

「これで二十戦十八敗二分けだね」

 

 ユキナリは歯噛みする。どうして勝てない。ストライクをナツキは労わってバトルフィールドから離脱させた。博士が歩み寄ってくる。既に陽は落ち、宵闇での戦いになっている。暗がりだとキバゴの回避精度が落ちるのは仕方がないとしてももう二十戦もしているのにストライクに一矢報いる事も出来ないのはどうしてなのか。二回の引き分けもストライクの単純な命令ミスだ。偶然引き分けに持ち込めた過ぎない。

 

「どうして、キバゴは勝てないんだ」

 

「キバゴが勝てない、というよりも連携と指示のミスだろう。かわせ、避けろ、という指示はポケモンにとってはかなり曖昧なものだ。それに相手から退く、という行為はマイナスでもある。攻めに転じなければ勝てる勝負も勝てないよ」

 

 博士の助言に、「でも……」とユキナリはキバゴを見やる。それにしたってこうまで性能差が出るのはキバゴと自分が合ってないのではないかと思わせられる。

 

「キバゴの技さえも君はまだ理解し切っていないんだ。当然、キバゴが得意とする戦法も不明だろう」

 

「そりゃ、だってキバゴはこの辺で手に入るポケモンじゃない」

 

 ユキナリの言い訳に、「ストライクもそうよ」とナツキは返した。

 

「でも、あたしは博士の助言で使いこなせるようになった」

 

「ポケモンには特性がある」

 

 特性、という言葉はスクールの授業の節々で聞いた事はあるもののあまり覚えていなかった。

 

「確か、ポケモンの固有能力でしたっけ」

 

 博士は頷きストライクへと視線を流す。

 

「ナツキ君のストライクはテクニシャンの特性。威力の低い技が上がる。ナツキ君が本来ならば使い勝手の悪い電光石火や真空破、連続切りを組み込んでいるのはそのためだ。加えてそれらの技は初速が速いためにほぼ先手を打てる。ユキナリ君が遅れを取っているのは相手に先手を打たれているのも一つだろう」

 

「無茶言わないでください、博士。キバゴには先手を打てるような技はない」

 

「試しようはあると思うけどねぇ」

 

 博士は頭を掻きながらキバゴへと視線を向ける。キバゴは片牙を突き出してまだ戦う気があるようだった。

 

「特性も分からないんじゃどうしようもないですよ」

 

 キバゴの特性は未だに不明だ。調べようとしても方法がない。博士は顎鬚をさすり、「データがあればいいんだが」と煮え切らない様子だ。

 

「キバゴの特性、それは恐らく戦闘中に働くものだろう。しかし、特性の性能だけで勝負が決するわけでもない。今のところ、キバゴの技は引っ掻くだけだったかな」

 

「あとは鳴き声ですかね。でも、その二つじゃまともに戦闘にならない」

 

 博士はうぅむと呻りながら、「多分、他の技も覚えているはずだよ」と口にした。

 

「我々が引っ掻くだと誤解しているだけで、それは引っ掻くという技じゃないのかもしれない」

 

「だとすれば余計に分からないですよ。どうやって引き出すんです?」

 

 ユキナリがお手上げだと言わんばかりに肩を竦めると、「ナツキ君、頼む」と博士は口にした。ナツキは頷き、「ストライク」と名を呼ぶ。ストライクが再び戦闘態勢に入る。ユキナリは、「ちょ、ちょっと待って!」とうろたえた。

 

「何よ。待たないわよ」

 

「まさか戦いの中でそれに気づけって言うんですか」

 

 博士は、「それが一番早い」と渋い顔をした。

 

「本当なら研究で解き明かすのがいいんだが、ポケモンに関して言えば、現場の人々が切り拓いた分野だからねぇ」

 

「ストライク。真空破」

 

 鎌に空気を纏いつかせ、ストライクが一気に肉迫する。ユキナリは無茶苦茶に叫んだ。

 

「ええい! キバゴ、引っ掻くだ!」

 

 キバゴが短い手でストライクの攻撃を受け止めようとするが当然のようにストライクに突き飛ばされる。ユキナリは着地の瞬間に、「受け身だ」と口にしていた。

 

「攻撃の衝撃を最小限に!」

 

 キバゴはその命令に従い短い手足で受け身を取った。この二十戦が全くの無駄ではないのは相手の攻撃を出来る限り受け流す事が可能になった事。次の行動に移るまでのタイムロスが限りなく短くなった事だろう。しかし、次の動作と言ってもユキナリにはキバゴが何を覚えているのか分からず、試行錯誤ばかりだった。

 

「掴みかかれ! 引っ掻くだ!」

 

 キバゴが駆け出し、ストライクへと飛びかかる。ストライクの放った鎌が空を切った。キバゴの強みはその軽業、フットワークだ。だが、そこから先に活かす方法が思いつかない。キバゴは相手の身体を足がかりにしてストライクの頭部まで至る。ユキナリは思い切って今までにやった事のない命令をした。

 

「牙で叩きつけろ!」

 

 その指示は半ばやけっぱちだった。しかし、キバゴは驚いた事にうろたえる事もなく、片牙を振りかぶり、ストライクの頭部を打ち据えた。ストライクが初めての反撃に狼狽する。それはナツキも、博士でさえも同じだった。

 

「攻撃が……」

 

「入った……」

 

 二人同時に呆けたような声を出す。ユキナリは、「もう一撃!」と声を搾った。するとキバゴはもう一撃を牙で叩き込もうとしたが、片方の牙が折れているためにその攻撃はなされず、虚しく空を切った。防御の姿勢に入っていたストライクは自分の足元で転がったキバゴを呆然と眺めている。

 

「き、キバゴ。立ち上がれ」

 

 短い手足をばたつかせてようやく立ち上がったキバゴへとストライクが襲いかかる。しかし、それを制したのは博士だった。

 

「ちょっと待ってくれないか、ナツキ君」

 

 ストライクの鎌が止まる。「博士?」と怪訝そうな顔をする二人に、博士はキバゴへと歩み寄って観察の目を注いだ。その眼差しのあまりの真剣さにこちらがたじろぎそうになる。

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 ユキナリの声に博士は顎に手をやって、「キバゴは」と言葉を継いだ。

 

「ドラゴンタイプだ。それは間違いない」

 

 ユキナリは事前に行った試験においてキバゴをドラゴンタイプと判断した事に首肯した。バトルフィールドの片隅にある案山子。あれに塗られている塗料はタイプ判別の機能を持っている。段階的に塗装され、ある種別のポケモンの分類を可能にした。塗料の剥がれ方、現れる色の度合いによってタイプが判別出来る。ユキナリはただの案山子だと思っていただけにその事実は驚愕に値したが種が分かれば何て事はない。

 

「それが今、どうか?」

 

「今の攻撃、もしかしたら引っ掻くではないのかもしれない」

 

 その言葉はナツキとユキナリ双方に驚愕として降りかかった。覚えず顔を見合わせる。先に声を出したのはナツキだった。

 

「でも、今までキバゴは引っ掻くを繰り出す事しか出来ていませんよ」

 

「その認識がそもそもの間違いだったとしたら? 今までの攻撃は不完全な、キバゴ本来の技であり、今ストライクに決まった技こそがその完成形であった、というのは」

 

 観察者ならではの着眼点で博士はキバゴを分析する。ユキナリはしかし、「あり得るんですか?」と半信半疑だ。

 

「今まで技を勘違いして繰り出していたなんて」

 

「思いっ切り勘違いというわけでもないのかもしれない。たとえば、キバゴはこの技と引っ掻く、両方を覚えるポケモンであった、と」

 

 だとすれば「ひっかく」はこの技に至るための因子だった、という事になるのか。しかし、今の攻撃はたまたま決まったようにも思える。

 

「今まで、キバゴの牙を使った攻撃に着目しなかった私も迂闊だった。片牙だから、攻撃には適さないのだろうと判断していたが……。元々キバゴはこの牙を使って攻撃するポケモンなのかもしれない。短い手足は相手の懐へと潜り込むフットワークを可能にする。全ては、牙の一撃を叩き込むため」

 

 博士はキバゴを睨むように眺めては呻っている。キバゴが片牙を突き出して威嚇した。

 

「博士、キバゴが怖がっています」

 

「ああ、そうか。すまんすまん」

 

 博士はキバゴから顔を離し、ユキナリへと視線を向けた。

 

「今の攻撃、もう一度出来るかね?」

 

 博士の提案にナツキへと視線を移す。ナツキは、「ストライクに当てられるのは、ちょっと……」と難色を示した。

 

「ああ、そうだね。効果のほども分からない技を自分のポケモンに試されるのは嫌だろう。よし、あの案山子を使おう」

 

 博士は歩み出す。ユキナリとナツキはその背中に続いた。打ち捨てられたような血色の案山子がぽつりと闇の中に佇んでいる。ユキナリは前に出され狼狽する。

 

「あの、どうすれば?」

 

「さっきの技を打ち込んでくれれば」

 

「いや、でもさっきのはほとんどやけでキバゴに命じたわけでして……」

 

 意識して出せたわけではない、と言い含めたつもりだったがナツキが、「意識して出せなきゃ、実戦じゃ意味ないでしょ」と真っ当な事を言った。

 

「その通りだ。キバゴは、あの技が使える、という前提で使わなければならない。むしろ、キバゴにとってこれは躍進だ。持ち技が一つでも多ければ手数も増える。これから先、取れる対策も多くなってくる。今回、ポケモンリーグを勝ち進むためには必要な要素だろう」

 

 博士とナツキに押される形となったが、ユキナリ自身もキバゴに勝てる算段があるのならばそれに賭けてやりたいと思っていた。

 

「出来るか?」と視線を落として尋ねるとキバゴは何度か頷いた。ユキナリは先ほどの感覚を思い返す。大きく息を吸い込み、声を放った。

 

「キバゴ、目標に向けて走れ!」

 

 キバゴが短い手足で地を駆ける。案山子へと至る瞬間、すかさず指示を飛ばす。

 

「引っ掻くで組み付いて牙で攻撃!」

 

 キバゴは手を伸ばして案山子を引っ掻いた。その一撃を手がかりにしてキバゴは案山子の頭上へと躍り上がる。牙を振りかぶった瞬間、青い光が牙に纏いついたのをユキナリは確かに見た。キバゴが渾身の力で案山子の頭部を牙で揺さぶる。一撃が食い込み、キバゴは空中で身を翻してもう一撃を放とうとしたが、片牙のためにもう一撃は空を穿った。これも先ほどと同じだ。キバゴは不恰好に地面へと転がった。手足をばたつかせ、もがいている。ユキナリが歩み寄ってキバゴを立たせるのに協力する傍ら、博士は案山子に打ち込まれた技の残滓を観察していた。

 

「……これは、引っ掻くじゃないぞ」

 

 放たれた言葉にユキナリは絶句した。

 

「でも、僕が命じたのは引っ掻くですし……」

 

「確かに、案山子に掴みかかった時に使ったのは引っ掻くだ。見るといい」

 

 博士が指差すと案山子の赤い塗装に傷がついている。その傷自体は大した事のない、ノーマルタイプの技だと判断させられたがキバゴが頭部へと叩き込んだ一撃には赤い塗装が剥がれ落ち、青い層が見え隠れしていた。どこか神秘的に薄い光を放つ青い層の持つ意味を、博士は口にする。

 

「ドラゴンタイプの技だ」

 

 ユキナリはキバゴを抱えながら、「ドラゴンタイプを使ったって言うんですか?」と問い返す。

 

「そうとしか思えない。私が推測するに、引っ掻くはこれを相手へと確実にぶつけるための手段。キバゴはこの技こそ、メインに据えるポケモンだった、と言うべきだろう。しかし、牙が片方しかないために完全ではないが、ユキナリ君。今しがた、牙に青い光が纏いついたのを私は見たが」

 

 君もか、という無言の問いかけにユキナリは頷く。

 

「ええ。確かに青い光が」

 

「物理攻撃反応だろう。あれは技なのだ。キバゴの技、相手へと肉迫し、双方の牙を叩きつけるドラゴンの物理攻撃、その名も――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダブルチョップ!」

 

 ユキナリの放った声に呼応してキバゴの片牙へと青い光が纏いつく。イブキはそれを危険と判断する前にハクリューへと叩き込まれた一撃に瞠目する。

 

「入った? 私のハクリューに?」

 

 一撃はハクリューの身体へと食い込んだ。手応えを見せるキバゴは短い足でハクリューを蹴り上げた。さらに躍り上がり、もう一撃を叩き込もうとするが、牙は片方しかない。当然、空を穿った一撃はしかし、もし牙が存在していれば頚動脈を切り裂いていただろう。それほどの勢いであった。イブキが息を呑むのが伝わる。ユキナリは、「キバゴ、一旦距離を」と指示する。キバゴは短い手足を駆使してハクリューの間合いから離れた。イブキは未だに一撃を与えられた事が信じられないようだ。手をわなわなと震わせる。

 

「そんな小さなドラゴンタイプが、私のハクリューに手傷を……」

 

「小さいからって嘗めないでください」

 

 ユキナリの声の強さに応ずるようにキバゴも気高い鳴き声を上げる。

 

「言っておきますが、僕とキバゴは強いですよ」

 

 その声にイブキは歯軋りを漏らし、「実に、いいじゃない」と呟いた。

 

「ハクリューの相手にするにはね! 本気でいくわ! ハクリュー!」

 

 水色の宝玉が光り輝き、ハクリューが開けた小さな口の周囲へと波紋状の光が連鎖する。それが一輪へと重なった瞬間、咆哮が青い光条となった。先ほどの「りゅうのいかり」とは比べ物にならないほどのエネルギーの奔流にユキナリは思わず気圧されるものを感じたが、冷静にキバゴへと指示を飛ばす。

 

「キバゴ、右に宙返り、二メートル!」

 

 キバゴは足に込めていた力を開放し、一瞬で躍り上がった。射線上から外れたキバゴの赤い瞳に青い光の帯が反射する。ユキナリは息を呑んだ。草むらを焼いた今の技は生半可な攻撃ではない。

 

「今のは……」

 

「竜の波導。ドラゴンタイプの中でもかなり高威力の技よ。波導って何なのか私にも分からないけれど、ポケモンならどんな存在でも持っているとされているエネルギーみたい」

 

「なるほど。今のは、そのエネルギーを光線にして放出した……」

 

 ユキナリの理解にイブキは指を鳴らす。

 

「頭の回転が速いのね。馬鹿じゃない人間はそこそこ好意に値するわ。でも……」

 

 含めた声と共にイブキはキバゴへと視線を移す。

 

「その小さなドラゴンタイプはどうかしらね? 今の攻撃、命中すればまずいのだと直感的に悟ったんじゃない? 動きが鈍っているわよ」

 

 ユキナリはキバゴへと目をやる。キバゴはほとんど分からない変化ではあるが、手が震えているのが分かった。ユキナリとて理解している。ドラゴンの天敵はドラゴン。その相手の、高威力の技を見せつけられれば怯むのも当然。

 

 ここで、怯むな、と命令すればポケモンの恐れをより強めてしまう。トレーナーに求められるのは次への瞬時の判断力。ユキナリは軽く息を吸い込み、詰めてハクリューを睨んだ。

 

「キバゴ。お前の攻撃は相手に有効だ。次も行くぞ」

 

 その言葉にキバゴが攻撃姿勢を取った。身を沈み込ませ、両手両足を使った特攻姿勢だ。イブキは鼻を鳴らす。

 

「それしか芸がないみたいね。どうやら遠距離戦はお好みじゃないよう」

 

「ええ。僕もキバゴも、しゃにむにぶつかっていく事しか出来ない」

 

 キバゴが片牙を突き出す。イブキは、「宣言しましょう」と手を振り翳す。

 

「さっきの攻撃、ダブルチョップが命中する前に、あんたとそのポケモン、キバゴは踏み止まる事になる。それこそ、さっきみたいに射程範囲には入れさせない」

 

 どうやらイブキには遠距離攻撃以外にも強みがあるようだ。ユキナリはぐっと息を詰め、キバゴに命じた。

 

「接近だ!」

 

 キバゴが駆け出す。ハクリューの水色の宝玉に光が宿り、そこから縫うような光線が発射された。

 

「竜の怒り!」

 

 先ほどまでのよりも精密な動きでキバゴの動きを捕捉する「りゅうのいかり」の光線をキバゴは短い手足を駆使して逃れようとする。しかし、ただ逃げているわけではない。ハクリューへと接近出来る好条件の位置を探しているのだ。ほとんど目と鼻の先を掠めていく水色の光条をキバゴは冷静に回避していく。ハクリューが円弧を描くように身を反らせた。青い光の輪が連鎖して次の一撃を伝える。「りゅうのいかり」でキバゴの動きを封じ込め、その上で「りゅうのはどう」による一撃を確実に命中させる。キバゴがフットワークこそ持ち味のポケモンだと一瞬で判断した辺り、さすがは優勝候補だとユキナリは渇いた喉に唾を飲み下す。

 

「さっきはちょっと油断しただけよ! 本気を出せば私以上のドラゴン使いなんてありえない!」

 

 しかし、ユキナリはその一撃に至るまでの一線を狙っていた。ハクリューはキバゴの動きを既に封じ込めたと、トレーナーであるイブキも含めて確信している。ならば、それを見越した戦いをしなければ押し負けるのは自明の理だ。

 

 ユキナリは視線を走らせる。水色の閃光がキバゴを追って放たれている。その一方で、充填されていく一撃への確信を自分とキバゴは超えねばならない。超えた時こそ、自分達はトレーナーとポケモンとしてもう一歩先へと進めるのだ。

 

「今だ!」

 

 キバゴへと指示を飛ばす。宙へと躍り上がったキバゴは先ほどと同じく「ひっかく」からの連鎖の動きを見せた。引っ掻いてハクリューを手がかりに接近する。しかし、ハクリューはそれを読んでいたように「りゅうのはどう」を撃ち出そうとしていた。ユキナリはそこでキバゴへと第二の指示を送る。

 

「空牙を突き出せ!」

 

 キバゴが突き出したのはあろう事か、有している右側の牙ではなく、根元から折れている左側の牙だった。その事実にイブキが目を瞠る。

 

「驚いた。勝負を捨てるの?」

 

「いいや!」

 

「竜の波導!」

 

 イブキの放った声に相乗したハクリューの青い光線が一射され、キバゴを撃ち抜いたかに見えた。誰の目にもそうだっただろう。しかし、キバゴは後ずさる事はなかった。それどころか、より強い決意の眼差しを赤い瞳に湛えて、キバゴは空牙を振るう。

 

 そこには、青い光線を凝縮した牙が光を宿していた。

 

 



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第十五話「空牙」

「キバゴの左側の牙が生えてこないのには、多分、理由があるんじゃないのかな」

 

 博士は「ダブルチョップ」の鍛錬中、出し抜けに口にする。ユキナリとしては習得したばかりの「ダブルチョップ」をどうにか実戦で使えるように仕立て上げるので精一杯でその事には頭が回っていなかった。いや、本当ならば考えるところであろうが、キバゴは元々そういうポケモンなのではないかと諦めていた。

 

「人間の永久歯と同じで、一度折れると生えないんじゃないんですか?」

 

「いや、キバゴはまだ成長途中だよ。現に見てみなさい」

 

 博士が呼びつけると、キバゴへとユキナリは行くように指示をした。もうキバゴはユキナリ以外の命令は聞かなくなっている。お陰でナツキともやり合えるようになったが、それでも勝率が三割を超える事はない。キバゴの鋭い牙へと博士は臆する事なく手を伸ばす。研究者としての血が騒いでいるのだろう。

 

「やっぱりそうだ」と博士は納得したように頷く。

 

「何がやっぱりなんです?」

 

「この牙を見たまえよ」

 

 博士が指差したのはキバゴの右側の牙だ。ユキナリが覗き込むと、何度かの研鑽があったお陰か、最初より逞しくなったような気がする。

 

「ちょっと太くなりました?」

 

「それもあるが、牙の光沢を見てくれ」

 

 博士の言葉にユキナリは注目する。乳褐色に近い牙は太陽の光を受けて照り輝いている。

 

「……何だか、前よりもつやがよくなったような……」

 

「そうなんだよ。私も深く観察したわけではないが明らかに! 戦いの度、キバゴの牙は強固に、さらに強い段階へと進化している」

 

 熱弁を振るう博士へと、「でも、気のせいかもしれませんよ」とユキナリは冷静な声を返す。

 

「いいや、気のせいではない。キバゴの牙は磨かれれば磨かれるほど強くなる。打たれれば打たれるほど、さらに鋭く、攻撃に適した形になるはずだ。よぉく、見てくれよ」

 

 博士はそう言ってキバゴの牙へと手を伸ばす。覚えずユキナリは目を瞑った。博士はキバゴの牙を撫でた。それだけで薄皮が捲れていた。

 

「最初はこんなにも鋭く、攻撃的な牙ではなかった。それは私が保証する。やはり強くなるのだ。骨折と同じさ。折れればなおさらだろう」

 

 ユキナリはだとすれば余計に分からない、とキバゴの左側を見やる。折れた牙は一向に再生の気配はない。

 

「でも、牙が折れた状態で発見されたんですよね? だったら、折れた牙はもう生えないのでは?」

 

「かもしれないが、私は折れた牙は生えないのではなく、生える必要がないのではないのかと考える」

 

 ユキナリは小首を傾げた。どういう意味なのか。

 

「ユキナリー! 博士ー! 次の試合は?」

 

 痺れを切らしたのかナツキが呼びかけてくる。「ちょっと待てって」とユキナリは応じた。

 

「生える必要がないってのは?」

 

「この牙には既に役割が与えられていると見るべきだろう」

 

「でもダブルチョップの際にキバゴはこっちも使おうとしますよね? それなのに、毎回失敗する」

 

 だとすれば本来、牙が生えているのが正しいのではないか。博士は、「推論だが……」と前置きした。

 

「何かしら意味があるのではないかな。あえて、キバゴ自身が牙の再生能力を抑制している」

 

「何のために?」

 

 それこそ意味が分からない。自分の武器を使おうとしない理由など。博士はユキナリへろ向き返り、「ちょっと試そう」と懐からモンスターボールを取り出した。投擲して出現したのは黄色い四速歩行のポケモンだ。背が高く、尻尾が影のように黒い。長い首の先には耳を有しており、一見すると馬の様相なのだが、尻尾にも口と眼があり、どっちが前なのか分からなかった。黄色を基調としていながらピンク色の鬣が印象的で鼻もその色だ。

 

「キリンリキ、というポケモンだ」

 

 博士はそう説明してキリンリキの首を撫でる。よくしつけられているのか、キリンリキはくすぐったそうに顔を振るった。

 

「ユキナリ君。キリンリキは遠距離型、ノーマル・エスパーのポケモン。近距離型のキバゴとは相性がよくないと思われるが」

 

 博士はそこで言葉を切り、一つ提案をした。

 

「キリンリキでキバゴのもう片方の牙、そうだな、こちらを片牙とするのなら何もない牙、空牙か。空牙の能力を引き出そう」

 

 ユキナリは当然驚愕する。そんな事が出来るのか。

 

「どうやって?」

 

「遠距離攻撃をぶつけてみよう。今までストライクとばかりやり合ってきたから遠距離の相手は初めてのはずだ」

 

 キリンリキが影色の尻尾を逆立たせてキバゴを睨み据える。するとキバゴの周囲に青い光の幕が降り立った。瞬く間にキバゴが包み込まれ、籠のように絡みつく。

 

「サイコキネシス。これをキバゴはどう破る?」

 

 ユキナリは見ていて不安だった。「大丈夫でしょうね?」と博士に問う。博士は事の成り行きに興味があるのか、「どうにかするはずなんだ」と繰り返した。

 

「そうでなければ、キバゴが一体で生き残れるわけがない」

 

 その時、キバゴを押し包もうとしていた「サイコキネシス」の光が突然乱れ、集束した。吸い込まれるように青い光がキバゴの空牙へと集まってくる。ユキナリは呆然としていたが博士はどこか確信を得た表情だった。空牙を振るうと一瞬で「サイコキネシス」の呪縛を振り解いた。空中に持ち上げられていたキバゴは地面へとしこたま頭を打つが特に気に留めた様子はない。先ほどまでと同じように歩き出す。

 

「博士、今のは……」

 

「うん。やはり空牙にも意味があったか」

 

 博士は空牙のほうへと手を伸ばす。しかし、当然の事ながら空牙に攻撃性能はなかった。先ほどの像をなぞるように博士は指を振った後、「これはキバゴが習得しているもう一方の性能だ」と告げた。

 

「もう一方の、性能?」

 

 ユキナリの疑問を他所に博士は、「これがあるからキバゴは生き残ったんだろうねぇ」と呟く。

 

「空牙の意味があるって事ですか?」

 

「ユキナリ君。ここに何が見える?」

 

 博士が指差したのは空牙のほうだ。先ほどまでは青い光が纏いつき、牙の形状をなしているのが映ったが今は何もない。ユキナリは、「何も」と答える。博士は首肯し、「そう、今は、何もない」とその部分を指差した。

 

「だが、我々人間に感知出来る光、主に視界と呼ばれる範囲にある波長は800ナノメートルから400ナノメートル。光の三原色の組み合わせによってしか、人間の受容器では視覚化する事が出来ない」

 

 博士の言わんとしている事が分からずユキナリは、「何を」と口にした。

 

「つまりだ、ユキナリ君。ポケモンにどれだけの範囲が見えているのか分からないが、キバゴは我々では捉えようのない光の域まで波長として捉えている。その波長を恐らくは相殺させ、空牙に何かがあるように見せている」

 

 ユキナリは博士の説明の意図が分からなかった。つまり空牙には攻撃性能がないのか。

 

「空牙には、何も出来ないって事ですか?」

 

「違うよ。いいかい? 波長は、人間からしてみれば、それは色を認識するためのものだが、ポケモンには違う。攻撃性能のある波長がぶつかってくる事もある。ちょうどさっきのサイコキネシスが好例だ。サイコキネシスは人間の眼にも見えるが、ポケモンの目にもああ見えているとは限らない。それこそ、様々なベクトルの力関係が映っているのかもしれない。キバゴはそれを視覚化する。空牙は相手の波長を捕捉する機能を持つキバゴなりの感覚器の一つだと考えればいい」

 

 そこまで言われればユキナリにも思い当たる節はあった。

 

「つまり、虫ポケモンの触覚や僕らの手足みたいなものですか?」

 

「そう。キバゴの空牙はただ折れているんじゃない。キバゴは片方の牙を喪失した代わりに、新たなる生存手段を導き出した。それこそが空牙だ」

 

 博士の結論に、しかしユキナリは納得出来ない。

 

「だとしても、それを有効活用する手段が……」

 

 肩を竦めていると、「それをこれから見つけるのさ」と博士は前向きだった。

 

「もしかしたらある一定の攻撃を偏向するほどの力を秘めているかもしれない。あるいは、この空牙を相手の攻撃のキャンセルとして捉えるのもありかな。サイコキネシスを自分の牙でキャンセルし、その余剰エネルギーを攻撃に割いた」

 

「難しい事は分かりませんよ」

 

 ユキナリはお手上げしたい気分だったが博士は好奇心が尽きないのかそのまま続ける。

 

「ユキナリ君。ただ一つ言えるのは、我々にはただ折れているだけに見えるこの牙はキバゴにとっては在るんだ。だから、新たな牙が生えてこない。そして、なのかは分からないが、この牙にはある一定の攻撃を弾き返す特性がある」

 

「それが、キバゴの特性ですか?」

 

「いいや、特性とはまた別のもの。いわば体質だよ。キバゴには相手の攻撃を打ち消す術がある。これは大きいぞ」

 

 喜びを隠そうともしない博士に、「何が大きいんですか?」とユキナリはいい加減うんざりし始めていた。先ほどからまるで話が見えない。博士は、「考えてもみてくれ」と一度落ち着く。

 

「相手の遠距離攻撃を打ち消す、というのはつまり接近戦を得意とするキバゴにとっては有利なんだ。そして、この空牙にエネルギーが充足されている間だけ、もし、通常の牙と同じ性能を発揮するとすれば」

 

 そこまで言われればユキナリでも思考の行き着く先があった。

 

「――ダブルチョップは有効となる」

 

 



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第十六話「竜使いの矜持」

 

 青い光を帯びた牙を突き出してキバゴがハクリューへと攻撃を放った。空牙から放たれた一閃は「りゅうのはどう」の威力をそのまま引き移し、ハクリューの身体を打ち据える。分散して放たれたその一刈りは散弾の性能を誇っていた。ハクリューが全身に攻撃を受け止める。ドラゴンに対してドラゴンの攻撃は効果抜群のはずだった。

 

「ハクリュー? そのポケモン、竜の波導を受け止めたって言うの?」

 

 イブキはすぐさまキバゴへと視線を走らせる。舌打ちと共に、「結構器用ってわけ」と結論を出したらしい。さすがはドラゴン使いを自負するだけある。どうやら二度目は通用しそうにない。キバゴがそのまま「ダブルチョップ」へと移行しようとするのをユキナリは声で制した。

 

「一旦離れろ!」

 

「賢明ね。ハクリューは遠距離攻撃だけじゃない!」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、ハクリューが目にも留まらぬ打突を繰り出した。尻尾による一撃だったが跳ねるように放たれたそれはキバゴの身体の中央を捉える。キバゴはこの場において初めて、まともに攻撃を受けてしまった。

 

「キバゴ!」

 

 ユキナリの声にキバゴは地面に倒れ込む直前に受け身を取って体勢を立て直す。しかし、その身へとさらに一撃、青い残像を引く攻撃が続け様に放たれる。ハクリューが跳ねるように身体をひねって切っ先のように鋭い攻撃が連鎖しているのが分かった。間断のない攻撃は熟練した剣の使い手のようだ。キバゴは短い手と牙を駆使してそれをいなす。ハクリューの猛攻が一時止んだ。ユキナリはキバゴがハクリューの射程距離外に出たからだと判断する。

 

「射程内のドラゴンテールを受け切るとは、半端じゃないみたいね」

 

 イブキが口元に笑みを浮かべる。「ドラゴンテール」というのか、とユキナリは今しがたの攻撃を思い返す。今、受け切ったのは全くの偶然だ。あるいはナツキのストライクとの研鑽の日々で反応速度が向上した結果、接近戦に強くなったのかもしれない。だとしても、一撃を受けてしまったのは不覚に違いなかった。

 

「ドラゴンテールは本来ならば出ているポケモンと控えのポケモンを強制交換させるほどの勢いを持つ刺突。それだけでも充分な威力はあるわ。たとえば、同じドラゴンの鎧のような表皮に傷をつけるくらいには」

 

 その言葉にユキナリはハッとしてキバゴを見やった。キバゴの腹部は見えないが荒く息をついているところから見て深い傷を負ったと見るべきだろう。ドラゴンの宿敵はドラゴン。何よりも恐れていた事態に発展している事をユキナリは自覚した。

 

「私はフスベの村で育ったドラゴン使い。十二の時に一人前としての資格は受けた。これを見ろ!」

 

 イブキがマントを翻し自身の背中を向けた。ユキナリは息を呑む。そこにはドラゴンの文様が刺青として彫られていたからだ。

 

「代々、フスベの村で最も強いドラゴン使いが刻むこの文様を私は背負っている。生半可な気持ちで玉座を目指しているわけではない!」

 

 その言葉にユキナリは改めてこの大会に臨む人々の気持ちの具現を見たような気がした。身が竦むほどの本気。それがぶつかり合い、大きなうねりを成しているのだ。

 

 自分には覚悟があるのか、と胸中に問いかける。この大きなうねりを弾き飛ばし、自らの望みを胸に立ち上がるほどの決意が。

 

 脳裏にキシベとの会話が反芻される。

 

「……夢を追う資格は、僕にだってある」

 

「ならば、このイブキの呪縛を超えられるか?」

 

 試すような物言いにユキナリは真正面から対抗した。

 

「倒す、倒します!」

 

 キバゴがユキナリの闘志を受け止めたかのように一声鳴き、再びハクリューへと接近する。しかし三度も接近戦を許すハクリューとイブキではない。

 

「猪突猛進。どこまでも真っ直ぐな奴らだな。だが、既に射程圏内だ!」

 

 ハクリューが尻尾を突き出して道を阻もうとする。キバゴはステップを踏んで襲い来る青い残像の切っ先を紙一重でかわす。しかし、その程度の動きを予期出来ない相手ではない。ハクリューは不意に「ドラゴンテール」を偏向させ、薙ぎ払った。不意打ち気味の変化にキバゴはついていけず、足元を払われる。地面に両手をついた時には、既に「ドラゴンテール」は必殺の間合いに入っていた。

 

「額を突いて脳震とうを起こす! いくらドラゴンタイプといえども、戦闘不能は免れない!」

 

 イブキの言葉にユキナリは、「キバゴ!」と呼びかけた。キバゴはただ両手をついたのではない。片腕を掲げたかと思うと拳を地面に向けて打ち込んだ。その一撃でキバゴの身体が浮き上がる。必殺の一突きであった「ドラゴンテール」が下方を突き抜けていく。ユキナリはキバゴに命じた。

 

「ダブルチョップで尻尾を断ち切れ!」

 

 空中で身体を反転させ、キバゴは牙を振りかぶる。その一撃に必殺の重さを乗せて、キバゴはまだ攻撃モーション中であるハクリューの尻尾に向ける。閃光の勢いを伴った攻撃は尻尾へと打ち込まれる。牙の鋭角的な薙ぎ払いが突き刺さり尻尾から鮮血が迸った。ハクリューが衝撃に尻尾を引っ込めようとするが、キバゴはそれを足がかりにして一気に接近していた。当然、それに気づいたイブキが対処の声を上げる。

 

「ハクリュー、振り払え!」

 

 しかし先ほどまでよりも尻尾の力が弱まっている。「ダブルチョップ」の一撃を受けたのだ。ドラゴンの攻撃は効果抜群。キバゴは振り払われる前に足で蹴りつける。ボロボロになった尻尾が落ちるのと同時に眼前に至ったキバゴの姿にハクリューとイブキは狼狽した。

 

「なんて、速い……」

 

「キバゴの体重はたったの十八キロ。ドラゴンの膂力を持ってすれば、その動きは素早い」

 

 それだけではもちろんない。この二ヶ月の特訓によってキバゴは手足をフルに使い、フットワークが自慢の攻撃を身につけた。キバゴが片牙を振るい上げる。ハクリューはまたしても「りゅうのはどう」を発射しようとしたが、それでは先ほどの再現だとイブキは判断したのだろう。

 

「ハクリュー! あえて接近! 噛み付く!」

 

 その声にユキナリも瞠目する。ハクリューは「りゅうのはどう」の発射体勢のままキバゴへと噛み付いた。空中で縫いとめられる形となったキバゴは手足をばたつかせる。

 

「この距離ならば、もう片方の牙による無力化は不可能のはず!」

 

 ハクリューの口腔内に青い光の輪が連鎖する。放たれる攻撃を感知してユキナリは手を振り払う。

 

「手刀で喉笛を掻っ切れ! ダブルチョップ!」

 

 キバゴが即座に判断し、両手を掲げたかと思うと挟み込むようにしてハクリューの喉へと叩き込んだ。青い光を伴った一撃がハクリューの攻撃を緩ませる。キバゴは空中でハクリューの額を蹴り、射程から離脱する。それと「りゅうのはどう」が地面に向けて放たれたのはほぼ同時だった。土くれが舞い上がり、ハクリューの黒い瞳とキバゴの赤い瞳が交錯する。ハクリューはキバゴへと向き直った。首筋の宝玉から光線を放つ。

 

「キバゴ、空牙を翳せ!」

 

 キバゴは両手を扇のように回転させ姿勢を制御し、空牙を相手の攻撃へとぶつけた。干渉波が弾け飛び、キバゴの空牙へと青い光が定着する。

 

「着地させるな! ドラゴンテール!」

 

 間髪入れず、ハクリューは空中のキバゴに向けて「ドラゴンテール」を放つ。尻尾が切られたとはいえ、寸断されたわけではない。キバゴを迎撃しようとした攻撃にユキナリは声を張り上げた。

 

「片牙でいなせ! ドラゴンテールを手がかりにして接近!」

 

 キバゴが片牙を突き出す。「ドラゴンテール」が頭部を突き刺すかに見えたが、盾のように掲げられた片牙が必殺の勢いを伴った打突は火花を散らして防御される。僅かにぶれた間隙を縫ってキバゴは着地せずに再びハクリューの間合いへと入った。空牙を今度は突き上げる。

 

「打ち込め! ダブルチョップ!」

 

 先ほどの即席の攻撃ではなく、牙を用いた真実の「ダブルチョップ」がハクリューの身体を打ち据えた。ハクリューが攻撃を受けてよろめく。空牙に纏い付いていた青い光が分散し、追い討ちの散弾を浴びせかけた。ハクリューが「ドラゴンテール」を放った。しかし、それは攻撃のためではなく牽制だ。距離を取るためだと判断したキバゴとユキナリは深追いをしなかった。

 

 ハクリューがイブキの傍まで後退し、キバゴはようやく着地した。息をつく間もない激戦。周囲にいる人々にも緊張が伝播したように誰一人として無駄な言葉を吐かなかった。

 

 当然、戦闘の只中にいる二人は余計だ。ユキナリはキバゴと共に肩を荒立たせる。イブキも同様だった。ハクリューの状態を一目見やり、「ドラゴンテールは」と口にした。

 

「もう使えそうにないわね」

 

 ユキナリも一瞥する。尻尾には「ダブルチョップ」で与えた直撃以外にも、いなす時に傷つけられたのであろう一筋の傷が赤く居残っている。他にも空牙で与えた散弾の傷がそこらかしこにあった。通常ならば敗北を認めてもおかしくはないダメージである。しかし、イブキとハクリューは気高く吼える。

 

「私をここまで追い詰めたドラゴン使いはいない! 次で仕留める!」

 

 本来ならばここで退くのもまた戦略的には一つの決断だろう。この先、どれだけの敵が待ち受けているのか分からないのだ。自分の手持ちの最大までの戦いをギャラリーに見せつける事は、自分の手のうちを明かす事に他ならない。ユキナリは出来るならば、ここでキバゴと自分の最大限の戦いを見せるべきではないと考えていた。ここから先にも戦いは控えている。

 

 だが、そんな浅ましい考え以上に、ユキナリは今、イブキと戦えている事に昂揚していた。

 

 ――これが、戦いか。

 

 二ヶ月間、ナツキと共に本気の修行に臨んだつもりである。だが、それ以上に胸を震わせるこれこそが本気の戦い。お互いの意地と意地のぶつかり合い。負けられない、という決意を新たにしてユキナリはキバゴに声をかける。

 

「キバゴ。多分、次の一撃で勝負が決する」

 

 キバゴはユキナリへと振り返った。赤い眼には恐れ以上に闘志が宿っている。負けられない、と考えているのは何も自分だけではない。

 

「ハクリュー。私とあなたが覚えている、最高の技で締めくくる!」

 

 ハクリューがばねのように身体をねじらせ、舞い上がった。耳元にある羽根のような意匠が拡張し、青い光を伴って擬似的な翼を形成する。ハクリューはまるで雷のように頭部を下げてキバゴへと狙いをつける。全身から青い粒子が放出され、その身を彩った。

 

「ドラゴンダイブ。自分ごと相手へと凄まじい勢いで体当たりする、ドラゴンの物理技」

 

 イブキの声にユキナリは感嘆する。青い光を全身から放出するハクリューは素直に美しかった。

 

「……すごいな」

 

 思わず出た感想にイブキが笑みをこぼす。

 

「勝てるかしら?」

 

「僕達がこの二ヶ月でようやく使えるようになったドラゴンの技は、ダブルチョップ一つだけ。そんなにすごい技は覚えていない。でも」

 

 キバゴが踏み出す。その決意がユキナリにも伝わってくる。

 

「挑む事を、僕らはやめない」

 

 ユキナリの声に、「じゃあ食らいなさい!」とイブキの声が響き渡った。ハクリューが一条の閃光となって空中からキバゴへと真っ逆さまに落下する。まさしく落雷。その勢いに通常ならば及び腰になるだろう。だがユキナリとキバゴは決して臆する事はなかった。

 

「キバゴ。跳躍してダブルチョップ!」

 

 応じた声でキバゴが地面を蹴りつけて片牙を振り翳す。青い雷の「ドラゴンダイブ」がキバゴの牙へと突き刺さった。予想外の衝撃にキバゴの身体が軋みを上げたのを感じる。余剰衝撃波が拡散し、周囲の草むらを青い電流が薙ぎ払った。

 

「ハクリューのドラゴンダイブを受け止めて今まで立っていたドラゴンはいない!」

 

 イブキの声に、「それでも!」とユキナリは返す。

 

「キバゴは立ってくれているはずだ!」

 

 キバゴは「ダブルチョップ」を叩き込もうとするが、ハクリューが全身に纏った青い粒子が邪魔をする。

 

「ドラゴンの身体から発せられる粒子は神秘の護りを誇る! そう簡単に突き崩せはしない!」

 

「キバゴだってドラゴンだ! そうだろう!」

 

 ユキナリはほとんど青一色に染まりかけた視界の中でキバゴへと呼びかける。その言葉にキバゴの片牙が青く光り輝いた。呆然とするユキナリの視野に映ったのは、拡張したキバゴの片牙だ。青い光を纏いつかせ、扇形の牙へと変形を果たしている。ユキナリにはその技の名前は分からなかった。しかし、今、キバゴが勝つために顕現させた技なのだという事は分かる。「ドラゴンダイブ」を破るために、キバゴが自身の遺伝子の底から引き出した技が輝きを帯びた。

 

「……その技、ドラゴンクロー? まさか、覚えているなんて」

 

 イブキの狼狽の声にユキナリはそれが「ドラゴンクロー」と呼ばれる技なのだと認識した。身を引き裂かんばかりの声を発し、ユキナリは命ずる。

 

「竜の刃で雷を切り裂け! キバゴ!」

 

 キバゴは空中で身体を反転させ、片牙から拡張した光の一閃をハクリューへと叩き込んだ。ハクリューの首元を狩る形で「ドラゴンクロー」の一撃が食い込む。青い雷と化していたハクリューが弾き飛ばされ、草むらを転がった。キバゴはそれを発した後、しばらく動けない様子だった。

 

 双方、固唾を呑む。

 

 どちらかが倒れるか、動けなければこの勝負は決する。

 

 キバゴは痺れながらも足を一歩踏み出した。まだ闘争心がある事の現れのように。

 

 一方、ハクリューは全く動かなかった。全身から力が抜け切ったように倒れ伏しているハクリューにイブキは歩み寄って労わった。

 

「ありがとう、ハクリュー」

 

 モンスターボールをこつんと当てると、ハクリューは内部から発せられた網に捕らえられ、戻っていった。

イブキがユキナリへと歩み寄る。ユキナリは未だ警戒が解けずにいたが、イブキが優しく微笑み宣言した。

 

「負けました」

 

 その言葉でようやくユキナリの現実認識が追いつく。「えっ」と虚をつかれた気分でいると、「負けたって、言っているでしょう」とイブキはもう一度口にする。

 

「何度も言わせないで。恥を掻かせるつもり?」

 

「あっ、えっと……」

 

「勝ったんだから、もっと毅然としなさい」

 

 イブキの言葉をユキナリは胸中で何度か咀嚼した。

 

「勝った……」

 

「そう。優勝候補って言われて、ちょっと舞い上がっていたのかもね。また修行するわ」

 

 ユキナリはキバゴと視線を合わせる。キバゴが小首を傾げた。

 

「勝ったみたい」

 

 情けない主人の声にキバゴは短い手を広げ勝どきを上げた。

 

「モンスターボールに戻しなさい。勝ったとはいえ、キバゴも消耗が激しいはずよ」

 

 イブキの忠告にユキナリは慌ててキバゴをボールに戻す。その様子にイブキはため息をついた。

 

「素人のトレーナーさんに負けちゃったか……。まぁ、それでも実力は出し切ったわけだし、悔いはないわ」

 

 イブキがポケギアを突き出す。ユキナリもそれに合わせた。ポイントが勝利したユキナリへと送られる。ポケモンバトルは持ち点の四分の一が配当のはずだが、イブキがこの森で勝ち進んでいたお陰か1200ポイントもの配当があった。

 

「こんなに……」

 

「それだけの戦いだったって事よ」

 

 気がつくとギャラリー達も先ほどの勝負に湧き立っていた。誰もが同じ心地だったのだろう。拍手を送る者もいた。

 

「ガラじゃないわね」

 

 イブキが肩を竦め、マントを翻す。「あの」とユキナリは思わずその背中に声をかけていた。

 

「何?」

 

 肩越しに振り向いた視線に何を言ったらいいのか分からなかったが、一言だけ胸に結実した。

 

「ありがとう、ございました」

 

 勝負してくれて、という意味で言ったのだが、「感謝の言葉は早いわよ」とイブキは厳しい声を向ける。

 

「私なんかより、もっと強いトレーナーがいる。でも、当面はあんたとキバゴを超えるのが目標になりそうね。私の場合」

 

 付け加えられた言葉にきょとんとしていると、「じゃあね。……頑張りなさい」とイブキは小さくこぼして森を去っていった。ユキナリが追いかけようとすると、「あんたすごいな」とギャラリーから声がかかった。

 

「あのイブキを破るなんて」

 

「そのポケモン、ドラゴンなんだろ? 小さいのによくやったよ」

 

 様々な謝辞の言葉にユキナリが戸惑う。イブキを追う事は結局、出来なかった。まるで夢幻のように彼女は去った。しかし、初めての戦いで高鳴った鼓動だけは、今の出来事が夢ではないと告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けちゃったわね、ハクリュー」

 

 モンスターボールに言葉を投げかける。中にいるハクリューがどのような顔をしているのか分からなかったが、恐らく自分と同じくらい悔しいに違いなかった。

 

「フスベの里から出た人間としては、示しがつかないかな……」

 

 ひとまずはニビシティでポケモンの回復を行うしかない。このポケモンリーグという大会においては一体のポケモンしか使う事は許されていないからだ。

 

「それにしても、あの片牙の、キバゴってポケモン。すごかったわね」

 

 主人によく懐いていた。それだけではなく柔軟な判断力と強固なる精神を引き継いでいる。

 

「世界にはまだまだ私の知らないドラゴンがいるのね」

 

 これから出会うかもしれない予感に胸を高鳴らせつつ、イブキはニビシティを目指す。トキワの森を出れば二番道路、ディグダの穴と呼ばれる名所を超えてすぐのはずだ。

 

 歩み出そうとすると、不意に呼びかけられた。記者だろうか。黒いスーツを身に纏っている。優勝候補の自分が下された事を早くも嗅ぎつけたのかもしれない。

 

「何か?」

 

 イブキが尋ねると黒衣の男は、「先ほどの戦い。見事なものでした」と告げた。

 

「見ていたの?」

 

「ええ。一部始終を」

 

「で、何? 取材? 言っておくけれど、ポケモンリーグは始まったばかりよ。一度の黒星でどうこうなる話じゃない」

 

「重々、承知しております。私はただ、あなたのその実力をポケモンリーグ制覇というだけの小さな目的に集約するのはもったいないと思っているだけです」

 

「小さな目的?」

 

 聞き捨てならない、という響きを伴った声に相手は即座に反応する。

 

「もちろん、その制覇を至上目的とされているあなたからしてみれば、私の発言は困惑の種でしょう。しかし、こうも考えていただきたい。もっと別の、冴えたやり方で世界を手に入れる方法もある、と」

 

 男はこめかみを指差す。自分の中にこそ、それがあるかのように。

 

「その様子じゃ、ただの記者ってわけでもなさそうね」

 

 イブキが察すると、「ご明察」と相手は恭しく頭を垂れた。

 

「私はこういうものです」

 

 名刺が差し出され、イブキはそれを受け取った。シルフカンパニーの企業マークの横に赤い文字で「R」の刻印がある。

 

「何、このRは?」

 

「いずれ、この世界を手中に収めるマークです。今はまだ、力が及んでいませんが」

 

「シルフの下請けか何か?」

 

「だと思っていただいて結構。あなたは、ポケモンリーグを制覇し、玉座に就く事で秘境と呼ばれているフスベの里を盛り上げようとしている。現在、フスベタウンはその上の階級、フスベシティへの昇級を希望しているそうですね」

 

「いけないかしら?」

 

「とんでもない。崇高な理念だと思います」

 

 男の口調からは嘘かどうかは読めない。まるで鏡と対峙している気分だ。

 

「我々ならばそれが出来る、と言えばどうでしょうか?」

 

 相手の提案にイブキは目を見開く。

 

「市町村の関係にまで口を出せる立場だとは思っていないけれど」

 

 シルフカンパニーはいつからそこまで偉くなったと言うのだろう。イブキの疑問に、「ごもっとも」と相手は返した。

 

「しかし、いずれシルフカンパニーはポケモン産業を独占し、この国になくてはならない企業となる。その時、その下部組織である我々は充分に機能するはずです。今、関わっておいて損はない話だと思いますが」

 

「勧誘でもしているって言うの? あんた――キシベ・サトシだっけ」

 

 名刺に刻まれた名前を呼ぶとキシベという男がようやく輪郭を帯びてきたのが分かった。キシベは、「その力と血筋を残すためにも」と言葉を添える。

 

「どうか我々にお力添えを」

 

 イブキは迷った。この男、何が最終目的なのだ。シルフカンパニーの全権か。あるいは、それ以上を所望しているのか。優勝候補の自分に接触してくる辺り、小事に拘っているとは思えないが。

 

「虎の威を借る、ってわけでもなさそうね。何か、勝算があるのかしら」

 

「我々の下には今、優勝候補の一人がおります。彼を玉座に引き上げるため、その力を貸していただきたい」

 

 イブキはその提案に瞠目する。自分に誰かの下につけというのか。不満を感知したように、「何も下につけと言っているのではありません」とキシベは先んじて声を出す。

 

「あなたにはあなたの名声を。勝利の美酒を与えましょう。それに相応しい力も。ただ我々の組織に入っていただきたい。結果として、彼が玉座に就くという話です」

 

「私じゃ、その彼とやらに勝てないと言うの?」

 

 イブキは随分と嘗められたものだと感じていた。最初から部下としての勧誘とは。キシベはしかし取り立てて慌てる事もない。

 

「彼は強い。あなた以上でしょう。私は冷静に、分析しているだけです」

 

「気に入らないわね」

 

 鼻を鳴らすとキシベは、「いずれ、我々の力が必要になります」と言って退いた。どうやら退き際を心得ている様子だ。

 

「その時に、名刺にある番号にかけていただければ、我々はどこにいてもあなたの力になるでしょう」

 

 キシベは景色へと溶けるように消えていく。実体ではない。ポケモンの技を使って遠隔操作で自身の鏡像を具現化させていたのだ。

 

「最後に。Rの意味は?」

 

 問いかけた声にキシベは口元を歪める。

 

「――ロケット団。この名前を、あなた方は嫌でも思い知る事になる」

 

 不吉に告げられた言葉は風に乗って消えていった。

 

 



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第十七話「赤い鬣の青年」

 

 一つの街に一つ、ポケモンセンターと呼ばれるポケモン専門の医療機関の設置。

 

 それはポケモンリーグが開催を予定された当初から組み込まれていた工程表にあった。ユキナリはトキワの森を抜けると、人々が二手に分かれるのを見た。ディグダの穴と呼ばれる名所へと入っていく人々とニビシティを目指す人々。ディグダの穴に向かう人間に声をかけると、「ショートカットなんだ」と答えられた。

 

「わざわざ全チェックポイントを順番に回る必要もないだろう? そりゃ、チェックポイントから配分されるポイントは魅力的さ。でも、それ以上に、さらに奥地に行けばチェックポイントも上がるんだ。ディグダの穴で向かえるのはクチバシティの東部。出し抜けるわけだよ」

 

 彼らの言い分だとチェックポイントをわざわざ抜けて旅をするほうが危険なのだと言う。どうしてなのか、とユキナリは訊いていた。

 

「さっき、君は辛うじて勝てたけれど、イブキみたいなトレーナーもいる。最初のほうで実力ははっきりさせておきたいって感じのね。君がいなければ、おれ達はポイントを巻き上げられて諦めていただろう。だからあえて提案したいんだが、君もこっちから来ないか?」

 

 思わぬ提案に、「僕も?」と聞き返す。

 

「ああ。君のポケモン、キバゴならば充分レベルの高い相手とやり合えるだろう。何も順繰りに回る必要性もないんだ。普通にニビシティやハナダシティを経由している間に、クチバシティやその他のジムが落とされる可能性だってある。この競技は一見、順番に回ったほうがいいような気がするが、総合ではポイントの高い者の勝利だ。当然、向こう側のトレーナーやジムバッジを取ったほうがポイントは高い」

 

 ユキナリはしかし、最初から断る事を決めていた。「どうして?」と不思議そうに相手は尋ねる。

 

「連れを待たせているので。それに僕とキバゴも一度休まなければ」

 

 さすがにディグダの穴で連戦、というわけもいくまい。彼らはイブキに挑まず手持ちを温存しているが、自分は手持ちを晒した上に体力も随分と削られた。ディグダの穴に潜るのは難しい。

 

「そうか。じゃあここで別行動だな」

 

 彼らは別れる間際、「君の戦い、よかったよ」と感想を送ってくれた。ユキナリは手を振り返してニビシティへと経由する二番道路を行った。

 

 大きく草むらが取られているがわざわざ戦闘する余裕はない。脇道を通ってニビシティの全貌を捉える。

 

 屋根瓦が灰色で、全体の景観としては背の低い建物が乱立していた。盆地のようで街の北側が盛り上がっている。中央は街を降りたところにあり、そこにピンク色のテントと仮組みされた建物が映った。ポケモンセンターだろう。ユキナリはトキワシティで似た物を見た事がある。入ると、思っていたよりも人が少ない事に驚いた。トキワの森で多くの挑戦者が脱落したのか。それとも休んでいる暇はないと先ほどの人々のように旅を続けているのかは定かではないが、空いているのは素直にありがたい。ユキナリは受付にモンスターボールを持っていった。ピンク色の髪をロール状にした女性が受付嬢をしている。彼女達はセキエイから派遣された医療ボランティアだ。本来ならばタマムシ大学出のエリートだという事をナツキから聞かされた時には驚いたものである。

 

「こちらのポケモンですね」

 

 回復のために使われる機械は統一されており、半球状の窪みのついた黒い筐体であった。そこにモンスターボールを組み込むと光と共に回復されるのである。ナツキからは擬似的な癒しの波導を発生させ、回復させているのだと聞いたがその技術力に目を瞠るばかりだ。

 

「はい。どうぞ。預かったポケモンは元気になりましたよ」

 

 手渡されてユキナリは本当に今の一瞬で回復したのか疑わしかったが、ポケモンセンター内で出すのも気が引けたので建物から出てから確認しようとした。

 

 その時、視界に入ったのはパソコンだった。これも今回のポケモンリーグのため、セキエイ高原及びシルフカンパニーが普及に乗り出した機械である。博士の研究所に何台か置かれていたのを目にした事があるが一般家庭において普及率は二割程度を切っている。インターネット回線が敷かれているのはさらに半分ほどだろう。

 

 物珍しいのか、ポケモンの回復を終えた人々が見物していた。しかし遠くから眺めるばかりで誰も触ろうとしないのは新しいものに対する警戒だろうか。ユキナリはそんな中、パソコンへと歩み寄った。先ほどの戦闘におけるキバゴの動きを博士に報告しなければならないと感じたのだ。他の人々がひそひそ声を交わし合う中、ユキナリは常時起動のパソコンでメールメッセージを作った。博士の研究所のアドレスを打ち込み、後でビデオチャットの予告をしておく。すると返事はすぐに来た。

 

「三十分後、か」

 

 博士もやきもきしているのだろう。スクールから今回のポケモンリーグに出ている人間はなにもユキナリとナツキだけではない。他の参加者もいるだろうが定期通信を取ってくる人間は少ないのかもしれない。

 

「ジムまで行ってみるか」

 

 それまでの時間潰しをユキナリはニビシティを観光巡りでもしようかと考えていたが、ナツキとの約束もあった。恐らくジムで待っているはずだ。ポケモンセンターを出ると、「お前さん」と呼びかけられた。

 

 視線を向けると赤い髪の青年がユキナリを待ち構えていた。アデク、だったか、と名前を脳裏に呼び出す。

 

「強かったのう! お前さんのポケモン!」

 

 アデクはいきなりユキナリの肩を引っ掴んだかと思うと激しく揺すぶった。ユキナリはそれだけでも勢いに圧される気分だったが、アデクの大音量の声に耳がわんわんと鳴った。

 

「は、はぁ」

 

「なんじゃい、もうちょっと自信持ちないな! あれほどあのドラゴンタイプを使えるトレーナーは初めて見たわい!」

 

 あのドラゴンタイプ、と言ったところでユキナリは、「キバゴを知っているんですか?」と尋ねていた。

 

「おお! キバゴ言うんかいな! イッシュではそのポケモンをAXEWと呼ぶがな」

 

「アクス……?」

 

「おお、斧、っうんかな。カントーでの意味は。キバゴ言うんはお前さんが?」

 

 ユキナリがおっかなびっくりに頷くとアデクは快活に笑った。

 

「そうか、そうか! いい名やわい!」

 

「……あの、その喋り方……」

 

 ユキナリが怪訝そうに尋ねると、「おお! 勉強した!」とアデクは答えた。

 

「カントーでの標準語、って言う奴をな!」

 

 それにしてはジョウトのコガネ弁訛りでもあるし、無駄に声が大きい。ユキナリの不安を他所に、「お前さん、強いな」と急に真剣な声音でアデクは言った。

 

「いや、僕はまだまだ」

 

「謙遜する事はない! あのドラゴン使いに勝った。それで充分じゃ!」

 

 アデクに背中を激しく叩かれてユキナリはむせそうになりながら、「あの、アデクさんは……」と口にすると、「アデクでいい」と返された。

 

「同じトレーナーやろ!」

 

「ええ、まぁ」と小さな声で返すと、「何や、お前さん! 虫が鳴くみたいな声やのう!」と笑われた。それはアデクと比べればそうだろう。

 

「名前は? ええトレーナーや。知っておきたい」

 

「ユキナリです。えっとファミリーネームは……」

 

 確かイッシュではファミリーネームを後に言うのだったか、と考えていると、「ユキナリか! いい名じゃな!」とアデクはそれを気にも留めない様子だった。

 

「お前さん、当然チェックポイントへ行くのやろ!」

 

 アデクと並んで歩くと、彼がいかに鍛え上げた身体をしているのかが分かった。下駄を履いており、修行僧のような衣装は独特だが、二の腕はユキナリの倍ほどはありそうだ。

 

「今回のポケモンリーグ、オレはそう簡単に事は進まん! そう考えてる!」

 

 その言葉にはユキナリも同感だった。

 

「ジムトレーナーとジムリーダー制度ですよね」

 

「そいつらにもオレらと変わらん、いや、オレら以上に優遇されてるって聞くやないか! そいつらを倒して回るのに、相当熟練しなければいかんだろ!」

 

 アデクはモンスターボールを片手に握っていた。先ほどトキワの森で見た手持ちは白い体毛のポケモンだった。技の性質からして炎タイプだろうか、と勘繰っていると、「オレのポケモンはメラルバ!」とボールを差し出した。

 

「虫・炎タイプじゃわい!」

 

 ユキナリはそのあっけらかんとした立ち振る舞いに翻弄されていた。まさか自分の手持ちを自ら明かすとは思えなかったのだ。「意外、ですね……」と感想を漏らす。「何が!」とアデクは笑った。

 

「だって、戦ってもいない相手に手持ちを明かすなんて」

 

「お前さんの実力はさっきのでよく分かった! なのに、オレだけ明かさないなんぞ、男として恥ずかしいわい!」

 

 明朗なその言葉に悪い人間ではない、という認識をユキナリはアデクに付け加えた。アデクは顎をさすりながら、「それにしても、ジムリーダーか」と初めて不安そうな顔をする。

 

「何か不安でも?」

 

「そりゃ、不安はある! なにせ、相手の素性も、どれだけ強いのかも分からない相手を八人! 倒さなきゃならんってのはな!」

 

 どうやらアデクは八人全員を突破する事を前提に話を進めているらしい。ユキナリは、「別に全員突破をしなくてもいいのでは」と消極的な言葉を発するとアデクからの檄が飛んだ。

 

「そんな弱々しい事でどうする! 全員ぶっ倒してまだ足りんレベルじゃなければ玉座なんぞ!」

 

 どうやらアデクは自身の腕に頼むところが大きいようだ。一地方の玉座となればそれほどまでにハングリー精神を燃やす人間がいてもおかしくはないのかもしれない。

 

「全員を凌駕するレベルで戦うってのは、僕は難しいと思います」

 

 ユキナリの言葉を今度は否定せずに、「随分と弱気じゃなぁ」と感想を述べた。

 

「だって使えるのは一体きり。タイプ相性も考えれば絶対に突破出来ないジムリーダーがいてもおかしくはない」

 

「交換は出来るんじゃろう?」

 

 アデクの言葉に、「まさかその都度誰かと交換を?」とユキナリが返すと、「いいや!」とアデクは首を横に振った。

 

「メラルバはオレの相棒! そう簡単に誰かと交換なんて出来ん!」

 

 ならばどうしてそのような言葉が出たのかと訝しげにしていると、「そういう戦術もありじゃろ!」とアデクは笑った。

 

「オレはそんな姑息な真似はせん! 正々堂々、このメラルバのみで勝ち抜く!」

 

 こちらにまで熱さが伝わってきそうな鬼気迫るやる気にユキナリは辟易しながら愛想笑いを浮かべた。

 

「ところで、最初のジム。ニビジムだが……」

 

 その段になってアデクは周囲を見渡した。

 

「どこに行ったらあるんじゃろう?」

 

 どうやらアデクには土地勘というものが全くないらしい。今までの心意気が充分な発言からしてみれば肩透かしを食らった気分だった。ユキナリが、「街の中央でしょう」と推測する。

 

「僕はこれから向かおうとしていますが」

 

「なんと! ならオレも行くわい!」

 

 アデクはユキナリと共に歩き出す。恐らくは強敵になるであろうアデクと行動を共にするのは如何なものかと思ったが既に相手に手持ちは割れている。こちらから裏切るような真似は控えたほうがいいだろう。

 

「……ん? 何だ?」

 

 他の建築物とは明らかに違う、がっしりとした様式の建物が目に入り、あれがポケモンジムだろうと当たりをつけたところの出来事だった。アデクもそれに気づいたらしい。

 

「人が集まっとるな!」

 

 ユキナリはジムの前で立ち往生している人々が困惑するように足踏みをしているのを視界に入れた。ただ集まっているだけではない、とその異常を発見するのに時間はかからなかった。

 

「人が多くて入れんというのか?」

 

「……いや、あれはそういうんじゃないですよ」

 

 ユキナリは自然と早足になっていた。アデクがかっぽかっぽと下駄を鳴らしながらついてくる。ジムの前で一人の男が立ち塞がっていた。その男の前には岩に両腕のついたポケモンが侍っている。ユキナリでも知っている。地面・岩タイプのポケモン、イシツブテだ。そのイシツブテは顔のすぐ下に貝殻で出来た小さな鈴をぶら提げていた。アンバランスなそれに、一体どのような用途なのだろうか、と考えていると、「おい! 見てみ!」とアデクの声が飛んだ。ユキナリが目を向けると、相手のトレーナーがイシツブテのトレーナーと対峙していた。ユキナリにとって驚愕の材料となったのは相手があのナツキだった事だ。

 

「ナツキ……」

 

 



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第十八話「キバゴの力」

 

「トキワの森で先に行った知り合いのはず」とユキナリへと視線を流す。

 

 事の状況を見る限り、どうやらナツキとストライクは目の前のイシツブテのトレーナーと勝負しているようだ。イシツブテが右腕を思い切り後方へと振りかぶる。大きな一撃の予感にストライクが先に動いた。

 

「真空破!」

 

 鎌に空気の膜を纏いつかせ、砲弾のように発射する。イシツブテの身体へとその攻撃は確かに打ち込まれた。体表に亀裂が走る。格闘タイプの技「しんくうは」は岩タイプを持つイシツブテに効果抜群のはずだ。

 

 しかし、イシツブテは倒れなかった。一撃を凌いだイシツブテが身体を揺らすと貝殻の鈴が癒しの音叉を響かせた。青い光が波紋状に広がり、イシツブテの負傷を治療していく。見る見る間に亀裂が消え、イシツブテは万全の状態になった。

 

「くそっ! さっきから何度も何度も!」

 

 ナツキの声にイシツブテのトレーナーは、「負けない戦いってのがあるんだよ」と応じる。

 

「ここの違いだ」とこめかみを指差した。「何を!」とナツキがストライクを先行させる。するとイシツブテは右腕を引き、ストライクへと鉄拳を見舞った。

 

「メガトンパンチ」

 

 ストライクが大きく後退する。目を凝らせばストライクの外骨格には何度も打ち据えられたような痕跡があった。一度や二度ではない。何度も「メガトンパンチ」を受けている。

 

「でも、ストライクとナツキはそう簡単に相手の攻撃を許すわけが……」

 

 二ヶ月間の修行が思い出される。アデクは苦い顔をして、「あれを見てみ」と顎をしゃくった。示したのはイシツブテの持つ貝殻で出来た鈴だ。

 

「あれは?」

 

「貝殻の鈴。まぁ、名前はそのまんまじゃが、あれの効力がいかん。その鈴の音から発せられる癒しの効用で体力を回復する」

 

 その効果のせいでイシツブテが倒せないのか。しかし、と疑問が残る。

 

「でも、だからって何度も受け続けられるわけじゃないでしょう? 僕が知っている限り、ナツキのストライクは弱点タイプ程度で止まる性能じゃない」

 

「そこが、あのトレーナーのいやらしいところだな」

 

 アデクは冷静に分析している。何が行われているというのか。ユキナリが事を見守っていると、ストライクが再び動く。翅を展開し、跳躍からの鎌による一閃を浴びせた。イシツブテはすぐに砕けそうになるが貝殻の鈴がもたらす効用ですぐさま修復される。ナツキが悪態をついた。

 

「何度も、何度も……」

 

「しつこいのが俺とイシツブテの戦い方だ。降参してもいいんだぜ?」

 

「誰が!」とナツキは意地になってストライクへと前身を促す。ユキナリには何が行われているのかさっぱりだった。

 

「あのイシツブテはレベル1のものじゃろう」

 

 アデクの推測にユキナリは耳を疑った。

 

「レベル1? そんなポケモンがどうして何度も何度もストライクの猛攻を防げるって言うんです?」

 

「レベル1じゃからこそ、この戦法は有効になる」

 

 苦渋を噛み締めたかのようにアデクは顔をしかめた。「だから、何が……」と理解していないユキナリは続ける。

 

「あのイシツブテ、特性が頑丈じゃ」

 

 特性、という言葉にこの二ヶ月の修行が思い出された。

 

「特性。ポケモンが持つ固有能力……」

 

「そう。頑丈特性はたとえば瀕死に持ち込まれるほどの相手の攻撃を受けたとしても耐え切る特性。体力が満タンの時に限って、だが」

 

「だったら、どうして何度も」

 

「だからこそのレベル1なのだろう。レベル1は必然的に体力が低い。貝殻の鈴で回復を補ってやれば、すぐに満タンになる。そして満タンの時にはいくら攻撃を与えても、絶対に耐え凌ぐ」

 

 そこまで言われてユキナリはハッとなった。

 

「つまり、無限に頑丈特性が適応される……」

 

「その通り。汚い戦法と言えばそこまでじゃが、負けない戦法ではある。相手のスタミナ切れを待つか、あるいは相手へと攻撃を加えて降伏を突きつけるか」

 

 ユキナリはそのような戦いにナツキが巻き込まれている事が信じられなかった。よくよく見れば周囲の人々のポケモンも傷ついている。頑丈特性が発動する度にその顔が怒りに歪んだ。彼らもまた、あの一人のトレーナーにしてやられたのだろう。

 

「そんな……。ナツキ、もう!」

 

 ユキナリの声にナツキが顔を振り向ける。その一瞬にイシツブテのトレーナーが口角を吊り上げた。

 

「イシツブテ、メガトンパンチ」

 

 しまった、とナツキが顔を向ける前にストライクの腹腔へと勢いをつけた鉄拳が叩き込まれる。緑色の外骨格に皹が入り、戦うには危険な状態である事を告げていた。

 

「そろそろボールに戻す事をお勧めするね」

 

 それは退け、と言っているのだろう。ナツキは歯を食いしばって頭を振った。

 

「ストライク! まだ!」

 

「見苦しいなぁ。いつまでもそうやって。いい加減、勝負を投げたらどうかな? そうすれば少しばかりは楽になれる」

 

「黙りなさい! あたしと、ストライクなら!」

 

「そういう根性論みたいなの、嫌いなんだよねぇ。特性も相性も理解しているのなら、余計に、そういうのは自分のポケモンを苦しめるだけって気づけているはずだけど?」

 

 ナツキは歯噛みした。今にも涙が零れそうなほどに瞳が揺れているのが分かる。それを一線で堪えているのだ。

 

「簡単な事だ。俺にポイントを渡す。たった四分の一。それを渡してこのジムの攻略は諦めればいいだけ。次のジムに向かうといい。ただし、俺に負けたという心の傷は負いながらな」

 

 哄笑を上げる相手に業を煮やしたのか、アデクが顔を怒りに染めて叫んだ。

 

「貴様ァ!」

 

 モンスターボールを手にその戦場に踏み込むかに思われたが、それよりも早く、その戦闘に割って入った影があった。アデクが瞠目する。

 

「お前さん……」

 

 ユキナリがアデクよりも先に戦場に踏み込んでいた。ナツキが、「ユキナリ……?」と声を出す。今にも泣きじゃくりそうな弱々しい声音に、「ナツキは、見ていてくれ」と返す。

 

「僕が、奴を倒す」

 

 その言葉に仰天したのはナツキだけではない。アデクも同様であった。

 

「お前さん、連戦じゃろう! 無理は――」

 

「していません。もう、ポケモンセンターで回復も済ませた。僕とキバゴは万全だ」

 

 モンスターボールを構える。ユキナリの挙動に、「あんたが、この勝負を引き継ぐってのか?」とイシツブテのトレーナーが挑発した。ユキナリは首肯する。

 

「ああ。僕とキバゴなら負けない」

 

「よく分からない自信だな。今の戦い、見ていたろう? 頑丈特性を破る手段でもあるってのか?」

 

「それは、分からない」

 

 正直に発した言葉にアデクとナツキが息を呑んだ。イシツブテのトレーナーは、「分からないって」とくっくっと喉の奥で嗤う。

 

「じゃあ勝てないんじゃないの?」

 

 ナツキがその言葉に反論する前に、ユキナリは静かに応えた。

 

「いいや。僕が、勝つ」

 

 マイナスドライバーでモンスターボールを開放する。放り投げると二つに割れたボールからキバゴが飛び出した。それを見下ろして、「ちっさなポケモンだな、おい」と相手トレーナーは馬鹿にする。

 

「非力そうだ。頼むからここまで盛り上げておいて、メガトンパンチ一発で沈んでくれるなよ、ヒーロー君」

 

 神経を逆撫でするような言葉にもユキナリは静かな怒りで応ずる。

 

 ナツキだけではない。ここにいるトレーナー、みんなを食い物にするような戦い方をした相手を許すわけにはいかない。

 

「そっちこそ、一撃でやられてくれるんじゃないぞ」

 

 ユキナリの声に口角を吊り上げた相手トレーナーが手を振り翳す。

 

「イシツブテ! メガトンパンチ!」

 

 イシツブテが跳ねるようにキバゴへと肉迫する。全く動こうとしないキバゴにアデクとナツキが、「危ない!」と声を重ねた。次の瞬間、キバゴの身体に鉄拳が叩き込まれていた。

 

 しかし、キバゴは動じない。ユキナリでさえも。

 

「この一撃はあえて受けた。お前らが侮辱していった人達の、悔しさを知るために」

 

 キバゴが手を払う。それだけで相手のイシツブテが弾き飛ばされた。相手トレーナーはキバゴの膂力に驚愕を隠せない様子だったが、「まやかしだ」と断じた。

 

「そんな弱々しい身体で!」

 

「確かに、弱そうに映るだろう。でも、僕は、それに逃げやしない。キバゴとならば、超えられる」

 

 キバゴが片牙を突き出す。青い光が身体から迸り、片牙へと纏い付くと巨大な扇形の牙を形成した。キバゴの身の丈ほどもある牙の具現に一同がざわめく。

 

「何だ、その、牙は……」

 

 相手トレーナーも狼狽している。ユキナリはキバゴへと静かに命じた。

 

「キバゴ、ドラゴンクロー」

 

 青い一閃が突き上げる鋭さを伴ってイシツブテへと叩きつけられる。イシツブテの岩石の体表から血飛沫の代わりに砂礫が迸った。切り裂かれたイシツブテが弱々しくその場に倒れ伏す。相手トレーナーも理解出来ていないようだった。今の一撃がどれほどのものなのかを。

 

 しかし、すぐに持ち直し、「ま、まだだ!」と手を振り翳す。

 

「貝殻の鈴が作用し、頑丈特性のイシツブテは復活する!」

 

 そのはずであった。しかし、イシツブテは再生する気配はない。貝殻の鈴も作用しているう様子はなかった。

 

「おい、イシツブテ? どうしたって言うんだ!」

 

 相手トレーナーの声にイシツブテは応じない。アデクが間に入って、「もう瀕死状態じゃ」と宣言した。

 

「イシツブテは負けた」

 

 アデクの言葉が信じられないのか、「そんな馬鹿な事ってあるかよ!」と相手トレーナーはいきり立った。

 

「だって、頑丈特性なんだぞ。一撃を確実に受け止める特性が、どうして一撃で……」

 

「それを無力化する何かを、キバゴとユキナリが秘めていただけの事。簡単じゃろう」

 

 アデクの言葉にユキナリは、「何か」と繰り返した。相手トレーナーは負けを認められない様子で、「嘘だ、嘘だ!」と叫ぶ。

 

「ここを通すわけにはいかないんだ! だって、俺達の希望の星であるタケシさんに、どう顔向けしろって……。お前らクズがタケシさんに挑戦しようなんて一万光年早いんだよ! 俺程度で止まっていればいいんだ! だから――」

 

「話は、聞かせてもらった」

 

 遮って放たれたのは重々しい声だった。ユキナリを含む全員がその主を見やる。ジムから出てきたのは上半身裸の男だった。筋骨粒々で、糸のように細い目をしている。逆立たせた黒髪に武神のような井出達は岩のような男だという印象を強めた。

 

「タケシ、さん……」

 

「トシカズ。お前の気持ちは痛いほどに分かった」

 

 トシカズと呼ばれたイシツブテ使いは顔を伏せる。タケシは全員を見やってから、「ジムトレーナーの教育が行き届いていなくってすまない」と頭を下げた。その行動に全員が沈黙する。

 

「だが、トシカズは俺の事を思ってやったんだろう。文句は全て、俺が受け止める。何なら処分を受けてもいい。この事を、大会本部に密告しても構わない」

 

 タケシという男はどうやらかなり真っ直ぐな人間らしい。何のてらいもなく放たれた言葉に全員が硬直しているとユキナリに彼は顔を向けた。

 

「君が、トシカズを倒したのか?」

 

 ジムリーダーの声に気圧されるものを感じつつ頷くと、「間違いを間違いと気づくためには、誰かの力添えが必要だ」とタケシは言った。

 

「ジムトレーナーの道を正してくれた事、礼を言う」

 

 ユキナリは自分がそのような大それた事を成し遂げたつもりはないためにうろたえた。「そんな事」と謙遜すると、「その代わり、お願いがある」とタケシが告げた。

 

「お願い、ですか……」

 

 この状況で何だろうと不安を覚えているとタケシは真っ直ぐにユキナリを見据え、「俺とバトルして欲しい」と言い放った。



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第十九話「型破り」

 

「バトル、ですか……。でも、僕は居合わせただけで」

 

「それでも、俺が黙認していれば彼らはバッジを取る事も、俺という人間に挑戦する事も出来なかっただろう。俺は一人のトレーナーとして、君に、ポケモンバトルを申し込む」

 

 タケシの言葉にユキナリは戸惑ったが、「行ってくれ」と誰かが口にした。

 

「俺達は悔しいけれどジムトレーナーに負けた。でも、君は勝ったんだ。だったら、次はジムリーダーに挑戦、だろ?」

 

 彼らが望んでいる事が分かる。この場でユキナリに託したいのだ。たまたま居合わせてナツキだけを救ったつもりだったが、どうやらユキナリの行動は多くの人を勇気付けたらしい。

 

「ぜひ、戦ってくれ」、「俺達のためにも!」と声が続く。ユキナリがそれでも躊躇していると、「だったら、あたしの権利を使いなさい」とナツキが声をかけた。

 

「ナツキ……」

 

「真っ先にジムリーダーに挑む挑戦権。ここにいる全員分、ってのが重たいのならあたし一人分でもいいから」

 

 ナツキの言葉にユキナリは背中を押された気がした。アデクが続ける。

 

「オレもユキナリが最初に挑むのには賛成だな! どのように戦うのか、楽しみじゃわい!」

 

 快活に笑うアデクに先ほどまでの気持ちが吹き飛ばされるかのようだった。

 

「受けてくれるね?」というタケシの問いにユキナリは首肯する。

 

「喜んで」

 

「ではジム内で戦おう。そこの、アデク君だったかな。ジャッジを頼みたい」

 

「おう! 喜んで!」とアデクが胸板を叩く。ユキナリはタケシに続く形でジムに入った。

 

 投光機から様々な角度へと光が放射される。

 

 ニビジムは岩石がそこらかしこに配置されており、地形も奥に行くほどに傾斜が厳しくなるフィールドだった。全体像としては岩山の威容を誇る。挑戦者はまるで頂上のような位置に佇むタケシを下さねばならない。自然と全身が強張る対戦環境だった。

 

「使うポケモンは一対一。これはポケモンリーグで定められた通り」

 

 タケシの言葉にユキナリはキバゴを前に出す。キバゴは自然物ではない人工の岩に興味津々のようだった。

 

「ここらじゃ見かけないポケモンだが、何が来ようと俺が使うのはたった一体のエース。それに揺るぎはない」

 

 タケシはモンスターボールを突き出した。アデクが審判を務め、「バトルスタート!」の号令を発する。

 

「いけ! イワーク!」

 

 タケシがモンスターボールを投擲する。現れたのは岩を数珠繋ぎにしたようなポケモンだった。灰色の岩石で身体が構築されており、縦一列の配置は岩の龍を思わせた。頭部も威圧する眼差しに蛇のような口がついている。

 

「岩蛇ポケモン、イワーク。俺のエースだ」

 

 ユキナリはその巨大さにキバゴとの差を感じた。しかし、巨体がそのまま力の上下に繋がるわけではない事はこの二ヶ月の修行で理解したつもりだ。

 

「僕はキバゴで行きます」

 

 タケシはフッと口元を緩める。

 

「キバゴ、か。いい名だ。教えてやろう! チャレンジャー。俺のイワークの特性は頑丈。先ほどのイシツブテと同じだ」

 

 ユキナリは自分からポケモンの特性を説明するタケシに困惑していたが、それも一種のけじめなのだろうと感じ取った。

 

「だが、お前のキバゴはどうやら頑丈特性を無効化する力があるらしい。しかし!」

 

 イワークが鎌首をもたげ、キバゴを睨みつける。キバゴはその重圧を感じ取ったかのように萎縮した。イブキとの戦いでも強張らなかったキバゴが緊張しているのが分かる。

 

「キバゴ?」

 

「イワークの巨体と迫力に圧倒されているな。俺のイワークは弱点をつかれたとしてもやわじゃないぞ!」

 

 イワークが全身を揺すぶって岩の身体の境目同士を擦り合わせる。すると、にわかに景色が変わってきた。茶色い空気が刃の鋭さを伴ってユキナリの視界とキバゴの身体へと襲いかかる。

 

「これは……」

 

「砂嵐だ。この技で断続的に地面や岩でないポケモンはダメージを受ける」

 

 キバゴの表皮に砂嵐の刃が切りかかった。驚くべき事に、砂嵐はじわじわとキバゴの体表を削り取っているようだ。

 

「ドラゴンの皮膚を、破る……」

 

「その通り。うかうかしているとやられるぞ」

 

 タケシの試すような口調にユキナリはここでは挑戦者なのだという事を自覚した。一歩も退けぬチャレンジャー。その資格が与えられたのならば報いなければならない。ユキナリは声を張り上げた。

 

「キバゴ! 接近してダブルチョップ!」

 

 キバゴが手足を駆使して駆け出す。目の前にイワークがいると狙って牙を突き出し、攻撃を繰り出そうとした。しかし、キバゴの一撃は空を穿った。

 

「どこを見ている?」

 

 タケシの声にユキナリは気づいて視線を巡らせた。イワークがなんとその体長を伸ばしてキバゴの背後へと首を回している。

 

「既に後ろに……!」

 

「砂嵐で視界を奪われたな。その小さな身体ではこのジムの全貌を把握する事も出来ないだろう」

 

 その時になってユキナリはこのニビジムに設置された数々の器具の意味を知った。幾何学的に配置された岩も、照明も、全てがイワークの動きを補助するための代物だった。

 

「イワークが這い進みやすいような地形を!」

 

「ジムリーダーは地の利を活かすくらい当然。油断したな、岩雪崩!」

 

 イワークの身体が分散し、それぞれの岩がキバゴを押し潰さんと落下する。ユキナリは即座に叫んだ。

 

「キバゴ、攻撃を手近な岩に叩き込め!」

 

 目標を喪失していたキバゴの攻撃を岩石へと命中させる。キバゴの片牙が岩へと食い込み、仮初めの足場を得た。

 

「岩を蹴って離脱!」

 

 キバゴが即座に岩を足場にしてその場から逃げおおせる。「いわなだれ」と呼ばれた技はイワークそのものを質量の武器とする攻撃だったらしい。分散したイワークの身体が磁力で引かれたように合体し、再びその眼に攻撃の意思が宿る。

 

「キバゴ、今ならイワークは動けないはずだ」

 

 その言葉にキバゴが駆け出す。イワークへと「ドラゴンクロー」を叩き込むのならば今だと判じたのだ。しかし、それを見越していない相手ではなかった。

 

「迂闊だな。イワークの配置を見ずに攻撃とは」

 

「配置?」

 

 ユキナリはイワークが落下した痕を見やる。ちょうど楕円を描いてイワークの頭部の反対側に岩の尻尾が控えていた。キバゴはイワークの頭部へと当然、攻撃を向けようとする。その背後で手ぐすねを引いている尻尾の一撃には気づいていない。

 

「まずい! 狙ってきている! キバゴ、離脱――」

 

「遅い! イワーク、アイアンテール!」

 

 遮って放たれた声と尻尾の一撃が飛ぶのは同時だった。尻尾の岩石がまるで砲弾のようにキバゴの背中に突き刺さったのだ。キバゴはそのまま吹き飛ばされる形となった。壁に身体を打ちつけ、予想外のダメージにうろたえる。

 

「そのキバゴとか言うポケモン。身軽さとそれに似合わぬ一撃の重さが自慢のようだが、俺のイワークはその先を行く! アイアンテールは鋼の物理技。まともに食らえばただでは済まない!」

 

 タケシは完全に自分達の先を行っている。それが言葉にされずとも分かった。今の一撃、砂嵐で視界が悪いとはいえ、キバゴに先行させ過ぎた。本来ならば手持ちの背後はトレーナーが見ているはずなのに。

 

「俺のイワークを超えられないのなら、この先の旅はお勧めしないぞ。これから先、強い奴はごろごろいる。俺なんて吐いて捨てるほどにな。それほどまでに、全員が、ポケモンリーグに賭けているんだ。チャレンジャー! お前は、俺を超えられるか?」

 

 暗に今までの覚悟では物足りないと言われているようなものだった。ユキナリは自分にその資格があるのか、と問いかける。様々な人々を押し退け、王者の証に至れるほどの覚悟が。

 

 翳りかけたその思考に、「負けるな! ボウズ!」と声が飛んだ。振り返ると先ほどまで外にいた人々がユキナリを観客席から応援していた。

 

「そうだ! ジムバッジをもぎ取れ!」、「俺達の思いも託したんだ!」

 

 めいめいに叫ぶ人々にタケシは、「熱いな」と感嘆の息を漏らす。

 

「戦いとは、こうも熱くなれるんだ。誰だっていつもより一歩先に行ける。チャレンジャー。ポケモンと一緒にどこまで行けるのか、試してみたくはないか?」

 

 その言葉は挑発でも何でもない。打算も何もなく、純粋にどこまで行けるのか、楽しみじゃないかと問いかけている。ユキナリは口元に笑みを浮かべた。

 

「楽しい、か。僕も、ここまでなるとは思っていなかった」

 

 キバゴへと視線を向ける。呼びかけるとキバゴはまだ気高い鳴き声を上げた。

 

「よし。戦えるな?」

 

 キバゴが手足を広げてイワークを睨み据える。何倍もある相手へと臆する事のない闘志を向けるキバゴへとイワークは吼えた。その咆哮で砂嵐が吹き飛ぶ。ユキナリは、「怯むな!」と叫んだ。

 

「むしろ好機だ! 砂嵐が、一瞬薄らいだ!」

 

 キバゴは片牙を携えて猛進する。イワークが首を持ち上げて、キバゴを見下ろした。

 

「だったらもう一度受けてみるか?」

 

 イワークの身体が分散する。「いわなだれ」が来るのだと判断したユキナリは、「突っ込め!」と命じていた。タケシが、「勝負を捨てたか!」と声にする。

 

「違う!」

 

 ユキナリの声にキバゴがイワークへと向けて地面を蹴った。片牙の一撃が今しがた雪崩れ込もうとしていた岩に突き刺さる。キバゴはそれを手がかりにしてイワークの一部である岩石を蹴り、さらに高空へと至った。タケシがハッとする。

 

「岩雪崩を利用して、あえて打たせる事で頭部への一撃を約束させるつもりか」

 

「岩雪崩の途中ではイワークは動けないはず!」

 

 ユキナリの読み通り、攻撃中のイワークの頭部の位置は固定されていた。真っ先に頭部と尻尾が落下し、その後を埋めるように岩の身体で押し潰そうと言うのだ。落下してくる岩を片牙でいなし、キバゴは躍り上がった。直下にはイワークの無防備な頭部がある。ユキナリはキバゴに命じた。

 

「ドラゴンクローで掻っ切れ!」

 

「接近させるな! 竜の息吹!」

 

 イワークの頭部が身じろぎし、口腔を開くとそこから青白い炎が吐き出された。キバゴへと真っ直ぐに直進する青い炎の威容にユキナリが怯む。

 

「竜の息吹はドラゴンタイプの技! まともに受ければ大ダメージだぞ!」

 

 タケシの声に、「なら!」とキバゴへとユキナリは指示を飛ばした。

 

「空牙を使え!」

 

 キバゴが反対側の空牙を突き出した。青白い炎が収束し、渦を巻いて牙の形状を取っていく。しかし、吸い込みきれない余波がキバゴの皮膚を焼いた。

 

「全て無力化出来ると思うな!」

 

 分かっている。イワークも渾身の技だ。空牙だけで無力化出来るほど容易くはないだろう。

 

「でも、キバゴ! お前には二つの牙がある!」

 

 キバゴはどちらかを突き出すのではなく、両方から翼のように青い光を噴出させた。キバゴの身体を像が結ぶ。一瞬だけ、青い光の向こう側に鎧を纏った龍の姿が映し出された。

 

「……何だ、今の」

 

 タケシがそれを確認する前に、翼のように展開した青い光が一本へと繋ぎ止められ、キバゴは身体を反転させる。イワークの巨躯をも超える長大な牙の一撃が振るい落とされる。イワークが受け止めようと身体を浮き上がらせる前に、青い剣閃が叩き込まれた。イワークの身体から砂煙が噴き出す。キバゴはたたらを踏んだが着地した。固唾を呑んで砂煙が晴れるのを見守る。

 

 イワークが鎌首をもたげて声を上げたが、すぐに伏せった。アデクが片手を挙げて宣言する。

 

「イワーク、戦闘不能! 勝者、ユキナリ!」

 

 その言葉がまだ染み渡らないうちに、「やったな、ボウズ!」と歓声が上がった。ユキナリが遅れて、「勝った……?」と確認する。

 

「ああ、最高の勝負じゃったわい!」

 

 アデクの言葉にようやく制したのだと言う実感が湧き上がる。その直後、ユキナリはぺたんとその場にへたり込んだ。「ちょっと! ユキナリ!」とナツキが駆け寄ってくる。アデクも審判台から歩み寄ってきた。

 

「大丈夫か!」

 

 ユキナリは二人の顔を見やって困惑する。

 

「腰が抜けたみたいだ」

 

 笑って口にすると、アデクとナツキは笑みを交わし合った。

 

「とてもいい戦いをさせてもらった」

 

 タケシが奥から近づいてくる。イワークをボールに戻し、「よく頑張ってくれた、相棒」と労った。ユキナリは立ち上がろうと努めたが、身体が上手く動いてくれない。アデクの補助を受けてようやくタケシに目線を合わせる。タケシは、「受け取るといい」と灰色の六角形のバッジを差し出す。

 

「これは……」

 

「グレーバッジ。俺を倒した証だ」

 

 ユキナリはグレーバッジを受け取る。神秘的な光を内に秘めた鈍い灰色だった。

 

「まさしく一進一退! 緊張感のあるバトルじゃった!」

 

 アデクの感想に、「ああ、そうとも」とタケシはユキナリへと手を差し出した。握手を求められているのだと分かり、ユキナリは手を重ねる。ぎゅっと握り締められた手にはバトルの熱がまだ篭っている。

 

「最後の技はドラゴンクローだな。頑丈特性を破ったという事は、特性は限られてくる」

 

 タケシはキバゴへと視線をやる。キバゴは所在なさげに周囲をきょろきょろしている。

 

「相手の特性を破る掟破りの特性、型破り、と名付けるのに相応しいか」

 

「型破り……」

 

 タケシの言葉にしばらく放心していると、「ポイントを渡さないとな」とタケシはポケギアを突き出した。ユキナリも慌ててポケギアをつき合わせる。ポイントが入ってきたがそれは驚くほどに大きなものだった。

 

「10000、って桁間違ってません?」

 

 ユキナリが戸惑うとタケシは微笑んだ。

 

「ジムバッジの固有ポイントが3000、俺に勝ったので5000。あとの2000はジムトレーナーの道を正してくれた礼だ。受け取ってくれ」

 

 自分には過ぎたポイントだと思っていると、「受け取ってくれ」とギャラリーからも声が上がった。

 

「俺達もあんたに賭けたい」

 

 ユキナリは自分のポケギアを掲げて、「ありがとうございます」と頭を下げた。タケシは、「ジムバッジは固有のシンボルポイント」と付け加える。

 

「強奪される事のないようにな。その場合、ポイントも相手に渡ってしまう」

 

 自然と身構えた。ジムリーダーからバッジを得るのが難しいのならば挑戦者を狙うという手も存在するのだ。

 

「もっとも、そんな輩はここにはおらんようだが!」

 

 アデクの明朗とした声に、「違いない」と彼らも同調する。ナツキは、「おめでとう」と讃えた。

 

「すごいじゃん。ユキナリ。二ヶ月の修行の成果があったよ」

 

「ナツキのお陰でもある。僕こそ礼が言いたい」

 

 飾らぬユキナリの言葉にナツキははにかんだ。

 

「お礼とか、そんな……」

 

「今はとりあえず休もうや!」

 

 アデクの声に二人は我に帰った。

 

「参加者用の宿泊施設はニビシティの北部にある。案内しようか?」

 

 タケシの温情に甘えそうになるが、「いえ、ここから先は、僕達の旅です」と返せた。タケシは、「それでこそ、トレーナーだ」と満足した様子で頷く。

 

「君の名前が玉座で輝く瞬間を見たいな、俺は」

 

 タケシの言葉にユキナリは、「そう遠くない話だと思います」と自分にしては強気な発言をする事が出来た。しかし、そこにナツキとアデクが食いかかる。

 

「ちょっと! 一個目のバッジを取ったからって、全部勝てるってわけじゃないのよ!」

 

「そうじゃ! 玉座はオレも欲しい! 譲る気はないのぉ!」

 

 ユキナリは望むところだと感じた。お互いを宿敵として認め合った視線を交わし、ユキナリはジムを後にした。

 

 



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第二十話「玉座に輝くもの」

 

「いつまでそうしているんだ?」

 

 振りかけられた声にトシカズは顔を上げる。自分達の希望の星、ジムリーダータケシが手を差し出している。トシカズは覚えず顔を背けた。

 

「俺にはもう、タケシさんについていく資格なんか……」

 

「いいや、お前は、誰よりも俺を慕うがゆえに少しだけ道を踏み外しただけさ。まだ、間に合う」

 

 タケシの声は優しさに溢れている。トシカズは、「でも!」と立ち上がった。

 

「タケシさん、負けてしまったんでしょう……」

 

「ああ。重荷が外れてちょうどいい気分だ」

 

 タケシは伸びをして沈みかけた夕陽を見やった。その眼差しの先に何があるのか、トシカズにも分からない。タケシと研鑽の日々を送ってきた一番のジムトレーナーであるはずなのに。

 

「タケシさんは、負けたかったんですか?」

 

 失礼な問いかけには違いなかったが、今の様子を見ているとそういう考えも出てくる。タケシは、「そんな事はない」と即答した。

 

「出来る事ならば最初の関門として不敗を築きたかったのは事実だよ」

 

「だったら、俺は――」

 

「だからって、挑戦者を門前払いする事が正しいとは思えない」

 

 トシカズの行動が責めらているのは分かった。タケシは許すつもりはないらしい。

 

「俺の事を、大会本部に報告しますか」

 

「いいや、俺は何もしない。彼らもそれで承服してくれた」

 

 自分が下した連中だろう。タケシが負けた事で溜飲を下したのだろうか。それとも、タケシが救済措置でも取ったのだろうか。たとえば、ポイントの分配などを。

 

「タケシさん、まさか俺のために、奴らにポイントを?」

 

「いや、やったのは俺じゃない。ユキナリだ」

 

 聞き覚えのない名前に、「お前を倒したドラゴン使いさ」と言われようやく理解出来た。それと同時に、何故、と疑問が突き立つ。

 

「どうして、奴はそんな事を……」

 

「自分には過ぎたポイントだってな。1000ポイントずつではあるが、お前が下した連中にもポイントを差し出した。お前が巻き上げた分から考えれば妥当だろう」

 

 トシカズにはまるで理解出来ない。どうして負けた連中にまで温情を払う必要があるのだろう。その不明瞭さに疑問符を浮かべる。

 

「どうして……」

 

「どうしてだろうな。俺にも分からん。ただ、ユキナリはそういう奴だったって事だ」

 

 タケシは自分が敗北した相手にもかかわらず、誇るような口調で言った。トシカズにはそれも解せない。

 

「どうしてそんな真似を。俺がやった事を憎んで――」

 

「憎んではいないだろうさ」

 

 トシカズが放とうとした言葉をタケシは遮って口にする。

 

「あいつは、そういうのとは全くの無縁だろう」

 

「でも、あいつの連れを、俺は下した……」

 

「それだって、あいつは前に進む強さにするのさ。そういう奴が、多分、玉座を手にするんだ」

 

 タケシの言葉には諦めの色も混じっている。トシカズは尋ねていた。

 

「これから、どうするんですか?」

 

 ジムバッジを失ったジムリーダーには価値がない。当然、その右腕を自称するジムトレーナーにも、だ。タケシは腕を組んで少し考える仕草をしたが、心は既に決まっていたようだ。

 

「ジムリーダーは、負けるとジムバッジを取られる。そうなると、他のトレーナーと権利は同じになるって主催者は言っていたな」

 

 トシカズがその言葉の意味するところを理解出来ずにいると、「俺は、旅に出たい」とタケシが口にした。

 

「旅、ですか……」

 

「あいつを見ると、まだまだ強いトレーナーがいるんだって分からせられた。いつまでも故郷にしがみつくのもみっともないだろう? ニビシティでは俺の事をみんながよくしてくれる。でも、甘えてちゃいけないんだ。井の中の蛙大海を知らずってね。思い知らされたよ。本当の強さって奴を」

 

「タケシさんは、強いですよ」

 

 自分にとっては希望の星だ。しかし、自分はその希望を踏み躙るような真似をした。タケシの旅路に同行する事は不可能だろう。だが、タケシが次に放ったのは意外な言葉だった。

 

「共に来ないか?」

 

 トシカズへと手を差し伸べる。思わず戸惑いを浮かべた。

 

「……いいん、ですか?」

 

 ジムリーダーの誇りをけなした自分なんかが。その言葉にタケシは、「旅は道連れだ」と笑う。

 

「ジムトレーナーが道を踏み外したのなら、それを正すのはジムリーダーの役目だからな。それに、あいつらを見ていると、身体が疼いてしまった。結局、俺もポケモントレーナー。旅がらすってわけさ」

 

 タケシの言葉にトシカズは膝から崩れ落ちた。しゃくり上げ、嗚咽を漏らしながらもう一度口にする。

 

「いいん、ですか……」

 

「いいも悪いもない。俺のわがままだ。通させてくれよ」

トシカズは泣き顔に染み込んでくる西日が憎々しかった。こんな時に、男ならば泣かないというのに。タケシは夕陽を真っ直ぐに見据え、「眩しいな、しかし」と呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「馬鹿じゃないの?」

 

 ナツキの言葉にユキナリは、「……はい」と正座しながら答える。ナツキが怒っているのも無理はない。せっかくジムリーダーに勝ったというのに、自分はポイントを人々に配分してしまった。

 

「ポイントは無限じゃないの。そりゃ、さっきまで無限みたいなポイントだっただろうけど、今の残りポイントは?」

 

「6000ポイントです……」

 

 ナツキはバンと足を踏み鳴らした。

 

「10000ポイントどこへ行った!」

 

「平等に分け与えようとしたら、そうなってしまって……」

 

 あのジムトレーナーに負けた人々へと元のポイントが戻るように配っていると気づけば6000まで下がっていた。

 

「ジムバッジがあるから辛うじて3000ポイントあるだけじゃない! イブキと戦って、勝った分は? ジムトレーナーとジムリーダーに勝った分は?」

 

 ナツキの怒声に首を引っ込めていると、「細かいのぉ、お前さんの連れは」とアデクが笑った。

 

「笑い事じゃない!」というナツキの声にユキナリは背筋を思わず伸ばす。アデクはそれも気にせず、「どれ、ちょっと夕飯でも食って落ち着こうや」と露店で買ってきた特産物を頬張っている。ニビシティ名物のいしまんじゅうだ。外は黒胡麻が振りかけられており、中には餡が詰まっていた。全体像として鉱物を思わせるデザインになっている。

 

「アデクさんは何でここにいるわけ?」

 

 当の問題であるアデクへとナツキが声を振り向ける。アデクは山賊焼きを頬張って、「そりゃ、お前さんの戦いに興味が湧いたからだよ」とユキナリを指差した。しかし、本人である自分はと言えば、宿屋に着くなりナツキから言いたい放題言われている。

 

「キバゴ、特性は型破り。相手の特性を無力化する能力か。それがどこまでのものなのかは知らんが、お前さん、見ていると飽きん!」

 

 快活に笑ってみせるアデクにユキナリは辟易したが、ナツキは、「すぐ飽きますよ。このドジ」と言い捨てた。

 

「アデクさん、優勝候補でしょう? いいんですか? こんなところで油売っていて」

 

「なぁに、ちょっと休んどるだけじゃわい。気にせんでいいぞ」

 

 アデクはメラルバを繰り出してこの部屋に一泊する勢いだ。ナツキが、「ここはユキナリの部屋ですけど……」と含める声を出す。

 

「おお、知っとる」

 

 アデクはメラルバに買ってきた食べ物を食わせている。メラルバは白い体毛と赤い触手を波立たせてアデクの差し出した食べ物をもぐもぐと食べる。

 

「そうじゃなくって! 何で、アデクさんは泊まる勢いなんですか!」

 

 遂にナツキが切り出した。アデクは、「駄目か?」と心底不思議そうだ。

 

「部屋は一人一部屋あるでしょう。何でユキナリの部屋に泊まろうとしているんです?」

 

「そりゃ、お前さん、面白そうだからのう! 一晩くらい語り明かしたい気分じゃわい!」

 

 明朗なアデクにナツキは不審めいた声を浴びせる。

 

「何だか男同士で仲睦まじい事で」

 

「別にそういうわけじゃ……」と抗弁の口を開こうとしたユキナリに、「知らない!」とナツキはぷんすか怒りながら部屋を出て行った。ユキナリが所在なさげにしていると、「あれはあれで心配しとるんじゃろう」とアデクが呟いた。

 

「心配、ですか?」

 

 そんな事を考えるたまだろうか、と思っていると、「お前さん。ポイントをみんなに分けたろう」とアデクは蒸し返した。その事は出来れば忘れたかった。

 

「ええ、まぁ」

 

「このポケモンリーグ。物を言うのは実力でも、バッジの数でもない。もっと言えばポケモンの強さでもない。最終的に順位を決めるのは所持ポイント数。つまりどれだけ勝ち星を効率よく挙げて、相手にどれだけポイントを残さないかが鍵。だって言うのに、お前さんはこんな序盤で多数の人間にポイントをやった。勝負への執念はあっても戦いに赴くにしては、少しばかり迂闊な心じゃな」

 

 冷静に分析されユキナリは言葉もなかった。アデクはメラルバを撫でながら、「ポケモンへの愛情はある」と口にする。

 

「実力も備わっている。しかし、甘さは時に足をすくうぞ?」

 

 忠告のつもりなのだろう。このままでは終盤でユキナリは大きな遅れを取る可能性もある。

 

「でも、僕は見捨てられなかったんです」

 

 ポイントを不当に取られた人々を目にした。その中にはもしかしたらナツキも含まれたかもしれない。そ知らぬ顔を続けられるほど、自分は冷酷ではなかった。

 

「あの嬢ちゃん、お前さんの旅路に暗雲が差すのを嫌っておるな」

 

 それは自分の存在も含めて、と言外に告げていた。ユキナリは、「アデクさんはいい人じゃないですか」と返す。アデクはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「どうかな? いい人はこんな風に押し付けがましくないかもしれん」

 

「それでも、あの時、僕が行かなければ割って入っていたのはアデクさんでしょう?」

 

 ジムトレーナーとの一戦。声を張り上げたのはアデクのほうだった。きっと、あの場で最も許せないと感じていたのだろう。

 

「オレは意外と冷たいかもしれんぞ?」

 

「そうは見えません」

 

 ユキナリの言葉にアデクは吐息を漏らして、「真っ直ぐだな」と呟いた。

 

「その真っ直ぐさにつけ入る輩もいるじゃろう。用心せい」

 

 アデクは立ち上がり、部屋を出て行くつもりのようだった。「泊まるんじゃ?」とユキナリが口にすると、「そこまで図々しくないわい」とアデクは微笑んだ。

 

「明日からの旅もある。備えておかねばな。優勝候補とおだてられて最初に脱落では示しがつかん」

 

 アデクは既に戦士の緊張を纏っているようだった。ユキナリは、「お気をつけて」と言い添える。「お互いにな」とアデクは手を振った。

 

 一人になった部屋の中でユキナリはモンスターボールをホルスターから抜き放ち、語りかける。

 

「キバゴ。僕はこの戦いを勝ち抜く。お前と一緒なら出来る気がしてくる」

 

 二ヶ月間苦楽を共にした相棒はどのような顔をしているのだろう。不透明なモンスターボールではそれが窺えなかったが、この声は聞こえていると信じたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瞬間冷凍、レベル2」

 

 ヤナギの声によって瞬時に相手は凍結する。舌打ちを漏らし、「まさか既にバッジが取られたとはな」と忌々しげに口にした。

 

「それもこれも時間をかけ過ぎた。全員の戦意を削ぐのには時間がかかる」

 

 ヤナギはポケギアのポイント表示をアクティブにする。既に20000点近くのポイントが溜まっていた。

 

「誰にも譲らせない。玉座に輝くのは、このヤナギだ」

 

 



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第二十一話「容疑者」

 

 報告が届いたのは明け方過ぎだった。

 

 カンザキはほとんど眠る事なく執務に駆られていたが、仮眠程度ならば許されていた。一時間の仮眠。だがそれを破ったのは唐突なポケギアの着信音だ。カンザキは佇まいを正し、「何か」とすぐに声を吹き込んだ。

 

『カンザキ執行官。まずい事になりました』

 

 ヤグルマの声だ。焦燥を滲ませた声音に尋常ではないと判断したカンザキは、「何が起こった?」と尋ねる。

 

『とにかく現場に向かっていただけますか』

 

 その声の後に続けられた場所を頼りにしてカンザキはスーツを着込み、リムジンに揺られて現場へと向かった。現場、とされたのはニビシティの宿屋の背部だ。木々が乱立して黎明の空の陽射しを遮っている。カンザキはこんなところならばスーツで来るのではなかったと少し後悔した。ヤグルマが先んじてここに来た理由が知りたかったが、それよりも現場を囲うようにスーツの人々が立っていた。写真を取っているのは鑑識だ。カンザキは理解するのにしばらくかかった。

 

「何が起こったのだね」

 

「カンザキ執行官」

 

 歩み寄ってきたのは一人の男だ。好青年の体を崩さず、彼は会釈した。

 

「国際警察のハンサムです。今回のポケモンリーグに当たって、治安の維持を任せられています」

 

「何の騒ぎだ? こんな場所で高官である我々が話し込んでいるとニュースに――」

 

「既に、事態はのっぴきならない方向へと動き出しているんですよ」

 

 ヤグルマが声を差し挟む。カンザキは、「一体何だと言うんだ」と煩わしげに返した。

 

「何が起こったのかと聞いている。さっきから隠し立てしようとしているようだが」

 

「カンザキ執行官。あなたは代表者とはいえ、一応は民間人だ。この事は極秘に願いたい」

 

 ハンサムの含んだ声にカンザキが怪訝そうに眉をひそめていると、彼は鑑識の肩を叩いた。鑑識が道を譲る。すると、二人の男が倒れ伏しているのが視界に入った。近づいてみてカンザキは呻く。

 

 その顔はニビシティジムリーダー、タケシのものだったからだ。ハンサムは、「死後二時間、というところでしょう」と説明した。

 

「急激な体温の変化によって死亡した、と思われます」

 

「体温の、変化……」

 

 ハンサムは手馴れているのか、現場に踏み込むと手袋をつけてタケシのモンスターボールを検分した。

 

「手持ちを出す暇もなかったようですね」

 

 モンスターボールが開かれていないところを見やり、さらに横に倒れているもう一人へと顎をしゃくった。

 

「トレーナーカードがありました。ジムトレーナー、トシカズ。タケシの右腕として、この街ではちょっとした有名人です」

 

 トレーナーカードには顔写真と職歴が書かれている。それによれば、トシカズはほとんど負けなしのタケシの部下であるそうだ。

 

「対人成績がすごいですね。最近、ちょうど二回負け越しているらしいですが」

 

 トレーナーカードは常に更新され、最新の成績が明らかになる。それによると、昨日二度負けたらしい。

 

「一度目の相手に記載がありますね。ちょうど、ジムバッジを渡した相手みたいです。名前は、オーキド・ユキナリ」

 

 ヤグルマはカンザキへと視線を振り向けた。知っているか、という確認だろう。カンザキは首を横に振る。

 

「知らないな。無名のトレーナーだろう」

 

 ハンサムは何度かトレーナーカードを翳して、「もう一人の記載はないですね」と呟いた。

 

「どうやら更新前に殺された様子。当たり前ですか。殺されればトレーナーカードは更新されない。結局、誰が殺したのかは分からない」

 

「ま、待ってくれ」

 

 カンザキはハンサムの言葉を押し止めた。

 

「これが殺しだと?」

 

 その疑問にハンサムは、「十中八九間違いありません」と答える。

 

「この様子から二人同時に、でしょう。相当な使い手である事が予想されます」

 

「馬鹿な。それほど強ければ、ジムバッジを狙えばいい。どうしてジムバッジを既に剥奪されたジムリーダーを狙う?」

 

「それは会見で仰られた内容が関係しているのではないでしょうか」

 

 何の事だ、とカンザキが首を傾げると、「私の言った、オリジナルジムバッジは本当に八つか、という質問です」とヤグルマが助け舟を出した。

 

「まさか、あの質問によって殺人が引き起こされるとは思いませんでした……。相手はオリジナルジムバッジが渡されていないと感じて、まずジムトレーナーとジムリーダーを襲ったのです」

 

「つまり、渡されたのはダミーだと思った誰かの犯行だという事か」

 

「その線が濃厚です」とハンサムが応じ、タケシとトシカズの死体を見やる。

 

「全くの迷いがない。人を殺す事に慣れている相手でしょう」

 

「熟練者か」

 

「いや、まだ分からない。そもそも何タイプで殺されたのか、相手のポケモンの規模も強さも不明だ」

 

 カンザキはヤグルマとハンサムが心得たように会話を進めるのに怪訝そうな間を空けた。

 

「……君達は」

 

 ヤグルマはその沈黙を察したのか、「彼は、私の友人」と紹介した。

 

「以前、口にしていた協力者の一人です。彼は国際警察。当然、各地方の行政や裏事情にもよく顔が利く」

 

 カンザキは協力者がまさか国際警察だとは思わず度肝を抜かれた気分だったが、当のハンサムは、「どうも」と否定をしない。国際警察と一記者の癒着関係が明るみになれば危険だろう。しかし、それよりもなお危うい綱渡りをしているのは自分なのだ、とカンザキは実感させられた。彼らが全く問題なく会話しているのがその証拠だろう。自分が告発すれば、では何故知っていたのか、と叩かれるのはこの大会の執行官である自分自身。下手な正義感は彼らに踊らされる原因を作る。

 

「まさか、協力者が国際警察だとは」

 

「カンザキ執行官。今回のポケモンリーグ、思っていたよりも野蛮な連中を引き入れてしまっています。ヤグルマから上がっていた仮面の人々ですが、私の伝手でもなかなか情報が回ってこない。しかしカントーにだけ、いるのは確かなようです」

 

「その話はまたにしないか。今は、殺された二人に関して」

 

 ヤグルマが意図的に会話の道筋を変えた。カンザキは確かに今話す事ではないと納得したがヤグルマのそういった様子を見るのは初めてだったので不思議でもあった。

 

「そうだな。執行官。もう一度確認いたしますがジムバッジは本当に八つですか?」

 

 この対応を誤れば、自分はとんでもない失策を負わされる事になる。その事実に唾を飲み下しつつ、「本当だ」と答えた。

 

「ダミーのバッジの使用は認められていない。それは何よりも勝負を侮辱する行為だからだ」

 

「なるほど。ジムリーダーは敗北すれば絶対にオリジナルバッジを渡さねばならない。しかし、本当にそれだけがジムバッジを得る方法ですかな」

 

 ハンサムの声音に、「どういう意味だ」と問いかける。「つまりですね」と彼は前置いた。

 

「ジムリーダーを暗殺し、ジムバッジが確実に挑戦者に渡される制度を一度でも確認すれば、後はもう、挑戦者を狙ったほうが早いのではないのか、という話です」

 

 カンザキは、「それは難しいだろう」と返す。

 

「何故です? 私にはそれが手っ取り早く映る」

 

「ジムリーダーとてやわではない。半端な挑戦者にジムバッジは渡らないはずだ。それこそ、挑むだけ無謀。逆に略奪しようとした相手はより強い相手を前にする事になる」

 

 ハンサムは、ふむ、と納得したようだったが、それは表向き、というポーズに見えた。

 

「ジムリーダーの死を悼んでいる暇はない。参加者の中に、確実に殺人者が混じっている。これは疑いようのない事実でしょう。参加者二百人前後の誰かが、今も殺人の手ぐすねを引いているのです」

 

 ハンサムの口調にはカンザキも思わずたじろいだ。その道のプロだけが出せる気迫を彼は持っていた。

 

「しかし、今さら中止勧告など出来るはずもない。このポケモンリーグは転がり始めた石だ。私の立場云々ではなく、たとえチャンピオンが存命でも止められないうねりだろう」

 

 その言葉にヤグルマとハンサムが顔を見合わせる。

 

「しかし、殺人は容認されない。当然の事ですが。犯人を見つけるべく私の協力者に動いていただく。異論はありませんな」

 

 ハンサムの声に、「まだ、協力者がいるのか」とカンザキは意外という印象を抱いた。一体、どれほどの規模でヤグルマとハンサムは動いているのだろう。それが全く分からず、カンザキは無言の了承を迫られた。

 

「今、こちらに来てもらっています。ポケモンによる犯行ならばポケモントレーナーが最も専門家だ」

 

 背後に迫る気配を感じ取りカンザキは振り返った。そこにいたのは黒装束に身を包んだ金髪の美女だ。涼しげな目元を細めカンザキへと会釈した。

 

「シロナ・カンナギ選手……」

 

「あら、覚えていただいて光栄ですわ」

 

 忘れるはずがない。優勝候補の一角だ。彼女はカンザキを見やってから、「現場は?」と尋ねた。そこでようやく、カンザキはシロナが協力者なのだと知った。

 

「ここに。君ならばいくつか分かるだろう?」

 

 ハンサムの言葉に、「期待しないでよ。殺しなんて専門外なんだから」とシロナは返しつつ死体を検分する。下された宣告は意外なものだった。

 

「レベルの高いポケモンの仕業じゃない」

 

 カンザキもその言葉は予想出来なかった。ジムリーダーを暗殺するのだからそれなりのレベルなのだと思ったのだ。

 

「弱いのか?」

 

「弱い、というのではありませんわ。レベルが決して高いわけじゃない。でも、こうして暗殺を可能にするポケモン。死因は体温の急激な変化による心臓麻痺。早い話が、そういう外気を操れるポケモンだという事になる」

 

 シロナの着眼点にカンザキは舌を巻く。彼女はまるでコンピュータのように次々と予測を弾き出した。

 

「氷タイプの可能性が高いわ。でも、瞬間的に血液を冷却でもしない限り、この殺し方は不可能。そういう点で言えば、ポケモンそのもののレベルは低くても、トレーナーとしての熟練度は高い」

 

「そう簡単に網にはかかってくれそうにもない、という事か」

 

「こちらが考えている以上に狡猾である事は疑いようのないわ。普段は恐らく、そういう使い方をしない。でも、犯人は一つだけミスを犯した」

 

 シロナは金髪をかき上げてハンサムへと視線を向ける。心得たようにハンサムが周囲を見渡すと、「人間では難しいかもしれない」とシロナは言った。

 

「獣気、と言うべきかしら。そういうものがまるで残っていない。ポケモンで殺したのならば、それなりにそういうものが残ってるはずなんだけれど」

 

 シロナは鼻の下を擦った。カンザキにはさっぱり分からないが、彼女には感じ取れているのだろう。

 

「つまりポケモンではないと?」

 

 カンザキが尋ねると、「獣気を発しないポケモンだと考えられる」とシロナは続けた。

 

「人工の特色が強い、あるいは直接手を下さないポケモンかもしれない」

 

「それこそ、周囲の気温を下げるだけの能力を持つポケモンの可能性もある」

 

 継げられたハンサムの言葉にシロナは首肯した。カンザキにはこの三人の中で暗黙のうちに実行されている考えが読めなかった。一つだけ間違いのない事があるとすれば殺人は既に行われ、これからも発生する可能性があるという事だ。それこそ犯人が玉座に輝くまで。

 

「あたしはこのまま継続して捜査に当たる。この大会には友人も多く参加しているから、自分としてもすぐに犯人を突き止めたい。第一の容疑者として」

 

 シロナがトレーナーカードを見やった。ハンサムが、「オーキド・ユキナリ」と告げる。

 

「彼を洗い出しましょう。それが、最初にやるべき事になる」

 

「分かったわ。あたしが彼に何とかして近づく」

 

 シロナの言葉にハンサムは、「この一件は極秘裏に進めましょう」と提案した。

 

「他の参加者に恐慌が伝わると面倒だ。カンザキ執行官もそうお考えでしょうし」

 

 カンザキはこの場で自分の開く口はあるのかと自問した。この三人は、いや三人だけではない。彼らは何を目指しているのか。

 

「ヤグルマ。君もシロナ君と共に、継続捜査を願いたい」

 

 ハンサムが声を振り向けるとヤグルマは頷いた。「現場は私が預かる」とハンサムが口にするとそれを潮にしたように三人は別れた。カンザキはヤグルマの後についていきながら充分に距離が開いたと考えて口を開く。

 

「どうして、私をあの場に呼んだ?」

 

「必要だと思ったからです。カンザキ執行官。あなたはこの大会の自治運営がある。もしもの時には大会中止も打診しなければならない立場だ。あなたに知らせないのはフェアじゃないでしょう」

 

「既にフェアではないだろう。君達、何人協力者がいるのか分からないが優勝候補のシロナ・カンナギまでも抱き込んでいたとは思わなかったぞ」

 

「抱き込んでいるとは」

 

 人聞きの悪い、とヤグルマは続けた。

 

「我々は元より同じ意思を持つ者達。統一された存在です。シロナは優勝候補ですが、そう目される前から我々と行動を共にしていた」

 

「私が君達の網にかかった、というわけか」

 

 自嘲気味に発すると、「誰も網にかけたつもりはありませんよ」とヤグルマは返した。

 

「ただ、カンザキ執行官。あなたはこの大会が思っているよりも血に濡れた道である事を熟知していただきたい。皆、必死なのです。それぞれの地域の威信、だけじゃない。個人のプライドがぶつかり合っている。ジムリーダー殺しは続く可能性があります」

 

「他の街のジムリーダーにも知らせるべきか?」

 

「少しばかり慎重になったほうがいいでしょう。彼らとて命は惜しい。逃げ出すと大会運営そのものに支障を来たしかねない」

 

 ヤグルマの忠告にカンザキは、「しかし、君の立場はどうなんだ」と口にした。

 

「と、言うと?」

 

「優勝候補ではないが、君は踏み込み過ぎている。一トレーナーと言うのにはな。私は君達が動かしている組織だって怪しいと思っているんだ」

 

 一体、水面下で何が動いているのか。カンザキには知ろうとしても、それは近づけば近づくほどに遠くへと逃げていく逃げ水のように思えた。

 

「警戒するだけ無駄ですよ」とヤグルマはそのような感情すら見通した声を発する。

 

「害悪ではありません。それだけは本当です」

 

 自分は何と話しているのか。そら恐ろしくなったカンザキは東の空を眺めた。切り込んでくる日差しが、ポケモンリーグ二日目の朝を告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 第二章 了

 



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第二十二話「オツキミ山越え」

 

 ポケモンリーグ二日目の朝は、暗雲と共にやってきた。

 

 ユキナリは窓辺から空を仰ぐ。快晴、とはいかないらしく、空は暗く立ち込めている。昨日の晴れを帳消しにされた気分だった。しかし、この天候でも進まなければ大きく差をつけられるのは分かり切っている。

 

 ディグダの穴を通ってクチバシティへと至ろうとした集団を思い返す。彼らはあの後、どうなったのだろうか。無事にクチバシティに辿り着けたのだろうか。自分と関わり合った人々に思いを馳せていると部屋の扉がノックされた。応じる声を出すと、「入るぞ」とアデクが扉を開けてきた。

 

「よく眠れたかいや」

 

 ユキナリは、「ええ」と答える。どうやら身体は思っていたよりも疲れていたようで熟睡出来た。夢も見ないほど深い眠りについたのは久しぶりかもしれない。

 

「最近、浅い眠りばっかりでしたから」

 

「オレもそうだ。胸が高鳴って最近は特に眠っているのが惜しいもんでのう!」

 

 どうやらアデクも同じ心地を味わっていたらしい。ユキナリは昨日の間に起こった事を反芻する。二ヶ月の修行から、本格的な戦闘への移行。未だに思い返すと胸の高鳴りを止められない。今、自分はポケモンリーグの頂を目指して戦っているのだという自負が自ずと血を沸き立たせる。

 

「だったら、夜通し語り合うのもよかったかもしれませんね」

 

 ナツキのお陰でその計画はご破算になったが。アデクと視線を交わし合うと、「そりゃ、多分、しばらく無理じゃろ!」とアデクは言い放った。

 

「どうしてです? これからオツキミ山で山越えとなります。もしかしたら二三日はキャンプする事になるかも」

 

 そうなった場合、アデクと話せていい機会だとユキナリは思っていたのだがアデクは、「お前さんらの旅にのう」と言い難そうにこめかみを掻いた。

 

「図々しくついていくのも悪い」

 

 アデクらしからぬ言い草だった。彼にはそのような気を回す事など無縁だと思っていたのに。ユキナリは、「ナツキと二人っきりで旅しろ、ってわけですか?」と返した。

 

「人の恋路を邪魔する奴は、と言うじゃろ? お邪魔虫には成りとうないからのう」

 

 アデクの真正直な言葉にナツキがいたならば顔を赤面させるだろうがユキナリは自然と冷静だった。

 

「僕とナツキはそんなんじゃないですよ」

 

「だとしても、オレは一人で山越えする事にした。そのほうが強くなれそうじゃ!」

 

 どうやらオツキミ山での戦いをも見越した決断らしい。ならば止める言葉を持たないとユキナリは素直に引いた。

 

「メラルバ、でしたっけ?」

 

 アデクの手持ちを確認すると、「おお!」とアデクはモンスターボールを突き出した。

 

「自慢の相棒じゃ!」

 

「戦ってみませんか?」

 

 ユキナリの提案にアデクは少しだけ面食らった様子だったがやがて快活に笑うと、「今はやめておく!」と決断した。

 

「どうしてです?」

 

「このアデク、嘗めてもらったら困るぜよ! まだお前さんとオレとではレベルが違う」

 

 その通りであった。メラルバのレベルは恐らくキバゴよりも二十近く高いはずだ。さらにまだ出していないとっておきの技もあるのだろう。それに引き換え、こちらはアデクの前で手の内を晒している。フェアではないと彼は判断したに違いない。

 

「じゃあ、僕のキバゴが追いついた時には」

 

「おう! ポケモンバトルじゃ! 約束じゃぞ!」

 

 拳をアデクが突き出したのでユキナリもその拳を当てる。思えば男友達を作ったのは久しいかもしれない。いつの間にかナツキとばかり遊ぶようになっていた。

 

「そういや、お前さん。気になっとったんじゃが、それは何ぞ?」

 

 アデクが指差したのは鞄から突き出たスケッチブックと画材セットだろう。ユキナリは、「スケッチするんです」とスケッチブックを取り出した。

 

「見せてもらっても?」

 

「ええ、どうぞ」

 

 差し出されたスケッチブックをアデクは受け取り、一つ一つに目を通していく。ユキナリからしてみれば自分の作品が人目に触れているので少しばかりの緊張があった。

 

「ほう……うまいもんやのぉ」

 

 心底感心している様子のアデクはスケッチブックのページを繰りながら頷いている。ユキナリは、「ほとんどキバゴの行動スケッチですけどね」と謙遜した。

 

「キバゴが活き活きとしとるわい! 特にこの!」

 

 アデクが指差したのはキバゴが「ダブルチョップ」を繰り出す瞬間を描いたものだった。牙に青い光が纏いついている様子が克明に描かれている。ユキナリは、「昨日のイブキさんとの戦いを思い出しながら描いたんです」と説明した。眠る前に記憶スケッチとして描いたもので最新だった。

 

「お前さん、画家の才能あるでのう! これだけ上手く描けりゃ、将来有望じゃ!」

 

 何の臆面もなく言ってのけるアデクにユキナリは素直に照れる。「アデクさんは」とユキナリは会話の矛先を変えた。

 

「何か、得意分野は?」

 

「オレは戦い以外てんで! 一応、身上としては、先住民族の末裔として立派に戦うっていう大義名分はあるがのう」

 

 そういえばアデクはイッシュの先住民族の末裔として祀り上げられていたという話を聞いていた。ユキナリは、「イッシュって」と自分の記憶を手繰る。

 

「確か、色んな民族が集まっている地方ですよね」

 

「おう! オレらみたいなのから、遠くカロスとかいう地方で育った奴ら、それにジョウトやシンオウから来た奴らもいるからたくさんじゃ!」

 

 数え切れん、とアデクは言葉に付け加えた。ユキナリはそれだけの民族が集まっているのだから宗教や習慣も大変だろうと想像する。

 

「イッシュは何を拠り所に集まっているんですか? 何だか話だけ聞くと色んな民族がいて大変そうですけど」

 

「ハイリンク、ってのがイッシュの中心にあるんじゃ。最近、どこかから来た偉い学者が言っておった。アララギ、とか言ったかのう!」

 

 ユキナリは専門分野ではないので聞き流すつもりだったが、様々な民族を纏め上げるものがそのハイリンクにあるのか、と疑問に感じた。

 

「それで、民族が纏っているって?」

 

「古くは争いもあったんじゃ。建国神話ってのがあって、理想を体現する英雄と、真実を体現する英雄がぶつかり合い、二人の思想はそのまま黒い龍と白い龍となり、イッシュの地を一度焼き払ったという」

 

「迷信ですよね……」

 

 ユキナリの言葉に、「そう馬鹿に出来んぞ?」とアデクは指を立てた。

 

「と、言うと?」

 

「何でも、偉い学者先生の間ではイッシュの地は一度焼き払われて再建させられた痕がそこらかしこにあるらしい。リュウラセンの塔って言うのが、それに近い考古学資料らしいんじゃが、オレにはピンと来ない!」

 

 そりゃそうだろう、とユキナリは当事者でもないが思っていた。アデクの身なりは考古学や学術とはまるで無縁のところにある野生だ。

 

「でも、アデクさんは先住民族としての誇りとか、あるわけですか……」

 

 聞いてもいいのか分からなかったがアデクがこのポケモンリーグに賭けるものを知りたかったのもある。アデクは、「そうさなぁ」と顎をさすってから膝を叩いた。

 

「オレにもよく分からん!」

 

 大口を開いてアデクは笑う。「分からん、って……」とユキナリが肩透かしを食らった気分でいるとアデクは神妙に語った。

 

「オレには、部族の誇りとか、そういう難しいもんはいらんのじゃ。確かにオレは先住民族の末裔。それなりの責任、ってもんがあるのかもしれん。だがな、お前さん。そういう因習、生まれに縛られたらお終いじゃ。自分の道を辿れなくなる。オレは、ただ強く、そして戦えたらそれでいい。そのほうがいいに決まっとる!」

 

 アデクはあえてそういう側面を蚊投げないようにしているのかもしれないとユキナリには思えた。自分には背負うべき十字架などない。ただ今を生きて、戦って勝つ。シンプルながら、それは自然の掟だ。アデクは自分でも知らぬうちに身のうちの野生を迸らせているのだろう。

 

 それに引き寄せられるように強者達が集まっていく。ユキナリは少なくともアデクに立ち向かいたい。戦ってみたいと思う事が出来た。勝ち負けは元より、勝負になるならないの問題かもしれない。しかし、戦ってみたい。この人に勝ちたいと思う衝動はいけない事だろうか。アデクは自然と他人をそのような真っ直ぐな意思に従わせる天性の才能があるような気がした。

 

「……そうですね、そのほうがいい」

 

「じゃろ! 戦う理由だとか、信念だとかはのう、難しくってよう分からん! 必要だとは思う! でも、それが全部じゃない」

 

 剥き出しの野生にこちらまで引き込まれそうになる。そのように振る舞えたら、そのようにあれたら、と自然と感じてしまう。

 

「ですね。じゃあ、お預けですか」

 

「じゃのう! 残念だが」

 

 ちっとも残念だと思っていないような朗らかな口調。それでもまだ火の点いた胸を燻らせるのは戦いへと導かせる心だ。お互いに今ではないという了承。それが行えただけでもいい、とユキナリは感じた。

 

「それにしても、お前さん、ポケモンの絵ばっかりじゃのう!」

 

 スケッチブックを捲っていたアデクがうなりながら口にした。ユキナリが、「いけませんかね?」と尋ねると、「人間も描け」とアデクはスケッチブックを返した。

 

「どこにでもいるでしょう?」

 

「どこにでもはおらん。人間だって一人一人立派な存在じゃ。お前さんの周り、かけがえのない人はおるじゃろ?」

 

 その言葉に脳裏で自然とナツキの姿が像を結んだ。ナツキをスケッチのモデルにしようと思わないのは、そういえば何故だろう。考えた事もなかった。

 

「まだ僕には……」

 

「分からんでも、いつかは分かる。その時のために、腕を鈍らせるなよ」

 

 ポケモンバトルでも、スケッチでも負けるつもりはない、という眼差しをユキナリは向ける。勝気な瞳に、「いい眼じゃ」とアデクは微笑んだ。

 

「そういう眼が出来るうちは、人間腐らんからのう」

 

 アデクは立ち上がると部屋を出て行く様子だった。まだもう少しだけ話したい気分だったが、それを中断したのはナツキの声だ。

 

「ユキナリ。二日目、山越えについての説明をニビシティの人から聞けるみたいだから、この際、行っておきましょう」

 

 ナツキは入ってくるなりアデクが外に出ようとしたので視線を交わし合った。

 

「何かあった?」

 

 ナツキの不安を他所に、「いや」とアデクは不敵に笑いユキナリは頷いた。男にしか分からぬ無言の了承だ。

 

「またな」

 

 別れの挨拶はその程度でいい。淡白なほうが自分達には合っている。ユキナリは、「ええ」とだけ返した。アデクが出て行った後、ナツキは腕を組んで先ほどの様子を聞きだそうとする。

 

「何か、気味が悪いわよ、あんた達」

 

 気味が悪いとは失敬だな、とユキナリは感じたが、「言い過ぎだ」という程度の反論に留めておいた。自分でも変化に戸惑っている部分はある。同じ志を持つ存在と見えて興奮した神経があるのか、それとも自分本来に備わっていた性か。どちらにせよ、ナツキとの日々では培われなかった部分だ。

 

「山越えの説明だって? どこで?」

 

 ユキナリは早速荷物を纏め始めた。ナツキは、「北側にある博物館の前みたいよ」と返す。

 

「オツキミ山はそんなに危険じゃないし、遭難者が出るような険しい山じゃないだろ?」

 

「それでも一晩や二晩を明かす可能性のあるトレーナーには良識ある行動を、ってのがオツキミ山を管轄するニビシティからのお達しよ。どうやら、大会本部も一枚噛んでいるみたい」

 

 大規模な大会で自然が荒らされるのを恐れているのだろうか。しかし今回のポケモンリーグ、ポケモンの乱獲は禁止である。それでも人が行き過ぎれば何かと不都合な部分があるのだろう。ユキナリはすぐに従って宿屋を出た。チェックイン、チェックアウトはトレーナーズカードによってなされる。トレーナーズカードは一種の身分証であり、ポケモンリーグ内においては参加者である事を示す何よりの証拠となる。もしトレーナーズカードをなくしてもポケギアの個体識別番号によって再発行は可能だがその間、バトルや交換などのトレーナーとしての行動は原則禁止となる。

 

「用具がいるかなぁ」

 

 道すがらフレンドリィショップを眺めていると、「大抵の備品はポイントと交換みたいよ」と前を行くナツキが返した。

 

「昨日1000ポイントずつ他人にあげちゃったユキナリのポイントじゃ心許ないでしょ? あたしが出すわ」

 

 ぐうの音も出ない。ユキナリはナツキに言われるまま、道具を買い揃えた。虫除けスプレーや傷薬などを鞄に詰め込むとそれなりの重さがある。

 

「これで説明会に行けって?」

 

「九時半からってポケギアに出てるわ。あんたのも」

 

 ユキナリはポケギアを確認した。ナツキの言う通り「大会運営側からのお知らせ」としてピックアップされている。

 

「でも、僕らみたいにニビシティをまともに抜けようと言う人ばかりじゃないよね」

 

 ディグダの穴に向かっていった人々の事を含めて言ったつもりだったが、「参加は自由よ」とナツキは素っ気ない。

 

「山越えの自信があるのなら、それでいいんじゃない?」

 

 ナツキはオツキミ山を単独で越えるのは難しいと判断して説明会へ参加しようとしているのだろう。ユキナリも夜通しの戦いに巻き込まれた場合、勝ち抜けるのか不安もあった。

 

 当のニビシティ博物館前は以外にも閑散としていてこの大会運営側からの勧告がきちんと行き渡っているのか心配になったが定刻通りに博物館前に人影が現れた。カンザキ執行官ではない。別の役人が、「これで全員ですかな」とトレーナー達を見渡す。ユキナリも同じようにきょろきょろしていると、「明朝に発った人達も多いと聞くわ」とナツキがその疑問に答えた。

 

「どうしてそんな」

 

「これはレースじゃない、と言っても早くにオツキミ山を抜けられるほうがいいに決まっている。抜け駆けよ、抜け駆け」

 

 つまり、この説明会に律儀に参加している時点で既に行き遅れている事になるのだが、ナツキには急いた様子はなかった。

 

「それにしちゃ、みんな落ち着いている……」

 

 ナツキだけではない。説明会にいる人々はどこか落ち着き払っている。「慌てたって仕方がないのは多分、一日目で身に沁みたんでしょう」とナツキは肩を竦めた。

 

「むしろ勇み足にならないだけ賢明」

 

 それだけ冷静な判断力を持った人々という事か、とユキナリは無言の視線を向けた。無関心を決め込んでいるが彼らこそがこの先において障害になりかねない。それをじっくりとユキナリは肝に銘じる事にした。その中にアデクの姿を見つけ軽く手を振られたので振り返す。

 

「随分と仲良くなったわね」

 

 ナツキの声に、「まぁ」と曖昧な返事を寄越した。ナツキはアデクの事をいまいち信用していないらしい。邪険にする事はないが、真正直にアデクの人格を受け止める事はなかった。

 

「どうして。アデクさんはいい人だよ」

 

「いい人ってのは同意。あの時も、割り入ろうとしたし」

 

 あの時、というのはジムトレーナーのトシカズにしてやられていた時だろう。アデクが声を張り上げたのをナツキも知っているはずだ。

 

「だったら」

 

「だからって、イッシュのトレーナーで優勝候補。そうそう、甘く考えないほうがいいわ」

 

 ナツキの言葉はユキナリの中で染み入った。アデクは優勝候補、つまりそれだけの実力を認められた存在なのだ。対して自分達は無名のトレーナー。隔絶を感じるのも無理はない。

 

「でも、よくしてくれている」

 

「そのよくしてくれている、が最後まで持つかどうか」

 

 どうやらナツキはとことん疑ってかかるようだ。ユキナリは、「疲れるよ」と忠告した。

 

「そんなに片肘張っていると」

 

「あんたみたいに連勝しているわけじゃないもの。そりゃ片肘も張るわ」

 

 ユキナリはその言葉に声を詰まらせた。ナツキのポイントは昨日の時点で2500ポイント。500ポイントをトシカズに取られてそのままだ。ユキナリはナツキにも分配しようとしたが彼女は頑なに拒んだ。恐らくプライドがあるのだろう。自分で勝ったわけでもない勝ち星を上げる事をよしとしないのだ。焦るのも無理はない。その精神状態で考えれば随分と落ち着いている。ユキナリはナツキの強靭な精神力ゆえだと感じていた。

 

 二ヶ月間、修行として毎日戦っていれば嫌でも分かる。相手が何を考えているのか。ナツキはどうにか挽回したい、その気持ちを胸にこの説明会に参加したのだ。何よりもここから先の黒星は避けたいと願っているはずである。

 

「えー、大会主催者側からはオツキミ山内部での観測は不可能と判断し、個人の裁量に任せる事とします。ただし、度を超えた戦闘や生態系を破壊すると思しき行動には後々ペナルティが追加されます。また山越えに際して二三、注意事項を――」

 

 そこから先の話は山越えに関する専門知識だった。ユキナリはスケッチブックの端にメモを取ったがほとんどの人間はメモの一つも取らなかった。山越えの経験者もいるのか、バックパックを背負った大男や、顎鬚をたくわえた山男が肩を並べている。

 

「彼らに比べれば僕達も軽装だ。ナツキ、どうする?」

 

 ユキナリは目の端でアデクの動きを追ったが、アデクは既にどうするべきか決めているようで歩き始めていた。腰蓑のように荷物を抱えている。

 

「そんなにアデクさんが気になるの?」

 

 ナツキの言葉は棘を含んでいた。ユキナリは、「そんな事」と返そうとしたが全てを見透かしている瞳に素直に認めた。

 

「……まぁ、そうだよ」

 

「彼は当てになるものね」

 

「何ひがんでいるんだ?」

 

「別に」とナツキはぷいと視線を逸らしてオツキミ山へと続く道を歩き始めた。三番道路は段差が多く、人々はいちいちそれらを跨ぎながら進んでいく。ユキナリ達もまた同じように進んでいたが、やがて立ち止まる人も現れた。話によるとオツキミ山の前にはポケモンセンターが設営されており、オツキミ山散策前に充分な回復が行えるという。

 

 だからなのか、彼らの中にはモンスターボールをホルスターから抜き放ち、ポケモン勝負と洒落込む人間も少なくなかった。ここでポイントを稼ぎたいのだろう。オツキミ山では山越えがメインとなるためにポケモン勝負の暇はない。あるいはオツキミ山内部での闇討ちも考慮に入れた勝負なのかもしれない。ここで実力を明らかにする事によって妨害を防ぐ役割もあるのだろう。ユキナリは彼らの勝負気に中てられたようにモンスターボールへと手を伸ばしかけて寸前で立ち止まる事が出来た。ナツキも同様である。ここで呑まれれば進めないと判断したのだろう。

 

「いい? オツキミ山の前のポケモンセンターで一時休止。それまで無駄な消耗は避ける」

 

 ユキナリは首肯した。

 

「それに博士にも連絡を取らないと」

 

 昨日はジム戦のごたごたで結局連絡が取れず仕舞いだった。ナツキは、「キバゴの事ね」と心得た眼差しを向けた。

 

「どうなるのか、あたしにも全然分からない。でも、ユキナリ。一つ、忠告しておくわ」

 

 ナツキの改まった声に何だろうとユキナリは小首を傾げた。

 

「ジムバッジ、見えない位置に隠したほうがいいわよ」

 

 ユキナリは襟元に留めておいたジムバッジを自覚した。懐に隠しながら、「もっと早くに言ってくれよ」とむくれる。

 

「仕方がないでしょう。ここまで連中も血気盛んだとは思わなかったんだから。みんな修行僧みたいに山に向かうかと思ったら……」

 

 濁した語尾を断ずるようにポケモンの技が弾ける。近くで巻き起こったバトルに二人は辟易した。堰を切ったようにバトルへと雪崩れ込む人々の胸中にあるのは自身のポイントへの不安だろう。ここで稼がねば、と誰もが感じているのだ。ナツキも同じに違いなかったが彼女は自制心を持ってきちんと戦うべき時を見据えている。ユキナリはナツキが思っていたよりも冷静な理由が分かった。冷静でいなければすぐに呑まれてしまう。バトルへの魅力、というよりは誘惑はそれほどまでに甘美だ。一度戦いを経験したのならば分かるだろう。勝利の美酒への探求を。

 

「こいつらのペースで戦っていたら終わり。オツキミ山越えの前にスタミナ切れを興しかねない」

 

「だろうね。アデクさんは真っ直ぐにオツキミ山に向かっている」

 

 アデクの背中を目で追っていると、「いつまでもアデクアデク言っているんじゃないわよ」とナツキが呟いた。

 

「別行動なんでしょ? 割り切りなさい」

 

 振りかけられた声にユキナリは首を引っ込める。しかしアデクの行動をトレースすれば間違いのないのも事実なのだ。彼は実戦においてはエキスパートである。それは昨日のトキワの森での戦いを見れば明らかだった。

 

「バトルを控えて、山越えに専念する、か」

 

 発した言葉に、「分かっているじゃない」とナツキが鼻を鳴らす。

 

「誰かさんを見て覚えるんじゃ、まだまだだけどね」

 

 ユキナリはその小言を無視してオツキミ山を目指して歩いた。山道は平坦だが、オツキミ山は広大である。見渡す限り荒涼とした岩肌の無骨さが浮き立っている。山頂は尖っており、とてもではないが登頂は出来そうにもない。

 

「標高は? 何メートル?」

 

 仰ぎ見ると上空の縮れ雲が目視で分かる速度で移動している。

 

「海抜一千メートル前後みたい。山そのものよりも内包する洞窟のほうが厄介のようね」

 

 ナツキがポケギアを操作しながら確認する。どうやらナツキも随分とポケギアに慣れ親しんだらしい。

 

「確か、探検隊が遭難したって言うのは……」

 

「あれはシンオウのテンガン山でしょう? 規模が違うわよ」

 

 いつかテレビで見たうろ覚えの知識を口にするとナツキはすぐさまポケモンセンターを示した。

 

「一度休みましょう。あんたはキバゴを見てあげなさい」

 

 ポケモンセンターに入るや否や、ユキナリはパソコンに、ナツキは回復受付へと回った。どうやらナツキはストライクのコンディションに不安があるらしい。瞼の裏に残る傷痕を思い返し、一回の回復程度では全快は不可能だったのだろうか、とユキナリは考える。

 

 パソコンを接続し博士へと通信を打診するとすぐさま返事が来た。指定されたアドレスを踏むと博士とのビデオチャットが開く。

 

『ユキナリ君。元気かい?』

 

 博士の声は広域で聞こえるようになっていたのでボリュームを調整し、「すいません」とまず謝った。

 

「昨日は連絡取れずに……」

 

『ああ、いいんだよ。私なんかとの定時連絡よりも冒険を優先すべきだ。何か進展はあったかい?』

 

 ユキナリは周囲を憚ってから懐のバッジを見せた。鈍く輝く灰色のバッジに博士が息を呑む。

 

『……やったんだね?』

 

 その確認の声にユキナリは頷いた。

 

『緒戦は上々……。だが、ここからだ。通信領域を見る限りまだニビシティからそう離れていないようだけれど』

 

「オツキミ山です。その前に仮設のポケモンセンターがあって」

 

『なるほど。今回のポケモンリーグ、通信網を走らせる事に関しては上も相当気を回しているらしい。オツキミ山近辺といえば、磁気の影響で以前までは通信は危うかったんだが』

 

「そうなんですか?」

 

 ユキナリはポケギアへと視線を落とすと通信レベルを示すアンテナが見る見るうちに下がっていく。

 

「あれ? これって……」

 

『やはり、音声通話は厳しくなるね。こういうきちんとした設備の中だけだろう。通話が辛うじて出来るのは』

 

 ユキナリは瞬時に骨董品に成り下がったポケギアを見下ろした。振ってみるが電波が回復する兆しはない。

 

『それよりも、キバゴは? どうなった?』

 

 本題を思い出しユキナリは、「その事なんですが」と昨日の戦闘で手にした経験を話した。

 

 博士は頷きながらユキナリの話に真摯に耳を傾ける。

 

『すると新たな技の発現があったわけか』

 

「ええ。イブキさんによるとあれはドラゴンクローっていうらしいですが」

 

『すごいじゃないか。優勝候補の一角に勝つなんて』

 

 賞賛の言葉にユキナリは後頭部を掻く。

 

「いえ、たまたまです。それに特性も判明したっぽくて」

 

 頑丈を突き崩した特性をユキナリは「型破り」と名付けた事を話すと博士は指を鳴らした。

 

『いいね。型破り。実にキバゴと君らしい特性じゃないか』

 

「でも、この特性、どこまで及ぶのかまるで分からないんです」

 

 たとえばストライクの特性、テクニシャンを破ったり出来るのか。どこまで「型破り」なのかはまるで分からない。

 

『研究のし甲斐があるね。型破り、という特性はいいよ。頑丈特性を破る事が出来る。大きな戦力となるだろう』

 

「それでキバゴに関してなんですが……」

 

 ユキナリが顔を翳らせて喋るので博士は事の重大さを理解したのか声を潜めた。

 

『何か?』

 

「空牙が、生えてくる気配がないんです」

 

 ユキナリは戦いの中でキバゴの牙は研鑽され、強くなると仮定していた。博士も同じである。確かに片牙は強くなった。その予兆もある。しかし、空牙はまるで生える気配がない。元々牙など存在しなかったかのように生え変わりもしない。

 

 博士は思案するように呻り、『もしかしたら』と仮説を述べた。

 

『キバゴは新たなる戦い方を体得したのかもしれない』

 

「新たなる、戦い方、ですか……」

 

『本来は二つの牙を持つポケモンだったのだろうが、空牙のキャンセル機能を君との戦いで目覚めさせ、それと片牙を併用する戦術を編み出したのだとしたら?』

 

「でも、だとしたらダブルチョップは使いようがないですよ」

 

 イブキのように特殊攻撃を行ってくる相手でしか「ダブルチョップ」は有効ではない。そのような技を組み込んで勝てるほどポケモンリーグは甘くないはずだ。博士は、『キバゴの力は未知数だ』と続けた。

 

『だからこそ、トレーナーとの交信で確かめ合っていきたい。ユキナリ君、君がキバゴにしてやれる事が増えれば、キバゴも君にしてあげられる事が増えるんじゃないかな』

 

 してやれる事、と言われても真っ先に思い浮かぶ事はなかった。戦いの中で絆を通じて力を開花させる。それが一番のように思えたが、自分のトレーナーとしての力量がそれに及ぶかどうかの自信はない。

 

「キバゴは、僕なんかがトレーナーでいいんでしょうか」

 

 不意に浮かんだ不安の翳りに博士は、『君だからこそ』と返す。

 

『キバゴはここまで応えてくれたんだと思うよ』

 

 そうならばありがたいのだがユキナリには自分以上にキバゴを使いこなせる人間がいるのならそれでもいいのではないのかと思う側面もあった。キバゴは、イブキとの戦いでもタケシとの戦いでも自分に呼応するように力を発揮してくれた。しかし、それは自分の実力なのかと翻れば疑問を感じる。

 

「僕だって、キバゴとは離れたくないです。でも、キバゴが、それを望むなら……」

 

 キバゴの真価を発揮出来るのが自分ではないのならばそれは受け入れるべきだろう。博士はユキナリの発言に、『らしくないね』とこぼした。

 

『何か自信喪失するような事でもあったのかい?』

 

「それは、ないんです。むしろ、上手く行き過ぎているほどに」

 

 だからこそ、不安なのだ。これから先も上手くいくのか。戦えるのかが。博士はコーヒーカップを口に運びながら、『順風満帆、っていう状態が怖いのは分かるよ』と頷く。

 

『その状態を出来れば壊したくないってのが人情だからね。でも、ナツキ君はどうだい? 彼女は、負けてもそれでも立ち上がろうとしているんじゃないかい?』

 

 その言葉にユキナリは絶句した。ナツキは自分よりもさい先に不安を感じているはずだ。緒戦から負け越しで始まったのもあるだろう。ユキナリは僅かに回復受付にいるナツキを窺い、彼女の不安を一つでも取り除きたいと感じた。

 

「僕は、ナツキが自信を失うところを見たくない」

 

『だったら、君だけは彼女を信じる事だ。それが強さに繋がる。ナツキ君は、私が見た中でもトレーナー気質だが、同時に脆い側面もある。支えてあげてくれ』

 

 ユキナリが首肯するとナツキが歩み寄ってきた。「切りますね」と言ってから通信を切るとナツキが怪訝そうに眉をひそめた。

 

「何で切るの? あたしも博士に報告しようと思っていたのに」

 

「ああ、ゴメン」

 

 気が回らなかった、と言い訳すると、「まぁ、いいわ」とナツキはオツキミ山の山道地図を取り出してきた。どうやら無料配布しているらしい。受付の隣のストッカーへと大量に投入されている。

 

「山道地図によるとオツキミ山は最近になって梯子や階段を模した道路が整備されたみたい。レベルの高い野生は出ないけれど、月の石っていうのが鉱物資源として採れるみたいね」

 

「月の石?」

 

「進化のための石よ」とナツキは応じた。ユキナリはスクールの授業でポケモンの進化要因に特殊条件下の鉱物が関係しているというものがあったのを思い返す。

 

「そんなのが採れるんだ?」

 

「貴重な資源だから採ったら罰金みたいだけれど」

 

 ナツキは山道のマップを繰っている。ユキナリは、「オツキミ山だけのポケモンっているのかなぁ」とスケッチブックを取り出した。

 

「ピッピ、ってのが有名ね」

 

「ピッピ?」

 

「ピンク色のポケモンよ。目撃個体が少ないから詳細は不明みたいだけれど」

 

 出来るならばそれをスケッチしたいと考えていたがナツキは、「スケッチの暇なんてないと思うわよ」と冷淡だ。

 

「どうしてさ」

 

「オツキミ山の中では監視がないって聞いたでしょ。つまり、トキワの森と同じ」

 

 その言葉の導く先をユキナリは感じ取った。

 

「問答無用のバトルロワイヤル……」

 

「死んだって責任取ってくれないかもね」と続けたナツキの言葉にユキナリは背筋を凍らせた。

 

「冗談にしてもきついな」

 

 ポケモンセンターのすぐ脇には露店がいつの間にか出来ており大柄な男が声を張り上げている。

 

「コイキング安いよー! 今なら一匹五百円!」

 

 男の背負っているバックパックにはモンスターボールが詰め込まれており、それら全てがコイキングなのだと知れた。コイキングならばユキナリでも知識はある。最も弱いポケモンとして名高い。

 

「おっ、そこの少年と彼女。コイキングはどう?」

 

 売り込みの声に、「彼女じゃない!」とナツキは声を張り上げた。男とユキナリが顔を見合わせる。

 

「そんなに否定するところ?」

 

「うっさいわね」

 

 ナツキはぐちぐちぼやきながらオツキミ山の洞窟に続く入り口を眺めた。外からではまるで中の様子は分からない。どうやら慎重に慎重を期しているようだったが、「入ってみなけりゃ分からないんじゃない?」とユキナリは冷静だった。

 

「……入ってすぐに奇襲を受ける可能性もあるわ。ストライク」

 

 ナツキはストライクを繰り出し、いつでも迎撃出来る態勢を作る。ユキナリはそこまではなれなかったが、ポイントの事を鑑みればナツキの態度も分かる。キバゴを繰り出そうとした時、「お嬢ちゃん。コイキング、どう?」という声に振り返った。コイキング売りを誰しも相手にしない中、一人だけ立ち止まって思案している少女がいた。ユキナリは思わずその様子を眺める。

 

 トレーナーらしき少女は、「五百円、ですか……」とどうしてだか迷っていた。まさか、コイキングを買おうとでも言うのか。

 

「そう! 五百円よ! 今なら、お嬢ちゃんだけに。このコイキングってのはね、とっても珍しいからね」

 

 相手が無知なのをいい事に言いたい放題である。少女は財布へと手を伸ばそうとした。ユキナリは見ていられず歩み寄った。

 

「すいません。連れなんで」

 

 行商に愛想笑いを浮かべてユキナリは少女の手を引く。少女は戸惑った様子でユキナリを眺め、遠ざかっていくコイキング売りを見つめていた。

 

「駄目じゃないですか。ああいうのは相手にしちゃ」

 

 あまりにも純粋に信じ込んでいる様子に見ていられなかったのもある。しかし、それ以上にユキナリの目を引いたのは少女の容貌だった。紫色のワンピースを身に纏い、白い前掛けをつけている姿はトレーナーとは思えない。だがオツキミ山近辺にいるのは皆、トレーナーである。その少女の危うさに思わず引き止めていた。少女は目をぱちくりさせる。その段になって瞳が赤い事に気づいた。珍しいな、とユキナリが見惚れている事に気づいたのか、それとも無意識か、「あの……」と控えめな声が漏れる。ユキナリは手を掴んでいたままの事に気づき、「ああ、ゴメン」と慌てて離す。少女は触られていた手首を不思議そうにさすった。

 

「ああいうのには引っかかっちゃ駄目ですよ」

 

 ユキナリは再三注意する。少女は何の事だか分かっていないようだった。小首を傾げている少女へと、「コイキングなんて買ったら」と続けた。それでようやく理解したのか、手を合わせて、「ああ」と応ずる。頭の回転が遅いのかもしれない。

 

「私、コイキングというのが何なのか知らなくって」

 

 それは奇妙な話に思えたが、別地方から来たのならば不思議はないか、とユキナリは少女の相貌を眺めて納得した。

 

 灰色の髪に花模様の髪留めをつけている。それに加えて赤い瞳となればカントーの出身ではないのだろう。

 

「トレーナー、ですよね?」

 

 確認の意を込めた言葉に少女は、「はい」と腰に留めたモンスターボールを手にする。

 

「ポケモントレーナーを名乗りなさいって、先生から言われたから」

 

 先生、というのはスクールの教師の事だろうか。ユキナリは浮世離れした少女の言動に戸惑っていた。

 

「……誰、その子」

 

 不意に背後から発せられた低い声音にユキナリは驚いて奇声を上げた。ナツキが据わった眼でユキナリを睨む。

 

「あんた、これから山越えだってのにナンパとか」

 

「違う! 誤解だって」

 

 必死に弁明しようとすると少女は、「ごきげんよう」と会釈した。ナツキが気後れ気味に応じる。

 

「あ、よろしく」

 

 ユキナリの首を引っ掴み、ナツキは声を潜めた。

 

「……誰なの? 本当に」

 

「僕にも分からないんだって。ただコイキング売りの商法にかかりそうになっていたから、見ていられなくって」

 

「そんな理由で知らない人間をたらし込もうとしたの? 馬鹿じゃないの?」

 

 ナツキの罵声にユキナリはぐっと堪えた。どう反論しても知らない少女に声をかけた事には変わりはない。

 

「あの子、トレーナー?」

 

「みたいだけど、コイキングも知らないって……」

 

 ユキナリの心配事が移ったのかナツキも視線で少女を窺った。少女は軽く手を振る。ナツキは愛想笑いを返して、「参加者?」と尋ねる。

 

「参加者、というのは」

 

 ゆったりとした少女のテンポにナツキは、「ポケギア、持っているの?」と左手の端末を示した。少女は、「ああ」と手を合わせて首から提げたネックレスを差し出す。驚く事にそれはポケギアだった。

 

「先生に持っていろって言われたので」

 

「変わった持ち方ね……」

 

 ナツキは辟易しつつユキナリへと視線を送った。どうする、と問いかける眼差しにユキナリは応じた。

 

「トレーナー初心者なら、僕達も同じだし。山越えには人数も多いほうがいい」

 

「正気? だってこの子」

 

 ナツキは少女を上から下に検分する。ナツキの言いたい事は分かる。軽装なのだ。鞄すら持っていない。

 

「着の身着のまま攻略出来るほどこの旅は甘くないでしょう」

 

 少女の装いは奇妙だが、上手く戦いを回避してきたのならばこういう装備の人間がいてもおかしくはない。

 

「心配だし……」

 

「あたし達だって山越えは不安なのに、さらに不安要素持ち込む事ないって言っているの」

 

 ナツキの言葉は厳しいが、確かに少女を抱えてリスクが増える事にもなりかねない。

 

「放ってはおけないだろ」

 

 ユキナリはしかし、このまま少女を見て見ぬ振りをして放置する事のほうがよくないと考えていた。参加者だというのならばなおさらだ。誰かに利用されかねない。ポイントを巻き上げられればそれこそ身一つになってしまう。オツキミ山で一人になる事の危険度はナツキが一番よく理解しているはずだった。声を詰まらせたナツキに、「それに、もしかしたら戦力になってくれるかも」と期待を添える。ナツキはぷいと顔を背けた。

 

「見たところ弱そうだけど」

 

 棘のある言い分だが、ナツキはそれ以上否定の言葉を発しなかった。あとはユキナリに任せるつもりなのだろう。ユキナリはとりあえず少女に同行の許可を求めた。

 

「えっと、じゃあ、僕らと一緒に山越えをしませんか? 多分、そのほうが助かる事もあるだろうし」

 

 その言葉に少女は、「ご迷惑でないのなら」と頭を下げた。ユキナリはナツキへと視線を向ける。ナツキは、「ここまで来たんなら、肝は据わっているんでしょ」と了承した。

 

「じゃあ、えっとまだお名前を聞いていませんでしたね。何て言うんですか?」

 

 少女は幾ばくかの逡巡の後に答えた。

 

「キクコ、っていうのが私の名前」

 

 



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螺戦の章
第二十三話「ディグダの穴」


 

「くそっ! また出てきやがった!」

 

 先頭集団が悪態をついてポケモンを繰り出す。彼らの前には人の指のような形状をしたポケモンが穴から頭部を出していた。ディグダ、と呼ばれるポケモンだ。ディグダは高速で穴を掘り、先頭集団の放ったポケモンの技を回避して地盤を揺らす。彼らは足場が不安定になって三々五々に散った。

 

「地割れが来るぞ! 先行させているポケモンを引き上げさせろ!」

 

 その言葉の直後、地面が割れ、地層へとポケモンが引き込まれていく。当然、飛翔能力を持っているポケモンや高い機動力を有しているポケモンでもない限り回避は出来ない。一撃必殺の攻撃に何人かは手持ちを失った結果になった。

 

「駄目だ! 全然前に進めない!」

 

 ディグダの穴に入ってからほぼ一日。先頭集団は野生のディグダの猛攻に苦戦していた。野生と言っても高レベルであり、さらに障害はディグダだけではない。

 

 景色が揺れ動き、地層が鳴動する。彼らはある存在の接近を知覚した。

 

「ダグトリオが来る! 全員、衝撃に備えろ!」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、洞窟の壁から粉塵が巻き起こり迸った衝撃波が何人かを吹き飛ばした。彼らは前に出てくる存在へと一斉に視線を集中させる。

 

 ディグダが三体揃った山のようなポケモン――進化系、ダグトリオは先頭集団の足を止める最大の要因だった。ダグトリオは一進化ポケモン。未進化や地面に相性の悪いポケモンからしてみれば充分に脅威となりうる。ダグトリオ一体を倒すのに五人は要した。その度に二人は手持ちを戦闘不能に追い込まれるのだから先に進めるわけがない。彼らはディグダの穴において、ほとんど入ってすぐのところで足を止めていた。クチバシティへのショートカットは成し遂げられていない。誰一人としてディグダとダグトリオを正面突破して辿り着けないのだ。実力不足以上にこのディグダの穴が相手のホームグラウンドである事が災いした。ディグダもダグトリオもこの地形を最大限に利用する術を知っている。対して、カントーの地をようやく踏み締めたばかりの人間達では相手にもならない。一人、また一人と蹂躙され、ダグトリオの前に絶望の二文字を突きつけられていた。

 

 その時、不意に一人の影が前に出た。昨日からディグダ、ダグトリオと戦闘を重ねている男は声を張り上げる。

 

「馬鹿! 前に出るな! 地割れが来るぞ!」

 

 ダグトリオが高速で穴を掘り周囲の地形を作り変えていく。壁が鳴動し「じわれ」の一撃が放たれるかに思われた。しかし、それよりも早く発せられた声が響き渡る。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

 その言葉を男が聞き届けた直後、ダグトリオは凍り付いていた。思わず二度見したほどだ。氷の彫刻と化したダグトリオへとその人影は歩み寄る。

 

「レベル3の瞬間冷却でダグトリオは倒せるな。あとは順番に進んでいけばいい」

 

 指が鳴らされると氷付けのダグトリオが分解した。男は気後れした声を出す。

 

「……君は」

 

「弱いのならば、この道はお勧めしない。今からでもオツキミ山に進路を変えたほうがいい」

 

 自分にしては温情だな、とヤナギは分析した。本当ならば相手が死のうが生きようがどうでもいいのだが、ディグダの穴は思ったよりも手狭だ。出来るならば少数で歩んだほうが自分にとっても安全策だろうと瞬間的に判断したのだろう。男は、「そうするよ」と肩を落として引き返していった。

 

 彼からしてみれば一晩越しの戦いだったのだが、ヤナギの一動作で心は決まったようだ。どの道、このルートは弱い人間は通れないとヤナギは感じていた。ニビシティ経由のディグダの穴によるショートカット。クチバシティ東へと出られる代わりに、この洞窟のディグダ、及びダグトリオはレベルが高い。賢しい頭を働かせて出し抜こうとしても難しいものがあるだろう。しかしヤナギは山越えに比べればリスクが少ないと感じていた。オツキミ山を経由するルートはほとんどの人間が通る。つまり闇討ちされる可能性もその分増えるというわけだ。負ける気はしなかったがリスクは軽減したほうがいい。ディグダの穴は最適だった。待ち構えようにも野生のディグダやダグトリオを相手にしていてはその暇はないだろう。あとは順番に倒していけば何の問題もない。

 

 再び現れたディグダへとヤナギは手を振り翳す。

 

「瞬間冷凍、レベル1」

 

 二体、三体と出現するディグダを凍結させ、ヤナギはその脇を歩いていく。先頭集団で諦めきれない連中がヤナギに便乗しようとするが、すぐさま凍結を解いたディグダ達に押されて結果として前進しているのはヤナギだけとなった。自分一人の旅は落ち着く。ほとんどヤナギの独走状態に近いこの洞窟で調和を乱す人間が現われるとは思えない。ヤナギはポケギアへと視線を落としたが、どうやら洞窟内部は圏外のようだ。

 

「技術が進歩しても自然の叡智には勝てない、か」

 

 ぽつりとこぼしてヤナギは歩み出そうとする。その時、「随分と余裕ね」と声が響いた。ディグダ達による障害を除けばほぼ一本道に近い。その中で自分に声をかけてくるというのはディグダの試練を乗り越え、さらに余裕がある証だった。

 

 振り返ると、いつの間に接近していたのか、金髪の女性が腰に手を当てて尊大に口にする。

 

「先を急いでいるようにも見える」

 

「その通りだ。俺は早くクチバシティに着きたいんでな」

 

 物怖じせずに返すと女性は鼻を鳴らした。

 

「あまりにも可愛くないと嫌われるわよ」

 

「好かれちゃ困る。俺の道には、俺一人でいい」

 

 ヤナギの言葉に、「真っ直ぐね」と女性は感想を述べた。しかし、ヤナギは警戒を解かずに、「何の用だ」と問いかける。

 

「優勝候補だろう。あんたは」

 

 女性の名をヤナギは知っている。シンオウからの優勝候補、シロナ・カンナギだ。ニュースで何度も「麗しき女性トレーナー」として持ち上げられていた。シロナは金髪をかき上げ、「あなたのポケモン」と足元を見やった。ヤナギの足元には手持ちポケモンが控えている。

 

「凍結能力を持っているのね。しかも強力で、瞬間的な」

 

 含めたような言い分に、「何が言いたい」とヤナギはその結論を急かす。

 

「昨日、ジムリーダーが殺されたわ。ニビシティのタケシよ」

 

 シロナの言葉にヤナギはさして驚かなかった。その様子をシロナは注意深く観察しているようだ。

 

「そうか」

 

「驚かないのね」

 

「そういう事もあり得るだろう。このルールが世間に発布されてから、それを予測出来ない輩がいるのが悪い」

 

 率直な感想にシロナは、「あなた、賢いのね」と口にした。しかし、ヤナギからしてみればそのような常識の範疇、賢明のうちに入らない。

 

「馬鹿にしているのか?」

 

「いいえ。尊敬しているわ。冷静な判断力、動じない心」

 

「ジムバッジを目的とした殺しだろう。その程度、察しがつく」

 

「あたしは、あなたが怪しいと思っている」

 

 シロナの言葉にヤナギは初めて嫌悪の表情を浮かべた。眉間に皺を寄せて、「俺が……?」

と聞き返す。

 

「ええ。ジムリーダーは凍結系のポケモンで殺害されていた。瞬間的に気温を操れるのは、あなたみたいな使い手しか考えられない」

 

「そう思ってわざわざ追ってきたのか?」

 

 難儀な事だ、とヤナギは冷笑を浮かべる。シロナはしかし、本気の眼差しだった。

 

「あたしにはたくさん協力者がいてね。あなたの事も話に上がっていたわ。性格上、オツキミ山を目指す事はない、と踏んでいた」

 

 シロナはモンスターボールを抜き放つ。マイナスドライバーでボタンを緩め、押し込んで投擲した。

 

「いけ、ミロカロス」

 

 ボールから開放されたのは虹色の美しい鱗を持つ長大な蛇の威容を持つポケモンだった。乳白色の表皮に、黒曜石のような小さな瞳を持っている。戦闘用のポケモンというよりかは観賞用に近い。その立ち姿に思わず感嘆の吐息が漏れそうになる。

 

「ミロカロス、アクアリング」

 

 ミロカロスと呼ばれたそのポケモンは出現と同時に水の輪を、自分を中心として展開した。ヤナギは冷静に分析する。

 

「俺とポケモンバトルして、どうする? その事件の犯人とやらを追わなくっていいのか?」

 

「いいえ、あなたとの戦闘がそれに当たる。一つずつでも可能性を潰さないとね」

 

 ヤナギはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「俺を疑っているわけか」

 

「最有力容疑者よ。まさか執行官の息子が犯人、だなんて思いたくないけれど」

 

 馬鹿馬鹿しい、とヤナギは吐き捨てた。

 

「執行官の息子だろうが何だろうがお前らは関係ないと思っているのだろう。父上に取り入って、何を考えている?」

 

「何も。ただ真実が欲しいだけ」

 

 シロナの簡潔な言葉にヤナギは、「ちゃんちゃらおかしいな」と告げた。

 

「真実から遠ざかる真似をしている」

 

「あたしは、そうは思えない」

 

 いつまで経っても議論は平行線だとヤナギは感じ取った。ここで事態をはっきりさせるには勝つ事が最も望ましい。

 

「やれやれだな。いくら言葉を交し合っても、お互いに信用していない以上、力を見せ付けるのが最も望ましいとは」

 

「あら、あなた、戦いが嫌いなの?」

 

 シロナの白々しい声音にヤナギは答える。

 

「嫌いさ。分をわきまえない馬鹿の相手は、な」

 

 その言葉に宿る挑発の意味を汲み取ったのかシロナは、「いくわよ」と声に戦闘の気配を走らせた。ヤナギは息を詰め、「来い」と応ずる。

 



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第二十四話「凍結魔術」

 

 ミロカロスの身体が弾け、ヤナギに向かって直進する。ヤナギは手を掲げて命じた。

 

「瞬間冷却、レベル1」

 

 その言葉と共にミロカロスの表皮へと急速に霜が降りてくる。しかし、ミロカロスは体内から発した水飛沫で弾いた。

 

「その程度で凍らせられるほどやわじゃないわ!」

 

 ミロカロスがヤナギを射程圏内に捉える。アクアリングが煌き、瞬時に集束した。ミロカロスの口腔内から放たれた光を増幅させ、アクアリングを潜って水色の光が拡張させられる。光条が放たれ、ヤナギは即座に反応する。

 

「凍結防御壁、レベル2」

 

 土くれを巻き上がらせ、それらを触媒にしてヤナギは即席の防御壁を展開した。瞬く間に凍り付いた壁を上塗りするように光線の効果が発揮される。すり鉢状の氷柱が突き刺さるかのように屹立した。

 

「冷凍ビームか」

 

 その技の名前をヤナギが口にすると、「その通り」とシロナは応じた。

 

「もっとも、あなたには意味のない技だったかもしれないけれど」

 

 確かに、氷を操る自分には縁の深い技である。しかしヤナギには分かっていた。シロナは、こちらが氷を操る事を見越してこの技を発したのだと。

 

「俺の氷を操るレベルを知るために、あえて効果の薄い技で攻めた」

 

 見透かした声に、「やっぱり、可愛くない」とシロナはふふんと鼻を鳴らした。

 

「その手持ちとは対照的ね」

 

 シロナはヤナギの手持ちを見下ろす。ミロカロスに比べれば弱小に近く見える茶色の毛並みの矮躯だった。小刻みに震えており、目は細かいゴマのようである。

 

「ウリムーというポケモンね。未進化の氷・地面タイプ」

 

「詳しいな」

 

「これでも一応、考古学者の顔も持っている。タマムシ大学も出ているわ。それなりに教養はある」

 

 シロナは金髪をかき上げる。ヤナギは鼻を鳴らした。

 

「氷である事を分かっていて冷凍ビームなんて放った。よっぽど意地が悪いと見える。俺のウリムーを試したな」

 

「そうね。普通なら、未進化でそれほど精密な凍結制御が出来るはずがないわ。何か、仕掛けでもあるのかしら」

 

 シロナは値踏みするように指を動かすがヤナギは動じた様子もない。ミロカロスが虹色の鱗が際立つ尻尾を突き出した。鋭利な刃物を思わせる一撃をヤナギに向かって放つ。

 

「ドラゴンテール」

 

 一直線に発せられた打突は、しかし空間に現れた氷壁によって遮られた。

 

「瞬間冷却、レベル2。空気を凍らせて壁を作った」

 

「ドラゴンテールを徹さないってわけ。でも、どこまで持つかしら?」

 

 何度も繰り返し放たれる攻撃は間断なく氷壁を攻めた。それだけではない。同じ位置を繰り返し突いている事にヤナギはいち早く気づいていた。

 

「全く寸分のブレもない、力加減さえ同じ攻撃を何度も」

 

「そう! それが真骨頂!」

 

 何度目かの「ドラゴンテール」が氷壁を砕いた。頬のすぐ傍をミロカロスの刃の切っ先を思わせる攻撃が突き抜けていく。

 

「優勝候補なだけはある。俺も見くびっていたようだな」

 

 冷静なヤナギの言葉に、「それだけ?」とシロナは含んだ笑みを向ける。

 

「それ以上の賛美が必要か?」

 

「あたしの故郷では、てらいのない賞賛の言葉が好まれたけれど。都会はそうじゃないのかしら?」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「下らない」と告げた。

 

「賞賛も、賛美も、全て勝者のためにある。敗者にかけられる賞賛は惨めなだけだ」

 

「まるであたしが負けるみたいな言い草ね」

 

 その言葉にヤナギは指を一本立てる。

 

「事実、そうだと言っている。瞬間冷却、レベル3」

 

 ヤナギのすぐ脇を通っていたミロカロスの尻尾が一瞬にして凍り付いた。その所作にシロナは瞠目する。ヤナギは爪先で足元を払った。

 

「この距離は既に凍結範囲だ。氷壁を破る事が勝利だとでも思ったか? 俺の射程に無闇に入って凍らない自信でもあったのか?」

 

 勝利を確信したヤナギへとシロナは不敵な笑みを浮かべた。覚えず眉をひそめる。

 

「何が可笑しい?」

 

「まだ、負けてはいないわ」

 

 その瞬間、凍てついていたミロカロスの尻尾が鱗を残して脱皮させられた。残った凍結した鱗が地面に落ちる。ヤナギはそれを見下ろし、観察する。

 

「特性か」

 

「そう。不思議な鱗、という特性は状態異常の時、防御を強化する。あなたが凍らせたのはミロカロスの表層。それを脱ぎ捨ててミロカロスはさらに強固な鱗を纏った。もう、さっきの氷結能力では凍らないほどにね」

 

 見ればミロカロスの尻尾は先ほどまでよりも煌いている。光の差さない洞窟内部なので太陽の下では宝石のように映る事だろう。ヤナギは、「伊達ではない、か」と呟いた。

 

「一つずつ、こちらの戦略を暴いていくつもりだな」

 

 相手にはそれが出来る。ミロカロスは防御に特化したステータスを持っている事は今しがたのやり取りで分かった。凍結範囲に入ったのも計算のうちだったというわけだ。食えない相手だとヤナギは認識する。

 

「フェアに物事を進めるために、いい事を教えてあげる。ミロカロスは水単体タイプ。もし、電気や草タイプの技を使われた場合、大きく遅れを取る事になるけれど、ウリムーじゃその心配もないかしら?」

 

 シロナの言葉に嘗められているという意識よりもヤナギはその事実を噛み締めた。

 

「なるほど。水単体となれば、倒すのには時間がかかりそうだ」

 

 ヤナギの言葉にシロナは、「何? 倒すって」と嘲笑する。

 

「さっきの状況通り、凍結によってミロカロスを下すのは不可能。さらに言えば、防御、特殊防御に秀でたミロカロスの表皮を破って凍結させるのは至難の業よ。いくらウリムーを自在に操れるといってもポケモンとしての格が違う」

 

 自信満々に言い放つシロナにヤナギは冷たくあしらった。

 

「格、か。そのような言葉が優勝候補から漏れるとはな」

 

「馬鹿にしているの? ポケモンには埋めようのない隔絶がある。いくらレベルを高めようとも、超えられない壁というものが。水タイプのミロカロスに対して有効打になり得るのは草、電気のみ。その弱点属性だって相当な威力じゃないとミロカロスの鱗を貫通出来ないわよ」

 

 ヤナギはウリムーへと視線をやる。ウリムーは身体を小刻みに震わせて次の一撃への布石を打とうとしていた。しかし、その前にミロカロスが動いた。アクアリングが拡散し、小型のアクアリングを生成する。それが砲口のようにヤナギを捉えた。空中でアクアリングが凝縮して鉄砲水を弾き出す。ヤナギはすぐさま命じる。

 

「瞬間冷却、レベル2」

 

 ハイドロポンプ当たりが妥当だろうと考えていたが放たれた水からは蒸気がもくもくと出ていた。その事実にヤナギはすぐさま命令を変える。

 

「瞬間冷却を解除! 防御壁、レベル3を――」

 

「遅い! ミロカロス、熱湯!」

 

 アクアリングが分散して撃ち出された攻撃はハイドロポンプではない。「ねっとう」と呼ばれる水タイプの攻撃だ。ヤナギが危惧したのはその威力ではない。追加効果であった。熱湯は氷壁によって遮られたかに見えたが飛沫がウリムーにかかったらしい。ウリムーの身体の一部が赤らんでいた。

 

「火傷効果……」

 

 呟いた声に、「そう」とシロナは手を突き出す。

 

「冷却系の技を操るポケモンにとって最も危惧すべき事、それは炎とそれに追加する効果の火傷。あなたのような瞬間的な判断を重視するトレーナーとしては、状態異常は避けたいはずよね?」

 

 その通りである。麻痺、毒の状態になっても困るが火傷は継続ダメージが残る技だ。こちらの攻撃の手も緩めなければならなくなる。火傷の痛みでポケモンが正確な技の操作が出来なくなる。それだけではなく、攻撃に際して極端に威力が下がる。ウリムーとヤナギは正確無比な氷結操作を得意とするだけに致命的であった。

 

 ミロカロスが長い桃色の睫の下にある瞳を細めた。次の一撃で決めるつもりなのは明白である。ヤナギは舌打ちを漏らし、手を振り翳す。

 

「ウリムー、氷のつぶて」

 

 ウリムーに初めて技らしい技を命じる。ウリムーが空気中の塵を凍らせて氷の散弾を撃ち出した。ミロカロスは冷静に尻尾で振り払う。

 

「今さらその程度の攻撃? 言っておくけれど、アクアリングは!」

 

 その言葉に応ずるように展開されたアクアリングから透き通った水がミロカロスの表皮へと供給されていく。ミロカロスは僅かに傷つけられた鱗に艶を取り戻させた。

 

「一定時間、回復を確約する。つまり、あなた達があたしに勝ちたかったら、アクアリング展開前に潰しておくべきだったという事!」

 

 アクアリングをまるで光背のように掲げたミロカロスが屹立する。ミロカロスはアクアリングを眼前に集束させ光を放つ。次こそハイドロポンプの一撃だろう。ヤナギはそれでもウリムーへと命令を飛ばす。

 

「氷のつぶて」

 

 ヤナギの命令を受け止めたウリムーが空気中の塵で生成したつぶてをミロカロスは避けるまでもなかった。身体に受け止めてもまだミロカロスは健在だ。

 

「……どうやら見込み過ぎていたようね。効果がいまひとつの技を繰り返す辺り。安心なさい。ポイントは奪わないわ。ただ、あなたに事情を聞きたいだけの事。場合によっては出場辞退を勧告する事もやむをえないけれど」

 

 シロナの言葉にヤナギは答えない。答える意思がないと判断したのかシロナが最後の命令を下そうとする。

 

「ミロカロス、ハイドロポンプ。氷・地面のウリムーには効果抜群のはず」

 

 ミロカロスが今まさにハイドロポンプを繰り出そうとした、その直前である。ミロカロスの動きが唐突に鈍った。

 

「ミロカロス?」

 

 シロナが異常に気づいて声をかける。その瞬間、ミロカロスが苦悶の叫びを上げた。突然のパートナーの急変にシロナは慌てる。

 

「どうしたって言うの? 氷のつぶてなんて、避けるまでも――」

 

「避けなかったのが、お前らの運の尽きだったわけだ」

 

 遮ってヤナギは声を放つ。人差し指と親指の腹を擦らせ合い、気温を確認する。

 

「効果を発揮するには充分だ」

 

「……何をしたって言うの?」

 

 シロナの声にヤナギは鼻で笑った。

 

「気がつかないのか? 優勝候補の名が泣くぞ」

 

 その直後、ミロカロスが苦しげに呻く。シロナはその視線の先にようやくその苦痛の元を発見したようだった。「あれは……!」とシロナが声に出す。その視線の先を追ってヤナギは首肯した。

 

「そう、アクアリングだ」

 

 ミロカロスの身体の周囲を護るように展開されたアクアリング。それらが凍結していた。

 

 否、水は流れている。しかし、そこから放出される回復のはずの水はすぐさま凍結して小さな氷の針となりミロカロスの表皮を突き刺していた。ミロカロスは自身を一斉に襲ったその極小の攻撃によって苦しめられていたのだ。シロナは、「アクアリングに、細工を……」とヤナギに詰め寄った。

 

「細工、というほどの事はしていない。ただ、氷のつぶてをミロカロスが触れる。それだけでよかった。触れた箇所から凍結範囲の根を張り、アクアリングへとその効果を広げる。一番大事だったのはミロカロスに気取られぬ事だったが、どうやら随分と愚鈍らしい」

 

 ヤナギの言葉にシロナは歯噛みした。

 

「あたしのミロカロスを……!」

 

「怒りに任せて俺達に攻撃するか? 簡単だろう。ハイドロポンプを一撃。それで全てが事足りる」

 

「ミロカロス、ハイドロポンプ!」

 

 シロナの放った声と同時にヤナギは指を鳴らした。瞬時にアクアリング全体が凍結し、氷の首輪となってミロカロスを締め付けた。ハイドロポンプは中断され、ミロカロスがのた打ち回る。氷の首輪は内側に棘の突いた痛々しい代物だった。

 

「何を……」

 

「氷柱針。アクアリングを凍結させた。回復の代わりに、アクアリングは確実にミロカロスの体力を奪うだろう」

 

 シロナは一瞬にして自らを護る鉄壁の策が毒になった事を悟ったのか、「解除を」と声を上げる。「無駄だ」とヤナギは断じた。

 

「既に凍結はウリムーの管理下にある。アクアリングをどうするかは俺とウリムー次第だ」

 

 シロナは、「だったら!」と手を振り翳す。ミロカロスが尻尾を振り上げてアクアリングを割ろうとした。

 

「アクアリングごと捨てるまで!」

 

 しかし、アクアリングは表皮へと既に食い込んでおり、棘も相まって砕ける様子はなかった。

 

「氷の首輪の支配は俺が解除を命ずるまで続く。ミロカロスは断続的なダメージを与えられる事になる」

 

 シロナは舌打ち混じりにヤナギを睨み据えた。ヤナギは、「立ち回りが甘いな」と判断する。

 

「俺が子供だからか、まだ温情でもやるつもりだったのだろう。だが、この戦いは最早個人の枠組みを超えた戦争。やるのならば徹底的にやるべきだったな」

 

 ミロカロスへと氷の首輪が食い込む。シロナは、「ハイドロポンプが無理でも!」と指示を飛ばす。

 

「ミロカロス、熱湯!」

 

 ミロカロスの周囲へと空気中から水分が集まっていく。ヤナギは、「今降参すれば」と告げていた。

 

「決定的な敗北を味わわずに済む」

 

「それはどの口が言っているのかしら? 見くびらないで! あたしだって優勝候補、シンオウのシロナ・カンナギ! その志を甘く見られちゃ困るわ!」

 

 熱湯を放とうとするミロカロスを見やり、ヤナギは一言だけ告げた。

 

「残念だ。もう、その美しい姿を見る事は出来ないだろう」

 

「攻撃を――」

 

「フリーズドライ」

 

 氷の首輪が砕け散り、広がった冷却の靄が一瞬にしてミロカロスを覆い尽した。ミロカロスの身体から水分が抜けていく。美しい鱗は見る影もなく剥がれ落ち、ぱりぱりになった全身から血が迸った。

 

「ミロカロス……!」

 

「今すぐにモンスターボールに戻せば、間に合うだろう」

 

 ヤナギの忠告にシロナは抗弁を放とうとしたが、既にミロカロスが戦闘不能に陥っている事は自明の理であった。シロナは、それに従った。モンスターボールに戻してもまだミロカロスの事を心配している様子だ。

 

「今の、は」

 

「守秘義務だな。教えられない」

 

「水タイプであるミロカロスを下すだけの技、よね。氷の技に見えたけれど」

 

「詮索するな。それよりも」

 

 ヤナギはポケギアを突き出す。ようやく事態を飲み込んだシロナは、「ああ、そうよね」とポケギアをつき合わせた。ポイントがヤナギへと送られる。シロナは目を見開いた。

 

「22400ポイントって……」

 

「かかってくる連中を片っ端から倒すとこうなった」

 

 簡潔なヤナギの言葉にシロナは微笑んだ。対してヤナギは仏頂面である。

 

「これだけポイントがあれば、ジムバッジを奪う理由もない、か」

 

「ようやくか。理解が遅いな」

 

 ヤナギはウリムーに触れる。火傷状態はそれほど厳しくはない。ディグダの穴を抜けるくらいならば問題なさそうだ。

 

「誤解していたわ。ごめんなさい」

 

 シロナはまず謝ったが、ヤナギには聞かねばならぬ事があった。

 

「どうして父上に取り入ろうとしている?」

 

「それも勘違いだわ。あたし達は、確かに執行官の力を借りている。でも、それが全てではない」

 

「あんたらの仲間にタマムシの記者がいるはずだ。そいつが二ヶ月前の記者会見の後から嗅ぎ回っている」

 

「あなた、お父上に相当ご執心なのね。よく見ているわ」

 

 シロナの言葉は無視してヤナギは問いを重ねる。

 

「答えろ。お前らは何だ?」

 

 シロナは幾ばくか逡巡の間を置いた後、「そうね。知るべきだわ」と頷く。

 

「我々はある目的のために結成した団体。今は、そうとしか言えない」

 

「組織か」

 

「表立ったものじゃないけれど、有識者や権力者を集めている。カンザキ執行官もその一人」

 

「捨て駒のように使うつもりは……」

 

「それは杞憂よ。むしろ、あたし達はお互いに最大限の努力をして立ち向かうべきと考えている」

 

「何に、だ?」

 

 ヤナギには疑問だった。どうやってあの厳格な父を丸め込んだのか。一体、彼らは何に歯向かおうとしているのか。シロナは一つ息をついて、「歩きながら話しましょう」と提案する。

 

「ディグダの穴で一泊もするのは御免よ」

 

 どうやら長い話になりそうだとヤナギは感じつつその提案に乗った。歩いていると思い出したようにディグダが顔を出したが先ほどまでの戦いを見ていたのだろう。突っかかろうとしてこない辺り、この穴に生息するディグダは賢い。

 

「カントーにだけ、建国神話や、伝説に関する話がほとんど残ってないのはご存知?」

 

「俺はジョウトの出身だ。そういうのには疎い」

 

 ヤナギの言葉に、「そうだったわね」とシロナは了承した。

 

「じゃあ、まずは聞いて。ここカントーは伝説やそれの類する神話が全くない。不自然なほどに」

 

「開拓された地方ならば、別におかしくはない」

 

「いいえ、おかしいのよ。ポケモンの目撃例の最初期はカントーだった。つまり早くから人々は永住していた。その中で、ある意味では異物としてポケモンが後発的に発生した。それは奇妙なのよ。イッシュ建国神話や、ジョウトのスズの塔、渦巻き島の伝説、ホウエンの古代ポケモン、シンオウの時間と空間を司る神話、それらはあって然るべきものだった。でも最初期にポケモンが見られたカントーにはない。つまり、ポケモンの発生自体は他の地方にもあったにも関わらず、カントーが一歩抜きん出たというのは不自然である、とする仮説よ」

 

「夢見がちだな」

 

 ヤナギはそう断じたが、「そうそう夢想的な話でもない」とシロナの声は淡々としていた。

 

「まるで認識の中に湧いて出た悪魔のように、人々が在ると感じた瞬間からポケモンは在った。それの最初期がカントーだった。それはたまたま、偶発的なものだったと考えるか、それとも必然的なものであったと考えるか」

 

「俺なら、偶発的だと感じる」

 

 感想を述べると、「普通なら、そう感じてもおかしくはない」とシロナは肯定した。

 

「でも、どこかにそれを手引きした、いわば影の集団としてポケモンと人間の歴史を操った存在がいるとすれば? その存在こそが、このポケモンリーグを支配しているとしたら?」

 

 ヤナギは馬鹿げた話だと感じていた。陰謀論も大概にしろ、と言いたかったが、不意に仮面の人々が脳裏に浮かんでヤナギは足を止めた。その様子を目ざとく察知したシロナは、「心当たりがあるのね」と呟いた。

 

「……馬鹿げている。そんな事をして何の得になる? 世界を影から操っている組織? 俺からしてみれば、あんたらも同じ穴のムジナだが」

 

「そう。我々の組織は彼らに対抗するために作られた、いわば対極の存在」

 

 ヤナギはため息を漏らしていた。否定するならばいざ知らず、まさか認めた上で組織と来るとは。シロナの口調には必死さが滲み出ていた。

 

「あたしも、シンオウの地で、考古学を専攻している時におかしいと感じる節が何度かあった。シンオウやイッシュほどの歴史ある地が存在するにもかかわらず、どうしてカントーなのか。その疑問に組織の人間は答えられるとしてあたしに接触した」

 

「じゃあ、あんたはもうその答えは持っているのか?」

 

 ヤナギの問いに、「仮説は立てられたわ」とシロナは髪をかき上げて頭を振る。

 

「でも、それだけ。それに随分と荒唐無稽な話になってしまう。これを学会で発表したら、それこそあたしは鼻つまみ者ね」

 

「確証が得られるまで自分の中だけに留めるわけか」

 

「いけない? それに組織と取引したもの。組織の情報開示レベルに則さない行動をした場合、即座に抹殺される」

 

「随分と乱暴だな」

 

 だが今までの話を統合すれば全く考えられない話ではない。むしろ、秘密主義はあり得る。秘密で以ってその組織は磐石となる。

 

「仕方がないと割り切ったわ。だって命は惜しいし、それにもしこの分野で成功を収めようと思えば、組織の言い分に従っているほうが利口よ」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「考古学者も廃れたものだ」と皮肉を口にした。

 

「発言一つに慎重な事で」

 

「もう、既にあたし一人の事じゃなくなっているからね。だからこそ、今回のポケモンリーグで優勝を目指したかったのだけれど」

 

「一地方の玉座となれば、組織を恐れる事もない、か」

 

「実際、今だって危うい綱渡りよ。どこに耳があるか分からない」

 

 ヤナギはシロナの左手に巻かれているポケギアに一瞥をやる。一番可能性の高そうな道具だが、手離すわけにはいかないのだろう。

 

 組織に隷属し、組織の蜜に集る人々。シロナとてその利権をものとして時代の寵児になろうとしている。だがそう簡単に事は進まないのだろう。それが歯がゆく、彼女は少しでも自由を目指して戦いに赴いた、というわけか。

 

「父上を張っている記者、ヤグルマとか言ったか。実力者なのか?」

 

「驚いた。既にそこまで調べているってわけね」

 

 シロナの言葉にヤナギは、「悪い虫でなければ注目はしない」と返す。

 

「だが、あの男の眼には野心がある。父上を、何らかの形で踏み台にするつもりだろう」

 

「ヤグルマに関してはあたしも分からない事が多い。そもそも秘密主義なのよ。お互いの経歴は詮索しないのが長生きの秘訣、ってわけ」

 

 ヤナギはそれを聞き届けて嘘ではないのだろうと判断した。シロナの口から聞ける事はどうやら限られているようだ。だが気になる事がまだ存在する。

 

「ジムリーダーが殺された、と言っていたな」

 

「ええ。あなたじゃなさそうだけれど」

 

「当然だ。俺じゃない」

 

 しかし自分を疑うに足る根拠があったはずだ。ヤナギはそれを聞き出そうとしていた。

 

「氷タイプ使いなのか?」

 

「分からない。ただ、鑑識は体温の急激な低下が原因だと言っていた。体温を急低下させられるという前提に立てば、氷タイプ使いが最も疑わしい」

 

 消去法というわけか、とヤナギは納得する。恐らく他の氷タイプ使いにも違う方法でアプローチされているに違いない。

 

「……待てよ。氷タイプ使いだという事が割れているならば、所持ポケモンが割れているという事」

 

 当然の帰結にシロナは今さら隠し立てするつもりはないらしい。「デボンが協力してくれているわ」と答えた。

 

「個体識別番号がこんなところで役立ったわけか」

 

 という事はデボンコーポレーションの御曹司、ツワブキ・ダイゴも一枚噛んでいる。ヤナギは広げれば広げるほどに複雑怪奇に絡み合う人々の関係性にため息を漏らした。

 

「どうしたの?」

 

「優勝候補が聞いて呆れる。ほとんどお前らの組織が占めているわけか」

 

「そうでない部分もあるわ。ジョウトのイブキやシルフの用意したサカキとか言うトレーナーは全くのノーマーク。それにイッシュのアデクもそうね」

 

「そいつらを取り込もうと動くのが自然だろうな」

 

 自分を取り込もうとしているのと同じように、と言外に告げたがシロナは悪びれる様子もなかった。

 

「強ければ、あたし達の組織には当たり前に行き着くわ。遅かれ早かれ、というだけの話」

 

 シロナの言動からして、彼女は恐らく末端の構成員だろう。本丸はもっと別の場所で手ぐすねを引いている。それに至るためにはあらゆる事象を利用するつもりでなければならないだろう。

 

「俺の他に、当たるべきだと思っている人間はいないのか?」

 

「氷タイプ使い以外なら、一人だけマークしているけれど」

 

「誰だ?」

 

「昨日ジムバッジを取得したトレーナーよ。無名の新人。オーキド・ユキナリ、って言ったかしら?」

 

 どうやらシロナですら記憶に留めるのも面倒だと判断するほどの存在感の人間らしい。ヤナギはしかし、その名前を頭に留めた。

 

「オーキド・ユキナリ、か」

 

「ジムバッジを正規の手順を踏んで取得したから、容疑者ではないけれど」

 

 それでも、ヤナギにはどうしてだか気になった。トレーナーとしての第六感だ。その男が何かを成す。その予感が纏いついた。

 

 



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第二十五話「警戒網」

 

「何の役にも立たないじゃない」

 

 呟かれた声にユキナリは、「失礼だな」と返していた。発言の元であるナツキは振り返りながら、「そもそも」と口を開いた。

 

「どうして同行者が一人増えるわけ?」

 

 ナツキの視線はキクコへと向けられていた。攻撃的な眼差しにキクコがユキナリの袖を引いて隠れる。ユキナリは、「一人でも多いほうが気が紛れるだろ」と返す。

 

「それに、キクコさんをそのままにしておくわけにはいかないだろうが」

 

 ユキナリが抗弁を発するとキクコはちょんちょんとユキナリの袖を引っ張った。「何?」と振り返ると、「……さんって呼ばれるのは、慣れてないので」と控えめな声が発せられる。

 

「ああ、ゴメン。でも、年上か年下かも分からないし……」

 

 ユキナリが語尾を濁していると、「じゃあ呼び捨てでいいんじゃない?」とナツキが提案する。

 

「それはちょっと……。だってさっき会ったばかりだよ?」

 

「あ、私は別にいい。呼び捨てでも」

 

「ほら。キクコちゃんはそう言っているじゃない」

 

 そう言いつつナツキはちゃん付けをしている辺り勝手だとユキナリは感じた。ユキナリはどうしてだか呼び捨ては憚られたがこの際仕方がない、と腹を決める。

 

「キクコ、は、変わったポケギアを付けているよね」

 

 歯切れ悪く発した言葉にキクコは首から提げたネックレス型のポケギアを取り出す。

 

「ほとんどのトレーナーは腕時計型なのに」

 

「変わり者なんでしょ」

 

 ナツキはキクコには素っ気ない。ユキナリはその後姿に続きながら洞窟を見渡した。野生のズバットが壁に張り付いており、時折羽音を響かせて端から端へと飛んだ。

 

「オツキミ山って思っていたよりもずっと地ならしされているな。やっぱりポケモンリーグがあるから事前にコース設定がされたんだろうなぁ」

 

 ユキナリは足元を踏み締めて確認する。

 

「予め下見したにしては、杜撰だと思うけどね」

 

 オツキミ山洞窟内部にはランタンが点在しており、特に暗くなる洞窟の奥地に向けては五メートルごとに設置されていた。ランタンの明かりに向けてズバットが突進する。

 

「良心的じゃないかなぁ。一応、山なんだし」

 

「でも、この洞窟内部で観測はされないわけでしょ? それって闇討ちされても文句は言えないって事じゃない」

 

「だからポケモン出してるんだろ」

 

 ユキナリは足元に続くキバゴを見やった。ナツキの隣にもストライクが侍っている。いつでも迎え撃つ準備は出来ていたが、今のところ襲撃はない。安心半分、肩透かしを食らわされた気分もあった。内部は奇襲には打ってつけだ。ここでポイントを荒稼ぎ、という輩がいても不思議ではない。暗がりで分からなかったが戦闘が散発している様子もなく、洞窟は静寂に保たれていた。

 

「……おかしい。静か過ぎる」

 

 ユキナリが足を止める。ナツキが振り返り、「平和って事でしょ」と言ったがそれだけでは解決しないと感じられた。

 

「いいや、おかしいよ。全く戦闘の気配がないんだ」

 

 ポイントを稼ぎ、戦う事でしか玉座は目指せない。だというのにこの暗がりに乗じて何もして来ないなどあるはずがない。

 

「あたし達のところには偶然来ないとか」

 

「それにしたって周囲に敵の気配すらないって」

 

 ユキナリの疑問に、「分かった」とナツキはストライクへと指示を飛ばした。

 

「あたしのストライクで周囲を確認する」

 

「でも、ナツキだけで」

 

「キバゴじゃそう遠くに行かせられないでしょ」

 

 翅のあるストライクならば適任だとナツキは買って出た。しかし、ナツキを一人にする事にユキナリは一抹の不安もあった。

 

「ナツキ。もしもの時は」

 

 普段にはない緊張の声音に、「報せるわよ。分かってる」とナツキは首肯する。

 

「ストライク。行くわよ」

 

 ストライクを伴ってナツキが暗がりへと進んでいく。ユキナリは動かないのが吉だと感じてその場に留まった。キクコが、「あの」と口を開く。

 

「いいの? 行かせて」

 

「ああ。周囲に敵の気配はないし、すぐに帰ってくるだろうと思う」

 

 ユキナリの言葉に、「ううん」とキクコはすぐに応じた。怪訝そうな眼差しを送る前に、「敵はいるよ」とキクコは断じた。

 

「いるって、どこに」

 

「先ほどから、私達を見てる。三人。じっとしているから分かりづらいだろうけれど」

 

 キクコの言葉にユキナリはすぐに周囲を見渡したがそれらしい気配は探れない。キクコは鋭い眼差しを暗闇へと投げている。赤い瞳が細められ、「一人が」と口にした。

 

「ナツキさんのところへ」

 

 その言葉にユキナリはナツキが消えていった暗がりへと視線を向けたがナツキからの報せはない。

 

 ――まさか、既に敵に?

 

 嫌な予感が蔓延する。姿を隠しているのか、それとも潜んでいるのか、それすら分からない。ユキナリが迷いを持て余していると、「一人が」とキクコが告げた。

 

「こちらへ」

 

 身体を強張らせる。ユキナリは緊張を走らせた。キバゴもそれに同期したように身構える。すると暗闇から人影が歩み出てきた。「そこで止まれ」とユキナリは自分らしからぬ厳しい声を出していた。

 

「どうして近づいてくる?」

 

「ど、毒にやられちまって……。ズバットに噛み付かれた。毒消しを持っていないか?」

 

 男の声だった。暗がりで顔までは分からない。

 

「毒? 本当か?」

 

 疑う声に、「何で疑うんだよぉ」と男は情けない声を出した。

 

「この暗がりでズバットに噛みつかれれば終わりだ。毒消しをくれ! 持っていないのか?」

 

 ユキナリは人間用の毒消しも鞄に詰め込まれている事を思い出したがその前に相手の身分を明らかにしてもらう必要があった。

 

「あなたは誰です? それが分かれば渡します」

 

「オレかぁ? オレはラムダ。なぁ、もうちょっと近づかせてくれよ。怪しい者じゃないんだって」

 

 決死の声に聞こえたがキクコは「敵」なのだと言う。ユキナリは完全に信じ込む事はなれなかった。大人の男の声だというのが余計に警戒心を強める結果になったのかもしれない。

 

「信用なりませんね。僕達はこれでも余裕がない」

 

「オレだってそうだよぉ。毒が回ったら死ぬんだぜ?」

 

 必死の声に本当に毒が回っているのかも知れない、とユキナリは踏み出そうとした。その袖口をキクコは引っ張る。彼女は首を横に振った。

 

「でも、もし本当に怪我をしているのなら」

 

「そんな事はない」

 

 どうしてだか断言する響きにユキナリが逡巡していると、ラムダと名乗った男は悲鳴を上げた。

 

「駄目だ……、意識が、朦朧と……」

 

 これは本当にまずい声だ、とユキナリは判じてキクコの制止を振り切って歩み寄る。「大丈夫ですか?」と近づくと男は痩せぎすで紫色の髪の毛をしているのが分かった。

 

「今、毒消しを……」

 

 ユキナリが鞄へと手を伸ばそうとした、その瞬間である。

 

「電磁波」

 

 ラムダの放った短い命令の声にユキナリは手の甲を電流が貫いたのを感じ取った。痛みに顔をしかめる。毒消しを取り出そうとした右手の甲が痙攣していた。

 

「何を……」

 

「やれやれだねぃ。お子ちゃまってのは騙しやすくって」

 

 ラムダは何でもない事のように立ち上がりユキナリを見下ろした。ユキナリは今さらの感情を浮かべる。

 

「騙したな」

 

「騙されるほうが悪いんだよ。監視がないんだぜ? だったら、騙し合いには慣れたもん勝ちってな。おい」

 

 呼びかけた声に、「へい」ともう一人の男の声が耳朶を打った。ユキナリが振り返るとキクコが手首を掴まれている。その手からモンスターボールが零れ落ちた。

 

「やれやれだねぃ。どうやらその子のほうが抜かりないらしい。オレの事を最後の最後まで信用ならないって思っていたみたいだしよぉ」

 

 ラムダが手でひさしを作ってキクコを観察する。キクコは手首を掴まれてほとんど無力化された様子だ。抵抗する気配もない。

 

「何をする気だ!」

 

 張り上げた声に、「ポイントをごっそりいただくのさ」とラムダは下卑た笑みを浮かべた。

 

「その後は、まぁ、どうとでも」

 

 ユキナリは歯噛みする。好き勝手にさせるわけにはいかなかった。「キバゴ!」と名を呼ぶと身を沈めていたキバゴが躍り上がる。

 

「ダブルチョップで無力化しろ!」

 

「うお、見た事のねぇポケモンだな。だが、電磁波のフィールドは既に張られているんだぜ?」

 

 その言葉の直後、目に見えるほどの電流が視界を横切った。ちょうどラムダともう一人の男を結ぶ形で一本の電流の線が走っている。ユキナリは、「何を……」と声を詰まらせた。

 

「電磁波でトレーナーをやりゃあ、モンスターボール開閉は出来なくなる。それは同時に、オレ達が奪える絶好の隙があるって事さ」

 

「奪う? ポイントをか」

 

 ユキナリの言葉にラムダは、「小さいねぇ」と肩を竦めた。

 

「ポケモンだって奪う対象になるんだぜ?」

 

 放たれた言葉に、「馬鹿な」とユキナリは言う。

 

「ポケモンの乱獲は大会の規定違反だ」

 

「だからさ、既に捕まえてあるポケモンを奪うわけよ。個体識別番号で戦うポケモンは確かに限られている。でも、所有自体は禁じられていない。それを横流しすれば、金とポイントを得られるわけ。分かるかい? 色男君よ」

 

 ラムダはわざわざユキナリと同じ目線に立って喋った。今すぐにでもその鼻筋に噛み付きたい気分だったが右手を押し包んでいる電流が強まり手枷のように痛んだ。

 

「キバゴ! 相手のポケモンがいるはずだ!」

 

「お優しいねぇ。この状況でもポケモンを狙うとは。でもよ、多分見えないぜ。ご自慢のキバゴとやらでも」

 

 ユキナリはそんなはずはないと視線で探したが電流以外相手ポケモンの存在を示唆するものはなかった。鳴き声も、気配も感じられない。

 

「見えない、ポケモン……」

 

 目を戦慄かせると、「怖いだろぉ?」とラムダは挑発した。ユキナリは屈しないという意思の現れのように睨み付ける。「おお、怖い」とラムダがおどけた。

 

「だがよ、色男君。お前の連れはどうなんだろうなぁ」

 

 その言葉にユキナリはキクコへと目を向ける。男の太い指先がキクコの顎にかかった。ユキナリは叫ぶ。

 

「やめろ! キクコは関係ないだろう!」

 

「関係なくはねぇだろ? お前の連れだ。当然、オレ達の略奪の対象になるわけだよな?」

 

 ユキナリは歯軋りを漏らしキバゴへと命じた。

 

「キバゴ! こいつらをぶっ潰してくれ!」

 

 もうトレーナーを狙わないだとかいう範疇を超えている。ユキナリの怒りを引き移したかのようなキバゴは片牙をラムダへと打ち下ろそうとした。しかし、突然固まった土くれが持ち上がったかと思うとキバゴの攻撃を弾いた。

 

「何だ?」

 

 それは黒い塊だった。異様なのは白い単眼だ。その中心に小さな瞳孔があった。細められ、ポケモンだ、という判断がようやく下せた。

 

「これは――」

 

「コイル」

 

 電磁の網を広げてU字型磁石を両端につけた球体の全貌が露になる。鉛色の体表を電流が波打っている。電気ポケモンか、とユキナリは自身に降りかかっている攻撃も鑑みて判断した。

 

「でも、どうして接近に気づけなかった?」

 

 キバゴも、もっと言えばナツキだって先ほどまで同行していた。だというのにキクコ以外、誰一人として敵だという判断を下せなかった。ユキナリはコイルと呼ばれたポケモンにこびりついている黒い砂礫を目にした。ざざっ、と身体から零れ落ちる。それがびっしりと体表に張り付き、コイルの身体をまるで迷彩のようにカモフラージュしているのだ。正体不明の物体は攻撃の範疇かもしれない。ユキナリは慎重にならざるを得なかった。

 

「どうやらお前ら、トレーナー初心者みたいだな。ちょどいいぜ。ポイント稼ぎにゃよう!」

 

 ラムダの声にユキナリは舌打ちを漏らした。キバゴが飛びかかるが、コイルは黒い砂のような影を残して横に移動する。掻っ切ったのは黒い砂だ。ユキナリはその正体を看破する。

 

「砂鉄……!」

 

「コイルは磁力を操る。砂鉄を集めてその姿を見えなくした」

 

 ユキナリはまんまと相手の範囲に入ってしまった事を悔やんだ。砂鉄はオツキミ山の至るところにある。最初から張られていたのだ。

 

 自分一人では勝てない。ユキナリは経験が浅いなりに理解していた。

ナツキが帰ってくれれば少しでも戦力になる。それを期待して目線を暗闇に送っていると、「そろそろかな」とラムダが舌なめずりした。どういう事なのか、とユキナリが窺っていると闇の中から二つの足音が聞こえてきた。

 

 現れた影に絶句する。ナツキとストライクが、後方の男に両手を上げさせられていた。ストライクは鎌を電磁の網で縛られている。ナツキは両手をユキナリと同様に痺れさせられているようだった。

 

「……ナツキ」

 

 絶望的に口にするとナツキは、「やられたわ」と吐き捨てる。

 

「こいつら、最初からあたし達を張っていたのよ。分散するのを待っていた。この段階に至るまでね」

 

 つまり最初から踊らされていたという事なのか。その事実にユキナリは視界が揺れるのを感じた。

 

「気づかないのが悪いんだよぉ」とラムダが甲高い笑い声を上げる。

 

「子供だけでここまで来るのは危険だったなぁ。まぁ、正義ぶった大人がついていても、オレ達にかかればいちころだが」

 

 背を丸めて卑屈に嗤うラムダに対してユキナリは怒りの沸点を超えた声を上げる。

 

「キバゴ! そいつらをやれ!」

 



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第二十六話「斧龍」

 

 命令の体をなしていない声でもキバゴは主人の怒りを感じ取ったのだろう。青い光を片牙に纏いつかせる。ラムダは指を鳴らしてコイルに命じた。

 

「コイル、マグネットボム」

 

 コイルの両端のU字磁石が外れ、キバゴへと直進する。キバゴは片牙で弾き落とそうとしたが、その直前に磁石が起爆した。爆風でキバゴの身体が後退する。さらに追撃するようにもう一つのU字磁石が回り込んだ。

 

「キバゴ、後方! 宙返りと同時に一閃!」

 

 ユキナリの指示に従ってキバゴが行動する。放った攻撃は磁石を弾いたが、やはり直前で起爆されダメージを負う結果になった。

 

「マグネットボムは必中。無理に破壊しようとすると爆発して痛い目を見るぜぇ」

 

 コイルの両端の磁石は既に再生している。どうやら何度でも出せる技のようだ。ユキナリは歯噛みする。この状況、三人の大人が全員コイルを繰り出し自分達の行動を縛っている。厄介なのは全員が手馴れた人間である事だ。コイル一体ならば突き崩せるものを。しかし、ユキナリの心境を読んだかのように、「一体なら、とか思ってんだろ」とラムダが口にする。ユキナリは心臓を鷲掴みにされた気分だった。

 

「一体なら、ねぇ。じゃあ、一体になってやるよ。お望み通り」

 

 どういう事なのか。ユキナリが困惑しているとラムダは指を鳴らす。すると、コイル三体が寄り集まってきた。お互いに磁界を発し、強力な磁場が形成される。それによってコイル二体が逆さまになり、ラムダのコイルとあろう事か合体した。六方向へと電流が放射される。さらに強力なポケモンが誕生したのは明白だった。

 

「レアコイル。コイルの進化系だ。オレ達は、既に進化したレアコイルを三体に分ける方法を考案し、こうやってコンビネーションを取ってきたわけさ。レアコイルは少しばかりごついから取り回しが悪いからな」

 

 それぞれのU字磁石を回転させレアコイルが甲高い鳴き声を上げる。ラムダの言葉は即ち、ある事実を暗に示していた。

 

「レアコイルで個体識別をしているって事……」

 

 ナツキの言葉にラムダが反応する。

 

「おっ、お嬢ちゃん察しがいいねぇ。そう、つまり、残り二人は参加者じゃねぇ」

 

 ユキナリはその段になってもう二人の男達はポケギアをつけていない事に気づいた。つけているのはラムダだけだ。

 

「規約違反になるはず」

 

 ナツキの口にした言葉に、「ノンノン。その盲点をついたのがこの戦法ってわけさ」とラムダは返した。

 

「オレは正規の参加者だ。当然、然るべき手順を踏んでいる。何の問題もあるまい。オレはただ、オレと同行している二人への協力関係を結んでいるだけ。二人が参加者でないのはポケモンを持っていないから」

 

「でも、コイルを……」

 

「こっちのボウズは物分りが悪いねぇ。普段はレアコイルで保持していて、戦闘時のみコイルにして使わせる。言うなれば駒だ。それにコイル三体に対して有効なのはオレの命令のみ。つまり、レアコイル一体を使っているのと変わりはないわけだ」

 

 侮蔑の眼差しにユキナリはキッと睨み返す。「おお、怖い。怖いねぇ、男の子ってのは」とラムダが手を振る。

 

「やっぱり、ガキでも女のほうがいいなぁ」

 

 ラムダは動けないナツキへと顔を近づける。ナツキは醜悪な臭いを嗅いだように顔を背けた。

 

「どうだい? オレ達と来ないか? このボウズよりかは楽しませられるぜぇ」

 

 ラムダの提案に対してナツキは唾を吐きつけた。唾がラムダの靴にかかる。

 

「お断りよ」

 

 ラムダは舌打ちと共に、「やっぱガキだな」と手を振り翳す。レアコイルがU字磁石を発射しナツキの眼前で止めた。

 

「このまま顔をぐっちゃぐちゃに潰してやろうか? マグネットボム、いやポケモンの技を食らうってのはどれほどヤバイ事なのかスクールで習うよなぁ?」

 

 ナツキは眼をわなわなと震わせる。自分の顔の、十センチもないところにいつ起爆してもおかしくない爆弾が吊り下げられている。

 

 ユキナリも唾を飲み下した。ポケモンの技を人間が食らえば、それは一生消えない傷痕になる。それでもまだマシなほうだ。「マグネットボム」は見たところ強力な技ではないが、人間がそれを身に受ければ命の危険性すらある。

 

「やめろ! やるなら、僕を」

 

「涙ぐましいねぇ」とラムダがわざとらしく鼻をすすった。

 

「仲間を庇い合う。いや、自分の女を、か? まぁ、最近のガキはませているから分からないけれどなぁ。爛れた関係? 嫌いじゃねぇなぁ」

 

 ラムダの笑みにユキナリは怒りの表情を滲ませる。キバゴでレアコイルを一撃の下に倒せればもしかしたらこの状況を打開出来るかもしれない。だが、不可能だ。それは自分が一番よく分かっている。

 

「分不相応なヒーロー君は現れないみたいだぜぇ? お嬢ちゃん」

 

 ナツキの前髪を掴み、ラムダが口にする。ナツキの目の端に涙が浮かんだ。その瞬間、ユキナリの中で何かが弾けた。

 

「ラムダぁ!」

 

 今まで出した事のない憎悪の感情が身のうちから震わせる。その声はキバゴへと伝わり、キバゴは地面を蹴りつけてレアコイルへと飛びかかった。青い光を纏って片牙を振り上げる。しかし、レアコイルは一方のU字磁石を持ち上げただけだった。

 

「レアコイル、電磁砲」

 

 U字磁石の合間を青い電磁が行き来したかと思うとキバゴの眼前に向けて電流を迸らせる砲弾が撃ち込まれた。キバゴは避ける事叶わず、片牙へとそれを受け止める。だが、次の瞬間、拮抗状態は瓦解した。

 

 青い光が消え失せる。それがどちらのものなのか最初分からなかったが、宙に舞った牙の欠片を視界に入れ、ユキナリは押し負けた事を悟った。

 

「キバゴ……」

 

 キバゴが仰向けに倒れる。麻痺状態にあるのか、身体を震わせていた。

 

「電磁砲を真正面から食らいやがった」

 

 ラムダがせせら笑い、キバゴを踏みつける。

 

「百パーで麻痺状態になるぜぇ。もうまともな戦闘は期待出来ねぇよなぁ」

 

 ユキナリは何も言い返せない。声が出なかった。真の敗北において言葉ほど無意味なものはないのだと思い知った。

 

「それよか、もう一生戦えないぜぇ。だって片方しかない牙が折れちまってんだもん」

 

 その言葉でユキナリは現実へとようやく認識が追いついてきた。キバゴの片牙、それが根元から叩き割られていた。ユキナリは呆然とする。ぐらり、と意識が傾いだのを感じた。

 

 ――もう、戦えない。

 

 その言葉が最後通告の響きを伴ってユキナリの内部に残響する。

 

「オツキミ山で早くもリタイヤか。惜しいな、ガキ。まぁ、夢見るだけ無駄だったって事だ。さて、お嬢ちゃん達はオレ達を楽しませてから消えていってもらおうか。幸い、オツキミ山でも遭難者ってのはいるもんでな」

 

 口角を吊り上げたラムダにナツキは堰を切ったように泣き出した。頼みの綱であったユキナリとキバゴの反抗の牙が折られたからだろう。ユキナリはその場に膝を折った。ナツキが泣きじゃくる声が聞こえる。

 

 ――何も出来ないのか。

 

 このまま、事態を静観し、全てが取り返しのつかない事になるまで、自分に出来る事はないのか。

 

 胸中に問いかけても答えは出ない。思考の終点がやってきた。アデクと誓い合った戦いも、玉座に続く夢も、まともに生きる事も出来ずに。

 

 ――夢?

 

 ユキナリは問いかける。キシベと誓った。この胸にある光を。灯火を。

 

 ――もう、逃げたくない。

 

 地面に触れていた手を拳に変える。この手には熱がある。まだ、世界を変えろと喚く熱が。それを分不相応だと切り捨てた日々を送っていたのも自分。今もまた、潰えようとしているのも自分。

 

「……逃げないんだ」

 

 呟いた声にラムダが、「あ?」と声を向ける。ユキナリは顔を上げた。眼には決意の光を宿らせている。

 

「もう、逃げない。そう決めた。約束もした」

 

 キバゴが起き上がる。麻痺状態にある身体を無理やり動かしている。軋む関節を摂理に反して稼動させ、キバゴは両手を地についた。両脚に力を込め、今すぐにでも飛びかからんとする体勢だ。ラムダは鼻で笑った。

 

「どうするって言うんだ? 根性論でどうにかなるわけじゃないだろう? その小さな身体で、小さな力で」

 

「かもしれない。でも、いつかは小さな身体を脱ぎ捨てて、さなぎの時を超え、蝶になる資格は誰にだってある」

 

 キバゴが威嚇するがラムダは男達へと目をやって哄笑を上げた。

 

「牙なしのポケモンがぁ! いきがりやがって!」

 

 ラムダが蹴りつけようとする。その瞬間、光が薙ぎ払った。

 

「……あ?」

 

 ラムダの足首から先が明後日の方向を向いていた。最初、折れたのだとラムダは思ったのだろう。しかし、その足首から鮮血が迸り、次いでその靴裏が視界に飛び込んだ時、彼は目を疑った。

 

「ああっ?」

 

 扇状の光がラムダの足首を切り払っていた。ユキナリはその光の根源に目を向ける。キバゴの口角から扇状の光が形成されている。タケシとの戦闘でも一瞬だけ見えた光だ。それをキバゴが具現化させていた。その光が少しずつ薄れていく。残っていたのはほんの灯火程度の光の帯だった。キバゴの身体へと余った光が纏いつきその身体を一回り大きくさせる。緑色の未発達だった表皮は鎧のように強固になった。両脚の筋肉が膨れ上がり、灰色の皮膚は黒色に近くなる。咆哮した瞬間、全ての光を振り払い、キバゴであったポケモンはその全貌を現した。

 

 赤いまだら模様が垣間見える。片牙しかなかった牙は両方生え揃っていた。まるで削岩機のように鋭くなった牙を振り翳すそのポケモンはキバゴではない。面影だけを残した別種のポケモンだ。

 

「斧みたいな光で、オレの、足を……」

 

 足首を斬られたラムダはユキナリを指差し、「いいんだな!」と言い放つ。

 

「このお嬢ちゃんの顔がぐちゃぐちゃになっても!」

 

「そんな事をしてみろ。それよりも早く、お前の身体をバラバラに切り裂いてやる」

 

 ユキナリの放った言葉の気迫にラムダは息を呑んだ。ユキナリも挑発で言ったつもりはない。本気でラムダを殺すのも頭に入れていた。

 

「い、いいのか? そんな態度で……!」

 

 ラムダはなおも脅迫を続けようとするがユキナリがあまりにも先ほどまでと一線を画していたからだろう。「くそがぁ!」と叫んでレアコイルの攻撃の手をユキナリへと向けた。

 

「なら、お前からだ! レアコイル! 全マグネットボムをガキとあのポケモンに向けろ!」

 

 レアコイルがU字磁石を取り外し、それぞれを回転させながらユキナリとキバゴであったポケモンに向けて撃ち放つ。ユキナリは静かな心地で攻撃の声を放った。

 

「ダブルチョップ」

 

 キバゴであったポケモンは両端の牙をそれぞれ「マグネットボム」に向けて放った。剣閃が二つの鋼の爆弾を破壊する。その爆風に呑まれて二つがさらに起爆したがもう二つはユキナリへと真っ直ぐに向かっていく。

 

「顔ぐちゃぐちゃになりやがれー!」

 

 ラムダの叫びにユキナリはただ命じた。

 

「僕を守れ」

 

 その言葉に弾かれたようにキバゴであったポケモンは一瞬で移動し、牙ではなく発達した両腕で叩き落した。鋼の爆弾は地に落ちて脆く崩れ去る。ラムダはぽかんと口を開けて呆けていた。

 

「全てのマグネットボムが、防がれた、だと……」

 

「これが現実だ。やれ。ダブルチョップ」

 

 キバゴであったポケモンは牙に扇状の青い光を纏いつかせ、レアコイルへと飛びかかる。キバゴの時よりも体重も身体も大きくなっていながらその動きは機敏だった。まさしく獣の様相で飛びかかられたレアコイルは振るい落とそうとしたが、その前に牙の一撃が突き刺さった。レアコイルが全身から眩い電流を放出する。しかし、それらが命中する前にくるりと身を翻してキバゴであったポケモンはユキナリの下へと帰ってきていた。

 

「くそが……、何だ、その……。斧みたいな、牙で、オレの足を」

 

 忌々しげにラムダが失った足を見やる。ユキナリは、「そうだな。ちょうどいい」と指を鳴らした。

 

「これは最早、牙を超えた、斧の一振りだ。斧の龍、これからはオノンドと呼ぶ!」

 

 オノンドと呼ばれたポケモンはまるでそれが本来の名前のように声を上げた。ラムダが、「ふざけるなよ!」と喚く。

 

「レアコイルの支配下に、まだお嬢ちゃん達は――」

 

「オノンド、ダブルチョップでやれるな」

 

 心得たようにオノンドは地面に向けて青い一閃を連続して二度放つ。すると、鳴動したように地面が震え、直後、地面を伝って青い光が剣山のように突き立った。衝撃波と見紛うばかりの攻撃はちょうどキクコとナツキを見張っていた二人の男へと命中する。一人は眼を、もう一人は肩口をやられたようだ。

 

「……地面を伝う衝撃波を利用して、遠隔で攻撃を当てやがっただと」

 

 オノンドは牙を振り翳す。誇示するようなその姿勢にラムダが唇を噛み締めた。

 

「即席で、そんな真似――」

 

「即席じゃない。僕達はあらゆる敵を想定して、キバゴの時にあらゆる戦法を試してきた。オノンドになってそれが自在に出来るようになっただけの話」

 

 キバゴの時に布石は打っておいた。二ヶ月の修行が実を結んだ感触に浸る前に、ユキナリはラムダを睨みつける。

 

「これで、人質は救った」

 

 ラムダが歯軋りをする。二人の男の補助を借りながら、ラムダは立ち上がった。

 

「いい気になるなよ。レアコイル自体は、まだ負けてないんだからな!」

 

 レアコイルがU字磁石の砲身をオノンドとユキナリへと向けた。全部で六つの砲門が攻撃の光を携えてユキナリとオノンドに狙いをつける。

 

「ロックオンだ。これで次に放つ技は必中。忘れているみたいだが、まだ麻痺の只中だろう。全部で六つの電磁砲を避けられる道理はない」

 

 ラムダが口角を吊り上げて勝ちを確信する。ユキナリは落ち着いた様子で、「避ける必要はない」と応じた。

 

「全ての攻撃が叩き込まれる前に、僕とオノンドはお前にとどめをさす」

 

 ユキナリの声は冷淡に響いた。自分でも驚くほどラムダの攻撃に対しては自信があった。

 

 ――それら全てよりも、僕とオノンドは速い。

 

 ラムダが鼻で笑う。

 

「やってみせろよ!」

 

 六つの輝きが瞬き「でんじほう」の青白いプラズマが撃ち込まれようとする。ナツキが声を上げた。

 

「ユキナリ! 避けて!」

 

 その言葉にユキナリは優しく微笑んだ。

 

「大丈夫だ。ナツキ。避けるまでもない事が、撃たれて分かった。オノンド」

 

 呼ぶ声にオノンドの両方の牙に攻撃の光が灯る。青い光を扇状に展開させ、オノンドは吼えた。

 

「ドラゴンクロー」

 

 オノンドが地面を蹴りつけ、身体を翻す。

 

 六つの「でんじほう」がユキナリの眼前へと迫る。その青い光がハレーションを起こしたように目に焼きついたのと、消失するのは同時だった。

 

 オノンドが放った一閃は正確無比にレアコイルを貫いていた。レアコイルへと斜に一撃が打ち込まれている。ラムダが目を瞠った。

 

「……馬鹿な。頑丈特性だぞ」

 

「オノンドの特性は型破り。頑丈を無効化する」

 

 レアコイルががらりと傾いだ。レアコイルから攻撃の残滓が消えていく。バラバラに外れかけたが、最後の一線で持ち堪えた。

 

「クソガキがぁ!」

 

 ラムダが手を振り翳す。その瞬間、ラムダのレアコイルは「マグネットボム」を無茶苦茶に放った。ほとんど狙いをつけずに放たれたそれらは一斉に起爆し、土煙を上げてラムダの居場所を隠した。

 

「逃げるつもりよ」

 

 ナツキの声に、「逃げればいい」とユキナリは答えていた。「え?」とナツキが口にする。

 

「あんな奴の持っているポイントなんて、頼まれたって要らないね」

 

 ユキナリはオノンドの身体を撫でた。随分とキバゴだった時に比べると表皮が硬くなっている。防御にも自信がありそうだ。

 

「カッコつけてる場合じゃないでしょ!」

 

 ナツキはそう口では言うが、今にも泣きそうな顔をしていた。ユキナリが、「酷い顔だよ」と素直に感想を述べると、「うるさい! 馬鹿!」とナツキは憤った。

 

「何で僕に怒るのさ? 奴らが悪いんだろ」

 

「むぅ……。言いたい事は山ほどあるけれど、屈辱だわ」

 

 ナツキの気持ちがこの時ばかりは分からなかった。ユキナリが土煙の晴れるのを待っているとやはりと言うべきかラムダ達は消えていた。逃がしてやればいい。どうせ自分に立ち向かおうとはもう思わないだろう。ユキナリはそう感じたが次のナツキの言葉に色めきたった。

 

「いないわ。ユキナリ! キクコちゃんが!」

 

 その声にまさか、と周囲を見渡す。

 

 キクコの姿はどこにもなかった。

 



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第二十七話「恐怖」

 

 粉塵で逃げおおせる。本来ならば最もあってはならない失態だった。

 

 ラムダは切り落とされた足首を見やる。まさかあの少年があれほどの力を発揮するとは予想外だった。自分の見立てでは確実に食われる側の存在に見えたのに。

 

 オノンドとやらのポケモンを操ってみせた瞬間、あの時の冷たい眼差しはトレーナーカードの写しで見た少年のそれではない。殺人者の持っている狂気に近い。実際、下された身となれば恐怖以外のなにものも感じられなかった。

 

「報告、しなければ」

 

 ラムダは予め穴抜けの紐を使ってオツキミ山の中腹にある広場に出ていた。本来ならば山越えには必要のない場所のため人気はない。幸いにして通信が生きている場所でもある。男二人は完全に先ほどの攻撃に恐怖を感じて竦み上がっていた。目をやられた男は、「血が、血がぁ」と呻いている。肩口をやられた男は立っているだけでも苦しそうだった。

 

「うるさい! オレなんて足だ! 一生残る傷だぞ」

 

 ラムダは慎重に通信のチャンネルを合わせた。周波数が少しでもずれると暗号化に失敗する。元々、暗号化に時間がかかり、この通信はポケギア側にも残らないものになっている。ようやく繋がったポケギアから、『ラムダか』と低い声が聞こえてきた。

 

「はい。現在、オツキミ山です。その、報告に上がっていたオーキド・ユキナリと交戦しました」

 

 通信の相手は、『どうであったか?』と簡潔に尋ねた。自分の荒い息からもその結果は明らかであろうに。

 

「敗れました」

 

 苦渋の滲んだ言葉にも相手は別段意外そうではない。むしろ当然の帰結だとでも言うように、『そうか』と応じた。

 

「報告通り、彼の闘争心を高める戦い方をしましたが、あれは何です? 報告書とまるで違います」

 

 報告書に上がっていたのは「内向的、戦闘向きではない、未確認のポケモンを所持」というだけだった。留意すべき敵だとは思えなかったが、自分は深手を負い、他の二人も重傷である。

 

『実戦は常に流動的だ。彼をその戦いの中に置けただけでもよしとする』

 

 何を考えているのだろうか。ラムダは思案する。本当にユキナリを下すつもりならばこのようなまどろっこしい戦いをせずに、奇襲をかけるだけでよかった。だが目的はあくまで闘争心を引き出す事だ。そのための駒に過ぎなかったのだと思うとラムダは歯噛みする。その代償にしては、足一本は大き過ぎた。

 

『オーキド・ユキナリに関してはさらに調査を進めよう。彼がどのように戦うのか。どの程度までならば、彼は耐え得るのか』

 

「何のためです?」

 

 思わず尋ねていた。過ぎた真似だと分かっていても納得し切れない。相手は答えないかに思われたが、『彼は面白い』という意想外の声が返ってきた。

 

『その進化、どこまで来るのか楽しみだ。キバゴと呼称しているポケモンに関しても、だがな』

 

「そのキバゴとか言うポケモン、進化しました」

 

 ラムダの報告に相手は、『ほう』と感嘆の息を漏らす。

 

『あれは進化するポケモンだったか』

 

「攻撃範囲が急速に伸びて……、頑丈特性のレアコイルが一撃です。過ぎた言葉かもしれませんが、あれは害悪ですよ」

 

 自分の立場からしてみればそのような忠言は意味を成さないだろう。しかし言うべきだと感じた。このままでは組織もろとも瓦解しかねない。あの力の行き着く先は危険だとラムダの本能が告げていた。

 

『頑丈を破る、か。未だにそういう特性のポケモンは見られていないが』

 

「型破り、と言っていました、確か。通常のポケモンではないのかもしれません」

 

 伝説のポケモンか、と考えたがあまりにもお粗末だ。それに普通のトレーナーが制御出来るものではない。

 

『どちらにせよ、とても面白い材料だ。引き続き観察対象としよう。オーキド・ユキナリ。オーキドの血を引く者がどこまでやるのか。この眼で確かめたいのでな』

 

 その言葉には愉悦すら感じさせられた。ラムダは背筋が凍るのを覚えながら相手の名前を呼ぶ。

 

「――キシベ様。我々の組織を発足するに当たって、本当にあのような子供の力が必要だとお考えなのですか?」

 

 ラムダからしてみれば甚だ疑問である。通話越しの相手であるキシベは、『そう急く事はない』と返した。

 

『全ては順調に回っている。ロケット団をシルフカンパニーの中で発言権を増す措置も取られている。お前達が心配するほど、ロケット団という組織は脆くはない。磐石に、物事は進んでいるのだ』

 

 暗に兵士である自分に口を出す資格はないと告げられているようだった。所詮はロケット団という巨大組織を回す歯車だ。

 

「しかし、オーキド・ユキナリは危険です。あれがもし、我らに対抗するべく動いたとすれば、どうするのです?」

 

 最も危惧しなければならない事態だったがキシベの声は冷静だった。

 

『それはありえないのだよ。あれの目的を作ったのは誰でもないこの私だ。私に歯向かうという事は自身の目的を否定する事になる。今まで培ってきたものを捨てられるほど、あれは強くない』

 

「一度接触しただけでしょう?」

 

『一度の邂逅でも一生分の影響力というものはあるのだ。彼は私との出会いが仕組まれていたなど、考えもしないだろう』

 

 運命さえも弄ぼうというのか。キシベという男の深淵をラムダは覗き見たような気がした。この男は全てを見透かしているような事を度々口にする。仕組まれていた出会いにユキナリは気づくのだろうか。しかし、気づいた時には――。

 

 ラムダの心には既に足を切り落とされた憎しみよりも仕組まれた子供であるユキナリへの同情があった。これまでの事もこれからの事も全て誰かの手の上にあるなど思いもしないだろう。

 

「キシベ様。オレは――」

 

『早急に救助隊を寄越そう。傷は酷いのだろう?』

 

 キシベはラムダの迷いを汲み取ったように話題を変えた。ラムダは、「ええ」と首肯してポケギアの通信を切ろうとする。

 

 その時、男の一人が自分を呼びかけた。

 

「ラムダさん。あの子供は……」

 

 その声にラムダが目を向ける。視線の先にいたのは灰色の髪の少女だった。先ほど人質にした少女の一人だという事に気づき、ラムダは疑問符を浮かべた。

 

「どうして人質がここに?」

 

「分かりません。気づいたらここにいて」

 

 困惑の眼差しを交わし合う中、赤い瞳の少女は告げる。

 

「ねぇ、おじさん達、怖い人?」

 

 ラムダは顔をしかめた。先刻、恐怖を味わわせたはずなのに、少女の言葉にはそれを感じさせないものがあった。

 

「何言ってんだ、このガキ」

 

 昂った精神で歩み寄りかけた男を手で制し、ラムダはポケギアの通信をオンにしたまま、「お嬢ちゃん」と声をかける。

 

「オレ達は悪い大人なんだぜぇ。何ついてきちゃってんのかなぁ」

 

「もしかして、気があるんじゃないんですか?」

 

 男の一人が発した言葉にラムダは厳しい声音を振り向けた。

 

「よせ。そういうのはさっきの演技で充分だろう。オレ達ロケット団は崇高な理念で立っているんだ。ガキの前だからって必要以上に自分達を貶める事はない」

 

 ラムダの声音に、「怖い人じゃないの?」と少女は小首を傾げる。男の一人が、「怖い人だよぉ」と少女の肩に触れた。それに注意する前に、「そっか」と少女が口にしていた。

 

 次の瞬間、少女の肩に触れた男から見る見る間に血の気が引いた。一瞬にして青白い顔になった男はその場に倒れ伏す。ラムダは、「おい!」と呼びかけた。男はぴくりとも動かない。何が起こったのか。それを類推する前に、「ガキが!」ともう一人の男が片目を押さえながら手を伸ばす。

 

「そんなに乱暴されてぇか!」

 

 その手が少女に触れる前に凍りついたように硬直した。男が目を見開く。ラムダもその様子が普通ではない事を悟った。

 

「何が……」

 

「おじさん、怖い人?」

 

 赤い瞳が尋ねる。男は、「何しやがって……!」と声を張り上げようとする。その瞬間、指先が折れ曲がった。青い思念の光が纏いつき、男の五指を纏めて砕いていた。男が苦痛に喚く前に、「怖かったんだよ」と少女が呟く。

 

「とっても怖かった。それってあっちゃいけないの。怖いのは仕舞っちゃいなさい、って先生が言っていたから」

 

 ラムダは空間を歪めて何かが発生するのを視界に入れた。紫色のガスが凝固し、黒い球体が実体化する。鋭角的な眼差しが光り、裂けた口腔を開く。

 

「ゴース」

 

 そのポケモンの名を少女は紡ぐ。次の瞬間、ゴースと呼ばれたポケモンの背後に黒いシルエットが浮かび上がった。それが両手を伸ばし、男の首根っこを締め上げる。ラムダは黙って見つめるしか出来なかった。男がやく殺されていく様を。

 

 やがて男を殺した黒いシルエットは消え去り、ゴースと少女が同時にラムダへと視線を移す。ラムダは立つ事も儘ならず首を横に振った。

 

「い、嫌だ……。何なんだ、お前は!」

 

「怖い人?」

 

 まだ問いかける少女へとラムダは拾い上げた小石を投げつけた。小石は少女の頬を切りつける。少女は心底不思議そうに頬をさすった。血が滲んでおり、何度かの瞬きを繰り返してそれを認識したようだった。

 

「痛いね」

 

 まるで他人事のような声にそら恐ろしくなる。ラムダは身も世もなく逃げ出したくなったがその足を何かが絡め取っていた。青い光が切り裂かれた足首から身体を這い登ってくる激痛がある。皮膚が捲れ上がっているのだと分かりラムダは悲鳴を上げた。

 

「助けて……」

 

「怖いのは、やだよ」

 

 ゴースから黒いシルエットが浮き上がる。ラムダは絶叫した。

 

 



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第二十八話「星空の夢」

 

 キクコが見当たらず、ユキナリとナツキは放浪するようにオツキミ山を散策した。しかし、あまりにもガイドから離れた道を行くのは危険だと言う判断と、もしかしたらキクコははぐれた自分達と合流するつもりかもしれないとしてラムダ達を下した場所へと戻ってきた。

 

「ねぇ、ユキナリ」

 

 ナツキの声に顔を振り向ける。

 

「何だよ」

 

 キクコの事が心配なせいか、先ほどから落ち着きなく周囲に目をやっている。ナツキの口調はそういうユキナリの行動からは離れたものだった。

 

「あの、さっきはありがと」

 

 何の事を言われているのか最初分からなかったが、助けた事だろうとユキナリは理解した。

 

「キバゴ、進化したんだね」

 

 ナツキはオノンドへと目を向ける。緑色の堅牢な鎧を身に纏ったオノンドはナツキを見やって鳴き声を上げた。

 

「名前、オノンドだっけ」

 

「まだ、博士に意見を仰いだわけじゃないから」とユキナリはやんわりと否定した。学名は博士ほどの名のある学者に認められなければ意味がない。ナツキは、「そんな事ないよ」と首を振った。

 

「いい名前。きっと喜んでいる」

 

「そうかな。何だかキバゴの時より強そうになったせいか、考えている事が分かりづらくなったな」

 

 ユキナリは後頭部を掻く。逞しくなった手足はキバゴの時のように全身をばねにする戦闘を主体に置けばどれほどの戦果が見込めるのか。ユキナリにははかりようもなかった。

 

 ただ赤く鋭い眼差しはキバゴの時とは一線を画していた。これは戦士の眼だ。

 

「きっと喜んでいるよ」

 

 ナツキはオノンドへと恐れる事なく手を伸ばす。ユキナリは、「牙が鋭くなったから」と注意した。ナツキはオノンドの頭を撫でる。

 

「牙、両方生え揃ったんだ」

 

 よかったね、とナツキはオノンドへと微笑みかける。オノンドは牙を誇示するように振り上げた。

 

「誇らしいみたいだ」

 

 ユキナリの言葉にナツキは、「そうね」と笑った。

 

「でも、空牙と片牙の扱いが今までとは違ってくる。多分、戦法を変えなきゃいけなくなるんだろう」

 

 どこか寂しかった。二ヶ月間、修行した戦いのその先に行けるとはいえ。

 

「でもオノンドにとってはそれがいいよ」

 

「でも、僕はナツキと修行したのが無駄だと思っていない。むしろ、よかった。修行したお陰で、僕は大切なものを失わずに済んだ」

 

 ユキナリの飾らぬ言葉にナツキは頬を赤く染めて、「……馬鹿」と呟く。

 

「何、正直に言っちゃってんのよ。ユキナリの癖に」

 

 ナツキが顔を逸らす。ユキナリは、「こうして旅が出来て、よかった」と口にした。

 

「マサラタウンだけじゃ守れないものもあったから」

 

 それは自分の夢も含んでいた。あの小さな始まりの町だけでは何一つ成し得なかっただろう。

 

「まだ始まったばかりよ」

 

 ナツキの言葉に、「そうだね」とユキナリは笑い返す。するとナツキと目が合った。ナツキの瞳はいつもより透明感があるような気がした。潤んでいるようにも映る。何かを求めるような眼差しに吸い込まれそうになった。

 

「……ナツキ」

 

 名前を呼ぶと正体不明の感情が胸の中から湧き上がってくる。それを確かめる前にユキナリが立ち上がろうとして視界の端に人影を見つけた。

 

「誰か」

 

 ユキナリがすぐさま身構えると、「ユキナリ、君?」と声が聞こえた。それと同時に灰色の髪と赤い瞳が目に入る。

 

「キクコ」

 

 立ち上がって駆け寄るとキクコは俯きがちに、「うん」と頷いた。

 

「大丈夫? 怪我はない?」

 

 問いかけるとキクコは、「うん。大丈夫」と返す。見たところ、外傷はないようだ。

 

「よかった……」と安堵の息を漏らすとナツキが歩み寄ってきた。

 

「どこへ行っていたの?」

 

 心配した、とは言わなくても声音にそれが含まれている。キクコは、「怖いのを仕舞ってきたの」と応じた。

 

「怖いの?」

 

「うん。怖いのは、やだから」

 

 ユキナリとナツキは目を交わし合った。キクコの言葉の意味は分からないが無事ならばそれでよかった。

 

「今日はもう少し歩いたら開けた場所に出る。そこで野営しよう」

 

 ユキナリの提案にナツキとキクコは首肯する。

 

「テントはないけれど寝袋なら」

 

 オツキミ山の前にあったポケモンセンターで揃えた一式を広げる。ナツキが、「気が早いわよ」と口にした。

 

「着いてから開けなさい」

 

 どうやら自分も少し気分が昂揚していたようだ。オノンドに進化したせいか。それとも戦いの後に昂った精神がそうさせたのか。

 

 ナツキの瞳には先ほど一瞬だけ現れたものはもう見えなくなっていた。ユキナリも正体不明の感情を胸に仕舞う。何だったのか分からないが大切なものである事は確かだ。

 

 二十分ほど歩くと洞窟の中でも空が見える場所があった。野営地、と看板が設えられており、数人のトレーナーが既にテントを張ってキャンプの準備をしていた。

 

「あたし達が一番ってわけじゃなさそうね」

 

 ナツキの言葉にユキナリは頷いて、「ポケモンは仕舞わないでおこう」と言った。いくら公用の野営地とはいえいつ襲撃があってもおかしくはない。ポケモンリーグはただの競技でない事は先ほどのラムダのような人間がいる事からも明らかだ。

 

 ユキナリが野営に適した場所を探していると見知った声が聞こえてきた。

 

「オレの勝ちじゃのう!」

 

 その声にユキナリが目を向ける。視線の先には燃えるような赤い髪の青年がいた。

 

「アデクさん」

 

 ユキナリの声にアデクは気づいたのか振り返り、「おお、ユキナリ!」と大股で歩み寄ってきた。

 

「アデクさんも、ここで野営を?」

 

 また語り合えると期待しての言葉だったが、「いいや、オレはキャンプせずに山越えする」とアデクは言い放った。

 

「無謀ですよ」とユキナリが言うが、「うかうかしてられんでのう!」とアデクはポケギアを掲げた。

 

「既にポイントも充分稼いだ。あとはハナダジムに挑むだけ!」

 

 アデクのポケギアに溜められているポイントを見やると、既に30000の大台に届こうとしていた。

 

「すごい……、いつの間にこんな」

 

「山越えする連中に片っ端から勝負を挑んだ。みんな、山越えのために体力を温存する腹積もりじゃから、本当の瀕死状態まで戦う事はない。当然、少し分が悪ければ降参してくる。それを狙っての事じゃ!」

 

 アデクにしてはせこい戦法だと感じたがそれもまた王道なのだろう。自分のように相手も自分も追い詰める戦い方をするほうが特殊だろう。

 

「ん? キバゴじゃない、のう……」

 

 ようやくオノンドに気づいたのかアデクが胡乱そうな目を向ける。オノンドは牙を突き出して威嚇した。

 

「進化したんです」

 

 ユキナリの説明に、「なんと……」とアデクは歯噛みした。

 

「オレがついていれば防げたかもしれんな。スマンかった!」

 

 アデクは真正直に頭を下げた。ユキナリは両手を振る。

 

「いえ、アデクさんのせいじゃ。それに、お陰で僕はまた強くなれた気がするんです」

 

 ユキナリの言葉にアデクは微笑みかける。

 

「お前さんは強い。オレが保証する」

 

 アデクの飾らぬ物言いにユキナリは頬を赤く染めた。ナツキは、「山越えするんなら」と業を煮やした声で歩み寄る。

 

「時間がないんじゃ?」

 

 どうしてだかナツキはアデクを邪険にした。これほどいい人間はいないというのに。ポケギアを見やり、アデクは口を開く。

 

「そうやった! でもまぁ、無事でよかった! それにこのポケモン、オノンドは強そうじゃわい! オレの援護なんて必要ないかもしれんのう!」

 

 その言葉に、「いえ、そんな事」と返す。

 

「アデクさんのほうが僕なんかより数段上ですよ」

 

「謙遜するなや! でも、メラルバだって充分に強い。負ける気はない!」

 

 お互いに了承の眼差しを交わし合う。いつか戦う。それが誓いになっていた。

 

「僕のオノンドも強いですよ」

 

 ユキナリのいつになく強い口調にアデクは、「そうじゃのう!」と快活に笑った。オノンドはユキナリに褒められた事を理解したのか喉を鳴らして首を引っ込める。

 

「さて、オレは行くか!」

 

 アデクが荷物を纏め始めた。ユキナリは拳を突き出していた。

 

「いつか、またどこかで」

 

「そうじゃのう! ハナダシティにいち早く着くが、いつかは」

 

 お互いに拳を合わせ、コツンという硬い音が約束手形になった。アデクが手を振りながら獣道へと入っていく。ユキナリはナツキへと、「どうして邪険にするんだ?」と尋ねた。ナツキは、「分からないわよ、あたしも」と腕を組む。

 

「アデクさん、大丈夫かな」

 

 その進退を心配していると、「そんなにアデクさんの事が気になるなら、一緒に旅すれば?」とナツキは寝袋に入って不貞腐れたように転がった。

 

 ユキナリとキクコは視線を交し合い、肩を竦める。

 

「晩御飯は?」

 

「いらない。食欲ない」

 

 ナツキの言葉に心配になったがユキナリは夕食の準備を始める事にした。予め買っておいたミネラルウォーターを鍋に入れカセットコンロにかける。沸騰したらレトルトのスープを溶かした。キクコはその一挙一動を物珍しそうに眺めている。

 

「キクコはこういうの見た事ないの?」

 

 ユキナリが訊くと、「こういうのは食べちゃ駄目って、先生が言っていたから」とキクコは答えた。

 

「先生、っていうのは」

 

 恐らくスクールの教師の事だろう。だが、トレーナーになるからには野営の一つや二つを潜り抜ける気でなければならない。だというのにレトルトに抵抗を与えるのは間違っていると思われた。

 

「場合によっちゃ、乾パンで飢えを凌ぐくらい考えないといけないのに、珍しいね。キクコの先生は」

 

「私だけじゃなかったから。みんな、おんなじだった」

 

 キクコはどこのスクール出身なのだろう。今どき集団に間違った知識を教える識者がいるとは考えられないが。

 

 ユキナリは溶かしたスープをマグカップに注いだ。湯気が匂い立ち、コーンをベースにしたスープから芳しい香りが鼻腔をくすぐる。

 

「おいしそう」

 

「だろ? 僕もあんまりレトルトは食べるなって言われているけれど、こういう場合は別だよね」

 

 キクコへとマグカップを手渡す。キクコは何度か息で冷ましてからようやく口に運んだがまだ熱かったのか舌を出した。

 

「熱かった?」

 

 ユキナリが微笑みかけると、「うん」とキクコは注意深くマグカップへと視線を注ぐ。その様子がおかしく、ユキナリは自分の分をマグカップへと注いだ。

 

「さっきは、すぐに助けてあげられなくってゴメン」

 

 出し抜けの声にキクコは小首を傾げた。ユキナリは拳を握り締める。

 

「怖かったろう?」

 

 ようやく理解したのかキクコは顔を伏せた。

 

「怖いのは、先生から仕舞っちゃいなさいって教えられていたから」

 

 仕舞え、という言葉の意味がユキナリにはよく分からなかった。多分、遠ざけろという意味だろうと汲み取り、「先生は、キクコの事、理解してたんだ?」とスープを口に運んだ。

 

「先生は姉妹の中でも私に適性があるって判断してくれたみたい」

 

 キクコに姉妹がいるのか。それは意外だった。

 

「そうか。お姉さんとか、妹さんとかは、このポケモンリーグには?」

 

 キクコは首を横に振った。

 

「私だけ、ポケギアを手渡されてこれに出なさいって言われた」

 

 選抜試験でもあったのだろうか。ユキナリはキクコが何かしらの機体を背負っているのだろうと推測した。

 

「なんか、僕には予測もつかない世界みたいだ」

 

 笑ってユキナリはスープを口に含む。キクコはやっと飲めるようになったのかスープをおっかなびっくりに口に運び、「……おいしい」と呟いた。

 

「こういう機会がないと飲まないからね。でも、僕はやっぱりマサラタウンの母さんの味を思い出すなぁ」

 

 女の子の前で母親の話などするものではないと思ったがつい口をついて出ていた。ユキナリには随分と懐かしい話に思える。

 

 二ヶ月前までは徴兵に怯える日々だった。画家になりたいという漠然とした夢を追いかけ、戦いたくないとわがままを捏ねるだけの人間。それを変えたのはナツキであり、キバゴであり、博士であり、なによりも背中を押してくれたのはキシベという一人の男の言葉だった。

 

 そういえばキシベはどうしているのだろう。二ヶ月前に参加を表明していた大人は無事に参加出来たのだろうか。もし同じように旅に出たのならばもう一度会いたかった。会って礼を言いたい。背中を押してくれた事、夢見る資格があると言ってくれた事を。

 

「おかあさん……?」

 

 キクコは不思議そうに尋ねた。ユキナリは首肯する。

 

「うん。僕の母さんも父さんも普通の人だった。画家になる夢を応援してくれたし、僕が進むべき道をきちんと見守ってくれた人達。でも、トレーナーになってポケモンリーグに出場するって言った時にはさすがに驚いていたなぁ」

 

 ユキナリはキバゴを手にして父母へとポケモンリーグ出場を表明した夜の事を思い出す。キシベから得た言葉の熱が冷めやらぬうちに決意表明をしたかった。もちろんユキナリは反対意見が出る事を予測していたのだが、父母は落ち着いた様子だった。

 

 ――オーキドの血が、お前にも流れていたか。

 

 そう父親が少しだけ誇らしげに、少しの寂しさを含んで言った事をユキナリは思い返す。ユキナリはオーキドの血、というものに対する反感を持っていたが、この時ばかりは父母を納得させるための要素になった事を感謝していた。母親は泣きじゃくるかと思ったが、意外にも気丈であった。

 

 ――トレーナーになるのなら、きちんとした靴を買わないとね。

 

 そう言った次の日にはランニングシューズを買ってきてくれた事をユキナリは履いた靴を眺めながら思い出す。ランニングシューズは高価で庶民にはなかなか手が出ない代物だったが母親は貯金を切り崩してでもユキナリの旅を応援してくれる気になってくれたのだと知った。

 

「父さんも、母さんも、僕の道を応援してくれた。だから、僕は、そう簡単には諦めちゃいけないんだ」

 

 それに、と握り締めた拳に重ねる。

 

 もう逃げたくない。そう誓ったのだ。オノンドが近くの岩に牙を擦りつけている。ユキナリは、「そうだ」とスケッチブックを取り出した。鉛筆を構え早速オノンドの行動スケッチを開始する。

 

 キクコはユキナリの様子が珍しいのか、「何しているの?」と疑問のようだ。

 

「スケッチだよ。いつか、このスケッチブックいっぱいに、この世界のポケモンを記録したい。それが僕の旅をする原動力でもあるんだ」

 

 語った夢は少しばかり幼稚かもしれない。しかしキクコは嘲る事はなかった。

 

「叶うといいね」

 

 なんのてらいもなく放たれた言葉にユキナリは、「キクコはさ」と返していた。

 

「夢はないの? ポケモンリーグに挑戦するのだから、やっぱり、玉座が目的とか?」

 

 鉛筆でオノンドの体長を測りながら尋ねた言葉にキクコは沈黙を挟んだ。

 

「……夢」

 

 その声音には何かしら含むものを感じさせた。その言葉を初めて口にしたかのような妙なしこりがあった。

 

「キクコ?」

 

 ユキナリが尋ね返そうとするとナツキが起き上がってスープをマグカップに注いでいた。

 

「なんだ、起きてるじゃないか」

 

「うっさいわね。あんたらが話しているから眠れないっての」

 

 ナツキはスープを口に含んで、「あったまるわー」と吐息を漏らした。少しばかり冷え込んだ夜の空気の中にナツキの息が白く居残る。

 

「スープ飲むんなら、最後までさらえておいてよ」

 

 ユキナリはそう言い置いてオノンドの行動スケッチを開始する。キクコはスケッチブックに刻まれていく描画を見て目を輝かせた。

 

「すごいね、ユキナリ君。魔法みたい」

 

「大した事じゃないよ。ずっと続けていたから慣れているだけさ」

 

 それでも褒められた事は素直に嬉しい。ナツキがぽつりと、「それしか能がないけれどね」とこぼした。ユキナリはその苦言を無視してオノンドを観察する。オノンドは自分の牙を丹念に磨いており、ユキナリ達の視線を気にする素振りもない。

 

「面白いな……。キバゴの時には牙に気を遣っている様子はなかったのに。もしかして、キバゴの時と違って生え変わらないのか?」

 

 鋭く尖った牙はキバゴの時よりも長い。月光を反射して鈍く光沢を放っている。

 

「オノンドは、なんだか嬉しそうだね」

 

 キクコの言葉に、「分かるの?」とユキナリは顔を向けていた。キクコは、「先生から」と口を開く。

 

「ポケモンが何を考えているのか分かるようになりなさい、ってよく言われていたから。オノンドは進化した事がとても誇らしいみたい。牙を大事にしている。何よりもユキナリ君のために」

 

「僕の、ために……」

 

 オノンドにあの時進化しなければ自分達はポイントを奪われ、命も危うかっただろう。救ってくれたのはオノンドのほうだと思っていたが、自分も同時にオノンドの未来を切り拓く事が出来たのかもしれない。そう思えると少しだけお互いにパートナーである事を自覚出来た。

 

「ありがとう、キクコ」

 

 そう言ってくれて、と付け足してキクコを見やる。その赤い瞳がオノンドと同じ色だ、とユキナリは感じて吸い込まれそうになった。

 

「ユキナリ君?」

 

 キクコがいつまでも顔を見つめているので疑問に思ったのだろう。ユキナリは慌てて目を逸らす。

 

「何でもない」

 

 逆に空々しかったのだろう。ナツキが、「いい空気で」と茶化す声を出した。

 

「うるさいな。行動スケッチがはかどらないだろ」

 

「本当に描きたいのはポケモンなのかしら。このムッツリは」

 

 ナツキの言葉にユキナリが睨みを利かせると、オノンドは夜空を仰いだ。下弦の月が真っ暗な銀色の稜線を描き出し、ぽつりと浮かんでいる。周囲には銀の粉を撒き散らしたような星屑が見て取れた。どうやら街の中よりも空気が澄んでいるらしい。夜空の描き出す自然のプラネタリウムにユキナリは感嘆の吐息を漏らした。

 

「綺麗だ」

 

 ナツキも空を仰ぎ、「満天の星空ってこういうのを言うのね」と感想を述べた。

 

 ユキナリはその下を旅している自分達はきっと小さな存在なのだろうと感じる。しかし、その小さな輝きが大きな事を成す。それが人の営みであり、星の刹那の輝きに満たない一生に意味を見出す理由なのだろう。

 

「僕は夢を叶えたい」

 

 誰に言うでもなく発した言葉にナツキもキクコも黙っていた。それは改めて自分の道を問い質す決意の現われだった。

 

 



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第二十九話「マサキ拉致作戦」

 

『カントー標準時21時45分の便は予定通り、クチバシティ南から出航いたしました。サントアンヌ号の優雅な一時をお楽しみください』

 

 船内アナウンスが流れ、イブキは自分には分不相応に思える豪奢な個室の造りを眺めた。シャンデリアが吊り下げられており、暖色系の明かりが部屋を満たしている。なかなか落ち着けない造りだな、という印象だった。

 

 特に自分のような野生児には一生縁がないと思える。フスベの村で育ち、龍の道を究める事のみを考えていた小娘には過ぎたる代物である。

 

「失礼いたします」

 

 ノックの音と共に給仕係が入ってくる。イブキは思わず立ち上がりかけて椅子にぐっと座った。どうにも西洋人形よろしく黙って居座っているのは性に合わない。

 

「船内サービスのご案内をさせていただきます」

 

 サントアンヌ号と呼ばれる豪華客船ではそのようなサービスが提供されるのだと言う。曰く、最高級の食事と最高級のサービスで人生を彩る最高の一時を云々。

 

 給仕係が出て行ってからイブキはようやくため息を漏らした。

 

「どうしてこんな所にいるんだろ、私」

 

 そもそもニビシティのジムバッジ取得を目指し、旅を続けようとしたのを呼び止められてからだ。自分の旅の予定にはない日程を組まされ、本来ならばオツキミ山で野営でも汲んでいる頃合だが、どうにも自分の運命は捩じ曲げられたらしい。またもため息が漏れそうになったところ、個室をノックする音が聞こえた。「どうぞ」と苛立ち混じりの声を上げると、「随分と不機嫌なようで」と元凶が顔を出した。

 

 紳士ぶっているが現れた男には読めないものがある。イブキも名前くらいしかろくに知らない。キシベ・サトシ。それがこの男の名前であった。

 

「別に」と素っ気なく答えると、「私としても楽しんでもらえると光栄なのだが」とキシベはわざとらしく口にした。

 

「私には性に合わない。こういうのは金持ちが使うんでしょう?」

 

 イブキはこんなにも早くロケット団とやらに関わるとは思っていなかった。それだけに困惑が勝る。それを紛らわせるための口調だったがどうやらそれもお見通しのようだ。キシベは、「いずれは玉座に輝くのならば」と控えめな言葉を発した。

 

「気に入らないわね」と鼻を鳴らす。一日目は雌伏の時とジム戦を控え、手持ちとの瞑想に費やそうとした。だがその二日目に飛び込んできたニュースはイブキの根幹を震わせた。ポケギアが鳴りキシベが告げたのは「ジムリーダーの死」であった。それには自分を下したトレーナーであるオーキド・ユキナリが関わっているかもしれないのだと言う。イブキはなりふり構ってはいられなかった。事の真相を確かめるため、ディグダの穴からクチバシティに合流し、ジム戦などを考える前にあれよあれよとサントアンヌ号へと連れ込まれた。イブキは怒涛に過ぎ去った二日目を顧みる間もなく、サントアンヌ号の個室で自分を持て余していた。

 

「答えてもらえるのかしら。ジムリーダーの死について」

 

 事実関係を洗う前にキシベの言葉に従った自分も迂闊だ。だが、閉鎖されていたジムがそれを如実に語っているように思えた。何よりも風の噂によればジムリーダーを下し、ジムバッジを手に入れたのはユキナリだという。勘繰らないほうがおかしかった。

 

「オーキド・ユキナリ。彼は強い」

 

 キシベの言葉にイブキはまどろっこしさを感じて頬杖をついた。

 

「何が言いたいの?」

 

 自分が弱いとでも、と言外に付け加えた迫力にも臆する事はない。キシベは淡々と、「脅威に成り得る一手です」と応じる。

 

「誰の脅威? あなた達が囲っているトレーナーの事? それとも私の?」

 

「彼には旅の目的がある」

 

「玉座かしら?」

 

「それは私が与えた。彼の旅は私がいなければ始まらなかった」

 

 何を言っているのだ、とイブキは怪訝そうな眼差しを送る。キシベは、「言葉通りに」と告げる。

 

「彼の旅の目的、夢を掲げる事を示したのはこのキシベ」

 

 イブキにはにわかに信じられなかった。一人のトレーナーの、その道を諭したとでも言うのか。

 

「傲慢だわ」

 

「そもそも彼はトレーナーではない。二ヶ月前にはただの少年だった」

 

「そりゃ、確かに未進化ポケモンを使っていたし、戦い方も荒っぽかった。でもそれにしたって昨日今日の素人の、戦いにしては出来過ぎよ」

 

 ユキナリとの戦いを思い返す。キバゴと呼ばれたドラゴンタイプの使い方は荒いがそれでも訓練されたそれだ。加えて才覚も垣間見える。自分以外がトレーナーの道を示したなど考えられなかった。

 

「彼の中に燻る炎を刺激しただけです。元々、オーキドの血があった」

 

「オーキドの血?」

 

 聞き覚えのない言葉にキシベが、「マサラタウンをご存知で?」と質問する。

 

「確か、カントーの南にある始まりの町だったっけ?」

 

「元々はマッシロタウンという名前だったのだが、出身者の高名なトレーナー、オーキド・マサラの名にちなみ、マサラタウンと名付けられた。彼はその子孫です」

 

 イブキは素直に驚いていた。どこか自分の、竜の家系にも通じるものがある。

 

「じゃあ、彼には才覚があった、と?」

 

 キシベは首肯し、「私は偶然を装って彼に接触しました」と続けた。

 

「今回のポケモンリーグにおいて脅威対象としては充分なほど」

 

「それでも、私みたいな人間に協力を仰ぐってのはどういう事なの? 私だって優勝候補よ」

 

 驕ったわけではないが、自負のないわけでもない。それなりに力はつけたつもりだ。キシベはしかし頭を振った。

 

「あなたの実力ではせいぜいバッジ半分と言ったところ」

 

 その言葉にイブキは思わず立ち上がっていた。キシベの胸倉を掴み、「私を、竜の一族を愚弄しているの?」と怒気を露にした。

 

「滅相もない」

 

 キシベは淡々と応じる。イブキの怒りなどさして問題がないとでも言うように。イブキは自分だけ怒り狂うのも馬鹿らしく椅子に座った。

 

「……それは何? 客観的な事実と言う奴かしら?」

 

「そうですね。今回のポケモンリーグ、あなたが予測しているよりも猛者は集まっている。優勝候補の予測は早くも崩れるでしょう。なにせ、ジムリーダーはそう容易く陥落させられるものではない」

 

「そこよ」とイブキは指摘した。

 

 どうしてその強力なジムリーダーを殺すなどという真似が出来るのか。

 

「我々としても調査中ですが、現在犯行グループと目しているのは一つだけ」

 

 キシベが指を一本立てる。イブキは、「何者?」と息を詰めた。

 

「とある組織です。この組織は地方の枠組みを超え、あらゆる有識者にコンタクトを取り、このポケモンリーグを牛耳ろうと画策している。協力者は多岐に渡り、我々のネットワークを以ってしても全員の把握は不可能」

 

「でも何人かは網にかかった。違う?」

 

 イブキの言葉にキシベは口角を吊り上げて笑う。

 

「……やはり、あなたを引き入れたのは正解だった」

 

「どんな奴なの?」

 

 キシベは懐から革の手帳を取り出し、読み上げた。

 

「タマムシ大学出身、ベンチャー企業を掲げた実業家。ジョウト出身のマサキ」

 

「聞いた事ないわね」

 

「その筋では有名です」とキシベは補則した。

 

「ポケモンはデータ生命体という側面を持つ。この仮定に基づいた論文を書き上げ、学会で絶賛された異端の人間。十年に一人と言われる逸材」

 

「そいつがどうして脅威? このポケモンリーグの参加者なの?」

 

「いえ、彼は参加者ではありません。あくまで学会で有名な人間」

 

「門外漢だと思うけど」とイブキは率直な感想を述べる。

 

「ところが彼の技術、その頭脳に着目し、彼を引き抜いた組織がある。その組織は金の流れ、あるいはメンバーの動きを追えば追うほどに奇妙です。掴みどころのないとでも言うのか、まず取っ掛かりがない。そのせいでどうやって表舞台に引き出すべきかも分からない」

 

「八方ふさがりね」

 

「しかしマサキだけは何とか足取りを掴めました。ハナダシティ北部に彼の別荘があります。そこに彼はここ数日、滞在している」

 

「どうしろって言うの?」

 

 キシベが望んでいるのはその先だろう。マサキがいる、だけで終わるはずがない。自分に何かしら動けと要求してくるはずだ。

 

「彼を拉致してもらいたい」

 

 予想外の言葉にイブキは閉口した。次に出たのは戸惑いと怒りだ。

 

「私に、犯罪組織の片棒を担げと言うの?」

 

「誰も犯罪とは言っていません。拉致、という言い方が悪かったのならば彼を数日間、見張りのつく場所へと移送してもらいたい」

 

「それが拉致と言うんでしょう!」

 

 キシベの落ち着き払った声音にイブキは眩暈を覚えた。一体、何を言っているのだ。

 

「シルフのお膝元とはいえ、立派な犯罪じゃない」

 

「落ち着いてください。何もあなた一人で動いて欲しいとは言っていません」

 

「そんな事を約束させるために、こんなお膳立てをしたってわけ?」

 

 イブキは豪奢な調度品を見やり、鼻を鳴らす。随分と安く見られたものだ。

 

「私はあなたに、真実を見守って欲しいだけ。言ったはずです。いずれはこの組織、ロケット団がカントーを、いや世界を席巻すると」

 

「シルフの下請けがよく言う」

 

「しかしそのシルフカンパニーだって今のままではない。このポケモンリーグで、シルフカンパニーは大きく躍進しますよ。その一歩目が、これです」

 

 キシベはホルスターに留めたモンスターボールを掲げる。それはイブキの所持しているボールとはデザインが違った。乳白色で、中央にラインが走りボタンが突き出ている。先鋭的な意匠にイブキはたじろいだ。

 

「何よ、それ」

 

「モンスターボールですよ」

 

「私達の使っているものとは違うわ」

 

 イブキは自分のボールを突き出した。上部にネジで固定してある突起があり、そのボタンとボールの開閉が連動している。キシベは、「もう、それは古い」と首を振った。

 

「ポケモン産業を独占するシルフカンパニーはこのポケモンリーグを嚆矢として、モンスターボールから全てのポケモン事業を背負って立ちますよ。これは最新鋭のモンスターボールですが、いずれ誰もがこれを使うようになるでしょう」

 

 キシベの言葉にイブキは疑わしげにそのボールを眺めた。「よければ手にとってみますか?」とキシベが言うのでイブキは思い切って手に取ってみた。意外に軽い。今使っているモンスターボールよりも利便性に富んでいる。

 

「この中央の突起がボタン?」

 

 イブキが指差す。「ブランクのボールなので開閉しても大丈夫ですよ」とキシベは説明した。

 

「これを押すだけでいいの?」

 

「ええ。何なら手持ちをこのボールに移し変えますか? ポケモンを繰り出すタイムロスが大幅に減りますよ」

 

 イブキはその言葉に、「冗談」と眉根を寄せた。

 

「まだ実用段階じゃないんでしょう? そんなものに大切な手持ちを入れられないわ」

 

 キシベは肩を竦める。イブキはボタンを軽く押した。すると中央から走っているラインに赤い光が行き交い、モンスターボールはいとも簡単に開いた。内部の機構は驚くほどに簡素だ。プロジェクターを思わせる緑色の投射器が底にあり、機械のパーツが組み込まれているが今のモンスターボールのほうが随分と複雑な造りに思える。

 

「蒸気は出ないのね」

 

 まずそれが驚きだった。現状のモンスターボールでは蒸気と圧縮によって内部にポケモンを留めておく機構だ。ポケモンは常にストレスに晒されており、モンスターボール内部は決して居心地のいい空間ではないのだと言う。

 

「このモンスターボールは違いますよ。それぞれのポケモンに適した居住空間をシミュレートし、内部は常に快適に満たされます。ポケモンにとって有害である傷口や、甚大な損傷を負ったとしてもモンスターボールの中では擬似的な時間制御によりその傷は進行しません」

 

「どうやってそんな技術を」

 

 先ほどからキシベの言葉はまるで夢物語だが、それが実現の域に達しているからこそ言えるのだろう。キシベは、「ポケモンはデータ生命体」とモンスターボールを指差す。

 

「データの進行を抑止する事によって傷や状態異常によるダメージは全く心配いらなくなります。まぁ、あくまでモンスターボールの中では、の話ですが」

 

 その話も今までは実現されてこなかったのだ。モンスターボールの中でさえ、ポケモンは傷の進行に悩まされていた。注入型の傷薬をモンスターボール内部に注射する事によって傷の進行を抑える術はあったものの、やはり傷薬を揃える手間がかかる。

 

「眉唾物ね」

 

 イブキは新型のモンスターボールを眺めながらそれをキシベへと返した。

 

「いらないのですか?」

 

「まだ信用出来ないもの」

 

 キシベも、新型のボールも。言外に含むところを汲み取ったのか、「これからはそれが法になりますよ」と暗示する物言いをした。

 

「シルフの技術が世界を超えて普及する」

 

「それと同時にあなた達ロケット団が世界を席巻するって? 馬鹿馬鹿しい。あなた達、世界征服でもするつもりなの?」

 

 茶化した言葉にキシベは何も言わなかった。無言の肯定が恐ろしくイブキは話題の方向性を変えた。

 

「で、マサキの身柄を確保する事についてだけれど」

 

「やってくださいますか?」

 

「気は進まないけれど、請け負いましょう」

 

 キシベの言う相手の組織というものも気になる。ポケモンリーグを裏で操る組織がいたのならおちおち優勝も出来ない。サントアンヌ号はクチバシティの港へと戻ろうとしていた。夜景を楽しむ事も出来ず、ただこれからの話だけで豪華な船旅は終わろうとしている。イブキは椅子に座り込んで、「不本意ではあるわ」と精一杯の抗弁を発した。

 

「そんな、犯罪紛いの事をさせられるのはね」

 

 フスベの村に育った竜の一族の末裔、その名を冠する事を許された身となればプライドが邪魔をしたが無駄なものは捨て去るべきだとイブキは判断した。このポケモンリーグ、既にイブキの想定からは外れイレギュラーが混じり始めている。負ける事は想定外であったし、それもこんな緒戦で、とは誰も思わなかっただろう。フスベの村に住む人々の期待も双肩にはある。こんなところで腐っている場合ではないのは自分でも分かっていた。

 

「マサキの手持ちはないと推測されます。あったとしてもバトルに秀でた人間ではありません」

 

「私の敵じゃないって事」

 

 その辺りもお見通しなのだろう。イブキが実力者なのを分かってこの任務をあてがっているのだ。キシベも意地が悪い。首肯して、「難しい任務ではありません」と答える。

 

「私が目指すのはポケモンリーグ優勝、この国の玉座よ。そのためならば手段は問わない」

 

 汚れる覚悟くらいはするべきだろう。キシベは、「気高き事です」と思ってもみない事を口にする。この男の言葉は嘘八百だ。どれもが虚飾に塗れた声音でイブキの神経をいちいち逆撫でする。

 

「マサキのデータを」

 

 イブキの言葉にキシベはポケギアを突き出した。受け取られるデータが、既に後戻り出来ない道である事を物語っていた。

 

 



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第三十話「一幕」

 

 山越えとなれば朝は早い。

 

 月と星が満たしていた夜空は、既に明るくなって朝の陽射しを野営の土地へと降り注がせている。ユキナリは全く遮断されない太陽の光で目を覚ました。どうやら他の面々も同様で寝ぼけまなこでありながらも二度寝するつもりはないらしく、いそいそと山越えの準備を始めていた。ユキナリは寝袋を脱いでナツキとキクコを起こそうとしたが、既に二人は鞄に寝袋を突っ込んでいた。どうやら自分が一番よく眠っていたらしい。

 

「おはよ、ナツキ」

 

「よく寝てたから起こすのもどうかなって思っていたけれど」

 

「今の時間は?」

 

 ポケギアを確認すると朝の六時だった。

 

「早い人達はもう山越えをし始めているわ。オツキミ山は他の街にある宿泊施設と違ってトレーナーだからという優劣はない。安全が確保されているわけでもないから寝首を掻かれる心配もあっただろうし、まともに眠れなかったでしょうね」

 

 自分はよく寝ていた事から、暗に安全意識が低いと言われているようだった。ユキナリはモンスターボールを手に取ろうとする。まだまどろみの只中にあるのか、なかなか指先がモンスターボールを触れなかった。その時、懐からひらりと一枚の紙が舞い落ちた。覚えず手に取るとそれは名刺だった。

 

「何それ?」

 

「名刺」と答えると、「見れば分かるわよ」とナツキが顔をしかめた。

 

「誰の名刺? 博士の?」

 

 ユキナリはその名刺の名前を確認してから、「まぁ、みたいなもの」と懐に仕舞った。自分に、この旅に出るきっかけを作ってくれたキシベの名刺だった。宝物のように持ち歩いている自分は女々しいだろうか。しかし捨てる気にはなれなかった。

 

 どこかで、キシベもまたポケモンリーグを戦い抜いているのだろうか。自分にも夢を見る資格があると言ってくれたあの人は。

 

「行くわよ。今日中にハナダシティに辿り着かなくっちゃ」

 

 ナツキが鞄を背負う。ユキナリも鞄を背負ってモンスターボールからオノンドを繰り出した。ナツキは既にストライクで周囲を警戒させている。キクコは、というとポケモンも出さずにきょろきょろと辺りを見渡していた。

 

「ポケモンを出さないの?」

 

 ユキナリが尋ねると、「あまり出しちゃ駄目って、先生に教えられたから」とキクコは答えた。その「先生」とやらは一体どういう教えをしたのだろう。オツキミ山のようないつ戦闘になるかも分からない場所でポケモンを出さないのは危機意識に欠けているような気がする。

 

「出さないって言っているんだからいいんじゃない」とナツキは素っ気ない。ユキナリは、「じゃあ、きちんとついてきて」と手を差し出した。キクコはその手を見下ろしている。

 

「僕についてきてくれたら大丈夫だから。昨日みたいにはぐれるとよくないし」

 

 キクコは僅かな逡巡の後にユキナリの手を掴んだ。ナツキは先頭で唇をすぼめてむすっとしている。

 

「どうかした?」

 

「別に」

 

 ナツキは前を向いて歩き出した。ユキナリが小首を傾げているとオノンドは早速歩き出す。どうやらキバゴの時よりも冒険心に溢れているようだ。牙を両方手にした自信もあるのかもしれない。

 

「そういや空牙がなくなったって事は、今までみたいに相手の攻撃をキャンセル出来ないのか?」

 

 ユキナリがオノンドに尋ねるがオノンドは分かるはずもない。強い鳴き声を上げてついて来いと鼓舞しているようだ。これではどっちが主人だか分からないな、とユキナリは苦笑した。

 

「頑丈特性みたいだったレアコイルを一撃で下したって事は、型破りの特性は生きているんじゃない?」

 

 ナツキが声を振り向ける。だとすれば空牙の役割は消えていないのか。

 

「どっちにせよ、戦闘で証明するしかなさそうだな」

 

 出たとこ勝負と言うわけだ。ユキナリは自然と身構えたが、ハナダシティへと向かう順路に大きな障害は見当たらない。時折岩壁をハンマーと小道具で削っている集団を見つけた。その度に立ち止まって、「何をしているんだろう?」とユキナリは気になった。

 

「山越えが先決よ」と先を急ごうとするナツキだが少しだけ気になっているらしくちらちらと見やっている。ユキナリは大きなバックパックを背負った山男に声をかけた。

 

「何をなさっているんですか?」

 

 無精ひげを生やした山男は気さくに答えた。

 

「化石を掘り出しているんだよ」

 

「化石……」とユキナリは壁を見やる。地層が出来ており、山男はそれを掘り進めていた。すぐ傍に顔面ほどの穴が開いておりユキナリが顔を近づけると、「ああ、危ないよ」と山男が手で制する。

 

「ホルビーに任せているんだ。深いところはハンマー程度じゃびくともしないからな」

 

「ホルビー?」

 

 ユキナリが小首を傾げていると、「出てくるぞ」と山男が口にした。すると穴から手袋のようなものが突き出した。目を見開いてその様子を眺めていると茶色の手袋と見えたのは実は耳であったらしい。長大な耳を手のように扱い、楕円形の目をしたポケモンが出現した。茶色を基調としており、本来の手は未発達だ。どうやら穴を掘る事に特化した耳を持っているらしく、耳にはイボらしきものも散見された。

 

「これが、ホルビーですか?」

 

「ああ。こっちじゃ珍しいかもしれないが、向こうじゃ普通だよ」

 

「向こうって?」

 

「カロスさ。こっちで言うコラッタみたいなもんでな。よく出てくるよ」

 

 ユキナリはホルビーと呼ばれたポケモンへと観察の視線を注いだ。ホルビーは人見知りなのかユキナリから目を逸らす。

 

「カロス地方って、随分と遠いところから来たんですね」

 

「いや、俺はカントーの出身。向こうの友人から貰い受けてね。山を旅するならお供に連れて行けってさ」

 

 破顔一笑する山男にユキナリは恐らくホルビーは想像も出来なかっただろうと考えた。まさか海を超え、遠くカントーで穴掘りをさせられるとは。

 

「あの……」とユキナリはもじもじした。山男が疑問符を浮かべる。思い切ってユキナリは鞄からスケッチブックを取り出す。

 

「スケッチしてもいいですか?」

 

 ユキナリの言葉の意外さに山男は吹き出した。

 

「ああ、いいって事よ。それにしても、あんたも物好きだな。ホルビーなんてスケッチするのかい?」

 

「ええ。今回のポケモンリーグ、見た事のないポケモンばかりなので」

 

 ユキナリは早速座り込んでホルビーの全長を鉛筆で測った。ホルビーは耳で身体についた土を落としている。どうやら耳のほうが器用らしい。

 

「びっくりだなぁ。こんなポケモンがいるのか……」

 

 ユキナリの声に、「ボウズ。こんなので驚いていたら旅が進まないぞ」と山男は言いながらもユキナリの事を馬鹿にする風ではなかった。むしろお互いに夢を追う者として尊敬している声音だ。

 

「ボウズのポケモンも、この辺じゃ見かけない奴だな」

 

 山男はオノンドに注意を向けていた。「大人しい奴ですよ」とユキナリはスケッチの手を休めずに応じる。

 

「そうか。でも攻撃的な牙だな。見るからに強そうだが」

 

「昨日進化したんです。トレーナーである僕にもまだどれだけやれるのか分からないって奴で」

 

 ユキナリが謙遜した声で応じると、「あほくさ」とナツキはその場に腰を下ろした。山男が気づいて、「お嬢ちゃんら、このボウズと連れ合いかい?」と訊いた。ナツキが、「万事この調子ですよ」と呆れた声を出す。

 

「そりゃ、ちと大変だな」と山男は笑った。ユキナリはホルビーの発達した耳を丹念にスケッチする。攻撃性能も相当なものらしいと知れる耳をホルビーは軽々と振るって見せた。

 

「こいつ、進化するんだよ」

 

 山男の発した言葉にユキナリを含め、三人が興味深そうな視線を注いだ。

 

「どんな風に?」

 

「可愛げのない姿さ。ホルードって言うんだが、俺みたいなオッサンをポケモンにしてやったら、きっとああいう感じなんだろうな」

 

 山男と目の前のホルビーを見比べる。前歯の発達したホルビーはさながら乳幼児だ。それがオッサンのような姿になるのだと知れば我知らず幻滅してしまう。

 

「……なんだか、残念ですね」

 

「強くはなるんだがな。進化ってのも一長一短だよ。見た目を重視して進化させないって手もあるらしいからな」

 

「でもこのポケモンリーグでそれは厳しいですよね」

 

 当然、強いポケモンが生き残るのだろう。山男はしかし、「そうでもないぜ」と拳大の石をバックパックから取り出した。黄色い鉱石である。ユキナリが、「それは?」と訊いた。

 

「進化の輝石って言ってな。進化前のポケモンに持たせると能力値が強化される。俺はホルビーに持たせているんだ。進化させるつもりはないからな」

 

「何でです? 進化したら強くなるのは明白じゃ?」

 

 ユキナリの疑問に山男は頬を掻きながら、「俺みたいなやさぐれ男がホルード持ってたら、いよいよ婚期を逃しちまう」と困惑の笑みを浮かべた。冗談なのか、そうでないのかは察せられなかったがナツキは笑っていた。

 

「輝石は何個か持っているけれど、いるかい?」

 

 ユキナリはせっかくの厚意に甘えようかと迷ったが、そもそもオノンドは何かの進化前なのか分からない。これ以上進化するのか、それさえも不明なので荷物を増やすのには抵抗があった。

 

「僕はいいです。ナツキは?」

 

「ストライクって進化するの?」

 

 逆に問い返されユキナリと山男は顔を見合わせる。

 

「俺も虫ポケモンは専門外でなぁ」

 

 山男の言葉にユキナリも同意だった。

 

「ストライクの事は一番よく分かってるのはナツキだろ」

 

「そうだけど」とナツキはむくれた。

 

「進化するのかしないのかは分からないわ」

 

 ユキナリはキクコへと視線を流す。キクコは、「私はいいよ」と首を振った。

 

「そういえばキクコの手持ちを聞いてなかったけれど」

 

 キクコは、「強いポケモンじゃないから」とだけ答えた。このポケモンリーグでいつ敵になるか分からない相手に手持ちを見せるのは危険かもしれない。アデクのような例は稀だ。

 

「……だね。すいません、誰も欲しがらないで」

 

「いいって事よ」と山男は豪快である。

 

「他にもたくさんあってな」

 

 山男はバックパックを探り出した。あれよあれよという間に様々な鉱石が取り出されていく。ユキナリはホルビーの行動スケッチを終えたので、「これは?」と石を手に取って尋ねた。

 

「おお、それは進化の石の一つ、月の石。山越えしたら売りさばこうと思ってな」

 

 オツキミ山で産出される進化の石のはずである。どうやらホルビーの功績によって多く採れてしまったらしい。

 

「あまり遠くで売ると検問に引っかかる。だから麓でさばくのさ。もちろん、俺が関わっているのはこうだぞ」

 

 山男は口の前で指を一本立てた。ユキナリ達は視線を交わし合う。

 

「最近、うるさくってな。自然のものなんだからいいだろうに。何でも他の地方じゃ採れない石もあるから高値で横流しする輩がいるんだと。しょうがねぇな」

 

 山男の苦言にユキナリは、「まぁ、オツキミ山は月の石の産出量じゃ一番ですから」と当たり障りのない言葉を選ぶ。

 

「ああ、これは石じゃないけど落ちてた。多分人工物だ」

 

 山男が掲げたのは銀色の光沢を放つ塊だった。ご丁寧な事に円柱型をしている。ユキナリは手に取って眺めた。顔が反射して映っている。

 

「これは?」

 

「物の名前は分からんが、鋼の塊だろうな。ちょっとやそっとじゃ壊れない」

 

 ユキナリはオノンドを見やる。昨夜、近場の石で牙を研磨していた。あのような事を街でやるわけにはいかないだろう。

 

「これください」

 

 ユキナリの言葉に山男は目を見開く。

 

「ただの鋼の塊だぞ? いいのか?」

 

 他にもっと価値のありそうな鉱石が並んでいたが当面、ユキナリとオノンドに必要そうなのはそれだった。

 

「使えそうなので」

 

「物好きだな。まぁ、いいぜ。ただでやるよ」

 

 ユキナリは鋼の塊を鞄に押し込む。早速今晩から使ってみようと考えていた。

 

「他に面白そうなのは、っと」

 

 山男の開催する即席のバーゲンセールがいつの間にか出来上がっていた。ユキナリは既に貰うものを貰ったので後はナツキとキクコだろう。

 

「あたし、石に興味は……」

 

「そう言わず。化石もあるぜ。もしかしたら後々価値が出るかも」

 

 山男が手にしたのは貝殻を象った化石と、甲羅を象った化石だった。

 

「何の化石です?」

 

「俺も分からん。ただ、化石だぞ? ロマンがあるだろう?」

 

 それは男にしか分からないものなのか、ナツキは怪訝そうな顔をして首を振る。

 

「そういやニビシティに化石研究所があったな」

 

 ユキナリが思い出して口にすると、「何でまたニビまで戻らなくっちゃいけないのよ」とナツキは苛立たしげに言った。

 

「何かのきっかけで化石を復活させてもらえれば」

 

「そんな事している間にバッジが全部取られちゃうわよ」

 

 言われればその通りである。今回の旅は物見遊山ではないのだ。

 

「でもお嬢ちゃん、化石ってのは高価で売れるぞ」

 

 山男の退かない声に、「余計なものを持つ趣味はない」とナツキはばっさり切り捨てた。山男は、「価値があるのになぁ」とまだ折れない様子だ。今度はキクコのほうを見やり、「お嬢ちゃんはどう?」と勧めた。

 

「化石とか、進化の石とか」

 

「え、えっと……」

 

 キクコは困惑している様子で山男を見つめた。山男は今度こそいけると感じたのか少し強引に売ろうと構えた。

 

「絶対価値出るよ。本当、持っていて損はないから」

 

「え、どうしよう……、ユキナリ君」

 

 キクコがユキナリへと助けを求める声を出す。ユキナリは仕方がないので山男を制した。

 

「押し売りはどうかと思うので」

 

 その声に山男はしゅんと肩を落とす。

 

「そうか……。まぁ、俺一人でも充分な軍資金になる分は確保出来たし。お嬢ちゃんにはこれでもどうかな」

 

 山男の差し出したのは虹色の宝玉だった。ナツキが眉をひそめて、「これは?」と尋ねる。

 

「カロスの友人にたくさんもらったんで余りだ。向こうじゃよく採れるんだと。まぁイヤリングにするなり、ブレスレットにするなり好きに加工するといいよ」

 

 ナツキはそれを受け取った。山男が、「あと、これ」とナツキに手渡す。それは内部に黒い文様を抱えたビー玉だった。

 

「子供じゃないんだけど……」

 

 ナツキの抗弁に、「ストライクなんだろ?」と聞き返していた。

 

「だったら持っておくといい。カロスじゃ何でかストライクに持たせているトレーナーが多い」

 

 ナツキはビー玉を翳したが何か特別な素養があるようには見えなかった。ユキナリも窺ってみたが、ビー玉以外の何かには見えない。

 

 山男はバックパックを背負い直した。どこへ行くのかと思えばユキナリが来た道を戻っていく。

 

「そっちは逆に山の中ですよ」

 

「ああ、俺はもうちょっとここいらで稼いでいく。俺の目的は玉座じゃないからな」

 

「何なんです?」

 

「そりゃ、この旅で一山当てる事さ。多くのポケモントレーナーが集まるって事は、だ。カントーの物をありがたがる人間もいるだろう」

 

 つまり山男の目的は最初からキャッチセールスだったわけだ。ユキナリは半ば呆れつつも、そういう旅の楽しみ方もあるのだと思った。

 

「それじゃあ、僕達は山越えしなくちゃいけないので」

 

 ユキナリ達が反対側へと歩き出すと、「気をつけてな」と山男は手を振った。充分に離れてからナツキが愚痴をこぼす。

 

「あんた、高いもの買わされるところだったのよ」

 

「いや、いい物が手に入ったよ」

 

 鞄を叩きつつユキナリが答えるとナツキは、「ガラクタよ?」と疑問の目を向けた。

 

「でもオノンドの牙の調整にはちょうどいい」

 

「ああ、そういう目的で貰ったんだ。あたしはてっきりあんたの目がおかしくなったのかと思った」

 

 ナツキの言い草にユキナリは、「心外だな」と唇をすぼめる。

 

「僕がおかしかった事なんてある?」

 

「毎回じゃない」

 

 ユキナリとナツキのやり取りにキクコが微笑んだ。二人同時に立ち止まり、キクコを見やる。キクコは突然自分に注目されたものだから戸惑う目を向けた。

 

「な、何……」

 

「いや、あんたそういう風に笑うんだと思って」

 

「僕も、笑った顔は見た事なかったから」

 

 キクコは頬を掻いて、「変、かな……?」と顔を伏せる。ユキナリとナツキは二人して首を横に振った。

 

「変じゃないよ。いい顔してた」

 

 ナツキの飾らぬ感想にキクコは顔を紅潮させた。ユキナリも続いて声にする。

 

「うん。素敵だった」

 

 ユキナリの言葉にキクコはますます顔を伏せた。何か変な事を言ってしまっただろうか、と不安に駆られた。

 

「え、どうしたの? 僕、何か変な事言った?」

 

「馬鹿。男が言うのと女同士で言うのとは違うのよ」

 

 ナツキの言葉の意味が分からずにユキナリは問い返したがナツキはぷいと前を向いて歩き出す。キクコも顔を伏せたままだった。ユキナリだけが取り残されたように疑問符を浮かべた。

 

 



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第三十一話「始まりの物語」

 

 ディグダの穴はクチバシティ東へと接続していた。

 

 オレンジ色を基調とした屋根を持つクチバシティは漁港も盛んで、港町としても名高い。また外国との通商貿易にもまずクチバシティが置かれているために玄関口としても有名である。しかし、クチバシティそのものは開発途上であり、首都であるヤマブキシティや商業都市タマムシシティに比べれば随分とお粗末だ。

 

 ヤナギはまず、クチバシティの宿泊施設にチェックインし、シロナと隣室を取った。シロナは優勝候補としてメディアにも露出しているため慎重を期す事になったが、ヤナギは身分が割れていないためその分では楽だった。待ち構えていた記者達が一斉にシロナに質問を浴びせる中、ヤナギは涼しい顔で部屋番号を確認し、ディグダの穴で疲弊した身体を休ませた。手持ちのウリムーはポケモンセンターに一晩預け、回復処置を行ってもらった。その間、ヤナギは手持ちなしの状態だがシロナに勝った手前、誰も襲ってこないだろう。来たとしてもヤナギには勝算があった。

 

 間もなく扉がノックされ、ヤナギは答える。

 

「どうぞ」

 

 現れたのはシロナだ。金髪をかき上げ、「嫌になっちゃう」と第一声を上げた。

 

「どこに言っても質問攻めなんだから」

 

「あんたがそういう立場にいるのが悪い。もっと地味な立ち居地を取るべきだったな」

 

 ヤナギの言葉に、「あなたみたいに冷静にもいられないのよ」とシロナは応ずる。

 

「なりふり構っていられないのが本音ね」

 

「考古学者ってのはそんなにがっつかなくってはいけない職業なのか?」

 

 皮肉を込めた言葉にシロナは、「そうね。仕事柄」と答える。どうやら相当参っている様子だ。これ以上意味のない言葉を繰り返しても仕方ないだろう。ヤナギは早速、本題に至った。

 

「あんたらの組織は何だ?」

 

 ヤナギは僅かに視線を壁に走らせる。「盗聴の心配はないわ」とシロナが心得たように口にする。

 

「ミロカロスが既に張っている。彼女はとても気配に敏感だから、そういう機械があれば見分けられる」

 

「随分とよく躾けられたポケモンだな」

 

「ええ。この時のために、あたし達はそれこそ身を削る思いで研鑽の日々を送ってきた」

 

 シロナの言葉にヤナギは、「よく出来ている、と思うよ」と口元を吊り上げる。

 

「だが、何に忠義を誓ってそんな真似が出来る? 国家か? あるいは個人か」

 

「とても鋭い質問をするのね」

 

 シロナは年長者の威厳を出そうとして微笑んだがヤナギには無意味な事だった。

 

「質問は、的確に、なおかつ最低限にするのが礼儀だ」

 

「礼節を心得ているのは立派だと思うわ」

 

「あんたらが信ずるものとは何だ?」

 

 ヤナギの質問にシロナは背筋を伸ばして答えた。

 

「公平さと誠実さよ」

 

「答えになっていないな。それはどういう事か」

 

「このポケモンリーグに欠けているもの。それを満たしてくれる存在に、あたし達は奉仕している」

 

「最初からポケモンリーグが磐石ではないかのような言い草だな」

 

「あなただって思い当たる節があるでしょう?」

 

 ヤナギは暫時沈黙を挟んだ。ヤグルマとかいう記者。父親が信奉している組織。何よりも、このポケモンリーグの枠組みが何やら欺瞞めいている。

 

「俺は、玉座が欲しい」

 

「知っているわ」

 

「ならば何故、俺を襲った? 純粋に玉座を求めるのならば不必要な殺しは避ける」

 

「必要最低限なら人殺しも厭わないような口ぶりね」

 

 ヤナギはまたも沈黙を挟む。やがて、指を一本立てた。

 

「鮮血の一つも纏わないで、王になれるとは思っていない」

 

 シロナは乾いた拍手を送る。

 

「その年齢にしては世間を知っているのね」

 

「教えろ。どうしてお前らは、ジムリーダー殺しの犯人を追っている?」

 

「その犯人こそが、敵対する組織の手駒かもしれないと考えているからよ」

 

「お前らは国家の枠組みすら超えた組織だ。そんな奴らでさえ、恐れるものとは何だ?」

 

 ヤナギの質問にシロナは、「恐れる、というよりかは理由を知りたい」と視線を机の隅に置いた。

 

「理由?」

 

「あなたが何故襲われたのかを知りたいように、あたし達は、何故、相手が存在するのかを知りたい」

 

「禅問答はお呼びじゃない」

 

「大切な事よ。敵とは、何故、存在するのか」

 

 ヤナギはシロナの言葉の行き着く先を答えた。

 

「思想の違いだ。何を求めるかによって人の利害は一致する事もあれば不一致の場合もある」

 

「そうよ。あたし達の敵は、つまり利害の不一致に他ならない」

 

「答えになっていない」とヤナギは苛立たしげに机を叩いた。文机が揺れる。

 

「いいえ、これが答え。ただし、あたし達の場合、それが国家の規模に膨れ上がっただけ」

 

 ヤナギは眉をひそめる。国家規模の思想の違いと言えば一つ、結論が出る。

 

「戦争か」

 

「それは表上のやり取りに過ぎないわ。イッシュを仮想敵にしているのはもちろんカントーに住んでいるのなら分かっているわよね?」

 

「馬鹿げた話だ。規模が違う」

 

「あら、戦争否定派?」

 

 ヤナギは戦時下と言う名目のカントーがそもそもどことも戦争状態になろうと思っていない事を知っている。

 

「カントーは内々に事を収めるだけでも精一杯だ。他国との戦争など、やっている場合ではない」

 

「それは同意ね。カントーはだからこそ躍起になっている。この地方の民草全てを納得させ、安心させる材料である王の不在の状況を」

 

「何が言いたい?」

 

 ヤナギの苛立たしげな声に、「つまりはこういう事よ」とシロナが続けた。

 

「このポケモンリーグ自体が、カントーという大規模国家を纏め上げるために必要だったとしたら?」

 

 ヤナギはその想像の帰結を容易に理解した。

 

「……まさか、カントーは他国との戦争を想定して、このポケモンリーグを開催したと言うのか」

 

 民の声を纏め上げる絶対的なシンボルである王。それをこの機会に作る事によってカントー全国民の思想を一致団結させる。それを槍の穂先にしてカントーは戦時国家への道を辿ろうとでも言うのか。シロナは、「当たらずとも遠からずね」と返す。

 

「戦争のつもりがあるのかどうかまでの確証はないにしても、国民の思想を一気に纏め上げるカリスマを欲しているのは事実」

 

「だが、それは先王がいれば何も困る事はなかった。今回、事の発端は先王の崩御……」

 

 ヤナギはそこでハッとしてシロナに視線を固定した。

 

「まさか、先王の崩御そのものから仕組まれていた?」

 

 あってはならない想定だと思いながらもヤナギは口にせざるを得なかった。シロナは静かに首肯する。

 

「そこまで想定するのは、さすがにやり過ぎだと判定している人間も組織にはいる。でも、あたしはそうじゃないかと考えている。相手が、先王を殺した」

 

「先王は病死だと聞いたが」

 

「それは嘘よ」

 

 シロナは何でもない事のように否定する。ヤナギは、「まさか、そこまでの勢力だと」と半ば信じられなかった。対してシロナは落ち着いてヤナギに説明する。

 

「そもそもこの国の興りからしておかしい、ってのはディグダの穴でも言ったわよね。あたし達はこのカントーが興国するきっかけにも、彼らがいたと考えている」

 

「飛躍だ」とヤナギは首を振ったが、シロナは、「飛躍でも何でもない」と答えた。

 

「もし、彼らがカントー始まりの、その先駆者だとしたら? この大きな地方は彼らから始まった。少なくともあたし達はそう考えている」

 

「馬鹿げた話だ。あんたの話を統合すればカントーの興りにはある集団が関わっていて、そいつらが今回のポケモンリーグも裏で糸を引いていると言うのか」

 

 否定する材料を与えたつもりだったがシロナは、「その通りよ」と頷いた。

 

「その名前は?」

 

 シロナは首を横に振る。

 

「それだけがどうしても出てこない。だからあたしのような考古学者にもお呼びがかかった。考古学の観点から彼らを暴いて欲しいと」

 

「実力者であるのは後付けか」

 

「カンナギタウンという寒村がシンオウにはあってね。あたしはそこで生まれた。そこでは時間と空間を操る二体のポケモンを奉る祠があった」

 

「何の話だ?」

 

 苛立ちの口調にもシロナは臆す事はない。ゆっくりと、言葉を紡ぐ。

 

「ジョウトにもあるんでしょう。確か、時間を旅するポケモンの社が。それにスズの塔にはジョウトで伝説となったポケモンを蘇らせた不死鳥のポケモンがいるとか。海の底、渦巻き島は未開で何かがいると言う話だけが伝わっているとか」

 

「だから何の話を――」

 

「これは始まりの話よ」

 

 痺れを切らした声を、思いのほか冷静な声音が断じた。ヤナギは呆けたように、「始まり……」と繰り返す。

 

「そう、一地方の始まり。それは必ず伝説、神話、あるいは創造譚に溢れている。でも、このカントーにはそれがない。いくら調査してもないのよ。逆に不自然なほどに」

 

「彼らが意図的に排除したとでも言うのか」

 

「排除、なのかは分からないけれど、ないという証明はあるという証明よりも難しい。ここ数十年、我々の組織はないという証明を繰り返し、カントーという土地の特異性を示唆してきた。この土地には何かがある。イッシュのハイリンクやカロスのヒャッコクの石時計なんかよりもよっぽど奇妙で、それも不明瞭な何かが」

 

 シロナは眼差しに鋭い光を含んだ。それが考古学者としての性なのか、それとも組織の一員としての使命感なのかは判別出来なかった。

 

「あんたらの組織は彼らを闇から引っ張り出したいわけか」

 

「それも分からないわ。彼らが闇に潜んでいるのかもね。もしかしたら、堂々とこのポケモンリーグに出場しているかもしれない」

 

「まさか」

 

 ヤナギは笑い話にしようとしたが生々しい現実が邪魔をした。カントーという土地ににおい立つ何か。それが巨大な影として屹立する。

 

「カントーは何なんだ。おかしいという前に、どうしてこうまで因縁の土地となる」

 

「王の崩御も彼らの仕業となればいよいよこの土地がきな臭く感じられる。何を守っているのかしら」

 

 それは同時に、何をこの土地は隠し持っているのか、という問いになった。ヤナギは、「あんた」と声をかける。

 

「ディグダの穴で俺に仮説とやらが立っていると言ったな」

 

 シロナは目を見開いて、「聞きたいの?」と尋ねた。

 

「知らねばならない。あんたの組織、そうでなくってもあんたは何を考えているのか。損得の問題を超えて、あんたらは何を手にするつもりなのか」

 

「玉座だって言い訳、はもう通用しなさそうね……」

 

 シロナは肩を竦める。ヤナギは尋問の口調になった。

 

「教えろ」

 

「仮説よ。本当に仮説」

 

 シロナはそう前置きして、文机の上にあるメモ用紙とペンを手に取った。ヤナギが怪訝そうに眺めていると、「この世界は」とシロナはメモに文字を走らせた。

 

「ポケモンの発生によって生み出された、という神話がある。アルセウス創世神話。シンオウでは広く伝えられているわ」

 

 ヤナギも耳にした事はある。ただし、眉唾の範疇だ。実際にポケモンであるアルセウスが創世したと言うよりかは、それは事実にポケモンをなぞらえただけの創作に過ぎないと聞いた。

 

「ホウエンのグラードンとカイオーガの伝説と同じだな。実際にはこの二体は戦ってすらおらず、地殻変動を説明する術を持たなかった当時の人間が、グラードンとカイオーガと言う強大なポケモンに理由を求めた」

 

「あら、博識ね」

 

 シロナは試すような物言いで呟く。ヤナギは、「一応、政治家の息子なんでね」と答えた。

 

「それなりに教養はあるつもりだ」

 

「でも、あたしが話すのは荒唐無稽よ。それを理解して、聞きたいのね?」

 

 どうやら最終確認が必要なほどにシロナの話は突拍子がないらしい。ヤナギはため息をついて、「いいから話せ」と促した。

 

「じゃあ言うけれど、アルセウス創世神話。これは実際の宇宙の始まり、ビッグバンを説明するためにアルセウスと言う神にも等しいポケモンに理由を求めた」

 

「おい、いいのか。シンオウの考古学者だろう」

 

 そのような、自分の土地の伝説を貶めるような事を言っても、という意味だったが、シロナは、「だからこそよ」と応じた。

 

「だからこそ?」

 

「生まれ故郷だからこそ、客観的に言える。これはビッグバンを説明するための道具。そもそも、ポケモンの発見がここ数十年程度の話なのに、どうして遥かな昔にポケモンのタマゴがまずあったって言うの?」

 

 ヤナギは盗聴の類はないとしても慌てた。この発言はポケモン原理主義者からしてみれば冒涜そのものだ。

 

「あんた、自分の立場を分かって言って――」

 

「だから、学会では言えないんでしょう」

 

 遮って放たれた言葉にこの女の思っていたよりもしたたかな面が滲み出ていた。何を考えているのか。どうしてそのような仮説に至ったのか。ヤナギは気になり始めている自分を発見した。

 

「……続けろ」

 

「肯定と受け取っていいのかしら。じゃあ続けるけれど、ポケモンの発見は数十年前、何人かの人々が突然認識し始めた事から始まった。この数人を我々の組織は確保し、とある実験を行った」

 

「実験?」

 

「退行催眠よ」

 

 ヤナギは目を慄かせた。「それは……」と思わず口調が上ずる。

 

「ええ、人道的範疇で、だけれど」

 

 ヤナギの心配を察したようにシロナは先回りした。

 

「退行催眠の結果、彼ら彼女らにはそれより前にポケモンを見たと言う記憶があった。つまりポケモンとは、ここ数十年で認識されただけで、最初から存在した、という証明になった。でも、本当に最初、原始の記憶にまで刻まれていたわけではない。最初、というのは個体生命が発してから、つまり彼ら彼女らの数十年の人生でしかない。組織は人間相手では埒が明かないと感じ、ポケモンへの退行催眠を試みた」

 

「その、結果は?」

 

 ヤナギが固唾を呑んで次の言葉を待っているとシロナは目を伏せて、「出来なかった」と告げた。

 

「出来なかった?」

 

「ポケモンには過去の記憶がなかった。ポケモンのメカニズムを少しだけ解明するのならば、彼ら彼女らには長期記憶の領域は存在するが、それは自己認識に関わるもの以外は希薄であり、つまり自分達の個体がどれほど前に存在したのかまでは分からない。そもそも、ポケモンと一括りにしたところでピカチュウとポッポでさえ全く別の生命体。そのような別の系統樹を辿ったポケモンが、同じ原始の記憶を共有しているはずはなかった」

 

「つまり、あんたらの実験は失敗だったわけだ」

 

「そうでもないわ。ならば組織は最初のポケモンにこそ、答えがあると考えた」

 

「最初だと」

 

「そう。幻のポケモン、全てのポケモンの遺伝子を持つというポケモンの祖先、ミュウ」

 

 ヤナギも教本の挿絵でしか見た事がない。誰も見た事がないはずでありながら、誰しも共通認識として持っている幻のポケモンであった。

 

「ミュウを捕まえたのか?」

 

「いいえ。どれだけ奥地に行ってもミュウは捕まらなかった。その睫の化石だけを手に入れた。それも、研究所の事故の折に紛失したそうだけれど」

 

「化石からじゃ、何も分からないな」

 

 結論付けたヤナギに、「化石から復元する方法もあるのよ」とシロナは不敵に微笑んだ。

 

「出来たのか?」

 

「化石に含まれる遺伝子に聞いたわ。あなた達の原初はどこから始まったのか。そして何よりもポケモンとは何なのか。人間と何の関係があるのか」

 

 その答えの行き着く先を、シロナ達の組織は至ったというのか。ヤナギは唾を飲み下し、「分かったのか?」と訊いていた。

 

「ポケモンとは何なのか」

 

 シロナはゆっくりと首を横に振った。

 

「分からない事のほうが多かった。ミュウの睫の遺伝子程度で範囲はたかが知れている。あたし達は、自力でそこに辿り着かねばならない」

 

 そこでシロナがメモに書き付けている言葉に気がついた。シロナは喋りながら覚え書きのようなメモを残している。

 

「それは?」

 

「ああ、考えていたのよ。ミュウの遺伝子を手に入れ、組織は大きく躍進するはずだったのに、どうして歩を進めなかったのか。あたしにはね、人類が到達するには早過ぎたのではないのかと推測している」

 

「どういう事だ?」

 

「ポケモンとは何か、人間とは何か。この世界の創造主は何者か。その問いかけに至るのに、あたし達は未だ無知なままよ。でも一つだけ、ミュウの睫から仮説は立てられる」

 

 シロナはペン先でメモ帳を指した。その内容にヤナギは息を詰まらせる。

 

「これは……」

 

「それが、あたしの仮説。言葉にする事も憚られる内容でしょう?」

 

 シロナがメモした内容はヤナギでもにわかには信じられなかった。これは学会で鼻つまみ者にされるのは目に見ているだろう。

 

 だから組織に入ったのか。しかし組織内部であっても、このような考え方は異端である事は容易に想像がつく。

 

「これを誰かに話したのは」

 

「ないわ。あなたが初めて。だからかしら、少し饒舌になりすぎてしまった」

 

 シロナは立ち上がった。メモを手に取ると、「燃やすなり持っておくなり好きにすれば?」と素っ気ない返事を寄越された。

 

「どうせ、学会じゃ発表出来ないわよ。そんなの」

 

 シロナはあくまで考古学者としての地位を目指しているようだ。このポケモンリーグの最終到達点である玉座にも興味はないのかもしれない。

 

「あんたは……」

 

「もう寝るわ」

 

 シロナは部屋を後にする。ヤナギは引き止める言葉を持たなかった。ただ一つだけ、確認する。

 

「あんたらの組織を、俺は利用する。その関係性は」

 

「承諾しているわ。今のところ、あたしの胸の中にだけ留めておくけれど」

 

 ヤナギは表立って組織の力を利用しようとは思っていなかった。あまり派手に動けば父親に気取られる。そうなれば自分達親子の関係性も瓦解しかねない。

 

「あなた達親子は、思っているよりもしたたかね」

 

 シロナの感想にヤナギは、「俺の独断だ」と答える。

 

「父上の事は関係ない」

 

「カンザキの家柄で持ち上げられるのは嫌って事かしら」

 

「俺が信じているのは俺の力だけだ。他には何もない」

 

 ヤナギの言葉にシロナは鼻息を漏らす。

 

「立派ね」

 

 そう言い置いてシロナは部屋を出て行った。一人残されたヤナギは布団を敷いて眠る準備を始めたがメモ帳を手にすると眠気が訪れる事はなかった。

 

 そこに書き綴られている事がもし事実なら――。

 

「ポケモンも俺達人間も、どちらの未来も……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。

 

 



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第三十二話「策謀の闇」

 

 シロナは部屋に戻るなりポケギアの通話ボタンを押した。通話先は決まっている。

 

『もしもし……』

 

「あたしです、シロナ。第一容疑者であるカンナギ・ヤナギと接触しました。でも、彼じゃない。それだけは確信出来る」

 

 発した声に、『そうか』と通話口の相手は応じた。

 

『だが引き続き監視は』

 

「行うつもりです。氷タイプ使いでもあの子に比肩する人間はそういない」

 

 あくまで監視対象としてヤナギに同行するつもりであった。それは表向きではあるが。実際にはヤナギも自分達を利用し、自分もヤナギを利用する関係だ。

 

『そうか。こちらはデボンの個体識別番号を調べているが、それに繋がる要素はなし。ただし、オツキミ山近辺で動きがあった』

 

「動き?」

 

『また殺しだ』

 

 その言葉にシロナは慄然とする。自分が追っていたヤナギが犯人ではない事が同時に証明された。

 

「殺害方法は?」

 

『同じく。急速に体温を奪われた事によるショック死。あとの二人はやく殺だな』

 

「三人も殺されたって言うの?」

 

『これで五人だ。これから先も起こるかもしれない。そうだとすれば犯人が玉座に就くまでこの不可解な殺しは続く』

 

 この競技大会に差した暗雲にシロナは不安を感じないでもなかったが、玉座をかけた戦いだ。人の生死は必然だろう。

 

「やく殺ってのが気になります。どうしてここに来て犯人は殺し方を変えたのか」

 

『分からない。ただ、もしかしたら氷タイプ使いという我々の推理の裏を掻くつもりなのかもしれない』

 

「だったら、油断ならないですね」

 

 複数犯の疑いもある。ヤナギにオツキミ山での殺人に関する疑念はないとは言え、まだジムリーダー殺しが完全に払拭出来たわけでもない。

 

『どちらにせよ我々の捜査は続けざるを得ない。何らかの進展があるまでね』

 

 シロナはその段になってようやく相手の名前を呼んだ。

 

「ハンサム警部。今回の一件、正義はこちらにあると考えていいのですよね?」

 

 ヤナギと話していて疑問に感じた事だ。このポケモンリーグ、勝手に正義を騙って組織立って動く事が本当に正しいのか。それは行き過ぎた傲慢に他ならないのではないか、とシロナは感じていた。しかし、その判断の鈍さにハンサムは逆に疑念を抱く。

 

『何か、あったのかね』

 

 国際警察の眼は欺けないらしい。ヤナギとの契約と敗北を口にするべきか、と迷ったがシロナはこれからの磐石な関係のために伏せる事にした。ただ国際警察相手にどこまで嘘が通用するかは疑問ではあるが。

 

「何も。ただヤナギという少年、カンザキ執行官の息子という一単位としてみるには惜しい戦力です」

 

 ヤナギの株を上げるべく言ってみたがハンサムの声は冷静だった。

 

『ヤナギ少年に関しては君に処遇を一任する。それと、犯人がオツキミ山を超えてハナダシティに至る事を考えて既に捜査員を派遣しておいた』

 

「ハナダシティで殺しがあると?」

 

『分からないが、またジムリーダー殺しが行われる可能性は否めないだろう。その場合、他の参加者に波紋が広がるかもしれない。今はまだ内々で事を進められているが、いずれは露見する。その場合、カンザキ執行官だけをトカゲの尻尾切りにするのは難しいだろう。我々とて既に後戻り出来ぬ場所まで来ているのだ。私も国際警察という手前、動いていたのがばれるとまずい』

 

 ハンサムの口調から保身が読み取れたがそれだけではないのだろう。この男は入れ込んだ事件にはとことんまで関わる癖がある。今回のポケモンリーグにきな臭さを一番に感じているのもこの男だ。

 

「……分かりました。ではあたしはこのままヤナギ少年の監視任務につきます」

 

『頼んだ。しかし、親子共々我々に関わってしまうとは』

 

 因果か、とハンサムは付け加えた。因果があったとしてもそれは向こうから引きつけたものだ。決して、組織だけの力ではない。

 

「ハンサム警部。犯人の目的は……」

 

『依然、読めないな。ジムリーダーだけを殺すのならばまだしも、今回の被害者は一般の参加者一人、もう二人は雇われの人間だった』

 

「雇われ? どこにです?」

 

 シロナの質問にハンサムは一呼吸置いて答える。

 

『シルフカンパニーの社員名簿にその名前があった。どうしてシルフの人間が身一つでオツキミ山にいたのかは不明。恐らく参加者の一人、ラムダという男がリーダー格だったのだろうが彼らが殺される理由が全く分からない。アトランダムな殺しにしては、随分と限定的な能力に思える』

 

「シルフカンパニー……」

 

 躍進を続けているカントーの企業だ。確かポケモンリーグの出資者に名を連ねているはずである。シロナはこの大会の裏で動いているのは何も自分と追っている組織だけではないと感じ取る。

 

『第三勢力の可能性も視野に入れて我々は捜査を続けているがシルフは口が堅い。そうそう真相を話してくれるとは思えないが』

 

「シルフカンパニーの探り、あたしにやらせてもらえませんか?」

 

 何か理由があって提案したわけではない。しかし、ヤナギと共に旅をするのならばいずれシルフカンパニーの総本山、ヤマブキシティにも辿り着く事だろう。その時に捜査を進められないかと感じたのだ。ハンサムは逡巡の間を置いた後に、『そうだな』と納得した。

 

『私の動かす構成員は所詮、後手後手に回る事になるだろう。ジムリーダー殺しを危険視してジムリーダーの護衛についたとしても犯人は殺さない可能性もある。そうなった場合、実際に参加者として登録している君のような人間のほうが動きやすいだろう』

 

「ヤグルマは?」

 

『ハナダシティに赴いているよ。今回、オツキミ山での殺しに気づいたのは彼だ。山越えをする連中の中に犯人がいると踏んでいたのだがこれも後手に回ったな』

 

 シロナは親指の爪を噛んだ。犯人は自分達では到底及びもつかない考えで動いている。それだけは確かなのだが逃げ水を追っているように手の中を滑り落ちていく感触だけがあった。

 

「あたし達はさらに相手の裏の裏を読むつもりでなければ」

 

 そうでなければ相手を捉える事も出来ない。シロナの言葉に、『焦りは禁物だ』とハンサムは言い含めた。

 

『焦っても殺しは起こる。問題なのは、いかにして抑止するか。それだよ』

 

 殺人者に対して最も効率的なのはその意図を読み解く事だったが今の自分達にはピースが足りない。この事件を解読するには圧倒的に情報量で不足していた。

 

「なにせ、参加者が多過ぎます。絞り込むだけでも」

 

『デボンに協力を仰いでいるが、その中に内通者がいないとも限らない』

 

 畢竟、自分達しか頼れないという事だ。シロナは身が引き締まる思いだった。

 

「あたし達が何とかしなければ」

 

『まだ殺しは続く。それだけは避けねばならない。他地方とはいえ、これほどまでに介入せねばならない事を鑑みると、今回のヤマは大きい』

 

 ハンサムは組織の中で発言力が高いとはいえトップではない。組織が事件を追う事を第一に掲げなければハンサムとてお払い箱だ。

 

「あたしは、殺しを追う事で、このポケモンリーグの真相が見える気がします」

 

 少なくともこの殺人とポケモンリーグの裏に潜む人々との関係はゼロではない。何かしら繋がるものがあるはずだ。

 

『そう信じているよ』

 

「そろそろ明日に備えなければ」

 

『ああ、おやすみ』

 

「お疲れ様です」

 

 通話を切り、シロナはベッドに寝転がった。それぞれの部屋には出身地方に近い彩が与えられている。シンオウの間取りに近い部屋の中でシロナは目を瞑った。夢も見ないほどに深い眠りであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝か……」

 

 ヤナギは身を起こす。結局、一睡も出来なかった。シロナの書き綴ったメモを懐に仕舞い、支度を整えて部屋を出るとちょうどシロナと出くわした。

 

「行きましょう」

 

 シロナの言葉に、「あんた」とヤナギは口を開く。

 

「俺と一緒に旅をする気か?」

 

「そうよ。あなたは一時的とはいえ容疑者に上がっていた。監視をするのは当然でしょう。それに組織に取り入りたいのならばあなたはあたしを利用しなければならない」

 

「利用されるために俺の傍にいるか」

 

 フッと口元に笑みを浮かべる。シロナは、「いけない?」とわざとらしく微笑んだ。

 

「好きにしろ。ただし、俺の目的はあくまで玉座だ。ジムには回らせてもらう」

 

 ヤナギの目的はクチバジムだった。オレンジ色の背の低い家屋が密集する街並みをヤナギは窓から見下ろす。

 

「そうね。あたしも玉座を狙っているけれどあなたほど真剣じゃないわ。二の次。まぁ、負ける気はしないけれど、ここのジムはあたしには不利ね。パスさせてもらうわ」

 

「クチバジムのジムリーダーは?」

 

 ヤナギが尋ねるとシロナは、「教えると思う?」と首を引っ込めた。

 

「あたしも一応参加者。当然、ライバルに差をつけたい気分は同じ」

 

 そう簡単ではないか、とヤナギは納得し下階へと降りた。受付でチェックアウトを済ませ、早速クチバジムへと向かった。オツキミ山を越えてくる人間が多数のため、クチバシティでは参加者らしいトレーナーはそう多くは散見されない。それでも、何人かは既にジムの前で張っていた。

 

「早いな。もう着いているのか」

 

「あたし達が言える台詞じゃないけどね」

 

 シロナの言葉にヤナギは肩を竦める。どうやら参加者は夜通し旅を続けてきた者達らしい。頭髪は皆がぼさぼさだった。

 

「オツキミ山を越えて来た連中、にしては早過ぎる」

 

「ディグダの穴よ。それを通過してきたそれなりの猛者達ってわけね」

 

 ヤナギとシロナが並んで歩いていると参加者と思しきトレーナー達は自然と道を譲った。どうしてだろうと思っているとシロナが不敵に笑う。

 

「一応、優勝候補なもので」

 

 その相手を下した自分としてはすっかり忘れていた。トレーナー達からしてみればそれに付随している自分のほうが物珍しいのだろう。胡乱そうな視線が何度か向けられた。

 

「だが、あんたはジムに挑戦する気がないのだろう?」

 

「そうね。ミロカロスじゃ分が悪い」

 

 既にジムリーダーの情報を得ているシロナのほうが上を行っている。それは間違いない。

 

「俺が挑戦するのを」

 

「邪魔する気はないわ。ただ一つだけ言っておくと、氷でも相性は微妙よ」

 

 忠告にヤナギは鼻を鳴らした。

 

「関係はないな。俺が信じるのは俺の腕だけだ」

 

「相当自負がある様子だけれど、これじゃ」

 

 シロナが足を止める。トレーナー達がジムの前で立ち往生している理由が分かった。木によって阻まれているのだ。シロナが触れる。

 

「ちょっとこの木じゃ入れないわね」

 

 ヤナギも次いで木の状態を確かめる。凍結で自然に枯れさせるには少しばかり骨が折れそうだ。

 

「どうするの? これじゃあ、挑戦できないわよ」

 

 ヤナギは周囲へと視線を配った。クチバシティは港町だ。西部と南部が海に囲まれている。

 

「あんた、俺の挑戦を邪魔する気はないって言ったな」

 

「何よ。疑っているの?」

 

「ジムリーダーには勝てない、とも言ったな」

 

 確認の声にシロナは怪訝そうな目を向けた。

 

「そうだけど、何? 優勝候補は負け知らずじゃなきゃいけないって言うの?」

 

「俺の手伝いをしろ」

 

 ヤナギの発した言葉にシロナは目を見開いた。ヤナギは南部に伸びる桟橋を指差す。

 

「あの辺りから波乗りを使えばジムに到達できる。ミロカロスでも二人くらいは乗せられるだろう?」

 

 その提案にシロナは呆けたように口を開いていたが、やがてにやりと笑った。

 

「あなた、本当に図太いわね」

 

「出来るのか、出来ないのかを訊いている」

 

「出来るわよ。行きましょうか」

 

 シロナは踵を返した。ヤナギはその背中に続いてクチバシティ南部の桟橋に至る。豪華客船サントアンヌ号が停泊しており、ヤナギは一瞬、ジョウトまで行けるのだろうか、と考えた。だがただで故郷に帰るつもりはない。必ず、病床の母親にいい報せを届けなければ。

 

「行け、ミロカロス」

 

 シロナはモンスターボールからミロカロスを繰り出した。ポケモンセンターに預けていたお陰でヤナギのウリムーによる攻撃は完治しているようだ。しかし、ミロカロスはヤナギに対して敵意を剥き出しにした。

 

「ミロカロス、今は、ヤナギ君は敵じゃないわ」

 

 今は、か。ヤナギは胸中で自嘲する。お互いにいつでも裏切れる腹積もりでいるのだろう。

 

「ミロカロス、あたしとヤナギ君を乗せてクチバジムまで」

 

 ミロカロスが身体を震わせて吼える。美しい鱗で波を弾き、二人を乗せるために頭を垂れた。シロナは慣れた様子でミロカロスに騎乗する。ヤナギも物怖じせずにミロカロスに乗った。

 

「行って」

 

 その命令でミロカロスは波を切りながらクチバジムへと向かう。波間にコイキングが現れミロカロスと並走しようとしたがすぐに波に弾かれた。それほど波は強いわけではないが、ミロカロスの巻き起こす威風に押されたのだろう。

 

「着いたわ」

 

 シロナの声にヤナギは顔を上げる。ミロカロスはきちんと二人をクチバジムへと送り届けた。仰げば先ほどまで見えていたクチバジムの外観はどうやら背後だったらしい。陸地から入れる唯一の入り口が背中だとは。ヤナギはこのジムの設計者のほうが自分などより随分と図太いと感じた。

 

「行きましょう」

 

 ミロカロスをボールに戻したシロナが門を叩こうとする。ヤナギはそれを手で制した。

 

「挑戦するのは俺だ」

 

 ヤナギの声にシロナは口元に笑みを浮かべる。

 

「言っておくけれど、ジムリーダーはそれなりに強い。それも正規の手順を踏まず、街を一つ飛ばしているのだからその強さは段違いと思ったほうがいい」

 

「忠告どうも。だが、俺には関係ない」

 

 ヤナギは門の前に立った。やがて重々しく扉が開き、彼を迎え入れた。

 

 



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第三十三話「確執」

 

「着いたー!」

 

 ナツキの声が響く。ユキナリは照らしてきた陽射しに目を細めた。オツキミ山の洞窟の中では全く陽が差さなかったために一日ぶりに浴びる朝陽だった。

 

「現時刻は、九時過ぎか」

 

 山越えとしては充分な速さだろう。ユキナリはオノンドをボールに戻した。もう警戒の必要はない。ナツキもストライクを戻し、視界の先に広がる道を眺めた。

 

「急勾配ねぇ」

 

 ハナダシティが遠くに望める。それまでの道のりは山道らしい急勾配だった。跳び越えられる範囲の障害物がところかしこに見える。

 

「よし。ここから先は競争よ」

 

 その声を皮切りにナツキは駆け出した。ユキナリは初動が少しばかり遅れた。ナツキは軽々と障害物を跳び越えていく。オツキミ山で陰気な道を通っていた鬱憤もあるのだろう。駆けていくナツキを追いかける形でユキナリも障害物を越えた。すると背後で奇声が発せられた。二人して振り返るとキクコが地面に顔を突っ伏していた。どうやら跳び越えられなかったらしい。

 

「大丈夫ー?」

 

 ナツキは坂の下から尋ねてくる。ユキナリはキクコに歩み寄って手を差し出した。

 

「危ないから」

 

 ユキナリの声にキクコはおっかなびっくりに手を伸ばす。顔を押さえて、「いたた……」と呟いた。

 

「運動、苦手なの?」

 

「うん……」

 

 キクコはどうやら相当鈍いらしい。ユキナリの補助でようやく障害物を跨いで越える。「陽が暮れちゃうわ」とナツキは苦言を漏らした。

 

「しょうがないだろ。キクコだけ置いていくわけにもいかないし」

 

「これくらい跳び越えなさいよ。トレーナーでしょ」

 

 ナツキが軽々と越えていくのをキクコは、「すごいなぁ」と羨望の眼差しを向けた。

 

「これくらい、誰でも跳び越えられるでしょ」とナツキは今しがた越えた障害物を足蹴にする。キクコは心底申し訳なさそうな顔をした。

 

「まぁ、誰でもは言い過ぎかな……」

 

 ユキナリのフォローの声に、「どっちの味方よ!」とナツキが声を張り上げた。

 

「どっちの味方でもないって」

 

 ユキナリは答えながらキクコをサポートする。すると、ようやくハナダシティの入り口に辿り着いた。アーチ状の街の入り口には「ようこそ」という文字が各地方の言語で書かれている。どうやらこの機に町興しも考えているようだった。

 

「ハナダシティは活気付いているわねぇ」

 

 山越えをしてきた人々へと憩いの場が設けられている。宿泊施設だけではなく娯楽施設として巨大なプールも開かれていた。

 

「トキワシティもすごいと思ったけど、これはそれを上回るな」

 

「ジムに行きましょ」と急かすナツキに、「まずは回復だよ」とポケモンセンターを指差した。

 

「博士とも連絡取らなきゃ」

 

 キバゴが進化したのだ。それを報告するのは義務である。ポケモンセンターに入ると回復受付に人垣が出来ていた。

 

「何だろう……」

 

 ユキナリの声にナツキが、「相当強いって事かしら」と彼らを見やった。山越えで回復する人々と明らかに山越えだけではない人々が混ざっている。ユキナリはタケシとの一戦を思い出した。あれに勝るとも劣らない相手がジムリーダーとして君臨している。それだけで身が強張った。

 

「僕は、まずオノンドに進化した事を伝えないと」

 

 ユキナリは空いているパソコンへと向かった。ナツキは回復受付へと回る。どうやらどこに行ってもパソコンに触れるのはごく少数のようだった。ユキナリは苦労もせずにパソコンを博士の研究所のアドレスに繋ぐ。すると、博士から間もなくビデオチャットが開かれた。

 

『やぁ、ユキナリ君。この様子だと山越えは出来たみたいだね』

 

 気安い声にユキナリはオツキミ山で攻めてきたラムダの事を伏せようと思った。博士に無用な心配はかけたくない。それに両親の耳に入る可能性もあった。

 

「ええ、まぁ」

 

『キバゴは? どうしたんだい?』

 

「これです」

 

 ユキナリがモンスターボールからオノンドを出す。博士は目を丸くした。

 

『キバゴが、進化したのか……』

 

 博士は興味深そうな視線のオノンドに向けている。進化前と違い、オノンドはユキナリに抱えられるまでもなく、パソコンのカメラと同じ視線に立った。

 

「あの、進化後の名前を僕が勝手に考えたんですけど、いいでしょうか」

 

 博士は佇まいを正し、『ああ、言ってみてくれ』と応じた。ユキナリは少しの緊張の後に、「オノンド」と名前を呼ぶ。

 

「オノンド、っていうのが、このポケモンの名前です」

 

 博士は特に説明を求めなかった。吟味するように頷き、『なるほど!』と声を上げた。

 

『いい名前だ。キバゴの時と言い、もしかしたら君にはポケモンの真性を見抜く才能があるのかもしれないな』

 

「そんな、ないですよ、そんなの」

 

 謙遜した言葉に博士は、『いや、いい名前だよ』と繰り返した。

 

『由来を聞きたいね』

 

「えっと……」

 

 ラムダの事を話さずにオノンドに進化した経緯だけを取り出そうとユキナリは考えた。

 

「進化したら牙が鋭くなって、それで攻撃する時に青い光が斧みたいに纏いつくんです。それで斧の龍、からオノンドって連想で……」

 

 後頭部を掻きながら話した経緯は自分でも信じられないほどに幼稚だった。こんな名前を博士は認めてくれるだろうか。ユキナリの不安を博士は一声で杞憂にした。

 

『いや、いい由来だ。技のモーションに由来を求めるとは、やるね。ポケモンの学名って言うのはそのポケモンの姿形はもちろんだが習性や、あるいは鳴き声からの連想ってのもあるんだ。ユキナリ君のセンスはいい線行っているよ』

 

 博士に褒められてユキナリは顔を紅潮させる。自分にそのようなセンスがあるなど信じられなかった。

 

「いや、そんな」

 

『とにかく、オノンドか。それが最終進化形態か、あるいはこれからも進化するのかは分からないが強さは確かなのかい?』

 

「ああ、そういえば空牙がなくなりました」

 

 それを説明せねばならない、とユキナリは思い出した。オノンドの鋭く生え揃った牙を見下ろしユキナリは牙を岩で研ぐ習性がある事を話した。博士は顎をさすりながら、『興味深い』と応ずる。

 

『キバゴの時は牙にそれほどの重要性を見出していなかったように思えたが、自分から牙を研ぐって事はその牙は相当重要な武器なんだろうね。マーキングの意味もあるのかもしれない。だとしたら縄張り意識が強いのかもしれない』

 

 さすがはポケモンの権威だ。目のつけどころがユキナリとはかけ離れていた。

 

「両腕と脚も発達して、表皮も鎧みたいに丈夫になりましたよ」

 

 ユキナリが緑色の表皮をコツンと拳で叩く。オノンドは首を巡らせた。

 

『ダブルチョップは牙から放つのかい?』

 

「いえ、両腕でも使えるようになったみたいです。牙でも使えるみたいですけど」

 

 博士はそれを聞いて何やら考え込むようにオノンドを見つめた。オノンドはその視線に耐えられないのかユキナリへと助けを求めるように目を向ける。

 

「博士、オノンドが怖がっていますよ」

 

『ああ、すまない。しかし、見れば見るほどに攻撃的な外見だ。もしかしたら、キバゴの時、空牙だったのは何かのアクシデントに見舞われての事だったのかもしれないね。本来は強固な鎧と鋭い牙で相手を圧倒するポケモンであったのかもしれない。進化後からの逆算による憶測だが……』

 

 博士の言葉にユキナリはキバゴが何故片牙だったのかを考える。何か事情があったのか。それとも、片牙でなければならない意味があったのか。

 

『そういえば、空牙の能力を引き継いでいるのかな?』

 

「あ、それはまだ分からなくって……」

 

 ユキナリの思案を遮って博士は腕を組んだ。

 

『早く戦闘データが欲しいところだけれど、そう急ぐ話でもない。ポケモンリーグは百日にも及ぶ競技大会だ。そのうち、能力が何なのかの話は出るだろう。空牙が最早無用の長物となったから捨てたのか、それとも、の話は今しなくっても』

 

 ユキナリはオノンドを見下ろす。オノンドは首を巡らせてユキナリを赤い眼球に捉えた。赤い眼、何かに似ている――、というユキナリの思考に、「ユキナリ君」と声がかけられた。

 

 振り返るとキクコが受付を指差している。

 

「ナツキさん、終わったみたい」

 

「ああ、じゃあ行かなくっちゃ」

 

 オノンドをボールに戻し博士に別れの挨拶をする。

 

「では、博士。僕らはハナダジムに挑戦します」

 

『おお、そうか。頑張ってくれ。定期通信は無理しなくっていい。また何か、変化に気づいた時にでも。何せ私は暇だからね』

 

 笑ってみせる博士にユキナリは困惑顔を浮かべた。トレーナーズスクールの生徒達はほとんどがポケモンリーグ参加を表明した。つまり今の博士には自分達のような律儀に報告する人間だけがその無事を確認する手立てなのだ。ユキナリは出来るだけ博士と連絡を取ろうと思った。それが多分、お互いにとっていい。

 

『そういえばユキナリ君、今の声はナツキ君じゃないが』

 

 ユキナリはキクコを紹介すべきか、と思って顔を振り向けたがキクコは既にパソコンの前に立っていた。物珍しそうにカメラを観察している。博士は突然にキクコの顔が大写しになったものだから面食らっているらしい。ユキナリは、「……まぁ、旅は道連れって事で」と呆れながら説明した。

 

「オツキミ山の前で出会った女の子です。名前はキクコ」

 

『あ、そうなのか』

 

 博士の声にキクコは振り返って、「ユキナリ君!」と真剣な声音で自分を呼んだ。

 

「何?」

 

「小さい人が、こんな箱に入っている!」

 

 博士を指差して放たれた声に二人して固まった。博士は呆然としている。ユキナリは、「えと、パソコンを知らない?」と尋ねた。キクコは小首を傾げる。

 

「パソコン?」

 

 どうやら知らないようだ。まだ普及率が高い機器でないので無理はないが。

 

「えっとね、これは小さい人が入っているんじゃなくって、遠くと通信しているんだよ。映像つきで」

 

「え? すごい!」

 

 キクコは世紀の発明だとでも言うように手を打った。ユキナリと博士は画面越しに顔を見合わせる。

 

「いや、僕らの持っているポケギアだって通話は出来るじゃないか」

 

「私のは出来ないから……」

 

 キクコがネックレス型のポケギアを取り出す。博士は、『そんな形が?』と意外そうだった。

 

「あれ、博士でも知らないんですか?」

 

『ポケギアは携行端末として腕につけるものだからねぇ。まさか首から提げているとは』

 

 流行かなぁ、と博士は続けた。恐らく流行ではないのだろう。

 

「何してるの?」

 

 その声に目を向けると回復を終えたナツキが腰に手をやって佇んでいた。ユキナリは、「定期通信」とパソコンを指差す。

 

「ああ、博士と」

 

 ナツキは歩み寄り、「どうも、博士」と会釈した。

 

『ああ、旅は順調かい?』

 

「……ええ、まぁ」

 

 ナツキにとってその質問は鬼門だろう。ポイントを当初から奪われ、さらにオツキミ山での経験もある。もしかしたら戦う事に一番拒否感があるのかもしれない。

 

 博士は見抜いているのかいないのか、『それはいい事だ』と頷いた。

 

『これからハナダジムへ?』

 

「ええ。遅れを取り戻さなくっちゃ」

 

 ナツキには特にその意識が強いのだろう。口調は自然と自分を追い込むものになっていた。そこまで肩肘張る必要はないのではとユキナリは感じたがもちろん口には出さない。

 

『では最大の健闘を祈るよ』

 

 その言葉を潮に博士との通話は切れた。ナツキはすぐさま身を翻す。既にハナダジムに挑む事を心に決めているようだった。

 

「ナツキ。待てって。そう急いでも」

 

「急がなくっちゃ、先に山越えした奴らに取られるわ」

 

「バッジは八つもあるんだ。ハナダジム攻略が全てじゃないよ」

 

 ユキナリの言葉にナツキは歩みを止め、振り返り様に張り手を見舞った。ユキナリは頬を押さえて後ずさる。

 

「何を……」

 

「あんたは既に勝っているから、そう余裕をこいていられるんでしょうけど、あたしには後がないのよ!」

 

 握り締められた拳にナツキの苦渋が滲み出ていた。勝たねば、という意識が雁字搦めにしている。ユキナリは頬を押さえる手を握り締めて、「勝つだけが、全てじゃないよ」と答えていた。ナツキがキッと睨みつける。

 

「何も、分からないくせに!」

 

 自分より後からトレーナーを目指した人間が先を行くのは屈辱だろう。しかし、ナツキの今は当初の自信も、自負も失っているように見えた。

 

「ナツキは強いよ」

 

 ユキナリの言葉に、「うるさい!」とナツキはポケモンセンターを出て行った。隣にいたキクコがハンカチを持ち出して頬に手をやってくれていた。

 

「顔、腫れているよ……」

 

「ありがとう」

 

 ハンカチを受け取りながらユキナリは顔を伏せる。どうすればいいのか。ナツキとの隔絶は埋められないのか。

 

「キクコ。一つだけ、いいかな」

 

 ユキナリの言葉にキクコは真っ直ぐに赤い瞳を向けた。

 

「頼みがあるんだ」

 

 



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第三十四話「ライバル」

 

 ハナダシティの街並みはお祭り騒ぎに近い。

 

 トキワシティを思い起こさせたが、その場所よりもずっと喧騒が支配していた。ナツキは肩を揺らして歩いていた。ユキナリが間違っていないのは分かっている。それでも、自分の弱さと向き合うのが何よりも怖い。

 

 ニビシティでの敗北とそれに立て続けのオツキミ山での恐怖がそれを際立たせている。

 

 ――二度も守られた。

 

 一緒の土台に立っているつもりだったユキナリに二度も。それはナツキの自身を喪失させるのには充分だった。ハナダシティの北側は開けており「ゴールデンボールブリッジ」と刻まれた橋がかかっている。その袂でナツキは座り込んだ。街の中心から少し離れると自分一人の空間に取り残された感覚だ。ポケモンリーグも何も関係ない。自分という弱者を持て余す。

 

「……ユキナリより、強いつもりだったのに」

 

 勉強もした。トレーナーとしての修行も積んだ。それなのに、どうして後からやってきたユキナリのほうが強いのだろう。オツキミ山とニビシティでの戦闘でユキナリは精神面でも成長しているのが分かった。もう、うじうじしていたマサラタウンのユキナリではない。一人の旅する少年だった。

 

「馬鹿だ、あたし……」

 

 両腕に顔を埋めていると、「馬鹿じゃないよ」と声がかかった。「ユキナリ?」と顔を上げると立っていたのは意外な人物だった。

 

「何の用、キクコちゃん」

 

 ついつい邪険に扱ってしまう。キクコは気に留めた様子もなく、「隣、いい?」と尋ねた。

 

「勝手にすれば」

 

 顔を背けるとキクコも座り込んだ。

 

「ユキナリに言われて来たの?」

 

 キクコは素直に頷く。恐らく嘘をつく事の出来ない性格なのだろう。

 

「あたしはついにあいつに心配させられる身分ってわけ」

 

 自嘲気味に呟くとキクコは、「ユキナリ君はね」と口を開いた。きっとユキナリがいかに自分を心配しているかが吐かれるのだろうと考えていたナツキの耳朶を打ったのは意外な言葉だった。

 

「ナツキさんにハナダジムを攻略して欲しいと思っている」

 

 ナツキはキクコへと顔を向けた。キクコは赤い瞳でナツキを見つめている。

 

「何を言って……」

 

「ユキナリ君はナツキさんとも競いたい。そう言っていたよ」

 

 他の人達と同じように、とキクコは付け加える。ユキナリが言う他の人達とはアデクやイブキなのだろう。ナツキは顔を伏せた。

 

「……そんな優勝候補の奴らと同じ目線で戦えって言われても」

 

「でも、戦い方を教えてくれたのはナツキさんだって、ユキナリ君は言ってた。ナツキさんがいなくっちゃ今の自分はいないって」

 

 ナツキは正直、戸惑っていた。ユキナリが自分を見下して憐れみをかけるでもなく、戦いたい競いたいと言ってくるとは。それはまだ自分にその資格があると言ってくれているのか。

 

「あたしは、まだユキナリのライバルでいいってわけ?」

 

 キクコは、「まだも何も」と少しだけ微笑んだ。

 

「後にも先にも絶対に負けられないライバルはナツキさんだって言っていたよ」

 

 その言葉にナツキは胸を打たれた気分だった。勝手に感傷に浸って、勝手に線引きをしていたのは自分のほうだった。ユキナリはまだ対等な相手として自分を扱ってくれている。それは戦うための原動力に思えた。

 

 フッと口元を緩め、「……嘗めた事言ってくれるじゃない」とナツキは立ち上がる。

 

「ハナダジム攻略なんて、あんたから言われなくってもやってやるわよ」

 

 うじうじしても仕方がない。ぶつかるのならば真正面からだ。ナツキの決意にキクコは、「よかった」と呟いた。

 

「よかったって?」

 

「ナツキさんは本当にユキナリ君が好きなんだね」

 

 その言葉に覚えず頬が紅潮した。ナツキは目線を逸らして、「そんな事……!」と否定しようとしたがキクコに一つだけ尋ねた。

 

「ねぇ、あんたはどうなの?」

 

 キクコは意味が分かっていないのか小首を傾げる。どうやらこちらの勝負はまだ対等ではないらしい、とナツキは息をついた。

 

 



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第三十五話「お転婆人魚」

 

 ユキナリは早速ハナダジムに向かおうとした。

 

 ハナダジムは街の中央にあり一際目を引いたのは人の多さだ。人垣が出来ており、まさかニビシティの再現か、とユキナリは身構えたが彼らが一様に整理券を持っているのを見つけてそうではないと分かった。

 

『現在、最後尾はここでーす』と見目麗しい水着姿の女性が看板と拡声器を手にしている。ユキナリが見惚れていると、「何見てんのよ」と背後から声が聞こえた。ナツキとキクコが揃って歩み寄ってくる。どうやらナツキの心を決める事が出来たようだ。

 

「よかった」

 

「何が? 水着姿の女の子が?」

 

 その舌鋒の鋭さも復活しておりユキナリは辟易した。ナツキは女性へと駆け寄って、「このジムに挑戦したいんですけど」と申し出た。

 

「ああ、なら整理券をどうぞー」

 

 笑いながら女性は番号の書かれた整理券を手渡す。ナツキは怪訝そうに、「整理券って」と尋ねた。

 

「何です?」

 

「ジムトレーナーは皆スタッフなんです。ここのジムリーダー、カスミさんは挑戦者全員と、一対一で戦うスタンスなんですよー」

 

 女性のにこやかな対応にナツキは整理券へと視線を落とした。ユキナリも歩み寄ると女性は、「挑戦者の方ですかー」と訊いた。ユキナリは、「いえ、僕は」と手で制する。

 

「受け取りなさい。ユキナリ」

 

 ナツキの声にユキナリは顔を向ける。ナツキは振り返り言い放った。

 

「あたしだけ挑戦するのはフェアじゃない」

 

 どうやらいつものナツキに戻ってくれたらしい。

 

「望むところだ」とユキナリも整理券を受け取った。女性は、「男性の方にはスペシャルなグッズもあるんですよー」と手渡した。ユキナリが受け取るとそれは水着姿の女性のピンナップだった。ぎょっとしているとナツキが、「やっぱり男って」と侮蔑の眼差しを向ける。キクコも少し引いているようだった。

 

「い、いやいや! 僕が欲しいって言ったわけじゃないし」

 

「でも受け取る辺り、そういう事よね」

 

 ユキナリは渡してくれた女性の手前捨てるわけにもいかずピンナップを眺めた。すると、ジムトレーナーらしき女性陣と彼女達に囲まれた一人の少女の姿があった。手には雫を思わせる水色のバッジがある。ユキナリはオレンジ色の髪をしたこの少女こそジムリーダーであると確信した。

 

「今度のジムリーダーは何のタイプか」

 

「水ですよー」と女性がにこやかに告げる。思わず返答に三人とも硬直した。

 

「水、って」

 

「カスミさんは、そういうのを隠すの嫌がるんです。だから挑戦者さんがお伺いになられたら答えなさいって」

 

 女性の言葉にユキナリは改めてピンナップを見やる。プールサイドに水タイプの使い手。となれば相手のホームグラウンドである事に変わりはない。

 

「ナツキ。ここも」

 

「ええ。ニビシティと同じく。やっぱりジムリーダー戦は相手に圧倒的有利な場所での戦闘という事になりそうね」

 

 ジムから肩を落とした人々が連れ立って外に出て行く。恐らくは敗北したのだろう。ジムリーダーとの戦闘はそう何度も出来るものではない。己の残りポイントと相談し、退却したほうが賢明な場合もある。ジムリーダー、ジムトレーナーも同じ権利を有しているのならばこのポケモンリーグはただの一方的な勝負でない事の証明だ。

 

「あの人達、どうするのかな」

 

 ユキナリの声があまりにも弱々しかったからだろう。「知った事じゃないわ」とナツキは強気に言ってのけた。

 

「勝つか負けるか。勝負の世界はいつだって非情よ」

 

 結果を出した者の勝ちなのだ。それまでの過程がいくら優れていようと勝負の世界ではそれが絶対的である。

 

 誘導されながらジムの前に辿り着く前に正午を回ってしまった。するとジムトレーナーである女性達が並んでいる人々に弁当を手渡し始めた。美人達の弁当にすっかり骨抜きにされた男性陣を横目にナツキもちゃっかり弁当を受け取る。

 

「なかなか良心的ね」

 

「そうだね」

 

 ユキナリはカツサンド三個詰め合わせの弁当を見下ろした。験を担ごうと言うのだろうか。

 

「どんな挑戦者でもどんと来いってわけ。面白いじゃない」

 

 ナツキはカツサンドを豪快に頬張った。ユキナリも食べているとキクコはカツサンドを見下ろしたまま動こうとしないのを発見した。

 

「どうかした?」

 

「肉、嫌いなの」

 

「じゃあ、あたしがもらうわ」

 

 ナツキがその手からカツサンドを引っ手繰る。「太るよ」とユキナリが忠告すると、「馬鹿」と声が返ってきた。

 

「ではサラダサンドをどうぞー」

 

 女性のジムトレーナーが気を利かせてサラダサンドを持ってきてくれた。キクコはそれを頬張る。「どう?」とユキナリが訊くと、「おいしい。でも」とキクコがユキナリに視線を向ける。

 

「昨日もらったスープのほうが」

 

「ああ、あれ? レトルトだよ」

 

 自然食品を使っている分、こちらのほうがおいしいはずだ。ユキナリがそう思っていると、「あたたかかった」とキクコは呟いた。

 

 それを問い質す前に、ナツキの番号の十番前の整理券の番号が呼ばれた。ジムに下駄の音を響かせて入っていく影に、ユキナリは声を上げる。

 

「アデクさん!」

 

 その声に振り返った赤い髪の青年は、「なんじゃ、来てたのか」と足を止めた。

 

「じゃがのう。ジムバッジはオレのもんじゃ。今回ばっかりは勝ったのう!」

 

 アデクは自信満々にジムへと入っていく。ユキナリは女性へと尋ねた。

 

「観戦は出来ますか?」

 

「挑戦者の方ならば」と女性は微笑んで対応した。実際、優勝候補アデクの戦いを見ておきたい人々が多かったのだろう。ぞろぞろと人垣がジムへと入っていった。

 

 ジム内は開放感溢れるガラス張りだった。天井から太陽光が降り注ぐ。プールサイドになっており、ちょうどバトルフィールドは五十メートルプールを挟んで対岸に位置していた。

 

「ようこそ、チャレンジャー!」

 

 そう声を張り上げたのはオレンジ色の髪を結い上げた少女だった。水色のセパレート水着を纏っており、ピンナップの少女と一致した。

 

「わたしの名前はカスミ! チャレンジャー、名乗りなさい!」

 

 どうやら相当声が通るらしい。あるいはジムの構造上か。五十メートル向こうからでも充分聞こえる声に応じたのはこちらも大声だった。

 

「オレの名はアデク! イッシュのアデクじゃ!」

 

 高らかに名乗った声にカスミは、「そう」と不敵に笑う。

 

「なかなかに自信がおありのようだけれど、わたしに勝てると思っているの?」

 

「勝つ! 勝たんと前に進めんからのう!」

 

 どちらも一歩も退かぬ言葉の応酬に、「口ではどうともで言えるわ」と最初にボールを出したのはカスミのほうだった。

 

「でも勝つのはわたし。行け! マイスタディ!」

 

 モンスターボールから放たれた星型の光が回転し、水飛沫を上げてプールに降り立った。それは紫色の星型をしたポケモンだった。前後に同じような形状をしており、後部の星型がプロペラの役割を果たしている。前部には赤い中心核があった。それが虹色の光を灯し、戦意を漲らせる。

 

「おてんば人魚カスミ。その手持ちはスターミー」

 

 スターミーと呼ばれたポケモンは気高く鳴いた。アデクはボールを取り出し、「水タイプか」と声に出す。そういえばアデクのメラルバは炎・虫タイプ。この状況では不利ではないか、とユキナリは感じたがそれを杞憂だと言うようにアデクの声は吹き飛ばす。

 

「いけ! メラルバ!」

 

 放たれたメラルバはやはりプールサイドに降り立った。水に入ろうとはしない。カスミは、「見た事のないポケモンだけれど」と髪を払った。

 

「スターミーには勝てないわ」

 

「やってみんと分からん!」

 

「どうかしら。スターミー、ハイドロポンプ!」

 

 スターミーが後部の星型を激しく動かし、水を掻き上げたかと思うとそれらが中空で渦をなし、砲弾となってメラルバに襲いかかった。メラルバはアデクの指示を待つまでもなく回避したが、先ほどまでいたプールサイドに穴が穿たれている。それ相応の威力である事は疑いようがない。

 

「よく避けたわね! でもプールサイドで戦えるほど甘くはないわ!」

 

 矢継ぎ早に「ハイドロポンプ」が連射される。メラルバはプールサイドを走った。しかし、そこで不意によろける。カスミがしてやったりと笑みを浮かべた。

 

「プールサイドは走らない! これ、常識よ」

 

 一瞬のバランスを崩した隙をつき「ハイドロポンプ」が突きつけられる。メラルバは最早、回避だけの戦いを出来るほどの余裕はなかった。

 

「メラルバ! 浮きに飛び乗れい!」

 

 アデクの指示にメラルバは横っ飛びをしてプールに浮かぶ直径十センチにも満たない浮きを足場にした。あまりに危うい足場だ、とユキナリが感じた時にはメラルバは駆け出していた。

 

「一気に接近する!」

 

 メラルバは浮きを足がかりにしてスターミーへと距離を詰めるつもりだ。しかし、スターミーはそれを許すほど甘くはない。青い光が水面を走り、メラルバを囲うように水の手が浮き上がった。

 

「サイコキネシス!」

 

「そんな大きな得物――」

 

 水の手が紫色の波動を持つ刃となり、メラルバを両断せんと迫るがメラルバは浮きを蹴って跳躍したかと思うと水の手をさらに足場に使った。

 

「当たらんよ!」

 

「サイコキネシスの手を回避するとは」

 

 やるじゃない、とカスミも勝負に乗ってきたようだ。メラルバは空中でスターミーを射程に捉えた。

 

「メラルバ! ニトロチャージ!」

 

 メラルバの炎の触手が内側から発光し、次の瞬間、その全身が燃え上がった。メラルバの推進力となってスターミーへと特攻する。

 

「水タイプに炎とは。ちょっとばかし粗野なんじゃない?」

 

 スターミーは後部の星型を回転させ、再び「ハイドロポンプ」を構築しようとするがそれよりもメラルバの特攻のほうが速い。瞬時に空間を跳び越えたとしか思えない速度でメラルバはスターミーの至近に入った。

 

「懐に入れば!」

 

「こっちのもの、だと思った? スターミーの射程でもある事を忘れないで! 冷凍ビーム!」

 

 スターミーが頂点の先端をメラルバへと向ける。水色の光が瞬時に集束、一条の光線が放たれた。メラルバは直撃を受けて後退する。

 

「でも氷の技じゃ、メラルバは」

 

 倒せない、とユキナリは感じたが、「いえ」とナツキが冷静に返した。

 

「あの技はメラルバを遠ざけるためにある。元々、スターミーは特殊依存型。物理技をぶつける事はない。メラルバは炎も含んでいる。ならば、このプールという空間そのものが」

 

 そこでユキナリもハッとする。後退したメラルバに退路はなかった。背後は既に弱点属性である水だ。

 

「アデクさん!」

 

「やるかいのう! 火炎車!」

 

 メラルバは身体を丸め、内側から業火を放った。放たれた炎は次々とメラルバの身体に点火していき、メラルバは回転する炎を身に纏う。水に触れた瞬間、蒸発したかに思われたがメラルバは消火を上回る速度で再びスターミーへと直進した。

 

「火炎車で水の上を走っている……」

 

 にわかには信じられなかったが、「可能よ」とナツキが応じた。

 

「ニトロチャージで素早さを上げ、火炎車を全身に展開する事によって部分的にダメージを食らう事を防いでいる」

 

 ナツキの冷静さにユキナリは舌を巻いていた。ここまでバトルを冷静に見る事が自分に出来るだろうか。少なくともこれから戦いを控える者にとってはこの戦いはどう立ち振る舞うかの契機になる。あるいはアデクがバッジを手にしてしまうのか。

 

「水による消火を上回る速度での猪突。申し分ない、という褒め言葉を送っておくわ」

 

「お褒めに預かり光栄じゃが、そう悠々とお喋りというわけにもいかん。メラルバとて限界ギリギリで戦っとる。メラルバ、虫食い!」

 

 メラルバが「かえんぐるま」の展開を解き、一瞬の隙をついてスターミーへと噛み付いた。メラルバの口元から侵食した攻撃がスターミーの強固な表皮を溶かす。どうやら消化液による攻撃を行っているようだった。

 

「虫タイプの技は効果抜群のようじゃのう!」

 

「その通りよ。スターミーにはエスパーもついているからね。でもそんな近くに来て、無事で済むと思っているの?」

 

 一瞬だけ後退の気配を見せたスターミーは後部の星型を回転させ、プール内を駆け抜けた。メラルバは離脱も儘ならずスターミーにしがみついたまま水を浴び続ける。

 

「水による侵食ダメージ。それと、これはお返しよっ!」

 

 スターミーはあろう事かメラルバに噛み付かれたままプールサイドへと相手を叩きつけた。衝撃で粉塵が舞い散る。アデクは思わず身構え、次いで攻防を確認した。

 

「メラルバは?」

 

 粉塵を引き裂いて現れたのはスターミーだ。メラルバは水面に逆さになって浮いていた。

 

「勝負あり、ね」

 

 カスミの言葉に、「参ったのう」とアデクは頬を掻いてからメラルバをボールに戻した。

 

「アデクさんが、負けた……?」

 

 ユキナリには信じられなかった。優勝候補がこうも簡単に陥落させられるとは。相性が悪かったとはいえアデクの実力ならば勝てるとどこかで思っていた。アデクはポケギアを突き出し、ポイントを払う。敗者はポイントを奪われる。まさかその光景をアデクが関わるとは思ってもみなかった。

 

「いやはや、カッコ悪いところを見せたな!」

 

 それでもアデクは明朗快活と言った様子でユキナリ達へと歩み寄ってきた。プールの観覧席に座り込み、「今度はお前さんの戦いを見せてくれ」と既に決した勝負には興味のない様子だ。

 

「再挑戦も出来るけれど?」

 

「いんや、オレはもういい。一度戦えば分かる。どういう手順を踏んでも、この場所じゃ負ける」

 

 アデクは顎をさすりながら答えた。アデクほどに実力者が判断したのならそうなのだろう。何よりも自分の実力を客観視している証拠だった。

 

「じゃあ次の挑戦者を求めるわ」

 

 ジムトレーナー達がスターミーへと回復薬を振りかけている。続け様の戦闘とはいえ相手は万全。勝てるのか、という不安が脳裏を過ぎる。一人、また一人と挑戦者は去っていった。誰もが優勝候補の敗北に恐れを成したのだろう。

 

「意気地のない奴らじゃのう」

 

 アデクは自分の事でないかのように振る舞う。

 

「さぁ、誰も挑戦しないのかしら?」

 

 カスミの声にユキナリが踏み出そうとすると前に出た人影があった。ナツキだ。

 

「あたしのほうが整理券は前のはずよ」

 

 ナツキの強気な声にユキナリは気圧されたがすぐにこれが勝てる勝負でない事を悟った。ユキナリは、「でもアデクさんが」と声を澱ませる。

 

「なに? あたしじゃ勝てないって言うの?」

 

 そうは言っていないつもりだったが、自分の口調は自然とそうなっていたのだろう。アデクは顎をしゃくって、「挑戦者は自由!」と今しがた負けた事を全く悔いてないような声を出した。

 

「何よりも全員がライバル! 誰にだって挑戦権はあっていい!」

 

 アデクのさばさばした性格にユキナリは自分の中にあった懸念を消し去ろうと思った。

 

 ――ナツキとてトレーナーだ。

 

 何よりも自分と二ヶ月間、鎬を削った仲である。自分にだけ挑戦権があると考えるのはおこがましかった。

 

「分かった」

 

 ユキナリの静かな了承にナツキは、「力を出し切ってくるわ」と応じて手を振った。

 

「挑戦者はあなた、でいいのかしら?」

 

 五十メートルプールの対岸でカスミが仁王立ちしている。スターミーは既に回復処置がなされて万全であった。プールの浮きも取り替えられ、アデクのメラルバが衝突した縁以外はほぼ完全である。

 

 ナツキはホルスターからボールを抜き放ち、挨拶をする。

 

「マサラタウンのナツキです」

 

 カスミは応ずるように手を掲げた。

 

「ハナダジムのカスミ。エースはスターミー」

 

 既に場に出ているスターミーが呼応して後部の星型を回転させた。ユキナリは固唾を呑んで見守るしかなかった。

 

「いい眼をしとる。トレーナーの眼じゃな」

 

 隣に座っていたアデクがナツキを評する。ユキナリは、「幼馴染なんです」と答えた。

 

「心配か?」とアデクが目配せする。ユキナリは、「少し」と頷いた。

 

「だがこの勝負。分からんぞ」

 

 アデクは展開されようとしている勝負に胸を高鳴らせている様子だ。ユキナリも血液が熱を持って身体を循環するのが分かった。

 

 ナツキがマイナスドライバーでモンスターボール上部のボタンを緩め、プールサイドへと投擲した。

 

「いけ! ストライク!」

 

 躍り出たストライクが両腕の鎌を交差させて威嚇する。カスミは、「また虫、か」と少しだけ気落ちした様子だった。

 

「虫は嫌いなんだけれど、勝負は勝負。全力で戦わせてもらうわ」

 

 その言葉にナツキは短く、「来い!」と声を放った。

 

 今、ハナダジムにて戦いの火蓋が切って落とされた。激戦の予感にユキナリは唾を飲み下した。

 

第三章 了

 



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傷痕の章
第三十六話「水飛沫、散る」


 

 ストライクが鎌を交差させ、翅を震わせる。

 

 威嚇のサインだ。対してカスミのスターミーはその場から動こうともしない。絶対防衛圏である自らの領域を動く必要はないのだ。ストライクは否が応でもプールに入らねばならない。両手の鎌は接近戦が得意だと暗に告げている。

 

 比してスターミーは先ほどの戦闘から接近にこだわる必要は全くない事が窺えた。ユキナリには分の悪い戦いに映る。ナツキは意固地になっているようにも見えるし、カスミは落ち着き払っている。この勝負、ストライクが不利なのは同じだ。

 

「この勝負、どう見る?」

 

 アデクの質問にユキナリは、「難しいと思います」と素直に返した。

 

「スターミーの技構成は先ほどの戦闘を鑑みるにフルアタック構成。ストライクがつけ入るような隙があるとは思えない」

 

 ユキナリの評にアデクは、「ふむ」と一呼吸置いて顎をさすった。その挙動に思うところがあったのか、「何ですか」と不満の声を漏らす。

 

「いや、お前さんはマサラタウンから旅立った仲間を信じんのかと思ってな」

 

 アデクの痛いところをつく言葉にユキナリは俯いた。

 

「信じたいですよ。でも勝敗は残酷だ」

 

 何よりも無慈悲に、力の在りようを伝える。そこに感情の介入する余地などないのだ。アデクは、「だが、連れはストライクに諦めているわけではないぞ」と答えた。

 

 ユキナリはナツキの横顔を見やる。ナツキはどこまでもストライクを信じ込んでいるように真っ直ぐな視線を投げている。カスミが腕を掲げ、「チャレンジャー! 準備はいい?」と尋ねた。

「いつでも」とナツキが答える。

 

 ユキナリが唾を飲み下す前に、「こちらから行くわ」とカスミが声を張り上げた。スターミーが頂点に水色の光を集束させる。五十メートル先からでも減衰しない光の帯がストライクに向けて放たれた。冷凍ビームの初発を、ストライクは跳躍して回避する。

 

 ナツキが事前に示し合わせていたのか、ストライクの動きは迅速だった。跳躍からの翅の振動による前身。ストライクは虫・飛行タイプ。少しの間だけだが飛行が出来る。ストライクはスターミーへと空中からの奇襲を仕掛けようとしていた。ナツキの声が響き渡る。

 

「真空破!」

 

 ストライクが空気を鎌に纏いつかせ、内側にひねった勢いで収縮した空気の弾丸を撃ち放つ。スターミーへと直進した空気の弾丸は命中する前に後部の星型が巻き上げた水の壁によって阻まれる。

 

 しかしストライクの真の目的は「しんくうは」の直撃ではない。

 

「捉えた」

 

 ナツキの声にカスミはハッとしたように視線を向ける。ストライクの鎌が水のベールの向こう側に存在した。「しんくうは」は物理攻撃であり、先制を約束する技だ。ストライクはそれを発する事によって真空の膜の中に自らを浸し、一気に接近したのである。ナツキの得意とする戦法だ。最初の「しんくうは」は初めから接近の契機を作るための囮だった。ストライクが鎌を振り翳し、スターミーへと攻撃を見舞おうとする。

 

「連続斬り!」

 

 ストライクの鎌が緑色の残像を帯びる。スターミーへと斜に放たれようとした一撃はしかし届く事はなかった。一瞬にして巻き上がった水が凝固し、ストライクの鎌を止めたのである。

 

「スターミー、冷凍ビームが放てるのは、何も星型の頂点だけではない」

 

 ナツキは目を向ける。ユキナリもそれに気づいていた。スターミーは後部の星型で水を巻き上げるのと同時に二番目の頂点から冷凍ビームを発射し、水を凍結させ氷の壁を作り出した。ストライクの鎌の表面が赤らむ。凍傷だ、とナツキも勘付いたのだろう。

 

「離脱を!」

 

 ナツキの叫びにストライクは足で氷の壁を蹴りつけた。直後に冷凍ビームの一閃が縫うようにストライクが先ほどまでいた空間を奔る。氷の壁はバラバラに砕け、それと同時に氷柱が幾重にも構築させられた。空気中に形成された氷柱が水に落ちる。ストライクは先ほどのメラルバと同じように浮きを蹴って足場にする。僅か数十センチの浮きの周囲は相手の武器となる水ばかり。圧倒的不利に立たされているのには変わりはない。ナツキはストライクに命じる。

 

「電光石火で走り抜けろ!」

 

 ストライクが翅を推進剤のように用い、空間に残像を僅かに刻みながら瞬時にスターミーの前に出る。やはり接近か、とユキナリは歯噛みした。

 

「ストライクには接近するしか道がないんでしょうか」

 

「じゃのう。ストライクの武器はあの鎌。虫タイプだから弱点が突けるが、スターミーは中から遠距離型の技構築。加えてフィールドがこれでは分が悪い」

 

 しかし、ナツキがただしゃにむに攻撃だけを続けるはずがない。何か策があるはずだと信じたいがストライクの接近にスターミーもカスミも動揺する気配はない。むしろ予定調和とでも言うように手を振るって技を命じた。

 

「ハイドロポンプ!」

 

 しかし、その攻撃動作よりもストライクの接近攻撃のほうが速い。僅かに勝算はあるか、とユキナリが感じた瞬間、水の砲弾はあろう事かスターミーそのものへと放たれた。ハイドロポンプの威力がプールの水を押し上げ、ストライクの接近攻撃を阻んだ。そう易々と攻撃しないのは水そのものがスターミーの武器だとナツキも知っているからだ。スターミーはハイドロポンプの予備動作の遅さを自らに振り掛けるという荒業で制した。舞い散った水飛沫がストライクにかかる。カスミが腕を振り上げた。

 

「冷凍ビーム!」

 

 スターミーが足に用いている頂点から冷気を放ち、水飛沫を次々と凍らせていく。小さな氷柱針となってそれらが一斉にストライクへと襲いかかった。ストライクは鎌で弾こうとするが氷の技は効果抜群である。

 

「ただ単に冷凍ビームを放つだけが芸じゃないわ。こうやって、フィールドと状況を最大限に活かす。それがジムリーダーよ!」

 

 カスミの言葉にナツキはストライクに退去を命じた。

 

「ストライク、一旦距離を取って――」

 

「させないわ。絡め取る!」

 

 後部の星型が水を巻き上げ、瞬時にプール内の水の量が変わっていく。スターミーの足元の水が圧縮され、次の瞬間スターミーが持ち上がった。さらに冷凍ビームが放たれ、スターミーは仮初めの足場を形成する。瞬く間に円柱型の氷が完成し、スターミーはストライクの上を取った。

 

「上を取られればもう奇襲は通用しない! スターミー、冷凍ビーム!」

 

 スターミーが固定砲台のように冷凍ビームを連射する。ナツキは必死に声をかけた。

 

「ストライク、浮きを蹴って回避を!」

 

 ストライクが浮きを蹴って翻弄しようとするがスターミーの冷凍ビームが無情にも襲いかかる。一瞬にして水面が凍りつき、ストライクの足を絡め取ろうとする。

 

「ストライクの機動力が活きていない……!」

 

 ユキナリの声にアデクも頷いた。

 

「やはり周囲が水面ではストライクといえども不利なのには変わりないのか」

 

 冷凍ビームが一射され、プールには流氷が浮かんだ。カスミが鼻を鳴らす。

 

「足場を増やす結果になったわね」

 

 流氷によるダメージを恐れないのならば確かにそうだろう。しかしストライクは氷が弱点だ。自ら体力を減らしにいくような真似をすればただでさえ耐久で劣るこの戦いでは余計に不利となる。

 

 ユキナリはナツキが白旗を上げると思っていた。この状況、明らかに出直したほうがいい。今のスターミーの城壁のような守りを陥落させるのには骨が折れるだろう。ストライクの特性がテクニシャンだとは言え、あまりにも火力不足だ。アデクでさえ負けたのだ。ここで退く事は何ら恥ではない。

 

 ナツキはしかし、そのような素振りは見せなかった。それどころかストライクへと、「攻撃の準備は、出来ているわね?」と了承を迫った。ユキナリは覚えず声を上げる。

 

「無茶だ! ナツキ!」

 

 周囲は流氷と水で囲まれている。流氷を足がかりにしてスターミーへと至ろうとすれば余計なダメージを負い、浮きだけを頼りに戦えばスターミーの精密な狙撃を食らう結果になる。どう考えてもストライクに勝つ見込みはない。

 

「……ユキナリ。あんたなら、ここで諦めるの?」

 

 問われた言葉に一瞬戸惑った。ナツキはユキナリへと視線を向ける。その眼はまっすぐな光を宿している。

 

「あんたは、ニビシティでも、オツキミ山でも決して逃げなかった。マサラタウンにいた時、あれだけ逃げていたあんたが、もう逃げないと誓った。それがどれほど勇気のいる事なのか、あたしには分かる。だから、あたしも逃げない。最後まで戦わせて」

 

 ユキナリはそこでようやく気づいた。ナツキは意固地になっているわけではない。ユキナリに救われた自分がただ守られるだけの対象ではない事を証明したいのだ。守られるだけでは肩を並べて旅する事など出来ない。ナツキはこのジム戦を経て、自分が一人のトレーナーである事を何よりも雄弁に語るつもりである。

 

「お前さん、いつの間にか連れを守る気でいたじゃろ」

 

 アデクが呟く。ユキナリが目を向けるとアデクは腕を組んだまま、「男ならそうじゃ」と続けた。

 

「女子供を守る。そりゃ、正しい。だがな、女子供にもまた、プライドがある事を忘れちゃならん。彼らがただ守られる事をよしとしないのならば、その背中を押す事もまた、男には必要な事じゃて」

 

 アデクが微笑みかける。ユキナリはぐっと拳を握り締めた。いつの間にか勘違いをしていたらしい。あるいは驕りか。ユキナリは改めて一緒に旅をすると誓った事を思い出して声を張り上げた。

 

「ナツキ! 勝ってくれ!」

 

 その声にナツキはサムズアップを寄越す。正々堂々とナツキは勝負をするつもりだ。



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第三十七話「戦士の考え」

 

 

 それでこそナツキだと誇らしく思うと同時に、しかしどうやって、と目の前の現実に戸惑いもあった。

 

 如何にしてスターミーの鉄壁の守りを崩し、その身体に攻撃を叩き込むのか。その方法が全く思い浮かばない。オノンドならば力押しでスターミーの防御を崩せるだろうかと考えるが周囲が全て武器となる水では難しいだろう。それにドラゴンタイプであるオノンドには氷技は厳しい。ストライクもそれは同じである。冷凍ビームを一撃でもまともに食らえばそれは決定的な一打となるだろう。勝率は限りなく低い。だがナツキが諦めていないのはその背中を見れば明らかだった。ストライクを使って何らかの勝算があるのだろうか。

 

「ストライク」

 

 ナツキの声にストライクが目を向ける。勝負を捨てていない瞳をストライクに向け、「恐れないで」と呼びかけた。

 

「あたしはあんたのトレーナー。あんたを勝たせるためにあたしはいる。だから」

 

 そこから先は不要だと感じたのだろう。ストライクは強く鳴き声を上げた。ナツキは柔らかい笑みを吹き消し、ストライクに命じた。

 

「流氷を最大限に利用する。ストライク!」

 

 ストライクは浮きの足場からあろう事か流氷へと飛び乗った。思わずユキナリは立ち上がる。

 

「無茶だ! ストライクは――」

 

「氷は弱点。でも!」

 

 ナツキの声にストライクの姿が掻き消えた。どこへ、と探す前にストライクは次の流氷へと飛び乗っている。しかしそれも一瞬。ストライクは流氷を蹴って着実にスターミーへと接近していた。

 

「電光石火……」

 

 ユキナリは呟く。ストライクは「でんこうせっか」を使い、接地面積を最小限に抑え、流氷を蹴ってスターミーへと接近戦を挑もうとしていた。

 

「なるほどね。確かに最も有効な手段だわ。でもスターミーに対してはそんな付け焼刃!」

 

 スターミーが流氷に向けて冷凍ビームを放つ。ストライクは撃ち抜いた冷凍ビームを間一髪でかわす。まさしく髪の毛一本ほどの攻防だった。流氷から氷柱が形成される。ナツキは手を振り翳す。

 

「ストライク! 氷柱を足場に跳躍!」

 

 ストライクは氷柱へと飛び乗った。氷柱はそのままスターミーへと通じている。スターミーへの最短距離を考えれば自然と導き出される戦法だった。

 

「でも、それは」

 

「相手も予期していないわけではない、じゃのう」

 

 ユキナリの懸念をアデクの言葉が引き継ぐ。それを裏付けるようにスターミーは冷凍ビームの照準を氷柱から登ってくるストライクへと向けた。

 

「飛んで火にいる夏の虫ってね! それはスターミーの射程よ! 冷凍ビーム!」

 

 一射された冷凍ビームは寸分の狂いもなくストライクへと突き刺さった。ストライクが肩口から凍りつく。よろけたストライクが倒れゆくビジョンが網膜に焼きついた。

 

「勝った!」

 

 カスミの声にナツキは、「いえ」と返す。その直後、ストライクの姿が掻き消える。全身を凍結の勢いに呑まれたストライクの姿が大写しになるはずだったが、そのストライクそのものが消えたのである。驚愕したのはユキナリだけではない。カスミもであった。

 

「消えた……?」

 

「いいや。最初からそれはストライクじゃない」

 

 アデクが深い笑みを刻む。目を凝らすとストライクは依然、氷柱を登っていた。カスミが狼狽する。

 

「馬鹿な、冷凍ビームが突き刺さって――」

 

「影分身。あんたみたいな実力者には真正面から見せても見抜かれると思った。だからこそ、この状況を作り出した」

 

 その言葉にカスミはハッとして周囲を見やる。冷凍ビームによって生じた巨大な円柱、それを取り囲む流氷。視野は極限まで狭められ、カスミが見ているのは円柱越しのストライクだ。当然、正確無比な狙撃を行っていると思い込んでいた。だがその実は冷凍ビームの乱射によって氷のフィールドを作り出す事により、影分身に成り代わっている事を見抜けなかった。

 

「わたしの、戦法が裏目に出た……」

 

 カスミの声を他所にストライクの脚が膨れ上がり、鎌を振り上げて跳躍した。その先にはスターミーの姿がある。カスミは手を振り翳す。

 

「スターミー! 冷凍ビーム!」

 

 頂点から水色の光線を集束させて発射しようとする前に鎌から放たれた空気の弾丸がスターミーを打ち据えた。あまりの速さに避ける事も叶わず、スターミーがよろめく。

 

「真空破……」

 

「そう。これでこの距離は――」

 

 ストライクが「しんくうは」の余波を用いてスターミーへと肉迫する。スターミーは咄嗟の防御も取れず眼前のストライクに対して無力だった。

 

「ストライクの距離! ストライク、連続斬り!」

 

 ストライクの鎌が緑色の光を帯びてスターミーへと突き刺さる。スターミーは振りかけられた刃の鋭さに怯んだ。

 

「もう一発!」

 

 返す刀で振るわれた攻撃がスターミーを打ち据える。スターミーは後部の星型を回転させて逃れようとしたが、ストライクの「れんぞくぎり」の応酬のほうが速い。瞬く間に間断のない攻撃の嵐にスターミーは巻き込まれた。傾いだ身体へとさらに一撃、さらに一撃と攻撃が続きスターミーは防御すら出来ない。水から離れた事が災いした。氷の円柱を作り、狙撃姿勢を取った事が裏目に出たのである。ストライクが鎌を大きく振りかぶる。スターミーは最後の逃れるチャンスだったが、既に反撃の体力は残っていなかった。ストライクの振り下ろした一撃がスターミーの身体へと打ち下ろされる。コアに亀裂が走り、スターミーは投げ出された。プールへとぽちゃんと落ちる。ストライクは円柱を蹴りつけ、浮きへと背中を向けて着地した。

 

 振り返り攻撃姿勢を取る。ユキナリは固唾を呑んで見守った。ナツキはまだ戦闘の余韻が離れないのか身構えている。浮き上がったスターミーは力なく項垂れていた。カスミがフッと微笑む。

 

「負けね」

 

 スターミーをボールに戻し、カスミは肩を竦めた。スターミーがいなくなったのを契機としたように流氷や氷の円柱が崩れていく。ストライクとナツキはその様子をぼんやりと眺めていた。

 

「勝利者の証、ブルーバッジを」

 

 カスミはピアスのようにつけていた雫の形をしたバッジを差し出した。ナツキは呆然としており、戦闘が終わった事を自覚出来ていないようだ。

 

「大丈夫?」とカスミが声をかけてようやくハッと気がついたようだった。

 

「あなた、勝ったのよ」

 

「勝った……。あたしが……」

 

 ユキナリは早速観客席からナツキへと駆け寄ろうとする。アデクが拍手を送った。

 

「お見事」

 

「やったな! ナツキ!」

 

 それぞれの声を受けてもまだ信じられないのかナツキは頬をつねった。

 

「あ、痛い……」

 

「現実よ。はい、ブルーバッジ」

 

 カスミがナツキの手に握らせる。ナツキの手は少しばかり震えていた。

 

「どうしたの?」

 

 怪訝そうに尋ねるカスミへとナツキは、「あ、あの……」と声を発する。

 

「本当にもらっていいんでしょうか?」

 

 その疑問にカスミは吹き出した。

 

「当たり前じゃない。だってあなたは勝ったのよ」

 

「勝った……」

 

 ストライクへと目をやり、ようやく勝った事を認識したのか、「あ、戻ってストライク」とボールに戻した。

 

「慢心ね。どんな相手が来ても勝てるつもりでいたけれど」

 

 カスミの声にナツキはぼんやりと受け答えする。

 

「これが、ブルーバッジ……」

 

 光に翳してバッジを眺めるナツキへとカスミが声をかけた。

 

「ブルーバッジはシンボルポイントになる。持っているだけで6000点を約束するわ。それと勝利者にはポイントをあげないと」

 

 ポケギアを突き出し、ナツキはポイントを受け取った。「こんなにたくさん」とナツキはうろたえる。

 

「いいんですか?」

 

「いいも何も、勝ったんだから」

 

 カスミは肩を竦めるがナツキはポケギアを眺めてポイントを確認する。

 

「10000ポイント……」

 

「やったな」

 

 ユキナリの声にナツキはようやく我に帰ったのか、「あ、当たり前でしょ」と腕を組んだ。ただし声は上ずっている。

 

「さーて、わたしはこれでお役御免ね。ようやく他のトレーナーと同じ権利を有するわけだ」

 

 カスミは両腕を上げて伸びをする。ユキナリは、「ジムリーダーも、僕らと同じように旅が出来るんですよね?」と尋ねていた。

 

「まぁね。あなた達に比べると遅くなるけれど。その分、所持ポイントは高い」

 

「じゃあ、タケシさんに会ったら、よろしく伝えてください」

 

 ニビシティで下したタケシの事を思い出し発した言葉にカスミは、「ああ、ニビの」と応じた。

 

「分かったわ。また伝えておく」

 

 カスミはタオルをジムトレーナーから受け取りながら、「いやぁ、いい勝負だった」と感想を漏らした。

 

「じゃあね、マサラタウンのナツキさん。それに彼氏にもよろしくね」

 

 気安く放たれた声にいい人だ、とユキナリは感じたがナツキは急にいきり立って、「か、彼氏じゃないですよ!」と声を荒らげた。

 

「そうなの? でも一緒に旅しているみたいだし」

 

「腐れ縁です、腐れ縁。幼馴染なだけだし……」

 

「そう。でも……」

 

 カスミはキクコへと視線を流す。ナツキへと歩み寄り、「取られちゃってから気づいても知らないぞ」と呟いた。ユキナリには意味が分からなかったが、ナツキは顔を赤くした。

 

「な、な……」

 

「冗談。まぁ、頑張ってねー」

 

 カスミの言葉にナツキは少なからず衝撃を受けたようだ。飄々と手を振って去っていくカスミの背中を見送りながらユキナリは尋ねる。

 

「どういう事?」

 

「うっさいわね! 何でもない!」

 

 ナツキは顔を背けてしまった。ユキナリが疑問符を浮かべていると、「ああ、そうそう」とカスミは振り返る。

 

「勝利ついでにちょっとお使い頼まれてくれる?」

 

「お使い?」

 

 カスミは歩み寄ってジムトレーナーから手紙を受け取る。それをユキナリに差し出した。

 

「明日でいいから、ハナダシティの北方にいるマサキさんに届けて欲しいの」

 

「マサキさん? 誰なんです?」

 

「ポケモンの学者さんよ。あたしが懇意にしてもらっている学者先生と知り合いでね。その先生が次の学会でぜひマサキさんを招待したいって言っているから、それに関する通知が入っているわ。まぁあの人は断らないでしょう」

 

 ユキナリは便箋サイズの手紙を裏返しながらカスミのサインが書かれている事に気づいた。

 

「でも、僕らそういうのには疎いですよ? カスミさんが自分で行ったほうが」

 

「これでもジムリーダーなものでね。一応、負けた後の手続きみたいなのをしないといけない。多分、二三日は忙しくって動けないから頼んでいるの。その間にマサキさんはジョウトに帰るかもしれないし、今なら別荘にいる事を知っているからね」

 

 ユキナリは手紙に視線を落としながら、「分かりました」と頷いた。

 

「マサキさんに渡せばいいんですよね?」

 

「ええ、頼むわ」

 

 カスミは手を振って離れていく。ユキナリ達がジムを後にしようとすると、「もう一つ」とカスミは声をかけた。肩越しの視線をやって、「次は負けない」と強気な発言が飛び出した。ユキナリが固まっているとナツキが踏み出し、「いい勝負、ありがとうございました!」と頭を下げた。カスミは、「それもジムリーダーの仕事だからねー」と軽い様子で返す。

 

 ジムを出るとポイントの確認を行った。アデクは相当溜め込んでいるため余裕があった。ナツキも今の戦いで10000ポイントの大台に乗った。キクコは何ポイント持っているのか分からないがこの中で一番低いのは自分と見て間違いなかった。

 

「アデクさん。せっかく山越えしたんだし、今日は語り合いませんか?」

 

 宿泊施設を示しユキナリが提案すると、「おお、いいが……」とアデクはナツキ達に了承の視線を流す。

 

「いいんじゃない?」とナツキは返す。

 

「こっちも女子が二人に増えたわけだし。そっちは男が二人でも」

 

「やった! じゃあアデクさん、チェックインしましょう」

 

「おお、焦るなや」

 

 ユキナリは僅かにナツキへと視線をやった。ナツキは改めてブルーバッジを握り締め、「……勝ったんだ」と呟いた。それがどれほどの苦渋の上にあるのか、ユキナリは知っている。だからこそ言葉はかけなかった。きっと今は自分の中で自分の勝利を反芻する事こそが重要だと感じたからだ。

 

 二ヶ月前には思いもしなかった戦士の考え方に我ながら微笑ましかった。

 

 



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第三十八話「シャイニングビューティ」

 

 ジムの外観とは打って変わって内部は華やかだった。

 

 ジムの中心をキャットウォークが貫いており、奥まった場所に舞台があった。ヤナギは息を詰める。暗がりの中、スポットライトが段階的にキャットウォークを照らし出す。最後のスポットライトが一人の女性を照らし出した。黄色いファーコートを纏っており、細身の身体は黒い衣服に包まれている。振り返った女性は赤いゴーグルをつけていた。アンテナのような意匠のついたヘッドフォンをつけており、そのごてごてした外見とは打って変わって澄んだ声で呼びかける。

 

「ようこそ、チャレンジャー。私はこのクチバジムを任されているジムリーダー、カミツレです」

 

 カミツレと名乗った女性はすっとヤナギを指差す。ヤナギは、「面妖だな」と呟いた。その声が聞こえたのか、「何が?」とカミツレは小首を傾げる。両端から垂らした長い黒髪が揺れた。

 

「ジムトレーナーはいないのか?」

 

「私はイッシュから派遣されたジムリーダーなの。当初は職業軍人であるマチス少佐に任が下されていたんだけれど、一応仮想敵国。生粋の軍人であるマチス少佐は残念ながら呼べなかった。その代わりに私が呼ばれたわけ。だから本当はマチス少佐の部下達がジムトレーナーだったんだけれど皆イッシュから離れられないわけなのよね。ジムトレーナーがいたほうがよかったかしら?」

 

「ああ。ポイントをごっそり奪えるからな」

 

 ヤナギの言い草に、「相当な自信家のご様子」とカミツレはヘッドフォンに手をやった。赤いゴーグルが両端に収納され、碧眼がヤナギを見据える。

 

「でも勝つのは私。どちらの輝きが本物か――」

 

 カミツレがフォーコートを脱ぎ捨てた瞬間、スポットライトが青や赤の光を湛え、周囲を華やかに彩った。シロナが感嘆の吐息を漏らす。

 

「ここで、競いましょう!」

 

 ヤナギはモンスターボールをホルスターから抜き放つ。

 

「相手が誰であろうと関係ない。俺に勝てるのは、世界で俺だけだ。誰も肩を並べる事など出来やしない」

 

 マイナスドライバーでボタンを緩め押し込んだ。

 

「いけ、ウリムー」

 

 繰り出されたウリムーにカミツレが大げさに声を出す。

 

「とってもチャーミングね! あなたとは大違い」

 

「姿形で嘗めてるんじゃないぞ」

 

「嘗めていないわ。真剣勝負だもの。私のポケモンも、戦いたがっている」

 

 カミツレがモンスターボールを投擲する。光と共に現れたのは白い縞模様が走った四足のポケモンだった。額から雷撃のような角が二本突き出しており、白と黒の配色の身体を時折電流が迸った。電気タイプのポケモンである事は明白だ。

 

「ゼブライカ。彼に教えてあげましょう。私とあなたの輝きを!」

 

 ゼブライカと呼ばれたポケモンは強く鳴き声を上げる。ヤナギはシロナへと目線をやった。

 

「あんたが勝てないと判断した理由が分かった。タイプ相性か」

 

「そうね」とシロナは肩を竦める。

 

「あまりポイントを喪失するのは嫌なの。特に勝てないと分かっている勝負ではね」

 

「賢明と言えば賢明だが、勝てないと決め付けている時点でもう伸びしろがないな」

 

 ヤナギの苦言にもシロナは態度を改める様子はない。

 

「あら? だって勝てない勝負はするもんじゃないでしょう。あたし達の目的のためにも」

 

「勝手に括るな。俺は、まだあんたらと行動を共にすると決めたわけじゃない」

 

「お喋りは、そこまででいいかしら、チャレンジャー」

 

 カミツレの言葉に、「違いないな」とヤナギは顎をしゃくった。

 

「お喋りほど無駄なものはない。特に、戦闘においては」

 

「よくご存知で。ゼブライカ、ワイルドボルト!」

 

 ゼブライカが二本の角から電撃を放射し、電流は天へと昇って渦を巻いた。ヤナギがそれを眺めていると、ゼブライカは稲妻を自らへと放った。全身から電流が巻き上げられ、ゼブライカの威容は金色の鎧を纏った獣であった。毛が逆立ち、ゼブライカの眼光が鋭く光る。来る、とヤナギが身構えたその時にはゼブライカの姿が掻き消えていた。

 

 まさしく神速の速さを伴ってゼブライカがウリムーへと駆け抜ける。しかしヤナギの命令速度が遅れる事はなかった。

 

「瞬間冷却、レベル2」

 

 空気を凝固させ、氷壁を作り出す。ゼブライカはその氷壁によって侵攻を阻まれた形となった。電流が逆巻き、ゼブライカが一瞬だけ後退する。その隙をヤナギとウリムーは見逃さない。

 

「凍結範囲を敵対象の上部へと固定。生成サイズは標準より二割増した形で凝固」

 

 その言葉と共にゼブライカの頭上へと霜が降り、氷の粒が寄り集まった。一瞬にして粒同士が吸着し、生成されたのは巨大な氷柱だった。釘のような形状の氷柱がゼブライカを頭上から捕捉している。

 

「氷柱落とし」

 

 ヤナギの言葉に氷柱が真っ直ぐに降下した。ゼブライカの表皮を破るかに思われたその一撃はしかし、ゼブライカの表皮に触れる前に霧散した。ゼブライカが一瞬だけ自身にかかる黄金の鎧を迸らせるとのたうった電撃が鞭のようにしなり、氷柱を叩き割ったのだ。

 

 ヤナギは、「なるほど」と特に驚いた様子はなかった。

 

「その電撃の鎧、熱効果作用もあるのか」

 

「ご明察」とカミツレが腕を掲げる。その一動作でさえ流麗だ。

 

「ワイルドボルトは全身に電撃の鎧を纏って攻撃する技。電気に熱の作用が少なからずある事くらいは分かるわよね? 今の氷柱落とし、生成速度、攻撃までの反射、全てにおいて完璧だったけれど、少しばかりゼブライカを過小評価しているわ」

 

 ヤナギはウリムーが形成している氷壁を見やる。一部が融解しており、次の一撃の如何によっては打ち破られる可能性があった。

 

「ワイルドボルトだけではないな」

 

 ヤナギの言葉に、「これは驚いた」とカミツレはわざとらしく口元に手をやる。

 

「そう、ゼブライカに命じたのはワイルドボルトと共にある技もあった。それがこれ」

 

 カミツレが指を鳴らすと黄金の鎧の合間から赤い光が見て取れた。足首から、まるで靴のように迸っている。

 

「素早さを上げる技、ニトロチャージ。これは炎タイプの物理技。これをワイルドボルトと組み合わせる事によって先制の鋭さを伴った技を繰り出す事が出来る」

 

 ヤナギは鼻を鳴らした。その意味を解していないのか、カミツレは肩を竦める。

 

「どうしてそこまで種明かしをする。俺のウリムーの氷結範囲と精度を過小評価しているのか」

 

 ヤナギからしてみれば「ワイルドボルト」と同時に使っているであろう技に関しては全くの無知である。相手にそのタイプを明かすという事が不利に繋がる事だと考えていた。それだけにカミツレの言動は理解出来ない。

 

「ウリムーの氷結範囲、凍結動作、見事だわ。どれを取っても最高のトレーナーとポケモンに相応しいでしょう。それをコンマ一秒の遅れもなく、正確に伝達するのには相当な熟練度を必要とする」

 

「だから、どうした?」

 

 カミツレはヤナギを見下ろし腰に手を当てて高圧的に返した。

 

「だからこそ、あなたでは私に勝てない。その実力に胡坐を掻いている間はね」

 

「誰も胡坐など、掻いてはいないさ。ただ、比肩する人間がいないだけの事だ」

 

 ヤナギは指を鳴らす。その動作だけでゼブライカの足元が凍てついた。氷結の手を先ほど氷壁へと激突してきた瞬間、種となる一部を植えつけておいたのだ。

 

「俺の前に立つ者がいないだけ。胡坐を掻くにせよ、比較対象がいなければ始まらない。ゼブライカの機動力、もらった」

 

 ヤナギは確実にゼブライカの足を潰したと確信した。しかし、ゼブライカは蹄を打ち鳴らしたかと思うと先ほどよりもさらに高温の炎を発した。その火が一瞬にしてヤナギの植えつけた氷の種を焼き尽くす。ゼブライカはまるでダメージなどないかのように平然としている。

 

「それが胡坐を掻いているって言っているのよ。あなた、ジムリーダーがその程度で陥落させられると思った?」

 

 ヤナギはさして驚くでもなく、「やはりこの程度の氷結では止められないか」と冷静に分析する。

 

「ならば、タイプ弱点を攻めさせてもらう」

 

 あまり得意ではないのだがな、とヤナギは付け加えてウリムーへと視線を配った。ウリムーが小刻みに身体を震わせ、全身から土色の波紋を打ち出した。それが触れた箇所から地面が波打ち、ガラガラと突き崩れていく。

 

「地面タイプの技、地震。電気タイプならば効果は抜群のはず」

 

 地に足のついているポケモンならば逃れようのない攻撃だ。命中を確信したが、次の瞬間、ゼブライカは全身から四方に向かって電流を放った。その電流がまるで吸着する多脚のように展開され、ゼブライカの身体をあろう事か持ち上げた。ゼブライカは地震の波紋から逃れ、空中へと歩を進める。ヤナギはそこで初めて、驚愕を露にした。ゼブライカは空中を蹴りつける。一歩進むたびに、足元で電流が震えた。

 

「電磁浮遊。これで地面の技は当たらない」

 

 思わず歯噛みする。自分の小手先のプライドを捨て去って放った技を予期していたというのか。カミツレは、「プライドを少しばかり捨てたみたいだけれど」と暗い目で告げる。

 

「嘗めないで欲しいわね。私達だって真剣に戦っているのよ。小手先の技が通用するほどやわじゃない」

 

 空中を蹴りつけたゼブライカは再び蹄から炎を点火した。「ニトロチャージ」だ。黄金の電流の鎧はそのままにゼブライカは真っ直ぐに突進してきた。ヤナギはすかさず命じる。

 

「氷壁――」

 

「脆い」

 

 ゼブライカが角を突き上げると電流が刃のように発振され、形成した氷壁を一瞬にして溶解させた。目を瞠るヤナギへとカミツレは言い放つ。

 

「これがシャイニングビューティの真骨頂! ゼブライカ、ワイルドボルト!」

 

 ゼブライカが全身から黄金の鎧を展開させて、もう一つのゼブライカの像を作り出す。それがウリムーへと真っ直ぐに突進してきた。ウリムーへと直撃したゼブライカの像は弾け飛び、巨大な電流の膜となってウリムーを襲った。しかしウリムーは健在である。氷・地面タイプであり、電気の攻撃は無効になるからだ。だが、先ほど「じしん」で攻撃したため、相手がタイプを見極めていないはずがない。ヤナギは拳を握り締めた。

 

「……電気以外だったら、やられていたって言いたいのか」

 

 ゼブライカは空中で距離を取り、ウリムーを見下ろしている。その視線と同じくらいの気高さを湛えた瞳でカミツレはヤナギを見据えた。

 

「間違えない事ね。あなたに比肩する人間がいないのかどうかは知らないけれど、今戦っているのは、紛れもなくこのカミツレだという事を」

 

 ヤナギは確信する。このジムリーダーを完膚なきまでに叩き潰す。そうでなければ自分の道は拓けないと。手を振り翳し、ヤナギは命じた。

 

「凍結連鎖、レベル1」

 

 その言葉が発せられた直後、ウリムーとゼブライカを結ぶように空間が次々と凍結していった。縄のような氷の粒は一つ一つが精緻に出来ているわけではない。むしろ今までよりも粗い氷の縄を依り代として相手へと攻撃を繋げる事だけをヤナギは考えていた。当然、射程に入ったゼブライカは飛び退る。その瞬間、ヤナギは口にしていた。

 

「氷のつぶて!」

 

 縄のように展開していた氷が一斉に弾け飛び、まるで散弾の如くゼブライカへと襲いかかる。ゼブライカとカミツレもさすがに予想外だったのかその攻撃に対してゼブライカの対応は一拍遅れた。

 

「ワイルドボルトを展開。鎧の中に攻撃を入れないで」

 

 角を突き上げ、ゼブライカがワイルドボルトの鎧を展開する。しかし、それまでに一発でも懐に入ればこちらのものだった。ヤナギは何発かはワイルドボルトの鎧の内部に入ったのを確認し、指を鳴らす。

 

「氷柱針」

 

 ワイルドボルトの内部に入り込んでいた氷の粒が一瞬にして針状に尖り、ゼブライカを襲った。突然の痛みに悶える自身のポケモンの状態をカミツレは把握し切れていないようだ。

 

「何を……」とうろたえたカミツレへとヤナギは言い捨てる。

 

「どうした? 胡坐を掻いているのだと説教を垂れるのではなかったのか?」

 

 カミツレは舌打ちを漏らし、腕を振るった。

 

「ニトロチャージで焼き尽くしなさい!」

 

 足先から「ニトロチャージ」が点火され内部の氷を溶かす。しかし、それは想定内だった。

 

「炎によって氷が溶かされ、水になる。そうすればその水分はどこへ行く? 電気だけでは蒸発し切れまい」

 

 ヤナギは次の攻撃を静かに命じた。

 

「フリーズドライ」

 

 その瞬間、ゼブライカがよろめいた。攻撃の反応だとカミツレは察したのだろう。その視界の中にワイルドボルトの鎧が解除されている部分を発見し目を慄かせる。

 

「何をして……」

 

「氷を溶かせば水となる。水を一瞬で蒸発させられるほどの高温を、その電気の鎧が発しているとは思えない。それは自身へのダメージにも繋がるからな。それに瞬間冷却が可能な室温だという事は、それは空気中の水分までも奪えるほど万能ではないという事。水を触媒にしてフリーズドライを放った。フリーズドライは水があればあるほどに効果が見込める技だ」

 

「それであたしはやられたってわけか」とシロナが後方で肩を竦める。カミツレは、「何て事……」と恐れを成した声を出す。

 

「ほんの少しのはずよ。氷とはいえ、ほんの少し。それを頼りにダメージを与えるなんて」

 

「常人ならば不可能だろう。ただ、俺とウリムーならば出来る」

 

 ヤナギの声にカミツレは目を見開いたが、「……そう」と納得した声を発した。

 

「どうやら私も、あなた達を過小評価していたみたいね。それにほんの少しばかり勝負に真剣になってきたみたいじゃない」

 

「ならざるを得ない。実力者が相手ではな」

 

 ヤナギが苦笑を漏らして発した言葉にカミツレも口元を緩める。どうやらお互いに本気を出すべきだという了承が成されたようだ。

 

「いい事を教えてあげましょう。ワイルドボルトは万能じゃないわ。この強力な電気の鎧は自らの体力を削る技。相手への決死の特攻の代わりに、反動ダメージを受ける」

 

 種を全て明かすつもりらしい。それを以ってしても勝てない、という現実を自分に突きつけるつもりなのだろう。ヤナギは冷静に、「そうか」と返す。

 

「ならば、俺も明かそう。次の攻撃は氷柱落とし。瞬間冷却でゼブライカの頭上に展開する」

 

「いいの? そこまで言って?」

 

 カミツレの挑発めいた声に、「構わないさ」とヤナギは応じた。

 

「ちょっとくらい手が割れていたほうが、スリルがあって面白い」

 

 ヤナギ自身、ここまで戦いに意味を見出せるのは初めてだったかもしれない。ここでの勝利は自分を高める事になると確信していた。ただの白星ではない。これは今の自分を超える勝利となるだろう。

 

「面白い、ね。本当、見た目に反して可愛くないわ」

 

 カミツレの評を無視してヤナギは身構える。

 

「行くぞ」

 

「来なさい。ゼブライカは全ての攻撃をかわし、ニトロチャージでウリムーを倒す」

 

 ヤナギはまずゼブライカの後方に瞬間冷却を命じさせた。

 

「瞬間冷却、レベル3。ゼブライカ、後方二メートル」

 

「当てずっぽうなのかしら? それとも動きの方向を読んだつもり?」

 

 ヤナギはその言葉に何も返さずさらに瞬間冷却を続ける。

 

「瞬間冷却、レベル3を三回、連続展開。ゼブライカの前方三メートル、右方向に一メートル、左方向に四メートル」

 

 それぞれ冷気が逆巻き、瞬時に形成されたのは巨大な氷柱だ。カミツレは、「それが何!」と笑う。

 

「全部ゼブライカとは全く別の方向よ。前方の氷柱も、回避すれば何も怖くない!」

 

 ゼブライカが右に回り込み、前方に展開していた氷柱をかわした。しかし、ヤナギの狙いはそれだった。ゼブライカが避ける。それこそ意味があったのだ。

 

「氷柱落とし」

 

「今さら遅い!」

 

 ワイルドボルトを身に纏い、ゼブライカが蹄に炎を突き上げて突進してくる。その攻撃の牙がウリムーにかかろうとした、その瞬間である。

 

 ゼブライカが空中で動きを止めた。どうしてだか、前に行こうとするとつんのめる。カミツレはその原因を探し出そうとした。その瞬間、目に入った現実に絶句する。

 

「電磁浮遊の、手を……」

 

 四本の氷柱が落とされた箇所には「でんじふゆう」に欠かせない電流の手があった。その段になってカミツレはようやく理解したようにハッと顔を上げる。

 

「最初から、氷柱落としはゼブライカに攻撃するためではなかった……。電磁浮遊を無効化するために、氷柱落としを利用した」

 

 ゼブライカが前に進もうとするが鎖に繋がれたようにびくともしない。それもそのはずだ。今まで空中に固定してきた電流の手を氷柱が縫い止めている。ヤナギはふっと息を吐き出し、ゼブライカへと指を突き出す。

 

「氷柱落としを触媒にして瞬間冷却、レベル3」

 

 氷柱が地面に固定され、ゼブライカがいななき声を上げた。それと同期するようにゼブライカそのものも地面へと叩きつけられる。

 

「このタイミングを……!」

 

 カミツレの声にヤナギはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「氷タイプの技だけでは単なる力押しになってしまう。ポケモンバトルは力押しだけのバトルではない。それは何よりもジムリーダーが知っているだろう?」

 

 ウリムーが全身を小刻みに震わせる。ヤナギは次の瞬間、命じた。

 

「地震」

 

 ウリムーから発生した土色の波紋がゼブライカへと至り、その身を浸食していく。地面が浮き沈みし、ゼブライカに間断ない攻撃を叩き込んだ。もちろん、ゼブライカは逃れる事など出来ない。自ら発生させた「でんじふゆう」の手によって自らを拘束しているからだ。「じしん」による攻撃がようやく収まった頃、ゼブライカから黄金の鎧が剥ぎ取られた。全身に傷を作ったゼブライカが横たわっている。電磁浮遊の手も消え去り、ゼブライカから闘争の気配が消滅した。

 

 シロナが固唾を呑む。

 

「勝った……」

 

 カミツレはしばらく放心していたがやがて自らの敗北を悟ったようだ。ボールを手にし、「戻れ」とゼブライカをボールに戻してからヤナギへと歩み寄る。ヤナギのほうから歩き出す事はなかった。すっと手が差し出される。ヤナギが黙ってそれを見下ろしていると、「お互いの健闘を讃えましょう」とカミツレは言い出した。

 

「握手を」

 

「必要ない」

 

 ヤナギは素っ気なく答える。ポケギアを突き出し、「それよりもポイントとバッジだ」と口にした。

 

「敗北したのならば渡す義務があるだろう」

 

 その言葉にカミツレはため息を漏らした。

 

「……本当に可愛くないわね。いいわ、これがオレンジバッジ、クチバジムを制した証拠よ」

 

 カミツレが襟元につけていたバッジを外し、ヤナギへと手渡す。ヤナギは、「ようやく一個目」とその感慨を露にした。

 

「それとポイントね。オレンジバッジ一個で9000ポイント。それに私の敗北分を加算する。やれやれ、とんだ出費ね」

 

「早くしろ」とヤナギが急かす。カミツレは、「もうちょっと可愛げを持ちなさいよ」と忠告した。

 

「誰も寄せ付けないわよ。そんなんじゃ」

 

「寄せ付ける必要性がないな」

 

 ヤナギはポケギアを払う。既に30000に届くポイントが溜められていた。カミツレは、「すごいわね」と素直に感心した様子だ。

 

「総ポイント数じゃトップなんじゃない?」

 

「誰とも比べた事がないからな。分からないさ」

 

 最後まで、勝負は分からない。たとえば弱いトレーナーに絞ってポイント狩りをしている連中もいるかもしれない。あるいは徒党を組んでポイントを荒稼ぎしている連中か。

 

「それにしちゃ、相手方は」

 

 カミツレがシロナへと目を向ける。ヤナギは、「厄介者だ」と突っぱねた。シロナが、「酷いわね」と顔をしかめる。

 

「一応、手を組むって言ったじゃない」

 

「あんたらの組織を知るためにな。俺はそれ以上を望んでいるつもりはない」

 

 共闘の必要性はないと告げた声にシロナはカミツレへと目を向けた。カミツレは周囲に視線を配り、「羨ましいわね」と呟く。

 

「羨ましい?」

 

「そうやって一匹狼に生きられる事が、よ」

 

 身を翻し舞台に捨てたファーコートを拾って羽織る。その様子は酷く不憫なものに見えた。

 

「あんたはそうじゃないのか?」

 

「私? 私はね、イッシュじゃこれでも名の知れたトップモデルだった。一流の舞台に立ったこともあるし、一流のものを身につけ、一流の人間として名を馳せてきた」

 

「充分じゃないか」

 

 ヤナギの声に、「いいえ。何も」とカミツレは首を横に振った。

 

「何も、この手にはないわ。トップモデルという地位も、名誉も、全て誰かの助力があってこそだもの。私は自分一人でこの居場所を保てていると言えるほど傲慢じゃない」

 

 その言葉にシロナが、「殊勝な心がけだと思うわ」と感想を述べる。

 

「慢心していない点では素晴らしい生き方だとも言える」

 

 カミツレは振り返った。碧眼には惑いがあった。

 

「違う、違うわ。私は、慢心していない自分に酔っているだけ。自分はまだマシな人間だと思える材料が欲しいだけなのよ。本当ならば地位も、名誉も、この手に独占したい。そういう欲望が渦巻いているのが自分でも分かる」

 

 カミツレが拳を握り締める。彼女はそれなりに努力を重ねてきたのだろう。ただのモデルがジムリーダーに選ばれるはずがない。ポケモントレーナーとしても一流の道を歩んできたはずだ。シロナは続ける言葉を迷っている様子だったがヤナギは、「今さら、何を言う」と口を挟んだ。

 

「ヤナギ君?」

 

「黙っているんだ。こいつは、俺と同じだ」

 

 ヤナギの有無を言わせぬ口調にシロナは言葉をなくす。自分より長身のカミツレを見やり、「あんた」と声を重ねた。

 

「ただのトップモデルがコネだけで生きられるほど、トレーナーの道は甘くない。その腕に違わぬ強さが必要だ。それこそ、誰も寄せ付けないほどの絶対の孤独を漂わせる強さがな。あんたはそれを持っているからこそイッシュからこのカントーまで辿り着けた。だが、自分がコネで支えられた、糊塗された偽りの上にあるというのならば、その偽りを振り払え。運命の虚飾を打ち砕く強さを見せろ。そうでなければ、偽りの安寧に食われるぞ」

 

 自分がカンザキの名に恥じぬ誇らしさを持ち続けてきたように。相手にもそれを強制する権利はない。ただ、迷宮の中にいる相手に道を示す事くらいは出来る。戯れに過ぎなくとも、迷宮を脱する手助けになるのならば。

 

 カミツレは目を見開いている。

 

「どうした?」とヤナギが尋ねると、「あなたがそんな風な人間に見えなかったから」とカミツレはこぼした。

 

「もっと冷酷な人間だと思っていた。氷タイプ使いだし」

 

 フッと口元に微笑みを浮かべてカミツレが付け足す。ヤナギは鼻を鳴らした。

 

「俺は温情で動くタイプではない。ただ目の前でウジウジされるのが嫌なだけだ」

 

「よく分かるわ」

 

 カミツレは真っ直ぐな眼差しをヤナギへと向けた。既に内面の迷いはある程度吹っ切れたようだ。

 

「あんたがどれだけ努力したのかは知らない。ただ、誇っていいレベルだと俺は思う」

 

 それを言い置いてヤナギは舞台から去ろうとした。その手をカミツレが取る。怪訝そうにしていると、「キャットウォークは」とカミツレが微笑んだ。

 

「勝利者と歩くのが最も映えるのよ」

 

 どうやらカミツレはヤナギと共にキャットウォークを歩くつもりらしい。「いいかしら?」と含めた声に、「好きにしろ」と言い捨てた。ヤナギの手を取り、カミツレが誇りを携えた歩調で進む。スポットライトが交差し、ヤナギとカミツレを映し出した。観客席でシロナが拍手を送った。

 

「茶化しているのか?」

 

 睨みと共に振り向けた声に、「滅相もない」とシロナは頭を振った。

 

「意外だっただけよ。あなたにも内面に熱さがあるなんてね」

 

 ヤナギはシロナの言葉に難色を示す。

 

「凍傷になると、どのような感じになるのか知っているか?」

 

 ヤナギの質問はアンバランスだったのだろう。シロナは首を傾げる。

 

「凄まじい熱さになるんだ。それと同じさ。俺の言葉に熱さを感じたのだとしたら、それは凍傷にかかったのだと思えばいい」

 

 その言葉にシロナは暫時ぽかんとしていたがやがてぷっと吹き出した。ヤナギが睨んでいると、「ああ、ごめんなさい」とシロナは取り成す。

 

「ユーモアのセンスがあなたにあるとは思っていなかったから」

 

「冗談や酔狂で言ったわけではない」

 

 ヤナギの真面目ぶった言葉がさらにおかしかったのだろう。カミツレも笑いを堪えていた。

 

「何なんだ? 馬鹿にしているのか」

 

「いいえ、尊敬しているわ」

 

 シロナの言葉にヤナギは顔を背ける。お世辞はまともに受け取る気はなかった。シロナはカミツレへと目をやる。

 

「観客のいないショーはつまらないわね」

 

 同じ女性だからか、思うところがあったのだろう。カミツレは、「ええ」と人気のない観客席を一瞥する。

 

「こんな入りにくい所にジムを構えるからだ」

 

「用意したのはカントー政府よ。もっと言えばカンザキ執行官だと思うけれど」

 

 シロナの思わぬ反撃にヤナギは声を詰まらせた。シロナは腕を組んだままカミツレへと語りかける。

 

「ねぇ、観客はいないけれど、世界を救ってみる仕事をしたくはない?」

 

 まさか、とヤナギはシロナを見やる。

 

「何を考えている……」

 

「何も、多分、予想通りだと思うけど」

 

 二人の会話にカミツレはついていけないのか、「どういう事なの」と戸惑った。シロナはウインクして悪戯めいた声を放った。

 

「あたし達の組織に、入ってみないかって事」

 

 やはりか、とヤナギは歯噛みする。シロナはジムリーダー殺しの犯人を追っている。それを追跡するのに最も手っ取り早いのは疑似餌を用いる事だ。ジムリーダーを丸め込むのは最も効率のいい手段だった。

 

「組織、って……」

 

 カミツレはまだ全体像を掴めていないのか、ぼんやりとした声で応じる。シロナは勧誘の声音になった。

 

「これから先を考えるに当たって、恐らくは共通の利害を見込めるわ」

 

「あんた、節操というものがないのか? 俺とは確かに利害は一致した。だが、ジムリーダーを巻き込むとなると」

 

 事が大きくなるのを最も懸念しているのはヤナギだ。そうなってくると父親の耳に入りかねない。

 

 シロナはその心配は無用だとでも言うように手を振った。

 

「もうジムリーダーじゃない。規約に則れば、ジムバッジを取られた時点で他のトレーナーと同様の権利を有する事になる」

 

 やはり、シロナは意地でもここでカミツレを抱き込むつもりだった。ジムリーダー単体戦力でも充分に強力な人材だ。

 

「話が見えないけれど……」

 

「カミツレさん。あなたはこの先、どうするつもり?」

 

「どうするって、多分祖国に帰るわ。玉座には興味がないし」

 

「それじゃもったいないって思うの。あなたほどの強さならば活かす方法はいくらでもある。その才能を、祖国で枯らしていいものじゃないわ」

 

「おい、それ以上は」

 

「カミツレさん。これは秘匿されているのだけれど、ジムリーダーが殺されている」

 

 その言葉にカミツレは目を戦慄かせた。当然だ。自分と同じ立場の人間が殺されたとなると。

 

「どうして」

 

「ポイントと、恐らくはバッジ狙い、というのが我々の組織の見立てね。ジムバッジが本当に八つしか存在しないのか疑っている連中がいるのよ。あるいは、勝利者に渡すのはダミーでオリジナルが存在しているのではないか、と」

 

「私が渡したのは」

 

 ヤナギが今しがた受け取ったオレンジバッジへと視線を落とす。ポケギアを翳すと9000ポイントが約束されている事が確認出来た。

 

「本物だ」

 

「ポイント上は確かに本物かもしれない。でも、誰もオリジナルジムバッジを見たことがないのだもの。疑う人間も出てくる」

 

 シロナはどう足掻いても元ジムリーダーであるカミツレに判断の予知はないのだと思わせたいらしい。カミツレは頭を抱えて、「どうすれば……」と思案した。

 

「だってそれ以外にジムバッジは渡されていない……」

 

「でも、それを証明する手段も同時に存在しない」

 

 シロナの論法にカミツレは完全にはまっている様子だ。自分は狙われる。ジムバッジとポイントを目的とした連中に。殺されるかもしれないとなれば正常な判断は期待出来なかった。

 

「ポケモンリーグを取り仕切る人間に事の次第を話せば」

 

「既に執行官レベルまで話が通っている。でも、彼らが動いたところでポケモンリーグは転がり出した石よ。当然の事ながら、今さら中止勧告を出すわけにもいかない。逆にこの状況で掻き乱せば国際問題に発展しかねない。それを恐れて上は動けないわ。あなただってそれくらいは分かるでしょう?」

 

 カミツレは言葉を詰まらせた。シロナはそこで優しく提案する。

 

「あたし達の組織に入れば、あなたの身の安全は保障する。メンバーには国際警察もいるわ。少なくとも着の身着のまま旅を続けるか、ジムリーダーという箔をつけたままぶらつくよりかは安全なはず」

 

 シロナの言葉はまるで誘導尋問だ。最終的に落としどころは一つしかない。

 

「どうする? 決めるのはあなたよ」

 

 既に決定は成されている。ヤナギは何も言わなかった。

 

「私は……」

 

 



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第三十九話「甘え」

 

「どういうつもりだ?」

 

 クチバシティの宿泊施設につくなり、ヤナギは問い詰めた。シロナは涼しい顔で、「どう、とは?」と聞き返す。

 

「ジムリーダーの事もそうだが、あんたが記者の前で話した事だ」

 

「ああ、それね」とシロナは大した事に思っていないらしい。しかしヤナギからしてみれば重大な事だった。

 

「どうして、あんたがジムを制した事になっている?」

 

 ジムから出るなりカミツレとヤナギ、そしてシロナに目を向けた記者団が問い詰めてきた。結果はどうでしたか、と。ヤナギが口を開く前にシロナは自分がジムを制したのだと記者達に言い放った。

 

「俺の手柄のはずだ」

 

「あら、この先の動きやすさを考えれば妥当な答えだと思うけれど?」

 

 まるで悪びれていないシロナの言葉にヤナギは眉根を寄せた。

 

「妥当、だと」

 

「いい? ヤナギ君。あなたは自分の立場を少しばかり自覚すべきだわ。この先、記者達に漏れてはならないのは何?」

 

 唐突な質問に面食らったがヤナギは冷静に返す。

 

「ジムリーダーがあんたらの組織に下った事だろう」

 

 カミツレは今シロナの部屋で休んでいる。シロナはヤナギの部屋にやってきていた。カミツレが下した結論は組織の庇護を求める、というものだった。予想は出来たとはいえ、やり過ぎだとヤナギは感じていた。

 

「あんたらは何だ? 大所帯にしたいのか、その秘密組織とやらを」

 

 組織のやり方、ひいてはシロナの思惑をヤナギは知る必要があった。シロナはゆっくりと首を横に振り、「滅相もない」と答える。

 

「あたし達の組織にカミツレさんが入った事は、実のところさほど重要ではないわ。敗北したジムリーダーの足跡を辿るほど、記者達も暇じゃない。そりゃ、そのジムリーダーが他のジムリーダーに勝って、最終的に玉座を巡る戦いに頭角を現してきたら別だけれどそうじゃないでしょう? 記者達が目を光らせているのはあたしのような優勝候補、それにあなたよ、ヤナギ君」

 

「俺だと?」

 

 全くの意想外の言葉にヤナギは戸惑ったがすぐさまその意味するところを理解した。

 

「俺が、カンザキの家の人間だからか」

 

 シロナは首肯する。

 

「あなたが出場しているだけでもスキャンダルになりかねない。それこそポケモンリーグの進行を乱す行為になるわ。しかも、そのご子息がジムバッジを取ったなんて言ってみなさい。記者達の矛先は一斉にカンザキ執行官バッシングの向きへと変わる」

 

 ヤナギでもそのくらいは理解出来る。しかし、そのためのヤグルマ記者ではないのか。

 

「ヤグルマとかいうあんたらの一手はどうした? こういう時の根回しは出来ないのか?」

 

「ヤグルマは優秀だけれど所詮は末端構成員。あたし達が全員であなたの事を隠し立てすれば逆に藪を突こうという輩が出てくる。それをするまでもない事が、あたしがジムを制したという事にすればいいっていう考えなんだけれど」

 

 間違っている? とシロナは問いかけた。ヤナギは声を詰まらせて文机に腕を置いた。間違ってはいない。むしろ、ヤナギの立場を守っているのだ。

 

「俺は玉座に就く」

 

「そのために、障害は少ないほうがいいはずよ」

 

「だからこその疑問だ。どうして、あんたらは俺の目的を阻止しようとしない?」

 

 シロナ達の組織が玉座を目指しているのならば余計だ。自分のような些事にはかまっていられないという判断か。それとも自分さえも抱き込んでしまえばいいという浅知恵か。

 

 シロナの発した言葉はどちらでもなかった。

 

「それが共通の目的だからよ。あたし達は、組織の誰かが王になればいいとは思っていない」

 

「支配を嫌うからか?」

 

「それもあるけれど」とシロナは説明を始めた。

 

「そもそも王になる事にこだわっていても仕方がないのよ。あたし達は組織。少しでも本気を出せばそれなりの結果が残せる人間ばかり。もし、誰かを王に仕立て上げたいのならば組織の力を結集して、それこそポイントを掻き集めて王になればいい。でもそんな方法は邪道だと分かっているし、それにあたし達の目的はあくまでもこのカントーを動かしている影の存在である彼らを引きずり出す事。そして、先王の崩御の真相を求める事」

 

 彼ら。その因縁の名前にヤナギは歯噛みする。その彼らの存在を、シロナ達は知っていながら詳細を黙っている。

 

「……結局、あんたらは玉座に興味がないどころか、玉座を目指す人間は邪魔だという事か」

 

「理解が早くて助かるわ」

 

 シロナの返答にヤナギは鼻を鳴らす。

 

「その論法だと俺も邪魔者だが」

 

「あなたは違う。違うと分かった。あたしが、この手で相手をして、ね。ただの野心家でない事は明白よ。その先にあるもののために、あなたは手段としての玉座を求めている。結果ではない。その点においてあなたとあたし達は協力し合える関係だという事よ」

 

 全ては彼らを闇から引きずり出すための、自分とて囮だ。気に入らない、という意思表示のためにヤナギは文机を叩いた。

 

「俺はあんたらの傀儡になる気はない」

 

「あたし達だってただの人形には興味はないわ。それこそ、一地方を制するくらいの気構えの人間でないと」

 

 どうせ利用するのならば強いほうにつく、というわけだ。ヤナギは頬杖をついて、「ほとほと感心するよ」と感想を述べる。

 

「あんたらは、このポケモンリーグですら手段なのだろう。しかし、だ。彼らを闇から引きずり出した後はどうする? 表の法廷で罰してもらうわけにはいくまい。なにせ、歴史そのものを操ってきた連中だぞ」

 

「処理するわ」

 

 その一言に込められた邪悪と残酷さを、どれだけの人間が感じ取れるだろう。ヤナギは背筋が震えた。

 

「傲慢だな。神の審判を得たつもりか?」

 

「でもあたし達以外に彼らを追い詰められる人間もいないのよ。悲しい事にね。それに、彼らについて知れば知るほどに、あたし達の組織と関わらざるを得ない」

 

 畢竟、道は二つ。ポケモンリーグを表で悠々と楽しみたいのならば何も知らない人間になるか。それとも全てを背負い込む王になる覚悟の持ち主ならば、闇もひっくるめて、この地方を牛耳るか。

 

「……力を求めるのならばあんたらの組織の門を叩かねばならない。力がいらないのならば無知蒙昧な人間を演じよ、か」

 

 真逆の道だ。少しでも賢しければ組織を利用する事こそがポケモンリーグを制する近道だと判断するだろう。

 

「あなたは力を求めている。その意志の強さもある。だからこそ、門を叩いた。その判断は勇気ある人間だと賞賛されるわ」

 

「どうかな」

 

 力に臆した、臆病者だと蔑む声もあるだろう。組織という、それそのものが力の象徴だ。ヤナギはその力の前に御する事を考えたものの、その力の獣は思っていたよりもずっと大きく、手綱を握っていたつもりが握られている状況に陥っている。

 

「あんたらに関わってしまった事は、悔やんでも仕方がないな」

 

「そうね。あたしから接触したんだし」

 

 ディグダの穴をルートに選ばなければあるいは、と考えた頭もあったがヤナギは早々に切り捨てた。もし、どうだったら、という言葉ほど当てにならないものはない。

 

「褒めるところを探すわけじゃないけれど、あなたは今のところ順風満帆だと思うわ。記者達からのマークもなし。だというのに恐らくはトップレベルの実力とポイントを稼いでいる」

 

「目立ちたいわけではないからな」

 

 ヤナギはポケギアを前に掲げた。ポイント数が表示される。自分が実力で集めたポイントだ。決して家柄やコネで集めたものではない。正真正銘の実力である。

 

「カンザキ執行官はあなたが参加している事を」

 

「知らないはずだ。あんたらが余計な事を言っていなければ」

 

 ポケギアを降ろしヤナギはシロナを見据える。シロナは、「口が堅いのがうちの構成員のとりえよ」と答えた。

 

「どうかな。カミツレを誘った当たり、戦力に余裕がないようにも思える」

 

 核心をつくヤナギの言葉にシロナは、「そうね」と素直に認めた。

 

「戦闘に秀でている人間は少ないわ。情報面で上を行けばいいっていう考えが蔓延しているのよ」

 

「上は楽観主義だな」

 

「そう思う?」とシロナは尋ねる。ヤナギは、「ああ」と応じた。

 

「力がものを言うこの戦いにおいて、情報なんてものは捨て駒だと感じたほうがいい。あるいはゲームを進めるために少しばかり優位に立てるオマケだと。オマケ程度に労力を割いているのならば実戦に力を注いだほうがいい」

 

「素直なのね」とシロナはヤナギを見やった。ヤナギは、「嘘は言わないのが信条でね」と頷く。

 

「あなたみたいに冷静に物事を俯瞰出来る人間ばかりじゃないのよ。あたしだってなりふり構っていられなかった。優勝候補だっておだてられてもね」

 

 シロナは息をつく。ヤナギは、「これ以上、面倒事を抱え込みたくないな」と素直な言葉を漏らす。しかしシロナは、「そう言ってもいられない」と口にした。

 

「……何かあったのか?」

 

「鋭いわね。また殺しよ。オツキミ山で」

 

 ヤナギは前傾姿勢になって、「やはりそちらか」と声にした。

 

「そうね。ディグダの穴にいればまず間違いなく戦闘になっていただろうから違うとは踏んでいたけれどまた殺しとは恐れ入るわ」

 

「これで俺の疑いは晴れたのか?」

 

 口にしてからそう簡単ではないだろうな、と考えた。予想通り、「そう単純に話はいかないのよ」とシロナは口にする。

 

「確かにアリバイはある。でも、先の殺しはあなたがやって次の殺しは別の人間が、ってのも考えられない話じゃない。逆にあなたは鉄壁のアリバイを持つ事になるから、余計に怪しいわね」

 

「随分と素直に話すじゃないか」

 

 シロナの口ぶりでは自分はまだ重要参考人だと言うのに。シロナは、「そうね」と中空に視線をやった。

 

「あなたじゃない事はあたしが一番よく分かっている。皮肉だけれど捜査に当たっていた第一線の人間が証人じゃあね。あなたがやったのではないのだと判断せざるを得ない」

 

「それは早計だ。俺が遠隔で命じた可能性もある」

 

「不可能よ、そんなの」

 

 シロナは金髪を掻きながら、「それが嫌というほど分かった」と告げた。

 

「あなたの戦いを二度も見れば、あなたは他人に重要な戦闘を任せるようなメンタリティじゃないのは理解出来たし、それが何よりも嫌いだって言うのも心底分からせられたわ」

 

「だが俺の監視を怠るわけにはいかない。違うか?」

 

「違わない。だからこそ歯がゆい」

 

 シロナの言葉には本音の苦渋が混じっていた。本来ならば現場であるオツキミ山に出向きたいのだろうが自分の監視があっていけないのだ。その間にも殺人は起こるかもしれない。何が引き金になるのか分からないために気を緩める事も出来ない。

 

「そのためのジムリーダー、か」

 

「察しがいいじゃない。そうよ。もしあたしが離れる事になっても、あなたを監視出来るようにカミツレさんを勧誘した」

 

「酷い勧誘の仕方だった。あれは尋問だ」

 

 ヤナギが吐き捨てると、「それだけ余裕ないのよ」とシロナは答えた。

 

「早くにでも戦力を揃えなきゃならない。そうでなくともジムリーダー殺しは続くと仮定されている。正直、今動ける人間だけじゃ足りない」

 

「猫の手も借りたい状態か」

 

 ヤナギはシロナがどれほどの苦労に置かれているのかは察するしかなかったが、恐らくは組織に属している以上避けられない悩みなのだろうと考えた。

 

「なりふり構っていられないのよ。本当に……」

 

 シロナはその場に寝転がった「居着くつもりか」とヤナギが厳しい声を投げると、「いけない?」とシロナは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「あんたを見張っている連中がうるさくなるだけだ」

 

「違いないわね」

 

 シロナは深く息を吸い込み、「……でも、もう少しだけこうさせて」と呟いた。気苦労が絶えないのだろう。優勝候補とおだてられ、一地方の闇を引きずり出す役目まで背負わされれば当然なのかもしれない。ヤナギは、「昨日のあんたの仮説」と口にしていた。

 

「面白かった。一考古学者の視点というのも馬鹿にならないものだ」

 

「なに、急に褒めたって何も出ないわよ」

 

「言ってみただけさ」

 

 ヤナギはそう口にして布団に潜った。その様子を察してか、シロナが声をかける。

 

「もう寝るの?」

 

 まだ陽は高い。しかしヤナギは、「消耗している」と答えた。

 

「ウリムーが万全でないのならば俺が動いても邪魔になるだけだ。瞬間冷却も、まだ磐石でない事が分かったからな」

 

 カミツレとの戦いでの発見だった。絶対に相手を凍結範囲に持っていけると考えていた瞬間冷却にはまだ粗がある。それを突かれれば崩される恐れがあった。

 

「あれでもまだ満足しないとはねぇ」

 

「玉座を目指すんだ。そう易々とはいかないだろうさ」

 

 その点ではいい刺激になった。少なくともカミツレと同じレベルのトレーナーが八人。簡単な旅ではないと考えていたが思っていたよりも厳しいかもしれない。ウリムーの調整も兼ねて一日か二日はジムリーダーとの戦いは避けたほうがよさそうだった。

 

「俺は寝る。あんたは出て行け」

 

 ヤナギが目を瞑ろうとすると後ろから体重がかかってきた。シロナのものだと判じたヤナギは、「何を――!」と声を張り上げようとしたが手にシロナの手が重ねられた事でそれが制された。

 

「あたしだってね、一人で眠るのが怖い時があるのよ」

 

「俺の動揺を誘うつもりか。俺に対してはそんな姑息な真似は」

 

「通用しないでしょ。そういう朴念仁だって分かっているもの。だから、これはあなたへの甘え。あたしが、一方的にあなたに寄りかかっているだけよ」

 

 シロナは手を繋いだまま背中を向けたのが肩越しに分かった。戦力の拡充という重責。組織の任務を遂行するという重荷と優勝候補のプレッシャー。それらが彼女を押し潰そうとしていたのかもしれない。

 

「少しだけ、眠っていい?」

 

 シロナの声にヤナギは素っ気なく返した。

 

「好きにしろ」

 

 ヤナギは間もなく眠りについた。

 

 



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第四十話「アデクという男Ⅰ」

 

 手紙を取り出して掲げていると、「やはり、気になるか」と背後から声がかかった。ユキナリは文字通り飛び起きて部屋に入ってきた人影を見つめた。

 

「アデクさん?」

 

「さっき語らおうと言ったばかりじゃろうが」

 

 忘れたのか、という声に、「いえ」とユキナリは返す。アデクはでんと座り込んで、「その手紙」と顎をしゃくった。

 

「マサキ、とか言ったか」

 

 ユキナリは手紙を裏表確認しながら、「ええ」と頷く。

 

「ご存知なんですか?」

 

「ソネザキ・マサキの事だとしたら、思い当たる節はある」

 

 アデクは顎をさすりながら、「もう二年ほど前になるかのう」と中空に視線を投げたまま呟いた。

 

「そういう名前の研究者がある画期的なシステムを考案したとタブロイド紙に載っておった」

 

「画期的なシステム、ですか」

 

 ユキナリには思い当たる節はない。カントーの話ではないのかもしれない。

 

「預かりシステム、というんじゃが、聞いた事は」

 

 ユキナリは首を横に振った。アデクは、「よくは知らんが」と前置きする。

 

「何でもポケモンがデータ生命体である事を利用した、理論上はポケモンをデータ容量の限り保存出来ると提唱したシステムじゃな」

 

「それはトレーナーの管理で?」

 

「もちろん、トレーナーそれぞれに振り分けられた固有識別番号、IDに基づいて個人識別を行い、さらに内部のポケモンと手持ちの入れ替えも可能じゃという、まぁ眉唾な代物だな」

 

 アデクは腕を組んで難しそうにうなる。どうやらアデクとてその方面には疎いらしい。

 

「博士に聞けば、分かるかもしれませんね」

 

「博士、というのは?」

 

「ニシノモリ博士です。ポケモンの権威の」

 

「ああ、聞いた事のある名じゃな。その博士にキバゴをもらったのか」

 

 アデクがモンスターボールを眺める。そういえば、アデクは一度説明しただけできちんと紹介していなかった。ユキナリはモンスターボールからオノンドを繰り出す。

 

「もう進化してしまいましたけどね」

 

 苦笑するとアデクは、「進化は悪くないと思うぞ」とフォローを入れてくれた。ユキナリは山男から手に入れた鋼の塊をオノンドへと差し出す。思った通り、オノンドはそれを使って牙を磨き始めた。すかさずユキナリはスケッチブックの片隅にオノンドの姿をスケッチする。そのあまりの早業にアデクは目を奪われたようだ。

 

「よくそんな隅っこに描けるの」

 

 感心した様子の声に、「いえ、慣れっこですから」と答えた。

 

「と、言うと?」

 

「うちってそんなに裕福じゃないですし、今はそれなりに技術が向上したからいいですけど、昔は勉強のノートの切れ端に描いていたんです。これを職業として目指すんだ、って言う前はもちろん憚っていました」

 

 両親はその道を止めなかった。それどころか応援してくれた。今回のポケモンリーグですら、ユキナリに一度としてやめろとは言わなかった。

 

「いいご両親を持ったのう」

 

 アデクの声に、「いえ、アデクさんは?」と聞き返す。

 

「オレか。オレの両親は、まだ奴隷の身分じゃったからなぁ」

 

 その言葉にユキナリは声を詰まらせた。一瞬、何の事だか分からなかったのだ。アデクは、「ちょっと前までイッシュはそういう場所じゃった」と何でもない事のように説明し始めた。

 

「先住民族が虐げられていてな。最近、ようやく自由の身分になれたんだと、オレはよく爺様や、その子供である親父から聞いた」

 

 ユキナリはようやくその言葉の意味するところを理解出来た。イッシュ地方では先住民族は未だ肩身の狭い思いをしているのだと歴史で習った事がある。それを授業で聞いた時にはまるで対岸の火事のように感じたものだが、まさかその現実が目の前に突きつけられるとは思ってもみなかった。思わず、言葉が続けられない。

 

「そう構えるな。オレは気にしてない」

 

 ユキナリの心中を見透かしたようにアデクが口にする。気を遣われているのは自分のほうだと感じて、「すいません……」と謝るしかなかった。

 

「謝るなよ! オレが悪い事をしているみたいじゃろ!」

 

 快活に笑ってみせるアデクだがその胸中に何が渦巻いているのかユキナリには分からなかった。思えば勝手にシンパシーを抱いていたがアデクに関しては分からない事のほうが多いのだ。しかし容易に踏み入る事の出来ない事情である事もまた理解していた。ユキナリが二の句を継げないでいると、「まぁ、ちょっとばかりデリケートな問題かもしれんのう」とアデクは頬を掻く。

 

「今でもそういう風潮はある。だがな、だからと言ってオレは決して卑屈にはならん! そういう気持ちが人の心を歪める。歪んだ心が虐げる気持ちを生むのだとオレは親父から教わった。だから決して、他人と話す時、オレは相手を歪めない! そのために真っ直ぐ前だけを向いている!」

 

 その時になって気づいた。アデクはいつでも自分の目を見て喋るのだ。隠す事、恥ずべき事など一切ないとでも言うように。事実、アデクはその真っ直ぐな心で自分の心の鍵を解いてくれた。

 

「……すいません。僕、そういうのが顔に出てしまって」

 

「分かっている! そういうのが現実じゃ! だからこそ、人は強くならねばならん。だからと言って強さを強制する事が正しい事ではない」

 

 アデクはしっかりと教えを守っている。教えを自分のものとして吸収出来るのもまた才能か。ユキナリは胸の内に少しばかり湧いた嫉妬の念を消し去った。それもまた歪みを生じさせる一因だからだ。

 

「僕は……、えと……」

 

 言葉が足りない。それでもアデクは待ってくれている。自分が自分の言葉で歪みを消し去るのを。ユキナリはたどたどしく言葉を紡いだ。

 

「僕は、そういうの一切気にしないとか、そういう強さはありません。だから、今聞いた時、ちょっとびっくりしてしまって……。でも!」

 

 ユキナリはアデクの眼を真っ直ぐに捉えた。精悍な顔つきがユキナリの言葉を待っている。

 

「でも! 僕とアデクさんは、ライバルです」

 

 放った言葉が正解かどうかの確証はなかった。もしかしたら余計にアデクを傷つけたかもしれないと後悔を浮かべかけたのも束の間、アデクはそれこそ明朗快活に笑った。その笑い声に気圧されたほどだ。

 

「いや、面白い! やっぱりお前さん、面白い!」

 

 アデクは膝を叩く。ユキナリはその反応に困惑していたがアデクは、「正解なんてないんじゃ」と見透かした声を出した。

 

「だがお前さんの思い、見させてもらった!」

 

 どうやら自分の気持ちは伝えられたらしい。ユキナリは安堵の息を漏らした。

 

「そう構える事はない。それこそ、ライバルじゃろ!」

 

 アデクの言葉に、「そうですかね」とユキナリは迷いを浮かべたが、「そうじゃ!」とアデクの声で掻き消された。

 

「惑う事もある。正解か分からん道もある。それでも前を向いて進むのが人生! それが面白いから人生は面白い! そう、親父から教わったからのう」

 

「アデクさんの、ご両親は」

 

「もう他界しとる。今頃は雲の上から見守ってくれとろうて」

 

 アデクは天井を仰いだ。ユキナリは聞いてはいけなかった事かもしれないと思いつつもそこで壁を作りたくなかった。

 

「きっと、見てくれていますよね」

 

「おお! それにしてもニシノモリ博士、ちょっと会いたくなってきたな!」

 

 アデクは話に出てきた博士に会いたいらしい。しかし、今はマサラタウンから遠く離れたハナダシティだ。会う手段がない。

 

「あ、パソコンなら出来るか」

 

 ポケモンセンターに行けばパソコンがあるはずである。アデクは、「よし、善は急げじゃ!」と立ち上がった。ユキナリも立ち上がり、部屋から出ようとすると人影がすれ違った。アデクが道を譲る。ナツキがブルーバッジを手に廊下を歩いていた。向こうも俯いていたせいで気づかなかったらしい。肩がぶつかりかかってようやくこちらの動きに気づいた様子だ。

 

「な、何?」

 

「おう! お前さんも、ニシノモリ博士にポケモンもらったのか?」

 

 アデクの大声に、「ちょ、ここ廊下……」とナツキが周囲を気にする。ユキナリは訊いていた。

 

「キクコは?」

 

「部屋にいるわよ。……何よ、キクコキクコって」

 

「うん? 何か言った?」

 

 アデクが前に立っているせいで聞き取りづらい。ナツキは、「何でもない!」と声を張り上げた。今の声のほうがよっぽど目立つ。

 

「で、アデクさんは何の用?」

 

「ニシノモリ博士に会いたい!」

 

「はぁ?」

 

 ナツキにはアデクの言葉の意味が分からなかったらしい。ユキナリは説明する。

 

「博士とパソコンで通信出来るからポケモンセンターに行こうと思って」

 

「そういう事」と表面上では納得した様子だったがやはりアデクと行動を共にする事を快く思っていないようだ。

 

「アデクさんは博士に何の用なんですか?」

 

「会いたい! ただそれだけじゃ!」

 

 会話が噛み合っていない。ナツキが怪訝そうな顔をするのでユキナリが捕捉した。

 

「マサキさんへの手紙もらったろ? もしかしたら博士とマサキさんは知り合いかもしれないってアデクさんが言うから確認に行こうと思って」

 

 そのついでに紹介、と付け加えるとようやくナツキにも意図が伝わったらしい。「ああ、だからユキナリも行くのね」と頷いた。

 

「って言うか、あたしのほうが会いたいんだけれど、どうやってあれ操作するの?」

 

「あれって?」

 

 ナツキの言葉に疑問符を浮かべていると、「ポケモンセンターの隅っこに置いてあるパソコンよ」とナツキは苛立ちを浮かべた。

 

「どうやれば接続出来るのか全然分からない。こっちは早いとこ報告したいのに……」

 

 ナツキの焦りはユキナリにも分かった。ようやくジムを制したのだ。報告したいのが当然だろう。しかし、ならばポケモンセンターに行けばいいはずである。どうしてこんなところをほっつき歩いているのか。ユキナリは尋ねた。

 

「係りの人に聞けばいいだろ」

 

「トレーナーなのに機会音痴って恥ずかしいじゃない」

 

 そういうものなのだろうか。アデクと顔を見合わせると、「オレも機械音痴だがのう」と困惑した表情だ。ナツキはむっとして、「アデクさんはいいでしょ」とユキナリの手を引いた。

 

「ユキナリくらいしか分かっている人いないんだから。バッジ持って無闇に歩き回るの危ないし」

 

 ナツキの認識は確かにその通りだ。バッジを無闇に見せびらかすのは得策ではない。ラムダのようにポイント狙いで闇討ちを仕掛けてくる連中もいるのだ。

 

「分かった。僕らもついていくよ」

 

 当たり前のようについてくるアデクにナツキは眉根を寄せた。

 

「何でアデクさんも?」

 

「オレもパソコンの使い方は分からんし、博士にも会いたいからのう」

 

「っていうわけだから。それにアデクさんほどの実力者と一緒なら掠め取られる心配もない」

 

「どうかしら」とナツキは承服してない様子だった。道すがら、「キクコはいいの?」と尋ねる。

 

「何が」

 

「放っておいて、って事だよ。キクコだってハナダシティは初めてだろう」

 

「連れ立って行けって言うの?」

 

「そういうわけじゃないけれど、一人だけ置いてけぼりはかわいそうだよ」

 

 ユキナリの言葉にナツキは何度かうなってから、「分かったわよ」と部屋へと踵を返した。ユキナリが黙ってついていくとキクコはお湯を沸かしてインスタントのお茶を飲んでいた。緑茶の香りが部屋中に広がっている。

 

「あれ、ナツキさん、ポケモンセンターに行くんじゃ」

 

 まったりとくつろごうと思っていたようでキクコは片手に紙コップを手にしていた。ナツキはユキナリを親指で差し、「あんたも来てってさ」とぶっきらぼうに口にした。このような胡乱な空気が漂っているのがユキナリには意外だった。きっと二人きりで気まずいからポケモンセンターに行くと言い出したのもあるのだろう。

 

「私も行っていいの?」

 

 キクコが小首を傾げる。

 

「一緒のほうが何かと安心だし」

 

 ポケモンリーグのお膝元の宿泊施設とはいえラムダの報復がないとは限らない。あの連中が山越えしたかどうかは別だが、用心に越した事はなかった。

 

「だってさ」とナツキはキクコを見やる。キクコは、「じゃあ」と立ち上がりかけて、紙コップを差し出した。

 

「ちょっとだけ、お茶をしてから行こうよ」

 

 キクコの提案に乗ったのはアデクだった。

 

「おっ、いいのう! オレも喉が渇いておったんじゃ」

 

 早速キクコの対面に座り、紙コップに粉末の粉を入れてお湯を注ぐ。ユキナリは困惑していたが、「お茶会したいんならいいんじゃない」とナツキは冷たかった。

 

「ナツキは?」

 

「あたしはいい。部屋の前で待っているから、終わったら呼んで」

 

 そこまでキクコを遠ざける理由は何だろう。水と油のように二人は反発し合っているように思える。

 

「僕も部屋の前で待っているよ」

 

 ユキナリの言葉は少しばかり意外だったようだ。ナツキは、「あたしに合わせなくたって」と声に出す。

 

「別に、合わせるとか合わせないとかじゃない。僕は別に喉が渇いていないし」

 

「そうか。オレだけもらうのも気が引けるな!」

 

 そう言いつつもアデクは次々とお茶を飲み干していく。キクコはおっとりとした物腰でお湯を注いでいた。

 

「じゃあ、終わったら呼んでよ」

 

 キクコにそう言い置くとユキナリとナツキは廊下に出た。壁に背中を預けながらユキナリは尋ねる。

 

「何か不満があるの?」

 

 ユキナリとしてはやんわりと聞いたつもりだったがナツキは、「何それ」と怒気を露にした。

 

「別にないわよ」と顔が背けられる。ユキナリは分かりやすい性格だと感じながら、「僕だってキクコが何者なのかは分からないけど」と続ける。

 

「そう邪険にするもんでもないんじゃないかな。オツキミ山から二日、僕らはもう一蓮托生って言ってもいい仲だ」

 

「それは、あんたの理論でしょ。あたしは、まだあの子に心を開けていない」

 

 それは心を許せていないと同義なのだろう。ナツキの中では未だにキクコは突然旅に入ってきた闖入者でしかない。

 

「キクコの目的は何なんだろう」

 

「玉座じゃないの? あたし達だってそうじゃない」

 

 ナツキの言葉に、本当にそうなのだろうか、と自問する。キクコの性格上、玉座を目指すような人格とは思えないのだが。

 

「そういえば手持ちも知らないんだ」

 

 キクコは一度だって手持ちを晒した事はない。だから、自分達は手持ちも知らない相手と旅を同行していた事になる。

 

「お人好しが過ぎるのよ。アデクさんだってそう。あの人は優勝候補よ? もしもの時には捨て駒にされる可能性もある」

 

「アデクさんが? ないよ、そんなの」

 

「そう言い切れるの?」

 

 詰問されれば、それは明瞭な言葉にならなかった。自分はいつの間にかアデクを信じ込んでいる。それが重大な見落としになるかもしれないのに。しかし、ユキナリにはアデクを疑うような気にはなれなかった。

 

「……だって、アデクさんは自分の事も包み隠さず話してくれた。あの人は嘘をつけない人だよ」

 

 そうなのだ、と半分は自分に言い聞かせる。ナツキは、「どうかしら」と疑いの声を漏らす。

 

「嘘をつけない人なんて、この世にいるのかしら」

 

 その言葉の明確な答えを待つ前にキクコとアデクが部屋から出て来た。ユキナリは今の会話を聞かれていたのではと内心焦る。

 

「終わったんですか」

 

「おお! インスタントのお茶は意外とうまいな! オレはイッシュで色んな国のお茶を飲んだ事があるが、カントーのお茶は渋くっていい!」

 

 歩み出しながらユキナリは、「他の地方のお茶は違うんですか?」と尋ねていた。先ほどの会話を打ち消すために出来るだけ穏便な会話を目指そうとする。

 

「カロスのお茶ってのは、甘くっていかんな。オレの舌には合わなかった。向こうではガレットとかいう菓子と一緒に飲むらしいが」

 

 ユキナリは話に適当な相槌を打った。しかし心の奥底ではアデクを疑ってしまった自分の浅はかさを覆い隠そうと必死だった。

 

 



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第四十一話「アデクという男Ⅱ」

 

『なるほど。ブルーバッジか』

 

 ポケモンセンターに着くなり、やはり周囲に誰もいないパソコンを起動させ、博士のアドレスへと繋いだ。博士はまずナツキの戦果を喜んだが、それよりもとアデクに視線を向けた。

 

『まさか優勝候補と会えるとはね』

 

 博士からしても意外のようだ。アデクは深々とお辞儀をした。

 

「アデクと言います」

 

『うん、イッシュの優勝候補だね。知っているよ。その強さはかねがね噂に上っている』

 

「いえ、そんな事は」とアデクは珍しく謙遜した。ポケモンの権威の前ではさすがに萎縮するのだろうか。

 

『しかしストライクでスターミーを下すとは見事だね。ストライクの状態は?』

 

「今、ポケモンセンターに預けていて、明日には完全回復の見込みです」

 

 カスミとの戦闘でストライクは少なからずダメージを負った。それまでにカスミと戦った挑戦者達の予約も混み合っており、ポケモンセンターの回復は明日を待たねばならない。

 

「すごいと思いますよ。オレでも敵わなかったジムリーダーを倒したのですから」

 

 アデクからまさか激賞の言葉が出るとは思っていなかったのだろう。ナツキは僅かに頬を赤らめた。

 

『そうだね。その点では私も成長を見られて嬉しい。自分の教え子が力を蓄えるのは素直に誇らしいよ』

 

 博士の飾らぬ物言いにナツキは、「いえ、まだ一個ですから」と謙遜した。そうだ。残り六つのジムバッジを誰が手にするのかは依然として分からない。この勝負はまだ始まったばかりなのだ。

 

「そういえば、博士。マサキさんという方をご存知ですか?」

 

 本題に博士は小首を傾げる。

 

『どうしてその名を?』

 

「カスミさんから預かっていまして。マサキさんへの手紙を」

 

 ユキナリが鞄から取り出すと博士は、『なるどね』と手を打った。

 

『ソネザキ・マサキと言えばポケモンのデータ変換技術に関する重大な論文を発表した研究者だ。タマムシ大学の出で、言うなれば私の後輩に当たるのだけれどそれ以上はよく知らない。何でも預かりシステムとか言うらしいが、今のところ実用化はまだまだ先だと言われている』

 

「何です? 預かりシステムって」

 

『ポケモンがデータ生命体である事に着目し、パソコンの容量分だけデータに変換したポケモンを個人のデータベースに預けられるとするクラウドサービスの事だ。と言っても、私も専門外だからあまり詳しい事は分からないけれど、ポケモントレーナーを支援するための開発だとは聞いているよ』

 

 ユキナリは全員に視線を配るが全員が首を横に振った。どうやらちんぷんかんぷんのようだ。

 

『まぁ、詳しい事は本人に聞けばいいんじゃないかな。会えるんだろう?』

 

「ええ、今はハナダの北方にある別荘にいるみたいで」

 

『だったら話を聞くといい。いい刺激になるだろう』

 

 博士の言葉にユキナリは頷いた。

 

『それにしてもグレーバッジ一つにブルーバッジ一つか。私も鼻が高いよ』

 

「トレーナーズスクールでは、僕ら以外にも旅立った人間はいましたよね? 他の人達は……」

 

『ああ、何人かが脱落したらしい。オツキミ山とディグダの穴の方面、トキワの森辺りでかな。やはり一筋縄ではいかないみたいだ』

 

 ユキナリは自分達以外の脱落に気が張らないわけではなかった。オツキミ山でのラムダとの戦闘。運が悪ければ脱落していた、いや、命を落としていたかもしれない。

 

「サバイバルですからね。誰が脱落しても不思議じゃない」

 

 ナツキの非情な言葉にユキナリはだからこそ、助け合うべきなのではないかと感じたが、余計な口を挟んで混乱するのを避けたかった。

 

『そうだね。アデク君、と呼んでいいかな』

 

「どんな呼び名でも」とアデクは胸を張る。

 

『強制はしないが、彼らを頼む。まだトレーナーとしては未熟だ。君のような年長者の助けは素直に必要になってくるだろう』

 

 博士からの提言にアデクは、「オレも挑戦者の一人です」と答えた。

 

「さっき言われたように、誰が脱落しても不思議じゃない。オレも分からない。この先、勝っていけるかどうか。約束はできかねます。ですが、オレは彼らの旅路に少しばかり応援を送りたい。それだけなんです」

 

 アデクの言葉には誇張はない。ただ自分の出来る事だけをやるという、彼らしい声音だった。

 

『それだけで充分だよ。無粋なお願いだったかな』

 

「いえ、ニシノモリ博士と話せてオレも嬉しいです」

 

『そう硬くならないでくれ。イッシュの博士達に比べれば随分と遅れているんだ。私の言葉一つ一つに緊張する事はないよ』

 

 博士は柔らかく微笑んでからユキナリに目を向けた。

 

『そろそろ切るよ。また何かあったら連絡してくれ』

 

「はい。では」

 

 ユキナリは通話を切り、アデクへと向き直った。

 

「博士はああ言っていますがアデクさんの邪魔になるようなら、いいんですけど……」

 

 煮え切らない声を吹き飛ばすようにアデクは快活な笑い声を上げる。

 

「何を遠慮しとる? オレがやりたいと思っただけ! 何にも遠慮する事はない!」

 

 どうやら杞憂のようだ。アデクはただ自分の旅を遂行しているだけ。その途上にいる自分達を偶然気に留めているだけなのだ。それは彼らしい気紛れだった。

 

「宿に戻りましょう」

 

 ユキナリの言葉に全員が頷いた。胸にあるしこりはまだ消えないが、きっとこの先軽くなるのだと前向きになる事が出来た。

 

 



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第四十二話「歪んだ再会」

 

 纏った黒服は自分には合わない。

 

 イブキは直感的にそう感じたがキシベに提言するつもりはなかった。元より、自分達が行おうとしているのはこの世の闇に当たる道。その中で今までのようにスポットライトの当たる王道を行けるとは思っていなかった。水色の衣服は捨てなかったがもう着られるとは考えていない。それほど楽観主義にはなれなかった。イブキは身体にフィットする服を撫でながら物思いにふける。故郷の人々のため、自分の活躍に期待している人々を裏切る行為ではなかろうか。何度も頭を掠めたその思考は結局益もなく過ぎていくばかりだ。イブキはモンスターボールを確認する。キシベの奨励したボールを使わないだけ自分の一線を保てていた気がしていたが、それは結局意味のあるこだわりなのだろうか。ホルスター越しにパートナーとの呼吸を確認したイブキは扉をノックした音にびくりと身体を震わせた。

 

「イブキ殿。キシベです」

 

 キシベの前では弱い自分を見せるわけにはいかない。呼吸一つでフスベのドラゴン使いイブキを呼び出した彼女は扉を開け、「何か」と硬い声音で問いかけた。キシベは、「入っても?」と確認する。明日に控えた作戦の前準備として一人一人を回っているのだと彼は説明した。

 

「どうぞ」とイブキは応じてキシベを通す。宿泊施設はポケモンリーグの奨励する施設ではなくシルフカンパニーの支配下にある施設らしい。情報が漏れる心配はないそうだ。

 

「明日の作戦は午前九時ジャストにマサキの別荘へと襲撃をかけます。異論はありませんね?」

 

 キシベの声にイブキは、「あると言えば」と服装に関して文句を言った。

 

「この黒い衣服は何?」

 

「全員で共通の色を使う事によって連帯感を強めようという考えです」

 

「目立つのでは?」

 

「意外とそうでもないですよ。私や他のメンバーもそれに近い服装をしていますが目立つ事は稀です。それにシルフの社員証を見せれば誰でも納得する」

 

 イブキにはシルフカンパニーの社員証が与えられていた。もちろん偽装だ。しかし、キシベは問題ないと言い放つ。

 

「シルフの腹を探ろうなんていう命知らずはいませんからね」

 

 それだけカントーではシルフカンパニーという会社が幅を利かせているのだ。イブキはまさかその一部になるとは思ってもみなかった自身を反芻する。

 

「それにあなたの服装はオーダーメイドでしたが、気に入りませんか?」

 

「マントのこれ」

 

 取り出したのは赤い「R」の文字が刻まれた黒いマントだ。イブキは顔をしかめ、「さすがに目立つ」と口にした。

 

「今まで通りのマントでいいかしら?」

 

「どうぞ。マントに関してはあなたの自由です」

 

 ただし、いずれ必要になる。そのような含みを感じさせる物言いだった。イブキは豪奢な装飾がなされた部屋を見渡し、「大したものね」と口にする。

 

「シルフカンパニーってのはそれほど偉いのかしら」

 

「ええ。カントーの製品の九割のシェアを誇っています。いずれ百パーセントになるでしょう」

 

 その言葉には驕りもなく、さも当然だと言いたげだった。イブキは怪訝そうに尋ねる。

 

「あなたの口ぶりには何か、余人には窺い知れないものを感じさせるわ。どうしてそれほどまでの自身があるのか、拝聴したいわね」

 

 キシベは椅子に座って脚を組み、「簡単な事ですよ」と口を開いた。

 

「ただそうあるべきだと歴史が証明している」

 

「歴史? シルフは確かにカントーでは古株の会社だけれどそれほどまでに成功を収めてきたとは聞かないわね」

 

 キシベは少しだけ視線を中空に向けて、「そうですね」と思案した。まるでイブキに説明するには少しばかり手間がかかるとでも言うように。

 

「歴史とは、元来不可逆なものです」

 

「当然よ」

 

「しかし、この世界において、これから起こる事、これまでに起こった事全てを記した存在があるとしたら」

 

 イブキは眉根を寄せた。それはまるでオカルトだ。

 

「陰謀論でも唱えたいの?」

 

「いいえ、私が言いたいのは、そういう予言めいたものを信じるか、という話です」

 

 イブキは少しの逡巡の間を置いた後、「信じないわね」と答えた。

 

「どうして?」

 

「だってそんなものがあるとしたら人間は何も努力しないでしょう」

 

 イブキの答えが意外だったのか。それとも大した事のないせいか、キシベは口元に笑みを浮かべた。「何よ」と不遜そうな声を出すと、「いえ」とキシベは首を振る。

 

「そう考えるのもまた、人です」

 

 はぐらかされているような気がした。イブキは、「何が言いたいの」と問い詰める。

 

「つまりですね、この先起こる事、これまでに起こった事を記した預言があったとして、それに人は基づいて行動するか、あるいはそんなものを無視して反対側の方向に行動するのか」

 

「それは、知る人次第じゃないの」

 

 キシベは笑みを深くして、「その知った人間が」と身振り手振りをつけた。

 

「もし、ひた隠しにしたら? その預言は誰にも知られない」

 

「そうしたら、一部の人間を除いてこの世界は預言通りなのか、そうでないのかの判別はつかないわね」

 

 イブキの言葉にキシベは、「それを仮に対象Xとします」と急に教鞭を取るように語り始めた。

 

「預言書、対象Xは一部の人間だけが知っている。それにはこれまでの人間の行いや、業が書かれており、これから先にどう行動すべきか、誰が何を生み出すのかまでが書かれている」

 

「眉唾物ね」

 

 イブキの感想を無視してキシベは続ける。

 

「もし、それに基づいて行動したとしたら。それに基づくために必要な要素として殺人があり、歴史の改変があったとしたら?」

 

 イブキは硬直した。キシベの言わんとしている事が何となく理解出来たからだ。

 

「……まさか、このポケモンリーグが」

 

 キシベは肯定も否定もせず、「シルフは発展しますよ」とだけ告げた。

 

「それこそ、ポケモン産業を独占する企業となる。バトルや道具の管理に加え、さらにそれを扱う人間の巨大なクラウドである預かりシステムの開発者を抱き込めば何も怖くないでしょう?」

 

「そのための、マサキ拉致」

 

 しかし、その論法は同時にある事実を示していた。マサキが預かりシステムとやらを開発する事を既に知っており、これから先それが必要になってくるのだと確信していなければこのような強攻策に出る事は出来ない。

 

 シルフカンパニーがその預言書とやらを保持していない限り――。

 

 イブキは底知れぬ闇を垣間見たような気がした。ポケギアに視線を落とし、その中にあるマサキのデータを閲覧する。

 

「ソネザキ・マサキ。二十五歳。タマムシ大学を首席で卒業後、ベンチャー企業を立ち上げ、その中でポケモンがデータ生命体である事に着目。論文は学会に旋風を巻き起こした。パソコンの容量分だけ個人のポケモンを預かれると提唱したこの預かりシステムを今、マサキは開発段階に入っている……」

 

「その技術、一つの組織に属しておくにはもったいないと思いませんか?」

 

「シルフのお膝元に置く事もまた、傲慢だと思うけれど」

 

 イブキの疑問にキシベは、「ナンセンスです」と口にする。

 

「いずれシルフの力添えが必要になる。今の組織ではマサキとて満足ではないはずです」

 

「だったら、真正面から交渉すればいいんじゃ――」

 

「そんな事を許す組織だとお思いですか?」

 

 キシベの言う組織とやらは随分と大きなものらしい。イブキには全く窺い知れなかったが、シルフカンパニーを脅かすほどと言えば相当だろう。

 

「……あなた達の横暴を許さない組織ってわけ。なんだか正義は向こうにあるような気がするけれど」

 

「正義など、流動的です。そのような価値観に縛られていては成長するものも成長しない。我々は、我々の道を切り拓くために動くまで。その過程でマサキの頭脳、技術は必須です。必ずや手に入れなければ」

 

 キシベの強い口調に、「分かっているわ」とイブキは応じた。

 

「もう出て行ってくれる? 私だって明日の任務に向けて集中したいのよ」

 

 既に時刻は十時を回っている。キシベは素直に退散した。

 

「明日の陣頭指揮を頼みます」

 

 キシベ本人はハナダシティに赴く事はしないらしい。安全圏から自分達に命令を下すようだ。それも気に入らなかったが仕方がないとイブキは感じていた。この男は表舞台に出るタイプではない。

 

「では、最大の健闘を」

 

 その言葉を潮にしてキシベは去って行った。一人、取り残されたイブキは、「最大の健闘を、か」と呟いて拳を握り締めた。

 

「やってやるわよ。玉座に上り詰めるためならば」

 

 どんな泥だって被る、とその決意を強固にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 集まったのは自分と同じような黒服の人々だった。彼らは隠密に秀でた井出達で自分とは対照的だったが襟元に赤い「R」のバッジを見つけ、キシベの息のかかった人間達だと知れた。

 

「ソネザキ・マサキの身柄を拘束する。総員、滞空姿勢」

 

 イブキの命令に全員に緊張が走った。イブキもこれから行う事が善なのか悪なのかはかり知れなかった。ただ自分には退路がない事も知っている。だからこそ、この任務に臨んでいるのだ。耳に埋め込んだ通信機から声が発せられる。

 

『全員、降下準備』

 

 重々しい音を立てて後部ハッチが開いていく。イブキは一言だけ命じた。

 

「降下」

 

 その言葉に全員が迷いなく踏み出し、後部ハッチから身を乗り出した。躍り上がった人々は空中に散開する。イブキも空中に身を躍らせた。背中に背負ったパラシュートを確かめ、イブキは独自の命令系統を使って、「パラシュートを展開」と声にした。全員がパラシュートを広げ、ゆっくりと目的地に降りていく。

 

 ポケモンによる「そらをとぶ」の使用が禁じられているとはいえ、まさか超高空から輸送機を使って降下してくる人間がいるとは誰も思わないだろう。イブキは改めてシルフカンパニーがどれだけ金をかけているのか実感した。自分達にシルフは投資している。それは未来のためであるのだろう。しかし、まだ見ぬ未来のためだけにこれほどまで大がかりな事をするのか? キシベの言っていた預言書とやらを思い返したが、詭弁だと切り捨てた。余計な事は降下中に考えるべきではない。

 

 第一波が降り立ち、ハナダシティ北方の草原地帯に身を隠そうとした。彼らはどうやらプロらしい。パラシュートを即座に仕舞い、自分達の足跡を消そうとしている。続いて自分を含む第二派が降り立った。最初、視界がぶれて一瞬だけ暗転したがすぐに持ち直した。イブキは何度か教えられたパラシュートの仕舞い方を実践し、すぐに第一波に追いついた。

 

「状況は?」

 

「ソネザキ・マサキは別荘にいる模様。中に数人、人がいるようですがどうします?」

 

 マサキは誰か連れでもいるのか。情報では単独で別荘にいるとの事だったが状況は変わるものだ。

 

「構う事はない。突入」

 

 イブキの声に黒服の人々が草原から顔を出し、雪崩のように別荘へと向かって駆け出した。彼らの保有するモンスターボールがキシベの言っていた最新鋭のものだと気づき、イブキは苦い思いを噛み締めたが自分はこれでいいと考え直した。安きに流れる事だけが人間の所業ではない。イブキは別荘の前から、他の人々は窓を蹴破って入った。

 

「マサキを確保せよ。無傷で、との命令……」

 

 扉を破った瞬間、茶髪を天然パーマにした青年が視界に入った。それがソネザキ・マサキだと確認したのも束の間、次の瞬間に視界に入った人影にイブキは瞠目した。

 

「イブキ、さん……」

 

 それはトキワの森で戦ったトレーナーに他ならなかったからだ。

 

 



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第四十三話「世界の広さ」

 

 マサキの家に続くゴールデンボールブリッジを抜け、ユキナリ達は早目にマサキの別荘を目指した。

 

 さして障害もなく、雄大に広がる草原地帯の中にぽつりと建った木造の別荘を見つけユキナリはマサキと話をした。カスミからの手紙だと伝えるとマサキは天然パーマを掻きつつ、「すまんな、汚れていて」と部屋を見渡した。屋内はパソコンと周辺機器が密集しておりまるで機械のジャングルだった。マサキはジャンクフードを時折口に運びながら、「今、構築データに手間取っていてな。ワイにはそれしか出来んさかい」とこぼす。どうやらマサキはジョウトの出身でコガネ弁が混じっていた。

 

「何の構築データです?」

 

「ああ、言えん、言えん。これだけは企業秘密っちゅう奴や。まぁ、この構築データをすぐに進めろって言われてもなかなか難しくってなぁ。お上も無理難題を押し付けよる」

 

 愚痴をこぼすマサキが手紙を開けようとしたその瞬間であった。

 

 窓と扉が同時に破られ、黒服の人々が侵入してきたのは。

 

 黒服達はホルスターから赤い球体を抜き放つ。それが何なのか、ユキナリには最初分からなかった。赤と白のカラーリングが施された球体は見覚えがあるようでない。次に発せられた声とその主にユキナリは目を向けた。

 

「マサキを確保せよ。無傷で、との命令……」

 

 身体に密着した黒い衣服を身に纏っているが、翻したマントと結った水色の髪は見間違えようがなかった。

 

「イブキ、さん……」

 

 ユキナリの声にイブキも驚いたようだった。数秒、確認するかのように視線を交わしたがイブキが歯噛みした。

 

「どうして、ここにいる」

 

 それはこちらの台詞だったが、その言葉を発する前に黒服がマサキの肩を引っ掴んだ。

 

「な、何をする? 離さんかい!」

 

 マサキが身をよじるが黒服達は手馴れた様子で一撃の下に昏倒させた。肩に担がれたマサキが窓から運び出されようとする。ユキナリは反射的にマイナスドライバーとモンスターボールを繰り出していた。意識して行動したわけではない。ただ、止めなければという意思が先行しボタンを押し込んでいた。

 

「いけ、オノンド!」

 

 ボールから飛び出したオノンドが構えを取ってイブキへと睨みを利かせる。因縁の相手だからだろう。オノンドも闘争心を剥き出しにしていた。ユキナリはしかし、それ以上に分からなかった。何故、イブキがマサキを攫うのか。

 

「イブキさん、何をしているんですか?」

 

 まずそれを問い質さねばならない。イブキは、「目的がある」と短く告げた。

 

「目的って、玉座ですか?」

 

 イブキは答えない。沈黙を是としたイブキの考えがユキナリには読めなかった。

 

「……どうして。それとマサキさんの、何の関係が」

 

「子供が勘繰るものじゃない」

 

 その一語で自分との立場が決定的になったような気がした。断絶が自分とイブキの間に横たわる。それは埋めようのない認識の差であった。

 

「……そうですか。だったら、僕は」

 

 一歩踏み出す。その意気を読み取ったのかイブキは、「戦うつもりか?」と尋ねた。是非もない。もうそれしか自分とイブキには残されていない。

 

「分かっていたよ。あんたと私は戦う事でしか分かり合えない!」

 

 イブキがモンスターボールからポケモンを繰り出す。現れたのはトキワの森で対峙したのと同じ、青い姿のハクリューだった。

 

「進化したのね。キバゴ、だったかしら?」

 

 イブキがオノンドに目をやって口を開く。ユキナリは、「ええ」と応じた。

 

「僕達は、あの時よりも強くなっている」

 

「そうでなくっては、戦い甲斐がないわ」

 

 イブキが腕を振り上げる。ハクリューが早速動き、オノンドへと接近した。まさかの動きにユキナリの命令が一拍遅れる。キバゴの時を見ているのならば接近戦はこちらのものだと知っているはずなのに。

 

「いきなり、何故」

 

「先制はいただいた! ドラゴンテール!」

 

 ハクリューが尻尾を突き出し、剣の速度でオノンドの鎧の皮膚へと突き込んだ。その一撃がオノンドを下がらせる。ユキナリはその威力に瞠目する。

 

「パワーが上がっている?」

 

 見間違いか、と感じたが続け様に放たれた「ドラゴンテール」の猛攻に間違いないとユキナリは判断する。何かパワーの上がる効力の道具をつけている。ハクリューの姿を観察していると、その首筋に水色の水晶ともう一つ、黄色い鉱石を巻きつけていた。その石の名前をユキナリは知っていた。

 

「進化の輝石……」

 

「あら、意外と博識ね。そうよ、進化前のポケモンならばこれによって能力が上がる」

 

 それは意外な事実を示していた。つまりハクリューはこれからまだ進化するという事だ。その脅威にユキナリは身を震わせた。

 

「輝石を持たせているハクリューの攻撃力を嘗めないでもらえるかしら!」

 

 竜の尾を突き出し、ハクリューが白兵戦を挑む。ユキナリはまだ命令を下せない。イブキが本当に敵なのか、それすら分からない。今、戦う事が正しいのかさえも。

 

「僕、は……」

 

「終わりね! そこで竜の波導!」

 

 ハクリューが波動を口腔に溜めるのにさほど時間はかからなかった。ユキナリはオノンドが避けられない距離で放たれようとしている青い光の帯を視認する。戻れ、と声を出そうとしたが既に遅い。直撃は免れないと考えた、その時であった。

 

「メラルバ! ニトロチャージ!」

 

 アデクの声が弾け、赤い流星となったメラルバがオノンドとハクリューの戦闘に割って入った。ハクリューが攻撃を中断して後退する。ユキナリがアデクへと視線を振り向けると、「何をやっている!」と檄が飛んだ。

 

「相手はマサキを攫った連中じゃぞ! こっちが手加減して抑えられるもんじゃない!」

 

 アデクの声にユキナリは、「でも……」と苦渋を噛み締める。イブキなのだ。自分と戦った、最初のトレーナー。高い関門として立ちはだかった優勝候補。だからこそ、次に戦う時はきちんとした場所で、と考えていた。だというのに、その誓いはこんなところで破れるのか。ユキナリは思わず声にしていた。

 

「イブキさん! 僕は、こんなところで戦いたくないんです!」

 

 会話が平行線なのも分かっている。だからこそ、お互いに何の利益にもならない戦いはしたくない。しかし、ユキナリの思いは他所にイブキは、「私はあんたを下さねばならない」と冷徹だった。

 

「見られたからには、生かしてさえおけない」

 

 ユキナリは背筋が凍るのを感じた。目の前の敵は誰だ? 本当にイブキなのか、という逡巡が浮かぶ。それを読み取ったようにハクリューが身体を跳ねさせる。青い粒子を全身から放ちながら、ハクリューが突進してくる。「ドラゴンダイブ」だ。青い光にメラルバが弾かれる。アデクがたたらを踏んだ。

 

「おおう! この強さ、メラルバでは抑え切れん! 腐っても優勝候補か。ユキナリ! 決めろ!」

 

 アデクの言葉にユキナリは肩を震わせる。何を、という意味で振り向けた目にアデクは厳しく告げた。

 

「ここで奴を倒すか、それとも倒されるかじゃ!」

 

 唐突な言葉にユキナリは硬直するしか出来ない。倒す、倒さないの議論は対等なステージでやるものだと思っていた。だというのに、設けられたのはこのようなどちらの正義があるのかも分からない場所だ。決めようもない。

 

「メラルバでは押し切られるぞ!」

 

 青い光を纏ったハクリューが真っ直ぐに空間を突き破り、矢のように迫る。ユキナリは眼前に突きつけられた問いに答えるしかなかった。ここでやられるか、それともやるか。

 

 ぎりっ、と歯を食いしばりユキナリは、「オノンド!」と名を呼んだ。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 オノンドの両方の牙に青い光が纏いつき、斧の形状を成してそれぞれを撃ち放った。ハクリューの勢いが減衰し、衝撃波で別荘の床が捲れ上がる。木の粉塵を引き裂き、ハクリューはメラルバを無視してオノンドへと攻撃を加えた。

 

「ドラゴンダイブを無力化するのは前と同じ! でも、ここから先は違う!」

 

 ハクリューの宝玉から水色の電流が迸ったかと思うと、それは網のようにオノンドを絡め取った。オノンドの動きが鈍り、関節一つを動かすのに時間がかかる。

 

「何を……」

 

「電磁波か」

 

 吐き捨てたアデクの言葉に麻痺状態にする「でんじは」が放たれたのだと分かった。ハクリューが再び尻尾を突き上げ一撃が放たれる。オノンドが身をよじる前に胸部へと直撃が叩き込まれた。オノンドが後ずさり、立ち上がろうとする前にハクリューが尻尾を切っ先のように首筋へと突きつけた。

 

「詰みよ。この距離なら首を落とせるわ」

 

 オノンドの眼から闘争心は消えていないがユキナリにはその一動作でもうこちらに打つ手がない事が分かった。

 

「どうして……」

 

 そんな言葉ばかりが口をついて出る。イブキは、「大人の世界という奴よ」と告げて身を翻した。ハクリューが煙幕代わりに「りゅうのいかり」を撃つ。オノンドはもちろん、反応して牙で弾いたが、ハクリューは既に離脱していた。

 

「また会う事もあるでしょう」

 

「どうしてなんですか! イブキさん!」

 

 こんな邂逅を望んでいたわけではない。全力の声にイブキは、「もう少し、世界の広さを知りなさい」と言い残した。

 

 イブキが身を翻して黒服達と共に逃げていく。ユキナリには納得出来なかった。世界の広さ、自分の窺い知れない世界の闇の前に立ち尽くす事しか出来ない。

 

「でも、どうしてなのか、教えてよ……。イブキさん……」

 

 膝を落としながら発した言葉は本人に聞かれる事はなかった。

 

 



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第四十四話「ジョーカーⅠ」

 

 イブキには予想外の連続だった。

 

 ユキナリのポケモンが進化しているのも予想外ならば、優勝候補のアデクが行動を共にしているのも予想外だ。予め用意されていた黒色のバンに乗り込み、イブキ達はその場から走り去った。切り替わっていく景色を眺めながらイブキは人知れず歯噛みする。

 

 自分とて、ユキナリとの再戦がこんな形になる事は望んでいなかった。だというのに、自分だけ大人の世界を知った振りをして立ち去るのは卑怯に思えた。酷く矮小な自分を持て余し、イブキは次の行動へと思考をシフトさせる。ユキナリの事をウジウジ考えていても何も始まらない。イブキは車内で拘束されている男へと目をやった。じたばたともがく気配はない。昏倒させられているからか、マサキは大人しかったがイブキはあえて横っ面を叩いて起こした。

 

「イブキさん、何を――」

 

「黙っていなさい。これから話す事、聞く事はキシベには漏らさないで」

 

 そう釘を刺してからマサキの顔を見据える。バンが凸凹のある往路で揺れる。マサキは今しがた夢から起こされたような寝ぼけた視線をイブキに向けた。その視線が敵意に変わる前に、「答えなさい」とイブキはマサキの顔を引っ掴んで尋問した。

 

「あんたの所属している組織は何?」

 

 キシベとの会話の中で、何度かマサキがとある組織に属する人間であるという話が出た。マサキは恐らく今の環境に満足いっていないとも。イブキの詰問にマサキは、「答えると思っとるんか……」と強気に出た。

 

「ワイはなぁ! これでも一端の研究者としてプライドぐらいはあんねん! それをこんな強攻策……、一体どこの誰や! お前ら動かしとるんは?」

 

 どうやらマサキのバックには相当強力な組織がいるらしい。この状況下で見上げた根性だ。あるいは性根が違うのか。どちらにせよ、イブキはここで吐かせねばキシベに永遠にその機会を奪われる事だけは明らかだった。

 

「早く答えたほうがいいわよ。あんたの命のために」

 

 ハクリューが尻尾を突き出し、マサキの首筋に突きつける。マサキは目を慄かせたがそれでも口を割らなかった。イブキは次の交渉のカードに移る事にした。

 

「私達はシルフカンパニーの手の者よ」

 

 その言葉に車中がざわめいた。

 

「イブキさん、それは言ってはならないとキシベ様が……」

 

「だから、キシベには言うなと言っている」

 

 有無を言わせぬイブキの口調に黒服達は黙りこくった。マサキだけが、「シルフが……?」と信じられない様子だ。

 

「あんたの言動を観察していると、どうやらこのカントー地方という場所でさえ掌握出来る組織のようだけれど、シルフの動きは別のようね」

 

 それだけシルフカンパニーという会社が闇に包まれている証だろう。マサキは答えなかった。イブキは、「いい? 質問しているのは私よ」と前を向かせる。

 

「あんたの組織。それを割るだけでいい」

 

 随分と妥協した言葉にもマサキは沈黙を返した。どうやらそれほどまでの秘密らしい。キシベは恐らく自白剤か何かで正体を聞き出すだろう。その後では、マサキは既に廃人で使い物にならない可能性もある。そうなる前に自分の手で押さえておきたかった。イブキの根気が伝わったのか、それとも気紛れか、マサキはぽつりと話し始めた。

 

「……ワイも、それほど詳しいわけやないけれど」

 

 イブキはマサキの眼を真っ直ぐに見据え、「分かる範囲でいい」と促した。

 

「このカントー地方に属している組織やない。むしろ、逆や。このカントーがおかしいという事に着目した組織。それがワイの所属する組織や」

 

 イブキには意味が分からなかったがマサキは、「ワイの持っていた手紙」とポケットを顎でしゃくった。

 

「ちゃっかり持ってきとるんやろ? 見てみぃや」

 

 イブキはその言い分が癇に障ったが黒服に目線をやるとやはり直前に開こうとしていた手紙を持ってきていた。

 

「ワイとあの子らの出会いは仕組まれておった。それが書かれておるはずや」

 

 イブキは手紙の文面を見やり、絶句する。そこには何も書かれていなかった。ただ一言「作戦遂行ご苦労」とだけ添えられていた。

 

「どういう……」

 

「つまり、それの送り主であるジムリーダーもグルやな」

 

 イブキは手紙の裏面を見やった。カスミ、というサインが成されている。マサキの話から、それがハナダジムリーダーである事を推測するのは難しくなかった。

 

「ジムリーダーレベルで進行する話とは何?」

 

 問いかけるとマサキは、「だから、ワイにも詳しい事は分からんって」と応ずる。

 

「そもそもワイを雇ったのはハンサムの旦那やし。それ以外の構成員とはほとんど顔も合わせん。ハンサムの旦那もワイそのものよりも、ワイが生み出す利益に興味があったようやし」

 

「ハンサム、というのは」

 

「国際警察のリーダー格、とだけ聞いとる」

 

 その言葉にイブキは息を呑んだ。まさか国際警察クラスが動いているとは思いもしなかったのだ。しかし、その下で働いていたとなればマサキの研究は暗黙の了解で利益を生み出す事になっただろう。それこそ全国規模で。

 

「ますます分からないわね……。あんた達の組織は何を考えているのか」

 

「ワイも知りたいところやけれど、藪を突いて蛇を出すのは嫌やろ? だから極力、触れんようにしとるんや」

 

 これだ、とイブキは感じ取った。マサキでさえ触れない組織の中核。それに繋がる鍵をキシベは持っている。それこそがアキレス腱なのだ。

 

 交渉材料としてこれ以上ないだろう。組織の庇護、いや拘束を離れ、自分の研究成果を自分の名で売れるとなればマサキはどこの組織に与するかなど瑣末だと考えているのだろう。自分の技量と技術を最大限に振るえるのならば敵となっても全く厭わないタイプだ。割りきりがよく出来ている。その点、自分は割り切れていないとイブキは感じる。ユキナリとの事もそうだ。未だに、こんな形しかなかったのかと悔やんでいる自分を発見する。

 

「賢明ね。でも、私達は本当のところを知りたい。あんた達は国際警察まで抱き込んで何のつもりなのか?」

 

 イブキの質問にマサキは、「おまいさん」と口を開く。

 

「どうしてもワイの口から組織の内情を知りたいみたいやな。何でや?」

 

 イブキは答えない。マサキは推論を並べ立てる。

 

「ワイが思うに、これ以上先にはおまいさんの介入する手段がないんやろ。推し量るにおまいさんは末端や。でも、いや、だからこそか、真実を知りたいと感じている。上から教えられるんやない、自分の目と耳で真相を確かめたいと」

 

 マサキの言葉に、「だから何?」とイブキは応じた。出来るだけ平静を装ったが、マサキはその心中を読んだように、「迷っとるな」とこぼす。

 

「ここでワイをダシにむしろ逆におまいさんの組織の内情さえも知ろうとしとる。それは、いわば蛇が自分の毒の強さを知るために自ら牙を自身に突き立てるようなもの。毒に塗れる、覚悟はあるんかいな」

 

 マサキの問いかけにイブキは、「覚悟なら、とうに持っている」と決意を新たにした眼差しを送った。

 

「背負っているものだけじゃない。私は私自身が納得出来るために、あんたに尋問している」

 

 その答えに、「なるほどなぁ」とマサキは満足いったように首肯した。

 

「気に入った。名前は?」

 

「フスベタウン、竜の一族のイブキ」

 

「なら、イブキ姐さん。ワイら、共犯関係を結ばんか?」

 

「共犯?」

 

 胡乱な響きにイブキは周囲に視線を配った。他の人間もいるのだぞという無言の主張に、「どうせ姐さんの部下やろ?」とマサキは涼しい様子だ。

 

「人の口に戸は立てられんが、本当にまずい時、人って無口になるんや。多分、これから先にワイが話す事を聞いたら、部下達は黙りこくるしかないと思うで」

 

 マサキは拘束された身分でありながら笑みを浮かべてみせる。その豪気さが気に入ったのもあるが、それほどの事実を前にして聞くなというほうが無粋だった。

 

「話しなさい」

 

 イブキの言葉にマサキは、「大声で独り言喋るさかい、堪忍な」と前置きした。つまりこれから話す事は自分の口から放たれたのだと公にしないでくれと物語っていた。

 

「このカントー地方、おかしいと思わんか?」

 

「おかしいって?」

 

「相槌打つなや。姐さんは頷いとるだけでええんや」

 

 マサキの思わぬ忠言にイブキは口を噤んだ。もし、この会話が録音されていた場合、会話の形式を取っているとイブキまで不利になると踏んだ上での声だろう。

 

「あらゆる地方、あらゆる地域を調べたが、このカントー地方だけ、伝説、神話の類はほぼ一切存在しない」

 

 イブキは初耳だったが、そういえば自分の故郷であるジョウトには伝説が数多く眠っている事を思い返した。

 

「だというのに国の興りは古く、ポケモンの目撃例が最初期に報告された地方でもある。でもやで、イッシュやジョウト、シンオウやホウエンにはもっと古くからポケモンと人間の繋がりがあった事を示唆する証拠があるんや。なのに、カントーだけ、それが抹消されたように存在しないのは、奇妙だとは思わんか?」

 

 イブキは黙りながらマサキの言葉を自分の中で咀嚼した。カントーが奇妙な地域であるのは疑いようがない。しかし、そういう場所もあるだろう、という認識だった。マサキはその認識に冷水を浴びせるように声をかける。

 

「レックウザは数億年間、オゾン層の上を飛び回っているそうや」

 

 天井を仰いだマサキの視線を追うようにイブキもここからは窺えない空を幻視する。その空のさらに向こう側を飛んでいるポケモンがいるというのか。

 

「だとしたら数億年前にはポケモンはいた事になる。それどころか、組織の考古学者の調べたデータによると、シンオウの神と呼ばれているポケモンに至っては世界創世、この世の始まりにポケモンがあったとする神話があるそうや。もちろん、それらが実際の現象をなぞるために作られた御伽噺である線も捨てられんが、同時に百年、二百年単位でポケモンは存在していた事になる。でも、ポケモンの公式な発見例はたったの五十年前や。タジリン伯爵言うんがスケッチしたノートがあってな。そこにポケモンが見られるんやけど、今とは全く別の生命体と呼んでも差し支えない。見てもよく分からんのや。これを組織の人間は認識力の差だと判断しておるけどな」

 

 イブキは目線でそれは何だ、と問いかける。マサキは、「認識力の差、つうんは」と答え始めた。

 

「つまり、ポケモンという生命体は、人間に認識されて初めて、その姿を顕現させるんやないかっつう、まぁ仮説やな」

 

 その言葉に緊張の気配が車中を押し包んだ。誰もが黙りこくる。確かに異常な事実の前では凡人は口を開く事さえも出来なかった。

 

「でも仮説や仮説。実証実験は目下のところ不可能やし、なにぶん生体実験。これはいくら組織に超法規的措置が取られているとはいえ難しいところではあった。だからワイはデータ生命体という観点からアプローチした。データというのはいわば記録。記録いうんは観測者なしでは成り立たん。つまり、人間のための研究として発足したワイの研究を組織にバックアップしてもろうた。これで小うるさいポケモンの権利を主張する団体も黙るやろう、と。実際、ワイの研究は実を結び、多分三十年後くらいには一般に普及する。ただまぁ、我ながら気の長い話やと思うで? でも、十年後の繁栄と一、二年の栄華。どっちが欲しいかつうたら前者やろ?」

 

 マサキという男は自分が思っているよりもずっと狡猾なのかもしれない。イブキはそのような感想を抱いた。そのためならば鞍替えも厭わない精神がある。

 

「んで、ワイは歴史に名を刻むために研究に没頭したわけなんやけど、組織はこういうところで融通が利かんくてな。まぁ、言ってまえば研究者として歴史には名を刻ませてもええけど、金の管理は自分達がするってな。つまり、ワイは実質サラリーマンみたいなもんやってわけや。実績や成功は全部上が持っていく。それってちょっと納得いかんなぁ」

 

 イブキはそこでようやく自分が口を開く権利を得たように、「だから?」と声をかけた。マサキは心得ているように返す。

 

「そっちのほうが面白い話をしてくれる、って言うんやったら、ワイは喜んでそっちに行かせてもらう」

 

 イブキは了承するように頷いた。同時にこれは契約でもあった。キシベを出し抜くため、自分とマサキは手を組んだ。もしマサキがこのまま廃人にでもされればそれこそ水の泡だが、もしマサキが人格を保ったまま自分に再接触出来れば、ともすればキシベの目を盗んで真実を知る好機が得られるかもしれない。

 

 あるかないかも分からない一条の光明に、イブキは全てを賭ける事にした。今さら、キシベの下から去る事など叶わないのかもしれない。だが、もしもの時の切り札にはなるだろう。

 

 その切り札を得た感触にイブキはフッと口元を綻ばせた。

 

 



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第四十五話「無人発電所へ」

 

「そう、そんな事が。にわかには信じられないわね……」

 

 ハナダシティに帰ってきたユキナリはカスミへと事情を説明した。イブキの事を隠そうとも考えたがそのような浅はかな考えが通用するとも思えず、包み隠さずユキナリは事の次第を伝える。カスミは水着姿ではなく黒いスーツ姿で今しがた役所へとジムリーダーの敗戦届けを出してきたばかりなのだと言う。これからはようやく一人のトレーナーになれるようで、既に着替えは用意しているそうだったがその予定はユキナリ達の持ってきた意想外の報告で潰された事になる。カスミは顎に手を添えながら、「何者かしら?」と疑問を浮かべた。

 

「その、優勝候補のイブキがいたのよね?」

 

 ユキナリは頷く。自分の中で渦巻いている疑念に頭を振った。

 

「どうしてなんだ……、イブキさん」

 

 何が彼女を間違えさせたのかは分からない。ただカタギの人間のやる事ではないのは確かだった。カスミは、「一応、警察に届けるわ」と応じる。

 

「このままじゃ、マサキが行方不明になる」

 

 それだけは避けねば、という口調だった。カスミはマサキと付き合いが長いのだろうか。そういう邪推をしようとしたが、無意味だと感じて口を噤んだ。

 

「お願いします。あの、僕達の名前は」

 

「ああ、分かっている。旅の邪魔になるだろうから出さないでおくわ」

 

 内心、安堵しながらユキナリはイブキと共にいた黒服達を思い返した。全員が犯罪行為に手馴れていると言うわけではなさそうだったが数人は確実に犯罪に対して何の負い目も感じていないだろう。

 

「何でだ? どうして優勝候補が……!」

 

 アデクの声にユキナリは目を向けた。拳を握り締めて震わせている。怒りによるものか、苦悶に顔を歪ませていた。アデクとしては同じ優勝候補とおだてられた間柄、他人事とも思えないのだろう。

 

「僕らには、どうしようもないですよ」

 

 ユキナリが諦観の声を出すと、「でも!」とアデクが似合わぬ狼狽を浮かべた。

 

「何かあったはずじゃ! そうでなくっては、誇りを捨ててまであんな……」

 

 濁した語尾に苦渋が滲んでいる。慰める言葉を探そうとしたが、自分一人でさえ困惑の只中にいるのに誰が救えよう、とそっと胸に仕舞った。

 

「とにかく、わたしが警察には届けるから、あなた達は宿泊施設に戻りなさい。半分はわたしの責任でもある。旅の妨げになってもいけないから」

 

 カスミの厚意にユキナリ達は甘える事にした。宿泊施設に向かう途中、誰もが終始無言で気味が悪いほどだった。アデクも何かを話そうという気分ではないのだろう。宿に辿り着いた時、自然と誰かの部屋に行こうと思わなかったのもそのせいかもしれない。今は一人一人思案を巡らせるほうがいいだろう。ユキナリは鞄を置いて窓辺からハナダシティを一望した。そよ風が頬を撫でる。ユキナリはその風に掻き消されそうな呟きを漏らした。

 

「どうして……。イブキさん」

 

 問いかけても答えの出ないのは知っている。だが、どうしてと問わずにはいられない。イブキは実力者だ。心も身体も、犯罪組織に許すような人格ではない。だというのに、マサキを攫った一派に属していたのはどうした事だろう。彼女なりの理由があるのかもしれないが、推し量る事さえも困難だった。ユキナリがため息をつくと部屋がノックされた。アデクか、と思い、「はい」と応じると入ってきたのはナツキだった。

 

「どうかした?」

 

 尋ねるとナツキは顔を伏せて、「ユキナリこそ、何か思うところがあるんでしょう?」と口にした。幼馴染はやはり欺けないのだな、とユキナリは実感する。

 

「うん。僕は、トキワの森で戦ったイブキさんが犯罪に手を染めるとは思えない」

 

「何か、理由があると思っているのよね?」

 

 首肯し、そう信じたいだけなのかもしれないと冷徹に考える自分もいる事を発見した。イブキは、いや彼女に限った話ではなく、自分と正々堂々と戦った人間に悪い人間はいないのだと勝手にカテゴリ化したいだけなのかもしれない。そのエゴが見え隠れしてユキナリはきつく目を瞑った。

 

「ユキナリ?」

 

 心配の声音にユキナリは、「大丈夫」と応じる。

 

「僕は、大丈夫だから」

 

「そうは見えない」

 

 ナツキの声にユキナリはそれでも虚勢を張るべきだと判じた。これから先の旅に何が待ち構えているのかも分からない。こんな序盤で心の乱される自分を目にすればナツキの胸中にも迷いが生じる。自分のせいで誰かの足を引っ張りたくなかった。

 

「僕は、何でもない。ナツキこそ、どうかしたの?」

 

 ユキナリの言葉にナツキは、「……うん」と煮え切らない声を出した。

 

「マサキさんっていう人は、そんなに重要な人間だったのかな、って」

 

「と、言うと?」

 

「多分、襲ってきた奴らは組織立った人間だと思う。そうじゃなきゃ、あんなに手際よくいくはずがない。イブキさんもそこに属していて、だからこそ従わざるを得なかったんじゃないかって」

 

 ナツキの見識にユキナリは意外そうに目を見開いた。

 

「ナツキ、イブキさんを心配してくれているの?」

 

「当たり前でしょ。優勝候補で、なおかつあんたと戦ったんだから。まともな人間だと思いたいわよ」

 

 ナツキの声に自分と同じなのだとユキナリは悟った。ナツキもまた自分の足枷になるまいときちんと考えて行動している。お互い、相手を思うあまりに似たような行動を取ってしまっていた。

 

「そう、だね。僕はイブキさんを信じたい」

 

 いつか、理由を言ってくれる日が来ると。ナツキは、「そうじゃなきゃ引っ叩く」と強気に出た。

 

「何でもない理由でこんな後味の悪い真似をされたら堪ったものじゃないわ」

 

 幼馴染は自分が思っているよりも凶暴だ。ユキナリは頬を掻きながら、「それにしても」と口を開いた。

 

「あのハクリュー、前よりも強くなっていた」

 

「進化の輝石だっけ? 持っていて損はなかったのかもね」

 

 オツキミ山で山男に勧められたが断った事を思い出したのだろう。ナツキはポケットから二つの石を取り出した。片方が虹色の装飾を施された宝玉で、もう片方は黒を基調としたビー玉に近い。ビー玉越しにナツキは空を仰ぎ、「こんなもの役に立つんだか……」とぼやいた。

 

「余裕なくなってきたかもね。イブキさんがあんなのじゃ」

 

 どこかに報告すべきなのだろうか。しかし、どこに、という疑問があった。ポケモンリーグ事務局に連絡したところで裏が取れなければ同じだろう。かといって自分達の胸の中だけで留めておくには辛い事実だった。

 

「マサキさんともまともに話せなかったけれど、わざわざカントーの別荘で何をしていたんだろう?」

 

「博士が言っていた預かりシステムとかじゃない?」

 

 それも自分達が考えるような事ではないのかもしれないが、マサキは何らかの理由があって攫われたのではないのかと感じていた。後ろ暗い秘密があったとは思いたくないが事が事だけに分かったものではない。

 

「……僕ら子供がいくら言ったところで、どうしようもないのかもしれないけどね」

 

 その無力感にユキナリは顔を伏せた。イブキもマサキも自分達では及び持つかない場所で戦っているのかもしれない。そう考えていると部屋の電気が明滅したのが視界に入った。どういう事だか、電気が消えた。怪訝そうにユキナリはスイッチを押すが電気は点く気配がない。突然の事にナツキは、「どうかした?」と尋ねる。

 

「電気が消えたんだ。何でかな」

 

「昼間だから節電とか?」

 

 ユキナリは、「分からないけど……」とテレビを点けようとしたがリモコンの電源ボタンを押しても何も映らない。

 

「停電かな」

 

 受付に言いに行こうとすると部屋の前にアデクが立っていた。先ほどまで憮然としていたのを思い出し、「あ、アデクさん」と少し気後れ気味の声が出た。

 

「何か?」

 

「いや、電気が点かなくなってのう。ここもかと思って聞きに来たんじゃが」

 

 どうやらこの部屋だけではないらしい。ユキナリはナツキと視線を交わし、受付へと向かった。すると宿泊客達が大挙として押しかけていた。「こりゃ……」とアデクも言葉をなくす。どの部屋もそうらしいと感じたユキナリは宿を出た。すると、混乱した人々が次々に建物から出て行く。

 

「停電か?」

 

 どの場所も同じ憂き目にあっているようだ。ユキナリは、「落ち着いてください」と声を張り上げた人物に目を向ける。カスミだった。彼女はジムリーダーとして事態の収拾に当たろうとしていた。

 

「恐らく谷間の発電所でトラブルがあったのでしょう。警察が事態を収束させますから皆様は落ち着いた対処を願います」

 

 カスミの言葉は絶大だったようで、人々は少しずつ落ち着いて建物へと入っていった。カスミはポケギアへと声を吹き込む。

 

「……もしもし。ええ、そう。多分発電所でトラブル。ああ、そっちも? まだクチバだものね。影響はあると思うわ。こっちに来てもらえる? うん、そうすると助かるわ」

 

 通話を切り、ユキナリ達を見つけたカスミは一息ついて、「ああ、見てたの」と声をかける。

 

「発電所でトラブルって」

 

「聞いた通りよ。ここ周辺の電気は全部谷間の発電所がまかなっているから、あそこがストップすると全域に影響が出るのよ。ちょっと困ったシステムなんだけどね」

 

 カスミは苦笑した。ユキナリは、「その、谷間の発電所ってどこですか?」と訊いていた。その言葉にナツキが突っかかる。

 

「聞いてどうするのよ」

 

 ユキナリはカスミを見つめて声にした。

 

「僕らで事態の収束を手伝えませんか?」

 

 意外な言葉だったのだろう。カスミも虚を突かれたように固まった。

「あなた達が?」とようやく発せられた言葉にユキナリは頷く。

 

「ええ。マサキさん誘拐の件で多分警察はすぐに動けないでしょう。僕らなら、まだ動ける」

 

「ちょっと、勝手に話を進めないで!」

 

 ナツキの声にユキナリは、「後で説明するから」と言い含めた。カスミへと確認の声を投げる。

 

「いいですよね?」

 

 カスミは逡巡の間を浮かべた。「既に仲間に連絡を取ったけれど」と煮え切らない声を出す。

 

「でも、ま、あなた達が行ってくれるのならば心強いわ。わたしを破ったトレーナーもいるし、もしかしたら警察の対応よりも早いかもね」

 

 ユキナリは、「任せてください」と請け負った。ナツキとアデクはユキナリの突然の言動に驚きを隠せない様子だったが、ユキナリにはこの騒動と先ほどのマサキ誘拐が全くの別物であるという感触はなかった。どこかで繋がっているのではないかと考えたのだ。

 

「谷間の発電所というのは?」

 

 場所を聞かねばならない。カスミはポケギアを突き出して、「位置を送るわ」と言った。ユキナリもポケギアを突き出してそれを受け取る。確認するとどうやらここから東南に向かった先、イワヤマトンネル付近である事が分かった。

 

「基本的には無人発電所だから、多分システムダウンだと思う。でも、無人発電所だからセキュリティやもしもの時の安全装置は確かに作動しているはず。それに補助システムもあるはずのなのに、落ちるはずがないんだけど……」

 

 カスミはどうにもこの事態が腑に落ちないらしい。ユキナリは、「解決の糸口を見つけます」と口にした。

 

「だから、カスミさんは街の人達へと連絡を。ハナダシティならカスミさんの影響力は高いでしょう」

 

 パニックを避ける意味合いもある。カスミは首肯し、「頼むわよ」と伝えた。

 

 



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第四十六話「邂逅の刻」

 

 次に目指すべき場所はヤマブキシティだと感じていたが、シロナはその前に連絡を何者かから受け取っていた。ポケギアに声を吹き込んでいる。ヤナギは早朝にポケモンセンターでウリムーを受け取ったのですぐにでも出立したかったがシロナの対応する声音は深刻だった。

 

「……それで、マサキは捕まったわけ。どの手の者かは分かる?」

 

 胡乱そうな言葉が飛び交う中、カミツレはヤナギへと話しかけた。

 

「私が組織で何をするのか、結局何も決まってないんだけれど、あなたも?」

 

「俺は組織に属した覚えはない」

 

 利用されるよりもしてやる、という気概にカミツレは心底感心した様子だった。

 

「やるわね。そういう前向きな考えは好きよ」

 

「組織に属する事が全てではないという事だ。そういえば、あんたはイッシュのトレーナーだったな。向こうとこっちはやはり違うか?」

 

「まぁね」とカミツレは遠くに視線を投げた。

 

「イッシュは建国神話があるから、結構みんな信仰心みたいなものが強い。それとポケモンへの畏怖の念もね。リュウラセンの塔っていうのがあって、そこに建国神話のポケモンが眠っているとされている」

 

「シロナから聞いたが、イッシュの建国神話は理想と真実を体現する二体の龍のポケモンらしいな」

 

「元々は一つだったって説もあるけどね。なに、興味があるの?」

 

「まさか。俺はあいつみたいな考古学者じゃない。ただ、あんたのような人間からしてみれば、このカントーはどう映るのか気になっただけだ」

 

 神話や伝説の存在しない地方。カミツレは唇を指で押し上げながら、「そんなに大層な事を考えた覚えはないけれど」と前置きする。

 

「確かに奇妙だな、とは思ったわ。私は職業柄多国籍に色んな地方を回る事があるんだけれど、大体の場所に民族性というか、固定された考え方ってものがあるのよ。でもこのカントーにはそれがない。どちらかと言えばイッシュに近い」

 

「イッシュに?」

 

 仮想敵国に近いというのは意外だった。カミツレは黒髪をかき上げて、「イッシュはね」と説明する。

 

「色んな地方の人間が住んでいる。そりゃ、もちろん先住民族なんかもいるけれど基本的に元々イッシュで住んでいた人間って言うと限られてくるのよ。ほとんどがカロスからの流入だったりするし。カロス地方のある宮殿ではゼクロムとレシラムの彫像があるらしいわ」

 

 その名前の意味するところが最初分からなかったが、恐らくは伝説のポケモンだろうと推測する。

 

「黒と白、お互いに相反する二体の龍が大きな庭で向かい合っているという。私もファッションショーの関係で訪れた事があるけれど、大したものよ。それを一人の人間が買い占めたって言うんだから世界は何が起こるか分からないわね」

 

 カミツレは実際に世界を回った感想を述べているのだろう。その言葉には自然と説得力が宿っていた。

 

「カントーがイッシュに近い、か。お役人が聞けばたまげるような言葉だな」

 

「建国神話のない、人工的なイッシュ地方、って言うのが妥当ね。まぁそうなるとほとんど別物だけれど」

 

「ハイリンクというものがあるんじゃなかったか?」

 

「よく知っているのね」

 

 シロナからの又聞きだったが一々説明するのも面倒なので、「まぁな」と答える。

 

「そうよ。ハイリンク、それを中心にしてイッシュ地方は形作られたと言われている。でも未だにハイリンクに関して何か明確な事を発言出来る人間はいない。そもそも明言化の難しいものよ」

 

「俺は別にハイリンクというものに対して学術的な事が知りたいわけじゃない」

 

 ヤナギの言葉にカミツレは、「じゃあ何?」と訊いた。

 

「あんたの感想だ。それを知りたい」

 

 カミツレは中空に視線を投じながら、「難しい事を聞くのね」と口にした。

 

「感想、というとハイリンクというものを常に感じているのかになるのかしら。確かにイッシュの中心地に位置するわけだから重要拠点だという事ぐらいは分かる。でも、それ以上は全くの不明。正直な話、私の拠点はライモンシティだから関係ないわね。時々そういう手合いと出会う事もあるけれど、私はその辺に関してはちんぷんかんぷんよ」

 

 肩を竦めるカミツレに一瞥をくれながらヤナギは考える。ならばカントーとは何か。伝説も神話も、重要拠点もない場所。そのような土地が存在する事自体が不思議そのものである。カミツレの話を聞いた時点では未だに確証は得られない。シロナの仮説も仮説でしかない。実証する術はないのか、と感じているとシロナは通話を切ってヤナギ達へと振り返った。

 

「困った事になったわ」

 

 シロナの顔には焦燥が浮かんでいる。どうやら本当に緊急事態のようだとヤナギは察した。

 

「何かあったのか?」

 

「マサキが拉致された」

 

 その言葉に驚愕を浮かべる。しかしそれと同時に、ヤナギはある疑念を抱いた。どうしてそのような一報が入ってくるのか。

 

「あんたら、そのマサキとやらを張っていたのか?」

 

 シロナは首を横に振る。

 

「マサキは構成メンバーよ。ハナダシティの北方の別荘にいたところ、黒服の集団に連行されたみたい。強攻策を取ったって。中には優勝候補のドラゴン使い、イブキの姿もあったって報告に上がったけれど」

 

 イブキの名前のほうがヤナギにとっては驚きだった。まさか優勝候補の名をこのような形で耳にするとは思ってもみなかったからだ。

 

「どうしてイブキのような人間がマサキ誘拐に関わる? あんたらの言う彼らとやらが既に一手を打っていたという事なのか?」

 

 シロナは額に手をやって、「彼らかどうかは分からない」と答えた。

 

「どうにもその集団のやり口は今までのようなジムリーダー殺しとは一線を画している気がする」

 

 カミツレはつい昨日までその事実を知らなかった人間として発言する。

 

「シロナさん、ジムリーダー殺しはどのような手口で?」

 

 シロナは逡巡の間を浮かべた。恐らく言うべきか否か迷っているのだろう。ヤナギは言うべきだという視線を送った。既に第三者ではない。

 

「体温の急激な変動によるショック死。それと何らかの力によるやく殺」

 

「体温の急激な変化……」

 

 カミツレは推論に行き着いたのだろう。ヤナギは隠す事はないと感じて応える。

 

「だから氷タイプ使いの俺が第一容疑者に挙がっていた」

 

「でも、違った。だから行動を共にしている」

 

 シロナの説明にカミツレは得心がいったのか、「なるほどね」と口にした。

 

「優勝候補がどうして少年と動いているのかがようやく理解出来たわ。監視、の意味もあるのよね」

 

 どうやらカミツレは馬鹿ではないらしい。シロナは、「そうね」と簡素に応ずる。

 

「もっとも、監視してぼろが出る人間かどうかは別だけれど」

 

 暗にまだ疑念は解けていないという言葉だったがヤナギはそれを額面通り受け取る事もないと考えていた。シロナは自分に話せるだけ話している。既に当事者だろう。

 

「しかし、マサキを誘拐して何のつもりだ? その研究に興味があるにしろ強硬手段が過ぎる」

 

 目立たないやり方がいくらでもありそうものだ。シロナは顎に手をやって、「恐らくは」と推論を口にする。

 

「相手方も急いでいた、と考えるべきでしょうね。マサキの身柄をこのポケモンリーグ中に確保する。それこそが重大な一事だった」

 

「今でなくては駄目な理由があるのか? ポケモンリーグは、いわば国を挙げた一大事業だ。そんな最中に一研究者の誘拐事件は公にならないとでも踏んだのか?」

 

「どこが関わっているのか全く分からない。でも彼らでない事は確かよ」

 

「どうして言い切れる?」

 

「彼らなら技術だけ吸い出して殺しているわ」

 

 冷酷なその言葉にも自然と納得が出来た。シロナの話に出てくる彼らは目的のためならば手段を選ばない印象があるからだ。

 

「しかし、再現が不可能ならばオリジナルの頭脳が必要になる」

 

「再現の不可能な新技術なんて技術としては未熟もいいところよ。いい? 技術というのは再現が誰でも可能だからこそ技術として躍進出来るの。マサキの技術は、それこそオープンソースとして共有されるべきものだったわ」

 

 シロナの口ぶりからマサキの重要研究はどうやら組織内部では知れ渡っていたようだ。ヤナギはひとつの可能性を示唆する。

 

「こうは考えられないか? マサキ自身の自作自演。誘拐されたという既成事実があれば、自分の技術を自分の名前で独占出来る」

 

「それこそ、ナンセンスよ。だって組織はマサキの名を歴史に刻む事を約束していた」

 

 シロナの抗弁に、「それこそが、マサキが窮屈だと感じていた原因だとしたらどうだ?」と返す。どうやらシロナにはピンと来ていないようで小首を傾げた。

 

「マサキは、偉人よりも金に目の眩んだ人間だった、というだけの話ね」

 

 割り込んできたカミツレの声にシロナはようやく理解が追いついたようだった。カミツレは浮世離れしているようで意外と世の中を見据えている。

 

「でも、そんな。組織の力添えなしにあの技術を独占出来る場所なんて」

 

「探せばあるだろう。叩けば埃の出る企業なんて山ほどあるはずだ。問題なのは、あんたらが盲目的に信じ込んでいるデボンとやらも危ういんじゃないかって話だ」

 

 ヤナギの言葉に、「デボンが……」とシロナは考え込んだ。全く疑問の挟む余地のない話ではないようで、もしかしたらという感覚もあったのだろう。ヤナギは、「犯人探しをするのは組織に任せればいい」と口に出す。

 

「俺達はジムリーダー殺しの方面だろう。研究者一人の誘拐に随分と人間を出払ったようだから足もつくはずだ。そっちは組織とやらの手腕を期待しようじゃないか」

 

 シロナはヤナギの言葉にひとまずは頷いた。カミツレも目を向け、「これからどうするの?」と尋ねる。理想ではこれからヤマブキシティに向かうつもりだったがシロナに意見を仰がないわけにはいかなかった。

 

「組織から、今朝早くに伝令を受け取っているわ」

 

 シロナはポケギアを示した。ヤナギは、「伝令……?」と首を傾げる。

 

「何だって言うんだ?」

 

「このカントーには伝説、神話の類はない、と説明したわよね」

 

 今さらの言葉にヤナギは、「だから?」と問い返した。

 

「表立った伝説や神話はないけれど、伝説級のポケモンならば存在する。その波長を、昨夜遅くにカントーの発令所が受け取った」

 

 ヤナギには話が見えなかった。シロナは自分で言った事を自分で否定しているようにも思える。

 

「意味がよく」

 

「最後まで聞いて。このカントーには確認されているだけで三体の強力なポケモンがいる。他の地方のデータとすり合わせて恐らくは伝説クラスのポケモンである事が確認された」

 

「その伝説のポケモンが、何だって言うんだ?」

 

 当然の疑問にシロナは、「彼らをいぶり出す手段として」と一つ指を立てた。

 

「伝説のポケモンを持っていれば向こうから接触してくる可能性も高い。だから、あたし達は先回りしてでもそのポケモン三体を捕獲せねばならない」

 

 ヤナギは眉をひそめた。

 

「捕獲だと? ポケモンリーグの規則で戦闘に使用するポケモンは個体識別番号を振ったポケモンでなければならないと決められている」

 

「その規則には抜け道もあるわ。手持ちのポケモンが深刻な戦闘不能に陥った場合、トレーナーは新たなポケモンを補充する事が許される、と」

 

 ルールにあった想定外の場合の規則を呼び起こし、ヤナギは、「だが誰が戦闘不能だって言うんだ」と視線を交わし合った。シロナはカミツレへと目線を向け、「カミツレさん」と呼びかける。

 

「あなたがこのルールを適応して欲しい」

 

 カミツレは当然、その言葉に目を瞠った。

 

「でも、私のポケモンはまだ戦闘不能じゃ――」

 

「組織の力ならばその辺りは誤魔化せるわ。ヤナギ君にその気はないし、あたしも今ミロカロスを手離すのはまずい。でもジムリーダーからトレーナーとして再出発しようとしているあなたなら、まず不自然じゃない。ゼブライカは深刻な傷を負った事にして、組織に預けておけばいい」

 

 カミツレは逡巡の間を浮かべたが、シロナは詰め寄る。「あなたにしか出来ないのよ」と。

 

「私だけ……」

 

 ずるい言い回しだ、とヤナギは感じていた。敗北を突きつけられた翌日にこのような交渉材料に使われるとは。しかし、ヤナギには懸念事項もあった。

 

「そのポケモンがあまりに専門分野からかけ離れている場合、ジムリーダーであるカミツレが扱うには不利だ」

 

「大丈夫よ」とシロナは応じる。どこからその自信が湧いてくるのか分からず、ヤナギは、「どうして言い切れる?」と尋ねた。

 

「だって、確認されたそれは電気タイプのポケモンだから」

 

 だからこそ、電気タイプの専門家であるカミツレへと捕獲のチャンスを預けようというのか。

 

「どうする? もし失敗してもゼブライカはきちんと戻ってくるわ。成功したらその伝説クラスを使ってもらう事になるけれど」

 

 分の悪い交渉ではない、とヤナギは冷静に感じていた。成功すれば伝説クラスを手に入れられる。失敗しても手持ちは失われない。それどころか組織に属する事を決めたのだからそうそうリタイヤする事もないだろう。

 

 カミツレは考え込んだ後に、「やってみるわ」と答えた。シロナは、「お願いしていいのね」と確認の声を出す。今さらだろうとヤナギは次を促した。

 

「で? その伝説クラスはどこにいる?」

 

「ハナダシティ周辺で確認されたとの連絡がある。でもどこにいるのかまでは……」

 

 その言葉をポケギアの着信音が遮った。シロナはすぐさま出て声を吹き込む。

 

「谷間の発電所で事故? ええ、分かったすぐに向かうわ」

 

 シロナは振り返って、「場所が分かったわ」と口にする。

 

「ハナダシティ東部、谷間の無人発電所。そこで事故があった。停電騒ぎよ」

 

 その言葉にヤナギはテレビを点けようとしたが全く反応しない事に気づいた。電気も点けようとしたが無理である。

 

「このクチバシティにも及んでいる。発電所の復旧と伝説のポケモンの捕獲。それを同時に行うわ」

 

 出来るわね、と問いかける眼差しにヤナギは、「無論だ」と返す。

 

「さっさと事態を収束させよう。次のジムバッジを取るためにな」

 

 



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第四十七話「疾走する本能」

 

 無人発電所までは青く染まった水道があり、ユキナリ達は二人ずつカスミのスターミーに引っ張ってもらう事になった。まずユキナリとナツキが木造の船に乗って無人発電所の前庭に訪れた。

 

「……なかなか、雰囲気あるわね」

 

 発電所の放つ異様な存在感にナツキは唾を飲み下す。ユキナリはポケギアの電波を試したがどうやら無人発電所周辺では圏外のようだ。

 

「妨害電波でも出ているのか?」

 

 ユキナリの疑問に、「ねぇ」とナツキが声をかける。

 

「どうしてアデクさんとキクコちゃんも呼んだの?」

 

 手はずではアデクとキクコは次にスターミーに運ばれてくるはずであった。ユキナリは、「戦力は多いほうがいいと思う」と告げる。

 

「もしかしたらイブキさん達が逃げ込んだのかもしれない」

 

 ユキナリの頭にはその可能性があった。イブキや黒服が逃げ込むには最適の場所だ。ハナダシティからそう離れていない上に無人となれば何をしても外には漏れない。

 

「あんた、まだイブキさんの事を心配しているわけ」

 

「そりゃ、そうだろ。それにマサキさんの安否も気になる。ここで止められるのなら、僕は止めたい」

 

 決意の言葉にナツキは、「だからこそ、アデクさんも呼んだわけね」と納得した様子だった。自分だけでは迷いが生じるかもしれない。その場合、アデクやナツキに戦ってもらわねばならない。

 

「本意じゃないけどね。出来ればアデクさんの邪魔はしたくないし」

 

 アデクとて自分の旅を達成せねばならないのに、ユキナリ達に巻き込まれればいつまで経っても進めないだろう。

 

「それでも引き受けちゃうのが、アデクさんなのよね」

 

 スターミーが波を掻いて船を引っ張ってきた。アデクとキクコが地面に降り立つ。キクコを呼んだのは彼女一人にするのも不安だったからだ。戦力としては期待していないが、出来れば近くにいて欲しかった。

 

「じゃあ、わたしはここで待っているわ」

 

 スターミーに跨ったカスミが声をかける。既に水着に着替えており、ユキナリは出来る事ならばカスミにも手伝って欲しかったが無理は言えないと諦めた。

 

「発電所のブレーカーが落ちているかどうかを確認すればいいんですよね?」

 

「そう。多分システムダウンだから、その作業一つで復旧すると思う」

 

 緊急用の手動ブレーカーを上げればユキナリ達の任務は完了だ。そんなに構える事はないと思っているが、寂れた発電所は否が応でも緊張をはらんでいる。

 

「……何か出そうね」

 

 入るなり、赤色光で塗り固められた廊下が目に入り、ナツキがそうこぼした。ユキナリは、「脅かすなよ」と返す。

 

 発電所の内部機構は止まっており、地表から入れるのは二階層部分であるのが知れた。吹き抜け構造で、下階へと降りられるようになっている。階段の幅は狭く、何かに出くわせば逃げる事は難しい。

 

「緊急用ブレーカーは地下一階にあると言っていたのう」

 

 アデクの声にユキナリは、「だったらすぐそこだ」と努めて明るく口にした。リノリウムの床を踏み締めながらユキナリは前を行く。ちょうど黄色と黒で塗られたレバーが目に入り、「あれだ」と口にする。

 

「そんなに難しい話じゃなかったな」

 

 ユキナリが駆け寄ろうとすると、その刹那、「危ない!」とアデクの声が飛んだ。それを確認する前に覆い被さってきたアデクの身体と、網膜に焼き付いた青い雷撃が同時に視界に入って転がった。ユキナリはしこたま背中を打ちつけたが、上に被さっているアデクが呻き声を上げた。その背中に手をやるとぬるい液体が掌にべったりとこびりついた。赤色光の中でも、それが血である事は容易に知れた。

 

「アデク、さん……」

 

「抜かったわ……!」

 

 アデクは苦悶の表情を浮かべて起き上がろうとする。その時、突如として発電設備が動き始めた。ユキナリは狼狽する。

 

「どうして……。まだブレーカーを上げていないのに」

 

 発電設備からは電流が迸った。青白くのたうつ光にその場にいた全員が息を呑む。

 

「何が……」

 

 その声に甲高い鳴き声が被さった。天井から降りてきたのは尖った翼を持つ巨大な鳥ポケモンであった。黄色と黒の警戒色を身に纏い、全身から電流を逆立たせている。それに呼応したように設備が明滅した。

 

「この、ポケモンは……」

 

 ユキナリの声に正体不明の鳥ポケモンは敵意を剥き出しにして電流を放った。まるで刃のように電流が走った箇所が焼け爛れていく。アデクはこれに近い攻撃を受けたのだと分かり、ユキナリは顔面から血がさぁっと引いていくのを感じた。

 

「アデクさん? 聞こえますか?」

 

「聞こえ、とる……。だが、ちょっと、まずい、な。この痛みは」

 

 アデクの意識は朦朧としているようだ。すぐにでも発電所から出なければ危ないだろう。

 

「ナツキ! ストライクでアデクさんを抱えて! 発電所を出よう!」

 

 頷いたナツキがストライクを繰り出し、アデクを抱える。ユキナリは駆け出そうとしたが、その行く手を電流の刃が一閃する。どうやら鳥ポケモンは逃がす気がないらしい。この場に迷い込んだ自分達を確実に仕留めるつもりのようだ。

 

「……ナツキ。僕がこいつを引き寄せる。その間に、アデクさんを地上へ」

 

 ユキナリはホルスターからボールを抜き放った。ナツキが戸惑う声を出す。

 

「無茶よ! 相手はそう易々と倒せるレベルじゃない!」

 

 自分でも分かっている。あまりに分の悪い戦いだと。しかし、アデクの傷は一刻を争う。このまま静観しているわけにもいかない。

 

「オノンドなら落とせるかもしれない。こいつが、停電の元凶だ」

 

 どちらにせよ相手をせねば誰もここから逃げ出せないだろう。ユキナリはマイナスドライバーでボタンを緩め、前に投擲した。

 

「いけ、オノンド!」

 

 オノンドが両方の牙を突き出して威嚇する。しかし鳥ポケモンは怯む様子もない。鋭く尖った嘴を開き、全身から青白い電流を集束させた。来る、という予感にユキナリは声を張り上げた。

 

「早く! アデクさんが危ないんだ!」

 

 ナツキは一つ頷いてストライクにアデクを抱えさせたまま階段を駆け上る。鳥ポケモンの注意が逸れた瞬間を狙い、ユキナリは声にしていた。

 

「オノンド、ドラゴンクロー!」

 

 青い粒子を扇状に纏い、オノンドは牙からの一閃を鳥ポケモンへと向けた。鳥ポケモンは臆する様子もなく、羽ばたきながらそれを見下ろしている。オノンドは馬鹿にされていると感じたのか、両脚にばねを込めて一気に跳躍した。オノンドの跳躍力が並外れていたからだろう。鳥ポケモンが威嚇の声を出すが既に遅い。振り下ろされた「ドラゴンクロー」の一撃は正確に鳥ポケモンの翼の付け根を狙いつけた。恐らくは飛行に支障が出るはず、と踏んでいたユキナリは次の瞬間、驚くべき光景を目にした。

 

 鳥ポケモンにほとんどダメージはない。それどころか稲妻の鎖が幾重にもオノンドを絡め取っている。空中に捉えられたのは自分のほうだった。鳥ポケモンが首を振るうとそれに同期した稲妻の鎖が振るい落とされ、ぐんと地面が近くなった。

 

「オノンド、頭からは落ちちゃ駄目だ! 宙返りして不時着!」

 

 ユキナリの指示が行き届いたのだろう。オノンドは赤い眼をカッと見開き宙返りして足裏で地面を踏み締めた。しかし稲妻の鎖は解ける気配がない。どうやら向こうも手錠デスマッチをお望みのようだ。

 

「そっちがその気なら! オノンド、引きずり落とすぞ!」

 

 気高く吼えたオノンドが両腕と牙に絡みついた鎖を打ち下ろす。鳥ポケモンが僅かに傾いだ。ユキナリは視界の端に発電装置を見つけた。オノンドへと命令を飛ばす。

 

「こっちだ! 走れ!」

 

 ユキナリが駆け出すとオノンドも同じように走り出した。鳥ポケモンは抵抗するでもなくオノンドとユキナリを見下ろしている。まるで絶対者の眼差しだ。その勢いに気圧されぬようにぐっと息を詰め、ユキナリは発電設備を指差した。

 

「叩きつけろ!」

 

 オノンドが牙を大きく動かし、首を下ろした瞬間、鳥ポケモンへと重力が圧し掛かってきた。鳥ポケモンが羽ばたき雷撃が四方に放たれるが、その攻撃を契機にして発電設備に火が灯った。急に動き出した発電設備に鳥ポケモンは挟まれる形で拘束される。ユキナリが確かな手応えに、「よし」と拳を握った。

 

「このまま発電設備に拘束して、動けない状態で攻撃してやれば……」

 

 その拙い計画はしかし、鳥ポケモンが発生させた電磁の嵐によって遮られた。ユキナリが狼狽している間に四方八方へと電流が放たれ、閾値を越えた発電設備からショートの火花が散った。ゴン、と重い音を立てて発電設備の動きが止まる。安全装置が働いたのだろう。過剰電流を逃がそうとしている発電設備は沈黙し、鳥ポケモンは再び舞い上がった。ユキナリは舌打ちを漏らす。

 

「この程度じゃ、やられてくれないか」

 

 鳥ポケモンは今しがたの攻撃が尊厳を叩き潰したとでも言いたげに嘴を広げて鳴いた。青い火花が散り、鳥ポケモンを電流の皮膜が守っている。ユキナリは再びオノンドへと攻撃を命じた。

 

「ドラゴンクローを今度こそ急所に当てる」

 

 オノンドは身を沈め、ぐんと跳躍した。鳥ポケモンは避ける気配がない。そうするまでもないという判断なのか。オノンドの打ち下ろした牙の一撃が鳥ポケモンに吸い込まれたと思われたその時、青い皮膜が弾け飛んだ。一時的に膨れ上がった青い皮膜がオノンドの攻撃を受け流す。ほとんど相殺の形となり、オノンドに展開されていた「ドラゴンクロー」の光が消失した。降り立ったオノンドへと、「大丈夫か?」と声をかける。オノンドは首を震わせて再び鳥ポケモンを睨んだ。相殺だと感じたのは一瞬だけだ。再び展開された青い電流の皮膜はシャボン玉のように鳥ポケモンを押し包んでいる。打ち崩せるようにも見えるが、同時に絶対の守りを約束しているようにも見えた。

 

「あれが相手の攻撃か……」

 

 ユキナリは思案を巡らせる。攻撃の属性から相手のタイプは電気だという事は分かる。だが電気タイプはここまで強いのだったか。オツキミ山で対峙したレアコイルを思い出すがレアコイルの電流はこれほどまでに強力ではなかった。

 

 むしろ、今までに感じた事のない種類の重圧がこの場に降り立っていた。同じポケモンを相手取っているとは思えない。トレーナー戦よりもなお濃い空気に全身が総毛立つ。

 

 だが躊躇していればこちらがやられる。先ほどのアデクへの攻撃も自分を狙ったものだった。このポケモンはどうしてだかトレーナーを狙えば無力化出来る事を知っている。だからこそ、攻撃の手を緩めるわけにはいかなかった。たとえ策がなくともぶつかっていく事でしかこの鳥ポケモンと拮抗できない。

 

「オノンド、ダブルチョップ、いけるか?」

 

 問いかけるとオノンドは頷き、両方の牙を突き出してから鳥ポケモンに向けて駆け出す。青い皮膜から唐突に雷の刃が飛び出し、オノンドを焼き切ろうとした。オノンドはステップを踏んで回避し、鳥ポケモンへと身を投げ出す。青い皮膜が再び膨張し、オノンドの攻撃を無力化しようとした。オノンドの一度目に振るった攻撃は青い皮膜と共に相殺される。

 

 しかし「ダブルチョップ」は二度の攻撃を約束する技だ。怯まずにオノンドは鳥ポケモンへと突き進んだ。むしろ驚愕の様子を浮かべたのは鳥ポケモンのほうだ。青い皮膜が消えたところを狙われるとは思っていなかったのだろう。オノンドは片方の牙に青い光を纏いつかせ鳥ポケモンへと攻撃を加えた。初めてまともなダメージが入り、鳥ポケモンがうろたえる。ユキナリは、「叩き込め!」と命令した。

 

「そこから宙返り、尻尾で叩きのめしてドラゴンクローへと繋ぐ!」

 

 オノンドは宙返りをして尻尾を木槌のように打ち込む。鳥ポケモンの身体のバランスが崩れる。空中で青い光を纏いつかせ、必殺の一撃への伏線を張った。「ドラゴンクロー」が決まればこちらの勝ちだ。ユキナリの確信に、暗い影が差し込んだ。鳥ポケモンは青い皮膜を一瞬だけ顕現させると、それを尖った翼に纏いつかせ、針の鋭さを伴わせた。オノンドの攻撃が突き刺さる前に、鳥ポケモンの羽ばたきが電流の針となって空中の無防備なオノンドの表皮を突き破る。オノンドは堅牢かと思われた外皮に傷を多く作った。

 

「オノンド!」

 

 ユキナリの叫びにオノンドは「ドラゴンクロー」の気を霧散させながら落下する。辛うじて床に落下したオノンドは両手で立ち上がろうとしたが、鳥ポケモンから青い稲妻が一射された。その攻撃がオノンドの頭部を焼く。ユキナリが思わず後ずさった。オノンドの額には斜めに焼け爛れた傷が走っていた。刃で斬られたような傷口が蚯蚓腫れを引き起こしている。オノンドは最早片目を開けるのも困難な状態であった。

 

「オノンド……」

 

 戦わせられない。それは直感としてあった。この状態では一刻も早くポケモンセンターへと連れて行き、緊急措置を取らねばならないだろう。だが、足が竦んで動かなかった。

 

 鳥ポケモンの放つ圧倒的なプレッシャーの波がユキナリの肌を粟立たせる。

 

 ここから逃げられない。一歩でも動けば自分が今度は焼かれる。

 

 鳥ポケモンはユキナリへと攻撃の視線を向かわせた。覚えず首を横に振る。

 

「い、嫌だ……」

 

 モンスターボールを出してオノンドを戻すという頭も働かない。目の前の鳥ポケモンは他のポケモンとは次元が違う。地面を這う虫が人の一足でさえも太刀打ちできないように。その現実が自分と鳥ポケモンとを隔てている。

 

 ――勝てない。

 

 オツキミ山の時とは違う。これは恐れだ。恐怖に囚われている。オノンドを失うのでは、という恐怖。自分の命が危ういという恐怖。何よりも、純粋に怖いという感覚が這い登り、ユキナリは指の筋一本ですら自由ではなかった。

 

「僕、は……」

 

 その時、かすかな鳴き声が耳朶を打った。目を向けるとオノンドが額から血を滴らせながら立ち上がっていた。片目に至った傷のせいでほとんど視界はないはずなのに、オノンドはそれでも果敢に立ち向かおうとしている。ユキナリは、「やめろ」と声にしていた。

 

「あいつは違う、違うんだ。勝つとか、そういう次元じゃない」

 

 通常のポケモンが戦う相手ではない。敵う次元を遥かに超えた存在である。ユキナリの声が聞こえているはずなのだが、オノンドは再び鳥ポケモンを睨み据えた。主を守ろうとするかのように両足ですくっと立ち上がる。膝が笑っていたがそれでもオノンドの姿勢は「戦闘」のものだった。

 

 ――戦おうと言うのか。

 

 ユキナリは鳥ポケモンを見やる。一瞥すら既に畏れ多いレベルの光芒を身に纏い、鳥ポケモンはオノンドを睥睨している。あれからしてみれば、オノンドは地を這う虫だ。一足で簡単に踏み潰されてしまう。

 

「駄目だ」

 

 ユキナリの声にオノンドは逆に踏み出した。立ち向かってはならない。絶対に。それが声になる前にオノンドは指示を受けたでもなく駆け出して跳躍した。鳥ポケモンは守りからの攻撃に転ずるよりも最初から攻撃したほうが賢明だと踏んだらしい。雷撃を纏いつかせた羽ばたきが再びオノンドを襲った。ドラゴンタイプの表皮ですら焼く旋風にオノンドは怯む様子もない。それえどころか戦士の背中をユキナリに見せつけ、鳥ポケモンへと勇猛果敢な一撃を見舞おうとしている。

 

 ユキナリの指示を無視し「ドラゴンクロー」の光を牙に纏いつかせた。球状に皮膜を展開し、鳥ポケモンは雷を放つ。刃の鋭さを帯びた一閃をオノンドはあろう事か牙で切り裂いた。二つに割れた雷が発電施設の天井を切り裂き、床を焼き切った。ユキナリはすぐ傍を駆け抜けていく雷に怯む事しか出来ない。オノンドは独自に判断し、鳥ポケモンと一進一退の攻防を繰り広げている。

 

 ならば自分は何だ? とユキナリは不意に疑問を感じた。

 

 トレーナーの指示を必要としていないオノンドと鳥ポケモンとの戦闘において自分は異物以外の何者でもないのではないか。オノンドへと直進する雷を牙の一撃で偏向させる。既にオノンドはトレーナーであるユキナリの安否など気にしている様子ではなかった。曲がりくねった雷の一つがユキナリへと降り注ごうとする。ユキナリが思わず手を翳し、終わりを意識した。

 

 しかし、その一撃はさらに偏向され、周囲の床を焼いた。ユキナリは自分の前に立っている影を目にする。まさか、という思いに当惑の声が漏れた。

 

「キクコ。どうして……」

 

 逃げていなかったのか。ユキナリは今の今まで彼女の気配に気づかなかった。それほどまでに戦闘に集中していたのもあるのだろう。だが、彼女の纏う空気は異質だった。

 

 普段ならば大人しい少女であるキクコは赤い瞳を細め、手を振り翳す。

 

「ゴース。サイコキネシスでユキナリ君を守って」

 

 その言葉にキクコの傍に黒いガス状の何かが展開しているのが分かった。ガスは球状を成し、鋭い双眸と裂けた口腔を開いて哄笑を上げる。ゴースと呼ばれたらしいポケモンから青い光が滲み出しユキナリの周囲を思念の皮膜が覆った。

 

「キクコ、これは……!」

 

「あの状態は先生から何度か聞いた事がある」

 

 キクコはオノンドと鳥ポケモンの戦闘を眺めながら呟いた。ユキナリが唖然としているとキクコは事もなさげに言い放つ。

 

「ワイルド状態。ほとんど野生の本能にポケモンが負けた状態の事を指す。手持ちとはいえ、早くモンスターボールに戻さないと手遅れになる」

 

 ユキナリは聞いた事のない言葉に狼狽するしかなかった。その思案を他所にキクコは手を振るう。

 

「ゴース、止めに入る」

 

 ガス状のポケモンは卑屈に嗤うとキクコの周囲にも同じように思念の壁を展開した。

 

「あのポケモンは直感的に操っている対象を攻撃しようとしている。相当に警戒度が高いポケモン。ああいうのは、怖い、ね」

 

 キクコの言葉を咀嚼する前にユキナリはオノンドと鳥ポケモンとの戦闘が激しさを増している事に気づいた。オノンドが自分の身の丈以上の「ドラゴンクロー」を放ち、鳥ポケモンを追い詰めている。オノンドの身のこなしは自分の指示している時の比ではない。あらゆるフィールドを利用し、多面的、立体的に鳥ポケモンを攻めている。人間の指示出来る範疇を超えた動きだった。それこそ野生のポケモンの動きに近い。しかし、ただの野生にしては戦い慣れている動きだ。ユキナリと共に戦った日々を学習し、自分のものとして吸収しているのが分かった。

 

「オノンド……」

 

「ユキナリ君。モンスターボールを」

 

 キクコが肩越しに振り返り、手を差し出す。赤い眼がオノンドのものと重なった。

 

「どうするって……」

 

「オノンドをボールに入れる。もしかしたらボールの束縛程度では意味がないかもしれないけれど、このままじゃ野生に帰ってしまう」

 

 キクコの言葉には迷いがない。するべき事を見据えている言葉にユキナリは、「この状況は」と声を出した。

 

「どうなっているんだ。僕に、何が出来るんだ?」

 

「何も」

 

 断じた声は冷たかった。眼を戦慄かせるユキナリに対してキクコは冷静だった。

 

「この状況ではトレーナーは足枷。ポケモン本来の力を引き出すにはトレーナーが不可欠だけれど、もうこうなってしまったら邪魔なだけ」

 

 キクコの言葉は突き放すような響きを伴ってユキナリの中で残響する。

 

 ――僕は、足枷……。

 

 身体に空洞が空いた気分だった。そこから必要なものが抜け落ちていく。キクコは手で急かした。

 

「早く。オノンドを止めなければ」

 

 いつものキクコとはまるで別人だ。戦闘を前にしてどうしてこうも冷静でいられるのか。それとも、と視線を配ったのはゴースというポケモンだ。今まで一度として出した事のなかったキクコの手持ち。何タイプなのかさえも分からない。もしかしたらこのポケモンが手招いているのではないのか。何を、という確証を欠いた言葉にユキナリは頭を振った。

 

「オノンドは……」

 

 ユキナリが振り仰ぐとオノンドは鳥ポケモンの電撃をいなし、空中に身を躍らせて青い残滓を刻み込む一閃を放つ。鳥ポケモンは球状の皮膜でそれを防御するがほとんど防戦一方だった。押している、という事実が先ほどのキクコの言葉を証明する。

 

「今は勝っている。でも危ない」

 

 キクコは事の次第を見極めているようだった。まるで精密機械のように、赤い瞳孔が戦闘の一挙一動を見逃すまいと忙しなく動く。

 

「オノンドの状態もそうだけれど、鳥ポケモンには秘策がある」

 

 キクコの観察眼にユキナリは、「どうして、そんな」と声を漏らす。

 

「見ていれば分かるもの」

 

 キクコの言葉は短かったが、同時に自分にはそれがないのだと突きつけられているようだった。

 

「鳥ポケモンはオノンドの戦闘中の急激な変化に戸惑う一方、大した相手ではないという判定を下している。その証拠に雷撃がトレーナーであるユキナリ君を狙わなくなった」

 

 その声でようやくユキナリは自分へと雷が襲ってこない事に気づく。

 

「オノンドは回り込む。左」

 

 キクコの声が届いているはずがないのだが、オノンドは発電機械を蹴って鳥ポケモンの左へと回り込んだ。即座に対応した鳥ポケモンの雷撃は矢のようにオノンドへと突き刺さろうとする。

 

「脚に力を込めた。下方、三十度」

 

 オノンドはがっしりと足の爪でスロープをくわえ込み、脚部に力を充填させ、下方へと跳んだ。キクコの予想通り、それはちょうど三十度ほどの角度だ。

 

「反射するように躍り上がって突き上げるドラゴンクロー」

 

 オノンドは蹴った力を減衰させず、牙に攻撃の判定を込める。地面が迫った瞬間、オノンドは牙の一撃による衝撃波で難なく反転を決めた。その衝撃波が上向きなのを利用してオノンドは再び鳥ポケモンへと襲いかかる。まるで槍のような反応速度だ。突き上げられた牙に青い光が纏いつく。キクコの予想通りの「ドラゴンクロー」を加えようとしている。

 

「しかし、鳥ポケモンは弾く。羽ばたき、電気の旋風でオノンドの右半身の麻痺を狙う。オノンドは攻撃する際、右側から攻撃する癖がある」

 

 ユキナリは初耳だったがそう言えばキバゴの時に片牙から攻撃するように仕組んだのは自分だ。当然、進化系であるオノンドにその癖は引き継がれているだろう。

 

「鳥ポケモンは戦闘慣れしている。的確に右半身を麻痺させる技を放つ」

 

 キクコの宣告にユキナリは判断を迫られていた。モンスターボールにオノンドを戻さねばこのままでは一生癒えない傷を残す事になる。

 

「決めて」

 

 キクコが自分へと振り返った。ユキナリは苦渋を噛み締めながらモンスターボールをキクコに手渡した。

 

「ゴース、可能な限り接近。モンスターボールにオノンドを戻す」

 

 キクコの言葉には、出来るか、という了承は一切ない。そう断じれば、ポケモンにも自分にも出来ると考えている冷静な頭がある。

 

 ゴースは青い思念の光でモンスターボールを掴んでふわりとオノンドと鳥ポケモンとの戦闘に割って入ろうとする。しかし、鳥ポケモンが先に気づいた。戦いを邪魔しようとする無粋な輩に腹を立てたのか、刃の輝きを誇る雷が落ちる。しかしキクコは動じず、ゴースへと指示を飛ばした。

 

「催眠術」

 

 ゴースから波紋状の光が放出される。見る見る間に広がった波紋が鳥ポケモンの視野へと侵入したようだ。鳥ポケモンが僅かに傾ぐ。その隙をついてオノンドが攻撃を加えた。牙による一撃がまともに鳥ポケモンを打ち据えた。しかし、それは逆効果だったようだ。

 

「さいみんじゅつ」によって眠ろうとしていた鳥ポケモンはその一撃で覚醒した。羽ばたきの残像すら刻んで返す刀の一撃が放たれる。オノンドへとそれはまともに突き刺さったように映った。

 

「オノンド!」

 

「まだ、大丈夫」

 

 キクコの声にゴースがモンスターボールを弾丸の如く撃ち出した。その軌道上にオノンドが収まり、モンスターボールの収納機能が働いてオノンドをボールに戻す。落下しかけたボールを再びゴースの思念が掴み取った。

 

「これでオノンドの症状はこれ以上進行しない」

 

 ふわふわとモンスターボールがユキナリの下へと戻ろうとする。しかし、その進行方向を鳥ポケモンが塞ぐように雷を撃ち放った。キクコは、「ゴース、急いで」と口にする。

 

「モンスターボールを破壊されれば、それだけで野生に帰る可能性がある」

 

 キクコの言葉にゴースは動きを速めるが、鳥ポケモンは翼を広げて狭い吹き抜け通路を突き抜けていく。目標は既にオノンドではなく、その戦いを妨害したゴースとキクコだ。ユキナリが声を出す。

 

「キクコ!」

 

「騒がないで。大丈夫、ゴースで問題があるのなら」

 

 その声と共にゴースの身体が固定化された。ガス状なのは相変わらずだが、その輪郭が鮮明になる。背部が尖り、逆立った。ガスの形状が変化し、人間のような両手を形作る。裂けていた口元がさらに裂けた。それだけでまるで別のポケモンだった。

 

「――進化すればいい。ゴースト」

 

 ゴーストと呼ばれるらしいポケモンは片手を薙いだ。それだけでボールの移動速度が変わり、瞬時にユキナリの手の中にあった。

 

「一瞬で、ボールを瞬間移動させた……」

 

 信じられないがそうとしか考えられない。それだけのパワーへと瞬時に変化したと言うのか。

 

「手の中のボールをきちんと握っておいて。オノンドが暴れて出るとも限らない」

 

 キクコの声はハナダシティに至る道に苦戦していたどんくさい少女のそれではない。訓練された、トレーナーのそれだった。

 

「君は一体……」

 

「来るわ」

 

 思案の声をキクコの明瞭な声が遮った。一瞬で目標が移動した事に驚いているのか、鳥ポケモンは羽ばたいたまま首を巡らせていた。やがてゴーストとキクコを見つけると、鋭角的な眼に敵を見る光が宿った。

 

 翼を極限まで縮め、雷撃の推進力を得て鳥ポケモンが直進する。螺旋を描き、削岩機のような鋭さを嘴に帯びた。

 

「あれは?」

 

「ドリルくちばし。どうやら刺し違えてでも、って考えみたい」

 

 的確に技の名前を言ってのけたキクコはゴーストへと目配せした。

 

「でも、前からやってくるのは好都合。ゴースト」

 

 了承の声もなしに、ゴーストは波紋状の光を広げた。先ほどと同じ「さいみんじゅつ」だが波紋の広がり方がよっぽど大きい。ミキサーのような波紋の渦の中心地へと鳥ポケモンは吸い込まれるように向かい、キクコとゴーストを貫くかに思われた寸前でその動きを止めた。

 

「……止まっ、た」

 

 ユキナリは呆然とするしかない。腰から力が抜けて尻餅をついた。鳥ポケモンが地面へと転がる。眠っているのか、眼を閉じていた。

 

「キクコ、君は一体……?」

 

 ユキナリは聞かねばならなかった。どうしてキクコにこれほどまでの技量があるのか。どうしてポケモンを自律進化させるなんて芸当が出来たのか。何よりも的確な命令と心得たようなポケモンとの呼吸は一朝一夕で身につくものではない。二ヶ月の特訓でそれぐらいは分かっていた。

 

 しかし、当の本人はその場に横たわった。ユキナリはキクコへと駆け寄ろうとする。その進行方向をゴーストが阻んだ。ユキナリが、「何だよ」と睨みつけるとゴーストはまるで人間のするように指を一本立てて「静かに」と示した。

 

「まさか、眠ったって言うのか? 自分のポケモンの技で?」

 

 ゴーストはもちろん答えないがそれが何よりの肯定でもあった。

 

「何だよ……」

 

 ユキナリは聞かねばならぬ事がたくさん出来たのに保留された気分だった。横たわるキクコと鳥ポケモン。どうするべきか、と迷っているとゴーストは指揮棒を振るうように片手を上げた。すると青い思念の光で鳥ポケモンとキクコが浮かび上がった。

 

「便利だな」

 

 ユキナリの言葉にゴーストは何の反応も示さない。まるでそれが当然だと言うかのように。

 

「トレーナーの手持ちなら、それも当たり前、か」

 

 今しがたトレーナーとして失格の烙印を押された身となれば素直には受け取れない。オノンドの入ったボールを掴む手に、自然と力が篭った。

 

 



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第四十八話「敵と敵」

 

 発電所を出たところでアデクが治療を受けていた。どうやらカスミがポケモンセンターの救命医を呼んだらしい。アデクは担架に寝かしつけられ、鎮痛剤を打たれていた。

 

「痛みますか? 声が聞こえますか?」

 

 救命医の言葉にアデクは、「……おお、聞こえる」と応じていた。ユキナリに気づいたナツキが顔を振り向けてぎょっとする。

 

「あんた……、そのポケモンは」

 

「襲ってきたポケモンをキクコのゴーストが退治してくれた。今は当の本人も眠っちゃっているけれど」

 

 ナツキはユキナリとゴーストの両方に目をやった。「何かあったの?」と目ざとく聞いてくる辺りはさすが幼馴染だ。

 

「いや、何でも」

 

 この嘘はどうせ意味を失くすのだろう。オノンドが操れない事をどこかで知れば、ナツキは幻滅するかもしれない。それよりもオノンドの傷を診てもらわねばならなかった。キクコもポケモンの技で昏倒したのだ。キクコを抱え、ユキナリが声を振り向けようとしたその時だった。運河が波打ち、一体のポケモンが姿を現した。

 

 乳白色の身体に虹色の美しい鱗に身を包んだポケモンである。思わず感嘆の息の漏れるポケモンに乗っていたのは三人の人影だった。

 

「誰?」と最初に声を出したのはナツキだったが、カスミが、「来たのね」と因縁めいた声音で口にした時にはその三人は姿を現していた。

 

 そのうちの一人にユキナリは瞠目する。優勝候補と目されていたシンオウのトレーナー、シロナ・カンナギであったからだ。

 

「どうして、こんなところに優勝候補が……」

 

 ナツキが気圧されたように後ずさる。シロナは、「谷間の発電所に人手が要るって聞いたけれど」と凛とした声を放つ。

 

「随分と大所帯ね。無人と聞いて殺風景な場所を想像していたわ」

 

 シロナの声音はテレビやラジオで聞くものよりもずっと大人びていて落ち着き払っている。ユキナリはその隣にいる黒髪の女性に目をやった。黄色いファーコートに黒衣という井出達はこのカントーには似合わない。他地方の人間だと知れたがどこかで見たことのあるような気がしていた。

 

「あれね」

 

「そうよ、カミツレさん。持っているわよね、ブランクのボール」

 

 カミツレと呼ばれた女性が手に持っているのはモンスターボールだった。何をするつもりなのか全員が固唾を呑んでいるとカミツレはモンスターボールを投擲した。その対象はまさかの鳥ポケモンであった。鳥ポケモンは全く抵抗せずにモンスターボールに収納される。美しい鱗のポケモンが尻尾を器用に払って主人へとボールを返した。

 

「これが伝説の鳥ポケモンの一つ、サンダー。……すごいわね。今までの電気タイプと全然違う。モンスターボール越しでも伝わってくるわ。その力が」

 

 カミツレが魅せられたように口にした言葉に、「呑まれるなよ」と声にして立ち上がった影があった。ユキナリはその人物を振り仰ぐ。

 

 少年であった。ちょうど年の頃は自分と同じくらいだろうか。青いコートに白いマフラーを身に纏っている。その眼差しからは人間らしさというものがまるで感じられない。冷気の塊のような少年であった。

 

 じっと見つめていたせいであろう。少年は怪訝そうに眉をひそめる。

 

「何者だ、あいつは」

 

「検索結果、出たわ。あの少年はオーキド・ユキナリ。ニビシティの事件に関わっているとされた第一容疑者よ」

 

 ニビシティの事件? 疑問符を浮かべる間に少年はユキナリを値踏みするように眺め、やがてキクコへと目線が吸い寄せられた時、その目が見開かれた。

 

「何で……、キクコ……」

 

 その言葉には全員が視線を向けた。どうしてあの少年がキクコを知っているのか。その疑問に行き着く前に少年は歯噛みした。

 

「……お前、オーキド・ユキナリ。なに、キクコに馴れ馴れしく触っている?」

 

 怒気を露にした声音はその少年に相応しいものとは思えなかった。同行者であるはずのシロナやカミツレでさえも戸惑っている。

 

「どうしたって言うの? ヤナギ君」

 

 ヤナギ、というのか、とユキナリが確かめていると、「俺はその殺人犯が!」とヤナギはユキナリを指差して糾弾した。

 

「どうして汚らわしい手でキクコを抱いているんだと、聞いているんだ!」

 

 激しい口調に全員が息を呑んだ。ユキナリはヤナギの眼を真っ直ぐに見返す。怒りと憎悪がない交ぜになった視線が矢のように突き刺さった。

 

「……事情は分からないけれど、キクコはオツキミ山の麓で出会った同行者で、僕らの仲間で――」

 

「そんな下らない事を聞いているんじゃないぞ! 犯罪者は、大人しく口を閉ざしていろ!」

 

 ヤナギがホルスターからモンスターボールを抜き放つ。シロナが止めに入った。

 

「待ちなさい! 今ここで事を荒立ててもいい事は……」

 

「いいも悪いもない。キクコは俺が守らねばならないんだ。誰にも、その権利を渡すものか!」

 

 ヤナギは美しいポケモンから降り立ち、モンスターボールから手持ちを出した。茶色い毛並みの小柄なポケモンだった。小刻みに震えている。ユキナリは自分もオノンドを出すべきか、と手を彷徨わせた。先ほど突きつけられたばかりの現実に戸惑う。自分はオノンドに相応しいトレーナーなのか。ヤナギは歩み出そうともせず、すっと片手を掲げ言い放つ。

 

「瞬間冷却、レベル1」

 

 その言葉が放たれた直後にユキナリは足が一歩も踏み出せなくなっている事に気づいた。視線を落とすと靴底がまるで縫い付けられたように凍り付いている。

 

「何だ……」

 

「俺から逃げようとしても無駄だ。今からそっちに行く」

 

 ヤナギがゆっくりと歩み出す。ユキナリは対して全く動けなかった。モンスターボールの投擲しか出来ない。腕に抱えたキクコの体温を確かめ、渡してはならないとだけ決意を新たにした。

 

「キクコをよくも……」

 

「何だって言うんだ。君は何だ?」

 

「下賎なる問いかけに答えるつもりはない。キクコを害するものは誰であろうとも」

 

 どうやら最初から聞く耳を持たないらしい。ユキナリは戦いしかないと確信した。モンスターボールを掴み、マイナスドライバーで緩めようとしてはたと動きを止める。オノンドは言う事を聞いてくれるのか。今、ここで戦って恥を晒してどうするのか。

 

 その迷いが指先を硬直させる。ヤナギはすっと指差した。

 

「氷柱針」

 

 空気中の水分が渦巻き、凝固して小さな針の集合体を作り出す。氷の針はユキナリへと降り注いだ。襲い来る針の群れにユキナリが思わず手を掲げる。

 

「させない! ストライク!」

 

 その声と共にストライクが弾かれたようにユキナリの守りに入った。鎌を交差させ針を叩き落す。そのうちいくつかの針がストライクの表皮を傷つけた。ヤナギは指を鳴らす。

 

「触媒冷却、レベル1」

 

 直後、ストライクの身体に突き刺さった極小の針から冷気が滲み出し、一瞬にしてストライクの動きを奪った。翅が凍てつき、関節が曲がらなくなる。

 

「ストライク……!」

 

「虫・飛行で氷に立ち向かうのが無謀だ。触媒冷却はレベル1で固定してある。翅を動かす事も出来ないだろう」

 

 ストライクは離脱しようと脚の筋肉を膨れ上がらせたが、それを予期していたかのように脚についた切り傷から冷却が広がった。飛行する術と地を駆ける術を奪われたストライクが鎌で決死の威嚇をする。しかしヤナギは既に興味がないようだった。

 

「俺は弱い奴には興味がなくってね。いくらでも吼えているがいい」

 

「弱いですって?」

 

 ナツキがストライクを侮辱されたと感じたのか声を荒らげる。ヤナギはそれだけで動けなくなりそうなほどに冷たい眼差しを送った。

 

「弱者は引っ込んでいろと言っている。周りを喧しく飛び回られると面倒だ。今すぐ、ここでストライクの命を奪ってもいいんだぞ」

 

 冷却の根はストライクの胸元まで至っていた。暗にいつでも命を奪えるという言葉にナツキは沈黙する。

 

「さて、オーキド・ユキナリだが――」

 

 こちらへと顔を向けようとしたヤナギが声を詰まらせた。何故ならば、彼の眼前に踊りかかってきたオノンドの姿があったからだ。

 

 ユキナリはモンスターボールを突き出したまま口にする。

 

「ナツキに、指一本でも触れてみろ……」

 

 戦いの光を携えた双眸でキッと睨みつける。

 

「ただじゃおかない」

 

 ユキナリの声に呼応したようにオノンドが牙を打ち下ろす。ヤナギは咄嗟に飛び退いていたが青いコートの一部を削られていた。

 

「盗人猛々しいとはまさにこの事だな」

 

 ヤナギはまだユキナリの腕の中にいるキクコを見やり、「お前などに……!」と声を出した。

 

「キクコを触らせるものか!」

 

 ヤナギが手を振り翳すと周囲の空間が歪み、巨大な氷柱が四本、渦を成しながら構築されていく。さながら空気中から引き出されていくかのようだった。

 

「オノンド、相手は氷タイプだ。出来るだけ、慎重に――」

 

 その言葉尻をオノンドの咆哮が引き裂いた。ユキナリが判断を下す前にオノンドはヤナギに向けて駆け出していた。

 

「オノンド?」

 

 その瞳には先ほどと同じく凶暴な光が携えられている。もうユキナリの命令など必要とせず、自らの判断で動いていた。その動きに咄嗟に反応したのはヤナギだ。腕を振るい、「瞬間冷却」と声に出す。

 

「氷壁、レベル1」

 

 ヤナギの前面に氷の壁が展開される。オノンドは一度牙を打ち下ろしたが氷の壁は半分ほどしか砕けなかった。攻撃が加えられた瞬間、氷壁から針が飛び出す。本能的に距離を取ったオノンドは首を震わせて攻撃姿勢を取った。

 

「言う事を聞いていないのか?」

 

 ヤナギの声にオノンドは腕に力を込めて振るい落とす。青い衝撃波が地面を伝わり氷壁の内部へと攻撃を与えた。しかし、既にヤナギは地面を凍結させていた。オノンドの放った攻撃は地面を少しだけ震わせた程度だ。

 

「トレーナーの言う事を聞かない。レベルが違い過ぎる場合に起こる現象だな。つまり、オーキド・ユキナリ。お前はオノンドに見捨てられたのだ」

 

 その言葉が絶望的な響きを伴ってユキナリの中で残響した。見捨てられた。自分がパートナーだと思っていたポケモンに。オノンドは再び牙を突き出して氷壁へと突進する。先の戦闘での傷はまだ癒えていない。片目の利かないオノンドが「ドラゴンクロー」の準備姿勢に入る。ヤナギは、「野生を相手にしている気分だな」と呟いてから命じた。

 

「瞬間冷却、レベル2」

 

 瞬時にオノンドの片足が凍結する。ユキナリには何が起こったのか全く分からなかった。突然に氷がオノンドを襲ったようにしか見えない。

 

「レベル2程度で充分だな。牙がメインの武器か。ならばその牙、折らせてもらう」

 

 オノンドが激しく鳴いて腕を振るい落とす。腕の力で凍結した脚を解こうとしたが、次の瞬間によろめいた。今度凍結したのは先ほど鳥ポケモンにつけられた傷口だ。激痛にオノンドが身悶えする。傷口を広げられているのだろう。ビシビシ、と氷の擦れる音が聞こえた。

 

「既にサンダー戦で負傷をしているようだな。最大限に利用する」

 

 傷口から血が噴き出すよりも早く、血液は凍結する。どうやら傷口を触媒にして体内を凍結する手はずを整えているようだった。ユキナリはそれに気づき、オノンドに命令する。

 

「オノンド、一旦退くんだ! そうでないとやられる!」

 

 ユキナリの声にもオノンドは耳を貸す気配はない。首を振り上げると片方の牙から身の丈ほどの青い光を展開した。「ドラゴンクロー」を撃ち出すつもりであるのは明白だった。ユキナリは決死の声を出す。

 

「オノンド! もういいんだ! 戦うな!」

 

 ユキナリはモンスターボールをオノンドへと向けて戻そうとする。ヤナギがすっと人差し指を上げた。すると撃ち出された一本の氷柱針がモンスターボールを貫いた。

 

「これでもう、モンスターボールに戻す事も出来まい」

 

 ユキナリは絶句した。自分の手の中でモンスターボールが分解されていく。オノンドが赤い瞳に明確な敵意を映し、周囲を見渡した。野性に帰ったのだ。オノンドからしてみれば周囲は敵だらけに見えたのだろう。牙を突き出し、ユキナリへと突進しようとする。

 

「オノンド……、やめろ」

 

 制止の声もオノンドには届かない。その牙に殺意が宿った瞬間、ユキナリは叫んでいた。

 

「やめてくれ!」

 

「瞬間冷却、レベル2」

 

 オノンドの両手両足が瞬時に凍り付いた。つんのめったオノンドがしこたま顎を地面に打ちつける。ヤナギはゆっくりとユキナリへと歩み寄ってくる。

 

「さぁ、キクコを返してもらおうか」

 

 その言葉にユキナリは、「返すとか返さないとか」と声を出した。

 

「君は何なんだ。キクコの何だって言うんだ」

 

「こちらの台詞だ。何の権利があって、その手に触れている。汚らわしい殺人犯が!」

 

 ヤナギがユキナリの額へと真っ直ぐに指差す。氷柱の針が撃ち出されようとした。思わず目を瞑る。完全に終わりを感じ取ったその瞬間、炎熱が眼前で弾け飛んだ。

 

 氷柱の針を溶かしたのは炎の車輪だ。回転して地面へと降り立った影にユキナリは目を瞠る。

 

「メラルバ……」

 

 触手から赤い炎を噴き出させ、メラルバがヤナギの前に立ちはだかった。

 

「……おう、間に合ったか」

 

 その声に目を向けると額に汗の玉を浮かべたアデクが無理にでも頬を引きつらせて笑っていた。手にモンスターボールがあり、メラルバを繰り出したのだと分かった。

 

「優勝候補の一角、イッシュのアデクだったか」

 

 ヤナギはメラルバを見やり、指を鳴らした。凍結の手がメラルバを覆い尽くそうとしたが、メラルバは赤い触手を輝かせるだけでその氷の膜を溶かした。

 

「特性、炎の身体だな。加えて炎タイプ、相手取るには少し分が悪いか」

 

「お前さんが冷静な人間なら、ここで退く事を勧めるがのう」

 

 アデクの声にヤナギは目をやって、「半死半生の身でよく言う」と鼻を鳴らした。

 

「だが、腐っても優勝候補だ。俺も全力を出す覚悟がいるだろう。今は、その時ではない」

 

 ヤナギが身を翻す。美しいポケモンが頭を垂れてヤナギを迎えた。シロナとカミツレはヤナギの表情を窺っている。ユキナリはヤナギを真っ直ぐに睨みつけた。ヤナギもまた、ユキナリへと憎悪の眼差しを向ける。

 

「今度会う時は殺す」

 

 冷酷に放たれた言葉は脅しではない事がよく分かった。ユキナリが唾を飲み下す間に美しいポケモンは運河を溯っていった。

 

 全てが一瞬の幻かと思われたが、サンダーと呼ばれた鳥ポケモンが捕獲されたのと、オノンドが自分のポケモンでなくなったのは紛れもない事実だった。

 

 キクコが起きるまでに事を整理しなければならない。自分の中で起こった出来事を。

 

 ただ一つ、正確に言えるのはヤナギという少年は自分にとって最大の敵となる事だけだった。

 



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第四十九話「次の一歩へ」

 

「何であんな真似をしたの?」

 

 シロナの声にヤナギは答えない。カミツレはサンダーを捕まえたモンスターボールを陽に翳して眺めている。

 

「これが伝説なのよね」

 

 確認の意を込めた声に、「そうよ」とミロカロスを駆るシロナが応じる。

 

「カントーでは伝説とされているわ。でも、そのポケモンに関する文献資料があるかと言えばそうではない」

 

「どういう意味? つまり、厳密には伝説ではないと?」

 

「そういう事でもないわ。ただ強力なポケモンを伝説と定義するのならば、それは間違いなく伝説級よ」

 

 カミツレは、「電気タイプでよかった」と呟く。

 

「他のタイプは専門外だから」

 

 シロナは分かっていてカミツレに捕獲させたのか。ヤナギは勘繰ろうかと考えたが、今はそれどころではなかった。

 

 どうしてキクコがこんな場所にいるのか。どうしてオーキド・ユキナリの手に抱かれていたのか。それだけが知りたい。ヤナギの頭を悩ませるのはその二つだ。

 

「ねぇ、聞いてる? どうしてあんな真似をしたの?」

 

 シロナの再三の問いかけにヤナギは、「キクコが奴の手にあったからだ」と答える。

 

「あの灰色の髪の女の子? 知り合いなの?」

 

 ヤナギは仮面の人々の事を話すべきかと感じたがそれを排除して説明する事にした。

 

「前に、少しだけ、な。幼馴染のようなものだ」

 

 濁した言葉を追及する事なく、シロナは、「あんなに感情を露にしているの、初めて見たから」と口にする。彼女達の前ではそうだろう。

 

「オーキド・ユキナリがジムリーダー殺しの犯人と決まったわけじゃないわ。だというのに、少し軽率よ」

 

 確かに、一般トレーナーにジムリーダー殺しを勘付かれてはまずい。その点では自分の行動はあってはならないものだろう。

 

「すまなかった」

 

「全然、心が篭っていないわね」

 

 シロナはため息をついて、「まぁ、いいけど」とハナダシティの沿岸までミロカロスを前進させ、地上を歩く事にした。ヤナギは、「あんたらこそ、いいのか?」と訊く。

 

「発電施設が停止しているんじゃ」

 

「誰かさんのせいでそれどころじゃなくなったわ」

 

 シロナの苦言にヤナギは声を詰まらせる。ぐうの音も出ない。

 

「あの場にあれだけ人がいれば解決したでしょう。多分、元凶はサンダーの暴走だろうし」

 

 今はサンダーをカミツレが手にしている。この状況さえ作れれば満足、と言った口調だった。

 

「組織としてはサンダーの確保が第一条件。懸念事項は扱えるトレーナーだったんだけれど、ジムリーダーなら何の心配もいらない」

 

 一般トレーナーに渡るよりかは遥かに安全な手段だろう。ヤナギは、「これからどうする?」と尋ねていた。

 

「あなたの目的通り、ヤマブキのバッジを取りましょう。ちょうど道中にあるわ」

 

 ハナダシティを掠める形で南下しヤナギ達はゲートの前で足を止めた。ゲートではポケモントレーナーの身分証であるトレーナーカードが必要になったが、三人とも名のあるトレーナーなので最低限の身分証明で済んだ。

 

「現在、ヤマブキシティには厳戒態勢が敷かれています」

 

 ゲート職員の言葉にシロナは首を傾げる。

 

「何で?」

 

「詳しい事は不明ですがシルフカンパニーの職員によるヤマブキシティの一時的な占拠が成されている様子で……」

 

 どうやらゲート職員にはそれ以上の権限が許されていないらしい。シロナとヤナギは視線を交わし合った。

 

「どうやら自分達で確かめるしかなさそうだな」

 

「そうね。それにしてもシルフか。またきな臭い」

 

 その言葉の意味を吟味する前に三人はゲートを抜けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アデクの火傷は幸いにも大事には至らなかった。

 

 そうポケモンセンターで報告を聞いた時、ユキナリは半分その意味を解する頭がなかった。ようやくアデクは無事だという事を理解したユキナリは、「その、キクコは」と尋ねていた。

 

「ポケモンの催眠術で眠っているだけです。すぐに起きますよ」

 

「そう、ですか」

 

 救命医に説明を受け、アデクは二日ほどの検査入院をする事、次いでオノンドについて回答が発せられた。まるで死刑宣告を待つかのように、ユキナリは拳をぎゅっと握りしめ、息を詰めた。

 

「オノンドの外傷は高圧電流による火傷、それと凍傷が見られましたが、凍傷自体はさほど重くはありません。火傷も時間が経っていないお陰で大事には至りませんでしたが、傷は完全には塞がりません。一生傷になるでしょう」

 

 その宣告は半ば予想出来ただけにユキナリの中で重く響いた。自分のせいでつけてしまったようなものだ。サンダーに立ち向かわなければ。今さらの後悔に胸が締め付けられる。

 

「傷の範囲ですが、視野に少しばかり支障が出る場合があります。網膜や眼球自体に傷はないのですが、瞼まで至っているため今までのような動きが出来ない場合があると考えてください」

 

 その事よりも救命医はユキナリに隠している事があるはずだった。自分で聞くのも憚られたが、他に誰が聞くというのだ。ユキナリは言葉を紡いだ。

 

「その、モンスターボールが破壊されて、オノンドは僕のポケモンなんでしょうか……」

 

 最も危惧するべき事態を想定に入れていた。救命医は言い辛そうに口を開く。

 

「モンスターボールの束縛が解かれ、今、オノンドは誰が主人なのだか分かっていない様子です」

 

 ユキナリは手で顔を覆った。やはり、という念と聞きたくなかったという気持ちがない交ぜになり、自分の中で渦を成す。救命医は、「簡易的な拘束具をつけていますから襲い掛かる事はないでしょうが」と続けた。

 

「今、オノンドは野生と同じです。拘束具と便宜上のモンスターボールでやっと封じ込めている状態となります。逆に聞いておきたいのですが、どうしてあのオノンドはあれほどまでに強力なのですか?」

 

 ユキナリには知るよしもない。ただ他のトレーナーがそうするように育てただけのつもりだった。それがいつの間にか自分のレベルを超えてしまった。サンダーとの戦闘局面、オノンドの闘争心に自分がついていけなかったのが原因だと思えたがそれは言えなかった。

 

 ゆっくりと頭を振る。

 

 救命医は、「そうですか……」と呟き、「翌日には旅に出られます」とだけ言い置いて離れていった。

 

「どうして、こんな事になってしまったんだ」

 

 呟いた声に、「でも、大した事がなくってよかったじゃない」とナツキが返した。先ほどから無言を貫いていたナツキはようやく話す材料が見つかったようにユキナリへと語りかける。

 

「オノンドも無事みたいだし、あたし達はまだ旅を続けられる」

 

 無事? 本当にそうだろうか。今までのように何も知らずに旅をする事など出来るのだろうか。

 

 ヤナギという少年。彼は自分の事を殺人犯だと呼んでいた。

 

 何か窺い知れないものがこのポケモンリーグを支配しているのではないのか。その疑念は深くなった。

 

 ユキナリは立ち上がる。ナツキが、「どうしたの?」と訊いた。

 

「聞かなきゃいけない。多分、あの場で一番冷静だったのはカスミさんだ」

 

 カスミならば何かを知っているのではないか。ユキナリは無理やりにでも聞き出す必要に駆られた。

 

「でも、手持ちが……」

 

「話し合いだけなら、ポケモンはいらないよ」

 

 話し合いだけで済むかどうかは分からない。ただマサキ誘拐とサンダーの捕獲、そしてヤナギという少年。それら全てが無関係の事柄だとは思えなかった。どこかで繋がっている。

 

 その確信にユキナリは歩み出した。

 

 

 

 

第四章 了

 



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胎動の章
第五十話「仕組まれた出会い」


 天窓から差し込む月光は静かに時を刻んでいた。

 

 希望を待ち望むかのような沈黙が降り立っている。しかし、ここで顔をつき合わせる事になった二人に関して言えば、希望とは正反対の居場所にあった。プールの水面が揺れている。青い光を湛えた水の原を一瞥したユキナリは、目の前で背中を向けたままの人物へと声をかけた。

 

「カスミさん」

 

 その声にカスミは振り返る。後悔の念も、懺悔の言葉もなく、彼女はただ淡々とユキナリを見つめた。ここで言うべき事は一つだけだった。

 

「カスミさんは、あの連中と繋がっていたんですね」

 

 あの連中、とユキナリが指したのは優勝候補のシロナ、カミツレと名乗る女性、そして自分へと敵意を向けてきたヤナギという少年だった。彼らが何者なのか。それも問い質せねばならない。

 

「谷間の発電所には最初、彼らが行きつくはずだった。でも、僕がイブキさん達のいる可能性を追って向かうのをあなたは止めなかった。何故です?」

 

 サンダーと呼ばれるポケモンの仕業だという断定が出来なかったからなのか。そう言って欲しい心境があったが、カスミの言葉はその期待を裏切るものだった。

 

「一つの可能性として、あなた、オーキド・ユキナリを彼女達に会わせる必要があった」

 

 カスミの言葉にユキナリは疑問符を浮かべる。

 

「どういう意味です?」

 

「ニビシティでの事件を、あなたは知っているかしら?」

 

「事件?」

 

 あの場所での事件といえばジムトレーナーが出すぎた真似をしたことだろうか。そう考えていると、全くの予想外の言葉が飛び出した。

 

「あの殺人事件を」

 

 ユキナリはハッとする。ヤナギは自分を見るなり「人殺し」と判断した。それはどうしてなのか。その背景に、殺人に繋がるようなものがあったからに違いない。

 

「誰かが、死んだんですか……」

 

 ニビシティで。では一体誰が、と考えたがそれこそ野暮だ。ジムリーダーであるカスミに行き渡っている情報ならば一般人であるはずがない。

 

「まさか、タケシさんが?」

 

 信じられない言葉であった。タケシが、そう簡単に死ぬはずがない。自分ともう一度戦う事を誓ってくれた、あの真っ直ぐな男が。しかし、カスミは陰鬱に顔を伏せて、その予感を決定付けた。

 

「その通りよ。ニビシティジムリーダー、タケシとジムトレーナーの死、いいえ、殺人ね。これは公にはされていないけれど、組織に属しているジムリーダーならばみんなが知っている。自分が次の標的になりかねないからね」

 

 カスミの言葉にユキナリは眉をひそめる。

 

「組織、ってのは……」

 

「今さら、隠し立てする事でもないか」

 

 カスミは呟き、ユキナリへと言葉をかける。

 

「わたしはある組織に属している。それは人種、地方の枠組みを超えた、超法規的な組織よ。今回のポケモンリーグにおいて、カントーがどうしてこれを開催しなければならなかったのか。そもそもその時点からわたし達は疑っている」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 さすがに思考が追いつかない。組織、と言われてもその全体像がぼかされていて焦点を合わせる事すら困難だった。

 

「理解の必要はないわ。ただそういうものがある、という事を認識しておいて欲しい」

 

 つまり、いちいち自分の言葉に過剰反応するな、と言う事か。ユキナリは了承の首肯を返し、「でもだからって」と口を開く。

 

「その組織が何なんです? ジムリーダーの、タケシさんの死はショックですけれど、それが何か――」

 

「ジムリーダーを殺す理由は、思いつくかしら?」

 

 遮って放たれた言葉にユキナリが口を噤む。ジムリーダーを殺す理由。それは一つしか思い浮かばない。

 

「ジムバッジの奪取」

 

 それがもっとも現実的にジムリーダーを殺す理由だろう。カスミは深く頷いてから、「ニビシティのタケシ」と目を伏せた。

 

「彼は、残念だったわ。ジムバッジを奪われ、これからトレーナーとしての再出発をしようという時に襲われた」

 

「犯人の目星はついているんですか?」

 

 ユキナリの質問にカスミは、「ナンセンスね」と笑い、怪訝そうな目を向けてきた。その眼差しの意味が分からず、ユキナリが言葉を彷徨わせていると、「トレーナーカードには」とカスミがジャケットからトレーナーカードを取り出した。

 

「更新すれば最後に戦った相手の名前が打ち込まれる。ポケギアと同期しているシステムだから、ポケギアでポイント交換した相手こそが最後に戦った相手」

 

「じゃあ、その人物を当たれば」

 

 ユキナリの言葉にカスミは無言を返した。その意味するとことをようやくユキナリは思い浮かぶ。しかし、いやまさか、と何度か考えた末に、ヤナギの「人殺し」発言の意図が読み取れた。

 

「……トレーナーカードに刻まれていた名前は、僕だった」

 

 そうとしか考えられない。だからヤナギは自分がタケシを殺したのだと思い込んでいる。カスミは、「そのはずはない、と思っている」と顔を伏せ気味に応じる。

 

「真正面から見た限り、あなたは人を殺しそうには見えない。だからこうして二人っきりで喋っている」

 

 しかし、カスミの手がそっとモンスターボールに添えられているのを、ユキナリは見逃さなかった。もしもの時は即座に判断する。カスミの事だ。人殺しも厭わないのだろう。

 

「……僕は殺していない」

 

 抗弁のようだったが、ユキナリが出来る精一杯の誠意でもあった。カスミはその言葉に、「分かっている」と返す。

 

「でも、わたし達はあなたを第一容疑者と見て調べを進めた。その過程で、出てきたもう一人の容疑者があなたの出会った少年」

 

 ユキナリは白いマフラーをなびかせた少年の相貌を思い返す。憎悪に染まった眼差しが凍てつくような厳しさに細められていた。

 

「ヤナギ……」

 

「彼の本名はカンザキ・ヤナギ。カンザキ執行官の息子よ」

 

 思わぬ返答にユキナリはうろたえた。カンザキ執行官の息子。つまり、権力を利用出来る立場という事か。無言のユキナリがそのような顔をしていたせいだろう。カスミは、「シロナからの報告では」と前置きする。

 

「彼にはそのような心持ちはないとしている。彼は純粋に、自分の強さのみで玉座を目指している。血も、親も関係なく、ただ純粋な強さだけ。だからこそ、分からない。どうしてあの時、彼があなたに対してあれほどまでに敵意を抱いたのか」

 

 肌を刺すような殺気。憎悪と侮蔑の混じった視線。あのような攻撃的な眼を初対面の人間に向けられるものなのだろうか。ユキナリには理解出来なかった。

 

「彼と僕は、面識はないです」

 

 そのはずだ。カスミは、「調べでは、そうなっているけれど」と濁した。

 

「もしかしたら、彼はあなた達の同行者に目的があったのかもしれない。その、キクコちゃんだっけ?」

 

 あの時、ユキナリはキクコを抱いていた。それが原因だったのだろうか。しかし、だとすれば何故。キクコとヤナギが顔見知りであったとすれば、全く経緯が分からない。

 

「そもそもキクコちゃんは何者なの? 彼があれほど感情的になるのはシロナも初めて見たのだと言っていたわ。キクコちゃんに、何かがあるんじゃないの?」

 

 だとすれば自分達は時限爆弾を抱えているようなものなのだろうか。キクコは何の目的で、どうして自分についてきている?

 

「……キクコは、本当に何でもない、ただの同行者なんです。オツキミ山の手前で、悪い商売にかかろうとしていたところを僕が助けて」

 

「それが仕組まれたものではないのだと、言える?」

 

 ユキナリは返事に窮した。キクコがそこまで視野に入れて自分達との邂逅さえも計算のうちだったとしたら。それはとても恐ろしい可能性であった。

 

「キクコが、何かしたって言うんですか?」

 

 その具体的な内容を避けたのは自分の中で、もしや、という感情があったからなのかもしれない。あるいはサンダー戦で見せた冷静さが普段のキクコとかけ離れていたから、自分の知らない彼女がいるのだと直感的に分かったからなのかもしれなかった。カスミは、「何の確証もないわね」と応じる。

 

「張本人であると言う事も。あるいは赤の他人であると言う事も」

 

 暗にどちらとも言えるとカスミはにおわせているのだ。しかし、とユキナリは頭を振った。キクコが殺人? 信じられない。

 

「ありえないんです。キクコに、そんな事は出来ない」

 

「オツキミ山の手前で出会ったんでしょう? 随分と信用しているのね」

 

 ユキナリは痛いところをつかれたように息を詰まらせた。どうしてキクコだけは安全だと考えているのか。少女だからかもしれない。しかし、それだけではない。キクコは本来、戦うような人格でないのは見れば分かる話だ。

 

「キクコには、そんな事出来ない」

 

「オツキミ山でも殺しがあったらしいわ」

 

 不意に飛び出したカードにユキナリは何を言われたのか一瞬分からなかった。しかしすぐに理解を迫られる事になる。それはつまり、道中で殺しがあった事。その件にキクコがかかわっていないとは言えない事を示している。

 

「キクコちゃんはずっとあなた達の監視下にあったのかしら?」

 

 カスミは酷な事を訊いている。キクコが殺人犯であるというのか。馬鹿な。

 

「ありえません」

 

「ではずっと一緒に」

 

 ふと、キクコが離れたのを思い返す。ラムダの強襲に遭って、その直後だ。キクコがいなくなった。だがほんの数分だぞ。その間にキクコは人殺しをしたというのか。自分達に気取られる事なく、まるで片手間のように。

 

 ユキナリは頭を振って声に出した。

 

「……はい。ずっと一緒にいました」

 

 これはもしかしたら大きな間違いを犯しているのかもしれない。キクコに問い詰めれば分かる事だろうか。キクコは隠し立てせずに出頭するだろうか。

 

 いや、それ以前に、キクコにそのような罪を背負わせたくなかった。まだ出会って三日前後だが、既に情が移っていた。

 

「そう、ならいいんだけれど。彼も恐らくは、そんな事はありえないと言うでしょうね」

 

 ヤナギの事か。彼とキクコはどのような関係にあったのか。それも問い質せば分かる事なのだろうかと自問して、ユキナリは無粋だと額を拭った。

 

「彼、カンザキ・ヤナギは、次はどこへ?」

 

「ヤマブキシティのはずよ。あくまで、彼の目的はポケモンリーグ制覇、玉座だからね」

 

 ヤマブキシティ。大都会と呼ばれる街のはずだ。そこにもジムバッジがあるというのか。

 

「それに優勝候補のシロナと、あともう一人が協力しているんですか」

 

「カミツレの事ね。彼女達はカンザキ・ヤナギに協力はしないわ。むしろ、カンザキ・ヤナギもわたし達も共通しているのはお互いを利用するという目的」

 

「利用……」

 

 そういえばまだ組織の目的を聞いていなかった。ジムリーダー殺しの抑圧だけに動くにしては大仰な組織だ。

 

「何なんです? あなた達の組織の目的は」

 

「このポケモンリーグに暗躍する影を暴き出すためにいる」

 

 その言葉にユキナリは眉根を寄せた。

 

「影?」

 

「不自然だと思わない? このタイミングで全地方の人間を集めたポケモンリーグだなんて。だって一応、イッシュとは仮想敵国の間柄よ」

 

「そうですけれど、これはスポーツ競技のはずです」

 

 ユキナリの甘い思考をカスミは否定する。

 

「スポーツというお題目ならば納得する人間がいるのも事実。でも、これが国家の威信をかけた競技である事は誰の目にも明らか。質問が飛んでいたはずよ。もし、他地方の人間が玉座に収まったのならば」

 

 ユキナリがハッとする。

 

「純血派……」

 

 王の血統は守られるべきだと主張する団体がいるのは知っている。しかし、それがこのポケモンリーグに濃い影を落としているとは安直には結べなかった。

 

「分かっているのは、彼ら――ここではそう呼ぶけれど、必ず事を起こそうとしているという事実だけ。何者かがこのポケモンリーグを仕組み、そしてコントロールしようとしている」

 

 ありえない、とは言えない。国家の威信をかけた競技だ。何者かの手が加わっていないと考えるほうがどうかしている。

 

「……その組織と、あなた達の組織は対立している」

 

「表立っては対立していないけれど、どちらかがどちらかの尻尾を掴むまで、この見えない水面下の戦いは続くでしょう」

 

 その一部がジムリーダー殺し、だというわけか。ユキナリはようやく事の次第が理解出来そうだった。

 

「……カスミさん。あなたは、彼らの概要は?」

 

 カスミは首を横に振る。

 

「知らない。知っていたとしても、あなたは一般トレーナー。これ以上の情報を知る権限はないはず。大人しく旅に戻るのが吉ね」

 

 ここで退けというのか。ユキナリは我慢ならなかった。

 

「ふざけないでください!」

 

 自分でも意外な声が飛び出し、カスミは目を見開いた。

 

「僕のオノンドは」

 

 モンスターボールへと手を添える。拘束用のボールによってオノンドは封じられていた。それもこれも、ヤナギに敗北し、野生であるサンダーに翻弄されたせいだ。

 

「僕も含め、もう易々と牙を仕舞えるような状態じゃないんですよ。ここで食いかからなければ僕は一生後悔する。それだけは分かる!」

 

 自分も、既に状況の一部なのだ。そう主張したユキナリにカスミは微笑みかけた。その笑みの意味が分からずユキナリは硬直する。

 

「な、何です?」

 

「いや、やっぱりトレーナーなんだなって思ってね。大人しい顔していても戦いから身を引くような甘ちゃんじゃないって事か」

 

 カスミは、可愛いと付け加えた。心外だと言わんばかりにユキナリは眉をひそめる。

 

「可愛いとか、そういうのって……」

 

「そうね、オノンドに関してはわたしも責任を感じている。あの状況で彼を止められていたら、って。でも、そうじゃなかったのは、相対したあなたの印象通り」

 

 ユキナリは声を詰まらせる。あの殺気は本物だった。ヤナギは本気で自分を殺すつもりだったのだ。誰であろうと、易々と状況に割り込む事は出来なかっただろう。その点で言えば、アデクはやはり傑物だった。あの状況で戦いを挑んだのだから。

 

「ジムリーダーでさえも、呑まれかねない相手だったってわけですか」

 

「実際、彼は強いそうよ。シロナからの報告だけれどね」

 

 カスミはプールサイドに腰かけて膝まで水に浸した。バシャバシャと足先で水面を叩く。その指先が月光に照らされて神秘的な光を帯びた。《お転婆人魚》の看板は伊達ではないのだと、ユキナリは自分の身体の火照りを伴って思い知らされた。覚えず目を背ける。

 

「じ、じゃあ……」

 

 声が上ずってしまったがユキナリは確認の意を込めて口にした。

 

「マサキさんの件も」

 

「いや、あの件に関してはわたしにも分からない」

 

 ユキナリは思わず二の句を継げなかった。カスミも自信なさげに首を振る。

 

「全く分からないのよ。ただ、彼らの仕業にしてはお粗末過ぎる、という印象ね。彼らならば、既にわたしの手が届く前に状況を終了させているはず」

 

 自分がマサキと出会えた事こそが、彼らの仕業でない事の証明、というわけか。ユキナリはそう了解すると共に予感に口を開いた。

 

「マサキさんの事も、仕組まれていたんですか」

 

 もしやと感じた事だったが、「ゴメンなさいね」とカスミは謝った。それで確信に変わった。

 

「……どうして」

 

「マサキが狙われていたのは分かっていた。だから、あなた達に護衛の意味も込めてあの場所へと赴いてもらった」

 

「一両日中に何かが起こるって確信は……」

 

「女の勘よ」

 

 悪戯っぽく笑って見せたカスミにユキナリは、「真面目に答えてくださいよ」と唇を尖らせる。

 

「組織の事だからね。詳しくは喋れないけれど、でも、どこかの誰かがマサキの身柄を確保するっていう不確定情報だけが漂っていた。発信源がどこであれ、マサキだけは組織に置いておかねばならない駒。失う事は重大な損失だった」

 

 カスミが頬杖をつきながら口にする。しかし、マサキは誘拐されてしまった。それは痛手ではないのか。

 

「重大な損失って」

 

「マサキの技術は革新的なものになる。カントー地方だけの恩恵じゃないわ。それこそ全地方、全地域において、マサキの技術の基礎が応用され、実践される。多分、十年もすれば定着するんじゃないかしら」

 

 それだけの頭脳をマサキは有していたというのか。だが、それを奪われたのは自分の失態だ。ユキナリが謝ろうとすると、「あなた達を責めているんじゃないのよ」とカスミは柔らかく笑んだ。

 

「仕方がない。何らかの第三勢力が動いていて、それにマサキを掠め取られた」

 

「でも、イブキさんを止められていれば……」

 

 自分にイブキを止めるだけの力と意思があれば、もしかしたら、という気になる。カスミは、「あまり思い過ごしをしないほうがいい」と忠告した。

 

「思い過ごしって……」

 

「自分は特別だとかいう気持ちよ。そういう悲劇のヒーロー気取りってのは好きじゃないわ」

 

 いつの間にか自分本位の考え方になっていたのか。ユキナリはいさめられたのだと感じ、恥じ入るように顔を伏せた。

 

「……ユキナリ君。ちょっと泳いでみない?」

 

 だから不意打ち気味のその言葉に全く対応出来なかった。「へ?」と間抜けな声を出すと、カスミはユキナリの手を引き寄せた。

 

 二人はそのまま、盛大な水飛沫を上げてプールの中に吸い込まれた。

 



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第五十一話「氷結の意志」

「何するん――」

 

 ユキナリはそこで気づく。水の中なのに水圧も、息苦しさも感じない。それどころか普通に会話が出来る。異様な状況にユキナリは周囲へと視線を巡らせた。薄い空気の被膜があり、それが自分達と水を隔てている。ユキナリがそれに触れようとすると、「少しだけ秘密の話をしましょう」とカスミの声が耳元で弾けた。

 

 ユキナリはその段になって、自分とカスミを覆うように張られた被膜がプールの中を漂っているのが自覚させられた。目の前にはカスミの手持ちであるスターミーが全身を広げて念力を放っている。

 

「スターミーに水中でも話せる空間を作ってもらった」

 

 カスミの突然の行動に、「どうしてこんな」とユキナリが声を出すと、「見られているわ」とカスミは天窓を振り仰いだ。ユキナリが視線を振り向けると水面越しに何者かの影が天窓の傍に立っているのが窺えた。

 

「唇を読んでいた。恐らく組織の手の者ね。わたしが余計な事を喋らないように監視していたんでしょう」

 

 カスミはさも当然の事のように受け止めているが、ユキナリには狼狽の対象だった。どうして自分達が監視されているのか、と思い直して、先ほどのカスミの話に繋がった。

 

「……僕らは、最初から監視されていた?」

 

 いつからだろう。マサキの別荘に訪れてからか。あるいはそれよりも前か。ジムリーダー殺しに自分の名前が挙がったところからと考えればオツキミ山辺りからか。

 

「そうね。わたしが教えるわけにはいかなかった。だって組織は絶対だもの」

 

 カスミは人魚さながら水中を自在に漂う。ユキナリは横転しないようにするのが精一杯だった。

 

「だからこの場を……」

 

「水の中をわたしが勝手に泳ぎ回っているように見えているはずよ。それでも充分に不自然だけれど、あなたに伝えるにはそれしかなかった」

 

 カスミがユキナリの手を取る。ユキナリは息を詰めてその行方を見守った。

 

「何です?」

 

「ここからはわたしの勝手な推論。事実とは異なるかもしれない。それに、もしかしたら組織の情報の禁に触れる可能性がある。だから、隠密にあなたと話をする必要があった」

 

 前置きを飲み込み、ユキナリは頷く。

 

「キクコちゃんじゃない」

 

 その言葉にはさすがに瞠目した。先ほどまでキクコをさも犯人のように扱っていた人間の言葉とは思えなかった。

 

「どうして」

 

「あの子には出来ない。それは見れば分かるわ。何人のトレーナーを見てきたと思うの?」

 

 カスミの自信にユキナリは閉口するしかない。「でも」と彼女は口調を翳らせた。

 

「その可能性は大いにある。組織は、多分キクコちゃんの動向を監視すると思う。それに、これは結構希望的観測も入っている」

 

「何で庇い立てしてくれるんです?」

 

「あなたも信じたんでしょう? だったら信じ抜きなさいよ。男の子なんだから」

 

 理論も推論も全て捨て去った、カスミの本来の言葉に思えた。カスミは、「犯人の情報は」と続ける。

 

「血液を急速に冷やす事の出来るポケモン。氷タイプも視野に入れていた」

 

「だからヤナギを」

 

 カスミは首肯し、「でも彼じゃない」と伝える。

 

「彼は、恐らく殺しは厭わない性格だろうけれど、闇討ちでバッジを手に入れるような人間じゃない。シロナから聞き及んでいる。その性格は非情でありながら強烈なカリスマを持つ。目的のために手段を選ばない氷結の意志がある」

 

「氷結の、意志……」

 

「全部シロナの感想になるけれど」とカスミは前置きする。

 

「彼にならば、利用されてもいいという気分にさえ陥る。それでさえトレーナーとしての実力と見なせば強大な相手よ。しかも、彼はあなたを敵視している。オーキド・ユキナリ君。あなたと彼は、遠からず戦う運命にあるでしょう」

 

 カスミの予言めいた言葉にユキナリも自分の中の感情を整理した。ヤナギと相対した時の緊張感、どちらかが倒れなければ決しない平行線の眼差し。恐らく、次に会う時には命を賭した戦いになるだろう。それは想像に難くなかった。

 

「わたしはあなたにヤナギを倒すポテンシャルがあると踏んでいる」

 

 それは先ほど自分の事を思い過ごすなと言ったのと同じ口だろうか、とユキナリが怪訝そうに見やっていると、「こっちが本音」とカスミは微笑んだ。

 

「でもそういう自分勝手な理想を押し付けるのは、迷惑かしら?」

 

 カスミの声にユキナリは、「いや」と首を振った。拳を握り締める。ヤナギを超える。キクコを守る。そのために強くなる。どれも達成しなければならない事だ。いずれ玉座につくつもりならば。

 

「やります。やらなきゃいけないんだ」

 

 カスミは、「そうでなくっちゃ」とユキナリへと指鉄砲を向けた。ユキナリは、「素直なあなたのほうが、ずっといいですよ」と笑ってみせる。カスミはすると、少しだけ呆けた顔になった。どうしたのだろう、と呼びかけると、「ああ、ゴメン」とカスミは前髪を掻いた。

 

「ちょっと前に言われた事を思い出しちゃって」

 

「言われた事?」

 

「君は素直に喋るほうが似合うって。それも、確かあなたと似たような人だったわ。一年くらいだけれど、その人と、タケシとカントーを旅した事があるの」

 

 その話は初耳だった。カスミは天窓を気にする。どうやら他には聞かせたくない話なのだろう。

 

「じゃあタケシさんとは」

 

「ええ、顔見知り。あいつ、堅気に見えて意外にナンパな奴でさ。綺麗な女の人には目がないの」

 

 タケシの意外な側面にユキナリは驚いていた。カスミは笑いながら続ける。

 

「わたしはそいつのツッコミに回るのが常だったわね。あいつったら、いい女ならここにもいるってのに。それをあいつと言い合っていたのよね。タケシは仕方のない奴だって。でもいざという時には頼りになったし、三人ともとても強くなった」

 

「あの、もう一人ってのは」

 

「もう、会っていないわ。彼がどこにいるのかも分からない」

 

 カスミはどこか後悔を浮かべるように吐息をついた。ユキナリはそのため息の理由が分からずにただ見つめる事しか出来ない。

 

「どうしているのか……、わたしの事なんてもう忘れたのかもね。相棒がピカチュウで、とても、とても強いトレーナーだった」

 

 その名前を口にしようとして、カスミは首を振った。まるで憚られるかのように。

 

 カスミにとってタケシの死は旧友の死でもあったのだろう。だからこそ、犯人に対する憎しみは深いはずなのに、それをおくびにも出さない。

 

「カスミさんは、悲しくないんですか?」

 

 聞いてみてからしまった、と感じた。あまりにもデリカシーに欠ける一言だ。カスミは、「いいのよ」と呟いて空を仰いだ。

 

「水の中なら泣いても分からないから」

 

 その言葉にユキナリは覚えずカスミの手を引き寄せていた。「ユキナリ君?」と声がかかる前に、その手を強く握り締める。

 

「絶対に、僕が犯人を見つけ出す」

 

 それは固い決意だった。カスミは、恐らくはもう旅をする気はないのだろう。それは先ほどから言葉の節々に表れていた。もう何も失いたくない。カスミの目からこぼれ落ちた涙が、無重力空間のように水泡の中を漂う。カスミは目元を拭いながら、「バカ……」とユキナリの額を小突いた。

 

「女の子泣かせるなんて、駄目よ、ユキナリ君」

 

 カスミは顔を伏せて嗚咽を漏らした。今この瞬間だけ、カスミはジムリーダーの重責も、組織の一員という重石も捨て去り、ただの少女として咽び泣いた。

 

 カスミが泣いていたのはほんの短い間だった。時間にすれば一分もない。それだけで持ち直す彼女の強さにユキナリは感服していた。

 

「そろそろ出なくっちゃ。不自然に思われるわね」

 

 カスミが水の中でスターミーを戻したせいでユキナリは水泡から開放された代わりにびしょ濡れになった。カスミは中に着込んだ水着のお陰で濡れても全く問題ないようだ。

 

「わたしに勝った、ナツキちゃんに見つかる前に、きちんと服を乾かしてから行きなさい」

 

 ユキナリはそこで小首を傾げる。

 

「どうしてナツキに?」

 

 ユキナリの疑問にカスミはため息をついた。

 

「……本当、分かっていないのよね。世の男共は」

 

 呆れ果てた、というカスミの言い分にユキナリは反抗の口を開いた。

 

「失敬な。僕とナツキは幼馴染ですよ」

 

「そういう事じゃないのよ」

 

 そういう事じゃ、とカスミは繰り返した。その問いだけは、今まで積み重ねてきた疑問の中でも特大に解答の難しいものに思えた。

 

 



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第五十二話「相容れない溝」

 

 カスミの忠告通り、ユキナリは服を着替えて濡れた服を鞄に詰め込んだ。幸いにして服の着替えはある。宿泊施設に辿り着くとナツキが門前で待っていた。ユキナリの影に気づいて彼女が声をかける。

 

「どうだった?」

 

 その言葉にユキナリは首を横に振る。

 

「決定的な事は何も」

 

 残念そうにナツキは顔を伏せる。これは自分の胸の中に留めておくべき事だろう。カスミが何らかの組織に属している事。その組織はキクコを疑っている事。それを話してどうする。余計な心配を与えるだけだ。

 

「マサキさんのは、どうやら手引きがあったみたいだけれど」

 

 問題のない事実だけを告げておく。マサキの一件に関しては隠し立てする必要がないと感じた。

 

「どういう意味?」とナツキは宿に入り口を一緒に潜りながら尋ねる。

 

「マサキさんはそれほどまでに重要人物だった。ジムリーダーの情報ルートで警戒しろっていうお触れがあったみたいだよ」

 

 半分は嘘だが半分は本当だ。ジムリーダー間の情報交換の有無は知らないが、少なくともカミツレの事をカスミは知っている様子だったし、タケシとカスミが顔見知りである事もこの言葉を裏付ける要因になってくれた。もちろん、余計な事を喋ってナツキを混乱させるわけにはいかない。タケシとカスミの件に関しては自分も分からない事が多いため、口を閉ざしておく。

 

「……そうなんだ。でも、確かにマサキさん、一度見ただけだけれど浮世離れしている感じだったもんね。狙われていてもおかしくないかも」

 

 マサキの言動に関しては深く関わっていない分、自分達にとっても謎だ。どうして彼の頭脳がそれほどまでに重要視されたのか。何が、彼を組織とやらに繋ぎ止めていたのか。

 

 途方もない考えにユキナリは頭を悩ませた。その上にキクコが監視されているとなれば、自分達の行動もこれから先、何らかの障害が発生する場合がある。もしかしたら組織のほうから、自分達へとアプローチをかける可能性もあった。

 

「アデクさんは?」

 

 一番の懸念事項はそれだった。ナツキは、「峠は越えたみたい」と告げる。

 

「でも、一番にこれから先分からないのは、トレーナーとして戦線復帰出来るかどうか。旅を続ける事は難しいかも、って」

 

 ユキナリはその言葉に責任を感じないでもなかった。自分の身代わりにアデクは傷を負ったのだ。その傷は本来、自分のものだった。

 

「思い詰めないでよ、ユキナリ」

 

 その胸中を察したようにナツキが言葉を発する。思いもかけないナツキの声にユキナリは、「でも」と狼狽した。

 

「誰のせいでもないんだよ。みんなで谷間の発電所に向かったんだから、きっと誰のせいでも……」

 

 繰り返したナツキはユキナリに責任を負わせたくないという意思表示が見て取れた。自分とて考えないで済むのならばいい。だが、アデクと次に会った時、どのような顔をすればいいのだろう。それだけが分からない。

 

「僕は、もうアデクさんに合わせる顔がないのかもしれない」

 

 その言葉にナツキが前に立ち塞がった。「そんな事!」と声が張り上げられる。

 

「だって、あの場所で最後まで戦ったのはユキナリじゃない。もしサンダーを無力化出来ていなかったらみんなの命だって危うかったんだよ」

 

 そのサンダーの無力化がキクコ一人によるものだとは言い出せなかった。自分は結局、オノンドを制御不能の状態に陥らせただけだ。あの場で一番掻き乱したのは自分である。

 

「……僕に、誰かの命を救ったなんていうものはないよ。そんな資格ない」

 

 そんな称号は、恐らく一番馴染まないだろう。ユキナリの否定にナツキは、「でもさ」と声を発する。

 

「オツキミ山で助けてくれたのは、嬉しかったよ」

 

 ラムダとの戦闘は、あの時も、状況が自分をハイにさせただけの話だ。何か予想のつかないものに衝き動かされたに過ぎない。

 

「あの時は、無我夢中で」

 

「それでも、助けてくれたじゃない。だから、救う資格がないなんて言わないで」

 

 ナツキの必死の懇願にユキナリは戸惑いさえ浮かべていた。どうしてそこまで自分を擁護してくれるのだろう。自分にそんな価値があるとは思えなかった。

 

「分かったよ。でも、これから先どうなるのかは分からない」

 

 自分も、ナツキとキクコもそうだ。どこへ進むべきなのか。それとも停滞の道を選ぶべきか。その進退を問うのに、時間をかけるわけにはいかなかった。ナツキとて玉座を目指している。その足枷になる事は許されない。

 

「キクコは?」

 

 その問いかけに、「もう催眠状態からは醒めたわ」とナツキは答える。

 

「でも、どうしてそんなに強い催眠状態にあったのか、未だ分からない。ちょっとぼんやりとしているけれど、もう部屋に戻っているわよ」

 

 ならば、とユキナリは宿泊している部屋番号を確認し、キクコの待つ部屋へと歩を進めた。ナツキが後ろから、「話は聞けないと思うけれど」と声をかけるが、ユキナリにはどうしても知らねばならぬ事があった。

 

 キクコの手持ち。ゴースから一瞬で進化したゴースト。彼女は何者なのか。容疑者と見られている以上、これまでのように無害だと断じる事は出来ない。そして何より、ヤナギの事を聞かねばならなかった。あの少年はどうして自分へとあのような敵意を向けたのか。全ての鍵はキクコへと集約している気がした。

 

 戸をノックすると、「はい」とキクコの声が応じた。「入るよ」とユキナリが部屋に入ろうとするとナツキが制する。

 

「馬鹿。一応、女の子の部屋よ」

 

 ナツキが先に入って確認してから、ユキナリは入る事になった。思っていたよりも物が散らかっておらず、それだけキクコの私物が少ない事を示していた。部屋の奥にあるベッドに、キクコは上体を起き上がらせたまま、中空を眺めていた。

 

「キクコ」

 

「ユキナリ君……」

 

 どこか薄ぼんやりとしている様子だったが話が出来るかどうかを確認せねば。

 

「話せる?」と喉元を押さえる真似をする。キクコも同じ動作をして、「うん」と首肯した。

 

 ユキナリはキクコのベッドへと歩み寄るが、それをナツキが制する。

 

「一応は」

 

「女の子の、か」

 

 ユキナリが大人しく下がると、ナツキはユキナリとキクコの間に座った。ちょうどナツキを挟む形でキクコと対面する。

 

「キクコ。あの手持ち、何だったんだ?」

 

 まず、それを尋ねた。一瞬でサンダーほどのポケモンを無力化する手持ち。それが気になったからだ。

 

「ゴースだよ。ああ、でももう進化しちゃった。ゴーストだね」

 

「進化って……」

 

 ナツキが息を呑む。そのように容易く進化するものではない事はトレーナーならば知っている。

 

「僕は目の前で見た。ナツキも見ているはずだけれど」

 

「ああ、あのガスのポケモン」

 

 発電所から出たところでナツキも目撃したはずだ。しかし、あれが一進化ポケモンだとは思わなかったのだろう。

 

「でもまさか。あの時に進化したって言うの」

 

 ユキナリは頷く。何も否定する材料はない。ナツキが、「そんな簡単に」と抗弁を発する。

 

「だって進化ってのは相当難しい事で。それこそ、色んな材料が合致しなければ達成出来ないものなのよ。ポケモンの何割が進化するのかも分からないし、そもそも進化なんて人間の手でどうこう出来るものじゃ……」

 

 ナツキがニシノモリ博士の下で手に入れた知識で発言するが、ユキナリは、「きちんと目にした」と疑いようのない事実を突きつける。

 

「ゴースは、キクコの命令でゴーストになった」

 

 他に要素の介在する余地はない。キクコの命令。トレーナーの一言でゴースは最初から形態を理解しているかのようにゴーストへと変貌を遂げた。その後もまた然り、だ。

 

「キクコの命令を無視する様子もない。あくまで従順に、トレーナーの意思に沿って戦ったとしか」

 

 それは自分に成し遂げられなかった部分でもある。オノンドをいつの間にか制御したつもりになっていた。だが、その実は自分の実力がキバゴからオノンドへの進化を促したわけなのではない事を実感した。オノンドはああしなければ生存が危うかったから進化したのだ。つまりユキナリの意思など最初から関係がなかった。だがキクコは違う。ゴーストへの進化は、まるで技の一つのように組み込まれていたかのようだった。キクコは自分達では及びもつかない領域に達しているのではないか。ユキナリが目線を振り向けるとキクコは所在なさげに顔を伏せた。

 

 覚えず責めたてるような目つきになっていたのだろう。代わりにナツキがやんわりと尋ねた。

 

「キクコ。手持ちがゴーストってのは本当?」

 

 まずはそこからだろう。キクコが頷いてから、「じゃあ進化させたのも?」と問いかける。するとキクコは、「危ない時はそうしなさいって」と答えた。

 

「先生に教えられていて」

 

 またもキクコの口から出た先生とは何者なのだろう。オツキミ山でも耳にしたが、どうにもその先生というのはただの恩師というわけではなさそうだ。

 

「どういう人なの?」

 

 ナツキの問いかけに、「どういうって……」とキクコは戸惑った。

 

「研究者だとか、トレーナーズスクールの教員だとか」

 

「先生は、先生だよ」

 

 キクコの言葉にユキナリとナツキは顔を見合わせるしかない。その先生とやらの糸口さえ見えれば、キクコがどういう行動原理をしているのかも見えてきそうなのだ。

 

「どうやって、ゴースを進化させたの?」

 

 ユキナリの疑問にキクコは、「そんなに難しい事じゃないよ」と応じた。

 

「考えている事を重ねてあげれば、ポケモンは進化するよ。そういうものじゃないの?」

 

 その答えにユキナリは閉口する。考えを重ねる。まるで次元の違う言葉にナツキも目を見開いていた。

 

「それ、具体的にどうするわけ?」

 

「えっと、分からないけれど、先生が言うには、波長パターンだとか何とかあるらしいけど、私はこうかな、って思っている部分に寄せるっていうのかな」

 

 ナツキが額に手をやって、「ポケモンの考えている事が分かるっての?」と疑問を浮かべていた。キクコは、「分からないの?」と聞き返す。それには二人して瞠目した。

 

 ポケモンの考えが分かる。それは常人には考えられない思考回路であったからだ。

 

「じゃあ、キクコには、僕やナツキの手持ちが何を考えているのか、分かるの?」

 

「ボールから出していないとはっきりした事は分からないけれど、出ているのなら何を考えているのか、大体は」

 

 信じられない事だが、キクコはそう続ける。ナツキは、「じゃあ」とストライクを繰り出した。

 

「ストライクは何を考えているの?」

 

 キクコはストライクの動作もほとんど一顧だにせず、「戦いたいみたい」と答えた。

 

「一度勝った昂揚感みたいなのがある。今は鎌を磨きたいって言っている。ちょうど、ユキナリ君がもらった鉄の塊、あれが欲しいって」

 

 思わぬ言葉にユキナリは鞄の中から円筒状の鉄の塊を取り出した。オノンドの牙を研ぐために使うつもりだったが、キクコからしてみれば別の使い方があるのだという。

 

「ストライクに試してみるといいよ。ストライクもそれを気に入っている」

 

「どうして? だってストライクは何も反応してなかったじゃない」

 

「だってユキナリ君が欲しいって言ったから、自分が出しゃばるべきじゃないって思ったんだってさ。ナツキさんのストライクはとても控えめな性格。主人の命令外の事はほとんどしないけれど気が回るいい子」

 

 その評にナツキ自身驚いているようだった。ストライクの性格診断まで一目でやってのけたのだ。

 

「どうして……。ストライクが大人しいのは博士ぐらいの大人じゃないと言い当てられなかったのに……」

 

 キクコがストライクを目にした回数は少ない。だというのにポケモン研究の権威と同じ素養の目を持っているというのか。

 

「僕の、オノンドは……」

 

 思わず訊いていた。自分の制御を離れたオノンドを、発電所でキクコは冷静に分析していた。キクコにはオノンドも同じように見えていたというのか。

 

「わんぱくだけれど、少し血の気が多いかな。戦いになると我を忘れる傾向にある。発電所では、サンダーがあまりにも強かったから、自分を鼓舞しようとしてワイルド状態に陥ってしまった。今も、抜け出せていないと思う」

 

「なに? ワイルド状態って」

 

「野性に帰ってしまう、って救命医に言われたろ。あれみたいだ」

 

 キクコはポケモンセンターですら慎重を期する状態を一目で言い当てた。それはやはりポケモンの考えが分かっているからこそ出来る芸当なのか。

 

「たとえばだけれど、野生のポケモンも分かるわけ?」

 

 ナツキの問いかけにキクコは首を横に振った。

 

「野生は我が強いから、分かりにくいかな。先生から教わったのはトレーナーのポケモンに対するものばかりだったから。野生に関してはそれほど重要視していなかったみたい」

 

 キクコの解答に二人はたじろぐしかない。どれも未知数の答えばかりで、真実であるかは追究出来ないからだ。

 

「キクコ、先生は、君にだけそういうのを教えたの?」

 

 キクコはその言葉に煮え切らない声を返した。

 

「……どう、だったかな。私以外は、でも、みんな仕舞っちゃったらしいから。詳しい事は全然分からない」

 

 仕舞っちゃった、という言葉が出るのは三度目だ。それを、遠ざけろ、という意味だと思い込んでいた。しかし、今の言葉は明らかに不自然である。自分以外をその先生とやらが遠ざけた、と解釈するのはおかしい。

 

 ユキナリはしかし、その疑問のしこりを解消しようとは思わなかった。何か、この言葉だけは追及してはいけないような気がしたのだ。

 

「……じゃあ、次にもう一つ。カンザキ・ヤナギについて訊きたいんだ」

 

「誰よ、それ」

 

 ナツキが眉をひそめる。そういえばナツキはまだ知らない事実だった。自分の迂闊さを呪いつつ、「僕を無力化、いや……」と首を振る。

 

「殺そうとした奴だよ」

 

 どうやって名前を知ったのか。その事についてナツキは言及しなかったが、「何か分かったの?」とだけ尋ねた。

 

「ああ、カンザキ・ヤナギという名前と氷タイプ使いというだけ」

 

 その他は組織の事抜きでは説明出来ない。不自然だったか、と感じたがナツキは何も言わなかった。

 

「で、そのカンザキ・ヤナギってのは何であの場であんたを殺そうとしたわけ? あたし、全然理解出来なかった。どうして初対面であんなにずけずけと……」

 

 ヤナギの言動はナツキからしてみても異状だったらしい。ユキナリはキクコへと視線を向ける。

 

「ヤナギと、知り合いなのか?」

 

 キクコは、「大切なお友達」と答える。

 

「ヤナギ君は、よく私と会ってくれたから。本当は先生からあまり会っちゃいけないって言われていたんだけれど、他の子達はとても無口だったから。ヤナギ君だけが接してくれた。だからマフラーをプレゼントしてあげて」

 

 ユキナリはヤナギが白いマフラーを巻いていた事を思い出す。ヤナギの事を話す時、キクコはとても充実した表情をした。その顔を見ていると胸の奥がちくりと痛んだ。何による痛みなのかは、この時には全く分からなかった。

 

「じゃあ顔見知りって事? だっていうのに攻撃してきたんだ」

 

 ナツキの声で現実に呼び戻される。ナツキの声音にはキクコを無事に発電所の外まで送り届けたのはユキナリなのに、という不満もあるようだ。

 

「無礼な奴ね」

 

「でも何で? どうしてユキナリ君がヤナギ君の事を知っているの?」

 

 そういえばヤナギと対面した時、キクコは眠っていた。二人の溝がどれほど深かったのかを、キクコは知るよしもないのだ。

 

「殺そうと、って……」

 

「言葉のあやだよ。ちょっと怒られただけだ」

 

 思わずそう答えたユキナリに、「ちょっと、でもあれは」と声を発しようとするナツキを制する。

 

 今は、という気持ちだった。キクコに自分とヤナギにある因縁を語るのは気が引けた。

 

 ナツキは大人しく引き下がり、「まぁ、ちょっとトラぶっただけよ」と口にする。間違いではないので嘘ではない。

 

「そっか。でもヤナギ君、会いたかったな」

 

 きっとキクコからしてみればヤナギは重要な人間なのだろう。口元が自然と綻んでいた。ユキナリには異性にそのような表情をさせるような人間には見えなかった。どこまでも冷徹で悪と断じた人間を屠る響きが、ヤナギの口調からは滲み出ていた。

 

「そうか。大事な友達なんだね」

 

 ユキナリも微笑んで口にしたが、自分でも嘘くさい装飾だと感じた。お互いに憎しみ合っているような存在がどちらかを賛美するなどありえない。自分はオノンドとの繋がりを断たれた。このままではどこへ進むべきなのかも分からない。

 

「じゃあ、質問攻めはこの辺にして、僕はもう寝るよ。キクコも一応、ポケモンの技の影響を受けたんだから、休むといいよ」

 

「そうね。あたしも別室にいるわ。何かあったら」

 

「うん。またね」とキクコは手を振る。ユキナリとナツキは手を振り返して、部屋を出た。廊下を歩きながら、半歩後ろのナツキが口を開く。

 

「……どうして、あんな事を言ったの?」

 

 ヤナギの事だろう。ユキナリは立ち止まった。

 

「あれだけヤナギの事を信用しているんだ。僕らが汚すわけにはいかないだろ」

 

「でも、あのヤナギとかいうの、危険よ。一目見ただけで分かる。あいつ、ユキナリを本気で殺そうとしていた」

 

 傍目にも分かるほどの殺気だったのだろう。ユキナリは、「かもね」と応ずる。ナツキがその言葉に食ってかかった。

 

「かもね、って、あんた状況分かっているの? あいつのせいでオノンドとの繋がりが切れたんだよ! モンスターボールの破壊なんてルール違反もいいところじゃない!」

 

 ナツキの怒りはもっともだった。しかし、ユキナリは冷静に返す。

 

「でも、僕にはどうしようもなかった」

 

「だから、大元に訴えて、あいつの権限を止めてもらって――」

 

「そんなのは出来ない」

 

 断固として放った言葉にナツキは戸惑ったようだ。

 

「どうして……」

 

「キクコの耳にも届く。そうすると、多分、彼女は悲しむ」

 

「そんなの気にしている場合じゃないでしょう?」

 

「気にしなくっちゃいけないんだよ。何がなんでも、キクコにだけは僕とヤナギの間に流れた空気を気取られないで欲しい」

 

 思わず、と言った様子でナツキがユキナリの肩に掴みかかった。

 

「そんな悠長な事を言っている場合? 死にかけたのよ? だったら――」

 

「それは僕が弱いからだ」

 

 遮って発した言葉は意外だったのだろう。ナツキは指先を硬直させた。

 

「何を、言って……」

 

「僕にだって分かる。オノンドをきちんと操れていたら、あんな醜態は晒さなかった」

 

「醜態って。カッコつけている場合じゃ」

 

「そういう場合なんだよ!」

 

 ユキナリは振り返って怒声を発していた。自分でも驚くほどの大声だった。ナツキが目を見開いている。肩を荒立たせて、ユキナリは目元を覆った。

 

「ヤナギと僕は相容れない。多分、一生だ」

 

 その言葉に思うところがあったのだろう。ナツキは尋ねていた。

 

「カスミさんに、何か言われたの?」

 

 一番気取られてはならない事だ。ユキナリは、「何も」と淡白に返す。

 

「嘘。だってそうじゃなきゃ」

 

「頼むから!」

 

 追及の声をユキナリは遮った。これ以上聞かれれば甘えてしまいそうで。ナツキという存在にも重石を与えてしまいそうだった。

 

「……もう、聞かないでくれ」

 

 ユキナリの懇願にナツキは肩から手を離した。ユキナリは身を翻して自室へと向かう。

 

 その夜は眠れなかった。カスミから言われた事実。ナツキに隠さねばならぬ事。キクコの耳に入れてはならない事。自分の手持ちの事。様々な事が渦巻き、ユキナリは初めて、不安で夜を明かした。

 

 



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第五十三話「これからの事」

 

 昨日までの空と今日の空は同じものを見ているはずだ、と誰もが思う。

 

 空間という定義上では確かにそうだろうが、それは雲の配置一つを取ってしてみても全くの別物であり、そこに感情が添付されるのならばまず同一の空とはありえない。ユキナリには少なくとも、昨日までの景色と今日の景色は別物であり、昨日よりも今日のほうが澱んで見えた。寝不足のせいもあるのだろう。何度か目を擦っていると、「眠れなかったの?」とナツキが尋ねた。

 

「いや、別に」

 

 素直に眠れなかったと答えればいいものを、ユキナリは濁してチェックアウトした。どちらにせよ、発電所やマサキの家に出払った時間、他の挑戦者達は先を行っているのだ。このままハナダシティでポケモンリーグを静観するわけにはいかない。自分がそれでよくても、ナツキには目的がある。足を引っ張り合うのでは何のために一緒に旅に出たのか分からない。

 

 ユキナリ達はアデクが入院しているという病院へと立ち寄った。救命医がポケモンセンターでの治療に限界を感じ、人間用の施設に移されたのだという。大事はない、峠を越えた、との事だったが、実際に会ってみなくては分からなかった。主治医に案内され、ユキナリは個室へと通された。扉を開けると、アデクが窓の外を眺めながら鼻歌を歌っていた。その音色がやけに澄んでおり、ユキナリ達は一瞬、声をかけていいものか悩んだ。主治医が咳払いをするとアデクは何でもない事のように振り返る。ユキナリの姿を認めるとアデクの顔は明るくなった。

 

「おお! 来たのか!」

 

 いつもと変わらぬ声量にユキナリは内心安堵した。もしかしたらもう会話をする事も出来ないのかもしれないと視野に入れていたからだ。主治医が、「大丈夫そうですね」と声に出す。

 

「いつでもオレは旅に出られるぞ!」とアデクは豪快に腕を回したが、「さすがに二、三日は休んでもらわなければ」と主治医が笑っていさめた。

 

「何じゃ、つまらんのう」

 

 アデクが唇を尖らせる。ユキナリは病室へと踏み込んだ。アデクにする事は決まっていた。

 

「すいませんでした」

 

 ユキナリが頭を下げると、アデクは、「どうして謝る?」と怪訝そうにする。

 

「僕が迂闊に前に出なければ、アデクさんに怪我を負わせる事はなかった」

 

 罵声も、中傷も甘んじて受けようと思っていたユキナリに振りかけられたのは意外な声だった。

 

「つまらんのう」

 

 その声にユキナリが顔を上げると、アデクは、「ちょっと怪我負わせたくらいでなんじゃい!」と声を張り上げる。

 

「これから先、お前さんは誰かを蹴落とさなきゃ、玉座に辿り着けん! 傷の一つや二つを負い目に感じるな! 王を目指すのならばそれさえも糧としろ!」

 

 アデクの強気な言葉にユキナリは顔を伏せる。

 

「……それほど、僕は強くない」

 

「お前さんは強い。オレが保証する。だからのう、そう辛気臭い顔をするなや。オレまで気が滅入る」

 

 アデクが快活に口にした言葉にユキナリは頭を振る。

 

「強くないですよ。僕は」

 

 発電所でのオノンドの暴走をアデクは知らないはずだ。いや、ヤナギとの一戦でもしかしたら露見しているかもしれない。割って入ったのはアデクだ。優勝候補ともなれば、それしき一目で見分けられるのか。

 

「何があったのかは知らんが、そう気を落とす事はない。オレは生きてるし、お前さんも生きている。あんな強い野生に行き遭って、これほど幸運な事はないのう!」

 

 アデクはまたも大口を開けて笑った。ユキナリは苦笑を漏らす事しか出来ない。それを制したのはキクコだ。自分は何もしていない。

 

「さぁさ、皆さん。傷に障るといけないので、面会はこの辺にしておいてもらえますか?」

 

 主治医がアデクのあまりの豪気さにたじろいだように全員を帰そうとする。アデクが、「待て」と一言発した。ユキナリが振り返ると、「お前さんに用がある」とアデクが指差したのは意外な人物だった。

 

「あたし?」

 

 ナツキは今までアデクとユキナリのやり取りを白い目で見ていた人物である。ここになってどうしてアデクが、と勘繰る前に、「ちょっと話したいんでのう」という言葉にそれ以上の追及を逃された。

 

「構わんか? 先生」

 

 主治医へと目で問いかけたアデクに、主治医は頷いた。

 

「いいでしょう。あまり大声を出さないように」

 

 それだけ釘を刺されてアデクとナツキだけが病室に取り残された。自分に言うべき事はあるかもしれないが何故ナツキに。その疑問が氷解する事はない。小首を傾げていると、「ねぇ、ユキナリ君」とキクコが声をかけてきた。

 

「ちょっと話があるの」

 

 キクコが自分に話とは一体何なのだろう。今の今まで罪悪感に苛まれてきたユキナリにはどの言葉も自分を責め立てているように思えたがキクコの言葉は例外だった。キクコからヤナギの事を聞き出せれば。そのような賢しい神経が働き、「何?」とユキナリは尋ねていた。

 

「先生は、誰かに話しちゃいけないって言っていたけれど、私は多分、ユキナリ君に隠しちゃいけないんだと思う」

 

 自分が思っていたよりも深刻な話にユキナリは、「場所を移そう」と提案した。

 

「あの街路樹の傍を抜けて、ゴールデンボールブリッジを歩きながら話そう。そうしたら誰にも聞かれないだろうし」

 

 ナツキとアデクの話がどれだけ長くなるのかも分からなかったが、ユキナリは自分自身、決着をつけねばならぬ事があるのを理解していた。オノンドの事。これからどうするべきなのかを。そのためにはキクコの事、ヤナギの事、先生と呼ばれる存在の事は知っておかねばならない。

 

 キクコは静かに頷いた。

 

 



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第五十四話「恋心輝きながら」

 

「で、何です? アデクさんにあたし、失礼でもしましたっけ?」

 

 自分がアデクにした事と言えば邪険な態度を取ったくらいしか思い浮かばない。恨み口を言われるのだと思っていたナツキは、「そうじゃない」と微笑んだアデクに毒気を抜かれた気分だった。

 

「そう他人行儀なるものでもない。オレとユキナリはもう戦友なんじゃからのう」

 

「そりゃ、あなたとユキナリはそうでしょうけれど、あたしなんて」

 

「お前さんがいなければ発電所を抜ける事も出来んかったじゃろう」

 

 そこでナツキは、アデクが発電所にてストライクで抱え出した事を言っているのだと気づいた。

 

「助かった。礼を言う」

 

 何のてらいもない言葉にナツキは、「大した事をしたわけじゃないですよ」と視線を逸らした。何か、ユキナリとは別種の、男の幼馴染ではない、初めて男の子というものに触れたかのような初々しさが胸の中で募っていく。

 

「オレは、この先旅が出来るか分からん」

 

 アデクの弱気な言葉にナツキは、「でも先生は何でもないって」と呟いていた。

 

「そうではない。オレだって自分の身体の状態くらいは分かる。お前さん達についていくのはちょっと厳しくなった、というだけ」

 

 つまり旅に同行出来ないという事なのか。今までアデクを邪険に扱ってきた分、それは何だか悪いような気がした。

 

「回復には少しばかり時間がかかりそうじゃ。まぁ、自分のペースで旅をする事にするわい。お前さん達はオレの事は気にせず進め。それが一番いい」

 

 ナツキはアデクが自分達を気遣っている事に、「意外ですね」と声を発していた。

 

「意外とな?」

 

「アデクさんってもっと気丈夫な方だと思っていました」

 

 その言葉にアデクは薄く笑って首を横に振る。

 

「オレだって人間じゃ。病気や怪我になれば弱気にもなる。何か、不倶戴天かだと思い込んでいたのと違うか?」

 

「ええ、少し」とナツキは微笑んだ。アデクは、「ちょっと話がしたかったんじゃ」と口にする。

 

「あたしよりユキナリに話せばよかったんじゃ?」

 

「いや、お前さんやないといかん事やし。ここで逃すと、多分次はないと思ってのう」

 

 何だろう。ユキナリや自分達に対するアドバイスだろうか。アデクは今まで見守ってきてくれた分、自分達の旅に対して口出しするくらいの権利はあるのだろう。

 

 そう考えていたナツキへと放たれたのは意外な言葉だった。

 

「ナツキ、というたな。オレ、お前さんが好きみたいや」

 

 何を言われたのか一瞬分からず、ぽかんとしてしまった。アデクは太陽の鬣のような頭を掻いて、「こんな事、ユキナリのいないところで言うのは反則かもしれんけど」と呟く。

 

 その段になって、言葉の意味を咀嚼したナツキは顔面がかぁっと熱を帯びていくのを感じた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

「待たんぞ。オレはお前さんが好き。これは譲れん」

 

「だから、何で!」

 

 意味が分からない。どうしてアデクが自分のような人間の事が好きなのか。戸惑っていると、「ハナダジムの戦い、見事やった」とアデクが賞賛した。

 

「それで……、いや、そうやないな。オレは、一目見た時から、お前さんが好きになってしまった。それだけの事」

 

 自分でも言葉を弄している自覚はあったのか、アデクは直球を投げてくる。対するナツキはその言葉にどうしようもなかった。不意打ち気味の好意はナツキには処理出来ない。

 

「何で……、アデクさんならいくらでも女の子が寄ってくるでしょう?」

 

 どうして自分なんかに。その念に、アデクは腕を組んで、「自分をけなすものじゃない」と説教じみた声を出した。

 

「お前さんは充分に魅力的や。オレが保障する」

 

「そんな事、急に言われても……」

 

「別に夫婦にならんか、と言っているわけじゃないだろう。ただ純粋に、オレはお前さんが好き。それだけの話や」

 

 しかし、ナツキはその好意をどう受け止めていいのか分からなかった。初めて男の子から好きと言ってもらえても、何をどうすればいいのか、見当もつかない。

 

「だから、この旅を終えた時、答えを出して欲しい。オレか、ユキナリか。別の男でもいい。ただ、忘れないで欲しい。オレがお前さんの事を好きなのはな」

 

 アデクは嘘や冗談を言っている風ではない。本気で自分の事を好きなのだと言っているのだ。ナツキは何度か口を開こうとして、どれも自分の気持ちを言い当てていない言葉を発した。

 

「あ、でも、あたし、そういうの、分からなくって。でも、好きというのも、その、分からないわけじゃなくって。あ、だからってアデクさんの気持ちが分からないわけでもなくって」

 

「答えは急がん」

 

 アデクは物腰柔らかに口にする。

 

「ハナダシティを離れたら、最低でも三日は差がつく。その間にお前さん達がどこまで行くか分からんからな。今言っておかなければ一生後悔すると思った。それだけや」

 

 アデクは隠し立てをする気配もない。そう好きと何度も連呼されればナツキは羞恥の念がカァッと沸き上がってくるのを感じ取った。

 

「……その、今は答えられない、です」

 

 ようやくその言葉を発した時、アデクは、「知っとる」と窓の外を眺めながら口にした。

 

「胸の内に留めておいてくれ。それで度々思い出してくれると助かる」

 

 アデクの顔が自分に振り向けられ、ナツキはその精悍な顔つきを呆けたように見つめた。

 

 今まで生きてきて、初めて男の子の顔を真正面から見たような気がしたのだ。

 

「何かついとるか?」

 

 その様子を怪訝そうにアデクが眺める。ナツキは、「い、いえ!」と慌てて手を振った。

 

「そういう事、言われるの慣れていなくって……。スクールでも男勝りって思われていたし」

 

「別にお前さんの事を絶世の美女やとか、芸術品みたいだとか、絵画の中の少女のようだとか言っているようではあるまい? どうしてそんなに照れる?」

 

 アデクの言葉にナツキは少しむくれた。そのたとえはあまりにも酷かったからだ。

 

「……何だかどきどきしたのが馬鹿みたいじゃないですか」

 

「ああ、分かった分かった。今のはナシ。訂正する。オレの中では、お前さんは絵画の中の少女だとかよりも価値は上や。かけがえのない人だと、オレは思える」

 

「……だから、何でそう恥ずかしげもなく……」

 

 ナツキが困惑していると、「どうして恥ずかしがる必要がある?」とアデクは首をひねった。

 

「好きな女に、好きだと言うだけやぞ? こんな当たり前の事恥ずかしがっていて何が王じゃ」

 

 アデクの言葉にナツキのほうが恥ずかしくなってくる。誰かに聞かれていないか周囲を見渡した。

 

「けれど分かっておる。すぐには答えられんってのはな。ユキナリの事やろ」

 

 全てお見通しというわけか。それを分かっていてもアデクは自分の気持ちをきちんと伝えたのだ。まさしく男の鑑だった。

 

「あいつは、今少し迷っておるな」

 

「分かるんですか」

 

 アデクはそういう事には無頓着だと思い込んでいた。少しだけ口元を緩めて、「オレの怪我にも責任を感じているみたいやし」と言葉を続けた。

 

「そんな必要はないのに。あいつはいつでも多くを背負い込もうとする」

 

「同感ですね。ユキナリは、自分が思っているよりもずっと強いんだって、分かってくれればいいんですけど」

 

「おっ、やっぱり気が合うな」

 

 発せられた声に、「正直な事を言っただけです」とナツキは思わず顔を背けた。

 

「オレも、あいつは少し自分の事を軽く見過ぎだと思っておる。強い弱いではなく、自分を大切に出来ん奴はどこにも行けん。それは、オレが見てきたトレーナーの中でも言える事や」

 

 アデクの口調には歴戦の兵を思わせる苦悩が滲んでいた。彼とて優勝候補。伊達におだてられていたわけではない。

 

「強い弱いに振り回されて、それで大局が窺えんようでは三流よ。問題なのは、志をずっと保てるかどうか。王になると言うのならばそれを。強くなると言うのならばそれを。どこまで自分に正直に、言い方が悪ければわがままになれるか、っていう事やな」

 

「アデクさんは、ユキナリにはその可能性があると感じられているんですよね?」

 

「おお。だからこそ、お前さんを渡したくないんや。強者の頂に行ける可能性のある奴に、好いた女子を攫われたくないのは当然やろ?」

 

「……だから、そんな事を臆面もなく言うのは」

 

 ナツキは赤面した。対してアデクは破顔一笑する。

 

「オレはあいつと共に行きたい。強さの極みへとな」

 

「でも、次にどこへ行けばいいのか、あたし達にも分からなくって」

 

「そうさなぁ」とアデクは顎に手を添えて考える真似をしてから、「シオンタウン、なんてどうや?」と提案した。

 

「シオンタウン、ってイワヤマトンネルを抜けたところの町ですよね」 

 小規模な町で確かポケモンタワーと呼ばれるポケモンの共同墓地があるはずだ。どうしてそのような場所に、という無言の問いかけにアデクは応じた。

 

「ポケモンと自分との関係性をもう一度見直したいのならば、それは生と死から見直す必要がある。イッシュにはタワーオブヘブンという場所があってな。そこがカントーのポケモンタワーに近い、鎮魂の場所なんじゃが、そういう場所にオレもよく訪れた」

 

「何のために?」

 

 ナツキの疑問に、「決まっておる」とアデクは答える。

 

「生きている自分のありがたみが分からなければ、人はどこにも進めん。それはポケモンとて同じ事」

 

 アデクのアドバイスを正直に受けるべきか悩んだが、自分達が次に向かうのならばどこか目的地があったほうがいい。ナツキは素直に礼を言った。

 

「ありがとうございます。これで、あたし達は旅を続けられる」

 

「礼には及ばん。ただイワヤマトンネルは過酷やと聞く。少しばかり用心せい」

 

 アデクはどうして自分達に対してここまでよくしてくれるのだろう。先ほどの告白の事を思い返し、ナツキはそれだけではないはずだと感じた。アデクは自分一人が好きだからという理由なんかで道を示してくれる事はない。それは今までの態度を見ていれば分かる。

 

「どうして、ここまで……?」

 

「なに、お前さん達が旅の最後に何を得るのか。それにちょっとした興味があるだけじゃ。他意はない」

 

 アデクは打算も何もない笑みを浮かべる。ナツキは告白を保留にした事も含め、どういう顔をしたらいいのか分からなかったので曖昧に笑んだ。

 

 

 



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第五十五話「男のけじめ」

 ゴールデンボールブリッジから望める視界の中に洞窟がある。ハナダの洞窟と呼ばれる巨大な鍾乳洞で、その内部には強力なポケモンがひしめいているのだと言う。立て看板がしてあり「洞窟に注意! 凶暴なポケモンが出ます!」とある。その下には小さく「ハナダ警察は一切の責任を負いません」とあった。勝手なものだ。

 

「キクコ。話ってのは」

 

 ユキナリが切り出すとキクコは、「うん……」と顔を伏せた。話しづらい事なのかもしれない。特に先生というのが何を示しているのか。ユキナリはそれを知る事が、キクコという少女を知る事だと感じていた。

 

「先生は……」

 

 そこで一陣の風が吹き抜けた。青々とした草原を緑色の風が撫でていく。キクコは、「綺麗……」と声を漏らしていた。当たり前の光景でありながら、キクコという少女の感性に触れたようだ。

 

「キクコは、どんな家で育ったの?」

 

 草むらにそよぐ風を綺麗だと言える人間がどういう環境で育ったのか。ユキナリには興味があった。

 

「うん。大体、いつも暗い感じだったかな。空から差し込む光も、一定で、こういう空しか見た事ないの」

 

 キクコは親指と人差し指で丸を作った。その円で収め切れないほどの青空が広がっている。キクコは手を広げ、空を振り仰ぐ。

 

「知らなかった。こんなに世界は広いなんて」

 

 特殊な条件で育てられたのは言動から察知していたが、もしかしたらキクコはその先生とやらに自由を奪われていたのかもしれないとユキナリは感じた。

 

「キクコ以外の、家族は?」

 

 家族、という言葉にキクコは首を傾げた。まるでそのような言葉は頭に存在しないかのように。

 

「ほら、家族だよ。お母さんとか、お父さんとか。そういうの」

 

 ユキナリの説明にキクコは両手を合わせて、「ああ、それが家族って言うんだ」と口にした。

 

「私は、お母さんとかお父さんとか、よく分からないの」

 

「よく、分からないって……」

 

「いない、って言うのも変かな。先生が言うには、あなた達にはお父さんもお母さんもいるんですよ、って事だったけれど」

 

「その先生って言うの、どういう人なの?」

 

 当初の論点に戻り、キクコはまたも口を噤んだ。自分からそれを話すと切り出しておいて、いざとなるとどこから話せばいいのか分からないらしい。

 

「……先生ってのは、キクコにとって大事な人なの?」

 

「うん。すっごく大事な人。多分、ヤナギ君よりも」

 

 それを暗に家族と呼ぶのではないのだろうか。ユキナリの疑問を他所にキクコは、「でもとっても厳しいの」と続けた。

 

「本当は、ヤナギ君とも会っちゃ駄目って言われていたの。他人は怖いから。怖いものは仕舞っちゃいなさい、って教えられていたから」

 

「キクコは、怖いものって何なの?」

 

 その問いにキクコは少しの逡巡を浮かべた後、「色んなものが」と答えた。

 

「最初、先生にポケモンリーグを戦い抜きなさい、って言われた時は全部が怖かった。だって、何も知らない場所へと突然放り込まれたみたいなものだから」

 

「先生は、助けてくれなかったの?」

 

 キクコは首を横に振る。

 

「先生は、私を助けないよ。何があったとしても。きっと死んじゃったって、代わりはいるって言っていたもの」

 

 そんな馬鹿な事がまかり通ってきたのか。ユキナリはキクコが思っていたよりもずっと過酷な場所にいたのでは、と想像を巡らせたが自分がいくら考えたところで答えはキクコの中にしかないのだ。

 

「僕は、キクコの代わりなんていないと思うよ」

 

 ユキナリの言葉に、「どうかな……」とキクコは微笑んだ。寂しい笑みだった。

 

「先生が何を考えているのか、今でも分からないの。もしかしたら、先生は私なんか愚図でのろまだって分かっていたから、わざとこういう場所に連れ出したのかもしれない。いつだって、みんなとはぐれていたから」

 

「兄弟がいたの?」

 

 みんな、というのが何を示すのか分からなかった。先生、という言い回しからクラスメイトか、と思ったが、それにしてはキクコの口調には重たいものがある。

 

「ううん。みんな、っていうのは、何て言えばいいのかな、私だったり、私以外だったりした」

 

 キクコの言葉は要領を得ないものだったが、その言葉はある意味では正しいと感じた。他人は自分だったり、自分でなかったりする。そういう事なのだろう。

 

「……そうか。キクコも大変なところで育ったんだね」

 

 その苦労は推し量る事しか出来ないが、少なくとも自分よりかは大変だっただろう。ユキナリはつい二ヶ月前までの自分を顧みた。

 

「僕は、絵描きになりたかったんだ」

 

「なれるよ。だってユキナリ君、絵が上手いもん」

 

「あんなの、まだまだだよ。僕は、世界の広さも、何も知らずに、ただその夢を追っていれば誰かに置いていかれずに済むと思っていた」

 

 キクコと同じだ。世界の広さを知らず、見える景色も同じままならば、それは鎖に繋がれているのと何ら変わりはない。

 

「戦ってみて、分かった。自分に何が出来るのか、何を成せるのかって言うのが」

 

 世界に挑んでみて、ようやくはかれる自分もある。二ヶ月前まではその物差しすらもなかったのだ。

 

「ナツキに言われちゃったんだ。軟弱者、って。全く、その通りだ。……今も変わらないな」

 

 自嘲気味にユキナリは呟く。戦うだけの勇気も持たず、ただ安寧と惰弱の日々を過ごしているのならば、それはでくの坊と同じ事だ。

 

「ここに来て、進む道が分からなくなった。僕ってその程度の人間だったのかな、って思うよ。まだ二つ目のジムなのに、もう諦めに入っている」

 

 橋の手すりにもたれかかりながらユキナリは首を振る。アデクも自分の不手際で傷つけてしまった。これ以上、誰も傷つけたくない。

 

「私は、行くよ」

 

 キクコの言葉にユキナリは視線を振り向けた。キクコは自分と違う、どこか遠くを眺めている。

 

「まだ何も成していないもの」

 

 話を聞く限り、キクコのほうがいつ諦めてもおかしくないのに、彼女は自分にないものを見据えている。その眼差しの光は衰えを知らない。挑戦者の眼だ、とユキナリは直感的に感じ取った。今まで戦ってきた、イブキやタケシ、それに様々なトレーナーと同じ眼をしている。何かを成そうとする人間。それこそ、前を向く人間のみが持つ光を湛えている。

 

「……キクコは、最後まで旅を続ける気なの?」

 

「うん」

 

「それは、先生に言われたから?」

 

「それもあるけれど、でもユキナリ君たちに会えたから。そう辛いものばかりじゃないんだって、思えるもの」

 

 ユキナリはその言葉に目を見開く。自分の存在が誰かの支えになる。戦ってきた人々が、自分を形作る。

 

「そう辛いものじゃない、か」

 

 繰り返し、ユキナリは自分の頬に張り手を見舞った。突然の行動にキクコが狼狽する。

 

「大丈夫? すごい音がしたけれど……」

 

「誰かに期待してばかりじゃいられないんだ。自分で進まないと」

 

 心配するキクコを他所にユキナリはハナダシティへと戻ろうとした。キクコが、「今のは……」と呟く。

 

「何でもない。ただの、男のけじめって奴だよ」

 

 そう呟いてユキナリは街へと踵を返した。

 

 



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第五十六話「ガンテツという少年」

 ポケモンセンターの医師が言うにはオノンドで戦う事はお勧め出来ないとの事だった。

 

「ワイルド状態はトレーナーの技量云々でどうこう出来ません。正直、今の医学では解明出来ていない部分でもあるのです」

 

 博士へと相談すればあるいは、と考えたがユキナリはその考えを却下した。そうでなくとも博士には心労をかけているのだ。自分で解決出来る事ならば乗り越えねばならない、とユキナリは拘束用のモンスターボールを受け取った。

 

「イワヤマトンネルを抜けてシオンタウンへ行きましょう」

 

 そう提案したのはナツキだ。ゴールデンボールブリッジから戻るなり、ナツキはどこか他人行儀にそれだけを口にした。

 

「シオンタウン?」

 

 確か魂の眠る町だったか。そのような触れ込みのある物静かな町だと聞いている。

 

「今のあんたにはポケモンと向き合う機会が必要でしょう? それにぴったりだって」

 

 ナツキの言葉に医師も首肯した。

 

「確かにシオンタウンには昔ながらの教えが生きています。もしかしたら何か得られるかもしれませんね」

 

 その言葉を発した後、「ですが……」と語尾を曇らせた。

 

「シオンタウンに行くにはイワヤマトンネルを抜けねばなりません。正直、手持ちなしでは過酷な条件です」

 

 医師の言葉にナツキが歩み出た。

 

「あたしが、責任を持って守りますから」

 

 思わぬ言葉だったのはユキナリのほうだ。どうして、と声を発すると、「オツキミ山での借りを返すのよ」とナツキは目を見ずに答える。

 

「それぐらいはしてもいいでしょ。ジムバッジを取れるくらいの実力なんだし」

 

 今のナツキのほうがユキナリよりもポイントは高い。自分が率先して進むよりかは現実的なプランだろう。ジムバッジを見て医師が、「それならばいいでしょう」と安堵したのが伝わった。

 

「旅を続けられるかも怪しいのですけれど」

 

「旅は続けます」

 

 意地になって答えた言葉に、「命は落とすものじゃありませんよ」と医師は神妙に応じた。この医師はアデクの怪我も診ているらしい。そのせいで自分達が身の程知らずな行いをしているのだと誤解している様子だった。

 

「私もいるから」

 

 キクコが控えめに口にする。キクコの手持ちならばイワヤマトンネルを抜ける事も出来そうだった。

 

「あ、アデク様から言伝を承っております」

 

 医師が歩み出そうとした三人を呼び止める。アデクから受け取ったという文には達筆でこう書かれていた。

 

「また見えん事を願う」と。

 

 ユキナリはその言葉に応ずるように首肯する。

 

「きっと、また。そう伝えてください」

 

 イワヤマトンネルまではカスミが責任を持って送り届けてくれるようだった。運河の手前でスターミーと小型の船を用意したカスミへとユキナリは声をかけた。

 

「カスミさん、旅は」

 

「やめておくわ。ハナダシティの治安も任されちゃっているしね。人攫いに次いで発電所のダウンとなれば、まぁ当然の措置よ」

 

 ハナダシティとしては実力のあるトレーナーが離れる事が恐ろしいのだろう。公文書で送られてきた、とカスミは伝えたが、もしかしたらそれは組織の思惑なのかもしれない。そのようなものに個人の夢を潰す権利はない。そう思いつつも、ユキナリは言い出せなかった。自分のような子供にも、何かを言う権利はない。

 

「イワヤマトンネルはオツキミ山よりも標高は低いけれど、ずっと洞窟が続くわ。シオンタウンまでの道が直通したのもつい最近。それまでは天然の獣道を進んでいくしかなかった。ちなみに太陽は拝めないから、今のうちに太陽の光を身体に取り込んでおくのも大事よ」

 

 カスミの言葉にユキナリは憎々しいほどの晴天を仰ぐ。このような複雑な胸中だというのに、空はお構いなしだった。

 

「来たわ」とカスミの言葉にユキナリは目を向ける。イワヤマトンネルの洞窟が口を開けていた。内部はほとんど暗がりでユキナリは固唾を呑む。

 

「こんなに暗いなんて……」

 

「フラッシュを覚えているポケモンならば問題なく進めるけれど、あなた達の手持ちでフラッシュを覚えるのは」

 

「いないですね」とナツキが見渡す。すると、キクコが控えめに手を挙げた。

 

「あの、フラッシュじゃないんですけれど光源程度なら」

 

 カスミが疑問符を浮かべているとキクコはモンスターボールから手持ちを繰り出した。ゴーストが両手を突き出して細かな光を交差させる。すると中空に赤い炎が浮かび上がった。

 

「鬼火、です。これなら足元ぐらいは照らせるんじゃないかって」

 

 ゴーストの技らしい。「おにび」と呼ばれた炎はゆらゆらと揺らめいている。触れようと手を伸ばすと、「危ないよ」とキクコが注意した。

 

「問答無用で火傷状態にする技だから」

 

 そのような危険な技を展開しているのだと理解したユキナリとナツキは思わず後ずさった。

 

「確かにこれくらいならば一応足場確保は出来るか……。あとは先行している人達がどれくらい道を踏み固めてくれるかに期待するしかないわね」

 

 先行している人間達。恐らくはハナダジムを諦めたトレーナーの中には早くからイワヤマトンネル攻略に向かっている人々もいるはずだ。そう考えればユキナリ達のスタートは少しばかり遅いのかもしれない。

 

「まぁ、どうせシオンタウンにはジムはないし、気楽に行きなさい。それに、ジム攻略が目当てではないんでしょう?」

 

 どうやらカスミにはお見通しらしい。ユキナリは深く頷き、「これから旅をするのなら、立ち寄らねばならないんです」と答える。

 

「いいわ。これ以上わたしは介入しない。ここから先はあなた達で頑張りなさい。応援しているから」

 

「ありがとうございます、カスミさん」

 

 ユキナリが礼を言うとカスミは、「アディオス」と片手を振ってスターミーと共に運河を遡っていった。

 

「どうしてあんたが礼を言うのよ。ジムバッジを取ったのはあたしだからね」

 

 ナツキの声に思わず口元を押さえる。昨夜の邂逅のせいでカスミと秘密を共有した仲としてはどうしても自分から礼を言いたかったのだ。ナツキがため息をつく。

 

「まぁいいわ。これから先、色んなジムを回るわけだから。いちいちお礼言ってちゃ進めないからね」

 

 その言葉にちくりと胸が痛んだ。ジムリーダー殺しの一件を自分だけが知っている。情報は共有するべきではないのか。しかし、ナツキに言ったところでどうなる? もしかしたらカスミが殺されるかもしれないなど、言えるはずがない。

 

「さぁ、入るわよ」

 

 ナツキもストライクを繰り出し、既に戦闘態勢に入っていた。ストライクは腰に紐で鉄の塊を巻いている。キクコが、ストライクが好んでいると言っていたので譲ったのだ。鉄の塊が何の役に立つのか分からなかったが、時折ストライクが鎌を自発的に磨いているのに気づく。しかしオノンドの牙に比べれば、ストライクの鎌など強度が弱いように感じるのだが、それでも自分よりも硬いものに対する憧れでもあるのだろうか。

 

 イワヤマトンネルに入るとほとんど先が見えない。やはり明かりは必須だったのだろう。ゴーストの「おにび」が、ゆらりゆらりと足元を照らしていた。

 

「出来るだけ三人で固まっておかないとね。はぐれると分からなくなるわよ」

 

 しかし、通路面で言えば踏み固められておりつまずく危険性は薄いかに思われた。入ってすぐのところに梯子がかけられている。当然の事ながら、ユキナリが最後に降りる事となった。手を滑らせないようにゴーストがしっかりと張ってくれている。

 

「いい子なのね」とナツキがゴーストを褒めた。キクコは、「しつけだけは、きちとんしておきなさい、って先生が」と答える。

 

 やはり、先生か、とユキナリは因縁の名前に歯噛みした。どうしてだか、キクコが絶対的に信頼している名前。それを聞き出す事は結局出来なかった。いや、聞く勇気がないからかもしれない。先生というものの存在を問い質すと、今流れているキクコとの関係性が崩れてしまいそうで怖いのだ。

 

「この先も梯子がきちんと整備してあるところはいいけれど、そうってわけでもなさそうね」

 

 ゴーストが少し先を行くと、穴が大口を開けている。どうやら下層に降りるためにはその穴を通らねばならぬらしい。

 

「ポケモンリーグの事務官がきちんと整備してくれればいいのに」

 

 毒づくナツキに、「これでも充分じゃないかな」とユキナリは洞窟内を見渡した。

 

「明かりがないと厳しいし、大規模な開発は生態系を崩すし」

 

「でも、こんな手暗がりじゃ、何も出来ないわ。あんただってスケッチも出来ないでしょう?」

 

「ああ、うん」と後頭部を掻きながら答える。スケッチの事など、マサキ誘拐の一件から頭の中から消え去っていた。今一度、自分の目指すものをきちんと見据えなければならないのかもしれない。とは言っても、見たポケモンは覚えているので形態模写くらいならば素早く出来る。

 

 その時、暗がりで人の気配がした。ナツキが立ち止まり、キクコが息を詰める。どうやら想像以上に近くにいるらしい。ユキナリも身構えようとしたが、オノンドは出せない。特にこのような不安定な場所では。その事実に歯噛みしているとふわりと光点が視界に入った。どうやら「フラッシュ」という技を使っているらしい。懐中電灯ほどの光がどんどんと大きくなり、駆け込んでくる足音も次第に比例する。ナツキが、「来るってわけ」と身構えていたが、その人影と光点は自分達の目の前を通り過ぎた。思わず、「へっ?」とナツキが間の抜けた声を出す。

 

 人影は、「よし、こっちか!」と叫んで穴の中へと落ちていった。光点を発するポケモンが穴の前で立ち止まっている。

 

「お、落ちた? 人が?」

 

 その声でようやく事の次第を理解する事が出来た。どれほどの高さかは分からないが穴に落ちたのならば事故だろう。キクコのゴーストを連れ立ってナツキが穴の傍へと歩み寄った。ユキナリも続くと光点を発しているポケモンの顔が大写しになって一瞬うろたえた。

 

 桃色の体表をした四足のポケモンだった。尻尾をゆらりゆらりと頭の上まで持っていき、先端から光を発しているようだ。顔が間延びしており、開きっぱなしの口と真ん丸な目は間抜け面という言葉がよく似合っていた。

 

「大丈夫ですかー!」

 

 ナツキが声を出すと洞窟内に反響する。キクコのゴーストが手から「おにび」を発して下層へと落ちた人影を救出しようとした。すると、「大丈夫や!」とナツキの声に負けない大声が返ってきた。

 

「ちょっとびっくりしただけやし、怪我もない! にしてもいきなり穴があるなんてなぁ……」

 

 少しばかり呑気が過ぎるのではないのだろうか。打ちどころによってはまずいのかもしれないので、ナツキはストライクを先行させた。翅のあるストライクならば落ちた人間を持ち上げる事も出来る。ストライクが肩を貸すと、「すまんな」と声が聞こえた。

 

 先ほどの声と重ねるに、どうやら少年のもののようだ。ストライクが持ち上げてきた少年は、青い衣を纏った奇異な格好の少年だった。腰蓑をつけており、そこに何かが多数入っているのが分かる。背中には大仰な道具を背負っているが何に使うのかは分からない。

 

「いやー、助かった。俺もまだまだやな」

 

 訛りからジョウトの人間である事が窺えた。少年は膝小僧を擦りむいていたので、「あの、膝が……」とユキナリが指摘すると、「掠り傷や!」と唾をぺっぺっと両手に吹いて膝に塗った。その様子にナツキとキクコは若干引いている様子だ。ユキナリはとりあえず、「大丈夫ですか?」と尋ねた。

 

「ああ、俺に関しては大丈夫。なにせ、丈夫なだけが取り得やからな!」

 

 少年は自分を指差して答える。ユキナリはそのどこから来るのか分からない自信がアデクに似ていると感じた。

 

「それよりも、っと」

 

 少年が気にしたのは背中に背負った道具と腰蓑の中身だった。袋の上から道具と中身を確認して、「折れてはいないみたいや」と頷いた。

 

「いやー、すまんな。なんか、驚かしたみたいやさかい」

 

 少年は既に自分が今しがた穴に落ちたという事実を忘れているようだった。ユキナリは慎重に訊く。

 

「あの、トレーナーですか?」

 

「お、おお。俺の名はガンテツ。故あって旅をしている」

 

 ガンテツ、と名乗った少年は傍にいるパートナーポケモンを示した。

 

「こいつはヤドン。ヤドンのフラッシュでせっかく道を照らしたのに俺が先走り過ぎたな。イワヤマトンネルはところどころ整備されていないのが悪い」

 

 ガンテツはヤドンへと屈み込んで頭を撫でる。ヤドンは尻尾を揺らした。

 

「お前らもトレーナーか? って、この質問は野暮やな」

 

 ストライクとゴーストを見やってガンテツは笑った。人懐っこい笑みの似合う少年であった。

 

「トレーナーですけれど、ガンテツさんは」

 

「さんはいらん。同い年くらいやろ」

 

「じゃあ、ガンテツ、は、シオンタウンまでの抜け道を分かっているんですか?」

 

 その言葉にガンテツは、「それやねんなぁ」とうなった。

 

「どうにも俺は方向音痴でな。こういう暗い場所やと余計に方向感覚が狂う。お前ら、方位磁石は持っているか?」

 

「ポケギアについているじゃないですか」

 

 ユキナリはポケギアの方位磁石機能を呼び出し、方向を指し示した。

 

「ほう、そう使うんか。俺はどうにも機械音痴でもあるみたいでな。こいつの使い方がよう分からん」

 

 ガンテツの左手首にもポケギアが巻かれている。やはりトレーナーなのだ。

 

「分からずによくイワヤマトンネルまで来れたわね……」

 

 ナツキのぼやきに、「ヤドンはすごいんやぞ」とガンテツはヤドンの前足を握ってやった。

 

「一応、エスパーがついておるさかい、その念動力、つうんか、超能力いうんかは分からんけれど、それで俺を導いてくれた。でも、イワヤマトンネルは雑多な思念が飛び交っとるから、ちょっと道案内は難しいみたいや」

 

「思念、ですか……」

 

 ユキナリは周囲を見渡してみるがもちろんそれは可視化されていないものなのだろう。

 

「こりゃあ、地道に行くしかないわな」

 

 ガンテツがヤドンと共に歩き出そうとする。ユキナリはその背中を呼び止めていた。

 

「あ、待ってください」

 

「どうかしたか?」

 

 ガンテツが振り返る。ユキナリは一つの提案をした。

 

「一緒に進みませんか? 幸い、目的地は同じシオンタウンみたいだし」

 

「え? ええんか?」

 

 ガンテツは女性陣二人へと視線を配る。アデクと違いその辺には聡いらしい。ナツキが、「別にいいわよ」と応じた。

 

「明かりは多いほうが助かるし」

 

 キクコへと目配せすると、「鬼火は元々、そういう用途に使うんじゃないから」と答えた。

 

「フラッシュがあったほうが助かると思う」

 

「そうか。じゃあ、ご一緒させてもらうわ。よろしくな」

 

 ガンテツが手を差し出す。ユキナリが握手をすると、「俺のフラッシュでどこまで行けるか分からんけれど」と彼は苦笑した。

 

「いえ、助かりますよ」

 

 ユキナリが歩み出す。ガンテツは、「お前ら、トレーナーやねんな?」と尋ねた。

 

「ええ、みんな参加選手です」

 

「じゃあポイント見せ合わへんか? 俺、一人旅やさかい、なかなか平均ポイントっうんが分からんくてな」

 

 ユキナリは足を止め、ポケギアのポイント表示機能を使った。ナツキとキクコも同様に見せる。

 

「へぇ、この中では女衆のほうが上か」

 

「女衆って」とナツキが辟易する。

 

「僕が低いだけです」とユキナリは微笑んだ。特に驚くべき事だったのはキクコの所持ポイントだ。

 

「30000……」

 

 キクコはさほどバトルをした様子もないのに30000ポイント近いポイントを所持していた。ガンテツは、「変わったポケギアの使い方しとるんやな」とポイント自体には興味がなさそうだった。

 

「俺はしかし、それより上やで。ほれ」

 

 そう言って見せ付けられたのは50000ポイントの大台に達しつつあるガンテツのポイントだった。ユキナリが目を瞠っていると、「やっぱり、俺みたいなのは特殊みたいやな」とガンテツは呟いた。思わず身を強張らせる。カスミから聞いたジムリーダー殺しの一件が思い起こされ、まさか、という神経が沸き立った。しかし、当のガンテツには殺気の類は一切ない。それどころか落ち着いた様子で、「どうやって50000も稼いだのか、知りたいやろ?」と言ってきた。ユキナリは尻尾を掴むために、「ええ、是非」と答えていた。

 

「これや」とガンテツが差し出したのは球体だった。

 

「モンスターボール?」

 

 疑問符を浮かべたのはその形状が見た事のないものだったからだ。黒いモンスターボールは「フラッシュ」の光を受けててらてらと表面を輝かせている。

 

「びびったやろ? これは手製のボールでな」

 

「手製、って、手作りって意味ですか?」

 

 信じられない、とユキナリが口にすると、「何を驚く?」とガンテツは意外そうだ。

 

「昔はモンスターボールなんて職人の手作りが一般的やったんやぞ。今でこそ、工業生産ラインが敷かれとるが、一つ一つ、職人が魂込めて作るもんやったんや」

 

 ガンテツは黒いモンスターボールを指で弾く。すると中が空洞なのか、コォン、という軽い音が響いた。

 

「まだまだやな。まぁ、それでも師匠の許しが出たから、こうやって売って回っとるわけやが」

 

 ユキナリはガンテツの正体がまるで掴めなくなっていた。突然にモンスターボールを出した辺り、敵意というものは感じられないが。

 

「何者なんです?」

 

「俺か? 俺はボール職人。十代目ガンテツを襲名した男や」

 

 ユキナリはボール職人という職業があまりピンと来なかった。ナツキに目線で問いかけると、「確かに昔は手作りだったってスクールで習ったけれど……」と濁した。

 

「今も手作りなの? 今は効率を重視してこのボールになったって聞いたけれど」

 

「いや、今は工場で一気にやな。そこの嬢ちゃん、博識やの」

 

「……嬢ちゃんって、同い年くらいでしょうに」

 

 ナツキは嘗められたと感じたのか声を低くさせた。ガンテツはそんな事は気にも留めず、ヤドンを伴って歩き出す。

 

「まぁ、そういうこって。俺はボール職人目指しとる。一流のな。十代目襲名したと言っても、俺はまだガキや。世間も何も知らん。だから師匠はこれに出ろと俺に言いつけた」

 

「この、ポケモンリーグにですか?」

 

「おお。俺はでもバトルは得意やないねん。だからこの50000ポイントはバトルで得たもんやない。モンスターボールを売って得たもんや」

 

「売って得たって、ポイントとボールを交換したって言うの?」

 

 ナツキが口を挟んだ。ガンテツは、「何もルール違反やあらへんやろ?」と返す。

 

「ポイント交換は認められとるし、物と交換してはならんとは誰も言ってへん」

 

「屁理屈っぽいわね」

 

 ぼやいたナツキに、「屁理屈だろうがこの勝負はポイントの優劣」とガンテツは胸元を叩いた。

 

「俺は俺の持ち味で戦う。バトルが得意なら、それでええやろ。でも俺はバトルやない。ボール作り、これもまた一つの勝負や。お眼鏡に適わんと買ってもらえへんし、後々支障が出てもいかん。本当、物作りの道も勝負の道と何ら変わらへんで」

 

 自分の戦場に自分で持ってくる。それもまた王道の一つだろう。しかしナツキは気に入っていない様子だった。

 

「……これはポケモンリーグなのよ。戦いもせずに何かを得るなんて、申し訳ないと思わないの?」

 

「何でや? 俺は戦っとるし、別に不利益やないやろ」

 

「でも、勝負みたいに失うものがない」

 

 ナツキの抗弁にガンテツは、「それならある」と答えた。「何よ」とナツキは負けじと食い下がらない。

 

「信用や。勝負は勝つか負けるか。勝てば官軍と言うけれど、この商売、信用を地に落としてはならん。それこそ、今までの九代のガンテツの名を辱める事になるからな。俺はガキとはいえ、十代目ガンテツ。ボール作りを極めなならん、宿命にある」

 

 ガンテツの言葉には自然と重みがあった。少なくとも遊びの延長線上でない事は分かる。

 

「でも、一応は危ないからな。ヤドンを連れとる」

 

 その言葉にヤドンは間の抜けた声を出した。どうやら今のが鳴き声らしい。

 

「勝つ勝たへんの前に自分の目標や。自分は何のために戦うのか。誰のために戦うのか。それが見えてへんと戦ったってしゃあない」

 

 ユキナリの胸にその言葉は突き刺さった。自分が何になりたいのか。何をしたいのか。それが見えていないのはまさしく自分ではないのか。だからオノンドは暴走した。

 

「みんな玉座を目指しているわ。それが当然よ」

 

「かもな。でも、ゴールはそこやない奴もおるってのを嬢ちゃんには分かって欲しいもんやで」

 

「だから嬢ちゃんってのを――」

 

 ナツキの声をキクコが指差して遮った。

 

「また、穴がある」

 

 今度は梯子がかけてある。どうやら当たりのルートらしい。女性陣が降りてからユキナリとガンテツが降りると間もなく洞窟の終点が見えてきた。

 

「おお、きちんとしたルートを辿ればそんなに大したもんやなかったの」

 

 どれだけ迷っていたのだ、と思ったがユキナリは言わないでおく。出口を抜けると看板が立ててあり、視界から望めるのは盆地にそびえる塔だった。塔を中心として町が興っている。ガンテツが口にする。

 

「あれが、シオンタウンか」

 

 シオンタウンの瓦屋根は紫苑の色に塗られており、荘厳な意匠を漂わせつつもどこか物悲しい。簡素な町でポケモンセンターと宿泊施設、それと片手で数えるほどしかない住民の家しかない。

 

「あとはポケモンタワー、というわけか」

 

 ガンテツは一目でそれと分かる建物を仰いだ。ユキナリも思っていたよりも高い建築物に感嘆の息を漏らす。

 

「大きいですね。思っていたよりも」

 

「共同墓地なんやろ? 随分前に建てられたって言っとったなぁ」

 

「なにでです?」

 

「旅番組や」

 

 どうやらジョウトにもカントーの地理はあらかた知れ渡っているらしい。そうでなくてはカントーに渡る人間などいないだろうが。

 

「向こうさんからも有名なんですかね」

 

「ジョウトは歴史的建築物が多いさかい、こういう観光名所みたいなところには鋭いところがあってな」

 

「ジョウトにはないんですか?」

 

「共同墓地はない、かなぁ。俺が知らんだけかもしれんが」

 

 ガンテツが顎に手を添えて首をひねっていると、「チェックインしましょう」とナツキが言い出した。

 

「一日はいるつもりなんでしょう?」

 

「ああ、うん」

 

「何でや? シオンタウンなんてポケモンセンターを使うだけ使ってさっさと出払ってしまえばええやろ」

 

「こっちはそういう事情じゃないのよ」

 

 売り言葉に買い言葉の体でナツキが返すと、「待ちぃな」とガンテツが三人を呼び止めた。

 

「俺もチェックインしよう」

 

「でもガンテツは先を急いでいるんじゃ?」

 

「別に急いどらんし、それにこれだけポイントがあればわざわざジムバッジを取得するなんていう危ない橋も渡らんで済む」

 

 それはそうだろうが、とユキナリが言葉をなくしていると、「いいんじゃない?」とナツキが答えた。

 

「ガンテツさんがそうしたいんなら」

 

「冷たいなぁ、嬢ちゃん」

 

「うるさいわね。同い年くらいでしょ」

 

 ガンテツに囃し立てられ、ナツキが落ち着きなく抗弁を発する。どうやら水と油の関係性らしい。

 



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第五十七話「一門の誇り」

 チェックインそのものは何の問題もなく終わったが部屋分けで一悶着あった。

 

「申し訳ありませんが、今部屋数が足りておりませんので、相部屋、という事になりますが……」

 

 宿泊施設の受付でそう言われナツキは、「つまり、何人で一部屋ですか?」と訊いた。汗っかきなのか、額をハンカチで拭いながら職員は告げる。

 

「はい、残り二部屋でして」

 

「ちょうどええやんか」

 

 ガンテツの声にナツキがむっとして目を向ける。

 

「俺とこいつで一部屋。嬢ちゃんらで一部屋」

 

 ユキナリは自分が指されて驚いたがそれよりもナツキの眼が恐ろしかった。じっとりとした目で睨みつけてくる。

 

「な、何もないよ」

 

「何も聞いてないわよ」

 

 ため息を漏らし、ナツキは、「じゃあそれで」と受付に申し出た。鍵が手渡され、キクコとナツキで一部屋、自分とガンテツで一部屋となった。

 

 ガンテツは部屋につくなり、「疲れたー」と全身を広げて寝そべった。ヤドンが窓を念力で開き、窓からぶら下がる。

 

「ヤドン、それ傑作やな」

 

 ガンテツが笑うがユキナリはそれを認めるなり、慌ててヤドンを部屋の中へと戻そうとする。しかし、ヤドンはどうしてだか窓に張り付いて離れない。「無駄やぞ」とガンテツが寝たまま口にした。

 

「念力で張り付いているから取れん」

 

「どうにか、出来ないんですか。これじゃ、丸見えですよ」

 

「別にええやんか。見られて困るもんはない」

 

 大らかなガンテツの言葉に、「いえ、僕は困るん、です!」とヤドンを無理やり引っぺがした。ヤドンが部屋に放り投げられて転がる。その行動さえもマイペースだ。

 

「おお、かわいそうにヤドン。俺のヤドンに何する?」

 

「部屋数が足りてないんですよ。ヤドンが窓から顔を出していたらどう思いますか?」

 

 ガンテツは少しばかり考えた後に、「部屋を遊ばせている暇があれば使わせろ、と思うな」と至極当然な答えに達した。

 

「でしょう?」とユキナリは肩で息をつきながら額を拭った。

 

「疲れとるんやったら寝るとええ。明日の正午まで借りられるんやろ?」

 

「そうですけれど、ガンテツ、はどうして来る気になったんですか?」

 

「まぁ、俺も休みたいし。お前らが休むんなら俺だけ行くのも筋が通らんかな、って思って」

 

 ガンテツは腰蓑を置いて、背中に担いでいた道具を立てかけた。どうやらガンテツ一人が乗ったところで壊れない代物らしい。

 

「何です? それ」

 

「これはぼんぐりとそれを加工する道具箱やな」

 

「ぼん、ぐり?」

 

 聞いた事のない言葉にユキナリは小首を傾げる。

 

「何や、ぼんぐりも知らんのかいな。カントーのもんやろ?」

 

「ええ、でも田舎町の出身なんで」

 

「まぁ、今どき、ぼんぐりなんてジョウトでしか産出されん代物やけれどな。一昔前まではこれをモンスターボールの雛形にしていたんや」

 

 ガンテツが取り出したのは木の実だった。黒や赤、白などあらゆる色が揃っている。まるでパレットだ、とユキナリは感じた。

 

「絵の具みたいに鮮やかですね」

 

「おっ、イけるクチやな。分かっとるやんけ。この色が重要なんや。色とそれから硬度」

 

 ガンテツは黄色いぼんぐりを床の上で叩いた。すると残響するような不思議な調べが耳に届いた。

 

「何だか、不思議な感じですね。楽器みたいだ」

 

「あながち間違いでもないな。遠く、ホウエンでは似たようなのにビードロっていう工芸品がある。あれは火山灰から産出されるんや。これは天然の木の実から。まぁ、今となっちゃ生産数が限られるのも利権欲しさに色んな輩が土地買って栽培したからやから、取れる場所って言うとそうそう多くないけどな」

 

 ガンテツは膝頭で赤いぼんぐりを叩く。すると渋い顔をした。

 

「こりゃいかんな。ぼんぐりの中が湿気ってしまっとる」

 

「湿るといけないんですか?」

 

「ぼんぐりからモンスターボールを作るのは精密作業や。ちょっとの温度差や指先の力加減の間違いでそれは上物にもごみくずにもなる」

 

 ユキナリは改めて、ボール職人の本懐を見たような気がした。ぼんぐりを眺めるガンテツの眼は真剣そのものだったからだ。

 

「……羨ましいな」

 

「何がや?」

 

「そういう風に、自分の道が決まっているって言うのは」

 

「お前は玉座ちゃうんか?」

 

「どうなんでしょう。……僕も、ちょっと分からなくなってしまった」

 

「おいおい、そんなのでこれから先、旅出来るんかいな。まだシオンタウンやろ。それにお前、さっき見たら一番ポイント低かったやないか。嬢ちゃんらに負けてるとかカッコ悪いで」

 

 ぐうの音も出ない。ユキナリが黙りこくっていると、「ああ、もう!」とガンテツはぼんぐりを置いてユキナリの目を真っ直ぐに見据えた。

 

「何があったんや。話してみい」

 

 その言葉の意外さにユキナリが顔を上げるとガンテツは頬を掻いた。

 

「まぁ、なんや。俺も結構空気読めんからな。知らんところで傷つけているかもしれん」

 

 どうやら気遣ってくれているらしい。不器用な優しさにユキナリは微笑んだ。

 

「いえ、ガンテツのせいじゃ」

 

「そういや、お前、名は? まだ聞いとらん」

 

「あ、ユキナリです。オーキド・ユキナリ」

 

「みんな、どう呼ぶんや?」

 

「えっと、ユキナリで呼ばれる事が多いです。オーキドで呼ぶ人は少ない」

 

「じゃあ、俺はそっちで呼ぶ」

 

 虚をつかれた気分で見つめていると、「他人を覚えるのにはな」とガンテツは袴を叩いて佇まいを正す。

 

「あんまり呼ばれていない名前で呼ぶのが一番や。そいつの印象にも残るやろ?」

 

 思わぬ言葉にユキナリは、「はぁ」と気圧された状態になった。ガンテツは、「俺の事も」と口にする。

 

「呼びにくかったら自分で呼び名作ってええ」

 

 その言葉にユキナリは唇を指先で押し上げながら考える。ガンテツ、という名前から連想する愛称は……。

 

「ガンテツ君、いや、ガンテツさん……」

 

「だから、さんはいらんって」

 

 突っ込まれ、ユキナリは苦笑する。

 

「じゃあ、ガンちゃんで」

 

 提案した名前にガンテツが呆けたような顔をした。まずい、地雷を踏んだかと訂正しようとするとガンテツは笑った。

 

「ええやないか。ガンちゃん。そう呼ばれた事はないで。お互い、思い出に残る名前になりそうやな」

 

 ガンテツはユキナリの肩を引き寄せる。ユキナリはすっかりガンテツのペースに呑まれている事に気づいた。

 

「えっと、ガンちゃん」

 

「うん。何や?」

 

 何やら気恥ずかしいものを感じつつユキナリは口火を切った。自分の手持ち、オノンドが制御を離れた事。今もまた、繰り出せば制御不能になるという事を。話し終えてから、「馬鹿、ですよね……」と呟いた。

 

「こんなの、僕の、トレーナーとしての力量が足りないから――」

 

「それは違う」

 

 遮って放たれた声にユキナリが目を向ける。ガンテツはもう一度、ゆっくりと首を横に振った。

 

「それは違うで、オーキド。ワイルド状態ってのは、どうしようもないんや。熟練のトレーナーでもなる。いわばスランプみたいなもん。俺も、ボール職人の端くれ。色んな話は聞く。でも、お前はそれを乗り越えるために、ここに来たんやろ?」

 

 ガンテツの言葉にユキナリは首肯した。強くなるためにここに来た。

 

「なら、自分の行動にだけは自分できちんと責任を持てや。自分を裏切ってしまうのは他でもない、自分自身なんや。いつだってそうやで。俺も何度かボール職人の道の険しさに逃げ出したくなった事がある」

 

「ガンちゃんでも、ですか?」

 

 ガンテツは薄く笑い、「俺かってガキや」と答える。

 

「ボール職人、殊にヒワダタウンのガンテツ一門と言えばな、そりゃ名門なんや。弟子志望が数十人は来る。でも、その中で実際に選ばれて教えを受けるのは十人そこら。その教えを受け継ぐのはたった一人や。たった一人だけが〝ガンテツ〟の名を冠する事を許される。俺は、無念に散っていった人々の分まで、招魂込めて作らなならん。至高の逸品を」

 

「至高の逸品?」

 

 ユキナリが言葉の意味が分からずに問い返すと、「ガンテツ一門にはな」とガンテツが正座を組んで、ユキナリへと真正面から口にした。

 

「言い伝えられている伝説のボールがある。それは現在過去、未来さえも越えるモンスターボール。それを作れた時、ガンテツの名は永遠となる」

 

「ま、まさかぁ」

 

 あまりに突飛な話にユキナリは冗談にしようとしたがガンテツは本気の眼差しだ。

 

「俺は、自分の代でそれを極めたい。本物のモンスターボールをな」

 

「今のモンスターボールは偽者だって言うんですか?」

 

「大量生産品か? あれはいかん。美しくない」

 

 美醜からはかけ離れたような井出達をしているガンテツの口から放たれたものだとは思えなかったが、ガンテツは腰につけられたモンスターボールを見やった。

 

「だが悔しい事に、こいつを純粋な意味で打ち負かすボールもないんや。誰でも手軽に使える事と、ポケモンを捕獲するという意味だけならば、このボールでも充分に完成品やろうな」

 

 ガンテツはまるで親の仇のようにヤドンのものであろうボールを見下ろした。実際、ボール作りを生業としているガンテツからは敗北の象徴に映るのだろう。

 

「ガンちゃんのボールでも、これは超えられないんですか?」

 

「ところどころ特化させる事は出来る。たとえば逃げ足の速いポケモンのためのボール、海や河辺に現れるポケモンのためのボール、あるいは中にいるポケモンの体力を回復させるボール」

 

 ユキナリは素直に驚いていた。そのような事がモンスターボールに可能だと言うのか。ユキナリの視線を読んでガンテツは、「ぼんぐりならば可能や」と答えた。

 

「ぼんぐりと、ガンテツ一門の技術があれば、やけれどな」

 

 薄く笑って見せるガンテツにユキナリは、「それだけ出来れば」と返した。

 

「相当ボールを作ってくれっていう人間もいるんでしょうね」

 

「ああ、俺はガキやから安売りしとるけれど、本当は気に入ったトレーナーにしか作ったらいかんのや」

 

 だったら、ガンテツの行動は一門の思想に反した行いではないのか。「心配いらへん」とガンテツは首を振った。

 

「師匠には了承済み、もっとも、師匠は俺にポケモンを操る才能がないさかい、そっちで戦うしかないって諦めたみたいやけれどな」

 

 ガンテツは困ったように後頭部を掻いた。ヤドンがぼんやりと呆けた顔をして四足で這い進む。ヤドンが自由に行動しているのもガンテツが操ろうとしていないからなのか。

 

「ガキやって事、充分に活かしとるってわけ。俺も大人になれば、一門の名を汚したらいかんさかい、相当慎重にならなあかんようになるやろうな」

 

 子供だから、という免罪符を使っている事を自覚している様子だ。ある意味では性質が悪いだろうが、それに助けられる人もいるだろう。

 

「ガンちゃんのボールってどんなのがあるんです?」

 

「ああ、さっき洞窟内部で見せた奴とか」

 

 すっと取り出して見せたのは黒光りするモンスターボールだ。「手に取っても……」と尋ねるとガンテツは頷く。

 

 ユキナリはその重厚さに似合わずずっと軽いモンスターボールに驚愕した。普段トレーナーが使っているものよりも軽量な素材を使っているのか。ユキナリの持っているモンスターボールとは形状も異なる。射出ボタンらしきものが中央についており、そこから左右にラインが伸びていた。どうやらこのモンスターボール、開閉にさほど時間はかからないらしい。中央のボタンを見つめていると、「それを押すだけの簡単開閉!」とガンテツは口元に笑みを浮かべる。

 

「それがガンテツ一門の銘が入った特別製モンスターボールの共通点や。普通に考えても通常流通のモンスターボールの半分、いや、三倍は素早くポケモンを繰り出せる。戻すのも、そのボタン部分をポケモンに向けるだけ。そうすると、ポケモンのデータ変換機能を利用した一瞬の戻しが可能になる」

 

「そんなハイテクな技術……」

 

 いつから、と続けようとした言葉を、「昔っからあるで」とガンテツは腕を組んだ。

 

「ただそれらがバラバラに点在しているから、一まとめにしようって言う発想がなかっただけのこっちゃ。アイデア一つで意外に世界ってのは大きく変わる」

 

 ユキナリは黒いモンスターボールを隅から隅まで眺めた。「このボールは?」と用途を尋ねる。

 

「そいつはヘビーボール。重たいポケモンほど捕まえやすくなる」

 

 指鉄砲を作ってガンテツが説明する。ユキナリは目を見開いた。

 

「こんなに軽いのに?」

 

「今はブランクやからな。ポケモンが入るとそれなりに重くなるで。ただし、内部のポケモンから発せられる電磁場、力場、重量、体臭、全てに至るまでシャットアウト出来る」

 

 それほどまでに高性能なものが手の中に収まっていることが信じられなかったが、「お前、自分のモンスターボールでもそれは常に働いとるやん」と呆れたようにガンテツが声に出した。

 

「あ、そういえば……」

 

 当たり前過ぎて気がつかなかったがいくらポケモンが重くともボールの重さは一定であるし、臭いもしなければ電磁波やあらゆるものが漏れてくる事もない。

 

「それ、五十年程前には信じられなかった事なんや。その辺りではまだガンテツ一門のボールぐらいでしかポケモンを捕まえる手段ってのはなかった」

 

「じゃあ、今僕達が使えているってのは」

 

 疑問符を浮かべるとガンテツは、「……身内の恥ってのを喋るのは気が引けるが」と前置きした。

 

「八代目ガンテツがその技術を企業に売った。その結果、その企業は大当たり。今日のポケモン産業の基盤が出来上がったわけや。ただ八代目はその事で破門された。今ではその企業の重役に収まっとるさかい、ボール技術のノウハウは一般に知れ渡ったってわけやな」

 

「でも、それってジョウトカントーだけの話ですよね。ホウエンやシンオウ、果てはイッシュはどうやってポケモンを捕まえていたんですか?」

 

「古くにポケモンは魔獣と呼ばれていた。シンオウなんかでは特に顕著でポケモンを鎧で縛って使役していたらしい。つい最近まで、拘束具で捕縛するのが一般的やったみたいやで」

 

 他地方の思わぬ歴史にユキナリは感心していた。それはガンテツの知識の深さにもあった。

 

「スクールでは習わなかったな」

 

「普通の学校じゃ習わんやろ。いらん知識や。普通に生きている分には大きな技術転換期があってその時からモンスターボールはこの形! それだけ知っておればええ」

 

 ユキナリはオノンドの入ったモンスターボールを手に取る。だがそれは仮初めのボールだ。ガンテツは初めてそれに気づいたらしい。「それ、普通のとちゃうな」と声をかけてきた。

 

「やっぱり、一目で分かりますか」

 

「拘束用の奴や。何でそんな面倒なもんを、ってさっきの話の通りか」

 

 オノンドの話を思い出し、ユキナリは覚えず肩を縮める。

 

「これって、やっぱり恥ずかしい事ですか……」

 

「出来れば俺が一発作ってやりたいところやが、こればっかりはしゃあないな。もし、俺が制御可能なボールを作ったとしても、オノンドがそれに合わへんかったら意味ないし。そうなってくると無理やりの制御ってのは、トレーナーとしては邪道やろ?」

 

 ユキナリはこくりと頷く。出来る事ならばオノンドとの関係を元に戻したい。それが本音だった。

 

「しかしなぁ、オーキド。一応、それを可能にするボールってのはあるんや」

 

 その言葉にユキナリは食いついた。

 

「あるんですか?」

 

「ああ。しかし、こいつは出来れば使って欲しくない、いや流通して欲しくないな」

 

 ガンテツは道具箱から一枚の紙を取り出した。ユキナリにはそれが設計図に見えた。ガンテツに見せてもらったヘビーボールを簡略化したようなボールの図である。

 

「これは?」

 

「さっき八代目が企業に売ったって言うたやろ? その企業が、これからは世界シェア独占を目指すっうんで、俺の師匠に打診したモンスターボールの設計図や。次世代型モンスターボール。世界初の実用型、誰でも使えるという利便性を打ち出した新製品。最初のモンスターボールとしてこれをタイプ零式として売り出すそうや」

 

「零式……」

 

 ユキナリは片隅にその名が刻まれた設計図を眺めた。

 

「それにはガンテツ一門の技術の粋が詰まっとる」

 

「と、言うと?」

 

「まず、特殊な技術、あるいは機構を必要とせん、全く新しく、なおかつユーザビリティを考慮したインターフェイスがどうたらこうたら説明されたが、結局のところ、簡単に言えばどのようなポケモンでも、このモンスターボールをもってすればワイルド状態にはならん、って事や」

 

 その言葉に鼓動が脈打った。もし、このボールがあれば。そう感じてしまう自分の小ささを実感しつつ、「これは」と口に出した。

 

「もう完成しているんですか?」

 

「みたいやで。本社はこのポケモンリーグ後半での発売を目処にしているらしいけれど、行ったら試用期間としてただで配布するそうや。一般流通は二百円、って事でお手軽感も出したいらしい」

 

「でも、そんな大仰な事、どんな企業が……」

 

「隅っこのほう、サインがしてあるやろ」

 

 ガンテツが指差した隅を見やるとそこには「SILPH」のサインがあった。

 

「シルフ……」

 

「そう。シルフカンパニー。あそこが一枚噛んでいる」

 

 確かポケモンリーグのスポンサーとしても有名である。ポケモン企業の一つでしかなかったがそれほどまでの大プロジェクトを組んでいるというのか。

 

「って、これ一般人の僕に言っていいんですか?」

 

 その段になって気づいたユキナリが声を上げると、「ああ、まだ極秘やったな」とガンテツは白々しい。

 

「すまん。忘れてくれ」

 

 額をぺしんと叩き、舌を出して茶目っ気を出すガンテツだったが、ユキナリには他人事とは思えなかった。ワイルド状態を無効化するボールとなれば喉から手が出るほど欲しい。

 

「……シルフカンパニーに行けば、もらえるんですよね」

 

「おいおいおい」とガンテツは止めに入る。

 

「あんまり期待するんと違うぞ? これはワイルド状態を治す特効薬なんかじゃないんやからな」

 

「と、言いますと」

 

「これはいわば今までよりもずっと強力な催眠電波でポケモンを隷属させるって事や」

 

 催眠電波、という厳しい言葉にユキナリは身体を強張らせる。しかし当のガンテツは、「ポケモンはポケモン、人間は人間」と口にする。

 

「別の種族を従えるのに、信頼なんか生易しいもんだけじゃあり得ないって事くらいは分かるよな? 今のモンスターボールだって、微弱やが催眠電波を出しとる。新型は、それの数十倍と言われておる」

 

「数十倍……」

 

 ユキナリにははかり知れなかったが、ガンテツは頭を振った。

 

「これがどれだけポケモンに影響をもたらすかは分からん。でもある有識者の言葉によると、ポケモンがこのボールに入れば確実に今よりも弱くなると断言されている」

 

「弱くなる……」

 

 その言葉は意外だった。制御出来て強くなるならばまだしも。ガンテツは設計図を指差し、「この機構が」と説明し出した。

 

「ポケモンの脳波に働きかけて野生状態から捕獲状態、つまり手持ちへと移行させる。その段階は今まで色んな手順を踏んできたけれど、それらのステップを全て吹っ飛ばして、すぐにその関係へと持ってくる。一種の洗脳とも言えなくもない」

 

 ガンテツの説明する専門用語は分からなかったが「洗脳」という一語だけが突き刺さった。

 

「そんな……。そんなのトレーナーとポケモンの関係じゃない」

 

「でもな、そうでもせんと言う事を聞かんポケモンのおんのや」

 

 その言葉に無条件にオノンドが思い起こされる。それを感知したのか、ガンテツの口調には暗いものが宿っていた。

 

「理想の関係、ってもんがある。トレーナーとポケモンにはな。俺はそれに近づきたくってボールを作っとるし、お前らはそれを極めるためにトレーナーやっとる。でもな、いつだって技術が奪っていくもんはそういう気持ちや感情の部分や。感情を捨て去り、冷徹にポケモンと人間との関係を俯瞰すれば、これほど出来たシステムはない」

 

 ガンテツの言葉にそれでも、とユキナリは返したかった。しかし、喉の奥で声が詰まって出ない。これを否定する材料を自分とポケモンは持っていない。

 

「それでも」と声を発したのはガンテツのほうだった。彼は設計図を真っ直ぐに見据え、「このやり方、俺は好かん」と断言した。

 

「感情だの、感傷だのは甘いって言う奴もおる。そりゃあ、伝説のポケモンや幻のポケモンを従えるのに、今のボールじゃ力不足ってのも充分に分かっとるつもりや。作り手やさかいの。でもな、それでも割り切れん情ってのはあるんや。そこにこそ、人間、ひいてはポケモンの理想ってもんがあるんやないか。俺はそう思っとる」

 

 ガンテツは自身の思いの丈をぶつけたのだと分かった。新型のボール、それが生み出す価値と効果は歴然としたものがあるのだろう。しかし、それでも理想の関係とは、そのような力づくではない場所にあるのだとガンテツは言っているのだ。ユキナリは、「ですね」と答えていた。

 

「僕達みたいな若い人間が諦めていちゃいけない」

 

 ユキナリの発した言葉にガンテツは薄く笑った。

 

「お前、分かっとるやないか」

 

「僕は」とユキナリはモンスターボールを見下ろす。オノンドにこの思いは伝わらないのかもしれない。それでも、やる価値はある。

 

「僕の理想を貫き通したい。それが茨の道であっても」

 

「よっしゃ!」とガンテツは腕まくりをした。何をするのかと思えばぼんぐりを一つ取り出し、「お前のボール作ったる!」と豪語した。

 

「え、でも職人さんは認めたトレーナーにしか」

 

「お前を認めた! それでええやろ」

 

 ガンテツは道具箱を引っくり返した。すると、道具箱が展開され、様々な工具が視界に入る。

 

「今、作っとる新作があるんや。それにお前のオノンドを入れる」

 

 ガンテツはユキナリへと目配せをした。それが覚悟を問いかけるものであった事は、ユキナリでも分かった。

 

「正直、百パーセントうまくいくわけやない。このボールも、結局欠陥品に終わるかもしれん。それでも、賭けてくれるか?」

 

 自分の夢に。そう無言で問いかけたガンテツへとユキナリは頷いた。

 

「作っていただけるのなら、是非。僕もガンちゃんのボールなら納得してオノンドを任せられる」

 

 照れ隠しに微笑むとガンテツは、「そうと決まったら作るで!」と道具箱の中央に取り付けてある作りかけのボールへと作業の手を伸ばした。

 

「悪いが二、三時間は最低でもかかる。その間、外にいてくれんか? 集中出来んと辛くってな」

 

 ガンテツの言葉にユキナリは、「ええ」と外に出た。すると、ヤドンがユキナリへとついてくる。

 

「どうやらヤドンはお前の見張りにつきたいらしいな」

 

 小さな見張り番であるヤドンは呑気な鳴き声を上げる。「それでも結構強い」とガンテツは付け加えた。

 

「危なくなった時は容赦なく使ってくれよ」

 

 サムズアップを寄越してガンテツは作業に没頭し始めた。ユキナリは微笑んで部屋の外に出る。果たしてヤドンを使う事はあるだろうか。もしもの時に、とヤドンを見やるが何か使えそうなポケモンとは思えない。

 

「道中、仕方なくって感じか……」

 

 頼りにはなりそうにもない。廊下に留まっていてもナツキ達に見咎められると気まずいので宿から出る事にした。既に夜の帳が落ち、夜風がそよいでいる。

 

「涼しいな、ヤドン」

 

 声をかけるとヤドンは鳴き返した。どうやら素直な性格らしい。 

 

 ユキナリはシオンタウンを象徴する尖塔であるポケモンタワーを視界に入れた。改めて夜に見ると独特の雰囲気をかもし出している。

 

「でかいな……」

 

 昼に見た時にはそうは思わなかったが、夜のポケモンタワーは巨大に映った。歩み寄ってみるとその大きさがよく分かる。

 

「これが共同墓地か……」

 

 それにしては煉瓦造りのよく出来た塔である。ちょうど散歩でもしていたのか、住民らしき女性を呼び止めた。

 

「このポケモンタワー、入場は自由なんですか?」

 

「ええ、そうですよ」

 

 女性はそう応じてから、「ねぇ」と声をかけた。

 

「幽霊っていると思う?」

 

 奇妙な質問には違いなかったが、ユキナリは、「いないんじゃないですかねぇ」と答える。女性は、「そうよね」と笑った。

 

「あなたの肩に白い手が置かれているなんて、きっと何かの間違いよね」

 

 その言葉を聞きつけたユキナリが振り返ると、既に女性はいなかった。薄ら寒いものを覚えつつ、ユキナリはポケモンタワーを仰ぐ。

 

 夜の闇に沈んだ尖塔は、静かに風に身を佇ませている。

 

「幽霊がいる、っていうのか」

 

 馬鹿馬鹿しい、と一笑に付すことも出来ず、ユキナリは中途半端な気持ちのまま、足を踏み入れた。

 



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第五十八話「男道」

「ユキナリ。入るわよ」

 

 中から返事が聞こえなかったのでナツキは部屋の扉を開いた。すると、目に飛び込んできたのは道具箱を広げ何やら作業に集中しているガンテツの背中であった。

 

「何やっているんです?」

 

 ナツキの声にようやくガンテツは気づいたようだ。「おお、嬢ちゃんか」とガンテツは応じる。ナツキは目に見えて嫌悪感を出した。

 

「嬢ちゃんっていうの、やめてください」

 

「オーキドならおらんぞ」

 

 ガンテツは木の実らしきものをくりぬいて、細かい機械を内部に組み込んでいるらしい。基盤らしきものが見え隠れした。

 

「何作っているんです?」

 

 思わず潜めた声になる。ガンテツは振り向かずに、「オーキドのボールや」と答えた。

 

「ユキナリの、ボール……?」

 

「オノンドを使いこなせるようにするのはあいつ自身の役目だが、俺はその手伝いをする事が出来る。これから先、未来永劫、あいつが困らんようなボールを作ってやりたい。それが俺の望みや」

 

 ガンテツは全く視線を向ける事なく、ボール作りに専念している。ナツキは座り込んで、「そんなに集中するものなんですか?」と尋ねた。

 

「当たり前やろ。ボール作りは精密作業。邪念が入るといかん。嬢ちゃんにはご退場願おうか」

 

 暗に出て行けと言っている声音に、「言われなくっても」とナツキは立ち上がりかけて一つ忠告した。

 

「そのオーキドって言うの、やめたほうがいいですよ」

 

「何でや?」

 

「ユキナリ、自分の家系嫌っていますから」

 

 その言葉にガンテツの手が止まった。まずい事を言ったか、とナツキはとどまりかけたがガンテツが促した。

 

「話してみい」

 

 ナツキは再び座り込んで、「ユキナリの家系は、一応名家なんです」と口火を切った。

 

「マサラタウンっていう町の最も誇れるトレーナー。オーキド・マサラ。この名前は、ご老人から子供まで、あの町の人ならみんな知っています。それほどまでに偉大なトレーナーだったみたいです」

 

「それと何の関係がある?」

 

 ナツキは少しむっとして、「分かりませんか?」と苛立ちを露にした。

 

「祖先の栄光のせいで、ユキナリは無駄な期待を背負ってしまっていたんです。だから絵の道を選んでいたのに。あたしも出来る事ならば応援してあげたかったですけれど、あまりにウジウジしていたからカッとなって啖呵を切って……。今でも少し悔やんでいるんです。もし、あたしが言わなかったら、ユキナリはポケモンリーグに参加せずに済んだのかなって」

 

 苦しみを背負う事もなかったのではないかと。ガンテツは、「しかし、オーキドは戦う男や」と応じた。

 

「運命と戦う、そういう眼をしとる。あの眼にさせたのは、嬢ちゃんちゃうんか?」

 

「あたしは、何も……」

 

 二ヶ月ほど特訓を手伝っただけだ。何がユキナリに決心させたのか、それはまだ聞けていない。否、聞くのが怖いのだ。もし自分だった時、自分は他人の運命を捩じ曲げた事になる。

 

「しかし、あれは誰かに何かを言われた。だから決心した、そういう眼差しをしとる。真っ直ぐで、他の事は見えとらん。だからこそ、目先の問題に苦しんどるんやろうが」

 

 ナツキはガンテツの物言いが癇に障った。どうして平静でいられるのだろう。

 

「だからオーキドって呼ぶのはやめてもらえますか。ユキナリも、言い出せないだけで嫌がっています」

 

「男が他人にどう呼ばれるかどうかぐらいで悩むかい」

 

 ガンテツは窓の外に視線をやりながら、「それとは違う、きっと別の事や」と呟いた。

 

「別の事って。あたしとユキナリは幼馴染なんですよ?」

 

「だからって何でも言い合える仲ではあるまい? 違うか?」

 

 その言葉に二の句を継げなくなる。アデクから告白された事をユキナリには伝えていない。自分の胸の中に仕舞っておこうとしている。

 

「……そりゃ、プライベートはありますけど」

 

「なら嬢ちゃんがいちいち気にしてやる事でもあるまいて。あいつも赤ん坊やないんやから」

 

 ガンテツは再び作業へと戻ろうとしている。ナツキはその態度に苛立ちを募らせた。ただでさえユキナリは今デリケートなのだ。その状態を適当に済ませようとしている他人に言わずにはいられなかった。

 

「あんた、ユキナリの事何も分かっていないくせに、何知った風な顔で……!」

 

「だからと言って、嬢ちゃんの所有物ちゃうやろ? 俺はオーキドにしてやれる事を探して、これをやっとる。邪魔せんといてもらおうか」

 

 半田ごてを取り出し、凝視しないと見えないような細かい部品を取り付けている。ナツキは、「だから呼ぶなって――」と怒声を飛ばそうとした。しかし、ガンテツがそれを制する。

 

「確かに事情をよく知らん俺が口出すのもどうかと思う。けどな、だからと言って嬢ちゃんが一方的にあいつの道を決めていいわけでもない。もう歩み出すと決めたんなら、男道に女子供が口出すもんやないて」

 

 ガンテツの声にはただ単にユキナリを心配しているだけではない。自分の事も話している空気があった。

 

「そうか。家、か」

 

 ガンテツはそう呟く。ナツキは、「家柄なんて、あんたには分からないでしょうけど」と口汚く罵った。

 

「……まぁ、その家の事はその家の人間しか分からん。どれだけ言葉を弄しても、それは結局安全圏からの物言いになってしまうやろう。だからこそ、分かってやる努力を惜しんではいかんのや」

 

 まるでその努力を自分がしたかのような言い草だ。ナツキは、「ユキナリはどこへ」と単刀直入に訊いた。

 

「俺も分からん。シオンタウンのその辺と違うか? ヤドンがついているから迷子って事はないと思うで」

 

 まるで自分とユキナリの事を分かりきったような口調に腹を立てながらナツキは廊下に出た。

 

「何よ、あいつ……」

 

 立ち止まり、ナツキは小さくこぼす。

 

「……あたしだって、何か出来るのならしてやりたいわよ」

 

 出来ないから、困っているのだ。イワヤマトンネルでもキクコの助力がなければ何も出来なかっただろう。もしかしたら自分はユキナリにとって邪魔者なのではないか。胸に湧いた疑念にナツキは首を横に振る。

 

「そんな事、考えちゃ駄目よ、ナツキ」

 

 言い聞かせて前を向こうとすると、真正面に立っていた人影に気がついた。

 

「ナツキさん」

 

 キクコがサイコソーダの缶を四つ抱えて今しがた出てきた部屋に向かおうとしていたらしい。キクコ自身には責はないのだがナツキはついきつい物言いになってしまう。

 

「何よ。ユキナリならいないわよ」

 

 言い捨ててナツキは部屋を目指した。しかし、どうせキクコと相部屋なのだ。そうなると嫌でも顔を合わせる事になる。ナツキは宿を出て夜風に当たった。涼しい風の吹き付けるシオンタウンは一方で盆地のため湿度が高い。肌に張り付く熱気も感じ、手で扇いで風を通していると、「ねぇ」と声がかけられた。

 

 振り返ると女性が立っており質問された。

 

「あなた、幽霊っていると思う?」

 

 ナツキは怪訝そうに眉をひそめたが、「いるんじゃない?」と答えた。

 

「ポケモンがいるんだもの。いてもおかしくはないわ」

 

「そうよね」

 

 女性はそう答えた。何なのだ、と煙たく感じていると一陣の風がポケモンタワーに向けて吹き抜けた。唐突な強風にナツキの視線はポケモンタワーへと向けられる。確か共同墓地だったか。

 

「ねぇ、さっきの質問……」

 

 振り返ると先ほどの女性はいなかった。去っていってしまったのか。しかし、足音も聞こえなかった。

 

「ユキナリ……」

 

 周囲を見渡すがその姿は見えない。ヤドンを連れているとのことだったがそれらしき人影はない。嫌な予感に駆られ、ナツキはポケモンタワーを振り仰いだ。

 

「まさかね。だとしてもただの共同墓地よ。危険はないわ」

 

 そう言い聞かせるが、ユキナリだけで遠出する可能性は薄い。この時間からポケモンセンターに行くという事も考えられず、どうしてだかナツキの中にはポケモンタワーに行かねばならないという使命感が湧き立っていた。それと同時にポケモンタワーには何かがある。ただの共同墓地ではないと第六感が告げている。

 

「シオンタウンの象徴……」

 

 ナツキはモンスターボールに手を添えてポケモンタワーへと足を踏み出していた。

 

 



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第五十九話「強者の頂Ⅰ」

 一階にいたのは神父であった。この時間に訪れた自分に不信感を抱くか、と思われたが神父は懇願するようにユキナリへとすがりついた。

 

「お願いです、どうか……」

 

 その言葉にはユキナリも戸惑った。一体何を言っているのだ。その疑念が視線で伝わったのだろう。神父は恭しく頭を下げ、左側の顔をさすった。そこには鞭で打ったような傷痕があった。

 

「つい三時間前からなのです」

 

 神父の言葉にユキナリは耳を傾けた。どうしてだか彼は心の奥底から困っている。それが理解出来たからだ。

 

「何だって言うんです?」

 

「黒服の連中がやってきました。そいつらの名目ではこの共同墓地に眠るとあるポケモンを突き止めたいと、つまるところ墓荒らしです、それを公然と言ってのけたのです」

 

 黒服の連中。その言葉にユキナリはすぐさまマサキを拉致した集団を思い出した。神父は、「お願いがあるのです」と続ける。

 

「その黒服の連中を、この場所から追い出して欲しい。ここは昔から静謐に包まれてきました。これからもそうでしょう。墓荒らしは許されてはならない行為なのです。たとえどのような高貴な身分であれ、魂を穢す行為だけはこの世で最もあってはならぬ事。どうか、ポケモン達に眠れる安息を……」

 

 神父は右目から涙を流しつつ懇願する。ユキナリは、「でも僕には」とヤドンへと目線をやった。ヤドンは自分のポケモンではない。言う事を聞いてくれるのか。神父は、「追い出してくれるだけです」と口にする。

 

「誰か人を呼べば、恐らく黒服達は退散するでしょう。あなたがそのきっかけになってくれるだけでいい」

 

 それならばヤドンは適任だ。念力でいつでもガンテツが呼べるはずである。

 

「じゃあ、僕はそいつらを確認して、大声で人を呼べばいいんですね」

 

「ああ、ありがとう、ありがとう」

 

 礼を言う神父を他所にユキナリは階段を上り始めた。そういえばどうして神父は一階にいたのだろう。

 

「どうしてあなたが人を呼ばなかったんです――」

 

 その声は、視界に飛び込んできた光景によって遮られた。

誰もいなかった。神父がいたはずである。だというのに、足音も立てずに彼はこの場から忽然と姿を消していた。

 

 ――幽霊っていると思う?

 

 ポケモンタワーに入る前に問いかけられた事が思い起こされユキナリは嫌な汗が背中を伝うのを感じた。

 

「……まさか、な」

 

 ヤドンと共に二階に上がると数人の黒服達が一つの墓標を囲っていた。神父の言う通り、墓荒らしか、と身構えていると一人がユキナリに気づき歩み寄ってきた。

 

「ああ、ちょっとした地質調査の一環でね。このポケモンタワーは随分と古いから、調査を定期的にしないと崩れてしまう恐れがあるんだ。君は、お墓参りかい?」

 

 柔らかい物腰で尋ねてくる男はユキナリの事は知らないようだ。「ええ」と曖昧に濁しながらユキナリは尋ねる。

 

「何をやっているんです?」

 

「だから地質調査ですって。やましい事なんて何一つない、お上からのお達しでね」

 

「だったら、人を拉致するのとかもお上からのお達しですか?」

 

 身を翻しかけた男はユキナリの言葉で足を止めた。その顔から笑みが消え、現れたのは能面であった。

 

「……何を知っている?」

 

「何も。ただハナダシティであなた方によく似た人々が人を攫うのを見たんです」

 

 男は口元に貼り付けたような笑みを作り、「あまり勘繰っちゃいけないなぁ」と口にした。

 

「たとえそういう大悪人と我々が似ていたとして、君はどうする? ここはただの墓地だ。やましい事など何一つ――」

 

「墓荒らしをしていると言われました。あなた方が」

 

 男は再び頬を硬直させ、仲間へと振り返った。目線で無言の了承を交わし合い、男はユキナリを見下ろす。

 

「何を知っているのか分からんが、大人の世界に子供が単身探りを入れるのは賢いとは言えないな」

 

「何者なんです、あなた達は」

 

 男がユキナリの胸倉を掴んだ。

 

「あまり嘗めていると、痛い目を見るぞ」

 

 脅しつけた男へと、「やめたほうがいい」と声がかかった。その声は黒服の中心から放たれたものだった。

 

「ああ?」と凄んだ男へと怜悧な声が差し込まれる。

 

「ヤドンを連れている。もし、そのヤドンが外に思念を飛ばせるのだとしたら、我々の行動は既に筒抜けという事だ」

 

「ヤドンごとやればいいだろう」

 

 男の言葉に声の主は、「そのような短慮ではこれから先生きていけない」と告げる。

 

「いつだって、人の運命はその決断力によって試されている」

 

 歩み出てきたのはまだユキナリとそう歳も変わらない青年であった。青年は船長が被るような立派な帽子を被っている。黒いコートを纏っており、厳しい空気が漂っていた。

 

「ゲンジ君。我々は君を招いたが、下につくとは言っていないのだ」

 

 ゲンジ、と呼ばれた青年は、「だとしても、お前らに彼を害する権利はない」と応ずる。

 

「彼の眼を見よ」

 

 その言葉にユキナリの眼を男が窺う。しかし、何も得られなかったようで、「何だ?」と声を飛ばした。

 

「……分からないか。まぁ、お前ら程度では無理もないな」

 

「ゲンジ君。あまり年上を嘗めないほうがいい。組織はいつだって君を見限れるんだ」

 

「やれるものならやってみるがいい」

 

 ゲンジは一歩も退く気配はない。ユキナリを構っていた男が歩み寄りゲンジへと頤を突き出した。

 

「ゲンジ君よぉ、あまり賢いとは言えないな。実力者だからと言ってこれだけの人数相手に」

 

 黒服の男が周囲を見渡す。同じような服装の男達がゲンジを取り囲んでいた。

 

「人数など、問題ではない。どうせなら一斉に襲ってくるといい。俺のポケモンは、お前らを一瞬で無力化する」

 

 ゲンジがいつの間にかモンスターボールを突き出している。その形状にユキナリは声を上げそうになった。赤と白の球体、黒服達の持つモンスターボールであり、先ほどガンテツから見せられた新型の形状と合致した。

 

「いけ、タツベイ」

 

 中央のボタンを押し込むと、ボールが割れ、中から光に包まれた矮躯が飛び出した。水色の表皮に、未発達の手足を持つ小型のポケモンだ。頭部は岩石のような形状をしている。

 

「未進化ポケモンで、嘗めてくれる!」

 

 男達がモンスターボールを抜き放つ前に、タツベイと呼ばれたポケモンは素早く動き、男達へとその短い指先で額に触れただけだった。それだけで男達がまるで糸が切れた人形のように崩れ去った。ユキナリには何が起こったのか分からない。ただタツベイというポケモンが仕出かした事だけが理解出来た。

 

「お前の事は報告に上がっている。オーキド・ユキナリだな?」

 

 ゲンジが自分の名を呼びユキナリは心臓が収縮した感覚を味わった。一体、この青年は何者なのだ。どうして自分の名を知っている?

 

「あのお方はお前の成長を見たがっている。だからこそ、分かっていて俺をこいつらに組ませたな。まさに、運命の歯車を動かしているかのごとく、これから起こる事象が必要だと判じているのか……」

 

 ゲンジの言葉は半分も分からなかったがユキナリはゲンジから目を離せなくなっていた。逃げなければ、という思考は働くのに足が言う事を聞いてくれない。

 

「運命の強さの前では個人の意思などちっぽけだ。それこそ虫けらのように。あのお方は、それを理解した上で個人として立ち向かおうというのか。そのために俺達のようなカードを揃えている」

 

 ゲンジが踏み出す。ユキナリはヤドンを通じてガンテツに思念を送るべきだと感じた。

 

「ヤドン――」

 

「ドラゴンクロー」

 

 タツベイの手が拡張し青い光を帯びる。瞬く間に肥大化したタツベイの爪がヤドンを打ち据えた。ヤドンの身体が転がる。

 

「ドラゴンクロー? という事は、ドラゴンタイプ?」

 

 タツベイはヤドンへと「ドラゴンクロー」を突きつける。ヤドンは呑気な顔のまま尻尾を揺らしていた。その尻尾の先端から青い光が走る。ゲンジが舌打ちを漏らした。

 

「既に知らされたか。まぁ、いい。その前にお前を倒せばいいだけの話」

 

 ゲンジは顔を上げ、「ポケモンを出せ」と命じた。

 

「ポケモン、を……」

 

「そうだ。一対一の決闘である」

 

 ゲンジの思惑は分からない。ただ、今オノンドを出しても勝てる可能性が低い事だけは理解出来た。

 

「僕、は……」

 

「どうした。出さないのか?」

 

 ユキナリが怯んでいると、「まだ名乗りも儘ならなかったな」とゲンジは佇まいを正した。

 

「俺の名はゲンジ。ホウエンのドラゴンタイプ使いである。改めてよろしくお願い申し上げる。使用ポケモンはタツベイ。ドラゴンタイプだ。技構成は逆鱗、火炎放射、ドラゴンクロー、地震」

 

 ユキナリは瞠目していた。まさか自分の手の内を丸々明かすような人間がいるとは思えなかったのだ。ゲンジは、「俺はフェアプレイが好きでね」と口にする。

 

「男ならば正々堂々とやるべき。だからお前のポケモンについて知っている事も教えよう。所持ポケモンはオノンドと呼ばれる一進化ポケモン。タイプはドラゴン。確認されている技はドラゴンクロー、ダブルチョップの二つ。これが俺の知りうる全てだ」

 

「どうして、わざわざ僕に」

 

「戦うつもりだからだ。正当なる決闘において相手の武器を知る事は当然の摂理。男は、そうでなくては超える事など出来ない」

 

「超える? 何を」

 

「相手をだ。それこそが強者の頂。そこに至れる人間は眼の色が違う。お前がまさにそうだ」

 

 思わぬ言葉にユキナリはたじろいだ。ゲンジは構わず続ける。

 

「お前の眼の中には闘志がある。それこそ、誰の力でも消せない男の闘志。俺は顔写真からではあるが、それを知ったからこそあの方に協力する気になれた。強い闘志は俺を成長させる。俺は、俺をさらなる高みに連れて行ってくれる人間と出会いたいだけだ」

 

 ゲンジは一歩踏み出す。タツベイが展開した「ドラゴンクロー」をそのままに構えを取った。ユキナリには何一つ理解出来ない。ゲンジが何を言っているのか。そして何故、戦わねばならないのか。

 

「あなた達は何です?」

 

「その答えを教えるのにも力が必要である。力づくで聞いて来い」

 

 ゲンジの変わらぬ物言いにこの場で情報を得るには戦うしかないと感じたが、オノンドの入っているボールへと手を伸ばしかけて硬直させる。オノンドがこのような場で制御を離れたらどうする? もし、サンダー戦の再現になったら。

 

「どうした? 何を迷う」

 

 ゲンジの声にユキナリは首を横に振った。

 

「……やっぱり、駄目だ。僕には」

 

 戦わせられるだけの覚悟がない。オノンドが暴走した時が怖くて何も出来ない。

 

「ポケモンと人間、その本当の強さを解していないな。だからこそ、迷うのだ」

 

 ゲンジの知った風な口にユキナリは歯噛みした。しかしその通りなのだ。今の自分にはオノンドを信頼出来ていない。二ヶ月前に逆戻りしたかのようだ。ポケモンの扱い方の基礎すら知らなかった頃に。いっその事全部忘れられればよかったのに。自分は忘れる事も儘ならずオノンドとの関係性を惰性の中に漂わせている。

 

「タツベイ」とゲンジが呼ぶとタツベイは攻撃の光を仕舞い込み、一瞬にしてユキナリへと肉迫した。その短い手が鳩尾へと打ち込まれる。ユキナリは膝を折って胃の腑へと落ちてくる痛みを感じた。

 

「それがポケモンも感じている痛みだ。お前は、それが恐ろしくって戦いを避けているのか? それとも御せないのがそれほどに恐怖か?」

 

 ゲンジの言葉に、「何を知った風な……」とユキナリは口にしていた。奥歯を噛み締め、痛みを押し殺す。

 

「知った風も何も、制御の利かない力を使う事ほど人間にとって毒となる事はない。制御出来ないからこそモンスターボールを進化させた。このモンスターボールは言うなれば支配の象徴。人間がポケモンを屈服させてきた証なのだ」

 

 ゲンジがモンスターボールを翳す。ユキナリはオノンドを出そうとしたが、やはり踏ん切りがつかなかった。ゲンジが鼻を鳴らし、「ならば」とタツベイに命じる。するとタツベイはユキナリのホルスターからモンスターボールを引っ手繰った。

 

「な、何を……!」

 

「不戦勝は趣味ではないが、致し方ないな」

 

 タツベイが再び手から青い光の爪を顕現させ、モンスターボールを押し包む。それだけでモンスターボールが押し潰されかねない膂力があるのが分かった。

 

「やめろ!」

 

 ユキナリは制止の声を出すがタツベイが手を緩める気配はない。

 

「お前の眼ならばもしや、と思ったが、やはり強者の頂に登れるのは一人だけ。この世でただ一人の特権。それを持て余すというのならば、俺がいただくまでだ」

 

 タツベイの手によってモンスターボールが圧迫される。みしり、と亀裂が走った。決断を迫られている事がユキナリには理解出来た。

 

 オノンドを出して戦うか。ここでオノンドもろとも死ぬか。

 

 拳をぎゅっと握り締める。制御出来ないオノンドは怖い。だが――。

 

「ここで逃げるのは、もっと怖いんだ。もう、逃げたくないと誓った」

 

 ユキナリはタツベイへと飛びかかっていた。タツベイの展開する「ドラゴンクロー」の熱線に晒され手を焼きかねない熱さがモンスターボールの表面に宿っている。ユキナリはタツベイからモンスターボールを奪い取り、ボタンを押し込んだ。

 

「いけ、オノンド!」

 

 亀裂の走ったボールが砕け、中からオノンドが飛び出していた。牙を突き出しタツベイへと押し出そうとする。タツベイは青い光の爪で受け止めたがそれでも減衰出来ない衝撃波で仰け反った。衝撃波が墓石を打ち砕いていく。

 

「これがオノンドの能力か」

 

 ゲンジの呻きにタツベイが「ドラゴンクロー」を突き出してオノンドへと攻撃を仕掛けるがオノンドはそれよりも速く牙から青い光を扇状に展開させた。「ドラゴンクロー」同士がぶつかり合い干渉のスパークを弾けさせる。均衡を破ったのはオノンドのほうだ。すかさず発達した腕でタツベイへと掴みかかる。タツベイは喉元を押さえつけられ「ドラゴンクロー」の展開が薄らいだ。

 

「気を抜くな。火炎放射!」

 

 タツベイの喉が赤く明滅したかと思うと、次の瞬間火炎が吐き出された。熱が周囲を取り囲みオノンドが一瞬たたらを踏んだ。その隙を逃さず、タツベイが腕を下段に構える。

 

「ドラゴンクロー」

 

 ゲンジの声にタツベイが突き上げた爪がオノンドの顎を揺らした。オノンドが覚えず後ずさる。着地した瞬間、ゲンジは命じた。

 

「タツベイ、地震」

 

 タツベイが片足を持ち上げてしこを踏む。足裏から放たれた茶色い光の波紋が空間を満たした時、周囲がにわかに揺れ始めた。オノンドがバランスを崩す。それに乗じてタツベイが再接近した。

 

「もう一度、ドラゴンクロー」

 

 タツベイが龍の爪でオノンドを切り伏せようとする。しかし、それを受け止めたのはオノンドの両手だった。

 

「白刃取りだと?」

 

 ゲンジがうろたえる。オノンドは赤い瞳に野生の光を宿し、雄叫びを上げた。直後に受け止めた「ドラゴンクロー」を破り、硬質の牙を振り上げる。

 

「ダブルチョップか。離脱だ、タツベイ」

 

 即座に地を蹴ったタツベイが離れる。その空間を引き裂くように二回牙が打ち下ろされた。ゲンジが息をつく。

 

「トレーナーの命令を聞かずに攻撃……、いや、違うな。これは暴走だ」

 

 見抜かれたユキナリは心臓が収縮した感触を味わった。ゲンジは帽子のひさしを掴んで、「ワイルド状態、という奴か」と冷静に分析する。

 

「ボールが砕かれた事も影響しているのだろう。目に映る全てのものが攻撃対象だ。これでは勝負にならないな」

 

 オノンドが雄々しく叫び、両方の牙から剣のような青い光を突き上げる。オノンドはそのまま打ち下ろした。タツベイがステップを踏んで回避する。

 

「トレーナーとしては失格だな。ポケモンは操らねばならない。だというのにただ野生の状態と同じく戦うのではトレーナーの存在意義がない」

 

 ユキナリは歯噛みしてオノンドへと命令の声を飛ばした。

 

「オノンド! 僕に従え!」

 

 しかしオノンドは聞き入れる様子はない。タツベイへと狙いを定めると地面を蹴って飛びかかった。タツベイが「かえんほうしゃ」で行く手を遮る。オノンドは壁を蹴り、墓石を叩き潰してタツベイへと距離を詰めようとするがタツベイは牽制の「かえんほうしゃ」で一定の距離を保っている。

 

「いくら叫んだところで、ポケモンとの間に信頼関係がなければ何も意味を成さない。無駄な事だ。分からせてやろう」

 

 ゲンジがタツベイの名を呼ぶと、タツベイの頭部にある岩石のような鶏冠が引き伸ばされた。分割し、体表を覆っていく。タツベイが四足になると、長大になった鶏冠は全身を包んだ。まるでさなぎのようにタツベイの姿が完全に消え、そこにいたのは全く別のポケモンであった。四足で堅牢そうな甲殻に身を包んでおり、内部が僅かに窺えるのは中央の暗がりだけだ。そこから黄色い眼差しがこちらを睥睨する。

 

「進化、コモルー」

 

 その光景にユキナリは息を呑んだ。

 

「進化、した……」

 

 ありえない、と判ずる神経が一方でありながら一方ではキクコのゴーストを見ている分、不可能ではないと感じていた。

 

「俺はタツベイを自由自在に進化させる事が出来る。これぞ、強者の頂。ポケモンとトレーナーの関係の極み」

 

 コモルーと呼ばれたポケモンは四足で蹴ってオノンドへと肉迫する。その甲殻の一部が剥がれ、中から水色の手が飛び出した。青い光を纏い、攻撃が放たれる。

 

「ドラゴンクロー」

 

 不意打ち気味の一撃にオノンドが傾いだ。コモルーは一撃離脱戦法を取っているのか、オノンドの脇を走り抜け、制動をかけたかと思うと背後に回った。

 

「もう一度、ドラゴンクロー」

 

 甲殻から水色の手が覗く。ユキナリは叫んでいた。

 

「オノンド、後ろだ! 回避を」

 

 しかし、オノンドは言う事を聞かず、振り返り様の「ドラゴンクロー」で相殺させた。両者が後ずさるがコモルーのほうが動きは鈍い。オノンドはすかさず飛びかかり、牙で甲殻を打ち破ろうとする。しかし、灰色の甲殻はそう簡単には破れなかった。逆にオノンドの牙にダメージがあるほどだ。

 

「コモルーは次の進化の前に細胞を作りかえるため、このような形態を取っている。伊達に硬いだけではない。そして安易に近づいたな」

 

 甲殻の一部が剥がれ、水色の手が飛び出す。ユキナリが気づいて命令するよりも早く、水色の手が青い光の爪を帯び、オノンドの腹部に突き刺さった。オノンドが呻き声を上げる。

 

「そろそろ落ちるか?」

 

 ゲンジの声にオノンドはよろめきながら後ずさった。赤い瞳が爛々と輝き、獲物を探している。ユキナリが声をかけようとしたその時、オノンドの目が細められた。

 

 狙われた、と硬直した細胞が告げる。今すぐにここから逃げなければ。しかし足が動かない。オノンドが牙から光を放出させ扇状に固定する。「ドラゴンクロー」だ。今すぐにでもここから踏み出さねばオノンドの牙にかかって自分は死ぬだろう。それはお互いにとって禍根を残す。オノンドは主人を殺めたという罪の意識を。自分は手持ちに殺されたというトレーナーとしては失格の烙印を。

 

 オノンドが身を沈めた。来ると確信した神経が粟立つ。その時であった。

 

「……ユキナリ?」

 

 その声に視線を振り向ける。ナツキが階段から上ったところに立っていた。どうして、という声が喉から漏れる前にオノンドがナツキへと標的を変える。赤い瞳が敵意の眼光を携えてナツキへとオノンドが飛びかかった。既に敵味方の区別はない。オノンドは野生と同じなのだ。だからナツキであろうと誰であろうと簡単に襲いかかる。そこに分別はない。

 

 しかし、ユキナリは叫んでいた。

 

「やめろ! オノンド!」

 

 自分ならばまだいい。しかし、自分以外を傷つける事だけは許せなかった。その声にオノンドの牙が止まった。少しでも動けば扇状に展開した光が首を落とそうと迫っている。ナツキは腰が砕けたのか、その場に尻餅をついた。オノンドがユキナリへと振り返る。ユキナリは自分の胸元を叩く。

 

「やるのなら僕をやれ。そうすれば、お前は後悔しない。少なくとも僕の大切な人を傷つけるよりかは」

 

 ユキナリの言葉が通じているのかいないのか、オノンドは首を振って呻いた。ユキナリは声を張り上げる。

 

「お前は! 僕のポケモンだ、オノンド!」

 

 オノンドが右目を押さえる。額から瞼にまで至った傷痕をなぞり、必死に思い出そうとしているようだった。ユキナリは一歩、踏み込んだ。

 

「危ない!」

 

 ナツキの声が飛ぶと同時にオノンドが牙を打ち下ろす。近くの墓石が削れ、その破片が飛び散った。

 

「この瞬間に分かったんだ。オノンド。僕もお前を恐れていた。サンダー戦で、制御不能になったお前から距離を置こうとしていたのは誰でもない、この僕だ。制御不能になるのが怖いんじゃない。その牙が僕に向く事が怖かった。でも、もう恐れない。誰かを傷つけさせるくらいならば僕は甘んじて受け容れよう」

 

 その牙が誰かの血で汚れる事のないように。オノンドは右目が疼くのか喉の奥からか細い声を漏らした。誰よりも寂しかったのはオノンドのはずなのだ。主人である自分から見離されたような真似をされた。強敵と戦わせられ死の恐怖に直面した。その中で慰められず、ただ放置された。それがオノンドにとっては何よりの恐怖であったのだ。ユキナリにはようやく理解出来た。身が竦み上がるほどのオノンドの殺気を感じ取ってようやく、その心が望む方向性が分かった。

 

「オノンド」

 

 もう牙がかかる距離だ。オノンドは牙を打ち下ろそうとする。しかしそれは霧散した。攻撃色を失ったオノンドは項垂れてユキナリへと寄りかかってきた。きっと一番に戸惑っているのはオノンドなのだろう。進化して強くなったと思い込んでいた。それでも至らぬ領域があり、主人とどう接すればいいのか分からなくなっていた。

 

「ちょっとずつだ。ちょっとずつ強くなっていこう。僕らは、それが出来るんだから」

 

 一気に成長出来なくてもいい。一緒ならば強くなれる。

 

「どうやらきっかけを掴んだようだな」

 

 ゲンジの声にユキナリは振り返った。モンスターボールの束縛がない今ではいつ暴走の危険性があるか分からない。それでもオノンドを信じよう。そうする事がきっと一番いいはずだ。

 

「だが、モンスターボールなしで言う事を聞くと思うのか?」

 

「誰がないやって?」

 

 その声にユキナリは目を向けた。すると肩で息をしているガンテツの姿が目に入った。ガンテツは額の汗を拭い、「ヤドンのSOSの思念、伝わっとった」と口にする。

 

「でも、これが完成するまでは行くわけにはいかんかった。オーキド。これがお前とオノンドを繋ぐ、次の段階のボールや!」

 

 ガンテツがそれを放り投げる。ユキナリが手に掴むとそれは上部が黒く、崩れた象形文字で「GS」と刻まれていた。形状は新型のモンスターボールと同系統だ。

 

「GSボール! 未完成やが、今のお前らには必要やろう」

 

 ユキナリは頷き、「ありがとう、ガンちゃん」とGSボールをオノンドへと向けた。

 

「入ってくれるか?」

 

 その了承の声にオノンドは気高く鳴いた。ユキナリがボールを向けるとオノンドが赤い粒子になってGSボールへと入っていく。

 

「改めて、オノンドが手持ちになったわけか」

 

 ゲンジの声にユキナリはボールを翳し、「ああ」と応じた。

 

「僕にはオノンドがいる。これまでも、そしてこれからもそうだ」

 

 ユキナリはボールを投擲した。ボールが割れ、中から光に包まれたオノンドが出現する。コモルーを視界に入れるとオノンドは咆哮した。理解出来る。オノンドが今、自分のポケモンである事を。ゲンジは、「来い。強者の頂へ」と呟き、身体を開いた。

 

 



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第六十話「強者の頂Ⅱ」

 少年がポケモンを手に入れたのは八歳の誕生日の時だった。

 

 両親から与えられたポケモンはホウエン地方でも珍しいポケモンであり、希少種のドラゴンタイプ、タツベイである事が分かった。ゲンジ少年はその頃からタツベイとよく遊びに出ていた。彼はタツベイの遊びに付き合わされる事が多かった。

 

 タツベイは崖っぷちに立って、勢いをつけて飛び降りる習性があった。その時にはどうしてだか分からなかったが、後年調べるとタツベイは空を飛ぶ事を夢見ており、そのために努力を惜しまないポケモンなのだという。飛び降りはそのためだったのだが、ゲンジにはいつも生傷の絶えない自分の手持ちを心配したものだった。ゲンジ少年はゲンジ少年で、生傷の絶えない日々を送っていた。これは身体が弱いために友人達からいじめられる日々が続いていたからだ。ゲンジはタツベイで挑むもタツベイ自身強くないためにいじめは加速する一方だった。そんな時にゲンジはタツベイの飛び降りを眺め、「馬鹿だなぁ」と言って笑うのだ。

 

「夢見たって叶うはずがないじゃないか」

 

 ゲンジはその点では達観した子供であった。そもそもタツベイのどこに空を飛べる要素があるというのだ。翼もなければエスパータイプのような素養もない。どこを取ったところで空を飛べるはずがないのだ。だというのに毎日飛び降りる我がポケモンを、ゲンジは愛しく思い始めていた。馬鹿だと半分思いつつもしゃにむに夢を追いかける様は素直に眩しかった。

 

「お前はいつか空を飛べるのかな」

 

 ゲンジは出来るはずがないと思いつつもそうやって傷だらけのタツベイと共に弁当を食べるのが好きな時間の一つになっていた。そんな月日がいつまでも続くと思っていたが運命の力が訪れる事になる。それはそう遠い日ではなかった。ある日、いつものようにいじめっ子達からのいじめを受け、ゲンジは帰り際にタツベイと共にいつもの断崖に寄ろうとした。しかし、その時ホウエン地方を局地的な嵐が襲っていた。暴風が吹き荒れ、ゲンジは帰ろうと思ったがタツベイのためにも、自分のためにも素直に帰る気にはなれなかった。

 

 断崖の傍には海流があり、大時化の様相を呈している。海が全身をくねらせて怒りを体現しているのが分かった。自分もあのようになれれば、と感じた事を思い返す。

 

 荒れくれ者になり、無頼の輩として振る舞えれば。しかし、虚弱体質の自分では何一つ出来ないだろう。ゲンジはタツベイが飛び降りるように自分も崖っぷちに立った。そうすると白い波が弾け飛び、いつもならば顔を出している岩壁が削られているのを発見した。

 

 それを目にした瞬間、崖が崩れ落ちた。崩落する岩と共に身体が投げ出される。ゲンジは牙のように自分を待ち構える痛みと衝撃に備えようとしたがいつまで経ってもそれは訪れなかった。目を開き、顔を上げるとタツベイが岩にその手をついてゲンジの手を掴んでいた。しかし、タツベイは今にも崩れてしまいそうな岩に取りついておりこのままではお互いに落下するのは必至だった。

 

「やめろ。お前も落ちてしまう」

 

 ゲンジはタツベイに自分を離すように命じたがタツベイは頭を振った。意地でも主人を助けねばならないという決心の光が瞳にあった。だがタツベイの膂力では限界がある。今にも自分とタツベイは落下してしまうだろう。

 

「お前を巻き込みたくないんだ」

 

 自分が、自分の責任で落ちるだけだ。それにポケモンを巻き込む事はない。そう感じたのだがタツベイは腕に力を込めて必死にゲンジの身体を持ち上げようとする。その力は今までにないものがあった。あまりの必死さにゲンジさえも息を呑んだほどだ。

 

 その時、雷鳴が一閃し、岩が弾けた。近くに落ちた雷の衝撃でタツベイがバランスを崩す。

 

 ああ、終わったな、と確信したその時であった。

 

 タツベイの身体に変化が訪れたのだ。頭部にある岩石のような意匠の鶏冠が発達し、タツベイの姿を包み込んだ。一瞬にして、タツベイは甲殻を身に纏った堅牢な姿へと進化した。甲殻の内側からタツベイは手を伸ばし、ゲンジを抱えて海へと落下した。落下時の衝撃による死は免れたが、タツベイの形状は泳ぎに適しているとは思えなかった。四足で、あまりにも鈍そうだ。ゲンジはタツベイであったポケモンに捕まり叫んだ。

 

「お前だけでも岸に行くんだ!」

 

 その言葉にそのポケモンは否定の声を出した。鋭く発した声が身のうちから雷鳴のように響き渡り、甲殻がひび割れ、赤い翼が割って出現した。天地を揺るがす咆哮が発せられ、そのポケモンは甲殻から水色の身体を出現させる。

 

 それはタツベイの時とまるで異なっていた。攻撃に適したその姿は禍々しく、また同時に天啓のように感じられた。

 

「タツ、ベイ……」

 

 ゲンジの声にそのポケモンは応ずる。タツベイであったはずのポケモンは赤い翼を備え、ゲンジの身体を軽々と掴むと岸どころか、空を舞った。

 

 その瞬間、暗雲が切れ、雲間から差し込んだ光が虹を作った。虹の中を飛ぶのは常に飛ぶ事を夢見ていた一体のポケモンであった。ゲンジはそのままそのポケモンの背に乗り、ホウエンを俯瞰した。

 

 嵐が過ぎ去ったホウエンは美しく広大で、ゲンジは自らの小ささを思い知ると共に自身が成長する事の大事さをポケモンから教わった。

 

 ゲンジは命を救われたのだ。安全圏まで辿り着くとそのポケモンは再び甲殻に入り、タツベイへと戻った。驚くべき事にそのポケモンは進化形態とその前後を行き来できたのだ。通常ならばポケモン研究の権威にでも差し出すであろうところをゲンジは自らを高めるために使った。

 

 タツベイはもはや以前までの弱々しいポケモンではない。その瞳に携えたのは強い意志の力だ。

 

 それこそが強者の頂であった。タツベイは小さな身体に進化後の強大な能力を秘めたポケモンとしていじめっ子達へとゲンジの力の誇示を手伝った。傷つけはしない。それは自分が最も忌避するところだったからだ。いじめっ子達に教えたのは強者の頂に達した者には見える世界が違う、という事だった。バトルでは常にタツベイで勝ち進み、ゲンジの眼にはもういじけた光はない。その眼差しは真っ直ぐ頂点を目指していた。

 

 程なくしてホウエンではゲンジの名を知らぬ人間はいなくなった。常勝と圧倒的強さが彼の名を知らしめていた。ホウエン最強とも謳われた彼だが決して驕る事はなかった。むしろ、常に飢えていた。自分より強い敵を。自分を成長させてくれる相手を。

 

 それだけを求めて獣のように彼は戦った。虚弱体質は失せ、彼はタツベイと共に戦い抜いた。だからこそ、今回のポケモンリーグに彼が参戦したのは当然の帰結といえよう。自分より強い相手がいる。自分を成長させてくれる相手が。それだけで彼の心は満ち足りた。

 

 カントーへと渡った彼へと接触してくる組織があった。ある男が彼の常勝成績に目をつけた。

 

「君よりも強い相手は大勢いる」

 

 彼はそう言ってのけた。ゲンジとてそれは理解していたので、「その強い相手と戦わせてくれるのか」と理解は早かった。

 

「君は、いずれ自身を大きく成長させてくれる人物と出会うだろう。それはこの私が用意した最強のトレーナーだ。彼との戦いが君を躍進させる」

 

 ゲンジは高鳴る胸の鼓動を抑え、「その人物は?」と名を尋ねた。

 

 



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第六十一話「強者の頂Ⅲ」

 

「オーキド・ユキナリ」

 

 ゲンジが自分の名を不意に呼ぶ。その声音には待ち望んでいたような響きがあった。

 

「俺は、自分を成長させてくれる人間が好きだ。だからこそ、このポケモンリーグでこちら側についている。そのほうが強い相手と当たる確率が高いのだと判断した」

 

 こちら側、というのが黒服集団の事なのだろう。ユキナリはイブキの事も聞くべきか悩んだが、今はゲンジを下すのが先だと判断した。

 

「俺をさらなる高みへ、強者の頂へと繋げてくれる人間を、待ち望んでいるのだ。お前は、俺を引き上げる存在か? それとも価値のない存在か」

 

「両極端だな」

 

 ユキナリの言葉にゲンジは口元を綻ばせる。

 

「いつだって結論は極端だ。俺があの日、死ぬか生きるかしかなかったように。タツベイがあの日、進化するかしないかしかなかったように。そう、進化とは、人間にせよポケモンにせよ、それは追い詰められた時にこそ発揮される。進化とは今を打ち破る強さ。今よりも先に行きたいという願望の現われだ」

 

「僕は、先に行く」

 

 オノンドが牙を構える。ユキナリは変わらぬ双眸をゲンジへと向けた。

 

「僕とオノンドならそれが出来る」

 

「ようやくポケモンを得て一端のトレーナーになった、というところか。だが、その状態はいわば精神が昂っている状態。通常の判断が下せなくなっている」

 

 ゲンジが手を掲げ、「コモルー」と呼んだ。コモルーは四足でオノンドへと突撃する。

 

「コモルーの攻撃は変幻自在。読めるか?」

 

 ユキナリはオノンドへと声を発した。

 

「落ち着けよ、オノンド。敵は四方向に甲殻を張っている。という事は、攻撃の前後にどれかが開くはず」

 

 その時こそが攻撃の契機だ。オノンドの攻撃がいくら強大でもあの甲殻を破るのは至難の業だろう。ならば相手の攻撃時の隙を狙うしかない。その見極めはトレーナーにしか出来ない。

 

「来る、来るぞ……」

 

 コモルーが四足で駆け込んでくる。左側上部の甲殻が開いた。

 

「そこだ! ドラゴンクロー!」

 

 オノンドが牙に青い光を纏いつかせ、扇状に展開する。脚が膨れ上がり、オノンドは跳躍して開いた甲殻の合間を攻めようとしたが、その甲殻は攻撃の命中する寸前に閉じた。代わりに反対側、右の下部にある甲殻が開く。

 

「フェイント?」

 

「そう簡単に甲殻内部へと攻撃はさせん。コモルー、ドラゴンクロー」

 

 死角から突き上げられた青い爪がオノンドの腹部へと襲いかかる。しかし、オノンドとユキナリは冷静に対処した。

 

「ダブルチョップで受け止めろ!」

 

 オノンドが左手を払いコモルーの「ドラゴンクロー」を相殺させる。すかさず開いたのは真正面の甲殻だった。

 

「避け切れまい!」

 

「ならば、受け止める!」

 

 右手を突き上げ、オノンドは攻撃前の甲殻から飛び出した手を掴んだ。そのまま自分の側へと引き寄せる。

 

「迂闊だ! 甲殻を開いたままで!」

 

 開かれた内部へと攻撃を放てる。オノンドは牙に青い光を充填させた。必殺の「ドラゴンクロー」が撃たれるかに思われたが、それを受け止めたのは意外な物体だった。

 

「……翼?」

 

 甲殻から飛び出したのは手だけではない。赤い翼が甲殻を破って盾のようにオノンドの視界を奪う。

 

「もう隠し立てするつもりはない」

 

 ゲンジの声に呼応してコモルーの身体が砕け散った。甲殻が失せ、内部から水色の身体をした龍が姿を現す。禍々しい赤い翼を広げ、そのポケモンは咆哮した。一声だけでオノンドが攻撃の手を緩める。それほどの重圧を持つポケモンであった。

 

「何だ? これは」

 

「……進化、したって言うの?」

 

 ナツキが信じられないように口にする。ガンテツが、「ありゃ間違いない」と口走った。

 

「ホウエンのドラゴンタイプ、その最終進化系」

 

「――ボーマンダ」

 

 ガンテツがその名を呼ぶと、ボーマンダは乱杭歯の並んだ口を開いて喉の奥を赤く光らせた。酸素が光と共に吸引されていく。

 

「まずい! オノンド、離脱を――」

 

「火炎放射」

 

 放たれたのは先ほどまでとは比較にならないほどの強力な攻撃だった。一瞬にして射線上にあった墓石が炭化し、煉瓦造りの壁を高温が叩き割った。ユキナリは直前で逃れたオノンドを見やる。オノンドも今の威力に身が竦み上がっている様子だった。

 

「こんな攻撃力、無茶苦茶だ」

 

「やけど、最終進化なんや。これくらい出来ても不思議やない」

 

 ガンテツの声にユキナリはボーマンダとゲンジを睨み据える。ゲンジは拳を握り締め、「この力!」と声を大にした。

 

「超えられなければ意味がない。強者の頂に至るにはこれを超えてくるだけの覚悟と能力が必要だ。オーキド・ユキナリ! お前はまだその真価を出していない。本気で来い!」

 

 ゲンジはまるでユキナリの全力を知っているかのようだった。しかし、ユキナリとて手を抜いた覚えはない。今まで全力に近いものを見せてきた。これでも足りないという事は――。

 

「僕に、超えて来いと言っているのか」

 

 全力のその先。自分さえも分からない領域へと。自己を高めろと言っているのだ。

 

「いいさ。超えてやる」

 

 ユキナリは足元に転がった焼け落ちた墓石を蹴り払う。オノンドがユキナリと共に前に進んだ。ボーマンダとオノンドが対峙し、自分とゲンジは至近に近い距離へと歩み寄る。

 

「ユキナリ! そんなに近づいて」

 

「迂闊やぞ、オーキド!」

 

 二人の声が響く中ユキナリはただ考えていた。この戦いに勝つ方法を。強者の頂に登るための力を。

 

「この距離なら、お互いにもう外さない。お互いにドラゴンタイプ。ドラゴンの技が致命的になる」

 

「その通り。いい眼光になってきた。俺は、お前を超え、さらなる高みへと!」

 

「超えるのは僕だ!」

 

 ボーマンダが雄叫びを上げる。それに負けじとオノンドも吼えた。両者がほぼ同時に動く。ボーマンダの赤い翼に光が宿った。凶暴な赤い光が相乗し、一対の翼が刃物の鋭さを帯びる。

 

「これが、真のドラゴンクローだ!」

 

 ボーマンダが羽ばたいた瞬間、拡散された赤い光が軌道上の墓石を叩き割って肉迫する。ユキナリとオノンドは真正面からそれに立ち向かった。

 

「ユキナリ!」とナツキの悲鳴のような声が響く。しかしユキナリは振り返らなかった。決して背中を見せてはならない。オノンドが牙に扇状の青い光を纏いつかせ、拡散した赤い光弾を叩き落す。光弾は触れれば断ち割られそうなほどに鋭く凶暴であった。光弾そのものは鋭敏ではない。しかし、触れた瞬間に千の刃と化す。オノンドは牙で打ち破ろうと振り翳す。

 

 牙が触れた瞬間、赤い千刃がオノンドの身体へと襲いかかった。それそのものは「ドラゴンクロー」という技だが威力が桁違いだ。タツベイが発していたものともコモルーが使っていたものとも違う。次元の異なる技の応酬にオノンドが怯み、立ち竦む。ユキナリはしかし後退しなかった。あえて自身を千の刃が通る攻撃の最中へと置いた。

 

「僕も退かない。だから、お前も退くな」

 

 主人の声にオノンドは落としかけた膝に力を灯し、立ち上がる。牙を振るい上げ、オノンドは青い光を拡張させた。剣のように立ち上った牙の光が尖り、軌道上の光弾を叩き割っていく。

 

「ドラゴンクローの間合いを拡張させたか。しかし、こちらのドラゴンクローは至近の距離に至れば必殺の勢いを持つ。果たしていつまでそんな消耗戦が持つかな」

 

 オノンドが光弾を斬るが、光弾はまだあらゆる角度から襲いかかる。唯一の救いは自分だけを狙ったものである事だ。もしもガンテツやナツキを守りながらでは戦えていないだろう。ユキナリは口元に笑みを浮かべた。

 

「どうした? まさかいかれたか?」

 

 ゲンジがこめかみを指差す。ユキナリは頭を振った。

 

「いかれちゃいないさ。ただ、僕は幸運だと思ってね」

 

「幸運?」

 

「僕を成長させてくれる奴が、僕だけを狙ってくれる事さ。これで、心置きなく戦える」

 

 その言葉にゲンジは笑い声を上げた。心底おかしいというような声音にユキナリは、「違いないだろ?」と尋ねる。

 

「そうだな。お前と俺は同類だ。強さのために、誰かを踏み台にせねばならない。お前の眼差し、そこには誰かの夢を潰してでも自分の夢を叶えたいという願いの刃の輝きがある。その刃こそが、強者の頂に登るために必要なのだ」

 

「君だって、持っている」

 

 ユキナリの言葉にゲンジは口元を緩めた。

 

「だからこそ、お互いに相容れないと理解しているのさ。ここで相手を倒すしか、進む方法がない事も!」

 

 光弾が足元で弾ける。刃が発生し、焼くような痛みが腕を襲ったが構ってはいられなかった。今はつわもの同士が戦うこの戦場を、どこまで自分を高められるのか試している。

 

 ならば命を賭してでもここで試そう。自分がどこまで行けるのか。どこまで高められるのかを。

 

 ユキナリの雄叫びに呼応してオノンドが拡張した青い剣先をボーマンダに向ける。最早、牙という形状を跳び越え、一つの大剣と化していた。対してボーマンダは赤い翼をはためかせ、刃の羽ばたきで青い剣をいなす。

 

「俺のボーマンダを、止められると思うな!」

 

「止める? 冗談」

 

 ユキナリは旋風が舞う戦いの最中、確かに、微笑んだ。

 

「――全て断ち斬る」

 

 青い剣先が一気に弾け飛んだ。

 

 それぞれが固有の形状を持つ短剣へと、一瞬にして昇華した。「ドラゴンクロー」の性能を持つ短剣は幾何学の軌道を描き、光弾を突き刺していく。光弾は同じ性能で貫かれたせいか、一斉に活動を止めた。まるでシャボン玉のようにそれぞれが弾け、刃の風が巻き起こった。

 

「ドラゴンクローを昇華させたか。だが、俺のボーマンダは隠し玉を持っている!」

 

 ボーマンダが大口を開けて吼え、内部骨格が赤く輝いた。表皮が透けてボーマンダを形作る骨格が燐光を放つ。

 

「逆鱗。ドラゴンタイプの強力な物理技だ。これを止める事が出来るか?」

 

 ボーマンダが翼を広げオノンドへと突撃する。オノンドは青い大剣を顕現させボーマンダを止めようとしたが前足の一振りでそれは砕け散った。

 

「これが、逆鱗……!」

 

 ボーマンダはまさにその身体そのものが攻撃となっている。恐らくどの部位に触れても掻き消されるであろう。

 

「それでも、僕らは進むしかないんだ」

 

 砕け散った青い光が集束し、短剣を形作った。全方位から、幾何学に短剣がボーマンダへと迫る。しかし、ボーマンダは首を振っただけの動作で短剣を霧散させた。

 

「ドラゴンクローじゃ勝てない?」

 

「さぁ! 俺達を高みへと昇らせて見せろ!」

 

 ボーマンダが前足を突き出しオノンドの身体を掴んで引き上げる。必死に踏ん張ろうとしたがボーマンダの膂力の前にはオノンドはあまりにも無力だった。赤い燐光を放つボーマンダがオノンドを掴んだまま飛行する。天井を突き破り、オノンドの身体が壁に叩きつけられなぶられた。

 

「ユキナリ! もうオノンドを仕舞って! こんな一方的じゃ……」

 

 ナツキの声にユキナリは、「まだだ!」と返す。

 

「まだ、僕とオノンドは高みへと至っていない」

 

 オノンドが咆哮し、青い「ドラゴンクロー」の大剣を突き上げる。至近距離の赤い翼を焼き、オノンドはボーマンダの飛行能力を奪ったかに思われたが、ボーマンダはまだ健在だった。攻撃で破られた箇所をボーマンダの内部骨格が支えている。

 

「この戦いの後、俺達は再起不能になるかもしれない。だが、それでも俺は!」

 

 その声にユキナリはゲンジの覚悟の深さを感じ取った。この戦いに彼は賭けている。自分との戦いがさらなる高みへと至るものだと信じて疑わない。その姿勢には目を瞠った。

 

「……だったら、僕らも全力だ!」

 

 青い大剣をオノンドが翼を貫通させて突き出す。ゲンジが、「無駄だ!」と声を発した。

 

「既に貫かれている箇所には麻酔が施されている。逆鱗状態のボーマンダは決して止まる事はない。その進撃を阻む事は誰にも許されない!」

 

 しかしその瞬間、ボーマンダの動きが鈍った。どうしてだか飛行状態を維持出来なくなったのだ。ゲンジはうろたえる。

 

「何……? ボーマンダの逆鱗状態が……」

 

 青い大剣の光が貫いたまま、ボーマンダが硬直する。ゲンジは手を振り払う。

 

「何をしている? そのままオノンドを打ち落としてしまえ!」

 

 しかしボーマンダは動かない。自分が縫い止められたように硬直した事実に戸惑っている様子だ。

 

「ボーマンダの逆鱗状態は確かに止められないだろう。だけれど、それは真正面から愚直に立ち向かったら、に過ぎない」

 

 その言葉にゲンジはハッとして青い大剣の行き着く先を眺めた。剣先が貫いているのはボーマンダではない。真の目標を察し、ゲンジは目を慄かせる。

 

「ドラゴンクローの剣先で、刺し貫いていたのは……」

 

「このポケモンタワーの柱だ」

 

 オノンドの「ドラゴンクロー」はボーマンダへと攻撃を与えるためにあったのではない。真の目的は切っ先でポケモンタワーの柱を探す事にあった。

 

「切っ先がポケモンタワーの柱に刺されば、これだけの巨大建築物を支える柱だ。ポケモンが暴れた程度でどうこう出来る代物じゃないはず」

 

「ボーマンダを狙ったかのように見せかけ、柱へと大剣を突き刺す事が狙いだったというわけか」

 

 ボーマンダは動かない。否、動けない。オノンドがポケモンタワーの柱に大剣を突き刺している間は。

 

「ならば、力づくでも解除させる!」

 

 ボーマンダが口から炎を吐き出しかねない気迫で吼え、前足で掴んだオノンドを潰そうとする。オノンドは両腕を上げてボーマンダの前足の指に爪を立てた。

 

「逃げられないのはボーマンダも同じだ! ここから先は、気合比べになる!」

 

 オノンドが両腕から青い光を発し前足の機能を潰す。「ダブルチョップ」であった。前足の拘束が解かれ、オノンドは地面に立って大剣を薙ごうとする。ボーマンダは翼を焼く激痛に雄叫びを上げた。

 

「上等だ!」

 

 ゲンジがボーマンダと同期したように叫び、ボーマンダの乱杭歯の並んだ口腔がオノンドを噛み切らんと迫る。オノンドは大剣を解除し、空中に短剣として拡散させた。ボーマンダがそれらをさばこうとすれば眼前のオノンドへの攻撃が手薄になる。かといってオノンドを狙えば全身へと襲いかかる短剣の嵐を一身に受ける事になる。

 

 ボーマンダは後者の道を選んだ。オノンドへと噛み付こうとするがオノンドはステップを踏んで回避し、その顎へと拳を突き上げる。青い光を纏ったアッパーはボーマンダの意識を一瞬だけ混濁させた。その一瞬の合間を突くように短剣が一斉に襲いかかる。ボーマンダは見えないなりに翼を羽ばたかせて相殺させたが全てではなかった。いくつかの短剣が表皮へと突き刺さり、ドラゴンタイプの技としての威力を発揮する。

 

 表皮で爆発の光を拡散させた短剣にボーマンダが怯んだ隙を突き、オノンドが腹部へと潜り込む。堅牢そうな甲殻の名残がある腹部へとオノンドは牙の一撃を加えた。みしり、と表皮に亀裂が走る。ボーマンダが突き飛ばそうと身をよじるが腹部は死角だ。距離を取るしか道はない。ボーマンダは羽ばたいて攻撃を浴びせつつ遠ざかろうとしたがその時には既にオノンドは背後に回っていた。

 

「後ろだ! 尻尾で叩きのめせ!」

 

 ゲンジの指示にボーマンダは尻尾を打ち下ろす。オノンドはその一撃を間一髪でかわした。もう一度大剣を顕現させれば、と考えていたオノンドとユキナリの思考に水を差すように、尻尾の一撃が正確にオノンドを捉える。瞠目していると、「観察しているに決まっているだろう」とゲンジが声を浴びせる。

 

「右側が見えていない!」

 

 ゲンジの声にユキナリは慌てて命令の声を上げた。

 

「オノンド、宙返りして尻尾へとダブルチョップ」

 

 一旦距離を置くべきだ。そう判断した声に、ボーマンダは一瞬の好機を感じ取ったのか宙返りの途中で尻尾を薙ぎ払った。届くはずがない、と感じた距離を跳び越えた攻撃に赤い光が影響している事をユキナリは察知する。

 

「逆鱗はまだ有効だ。内部骨格から攻撃判定を伸ばした」

 

 赤い光は、しかし先ほどまでよりは薄らいでいる。逆鱗状態はもうすぐ解ける。それまでにどれだけ粘れるかが勝負だった。

 

「オノンド! 相手は消耗している! 畳み掛けるぞ!」

 

 オノンドは崩れた体勢を持ち直そうとする。しかし、赤い翼から放たれた旋風がその行動を遮った。

 

「許すと思うのか? 逆鱗が切れるまで残り一分弱。それまでにオノンドを完全に無力化させる」

 

「させない!」

 

 放った声が力になり、オノンドがボーマンダへと飛び乗った。ボーマンダは身をよじってオノンドを突き落とそうとするがオノンドは牙を食い込ませてそれを制する。

 

「ゼロ距離だ。この距離からなら百パーセントのドラゴンクローが放てる」

 

 しかもオノンドがいるのはボーマンダの背中、つまり背後である。ボーマンダの攻撃が届く場所ではない。

 

「それは何だ? 降伏しろとでも言うのか?」

 

「無駄な戦いは好きじゃない」

 

 詰みだ、と宣言した声にゲンジは笑い声を返した。

 

「俺もボーマンダも、その程度で屈するような精神の持ち主ではない。それに気づいているのか? オノンドはボーマンダに密着している。この状態からなら百パーセントの威力の逆鱗を放てる」

 

 ユキナリは唾を飲み下した。つまるところ――。

 

「お互いに次の攻撃で決まる」

 

 ゲンジの宣言にユキナリは息を詰めた。「ドラゴンクロー」を放つのが先か「げきりん」が放たれるのが先か。

 

 ユキナリはゲンジの眼差しを見やる。その眼はやると決めたらやる、男の眼だった。ユキナリも負けじと睨み返す。こちらだって腹は括っている。

 

「……いい眼だ。お互いに覚悟は決まったようだな」

 

 ボーマンダの赤い光が薄らいだ。恐らく背後へと放つための布石を打っているのだ。オノンドが牙を密着させている箇所はボーマンダにも分かるはずである。

 

 その箇所から噴き出すように「げきりん」の光が放たれればオノンドとて無事で済むかどうか。だが、これは相手にとっても賭けである。もし、一拍でも遅ければ。「ドラゴンクロー」が速ければ、ボーマンダは身体を貫かれる。しかも今オノンドが牙を密着させているのは身体の中心、脊髄である。その衝撃は確実にボーマンダの攻撃を阻むだろう。

 

「……オノンド」

 

 ユキナリはその名を呼ぶ。赤い瞳には主を信じ切っている光があった。ここで自分の覚悟を揺らがせるわけにはいかない。呼吸を整え、ユキナリはその命令を発しようとした。ゲンジは指を立てる。

 

「お互いに、一度きりだ。もう次はない。スリーカウント。恨みっこなしだ。その瞬間に技を放つ」

 

 ゲンジの提案にユキナリは首肯して乗った。目を瞑る。余計な情報はいらない。お互いにここから先はポケモンの反応速度の勝負だ。

 

 これまでに何度攻撃を受けたか。何度死線を潜り抜けたか。それで決着がつく。

 

「「3」」

 

 汗が額を伝う。

 

「「2」」

 

 拳をぎゅっと握り締める。掌に汗を掻いていた。まだ瞼は開かない。

 

「「1」」

 

 その瞬間、ゲンジとユキナリの声が重なった。

 

「ドラゴンクロー!」「逆鱗!」

 

 瞼の向こう側で青い光と赤い光が乱舞する。その拮抗は一瞬だった。勝負に必要だったのはその一瞬だけだったのだ。

 

 ユキナリはゆっくりを瞼を開く。ボーマンダの背筋から赤い光が炎のように噴き出していた。しかし、それを引き裂く青い光があった。赤い光はオノンドの表皮を焼いたがボーマンダの強固な身体を貫いていたのは青い光のほうだった。ボーマンダが口腔を広げ、叫びを漏らす。オノンドが吹き飛ばされ墓石の上に落下した。

 

「オノンド!」

 

「ボーマンダ!」

 

 両者が同時にお互いのポケモンへと駆け寄る。状態を確認し、先にボールへと戻したのはゲンジだった。オノンドは薄く眼を開けている。僅差に違いなかった。オノンドの刃がボーマンダへと届いたのだ。

 

「見事」

 

 ゲンジはコートをはためかせユキナリの前に立つ。すっと手が差し伸べられた。ユキナリはその手を掴み、オノンドをボールへと戻す。

 

「髪の毛一本の差だが、お前達のほうが強者の頂に近かったらしい。敗者は這い蹲り、強者はさらに高みを目指す。それこそが強者の頂。何人も近づけぬその頂にこそ、真の価値がある。昔はその価値と勝者が同一だった。しかし今の社会では違う。勝者とは、相手をいかに騙し、自分をも欺き、うまく立ち回ったかによるものに過ぎない。それは真の価値ではない。自分を高めるのならば他人の命すら頓着しない。だが、それは裏道から騙し討ちを仕掛けるような狡猾さではないのだ。真正面から立ち向かう愚直さ、ある意味では猪突とも言える無茶こそが道理を蹴破る。それを理解する事こそが」

 

「己の価値に繋がる」

 

 言葉尻を引き継ぎ、ユキナリはその手を眺めた。ゲンジがポケギアを操作し、ユキナリへとポイントを送っていた。

 

「お前は俺を倒し、強者の頂へと登る資格を得た。これは餞別だ」

 

 ユキナリはポケギアに充填されていくポイントを見やりながら、「君は……」と口にする。ゲンジはフッと微笑んだ。

 

「俺はいい。敗者にこだわっていては前には進めんぞ。強者は勝者、高まる事にこそ望みを繋げ」

 

 ボーマンダが咆哮する。ゲンジは身を翻し、その背中に乗った。

 

「――ようこそ、勝者の頂へ」

 

 ゲンジはボーマンダにポケモンタワーの壁を突き破らせた。その水色の身体が夜空に消えていく。ユキナリは無茶苦茶になったポケモンタワーの内観を一瞥し、「乗り越える」と誓った。

 

「もう僕とオノンドは迷わない」

 

 ゲンジとボーマンダはそれを教えてくれた。ナツキが自分の名を呼んで駆け寄る。ガンテツも同様だった。

 

「大丈夫? ユキナリ」

 

 ナツキは激昂せず、ユキナリが無事なのか確かめた。本来ならば張り手の一つでも食らったところでおかしくない暴挙なのだがナツキは意外にも冷静だった。

 

「ああ、うん。僕は大丈夫」

 

 変わらぬ様子で返すとナツキは腰に手をやってふんぞり返る。

 

「それにしたって、ポケモンタワーでこんな騒ぎ起こすなんて前代未聞よ? もう、もし損害賠償取られたって知らないんだから!」

 

 いつものナツキの調子に戻り、ユキナリは、「そうなったら博士にどうにかしてもらおうかなぁ」と後頭部を掻く。

 

「博士だって何でも解決してくれるわけじゃないんだから! 頼りにしたって仕方がない事もあるのよ!」

 

 説教を聞き流しながらユキナリはポケギアを見やる。先ほど、ゲンジは自分にポイントを送ってくれた。それで何ポイント溜まったか確認する。

 

「……どうやら、博士に頼る必要もないみたいだ」

 

 ユキナリの声にナツキが疑問符を浮かべるように首を傾げると、ポケギアを翳した。

 

「40000ポイント。これだけあれば、僕らは問題なく旅を続けられる」

 

 ポケギアには43000ポイントが充填されていた。それを見てナツキが目を見開く。

 

「四万三千……」

 

「あのトレーナー、相当溜め込んどったって事やな。それもこれもオーキドを見込んだって事やろ。なんか、勝者の頂やらなんや言うとったけれどな。俺には半分も理解出来んかったが」

 

 自分には分かる。己の真の価値。それを見出すには勝者の頂に登るしかない。それこそ孤独を背負う覚悟で。

 

「あの人、ゲンジさんって言ったか。何で、あんないい人があいつらに」

 

 そこでハッと気づく。周囲を見渡し、「黒服は?」と声にした。ナツキもガンテツも首を横に振る。

 

「階段では、出会わなかったけれど……」

 

 ユキナリは舌打ちする。

 

「逃げられた……!」

 

 イブキの事やマサキ誘拐について聞けると思っていたのに。拳を握り締めていると、「オーキドが思い詰めるほどの事なんか?」とガンテツが尋ねる。

 

「ええ。あいつらに真っ先に聞かなければいけなかったのに」

 

 ゲンジとの勝負にうつつを抜かして本質を見誤ったのでは世話はない。後悔の念が押し寄せる中ユキナリはある事に気づいた。

 

「ガンちゃん。そういえば新型のモンスターボールって、もう一般に支給されているの?」

 

 ナツキがユキナリの言葉にむっとして口を差し挟む。

 

「ガンちゃんって何よ?」

 

「ああ、俺の呼び名」

 

 何でもないようにガンテツが答えるがナツキは、「そういう事を言っているんじゃなくって」とガンテツと睨み合いになった。

 

「何で親しげなのよ」

 

 ナツキの声を無視し、ガンテツは首を横に振る。

 

「まだ一般支給はされとらんはずや。持っているって言っても、そいつらはシルフの息がかかったような人間……」

 

 そこまで言ってからガンテツも気づいたらしい。ハッとして、「まさか……」と神妙な顔つきになった。ナツキだけが、「何よ?」と二人を交互に見やっている。ユキナリはその言葉の帰結する先を理解した。

 

「相手はシルフカンパニーだ」

 

 



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第六十二話「ガリバーの世界」

 

 ゲンジはボーマンダでシルフカンパニー本社ビル屋上へと降り立つ。

 

 この競技での「そらをとぶ」の使用は禁止だったが、ゲンジの目的は既に玉座にない。もう出会うべき人間と然るべき戦いを終えた。ゲンジに待っているのはホウエンでの確固たる地位。

 

 そのための前段階としてシルフカンパニーに恩を売っておくのは悪い事ではない。失格になったとしても、自分の保有ポイントには余裕がある。これだけの実績をもってすればホウエンほどの田舎ならばまず受け容れられるだろう。どの道、優勝候補のツワブキ・ダイゴほどの期待を背負っているわけでもない。

 

 正直、ゲンジからしてみればこのポケモンリーグは二の次に過ぎなかったのだが、その二の次が面白い方向に転がってくれた。思わず頬を綻ばせる。先ほどの戦いを反芻すると愉悦の笑みが止まらない。

 

 あれほどの激戦に身を浸せたのは何年ぶりか。いや、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。ユキナリは確実に成長している。それこそ、彼に聞いた時よりもより強く、より高みへと。

 

 自分の伝えた強者の頂にユキナリは登る事だろう。それまでにいくつも捨てなければならないものがある。だがユキナリはそれらを捨てずに進める強靭さを併せ持っている。自分にはないものだ、と素直に賞賛出来る。

 

 シルフカンパニー本社ビルはまだ建築途中だ。赤いビル建築用クレーンがその全長を宵闇へと伸ばしている。昼間のように焚かれた投光機の明かりがサーチライトさながら照らし出し、ゲンジは降り立つべき空間を見定めた。

 

「あそこだ。あのヘリポートに降り立て」

 

 ボーマンダに命じると赤い翼を羽ばたかせボーマンダはゆっくりと降り立った。先ほどの戦闘の残滓がある。ボーマンダは興奮状態であり、もっと言えば重傷だった。ゲンジはボールに戻す前に命じる。

 

「その姿は疲れるだろう。もうタツベイに戻るといい」

 

 ボーマンダの表皮が罅割れたかと思うと一気に破裂した。巨躯が弾け飛び、小さな水色の身体が現れる。タツベイは肩で息をしながらゲンジへと寄り添った。

 

「よくやってくれた」

 

 本来、進化とは不可逆だ。しかしゲンジのボーマンダ、タツベイは進化を操る事が出来る。これは他のトレーナーには見られないとしてシルフカンパニーが目をつけた要因でもある。お陰で研究対象にされているのが目下の悩みだが。

 

「戻れ、タツベイ」

 

 ボールを突きつけると赤い粒子となってタツベイがボールに戻る。ゲンジには慣れないものだった。新型モンスターボール。これがいずれは世間を席巻するとはいえ、自分には過ぎたるものだ。便利さは時に人を堕落させる。これほど容易にポケモンを出し入れ出来ていいのかと考えさせられる事もしばしばだった。

 

 ため息を漏らすと、もう一つのヘリポートに停められている輸送機が目に入った。シルフカンパニービルのヘリポートは二つ。いずれは取り壊して一つの大型ヘリポートを屋上に設置するのが最終目標だと言うが、建造にどれほどの時間がかかるのだろう。十数年? あるいはもっとか。

 

 気が遠くなりそうな首都の摩天楼からゲンジは視線を投げた。夜とはいえ、首都はやはり少しばかり騒がしい。連日お祭り騒ぎな辺境地とは違い、表立った盛り上がりはないものの、出場選手を迎え入れようとする都市はいつまでも活動を引き延ばしている。

 

「眠れぬ街、だな」

 

 呟いて、らしくないと首を振った。自分は所詮兵士だ。考えるのは上の役目。自分はただ力を振るえればいい。その点で言えば先ほどの戦闘ほど血沸き肉踊るものはなかった。ボーマンダの敗北という形に終わったが、また手合わせ願いたいものである。しかし、それが実現されない事を最も知っているのはゲンジ自身だ。

 

「ご苦労だった」

 

 そう言って屋上に姿を現した男は何人かの側近を連れていた。しかし、この男の真骨頂は単体でも充分に動ける事だ。そのフットワークの軽さこそが売りである。

 

「キシベ。あんたの言う通り、オーキド・ユキナリと接触し、戦闘を行った。これでいいんだろう?」

 

 ゲンジの声にキシベは口角を吊り上げて嗤う。

 

「ああ。とてもいいデータが取れた」

 

 自分のポケギアには通常機能の他にキシベによる盗撮、盗聴機能もついている。先ほどの戦いは攻撃の一挙一動に至るまでシルフカンパニーによって見張られていたわけだ。

 

 いい気分はしない。だが、これもホウエンでの地位を得るため。そのために必要な儀式だと割り切ればいい。

 

「オーキド・ユキナリ。あれの強さは何だ? 内側から発せられる強さ、まさしくやると決めたらとことんまでやる意志が見え隠れしたが」

 

 その意志に怯んだのもある。まさかボーマンダを下すとは思ってもみなかった。少なくとも事前に渡されていた情報だけならば大したトレーナーではないと判断出来たのだ。

 

「それに関してはゆっくり話そう。疲れているのだろう? 先ほどの戦闘データと照らし合わせて分析部が面白い判断を下してくれている。私達はそれを見ながら雑談でもしようではないか」

 

 気安いキシベの言葉にもゲンジは決して気を許さなかった。この男に内に秘めた野心がある。そのために全てを犠牲にする心構えだ。ゲンジには分かる。この男もまた、強者の頂へと、違う形ではあるが登ろうとしているのであると。

 

「そうだな」

 

「タツベイを預かろうか?」

 

「いや、俺はこのままで」

 

 側近達が目に見えて不愉快そうに顔をしかめる。自分達の役目がなくて不服なのだろう。彼らは自分と同じようにキシベによって見初められた存在だ。だが自分のように動きが自由ではない。多くは出場選手としてではなく、シルフカンパニー社員としての地位を選んだ事からも明らかだ。彼らは戦う事を目的としていない。

 

「別働隊は?」

 

 ゲンジの言う別働隊とはユキナリと戦う任務を帯びていない人々の事だ。彼らは自分とユキナリとの戦闘のどさくさに紛れてあるものを入手する別の任務が課せられていた。

 

「ああ、彼らは戻ったよ。君よりも十分早いだけだがね。目論見通り、ポケモンのDNAデータを抽出する事が出来た。それに関してはグレンタウンと連絡を取ろう」

 

 キシベに連れられ迷路のような通路を歩み、ゲンジが訪れたのは巨大なモニタールームだった。今もリアルタイムであらゆる戦況が送られてくる。「見るかね?」とキシベに促されてゲンジは一つのモニターへと吸い寄せられた。そこには先ほどまでの自分とユキナリの戦いが記録されていた。

 

「あまりにも激しい戦闘のため、一部音声や映像にブレがございますが」

 

 そう説明したのはオペレーターの男だった。キシベが、「いい。ヤマキ君。続きを頼む」と首肯した。

 

「では」とヤマキと呼ばれたオペレーターがキーを叩く。それすらも最新鋭の品々だ。滅多にお目にかかることのない最新鋭設備とシステムの数々に眩暈さえしてくる。

 

「ボーマンダが逆鱗状態でオノンドを叩き潰そうとしていますが、オノンドはこれをドラゴンクローで撃退。客観的に見れば、これはありえません」

 

「と、言うと?」

 

 キシベが尋ねるとヤマキは、「威力が違い過ぎる」と断じた。

 

「逆鱗の威力とドラゴンクローの威力には、現段階の研究では倍ほどの差があります。それを埋め合わせて可能にしたのは、オーキド・ユキナリの才覚と、恐らくはこれかと」

 

 拡大された映像の中に粗いながらもユキナリの握るボールが入る。黒地の上部には「GS」と白い文字が刻み込まれていた。

 

「我がほうの新型モンスターボールと形状そのものは同じですがシステム系列、ネットワークは全くの別物と考えていいでしょう」

 

「どうしてそんな事が?」

 

「今しがたハッキングを試みましたが無理でした。現在地とボールの個体識別情報さえ入ればある程度枝をつける事が可能なんですがね」

 

 ゲンジの疑問に答えて見せたヤマキの手腕に素直に舌を巻いていた。既にそこまで根回ししているとは。ただのオペレーターの一人かと考えていたが意外にも侮れない人材なのかもしれない。

 

「ヤマキ君でも不可能と来たか。こうなってくると余計に気になるな」

 

 キシベの言葉に、「そう時間はかかりません」とヤマキは応じる。

 

「ポケモンセンターを使ったのならば履歴から洗えますよ。我が社が援助していますからね。まぁデボンの技術もありますが」

 

 デボンというのはゲンジの故郷、ホウエンで幅を利かせている新興企業だ。その初代社長にして、一代でデボンコーポレーションを興した御曹司、ツワブキ・ダイゴがあれほどの民意と期待を背負っているのもさもありなんと感じる。

 

「個体識別番号制はデボンのお膝元だ。勘付かれるな」

 

「誰に言っているんです?」

 

 ヤマキはキーボードを叩いて今もユキナリのボールの情報を特定しようとしている。ゲンジは、「やめろ」と声に出していた。キーを叩くヤマキの手が止まる。

 

「何ですって?」

 

 胡乱そうな声にゲンジは繰り返した。

 

「止めろと言っている。お前のやっている事は下衆の勘繰りに等しい。これ以上、彼を侮辱するな」

 

「侮辱? 俺は、シルフカンパニーに貢献するためにやっているんですよ。あなたこそ、こんな荒れた映像をよくも本社に寄越してくれましたね。こっちは解析だけでも手一杯なんですよ。少しは現場の手間も減らしてもらえませんか、ホウエンのトレーナーさん」

 

 皮肉たっぷりに告げられた言葉にゲンジが返そうとすると、「その辺にしないか」とキシベが制した。

 

「今は内輪揉めをしている暇ではないだろう」

 

 正しい認識にお互いに言葉を仕舞った。キシベは、「素晴らしいのはこれらを可能にするお互いの技術」と誉めそやした。

 

「ゲンジ君も、ヤマキ君も、どちらかが欠けていれば実現されなかっただろう。それほどに素晴らしい。これでオーキド・ユキナリに関しては次の段階に進める」

 

 にやり、とキシベが口元を歪める。ヤマキは、「その事なんですがね」と口に出した。

 

「そろそろ計画概要を我々にも教えてもらえませんか? そうでなくっては下でも動きにくいんですよ」

 

 どうやらヤマキはこのオペレーションルームの責任者に近い地位らしい。まだ歳若いのに、と感じたがお互い様だとゲンジは判じた。

 

「まだ言えんのだ。私としても心苦しい。ただ計画は第三フェーズに移行する」

 

「そのフェーズってのも説明されていないと俺達は動けない」

 

 ヤマキの言葉はもっともだ。キシベは、「そのうち理解出来る」と答える。

 

「そのうちって……、手の打ちどころが遅れたら――」

 

「その心配はない。安心して欲しい。君達の仕事はきちんと役立っている。私は信頼しているのだよ。だからこそ、この発令所の全権は君に任せている。そうだろう? ヤマキ君」

 

 暗にこれ以上勘繰るなという警告でもあった。ヤマキはそれを感じ取ったのか言葉を飲み込み、「いいですけどね」と口にした。

 

「下々が知るような計画なら、こんな大人数が動きやしないでしょうし」

 

 大人数、という言葉にこのキシベの下で働いている人間はどれほどいるのだろうと感じた。いや、キシベの下、という認識でいいのだろうか。それがそもそもの間違いではないのか。

 

「我々にはRの矜持がある。全ては、ロケット団のために」

 

 キシベは襟元につけた赤いRのバッジに手を添えた。ゲンジはあえてつけていないものだ。それはキシベとの契約内容によるものであった。

 

「はい。全てはロケット団のために」

 

 ヤマキも胸元につけたバッジをなぞってそらんじる。それが合言葉のように発令所に染み渡った。ところどころで「全てはロケット団のために」という言葉が巻き起こる。キシベは手を掲げてそれを制した。

 

「諸君らは光栄に思って欲しい。これから先の時代を席巻する組織に招き入れられた事を。その資格を有している事を。君達は末代まで栄華が枯れる事なく、栄光のうちに生涯を閉じられる。このキシベが約束しよう」

 

「まだ死にたくないですがね」というヤマキの皮肉にどっと笑いが起きる。キシベも笑いながら、「もちろんだ」と答えた。

 

「君達の命、どれ一つを取ってしてもそれは千金に値する。私は慎重を期す事にしよう」

 

「頼みますよ、キシベさん」

 

 ヤマキの声にキシベは、「了解したよ」と肩に手を置いた。それだけで信頼関係が築けているのが分かった。

 

「ゲンジ君。先ほどの戦闘から学ぶとしよう。あのオノンド、何故あれほどの力を発揮したのだろうか?」

 

 キシベの問いかけにゲンジは顎に手を添えて逡巡の間を置いてから、「あれは」と口火を切った。

 

「恐らく制御が不完全」

 

 その言葉にヤマキが一瞬だけ肩越しの一瞥を向けたがすぐに作業に没頭した。

 

「制御が不完全、とは」

 

「そうだな。決壊寸前の関係を辛うじて留めているような、その危うさが逆にお互いのパワーを引き出している。あれは理想的とも言えるが同時に綱渡りだ」

 

「面白い考察だな。座って話を拝聴したい」

 

 キシベの冗談めかした声に、「俺は真剣だ」とゲンジが返すと、「分かっているよ」とキシベは応じた。

 

「だからこそ、君の生の感想が欲しいんだ。オーキド・ユキナリ。彼は事前の情報よりどれほど成長していたか」

 

「俺が渡したポイントの数が、その差分だ」

 

 キシベへとポケギアを翳す。残りポイント数をキシベが確認し、「なるほど」と口角を吊り上げた。

 

「見込みあり、だな。君がそれほどまでに他人を評価するのは珍しい。あのドラゴン使い、イブキ殿にだって、君は低い評価を下していたじゃないか」

 

「あれは血筋の意地がある。それの虚勢があるだけだ。オーキド・ユキナリとの実力差だって今に縮まる」

 

 むしろ実力は拮抗しているとゲンジは感じていた。イブキが持ち帰ったユキナリとの戦闘データを元に自分との戦力差が分析されたがその時点でイブキとユキナリはどちらが勝ってもおかしくはない。

 

「……いや、今日のオーキド・ユキナリならば難なく勝つだろう」

 

 呟いたゲンジの声に、「そのこころは?」とキシベが尋ねる。

 

「勘だよ。おかしいかな、俺がそんな事を言うのも」

 

「いや。トレーナーにとって勘は重要なファクターだ。第六感でも何でも、心のうちから生じるものは全て、ね」

 

 キシベは興味深そうに目を細める。恐らく、元来は研究者の性が合っているのだろうとゲンジは感じ取る。

 

「俺には……、いや、ここでこの話はよそう」

 

 飲み込んだ言葉にキシベは、「気になるじゃないか?」と微笑んだ。

 

「何か懸念事項があるのか?」

 

「いや。何でもない。とにかくオーキド・ユキナリの強さの秘密にはその綱渡りがあると感じる」

 

 ゲンジの結論にキシベは、「ふむ」と納得してから顎を撫でつつ、「物語は嗜むか?」と訊いてきた。一瞬、その意味が分からなかった。

 

「何だって? 物語……」

 

「私は仕事柄色んな地方に旅立つ事が多くってね。ガリバー旅行記、という話をしよう」

 

「ガリバー……?」

 

 それが今何の関係があるのか。察する前にキシベは話し始めた。

 

「ガリバーという一人の探検家がいてね。彼はある時、唐突に違う世界に迷い込んだ。その世界では自分以外は皆小さく、小人達が繁栄する国だった」

 

「キシベさん、それ好きですね」

 

 ヤマキが口にするところを見るとキシベは頻繁にこの話をしているのだろう。「そう言わないでくれよ」とキシベは笑った。

 

「俺は、そういう文芸には疎くって」

 

「ああ、いい。そう構えなくっても。雑談だ。ちょっと聞いていくくらいの気分でいい」

 

「はぁ」と生返事を寄越してゲンジは聞く姿勢に入った。キシベは、「ガリバーはどうして小人達の国に入ったのか」と中空を眺める。

 

「それは些事だ。問題なのは、小人達がガリバーを制御出来ない力の象徴として縄で拘束するシーンが挿絵つきで描かれているのだが、私はそれが印象深くってね。制御出来ない力。それを意地でも制御の内にしようという小人の賢しさ。しかしガリバーは小人を虐殺しようとしたり、あるいは力を誇示したりする事はない。むしろ消極的だ。積極的なのは彼らの問題をきちんと理解し、その上で外交じみた交渉に出ようとする」

 

 ゲンジの反応を見ながらキシベは口にする。

 

「意外かな?」

 

「ああ。俺ならば殺している」

 

 その言葉にキシベが思わずという失笑を漏らした。

 

「小人達にだって政治はあるし、世界はある。だからガリバーはそれを壊そうとは思わない。とても良心的な存在だ。しかし、小人達からしてみれば既にあるものが壊されている。それは何だと思う?」

 

 謎かけにゲンジは、「何って」と声を漏らす。「考えてみてくれ」とキシベが問いかける。

 

「君の解答が知りたい」

 

 ゲンジは熟考の末、「良心か」と口にした。キシベが頷き、「それもまた一つの答え」と応ずる。

 

「だが、私にとってそれは価値観だと考えている。小人達は自分達だけで世界が完結しているという価値観を崩されたのだ。この世界は、泡沫のように浮き上がった数個の世界のうちの一つではないと誰が言い切れる」

 

「しかし、同時にこの世界だけではないという証明も出来ない」

 

 ヤマキが口を差し挟んだ。

 

「割と聞き飽きました」

 

 率直な意見にキシベは笑い声を上げる。

 

「そう言うなよ。私にとってこれはこの世界を考えるに当たって面白い分析なんだ」

 

「分析……」

 

 ゲンジの声に、「そうだとも」とキシベは目を向けた。

 

「誰が巨人ガリバーなのか。誰が小人なのか。それは誰にも分からないし、誰にも言い当てられないんじゃないかな」

 

「ガリバーがオーキド・ユキナリだとでも?」

 

「そこまで飛躍した理論じゃないよ」

 

 言いつつもキシベの口調にはそれを期待する響きがあった。

 

「俺達の住む世界が小人の世界じゃないとは言い切れない、という話か」

 

 結んだゲンジに、「まぁ、そういう事さ」とキシベは答えてオペレーションルームを後にしようとする。

 

「ついてきたまえ」

 

 その声にゲンジは廊下に出た。歩きながら、「先ほど言いかけたのは、オーキド・ユキナリに拘泥している事への危機感かな」と声を漏らす。見透かされていた胸中にゲンジは、「まぁな」と返した。

 

「あんたはこだわり過ぎた。オーキド・ユキナリという一人のトレーナーにどれほどの価値がある? 少なくとも、これほどの人員を必要とするものだとは思えない」

 

「君は、私が見当違いの方向に進んでいるように感じられるのかな」

 

「違うのならばその証拠を見せてくれ」

 

「証拠、ねぇ」

 

 キシベは立ち止まりゲンジを指差した。うろたえたように、「何だ?」と怪訝そうな目を向ける。

 

「君達がその証拠だよ、ゲンジ君」

 

 思わぬ言葉に、「俺達、だと……」と狼狽した。

 

「どういう意味だ」

 

「君は、今日オーキド・ユキナリと戦った事に価値を見出したのではないかね? それこそ、戦ってよかった、いや生きていたよかったと思えるほどに」

 

 沈黙を是としていると、「私も、彼を一目見た時にそう感じた」とキシベは口にした。

 

「彼こそが、私に相応しいと。この混迷の時代、玉座につくのは彼のような人間だ。そして、私、キシベ・サトシはその全ての理由にして絶対的価値観となる。先ほどガリバーの話を引き合いに出したが、オーキド・ユキナリにとって私の存在は小人という世界の象徴であり、同時にガリバーになり得るのだ」

 

 キシベの言葉に、「傲慢だぞ」と思わず語気が荒くなった。

 

「一人の人間の価値観の全てなどと」

 

「だが、君とて彼に勝者の頂へと登って欲しいと感じている。違うかね? その資格が彼にはあるのだ。戦って理解したはず。オーキド・ユキナリこそが器だと」

 

 器。その言葉にゲンジは保留にしていた一事を引き合いに出す。このままではキシベのペースに呑まれそうだった。

 

「……俺には誰が玉座につこうと関係がない。それよりもキシベ、あんた契約は――」

 

「分かっているさ。私は政府筋にもそれなりに顔が利く。君をホウエン地方の国防に充てよう」

 

 それこそが自分とキシベの契約だった。ホウエンの専守防衛を覆し、集団的自衛権の行使を可能にする。それを十年以内に果たし、自分はその矢面たる国防の任に就く。

 

 危険だが決めていた事だ。ホウエンを、故郷を守るには最善の策であると。自分とタツベイを育んだ土地をカントーなどに陵辱されて堪るか。

 

「しかし、皮肉だな。カントーの支配を望まぬゆえに君はこのポケモンリーグに参加せねばならなかった。経歴を洗えば君の足がつくぞ」

 

「もちろん、それを消せるだけの手段はあるのだろう?」

 

 心得た声にキシベは、「末恐ろしい若者だよ」と評した。

 

「どこまでも私を利用するか。いいさ、私も君を利用している。お互い様だ」

 

 話を終わらせようとするキシベへと、「待て」と声をかけた。キシベは立ち止まり、「何かね?」と首を傾げる。

 

「お前らが擁立しているトレーナーと手合わせ願いたい」

 

 キシベは少し考える仕儀差をした後、「どうして急に?」と当然の疑問を発した。

 

「お前らがあれほどまでに厳重に守っているトレーナーだ。さぞかし、強いのだろう?」

 

 ゲンジの言葉にキシベはフッと口元に笑みを浮かべる。

 

「やれやれ、君達トレーナーという人種はみんながそうなのか? イブキ殿も似たような事を言われていたよ。手合わせ願いたいという生易しい言い方ではなかったがね」

 

「強いのならば戦いたい。当然ではないのか?」

 

「まぁ、分からない話でもない。私も昔トレーナーだった。その気持ちの節々は感じられるよ」

 

「お前が、トレーナー?」

 

 にわかには信じられない話だが嘘を言う意味もない。キシベは、「相棒はピカチュウだった」と続けた。

 

「似合わないな」

 

「私もそう思うよ。今となってはね。ただ一夏の間だけ、私は様々なトレーナーやポケモンと出会い、旅をした。その結果、私が得たものを全て注ぎ込んだのが、このシルフカンパニーの地位だ。私はあるべくしてここにいる。それは誰に強制されたわけでもない」

 

「そのシルフの地位とやらも何のためだ。どうして、お前はあのトレーナーを擁立する? 普通ならば、企業が出資するトレーナーなど出場禁止処分を受けてもおかしくはない」

 

 それどころかそのトレーナーには旅の必要性すらないのだという。ますます気に入らなかった。

 

「確かに、君の言う通り、同じトレーナーならば虫の居所が悪くなるのも頷ける。だが、彼でなくてはならなかったのだ」

 

「それは、オーキド・ユキナリでなくてはならないのと同じ理屈か?」

 

 キシベは答えない。その沈黙こそが全てを物語っていた。ゲンジは眉根を寄せて、「余計に気になるものだ」と口にする。

 

「シルフカンパニーの虎の子、サカキとかいうトレーナーは」

 

 優勝候補の一角として上がっていたので誰でも名前くらいは知っているだろうが、メディアへの露出は少なく、他の優勝候補に比べれば主立った活動履歴はない。しかし、シルフカンパニーの全面協力を受け、この大会そのものの脅威と位置づけられればその注目度は高いと思われるがシルフカンパニーの情報操作により徹底して彼の行動は追及されていない。それほどのトレーナーならばその強さを確かめたいと思うのは当然だろう。

 

「実際、どれほどなんだ?」

 

 ゲンジの質問に、「トレーナーの強さを言い表すのは難しいが」とキシベは前置きしてから足元を指差した。

 

「このヤマブキシティ、そのバッジ所有者に相当する」

 

 ゲンジが怪訝そうに眉をひそめていると、「君にも分かるさ」とキシベは話を切り上げた。

 

「確か、このヤマブキシティのジムリーダーは」

 

「ああ、格闘タイプ使いの女性だ」

 

 ジムリーダーの手持ち、及び素性に関してはかん口令が敷かれており、大会主催者においてもそう簡単に入手する事は出来ない。

 

「会わせてももらえないのか?」

 

「そんなにサカキ少年が気になるかね?」

 

「オーキド・ユキナリと共に、お前の計画とやらの要なのだろう? 知っておいてもバチは当たらないと思うが」

 

「確かな事を一つだけ言っておこう」

 

 キシベは指を立てて言い放つ。

 

「君では彼に勝てない。恐らく、彼に勝てるのはこの世でも限られた存在だけだろう」

 

 キシベの言い分では相当強いようだがそれほどまでに言わせる実力ならばもっと注目度があって然るべきはずである。だというのに、優勝候補のシロナやアデク、それにツワブキ・ダイゴに比べ、あまりにも印象が薄い。これは意図的なものに違いなかった。

 

「何のために、シルフカンパニー、いやロケット団はサカキを守っている? そのサカキとやらも顔写真は見たが、本当にこのポケモンリーグに出場しているのか?」

 

「存在すら疑わしいかね?」

 

 キシベの言葉にゲンジは、「一応、王を決める戦いだ」と答える。

 

「もし、玉座につくのならば顔も見せない王など誰が信用出来る? いくらシルフのお膳立てがあったとしても彼自身にそのような実力がなければ意味がないはずだ」

 

 キシベは少し思案するように顎に手を添えた後、「君の言う事はもっともだが」と抗弁を発した。

 

「既存の価値観では彼を推し量る事など出来ない。ちょうどガリバーが価値観を破壊したように、彼の存在もまた価値観の破壊に繋がる」

 

「それほどまでの実力者ならば手合わせの一つくらい何てことはないだろう、という話だ」

 

 引き下がらないと見たのか、キシベは、「いいだろう」と首肯した。

 

「サカキ少年と君との戦いの場を用意する」

 

 キシベはポケギアに声を吹き込み、「サカキ君」と呼びかけた。

 

「これからゲンジ君と勝負してもらう。出来るか?」

 

『いつでも』という声が返された。キシベは通信を切り、「どうやら彼はやってもいいと考えているらしい」とゲンジへと視線をやった。

 

「幸運だよ。オーキド・ユキナリと戦ったその日のうちに、もう一人の計画の要とまみえるのだから」

 

 



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第六十三話「サカキ」

 

 キシベに連れられて訪れたのは広大なスペースが取られた直方体のバトルフィールドだった。無機質で滅菌されたような白い天井と床が淡く光っている。キシベはゲンジだけ入るように促した。どうやら彼は別の場所から自分達の戦いを見守るらしい。ゲンジの視線の先には黒い椅子に座った少年の姿があった。頭部には何かを計測するための機械が取り付けられており、実験動物のように少年は黙したままゴーグルに表示される数値を見つめているようだった。ゴーグルの側部が点滅し、通信を繋げる。

 

『サカキ君。彼がゲンジ君だ』

 

「ホウエンのドラゴンタイプ使いか」

 

 少年の声音は思っていたよりも冷静だった。椅子から立ち上がると、彼は機械を外し始めた。

 

「シミュレーションばかりで退屈していたところだ」

 

 少年の眼には冷徹な光がある。しかし、同時に闘志も見え隠れした。この少年はただ黙ってモルモットのように扱われているだけではない。このシルフカンパニー、ひいてはロケット団を操ろうという心積もりがある。

 

「お前が、サカキか」

 

 ゲンジの言葉に、「ナンセンスだ」とサカキは肩を竦めた。

 

「分かっている事象を確認するなど。この場で聞くべき事はただ一つ。お前は自分よりも強いのか、だろう?」

 

 挑発的なサカキの言葉にゲンジははめ殺しのマジックミラーを見やった。あの場所からキシベは高みの見物だろう。もしかしたら自分もキシベに取ってしてみれば実験動物の一体なのかもしれない。

 

 しかし、それでも意地はある。実験動物ならばそれなりに経験を積ませてもらう。

 

「悪いが負ける気はない。俺が勝つ」

 

 ゲンジがホルスターからモンスターボールを抜き放つのを視界に入れ、サカキは、「回復は」と訊いた。

 

「もちろん施してある。優勝候補相手に手加減は出来ないからな」

 

「結構」

 

 サカキはホルスターから自分のモンスターボールを手にした。シルフカンパニーが製造している新型モンスターボールだった。

 

「負ける気はない、と言ったな?」

 

 その声に、「それがどうかしたか?」とゲンジは尋ねる。サカキは鉄面皮を崩さずにボールを放り投げる。

 

「俺も同じだ」

 

 その言葉とボールが割れて中からポケモンが姿を現すのは同時だった。出現したのは水色の表皮を持ったポケモンであった。刺々しい背びれが並んでおり、それでいて柔和な雰囲気をかもし出すポケモンは柔と剛を併せ持つと呼ぶに相応しい。大きめの耳がついており、額からは角が生えていた。

 

「ニドクイン。俺のポケモンだ」

 

 ニドクインと呼ばれたポケモンが咆哮する。ゲンジは帽子の鍔を押さえ、「なかなかに育てられているようだが」と口にした。

 

「それでも俺には敵うまい。ゆけ、タツベイ」

 

 ゲンジはタツベイを繰り出すとすぐさま命じた。

 

「進化、コモルー」

 

 タツベイの頭部から甲殻が伸びて全身を覆おうとする。しかし、ニドクインが動いたのはそれよりも速かった。タツベイの全身が甲殻に守られる前にその鳩尾へとニドクインの拳が入る。

 

 ゲンジは瞠目していた。何故ならば、ニドクインには命令が行き届いた形跡がなかったらからである。

 

「命令もなしに……」

 

 進化途中のタツベイが吹き飛びフィールドを転がる。「おい、嘗めているのか」とサカキが睨んだ。

 

「悠長に戦闘中に進化させるなど。馬鹿のやる事だ」

 

 ニドクインは起き上がろうとするタツベイへと腕をすっと掲げる。三つの爪先から水色の光が放射され、一条の光線と化した。「れいとうビーム」だと判じたゲンジはすぐさまタツベイへと命令する。

 

「タツベイ! 進化の時に使う甲殻を盾にして防げ!」

 

 タツベイは進化途中であったが甲殻をあえて身体から外し、それを盾として使った。瞬く間に凍結した甲殻がひび割れ、地面に落下して粉砕する。

 

「次は右方向、三時の方角」

 

 サカキの言葉にニドクインは従い、その場所へと的確に冷凍ビームを放つ。進化しようとしていたタツベイは身体の半分が凍らされていた。ドラゴンタイプに氷は効果抜群だ。

 

「跳躍してその間にコモルーへと進化!」

 

 タツベイが跳び上がり、空中で甲殻を身に纏おうとする。しかし、その軌道を予知したようにニドクインは冷凍ビームを発射した。空中でタツベイが狙い撃ちにされる。

 

「……どうして。まるで次の行動が予見されているみたいに」

 

 ハッとしてサカキを見やる。サカキは何も特別な指示を出していない。ただ攻撃すべき場所へと目を向けているだけだ。

 

「分かるって言うのか……」

 

 まさか。ありえない。

 

 ゲンジは怯みそうな心を勇ませてタツベイへと目を向けた。タツベイは奇跡的にコモルーへと進化を遂げたようだ。あとはボーマンダになればこちらのものである。

 

「コモルーの中で細胞を変化させるのには数分かかる。その間凌ぐんだ! ドラゴンクロー!」

 

 コモルーが駆け出し、甲殻の隙間から水色の手が伸びる。瞬く間に「ドラゴンクロー」の爪先が拡張され、ニドクインを襲うがニドクインは両腕を広げて吼えると地面が揺れた。足裏から放出された茶色い波紋がフィールドを揺らしている。

 

「大地の力か!」

 

 コモルーが体勢を崩した隙を突き、ニドクインが冷凍ビームを一射する。動きの鈍いコモルーでは避けきれない。コモルーは甲殻の一部を凍結させられた。

 

「甲殻を捨てろ! すぐに再生させてドラゴンクローを当てるんだ!」

 

 コモルーが甲殻を捨て去り、ニドクインへと肉迫する。しかし、ニドクインもサカキも焦る事は全くなかった。

 

「ニドクイン、さばいてやれ」

 

 応じたニドクインがコモルーの「ドラゴンクロー」を咆哮だけで蹴散らした。霧散した隙を狙い、ニドクインの拳が甲殻の隙間を打ち据える。ゲンジは舌打ちを漏らした。このままではボーマンダに進化する前にやられてしまう。

 

「コモルー、一旦離脱! 火炎放射で距離を取れ」

 

 コモルーは陰になっている前面から火炎放射を使ってニドクインから逃れようとするが、ニドクインは炎など恐れていなかった。火炎を引き裂き、ニドクインの手がコモルーへと伸びる。コモルーを下段から殴りつけ、距離を取るのを許さなかった。圧し掛かり、拳で滅多打ちにする。甲殻が剥がれ、まだ細胞の変化の途上である内部が露になる。

 

「……こうなってしまっては仕方がない。ボーマンダ!」

 

 ボーマンダはまだ不完全であったが赤い翼を広げてニドクインへと飛びかかった。翼で羽ばたき、赤い光弾を撃ち出す。ユキナリ戦で使った「ドラゴンクロー」の応用であった。一瞬にして囲い込んだ光弾に、しかしニドクインは怯まない。光弾を掴むと、なんと握り潰してしまった。これにはさすがのゲンジも目を見開く。

 

「馬鹿な、ドラゴンクローと同威力の攻撃だぞ……」

 

 それに千の刃が掌を襲ったはずである。だが、ニドクインの手は健在だった。ボーマンダの前足を掴んで引き寄せようとする。ゲンジは最終手段に出た。

 

「逆鱗だ! 触れればダメージを負う!」

 

 ボーマンダの内部骨格が赤く輝き、逆鱗状態へと移行する。逆鱗状態では全身が武器だ。さしものニドクインといえど、触れるだけでも凶器と化するポケモンに対しては無力だろう。

 

 しかし、それが驕りであった事をゲンジは思い知った。ニドクインはボーマンダの首根っこを引っ掴んだかと思うとゼロ距離で冷凍ビームを撃った。逆鱗の光が薄らぐ。一発ではない。何度も、何度も、同じ箇所へと撃ち込まれる。精密射撃はそのうちにボーマンダの余力を削いでゆき、逆鱗状態の維持が難しくなる。そうでなくとも不完全な進化だ。これ以上は持たない、と判断したゲンジは声を張り上げた。

 

「火炎放射! こっちもゼロ距離だ!」

 

 ボーマンダが喉の奥を赤く輝かせ、今に火炎放射の紅蓮が包むかに思われたが、あろう事かニドクインは開かれた口腔へと迷わずに手を突っ込んだ。

 

「ゼロ距離は、こっちのほうだな」

 

 口腔内部で冷凍ビームが放たれ、ボーマンダの顔面から冷気が噴き出した。ゲンジは思わずモンスターボールに戻す。これ以上の戦闘継続は不可能だと判じたからだ。

 

「賢明だな。退き際を理解している。だが、真に賢ければ俺に立ち向かうべきですらなかった」

 

 ゲンジはモンスターボールを握り締めながら肩で息をする。全く敵わなかった。その事実に歯噛みする。ニドクインを観察すると胸の中心に紫色の宝玉が埋め込まれていた。

 

「命の珠……。追加効果を発揮しない代わりに攻撃力を底上げする道具か」

 

 だがそれだけでは説明出来ない事象もある。どうしてニドクインとサカキは、自分達の行動の先読みのような真似が可能だったのか。

 

「俺がどうして、お前のような雑魚と戦おうと思ったと考えているな。なに、ただ暇潰しをしたいだけだ。それ以外の何者でもない。未来の事象とばかり戦っていても退屈なのでな」

 

「未来の事象……?」

 

 理解出来ない単語に首を傾げると、「おっと、これ以上は機密だったか」とサカキはマジックミラーの向こう側へと視線をやった。

 

「戻れ、ニドクイン」

 

 ニドクインを戻し、サカキは、「これでいいんだろう?」と声を出した。恐らくはキシベに向けたものだったのだろう。間もなく扉が開き、キシベが現れた。

 

「ああ、充分だよ。やはり君は素晴らしい逸材だ」

 

「俺にくれてやる賛美など必要ないと考えているはずだ。どうせ解っているのだからな」

 

 何を、とゲンジが質問する前にキシベが制した。

 

「これ以上の追及は無駄だと理解したはずだが」

 

 暗にロケット団には底知れぬ闇があると言われているようなものだった。その闇に踏み込むには自分では力不足なのだと。

 

「大人しくホウエンの四天王の座に甘んじているのが関の山だ」

 

 サカキの言葉に反発しようとするとキシベが、「それ以上は言ってやるな」とサカキをいさめた。

 

「もう戦力差は誰の目にも明らかだろう」

 

 サカキは鼻を鳴らし、再び椅子へと座った。キシベに連れられ、ゲンジは部屋を出て行く事になった。

 

「これで、理解出来たかな?」

 

 サカキというトレーナーを擁立する意味。それは充分に身に沁みた。もう立ち向かう気力など残ってはいなかった。

 

「あれでもまだ実力の半分ほどしか出していない。気づいていたかどうかは分からないが、ニドクインに彼は二つの技の指示しか出していなかった」

 

 冷凍ビームと大地の力だろう。その二つだけで自分の自慢であったポケモンは再起不能寸前まで追い詰められた。

 

「……これが、玉座に上る人間の力か」

 

「分かってもらえて助かるよ。なに、君だけが珍しいわけじゃない。サカキ君の力については懐疑的な人間のほうが多いんだ。納得させるのには実際にバトルさせれば早いんだが、彼の性質上、相手を殺してしまいかねないのでね」

 

 それは肌に感じられた。サカキのあれはポケモンバトルという生易しいものではない。殺し合いに近かった。

 

「何者なんだ……?」

 

 余計に深まった疑念に、「追及はお勧めしない」とキシベは返す。

 

「君の命のためにもね。今日はここまでにしよう。タツベイはきちんと回復させておくから渡しなさい」

 

 ゲンジはキシベにモンスターボールを手渡す。別れてから、ある事に気づいて立ち止まった。

 

「四天王とは何だ? 今のホウエンにそのような役職はない……。俺が約束したのは国防の矢面だ。一体、何の事を言っていたんだ?」

 

 それを確かめるためにもう一度サカキの下へと行こうとは思わなかった。

 



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第六十四話「天才」

 

「グレンタウン支部へと連絡を取ります」

 

 ヤマキの声にキシベはモニターに映し出された男へと挨拶をした。

 

「ごきげんよう、フジ博士。そちらの進捗情報はどうか?」

 

『足りないな。ボクの理論が正しければカントーには149体以上のポケモンのDNA情報はないはずなんだが……』

 

 そうぼやいたのは青年だった。白衣を身に纏い、後頭部を掻いている。神経質そうに首元までボタンを留めていた。

 

「何分、こちらも情報不足でね。そっちに迷惑をかけていないかとヒヤヒヤしているものだが」

 

『迷惑なんて、そんな。ボクは自分の研究が出来るだけ満足さ。ただし、情報不足はお互い様だけどね』

 

 フジ博士と呼ばれた青年はパソコンを引き寄せ、『もっと情報を早くに相互通信出来るようになれば、はかどるかもね』と告げた。

 

「既に手は打ってあるよ。マサキ、を知っているかな?」

 

『ソネザキ・マサキか。まさかあれの身柄を確保したって言うのか?』

 

「つい二日前さ。マサキは我々に協力的でね。いずれはDNAデータをポケモン付きで送れるようになるだろう」

 

『頼むよ。今のままじゃ研究の進みが遅くって仕方がないんだ。人工ポケモンの完成だってもう少し納期を待ってもらわないと』

 

「プロジェクトPの進行状況は芳しくないか」

 

『あれを作るのだってPC上で複雑な記号と睨み合いっこさ。見るかい? 今、がわが出来たから見せられるくらいにはなった』

 

 キシベが、「頼む」と言うと、フジ博士はあるデータを添付してきた。「開きます」とヤマキが解凍する。モニターに出されたのは角ばった鳥を思わせる外観の物体であった。それは人工ポケモン計画、通称「プロジェクトP」の成果だ。

 

「ポリゴン、完成したのか」

 

『いや、完成したって言ってもこれは筐体内部でオペレーションしてやらなきゃ動かないよ。つまるところ、現実のポケモンじゃないって事』

 

「未だ机上の空論かね?」

 

 キシベの質問に、『そうでもない』とフジ博士は答える。

 

『DNAサンプルが充分に集まれば、もう一段階上にある人工生命体の研究に着手する事が出来る。実はもう始めているんだが、彼は暴走気味でね』

 

「カツラ博士か」

 

『ジムリーダーとの兼任は厳しいそうだ』

 

 フジ博士が肩を竦める。キシベは、「今は……」と尋ねた。

 

『いないよ。夜は自分のポケモンの調整に忙しいらしい。そのポケモンとやらも、セキエイ付近の洞窟でようやく手に入れた代物だからね。出来れば誰にも見せたくないらしい』

 

「だが、我々の力の誇示には必要なのだ」

 

 キシベの声にフジ博士は鼻で笑った。

 

『君の力の誇示には、だろ? 我々という大義名分を使ってはいるが、結局のところ君の利権欲しさだ。ポリゴンも、DNAを集めて回っているのも、ご自慢のサカキ少年も、全てそのためだろう?』

 

「フジ博士、それ以上キシベさんを侮辱すると……」

 

 ヤマキの声にフジ博士は、『何だ、また駒が喧しいね』とぼやいた。「駒、だと……」とヤマキが絶句する。

 

『そうじゃないか。キシベの言う通りに動く駒だ。君達はキシベに死ねと言われたら死ぬんだろう?』

 

「俺の侮辱はいい。それよりも、その発言はロケット団そのものへの反逆行為と見なすぞ、フジ博士」

 

『君程度の三下がボクを裁ける? 不可能だね』

 

 売り言葉に買い言葉に応酬にヤマキが歯噛みする。キシベはヤマキの肩に手を置き、「フジ博士、私は部下を信頼しているんだ」と返した。

 

「あまり言葉が過ぎると、君の研究も立ち行かなくなるぞ」

 

『ああ、分かっているよ。今のは言い過ぎた』

 

 全く反省していない声音にヤマキが口を挟もうとしたが、その前にキシベは問うた。

 

「君の中で、ミュウジュニア計画はどこまで進んでいる?」

 

 ミュウジュニア。その言葉は一握りの人間しか知らない。フジ博士は、『その事だが名前を変更した』と煙草に火をつけた。「禁煙じゃないのか?」とキシベが尋ねると、『固い事は言いっこなしだよ』とフジ博士が返す。

 

『ミュウジュニアってのはボクの計画に相応しくない。一週間前から、計画名を変更している』

 

「初耳だな」

 

『言ってなかったっけ? まぁいいだろう。生まれるものは同じだ』

 

「して、その名は?」

 

 キシベの問いかけにフジ博士は煙い吐息を漏らしてから口にした。

 

『ミュウツー』

 

 その名前をキシベも咀嚼するように呟く。

 

「……ミュウツー」

 

『計画名をミュウジュニア計画からミュウツー計画へと移行する』

 

「どうしてジュニアという名前を排した?」

 

『厳密に言えばあれはジュニアではない。ミュウの遺伝子と、他のポケモンの遺伝子を掛け合わせたクローン、いやコピーというのが正しいか』

 

 フジ博士は禁断の研究について語っているのに冷静だ。キシベもまた自分の中が意外にも冷静に保たれている事に気づいた。

 

「コピーか。新しいな」

 

『そうでもない。ポケモンって言うのはコピー可能な生物なんだ。データ生命体という側面を取り出せばね』

 

「だが、それに着手する人間はいなかった」

 

『当然。神の領域だよ』

 

 何て事のないようにフジ博士は告げる。その段階に自分達は触れているというのに。

 

「机上の空論ではなさそうだね」

 

『まぁね。少しだけだが培養には成功しているんだ』

 

「残り百日前後で完成するか?」

 

『君の目的は分かっているよ。このミュウツーを使ってサカキというトレーナーに玉座を掴ませるつもりだろう』

 

 キシベは答えない。しかし、それは単に是という意味の沈黙ではなかった。

 

「どうかな」

 

『こいつが実用化されれば、確かに最強だろうね。でも、無理だよ。致命的な欠陥がある』

 

「何だ?」

 

『操れるトレーナーがいない。こいつは完成したとしても野生、いや、人間の常識を学習させている分、野生より性質が悪い。こいつは第二の人類だよ。人間が人間を操って戦えるか?』

 

 フジ博士の疑問にキシベは難なく答えた。

 

「それは有史以前から人間が繰り返している。戦争という形でね」

 

 その言葉にフジ博士が哄笑を上げる。

 

『傑作だね。キシベ、君はまさに鬼の子だよ』

 

「褒め言葉と受け取っていいのかな」

 

 フジ博士は灰皿に煙草を押し付け、『じゃあこいつは戦争の道具か』と呟いた。

 

『嫌だなぁ。せっかく造ったのに壊されるために使われるんじゃ』

 

「フジ博士、君は遺伝子研究やポケモン研究の権威だ」

 

『うん? 何を今さら』

 

「だが、君ですら分からない領域というものは存在する。サカキ君が好例だろう」

 

 その例えにフジ博士は黙りこくった。キシベは続ける。

 

「サカキ君が何なのか、君ですら証明出来ていないじゃないか」

 

『……止めようよ、その話。イライラしてくるんだ。自分に分からない話をされると』

 

 フジ博士の言葉にキシベは素直にその話を打ち切った。

 

「ミュウツー計画、期待していいのかな」

 

『任せてくれれば悪いようにはしない。それよりもカツラの事だ』

 

「どうかしたかね?」

 

『どうにもボクの研究をいいようには思っていないらしい』

 

 フジ博士のぼやきにキシベは、「その意味は?」と問い質す。

 

『あいつは裏切るよ。その可能性が高い。あの伝説の一つを手に入れたんだ。それも視野に入れなくっちゃね』

 

「ロケット団を裏切ってどこに行く?」

 

『それはボクよりも君のほうが詳しいだろ? このポケモンリーグ、暗躍しているのは何も我々だけじゃない』

 

 フジ博士の言葉の意図を恐らくこの場ではキシベしか理解出来ないだろう。オペレーションルームの人々はそこまで深い情報を知らされていない。

 

「フジ博士。後で直通回線にてそれは話そう。伝説の鳥ポケモンの一体、ファイヤーを手にしてカツラ博士は変わってしまったのか?」

 

『変わっていないよ。元々そうなのさ。正義感、とでも言うのかな。自分の研究に対する負い目を感じてきている。ボクがミュウツーやポリゴンを造り始めてから余計に顕著だ。タマムシ大学の同門で学んだというのに、ボクとしちゃ寂しいね』

 

「だがファイヤーを持ち出されればロケット団にとっては極めて重大な損失だ」

 

「あれを捕まえるために色々したもんね。お上に気づかれなかっただけ儲けものか。だけれど、何かが見張っている。そんな気がしてならない」

 

 フジ博士の懸念は恐らく正しいのだろう。この場所では言えないが裏で動いている組織も複数確認されている。フジ博士は本能的にそれを察知しているのだ。

 

「三鳥の一角であるファイヤー。その力は他の炎タイプから群を抜いていると聞く。実際、どうだった? 伝説を目にした感想は」

 

『言葉にするのも野暮ってもんだよ』

 

 フジ博士はそう言ってから、『あれは魔性だ』と呟いた。

 

「魔性……」

 

『カントーに伝説、神話の類がない事は、君も知っているところだろうが、あれは伝説や神話を必要としない力の象徴だよ。それそのものが絶対的な力の誇示。古代の人々はとても恐れただろうね。でも伝説も神話も作らなかった。何故か』

 

「答えは出ているのかい?」

 

『キシベ。ボクは考古学者じゃない。だから専門ではないが、タマムシ大学で少しは齧った事がある』

 

 つまりこれから先に話す事は憶測が入り乱れたものだ、という前置きだろう。科学者としては不確定情報を話したくないものなのかもしれない。

 

『カントーという土地だよ。その場所がもし、五分前に作られたものではないと誰が言い切れる?』

 

「世界五分前仮説か」

 

 有名な話だがそれをわざわざ持ち出す辺り、何か特殊な事情が立て込んでいるのだろう。

 

『ボクはね、このカントーってのは随分と怪しい地域だと思っている。土地の配置を取ってしてみてもまるで人工島だ。自然の厳しさというものをまるで感じさせない。辛うじて、まだ活火山のあるグレンタウンでは実感できるが本土となると平和なものだろう?』

 

「君が言いたいのは」

 

『カントーって言う場所そのものが、誰かによって人工的に作られた場所だとしたら。それも配置をうまい具合に散りばめて、一極集中にならないように気を配った結果だとしたら』

 

「馬鹿な」と声を上げたのはヤマキだ。

 

「そんな地域があるわけがない」

 

 ヤマキの抗弁にフジ博士は、『頭が固いね』とこめかみを指差した。

 

『あるわけがない、あるはずがない、その言葉こそ、虚飾に塗れたものはない。誰が、ない、と定義した。ない、という証明は、ある、という証明よりも難しいんだ。もっと柔軟に物事に対処したまえ』

 

「……だからと言って、カントーが人工的側面を持つ地域など」

 

 信じられるか、という声音にフジ博士は肩を竦めた。

 

『だから、ボクは考古学者じゃないんだ。専攻でない部分に対して、憶測で物を言っている。ボクの発言を百パーセント受け取る必要性はないし、受け流せよ。君は冗談も利かないのか?』

 

 ヤマキが通信ボタンへと手を伸ばした。『ああ、待って、切るなよ』とフジ博士が制する。

 

『ちょっと挑発的になり過ぎたな』

 

「図に乗り過ぎだよ、フジ博士」

 

『いやぁ、悪い悪い。キシベと話しているとね、意地悪になってしまう』

 

 どこまでが性根だか、とキシベは呆れてから本題に入った。

 

「ファイヤーは使えそうか?」

 

『カツラに懐いてしまっている。いや、あれは主君と認めた、と言うべきか。懐くとかいう次元じゃないね。まさしく魅せられたように、カツラはファイヤーの赴くままにするだろう』

 

「もしもの時には」

 

『洗脳かい? 悪いがそっちも専攻分野じゃないんだ。保障は出来かねる』

 

「もしもの時はだ。頼む」

 

『分かったよ。君も意地が悪いね。ファイヤーの管理を任せたのは君の権限だろう?』

 

「あくまでロケット団のために、だ。個人の裁量で動かしていい駒ではない」

 

『なるほどね。君はいつだって組織のためだな。感服するよ』

 

 フジ博士は二本目の煙草を取り出そうとした。大抵、二本目を出す時にはもう話す事がないサインだ。少なくとも彼はそうである。

 

「そろそろ切ろう。いいニュースを期待しているよ」

 

『ああ。じゃあね』

 

 フジ博士との通信が切れてからヤマキがぼやいた。

 

「あの人、気に入りませんよ」

 

「そう言うな。彼は研究者、我々は凡人だ。見ている世界が違うんだろう」

 

「キシベさんは凡人じゃないでしょう?」

 

 ヤマキの言葉にキシベは口角を吊り上げ、「どうかな?」と言ってのけた。ヤマキは、「キシベさんは他とは違う」と微笑む。

 

「求心力って言うのかな。そういうものを感じるんです」

 

「私に高望みするなよ。君達が求めるリーダーはきっと別にいるはずさ」

 

 キシベはそう言い置いてオペレーションルームを去った。廊下を歩きながらポケギアを起動させる。通話先は、秘匿回線を使っていた。

 

「私だ」

 

 



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第六十五話「女同士」

 

「……ええ。全ては順調よ。サンダーも手に入った。駒は揃いつつあるわね。分かっている。計画に遅延は許されない。きちんと監視を厳にするわ」

 

 ポケギアの通話を切ると、「誰に通話?」とカミツレが尋ねてきた。モデルでもある彼女はパジャマ一つを取ってしてみても気を遣っている。シロナは薄着を引っ掛けているだけの自分を少しだけ恥じた。

 

「何でも。上司との連絡よ」

 

「上司、って言うと、ハンサム警部?」

 

 カミツレにはまだ組織の全貌を話していない。辛うじてハンサムだけを知っている状態だ。というのも、彼女を組織に推薦するに当たり、直属の上司であるハンサムにだけは報せなくてはならなかったからである。

 

「まぁね。こういう中間管理職が一番精神を使うのよ」

 

「同感。私もモデルやっていたけれど、マネージャーが一番大変って感じだったわ。上は社長やオーナー、下は私達モデルって具合にね。管理職って一番重要で大変なのは身に沁みて分かっている」

 

「いい事じゃない。少なくとも部下がそう思ってくれるだけマシだわ」

 

「シロナさんは、そういう環境じゃないの?」

 

 カミツレの声に、「そうねぇ」と迷いの胸中を打ち明ける。

 

「正直、組織のやっている事が全て正しいとも思えない。だけれど、あたしには賭けるものがある。組織に属していれば近道である事は疑いようがないわ」

 

「それを、彼も了承しているのかしら?」

 

 カミツレの言う彼とはヤナギの事だろう。ヤナギは発電所の一件以来口を閉ざしている。自分が問いかけても有益な情報を得られるとは思えなかった。

 

「どうにも信用なれていないみたいでね」

 

「無理もないわ。シロナさんでさえ、彼があんなに激昂したところを見た事ないんでしょう?」

 

 発電所にて、オーキド・ユキナリと接触した際、ヤナギが怒りを露にした事を思い返す。今までの戦闘で少なくとも感情をあそこまで発露させた事はなかった。

 

「……一体、何がそうさせたのかしら」

 

「あの子、キクコとかいう女の子を見ていたわよね」

 

 シロナの脳裏に浮かんだのはユキナリに抱えられていた少女だ。後からトレーナーの照合を行おうとしたがヤナギがそれを先んじて制したのである。

 

「キクコに関しては何も調べるな、か。ヤナギ君にしちゃ珍しい言葉だったわよね。彼は、他人というものにはとても無関心だと思っていたのに」

 

 だから自分にも振り返ってくれないのだと少しばかり考えて諦めもついていたというのに。そう考えてシロナは頭を振る。大人の考える事ではなかったか。これではまるで乙女の思考だ。

 

「シロナさんの懸念も分かるわ。ヤナギ君、本当に氷みたいに冷たいものね。私、戦った時、ゼブライカの電磁浮遊が突き崩された時の事だけれど、正直ぞっとした。あんな殺気を纏える少年っているのね」

 

「イッシュにはいなかったの?」

 

 シロナの質問にカミツレは首を振った。

 

「あそこまで鋭利なものは。イッシュって、他地方と違ってより競技としてのポケモンバトルが色濃いから」

 

「だって言うのにカントーとは仮想敵国の関係なのよね」

 

「不思議よね」とカミツレは微笑んだ。

 

「私達は戦争を吹っかけたつもりは全くないんだけれど、どうしてだか国民感情がそういう風に流れた。まるで大きなうねりに押し流されるみたいに」

 

「きっかけは何だったんだっけ?」

 

「確か、カントーの沖でイッシュ地方の難破船が発見された事じゃなかったかしら? 領海侵犯と、明らかに船内で戦闘が行われた形跡があった事から、イッシュ側はカントー側の不手際と攻撃行為だと主張。正反対にカントー側は領海侵犯と侵略行為の予兆だと主張して意見が真っ向対立。いつの間にか、って感じね」

 

 きっかけを洗い出せば些細なものだ。しかしその些細な行き違いが決定的な断絶をもたらした。

 

「どうしてそのイッシュからジムリーダーを招いたのかしら?」

 

 当然の疑問にカミツレは、「必要な事象だと説明されたわ」と答える。

 

「必要な、事象……?」

 

 あまりに奇妙な言葉にシロナは眉をひそめる。

 

「何でも、カントーの古文書にそう載っているらしいの。オレンジバッジのジムリーダーはイッシュから招けって」

 

「何それ。初耳よ」

 

 その言葉に驚いたのはシロナだけではない。カミツレもまた、「常識じゃないの?」と尋ねていた。

 

「だって説明の時、カントーならば誰でも知っている、って言われたわよ」

 

 シロナは顎に手を添え推理を巡らせた。カミツレに説明した人物。それはポケモンリーグ理事会の人間ではないのか。

 

「カミツレさん、一つずつ紐解いていきましょう」

 

 シロナの言葉にカミツレは気後れ気味に頷いた。

 

「まず一つ、オレンジバッジをあなたは手渡しで受け取った」

 

「ええ。ポケモンリーグ理事会って言う人から」

 

「二つ、あなたはそのカントーの古文書に載っているって言われただけでついて来れたの?」

 

「そうね。イッシュもどうしてだかそれに関しては一切触れてこなかったわ。ただ、私がカントーのジムリーダーになる事は公式では言われていないから。あくまでカントーへの長期滞在って事になっている」

 

 伏せられているわけか。シロナはそれを了承してから、「三つ目は」と口にした。

 

「どうしてあなただったのか? 最初は確か軍隊のマチス少佐のはずなんだっけ?」

 

「ええ、そう。それが正しい道だと言われていた。でも今の国際情勢を鑑みてマチス少佐を仮想敵国であるカントーに送る事をイッシュが拒んだ。その代わりの電気タイプの使い手はいないか、という事で見出されたみたいなの」

 

「電気タイプの使い手」

 

 シロナはそこに着目した。

 

「どうして電気タイプではならなかったのか?」

 

 その疑問にカミツレは目を白黒させて、「それこそお上が知っているんじゃないの?」と訊いた。

 

「そういえばタイプ構成に関しては全く情報がないわね。あなた達の組織は掴んでいるの?」

 

「ええ、ある程度は。でも、分からないのはどうしてこのタイプ構成なのか、という事と、ジムバッジの効力」

 

 シロナは鞄からぐしゃぐしゃになった書類を取り出す。そこにはジムリーダーのタイプ構成とバッジ名、それに効力が書かれていた。

 

「言う事を聞くレベルを段階的に示したり、ある程度攻撃力が上がったり、ってバッジを持っただけでよ? それって奇妙じゃない?」

 

 カミツレはシロナの探ってくる眼差しに、「オレンジバッジには、細工はなかったと思う」と先んじて答えた。

 

「そういう、効果が上がるとかいう細工は」

 

「じゃあバッジそのものが持っている力だって言う事になるけれど……」

 

 シロナは腕を組んで考える。それこそナンセンスだ。ただのバッジが力を持つなど。その思考に至ってシロナは書類を睨み、前髪をかき上げた。

 

「……ねぇ、バッジって何で出来ていたのか知っている?」

 

 思わぬ質問だったのだろう。カミツレは完全に面食らっていた。

 

「何でって、どういう意味?」

 

「鉄だとか金だとか銀だとかあるでしょう? どんな材質だったのか、って言うのも含まれるけれど」

 

「材質って……」

 

 カミツレは突飛な質問に答えを彷徨わせる。シロナは、「もしかしたら、よ」と推論を述べた。

 

「材質こそが効力の鍵だったのかもしれない。進化の石、っていうものがあるわよね? それはある特定のポケモンを凝縮したエネルギーで進化させる。それと効果として似たものがバッジだとしたら? つまりバッジって言うのは特定の効力を持つ鉱石が使われていた」

 

 シロナの言葉にカミツレは、「そんな大層なものには見えなかったけれど」と疑問視している。

 

「私の見立てではあれは宝石ですらない。そう、ただの石よ。それも三級品レベルの石だった。カットも悪かったし、でこぼこしていてとてもではないけれどバッジと呼ぶには相応しくなかった」

 

「その石ころみたいなバッジに固定シンボルポイントとして与えられているポイントがある」

 

 シロナは顎に手を添え考え込む。どうして固定シンボルポイントが与えられたのかはカンザキ執行官が明らかにした。強いトレーナーを王に据えるため。つまり、目的地だけを見据えた旅では玉座にはつけないと暗に伝えるためだという。だが、本当にそれだけの理由か。

 

「バッジには何か細工が?」

 

「何にも。あえて言うとすれば翳すとポイントが表示される固定シンボル機能ぐらい? それだってちょっとしたチップを備え付けただけだし、私も何度か確認させられたけれど、そのチップってのも後付けで取り外そうと思えばいつでも出来そうだった」

 

「もちろん、取り外しは」

 

「無理よ。取り外した人間は問答無用で失格」

 

 たとえジムリーダーといえども、とカミツレは付け加える。シロナは、「分からないのはね、そこよ」と教鞭を振るうように指差す。

 

「そこって?」

 

「加工もまともにされていないバッジと呼ばれているだけの石ころをどうして集めるのがこのポケモンリーグの主軸にされているのか。あたしにはそれが分からない。宝石レベルの価値があるのならば別だけれど、ジムリーダーであったあなたの眼からしてみても、あれは石ころだったって事でしょう?」

 

「そうね。正直、こんなものを賭けて戦うのは馬鹿らしいと思えるレベルに」

 

 カミツレの言葉にはモデルとして一流のものを身につけていた自負もあるのだろう。どうしてあのような三流品に自分の価値を決め付けられなければならないのか、という声音だった。

 

「でも約束されていたのはポイントだけじゃない。ある一定のレベルまでならば言う事を聞かせられる、という特殊能力。あるいは攻撃を上げる、防御を上げる、というもの。これも問答無用に発動する。ポイントは後付けに過ぎない、ってさっき言ったわよね? もしかしたらバッジを集める事そのものに意味があるんじゃないかしら」

 

 シロナの推論にカミツレは、「バッジを集めると何が起こるっていうの?」と首を傾げる。

 

「それは、あたしにもさっぱり。でも、本来与えられているのはバッジを集めるという条件付けだとしたら? それに説得力を持たせるためのポイント制、人々が躍起になるための制度だとしたら?」

 

 先ほどから自分の言葉は憶測ばかりで信憑性も何もない。だがカミツレは否定する事なく、「そういう制度なのだとしたら」と返す。

 

「政府丸ごとが関わっている事になるけれど……」

 

 その可能性は薄いと考えているのだろう。しかし、彼らを知っている側のシロナからしてみればありえない話ではない。

 

 政府中枢を裏から動かしている彼ら。その全貌は依然として知れないが、このバッジでさえも彼らの仕組んだものだとすればポケモンリーグというものの裏事情が少しは見えてくる。

 

 ――ポケモンリーグは、バッジを集めるための口実?

 

 だが、と新たな疑問が湧き起こる。バッジを集める事こそが目的ならば何故八箇所に散りばめたのか。自分の目の届く範囲で管理しておくのが得策だろう。

 

 その疑問だけが氷解しない。ただ、あと一歩という確信はあった。あと一歩で、この陰謀の核に触れそうなのだ。だがその一歩が何よりも長いという可能性もある。もしかしたら踏み込んではいけない一歩なのかもしれない。

 

「バッジの管理者に当たってみるしかなさそうね」

 

 当面の目標はそれだった。ポイント制度を割り振った当人に聞くしかあるまい。バッジの機能を分かっていてやったのかは甚だ疑問ではあるが、バッジに触れた人間は尋問の価値があった。

 

「カミツレさん。バッジにポイントを割り振った人物は分かるかしら?」

 

「そんなの、分かるわけないでしょう? 私はただバッジを受け取ってジムで待ち構えていただけだもの」

 

 唇を尖らせてカミツレが反論する。彼女からしてみればこの問答そのものの目的が見えていないのだろう。シロナの憶測ばかりの話に飽き飽きしている面もあるのかもしれない。

 

「可能性としては」とカミツレは不義理であると感じたのか、口を開いた。

 

「出資者ね。それならバッジに触れる機会があったかもしれない」

 

「出資者……」

 

 このポケモンリーグに出資している団体は百を超えている。容易に絞れ込めそうにない事は明白だったが、一つだけ取っ掛かりがあった。

 

「シルフカンパニー……」

 

 発した言葉にカミツレも気づいたらしい。「そういえば、ゲートの管理人がシルフカンパニーは厳戒態勢を敷いているって」と口に出した。

 

「当たってみる価値は、あるかもしれないわね」

 

 もっとも、シルフカンパニーがそう簡単に口を割る相手だとは思えない。正攻法でまず当たってみて、無理ならば、とシロナは組織の力を期待した。

 

「でも、今日はもう遅い。寝ましょうよ」

 

 カミツレは目の端に涙を溜めて欠伸をする。モデルでも欠伸をするのだな、という先ほどまでの物々しい議論とはかけ離れた思考があった。

 

「あなたは眠っていて。あたしはちょっと待っている」

 

「待つって、ヤナギ君の事? 相当お熱なのね」

 

 カミツレが茶化したが、「悪い?」とシロナはそれを上回る茶目っ気でウインクした。

 

「ショタコンは鬱陶しがられるわよ」

 

 カミツレの言葉に、「ショタコンじゃない」と返す。

 

「じゃあ何? まさか恋愛対象として見てるとか?」

 

 潜めた声にシロナは頬杖を突いて、「そうねぇ……」と答えを彷徨わせた。自分はヤナギをどう見ているのだろう。最初は容疑者としてだった。組織から監視対象として命じられ、その通りに振る舞ってきた。だが、今の自分のまなこは当初と同じようにヤナギを見ていると言えるだろうか。クチバシティでのカミツレとの戦い、そしてサンダーを捕獲した谷間の発電所での激情。一単位として見るには惜しいとハンサムに進言したのもある。もしかしたら、最初はなかった感情が芽生えているのかもしれない。

 

「でも、シロナさん。それは叶わぬ恋よ」

 

 カミツレが窓の外を眺めながら呟いた。シロナは、「どうして?」と尋ねる。

 

「年齢差がまずあるじゃない」

 

「歳の差なんて関係ないんじゃない?」

 

「……まぁ、どこまでシロナさんが本気なのかは分からないけれど、谷間の発電所での取り乱しようを見たでしょう? ヤナギ君、きっとあの子が好きなのよ」

 

 あの子、とほのめかされたのはユキナリが抱えていた少女だろう。キクコ、という名前である事は明らかだったがそれ以外をヤナギは口にしようとしない。まるで憚られるように。

 

「あの子も当たってみるかしら」

 

「いい事じゃないわよ。人の恋路を邪魔する奴は、って言うでしょう?」

 

「あら、カミツレさん。そういうのには慣れているのね」

 

「仕事柄、ね。ファンというものと接しているとたまに勘違い君が出てくるわ。勘違いちゃん、とも言えるけれど」

 

 シロナはカミツレが意外にドライな性格である事に内心驚いた。だがモデルという万人に触れる機会がある職種ならば当然の帰結なのかもしれない。

 

「あなた、男でも女でもいけそうなクチね」

 

 シロナの言葉にカミツレは頬を膨らませた。

 

「そういう下品な言い方って好きじゃないわ。それに私は一応、男の子が好きだし」

 

 お互いに笑い合い、シロナはカミツレへと、「ゴメンゴメン」と表層で謝った。

 

「ちょっと悪乗りしちゃった」

 

「悪乗りついでに、どう?」

 

 カミツレが立ち上がり、部屋の隅にある冷蔵庫へと歩み寄る。開いて取り出したのはチューハイだった。

 

「意外。飲むのね」

 

「たしなむ程度に」

 

 カミツレはチューハイの缶をシロナへと手渡す。机につきながら、「飲まなきゃやってられない、ってのもあるか」と結論を出す。

 

「そうそう。お互いに立場を忘れて飲みましょう。シロナさんはどう?」

 

「まぁ、たしなむ程度には」

 

 本当は酒飲みの大食らいだとは言えずシロナは控えめに微笑んだ。カミツレは早速プルタブを開け、シロナへと乾杯を促す。

 

「何に乾杯?」

 

 シロナの言葉に、「そうね……」とカミツレは真剣に悩んでいる様子だ。だったら、とシロナは口にした。

 

「そろそろ敬称はやめない? お互いに上司と部下って間柄でもないし、このポケモンリーグ中はライバルでもある」

 

 それに女同士だ。お互いにしか分からぬ事もある。カミツレは、「じゃあそれで」と缶を掲げた。その井出達は同性からしてみても雅だ。

 

「どうしたの?」

 

 ぼうっとしていたからだろう。シロナは慌てて取り成した。

 

「あまりにも様になっていたから」

 

「一応、本職はモデル」

 

「そうでした」

 

 乾杯を交わし合い改めて自己紹介をする。

 

「よろしく、シロナ」

 

「こちらこそ、カミツレちゃん」

 

「何でちゃん付けなのよ」

 

 カミツレが唇をすぼめて抗議する。「だって、あなたってちゃん付けが似合うもの」とシロナは缶を傾けた。

 

「じゃあ、私だけ呼び捨てじゃない。フェアじゃないわ」

 

「しばらくはちゃん付けでいいじゃない。慣れたら気にならないだろうし」

 

 カミツレはチューハイをぐいっと喉に流し込み、「納得、いかない!」と缶を机に叩きつける。それでも酔ってはいないようでどうやら酒には強いようだ。

 

「じゃあ飲み比べでもしましょうか? どっちがお酒に強いか」

 

「酔っちゃったシロナ見たいし、こりゃ頑張らないとね」

 

 カミツレがチューハイに口づけをする。一挙手一投足ですらまるで広告塔のようである。

 

「ヤナギ君が帰ってきた時にだらしない姿をしているのはどっちか、賭ける?」

 

「いいわよ。まだまだあるからね」

 

 いつの間に買い溜めていたのか、冷蔵庫からチューハイの箱を持ち出してきた。

 

「勝負!」とシロナはくいっとチューハイの缶を傾けた。

 

 



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第六十六話「炎熱と凍結」

「真剣勝負の幕を上げよう」

 

 暗がりのジムを震わせたのは女の声だった。ヤナギは、また女か、と物思いにふける。こうも立て続けに女のジムリーダーばかりだとポケモンリーグ中枢も分かってやっているのでは、という確信犯めいた部分を疑ってしまう。政府に彩りのないせいで国民的行事に女を担ぎ出すのは二流三流国家のやる事だ。

 

 ジムに入るとすぐに目に入ったのはヤマブキシティの街のマークだ。岩で荒々しく掘られており、吊り下げられている。こんな大都市でも街のマークはあるのか、とヤナギは感じる。

 

 自分の立ち振る舞いがあまりにも無礼だったのだろう。青い光が舞い降りるジムの最奥に立つ女が得物の切っ先を向けた。振るい上げられたのは一振りの刀だった。剥き出しの闘志を形にしたように銀色の剣が輝きを放つ。

 

「貴公、ジムリーダーを前にしてそのような戦意の感じられないところを見ると、私を侮っているな」

 

 女がからんと雅な音を立てて歩み出た。投光機の光が点き、天井が高く取られたジムの全貌を現す。壁面が岩肌のようにごつごつとしており、ちょっとやそっとの衝撃では崩れるどころか振動が外に伝わる事もないだろうと予想される。

 

「ヤマブキまで来たのだ。それなりの力量とお見受けする。だが戦いを侮るのでは、それは二流や三流の使い手だな」

 

 憮然と放たれた言葉には絶対的な自信が見え隠れする。ヤナギは、「そっちこそ」とジムに入ってようやく声を発した。

 

「随分と偉そうだ」

 

「偉そうも何も」

 

 女は刀を薙ぎ払う。役者めいた動きで下駄を止め、流麗な着物姿を晒した。黒い着物である。長髪を白い布で一本に結っており面持ちからは凛々しさが窺えた。シロナやカミツレとは根本的に違う種類の人間だ。

 

「私はヤマブキジム、格闘タイプ使いのリーダー、チアキ。何を遠慮する事がある?」

 

 チアキと名乗った女からは一種の清々しささえ感じさせられた。刀を持っているのはどうしてなのかは解せないがお互いに戦うしか感情表現のない人間である事が分かる。

 

 同類だ、とヤナギは胸中に呟いて、「ここまで来たんだ」とモンスターボールを抜き放った。

 

「お互いに遠慮するところは何もない」

 

「その通りだ。崇高なる戦いを!」

 

 チアキがモンスターボールを袖口から取り出す。放り投げるや否や刀で一閃し、「出でよ!」と雄々しき声が放たれた。

 

「バシャーモ!」

 

 その声に呼応して現れたのは赤い身体の痩躯だった。鍛え上げられた肉体と、鳥の意匠を思わせる嘴に手足を持っている。V字型の鶏冠と手首から炎を噴き上がらせそのポケモンは咆哮した。鋭い眼差しからは一歩も退かぬ闘争心が窺える。主の心に近しいポケモンだった。

 

 ――格闘タイプ……、いや見た目からすれば飛行か?

 

 ヤナギはバシャーモと呼ばれたポケモンを分析する。鳥ポケモンの姿形からは飛行タイプ付随でもおかしくはないのだが、ポケモンのタイプは二つまでと学説がある。つまり、格闘だと判断したのならばもう一つは炎か飛行かになるのだが、炎だとすると厄介である。とは言っても飛行だとしてもヤナギに不利なのは違いない。問題なのは格闘タイプだ。自分の操るポケモンの不利は分かっている。格闘タイプと炎タイプ、そして草、鋼、水が弱点だ。もし、相手が炎と格闘の使い手だとしたらそれはウリムーにとって最大の敵だった。

 

「だとしても、俺にはお前しかいない。頼む」

 

 マイナスドライバーでボタンを緩め、ヤナギはウリムーを出した。ウリムーを見てもチアキは侮るどころか、「見た事のないポケモンだな」と口にした。

 

「小さいからと言って容赦はせん。私のバシャーモを前にして勝てると思うな」

 

「お前こそ、俺がポケモンを出す時は、相手を仕留める時と決めている」

 

 売り言葉に買い言葉の戦場だったがチアキは思いのほか、冷静だった。

 

「見たところ地面タイプを保有していると見える。バシャーモ、地面系統の攻撃に留意しつつ接近!」

 

 ウリムーのタイプの一つ、地面を看破された事に驚いたがさらに驚愕すべきはチアキの判断力の素早さだ。バシャーモが駆け抜ける。地を駆ける事から飛行タイプの可能性は早々に捨てた。

 

 相手は、炎・格闘タイプだ。

 

 苦味を感じつつヤナギは命令する。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

 出し惜しみはしない。相手が炎を持っているのだとしたらなおさらである。水滴が凍てつき一瞬にしてバシャーモの身体を氷の中に閉じ込めようとしたがそれよりも早く、バシャーモの手足に炎が点火した。炎の勢いは弱まる事なくむしろ推進剤のようにバシャーモの手助けをしている。凝固させるつもりだった空間を跳び越えたバシャーモが足を振るい上げる。

 

「ブレイズキック!」

 

 炎の踵落としがウリムーへと打ち込まれるかに思われた。しかし、ヤナギは動じずに手を打つ。

 

「氷壁、レベル3」

 

 一瞬にして地面から土くれを舞い上げ、それを触媒にして氷の壁を作り上げた。バシャーモは「ブレイズキック」という技を阻まれ、一度距離を取った。賢明だ。今まさに、指示なしの冷却攻撃を打ち込もうとした矢先である。

 

「育てられているな」

 

 傍らに降り立ったバシャーモを見やり、チアキは満足気に口にする。刀は戦闘中は仕舞う気がないのか抜き身のまま突き出している。

 

「私はこのジムの師匠、カラテ大王に見出されし格闘タイプ使い! カラテ大王は山篭りされている。本来ならばあの方がジムリーダーを拝命する事になっていたのだが、本業を忘れたくないとの事で私に手渡された。この栄光のタスキ、弟子である私が枯らすわけにはいかない!」

 

 その言葉にバシャーモが全身から炎を迸らせた。ヤナギは舌打ちする。

 

「そういう暑苦しい奴はお呼びじゃないんだ。特に俺の前ではな」

 

「今の攻撃、氷だな。しかも、氷の壁を作る時、フィールドにある僅かな土を触媒に使った。つまり、そのポケモンは氷・地面だと推測される」

 

 ヤナギは内心心臓を鷲掴みにされた気分だった。タイプをここまで短時間に見透かされたのは初めてだったからだ。

 

「だからどうした? お前が有利だと?」

 

 チアキは、「そこまで自信過剰ではないさ」と口元に笑みを浮かべて見せた。

 

「ただ、そちらが手を明かした以上、こちらも明かすのが筋。我がバシャーモは炎・格闘タイプ。特性は加速。時間が経てば経つほどにバシャーモは速くなる」

 

 それを裏付けるようにバシャーモの関節からは赤色の血管が浮き出ている。そこから炎を発するのだろうという事は容易に想像出来た。

 

「いいのか? そこまで手の内を明かす義理はない」

 

「なに、我が師匠、カラテ大王に倣っただけの事。カラテ大王は全ての手の内を明かした上で勝利する。それは相手の精神を完全に征服した事に繋がるからだと教えられた。私は未熟なのでな。技までは教えられない」

 

「みみっちいな。そういうところでけち臭いと後悔するぞ」

 

「どっちがかな」

 

 お互いに一歩も退かない言葉の応酬の後、バシャーモが動いた。

 

「次は当てるぞ!」

 

 バシャーモが先ほどよりも素早くウリムーの射程へと駆け抜ける。どうやら加速特性は本当のようだ。だとしたら早目に決着をつけねばならない。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

「遅い! ブレイズキック!」

 

 薙ぎ払われた蹴りが冷却の膜を突き破った。一瞬で理解させられる。こちらの凍結速度よりも相手の炎のほうが高温でなおかつ速い。蒸発の煙が棚引き、バシャーモの顔の凄味を引き立たせる。

 

 それに気圧されないようにヤナギは矢継ぎ早に指示した。

 

「氷壁、連鎖循環。レベル3」

 

 バシャーモの真正面に氷の壁が形作られる。バシャーモは炎熱の足で蹴破ったが、すぐに氷の膜が繋がって生成され、バシャーモの移動を削いだ。

 

「氷の壁の連鎖生成。バシャーモの動きを止める気か」

 

 チアキはそう思い込んでいる。そこにつけ入る隙があった。バシャーモが氷の壁を蹴破ろうと足を大きく後ろに引く。その一撃で恐らく三枚分は破られるだろう。

 

「ブレイズキック!」

 

 予想通り、バシャーモの蹴りは氷壁三枚を容易く破った。しかし――。

 

「破られる事は予測済みだ。ウリムー、氷柱落とし」

 

 氷壁を破った先にあったのは巨大な氷柱だった。それが待ち構えている事をバシャーモは感知出来なかったのだ。当然、ヤナギも感知されないように氷壁に土を混ぜ込み、意図的に視界を悪くした。

 

「四枚目の氷壁内部で氷柱を形成……」

 

「この攻撃を避け切れまい」

 

 氷柱が弾丸のようにバシャーモへと打ち込まれる。バシャーモは全身に傷を負った。寸前で足を止めたため足への致命的な打撃にはならなかったものの充分な成果だ。手で身体を守りながら後退したバシャーモへとさらに追撃を行う。

 

「ウリムー、地震」

 

 ウリムーから発せられた茶色の大地の震動がバシャーモの直下を襲った。バシャーモの足元の地面が浮き沈みし、間断のない攻撃を浴びせかける。

 

「これでバシャーモを破った」

 

 ヤナギには確信があった。恐ろしい可能性を秘めた敵だったが、弱点を攻めれば何て事はない、と。しかし、粉塵に隠れた射程から声が聞こえてきた。

 

「……見事」

 

 たちまち咆哮が発せられ、土煙を引き裂く白い炎が発せられた。ヤナギは瞠目する。バシャーモは健在であったからだ。しかもその身体から放射される炎は尋常ではない。炎熱は白熱の域に達し、バシャーモはまるで灰から蘇った不死鳥だった。

 

「フレアドライブ、使う時を間違えればもしや、だったな」

 

 ヤナギはそこで理解する。「フレアドライブ」とやらを展開し、氷柱の一撃を減衰させた。それだけではない。そこから連鎖した「じしん」によるダメージをも軽減させたのだ。

 

 バシャーモは耐えた。その事実が突きつけられる。

 

「危うい、綱渡りのような勝負だ。だが、嫌いではない」

 

 チアキの声にバシャーモが呼応した。V字型の鶏冠から炎が幾重にも拡張する。ヤナギは射程外にありながらも喉がからからに渇いているのを感じ取った。

 

「……水分を蒸発させている」

 

 認めたくはないがそれほどの熱エネルギーがバシャーモから放たれているという事だ。チアキがすっと切っ先を掲げる。すると、バシャーモが姿勢を沈ませた。

 

「ここから先は捉えた側の勝ちだ。いけ、バシャーモ」

 

 その言葉尻を引き裂くようにバシャーモの姿が掻き消えた。残像すら刻まない白いバシャーモが瞬間移動としか思えない速度で肉迫する。ヤナギはそれを視認するよりも先に習い性で感知した。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

 バシャーモの軌道を読んで凍てつかせようとするが空間を凝固するよりもバシャーモの移動速度が尋常ではない。まさしく光速の域に達したバシャーモを捉える事は瞬間冷却では出来なかった。バシャーモの移動してきた後の空間を虚しく凍てつかせるが、それはバシャーモに華を添える結果にしかならない。ウリムーの眼前に迫ったバシャーモの迫力はヤナギでさえ息を呑んだ。

 

 炎熱の鬼だ。白い炎を鎧のように身に纏った鳥人が拳を振るい上げる。ヤナギは辛うじて残った理性を繋いで声にした。

 

「氷壁、レベル3」

 

 土を計算させて舞い上がらせる暇もない。純粋に水分だけで氷壁を作ろうとしたがそれがいけなかった。純度の高い氷壁をバシャーモの拳は軽々と破り、その先にいるウリムーへと叩き込もうとする。ヤナギは舌打ち混じりに指示していた。

 

「地震で後退」

 

 ウリムーが発生させた地震は自らを浮き上がらせるためのものだった。浮き上がったウリムーはいとも簡単に地震の振動で後退する。拳一発分を回避するには充分だったが拳の応酬はもちろん一回きりではない。

 

「もう一発!」

 

 バシャーモが地鳴りのような唸りを上げながらもう一発の拳を叩き込もうとする。ヤナギは手を振り翳して叫んでいた。

 

「氷壁、氷柱落としで衝撃を減殺する!」

 

 氷壁を展開すると同時にその裏側に氷柱を構築する。バシャーモの拳はもちろん薄い氷壁を通過するが氷柱を打ち壊した時に力が弱まると踏んだのだ。

 

 だが、淡い希望は打ち砕かれた。

 

「バシャーモはやわではない。そのような浅知恵!」

 

 バシャーモの拳は計算外の攻撃力を叩き出し、氷柱をも叩き割った。しかし、ヤナギとて想定していないわけではない。

 

「今だ! 割れた氷を触媒にして瞬間冷却、レベル3!」

 

 ヤナギの指示にウリムーはすぐさま従い氷柱が破壊された瞬間に、瞬間冷却をそれぞれの破片を触媒にして構築した。結果、バシャーモの拳は多方向からの拘束によってウリムーに打ち込まれる直前で固まった。

 

「なんと……。氷柱の破壊をも予期していたか」

 

 チアキも驚きを隠せない様子だったがそれよりもヤナギは既に余裕がなかった。氷の手錠で相手を縛り上げた。だが次は? 勝ち筋が浮かんでこない。いつもならば相手の二手三手先が読めるのだがバシャーモの放つプレッシャーの波に呑まれそうになる。

 

「……だが、それも付け焼刃か。次の指示がない辺り、トレーナーとしての底が見えたぞ!」

 

 バシャーモが身体の内側から白い炎を点火する。瞬間冷却で作り上げた拘束がぎちぎちと弱まっていく。

 

「……ここまでか」

 

 ヤナギの呟きにチアキは、「どうやらそのようだ」と首肯する。

 

「健闘したほうだ。伊達に戦い抜いていないな」

 

「お褒めに預かり光栄だが――まだ負けを宣言したわけではない」

 

 ヤナギの声にチアキは眉根を寄せた。

 

「見苦しいぞ。戦い抜くのならば潔くあれ」

 

「既に布石は打った。バシャーモを五秒ほど拘束出来ればこの策は完遂する」

 

 地面が振動する。浮き上がった地面を目にし、チアキはすぐさま察知した。

 

「地震か。だが、接地していなければ――」

 

「地震はそれを放つための準備でしかない」

 

 遮った言葉にチアキは目を見開く。ヤナギは鋭い戦闘の光をその眼に携えた。

 

「ウリムーが苦手なんだ。この技は。瞬間冷却、氷壁と違ってあまり実戦で使う事を計算に入れていなかったからな。大抵の相手はそれで沈む。そうでなければ地震を使えばいいのだが、それでも相手が落ちなかった時のための、とっておきだ」

 

 浮き上がったのは巨大な岩石だった。ジムの床からくりぬかれた丸い岩石に紫色の光が帯びる。

 

「この技は……」

 

「原始の力」

 

 全方位からバシャーモを狙い澄ました岩石が砲撃される。それらは紫色の思念の光を棚引かせた。

 

「バシャーモ、早く拘束を解いて迎撃!」

 

 チアキの声に呼応したバシャーモは腕を拘束から解くなり薙ぎ払い、軌道上の岩石を打ち砕いた。

 

「勝った!」とチアキが声を上げる。しかし、岩石は再び浮き上がった。砕けた部分を継ぎ接ぎして岩石が歪ながらバシャーモを狙う。

 

「原始の力の欠点は」

 

 ヤナギの声にチアキは振り返った。

 

「使っている間、俺とウリムーが築き上げた凍結術が使えなくなる事だ。瞬間冷却も、氷壁も、技ではない。これは俺とウリムーが編み出した常時の攻撃方法だ。だが尋常ではない敵が現れた時、これを使わねばならなくなる。それはウリムーにとって得策ではなかった」

 

 ウリムーの身体がめきめきと軋みを上げて盛り上がる。光に包まれ、その身体がたちまち巨大になっていった。一対の牙を携え、水色の顔面に分厚い茶色い表皮を思念で揺らしながらその巨躯が持ち上がる。ウリムーの時とは桁違いの大きさに成長したその姿は歴戦の勇士を漂わせそのポケモンが雄叫びを上げる。ウリムーの時のような弱々しさはない。太い前足を一歩踏み出すと地面が凍結した。

 

「マンムー。原始の力を顕現させたウリムーが進化、いや、一万年前の姿へと戻った姿だ」

 

「一万年前だと……」

 

 にわかには信じられないという響きを含むチアキの声にヤナギは返す。

 

「俺が極めた氷の技、凍結術の中でマンムーが出てくる。元々は生息数が多く、マンムーは一万年前には進化前であるウリムーから当然の帰結として進化していたが、温暖化の影響で姿を消して行った。だが、こいつらは原始の記憶を持ち、その記憶が呼び起こされるとマンムーへと進化する。それまでは一進化先であるイノムーまでの進化だと思われていたのがそれに拍車をかけた。原始の記憶を持つのは全てのウリムーに言える事ではない。俺が持っているウリムーは凍結術を継承する資格を持ち、なおかつ原始の記憶に耐えうる個体であった。通常の個体ならばその記憶の奔流に耐えられず進化を阻害されてもおかしくはない」

 

 マンムーは鋭角的に尖った一対の牙を突き上げる。その瞬間、バシャーモの手首へと正確無比な凍結が施された。炎を噴き出す地点を理解していなければまず不可能な攻撃である。

 

「何を……!」

 

「瞬間冷却、レベル4。これが進化した凍結術だ」

 

 瞬く間に凍結の根が手首から這い登り肩口に至ろうとする。バシャーモは激しく吼えて内側から炎を点火させた。凍結した腕を振り払い、射程から逃れようとする。しかし、マンムーの放った凍結術は容易には解けなかった。

 

「先ほどまでならば、距離を取れば解けたのに……」

 

「マンムーの凍結効果範囲は俺の目の届く全域だ。このジムの中ではまず解除は不可能だろうな」

 

 ヤナギの言葉にチアキは眼を慄かせたが、やがて鼻を鳴らす。

 

「それだけの相手だという事か。私も見くびっていたな」

 

「降参するか? 今ならばまだ致命的な攻撃を受けずに済む」

 

「降参だと?」

 

 チアキは振袖を払い、「私は師匠、カラテ大王に誓った!」と叫ぶ。

 

「決して相手に背中は見せないと! 私もバシャーモも、降参など生ぬるい真似をするつもりはない!」

 

 チアキが徹底抗戦に打って出るのは分かっていた。同じ部類の人間だ。決して負けは認めないだろう。だからこそ、圧倒的な力量の差で納得させるしかない。

 

「マンムー、凍結術の制限を解除する。いけるか?」

 

 確認の声にマンムーが咆哮する。一万年前から変わらぬ鳴き声に主人でありながら背筋が凍る思いだった。

 

「戯れ言を! バシャーモ、フレアドライブを展開!」

 

 バシャーモが白熱の炎に包まれ、身体を開いた。姿勢を沈み込ませ、拳を握り締めたかと思うと、その拳で地面を叩いた。バッと血飛沫のように炎が迸り、白い炎がマンムーへと直進する。ヤナギは手を翳した。

 

「氷壁、レベル4」

 

 土くれを巻き上げ、形成された氷壁は先ほどまでとは比べ物にならないほどの強度であった。白い炎を遮り、氷壁の表面は全く解けた様子がない。

 

 しかし、それがヤナギの判断を一拍遅らせる結果になった。氷壁を作ったその瞬間、バシャーモの姿が掻き消えたのだ。

 

 どこへ、と首を巡らせる前に衝撃波が近場で巻き起こった。目を向けるとマンムーへとバシャーモが上空から蹴りを叩き込んでいた。

 

「……いつの間に」

 

 ヤナギの狼狽を他所にバシャーモはすかさず手刀をマンムーの身体に突き刺そうとする。炎の手刀が茶色い体毛へと吸い込まれたが半分は弾き返した。

 

「炎を遮る?」

 

「特性は厚い脂肪。炎の技を半減する」

 

 だが接近されなければまず発動しない特性だ。接近を許した時点で自分達の戦闘スタイルが崩れつつある。バシャーモは両方の拳を固めて打ち下ろす。マンムーは防御にそれほど特化したポケモンではない。格闘と炎の攻撃をさばき続けるのには限界があった。

 

「マンムー! 瞬間冷却、レベル4」

 

 眼前のバシャーモへと瞬間冷却が施されようとする前にバシャーモは跳躍して離脱した。だが着地と同時に瞬間凍結は成されるはずである。それを目で追っていたヤナギはバシャーモが到達した場所に目を見開く。

 

「壁を、伝って……」

 

 バシャーモが足を踏み出したのは壁であった。壁に備え付けられている金属パイプと岩壁を足場にして予測不可能な動きで飛び移る。さながら猿か、と思われる俊敏な動きに目がついていかない。バシャーモはジム全体を利用してヤナギとマンムーの凍結術から逃れた。チアキの傍に降り立つ事はなく、再びマンムーへと接近の機会を窺っている。

 

「そうか。クチバジムでもそうだった。ジム戦は常に挑戦者はアウェーだ。ジムリーダーが自分に有利な地形を見つけ出しているのは当然か」

 

 このジムでは格闘タイプに有利なように作られているのだ。ヤナギは考えを巡らせる。恐らくバシャーモにはあと一撃の凍結術で事足りる。だが、その一撃すら打ち込む暇がなく、間断のない攻撃にこちらが晒されれば不利に転がるのは明白だった。

 

「お得意の凍結術、打ち込むための触媒が必要なのだろう? それに貴公は目に見える範囲だと既に口にした。ならば一秒以上視界に留まらなければいい」

 

 バシャーモは壁を蹴り、金属パイプを使い、一切動きを読ませない。加速特性が働いており、そうでなくとも素早い敵だ。これを捉えるのには至難の業だろう。

 

「だが、俺のマンムーはそれを可能にする。レベル4の氷壁を両側面に展開、及び前面に氷柱を構築」

 

 マンムーが構築した氷柱はウリムーであった時の数倍はあった。巨大な氷柱が前面に構築されるがもちろん当たらなければ意味がない。チアキが手を振り翳す。

 

「お互い、次の一撃で決まる! それが理解しているのだろう? ならば、私は次の一撃を宣言しよう。使用する技は飛び膝蹴り! 失敗すればこちらがダメージを負う諸刃の剣。つまり命中する、しないに関わらず、もう次が最後というわけだ」

 

 チアキの宣言に恐らく嘘偽りはないのだろう。炎の技が半減されるのならば格闘主体になるのは当然だ。

 

「ならば、俺も宣言する。次の瞬間冷却でバシャーモは完全に凍結する。戦闘不可能な領域にな」

 

 チアキは口元に笑みを浮かべた。切っ先を掲げ、「やれるものならば!」と声を張り上げる。

 

「やってみろ!」

 

 バシャーモの姿が白い残像さえも掻き消し、ヤナギの目には最早その影すら追えない。加速特性と「フレアドライブ」による膂力の増強に伴い、バシャーモの動きをいちいち目で追っていれば逆に足元をすくわれる。

 

 予測するのだ。それしかない。ヤナギは目を瞑って考える。マンムーは攻撃姿勢を取り、両側面、前面に氷を張っている。しかし、今のバシャーモならば氷壁程度は打ち砕いてくるだろう。側面の守りは当てにはならない。ならば前面か、と思考を移すが氷柱の一撃を恐れて今さら回避に専念する相手でもないだろう。

 

 どちらにせよ、懐に入った瞬間に勝負が決する。問題なのは相手の「とびひざげり」が速いか、瞬間凍結が速いかだ。襲ってくる箇所は大きく分けて四箇所。前方、後方、両側面。確実な一撃を期待するのならば後方だろうが後方に瞬間冷却を張るか。

 

 いや、もし前面であった時のリスクが高い。両側面ならば氷壁が破られた時に氷の破片を触媒に出来るか、と考えたがそれも難しいだろう。氷壁が破られた時は即ち既に相手の蹴りがマンムーに食い込んでいる事だろう。

 

 ならば前面、と思ったが真正面から勝負を挑んでくるか。瞬間冷却が最も素早いのは前面である事は明白である。ヤナギは自分で目の届く範囲と口にしてしまっているからだ。

 

 どこだ、と考えを巡らせている時間はない。瞬間冷却から逃れ、なおかつ速く、最も効果的な一撃を加えられる方向は――。

 

 ヤナギは目を開き叫んだ。

 

「マンムー、瞬間冷却、レベル5! 方向は――」

 

 腕を振り上げる。その指の指し示した方向は直上だった。

 

「真上だ!」

 

 マンムーが身じろぎし、瞬間冷却を放つ。一瞬にして凍結範囲を蓮の花のように広げたマンムーへと膝を突き出して射程に入ってきたのはバシャーモだった。バシャーモの膝がマンムーの脳天に食い込む前に、バシャーモの全身から迸った白い炎は掻き消され、凍り付いたその姿を晒した。

 

 チアキが驚愕に塗り固められた顔を向ける。

 

「何故、分かった」

 

「ジムに入った時だ」

 

 ヤナギは天井を仰ぐ。そこにはヤマブキシティのマークを象った岩があった。

 

「あれはただ単にヤマブキのマークを示していたのではない。あれさえも含めてこのジムのギミックだった。あの岩は最後の手段なのだろう。俺はそれが直上にある事を思い出し、賭けてみただけだ」

 

 確率は五分五分だっただろう。両側面を封じ、前面を氷柱で展開しているとはいえ、相手にはそれを真正面から蹴破るだけの力もあったのだ。だが確実にこちらを仕留める事を考慮した場合、やはり障害物のないほうを選ぶに決まっている。真上、というのは本当に、決死の間際で閃いた事だった。

 

「……なるほどな。貴公の読みが私よりも一手上だったというわけか」

 

 凍り付いたバシャーモは動けない様子だった。瞬間冷却において最高レベルのレベル5を使用したのだ。本来エネルギー噴出口である手首と足首、それにV字型の鶏冠は完全に封じられていた。

 

「しかもこちらが攻撃出来ないようにきちんと調整している辺り、末恐ろしいと感じる」

 

 チアキはバシャーモをボールに戻す。ヤナギもボールへとマンムーを戻した。既に勝負は決した。

 

 チアキは刀を鞘に収め、「敗北だ」と呟いた。

 

「まさか初めての挑戦者に負けるとは。わが師、カラテ大王に面目も立たんな」

 

 チアキが襟元に留めていたバッジをヤナギへと手渡す。黄金の装飾が施された華美なバッジであった。

 

「ゴールドバッジ。それを手にする力を得たという事だ。受け取れ」

 

 ヤナギは輝くバッジを握り締め、「これで二つ」とポケギアを翳した。12000ポイントの固定ポイントが約束されていた。

 

「これで俺の所持ポイントは50000を超えた」

 

 もうほとんどポケモンリーグ本戦へと駒を進めたも同義だろう。50000ポイントの大台に達したトレーナーを見かけた事はない。

 

「それと私の敗北分だ。これで60000を超えるんじゃないか?」

 

 ポケギアから送られてくるポイントはヤナギに勝利を約束しているかに思われたが逆に多過ぎるポイントは敗北した時に手痛いものとなる。敗北のビジョンなどないに等しかったとしても。

 

「あんた、これから先はどうする?」

 

 身を翻したチアキの背中へとヤナギは声をかける。チアキは、「そうだな」と顎に手を添えた。

 

「カラテ大王の帰宅を待つか。ポケモンリーグの規約では旅立てるようだが、負けた事に関する手続きを行わねばならない」

 

「今の時間からか?」

 

 ヤナギは時計機能を呼び出す。既に深夜の時間帯だった。チアキは、「誰のためにこの時間にしたと思っている?」と目配せする。

 

「貴公が遅くでもいいから挑戦させろと言うからこの時間を調節してやった」

 

「それは悪かったな」

 

「少しも悪びれていないようだが、まぁいい。私も楽しませてもらったよ」

 

 チアキは振り返って手を差し出す。ヤナギが怪訝そうに眺めた。

 

「何だ?」

 

「握手だ。これほどに白熱した勝負、そうそう味わえるものではない」

 

 口元に笑みを浮かべたチアキにヤナギは呆れた声を出す。

 

「戦闘狂だな」

 

「お互い様だ」

 

 固い握手を交わし、ヤナギは口にした。

 

「あんた、旅に出るのか?」

 

「それはないだろう。今の戦いでまだ修行不足だと感じた。カラテ大王にまた修行をつけてもらわねば」

 

「そいつはいつ帰ってくる?」

 

「分からんな。一年後かもしれないし、もっとかもしれない。少なくともこのポケモンリーグ、玉座には興味がないと仰っていた」

 

「なら、その間、あんたは待つのか」

 

「それも弟子の務めだよ」

 

 チアキの声にヤナギはため息をついて、「あんたさえよければ、だが」と口を開く。

 

「ちょっと付き合わないか?」

 

「色恋の類は御免だぞ」

 

「ああ、違う。そういう意味じゃない」

 

 口にしてから誤解を生む発言だったと額に手をやる。チアキは笑って、「冗談だ」と告げた。

 

「あんたの口調では冗談に聞こえない」

 

「まぁ、半分くらいは本気か。恋愛にうつつを抜かすくらいならば修練する」

 

 その言葉に嘘偽りはなさそうだ。どちらにせよ、彼女は自分を偽れるほど賢くもなければ狡猾な精神でもない。

 

「あんた、知っているのか? ジムリーダーが狙われている事を」

 

 ヤナギはジムリーダー殺しの一件を話題に出していた。これはもしかしたらシロナの提言なしに言ってはならない事だったのかもしれないが彼女だって被害者になりかねない。今、バシャーモが瀕死ならばなおさらだろう。

 

「……どういう意味だ?」

 

 どうやら知らないらしい、と確認したヤナギはシロナの言う通りの言葉を発した。

 

「ジムリーダーを狙い、ポイントとバッジを奪う輩が組織立って動いている。そいつらは殺しも厭わない」

 

「逆に殺し返せばいい」

 

 強気な発言に、「かもな」とヤナギは一笑に付す。

 

「だが、今のあんたのように負けたばかりではそれも不可能だろう」

 

 チアキが眉根を寄せる。痛いところをつかれたと言わんばかりの表情だった。

 

「違いないな」

 

「俺達はチームで動いている。そいつらを追い詰めるために、今は優勝候補のシロナとクチバジムのリーダーカミツレを加えた。バックにはそれ相応の規模の組織が動いていると考えてもらっていい」

 

「貴公らのほうがよっぽど悪の組織めいているが」

 

 その言葉に、違いないな、とヤナギは感じながら言葉を継ぐ。

 

「あんたの身の安全のために、旅のつもりがなくっても俺達に同行するか、そうでなければヤマブキを出るまでは一緒にいたほうがいい、という話だ」

 

「何だ、随分と親切なのだな」

 

「……ああ、自分でもどうしてなんだか分からない。俺は人が死のうが生きようが構わない性質だが、拮抗した実力の相手が闇討ちされるのは気分のいい話ではない」

 

「プライド、か」

 

「嫌ならいい。勝手にしろ」

 

 ヤナギが身を翻そうとすると、「興味はある」とチアキは返した。

 

「ジムリーダー殺しの犯人とその組織にはな。どういうつもりなのかは知らないが、私に勝てると思い込んでいるとは」

 

 チアキは喉の奥で、くっくっ、と笑う。狂人めいているな、とヤナギは感じた。

 

「いいだろう。案内しろ。ただし、そのシロナとカミツレ、強いのだろうな?」

 

 確認の声にヤナギは首肯する。

 

「ああ、二人とも指折りの実力者だ。そう簡単には陥落しないだろう」

 

「楽しみだ」とチアキは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おっそーい! ヤナギ君ったらー!」

 

 宿に戻るなりかけられた声にヤナギは目を白黒させた。部屋の中には衣類や荷物が散乱しており、二人のいい大人がだらけきった声を出していた。

 

「シロナー。もう一杯飲むわよー」

 

 カミツレは机に突っ伏してちびちびとチューハイの缶を空けている。シロナは、と言えば上機嫌に笑い声を上げた。

 

「当たり前でしょー! あたしは飲むわよー」

 

 シロナは、「あっつーい!」と上着を脱いでほとんど下着姿に近い姿だった。ヤナギを認めるとチューハイの缶を片手に、「おい、青少年!」とガラの悪い声をかけてくる。

 

「罰としてあたしと飲み比べだー! こんな遅くまで女を待たせるもんじゃないわよー!」

 

 シロナは肩を引っ掴んでヤナギへと顔を近づかせる。明らかに吐息が酒臭かった。顔も上気しており真っ赤だ。

 

「……お前ら、何やっているんだ」

 

「何って飲んでいるのよー。ヤナギ君、それも分からないとかどれだけお坊ちゃまなの?」

 

 再びシロナが豪快に笑う。股を開けっぴろげに開いてシロナは天井を眺めながら、「飲むぞー」と缶を掲げた。

 

 カミツレは、「シロナずーるーい」と声を出す。

 

「私もヤナギ君と飲むー」

 

「ダーメ! ヤナギ君あたしのー」

 

「えー、私のー」

 

 二人の大人が笑い狂いながらヤナギを指差して顔を見合わせる。

 

「……おい。こいつらが指折りの実力者か?」

 

 チアキの言葉にヤナギは顔を手で覆った。

 

「……訂正する。しらふの時は、だ」

 

 



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第六十七話「マサキの力」

 循環器のように曲がりくねった廊下を行くと、あらかじめポケギアに送信されていた部屋に辿り着いた。

 

 しかし、とイブキは天井を仰ぐ。パイプがまるで血管のように並んでいる。ゴゥンゴゥンと低くて重い音が一定周期で聞こえており、イブキにはこの場所が特一級の秘匿回線でしか通じない場所だという事しか聞かされていない。さながら迷路に迷い込んだ心地を味わいながらイブキは部屋の中を見やる。

 

 緑色のウィンドウから漏れる光が密集しており、あらゆる地域の放送、あるいはデータを送受信している。イブキにはその程度しか分からなかった。辺境のフスベの里の出身となれば機械には疎い。備え付けられたディスプレイの数々が何を意味しているのかを解する事は出来ない。

 

「姐さん、来たんやね」

 

 そのディスプレイを背にして椅子に座りこんでいる人物を視界に入れる。

 

「ソネザキ・マサキ。私をここに呼び出して、何の用?」

 

 その名を呼ぶとマサキは人差し指を立てて、「姐さんが言ったんやん」と唇を尖らせた。

 

「出来るだけ隠密に動ける場所が欲しいって。やから、ワイが交渉してこの部屋手に入れたってわけや」

 

 マサキの言葉にイブキは確信する。

 

「じゃあ、あんたは完全にこちら側に寝返る事を決めたわけ」

 

「ワイかて長生きしたいもん。長いものには巻かれたほうがお得な時ってもんもあるんや」

 

 組織からロケット団への鞍替え。それがスムーズに行われた事を鑑みるにマサキは元来、柔軟な性格なのかもしれないと思わせられる。あるいはただ単に興味の対象に忠実なだけか。回転する椅子に胡坐を掻くマサキへとイブキは壁に背中を預けながら口にした。

 

「ここは本当にキシベの情報網からもシャットアウト出来るんでしょうね?」

 

 キシベに全て聞かれていればおじゃんである。マサキは、「その辺、抜かりないで」と答えた。

 

「そもそもこの施設もそうやけれどヤマブキシティ自体、ちょっと異常や。見てみぃ」

 

 マサキが示したのは一つのモニターだった。そこに十六分割された動画があり、それぞれカウンターを刻んでいる。

 

「これは?」

 

「この街の街頭カメラにハッキングして手に入れたもんや。つまりこの街、全体が監視状態にあるわけやな」

 

 その事実にイブキは戦慄する。そのような事が可能なのか。

 

「いくらシルフカンパニーといえども、そんな横暴が……」

 

「誰も気づいてないから、横暴には映らん」

 

 マサキの声にイブキはキシベが裏で何を考えているのかますます分からなくなった。

 

「カメラってのはそんな巧妙に?」

 

「分かる人間には分かるけどな。たとえば組織なんて、恐らくヤマブキには干渉出来んって理解しとるもん」

 

「組織が?」とイブキは聞き返した。

 

「ヤマブキは巨大な要塞や。シルフカンパニーっつう中枢を抱いた、な」

 

「何のために……」

 

「そら、姐さん。ロケット団とやらのためやろ」

 

 分かり切ったことであるかのようにマサキは口にする。マサキはどのように交渉したのだろう。そればかりはイブキでも分からなかった。キシベの口車に乗った振りでもしたのか。あるいは交渉材料をこちらからちらつかせ、特権を得たのか。イブキにはそこまで干渉するだけの権限がない。

 

「ロケット団ってのも、分からない事だらけやな」

 

「シルフカンパニーの下部組織、って聞いているけれど」

 

「それにしちゃ、資金繰りを調べてみるとそっちに割いている予算が多過ぎる。尻尾切りするにはちと惜しいくらいにな」

 

 マサキはいつの間にそこまで調べ込んだのだろう。改めて強大さを感じると共にこの男が味方でよかったと安堵した。もし敵ならば恐るべき存在だ。

 

「それ、組織のやり方?」

 

「いんや、ワイが走らせているプログラムは自分で改良した奴やさかい、足はつかんはず。問題なのは、このロケット団、どこを調べりゃええんかっつうのが見えてこない事やな」

 

「内情は?」

 

「もちろん、最初に調べたで。でも、目的が見えんのや。遺伝子研究の権威を呼んでいるかと思えば、バトルの方面にも力入れとるし、モンスターボールの新型の性能実験なんかにも手を染めとる」

 

「……ほとんどシルフの実権じゃない」

 

「だからこそ、シルフカンパニーという企業の下部組織には見えん、って言ったやろ? これはむしろロケット団が頭で、シルフが下やな」

 

 聞いていたのと真逆ではないか。イブキがそのような表情をしていてからだろう、マサキは、「驚くんも分かる」と頷いた。

 

「ワイも調べりゃ調べるほど、こいつはマズいってのがはっきり分かった。深みにはまると抜けられへん。底なし沼の組織やな」

 

 その底なし沼に既に足を浸している我が身を顧みてイブキは、「どうにか出来ないの?」と尋ねた。

 

「あんた、組織でも出来るって噂だから拉致されたんでしょう」

 

「拉致した本人がそれ言うかいな。まぁ、姐さんの不安も分かるで。ワイが言っているのはマイナス方面ばっかりやからな。今のところ、ワイの身柄を手にして一番意味があるのは、姐さんの直属の上司やろ」

 

「キシベ……」

 

 その名を呟くと、「そのキシベはんから、取引があった」とマサキは天然パーマの頭を掻きつつ答えた。

 

「何ですって?」

 

「簡単な事やった。尋問っつうほどの事もされとらんのは素直に取引に応じたからやろなぁ」

 

「その内容は?」

 

「……あのなぁ、そう簡単に言えるもんやないから取引材料になるわけ。分かる? 姐さん」

 

 マサキの馬鹿にした口調にイブキは自分の無知さに、内心、顔から火が出るほどの羞恥心を覚えながらも平静を装った。

 

「じゃあ私にはあんたを御せないってわけ?」

 

「そうは言っとらへんやん。嫌やな、姐さん。後にも先にも共犯関係になるんは姐さんだけやで」

 

 その言葉がどこまで信用に足るものなのかは分からなかったがイブキにとって頼るべきものはそれしかない。

 

「実際のところ、ワイもその取引が無事に完遂されたとは思わん。取引内容はワイの名前で預かりシステムを全地方に売る事。それともう一つ。誰よりも早い情報提供を約束する事やった」

 

「組織の情報開示は?」

 

「もちろん、せえって言われたよ。でも、正直なところ、ワイも知らん事のほうが多いねん。だからこの取引上で意味を成したのはワイの能力やな。預かりシステム、それにハッキングスキル、っと」

 

 マサキがキーを叩きエンターを押した。何をしているのだろうと窺っていると、「気になる? 姐さん」とマサキがニヤニヤとしまりのない笑みを浮かべた。

 

「ええ。勝手な事をされては困るからね」

 

「安心しなや。キシベに密告なんてせぇへんよ。そんな事してもワイの得にはならへんもん。どうせキシベの得点稼いだってワイはハナダの別荘で死んだ事にされたらお終いや。誰もヤマブキの最下層に潜っとるとは思わんやろ」

 

 ヤマブキの最下層。その言葉にこの場所がどのような位置関係にいるのか自覚させられる。

 

「シルフカンパニー地下三層。こんな隠し部屋があるなんてね」

 

「実際は隠し部屋というよりかは、シルフからしてみれば捨てておいたサブフレームをワイに譲渡しただけやけれどな」

 

 相変わらずマサキの言葉は半分も理解出来なかったがこの場所がキシベからしてみれば穴になっている事だけが分かれば充分だ。

 

「ここはシルフのメインフレームから独立したシステムになっとるさかい、いざと言う時には火災警報でも鳴らして逃げられるで」

 

「そんなちゃちなので騙せるの?」

 

「シルフは最新鋭設備の塊や。ある意味ではカントーの財産とも言える。そんな場所でトラブルがあってみい。総出で駆けつけるやろ」

 

 そんな事態になれば余計に逃げられないのではないかとイブキは思ったがそうではないのだろう。マサキには秘策があるに違いなかった。いや、マサキからしてみればそれは秘策のうちにも入らない些事なのかもしれない。どちらにせよ、自分のような常人には分かる事でもない。

 

「せやけどキシベの狸がどこまで考えを巡らせとるか分からん。あれはワイと同じ技術者畑の人間やぞ。こっちの上手を行かれていてもおかしくはない」

 

「キシベにはばれないって高を括ったのはあんたじゃない」

 

 もう前言撤回か、とイブキが突くと、「せやかて姐さん」とマサキは言い訳をした。

 

「シルフカンパニーのシステムは組織と何ら遜色ないレベルやけれど、慣れるまでには時間がかかるんや。姐さんかて、いきなりわけも分からんドラゴンタイプ使え言われたら戸惑うやろ?」

 

 その言葉に納得するよりも先に疑念が先立った。

 

「……私の経歴を洗ったの?」

 

「洗わんでも姐さんは優勝候補やろ? ドラゴン使いのイブキって囃し立てられてたやん」

 

 その優勝候補の栄光もこうやってロケット団の陰に隠れていてはないのと同じだ。イブキはため息をつき、「正攻法じゃ、もう表舞台には戻れないのよ」と呟いた。

 

「何とかしてキシベの呪縛から逃れなくっちゃ」

 

「まぁ、ワイのスキルとキシベのスキル、どっちが上かっつう力比べになるわな。ワイの勝つのを祈っといてくれや、姐さん。勝利の女神やろ?」

 

 調子づくマサキに睨みを利かせる。

 

「勝利を導くのはいつだって実力よ。少なくとも、女神なんて当てにしちゃいないわ」

 

「嫌やな、姐さん、冗談やん。怒らんでもええ事やし」

 

 マサキが手を振って打ち消そうとするがイブキの眼差しは真剣そのものだった。

 

「……借りを返すのにも今の境遇じゃ無理だからね」

 

「借りっつうんはあれか、勝負の事か?」

 

「他に何があるのよ」

 

「シルフの技術使えば、姐さんのポイント加算くらい出来るけれど」

 

「ふざけないで。そんな事したらただじゃおかないわよ」

 

「やらんて。姐さんに嫌われるん嫌やもん」

 

 もう充分に嫌われる材料を作っている男がいけしゃあしゃあと抜かす。イブキは呆れ返りながら、「いい? 何としても、よ」と確認の声を被せた。

 

「キシベを出し抜くんやろ? 任しとき。ワイを仲間に引き入れた事後悔させたる」

 

 マサキはひひひと笑った。イブキは壁にもたれかかりながら随分と遠くに来てしまったものだと俯瞰する。

 

「……でも、私は戻りたいと思っているのね」

 

 かつての栄光に。表舞台の胸が高鳴る戦いへと。

 

 それが叶うかは自分達の行いにかかっている。イブキは拳を握り締めた。

 

 



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第六十八話「暗雲」

 早朝から訪れた来客に社員達が瞠目した様子だった。思わず気後れした笑みを浮かべ、それぞれ鉄面皮に戻ってから一礼する社員達へと手を振るのは金髪に黒衣を纏った女性だった。社員達はここぞとばかりに声を潜める。

 

「あれ、優勝候補のシロナだよな?」、「何でこんな場所に?」、「何でも上との謁見の用事を取り付けているんだと」、「俺達には窺い知れないことさ」

 

 それらの言葉の後に、「にしても何で」と同じように声が重ねられた。

 

「どうして子供が連れ立っているんだ?」

 

 全員が同じ疑問を共有したのをヤナギはシロナの後ろに続きながら感じ取る。衆愚、というのはこういう手合いの事を言うのだろう。

シロナはエレベーターに辿り着くなり監視カメラの角度を調べてから壁にもたれかかった。額を押さえ、「うー……」と呻く。

 

「頭、痛い……」

 

「馬鹿が。飲み過ぎるからだ」

 

 ヤナギが冷たくあしらうとシロナは、「だって昨日はこんなに後を引くとは思わなかったんだもん」と子供の抗弁が発せられた。

 

「いい大人が。ヤマブキのジムリーダーは愕然としていたぞ」

 

 シロナ達は朝になってヤマブキシティのジムリーダー、チアキがいる事に気づいた。頭の巡りが悪いのかそれを言及するよりも先に取り付けておいた予定を彼女は確認し、僅か十五分でのハイペースメイクをこなしてシルフカンパニー本社を訪れたのである。ただし、自分も連れ立つ事を提案したのは他ならぬヤナギだ。

 

「あんた一人じゃ危なっかしい」

 

 それが表向きだったがヤナギはシルフカンパニーと組織のメンバーが会談するという事実に因縁めいたものを感じ取ったのである。何か、自分の与り知らぬところで事が動くのだけは避けたい。

 

「あたしは、一応大人ですぅー」

 

 シロナの言葉には大人の品性の欠片もなかった。

 

「……きちんとした大人は自分の事を大人なんて言わないんだよ」

 

 うっ、と声を詰まらせるシロナにヤナギは心底呆れていた。

 

「どうして酒盛りなんてしたんだ」

 

「それは……」

 

「言えない事か?」

 

「ヤナギ君、何だか保護者みたいよ」

 

「俺がジムに挑戦している間に馬鹿みたいに飲んでいたのだと分かれば怒りたくもなるだろう」

 

 シロナは言い返そうとして口を噤んだ様子だった。エレベーター内で口論するわけにはいかない、というくらいの理性は働いているらしい。

 

「大丈夫だろうな」

 

 ヤナギは歩み寄ってシロナの額に手を触れた。シロナは不意をつかれたのか、「ひゃぁっ!」と短い悲鳴を上げた。

 

「何を驚く?」

 

 ヤナギは逆に辟易して聞き返す。

 

「だってヤナギ君、急に近づいてくるから……」

 

「熱でもあって途中で倒れられたら困るんだ。顔が赤いぞ。まだ酒が残っているのか?」

 

「もう残っていない! 断じて!」

 

 その部分だけを強調してシロナは言い放つ。ヤナギは、「だったらいいのだがな」とため息混じりの声を出した。

 

「しかし、会談なんていつの間に設けていたんだ? そんな暇はなかったろう」

 

「組織のコネでね」

 

「におうのか?」

 

 エレベーターの天井を仰ぎながら発した言葉に、「随分ときな臭いわ」とシロナは返す。

 

「今、確認しただけでカメラはエレベーターだけで三台はあるわよ」

 

 その言葉に今度はヤナギが瞠目する番だった。二日酔いが抜け切っていないと思っていたのだが、シロナは既に万全らしい。

 

「俺も、この街は妙な気配が凝っているような気がしてならない」

 

「その話は後にしましょう」とシロナは階層表示を眺めた。エレベーターはようやく地上八階へと辿り着いた。扉が開くと社員達が既に待っており、深々とお辞儀をした。ヤナギは居心地の悪さを感じたがシロナは意に介さずに歩き抜けていく。どうやら場違いなのは自分のほうらしい、とヤナギはシロナの後に続いた。

 

「シロナ・カンナギ様。お待ちしておりました。お連れの方は……」

 

 秘書官らしい女性が歩み寄る。ヤナギへと視線が向けられ、「信頼出来るボディガードです」とシロナは応じた。自分の身分が明かされれば不利になる事をシロナは気づいているのだろう。気が回る辺り、大人ではないと言った事が若干悔やまれた。

 

「そうですか。では会談の席を設けております。こちらへ」

 

 秘書官に促されて入ったのは応接室だった。高級そうな調度品と、暖色に囲まれた部屋には向かい合わせのソファがある。挟んでテーブルがあり、奥には執務机があった。よく父親のいた部屋に似ている、とヤナギは感じた。

 

「これはこれは、シロナ様」

 

 ソファから立ち上がって迎えたのは一人の男だった。若いようにも、中年のようにも見える不思議な男だ。ヤナギが観察の目を注いでいると、「こちらへどうぞ」と男はシロナをソファへと招いた。

 

「社長。おいでになられました。シロナ・カンナギ様です」

 

 男の言葉に執務机の奥にいる男が振り返った。仕立てのいいスーツに身を包んだのは壮年の紳士である。社長と呼ばれた紳士は立ち上がると、「申し遅れました」と形式だけの挨拶を交わす。シルフカンパニーの社長である、という身分を明かした紳士は男と並ぶと、やはり男のほうが若く見えた。社長がまず上手に座り、ソファを示す。シロナは一礼してソファに座った。男がヤナギへと目を向け、「君も座るといい」と促す。ヤナギは腰のホルスターを意識しながらソファに腰かけた。体重を包み込むような体感した事のないソファであった。

 

「紹介が遅れましたが彼は私の信頼する側近でしてね。名前をキシベと言います」

 

「キシベです」と名刺が手渡される。キシベ・サトシという名前の上には赤い「R」の文字があった。ヤナギは気になったが自分から口にするべきではないと判じた。

 

「それで、ご用件というのは?」

 

 社長が切り出すと、「先に申し出た通りですわ」とシロナが余裕を持って応じた。

 

「我々の組織に、あなた方が加わらないのか、という提案です」

 

 その言葉にはヤナギも驚愕した。組織の存在を公にしてどうする。まさかまだ酔っているのか、と思ったがシロナの目は真剣だった。

 

「組織、というものが何なのか、まだ具体的に明言されていませんよね?」

 

 シルフカンパニーの社長は目ざとく声にする。あくまでもこちらの口から言わせたという既成事実を作るつもりだ。乗るな、とヤナギは感じたがシロナは迷いなく告げた。

 

「組織とは、超法規的措置を取る事も辞さない各地方に跨った大規模なものです。あたし個人の言葉で言い表すことは不可能に近いのです。なにせ末端なもので」

 

 うまくかわしたか、とヤナギが息をつく間もなく社長が口を差し挟む。

 

「末端構成員が我がシルフカンパニーへと接触してくる理由は何です? それが一切不明でならない」

 

 社長が首を横に振ると、「そうですわね……」とシロナは言葉を彷徨わせた。

 

「事件が、いくつか頻発している事はご存知ですか?」

 

「事件?」

 

 寝耳に水だ、とばかりに社長はとぼけてみせる。

 

「殺人、あるいは要人の誘拐」

 

 ヤナギはその段になってマサキ誘拐に関与した話である事を察した。この場でシロナが口火を切ったのはジムリーダー殺しの一件もシルフカンパニーが噛んでいるのではないかという推測だ。しかし、推測は推測でしかなくこの場で彼らを追い詰める決定打にはならない。

 

「面白い事を仰る方だ。そうですね、このポケモンリーグ、これほど大規模な競技となれば殺人や誘拐もあり得るでしょう。しかし、それが我が社と何の関係が?」

 

 下手に勘繰れば藪を突くはめになる。ヤナギは、落ち着け、とシロナに目線で送ったがシロナは徹底抗戦の構えだった。

 

「シルフカンパニー。御社は随分とこのポケモンリーグの恩恵を得ているようですわね。新型モンスターボールの開発。ポケモン関連用品の規格の統一」

 

「それは、我が社もスポンサーの一つですから」

 

「新型のモンスターボールの噂は」

 

「噂は噂レベルですよ。ただ開発はしております。まぁまだ試験用で一般には一切出回っていないのですが」

 

「一切、ですか?」

 

「ええ。一切」

 

 手馴れた様子で社長がかわす。その方面からでは洗い出せないぞ、とヤナギは感じたがシロナは動じる気配もない。

 

「ここに、数枚の写真があります」

 

 シロナが懐から取り出した写真に写っていたのは黒服とその連中が持つ新型と思しきモンスターボールだった。黒服はヤナギも初めて見るものだ。当然、社長はそれを突きつけられて知らぬ存ぜぬを通すつもりだろう。首を傾げて、「これは?」と訊いた。

 

「このポケモンリーグにて暗躍する人々を我が組織が撮影に成功したものです。奇妙ですわね。新型のモンスターボールはまだ出回っていないのではなかったのでは?」

 

 社長は自らの首を締め上げたことになる。壮年の社長は驚くほど簡単に陥落した。しかし、その隣にいるキシベという男は動じない。

 

「これは我が社の社員です」とまで言ってのけた。その言葉に社長が慌てふためく。

 

「き、キシベ! それは――」

 

「今さら隠し立てしても何のためにもなりません、社長。彼らは知っていて我が社へと接触してきた。その勇気に、まずは敬意を称しようではありませんか」

 

 狼狽する社長に比べてキシベは驚くほど冷静だった。淡々と物事を俯瞰している人間の持つ怜悧さだ。

 

「シロナ様。あなた方の持ってきた写真。新型モンスターボールが我が社の物である事はいずれ公然の事実となる。その時に、この写真を引き合いに出されれば面倒な手違いが起きます。我が社としては、トラブルを避けたい」

 

 写真を封印しろ、と言っているのだ。しかし、それで折れるシロナではない。

 

「この写真が出回ればまずい、という事をお認めになられるんですか?」

 

「キシベ。否定しろ」

 

「社長、火のないところに煙は立ちません。一度疑られればもうそれまでです」

 

 社長の命令を無視してキシベは続ける。どうしてだか、その目には野心めいた光があった。

 

「私としてはこの写真、よく撮影に成功したと褒め称えたい。一応隠密に動いているものでしてね」

 

「その方の隠密行動を認められるんですか?」

 

 社長は戸惑っていたがキシベは落ち着き払って、「認めます」と答えた。

 

「ただ、隠密行動ぐらい、どの企業もやっている事です。私達はこのポケモンリーグに際し、新型モンスターボールの機能実験を行っておりました。その写真でしょう。性能試験はある点ではポケモン保護派の方々からしてみれば行き過ぎな面もあります。その部分を糾弾されては困る、という話です」

 

 ヤナギは内心、やられた、と感じた。キシベはあくまで性能試験の最中の写真である事を確定しようとしている。黒だった戦局が一気に真っ白になった。シロナは焦り過ぎた事を今さら感じ取ったのか歯噛みしている。

 

 こちらのカードがこの写真にかかっていた事を全て見透かした上での対応だった。社長ならばあるいは情報を引き出せたかもしれない。だが、このキシベという男にかかれば情報を紙くず同然の価値まで引き下げる事など容易なのだろう。社長は色を取り戻して、「そうなのですよ」と同調した。

 

「穏健派の方からしてみればこれも充分なスキャンダルです。どうか、内密にお願いいたします」

 

 首の皮一枚で繋がった事に社長は安堵しているのだろう。キシベはこの写真の見方を百八十度変えて見せた。新型モンスターボールの試験時の写真だと断定されればこちらは攻める手立てをなくす。どうするのだ、とヤナギは目で問いかけるとシロナは、「ある要人の誘拐にも、彼らと同じモンスターボールが使用されました」と新たなる札を切った。

 

「して、その要人とは誰です?」

 

「それは……」とシロナは口ごもる。マサキ誘拐の件は一般には出回っていない。キシベに優先権が譲渡された以上、下手な事を口にすれば不利に立たされるのはこちらだった。

 

「では誘拐現場を捉えた写真でも出していただきたい。この写真はまさしく性能試験のものです。それ以上でも以下でもない」

 

 シロナや組織からしてみればこの写真だけで殺人と誘拐を立証しようとしていたのだろう。ヤナギからしてみればそれは相手を嘗め過ぎている。腐っても天下のシルフカンパニーだ。そう簡単には陥落しない。

 

「他にもご用命があれば何なりと」

 

 キシベの口調にはどのような質問でも受け流す柔軟さが見て取れた。この場でこちらの情報を与えるわけにはいかない。ヤナギはシロナの代わりに声を発した。

 

「サカキ、という少年トレーナーがいますよね?」

 

 シロナが肩をびくつかせ、その話題に触れるのか、という風に目を丸くした。シロナからしてみてもこれは奥の手だったのかもしれない。それを自分が口にした事に驚いているのだろう。社長とキシベもお飾りかボディガードに過ぎない人間の言葉に驚いているようだった。

 

「ええ、我が社が後押ししているトレーナーですが」

 

「彼に関する資料を検分したい」

 

 ヤナギの声に、「越権行為です」と応じたのは社長だった。

 

「あなた方とて一トレーナーであるはずだ。相手の力量は戦ってはかるものでしょう?」

 

「では戦わせてください。その準備は出来ています」

 

 ヤナギは迷わない瞳を社長とキシベに向けた。ホルスターのモンスターボールに手をやり、本気である事を示す。

 

「今、ですか……」

 

「ええ、今すぐに」

 

 社長がキシベへと目線を向けた。どうやら社長には決定の権限がないようだ。キシベは、「今は無理です」と言ってのけた。

 

「何故?」

 

「ポケモンの回復が万全ではないのです。あなた方とて万全でない相手と戦っても疑念を膨らませるだけでしょう。ただ一つだけ言わせてもらうとすれば、我が社はサカキ少年を買っています。それほどまでに強力な選手である事だけ、肝に銘じていただければ」

 

 ヤナギはキシベを睨みつける。キシベは風と受け流し、シロナに話を振った。しかし、ヤナギはこのキシベと言う男こそ、底知れぬ何かを持っている。そのような気がしてならなかった。

 

 



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第六十九話「深淵の人々」

 結論として組織はシルフカンパニーと協力して捜査に乗り出す、という話だった。

 

 シロナも一人でうまく立ち回ったと言える。どちらかがこのポケモンリーグにおいて異分子である事を公言されかねない状況でお互いの腹のうちを隠しつつ協力関係を結べたのは僥倖であった。

 

「我々としても要人誘拐や殺人についてはあってはならない事だと感じています。その防止につながるのならば」

 

 組織に下ったかのように思えるこの台詞は、しかし暗にそれらの事象から自分達は完全に無関係であるという免罪符になった。シルフカンパニーを去る時には中天に陽が昇っていたがシロナは頭を抱えた。

 

「うー、二日酔いにはきついわ、この晴天は」

 

「万全の状態でもないのに喧嘩を吹っかけるからだ」

 

 ヤナギが歩きながら忠言すると、「やらなきゃいけなかったのよ」とシロナは言い返す。

 

「組織から矢の催促でね。シルフカンパニーを洗えって。まったく、こちとらヤマブキについて日も浅いっていうのに」

 

 文句をぶつくさと漏らすシロナへとヤナギは、「この街」と口を開いた。

 

「監視が行き届いているな」

 

「分かる?」

 

 シロナとヤナギは他人から分からぬ程度に目配せし合った。

 

「いつからだ?」

 

「多分、ヤマブキのゲートを潜った時から。ずっと見張られているわ。監視カメラもそうだけれどあれは追っ手ね。寝込みを襲うつもりがないのは昨夜で明らかだけれど」

 

「まさか、わざと酔った振りをしたのか?」

 

 そうだとすれば驚嘆に値するがシロナは、「まぁ、半分本気で酔ってた」とこめかみを押さえて頷いた。

 

「カミツレちゃんには報せていないからね。あたしだけの独断。だから、あなたが付いて来る事も予想外だった」

 

「あんた一人じゃ危なっかしい」

 

 シロナはフッと微笑む。

 

「あなた、やっぱり意外とお人好しね」

 

「利害が一致しているだけだ」

 

 ヤナギは襟の裏を見せる。そこには二つのバッジが輝いていた。

 

「やるわね。まさかヤマブキのバッジまで手に入れるとは」

 

「この行動、組織からしてみれば予想外か?」

 

 シロナは考える仕草をしてから、「まぁね」と返す。

 

「本当なら組織の誰かが取っている予定だったし。カミツレちゃんのサンダーを試験的に使うっていう手もあった」

 

「扱えるのか?」

 

「カミツレちゃんはあたし達が思っているよりもずっと器用よ。それこそ、ジムリーダーとしての実力ね」

 

 ヤナギはサンダーというポケモンがどれほどの戦力なのかまだよく分かっていない。ただ、それらの伝説の鳥ポケモンを組織が集めたがっているのはわかっていた。

 

「他の伝説については、情報があるのか?」

 

 シロナは手帳を取り出し、「もう一体についての情報はある」と口にした。

 

「聞かれるかもしれないけれど」

 

「どこで喋っても同じだろう。この街で監視のない場所はない」

 

「違いないわね」とシロナは応じてから手帳に視線を落とした。

 

「もう一体の名前は炎の鳥ポケモン、ファイヤー。これの身柄は今、シルフカンパニーが持っていると思われる」

 

「組織の情報か?」

 

「三体の伝説については早期から組織を上げて所在地を突き止めたわ。でもその時には既にファイヤーはシルフの手にあった」

 

「もう二体、いるって事か」

 

「そのうちの一体がサンダー。無人発電所に現れてくれたのは幸運ね。もっと言えば、戦わずに捕獲出来たのはさらにだけれど」

 

 ヤナギはあの場にキクコがいた事を思い出す。しかし、どうしてオーキド・ユキナリと共にいたのだ。キクコはポケモンリーグに出場していないはずではないのか。

 

「……大丈夫?」

 

 急に黙りこくったからだろう。シロナが目ざとく反応する。ヤナギは、「何でもない」とその視線を遮った。

 

「もう一体は? どこにいる?」

 

「確認された情報では、ふたご島にいるとされているわ」

 

「ふたご島……、カントーの南端に位置する離れ小島だな」

 

 ヤナギが自分の情報を確認しているとシロナは、「そこに行けっていうのが」と続ける。

 

「次の指令」

 

「馬鹿な。ふたご島はタマムシシティを超えてセキチクも超えなければならない。空を飛ぶやテレポートが禁止されているこの大会では地道な作業になるぞ」

 

「だから組織立って動けるシルフに比べて不利だって提言したんだけれど、聞き入れられなかった」

 

「あんたらの仲間にヤグルマって言うのがいるだろう? そいつに動いてもらえないのか?」

 

「無理よ。彼はあたしよりも弱いし、戦闘構成員じゃない。伝説のもう一体を捕まえられるほどの熟練度はないわ」

 

「ではそいつは今どうしている?」

 

「内偵を進めている。今回のシルフの写真も彼によるものよ。でも、尻尾は掴めなかったけれどね」

 

 シロナが両手を上げて背筋を伸ばす。ヤナギはヤグルマという男の印象を頭に描いた。あの不気味な男がそれだけのために組織に忠誠を誓っているのか? 何か、自分達でも窺い知れない裏があるのではないのか。

 

「ヤグルマを呼び出すのは」

 

「無理、だと思う。彼には一切の強制権限がないから」

 

「あんたよりも地位が上って事か」

 

「実力がそのまま地位には繋がらないわ。彼のほうが組織の中であたしよりも立ち回りが上手いって事」

 

 自嘲気味に発せられた言葉にシロナは不器用なのだ、とヤナギは感じる。恐らくは額面通りにしか言葉を受け取れないタイプなのだろう。

 

「このまま宿に戻るけれど、どうする?」

 

「チアキとカミツレがいるだろう。あいつらと話を合わせなければならない」

 

「あなた、よくチアキさんを引き入れたわね」

 

 シロナがヤナギの顔を窺う。ヤナギは素っ気なく、「実力者を遊ばせておくのはもったいない」と返す。

 

「ならば目の届く範囲に置いたほうが効率はいいだろう。ジムリーダー殺しの一件もある。闇討ちされて惜しいタイプだったからな」

 

「あなたでも他人の心配なんてするんだ?」

 

 その点に関しては自分でも意外だった。どうしてチアキを気に留めるような発言をしたのだろう。そのまま放っておけばいいものを。

 

「まぁ、組織があたし達を見限った時、少しでも戦力があると有利だしね」

 

「そんな恐れがあるのか?」

 

 ヤナギの質問に、「嫌ね、冗談よ」とシロナは笑ったが冗談にしては沈痛な面持ちだった。

 

「……組織は、あんたらを守ってはくれないのか?」

 

 ヤナギの問いかけにシロナは、「どうかしらね」と答えを彷徨わせる。

 

「組織からしてみればあたし達なんていくらでも代えの利く駒なのかもしれない。トレーナーなんていくらでも強い人間が出てくるわ。いくら優勝候補だっておだてられても所詮は弱肉強食。そういうものよ」

 

「俺は、諦めの言葉なんて聞きたくはないがな」

 

 ヤナギはシロナを追い越して宿へと向かう。その背中に声はかからなかった。部屋に着くとチアキが鞘に収めた刀を膝において瞑想していた。カミツレが頬杖をつきながら眺めている。シロナとヤナギを認めると、「助けてよ、シロナ」とカミツレが潜めた声を出した。

 

「どう接したらいいのか分からなくって……」

 

 カミツレからしてみれば酔っていた最中の事は覚えていないらしい。突然現れた和服の女性が得物を携えていれば恐れるのも無理はないだろう。

 

 だが、これでも伝説を扱えるレベルのジムリーダーなのだ。いざという時にはポケモンでどうにかすればいいものを。ヤナギがそう思っているとカミツレは本気で助けを乞う視線を向けてきた。ヤナギは仕方なく、「チアキ、だったな」と声をかけた。チアキは流麗に振り返ると、「何だ」と不遜そうな声を出した。

 

「シルフとの交渉は上手くいったのか?」

 

「いや、ほとんどぼかされた形だ」

 

 ヤナギが応じるとシロナが歩み出て、「あなた、ジムリーダーなのよね」と声にした。

 

「だからと言ってシルフカンパニーについての情報を問うても無駄だぞ。私とてあの企業に関しては知らぬ事のほうが多い」

 

 シロナが目配せする。ヤナギは頷いた。チアキは嘘がつけるタイプではない。つく必要性すら感じないだろう。

 

「この街が監視されている事は」

 

「存じている。が、改めて言われた事はない。一般人は知らないようだ」

 

「あなたの師のカラテ大王とやらは」

 

「師匠はそういう気配には疎くってな。あの人らしいが」

 

 フッとチアキは口元に笑みを浮かべる。どうやら師弟関係は勘繰ったところで無駄らしい。シロナとヤナギは無言のうちに了承し、「シルフカンパニーをどうにかして追い詰められないかしら」と提言した。チアキは、「追い詰める?」と疑問を浮かべる。

 

「何故だ。貴公らに仇なしたわけではあるまい?」

 

「無益な戦闘は好まない、というわけか」

 

 見た目に反して、と内心に付け加える。チアキは、「そうだな」と何気ない様子で答えた。

 

「弱い相手を敵に回してもつまらん」

 

 そういった理由か。やはり見た目通りだと訂正する。

 

「シルフカンパニーとの表では協定を結べた。これでもし、シルフが隠密に動く事になれば張りやすくなった、と考えるべきじゃない?」

 

 カミツレの言葉に、「そう楽観視も出来ないのよ」とシロナは暗い調子で返す。

 

「逆に言えば相手方からしても組織の行動を追いやすくなった、という事もでもある」

 

「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている、か」

 

 お互いに監視が行き届いて身動きの取れない状況になっても仕方がない。どちらかが妥協する必要があるだろう。

 

「一つ質問がある」

 

 チアキの声にシロナは、「どうぞ」と促した。

 

「もし、これから先、シルフに敵対する者が現れた場合、我々が動かねばならないのか?」

 

「協力関係なんだから知らぬ存ぜぬ、は通用しないわよね……」

 

 カミツレが心配そうに呟くと、「そうねぇ」とシロナは金髪をかき上げた。今すぐにでも叫び出したい気分なのだろう。それを必死に押し留めているのが分かる。

 

「仮定の話でしかないけれど、あたし達はヤマブキにいる以上、動けといわれれば動かざるを得ない」

 

「それを逆手に取れないか?」

 

 ヤナギの発した言葉に全員の目が集まった。「逆手、とは?」とチアキが質問する。

 

「シルフだって探られてまずい腹があるはずだ。表向き協力する人間と裏から探りを入れる人間に分けよう。そうすれば、戦力を相手に気取られずに済む」

 

「確かに、カミツレちゃんとチアキさんは組織の正規構成員として数えられていないから、もしかしたらいけるかもね」

 

 チアキへと視線で問いかけると、「私は構わないが」と濁した。

 

「どう動けばいいのかの指示をもらわなくては。私達だけの独断というわけにもいくまい」

 

 チアキがカミツレに目を向ける。カミツレはびくりと肩を震わせた。どうやら苦手意識が加速しそうだ。

 

「今日の会談で失ったものも多いが、得られたものも大きい。向こうは少なくとも俺とシロナが同時に動かねば不審に思うだろう。だがカミツレとチアキならば気取られないかもしれない」

 

 もっとも、この会話が聞かれていなければの話だが。監視の行き届いているヤマブキで内緒話は無理な事かもしれない。

 

「私達が、言うなれば潜入部隊になるわけか」

 

「不満か? 昨日今日で組織に入れというのも無理があるかもしれないが」

 

「いや、貴公の言う通り、私の安全を第一に考え、なおかつこの力を振るえる場を用意してくれるというのならば最適だろう」

 

 チアキの立ち振る舞いはまるで血に飢えた獣だ。カミツレはその側面に怯えているのだろう。

 

「あたしがヤナギ君と一緒にシルフに呼ばれたとしても、あなた達は来なくてもいい。というよりも、その隙を最大限に活かすべき、か」

 

「だがそれは敵が攻めてきた時、という仮想だ。シルフにとっての敵とは何だ?」

 

 その言葉に全員が沈黙する。シルフカンパニーにとって敵対するだけの組織が思い浮かばない。自分達の組織と協定が結ばれたのならばなおさらだ。

 

「細かいところは置いておいて、今はその作戦を取るのが最適だと思う。カミツレちゃんはどう?」

 

 急に話を振られてカミツレは戸惑った。

 

「私は、別にいいけれど……」

 

 何やら含むところがありそうな声はチアキとの連携を気にしているのだろう。ヤナギは、「心配するな」と声にした。

 

「ヤマブキのジムリーダーなだけはある。戦力としては一級だ」

 

 ヤナギが保障するとカミツレは渋々ながら納得したようだ。

 

「私はこいつらの手持ちを知らない。連携にはまずお互いの手持ちを明かす事が第一条件だ」

 

 チアキがモンスターボールを翳す。カミツレはシロナへと了承の眼差しを送ってからおずおずと差し出した。

 

「この子よ、サンダー」

 

「伝説のポケモンとやらか。使った事は?」

 

「いえ、まだ……」

 

「戦力として未知数のものを使う危険性は分かっているな」

 

「い、言われなくっても」

 

 カミツレが気圧され気味に答える。同じジムリーダーといえども力量の差があれば不安もあるはずだ。

 

「いいだろう。見たところ、電気と飛行だ。私のバシャーモとは相性がいい。お互いの弱点を補完できる」

 

「バシャーモ、っていうのは」

 

 カミツレはチアキにではなくヤナギへと説明を求めた。

 

「炎・格闘タイプのポケモンだ。言った通り、電気・飛行のサンダーとは相性がいい」

 

 ヤナギの言葉にようやくカミツレはホッとしたようだった。

 

「じゃあ、お互いに調整は任せるわ」

 

 シロナは立ち上がり、廊下へと歩み出した。その背中へと、「待て」と声をかける。

 

「何?」

 

「俺もついていこう」

 

「飲み物を買ってくるだけよ?」

 

「一人になるのは危ない。ヤマブキ全体がシルフのお膝元だ」

 

 ヤナギがついていくとカミツレが、「いいなぁ」とこぼしたのが耳に入った。部屋を出てすぐにシロナは口にする。

 

「あなた、やっぱり不思議ね。どうしてだかカミツレちゃんもチアキさんもあなたの事ならば信用している気がする」

 

「チアキは手合わせしたからな。あれは戦闘において真価を発揮するタイプだ。戦いで信頼を築き上げるのが最も早い。カミツレは自分より強い相手への敬意がある。あんたに懐いている様子なのもそうだからだろう」

 

「……何でもお見通しか」

 

 ぽつりとこぼしたシロナは、「向いている気がするわ」と出し抜けに声にした。

 

「何がだ」

 

「リーダーよ。あたし達を束ねる人間」

 

「国際警察が上官ではなかったのか?」

 

「あの人達は会議室の仕事だもの。あなたには現場を纏め上げる素質がある」

 

「買い被るな。俺とて一トレーナーに過ぎない」

 

 ヤナギはそう口にしてからシロナがいつになく覇気がない事に気づいた。何か懸念事項でもあるのだろうか。

 

「心配事か?」

 

「ええ。あたしがやった事は正しかったのかしら?」

 

「組織の命令だろう。もし上手くいかなかった時の清算は組織に任せればいい」

 

 ヤナギの横暴とも取れる発言にシロナは苦笑する。

 

「そこまで強く割り切れないわよ」

 

 飲み物を買うシロナの背中には疲労の色が漂っていた。いつも父親の背中を見てきたから分かる。こういう人間は、何よりも自分の仕事と責任に対して真摯である事を。

 

「あんたは強いさ。俺達を纏め上げるのならば、あんたが正しい。俺は力だけだ」

 

 ヤナギの切って捨てたような言い回しに、「それも強さよ」とシロナは返す。

 

「あなたには誰かの素質をきちんと見抜いて、その上で冷静に判断を下せる才能がある。あたしは、何だかその部分が駄目みたい」

 

 駄目ではない、と慰めたところでこの大人はまた背負い込んでしまうのだろう。ヤナギは、「強くあろうとするな」と言っていた。

 

「弱い自分も認めればいい」

 

「なら、あなたの前では弱さを見せていいのかしら」

 

 何を、とヤナギが声にする前にシロナが自分の胸に飛び込んできた。肩が震えており、ヤナギは戸惑うより先にこの人はまだ無理をしようとしていると感じた。

 

「……押し潰されそうで、怖い時がある。とてつもなく、怖い時が」

 

 シロナにとって矢面に立たされる事はプレッシャーなのだろう。優勝候補とおだてられる事も、組織の尖兵にされる事も。

 

 ヤナギはそっと肩に手を置いた。その瞬間に思い出される。

 

 ――怖いのは、やだよ。

 

 キクコもいつも何かに怯えていた。今のシロナはキクコと同じだ。ヤナギはシロナの呼吸に合わせるように、「大丈夫だ」と声にする。

 

「怖いものは、全部俺が引き受けよう」

 

 キクコにしか言うまいと思っていた言葉を別の女性に言っている。それは酷く遊離した、遠い出来事のように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

第五章 了

 



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義憤の章
第七十話「トレーナーという性」


 

 放った一閃は鋭く、闇を引き裂くかに思われたが、闇の手はそれを受け止めた。

 

 ナツキは瞠目する前に次なる指示を飛ばす。

 

「ストライク! 連続斬り!」

 

 ストライクが放つ連続攻撃をかわし闇に浮かび上がらせたのは赤い光を灯す両手だった。凶悪に開かれた両手から火花が散り、ストライクへと憑依する。

 

「しまった……! 鬼火」

 

 ストライクの表皮が赤らみ、火傷状態である事を告げる。火傷状態はダメージが与えられるのと同時に攻撃が軽減されてしまう。ストライクの攻撃はそうでなくとも当たらないのに攻撃力が下げられれば勝てる見込みは薄かった。

 

「それでも!」

 

 ナツキの声に呼応してストライクが跳ねる。鎌を振り上げ打ち下ろす瞬間に声が響いた。

 

「ナイトヘッド」

 

 空間を振動させたのはゴーストの背後から伸びる影だ。拡張し、膨張した影がストライクの鎌を掴んでその攻撃を中断させる。影が鼓動を刻むように蠢いた。その衝撃波でストライクが吹き飛ばされる。「ナイトヘッド」はレベル分のダメージを約束する技である。ゴーストのレベルは分からないが恐らくはストライクより上であろう。

 

「ストライク!」

 

 ナツキは転がったストライクへと声を投げる。ストライクは受け身を取って最低限のダメージに留めたがそれでも立ち向かうには不利な事には変わりなかった。

 

 ストライクの技のうち、いつも接近に使っている「しんくうは」は使えない。何故ならばゴーストタイプに格闘技は通用しないからだ。ナツキは地道に戦っていくしかないのかと歯噛みする。その様子を察したのか相手が声を発した。

 

「あの、ナツキさん。無理ならばいいんですよ……?」

 

 ゴーストを操るキクコが心配そうな声をかける。ナツキは、「大丈夫よ」と返した。

 

「それよりも、相手の心配なんてしてていいの? ストライク、真空破!」

 

 ストライクが鎌に空気を圧縮し一気に放つ。しかしゴーストタイプには通用しない。ゴーストを貫通した真空の拳は虚しく空を穿ったに見えた。しかし、ストライクは他のタイプと戦った時と同じようにゴーストへと肉迫していた。

 

「真空破はゴーストに放ったんじゃない。ゴーストの真下にある地面に向けて放った。これならば、同じように接近出来るはずよね?」

 

 目の前に現れたストライクにもキクコは動じる様子はない。ゴーストへと冷静に命令を下す。

 

「シャドーボール」

 

 ゴーストが片手で小型の球体を練り出し、ストライクの眼に向けて放った。散弾のように発せられた黒い球体は一瞬にしてストライクから視界を奪う。キクコからしてみればその一瞬だけでよかったのだろう。背後に回り込んだゴーストがストライクの首筋へと手を這わせていた。

 

「この距離でナイトヘッドを放てば王手」

 

 キクコの言葉に、「負け、ね」とナツキは肩を落とす。シオンタウンから南に外れた波止場で行われた戦闘は三分と持たずに決着がついた。周囲には釣り人がおり時折こちらを気にする素振りを見せたがすぐに自分達の釣りへと戻っていった。

 

「でもストライクの動きはよくなってる」

 

 キクコのフォローに、「でも勝てなくっちゃ意味ないわよ」とナツキはストライクを労わってからボールに戻した。

 

「少しでもあいつの力になりたいんだったら、もっと強くならなくっちゃ」

 

 ストライクの入ったボールを眺めながら呟く。キクコはゴーストと視線を交し合っている。

 

「ナツキさんは強いし、問題ないと思うけれど……」

 

「でも、ユキナリも強くなろうとしているんだもの」

 

 自分だけバッジに胡坐を掻くわけにはいかない。ユキナリは一つ乗り越えた。ならば自分も超えないでどうする。キクコは目を伏せ気味に、「強さだけが全てじゃないよ?」と口にする。それは理解しているつもりだった。しかし、ユキナリが目指しているのはさらなる高みだ。それに敵と見なしているのも。

 

「ヤマブキシティ、か。このままセキチクに抜けたほうが効率はいいと言えばいいんだけれど、ユキナリはそうは言わないだろうし」

 

 ゲンジとの激戦の後、ユキナリはヤマブキシティにこそ目的のものがあると感じ取ったに違いない。新型モンスターボールを使う集団とイブキを結びつけたのだろう。ヤマブキシティにその総本山があるとなれば黙っていられないはずだった。

 

「どっちにせよ、ヤマブキにジムもあるし、あたし達はそっちの目的もある」

 

 キクコは言い辛そうにもじもじしながら、「私と戦って言ったのはそのためだったの」と口にした。

 

「それもあるけれど」とナツキは含んだ声を出す。

 

 実際のところはキクコの実力をはかりたかったのもある。自分達よりもポイントを有しており、何よりも発電所ではユキナリの危機を救ったのだからどれほどなのだろうかと。

 

 戦ってみればそれが見える気がしたのだが、自分には戦闘結果以上を見極めるセンスはないらしい。敗北が突きつけられ、ナツキはどうしたらいいのか分からなくなっていた。

 

「今のままのストライクじゃ、勝てない」

 

 誰よりも手持ちの力不足を実感する。ストライクだけが強くなればいいと言う話ではないが、未だにストライクを使う事への抵抗があった。ニビシティで煮え湯を飲まされた経験もある。果たしてこの先、ストライクで生き残れるのか。

 

「何とかする手はないのかな……」

 

 呟いていると、「お嬢ちゃん」と不意に声をかけられた。振り返ると釣り人が釣竿を差し出していた。

 

「迷っている時には釣りでもしてみな。少しは気が晴れるかもしれないぜ」

 

「せっかくだけれど、こんな時に釣りなんて――」

 

 そう断ろうとしたがキクコは目を輝かせて釣竿を眺めていた。物珍しいのか、それとも興味津々なのか。ナツキは釣り人から釣竿を受け取り、「いいか?」とレクチャーを受ける。

 

「かかったら一気に引き上げるんだ。タイミングをミスるなよ? 釣りってのは一発勝負だ。お嬢ちゃんらがやっているポケモンバトルと何ら変わりはない」

 

 釣り人の言葉にナツキはひとまず頷き、キクコは釣竿を眺めながら、「これで釣るんですか?」と尋ねていた。

 

「おお、釣りってのは経験と勘が冴え渡るもんだ。竿の引き際、相手の重さも瞬時に理解して受け流す。勝負と変わらないさ」

 

 釣り人は二人に教え込みながら釣り糸を垂らした。ナツキも釣り糸を投げて浮きの動きを眺める。キクコは投げる前に背中に浮きが引っかかった。

 

「あーあ、何やってるんだか……」

 

 半分は自分に言っているつもりでナツキはキクコの服に引っかかった浮きを取ってやる。何度もキクコは投げようとしたがその度にどこかに引っかかった。終いにはゴーストが釣竿を引っ手繰り、上手い事海に投げた。どうやらゴーストのほうが主人よりも長けているらしい。キクコは退屈そうにゴーストの挙動を眺めている。ナツキと釣り人は波止場に座り込みながら話した。

 

「あの、おじさんはトレーナーなんですか?」

 

「うん? ああ、そうだよ」

 

 ナツキの目線は腰のホルスターに向けられていた。という事は今大会で玉座を狙うライバルなのだろうか、と考えていると、「でも俺は玉座なんて興味がなくってね」と釣り人は答えた。股で器用に釣竿を固定し、懐からジッポと煙草を取り出す。

 

「ああ、吸ってもいいかな?」

 

「あ、いいですけど」

 

「ありがたい」と釣り人は煙草を吸い始めた。釣竿を握り、「好きな釣りをしつつ煙草を吸うってのが俺の生きがいでね」と話した。

 

「はぁ」と生返事を寄越しながらナツキは海面の浮きを眺める。

 

「玉座につきたいのかい?」

 

 釣り人の質問にナツキは、「そりゃそうでしょう」と答えていた。

 

「だって、ポケモントレーナーなんですから」

 

「トレーナーだから、か。俺もそういう目的で旅を始めたもんだが、どうにもね。才能がないって分かると萎縮しちまうもんだんだわ」

 

 ナツキはその段になって釣り人がこのポケモンリーグのためにトレーナーを始めたわけではない事を理解する。

 

「おじさん、いつからトレーナーに?」

 

「お嬢ちゃんぐらいの時にはもうトレーナーになっていたよ。でもな、下手の横好きって奴でトレーナーへの憧れは人一倍あるのに、勝てない日々が続いた。そんなこんなでもう十年近く。俺は釣りに目覚めた。それがここ五年ぐらいの話かな」

 

「釣りって、楽しいですか?」

 

 釣竿を握ったまま発した言葉に、「楽しいからやっているんだが」と釣り人は濁した。

 

「楽しいだけじゃ務まらないもんもあってな。俺の主な収入源は釣った大物を競りに出す事なんだが、その日々が楽しいかって言うとちょっと疑問だな。なりたいものになれたわけでもなく、かといって完全に諦めたわけでもない事はホルスターのポケモン達が知っている」

 

 ナツキはこの大人は不器用なのだと感じ取った。なりたいものになれた大人は幸福なのだろうか。なりたいものになれなかった大人は不幸なのだろうか。いずれは直面する問題にナツキは沈黙を返す事しか出来ない。

 

「でもな、たまにお嬢ちゃんみたいなトレーナー見ていると思うんだよ。ああ、もっと努力出来たなって。最終的に、自分の出来る事と、やれる事を判断するのってのは自分自身なんだ。俺は結局、踏ん切りがつかなかっただけなのかもな。全てを投げ打って、一人のトレーナーとして生きる覚悟が」

 

 釣り人の目には過去を悔やむ色があった。過去は変えられない。変えられるのはこれから先だけだ。釣り人はそれを説いているのだろう。自分が納得出来る答えを探せ、と。

 

「っと、すまないな。おじさんみたいに枯れた人間の話なんてしちまって」

 

「いえ、とても勉強になりました」

 

 これも皮肉に聞こえないだろうかとナツキは考える。しかし釣り人はそこまで勘繰ろうとはせずに、「いい事だ」と笑った。

 

「俺みたいなのでも残せる何かがあるんだって思えるとな」

 

 その時、キクコの声が弾けた。

 

「あっ、引いてる引いてる!」

 

 ゴーストがピンと張られた釣竿を引っ張っている。浮きが沈み込み水面を何かが走っているのが分かった。

 

「おお、大物だな、お嬢ちゃん。よっし、今手伝ってやるからな」

 

 釣り人が自分の釣竿を置いてキクコへと手を貸す。と言っても釣竿を握っているのはゴーストだが。

 

「いいか? お嬢ちゃん、釣りも戦いも諦めたら負けなんだ。そこには何の優劣もない。諦めるな。お嬢ちゃんが、それを真に望むならば」

 

 釣り人がゴーストに加勢し釣竿を思い切り引っ張った。釣れた獲物が跳ね上がる。大きなコイキングがぴちぴちと跳ねていた。

 

「ああ、ハズレだな。コイキングだ。でもま、いいか」

 

「楽しいね!」とキクコが喜んで声にする。釣り人はへっへっと笑い、「そうさ」と首肯した。

 

「釣りも人生も、楽しんだもん勝ちさ」

 

 



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第七十一話「エスパー少女」

 

 パソコン画面の向こう側にいる博士は渋面を作っていた。ナツキの話を聞き、『そうか……』と沈痛に顔を曇らせている。

 

『話を聞いていなかったから君達がマサキ誘拐の現場にいた事は知らなかったが』

 

 ナツキは恥を忍んでポケモンセンターの職員に使い方を教えてもらい、博士へと通話を行った。ユキナリは恐らく何も言わずにヤマブキシティへと向かうつもりだろう。博士に余計な心配をかけるわけにはいかないと。しかしナツキは、ユキナリの状態も含めて博士に一旦話しておくべきだと判断した。もちろん、自分の独断であるためにユキナリには相談していないが。

 

「マサキ誘拐のニュースは届いているんですか」

 

『地方紙に小さく載っていたよ。だが詳しくは書かれていなかった。君達からの定期通信もなかったから心配していたんだが、そうか、発電所でそんな事が』

 

 ワイルド状態について博士に話を伺ったところ、『そう簡単なものではない』との事だった。

 

『その状態から、ユキナリ君は彼自身の力で立ち直らせたのか……。やはり、私が見込んだ才覚に間違いはなかったみたいだな』

 

 博士は腕を組んで呻っている。自分の目が間違っていなかった事と、ユキナリが抱えていた問題に博士なりの考えを合わせているのだろう。子供の頼みでも真摯に聞いてくれるいい大人だと感じる。

 

「それで、博士。あたしはこのままユキナリについていけるのか、不安なんです」

 

 ナツキは包み隠さずに博士に話す事にした。そのほうが好転するものもあるだろう。釣り人の発言に感化されたのもあるのかもしれない。諦めない事が自分に出来る唯一の抵抗だと。

 

『しかし、君自身はついていきたいんだね?』

 

 ナツキは静かに頷くと博士は、『これは提案であって強制ではないのだが』と前置きした。

 

『一度、手持ちを変えてみるのも手かもしれないね』

 

「手持ちを、変える……?」

 

 思ってもみない言葉だった。ストライクを手離せというのか。

 

「でも、新たなポケモンの捕獲は駄目だって、ルールで」

 

『だから、手持ちを交換するんだよ。それは確か許されているんじゃなかったっけ?』

 

 つまり博士は誰かと交換して一度ストライクとの関係を見直せと言っているのだ。ナツキは、「考えた事もなかった……」と呟く。

 

『まぁ、交換は普通あまり考えない事だね。特にこのポケモンリーグとなると。交換しながらいちいち相手にとって有利なポケモンを探すよりかは一体を集中して育てたほうがいいように感じられる』

 

 そうだから今までストライクの育成に心血を注いできたのだ。今さら方針を変えろと言われているようでナツキからしてみればいい気はしなかった。

 

「でも、誰と……」

 

『ちょうどいい人材がいるじゃないか』

 

 博士が指差したのはあろう事か同じように画面を眺めていたキクコだった。ナツキはポケモンセンターである事を忘れて大声を出す。

 

「キクコちゃんとですか?」

 

『えっ、不満なのかい?』

 

「いや、不満も何も……」

 

 キクコはハナダシティでポケモンの気持ちが分かると言っていた。だとするならば適任だろうが、ナツキは素直に頷く事が出来ない。

 

「でも、ゴーストタイプなんてあたし、使った事ないし」

 

「私も虫タイプは使った事ないよ」

 

 キクコの声にナツキは、「そうかもだけれど……」と濁した。博士が纏めるように手を叩く。

 

『一回、全く別のポケモンを使う事も覚えておいたほうがいいかもしれないね。そうしたらトレーナーとしての力量も上がるかもしれないし』

 

 今までストライクの接近戦を主眼として考えていただけにゴーストのようなトリッキーなポケモンの扱いは考えた事がない。博士の言う事ももっともだった。

 

「じゃあ交換しますけど。博士、どうするんです?」

 

 交換方法が分からない。博士に一つずつ聞きながら二人はポケギアをつき合わせた。個体識別番号を呼び出し「交換」ボタンを押すと、キクコと自分の個体識別が入れ替わった。

 

『これでゴーストはナツキ君のポケモンに。ストライクはキクコ君のポケモンになったはずだよ』

 

 ナツキはキクコからボールを受け取る。キクコは、「よろしくね、ストライク」とボールに頬ずりしていた。ナツキはさすがにゴーストに対してそこまでオープンになれない。

 

「覚えている技なんかはどうやって知るんです?」

 

『ポケギアに表示されないかい? ゴーストは既に情報としてあるはずだよ』

 

 ナツキは確認する。ゴーストの所持技は「シャドーボール」、「ナイトヘッド」、「鬼火」の三つだった。

 

「あれ? 催眠術を覚えているんじゃなかったっけ?」

 

「イワヤマトンネルを超える前に忘れさせたの。私まで眠っちゃうから」

 

 制御出来ない技は使わせないという事か。ナツキは改めてキクコという少女がどれほどの実力者なのか分からなくなった。

 

『キクコ君は他のポケモンを使った事はあるのかい?』

 

「先生の下で何度か。でも虫タイプは初めてです」

 

 キクコの話で頻出する「先生」という言葉にナツキは眉根を寄せる。一体、何者なのか。自分達で言う博士のような存在がいるのか。訓練されたのだとすればキクコの実力は頷けるが、それにしては謎めいた部分が多かった。

 

「鉄の塊は取っちゃってもいいから」

 

 ナツキが腰につけておいた鉄の塊を指摘すると、「でもストライクはとても気に入っているし」と返した。

 

「ストライクの元のトレーナーはあたしよ」

 

 ナツキがむきになると、『でも今はキクコ君がトレーナーだよ』と博士が口を挟んだ。

 

『それは勝手にすればいいんじゃないかな。あまり影響もないみたいだし』

 

 博士に言われればナツキも黙るしかない。キクコは笑顔で、「ゴーストを可愛がってあげてね」と言ってくる。ナツキは苦虫を噛み潰したような表情で、「そっちもストライクを大切にしてね」と感情の篭っていない声で返す。

 

『他人から交換してもらったポケモンは早く育つって言うし、もしかしたら思いも寄らない事が起こるかもね』

 

 ストライクが無駄に傷つく以外ならばいい、とナツキは考えていた。

 

「博士。多分、あたし達はこの先ヤマブキへと赴きます。ユキナリの馬鹿を止めないと」

 

『そうだね。今のところ、ユキナリ君から私へとそういった話をしてくる気配はないのかな』

 

「一切ないですよ」

 

 ナツキは断言した。博士が不思議そうに、『どうしてそこまで……』と口にする。

 

 言えるはずがない。ユキナリは二度も煮え湯を飲まされたのだ。一度はイブキの裏切り、二度目はゲンジというドラゴン使いとの戦い。ゲンジとの勝負はついたものの、その二人の所属が同じくシルフカンパニーだとすれば出来すぎている。ナツキはわざとユキナリに接触してきているのではないかと考えたが、何のために、という理由で躓く。そこまでしてユキナリに執着する意味が分からない。

 

「何にせよ、ユキナリ自身、博士に伝える気はないです。今もイワヤマトンネルで修行を積んでいるみたいだし」

 

『修行?』

 

「ガンテツって言うトレーナーと出会って。彼と一緒に今朝早くからイワヤマトンネルで戦っているみたいです」

 

 オノンドの変化については言う事を聞くようになったレベルで留めておこうと思った。ナツキにだって理解出来ないのだ。ゲンジとの戦闘局面、大幅に進化したオノンドの技を見て、自分は置いていかれる感覚を味わった。ユキナリがどこか遠くへと行ってしまったようで、早く追いつきたい一心でキクコと戦闘訓練をしていた節もある。

 

『ガンテツ……。聞いた事があるようなないような』

 

「ボール職人らしいですけれど、詳しいところまでは分かりません」

 

 ガンテツが渡したボールも謎だ。GSボールというのだと後から聞いたがその性能、どのように発展したのかなど全てが謎に包まれている。

 

『ボール職人のガンテツ……。ひょっとしてヒワダタウンの職人一門の事かな』

 

「そんな事を言っていたような気がします」

 

『まぁ、そのボール職人については置いておいて、ユキナリ君の事頼んだよ』

 

 博士は心の底から心配しているのだ。ナツキは、「はい」と頷いた。通信を切りキクコに言い含める。

 

「今、あたし達が博士と連絡した事、ユキナリには内緒にしてね」

 

「分かってる。ユキナリ君、一人で突っ走りかねないもん」

 

 思いの他キクコは物分りがよかった。ひょっとしたら自分以上にユキナリの焦りを見抜いているのかもしれない。

 

 ポケモンセンターを出ると、ナツキは宿に行くと言った。キクコはと言うと南の波止場を目指していた。

 

「釣りって言うのが気に入っちゃって」

 

 キクコが一番はしゃいでいた気がする。お互いに力を抜けるのならばいいのだろう。ナツキは気にせずに別れた。しかし、その足が向かったのは宿ではなく、二階層部分が破壊されたポケモンタワーだった。

 

 昨夜、戦いがあった場所には既にポケモンリーグ執行委員会の姿がある。ポケモンタワーは重要建築物だ。その破壊となればユキナリは出場停止を受けかねない。だが幸いにも目撃者がいなかったお陰でとある筋の破壊工作として受け取られた。

 

 ナツキはその場に居合わせた身としてもう一度現場を見ておこうと感じていた。一体、ゲンジを始めとする集団は何が目的だったのか。ユキナリはゲンジとの戦いの裏に潜む何かを感じ取っている様子だったが自分には何も伝えてくれない。きっとユキナリはこれも自分だけで解決しようとしているのだろう。ナツキには我慢がならなかった。問い質しても無駄ならば自分で確かめるほかはない。

 

 踏み出そうとしたその時、ポケモンタワーを仰いでいるスーツ姿の男と小柄な少女の姿を捉えた。付き従っているが明らかに自分と同い年か年下だ。青い髪を髷のように結っており、スーツを着るというよりも着られている様相だった。幼い顔立ちからは想像もつかないほどに落ち着いた声音で、「ここが、現場です」と伝えていた。ナツキは覚えず近くの民家の陰に隠れる。何者なのだろうか、と窺っていると、「ゲンジは派手にやってくれたものですね」と少女はポケモンタワーを眺めながら口にした。

 

 ――今、何と言ったのか。ゲンジの名はその場に居合わせた人間しか知らないはずである。それを呟いたという事は、この少女は……。

 

「ラン。あなたは引き続きこのシオンタウンの監視を。オーキド・ユキナリの動向を逐次報告してください」

 

 大人の言葉に動じる事なく少女は、「御意に」と恭しく頭を下げる。大人はその場から去っていったが、少女はその場に留まっていた。

 

 もし、この少女がゲンジに繋がる何かを持っていたとするのなら。ユキナリが考えている事が分かるかもしれない。ナツキは思い切って飛び出した。

 

「あなた……!」

 

 ナツキが声をかけると少女はゆっくりと目を向けた。その水色の瞳に吸い込まれそうな印象を受ける。

 

「ああ、君か。さっきから思念を震わせるものがあるなと思っていたら」

 

 どうやら少女にとって自分の存在は感知されていたらしい。それに慄くよりも先に少女は頭を提げる。

 

「よろしく、私の名前はラン。ホウエン地方のトレーナー」

 

「ホウエンの……」

 

 ナツキは緊張する。ホウエンのトレーナーが何故カントーのシルフカンパニーに味方しているのか。

 

「どうしてシルフに味方しているのか、って思ったでしょう?」

 

 見透かした声にナツキは肌を粟立たせた。この類の重圧は何だ? 心の中が丸裸にされた気分だった。

 

「私の前で隠し立ては無理。だって私にはこういう能力があるもの」

 

 ランの足元にある小石が浮かび上がり、何の力が作用したのかナツキへと真っ直ぐに向かってきた。ナツキは思わず手を翳す。するとナツキの足元にあった小石が浮かび上がって飛んできた小石を弾く。一瞬の事に呆気に取られていると、「こういう能力」とランは種明かしをするように手を開いて見せた。

 

「いわゆる、超能力って言うのかな。でも珍しくないでしょ? だってポケモンにはエスパーって言うタイプがあるんだし」

 

 ナツキは唖然としていた。目の前の少女は超能力の持ち主でなおかつゲンジに繋がっている。シルフカンパニーの内情も理解しているのかもしれない。

 

「そうだよ。私はシルフの中を知っている。君達が昨日相手にしたゲンジの事も。どうする? 私を倒すと、もしかしたらいい事が起きるかもね」

 

 挑発されている気分だったがこうなった以上ナツキは後に退くつもりはなかった。そうでなくともユキナリが見張られている状況を黙って見ていられる性分ではない。

 

「いいわ。あたしだってトレーナーよ」

 

 ナツキはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、マイナスドライバーでひねる。緩めたボタンを押し込みナツキは叫んだ。

 

「いけ! ストライク!」

 

 しかし繰り出されたのは相棒のストライクではなく、ガス状のポケモン、ゴーストであった。交換した事をすっかり忘れていたナツキは目の前に現れたポケモンに瞠目した。

 

「あれ? ストライクじゃないじゃん」

 

 ランも不思議そうに小首を傾げている。ナツキが、しまったと考えるより早くランは、「なるほど」と指を鳴らした。

 

「交換したんだ。だったら扱い方も素人だよね」

 

 ランの持っているモンスターボールは形状が違った。赤と白のフォルムに磨き上げられた鏡面のような丸みを帯びたボールは無骨な今までのボールとは一線を画している。

 

「いけ、ネンドール」

 

 ボールが割れ、中から飛び出したのは浮遊する独楽のようなポケモンだった。黒い体表に、びっしりと全方位を見渡す目が並んでおり、申し訳程度に腕が付いている。その腕も着脱可能なようで厳密には付随物として浮遊していた。見た事のないポケモンだった。ピンク色の眼がカッと開かれその威容にナツキは気圧されるものを感じる。

 

「あっ、見た事ないんだ? これはネンドール。そうだね、カントーの人は知らないかもね」

 

「他人の心を読むなんていい趣味とは言えないけれど」

 

 ナツキの抗弁に、「だって丸見えなんだもん」とランは唇を尖らせた。

 

「見えているものを隠し立てするほうがよっぽど不親切だと思うけれど。でもいいや。君がどう考えていようが、私には関係ない。ネンドール、攻撃」

 

 ネンドールの体表が青い光に包まれる。来る、という確信にナツキは指示を飛ばそうとしたがゴーストの技が咄嗟に出てこない。するとゴーストを中心として地面が青い光で丸く切り取られたかと思うと、盛り上がった地面がゴーストを包み込むように圧迫した。ゴーストは掌のような地面に押し潰される。

 

 しまった、と感じたナツキは目を閉じたがゴーストは内奥から影を拡大させ押し潰そうとした地面を霧散させた。「ナイトヘッド」を使ったのだと攻撃の後から分かった。

 

「むっ」とランの顔色が変わる。

 

「どうしてだか今のは読めなかった。トレーナーである君からしてみても意外な事だったみたいだし、交換したてだからって勝手に行動したとも思えない。ゴーストは最善策を自分で編み出したように見える。どっちにせよ、間接的な攻撃じゃ倒せないってわけか」

 



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第七十二話「極限進化」

 

 ランは指を鳴らし、「ネンドール」と名を呼んだ。

 

「光の壁を展開。そうだね、三枚だ」

 

 ネンドールの眼前に三枚の金色の壁が展開される。それはすぐに景色に溶けるようになって見えなくなった。

 

「何をされたの?」

 

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。今のは特殊攻撃を軽減する「ひかりのかべ」だ。こちらが物理攻撃に転じれば言いだけの話。だが、いつもならストライクで接近戦を挑むところにゴーストとなれば使いどころが分からない。「ナイトヘッド」を放つべきだろうが、二度も同じ攻撃が通用する相手だろうか。ナツキはネンドールと呼ばれた相手ポケモンを観察する。

 

 全方位を見渡す眼がある点で言えば、どこから攻撃しても同じに思える。先ほどゴーストを封じ込めようとした技は「サイコキネシス」だろう。間接的な攻撃だからよかったものの、直接叩き込まれればまずい。ナツキは歯噛みする。ストライクと違い使い勝手が分からない分不利だ。ランは、「ふぅん」と訳知り顔になる。

 

「使い方、分からないんだ。いい事聞いちゃったな」

 

 心臓が収縮する。そうだ、相手は自分の考えが読める。だからこそ、いつもならば目配せで攻撃が与えられるのに、と口惜しい。

 

「いつもはストライクを使っているんだ? 弱点になるからこっちのほうが有利だけれど、でも変わらないかもね。ゴーストも充分に脅威だし」

 

 ランは指を振って何度か考えを繰り返した後、「よし」と纏めた。

 

「決めた。ネンドール、光の壁を」

 

 ランが手を開いてすっと下ろす。

 

「直上から叩き落す」

 

 その声に反応したのはゴーストのほうが速かった。ゴーストがナツキを突き飛ばす。尻餅をついたナツキが目にしたのは先ほどまで自分がいた空間がひしゃげた光景だった。

 

「何を……」とナツキが声を震わせると、「惜っしいー」とランが指を鳴らした。

 

「トレーナーを直接叩くってのは無理か。そのゴースト、勘が鋭いみたいだし」

 

 ナツキは今の出来事を反芻する。殺されそうになったのだ。光の壁を防御として使わず、物理攻撃として用いた。その事実にナツキは驚愕する。このランというトレーナーは生半可な気持ちで戦って勝てる相手ではない。

 

「元々勝ち筋は薄いと思うんだけどなぁ。でも、ようやく理解したってわけか」

 

 ランはそれすらも読んで不敵な笑みを浮かべる。ナツキは膝から悪寒が這い登るのを感じ取った。勝てない、という歴然とした事実が眼前に突きつけられる。どうすれば、という後悔の念がない交ぜになる。その時、ゴーストが前に出た。何をするつもりなのか、と怪訝そうに眺めているとゴーストは片手で黒い球体を練り上げた。分散した球体がそれぞれ、幾何学の軌道を描いてネンドールへと撃ち込まれる。ランは慌てて手を振り翳す。

 

「光の壁、防御に」

 

 三層の光の壁の前にその球体は消え去るかに思われたがゴーストがくいと手をひねると球体の位相が変化し、三つほどが地中に潜った。「何を……」とうろたえたランへと地中から飛び出してきた黒球がランを打ち据えようとする。それよりも素早く動いたネンドールが光の壁を主の前に張った。ランは寸前のところで眼前に迫った「シャドーボール」を受け止める。ランがナツキを睨むが自分は何も指示していない。それが伝わったのか舌打ちが漏れた。

 

「指示なしの攻撃。ゴーストも事前に命令を受けた形跡もない。完全に自律的な攻撃だ。驚いたよ、そのゴースト、相当育てられているね」

 

 育てられている? その言葉にナツキは信じられないものを見るような目つきをゴーストに向けた。キクコが育てたのだろうか。それとも先生とやらが? 漠然とした不安を拭い去る前に、「でも私のネンドールには及ばない」とランが声を弾かせる。

 

「ネンドール。光の壁を叩き込む」

 

 光の壁が頭上へと展開されナツキは戸惑う声を出した。

 

「ゴースト……」

 

 その声に呼応するようにゴーストが漂って動き、シャドーボールを放つ。片手で薙ぐように放たれたシャドーボールはそれだけでも光の壁の威力を減衰したが、三層のうち一層はナツキの頭上へと落ちてきた。ゴーストが影を拡張させ、ナツキの足元を払う。転んだナツキのすぐ脇の地面を光の壁がめり込んだ。

 

 ――トレーナーを狙ってくる。

 

 その確信に、「そうだよ」とランが応じた。

 

「だって不確定要素の多いゴーストを相手にするよりもある程度考えの読めるトレーナーを潰したほうが早い。ゴーストは主を守る事に躍起になって動きにくくなるだろうし、一石二鳥だね」

 

 ゴーストが振り返り様にシャドーボールを撃ち放つ。ネンドールが前に出て光の壁を防御用に展開した。

 

「無駄だってば。いくらシャドーボールが強くたって万全のトレーナーとポケモンの関係ならまだしも即席じゃあね。ポケモンだけの判断で勝てるほどバトルは甘くない」

 

 ネンドールが身体から思念を纏い、突き出す。すると前面の地面が捲れ上がり、一直線にナツキへと襲いかかった。

 

「大地の力を使った! ゴーストの特性ならば避けられるだろうけれど、トレーナーはどうかな?」

 

 真っ直ぐに地面を抉って向かってくる不可視の力は確実にナツキへと狙いを定めている。ナツキは後ずさろうとしたが、その前にゴーストが前に出てシャドーボールを両手で練り上げた。歪曲したシャドーボールが黒い泥の壁になり「だいちのちから」とやらの攻撃を相殺する。ランが口笛を吹いた。

 

「そういう使い方も出来るんだ。前の主人から教わった奴? でも今の主人じゃそれを使うのにも心許ないよね」

 

 地面が再び捲れ上がり、三方向からナツキを狙う地面の蛇が鎌首をもたげた。ランは、「これをどう防ぐ?」と問いかける。ゴーストはそれに応ずるように両手の指先で鬼火を形成し二つの方向に投げた。予め分かっていたのか、二方向の大地の力の頭を押さえた鬼火は拡散する。その残り火が集積し、真正面から襲いかかってきた大地の力へと叩き込まれた。しかし、残り火程度では大地の力の蛇は防ぎきれなかったようだ。

 

 地面から飛び上がりナツキへと大地の力の牙がかかろうとする。ナツキは痛みに目を塞ごうとしたが、それはいつまでも訪れなかった。恐る恐る目を開けるとゴーストが両手で大地の力の蛇を抑え込んでいる。その牙がゴーストの身体にかかっていた。ランが哄笑を上げる。

 

「本当に当たった! バカだね! ゴーストの特性は浮遊! 地面タイプの技は当たらないのに自ら当たりに来るなんて!」

 

 ゴーストは通用しない技をわざわざ当たりに来た。何のためか。答えは知れている。

 

「……あたしを守るため?」

 

 ゴーストは顔を伏せた。どうやら大地の力によるダメージは思っていたよりも深刻らしい。霧散した蛇の代わりに青い光がくねってゴーストへと纏わり付いた。

 

「サイコキネシス。普通に当てようとしたってどうせ避けるだろうし、大地の力の中に混ぜておいたんだ。主人さえ守らなければサイコキネシスの呪縛なんかに捕らえられずに済んだのに。バカなポケモンだ」

 

 ナツキはゴーストへと手を触れようとする。ゴーストは片手でそれを制した。自分の役目はナツキを守る事。それが無言の主張となって伝わった。

 

 これほどまでに忠義を尽くしてくれているのに、自分は何も返せないのか。

 

 トレーナーとして未熟な自分に対してゴーストは内心腹立たしいのかもしれない。それでもキクコの認めたトレーナーならば、と無理を通してくれている。ナツキは情けなさを感じると同時に首を横に振った。

 

「……駄目ね。あたし、ユキナリに追いつきたいばかりに基礎を見失っていた。ポケモンとトレーナーは信じるところからまず始まるって。あいつに、マサラタウンで分からせてやったって言うのに、あたし自身はちっとも理解していなかった」

 

 ランが片手を振り上げる。サイコキネシスの蛇はゴーストを締め上げる。このままではゴーストが霧散してしまう。その域まで締め付けがきつくなった時、ナツキはすっと立ち上がった。ランが怪訝そうに声をかける。

 

「何? 今さら降参なんて聞かないけれど」

 

「降参?」

 

 ナツキは顔を上げる。その瞳には既に迷いはなかった。研ぎ澄まされた刃の輝きを眼光に携え、ナツキは言い放つ。

 

「笑わせないで」

 

 ゴーストが片手を振り上げ、サイコキネシスの蛇を掴んだ。無理やり引き千切ろうとする。ランは、「無駄だって!」と笑い飛ばす。

 

「サイコキネシスは毒・ゴーストの相手には効果抜群。それを打ち破る術なんて、主人なしのポケモンには出来るはずが――」

 

「主人なら、ここにいるわ」

 

 遮って放たれた声にランはうろたえた。先ほどまでの迷いと頼りなさを吹き飛ばした声音に一瞬だけ気圧されるものを感じたがすぐに鼻で一蹴する。

 

「そんな頼りないトレーナーなんて!」

 

 ネンドールが眼をカッと開き、サイコキネシスでゴーストをひき潰そうとする。だが、その前にゴーストへと変化が現れた。めきめきと後頭部の棘が盛り上がっていき、身体が拡張する。影になっていた部分が補完され、腕が身体へと仕舞い込まれていく。明らかな形状変化にランは狼狽した。

 

「こけおどしを! ネンドール! サイコキネシスを全開に――」

 

「ナイトヘッド」

 

 ゴーストから解き放たれた影の反撃の効力は一瞬にしてサイコキネシスの蛇を消し去った。ゴーストは地に足をつけ、赤い眼光を迸らせる。乱杭歯の並んだ歯を見せながらゴーストタイプは静かに嗤った。

 

「これが、あたしとこの子に相応しい姿」

 

 ナツキの言葉に呼応するようにゴーストであったポケモンは新たな姿を顕現させ、黒い旋風を作り出す。吼えるとその気迫だけでネンドールが気圧されたのが分かった。

 

「ゴーストの進化系、ゲンガーか! でも、だからって!」

 

 ランが指揮棒を振るうように両手を上げる。すると盛り上がった大地が蛇の鋭さを伴って直進した。

 

「私とネンドールには敵わない!」

 

 大地の力の牙は的確にナツキを狙い澄まそうそうした。だが、その牙をナツキは最早恐れてはいない。

 

「ゲンガー。出来るわよね?」

 

 その言葉に無言の了承と共にゲンガーは片手をすっと上げた。その掌からシャボン玉ほどの黒い球体が作り上げられる。シャドーボールをポンと頭上に投げたかと思うと、シャドーボールはたちまち散弾の如く弾け飛び、大地の力の蛇を叩き潰した。ランが驚愕に目を見開いていると、「そのポケモン」とナツキが口を開く。

 

「エスパーなのよね。じゃあ、ゴーストタイプは効果抜群のはず」

 

 ゲンガーが前に出るがランは調子を取り戻すように鼻を鳴らした。

 

「大地の力を潰した程度でいい気にならないで! こっちの主兵装はそれじゃない!」

 

 ネンドールが両手を広げる。すると両側に三枚ずつ、黄金の壁が構築された。

 

「これで六枚!」

 

 たちまち空気に消えた光の壁が移動する。その行き先はナツキの頭上だった。

 

「まず二枚!」

 

 ランが片手を振るい落とす。それに対応して光の壁が打ち下ろされた。ナツキは一顧だにせず、「ゲンガー」と名を呼ぶ。それだけでゲンガーは指を一本立てた。指から放たれた光線上のシャドーボールが光の壁二枚を突き破る。ランは狼狽こそしたがすぐに持ち直した。

 

「次! 二枚カケル2!」

 

 ランが両手を広げるとナツキの両側へと光の壁が二枚ずつ出現する。

 

「叩き潰す!」

 

 ランが両手を合わせる。すると光の壁はお互いが磁力で引き合うかのようにナツキを潰そうと迫った。しかし、ゲンガーが一歩手前に戻って、両手を突き出す。すると、その手が拡張した。ゲンガーの両手がナツキの身長大まで肥大化したかと思うと、光の壁をその手で押し止めたのだ。ゲンガーは赤い眼をぎらつかせ、天に向かって咆哮した。すると、手が鉤爪の形状となり、光の壁を突き破った。

 

 さすがのランも呆然としていた。まさか展開した全ての光の壁が破られるとは思っても見なかったのだろう。

 

「終わり?」

 

 挑発的に告げたナツキへとランは、「調子に乗らない事ね」と指差す。

 

「確かに、君を殺す事は限りなく不可能に近くなかったかもしれない。でも、私のネンドールが、どこへでも転移出来て、自爆できるとしたらどうする?」

 

 ナツキがランを睨み据える。「まさか」という声に、「そのまさかだよ!」とランは応じた。

 

「このシオンタウン、どこにだってネンドールという爆弾を置く事が出来るんだ。長距離テレポートは封じられていても短距離ならば何の問題もない。シオンタウンぐらいの大きさなら、どこにだって爆弾としてネンドールを配置出来る。さぁ、どこがいい? ポケモンタワーか? それとも君の大事な人の下へか?」

 

 その言葉に咄嗟にユキナリの姿が像を結ぶ。一瞬の心の隙をつき、「その子が、君の大切な人だね?」とランが心を読む。

 

「その子の位置ならば私からでも分かるよ。イワヤマトンネルか。おあつらえ向きだね。ちょっとの爆発で地盤が崩れる」

 

「やってみなさいよ」

 

 ナツキの言葉にランは面食らった様子だった。ゲンガーは嗤いながら片手を上げる。その手へと影が寄り集まり、シャドーボールを形成していく。

 

「そんな事をする暇なんて与えない」

 

 ナツキの言葉にランは舌打ちを漏らした。自分の心を読もうとしているのだろう。ハッタリだと。心の奥底では怯えているはずだと。しかし、ランは次の瞬間、瞠目した。

 

「……怯えがない。君、本気でそう思っているわけ?」

 

 ナツキは答えない。無言を是にしたナツキへとランは睨みを返した。

 

「気に入らないね。だったら、お望み通りに!」

 

 ネンドールが転移しようとする。しかし、ネンドールはその場から一切動かなかった。何かがおかしい、とランは感じネンドールを見やる。ネンドールの直下の地面にとぐろを巻いた紫色の眼の文様がある事に気づいたようだ。

 

「あんたにもよ」

 

 その言葉にランは自分の足元にもその眼の文様が刻み込まれている事に気づき後ずさろうとする。だが、それすら自由ではない。ランは情けなくたたらを踏んだ結果になった。

 

「これは、黒い眼差し……」

 

 名前を聞いた事がある。黒い眼差しは使用すれば相手を拘束する。何があっても、それからは逃れられない。対象を倒さない限りは。

 

「ネンドール、どこに爆弾をやるっていうのかしら」

 

 ナツキの挑発にランはぎりと歯軋りを漏らした。

 

「私を侮辱して……! ネンドール!」

 

 ネンドールの眼から青い粒子が噴出する。それをまるで手のように動かし、鎌首を持ち上げた。ネンドールの眼球八つから出た青い光は帯となり、次に展開された光の壁へと接着する。光の壁をそれぞれ頭部のように番えた八つの光の首はさながら大蛇のようであった。

 

「全包囲攻撃。ネンドールのサイコキネシスと光の壁のコンビネーション。これだけじゃない!」

 

 ランが叫ぶと八つの青い光の首のうち三つが地中へと潜った。残り五つの首と地中を這い進む首をナツキとゲンガーは相手取らねばならない。

 

「大地の力と組み合わせた。光の壁を攻撃に組み換えた時の破壊力は言わずもがなだよね? ゲンガーの特性が浮遊だろうと、地中からの三つの首がトレーナーを捉え、五つの首を相手にするのは少しばかり不利じゃないかな」

 

「でも、これではっきりしたわね」

 

 ナツキの余裕ありげな声にランは苛立たしげに口にする。

 

「何がさ!」

 

「あんたはあたしを相手にするしかないって言う事。誰かを人質に取ったり、逃げたりする事は出来ない」

 

「逃げる? バカを言え!」

 

 ランは左胸に留めた赤いRのバッジへと拳を当てて宣言する。

 

「我らロケット団は相手に背中を向けなどしない!」

 

 解き放つようにランが手を開くと光の壁が青いサイコキネシスの光に包まれて変形した。大蛇のようであった、という印象は間違いではないらしい。光の壁はそれぞれ蛇の頭部へと変形を遂げた。

 

「噛み砕かれろ!」

 

 大蛇の首と化した光の壁の群れが殺到する。地面から三つ、空中から五つ。ナツキは空中の五つへと狙いを定めた。

 

「シャドーボールで薙ぎ払って」

 

 ゲンガーが掌からシャドーボールを一つ出し、天高く投げたかと思うと、自身も跳躍しシャドーボールを弾いた。スパイクされた黒球は散弾の鋭さを伴って五つの目標へと突き刺さる。光の壁が霧散し、青いサイコキネシスの首が根こそぎ吹き飛ばされた。だが地を這い進む三つには攻撃は間に合わない。

 

「地の三つを止める術はない!」

 

 勝った、とランは高笑いする。だが、ナツキの胸中は冷静だった。冷静に事がどう進むのか俯瞰している。ランにも見えたはずである。自分の心の中が。

 

「……何故だ。どうしてそうも冷静に」

 

「もう、ゲンガーを信じているからよ」

 

「だから、地面を走る三つを止めようなんて、もう――」

 

 そこに至ってランは言葉を切った。ナツキの心を読んだのだろう。その顔からは血の気が失せた。

 

「……最初から、そのつもりはない?」

 

 それを裏付けるかのように跳躍したゲンガーは着地するや否や、ネンドールに向けて駆け出した。ランはハッとする。

 

「まさか、自分への直接攻撃をあえて無視させて、本丸を潰しにかかるだって?」

 

 今までのナツキならば、自分への守りを集中させようとしただろう。だが、戦っているのはポケモンだ。そして、その背中を見守るのがトレーナーの本分である。ニシノモリ博士に教えられた教訓が今になって生きてきた。ユキナリの模範でありたいのならば、自分は決して逃げてはならない。

 

 ナツキの覚悟を感じ取ったのか、それとも迫るゲンガーの気迫に恐れを成したのか、「ネンドール!」とランは叫んだ。

 

「光の壁を新たに再展開! 現状展開出来る最大枚数だ!」

 

 その言葉にネンドールの眼前へと五枚の光の壁が形成される。しかし、ゲンガーは速度を緩めない。それどころか両手を脇で合わせ、黒い球体を練り始めた。

 

「シャドーボール……。だが、特殊攻撃を半減する光の壁を五枚張っている!」

 

 その瞬間、地面から光の壁を頭部に据えた青い蛇が三匹飛び出す。ナツキへと食いかかろうとした、まさにその時、ゲンガーが動いた。ネンドールへと直進し、次の挙動にランが目を瞠った。

 

「シャドーボールを撃たない?」

 

 ゲンガーは両手に溜めたシャドーボールを放射しなかった。シャドーボールを射撃以外に使う用途がランには思い浮かばないらしい。

 

「どうする気?」と強気な眼を向けてくるランへとナツキは自身の心のうちを包み隠さなかった。ランはその術中を見たのだろう。そして慄いた。

 

「……まさか」

 

「そう。シャドーボールは撃たない。掌に展開したまま、シャドーボールを湛えた拳で、光の壁を打ち砕く」

 

 ゲンガーがシャドーボールを握り締め、指の合間から影が漏れる。紫色の残像を引く拳をゲンガーは光の壁へと叩き込んだ。一発目はさほど強いものではなかったが、手応えを感じ取ったのか、次の攻撃からは鋭かった。紫色の残像を刻み、幾重にも拳の応酬が光の壁を震わせる。ゲンガーのラッシュは速い。瞬く間に空気の壁を破るまでになった拳が一枚目の光の壁を破った。

 

 ナツキへと蛇が食いかかろうとする。それと二枚目、三枚目を破ったのは同時だった。ランの集中がネンドールへと戻っていく。ゲンガーは遂には蹴りさえも使ってきた。

 

「ゲンガーで、接近戦だと!」

 

「悪い?」と今にも蛇に襲われそうなまま、ナツキは事もなさげに返した。

 

「あたしの十八番戦術よ」

 

 ストライクは接近戦を得意としていた。ゲンガーで出来ない道理はない。ランは舌打ちを漏らし、「ネンドール!」と叫ぶ。ネンドールの短い腕の筒先がゲンガーへと向けられる。そこから迸ったのは思念の光線だ。サイコキネシスを短距離の光線として用いたのである。だが、ゲンガーは軽いステップでかわす。

 

「この素早さ……!」

 

 返す刀で振るわれた裏拳が四枚目を突き破った。あと一枚だ。

 

「押し切る!」

 

 ネンドールの真正面の瞳がカッと開き、そこから青い光条が放たれる。光の壁を押し出してゲンガーを追いやろうというのだ。ナツキは雄叫びを上げた。

 

「ゲンガー! 最後の一枚よ! 打ち破れ!」

 

 眼前に迫った光の壁をゲンガーは恐れる事なく、拳を突き上げた。アッパーカットが光の壁をぶらす。その振動に操っているネンドールまでも引っ張り込まれた。

 

「今よ! 蹴破って接近!」

 

 ゲンガーは逆立ちのような姿勢で両足蹴りを放つ。最後の一枚の光の壁が破られ、ネンドールは丸裸も同然だった。

 

「ネンドール、サイコキネシス!」

 

 最早策などないのだろう。こちらも同じだった。真正面からの打ち合い。どちらが速いかで決まる。ゲンガーは今まで溜めていたシャドーボールの射撃姿勢に入った。指鉄砲を番え、ネンドールへと照準を向ける。

 

 青い光が上下から纏いつき、ゲンガーを圧搾しようとする。ゲンガーは指鉄砲から凝縮されたシャドーボールを放った。シャドーボールの弾丸は正確無比にネンドールの身体の中心を捉えた。着弾部からねじ込まれ、ネンドールの眼から生気が失せていく。

 

 ネンドールが落下するのと、必殺の勢いを伴った攻撃が中断されたのは同時だった。

 

 ゲンガーは無事だ。それを確かめた後、ナツキは今にも崩れ落ちそうな膝を持ち直す。まだ、倒れるわけにはいかない。極度の緊張に晒された神経が萎えそうになるが、ナツキは最後の最後まで使命を全うすべきだと感じ、その神経だけでランの下へと歩み寄る。

 

 ランはネンドールを倒されたショックか、動けなくなっていた。逃げ出そうとしても、無駄だろう。まだランを「くろいまなざし」が捉えている。

 

「ポイント? いいよ、くれてやる」

 

 せせら笑うかのようにランは自暴自棄になっていた。ナツキは、「ポイントはもらうわ」と告げてから、その腕を引っ掴む。

 

「でも、それよりも聞きたい事がある。ロケット団とは何?」

 

 先ほどランが口走った組織の名前。その胸にある「R」のバッジ。新型モンスターボール。シルフカンパニー。聞かねばならぬ事はたくさんあった。

 

「いいの? 嫌な事に首を突っ込むはめになるよ」

 

 ランの口調にナツキは、「残念だけれどね」とこぼした。

 

「もう首を突っ込んじゃってる馬鹿がいるのよ。そいつのためにも、あたしはあんたから聞く必要がある」

 

 ランはもう抵抗する素振りはない。「戻していい?」とネンドールへと目配せした。戦う体力はないだろう。頷くと、ランはモンスターボールを向ける。赤い粒子になってネンドールが吸い込まれた。

 

「どこから話す? 結構派手にやっちゃったから、ただのポケモンバトルじゃないってそろそろ気づく人もいると思うけれど」

 

 胡坐を掻いたランが周囲を見渡す。民家から人が飛び出して何が起こったのかと騒ぎ立てようとしていた。

 

「場の収拾、私に任せてくれない?」

 

 ランの言葉にナツキは首肯する。今は彼女に従うのが賢明だった。

 

「いやぁ、驚かせて申し訳ない。ちょっとしたバトルです。ポケモンバトル。さて、ポイントを交換しましょう」

 

 ポケギアを突き出し、ランからポイントを受け取る。4000ポイントを超えるポイントが一気に自分のポケギアへと注ぎ込まれた。

 

「口止め料」とランが耳元で囁く。ナツキはポケギアを掲げながら、「なるほどね」と口にした。

 

「言っておくけれど、まだあんたが逃げないとも限らない」

 

「ゲンガーは出しておく、でしょ。いいよ、私だって敵ならばそうする」

 

 ランは手馴れているらしい。人々へと今のが正当なバトルであったように振る舞った。「すごい熱気だったなぁ」と呑気な人々は言い合う。ナツキはランへと言葉を発する。

 

「いい? あたしの要求は全て呑んでもらうわよ」

 

「分かったよ。負けたし洗いざらい喋ろう」

 

 肩を竦めたランは胸元に留めたバッジをさすった。

 

 



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第七十三話「大人の役目」

 

「おーし、釣れるぞー」

 

 釣り人の声にキクコはぱあっと顔を輝かせた。釣り人は先ほどから魔法のようにヒットを連発している。ただし、釣れているのはコイキングばかりだが。

 

「おじさん、すごいね」

 

 はしゃぐキクコの様子がおかしいのだろう。釣り人は笑った。

 

「コイキングばかりでお嬢ちゃんにはつまらないもんを見せちまっているかもだけれど」

 

「ううん。私、釣りって初めて見るから、面白いの」

 

 その言葉に釣り人が怪訝そうな顔をした。

 

「今どき、釣り初心者か? マサラタウンでも海には通じているだろう?」

 

「えっ、私、マサラタウンから来たんじゃないよ?」

 

 キクコの言葉に釣り人は呆然としていたが、「ああ、そっか」と後頭部を掻いて訂正した。

 

「そりゃそうか。今回のポケモンリーグはほぼ全地方だ。海のない地域から来ていてもおかしくはないよな」

 

 どうやら釣り人は自分を他地域の人間だと思い込んだらしい。キクコは正直に、「カントーだよ?」と答えた。

 

「カントー、なのか。まぁ、さっき持っていたポケモンはゴースト。ちょうどシオンタウンに出るポケモンだし……。でも今は」

 

 釣り人はキクコの後ろにいるポケモンへと目をやる。ストライクが腰につけた鉄の塊で鎌を研いでいた。

 

「交換したの。ナツキさんと」

 

「ああ、さっきのポニーテールのほうのお嬢ちゃんね。へぇ、交換。でも次の街はヤマブキか、タマムシか、クチバ、あるいはセキチクだろ? この局面で交換するってのはちょっとどうなんだい?」

 

 釣り人はバッジも後半に折り返した辺りで他人と交換するのは解せないと感じているのだろう。普通ならばそうだ。

 

「でも、私は大丈夫だから」

 

「大丈夫って言ったって、やっぱりゴーストのほうが慣れていたんじゃないのか?」

 

「先生の下で、色んなポケモンの扱い方は習ったよ? 虫タイプはあまり得意じゃないけれどストライクはとても正直な子だから、言う事を聞いてくれると思う」

 

 ストライクと目線を交わし合うとストライクのほうが照れたように顔を背けた。

 

「そうは見えないけどなぁ……」と釣り人が言うが自分にはストライクの気持ちが手に取るように分かる。

 

「先生って言うのはポケモンの博士? それともスクールの先生の事?」

 

 キクコは小首を傾げる。ユキナリも似たような事を言っていた。

 

「違うよ? 先生は先生なの。博士とかスクールのほうは分からないけれど、多分、別だと思う」

 

「……まぁ、俺も今の制度には詳しくないし、そうそう口出しも出来ないけれど。じゃあお嬢ちゃんはどこから?」

 

「えっとねぇ、トキワ」

 

「トキワか。あの街はいい。活気に溢れていて」

 

 その言葉にキクコは首を横に振った。

 

「街のほうじゃないよ?」

 

 今度は釣り人が疑問符を浮かべる番だった。咄嗟に場所が思い浮かばないのだろう。思案を持て余すかのように顎をさする。

 

「街じゃないって、じゃあまさか森だとか言わないよな?」

 

 半分冗談で放たれた言葉にキクコは、「森なんて住めないよ」と唇を尖らせた。

 

「うーん、お嬢ちゃんみたいな気品のある子が住むんならどこだろうなぁ。おじさんみたいにその日暮らしってわけでもないだろうし」

 

「教えてあげようか?」

 

「いいのかい?」と釣り人は気安い笑みを浮かべた。キクコは、「本当はあんまり言っちゃ駄目って言われているんだけれど」と笑顔で口にする。

 

「セキエイだよ」

 

 発した言葉に釣り人が目を見開いた。今の言葉を咀嚼するように繰り返す。

 

「セキエイ……、セキエイ高原かい?」

 

 まさか、とでもいうような口調だった。キクコは嘘偽りはないので頷くが、釣り人は信じられない様子だった。

 

「だったらお嬢ちゃんは政府高官の娘か何か……、いや、セキエイに人は住む事を許されていない。何かの間違いだろ?」

 

 笑い話にしようとする釣り人にキクコは、「何で?」と疑問に思った。

 

「セキエイには私以外にも人が住んでいるよ? たとえば、先生とか」

 

 口にした言葉に釣り人の笑顔が硬直した。難しい顔になって釣り人は口を閉ざす。何か、まずい事でも言っただろうか。確かに先生からこの事実は言いふらしてはならないとは常々言われていた。だが、それほど驚愕に値する事だろうか。自分がずっと住み続けていた場所が。

 

「……ありえないんだよ、お嬢ちゃん。何かの間違いだ、そりゃ」

 

 キクコの肩を掴んで釣り人が自分に言い聞かせるように言った。しかし、キクコは今さら訂正する気もない。

 

「間違いじゃないよ? どうしてセキエイに住んじゃいけないの?」

 

「当たり前だろう!」

 

 張り上げられた声にキクコはびくりと肩を震わせる。見れば釣り人も歯の根が合わないのかがたがたと震えていた。

 

「だって、セキエイは王の領域だぞ……」

 

 発せられた意味が分からなかった。王の領域とはどういう事なのか。問い質そうとする前に、「こんなところに」と耳朶を打つ声があった。

 

 聞き慣れた声にキクコは振り返る。何日振りだろう。そこにいたのは馴染みのある人物だった。

 

「先生!」

 

 キクコが喜んで歩み寄ろうとすると、「止まるんだ!」と釣り人が声を発した。その声の尋常ではない響きに思わず立ち止まる。

 

「何なんだ、あんた……。いつからそこにいる?」

 

 キクコには何ら不思議はない。いつだって先生は突然現れた。今も――たとえその姿が海上にあっても驚くべき事は何もなかった。

 

「あなたは、もう少し立場を弁えるべきでしたね。俗物に私達の事を言って聞かせたところで」

 

 先生が海の上を歩き、波紋を生じさせる。しかしキクコにはその事実よりも先生の口調に恐怖を覚えた。この言い方はいつも自分を怒る時の響きだ。

 

「ご、ごめんなさい、先生。でも、私……」

 

 キクコが釈明の言葉を口にしようとすると釣り人がキクコの身体を引き寄せた。

 

「やめろ。何なんだ、この子も変だがあんたは異常だぞ」

 

 釣り人の言葉にも先生は表情を崩さない。そもそも先生には顔がない。七つの眼が刻み込まれた仮面を被っており、その唇には紫色の紅が引かれている。

 

「離しなさい、俗物。私達の崇高なる目的に、あなたのような人間は不要なのです」

 

「崇高なる目的? あんた、この子を使って何をしようとしている? さっきからこの子の言い分はおかしい。もし、あんたがこの子の言っている先生なのだとしたら、一体何を教え込んだ?」

 

 キクコは狼狽した。自分の言い分がおかしいなど露ほども思わなかったからだ。

 

「答える必要がありますか?」

 

 先生がすっと手を差し出す。その手にはモンスターボールが握られていた。釣り人がぐっと奥歯を噛み締め自身のモンスターボールを抜き放つ。

 

「おじさん……?」

 

「ちょっと我慢してるんだ、お嬢ちゃん。この先生って言うのは間違っているんだ」

 

「で、でも先生は絶対なんだよ?」

 

 キクコの言葉に釣り人は、「絶対なんてないさ」と首を振った。

 

「誰だって、絶対なんて押し付けられないんだ。それがたとえ親だろうとね」

 

 釣り人がモンスターボールのボタンをドライバーでひねり、ボタンを押し込もうとする。先生は、「無駄な足掻きですよ」と忠告した。

 

「あなたが守ろうとしているのは鬼の子供です。それには破滅への導き手以外に生きる価値などないのですから」

 

「……やっぱり、あんたは気に入らないね。子供の未来を奪うもんじゃないよ、先生とやら」

 

 釣り人が繰り出したのは水色の鱗を持つ巨大な龍だった。よくよく目を凝らせば、背びれや髭などにその名残を見つける事が出来るがほとんどの人間は別物だと感じるだろう。際弱と呼ばれるポケモン、コイキングを育てなければ到達出来ない高みである、そのポケモンの名は――。

 

「ギャラドス。俺はもう枯れ果てた性分だけどな。これから先の未来を担う子供の芽が摘み取られようとしているのを大人が黙っちゃいられないよな」

 

 ギャラドスは大口を開けて咆哮する。その特性は威嚇。相手の攻撃を下げるほどの気迫が約束されているが先生は全く動じる事はない。

 

「俗物が私に」

 

 先生はモンスターボールを投擲した。出現したのは巨大な両手バサミを誇る紫色のポケモンであった。サソリを思わせる外観だが、空気を纏った皮膜は蝙蝠のそれでもある。猫のような黄金の眼と耳を有していた。このポケモンは自分の身体のうちに異なる生物の意匠を複数取り入れた存在だ。

 

「グライオン。分からせておやりなさい」

 

 グライオンは両手の巨大なハサミを提げてギャラドスへと獲物を狙いつける目を向ける。釣り人は乾いた唇を舐めて、「久しぶりだな」と呟く。

 

「お前とポケモンバトルをするのは。言う事を聞いてくれよ。お前は、そうでなくとも血の気が多いんだ。そのせいで、ろくにバトルもさせてやれなかったからな」

 

 ギャラドスは釣り人の命令を待たずにグライオンへと直進する。海上に佇む先生が、「なんと愚策」とこぼした。

 

「直進しか能がないとは。グライオン、回り込みなさい」

 

 グライオンはギャラドスの突進を難なくかわし、背後からハサミで狙いをつけようとする。だが、その前にギャラドスは口腔を開いてオレンジ色の光を充填させていた。球体を成した光が放射され、弾け飛ぶ。キクコには分かる。今の攻撃は破壊光線だ。その破壊光線を相手にではなく、海面に放った。津波が生じ、先生は舌打ちを漏らして波止場へと引きずり出される。釣り人がにやりと笑った。

 

「ようやく同じ足場に立ったな。見下されているようで気に入らなかったんだ」

 

 今の攻撃はどうやら先生をこちら側に引き寄せるための策だったらしい。ギャラドスは暴走していたのではなく、釣り人の命令をきちんと忠実に守ったのだ。

 

「つまらぬ事をするのですね」

 

 先生は衣服に付いた雫を拭いながら口にする。釣り人は、「つまらないわけがない」と断じた。

 

「これで対等だ」

 

 発せられた声に先生は唇の端を下げた。キクコはよく知っている。その仕草はこちらの挙動をいさめる時に使うものだと。

 

「対等、ですか」

 

 先生が口元に人差し指と親指を持ってくる。口笛が鋭く鳴らされ、グライオンが急降下してきた。そのハサミがギャラドスの首筋を狙って輝く。ハサミが開かれ鋭い一撃がギャラドスを射抜いた。ギャラドスが口を開けたまま仰け反ったかと思うと波間に倒れ伏す。釣り人は何が起こったのか分からないのか、「何を……」と戸惑っていた。

 

「ハサミギロチン……」

 

 キクコが代わりに技の名前を呟く。命中した相手に一撃必殺をお見舞いする技だ。命中率は限りなく低い。だが先生のグライオンはそれを確実に当ててくる事は、キクコならば知っていた。

 

「馬鹿な。そんな命中の低い技、いくら俺のギャラドスが久しぶりの戦闘だからって」

 

「だから言ったでしょう。凡俗には、何も理解出来ないのですよ」

 

 ギャラドスが身を起こそうするが、今のハサミギロチンは急所をついた。脊椎だ。麻痺した身体を動かす事はギャラドスの巨躯では出来ないだろう。

 

「大きなポケモンを操ろうと無駄な事。ポケモンでも人間でもたった一つの急所をつけば簡単に死に至る」

 

 グライオンが空気を纏いつかせ、皮膜で風を受け取りながらハサミを振り下ろす。すると衝撃波が生まれ、波止場の脆い足場を突き崩した。瞬く間に迫った衝撃波を避ける事は叶わず、釣り人は破壊の波に呑まれていく。悲鳴が木霊する中、すぐ傍の地面が抉れた様をキクコは目にしていた。

 

「おじさん!」

 

「俗物に触れるから、このような事になるのです」

 

 冷たく断じる先生にキクコは首を横に振る。

 

「先生、こんなのあんまりです!」

 

「あんまり? だというのならば、あなたはその命綱を切るべきです」

 

 ハッとしてキクコは身構えた。今の一瞬、瞬間的な判断でストライクを走らせ、釣り人を引き上げようとしている。それさえも見透かされているというのか。

 

「その大人を助けようとしても無駄ですよ。言ったはずですよね? 悪い大人がこの世界にはうじゃうじゃいると。そのような些事に構っている暇はないのです。キクコ。あなたはまだバッジを手に入れてないのでしょう?」

 

 その言葉にキクコは心臓が収縮するのを感じ取る。先生から命じられたただ一つの事柄。それが脳裏に思い起こされる。

 

 ――怖いものは仕舞ってしまいなさい。外はあなたの怖いものしかないのですから。

 

「奪うために、殺し、引き裂き、八つのバッジを手にする。そのためにあなたのような愚図を外に出したのです。あなたは鈍いですが、センスはあなた方の中でも随一。ポケモンをそのために与えてやったというのに、そのポケモンを他人に貸すなど愚の骨頂」

 

 先生は見抜いている。自分のゴーストをナツキと交換した事を。自分の下にはストライクしかいない。ストライクでは万全な命令が行き届かない。

 

「思惟を飛ばしてポケモンを操る。あなた方に出来るそれは、他の大多数と同じようにポケモンバトルなどというままごとに利用するためにないのです。崇高なる目的のために野に放ってやったのに、恩を忘れこのような辺ぴな土地で時間を浪費するとは」

 

 先生が睨んだのが分かる。仮面越しでも先生は自分の心の奥底にある弱さを射抜く光を灯している。キクコは耳を塞いだ。

 

「いや、先生、許してください……」

 

「いいえ、許しません。俗世に甘んじるだけではなく、使命さえも忘れるとは。もう一度、叩き込む必要がありそうですね」

 

 グライオンが身を返し、キクコへと飛びかかろうとする。だが、それを遮った影があった。立ち塞がったのは釣り人だ。

 

「おじさん……」

 

「拾ってもらって格好つかない命だけどな。俺は言えるぜ。大人として、あんたは間違っているって。子供の未来を束縛するのが大人じゃないんだ」

 

 ギャラドスが身じろぎする。その身体にはまだ熱い生命の息吹きがあるのが感じ取れた。先生は鼻で笑い一蹴する。

 

「何になるのです、そのような抵抗。それに私はその子の未来を束縛しているのではありません。長い目で見れば、その子にとってきっとよりよい未来が訪れる。そのために叱責しているだけです」

 

「あなたのために怒る、ってわけか。でもよ、子供にはそんなお題目を掲げた大人の思惑なんて通じないんだよ」

 

「理想を掲げないで誰が規範となるのですか」

 

「規範となるのなら、大人が先んじて危ない橋だって渡ってやる気概を見せてやるもんだ! あんたのやっている事は遠巻きに子供を眺めて、形式で叱っているに過ぎない!」

 

 先生が仮面越しの視線を振り向け、「キクコ、よく見ていなさい」と手を振り上げた。

 

「このような大人が、道を踏み外す要因となるのです」

 

 グライオンが釣り人へと狙いを変えた。釣り人は、「まだ動けるよな!」とギャラドスに声を飛ばす。ギャラドスは応じて吼えた。尻尾で飛沫を巻き起こし、津波のように直進してくる。先生はしかし、落ち着き払ってグライオンに指示を飛ばす。

 

「どうやら先ほどの攻撃は甘かったようですね。瀕死レベルで諦めないのならば、殺すしかないようです」

 

 キクコは確信する。先生は本気だ。本気で釣り人とギャラドスを殺すつもりである。覚えずその袖を引いた。

 

「おじさん! 私はおじさんに傷ついて欲しくないよ!」

 

 釣り人はしかし、首を横に振って鼻筋を擦った。

 

「心配してくれているのは嬉しいが、違うな、お嬢ちゃん。傷つくのは、間違った大人のほうだ! 俺は間違っていない!」

 

 ギャラドスが口腔内に再びオレンジ色の光を凝縮させる。破壊光線は通じないのだと先ほど悟ったばかりだろうに。

 

「ほとほと呆れますね。前時代的な猪突猛進攻撃。それが子供の規範たる大人の姿だとでも言うのですか」

 

「真正面から向かってやれば、子供は応えてくれるんだよ」

 

 釣り人の言葉通りにギャラドスはグライオンに向けて破壊光線を一射する。グライオンはハサミを振り上げあろう事か真正面から破壊光線を弾いた。釣り人が瞠目する。

 

「分かりませんか? 真正面から向かおうが後ろから騙まし討ちをかけようが、全く縮まない差があるのだという事を」

 

 グライオンは破壊光線をただ弾いたのではない。ハサミを開き内部へと破壊光線の余剰エネルギーを吸収している。次の一撃が決定打になるのは明らかだ。キクコは釣り人を退かせようとした。

 

「もういい! もういいよ! おじさんが死んだら、悲しいよ」

 

 キクコの言葉に釣り人は引き下がろうとしたが、それでも代えられないプライドがあるのだろう。雄叫びを上げ、「ギャラドス!」と声にした。

 

「アクアテール!」

 

 ギャラドスが尻尾を振るい上げ、波そのものと同化した攻撃を放つ。突風か、はたまた津波の勢いを伴った水の攻撃はしかし、グライオンが懐に潜り込んだ事で中断された。

 

「グライオン、躊躇う事はありません。ハサミギロチンで首を落としなさい」

 

 グライオンの一撃は今度こそギャラドスの太い首を断ち割ったかに見えた。事実、銀色の一閃は迷いなく放たれたのだが、それを防いだ銀色があった。空中で断ち割られたのはギャラドスの首ではなく、鉄の塊の一片だった。先生がハッとしてグライオンの攻撃を遮った影の名を忌々しげに口に出す。

 

「ストライク……!」

 

 波間から飛び上がったストライクが鉄の塊を盾代わりにしてグライオンの攻撃を防いだのだ。呆然としていた釣り人がキクコへと目を向ける。

 

「お、お嬢ちゃん……」

 

「キクコ、何のつもりなのです」

 

 先生の問い質す声にキクコは応じる。

 

「おじさんを殺させたくありません。私は、そう決めました」

 

 今にも膝が崩れ落ちそうだ。それほどまでに先生に歯向かうというのは身体全体が拒否している。だが、それ以上に今は目の前の命を消される理不尽から救いたかった。先生は、「そう……」と呟くとグライオンへと視線を振り向ける。

 

「対象が変わりました。グライオン、ストライクを戦闘不能にしなさい」

 



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第七十四話「心のぬくもり」

 

 グライオンはハサミを振り翳し空中のストライクへと狙いを定める。

 

 皮膜が風を帯びて広がり、グライオンの速度を向上させた。ストライクは翅を震わせてグライオンの隙を窺う。だが、キクコは身に沁みて知っている。先生の操るポケモンに死角はないと。それでも、立ち向かわざるを得ないのだ。キクコの呼吸が乱れたのを感じ取ったのだろう。「お嬢ちゃん、無茶は……」と釣り人が声を振りかけた。

 

「無茶じゃ、ないよ。私は、おじさんを救いたいから」

 

 静観していられるほど薄情ではない。キクコは思い切って思惟を飛ばした。ストライクの技構成は理解している。「しんくうは」で接近の機会を窺い、相手に対して間断のない攻撃を浴びせかけるのが得意だ。だがグライオンは地面・飛行タイプ。効果的なダメージが与えられるかどうかは怪しい。

 

「キクコ。あなたはもっと賢い子だと思っていました」

 

 心底、失望したという声にキクコはぎゅっと拳を握り締める。切れそうな意思の力を繋ぎ止めようとした。

 

「……先生。わがままを許してください」

 

「キクコ。あなたは勘違いをしているようですね」

 

 ストライクが真空の拳を打ち出す。グライオンは身をかわしたがこれは接近の機会を窺う嚆矢だ。ストライクが鎌を振るい上げる。「れんぞくぎり」の猛攻を浴びせようとしたストライクとキクコへと、冷たい声がかけられた。

 

「――わがままが許されるのは、何も知らない人間の時だけです」

 

 グライオンがハサミをストライクの鳩尾へと打ち込んだ。キクコにはその攻撃が自分に浴びせかけられたように感じられた。ただの鉄拳ではない。空気をねじ込みながら放たれた一撃は弾丸のように重かった。ストライクが身をくの字に折り曲げる。グライオンが舞い上がり、ストライクへと風を纏った刃を一射する。ストライクへと辛うじて思惟を戻したキクコはその攻撃を間一髪回避する。

 

「ツバメ返し……」

 

 受ければただでは済まないだろう。後方へと回り込もうとしたストライクへと一撃が叩き込まれた。グライオンは振り返っていない。前を向いたまま、居合いの勢いを伴って背後へと攻撃を放ったのだ。

 

「ツバメ返しは必中。回避したところで命中する運命からは逃れられない」

 

 腹部に鋭く傷がつく。外骨格が捲れ、破片が舞い散った。

 

「ナツキさんのストライクが……」

 

「教えたはずです、キクコ。即席のコンビネーションなどでは決して勝てない。勝率を求めるのならば最も効率のいい攻撃を与えなさい、と。ストライクの技構成では、どう考えても私には及ばない」

 

 グライオンが直上へと躍り上がり、サソリを思わせる尻尾でストライクの頭部を打ち据えた。ストライクが目を回している間にも攻撃は続く。ハサミが振るわれストライクの翅を引き裂いた。

 

「ストライク……」

 

 思惟が自分に引き戻されるのを感じた。ストライクはこれ以上の痛みをトレーナーである自分に与えるつもりはないらしい。その潔さは本来のトレーナーであるナツキに似ていた。

 

 鉄の塊の残りを盾にする。だがグライオンはその程度で緩和出来る攻撃力ではない。地表を巻き上げる速度でグライオンが飛び去ると、その腕には岩で固められた刀剣が形作られていた。

 

「ストーンエッジ……」

 

 直撃すれば瀕死は免れない。キクコは必死に、避けて、と命令を飛ばそうとするがストライクは既にボロボロだった。翅は擦り切れ、鎌は刃毀れしている。外骨格のそこらかしこには亀裂が走っていた。

 

「ストーンエッジを受ければ、虫・飛行タイプのストライクは大打撃を負います。キクコ、今ならば許しましょう」

 

 その言葉に顔を上げると先生が釣り人を指差した。

 

「その大人を殺すのです」

 

 何を言っているのだ、とキクコが目を戦慄かせると、「出来るはずですよね?」と先生が確認の声を被せた。

 

「今まで何人殺してきたのです? 伊達に殺しを重ねたわけではないでしょう? たとえ半死半生のストライクといえども、首を落とすくらい動作もない」

 

 先生はこう言っているのだ。ナツキから交換してもらったストライクを使い、自分の手で釣り人との因果を断ち切れ、と。

 

「……で、出来ま――」

 

「出来ない、などとは言わないですよね? 何の変哲もない一般人。殺したところで何があるのです? 価値基準の話をしましょう。長い目で見れば、この大人一人が死んだところでカントーにとっては痛手にはならず、むしろ庇護すべき対象が減って喜ばしい。こういう大人が将来、税金を食い潰し、無為に生き、呼吸し、カントーの大地を擦り減らすのです。今ならば、堅実な判断が出来る。キクコ。目的を達成してからの間引きは反感を買います。何者でもないあなたならば、出来るはずですよ」

 

 何者でもない自分。キクコはその他と入り混じって仮面を被っていた頃を思い出す。

 

 ――私以外の私がたくさんいて、その中で私は選ばれた。

 

 それだけでも充分に価値がある事だ。無価値のまま、自分は消費されるかもしれなかったのだから。ここで足掻く事は先生の期待を裏切る事になる。先生の教えは絶対だ。

 

 キクコは釣り人へと目を向けた。釣り人は恐れておらずキクコを見つめ返す。その眼差しの意味がキクコには最初、分からなかった。この状況で怯えるのならば分かる。慄くのならば理解が出来る。だというのに、どうして殺人者である自分を信じられるのだろう。

 

「この子に、殺しはさせねぇぞ」

 

 釣り人は反抗の光を双眸に湛えて先生を睨んだ。先生は手を開きグライオンへとストーンエッジを促そうとする。

 

「やりなさい。やらねばポケモンが死にますよ」

 

 ストライクを選ぶか、釣り人の命を選ぶか。キクコは判断に立たされていた。釣り人は逃げ出そうともしない。どうしてなのか分からない。

 

「おじさん……」

 

 殺す側である自分のほうが怯えている。臆している。釣り人は、「卑怯な手段を使うんじゃない」と先生を糾弾した。

 

「子供にそんな残酷な選択を迫りやがって。自分のポケモンか他人の命かだ? どちらにせよ、お嬢ちゃんは汚れ仕事を背負う事になる。そんなの、俺は御免だね。ギャラドス!」

 

 ギャラドスが緩慢な動作でグライオンを仰ぐ。何をするのか、と今さら尋ねるまでもない。ギャラドスの破壊光線でグライオンを叩き落そうと言うのだろう。キクコからしてみれば、無謀以外の何者でもない。

 

「お荷物になるくらいなら、俺は戦う!」

 

 その身体のどこにそんな力があるのだろう。その心のどこにそのような勇気があるのだろう。釣り人とギャラドスは果敢に立ち向かった。破壊光線のエネルギーが集束する。先生は舌打ちを一つ漏らし、手を振り下ろす。グライオンがストーンエッジを掲げて一直線にギャラドスへと降下した。ギャラドスが破壊光線を放つ。グライオンは回避するまでもないと感じたのか、岩の刀剣で破壊光線を切り裂いた。ギャラドスの眉間へと切っ先が向けられる。

 

「させない! ストライク!」

 

 声に呼応して弾けたストライクの身体が最後の力を振り絞ってグライオンの前に立ち現れる。先生は手を薙ぎ払った。対応したグライオンが岩の剣を薙ぐ。

 

「邪魔です!」

 

 ストライクは咄嗟に鎌を交差させて防御の姿勢を取ったが意味を成さなかった。鎌と、盾代わりに使っていた鉄の塊が断ち切られる。鎌はボロボロに砕けて空中を舞った。肘から先が生き別れになる。

 

 ストライクを斬ったグライオンはそのままギャラドスへと直進しようとした。だが、その時釣り人が声を上げた。

 

「何だ? あれは」

 

 釣り人の視線に先生も目を向ける。

 

 空中のストライクを中心として妙な動きがあった。砕け散った鎌と鉄の破片がまるで天体のようにストライクを軸に回転する。ストライクは宙を舞ったまま、鉄と自分の身体から飛び散った破片が集合するのを見ていた。鉄が磁力のようなものを伴って鎌の破片と繋がる。極微少な破片同士が接着し、ストライクへと寄り集まっていく。それはさながら惑星の誕生であった。細やかな破片が球形となり、ストライクを押し包む。ストライクが身体から光を発し、破片を自らのものとして吸収していく。

 

「何をしているのです!」

 

 先生が悲鳴のような声を上げる。キクコは、「私がどうこうしたわけじゃない」と告げた。

 

「ストライクは、多分分かっていた。それが自分にとって必要である事を。本能的に理解してあれを持っていた。そして一度主の下を離れる事さえも厭わず、自身を戦いの研鑽に置いた。それでさらなる高みへと昇れる事を知っていたから」

 

 先生はハッとして先ほどストライクが持っていた鉄の塊の正体を理解したようだ。

 

「まさか、メタルコート? 不純物が混じっていて、ただの鉄の塊に見えたけれど、あれは鋼の――」

 

 そこから先を遮るようにストライクから放射された光が一際輝きを増し、破片でできた殻を破った。

 

 そこから現れたのは赤いしなやかな体躯を持つ別のポケモンであった。砕かれた鎌の代わりに赤いハサミがついている。翅にはさらに強固な赤い鎧が備え付けられ、全身が丸みを帯びたシルエットになっていた。それでありながら、鋭い瞳はストライクであった頃の面影を残している。

 

「……ハッサム。ストライクの進化系」

 

 先生が熱に浮かされたように口にする。キクコは手を上げて開いた。

 

「ハッサム。グライオンへと攻撃」

 

 ハッサムが空気の膜を両方のハサミへと纏い付かせる。グライオンが岩の剣を振り翳し、「今さら真空破で!」と先生の声が弾けた。

 

「何が出来る?」

 

 しかしハッサムの攻撃は今までのように空気を撃ち出すのではない、純粋な打撃攻撃となっていた。それでありながら一撃の重さは段違いだ。一瞬にして接近したハッサムに気圧される前に岩の刀剣へと銀色の光を帯びた拳が叩き込まれる。岩が一撃で削れ落ち、破片がグライオンの視界を邪魔する。その隙をついてさらに一撃、グライオンの鳩尾へと正確無比に打ち込まれた。

 

「真空破じゃ、ない……」

 

「これは鋼の拳、バレットパンチ」

 

 真空破が進化に伴って変化したのだ。より相応しい形へと。「バレットパンチ」の直撃を受けたグライオンはストーンエッジを砕かれて呆然としていたが先生が持ち直して命令をする。

 

「バレットパンチ程度で何が! 所詮は虫に鋼タイプが付与されただけの事!」

 

 グライオンはハサミを振り上げて前進する。ハサミからは必殺の一撃の勢いが輝きを帯びていた。

 

「ハサミギロチン!」

 

「ハッサム、電光石火」

 

 瞬時にして掻き消えたハッサムはグライオンの真正面にいた。グライオンがハサミを慌てて振るうが、既にハッサムは眼前にいない。どこへ、と首を巡らせる前に背後から蹴りが見舞われた。グライオンが応戦のハサミを浴びせかける前にハッサムが電光石火の速度で離脱する。

 

「ちまちまとした攻撃で、グライオンは墜とせませんよ」

 

 ハッサムがグライオンの攻撃をいなして次の挙動に移るまでに、先生が声を発した。グライオンは防御特化型だ。それくらい、キクコでも知っている。

 

「分かっています。でも、このハッサムの特性は軽い攻撃を連続して浴びせる事が何よりも得意!」

 

 ハッサムが弾丸の拳をグライオンへと撃ち込む。グライオンは岩で固めたハサミで防御の姿勢を取ったが岩はすぐさま砕かれる。明らかに攻撃力が上がっていた。先生が、「何故……」と呟き、ハッサムが踵落としをグライオンに与える。攻撃そのものの重さはさほどではない。先生はようやくそれを見抜いたようだった。

 

「特性、テクニシャン……?」

 

「そう」とキクコが手を開く。

 

「ハッサムは自身の攻撃力の低さを、その技量を持って補っている。これが、ハッサムの攻撃」

 

 ハサミが突き出されるかに思われた。グライオンが受け止めようとするがそれはフェイントだ。本懐は薙ぐように放たれた蹴りだった。グライオンの皮膜の一部が破れる。その一瞬の隙をつき、ハッサムが散弾のように連続してハサミの拳を打つ。

 

「バレットパンチ……! 一撃の重さはなくとも、連携に持ち込めば」

 

「その力は無限大に上昇する!」

 

 キクコの声に呼応してハッサムがバレットパンチの応酬を浴びせる。先生が口笛を鋭く吹きつけた。

 

「グライオン、消耗戦はするものじゃありません」

 

 グライオンは先生の指示に従い、大人しく引き下がった。追撃の攻撃を準備するハッサムとキクコに向けて先生は問いかける。

 

「何故です? どうしてそうまでして凡俗と共にあろうとするのです。あなたの手はとっくに血に染まっているのですよ」

 

 先生の言葉にキクコは衝撃を受けつつも首を横に振る。

 

「……確かに、私はもう戻れないのかもしれません。それでも、先生、夢を見るのはいけませんか? ユキナリ君やナツキさんと一緒にいると、ぽかぽかするんです」

 

 キクコは胸元を押さえた。殺しを行う自分の行動は冷徹そのものだっただろう。だが、その部分とは違う、何か一線を画したものが芽生えつつあるのを感じた。

 

「ぽかぽかして、楽しい。先生は、楽しい事についてはぜんぜん教えてくれませんでしたよね。怖いのは、仕舞っちゃいなさい、って事だけしか」

 

「それがあなたに必要だと私が判断したからです」

 

 キクコには反論出来ない。世界そのものである先生を否定する事など出来なかった。それもまた、一つの、悲しい感情だったからだ。

 

「私、間違っていたのでしょうか」

 

「間違っているというのならば、その同行者と共にいるのが間違いなのでしょう。今からでも遅くはありません。執行者としての使命を全うし――」

 

「破壊光線!」

 

 張り上げられた声に遮られ、オレンジ色の光条がグライオンのすぐ傍を走った。出力を絞られた破壊光線がグライオンの皮膜を焼く。

 

「先生とやら。それ以上は、部外者だって黙っていられないぜ」

 

 釣り人の言葉と背後を取っているギャラドスに先生は舌打ちを漏らしてからモンスターボールを掲げた。グライオンが戻り、先生の姿が景色に溶けていく。

 

「そのうち分かります。あなたは、他の場所では生きられないのだという事を」

 

 どういう意味なのか。問い質すような暇は与えられなかった。先生はその場から消失する。どのポケモンか分からないが恐らくはテレポートで移動したのだろう。

 

「助かった、のか」

 

 釣り人の声にキクコが目を向ける。緊張を脱した光に頭を下げた。

 

「ごめんなさい。怖い思い、したよね……?」

 

 釣り人は虚勢を張る事はなく、「ああ。びびっちまった」と呟く。

 

「情けないところ、見せちまったかな。大人ならばしっと反論するべきなんだが、おじさんは弱くって」

 

「そんな事はないよ」

 

 キクコは頭を振る。その様子に釣り人はきょとんとした。

 

「そんな事、ないよ」

 

 少なくとも自分は救ってくれた。ヒーローだという事を伝えようとすると、「よせやい」と釣り人は帽子のひさしを目深に被る。

 

「男はな、守られるのが仕事じゃない。守るのが仕事なんだ。だから、これも、見せちゃ駄目なんだよ」

 

 釣り人が肩を震わせる。恐怖によるものが今になって出てきたのだと知れた。

 

「泣いているの?」

 

「これは、心の汗だよ」

 

 強がる釣り人に微笑みを返し、キクコは消え去った先生の行く末を眺めた。先生はもしかしたらこれからも散発的に自分を襲ってくるかもしれない。その犠牲にユキナリやナツキが及ばないとも限らないのだ。キクコは拳を握り締める。

 

「させない。私が、二人を守るんだから」

 

 だが先生の言葉も正しい。自分は殺人者だ。そんな人間が見せる優しさや強さは正しのだろうか。迷いの胸中に釣り人が語りかける。

 

「あの、先生とやらはお嬢ちゃんの事を、もう戻れないだの、人殺しだと言っていたが」

 

 釣り人も自分を糾弾するのだろうか。その恐怖に縮み上がっているとふと温かな手が肩に添えられた。

 

「俺にはそうは思えない。たとえお嬢ちゃんが過ちを犯していたのだとしても、大事なのは今だ。今もお嬢ちゃんの心は荒み切っているのか、どうか」

 

 キクコは自らに問いかける。先ほど先生に発した言葉を思い出す。

 

「分からない。でも、ぽかぽかするの。みんなと一緒にいると。これって変なのかな?」

 

 自分でも分からない。この感情が何なのか。楽しい、という気持ちが本当のところでは理解出来ていないのだ。だが釣り人は迷わず口にする。

 

「変なんかじゃない。人間として、誰かと一緒にいて楽しいのは当たり前の感情なんだ。お嬢ちゃんの心に陽だまりが差し込んでいるのならばそれはもう、あの先生の言葉通りじゃないって事だ」

 

 釣り人の飾らぬ笑顔にキクコはくすぐったさを覚えながら、「これが、楽しい、って気持ち……」と呟く。胸の中に、そっと仕舞うように。怖い感情とは違う。柔らかで自分の内側へと染み込んでくる。

 

 釣り人が盛大にくしゃみをした。どうやら先ほど海に落ちたせいで身体を冷やしたらしい。

 

「ひとまず、陸に上がるか。戻ろう、お嬢ちゃん」

 

 キクコは微笑んで、「うん」と頷く。釣り人が先行する中、キクコは一瞬だけ立ち止まり水平線を眺めた。

 

「……先生。私は行きます」

 

 



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第七十五話「禁忌のボール」

 

 岩石と吹き荒ぶ粉塵の嵐。それが視界を埋め尽くす全てだった。

 

 青い光が纏い付き、一つの岩石から数珠繋ぎに岩石を射出する。射程に捉えたそれらを薙ぐように手を払った。

 

「オノンド、ドラゴンクロー!」

 

 傍に立つオノンドが両牙から扇状の光を放射し、一つに集合させて一直線に放つ。大剣の様相を呈した攻撃が岩石を吹き飛ばす。岩石は粉々に砕け散ったが、それら粉塵が意思を持ったように、今度は微小な針となってオノンドと自分へと襲いかかる。

 

 もう一度、ユキナリは指示を飛ばす。

 

「ドラゴンクロー、拡散!」

 

 一瞬にして大剣の「ドラゴンクロー」が拡散し、短剣の群れとなった。短剣はそれぞれ幾何学の軌道を描きながら砂嵐を引き裂いていく。カーテンが断ち切られていくように視界が鮮明になった。砂の法衣の向こう側にいたのはヤドンとガンテツである。ヤドンは尻尾を揺らし青い思念の光で岩と砂を操っていたのだ。ガンテツは、「そこまで、やな」と眼前まで迫っていた短剣を見やる。ユキナリも息を荒立たせながら首肯する。

 

「オノンド、解除だ」

 

 その言葉で跡形もなく短剣は霧散した。ガンテツは後頭部を掻きながら、「とんでもない技を顕現させたもんやで」と苦笑する。

 

「オノンド。末恐ろしいな」

 

 ガンテツとヤドンがオノンドに歩み寄り、オノンドの顎をさするがオノンドは抵抗しない。敵対対象でないと分かっているからだろう。

 

 今一度、オノンドは自分の制御下に入ってくれた。その事に礼を言わねばならなかった。

 

「ありがとう、ガンちゃん。ボールだけじゃなくって、オノンドと僕の特訓に付き合ってくれるなんて」

 

「水臭い事言うなや。職人はボールのアフターケアもせなならん。それが務めや。それに今まで作った事のないボールとなると余計にな」

 

 ガンテツの口調はユキナリがホルスターに留めているボールを認めると沈痛な声音になった。

 

「……すまんな。試作品みたいなもんしか渡せんで」

 

 ガンテツは職人魂から悔いているのだろう。曰く、これはまだ半分ほどの完成度らしい。ユキナリはそのボールを手に取って眺める。「GS」と刻み込まれた黒色のボールだった。

 

「これ、完成するとどうなるの?」

 

「完成はせんよ。それはガンテツ一門に伝わる、時を捕らえるボールやからな」

 

「時を、捕らえる……?」

 

 粗暴な言葉に胡乱な声を返すと、「一応、説明する」とガンテツは佇まいを正す。

 

「ガンテツ一門ではずっと言い伝えられている究極のボールがあるねん。それは時を捕らえるモンスターボール。俺の故郷はジョウトのヒワダタウンでな。近くに森林地帯がある。ウバメの森と言ってな。古くからその森の祠には時の神様が住んどるっていう伝承が伝わっとった。昔、ガンテツ一門でも、それはずば抜けた才能を持つ優秀な腕の弟子がいてな。その男が悪い連中にそそのかされて作り上げたんや」

 

「それが、時を捕らえるボール」

 

 ガンテツはこくりと頷き、「それがGSボール」と続けた。

 

「時の神様の領域を侵犯するボール。もちろん、ガンテツ一門ではそのボールの技術は鬼門とされた。ヒワダタウンと縁の深いウバメの森を貶めるようなボール、作ってええわけがない。その弟子は破門。ただし、ガンテツ一門ではその弟子の持つ技術を吸い出し、今日に至るボールの基礎技術を作り上げた。その弟子の魂は死んでも死に切れず、永遠にガンテツ一門を呪い続けたという。だから、俺らガンテツの名を冠する人間が作ったボールにはこういうもんがある」

 

 ガンテツがユキナリのGSボールの裏を示す。ボールの底に奇妙な文様があった。

 

「これは?」

 

「魔除けの印や。ガンテツの名を許された者のボールには余さずこれがつけられる。その弟子が悪霊になってでも手をつけようとしたボールに手が出せんようにな」

 

「じゃあ、このボールは今の昔話とは関係ないんだ?」

 

 ユキナリの言葉にガンテツは重々しく返す。

 

「……本当は作ってはならん技術やったんや。当然、扱う側にも心構えが必要になる。正しい心で使われへんのなら、俺はガンテツの名において、作品を破壊せねばならん」

 

 ユキナリにはガンテツが言っている「時を捕らえる」ボールと今自分が使っているGSボールがそれほどまでに密接な関係だとは思えなかった。

 

「でも完成はしないんでしょう?」

 

 楽観的なユキナリの言い分にガンテツは、「それは所有者の使い方次第なんや」と口にして近場の岩に腰かける。

 

「使い方によっては神のボールにも悪魔のボールにもなる。今回、緊急的にオノンドを入れるボールに用いたが、本質は禁忌のボール。決して、気を緩めたらあかん。半分しか完成してないって言ったのはな、それもあるねん」

 

 ユキナリはGSボールを眺めながら自分も岩場に腰かける。オノンドは岩で自分の牙を研いでいた。しかし岩が脆いのかオノンドの牙が鋭いのか、岩は紙切れのように切り裂かれてしまった。

 

「オーキド、頼む。オノンドを悪魔にしてやるなよ」

 

 ユキナリはボールを見下ろして首肯する。もう二度と、オノンドから離れるつもりはなかった。

 

「分かっている。僕が、しっかりしなきゃいけないんだ」

 

 オノンドは岩を斬っている。ユキナリはぽつりぽつりと喋り始めた。

 

「ドラゴンクローがここまで進化したのは、僕がゲンジさんに勝ちたいって気持ちが強くなったせいなのかな。それともオノンドの素質?」

 

 ガンテツは首をひねり、「どっちとも言えんな」と呟いた。

 

「ただ、トレーナーとポケモンはお互いを高め合う事が出来る。オーキドとオノンドはその域に達したって事なんやろ。俺には、正直なところ、ポケモンに関する知識よりもボールに関する知識のほうが多いからな。はっきりした事は何一つ言えんが、オーキドはオノンドを信じたんやろ?」

 

 ユキナリが頷くと、「なら、信じ抜けばええねん」とガンテツは言った。

 

「信じ、抜く」

 

「そう。それが意外に難しくってな。大抵のトレーナーが負けた事をポケモンのせいにしたり、ポケモンも自分を扱うトレーナーを認めん事は儘ある。歩み寄れば、ええんやろうけれど所詮は別の種族。超えられん壁ってもんがあるんやろうな」

 

「別の種族……」

 

 ユキナリは繰り返しながらオノンドを見やる。オノンドはユキナリを見て鳴き声を上げた。嬉しいのだろう、とオノンドの思考が伝わってくる。だが、これも結局自分が想像しているだけなのだ。オノンドの気持ちは、誰に理解が出来る? 誰もオノンドの本当の気持ちなど分かりはしないのではないか。

 

 ふと、キクコの顔が像を結び、いや、あれは、と遠ざける。だが、記憶の中にあるキクコの瞳はオノンドの赤い眼とよく似ていた。

 

「超えられん、というよりも超えてはならん壁。それを超えた時、人間は人間のままなのか。ポケモンはポケモンのままなのか」

 

 誰にも出せない答えだ。ユキナリは、「考え過ぎだよ」と努めて明るい声を出す。

 

「それよりも、ボールありがとう。僕は未熟者だ。だから、ボールがないと困る」

 

 戻れ、とボールを突きつけるとオノンドが赤い粒子になってボールに戻った。今まではボールの開閉機能を用い、少しばかり手間取ってボールに戻していたが一瞬の事で戻せる事にありがたみを感じると共に畏怖もした。これが当たり前の技術になるというのか。

 

「こんな簡単に出して戻せるのなら、誰もポケモンとの関わり合いなんて今ほど考えなくなるかもね」

 

「そうやなぁ。それ、一門でも問題になっていたところや。師匠に、もしこのボールが普及したらお前はどうする? どう思う? って聞かれてな」

 

「どう答えたの?」

 

「俺は何も言えんかった」

 

 ガンテツは鍾乳洞の天上を眺めつつ悔恨のような口調で漏らす。

 

「気の利いた言葉の一つでも出ればよかったんやけれど、俺は何も、何一つ言えんかったのが現実や。便利だと思います、やら、それはポケモンと人間の関係に歪が生じます、やら考えついたけれどな。どれも嘘くさく感じられて言えんかった。師匠は、ならば旅に出ろ、って俺をこのポケモンリーグに出した」

 

 ガンテツにとっては知るための旅なのだ。言えなかった答えを探し、いつか辿り着くための。だが、トレーナーである自分でさえその答えは皆目見当がつかない。憂う気持ちも、逸る気持ちもある。だが、どれも言葉にすれば陳腐になるという点では同じだった。

 

「ガンちゃんは、でも、そんな迷いの中でもGSボールを作ってくれた」

 

「俺には、オーキドの話を聞いて真っ先に図面が浮かんだのがこれやったんや。もしかしたら一門の呪いを押し付けるような真似やったかもしれん」

 

「そんな。ガンちゃんは最善を尽くしてくれた」

 

「それでも俺は――」

 

 ガンテツはそこで言葉を切った。それでも、何なのだろう。続きを聞く前に別の声が響き渡る。

 

「いつまで修行?」

 

 声の主は逆光に立っており一瞬、目が眩んだ。

 

「ナツキ?」

 

 どうして、という声が漏れる前に、「動きがあったわ」とナツキがイワヤマトンネルの中へと踏み込んでくる。その後ろからついてくるポケモンには見覚えがなかった。寸胴の体系で、後頭部から背中にかけて剣山のように尖っている。紫色の身体に真紅の眼をしていた。

 

「このポケモンは?」

 

「ゲンガーよ。ゴーストが進化したの」

 

「ゴーストって、キクコの?」

 

 思考が追いつかずきょとんとしていると、「交換したのよ。文句ある?」とナツキが顔を覗き込んできた。

 

「文句はないけれど……。進化するんだ……」

 

 ユキナリはゲンガーを認めるなり、鞄からスケッチブックを取り出した。鉛筆で目測をつけ、あたりを描いていく。その様子にナツキは呆れ返った声を出す。

 

「こんな時にまでスケッチ?」

 

「こんな時だからこそだよ。最近、まともにスケッチも出来ていなかったから」

 

 ゲンガーは短い手足で一見未発達に思えるが、きちんと五指があり、充分な機能を備えているのが分かる。

 

「ゲンガー、片手で何かを展開しているね。それ、何?」

 

 ユキナリはスケッチブックに向かいながら、鉛筆を休ませずに尋ねる。ナツキは腰に手を当て、「だから動きがあったんだってば」とスケッチブックを取り上げる。

 

「何するんだよ」

 

「人の話を聞きなさい」

 

 ナツキがユキナリの頭上でスケッチブックを垂らす。ユキナリは何度か取り戻そうと手を伸ばした。

 

「動き、言うんは?」

 

 ガンテツが代わりに尋ねる。「それがね」と話に入ったところをユキナリはすかさず取り戻した。ナツキは既にそれどころではないようだ。

「何?」とこちらに視線を注ぐ二人を見返しながらユキナリがスケッチブックを抱えている。ナツキは、「まぁ」と口を開いた。

 

「見てもらうほうが早いわね」

 

 



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第七十六話「シルフの闇」

 

 少女が部屋の中央で正座を組んでいた。スーツを着込んでおり、水色の髪を髷のように結い上げている。

 

「この子は?」

 

 ユキナリが訊くと、「重要参考人」とナツキが返す。

 

「……真面目に訊いているんだから真面目に返してよ」

 

「大真面目よ。こいつは手がかりを持っている。ユキナリ、ゲンジの事よ」

 

 その一言でユキナリは叩き起こされたようにハッとした。少女を見やる。まさか、ゲンジの仲間だとでも言うのか。

 

「詳しくはご本人から話を聞こうかしら」

 

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 ユキナリが制止の声をかける。どうして、そのような人物をナツキが保護出来たのか。

 

「何をしたってわけ?」

 

「戦ったのよ」

 

 ナツキの言葉は素っ気ない。少女が、「で、私が負けた」と言葉を継ぐ。どうやら二人の間では無言の了承が降り立っているようだ。

 

「何で、そんな……」

 

「嬢ちゃん、こいつが通じているって言う確信があったわけやな」

 

 狼狽しているユキナリに対してガンテツは冷静だ。ナツキは頷いて、「意外に物分りがいいのね」と口にする。

 

「昨日の今日で出来すぎてはいるがな。でも捕らえるほどの価値はあるわけや」

 

「捕らえるって……」

 

 ユキナリは少女を上から下まで見回す。どこも拘束されていない。少女は自主的に正座を組んでいるように見える。

 

「分からない? ゲンガーの黒い眼差し。ゲンガーが感知する範囲ではこいつは逃げられない」

 

「だから、得意でもない正座をしているってわけ」

 

 少女はあっけらかんと口にする。自分が捕らえられている自覚などないかのようだ。

 

「調子に乗らない事ね」とナツキが胡乱そうに声にする。

 

「でも、私がいない事には話が進まない。違う?」

 

 少女の言葉にナツキは歯噛みした。吐き捨てるように、「説明なさい」と告げた。少女は流麗な佇まいで自己紹介する。

 

「はじめまして、オーキド・ユキナリ君。私の名前はラン。ホウエンのトレーナーです」

 

「ホウエン……」

 

 ゲンジと同郷だ。その事を目ざとく感じ取ったのか、「ゲンジとは関係がない」と返す。

 

「故郷の問題では、だけれど」

 

「気をつけなさい、ユキナリ。こいつは心を読む」

 

 告げられた言葉の意味が分からず、ユキナリは小首を傾げる。

 

「心を読むって」

 

「その通りの意味です。私は、人の心が読める」

 

 にわかには信じられなかったがナツキもいる手前、担いでいるわけではないだろう。重々しい空気の中、ナツキが促す。

 

「ラン。あんた、どういう組織に属しているのか、説明出来るわよね」

 

「仰せのままに」とランがおどけて答える。ナツキはその返答さえも気に入らなかったのか眉をひそめた。

 

「私が属しているのはシルフカンパニーの下部組織。それ以上は言えない」

 

 ナツキが床を叩いて立ち上がる。その音にユキナリはびくりと肩を震わせた。

 

「何でも言うって言ったはずよね?」

 

「確かにね。でも、質問の仕方が粗暴よ。そんなのじゃ、聞き出せる事も聞き出せないと思うけれど」

 

 その指摘にナツキも思うところがあったのか、咳払いし、「続けなさい」と言った。

 

「オーキド・ユキナリ君。君の監視が私の任務だった」

 

「僕の、監視……」

 

 思わぬ発言にユキナリが戸惑っていると、「あるいは戦闘もあったかもね」とランはフッと微笑む。

 

「戦闘、だって」

 

「オーキド・ユキナリ君。君は強くならなくちゃいけない。それこそ、私達の組織のために」

 

 わけが分からなかった。ユキナリの困惑が伝わったのだろう。ナツキが、「要領を得ない発言はやめてもらおうかしら」と脅迫した。

 

「さもなくば……」

 

「ゲンガーで私を殺す? でも、大切な人の前で殺しは出来ないよね?」

 

 挑発するランにナツキはぐっと堪えながら、「あたし達を掻き乱して、満足?」と声を発する。

 

「嫌だな。何もそういう事をしたいわけじゃない」

 

「さっさと続けなさい。あるいは、こう言ったほうがいいのかしら。ロケット団とは何?」

 

 その言葉に今まで飄々としていたランが表情を変えた。ロケット団。聞いた事のない組織だ、とユキナリは感じた。

 

「……そうだね。君達に馴染みのあるものならばハナダの拉致事件。あれについて少し説明しようかな」

 

 拉致事件、という言葉にすぐさまマサキの顔が浮かぶ。そして、それを攫ったのがイブキだと言う事を。ユキナリは思わず踏み寄ろうとした。

 

「知っているんですか? イブキさんの事も」

 

「あれ、随分とご執心だなぁ。イブキっていうドラゴンタイプ使い、淡白そうに見えて意外にそういうところにはきっちり手をつけちゃっているのか」

 

 ユキナリはランへと歩み寄り、胸倉を掴んだ。その行動にナツキとガンテツが制止の声を出す。

 

「オーキド!」、「ユキナリ、そいつを殴っちゃ駄目!」

 

 ナツキの声で辛うじて踏み止まる。しかし、今にも固めた拳はランの頬を捉えそうだった。

 

「いい? きちんと話を聞くのよ。あたし達がしたいのは尋問。拷問じゃないって事を理解しないと」

 

 自分も急いた気持ちがある事をナツキは伝えるようだった。ユキナリはゆっくりと白熱化した思考を鎮めていった。

 

「痛いな」というランの言葉にユキナリは、「ゴメン」と引き下がる。スーツの襟元を直しながら、「女の子にそういう態度取るんだ」とランが挑発する。ユキナリはしかし、もう迂闊な行動に出ようとはしなかった。

 

「いいよ、話す。イブキは、途中からロケット団に所属したトレーナーだ。最初から属していた私やゲンジとは違う。安心していい。君の懸念事項であるイブキが最初から裏切っていた事はないから」

 

 心の内を読まれ、そういえばナツキが心を読むと言っていたか、と警戒する。

 

「……気を張ったところで見えるものは見えるんだけれど、まぁいいか。そうだよ、イブキは最初から君を裏切る気はなかった。あの場所で居合わせたのは不運な偶然と言うほかない」

 

 本当だろうか、と勘繰ろうにも相手はこちらの心を読んでくる強敵だ。下手な勘繰りはむしろこちらの腹を見せる事に繋がる。

 

「俺はオーキドから話を聞いとるだけやが、お前ら相当えげつい真似しとるみたいやないか。ゲンジ、っていう奴も見たが、それだけの戦力を揃えてどうするつもりなんや。戦争でもおっ始めようっていうんか?」

 

 ガンテツの発した戦争という言葉に身が固くなる思いだったがランは首を横に振る。

 

「戦争? そんな面倒なもの、起こすつもりはない。むしろ、逆だよ。ロケット団はいずれ世界を席巻する。そのために準備を重ねているに過ぎない」

 

 いずれは世界を席巻する。その言葉に既視感を覚えたが思い出せない。誰かが言っていたような気がするのだが。

 

「ロケット団。その集団が腕利きのトレーナーを集めている意味は? このポケモンリーグでの玉座を目指しているのかしら?」

 

「まぁね」とランは答える。今までの発言に比べれば随分と呆気ない。何か裏があるのではと勘繰ってしまう。

 

「裏はないよ。長々と説明するのも疲れるんだ」

 

 心を読まれ、ユキナリは唾を飲み下した。やはりそのような能力があるのか。

 

「私はゲンガーに見張られている限りはここを動けない。当然、命じられていたオーキド・ユキナリ君の監視も出来ない。つまるところ、今の私には何の力もない。せいぜい、相手の心を読むくらい?」

 

「ポケモンは……」

 

 当然、持っているはずであろう。ナツキが、「その点の心配はいらないわ」と答えた。

 

「あたしとゲンガーが倒した」

 

 唐突な事にユキナリが目を丸くしていると、「何よ」とナツキが睨みを利かせる。考えてみればゴーストからゲンガーに進化するきっかけというものがあったはずである。それが戦闘なのだとしたら頷けた。

 

「でも、意外だな。キクコが進化させるものだとばかり思っていたから」

 

「あたしじゃ力不足だって言いたいの?」

 

 食ってかかったナツキに、「いや、そういうわけじゃ……」とユキナリは濁す。ランが、「面白い漫才だね」と茶化した。

 

「漫才じゃないわよ!」

 

 ナツキの声にランは肩を竦めて、「君達が聞きたいのはロケット団についてだろう」と口にした。

 

「組織構成とかそういうのには詳しくはない。私も所詮は末端団員。私みたいなのが大勢いると考えてもらっていい」

 

「その大勢の中の一人を下したところで意味がないと暗に言っとるみたいやな」

 

 ガンテツの声にランは、「頭が回るんだ、君」と目を向ける。

 

「規模は君達も知っての通り巨大と言うほどではない。隠密に動ける人数を考えているから人員にもセーブをかけなきゃいけない部分もあるし」

 

 ランはぺらぺらと内情を話す。本当にランの言う事を信じていいのだろうか。ユキナリが怪訝そうにしていると不意に声が響いた。

 

 ――オーキド・ユキナリ君。聞こえるかい?

 

 その声がどこからともなく聞こえてきてユキナリは周囲を見渡す。

 

 ――探したって見つからないよ。私は、喋りながら君の心に話しかけているんだから。

 

 その声にユキナリは目の前のランが自分の心に直接語りかけているのだと分かった。戸惑いながらも平静を装う。

 

 ――まぁ、黙って聞いて。この声は君にしか聞こえていない。こういうやり方を試したのは、他の二人が少々邪魔だからだよ。

 

 どういう意味なのだろうか。ユキナリが神妙な顔つきをしているとガンテツが、「どうした?」と顔を振り向けた。

 

「いや、難しい話だな、と思って」

 

 誤魔化すと、「せやな」とガンテツは納得した様子だった。ランが話しているのは組織の裏事情だが、それはナツキとガンテツの目を集中させる手段でしかない。真の目的は自分にテレパシーで話しかける事なのだとユキナリは感じ取った。

 

 ――オーキド・ユキナリ君。組織にはイブキだけじゃない、他にも腕利きのトレーナーがいる。いい? 君だけに教えるよ。だからこの二人が離れてから私に話を聞きに来て。

 

 今の状況で説明出来ないのか、とユキナリはこめかみを突く。ランは視線を振り向けた。

 

 ――今は、ちょっと無理かな。それに、君だってテレパシーで伝えられた事よりも直接話したことのほうを信じるでしょう? 大切な事なんだ。君は直接聞くべきなんだよ。

 

「……つまり、あんたらの組織は相当このカントーを支配している、と考えていいのよね?」

 

 ナツキの確認の声にそのように話が転がっていたのか、とユキナリは現実に思考を戻す。

 

「まぁ、間違っちゃいない。シルフの権限でカントーのポケモン産業の独占くらいは出来るだろうからね」

 

「何て事を」

 

 ガンテツが声にすると、「それくらい出来なくっちゃ組織としては未熟だよ」とランがいなす。

 

「そうやない。お前ら、新型モンスターボールも流通させようとしとるんやろ。どこまで支配すれば気が済むんや」

 

 ガンテツの声音には怒りも混じっていた。自身の一門が危険に晒されている時にシルフカンパニーは手助けするどころか尻尾切りを行おうとしている。その事実が許せなかったのだろう。

 

「支配だなんて。ただ生きやすい世の中を作るだけだよ」

 

「そんな一方的な押し付けで、誰が幸せになる言うんや!」

 

 ついに怒りの声を飛ばしたガンテツをユキナリはいさめた。

 

「まぁ、待って、ガンちゃん」

 

「オーキド。何故止める?」

 

「彼女だって末端団員なんだ。一気に色々探ったって、あまり有効な話は聞き出せそうにないだろう」

 

 その言葉にガンテツは怪訝そうな声を向けた。

 

「庇う必要性なんてないやろ。どうした、オーキド」

 

 早くもばれたかと感じたがユキナリは平静を装う。

 

「三人で尋問したところでみんなが聞きたい事のベクトルはずれているんだ。また、明日、全員で聞く事を纏めてからにしよう。どうせ、ゲンガーの技で逃げられないんだし」

 

「まぁ、そうやけど……」とガンテツは渋々承服する。

 

「ナツキも、いいよね?」

 

 尋ねた声に、「確かに逃げられないんだったら明日でもいいけれど」とユキナリを見やる。

 

「あんたは、すぐにでも出発したいんじゃないの?」

 

 ナツキの問いかけにユキナリは、「そこまで向こう見ずじゃないよ」と答えた。

 

「きちんと話を聞いてから、どうするかは決める。今は総意を纏める事のほうが有効だと思う」

 

 これでいいのだろう、とランへと視線を配る。ランは目線で頷いた。

 

「確かに質問は出来るだけシンプルなほうがいいかもね。じゃあ別室に移動しましょう。あんたらの部屋、借りるわよ」

 

 この部屋にランがいればナツキ達の部屋がない。ユキナリはナツキが先に部屋を出て行くのを見守ってから、「あ、ちょっと忘れ物が」と引き帰した。

 

「はよ来いよ」とガンテツの声に頷きながらユキナリはランの待つ部屋へと戻る。ランはにやりと口角を吊り上げていた。

 

「不器用なんだね。もうちょっと上手い事こなせないの?」

 

「仕方がないだろう。みんな、警戒しているんだ。君が僕に、おかしな事を吹き込めば、ってね。そうでなくっても僕は独断先行が激しいと思われている」

 

「だからこそ、君と話せる機会が欲しかった」

 

 ランは正座を崩し胡坐を掻いた。ユキナリはゲンガーの束縛で正座をしているのだと思っていたので、「崩せるんだ」と呟いていた。

 

「捕虜ならば捕虜らしく振る舞ったまでさ。それにしても慣れない事をすると……」

 

 ランは目の端に涙を溜めて足を揉んだ。

 

「僕だって慣れない事をしている」

 

「仲間を騙すのは心苦しい?」

 

 ランの茶化したような声にユキナリは早速本題を突きつけた。

 

「さっき、テレパシーで話した事、本当なのか」

 

「本当だよ。私は元々、君にそれを伝えるためにシオンタウンへと遣わされた部分もあるんだ」

 

 ランは、「まぁ捕まっちゃったけど」と頬を掻いた。

 

「腕利きのトレーナーがいるって」

 

 ユキナリの言葉にランは首肯する。

 

「そう。多分、君とも縁が深いよ」

 

「何者なんだ? イブキさんもそうだけれど、お前らはどうして僕達から大切なものを奪っていく……」

 

 歯噛みしていると、「わざとじゃないさ」とランは応じた。

 

「君が重要なトレーナーに接触するからだよ。いや、逆か。君が彼らに接触するから、私達は彼らを抱き込まずにはいられなかった、というのが正しい」

 

 奇妙な言い回しにユキナリは辟易する。

 

「どういう意味だ?」

 

「言葉通りさ。君が接触するから、彼ら彼女らは特別になるんだ。私達のボスは、君にご執心でね。君が接触する事に意味があるのだと感じ取っている」

 

「誰なんだ?」

 

 当然、ランは答えない。重要事項だからだろう。それとも知らないのだろうか。どちらとも言えずユキナリは直截的な物言いを使った。

 

「僕と縁の深いトレーナーってのは」

 

「カンザキ・ヤナギ」

 

 その名前を聞いた瞬間、ユキナリは肌が粟立ったのを感じた。ランはそれすら見越したように、「知っているよね?」とユキナリの眼を覗き込む。

 

「無人発電所で君を下したトレーナーだもん」

 

「ヤナギが、どうかしたのか」

 

「本日を持って私達の傘下に加わった」

 

 ユキナリが目を慄かせる。そのような事、容易に信じられるものか。だって、ヤナギは……。

 

「別の組織に属しているはず、でしょ?」

 

 自分の考えが読まれユキナリは口を噤んだ。

 

「その組織がロケット団の内情を探るために表向き手を組んだ。今、シルフの内情を知るにはロケット団傘下に加わる事が最も望ましいからね。トップが賢明なのか、それとも下が賢いのかは分からないけれど、ヤナギを初めとする数人がロケット団で戦う事になっている」

 

「それを、お前達は知っているのか?」

 

「さぁ、どうだろうね。少なくとも私はそうとしか聞かされていない」

 

「本日をもって、って言ったな。そんな情報をいつ?」

 

 ナツキに拘束されたのならばそのような暇はないはずだ。ランはこめかみを突いて、「私は超能力者」と答える。

 

「私の兄であるフウとは双子の兄弟。特別な絆で繋がっている。フウが見聞きした事が私に伝わるように、私が見聞きした事もフウに伝わる」

 

「つまり、この状況も筒抜けって事か」

 

 しかし、だとすれば疑問が残る。何故、双子の妹を救いに来ないのか。

 

「その程度に割くような戦力もないって事だよ」

 

 見透かされユキナリは息を詰まらせる。だが、そうだとすればつけ入る隙はあるのかもしれない。

 

「驚いた。君、ロケット団に単身で立ち向かうつもり?」

 

 もう心を読まれる事には慣れた。とは言っても、やはり自分の思った事が相手に直接伝わっているというのは奇妙な感触を受けるが。

 

「ああ。ヤナギがいるって言うんなら、聞かなきゃならない事もある」

 

 キクコの事。そしてどこまでの事をヤナギは掴んでいるのか。それを確かめねばならない。だが、恐らくは穏便な話し合いで済む事はないだろう。お互いに相手を憎悪している。ユキナリはそれこそ命を賭す覚悟が必要だった。

 

「ヤナギってそれほどまでに君と確執があるんだ? でも強いよ、カンザキ・ヤナギは」

 

 言われなくとも分かっている。対峙して自分のトレーナーとしての力量が足りない事も理解出来た。

 

「でも行くんだ?」

 

 ランの言葉に、「何か、対価でもあるのか?」と問いかける。

 

「何で?」

 

「そうでなければここまで教える義理がないだろう」

 

 疑り深い自分に対してランは口元を緩めた。

 

「それなりに戦ってきたわけだ。無条件に相手を信じ込むほどの甘ちゃんじゃないって事か」

 

「何がある?」

 

「私達の身柄の自由」

 

 その言葉にユキナリは目を見開いた。

 

「望んでロケット団に入ったんじゃないのか?」

 

「半分は任意だけれど、半分は強制みたいなものだね。それが一番の近道だって思ったら、茨の道だった。誘われた時には待遇のいい組織だと思ったけれどその実は結構面倒くさい。もしかしたらこの先、ロケット団に入っていた事が罪になる時があるかもしれない。そういう経歴は抹消したいってわけ」

 

 ユキナリにはその言葉が真実かどうか判ずる術はない。ランのように心が読めるわけではないのだから。

 

「だからこれは取引。私達の情報を君に与える代わりに、君にはあいつらを壊滅に追い込んで欲しい」

 

「僕一人の力で?」

 

「謙遜する事はないよ。それぐらいには自分の力が膨れ上がっている事の自覚はあるんだろう?」

 

 ユキナリはオノンドの入ったGSボールに手をやる。ゲンジ戦のようにオノンドの力を引き出せれば不可能ではないのかもしれない。何よりも、自分の大切な人をこれ以上危険に晒したくなかった。

 

「へぇ、優しいんだね。大切な人ってのはどっち?」

 

 心を読んだランが訊いてくる。ユキナリはそれを無視した。

 

「つまり、ロケット団に攻め入れば、カンザキ・ヤナギの妨害に遭う可能性があるって事か」

 

「分かりやすく言えばそう。向こうも君が来ると分かればヤナギが前線に出ると思うよ」

 

 ユキナリはポケギアを見やる。時刻は午後五時を回ろうとしていた。斜陽の光が部屋に差し込んでくる。

 

「行くのなら今だと思うけれど、どうする?」

 

 迷っている暇はない。ユキナリは身を翻した。

 

 ランにはこれ以上話を聞けそうにもない。拳をぎゅっと握り締める。自分一人でやるしかない。

 

 宿から出た時、「待ちぃや」と声がかけられた。振り向くとガンテツが腕を組んで佇んでいる。

 

「どこへ行く? シオンタウンで夜を明かすんじゃ、ないって顔やな」

 

 ガンテツにはお見通しなのだろう。ユキナリは正直に話した。

 

「僕は、シルフに襲撃をかける」

 

 その言葉にガンテツが動揺する。

 

「正気か? 何かを決意しているとは思ったが、そこまでなんて……」

 

「ナツキ達には言わないで欲しい。僕が決めた事だから」

 

 歩み出そうとするとガンテツが肩を掴んだ。何をするのか、と思っていると振り向かされて拳を頬に叩き込まれた。

 

 ユキナリがよろめいて倒れるとガンテツは肩で息をしながら、「阿呆が!」と叫ぶ。

 

「独りで背負うなよ! ええか? オーキド。お前は決して独りで戦ってるんやない。確かに嬢ちゃんらを巻き込みたくないんはよう分かる。けどな、俺まで除け者かいな」

 

 ガンテツの言葉にユキナリは顔を上げる。ガンテツは手を差し出した。

 

「行こうやないか。ロケット団とやらがどれほどのもんか知らんけれどなんぼのもんじゃい。俺らなら出来る」

 

 ガンテツの手を掴み、「でも……」とユキナリは声にした。

 

「ガンちゃん、ヤドンじゃ……」

 

「そんな心配は無用や! 俺かて戦いのコツくらいは掴んどる。それに、ボール職人として、そんな無茶をしようとするトレーナーを黙って見てられるかいな」

 

 ガンテツの言葉にユキナリは微笑んで、「これ、ガンちゃんの経歴に泥を塗る事になるかもよ」と脅しつけた。しかし、ガンテツは怯まない。

 

「知るか! どうせ勝てば官軍のポケモンリーグや。勝てばええ。それだけの話やろ」

 

「……ああ、その通りだ」

 

 ユキナリはヤマブキシティに向けて歩き出した。

 

 



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第七十七話「止めるため」

 

 ナツキは途中でお手洗いに行ったガンテツがいつまでも帰ってこない事に違和感を覚え、ひょいと顔を出すとキクコと行き会った。

 

「あ、キクコちゃん」

 

 ナツキの声にキクコは、「ナツキさん」と抱きついてきた。突然の事にナツキは狼狽する。

 

「お、おう……。何? どうしたの?」

 

 ナツキの視線の先に今朝の釣り人の姿があった。釣り人は着替えており、どこかばつが悪そうに顔を伏せている。何かがあった事は疑いようもなかった。

 

「何が……」

 

「ナツキさん、ストライク進化したよ」

 

 キクコが目を輝かせながら発した言葉にナツキは戸惑う。

 

「えっ、進化するの?」

 

 そもそもが初耳だった。キクコは、「うん。鋼・虫タイプのハッサムに」と答える。どうやらキクコは知っていたらしい。

 

「鋼タイプ……。何で?」

 

 全く頭がついていかず小首を傾げているとナツキは思い出した。

 

「あ、あたしも進化したんだった」

 

 モンスターボールを差し出すと、「ゲンガーになったの?」とキクコが尋ねる。それも周知の事実か、とナツキは感じた。

 

「うん。キクコちゃんはゲンガーには進化させなかったんだ」

 

「出来なかったんだよ。その方法だけ先生から教わってなかったしゴーストからも聞いてなかったから」

 

 ならば自分の下で進化したのは完全に偶然という事なのだろうか。ナツキがモンスターボールを眺めていると、「お嬢ちゃんに命を助けてもらってね」と釣り人が頭を掻きながら歩み寄ってきた。

 

「命を?」

 

 さらに話がややこしくなる予感にナツキは、「詳しい話は後でいいけれど」と前置きした。

 

「ガンテツさん見なかった?」

 

 キクコは首を横に振る。釣り人も知らないようだ。

 

「どこ行ったんだろ……。これから捕まえたロケット団員をどうするか決めようと思っていたのに」

 

「よく分からないけれど、ナツキさんにも何かがあったみたいだね」

 

 キクコの言葉にナツキはひとまず頷いて先ほどからの変化も口にした。

 

「ユキナリもなかなか戻ってこないし。これじゃいつまで経ったって何も出来ないわよ」

 

 ぼやいた声に、「ユキナリ君なら見たけれど」とキクコは控えめに言った。ナツキは目を見開いて、「どこで?」と詰め寄る。キクコは、「シオンタウンの出口の辺り」と釣り人に視線を向けた。

 

「ああ、そこでお嬢ちゃんが声をかけようとしたんだが、何だか物々しい空気でな。誰かと言い合いになっていたよ」

 

「その誰かって?」

 

「水色の袴みたいな服を着ていたっけ」

 

 ガンテツだ、とナツキは確信する。どうしてユキナリとガンテツが言い合いをしていたのか。その答えはすぐに思い浮かんだ。

 

「……あの馬鹿」

 

 駆け出してランの捕まっている部屋へと飛び込んだ。ランは胡坐を掻いて身体を伸ばしている。キクコが慌てて追いついてくるのを無視してナツキは歩み寄った。

 

「あ、何? 解放してくれるの?」

 

 ランの場違いな声にナツキは張り手を見舞った。乾いた音にキクコと釣り人が瞠目する。ランは、「痛いじゃないか」と頬を押さえた。ナツキは構わず胸倉を掴み上げる。

 

「ユキナリに何を吹き込んだの?」

 

「何も。彼が知りたがっていた事だけ」

 

「シルフに行くように焚き付けたわね」

 

 確信を持って放った言葉にランは何も言わなかった。ユキナリが黙って出て行くのならばヤマブキシティをおいて他にない。ナツキはランを突き飛ばし部屋の外に出た。キクコが、「この人は?」と尋ねる。今は答えられる余裕がない。

 

「……あたしのせいだ」

 

 自分がもっとしっかりしていれば、ユキナリ一人の独断先行を許さなかったのに。いや、ユキナリはそれを嫌って何も言わずに行ってしまったのかもしれない。

 

「よく分からないけれど、ナツキさんは悪くないと思う」

 

 キクコの言葉にナツキは、「でも、予想出来た事なのに」と悔恨を漏らす。釣り人が、「よく分からんが、お嬢ちゃんのせいじゃないと思うぜ」とフォローした。

 

「ユキナリって子も、相当覚悟して決断したんだろう。それは多分、誰のせいでもないんだ」

 

 ナツキは振り返り、キクコへと言葉を発する。

 

「キクコ。お願い、ハッサムを交換してくれる?」

 

 突然の事にキクコは面食らった様子だった。自分が取るべき行動は決まっている。

 

「……ユキナリ君を、助けに行くんだよね」

 

「違うわ。一発、ぶん殴ってやるのよ」

 

 キクコは微笑んでボールを手渡した。キクコへとゲンガーの入ったボールを渡す。その直後、部屋の中で衝撃音が木霊した。

 

 ナツキが押し入るとネンドールを繰り出したランが笑みを浮かべていた。

 

「シルフまでの道案内、必要でしょ?」

 

 どうやら廊下での会話を聞いていたらしい。あるいは心を読んだのか。どちらにせよ、今は敵対している場合ではない。

 

「ネンドールで戦力になるの?」

 

「馬鹿にしないでよ。私のネンドールの強さは君が一番知っているはず」

 

 違いない。ナツキはホルスターにハッサムの入ったボールを留め、踏み出した。

 

「行くわよ。馬鹿を止めに」

 

 ランが部屋から出る。釣り人は、「俺も行こう」と提案した。思わぬ言葉に、「でもおじさんは……」とナツキが言葉を濁す。

 

「おじさんは強いよ。私が保証する」

 

 キクコが珍しく他人を評した。ナツキはキクコにも何らかの変化があったのだと感じ、「分かったわ」と首肯する。

 

「全員で、ユキナリの馬鹿を止める」

 

 



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第七十八話「崩落の序章」

 

「今、キャッチしました」

 

 オペレーションルームの扉の前で壁に背中を預けている少年が呟いた。水色の髪を髷のように結っており、幼い顔立ちでありながら眼には強い決意の輝きがある。

 

「そうか。フウ。君の見立てではどうだ?」

 

 訊くと、「野暮でしょう」とフウと呼ばれた少年が答える。

 

「オーキド・ユキナリは来ますよ。確実にね」

 

 待ち望んでいた瞬間であった。キシベは笑みを深くしながらオペレーションルームの人々に通達する。

 

「ここを最上の舞台にしようじゃないか」

 

「キシベさん。ロケット団員で迎え撃つんですか?」

 

 ヤマキの言葉に、「そうじゃないよ」とキシベは答える。

 

「よく聞いてくれ。シルフを捨てる」

 

 その言葉にその場にいた全員がどよめいた。シルフカンパニーを捨てるなど考えつかない事だったからだ。

 

「でもこのヤマブキの本社を捨てるなんて、見限る、って事ですか」

 

「そうではない。ただヤマブキシティにあるこの本社ビルはもう必要ない。あの社長にもご退陣願いたいものだが、まぁ、彼は今の役職にすがりつくだろうね」

 

 自分にとってシルフ本社の社長は使い捨てである。元々、利権目的の役員の天下り先であったシルフカンパニーだ。当然、保身の事しか考えていない輩である。

 

「大きな目的のためには時折思い切った判断が必要だ。こちらの手にはマサキがある。研究分野の躍進についてはシルフカンパニーにこだわる必要はない。新型モンスターボールの生み出す利益についても、くれてやればいい。我らロケット団には関係のない事だ」

 

「しかし、キシベさん。確実に離反者が出ますよ」

 

 そうなった場合、困窮するのは目に見えている。ヤマキのそういう冷静な判断力は感嘆に値した。

 

「ヤマキ。だからこそ君のような賢明な部下を置いているのだ。私はこのヤマブキを離れなければならない。まだ、彼の旅のために私が姿を現すのは早いのでね」

 

 彼、という言葉が誰を意味するのかこの場にいる人間ならば周知の事実だろう。誰一人として抗弁を発しようとはしなかった。

 

「ついて来られない者はいい。その判断もまた賢明だ」

 

 その言葉に、一人、また一人とオペレーションルームから離れていく人々があった。だが彼らにはもう未来はない。ロケット団として活動していた以上。それを理解して離れていく者は稀だ。むしろ理解している者はこの場から離れようとしなかった。

 

「俺はついていきますよ」

 

 ヤマキが立ち上がって挙手敬礼をする。他に残った人々も同じように踵を揃えて敬礼した。残ったのは十人前後。ちょうどいい人数だ。

 

「これから説明をしなければならないだろう。ゲンジ殿やイブキ殿にも」

 

 キシベがオペレーションルームを出ると他の人々もそれに続いた。最早、この場所に意味がない事を悟ったのだろう。

 

「どうします? ポーズだけでも防衛作戦に出ますか?」

 

「いや、貴重な戦力をここで見せてやる必要はないだろう。防衛しようとするのはあくまでシルフお抱えの人々だ。我らロケット団には関係のない事だよ」

 

「怖い怖い。キシベさんはシルフという頭を挿げ替えるつもりですか」

 

 伝令担当であったフクトクという名前の団員が尋ねる。キシベは、「シルフの存続にこだわる必要性はないさ」と答えた。

 

「長い目で見れば、シルフの興亡など些事に過ぎない。そりゃ、このポケモンリーグという盤面は少しばかり傾くだろうが、我々ロケット団の目指すものからしてみれば、やはり些事だよ」

 

 ロケット団がそれだけ遠くを見据えているという証明でもあった。フウがキシベの隣に歩み出て、「ランからによると」と捕捉する。

 

「他三名、後からついてくるそうです。こちらはどうします?」

 

「今日結んだばかりの同盟を使わせてもらおう。シロナ・カンナギ様へと伝令、打てるか?」

 

「件名はどうします?」

 

 フクトクが既にノート端末を手に打ち込もうとしている。この場にいるロケット団員は代えの利かない人間ばかりだ。有能な人間ほど自分がどの場所に適しているのかをきちんと把握する事が出来る。

 

「防衛任務の依頼とでも打っておいてくれ。後は社長が意地でも守ろうとするだろう。我々はその間にヤマブキシティを出立。クチバシティの港からグレンタウンへと赴こう」

 

「ポケモン研究所ですか? という事はフジ博士と本格的に提携を結ぶので?」

 

「ああ、それが一番だろう」

 

 フジ博士の研究は円滑の段階に入っている。そのためのデータは自分が取りにいかねばならないだろう。

 

「残った精鋭部隊で私はふたご島へと寄る。最後の大仕事があるのでね」

 

「伝説の三鳥の一角ですか」

 

 ヤマキが口にした言葉に、「我々なしで大丈夫で?」とフクトクが尋ねた。

 

「仮にも精鋭部隊だよ。なに、新型のモンスターボールは伊達ではない。それを扱う術も心得ている連中ばかりだ」

 

「歯がゆいですね。こういう時、エンジニア脳は何も出来ない」

 

 ヤマキが口惜しそうにこぼす。キシベは、「君達の生存こそがロケット団の要だ」と言った。

 

「これから先に我々の栄光があるとすれば、それは君達の支えに他ならない。どうか、無用な血を流さぬように気を引き締めよう」

 

「死ぬのはシルフの連中だけでたくさんですからね」

 

 ヤマキの発した皮肉に、「違いない」と笑い声が起こる。この場にいる人間だけが持ち得る共感が胸を満たしているのが分かった。

 

「さて、日が暮れるまでにはシルフカンパニーからは我々の情報はごっそりと消えていて、後に残った人々がどう奔走するか、見物だが、見物する余裕もないのが残念だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――とか考えているんでしょうね。キシベの性悪は」

 

 イブキは地下の廃棄ブロックでそう愚痴をこぼすと、「そう悪い事だけでもありまへんで、姐さん」とマサキがキーを叩く手を休めずに振り返った。

 

「見ないで打てるの?」

 

「ブラインドタッチくらいお手のもんですやん。何なら姐さんにだってブラインドタッチしますけれど」

 

 わきわきと手をくねらせたマサキをイブキはブーツで蹴りつけた。文字通り尻を叩かれたマサキが、「冗談ですやん」と目の端に涙を浮かべた。

 

「さっき来ていたわ。緊急招集」

 

 ポケギアに届いていた召集命令と、クチバシティへの合流作戦がある。マサキは、「ワイにも来てましたよ」とポケギアを掲げる。

 

「どうやらワイも必要な人間ってわけですな」

 

「キシベにとって都合のいい、でしょうけれど」

 

 ここ二日間程度で分かったのはキシベの目的だが、イブキは未だに信じられない。そのような夢物語が本当に完遂出来ると思っているのか。

 

 その感情が顔に出ていたのだろう。「酷い顔ですね、姐さん」とマサキが声をかけた。

 

「そりゃ、ワイかてあの最終目的には背筋が震えるものがありましたけれど、でもキシベのこれまでの動きを累積したら、まぁ導き出せん事もないですし」

 

「あんた、随分と冷静なのね」

 

 自分も切り捨てられるかもしれないのに。イブキの声音に、「エンジニアってのは先の先を見据える仕事です」と応じる。

 

「十年後、二十年後にどうなっているのかの未来。その上で仕事をこなすのが一流。目先の今さえよければ、って仕事やないんですよ。そういう点ではキシベも同じ畑の人間、においで分かるもんです」

 

「最終目的をロケット団、それにシルフカンパニーに売り込むって手段は考えなかったの?」

 

 マサキはキーを叩く手を休めない。じっとディスプレイを眺めている。それも未来を見据える事のうちなのだろう。

 

「現実的やありません。シルフの株は大暴落するし、ロケット団かて、さらに裏の組織になるでしょうし。今までシルフを隠れ蓑にしていた組織が次に目指すものは、というと」

 

 エンターキーが叩かれるとその先が導き出される。カントーのマップが示され、南端にある小島がピックアップされた。グレンタウン、とある。

 

「グレンタウンにあるポケモン研究所。シルフとは別系統の財閥が支配している場所やね」

 

「財閥なんて今どきあるの?」

 

「それが姐さん、あるんですよ。シルフやデボンの陰に隠れとるさかい、見えにくいだけでね。昔ながらの、っていう血脈は強いですよ。新参のベンチャー企業であるシルフやデボンなんか赤子同然。そういう輩は政界にも通じてますからね」

 

 政界。その言葉にイブキは、「キシベは、国崩しでもするつもりだと思う?」と尋ねた。マサキは、「キシベがやるまでもないんやないかなぁ」と呟いた。

 

「もうこの国は空中分解寸前。その寸前のところで時間を止めるために、このポケモンリーグは行われている。いや、正確には時間を戻すため、やけど、どちらにせよ、民草なんて屁とも思っとらへんっていうのはキシベの最終目的からしてみても明らかでしょう?」

 

 マサキの言葉は淡々としているが正論だ。最終目的を知った自分達はどう行動すべきなのだろう。

 

「どちらにせよ、キシベが人間離れしとる言うたかて、まだ人間臭い。ワイのデータ収拾能力、甘く見とるとことかなっ!」

 

 マサキがエンターキーを押すと全てのデータが小さなロムに焼き写された。それを取り出し、マサキは不敵に笑む。

 

「これでキシベの目的とロケット団の任務工程表は手に入りました。あと、姐さんがご執心やったオーキド・ユキナリに関するデータも」

 

 どうやらマサキが手を回しておいてくれたらしい。イブキは、「どう、って?」と訊く。

 

「何でこんな一個人のトレーナーのデータがシルフの重厚なセキュリティの向こう側にあるのかワイもこの手にするまで分からんかったけれど、キシベの目的と擦り合わせれば見えてくる。――特異点。それを二つ保持する事こそがロケット団の、いいや、キシベの目的」

 

 マサキの声にイブキは背筋が凍る思いをした。まさかユキナリというトレーナーを使ってそのようなおぞましい計画が実行されようとしていたとは。

 

「散発的にロケット団員を配置させ、オーキド・ユキナリとその所有ポケモンの覚醒を促す。どうやらここシルフで八割方完成するみたいやね」

 

 入ってきた情報によるとユキナリは単身、シルフカンパニーを襲撃するらしい。当然、一人のトレーナー程度に打ち崩される企業ではないはずだが、今はキシベがわざと隙を生じさせている。精鋭部隊と名付けられた自分を含む腕利きのトレーナー達は出払い、クチバの港へと直行する旨が示されていた。

 

「シルフカンパニーを捨てろ、と……」

 

「案外、短い監禁生活やったね」とマサキが皮肉る。

 

「出るわよ」

 

 イブキが促すとマサキは、「言われんでも」と立ち上がった。データの入ったロムを内ポケットに入れぽんぽんと叩く。

 

「姐さん、もちろんの事やけれど、キシベの行動予定に加わる気は」

 

「ないわよ。ここから出る」

 

 イブキの目的はそれだけだった。キシベが何を考えているのか知る。その上で従うべきか判断する。マサキを遣わせた甲斐があった。

 

 キシベは悪魔だ。これ以上、悪魔の好きにさせておくわけにはいかない。

 

 だが真正面から立ち向かって勝てるとは思っていない。そうでなくとも精鋭部隊の中にはドラゴン使いもいると聞く。自分にとって泥仕合になる事は避けたい。それに、シルフカンパニーが擁していたトレーナー、サカキ。彼こそキシベの計画の要だ。そのトレーナーが弱い道理はないだろう。

 

「でも惜しい事したなぁ。あの廃棄スペース、なかなか居心地は悪くなかったんやけれど」

 

「あら、一生穴倉で生きていたかったのかしら?」

 

「冗談。ワイかて日の目が見たいから姐さんの下についとるわけですやん」

 

 マサキは自分の研究さえ売れれば後はどうでもいいのだ。本当のところではキシベの計画に賛同すらしているのかもしれない。だがマサキは反抗を選んだ。何故だ、と今さら疑り深くなる。

 

「ねぇ、どうして私と行こうと思ったの?」

 

 イブキの問いかけにマサキは、「おもろい返答か真面目な返答、どっちがええ?」と聞き返す。イブキは眉根を寄せて、「真面目に決まっているだろう」と口にする。マサキは肩を竦めた。

 

「可愛げのないなぁ。ま、だからこそついていく気になった、というのが真面目な返答」

 

「それ、答えなの?」

 

 イブキが怪訝そうにしていると、「ワイは大真面目やけれど」とマサキは悪戯っぽく微笑む。イブキにはいちいち取り合っていては埒が明かないと感じていた。一緒にいれば自然と分かった事だ。少しばかり冗談めかした距離感がこの男にはちょうどいい。

 

「これから地上に出る。その途中でキシベと鉢合わせたら意味ないわけだけれど」

 

「当然。ワイはそのためのルートを模索しとるわな」

 

 マサキはプリントアウトしたくしゃくしゃの路面図を懐から取り出す。イブキがそれを引っ手繰った瞬間、廊下が赤色光に塗り固められた。

 

「気づかれた?」

 

 思わず身構える。しかし、警告音が鳴り響かなかった。これはダミーの警告だ。その事実にキシベの計画の工程表を脳裏に描き出す。

 

「いいえ。始まるのね」

 

 



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第七十九話「寄り添うべき二人」

 

「どういう意味なのかと聞いている」

 

 自分の発した声は思いのほか狼狽していた。シロナとて困惑の只中にいる。それでも足だけは止めなかった。

 

「同盟を早速ちらつかせてきた辺り、どういう意図なのかはあたしにもはかりかねるわ。ただ、防衛措置だけは取っておかないと、後々面倒になる」

 

「俺がそこにいたという証明は」

 

「もちろん、あたし達組織が全力で隠し通す。けれど覚悟しておいて欲しいのは、執行官の耳に届く可能性はゼロじゃない」

 

 ヤナギはそこで足を止めた。シロナが振り返る。

 

「どうしたの?」

 

「父上に、心配はかけたくない」

 

「気持ちは分かるわ」

 

「分かって堪るか!」

 

 ヤナギが廊下の壁を殴りつける。伝令は無茶苦茶な代物だった。

 

「シルフカンパニーの防衛任務だと……。これは体よく利用されているだけだろうが!」

 

 自分の実力も加味してシルフはこの伝令を送って来たに違いない。しかも防衛場所が馬鹿げていた。

 

「確かに、あなた一人に屋上の防衛ってのはどうかと思う。重役連が逃げ切るための時間稼ぎ、という察しは間違っていないと思うわ」

 

 でも、とシロナが自分の肩に触れようとする。ヤナギは後ずさり、「触れるな!」と口走る。

 

「組織とシルフの密約で決まった事なんだろう。もういい。俺程度がいくらごねたところで、結果は変わらないんだ」

 

 自分にはそれだけの力はない。誰よりも分かっている。シロナは、「あなたの提言通り、チアキさんとカミツレちゃんには別任務につかせてある」と告げた。

 

「これが通っただけでも御の字なのよ。もっと自信を持って。防衛任務、と言ってもあなたにとっては難しくない仕事だと思うわ」

 

 シロナの手が震えていた。怖いのはシロナのほうなのだろう。優勝候補とおだてられていたが、その実組織に踊らされ、今もまた状況に翻弄されている。ヤナギは自分の怒りを仕舞った。今は、彼女の不安を取り除くべきだ。

 

「……あんたは、どこの防衛任務だ?」

 

「教えられないわ。防衛機密だもの」

 

 当然の事だった。シロナは自分に命令をした直属の上司だ。ヤナギは歯噛みする。目の前の人すら、守れない立場なんて。

 

「ヤナギ君。あなたは人に誇れるだけの実力の持ち主よ。だからこそ、胸を張って欲しいの。力は、振るわれる人間によって違いが出る。あなたにはその価値がある」

 

「……おだてても、何も出ないぞ」

 

 肩に置かれたシロナの手を振り払おうとすると、逆に抱き寄せられた。伝わる体温に息を詰まらせる。

 

「……ごめんなさい。卑怯よね。あなたには想い人がいるっていうのに」

 

 シロナのか細い声にヤナギは見透かされていた恥よりも、自分が彼女をないがしろにしてきた事を思い知った。守るべき人を想い続け、結局のところその人を戦場に駆り立ててしまったのは自分が弱いからだ。キクコの手を、無理やりにでも引く勇気があったのならば、結果は違っていたのかもしれない。

 

「俺は……」

 

 そこから先は言葉にならなかった。自分に今さら何が言えるのだろう。目の前の人すら癒せない自分が。

 

 シロナは自分の眼をしっかりと見据えてくれた。守るべき人はここにもいる。遠くを眺め続けていて、手近なものに気づけなかった。

 

 言葉はいらなかった。寄り添うべき二人は静かに口づけた。

 

 



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第八十話「疾風のシリュウ」

 

 ヤマブキシティのゲート管理官は不在であった。ユキナリは駆け出して雑多な街並みへと自らを放り投げる。ガンテツもその視線の先に天を衝く摩天楼を見据えた。

 

「あれが、シルフカンパニー本社ビルか」

 

「来るのは初めて?」

 

「ああ。やけれど、俺はもう因縁があるからな」

 

 その言葉にユキナリは頷いた。

 

「僕もだ。共に行こう」

 

 目配せし合い、シルフビルを目指した。入ったところの警備は驚くほどに手薄だった。赤色光のランプが点灯しており、非常時である事を告げていた。

 

「もしかして、来るのがばれていた?」

 

「あり得ん話ではないな。あのランとかいう嬢ちゃんが予め伝えていたとしたら」

 

 こちらの心を読む能力があるのならば今の行動でさえランの思惑通りなのかもしれない。

 

「だとしても、僕は行かなくっちゃ。どんな妨害があろうと」

 

 言った先から黒服が飛び出してきた。ユキナリはGSボールを突き出し、ボタンを押し込んだ。

 

「いけ、オノンド!」

 

 繰り出されたオノンドが黒服を引きずり倒す。しかし、黒服も新型モンスターボールからポケモンを繰り出していた。巨大な顎を持つ紫色のポケモンだ。翼を広げ、こちらへと食いかかろうとしてくる。その行く手を青い思念の光が遮った。

 

「オーキド! 俺に任しとけ!」

 

 ヤドンの思念の力が翼手のポケモンを迎撃する。青い思念の光が翼の動きを封じたかと思うと、そこから先は一気だった。纏わりついた光が弾け飛び、翼から揚力を奪い取る。無力化された黒服とポケモンを視界の隅に置き、ガンテツとヤドンは自分達を追ってきた。

 

「……強いんだ」

 

「当たり前やろ。一応、ポケモンリーグに挑戦する、って気概なんやから」

 

 ヤドンは普段はとぼけているようで戦闘時には使えるポケモンであった。黒服が飛び出して道を遮ろうとすると、ヤドンが尻尾を揺らし、思念で突き飛ばす。

 

「何の技?」

 

「サイコキネシス。どういう風でも応用が利くから便利やな」

 

 その応用を生み出しているのは他ならぬトレーナー自身の力量である。ユキナリは自分が思っていたよりもガンテツを見くびっていた事を発見した。

 

「出てくんぞ! 右から!」

 

 ガンテツの声に黒服が飛び出してくる。サイコキネシスの網がすかさず包囲し、黒服の動きを封じた。

 

「どうやらこいつら、上を守っているようやな」

 

 上、とユキナリは天井を仰ぐ。何があるというのか。階段を上っている限りでは、それが何なのかは見えない。

 

「そうなのかな。だとすれば、上に何が?」

 

「こいつに聞こうかいな」

 

 今しがたサイコキネシスで両手を封じた相手へとガンテツは歩み寄った。

 

「お前ら、何を守っとるんや?」

 

「決まっているだろう。シルフの社長と重役連だ。我々はシルフを守護するために集められた精鋭のSPだぞ」

 

 男の声音に嘘がないか、ユキナリは判断に迫られた。聞いたところによると嘘は言っていないように思えるが、それにしては何かが足りない。意図的にパーツが隠されているような感触だ。

 

「それだけか?」

 

 ユキナリの意思を汲んでかガンテツが問いに重い声音を含む。ヤドンの思念の力が倍増し、黒服の手を締め上げた。

 

「う、嘘じゃない! 本当だ!」

 

「ほんまか? 嘘言うと舌までサイコキネシスで引っこ抜くぞ」

 

 ガンテツの脅迫に恐れを成したのか、「わ、我々も詳しくは知らないのだ!」と男は悲鳴を上げた。

 

「詳しくは知らん? 精鋭のSPちゃうんかい」

 

 男は、「本当なんだ!」と叫ぶ。ガンテツがユキナリへと、どうするか、という視線を送った。

 

「多分、嘘はないんだと思う。ただ、知らないんじゃないかな」

 

「知らんって、でも同じ社内やぞ」

 

「あなた、ランというトレーナーを知っていますか?」

 

 ユキナリは思い切ってランの名前を出した。黒服は、「精鋭部隊に加えられたトレーナーだ」と応じる。

 

「なんや、随分とぬるいな、精鋭部隊とやらは。誰でも入れるんとちゃうか?」

 

「そ、そんな事はない。我々一般団員と精鋭部隊とでは情報の開示度が違うんだ……」

 

 恐らくはそれだ、とユキナリは直感する。

 

「ガンちゃん。多分、彼らは上を守れとしか命令されていないんだと思う」

 

「そんなアホな! 曖昧過ぎるやろ!」

 

「もしかしたら命令系統が違うのかも。黒服達を動かしているのと、精鋭部隊を動かしているのが別人だとしたら?」

 

 それならばこの混乱で社内を駆けずり回っているのは真の目的を明かされていない人々だ。ユキナリの憶測にガンテツは、「そんなんで動くか?」と疑わしげな眼差しを向けた。

 

「いや、天下のシルフにSPとして迎え入れられるだけでも充分な利益だよ。真の目的を知らされていなくてもね」

 

 黒服達自身はスカウトされたのだと思っているのだろうが、そうではない。恐らくは真意から目を逸らさせるために利用されたに過ぎないのだとしたら。

 

「彼らとて被害者になる」

 

「でも……」

 

 ガンテツの声を遮るように上階から黒服が降りてくる。ユキナリはオノンドに命じた。

 

「オノンド! ドラゴンクロー、拡散型!」

 

 オノンドが一瞬にして短剣の「ドラゴンクロー」を展開させ、黒服達の進行方向を遮った。眼前に迫った青い光の短剣に黒服達が息を呑んだのが気配で伝わる。

 

「通らせてもらう」

 

 短剣で動きを封じられている黒服達のすぐ脇をユキナリは駆け抜ける。ガンテツは、「ほな、さいなら」と黒服達へと舌を出した。

 

「何かがあるに違いないんだ」

 

 ユキナリはその予感に自ずと呟いていた。八階まで上ると明らかに内装が下階までと異なっていた。重役の部屋だろうか、と考えていると、「オーキド!」とガンテツが背中から突き飛ばした。

 

 先ほどまで自分がいた空間を空気の刃が切り裂いていた。ガンテツが立ち上がり、「野郎、闇討ちをかけるか」と忌々しげに口にした。部屋の扉の陰に隠れていたのは痩身の男だ。黒服を着込み、青白い病人のような顔つきをしていた。

 

「私の名はロケット団幹部、疾風のシリュウ。我がクロバットの攻撃を見切った事だけは褒めてやろう」

 

 シリュウと名乗った男が手を掲げる。すると先ほどの翼手型のポケモンと同系統と思しき紫色のポケモンが舞い戻ってきた。二対の翼を羽ばたかせ、思ったよりも小型のポケモンは睨みを利かせてきた。

 

「下がってろ、オーキド。俺が相手をする」

 

 いつになくむきになったガンテツの背中に、「……どうして」と声をかける。

 

「因縁だからな」とシリュウは鼻を鳴らした。

 

「ああ、こいつは因縁や。まさか、一門を裏切った八代目と合間見えるとはな!」

 

 八代目、という言葉にガンテツの話にあったシルフカンパニーに技術を売った人間の事を思い出す。八代目ガンテツを襲名した男だと。

 

「ガンテツの名はもう古い。これからはロケット団とシルフカンパニーが世を席巻する時代よ」

 

 シリュウの手には新型のモンスターボールがあった。ガンテツは怒りを露にして、「恥ずかしげもなく使いおって……」と声にする。

 

「恥を知らんかい!」

 

「貴様のようなガキがガンテツを襲名するとは、地に堕ちたものだな。ボール職人の一門も」

 

「黙れ! ヤドン、行くで!」

 

 ヤドンが尻尾を振るい上げ、思念の力をシリュウにぶつけようとする。しかし、クロバットと呼ばれたポケモンは旋風を巻き起こすと「サイコキネシス」の風と相殺させた。

 

「トレーナーとしての実力。まだまだのようだな」

 

 ガンテツは完全にシリュウと対峙する事を決めたようだ。ユキナリへと、「行け」と顎でしゃくる。

 

「俺の事はいい。上や、上を目指せ」

 

 しかし、さらに上の階層を目指すにはシリュウの脇を通り抜けねばならない。その先にある階段を見やり、「行けるものならば」とシリュウが余裕の笑みを浮かべる。

 

「俺が活路を作る。オーキド。行くんや」

 

 ガンテツは身構えた。ユキナリは頷き、「お互いに」と拳を突き出す。

 

「ああ、生きて帰ろうやないか」

 

 拳をコツンと打ちつけて二人はそれぞれ動き出す。シリュウが、「愚かな」とユキナリへと攻撃を向けようとする。ガンテツが、「こっちや!」と青い光の幕を張った。

 

「サイコキネシスで私を押し潰そうとでも言うのかね。だが、それよりも我がクロバットが君の首を落とすほうが速い!」

 

 クロバットがまさしく疾風の名に恥じぬ素早さでガンテツの首めがけて突っ切る。しかし、その攻撃が命中する事はなかった。ガンテツ足元から立ち上ったのはピンク色の立方体だ。透明な立方体はガンテツとヤドンを包む。その空間に入ったクロバットは急に速度を落とした。それこそ、常人が見切れるほどに。ガンテツは当然の事ながら回避する。ヤドンの張っていた攻撃にシリュウが舌打ちを漏らす。

 

「私をサイコキネシスで潰すと見せかけてトリックルームを展開する事を第一に掲げていたというのか」

 

「それも見抜けんようじゃ、お前もさほどトレーナーとしての力は及ばんようやな」

 

 立方体は膨れ上がり、シリュウの足元に至った。ユキナリが振り返ると、シリュウですら「トリックルーム」とやらの支配下にあるらしい。動きが随分と鈍かった。

 

「行け!」

 

 その声に後押しされ、ユキナリは階段を駆け上がった。

 

 



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第八十一話「運命の鎖」

 

「入らせろ! 早く!」

 

 屋上で既に離陸準備を始めている輸送機へと重役連と社長が入っていく。ヤナギは誰が入ったのかまでは把握していなかったが、それを離陸まで見届けろとの命令だった。

 

 正直、キシベという男からの命令には逆らいたかったが、シロナがあそこまで信用してくれたのだ。ならば自分も恩を返さずして何としよう。

 

「俺は……馬鹿だな。大切な人は目の前にいたのに」

 

 それさえも救えないのならばキクコの望みを叶える事など不可能だろう。ヤナギはキクコから与えられた白いマフラーを撫でる。このポケモンリーグの激戦の中にあっても、このマフラーだけが寄る辺だと感じていた。だが、いつの間にか自分の信じるところは多くなったようだ。

 

「シロナ。俺はあんたの事も知りたくなっている。おかしいかな」

 

 きっと自分らしくないと笑うだろう。だが、いいではないか。自分らしくない事があったとしても。

 

 輸送機に重役達が荷物さながら積み込まれていく。ヤナギは配置につき、鉄骨の陰から事の次第を眺めていた。まだ建築途中のシルフビル屋上には互い違いに伸びた鉄骨や巨大なクレーンがある。輸送機がローター音を響かせながら風を纏いつかせ、飛び立っていく。

 

「マンムー」

 

 ヤナギは手持ちを繰り出して輸送機へと照準を定めた。キシベから命じられたのはただ一つ。

 

「瞬間冷却、レベル5」

 

 ヤナギが命じるとマンムーが一瞬にして大気中から綱のようにローターへと繋げていた凍結術の効果範囲が拡大しローター部分が冷却された。急に動きを鈍らせたローターが誤作動を起こし、連鎖的に輸送機がバランスを崩していく。輸送機から黒煙が立ち上った。ヤナギは落ち着いて凍結術からの連携を放つ。

 

「氷柱を形成。機関部だ」

 

 凍結していた箇所を触媒にして氷柱を形作る。棘の鋭さを帯びた氷柱が突き刺さり機関部から炎の赤が灰色の輸送機を彩った。輸送機から表面の装甲版が遊離する。凍結術はその隙を逃さない。

 

「内部の人間を纏めて凍結させろ」

 

 確認するまでもない。マンムーの凍結術は気圧の差を利用し、内部を圧縮、凍結に成功したはずだ。

 

 次第に高度を落としていく輸送機が眼下に映る。ヤマブキシティの一万ドルの夜景と称される場所へと無骨なローター音を幾重にも重ならせていく。それは死出の旅への前奏曲に思えた。

 

「シロナ。作戦目標を確認。俺は既に終わった。お前は……」

 

 これからキシベに合流して改めて作戦行動か。顔を合わせるとなるといささか緊張するが、今まで通りに接するとしよう。それが自分には一番性に合っている。

 

 だが、そのような思考を、異様な音声が遮った。

 

『ヤナギ、君……。何で……』

 

 シロナの声が罅割れている。どうしてだろう。電波環境が悪いのだろうか、と電波を確認するが異常はない。

 

「おい、音声が酷いぞ。何だ、この雑音は」

 

 シロナの声に混じってノイズが連鎖する。ヤナギが眉をひそめていると輸送機から爆炎が走った。その音に同調しシロナの悲鳴が漏れ聞こえる。

 

「おい! 何が起こっている?」

 

 まさか、輸送機の真下にでもいるのか。シロナの所在地をポケギアのGPS機能で確かめる。

 

 その場所は、空中で浮遊しており一定ではなかった。まさか空飛ぶポケモンに? という疑問はこの状況ではナンセンスに過ぎない。ヤナギは最悪の想定をして輸送機へと振り返った。

 

 輸送機の窓に一瞬、見知った金髪の女性を見たような気がした。

 

 だがそれも束の間、爆風と炎が輸送機を包み込み、ヤマブキシティへと一直線に墜落していく。ヤナギは思わず叫んでいた。

 

「まさか……! やめろ!」

 

 その声が形になる前に輸送機は空中で爆発した。四散した部品の中に人々の血が入り混じる。ヤナギは直感した。あの中に、大切な人がいた。想っていた人がいたのだ。

 

 それを壊したのは他でもない、自分自身だった。

 

 ヤナギは身も世もなく悲痛に狂った叫びを上げる。今しがた自分が壊した幸福。どうしてシロナは自分に配置場所を言わなかった? どうして自分は命令される事に疑問を抱かなかった? シロナは最初から知っていたのか? 知っていて、自分にあのような振る舞いをしたのか。

 

「そんな……。俺が、やったというのか。俺が、殺した……」

 

 マンムーが茶色の毛並みを震わせる。敵の到来に肌を粟立たせるプレッシャーが直感させた。ヤナギは頬を濡らした涙を拭い去る。それでも涙は零れ落ちた。大切な人のために流れる涙は止め処ない。ヤナギはマンムーを伴って鉄骨の陰から歩み出た。作業用の赤いクレーン階段を降りつつ、ヤナギは敵を目にする。その時に理解した。キシベは、最初からこれが目的なのだという事を。

 

 その時、相手も理解したのだろう。お互いにここで合間見える事こそが運命に他ならなかった。

 

 眼下の敵を睥睨し、ヤナギは口にする。

 

「よくもまぁ、ここまで来たものだ。ぬけぬけとよくも」

 

 立ち止まり、ヤナギは相手の視線を感じ取る。ようやく、と言った様子で相手が口にした。

 

「輸送機を墜としたのは、お前か?」

 

 キシベはこれさえも予期していたのだろうか。自分の神経を掻き乱す言葉を。

 

「だったらどうする?」

 

 その言葉に相手は息を呑んだようだ。だがすぐに持ち直し、ヤナギを睨み据える。

 

「お前はカンザキ・ヤナギだ」

 

「お前はオーキド・ユキナリだ」

 

 この時、ユキナリは、ヤナギは、お互いを憎悪の対象と見なした。

 

 



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第八十二話「斧牙の十字龍」

 

 輸送機から黒煙が上がった時、まさか、という予感はあった。

 

 摩天楼から墜ちていく輸送機に亀裂が走り、嫌な音を響かせる。それはこれから来る破滅への前奏曲のようにユキナリの耳にこびりついた。

 

 階段を上り行く途中で輸送機から赤い牡丹のような爆発の光の輪が広がった。ヤマブキシティを染め上げた狂乱の光にユキナリは拳を握り締める。

 

「誰だ、一体誰が……」

 

 輸送機にはシルフカンパニーの重役が乗っていたのかもしれない。だとしても彼らの命を踏みにじり、破壊する行為など許されるはずがなかった。ユキナリは息せき切って階段を駆け上り、やっとの事で屋上に辿り着いたと思った矢先、黒服の襲撃に遭った。黒服は木の根が張り出したような赤い単眼を覗かせるポケモンを操っていた。自由自在に手を伸ばし、樹木のようなポケモンはトレーナー本体であるユキナリを追い詰める。ユキナリはオノンドへと命令を飛ばした。

 

「ドラゴンクロー、大剣!」

 

 扇状の青い光を纏いつかせ、一直線に「ドラゴンクロー」が拡張する。しかし、相手は寸前で回避し、ポケモンに指示を出す。

 

「オーロット! シャドークロー!」

 

 ここで時間を取られるわけにはいかない。今、撃墜された輸送機に手がかりとなる人が乗っていたかもしれないのだ。オノンドはこちらを掴もうとする闇の手を牙の一閃で振り解き、回転し様に二重の攻撃を浴びせた。

 

「ダブルチョップ!」

 

 弾けた声に鋭い一撃がオーロットと呼ばれたポケモンに突き刺さる。オーロットがよろめき、牙の一撃が片腕を引き裂いた。しかし、切断面から影が迸り、新たな影の腕を生成していく。ユキナリはオーロットそのものを相手取るのは不利だと判断した。ならばトレーナーを狙うかと言えばそうとも言い切れない。どこかで踏ん切りをつけかねている自分に嫌気が差し、ユキナリはオノンドへと命じる。

 

「ドラゴンクロー、拡散!」

 

 短剣になって拡散した「ドラゴンクロー」がオーロットを包囲する。ユキナリは諦めてくれ、と願ったが相手は猪突を命じた。舌打ちを漏らし、「勝てないんだったら!」と手を薙ぎ払う。短剣が一斉にオーロットへと突き刺さり、後退したオーロットに黒服は押し出された。オーロットが圧し掛かったまま、黒服がもがく。ユキナリはオノンドへととどめの一撃を命じようとして躊躇った。

 

 命を奪う事への抵抗があった。オノンドはユキナリの心情を汲んだように大剣をオーロットに打ち下ろすが、それは全力ではない。黒服が気絶する程度に止めてくれていた。ユキナリはオノンドの頭を撫でる。

 

「よくやった、これで……」

 

 中央のヘリポートへと歩き出すと鋼鉄の階段を踏む足音が響き渡った。屋上をさらに拡張しようとする赤いクレーンのうち一基の備え付け階段から誰かが降りてくる。ユキナリには予感があった。この場所で自分に戦いを挑んでくるのは誰なのか。

 

 青いコートを風に翻し、白いマフラーが棚引く。その頬には涙の痕が窺えたが、その理由を問い質す前に少年は口にした。

 

「よくもまぁ、ここまで来たものだ。ぬけぬけとよくも」

 

 その声の主には最早感情というものが欠落しているように思えた。涙の痕は最後の感情を発露させた結果なのかもしれない。ユキナリは慎重に言葉を選んだ。というのも、少年の背後には巨大な茶色い毛並みのポケモンが佇んでいたからだ。以前目にした小型のポケモンの進化系か、とユキナリは推測し、ようやく声にした。

 

「輸送機を墜としたのは、お前か?」

 

「だったらどうする?」

 

 罪悪感などこれっぽっちも覚えていない声音だった。いっそ、全て投げ打ってこの場に立っているとでも言いたげだ。相手はユキナリを睥睨し、その名を紡いだ。まるで忌まわしきもののように。

 

「お前はオーキド・ユキナリだ」

 

 ユキナリも応ずる。因縁の名前を引きずり出す。

 

「お前はカンザキ・ヤナギだ」

 

 憎悪で塗り固められた瞳に戦闘意識が宿る。ヤナギはこの場で自分を処刑するつもりなのだろう。最後の関門としてはこれ以上とない相手だった。

 

「キクコと、まだ一緒にいるのか」

 

 階段を下りながらヤナギが口にする。仇のような眼差しにたじろぎながらもユキナリは、「ああ」と答える。

 

「そうか。これが、奴の用意した因縁の戦場か」

 

「カンザキ・ヤナギ。僕は、どうしてお前がそこまで憎んでいるのか分かっていない」

 

 正直な言葉にヤナギはユキナリを指差した。

 

「そうやって、今ものうのうと息を吸って、生きている事がおぞましい。これほどまでに神経を掻き乱された事はない」

 

 ヤナギは額を押さえてユキナリを睨み据える。だが、ユキナリとて正体不明の憎悪にただ惑っているばかりではない。

 

「お前は、キクコに害を成そうとする奴らの手先か」

 

 害を成す、という部分が引っかかったのだろう。ヤナギは眉を跳ねさせ、「害、だと……」と口走る。

 

「お前が、それを言うのか」

 

 まるで全ての元凶が自分のような言い草だった。もちろん、ユキナリには思い当たる節はない。

 

「何を言っているのか分からない。でも、戦わなければ分からない、という事だけは分かる」

 

 身構えるとヤナギは鼻を鳴らした。

 

「分かっているじゃないか。そうとも、俺とお前は、戦う事でしか分かり合えない存在なのだから」

 

 二人の断絶は決定的だった。相手を殺す以外に解決の糸口が見つからない。ヤナギはユキナリの話を聞くつもりはない。ユキナリもヤナギが悠長に話してくれるとは思っていなかった。

 

 邂逅したその瞬間から、この戦いは宿命付けられていたのかもしれない。

 

 二人は同時に駆け出した。オノンドが前に出る。対してヤナギは巨大なポケモンを侍らせていたままだった。動く様子はない。攻め切れるか、とユキナリは先制攻撃を放つ。

 

「オノンド、ドラゴンクロー、大剣!」

 

 集束した青い光を纏いつかせ、オノンドは大剣として顕現させた「ドラゴンクロー」を相手に向けて放つ。無論、ポケモンにだ。まだユキナリの中では整理がついていない。いくら戦わなければならない相手だとしても殺す事まで厭わないほど残虐ではなかった。だが、次のヤナギの言葉が、その認識の甘さを決定付ける。

 

「俺をあえて外すか。嘗められたものだ」

 

 瞬間、大剣の切っ先が震える。恐怖か、とユキナリは判じようとしたがそれよりもなお本能的な反応だ。

 

 これは身体における反射である。身体が震え出す状況。以前のヤナギの戦法とカスミから聞いた話をすり合わせ、現状況を分析した。

 

「凍結攻撃……」

 

「調べたのか。あるいは誰かが喋ったか。まぁ、いい。分かっていてドラゴンタイプを使っているのならば、とんだ愚者だ」

 

 大剣が切っ先から瞬く間に凍て付いていく。ユキナリは解除を命じようとしたがそれよりも相手のほうが速い。ヤナギの声が響く。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

 青い光の大剣はそれそのものにほとんど質量がないはずだが、今になってはオノンドの重荷になっていた。展開した大剣が牙まで至り、オノンドの動きを制限している。ユキナリは、「牙で砕け!」と指示するしかない。叩き割ろうと顔を振り上げて、オノンドは硬直する。それが決定的な打撃になる事を予見したように。

 

「トレーナーは愚鈍だが、ポケモンのほうは理解しているらしい。そのまま叩きつければ、支えとなっている牙ごと砕けるぞ」

 

 まさか、それほどまでに凍結は侵食しているというのか。ユキナリが確かめる前に、「遅いな。何もかも」とヤナギが指を鳴らす。

 

「牙を触媒にして攻撃。瞬間冷却、レベル2」

 

 オノンドの顔面を凍結が襲った。当然、目を開けていられなくなりオノンドが首を振る。視界を奪われたオノンドへとヤナギが声を差し挟む。

 

「弱いな。さっきよりもレベルを下げてやったんだぞ。レベル3未満の凍結で充分な効力が得られるな。マンムーに指示するまでもなかったか」

 

 マンムーという名前らしいポケモンは丈夫そうな一対の牙を突き出している。ユキナリの胸を焦燥が掻き毟る。このままでは何も出来ずにやられてしまう。

 

「オノンド! 腕だ。腕でドラゴンクロー部分を破砕しろ!」

 

 腕の膂力ならば牙の一撃と同程度が見込めるはずである。オノンドは腕を振り回し「ドラゴンクロー」部分をようやく砕いた。しかし、牙には依然凍結が至っており、顔も塞がれたままだ。

 

「どうすると言うんだ。目の見えないポケモンで闇雲に戦うか? 俺の位置を正確に指示し、オノンドとやらが迷いのない殺意で俺を仕留めようとするのならば、確かに望みはあるだろう。だが、トレーナーであるお前自身が躊躇っている」

 

 その通りだった。まだ人殺しをしたくないという意思がブレーキをかけている。ヤナギは頭を振って、「だから、まだ弱い」と告げた。

 

「その域に達していないのならば、俺の前に立つ事も敵わない。せめて、頭を垂れて無力感に打ちひしがれる事だ」

 

 オノンドの動きが鈍る。目を凝らすと足元から凍結が這い登ってきていた。このまま判断を彷徨わせていればいずれ自分もオノンドも敗北する。もう二度と、負けたくない。逃げたくなかった。

 

「オノンド! 三メートル跳躍して直下の相手へと牙を打ち下ろせ!」

 

 ついにユキナリにその判断をさせた。オノンドが体勢を沈み込ませ、脚に力を込めて跳躍する。三メートル先――そこにはヤナギが佇んでいる。

 

「その判断をついに下したか。だが、全てが遅い、とだけ言っておこう」

 

 その言葉を解する前に、オノンドが空中で静止した。何が起こったのか、ユキナリが振り仰ぐと氷の糸がオノンドを絡め取っていた。

 

「空気中の水分から生成した糸だ。お前らが俺への攻撃を躊躇っている間に張らせてもらった。オノンドは、動けば動くほどに氷の糸が締め付ける」

 

 氷で作られた、と言ってもその柔軟さは本物の糸に匹敵する。さらにオノンドの表皮を鋭く傷つける攻撃だった。

 

「ドラゴンタイプでそもそも俺へと立ち向かう事がどうかしている。マンムー、氷柱を展開しろ。二十三本、包囲陣」

 

 ヤナギがオノンドを指差すと空気中から少しずつ氷柱が形成されていった。小型の氷柱はオノンドを囲い込み、その針先が一斉にオノンドへと向けられる。

 

「この攻撃は脳幹に一撃、頚動脈に二発ずつ、さらにその他の重要箇所にきちんと一撃ずつ配置出来ている。オーキド・ユキナリ。敗北を宣言してももう遅い。ここでお前と、お前のポケモンは殺す」

 

 断じた声にこの相手は本気だとユキナリは感じ取る。本気で自分とオノンドを殺す気なのだ。だとすればますます分からなかった。

 

「どうして、キクコと顔見知りのお前が、ここまで僕に敵意を剥き出しにする?」

 

「それが分からない時点で、もうお前は俺へと問いを重ねる権利はない」

 

 その声にユキナリは拳をぎゅっと握り締め、腹腔から叫んだ。

 

「この、分からず屋!」

 

 呼応したオノンドが牙から青い光を纏いつかせる。まさかこの姿勢から攻撃するとは思ってもみなかったのだろう。ヤナギの判断が一瞬、遅れた。

 

「氷柱で攻撃を――」

 

「ドラゴンクロー、拡散!」

 

 短剣と化した「ドラゴンクロー」がそれぞれ短剣の前へと据えられる。短剣は氷柱と相殺し、お互いが潰し合った。見た事のない攻撃だったのだろう。ヤナギの顔が驚愕に塗り固められる。

 

「何だこれは」

 

 短剣が糸も断ち切ったらしい。宙吊り状態だったオノンドが着地し、獰猛に牙を振るった。

 

「ここで、お前を倒す」

 

 ユキナリの声にオノンドが応ずるように吼える。ヤナギは一瞬だけ呆気に取られた様子だったがすぐに持ち直した。

 

「だからどうだと言うんだ。ドラゴンタイプでは氷には勝てない。何度も同じ事を……」

 

 ヤナギが手を振り翳す。それと同時に声が放たれた。

 

「言わせるな!」

 

 冷気を纏いつかせた衝撃波がオノンドを見舞う。オノンドは両腕を交差させて防御の姿勢を取るが凍結は表皮を覆い尽くしていく。

 

「瞬間冷却、レベル2」

 

 オノンドの顔を覆っていた氷の膜がより厚くなっていく。眼も開けられないオノンドを見やり、「どうする?」とヤナギが声を上げた。

 

「俺の位置を正確に教えたところで、また同じ憂き目に遭うだけだ。かといって立ち止まっていれば、冷却攻撃は確実にオノンドを蝕む」

 

 ユキナリはその言葉に対する解答を既に持ち合わせていた。オノンドの名を呼び、ユキナリは前を向く。

 

「片腕でも、動くな?」

 

 オノンドが腕を掲げる。ユキナリは頷き、「ドラゴンクローをその腕に展開」と命じた。青い光が腕に鉤爪のように装着される。しかし、その腕で攻撃出来る範囲に敵はいない。

 

「どこを攻撃するつもりだ。言っておくが、射程範囲に入る前に、瞬間冷却は確実にオノンドを絶命させられる。まだレベル2なのだからな」

 

 ユキナリはぐっと息を詰めた。これは賭けだ。それも、命の危機を伴う賭け。失敗の許されない一発勝負に、ユキナリは自身の顔をなぞった。その行動の意味をはかりかねてヤナギが怪訝そうに眉をひそめる。ユキナリは口にした。

 

「ドラゴンクローの攻撃先は、自分の顔面だ、オノンド」

 

 その言葉にヤナギが息を呑む。オノンドは迷う事なく自分の顔を引き裂いた。氷の膜を切り裂いてその内側、額の表皮から血が迸る。オノンドが激痛に咆哮する。しかし、その視界は晴れていた。氷の膜が砕け散り、オノンドは額に十字傷を作っていた。

 

「左目にも傷を負わせてしまった。トレーナー失格かもしれない。でもオノンド。僕達は、今! 勝つために!」

 

 オノンドの額に走った十字傷が赤く光を帯びる。拡張した十字の光がオノンドを包み込んだ。赤い光が卵の殻さながらにオノンドの周囲に広がり、次の瞬間、弾け飛んだ。

 

 そこにいたのは最早、オノンドではない。

 

 牙は扇状に広がって固定され、体表は甲殻めいた鎧と化した。二倍近くに体長を伸ばしたそのポケモンが最も特徴的だったのは身体から立ち上るオーラだ。黒い霧のようなオーラが全身から迸っている。体色も灰色や黒に近い。赤いのは煌々と敵を見据える瞳と、斧の形状になった牙だけだ。斧の牙はまるで熱したばかりの鉄のように赤く光を発している。

 

「進化した……。これは、このポケモンは……!」

 

「いけるか?」

 

 その言葉に斧牙のポケモンは轟と吼えた。大気が恐れに震える。マンムーも茶色い毛並みを震わせていた。ヤナギは、「それでもドラゴンタイプだろう!」と片手を開く。

 

「氷に弱いのには違いない。瞬間冷却、レベル2!」

 

 放たれた凍結の息吹に斧牙のポケモンは首ごと牙を振るい落とした。その瞬間、キィン、と何かとぶつかり合う音が木霊する。次の瞬間には凍結の膜が引き裂かれていた。ヤナギが瞠目する間に、斧牙のポケモンの放った攻撃がマンムーに直撃する。マンムーは低い呻り声を上げた。

 

「瞬間冷却を、相殺した?」

 

 ユキナリ自身、信じられないが今の攻撃ならば分かる。あれはキバゴの時、空牙で放った攻撃と同じだ。相手の攻撃を受け流し、キャンセルする。この斧牙のポケモンはキバゴの時の経験をきちんと活かしている。紛れもなく自分のポケモンであった。

 

「もう、瞬間冷却は通じない」

 

 ユキナリの言葉が癇に障ったのだろう。ヤナギは怒りに顔を歪めて、「ふざけるなよ」と押し殺した声を出す。

 

「たかがレベル2の瞬間凍結を無効化した程度で! 震えろ! 瞬間冷却、レベル5!」

 

 重力が倍増したかのようなプレッシャーを伴って瞬間冷却の波が押し寄せる。この斧牙のポケモンでも、あれは無効化出来ない、というのは分かった。だが勝たなくては。勝って、正しさを示さなくては。その思いが鼓動となり、ユキナリの内奥から熱となって溢れ出す。脈動する熱は額へと至り、一瞬にして弾け飛んだ。その思惟の一端が、斧牙のポケモンへと繋がる。

 

 一つだけ、この状況を打開する攻撃が思い浮かんだ。否、思い浮かんだ、というよりかは逆流してきた、というのが正しい。斧牙のポケモンの中にある攻撃方法の一つがユキナリの脳内へと差し込んできたのだ。

 

「これを、使えって言うのか……」

 

 確信の得られないものではある。だが、今の自分には信じるしか出来ない。斧牙のポケモンが示したものを。暴走などしていない。このポケモンは自分に道を示した。これまでのように。あるいは、これからのように。

 

 ユキナリは首肯し、「やろう」と呟いた。

 

 瞬間冷却の寒波が斧牙のポケモンを捉えるより先に、ユキナリは指鉄砲を作りヤナギへと向けた。斧牙のポケモンから立ち上る黒い瘴気のようなものが眼前へと固まっていく。牙に伝った血脈から赤い磁場が走り、黒い瘴気を絡め取った。

 

 空間さえも歪める瘴気が集束し、赤い磁場が一際輝き、雷鳴の光と呼応する。

 

「放て! ドラゴンクロー!」

 

 一閃された攻撃はしかし、オノンドの時とも、キバゴの時とも異なっていた。黒い剣閃が拡張されて放たれる。赤い磁場が迸り、その一撃が目の前の景色を空間ごと断ち切った。

 

 



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第八十三話「崩落する夜」

 

「これって、どうなっているの?」

 

 ナツキはヤマブキシティに着くなり喧騒が街を押し包んでいる事に気づく。それも尋常なものではない。恐慌に駆られた人々は逃げ惑っている。夜の中心核のようなシルフビルを振り仰ぐと、今まさに何かが一射された。ナツキの眼には黒い光線のように映った。

 

「何、今の……」

 

 尋常ではない事態の中で、さらにのっぴきならない事が巻き起こっている。シルフビルの屋上から自然と後ずさるようになってしまったナツキへと声が振りかけられた。

 

「お嬢ちゃん。あいつらは……」

 

 釣り人が示したのは逃げ惑う人々の中にいる黒服だった。その姿はハナダシティで目にしたものとシオンタウンにいた人々と合致した。ナツキはモンスターボールを抜き放つ。

 

「ハッサム!」

 

 進化したばかりの相棒の名を呼び、ナツキは黒服達の進路を遮った。キクコも、「ゲンガーお願い」とゲンガーを繰り出し、すぐさま「くろいまなざし」を展開させた。黒服達が立ち往生する前に立ち、ナツキは尋ねる。

 

「何なの、あんた達! ヤマブキを混乱に陥れて」

 

「違う! 誤解だ! 我々は何も知らない!」

 

 黒服の思わぬ弁明にナツキは面食らったが、「知らないで通せる話じゃないだろう」と釣り人が凄んだ。

 

「お前ら、よからぬ事を企んでいるんだろう」

 

 釣り人の声音に、「我々も知りえぬ事だ!」と黒服達も困惑の声を上げた。

 

「何でこんな事になっているのか分からない。キシベ様もどこに行かれたのか……」

 

「キシベ……。キシベがいないの?」

 

 分け入って尋ねたのはランだ。黒服達はランの事は知っていたのか、「ラン様!」と声に出す。

 

「どうしてあなたがここに……」

 

「説明は後で。キシベがいない、それは本当?」

 

 確認の声音にキシベ、とやらが敵の主犯か、とナツキは頭の中で結びつける。

 

「ああ、どこを探してもです。通話にも出ない」

 

 黒服達がポケギアを指し示している。ランはポケギアの通話を開くが無為に終わるのは目に見えていた。

 

「そっか。……フウ。そっちは。……ああ、やっぱり。出し抜くってのは無理だったみたいだね」

 

 ランはポケギアではない、誰かと喋っているように映った。ナツキが問い質そうとすると、「もう遅い」とランが口にする。その瞬間、シルフビルを爆音が襲った。

 

 振り返るとシルフビルのあちこちから爆発の赤い光が生じ、炎が舞い上がっている。

 

「何を……」

 

 ナツキが見入っていると、「これで私達の目的は遂行された」とランが口にする。そちらへと視線をやったその時にはランの姿は半分景色と同化していた。

 

「私達はロケット団じゃない。組織に忠誠を誓った身。ロケット団壊滅のために動くのに、これほど適した夜はなかった」

 

 ランの言葉に釣り人が慄きながら、「どういう意味だ?」と尋ねる。ナツキにはその言葉の赴く先が理解出来ていた。

 

「……あんた達も、あたしやユキナリを利用したわけね」

 

 ランは口元に笑みを作り、「また会おう」と手を振った。その姿は間もなく見えなくなった。釣り人は呆気に取られている。

 

「長距離テレポートよ。もうランを追えないわ」

 

「でも長距離テレポートは、確かポケモンリーグで違反なんじゃ……」

 

「だからもう、ランはポケモンリーグに正規参加するつもりはない、という事」

 

 恐らくは最初からその腹積もりだったのだろう。ナツキの導き出した答えに釣り人が戸惑う。

 

「で、でもそんな事をして何の得が?」

 

「恐らくは、彼女を雇っている組織が得するのでしょう」

 

 その組織がロケット団ではなく、シルフカンパニーでもない。まだ自分達には明かされていない第三の組織が存在すると見るのが妥当だった。

 

「ナツキさん、どうする?」

 

 キクコが黒服達の処遇を決めかねている。ナツキは、「もう聞く事はないわ」と言うとキクコはゲンガーの技を解いた。

 

 逃げる前に黒服の一人がナツキへと声をかける。

 

「お前ら、オーキド・ユキナリの仲間だな」

 

 黒服がユキナリの名前を発した事にナツキは驚きを隠せなかった。黒服は、「命あってのものだねだし」と一本指を立てた。

 

「多分、キシベ様は俺達の事を見捨てたんだと思う。この際、楽観主義は捨てて言うよ。お前ら、ずっと監視されていたんだぜ」

 

「どういう意味だ?」と釣り人が問いかける。「おっさんは関係ねぇよ」と黒服が戸惑うが、「聞かせて」とナツキは詰め寄った。

 

「どういう意味なのか」

 

「オーキド・ユキナリがどうして旅を決意したと思う? その裏にはキシベ様が関わっているんだ。俺達にも全貌が知れない、大きな計画さ。話を少しだけ聞いたところによると、何でもオーキド・ユキナリは特異点、とか言うらしい」

 

「特異点……」

 

 聞いた事のない言葉にナツキはキクコへと目線を向けるがキクコも首を横に振った。

 

「詳しい事は全然分からないんだ。だが、キシベ様は言っていた。オーキド・ユキナリの旅は自分をきっかけにしなければ起こり得なかった事象だと」

 

 ナツキは言葉を失っていた。ユキナリの旅が、仕組まれていたとでも言うのか。他の黒服が、「喋り過ぎだ」といさめるがその黒服は、「俺が知っているのはそれくらいだよ」と身を翻した。

 

「待って! まだ聞きたい事が――」

 

 その言葉尻を爆音が遮る。またもシルフビルで爆発だった。動悸が爆発しそうなほどに高鳴っている。このまま何もかもが非日常に沈んでしまいそうでナツキは声を漏らす。

 

「ユキナリが、あそこに……」

 

 自然と足が向いていた。ナツキの前へとキクコと釣り人が立ち塞がる。

 

「やめろ! お嬢ちゃん! これ以上は危ない!」

 

「ナツキさん!」

 

 二人の制止を振り切ってナツキは駆け出した。ハッサムが傍についてくる。舞い落ちてくる煤けた風が異常事態を報せていた。

 

「ユキナリ。どうか無事で……」

 

 その時、視界に大写しになったのは崩落したビルの先端だった。シルフビルの周囲が崖崩れのように円形に爆破される。ナツキは足元が急に振動してたたらを踏んだ。目の前には崩れ落ちる地面があった。

 

「ゲンガー!」

 

 キクコの声が弾け、ゲンガーの手が伸長ししゅるしゅるとナツキの胴へと纏いつく。ナツキはゲンガーの手一本の命綱でぶら下がる形となった。

 

「ナツキさん、上ってきて!」

 

 キクコの声にナツキはゲンガーの手を掴む。ゲンガーは徐々に自分を引き上げてくれた。

 

 ナツキは改めて自分が踏み入った領域を見やる。シルフビルに誰も近寄らせないと言うのか、円形に切り取られた爆破面積は周囲の家屋やオフィスを薙ぎ払い、少なくとも数時間はシルフビルに人が近づくのを避けるのには適していた。

 

「こんなんじゃ、シルフビルに近づく事も……」

 

 いや、それだけではない。この爆破で生き埋めになった人も少なくないはずだ。ナツキは、「ハッサム!」と指示する。

 

「バレットパンチで瓦礫を排除して!」

 

 ハッサムが鋼鉄の拳を打ち放つが、それだけでは埒が明かない。もどかしい気持ちに駆られていると突如として上空に巨大な影が差した。振り仰ぐと肌色の腹を見せた水色の龍が長大な身体を駆使して瓦礫へと口腔を向けていた。

 

「ギャラドス! こういう時にこそ、大人が道を切り拓かなきゃな」

 

 釣り人が柔らかく微笑んだ。ギャラドスと呼ばれた巨大なポケモンが尻尾と牙を使って瓦礫を押しのけていく。

 

「救助は俺に任せな。お嬢ちゃん達は本丸を目指せ」

 

 釣り人の声にナツキとキクコは頷き合った。

 

「行きましょう。ユキナリは、多分シルフビルにいる」

 

 駆け出す活路をギャラドスが切り拓いてくれる。ナツキは後押しされているような心地を味わいながらシルフビルへと駆け出した。キクコが続いてくる。このまま進めばユキナリを救い出す事が出来るだろうか。勘としか言いようのない感情に衝き動かされ、ナツキが踏み込んだ瞬間、肌を粟立たせる殺気が風となって吹きつけた。またビルでも崩落してくるのか、と思ったが違う。覚えず立ち止まり、ハッサムを先行させる。空中でハッサムの「バレットパンチ」を受け止めた影があった。翻ったそれは黒い着物を身に纏っている。抱くように跳躍しているのは赤い痩躯のポケモンだった。V字型の鶏冠から炎を噴き出させ、そのポケモンが主である黒い着物の人物を降ろす。

 

「……たまげたな」

 

 女の声だった。流麗に降り立った着物姿の女は片手に武器を携えている。一振りの刀だった。赤い、鳥の意匠を各部位に備えたポケモンが臨戦態勢を取る。今しがた「バレットパンチ」を防いだのは同じくらいの速度を誇る拳だった。ナツキは身構える。殺気の正体はその女に他ならない。

 

「チアキさん? 私はこのまま行きますけれど」

 

 同じように降り立ったのは見覚えのある人影だった。黒い髪に装飾華美な黄色いファーの衣服を身に纏っている。谷間の発電所でサンダーを捕獲した女だった。

 

「行っても無駄だ、カミツレ。既にキシベ達は離脱している」

 

「どうして分かるんです?」

 

 カミツレ、と呼ばれた女の問いに、着物姿のチアキとか言う女が応じる。

 

「この場所から監視の目が消えた。もう、ヤマブキシティにその価値はないと判断したのだろう」

 

「だったら、私達は」

 

「ヤナギを迎えに行くといい。恐らくはキシベの指示で屋上だ」

 

 カミツレはモンスターボールを抜き放つとマイナスドライバーで緩め、ボタンを押し込んだ。

 

「いけ、サンダー」

 

 繰り出されたのは刺々しい翼を持つ金色のポケモンであった。全身から電流を発する鳥ポケモンは鋭い嘴を開き、雄々しい咆哮を発する。

 

「サンダー、屋上まで」

 

 電流を緩め、主が乗る分だけを開けたサンダーの背にカミツレが跨り、「屋上へ」と指示する。サンダーは雷撃のような速度で舞い上がっていく。キクコがゲンガーに「くろいまなざし」を命令するよりも素早い。

 

「逃がすか!」

 

 谷間の発電所の因縁、今こそ晴らさねば。ハッサムを前に出すと炎熱がそれを遮った。着物姿のチアキが赤い鳥ポケモンを伴ってナツキの道を阻む。

 

「何のつもり」

 

「悪いな。こちらとしても事情がある。そちらの思い通りにさせるわけにはいかない」

 

 その言葉にナツキは手を薙ぎ払う。

 

「ハッサム、電光石火!」

 

 ハッサムの姿が掻き消え、相手へと肉迫する。だが、相手はそれを上回る速度で背後へと回った。

 

「バシャーモ、ブレイズキック」

 

 バシャーモと呼ばれたポケモンは赤く輝いた蹴りを振り払う。ナツキはハッとしてハッサムへと続け様に指示する。

 

「電光石火で回避してから、バレットパンチ!」

 

 ハッサムが腕を交差させて地面を蹴りつけ宙返りを決める。先ほどまでハッサムがいた空間へと炎の蹴りが打ち落とされた。ハッサムはバシャーモの頭上へと回り込むや、鋼鉄の拳を打ち放つ。確実に当てたかに思えた。しかし、チアキの指示は簡素だった。

 

「同じ速度の拳で相殺しろ」

 

 バシャーモは頭上を仰ぐと拳を放つ。目にも留まらぬ応酬が繰り広げられ、ハッサムが離脱する。

 

「今の、バレットパンチを、全弾受け止めたって言うの?」

 

 ハッサムのハサミにはダメージはないが、それだけ正確無比な攻撃だったという事だろう。こちらの動きどころか力量すら読まれている。ナツキは息を呑んだ。

 

「何者……」

 

「名乗るのが遅れた。ここヤマブキシティにて、カラテ大王の一番弟子でありジムリーダーを務めていた。チアキだ」

 

「ジムリーダー……」

 

 どうしてジムリーダーがヤナギ側についているのか。それを追及する前に、「質問は一つだ」とチアキは人差し指を立てる。

 

「貴公らは、敵か、味方か」

 

 この質問は答え方を間違えれば確実に死を招く。その確信があった。ナツキが緊張でからからになった喉から声を漏らそうとする。

 

「す、少なくとも、害を成すものじゃないわ」

 

 上ずった声にチアキは、「そう、か」と呟き、バシャーモへと視線をやる。

 

「よく育てられているポケモンだ。ハッサムと言ったか。だが、我がバシャーモには遠く及ばない」

 

「そのポケモンの反応速度、尋常じゃないわね。加速特性?」

 

 ナツキの言葉にチアキは感嘆の吐息を漏らす。

 

「特性を見抜くとは。ここまで来たトレーナーならば伊達ではないか」

 

「馬鹿にしないで。あたしは、勝つためにここにいるんだから」

 

「しかし敵同士ではない。どうする?」

 

 息を詰める。相手は実力者だ。安易な発想は逆に不利に働くと心得ろ。言葉を発しようとしたその時、もう一度シルフビルの屋上で黒い光が一射された。その振動に大地が震える。チアキも振り仰いで、「何が……」と呟いている。

 

「とにかく! この場で戦っている場合じゃないのは同じなようね」

 

 ナツキの声にチアキはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「確かに。お互いに任された役割があるようだ」

 

 シルフビルへと急ごうとするナツキへとチアキは声を振りかける。

 

「やめておけ。今に、このビルは崩れるぞ」

 

「でも、何もするなって言うの?」

 

 ナツキには耐えられない。恐らくはこのビルの中にユキナリがいるというのに。

 

「落ち着いて、周囲を観察しろ。ハッサムには翅がついている。いざという時には飛んで救助をすればいい。逸る気持ちは命を縮めるだけだ」

 

 チアキの言葉は正論だった。ナツキはその場に踏み止まり、シルフビルの屋上を揺れる視界に入れる。

 

「ユキナリ……!」

 

 



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第八十四話「ガンテツという楔」

 

「ここまでやるとは思わなかったよ、十代目」

 

 シリュウの声には余裕が満ちている。対して、こちらの戦力では心許なかった。いくら「トリックルーム」で時間を反転させているとはいえ制限がある。ヤドンでは勝てない。ガンテツは痛いほど思い知った。自らの至らなさを。

 

「いいのかな。私を相手取るよりも相方を助けに行かなくて」

 

「オーキドは、あれで俺なんかよりも数倍強いんでな。命の心配はしとらんが、この揺れはちとヤバイ。ええんか? 俺とお前、このままじゃ生き埋めやぞ」

 

 ガンテツの言葉に、「そんな事を心配しているから」とシリュウは口にした。

 

「二流の一門なのだよ。いいか? 本当に一流を目指すのならば場所などにこだわっているようなプライドは邪魔なのだ」

 

「場所を穢したお前が、偉そうに言うな!」

 

 ヤドンが尻尾を振るってサイコキネシスをクロバットに撃とうとする。だがクロバットは「トリックルーム」の中でもうまく立ち回っている。

 

「直線的な攻撃だ。ボール作りは一流でもポケモンの扱いは三流以下だな」

 

 クロバットは青い光を回避し、ヤドンへと空気の刃を放った。ヤドンがその身に似合わぬ速度で回避する。「トリックルーム」が生きているからこそ出来る芸当だったが、そろそろ制限時間だ。消耗戦を続けていてもヤドンでは勝ち目がない。

 

「どうやら、時間切れのようだ」

 

 薄らいでいくピンク色の光にガンテツが、「……チクショウ」と声を漏らす。シリュウは壁に手をついてポケギアへと声を吹き込んだ。

 

「八階だ。屋上への階段の前にいる」

 

 誰に指示したのか。それを考える前に空間を引き裂いて現れたポケモンに瞠目する。

 

「何や、それ……」

 

 八つの眼を持つ黒いポケモンが浮遊している。シリュウは、「知らないのか?」と嘲った。

 

「ネンドール。お前達に接触したフウとランの兄弟が使っていたポケモンだ。このシルフビルを爆破するために数体犠牲にしたが、それも瑣末なものだ」

 

 シリュウが引き裂かれた空間の中に入っていく。逃げるつもりだ、と察したガンテツは、「待てよ!」と声を張り上げる。

 

「残念だが十代目。お前との決着はいずれつけよう。だが今は逃げに徹しさせてもらう。ロケット団を追うためにな」

 

 その言葉にガンテツは耳を疑った。

 

「お前、ロケット団と違うんか」

 

「もう、本隊は逃げおおせている。ここにいる人間達は、捨てられたのだ。私は組織に下る事にしたよ。そのほうが技術も命も長生き出来そうなのでね」

 

 シリュウの言葉にガンテツは思考がついていかない。だが、ここで逃がしてなるものかという意思だけはあった。

 

「サイコキネシスで引きずり出してやる!」

 

「もう遅い。さよならだ、十代目」

 

 サイコキネシスが引き裂くように走るが、シリュウの姿は既に消えていた。ガンテツは膝を落とし、呼吸を整える。

 

「……ちょっと、無茶し過ぎたか」

 

 元々体力に自信のあるほうではない。戦いのための緊張もガンテツからしてみれば重荷だった。

 

 だがユキナリを救わねば。ガンテツはそのために膝に力を込めた。向かうは屋上への階段だった。

 

 



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第八十五話「咆哮」

 

 黒い「ドラゴンクロー」がクレーンを切り裂いた。

 

 ユキナリの眼にはそれ以上は追えなかったし、斧牙のポケモンがどれほどの強さの攻撃を放ったのかも不明だった。ただ、瞬間冷却を無効化するだけではない、もっと恐ろしい攻撃を放った事だけは確かだ。瞬間冷却の波を切り裂き、クレーンがぐらりと傾ぐ。ヤナギは呆然と斧牙のポケモンを眺めていた。

 

「何をした……」

 

 自分でも分からない。だが、ヤナギを倒すにはこれしかなかった。たとえ再びポケモンとの絆が失われようとユキナリにはこの攻撃に賭けるしかない。

 

「僕達でもお前に敵うという事だ」

 

 その言葉にヤナギは殺気を露にして、「ふざけるなよ……」と静かな怒気を放つ。

 

「お前ら程度に、俺とマンムーの凍結術が止められるものか。瞬間冷却が無理ならばこれだ! 氷柱落とし!」

 

 斧牙のポケモンの頭上に巨大な氷柱が三本、一瞬にして構築される。重力にしたがって落下してくる氷柱にユキナリは手を払った。

 

「薙ぎ払え!」

 

 斧牙のポケモンは牙を薙ぐ。それだけで空気がびりびりと震えた。氷柱が一瞬にして亀裂を発し、内側から霧散する。砕け散った氷柱の姿を一番信じられない様子で眺めていたのはヤナギだった。

 

「馬鹿な……。マンムーの形成する氷柱だぞ」

 

 ユキナリは畳み掛けるのには今しかないと感じた。クレーンが巨大な軋む音を立てながら崩落していく。屋上の一部を巻き込んで赤いクレーンが鉄骨となって散らばった。

 

「……ふざけるな。ふざけるな! 俺に敗北は許されない。もう、ポケモンを狙うなどというまどろっこしい真似をしてやる必要もない! 瞬間冷却――」

 

「ドラゴンクロー!」

 

 身体から立ち上る瘴気を集束させ、斧牙のポケモンが攻撃を放とうとする。ヤナギが自分を指差した。

 

 その直後、爆発の衝撃が連鎖し、足場を揺らした。ヤナギは元より自分も突然の衝撃によろめく。

 

「何が、起こっている?」

 

 ユキナリが声を発している間にも状況は動き、屋上が傾ぎ始めた。ビルそのものの地盤が傾いているのだ、と察したユキナリはヤナギを視界に入れようとしてハッとした。

 

 ヤナギと自分との間に、空間に浮遊しているランの姿があった。黒い寸胴なポケモンを従えており、もう一人、ランと瓜二つな人影があった。その人物も同じポケモンを有していた。

 

「あれ? オーキド・ユキナリ君、ここまで来れたんだ。やっぱりやるね」 

 

 ランの声が響くがそれはここではないどこかの空間を震わせているようだった。

 

「ラン。お喋りはそこそこにしよう」

 

「そうだね、フウ。私達の目的はあくまでシルフビルの爆破と破壊。そして、この屋上を壊してその目的は果たされる」

 

 寸胴な二体のポケモンが赤く膨れ上がる。何をするつもりなのか、とユキナリが見守っていると、「じゃあね」とランが手を振った。

 

「私達は任務のために殉ずる。ロケット団にいたのも、全てそのため」

 

 殉ずる、という言葉にユキナリはランがやろうとしている事を見抜いた。まさか、と手を伸ばす。ランはまるで少しだけ遠出するかのように笑顔で手を振る。

 

「さよなら、オーキド・ユキナリ君」

 

 その言葉が発せられた直後、二体のポケモンが爆発しその光と破壊の余波がユキナリとヤナギの視界を覆い尽した。

 

 咄嗟にユキナリは斧牙のポケモンに命ずる。斧牙のポケモンは盾になって自分を守った。ヤナギは、というと氷の壁を形成して身を守ったらしい。だが、二人の戦いの場となったこの屋上は持たない。

 

 足場に亀裂が走り、浮遊感に襲われる。屋上が崩壊したのだ。粉塵が舞い上がり、お互いに自分とポケモンの分しか足場がない。完全に断絶された二人は最後の一撃を双方に放った。

 

「ドラゴンクロー!」

 

「瞬間冷却、レベル5!」

 

 斧牙のポケモンが溜めていた「ドラゴンクロー」を一直線に放つ。瞬間冷却の寒波が割れ、マンムーの表皮を焼いた。マンムーが呻き声を上げる。

 

「マンムー!」

 

 勝った、とユキナリが確信するが自分も落ちていく光景の中で足掻く事さえも出来ない。相打ちか、と考えていると、瓦礫を押し退ける雷が放たれた。突然に走った雷の攻撃に二人とも視線を振り向ける。

 

「サンダー?」

 

 視線の先には谷間の発電所での因縁のポケモン、サンダーが真っ直ぐに飛んできていた。尖った翼を逆立たせてサンダーが放電の膜を張る。その背中には一人の女性が乗っていた。

 

「ヤナギ君! 乗って!」

 

 その声にヤナギは舌打ちを漏らす。

 

「ここで俺が逃げるわけには……!」

 

「何言っているの! もうこのシルフビルはお終いよ! 早く!」

 

 ヤナギはユキナリへと一瞥を向けるとマンムーをモンスターボールに仕舞い、サンダーに飛び乗った。ユキナリはその後姿を睨み続けるしか出来ない。

 

「僕は、ここまでなのか……」

 

 斧牙のポケモンには翼はない。この高さからならば生身の自分は無事では済まないだろう。

 

「オーキド!」

 

 諦めかけた聴覚を震わせた声にユキナリは振り返る。ガンテツがヤドンを伴って崩れ落ちたビルの合間から顔を出していた。

 

「ヤドン、サイコキネシス!」

 

 青い光が纏いつき、自分と斧牙のポケモンを空中に固定する。そのまま引き寄せられるようにユキナリはまだ無事な足場へと降り立った。斧牙のポケモンも周囲を見渡す。

 

「オーキド、間一髪やったな」

 

 ガンテツは肩で息をしていた。ユキナリは、「ガンちゃん、このビルは」と声をかける。

 

「ああ、もう崩れ落ちる。その前に何とか降りんと」

 

 だが、下に逃げたところで瓦礫の下敷きになれば意味がない。ガンテツも同じ事を考えていたようだ。首を巡らせて、「サイコキネシスでも止め切れんかったら意味がない」と口走る。

 

「ここまでなんか……」

 

 諦観の混じった声音にユキナリは斧牙のポケモンに目をやった。先ほど、瞬間冷却を無効化したあの攻撃ならば、と策を巡らせる。

 

「ガンちゃん。僕に賭けてくれる?」

 

「何とか出来る言うんか?」

 

「自信はないけれど、この斧のポケモン」

 

「オノンドから、進化したんか……」

 

 ガンテツが呆けて眺めている。ユキナリはひと息に言い放つ。

 

「馬鹿馬鹿しいかもしれない。それでも、信じてくれる?」

 

 ユキナリの言葉にガンテツは、「どうせお陀仏するんなら最後まで足掻くで」と首肯した。

 

「この斧のポケモンが放つドラゴンクローは僕が今まで見た事もないほど強力だった」

 

「ほう、だから?」

 

「このシルフビルを、両断する」

 

 言い放った声にガンテツは瞠目していた。自分がガンテツの側でも似たような表情をするだろう。ユキナリは、「このポケモンならそれが出来る」と斧牙のポケモンに手をついた。

 

「け、けれどやな、オーキド。もし、両断が不完全な場合……」

 

「ああ、僕もガンちゃんも瓦礫に押し潰されて終わりだ」

 

 覚悟の上で放った言葉である事をガンテツに分からせる。ガンテツは唾を飲み下し、「本気なんやな」と問い質した。

 

「どれほどの威力が出るのか分からない。だからガンちゃんには両断の後、空中を浮遊する際のコントロールを頼みたい」

 

「サイコキネシスで不時着するわけか」

 

 ガンテツの理解にユキナリは頷く。確率の薄い賭けだという事は重々承知だ。それでも、今生き残るためにはこの手段しかないように思えた。

 

「いけるか」

 

 斧牙のポケモンへと問う。無理難題である事は分かっていたが、斧牙のポケモンは応ずるように鳴いた。

 

「やるぞ、オーキド。生き残るんやろ」

 

 ガンテツが拳を突き出す。ユキナリはその拳へと自分の拳を当てた。

 

「当たり前だろ」

 

 お互いに微笑んでから、ユキナリは戦闘の声を張り上げた。

 

「このビルをぶった切れ!」

 

 ユキナリの声に斧牙のポケモンが雄叫びを上げて空を仰ぐ。黒い瘴気が寄り集まり合い、牙へと充填されていく。赤い血脈が走り、そこから発した磁場が迸った。

 

 ユキナリと斧牙のポケモンは次の瞬間、吼えた。

 

 



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第八十六話「躍動する命」

 

「何……?」

 

 視界に入ったのは奇妙な光景だった。チアキに命じられ、ナツキは崩落の危険性がある場所から離れていたがそれを視界に入れる事が出来た。恐らく、この街のどの方向からでも目に入ったであろうそれをチアキが口にする。

 

「黒い、ギロチンか……?」

 

 そう形容するのが最も正しいように思えた。先ほど屋上で走った黒い一閃よりもなお巨大な一撃がギロチンのようにシルフビルを両断した。チアキが、「下がれ!」と叫ぶ。ナツキは言われるまでもなく下がっていた。釣り人が声を張り上げる。

 

「みんな! ギャラドスの内側へ! 衝撃波が来るぞ!」

 

 ナツキとキクコは慌ててギャラドスへと駆け出していた。チアキだけはその光景を最後まで眺めるつもりなのか、動こうとしない。

 

「チアキさん?」

 

「ナツキさん! 早く!」

 

 キクコの声に急かされナツキはギャラドスがとぐろを巻いて身を守っている場所へと踏み入った。ギャラドスが身を沈めると次の瞬間、粉塵が津波のように押し寄せた。ギャラドスの内側で押し合いへし合いの人々が悲鳴を上げる。ギャラドスは全身で人々を保護しようとする。

 

 瓦礫と視界を埋め尽くす粉塵が収まったかに思われたのは数十秒を要した。釣り人が、「止まった?」と声にする。ナツキは縮こまらせていた身体をギャラドスの外に出した。キクコも後からついてきた。

 

「今の、何だったの……」

 

 不安の胸中を打ち明けたその時、視界の中に大写しになったのは両断されたシルフビルだった。真っ二つに割れたその姿は建築物があった事すら忘れさせてしまいそうだ。ナツキは一歩、踏み出す。

 

「ユキナリは……」

 

 無事なのか、という言葉を発しようとするとキクコが、「見て!」と指差した。その先を追うと、青い光がちらついている。粉雪のように心許ない光は何かを押し包んでいる事が分かった。

 

 ゆっくりと降下してくるそれが人とポケモンである事をナツキは理解する。ハッサムを繰り出し、駆け寄った。

 

 未だ粉塵の晴れない領域から歩み出てくる人影が二つあった。一つは肩を預けており、もう片方が担いでいる。

 

「ありがとう」と一人が声にして傍に立っていたポケモンを戻した。もう一人はヤドンを連れており、青い光の主なのだと分かった。

 

 その姿が視界に入った時、ナツキは感極まって口元を押さえた。

 

 ユキナリがガンテツに肩を貸しながらゆっくりと歩いてきていた。ナツキは思わず駆け出していた。キクコも同じだ。ユキナリが弱々しく微笑む。

 

 まず一発殴ってやろうという思いがあったが、それも霧散した。

 

 ただただ、無事を祝いたい。それが胸のうちにある全てだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「衝撃波と粉塵で、誰も気づいていないみたいね」

 

 カミツレの声にチアキが首肯する。

 

「そのほうがいい。私達があの場所にいたという公式記録さえ残らねば、な」

 

 チアキはサンダーに乗っていた。その背中に同じように乗っている自分へと視線を振り向ける。

 

「シロナはどうした?」

 

 ヤナギはその言葉に硬直した。何も言い出せなかった。自分がシロナを殺したなど、口に出来るものか。ただ首を横に振っただけだった。

 

「そうか。また、そのうち組織からこちらへと動きがあるだろう。その時に会える事を願うしかないな」

 

 組織からの動き。その言葉にヤナギはあの場に降り立った二人のトレーナーを思い出す。屋上に大爆発を見舞った二人のトレーナーは恐らく即死だろう。しかし、何故、あの二人は死なねばならなかったのか。最期の瞬間に、トレーナーの口にしていた「組織」という言葉を思い返す。もしかすると、シロナとは別系統の組織の一員があの場での作戦を一任されていたのかもしれない。だとすれば、キシベの動きも読めて然るべきなのだ。ヤナギは一つの推論に至った。

 

 ――組織はシロナをわざと殺した。

 

 一つの疑問に過ぎなかったが、戦うには充分な理由だった。ヤナギの顔色を窺ってチアキが声にする。

 

「大丈夫か? 顔色が悪いぞ」

 

「……ああ、大丈夫だ」

 

 敵は見えた。

 

 自分を利用したキシベ、煮え湯を飲まされたオーキド・ユキナリ。そして元凶かもしれない組織。ヤナギは自分に掲げる。

 

 ――この三者を葬るまで、この命を燃やし尽くす。

 

 ヤナギの眼にはヤマブキシティの喧騒も、何も映っていなかった。ただ報復の対象だけを見つめるその瞳は憎悪で濁っていた。

 

 



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第八十七話「その名はネメシス」

 

「いやぁ、酷い目に遭うたなぁ」

 

 マサキが天然パーマの後頭部を掻いて呟く。イブキは先んじてタマムシシティへと抜ける七番道路へと出ていた。そこからヤマブキの惨状を眺めていたのだが、つい先ほどまで自分達のいたシルフビルが崩落したのが分かった。

 

「とんでもない場所にいたってわけね」

 

「まぁ、ワイら、避難命令が出ていたわけやし、どっちにせよあの場にはおらんかったっていう事やけれど」

 

 キシベが自分とマサキは必要な駒だと判断していたのだろう。自分達に出ていたのはクチバシティへと抜け、今夜中に港からグレンタウンへと向かえ、との任だった。当然、七番道路に向かえなど誰も言っていない。イブキ達は命令を無視したのだ。それも自分の意志で。

 

「シルフカンパニーは崩壊、か」

 

「実際、どうかは分からんよ。もしかしたらシルフの子会社辺りが利権狙ってくるかもしれんし」

 

「かもね。でも、私達にはもう関係のない事よ」

 

 自分達に関わりのある事といえば今マサキの懐にある全てのデータが入ったロムだけだ。キシベの思惑を知る鍵。それを破るたった一つの方法である。

 

「まぁ、ワイらはいわば死んだ人間、ってわけやな」

 

「死人に口なし、ってね。キシベが楽観主義で私達が逃げ遅れて死んだとでも思ってくれると助かるんだけれど」

 

 キシベがそれほど甘くない事は自分達がよく知っている。だが表立って捜索隊を組織するには、シルフカンパニーもロケット団も戦力を消費してしまった。

 

「これからどうするんやろうね」

 

 マサキが草むらに寝転がる。イブキも屈んで崩れ落ちて火災の煙を棚引かせるヤマブキシティを眺めた。

 

「私達の重要性に気づいた誰かが、迎えに来てくれるのを待つか」

 

「そんな都合よういくん?」

 

 マサキの疑問に、「そうよねぇ」とイブキはため息を漏らした。その時、草むらを踏みつける足音が耳朶を打った。

 

「……少なくとも、事実は小説より奇なり、って事は立証されたわ」

 

 振り返ると人影が立っていた。長身痩躯で、仮面を被っている。七つの眼が彫り刻まれた仮面だった。口周りだけが露出しており、紫色の紅を引いている。

 

「おおう! 誰やねん!」

 

「今さらビビッているんじゃないわよ。データにあったでしょう」

 

 イブキの声にマサキは、「まさか、連中か?」と声にしてイブキの後ろに隠れた。イブキが舌打ちを漏らす。

 

「あんた男でしょう?」

 

「ワイ、戦闘は専門外やし……。姐さんのほうが強いやん。それに、こいつがその連中やとしたら、ワイら殺すのに躊躇いなんてせんで」

 

「あんた、そのためのロムでしょう?」

 

「あっ」とマサキが懐からロムを取り出す。イブキは引っ手繰って、「あんた達」と声にした。

 

「私が所属していたのはロケット団。でも、もう裏切った。私達はロケット団の本当の目的を知っている。恐らく、それを知って生かされているのは私達だけ」

 

 仮面の女は答えない。まだ信憑性に欠けると考えているのか。イブキはロムを片手に、「取引がしたい」と持ちかけた。

 

「取引?」とそこで初めて女が応ずる。澄んだ声だった。

 

「あんた達、ロケット団が仮面の軍勢と呼んでいた連中でしょう。そもそも正式名称がはっきりしない影の集団。カントーの黎明の頃よりこの地におり、その行動原理には不明な点が多いながらも全てはある目的のために統率されたものがある」

 

 データから抜粋された事柄を口にすると、「随分と調べたようですね」と仮面の女が感心した様子だった。

 

「苦労したわ。この一流のハッキングスキルを持つ男の存在がなければ私なんかでは手の届かない情報だったでしょうね」

 

「おっ、姐さん、褒めてくれている?」

 

「うっさい」と言いながらも、イブキはマサキの力こそがこの目的に辿り着くためには必須だった事を何よりも感じていた。キシベの下で戦わせられていれば知る事のなかった真実。どうしてマサキを拉致したのか。オーキド・ユキナリにこだわる理由は何なのか。サカキという少年の正体は何か。

 

「全て、そのロムの中にあると考えて結構なのでしょうか」

 

 イブキは首肯し、「これをあなた達も欲しいはず」と目配せする。

 

「どう? シルフカンパニーという大きな目の上のたんこぶが取れたところでパワーバランスを考え直さなくっちゃいけない頃でしょう? 私達も所属する場所が欲しい」

 

「つまり、私にあなた方を雇えと?」

 

 イブキは頷き、「それと真実」と付け足した。

 

「仮面の軍勢が何のためにカントーを動かしてきたのか。そもそもこのポケモンリーグは何なのか。答えてもらうわ」

 

 イブキの強気な姿勢にマサキが、「姐さん。こいつに話が通じんかったら……」と最悪の想定をする。もし、この場で真実の揉み消しだけを実行とする相手ならば話し合いなど無意味だ。イブキとて固唾を呑んで動向を見守るしかない。

 

「どうするの? 取引するか、しないのか」

 

 仮面の女は顎に手を添えて首をひねった。思案しているのか、とイブキが感じていると、「いいでしょう」と返答が発せられた。

 

「あなた達に真実をお教えいたします。それと身の安全の保障を」

 

 イブキとて思いも寄らなかった。あまりにも簡単に物事が運んでいる。片肘を少しばかり張った。

 

「いいの? 割と不利な条件よ?」

 

「今さらですか。そのロムをもしオーキド・ユキナリに見せられた場合、あるいは公機関に公表された場合、我らは不利になる。とは言ってもその程度は揉み消せるのですが、問題はロケット団と並行して動いている組織です」

 

 マサキを擁していた組織か。イブキはすぐさま口にする。

 

「多くの協力者を抱き込み、世界を調律しようとしている闇の組織」

 

「そう。名前は――」

 

「ヘキサ」

 

 イブキが口走ると仮面の女は満足そうに頷いた。

 

「よもやそこまで至っているとは」

 

「真っ先に聞いたわ。こいつはすぐに答えたけれど、名前までは分からなかった。ロケット団の技術様様ね」

 

 お陰で尻尾くらいは掴めた。マサキは、「姐さん怖いから、すぐに答えましたもん」と肩を竦める。

 

「ただまぁ、知っているのは姐さんだけとちゃいますけれど」

 

「分離したロケット団の本隊も知っているでしょうね」

 

 仮面の女の冷静な口調にイブキは、「そうね」と肯定する。

 

「ヘキサと呼ばれている組織、ロケット団はそれと対抗しているけれど、何を巡っているのか皆目見当がつかない。ヘキサは一方的に見れば正義を騙っているけれど今回の爆破事件で絡んでいないほうがおかしい。そちらに与して真実が伏される可能性よりかは、あなた達に接触する事を選んだ」

 

「分の悪い賭けですね。私が迷わず殺すかもしれなかったのに」

 

「話も聞かずに殺すとは考えられないわ。重要度はAランクでしょう? ソネザキ・マサキの身柄は」

 

 その言葉にマサキが驚愕の声を発した。

 

「ワイ、姐さんが死なんための保険やったん?」

 

「そうよ。今さらね」

 

 さらりとイブキは言ってのける。マサキが肩を落とし、「そんなぁ」と口にした。仮面の女は、「どうやら先見の明もある様子」と観察している。

 

「気に入りました。私に着いて来てください。テレポートで出ます」

 

「どこまで行くのかしら?」

 

 警戒を解かずに尋ねると仮面の女は何て事のないように答えた。

 

「トキワシティ、我らの本拠地、セキエイ高原へと」

 

 やはり政府と繋がっているのだ。いや、それだけではない。仮面の軍勢は歴史を改変し、何らかの力を持っていると考えるのが無難だろう。

 

「この距離でも飛ばせますが、歩み寄ってくださると確実性が増します。手元が狂うとテレポート中に捩じ切ってしまいかねませんから」

 

 マサキが背筋を震わせる。イブキは恐れずに、「行くわよ」と歩み寄った。仮面の女はポケモンも出さずにテレポートを使用する。

 

「これでもう、ポケモンリーグ本戦には戻れないわけね」

 

「もう、戻る気もないのでしょう?」

 

 仮面の女の言い分に、「それでも」とイブキはこぼす。

 

「故郷の人達の期待を拭い切れないわけじゃないのよ」

 

 イブキの言葉に何か思うところがあったのか、仮面の女は小さく口にした。

 

「仮面の軍勢、という名前は正しくありません」

 

「へぇ。じゃあ何ていう名前の組織なの?」

 

 イブキの問いに仮面の女は答える。

 

「我らはネメシス。この世界の理に従って動く」

 

 その言葉に問い返す前にテレポートによってイブキ達はその場から掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抜けたようだな」

 

 キシベの放った声に同室していた人影が、「何をやった?」と尋ねる。舷窓から望める景色の中に黒煙が立ち昇っていた。あれはヤマブキシティの方角だ。恐らくはシルフビルは倒壊したのだろう。

 

「網を、という意味だよ。ヘキサの連中が邪魔をしてくる可能性もあったんだ。だが我々はここにいる。君の身柄と共に」

 

 その言葉に、「軟禁されているのと大差ないな」と人影は呟いた。キシベは、「待遇は悪いかね?」と訊く。

 

「気持ち悪いぐらいに待遇はいいさ。だが、解せないのは俺をどうするつもりなのか、まだ明かしていない事だ、キシベ」

 

 気圧される事なくそう声を発したのは髪の毛を短く刈り上げた少年だった。キシベは、「サカキ君」と呼びかける。

 

「私はね、特異点である君とオーキド・ユキナリさえいれば何も不可能ではないと思わされる」

 

「そのオーキド・ユキナリとやらといつ戦わせてくれる?」

 

 サカキの声には飢えた響きはない。ただ淡々と、その時を待ち望んでいるようだ。

 

「もう少しだよ。あともう少しで我らの悲願が叶う」

 

「我らだと? 笑わせる。キシベ、お前は自分のためにしか動いていないだろう?」

 

 サカキの挑発的な言葉にもキシベは冷静であった。

 

「そう見えるかね?」

 

「他の連中は騙せてもこのサカキは騙せん。お前は俺を祀り上げると決めたその時から己が野望に忠実だ」

 

 キシベはフッと口元を緩め、「敵いませんな」と呟いた。

 

「それだけの眼を持っているからこそ、必要だと判じたのだが」

 

「シルフの重役連中は?」

 

「ああ、死んだよ。全て、ロケット団の思惑通りに」

 

 何の感慨も浮かべないキシベの口調にサカキは何か言い返すわけでもない。「そうか。死んだのか」という声は実に呆気なかった。

 

「ただ、フウとランの兄弟についてはイレギュラーだった。もしかしたら自爆の直前に君の情報が割れた可能性はある」

 

「ヘキサの連中に俺は捕らえられんさ」

 

 サカキは驕るでもない。ただ事実を告げているようだった。キシベは暖色に塗り固められた船室を見やり、「これから」と口にする。

 

「戦闘員でない人々はグレンタウンへと早期に渡るが、君と私、それに数人の精鋭部隊はふたご島攻略に向かう事になる」

 

「伝説の鳥ポケモンの一体か」

 

「ああ。氷タイプの伝説、フリーザー。ファイヤーも手にある今、これを手にしないわけにはいかない」

 

「だが、ニドクインは不利だ」

 

 サカキは新型モンスターボールに視線を落とし呟く。キシベは、「だからこそ、万全を期す」と指差した。

 

「何か策でも?」

 

「ファイヤーを出す」

 

 その言葉にはさすがのサカキでも瞠目した。まさか自分達の虎の子であるファイヤーを出すとは思わなかったのだろう。

 

「いいのか? もし、二体とも逃亡なんて事になったら」

 

「氷タイプの伝説であるフリーザーを無力化するのにこれ以上の適任はないだろう。それにファイヤー捕獲とてどれだけの犠牲を払ったか。私だって慎重だよ」

 

「どうだかな。で、誰に使わせる?」

 

「カツラにやらせよう。彼にはロケット団に対する不審がある」

 

「踏み絵代わり、というわけか」

 

 心得たサカキにキシベは口元に笑みを浮かべた。

 

「たとえ表舞台から滅びても、ロケット団はその目的のために潰えるわけにはいかないのだよ」

 

「お前しか知らない目的だ。組織全てでバックアップも出来ない計画など、計画とは呼ばない」

 

 サカキの苦言にキシベは、「それでもさ」と答えた。

 

「これだけは、他人に任せられないのでね」

 

 キシベはそう口にして窓の外に視線をやった。黒煙が今宵の月を遮っている。青い闇が降り注ぐ空の下を、客船が波を割って進んでいった。

 

第六章 了

 



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黙示の章
第八十八話「真相」


 

 静謐が包む空間に足を踏み入れると、自分の存在が遊離しているかのようだ。

 

 セキエイ高原。その名に宝石を冠した地名は何も名前だけではない。至るところには石英の結晶体があり、僅かな光源が差し込んで光の乱反射を生み出す。青い光が降り立った空間の最奥には、金色の玉座があった。そこに座っている人影を見据える。自分には分かる。本来、そのような場所に座るような人柄ではないという事は。

 

「ああ、君か。玉座で待っていろと言われていたから、もっと大層な人間が来るのかと思っていた」

 

 彼は安心し切ったような声を出す。自分は、「大層な人間、とは」と返していた。

 

「重役連とかだよ。面倒な手続きならオフィスのほうでやるって言うのに、どうしてこの玉座を指定してきたのかな、って思ってね。まさか写真撮影でもするわけではあるまいに」

 

 彼の温和な言葉に唇を引き結んだ。すると彼は首を傾げる。

 

「何でだか緊張しているね。君らしくない。それとも、最近子供達が言う事を聞かないとかで困っているとか?」

 

 彼の言葉はどこまでも柔らかで優しい。だが自分には心に決めた使命がある。

 

 モンスターボールを抜き放った。彼が怪訝そうに目を向ける。玉座からは動かずに、「何それ?」と疑問を口にする。

 

「一応、玉座で戦うのは違法、っていうか前例がないから違法とも言えないんだけれど、あんましやらないほうがいいと思うなぁ。ほら、重役連から俺が叩かれる分にはいいけれど、君まで被害が及ぶとなると……」

 

 その言葉を最後まで聞かず、自分はマイナスドライバーでボタンを緩め、押し込んだ。

 

「いけ」

 

 モンスターボールが割れ、中から飛び出したのは重機のような威容だった。黒い表皮で、短い四足を有している。背部には穴が開いており、大口を開けてそれは咆哮した。穴から砂が噴き出し、一瞬にして砂嵐が玉座の空間を覆っていく。彼は少しばかりうろたえた様子だった。

 

「カバルドン。君のポケモンじゃないか。どうして今、出している?」

 

「全ては、歴史の強制力のために」

 

 その言葉で自分がどうしてこの場に立っているのかを察したのだろう。彼は、「ああ」と納得したように顔を伏せる。

 

「そうか。君には君の使命があるんだったね。だからと言って、俺は負ける気はない。ここで勝つ。勝って使命なんて忘れさせる」

 

 彼はモンスターボールをホルスターから抜き放ち、ボタンを押し込んだ。繰り出されたのは朱色の鬣を持つ巨大なポケモンだ。朱色には僅かに銀も混じっており、このポケモンが放つ凄味を引き立たせている。

 

「俺はこのカントーの王、チャンピオンのグリーン」

 

 名乗りを上げた彼は威圧感を放つポケモンを撫でる。

 

「こいつは俺の相棒、ウインディ。他にも五体いるが、君の様式に則ってこの一体で戦うとしよう」

 

 ウインディが猛々しく吼える。自分とカバルドンは即座に攻撃姿勢に入った。

 

「カバルドン、地震」

 

 カバルドンを中心として茶色の波紋が広がる。段階的に地形を突き崩しながら襲いかかった地震の津波をウインディは難なくかわした。それも目にも留まらぬ速度で、である。

 

「ウインディは炎タイプ。当然、地面で攻めてくるのは正解だ。でも、そう簡単に捉えられはしないって事、忘れてもらっちゃ困るぜ」

 

 グリーンが手を開き、振り払うとウインディは一気に距離を詰めてきた。決して目で追えない速度で肉迫する技である。

 

「神速……」

 

「その通り。まずは防御を突き崩す!」

 

 ウインディが牙を剥き出しにしてカバルドンへと噛み付いてくる。即座に手を払い、砂嵐を凝固させた壁を作った。ウインディはその壁の存在を知覚したのか、すぐさま退く。

 

「砂嵐を強制的に起こす特性、砂起こし、ってのは厄介だな。鋼、地面、岩以外のポケモンじゃ、断続的にダメージを与えられてしまう」

 

 そのような事は釈迦に説法というものだ。彼はこのカントーの王。ポケモンに関する事には精通している。

 

「だけれど、俺にだって分かる事はある。カバルドンは素早くない。ウインディの速度について来られるかどうかは賭けだ。たとえ砂嵐を自由自在に操れたとしても、どこかで隙が生まれるはずだぜ」

 

 ウインディが飛びかかる。自分は砂嵐を攻撃に転じさせようと手を振り落とした。指揮に弾かれたように砂嵐が刃の切っ先の鋭さを伴ってウインディの首下へと突き刺さろうとする。

 

「当たらねぇよ!」

 

 神速の域に達したウインディが空間を跳び越える。巻き上げた風が砂嵐の攻撃を掻き消した。攻撃を掻い潜ってウインディが前足を突き出す。カバルドンへと咄嗟に命じた。

 

「前方へと砂嵐の壁を展開、それと同時に刃状に突き刺す」

 

 砂嵐がまるで磁石のようにさぁっと動き、カバルドンの前方に壁を作る。それと同時に内側へと砂嵐で刃を形成した。もし、ウインディが突っ込んでくれば砂嵐の刃に突き刺される。そうでなければ一度体勢を立て直す必要性に駆られるだろう。とりあえず、今は、と凌いだと考えるが状況はそれほど生易しくなかった。

 

「ウインディ、インファイト!」

 

 ウインディが一瞬にして砂嵐の壁を破り、至近の距離へと接近する。自分とカバルドンに対してそこまで強気に出る事が不思議でならなかった。

 

「その距離では、砂嵐の刃を――」

 

「おいおい、今さらそんな攻撃に臆するものかよ。接近戦は、得意なんだぜ!」

 

 ウインディから風の皮膜を破る高速の風圧が放たれる。神速と併用し、砂嵐の壁を引き裂いたのだ。だがその奥には砂嵐の切っ先がある。突き刺さるかに思われたそれをウインディは間一髪で回避し、カバルドンの射程へと入る。ウインディは全身から気迫を放ち、カバルドンを前足で押し退けた。カバルドンが後退する。足の裏に砂嵐の下駄を履かせたお陰で後退は最低限で済んだがそれでもダメージがないわけではない。

 

「格闘タイプの技、インファイト。高威力の代わりにそれは防御と特殊防御を犠牲にする技」

 

「そう、ご存知の通り。だが、俺のウインディに関して言えば、元々長時間戦闘なんて趣味じゃないんだよ」

 

 ウインディの顎の下の毛皮から紫色の光が漏れる。その光の正体を看破した。

 

「道具……、命の珠?」

 

「ご明察。命の珠は体力を引き下げる代わりに攻撃力増強を約束する」

 

 ウインディが顎の下につけているのは紫色の妖しい光を放つ宝玉だった。命の珠。攻撃の度に体力が削られるが、その代わり高威力を誇る諸刃の剣。

 

「短期決戦型……」

 

「ちまちましたのは女々しくって好きじゃないんでね。やるんなら一発勝負だ」

 

 グリーンの言葉にウインディの身体が炎に包まれる。紅蓮の獣が全身から炎の吐息を迸らせてカバルドンを視野に入れた。

 

「フレアドライブ。カバルドンが耐久にいくら能力が振れられているからと言っても、この攻撃と神速を組み合わせた一撃の重さに、耐えられるわけがない」

 

 ウインディが地の底から鳴るような呻り声を上げる。グリーンは、「今ならばまだ」と口にした。

 

「君の行動の理由を教えてくれるならば、まだ間に合う。ウインディが必殺の一撃を放つ前に、理由さえ教えてくれればいい。それだけで俺は迷わず君へと攻撃する手を引っ込めるだろう」

 

 最後通告だった。「フレアドライブ」を身に纏ったウインディを御する術などないのだろう。このまま攻撃が命中すればカバルドンも、もしかすると自分の命さえも危ういのかもしれない。

 

 だが口を閉ざした。喋るわけにはいかない。それに喋ったからと言ってこの宿命をなかった事にすることは出来ないのだ。

 

 その覚悟が伝わったのか、あるいは無言の肯定になったのかグリーンは顔を伏せて首を横に振った。

 

「……残念だ」

 

 ウインディが掻き消える。神速の域に達した紅蓮の獣は目視では捉えられない。命の珠で攻撃力が増強され、今や火炎の砲弾と化したウインディを止める事はトレーナーであるグリーンでさえも出来ないのだろう。カバルドンへと攻撃のプレッシャーが集中する。どこから攻撃が来るのかまるで読めない。だが後ずさる事はなかった。カバルドンは大口を開いている。そこから凄まじい勢いの咆哮が噴射された。まさしく突風と見紛うほどの咆哮の勢いに火炎弾であるウインディが一瞬だけ姿を見せる。

 

「ウインディの姿を晒した……。だが、カバルドンへの攻撃は確定事項だ、食らえ!」

 

 グリーンは今の咆哮がウインディの姿を見せるためだけのものだと思い込んでいるのだろう。しかし、既に射程圏内に入った。

 

 直後、ウインディの紅蓮の身体へと黒い尖った石が食い込んだ。唐突に空間に現れた鋭い岩石にグリーンが戸惑いの声を上げる。

 

「何だ、いつから、その岩石が浮遊していた?」

 

 全く見えなかったのだろう。ウインディの射線上には、複数の黒い岩石が刃のように乱立している。

 

「今の咆哮は吹き飛ばし。ウインディの姿を可視化出来るようにしたのは、ただそれだけの理由ではありません。全ては、この攻撃を確実に当てるため、ウインディの射線を知る必要があったのです」

 

 グリーンはウインディの「フレアドライブ」の突撃先に黒い岩石が並んでいる事に気づいたのだろう。忌々しげに口走った。

 

「ステルスロック。見えない岩石を当てるために、ウインディの攻撃射程を絞った……」

 

「ステルスロック」と呼ばれた岩石群は漂っているだけに過ぎない。だが、その射程に踏み込んだからには確実に相手の体力を奪う攻撃だった。ウインディは自らステルスロックの群れに突っ込んだ。そのための「ふきとばし」という咆哮。神速の域に達したウインディを炙り出すための。

 

「神速とはいえ、向かってくる方向をそう何度も変えられるはずがありません。常に進行方向は一定。ウインディに一度命令を下せば、その進行方向を突如として変える事など出来ない。見えなければ、ステルスロックを砂嵐から生成しても無駄に終わっていた。でも、進行方向が見えるのならばステルスロックの配置を揃えてやればいい」

 

 自分の発言にグリーンは思わずウインディに指示を飛ばそうとしたようだ。しかし、それよりも前にウインディは炎を纏ったまま「ステルスロック」の中へと突っ込んだ。黒い岩石が表皮に食い込み、炎が血で彩られる。ウインディ自身も制動をかけようと試みるが、神速が仇となった。急に止まれるはずもなく、ウインディの身体へと「ステルスロック」が次々に突き刺さる。その痛々しい光景に主であるグリーンでさえ目を背けた。「ステルスロック」は表皮を破り、眼に突き刺さり、一瞬にして全身に裂傷を負わせた。グリーンは何も言わない。敗北を悟り切ったかのように黙していた。

 

 ウインディがカバルドンに至る前に転がり、弱々しい鳴き声を上げている。カバルドンへと最後の命令を下した。

 

「地震」

 

 カバルドンを中心にして茶色の波紋が浮かび上がり、地面が浮き沈みしてウインディを叩きのめしていく。グリーンはモンスターボールを突き出した。

 

「戻れ!」

 

 ウインディはその命を散らす前にモンスターボールに戻る事が出来た。だが自分の任務はウインディを戦闘不能にする事だけではない。グリーンはモンスターボールを眺めている。すっと指差し、カバルドンへと命じた。

 

「ステルスロックをあなたへと叩き込む。もうポケモンを使えないあなたならば簡単に殺せるでしょう」

 

「何のためだ?」

 

 グリーンは僅かに身を沈めて問いかける。どうして自分が死なねばならないのか。それを知る権利は誰にでもあるだろう。理不尽に対して立ち向かう権利も。だが、今の自分には情に流されてはいけなかった。淡々と命を奪う殺人マシーンに成り切らなくては、この大事を成す事が出来ない。

 

「震えているぜ?」

 

 グリーンの指摘にハッとした。指先が震えている。収まれ、ともう一方の手で掴んだ瞬間、グリーンが動いた。

 

 玉座に埋め込まれていた宝石を剥ぎ取り、自分へと放り投げる。その宝石が仮面に命中し、よろめいた途端仮面が地面に落ちた。

 

 グリーンはその姿を認める。慌てて仮面を拾い上げようとしたが、その前にグリーンの呟いた声に硬直した。

 

 ぐっと拳を握り締め、自分はカバルドンに命じる。黒い岩石の群れが一斉にグリーンへと殺到した。グリーンの身体が散り散りに引き裂かれる。彼がうつ伏せに倒れ、静寂が再び玉座に降り立った。

 

 歩み寄り、彼の死を確認する。目を瞑ると、彼の最期の言葉が耳にこびりついていた。

 

「綺麗じゃないか」

 

 その声を払拭するように自分は仮面を被った。

 

 



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第八十九話「聖典」

 

「……それが、王の死の真相だって言うの?」

 

 イブキは今しがた聞いた話を振り返っていた。マサキは物珍しそうに周囲を見渡している。自分とてそうだ。この場所に立ち入る事は本来、あり得ない。カントー政府の総本山、セキエイ高原。その場所は意外にも緑が多く、石英に苔むした植物が内部からの発光現象で幻想的に煌いている。

 

 王の死。それがこのポケモンリーグの発端だ。だが、それは王が病死したからだと表向きには伝えられていた。もちろん、憶測は出回った。政府による王の死は陰謀であるという説や、何らかの目的のために歪められた死である事は誰もが思っていながらも口にしなかっただけだ。しかし、その真実がたった一人の女性によるものだとは誰も思うまい。

 

 自分の事を先生と呼べと彼女は言った。それが呼ばれ慣れているから、と。先生は、語りながらセキエイ高原の奥へと歩んでいた。イブキ達は話を聞きつつその背中に続いている形だ。

 

「そりゃ、いきなりの王の崩御を誰だって不審には思うわ。でも、だからってあなた一人が殺しただなんて」

 

 到底信じられない、という口調を混ぜると先生は仮面越しに片手を開き、「今でも覚えています」と口にした。

 

「カバルドンに殺害を命じた事を。自分の手で、あの人の命を奪ったのです」

 

 あの人、と口にするからには何らかの因縁があったのだろうか。先ほどの話の中に湿っぽいものは感じられなかったが、イブキは最早王の死に関して疑いようはないと確信していた。

 

「……信じるとして、先生とやら、どうして殺さなあかんかったんや?」

 

 マサキが口を差し挟む。それだけが謎だ。殺す必要性はなかったのではないか、と今でも感じる。

 

「他にも方法はあったんじゃない? 王をどこか別の場所に監禁するとか……」

 

「誰一人として王の所在地は掴んでいません。玉座にいる、と言っても王は自由でした。時折、下界の様子を見に行ったりもしていたのですよ」

 

 初耳の事実に瞠目するよりも、マサキは別の可能性を思い至ったようだった。

 

「それ、セキエイでは周知の事実やったわけか」

 

 先生が頷く。だとすれば、死んだ以外に方法はなかったのか。しかし、だとしても分からない。

 

「それでも、殺す事はなかったんじゃないの? 王が身を隠せばいいだけの話なのだから」

 

「それが定められていたものだったからです」

 

 定められていたもの。何に、と問おうとすると先生は出し抜けに、「予言を信じますか?」と尋ねた。

 

「予言?」

 

 適さない言葉に聞き返す。何の事を言っているのだかさっぱりだった。

 

「王の死とポケモンリーグ。それが予め、決められていた事象なのだとしたら」

 

 イブキはマサキと目線を交し合う。そのような事があり得るのか、と無言の疑問にマサキは肩を竦めた。

 

「あのなぁ、先生。ワイはエンジニアなんや。そういうオカルトいうんは信じる気にはなれんのが……」

 

「では、あなた方はロケット団の下で手に入れた情報を否定するのですか?」

 

 遮って放たれた声に二人は揃って沈黙する。特異点とする二人の人物。全てが定められているのだというこのポケモンリーグ。その裏で糸を引くネメシスなる組織。事実だとすればこれほど脅威なものはないのだが、イブキは冷静に返す。

 

「全部、仮定の話よ。もしそんなものが存在すれば、という話。確かに、あなたは自分達こそがネメシスだと語った。それにヘキサという組織がいるのも事実。ロケット団は両方を相手取るために力を蓄えていたのも事実。でも、何でもかんでも信じるわけにはいかないのよ」

 

 そもそもネメシスは何のために歴史を矯正しているのか。その行動原理が分からない以上、信じるに足る要素は薄い。

 

「一体、あなた達は……」

 

 そこで言葉を切る。どこからか駆けて来る足音があったからだ。複数、それも子供のものだと判じたイブキが身体を硬直させる。セキエイの最深部に子供の足音? たちの悪い冗談としか思えなかったが、次の瞬間、暗がりから数人の子供が姿を現した。イブキは瞠目する。彼ら彼女らは、一様に先生と同じ仮面を被っていたからだ。

 

「先生」、「先生、誰ですか?」、「先生」

 

 子供達がそれぞれ口にして先生へと駆け寄る。年の頃はユキナリとそう変わらないように思えたが、子供達の声がそれぞれはかったように同じ声のトーンであった。加えて同じ仮面をつけている。イブキには正直、不気味以外に形容する言葉が見つからなかった。

 

「先生?」と一人の少女が声にする。先生はイブキへと視線をやり、「彼ら彼女らは」と口を開いた。

 

「私達ネメシスのために準備された子供達。そうですね、あなた方にはこの子達の素顔を見てもらうのが多分早い」

 

 先生が一人の仮面を外す。イブキはその瞬間、驚愕に目を見開いた。覚えず後ずさる。吐き気が熱を持って喉を上ってくるのが分かったが、ぐっと堪えた。

 

「これが理由の一つ」

 

 先生が子供の仮面を戻す。イブキは、「そんな事が」と口にしていた。

 

「許されるの?」

 

「許される、許されないではなく、やらねばならなかったのです」

 

 先生の声は淡々としている。マサキはイブキの耳元へと囁きかけた。

 

「姐さん。今のは……」

 

「ええ。あなたも覚えている通りよ」

 

 マサキも青白い顔をしていた。まるで幽霊にでも行き会ったかのように。

 

「あれ、全員が同じ顔、っていう事なんですよね」

 

 マサキが先生に質問する。先生は沈黙を是にした。

 

「もう行きなさい」

 

 子供達に先生が命じると子供達は返事をして暗がりの中へと駆けていった。イブキは思わず尋ねる。

 

「何のために、こんな」

 

「理想の一人を生み出すためです。予言にはこうも記されている。黙示録の仔羊の顔を持つ子供を選定せよ、と」

 

「黙示録の仔羊?」

 

 聞き返すと、「そうですね。知らないほうが自然です」と先生は納得した。

 

「この世界に宗教はいくつありますか?」

 

 唐突な質問にイブキはうろたえたがマサキが代わりに答えた。

 

「人の数だけある、としか答えられませんな」

 

「その通り。では、聖書はいくつありますか?」

 

 先ほどよりも絞った質問だったのだろう。マサキは逡巡の間を浮かべてから、「ワイもよく知らんけれど」と前置きする。

 

「それも人の数と違います? あったしても地方の数、人種の数だけあるとしか……」

 

「それも一面では正しい。ですが、私達の聖書は一つです」

 

 先生はさらにセキエイの深部へと歩き出す。イブキは道すがら尋ねていた。

 

「あれはどうやって……?」

 

 あれ、と形容したのは先ほどの子供達だ。先生は、「詳しい事は私にも分からないのですが」と口にする。

 

「あらゆる先端技術を用い、たった一つの魂の再生を目的とした計画が記されているのです」

 

「それが、予言?」

 

 尋ねた声に先生は首肯した。進むにつれ、植物が色濃くなり、早朝であるにも関わらず光が薄らいでいる事に気づく。しかし、異様に感じたのはそれだけではない。

 

「生き物の気配がないわね」

 

 ポケモンの気配すらないのだ。かといって人間の気配もなく、まさしく絶対の静謐に包まれた空間であった。

 

「この場所に、ポケモンは出現しません」

 

 いない、でも、生息しない、でもなく、出現しない、という言い回しに引っかかりを感じたがイブキは黙っておいた。

 

「人間とて、この場所に長居はしたくないでしょう」

 

 段差のような場所へと歩み出た。階段を進み、神殿と思しき造りがそこらかしこに成されている事に気づく。

 

「ここは、神殿?」

 

「間違ってはいません」

 

 先生の声にイブキは怪訝そうな目を向けた。白亜の階段を抜けると、目の前に広がった光景に慄然とした。

 

「これは……!」

 

 イブキの目はそれに釘付けになった。そこにあったのは巨大な石版だ。ガラスに入っており、ところどころを杭のようなもので打ち付けられていた。

 

「この石版は……」

 

 コンクリートの壁を思わせる石版であった。青い六角形が中央に刻み込まれており、六角形を区切る線が中心から伸びている。区切られた下方の一角だけが赤く染められていた。文字が刻み込まれており、大分くすんでいたがはっきりとこう読めた。

 

「HEXA」と。

 

「これが、我らの聖典です」

 

 先生の声にイブキは呆然としながら、「これは何なの?」と訊いていた。

 

「これが預言書であり、聖書であり、そしてこのカントーそのものです」

 



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第九十話「預言書」

 

 その意味を解する前にマサキが口走っていた。

 

「……姐さん、この石版の形状、よう見ぃや」

 

 マサキが震える指先で示す。改めて眺めると随分と年季の入った代物である事が窺える。

 

「この石版の形状と、ポケギアで地図を呼び出して見て!」

 

 いつになく逼迫した声音にイブキはポケギアの地図機能を呼び出した。カントーの地図がポケギアに示される。その瞬間、意味が分かった。

 

「……この石版、カントーの地図と同じ形状をしているわ」

 

 いや、カントーの地図が同じなのではなく、石版のほうが同じなのだろうか。それとも逆か、イブキには分からなかったが先生が補足説明する。

 

「遥か古代、この石版がこの地にありました」

 

「この地ってカントーの事?」

 

 イブキの質問を無視して先生は続ける。

 

「どこかから渡ってきた人々が、それはイッシュだったかもしれないしジョウトだったかもしれないのですが、彼らはこの石版を発見し、そして裏に描かれている解読不能な象形文字に従い、この地を作った。それがカントー建国の真実です」

 

 先生の言葉はにわかには信じられなかった。石版に従ってこのカントー地方が作られたというのか。

 

「そんなの、あり得ないわ!」

 

 声を張り上げるイブキに対してマサキは意外なほど冷静だった。

 

「あり得ない事はない。シンオウではポケモンが世界を創った、宇宙を創ったっていう神話があるんや。姐さん、もし、このカントーがこの石版に従って建国されたとしても、あり得ない事はないんよ」

 

 マサキの言葉に、しかし、と納得しがたい部分があった。

 

「この石版は何なの?」

 

「これは我々にははかり知れないほど古来よりあった石版。そして予言。私達はこれを、ヘキサツールと呼んでおります。ヘキサツールにはこの国を興すに当たって様々な未来の事実が予言されていた。建国者達は、それらの予言がことごとく命中する事に恐れを成し、未来においてこの知識が悪用されぬよう、一部の人間にのみ管理を任せた」

 

「それが、ネメシス……」

 

 ようやく繋がった事柄に唖然としていると、「でもどうやって予言なんか出来る言うんや?」とマサキが尋ねる。

 

「たまたま当たっただけかもしれんやんか。それにいくらでも事実をなぞらえる事は出来る。これが後年の人々の作り上げたでっち上げやない証拠はない。なにせ、おまいさんはさっき言った。〝解読不能な象形文字〟やと」

 

 そうだ、だとすればネメシスが意固地になって守っている予言とやらも意味がないのかもしれないのだ。マサキの核心をつく言葉に先生はゆっくりと頭を振った。

 

「いいえ、これはまさしく未来に起こりえる予言でした。このポケモンリーグを予知していたのですから」

 

「でも今の人間じゃ解読出来んのやろ? やったら、過去の人間達の妄想やと割り切れんわけじゃない、って事や」

 

「それはありえないのです」

 

 どこか確信めいた物言いにイブキは疑問を浮かべた。

 

「どうしてそこまで信用出来るの?」

 

 先生はヘキサツールと呼ばれた石版へと顔を向けながら答える。

 

「年代測定の結果、この石版がもたらされたのは過去ではありません」

 

 その言葉の意味するところが分からずにマサキは質問する。

 

「どういう事や?」

 

 先生はゆっくりとマサキへと顔を向けてから紫色の紅を引いた唇で言葉を紡ぐ。

 

「この石版は、今より四十年後の未来に作られたものであるという測定が成されました」

 

 一瞬、二人とも呆気に取られた。古代ならばまだ理解する頭を持ち合わせていた二人にとって四十年後の未来という言葉が当てはまらなかった。

 

「……それは、発見時期から四十年後か?」

 

 当然、そう感じるだろう。イブキもそうなのだろうと思ったが先生は否定する。

 

「いいえ、今、というのはまさしくこのポケモンリーグを開催している現在。この時間軸から四十年後だという事です」

 

 先生の言葉に二人は何も言えずに固まっていたがやがてマサキが乾いた笑いを浮かべた。前髪をかき上げ首を振る。

 

「あり得ん。そもそもどうして、意味が分からん。性質の悪い冗談やで。ワイには、この石版がどう見ても過去のものにしか見えん。それに発見されたのはこのカントーが興るより以前やって言うやないか。やと言うのにやで? 今から四十年後の未来に作られたもん? そんなの、どうやったって信じられんわ!」

 

 マサキの困惑はもっともだった。未来に作られたものがどうしてこの国の始まりに起因しているのか、理解云々よりも思考の許容量を超えていた。先生は落ち着いてマサキの言葉に対する返答を練る。

 

「信じられないのも無理からぬ事。この石版は、この次元のものではありません」

 

 マサキがその言葉に、「はぁ?」と理解に苦しむ顔を向けた。イブキも同じ気持ちだ。未来のものだと言われた次には次元が違うとなれば、いよいよ話がややこしくなる。

 

「説明、してくれるのよね?」

 

 イブキの声に先生はヘキサツールへと視線を向け、石版へと手を近づけた。しかし、もうすぐ触れる寸前で手を止め、それを彷徨わせる。恐れでも感じたかのようだった。

 

「このヘキサツールを構成する物質は、ただのコンクリートです」

 

「ああ、ワイにもそうとしか見えん」

 

 石版と言われたからにはそれ相応のものが窺えるかに思えたがイブキの目にも少しばかり年季の入ったコンクリートが関の山だった。古代のもの、と言われれば化石や自然物を想像するが、この石版にはそれらにはない、人工のものが持つ特有の存在感がある。

 

「じゃあ、これ、人が作ったって言うの?」

 

 イブキの疑問に先生は首肯する。

 

「ええ。人間が形作り、人間がもたらしたものです」

 

「その人間が未来人やって? アホくさ」

 

 マサキは切って捨てる物言いをしたがイブキにはそれだけだと思えなかった。もっと先生の話を聞くべきだ。今は、それでしか事の真相を究明する手段はない。

 

「私としては、引っかかることがいくつか」

 

「どうぞ」と先生が促す。

 

「人の作ったものだとしたら、これは何百年、いいえ、何千年も前のはず。でも、全く、いえちょっとくすんだ程度で、ほとんど劣化した様子がないわ。たとえ古代人が後生大事に持っていたとしても、どこかに欠損が見られるはず。だと言うのに、この石版にはそれがない」

 

 イブキはヘキサツールを仰ぎ見て、「ただの石版じゃないわね」と口にした。先生は、「その通り」とヘキサツールを一瞥する。

 

「この石版には特殊な加工が見られます。しかし、その加工技術は人間にはないのです」

 

 先生の言葉にマサキが早速言葉を差し挟んだ。

 

「待ちぃや! 人間が作ったもんや言うたんはおまいさんやろ!」

 

 どうやらマサキには先生への恐れよりもその疑問を言及する事のほうが大事らしい。最初に怯えていたのは誰だか、とイブキはむっとする。

 

「ええ。ヘキサツールそのものは人間の作ったものです。しかし、このヘキサツールがこの次元に運ばれてくる時、それは加工されたのでしょう」

 

「だからこの次元って……」

 

 マサキは苛立たしげに天然パーマの頭を掻く。自分でも分からぬ事が歯がゆいのだろう。

 

「王の死とか、それに関するネメシスの暗躍とかは、まだ理解出来るわ。でも、このヘキサツールに関しては眉唾の域を出ていない。ワイの目からしてみれば、こんなもんが何百年もあって、その通りに歴史が進められた言うんは信じられんのや。まだネメシスが政府を操っていたという事実のほうが説得力あるで」

 

 マサキの言う通りだ。異なる次元、というがそもそも理解出来ない。イブキは、「私達の頭で、考えでも無駄かもしれないわね」と告げた。

 

「姐さん? でも、ワイらが突き止めたいのは……」

 

「真実。そうでしょう? マサキ」

 

 言葉尻を引き継ぐとマサキは息を詰めた。イブキは一つ息をついてから、「真実を突き止めるには手順が必要」と先生へと向き直る。

 

「その手順が、今はてんでバラバラの方向を向いているように思える。先生とやら。もう少し凡人である私達にも分かりやすく伝えてもらえるかしら?」

 

「ワイは凡人ちゃうよ」というマサキの抗弁は無視してイブキが告げる。先生は仮面の顔を少しばかり伏せてから、「そうですね」と応じた。

 

「全ての始まりから、手順を踏んで伝えましょう」

 



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第九十一話「ハッキングトゥザゲート」

 

 先生は指を一本立てた。マサキが怪訝そうに見やる。

 

「何本ですか?」

 

 その質問にマサキは困惑気味に答える。

 

「一本やけれど……」

 

 イブキへと視線を配る。頷くと、先生は今度、空いていた手でもう一本、指を立てる。

 

「何本ですか?」

 

 その質問がこちらを嘗めているのだと感じたのだろう。マサキは憤慨気味に、「二本やろ。なぁ、馬鹿にしとるんか!」と声にする。

 

「まさか。分かりやすく物事を説明するための準備です」

 

 先生は二本の指を並行して立てた。ちょうどもう一本の指に後ろの指が隠れるようになっている。

 

「何本ですか?」

 

 三度の質問にマサキはうんざりしたように答える。

 

「二本……」

 

「これが、そもそもの世界の状態でした」

 

 その言葉にマサキが疑問符を浮かべる。先生は指を立てたまま、「もう一方の指」と口にした。

 

「この指を世界と見立てましょう。本来、世界とはこのように二本、いいえ、もっと言えば複数、並んで存在しているものでした」

 

 先生の言葉に反応したのはマサキだ。

 

「パラレルワールドか」

 

「そうとも言えます」

 

 パラレルワールドならばイブキでも分かる。ここではない並行世界のことだろう。どちらかが表か裏かと言う議論はさておき、そういう風に世界が分岐しているという意味ならば理解出来た。

 

「本来、交わるはずのない世界と世界。しかし、ある瞬間」

 

 先生が二本の指をぶつける。ちょうど交差した二本の指が意味するところがようやく理解出来た。

 

「交わったのね」

 

 イブキの声に先生は頷く。「せやかて」とマサキは抗弁を発する。

 

「どうなった言うんや? それがヘキサツールという石版がこの次元に来た言う説明にはならんで」

 

 先生は落ち着き払って、「この次元は」と交わった一本の指を立てたままマサキを凝視する。

 

「本来、存在しなかった。いいえ、そもそも並行宇宙の根底が間違っていた。この世界には、ポケモンもおらず、世界は今のような地方ごとに分かれてもいない。人間が頂点に立つ、文明の極めた世界。私はこれを本来の宇宙と呼んでいます」

 

「本来の……?」

 

 それではまるでもう一つが間違っているようではないか。イブキの疑念を感じ取ったのだろう。「本来の、と申しましたのは」と先生はすかさず補足した。

 

「この次元の人間は核エネルギーに依存し、ポケモンも存在せず、普通の動植物の中で生存し、文明を発達させていたからです」

 

「その本来の宇宙から、ヘキサツールは来た言うんが、おまいさんの論調か」

 

 マサキが先んじて口にすると先生はゆっくりと頭を振った。

 

「いいえ。これから言う事をよく聞いてください」

 

 先生は先ほど交えたもう一本の指を立て、そちらを前に出した。

 

「ヘキサツールが来たのは本来の宇宙から、ではありません。我々のいるポケモンのいる次元に移動させられたのではないのです」

 

 マサキが、「ちょ、ちょっと待ちぃや!」と声を張り上げる。

 

「さっきから言うとる事がちぐはぐや。だって並行宇宙があって、ワイらがいるのはポケモンのいる次元で……」

 

「その前提が間違っているのです」

 

 先生は立てていた指をそのまま流麗にヘキサツールへと向けた。

 

「この石版が来たのは、ポケモンのいる次元からです。その確たる証拠が、この石版の劣化しない理由」

 

 先生はヘキサツールを指差したまま、その地形をなぞるように指を払う。

 

「この石版に吸着しているのは、ポケモンの強力なエネルギーです。それが、石版の劣化を防いでおり、なおかつ、常人では触れられない理由にもなっている」

 

 やはり触れられないのか。先ほどから先生は触れようとしては躊躇っている様子が見受けられる。

 

「じゃあ、私達の次元を行き来しただけ?」

 

 イブキの疑問に先生は、「それも違う」と否定した。マサキが堪りかねて、「何やねん!」と怒りをぶつけた。

 

「さっきから聞いていればこれも違う、あれも違う、って。じゃあ真実はどこにあるねん!」

 

 必死の言葉に、「真実は」と先生は取り澄まして答える。

 

「全てあなた方に教えます。私としても、この話をするのには慣れていない。私の前任者もこの話には苦労していました。一回聞いただけではとてもではないが理解は出来ない」

 

「でも、このヘキサツールは次元を行き来したのよね?」

 

 確認の声に先生は頷いた。

 

「じゃあ、決まっとるやろ! 本来の宇宙からこっちの宇宙に来た! はい、終わり!」

 

「逆です」

 

 マサキの早計な結論を先生はたった一言で否定した。マサキは呆気に取られている。

 

「え?」

 

「ポケモンのいる次元から、本来の次元に来た、が正しい」

 

「せやから、ここがポケモンのいる次元やん! 分からん奴やな、あんたも……」

 

「違う」

 

 イブキも無意識のうちに口にしていた。マサキが、「姐さん?」とうろたえる。

 

「何言うとりますのん。ここがポケモンのいる次元。やとしたら、もう一つの次元が本来の宇宙のはずでしょう?」

 

「違う。多分、前提条件が間違っている」

 

 イブキは額を押さえる。自分の頭では理解出来ないのかもしれない。それでも、イブキは考えを巡らせた。頭ごなしに否定しては駄目だ。もっと、柔軟に。物事を俯瞰しなければ。マサキは眉間に皺を寄せて、「何が間違うとるねん……」とぼやいていた。

 

「ここにポケモンがおるから、こっちがポケモンのいる次元やろ。それ以外、考えられん言うのに……」

 

「それが逆なんだわ」

 

 イブキは直感的に呟いていた。マサキと先生が同時に顔を向ける。

 

「逆、って。姐さんまで何言うてますのん? こっちがポケモンのいる世界でしょ。本来の宇宙は向こう側で――」

 

「違う。ヘキサツールがあったのはポケモンのいる次元だった」

 

 先生の言葉の繰り返しをイブキが言った事でマサキは混乱したようだ。後頭部を掻いて、「だから……」と言葉を出そうとする。イブキは、「待って」と額に手をやる。これが正解なのか。これがもし正答だとしたら、この世界は――。そこまで考えてイブキは慎重に口にしていた。

 

「……こっちの宇宙が、本来の宇宙なのよ。ポケモンのいる次元はもう一つのほう、別の次元だった」

 

 イブキの声に先生は訂正を挟もうとしない。深く息を吸い込んで次の言葉を放つ。

 

「こっちこそが、人間が繁栄を極めた世界。そちらに持ち込まれた異物がヘキサツール。どうしてそれが今より古代にあったのか、それまでは分からないけれど、何かの仕組みで、それこそ次元がどうこうするような理由で、こっちにポケモンが発生するようになった。だから、今私達が生きている次元がポケモンの存在する宇宙になっている。ひょっとして、ヘキサツールのあった次元はもうないんじゃない?」

 

 そこまで仮説を並べ立てると乾いた拍手が起こった。先生が手を打ちながら、「そこまで理解されるとは」と感心した声を出す。

 

「あなたの想像通り、ヘキサツールのあった次元は、もう存在しないのだと考えられます」

 

「どうしてや? 意味分からんぞ」

 

 マサキが首をひねっている。イブキは、「想像してみて」と一呼吸を置いた。

 

「ポケモンのいる世界は、さっきの彼女の言葉から、そういくつも存在しない事が窺えるわ。仮定として、ポケモンのいる世界を一つだけだとすると、もう一方の世界にはポケモンがいないのだと考えられる」

 

「そりゃ、そうやろけど……」

 

 マサキはまだ得心の行っていない様子だ。イブキは自分の頭が正常である事を確認するため、四桁までの掛け算を暗算で行う。問題なく頭が動作したのを確かめてから、本題に移った。

 

「いい? こっちが本来の宇宙だと仮定した理由は彼女がさっき言った四十年後の未来のもの、っていう言葉が起因しているの」

 

「その四十年? って言うのがワイには全く分からんのやな。だったら何で古代に飛ばされたんか、言う」

 

 マサキがヘキサツールを見やる。イブキは、「もし、現行世界が文明の発達した世界だとすれば」と仮説を用いた。

 

「その文明にいきなり、ポケモンの世界のものが持ち込まれるのは不自然よ」

 

「だから、文明の興る前の、古代に自分から跳んだとでも言うの? それはちょっと暴論やで」

 

「ヘキサツールが自分から跳んだ、というよりかは、その場所と時間にしか、跳ぶ事が出来なかった、と言うべきでしょう。それはさっきの話にあった、ポケモンの技の形跡がある、という事が証拠になるんじゃないかしら」

 

 先生に顔を向ける。問い質す必要があった。

 

「使用された技は?」

 

「まだ未発見な技の一つです。ですが属性ならば特定出来ました。炎・水・草タイプ。その三つの複合体」

 

 先生の言葉に、「そんなアホな!」とマサキが遮った。

 

「何でよ?」

 

「姐さんかてポケモントレーナーなら分かるやろ? 複合タイプの技はあり得へんねん」

 

「でも、未発見なだけでもしかしたらそのルーツはあるのかもしれない」

 

 イブキには否定する要素がなかった。むしろそれくらいは想定内だ。

 

「でも、まだ安心出来たわ。聞いた事のないタイプだったらどうしようかと」

 

「エスパーも僅かに残滓がありましたが、これはほとんどないに等しいですね。やはり炎と水と草が主な攻撃属性かと」

 

「三元素の攻撃。仮に名付けるのならば三位一体、とでも言うべきかしら」

 

 イブキの発言に先生はいさめるような声を出さなかった。ある意味では当たっているからだろう。

 

「……その三位一体、つう攻撃がどないしたって言うんや? ポケモンの技が何か意味があるとでも」

 

「マサキ。もし、次元の壁を突き破るのに必要な要素があるとして」

 

 これは仮説だ。だが、トレーナーとしての自分も告げている。あり得ない話ではない、と。

 

「それが三位一体だとすれば? つまり、三位一体という攻撃によってこのヘキサツールは作られた」

 

 カントーの陸地にしか見えない石版を眺めて発した言葉に、「……そんな、ウソやろ……」とマサキは呆然とした。

 

「そして送られたのよ。こちら側の、本来の宇宙へ」

 

「でも、ちょっと待ってください、姐さん。さっきからそれが分からんのです。こっちが本来の宇宙なら、どうしてその痕跡がないんです? 人間が栄華を極めた、その痕跡がちょっとでも残っていて然るべきでしょう? それがないのは気になりませんの?」

 

「それは……」とイブキも口ごもるしかない。その部分だけは仮説で補えなかった。

 

「ポケモンがどうやって存在するのか、その生息地を延ばし、人々の目に触れるのか、考えた事はありますか?」

 

 先生の出し抜けな質問にマサキは、「そんなもん……」と切り捨てようとして押し黙った。

 

「何かあるの?」

 

 イブキの質問に顎に手を添えたマサキは、「いや、まさか」と早口に呟く。

 

「姐さん、ちょっと待ってください。これは、あれです。オカルトなんです」

 

「オカルトでもいいから答えなさいよ」

 

 マサキはわざとらしく咳払いしてから、「じゃあ言いますけれど」とイブキへと向き直る。

 

「前にも言いましたよね? 認識の差でポケモンは存在するのだと。数億年空を飛んでいるレックウザがいるのに、ポケモンの発見はここ数十年。おかしい、って言いましたよね?」

 

「ええ、言ったわね」

 

 マサキを捕らえた時に話されたものだ。マサキはあの時は自分の保身のために口にしたせいか、あまり信用していなかったようだ。だが、今はその説をまともに話の上に持ってきている。

 

「認識の差。人間が、在る、と感じた瞬間にポケモンは生まれた。その生息域を延ばす要因はただ一つ、人間に今以上に、在る、と認識させる事」

 

「だから、どうしたって……」

 

 反論の余地を考え出そうとしてイブキは思い至った。まさか、と取り消そうとするが予感は消えてくれない。

 

「そのまさかですよ、姐さん」

 

 マサキはそれを読み取ったかのように口元を緩めた。しかし、その目は笑っていない。

 

「たった一体でも、在れば、ええんです。在る、事を人間が認識すれば、ポケモンは生きていける。ヘキサツールがこの次元に出現したのは、いいえ、そもそもワイらが考えている事が全て逆やとしたら? ヘキサツール出現はポケモン出現に連鎖して起きた事象。つまり、ポケモンがこの次元に出現したがために、前後の歴史が捩じ曲げられた……」

 

 口にしていてマサキは信じられないのだろう。その眼差しはいつになく真剣でありながらも、この言葉に確証が持てない、という震えが宿っていた。

 

「じゃあ、あんたはこう言いたいわけ? ポケモンが存在したから、古代にヘキサツールが跳んできた。ポケモンの出現とヘキサツールの出現は全くの無関係ではない、と」

 

「そう考えるのが自然なんです。……もっとも、これは両方の存在がこの次元になかった事を前提とした考え方ですけれど」

 

 もしそうだとしたら怖気が走る。たった一体のポケモンがこの宇宙を改変したと言うのか。いや、一体ではなかったのかもしれない。だが、一体でも確認されれば充分なのだ。人間に、在る、と認識さえさせればいい。

 

「つくづく、あなた方には驚かされますね」

 

 先生が話に割って入った。気のせいか、紅を引いた唇が僅かに緩められているのを感じる。

 

「その仮説は我らネメシスが長年守ってきた秘密の一端。ポケモンの研究者、でしたっけ、そちらは」

 

 マサキへと顎をしゃくる。マサキは首筋をさすりながら、「まぁ、元研究者、やけれどな」と答えた。

 

「このまま裏舞台に消えるかもしれんし、研究者としては名が残らんかもな」

 

「いえ、あなたの発想と探究心は素晴らしい。我々が威信をかけて、あなたの名前を残しましょう」

 

「ほんまか?」とマサキが食いつく。ロケット団に入ったのもヘキサに入っていたのも全て自分の名を残すための行動だ。それが歴史を裏から矯正してきたネメシスの言葉だとしたらこれほど魅力的なものはないのだろう。

 

「……あんた、節操ってもんはないの?」

 

「そんなもん、持っている暇があったら売りに行きますわ」

 

 どうやら早速売りに出されたらしい節操を気にも留めず、マサキは問い質す。

 

「なぁ、ほんまにワイの名前を残してくれるんか?」

 

「ええ。その程度でよろしければ」

 

 ネメシスの組織力をもってすれば歴史に名を残すかどうかすら「その程度」なのだろう。イブキは改めて恐ろしさを感じると共に、自分の仮説が実証された確信を持っていた。

 

「私の仮説は」

 

「半分ほどは正解です。ですが、今の我々ですらその仮説を実証するには至っていない。そもそも四十年という年代測定に誤りがあったのでは、とする派閥もあるくらいです」

 

「それは」

 

 そうなのだろう。未来から来た物質、と捉えるよりかは計器の異常を疑ったほうが現実的だ。

 

「せやかて、その四十年、ってのが引っかかるなぁ」

 

 マサキは腕を組んで再び疑問を口にしていた。

 

「今から四十年後にどんなパラダイムシフトが起こる言うんや?」

 

「何って? パラダイム……」

 

「シフト。社会的や文化的な劇的変化やね」

 

 イブキが怪訝そうに眉根を寄せているのを見てマサキは、「姐さんには縁のない話かも知れんけれど」と前置きしてから話し出す。

 

「ワイら発明家、研究者にとってしてみれば起こるととんでもない事になる。ポケモンの発見かて一種のパラダイムシフトや。今まで見えなかった観点から物事が見えるようになる」

 

 イブキは先生へと視線をやって、「四十年後に何が起こるのかは?」と聞いた。先生は首を横に振る。

 

「それはまだ。しかし革新的な事が起こるのは確実です」

 

 その事柄がヘキサツールとどう結びつくのかは不明、か。イブキは自分の中で納得してから、「結論として」と纏めた。

 

「私達のいるこの世界は元々、人類文明の発展した世界だった。その世界がポケモンによって歪められ、さらに言えば、古代人にこの地を創らせる要因になった。カントーの地を模したこの石版が、そうそそのかした」

 

「ある意味では禁断の果実だったのかもしれませんね」

 

 ヘキサツールが古代人に与えたのはカントーという土地を興す事だけだったのだろうか。イブキはもしや、と考える。

 

 ポケモンの存在すら、示唆していたのではないのか。各地に散らばるポケモンの存在の歴史。それはカントーを形作った古代人がわざとその地に縁のある伝承を置いたのではないのか。

 

 全ての現象の発端はカントーの、このヘキサツールではないのか。そこまで考えて、飛躍し過ぎだ、と自分をいさめた。いくらなんでもそんな事はあり得ない。いや、あってはならない。

 



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第九十二話「義憤の女神」

 

 額に浮いた動揺の汗の粒を拭い、イブキは口を開いた。

 

「で、ずっと気になっていたのだけれど、あの窪みは何?」

 

 八ヶ所ある窪み。掌サイズもないであろう小ささだが自然についた傷跡にしては位置関係が意味深だった。

 

「あの場所、街がある場所と一致するわ。それもジムの設立された街と」

 

 マサキがポケギアの地図機能を呼び出し、「ほんまや……」と呟いた。どうやらカントーの陸地と同じであることには気づけてもジムバッジには気づかなかったらしい。

 

「答えて。これがジムバッジと無関係なわけがないわよね?」

 

 先生へと詰め寄ると、「あなた方は」とその唇が動いた。

 

「ジムバッジに力がある事をご存知ですか?」

 

 力、というのはバッジごとの能力だろう。イブキは頷いた。

 

「一応は、ロケット団の資料に目を通したけれど。でも、あれは実証されたわけじゃないんでしょう? 錯覚かもしれないし」

 

「錯覚ではないのです」

 

 はっきりと告げられた声音にイブキが息を呑む。まさか、とヘキサツールへと目をやった。

 

「このヘキサツールが、根源だって言うの?」

 

 先生は、「それぞれのバッジには」と教鞭を振るうように身振り手振りをつけ始める。

 

「それぞれ呼応する能力が。その根源はヘキサツールの能力にある。ヘキサツールの一部を八つに分割したのがジムバッジ。常人には、ただのバッジにしか見えないでしょう。それも小汚いもので、本物か疑わしい」

 

 だが紛れもなく力はある。だからこそ、八つに配置された。イブキは問い詰める。

 

「ジムバッジの配置には、意味が?」

 

「ええ、これも古代文字にあるのですが、八つの土地に八人の実力者を配置し、それぞれを守護させよ、と。そして、それらを一手に担う実力者を次代の王に選定せよ。それが予言の言葉です」

 

 先生はそれに従って先王を殺したと言うのか。予言などという不確かなもので。イブキの目線で心境が伝わったのだろう。「我々とて迷いの中にありました」という声は懺悔の響きを帯びていた。

 

「ですが、我らはネメシス。義憤の女神の名を冠するもの。それぞれの持つ正義のために、実行されねばならなかったのです。予言は、予言通りに事が進めばいい。今はそれで」

 

 先生はそれで自分を納得させようとでも言うのか。だが心の奥底では苦しんでいるのがありありと伝わった。先王を殺した事も、本意ではなかったのではないか。だが、先王も先生も、納得せざるを得なかった。納得のうちに全てが行われるのならば、何も恐れる事はなかったのだろう。だが、だとすれば……。

 

「私達の事も、予言に?」

 

 先生はそこで首を横に振った。

 

「いいえ。あなた達とロケット団については予言には一行も割かれていませんでした」

 

 自分達と、ロケット団。それこそがこの状況を掻き乱しているというのか。

 

「……納得出来ん」

 

 マサキが出し抜けに口にする。目線を向けるとマサキは強い眼差しで、「納得出来るかい」と再び言い放つ。

 

「そんな、予言とやらを当てにして、このポケモンリーグは執り行われたって言うんか? それを知っとるんはおまいさんらだけやろ」

 

 先生は、「そうです」と首肯した。

 

「ネメシスだけが知るはずでした。ですが、どこから情報が漏れたのかは全くもって不明ですが、今は三つの勢力が同じだけの情報を有している事になる」

 

「ロケット団……」

 

「それにヘキサか。難儀なもんやのう」

 

 マサキは後頭部で手を組んで、「ええか、先生とやら」と口を開く。

 

「どこで情報が漏れたんかは知らんし、これからもそれを明らかにするつもりはない。ただ、ワイは納得が欲しい。おまいさんらが行ってるんは、正しい事なんかどうか」

 

 今までマサキは善悪に頓着している様子ではなかった。しかし、ここに来て変わったのはこの次元、ひいては存在そのものが捻じ曲げられたものかも知れないという危惧だろう。イブキとて平常心でいろというのが無理な話だった。

 

「善悪など。そのような些事の彼岸にこそ、我らはいるのです」

 

 ある意味では予想通りの答えにマサキは、「せやと思うた」とため息を漏らす。

 

「ええで。一応は納得する。ただし、一応は、やぞ」

 

 どうやらマサキなりの決着はついたようだ。今度はイブキの番だった。

 

「聞かなきゃいけない事があるわ」

 

 イブキの言葉に先生は、「何でも」と応ずる。

 

「ジムバッジを全部集めると、何が起こるの?」

 

 王の資格、というからには、常人とは一線を画する変化が起きるはずだ。その質問に先生は逡巡の間を浮かべてから、「何も」と答えた。

 

「何も?」

 

「ええ、常人と変わるところはありません」

 

 イブキは仮面を見据える。そんなはずはない。ジムバッジ一つ一つに個別の能力があるのだ。それを全て揃えた人間に何も起こらないなど。

 

「じゃあどうして。誰が一箇所に集めるって言うのよ」

 

「それが先ほど、子供達を見せた真意です」

 

 子供達。その顔を思い出すだけで怖気が走る。あれは悪魔の研究だ。吐き気を堪えながら発した言葉は震えていた。

 

「まさか、あの子を利用して……」

 

「あなたも会っているんでしたね。キクコには」

 

「キクコちゃんってのは、オーキド・ユキナリと一緒におった子か?」

 

 マサキも誘拐される直前に出会っている。だからこそ、先ほどの子供達の異様さが理解出来たのだ。

 

「キクコの適正はA判定。あの子達の中で最もポケモンとの結びつきが強い。今はまだ覚醒を渋っているようですが、いずれ使命に目覚めるでしょう」

 

 その時に、誰かを傷つけるかもしれない。それを理解していないはずがなかった。あるいは先生にとってはそれすら些事なのか。

 

「だからポケモンリーグに参加させた」

 

「ええ。オーキド・ユキナリと行動を共にしているのは予想外でしたが、彼女はいずれ来るべき時に覚醒のトリガーとなる。それを避ける事は誰にも出来ない」

 

 先生は全ての現象を掌握しようとでも言うのだろう。イブキには傲慢にも映ったが、バッジを全て集めるためならば手段は問わないのだろう。

 

「どうやってバッジを集めるつもりなの? だって、オーキド・ユキナリが全部持っているわけじゃない」

 

「バッジの所有者同士はいずれ戦う運命。その時に総取りを行えばいい。最も純粋なプランはバッジが渡る前に確保する事でしたが」

 

「ジムリーダー殺し」

 

 イブキの言葉に先生は無言を貫いた。それが答えだった。

 

「キクコちゃんに、それをさせているのはあなたね」

 

「あの子もそれを承知の上で自由の身になったのです」

 

 自由が聞いて呆れる。結局のところ、キクコは先生の言いなりになっているだけだ。だが、とイブキはその一方で思う。ユキナリならばそのしがらみから解放出来るのではないのか。思い至って自嘲する。何を期待しているのだ。あれはただの子供だぞ。

 

 だが、そうとも割り切れなかった。ロケット団で得た情報。それによればユキナリはただの子供ではないのだから。

 

「誰がバッジを得ているのかは分かるの?」

 

 先生は、「発信機がつけられています」とポケギアに視線を落とす。

 

「一つはオーキド・ユキナリが。一つはナツキとかいう同行者が。二つをカンザキ・ヤナギが所持しています」

 

「今のところ四つか」

 

 勢力図的には五分五分だろう。ヘキサ側に属しているヤナギが二つもバッジを持っている事は脅威だが、今はさほど問題ではない。むしろ、問題なのはこれから先もユキナリ達はバッジを取得するための旅を続けるだろうという事だ。自分達の都合などお構いなしに。

 

 それが一番危険だった。

 

「バッジを一箇所に集めて、それで何が起こるにしろ起こらないにしろ、必要な事だというわけね」

 

「理解が早くて助かります」

 

 マサキが鼻を鳴らし、「理解、って言うても」と口を開いた。

 

「そちらが何を要求しているのか、ワイらにはほとんど明かされてへんわけやけれどな」

 

「我らはただ、ヘキサツールの予言通りに物事が進めばいいだけの事」

 

 本当にそれだけだろうか、と勘繰ってしまう。ヘキサツール、古代の石版の予言など錆び付いた代物だろう。そんなものに未来を任せていいのだろうか。

 

「私達は、何をすればいいわけ?」

 

 もしバッジの収集、と命じられればユキナリ達とまた戦わねばならないのか。そうなった時、自分は冷静な判断が出来るだろうかと疑ってしまう。しかし、先生が口にしたのは意外な言葉だった。

 

「バッジに関しては、彼らが集めるのを待ちましょう」

 

「意外ね。悠長な事を言わず、私達に集めろとでも命じるかと思ったわ」

 

「ジムリーダーは実力者です。こちらの戦力はあなた方だけ。それでは心許ない。それに、汚い手を使ってバッジを集めたところで意味がないのです。それならば最初から、ポケモンリーグなど開催しなければいいだけの話ですから」

 

 それはそうだが、とイブキはマサキへと視線を配る。マサキは肩を竦めた。

 

「で、ワイらの任務は何や?」

 

「これです」と先生は懐から一枚の写真を取り出した。空中から撮影したものだろう。海に浮かぶ二つの島が窺えた。

 

「ふたご島ね」

 

 セキチクシティから沖に出たところにある島の事だ。先生は、「この場所に赴いて欲しいのです」と告げた。

 

「ふたご島に? どうして?」

 

「伝説の三体の鳥ポケモン、をご存知ですよね?」

 

 それもロケット団のデータベースにあった。イブキは首肯し、「サンダー、ファイヤー、フリーザー」と言った。

 

「この三体が、どうかしたの?」

 

「本来ならば必要のない力なのですが、ロケット団とヘキサはこの三体を使って何かを企んでいる。あなた達には、その企みを阻止してもらいたい」

 

「阻止って、でもワイら所詮戦力としちゃ、一人レベルやで?」

 

 マサキは自分を入れていない。端からイブキ頼みだ。イブキはため息をついて、「そうね」と先生を見据えた。

 

「マサキじゃ当てにならないし、私一人でこの二勢力をどうこうしろってのはね。無理な話だわ」

 

「私の言い方が悪かったですね。阻止しろ、と言っても、企みを根底から引っくり返せ、とは言いません。ただ、計画に必要な駒である三体の鳥ポケモンのうち、一体を確保していただきたいのです」

 

「そのうち一体が、このふたご島にいるってわけね」

 

 イブキが納得すると先生は、「ふたご島にいるのはフリーザーです」とその名を口にする。

 

「フリーザー。確か氷を統べるポケモン」

 

「電気、炎、氷。多少の差異はあれど、この三属性もまた、三元素と呼ばれる属性に直結しています」

 

「この三体で何をするつもりなのかしら? ヘキサとロケット団は」

 

「不明です」と先生は断言する。その言葉の調子が気になった。どうしてそうも言い切れるのか。尻尾を掴んでいない限りは、動く事さえも躊躇わないのは何故か。

 

「ただ、この三体を先んじて捕まえられると困る。既にファイヤーとサンダーはそれぞれヘキサとロケット団に捕獲されたのだと聞きます。あとはフリーザーだけ」

 

 先生の言葉にマサキが突っかかる。

 

「ワイらに、フリーザーを捕まえに行け言うんか」

 

 先生は首肯し、「それしか方法がないのです」と続けた。マサキはイブキへと目を向ける。

 

「どうする? 姐さん」

 

「どうするも何も、決まっているわ」

 

 イブキは写真を手に取り、「サポートは任せていいのよね?」と確認する。先生は、「ボールも、特別なものを用意いたしましょう」と言葉を継いだ。

 

「姐さん、まさか」

 

「そのまさかよ」

 

 イブキはふたご島の位置をポケギアに記録させて顔を上げる。

 

「フリーザーを捕獲する」

 



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第九十三話「共犯者」

 

「いやぁー、今日一日で疲れた疲れた」

 

 マサキがソファに体重を預けて息をつく。イブキは部屋の片隅に佇んでいた。先生よりあてがわれた部屋はセキエイ高原の中でも政府中枢の人物が宿泊する施設だった。

 

 他の重役ともまず会わないと断言された部屋は確かに他とは隔絶された雰囲気を持っている。窓辺から窺える景色は閉ざされており、セキエイ高原の中枢、植物の緑と石英の光に包まれた幻想的な空間だけが視界に入っていた。

 

「しかし、奇怪な頼み事でしたねぇ、姐さん」

 

 イブキは先生の言葉を反芻する。先生はただ、「頼みます」と告げてからイブキにモンスターボールを手渡した。しかし、それはただのボールではない。上部が紫色であり、一対の突起がついていた。中央には「M」の文字がある。「これは?」とイブキが尋ねると、「新型のモンスターボールです」とだけ伝えられた。

 

「新型、ね」

 

 キシベの下でも似たようなモンスターボールが開発されていたが、今手の中にあるそれは量産を目処にしたボールというよりかはワンオフの趣が強かった。

 

「何かワイら、とんでもない事に巻き込まれましたな」

 

 マサキの言葉にイブキは高級そうな調度品で彩られた部屋を一瞥し、「そうね」とため息混じりの声を発する。

 

「でも、あの先生とやら、とんでもない事実を話したもんですわ。このカントーが人工的に作られた土地やなんて、スキャンダルでしょう」

 

「そうでもないかもしれないわ。確かに地質学者や考古学者が躍起になって飛びつきそうなネタではあるけれど、多分オカルトの類だと切り捨てられるのがオチね。ヘキサツールだって、こんなセキエイの深奥に隠されているんだもの。証拠は一つもないわ。私達が喚いたところで、頭のおかしい輩だと思われるのが見えている」

 

 だからこそ、自分達に見せたのだろう。王の崩御の真実だって既に病死という事実が出回っている。たとえば自分がネメシスの陰謀だと言ったところで誰一人として信じやしないだろう。それにポケモンリーグは転がり出した石だ。誰にも止める事は出来ない。

 

「なーんか、ワイら、信用されているんかいないんか分かりませんな」

 

「信用はしていないでしょう。だって、私が分かるだけでも先生はいくつか隠し事をしている」

 

「それは、オーキド・ユキナリの事ですか?」

 

 特異点。それもあるのだろう。だがそれだけではないような気がしていた。

 

「まず一つ。バッジを全部集める意味」

 

「ああ、それは確かにうやむやにされている感がありましたけれど、ほんまに何も起こらんのとちゃいます? やったら、別に隠し事じゃないでしょう」

 

「何も起こらないはずがないわ。だってあのヘキサツール一つでカントーという土地が興ったのよ。それを八分割したバッジにも当たり前のように能力が備わっている。それを全て手にして、何も起こらないですって? そっちのほうが不自然よ」

 

 イブキの声に、「でも姐さん」とマサキは顎に手を添えた。

 

「起こるとしたら、何が起こる言いますのん。まさかバッジ全部を揃えただけで王になれるとか? でもこのポケモンリーグはポイント制ですよ。バッジを全部持っていてもポイントで劣っていれば、結局敗北ですやん」

 

「バッジが全部集まる事は、王になるとかならないとか、そういう次元を超越した、とんでもない事なのかもしれないわね。だってあのヘキサツールは次元の壁を超えて来たのよ? バッジが全部揃ったら似たような現象が起こらないとも限らないわ」

 

「ロケット団のデータベースに潜った時にも、さすがに次元の壁を超える超えないの話はありませんでしたけれど、でも三体の鳥ポケモンに意味があるみたいな記述はありましたね」

 

 マサキは自分がサルベージしたデータを全て暗記している。これもまた、先生からしてみても、キシベからしてみても想定外の事実だろう。この男はそれなりに脅威なのだ。

 

「雷のポケモン、サンダー。炎のポケモン、ファイヤー、そして氷のポケモン、フリーザー。この三体を使って、確実にロケット団は何かを仕出かそうとしている。でもワイ的に一番怖いんは、ロケット団よりもヘキサやね」

 

 イブキにも思い当たる節はあった。腕を組んで、「ヘキサ、と言う名がそもそも意味深なのよ」と呟く。

 

「どうして、重要機密であるはずのヘキサツールと同じ名前を冠しているわけ?」

 

 組織の名前はその役割に応じて決められる。ヘキサがその名前を名乗っているという事はヘキサツールに関して一つや二つ程度ではない情報があるという事だろう。

 

「最終目的が同じ、と見るべきでしょうか。あ、でもそれやったら手を組んだほうが早いよなぁ。何でロケット団とヘキサは敵対しとるんか、その辺がいまいち分からんのですわ。だってどっちにせよ、表舞台には出ん組織でしょう? だって言うのに、伝説のポケモンの奪い合い。それにサカキというトレーナーの擁立。どうにもキシベの狸が何を考えとるんかが読めませんね。何も考えとらんのなら、ええんですけれど」

 

 何も考えていない人間が一つの企業をそのまま隠れ蓑にするものか。イブキにはキシベという男がただ単にヘキサの目的を妨害するために動いているのではないのだと感じていた。

 

「キシベの目的、っていうのがロケット団の目的、と見るべきでしょうね。でも、そうなると特異点が引っかかってくる」

 

「一度纏めてみましょう」とマサキは立てかけられていたペンを取り出し、メモ用紙を一枚、手元に持ってきた。

 

「先生は、オーキド・ユキナリにさして重要性を感じてないみたいでしたけれど、ロケット団はオーキド・ユキナリとサカキを重要視している。その実情は特異点として利用するため。しかし特異点に関しては不明な部分が多い」

 

 ロケット団と書くと円を描き、その中にユキナリとサカキの名を書いた。

 

「対してヘキサはワイもそうやけれど、この地方そのもの、ポケモンリーグに関する懐疑がある。重要視しているのは伝説の三体。オーキド・ユキナリやサカキは割とどうでもいと思っている」

 

 ヘキサ、と書き、同じように円の内部に伝説の三体の名前を書いた。

 

「んで、最後はネメシス。こいつの目的は分からん事のほうが多いけれど、一番の目的はヘキサツールの予言通りに物事を進める事。それにはジムバッジが必要不可欠」

 

 同じ調子でネメシスと書き、円の内部にはジムバッジと書かれた。マサキは腕を組んで渋い顔をする。

 

「こうして見ると、不思議とお互いに利益とするものや目的って被ってないんやね。だって言うのに対立しとるんは、この最終目的、というか重要視している要素にはお互いに必要なもんが重なっとるからや。というかお互いに足を引っ張り合っとる形やな。ネメシスの目的には三体の鳥ポケモンを捕まえられると面倒やし、ヘキサの目的にはネメシスの存在は邪悪そのもの。対してロケット団の目的のためには特異点となるオーキド・ユキナリとサカキを限りなく優勝に近づけなあかん。という事はつまり、強いトレーナーが出現する。それはヘキサからしてみても、ネメシスからしてみても邪魔やろうな。ジムバッジを取られたら困るし、強いトレーナーの存在は歴史の中に組み込まれてへん事象かもしれん」

 

 マサキが鼻の下を掻く。最終目的は違えど、このカントーという盤面においてお互いが邪魔な事だけは確かのようだ。

 

「で、まずは三体の伝説から歴史を正せ、というわけね。三体の伝説についてはヘキサツールの歴史上ではノータッチなのに、ロケット団とヘキサが手垢をつけている。この段階に至れば、もうネメシスも静観してはいられない。確実にフリーザーを捕まえる。この三体をどこかが独占する事だけは避けたい」

 

 勝手な理論だが、ネメシスからしてみれば必死なのだろう。それだけヘキサツールを崇めている、という事か。

 

「しかしやな、姐さん。じゃあこの三体、もしどこかが独占するとどうなるん、って話や」

 

 マサキがメモ用紙を指差す。それも先生が意図的に伏せていると考えられた事柄だった。

 

「何かが起きる、とか……」

 

「でも、たかが、いやたかが言うのは言い方が悪いかもしれんけれど、三体のポケモンやで? たった三体で何が出来る言うん? それがどれほどの意味を見出すのか全然読めん」

 

 マサキは後頭部で手を組んでソファにもたれかかる。イブキにも引っ掛かりがあった。マサキの言うようにたった三体の鳥ポケモンだ。強力かもしれないがそれで何をするというのだろう。

 

「組織力の強化」

 

「却下。そんなもんのために使わんよ。大体、三体持ってても使えるトレーナーがおらんかったら意味ないやん」

 

「でも、ヘキサは色んな地方からトレーナーを募っているんでしょう。実力者の。だったら、ヘキサには意味があるんじゃないの?」

 

「あかんて。ヘキサがたとえ実力者を募っていて、で、この三体を御せたとする。でもやで、そんなん、他国に喧嘩吹っかけるようなもんやん。今まで裏の組織として存在していた組織が国レベルに膨れ上がったとしたら、それこそ本末転倒。意味ないって」

 

 ヘキサの目的はあくまで隠密の内に済ませる事。国家レベルでの陰謀を働かせる事はなかった。だからこそ、ネメシスこそが脅威だと断定していたのだ。理由はネメシスそのものが国家レベルでの陰謀に他ならない。ヘキサからしてみれば正義を気取ったつもりなのだろう。

 

「……だけれど、実際。ネメシスから排除命令が出るほどの愚を犯している。シルフビルの爆発だって、ヘキサが絡んでいるに間違いないのよ。だってロケット団があんな真似をすれば自らの首を絞める事に他ならないのだから」

 

 裏組織が存在する事を世間に肯定するようなものだ。マサキは、「それはヘキサの本懐やない、か」と呟く。

 

「まぁ、ワイがいた頃からヘキサは秘密主義の集団やったからな。上から命令が飛んで来れば下に拒否権はないし。どこまでが上層部なんか全然分からん。ハンサムの旦那かて、自称国際警察や。そのレベルまで絡んでない可能性もある」

 

 所属していたマサキでさえ全貌を掴めなかった組織だ。しかしロケット団はその概要を纏め上げていた。

 

「ある意味では末恐ろしい組織ね、ロケット団。そんなトップダウンの差がある組織の概要を洗い出すなんて」

 

「こんなん、人海戦術でやったに決まっとる。なにせ、人手があれば一人二人程度侵入されても怖くないし。ワイほどのウィザード級ハッカーがいたとは思えんな」

 

 マサキ自身のプライドが許さないのだろう。鼻を鳴らし、ロケット団を一蹴する。

 

「……まぁ、あんたほどの奴がぞろぞろいたらそれはそれで恐ろしいわ。シルフの財力をもってしてどうこうした、と考えたほうがいいわね」

 

「そりゃ、ロケット団をある種では認めとるよ。ここまでやるんや、相当な気概がないといかん。ロケット団に所属しとる連中は骨の髄まで信奉しとるのがはっきりと分かるわ」

 

 つまりロケット団からの離反者はほとんどない、との見解なのだろう。イブキもそれに関しては同意見だった。

 

「私達くらいでしょ。ロケット団を自分達から見限ったのは」

 

「ワイは、姐さんに先見の明があると見て着いてきたんやで」

 

 マサキの言葉にイブキは手をひらひらと振って、「せいぜいごまでもすりなさい」と冷たくあしらった。

 

「何も出ないわよ」

 

「つれないなぁ、姐さん。ワイら共犯やん?」

 

「あんたは頭脳、動くのは私。その関係に変わりはないわよ」

 

 踏み込んでくるのを許さぬ口調に、「冗談やん」とマサキは肩を竦める。

 

「本気にせんどいてください。ワイは姐さんの犬です」

 

 手を丸めて犬の真似事をする。イブキは、「だとしても、分からないわね」と無視して続けた。

 

「ロケット団はここまでの情報を掴んでおきながら、全員に共有されるべき情報にしなかった。これらの情報のほとんどはキシベのデータベースから流出したものだった、というのが」

 

「解せんと言えば解せませんなぁ。キシベは本当のところ、ロケット団を信用してないんと違います?」

 

「信用していない? ここまで育てた組織を?」

 

 それは奇妙ではないか。自分の育てた組織を信用せず、情報も仲間に共有しないとは。いざという時、自分しか頼れなくなる。

 

「キシベは自身に頼むところの多い人間なんやとワイは思う。最後の最後に頼れるのは自分自身。それ以外は全て敵だと断じているかのような」

 

 マサキの人物評は当たらずとも遠からずだろう。キシベがそこまで念には念を要しているのならば、自分達の手に入れた計画はキシベのアキレス腱だ。

 

「特異点と、サカキ、オーキド・ユキナリの重要性。これが漏れれば一番困るのはキシベよね?」

 

「いや、それもどうか分からんよ」

 

 マサキの言葉にイブキは首をひねった。

 

「どういう意味?」

 

「たとえばこの事実を、オーキド・ユキナリかサカキに伝えたとしよう。で、信用するか? 言う話。自分達が特異点? 別の次元? ポケモンのいない世界? ワイらかてあれほど信用出来んかった事をこの二人の子供が信用するか?」

 

「それは……」

 

 口ごもるしかない。最も漏れてはならないのは本人達だが同時に本人達にとってしてみれば最も遠い出来事でもあるのだ。

 

「キシベが言うとるんは夢物語や。でも、実現出来る可能性が高いのは、ヘキサツールを目にした今ならば分かる。でもやで、ただ特異点の二人におまいさんらは危険なんや言うたかて、それってあの先生とやらの言い分と何が違う言うんや」

 

 イブキは言葉もなかった。マサキは飄々としているようで実のところ一番考えを巡らせている。もし、自分がユキナリに「お前は危険だ」と詰め寄ったとしたら、彼からしてみればわけの分からない事に違いない。元々自分は一つ裏切りをしているのだ。それに罪を塗り重ねるようなものである。

 

「……そうね。オーキド・ユキナリに接触も出来ない。かといってサカキにはもっと、よね」

 

「やから、ワイらの出来る事って今のところ、先生の言う通りにフリーザーを捕獲する事や。その後で考えを巡らせるとしよう」

 

 マサキはその判断で決着をつけたらしい。イブキにはしかし、まだ納得のいっていない事があった。

 

「その、先生の言っていた子供達の事は」

 

「絶対に言うべきやないやろうな。特にオーキド・ユキナリには」

 

 その意見も同じだ。ユキナリにだけは知らせてはならない。キクコという少女が何者なのか、彼女が殺人者である事以上に、この事実は危険だ。

 

「ワイはそろそろ寝るわ。姐さんも疲れ取らへんと動けんようになるよ」

 

 マサキはソファに座ったまま顔を拭っている。ベッドまで行く事すら億劫らしい。イブキは、「じゃあまた」と部屋を出た。隣部屋が自分のものであり、窓辺に歩み寄る。

 

 セキエイ高原の中枢で仮面の子供達が遊んでいる。その光景が不気味になり、イブキはカーテンを閉めた。

 

 



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第九十四話「大切なもの」

 

『昨夜未明、ヤマブキシティ中央、シルフカンパニー本社ビルにて爆発がありました。この爆発における死傷者は数多く上っており、当局ではテロとの見方も強まっています。現在確認されているだけでもシルフカンパニーの経済的損失は計り知れず、数十億になると予想されています……』

 

「昨日からこのニュースで持ち切りだな」

 

 釣り人が待合室で呟いた。ユキナリは包帯の巻かれた右腕を見やり、「ですね」と頷く。するとナツキがスリッパで軽く後頭部を小突いた。

 

「馬鹿。あんたは当事者でしょう」

 

 振り返るとキクコも傍にいる。どうやら病院という場所には慣れていないようでそこいらをきょろきょろとしていた。待合番号が呼ばれ、急患が運び込まれていく。その中には間違いなく重傷者も混じっており、昨夜の混乱が嘘ではないのだと雄弁に語っていた。

 

「僕は軽い怪我なのに」

 

「シルフビル一つが崩れただけじゃないからね。その周辺も爆破。そりゃ怪我人も出るわよ」

 

 ユキナリは目を伏せる。その原因が自分かもしれないのだ。そう考えると人々の呻き声が他人事とは思えなくなった。

 

「……誰もあんたを責めないわよ」

 

 ナツキのぼそりと発した声にユキナリは少しばかり救われた気がした。キクコも、「ユキナリ君は立派に戦ったんだから」と頷いている。

 

「でも、僕が飛び込まなければランは少なくとも死ななかったのかもしれない」

 

 目の前で自爆したフウとランの兄弟に関しては確実に死亡しているだろう。その遺体の欠片すら見つからない死に方だった。ただ気になるのはランが最期の時に発した言葉だ。

 

 ロケット団ではない。別の組織への服従を誓っていた。

 

 ユキナリにはそれがどうしても、しこりとしてあった。カスミの発言からロケット団だけではない、もう一つの巨大組織があるのは明らかだったが、あの場にはヤナギもいたのだ。仲間すら巻き込みかねない作戦を強行する意味は何だったのだろう。

 

「あ、ガンテツさん」 

 

 ナツキの声に目を向けると、頭に包帯を巻いたガンテツが松葉杖をついて歩み寄ってきた。ユキナリは思わず立ち上がる。

 

「ガンちゃん!」

 

 近づくと、「大した事はないやって」とガンテツは笑った。

 

「頭の傷は破片で切っただけやし、額の傷は派手に見える。足は、俺が着地に失敗しただけやから自業自得や」

 

「でも、ガンちゃん。僕の提案に乗ってくれたから」

 

 ユキナリの言葉に、「そうびくびくすなや、オーキド」とガンテツは声にした。

 

「お前は充分やったんや。ロケット団の鼻を明かした。今は、その確信だけ持ってろ」

 

 ガンテツの声にユキナリは勇気付けられた。自分はロケット団の陰謀を食い止められたのだ。だが被害が大き過ぎた。まさか街一つを巻き込む事になるとは思いもしなかったのだ。

 

「でもヤマブキは……」

 

「壊滅的やな」

 

 よっこいしょ、と声を出しながらガンテツは隣の椅子に座る。待合室のテレビではひっきりなしに報道がされている。

 

「シルフビルが事実上の倒産か。いや、壊滅やな、倒産というより。本社ビルが爆破、そのデータもほとんど抜き取られていたとなれば」

 

 既に報道が成されていたのは子会社には親会社であるシルフカンパニーの情報はほとんどバックアップされていなかったそうである。もちろん、本社のセキュリティ管理が行き届いていた証拠だが、今回の事件ではそれが最悪の事態を招いた。シルフカンパニーの管理していた人員や証拠品は根こそぎ火炎の中に消え、死傷者が何人なのか、そもそも生き残っている人間がいるのかすら分からない。遺族や親族は苦痛に胸を締め付けられている事だろう。ユキナリはそれを思うと胸が痛かった。自分達のした事とはいえ、シルフを壊滅に追い込んだのだ。

 

「でも、坊主達の話じゃ、シルフに人はほとんどいなかったんだろ?」

 

 釣り人が問いかける。警察関係者には話していない。自分達が事件の渦中にいるなど親に知られればポケモンリーグの旅そのものがご破算になるだろう。ユキナリはまだ夢を諦めるわけにはいかなかった。

 

「ええ。僕らが飛び込んだ頃にはもう、数えるほどしか人はいなかった」

 

「それも、俺らを止めるためだけの最低限の人数。しかも数人は確実にあの場から逃げ出した。正直、情報が漏れていたとしか思えんな」

 

 となればランが予め伝えていたのだろう。ナツキの弁によるとランは全てを見通しての作戦を練っていた事になる。しかもそれがロケット団ではない、別の組織への忠誠にあった。

 

「別の巨大組織、か」

 

 もうナツキに言うのを憚っている場合ではないだろう。ナツキは先ほどからそれを聞き出すべきか機会を窺っているようであった。だが言い出せないらしい。ユキナリも隠していた事を負い目に感じているせいか言い出せずにいた。

 

「とにかく、君らみたいな子供に対して本気で挑んだ連中には腹を据えかねるよ。さらに言えば、君達と連中が死ねばいいのだと思っていた裏の奴らにはね」

 

 釣り人は真っ直ぐな性格らしい。ユキナリは、「いいんです」と手を振った。

 

「僕が無謀に突っ走ったせいですから」

 

「そうよ。あたし達の援護も期待せずに敵陣の真ん中に飛び込むなんて」

 

 ナツキの苦言にもさすがに苦笑しか漏れない。今回ばかりは自分の行動の軽率さに言いわけは出来なかった。

 

「でも、オーキドが突っ込まんかったら、シルフは今でも私腹を肥やしていたかもな。そういう点ではオーキドの行動も責められん、ってこっちゃ」

 

 ガンテツの言葉にユキナリは、「いいよ、ガンちゃん」と言っていた。

 

「フォローありがたいけれど、今回に関しては自業自得だ。ナツキ達にも心配をかけてしまった」

 

 ガンテツはその言葉に、「まぁ、オーキドが言うんやったら」と口をへの字にする。ナツキは腕を組んで、「結構込み入った事情があるみたいだけれど」とユキナリとガンテツを見やった。

 

「どっちも怪我した事には違いないし、一歩間違えたら死んでいた」

 

 ナツキの言葉に、「はい。反省しています」とユキナリは頭を下げる。この状態のナツキは幼い頃から知っている。はい、反省しています、はこの状態から脱するための魔法の言葉だった。

 

「本当に反省してる?」

 

「もうロケット団も壊滅しただろうし、シルフビルみたいな大きなところに突っ込む機会はないよ」

 

 ただユキナリの胸に懸念としてあったのはゲンジやイブキの存在だ。二人はあのままシルフビルで生き埋めになったのだろうか。恐らくは違う、と感じ取る。生き延びているはずだ。しかし、それはロケット団がまだ滅びていない証拠にも繋がる。皮肉なものだった。自分を成長させてくれた二人の生存は巨悪が生き永らえている事に繋がるとは。

 

「まぁ、確かにロケット団は壊滅的打撃を受けたでしょうね。シルフカンパニーが隠れ蓑だったんだから」

 

「そのロケット団とやら、全然ニュースで言われないな」

 

 釣り人の言葉にナツキが眉をひそめた。

 

「裏組織なんだからそんなすぐに情報が出るわけないじゃないですか。随分と隠密で動いていたみたいだし、明らかになるのは五年後とかじゃないんですかね」

 

 ナツキの言葉に釣り人は納得した様子で、「そうか」と頷いていた。

 

「だが、悪がのさばるというのは納得出来んものがあるよ」

 

 どうやらこの釣り人は心に正義を抱いているらしい。ヤマブキシティ爆破の際にも率先して救助作業や住民の安全の確保を行ったようだ。その功績が讃えられて近々、シオンタウンから市民栄誉賞が与えられるという。めでたい話だった。

 

「でも、おじさんのお陰で助かった命もたくさんありますから。今はそれで」

 

「ああ、でもそれもこれもお嬢ちゃんのお陰なんだ」

 

 釣り人はキクコへと目をやる。キクコが、「私?」と自分を指差した。

 

「お嬢ちゃんが諦めなかったから、俺も諦めない事に決めたんだよ。女の子が前に出ているのに、大人の男が何もしないなんて格好悪いだろ?」

 

 気安い笑みに釣られてユキナリも微笑んでいた。どうやら穏やかな気性の持ち主らしい。

 

「そんな。おじさんのお陰で、私も帰らずに済んだんですから」

 

 キクコと釣り人の間には何かがあったようだが余人の知るようなものではない事は窺えた。キクコも話したがっていない。いつか話してくれる時がくるだろうとは思っているが。

 

「しかし坊主達もやるな。天下のシルフを引っくり返した」

 

 釣り人の言葉にユキナリは、「でも、人はたくさん死んだ」と顔を伏せて呟く。本当に自分の行動は正しかったのか。その是非はこれから問われるのかもしれない。

 

「その問題を、置いておけとは言わないよ。命の話だからね。ただ、一つ誇りは持つといい。正しい事を成す、という誇りを」

 

 釣り人の声にユキナリは少しだけ元気を与えられた。大人がそう言ってくれるのならば、自分もあながち間違いを犯してばかりではないのかもしれないと思える。

 

「お詫びを言うのならば、お嬢ちゃん二人に、だ。抜け駆けしたんだろ?」

 

 ユキナリとガンテツの頭を掴み、釣り人は後ろにいるナツキとキクコへと振り返らせた。ガンテツは、「すまんかったな」と簡素だが、ユキナリはそれだけではないのだろう、と思っていた。張り手の一発くらいは覚悟するべきだ。気を張っていると、「行くわよ」とナツキがポニーテールを翻す。

 

「行く、って……」

 

「ポケモンセンターよ。博士と通話しなくっちゃ。進化したんでしょ、オノンド」

 

「ああ、うん」

 

 そう言えば博士には随分と連絡を入れていない。ワイルド状態の事やら説明しなければならない事が多いか、と感じていると、「説明はあたしがするから」とナツキが買って出た。

 

「珍しいな。ナツキがそんな言い方するなんて」

 

 茶化す言葉に、「責任感よ」と答える。

 

「一応は怪我人だしね。それに幼馴染としてのけじめもあるし」

 

 ナツキが腰に手をやって鼻を鳴らす。ユキナリはそれを聞いて息をついた。どうやらいつものナツキに戻ったようだ。

 

「じゃあ、えっと、ガンちゃんはこの後精密検査?」

 

「ああ、俺の事はええよ。後でポケモンセンターで合流しようや」

 

 ユキナリは今度釣り人へと視線を振り向けた。釣り人は微笑んで手を振る。

 

「俺も遠慮する。ポケモン研究の権威となんて畏れ多いよ」

 

 ユキナリは手を差し出した。釣り人がきょとんとする。

 

「握手です。あの、守ってもらったみたいで、お礼と言うか」

 

 ユキナリが頬を掻いて上手く言えない気持ちを口にすると釣り人はその手を取って硬い握手を交わした。

 

「君らこそ、これから先の旅も頑張ってな」

 

 釣り人はその言葉の後、ユキナリの耳元へと囁きかける。

 

「あと、どっちを選ぶのかはきちんと決めておけよ、坊主」

 

 その言葉にユキナリは頬を紅潮させた。

 

「……な、どっちをって」

 

「決まっているだろ? ポニーテールのお嬢ちゃんか、キクコっていうお嬢ちゃんのどっちか。好きなんだろ?」

 

 何のてらいもない感情をぶつけられてユキナリは狼狽する。アデクとてここまで直截的に尋ねる事はなかった。

 

「……まだ、何とも」

 

 それが正直な気持ちだった。釣り人は、「まぁそのうち分かるさ」と肩を叩く。

 

「大切なのはどちらなのか、ってね」

 

 ナツキは既に病院から出ようとしていた。ユキナリは釣り人から離れる間際、訊いていた。

 

「あの、お名前は?」

 

「ああ、俺? 俺の名前はセルジ。しがない釣り人だよ」

 

 セルジと名乗った釣り人は人懐っこく笑んだ。ユキナリは、「また」と言い置いて手を振る。セルジも手を振り返していた。

 

 



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第九十五話「オノノクスという名前」

 

「と、言うのが事の顛末なんです」

 

 いつもの事ながらパソコンの周囲は空いている。パソコン画面を覗き込んでいるのは三人ともだが、ナツキが表立って説明してくれたお陰で手間が省けた。というよりもまるで話す事を予め決めていたかのような滑らかさだった。博士もどこか内心では理解しているようだった。ワイルド状態やそれに伴うユキナリとオノンドの関係についても最初から知っているかのようだ。

 

『うん、なるほど。でもユキナリ君はそれを自分で突破した。違うかな?』

 

「あ、えっと、そうです」

 

 何やら奇妙な感覚がついて回ったがナツキは気にするでもなく、「それでなんですが」と口火を切る。

 

「進化したんです」

 

『進化? オノンドが、かい?』

 

 その段になって初めていつもの博士らしい反応が返ってきた。ユキナリは多少安堵しつつモンスターボールを差し出す。斧牙のポケモンは大型なのでポケモンセンターで出すわけにはいかない。パソコンにはポケモンのデータを読み取るための窪みがあり、今まで利用してこなかったがそれを使う事になった。斧牙のポケモンのデータを受け取った博士はすぐさまプリントアウトし、書類に目を通す。

 

『……これは、すごい数値だ。攻撃の値がずば抜けているよ。いや、今までもデータで計測してこそしなかったが、オノンドも攻撃特化型だったはずだ。それをさらに上回る数値……。ユキナリ君、どうやらキバゴはとんでもないポケモンだったようだね』

 

 自分としても驚いている。まさか気紛れでもらったポケモンがこのような進化を果たすとは。

 

「博士、このポケモン、僕が持ち続けてもいいんでしょうか?」

 

 思わぬ疑問だったのだろう。博士は、『え?』と虚をつかれた様子だった。ナツキも声をかけてくる。

 

「あんた、ポケモンリーグで優勝するんでしょう?」

 

 分かっている。しかし、自分で制御出来るかどうかも分からないポケモンを持ち続ける不安はユキナリの中で大きく膨れ上がっていた。オノンドのワイルド状態の時も感じたが、このポケモンは自分を試しているような気がする。

 

『……不安になるのも分かるけれど、私としては持ち続けて欲しいな。もう君達は立派なパートナーじゃないか』

 

 博士の言葉に今度はユキナリが虚をつかれる番だった。

 

「パートナー……」

 

『そうだろう。楽しい時も苦しい時も、同じ時間を過ごす相棒だよ。ユキナリ君、君はこれまで戦ってきた。勝利の美酒だけではなく、敗北の苦渋も味わったはずだ。ならば、このポケモンと共にいてあげる事もまた、トレーナーとしての務めだと思わないかい?』

 

 思いがけぬ言葉だった。ユキナリはたまたまこのポケモンのパートナーになっただけだ。ほんの気紛れが巻き起こした偶然に過ぎない。だが博士の言葉はそれを必然とする口調だった。

 

「僕は……」

 

「自信持ちなさい、って事よ」とナツキが背中を叩く。思わずむせていると、「あんた達、もう立派なトレーナーとポケモンよ」と言葉が投げられた。

 

「だって言うのに、今さら後悔なんて。じゃああたしがこのポケモンもらったわよ。そうじゃないのは、あんたのほうにこいつが懐いているからじゃない」

 

 ユキナリは顔を上げる。キバゴの時からそうだった。このポケモンは自分を信頼してくれている。ならば、それに応えるのがトレーナーの本分だろう。何よりも夢からはもう逃げないのだと誓ったはずだ。

 

「……そうだ。僕は」

 

 ハッとしたユキナリを博士は満足気に頷きながら、『ところでユキナリ君』と声を発する。

 

『もう名前はつけたのかい?』

 

「あ、その事もあったんです」

 

 忘れかけていた。まだこのポケモンに名はないのだ。

 

「僕が勝手に二回も三回もつけていいものか迷いまして……。それで博士に相談を、と」

 

『なるほどね』

 

 博士は手を組みながら、『私がつけてもいいかな?』と訊いた。

 

「え、いいですけれど、何で僕に確認を」

 

『オノンドの時には本当、ぴったりだと思った! キバゴの時にもそうだ。ユキナリ君、君にはセンスがあるんだよ。でも、私にはその辺ちょっと怪しい』

 

 博士は額に手を当てる。博士ほどの名の知れた大人が自分に自信がないのは意外だった。

 

「でも博士、今までにいくつも名前をつけてきたんでしょう?」

 

『そりゃ、やってきたよ。でもさ、これだ! ってのは結構巡り合わせなんだよね。その名前が決まる時もあれば決まらない時もある。出来れば君の意見も聞きたい。このポケモン……、今3Dモデルが送られてきたけれど、一緒に決めないか?』

 

 思わぬ提案にユキナリは一瞬だけうろたえたものの、すぐに頷いた。博士と共に決める名前ならば安心だった。

 

「じゃあ、どうします? 見た目から、の連想でしますか?」

 

『そうだねぇ。このポケモン、オノンドの時よりも斧の龍って感じが強いから、オノは残そうよ』

 

 そうなってくるとユキナリも楽しくなってくる。このポケモンがどのような名前を受けてこの世に誕生するのかワクワクする。

 

「ですね。オノ、何とか、ですかね。龍、ってのを強調したい気もするんですが」

 

『私がつけてきた先行例だと、ドン、とか濁点がつく場合が多かったけれど』

 

「もう完全に二人の世界ね」とナツキが茶化すがそれも聞こえていない。今はこのポケモンの名前をつける事に手一杯だ。

 

『オノ……、ユキナリ君、このポケモン、額にバッテンの傷があるね』

 

 今しがた気づいたのだろう。ユキナリは、「ああ、すいません」と説明するのを忘れていた事を思い出す。

 

「谷間の発電所でのサンダー戦と、シルフビル戦でついた傷なんです。もしかしたら、本来、このポケモンにはなかったかもしれない傷なんですけれど、よくなかったですか?」

 

『いや、何ていうか、歴戦の猛者って感じがしていいよ。バツ印……、Xの連想……、ユキナリ君、名前決まりそうだ』

 

「えっ、本当ですか?」

 

 思わず身を乗り出す。博士は、『うん、これならば納得出来る』と頷いている。ユキナリはすぐにでもその名前を知りたかった。

 

『これは古代のポケモンの名前をつける時のセンスなんだけれど、未知の意味を持つXを付けておいて後々Sに変える事があるんだ。だから、このポケモンの名前はオノに未知の意味とバツ印の額の傷を讃えて、――オノノクス。オノとX、それに後で対応が利くようにする造語なんだけれど、どうかな?』

 

「……オノノクス」

 

 その名前を聞いた瞬間、ユキナリは目の前が拓けたような気がした。

 

「いいです! オノノクス、とても合っています!」

 

『そうかい? よかった、気に入られなかったらどうしようかと思っていたよ』

 

 博士は笑いながらコーヒーカップを口に運ぶ。ユキナリは、「もういいですか?」とモンスターボールへと手を伸ばした。

 

『ああ、データはバックアップを取ったし、大丈夫だよ』

 

 ユキナリはボールを手にもう一度、名前を呼ぶ。

 

「――オノノクス」

 

 その名前が天から授けられたかのようにそのポケモンには馴染んでいる気がした。

 

 



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第九十六話「スペックV」

 

『そういや、そのボール、現行のボールじゃないよね。データ通信速度もいやに速かった。シルフカンパニーが進めていた新型かい?』

 

「博士、新型の事をご存知で?」

 

『うん? ああ、そっか。普通は知らないんだったね。我々研究者の間では次世代型のモンスターボールとして検討案が挙がっていたんだ。そういえば、どうして君らが新型の事を?』

 

 ユキナリはガンテツの事を説明した。すると博士は得心が行ったように頷く。

 

『なるほど、ボール職人の一門、ガンテツといえば有名だよ。その十代目と出会ったのか。十代目はまだ若いと聞くけれど、君らと同じくらい?』

 

「ええ、ちょうど同い年くらいです」

 

『そうか。これもまた巡り合わせかな。でもそのボール、データ上は新型のボールとも違うね。何だい? それ』

 

「ああ、これはガンちゃ、ガンテツさんが」

 

 一応言い直し、ユキナリは続けた。

 

「特別に作ってくれたボールなんです。GSボールとか言って――」

 

『GSボール?』

 

 遮って画面の向こうの博士が立ち上がる。ナツキが肩をびくりと震わせた。

 

「ど、どうしたんです? 博士」

 

『あ、ああ、すまない。取り乱してしまった。でも、GSボールか。実用化出来たとは……』

 

 もしかして博士はGSボールにまつわる話を聞き及んでいるのだろうか。研究者という立場上、ゼロではあるまい。

 

「博士、GSボールについて、知っている事があるんですか?」

 

『ああ、ガンテツ一門とは何度か顔を合わせた仲でね。今のガンテツの師匠、九代目に当たるのか、その人に聞かされた話だ。時を捕らえるモンスターボールだと』

 

 やはりガンテツの話の通りだ。しかし、とユキナリは手にあるGSボールを一瞥する。

 

「これ、完成していないらしいですよ」

 

『なに?』と博士はまじまじとGSボールを凝視する。ユキナリは、「な、何か?」とうろたえた。

 

『いや、すまない。だが、完成していない、と言ったね、ユキナリ君』

 

 博士は佇まいを正し、手を組んで神妙な顔つきになった。

 

「ええ、言いましたけれど」

 

『十代目ガンテツは、完成させる気がないのではないのかな』

 

 その言葉に今度はユキナリが仰天する番だった。

 

「どういう意味なんです……」

 

『いや、あまり大きな声では言えないんだが、時を捕らえるボール、禁忌のボールだと聞いた。それを完成させたものは時空さえも操ると。だから、ガンテツ一門に伝わっている秘伝書、つまり設計図には、あえて完成しないように書かれているのだと』

 

 初耳だった。ユキナリは改めてGSボールを見やる。ボールとしての機能はきちんと果たせている。このボールに不手際もないと思える。

 

「でも、だとしたら……」

 

『GSボールには先がある。完成し、時を捕らえる究極のボールとしての役目が』

 

 だが、と博士は顔を翳らせる。その理由を問い質そうと思った。

 

「何です?」

 

『十代目がそれで完成、いや、あるいはもう完成させる気がないのだとしたら、それでいいのだろう。GSボールの技術は秘匿され、永遠に白日に晒される事はない』

 

 それほどのものが手にあるのは半ば信じられなかった。ナツキも同じ気持ちなのか、「それほどにすごいんですか?」と尋ねた。

 

『新型モンスターボールは量産体制を整え、さらに言えば現行のモンスターボールとの互換性、あるいは交換をも視野に入れた大プロジェクトだった。だが問題があったとすれば、それをシルフに一任していた事だろう』

 

 ユキナリはそこで思い至る。シルフカンパニーが崩壊した今、誰が新型モンスターボールを受け継ぐのだろう。

 

「じゃあ、新型はどうなるんです?」

 

『プロジェクトとしては動いている。子会社が技術を独占しようとするかもしれないが、資金の後押しがなければ難しいだろう。恐らくはデボンが買収する』

 

 デボンコーポレーション。ホウエンの大企業であり、このポケモンリーグの資金源でもある。

 

「新型はそこで?」とナツキが訊いた。『恐らくは、ね』と博士は応じる。

 

『ただこの新型、実は先があってね』

 

「先、ですか」

 

 ユキナリが呆然としていると博士はキーを叩いてある情報を呼び出した。そこには赤と白のツートンカラーで分かれた新型モンスターボールから枝分かれして新たなボールが二種類派生している。

 

「これは……」

 

『新型は上位互換も見越した設計だった。この水色のボールと黒いボール』

 

 画像が拡大される。ワイヤーフレームではあるが、上部が水色と黒に塗られた二種類のボールがあった。黒には黄色い文字で「H」とある。

 

『開発段階の名称では新型モンスターボール、スペック2、とスペック3。スペック2でも新型の捕獲補正率が上昇し、スペック3に至っては新型の二倍の性能が約束されている』

 

「二倍……!」

 

 それがどれほどまでに驚嘆に値する事なのかはモンスターボールを扱っているトレーナーならば分かる。新型モンスターボールの性能でさえ脅威だ。だと言うのに、さらに二倍の能力だとは。

 

『ただこれらはアマチュア、プロ仕様として一般流通するレベルだ。問題なのはこれだよ』

 

 博士がキーを叩くとさらに新型から一本の線が引かれ、もう一つのボールを画面上に呼び出した。だがそれは今までとは形状が異なっている。上部が紫色に塗られており、一対の突起と「M」の文字が中央にあった。

 

「これは、何です?」

 

『ガンテツ一門がGSボールに次いで秘匿してきた、完璧な性能のボールだ』

 

「完璧な性能、って言うのは」

 

 博士はちらとこちらを覗き込んでから、『今、周囲に人は?』と尋ねた。ユキナリは見回し、「いませんけれど」と答える。人の耳目を気にするほどの事なのだろうか。博士は思い切って口にする。

 

『このボール、スペックVと呼ばれるボールはどんなポケモンでも完璧に捕まえて制御下に置く事が出来る』

 

 博士の言葉に一同が戦慄する。完璧な制御下。その言葉にユキナリは背筋が凍った。

 

「それってつまり、どんな強力なポケモンでも捕まえられるし、言う事を聞くってことですか?」

 

『ああ、恐ろしい事にね』

 

 博士自身、震えを抑えるために白衣を握り締めている。それがどれほどのものなのか、ユキナリでも分かる。

 

 パワーバランスを崩しかねない。今でもポケモンの捕獲反対派がいるのだ。だと言うのに、そのような事はお構いなしに、完全に捕まえる道具など……。

 

「そんなの、ポケモンとトレーナーの関係じゃありませんよ!」

 

 声を張り上げたのはナツキだった。思わず博士が、『ナツキ君、抑えて』と小声で言った。ナツキは慌てて口元を押さえ、周囲を見渡す。幸い、誰も気に留めていなかった。

 

『今の常識では、だろうね』

 

 博士がため息混じりに発したのは、ナツキの言葉も今の常識では狂っていても今後変わりかねないという意味を含んでいた。

 

『新型でさえ、ワイルド状態を抑制する働きを持つ催眠電波が出ると言う。それを超過する、言ってしまえば完璧な隷属。それを人は許してもいいのか。ポケモンも許してもいいのか……』

 

 博士の胸中は迷いの中にあるに違いなかった。研究者としては理想的なボールだが、それは同時に生態系やポケモン本来の姿を崩しかねない。何よりもそれが出回った時の事を考えると慄然とする。人によってポケモンは完全に支配される。

 

「そんなものが、量産体制に?」

 

『あ、すまない、大げさだったね。実はこのスペックVに関しては量産が不可能なんだ。コスト面と製造維持だけで採算が合わないってなってね。これ一個作るのに、五年分は技術を注ぎ込まなければならないらしいよ』

 

「五年……」

 

 驚愕すると共に安堵感も胸の中にはあった。ならば大丈夫ではないか。そんなユキナリの思想を打ち崩すように博士は言葉を継いだ。

 

『だが、既に完成しているものを除けば、の話だ』

 

 再び恐怖が鎌首をもたげる。まさか、と全員が息を呑んだ。

 

「完成、しているんですか……」

 

『新型、スペック1は一般に出回るレベルに。スペック2は少し割高だがまぁ、まだ手が届く。スペック3はプロ仕様かな。値段も高いし生産ラインも整っていない。スペックVだが、この世に三個だけ存在する』

 

「三個……」

 

『そのうち二個の所在は掴めている。シルフカンパニーだ。だが、知っての通り、シルフは壊滅した。その下部組織も恐らく解散だろうが、もし生き残っていた場合』

 

「スペックVのボールが使われる」

 

 最悪の想定だったが博士は首を横に振る。

 

『だが、相当に入念な計画を練らないとこんな大それたボール、すぐ足がつく。ポケモンセンターなんかに持っていくわけにもいくまい。自力でメンテナンス、修繕、維持、とてもではないが気の遠くなる金と時間が必要になるよ』

 

 つまり個人での使用は限りなく不可能に近い、という事だ。だが組織立ったものならば。ユキナリは脳裏にロケット団を思い描く。もし、連中が何らかの思想を持ってこれを使用するのならば、それはどのような時か。

 

「どちらにせよ、いいようには転がりませんね」

 

 ナツキの声に現実に引き戻される。いいはずがないのだ。それはポケモンとトレーナー、ひいては人間の関係が問われる。

 

『まぁね』と答えた博士の顔は翳っていた。ユキナリは気になる質問をぶつけてみる。

 

「博士、三個、と言いましたよね? 残り一個はどこに?」

 

 シルフビルと共に焼失したのならば、二個はないと思える事が出来る。だが残り一個は? その疑問が突き立った。博士は、『これもあまり大声では言えないが』と前置きする。

 

『奪取された』

 

「誰にです?」

 

『分からない。不明なんだ。関係者かもしれないし、もしかしたら外の人間かもしれない』

 

「それすら分からないって、どういう状況だったんですか?」

 

 ユキナリの質問に博士は遠くに視線を投げた。まるで思い出そうとするかのように。

 

『私も現場にいたんだ。だが、相手は音もなく潜入してきた。どこの誰なのか皆目見当がつかない。だが、間違いないのは確実に、その連中は伝説クラスを捕まえようとしている、という事だ』

 

 ポケモンを完全に支配下に置くボール、というのが真実ならば伝説クラスを捕獲するという考えに至るのは当然だろう。だが、一方でそのようなボールに捕まえてしまったが最後、各種機関ではそのポケモンを回復させる事すら困難になってくる。やはり博士の言った修繕、維持の段階で無理が生じてくるのだ。

 

「それを押してでも捕まえたいのか。あるいはもう捕まえているのか」

 

 カミツレが谷間の発電所で捕獲したサンダーはどのようなボールに入っていただろうか。それはもしかすると、このスペックVのボールではないのか。

 

『今は何とも言えないよ。ただ、君達の話を聞く限り、このポケモンリーグ、ただの競技大会と言うにはきな臭い』

 

 ロケット団の存在とまだ教えていないが組織の存在。その二つがこのポケモンリーグを影で支配している。ユキナリは歯噛みした。それに至る材料がもうなくなってしまった。ロケット団をある意味では壊滅させるべきではなかったのかもしれない。そのような逡巡を読み取ったのか、『ユキナリ君』と博士は強い語調で口を開く。

 

『ロケット団を潰した事を後悔しているのだとしたら、それは違う。君は成すべきと思った事を成した。それでいいじゃないか。ただ私としては独断先行が激しかった事だけは言っておくよ』

 

 それだけは反省せねばならない。ユキナリは目を伏せ、「ごめんなさい」と謝った。博士は、『素直に謝れるのはいい事だ』と頷く。

 

『本当に危ういのは、謝る事すら出来ない深みにはまってしまう事なのだから。そうなってしまった時、本当に頼れるべき人がいれば、幸運なのだけれどね』

 

 暗にそれは自分ではないのだと博士は言っていた。頼れるべき人、大切な人を見つける事は自分自身にしか出来ない。他人任せにしていい事でもない。

 

「分かっています。それじゃ、博士。僕らはこの辺で」

 

『ああ、次はタマムシシティかい?』

 

 順当に行けばそうであろう。シルフカンパニーという資金源の頭目を失った事でこのポケモンリーグそのものの存続が危ぶまれているが中止の勧告はない。

 

「ええ。あたし達はバッジを集めて、ポケモンリーグ制覇を」

 

『頼もしい事だ。君達の誰かが王になれば、と私も思っているよ』

 

 既に自分が一つ、ナツキが一つずつ持っている。次のバッジの如何で順位が変わる事は間違いない。

 

「タマムシジムのバッジ、必ず取ってみせます」

 

 ユキナリの宣言に、「ちょっと、あたしだってポイントはきちんと稼いでいるんだからね」とナツキが口を挟んだ。博士は笑いながら、『大丈夫だよ』と口にする。

 

『君達の誰かならばきちんと役目を果たせるだろう』

 

 博士は通話を切った。ユキナリはポケモンセンターから出ようとする。するとキクコが顔を伏せているのを発見した。

 

「キクコ? 具合でも悪いの?」

 

 窺っていると、「ううん」とキクコは首を横に振る。何か、先ほどの会話に感化された事でもあるのだろうか。ナツキは、「それよりも」と口を開く。

 

「あたし達、このヤマブキを後にしてもいいのかしら」

 

 それは、確かにその通りだ。自分とガンテツはシルフビル倒壊の当事者である。警察に余計な事は喋っていないし、セルジも喋る気はないらしいが、もしかしたら張られているのかもしれない。

 

「動きにくくなるかも、って事?」

 

「それどころか拘束される危険性も視野に入れるべきよ」

 

 ナツキの言葉は大げさに思えたが、目は真剣そのものだった。

 

「大丈夫。僕やガンちゃんがぼろを出さない限り、シルフビル倒壊に関してはしらを切れる」

 

「いや、それだけじゃなくって……」

 

 ナツキが言い難そうに言葉を濁す。そういえば、ナツキがヤマブキシティを訪れた際の状況を全く聞いていなかった。何かあったのだろうか。そう思いながらポケモンセンターを出ると、「よう」とガンテツが片手を上げた。どうやら博士との通話が思ったよりも長くなってしまったようで、ガンテツは近くで買ったおいしい水を飲んでベンチに座っていた。

 

「ゴメン。待たせちゃった?」

 

「いや、大丈夫。それよか、これからどうする気なんや?」

 

 進路の事を言っているのだろう。ユキナリは一呼吸置いてから、「進むよ」と口にした。

 

「そうか。次はクチバ?」

 

「いや、もうクチバは取られている可能性が高い。タマムシに向かう」

 

 ユキナリの言葉にガンテツは、「なるほどな。納得や」と松葉杖をついて立ち上がる。

 

「ガンちゃんも、これからどうする?」

 

「ああ、俺? 俺は、もうオーキド達とはいられへんな」

 

 ガンテツが視線を逸らす。その意味がユキナリには分からなかった。

 

「いられないって、どういう事? だってまだ旅を」

 

「旅はするつもりや。でも、この怪我じゃあ、どうせ足手纏いになるやろ」

 

「そんな事……」

 

 アデクの時と同じだった。自分のせいで、誰かが旅を諦める。目標が潰えてしまう。それだけは避けたい。ユキナリはぎゅっと拳を握り締める。それを感じ取ったのか、ガンテツは後頭部を掻いた。

 

「まぁ、そう責任感じる事もないで、オーキド。お前はようやっとるし、別に怪我のせいだけやあらへん。シルフビルで会った奴との因縁があるからな」

 

 ガンテツの言う人間とは八代目ガンテツを襲名したという疾風のシリュウを名乗った男だろう。まだ生きていたのか。ガンテツは遠くを睨み据えて、「絶対に奴を追い詰める」と宣言する。

 

「そのためには、俺はまだまだ力不足や。修行も兼ねて、ヤドンを強化する。そのためには、お前らと同じペースでいると、ついつい甘えてしまいかねん。俺は俺のために戦う」

 

 ガンテツの目的はバッジ集めと玉座ではない。彼の手腕ならばそれも必要ないだろう。それよりも自分に必要なのは力なのだとガンテツは感じているに違いない。

 

「……そうか。でも、ガンちゃん、無茶は」

 

「せんよ。オーキド、お前も無茶すなや。そのポケモン」

 

 ガンテツがGSボールを見やる。ユキナリは、「名前は決まったんだ」と言った。

 

「オノノクス。それがこのポケモンの名前」

 

「オノノクス、か。いい名前やな」

 

 ガンテツへとすっと手を差し出す。その意味をガンテツは解していないようだった。

 

「何や?」

 

「握手を、と思って。ガンちゃんには本当に世話になった。もし出会わなかったら、オノンドも僕も成長出来ていなかっただろう。ワイルド状態からも脱しきれていなかったかもしれない。僕らに再び戦う機会を与えてくれたのは、ガンちゃんだ」

 

 その言葉にガンテツは頬を掻きながら、「そない、大層な事はした覚えはないぞ」と口にする。

 

「俺はちょっとした手伝いをしただけや。乗り越えたのもお前の実力。誇り持て、オーキド」

 

「うん。でも、だからこそ、お礼を言いたい。ありがとう。そしてまた」

 

 また出会う日まで。ガンテツの目にかなう使い手になっている事を夢見て。ガンテツはフッと口元に笑みを浮かばせ、「おうよ」とユキナリの手を取った。

 

「俺もその時には、オーキドくらい強くなってな格好がつかへんな」

 

「僕は負けないよ」

 

 強気な発言にお互い微笑み合ってハイタッチする。ナツキ達も何かあるのかと思っていたが、ガンテツには何も言わなかった。

 

「何や、お嬢ちゃんらは何もないんか」

 

「何で世話にもなっていないあんたに何かあると思っているのよ」

 

 ナツキの失礼とも取れる発言にガンテツは笑った。

 

「それもそうやな。でも、次に会った時には特製ボールを一つくらいはサービスしたってもええで」

 

「それくらいの作り手になっているならね」

 

 売り言葉に買い言葉の体だがぴりぴりとしたものは感じない。むしろお互いを信用していた。

 

「あの、ガンテツさん、お大事に」

 

 キクコが声をかける。ガンテツは、「キクコちゃんは正直やな」と頷く。

 

「涙が出るわ」

 

「悪かったわね、あたしが正直者じゃなくって」

 

「お嬢ちゃんが正直やったら、それはそれで気味が悪いけれどな」

 

 ガンテツの小言にもナツキは怒る事はない。これから別行動を取るのだ。それなりに思うところはあったのかもしれない。

 

「じゃあな、オーキド、お嬢ちゃんら。俺は俺の強さを目指す」

 

 その言葉を潮にガンテツはユキナリ達とは反対側へと歩いていった。ユキナリは真っ二つに両断されたシルフビルを見やってから、西へと抜けるゲートを目指す。

 

 次の街へと行かねばならなかった。

 



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第九十八話「大都会」

 

「いやー! なんか申し訳ないな、って!」

 

 少女はゲームコーナーの前の露店で焼きそばパンを買って頬張っていた。実に三個目である。相当空腹だったのだろうとユキナリはその食いっぷりを眺めて想像した。

 

「じゃあ、あの時お腹を押さえたのって……」

 

「うん。お腹がすいちゃうとどうしてもね! 元気が出なくって」

 

 焼きそばパンを頬張る少女は口元の端についたソースを手の甲で拭いながら、「それにしたってすごいね」とキクコを見やった。キクコは突然視線を向けられたもので狼狽した様子だ。

 

「えっと、何がですか?」

 

「いや、だってあたしは毎日のようにインベーダーやっているから九面まで行けるんだけれど、君みたいな子を見た事ないし多分初心者でしょう? だっていうのに九面まで行けたのはすごいよ」

 

 何のてらいもない賞賛の言葉にキクコは、「いえ、大した事は」と返していた。その大した事すら届かなかったナツキとユキナリは閉口するしかない。

 

「あたし以外にも九面クリアするとはねぇ。君、反射神経が鋭いのかな。まぁどっちにせよ、とてもいいライバルに出会えた気がするよ」

 

「ライバル、ですか」

 

 キクコの言葉に、「うん。ライバル」と少女は気安い様子で手を差し出す。

 

「あたしの名前はナタネ。これでもポケモントレーナー」

 

 ユキナリはその段になってナタネという少女のホルスターにボールが留めてある事を発見する。

 

「参加者ですか?」

 

「ああ、うん。みたいなものかな。これからどっか行く? タマムシが初めてなら案内するけれど」

 

 ナタネの思わぬ厚意にどうするべきかとナツキと視線を交し合っていると、「まずは百貨店に行こう」とナタネは提案した。

 

「何でも揃うよ」

 

 ユキナリが逡巡しているとナツキが小突いてきた。

 

「どうかした?」と囁き声で応じる。

 

「まずはタマムシシティの全容を知る事から始めたほうがいいかもね。ヤマブキはあの様だったけれど、タマムシにはそういう野望が渦巻いている感じはしないし」

 

 ナタネは身を翻し、「行くよ」と声をかけた。どうやらナタネの中では既に自分達の行動は決定済みらしい。

 

「まぁ、毒にならないんだったら」とユキナリはその背中に続いた。ナツキはナタネと肩を並べながら、「ここには長いの?」と尋ねる。

 

「まぁ、シンオウから来た人間だからそう長いわけじゃないけれど、そろそろ独り暮らしにも慣れてきたかな」

 

 ナタネによると百貨店の隣にあるマンションで間借りしていると言う。マンションは高級そうな外観をしていた。

 

「独り暮らしか。ちょっと考えられないかな」

 

 ナツキが呟く。そういえばナツキは外泊でさえもあまり経験していないのだと思い出した。

 

「住めば都だよ。それにタマムシでは大体のものが揃う。苦労はしない街だと思うけれど」

 

 ナタネは自分達とほぼ同い年なのにしっかりとした考え方を持っているようだった。ユキナリは、「よくインベーダーゲームをされるんで?」と質問していた。

 

「ああ、うん。常連。だからよく、マスターから怒られちゃうんだよね。約束すっぽかすとかざらだし」

 

「マスター?」

 

 聞き慣れない言葉に尋ねると、「ああ、うん。マスター」と彼女は応じた。ユキナリは恐らくマンションの管理人か誰かだと感じ取る。

 

「……そうですか。大変ですね」

 

「そうでもないよ。タマムシ百貨店では大体買い物は済ませられるし、今付き合ってもらっているのもマスターに頼まれた買い物だからね」

 

 エスカレーターを昇りながらユキナリはマスターとやらが所望しているものは何なのだろうと考えを巡らせた。

 

「あ、あった」とナタネが歩み寄る。そこに飾られていたのは香水の類だった。男の自分にはまるで縁のない代物だ。だが、ナツキが声を上げる。

 

「ゼロが一、十、百、千、万……、十三万円?」

 

 その言葉にはさすがのユキナリも瞠目した。香水とはいえそこまで値の張るものなのだろうか。目線を向けると、「お金はあるから大丈夫だもん」とナタネは財布を取り出す。

 

「いや、でも十三万、って……。こんな言い方はよくないかもしれないけれど、騙されていない?」

 

 まず思い至る事だがナタネは首を横に振って否定する。

 

「とんでもない。マスターが必要だって言ったんなら必要だし。それにこのお金はマスターのものだよ」

 

 ナタネは香水を買い、ユキナリ達に視線を移す。

 

「他に欲しいものがあったら買い物に付き合うけれど」

 

 ナツキは周囲を見渡す。恐らくはナツキの購買欲を刺激する代物が並んでいたのだろうがぐっと堪えた様子だった。

 

「……いえ、いいわ。それよりも聞きたい事がある」

 

「何? あっ、コイキング焼き!」

 

 屋台に飛び込み、自分の分のコイキング焼きを確保するナタネの後姿を見て、大丈夫なのだろうか、と考えた。この少女に案内を任せて、逆に迷う事態にならないだろうか。ユキナリの懸念を他所にナタネはコイキング焼きを頬張る。ぱりぱりとした皮にあんこが包まれていた。

 

「うん、やっぱりコイキング焼きは絶妙な味付けだね。この濃厚なあんこが堪らないんだよねー」

 

 ナタネはぱくぱくと一個を平らげてから、「君らもどう?」と勧めてきた。

 

「あたしは、甘いものは……」と遠慮しつつしっかり凝視しているのがナツキだ。対してキクコは最初から興味がないかのように見えた。するとナタネはキクコへと歩み寄る。

 

「ねぇ、食べてみなよ。おいしい、っての分かるからさ」

 

 ナタネの強引とも言える勧誘にキクコは戸惑うような眼差しをユキナリに向けた。ユキナリはため息をついて、「食べたくないの?」と聞く。

 

「ううん。こういう、人からもらったものって食べていいのか分からなくって」

 

 そういえばキクコの口から先生についてあれ以降聞いていないな、とユキナリは思い至った。だが自然進化でゲンガーとハッサムに進化したとは考えづらかった。キクコがストライクで戦ったという事なのだろう。ナツキもそれを証言しているし、釣り人セルジの言葉もある。だが、何と戦ったのかまでは明らかになっていなかった。ひょっとするとその辺の野生個体との戦闘で進化したのかもしれない。未だ進化に関する学説はこれが定説、というものはない。何が要因になるのかは誰にも分からないのだ。

 

「もらえばいいんじゃない? 食べたくないわけじゃないんでしょう」

 

 ナツキの言葉にキクコはおっかなびっくりにコイキング焼きを手に取る。口に運ぶまでに二三度目線を向けられたがユキナリは頷いておいた。キクコが少しだけ齧る。すると、目を輝かせて頬に手をやった。

 

「おいしい……」

 

「でしょ? あたしもね、ここのコイキング焼きが一番好き」

 

 ナタネの無邪気な笑みにコイキング焼きを作っている大将が、「照れるねぇ」とはにかんだ。

 

「ナタネちゃんはいつもここのを贔屓にしてくれているんだ。いやぁ、タマムシシティにいる人間としちゃ、嬉しい事だよ」

 

 大将の言葉にユキナリは目を見開いて、「有名人なんですか?」と尋ねていた。ナタネは、「まぁね」とウインクする。改めて読めない人だなと感じる。

 

「コイキング焼き、かぁ……」

 

 ナツキが名残惜しそうに口にする。「後で買えば?」と言っておいた。ナツキはポイントと財布の中身と相談する。

 

「……まぁ、余裕があればね」

 

「何か、余裕がないみたいな言い方だね、君達」

 

 ナタネは自分達の前に回りこんでコイキング焼きを齧る。キクコは、というとナタネの食べ方を真似しているのだが、口が小さいのか頬張り切れていない。

 

「こう、だよ! 一気にパリッと食べるのがいいのさ」

 

 ナタネがコイキング焼きをまるでシーエムのように華麗に食べてみせる。キクコは真似しようとするが間違えて何もない場所を噛んでしまった。強めに噛み締めたのだろう。頬を押さえて、「痛い……」と屈み込んだ。

 

「ああ、悪かったってぇ。まさかそこまで勢いよくやるとは……」

 

 ナタネもたじたじの様子だった。ユキナリは少なくともこの人は悪い人ではないのだろうと思っていた。

 

「他に行きたい場所ある? あたし、案内出来るよ」

 

 胸を反らしてナタネが引き受ける。ユキナリは、「お勧めの場所ってあります?」と尋ねていた。

 

「そうだねぇ。あたし的にはさっきのゲームコーナーで遊び倒すのもありだけれど、ここタマムシは観光名所としても有名なんだ。宿屋にチェックインは済ませた?」

 

「あ、まだですけれど」

 

 ナツキが気づくと、「なら、ちょっと泊まってみなよ」とナタネは指を鳴らす。

 

「でもタマムシシティは多分通過する事になるから、あまり時間は取らないかと……」

 

 ユキナリの言葉にナタネは、チッチッチッと指を立てる。

 

「違うんだなぁー。タマムシシティの楽しみ方じゃないよ。いい? こういう都会に来たからにはさ、ぱぁーっとやるのが一番なんだよ!」

 

 ナタネが心底楽しそうに言うものだからユキナリもどうするべきかと視線を交わし合う。ナツキは、「まぁ、一泊くらいなら」とナタネの提案を呑んだ。

 

「そうでなくっちゃ」とナタネは踊るようにステップを踏む。その後姿を眺めながら、「不思議な人よね」とナツキは呟いた。

 

「うん。僕の目からしてみても不思議だ」

 

 キクコは、というとまだコイキング焼きに悪戦苦闘している様子で、「普通に食べればいいと思うよ」とユキナリはアドバイスした。すると、「ううん」とキクコは首を振る。

 

「あの食べ方がおいしそうだったから、習得しなくっちゃ」

 

 どうやらキクコもまたナタネに感化されたらしい。ライバルだと言っていたのはナタネの一方通行ではないという事か、とユキナリは納得した。

 

 



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第九十九話「匂いの違う奴」

 

 連れられてきたロビーは落ち着いた木目の色調で揃えられており、今までのトレーナー専用の宿屋とは一線を画していた。灯篭がそこらかしこにあり、暖色が包み込んでいる。

 

「これは、ちょっと豪勢ね」

 

 ナツキの声にユキナリは頷く。

 

「宿、っていうかこれはもう旅館だね」

 

「その通り!」とナタネは受付の前で回転する。

 

「この宿はね、今回のポケモンリーグに合わせて作られた他の宿屋とはわけが違うんだ。内装も一級品の、正真正銘の旅館さ。本当ならトレーナー用の宿屋が作られるはずだったんだけれど、ここを訪れたポケモンリーグの重役がいたく気に入って、この宿屋の利益になるように取り計らってくれたんだよ」

 

 ナタネの声に、「恥ずかしいですよ、ナタネさん」と受付嬢達が微笑んだ。どうやらナタネはこの街では人気者のようだ。

 

「とりあえず荷物を置いて、またタマムシを案内するよ。部屋数は足りてる?」

 

 受付に確認すると、「三名様分ならばそれぞれ個室をご用意出来ます」と上品に返された。

 

「なら、どうする? 今まで旅は窮屈だったかもしれないし、ここで羽を伸ばすのも」

 

 ユキナリはナツキへと目線をやる。今まで窮屈をしてきたのは主にキクコと相部屋だったナツキのほうだろう。この際、個室もいいのかもしれない、と思ったがナツキは、「いえ、キクコちゃんとは相部屋で」と答えた。

 

「あれ? 今までもそうだったから、てっきり個室がいいのかと」

 

「馬鹿。キクコちゃんを一人に出来ないわよ」

 

 そうか。今まで相部屋だったからこそ、キクコがいかに危なっかしいかを理解しているのだ。ユキナリは余計な気遣いだったと反省する。

 

「じゃあ部屋数は二つね。あ、あたしもー!」

 

 その言葉には三人して驚いた。この街に住んでいるのではないのか。

 

「いいの? 家があるんじゃ」

 

「だってぇ、案内するんだったら最後まで案内しないとね。あたしは寝る頃には帰るから、そんな片肘張らなくってもいいよ」

 

 暗に寝る頃までいるのだと言っているようであったが、ユキナリ達は放心していた。受付嬢が、「いいんですか?」と聞いた。

 

「エリカ様のところに帰らなくって」

 

 その忠告にナタネは飛び上がった。

 

「忘れてたぁー。そうだ、マスターに香水を渡さなくっちゃ」

 

 どうやらエリカという人物がマスターらしい。ナツキ達に視線をやり、「一緒に来る?」と訊いてきた。

 

「一緒に、って」

 

「どうせ案内する事になるし、まぁ最後のほうかな、と思っていたけれど、いいよね。このタマムシシティに来たトレーナーなら、絶対に行く場所だよ」

 

 そのような観光名所があるのだろうか。ユキナリが返事を決めかねていると、「いいわ、行きましょう」とナツキが応じた。

 

「よっし。じゃあ、あたしは前で待っているから、三十分後に集合ね」

 

 ナタネの声を背中に受けながらユキナリ達はエントランスを抜けて和室の装いの部屋へと連れてこられた。畳敷きで、ベッドもなく布団らしい。ユキナリが荷物を置いて一服ついていると戸が叩かれた。

 

「ナツキ?」と聞き返し、戸を開けると眼前にいたのはナタネだった。ユキナリが息を呑んでいると、「待ちきれなくって来ちゃった」とナタネは微笑んだ。ユキナリの狼狽を他所にナタネは、「珍しいモンスターボール持っているからさ」とユキナリのホルスターを指差す。GSボールの事だろうか、とその手に取った。

 

「それ、特注品だよね」

 

「ああ、そうなんです。ボール職人の方に会って」

 

「へぇ、何だか、君、面白いね」

 

 ナタネが顔を近づけてくる。大写しになった少女の容貌にユキナリは戸惑った。鼓動が早鐘を打つ。何のつもりなのだ、と探る目を向けていると、「何にもありゃしないよ。ちょっと、君が気になるだけさ」とかわされた。

 

「気になるだけって」

 

 それだけで部屋に入り込むだろうか。ユキナリは今までの先例を思い返す。自分に近づいてくる連中は敵が多かった。もしかして今回も、とGSボールを握る手に力が篭る。ナタネは、「なーんかね。君、いい匂いがするんだよね」と首をひねった。

 

「匂い……」

 

 自分で自分を嗅いで見るが一応シャワーは浴びている。特に目立った匂いがあるようには思えなかった。

 

「何か、他の人と違うんだ。あの、キクコとかいう女の子もそう。匂いが違うんだな、うん」

 

 ナタネは自分で納得して回れ右をした。どうやら自分への用事は済んだらしい。

 

「じゃあね。また三十分後に会おう」

 

 ナタネはウインクをして部屋から出て行った。ユキナリはしばらく呆然としていたが、足音が近づいてきて佇まいを正す。見知った足音の主はナツキだった。

 

「何?」と何事もなかったかのように尋ねる。ナツキは、「ちょっとね、あの人と合流する前に」と含んだ声を漏らす。

 

「馴れ馴れしくない? ちょっとゲームコーナーで居合わせただけの相手に」

 

 ナタネの事だろう。ユキナリはつい先ほどの出来事を思わせるような表情をするまいと肝に銘じつつ、「そうだね」と応じた。

 

「何でよくしてくれるんだろう」

 

「よくしてくる、なんて楽観的に思っていいのか分からないけれど」

 

 やはりナツキも想定しているのだろう。ユキナリはその意味するところを答えた。

 

「……やっぱり、敵かもしれない、って思うよね」

 

 ナツキは、「味方だとしたら出来過ぎね」と応じる。

 

「右も左も分からないあたし達をわざわざ宿屋まで誘導した理由は何? そこいらの裏路地で始末すればいいものを」

 

「まだ敵って決まったわけじゃ」

 

「そりゃ、そうだけれど」とナツキは言い分があるようだ。

 

「キクコは?」

 

「畳が珍しいんだって。ずっと畳の目を数えている」

 

「そりゃ、飽きなさそうだ」

 

 ユキナリは笑ってみせるが胸中ではナタネの事が引っかかりとしてあった。自分とキクコを「匂いが違う」と評したあの少女は何の目的で接触したのか。

 

「あんまり、気を許し過ぎないほうがいいのかもしれない」

 

 ナツキの警戒心はこの場合では正常だろう。オツキミ山から先、異常事態に見舞われてばかりだ。やっと休息が取れるかと思ったら息つく間もないのは避けたいのだろう。ユキナリは、「気持ちは分かるよ」と呟く。

 

「でも、本当、何者なんだろう」

 

 こぼした疑問に、「敵だとしても」とナツキは口にした。

 

「せめて、強くない事を祈るばかりね」

 

 ユキナリは静かに首肯した。

 

 



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第百話「ドクターペッパー」

 

 三十分後に宿屋の前に出るとナタネは、「おーう、待っていたよー」と新たに菓子を頬張っていた。ユキナリが、「あの……」と指差すと、「ああ、これはホウエンの名物」と掲げられた。

 

「フエンせんべい、って言うんだ」

 

「どうしてホウエンの名物が?」

 

「あれ? 知らない? ああ、そっか、さっき来たばっかりだとね。タマムシシティでは全地方から食の祭典として名物が集まっているんだ。これ、ジョウトの名物、いかりまんじゅう」

 

 ナタネは紙袋から厳しい黒で包装されたまんじゅうを差し出す。

 

「まぁ、言うなればタマムシシティは選手村だね。トキワシティにもあったみたいだけれど、規模が違う。ここまで来たご褒美として、最高のおもてなしと最高の美食を味わって欲しい、ってわけなのかな。まぁ、あたしはこういう楽に食べられるものが好きなだけだけれど」

 

 ナタネがフエンせんべいを齧る。その様子をやきもきとして眺めていたのはキクコだった。先ほどのように真似がしたいのだろう。ナタネは感じ取って、「食べる?」とフエンせんべいを差し出す。キクコはユキナリに視線をやっていいかどうかを確認してから受け取った。

 

「いい? パリッとしていておいしいけれど、歯が丈夫じゃないとおススメ出来ないよ。さっきみたいに力任せに齧ったんじゃ歯がやられてしまう。だからフエンせんべいを食べる時には、脇をしめてー」

 

 ナタネの号令に従い、キクコは脇をしめる。「大きな口を開けてー」とナタネが指示するとその通りにキクコは動いた。

 

「そして、食べる!」

 

 ガリッとフエンせんべいをナタネは頬張る。キクコも頬張ったが、途中で顔を青ざめさせた。どうやら喉に詰まらせたらしい。しきりに喉元を押さえている。

 

「大変! 水……」

 

「はい。最近発売されたばかりの商品、ドクターペッパー」

 

 用意周到なナタネが差し出したのは見た事のない極彩色のカラーリングが施された飲料の缶だった。ユキナリとナツキが怪訝そうに眺める。

 

「何なの、それ?」

 

「あれ、知らない? 割とポピュラーな飲み物だと思ったんだけれどなぁ。あたしは好きだよ、これ」

 

「いいから! キクコちゃんが窒息死しちゃう」

 

 ナツキはナタネの手からそれを引っ手繰りキクコに飲ませた。するとキクコが今度は目の端に涙を溜めて、「何これぇ……」と舌を出す。

 

「飲んだ事のない飲み物だよぉ」

 

 涙声のキクコに、「そんなに?」とナツキも口をつけるが、たちまち眉間に皺を寄せた奇妙な顔つきになった。

 

「何これ……」

 

「ドクターペッパー。あたしの好物」

 

「どんなのなんですか?」

 

 聞くと、「言葉で説明するのは難しいから、君も飲んじゃいなよ」とユキナリへと缶が手渡された。表面のラベルを見やる。何やら怪しげな風体のフォントで「ドクターペッパー」と書かれており、本当に真っ当な商品なのかと疑いたくなる。

 

「賞味期限は切れてないって」とナタネが言うのでプルタブを開けて口に含んでみたが、その味は奇矯と言う他なかった。炭酸飲料なのだがサイコソーダのような甘みが先行している風でもなく、かといって炭酸がきつすぎるわけでもない。

 

「何だか、粘つく……」

 

「それがいいんだけれどなぁ。もう飲まない? あたしが飲んじゃうけれど」

 

 ユキナリは大人しくナタネへと返す。ナタネはひと息に飲み切って、「プハァー!」と威勢のいい声を上げた。

 

「これ! この味! 癖になる! 分からないかなー?」

 

 残念ながらナタネ以外誰の口にも合わなかったようである。ナツキもナタネに返していた。

 

「もうちょっと真っ当な商品を出しなさいよ」

 

 ナツキの言葉に、「心外だなぁ」とナタネは数々のお土産を紙袋から取り出した。

 

「この中でも選りすぐりのものが、ドクターペッパーなのに」

 

「どこの世界に喉に詰まったものを取るのにこんな癖のある飲み物を出す人間がいるのよ」

 

 ナツキの苦言にナタネは肩を竦めて、「まぁいいや」と紙袋を引っ提げて身を翻す。

 

「行こう。そろそろ帰らないとマスターが心配するし」

 

 ナタネは歩き出していた。ユキナリはナツキと一応、警戒の眼差しを交し合う。もしもの事がないとも限らない。慎重を期して二人ともいつでもホルスターからボールを抜けるようにしておいた。ナタネはタマムシシティを南へと歩いていく。その途中、すれ違った人々が、「あ、ナタネさんだ」と声をかけた。ナタネは、「やっほー」と朗らかに笑いながら手を振る。

 

「随分と有名なのね。シンオウから来たって言っていたけれど」

 

「まぁ、それもマスターの人徳ありきかな。あたしなんて田舎者、マスターがいなくっちゃこの都会じゃ生きていけないだろうし」

 

 ユキナリはそのマスターとやらが先ほど話に上がっていたエリカなる人物である事を確認しようとする。

 

「その、エリカさん、っていう人なんですよね?」

 

「そう。あたしはマスター、って呼んでいるけれど、その呼び名が好きじゃないんだって」

 

 ナタネはむくれて首をひねる。ナタネが立ち止ったのは一本の細い木の前だった。

 

「あれ、木があるけれど……」

 

「ああ、うん。すぐ生えてきちゃうんだよね。切っても切ってもさ。それがちょっと鬱陶しいけれど、慣れればどうって事ないよ」

 

 ナタネはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、投擲した。突然の事にユキナリ達が身構えると、「心配はいらない」とナタネは微笑む。

 

「ちょっと木を退けるだけだから。ロズレイド」

 

 ロズレイド、と呼ばれたポケモンがすっと顔を上げた。その面持ちは流麗で、貴婦人のそれであった。白い頭部に茎のような細い身体をしている。両腕に有しているのは五指ではなく、薔薇の花束だった。

 

 その赤い眼がすうっと細められたかと思うと、ロズレイドは花束型の腕から触手を抜き放つ。尖った触手が木を切るのかと思われたが、その触手は巻きつき、木をしならせた。柔軟性があるのか、細い木と道の間に僅かな隙間が生じる。

 

「さぁ、この隙間を通って」

 

 ユキナリはナツキへと視線を向けた。このナタネというトレーナーは敵ではないのか。もし敵ならば、敵地へと赴くようなものだ。だが自分からポケモンを出した辺り、手の内が割れる事を恐れていない事が分かる。相当な自信家か。あるいは本当に、戦闘する気はないのか。

 

「どうしたの? 早く早く」

 

 逡巡を浮かべていたユキナリへとナツキが口にする。

 

「行きましょう」

 

「だね。分からない事も多いけれど、僕らだって伊達に経験を重ねたわけじゃない」

 

 出たとこ勝負だ。ユキナリ達は木の隙間を潜った。即座に反転し、攻撃が背中から来るかと思われたが、ナタネはあろう事か自分も木で塞がれていた道に入り、「よっこいしょ」と木を元に戻した。

 

「お疲れ、ロズレイド」

 

 さらに驚くべき事にナタネはロズレイドをボールに戻したのである。背中ががら空きだったはずなのに、全く攻撃の気配さえ見せなかった。その事実に三人して驚嘆していると、「何? 豆鉄砲食らったような顔をして」とナタネは小首を傾げた。

 

「いや、ちょっと行動が予想外だったもので……」

 

 ユキナリが濁すと、「全然予想外じゃないじゃん」とナタネは笑った。

 

「木を退かしただけ。それ以外にある?」

 

 それは、とこちらが口ごもってしまう。ナタネは気にする素振りはなく、「さぁ、行くか」と先陣を切った。全員の背後を取った事など最早覚えていないかのようだった。

 

「……ねぇ、あの人、やっぱり変わっているわ」

 

 ナツキの声にユキナリは同意だった。

 

「だね。危険人物ってわけじゃなさそうだけれど」

 

 それでも何を考えているのか分かったものではない。ユキナリ達がその背中に続いていると、唐突に道が折れており、その先にあったのは意外な建物だった。

 



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第百一話「イノセントガール」

 

「これ、ポケモンジムじゃない」

 

 驚愕を露にするナツキの声にユキナリは、「ああ」と頷く。目の前にあったのはポケモンジムであり、さらに言えば立て看板も存在する。そこには「タマムシシティジム」とはっきり書かれていた。

 

「な、ナタネさん! これ、ポケモンジム!」

 

 うろたえたナツキが指差すと、「うん?」とナタネはジムを見やり、「それがどうかした?」と尋ねた。

 

「じゃなくって! ナタネさん、何者なの?」

 

「ああ、言ってなかったっけ。あたし、ここのジムトレーナー」

 

 ナタネは全員へと向き直り、片手を差し出した。

 

「改めて自己紹介するね。あたしはナタネ。タマムシシティ草タイプのジムに師事しているトレーナーです」

 

 その言葉に全員が瞠目していたがユキナリはようやく口にした。

 

「シンオウから来たっていうのは……」

 

「嘘じゃないよ。生まれはシンオウだけれど、ここ二ヶ月ほどはタマムシジムに入り浸り。ポケモンリーグ事務局から特別に許可されて、あたしは特派員としてシンオウから渡ってきた。ここ、タマムシジムのジムトレーナーとしてね」

 

「特派員、って」

 

「その地方ごとにある特色や技術を伝える役目、かな、大雑把に言うと。今回のポケモンリーグ、シンオウ政府も重要視しているってわけ。だから伸びしろのあるあたしみたいなトレーナーを特別に派遣した」

 

 初耳であったが、極秘事項なのだろう。ジムリーダー、ひいてはジムに関する事は秘匿されている。

 

「ここの街の人達は知っているけれどね。よくしてくれているよ」

 

 ナツキは呆然としていたがナタネがジムに入っていくのを見て、「ちょ、ちょっと!」と声を張り上げる。

 

「何?」

 

「あの、トレーナーがジムに入る時ってのは、その挑戦するのと同義なんだけれど」

 

「ああ、そっか」とナタネは後頭部を掻いた。

 

「だよね。ほとんど家みたいなものだから忘れちゃっていた。どうする? ポケモンセンターで回復してから来る?」

 

「いや、回復はもう済んでいるんだけれど、いきなり挑戦するって言うのが……」

 

 通じない事にやきもきしているのだろう。ナツキは言葉を繰っていたがユキナリは率直に言った。

 

「まだ挑戦する心構えが出来ていないって事なんです」

 

 その言葉でナタネはポンと手を打った。

 

「なるほど。だよね。いきなりジム前まで連れてこられて、挑戦するかしないか、ってのは卑怯だ。じゃあ、挑戦しなくってもいいよ」

 

 ナタネの言葉に一同は目を見開く。ナタネは何でもない事のように、「遊びに来たって言えば」とジムの看板を仰ぐ。

 

「マスターも喜ぶと思うよ」

 

「マスターってのはジムリーダーの事ね」

 

 ようやく納得したナツキの声に、「そうだよ」とナタネは応じる。

 

「草タイプの使い手、エリカ。それがあたしのマスター」

 

「なんとなーく、読めてきたわ……。あんた、あたし達を誘導して無理やり戦わせようとしているんでしょう」

 

 ナツキの言葉に今度はナタネが目を見開く番だった。

 

「そんな事……。あたしはただタマムシシティのいいところを知ってもらおうとしただけだよ」

 

「どうだか。いい? ポケモンバトルにはポイントがかかっているのよ。そのポイント数の優劣でリーグに進めるか否かが決まる。こうやっておのぼりさんを案内すると見せかけてポイントを荒稼ぎすれば、それは効率的でしょうね」

 

 ナツキの声には荒々しいものも混じっていたが概ね同意だった。ナタネのやり方は出来過ぎている。それを疑うのは当然の事だ。

 

 しかし当のナタネはショックを受けたかのようによろめいた。

 

「そんな……、あたしはただ……、タマムシの事を知って欲しくって」

 

 ナタネの様子から嘘を言っている風ではないが、この期に及んでしまえば最早それも嘘に聞こえてしまう。ユキナリとナツキは同時にホルスターからボールを抜き放つ。

 

「こんな卑怯な真似、許さない」

 

 ナツキの言葉にナタネは額に手をやっている。何をするのかと思えば、次の瞬間、大声で泣き出してしまった。その様子に全員が顔を見合わせる。

 

「そんな……、あたしは……、ただ……」

 

 声には嗚咽が混じっており、泣きじゃくったナタネはその場に膝を落とした。おいおいと泣き続けるのでさすがにナツキも戸惑った様子だ。

 

「えっ……、ちょっと、どういう状況よ、これ」

 

 まるで自分達が悪者である。ユキナリも困惑の眼差しを向けた。ナタネはポケモンを出す様子もなく、ただただ子供のように泣くばかりであった。

 

「ええと、どうすれば?」

 

 疑問を浮かべたユキナリへとナツキが、「知らないわよ」と突っぱねた。

 

 すると、ジムの扉が開いた。現れた姿に息を呑む。

 

 黄色い着物姿の女性だった。帯とカチューシャが赤色で、髪型はおかっぱである。慈愛に満ちた瞳をしており、その眼がユキナリ達を捉えた。一瞬、動けなくなる。敵意ではない。これは、圧倒的存在への畏怖だ。女性はナタネの手を取り、「ナタネ」と声をかける。

 

「マスター……、あたし、間違っちゃったのかな……」

 

 腫れた泣き顔へと、マスターと呼ばれた女性はハンカチを差し出す。ナタネは勢いよく鼻をかんだ。

 

「泣き止みなさい。あなたの行いは誤解を生んだだけ。ちょっとした誤解です。わたくしがどうにかしますから」

 

 柔らかなさえずりのような声にナタネはゆっくりだが泣き止んでいった。女性がユキナリ達へと視線を配り、そっと頭を垂れる。

 

「ご迷惑をおかけしてすみません。うちの子は、まだ教育がなっていなくって」

 

 その言葉にこちらも思わず丁寧に返してしまう。

 

「え、いや、こちらこそ、急に大声を出してナタネさんをびっくりさせたみたいで……」

 

 ユキナリが代表して謝ると女性はくすっと笑った。

 

「とてもお優しい方なのですね。こちらの不手際なのに」

 

 笑うと周囲の空気が和らぐような女性だった。ユキナリが呆然としているとナツキが小突いてくる。

 

「何見とれているのよ」

 

「見とれ、って、僕、見とれていた?」

 

 全くの意識外だった。ナツキは、「完全に見とれていたわよ」とじっと睨んでくる。

 

「あの、重ね重ねすみません。何だか、見とれちゃったみたいで」

 

 自分でもらしくないと思いつつ、この女性には謝らなければならないような気がしていた。ナツキが後頭部をはたく。

 

「馬鹿。見とれた相手に見とれたって正直に言う人間がどこにいるのよ」

 

 つんのめりつつユキナリが、「何するんだよ」と返すと女性は口元に手を当ててつつましく微笑む。

 

「仲がよろしいのですね」

 

 その言葉にナツキも虚をつかれたように無言になる。キクコが歩み出て、「あの」と控えめに声を発した。

 

「あなたが、ナタネさんのマスターですか?」

 

「ああ、ナタネが外でもその呼び方をしているのですね」

 

 エリカがナタネへと目を向ける。ナタネはしゃくり上げながら、「ごめんなさい、マスター」と言う。

 

「マスターはよしなさいと言っているでしょう。そんな大層なものじゃないのですから」

 

 女性はユキナリ達に向き直ると、恭しく頭を垂れた。

 

「お初にお目にかかります。ここ、タマムシシティジムのジムリーダーをしております。エリカ、と申します」

 

 やはりこの女性がエリカなのだ。ユキナリ達は改めて緊張の鉛を呑んだように固まった。

 

「あら、そう怖がらないで。ジムリーダーだからと言って戦闘は強制出来ません。このまま、帰るのもよし。でもどうせ参られたのですから、ちょっとお茶でもいかがですか?」

 

 エリカは身を翻し、ジムへとユキナリ達を手招く。ナツキは、「お茶、って……」と状況を読み切れない様子だった。

 

「ナタネ。買っておいてと頼んでおいたお茶の葉があるでしょう。あれでもてなしましょう。さぁさ、皆様、どうぞジムへと」

 

 エリカはジムの中へと入っていく。ナタネは、「これですね、マスター」とすっかり元の様子に戻ってエリカの背中に続いた。ユキナリ達は取り残されたように視線を交わしあう。

 

「どう、するの?」

 

 ナツキの声に、「そりゃ、まずいんじゃないかな」とユキナリは答える。

 

「だって、ジムは戦いの場だよ。そこでゆるりとお茶なんて」

 

「そ、そうよね。危ない危ない、敵の術中にはまるところだったわ」

 

 ナツキが胸を撫で下ろす。ユキナリは、「お茶、したいの?」と訊いた。

 

「そんなわけがないでしょう。ただ、あのエリカって人の空気がすごい澄んでいて、何て言うか、打算のない人間みたいに見えて」

 

 ナツキの表現は何となく理解出来る。打算のない人間。きっと何の毒気もない笑みを振りまくとあのような形になるのだろうという理想だった。

 

「も、戻る?」

 

 ユキナリの声にナツキは、「そうよね……、普通、お茶なんて……」と声を発しようとしたところ、キクコがジムに向けて歩き出していた。慌てて二人で呼び止める。

 

「キクコちゃん?」

 

「何やっているんだ?」

 

 肩を引っ掴むと、「え、だって」とキクコ自身不思議そうな顔をする。

 

「お茶をもらえるって言うから」

 

「あんたはもらえりゃ何でもいいの?」

 

「敵の罠かもしれないんだぞ?」

 

 ナツキとユキナリが交互に放つ声にキクコは、「でも」と名残惜しそうにジムを見やる。ユキナリは、「よぉし、分かった」と頷く。

 

「何がよ」

 

「僕が先陣を切って、ジムに飛び込もう」

 

 ここは男らしく、自分が前に出るべきだ。その提案にキクコとナツキは怪訝そうな目を向ける。

 

「さっきまであのエリカっていう人に見とれていた奴が? 信用出来ないわー」

 

「ユキナリ君、お茶独り占めはずるいよ」

 

 思わぬ女性陣からの反感の声に肩を落としてしまう。しかし、ユキナリは折れなかった。

 

「戦闘になっても、僕のオノノクスなら勝てるかもしれないし」

 

 その言葉にナツキはむっとした。

 

「あたしのハッサムだって勝てるわよ。虫・鋼だし。草には先手を打てるわ」

 

「私のゲンガーだって毒タイプだもん。草には勝てるよ?」

 

 またも思わぬ反撃を受け、ユキナリは意思の力が粉々に砕けたのを感じた。

 

「よし。仕方がないから行きましょう」

 

 ナツキが改めて声にする。意外な言葉にユキナリが顔を上げる。

 

「行くんだ?」

 

「だって、どうせジムなんだし、行かないとジムバッジが他の参加者に取れれちゃう」

 

 やはりナツキはあくまでもジム戦の構えのようだ。キクコは、「お茶がしたいし」とお茶目的のようだが。

 

「どっちにせよ、あのナタネ、って人が嘘をついていたのかも気になるしね」

 

 ナタネが最初から欺くつもりで自分達に接触してきたのか。それは気になるところだろう。ユキナリは、「行こう」と歩み出した。

 



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第百二話「君の銀の庭」

 

 ジムに一歩踏み入ると、そこから先は新緑の別世界だった。スプリンクラーが撒かれ、整えられた芝生と生け垣が独特の風景を醸し出している。まるで異国の庭園だ。天井から陽光が降り注ぎ、中央にある白亜のテーブルには今まさに、エリカが席についたところだった。椅子も三つ用意されている。

 

「来ると思っていました」とエリカははにかんだような笑みを浮かべる。その笑顔にユキナリはまたも呆然としそうになったがぐっと堪えて、「これは……」とジム内の異様さに目を注いだ。

 

「よく出来ているでしょう? ポケモンリーグ事務局が全部のお金を負担してくださったんです。何でもジムリーダーの有利に運ぶようにしていいとの事で。じゃあ、お庭を作らせてくださらない? と提案したら、とてもいいお庭を作ってくださいました」

 

 エリカが手を合わせて微笑んだ。つまり、目の前の光景も一応はジムリーダーに有利な地形というわけか。改めて見直していると、ティーポットをソーサーで運んでくるナタネを発見した。

 

「あ、やっぱり来たんだね」

 

 ナタネは先ほど自分達が泣かせた事を忘れたような朗らかな笑顔を向ける。

 

「あの、さっきはすみませんでした……」

 

 ユキナリが率先して謝ると、「いいよ」とナタネは手を振った。

 

「あたしも説明不足だったし。マスターに怒られて、問題があったな、って思ったもん」

 

「エリカさんが、怒ったんですか……?」

 

 にわかには信じられないと思っているとナタネはきょとんとして、「何言ってんの?」と小首を傾げる。

 

「目の前で怒っていたじゃん。あたし、マスターに人前で怒られてすごい恥ずかしかったんだから」

 

 ナタネの言い分では先ほどジムから出た時、既にエリカは怒っていたようである。しかし、ユキナリ達には怒っているようになどまるで見えなかった。優しく諭しているようであったからだ。

 

「もう、ナタネってば。人の失敗を笑わないで」

 

 エリカの声に、「ごめんなさい、マスター」とナタネは謝る。今のも怒っているうちに入るのだろうか。

 

「……あれが怒っているんだとしたら、ナツキは年中怒っているな」

 

「聞こえているわよ、馬鹿」

 

 ナツキに後頭部を再び叩かれ、ユキナリは佇まいを正した。

「あの、その……」としどろもどろに声を発していると、「来てくださらない?」とエリカが椅子を手で差し出す。

 

「お茶をしたいわ。旅のお話も聞きたいですし」

 

 完全にエリカのペースである。ユキナリ達が抗弁の口を開く前に、「マスターのお願いだよ?」とナタネが声にする。

 

「聞かなきゃ損損」

 

 ナタネが歩み寄り、ユキナリの手を取った。そのまま中央のテーブルへと引き寄せられる。

 

「いいお茶があるんだ。カロス地方で味わわれている紅茶だよ。なかなか手に入らないって評判なんだけれど、それにあわせるお茶菓子も用意した。ガレットって言ってね」

 

 ユキナリは一人テーブルについてエリカと対面する。視点の据えどころが分からず、ユキナリが俯いているとエリカがふふふと笑った。

 

「な、何か……」

 

「いえ、初心で可愛らしい方だな、と思いまして。男の子なのに、まるで乙女みたい」

 

 それは褒められているのか貶されているのか分からなかったが、エリカの言葉一つでユキナリは頬が紅潮するのを覚えた。ナツキの足音が不意に聞こえてくる。咳払いで浮つきかけた気分を戻し、「あの、お茶って」と声に出す。

 

「ええ。カロスのお茶はお嫌い?」

 

「いえ、あの、嫌いじゃないですけれど。僕なんかが飲んでいいんですかね」

 

「構いませんわ。誰かと飲むお茶のほうがおいしいですもの」

 

 エリカの厚意にユキナリは甘えてティーカップを持ち上げる。すると、ナツキが隣に座り、「あたしも同じのを」と高圧的に頼んだ。

 

「そんな言い方……」

 

「はい、かしこまりました」とエリカが立ち上がろうとする。慌ててナタネが制した。

 

「駄目ですよ。マスターはお客様と楽しく会話なさってください。あたしが淹れますから」

 

 ナタネの言葉にエリカは席につく。ナツキが口火を切った。

 

「どういうつもり?」

 

「どう、とは」

 

 ティーカップを優雅に持ち上げたエリカが微笑む。ナツキは、「誤魔化さないで」と目つきを鋭くした。

 

「ここは、間違ってもジムでしょう? ジムリーダーとトレーナーは戦う決まり事になっているはずですけれど」

 

「誰も、戦うだけがジムバッジを手渡す条件だとは言っていません」

 

 エリカの声にナツキは、「そりゃ、そうですけれど」と一瞬だけ気圧された様子だったが、「じゃあどうするって言うんです?」と聞き返す。

 

「そうですね。わたくしと、戦いたいですか?」

 

 改めて問い返されるとナツキもユキナリも返事に窮した。エリカは胸元に手をやって花のように笑んだ。

 

「もちろん、手を抜くつもりはございませんけれど、それって虚しくありません?」

 

「虚しい、ですか?」

 

 ユキナリの声に、「だってそうでしょう?」とエリカは目線をやった。

 

「戦って、勝つか負けるかだけの関係性なんて。負けた側は敗北を背負って生きていかざるを得ない。勝ったからと言って、それはこのリーグを勝ち進むためだけのジムバッジ一つに過ぎない」

 

 エリカの言い分にナツキは目に見えて嫌悪を示した。

 

「ポケモンバトルを、否定しているって言うんですか?」

 

 言い方だけならば、そう思えても仕方がない。しかし、エリカは頭を振った。

 

「いいえ。バトルは、しなければならないでしょう。ただ、そうあくせくするものでもないと思っただけです」

 

「あたし達がこの街に辿り着くまで、どれほど苦労したか――」

 

「それです」

 

 エリカの指摘にナツキは口を噤んだ。「それ、とは?」とユキナリが代わりに問う。

 

「どのような旅だったのか、興味があります。よろしければ、そちらの灰色の髪のお嬢さんとも、お話したいですわ」

 

 エリカがキクコへと目を向ける。そういえばキクコはこちらへと歩み寄ってこない。何故なのか、と考えていると、「本能的かもね」とナツキが潜めた声を出した。

 

「何が」とこちらも小さく聞き返す。

 

「キクコちゃんの感覚ってあたし達よりも鋭いから、何か感じ取っているのかもしれない」

 

 その言葉にキクコへと目を向ける。キクコは歩み出そうともしない。エリカはティーカップを置き、「大丈夫ですよ」と告げた。

 

「怖いものは、わたくしが仕舞っておきますから」

 

 その言葉にキクコはぴくりと肩を震わせた。そう思っていると、迷いなく歩み寄ってきて椅子を引く。

 

「何? 何なの?」

 

 ナツキは不思議がっているが、今の一言でキクコを安心させたのだろう。怖いものは仕舞う。キクコが先生に教えられたと言っていた一節だ。

 

「今の言葉……」

 

「読心術をたしなんでおりまして」

 

 エリカは優雅に答える。ユキナリは首を傾げた。

 

「読心術?」

 

「人の心を読むほうの術です。わたくし、対面した相手が何を考えているのか、大体理解出来ます」

 

 驚くべき事だったが、「ホントだよ」とナタネが補足した。

 

「マスターは何を考えているのかたちどころに分かっちゃう。だからすごいんだ」

 

「ナタネ、客人の前でマスターはおよしなさい」

 

 たしなめる声にも聞かず、「いいじゃないですか、マスター」とナタネが微笑む。エリカも怒っているようには見えない。

 

「どうなさいますか? わたくしと、それでも一戦交えますか?」

 

 暗に今の情報を知ってもなお戦いを挑むのか、と聞いていた。エリカに隠し立てする気など毛頭ないのだ。ただ覚悟を問い質している。ユキナリは恐るべき相手だと感じた。自分の手の内と相手の手の内を全て知っても勝てる算段がなければこのような態度には出ない。

 

「……ナツキ。この人」

 

 ナツキも同じように感じていたのか首肯する。

 

「うん。本物の、実力者ね」

 

 キクコはそれを感じ取っていたのだろう。自分が丸裸にされるのが嫌で踏み止まっていたのだ。相手の思考を超越し、さらに自分の感情を抑制する。それが真の実力者。それの出来ない未熟者は、彼女と茶をかわす程度しか出来ない。逆を返せば、ここで踏み止まる人間もいる、という事だ。ここで退くのも手ではある。もしかしたら今までの挑戦者もこの段になってエリカの恐ろしさに気づいたのかもしれない。

 

 自分では勝てないのだと本能的に感じ取ってしまう。ティーカップの中の紅茶が波を立てる。手が震え出しているのだ。ここで退け、と自分の中の野生的な部分が命じる。だがユキナリは震え出す手首を押さえた。その様子をエリカは一歩引いた目線で見つめる。

 

「どうして、そうまでするのです?」

 

 自分の心の中もお見通しだろう。ならば余計な言葉を重ねる必要もなかった。

 

「決まっている。勝つために、僕はここに来たからです」

 

 ナツキもティーカップを置き、息を一つついた。「あたしも」とナツキが続く。

 

「勝たなきゃいけないんです」

 

 二人の決意にエリカは目を瞑り、「いいでしょう」と立ち上がった。ナタネの名を呼ぶと、彼女は手早くテーブルと椅子を撤去し、庭園を作り出した。

 

「ご存知の通り、ジムリーダーは最も自分に適したフィールドで戦う事を許されている。天窓から差し込む日差しは強弱設定が可能であり、陽射しの強い状態にすれば、草タイプは真価を発揮します。それでも、ですか?」

 

 エリカの言葉にユキナリとナツキは応じた。

 

「ああ、それでも」

 

「あたし達は戦う」

 

 呼応した声に二人して視線を交わし合う。エリカはフッと微笑んだ後に、「ですが」と首を横に振った。

 

「物事には手順があります。わたくしを倒したくば」

 

 エリカが退く。すると前に出たのはナタネだった。

 

「この子を倒してからになさい」

 



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第百三話「新緑の少女達」

 

 ユキナリは、「いいんですか?」と訊いていた。エリカが首を傾げる。

 

「もう、僕らはナタネさんの手持ちを見ているんですよ。でもナタネさんは僕らの手持ちを知らない。これってフェアじゃないでしょう」

 

「ええ、確かに。ですが、ナタネ。やれますね?」

 

「当たり前です! マスター」

 

 ナタネが強気に応じ、ホルスターからボールを抜き放つ。

 

「悪いけれど、優雅なお茶会はお終い。ここからは、強気で本気なバトル!」

 

 ナタネがボールを投擲する。中から現れたのは先ほどと同じロズレイドだったが、纏っている空気が違った。戦闘用に研ぎ澄まされた神経がロズレイドの戦闘意識を感じ取る。これほどの戦意を感じさせず先ほどまで背後に立たれていたかと思うとぞっとする。

 

「で、どっちが勝負する?」

 

 もちろん自分が、とユキナリが歩み出ようとすると、「あたしが」とナツキがボールを抜き放った。

 

「ユキナリ。一応、あんた怪我人なんだし、ちょっとは休んでいなさい」

 

 その言葉に気負ったものは感じさせない。戦闘状態のナタネの前では詭弁など意味を成さないだろう。

 

 ユキナリは頷いていた。

 

「頑張ってくれ」

 

「言われなくっても」

 

 ナツキはマイナスドライバーでボタンを緩め、押し込んだ。

 

「行け、ハッサム!」

 

 立ち現れたのは赤い痩躯だった。翅を震わせ、ハッサムと呼ばれたポケモンが戦闘態勢を取る。赤いハサミの両手に、丸みを帯びたフォルムはストライクの時よりも戦闘に適していないように見えた。

 

「その、大丈夫なの?」

 

 ユキナリの懸念に、「何も心配はいらないわ」とナツキは答える。

 

「ハッサムは強い。それだけは確信出来る」

 

 ナタネは、「なかなかホネのありそうなポケモン!」と喜んでいる。

 

「楽しめそうだね」

 

「そうやって余裕こいていられるのも今のうちよ。ハッサムの攻撃を見れば、その余裕も崩れ去るわ」

 

「へぇ、じゃあ……」

 

 ナタネが手を広げ、突き出す。するとロズレイドは駆け出した。

 

「見せてもらうよ!」

 

 ロズレイドは跳躍しハッサムの上を取ろうとする。ナツキの指示が即座に飛んだ。

 

「遅い! 電光石火!」

 

 ハッサムの姿が掻き消え、次に現れたのはロズレイドの頭上だった。ロズレイドが顔を上げた瞬間、ハッサムの蹴りが突き刺さる。ロズレイドはそのまま庭園に落下した。

 

「ハッサムの速度を嘗めたツケよ。電光石火をハッサムはより速く、より強く繰り出す事が出来る」

 

 威力から察するにハッサムの特性もストライクと同じ「テクニシャン」だろう。弱い攻撃が重い一撃と化す。ロズレイドとナタネは不意をつかれたようで、「あちゃー」と額に手をやっていた。

 

「ちょーっと、嘗めていたみたいだね」

 

「何、他人事みたいに言っているのよ。今の敵はこっちなんだから!」

 

 ハッサムが攻めに入る。両手のハサミを突き出し、ロズレイドへと攻撃を放った。

 

「バレットパンチ!」

 

 弾丸の名を持つ拳がロズレイドへと叩き込まれようとする。ロズレイドはしかし、華麗にかわした。だが拳は一つだけではない。一つ一つの威力は低いが、先制を約束する技だ。即座にロズレイドの動きに応じた拳が放たれる。ロズレイドはステップを踏みながらハッサムへと花束の腕を突き出した。

 

「ヘドロ爆弾!」

 

 花束が一斉に枯れ果てたかと思うと、紫色に変色した花束の内側から液体が噴き出された。ゼロ距離で放たれたそれはハッサムを確実に仕留めたかに思われた。

 

「ウソ……、健在?」

 

 ナタネも目の前の光景に唖然としたのだろう。ユキナリもそうだ。ナツキだけが勝ちを確信した目をしていた。

 

「ハッサム、その距離で連続斬り!」

 

 ハッサムがハサミを開き、ロズレイドを切りつける。ロズレイドは両手を咄嗟に交差させて防御していたが茎のような腕に傷が走っていた。

 

「虫タイプの攻撃、連続斬り……、って事は虫タイプじゃないの?」

 

「ご生憎様。ハッサムのタイプは虫・鋼! 鋼タイプは毒を無効化する!」

 

 これはナツキの読み勝ちだ。草タイプとの連携は毒が多い。博士の下で学んだ経験が活きて来ている。ナタネは、「鋼なんだ」とまじまじとハッサムを観察していた。

 

「見えないけれど、効かないって事はそうなんだろうなぁ。じゃあ、特性のほうも通じない、か」

 

 ロズレイドの特性は分からなかったが恐らくは毒にまつわるものだったのだろう。虫・鋼のハッサムならばこの勝負、うまく立ち回れる。

 

「ナタネ。あまり相手を見た目だけで判断しちゃ駄目ですよ」

 

 エリカの言葉に、「はーい。マスター」とナタネはふざけているのか敬礼してみせた。

 

「あんまり余裕ないんじゃない? ハッサムは飛行タイプの技も覚えているのよ。草タイプには効果抜群のはず。虫が今一つって事は複合タイプだからね」

 

 ナツキの観察眼にナタネは素直に感心した声を出す。

 

「すごいなー、君。ここまであたしと立ち回れるんだ? なかなかいない挑戦者ですよね? マスター」

 

 ナタネはダンスをするようにステップを踏んで喜びを表現する。ナツキはハッサムへと攻撃を命じた。

 

「ハッサム! ツバメ返し!」

 

 ハッサムが鋭くハサミを繰り出して切りつけようとする。「つばめがえし」は飛行タイプの必中の技。相手が草タイプならば効果は抜群のはずだ。勝利の予感にユキナリは拳を握り締めようとしたが、ナタネは別段焦った様子もなかった。

 

「ツバメ返しって確か必中だよね? 必中って事はさ、確実に当てられる距離まで近づかなきゃ駄目って事」

 

 ハッサムの攻撃が浴びせかけられるように思われたが、その前にハッサムの表皮へと何かが食い込んだ。空気を圧縮した球体だ。それが赤い色を伴ってハッサムの鋼の表皮をがりがりと削っていた。

 

「何……」

 

「今は日差しが強い状態。だから、この技は炎タイプになる」

 

 ロズレイドが花束の腕を突き出したまま、手首をひねる。すると赤い光弾がハッサムの体表に食い込んだ。

 

「ウェザーボール」

 

 ハッサムが仰け反りながらも必死に姿勢を正そうとする。ナタネは、「偉いね」と賞した。

 

「今の、絶対効果抜群でしょ? でもハッサムは耐えた。四倍弱点なのに、偉いね」

 

 ナツキは額の汗を拭いながら、「ウェザーボール?」と先ほどの技を繰り返す。

 

「そう。天候によってタイプの変わる技。ちょっと組み込むのは博打めいているけれど、使い方さえ誤らなければ結構強い。天候変化時には必ず二倍。それがさらに四倍だよ? ハッサム、もう限界じゃない?」

 

 ナタネの言う通り「ウェザーボール」の着弾場所から亀裂が走っている。ナツキは歯を食いしばり、「まだ!」と言い張るがナタネは思いの他冷静だった。

 

「もう色々と割れているんだよね。ハッサムは虫・鋼タイプ。技は連続斬り、ツバメ返し、バレットパンチ、電光石火。もう技は覚えられないよね。だったら新たな戦略なんてないと考える。ハッサムは近接戦闘型、それも弱い技を組み込んでいるって事はそれに意味がある特性って事だし。どう? まだ続ける?」

 

 ロズレイドはいつでも炎タイプの「ウェザーボール」を繰り出せるように構えている。ハッサムのほうが速いと考えても光弾を食らわずに攻撃を浴びせられるのはせいぜい一回か二回が限度だろう。ハッサムの損傷箇所は頚椎に近い。足技で相手を組み伏せるにも少し厳しいと思われた。

 

「ハッサム……。でも、せっかくの公式戦なのに」

 

「あたしなら仲間に希望を繋ぐかな」

 

 ナタネの声にナツキは怒りに任せようとする。しかし、ユキナリはその肩をそっと掴んだ。

 

「駄目だ。もう戦略を見破られている」

 

 ハッサムに勝ち目はない。「つばめがえし」を連続で当てる前に「ウェザーボール」が次に撃ち込まれれば終わりだ。

 

「でも……、ユキナリ……」

 

「僕が引き継ぐ。ハッサムが見出してくれのは、決して無駄じゃない」

 

 ユキナリの声にナツキも諦めた様子だった。「棄権するわ」とハッサムをボールに戻す。ナタネは手を叩いた。

 

「賢明だよ。ハッサムでも勝つ道はあった。でも、ちょっと相手が悪かったね」

 

 ユキナリは、「その余裕」とボールを抜き放つ。

 

「僕の前では言えなくする」

 

 ナタネは拍手をやめ、ユキナリに興味深そうな視線を注いだ。

 

「へぇ、君って戦いの時はそういう眼になるんだ。やっぱり匂いの違う奴は強いのかな」

 

 GSボールを掴み、ユキナリは投擲する。

 

「いけ! オノノクス!」

 

 その名を呼ぶとボールが割れ、相棒が召喚された。黒色のオノノクスが身体から同じ色の瘴気を漂わせながらロズレイドを正面に見据える。

 

「見た事ないポケモンだ」

 

「オノノクス。タイプはドラゴン」

 

 ユキナリの声にナタネは笑う。

 

「いいの? 教えて」

 

「フェアプレイの精神で行こう。僕はロズレイドの攻撃を知っているし、おあいこだ」

 

「でも、全然遠慮はしないよ?」

 

 ナタネの声にユキナリは口角を吊り上げる。

 

「上等……!」

 

 オノノクスが牙を振り上げた。牙から黒い光が拡張しロズレイドを射程に捉える。

 

「オノノクス、ドラゴンクロー!」

 

 オノノクスが打ち下ろした「ドラゴンクロー」はロズレイドの足元をすくおうとしたが、ロズレイドは跳躍して回避する。どうやら身軽らしい。

 

「射程が長くってビックリしたよ。ドラゴンクローってそんな技だっけ」

 

 直上にロズレイドが腕を交差させて構える。ユキナリは拳をぎゅっと握り締めた。

 

「ドラゴンクロー、拡散」

 

 その言葉で「ドラゴンクロー」が弾け飛び、短剣となってロズレイドを包囲する。ナタネが目を見開いた。

 

「何それ。そんなの、あたしの知っているドラゴンクローじゃ――」

 

「攻撃」

 

 ユキナリの指示で短剣が一斉にロズレイドへと襲いかかる。ロズレイドへとナタネは命令した。

 

「出し惜しみしている場合じゃなさそうだね。リーフストーム!」

 

 ロズレイドが花束から葉っぱを噴出し、それを壁面のように展開させた。短剣が突き刺さるが葉っぱの壁がロズレイドへの攻撃を許さない。

 

「これで防いだ。リーフストーム、攻撃!」

 

 ナタネの指示に「リーフストーム」の葉っぱが一斉に刃の輝きを帯びて攻撃に転じる。その素早さに目を瞠った。

 

「僕のオノノクスのドラゴンクローと、同じタイプの攻撃……」

 

「みたいだね。似ている攻撃方法の相手がいるなんて思わなかったけれど」

 

 葉っぱは一陣の風になりオノノクスの頭上へと攻め込む。オノノクスは牙を振るって風圧で「リーフストーム」を回避しようとするが、まるで意思を持ったかのように葉っぱの一群は横に抜けた。

 

「こんなに自在に!」

 

 オノノクスの横っ腹を突き刺そうとしてくる「リーフストーム」にユキナリは手を開いて指示した。

 

「腕を打ち下ろせ。ダブルチョップ!」

 

 丈夫になった二の腕が膨れ上がり、高速の手刀を叩き込んだ。しかし「リーフストーム」は二つに割れたかと思うと手刀を回避し、オノノクスの頭部を狙う。

 

「嘗めないで! あたしのロズレイドが手で動かしているんだから。指の筋で操れば、速力は増す!」

 

 花束の腕を動かしている空中のロズレイドが下降に入っている。このままでは「リーフストーム」かロズレイドの直接攻撃かどちからを受けざるを得ない。熟考の暇はなかった。瞬時にユキナリは判断する。

 

「オノノクス! 脇をしめて防御の姿勢に入れ、リーフストームは受け止めるしかない!」

 

 オノノクスはユキナリの指示通り、防御姿勢に入る。「リーフストーム」が直後にオノノクスの身体を揺り動かした。新緑の暴風がオノノクスの硬い表皮を切り裂いていく。だが、オノノクスはそれに頓着していなかった。既に攻撃段階は次に至っている。ユキナリはすかさず指示した。

 

「空中のロズレイドだ。あれに攻撃態勢を取られる前に撃墜する!」

 

 オノノクスの体表から再び黒い瘴気が立ち昇り、牙に纏いついて攻撃を拡張させる。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 これは回避のしようがないはずだ。ロズレイドは「リーフストーム」の直撃の代わりに自身への攻撃を免れないはずである。だが、ロズレイドは花束の腕を突き出していた。

 

「既に、ロズレイド、攻撃の準備には入っている。君がどう指示をするのか見物だったけれど、刺し違えてでも、っていう覚悟はあたしのほうが上だったみたいだね」

 

 ロズレイドの花束の腕が変色し紫色のヘドロを噴出した。その腕が眼前に大写しになる。鞭のようにしなった「ドラゴンクロー」の黒い一閃がロズレイドに叩き込まれるのとその攻撃がオノノクスへと命中したのは同時だった。

 

「ヘドロ爆弾!」

 

 噴出されたヘドロが固形化し、一瞬にして光り輝いたかと思うとオノノクスの頭部で爆発した。だがロズレイドもただでは済まない。「ドラゴンクロー」の攻撃を満身で受け止め、ロズレイドの痩躯が庭園を転がった。

 

「オノノクス!」

 

 ユキナリが着弾点を見やる。オノノクスの頭部から爆発の煙が棚引いているものの、それそのものは無事に映った。ホッと胸を撫で下ろす。オノノクスは闘争心に染まった赤い瞳で転がったロズレイドを睨み据えた。ロズレイドがよろめきながら起き上がる。身体には「ドラゴンクロー」による深い傷があり、植物の身体が必死に傷口を再生しようとしているがダメージは深刻であった。

 

「まさかロズレイドにこれほどダメージを与えるとはね。一撃でも、まずかったか。出来る事なら受けないに越した事はないんだけれど、受け止めてもロズレイドは決して無駄じゃないからね」

 

 ロズレイドはもう一撃分の余力はあるのだろう。花束の腕を突き出す。しかし、ユキナリは冷静に、「終わりだよ」と言っていた。

 

「何言っているの? まだあたしとロズレイドは戦える」

 

「いや、もう無理だ。さっきの攻撃を見抜けていない」

 

 ナタネが顔をしかめる。ユキナリがすっと手を掲げ拳を握り締めた。

 

「攻撃」

 

 その言葉の直後、地面から伝わった衝撃波がロズレイドを包囲し、打ち据えた。ナタネは突然の事に狼狽する。

 

「えっ、何で? ドラゴンクローは受け止めたけれど、こんな攻撃じゃ」

 

「ダブルチョップだよ」

 

 ユキナリの声にナタネは顔を上げる。

 

「ダブルチョップはただ単にリーフストームを空ぶったわけじゃない。攻撃の衝撃波は地面を伝わって溜まっていたんだ。ロズレイドがドラゴンクローを受けて転がるであろう地面の場所までね」

 

 ミシミシとロズレイドの身体が締め付けられる。衝撃波が一挙に放たれた。

 

「ロズレイド、回避を――」

 

「もう遅い」

 

 地面から発せられた「ダブルチョップ」の衝撃波がロズレイドを噛み砕く。ロズレイドは力なく横たわった。ユキナリが息を吐き出す。

 

「……勝った」

 

「負けたって言うの……」

 

 ナタネの声に、「そのようですね」とエリカは応じた。ナタネは、「惜しかったなぁ」とロズレイドを労わってボールに戻す。

 

「ちょっと読み負けただけなのに。ドラゴンクローが予想以上に強かった」

 

 ナタネは悔しそうでありながらも湿っぽいものは感じさせない、溌剌とした声音だった。

 

「仕方がありませんね。ナタネ、今のは読み負けです」

 

 エリカの声にも、「すみません、マスター」とナタネは返した。

 

「マスターはよしなさい。さて」

 

 エリカはナタネと入れ替わるように歩み出る。ユキナリはオノノクスと共に一歩も退くつもりはなかった。

 

「このまま継続して戦闘で大丈夫ですか?」

 

「僕とオノノクスを嘗めないでいただきたい。リーフストームは確かに強力な技でしたが、耐え凌いだ僕達は負けない」

 

「結構」とエリカはボールを繰り出す。

 

「ですが――手加減はいたしません」

 

 エリカがボールのボタンを緩め押し込んだ。

 

「おいきなさい」

 

 出現したのはツタで全身を覆ったポケモンだった。中央に僅かに垣間見える本体は真っ黒で、青々としたツタで構成された丸い巨躯だ。先ほどのロズレイドとの対比にユキナリはまず目を瞠った。ロズレイドに比べ、随分と鈍重そうなそのポケモンの名をエリカは呼ぶ。

 

「モジャンボ」

 



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第百四話「ヒーローは眠らない」

 

 モジャンボは奥にある眼光を鋭くさせ、ツタの腕を持ち上げた。数十本のツタで構築された腕はそれそのものが筋肉のように脈打っている。

 

「わたくし達に勝利を」

 

「勝つのは僕だ」

 

「どうかしら」

 

 モジャンボが腕を振り上げる。ユキナリはそれよりも速く叫んでいた。

 

「オノノクス、ドラゴンクロー!」

 

 だがオノノクスの反応は鈍かった。黒い瘴気が立ち昇って牙に構築しようとするがそれが霧散する。何かがおかしい。そう感じてユキナリがオノノクスに目を向けると牙に異常があった。

 

 鋼鉄さえも叩き切るほどの威力を誇る扇状の牙が焼け爛れたような色を湛えている。先ほどロズレイドへと命中させた牙だった。

 

「これは……」

 

「ロズレイドへの直接攻撃。それが仇となりましたね」

 

 エリカの声にユキナリはうろたえる。

 

「ロズレイドの特性は毒の棘。ロズレイドに直接攻撃した相手は三割の確率で毒を浴びる事になる」

 

 その事実に驚愕する。ならば、何故、ハッサムは毒を浴びなかったのか。その思考を読んでエリカは答えを口にした。

 

「ハッサムには鋼があった。毒が通用しないのでしょう」

 

 ユキナリはその段になってようやくナタネの言葉の真意が分かった。受け止めても無駄じゃないとはその事だったのだ。

 

「オノノクス、攻撃は……」

 

「毒状態では正確無比な攻撃の指示は熟練が必要。この状態ならばモジャンボのほうが素早い」

 

 エリカは手を流麗に掲げ、モジャンボへと指示を飛ばす。

 

「さらに言えば、このモジャンボの特性は葉緑素。晴れ状態の時、素早さが二倍になる」

 

 モジャンボがその体躯に似合わない動きでオノノクスへと肉迫する。ユキナリは即座に命じていた。

 

「ダブルチョップ!」

 

「遅いですわね」

 

 ツタの腕を伸ばし、モジャンボが「ダブルチョップ」を放つ前に絡め取る。ユキナリは舌打ち混じりに、「だったら!」と手を開く。

 

「毒状態にないほうの牙でツタを断ち切る!」

 

 オノノクスが牙を振るい上げ、モジャンボへと一閃を放った。だが、バラバラに断ち切られたツタの海の中にはモジャンボはいない。どこへ、と首を巡らせる前に背後の茂みからモジャンボが飛び出した。すかさずその腕を首に巻きつかせる。オノノクスは対応出来ずに仰け反った。

 

「モジャンボのパワー、嘗めないでいただけます?」

 

 締め上げてくる力は強い。オノノクスの堅牢な表皮でさえも守り切れない。モジャンボがオノノクスをその膂力で振り回す。オノノクスほどの巨体がモジャンボに掲げられている様は奇怪に映った。

 

「パワーウィップ」

 

 モジャンボがオノノクスを頭上で振り回して打ち下ろす。庭園に振動が響き、オノノクスが頭から落下した。ユキナリは思わず声を出す。

 

「オノノクス!」

 

「これだけで沈みますか? それとも、まだおやりになりますか?」

 

 オノノクスは腕を振るい上げ、首を絞めているツタを掴み上げた。力任せにツタを剥ぎ取っていく。オノノクスは健在だった。立ち上がり、全身から黒い瘴気を立ち昇らせる。

 

「行けるか?」

 

 ユキナリの問いにオノノクスは轟と吼えた。その了承の合図にユキナリは頷く。

 

「相手は強敵だ。さっきの戦いから既に張られていた。僕らも全力で相手をする」

 

「全力とは、可笑しな事を仰るのですね。ジムリーダーとの戦いはいつだって全力であるはずでしょう?」

 

「ええ、そうでした。僕らの認識が甘かった。ジムはジムリーダーの有利に働くように作られている。ジムトレーナーはジムリーダーを補助する役割がある。全て、当たり前のはずなのに、忘れていた。僕らの落ち度です」

 

「過ちを認めて次の糧にする。その姿勢、とてもよろしいですわ」

 

「まだまだ、僕らは未熟者ですから」

 

 ユキナリはフッと微笑む。エリカも笑い、「でも」とモジャンボを見やる。

 

「モジャンボへのダメージは未だにゼロ。それにもかかわらず、オノノクスには断続的に毒のダメージがあります。加えて先ほどのパワーウィップ。急所に当たったと思いますが、どうでしょう。降参する気はありませんか?」

 

「さらさらないね」

 

 ユキナリの返答にエリカは、「ならば」と笑いを止めて真剣な眼差しになった。

 

「本気でやります」

 

 モジャンボが動き出す。光を吸い込んでいるのがツタに流れる緑色の血脈から分かった。ツタが半透明になり、一瞬だけ強く輝く。何かを仕掛けてくるのは言うまでもない。

 

「でも、僕らにはダブルチョップと、ドラゴンクローだけ。オノノクス、悪いけれどこれで戦ってくれよ」

 

 口元を緩めるとオノノクスは呼応して鳴く。息を詰めユキナリは次の攻撃を指示する。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 黒い瘴気が牙の前で球状に凝縮し、先ほどまでの鞭のような一撃とは違う、剣閃を一射させた。ナツキが声を上げる。

 

「あの時、シルフビルで見たのと同じ……」

 

 ユキナリも狙って出せるとは思っていなかった。ただあの時、自分もオノノクスも極限状態だった。今もそうだ。極限状態に晒された神経が昂り、オノノクスと自分とをリンクさせる。

 

 一射された「ドラゴンクロー」をモジャンボは腕で弾くがその腕がたちどころに断ち切られていく。ツタ同士の連携が甘くなり、ボロボロと崩れた。

 

「これが、オノノクスのドラゴンクローというわけですか」

 

 ようやく本気を見せた相手が嬉しいのかエリカは微笑みを湛えている。

 

「ですが、モジャンボはその上を行く」

 

 エリカの声にモジャンボの切られた腕が再生していく。まるでビデオの逆戻しを見せられているかのように鮮やかにモジャンボの腕は再構築された。

 

「光合成の技。日差しの強い下ならば、回復を約束する」

 

 先ほど光を取り込んだのはそれか、とユキナリは感じたが後悔する暇もない。即座に命令をかける。

 

「オノノクス、接近してダブルチョップを浴びせるんだ」

 

 下手に距離を取ってもこの地形ではモジャンボの有利に働く。ならばあえて退路を断つ。オノノクスの身体が跳ね上がり、その足が庭園を踏みつけた。モジャンボが腕を伸縮させる。

 

「パワーウィップ」

 

「右に避けてその腕を叩き落せ!」

 

 ツタの腕が目の前を突き抜けていく中、オノノクスは恐れずに直前で回避し、手刀を叩き込んだ。伸び切ったツタの腕から力が失せる。

 

「これで、一本」

 

「お忘れではなくって? 腕はもう一本ありますのよ」

 

 エリカの声にモジャンボはもう一本の腕を掲げた。その手が開かれ、内部に光の球形を凝縮する。その眩さに一瞬判断が遅れた。輝きを帯びたその手から攻撃が一射される。

 

「ソーラービーム」

 

 光線がオノノクスへと庭園を焼きながら肉迫する。オノノクスは回避の暇も与えられず、脇腹にその一撃を食らった。よろめくオノノクスへとモジャンボが跳躍する。

 

「パワーウィップで沈めます!」

 

 いつの間にか力を取り戻していた腕が回り込んでオノノクスを拘束し、先ほど「ソーラービーム」を放ったほうの腕でオノノクスの頭部を鷲掴みにする。

 

「これで、ラスト!」

 

「させない! オノノクス!」

 

 黒い瘴気が全身から迸る。しかしエリカは冷静だった。

 

「頭部を掴んでいます。牙を振り下ろせなければ、ドラゴンクローは成立しない」

 

「いいや、僕は負けない。負けたくない――」

 

 ユキナリが全身を声にして叫ぶ。

 

「負けられないんだ!」

 

 その声に黒い瘴気が震えた。微粒子レベルまで拡散した瘴気が渦を成し、モジャンボが引っ掴んでいる腕へと何かを構築していく。黒い瘴気がちょうど上顎と下顎を形成し、その合間にツタの腕を挟んだ。エリカは目を見開き、言葉を紡ぐ。

 

「何ですか、それは……。黒い、断頭台……?」

 

 ユキナリが力の意思に任せて雄叫びを上げようとする。オノノクスが呼応し、赤い眼をモジャンボに据える。エリカは即座に声を飛ばした。

 

「モジャンボ、腕を切断して離脱!」

 

 エリカには似つかわしくないような大声で放たれた命令にモジャンボは応じた。ツタの腕を切断し、跳ねて自ら距離を取る。直後に顎が噛み切られ、断頭台のように見えた瘴気の渦が消え失せた。

 

「今のは……。いいえ、モジャンボ」

 

 すぐに持ち直したエリカがモジャンボに指示する。モジャンボは回り込むように駆け出した。オノノクスはまだ頭部を鷲掴みにされていた衝撃から抜け切れていないのだろう。脱力し切ったその身体へとモジャンボは腕を再生しながら拳を叩き込む。

 

 植物の発芽の勢いを伴った突き上げる拳にオノノクスが口を開いて呻く。モジャンボの身体が跳ね上がり、横軸に回転しながら頭部へとツタの腕を叩き落した。オノノクスがよろめき、足元がおぼつかなくなる。脳震とうを起こしたのだろう。ユキナリが指示しても聞こえない様子だった。

 

「このままじゃ……」

 

「王手です」

 

 モジャンボが小脇に形成した掌に光の球を凝縮させる。「ソーラービーム」が放たれる瞬間だった。オノノクスが黒い瘴気を再び「ドラゴンクロー」に当てようとするが間に合わない。光線が一射されるかに思われたその時、モジャンボとエリカは何かを察知して跳び退った。

 

 先ほどまでモジャンボのいた空間を炎が遮る。ユキナリは呆然としていた。今の一瞬。確実に敗北を意識した。だが、何かが割って入ったのだ。その正体を見極めるべく振り返ったユキナリの視界に映ったのは意外な人物だった。

 

「あなたは……」

 

「何者です?」

 

 エリカの問いにその人物は答える。

 

「なに、名乗るほどのものでもないがのう! こう名乗らせてもらおうか。窮地に現れたヒーローとでも」

 

「アデクさん……」

 

 太陽の鬣を持つ男は気安げに笑った。

 



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第百五話「ファイヤクラッカー」

 

「アデク、確か、イッシュの優勝候補でしたね」

 

 エリカの声にもアデクは動じない。「知ってもらえて光栄じゃ」といつもの調子で答える。ユキナリはアデクが目の前にいるという光景が信じられなかった。

 

「アデクさん、何で」

 

「医者の制止を振り切って追いついてきた。お前さんら雁首揃えてヤマブキで一悶着起こしたみたいやろう? この場所を特定するのは難しくなかったわい」

 

 突然の闖入者にナタネが、「どうしますか?」と目線で問いかける。エリカは、「わたくしに任せなさい」と歩み出た。

 

「失礼ながら、アデク様。あなたにはこの戦いに介入する権利がないはずですが」

 

「どうしてじゃ。あるに決まっておろう」

 

「何故」

 

「オレが、挑戦者やからな」

 

 その言葉にエリカでさえも瞠目した。だが挑戦者ならば無下には出来ないと感じ取ったのか、「その言い分は卑怯ですね」と唇を尖らせた。

 

「では言い方を改めさせてもらう。麗しきジムリーダー殿。オレに挑戦させてくれんか?」

 

「あまり改まった感じでもないですが、まぁ、いいでしょう」

 

 エリカの言葉に、「マスター、いいんですか?」とナタネが口を差し挟む。

 

「ジムトレーナーのあたしを相手にしないで」

 

「構いません。どちらにせよ、わたくしのモジャンボへのダメージは今のところほぼゼロ。改めて挑戦を請け負う事に、何の負い目もありませんわ」

 

 そうなのだ、とユキナリは歯噛みする。モジャンボに一矢報いる事すら出来なかった。アデクは前に出て、「オノンド、進化したんか」とオノノクスを見やった。

 

「いい姿じゃ。だがな、あまりやり過ぎるな。ポケモンとて道具じゃない。いつまでも動けると思っているとしっぺ返しを食らうぞ」

 

 まさしく自分には耳の痛い話だった。ユキナリはGSボールをオノノクスへと向ける。

 

「戻れ」と命じるとオノノクスは赤い粒子となって戻った。

 

「さて、オレだが、本当に相手していいのかのう。さっきは遮るみたいな真似してしまったが」

 

 アデクは何をしたのだろう。それは観覧していたナツキ達にしか分からない。

 

「どのような挑戦者であれ、迎え撃つのがジムリーダーです。何の問題もありません」

 

「そうかのう。じゃあ、遠慮なく!」

 

 アデクが手に持っていたものにユキナリは思わず声を上げる。それは新型モンスターボールだったからだ。赤と白のカラーリングが施されたそれをアデクは投擲する。

 

「いけ、ウルガモス!」

 

 出現したのは三対の赤い翅を持つ巨大なポケモンだった。赤い燐光を撒き散らし、火炎を白い体毛から噴き上がらせながらそのポケモンは宙を舞う。一対の赤い角の間に挟まれた頭部には無機質な水色の眼があった。戦場を舞う戦艦のような威容にユキナリは唾を飲み下す。

 

「……メラルバじゃ、ない」

 

「進化したんや。オレも負けていられんからな」

 

 全身から篝火を撒き散らすポケモンはメラルバの正当進化形態だと思えた。ウルガモスと呼ばれたポケモンが鋭く声を出す。それだけで庭園の草木が発火した。ナタネが、「庭が……!」と声を出す。

 

「炎・虫タイプですね」

 

 見破ったエリカの声に、「さすがはジムリーダー、と言っておこうか」とアデクは腕を組んで佇んだ。

 

「だが、こいつはメラルバの時とは一味違うぞ」

 

「草タイプに対して、有効打となるタイプを二つも保有している。強敵、と見るべきでしょうね」

 

 エリカは落ち着き払っている。その余裕が今は不思議だった。

 

「行くぞ、ウルガモス」

 

 ウルガモスは呼応して鳴き、翅を震わせて全身から赤い燐光を迸らせた。

 

「蝶の舞!」

 

 驚くべき事にアデクが最初に指示したのは攻撃技ではない。いけない、とユキナリは口を挟もうとした。相手のモジャンボはそうでなくとも素早いのだ。

 

「モジャンボは最初から攻撃に徹します。パワーウィップ!」

 

 モジャンボがツタの腕を回り込ませる。しかし、ウルガモスはろくに動く気配もない。進化した事で鈍重になったのではないのか。モジャンボのツタの腕が迫りユキナリが、「避けて!」と叫ぶ。

 

 すると、どうした事だろう。モジャンボの腕は何もない空間を突き抜けた。思わず、「えっ……」と声が漏れたほどだ。空を切ったモジャンボでさえ何が起こったのか理解出来ていない様子だった。そのトレーナーであるエリカは即座に声を飛ばす。

 

「モジャンボ、後方です! 跳躍して回避」

 

「大文字!」

 

 いつの間に後方に回っていたのか、ウルガモスが全身から炎を迸らせ、炎の文字を構築する。ちょうど「大」の文字に固まった炎が噴き出され、モジャンボは転がるように回避した。しかし、草を焼き切り、モジャンボへと延焼する炎までは止められない。モジャンボの身体の一端が燃えていた。それに気づいたモジャンボはツタを切り落とし、それを止める。アデクが舌打ちした。

 

「当たると思ったんだが」

 

 ユキナリはそれよりもウルガモスのその体躯に似合わない速度が疑問だった。どうして葉緑素の特性で素早さを上げたモジャンボの攻撃を回避出来たのだろう。

 

「蝶の舞、ですね」

 

 その答えを言うかのようにエリカが口走った。アデクは顎をさすって、「ばれたか」と言った。

 

「効力は推し量るしか出来ませんが、恐らくは能力変化。素早さを底上げし、モジャンボの攻撃を回避した。そのウルガモスと言うポケモンも、思ったほど重くはないようですね。巨体ですが、動きには優れていると見えます」

 

 エリカの言葉にアデクは賞賛の拍手を送った。

 

「いやはや、そこまで見抜かれていると清々しいな。それと同時に、やはりジムリーダーなのだと痛感するわい」

 

「わたくしとて勝つために戦闘を行っているのです。この程度、お褒めに預かるまでもないですわ」

 

「じゃのう。お互い、誉めそやしても仕方がないし、こいつは一つ」

 

 アデクは指を立てて口にした。

 

「どっちが三分後に立っているのかで勝負をつけようや」

 

「望むところ!」

 

 エリカが手を振り払う。モジャンボが弾かれたように動き出し、両手を小脇に構えた。「ソーラービーム」を両手、つまり二発同時に撃つつもりだ。いや、エリカの戦術ならばもしかしたらずらして撃つかもしれない。どちらにせよ、二発分の高密度エネルギーが充填されている。

 

 アデクはどう動くのか、とユキナリが固唾を呑んで見守っていると、「オレはのう」とアデクは口を開く。

 

「あんまり小難しい事が嫌いな性質でな。虫は草に強い、炎は草に強いと分かっていれば、それで充分!」

 

 白い体毛が一瞬にして赤に染まる。ウルガモスが全身の身体を震わせ、燐光を揺らめかせているのだ。炎で二重像を結んだように映るウルガモスは巨大な蜃気楼だった。

 

「オーバーヒート!」

 

 赤く染まったウルガモスから炎が噴き出される。巨大な炎はうねりを伴ってモジャンボへと突き刺さろうとした。しかし、モジャンボは即座にツタの手を向ける。

 

「ソーラービームを一射」

 

 エリカの声にモジャンボの掌で溜められていた「ソーラービーム」が放たれる。蛇のようにのたうつ炎の勢いを削ぎ、その間にモジャンボはウルガモスの間合いへと入ろうとする。

 

「至近で撃つつもりか」

 

 ユキナリはそう感じたがモジャンボは腕を振り回し、ツタの合間から紫色の微少な粉を噴き出させていた。

 

「あれは?」

 

「毒の粉よ。相性上で不利だから、ウルガモスを毒で追い詰めるつもりなんだわ」

 

 ナツキの声にウルガモスの至近距離まで近づいたのはそのためか、とユキナリは理解する。エリカのモジャンボはそれだけではない。「パワーウィップ」もお見舞いしようと言うのだろう。大きく後ろに引かれた腕が振るい落とされる。

 

 だが、ウルガモスを突き飛ばしたかに見えたツタの腕は空振りした。ウルガモスの姿がまさしく蜃気楼のように溶けて消えたのである。赤い残像を居残してウルガモスは視界の隅を浮遊している。モジャンボは外したと見るや否や、中空で股の合間から手を伸ばし、後方へと「ソーラービーム」を放った。全くの予想外の動きにユキナリが戸惑っているとアデクは薄く微笑んだ。

 

「中ててきたか」

 

 その言葉通り、どこから現れたのかウルガモスの体表が焼けていた。エリカが口を開く。

 

「炎のフィールドを作り、蜃気楼を発生させ、回避し易くする。さらに炎のフィールドではわたくしのモジャンボの動きも制限され、手数が圧倒的に減らされる。ですがそれは同時に、あなたのウルガモスの出現位置、狙っている位置関係を教えているようなものです」

 

「上手く立ち回ったつもりなんだがな」とアデクは首をひねった。今の一瞬だけで実力者同士の拮抗が窺えた。エリカが手を開き、「ウルガモスを墜とす事に、わたくしは何の躊躇いもない」とモジャンボへと命じる。

 

「モジャンボ、ちくちくと攻撃していけば相性上は不利でも倒せる可能性はある」

 

「だから言うとるだろう。そういうのは性に合わんのだと」

 

 ウルガモスが再び、火炎を纏ってゆらりと消える。モジャンボは狼狽せずにツタの両腕を構えた。脇をしめてファイティングポーズを取ったモジャンボはどこからの攻撃でも対応しそうだった。

 

「一撃を狙っているのでしょうが、モジャンボはそれほど甘くはありません。どこから攻撃してこようと、その射程ならばモジャンボにも勝機はある」

 

 モジャンボが掌を開く。半透明になったツタから光が放射され、手の内側へと光の球体を凝縮させた。またしても「パワーウィップ」から「ソーラービーム」への連携だ。ウルガモスが立ち現れればモジャンボは確実にその射程へとその身を晒すだろう。ユキナリが息を詰めているとウルガモスがモジャンボの後方へと出現した。モジャンボがそれを察知し、身体を跳ね上げさせる。

 

「パワーウィップ!」

 

 モジャンボがウルガモスを断ち割ろうと腕を振るい上げた。しかし、その身に至ったかに思われた瞬間、ウルガモスの姿が掻き消える。だが本懐は「パワーウィップ」による一撃ではない。即座に反転したモジャンボは背後へと手を開いた。放たれた光線が射る速度を伴ってウルガモスへと突き刺さる。

 

「背後を取るしか能がないのですね」

 

 エリカの皮肉にアデクは、「そうかのう」と声を発した。

 

「背後を取るしか能がないのは、どっちだか」

 

「何ですって」

 

 エリカが驚愕したのは「ソーラービーム」が命中したはずのウルガモスの像が消滅しようとしているからだ。光が拡散し、ウルガモスの姿を歪ませる。

 

「これもまた、残像……」

 

 では本体は、とエリカが首を巡らせる。アデクは、「遅い!」と声を発した。その時になってエリカがちりちりと肌を焼くのが陽光ではない事に気づいたようだ。

 

 ウルガモスがいたのは頭上だった。ちょうど天窓を遮るようにウルガモスが展開している。普通ならば気づくところだろう。だが、ウルガモスそのものが発する熱気が、陽射しの強い状態と同等のためにモジャンボとエリカに誤認させた。

 

「上を取った! オーバーヒート!」

 

 ウルガモスから炎熱の幕が放射される。庭園を押し包んだ攻撃をモジャンボは避ける術がない。火炎がモジャンボの表皮を焼き、ツタが燃え広がる。のたうつ炎熱地獄の中、「これまで」と声を発したのはエリカのほうだった。

 

 アデクも心得たように手を振るい落とす。

 

「ウルガモス。それまでじゃ」

 

 ウルガモスの体内へと炎が吸収されていく。モジャンボはほとんど黒焦げの状態だったがエリカがボールに戻した。

 

「お見事でした。挑戦者、アデク様」

 

 モジャンボが戻されてからアデクもウルガモスを戻す。

 

「なに、実力じゃわい」

 

 ウルガモスが赤い粒子になって戻り、ユキナリはようやく試合結果を実感する。

 

「勝ったのか……」

 

「あなたにこれを授けなくっては」

 

 エリカが歩み寄り、虹色に輝くバッジを手渡した。

 

「レインボーバッジ。タマムシジム攻略の証です」

 

 アデクはレインボーバッジを手にし、ポケギアを翳す。どうやらポイント計算をしているようだ。

 

「それと勝者にはポイントを」

 

 アデクが勝利分のポイントを受け取る。「しかし……」と彼は鬣のような頭を掻いた。

 

「庭を無茶苦茶にしてしまった。その事に関しては謝るしかないのう」

 

 アデクの言葉にエリカは微笑む。

 

「いえ、草木はいずれ芽吹きます。どれだけ炎に晒されても、逆境の中でもそれは同じ。花は咲くべき時を知っているのです」

 

 エリカの言葉にアデクは、「賠償金を請求されるかと思ってヒヤヒヤしたわい」と苦笑する。エリカも口元に手を当てて笑った。ユキナリはエリカへと歩み寄り、「あの」と声をかける。エリカが小首を傾げていると、「ポイントを渡さなくっては」とユキナリはポケギアを突き出した。

 

「あら。でも、アデク様が割って入ったので敗北ではないですが」

 

「いいえ、僕は負けました。一応、けじめはつけないと」

 

 ユキナリの言葉にエリカは、「いいでしょう」とポケギアを突き出した。ユキナリは結果的にポイントを奪われる事になったがこれでいいのだ。自分に嘘をつきたくはない。

 

「オレが介入した意味がなかろうが」

 

「いいんです。僕とエリカさんの戦いはもう決していましたし」

 

 アデクは、「そうか?」と唇を尖らせる。ナツキもナタネへと駆け寄って、「あたしも」とポケギアを突き出した。

 

「負けちゃったし」

 

「でも、ユキナリ君があたしには勝ったから、おあいこじゃない?」

 

「じゃああたしがナタネさんにポイントを払って、ナタネさんはユキナリに払う事になるのね」

 

 その言葉にナタネは後頭部を掻いた。

 

「何だかややこしいな。でも、ま、いいよ。ポイントをもらって、その分をユキナリ君に渡せばいいんだよね?」

 

 了承したナタネがナツキからポイントを受け取り、そのままユキナリへと手渡す。ユキナリは自身の総ポイント数を確認する。45000ポイントだった。

 

「これでそれなりにポイントは稼げたかな」

 

「あたしだってポイント数では負けてないわよ」

 

 ナツキのポイントを見やるとちょうど同程度だった。どうやら自分だけ突出しているわけでもないらしい。

 

「さて、これでわたくしはジムリーダーの職を辞し、改めて新人トレーナーとして出発出来るわけですね」

 

 エリカの声にユキナリは件のジムリーダー殺しを打ち明けようかと思った。しかし、今はナツキの目がある。アデクでさえも知らない事だろう。カスミから聞かされた事を今さら告げればまたややこしくなる。

 

「あの、気をつけて」と言うのが精一杯だった。

 

「ええ」とエリカは微笑んだ。ナタネが、「あの、マスター」と控えめな声を出す。

 

「マスターはよしなさい。それで、何ですか?」

 

「あたしもジムトレーナーじゃなくなるって事なの?」

 

 そうだ。ジムトレーナーにも危害が及ぶ可能性がある。エリカだけではなくナタネの身も危ういのだ。ユキナリはやはり言うべきだと決心しようとしたがその前にエリカが口を開いた。

 

「そうですね。ナタネ、わたくしから学ぶべき事はもうありません。教えられる事は全部教えました」

 

「でも、あたし、マスターともっと一緒にいたいよ!」

 

 ナタネは目の端に涙を溜めて訴える。エリカはナタネの頭をそっとさすってやりながら、「何も心配は要りませんよ」と口にする。

 

「あなたならば立派なトレーナーとして戦えます」

 

「でも、マスターがいないと不安で」

 

「そうですね。わたくしも、今のままのあなたじゃちょっと不安ではありますが」

 

 エリカがユキナリへと目を向ける。その意味が分からずに小首を傾げていると、「お願いがあります」とエリカが出し抜けに声にした。

 

「ナタネと、旅をしてやってくれませんか?」

 

 耳を疑ったのはユキナリだけではないらしくナツキも、「えっ」と声を出していた。エリカはナタネの肩を抱きながら、「この子はとても傷つき易いのです」と告げる。

 

「もしかしたら一人のトレーナーとしての再起には時間がかかるかもしれない。でもあなた方と一緒ならば、ナタネは真の力を発揮出来るでしょう」

 

「でも、エリカさんが一緒じゃなくってもいいんですか?」

 

「わたくしはジムリーダー。手続きでしばらくはタマムシシティから離れられないでしょうし、場合によってはこの街に束縛される可能性があります。ですが、ナタネはそうではありません。わたくしはナタネのために、あなた方と一緒にいてやって欲しいのです」

 

 ナタネは潤んだ瞳でユキナリを見やる。「旅の邪魔にならなければ、ですが」とエリカは口にしたがユキナリは、「いえ」と手を振った。

 

「邪魔になんか」と言おうとするユキナリの手をナツキが引っ張る。

 

「ちょっと! ユキナリ」

 

 ナツキの声にユキナリは、「何?」と顔をつき合せる。ナツキは、「いい? あたし達は今でも大所帯なのよ」と潜めた声で告げた。

 

「大所帯って。たった三人じゃないか」

 

「あんたの事だから、またアデクさんと旅をしたがるでしょう」

 

 痛いところをつかれてユキナリは口ごもった。ナツキはため息を漏らし、「そうなるとナタネさんを加えれば五人。多過ぎるほどよ」と事態を客観視する。ユキナリが返答に困っていると、「オレは迷惑をかけんぞ?」とアデクが覗き込んできた。ユキナリとナツキは同時に、「うわっ!」と後ずさる。

 

「そんなにケチケチせんでもよかろう。旅と言ったって、全員の目的が一緒ってわけでもないんやし。もしもの時に助けが出来てよかろう」

 

「アデクさんは、そりゃ、強いですから言えますけれど、あたし達はそんなに」

 

「余裕がないってか? でも、お前さんら全員、シルフビルの一件でちょっとした有名人。手数は多いに越した事はないと思うぞ?」

 

 アデクはシルフビルで巻き起こった事を知っているかのようだった。ユキナリとヤナギの因縁を。シルフビルを中心として交錯した人々の思いを。

 

「……ですね。断るのも悪い」

 

「ユキナリ?」とナツキが顔を向けるとユキナリは、「大丈夫」と答えた。

 

「ナタネさんの実力なら、僕らがむしろ足を引っ張るみたいなものだし。それにここから先、仲間は多いほうがいい」

 

 ユキナリはナタネの下へと歩み寄り、「僕らでよければ」と手を差し出した。ナタネは逡巡の間を浮かべてエリカを見やる。エリカは一つ頷いた。

 

「よろしく」とナタネが手を握る。どこか不安げなのはやはりエリカと離れるのは宿命付けられているからか。

 

「僕らのほうが弱いから足を引っ張るかもだけれど」

 

 ユキナリの謙遜に、「そんな事ないよ」とナタネは首を振った。

 

「あたしだって慢心していた。ユキナリ君達と一緒に旅をして、成長出来るならしたい」

 

「決まりじゃの」とアデクがユキナリとナタネの肩に手を置く。ナタネはアデクの巨体に少しばかり怯えた目を向けている。

 

「でも、ナタネさん、今何ポイントなんです?」

 

 ユキナリが尋ねると、「ああうん」とナタネはポケギアを翳した。すると、50000ポイントの大台が弾き出された。先ほど突出したわけではないと感じたが、どうやら新たなる仲間は実力者である事は確定のようだ。

 

「ジムで戦った分と、タマムシシティジムトレーナーを命じられた時にある固定ポイントかな。まぁ、あたしにはさほど実戦経験はないよ」

 

 それが謙遜である事をユキナリは理解していた。先ほどの戦いぶりから相当に熟練者である事は窺える。

 

「でもナタネさんの草タイプはある意味では戦力ですよ。僕ら、草タイプに関する事は全くの無知なので」

 

 その言葉にナタネが顔を明るくさせて、「草に関する事なら、あたしが教えてあげられるよ」と言ってきた。ユキナリは、「お願い出来ますか?」と尋ねる。ナタネは胸を叩いて、「任せなさい」とウインクする。どうやら少しは気が紛れた様子だった。

 

「じゃあ、あたしの事も教えてあげるよ。宿屋に戻ろう」

 

 ナタネの勧めでユキナリはジムを後にしようとする。ナツキはなにやら不服そうだったが、何も言わなかった。キクコはどうしてだが先ほどから声を発しない。何か懸念事項でもあるのだろうか。

 

「マスター!」

 

 ナタネが振り返り、エリカへと頭を下げる。

 

「あたし、マスターのお陰で今まで戦えて来たんだと思います! だから、マスターはあたしの誇りなんです。これまでも、これからも!」

 

 別れの言葉なのだろう。エリカは手を振って、「頑張っていらっしゃい」と声をかける。

 

「どうか、元気で」

 

 エリカの言葉にユキナリも自然と頭を下げていた。オノノクスでもどうにもならない相手がいる。まだまだ世界は広いのだ。それを実感させられた。

 

 ナタネは名残惜しそうにエリカを見つめてから、目元を擦った。涙は見せまいとしているのだろう。もう既に巣立つ雛鳥の姿を見せたナタネをエリカはどのような心境で見送っているのか。不意に自分の両親の事が思い出され、ユキナリも、このような心境で見送られたのか、と懐かしさがこみ上げてきた。つい一週間ほど前のつもりなのに、もう随分と経つような気がする。

 

「行こう、ユキナリ君! あたし達みんなで旅するんだから!」

 

 ナタネはもう旅立つ躍動が身を焦がしている様子であった。ユキナリは微笑んで、「ええ」と頷く。

 

 ジムを出るとナタネは駆け足になっていた。きっと、振り切る意味もあったのだろう。マスターとまで呼び慕っていたのだ。本当の家族以上の繋がりがあったのだと窺える。

 

「家族、か」

 

 ユキナリは静かに呟いた。この戦いの旅が終われば帰れる場所があるのだろう。自分の経験も含めたその時が訪れる予感に胸が震えた。

 

 



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第百六話「イントゥダーク」

 

「アデク様、お願いがあります」

 

 アデクはユキナリ達と共にジムを後にしようとしたが、エリカに呼び止められた。アデクは振り返り、「もう行っちまったぞ?」と出入り口を指差す。

 

「ナタネは、きっといい旅をするでしょう。ユキナリ様達の人柄で分かります。あの子はわたくしの下で鳥籠に収まっているよりも、羽ばたく時を待っている。きっと、今がその時なのでしょう」

 

 ナタネの事でないとしたら何なのか。沈痛に顔を伏せるエリカに、アデクが眉間に皺を寄せた。

 

「何か、ユキナリ達には言えん、何かか」

 

 感じ取った言葉にエリカは小さく口火を切った。

 

「ユキナリ様の、手持ちの事です」

 

「手持ち、オノンドの進化系か」

 

「あれを、ユキナリ様はオノノクスと呼ばれていました」

 

「オノノクス。いい名じゃ」

 

 アデクが素直な感想を漏らすと、「そのポケモン」とエリカは呟いた。

 

「恐らくはトレーナーであるユキナリ様ですら知らない、強い能力を秘めています」

 

「おいおい、そりゃポケモンの進化に関しては未知の部分が多いし、あのポケモンは新種だと聞く。そりゃ、分からないものを感じるのも当然という奴で――」

 

「違うのです」

 

 遮って放った声には重々しいものを感じさせた。エリカはユキナリとの戦闘で何を感じたのか。アデクは聞かねばならないという事なのだろう。佇まいを正し、「話してみよ」と促す。

 

「ユキナリ様がオノノクスに直接命じられた攻撃は、ドラゴンクロー、ダブルチョップの二つ。ユキナリ様自身、この二つしか技がないと仰られていました」

 

「ああ。ハナダについた頃からその技しかないみたいな事は聞いておったが」

 

「わたくしはそうではないと考えます」

 

 アデクは眉をひそめる。それはどういう意味なのか。問い質す目線にエリカは恐ろしいものを思い返すように声を震わせる。

 

「あれは、今にして思えば、とどめの様相を呈していました」

 

「とどめ、って……」

 

「あれをまともに受け止めれば、問答無用でモジャンボは殺されていたでしょう」

 

 殺されて、という部分にアデクは背筋を凍らせる。それほどの攻撃が放たれたというのか。だが、モジャンボに関しては自分が割って入るまでほぼダメージはゼロであった。危機に瀕していたとは思えない。

 

「お前さん、でもモジャンボにさしたるダメージはなかったはずだろう」

 

「ええ、ダメージやそういう次元を跳び越えた、そうですね、あれは疑いようのない一撃による必殺でしょう」

 

「一撃必殺……」

 

 アデクの言葉にエリカは胸の前の拳をぎゅっと握り締める。

 

「その言葉が正しいかと。黒い断頭台に見えました。そうでなくとも、あのオノノクスと言うポケモンには少し変わった部分が散見されます。全身から漂う黒い瘴気、あれは、闇と形容するほかありません。わたくしが思うに、ポケモンに元来備わっている闇ではない、ユキナリ様が顕現させた闇だと思われます」

 

 ユキナリに、闇。奇妙な取り合わせに映ったが、エリカの審美眼は確かだ。現に先ほどの戦闘ではウルガモスの戦術を見切られている。

 

「ユキナリに、闇、か。オレからしてみればあり得ん、と思うが」

 

「しかし、あれはそうとしか言えないのです。真に追い詰められたユキナリ様が、ポケモンの持つ何かを引き出した。その結果が、黒い断頭台の技です」

 

「その技に心当たりは?」

 

 エリカは首を横に振る。知っているのならばわざわざ自分などに相談を持ち掛けまい。

 

「わたくしは、アデク様、あなたにユキナリ様を見ていてあげて欲しいのです」

 

「監視しろ、っていう事か?」

 

「いえ、そうではなく。あの力が暴走する事のないように、暴走した時、抑えられるように傍にいてあげてください。あの中で、止められるのはあなただけです」

 

 そう断言されてしまえば言葉もなかったがアデクは腕を組んで、「しかし」と抗弁を発する。

 

「ナツキやキクコも実力者だし、お前さんの下におったナタネとか言う奴も実力者だろう。どうして止められんと断言出来る?」

 

「ナツキ様やナタネでは無理でしょう。それにキクコ様ですが、あの方はユキナリ様の闇をさらに増長させてしまう。覚醒のトリガーがあるとすれば、あの方だと思われます」

 

「キクコが、ユキナリの闇を呼び覚ますと言うんか?」

 

「断言は出来かねますが、とにかく、見てあげてください。それがきっと、彼や仲間のためになります」

 

 アデクは顎をさすっていたがエリカは嘘を言っている風ではない。誇張もないだろう。彼女は戦いで感じたありのままを喋っているのだ。アデクは首肯する。

 

「分かった。もし、ユキナリがあらん方向へと行こうとしたら、オレが止める。約束しよう」

 

 その言葉にエリカは不安そうな面持ちを少しだけ晴らしてホッと息をついた。

 

「ああ、よかった」

 

「だが二の次になるかもしれん。それだけは覚えておいてくれ」

 

「二の次、ですか……。一体誰の?」

 

「ナツキじゃ。オレはあいつを好いておる。だから、好きな女の二の次になるやもしれん、という事じゃ」

 

 思わぬ言葉だったのだろう。エリカは目を見開いていた。アデクは、「まぁ、頑張ろう」と身を翻し、手を振った。ジムを出る際、ふと呟く。

 

「ユキナリの、闇、か」

 

 自分でも窺い知れないものがある。アデクはユキナリと言うトレーナーを今一度見直す必要があるかもしれないと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 焦土と化した庭園へとスプリンクラーが始動し、火を鎮めていく。それを眺めながらエリカは小さくこぼした。

 

「庭園を作り直さなくてはいけませんね」

 

 ため息を漏らし、「でもその前に」と声を出した。

 

「出ていらっしゃい。いるのは分かっています」

 

 エリカの声に茂みの中やジムの端から空間を割いて人影が現れた。全部で三人ほどだが、気配を消す術を心得ている事が分かる。

 

「何用でしょう。わたくしはもう負けましたのよ」

 

「だからこそです」

 

 一人、コートに身を包んだ紳士が歩み出る。

 

「ジムリーダー殺しが起こっております。我々はその危険からあなたを保護するために現れました」

 

「自分達が何者なのかも明かさない人々に、保護されるいわれはありませんが」

 

 エリカの言葉に、「これは失敬」と紳士が頭を垂れた。

 

「我が組織の名はヘキサ。地方を跨って結成された極秘組織です。今、このカントーポケモンリーグに蔓延る闇を排除すべく動いております」

 

「随分と傲慢ですのね。自分達が正義の味方とでも言いたげな」

 

「事実、そうなのです。カントーには奇妙な集団が居ついている。ロケット団と呼ばれる組織もそうですが、このカントー黎明より、ある集団が歴史を動かしている。その集団を闇から引きずり出す、手助けをしていただきたい」

 

「断れば、どうなるのかしら?」

 

 エリカの試すような声音に紳士は、「手荒い真似はしたくありません」と答えた。畢竟、エリカに選択肢は与えられていない。隷属か、死か。その二択が突きつけられるが、エリカは平然としていた。

 

「わたくしを嘗めないでくださる?」

 

 モンスターボールを手に取りエリカは告げる。

 

「腐ってもジムリーダーの身。そう簡単に誰かに従うほど魂は薄汚れてはいない」

 

 エリカの言葉を断絶と受け取ったのか紳士は肩を竦めた。

 

「非常に、残念です。エリカ様ならば、我々と共に本当の世界を見出してくれると思っていたのですが」

 

「この世界に、真も偽りもありません。それらは全て、人の心次第」

 

「愚かですね。我々の誘いを断っても、この世に安息はありませんよ。あなたが見出した通り、オーキド・ユキナリは危険だ。いずれは消さねばならない存在。あなたの判断は何も間違っていないのです。弟子を監視につけたこともね」

 

 その言葉にエリカは紳士を睨み据えた。

 

「ナタネは、そのようなために見送ったわけではありません」

 

 エリカの放った静かな殺気に紳士を護衛する二人が気圧されたように後ずさる。紳士だけはエリカの怒りにも無関心だった。

 

「分からないですね。会ったばかりでしょう? 我々はもう何十年も、それこそ彼らが母親の体内にいる時から、予言されていたその存在を消す事だけを考えてきたのです。滅びの道を免れる唯一の方法を」

 

「それが誰かの血に濡れた道なのだとしたら、わたくしはそれを是としません」

 

 きっぱりとした口調に紳士は、「もったいないですね」と声を漏らした。

 

「もったいない?」

 

「それだけの正義感を持ちながら、どうして我らに与しないのか。正義は流動的ですが、決して衰えないものも存在するのです。それが我らヘキサの正義。どうあっても我々と行動を共にしないというのならば」

 

 紳士が指を鳴らすと護衛二人がモンスターボールを手に踏み込んできた。赤と白のカラーリングが施された新型である。エリカは先ほど戦闘を終えたばかりの相棒を呼び戻した。

 

「モジャンボ、おいきなさい」

 

 しかしモジャンボの体表は黒焦げである。光合成で僅かに命を繋いでいるレベルであった。

 

「そのモジャンボ、随分と疲弊していますね。それで我々に勝てるとでも?」

 

「やってみなければ分からない」

 

 エリカの声に、「やれ」と短く紳士が告げる。

 

 エリカは手を薙ぎ払い攻撃を命じた。もう、生き残る事など考えていない。ただナタネ達の旅に幸あらんことを。それだけを胸の中で願い、モジャンボは跳ね上がった。

 

 



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第百七話「二人の距離」

 

「その、モンスターボールはどこで手に入れたんですか?」

 

 ユキナリはまず聞かねばならないと感じていた。アデクの持つモンスターボールはロケット団やシルフの人間が持つ新型だ。どこで入手したのか。もしかするとロケット団と繋がりがあったのではないかと邪推させる。アデクはユキナリのそのような懸念を吹き飛ばすように、「受け取ったんじゃ」と答える。

 

「受け取った?」

 

 それは奇妙な響きだった。やはりロケット団か、と身構えたユキナリへと、「おいおい、変な意味じゃないぞ」とアデクは手を振った。

 

「でも、そのモンスターボールは一般流通していないみたいなんです」

 

 その言葉にアデクは顎を手でさすりながら、「じゃあ誰だったんかのう……」と呟く。

 

「誰って、手渡しじゃ」

 

「いんや、郵送だった。差出人不明の荷物だが、オレ宛だったから受け取っておいた。中に手紙が入っておってな、新しいモンスターボールを参加者全員に支給する事になりました、って書かれておったが」

 

「そんなはずは……。だって、新型は出回っていない」

 

 誰かがアデクに新型を渡したのだ。しかし受け取るアデクもアデクである。どうして疑わなかったのか。ユキナリの弁に、「モンスターボールくらい、何でもないやろう」とアデクは答える。違うのだ。そのモンスターボールがのっぴきならない事態を起こすかもしれないのである。

 

「あたしも新型ほしー。だって戻す時とか出す時とか楽チンだしカッコよかったし!」

 

 ナタネが後ろ向きに歩きながら口にする。ユキナリは、「そのうち流通するよ」と答える。もちろん、それにロケット団が関わっているとは言えなかった。

 

 それよりも先ほどから無言なのはナツキとキクコだ。ナツキはどうしてだか口を閉ざしている。それほどまでにナタネを仲間にしたのが気に入らないのか。キクコはというとタマムシジムからその先、ずっと無言である。エリカに何か言われたろうかと考えていると、「しかしユキナリ」とアデクが肩を突いた。

 

「お前さんも人の事言えんだろう。何じゃ、そのボールは? 奇怪だからあえて触れなかったが……」

 

 GSボールの事をアデクには説明するべきか迷ったが、ユキナリは正直に答えた。

 

「あの、ボール職人の一門の方に行き会って」

 

 掻い摘んで説明すればボール職人であるガンテツに気に入ってもらえたからボールを手に出来た、という話だった。アデクは飽きもせず、「なるほどなぁ」とGSボールを眺めた。

 

「操作方法は新型と同じか?」

 

「ええ。新型のほうが使い勝手はよさそうですけれど」

 

「手の馴染み……、これは使うトレーナーを想定した作りや」

 

 アデクほどのトレーナーとなると分かるのだろう。ユキナリは、「特別測量してもらった記憶はないですけれど」と言った。

 

「こいつは測量器具やらを必要とせん、目分量で作った奴やな。目測だけでお前さんの投擲の癖、指をどこに添えるのか、どこに力を込めるのかさえも計算され尽くしている。正直、恐ろしい完成レベルだな」

 

 その完成レベルでも不完全なのだから驚愕である。ユキナリは次にガンテツに会う時にでも聞いてみようかと考えたが、ガンテツの言葉には重みがあった。

 

 ――完成させてはいけないボール、か。

 

 ガンテツは八代目、シリュウと名乗った男を追っている。恐らくは道中出会う事もないだろう。シリュウがロケット団の人間であったのか、あるいは他の組織の人間であったのかは分からない。ただ、あの男は邪悪だとユキナリの本能が告げていた。

 

「ガンちゃんは、僕に託してくれたんです」

 

「なるほどな。まぁ、オレには推し量る事しか出来んて。あんまり口挟むのも無粋だし」

 

 アデクは宿屋の前に着くなり、「いい外装しとるな」と感想を漏らした。

 

「アデクさんは、到着したばかりだったんですか?」

 

「ああ、ほとんど着の身着のままでな。そのお陰か、タマムシジム以外目に入っておらんかった感じではある。よくよく見ると、このタマムシシティ、いい街じゃのう」

 

 アデクが眺めているのは白亜の百貨店やマンションなどだろう。ユキナリは同じ目線になって尋ねた。

 

「イッシュにはなかったんですか?」

 

「ヒウンシティって言う大都市はあったが、オレに関して言えば無縁でのう。優勝候補とおだてられてから一度訪れたが、円形の街で好きにはなれんかった」

 

「円形の街ですか。カントーにはない地形だな」

 

 ユキナリが微笑むとアデクは、「まぁ、チェックインしようやないか」と宿の受付でチェックインを済ませ、別室へと案内された。ユキナリはナツキと共にポケモンセンターに向かう。お互いに傷ついたポケモンの回復が必要だった。

 

「負けちゃったな。カッコ悪い、ナツキを助けるつもりで割って入ったのに」

 

 結果的にアデクにいいところを取られた形となる。ユキナリが苦笑すると、「でも、嬉しかったわよ」とナツキはユキナリへと笑顔を向けた。その笑顔がどこか見知った幼馴染の笑顔ではないような気がした。何か内に秘めているような含みがある。

 

「……何か、心配事?」

 

 ユキナリの声にナツキは一瞬だけ肩を震わせた。だがすぐに持ち直し、「何よ、何にもないわよ」と言ってのける。だが、ナツキは明らかに無理をしているのが分かった。ユキナリは足を止め、「ポイントの事なら」と口を開く。

 

「そんなに気に病む必要はないよ」

 

「ああ、うん。ポイントならね」

 

 どこか含んだような言い回しだった。ポイントならばまだよかった、とでも言いたげな。ユキナリはナツキへと声をかける。

 

「何かあったの?」

 

「だから何にもないってば」

 

 ナツキは笑い飛ばそうとするが、ユキナリが真剣な眼差しを向けていたからだろう。「……隠し切れない、かな」と呟いた。

 

「何かあるの?」

 

「いや、大した事じゃないのよ。本当に、大した事じゃ」

 

 言い聞かせるような口調だった。ナツキがここまで思い詰める事は何なのだろう。幼馴染であっても踏み込めない感触があった。

 

「ハッサムなら、充分に強かったよ」

 

「あ、そうね。ハッサムはよく頑張ってくれたわ」

 

 ポケモンの事ではないのだろうか。ユキナリが問いかけようとすると二人して後ろから抱きつかれた。振り返り驚愕する。

 

「な、ナタネさん?」

 

「なーに、やってんだい? 二人とも。ポケモンセンターまでの道を山道みたいにのっそりと歩いて」

 

「あんたには関係ないでしょう」

 

 いつもの冷たさを帯びたようなナツキの声にナタネは、「もう旅をする仲じゃん」と返す。

 

「そういう壁はなしで行こうよ」

 

「あんたみたいに割りきりが出来るわけじゃないのよ。さっきまで戦っていた相手と今度は旅をしなさいなんて」

 

「でもマスターの言う事は絶対だし」

 

「キクコみたいな事を言うのね」

 

 ナツキが鼻を鳴らす。いつものナツキだ、とユキナリは不機嫌なナツキに安堵していた。

 

「そのキクコちゃんだけどさ。何でマスターに挑戦しなかったんだろうね?」

 

 二人の歩調に合わせながらナタネが首を傾げる。ナツキは、「さぁね」と素っ気ない。

 

「あの子の考えている事は、あたし達でも分からないわ」

 

「でもナツキ、本能的なものかも、って言っていたじゃないか」

 

 ユキナリの意見に、「本能的なもの?」とナタネが聞き返す。

 

「ああ、はい。キクコにはそういう動物的勘とでも言うんですかね、それが優れていて、僕らじゃ分からない事でもキクコには分かるんです」

 

「へぇ、マスターの読心術みたいなものかな」

 

「離れてもマスターなのね」

 

 ナツキが指摘すると、「どこへ行っても、あたしのマスターはエリカ様一人だもん」とナタネは笑った。

 

「そのマスターに何で挑戦しなかったのかな?」

 

「負けるかもしれないって思ったのかもね」

 

「でも、マスター。君達三人を見た限りでは、一番強そうなのはキクコちゃんだって言っていたよ?」

 

 ナタネの声にユキナリは尋ねる。

 

「いつ、です?」

 

「ジムに入る前、あたしが泣いちゃった時だね。お茶を入れているとマスターがそう呟いた。あの子が一番手強そうだって」

 

「まぁ、事実、キクコちゃんだけ手合わせしていないわけだから彼我戦力差は分からないわね」

 

 どうしてキクコが戦いを躊躇ったのか。ユキナリにはそれがしこりのように残ったが、ナツキとナタネはもう気にしていない様子だった。ポケモンセンターに入ると、三人して回復受付にポケモンを預けた。

 

 受付ではナタネが耳目を集めていた。どうやらジムトレーナーナタネの敗北はセンセーショナルなニュースになったらしい。「新聞記者呼んでくるから、ちょっと待ってな」と街の人々がこぞってナタネに構っていた。

 

「ああいうの、羨ましいと思う?」

 

 ユキナリが眺めていたからだろう。ナツキが訊いた。

 

「どうかな。僕は、静かに旅をしたいから」

 

「静かに旅をしたい、ねぇ。今のところ達成されていないわね」

 

 オツキミ山から先、トラブル続きだ。その割には誰にも取り沙汰されないのが不思議でもあったが、余計なトラブルは持ち込みたくない主義のユキナリからしていればちょうどよかった。

 

「隠れていたほうがいいかな。ナタネさんが僕らの事を言うかも」

 

「自意識過剰よ。何でもないように振る舞っていれば、あっちも心得ているでしょ」

 

 ナツキはパソコンを操作し、博士と通信を繋いだ。ナツキの様子にユキナリは頬を掻く。

 

「つれないなぁ……」

 

「とりあえずタマムシジムはアデクさんが制した事を伝えないと。今度はセキチクに向かわなきゃね」

 

「セキチクか。どうやって行けばいいんだろう?」

 

「馬鹿。それを博士に聞くためにパソコン点けているんでしょう」

 

 どうやらナツキはパソコンが使えるようになったためか、少しばかりユキナリを馬鹿にしている節があった。

 

「失敬だな。僕だって考えているよ」

 

「いいわよ、別に。繋がるわ」

 

 ナツキがパソコンに集中していると通信が繋がり博士の顔が映された。

 

『やぁ、ナツキ君、ユキナリ君。今、二人かい?』

 

「ええまぁ、今タマムシのポケモンセンターから繋いでいるんですけれど」

 

『うん。という事はタマムシジムを制したという事かな?』

 

「いえ、ジムは――」

 

「アデクさんっていう人が全部持ってっちゃった感じだよね」

 

 いつの間にか背後にいたナタネが顔を出す。二人して仰天していると博士は目を丸くして、『だ、誰だい?』とうろたえた。

 

「ああ、申し遅れました。タマムシジムのトレーナー、ナタネと申します」

 

 ナタネが恭しく頭を垂れる。博士は二人へと説明を求める目を向けた。

 

「えっと、実は……」

 

 長い説明になりそうだった。

 

 



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第百八話「感情の行方」

 

「ちょっといいか?」

 

 その声にびくりと肩を震わせる。戸を叩いてきたのは見知った声音の持ち主だった。だがハナダシティから先、別段顔を合わせる機会もなかった人間だ。当然、警戒をしたキクコだが、「話がある」と切り出されれば無下にも出来まい。

 

 キクコはそっと戸を開く。アデクが手を振って、「入っていいか?」と顎をしゃくった。一応、ナツキとの共同部屋である。そうでなくとも異性の部屋に入る事に躊躇を覚えないのだろうか、と考えていると、「失礼な事だとは思う」とアデクは頭を下げた。

 

「女の部屋に不躾な男が入るのはな」

 

 どうやらその辺りの心得はあるらしい。キクコは、「何でしょう?」と用件を尋ねた。

 

「大した手間は取らせん。ちょっとお前さんと話がしたくってな」

 

「はぁ」と生返事を寄越す。それもそのはず、今まで自分とアデクはまともに話などした事がないからだ。何のつもりなのだろうか、と身構えるのが普通である。

 

「まぁ、ちょっとした用件じゃ。入っていいかのう?」

 

 アデクはまだ敷居すらも跨いでいなかった。一応は謙虚なのかもしれない。キクコは部屋の端にある座布団を持ってきて自分の前に置いた。

 

「あの、よろしければ……」

 

「気を遣わせて申し訳ないな」

 

 アデクはでんと胡坐を掻く。これほど胡坐の姿勢が似合う人間も珍しい、とキクコは感じた。

 

「お前さんと話すんは、初めてじゃったか」

 

 アデクの言葉にキクコは頷く。だからこそ、警戒しているのだ。アデクは顎をさすり、「大した用件じゃないんだが」と前置きする。

 

「お前さんだけ、ジムに挑戦しなかった事が気になってな」

 

 どうやら用件とやらはそれらしい。キクコは半分安堵して、「その事ですか」と呟いていた

 

「何か理由でも?」

 

「いえ、ただあのジムリーダーの人が、先生と同じ事を言うものだから、私、怖くなって」

 

「先生、っていうんはユキナリから大体聞いたが、お前さんの恩師みたいなもんか」

 

 恩師、というと少し違う気がする。だが、アデクの認識に照らし合わせればそうかもしれない。キクコは曖昧に頷く。

 

「怖いものは仕舞っちゃいなさい、って先生がずっと私に教えていて。同じ事を言われたものだから、どうしていいんだか分からなくなっちゃって」

 

 シオンタウン郊外での先生との確執もあった。あの一件はナツキにも話していない。自分とセルジしか知っている者はいなかった。だがセルジの口が堅かったお陰で自分だけの秘密に留まっている。

 

「怖いものは仕舞え、か。随分と極端な教えもあったもんやのう」

 

 アデクの口調には小ばかにした感じはない。ただ、それは異常だと告げている。

 

「……私と先生の間に、何か文句でもありますか?」

 

「いやいや、そう邪推するなよ」とアデクは手を振った。

 

「ただな、お前さん、少しばかり変わったな、と思って」

 

 その言葉にキクコは驚いた。

 

「私が、変わった?」

 

「ああ。言い方は悪いが、お前さんを最初オツキミ山で見た時、人形か何かやと思わされた。自分の意思のない存在じゃと。実際、ハナダでもお前さんを見ていたが、何と言うかな、受け身の人間に見えたもんでな」

 

「受け身、ですか……」

 

 間違いではない。自分は先生から与えられた使命を忠実にこなすための存在でしかなかった。アデクはそれを見抜いていたとでも言うのか。キクコは人知れず唾を飲み下す。

 

 自分の使命がユキナリ達には絶対に知られたくなかった。そのためならば、と身構えていると、「お前さんが何を命じられていたのか、は別にどうでもいい」とアデクは首を振った。虚をつかれた思いで見つめていると、「正直な」とアデクは口を開く。

 

「お前さんが変わってよかったと思っている面もあるんや。このままだと、ユキナリ達にも何かしら害があるような気がしてな。まぁ、これはオレの考え過ぎだって事がお前さんを見て分かった。人形なんかじゃない、血の通った人間やってな」

 

 快活に笑うアデクにキクコは呆然としていた。この人物は何なのだろう。自分を糾弾するかに思われたのだが、今度は自分を含めユキナリ達を案じている。その有様がキクコには奇怪に映った。

 

「私は、人形じゃない」

 

「おお、そうじゃな。悪い事を言うてしまった。深く、反省しておる」

 

 その言葉とは裏腹の笑みを浮かべるアデクの胸中をキクコは読めなかった。アデクは頭を下げてから、「ユキナリの影響が出とるんかのう」と口にした。

 

「ユキナリ君の?」

 

「おお。あいつは人間臭い。お前さんとは真逆じゃの」

 

 人間臭い。考えた事もなかった。ユキナリが自分と真逆の存在なのだという事も。

 

 ――ならば自分は?

 

 突き立った問いに身を浸す前にアデクが立ち上がった。

 

「そろそろ、ずらかろう。あいつらが帰ってくる頃合じゃし」

 

 歩み去ろうとする背中へとキクコは呼び止めていた。

 

「あの、アデクさんはユキナリ君が心配で?」

 

 だから、こんなにも身を案じてくれるのだろうか。その問いに、「あいつも心配やが」とアデクは応じる。

 

「オレには好いている女がいる。そいつを守りたい」

 

「好いている……」

 

 その言葉の意味するところが分からずに首を傾げていると、「お前さんもじゃろう?」と指差してきた。

 

「ユキナリの事を、どう思うとる?」

 

 その問いにキクコは胸元に手をやった。先生に向かって放っていた言葉。それが自分にとってユキナリに対する答えだった。

 

「分からないです……。ただユキナリ君と一緒にいるとぽかぽかするんです。私の心、ユキナリ君を分かりたい。分かり合いたい」

 

 ただ自分の感情を口にしただけだったがアデクは満足そうに、「それだけ言えれば上等じゃ」と言った。

 

「それってのは、つまるところ、好き、って事やからな」

 

 アデクが手を振って部屋を後にする。キクコは、「好き……」と繰り返していた。

 

「私が、ユキナリ君の事を?」

 

 今はナツキや、ナタネと一緒にいる。その事を考えると心の奥底がずきりと痛んだ。

 

 この感情は何なのか。拾い上げる前に、その答えは霧散した。

 

 



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第百九話「初めての景色」

 

『なるほどねぇ。それは災難と言うか、何と言うか……』

 

 博士が言葉を濁す。長い説明を終え、ナツキは疲れ果てた様子だった。

 

「博士。僕らはこの後、セキチクシティに向かおうと思っているんですが、ここからのアクセス方法がよく分かっていないんです」

 

 ユキナリが口火を切ると博士は、『西方に建造中の高速道路があったはずだけれど』と言った。

 

「サイクリングロードの事?」

 

 ナタネの声に二人して、「何それ?」と尋ねていた。

 

「自転車専用道路だよ。いや、自動二輪も可だったっけ? とにかく、セキチクまで行くのだったら、自転車を仕入れるのが一番だと思うな」

 

「自転車……」

 

 ユキナリは博士へと目をやる。当然、今までの道中でそのようなものは持ち合わせていない。博士も首を横に振った。

 

『高額で私でも手が出ないよ。カントーの純正品はね。折り畳みが可能な奴だろう? よくシーエムでやっている。購入価格が無茶苦茶だ。イッシュ基準だから百万円もする』

 

「百万円……」

 

 途方もない金額にナツキと顔を見合わせた。庶民の手の届く代物ではない。

 

「別に、買う必要はないんじゃない?」

 

 ナタネの言葉にユキナリは耳を傾ける。

 

「どういう意味です?」

 

「サイクリングロードは一応、カントーの民、ポケモンリーグ参加者全員に開かれているんだよ?」

 

 ふふん、と鼻を鳴らして得意そうな顔をするナタネに、ユキナリとナツキ、それに博士まで怪訝そうな目を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、その結果がこれというわけだ」

 

 翌日、早朝。澄んだ空気の中を鳥ポケモン達が飛び交う。視界の隅で電線に鳥ポケモンが止まった。

 

 ユキナリ達は確かに自転車を手に入れた。だが、それは一人一台の代物ではない。

 

「気をつけてねー。一人がバランス崩すと、全員がバランス崩すよー」

 

 ナタネの声が背後に聞こえる。息がかかりそうな距離、というよりもほぼ密着している距離でナタネの姿があった。

 

「これ、どうやって動かすんですか?」

 

 ハンドルを握り、チェーンの巻かれたペダルを視界に入れる。チェーンは後方へと続いており、器具がそれを噛んでいる。そのまた後方へとチェーンは続き、三つの円盤器具があった。

 

「三人乗りなら空いているってのが、何ていうか即席の大会臭いわ……」

 

 ナツキが呆れたような声を出す。ナツキの乗る自転車は二人乗りであり、アデクが先頭であった。

 

「オレが前じゃ不満か?」

 

「不満と言うか、何と言うか……」

 

 ナツキは言葉を彷徨わせる。何やらナツキの様子がアデクと出会ってからおかしいような気がしたが、そういえばアデクに対してナツキは邪険に扱ってきたので引け目があるのかもしれない。

 

「えっと、こっちは大丈夫?」

 

 ユキナリは後方確認をする。すぐ後ろにナタネ、その後ろにはキクコが続いている。ユキナリはキクコが一番不安の種だった。

 

「キクコは、自転車乗れるんだっけ?」

 

 自分ですら高級なものにはほとんど乗らない。草むらがほとんどであるのと、段差が多い地域のために、自転車の利用頻度は少なく、眼前に広がる壮大なパノラマの景色を望む事もないカントーではあまり一般的な乗り物ではなかった。キクコはハンドルを握り、「えっと、漕げばいいんだよね?」と尋ねてくる。どうやら漕いで進むという基本は理解しているらしい。

 

「そう、漕げば大丈夫」

 

 自分が牽引しているので、非力な自分に女性二人分を引っ張れるかが不安だったが。ユキナリの懸念に、「大丈夫だよ」とナタネが囁きかけた。

 

「あたしも引っ張るし、それにサイクリングロードは下り坂。気にするのはブレーキぐらいで大丈夫さ」

 

 下り坂の仮設サイクリングロードは三十度ほどの高低差がある。急勾配と言えなくもなかったが、シンオウでは珍しい地形ではないらしい。ナタネは、「大げさだなぁ」と漏らす。

 

「テンガン山みたいな地形を毎日見ていれば、この程度、冒険の内にも入らないよ」

 

 ナタネは平気そうだったが自分がそうではなかった。ユキナリは歯の根が合わなくなっているのを感じ取る。

 

「あの、僕、こういう高低差のあるものがあまり得意じゃなくって……」

 

「何だって? ま、気にする事はない。さぁ、走り出そー」

 

 ナタネがペダルを踏み込むと自動的に他のペダルも連鎖的に動き、ユキナリは突然に前進した自転車につんのめるような感触を味わった。胃の腑を押し上げるような感覚に悲鳴を上げそうになるが、女性二人が後ろに乗っている手前、何とか踏み止まった。

 

「ユキナリ君、上手いじゃん。無心に漕げばすぐだよ」

 

 ナタネの声に、「あの……」と声が震えている。

 

「僕、漕ぎ方分からないんですけれど……」

 

 そう、富裕層くらいしか自転車など使用しない世の中、ユキナリは自転車の漕ぎ方すら分からなかった。ただ足をぶらつかせてペダルを踏み締めているだけだ。ナタネは、「別にいいよー」と答える。

 

「あたしがアシストするから。ユキナリ君はペダルを踏んでいるだけで充分だ」

 

「そんな事言ったって……」

 

 ペダルは勝手に回転する。ユキナリは足すら自由ではない。勝手に動く自転車に足は恐怖を呼び覚ました。

 

「お、降ろして」

 

「今一番前の君が降りたら、あたし達立ち往生だよ。こんな坂道で自転車から降りるなんて冗談じゃない」

 

 その言葉の通り、冗談ではないほどの坂道が続いている。舗装されているお陰で滑らかに通れたが、その滑らかさが逆に気味が悪い。今にもバランスを崩しそうだ。

 

「頼むから失神だけはしてくれないでよね。ブレーキは全機連動しているんだから」

 

 振り返ると、キクコは問題なく漕いでいた。どうやら狼狽しているのはユキナリだけらしい。男だろう、と奮い立たせようとするが無駄だった。自転車ばかりはどうしようもない。

 

 せめて悲鳴だけは上げないようにしよう、とユキナリがモグラのように口を閉ざしていると、「ほら! 見なよ!」とナタネが声を出した。ユキナリはその方向へと顔を向ける。

 

 瞬間、飛び込んできた景色に恐怖を忘れ、息を呑んだ。

 

 海側から望めたのは大陸の大パノラマだ。赤茶けた陸地が広がるのと対比するように、どこまでも青い海が広がっている。ユキナリは感嘆の息を漏らしていた。

 

「こんな景色……」

 

 見た事がない、と呟いたユキナリへと、「そりゃ、そうだよ!」とナタネが興奮気味に語る。

 

「あたしだって初めてだもん!」

 

 ナタネの言葉に身体が軽くなった気分だった。空気に、風に溶けていくように感じられる。身体が風の一部となり、どこまでも突っ切っていく。ユキナリは小さな自己を意識した。

 

「こんな大きな世界に、僕らはいたんだ」

 

 感慨に耽っているとナタネの声が飛んだ。

 

「ユキナリ君! 前、前!」

 

 急いた声に前を向くと「通行禁止」の看板が大写しになった。慌ててハンドルを切り、ユキナリは左折する。大地を噛み締めるブレーキの音が木霊し、自転車が間一髪で壁への激突から免れた。

 

「あ、危なかったぁ……」

 

 今にも爆発しそうな動悸を感じながらユキナリは息をつく。ナタネがユキナリの肩を叩き、「さっ、あれがゲートだよ」と顎をしゃくる。

 

 その先には街同士を区切るゲートがあった。どうやらサイクリングロードの景観をゆったりと眺めている暇はないらしい。早朝の冷たい空気を肺に取り込み、ユキナリはゆっくりと漕ぎ始めた。セキチクシティは間もなくだった。

 

 



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第百十話「男の背中」

 

 こういう形を取ったのは、ハナダシティの話の決着をつけるためだろうか。

 

 あるいは自分の気持ちの? 問い返してナツキはらしくない問答だと考えた。アデクがせっせと二人乗り自転車を漕いでいる。自分は漕ぐ必要があまりなかった。アデクが力強くリードしてくれるからだ。これまで、男友達に力強く先導してもらった事などなかったな、とナツキは考える。朝の染まっていない思考がそうさせるのか、あるいはアデクと共にいる事がそうさせるのか、どこか清々しい気持ちを胸にナツキはアデクの背中を見つめた。

 

「見てみぃ」とアデクが顎をしゃくると、その先には海面が浮かんでいる。ナツキは思わず感嘆の吐息を漏らす。朝日に照らされた海上は宝石を散りばめたかのように美しかった。

 

「イッシュ地方も海に囲まれているがこういう整備はされとらん。景色は滅多に見れんが他国の海沿いも綺麗なもんじゃな」

 

 他国。その言葉が突き立った。そうだ、アデクは他地方の人間なのだ。そう思うと急に距離を感じた。アデクは、この戦いが終われば故郷に帰ってしまうのだろうか。そうなると二度と会えないのではないか。

 

 その思いに胸が締め付けられる。アデクの事など、何とも思っていないはずなのに、と考えれば考えるほどに滲み出すこの感情は何だ? 止め処ない衝動を、誰かに叱って欲しかった。

 

「何を見とる?」

 

 アデクの言葉が額面通りではない事を理解していながらもナツキは、「景色」と素っ気なく答える。アデクは快活に笑いながら、「可愛げがないのう!」と大声で言った。ナツキは、「でかい声出さないでくださいよ!」と負けない大声で返す。

 

「そっちこそ、でかい声じゃ。こうやって二人、景色を見る事になるとは思わなんだ」

 

「……怪我、大丈夫なんですか?」

 

 アデクとはあの後ほとんど顔を合わせなかったため怪我の具合を聞いていない。

 

「自転車漕げるくらいには回復しとる」とアデクは笑った。ナツキは頬を膨らませ、「何が可笑しいんです?」と訊いた。

 

「いや、こうやって自転車に乗って、ガラにもなくときめいている自分がのう」

 

 臆面もなくそのような事を言ってのける。それがアデクのずるいところだった。ナツキはアデクの背中を盗み見る。盛り上がった肩の筋肉に、大きな背中はユキナリとはまるで違う。無意識中にユキナリと比べている自分を発見し、ナツキは頬を紅潮させた。

 

「にしても自転車っていうのは面白い! ずっと乗っていたい気分じゃな」

 

 アデクはハンドルを無駄に動かしてみせる。すると後方が揺れナツキは振り回される心地を味わった。

 

「おお、すまんすまん」

 

 配慮の足りなさにナツキは顔を背ける。

 

「そう怒るなよ。全く、年中怒っとるな、お前さんは」

 

「……ユキナリと同じ事、言わないでください」

 

「ああ、言うてしまっていたか?」とアデクはおどけた。ナツキはぷっと吹き出す。二人分の笑い声が相乗するサイクリングロードでアデクは出し抜けに口を開いた。

 

「お前さんと二人で乗りたかっただけじゃない。ちょっと話しておきたいことがあった」

 

 改まったアデクの声にナツキは身を引き締めた。「何でしょう?」と尋ねる。

 

「ユキナリの事じゃが、どう思っとる?」

 

「どうって……」

 

 幼馴染以外の何者でもない、と今までならば答えられたかもしれない。だがシオンタウンを経て、ヤマブキシティで生存を確かめた時、自分の胸にこみ上げてきたのはそれ以上の感情ではなかったか。生きていてくれてよかった。それだけがあったのではないか。

 

「答えられん、か……」

 

 沈黙の意味を察したのかアデクが呟いた。ナツキは訂正しようとは思わなかった。アデクは全てを了承したように声にする。

 

「分かっていても、オレはお前さんが好きな事に変わりはない」

 

 アデクの再三の告白にナツキの心は揺れていた。どう返せば正解なのか分からない。戦いならば勝てばいい。言い合いならば負けなければいいだけの話。だが、恋愛に関してはどうすればいいのか誰も教えてくれなかった。

 

「左折するとサイクリングロードを抜けてセキチクに入る」

 

「アデクさんも、一緒に?」

 

「ああ。もう偽る必要もないからのう。ユキナリと真正面からぶつかる」

 

 その言葉にナツキは二人が喧嘩別れのような形になってしまうのだけは避けたいと感じていた。自分などのために、二人が対立するのは間違えているからだ。

 

「……アデクさん。ユキナリの事を、嫌いにならないでください」

 

 自分でもどういうつもりなのか分からなかったが、それだけは言っておかなければならないような気がしていた。ユキナリを憎悪する事だけはしないで欲しい。たとえどのような結果に転がっても。

 

 アデクは出し抜けに笑った。その笑いに、「笑い事じゃありませんよ」とナツキは声を出す。

 

「いや、すまんな。お前さんがそれほどまでユキナリの事を考えておるとは思わんくて。……心配すなや。ユキナリとは親友。その関係はどうあろうと変わらん」

 

 アデクの声音には安心させるものがあった

 

 偽りも打算もない。アデクはいつだって心の奥底まで見せてくれている。

 

「オレは真正面からユキナリに戦いを挑む。男が背中からなんて汚い真似するかいな」

 

 早朝の風が吹き抜ける。ナツキはポニーテールをなびかせ呟いた。

 

「……きっと、ですよ」

 

 約束の声にアデクは男の背中を答えにした。

 

 



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第百十一話「ふたご島揚陸作戦」

 

 ゲンジは船乗りの帽子を上げて作戦概要を聞き返す。

 

「キシベ。お前の目的はフリーザー捕獲。そうと考えていいのだな」

 

 抜き身の刃を思わせる声音にもキシベは淡々と返した。

 

「何か不満かな?」

 

「不満と言えば」

 

 ゲンジは手で弄んでいるボールに視線を落とす。赤と白のカラーリングだった。ロケット団が開発に着手していた新型モンスターボールだ。だが、これは先行量産型。つまりいずれは一般流通が約束された代物である。

 

「こんなもので伝説と謳われるフリーザーを捕まえられるのか」

 

 ゲンジの疑問にキシベは、「スペック上は既存のボールを上回る」と答える。それは数値上の話だろう、とゲンジは憤りたくなったが、数値の話になればキシベのほうが上手だった。

 

「ボールの量産体制、及び開発責任は八代目ガンテツが残したものだ。そう悪いものではないだろう」

 

「その八代目、裏切ったのだろう?」

 

 八代目ガンテツ、シリュウと言う男は自分達精鋭部隊に加わっていない時点で、シルフビル壊滅のどさくさに紛れて逃亡したか、あるいはキシベが見限ったのだろう。敵対組織に売られれば困る技術。殺したという線も捨て切れないかもしれない。

 

「未確認だ。だが、我々に残されたボールはきちんとノルマを達成している。開発部門や技術部門もきちんと引き継いだ。最早、彼個人が必要なのではない。ロケット団と言う、もっと大きく包括的な組織が必要となるのだ」

 

 暗にシリュウ殺害を黙認する言葉かと思われたが、キシベからしてみればもっと巨大な企みがあるに違いない。ゲンジは何度目か分からない視線を狭い船室にいる人間に向けた。

 

 刈り上げた短髪の少年で、涼しげな眼を細めて舷窓を眺めている。

 

 サカキ。自分が煮え湯を呑まされた相手。いや、それ以上に、ロケット団がシルフを捨ててでも自分のものにしようとしているトレーナー。ゲンジには未だにサカキがどれほどまでに重要なのか分からなかった。たかが優れたトレーナー少年一人、誰でもよさそうなものだ。どうしてサカキという少年でなければならないのか。それだけが依然不明である。

 

「揚陸作戦は、頭に入っているかね?」

 

 キシベの確認の声にゲンジは、「もう何度も」と答える。

 

「耳にたこが出来るレベルだ。島の最奥にフリーザーがいる事はエンジニア達が解析しているのだろう?」

 

 ふたご島の最下層に高密度エネルギーが存在しているのだという。自分達は、それを捕獲するために身一つで飛び込まねばならない。これはロケット団と言う組織がシルフを見限ったせいだ。もし、シルフの力添えがあったのならばもっと容易くふたご島へと潜入出来たかもしれない。

 

 泡沫が舷窓に映る。自分達のいる場所を再び自覚する。

 

 水深五十メートル付近。最新規模の潜水艦に乗り込み、お互いに息が振りかかる距離を自覚しながらふたご島へと慎重に至ろうとしている。ポケモンの「なみのり」や「そらをとぶ」を使わないのはシステムに自分達の動きが察知されるのを防ぐためだ。形式上、サカキも自分も、まだポケモンリーグの範疇に収まった行動しか出来ない。自分の視線を認めるとサカキは鼻を鳴らした。

 

「潜水艦で揚陸とは、面妖な事だな」

 

 ゲンジはサカキから顔を背けて呟く。キシベは、「何ら不思議ではない」と答えた。

 

「ポケモンの技によるショートカットを防ぐ、というシステムが全域に張られている以上、我々の動きを極秘とするためには機械に頼らざるを得ない」

 

「その機械だって、見た事のないものばかりだ」

 

 一体どこから、と皮肉を利かせようとしたが、キシベは、「詮索は野暮だよ」とそれを制した。

 

「シルフカンパニーから搾れるだけ搾り取り、我々はこの力を手に入れたわけだ。我らを脅かすものなど、最早存在しない」

 

 強気な発言にゲンジは口を差し挟む。

 

「予想外の事は起こるものだ。いつだってそうだろう」

 

 もっとも、キシベからしてみれば予想外と言うものからは縁遠いのかもしれない。自分とユキナリの出会いすら仕組まれていたのだから。

 

「肝に銘じておこう」

 

 キシベの言葉の後、「浮上準備にかかります」と声がかけられた。全員が浮上準備を開始する中、サカキはキシベに何かを呟いた。それに対しキシベが、「ナンセンスだ」と答える。そのやり取りの全貌までは分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鍾乳洞には冷気が満ち満ちている。氷の伝説のポケモン、フリーザーの棲み家とはさもありなん、とゲンジはふたご島の印象を決定付けた。この冷気では自分のドラゴンタイプもそう長々と居座る事は出来ないだろう。冷気で表皮がささくれ立つ前に、短期決戦を決めなければならない。

 

 その点でいえば地面タイプの使い手であるはずのサカキも同じはずだったが、彼は気に留めている様子もない。精鋭部隊である人々は一様にモンスターボール装備で緊急時のライフジャケットのみを着用している。もしもの時には浸水も考えられたからだ。だが、最奥にフリーザーがいるとなればまず助からないだろう。命を賭した戦いに違いなかった。

 

「先行部隊が既に道を切り拓いている。我々は前へと進むぞ」

 

 精鋭部隊の隊長が声を張り上げる。内部にくぐもって響いた音声にゲンジは無心に脚を動かした。先行部隊のお陰で最奥に通じている穴には梯子がかけられている。降りると、急激に体温が奪われた。一瞬、視界が暗転しかけるが持ち直し、ゲンジはその根源を視界に入れる。

 

「これが……、フリーザーか」

 

 伝説の鳥ポケモン、と聞いていたのでゲンジは洞窟を自在に飛び回るポケモンを想像していたが、鎮座していたのは巨大な氷の中に自らを封印した鳥ポケモンであった。見方によっては虹色に変化する翼が美しい。思わず感嘆の吐息が漏れる後続部隊の人々にゲンジは発破をかけた。

 

「この氷を融かさなければ捕獲出来ない」

 

 前へ、と声を上げようとすると氷の彫像がそこらかしこに据えつけられていた。どうしてこんな場所に彫像が、と窺った瞬間、愕然とする。氷の彫像と見えたものは先行部隊の人間達であった。彼らはポケモンリーグに参加してないがゆえにポケモンの技で渡ってきたのだろう。当然、腕に覚えのある人々ばかりのはずだ。だが、彼らは一様にモンスターボールの投擲姿勢のままで凍結させられていた。

 

「まさか……! これは」

 

 ゲンジが咄嗟に飛び退くと先ほどまで自分がいた空間を何かが絡め取り、瞬く間に温度を奪っていった。空気が凍結し、その凍結速度に振動する。

 

「フリーザーが生きているのか」

 

 あの状態で、と含めた声に、「生きていても何ら不思議はない」と答えたのはサカキだった。

 

「伝説の一角だ。あれは封印されているのではなく、自らを守るために形成した保護膜とでも言うべきか」

 

 氷の保護膜はモンスターボールなど通しそうにない。かといって攻撃可能な距離まで近づけばトレーナー本体を狙ってくる。打つ手なし、とはこの事か、とゲンジは歯噛みしたがサカキは、「試してみるか」とホルスターからボールを抜き放った。

 

「いけ、ニドクイン」

 

 水色の巨躯が繰り出され、ニドクインが着地する。だが、攻撃範囲に入ったものは何であろうとも凍結させられてしまう。ニドクインもその洗礼を受けようとしたがサカキは落ち着き払って声にした。

 

「冷凍ビーム」

 

 ニドクインが腕を突き出して構え、三本の指で冷気をコントロールしてビームを発射する。その攻撃にフリーザーの冷却攻撃が止んだ。サカキは、「なるほど」と頷く。

 

「攻撃し続けていれば、向こうから攻撃は出来ない。あれはやはり保護膜なのだ。所詮は防御のためのもの。攻撃に転じるほどの器用さもない。野生のそれか」

 

 一瞬にしてそこまで見抜いたサカキにゲンジは舌を巻く。サカキは、自分は決して射程へと近寄らなかったが「れいとうビーム」でじわじわとフリーザーの体力を奪っていく算段なのだろう。同じタイプの攻撃でダメージを与えるというよりかは相殺しているのに近い。この場での冷却エネルギーを拮抗の状態に持ってきている。やはりただのトレーナーではないと再確認してからゲンジはタツベイを繰り出そうとする。

 

 その瞬間、「させない!」と声が響き渡った。

 

 ニドクインの放つ光線の前に二つの人影が降り立った。ニドクインにサカキは攻撃の中断を命じる。降り立った影の異様さに気づいたのだろう。

 

「何者だ?」

 

 サカキの問いかけに相手の二人組は答える。

 

「ネメシス、と名乗るのが正しいでしょうけれど、あなた達にはもう正体は露見したも同然でしょうし、答えるわ」

 

 結った水色の髪を振るい、その影はカツンとヒールの音を響かせた。顔には七つの眼を有する仮面を被っていたが、それを取り払い、彼女は宣言する。

 

「フスベタウンのドラゴン使い、イブキ。推して参る!」

 

 その声は洞窟の中に朗々と響いた。

 

 



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第百十二話「選ばれし者」

 

 テレポートで転送された先はそのまま直通でふたご島最奥の場所だった。それだけでも疑うべきなのに、行き遭ったのが恐らくはロケット団の精鋭部隊だと言うのは何かの冗談に思えた。

 

 だが、サカキ、それにゲンジという見覚えのある人物がフリーザー捕獲に向けて動き出している。この事態を目にして、最早疑いようがなかった。ロケット団もネメシスと同様、あるいはそれ以上の預言書を有していると。

 

 しかし、イブキからしてみればそれよりもこの実力者二人を撒いて、フリーザーを捕獲出来るのか、という懸念が先に立つ。先生から渡されたボールはたった一個。無駄には出来ない。ゲンジは高らかに正体を宣言した自分へと戸惑い混じりの声を向けた。

 

「どういう事だ? ドラゴン使いのイブキ、お前はこちら側の人間のはずだ」

 

 そのはずだった。ロケット団精鋭部隊として組み込まれていたのだが、まさかネメシスの仮面をつけて現れるとは自分でさえも予想していなかった。それが敵対という形となるなど。

 

「言葉通りよ。キシベ、はいないのね」

 

 恐らくは最も安全な場所にいるはず。だがサカキに何の首輪もつけていない事が気になる。キシベにとってサカキの死は最もあってはならない事象のはずなのに。あるいは、サカキが死なないという自信でもあるのか。

 

「姐さん。あかんで、真っ先に喧嘩を吹っかけるなんて」

 

 後ろに続いたマサキが仮面を外さずに歯の根を震わせる。イブキは、「黙ってなさい」と言ってからゲンジへと視線を戻した。

 

「何が目的だ。ネメシスとは何だ?」

 

 ゲンジは知らされていないのだ。サカキは、というと最初に自分達の存在に気づき攻撃を中断した当たり情報は行き渡っているのかもしれない。

 

「何の真似だ。イブキ」

 

 自分よりも年上に対してサカキは気後れした様子もない。イブキは、「あんたも」と口を開いた。

 

「分からない奴ね。そこまで知っていながら何で、キシベの下になんてついているのか」

 

「俺はキシベの下についた覚えはない」

 

「じゃあ自然に、って事。操られている自覚のない操り人形なんて、滑稽ね」

 

 イブキの挑発にサカキは青筋を立てる。サカキの実力は折り紙つきだ。ここで暴れさせて、その真意を見る。それがイブキの目的だったがサカキは身を翻した。

 

「どこへ行くの?」

 

 呼び止めようとしてもサカキは応じない。ゲンジが駆け寄って肩を引っ掴んだ。

 

「何をしている! フリーザー捕獲が最優先だろう?」

 

 掴んだ手をサカキは振り払う。その眼に嫌悪の色を浮かべて。

 

「俺に、触れるな」

 

 その言葉の激しさにゲンジでさえも気圧された様子だった。サカキは佇まいを正し、「キシベに報告する」と背中を向けた。

 

「ネメシスなる組織の存在。俺も初耳だったが、もうイブキという駒は用済みである事だけは確かだな。俺がここで戦って手を晒すのは面白くない。やるのならばお前らで勝手にやれ」

 

 サカキは道を戻っていく。イブキはモンスターボールのボタンをマイナスドライバーで緩め、「逃がさない!」と声を張り上げた。

 

「ハクリュー!」

 

 背中を向けたサカキへとハクリューが肉迫するが、それを遮ったのは意外な影だった。

 

「タツベイ!」

 

 出現したのは水色の矮躯だ。タツベイ、と呼ばれたポケモンが青い光の爪を纏い、ハクリューを受け止める。

 

「何を!」

 

「サカキ。お前は一応俺達の要だ。ここで死ぬようなことはあってはならない」

 

 ゲンジの声にもサカキはまともに取り合わず去っていく。イブキはハクリューへと攻撃を命じた。

 

「ドラゴンテール!」

 

「クローで受け止めろ!」

 

 間断を縫うようなハクリューの尻尾による刺突もタツベイは問題なく受け流す。青い光の爪を両腕に展開したタツベイの動きに熟練者のものを感じ取る。

 

「イブキ。俺にも分からん事が多いが、ロケット団を裏切った事だけは確かなようだな。お前の知っている事、教えてもらうぞ」

 

 ゲンジも真実を知るために戦っている様子だった。手を組む、という生易しいものが通用する領域ではないだろう。イブキは事前に示し合わせた通り、マサキに命じる。

 

「フリーザーの氷を解析して、融解させなさい。その後にボールでの捕獲を試みる」

 

「あいよ。本当に人遣いが荒いわ」

 

 マサキはノート端末を取り出し、フリーザーの氷の皮膜へと電極を当てている。自分とていつ凍結の餌食にされてもおかしくはない。だが、フリーザーを捕まえるためには接近しなくてはならなかった。ロケット団の妨害に遭わないためにも彼らを遮る形で現れるのが一番なのだ。

 

「……頭で分かっていても、こう目の前にするとね……」

 

 身が竦む。これが伝説の威容か、と肩越しに確かめる。

 

「余所見をしている場合か?」

 

 差し込むような声にイブキは肌を粟立たせた。ハクリューへと攻撃を命じる。

 

「龍の波導!」

 

 ハクリューが青い光の輪を次々に展開し、その中央を突破する光を口から吐き出す。タツベイはドラゴンタイプのはず。ならば、ドラゴンの攻撃で攻めるべきだと感じたのだがその戦略は既に読まれているようだった。タツベイは軽いフットワークでかわしながらゲンジの指示を待つ。

 

「タツベイ、一段階進化」

 

 その声にタツベイの頭部にある甲殻が発達し始めた。頭部だけではなく背中から伸びた甲殻がタツベイを包み込もうとしている。これが話に聞いていたゲンジの戦略、戦闘中に進化させる戦いか。イブキは歯噛みして、「進化の隙を与えないで!」とハクリューへと命じた。

 

「ドラゴンテール!」

 

 ハクリューが接近してタツベイを穿とうとする。タツベイは四方向から展開する甲殻を盾に使い、中世の剣士さながら「ドラゴンクロー」による攻撃を行ってきた。ハクリューが間一髪でかわすがその間にも進化の隙を与えている。身を躍らせたハクリューは畳み掛けるように尻尾を打ち下ろす。しかし甲殻が上手く防御した。

 

「戦い慣れているわね」

 

「嘗めてもらっては困るな。対ドラゴン戦は常に想定している。それにしても、何故、裏切った? イブキ」

 

 ゲンジの声に、「あんたに言っても分からないでしょうよ」と応じる。ゲンジは鼻で一蹴した。

 

「理由なき反逆など、無意味なだけだぞ」

 

 理由ならばあるが、ここで懇々と説いたところで意味はない。それよりもフリーザー捕獲だった。タツベイの進路を阻みながらハクリューが天上へと昇り、一気に落下攻撃を仕掛ける。

 

「ドラゴンダイブ!」

 

 青い光を身に纏った体当たりはしかし、タツベイの甲殻が一枚剥がれた事によってあえなく防がれた。

 

「甲殻を、剥がす……?」

 

「タツベイの身体は代謝が速い。一枚程度、剥がしたところで痛くも痒くもない」

 

 その言葉通り、剥がれた箇所からすぐさま甲殻が生え変わってくる。「ドラゴンダイブ」の攻撃は皮膚から剥がれた甲殻一枚を破壊するに終わった。白い甲殻が分散する中、立ち現れた姿に息を呑む。

 

「進化している……」

 

 タツベイは四枚の甲殻に身を包み、四足で這い進む鈍重そうな身体になっていた。今ならば、とハクリューで仕掛ける。

 

「龍の波導!」

 

 光の輪が連鎖し波導攻撃を相手へと浴びせるが、タツベイの進化した姿は甲殻を持ち上げて「りゅうのはどう」をいなした。

 

「さっきみたいに使えるって言うの」

 

「汎用性は高い。その合間からドラゴンクローだ、コモルー」

 

 コモルーと呼ばれたポケモンは甲殻の合間から水色の手を伸ばし、青い光の爪を展開する。四足とは別の、もう一本の腕に判断が遅れた。

 

「隠し腕?」

 

 コモルーの攻撃がハクリューへと突き刺さる。ハクリューは激痛に身悶えした。

 

「ハクリュー!」

 

「このまま引き裂いてしまえ」

 

 ゲンジの指示にイブキは、「させない」と手を薙ぎ払う。

 

「ドラゴンテール、連撃!」

 

 ハクリューが尻尾を突き上げたかと思うと、音を切る速度でコモルーへと突きを放った。コモルーは咄嗟的に甲殻を守りに使おうとするが、それよりも速い。合間を縫って「ドラゴンテール」が本体に突き刺さる。

 

「このまま引きずり出してやる!」

 

 突き刺さった部分から力を込めてハクリューが内側にいるタツベイを引き出そうとする。だが、「それには及ばない」とゲンジは応じた。

 

「既に進化は完了している」

 

 その意味を解す前に甲殻を突き破ったのは赤い翼だった。瞬く間に甲殻を押し出していくのは水色の巨体だ。突き刺さったといっても一部分でしかない。最早、コモルーの内部で育っているのはタツベイではなかった。

 

「これは……」

 

「タツベイの最終進化系、ボーマンダ」

 

 甲殻を自ら噛み千切り、ボーマンダと呼ばれたポケモンが内部から出現する。ハクリューは完全に勢いを削がれた様子だった。

 

「最終進化……」

 

「一撃で決めるぞ。ドラゴンクロー!」

 

 ゲンジの声にボーマンダは赤い翼を羽ばたかせる。旋風が刃となりハクリューへと突き刺さった。ハクリューから力が失せていく。至近距離で放たれたドラゴンタイプの技に防御さえも追いつかなかった。

 

「ハクリュー!」

 

 駆け寄ろうとするイブキの眼前へとボーマンダが降り立つ。その眼からは殺意が溢れ出していた。

 

「もう詰みだ。ハクリュー程度では、俺には勝てない」

 

 イブキがハクリューへと手を伸ばそうとするがボーマンダは威嚇してそれを制する。

 

「そこの男」

 

 その声にマサキが肩を震わせた。

 

「わ、ワイでっか?」

 

「お前しかいない。フリーザーの氷を融かそうとしているのならば、こちらに渡せ。そうすれば命だけは助けてやる」

 

 その声にマサキはノート端末を守るように手を掲げた。

 

「言うて、ワイかて命張りたくないんや。けれどな、まだ姐さんが諦めてへんのやったら、ワイが投げるわけにはいかんねん」

 

「何を、諦めていないなど……」

 

「ドラゴンテール!」

 

 ハクリューが尻尾を突き上げボーマンダの頬を切る。鋭い傷跡がボーマンダの顔に刻まれた。

 

「悪あがきか」

 

「最後まで足掻くの。それこそ私が生きるために取った道。ハクリューと、最後の最後まで戦わせてもらうわ。私達は相棒同士だもの」

 

 決意は揺るがなかった。ここで逃げ出すくらいならばロケット団を裏切り、ネメシスに転身してまで真実を追い求めた意味がない。自分は知る必要があるのだ。ロケット団とヘキサ、ネメシスが何を考えているのかを。ゲンジは怒りに頬を震わせた。

 

「小手先の攻撃だ。ボーマンダ、逆鱗で踏み砕け!」

 

 ボーマンダの内部骨格が赤い燐光を帯び、全身から攻撃の波長が発振される。イブキはそれでも背中を見せなかった。それこそがドラゴン使い、フスベタウンの矜持だからだ。

 

「……何や、これ。姐さん! 氷が震えて……!」

 

 そこから先の言葉を聞き取る前に振り返ったイブキの目には吹き飛んだ氷の皮膜が映っていた。自らを守護していた氷の皮膜から抜け出たのは虹色に映る羽根を持つ流麗な鳥ポケモンである。巻いたような尾をはためかせ、フリーザーが降り立つ。それはちょうど自分とボーマンダの間だった。

 

「割って入るというのか、野生のポケモンが」

 

 ボーマンダが怒りに震えた咆哮を発し、全身これ武器という光を生じさせながらフリーザーへと突っ込む。だがフリーザーは落ち着いて、片翼を開いた。その瞬間、肉眼では捉えられないほどの速度で氷の刃がボーマンダへと突き刺さった。ボーマンダが翼を裂かれ、後ずさる。たった一撃だ。それだけでボーマンダの、あの堅牢そうな翼に傷が走った。

 

「何を……」

 

 ゲンジでさえも理解出来ていないようである。当然、イブキにはどうしてフリーザーがこの戦闘に介入するのか分からなかった。だがフリーザーはイブキを一瞥すると、まるで守るように翼を広げボーマンダを威嚇する。嘴から甲高い鳴き声が発せられた。

 

「間違いあらへん! 姐さん、このポケモンは姐さんの心に反応したんや!」

 

 崖の上で今しがたまでフリーザーの氷を解析していたマサキが叫ぶ。イブキはわけが分からず振り返っていた。

 

「私の、心……」

 

「伝説の鳥ポケモンは自ら主を選ぶと聞く。姐さんは、フリーザーに選ばれたんや!」

 

 にわかには信じられない言葉だった。それはゲンジとて同じのようで、「何故この局面で」と呻いた。

 

「イブキを選んだ。伝説の一角よ!」

 



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第百十三話「伝説の力」

 

 フリーザーは既に守るべき主を見定めているようだ。

 

 鋭さの中にもどこか女性のような柔らかさを含んだ眼がイブキを見下ろす。三股に分かれた鶏冠から冷気が発せられ、フリーザーが両翼を開く。その瞬間、霰が降り始めた。この洞窟の中で、突然に吹雪に近い状態が巻き起こされる。ゲンジはボーマンダへと指示を飛ばす。

 

「火炎放射だ。焼き切れ!」

 

 ボーマンダが酸素を取り込んで火炎を発しようとするが、フリーザーは羽根を振り払うと、吸収しようとした空気が凍てついてボーマンダの口腔内を凍結させた。ボーマンダは口から血を吐いてフリーザーを睨む。

 

「空気、殊にフィールド上の冷気を操る事にかけてはフリーザーの右に出るもんはおらん。火炎放射以外で向かうしかなさそうやの」

 

 マサキの挑発にゲンジは、「ならば!」と手を振り払った。

 

「逆鱗で押し通る!」

 

 ボーマンダが全身から赤い燐光を放ちフリーザーとイブキを見据える。フリーザーも攻撃に入ろうとしている。その時だった。

 

 岩が砕ける音が木霊する。地面が揺れ、轟と空間が震えた。

 

「な、何や?」

 

 マサキが右往左往する。イブキにも何が起こっているのか分からない。ボーマンダが攻撃をやめ、ゲンジも周囲を見渡した。

 

「何が起こって……」

 

 その言葉尻を裂いたのは、岩盤が砕けて水が噴き出す音だった。瞬く間に浸水し、ロケット団員達はめいめいに声を上げる。

 

「し、浸水だ!」、「ライフジャケット!」と指示が飛ぶが、ここは最深部だ。この場でライフジャケットを着用しても天井まで水が浸かれば終わりである。

 

「どうして今になって……」

 

 その脳裏に一人の少年の姿が思い出された。あの少年は、どこへ行った?

 

「サカキは?」

 

 その問いに誰も答えられない。恐らく、手持ちのニドクインに「あなをほる」でも覚えさせてこの場から脱出したのだろう。となれば、この状況、サカキが作り出したと考えるのが自然だった。ゲンジが、「馬鹿な!」と声を上げる。

 

「馬鹿だろうと何だろうと、もう決めつけてかかるしかないわ。ロケット団はあなた達を見捨てたのよ」

 

 ロケット団員達が揃って目を戦慄かせ、「嫌だ!」と叫び出す団員もいた。

 

「我々は精鋭部隊でしょう? キシベ様!」

 

 思っていたよりも速い浸水にロケット団員達はパニック状態に陥る。ゲンジはボーマンダへと命じていた。

 

「逆鱗で縦穴でも掘るしか……!」

 

「やめたほうがいいわ。ここはふたご島深部、どこから浸水してもおかしくはないし、無用な衝撃を加えると洞窟そのものが瓦解しかねない」

 

「ではどうしろと言うのだ! 命を見捨てろと言うのか!」

 

 ゲンジの言葉にイブキは確証を得た。

 

「……あなた、キシベやサカキのやり方が気に入っていないのね」

 

 ゲンジは顔を背ける。何よりの肯定だった。イブキは一つ息をつき、「ここから全員が助かる方法がある」と告げる。

 

「何だと?」

 

 瞠目するゲンジへと、「団員一人すら見捨てないわ」とイブキは口にした。

 

「本当ですか?」、「だが、裏切り者だぞ」と団員達の反応はまちまちだったが、イブキは嘘偽りなく、「ここで生き残るしか」と口を開いた。

 

「私達とて命が危ういんだからね」

 

 先生のテレポートは一方通行だ。フリーザーを捕獲出来なければどちらにせよ見捨てるつもりなのだろう。イブキは息を詰めて、「フリーザー」と名を呼んだ。

 

「私を主と認めるのならば、頼みがあるわ」

 

 フリーザーは翼を広げる。飛翔したフリーザーが眼下に浸水する洞窟内部を捉えた。

 

「何をする気や? 姐さん」

 

 崖の上でマサキが声を上げる。イブキは、「水辺から離れたほうがいいわよ」と告げてから腕を掲げた。その動きから何が繰り出されるのかを察知したのか、ゲンジが声を張り上げる。

 

「精鋭部隊は俺のボーマンダに捕まれ! 水から離れる!」

 

 ロケット団員達がボーマンダに群がる。精鋭部隊のお陰で十人前後だ。ボーマンダの背中に何とか乗る事が出来た。ゲンジが頷き、イブキは声を上げた。

 

「水を凍結させる! フリーザー、その力をもって洞窟内部の浸水を止めて!」

 

 フリーザーが虹色に反射する翼から光を周囲へと拡散させる。

 一瞬のうちの出来事だった。マサキが目を眩ませる。イブキもあまりの光の奔流に瞼の上に手をやった。フリーザーが放ったのはたった一撃だ。それだけで洞窟を満たそうとしていた水が根こそぎ凍り付いていた。ボーマンダの背で団員の一人が声に出す。

 

「すげぇ……、これが伝説の力……」

 

 イブキは自分の周りだけ氷が張っていない事に気づく。フリーザーが水をわざと凍結させなかったのだ。足元だけ居残った水を眺めてから、イブキは氷の地面へと歩み出した。ゲンジがボーマンダをゆっくりと降下させる。ロケット団員達が背中から降りて踵を揃えた。

 

「感謝はする。だが、我々の任務はフリーザーの捕獲だ」

 

「見切られてまで言う事を聞くって言うの?」

 

 イブキの言葉にゲンジは返さない。フリーザーがゲンジとイブキの間に降り立つ。もしゲンジが攻撃を命じればいつでも反射に転じられる睨み合いだったが、ゲンジがボーマンダをボールに戻した事から、その可能性は消え去った。

 

「無用な戦いは避けたい。その気持ちは同じだと思うが」

 

 ゲンジはこの状況を理解しているようだ。イブキは先生より預かったボールをフリーザーへと向けた。何の抵抗もなく、フリーザーがボールに確保される。これで目的は達成した。

 

「それで、どうするの? ロケット団にそれでも属する?」

 

 精鋭部隊のうち、一人のロケット団が、「はい!」と声を張り上げる。

 

「我らロケット団精鋭部隊とて、数多の犠牲の上に成り立っております。その犠牲を自覚しているからこそ、今次作戦に賭けているのです。フリーザーは捕獲出来ませんでしたが、ロケット団への忠誠に変わりはありません」

 

 歪でありながらも自身の正義を曲げようとしない姿勢は見習うべきだった。イブキは他のロケット団員もその心持ちである事を察し、最後にゲンジへと目を向ける。

 

 ゲンジは帽子の鍔を斜めに被り、「俺は裏切られたからと言って裏切り返すのは愚かだと考える」と述べた。

 

「だから、今回、一つ借りが出来たと考える。それを返すために仁義は通させてもらうが、ロケット団という組織を裏切るつもりはない」

 

 イブキは内心、この状況によって離反者が出るかもしれないと言う事を期待していたが、ロケット団の結束は思っていたよりも硬かった。ため息を一つ漏らし、「そうね」と今しがた手に入った力を確認する。

 

「ハクリューがほぼ戦闘不能に追い込まれた以上、一時的にフリーザーを使わせてもらうしかなさそうね。私はフリーザーで脱出するわ。マサキ」

 

「あいよ、姐さん」とマサキはノート端末を鞄に仕舞い、崖をロープで降りてくる。

 

「ゲンジの兄さん。ワイらはもう、ポケモンリーグという盤上の真実に辿り着こうとしとるんや。邪魔はせんといてな」

 

「そちらこそ、ロケット団の邪魔はしないでもらおうか」

 

 ゲンジはロケット団内部から真実に辿り着こうとしているのだろう。それも立派な意思の一つ。

 

「いけ、フリーザー」

 

 フリーザーを繰り出し、イブキは吹き抜けの洞窟を見上げる。

 

「私達は行くわ。真実を手にするために」

 

「我々は撤退しよう。フリーザーは未確認の組織に奪われた、という名目でな」

 

 それがゲンジなりのけじめなのだろう。マサキと共にフリーザーの背中に乗ってイブキは口にする。

 

「一つ、言っておくわ。サカキ、という人間は普通の人間じゃない。ただの実力者を擁立するためにロケット団は存在しているわけではない、という事を」

 

 これも過ぎた真似かもしれないがゲンジには知る権利があるだろう。彼は僅かに顔を上げ、「全ての糸はキシベ、か」と呟いた。

 

「私達は組織の外側から埋めていく。あなたが内側から戦うというのならば」

 

 ゲンジは言葉を返さなかった。イブキはフリーザーと共にふたご島を飛び立つ。背中に乗っているマサキがふと呟いた。

 

「姐さん、ゲンジ兄さんと繋がりあったんですか?」

 

「なかったわ。話した事もまともにない」

 

「その割には親しそうだったですけれど」

 

 マサキの勘繰りにイブキは睨みを利かせる。「冗談ですやん」とマサキが肩を竦める。

 

 正直なところ、同じドラゴンタイプ使いとして共感する部分はあったのかもしれない。それがどのような感情に属するのかは別として。

 

「竜の使い手に、悪い人間はいないわ」

 

「その法則が正しけりゃいいんですがねぇ」

 

 イブキは海上を視野に入れる。水平線を染め上げる黎明の光が差し込んできた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作戦は、失敗か」

 

 キシベはふたご島に停泊している潜水艦の傍で呟く。ふたご島の洞窟から真っ先に帰ってきたサカキは、「これも必要な事象とやらか?」と尋ねた。

 

「まぁね。見たまえ」

 

 キシベが頭上を仰ぐと虹色の光を発する鳥ポケモンが翼を広げて飛び去っていく。サカキは、「フリーザーをみすみすくれてやったのは」と口に出した。

 

「何か狙いでもあるのか?」

 

「いや、本当ならば君達に確保してもらうのが一番だったんだが、収まるべきところに収まったのならばそれでいい。問題なのは今回、ヘキサが動かなかった事だ」

 

 既にサンダーを捕獲している組織が今回、フリーザー捕獲に関しては動きを見せなかった。その事のほうが懸念事項としては強いのだろう。

 

「何か、事を企てていると見るべきか」

 

「あるいはそれどころではなかったか。どちらにせよ、今回、フリーザーを捕まえたのが仮面の軍勢である事はある意味では幸運だ。ヘキサであるのならば、我らと対立構造になりかねない」

 

 サカキはキシベの言い分に、「まるで仮面の軍勢は蚊帳の外のような言い草だ」と返す。キシベは口元に笑みを浮かべた。

 

「仮面の軍勢のやり方は保守的だ。革新的な事を仕出かそうという動きではない。イブキ殿がいたと言っていたが、彼女達としても真実を知りたいだけなのだろう。対立構図にはならないよ」

 

 サカキは改めてキシベという男がどこを見ているのかが気になった。この男はどこまで先を読んでいるのだろう。

 

「ヘキサがもし、我々に対抗してくるとして、やはり矢面に出るのはサンダーか」

 

「そうとも限らない。ヘキサの目的はオーキド・ユキナリと君の排除。サンダーを使うまでもないかもしれない」

 

「俺はそう簡単には負けないが」

 

 自信をちらつかせたサカキに、「それはそうだろう」とキシベは応じる。

 

「王になる素質を持っているのだからな。相手が伝説だろうが、君は大丈夫だ。問題なのはオーキド・ユキナリだよ」

 

「なぁ、キシベ。お前は余程オーキド・ユキナリを買っていると見える。だが、俺からしてみればそれほどのトレーナーとも思えない」

 

「まだ一回も会っていないのに分かるのかね?」

 

「お前こそ、一度しか会っていないのだろう?」

 

 サカキの言葉にキシベは口元を綻ばせる。

 

「一度の邂逅が運命を決定付ける。もう彼の中で私の存在は大きくなっているだろう。ロケット団が未だに存続している事も想定外のはずだ。彼は、間違いなく私を必要とするよ。それは君もまた同じだろう」

 

「ロケット団の存続。俺からしてみれば、赤の他人の存在などどうでもいいのだが」

 

 それは自分の行動を見れば明らかだろうに。キシベは精鋭部隊を生き埋めにしようとした事に関して何も言わなかった。ただ、「必要な事象は間違いなく起こっている」と告げる。

 

「あとはピースが揃うのを待つだけだ。事象を確実に誘発しうるピースが」

 

 キシベの言葉にサカキは無言を返した。ゲンジの率いる精鋭部隊が穴抜けの紐を使って今しがた洞窟から上がってくる。ゲンジの眼は猛禽の鋭さを伴っていた。自分を、もし許されるのならば殺す事も辞さない。そのような怒りがありありと伝わってくる。拳を握り締め歩み寄ったゲンジにサカキは逃げようともしなかった。振り上げられた拳を遮ったのはキシベだ。鈍い音が響き、キシベがサカキの前に立っていた。

 

「どうしてだ、キシベ。そいつは、我々を見殺しにしようとしたんだぞ!」

 

 ゲンジの怒りの声音にキシベは淡々と返す。

 

「まぁ、落ち着いて。彼にその気はない。ふたご島は元々地盤が緩かった。そのような場所に君達を向かわせた私の落ち度だ」

 

 何とキシベはサカキの罪を被ってまで守ろうとしたのだ。サカキもさすがにその行動には瞠目した。

 

「だが我々の命が危うかった」

 

「私が謝罪しよう。私の頭でいいのならば」

 

 キシベが頭を下げる。ゲンジはしかし、はらわたの煮えくり返る思いで自分を睨みつけた。舌打ちを漏らし、「この事に関して、決着はいずれつける」と言い置く。

 

 サカキはキシベの顔を窺った。キシベは、「何ともない」と唇の端を拭う。どうしてそこまでするのか、それだけが気になった。

 

「これも必要な事象だからね」

 

 キシベはそれ以上答えなかった。

 

 



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第百十四話「闇からの手」

 

「どういう事なんだ、これは!」

 

 カンザキの怒声に秘書官が困惑する。執務机の上には新聞があり、そこには「シルフカンパニー崩落」の記事が踊っていた。

 

「わ、私に言われましても……」

 

 出資している企業の事実上の崩壊。それはこのポケモンリーグを管理するカンザキからしてみればあってはならない事だった。だが、カンザキの頭を悩ませているのはそれだけではない。

 

 この崩壊に関わっている人物だった。

 

「すぐに車を用意しろ! 私がヤマブキへと訪問する」

 

 今、カンザキはセキエイ高原から抜け出せない立場にいる。それを知っている秘書官は渋った。

 

「しかし、執行官自ら首都へと赴かれれば混乱は増すばかりです」

 

「だがこうやってセキエイに居座っていても何も好転せんだろう!」

 

 執務机を叩きカンザキは怒りを露にする。前情報の信用度を確認するためにも、ヤマブキシティに直接行かねばならない。秘書官は、「しばしお待ちを」とスケジュールとのすり合わせを確認するために部屋を出て行った。秘書官の気配が消えてからカンザキは呟く。

 

「……そんなはずはない。ヤナギが、これに関わっているなどと」

 

 机の引き出しに届いた手紙を手にする。そこには自分の息子であるヤナギがこのポケモンリーグを牛耳ろうとする組織に属している事、シルフカンパニービル倒壊の張本人である事が綴られていた。締めには、「この事を公表されたくなければヤマブキへと赴け」という脅迫じみた文言がある。事の真相を確かめるためにもカンザキはヤマブキへと行かねばならない。

 

「ヤナギが、関係しているはずがないのだ」

 

 扉をノックする音が響く。カンザキは、「入れ」と荒々しく口にする。すると現れたのは意外な人物だった。

 

「……君は」

 

「お久しぶりです。カンザキ執行官」

 

 そう会釈したのはスーツを着込んだヤグルマであった。久しく見ていなかった顔に、「何をしていたんだ」と真っ先に口を開く。

 

「いや、ジムリーダー殺しの一件、分かった事があったので報告しようかと」

 

「何だって?」

 

 ジムリーダー殺し。それはタケシ以降起こっていないものの、殺人そのものは終結していないとの見方であった。それに関しての情報にカンザキは飛びついた。

 

「何が分かったのだ?」

 

「ここでは少し」とヤグルマは憚ってから、「他の部屋は?」と問う。

 

「そりゃ、もちろんあるが……」

 

「ならばそちらで」

 

 ヤグルマは歩き出した。カンザキも部屋を出て歩きながら尋ねる。

 

「で、何が分かった?」

 

「いえね、相手のやり口と過去にあった事件を照合したのですが」

 

「犯人像が割り出せたのかね?」

 

「ええ、そりゃもうぴったりに」

 

 ヤグルマが並ぶ部屋の中の一つへと目線を配る。秘中の秘の話ならば、とカンザキは頷き部屋に入った。

 

「それでどのような事が分かったのだね?」

 

「ええ、はっきりした事は一つ」

 

 ヤグルマはモンスターボールを抜き放っていた。それを解する前に飛び出してきた影がカンザキの胸を一突きする。思わず声を詰まらせているとヤグルマは冷たい眼差しで言い放つ。

 

「カンザキ・ヤナギの確保のためには、あなたの身柄が絶対に必要だという事」

 

 ヤグルマの繰り出した影は金色の棺の姿を取ったポケモンだった。背後から伸びた手の形状の影が胸を貫いたのである。カンザキは呼吸音と大差ない声で、「何を……」と呻いた。

 

「お教えしますと、カンザキ・ヤナギの戦力的価値は我々としても手放したくないところ。彼ならば、特異点を破壊する事も可能でしょう。そのために、あなたには生きたまま朽ちていただく」

 

 意味が分からないでいると突然、突き刺された胸の部分から激痛が走った。見やると血は出ていないが、服ごと乾燥しているのだ。異様な光景にカンザキが息を呑む。

 

「我がデスカーンは触れた相手にミイラ状態を約束する。ミイラになっても意識はあるものです。あなたの身柄を盾に、カンザキ・ヤナギには裏切れないように追い詰めさせる」

 

「どういう、意味だ……。ヤナギが何を……」

 

「彼は知り過ぎている。そして、重要な戦力であるサンダーに近い。この状態で彼とあなたの命を天秤にかけた結果、あなたは最悪死んでもいいとの結論が出ました」

 

 カンザキはヤグルマの足元へと手を伸ばし、「お前が……」と掠れた声を出した。

 

「殺してきたのか」

 

「失敬な」とヤグルマが蹴り払う。

 

「私が殺したなどと。ジムリーダー殺しに関しては全くの別です。いえ、彼に関しては別とも言い切れないのですが、あなたに関しては関係のないところ。我々が近づいたのも、全て、カンザキ・ヤナギという事象を手の内にするため」

 

「事象、だと」

 

 息苦しい。今にも意識が閉じそうであった。ヤグルマは、「ミイラになるだけです。死にはしない」と首を振った。

 

「どうか意識を手離さないでください。あなたが死ねば、ヤナギは我々を恨みますから」

 

「何のために、私に、接触を……」

 

「最初は、そうですね、このポケモンリーグに潜む闇を暴くため。これは嘘ではありません。実際、仮面の人々に関する情報が欲しかった。だからあなたに近づきました。バッジに関する情報も不透明でしたからね。ですが、あなたの情報網はもう古い。前線に出ているヤナギのほうがよっぽど情報源としては役立つ。我らヘキサから逃れられないように、あなたにはミイラとして身柄を確保させていただく」

 

 棺おけのポケモンが手を伸ばす。その時、窓が割れ誰かが割って入った。ヤグルマが振り返り、「何奴?」と聞いた時には、自分の身体は放たれた水の膜に包まれて相手へと渡っていた。

 



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第百十五話「カラシナという名前」

 

「何奴?」

 

 この部屋に入ってくる人間などいないはずだ。ヤグルマはそう感じたが視界に飛び込んできたのは水の輪だった。それがカンザキをすくい、デスカーンの手から掠め取る。ヤグルマは舌打ちを漏らし、「何のつもりです」と怒りに声を震わせた。

 

「シロナ・カンナギ」

 

 名を呼ぶと、暗がりの部屋の中で黒衣を纏ったシロナが片方の眉を上げる。

 

「随分と、嫌われたものね」

 

「あなたは死んだはずだ」

 

 ヤマブキシティでヤナギの闘争心を呼び覚ますための道具として、死を偽装しろ。それが上から与えられたシロナの役割のはずだった。ヤグルマはそう聞いているし、シロナ自身、それを了承したはずである。だが、ミロカロスを繰り出しているシロナには敵意が感じられた。

 

「そうね。死んだあたしにはもうシロナという名前は相応しくないわ。カラシナ、と名乗らせていただきましょう」

 

「仮面の人々に寝返ったのか?」

 

 近い組織ではそれしか思い浮かばなかった。シロナ――カラシナはほとほと呆れたでも言うように首を振る。

 

「やれやれね。ヤグルマ、あなたはそれだから三下なのよ。発想が貧困とでも言うのかしら? いくら仮面の人々といえども、元ヘキサの構成員を信じ込むほどやわではない」

 

「ではどこの組織だ? あなたに出資する組織ならばいくらでもいそうだが」

 

「そんな事を、悠長に聞いている場合なのかしら?」

 

 カラシナはミロカロスの放った水の輪の中へとカンザキを包み込んでいる。あれは「アクアリング」だ。その中に入っている間は回復が施される。

 

「カンザキ執行官を生かして、どうする気なのか? まさかそちらのコネを使おうとでも?」

 

「どうとでも解釈するがいいわ。あたしは、今あなたへと明確に敵意を向けている」

 

 ミロカロスが黒曜石のような眼で自分とデスカーンを睨み据える。ここで自分達の情報網を断ち切るつもりなのか、あるいは殺すつもりなのか。どちらにせよ、やりようはいくらでもあるだろう。

 

「解せないな。カンザキ執行官は役に立たない。それに比してあなたは、一応はヘキサ内部での発言力はありそうなものだが、何故、組織のために命を散らさなかった?」

 

「答える義務、あるのかしら?」

 

 どうやらシロナはあくまでも徹底抗戦に打って出るつもりらしい。ヤグルマは、「だが」と指を鳴らす。

 

「既にデスカーンの射程だ!」

 

 デスカーンは影の手を這わせていた。それにミロカロスが気づいて跳び上がる前に影の手がミロカロスに触れようとする。ミイラの虜にすれば勝ちだ、と確信したヤグルマへと信じられない光景が飛び込んでくる。ミロカロスは水の輪を連鎖的に放出し、影の手を遮ったのだ。まさか、とヤグルマは歯噛みした。

 

「喋りながら攻撃する事は予期していた……」

 

「お互い、相手を嘗めていたみたいね。こっちだって伊達に戦ってきたわけじゃないのよ」

 

 ヤグルマは口元に笑みを刻みながら、「そのようだ」と改めてデスカーンに命じた。

 

「どうやら本気でお相手する必要がある様子。デスカーン、シャドーボール」

 

 デスカーンが影の球体を練り出す。カラシナはミロカロスへと命じた。

 

「こっちは冷凍ビーム!」

 

 この至近距離で、とヤグルマは歯噛みする。デスカーンの放った「シャドーボール」が完全な球形と成り、ミロカロスに向けて放たれたがミロカロスが即座に放った冷凍ビームがシャドーボールを弾いた。影の球体が空間を跳ねる中、間髪入れず二度目の攻撃に移る。

 

「もう一度シャドーボール」

 

「冷凍ビームを直撃させれば!」

 

 ミロカロスの攻撃は正確無比に生成していたシャドーボールを手から弾き落とした。シャドーボール二つが空間を舞う中、冷却された空気が元の温度を取り戻す前にミロカロスは肉迫していた。

 

「ドラゴンテール!」

 

 美しい鱗からは想像も出来ないほどの強力な打突。空気を引き裂く攻撃にデスカーンは棺を展開させた。赤い禍々しい眼と乱杭歯が居並ぶ顎を突き出す。

 

「噛んで止めろ!」

 

「させない!」とカラシナが指示したのはデスカーンの足場だった。「ドラゴンテール」は直接攻撃のためにあるのではない。

 

「デスカーンの足場崩しのためか」

 

「デスカーンは見たところ、耐久型。ちまちました攻撃で落とせるとは思えない。だから、足元を狙う」

 

 カラシナの目論見通り、足場を崩されたデスカーンは無様に転がった。しかもミロカロスは心得ているのかデスカーンには接触しない。ヤグルマは舌打ちする。少しでも触れればミイラの虜になるものを。

 

「転がったわね。追い討ちをかけるわ。冷凍ビーム」

 

 ミロカロスがデスカーンの頭上で水色のエネルギー体を凝縮させる。これで決まると思い込んでいたのだろう。実際、通常のバトルならばこれで決まってもおかしくはなかった。

 

 だが、ヤグルマは相手が目論見通りに動いてくれた事に感謝する。

 

「シャドーボール。割れろ」

 

 指を鳴らすと空間を漂っていたシャドーボールがシャボン玉のように割れ、中から飛び出してきた青白い炎がミロカロスとカラシナの腕にかかった。ミロカロスは攻撃を中断する。カラシナはというと、腕を押さえて蹲っていた。

 

「これは……」

 

 接触部分から煙が棚引いている。ヤグルマは、「気づかなかったか?」と余裕の声を出す。

 

「シャドーボールの中に仕込んでおいた。どうして弾かれたシャドーボールをそのまま使用し続けたのか。それは内包していた技への伏線だった」

 

「これは、鬼火ね」

 

 即座に見抜いたカラシナに、さすがと賛美を送る。

 

「問答無用で火傷状態にする。これには参るだろう?」

 

 ダメージの蓄積と攻撃力が削がれる火傷状態。耐久型のデスカーンならば相手より先に沈む確率は低い。じわじわとなぶり殺しにしてくれる、とヤグルマが考えた瞬間、「なんてね」とカラシナが口元に笑みを浮かべた。

 

「ミロカロス。痛がっている演技はお終いよ」

 

 その声にミロカロスはあろう事か表皮を脱ぎ捨てた。虹色の美しい鱗に新たな命が点火し、ミロカロスが咆哮する。

 

「何を……」

 

「ミロカロスの特性。それは不思議な鱗。状態異常の時、防御が上がる。状態異常にした事が仇となったわね。こっちもそう簡単には沈まない」

 

 まさか、こちらの攻撃を読んでいたというのか。ヤグルマは、「腐っても優勝候補か」と呻く。

 

「あなたを無力化し、カンザキ執行官をミイラの呪縛から救い出す。ミロカロス!」

 

 ミロカロスが全身から水を放つ。「ハイドロポンプ」か、とデスカーンに防御の姿勢を取らせるよう命じた。だが、何かがおかしい。水からは蒸気が浮かび上がっていた。

 

「これは……!」

 

「熱湯、よ。火傷状態、お返しするわ」

 

 デスカーンの金色の表皮の一部が瞬く間に赤らんでいく。このままではどちらかが倒れるまで戦闘を続けるしかない。ヤグルマは、「ならば!」とデスカーンへと接近を命じた。

 

「刺し違えてでも、ミイラへと放り込むまで!」

 

 カラシナは火傷になった腕を押さえながら、「その心意気は立派だけれど」と口にする。

 

「既に遅いのよ」

 

 水の輪が拡散する。触れた途端、デスカーンの身体に広がったのは凍結だった。ヤグルマは瞠目する。

 

「水を触媒にして、冷凍ビームを近接で放っただと」

 

「彼の戦略を何度か見ていると、ね。同じ事が自分のポケモンでも出来るんじゃないかって思ったのよ。まぁ、結構大変だったけれど」

 

 回復を約束するはずの水の輪は今や一撃がデスカーンを蝕む氷の連鎖と化していた。デスカーンが接触を試みようとすればするほど、凍結範囲は広がっていく。カラシナは攻撃の名前を言い放つ。

 

「瞬間冷却、レベル1、ってところかしら」

 

 デスカーンの身体が凍り付き、ミロカロスの直前で止まる。ミロカロスとカラシナはゆっくりとヤグルマへと歩み寄った。

 

「さて、ミイラ状態を解除してもらおうかしら」

 

「も、もう解除している。だが、あなたは何のためにヘキサを裏切った? ハンサム主任が黙っていないぞ」

 

「そのハンサムへと取り次ごうとしても無駄よ」

 

 カラシナは顎をしゃくるとミロカロスの熱湯をヤグルマの左手首へと浴びせた。激痛と共にポケギアに通信障害が発生する。ヤグルマの左手はほとんど融解していた。骨ばかりになった手を眺めヤグルマが絶叫する。

 

「よく行き届いた防音設備ね。これだけドンパチしても、外から人が駆けつけないなんて」

 

 自分が秘密裏にカンザキを始末しようとした事が裏目に出た。ヤグルマは困惑の眼をカラシナに向ける。

 

「何のためなんだ。ヤナギのためか? だが、あの少年の身柄は組織が預かっている。組織がその気になればいつだって潰せる人員だ。だというのに、そのために動く意味が――」

 

 その先の言葉をカラシナは顎をしゃくって黙らせた。ミロカロスが瞬間冷却を発し、ヤグルマの命を奪い取ろうとする。まだ少しだけ意識はあるのかもしれない。凍結したままうわ言を呟いている。ヤグルマにはもう敵意はなかった。全身に凍結が回ったまま、彼はもう戦う事を放棄した。

 



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第百十六話「パーフェクトアンサー」

 

 デスカーンはまだ生存が確認された。ポケモンによる傷の場合、相手ポケモンから敵意が失せるか絶命しない限り傷そのものは消えない。カンザキの傷を診ようとするが、その前に廊下を忙しない足音が駆け抜ける。

 

「ヤバイ。側近にばれたか」

 

 カラシナはミロカロスを伴い、窓際まで駆け寄ると窓を砕いて飛び出した。窓には水で膜がしてあり、ほとんど飛び散る音を減衰させている。ミロカロスが先に地表に降り立ち、カラシナはミロカロスの補助を受けて着地した。ポケモンリーグの中枢ともなれば人の出入りはないと思っていたが、カラシナは先ほどからこちらを見ている存在へと意識を向ける。

 

「何者……」

 

 周囲は植物の緑と石英の集合体である。このような酔狂な場所にいる人間など思い浮かばない。カラシナが身構えていると物陰から出てきたのは仮面をつけた子供だった。毒気を抜かれた思いでその子供達を見やる。子供達には七つの眼の文様が刻まれた仮面をそれぞれ有していた。

 

「黙示録の仔羊……」

 

 その文様の意味だけは知っている。だが、その仮面を身に纏う人々が実際に存在しているとは思っていなかった。もしかしたら組織の作り出した仮想敵かもしれないと。だが、仮面の子供達は困惑気味に尋ねてくる。

 

「お姉さん、怖い人?」

 

 その言葉にカラシナは、「いいえ」と首を振った。

 

「怖くないわ。ただ、あなた達こそ、こんなところで何をしているの? ここは政府中枢でしょう?」

 

 問われている意味が分からないのか、仮面の子供達は、「先生呼ぶ?」とお互いに小首を傾げている。その、先生とやらはこの場所にいる大人なのか。カラシナは、「案内してもらえる?」と訊いた。

 

 子供達は案外あっさり頷くと、「こんなところに大人が来るのは珍しいなぁ」と呟き始めた。仮面の子供達は見た目こそ不気味だが、何かをしてくる気配はない。カラシナが珍しかったから窺っていただけだろう。カラシナはこの場所に来るのに一方通行のつもりだった。今はミロカロスの「アクアリング」で回復を待っているカンザキに後は喋らせなければ。自分は護衛に訪れただけだ。それも全てはヤナギのためなのだが、もう面は見せられないだろう。そのために名前も捨てた。今はカラシナという過去を捨てた女だ。

 

 政府中枢と思しき庭は洞窟のように枝分かれしており、子供達は走り抜けていく。カラシナは洞窟の表面に触れた。手触りは冷たいが、どこか人工物めいている。この場所は自然に出来た洞窟なのだろうか。カラシナは訊いていた。

 

「ねぇ、君達。この場所っていつからあるの?」

 

「知らないよ。ずうっと昔からあるんだって。先生が言ってた」

 

「ずっと昔……」

 

 その言葉にまさかカントー黎明からか、と浮かびかけたが、それは尚早だ、と考えを取り下げる。

 

「みんな、どこへ行こうとしているの?」

 

「先生のところだよ。先生なら、お姉さんの知りたい事を知っているかもしれないし」

 

 どうやら絶大な信頼を集めている様子だった。仮面の子供達の後頭部を見やると、誰もが皆、灰色の髪をしている事に気づく。髪の長さはまちまちだが、老練したような灰色だ。

 

「君達、仮面を外す事は出来ないの?」

 

「人前で外しちゃ駄目なんだって、先生が」

 

「でもキクコはよく外していたよね。ヤナギ君の前で」

 

「バカ、それは言うなって約束だろ」

 

 キクコとヤナギの名前が不意に出てカラシナは息を詰まらせた。

 

「キクコちゃんとヤナギ君を知っているの?」

 

 その言葉に怪訝そうなのは向こうも同じだった。

 

「あれ、お姉さん、外の人なのにキクコとヤナギ君知っているんだ?」

 

「ああ、うん。そう、ヤナギ君の、友達みたいなもので」

 

 そう形容するしかない。子供達の前で、自分のような歪んだ関係を持った人間の事を話すべきではないと思った。

 

「それなら安心だね。先生はきっと取り計らってくれると思うよ」

 

「でもキクコの知り合いでもあるのか。あいつ愚図だから、外の世界で元気にしているかなぁ」

 

「とっくにへばっているんじゃない?」

 

「でも先生はこの間キクコに会いに行ったよね? 先生のグライオン、傷を受けていたけれど」

 

「キクコが反撃? ないない。それはないよ」

 

 子供達同士で囁き合う光景にカラシナは目の前に幻想が現れているかのような不可思議な感触を抱いた。

 

「ねぇ、キクコちゃんって何なの?」

 

 結局、ヤナギからは一度も聞き出せなかった質問だ。それを切り出すのが怖かったのもある。仮面の子供達は、「私達であって、私達じゃない、って言えばいいのかな」とめいめいに口にする。

 

「ボクであって、ボクでない存在」

 

「それじゃ言い回しが同じだよ。伝わらない」

 

「やっぱり先生に聞かないと。勝手にキクコの事を喋ったら怒られるよ」

 

 子供達の言葉は要領を得ない。自分であって自分ではない、という総括になるがそれでは答えになっていない。

 

「どういう意味なのか、説明してくれるかな」

 

「だから先生に聞くのが一番なんだって。お姉さんに言おうとしても私達じゃ似たような言い回しになっちゃう」

 

「ボク、先に行くねー」

 

「あっ、待ってよ」と駆け出そうとした子供が躓いて転ぶ。カラシナは駆け寄って子供を抱き上げた。

 

「大丈夫?」

 

 そう口にしようとしたカラシナは硬直した。その子供の顔が視界に入った瞬間、息を呑む。

 

「あなた、キクコちゃんと、同じ顔……」

 

 目の前の少女はキクコと瓜二つの顔だった。まさか姉妹か、と考えていると、「駄目だよ!」と少年らしき子供が仮面を被らせた。

 

「人前で仮面を取ったら先生が怒る」

 

「あ、ゴメン」とカラシナが手を離す。どういう事なのか、問い質そうとする前に、「何をやっているのです」と朗々とした声が響き渡る。視線を向けると、石英で出来た階段の上に仮面をつけた女が立っていた。

 

「あっ、先生」と子供達が駆け寄っていく。先ほど仮面を外してしまった少女はばつが悪そうに顔を伏せていた。先生はいきなり、その少女の頬を張る。突然の行動にカラシナが困惑する。

 

「外していいと、誰が言いましたか」

 

「ご、ごめんなさい。先生」

 

 少女の言葉にカラシナは、「ちょ、ちょっと待ってください!」と声を張り上げていた。

 

「あたしが偶然見てしまったのが悪いんです。その子を叱ってやらないで」

 

 先生はカラシナへと顔を振り向け、仮面の表面をなぞる。

 

「この仮面はいわば我らにとって制約。個人としての意思ではなくネメシスという総意としての動きを約束するための」

 

 カラシナは足を止め、「何を、言っているんです?」と尋ねていた。

 

「さっきから変だわ。同じような髪の毛の色をした子供達に、仮面を被らせて。あなたは何を、何者なんです?」

 

 先生はその問いにしばらく呼吸を置いてから、「先ほどこの子の顔を見た時」と声に出した。

 

「キクコと同じ顔だ、と思いましたか?」

 

 胸中を言い当てられ、カラシナは口ごもる。先生は顎をしゃくって、「あなた達、顔を見せなさい」と命じた。

 

「いいんですか?」

 

 子供が問いかける。

 

「私が見せていいと言えばいいのです。それ以外は考えないで結構」

 

 断固とした先生の声に子供達は仮面に手をかけて外し始めた。カラシナは再三、息を呑む事になる。

 

 子供達は誰も彼も同じ顔つきだったからだ。赤い瞳に、灰色の髪。キクコの生き写しを見せられている気分だった。

 

「これが、ある一面での真実」

 

 先生はカラシナへと歩み寄り、そう呟く。カラシナはこみ上げてくる吐き気を抑えながら、「何を、やってこんな事が……」と呻いた。

 

「向こう側からもたらされた技術の一つであり、私達が未来永劫、このカントーという土地を見守るために必要な措置です」

 

「何を言って……!」

 

 カラシナが声を振りかけようとして絶句した。先生はいつの間にか仮面を外している。

 

 その向こう側にあったのは、子供達と、――キクコと同じ顔だった。

 

 ただ一つ、眼だけが黒曜石のような黒である。それ以外はキクコや子供達を大人にした面持ちだった。

 

「何なの……」

 

 カラシナが後ずさる。先生がその手を掴み、「もう逃げ出す事は出来ない」と告げた。

 

「あなたにお教えしましょう。このポケモンリーグで、何をするつもりなのか。キクコとは何なのか。その答えを」

 



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第百十七話「セカイノナミダ」

 

「目標の第三層までの侵入を確認!」

 

 廃棄された発令所だがまだ使える。少なくとも侵入者を検知するくらいは。

 

 ハンサムは連れて来たエンジニア達を早速座らせ、倒壊後のシルフビルにてシルフカンパニーがロケット団にどれだけ投資してきたのか。そもそも実権を持っていたのはどちらなのかを精査させようとした。だが、その時であった。侵入者をシステムが探知したのは。寝起き面を叩き起こされた感覚をエンジニア達は味わった事だろう。慣れない発令所の椅子に座り、難解なパスコードを用いてシステムに介入したのはいいが、展開する隔壁を一枚、また一枚と破られていく感触は気味が悪かった。何より、ここはもう廃棄されたはずだ。今さら、何者が攻めてくるというのか。ハンサムは腕を組んで、「侵入者の姿は?」と問い質す。

 

「不明です! しかしシルフビル倒壊でも破れなかった隔壁をこうも容易く……」

 

「こちらの声を聞かせる事は出来るか?」

 

「いえ、目標が常に動いているせいで正確に声を伝えるのは難しいです」

 

「ではこの地下発令所に誰が攻めてくるのかも分からない状況を是としろと?」

 

 エンジニア達が息を呑む。分かっている。ここでストレスを与えるわけにはいかない。だが同時に、この発令所に今のタイミングで踏み込まれれば非情に厄介だ。いくら組織の動きといえども、政府に関知されるとなれば動きにくい事この上ない。

 

「いちいち役人連中にヘキサの存在を報せるわけにはいかないだろう」

 

 カンザキ執行官はヤグルマが確保しているはずだが、口封じには成功しただろうか。もうすぐ作戦決行時刻だったが依然連絡はない。それとももう排除に成功したという意味だろうか。ハンサムがポケギアに目をやっていると、「強力な電磁波を感知!」とエンジニアの声が飛ぶ。

 

「これは、電気タイプ?」

 

 その言葉にハンサムが命令の声を飛ばす。

 

「耐電仕様の隔壁くらいあるだろう。それを前面に設置し――」

 

「さらに高エネルギー体が接近!」

 

「何だと……」

 

 隔壁が一気に破られ、爆発の連鎖反応が巻き起こる。

 

「電気タイプでは」

 

「これは、炎タイプの攻撃です」

 

「ニトロチャージか?」

 

 思い浮かぶ技の名前を上げたが次の瞬間、全員の予感が裏切られた。巨大な氷柱が発令所の真上から重点的な隔壁を排除して迫ってくるのだ。エンジニア達が席から腰を浮かせ、「来る、来るぞ!」と悲鳴を上げて逃げ出した。ハンサムだけが発令所の中で静かに佇んでいたが、天井を破った氷柱は回転しており、未だに破壊を撒き散らしている。

 

 ハンサムは落ち着いて声にした。

 

「君らの一派か。電気、炎と、なるほど、一つの隔壁では役に立たないわけだ」

 

「俺が望む事を理解しているな。国際警察ハンサム」

 

 氷柱の上に立ち、自分を睥睨してくるのは一人の少年だ。青いコートを身に纏い、白いマフラーを棚引かせる。凍て付いた空気が充満し、茶色の毛並みを持つポケモンが震えた。

 

「カンザキ・ヤナギ君。会うのは初めてだね」

 

「シロナから何度か聞いた。あの時、お前らの作戦概要を頂戴しなかったら、恐らくはまだヤマブキに留まろうとは思わなかっただろう」

 

 ヤナギがポケギアを掲げる。どうやらシロナは最期の瞬間にヤナギへと作戦概要を伝えていたらしい。ヘキサの正義のためではあるまい。彼女自身、納得が欲しかった証拠だ。

 

「彼女らしいな」というハンサムの自嘲はヤナギの癇に障ったのだろう。空気がざわりと殺気立った。

 

「言葉に気をつける事だな。お前の命など、天秤にかけるまでもない。ここで死ぬか?」

 

 ヤナギの声音は本気だ。本気で自分を殺そうとしている。だが、ハンサムはそれを思い留まらせる言葉を知っていた。

 

「いいのかな? 我々の真意も知らず、私のような中間の人間を殺したところで、組織は生き永らえるぞ。今度こそ、君は尻尾を掴めない。彼女が命を賭して君に遺したものを、無駄にするかね」

 

 ヤナギは歯軋りを漏らし、「教えてもらおう」と口にする。

 

「ポケモンリーグとは何だ? お前らは、何のためにこの戦いに干渉している?」

 

「それを話すには少しだけ準備がいるが、いいかな?」

 

「この発令所では無理な話か?」

 

「いや、ここだから私は話せる。他の場所では盗聴の危険性があるが、ここならばその危険性もない。私は組織に知られずに君に真相を話せると言っているんだ」

 

 ヤナギは鋭い眼差しはそのままに要求の声を出す。

 

「話してみろ」

 

「ここには恐らくロケット団の連中も似たようなものを残しているはずだよ。それが発見された区画まで歩こうか」

 

 ハンサムが身を翻すとヤナギはポケモンを出したままついてきた。あれはマンムーだ。強力な氷タイプである。下手に手出しをしても返り討ちに遭うだけ。ならば従うほうが賢明だ。

 

「その区画って言うのは何だ?」

 

「君は、このカントーの興りを知っているか?」

 

 ヤナギは少しの沈黙の後、「興味がないな」と切り捨てた。

 

「そうでもないはずだ。シロナ、彼女はよくその話をしたろう?」

 

 その言葉にヤナギから返ってきたのは肌を粟立たせる殺気の渦だった。自分とシロナとの間に男と女の仲があったと考えているのだろう。ここで怒らせるのは得策ではない。

 

「誤解しないでくれ。ただ、彼女とはよく話した身。この話題が考古学者である彼女を奮い立たせる一因であった。私と彼女の間に、深い意味はないよ」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「どうだかな」と口にした。

 

「君の中で、それほどシロナという女性は軽薄かね?」

 

 少しでも返答を間違えれば即殺されそうだったが、ハンサムはあえて余裕めいた口調を崩さなかった。歩みながら、ヤナギがきちんとついてきている事を確認する。

 

「閉鎖区画だが、我々の技術を使えば一日で開いたよ。もしかするとロケット団はそれほどここを重要視していなかったのかもしれない」

 

「ロケット団?」

 

 ヤナギが聞き返す。ハンサムは、「そうか」と頷いた。

 

「ロケット団というのはシルフカンパニーの下部組織だ。犯罪を請け負う組織だったとも言える。闇の側面さ。君も感じないわけではなかっただろう」

 

 ヤナギは無言を返す。それが肯定になっていた。

 

「この大型エレベーターは地下十一階に通じている」

 

「十一階?」

 

 地上のシルフビルよりも深い地下に何があるのか、彼は少しだけ興味を示したようだ。ハンサムは、「ついてきたまえ」と促す。ヤナギはモンスターボールにマンムーを戻し、エレベーターに乗った。するとエレベーターの天井が軋む。

 

「何か俺にあれば、上の連中が黙っていない」

 

 保険というわけか、とハンサムは納得する。

 

「なるほど。君もなかなかに用意周到だな」

 

「お前らほどではない」

 

 下降していくエレベーターを感じながら、「君は」とハンサムは口を開いた。

 

「何のために戦っているんだ? もうシロナの意思を継ぐにしてもこれ以上は出過ぎた真似ではないのか?」

 

「そうかどうかは俺が決める」

 

 ハンサムはヤナギの答えに口元を緩めた。

 

「特異点とやりあっただけはある。君は、転んでもただでは起きない性格だな」

 

「特異点とは何だ?」

 

「着いたぞ」

 

 ヤナギの質問をエレベーターの到着音が掻き消す。壁には明滅する「R」の赤いマークがある。

 

「これが、ロケット団か」

 

「ああ。彼らが隠していたのは、これだ」

 

 ハンサムが壁の照明スイッチを入れる。すると投光機が壁に備え付けられたそれを照らし出した。ヤナギが息を呑んだのが分かる。

 

「これは、カントーの地図か?」

 

「すぐにそうと気づく辺りさすがだね」

 

 ハンサムが賞賛の拍手を叩きながら歩み寄る。ヤナギは壁にある石版へと顎をしゃくる。

 

「これは何だ?」

 

「レプリカだが、これはある組織が持つ石版と同じ形状のものだ」

 

 中央に青い六角形があり、一部が赤く区切られている。

 

「ヘキサツールと呼ばれている」

 

「ヘキサツール……」

 

「信じられないと思うが、これはある種の預言書でね。この予言に従い、歴史を動かそうとしている連中と我々は対立している」

 

「それが、ロケット団か」

 

 ヤナギの言葉にハンサムは首を横に振った。

 

「ロケット団は、これを利用しようと考えている組織だ。最終目的は我々と変わりはしないが、少しだけ計画のやり方が異なっている」

 

「ではこれを元に歴史を動かそうとしている集団とは何だ?」

 

 ハンサムはヘキサツールを眺めながら、「我々も知りたいよ」と呟く。

 

「名前すら定かではない。だがその集団は古よりヘキサツールの予言に従い、カントーの地を造った」

 

「人間が、カントー地方を造ったというのか」

 

「おかしい話でもあるまい。シンオウはポケモンによる創世神話がある」

 

 その言葉にヤナギが口を噤む。シロナとの思い出でも脳裏を過ぎったのかもしれない。

 

「このヘキサツールは、我らの組織にも似たようにレプリカがある。どうやら古の一派は三つの集団に別れたらしい。保守的な、歴史を守る事を至上目的とする集団と、ロケット団と、我らが組織ヘキサへと」

 

「ヘキサ……」

 

 ハンサムは微笑み、「ヘキサツールの名を冠しているのは伊達じゃないよ」とヤナギを見据えた。

 

「この預言書に書かれている事は、今の我々では解読出来ないが、ほぼ実行されているらしい。その中に、このポケモンリーグの記述がある」

 

「ではこの戦いは、既に記述されたものだと言うのか」

 

「それどころか、この預言書は今より四十年後の未来まで予想している。なにせ、このヘキサツールは四十年後の未来から来た物質なのだからね」

 

 ハンサムの言葉にヤナギは瞠目したが、「詳しく話を聞くと長くなりそうだな」とヘキサツールへと視線を戻した。

 

「賢明だ。私もこの話をするのは面倒でね。頭がこんがらがってしまう」

 

 四十年後の未来から、しかも次元を超えてやってきた物体の通りに歴史が進んでいるなど、話すだけで恐ろしい。

 

「これを守っている組織は二つ。我らヘキサと歴史の裏に潜む集団、手に入れた情報では仮面の軍勢と名指しされていたが」

 

「仮面の、軍勢」

 

 仮面、という部分がヤナギに引っかかったらしい。もしかすると当たりか、と感じたがハンサムは言葉を続ける。

 

「仮面の軍勢はヘキサツールに刻まれたとある事象を実行するために存在している」

 

「とある事象とは何だ」

 

 ヤナギの声にハンサムは指を一本立てて口にする。

 

「この預言書の終わり、つまりは人類の終焉だよ」



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第百十八話「境界侵犯者」

 

「馬鹿馬鹿しい。そんな事が記されているなんて」

 

 カラシナは一笑に付そうとしたが先生は真剣な声音で語りかける。

 

「しかし、四十年後から先の記述はないのです。これは、つまり向こう側の次元が四十年後に消滅した、と考えて間違いはないでしょう」

 

 人類終焉。だが、そのような非現実がまかり通ってなるものか。

 

「百歩譲って、ヘキサツールの記述通りに歴史が進んでいるとしましょう。でも、だったら、終焉を回避する手段もあるはずだわ。だってある程度は分かっているでしょう? 必要な事象という奴が。それを踏まえないと歴史は記述通りにならない。つまるところポイントよ。そのポイントを押さえる事こそが歴史を矯正する手段足りえる」

 

 カラシナの言葉に先生は、「それを我々は特異点と呼んでいます」と答えた。

 

「特異点……」

 

「歴史を順序よく回すポイント。その人物が、あるいはその事象があるからこそ歴史はきちんと繰り返す。タジリン伯爵のスケッチやポケモンの発見年代がそうです」

 

 カラシナは絶句する。この世界においてターニングポイントとなった事象は全て組み込まれているというのか。

 

「……あなた達が、それをコントロールしてきたの?」

 

「全てはカントーという土地の力です。ポケモンの発見も、生息域も全てカントーという土地が造られたと同時に組み込まれた事象」

 

 キクコの顔にしか見えない先生が無情に告げる。その顔を伏せて残念そうに語る先生にカラシナは、「でも」と抗弁を発する。

 

「他の地方はどうなるの? カントー以外は。この歴史上に進むとは限らないんじゃ」

 

「カントーはいわば時限爆弾です。この次元に同じ地方として存在した。それだけでもう歴史として設定されたのですよ」

 

 背筋が震える。そのような事がまかり通ってなるものか。だが、先生の言葉にカラシナは言い返す事も出来ない。

 

「人類終焉。どうしてあなた達はそれを回避しようとしないの?」

 

「先人達が、その回避に尽力した結果が今でしょう。我らネメシスは、それを受け容れる集団。滅びの時が来ると言っても安らかな心持ちであれば全ては安息の後に過ぎ去るはずです」

 

 つまりは滅びを静観せよ、という事か。しかし、そのような人間ばかりではないだろう。

 

「滅びを回避しようとした集団のうちの一派が、あたしの所属していた組織、ヘキサ……」

 

 伝えられれば確かに先回りが過ぎた部分はあった作戦が多かった。だが、今にして思えば、だ。当然、歯車の一部分として動いている時にはそのような事は感じない。ヘキサの作戦内容に疑いすら抱かなかった。自分が犠牲になれと言われた時以外は。

 

「ヘキサは、人の命を何とも思っていないでしょう。だから、あなたのような人間を殺そうとした」

 

「でも、そんな事を言ったらあなた達だってそうよ。最終的にみんな滅びてしまうのならば、黙っていようって。それってヘキサと何が違うって言うの?」

 

 先生は、「色々と言いたい事はあるでしょうが」と手の中の仮面に視線を落とす。

 

「私達の目的が歴史を繰り返す事。それだけは確かな事です」

 

「それって愚かだとは感じないの?」

 

 カラシナの声に先生は、「愚か、というのは」と嘆息を漏らす。

 

「未来がいつまでも延命し続けると感じる事です。この宇宙と世界には寿命があり、それには抗えない。ただ安穏と日々を過ごし、惰眠の只中にいる人々に知らせるべきではありませんよ。当たり前の事ですら、彼らには度し難いのですから」

 

 喚いたところで無駄。というわけだ。それに先生の言葉に納得している自分も存在する。世界は延命しない。いつか終わりはやってくる。それは今ではないだけで、いつかはやってくるのだ。皆が目を逸らし、耳を塞いでいるがその予感は人間として生を受けた瞬間から始まっている。

 

「でもたった四十年って……」

 

 時間がない。今すぐにでも動くべきでは、と考えたが、それを実行しているのがヘキサとロケット団なのだろう。

 

「ロケット団という事象は、本来、ちょうど三十年後くらいに出現する予定でした。ですが、この予言を知る人間がそれを早めた。しかし、早めたところでロケット団として完成はしない。卵を熱したところで早く雛が孵るわけではないように、早熟の組織は瓦解を始めるでしょう」

 

 先生の理論は正しい。だがロケット団を作った連中の考えも分かる。

 

「ロケット団の最終目的は、人類終焉の回避ね」

 

「ヘキサも同じです。しかし、方法論が異なる」

 

「どう違うって言うの?」

 

 先生はヘキサツールを眺め、「詳しい事は私にも分かりませんが」と前置きする。

 

「伝説の三体、それに特異点、ジムバッジ、これらをキーとして誘発させる事象があるのでしょう」

 

 ファイヤー、サンダー、フリーザーの事だろう。サンダーはヘキサの手にあるはずだ。「フリーザーを手に入れました」という先生の言葉にカラシナは瞠目した。

 

「あなた達、やっぱり――」

 

「勘違いしないで欲しいのは、我々はあくまで計画の阻止を目的としているだけ。彼らの計画は歴史の通りに動かす我らよりもなおおぞましい」

 

 先生が嫌悪を催す目を向ける。人類終焉よりもおぞましい結末とは何なのか。カラシナは問うた。

 

「ヘキサは特異点を破壊する事にこだわっている。対してロケット団には特異点を保護する事にこだわっています」

 

「特異点の保護。破壊、って殺すって事よね」

 

 今さらの確認事項に違いなかったが、その特異点とやらに選出された人間は不幸だ。歴史のために死ねというのだから。先生は首肯し、「歴史のために排除される人間、というものを」と顔を振り向ける。

 

「作ってはいけない、と考えています」

 

「じゃあ、あなた達も特異点保護派?」

 

「いえ、我々は特異点という存在が発する歴史矯正の効果を狙って、このポケモンリーグを安全圏に持ってくる事を狙っています」

 

「安全圏?」

 

 それはつまり支配下、という認識でいいのだろうか。カラシナの眼差しに、「特異点は」と先生は口を開いた。

 

「歴史矯正機能。つまり、その人物がいる事で、本来の歴史へと世界が調律される機能を持っています」

 

「要所要所に存在する、ポイントのようなものね」

 

「調律機能を破壊されれば、世界はどう転ぶのか分からない。ですが、その機能さえ保全されていれば、世界は万全のうちに回る」

 

「誰なの? 特異点というのは」

 

 この段になって聞かないわけにはいかない。先生は、「予言されていた事項では」と答える。

 

「オーキド・ユキナリ。それがこの時間軸の特異点のはずです」

 

 意想外の名前にカラシナは目を見開く。ヤナギが目の敵にしていたトレーナー、オーキド・ユキナリこそが特異点だったなど。

 

「彼は何を成し遂げるの?」

 

 特異点は歴史上、重要な事柄を成立させる事に貢献する。それに即して考えればユキナリは何らかの偉業を成す人物なのだろう。

 

「今より三十年先にポケモン図鑑と呼ばれるポケモンの生態系を記録する媒体が開発されます。全てのポケモンを網羅する機能。それの開発者であり、責任者がオーキド・ユキナリです」

 

 思わぬ言葉だった。それほどの偉業はポケモンからしてみても人間からしてみても偉人の領域だ。カラシナは、「あの子が……」とにわかには信じられない声を出す。

 

「そんな開発を」

 

「これは間接的に滅びへと繋がる事項を含んでいます。オーキド・ユキナリは滅びへ導く人間と言える側面もあります」

 

「滅びへ、って、ポケモン図鑑の開発が何で滅びを誘発するのよ」

 

 ポケモンの生態系の網羅がいけないのか。それともその開発そのものがタブーなのか。カラシナの思考に先生は、「そのポケモン図鑑を渡された子供達」と口にした。

 

「そのうち一人がカントーの王になる。その少年はカントー地方を制覇し、最強の称号を手に入れる。通常の歴史ならば、彼は単身でロケット団を壊滅に追い込みます」

 

 先生の言葉は信じがたかったが事実なのだろう。大それた嘘を並べても仕方あるまい。今は、彼女の言葉は全て真実と考えるべきだ。

 

「それほどにすごいトレーナーが出現するなんて。でも、そうなってくるとカントーの王が存在していなければいけないわよね?」

 

 今次のポケモンリーグは成功を収め、王が誕生する事になるだろう。三十年後もポケモンリーグが存続するためには。先生は、「あなたの疑問ももっとも」と頷いた。

 

「今回のポケモンリーグは成功します。そのために必要な事象は王の死でした」

 

 カラシナは目を瞠り、そして納得した。

 

「……あなた達が、王を殺したのね」

 

 王殺し。その血塗られた道の先に未来があるというのか。先生は、「必要だから行ったまでです」と無機質に答える。まるで人形だ。歴史という傀儡回しに動かされている人形が、人の姿を取っているだけに思える。

 

「おかしいと思っていたわ。チャンピオンが死んでその勅命で通信可能な地方全域にポケモンリーグを発布なんて。出来過ぎている。全て、あなた達のせいね」

 

「心外ですね。これは歴史通りに動いているだけの事。私がやらなくとも、誰かがやっていた」

 

「どうだか」とカラシナは鼻を鳴らす。それで殺人が正当化されると思っているのか。

 

「ただ今回、オーキド・ユキナリの生存とポケモン図鑑の完成こそが三十年後の未来に繋ぐ事象だったのですが、一つだけ、いいえ、一つではありませんが、この次元は元の次元とは異なっています」

 

「そりゃ、そうでしょうよ。歴史の通りに動かすと言っても、細部は違ってくる」

 

「細部、というよりもこの時間軸にいるはずのない人間がいるのです。その一人が、サカキという少年」

 

 シルフカンパニー、いや、今はロケット団が動かしているトレーナーだ。トキワシティでの開幕時にしか顔を合わせた事がない。

 

「サカキがどうかしたの?」

 

「彼は、三十年後のロケット団の首領です」

 

 カラシナが言葉をなくす。今、先生は何と言ったのか。

 

「……何ですって?」

 

「彼もまた、破滅へと導く人間の一人。三十年後、オーキド・ユキナリが見出したトレーナーに彼は倒される。これも決定事項だったはずなのですが、本来、この時間にいるはずのない人間が混じっている。このポケモンリーグは、歴史をなぞっているだけではない。何かが胎動しています」

 

「何か、って」

 

 その何かを明言する手段がないのだろう。先生は歯噛みする。

 

「ロケット団は、本来ならば三十年後に最も勢力を伸ばしている組織。だというのに、何故今なのか。この時間軸でいくらロケット団という組織を発足させようとしても必ず、無理が生じます。それは歴史の強制力に抗う形になりますから」

 

「つまり、あなた達はこう言いたいの? この時間軸で、それにそぐわない行動は全て無為に帰すと」

 

「そのはずなのです」

 

 先生はヘキサツールを仰ぎ見て、「予言は絶対のはず」と口にした。

 

「ですが、予言通りにいかない事象が多過ぎる。ひょっとすると、元の次元からこの次元に跳ばされた際、一種の歪が生じてしまったのかもしれません。ヘキサツールの予言通りにいかないとなれば、我々も動かざるを得ない」

 

「その手の一つが、この子供達、というわけ」

 

 カラシナが子供達を眺める。子供達は赤い瞳を困惑に揺らしていた。先生は、「彼ら彼女らは必要だったのです」と応じる。

 

「何をしたって言うの? みんな、同じ顔なんて」

 

「彼らは技術の粋を集めて造られた、ネメシスの中核を成すコピーの人々。同じ遺伝子を持つ人間の事を我らはレプリカントと呼んでいます」

 

「レプリカント……」

 

 問題なのは名前ではない。何故、同じ遺伝子を持つ人間が多数必要だったのか、である。

 

「あなたの遺伝子を使っているのよね?」

 

 カラシナの質問に先生は、「半分、正解です」と答えた。

 

「正しくは、私の遺伝子でさえ、先人達の造り上げてきたレプリカントの末裔でしかない。その反動か、私のようなオリジナル個体はテロメアが短いのです。本来の年齢と一致していない。私は、こう言うと困惑されるでしょうがあなたよりも生きてきた年月は少ないのです」

 

 思わぬ告白にカラシナは戸惑うしかない。目の前の相手は自分よりも年上に見えるが、実際にはどれだけの年月しか生きていないのだろう。それで「先生」を名乗らねばならなかった彼女の生き方の歪さにカラシナは胸を締め付けられる。

 

「じゃあ、この子達は……」

 

「レプリカントの遺伝子と、ポケモンの遺伝子を掛け合わせた、ポケモンと人間の境界を冒す者達です。ですが、これも失敗作でした」

 

 失敗、という言葉にカラシナは子供達を見やる。誰もが皆、無機質な視線を向けていた。

 

「失敗、って言うのは」

 

「個体ごとのばらつきが激しいのです。ポケモンの遺伝子を入れたからと言って、誰もが同じように力を行使できるわけではない。我々はA判定からE判定まで子供達を振り分けました。ここにいる子供達はB判定以下です」

 

 そのような非情な烙印を子供達に押したネメシスの大人達もそうだが、ポケモンの遺伝子を望まずに組み込まれた子供達の、何と哀れな事か。カラシナは、「この子達の寿命は」と訊いていた。

 

「ポケモンとの同調によって寿命にばらつきが出るでしょう。判定が高いほど寿命は長いはずです。私は、ポケモンの遺伝子は組み込まれませんでしたがC判定。この子達にも劣ります」

 

 つまりポケモンを扱う上で、これ以上ない逸材達というわけか。だが、カラシナには疑問が残る。

 

「B判定以上の子供は、生まれなかったの?」

 

 生まれなかった、と言って欲しかった。そうでなければ、その子供は――。

 

 先生は、「一人だけ」と言葉を発する。

 

「一人だけ、生まれました。A判定の子供が」

 

「キクコだよ」と子供の一人が告げる。カラシナは視線を振り向けた。子供達は顔を見合わせて、「キクコだけだよね」と頷き合う。

 

「Aなのは。ボクらはBやCの子達」

 

「でもキクコみたいなどん臭い奴がAなんて面白くないからさ」

 

「いっつもみんなより遅れていたしね」

 

 カラシナは子供達の無邪気な言葉の中に、大人の邪悪の深淵を見た。

 

「……キクコちゃん、なんですね。A判定の子供は」

 

 先生は嘆息を漏らし、「ええ」と頷く。ならばヤナギの心惹かれていた少女は。ユキナリが行動を共にしていた少女は。

 

「はい。キクコこそがネメシスの要。彼女が全てのバッジを取得すれば、何の問題もない。そうする事で調和が生まれ、歴史の通りに事が進むのならば」

 

 カラシナは先生の胸倉を掴み上げていた。子供達が一斉に先生を呼ぶ。カラシナは自分の胸のうちから漏れ出す熱に任せて声を発していた。

 

「そんな事のために、命を冒涜したの? そんな、歴史一つのために、生み出された命なんて……」

 

 命ではない。そう言おうとして口ごもった。今もまた、生きている命。ヤナギが特別な意味を見出した命。それを否定したくなかった。先生は、「仕方がないのです」とだけ応ずる。

 

「歴史のためならば、人の命一つなど、いくらでも。歴史は何度だって繰り返します。永続する命のために、細胞が作りかえられるのと何ら変わらない。我々は歴史という生命を潤滑に回すための細胞でしかないのです」

 

 歴史の延命のためだけに消費される命など、と言おうとしたが、それは全ての人類やポケモンに当てはまる。彼ら彼女らの命は一刹那だが、繋ぐ事で永続する。ある意味では消費こそが、歴史や生命を巡らせるために必要な事なのだ。

 

「それでも……、それでも!」

 

 カラシナの声は無意味に響き渡る。怒りとも、悲しみともつかない感情が胸の中で暴れ回った。掴んでいた手を離させ、先生は言葉を続ける。

 

「しかし、我々は歴史を回すためだけに存在する。ヘキサやロケット団は違います。やがて来る滅び、その回避のためにヘキサは特異点を抹殺しようとしている」

 

「……何ですって?」

 

 特異点の抹殺。それが意味するのは歴史の通りに物事が進まないという事。だがそれ以上に、自分の属していた組織が少年一人を抹殺するために存在していた事が信じられなかった。

 

「そんな、馬鹿な事が……」

 

「まかり通るのですよ。オーキド・ユキナリを殺せば滅びを誘発する一因が減る。ロケット団は存続しますが所詮一組織に過ぎない。いつでも潰そうと思えば潰せる算段なのでしょう。ヘキサは、新たなる歴史を紡ごうと画策する組織。対して、ロケット団の考え方は保守的です。特異点を保護する事で、少しだけ歴史のベクトルを変えようとしている。そのためのサカキなのでしょう」

 

「さっきも言っていたけれど、サカキは本来、いないはずの人間なんでしょう?」

 

 先生は首肯し、「あと二十年先に生まれる予定の命です」と告げた。

 

「それがどうして」

 

「だから、歪んでいるのですよ。この次元そのものが」

 

 先生は頭を振りつつ、「どこまでが予言に忠実なのか、誰にも分かりません」と言った。

 

「もしかしたら私とあなたの存在だって予言通りではないのかもしれない。ですが、我々は行動するしかないのです。それだけが、未来へと繋ぐ事が出来る唯一の道」

 

 自分の存在そのものでさえ、決められた道筋通りではないのかもしれない。それは不安でもあり、自己存在への懐疑にも繋がる。

 

 カラシナは改めて問うた。

 

「ロケット団の目的は?」

 

「今のところ不明な部分が多いですね。どうして今、ロケット団を興したのか。ヘキサツールを握っている人間ならば無駄な事が分かっているはずなのですが」

 

 解せない、とでも言いたげな口調にカラシナは、「何となく分かるわ」と答えた。

 

「ヘキサツールを握っているからこそ、その通りにはさせたくないっていう、今の人間の気持ちが」

 

 先生はそれに関しては無言を貫き、「もう一つ、不明な事として」と列挙した。

 

「三体の伝説の確保」

 

「それは、あたしも不審に思ったわ。どうしてヘキサとロケット団、あなた達とで取り合いみたいな事をしているの?」

 

「我々は奪い合いに参加した覚えはないのですが、結果的にそうなりましたね。それもこれも、ロケット団が全てを確保しようとするからなのですがその行動に謎は多い。バッジを総取りする意味ならば分かります。ですが、伝説の三体の鳥ポケモンに関しては全く意味不明です。集めたところで、戦力の増強くらいにしかならない」

 

 どれだけ強いポケモンを揃えたところで制する自信があるとでも言いたげだったがあるのだろう。ネメシス側からしても伝説の三体を揃える意味は分かりかねるようだ。

 

「あたしにも、全く理解の範疇を超えていた。でも、命じられれば捕らえるしかない」

 

「うち一体、サンダーを捕獲したのでしたね。その運用に関しては?」

 

 カラシナは首を横に振った。

 

「全くよ。何の指示もない」

 

 それは不思議でならない。いくら実力者であるカミツレに預けられたとはいえ、伝説のポケモンだ。何が起こるのか分かったものではない。

 

「我々はヘキサによる三体の集結、あるいはロケット団による収集を恐れ、フリーザー捕獲の任を任せましたが」

 

 先生が天を仰ぐ。すると虹色に乱反射する羽根を持った鳥ポケモンが流麗な翼を広げて舞い降りてくるのが視界に入った。

 

「上手くいったようですね」

 

 先生は仮面を被ろうとする。これから降り立つ者達には顔を見せる気はないのだろう。カラシナは一つだけ訊いておいた。

 

「教えて欲しい。あなたの、本当の名前は何?」

 

 先生ではない、個人としての名前だ。カラシナはどうしても知っておきたかった。この先生がただ人の命を弄ぶだけの人間だと断じたくなかったのもある。

 

 先生は紫色の紅の引かれた唇で名前を紡いだ。

 

「――キクノ、というのが私の名前です」

 

 キクノはその一言だけを呟き、仮面を被った。間もなく降り立ってきた人影にカラシナは瞠目する。そこにいたのは優勝候補の一角、イブキと誘拐されたはずのマサキだったからだ。

 

「どうして、あなた達二人が……」

 

「シロナ・カンナギ……? 何で、あなたがここに」

 

 お互いに疑問を氷解させる必要があるのだろう。仮面を被ったキクノは「先生」としての声を張り上げた。

 

「お疲れ様です、イブキ様。マサキ様。あなた達にも説明せねばなりません」

 



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第百十九話「灰色の境界」

「馬鹿な!」

 

 ヤナギが手を薙ぎ払う。そのような真実は受け容れられないとでも言うように。ハンサムは、「だからこそ、全てを秘密のうちに終わらせようと感じていたんだよ」と口にする。

 

「どうかな? お前らの事だ。利権を全て食い荒らしてから、その食べかすを与えるくらいの気持ちだったのだろう」

 

 ヤナギの言葉は随分と乱暴だが、ヘキサの真髄を表しているとも言えた。

 

「……確かに、全てを人民に与える事は不可能だよ。だがね、我々の行動はきっと実を結ぶ。そうでなくっては、近い将来、この世界は滅びてしまうんだから」

 

 滅びの回避のためならばどのような手も打とう。たとえ鬼畜と罵られようとも。ヤナギは歯噛みする。一面ではヘキサを完全に非難出来ない事も発見しているのだ。この子供は賢い、とハンサムは感じ取る。

 

「……だが、特異点を破壊しようにもサカキの行方はようとして知れないのだろう?」

 

「片一方は分かっているだろう? オーキド・ユキナリだ。君にとっても因縁の名のはずだよ」

 

 ハンサムはユキナリとヤナギについてシロナの報告以上の事は知らないが深い溝がある事だけは話の節々で窺えた。

 

「どうかな? 君がオーキド・ユキナリを殺す、というのは。我々にしてみても君という戦力も得られて一石二鳥なのだが」

 

 その言葉の途中で空気中に形成された氷柱の針が首筋へと向けられた。ハンサムは息を呑む。一瞬のうちに凶器を発現させた実力もそうだが、迷いなく自分を殺そうとする態度にも、だ。

 

「お前達に与するつもりはない」

 

「では言い方を変えよう」

 

 ハンサムは両手を上げて下手に出る。殺されては元も子もない。

 

「君が我らを率いるんだ」

 

「何……」

 

 ヤナギが息を詰まらせる。ハンサムは一気に捲くし立てた。

 

「君が我らのリーダーとなり、我々の悲願を成就させてくれるのならば、何の問題もあるまい? 私としても強いトレーナーは欲しいが、別に部下にこだわる必要もない。それが有能な上司でも構わない」

 

 ヘキサの最終目的は滅びの回避。そのためにはトップダウンにこだわってはいられない。ヤナギは顔を翳らせる。

 

「だが、俺はオーキド・ユキナリに敗北した……」

 

「トレーナーならばたった一度の敗北で何を――」

 

「たった一度でも! 俺は奴に敗北した俺が許せない!」

 

 どうやらそれほどまでにユキナリへの執着と憎悪は強いらしい。ハンサムはこれを利用しない手はないと考えた。

 

「……君が勝てる手を打っておこう」

 

「汚い手で勝っても俺の本意ではない」

 

「いや、正々堂々さ。オーキド・ユキナリに君との実力差を分からせる」

 

「どうやって。マンムーは俺の誇りだが、こいつでは勝てない事が分かっている。少なくともポケモンリーグの間だけでは」

 

「ならばその期間中だけ相棒を替えてみるのはいかがかな? 交換は禁止されていない」

 

「交換だと? 俺の瞬間冷却速度と命令にぴったりと合ってくる奴はこいつしかいない」

 

「そのマンムー以上に器用となると、もう特別なポケモンを使うしかないな」

 

 特別、という言葉にヤナギは睨む目を鋭くした。

 

「当てがある、ような言い草だな」

 

 ハンサムはポケギアを掲げ、「私が手にしようとしていた力だが」と前置いた。

 

「もういいだろう。君ならばこいつを百二十パーセント使えるはずだ。ちょうど氷タイプでもある」

 

「どんなポケモンだ」

 

 ハンサムは、「心配はいらない」と言い放つ。

 

「とても強いポケモンだよ。イッシュから運ばれてくる。ちょっとばかし捕獲に手間取ったが、我が組織は相当数のトレーナーを抱えている。カントー標準時の明日、運ばれてくる予定だ」

 

「モンスターボールに入るんだろうな?」

 

 ハンサムは、「さぁね」と首を振った。

 

「何せ、あれは伝説のポケモンだ。どこまで制御下に置けるかは、君次第、と言ったところか」

 

 ヤナギは臆する様子もない。それどころか、その力を手に出来るとなれば飛びついてくるだろう。この少年は力への探究心は人一倍にある。それはハンサムの目に狂いはない。

 

「……いいだろう。そのポケモン、もらいうけよう。して、その名前は?」

 

 ハンサムはそのポケモンの名を紡ぐ。滅びを回避するためならば悪魔にも魂を売ろう。

 

 目の前の少年はちょうど、その悪魔に相応しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イッシュの上空を飛ぶのは一機の全翼型戦闘機だ。黒い三角形が飛ぶ様は技術大国として誇りを持っているイッシュとはいえ民には奇異に映った事だろう。その日、イッシュの民はこう記録している。

 

『空に、巨大な氷塊を運ぶ飛行物体現る』

 

 三面記事を賑わせたこの情報はすぐに握り潰された。

 

 全翼型の戦闘機からワイヤーが吊るされ、赤い十字架が無数に身体へと突き刺さった灰色のポケモンがいた。血液が噴き出すべき場所からは高密度の冷気が流れ出し、空からは雹が降っている。

 

 左右非対称の折れ曲がった翼を持ち、身体は灰色でありながら自らが発する冷気によって凍り付いている。長い首を有しており、鋭く尖った三角形の頭部には黄色の眼光があった。その眼が空域を監視している。

 

 雲へと入る前に一匹の鳥ポケモンがその空域へと迷い出た。その瞬間、すれ違っただけだというのに、その鳥ポケモンは凍結し、地面へと落下した。

 

 十字架を全身に突き刺されたその氷のポケモンは、黙したまま、行く末を睨み据えている。

 

 低い呻り声が、その口中から漏れた。

 

 

 

第七章 了

 



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覚醒の章
第百二十話「歪曲した未来」


 

 泡沫が培養液の中を上へと流れていく。

 

 それを目にしながら、ふと呟いた。

 

「ボクらは所詮、檻の中の生き物に過ぎないのかもしれないね」

 

 その言葉に反応したのは帽子を被った男だった。

 

「どういう意味なのか、説明してもらえると興味深いね、フジ」

 

「カツラ。ボクはね、たまにこうして彼を見ていると自分達の存在ですら、こういう培養液で満たされた空間、つまるところ世界という檻に入れられた獣なのではないかと思わされる」

 

 フジという青年はカプセルへと手を触れる。その中では一定の間隔で泡沫が発し、内部にいる存在が呼吸をしている事を伝えた。フジは時折忘れそうになってしまう。自分達がまるでこの世界の支配者のように感じられる時があるのだが、ポケモンという別種を見ているとその感覚はすぐに失せるのだ。

 

「我々研究者にとって、その認識は正しいのか正しくないのか、という話かな」

 

 カツラは帽子を年中被っている。髪型がどのようなものなのかフジですら知らない。

 

「たとえば歴史がそうだ。歴史というものを紡がなければ、人類という種は容易に掻き消されかねないほどに脆弱な種である事が窺える。歴史認識を誤れば、人がここにいる、という事実さえも消えてしまう」

 

「フジ。我々はヘキサツールの真実を知っている。その上で言っているのか?」

 

 ヘキサツール。その因縁の名前にフジは、「知っていても」と声を出す。

 

「ちょっとばかし逸脱してみたくはないのか?」

 

 カツラは腕を組んで考え込み、「過去から未来へと繋がる歴史の証明、か」と口にした。

 

「俺はもう、ヘキサツールの存在を知ってから、時折生きている事が馬鹿馬鹿しく思える時がある。そりゃ、人類全員の歴史が描かれているわけじゃないんだろうけれど、その重要な歴史の中に自分の名前がないのだと思うとね。自分は大事を成す人間ではないと言われているようで」

 

「ヘキサツールに名を刻まれるなんてろくなもんじゃないよ。それは大罪人か、あるいは歴史に名を刻むほどの悪だ」

 

「善性を信じないお前らしいな」

 

 カツラは微笑む。カツラは常にサングラスもかけているせいで目線があまり読めない。だが微笑むと人懐っこい笑みを浮かべるのが特徴的だった。

 

「だけれど、お前はヘキサツールに名を刻まれている人間の側だろう?」

 

 羨ましい、という響きを伴った声に、「ボクはそんなものはいらなかったんだけれどね」と呟く。カツラは、「いや、立派なものさ」と返した。

 

「もう一つの次元でもお前は身を立てていた。研究者としてね。だというのに俺は名無しだ」

 

「いいじゃないか。こうしてポケモン研究所をグレンタウンに設けられたのはひとえに君のお陰でもあるんだから」

 

 カツラの人徳が金を集め、民衆の支持を煽ってポケモン研究所擁立に役立った。それだけは自分では出来なかった事だ。

 

「いらぬ才能だよ。俺には研究面での才能はまるでお前には及ばない」

 

 カツラは椅子に座り込む。フジはカプセルに手をついたまま、「発揮されるべき才能というものは常に決まっている」と告げた。

 

「それが発揮される対象へと。だから何人であろうとも、意味のない生なんてないんだ」

 

「前向きだな。それに」

 

「それに?」

 

 カツラの含んだ声音にフジは振り返る。カツラは指を上げて、「キシベに似ている」と口にした。フジはぷっと吹き出す。

 

「ボクがキシベに、か。随分と毒されたのかもしれないね」

 

「だが、キシベは何のつもりなんだろうな。この研究所の資金援助も任せているのは、お前の判断だろう。正直、俺からしてみればあいつは怖いよ」

 

「怖い、か。弱気な発言じゃないか。グレンタウンのジムリーダーともあろう人間が」

 

 その言葉にカツラは口元を吊り上げる。

 

「そんなのは恐怖心には関係ないさ。いくらグレンタウンで名声を上げようが、研究者として身を立てようが、それは結局、自身の強さに直結するわけじゃない」

 

 フジは、「使ってやればいい」と顎をしゃくった。その先にはモンスターボールとそのホルスターがある。

 

「ファイヤーを」

 

「駄目だ。あれは挑戦者には使えない。フェアじゃないだろう」

 

「だが、キシベには、君があれでよからぬ事を企んでいると吹き込んでおいたけれど」

 

「それも、お前の本来の目的の拡散のためか」

 

 カツラは振り返り、ファイヤーの入ったモンスターボールとホルスターを手に取る。

 

「上手い具合に俺を隠れ蓑にして、自分の研究と目的を達成しようとしている辺り、キシベと何ら変わらないよ」

 

「ボクとキシベは違うさ」

 

 フジはカプセルに手をついたまま、「お前もそう思うだろう?」と問いかける。カツラは嘆息を吐き出して、「シンオウから仕入れたポケモン達はどうしている?」と尋ねた。

 

「万事順調さ。特別な三体だからね。キシベに気取られないようにするのは大変だったが、ちょうどシルフビル壊滅で揉み消せた部分だ。まさかボクを邪険にし続けてきたエンジニア達の一人、ヤマキがボクに寝返っているとはキシベでも思うまいよ」

 

 ヤマキ、というのはシルフにてキシベの右腕のような活躍をしてみせるエンジニアの一人だ。通信では常にフジの事を快く思っていない態度を取り続けていたが、それは演技である。本来はキシベの目的からフジの目的を隠すために動いていた尖兵であった。

 

「思っていた通り、ヤマキはグレンタウンへと来た。そしてデータを改ざんし、三体のポケモンに繋がる物証を全て消した。キシベが今からではこの三体から作り出されたあれに気づく事はまずないよ」

 

 フジは懐から煙草とジッポを取り出した。火を点けながら、「大変だったんだからな」と口にする。

 

「シンオウ神話からあの三体に辿り着くのは」

 

「それを必要としなければいらない情報だろう」

 

「ボクには必要だった」とフジは煙い息を吐き出す。

 

「あの三体から作り出されるもの、シンオウの神話の鍵となる赤い鎖の生成には」

 

「あの三体、エムリット、ユクシー、アグノムと言ったかな。それぞれ感情、知識、意思を司るポケモンだ。そのような大それたポケモンを使ってまで赤い鎖は必要なのか?」

 

「今の科学では作れないんだ」

 

 フジは近場の端末へと歩み寄り赤い鎖のデータを呼び出した。六角形が連なったような形状をしており、血のように赤く輝いている。

 

「この三体に極度のストレスを与えた時のみ、生成される究極の道具。これがあればシンオウの神話ポケモンを御する事が出来ると言われている」

 

「だが、お前にはそのつもりはないのだろう?」

 

 カツラの声にフジは、「まぁね」と応じた。権力や力を欲するのならば伝説、あるいは神話のポケモンを有するのも悪くはないのかもしれない。だが、フジの求めるものは違った。

 

「ボクには表層的な力の誇示や、権力へと追従する意味が見出せない。所詮、それらは一時のものだ。たとえばボクが権力者に取り入ったとしても、権力者が死ねば、あるいはボクが死ねば意味を持たない。全ては忘却の後に消える」

 

「お前は、そうでない生き方として、赤い鎖とそいつを使おうとしている」

 

 カツラの心得たような声に、「分かっているじゃないか」と返す。さすが、自分と研究を共にしているだけはある。

 

 そいつ、とカツラが顎をしゃくった先にはカプセルがあった。先ほどからフジの触れているカプセルだ。オレンジ色の培養液の中で白い身体が揺れている。

 

「だが、そいつは不完全だぞ、フジ。どう運用するつもりだ?」

 

 フジは長考を挟み、カツラへと煙草を手渡す。しかしカツラは遠慮した。

 

「俺は吸わないよ」

 

「じゃあ、ガムはどうだ? 落ち着くよ」

 

 ミントのガムを取り出しカツラへと手渡す。カツラはそれを受け取って口に放り込んだ。

 

「で? どう運用する?」

 

 カツラの質問にフジは答える。

 

「外骨格があったはずだよ。強化外骨格。それにこいつを入れる」

 

「そんな運用が出来るのか?」

 

「データの上での試算では」

 

 フジは片手で端末を操作し確率を弾き出す。

 

「可能だ。今までポケモンに鎧を着せる案なんてシンオウの記録にもある。その延長線上にある話だと思えばいい」

 

「それは完成したポケモンでの話だろう。こいつは不完全だ」

 

 カツラの言葉にフジは、「そうだねぇ」と煙を吐き出す。

 

「現時点で完成度は六十パーセント。外気に触れても生きていてくれるかどうかちと怪しい。だからこそ強化外骨格は外せないんだ」

 

「お前の事だ。見通しは立っているんだろう」

 

「さすがにね。でも見通しが立っているとはいえ、こればかっりは試してみないと分からないよ」

 

 フジの言葉が弱気に聞こえたのだろう。カツラは、「外骨格案だって無理な話だろう?」と視線を振り向ける。

 

「お前の六割の確率のために動かされる身にもなってくれよ」

 

 カツラの声にフジは笑い声を返した。

 

「分かっているよ。感謝している」

 

「ヤマキはキシベからの目を逃れるために俺達とは別系統なんだ。あいつに外骨格の製造ルートは任せているんだろう?」

 

「まぁ、それもこいつ次第かな」

 

 フジはカプセルに手をつきその名を口にする。

 

「――ミュウツー。君はボクに何を見せる?」

 

 培養液の中のミュウツーは瞼を上げる事もしない。完全な沈黙。あるいは眠りについているのか。その時、忙しくデータマップ上を駆け回るプログラムが視界の隅に入った。

 

「ポリゴンを導入してからプログラムの進行が大幅に上がったな」

 

 カツラはモニターを眺めつつそう呟く。ポリゴン。自分達が造り上げた第一号のポケモンである。

 

「ポリゴンの製造でさえ極秘なんだ。これが漏れればデボン辺りも狙ってくる。そうじゃなくっても研究分野でポリゴンの製造方法を発表すれば何かしらの賞はもらえるだろうね」

 

「あるいは罵声か? マッドサイエンティスト、と」

 

 カツラの茶化した声に、「さもありなん、か」とフジは呟く。

 

「生命への冒涜行為、とかかな? だけれど科学の進歩はいつだって何かを冒涜しなければ進まないんだ。それは宗教だったり、人間の思考回路だったりする。そういう、古い考えから脱却した人間を異端としたい気持ちは分かるけれどね」

 

「お前に、人間らしい感情があるなんてな」

 

 カツラが微笑む。フジも口元を綻ばせた。

 

「あるさ。ボクはこれでもまだ人間をやめる気はないんだ」

 

「一般人からしてみれば充分にやめているよ。俺もお前も」

 

 カツラはそのような区分から自分を外さない辺り、きちんと客観視が出来ている。フジは、「だねぇ」と頷きながら、ポケギアを通話モードに繋いだ。

 

「ヤマキ? ボクだ。どうしている?」

 

『フジ博士。こちらは命じられた通り強化外骨格の作りに入っていますが、我々の動きを疑問視する人間も少なくはありません』

 

「カツラがファイヤーでよからぬ事を、って情報はあまり効果的じゃなかったか」

 

『そもそもカツラさんは信頼の厚い方でしょう。そのような人が裏切る、というのは突飛です。いくら伝説を手に入れたといっても』

 

「違いない。じゃあボクが裏切るって言ったら?」

 

『誰も疑わないでしょうね』

 

 ヤマキの冗談にフジは笑いながら、「とても面白いよ」と応じる。

 

「まぁ、ボクを信奉するよりかはキシベを信じるほうがまだ安全、と見ているのだろう。理由の分からない外骨格作り、他の人々はやっぱり嫌な顔してる?」

 

『嫌な顔、というか、わけが分かっていないようです。どうしてキシベさんから離れてまでこんなものを作らなきゃならないのかってね』

 

「キシベはグレンタウン到着後はボクに従え、って教えていたはずだよね。それが行き届いていない?」

 

『いえ、表面上はみんな、文句も垂れずによくやってくれていますよ。ただ理由が分からないとなると、やっぱり反感が出るのも一つで』

 

 違いないな、とフジは感じながら煙草を灰皿に擦りつけた。

 

「ボクの命令だと勘付かれないようにしてくれ。強化外骨格があくまでロケット団のポケモンを強化するために、っていう名目で」

 

『やっていますよ。ただ第一号となるこの外骨格があまりにもワンオフな作りというか、人間に着せるみたいな形状のせいでみんな戸惑っているんですよ』

 

 フジはカプセルの中のミュウツーを見やる。胎児のように丸まっているが、すらりと伸びた手足は人間と非常に近い。

 

「まさか、今さらモラルの話を持ち出すわけじゃあるまい。上からの指示で造っていた。その一点張りでいい。実際に外骨格を製造するのにもロケット団の息がかかった企業に働きかけるのだし、問題はない。君達は最終的には知らぬ存ぜぬを通せばいい」

 

『そうさせてもらいますよ』とヤマキが笑いながら返す。キシベの前では正反対の態度を取っていたのに器用な部下だとフジは感じた。

 

「キシベは、気づいていないだろうね?」

 

『そのはずですが、キシベさんの事です、何かしら尻尾は掴んでいるかも』

 

「違いないね。キシベはこの計画を知ってもなお、自分の計画を通そうとするだろう。そういう人間だ、彼は」

 

『必要なら、俺が消しますが』

 

「おいおい、部下にそう易々と危ない橋を渡らせられないよ。キシベは何を考えているのか分からない人間だ。どこまで自分を制御下に置いているのかすら不明。今の回線だって聞かれていないとも限らない」

 

「だとすれば潰えているな」とカツラが呟いた。キシベがどれほど根回しをしているのかは予見するしかない。自分の考え以上にキシベが強かだった場合、打てる手段は減ってくる。

 

『そこまで読まれているとすれば、キシベさんは人間を超えていますよ』

 

 ヤマキは笑い話にしようとするがフジはその実、キシベが人間を超えていたとしても何ら不思議はないと感じていた。キシベは、目的のためならば全てを犠牲にする覚悟がある。ただし、その目的、最終目標はフジとて一部を聞かされた程度だ。しかも信じがたい事実ばかりを並べてくるものだから、キシベが既に狂人だとしてもフジは驚かない。

 

「実際のところ、キシベにどこまでの権限があるのか分からないが、ロケット団はキシベを頭目に回っている組織だ。ボクらがいくらない知恵を搾ったところでキシベには遠く及ばないのかもしれない」

 

『でも、キシベさんも三人も四人もいるわけじゃないですし、たった一人の人間です。ポケモンも所持しているのか怪しい。だって言うのに、出し抜けるわけがないでしょう?』

 

「そうだと信じたいがね」

 

 キシベの手持ちはまだ明らかになっていない。キシベ自身教えようとしてこない。何度か聞き出す機会はあったが、煙に巻かれたように毎回答えは保留される。フジは半ば諦めていた。

 

「またかけなおそう。外骨格を二日以内に仕上げて欲しい。出来るか?」

 

『出来るか、じゃなくってやれでいいですよ。こっちだって無茶な仕事だって分かっていて請け負っているんですから』

 

 フジは少しだけ笑ってから、「じゃあ頼む」と通話を切った。

 

「どう思う?」

 

 切り出された声にカツラは聞き返す。

 

「どう、とは?」

 

「強化外骨格。それにミュウツーと赤い鎖の運用。読まれていないかどうか」

 

「そこまで俺に聞くのか?」

 

「一研究者でありながらジムリーダーという客観視出来る立場の君だからこそ聞いているんだよ」

 

 フジの言葉にカツラは頬杖をついて、「そうさなぁ」と言葉を彷徨わせる。

 

「キシベは統治者として優れていると思う」

 

「ああ、ロケット団を興したのもキシベだ。だがヘキサツールによればロケット団は本来三十年後の未来に作られるはずだった組織」

 

 ヘキサツールの概要は耳に入っている。キシベと自分、そしてカツラ程度しか知らないはずの情報である。

 

「未来を歪めてまで、この時代にこだわったのは何故か?」

 

「キシベがその時代に生きていないから」

 

 一つの仮説にカツラは首を横に振る。

 

「キシベが自分の死まで計算に入れてない人間だとは考え辛い」

 

「おいおい。そこまで来るとさすがに一個人を相手にしている気がしないな」

 

 フジは軽口を叩くがキシベにはその気がある。自分の命さえ勘定に入れているかのような振る舞いが時折あった。

 

「だがキシベは相当な執念深さと念入りにこのロケット団という組織を回しているはずだ。でなければシルフを壊してまで存続させるか?」

 

 シルフカンパニーの破棄。それはフジ達にとっても意外に映った。シルフカンパニーは最後の最後まで切り札に取っておくべきだと感じていた自分達にとってまさしく青天の霹靂だった。

 

「通常、パトロンを切り捨ててまで強行すべき計画なんてものは存在しないはずだけれどね。キシベにはシルフですら些事であった」

 

「そうは考えたくないが、キシベの立ち振る舞いを見ると末恐ろしくなる。組織というものを理解しているのではなく体感している。このロケット団という組織そのものがキシベの体内のようだ」

 

 率直な不気味さを吐き出したフジにカツラは、「神をも恐れぬフジ博士らしからぬ発言だな」と微笑んだ。

 

「ボクはね、神を恐れた事はないよ。子供の頃から、ずっと。母さんや父さんに、嘘をついたら神様が見ているぞって言われた時も、色んな大人達からいい行いをすれば神様が見ていてくれるって教えてもらった時も、どっちも神様なんて信じてこなかった。だから恐れるという器官が麻痺しているのさ」

 

 フジはこめかみを指差す。カツラは、「実際、お前はいかれていると思うけれどね」と返す。

 

「いかれてないよ。ボクは一度だっていかれた事はない。いかれちゃ、この仕事はお終いさ。狂気に触れる研究を傍で行いながら誰よりも正常であれ。それが科学者だろう?」

 

「違いない」とカツラはコーヒーカップを手に取る。口に含んで、「だが甘く考えない事だ」と呟いた。

 

「キシベは、間違いなく強かだよ。どこまで考えているのか誰にも分からない」

 

「最終目的を知っているボクでさえ、キシベは異常だ。その最終目的に至ろうとする動機もね。ぞっとするよ」

 

 カツラは腕を組んで、「お伺いしたいものだ。最終目的とやらを」とコーヒーを啜る。しかしフジは自分の口から言おうとは思わなかった。キシベの最終目的。それを知ったところでどうしようもないし、自分達では介入出来ない領域なのだと。

 

「ボクからは何も」

 

 フジは頭を振る。カツラは、「残念だ」と口にするがその胸中はそうも思っていないだろう。もしかしたら狂気の沙汰に巻き込まれずに安堵しているのかもしれない。

 

「だからこそ、ボクには彼が必要なんだ」

 

 フジはカプセルを見やり、「ミュウツー。そして」と端末を操作する。表示されたのはあどけない少年だった。名前の欄を確認し呟く。

 

「またオーキドの名前か。変わらないな、君は。会える日を楽しみにしているよ。オーキド・ユキナリ君」

 



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第百二十一話「温泉珍騒動Ⅰ」

 

 至るところに柵があり、その中にはポケモンが生活している。

 

 北のタマムシシティとは全く面持ちの違うセキチクシティは街全体が動物園のようだった。民家よりも柵のほうが多いのではないのだろうか。ユキナリが周囲を見渡していると、「宿を取ろう」とアデクが提案した。

 

「ポケモンリーグ直営の宿屋があるな」

 

「あたし、高いほうがいいー!」

 

 そう声を上げたのはナタネだった。相変わらずの図々しさで割り込むナタネにアデクは、「しかしのう」と地図を眺めた。

 

「このセキチクシティ、宿が一つしかないぞ」

 

「えー!」

 

 終盤の街だ。当然、宿泊施設もそう多くない。当然だと言えたが都会に慣れたナタネは不満らしい。頬を膨らませている。

 

「まぁ、一つしかないんならしょうがないわよね」

 

 ナツキがどこか遠慮がちに声にする。何か、サイクリングロードであったのだろうか。どこか他人行儀である。

 

「またナツキさん達と同じ部屋がいいな」

 

 キクコが呟く。そう言えばキクコはずっと相部屋だった。

 

「相部屋は嫌いじゃないんだ?」

 

 ユキナリが声をかけると、「うん。みんなと一緒がいいから」とキクコは微笑む。キクコの表情も最初のほうに比べれば随分と豊かで柔らかくなったものだ。ユキナリは、「そっか」と頷いた。

 

「アデクさん、宿はどこです?」

 

「あー、北のほうにあるみたいじゃのう。ほれ、ちょうどあの大きな施設の隣じゃ」

 

 アデクが指差したのはセキチクシティ北方に広がる施設だった。看板にはでかでかと「カントー随一の規模のアトラクション」と書かれている。

 

「アトラクションって、何かするわけじゃあるまいし」

 

 ユキナリが口にすると、「馬鹿ね」とナツキが脇を小突いた。

 

「セキチクシティといえばサファリゾーンで有名じゃない」

 

「サファリゾーン?」

 

 言葉の意味が分からずに繰り返すと、「テレビも観ないの?」とナツキが突っかかった。

 

「失礼だな。テレビなら観るよ」

 

「セキチクシティ名物なのよ」とナツキは先を歩いていく。やはり変わらない幼馴染だ、と再確認してからユキナリはセキチクシティを歩いた。柵の中には珍しいポケモンが入っており、ユキナリは今すぐにでもスケッチブックを取り出したかった。

 

「ユキナリ。スケッチなら後でいくらでも出来るぞ」

 

 アデクの声に、「どうしてです?」と聞き返す。アデクはサファリゾーンという施設を指差し、「リーグ参加者は無料のようじゃ」と告げた。立て看板があり「リーグ参加者大歓迎」と書かれている。

 

「へぇ、随分気前のいい」

 

「町興しの意味もあるんでしょうね」

 

 ナツキはサファリゾーンの隣にある宿屋へと歩み入った。アデクが早速部屋数を確認すると、「まだ部屋は空いております」と受付嬢が答える。

 

「ちょうど五名様の部屋を確保出来ますがいかがなさいますか?」

 

「じゃああたしとキクコちゃんは同じ部屋で。ナタネさんはどうします?」

 

「あたしも同じ部屋でいいよー」

 

 ナタネの場合、別室でも押しかけてきそうだ。ユキナリと同じ考えだったのか、「じゃあ相部屋で」とナツキは三人分の大部屋を確保した。

 

「オレとユキナリはどうする? 相部屋か?」

 

 アデクの笑みにユキナリが困惑していると、「何言ってんだか気持ち悪い」とナツキはばっさり切り捨てた。

 

「この二人は別室で」

 

 ナツキに仕切られる形となり、ユキナリとアデクは別の部屋にあてがわれた。部屋へと赴く最中、アデクが、「また行くからのう」と手を振った。ユキナリも手を振り返す。

 

「……あたし達は巻き込まないでね」

 

 ナツキの言葉にユキナリは疑問符を浮かべる。

 

「ねぇ、何でちょっと余所余所しいのさ」

 

 その言葉にナツキがびくりと肩を震わせた。

 

「余所余所しいって? あたしが?」

 

 動揺した声を出すナツキを不思議そうに眺めてユキナリは首肯する。

 

「うん。何でだかアデクさんにも気を遣っているみたいだし。サイクリングロードで何かあった?」

 

「何でもないわよ! あんたみたいなのに気にされる筋合いはないわ」

 

 その言い分はあんまりではないのか、とユキナリが返そうとすると、「まぁ、関係ないっちゃないんじゃない?」とナタネが口を挟む。

 

「あたしらも色々あったしね」

 

 ウインクするナタネにユキナリは困惑の笑みを浮かべる。ナツキは、「あほくさ」と一瞥した。

 

「じゃああたし達は部屋に行くから。またポケギアで連絡するわ」

 

 ナツキ達とも別れ、ユキナリは個室へと向かった。部屋は広過ぎるほどだ。ユキナリは部屋に入るなり鞄を降ろし、ソファに寝そべった。フローリングの床は磨き上げられている。

 

「……こうして休めるも久しぶりだな」

 

 ガンテツとの旅や、ナタネに翻弄されて一人っきりになる機会はなかった。誰かと会話するのは悪くはないのだが、想像以上に神経をすり減らす旅になった。

 

「でも、得たもののほうが大きい、か」

 

 ガンテツに会わなければ旅を続ける事も出来なかっただろう。ナタネに会わなければサイクリングロードで立ち往生していただろう。結局、出会いが人を強くするのだ。

 

「ナタネさん、悪い人ではないんだろうな」

 

 ジム戦でのナタネや明るい人柄から見て、いい人であることはよく分かる。ただタマムシシティの宿で言われた意味だけは分からなかった。身体を嗅いで、「匂うかな……」と呟く。バスルームを使おうか、と腰を上げかけた時、ノックする音が聞こえた。駆け寄るとアデクが早速顔を見せた。

 

「ユキナリ、ここの宿温泉があるらしいんだが、行ってみんか?」

 

 ちょうど風呂を使おうとしていたのでユキナリからしてみれば渡りに船だった。

 

「いいですね。行ってみましょう」

 

「よし。タオルは部屋にあるから、廊下に出て。手持ちも持ってくるといいぞ」

 

「オノノクスが、ですか? 入るのかなぁ」

 

 GSボールを眺めつつ呟くと、「ポケモンと一緒のほうが賑やかじゃろ」とアデクは快活に笑って先に行った。

 

 ユキナリはタオルと着替えを手に温泉がどこかを従業員に尋ねる。

 

「一階の突き当たりの赤いのれんのところですよ」

 

 ユキナリは礼を言って一回突き当りまで降りた。赤いのれんのある場所は一つしかない。脱衣所には既にアデクが脱ぎ捨てた服が畳まれていた。アデクの服飾は相変わらず先住民族特有のものだ。ユキナリはその上に包帯があるのに気付き、少しだけ躊躇った。ハナダシティで傷つけてしまった手前、こうして温泉でどのような顔をすればいいのだろう。そのような陰鬱な考えばかりが頭を占める中、服を脱いでユキナリは浴場へと入っていった。

 

 浴場から湯気がもくもくと溢れ出てくる。その中に三人の人影がちょうど立ち竦んでいるのを目にした。ユキナリは目を丸くする。向こうも同じ反応であった。

 

 視線の先にはタオルも身に纏っていないナツキとキクコ、ナタネの三人がいたからである。三人分の裸体を目にしてから、ユキナリは何が起こっているのかを整理しようとする。

 

「……ちょっと待って」

 

 相手は待つはずがない。悲鳴がナツキの喉から上がり、浴場内に木霊する。ユキナリは、「お、落ち着いて」と声にしようとするがナツキはキクコからタオルを引っ手繰り自分の身体を隠して桶や石鹸を投げつけてくる。

 

「馬鹿! 変態! 何考えてるの? あんた!」

 

 思わぬ罵声にユキナリは、「誤解だってば」と返したがナツキは聞く耳を持たない。ナタネは、「あーらら」とナツキとユキナリが入ってきた戸口を交互に見やった。

 

「どうやら混浴みたいだね。脱衣所だけ分かれている仕組みなわけだ」

 

「ナタネさん? 何で落ち着いていられるんです?」

 

 ユキナリの声に、「見られちゃったもんはしょうがないからさー」とナタネはタオルで隠そうともしない。しなやかでありながら出るところはきっちり出ているナタネの身体を無意識的に見つめていたユキナリへとナツキが横っ面へと拳を見舞う。

 

「何凝視してるの! 変態!」

 

 桶で頭を叩かれ、ユキナリはすごすごと退散していく。途中、キクコが問いかけてきた。

 

「ねぇ、ナタネさん。何で、ナツキさんはあんなに怒っているのかな?」

 

「あれ、キクコちゃんも大丈夫なほうなんだ。やっぱり匂いが違うからかな」

 

「なに納得してるんですか! 女の敵ですよ、こいつは!」

 

 ナツキは自分だけタオルで身体を隠してユキナリの背中を踏み締める。ユキナリ自身はタオルで大事な部分を隠そうとして必死でもがいた。その手がタオルに触れた、と思った瞬間引っ張り上げる。するとさらり、とタオルが上から降ってきた。

 

「ん? 上?」

 

 タオルがあるとすればそれは浴場の床のはずである。どうして上からタオルが降ってくるというのか。ユキナリが振り返ると一糸纏わぬ姿のナツキが大写しになった。

 

「あ、えっと……」

 

 ナツキが胸元を咄嗟に隠し、顔を紅潮させる。

 

「馬鹿!」

 



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第百二十二話「温泉珍騒動Ⅱ」

 

「で、その有様か」

 

 浴槽に浸かりながらアデクは快活に笑う。ユキナリは青あざの出来た額をさすりつつ、「笑い事じゃないですって」と口にした。

 

「しかし、いいもんが見れたじゃろうが」

 

「いいもんって……。アデクさんは他人事かもしれないですけれど僕は被害を受けたんですよ?」

 

 アデクは幸いにも女性陣と鉢合わせはしなかったらしい。混浴といっても女性側と男性側では巨岩で隔てられており、それを超えてこなければ見えない仕組みになっている。

 

「ちょうど浴室に入ってきたのが同時だったわけか。いやはや、その幸運、見習いたいもんじゃ」

 

「幸運って! こっちとしてはとんだ不幸ですよ」

 

「オレならば対応が違っただろうがのう!」

 

 それはその通りかもしれない。アデクならば逃げ出す事もせず、悠々と挨拶を済ませるのがありありと思い描けた。

 

「お陰で僕は身体を洗いたいって言うのに、ナツキ達が上がってからじゃないと洗えないんですから」

 

 そのせいでユキナリは先ほどから足湯状態である。アデクはさっさと身体を洗ってしまったらしく岩壁に背中を預けてくつろいでいた。

 

「いい温泉じゃな。ここのところ疲労が溜まっておったからちょうどいい」

 

 その言葉にユキナリは返事に窮した。その疲労の一端は自分にもあるからだ。アデクはその沈黙をどう受け取ったのか、「何を黙っとる」と声にした。

 

「お前さんの事を言っておるんだぞ」

 

 思わぬ言葉にユキナリは目をぱちくりとさせる。アデクは頭の上に置いたタオルで額を拭い、「あのなぁ」と口を開いた。

 

「シオンタウンから先、休む間もなかったんじゃろう? お前さん、無理だけは人一倍するからな。手持ちも酷使したに違いない」

 

 アデクは湯船にモンスターボールを浮かべていた。炎・虫タイプであるメラルバに温泉といえども水はまずい。そのためモンスターボール越しではあるが、メラルバは湯船に浸かっている。

 

 ユキナリは、「無理なんて」と謙遜しようとしたが、実際、自分はどれだけ手持ちに無理をさせただろう、と鑑みる。シオンタウンにつくなりゲンジと戦い、休む暇も与えずシルフビル強襲、ヤナギとの戦いに連続してタマムシジムへの挑戦。これを無理といわずして何と言おう。ユキナリは、「そうですね」とGSボールを見やった。

 

「オノノクスにも、随分と無茶させた」

 

「出してみるといい。ここの温泉、疲労回復にはいいらしいぞ」

 

 ユキナリはオノノクスを繰り出した。オノノクスは自分の身体が湯船に浸かっていると見るや少しだけ狼狽する。その様子を二人して笑った。

 

「オノノクス、温泉だよ。そうびっくりする事はない」

 

「もしかしたらオノノクスの故郷には温泉がなかったのかもしれんな」

 

 博士がイッシュでの新種だと言っていたのを思い出すと共にアデクは進化前のキバゴをイッシュで見かけたと言っていたのを思い返す。

 

「キバゴ、ならイッシュでも見かけるんですよね?」

 

「ああ、でも洞窟の中に棲んでいてほとんど外には出てこんから、生態に関しては全然分からん。それに、キバゴは見るがオノノクスに関しては見んのう」

 

 見紛う事なき新種なのだ。その発見に一役買った事はユキナリからしてみても誇りだった。アデクは、「ちょっと近づいてみい」とオノノクスを手招いた。オノノクスは警戒していたが、「アデクさんなら大丈夫だよ」とユキナリが言った事で少しだけ警戒を解いて歩み寄る。

 

「触ってもいいか?」とアデクが聞くのでユキナリはオノノクスへと目で問いかける。オノノクスは頭を垂れて是とした。

 

「硬い表皮じゃのう。まるで装甲板じゃ」

 

 積層構造になっている表皮はまさしく鎧だ。ユキナリもオノンドから最も外見的に進化したのは皮膚と牙であると思っている。

 

「皮膚は随分と硬そうになりましたね。それに牙も」

 

「扇状の牙、か。まさしく斧の名に恥じない牙になったもんじゃの」

 

 アデクは指を伸ばすが、「危ないですよ」とユキナリが制した。

 

「ビルを叩き切るほどですから」

 

「そんなにか?」

 

「ええ、まぁ僕の見た限りですけれど」

 

 この牙から発せられる「ドラゴンクロー」は鉄骨レベルならば間違いなく斬れる。ただし、シルフビルを割ったあの技に関しては謎の部分が多かった。エリカとの戦いの時にもその片鱗が現れたが、あれは一体何なのか。

 

「オノノクスは満足しとるな。これが最終進化系か」

 

 アデクには分かるのだろう。ユキナリもこれ以上の進化はないだろうと感じていた。

 

「博士曰く、攻撃にとても特化しているそうです。僕はその辺まで詳しくはないんですけれど」

 

「なに、これを扱うトレーナーじゃろ? だったら、謙遜なんていらん」

 

「そう、でしょうかね」

 

 引っかかりのある物言いになってしまったのだろう。アデクは目ざとく察知した。

 

「……何か、心配事でもあるんか?」

 

 アデクの声に、「いえ」とユキナリは首を振る。アデクはオノノクスの顎の下を撫でてやりながら、「トレーナーの不安はポケモンに伝播する」と口にした。

 

「あまり手持ちに不安を抱えさせるような真似をするな。ポケモンって言うのは人間が思うとる以上にデリケートなんじゃから」

 

 アデクの言葉は正しいのだろう。ワイルド状態から立ち直った事も、自分の精神面に影響していた。ポケモンはトレーナーの精神を映す鏡のようなものだ。

 

「トレーナーが健康なら、ポケモンも健康! それでいい」

 

 アデクの言葉にユキナリは笑みをこぼす。振り返ったアデクは、「ウルガモスもそうじゃ」と視線を振り向けた。ウルガモスの入ったボールはぷかりぷかりとオノノクスが立てる波に浮き沈みしている。

 

「進化したんですよね。一体いつ?」

 

 ハナダシティを発ってからさほど時間は経っていないはずだ。アデクは顎に手を添えて、「元々、進化レベルではあった」と答える。

 

「ただ、ウルガモスとメラルバでは戦い方が百八十度違うのでな。使い慣れたメラルバでの戦闘を主体に置いていたんじゃが、ハナダで負け越した事で半端な覚悟は逆に邪魔だと感じた。結局、優勝候補だとおだてられていたって事に気づいたわけじゃ」

 

「おだてられていたなんて、そんな……。アデクさんは立派ですよ」

 

「オレがか? そんな事はあるまい。まだまだ強いトレーナーがわんさかいる。ここまで来たのは、ひとえにお前さんらの実力じゃ。もっと誇りを持てい!」

 

 アデクが背中を叩いてくる。ユキナリは覚えずむせた。アデクが、「悪い悪い」と笑う。ユキナリも自然と微笑んでいた。

 

「……ところでの、ユキナリ」

 

 アデクが声を潜める。何だろう、とユキナリが耳を傾けるとアデクがぼそりと呟いた。

 

「ナツキ達の裸、見たんじゃろ?」

 

 その言葉にユキナリは耳まで真っ赤になる。アデクは、「隠すな、隠すな」と笑った。

 

「お前さんの顔を見れば、充分理解出来るわい」

 

「な、ちょっと、僕にはそんな気は」

 

「分かっとる。ところで、ユキナリ。ここから女湯の場所まで、何歩分じゃ?」

 

 アデクの声にユキナリは、「まさか」と息を呑む。

 

「おお。覗くぞ」

 

「だ、駄目ですって!」

 

 いくらアデクが男らしく潔い言い方をしても駄目なものは駄目である。アデクは唇を尖らせた。

 

「お前さんは見たんじゃろ? オレだけ見れんのは、何というか損した気分になるじゃろうが。同じ風呂に入っているというのに」

 

「駄目ですって! 僕が見ただけでもかんかんに怒ったんですよ? アデクさんが覗きになんて行ったらナツキの怒りのボルテージが超えちゃいます」

 

「なんか、お前さんならある程度許されたみたいな言い分じゃな。じゃあ、こうしよう。オレが見て、全く怒らんかったらオレのほうが分のいいって事に」

 

「なりません! 何を根拠に言っているんですか!」

 

「根拠って言うと……」

 

 そこで初めてアデクは言葉を濁した。その言い分にどこか不審なものを感じつつもユキナリは、それだけはとアデクを制する。

 

「ナツキだけならまだしもナタネさんとキクコもいるんですし!」

 

「でもあの二人の声は全然聞こえんかったぞ? お前さんとナツキだけで」

 

「だからって見ていい権利にはならないでしょう!」

 

 ユキナリは巨岩の前で必死に防衛線を張る。自分だけが彼女達の楽園を守れる騎士の心積もりだった。

 

「ユキナリよ。お前さん、下心からか必死になっとるな?」

 

「アデクさんこそ、らしくないですよ。下心から必死になっているんじゃないですか?」

 

 アデクは湯船から身体を起き上がらせる。アデクの身体は鍛え上げられており自分のような貧弱体型とはわけが違った。

 

「オレも見せる。向こうも見せる。これで等価交換じゃ」

 

「なるわけないでしょう!」

 

 意味不明な理論を持ち出すアデクにユキナリは巨岩の前で立ちはだかった。

 

「ここから先は、僕が通さない!」

 

「押し通る!」

 

 アデクが前に出ようとする。ユキナリはじり、と足に力を込めた。アデクを行かせるわけにはいかない。

 

 アデクはさながら相撲のしこを踏むかのように片足を持ち上げ、ずんと響かせる一歩を踏み締めた。ユキナリは唾を飲み下す。この相手を自分は止められるのか。姿勢を沈めたアデクは飛びかかる前準備をした。

 

「お前さんがどう避けようと、いやぶつかろうとも、オレを止める事は出来ん」

 

「何でそういう無駄にカッコイイ台詞をこんな場所で使うんですか? 風呂場ですよ?」

 

 ユキナリが頭を振っていると、「どうしても通さんと言うか」とアデクが距離を詰める。

 

「通しません」

 

「健全な肉体は健全な精神に宿るという。健全な精神のための礎となろうぞ」

 

「何を言っているのか意味不明です! 言葉を弄したところで、どうせ覗きたいっていう下心じゃないですか」

 

「下心で何が悪い。オレは男じゃぞ?」

 

 どうやらアデクは次の一撃に向けて足に力を込めているらしかった。必殺の一撃、確実にユキナリを退かせられる一撃を。ユキナリも全身の力を丹田に込め、アデクの突進攻撃を受け止めようとしていた。

 

「お前さんは見たんじゃろう。オレが見て何が悪い?」

 

「女性陣の許可を得てません!」

 

「お前さんだって得んと見たんじゃろ? ならばオレも欲望に忠実になるまで」

 

「くそう。カッコイイな、くそう」

 

 アデクの精悍な顔つきにユキナリはこちらも必死に真剣な顔つきを作ろうとする。アデクはここで交渉を持ちかけた。

 

「まぁ、待て。ちょっと待て。ユキナリ。オレとお前さん、どっちが見たか見ないかはこの際置いておこう。無益な争いはやめんか?」

 

 思わぬ言葉にユキナリの力が抜けた。アデクは手を突き出したまま、「こうするのはどうじゃ」と提案する。

 

「何です?」

 

「二人で見るというのは」

 

「なおさら駄目です!」

 

 ユキナリは切り捨てた。アデクは神妙な顔つきになり、「交渉は、決裂か」と呟く。ユキナリは再び防御の姿勢を取った。その時、巨岩の向こうから囁き声が聞こえてくる。

 

「キクコちゃん、肌すべすべだねー。羨ましいー」

 

 ナタネの声だ。先ほどまじまじと凝視した裸体が脳裏に思い描かれる。キクコは、「や、やめてください。くすぐったいです」と恥じらいを持った声を出した。

 

「ええではないか、ええではないかー」

 

「ナタネさんも、キクコちゃん嫌がっているでしょう」

 

「えー、ナツキちゃんだってー」

 

 湯船の揺れる音。波が起こり、ナツキの身体へとナタネの身体がぶつかる想像をする。

 

「ちょ、ちょっと! やめてください!」

 

「ほう、ナツキちゃん、意外と……」

 

「意外と、なんですか」

 

 その声に気を取られていたせいだろう。真正面から組み付いてくるアデクの気配への反応が一瞬遅れた。

 

「しまった!」

 

 ユキナリが声を弾かせた時には既に遅い。アデクは不敵に笑った。

 

「勝負、もらったり!」

 

 ユキナリの身体が持ち上げられる。迂闊であった。姿勢を沈めていたのはユキナリの身体を難なく持ち上げるための前準備であったのだ。その策にまんまとはまってしまった。

 

「くそっ! 僕が、この楽園を守らなければ、誰が守るって言うんだ!」

 

「楽園への片道切符はオレの手に!」

 

 アデクがユキナリを退かそうとする。ユキナリは渾身の力でアデクの身体を引っ張った。狙うのは股間を隠しているタオルだ。

 

「もらったー!」

 

 タオルの先端を引っ張るとアデクの身体から急に力が抜け、二人でもつれ合いながら湯船へと落下する。盛大な水飛沫を上げ、ユキナリとアデクは湯船へと突っ込んだ。先に顔を上げたのはユキナリだったがアデクの執念は凄まじい。ユキナリの手を掴み、「一人だけ楽園へと舞い戻ろうとは!」と声にした。

 

「太い奴め!」

 

「僕が、守らなきゃいけないんだー!」

 

「ええい! お前さんが守るのはせいぜいその貧相なものだけにしておれ!」

 

「僕のを、馬鹿にするなー!」

 

 お互いの声が相乗し飛沫が舞い散る。アデクは態勢を立て直し、「今度こそ」と拳をぎゅっと握り締めた。

 

「僕だって、負けない!」

 

 ユキナリも戦闘態勢に入る。両者、お互いに譲らず、前髪から雫を垂らしながら男の戦いが始まろうとしていた。

 

「……何やってんの、あんた達」

 

 巨岩の隅から顔を出したナツキがユキナリ達の奇行を眺めて眉根を寄せた。

 

「もうあたし達上がるから。ユキナリも身体を洗えば、って言おうと思ったのに、何やってるの?」

 

 ナツキからしてみれば奇妙を極めたような様相だろう。男同士がお互いに呼吸を荒くさせて組み合おうとしているのだから。

 

「……そういうシュミがあったとは。あたしは、ほら、幼馴染だから理解があるけれどさ。ナタネさんとかキクコちゃんにはどう映るか分からないわー」

 

 ナツキが首を横に振る。ユキナリは慌ててタオルを拾い上げ、股間を隠しながら、「誤解だ、ナツキ」と歩み寄ろうとした。ナツキは当然の如く後ずさる。

 

「誤解って何? この状況で誤解とかないでしょう。あたし達はもう上がったから、じゃ」

 

 ナツキは簡素な挨拶を述べて脱衣所へと駆け抜けていく。ユキナリはぽかんと口を開いたままタオルを取り落とした。アデクが肩を揺らして笑う。

 

「このような事になるくらいならば覗いたほうが少しばかり得じゃったろう? そうまでして守りたいものはなんじゃ」

 

 アデクの言葉にユキナリは振り返り、「僕だって……」と口を開いた。

 

「僕だって、覗きたかったんだ!」

 

 アデクへと直進する。アデクはユキナリの身体を受け止め、「それでこそ、男の本望!」と叫んで上手投げを決めた。

 



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第百二十三話「ぬるま湯の関係」

 

「で? なんで二人ともボロボロなわけ? お風呂入っていたんだよね?」

 

 ナタネが夕食の席に呼ばれたユキナリとアデクを交互に見やって不思議そうな顔をする。ナツキは、というと先ほどから目を合わせてくれない。キクコが呆然と眺めている。ナツキが時折肩を叩いて、「見ちゃ駄目よ」と告げ口する。

 

「おい! ナツキ!」

 

「飯の時くらい、静かにせんか」

 

 隣では胡坐を掻いてアデクがお椀に盛った白米をかけ込んでいる。誰のせいで、という言葉を飲み込んでユキナリは本題に移った。

 

「……それでだけれど、明日はサファリゾーンに行こうかな、と思っているんだ」

 

 サファリゾーンに向かうのはナツキからしてみれば余計な回り道かもしれない。だからこそ、一同が会する夕食時に切り出した。アデクは、「オレは別に構わんぞ」と魚の骨で歯茎を磨きながら答える。

 

「アデクさんはいいかもしれないけれど、あたしやキクコちゃんの同意を得たいってわけよね」

 

 ナツキはアデクを見やるがハナダシティまでの嫌悪の眼差しではなかった。その眼の奥に宿るものが自分には窺い知れないような気がしてユキナリは、「無茶かもしれないけれど」と口を差し挟む。

 

「僕はこの機会にちょっとやってみたい事があるんだ」

 

「サファリゾーンではポケモンを出せないよ? だって言うのに、やりたい事?」

 

 ナタネが心底不思議だとでも言うように首をひねる。ナツキが味噌汁を啜ってから、「趣味ですよ」と答えた。

 

「お絵かきの趣味。そういえばナタネさんは知らなかったですよね」

 

 ナツキの言葉にナタネは「へぇ」と感嘆する。趣味、と片付けられたくはないが専業ではないのだから趣味だろう。

 

「ユキナリ君、絵描くんだ?」

 

「おお、上手いぞ、こいつは」

 

 アデクが惣菜を食べながら言うものだから、「どっちがですか……」とナツキが呆れ声を出す。

 

「見せてみてよ。あたし、マスターに触れるのならば一流のものにしなさい、って言われているから結構見る眼には自信あるよ」

 

 ナタネの言葉に、「いえ、お見せ出来るほどでは」と謙遜の声を漏らす。

 

「ええ? いいじゃん、見せてよ」

 

 ナタネがユキナリの隣へと歩み寄って袖を掴む。ナタネの誘いを無体にも出来ず、ユキナリは、「じゃあスケッチブックを後で見せますから」と答えておいた。

 

「意気地なしね」とナツキが睨む目を寄越す。ナタネは席について、「楽しみだなー」と笑顔になった。

 

「あんまり期待しないほうがいいですよ。そんなに上手くないですから」

 

「いやいや、大したもんじゃぞ、これは」

 

 飯をかけ込みながら言うアデクに、「だからどっちが……」とナツキが声を漏らした。

 

「まぁ、僕の絵の事は置いておいて」

 

 ユキナリは咳払いして話題を変える。

 

「どうですか。真面目な話、サファリゾーンは後回しにして先にジムを回る手もあるんですけれど」

 

「オレは賛成じゃな。珍しいポケモンをただで見れるとなれば」

 

「あたしも、別に。急いだってバッジが取れるわけでもないしね」

 

 その言葉にはユキナリは意外だった。ナツキの事だから一時でも無駄には出来ないと言うとでも思ったのだ。

 

「そう、キクコは?」

 

 キクコへと視線を振り向けると伏し目がちに、「私も」と笑った。

 

「色んなポケモンを見てみたい、かな」

 

「じゃあ、決定じゃ」

 

 アデクが立ち上がる。ナツキが、「行儀が悪いですよ」といさめるが気にする様子はない。

 

「明日はサファリゾーン。ジムを回るかどうかはその次に決めればいい」

 

「ジムは回りますよ。ジムバッジがあたし達の手にあると言っても三人が三人とも同じポイントってわけじゃないですし」

 

 終盤の局面となればセキチクシティのジムバッジだけでも今までの分を挽回出来るほどのポイント数にはなる。所持ポイント数の高いアデクが抜きん出るか。それとも、ナツキが安定して取りにいくか。はたまたキクコが取得するか。自分は、とユキナリは所持しているグレーバッジと所持ポイントを確かめる。この中では一番低いかもしれない。何としてでもセキチクジムは制したい。その気持ちは同じだ。ユキナリは飯をかけ込んだ。

 

「いい食いっぷりじゃな」とアデクも続いた。ナツキは二人を見やり、ため息を漏らす。

 

「キクコちゃん、お肉食べないの?」

 

 ナタネがキクコの顔を覗き込んで尋ねる。

「肉、嫌いなので」とキクコが答えるや否や、「じゃあもらうねー」とナタネは肉を頬張った。この人も読めない。もしかしたらナタネが取得する可能性もあるのか。ユキナリは緊張に息を詰まらせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、気分が悪い、と」

 

 ユキナリは自室で布団に包まっている。どうやら様々な想定をした結果、気分が悪くなったらしい。それで明日をサファリゾーンに費やそうというのだから聞いて呆れる、とナツキはユキナリの部屋を離れていった。

 

 自分の気持ちとしては一日でも早くジムバッジを取ってセキエイに向かいたい。だが、この街で決着をつけねばならぬ事もあった。

 

「ナツキ」と呼ばれて振り返る。アデクがモンスターボールを手に佇んでいた。

 

「何か?」

 

「そう冷ややかになるな。ユキナリの事が心配なら部屋にいてやればいいじゃろ」

 

「あたしは、別に……」

 

 アデクの告白への返答。それを決めかねていた。アデクはいつだって志は真っ直ぐだ。その気持ちに答えなければならない。中途半端は絶対にいけない、と感じつつもナツキは答えを出せない自分を責め立てた。

 

「……あたしがユキナリの下に行ったらアデクさんは不安にならないんですか?」

 

「全然」

 

 即答にナツキは肩透かしを食らった気分になる。

 

「そこは、気になる、っていうところでしょう?」

 

「何でじゃ? 好いた女がどこにいようと信頼するのが男の務めじゃろうが」

 

 唐突な言葉にナツキは胸がぎゅっと締め付けられるのを感じる。

 

「……そういう、無遠慮な好意は、やめてもらえますか」

 

「好きな奴に好きと言うて何が悪い?」

 

「ユキナリが聞いているかもしれないんですよ」

 

「聞かせてやったらいい。お前さんも、どうして言わん? オレの事を好いてはくれんのか?」

 

「だから、そういう――」

 

 ナツキはハッとする。アデクは酔狂で尋ねているのではない。本気の眼差しでナツキの顔を覗き込んでいた。

 

「……まぁ、いい。オレも、この街をジムだけで過ぎるのは味気ないと思っとったところじゃ。ユキナリが言うてくれて少しだけ安心している部分もある」

 

「アデクさんには珍しいですね。戦う事が本懐じゃ?」

 

「時間が取れてちょうどいい」

 

 アデクはモンスターボールを腰につけてナツキへと向き直る。

 

「デートといかんか?」

 

「は、はぁ?」

 

 ナツキは聞き返す。アデクは、「言い方が間違っとったか?」と首を傾げる。

 

「じゃあ、オレと逢瀬でも奏でんか?」

 

「……なおさら意味が分からないですし。それにデートってのは好き同士の間柄でするもので」

 

「好き同士やと、言ってはくれんのか」

 

 遮って放たれた声は真剣そのものだった。ナツキはどうするべきか決めあぐねる。ここで断れば、アデクの気持ちを踏みにじるのではないのか。そのような予感と共に、この際はっきりと言うべきかと悩む。だが、アデクの事はもう嫌いではない。一人の男性として見ている部分はあった。その点で言えばユキナリを男性として見ているのかと問われると返事に窮する。ユキナリは、自分の中ではそのような立ち居地に囚われる存在ではない。

 

「……ずるいんですよ。アデクさん、そういう風に真っ直ぐな気持ちを向けられると」

 

 何も言えなくなってしまう。アデクは強引だが自分のような優柔不断な人間の気持ちを引っ張ってくれる。それだけの気概のある人だった。

 

「ユキナリに、オレは明日言うつもりじゃ」

 

 その言葉にナツキは、「何を……」と声を詰まらせる。言う事など決まっているではないか。アデクは自分への好意をユキナリに伝えるつもりなのである。

 

「そんな事をして……」

 

「だが、あいつとオレは結局のところ、同じ女を好いた男。どっちが白か黒か決めねばならん」

 

 同じ女。果たしてそれはどうだろうか。ユキナリはキクコになびいている節もある。ナタネだってわからない。

 

「……そんなの、分からないじゃないですか」

 

「何がじゃ。ユキナリはお前さんの事が好きなんじゃから目的は同じであろう? 何か疑問を挟む余地があるか」

 

「困るんですよ」

 

 ナツキは拳をぎゅっと握り締める。

 

「アデクさんのその真っ直ぐさが、ユキナリを傷つけてしまうかもしれない。あたしも、ユキナリも、傷つくのは嫌なんです」

 

 気持ちを封じて今の状態が続くのならばそれでいいではないか。自分が我慢すればいい。そうしておけばユキナリも自分も、誰も傷つかず、このまま未来へ行く事ができる。アデクは、「それは違うぞ」と首を横に振った。

 

「……何が、違うって言うんです?」

 

「お前さんもユキナリも、自分の気持ちと向き合わなければどこにも進めん。どうしてお前さんらはそう怖がる? 怖がっていてはどこにも行けん事は旅を通して分かっておるだろうに」

 

「それは……」

 

 口ごもるしかない。ナツキの気持ちは十四年間を通して育てた気持ちだ。それをそう軽々と扱っていいものではないと無意識的に構えている。アデクは、「ユキナリが、お前さんに対して、何も言わず、このまま時が過ぎるのを待つか?」と歩み寄った。ナツキは、「来ないでください」と後ずさる。

 

「あたしは、ユキナリに、何も言えていないんです。決定的な事は何も。でも、今の関係がいい。あたしとユキナリが旅出来るのなら、自分の気持ち一つを封殺したところで――」

 

「その先に、未来はあると思うか?」

 

 遮って放たれた言葉にナツキは目を見開く。アデクは真剣な声音で告げた。

 

「ぬるま湯みたいな関係性を続けて、それでだらだらと昔語りするような人間に、お前さんはなりたいのか?」

 

 アデクの声に怒りはない。ただ問い質している。それが本当に正しい事だと思っているのかと。それが正直に自分に向き合った結果なのか、と。

 

「オレは、一生ってもんは一度しかない。人生一度きり、じゃったら好きな事をやればいい。誰の迷惑になろうが、誰かを傷つけようが構わない。その先にこそ、光があるんじゃろ? 何でそう及び腰になるんじゃ。お前さんも本能的に気づいておるんじゃろ。ユキナリが少しずつ変わり始めている事に」

 

 ナツキがハッとする。それは見て見ぬ振りを続けてきた部分だったからだ。

 

「……薄々は、感じています」

 

「幼馴染のお前さんからしてみれば、それは寂しい事かも知れん。昔馴染みの人間が変わろうとしている。だけれどな、それを優しく受け入れられるのが、本来の形じゃないのか?」

 

 アデクの口調にナツキは狼狽する。歩み寄ったアデクがナツキの手首を握った。

 

「オレは一緒に来い、としか言わん。それ以上は、何も強制出来ん。ユキナリとの気持ちをどうこうしろとか、今の気持ちにけりつけろ、言うんはお前さんの責任じゃ。それに関しては、オレは意見を差し控える」

 

 アデクの言葉にナツキは顔を伏せた。

 

「……ずるいですよ。強引なくせに大事な事はあたしに決めさせるなんて」

 

 ユキナリとアデク、この気持ちに決着をつけるためにもサファリゾーンでの休息は必要なのかもしれない。

 

「明日、一日考えさせてもらっていいですか?」

 

「オレはいっこうに構わん。お前さんがいつかオレを選んでくれると信じているからな」

 

 どこからその自信が来るのやら。しかし、ハナダシティで再起不能に陥りかけた恐怖から再びここまで上り詰めた男だ。それ相応の覚悟は持ち合わせているのだろう。

 

「あたしは、部屋に戻ります」

 

 その背中にアデクは、「また明日な」と声をかけた。そういう風に言ってくれる男友達を何人知っているだろう。スクールではユキナリ以外の男友達なんて必要なかった。ユキナリさえ傍にいてくれれば。それは自分の束縛願望だったのか。ユキナリが羽ばたこうとしている今、ナツキは傍にいるべきではないのかもしれない。そう感じさせられた。

 



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第百二十四話「遠い匂い」

 

 スケッチブックを取り出し、今まで遭遇したポケモンの行動スケッチを取る。

 

 このようなゆったりとした時間が流れるのは久しぶりだった。ワイルド状態になってからその先、ずっと張り詰めていた。その間にも様々な出会いがあった。強敵、ゲンジとの戦い。ガンテツとの邂逅と別れ。シルフビルでのヤナギとの死闘。ユキナリが鉛筆を進めながら微笑んでいると、「なーに描いてるの?」と背後から抱きつかれた。びくっと肩を震わせてユキナリが飛び上がる。ナタネがいつの間にか気配を消して覗き込んでいたらしい。ユキナリは息をついて、「ノックくらいしてくださいよ」と扉を目にする。

 

「あー、ゴメンね。驚かそうって魂胆はなかったんだ」

 

「ないんなら何でこんな事するんです?」

 

 スケッチブックを握り締めユキナリは唇を尖らせる。ナタネはひらひらと手を振りながら、「いいじゃん。あたしの裸見たんだし」と口にする。

 

「見たくて見たわけじゃ……」

 

「照れるな照れるな、少年」

 

 ナタネが面白がって指で突こうとしてくる。ユキナリはスケッチブックでガードしながら、「何の用です?」と突っぱねた。

 

「つれないなぁ。ユキナリ君の体調が心配だから見に来てあげたのに。ナツキちゃんやキクコちゃんも心配していたよ?」

 

 それは、悪い事をしたかもしれない。とユキナリがスケッチブックを下げると、「えい」とナタネが指でユキナリへと突っ込みをかける。ユキナリはたじろぎながら、本当にこの人は読めないと考えを新たにした。

 

「ナタネさんは、何のつもりなんですか?」

 

「何のって?」

 

 小首を傾げるナタネへとユキナリは改まった態度で告げる。

 

「僕達の旅に同行するなんて」

 

「そりゃ、マスターが決めた事だからだよ。あたしはマスターに言われた事に従っているだけ」

 

 あっけらかんと言い放つナタネへとユキナリは、「そんな理由だけじゃないでしょう」と言っていた。

 

「と、いうと?」

 

「ナタネさん自身も玉座に憧れているんじゃないですか? だから最有力候補である僕達へと接触した」

 

 ユキナリの推理にナタネは、「うーん」と呻った。

 

「面白い推理だけれど大きな欠陥が一つあるね」

 

「何です?」

 

「あたしは玉座に全く興味がないってところかな」

 

 ユキナリが目を見開く。そのような人間がいるのか。訝しげな視線を向けていると、「そんな奴いない、って顔だね」とナタネは口にした。

 

「まぁ、いないって考えるのが筋だろう。だってこの戦いの最終目的だし。でもシンオウから呼ばれたあたしはいわば留学生。マスターの下で、もしかしたら最後の最後まで居残っていたかもしれない。あたしの目的は強くなる事で、玉座じゃない。だってつまらないじゃん」

 

 ナタネの評にユキナリは面食らう。

 

「つまらない?」

 

「オウサマになっちゃったらさ、それまで出来た事が出来なくなるかもしれないんだよ? あたしはタマムシシティで過ごしたのがとてもいい経験になった。あの街が大好きだし、マスターも大好き。だから、オウサマになるのはもったいないよ。あたしはオウサマよりもっと強くなって、シンオウを、故郷を盛り上げたいと思っているんだから」

 

 ナタネの志にユキナリは素直に感服した。玉座で普通は思考が停止するものだ。だというのに、ナタネの考えはその先まで見据えている。それこそ何十年かの未来までも考えたきちんとした人生設計だ。

 

 自分はどうだ? と胸中に尋ねる。スケッチブック片手に戦闘を行うのか、それとも戦闘の片手間に絵を描くのか。意外に保留にし続けていた事項に戸惑っていると、「ねぇ、見せてよ」とナタネが手を伸ばした。

 

「スケッチブック。描いているんでしょ?」

 

 ユキナリは少しの逡巡の後、スケッチブックを手渡した。ナタネはページを繰りながら、「へぇ」と感嘆の息を漏らす。

 

「すごいね。これ、今まで会ったポケモン達?」

 

「その半分程度ですよ。描き出せているのは」

 

「じゃあどうするの? その時に描けなかったら」

 

「記憶しているんで、思い出して描いています」

 

「記憶力いいんだね。あっ、あたしのロズレイドもいる」

 

 ナタネは自分の手持ちを発見して喜ぶ。裏表のない性格なのか、と考えていると今度は、「マスターのモジャンボも」とナタネは笑顔になった。

 

「……そんなに、嬉しいですか?」

 

「うん? 嬉しいよ。だってユキナリ君、絵上手いじゃん」

 

「僕なんてまだまだ。旅に出る前はポッポとコラッタくらいしか描いた事はなかったし」

 

「いやいや、謙遜する事はないよ。ユキナリ君には物事を鋭く見つめる洞察力みたいなものがあると思うな」

 

「洞察力、ですか」

 

 自分にはそのようなものはないのだと思い込んでいた。あるのは絵を正確に描くだけのスキルだと。

 

「うん。ユキナリ君、オノノクスだっけ? その子とよく意思疎通が出来ている。洞察力がないと新種のポケモンなんてどう扱えばいいのか分からないもんだよ」

 

「今だって分かっていませんよ」

 

 オノノクスの実力を引き出せているのかは甚だ疑問ではある。ナタネは、「そう悲観的になる事もないんじゃない?」とスケッチブックを閉じた。

 

「あたしは可能性に満ちていて好きだけれどなぁ。そういやこのスケッチ、人間はないね」

 

 その指摘にユキナリは肩を縮こまらせた。

 

「誰かを描くなんておこがましいかなって思って描いてないんです。賞の応募に必要になったら描いてきましたけれど、自分から誰かを描きたいとは思った事はないです」

 

 そうでなくとも人間のスケッチには抵抗がある。ナタネは、「あたしでもいいよ」と提案した。その言葉の意味が分からずに目を丸くする。

 

「どういう……」

 

「あたしをスケッチしてもいいよ、って事。何なら脱ぐけれど」

 

 ケープへと手をかけたナタネにユキナリは慌ててストップをかける。熱しかけた頭を振って、「せっかくで悪いですけれど」と謝った。

 

「ナタネさんは会ったばかりで、まだ掴み切れていないんです。モデルにはやっぱり、掴んでいる人間がいいので」

 

「じゃあナツキちゃんは? 幼馴染なんでしょ」

 

「ナツキは描かせてくれませんよ。僕のこれだって馬鹿にしているし」

 

「そんな事はないと思うけどなー」

 

 ナタネはユキナリが先ほどまで横になっていた布団に寝転がる。自由奔放なナタネの態度にユキナリは唖然とした。

 

「いつもそんな感じなんですか?」

 

「マスターの前とか? うーん、マスターの前だと緊張してあんまり記憶がないんだよねー」

 

 ナタネが唇を指で押し上げて呟く。意外だった。ナタネのような性格でも緊張はするのか。

 

「っていうか、いつまでいるんです?」

 

「うん? 君が寝るまで」

 

「僕の布団の上にいちゃ寝られないでしょう」

 

 ユキナリの指摘にナタネは、「あっ、そっか」と今さら思い至ったらしい。

 

「どうする?」

 

「どうする、って出て行ってもらうしか」

 

「何なら朝まで添い寝するよ? 少年」

 

 からかう響きを伴ったナタネの声にユキナリは耳まで真っ赤になりながらナタネを追い出した。

 

「出て行ってください!」

 

「つれないなぁ。まぁ、いいよ。明日のサファリゾーン、楽しみにしているねー」

 

 飄々とした様子でナタネが廊下を歩いていく。鼻歌混じりの声で本当に楽しみにしているようだ。

 

 ユキナリは部屋に戻って布団へと寝転がった。

 

「女の人のにおいだ……」

 

 呟いてから浮かんだ考えを掻き消すように頭を振った。

 



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第百二十五話「ガール・イズ・マイン」

 

 サファリゾーンへはいくつかのゲートを要して入館出来た。

 

 放し飼いにされているポケモンの暴走を予期してか、柵が何重にも張り巡らされている。入ってみると檻の中に放り込まれた気分だった。サファリゾーンを立ち上げたのはバオパという青年実業家を始めとする一団で設立されてまだ日が浅いが今次のポケモンリーグでの逐次開放により民衆には広く知れ渡って欲しいとの事である。

 

「メカポッポを一人一羽つけてください。ガイド機能とポケモンへの対シールド機能がついております」

 

 手渡されたのは機械で造られたポッポだった。表層がまだコーティングされておらず、剥き出しの機械部品が覗いている。

 

「何なんです?」

 

「お客様によりよくサファリゾーンをご活用いただくために、安全を第一としたサファリゾーンのガイドです」

 

 係員の説明にもピンと来なかったがどうやらこのメカポッポがいれば野生が飛び出してきても大丈夫なのだという。サファリゾーン内では手持ちは預かられるためにこれしか命の頼みはない。

 

『皆さん、サファリゾーンへようこそ』

 

 メカポッポから滑らかな音声が聞こえてくる。ユキナリは瞠目した。

 

「喋るんだ……」

 

『はい。指向性音声を使用しており、お客様によりよいサービスを提供出来るようになっております。サファリゾーンの説明に入らせてもらってもよろしいでしょうか』

 

 ユキナリは、「ああ、はい」と応じる。メカポッポは目の奥の発光ダイオードを光らせて、『まず石と餌があるはずです』とメカポッポの言葉に入館する時に与えられた石と餌の袋を思い返す。

 

「これですか」

 

『石をポケモンにぶつけるとポケモンは怒りますが、当然、近いほうが観察のし甲斐があるというもの。餌で近寄らせる方法もありますが、警戒心の強いポケモンは縄張りから出ようとはしません』

 

「本来なら、サファリボールで近づいたところを捕獲、でしたっけ?」

 

 事前説明をおぼろげながら口にするとメカポッポの口から、『ポケモンリーグ参加者の新たなポケモンの捕獲は禁じられております』と声が発せられた。

 

『ですからお客様方には実際とは違いますが、体験入館という形になっております』

 

「捕まえられない代わりに、いつまでいてもいいんでしたよね」

 

『とはいっても閉館する十七時までですが』

 

 メカポッポの説明にユキナリは頷いた。珍しいポケモンを観察し放題。しかも無料となればユキナリは喜んで歩み入る。

 

「あんまり離れちゃ駄目よ」

 

 ナツキの声に、「大丈夫だって」と応じる。

 

「メカポッポのガイドさえあればはぐれないんだから」

 

『はい。ありがとうございます』とメカポッポが応じる。その声は指向性のために聞こえていないのかナツキは、「あっそ」とそっぽを向いた。

 

「……うるさいわね、このメカ。人がどう行動しようが勝手でしょ」

 

 ナツキにしか聞こえない音声でメカポッポが何やら言っているらしい。ユキナリは広大なサファリゾーンへと歩み出した。

 

「アデクさんはどうします?」

 

「オレか? オレは、そうじゃな。ゆっくりと巡るとするよ。お前さんはスケッチに?」

 

「ええ」とユキナリはスケッチブックを掲げる。新たなポケモンの生態をスケッチ出来る千載一遇のチャンスだ。

 

「僕はその辺を歩いてきます」

 

 ユキナリの背中へとナツキが声をかけようとする。「放っておけ」とアデクがいさめた。

 

「でも……」

 

「ユキナリも子供じゃなかろう」

 

「子供ですよ」

 

 アデクとナツキの言い合いを他所にユキナリは早速、近場の岩陰に入ってポケモン達を観察する。四足のポケモンで群れを作っていた。茶色い毛並みで三本の尻尾を揺らしている。ユキナリは素早くそのうち一匹の行動スケッチを施した。まず当たりをつけ、次々に肉付けしていく。

 

「あれは、なんていうポケモンなんだろう?」

 

『ケンタロスです』

 

 メカポッポが応じた。メカポッポのカメラから本部に繋がっているのだろう。生態データを滑らかな口調でメカポッポがガイドする。

 

『獲物に狙いをつけると尻尾で身体を叩きつけながら真っ直ぐに突っ込んできます』

 

「でも、メカポッポがいれば安全なんでしょう?」

 

 ユキナリの声に、『もちろん』とメカポッポが応じる。

 

『シールド機能を有していますから、人一人分くらいならば保護できます』

 

「仕組みはよく分からないけれど頼れるってのはいい事だよ」

 

 ケンタロス一匹分のスケッチが完了し、ユキナリは次の目標へと向かう事にした。その途中、ユキナリを見つけたのかケンタロスが重厚な鳴き声を発する。

 

「気づかれた?」

 

 だがケンタロスが見ているのはユキナリではない。きょろきょろと辺りを見渡しているキクコであった。

 

「キクコ? 何で?」

 

「あ、ユキナリ君」

 

 キクコが手を振る。ケンタロスが興奮した様子で遠吠えをして尻尾で身体を叩いた。突進の合図だ。ユキナリは、「逃げろ!」と叫んでいたがその時にはケンタロスがキクコに向けて駆け出していた。しかも一匹ではない。群れが津波のように押し寄せている。思わずユキナリは袋に詰めてあった石を手にした。

 

「この!」

 

 投げつけられた石は先頭のケンタロスを打ち据える。するとケンタロスはユキナリのほうへと向き直った。ユキナリは後ずさって息を呑む。

 

「大丈夫なはずだ。シールド機能とか言うのがあるんだろう」

 

 しかし、ケンタロスの怒りの形相は凄まじかった。足から力が抜けていく。先頭のケンタロスを嚆矢として群れが一挙に突っ込んできた。ユキナリは青ざめる。シールド機能といえども群れに突っ込まれれば終わりではないのか。逃げ出そうとするが足が竦んで動かない。このままでは、と最悪の想定が脳裏に浮かぶ。

 

 その時、ずずん、と腹腔に響く足音が聞こえた。ケンタロスが振り向く。ユキナリもその方向を見やっていた。銀色の表皮を持つ四足のポケモンが三体ほど列を組んで突っ込んでくる。ケンタロスが咆哮して張り詰めた呼吸を吐き出した。

 

「あれは……」

 

『サイホーンです。ケンタロスとの縄張り争いでしょう。頭は悪いですが身体がとても丈夫です。血の気の多い個体がサファリゾーンには数体いまして、その群れのボス、と言ったところでしょうか』

 

 サイホーンというポケモンのうち一体が前に出てケンタロスに向けて唾を吐く。ケンタロスは負けじと吼える。サイホーンは角を突き出して威嚇する。

 

「これ、どっちが勝っているの?」

 

 メカポッポに尋ねると、『今はお互いに牽制し合っているようですね』と答えた。

 

『それよりもお連れさんを助けなくっては』

 

「そうだった」

 

 ユキナリはキクコの名を呼んだ。キクコは回り道をしてユキナリへと合流する。

 

「これ……」

 

「どうやら縄張り争いみたいだ」

 

 サイホーンが角を掲げて咆哮するとケンタロスは三本の尻尾を別々の方向に揺らした。

 

「あの行動の意味は?」

 

『出来れば戦闘を避けたいのでしょう。尻尾を打ち付けて戦闘意識を高めるのですから、バラバラに揺らす好意は逆の意味と捉えられます』

 

「なるほど……」

 

 覚えず鉛筆を握る手に力が篭る。

 

 サイホーンは業を煮やしたようにケンタロスへと向けて姿勢を沈める。突進の構えだ、とユキナリが感じるとケンタロスが尻尾で身体をびしびしと叩いた。どうやら徹底抗戦のつもりらしい。

 

 サイホーンが飛びかかる。ケンタロスが真正面からぶつかり合い、激しく地面が揺すぶられた。

 

『お互いに技を出しています。地震ですね』

 

 双方の身体から土色の波が溢れ出て地面を打ちつける。サイホーンの一個体とケンタロスの一個体が代表してぶつかり合っている。

 

『どうやら縄張りのボス同士がお互いの権利をかけて戦っているようです』

 

 サイホーンの鋭く尖った角がケンタロスの喉元へと突き刺さる。ケンタロスは後ずさった。サイホーンが全身で突進する。ケンタロスが呻き声を上げた。

 

『サイホーンの骨密度は人間の一〇〇〇倍。大型トレーラすら粉砕する体当たりです』

 

「一〇〇〇倍……」

 

 途方もない数字にユキナリは唖然とするがそれ以上に驚くべき事だったのはまだ健在のケンタロスだ。

 

「すごい。まだ立っている」

 

 サイホーンの満身による突進を受け止めてケンタロスが尻尾で自分の身体を叩きつける。最早その闘争心は誰にも止められなかった。ケンタロスが足でサイホーンを踏みつける。サイホーンが僅かに後ずさった隙をついてケンタロスは即座に攻撃姿勢に移り、突進をかました。

 

「サイホーンも、まだだ」

 

 サイホーンは腹部を打ち据えた突進に耐え、前足で地面を踏み締める。

 

『骨密度一〇〇〇倍は伊達ではありません。それにサイホーンは後先を考えられないのです。一度戦うと決めれば身体が粉々になるまで戦います』

 

「これが、野生……」

 

 自分達の今まで遭遇した野生ポケモンが可愛く思えるほどの剥き出しの野生にユキナリは鉛筆を手に取っていた。

 

「ユキナリ君、何を……」

 

 狼狽するキクコを他所にユキナリは鉛筆を走らせる。

 

「描かなきゃ。こんなの何度もお目にかかれない」

 

 サイホーンの当たりをつけ、次いでケンタロスの当たりをつける。即座に先ほどの突進の動きを頭の中で組み上げてユキナリはスケッチブックに落とし込んだ。スケッチブックの上で先ほどの戦闘の再現が行われる。

 

「逃げよ、ねぇ」

 

 キクコが袖を引っ張るがユキナリは、「もうちょっと」と描き上げるまでその場を動く気はない。するとスケッチブックの上にぽつりと水が滴った。

 

 空を仰ぐと一つ、二つと雨の雫が頬を濡らす。

 

「雨だ」

 

 ユキナリの声にすぐさま本降りになった雨の中、サイホーンとケンタロスが激しくぶつかり合う。

 

「これでも戦うってのか」

 

 再び行動スケッチを取ろうとするとキクコが、「濡れちゃうよ」とユキナリを引っ張る。サイホーンとケンタロスの戦闘に夢中になっているユキナリには聞こえていないも同義だったが、その時、不意に肩にあった重量が消えた。

 

 目を向けるとメカポッポが固まって落ちている。

 

「あれ、どうした?」

 

『耐水性は、ないので……』

 

 その言葉を潮にメカポッポは沈黙する。ユキナリはその段になって嫌な汗が首筋を伝った。メカポッポがいなければ自分達はどうやってこのサファリゾーンで身を守るというのだ。

 

 ユキナリはキクコの肩に留まっているメカポッポを引っ手繰って身体で守った。

 

「とりあえず、どこか雨をしのげる場所へ!」

 

 ユキナリの声にキクコも頷いて草原を駆け抜けていく。目の端ではまだサイホーンとケンタロスの決闘の行方が気になったが今はこちらが優先だ。五十メートルほど先に木陰があった。ユキナリはキクコの手を引いて木陰へと入る。鞄からタオルを取り出しメカポッポを拭いた。

 

「まだ、機能しているのかな」

 

 メカポッポに耐水性がないのあらばこのメカポッポも危うかったが、『調整中です』という機会音声が流れた。

 

「ちょっと待てば復活しそうだ」

 

 ひとまず息をついてユキナリは雨脚を眺める。キクコも中空に視線をやって、「雨、止まないね」と呟いた。ユキナリはキクコを見やる。張り付いた服が身体のラインを浮き彫りにしていた。昨夜裸体を見た事もあり、ユキナリは耳まで真っ赤になった。

 

「どうしたの?」

 

 キクコが怪訝そうに尋ねてくる。ユキナリはタオルを突き出し、「これ。拭かないと風邪引いちゃう」と見ないように告げた。

 

「あ、ありがとう」

 

 キクコが髪を拭く。ユキナリはそれを横目に呟いた。

 

「キクコの髪って、そういえば珍しい色だよね」

 

 灰色の髪は老練したような印象を受けるがキクコの人格のお陰で幼いイメージがついて回った。

 

「そうかな。みんなもこの色だったから不思議には思わなかったけれど」

 

 キクコの言葉は時折分からないが、何かを必死に伝えようとしている事だけは確かだった。キクコの頬を伝い、雫が顎から落ちる。その一連の動作だけなのに、ユキナリは見とれてしまった。

 

「何?」

 

 訊いてくるキクコに、「いや」とユキナリは誤魔化そうとする。

 

「雨ってのは、嫌だな、って思ってさ」

 

「そうだよね。ユキナリ君、スケッチブックは大丈夫だった?」

 

 身体で守っていたためにスケッチブックはほとんど濡れていなかったが先ほどの行動スケッチが途中だった。ユキナリは鉛筆を取り出して行動スケッチの続きを描きつける。

 

「見ていてもいい?」

 

 キクコの言葉は思いも寄らなかった。ユキナリは、「いいよ」と応じて鉛筆を走らせる。そういえば今まで、他人に見られながら作品を仕上げた事はあまりないのではないだろうか。キクコに見られているからと言って心が乱される事はない。むしろ落ち着いている。キクコの存在が温かなものとなって自分を見つめているのが分かった。

 

「上手だね」

 

「まだまださ。もっと早く、行動スケッチぐらいは出来るようにならないと。それに、結局のところ僕はデッサンをしているだけで、これに色をつけるとまた違った趣になる。色をつけて初めて、絵は完成するんだ。僕のはその初期段階を真似ているだけだよ」

 

 ユキナリは鉛筆を止めた。キクコが顔を覗き込んでいたからである。その赤い瞳に吸い込まれそうになりながらユキナリは口を開いた。

 

「キクコは何か、夢とかはないの?」

 

「夢、か。よく分からない」

 

「分からないって、でもキクコだって目的があるからポケモンリーグに参加したんだろう」

 

「それも、ちょっと分からなくなっちゃった」

 

 キクコは両膝を抱え込んで呟く。目的が喪失したような言い草だった。かつてナツキに軟弱者と謗られ、夢を追う事を諦めかけた自身の姿に似ていた。

 

「夢を追う資格のない人間なんていないよ。みんな、ここじゃないどこかへと行こうとしている。その権利があるんだ」

 

 ユキナリの言葉にキクコは呆けたようにこちらを見つめている。ユキナリは目を逸らし、「ってある人が言っていた。受け売りだけれどね」と笑い話にする。

 

「そうなんだ。でも、ユキナリ君はそれで立ち直ったんでしょ? それってすごい事だと思う」

 

「すごい、かな。僕なんて、流動的で、誰かの言葉にすぐに流されちゃう。自分のない人間だと思われても仕方がないよ」

 

「でも、ただ目標も何もなく旅してきた人じゃないよ。そんな人はここまで来れない」

 

 ようやく終盤に差し掛かろうとしている。だがこの旅が終わった時、ユキナリはどうするべきなのだろうか。王になれたのならば、王として振る舞うべきなのか。昨夜のナタネの言葉が思い出される。王になったところでつまらない、と。

 

「僕も、目的って言うのはちょっと分からない。こうして、絵を描いている時が一番楽しいって事くらいかな。僕に見えているのは」

 

「それだけで充分だよ」

 

 キクコの言葉の後押しを受けるが、そうなのだろうかと自問する。中途半端な気持ちで王を目指す事は本気で玉座を求めている人間を冒涜する行為ではないのか。

 

「どっちつかずなんだよ。僕だって誰かに尊敬されたい気持ちはあるし、誰かの憧れになりたい気持ちもある。でも、その最終形態が絵を描く事なのか、それともポケモンの玉座なのかって言うのは随分と話が違ってくる」

 

 オノノクスはどちらを望んでいるのだろう。もしポケモンの声が聞けるのならば、その望みを叶えてやりたい。

 

「そういうユキナリ君の事を、オノノクスは好きなんだと思うよ」

 

 キクコの思いがけない言葉にユキナリは呆然とする。キクコは降りしきる雨を眺めながら告げた。

 

「オノノクスは、ようやく信じられる相手としてユキナリ君を主人として認めている。だから、最大限の力を振るってくれている」

 

 そういえば、とユキナリは思い出す。キクコにはポケモンの気持ちが分かる力が備わっているのだったか。

 

「オノノクスは、本当にそう思っているのかな。僕みたいなのが主人で、本当の力を発揮出来ているのかな」

 

 分からぬ問いにキクコは、「そのはずだよ」と答える。キクコの言葉だけが絶対ではない。だが信じるに値する言葉だった。

 

「ありがとう、キクコ」

 

 何のてらいもない礼を述べるとキクコは微笑もうとして、さぁっと顔から血の気が引いた。何かを見つけたような視線にユキナリが振り返ると、ピンク色の身体のポケモンが佇んでいた。舌をだらりと出しており、丸みを帯びた身体だ。キクコは悲鳴を上げようとしたのだろう。ユキナリはそれを制して、「大丈夫」とキクコの肩に手を置いた。

 

「大丈夫、って」

 

「攻撃するのなら、もうしているよ。このポケモンに害意はないんだろう。それにメカポッポの守りもあるだろうし」

 

 メカポッポへと視線を振り向けるがデータが提供される様子はない。ユキナリはスケッチブックを構えた。

 

「ユキナリ君?」

 

「こんな距離で見られるなんて珍しいよ。スケッチに移る」

 

 歩み寄ろうとするユキナリに、「危ないよ」とキクコが声をかけた。

 

「大丈夫さ。餌も石もあるし、この餌で、っと」

 

 ユキナリが餌を投げる。舌の長いポケモンは一度舌を仕舞い込んでからすんすんと匂いを嗅ぎ、もう一度舌を出して餌を絡め取った。警戒心は薄いらしい。ユキナリはスケッチブックのページを捲り、大きめに当たりをつける。

 

「このポケモン、見た事がないな。舌が武器でもあるのか? 手足はあまり長くないし、すばしっこそうでもない。どちらかと言えば鈍重そうだし、つぶらな目だ。凶悪そうでもない」

 

 ユキナリは観察しながらスケッチブックへと鉛筆を走らせてすぐさま目の前のポケモンを描いていく。キクコの手の中にあるメカポッポから声が漏れた。

 

『ベロリンガです』

 

 その言葉を振り返らずに聞き返す。

 

「ベロリンガ?」

 

『このサファリゾーンでも珍しい部類に入るポケモンですね。個体数が少なく、その生態も謎に包まれているのですが舌が身長の二倍もあるとか。舌を伸ばす瞬間をよく見てください』

 

 メカポッポの声にユキナリとキクコはベロリンガを観察する。餌を舌で絡め取ると尻尾が震えた。

 

『仮説としてですが、ベロリンガは舌まで神経が発達しておりそれと連動して尻尾が動く事から行動の予兆を見るのに舌の動きよりも尻尾を見るというデータがあります』

 

「へぇ。そうなんだ」

 

 ユキナリは素直に感心する。ベロリンガは舌を口腔に押し込めた。それをじっと見ていると舌がまるで弾丸のように打ち出される。ユキナリは反応が遅れたがメカポッポの口から青い光が放射され、ベロリンガの舌による攻撃を防御した。

 

『餌を狙おうとしたのでしょう。ベロリンガの舌は武器でもあります』

 

「ユキナリ君。ベロリンガは攻撃しようという感じじゃないけれど、餌を狙っているみたい。今度は当ててくるよ」

 

 キクコの予想は当たる。ユキナリは後ずさりながらもベロリンガのスケッチをやめない。ベロリンガが舌をだらりと垂らして身体を舐め回す。

 

『ベロリンガの舌には麻痺毒が仕込まれていると言います。舐められるだけでも脅威です』

 

 メカポッポの説明を聞きながら、「なら、何でベロリンガ自身は平気なんだろう?」とユキナリは首をひねった。

 

「表皮に秘密があるのか。あるいはアーボみたいに自分の毒は効かない体質なのか」

 

 考察を巡らせているとベロリンガが再び口腔内へと舌を仕舞い込む。またしても舌による攻撃が来ると予感したユキナリは慌てて逃げ回った。ベロリンガの舌が器用にユキナリを追って曲がる。肩越しに見やりながら、「何て自在に」と呟いた。

 

『ベロリンガは舌が手の代わりになるのです。その代わり、発達した舌には神経が相当数通っていると思われます』

 

「だったら」

 

 ユキナリは袋の中にある石を取り出し、ベロリンガの舌へと投げつける。舌の先端に命中した石に対してベロリンガは舌を引っ込めた。

 

「鋭敏な感覚があるのなら少しの痛みでも警戒するはず」

 

 ユキナリが覗き込むとベロリンガは身体を跳ね回らせて逃げ出した。ユキナリとキクコが息をつく。

 

「た、助かった」

 

 木に身体を預けているとキクコが笑った。

 

「怖かったけれど、ユキナリ君、スケッチブック絶対に離さないんだもん。ちょっと可笑しい」

 

「可笑しいって、そりゃおかしいのかもしれないけれど」

 

 ユキナリが頬を掻きながら呟く。キクコは踊るように身を翻した。雨が止みかけ、雲間から覗いた陽光が雫を照らし出す。ユキナリの目には幾重の光が乱反射し、まるで祝福するようにキクコへと差し込んできたのを感じ取った。キクコは光の中を行き交う旅人だ。

 

 ユキナリはその姿に暫時、見とれていた。キクコが、「どうしたの?」と尋ねてくる。ユキナリはぎゅっとスケッチブックを握り締め、一つを提案した。

 

「キクコ、お願いがあるんだ」

 

 先ほどの姿を見た時から、いや、それよりも前かもしれない。キクコと会った時からいつか言おうと思っていた。

 

「君の姿を、絵に描かせて欲しい」

 



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第百二十六話「嵐の中で輝いて」

 

「止まないわねぇ」

 

 ナツキが木陰から雨脚を見やる。アデクは隣で腕を組んでいた。

 

「そうじゃのう」

 

 ナツキはアデクと二人きりになっている今の状況を鑑みる。ナタネは、というといつの間にかはぐれてしまった。奇しくもアデクの言うデートに近い形となってしまった。灰色の景色の中で長い双頭を持つ鳥ポケモンが足を止めて周囲へと二つの首を別方向に巡らせている。メカポッポのガイドによるとドードーというポケモンらしい。

 

「どうやらドードーの縄張りに入ったみたいじゃのう」

 

「落ち着いているんですね」

 

 皮肉に聞こえかねないナツキの声に、「慌てても仕方がない」とアデクは応じた。

 

「石も餌もある。いざとなれば正面を突っ切ればいい」

 

「あたしはそんな楽観主義には思えませんけれど」

 

 雨音が響く。アデクは葉っぱを一枚千切り、「なぁ、何でぴりぴりしとる?」と尋ねた。

 

「ぴりぴりなんて。あたしは」

 

「オレと二人きりになるのが嫌か?」

 

 アデクの率直な物言いにナツキは口を噤む。二人きりになるのが嫌というよりかは、アデクから答えを迫られているようで気まずいだけなのだ。それは結局、自分のせいでもある。

 

「オレは答えなんて迫ったりせんぞ」

 

 そのような心中を見透かしたようにアデクは葉っぱを手から落とす。ゆらり、ゆらりと木の葉が舞った。

 

「お前さんの好きな時に聞かせてくれ」

 

「だから、それが今なんでしょう?」

 

 ナツキにはアデクが出来るだけ早く答えを聞きたがっている事は分かっていた。今、この瞬間にも答えを聞き出したい。それがアデクの胸中だろう。だが、アデクは急いた様子もない。

 

「別に旅の中でいつか言ってくれればいい話じゃが、せっかく二人きりになれたんじゃ。腹を割って話さんか?」

 

「あたしは、そんな気分じゃないです」

 

 その言葉で突き放そうとしたがアデクは頬を掻いて、「何を恥ずかしがる事があるのか分からんが」と袋から餌を取り出した。一匹のドードーが歩み寄ってくる。アデクは餌をちらつかせ、ドードーの興味を引いた。最も接近した時餌を投げつける。ドードーは餌を食べながら甲高い鳴き声を上げた。アデクが袋に手を入れる。また餌がもらえると期待したか、ドードーがさらに近づいてくるとアデクはあろう事か石を投げつけた。頭部に食らったドードーが逃げ出す。それをアデクは笑って見ていた。

 

「趣味が悪いですよ」

 

 ナツキの言葉に、「そういう施設じゃろう」とアデクは口にする。

 

「捕獲も出来んのなら、こうしてポケモン相手に遊んでやるしかない。ちょっとした意地悪もその遊びのうちじゃ」

 

「だからってあんな事しなくっても」

 

「ドードーに餌だけやればいよかったのでは、って? それは趣旨に反しておるじゃろう。このサファリゾーンはポケモンの生態を知るための場所。ポケモンに媚を売る場所じゃないぞ」

 

 それは、とナツキは口ごもる。アデクはポケモンとの関係性においてどこか一線を引いているようであった。

 

「アデクさんのいた場所では、こういうの当たり前だったんですか?」

 

「うん? イッシュ地方か。当たり前、ではなかったな。きっちり人の住んでいる場所とポケモンの棲んでいる場所は住み分けられておるし、最近は都市化も激しい。イッシュは航空産業を一手に背負おうとしとるから、草むらはどんどん減ってきておる。それを憂う老人もいれば、受け容れる若者もいて、そう単純な話じゃないのう」

 

 どこも同じか、とナツキは感じた。イッシュはそういえば仮想敵なのだ。それを思い出し、「カントーについては」と訊いていた。

 

「どういう風に教わるんですか?」

 

「昔みたいにポケモンを剥き出しにして今でも一国一城の主がいる古い国だと聞いていたが、それは間違った認識だったみたいじゃな。この地方の言語を学べばすぐに分かった。どうやらオレの喋っているカントーの言葉も少し古びているみたいじゃ」

 

 自覚はあったのか、とナツキは意外に感じた。

 

「だがのう、この言葉、気に入っておるぞ。何よりも率直で、余計な装飾がない。そういうのがブシドーだと聞いたが」

 

 アデクの言葉にナツキは思わず吹き出した。

 

「ブシドーって、今時ないですよ、そんなの」

 

 ナツキへとアデクは、「そうさなぁ」と口にする。

 

「だけれど、お前さんの笑顔を久しぶりに見れてオレは嬉しいが」

 

 その言葉にそういえばアデクの前では笑わないようにしていたのだと思い出した。自分の感情を抑制し、アデクには気取られないようにしようと。だがアデクはそれすらも見抜いていたようだ。

 

「笑ってくれれば、オレはそれだけでいい。お前さんが悲しむよりかはずっとな。正直、オレはお前さんを悲しませているんだと思っていた時もあった」

 

 それこそ意外だった。いつも強引なアデクらしくない。

 

「アデクさんも、そういう事思うんですか?」

 

「思うぞ。オレだって人間じゃしな」

 

 そういう弱さとは無縁のところにいる人間だと思い込んでいた。アデクは石を平野へと投げつける。

 

「こういう風に、真っ直ぐに、何も考えずにいられれば、と何度も思った。特にハナダシティで傷を負った時にな」

 

 その責任の一端は自分にもある。ナツキが顔を翳らせていると、「でも結果的に、オレは復活出来た」とアデクは努めて明るい声を出そうとする。

 

「でも、それは結果論で」

 

「ユキナリといいお前さんといい、人の怪我にそこまで親身になれるもんじゃな」

 

 アデク自身、トレーナーとしての再起が危ぶまれた怪我だ。心配になるに決まっている。

 

「ユキナリは、責任をきっと誰よりも感じていたはずです。ちょうどオノンドも使えなくなって、精神的に参っていた時期でしょうし」

 

「オレも、あの時のユキナリは見ていられんかった。だからこそ、お前さんには笑っていて欲しかった」

 

「だから、病室で告白したんですか?」

 

 ナツキの問いかけに、「それもあるが」とアデクは含んだ言い回しをする。

 

「あの時じゃなければ、もしかしたらもう一生、お前さんに会えんのかもしれんと思うと怖くってな」

 

 怖い。そのような感情ともアデクは無縁の人物だと思い込んでいた。アデクは逆境でも何でも弾き返すくらいの気概の持ち主だと。

 

「意外か?」とナツキの胸中を読んだ声に頷いた。

 

「ええ。アデクさんらしくない」

 

「オレらしくない、か。だが、オレだってお前さんを好きと言った時からもう二度とお前さんらには追いつけん。告白の機会はこれしかないと思うと、居てもたってもいられんかった。ここで告白せねば男が廃る、とな」

 

 雨脚が弱まってきた。アデクが掌を天に向けながら、「ちょっと止んできたな」と呟く。

 

「ちょっと歩かんか?」

 

 アデクが指差すのはまだぬかるんだ地面である。ナツキが渋っていると、「オレがエスコートする」とアデクが手を差し出した。その手を取るべきか逡巡していると、「何を迷う?」とアデクが声にした。

 

「この手は罠じゃないぞ」

 

 その言葉にナツキは手を重ねていた。アデクはナツキを引っ張り、木陰から出て行く。垂れ込めた雲が少しだけ薄らいでいる。

 

「涼しいな。雨上がりの風は」

 

「まだ上がってないですけれど」

 

 ナツキは小雨にぼやくと、「こんなの、降っているうちに入らんわ!」とアデクが快活に笑った。その笑い声で陰鬱な雲を吹き飛ばしていきそうだった。

 

 ぬかるんだ地面をドードー達が歩いていく。三本指の足跡をつけながら。アデクが呼び寄せたのは湖だった。湖畔には、まだ雨の痕がついている。

 

「よし」とアデクが袋から石を取り出す。何をするのかと思っていると石を投げて水を切った。三回ほど湖の腹を跳ねて石が沈む。

 

「もったいないですよ」

 

「なに、これもタダじゃろう? だったら、楽しんだもん勝ちじゃ」

 

 アデクが再び石を放る。見事に三回跳ねて石は沈んだ。

 

「お前さんもやってみい」

 

 アデクの言葉にナツキは、「あたしは下手だし」と肩を落とす。

 

「やる前から敗北宣言とは、お前さんらしくないのう」

 

 敗北、という言葉にナツキはムカッとする。

 

「負けてなんていません」

 

「じゃったら投げてみい。まぁ、オレには勝てんじゃろうが」

 

 ナツキは袋から石を取り出し、「あたしだって」と投げる。すると湖を三回跳ねた。胸を反らして、「どうです?」と自慢する。

 

「実力は拮抗、というところか。だが、オレはまだ本気を出しとらんぞ」

 

 アデクは石を三つ掴んで同時に放り投げる。すると三つの石がそれぞれ三回跳ねた。器用な真似にナツキは目を丸くする。

 

「どうじゃ? これを超えられるか?」

 

 挑発的な物言いにナツキも石を三つ掴んだ。放り投げようとするが、そのうちの一個がすっぱ抜けて頭上に上がる。アデクの頭にこつんと落ちた。

 

「あっ、すいません」

 

 あとの二個もほとんど跳ねずに湖に沈む。アデクは頭を押さえて、「こういう手もアリか……」と呟いていた。

 

「いや、わざとじゃないですし!」

 

「勝利宣言をこういう形で撤回されるとは……」

 

「だからわざとじゃ」

 

 アデクがおろおろとするナツキと目線を合わせる。不意に目があってナツキは吹き出した。アデクも快活に笑う。二人分の笑い声が相乗し、草原を駆け抜けた。

 

「雨、止みましたね」

 

 もう雨が降っていない事をナツキは確認する。アデクは、「そうじゃな」と日が差し込んでくる湖を眺めた。楕円の光が湖に投げ込まれ、きらきらと湖畔が輝く。ナツキが感嘆の吐息を漏らすとアデクは拍手した。

 

「いや、美しいな。自然の作り出す風景は」

 

「アデクさん、美しいとか分かるんですか?」

 

「失礼じゃの」とアデクは唇を尖らせる。

 

「お前さんよりかはずっと精通しとるわい」

 

 その言葉にナツキは売り言葉に買い言葉の体で返した。

 

「その格好で美しいとか、ちょっとうけますよ」

 

「オレは年中この格好じゃからな」

 

 アデクは腕を組んで大声を出す。ナツキは、「だから何で自慢げ」と笑った。

 平原を風が吹き抜ける。雨の気配を消し去った清らかな風に全身が洗われる気分だった。アデクがこちらを見つめている。自然な流れで二人は向き合った。

 

「オレはナツキ、お前さんが好きじゃ」

 

 改めて発せられた声にナツキは戸惑う。まだ答えが出せない。

 

「……あたしは、まだ答えられません」

 

 その言葉にアデクは、「いいわい」と返す。

 

「いつか答えてもらえるならな」

 

 アデクは石を三つ、湖に向けて放った。それぞれが軌道を描いてくるくると回り、水を切った。

 



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第百二十七話「氷の極点」

 

 クチバの港に積乱雲が暗く垂れ込める。小雨を降らせたが、運行に支障はなかった。途中まで全翼型の戦闘機に輸送を任せていたそうだが、それではカントー政府を刺激してしまうとして、途中で貨物船に乗り換えたのだ。

 

 ヤナギは停泊している貨物船へとタラップを上る。巨大なコンテナを有する在来型貨物船は問題なくイッシュからの長旅を終えたらしい。眼前を行くハンサムの手には黒いモンスターボールがあった。

 

「それは何だ?」

 

 ヤナギが問いかけるとハンサムは足を止め、「ああ、これか」とモンスターボールを見やる。

 

「スペック3と呼ばれる新型モンスターボールの一つだ。新型だけでも相当な捕獲補正が入るが、これはその倍だ」

 

 新型モンスターボールはロケット団が開発を進めていた分野のはずだ。ヤナギは鋭く切り込んだ。

 

「ロケット団と通じていたのか?」

 

「逆だよ。我々がロケット団へと、いやシルフか、シルフカンパニーへとこの技術を民間転用するように働きかけたんだ。八代目ガンテツを知っているかな」

 

 ヤナギが首を横に振ると、「彼からの技術支援でね」とハンサムは応じた。

 

「八代目ガンテツは最初、シルフカンパニーに売り込もうとしていたんだが、我々のほうが後の世に爪痕を残すと考えたのか、私達にもこの技術を売ってきた」

 

「そんな鞍替えする奴を信用したのか?」

 

 ヤナギの言葉に、「君ほど信頼を得ていないんだよ」とハンサムは微笑む。彼の視線の先には自分を護衛する黒い着物の女性の姿があった。

 

「まさかヤマブキのジムリーダーを味方につけているとはね」

 

「私はこのヤナギのほうがまだ信頼に足ると考えている。貴公らよりかはな」

 

 チアキが鋭い眼差しでハンサムを睨む。チアキからしてみれば知り合ったばかりの間柄には違いなかったが、シロナの命を奪ったかもしれない輩を相手にしているとヤナギ以上の憎悪があった。ハンサムはそのような殺気を風と受け流す。

 

「恐るべき相手だね。ヤナギ君、彼女だけじゃないのだろう」

 

 カミツレの存在もハンサムの耳には入っているはずだ。ヤナギはカミツレに空中展開を任せていた。もしもの時には貨物船ごとハンサムを亡き者にしろ、と。カミツレはサンダーで上空を飛んでいるはずだ。

 

「答える義務、あるのか」

 

 ヤナギの声にハンサムは肩を竦める。

 

「つくづく、恐ろしい子供だよ、君は。シロナが君を単体戦力としては恐るべき、と評価したのも分かる」

 

 自分の前でシロナの話題を出すとは、この男、分かってやっているのか。ヤナギはにわかに殺気立ったが怒りは目の前の事柄を忘れさせてしまう。今は、ハンサムの言う通りに、自分の牙を研ぐ時だ。

 

「……それで、その戦力とやらはどこにある?」

 

 怒りを制したヤナギへとハンサムは興味深そうな目を向ける。貨物船の乗務員が、「対象は沈黙しています」と状況を報告する。敬礼をしている事からヘキサの構成員なのだろうと察しがついた。

 

「目覚めさせると、リスクが伴いますが」

 

「構わない。彼は実力者だ。そのような事は杞憂だよ」

 

 ヤナギへと乗務員は一瞥を寄越してから、「しかし、対象は凶暴です」と言葉を重ねた。

 

「一流のトレーナーと構成員達が封印措置を何重にも施してやっとです。少しでも束縛を剥がすと、暴走の恐れが――」

 

「聞こえなかったのか? 彼ならば心配はいらないと言っている」

 

 遮ったハンサムの声に乗務員は息を詰まらせた。「知りませんよ」と捨て台詞を漏らし、乗務員は降りていく。

 

「すまないね。教育が行き届いていなくって」

 

 貨物船内へと乗り込みハンサムが声にする。

 

「構わない。俺だっていきなり子供が連れてこられればまず疑うだろう」

 

「君は理解があるのだね」

 

 ヤナギはキッと睨む。今すぐにでも瞬間凍結で殺してしまいたい相手だが今は我慢だ。自分に、これ以上の力を授けるというのだから。

 

「コンテナに入る大きさで助かった。これ以上大きければどうしようかと思っていたんだ」

 

 コンテナへと続く通路でハンサムは微笑んだ。虚飾に塗れた微笑みにヤナギは鉄面皮を返す。

 

「この向こうか?」

 

 扉の向こうに何かがいる。それは視覚的にも伝わった。扉が凍結しているのだ。相当な冷気が放たれなければ目の前の状態にはならない。ヤナギの言葉にハンサムは、「さすがだね」と形だけの言葉を述べた。

 

「凍結領域がここまで広がっているとは予想外だった。一応、封印措置が取られているはずなんだが」

 

「御託はいい。この向こうにいるんだな?」

 

 ヤナギの確認の声に、「そうとも」とハンサムは応じた。

 

「出来れば入りたくないがね。君のたっての望みならば」

 

「俺が先に入ればいいのだろう」

 

 ハンサムの取ってつけたような遠回しな言い草にヤナギは扉のノブへと手をかけた。その瞬間、掌に凍結が至る。どうやらこの凍結領域は今でも成長中らしい。

 

「半端じゃないな。この向こうにいるポケモンは」

 

「開けてみるといい」

 

 ハンサムに言われるまでもない。ヤナギは扉を開けて中に入った。その瞬間、投光機の光がコンテナの中を満たす。コンテナの中央に鎮座しているのは灰色の体色をしたポケモンだった。端的に言えば灰色の龍だ。氷付けにされた龍が黄色く濁った眼でヤナギを見据えている。翼は左右非対称で飛べるような形状ではなかった。歪さを想起させる龍は全身から冷気を発生させている。その体表に赤い十字架が突き刺さっていた。恐らく封印措置とはそれの事だろう。龍のポケモンは今、沈黙しているのが不思議なほどだった。ヤナギは龍のポケモンを観察する。冷気が充満し、まるでコンテナそのものが冷凍庫のようだ。

 

「この、ポケモンは……」

 

 息を呑んだのはチアキだった。今までとは比べ物にならない冷気と威圧感。それが押し包んでいるせいだろう。ハンサムが声にする。

 

「このポケモンはイッシュの伝説に名を残すポケモン。名はキュレム、と言います」

 

「キュレム……」

 

 ヤナギはキュレムと呼ばれたポケモンを眺める。静かな吐息を漏らしており、昏睡の只中にあるのだと分かった。

 

「眠っている?」

 

「擬似封印」

 

 ハンサムが赤い十字架を指差す。

 

「キュレムの体表には、数十本の封印措置が施され、今は指の筋一本すら自由に動かせないはず」

 

「だが、それも机上の空論のようだな。このキュレムとやら、きちんと俺達を把握している」

 

 氷タイプを専門とするヤナギにはそれが理解出来た。キュレムはこちらの出方を窺っている。場合によってはこの場で自分達も殺すつもりだろう。ハンサムは、「それほどに凶暴だとは」と口を開く。

 

「報告はされていませんが」

 

「こいつはやる。今は封印措置とやらが効いていて麻痺しているのかもしれないが、一度、それを解いてみろ。このクチバの港が根こそぎ凍り付くぞ」

 

 それほどの実力を秘めたポケモンである事は明白だ。このコンテナだけ冷凍状態になっているのがそれを如実に表している。

 

「キュレムのデータはほとんどありません。ゼクロムやレシラムと同じく、イッシュ建国時に存在したとされるポケモンですが表の文献からは存在が消し去られています」

 

「お前ら自慢のヘキサツールとやらに書かれていたのか?」

 

 ヤナギの質問にハンサムは、「ヘキサツールでは」とキュレムに向き直る。

 

「このポケモンが発見されるのはさらに時代が下って四十年後。滅びの少し前です。それまでいた事すら分かっていなかった」

 

「歴史に秘匿されたポケモンか」

 

 ヤナギは鼻を鳴らしてキュレムを見やった。キュレムの黄色く濁った眼がヤナギを見据える。主に足る人物かどうか、見定めているかのようだった。

 

「こいつを俺が制すればいいのだろう」

 

「簡単には行きますまい。だから、これを用意したのです」

 

 ハンサムが黒いモンスターボールを手渡す。それに入れろという事なのだろう。黄色い「H」の文字が彫り込まれたモンスターボールを手にヤナギはキュレムへと一歩踏み込んだ。

 

「チアキ、もしもの時にはバシャーモで援護を頼む」

 

 チアキは首肯し、「バシャーモ」とモンスターボールから繰り出す。赤い鳥人が飛び出したがキュレムを前にして気圧されているのが分かった。

 

「この、プレッシャーの波は……」

 

 チアキですら恐れを成すほどのポケモン。伝説の名は伊達ではないかと確かめてから、ヤナギはキュレムへの距離を縮めた。キュレムは動こうとしない。ヤナギの一挙手一投足すら観察しているかのようだ。

 

「俺がどう動くのか、こいつは見ている。俺の動きによっては、このコンテナを冷凍地獄にする事くらいは容易いだろう」

 

 チアキはバシャーモへと注意を走らせる。炎・格闘のバシャーモは氷タイプのキュレムに対するカウンターになるはずであったが、今の状況では蛇に睨まれた蛙だ。キュレムの動きに対応出来るのか怪しい。

 

「バシャーモでどう動いても、このポケモンはその上を行くイメージしかない」

 

 チアキが弱音を吐くほどにキュレムとの戦力差は歴然としている。ヤナギは、「イメージするのは」と声を張った。

 

「勝つイメージだけだ。それ以外は必要ないと心得ろ」

 

「だが、ヤナギ。どう動いたところで」

 

「弱音は判断を鈍らせる。よく見ていろ」

 

 ヤナギはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、ボタンを緩めて放り投げた。

 

「いけ、マンムー」

 

 光に包まれてマンムーの巨体が飛び出した。だがキュレムに比すればマンムーの大きさなど大したものではない。角を突き出して威嚇するがキュレムの存在感はそれを超越していた。

 

「キュレム。俺がマンムーを出した意味は分かるか?」

 

 当然、キュレムは答えない。代わりにハンサムが口を挟む。

 

「弱点を突かれないからではないのかな」

 

「弱点、か。そのような些事に構っているほど、このポケモンは生易しくなさそうだが、まぁいい。キュレム、唯一つだ」

 

 ヤナギが指を立てる。キュレムはそれを見つめながら黙している。

 

「瞬間凍結、という技を俺はこいつと極めた。それにどれだけお前が近づけるのか、それを確かめる」

 

「どういう――」とハンサムが疑問を挟む前にヤナギは言い放つ。

 

「瞬間凍結、レベル1」

 

 一瞬にして空気が凍て付いた。キュレムを凍り付かせようとする。キュレムの身体に張り付いた氷が針の形状を伴い、表皮へと突き刺さる。だがキュレムは瞬時に氷柱針を無効化した。表皮に入った氷の針を自らかさぶたのように氷へと再結晶化させ出血を防いだのだ。その行動は目で追えないほどであったが、ヤナギには感覚的に理解出来た。

 

「氷タイプに、氷タイプの技は」

 

 ハンサムの言葉に、「言われなくっても分かっている」と答える。

 

「意味がない。だが、こいつは俺を試している。それに、俺がマンムーを外してこいつを手持ちにすると決めるのは、こいつが今の俺達よりも強いと証明されてからだ。それ以外に、長年連れ添った相棒を手離す理由がない」

 

 何よりもプライドが許さない。マンムーよりも強くなければ、自分はあのユキナリにすら勝てないのだ。さらなる高みを目指し、ヤナギは手を振り翳す。

 

「瞬間凍結、レベル2」

 

 一段階上げただけでは先ほどの再現だ。凍結範囲も含めてキュレムは同威力の攻撃で相殺してくる。ヤナギは一つ息をつき、「行くぞ」と緊張に拳を握り締める。

 

「瞬間凍結、レベル4」

 

 一気に二段階上げた瞬間凍結だが、キュレムはほぼ狂いもなしに威力が同じ瞬間凍結をぶつけてくる。マンムーとキュレムの間の空間が歪み、氷の根が張った。瞬く間に広がっていく根が樹木の形を成していく。

 

「これは、何が起こって……」

 

「黙っていろ。俺とキュレムは真剣勝負をしている」

 

 どちらが音を上げるか。その勝負だ。ヤナギはキュレムの頭上を仰ぎマンムーに指示を飛ばす。

 

「氷柱落とし」

 

 キュレムの頭部へと氷柱が回転しながら落下するがキュレムはそれを空間に凝結させるという離れ業で回避した。瞬時に氷柱を縫い止める氷が張られ、氷柱の回転が弱まる。次の瞬間、氷柱は内側から弾け飛んだ。

 

「首を落とす。氷柱落とし、右方向に三つ、左方向にも三つ」

 

 冷気が渦巻き、氷柱が三つずつ左右に展開される。ちょうど牙の形状を成した氷柱の群れがキュレムの首を狙う。ハンサムが声を上げた。

 

「キュレムを殺すつもりか」

 

「安心しろ。この程度で死ぬのならば、俺の手持ちには必要ない」

 

 ヤナギが拳を握り締め掲げる。

 

「貫け、氷の牙」

 

 三対の氷柱が氷の牙となってキュレム首を切り落とそうとするがキュレムは全身から冷気を放った。その冷気にコンテナの内壁が凍り付き、瞬く間に入り口が塞がれていく。ハンサムは慌てて扉を開けようとするが完全に凝結してしまっていた。

 

「何だ……」

 

「俺の瞬間凍結をコピーした。いや、元々はお前の技か。全身から冷気を放ち、この空間を凍結領域に巻き込む」

 

 空間そのものを利用した凍結術だ。自分達の瞬間凍結に近いが、それよりも有効範囲が広いように思える。

 

「さしずめ、名付けるとしたら凍える世界、か」

 

 キュレムは身体を揺らす。初めてキュレムのほうから動きがあった。非対称の翼から冷気の光がオーロラのように纏いつきキュレムを保護する。赤い十字架が弾け飛んでコンテナの内壁へとぶつかった。

 

「封印措置が外れる……」

 

 ハンサムが頭を抱えて口にする。キュレムは僅かに浮かび上がった。どうやら翼は飾りではないらしく、きちんと飛ぶ機能を有していたらしい。キュレムはさらに凍結範囲を広げてヤナギを押し潰そうと迫る。

 

「それがお前の全力か」

 

 ヤナギの言葉にキュレムは地鳴りのような鳴き声を上げた。ヤナギは指を振り下ろす。

 

「行くぞ、俺達の本気を見せる」

 

 マンムーが踏み出すと足元から氷が浮かび上がった。

 

「瞬間凍結、レベル5」

 

 凍結の波がほぼ形状を伴ってキュレムへと襲いかかる。だがキュレムはほとんど微動だにしなかった。その必要がないとでも言うように、キュレムは僅かに首を振るう。それだけでヤナギの身体が吹き飛ばされた。冷気が圧力を伴ってぶつかってきた。そうとしか思えない現象にチアキとハンサムが色めき立つ。

 

「ヤナギ! 大丈夫か?」

 

 チアキが瞬時にバシャーモへと命令を飛ばし、加速を得たバシャーモがヤナギの身体が内壁にぶつかる前に守った。ヤナギは顔を拭い、「これが、全力、いや」と首を振る。

 

「これは、お前の小手先だな。この程度の瞬間凍結ならば無力化するまでもない。首を振るだけで同程度の威力でぶつける事が出来る。なるほど、俺も初めて食らったよ。自分が発生させている瞬間凍結を」

 

 ヤナギは唾を吐いた。僅かに血が混じっている。この低温では口を切るだけでも致命傷になりかねない。だが、ヤナギは平然としていた。

 

「ヤナギ。貴公、大丈夫なのか?」

 

 チアキが心配して声を振りかける。ヤナギは、「掠り傷だ」と気にしていない様子を見せた。だが、瞬間凍結を最大レベルに設定してもなお、このポケモンはマンムーを軽く超えてくるのだ。それだけの素質をヤナギはキュレムに見た。

 

「俺の攻撃全てをさばき、それ以上の攻撃で迎え撃つというのならば」

 

 ヤナギが手を繰ってマンムーに指示を出す。マンムーは呼応したように吼えた。

 

「俺がまだ試していないもので倒すしかないな」

 

 ヤナギは、「瞬間凍結……」と呟く。

 

「レベル∞」

 

 マンムーが全身から冷気を噴き出す。その冷気が渦を成し、数十個の氷柱を瞬時に形成する。それだけではない、さらに数百個の氷柱針がキュレムを包囲し、キュレムから逃げ場をなくした。キュレムが首を振るって冷気を出し、氷柱針を何個か破壊するがそれでも勢いは削がれない。マンムーが咆哮し、その身体を跳ね上がらせた。マンムーに紫色の光が纏いつき、身体を浮上させる。その攻撃にチアキとハンサムが目を見開く。

 

「これは……」

 

「マンムーほどの巨体が、浮いている?」

 

 にわかには信じられないのだろう。ヤナギも初めて試す技だ。

 

「原始の力をマンムーそのものにかけた。マンムーは原始本能の赴くままに戦い、最大限の冷気を発生させる。これが瞬間凍結の極点。だが、これを密閉空間でやればどちらかが倒れるしかない。俺か、お前か」

 

 ヤナギの覚悟にハンサムは慌ててポケギアを掲げる。

 

「このコンテナを爆破しろ!」

 

 張り上げられた声にもポケギアは応答しない。既にポケギアの機能する温度を下回っている。

 

「……やはり、爆破程度は考えていたか。俺とキュレム、両方をなかった事にするいい手だろう。だが、この空間では意味を成さない。俺が倒れるか、キュレムが倒れるか」

 

「馬鹿な! それでは我々人間が死んでしまう!」

 

 ハンサムの声に、「構うものか」とヤナギは鼻を鳴らす。

 

「キュレムを扱うには生半可な気持ちでは無理なはず。トレーナーも死ぬ気で扱わねばな。俺も、呼吸が辛くなってきたな。チアキ、もしもの時には、頼んでおく」

 

 チアキに予め頼んでおいたのは自分が死んでも情報だけは生き残らせろ、という選択だった。チアキは、「バシャーモ」と呼ぶ。

 

「最悪の場合にはフレアドライブでコンテナを破壊して外へと逃げる。私が、貴公の覚悟を無駄にしないために」

 

「た、助け……」とハンサムが手を伸ばすがチアキは雪に塗れながらも侮蔑の目で見下ろした。

 

「この期に及んで、まだ保身を頼みとするか、外道が。この戦いは最早、その域を超えているのだ。ヤナギは死ぬ覚悟で来た。トレーナーが手持ちを変えるという事がどれほどのものなのか、貴公には分かっていなかったようだな」

 

 ハンサムが凍傷になって腫れ上がった手を晒す。ヤナギもこれ以上の凍結は自分の身体を害しかねない。だが、キュレムは凍結範囲を凝縮させて放った攻撃にも全く怯んだ様子はない。

 

「これほどの攻撃でもびくともしないか。さすがは伝説のポケモンだな。だが、俺とマンムーはもってあと数十秒が限界。けりをつけさせてもらおう」

 

 ヤナギはほとんど感覚の失せた手を広げて前に出す。マンムーが茶色の毛並みを震わせ、身体を丸めてキュレムへと突っ込んだ。

 

「岩タイプの技は効果抜群だろう? 原始の力、自らを岩の大砲として打ち込んだ」

 

 ずん、とキュレムの氷の表皮へとマンムーの身体が打ち込まれる。キュレムがよろめき後ずさった。だが、それだけで攻撃は静止しない。

 

「これだけで、終わりだと思ったか? キュレム。もう一撃だ。もう一撃、マンムーそのものを触媒として放つ一撃」

 

 マンムーが茶色の毛並みから冷気を噴き出させる。凝結した空気が位相を変え、冷気が一瞬にして巨大な楔と化した。キュレムの氷の表皮に初めて亀裂が走る。灰色の深層を破って血が噴き出した。

 

「キュレム、俺達を認めないのならばそれでも構わないが、お前自身がその命を縮める事になる」

 

 マンムーそのものが巨大な氷柱針であった。マンムーが形成した氷柱がキュレムの首を貫き、キュレムはここに来て初めて口腔を開いた。

 

 雷鳴のような咆哮が発せられ、コンテナが膨張する。何が起こったのか、一瞬分からなかった。だが、ハンサムの声で理解出来た。

 

「これは……、キュレムが変形、いや変身した……!」

 

 ヤナギの眼にもそれが映っていた。キュレムの形状が変化し、身体の内側から白い身体が侵食していく。ヤナギには白い何かは羽毛のように豊かに見えた。無機質なキュレムとは正反対だ。何かがキュレムという殻を破ろうとしている。その予感にヤナギは、まずい、と感じていた。

 

「このキュレム、俺達を巻き込むつもりか」

 

 キュレムの身体を白い何かが透過し、右側から白い身体が拡張された。キュレムは前足が短いはずだったが前足がまるで腕のように広がり、背部へとチューブが伸びる。

 

「何だ……」とハンサムでも不明な現象らしい。キュレムの背後に赤い塊が現れたかと思うとそれへとチューブが接続された。その瞬間、キュレムの体内で赤い光が爆発的に押し広げられていく。

 

「キュレムが、何かを発生させようとしているのか」

 

 ヤナギは最早、ほとんど指先の感覚がなかった。手足の感覚もそうだが、全身が麻痺したかのようだ。やはり瞬間凍結を最大限まで使った代償だろう。キュレムが赤い光を打ち出そうとした瞬間、チアキが叫んだ。

 

「ヤナギ!」

 

 バシャーモの身体が飛び、ヤナギを掴んで引き寄せる。その瞬間、炎が爆発的に拡散した。コンテナが内側から熱膨張で爆発し、キュレムの身体から炎の十字架が伸びた。断末魔が僅かに耳に届く。どうやらハンサムは今の爆発で蒸発したらしい。チアキはバシャーモと共に身体を守ったが、それでも精一杯だったようだ。バシャーモの背中が焼け焦げている。

 

「チアキ……」

 

「貴公は死ぬべきではない。私がそう判断した」

 

 チアキの声にヤナギは爆風が収まってからキュレムの姿を捉える。キュレムは右半身が白く変化していた。二本の足で立ち上がった姿は別のポケモンに見えたが左半身に名残がある。全身から伸びたチューブが球状の尻尾へと繋がっていた。尻尾の中には火炎を内包しているかのように赤く発光現象が続いており、その発光はキュレムそのものにも宿っていた。

 

「……今のは、氷の技ではないな」

 

 チアキの声にヤナギは、「ああ」と頷く。今の攻撃は間違いなく炎タイプの技だ。それも並大抵の威力ではない。キュレムは身体に突き刺さっている氷柱を腕で引き抜いた。それはマンムーが丸まって出来た氷柱だった。マンムーは瞬間凍結を限界まで使ったせいか、瞼を閉じて眠りについている。

 

「マンムーを全力で使った。それでも勝てなかった」

 

 ヤナギはキュレムへと顎をしゃくる。

 

「もう封印措置とやらも解けただろう。どこへでも好きに行くがいい」

 

 キュレムはしかし、ヤナギへと頭を垂れた。まるで忠誠を誓うかのように。

 

「……キュレムが、貴公を認めたのか」

 

 マンムーはもう使用不可能だろう。少なくとも大会期限中はこれ以上酷使出来ない。ヤナギはキュレムを仰いだ。キュレムは右半身から白い身体を仕舞い込み、徐々に元の形状へと戻っていった。

 

「氷・ドラゴンタイプか。奴と同じドラゴンを使う事に因縁を感じずにはいられないが」

 

 ヤナギは転がっていたモンスターボールを拾い上げる。新型モンスターボールのロックが段階的に外れ、キュレムの身体を射程に捉えると赤い粒子としてキュレムをボールの内部へと引き込んでいった。

 

「キュレムが、貴公のポケモンに?」

 

「どうやらそのようだ。こいつも物好きだな。俺のような人間に扱われるのをよしとするとは」

 

 モンスターボールを掴んでいると不意に駆け寄ってきた人々が目に入った。私服だが恐らくはヘキサの構成員だろう。コンテナの周りを固めていたのだ。

 

「貴様、ハンサム警部をどこへ」

 

 その声にヤナギはくいっと顎をしゃくる。彼らの視線の先にはキュレムの攻撃を回避出来ずに消し炭となったハンサムの影だけがこびりついていた。息を呑む人々へと、「聞け!」とヤナギは声を張り上げる。

 

「俺はあんたらの切り札、キュレムを手に入れた。俺に従うのならばついてこい。だが、まだもうこの世にはいない人間に従うというのならば、俺も束縛はしない。どこへなりとも行くがいい」

 

 ヤナギの言葉にハンサムの死を実感出来た人々は何人いただろう。少なくともその場にいた人々はハンサムの死を受け入れた。

 

 人々は跪き、頭を垂れる。

 

「――我らが盟主」

 

 勝手なものだと胸中では感じていた。だが、ヘキサを先導する人間がいなければ滅亡の時代が訪れるのだろう。ヤナギはそれもよしとしていなかった。

 

「どうする気だ?」

 

 チアキの声に、「上手くやるさ」とヤナギは応じてモンスターボールを掲げる。

 

「ここに! 境界のポケモンたるキュレムを手にした! 俺は境界を超える者として君臨する。ヘキサ存続を約束しよう。そして、我らが悲願」

 

 カミツレが操るサンダーが甲高い鳴き声を発して舞い降りてくる。その様子に人々からどよめきの声が上がった。

 

「達成しよう。世界の存続を」

 

 そのためならば手段は問うまい。ヤナギは深く決意する。

 

 特異点――オーキド・ユキナリ抹殺を。

 



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第百二十八話「涙」

 

 緊張に手を強張らせていた。

 

 誰にも言わないで欲しい、とは頼んだが相手がそれを呑んでくれるかどうかは分からない。ユキナリは何度目かのため息を漏らし、キクコが来るのを待っていた。ポケモンセンターの前で、とキクコと待ち合わせしておいたのだ。片手にはスケッチブックがある。ユキナリは気分を落ち着かせようとスケッチブックを捲っていた。ポケモンのスケッチが度重なっている。だが、ここに今日新たな一ページが追加されるのだ。その予感に胸が高鳴る。

 

「ゴメンね、シャワーで手間取っちゃって」

 

 キクコが駆け寄ってくる。ユキナリは、「いや、大丈夫」と応じた。ユキナリはキクコを連れて宿に向かった。とは言っても、自分達がとっている宿の部屋ではなく、別棟の部屋だった。ナツキ達に気取られればどのように思われるか分からない。ユキナリは緊張していたがキクコは、というといつもとさほど変わった様子はなかった。部屋に入り、ユキナリは窓の向きと光が入る場所とを加減した。椅子をど真ん中に引き寄せ、「よし」と頷く。

 

「キクコ、座ってみてくれないか?」

 

 キクコは言われた通り、椅子に腰掛ける。それだけでも魅力的だった。ユキナリは同時に一抹の罪悪感を覚えていた。ナツキ達には何も言っていない。先に戻るとだけ言い置いてサファリゾーンに置いて来てしまった。その後悔が胸に去来する中、キクコは、「こうかな?」と座る位置を調節した。

 

「背筋を伸ばして。もうちょっと西側を向いてくれる?」

 

 キクコが言われた通りに応じる。ユキナリはスケッチを始めた。何か話しながらスケッチをするべきではないのかと感じたが、ユキナリの中には驚くほど言葉が少なかった。それはどうしてだか調和を生み出し、二人の間に降り立った。

 

「何でだろう」

 

 ユキナリは鉛筆を走らせながら呟く。

 

「何が?」

 

「首を動かさないで」

 

 注意してユキナリは続ける。

 

「落ち着くんだ。キクコといると。僕にも何でだか分からない」

 

「私も、ユキナリ君達といると、ぽかぽかするの」

 

「それは、胸の中が温かくなるって事?」

 

 キクコは、「分からないけれど」と返す。

 

「先生達と一緒にいた時には、そういうの感じなかったから」

 

 キクコがたまに漏らす先生、というものが何なのか、未だに明確な答えは得ていない。だが、ユキナリはそれでもいいと感じていた。

 

「僕は、君が何者だっていいと思っている」

 

 綿密にスケッチを重ねる。キクコの眼は吸い込まれそうな赤だ。だがスケッチ段階ではそれを表現しようがない。しかし、その瞳にある憂いの感情は読み取ろうと考えていた。どこか物事を達観している。そうでなくとも、何かを諦めたような色を浮かべていた。

 

「キクコはさ、先生達に言われたから、旅をしているの?」

 

 その質問にキクコは、「分からない」と顔を翳らせた。

 

「どこに行けばいいのか分からなくなってしまった……」

 

 まるでもう二度と掴めない位置に来てしまったかのような物言いにユキナリは、「何かをするのに手遅れなんてないよ」と口にしていた。

 

「諦めたら、それが手遅れになるだけの話で。僕は、ナツキにトレーナーとして一緒に戦ってもらって、この旅にも参加出来て、とてもよかったと思っているんだ。ナツキは、僕に二度とない胸が高鳴る経験をさせてくれた」

 

「私も、ナツキさんは大好き」

 

 キクコが微笑む。ユキナリはその一瞬を描き止めようとした。キクコの微笑み。その向こう側にあるものを。

 

「ナツキさんだけじゃない。ナタネさんも、アデクさんも大好き」

 

 キクコはこちらへと振り返る。「まだ動かないで」と言おうとしたユキナリはその次の言葉に口を噤んだ。

 

「ユキナリ君も、そうだよ」

 

 ユキナリはぽかんと口を開けたままその言葉を聞いていた。誰かに、好きだといってもらった事なんてなかった。ユキナリは、「僕は、変われたのかな」と呟く。

 

「変わりたくって旅を始めたわけじゃないけれど、僕は夢を諦めたくなかったんだ。どんな事だって、掴む資格はある。さなぎの時を経て、蝶になるのは誰だって出来るんだって、ある人に言われた」

 

 あの人はどこにいるのだろう。もう一度会いたい。ユキナリは切にそう感じた。

 

「素敵な人だね」

 

 キクコの飾らぬ物言いに、ユキナリは言おうとしてずっと先延ばしにしていた事を切り出した。

 

「あのさ、キクコ」

 

「なに?」

 

 ユキナリは言うのが怖かった。もしかしたら嫌われてしまうかもしれない。それでも、キクコを見た時からいつかは言おうと感じていた言葉だ。ユキナリは思い切って口にした。

 

「モデルになって欲しい」

 

「なっているよ?」

 

「じゃなくって、その、裸のモデルに」

 

 キクコは目を丸くしていた。ああ、嫌われたな、とユキナリは感じたがキクコは柔らかく頷く。

 

「……その、自信ないけれど」

 

 その言葉に、「いや、その魅力的だと思う」とユキナリは早口に告げていた。キクコが再びぱちくりとしている。ユキナリは後頭部を掻いて、「いや、そうじゃなく……」と言い直そうとするとキクコはユキナリの唇へと指を当てた。

 

「絵に言葉はいらない」

 

 キクコの言葉に自分が言っていた言葉だと思い出し、ユキナリは頭が冷えていくのを感じた。そうだ、絵に言葉はいらない。

 

「君の姿を、描かせて欲しい」

 

 キクコは黙って服を脱ぎ始めた。窓から差し込む日差しがキクコの白磁のような肌を照らし出す。ユキナリは思わず見とれていたが、「座ればいいの?」と尋ねられた事で我に帰る。

 

「ああ、うん。さっきと同じポーズで、お願い出来るかな?」

 

 キクコは頷き、西のほうを向いたポーズで腰かける。ユキナリはキクコの身体をスケッチする。服飾を身に纏っている時と違い、ラインが浮き彫りになっていく。今まで描いたどのスケッチよりも素直に描写されていく線。柔らかな女性美の溢れたキクコの身体を鉛筆でなぞっていく。少しだけ痩せているが、それも魅力の一つだ。決して彼女の美観を損なうわけではない。

 

 ユキナリは無言でキクコをスケッチブックに描いた。初めて人間をスケッチしたはずなのに初めての気がしない。キクコのスケッチは収まるべき場所を見つけたかのようにスケッチブックへと馴染んでいた。最初はあまり長く裸でいさせるわけにはいかないと急く気持ちもあったが、それらの邪念は薙いでいった。

 

 今はただ、美しいものを美しく描きたい。ただそれだけの衝動がユキナリを衝き動かす。これは生まれ持った感覚だ。これを研ぎ澄ませ、維持させろ。キクコという存在を描く事に全身全霊を費やせ。

 

 ユキナリはキクコの姿を描き終えると一つ息をついた。

 

「出来たよ。もう動いていい」

 

 キクコが一糸纏わぬまま歩み寄ってきてユキナリは改めて頬を赤らめた。キクコが恥じらいも何もなく、スケッチブックを覗き込んでくる。ユキナリは、「あの、さ」と口にする。

 

「もう着ていいから」

 

 ユキナリの言葉にキクコは、「うん」と下着を身に纏い始めた。その姿だけでも目に毒だ。どうして平常心で描けたのか自分でも不思議である。

 

 キクコはようやく服飾を纏ってスケッチブックを手にする。ユキナリは罵声が来る事も覚悟で顔を伏せていた。キクコがどのような言動に出るのかだけで息が詰まった。

 

「これが、私……?」

 

 キクコの声に、やはり幻滅されてしまったか、とユキナリは覚悟した。頷くと、「すごいよ」とキクコが声を弾ませる。

 

「私、こんな綺麗じゃないのに」

 

 キクコの評にユキナリは顔を上げる。キクコが、「すごい」と目を輝かせていた。

 

「こんなに綺麗に描けるの、ユキナリ君しか私、知らない。ユキナリ君、初めて人間を描くんだよね?」

 

 確認の声にユキナリは頷く。キクコは、「すごいなぁ……」と感嘆している様子だった。ユキナリは、「変じゃない?」と聞いていた。

 

「変じゃないよ。それに、こんな事言うのもどうかと思うけれど、私、こんなに綺麗な人間じゃないよ」

 

 謙遜気味なキクコへとユキナリは声をかける。

 

「キクコは、綺麗だよ」

 

 初めて出会った時からずっとそうだった。ユキナリの中にあった思い。それを打ち明けるとキクコは少しだけ頬を紅潮させた。

 

「……そんな事ないよ。ユキナリ君が思っているような、綺麗な私じゃない」

 

「そういう、見た目じゃないんだ。キクコは、内面がすごく綺麗なんだ。湖畔の月みたいな」

 

 ユキナリの表現にキクコは微笑んだ。

 

「褒め過ぎだよ」

 

「でも、僕にはそう見える」

 

 キクコとちょうど目が合ってユキナリは息を呑んだ。赤い瞳が僅かに潤む。戸惑っているとたちまちキクコの目に涙が滲んだ。

 

「……泣いているの?」

 

 ユキナリの言葉に初めて気がついたとでも言うようにキクコは目元を拭った。「これは……?」と不思議そうに首を傾げる。

 

「僕、何か傷つけるような事、言ったかな」

 

 ユキナリの戸惑いを他所にキクコ自身もその現象に戸惑っている様子だった。

 

「私の目から出ているこれは、何?」

 

 キクコの言葉にユキナリは、「えっ」と声を詰まらせる。

 

「涙、だと思う」

 

「涙……」

 

 零れ落ちる涙をキクコは手ですくい、「涙」と繰り返した。

 

「泣いているのは、私……?」

 

 何を不思議がっているのだろう。まるで今までの人生で泣いた事が一度もないかのような言い草だ。

 

「感情で涙を流すのは、人間だけだってどこかの本で読んだ事がある」

 

 ユキナリの言葉にキクコは止め処なく溢れてくる涙を指ですくい、「私は、人、なんだよね」と声を漏らした。人間、でなくてなんであるというのだろう。

 

「キクコは、人間だよ。僕にとってかけがえのない人の一人だ」

 

 キクコは何が不安なのだろう。何が怖いのだろう。それらを拭い去ってあげたい。キクコの心に差す曇り空を晴らしてあげたい。ユキナリは強くそう感じた。

 

「怖いのは仕舞っちゃいなさい、って先生に教えられてきた」

 

 キクコはスケッチブックをぎゅっと握り締める。

 

「でも、今は怖くない。怖いのとは正反対の気持ちが溢れ出してくる。これは、何?」

 

「嬉しい、だと思う」

 

 たどたどしいキクコの言葉を読み取りユキナリが口にする。キクコは胸に手を当て、「嬉しい、これが」とようやく得たかのような感触を味わっている。

 

「私、嬉しいって事は全然分からなかった。先生も、ヤナギ君も結局嬉しい事は教えてくれなかったから。だから私、ユキナリ君に嬉しいを教えてもらって、とても嬉しいの」

 

 キクコの言葉にユキナリは、「そんな大層な事はしてないよ」と謙遜する。

 

「キクコの中にある優しさとか、そういうのが反応したんだ。僕だけのお陰じゃない。ナツキやアデクさん、ナタネさんの力があって初めて、伝えられたんだと思う」

 

 ユキナリ自身うまく言い表せなかったがキクコはようやく心の平穏を得たという事なのだろう。その安らぎは何ものにも代えられない。

 

「キクコが嬉しいって言うんなら、僕も嬉しい」

 

 ユキナリの言葉にキクコは、「嬉しい時って、どんな顔をするのかな」と不思議そうに唇を指で押し上げた。ユキナリはそれこそ野暮だろうとキクコを指差す。

 

「さっきみたいに、笑えばいいんだよ。キクコは、笑顔もとても素敵なんだから」

 

 ユキナリの言葉にキクコは再び微笑んだ。ユキナリも笑う。お互いがこの場所にいる事がとても大事な事に思えた。

 

「出会えてよかった」

 

 心の底から思う事を口にするとキクコも頷く。

 

「うん。私も、ユキナリ君に会えてよかった」

 

「何だか今生の別れみたいな台詞になっちゃったけれど」

 

 笑い話にしようとする。キクコは、「本当だね」と目元を拭った。まだ涙で赤い瞳が揺れている。嬉し涙だと信じたいがもし悲しませている存在があるのならば、それを消し去りたいと感じた。それはヤナギなのか、それとも自分なのか。ユキナリはシルフビルで対峙したヤナギについてキクコに話すべきか悩んだ。あの時、ヤナギはサンダーに助けられた。まだ生きているはずだ。ユキナリは確信する。

 

 自分とヤナギ、どちらかが生きている限り、お互いに憎しみ合う。

 

 どちらかが決着をつけねばならないのだ。その因縁に目つきが鋭くなっていたのだろう。キクコが、「どうかしたの?」と尋ねてきた。

 

「いや、何でもないよ」

 

 ユキナリはすぐに応じたがキクコにはばれているかもしれない。だとしても、最後の最後までキクコには自分とヤナギが敵対している事を知って欲しくなかった。

 



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第百二十九話「毒牙」

 

「ねぇね、二人ともどこ行っていたわけなのさ」

 

 ナタネの声にナツキはメカポッポを受付に返しながら、「どこでもいいでしょうに」と答えていた。アデクは、というと先ほどの事をおくびにも出さない。アデクから聞き出す事は無理だと判断したのかナタネはしつこかった。

 

「ユキナリ君がいるのに、二人で会っていたの?」

 

「だから、そんなんじゃないって言っているでしょう」

 

 ナツキが突っぱねる響きを伴って口にすると、「ナツキちゃんは冷たいにゃー」とナタネが返した。

 

「もっと愛想よくしないと。ユキナリ君を取っちゃうよ?」

 

「どうぞ、取ってください。あんな奴」

 

 ナツキの強がりにナタネは、「まったまたー」と手を振る。

 

「取れないって分かっているからそういう風に出るんでしょ。ナツキちゃんは分かりやすいから」

 

 そんなに分かりやすいだろうか、とナツキは頬に手をやった。アデクへと肩越しに一瞥を投げるとアデクはメカポッポが肩に留まっていたせいで凝ったのだろう。肩を回している。

 

「あたしは分かりやすくないですよ」

 

「分かりやすいよー。多分、五人の中で一番」

 

「ナタネさんのほうが分かりやすいんじゃないんですか?」

 

「まぁあたしはマスター一筋だし」

 

 ナタネの声にナツキは、「ナタネさんって女の子が好きなんですか?」と聞いていた。ナタネは不敵に笑い、「どっちだと思う?」と手をくねらせてきた。ナツキは無視して、「興味ないですね」と答えた。

 

「つれないにゃー。あたしがどっちかなんてナツキちゃんにはお見通しでしょ」

 

 少なくともユキナリをからかうくらいなのだから年下に興味はないのだろうと思っていた。だがナタネの性格だ。分かっていて行動している節もある。

 

「どっちだとしても近づいて欲しくないです」

 

 そう切り捨てるとナタネは、「女の子同士なんだからさ」と肩を掴んだ。

 

「仲良くしようよー」

 

「何でですか、鬱陶しい」

 

 ナツキの言葉にナタネはオーバーリアクションで返す。

 

「ガーン! ナツキちゃんが冷たい……」

 

「ナタネさんには怖いものもないんでしょうね」

 

「あるよ、怖いもの」

 

 意外だった。ナツキは聞いてみる。

 

「何が怖いんですか?」

 

 ナタネは顔を伏せ、手を前に振る。

 

「オバケが怖いんだよぉー。だから、草・ゴーストのポケモンが出てくるのが嫌だなぁ。今のところあたしの前にはいないけれど」

 

「そのうち出そうですけれどね」

 

「怖い事言わないでよ」

 

 ナタネは本気でその一事だけは恐れているらしい。肩を震わせていかにも、な感じに目を慄かせた。

 

「草タイプ好きには悪い人はいないんだけれどなぁー」

 

「そう決め付けるのもどうかと思いますけれど。草タイプを使った人だって悪い人はいるでしょう」

 

「ナツキちゃん、ドライだねー。そういう事くらい夢見ようよ」

 

「ナタネさんは色々と夢見過ぎなんですよ」

 

 ナツキがため息をつく。ナタネは、「そうかなぁ」と怪訝そうだ。

 

「ナツキちゃんだって、夢見てない?」

 

「何がです?」

 

「ユキナリ君が絶対に自分からは離れない、って言う夢」

 

 ナタネの言葉に、「あほらし」と言い捨てる。

 

「何であの馬鹿の話が出てくるんですか」

 

「だってナツキちゃん、無条件に信じているじゃん。そういうところあるよ?」

 

 ナタネの指摘にナツキは自分でも意図していない部分を見抜かれた気分だったがすぐに取り繕う。

 

「何で、そんな事ないですよ。第一、ただの幼馴染ですし」

 

「ただの幼馴染と最初は二人旅のつもりだったんでしょ? それって特別な感情がないと出来ない話だと思うなぁ」

 

 ナタネの人物評にナツキは言い返す。

 

「幼馴染だから、出来るんですよ」

 

 幼馴染だから、お互いに踏み込まない。距離間を理解した会話になる。理解した話し振りになる。

 

「相手の何でも分かっちゃうっての、功罪両面だと思うけどね」

 

 ナタネの言葉にナツキは、「というと?」と問いかける。

 

「いやさ、だって分かったつもりになった相手が裏切った時にナツキちゃん、耐えられる? きっとさ、そういうのって相手の理想像みたいなのを自分の中に確立させているんだよ。だからその理想像から外れる事が何よりも悔しいの」

 

 意想外な言葉だった。ナタネは子供ぶった言動ばかりが目立つと思っていたが今ばかりは大人の目線だった。

 

「あたしが、ユキナリに理想像を押し付けているって言うんですか?」

 

 心外だと言わんばかりの声音にもナタネは平然と構える。

 

「その感じはあると思うよー。ナツキちゃんは相手がちょっと自分の予想と違う行動を取れば癇癪を起こすタイプだね。相手を信じ込んでいるほど、その確率が高い」

 

 ナタネの言い回しにナツキはむくれる。

 

「あたしを分かり切ったような事を言うの、やめてもらえます?」

 

「そうつっけんどんにしなくたっていいじゃない。それとも自分の本質に触れられるのが怖い?」

 

 妙に挑発めいた言葉にナツキは言い返す。

 

「あたしはそんな。ナタネさんこそ、無遠慮で、人の心に切り込んできて」

 

「それがあたしだよ? 悪い?」

 

 ナタネは少しも悪びれていない。案外、この少女は自分とアデクとの関係も理解しているのかもしれない。理解していながらあえて話題には触れてこない。一番触れられたくない話題を直感的に察知するタイプだ。もちろん、その話題には触れないがその周辺を、言うなれば外堀を埋めていく方法で自分達に分け入ろうとする。

 

「……ユキナリに、そんな感じに言い寄ったんですか?」

 

「言い寄ったわけじゃないけれど、彼、まんざらでもないみたいだよ。あたしと一緒にいるのも」

 

 だとすれば自分が邪険にする事もないか。ナツキはユキナリの判断にいつの間にか自分の判断を重ねている事を自覚する。これもまた、ナタネの評価に直結する物言いなのかもしれない。

 

「ユキナリは迷惑がっているんじゃないですか。そうでなくっても五人旅は多いですよ。そのうちにお金なんかも足りなくなってくるでしょうし」

 

「あたしはマスターから結構預かっているから大丈夫だよ。もしもの時にはポイントも使えばいいと思うし」

 

「ナタネさんは玉座に興味がないんですか?」

 

 その質問に、「興味がない、てのはちょっと違うかな」とナタネは首をひねった。

 

「なれるんならなってもいいけれど、別にそれほど執念を燃やすほどの事でもないし」

 

「……そういう中途半端なの、一番よくないと思いますけれど」

 

 ナツキの口調に棘がこもっていたせいかナタネは、「怒らないでよ」と口にする。

 

「だからって玉座を目指している人を馬鹿にしているわけじゃないし、みんなすごいと思っているよ。一つの目標をわき目もふらずに目指せるって事はさ」

 

「盲目的に目指しているみたいな言い草じゃないですか」

 

 実際、そうなのかもしれない。王になって何をしたいのか。どうありたいのかが決まっているかと言われれば全くそうではない。ナタネはそれを見透かした上で言っているのかもしれない。人の本質を見抜くという点で言えば、ナタネの目は誤魔化せないような気がする。

 

「まぁねー。あたしの主観でしかないけれど、人は収まるべき場所に収まるんだと思うよ」

 

「何ですか、その曖昧な言い方……」

 

 そこから先の言葉を放つ前にナツキは信じられないものを視界に入れた。それはユキナリとキクコが今しがた宿の別棟から各々の部屋へと戻ってく様子だった。ナタネも見かけたのか、「あれ? あっちの部屋は取ってないよね?」と確認する。ナツキは、「何を……」と戸惑った。

 

 ユキナリとキクコは何をしていたのだ。嫌な予感にナツキは首の裏を汗が伝った。

 

「後で聞いてみる?」

 

 ナタネの声に、「いえ、あたしが」とナツキは駆け出していた。今すぐにでもユキナリに聞き出さねばならない。名前を呼ぶとユキナリは肩を震わせた。スケッチブックを片手に持っている。

 

「何をしていたの?」

 

「何って、先に帰っていただけだよ」

 

 キクコは既に部屋に戻ったのだろう。ナツキは、「ちょっと来なさい」とユキナリの手を引っ張った。ユキナリは抵抗しようとしない。「何? 何さ」と言いつつもどこかユキナリはナツキに対して気後れした部分があるようだった。ナツキはユキナリの手を離し、「あっちの棟には部屋は借りていないわよね?」と口火を切る。

 

「何をしていたの?」

 

「何って、ちょっと宿の中を見ていただけで」

 

「キクコちゃんと二人で?」

 

 その言葉にユキナリは誤魔化しきれないと感じたのだろう。ナツキから視線を逸らした。

 

「何やっていたの」

 

 再び問いかけるとユキナリは突き放すように言う。

 

「ナツキには関係ないよ」

 

 その言い草にナツキは苛立った。関係ないはずがない。自分を差し置いてユキナリはキクコとの関係を深めたのだ。ナツキはそう確信する。

 

「キクコちゃんと何をしていたの」

 

「だから、関係ないって言っているだろ!」

 

 ユキナリの声にナツキは逆上する。

 

「関係ないはずがないじゃない! あたしの目は誤魔化せないわ」

 

「だから、ナツキは勘違いをしているよ。そんな、僕が大層な事を」

 

「キクコちゃんの事が好きなの?」

 

 その言葉にユキナリは声を詰まらせた様子だった。自分でもどうしてこのような事を切り出したのか分からない。アデクの率直な気持ちに答えるべきか悩んでいたせいもあるのだろう。ユキナリの気持ちが知りたかった。

 

「……別に、そんなんじゃ」

 

「じゃあ、答えて。あたしの事はどう思っているの?」

 

「どうって……」

 

 ユキナリは濁す。そこから先をうまく言えないのだろう。ナツキは急かした。

 

「嫌いなら嫌いってはっきりと言って」

 

「何を言っているんだよ。今日のナツキはおかしいって」

 

 おかしいのかもしれない。だがいつかは直面する問題なのだ。それを遠まわしにしてきたのは他ならぬ自分自身である。ユキナリの口から自分が何なのか知りたい。

 

「答えて」と要求するとユキナリは目を背けた。

 

「……何でもないよ。ただの幼馴染」

 

 その答えは聞き飽きた。ユキナリの本当の気持ちが知りたい。ナツキは問いを繰り返す。

 

「それだけ?」

 

「それだけって、それ以上に何があるんだよ。ナツキは、僕にとってはそうだよ」

 

「キクコちゃんは、そうじゃないって言うの」

 

 その言葉は責め苦のように聞こえただろう。ユキナリは目に見えて困惑した。

 

「何なんだよ。キクコキクコって。そんな事気にする性質じゃないだろ」

 

「キクコちゃんの事は、好きなの?」

 

 自分でも自分を切り崩すような苦痛の伴う問いかけだった。だが確かめておきたい。そうでなければアデクの気持ちには一生答えられない。

 

「……キクコは、分からないよ」

 

 それが決定的な答えだと言えた。自分との関係はただの幼馴染だが、キクコとの関係はまだユキナリでさえも理解していない。それが恋心であるとナツキは感じ取った。思わず手を振り上げる。張り手が来ると感じたのかユキナリが目を瞑った。しかし、ナツキは張り手を握り締める。

 

 頬を熱いものが伝った。ユキナリが目を開けて声にする。

 

「ナツキ。泣いているの……」

 

「泣いてないわよ!」

 

 ナツキはユキナリを突き飛ばして飛び出した。ナタネとアデクが声をかけるがナツキは構わず宿の外へと出る。先ほどの晴れ間が一転して、暗雲が垂れ込めていた。今にも泣き出しそうな空を仰ぎナツキは嗚咽を漏らす。

 

 ユキナリに好きと言って欲しかった。幼馴染以上の存在だと言って欲しかった。自分の歪な感情が涙となって堰を切って流れる。自分で線引きをしておきながら、それ以上を望んでいる自分の業。

 

 一言でもいい。

 

 必要だと言ってくれれば、自分はアデクの気持ちにもきちんと答えられた。

 

 だが、曖昧に濁された感情は澱み、渦を巻いて心の深層へと凝っていく。もうどこにも逃げ場所なんてなかった。アデクの気持ちから逃げ続けるためにユキナリの気持ちを今まで知らないでいた。だが知ってしまえばアデクの気持ちに答えられるかといえばそうでもない。

 

「……あたしは、ユキナリに好きだと言って欲しかった」

 

 セキチクシティをとぼとぼと歩く。誰かが追いついて自分を慰めて欲しい。だがこんな時に限って、誰も肩を叩いてはくれない。ナツキは覚えず街の南側へと歩を進めていた。

 

 視線の先にはポケモンセンターの隣に設営されたセキチクジムがある。ナツキは涙を拭い、モンスターボールを握り締める。

 

 強ければ泣かないでいい。強ければ、悲しむ必要もない。畢竟、強ければいちいち傷つけられる事もない。

 

「戦って、勝てばいい」

 

 それだけが今の自分を癒す手段に思えた。戦いの中に身を浸し、色恋沙汰からは無縁のところにいればいい。ナツキはセキチクジムへと入った。

 

 外側からは窺えない和風建築だった。随分と暗がりであり、ところどころ目を凝らさねば見えない。そのような環境の中、中央に赤い髪の女が立っている。浮き立ったように白い服を着込んでおり鋭い目つきをしていた。

 

「来たわね、挑戦者」

 

 ナツキは身構える。女はすっと手を掲げた。

 

「私の名前はアテナ。このセキチクジムのリーダーであり、毒タイプの使い手。挑戦者、名前は?」

 

「名乗る意味はないわ。あたしが欲しいのはただ一つ、ジム制覇という結果のみ」

 

 ナツキの切って捨てたような言い回しにアテナは微笑む。

 

「いいわね、そういうストイックな感じ。でも、挑戦者。一つ気をつけてね。私は全く戦いにおいて妥協というものを許さない性格なの。あなたを倒す布石は既に打ってある」

 

「何を――」

 

 ナツキがそう口にする前に何かが視界の中を横切った。振り返った瞬間、赤い眼光が煌き自身の身体が石で固められたように動けなくなるのを感じ取る。呼吸さえ自由ではない。ナツキは目の前の、腹部に顔のような意匠を持つポケモンによって動きを束縛された。

 

「蛇睨み。私のアーボックの十八番よ。このセキチクジムではまずトレーナー本体を襲わせてもらう」

 

 ナツキはモンスターボールに手を伸ばそうとするが指の筋一本ですら動かせなかった。アーボックと呼ばれたポケモンは細い舌を出しながら主人であるアテナの命令を待っている。

 

「女の子にとって最も屈辱的なのは何だと思う?」

 

 アテナが耳元で囁く。いつの間に歩み寄られたのか分からなかった。ナツキはそれほどまでに自分の身体が制御下に置かれている事を自覚する。アテナの指がナツキの首筋へと触れ、「綺麗な顔ね」と輪郭をなぞった。

 

「私はね、終盤のジムリーダーに選ばれたけれど、私より綺麗な子ってとっても妬ましいの。特に力を持っている子って言うのはね。二度と私に歯向かう気になれないようにしてあげるわ」

 

 アーボックが大口を開ける。ナツキは目を慄かせた。

 

 

 



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第百三十話「氷雨」

 

 ユキナリはナツキを探して雨空の中外に出ていた。アデクも探すと言ってくれたのでユキナリは南側を、アデク達は北側を探していた。ただでさえ広いセキチクシティの中、闇雲に探しても見つかるとは思えない。ナツキはどこへ行ったのだろう。自分はもしかしたら取り返しのつかない事をしてしまったのではないか。その予感にユキナリは急いた。

 

「……ナツキ、どこ行ったんだよ」

 

 その時、セキチクジムのほうで救急車のサイレンが鳴り響いた。まさか、とユキナリは駆け寄る。すると救命隊員の声が耳朶を打った。

 

「酷い……、顔に毒を受けている」、「心肺は?」、「バイタル、血圧共に危険域!」

 

 続け様の声にユキナリは何が起こっているのか分からなかった。野次馬の一人が、「ジムの挑戦者だとよ」と声を出した。

 

「このジムにはいい噂聞かないよな」

 

「ああ、何でも挑戦者の心を蝕む戦い方を得意とするんだと」

 

「嫌だよなぁ。街のイメージが下がっちまう」

 

 人々の声にユキナリは人垣を掻き分けて歩み寄る。担架に乗せられた姿には見覚えがあった。

 

「ナツキ……」

 

 ナツキが顔の半分を包帯で巻かれていた。しかしその包帯もすぐに血で滲んで使い物にならなくなり、救命隊員が取り替える。

 

「駄目だ、毒がきつすぎて。これ以上は救命措置では不可能だ」

 

 ナツキは救急車へと運ばれていく。ユキナリは一連の事柄を黙って見つめるしか出来なかった。ナツキに何が起こったのか。それを整理するには時間が足りなかった。

 

 ユキナリの停止した思考を嘲笑うかのようにサイレンが遠く鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「重傷です」という報をまず医者から受けた。執刀医は、「毒の進行は抑えられましたが」と濁す。ユキナリは何が起こっているのかまるで分からなかったが、自分の身体とは思えない重い身を引きずって病院へと向かった。アデクとナタネも一緒だったが、二人に対してユキナリだけが虚脱したような顔立ちをしていた。

 

「顔に傷痕が残るでしょう。右目も効かないかも知れません。恐らく一生かと」

 

 絶望的な宣告にユキナリは顔を伏せていた。自分のせいで、とは言えない。アデクが、「何とかならんのですか」と詰め寄る。執刀医は、「ベストを尽くしました」と答える。

 

「ですが、ポケモンの毒に関しては不明な点が多いのです。我々が思っている以上にナツキさんは重篤でした。命が助かっただけまだマシだと思っていただくしかなさそうです」

 

 執刀医に掴みかかったのはアデクだ。アデクは平時とは比べ物にならないほどの怒りを携え、「それでも医者か! 貴様!」と怒声を飛ばす。

 

「何ともならんじゃと? ナツキがこれから先、どういう思いで生きていかなきゃならんのか、勘定に入れとらんのだろう!」

 

 ナタネがアデクを制したがアデクの怒りは収まらなかった。結果的にナタネがアデクを連れ出し、ユキナリだけが説明を受け続ける事になった。

 

「投薬治療と、あとは毒を食らわせたポケモンの血清があれば、完全とはいかなくとも毒を排除出来ます。ですが、ここ二十四時間が峠でしょう」

 

 ユキナリは膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。執刀医は、「旅は続けられます」と僅かな希望を語る。

 

「命さえ繋ぎ止められれば」

 

 旅は続けられる。だが、それは今までのナツキとは違うのだろう。ユキナリは、「先生」と言っていた。

 

「ナツキは、ナツキの顔の毒を、完全に治療する事は……」

 

「オーキド・ユキナリさん」

 

 その言葉を先回りするように執刀医が口にする。ユキナリは口を噤んだ。執刀医は首を横に振る。

 

「命があるだけでも、充分なほどなんです」

 

 その言葉に全てが集約されていた。命さえもなかったかもしれない。だから、生きているだけでもいいのだと。だが、納得が出来るか。ナツキはもう二度と、笑ってくれないかもしれない。自分に軽口を叩いてくれたナツキはもう二度といないのかもしれない。

 

「僕は……」

 

「誰のせいでもありません」

 

 執刀医に言い聞かされ、ユキナリは部屋を出た。その背中へと声がかかる。

 

「ユキナリ」

 

 アデクだった。壁に背中を預けたまま、アデクは顎をしゃくる。

 

「ちょっと来い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アデクが指定したのはセキチクシティの端にある公園だった。アデクは険しい表情のまま、ユキナリへと言い放つ。

 

「後悔しているのか。最後の最後に、ナツキに何も言えなかった事を」

 

 アデクの言葉にユキナリは頷く。胸のうちには後悔の念と自責の念が渦巻いていた。アデクは慰めようとしてくれるのだろうか。いつものように強い言葉を放ってくれるのだろうか。だが、アデクの口から出たのは期待していたものとは正反対の言葉だった。

 

「オレはな、ユキナリ。お前さんが許せん」

 

 アデクは歯噛みしてユキナリを睨み据える。ユキナリは戸惑うしかなかった。アデクは殺気をぶつけてくる。

 

「お前さんはナツキへの気持ちを保留にしたばかりか、結果的にナツキを傷つけた。オレは、ユキナリ、ナツキが好きなんじゃ」

 

 初耳だった。ユキナリが言葉をなくしているとアデクはモンスターボールを手にする。

 

「だからこそ、あれだけナツキに想われておきながらあいつを裏切ったお前さんを許すわけにはいかん。このまま旅を続けさせるわけにも。オレが引導を渡す」

 

 アデクがモンスターボールを投擲する。中から出てきたのは三対の翅を震わせる巨大な虫ポケモンだった。白い体毛から火の粉が噴き出している。

 

「ウルガモス。オレはお前さんを真正面から下し、全てのポイントを奪って再起不能にする。それがナツキに出来る事じゃと、オレは信じている」

 

 本気の眼差しだった。アデクは本気で自分を倒そうとしている。それは身も心をボロボロにしてもう戦う気など二度と起こさないためだろう。ユキナリは何よりもアデクがナツキを好きだった事が衝撃だった。いつからだ、と思考を巡らせるがそれを邪魔するようにウルガモスが炎を発生させる。

 

「オノノクスを出せ。戦うんじゃ、ユキナリ」

 

 アデクには他の言葉は通用しないだろう。もうこの期に及んでは戦い以外は無力だった。

 

「ああ、そうかよ」

 

 ユキナリはGSボールをホルスターから引き抜き前に投げる。

 

「オノノクス」

 

 顎の斧を掲げ、オノノクスがウルガモスと対峙する。ウルガモスが全身から炎を噴き出させオノノクスへと刃の形状を成してぶつけようとした。しかし、オノノクスは黒い瘴気を巻き起こしたかと思うとそれを瞬時に刃へと変形させる事によって弾いた。アデクが舌打ちする。

 

「それが、オノノクスの攻撃か」

 

 ユキナリはアデクへと呼びかけようとした。無駄だと分かっていても、アデクとは戦いたくない。

 

「アデクさん、こんなのやめましょうよ。誰も、こんな結末は望んでいないはずです。僕だって、きちんとした舞台であなたと戦いたかった」

 

「じゃが、それを裏切ったのもまたお前さんだと、理解しているのか?」

 

 アデクにはユキナリが疑うまでもなく敵なのだろう。ナツキの気持ちを裏切った時点で、許しがたい罪悪だ。自分でも分かっている。ナツキに自分は何だ、と問われて答えられなかった。それに全ては端を発しているのだ。何もかもが手遅れになっていた。ユキナリは、「僕にはそんなつもりはなかった」と言い訳する。

 

「お前さんがそんなつもりがなくってもな。ナツキは泣いておったんやぞ!」

 

 アデクの怒りが炎となってユキナリとオノノクスを包囲する。ユキナリは顔を上げ、「だからって……」と拳を握り締めた。

 

「僕に全部おっ被せられたって、そんなもの知らない。僕が悪いわけじゃない」

 

「貴様……! 言い逃れを!」

 

 アデクの怒りを引き移したウルガモスが炎の包囲陣からオノノクスとユキナリを焼き尽くそうとする。しかし、ユキナリはただ一つだけを命じた。

 

「オノノクス、相手を倒せ」

 

 オノノクスが咆哮し、全身から荒ぶる黒い瘴気を噴出させる。牙の間を行き来し、赤い磁場を巻き込んで黒い「ドラゴンクロー」が一射された。ウルガモスへと突き刺さるかに思われたそれは対象を貫通した瞬間、掻き消えた事によって無効化される。

 

「既に蝶の舞を使っている! ドラゴンクローは当たらん!」

 

 それは分かっている。だからこそ「ドラゴンクロー」を放ったのだ。

 

「オノノクス、偏向、出来るな?」

 

 その言葉にオノノクスは発射した「ドラゴンクロー」を鞭のようにしならせて背後へと放った。回り込んでいたウルガモスへと突き刺さりその身体が傾ぐ。

 

「攻撃を、途中から偏向させた? そんな事が」

 

「僕とオノノクスには出来る。アデクさん、僕らに勝とうなんて思う事、それそのものが間違っているんですよ」

 

 オノノクスは「ドラゴンクロー」を続け様にウルガモスへとぶつけようとする。ウルガモスの姿が蜃気楼になって瞬時に消えた。しかしユキナリとオノノクスは動じない。中天を仰ぎ、「ドラゴンクロー、拡散」と命じる。

 

 黒い「ドラゴンクロー」が一瞬にして短剣へと変異し、一斉にウルガモスへと狙いを定めた。その攻撃をアデクは知らなかったのだろう。目を瞠っているアデクへとユキナリは攻撃を加えた。

 

「やれ」

 

 ユキナリの声に短剣がウルガモスを突き刺す。ウルガモスは攻撃の勢いを削がれ、地面に転がり落ちた。

 

「オレのウルガモスが、いとも容易く……」

 

「分かってでしょう。やめてくださいよ。アデクさんが僕に敵うわけがない」

 

 オノノクスをGSボールに戻す。アデクは、「くそっ!」と拳で地面を叩きつけた。

 

「何でじゃ! 何でオレに力はない?」

 

「それが限界なんですよ。そして僕もそうだ。もう、戦う意味なんてない」

 

 ユキナリが身を翻す。アデクはその背中へと声を発した。

 

「どこへ行く?」

 

「……もう僕は戦いたくありません」

 

「逃げるのか?」

 

 沈黙を是としていると、「オレのやり方が間違っているんなら、そう言えばいい」とアデクは口にする。

 

「だって言うのに、ここで逃げれば、お前さんは二度とナツキにも、誰にも顔向け出来んぞ」

 

「僕はもう、何が正しいのか分かりません」

 

 ユキナリは歩き出した。アデクが、「畜生が!」と悪態をつくのが聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこへ行くのさ」

 

 セキチクシティの東ゲートへと歩いていこうとすると声がかけられた。振り返らずに、「ナタネさんですか」と応じる。ナタネは、「ポケモンも持たずに」と続けた。ユキナリはホルスターを捨て、ポケギアもつけていなかった。

 

「トレーナーをやめるの?」

 

「僕はアデクさんに酷い事をしたんです。ナツキにも一生傷を負わせた原因は僕にある。だから、もう二度と旅を続ける事は出来ません」

 

「ナツキちゃんがどう思っているかとか、関係ないんだ?」

 

「ナツキは僕を恨んでいますよ。もう僕に、構わないでください」

 

 ユキナリがゲートへと踏み出そうとする。ナタネが肩に手をやり、振り返らせ様に張り手をかました。ユキナリは頬にそれを受け止める。乾いた音が響き、「それでも男なの?」とナタネが責め立てる。

 

「確かにさ、今回の事、非があるかもしれない。でも、だからって逃げ出したらそこまでだよ。どうしてさ? 今まで旅が出来たんじゃない。これからも――」

 

「もう無理なんだよ!」

 

 遮って叫んだ声にナタネは口を噤んだ。ユキナリは、「無理なんだ……」と呻く。

 

「今までみたいに、何も考えずに旅を続けるなんて無理なんですよ。もう、僕は……」

 

 ナタネが、「ユキナリ君……」と口を開く。その手が自分の手に触れようとしてユキナリは手を払った。

 

「やめてください。優しくしないでください」

 

 突き放す物言いにナタネは声を詰まらせる。ユキナリは背中を向けた。

 

「色んな要因が重なったんだ。不幸な事故だったんだよ」

 

「それでも、僕はもう誰とも笑えません」

 

 その言葉が決定的な断絶だった。ユキナリは東ゲートへと踏み込む。それを止める言葉をナタネは持っていないようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に訪れると黒いボールが転がっていた。中はブランクで、オノノクスはいない。スケッチブックとポケギアが打ち捨てられている。キクコは踏み入り、それらを見やる。スケッチブックを捲ると自分の姿が描かれていた。だがその次のページには短く「さよなら」と書かれていた。キクコはスケッチブックを抱いて瞑目する。

 

「ユキナリ君……」

 



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第百三十一話「約束の刻」

 

『強化外骨格、完成しました』

 

 ヤマキからの一報にフジはすぐさま準備を始める。カツラが、「生憎の雨だが」と外を見やった。

 

「行くのか?」

 

「ああ、迎えに行かなければ」

 

 フジは白衣を脱ぎ捨て軽装になる。カプセルの内部環境を操作し、ミュウツーを覚醒モードへと移行した。

 

「まだ充分な措置が出来ていない。活動時間は三十秒程度だろう」

 

「充分な数値だ。一回の長距離テレポートと座標打ち込み直しくらいならば強化外骨格が仕事をしてくれるよ。ヤマキ、そっちにミュウツーを送る。強化外骨格の接続作業に移ろう」

 

『今からですか?』と通信越しのヤマキが驚愕する。

 

「今しかないよ。あまり時間をかけるとキシベに勘付かれる。なに、ボクもミュウツーと共に向かうさ。何も心配はいらない」

 

『しかし、フジ博士。ミュウツーは培養液から出すと安定しないのでは』

 

「だからその問題をクリアするための強化外骨格だろう。がわが出来ていれば何の問題もないよ。カツラ、培養液の抜き取りを頼む」

 

「はいよ」とカツラが応じ、コンソールに向き直って操作する。見る見る間にミュウツーのカプセルを満たしていた培養液が抜き取られる。ミュウツーそのものは白い身体をしていた。紫色の尻尾がゆらりと揺れている。生きているのだ、とフジは実感を新たにする。

 

「ミュウツー。その強さ、ボクらに見せてくれ」

 

 フジが覚醒を促すガスをカプセル内に充満させる。するとミュウツーの瞳が僅かに開かれた。直後、青い光がミュウツーに纏いつきカプセルを弾き飛ばさせる。

 

「完成したぞ! ミュウツーが!」

 

 カツラの声にフジが、「ああ」と応じミュウツーへと歩み寄る。

 

「ボクらの言葉が分かるはずだ。どうかな?」

 

(何のために私をこの檻から出そうと思った? 培養液に満たしていれば、私の活動を何十年と制約する事が可能だろうに)

 

「そこまで分かっていれば問題ないよ」

 

 テレパシーで会話してくるミュウツーにもフジは動じる気配はない。ミュウツーは手に視線を落とした。三つの丸い指を有する手がどろりと溶け出す。

 

(この環境下では私の身体はそう持たないのだな)

 

「そうだね。ざっと見積もって三十秒だ。ボクと話している時間すら惜しいはずだよ」

 

(お前らのデータにあった強化外骨格。それが私を外で活動させるために必要なものか)

 

 その言葉にフジは指を鳴らす。

 

「ご明察。賢いね、ボクのミュウツーは」

 

(お前を長距離テレポートさせればいいのだろう。座標を教えろ)

 

 フジはポケギアを掲げ座標をミュウツーに教え込む。

 

「このグレンタウンの地下だ。行けるか?」

 

(行かねば私は死ぬだけだ。下らない問答は嫌いだな)

 

 ミュウツーが立ち上がる。青い光がフジを押し包んだ。

 

「じゃあね、カツラ。留守を頼む」

 

 ひらひらと手を振って見せるフジへとカツラは、「全くお前という奴は」と笑う。

 

「オーキド・ユキナリによろしくな」

 

 答える前にテレポートでグレンタウン地下にある研究施設へと身体が運び込まれた。作業班が慌ててミュウツーを中央へと移送し、「対象よーし!」と声を張り上げた。

 

「強化外骨格、装着します」

 

 灰色の強化外骨格がミュウツーの身体に装着される。重々しいフォルムの外骨格を身に纏い、最後にバイザー付きのヘルメットが被らされた。ミュウツーのために造らせたワンオフの外骨格だ。

 

「これで君は培養液にいた時と同じ状況下に置かれた事になる。もっとも、外骨格は制約として、君の能力を縛るものにもなるだろう」

 

(これを着せてどうしようと言うのだ)

 

「――破壊と略奪。強い者が勝つ、って言いたいところだけれど、今回の任務はそれじゃない。ボクと共にある人物の下へと向かって欲しい」

 

(誰だ?)

 

「オーキド・ユキナリ君の下へと。さぁ、約束の時だ」

 



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第百三十二話「マッドスクリプト」

 

 雨が降り出していた。いつ止むのか全く分からない雨脚でセキチクシティの家屋の屋根を叩く。誰もが家に篭っているような天気の中、一人だけゆらりとセキチクジムへと赴いた影があった。扉から入り、その影は呼びかける。

 

「いるんでしょう? ジムリーダー」

 

 その言葉に中央で白い影が揺らめいた。アテナは突然の来訪者を認める。

 

「今日は客が多いわね」

 

「挑戦権、あたしにもあるよね」

 

 その言葉にアテナは目を細めた。

 

「あるけれど、何か? もしかしてさっきの女の子の敵でも討とうって言うのかしら?」

 

 暗がりを伝ってアーボックが背後へと至ろうとする。だが、突然舞い上がった赤い閃光がアーボックを打ちのめした。その攻撃にアテナは狼狽する。

 

「何……?」

 

「ハッサム」

 

 赤い閃光は鋼の腕を携えアテナを睨み据える。

 

「主人の雪辱を晴らそう。このあたし、ナタネと共に」

 

 雷が鳴り響きセキチクジムの扉から光が投射される。ナタネは決意の双眸を固めていた。アテナが、「ナタネ? ああ、ジムトレーナーにいたわね」と口にする。

 

「確か、タマムシのジムトレーナーだったはず。という事は、負けたのね、タマムシのいけ好かないお嬢様は」

 

「マスターの事を悪く言わないで」

 

 ナタネが強く言い放つとアテナは少しばかり気後れした様子だった。

 

「で? そんな子がどうして私に挑戦を?」

 

「ナツキちゃんはさ、ハッサムを出す前にやられたんだと思うんだ。きっと、今みたいに背後を取られて。だって、毒タイプの攻撃はハッサムに通用しないもの」

 

「だから、どうしたって?」

 

 アテナの言葉にナタネは鋭く口にする。

 

「真正面から戦ってやられたんならまだ理解出来るよ。でもさ、騙し討ちみたいなやり方で相手の戦意を奪うっての、あたしは嫌い」

 

 ハッサムがナタネの意思を借り受け、瞬時に掻き消えた。その対象へとアテナは声を飛ばす。

 

「アーボック!」

 

「電光石火!」

 

 アーボックが攻撃に転じる前にハッサムが蹴りを飛ばす。食い込んだ蹴りがアーボックを突き飛ばす。セキチクジムの板張りの床が捲れ上がった。それほどの怒りを湛えた攻撃にアテナが息を呑む。

 

「言っておくけれど、あたしは手加減が苦手。だからアーボックも君も、死んじゃっても知らないよ」

 

 ナタネの殺気にアテナとアーボックが怯むがすぐに嘲笑と共に持ち直した。

 

「……前歴ジムトレーナーが聞いて呆れる。だったら、殺し返すまで!」

 

 アーボックの身体が跳ね上がりハッサムへと噛み付こうとする。しかし、ハッサムは腕を掲げてそれを受け止めた。

 

「牙から毒を、なんてのも通じない。ハッサム、バレットパンチ」

 

 ハッサムがもう片方の腕を下段に構え、アーボックの身体を見据える。横に拡張した顔の意匠を持つアーボックの腹部へとハッサムの鋼の一撃が食い込んだ。アーボックが呻く。

 

「まだだよ」

 

 ハッサムが噛みつかれている腕を振るい落としアーボックの頭部を打ち据えた。そのまま蹴り上げ、アーボックへと間断のない攻撃の渦を巻き込む。

 

「あたしもハッサムも怒っているんだ。この程度で済まさない」

 

 アーボックへと「バレットパンチ」が突き刺さる。そのまま拳の応酬が叩き込まれアーボックは沈黙した。

 

「さて、次はトレーナーだけれど」

 

 ナタネが敵意を向けるとアテナは、「なるほどね」と呟いた。その顔にはまだ余裕がある。

 

「何それ、見せかけ? もう手持ちを潰したんだよ。ジムリーダーなら潔く、ジムバッジを渡すんだ。そのほうが長生き出来る」

 

 ナタネの攻撃的な最後通告にもアテナはフッと笑みを浮かべた。

 

「何がおかしい?」

 

「アーボックが手持ちですって?」

 

「そうだろう。今まで戦わせてきたんだから」

 

「誰がいつ、アーボックをモンスターボールから出した?」

 

 その言葉にナタネはハッとする。アーボックは一度としてモンスターボールから出された事も、ましてや戻す様子もない。

 

「手持ちじゃ、ない……」

 

「私の手持ちはこれ」

 

 アテナがホルスターからモンスターボールを取り出す。雷鳴が迸り、暗がりを一瞬だけ照らした。ナタネは呆然とする。暗闇の中に蠢いていたのはアーボックの群れだった。その段になって気づく。

 

「アーボックはこのジムに棲んでいるだけ。私はこの子達を操れるに過ぎない。あなたも知っているでしょう? ジムはジムリーダーの最も適した戦闘が可能になるフィールドだと」

 

 つまり先ほどのアーボックは群れの中の一体に過ぎない。ナタネは息を呑む。目視だけでも数十体は存在した。

 

「で、でも鋼のハッサムなら先制を打てるはず」

 

「その先制を打てる強みも、このポケモンの前ならどうでしょうね?」

 

 アテナはボタンを緩め押し込んだ。

 

「いけ、ペンドラー」

 

 飛び出したのは一対の角を生やした巨躯だった。蛇のように見えるが、四足である事とくびれのある身体が蛇というよりも立ち上がった芋虫のそれであった。

 

「ペンドラー……」

 

「そう、毒・虫タイプ。これが私の手持ちよ。アーボックはこの子の引き立て役に過ぎない」

 

 ナタネは歯噛みする。毒・虫とはまた厄介なタイプ構成だ。だがハッサムならば先手が打てる。それを期待して攻撃の命令を上げる前に、ペンドラーは身体を丸めて回転した。一瞬にして速度を増し、回転数が上昇する。加速器のようにペンドラーの姿が掻き消えた。

 

「ペンドラー、ハードローラー」

 

 ペンドラーが板張りの床を噛み砕きながらハッサムへと肉迫する。その速度にナタネは目を瞠った。ハッサムの鋼の身体へと「ハードローラー」と呼ばれる技が突き刺さる。ナタネが、「ハッサム!」と名を呼ぶが摩擦熱でハッサムの表皮が焼け爛れていた。ペンドラーは回転数をそのままに上昇し空中で身体を広げる。

 

「メガホーン!」

 

 角を突き出しそのまま急降下してくる。ハッサムへとナタネは指示を飛ばす。

 

「受け止めるんだ!」

 

「この体重を?」

 

 アテナの声にハッサムへと圧し掛かってきたペンドラーが「メガホーン」の火花を散らす。ハッサムは鋼の腕で受け止めているがそれも限界のようだった。先ほどの「ハードローラー」で鋼の耐久を超えてきている。摩擦熱でハッサムの表皮を融かし、さらにハッサムは少しだけ手が遅れている。これは怯んでいるのだ、とナタネは判断した。

 

「怯みの追加効果……」

 

「効果は薄いかもしれないけれど、怯む事に変わりはない。メガホーンを受けろ!」

 

 アテナの声に「メガホーン」に殺気が篭る。鋭い角をハッサムはぎりぎりで押さえ込んでいた。

 

「ハッサム! 蹴りで突き飛ばせ!」

 

 ハッサムが身体を沈ませ、ペンドラーの頭部を蹴りつける。しかしペンドラーはその程度では押し飛ばされない。

 

「重い……!」

 

 ペンドラーが荷重をかけて床に踏み止まる。ペンドラーとの戦闘に夢中になっていると不意に空中から何かが降ってきた。ナタネに降りかかろうとしたそれをハッサムが「でんこうせっか」で突き飛ばす。それはアーボックであった。一撃で吹っ飛んだが、その口から煙が棚引いている。何だ、とナタネが感じているとハッサムが不意に膝をついた。先ほどアーボックを蹴った足が融けている。鋼のハッサムは毒で効果を打たれない。となれば炎の技を食らったのだと理解出来た。

 

「いつの間に……」

 

「アーボックは炎の牙を覚える。一発程度ではいまいちかと思ったけれど、そうでもないみたいね」

 

 アーボックが天井でひしめき合っている。ペンドラーとの戦闘に集中すればアーボックの不意打ちを受ける。しかし、アーボックに気取られていればペンドラーの重い一撃を受け止めきれる気がしない。

 

「ペンドラーはいつでも攻撃姿勢に移る事が出来る。言っておくけれど、ペンドラーはハッサムよりも速いわよ」

 

 ペンドラーの巨体が掻き消える。またしてもどこへ、と首を巡らせようとするとアーボックが甲高い鳴き声を上げて落下してきた。それぞれ「ほのおのきば」を展開しており一撃でも受けるわけにはいかない。

 

「ハッサム、後ろに一旦下がって――」

 

「下がらせると思っている?」

 

 後退しようとしたハッサムの背中へとペンドラーの「ハードローラー」が突き刺さった。押される形で体勢を崩したハッサムの腕にアーボックが噛み付く。炎が表面を融解させる。ナタネは舌打ちを漏らしハッサムへと命じた。

 

「すぐに引き離して!」

 

 ハッサム自体、アーボックを吹き飛ばす程度は造作もないのだが、それが多数対一となればこちらの不利は歴然である。アーボック程度に気を取られる前にペンドラーを倒さねばと思うのだが、ペンドラーはハッサムよりも遥かに素早い。

 

「電光石火!」

 

 ハッサムの姿が掻き消え、ペンドラーを蹴り飛ばそうとするが、ペンドラーはそれを上回る速度で回転し上昇した。身体を押し広げ、「捨て身タックル」とアテナが命じる。ペンドラーの巨体がまともにぶつかり、内部骨格が軋みを上げた。ハッサムにこれ以上戦わせる事は明らかに酷である。

 

「ハッサム、電光石火で後退!」

 

 ハッサムが床板を蹴ってナタネの傍まで下がる。アテナは、「この程度?」と余裕の笑みを見せた。

 

「ペンドラーにはほとんどダメージはない。その割にハッサムは結構手痛いんじゃない?」

 

 ナタネはハッサムの状態を確かめる。辛うじて火傷にはなっていないようだが膝頭と爪先が融けている。腕にも損傷が見られた。ナタネは息を吐き出し、「そうだね」と応ずる。

 

「降参するのなら、今のうちよ。でないと、さっきの女の子と同じように、顔を融かさせてもらうわ」

 

「外道が……!」

 

 ナタネの声に、「何とでも言いなさい」とアテナは口角を吊り上げる。

 

「勝てば官軍。敗者は地を這い蹲り、二度と立ち上がれないようにする。それこそがポケモンリーグの掟でしょう?」

 

 アテナの声に、「ああ、そうかもしれない」とナタネは頷く。

 

「そりゃ、あたしだって結構な数の挑戦者を駄目にしてきた。そいつらの牙を何度も折ってきたクチだよ。でもさ、君のやり方はそういうんじゃない。あたしはそれでもお天道様に顔向け出来ないような戦いはしていない」

 

「だからどうだって言うの?」

 

 アテナは鼻を鳴らす。

 

「世間に顔向け出来れば偉いわけでないでしょう。ポイントが高ければ、勝者が全て。敗者の言葉なんて誰も聞かないわ」

 

「そうだね。だからこそ」

 

 ナタネはショートボブの髪をかき上げる。耳に虹色の意匠が施されたピアスがあった。

 

「ここで負けるわけにはいかないんだ。ハッサムが、ナツキちゃんは知っていたのか分からないけれど持っていてくれてよかった。あたしのキーストーンの呼び声に応えてくれる」

 

 ナタネがピアスを指で弾く。するとピアスが内側から発光した。ハッサムの眼前へと紫色の皮膜が宿る。それが卵の殻のようにハッサムを覆ったかと思うと一挙に弾け飛んだ。その姿を目にしてアテナは慄いたように後ずさる。

 

「な、何なの、その姿……」

 

 そこにいたのは先ほどまでのハッサムではなかった。鋼の両腕が拡張し、まるで強靭な顎を思わせる外観になっている。全身が鋭角的に変化し、翅は青白くなっていた。赤と黒を基調としたフォルムはハッサムでありながら全く違うポケモンにも見える。

 

「メガシンカ、メガハッサム」

 

 ナタネが呼びつけるとメガハッサムと呼ばれたハッサムの変化系は応ずる鳴き声を上げた。

 

「メガシンカ……、そんなものが」

 

「進化を超える進化と言われている。あまり観測例がないから目撃されていないだけで、それそのものは古くからある。あたしのキーストーンと」

 

 ナタネはピアスを誇示する。

 

「ハッサムの持つハッサムナイトが呼応して変化する姿。言っておくけれど、この姿になったら、手加減なんて全然出来ないから。あたしだってマスターに習って制御法を知っているだけで、知っているだけじゃどうにも出来ない。メガハッサムは辛うじて自我を保っているけれど、いつ暴走するか分かったもんじゃない。ポケモンである事を捨てたポケモンの力――」

 

 ナタネが両腕を掲げ、交差させる。メガハッサムが姿勢を沈めた。

 

「見せてあげる!」

 

 メガハッサムがその眼を開き、瞬間、その姿が掻き消えた。ペンドラーの頭部の真横へと現れたメガハッサムにペンドラーもアテナも全く反応出来ていない。メガハッサムが蹴りつける。空気の膜を破りペンドラーの巨体が吹き飛んだ。今放ったのは「でんこうせっか」だが本来の威力の何倍も引き上げている。ペンドラーがようやく反応し、四足で制動をかけようとする。ナタネは腕を振るった。

 

「回り込んでバレットパンチ!」

 

 メガハッサムの姿が瞬時に消え、今度はペンドラーの背後へと現れる。トレーナーであるアテナはもちろん、ペンドラーも完全に出遅れている。

 

 発達した顎を思わせる拳がペンドラーへと突き刺さる。ペンドラーの肉体へとめり込み、その身体を突き飛ばした。ペンドラーがここに来て初めて転がるという醜態を晒す。

 

「ペンドラー? この速度、加速特性?」

 

「いいや、メガハッサムの特性はテクニシャンのまま。弱い攻撃が強くなる」

 

 この種が割れてペンドラーの落ち着いた攻撃が来てしまえば先ほどの再現となる。その前に決着をつけねばならなかった。どちらにせよ、暴走を恐れている今では短期決戦以外に道はない。

 

「電光石火!」

 

 メガハッサムの姿が掻き消える。しかしアテナは応ずる声を出した。

 

「ならば、ハードローラー」

 

 ペンドラーが身体を丸めて回転する。その速度が瞬時に最高速へと至った。ナタネはあまりに速いその攻撃動作に目を瞠る。

 

「これほどの速度、まさか加速特性?」

 

「今さらに見抜くとはね。そうよ、ペンドラーの特性は加速。でも種が割れても痛いのは、あなたほどじゃないみたいね」

 

 回転するペンドラーへとメガハッサムは攻撃しようとしたがきりもみながら倒れた。何故、と思う前にアテナが言い放つ。

 

「ハードローラーの状態で常にいれば柔らかい横腹を突かれる心配はない。それにメガハッサムとやらにはスタミナがない様子」

 

 その通りだった。メガハッサムは既に疲労している。ナタネの実力ではメガシンカ状態を維持するのだけでも体力が大幅に削られた。トレーナーであるナタネにももちろん負荷がかかる。ナタネが息を荒立たせていると、「疲れているね」とアテナが声にする。

 

「誰が……!」

 

「痩せ我慢していても分かるわ。トレーナーとポケモンが一心同体のような状態になっている。仕組みはよく分からないが、そういう種が分かればハードローラーでぶつかればいい」

 

 ペンドラーが「ハードローラー」を維持したままメガハッサムへと攻撃を加える。メガハッサムへとナタネは命じた。

 

「電光石火!」

 

 横っ腹から蹴り飛ばす、と判じた思考にも即座に応じるのがペンドラーであった。一度横腹を蹴飛ばされれば二度とそのような弱点は晒さない。ペンドラーは常にメガハッサムに対して真正面から相対していた。

 

「こうすればやり難い事この上ないでしょう。そして!」

 

 アテナが天井を指差す。すると牙から炎を纏いつかせたアーボックが何体が落下してきた。

 

「ポケモンのダメージが本体のダメージになるのならば!」

 

 メガハッサムがアーボックを蹴飛ばし、腕で払おうとする。しかし、一撃を食らってしまった。腕の一部が焼け焦げる。するとナタネも腕を押さえた。同じ箇所に火傷のような傷が刻まれる。

 

「やっぱりね。そうだとすればどうする? メガハッサムは耐久型ではないのでしょう? このまま持久戦を続けても、身体の節々を食い破られるだけだし」

 

 ナタネは歯噛みする。このままではメガハッサムがやられる。それだけは食い止めたかった。

 

「今ならば、降参という形にしてあげるわ。私に二度と挑まないと誓うならね」

 

「誰が、そんな事……! 君はナツキちゃんを害した。ユキナリ君も、アデクさんも傷ついた! みんなの旅を無茶苦茶にした君を、あたしは許すわけにはいかない!」

 

 メガハッサムが両腕を構える。顎のような両腕が俄かに開き、内部で紫色の光が連鎖した。アテナが、「無駄な足掻きを」と言い捨てる。ナタネは、「無駄かどうかは」と口走った。

 

「この先で決める! ハッサム、全力で攻撃するよ! 破壊光線!」

 

 腕が開き破壊光線が凝縮し二つに分かれてペンドラーを襲う。ペンドラーは満身に攻撃を受け止めた。「ハードローラー」で無効化する算段なのだろうがこちらのほうが威力は高い。回転数が下がりペンドラーが身体を開いた。

 

「押し負ける……」

 

「行け!」

 

 ナタネの声にメガハッサムが全力攻撃を浴びせる。破壊光線の残滓が消え去り、ペンドラーの身体に傷痕が刻まれた。だがアテナは口角を吊り上げる。

 

「耐え凌いだ」

 

 ペンドラーが顔を上げて動き出す。対してメガハッサムは動けなかった。破壊光線の反動だ。ペンドラーがとどめの攻撃を放とうとする。ナタネが歯噛みした瞬間、声が響いた。

 

「ゲンガー、シャドーボール!」

 

 その声と共に黒い球体が五つ、ペンドラーへと激突する。ペンドラーがよろめいた。

 

「何を!」

 

 アテナが視線を振り向ける。ナタネも振り返った。視線の先にはキクコがゲンガーを繰り出して佇んでいる。

 

「もう二度と、誰も悲しませたくない!」

 

 キクコの平時からは比べ物にならないほどの強い声音にナタネは驚愕する。ゲンガーが短い足でペンドラーへと肉迫する。だがペンドラーのほうが僅かに素早い。ゲンガーの攻撃の手を掻い潜り、背後へと一瞬にして回り込む。

 

「誰かは分からないけれど、ペンドラーの速度を嘗めない事ね!」

 

 振り返り様にゲンガーは腕へと赤い瘴気を帯びた引っ掻きを浴びせる。それとペンドラーの角がぶつかり合った。一瞬だけ交錯の火花が散るがお互いに距離を取ろうとする。だが、ペンドラーはいつの間にかその場に縫い付けられていた。床から眼球状の文様が浮かび上がる。

 

「黒い眼差し! ペンドラーは逃げられない!」

 

 これでペンドラーの攻撃対象はゲンガーに絞られた事になる。しかしアテナは、「だからどうしたって!」と強気に手を振るう。

 

「ゲンガーで勝てなければ同じ事!」

 

 その通りだ、とナタネが感じているとキクコは手を薙ぎ払う。

 

「鬼火を展開して相手の視界を奪う!」

 

 ゲンガーの手から青白い炎が浮かび上がりペンドラーへと投げつけられた。ペンドラーの眼に「おにび」が突き刺さる。ペンドラーが後ずさった。

 

「追撃、シャドーボール!」

 

 ゲンガーが両手を広げ、左右に三つずつシャドーボールを展開する。それらを互い違いに放り投げ、ペンドラーの巨体へと攻撃を浴びせる。間断のない攻撃にナタネが呆然とする番だった。

 

「キクコちゃん、そんなに強かったなんて」

 

「私は、もう誰かに傷ついて欲しくない。ユキナリ君にも」

 

 キクコの手にはスケッチブックがあった。ユキナリのものだ。

 

「だから!」

 

 さらに攻撃を加えようとゲンガーがペンドラーへと飛びかかる。しかし、その攻撃は丸まったペンドラーによって弾かれた。

 

「それ以上攻撃を食らうわけにはいかないわね。それに、ゲンガーはよく育てられているみたいだけれど、多数対一の戦闘はそう経験していないはず!」

 

 アーボックが再び落下してくる。ナタネが声を張り上げていた。

 

「避けて!」

 

 アーボックは顔のように見える腹部を晒し、赤い眼光をゲンガーに浴びせる。その瞬間、ゲンガーが動けなくなった。

 

「ゲンガー?」

 

「蛇睨み。相手を問答無用で麻痺にさせる。こうなってしまえば、ゲンガーなどおそるるに足らない。ペンドラー!」

 

 ペンドラーがゲンガーへと角を突きつける。ゲンガーとそれを操るキクコは、「動いて!」と叫んだ。

 

「動かなくっちゃ! もうユキナリ君が、戦わなくってもいいように!」

 

 ペンドラーが回転してゲンガーへと迫る。押し潰される、と思われた瞬間、紫色の光条が遮った。片腕を上げたメガハッサムが破壊光線を発したのだ。

 

「最後の仕事だよ。メガハッサム!」

 

 もう片方の腕を持ち上げるメガハッサムだが、ペンドラーはそちらへと攻撃対象を移すまでもない。アーボックが降ってきてメガハッサムに噛み付いた。鋼の身体を融かす炎の牙にメガハッサムがもがく。

 

「メガハッサム!」

 

 それと同期してナタネの身体にも傷痕が刻み込まれる。メガハッサムの傷はそのままダメージフィードバックとしてナタネの身体へと移された。

 

「これで……」

 

 アテナが命令しかけてゲンガーがいつの間にか眼前から姿を消している事に気づく。ナタネもどこへ行ったのか分からなかった。

 

「どこへ」と首を巡らせようとするアテナが不意に言葉を切った。その首筋へとゲンガーの爪が突き立てられていたからだ。

 

「私は、もう戻れない人殺し。だから」

 

 キクコの声には意志の輝きが宿っている。ナタネが声にする前にゲンガーがアテナを引き裂いた。アテナの身体から血が迸る。

 

「何を、何をした! このガキ!」

 

「私だけ傷つくのなら、それでいい」

 

 アテナの身体から力が抜ける。膝をついたアテナはそのまま倒れ伏した。ペンドラーが動きを鈍らせる。主人の死に思考がついていっていないのだろう。キクコはアテナの死体に歩み寄り、その身体からバッジを手にした。

 

「これが、第六のバッジ」

 

 ピンク色に輝くバッジをキクコは血に塗れた手で掴む。ナタネが言葉をなくしていると、突如としてメガハッサムから紫色の光が放たれた。

 

「これは、メガシンカエネルギーが……」

 

 メガハッサムの内包するメガシンカのエネルギーがどこかへと移送されている。どこへ、とナタネは見渡してその光がキクコの胸へと吸い込まれているの目にした。正しくはキクコが下げているネックレスだ。

 

「ネックレスが、輝いて……」

 

 ナタネの声にキクコが動揺した目を向けた瞬間、ネックレスから放たれた光がゲンガーへと映し込まれる。ゲンガーはその光を満身に受け、光の殻に覆われていった。

 

「メガシンカ……? でも、どこにメガストーンが」

 

 ナタネがそこまで言った時、キクコの胸から解き放たれた光がゲンガーの頭上に至る。ゲンガーは光を透過し、卵の殻を思わせる光が一挙に弾け飛んだ。

 

 出現したのは巨大な腕を持つ影の塊のようなゲンガーだった。全身が刺々しく突き出ており、額へとぴしりと亀裂が走る。すると第三の目が現れ、金色の眼光を晒した。

 

「メガゲンガー、だって言うの?」

 

 エネルギーを吸い込まれたメガハッサムは既に元のハッサムに戻っている。キクコが歩み寄ろうとするとメガゲンガーはその手を掲げた。するとキクコの姿が一瞬にして影の球体に呑まれた。ナタネは息を詰まらせる。

 

「何を……!」

 

 メガゲンガーは球体を収縮させ、自分の側に引き寄せたかと思うと、口腔を開いて飲み込んだ。

 

「暴走している?」

 

 主人を取り込むなど正気の沙汰とは思えなかった。メガゲンガーは咆哮し、両腕を掲げる。すると両腕が拡張し、ジムの天井を突き破った。メガゲンガーは瞬時に身体を仕舞い込み、拡張した腕と共にジムから外へと出る。暗く垂れ込めた雲に同化し、メガゲンガーは街を俯瞰した。

 

 雨が降ってくるジムの中でナタネはただ、尋常ならざる事が起こっていると認識するしかなかった。

 



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第百三十三話「グラウンドゼロ」

 

 行く当てなどなかった。

 

 東側のゲートから出たユキナリはただただ彷徨うしかない。トレーナーと思しき人々が時折声をかけるが何も聞こえていないようにユキナリが歩いていくので皆避けていった。

 

 どうせ自分になど価値はない。ポケモンも持っていないのだから玉座を目指す事も、絵描きを目指す事ももう出来ない。畢竟、逃げたのだ。どうにもならない呪縛を抱えて、自分の身を持て余す。雨脚が強くなってきた。人々がセキチクシティへと駆けていく。ユキナリだけはそれとは正反対の方向へと歩いた。当て所ない道筋は波止場に辿り着いた時自嘲に変わった。

 

「……何だ。どこへ行っても同じじゃないか」

 

 どこへも逃げられない。だが、戻って戦う勇気もない。屈んで海面を覗き込んでいると、「何しているんだ?」と声がかけられた。聞き覚えのある声に顔を上げる。そこにいたのはセルジと名乗った釣り人だった。

 

「セルジ、さん」

 

「おお、覚えていてくれたのか。まぁ、俺の事なんて名前で呼ばなくってもいいさ。おじさんでいいよ」

 

 ユキナリは隣で釣りを始めるセルジから視線を逸らす。セルジは釣り糸を垂らしつつ、「みんなはどうした?」と聞いた。

 

「……分かりません」

 

 その声音が尋常ではないのだと感じたのか、「……なるほどね」と得心した様子だった。

 

「随分と、らしくない眼をしているじゃないか。あの時、シルフカンパニーに喧嘩を吹っかけた無謀者の顔じゃないよ」

 

 ユキナリはぎゅっと拳を握り締める。あれは、あの状況に精神が昂っただけの話だ。本来の自分は弱々しい一個人に過ぎない。

 

「俺はあの時、君はとても勇気のある人間だと感じた。だって天下のシルフと戦って、生き残るなんて。俺みたいな凡人じゃ及びもつかないってね」

 

「そんな大層な真似をしたつもりはないですよ」

 

「いや、立派さ。君は誇れる事をしたんだ。誰だって言葉の表面で取り繕う事は出来る。でも実行に移す事が出来るのはごく少数だ。君は、そちら側の人間だろう」

 

「やめてください。そうやって、僕にラベルを貼り付けるのは……!」

 

 勝手な理想を押し付けるのは。ユキナリは肩を掴んだ手に力を込める。

 

「アデクさんに酷い事をしたんです。ナツキにも取り返しのつかない事をしてしまった。だったら、僕なんていないほうがいい。旅なんて続けないほうがいい。夢も見ないほうがいい」

 

「そうやって、また逃げるのかい?」

 

 その声にハッとする。セルジは釣り糸を見つめながら、「逃げる事は、ある時にはそれが正しい事もある」と告げる。

 

「何も全ての行為が責められる事じゃない。でも、今、やるべき事から逃げ出して、それで何が残る? やれる事とやるべき事を君はもう、分かっているんじゃないのか?」

 

 セルジの言葉にユキナリは、「……でも」と顔を伏せた。

 

「僕にどうしろって言うんですか。もう平気な顔をして戦う事なんて出来ませんよ。何食わぬ顔でみんなに会うなんて出来ない。ナツキと、もう二度と顔を合わせる事なんて出来ない」

 

「だが、君は選んだはずだ。あの時、俺の目には君の魂の輝きがシルフビルを割ったのだと思った。あれほどの覚悟を抱けたのに、ここで潰えるのはもったいないだろう」

 

「あんなの、状況に流されただけですよ。オノノクスだってもう僕と戦いたくなんてないはずだ」

 

「ポケモンとトレーナーはお互いを信じるところから始まる。オノノクスって言うのか。あのポケモンは君を信じていた。今度は君が、オノノクスを信じる番だ」

 

「無理だよ、そんなの。出来るわけないですよ!」

 

 覚えず顔を上げて叫ぶとセルジはユキナリの目を真っ直ぐに見据えていた。その目から視線を外せずにいると、「君はやるべき事を控えている」とセルジが告げた。

 

「君は生き残るべき人なんだ。たとえ全てを犠牲にしてでも、やるべきと思った事を成す力、未来を描く力を君は持っている」

 

「僕は、犠牲なんて……」

 

「生きていれば誰かを犠牲にする。俺だって、こうして水棲ポケモンの命を犠牲にしている。何らかの代償を払わなければ人って言うのは、生きていけないほどに脆いんだ」

 

 セルジの言葉にユキナリは言葉を彷徨わせる。自分のほうが犠牲になればよかったのだ。ナツキは傷つかず、アデクも傷つかない世界があれば。そのために自分だけが犠牲になればいい。

 

「……誰も傷つかない世界って言うのは、ないんでしょうか」

 

「ないね。残念ながら」

 

 セルジの声は非情だった。だがこの世界の正鵠を射ている。

 

「君はこの時代を生きるしかないんだ。誰だって生まれる事と死ぬ時だけは選べないんだから。でも、だからこそ、選べるものを最大限に選ぶのが人生だと俺は思うよ」

 

「僕に、そんな価値はないですよ」

 

「あるさ。君はお嬢ちゃん達を何度も助けようとした。それは一時的な勇気だけじゃない。君の中に、いつだって勇気はあるんだ。それを解き放つかどうかだけの話」

 

「僕の中にある、勇気……」

 

 胸に触れる。鼓動はまだある。生きていたいと願う鼓動。まだ終わりたくないと願うもの。

 

「傲慢な言い方になってしまうかもしれないが、既に君は解き放たれた運命の中にある。もう後戻りする事なんて出来ないんだ。君は、前身の道を辿るしかない」

 

 ユキナリは自嘲気味に返す。

 

「どっちが前か後ろかなんて、もう分からない」

 

「君が進むほうが前さ。そう考えると楽だろう?」

 

「僕の、進むほう……」

 

 自分はどうしたいのか。何のために自分は生きているのか。

 

「セキチクのほうが暗いね」

 

 セルジが振り返ってそうこぼす。ユキナリも目を向けていた。セキチクシティ上空を、紫色の雲が覆っていた。尋常ではない。それだけは理解出来る。何かが起こっているのだ。自分の大切な人達がいるあの場所で。

 

「もう関係がない、としらを切るのも自由だよ。セキチクシティがどうなろうと、君の仲間がどうなろうと、本当に君がどうでもいいと思っているのならば」

 

 セルジは釣り糸へと視線を戻す。しかしユキナリは目を逸らす事が出来なかった。あの場所にいる自分の大切な人達。それを守れる力があるのならば。

 

「……僕に、もう一度出来るでしょうか。その資格はあるのでしょうか」

 

「俺は何とも言えないよ」とセルジは返す。

 

「ただ、夢を追う資格のない人間はいない。夢破れてでも戦い続ける。その資格を奪う事なんて誰にも出来ないんだ」

 

 ユキナリは立ち上がる。セルジは振り返らずに、「行くのか?」と呟く。

 

「君も死ぬかもしれないぞ。もしかしたらさらなる地獄を見る事になるかもしれない」

 

「僕の命はいいんです」

 

 ユキナリは拳を握り締める。

 

「ただ、これ以上僕の大切な人達が傷ついていくのを、見ていられない」

 

 ユキナリは駆け出した。雨脚が強くなり、風が頬を叩きつける。それでも足を止めなかった。その先に何が待っていようと。何が邪魔をしようと。

 

 ゲートを潜り、セキチクシティから逃げ出そうとする人々とは真逆を行く。ゲートを抜けてみればセキチクジムから絶え間なく紫色の竜巻が発生しており、それを中核として紫色の雲が広がっていた。ユキナリの目には雲そのものが自分達を俯瞰して嗤っているように映った。借りていた宿へと寄ってGSボールを手にし、ユキナリは竜巻の中心部へと向かう。途中、何度か足をすくわれそうになった。転び、泥に膝をつきながらユキナリはポケモンセンターに向かおうとする。だが、ポケモンセンターはジムの隣だ。既に倒壊している可能性もあった。

 

「このままじゃ……」

 

 近づけない、そう感じたその時である。雹が降り始めた。突然の気候に戸惑っていると、仰いだ視界の中に映ったのは巨大な灰色の龍だった。天使の輪のような凍結範囲を広げ、浮遊している。その姿は通常のポケモンとは一線を画していた。ユキナリが眺めているとそのポケモンの背に立つ人影が目に入った。

 

「お前は……!」

 

 相手も気づいたのだろう、龍のポケモンが真っ直ぐに降下してくる。突風を発生させながらそのポケモンが舞い降りた。手を前に翳していると、「オーキド・ユキナリ」と冷たい声音が発せられる。

 

「何故、ここにいる?」

 

 因縁の相手に名を呼ばれ、ユキナリは身を強張らせた。

 

「カンザキ・ヤナギ」

 

「あれの原因は、お前じゃないのか?」

 

 ヤナギがあれと評したのは巻き起こっている紫色の気候変動だ。ユキナリは首を振り、「僕にも分からない」と答える。

 

「でも、何かが起こっている事だけは確かだ」

 

「どうしてだか、この現象から俺達はここに辿り着いたのだが、皆目見当がつかないな。カミツレ!」

 

 ヤナギがポケギアへと声を吹き込むと、『こっちは上空を旋回している』と女性の声が帰ってきた。シルフビルの時にヤナギを拾ったサンダーのトレーナーの声だ。

 

「どうだ? 上からは何か分かるか?」

 

『セキチクシティを囲むみたいに紫色の雲が張っている。まるで結界ね。サンダーは上空からは近づけない』

 

 ヤナギは舌打ちを漏らし、「チアキ、バシャーモで強行突破は?」と尋ねる。

 

『駄目だ。この乱気流では格闘タイプの技が正確に命中する気がしない。それにこの雲、ただの気候変動ではない、殺気がある』

 

「殺気、だと」

 

 ヤナギは空を振り仰ぎ次いでユキナリに目をやった。

 

「どうやら闘争している場合ではなさそうだな」

 

 ヤナギの声に、「ここは休戦だ」とユキナリは口にする。

 

「この現象をどうにかしない限り、セキチク全体が危ない」

 

「言われなくとも」

 

 ヤナギは灰色の龍のポケモンに目をやり、「キュレム!」と名を呼んだ。

 

「もう一度、あの姿になれるか?」

 

 その言葉にキュレムと呼ばれたポケモンの右側の身体が軋みを上げ始めた。白い羽毛のような身体が引き出されてゆき、キュレムが二つの足で立ち上がる。小さかった前足が腕となって発達し、背部へとチューブが伸びた。キュレムの背面へと赤い球体が形成され、チューブからエネルギーを得てキュレムが紫色の雲を見据える。

 

「いくぞ。クロスフレイム!」

 

 キュレムが全身から炎を噴き出させ、エネルギーを循環させた瞬間、目が輝き雲の中央部に向けて炎の十字架が放たれた。一瞬だけ紫色の雲が千切られ、青い空が垣間見えたがすぐに再生する。ヤナギは、「やはりポケモンか」と呟いた。

 

「これがポケモンの仕業だって言うのか」

 

「クロスフレイムで反応があった事からそう考えるのが妥当だろう。自然現象にしては出来過ぎている」

 

 ヤナギはキュレムに視線を配ってから、「全力攻撃だ」と告げる。

 

「凍える世界」

 

 キュレムから放たれた冷気のオーラが一瞬にしてセキチクシティを覆った。竜巻が静止し、紫色の雲の動きが止まる。ヤナギはポケギアへと吹き込む。

 

「やれ! チアキ!」

 

 その瞬間、凝結した紫色の雲を一筋の赤い流星が破った。V字型の鶏冠をした猛禽の人型が炎の蹴りを纏いつかせて急降下してくる。

 

『攻撃に成功したが、これで倒せたかどうかは』

 

「ああ、分からないな。だが一度凍らせて炎で破ったんだ。それなりに効果はあるはず――」

 

 その言葉尻を劈くような絶叫が遮った。ヤナギとユキナリが思わず耳を塞ぐ。悲鳴の元は紫色の雲だった。出現した赤い眼がヤナギとユキナリを睥睨する。乱杭歯の並んだ口腔があるポケモンを想起させた。

 

「ゲンガー、なのか……」

 

 ユキナリの声にヤナギも狼狽する。

 

「ゲンガー? まさかゴースの進化系か」

 

 ヤナギも覚えがあるらしい。ユキナリは、「だとすると」と思いつく可能性に至る。

 

「キクコ?」

 

 そんな馬鹿な話があるか、と一蹴したかったが、ユキナリにはそう思えて仕方がなかった。ヤナギが、「何を馬鹿な事を!」とユキナリに掴みかかる。

 

「キクコが、この現象の原因だというのか!」

 

 怒りを滲ませた声に、「確証はない」と応じる。

 

「でも、ゲンガーを持っていて、このセキチクにいたのはキクコだ」

 

 ヤナギはユキナリを睨み、「そんな事で」と再び紫の雲へと目をやった。

 

「この異常気象を説明出来ない。一体何が起こればゲンガーにこんな力が」

 

 その時、ジムのほうからこちらへと危うい足取りで歩いてくる人影が目に入った。ユキナリは思わず駆け寄る。ナタネがボロボロの身体を押して、彷徨っている。

 

「ナタネさん!」

 

「ユキナリ君……、戻ってきたんだ」

 

 今にも閉じそうな意識を髪の毛一本で留めている様子だった。見ればところどころに怪我もしている。

 

「ナタネさん、しっかり! あのポケモンは何です?」

 

「あれは、キクコちゃんのゲンガーが、あたしのキーストーンに反応してメガシンカした姿だよ。どうしてだかキクコちゃん本人がゲンガーのメガストーンを持っていたみたい。メガハッサムの力を根こそぎ吸い取ってあんな力を得てしまった……」

 

 メガシンカ、という言葉の意味は分からなかったが、ゲンガーの強化された姿という認識に間違いはなかった。ヤナギが声を飛ばす

 

「じゃあ、あれはキクコだというのか?」

 

「キクコちゃんは、メガゲンガーに取り込まれた。どうなっているのか、全く分からない」

 

 ヤナギが歯噛みする。キュレムが攻撃に移ろうとして、「やめろ!」と制した。

 

「キクコがいるとすれば、迂闊に攻撃も出来ない」

 

 先ほどの一撃による悲鳴がキクコのものであるという最悪の仮定をしたのだろう。ヤナギは慎重だった。ナタネへとユキナリは口にする。

 

「ナタネさん、ポケモンセンターは無事ですか?」

 

「……う、ん? 多分、無事だと思うけれど、どうするつもり。あんな距離に近づいたら、死んじゃうよ」

 

 竜巻が勢いを取り戻して轟と空気を震わせる。ユキナリは拳を握り締める。

 

「博士に預けたオノノクスを取ってきます。ヤナギ、ナタネさんを頼めるか?」

 

 その言葉にナタネが、「駄目、だ」と声を搾り出した。

 

「爆心地に赴くようなものだよ。本当に、死んじゃう、って」

 

「僕にはやらなければならない事があるんです」

 

 ユキナリへとナタネが止めにかかろうとするがヤナギが手で制した。

 

「……君、誰さ?」

 

「こいつの敵だが、今はこいつに任せればいい」

 

 ヤナギの不遜な声にナタネは鼻を鳴らす。

 

「心の底では、死ねばいいと思っているんでしょう」

 

「かもな」とヤナギは素直に認めた。それがあまりにも意外だったのだろう。ナタネは目を見開いている。

 

「……本当、何者なの。君とユキナリ君は」

 

「敵同士です」

 

 ユキナリの放った声にさらに分からなくなったのだろう。ナタネは追及の言葉を仕舞った。

 

「……まぁ、いいや。あたし、ちょっと寝るから。疲れちゃった」

 

 ナタネはその言葉を潮にその場に倒れ伏した。ユキナリが肩を揺らす。

 

「ナタネさん? ナタネさん!」

 

「大丈夫だ」

 

 ヤナギの声にユキナリはナタネが寝息を立てているのを確かめめる。

 

「酷く疲労していたらしい。それ以外の何者でもないようだな。こんな状態で眠れるとは、ある意味太い奴だが」

 

「よかった……」

 

 ユキナリは立ち上がり竜巻のほうを睨みつける。「行くのか?」とヤナギが問いかけた。

 

「ああ。みんなが頑張っているんだ。僕だけが何もしないわけにはいかない」

 

「だが死ぬかもしれないぞ」

 

 ヤナギへと肩越しの視線を振り向ける。

 

「意外だな。お前は本当に僕が死んでも何とも思わないのだと感じていたけれど」

 

「何とも思わないし、むしろ死んでくれれば助かる。だが、それは俺の手で、という意味だ。俺以外に殺させはしない」

 

 屈折したヤナギの言葉にユキナリは息をつく。

 

「じゃあ、僕達は依然、敵同士か」

 

「お前に俺が理解出来ないように、俺にもお前は理解出来ないだろう」

 

「多分、平行線のままだろうね」

 

 それは無言の了承として降り立っている。ユキナリはヤナギを信じるわけではなかったが、ヤナギが眠っているナタネに手をかけるほどの外道ではない事は分かっていた。

 

「ナタネさんを頼む」

 

「俺もこの距離から攻撃を続けよう。お前は俺が殺す。それまで死ぬ事は許さない」

 

 憮然としたヤナギの口調にユキナリは、「分かっているさ」と応じて走り出した。竜巻の巻き起こす突風が煽り、今にも分解しそうなジムが視界に大写しになる。その隣にあるポケモンセンターは半壊していた。ユキナリは入るなりパソコンの有無を確かめる。パソコンは横倒しになっていた。駆け寄って電源をつける。辛うじて電気は生きているらしい。電源を入れるなりユキナリは博士へと繋いだ。

 

「……頼む。繋がってくれ」

 

 ユキナリの願いが通じたように博士へと直通回線が開く。博士はつい数時間前にユキナリからもう旅を続けられないと言われたばかりだった。そのためかユキナリを見るなり、「どうして」という顔をする。

 

「博士! 僕に、オノノクスを返してください!」

 

 ユキナリは窪みにGSボールを入れる。博士は狼狽していた。

 

『だが、君はもう旅を続けられないと言った。それに今、とても磁場が不安定なんだ。セキチクで何か――』

 

「説明している時間はないんです!」

 

 遮って放った声に博士は眉根を寄せる。

 

「僕にはオノノクスが必要なんです」

 

 ユキナリの懇願に博士は、『だが、トレーナーの勝手でポケモンは手離されるものじゃない』と応じる。

 

『ユキナリ君。君はどうして、オノノクスが必要なんだい?』

 

 その問いにユキナリは息を詰めてから、答えを口にした。

 

「僕は……、僕はオノノクスのトレーナー、オーキド・ユキナリです!」

 



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第百三十四話「終わりの始まり」

 

「クロスフレイム!」

 

 ヤナギの声にキュレムが応じ、炎の十字架を押し広げた。だが紫色の雲は全く霧散する気配がない。これ以上は戦力の限界か、とヤナギが感じていた、その時であった。

 

「ウルガモス、オーバーヒート!」

 

 背後から声が響き渡り、炎が一直線に紫色の雲へと昇っていく。だが紫色の雲からしゅるしゅると手のような形状の帯が放出されたかと思うと、それが固まって炎を防いだ。ヤナギが振り返る。視線の先には優勝候補の一角がウルガモスと呼ばれたポケモンを繰り出している。

 

「アデク、か」

 

 その声にアデクは応じる。

 

「谷間の発電所以来じゃな」

 

 あの時、自分の敵として屹立した男。だが今は紫色の雲を相手取る事で合意したようだ。

 

「あれは、なんじゃ?」

 

「俺の見立てではゲンガーだ」

 

「ゲンガー? しかし、あのように強大な……」

 

「メガシンカしたとこの女が言っていた。メガゲンガー、というわけだな。俺にも正確なステータスは一切分からない。このキュレムをもってしても、まるで手応えがないとは」

 

 ヤナギが歯噛みしていると先ほど急降下してきたバシャーモとチアキがヤナギを呼びつけた。

 

「大丈夫か?」

 

 駆け寄って尋ねると、「私に大した傷はない」とチアキは応じる。

 

「バシャーモは?」

 

「急降下のダメージが少しだけある。だが、上空の敵に対して攻撃は望めないな。スカイアッパーを食らわそうにもあの手応え、ゴーストタイプか」

 

 やはり腐ってもジムリーダー。タイプ相性を見分けたのだろう。

 

「ああ。ゲンガーに格闘技は通用しない」

 

「それに、何だ? あれからは逃れられる気がしない。セキチクシティという檻に囚われたようだ」

 

 その感覚は間違いではないのだろう。ヤナギも同じように感じていた。キュレムで離脱しようかと考えたがその思考そのものを一蹴する何かがメガゲンガーにはある。

 

「倒さない限り逃げられない。だが倒す手段が皆目、ではこちらの戦意も削がれるな」

 

「それに、この騒動を聞きつけて人が来れば来るほど被害が甚大になる。我々の行動も極秘では進み辛くなるぞ」

 

「その我々とやら、詳しく聞きたいものじゃな」

 

 口を挟んだアデクにチアキは眉間に皺を寄せる。

 

「何だ? こいつ」

 

「アデク。優勝候補の一角だ」

 

「なに、そう気負う必要はない」

 

「誰も気負っていない。ただ、貴公のような人間も動員されているところを見ると、この異常現象の原因、そちらにあると考えていいか?」

 

 率直な物言いに、「恐らくは連れの問題じゃろう」とアデクは答える。ヤナギもキクコのゲンガーである可能性が高い以上、無闇に攻撃は出来ないのが心情だった。

 

「クロスフレイムも何回も撃てるような攻撃じゃない。かといって、凍結させれば、と言っても俺自身、まだキュレムを御せていない」

 

 瞬間凍結、あるいは凍える世界を撃とうとしてもそれ相応の対価を払わねばならない。これが伝説を操るつけか、とヤナギは舌打ちを漏らした。

 

「どうやって攻撃するか。真上のカミツレにサンダーでの強行突破を命令するか?」

 

「いや、カミツレはこの状況から脱している重要な人間だ。もしもの時にはセキチクそのものを捨てる覚悟で挑まねばならない。そのような時、外部との連絡手段がないのでは違ってくるだろう」

 

 出来るだけ穏便に済ましたい。そのようなヤナギの胸中を嘲笑うかのように上空の雲が集約されていく。渦を巻き、何かが現れる気配を伴った。

 

「何だ?」

 

 チアキの声に出現したのは悪性腫瘍のような雲の塊だった。その表面に赤い眼が開く。その眼光に縫い止められたように動けなくなった。

 

「何だ、これは……」

 

 ヤナギは指先を見やる。かすかに震えていた。これは恐れだ。

 

「俺が、恐怖している?」

 

「オレもじゃ。この感覚は……」

 

 塊から乱杭歯の並んだ口腔が露になりそれが哄笑を吐き出した。圧倒的な勝利宣言。それを覆す力は自分達にはないのだと言うように。

 

「嘗めるな! キュレム、クロスフレイム!」

 

 キュレムが両腕を開き、雲の塊へと赤い十字の炎を撃ち込んだ。だが炎は雲の渦に掻き消され、内部へと吸収されてしまった。

 

「……クロスフレイムを」

 

「呑んだ、だと」

 

 チアキとヤナギは信じられなかった。「クロスフレイム」の威力は身に沁みて知っている。だからこそ、それが一端のトレーナーやポケモン程度に掻き消されるものではないと分かっていた。だというのに、目の前の現実はヤナギへと敗北の二文字を突きつけてくる。

 

「どうすればいいのだ。このような力を前にして……」

 

 アデクの苦渋はそのまま全員の胸中だった。アデクとてウルガモスで攻撃する気になれないのは力の差を理解しているからだろう。一トレーナーの戦闘単位を超えている。

 

 ――このままでは。

 

 ヤナギの懸念を裏付けるように雲の塊から両腕らしきものが伸びる。その手が開かれたかと思うと球体が形作られた。一つが家屋ほどもある巨大な影の球体だ。凝縮し、二つの球体は撃ち出されようとする。

 

「シャドーボールか」

 

「だが、あんなサイズ……」

 

 見た事もない大きさのシャドーボールに全員が息を呑むしかない。あれが命中すればどれほど甚大な被害を及ぼすのか。影の塊――既にメガゲンガーの形状を成したそれが嗤う。悪魔の笑みだ。この場所を灰燼に帰す事さえも愉悦の一つだとする邪悪。

 

 その時、声が響いた。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 一条の黒い光線がメガゲンガーへと突き刺さる。完全に予想外からの攻撃だったのだろう。シャドーボールが生成途中で掻き消え、メガゲンガーはそちらへと赤い眼を向けた。ヤナギ達も同じように目を向ける。

 

 ポケモンセンターの屋根の上に立っているのはユキナリとオノノクスだった。オノノクスは全身から黒い瘴気を立ち上らせ牙へと集約する。赤い磁場を伴って牙の一閃が放たれた。

 

 再び攻撃をぶつけてきたオノノクスへとメガゲンガーは手で受け止めようとするが、その直前に光条が拡散した。無数の短剣と化したそれがメガゲンガーへと突き刺さる。メガゲンガーが初めて呻り声を上げた。

 

「オーキド・ユキナリ!」

 

 ヤナギの声にユキナリが目を向ける。手を薙ぎ払い、「キュレム、氷柱の生成くらいならば出来るな?」と声にした。

 

「何をする気だ?」

 

「氷柱を作ってオーキド・ユキナリをメガゲンガーの有効射程まで運ぶ」

 

「危険だぞ!」とアデクが声を張り上げる。アデクにとってしてみてば仲間の命がかかっているのだろう。

 

「だが、この距離でドラゴンクローを撃っても無駄だ。もっと近くなければ。そのために、氷柱を形成する! 受け取れ、オーキド・ユキナリ!」

 

 キュレムへと氷柱を形成させ、浮かばせてユキナリの下へと運ぶ。ユキナリは頷き、オノノクスと共に乗った。ヤナギはそのまま氷柱を誘導させ、メガゲンガーの有効射程へと持ち込もうとする。

 

「だが、メガゲンガーが何もしないわけが」

 

 チアキの懸念にメガゲンガーは身体から帯状の触手を作り出し、それぞれを矢のように打ち出した。ヤナギとて回避させながら運ぶ事は出来ない。オノノクスは黒い瘴気を纏いつかせた牙で弾いているが、それも手数が同等な場合のみだ。メガゲンガーの手数は圧倒的だった。一度オノノクスがよろめいたかと思えばユキナリとオノノクスへと、正確無比に触手が放たれる。その一撃にオノノクスが牙を持ち上げた隙に、触手はユキナリを貫いた。アデクが声を上げる。

 

「ユキナリ!」

 

 オノノクスもそれを認識する前に身体を無数の触手で貫かれ、地へと落ちていく。希望の落下を、ヤナギ達は見つめる事しか出来ない。

 

「……死ぬな、オーキド、ユキナリ」

 



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第百三十五話「翼をください」

 

 メガゲンガーへと近づいた時、ユキナリは呼びかける声を聞いた気がした。それは小さな、ほんの微かな声に過ぎなかったが、自分の名を呼ぶ声だった。

 

 キクコがいる。メガゲンガーの中にいる。そう知った時、オノノクスへと命令する声が少しだけ戸惑いを帯びた。その一瞬の隙をメガゲンガーに突かれた。触手が自分の腹部を貫き、オノノクスまで巻き込んで高空から落下していく。耳に届く風の音にユキナリは死を覚悟した。だが、それよりも先にユキナリにはやるべき事があった。

 

 ――キクコをメガゲンガーに取り込ませたままにさせるわけにはいかない。

 

 拳をぎゅっと握り締める。ユキナリは閉ざしていた眼を開いた。その眼が赤く染まる。

 

「――キクコを、返せ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは明らかな異常としてヤナギ達の目にも映った。オノノクスの身体から脈動が放たれたかと思うと瞬時に風が逆巻き、オノノクスは追撃の触手を受け止めたのである。メガゲンガーが目を見開く。オノノクスはメガゲンガーの触手を掴み空中で引き千切った。

 

 メガゲンガーは両腕を突き出す。その手からシャドーボールが放たれようとするが、それよりも眼を赤くぎらつかせたオノノクスの動きのほうが速い。オノノクスは牙を振り下ろす。それだけで空間が断ち切られ、シャドーボールを構えていた両腕が吹き飛んだ。メガゲンガーがうろたえる鳴き声を上げる。オノノクスはそれを上塗りするように強い咆哮を発した。

 

「オーキド・ユキナリは……」

 

 ヤナギがユキナリの姿を探そうとする。まさかトレーナーだけ落下したか、と考えているとユキナリはありえない場所に存在していた。

 

 空中で、まるで縫い止められたかのように立っているのである。ヤナギが瞠目しているとユキナリは手を払う。その一動作に呼応してオノノクスが牙を払った。再び放たれようとしていた触手が根こそぎ断ち切られメガゲンガーが慄いた。メガゲンガーの額に金色の眼が現れる。第三の眼から放たれた青い光がオノノクスへと纏いついた。サイコキネシスで捩じ切るつもりだろう。だが、ユキナリもオノノクスも動じない。軽くユキナリが顎をしゃくる。オノノクスが牙を振るうとサイコキネシスが両断された。金色の眼に亀裂が走る。メガゲンガーが額を押さえて呻いた。

 

 オノノクスが口の端から煙を棚引かせ、メガゲンガーを射程に捉える。背中から燐光を発し、それが赤い翼を形成した。黒い瘴気の渦がオノノクスへと走る。牙が血脈の宿ったかのように赤く輝いた瞬間、「いかん!」とアデクが手を振るった。

 

 その直後、黒い瘴気が渦を成して断頭台を形作る。断頭台はそのまま抵抗しようとしたメガゲンガーの両腕を断ち切った。

 

「オーキド・ユキナリ。人間である事を捨てるというのか……」

 

 ユキナリの身体は最早物理法則を超えて動いている。オノノクスも本来の性能を度外視した攻撃を放っている。

 

「あの時と同じだ。シルフビルで俺と対峙した時と同じ。そうしてまで、お前はキクコを想っていると言うのか」

 

 オノノクスが呻り声を発して「ドラゴンクロー」を一射する。メガゲンガーの体の一部が消し飛んだ。

 

 ヤナギは自分の纏っているマフラーを握り締める。キクコの命運は今、ユキナリの手にあることだけは間違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユキナリは自分でも身体がおかしい事に気づいている。

 

 漂っている感覚だ。たゆたう原始の海の中を。その中でも確かな感覚は肌を刺す敵意だった。ユキナリは敵意を掴み、引き千切る。同期したオノノクスが「ドラゴンクロー」を一射する。背中に生えた赤い翼は「げきりん」の光が外に漏れだしたものだろう。ユキナリはオノノクスを客観視していながら、主観となっていた。オノノクスと自分との境目が分からなくなる。オノノクスは翼を羽ばたかせ、メガゲンガーへと肉迫する。触手が伸びて阻もうとしたがユキナリは手で薙ぎ払う。触手が黒い光条で相殺され、爆発の光を視界に居残らせた。

 

 ――自分がどうなっても構わない。キクコだけは助け出したい。

 

 思いがオノノクスを衝き動かし、メガゲンガーの頭頂部から顎へと黒い断頭台が形成される。メガゲンガーが取り外そうとしたが、その前にオノノクスが牙を打ち下ろした。メガゲンガーの顔面が割れ、内部が露になる。紫色の靄のような内部空間へとオノノクスが手を伸ばした。メガゲンガーの深層、操っているキクコへと。

 

 キクコは見えない壁の向こう側にいた。小さく膝を抱えている。小刻みに震えていた。

 

 ――キクコ!

 

 声となった意思がキクコへと近づこうとする。だが壁がそれを阻んだ。キクコの声が意識を震わせる。

 

 ――私は、いちゃいけないの。

 

 ――そんな事、ない!

 

 無理やり手を突き入れようとする。しかし、何らかの抵抗力が働いているのか指先がじんと痛んだ。

 

 ――代わりはいくらでもいるもの。先生は、私じゃなく、他の子を探すよ。

 

 ユキナリは目を開き、手に力を込めた。

 

 ――そんな事はない! キクコはキクコだけだ! 他に、誰もいるもんか!

 

 ユキナリの意思の力が壁をこじ開けようとする。だが、キクコは頭を振った。

 

 ――みんなを傷つけてしまうのなら、私は……。

 

 ユキナリはオノノクスの力を借りて壁の向こう側へと手を差し出す。その瞬間、激痛が走った。皮が捲れ上がり、分裂した細胞が今にも弾け飛びそうになる。痛みに呻きながらもユキナリは懸命に手を伸ばす。

 

 ――そんなところから今すぐ出てくるんだ! 僕は、キクコを必要としている!

 

 その呼びかけにキクコは顔を上げた。目が合い、ユキナリは言い放つ。

 

 ――「来い!」

 

 意識の声と現実の声が相乗し、響き渡った。キクコは目を見開き、ユキナリへと手を伸ばす。その柔らかな手が触れた瞬間、ユキナリはキクコを引き寄せた。キクコの身体が壁の向こうからこちら側へと引き出される。その手には自分のスケッチブックが握られていた。

 

 キクコを抱き寄せ、ユキナリは呟く。

 

 ――こんな形でしか、分かり合えなかった。

 

 ――ごめんなさい。私、何も出来なくって。

 

 ユキナリは頭を振った。

 

 ――いいんだ。キクコがいてくれるだけで。傍にいるだけでいい。

 



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第百三十六話「終わる世界」+エピローグ

 メガゲンガーが赤い眼を見開き、瞬く間に膨張していく。紫色の雲が一点に集まったかと思うと、その身体が破裂した。血の色を伴って分散したメガゲンガーをオノノクスが吸収する。オノノクスの左側の牙が光り輝き、メガゲンガーの姿を再構築した。その姿はまさしくキクコそのものの姿だった。

 

「何が起きているんだ……」

 

 うろたえるアデクに、「オーキド・ユキナリが」とヤナギは口にしていた。

 

「キクコを助けたのか?」

 

「そのような生易しい光景には見えない。これは……」

 

 言葉を濁したチアキにオノノクスが咆哮する。赤い翼が拡張し、オノノクスはさらに高空を目指した。その身体から放たれる燐光が紫色の雲に変わり空を満たしていく。一転して空が暗くなった。夜の時間だ。雲間に浮かぶ月をオノノクスが凝視したかと思うと、オノノクスは牙を払った。その直後、月に亀裂が走り扉のようなものが形成されていく。

 

「まさか、これが来る滅びか……」

 

 月から開かれる扉が次の段階を想起させる。何かが起ころうとしているが何だと明言する事は出来ない。歯がゆい思いがヤナギの胸の中を占めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「覚醒したようです」

 

 先生は何かを感じ取ったように顔を上げる。イブキが怪訝そうに眺めていると、「なんじゃ、これは!」とマサキが仰天の声を上げた。

 

「何よ」とイブキは振り返った瞬間、息を呑む。端末の画面上に表示されていたのは、ユキナリが所持していたポケモンが月へと剣閃を浴びせる光景だった。月は呼応したように扉らしきものを開く。先生が頭を抱えてその場に膝をついた。

 

「ちょっと!」

 

「キクノさん!」

 

 シロナ――今はカラシナと名乗っているらしいが――は先生の事を「キクノ」と呼び駆け寄ってくる。イブキが問い質す。

 

「何が起こっているというの? この光景は何?」

 

 その質問に先生は震える声で応じた。

 

「ああ、我々は止める事が出来なかった。やはり、特異点を抹殺する事が正しかったのでしょうか」

 

 要領を得ない先生の声にイブキは声を張り上げる。

 

「何が起こっているの?」

 

「滅びが来ます」

 

 その言葉にイブキは息を呑んだ。カラシナも、「まさか、こんなに早く?」と聞き返す。

 

「だって滅びは四十年後のはず」

 

「特異点、オーキド・ユキナリとレプリカントのキクコの接触と覚醒。それによって滅びが誘発される。かつてヘキサツールに刻まれた歴史上で起こった世界をクラックする行為が擬似再現され、滅びの扉が開きます」

 

 先生の言葉に、「そうなったら、どうするって言うの?」とイブキは聞いていた。

 

「だって、前の滅びの時にはもう一つの世界であるこっちに来たって言うんでしょう? 彼らがどこに行くって言うのよ」

 

「どこにも」と答えた先生の声には諦観が混じっていた。

 

「どこにも行けません。ただ滅ぶ。その現象だけがこの世界に訪れます」

 

 先生は頭を振って仮面を押さえた。後悔の念が押し寄せているのだろう。キクコを放った事への後悔か。それともユキナリを放置した事への後悔か。

 

「そんな勝手な事って……」

 

 カラシナも言葉をなくしているようだ。先生は告げる。

 

「勝手だろうが事実は事実。ヘキサツールの歴史が歪められた」

 

 歴史の矯正を至上としてきたネメシスからしてみればこれは痛手だ。結果的に歴史は曲げられた。誰の手によるものかは分からない。ただ滅びが四十年早まった。

 

「……そんな。本当に、滅ぶって言うの? こんなに呆気なく?」

 

 自分達が積み上げてきたものも、これからも全て潰えるというのか。イブキは信じられなかったし信じたくなかった。

 

「どうにか、ならないの?」

 

 先生は首を横に振る。

 

「もう、誰が何をしようと手遅れです」

 

 こうなってしまって、という声に悔恨が滲み出ていた。仮面の子供達が不安げにお互いを見やっている。手を握り合っている子供もいた。

 

「滅びの前には、人間はこうも無力なのね……」

 

 カラシナはどこか達観したように告げる。マサキは端末に表示されている映像を見ながら呟いた。

 

「オーキド・ユキナリの覚醒と解放。こいつはロケット団もヘキサも黙ってられへんな。それとも、これもシナリオのうちか? キシベ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふたご島からでも充分にその光は観測出来た。キシベが双眼鏡を手にしているがサカキは肉眼で確認する。

 

「あれが、滅び、って奴か」

 

 月が切り裂かれ、扉のようなものが開こうとしている。

 

「ああ、回廊が形成され、滅びの時、すなわちヘキサツールの終焉へと一気に駒を進まれた形となる」

 

「慌てないのか?」

 

「慌てても仕方あるまいよ」

 

 キシベは双眼鏡を下ろしてフッと口元に笑みを浮かべた。何か考えていそうなものだが、キシベは特別手を打とうとする兆しはない。もしかするとキシベにとっても予想外の出来事なのかもしれない。だとすれば初めての破綻か。キシベは、だがうろたえる事もない。ただいつもと同じ調子で空を眺めていた。

 

「ご覧、あれが特異点、オーキド・ユキナリの力だ」

 

 自分と同じ存在だとキシベは言いたいのだろう。サカキは一瞥してから、「興味がないな」と言い捨てた。

 

「何故だね? あの力を君が使っていたかもしれないんだぞ?」

 

 それは暗に滅びの因子が自分にもあると言いたいのか。サカキは、「下らない、と言っているんだ」と鼻を鳴らす。

 

「俺達の意味が滅びにしか集約されないとはな。お前が俺とオーキド・ユキナリを使って何がしたいのかは知らないが、拮抗する実力者を用意出来なかった不手際を詫びるんだな」

 

「世界が滅びるのに、詫びが必要かね?」

 

 自嘲気味の言葉に、「違いない」とサカキは返す。

 

「だが待て。お前も、これで世界が滅びると思っているのか?」

 

「おかしいかな?」

 

「そりゃおかしいな。俺の知っているキシベ・サトシは、この程度で諦める器ではあるまい?」

 

 サカキの問いかけにキシベは、「どうかな」と口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あちゃー」

 

 ナタネは目を覚ましていた。ヤナギ達が空を舞うオノノクスに目を奪われている。くらくらとする視界の中、額に手をやってナタネも翼を帯びたオノノクスを視界に入れていた。

 

「こりゃ、ちとまずいかな。でもユキナリ君、さすがだね。やっぱり匂いの違う奴は違うのかな」

 

 ナタネは盛大にくしゃみをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓辺が揺れる。突風だ、と感じ取って窓に視線をやった。左目が赤い光を感知し、起き上がる。思い切って窓を開けるとカーテンが煽られた。その中で飛び立とうとする赤い翼の龍を目にする。

 

「……ユキナリ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――現行人類の終焉、歴史の終わりが訪れる」

 

 

 

 

 

 

 

第八章 了

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉が開き、闇が世界を覆い尽そうとする。

 

 オノノクスはそのためにあと一撃だけ振るえばよかった。主人であるユキナリの意思とキクコの遺伝子を得て、オノノクスがこの世界を飛び立つための準備は整っていた。

 

 だが牙が振るわれるその直前に、赤い何かが視界を横切る。その瞬間、オノノクスを背中から貫いた鎖が全身の力を奪っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だ?」

 

 ヤナギは異様な光景を目にする。オノノクスはあと少しで扉を開くところだった。だが、それを制するように赤い光が稲妻のように走ったかと思うと、オノノクスを貫いてしまったのだ。オノノクスの身体から力が失せ、赤い翼が霧散する。開きかけていた扉が閉じていく。重い音を立てながら閉じゆく扉と月を背にして、何かが降り立ってきた。

 

 灰色の外骨格に身を包んでいる。青い光を身に纏いつつ、それはゆっくりと、使者のように降下する。

 

「あれは、ヒトか? それともポケモンだって言うのか?」

 

 チアキの困惑も無理はない。ヤナギの目にもそれは人が鎧に身を包んだ姿に見えたからだ。だが、それがヒトでない事は伴っている影を目にすれば一目瞭然だった。

 

「トレーナー、か?」

 

 疑問符を含んだのはその人間も浮いていたからだ。外骨格を身に纏ったポケモンと共に降りてくる人間はオノノクスを眼下に置いた。

 

 オノノクスは鎖が突き刺さった箇所から石化を始めている。ヤナギはそこでユキナリの姿が完全に消えている事に気づいた。

 

「どこへ、オーキド・ユキナリ! どこへ行った!」

 

 その言葉に、「彼はオノノクスと同調し、一つとなった」と声が響く。その声の主は降りてくる外骨格のポケモンのトレーナーらしき青年だった。

 

「何を……」

 

「カンザキ・ヤナギ。君には理解出来ないのも無理からぬ事さ」

 

「俺の名を……」

 

 ヤナギは声を詰まらせる。何故、という問いかけを含む前に青年は告げた。

 

「オーキド・ユキナリ君。今度こそボクが――幸せにしてあげるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

NEMESIS 続

 



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新生の章
第百三十七話「超越者」


 間合いが一瞬にして凍りつく。

 

 ヤナギは即座に判断した。眼前に降りたった存在。灰色のポケモンと思しき人型が敵であると。手を振り翳し、ヤナギの命令にキュレムは応ずる。キュレムから放たれた極寒の息吹に灰色の機体が軋みを上げた。空中を浮遊するトレーナーらしき人物が感嘆の吐息を漏らす。

 

「即断即決、素晴らしいね。それでこそ、ここまで来た甲斐があるというものだ」

 

 ヤナギは瞬間冷却をキュレムに発生させる。瞬間冷却はマンムーの時に比すれば精密機動性は落ちるもののキュレムの本来の能力により瞬時に敵ポケモンを捉えた。

 

「黙れ! あんた、何のために」

 

 ヤナギは今しがた巻き起こった破壊と暴走の連鎖を思い返す。

 

 赤い翼を生やしたオノノクスが月を切り裂き、扉を開こうとした。そこまではおぼろげながらも確認出来た。だがその後に起こった出来事は理解の範疇を超えている。灰色のポケモンが飛来し、赤い鎖をオノノクスの背中に突き刺した。オノノクスは動きを止め、鎖の侵食部分から石化している。

 

 ヤナギは灰色の外骨格を持つポケモンこそがその元凶であると判断した。何のつもりなのだか知らないが、オーキド・ユキナリの行動を制した何者か。それはユキナリよりもなお性質の悪い敵だと判じられた。

 

「カンザキ・ヤナギ。君は、気高くボクに立ち向かってくるか」

 

 トレーナーらしき人物は動じる事もない。すっと手を掲げ命令する。

 

「強化外骨格で君の念動力のリミッターをつけてある。だから全力で戦えるのは五分もない」

 

(充分だ)

 

 その声にヤナギはハッとする。今の声はポケモンの声なのか。思考に直接切り込んでくるような声にヤナギが瞠目していると人型のポケモンは手を掲げた。三本の丸まった指を内側へと締め付ける。その動作だけでキュレムに問題が発生した。キュレムの首筋に青い光が纏いつき、その動きを鈍らせたのである。ヤナギが振り返っている間に、「自己紹介が遅れたね」と声が発せられた。

 

「ボクの名前はフジ。フジ博士と呼ばれている。ポケモンの研究者だ」

 

 焦りも微塵に感じさせないその声音にヤナギは神経が逆撫でされるのを覚えた。

 

「俺を前にして、戦いの緊張もなく、悠長に自己紹介とは」

 

「だって君の名前をボクは知っているけれど、君は知らない。フェアじゃないだろう?」

 

 フジと名乗った青年はヤナギを見下ろす。指で中空をなぞるとオノノクスが青い光に包まれた。持ち上がったオノノクスを外骨格のポケモンが操る。

 

「ミュウツー、テレポートでボクらの居城まで運ぼう」

 

 その言葉の後、瞬時にオノノクスの姿が掻き消える。「テレポート」を使われたのだ。ヤナギは舌打ちを漏らし、「何のつもりだ!」と声を発する。それに呼応したキュレムの冷気がミュウツーと呼ばれたポケモンへと襲いかかるがミュウツーは腕を薙いだだけでそれを相殺させた。

 

「……キュレムの冷気を、消し飛ばした?」

 

「そんなに難しい話じゃないよ。凍結って言うのは空気中の水分の動きだ。だったら、凝固する前の水分を消し飛ばしてやれば、凍結予定だった場所にその攻撃は適応されない。このミュウツーには水分の動き程度ならば造作もないからね」

 

 ヤナギは氷タイプの相手か、と当たりをつける。氷タイプだとすれば有効の手を打てる技があった。

 

「キュレム、もう一撃、撃てるな?」

 

 ヤナギの確認の声にキュレムは低い呻り声で応ずる。キュレムも伝説の誇りがあるのか、先ほどから攻撃がうまく当たらない事に憤りを感じている様子だった。

 

「何を撃って来ても同じさ。凍結する前に水分を消し飛ばせば凍結は出来ない。君は知られてないつもりかもしれないが、意外と君の情報は入ってくるんだよ。特異点、オーキド・ユキナリ君に仇なす敵としてね」

 

「わけの分からない事を並べ立てて惑わすつもりか! その減らず口、利けないようにしてやる!」

 

 ヤナギは手を振り翳す。キュレムが後部の尻尾からエネルギーを充填し、両腕を振るい上げた。

 

「クロスフレイム!」

 

 ミュウツーとフジを包み込んだのは先ほどまでの瞬間冷却とは正反対の属性、炎の攻撃であった。炎の十字架がミュウツーへと叩き込まれる。ヤナギは今度こそ一矢報いたと感じ取る。だが、その炎の十字架が収縮を始めた事で手応えは霧散した。

 

「なるほど。キュレムのその姿、炎を操るのか」

 

 球体に練り込まれた炎がミュウツーの手の中で限界まで引き絞られる。ヤナギが瞠目しているとミュウツーはそのまま手を振るった。反射された炎がヤナギの視界の中で明滅したのも一瞬、炎の球体がキュレムの身体に突き刺さり爆風が身体をなぶった。

 

 ヤナギは息を詰める。今の一瞬に、何が起こったのか。間違いのない事はキュレムがダメージを負った事。そして、ミュウツーにはダメージがない事だった。

 

「キュレムに、クロスフレイムを反射させた?」

 

「存外に事態を俯瞰する頭は持っているじゃないか」

 

 フジは降り立ち、地面に足をつける。ミュウツーも地に足をつけ、キュレムを仰いでいる。ミュウツーの背後から紫色の尻尾が伸びた。それを目にしてやはりヒトではない、と思い知る。それはトレーナーであるフジとて例外ではなかった。

 

「おや?」

 

 フジが小首を傾げる。キュレムが肩口を押さえながら姿勢を立て直している。ヤナギは、「まだ終わっていない」と声にする。フジはため息を漏らし、「いいや、終わっているよ」と応じた。

 

「肩口に反射してやったんだ。わざわざね。急所を狙う事も出来た。それとも、内側から爆発させてやれば絶対に立ち向かう気力なんて湧かなかったかな? そうしないのは君がまだ使えると判断したからに他ならない。君を殺す事は事象には組み込まれていないからね」

 

「ヘキサツールか」

 

 忌々しげに口にするとフジは眉を上げた。

 

「知っているんだ? まぁ、そうでなくてはボクに立ち向かうなんて事をしないだろうから当然の帰結といえばそうか。しかし、キシベはどうするつもりなんだ? 事象に組み込まれていない人間にヘキサツールを知られれば、それこそまずいだろうに。いや、そもそも何のつもりで」

 

「独り言はそこまでだ」

 

 キュレムが片腕を振り上げる。右腕が赤く染まり、血脈が宿った。

 

「炎も氷も通用しないよ。ミュウツーを倒したいのならば今は退く事だ。それが最も賢明な判断だと後から思い知る事になる」

 

「俺達を嘗めないでもらいたいな。伊達に伝説に認められる戦い方をしてきたわけではない。俺はキュレムに眠る潜在的な氷結能力を見抜いた。だからこそ、今、ここにいる」

 

「そのキュレムっての、確かに結構強いのは分かるよ。でもさ、ミュウツーを一撃で沈められない限りは意味がないっての分からないかな。炎も氷も、それが愚直な攻撃ならば全てを受け流す事がミュウツーには可能なんだ。だから、君がどう手を打とうが、ミュウツーはその上を行く」

 

「だったら、炎も氷も超越した技を撃てばいい」

 

 ヤナギの言葉にフジは怪訝そうに眉をひそめる。

 

「……分からず屋って言うのはこういうのを言うのかい? 炎も氷も超越した技? 言っておくがポケモンはどのような技を撃っても単一属性に絞られる。たとえば熱湯という技がある。これは水タイプでありながら火傷を誘発する技だが、放たれるときは水タイプだ。だから抵抗タイプならば半減出来る。君が超越した技を撃とうとしても、結局のところ放つ時には氷か炎のどっちかだっていう事。それを理解していないのは、度し難いって言うんだよ」

 

 フジの言葉にヤナギは、「何とでも言え」と冷たく返す。

 

「キュレム、お前が持っている最高の技であれを墜とす」

 

 キュレムが咆哮する。背面の尻尾が赤く輝き、チューブから全身にエネルギーが行き渡った。身体の内奥から赤い光が発生する。フジが、「逆鱗かな」と身構える。だが、光は「げきりん」の燐光と言うよりも、高熱のそれを宿していた。まるでマグマのように煮立った光がキュレムから放たれる。キュレムが両腕を掲げると粉々になった氷の粒が舞い散った。氷の粒に光が拡散し、周囲を炎熱が包み込む。フジは相反する属性の相乗効果に目を瞠っていた。

 

「……何だ? ボクですら理解し難い攻撃だと」

 

「とっておきだ! キュレム!」

 

 ヤナギの呼び声にキュレムは空を赤い光で覆い尽す。一瞬にして光がミュウツーへと降り注ぎ全方向から絡め取った。赤い光条が幾重にも連鎖し、さながら網のようにミュウツーを包囲する。

 

「氷の陣で包囲……、こちらの動きを……」

 

 フジがその攻撃を視認する前にヤナギは拳を握り締めた。

 

「コールドフレア」

 

 氷の粒に乱反射した赤い光条がミュウツーとフジへと雨のように降ってきた。着弾するや否や爆発が広がる。包囲爆撃と言える攻撃が辺り一面を焼き尽くした。光線の放射は止まない。ミュウツーを破壊し、フジを殺すまでやむ事はないと思われていた攻撃が不意に消えた。

 

 キュレムが身体を沈め、白い体毛が体内に仕舞われていく。どうやらキュレムをこの形態で使うには限界が生じたらしい。ヤナギも息を荒立たせた。今の攻撃「コールドフレア」はヤナギが見出した技であり実戦で使うのは初めてだ。どれほどの威力を発揮するのかまるで分からなかったが目の前の光景に我ながら戦慄する。

 

 ――一瞬にして、焦土か。

 

 着弾した場所以外にも、制御が不完全であったせいか流れ弾が爆風を巻き起こしていた。少しでも誤ればこちらが自滅してしまいかねない威力だ。ヤナギは煤けた空気を肺に取り込む。さすがに生きてはいまい。そう感じた、その瞬間であった。

 

「――驚いたよ」

 

 その声にヤナギは声を詰まらせる。着弾点を漂う薄紫色の空気が凝縮し、渦を巻いて一点に留められた。それはミュウツーの掲げた腕の直上である。ミュウツーとフジは健在だった。ただしミュウツーは少しばかり灰色の外骨格に損傷がある。その合間から覗く白い体表が不意にどろりと溶け出した。ヤナギが驚愕する前に、「まずいね」とフジが呟く。

 

「これほどの消耗は予定外だ。ここいらで遊びは切り上げて本題に移るとしよう」

 

 その時、雲を裂いて空から稲妻の如く降ってくる影があった。ヤナギとフジが振り仰ぐ。サンダーに乗ったカミツレがミュウツーへと攻撃を仕掛けようとしていた。

 

「逃がすと思っているの?」

 

 その声にチアキも動き出す。バシャーモを伴い、「逃がすか!」と駆け出した。フジは首を横に振る。

 

「やれやれ。そんなに慌てなくってもいいのに。ミュウツーが万全ならば君達なんて歯牙にもかけないところだが、今は思っていたよりも消耗が激しい。それに、そろそろタイムリミット」

 

 フジが呑気にポケギアに視線を落としている。バシャーモが足に点火させ蹴りを放つ。サンダーが全身に青い電流の皮膜を張ってミュウツーへと攻撃を放った。

 

 だが、双方共に共通していたのはミュウツーに届く前に霧散させられた事だ。バシャーモの蹴りは制止させられ、稲妻はミュウツーの頭上で弾けて周囲を焼いた。

 

「ミュウツー。例の奴を試そう」

 

(私としては大変、不本意ではあるが)

 

「そう言うなよ。サンダーは揃えておくべき一角だ。それに君だって戦い続けられるわけじゃない。戦闘中断、致し方ないね」

 

「貴公! 私を前にして嘗めた真似を……!」

 

 怒りを滲ませたチアキの声に、「その他大勢は黙っていてくれないか?」とフジは指を立てた。するとバシャーモの身体がねじられ不恰好に空を掻く形で転げ落ちる。たった一撃だ。バシャーモを無効化するのにそれ以上は必要ないとでも言うようだった。バシャーモが呻き声を上げる。青い光が背骨に比重をかけていた。

 

「さて、次はサンダーだ」

 

 フジがサンダーを仰ぐ。サンダーから青い稲光が放射されるがそれらはフジとミュウツーを貫く前に弾け飛んだ。ミュウツーの肩にあてられた装甲が開き、内部から何かが現れる。それは黒いモンスターボールだった。新型モンスターボールに形状は酷似しているが、生物的な意匠がある。そのモンスターボールはあろう事か自立的に機動した。ふわりと浮き上がり、三つほどがサンダーへと飛んでいく。

 

「何これ……」

 

 カミツレが困惑する。ボールはサンダーを取り囲んだ。カミツレが手を薙ぐと電撃がボールを破壊しようとする。だがボールには意思が宿ったようにするりとかわすとサンダーへと体当たりをかけてきた。サンダーは一個目をかわすが二個目と三個目が同時に強襲をかける。サンダーの身体に掠めただけだった。ヤナギには少なくともそう見えた。それだけだというのに、赤い光がサンダーに放射させられるとサンダーは黒いモンスターボールの中に吸収された。

 

 カミツレはサンダーを失い空中で姿勢を崩す。ヤナギは咄嗟にキュレムに命じた。氷柱がカミツレを受け止める。彼女は失神していた。

 

「何を……」

 

「これで伝説の一角はボクの手に」

 

 黒いモンスターボールはミュウツーの肩装甲へと入っていく。ヤナギは、「逃がすと思っているのか」と声を投げる。

 

「そうだね。でもさ、今のコールドフレアで倒せなかったんだから引き際は潔いほうがいいと思うな」

 

 フジの言葉にヤナギは歯噛みする。ここでミュウツーを止める事は出来ない。この場で最大戦力であるキュレムをもってしても不可能であった事が誰に可能だというのだろう。

 

「ヘキサの連中も、ボクを追おうなんて思わないほうがいい。ミュウツーは無敵だ。それにこれも警告だが、オーキド・ユキナリ君はもう帰ってこないよ。その辺もボクらに干渉しないでもらえるかな。後は、ボクらの問題だ」

 

 ミュウツーとフジが「テレポート」で消えようとする。ヤナギは最後の足掻きに氷柱を一斉にミュウツーとフジへと突き立てた。しかしそれらは虚しく空を穿っただけで、後には何も残らなかった。

 

「逃がした……」

 

 チアキの声にようやくヤナギは現実認識が追いついてくる。先ほどまでメガゲンガーが支配していた街は破砕され、凄惨を極めたものだった。焦土と瓦礫の広がる大地を眺め、ヤナギは舌打ちを漏らした。

 



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第百三十八話「その先の未来」

 

 全く動けなかった。

 

 アデクは己の不実を呪うように空を仰いだ。憎々しいほどの晴天が先ほどまでの熾烈な戦いを忘れているようだった。だが、忘れ難いものとしてその証拠は屹立している。瓦礫の山と焼き尽くされた大地。アデクは動くべきだった。キュレムと呼ばれるポケモンとそれを操るヤナギ。彼に因縁があろうとも、補佐するべきだったのだ。だが現実はどうだ。現れたミュウツーと呼ばれる人型のポケモンに恐れを成し、叫ぶ事も喚く事も叶わず、ただ傍観していた。狂人になる事も出来ないアデクはただその実力を持て余すだけだった。

 

「何が、何が優勝候補じゃ!」

 

 吐き捨ててアデクは顔を伏せる。いざという時に行動も起こせなかった。拳で焼けた地面を殴りつける。血が滲んだ。不意に影が差す。顔を上げるとヤナギが自分を見下ろしていた。

 

「……何の用じゃ」

 

 覚えず顔を背ける。ヤナギは、「お互いに大変だな」と呟き手を差し出した。「いらん」と突っぱねて立ち上がる。

 

「オレを嗤いに来たのか?」

 

 そのような性根の人間ではない事は先ほどミュウツーとフジに立ち向かった事から明らかだろうに、自分にはそのような言葉しか持ち合わせていなかった。ヤナギは、「あんたがこの状況から逃げ出すようなら」と口にする。

 

「嗤おう」

 

「じゃあ逃げられんな」

 

 アデクはヤナギを見やる。ヤナギには張り詰めた敵意はない。既に私怨で動く領域を超えている事は彼にも自明の理なのだろう。

 

「オーキド・ユキナリは帰ってこないと、あのフジとか言う男は言っていた」

 

「そうか。ユキナリが」

 

 あの瞬間。月を開こうとした扉。オノノクスはポケモンという枠を飛び越え、何かを巻き起こそうとしていた。それが何なのかはアデクには見当もつかない。ただエリカの言い含めていたオノノクスの危険性だけが今さらに頭に湧いてきていた。

 

「オノノクスが、ユキナリの何かを引き出したのか」

 

「俺は、オーキド・ユキナリに関するある情報を持っている」

 

 ヤナギの言葉にアデクはこの少年がただ無意味に自分に話しかけたわけではない事を悟った。もっとも、彼からしてみれば意味のない会話ほど興味をそそられないのだろうが。

 

「話してみい」

 

 アデクが促すとヤナギは、「歩きながらにしよう」と提案する。頷き、アデクは改めてセキチクシティの惨状を視界に入れた。

 

「酷いもんじゃの」

 

「これを、オーキド・ユキナリがやった」

 

「お前さんも一枚噛んだみたいなもんじゃろ」

 

「コールドフレアはほとんど掻き消されたようなものだ。俺もキュレムも、まだあれを使いこなせていない」

 

 ヤナギは拳を握り締めている。立ち向かってみて自分との差が歴然である事を感じ取ったのだろう。ヤナギほどのトレーナーが敗北を噛み締める瞬間とは、とアデクは益のない思考に身を任せた。今まで直進的な考え方しかしてこなかった自分がここに来て立ち止まっているのはユキナリに負けたからか。それとも、届かない事を痛感させられたからか。

 

「そうか……」

 

 アデクの煮え切らない口調に、「らしくないな」とヤナギは返す。

 

「俺を、自分の身を挺してでも止めようとした男の口調だとは思えない」

 

 アデクは口元に笑みを刻む。

 

「お前さんらが思っているほど、オレは強くなかった、と言う事じゃの」

 

 ウルガモスで戦えなかった。指示を飛ばす事も、無謀な戦果を期待させる事も出来なかった。

 

 ミュウツー。あのポケモンの前では全てが無意味に感じられた。トレーナーとしての直感が告げる。お前はここまでだと。

 

「腐っても優勝候補だな。自分を客観視している」

 

 ヤナギの言葉は皮肉めいていたがこの少年の性分なのだろう。アデクは、「そうでもない」と首を振った。

 

「たった一つの事で仲違いしてしまった。オレは、もう合わせる顔もない」

 

 恋しなければよかったのか。ユキナリとナツキの気持ちを知っておいて、横やりを入れるような真似をしなければ、自分と彼らとの関係に一線を引ければよかったのか。それほど賢しくはない自分を鑑みて、どうせ無理だとアデクは感じる。

 

「今生の別れのような言い草だな」

 

 だからか、ヤナギの言葉が意外に聞こえた。まるで希望があるかのような声音だった。

 

「何か、手がある言うのか?」

 

「まだない。これから模索する」

 

 だがその口調には諦観がない。ミュウツーに勝つ、あるいはフジの鼻を明かす手段でもあるかのようだ。

 

「お前さん、意外じゃな。そんなに熱い奴じゃったか?」

 

「凍傷ってのは悪化すれば熱いものなんだ。紙一重さ。冷たさも熱さも」

 

 ヤナギの声は自分を励ますものだとアデクは気づいた。この段になって孤独を極めていたようなこの少年は誰かを必要としている。そのための、不器用な言葉の一つだった。

 

「お前さんには不思議なカリスマがあるからのう」

 

「カリスマ? 俺にはそんなもの」

 

「そうじゃなければ、仲間が二人もついて来んじゃろ」

 

 アデクの言葉にヤナギは足を止めた。振り返るとチアキが佇んでいる。黒い着物が煤けた風に揺らめいた。

 

「カミツレは?」

 

「命に別状はない。ただサンダーを手離した手前、手持ちを再申請するのに時間はかかりそうだ」

 

「そうか。お前らは怪我人の手当てと後処理を頼む。ジムリーダー崩れなら、そういう面倒は背負ってくれ」

 

「簡単に言ってくれる」

 

 チアキは身を翻す。ヤナギも再び歩き出した。

 

「何だかんだで、お前さんもユキナリと似ておるな」

 

「俺がオーキド・ユキナリと? 冗談はよせ」

 

 ヤナギは本気でユキナリを嫌悪している反面、どこかでユキナリを認めている節もあった。アデクは尋ねる。

 

「お前さん、主にキクコの事でユキナリと争っておったな。キクコとはどういう仲じゃった?」

 

「幼馴染だ。俺は、キクコの世界の全てだったし、キクコも俺の世界の全てだった」

 

 短い言葉だったがそれだけに意思が集約されていた。世界の全て。何もかもを敵に回してもいいと思えるほど大切な存在だったという事なのだろう。

 

「……なるほどな。オレも大切なもんを傷つけられてユキナリを恨んだ。それが結果的にこの事態を招いたとも言えん」

 

 怨念返しが世界を歪める。アデクは後悔し始めていたが、「後悔したところで前には進めない」とヤナギは告げた。

 

「俺達は、この惨状を伝える必要がある」

 

「だが街同士の通信網は生きているかどうか……。それに、広域通信は場所が限られておるし」

 

「お前らのバックにニシノモリ博士がいるはずだ。そいつを利用する」

 

 不意に出た博士の名前にアデクは息を呑む。

 

「博士を、どうする気なんじゃ」

 

「演説を行う。このポケモンリーグが、ただ王を決めるなんていう競技じゃないって事を世界に知らしめる」

 

 思わぬ言葉だった。アデクが足を止める。

 

「それは……ポケモンリーグを中断する、って事か」

 

「他に何がある? 安心しろ。連中を排除すればまた出来るさ」

 

「そんな悠長な……。オレ達はこの大会に命賭けとるんやぞ!」

 

 少なくとも送り出してくれた故郷の人々の期待がある。アデクは自分のためだけに王を目指しているわけではない。ヤナギは肩越しの一瞥を向け、「ではどうする?」と問いかけた。

 

「世界と一地方の玉座を天秤にかけて、一時の栄華をよしとするか? オノノクスが開きかけた扉、あれは玉座がどうとか言っている次元じゃないんだぞ」

 

 ヤナギはその事に関して情報を持っているようだった。アデクは問い質す。

 

「オノノクスは、何をしようとしていた?」

 

「世界を終わらせようとしていたんだ」

 

 突飛な言葉にアデクは理解が追いつかない。ヤナギは丁寧に言葉を継ぐ。

 

「正確には、四十年後に訪れるはずだった滅びが今に早められた、と言うべきか」

 

「四十年後……。何が起こるって言うんじゃ」

 

「お前には話しておこう。この世界の始まりと終わりの話だ」

 

 ヤナギは瓦礫を眺めながらぽつりぽつりと話し始めた。このカントーという地方がヘキサツールという歴史の盤面の上に乗っている事。そのために多くの血が流され、やがて滅びが訪れて全てを洗い流す事を。その中の特異点という言葉にアデクは着目した。

 

「その、特異点、って言うんはなんじゃ」

 

「俺にも詳しくは分からない。ただオーキド・ユキナリとロケット団の擁立するサカキ。この二人が歴史上で意味を持つ人間だという事だ」

 

「つまり、ユキナリを攫ったのはロケット団だと?」

 

「確証はないが、この状況で動くのはロケット団だろう。あのフジとか言う男もロケット団の意思で動いていたと見るべきか」

 

「だがな、ヤナギ。それにしちゃあいつは勝手そうだったぞ」

 

 ミュウツーほどの単騎戦力がトレーナー一人に任せられるはずがない。アデクの言葉に、「それは同意だ」とヤナギは頷いた。

 

「ロケット団内部でも分裂が起きているのか。確かめる方法はないが、俺はミュウツーとフジを追う事が、オーキド・ユキナリ奪還に繋がる事だと信じている」

 

 今までの話の流れからアデクはユキナリの奪還などヤナギは考えてもいないのだと思い込んでいた。その驚愕が顔に出ていたのだろう。ヤナギは、「借りは返すだけだ」と呟く。

 

「それに、キクコも消えた。推し量るしかないが、キクコもオーキド・ユキナリと共に封印されたと見るべきだろう」

 

「あの、赤い鎖か」

 

 オノノクスの背中から突き刺さった赤い鎖。あれがオノノクスの行動を縛ったように見えた。ヤナギは、「情報不足だが」と前置きする。

 

「ミュウツーは覚醒するオノノクスを止めるために用意された駒だったとしたら? 俺にはミュウツーというポケモンの特殊性を疑わざるを得ない」

 

「特殊性、か」

 

 灰色の機械の甲冑を身に纏っているポケモンなど見た事がない。それに肩から飛び出したモンスターボールもそうだ。何もかもが自分達の知識では足りてない事を示していた。

 

「しかし特性も技構成も不明。タイプだって分からん。そんな相手とどう渡り合えば?」

 

「今は、ミュウツーを倒すという事よりも知る事だ。何のためのミュウツーなのか。フジは何を考えているのか。オノノクスをただ止めるだけならばあのまま放置してもよかった。あるいは無抵抗なオノノクスを殺しても何ら問題はない。思うに、オーキド・ユキナリの確保と我々から遠ざける事。これが相手の作戦目標だったのだろう」

 

 ヤナギの推理ではユキナリはそれほどまでに重要視されていた事になる。シルフビルの倒壊やロケット団に関わってきた過去から鑑みても相応の処置だがそれにしては引っかかる部分があった。

 

「どうして、ロケット団はユキナリを殺そうとせんかった?」

 

 それだけが疑問だ。たった一人の無名のトレーナー。始末したところで痛くも痒くもない。だというのに、このぬるま湯に浸けられたような待遇は疑問としか言いようがない

 

「俺も同感だな。ロケット団はオーキド・ユキナリをいつでも殺せたはずだ。そうしなかったのは、奴の覚醒を促す一派と、それを止める一派との確執があったのではないかと考えている」

 

「ロケット団内で内部分裂か」

 

 さもありなん、とアデクが考えていると、「あるいは」とヤナギはさらに推論を展開する。

 

「オーキド・ユキナリが目的ではなかった。いや、目的の一つに過ぎなかったとしたら」

 

 言わんとしている事が分からずアデクが首をひねる。

 

「アデク。今、バッジはあるか?」

 

 ヤナギの声にうろたえながらもアデクはバッジを取り出した。ヤナギも襟元に留めたバッジを見せ、「これで二つ」と告げる。

 

「レインボーバッジで三つ、後は、誰か所持しているか?」

 

「ナツキがブルーバッジを持っていたな」

 

「ならばそれを入れれば四つだ。ちょうど半分がこちらにあることになる」

 

 ヤナギは勝手に話を進めるのでアデクは困惑顔になった。

 

「どういう意味だ?」

 

「バッジには力がある」

 

 ヤナギは襟元に留めたバッジを外して掌に乗せる。まさかその力とやらを実践しようと言うのか。アデクがうろたえているとヤナギは掌にしばらく視線を落としてから首を横に振った。

 

「やはり、駄目か」

 

「何を試していたんじゃ?」

 

「バッジには効力がある」

 

 ヤナギはバッジ一つ一つを順繰りに見やった。

 

「たとえばゴールドバッジ。こいつには、レベル70までのポケモンを強制的に支配下に置く事が出来る」

 

 ヤナギが示した金箔を施されたバッジはそれそのものには何ら感じるものはない。ただのバッジに見えたが、ここで嘘を言う意味もない。

 

「そんなの、初耳だが……」

 

「公にはされていない事実だ。バッジを八つ集めた時、何かが起こる。そう仮定して間違いはないだろう」

 

「そういや、会見の時にバッジは八つかどうか執拗に聞いていた記者がいたな」

 

「あれはヘキサの手のものだ」

 

 するりとヤナギが発した言葉にアデクは目を見開く。ヤナギは、「安心しろ」と言い含める。

 

「俺はそいつよりも高次の命令権を有している。もし、そいつが反抗したとしてもキュレムならば負ける気はしないな」

 

 アデクはヤナギの言葉に眉をひそめた。

 

「自信過剰なのはいいが、そのキュレムというポケモン、本当に当てになるんじゃろうな」

 

「優勝候補としては随分と弱気な発言だ」

 

 弱気にもなる。先ほど、ミュウツーを前に一歩も動けなかった自分を顧みれば。アデクの無言にヤナギは感じ取るものがあったのか、「俺が知る限りでは」と続ける。

 

「キュレムは氷タイプを専門とする俺の戦い方に馴染んでいる。こいつ自身も、俺に合わせようという気なのさ。そう考えると、伝説とはいえ随分と殊勝じゃないか。まぁ、ボールの力かもしれないが」

 

 ヤナギの持つモンスターボールは現行のものとはかけ離れていた。黒を基調としており「H」の文字が刻まれている。

 

「そのボールは?」

 

「ハンサムが遺してくれたものだ。あれは結果的に器ではなかったが、便利なものを遺してくれたよ。組織と力を」

 

 ヤナギは拳を握り締める。それをもってして、ユキナリとキクコを取り戻そうというのだろう。あるいは自分の失ったもの全てを。その傲慢さでさえ、この少年からしてみれば糧になる。前に進むためには綺麗事を並べ立てる性格ではない。アデクは口にこそ出さなかったがユキナリとは正反対だと感じた。

 

「財力ならばある。戦力もな。後は進むか停滞するかを決めるだけの話だ。アデク、お前はどうする?」

 

 急に話を振られアデクは戸惑う。「オレ、か……?」と声に出してしまった。

 

「優勝候補だ。このまま旅を続けるもよし。このセキチクであった事は恐らくすぐにはニュースにならないだろう。その間のもみ消しくらいならば手伝おう。俺達はあくまでヘキサという組織の一単位として動いている。お前がセキエイを目指すならば止めはしない」

 

 ヤナギは瓦礫の一つに座り込んだ。アデクを見据え、「決めろ」と告げる。命令口調だが、その決定権はアデクにあった。このまま旅を続けられる。何も知らぬまま、それを装って、優勝を目指す事も出来るだろう。ポイント上でも自分は優位だ。

 

「ポイントにこだわるのならば、俺はお前を支援する。その代わりレインボーバッジは渡してもらう。バッジには秘密があるはずだ。バッジ分の固有シンボルポイントくらいならば俺が払おう」

 

「どうして、そんなに出来るんじゃ」

 

 アデクにはヤナギがどうしてそこまで必死になれるのかを知りたかった。ユキナリの事を嫌っていたはずだ。憎悪さえしていた。だというのに、ここで足を止め、ロケット団と戦おうとしている。その中心軸にはユキナリ奪還は必ず絡んでくる事象だ。ヤナギは、それこそ自分よりも玉座にかけるものがあるのではないのか。いくらキクコも同様に行方不明だからと言ってそこまで出来るのか、と怪訝そうにする。ヤナギは、「俺がそこまでする義理はない、と感じているのならば」と顔を焦土と化した大地に向ける。

 

「それは間違いだ。真実は、知ってしまったのならば全うする義務がある。力は、持ってしまったのならば然るべき使い方を学ばねばならない。俺は玉座に収まる。だというのならば、些事だと投げる事は出来ないな。オーキド・ユキナリは俺が殺す。そのために、キクコが犠牲になる事はない。俺は、正直なところ、まだオーキド・ユキナリを憎んでいる。だがな、憎しみが簡単に切り離せないように、愛情もまた簡単に切り離せないものだ」

 

「愛……」

 

 ヤナギの口から出た言葉にアデクは狼狽する。それほどまでにヤナギはキクコを求めていたのだろう。このままで終わらせてなるものか。ヤナギの中の義憤の炎を感じ取り、アデクは腹を決めた。

 

「バッジは渡そう」

 

「そうか」

 

 レインボーバッジをヤナギへと手渡し、アデクは心に決めた言葉を発した。

 

「だが、オレはお前さんらを手伝うぞ」

 

 ヤナギは眉を上げて、「いいのか?」と問いかける。

 

「俺がお前ならば、優勝を狙ったほうが賢いと感じるが」

 

「なに、オレもまたユキナリを完全には嫌えんかったっていう事じゃ」

 

 たとえ恋敵だとしても。アデクの言葉にヤナギは口元に笑みを浮かべる。

 

「馬鹿をしている、という自覚は」

 

「ある。あるからこそ、賭けられる。知っておるか? 男ってのは馬鹿なほど、傾けられるエネルギーは強いんじゃと」

 

 アデクの声にヤナギは、「重々、承知しているよ」と立ち上がった。彼の目線の先には崩壊したセキチクシティが映っているのではないのだろう。その先の未来を見据えているに違いなかった。

 



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第百三十九話「戦場の女神」

 

 煤けた風がカーテンから吹き込んできて、看護婦が慌てて窓を閉めた。その様子を右目の視界に収めながら、「あの」と声をかける。

 

「今、何時ですか?」

 

 ポケギアを取り上げられてしまったので何時かも分からない。看護婦は腕時計を見やり、「ちょうど夕刻ですね」と告げた。

 

「四時過ぎ。カーテンは、もう閉めましょう」

 

 だが看護婦とて先ほどの動乱を知らないはずがないのだ。分かっていて患者である自分を気にかけている。いい人だ、と感じてから声を発した。

 

「あたし、何かやらなくっちゃいけない事があると思うんです」

 

 その独白に看護婦は、「今は」と優しい声をかけた。

 

「安静にしている事が、やるべき事だと思いますよ、ナツキさん」

 

 名前を呼ばれナツキは自分の顔の左側に手をやる。「ばい菌が入りますから」と看護婦が制したが、包帯が巻かれている自分の容態は理解していた。

 

「峠は越えましたけれど、まだどんな症状が出るか分かりません。毒タイプの攻撃です。皮膚程度で留まるかどうかも」

 

 ナツキはベッドの上に横たえた拳を握り締める。こんな時に、何も出来ない。無力感が全身を包んでいき、感覚の失せた左目が余計に空虚を強調する。

 

「……あたし、こんな場所で終わりたくないんです」

 

 看護婦は癇癪を起こしたと思ったのかナツキの背中を優しくさすり、「今は耐える時ですよ」と口にする。

 

「焦ったって仕方ないです。情報網も復帰していませんし、セキチクは事実上、陸の孤島みたいなものなんです。こんな状態でどこにも行けるわけ――」

 

「行けるとしたらどうする?」

 

 突然挟み込まれた声にナツキが視線を振り向ける。病室の前に立っていたのは因縁の影だった。

 

「あなた、どうしてこんな場所に」

 

「オーキド・ユキナリと一緒にいた奴だな」

 

 冷徹なその声にナツキはすぐさま敵を見る目を向けた。

 

「確か、ヤナギとか言う……」

 

「無様な姿だ」

 

 ヤナギはナツキの姿を見るなり鼻を鳴らした。看護婦が止めに入る。

 

「ちょっと! あなた、患者の心の事も考えて――」

 

「心の事を考えていつまでもぬるま湯のような言葉を浴びせ続けるか? それでは緩やかに死ぬだけだ」

 

 ヤナギの言葉のあまりの冷たさに看護婦は言葉をなくした様子だった。ヤナギは無遠慮に病室に入り、「状況を伝えよう」と声にした。

 

「オーキド・ユキナリは特異点として覚醒。キクコを伴い、覚醒状態のオノノクスは破滅の扉を開こうとした」

 

 看護婦が、「はぁ?」と理解出来ない声を上げる。ナツキも同意見だったがユキナリの名前に反応する。

 

「ユキナリは……」

 

「行方不明だ」

 

 その口調がこの動乱の中心にユキナリがいるのだと直感させた。ナツキは、「何があったって言うの?」と聞き出そうとする。看護婦が、「今は」と止めに入ろうとするのをヤナギが強い口調で遮った。

 

「今は、今は、だと? だったらいつだ? 俺は、伝えるべき人間に今も明日もない、決断は誰にでも平等に訪れるものだと感じている」

 

 ヤナギは自分の感情を尊重しているのだ。ナツキは、「あの、看護婦さん」と声を出す。

 

「少しだけ、彼と二人で話させてもらえますか?」

 

 看護婦は狼狽したが患者の頼みとなれば仕方がないのだろう。「出来るだけ手短に」とだけ言い置いて病室を出て行った。

 

「手短に、か。皮肉が利いているな」

 

 ヤナギが一笑に付す。ナツキは、「あんたが何でここにいるの」と問い質す。

 

「ユキナリを、殺しに来たわけ」

 

「察しがいいな。オーキド・ユキナリを殺す。そうだな。つい数時間前までは、その目的が最優先事項だった」

 

 ヤナギの口調に変化があったのだとナツキは感じ取る。ユキナリをひっくるめて、何かが起こった。だからヤナギが自分と話をしている。

 

「今は、そうじゃないっての」

 

「今は、か。長期的な視点に立てば、当面は、と言うべきか」

 

「あんた、ユキナリをいやに敵視していた。ユキナリもあんたの事は調べていたはず。それなのにあたし達には何一つ言わなかった」

 

「オーキド・ユキナリは随分とぬるかったらしい。俺を確実に殺したくば情報を共有するのが早いだろうに」

 

「ユキナリは、あんたを殺したくなんてなかったって事よ」

 

 ナツキはシーツを握り締める。ユキナリの思いをヤナギは踏み躙っているような気がしたのだ。ヤナギは悪びれる様子もなく、「殺したければ手段は選ぶ必要はない」と告げる。

 

「その点で言えば、オーキド・ユキナリはとんだ三流だ」

 

 思わずナツキはヤナギの胸元を掴み上げていた。ヤナギはそんなナツキを冷ややかに眺めている。

 

「……ユキナリを馬鹿にしないで」

 

 身のうちから発した声にヤナギは、「なるほどな」と呟いた。

 

「アデクの言った通りか」

 

「アデク、さん……」

 

 その名前に力が抜けていくのが感じられた。ヤナギは手を振り払い、「アデクから前もってお前達の状況は聞いておいた」と言う。

 

「オーキド・ユキナリとキクコ。それにアデクとお前。複雑な関係だったらしいな」

 

 複雑な関係。そのような安直な言葉に換言されるものではない、と言い返したかったがナツキにはそれを返すだけの言葉もなかった。代わりのように無力感に苛まれていく。自分がもっと器用ならば、二人を傷つけずに済んだのに。

 

「アデクはお前がジムで怪我を負った事をオーキド・ユキナリに責め立て、勝負を挑んだが敗北。そのせいで関係は悪化。お前は生死を彷徨った」

 

「だから何? あたし達が馬鹿だったって言いたいの?」

 

 勝手に自分達の恋愛の渦に巻き込んで、何もかもを無茶苦茶にした。穏便に、全員で旅を終われたかもしれないのに、自分の勝手が招いた最悪の事態だ。ヤナギはため息をつき、「俺はお前らの色恋沙汰には興味がない」と切り捨てる。

 

「ただ状況を報せるべきだと感じたまでだ。お前も戦闘単位としては惜しいからな」

 

「戦闘単位……」

 

 ヤナギは、「二度も三度も同じ話をするのは好きじゃない」と前置きしてから話し始めた。キュレムというポケモンを伴ってユキナリを殺しにセキチクまで来た事。その時には暴走したゲンガーがこの街を覆っていた事。ユキナリは、メガゲンガーを下した代償にオノノクスに取り込まれた事、大きくはその三つだ。

 

「何で、ユキナリがそんな事……」

 

「思い当たる節があるはずだが。お前らは、今までもオーキド・ユキナリの異常なポケモンとの同調関係を知っていたはずだ」

 

 ナツキの脳裏にオツキミ山での一件やポケモンタワーでの戦闘が思い起こされる。キバゴがオノンドに進化した時、ワイルド状態から脱した時、ユキナリは信じられないほどのパワーを発揮した。

 

「でも、そんなのが仕組まれていた事だなんて」

 

「特異点。ヘキサやネメシス、ロケット団はそう呼称している」

 

「特異点……。ユキナリがそれだって言うの?」

 

「特異点は、この次元で何か歴史に残る大事を成す人間を大雑把に呼称したものに過ぎない。オーキド・ユキナリとロケット団の擁立するトレーナー、サカキ。この二人だ。何を成すのかまでの説明は省くが、この二人がこの次元において重要な役割である事は伝えておく」

 

 ユキナリがそのような大それた存在であるなど信じられなかったが、数々の事象がそれを裏付けている。皮肉な事に今までナツキの見てきたユキナリの姿こそ、その異常な状況を説明するのに一役買っていた。

 

「じゃあ、ユキナリは特異点だから、オノノクスと同調して、メガゲンガーを倒せた……」

 

「それもただ倒したんじゃない。中にいたキクコを取り込み、破滅への扉を開いた。本来ならば四十年後に訪れる事象だ」

 

 ヤナギの言葉は先ほどから突飛だが声音にはいささかの誇張もない。全て、事実だけを述べている様子だ。

 

「あんたは、どうする気なの」

 

 そのような危険な要素を含むユキナリを抹殺するのか。その問いにヤナギは、「まずは確保だ」と告げる。

 

「処遇はその後。オーキド・ユキナリは今、敵の手にある」

 

「敵……。ロケット団と考えていいのよね?」

 

「あのフジとか言う男はそうは言わなかったが今の状況で動けるのはロケット団だろう。ネメシス側に動きがないとも限らないが、それならば俺も知っている人間が動くはず。フジは完全なイレギュラーだ」

 

 そのイレギュラーがユキナリを攫った。そう考えていいのだろうか。しかし、何よりもそのような情報を話す意図が伝わらなかった。自分になど黙っていればいい。

 

「何で、あたしに言うの?」

 

 ナツキは左目のあった場所をさすった。自傷防止のため、指先は包帯で丸められている。

 

「あんた、知っているんでしょう?」

 

 その言葉に全てが集約されていた。ヤナギは息をついて、「ああ」と頷く。

 

「お前は、もう長くないな」

 

 知っていて自分に話しているのだ。ナツキは右目から熱いものが伝うのを感じた。

 

「毒が脳に回ったらお終い。そうでなくとも奇跡的に繋ぎ止めた命。いつ終わってもおかしくはないって言われている。左目の利かないトレーナーなんて、もう無理よ。トレーナーとしては失格の烙印を押されたも同然。そんなあたしに、どうやって生きろって言うのよ!」

 

 いつの間にか責め立てる口調になっていた。慟哭するナツキにヤナギは、「言ったはずだ」と冷静に返す。

 

「戦闘単位として用があると。お前がトレーナーとして有益だから話を持ちかけている」

 

「何を今さら! あたしなんて、もう通用しないのに!」

 

 自分でも戦えない事は痛感している。この病院で、あるいは故郷のマサラタウンで緩やかに死を待つだけだとも。ヤナギはしかし、慰める言葉も否定する言葉も吐かなかった。

 

「死を受け入れるのならばそれでいい。そのような木偶に、俺は用がないからな。だが木偶人形にしては、お前の眼には光がある。それを見込んだのだが、見込み違いだったか」

 

 ヤナギは身を翻す。ナツキはヤナギの言葉に、「待って」と声をかけていた。ヤナギは足を止める。

 

「俺は助けない」

 

 その言葉が射る鋭さを伴ってナツキに突き刺さった。ヤナギは迷うまでもなく、「当然だろう」と言い捨てる。

 

「誰も助けてはくれない。窮地に現れるヒーローなど存在しない。誰だって、最後に頼れるのは自分自身だ。どのような判断を下すのであれ、自分の判断ならば納得が出来る。自分ならば、最後の最後であろうと足掻き、絶望せずに立ち向かったという自負を持てる。誰かに希望を託すのは弱者の内だ。希望は、本来、自分で掴み取らねばならない」

 

 ヤナギの言葉は冷たいが真理だ。特に今のナツキにとっては。このまま誰かの助けなしに生きられない身体として生き永らえるか。それとも、死と隣り合わせでありながらも、充足した生を望むか。

 

 ナツキは拳で膝頭を叩いた。点火するように熱が篭る。足で立とうとすると何度かよろめいた。本来ならば脚を動かす機構がいかれてしまっているのだ。当然、動かそうとする神経は空回りするばかりで見当違いの方向に力が入ってしまう。そのせいでナツキは前のめりに転がった。ヤナギは肩越しに視線を振り向けもしない。ずっと背中を向けている。まるでついて来られるかとでも言うように。

 

「……ついて来られるか、じゃない」

 

 ナツキは這いながらも立ち上がろうとする。今のヤナギを納得させるのには這い進むのでは駄目だ。血反吐を吐いてでも足で進むだけの気力。それが自分には求められている。

 

 ヤナギは振り返りもしない。その肩に手を置き、思い切りぶん殴ってやる。ナツキはそれだけを気力の支えにして立ち上がろうとするが、当然の如く足は思うように立ってくれない。よろめき、倒れそうになりながらもナツキは頭を振った。

 

 ――決して、諦めてなるものか。

 

 ヤナギを前にそれだけの気概はあった。ユキナリはヤナギとの戦いの最中、諦めたか。否、ユキナリはいつだって前を向いてきた。自分達の指針として、誰よりも無謀を通そうとした。本来ならば争いなど好まない、穏やかな少年であるはずなのに。ユキナリは誰よりも勇気を持って立ち向かった。その背中を見てきたのならば、今度は自分の番だ。

 

 一度目は無様に倒れ伏した。だが手をついて立ち上がろうとする。二度目は眩暈がして膝をついた。どうやら過度の集中は毒のようだ。それでも、今立ち上がらなければどうする。自分を奮い立たせ、ナツキは獣のように吼える。汗が床に伝い落ち、ナツキはヤナギへと一歩目を踏み出した。リノリウムの床で滑り、転げそうになる。だが、一線で持ち堪えた。その肩へと手を伸ばす。呼吸が荒い。心臓が早鐘を打っている。無駄だ、やめろ、と告げる脳細胞へと、うるさい、と罵声を浴びせた。

 

「……今は、あたしが立ち上がろうとしている」

 

 脳がクラッシュしても構わない。この一瞬のためならば命を賭そう。焼け焦げそうな意識の中、ナツキはヤナギの肩へと手をかけた。その時、ようやくヤナギが肩越しに振り返る。まるで、いたのか、とでも言うような目つきだった。

 

「俺を振り返らせるとは。だが、今はそれが精一杯、というところか」

 

 拳を振り上げる。だが、力が入らず肩を落とした。ナツキが倒れ込もうとするのをヤナギが支える。

 

「合格だ。これならば戦闘単位としては申し分ない」

 

 ナツキは荒い息をつきながら、「馬鹿に、してるんじゃ、ないわよ」と言い返す。

 

「いい? あんたがあたしを使うんじゃない。あたしがあんたを使うのよ」

 

 指差して放った言葉にヤナギは、「上等」と口元を緩めた。

 

「それほどの気概がなくっては面白くない。お前を認めてやろう、ナツキ。実はもう、話は通してある」

 

 ヤナギが呼ぶと暗がりから現れたのはナタネだった。どうして、と声にする前に、「ナツキちゃん」とナタネはヤナギの手から自分を引っ手繰った。

 

「支えていただけだ」

 

「肩に手をかけるまでは何も手出しするなって、言われていてさ。ゴメンね。辛かったでしょう」

 

 ナタネはナツキの額にかかった髪の毛と汗を拭う。ナツキは頭を振った。

 

「いえ、これくらい出来なきゃ、戦えませんから」

 

「その通り」

 

 ヤナギが自分達へと歩み寄る。

 

「ナツキ、お前のポケモンはハッサムへと進化していたのだったな」

 

「それが、どうかして――」

 

「ハッサムには先がある」

 

 その言葉にナツキは息を呑んだ。ヤナギは、「そうだな、ナタネ」と声をかける。ナタネは髪をかき上げた。

 

「そうだよ。ナツキちゃん、落ち着いて聞いてね。ハッサムには先がある」

 

 ナタネは自分をベッドに座らせて目線を同じにして説明した。

 

「どういう……」

 

「進化を超える進化。メガシンカの洗礼を受ける資格があるという事だ」

 

「メガ、シンカ……」

 

 聞いた事のない言葉に、「無理もないよ」とナタネは首を横に振った。

 

「これはまだ一部の学会でしか取り上げられていない事柄だからね。ナツキちゃんが持っていた石」

 

 そういえばナツキはナタネに石を手渡した事を思い出す。あの時は本当に生死の境でほとんど意識も朦朧だったが。

 

「あの石が?」

 

「メガストーン。メガシンカに必要な要素の一つ。もう一つは」

 

 ナタネがかき上げた髪の毛の合間から耳が覗いていた。ピアスが嵌められており、丸い石が輝いている。

 

「キーストーン。トレーナー側が持っている必要のある石。これら二つが同調状態にある時、メガシンカは訪れる」

 

「同調、って」

 

「ユキナリ君を思い出すといいよ」

 

 ナタネはナツキに分かりやすいよう、噛み砕いて説明した。ユキナリの今までの様子。それは同調に近いのだという。

 

「ポケモンと人間の垣根が崩れた時、それがメガシンカの兆候。でも同時に、それは危険な状態でもあるんだ。ポケモンのダメージがそのままトレーナーに与えられるからね」

 

 その段になってナツキはナタネの身体に複数の傷痕がある事を発見した。火傷のように引きつった皮膚に、「これもその一つ」とナタネが言う。

 

「あたしはハッサムと同調し、メガハッサムとしてジムを制そうとした。でも途中で限界が訪れた。その時、キクコちゃんが来て、あたしとハッサムのエネルギーを全て吸収し、メガゲンガーとなった」

 

「キクコちゃんは? どうなったの?」

 

「オーキド・ユキナリと共に行方不明だ」

 

 ヤナギが発した言葉にナツキは、「そんな……」と声を詰まらせる。自分の下から親しい人間が二人も消えてしまったなんて。

 

「それを取り戻すために、メガシンカは必要なカードとなる」

 

 ヤナギの言葉に、「どういう意味?」とナツキは問い返す。ヤナギは、「ほう」と感嘆の息を漏らした。

 

「何よ」

 

「さっきまでの怯えた獲物の目ではないな。獣の眼光だ」

 

「女の子を褒める言葉じゃないわね」

 

 ナツキは舌鋒鋭く言い返す。先ほどまで自分を抑えていたたがが外れたような気がした。汗も随分と引いてきている。

 

「メガシンカは誰にでも扱えるわけじゃない。あたしが使えたのはマスターにその方法の表層を教わっていたから。ハッサムが何よりも主人の仇を討ちたいと思っていたから。だから」

 

 ナタネはピアスを外し、ナツキへと手渡す。それと共にモンスターボールをナツキに握らせた。ボール越しでも分かる。ハッサムがいる。

 

「真の主人が扱うのが、相応しいんだとあたしは思っている」

 

「あたしが、メガシンカを使う……?」

 

 にわかには信じられない事だったが、ナタネもヤナギも真剣そのものだった。

 

「メガシンカを使える人間は重要なキーになる。この先、もしオーキド・ユキナリの処遇を決める段になったら、少しくらいは発言権があるかもしれないな」

 

 ヤナギは試しているのだ。自分がその賭けのレートに登るかどうかを。ユキナリとキクコを救うためにはメガシンカを会得するしかない。ヤナギはユキナリを見捨てる算段かも知れない。そのような時、自分には力があれば出来る事は増えてくる。ナツキは拳をぎゅっと握り締める。

 

「やるわ。あたしが、メガシンカを使ってみせる」

 

「ナツキちゃん。キーストーンを、どこかに身につけないといけなくなるけれど」

 

「だったら、ここを使って」

 

 ナツキが示したのは左目だった。その挙動にナタネが息を呑む。ヤナギでさえ、それは予想外だと言うように目を見開いていた。

 

「左目に、義眼として埋め込めばいい。どうせ左は使い物にならないんならそうすればいい」

 

 ナツキの決心にナタネが、「急ぐ必要はないんだよ」と声をかける。

 

「義眼だなんて、そんな……。ナツキちゃん、これからの事も考えて――」

 

「考えています、ナタネさん。だからこそ、この決断をしたいんです」

 

 ナツキは左目を包帯の上からさする。感覚はないが、この目が使えないのならばその程度は構わなかった。何よりも自分の決意のため。自分の身体の権利くらいは自分で持っておきたい。

 

「ヤナギ。あんた、医者くらいは抱えているんでしょう? だったら、義眼の手配、二、三日中に出来るわよね?」

 

 ヤナギは口元に笑みを浮かべ、「俺を嘗めるな」と返す。

 

「半日中に手配しよう。ナツキ。言っておくが、もう戻れないぞ」

 

 その通告にもナツキはめげなかった。

 

「あんたこそ、あたしを安く買った事、後悔させてやる」

 

 喉笛に噛み付いてやる気迫で口にするとヤナギは、「それでこそ、戦闘単位だな」と減らず口を返す。

 

「医者はすぐ寄越そう。義眼技術程度ならばそう時間はかからないだろう」

 

「医者だけじゃないわ。メガシンカを試す相手。それも用意して」

 

「傲慢な女だ。だが、それも既に手配済みだ。俺の用意する相手が満足するように戦え。もう戦場でしか生きられないのならな」

 

 その言葉にナツキは迷いを捨てた。自分は戦士だ。決して一人の女で終わるつもりはない。その覚悟が胸を焼き焦がす。

 

「上等よ」

 

 ナツキの声にヤナギは満足気に鼻を鳴らした。

 



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第百四十話「世界に布告する」

 

 外に出るなり煤けた風が纏いつくようだった。

 

 キュレムとミュウツーの激突。それだけではない、オノノクスが誘発した破滅への扉。それによってセキチクシティは最早復興不可能な地域になっていた。病院から出るなりヤナギは息をつく。敵であった連中を説得するのは骨が折れる。だが、やらねばならない。そうでなくてはユキナリ奪還など不可能に近い。

 

「疲れているのか?」

 

 そう声をかけてきた影にヤナギは視線を振り向ける。黒い着物を纏ったチアキが瓦礫の大地を眺めている。

 

「少しな。オーキド・ユキナリを殺すつもりで来たというのに、その正反対の事をさせられていると疲れも溜まる」

 

「どうして、貴公が矢面に立つ?」

 

 チアキからしてみれば自分とユキナリの因縁は理解しているはずだ。そのために手に入れた力、キュレム。そしてヘキサという組織。

 

「俺が立たねば、誰も立たないだろう?」

 

 チアキもカミツレも前に立つような人柄ではない。こんな時にシロナがいてくれれば、と考える自分が恨めしい。あの時、別れは決定的だっただろうに。この世にはもういない人を期待しても仕方がなかった。

 

「それにしたところで、アデクとナツキだったか。あの二人を説得するとは思わなかった」

 

「意外か?」

 

 ヤナギは歩き出す。チアキは後ろからついてきながら、「少しな」と感想を漏らした。

 

「貴公は、誰にも与しないのが似合っていると思っていたが」

 

「だから誰にも与していないだろう。俺はヘキサですら利用する。ロケット団も邪魔だから排除の道を選んでいるだけだ。もし、ロケット団が有益ならばあいつらの考えを読み取って逆に動く」

 

 その言葉にチアキがフッと笑みを浮かべた。

 

「変わらないな。それでこそ、ついていく気になれるというものだが」

 

「チアキ。お前にはスパーリングをしてもらう。ナツキの、だ」

 

「ナツキ、ハッサム使いのトレーナーだな」

 

 面識があった事に驚きだったがヤナギは余計な事は言わず、「一日でも早く強くなってもらわねば」と返した。

 

「メガシンカを使ってもらう。ハッサムは鋼・虫タイプ。お前のバシャーモならば相性がいい。どちらにとってもいい相手になるだろう」

 

「……メガシンカ。眉唾物の理論だな」

 

 どうやら耳にした事くらいはあるようだ。ヤナギは、「眉唾でも使わなければ」と口にした。

 

「俺達は勝てない。あのフジやミュウツーに好き勝手させるわけにはいかないからな」

 

 フジを倒すには今のままでは駄目だ。メガシンカとそれを使えるだけの軍勢。そして、とヤナギはキュレムの入ったボールを手に取る。キュレムも今以上に使えるようにならなければ。

 

「野心を燃やすのは勝手だが、それについてくる人間がどれほどいるかは分からない。アデクやナツキが裏切らないとも限らないんだぞ」

 

「それでもいいさ」とヤナギは鼻を鳴らす。

 

「お前達がついて来るというのならな」

 

 ヤナギの言葉にチアキは一瞬だけ放心した様子だったが、やがて笑みを浮かべた。

 

「……まったく。貴公といると飽きないで済む」

 

「カミツレは?」

 

「ゼブライカを再び使えるように申請しているらしい。少しばかり時間を食うと言っていた。この有様だ、セキチクはほとんど外界の情報が遮断されたも同然だな」

 

 ヤナギは顎に手を添えて考え込む。この状況でまずするべき事。それはヘキサという組織を最大限まで活かす事だ。次に情報網が封鎖されている今を逆に利用する。情報を発信出来る人間が限られているという事は真実を知る機会のある人間もまた限られているという事だからだ。

 

「一番あってはならないのはロケット団に先を越される事。ミュウツーの動きとフジの発言から、奴らにとって目的は大きく二つあると考えていい」

 

 ヤナギが指を二本立てる。チアキは、「一つは」と口を開いた。

 

「特異点とやらの確保だな。オーキド・ユキナリとサカキの擁立からして、これは押さえるべき点だろう」

 

 戦闘専門のチアキですらそれは頭に入っている様子だ。しかしヤナギはこの状況ではもう一つの目的のほうが恐るべきだと考えていた。

 

「もう一つは、伝説の鳥ポケモンの奪取。シロナから聞かされた事がある。伝説の鳥ポケモンは三体存在し、それぞれファイヤー、サンダー、フリーザーであると」

 

「ミュウツーによってサンダーが捕獲された。あと二体」

 

 チアキが目を細める。その眼差しの向かう先には自分が全く歯の立たなかったミュウツーとフジがあるのだろう。

 

「俺の考えでは、相手は既に二体の居所を掴んでいる」

 

 ヤナギの言葉にチアキは顔を振り向けて、「まさか」と声にした。

 

「だったら、圧倒的不利なのはこちらなのではないか?」

 

 その通りである。こちらにはファイヤーとフリーザーの居所は分からない。サンダーは谷間の発電所まで移動したから捕獲出来たようなもの。ヘキサの情報網の使い方も理解していないヤナギでは人海戦術も使えない。

 

「ああ。だからこの可能性については捨てよう」

 

 ヤナギの提案が突飛だったからだろう。チアキは息を呑んだ様子だ。

 

「捨てる、だと」

 

「三体の伝説についてはこちらからの動きや接触、全ての情報と戦術を捨てる」

 

 その決断が理解出来ないのかチアキは、「しかし」と抗弁を発する。

 

「その三体をロケット団が必要としているという事は何らかの動きに使われるという事だぞ。もし、それが先ほどのような滅びの誘発だったとしたら」

 

 その時には誰も止められない。チアキの懸念は分かる。だからこそ、ヤナギは捨てる事を決断したのだ。

 

「いいか? 今、闇雲に手を伸ばしたところでどれも阻止出来るほど俺は楽観的じゃない。恐らくロケット団の企みを阻止出来たとしてせいぜい一つや二つ。ロケット団がいくつ策謀を伸ばしているのか知らないがミュウツーの一件や様々な事もある。俺達よりかは手数が多い。その中で、いつ実行されるのか分からない作戦を止めようとしたところで無駄足だ。ならば実行される可能性が限りなく近い情報に関してはあえて目を瞑る。物事には順序というものがあるはずだ。三体の伝説を揃える事が即座に滅びに繋がるとは考え辛いし、それにミュウツーとフジの行動がそうなってくると逆に作用する」

 

 そこでチアキも気づいたのだろう。フジはユキナリとオノノクスによる破滅の扉を阻止した。つまりロケット団、少なくともフジに関しては破滅の意図はないと考えるべきだろう。そのフジが率先して伝説を揃えている。破滅とは真逆の行動だと考える事が出来る。

 

「……だが、そうだとしても、フジとやらの男の行動には不気味さが際立つ」

 

「その通りだが、ロケット団にはあれを超える不気味な奴がいる。そいつを俺は警戒するべきだと考えている」

 

 シルフカンパニーで自分との提携関係を結んだ相手、キシベ・サトシ。あの男が生きているという保証はない。もしかしたらシルフビル倒壊の際に巻き込まれた可能性もある。だが、その程度の間抜けな輩ではないのだと直感が告げていた。キシベは生きている。生きて、手ぐすねを引いていると考えるべきだろう。

 

 チアキは不思議そうな顔をする。そういえばキシベとの面識はなかったか。

 

「私には、フジ、あれ以上の脅威はないように思えるが」

 

「用心に越した事はないと言うだけだ。ロケット団の戦力すらはかれていない俺達では、下手に動けば自滅する」

 

 その確信だけはある。下手を打てばやられるのはこちらだ。チアキは、「私はスパーリングの相手だけをすればいいのか?」と尋ねる。自分の補佐はいらないのか、という意味だろう。

 

「今は、一人でも戦闘単位が欲しい。そのためならば時間は惜しまない。チアキ、お前はナツキとナタネの二人を使えるようにしてくれ。カミツレは準備が出来次第、戦力に加えよう」

 

「貴公はどうする? キュレムを使いこなせてはないのだろう?」

 

 今のままでは、自分の身を自分で守る事が最も危ういのはヤナギだ。だがその程度を理解していない間抜けではない。

 

「キュレムには先がある。俺は、自分でそれを引き出す術を学ぼう。その前にヘキサとして、組織として動くべき場合に弊害となる事がいくつかある。その面をクリアしなければ」

 

 ヤナギの言葉にチアキは、「どこまでも前向きだな」と評した。ヤナギは顔を振り向ける。

 

「前向きじゃなければ、やっていけないさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕方のニュースを騒がせたのは一つのセンセーショナルな声明だった。その内容について後述されている資料を鑑みるにそれを犯行声明と取った警察団体が多かったようだ。翌日のタマムシ新聞社の発行する新聞の三面記事を飾ったのは「謎の組織現る!」という記事名だったが後にその記事は完全に「なかった事」にされた。他の資料を漁ってもその記事とそれに辿り着く事だけは出来ない。だが、一本のビデオテープが残っていた。そのテープを再生すると次のような事を一人の少年が口にしていた。

 

『勝手な事かもしれないが、放送をジャックさせてもらった。この放送を聞く、全てのカントーの民に告げる。第一回ポケモンリーグ。この大会はただの競技大会ではない。裏では多数の人々が死に、一つの街が地図から消えた。崩壊した街並みを撮影する事は出来ないので遠方の方々は理解出来ないかもしれないが聞いて欲しい。我々の組織の名前はヘキサ。そして俺の名前はカンザキ・ヤナギ。カンザキ執行官の息子である。俺はヘキサ首領としてカントーの人々に危険を伝えに来た。このままでは遠からず滅びが訪れる。世界終焉だ。このような事を言ったところで信じられないかもしれない。狂気の沙汰だと割り切るのも結構だ。だが、これがただの妄言だと切り捨てる事が出来るか? 既に事態はのっぴきならない状況へと転がり落ちており、我々の組織力をもってしても出来る事は少ない。だが、俺は一つだけ言いたい。この滅亡はカントーの興りより意図されていたものなのだ。歴史の矯正力と呼ばれるものが作用し、このカントーだけではない、全世界が四十年後には滅びるという。それを甘受していいのか? 俺は、運命は人々が、自分で切り拓くものだと信じている。力がなくても、戦えばそれを得られる。自分なりの答えを下に戦えばいい。その覚悟があるのならば、誰にでもなれる。ヘキサは市民の味方だ。先刻のシルフカンパニー倒壊事故だってそれに仕組まれていた事象だった。俺は決して屈しない。運命などこじ開けて見せる。その覚悟を、皆に問いかけたい。このまま滅びが訪れるのを待つか。行動を起こすかは、あなた方次第だ』

 

 ここでビデオテープは途切れている。だがこれも非公式のもので、結局、この発言と声明を裏付ける証拠は後年に至ってもなかった。

 



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第百四十一話「圧し掛かる現実」

 

「何だ、今のは……」

 

 カンザキは目を慄かせる。マサキがノート端末に映し出したのは自分の息子、ヤナギが何らかの声明をする様子だった。だが、そのような事カンザキは知らない。ヤグルマに襲撃されたかと思えば、自分はセキエイの中枢にいた。イブキとシロナ――どうしてだかカラシナと名乗っているが――とマサキ、それに仮面の秘書官と子供達がいる空間に自分は存在している。問い質す前にマサキが見つけた動画は自分の視線を釘付けにした。

 

「どうしてヤナギが……息子が、こんな事をしているんだ!」

 

 取り乱したカンザキにカラシナが、「落ち着いてください」と声を振りかける。だが、彼女とて戸惑いの胸中があるのは表情を見れば分かった。この中で落ち着いているのはマサキと仮面の秘書官くらいだ。

 

「ヤナギ君、どうしたんだろうね」

 

 仮面の子供の一人が画面を見つめて呟いた。彼らとヤナギは顔見知りだったのか? 意外な事実にさらに混乱する。

 

「シロナ、じゃなくって今はカラシナだったっけ。あんたも、この事は」

 

 イブキが声を振り向けるとカラシナは首を横に振った。続いて仮面の秘書官へとイブキが振り返る。当然、答えはノーだった。

 

「我々にも分からない領域でカンザキ・ヤナギは動いている。恐らくは破滅から逃れるために」

 

 破滅、という言葉にカンザキが狼狽していると、「せやかて、不可能なんやろ?」とマサキが訊いていた。ソネザキ・マサキという男の存在はカンザキも聞き及んでいる。ポケモンのある部門において成功を収めたらしい、というだけだが。

 

「破滅を逃れるなんて事は」

 

 マサキは秘書官へと問うている。秘書官は、「そうですね」と紫色の紅を引いた唇を引き結んだ。

 

「ヘキサツールに刻まれた破滅は確実に訪れます。それが早められ、オーキド・ユキナリによって誘発された。しかし、何らかの要因によりそれは阻止された。今は、そう見るべきでしょうね」

 

 オーキド・ユキナリ。聞いた事のない名前だった。カンザキはただただ自分の息子が何に関わっているのか問い質さねばならない気がしていた。

 

「お前らは何だ? ヤナギに何を吹き込んだ?」

 

 怒りを滲ませた口調に、「あたしが、悪いんです」とカラシナが歩み寄ってきた。

 

「ヤナギ君を、ある意味では道を間違わせてしまった」

 

 カラシナは顔を伏せている。単純に責め立てる気になれなかったのは彼女とて何かを背負っていると思わされたからだ。彼女だけではない。イブキもマサキも、秘書官も、全員が自分には窺い知れない秘密を抱えている。

 

「……何が、どうなったって言うんだ」

 

 呻くしかない。そのような自分の無力さに歯噛みする。マサキは、「一つ、言えるんは」と言葉を継いだ。

 

「ヘキサなる組織の全権がヤナギに委譲された。あるいはヤナギが張子の虎という可能性も捨て切れんけれど、このヤナギの言い分からそれはないやろ。つまるところ、ヘキサの頭目と見なされていたハンサムの失踪、あるいは死亡がこの声明から窺えるわけやな」

 

 マサキの冷静な声にカラシナが声を詰まらせる。

 

「……ハンサムが、死んだって言うの?」

 

「そう考えるのが妥当やん? ハンサムが生きていて、ヤナギにここまでさせる意味が分からんし。それにヘキサは裏の組織やった。全てを制御下に置こうという傲慢さが見え隠れしていたのはハンサムの謀略もあったから。それがここに来て消えた。のっぴきならないとヤナギが言うとったけれど、まさしくそうなんかもしれんな。本当に、手段なんて選んどる余裕がなくなったのかも。もしくはこれもヘキサの罠で、ハンサムが牛耳っている可能性もなくはないけれど、ワイはその可能性、限りなく薄いと思うで」

 

 マサキの意見に、「何でよ?」とイブキが問うた。

 

「ハンサムは、カラシナの話を統合するに結構用意周到な奴なんでしょう? 自分はあくまで頭目、いや、そうである事も隠すために現場にも赴いた。ヘキサツールの真実を知りながら、その事を今日に至るまで誰にも隠し通していた」

 

「それやん、姐さん。ヘキサツール、四十年後の滅びの事。それだけは民衆に絶対知られてはならん。だって言うのに、ヤナギは口走った。これってつまり、もうハンサムはいないと考えてええって事ちゃうん?」

 

 マサキの結論にイブキは言葉をなくしていたがカラシナが、「そうかもしれないわね」と応じていた。

 

「ハンサムは死んだ。だからこそ、ヤナギ君がここに来て判断を迫られた。恐らく、最も残酷な判断を。自分が矢面に立ち、民衆からの反感、あるいは反政府組織として狙われるかもしれないという危険を」

 

 カラシナは秘書官を見やる。全権がまるで秘書官にあるとでも言うように。秘書官は、「確かに、ネメシスの方針としてはこの声明、黙っていられません」と答える。

 

「たとえ滅びが誘発されたとしても、我々はあくまで傍観、即ちヘキサツールの歴史通りの動きを優先します。だからこそ、この発言は封殺されねばならない」

 

 その言葉の意味がカンザキには理解出来なかった。封殺、とはどういう事なのか。それを問い質す前に秘書官はカンザキへと振り向く。

 

「ご子息を、反政府組織のリーダーとして指名手配します」

 

 カンザキが目を見開く。冗談だろう、と言いたかったがからからに渇いた喉から漏れたのは、「やめろ……」という反抗だった。

 

「ヤナギが、そんな事をするはずがないんだ……」

 

「しかし、これは現実なのですよ」

 

 現実。本当にそうなのか。カンザキは夢であってくれと願った。自分は既にヤグルマによって殺されており、ここは死後の世界だと言われたほうが余程説得力がある。だが、自分は無様に生き永らえ、今も呼吸をしているのだ。

 

「……やめてくれ」

 

 カンザキは頭を抱えて蹲る。秘書官はマサキへと声を飛ばした。

 

「関係各所、マスコミへの誘導。出来ますね?」

 

「誰に言うとるねん。ワイはいつでも。エンターキー一つで今の声明を取り消す事が出来る。逆に全地方に拡散する事も出来るけれど、どうする?」

 

「出来るだけ穏便に」

 

 秘書官の声に、「分かっとるって、先生」と返し、エンターキーが押された。それだけで今のヤナギの発言がなかった事になるとは信じられなかったが、カンザキは祈るしかなかった。

 

「さて。反政府組織として追うのはいいけれど、誰が追うって言うの? 警察なんかを利用したんじゃ、結局この声明を肯定しているようなものじゃない」

 

 イブキの声に、「蛇の道は蛇よ」とカラシナが答える。

 

「恐らくはロケット団が黙っちゃいない。ネメシスは高みの見物。そうでしょう?」

 

 カラシナの声に秘書官は何も言わなかった。ロケット団、ネメシス。自分でも知らない単語が渦巻き、カンザキはその場に吐いた。吐き気は収まらず胃液を垂らしていると、「まぁ、しゃーないよなぁ」とマサキが呟いた。

 

「今の状況、パニックになるのも致し方ないて」

 

「誰が説明にするのよ」

 

 イブキの声に、「姐さん、してくださいよ」とマサキは応ずる。

 

「ワイはエンジニアやから。急病人の看病なんて出来んよ」

 

「私だって責任取れないわよ」

 

 イブキとマサキのやり取りをどこか遠くに感じながらカンザキはぼんやりと石英の突き立った景色を眺める。ここが天国か、地獄かと問われれば間違いなく地獄だった。

 

「カンザキ執行官。あなたを生かしたのはこのあたし」

 

 カラシナがハンカチを取り出しカンザキに手渡す。カンザキは、「申し訳ない」とハンカチを借り受ける。口元を拭っていると、「説明はあたしが」とカラシナが引き受ける。秘書官は、「私はこれから政府関係に口止めをしなければいけません」と淡白に応じた。

 

「まぁワイらの負担が減るのならええよ」

 

「私も、別に意見はないけれど……」

 

 イブキとマサキはカンザキを邪魔者のように思っているようだ。カラシナは、「では、説明します」と佇まいを正す。

 

「あたしとヤナギ君に、何があったのか。このポケモンリーグとは何なのか」

 



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第百四十二話「電磁の十字」

 

 今ので伝わった自信はない。

 

 だが、やれるだけの事はした、とヤナギは自分に言い聞かせる。これ以上、何をしろと言うのだ。ヘキサ頭目としてやるべき事は、全ての糾弾の矛先をヘキサに向ける事だ。それは同時にロケット団が動かざるを得ない状況を作り出す事にも一役買っている。

 

「俺が世界の敵になるのならば、それでいい」

 

 身を翻しヤナギは呟いた。ただ一つ、キクコだけは自分の手で助け出したい。そのためならば茨の道を歩もう。

 

「ヤナギ君」

 

 その声に立ち止まるとカミツレが歩み寄ってきた。ヤナギは再び歩き出しながら、「状況は?」と問う。

 

「一応、ゼブライカを取り戻す事は出来た。でも、やっぱりサンダーに比べると、戦力が大幅に減った事に違いはないわ」

 

 カミツレが声の調子を落とす。ヤナギは、「自分の手持ちだ。信じてやれ」と声を送った。

 

「サンダーなんかよりもお前の下にいた期間は長いのだろう?」

 

 カミツレは目を見開いている。ヤナギは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「何だ? 幽霊でも見たような顔をして」

 

「いや、ヤナギ君がそんな事言ってくれるイメージなかったから、つい……。いつからそんなに優しくなったの?」

 

「俺が、優しいだと?」

 

 ヤナギは立ち止まり、睨む目を向けた。

 

「甘ったれるな。そのゼブライカとて使いこなせなければお前は所詮三流だ。明日までに勘を取り戻しておけ。チアキ達がスパーリングを行う。それに参加しろ」

 

 ヤナギは言い捨てる。カミツレは、「やっぱり、可愛くない、か」と呟き、ヤナギとは反対方向へと歩き出した。

 

「いいわ。私の輝き、また見せてあげる」

 

 ヤナギは報道局を抜け、一番損壊の激しい北方へと歩みを進めた。この街のシンボルであったサファリゾーンはほとんど破壊され、逃げ出したポケモンを捕獲するのに局員達が躍起になっている。ヤナギは声をかけた。

 

「なぁ。逃げ出したポケモンを炙り出して、捕獲すればいいのか?」

 

 その言葉に足を止めた局員は、「そうだけれど……」と濁す。

 

「そんな簡単じゃないよ。野生よりもこいつらは凶暴なんだ。慎重を期さないとこっちが怪我をする羽目になる」

 

「なに、ちょうどいい。キュレムの力を知るチャンスだ」

 

 ヤナギはモンスターボールをホルスターから抜き放つ。一度、ボタンを押すと段階的にロックが解除され、二度目に押すと解き放たれた。

 

「行け、キュレム」

 

 放たれたキュレムは咆哮する。その威容に局員が逃げ出した。ヤナギはキュレムに命じる。

 

「瞬間冷却、レベル7」

 

 その言葉に射程内に存在するポケモン達が動きを止めた。凍り付いたのは目に見える範囲ではない。細胞だ。細胞が動きを止めたためにポケモン達はまるで金縛りにあったように動けなくなっていた。

 

「今のうちにやれ」

 

 ヤナギの声に局員達が戸惑いながらボールを放つ。それでもサファリゾーンは広く、ヤナギはここならば存分に力が振るえると確信する。

 

「キュレム。お前には先がある。それを俺に見せてくれるか?」

 

 キュレムは身体の右側から白い体毛を浮き上がらせる。赤い光が押し包まれ、尻尾の形状を成したかと思うとチューブが全身に繋がれた。

 

「この姿、これが最終到達点なのか。あるいはまだ先があるのか。どちらにせよ、俺達はまだ使いこなせていない技が多過ぎる。キュレム、まずは手始めだ」

 

 キュレムの全身へとチューブから赤い光が送り込まれる。血脈が宿り、キュレムが腕を押し広げた。氷の粒が舞い散り、サファリゾーンへと降り注ぐ。ヤナギはそれらがまだ野生のポケモン達を包囲したのを確認して声にする。

 

「コールドフレア」

 

 反射した赤い光条が一射され、爆撃のように野生ポケモン達へと襲いかかる。「コールドフレア」を受けたポケモン達はそれぞれほとんど半死半生の身体を横たえた。局員達は恐れ戦きつつもボールを投げて一体でも多く確保しようとする。

 

「これを撃つと消耗が激しいな」

 

 ヤナギはキュレムがこの一撃を放つのに準備動作が必要なのを見抜いていた。まず氷の粒を降りしきらせる。そのために一度体内に高温の熱を燻らせる必要がある。その動作にキュレムの身体は沸騰していた。目を凝らせばキュレムの関節から煙が棚引いているのが窺える。キュレムとてこれは最終手段なのだろう。

 

「普段使うのならば瞬間冷却か、クロスフレイムで充分なのだが。それでもミュウツーには届かない」

 

 それが痛いほど理解出来る。二度撃てば、その技の特性までも分かるヤナギならではの悩みだった。ミュウツーとフジはさらなる高みだ。あれを凌駕するには「クロスフレイム」や瞬間冷却では足りない。

 

「かといってコールドフレアもそう何度も撃てる技じゃない。フジ側も対策くらいは練ってくるだろう。キュレム。全く別の手を打つ必要がある」

 

 ヤナギはキュレムと向き合った。キュレムは白い体毛を仕舞い込む。まさか、ないとでも言うのか。その意思表示かと疑っていると、キュレムは身体を軋ませた。めきめきと身体を起き上がらせる。背後で青い球体が光り輝き、黒い表皮がそれを押し包んだ。キュレムの右側に黒い体毛が現れる。それは体毛というよりかは無機質で鎧の一種に思えた。白い部分が黒く染まっていき、キュレムは巨体を屹立させる。

 

 ヤナギでさえも瞠目した。その姿は先ほどまでのキュレムとはまるで真逆、一線を画していたからだ。

 

「その、姿は……」

 

 ヤナギの戸惑いを他所にキュレムは腕を掲げる。その射程にあった野生ポケモンへと青白い光が放たれた。途端に光の瀑布を押し広げた光は十字架の形を取る。「クロスフレイム」の色がそのまま反転したかのようだった。

 

「今の攻撃……」

 

 ヤナギは歩み寄り、局員が捕まえる前の野生ポケモンを検分する。

 

「麻痺している……。これは、電気タイプの技か?」

 

 電気の十字架。さしずめ「クロスサンダー」とでも名付けるべきか。キュレムの放った技にヤナギは笑みを深くした。

 

「この先があるという事か。いいだろう。それに追いつけるか。俺を試しているな」

 

 キュレムはまだ力を隠し持っている。ならば自分はそれに応えるだけのトレーナーになればいい。

 

「局員。出来るだけ離れていたほうがいい。今から俺達は、境界を侵犯する戦いを行う」

 

 放たれた声に局員達は首をひねったが次の瞬間から巻き起こった光の数々に誰もが逃げ出した。

 



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第百四十三話「レプリカント」

 

「おかえり、フジ」

 

 カツラの声にフジは応じる前に、「ちょっとトラブルがあった」と口にする。後から現れたミュウツーを目にすれば、その原因は推し量れた。

 

「やられたのか?」

 

「少しだけだよ。大した損傷じゃないが、細胞が壊死した部分がある。それを取り替えるのに少しかかるだけさ」

 

 カツラは立ち上がり、「そりゃ、大した事だろう」と早速研究チームを呼び寄せた。ミュウツーは事前説明がなされていたとはいえ、ほとんど迷いなく装甲の点検を行わせた。

 

「装甲を脱ぐと三十秒と持たない。理解しているね?」

 

(承知している)

 

 ミュウツーは空いていた培養液のカプセルへと自身を転移させる。その動きの手早さにカツラが舌を巻く。

 

「やれやれだ。お前らは、相変わらず驚かせてくれる」

 

「ボクだって驚いたさ」

 

 フジはまずカツラが淹れていたコーヒーを手に取り口に含んだ。苦味を味わってから、「そうそう甘くないわけだ」と呟く。ミュウツーを失った強化外骨格の鎧はどこか空々しく映る。装甲が持ち上げられ、内部点検をするスタッフが肩パーツからボールの入った衝撃吸収剤を取り出した。

 

「あれの中に、サンダーが入っている」

 

 フジの声にカツラが、「まさか……」と声を詰まらせた。ガラスに取りついて、「そんなに手際よく行ったのか?」と問いかける。

 

「手際よく、ってのは分からないけれど、あの場にサンダーがいたのは完璧な偶然だった。だが、手間が一つ減ったのは喜ばしい事だ」

 

 フジは白衣を身に纏い、懐から煙草を取り出した。カツラは肩を竦める。

 

「やれやれだな。俺を驚かせるのが趣味なのか?」

 

「心外だよ。ボクはただ、ミュウツーを使って然るべきシナリオを進めているに過ぎない」

 

 フジは機器を操作し、予め指定しておいた座標を呼び出した。その座標には赤い鎖が背中から突き刺さったオノノクスが倒れ伏している。既に石化が始まっており生きているとはとても思えない。だが、オノノクスは死んだわけではない。さしずめ封印されたのだ。ユキナリの覚醒リスクと共に、オノノクスは今だけ封印措置を施されているに過ぎない。赤い鎖を抜けば再び覚醒するかと問われればそうでもないが、フジでさえも慎重を期す必要があった。

 

「運び込まれたオノノクスの生態データは取ってある。攻撃面に特化したポケモンだ。だがそれだけに留まらない。前後のデータも収集したが、あれの放つドラゴンクローは本来、ドラゴンタイプが放つようなものではない。物理攻撃というにはあまりに強力で、まるで光線だよ。この辺り、オーキド・ユキナリが操っていたからこそ出来た事なのか?」

 

 カツラが尋ねるとフジは、「どうかな」と返事をする。

 

「どうかな、って、お前がオノノクスに赤い鎖を放つ事を決めたんだろう。それらは全て、破滅の時を免れるためじゃないのか?」

 

「オーキド・ユキナリ君はあの時、確かにいずれ来る破滅を誘発する恐れがあった。だけれど、ボクは何も全人類を救おうだとか、そういう意味で赤い鎖を使ったわけじゃないよ。ただ彼の幸せを願っただけの事さ」

 

「幸せ、ねぇ」

 

 カツラが含みのある言い方をしてくるがフジは煙い息を漏らしつつ、「赤い鎖は」と口を開いた。

 

「ポケモンを拘束する。たとえそれが神と呼ばれるポケモンであろうとも。アグノム、ユクシー、エムリットの状態は?」

 

「現在、赤い鎖生成によって随分と疲弊している。まさか二つ目を作るなんて言わないよな?」

 

「ボクだって無理とそうでない事を見分ける目くらいはあるよ」

 

 フジは三体のポケモンが捕獲されているカプセルへと目を向け、「……どうやらこれしかないようだ」と呟いた。

 

「何が?」

 

「彼を幸福のうちに眠らせる方法だよ。ボクは、出来れば彼にもう、特異点としての道を歩ませたくない」

 

「それはお前なりの優しさか?」

 

 皮肉るカツラにフジは微笑んでみせる。

 

「まさか。ボクのエゴだよ。ただこのエゴが結果的に人類を救う事になってしまったわけだけれど」

 

「キシベは気づいているのかいないのか、全く連絡を寄越さないよ。予定ではそろそろグレンタウンに着く頃だろうに」

 

 キシベ。その名前にフジは身を硬くする。どうしてキシベは何もしてこない? もう一つの特異点、サカキを擁立している余裕か? あるいは別の選択肢があるからか。どちらにせよ、フジとミュウツーが止めなければ破滅は回避されなかった。あの事象でさえ、キシベの掌の上だとするのならば驚嘆に値するがキシベとて人間だ。それほどまでに考えているとは思えない。

 

「その静けさが逆に不気味だね。キシベは何のために、静寂を守っているのか」

 

「サカキに相当な自信があるのか」

 

 カツラの推理に、「あるかもしれないけれど」とフジは応じて灰皿に煙草を押し付けた。

 

「サカキでオーキド・ユキナリ君を殺そうと思えば出来た。そうしないのは、この二人を出来るだけ会わせたくないからか。または他の目論見があるのか」

 

「目論み、ねぇ」

 

 カツラは椅子に座って後頭部で手を組んだ。見当もつかない、という顔だ。自分もそうである。キシベの考えを透かす事は出来ない。だが、キシベの思い通りにならないよう抗う事は出来る。

 

「ミュウツー計画だってボクの助力なしには完成しなかった。キシベはボクが協力することを予め事象に組み込んでいるみたいだけれど、それだってボクの意思だ。正直、キシベは何もかもが自分の思い通りになると確信している節がある。そこにつけ入るしかない」

 

「キシベの上を行く読みか。もう俺には考えつかないな」

 

 カツラが早々に白旗を揚げる。フジは、「そう難しくないさ」と口元に笑みを浮かべた。

 

「ポリゴンシリーズ。完成の目処は立っているんだろう?」

 

 それはミュウツー完成と同時進行で辿っていた計画である。カツラは機器を操作し、「一応は、だが」と答えた。

 

「ポリゴンは第三形態、通称ポリゴンZまで進化させる事が可能になった。もっとも、人工的に造り出したポケモンに対し、アップグレードとパッチを組み合わせた結果だからこれを進化と呼ぶかは甚だ疑問だけれどね」

 

 カツラはポリゴンZとやらの姿を映像に出す。極彩色の案山子の形状を持つポリゴンZの能力は特殊攻撃力が非常に高い。利用価値は充分にあった。

 

「よし。計画を第二フェーズに移行しよう」

 

 フジはコーヒーを飲み干してパスワードを打ち込む。すると自分しかアクセス出来ない計画進行表を呼び出した。

 

「どうする気だ?」

 

「ポリゴンZは何体使える?」

 

「今のところデータコピー技術を使えば無尽蔵、と言いたいところだが、一応はリスクと言うか対価があってね。あまりコピーのコピーを使うと情報面で劣化する。そうするとオペレーションシステムに問題が発生してきちんと動いてくれない。せいぜいコピーは一回まで。それでオリジナルポリゴンは全部で四体。そのうち三体をポリゴンZに進化させた」

 

「つまり六体か。まぁちょうどいいと言えばちょうどいいかな」

 

「ポリゴンシリーズ六体を全部投入してどうする? こちらの戦力を分散させてもキシベに勘繰られて面白くないぞ」

 

 カツラの指摘は正しい。こちらはヘキサやネメシスだけではない、キシベも相手取らねばならないのだ。フジは唇を舐めながら、「六体全部を一箇所に、って言っているわけじゃないよ」と応ずる。

 

「まずは段階を踏もう。カツラ。赤い鎖をオノノクスから引き抜く」

 

「封印措置を施すんじゃないのか?」

 

 意外そうな声に、「封印するさ」と答えた。

 

「ただし、今のままオノノクスを持っていてもかさばるだけ。オノノクス、オーキド・ユキナリ君、そしてレプリカントを分離する」

 

「分離って……」

 

 覚えず、と言った様子でカツラが立ち上がった。そのような事が可能なのか、と言いたいのだろう。

 

「原理的には可能だよ。赤い鎖が何によって生成されたのかを逆算するといい」

 

 その言葉でカツラは思い至ったのだろう。「まさか」と口にしていた。

 

「そのまさかさ。赤い鎖を還元。オノノクス、オーキド・ユキナリ君、レプリカントをそれぞれアグノム、ユクシー、エムリットへと封印する」

 

 カツラは放心したように口を開いている。フジの言葉があまりにも突飛だったせいだろう。だが、自分ではずっと考えていた事のため、そうそう突然の話でもない。誰にも話していなかっただけだが。

 

「……そんな事」

 

「赤い鎖の還元は難しい話じゃない。技術的には今の時代でも充分に可能だ。問題なのはこの三つをそれぞれのポケモンに封印出来るのか、だろ?」

 

 先んじて疑問点を発したフジにカツラは、「あ、ああ」と気後れ気味に応じた。

 

「可能なのか?」

 

「三体にそれぞれ順序よく、ってのは難しいかもね。つまり、オーキド・ユキナリ君とオノノクスが混じった状態もあれば、レプリカントとオノノクスが混じっている状態もある。三つに綺麗に分けるのは無理だ。それは早々に諦めよう」

 

「つまり、三体揃わねば、どれを再生する事も出来ない」

 

「理解が早くって助かるよ」

 

 フジの言葉に、「だがそうだとすれば」とカツラは額に手をやった。

 

「我々の目的に支障を来たさないか? 特異点、オーキド・ユキナリを結果的には確保出来ない」

 

「だけれどオノノクスに吸収された状態で放置しておいても同じ事さ。もしキシベか、あるいはヘキサやネメシスがここを強襲してきてオノノクスを奪ったとしよう。ボクらは全てを失う。そのリスクに比べれば、三つに分散して管理するほうが軽減出来ると思うけれどね」

 

 フジの言い分に文句はないようだ。だが引っかかりは覚えているのだろう。カツラは口にする。

 

「三体はどうする? 一括管理しては結局意味がないぞ」

 

「逃がす」

 

 その言葉にカツラが瞠目する。フジは、「意外かな?」と尋ねた。

 

「ああ、そうだな。これだけ苦労して集めた三体を逃がすなんて……」

 

 信じられない、という口調にフジは微笑んだ。

 

「逃げてもサーチ出来る機能くらいはあるだろう。ポリゴンをマーカーにつけよう。六体ならば二体ずつ。アグノム、ユクシー、エムリットを守るためにつける。これでヘキサやネメシスがボクらの計画に気づいたとしても簡単には手出しは出来ない」

 

 既に赤い鎖の還元作業へとフジは入っていた。カツラは止めるでもなく見守っているが胸中は穏やかではないのだろう。

 

「簡単には手出し出来ない、と言うが、相手側もそれに気づくか? 普通は三体に分離した事すら気づかないんじゃ……」

 

「気づくよ。あのカンザキ・ヤナギならば、このやり方には気づく」

 

 その確信がある。ヤナギならば赤い鎖の生成技術には辿り着く可能性があるだろう。当然、その逆も然りだ。

 

「だったら余計にこのやり方に拘泥するべきじゃないのでは?」

 

 カツラの疑問はもっともである。だが、フジにはこのやり方がベストに思えた。

 

「カツラ、忘れちゃいないか? ボクらの敵は何もヘキサやカンザキ・ヤナギだけじゃない。ネメシスやキシベも相手取ると考えれば、三体に分けなければリスクはそのままなんだ。キシベやヤナギが気づかない可能性もある。そうなれば御の字なんだが、誰かは気づくだろう。それがネメシスが先かヘキサが先かまでは特定出来ないが、気づかれて行動を起こされるのは充分に引き離してからだ。大丈夫、ポリゴンシリーズはボク達の要だし、君だってそう簡単に陥落させられるような人造ポケモンを作ったわけじゃあるまい?」

 

「それは……」

 

 そうだが、とカツラは言葉を濁す。フジは作業画面を眺める。オノノクスがアームで持ち上げられ、背中から突き刺さった赤い鎖を、今まさに引き抜かれようとしていた。それと並行して赤い鎖の還元作業に現場がごった返している。電極が三体のポケモンと赤い鎖に向けられ、同時に電流を流す事によって刺激を与え、三体に分離させる。

 

「上手くいくのか?」

 

「五分五分、だろうね。上手くいかなくっても誰も恨まないだろう。オーキド・ユキナリ君という特異点は消えるかもしれないが、そうなるとキシベも困る。意地でも何か手を打とうとしてくるはずだ。何もないって事は今のところ順調って事だと受け止めよう」

 

 今のところは、である。キシベやヤナギがどう動くのか、全く読めていない今の状況では先手を打つ。それだけであった。

 

「現場へ。電極の準備は?」

 

『オールグリーンです。赤い鎖を引き抜きますが、構わないので?』

 

 ヤマキの声に、「構わない」とフジは応じる。

 

「赤い鎖を引き抜くと同時に還元。封印せよ」

 

 アームが赤い鎖を引き抜いた瞬間、青白い光が明滅し電流が三体のポケモンとオノノクスを押し包んだ。カツラが眩さに目を細める。フジも咄嗟に手を翳した。

 

 やがて光が消え、アームと電極だけが取り残されているのを発見する。フジは三体のポケモンのディスプレイへと視線を向ける。三体のポケモンは健在であった。

 

「成功した……」

 

 放心状態でカツラが呟く。フジは、「これで後はプランを次に回せば――」と口にしようとした時、通信網をざわめきが震わせた。

 

『な、何だ……? 誰だ、お前は』

 

 その言葉にフジはオノノクスを表示していたカメラへと移動させる。狼狽の声の意味はそれを目にした時、理解出来た。

 

 先ほどまでオノノクスがアームで吊り下げられていた場所に一人の少女が赤い光に包まれて佇んでいた。服飾を纏っておらず、その髪は灰色だったが、赤い瞳が印象的であった。

 

「おい、フジ。あれは……」

 

 カツラも気づいたのだろう。フジも驚愕を露にしたが、やがて頷いた。

 

「……予想外の事は起こるものだね。分離の際に不手際があったか、あるいは還元の時に余剰な情報が入ったか。どちらにせよ、使えないものではない」

 

 フジはマイクをオンにして現場に聞こえるようにした。

 

「歓迎するよ。レプリカント、キクコ」

 

 その言葉にキクコの形をした少女はゆっくりと顔を上げた。

 



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第百四十四話「ペインキラー」

 

 炎が弾け、バトルフィールドを一閃する。

 

 一瞬にして白い残像を刻みながら掻き消えた影へと視線を走らせ、声にした。

 

「ハッサム、メガシンカ!」

 

 その声に呼応してハッサムが全身を紫色の光の殻で覆おうとする。しかし、それらが形成する前に横っ面を蹴りが弾け飛ばした。メガシンカの膜は形成途中で解除され、ハッサムがよろめく。赤く発光した蹴りを放った相手はV字型の鶏冠から炎を連鎖させ、さらなる加速に身を投じた。

 

「遅い」

 

 それを操るトレーナーが口にする。黒い着物を身に纏った女性は抜き身の刀を掲げ、刀身を返した。

 

「メガシンカがいかに優れていようと、進化前に攻撃されたのでは意味がないぞ。ハッサムも手早い攻撃がメインに据えられているのだから、攻撃方法にひねりを加えろ。今のまま、愚直に向かっているのでは決して勝てない。まずメガシンカをさせる暇など与えられない」

 

 非情な声に歯噛みする。熱を帯びた左目を押さえて肩を荒立たせた。

 

「どうした? もうへばったか、ナツキ」

 

 名を呼ばれナツキは顔を上げる。スパーリング相手に、とヤナギが用意した相手はシルフビル倒壊の際に面識のあったヤマブキジムリーダー、チアキだった。あの時、手持ちであるバシャーモを目にしたがその強さはいささかも衰えていない。ハッサムの手数による戦略を取っても相手はその上を行く。ナツキは手を薙ぎ払う。

 

「まだ……!」

 

 再び身体に力を点火させ、ナツキは左目に集中した。左目には青い虹彩の義眼がはめ込まれている。ヤナギに依頼した通り、医者は痛みもなくナツキへとキーストーン付きの義眼を移植した。だが本来ならば安静期間を一ヶ月は設けるべきなのだ。それをその日のうちに戦闘訓練とは常軌を逸していた。その命令にはヘキサの医者とはいえ辟易していた。まだ危険だと言い含める医者にヤナギは、「お前の仕事は終わった」と言い捨てた。

 

「後は、こいつ次第だ」

 

 試されている、とナツキは感じていた。ここで休養を取る事も出来る。だがそんな事をしている間にも事態は転がっていく。恐らくは悪い方向へと。ナツキはメガシンカが扱えるならば一日でも早く身につけたかった。ナタネよりメガシンカの方法はポケモンとトレーナーの同調だと聞かされたが今のところピンと来ない。

 

 とにかくポケモンの動きを見失わない事だ、とナタネに教えられハッサムから視線を外さないようにしているがただでさえ視界は半分なのだ。そこに過度の集中を詰めれば無理が生じてくるのは自明の理。ナツキは今までの以上のポケモンバトルを強いられる事になった。

 

 しかも相手はヤマブキシティジムリーダー。その強さは伊達ではなく、操るバシャーモは炎・格闘タイプ。相性上も不利な相手だ。ハッサムは出来るだけ致命的な一撃を回避しつつ、メガシンカの好機を窺うしかなかったが、当然、相手はそのような悠長な戦いをよしとしてくるはずもない。メガシンカが出来そうになるたびに加速特性のバシャーモが空間を跳び越えたとしか思えない軌道で蹴りを放ってくる。メガシンカの皮膜は瞬く間に消え去り、今までろくにメガシンカが出来た事はない。

 

 ハッサムは翅を震わせて飛び上がり、バシャーモの上を取る。とにかく上を取られない事だ。

 

 何度目かの攻防で理解出来たのはバシャーモの格闘戦闘には全方位からの攻撃を警戒するべきだが、特に上であった。上を取られれば重い一撃が待っている。ハッサムは機動性が命だ。特にテクニシャン持ちのハッサムならば「でんこうせっか」はもちろん利用するべきだし、そこから派生する攻撃で隙を作るべきだった。

 

「電光石火!」

 

 ナツキの声にハッサムが幾何学の軌道を描いてバシャーモへと肉迫する。バシャーモはしかし落ち着き払っていた。見えているのだ、とナツキは感じ取る。加速特性のバシャーモに速さで優位に立つ事は難しい。ならば、その先だ。その先の攻撃で優位を奪うしかない。ナツキは続け様に口にする。

 

「バレットパンチ!」

 

 弾丸の拳がバシャーモへと打ち込まれるがバシャーモは片手でそれをいなした。即座にハッサムがもう一方の拳を用いるが手の甲で弾かれる。バシャーモにとっては赤子の手をひねるようなものだった。ナツキが舌打ちを漏らす。ハッサムが奇襲の蹴りを放つがその蹴りは受け止められてしまった。まずい、と判じた思考がハッサムへと命令させる。

 

「ハッサム、とんぼ返り!」

 

 もう一方の足で蹴りつけて拘束を解き、回転しながら地面に降り立って即座に離脱する。「とんぼがえり」の技はメガシンカを使うに当って必要だと判断された技だ。いつでもトレーナーの下に帰ってこられる技が必要だと感じさせられ、この技を習得したがまだ物になっていない。身に馴染むには時間がかかりそうだった。ハッサムが近くに寄った事を確認してナツキは集中する。

 

 左目に熱が点火し、脳が焼け焦げるような錯覚を覚える。

 

 集中の度合いが増すと時折左目の視界が戻る時があった。だがそれはナツキから見た視界ではなくハッサムの視界であった。これが同調か、と感じた時にはいつも蹴り飛ばされている。それだけ隙が多いという事なのだろう。今も一瞬だけ左目の視界が明滅する。

 

 唐突な光の訪れに戸惑った一瞬、接近してきたバシャーモへの対処が遅れた。下段から突き上げられた拳がハッサムの顎を捉える。「スカイアッパー」が打ち込まれ、ナツキは逆流してくるダメージに膝を折った。同調はつまりポケモン側のダメージに引き寄せられる。トレーナーも傷を負う事を考慮に入れねばならない。ナツキが痛みに呻いていると、「その程度か」と声が飛んだ。

 

「バシャーモの前で、貴公は一度としてメガシンカに成功していないぞ」

 

 チアキの声にナツキは歯噛みする。ハッサムとの連携は並大抵のものではないと自負していた。だが、今までを顧みればどうだ。危なくなればユキナリに助けられ、何とか敗北の苦渋を最低限に抑えてきたようなもの。自分自身はユキナリにトレーナーとして遠く及ばない。このスパーリングは今まで目を背けていたそのような事実を浮き彫りにした。逃げようとしてもメガシンカを使おうとする度にそれが脳裏に浮かんだ。

 

「……あたしだって、手を緩めているわけじゃない」

 

「必死ならば、もっと全力で攻めて来い。そうでなくてはスパーリングにならないぞ」

 

 ナツキは歯を食いしばりハッサムへと命令する。

 

「電光石火!」

 

 速度に達したハッサムがバシャーモの右側へと回り込む。バシャーモが蹴りを薙ぎ払った。しかしハッサムは身を沈ませてその一撃を回避する。ここに来て初めて、チアキが感嘆の息を漏らした。

 

「ハッサム、突き上げるようにバレットパンチ!」

 

 ハッサムの攻撃がバシャーモへとねじ込まれようとする。だがバシャーモは跳躍して後ずさった。ハッサムは追撃をせず、その場で腕を交差させる。

 

「メガシンカ!」

 

 ハッサムの身体に紫色の皮膜が纏いつき、それらがタマゴの殻のように覆い尽した瞬間、咆哮と共に弾け飛んだ。

 

 現れたのは鋭角的なフォルムを持つ赤と黒を基調としたハッサムの先の姿だ。

 

「これが、メガハッサム……」

 

 初めて目にしたその威容に見とれている暇はない。既に左目にはメガハッサムの視界が同期されていた。いつでも戦闘に移れるようだ。だが、バシャーモはすぐさまメガハッサムへと接近を試みた。

 

「ようやくメガシンカしたか。その力、見せてもらおう!」

 

 バシャーモの炎を纏った踵落としが食い込もうとする。メガハッサムと同調したナツキは腕を振るうイメージを瞬時に浮かべた。メガハッサムの腕が動き、顎のような強靭なハサミでバシャーモの脚を押さえ込む。バシャーモとそれを操るチアキが表情を曇らせた。

 

「何……」

 

「バレットパンチ!」

 

 もう一方の腕を突き出す。開いたハサミから弾丸、というよりかは砲弾と呼んだほうが正しい物体が打ち込まれる。バシャーモは腕を払ってそれを叩き落そうとしたが、その段になってチアキがハッと気づく。

 

「これは、ただの砲弾じゃない。アンカーか」

 

 砲弾の一つ一つに目を凝らさねば見えぬ糸がついており砲弾そのものも釘のようなすり鉢状だった。バシャーモが突き刺さった砲弾を抜こうとする前にメガハッサムに指示を飛ばす。

 

「メガハッサム! アンカーを使ってバシャーモを薙ぎ払って!」

 

 メガハッサムが腕を振るう。バシャーモの身体が浮き、地表へと叩きつけられた。そのあまりの膂力にトレーナーであるナツキでさえも戸惑う。これほど攻撃力の強いポケモンではないはずだ。

 

「これが、メガシンカの力……」

 

 もたらされた力にぞっとする前にバシャーモは全身から炎を迸らせた。瞬く間にアンカーが融け、炎を鎧としてバシャーモが身に纏う。

 

「オーバーヒート。まさか、ここまで来るとはな」

 

「オーバーヒート」の鎧を身に纏ったバシャーモは腕を振るい上げて咆哮する。

 

「接近戦だ。二度もあれを撃たせるな」

 

 一瞬にしてバシャーモの姿が掻き消えた。どこへ、と首を巡らせる前にバシャーモの炎を纏いつかせた掌底が腹腔を打ち据える。メガハッサムの身体が浮いた。同時にダメージフィードバックが身体を襲う。

 

 激痛に身体をくの字に折り曲げたナツキの意識にメガハッサムの頭部へと命中するであろう殺気の波が感じられた。

 

「メガハッサム! 後退、とんぼ返り!」

 

 瞬時にメガハッサムが飛び退る。先ほどまでメガハッサムの頭部があった場所へと迷いのない赤い手刀が打ち込まれた。あれが命中していれば首を落とされたかもしれない。首筋をさすりつつナツキは嫌な汗が伝うのを感じた。バシャーモとチアキは本気だ。本気で自分とメガハッサムを相手取っている。

 

 チアキは舌打ちを漏らす。

 

「外したか。そのとんぼ返りとか言う技、なるほど、離脱にはもってこいだな」

 

 炎の鎧を纏ったバシャーモは膂力を増している。通常時よりも格闘戦に優れた形態なのだろう。常に身体を炎で焼いている代わりにその速度、攻撃力、全てが上昇していると考えて間違いはない。

 

「だがな、ナツキ。逃げていては、敵は墜とせんぞ」

 

 ナツキは覚悟を決める必要があった。バシャーモの懐に飛び込んで一撃を決める覚悟。だが、それは同時に命を捨てる覚悟でもある。どちらにせよ、メガシンカをろくに扱えていない今の状況では無謀ですらも選択肢に入る。

 

「まだまだ!」

 

 ナツキが声を張り上げてメガハッサムへと命令を飛ばそうとした刹那、ぷつんと意識の網が途切れた。全てが闇に消え、ナツキは倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「バシャーモ!」

 

 チアキの声にバシャーモが空間を跳び越え、ナツキを抱え込む。ナツキは倒れる寸前であった。バシャーモが駆け抜けてチアキの下へと戻ってくる。チアキはナツキの容態を診た。どうやら過度の同調によるストレスが原因らしい。失神しているようだが命には別状はなさそうだ。チアキはホッと安堵の息をつく。強気に出ているとはいえ自分のせいで死なせてしまうのは気が引けた。これはスパーリングであって実戦ではない。だが実戦と同じだけの集中力は注いでいるつもりだ。先ほどのメガハッサムの動き。やりようによってはバシャーモを潰す事も出来た。それが出来なかったのはナツキの経験不足だ。

 

「どう?」

 

 先ほどから戦闘を見守っているボブカットの少女が尋ねる。確かナタネと言ったか。

 

「どうも何も、ヤナギは何を考えている。こいつに一日でも早くメガシンカを使わせたいのは分かるが、私の目からしても急病人だ。立っているのがやっとという感じなのに戦わせるのは理解出来ないな」

 

「意外。チアキさんはそういうの感じないんだと思っていた」

 

 ナタネの失礼な言葉遣いにチアキはむっとする。

 

「感じるさ。私だって人間だ」

 

 ナツキは無理やりにでも強くなろうとしている。その姿勢は褒めるべきだがこれでは命を削っているのと同義ではないか。チアキの迷いの胸中を見透かしたように、「ナツキちゃんの気持ちを汲んであげて欲しいんだ」とナタネは呟いた。

 

「きっと、一日でも早い復帰を望んでいる」

 

「だがな、無理が祟れば一生トレーナーとして再起不能になる場合もある」

 

 最悪の想定だが考えずにはいられない。メガシンカとはそれだけの代償があるのだ。ふとメガハッサムを見やると通常のハッサムに戻っていた。

 

「メガシンカはトレーナーとの同調。トレーナーが失神すればポケモンは元に戻る、か」

 

 何度か本物の殺気を浴びせてみたがナツキはよく反応している。通常のトレーナーならば熟練の域だがそれは通常の話だ。今から行われる戦闘は通常のものではない。文字通り、命を賭した戦いなのだから。

 

「メガシンカとは恐ろしいな。最悪、トレーナーとポケモン、両方が使いものにならなくなる可能性がある」

 

「でも、もし上手くいけば、これ以上とない戦力になる」

 

 ナタネの言葉に、「貴公は何を使う?」と尋ねていた。いつまでも傍観を決め込むつもりか、という非難の意味もあったのだがナタネは何でもない事のようにモンスターボールを取り出す。

 

「草タイプ。だからチアキさんとは戦わないよ。相性悪いし」

 

 最初から戦わない、と言っている辺り意気地なしかと考えたが違うとすぐさま判断した。この相手は自分が誰に勝てて誰に負けるのかを知っている。だからこそ勝てる勝負しかしない。それほどまでの実力者である事は眼を見れば分かった。

 

「なるほどな。専門外のメガシンカを操れた道理が分かる」

 

 その言葉に、「買い被り過ぎだよ」とナタネは微笑んだ。チアキにはそれがただの謙遜の意味ではない事は理解出来る。メガシンカとはトレーナーとポケモンの真の理解の先にある。それを一時とはいえ余人が操れるものではない。それ相応の実力を秘めていると考えるのが筋であろう。ポケモンが心を開かなければメガシンカを果たしたとしても動かないはずだ。ナタネはそれをこじ開ける術を持っている。それだけで脅威であった。

 

「貴公に訊く。ナツキは、メガハッサムを使いこなせると思うか?」

 

 それは一度使ったのならば分かるだろうという気持ちも入っていた。ナタネは後頭部に手をやって、「どうだろうね」と返す。

 

「メガシンカはトレーナーに過負荷をもたらす。ナツキちゃんの基礎体力ならば問題ないと思うけれど、問題は精神力だ」

 

「精神力、か」

 

 今しがたまでメガハッサムを動かしていたのもその精神力なのだろう。身体はとうに限界のはずだ。

 

「正直なところ、キーストーンを身体の一部に埋め込むのって結構危険なんだよね。フィードバックがその部分を中心に波紋みたいに襲ってくるから」

 

 その事を知っていてナツキの左目に移植したのか。チアキが詰め寄ろうとすると、「まぁ落ち着いて」とナタネが宥めた。

 

「あたしだってその問題点は指摘した。でもナツキちゃんは一日でも早くメガシンカを使いこなしたいって言っていたから、その気持ちを汲んだのならば身体に埋め込むのが手っ取り早いって思ったんだ。言っておくけれど言いだしっぺはあたしじゃないよ。ナツキちゃん自ら、もう使えない左目ならば差し出すって言ったんだ」

 

「自ら、だと」

 

 それほどの覚悟を携えてまで守りたいものは何だ。やはりオーキド・ユキナリと親しい仲にあったのだろうか。だがユキナリはオノノクスに吸収され、ミュウツーとフジによって捕らえられてしまった。取り返す術は絶望的にない。

 

「今のハッサムのままじゃ、どちらにせよ戦闘不能だ。だったら、って話でメガシンカを所望したんだろうけれど、あたしからしてみても無茶だよ。メガハッサム、いや、ハッサムだけじゃない。メガシンカには代償が高くつく。どんな人間でも上手く扱う事なんて出来ないだろう」

 

「それが分かっていないがら……」

 

 何故、という思いにナタネは、「心配しているんだよ」と答えた。

 

「ユキナリ君の事、半分は自分のせいだと思い込んでいる。あの時、何も出来なかった自分を悔いているんだ。もう後悔したくないって気持ちはそっちのボスと同じだと思うけれど?」

 

 ヤナギの事を言っているのか。チアキは、「ヤナギも分からず屋だが」と口を開く。

 

「貴公らも充分に分からず屋だな。不可能な事に命を賭ける」

 

「……いけない、でしょうか」

 

 不意に開いた口にチアキが目を見開く。バシャーモに抱えられたナツキは手を振り払い立ち上がった。

 

「希望を託すのは、いけないでしょうか? あたしは、弱いから。今まで守られてばかりでしたけれど、今度は守りたい。もう、失いたくないんです」

 

 ユキナリもキクコも、という意味だろう。チアキは、「だが無謀と勇気は違うぞ」と返す。

 

「メガシンカ、今まで見たところ、素質はある。だが、それを操るのは素質を超えた実力の部分だ。私を超える実力者にならねばメガシンカを自在に操り戦場を駆るなど不可能だろう」

 

「それを、可能にしてみせます」

 

 ナツキの眼に迷いはない。チアキは笑みを浮かべ、「どいつもこいつも」と呟いた。

 

「大馬鹿者達だな。自分の命を度外視した戦い方は他人の気持ちを踏み躙るぞ」

 

「それを、何よりも理解しています。今まで、先を歩いて無茶してきた奴がいましたから」

 

 ユキナリの事か。チアキが感じていると、「チアキさん」とナツキは左目を撫でた。紫色の光が点火し、棚引く。まるで心の灯火のように左目が輝いた。

 

「お願いします」

 

 どうやら言っても聞かぬ馬鹿ばかりのようだ。ナタネに視線をやって、「とことんまで付き合ってくださいよ」と声が投げられる。危なくなれば割って入るのだろうな、と確認の目線を交わす前にハッサムが空間を跳躍してバシャーモへと襲いかかった。バシャーモの反応が遅れ蹴りを横っ面に食らう。

 

「今ので、一撃入った……」

 

 ナツキの眼は既に戦闘の気配を帯びている。チアキはこの場で物を言うのは戦いに勝ったものだけだと気持ちを新たにした。

 

「行くぞ!」

 

 チアキの声音に呼応してバシャーモが跳ね上がる。炎の脚を振り払い、鋼鉄の拳と語り合った。

 



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第百四十五話「コールドフレアとフリーズボルト」

 

 キュレムの放った電撃が辺りを焼き尽くす。そうでなくとも強力な攻撃は最早野生ポケモンの捕獲には使用されなかった。その代わり、スパーリング相手を務めるのは赤い鬣の青年である。

 

「ウルガモスを突破するのに随分と時間のかかる様子じゃな」

 

 ヤナギの視界に入ったのは炎を巻き上げ、線を引くように炎熱を使用している三対の赤い翅を持つポケモンであった。白い体毛から炎の鱗粉が放出され、辺りを火炎地獄に落としている。キュレムと拮抗する力を持つ相手はヤナギにとって最高の練習台であった。

 

「キュレムの瞬間冷却をここまで防いだのはお前が初めてだ」

 

 ヤナギの賞賛にウルガモスを操るアデクは、「こんなもんじゃないはず」と応じた。

 

「まだまだ先があろう」

 

 アデクに自分の強化を命じたのは他でもない、キュレムの先を知るためである。ヤナギに使役されているキュレムはミュウツーと戦った時とは違い、黒い姿になっていた。どうやらキュレムは二つの姿を行き来出来るらしい。ただし、一度灰色の標準の姿に戻らねば二つの姿へと瞬時に変身する事は出来ず、その時間差を狙われればお終いである。ヤナギは黒いキュレムへと命じる。

 

「クロスサンダー!」

 

 キュレムが身体を軋ませ全身から青い稲光を放出する。凝縮し、一つの球体と化したそれをキュレムはウルガモスへと撃ち込んだ。その瞬間、球体が弾け飛び、青い十字架を広げる。「クロスサンダー」はその名の通り、電気タイプの技だ。まさかキュレムに電気の素養があるとは思っていなかったがどうやらキュレムは黒い電気タイプの姿と白い炎タイプの姿を行き来出来るらしい。ただし、炎や電気が付加されるわけではなくあくまでタイプは氷・ドラゴン。その事実はウルガモスの攻撃を何度か受ければ身に沁みた。

 

「電気で大仰な技じゃけれど、受けるのはそう難しい話じゃないな」

 

 ウルガモスは「クロスサンダー」の直撃を受けてもなおまだ健在であった。その理由をヤナギは知っている。ウルガモスが翅を擦り合わせ、身体を揺らして炎を操り舞い踊る。その度に蜃気楼のようにウルガモスの姿が霞んだ。虫タイプの能力変化の技「ちょうのまい」。それによってウルガモスは直撃を回避し、なおかつ自分の能力を上げる事が出来る。これがウルガモスの強さの秘密だ。元々能力値が高い上にこの技を積まれるといくらキュレムが伝説クラスとはいえ倒すのが困難になってくる。しかもヤナギが得意とするのは瞬間冷却。つまりは氷タイプの技だ。炎に氷はあまり効かない。ウルガモスほどの強力なポケモンと優勝候補の一角と評されるアデクの実力も相まってより強大な敵と化している。

 

「氷壁もすぐに破られる。こちらの防御は当てにしないほうがいいか」

 

「ヤナギ。オレは、お前さんを許したわけじゃない。だがな、オレも強くなる必要があるんじゃ。だからこそ、全力でいかしてもらう!」

 

 その言葉にヤナギはフッと口元を歪めた。

 

「笑わせるな。お前如きの全力が俺の牙を折る結果にはならない」

 

「どうかのう!」

 

 ウルガモスの発生させた炎が渦を成し、刃のようにキュレムへと突き進む。ヤナギは即座に声を飛ばす。

 

「瞬間冷却、レベル8!」

 

 瞬間冷却を相手の炎とぶつけるが差は歴然だ。炎の出力が鈍った様子はない。

 

 ――押し負けているのか。

 

 脳裏に浮かんだ予感にヤナギは歯噛みする。アデクに勝てなければミュウツーになど敵うはずがない。ヤナギは新たに声を発した。

 

「クロスサンダー! ウルガモス本体を狙え!」

 

 キュレムが片腕を振り上げ、掌に青い光を凝縮する。打ち下ろした瞬間、上空より「クロスサンダー」の光条が落下してきた。確実にウルガモスを貫いたかに思われた一撃はしかし、ウルガモス本体からは微妙に逸れていた。近くの地面を焼き焦がした一撃に、「惜しいのう!」とアデクが快活に笑う。

 

「ウルガモスを捉えられんようじゃ、ここから先は厳しいか」

 

「抜かせ」

 

 炎が瞬間冷却の網を抜けてキュレムへと直撃する。キュレムの氷の身体を炎が融かした。舌打ちを漏らしヤナギはキュレムに後退を命じる。

 

「少し下がれ。ウルガモスの射程は長いが、俺達の射程距離のほうが勝っている」

 

 ウルガモスは特殊攻撃力に秀でた遠距離攻撃型。だが近距離もその器用さで乗り切る事が出来る。比して、キュレムは明らかに中距離型だ。視界にある範囲しか攻撃を放てない上に、自分に近過ぎればトレーナーを巻き添えにしてしまう。扱いづらいポケモンであった。マンムーならば近距離から中距離、果ては長距離までこなせたというのに。だが今は相棒を惜しんでいる場合ではない。キュレムが扱いづらいのならば扱いやすくなる領域まで引き上げるしかない。

 

「コールドフレアを使うか」

 

 ヤナギがすっと手を掲げる。しかし、キュレムは攻撃態勢に移らない。何故、と思っている間にも炎が周囲を囲い込む。

 

「どうやらあの無茶苦茶な威力の技は出んようじゃな」

 

 アデクがウルガモスを前に出す。ウルガモスから放たれた炎熱にキュレムが耐え凌いでいるが限界が訪れるのは必至だ。次に一撃を食らえばまずい。ヤナギは拳をぎゅっと握り締める。この程度なのか。ここから先はないのか。

 

「ウルガモス、炎の舞!」

 

 ウルガモスが全身から炎の鱗粉を巻き上がらせ、キュレムへと熱気を放つ。段階的に発生した熱気はすぐさまキュレムを押し包み、そのまま潰してしまうかに見えた。だが、その瞬間、キュレムは尻尾から青い光を身体へと取り込んだ。何をするつもりなのか、ヤナギにも分からない。だが何かが放たれる予感だけはあった。ヤナギは手を薙ぎ払う。

 

「撃て!」

 

 キュレムの体内が青く明滅し、四方八方へと電流が放たれる。青い電撃はそれだけで地形を変えかねないほどの威力を誇った。地面が捲れ上がり、ある部分は隆起している。地層が内側から熱膨張で膨れ上がったのだ。その現象にヤナギは瞠目する事しか出来ない。アデクも足を止めて驚愕に目を見開いている。ウルガモスがあと少しでも踏み込んでいれば電流の領域に入っていた。すぐ傍の地面が黒く焼け焦げている。

 

「今のは……」

 

「一旦、戦闘を中断しよう」

 

 ヤナギの提案にアデクは素直に従った。今の現象を解明する必要があった。キュレムは静かに白い呼気を吐き出している。 ヤナギは手袋をはめて地面を掘り返した。すると驚くべき事に、手袋越しでも分かるほどに地面は凍て付いていた。てっきり、地面に電流が走り、焼けたのだと思い込んでいたがそうではない。これは凍結攻撃だった。それと同時に電気を放ったのだ。まず地面を凍て付かせ、それを苗床に電流を相手の体内に送り込む技、と見るのが正しいようだ。

 

「どうじゃ?」

 

「これは、凍結攻撃だ」

 

「じゃあ氷タイプなのか? オレには今の攻撃は青い電撃にしか見えんかったが……」

 

「そこに秘密があるのだろう。コールドフレアが撃てなかった。どうしてだか、俺はこう推測する。この姿では撃てない。コールドフレアは、あの白い姿の時にだけ撃てる技なんだ」

 

 ヤナギの推測に、「じゃあ、コールドフレアは」とアデクがキュレムを仰いだ。

 

「この状態の時、どうなっている? ポケモンの技は覚えたり忘れたりして何度も繰り返せるようにはなっているが、そんな瞬時に覚えて忘れてを出来るようには……」

 

「恐らく覚えて忘れているのではなく、形態によって入れ替わっている。常時が凍える世界だと仮定して、白い姿の時が光を乱反射させて相手に爆撃を放つコールドフレア。黒い今の姿の時に撃てるのは、その代わりの技だ。相手へと瞬時に凍結範囲を広げ、体内に電気を放つ技。名を冠するのならばフリーズボルトとでも呼ぶべきか」

 

「フリーズボルト……」

 

「全方位を選べる分、コールドフレアよりもカウンターに秀でた技だと思えばいいだろうな。相手を包囲するのがコールドフレア、多数の相手を一挙に対処するのがフリーズボルトと考えるのがいいだろう」

 

「今の技、まさか本当に使おうとは思わんじゃろうな?」

 

 アデクが冗談めかして笑う。だがヤナギは、「何事も試さねば」とアデクを見据えた。

 

「あんな無茶苦茶な技、オレのポケモンに撃たせられるかい。体内に電気を送り込むって事は炎の包囲陣もまるで役に立たんいう事じゃからな」

 

 ヤナギは舌打ちを漏らし、「しょうがないな」と応ずる。

 

「木でも目標にして何度か撃つ練習をしよう。コールドフレアよりかは被害が少なくって済みそうだが、それもどうかな。錬度を上げればそれ以上の技になるかもしれん」

 

 ヤナギの言葉に、「それとスパーリングさせられる身にもなれよ」とアデクが口にする。ヤナギは口元に笑みを浮かべ空を仰ぐ。

 

「暮れてきたな」

 

「宿に戻るか?」

 

「いや、俺はキュレムとの連携を固めたい。このサファリゾーンはもう野生もいないから安全だ。ここでキャンプを張る」

 

「言うと思ってな」

 

 アデクは離れたところにあるキャンプ用の荷物をウルガモスに取って来させた。ヤナギは、「男二人でキャンプか」と呟く。

 

「嫌か?」

 

「好ましくはない」

 

 その言葉にアデクは微笑んだ。

 



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第百四十六話「氷の要塞」

 

 キュレムはボールに戻さずそのままの状態で放置する事に決めた。黒い姿がどれだけ持続するのか、試したかったためでもある。白い姿の持続時間は既に計測済みだった。

 

「どうしてキュレムを戻さん?」

 

 アデクが火を焚きながら不思議そうに尋ねる。

 

「一日でも早くキュレムとの連携を固めるのならばボールに戻す時間すら惜しい。それに、計っている」

 

「何を」

 

「黒い姿の持続時間だ。白い姿は最大三時間。だがコールドフレアを使用すればそれは半減する」

 

「よくそこまで……」

 

 アデクが感心する。火を焚くのにもアデクはポケモンの力に頼っていなかった。

 

「どうしてウルガモスを使わない。火を使うのは十八番だろう?」

 

 アデクは丸太に座り込んで、「人間、楽なほうに流れちゃお終いよ」と応ずる。

 

「確かにウルガモスならこの程度の火、すぐに起こせる。だが、楽な事にポケモンを使ったんじゃな。いつか、本当に必要な時、戦闘出来ないのでは話にならん」

 

「違いないな」

 

 ヤナギは応じてアデクの対面の丸太に座り込んだ。丸太は「フリーズボルト」の練習に使用したもので結果的に程よい大きさに切り分けられている。どうやら「フリーズボルト」は斬るような動作にも使えるらしい。電気で焼き切ったのだろう。ちょうどのこぎりのように。

 

 ヤナギが「フリーズボルト」について纏めたのは三点だった。

 

「フリーズボルト。分かったのは、自分を中心に四方八方へと凍結範囲を伸ばす技。その瞬間に電気を生じさせ、相手の体内に送り込んで暴発させる。逆に言えば凍結範囲が伸びなければ相手に命中させられない。二つ目に分かった事、凍結の速度は瞬間冷却よりも速いが、範囲自体は短い。レベル5と同程度。つまり、キュレムの視界の範囲。これがネックだな。見えない敵やあまりに遠過ぎる敵だと命中しない。三つ目、コールドフレアと同じく撃てる回数に制限がある。最大の威力ならば二回が限度。そこから先は撃つ度に威力が下がる」

 

「それでも、この威力ならば大したものじゃて」

 

 アデクが周囲を見やる。隆起した地面や縦に断ち割られた木などが散乱している。草むらは端から端までが根こそぎ焼かれていた。

 

「だがこの程度ではミュウツーには勝てない」

 

 ヤナギの出した結論にアデクは火に薪をくべながら、「そのミュウツーじゃがな」と口にする。

 

「オレは、全く動けんかった。あれを前にすれば、もう勝てん言うのが嫌と言うほど分かった。ウルガモスでいくら策を弄そうと無駄。今までそんな事は感じた事もなかったが、あれだけは特別じゃ。殺気の塊、狂気の渦、鬼、どう形容しても当てはまらん」

 

 アデクの言い分はヤナギにも分かる。相対してみてあれほどのプレッシャーは感じた事がない。キュレムが萎縮したのが肌で分かったほどだ。

 

「伝説でさえ縮み上がる。あれは何だ?」

 

「オレは最初、ヒトかと思った」

 

 ヒト。その言葉は奇妙に浮いて感じられる。確かに人型ではあるのだが、あれはヒトとは真逆の位置にいる存在であった。しかしそれでいて何よりもヒトに近いポケモンである事は理解出来る。

 

「手足の長さも、肌の色もそうだが、あれはヒトを想起させるな」

 

「そう生易しいものじゃない事はお前さんが一番よく分かっておるじゃろうが」

 

 想起させる、なんてものじゃない。直感的に攻撃を忌避させる。それがミュウツーというポケモンにあった。

 

「原初の記憶か、どうか分からないが、俺にはキュレムが攻撃を躊躇ったようにも思えて仕方ない」

 

「手持ちを疑っているのか?」

 

「違う。キュレムは攻撃動作に移ったし、実際攻撃もした。だが、迷いがあったと言うべきか……。キュレムの中に、何か本能的に組み込まれたプロテクトでもあった、と思う……。そうとしか今は言えない」

 

 明言化出来ない歯がゆさにヤナギは舌打ちを漏らす。だが似たような忌避を感じた事ならばある。

 

 ――オーキド・ユキナリとオノノクス。

 

 ミュウツーの放つものはあれに酷似している。シルフビルでの戦闘局面、オノノクスに進化した際、放たれた黒い光条。持っていた殺気がまるで同じだった。しかし、とヤナギはこの考えを止める。だとすればユキナリとミュウツーが同じ存在になってしまう。それだけはヤナギの中で避けたかった。勝てなかった存在と、勝てる気のしなかった存在が同じなど。

 

「お前さんでも分からん事があるか」

 

「キュレムを手にし、ヘキサも手中に入れた時、俺は正直、覚悟を決めたつもりだった。オーキド・ユキナリを抹殺し、全てを自分の思い通りにすると。だが、結果的にオーキド・ユキナリは彼岸へと旅立ち、俺は何も出来ず立ち尽くすばかりだった」

 

 これがヘキサツールに刻まれた人間とそうでない人間の隔絶か。ヤナギの言葉にアデクは、「オレもユキナリとの差は思い知った」と告げる。

 

「ユキナリを超えようとも思ったな。だが、今にして思えば、それは一時の感情に身を任せた事に過ぎなかった。完全に敵視する事も出来なくってな。どっちつかずなんだよ、オレは」

 

 アデクは鍋を炎にかける。スタンドをつけて鍋を固定し、ぐつぐつと煮込み始めた。

 

「レトルトだがシチューじゃ。うまいぞ」

 

「俺は今まで宿屋できちんとしたものを食ってきたクチでね。こういうのは身体が受け付けない」

 

 ヤナギの言葉にアデクは、「勿体ない奴じゃのう」とシチューを混ぜ始める。

 

「お前さん、どこの出身じゃったか」

 

「ジョウトだ。チョウジタウンで代々、長の家系でね。父上は……きっと心配しているだろう。あの人はそういう人だからな」

 

 自分の声明がどう受け止められたのかも分からない。確認のしようがないが、恐らく父親であるカンザキ執行官は対応に追われている事だろう。父親の仕事を増やしてしまった事に一抹の罪悪感を覚えないでもなかった。

 

「族長、みたいなものか」

 

 アデクの言い回しにそういえば先住民族の末裔という触れ込みだったかと思い出す。

 

「みたいなものだ」

 

「瞬間冷却は、あれは誰かに教わったのか?」

 

「祖父にな。父上には戦闘センスは遺伝しなかったが俺には遺伝した。お爺様はとてもかわいがってくださったが、一番に厳しい師匠でもあった。ウリムーによる瞬間冷却術、血液凍結、表皮凍結、氷壁、あらゆる凍結術を俺に叩き込まされた。子供の頃の俺は泣いて怖がった時もあったが、何よりもそれが自分に必要なのだと本能の部分で分かっていたのかもしれない。どれだけ怒鳴られてもお爺様のところに行った」

 

「チョウジタウン、って言うとジョウトでも真ん中よりちょっと西のほうじゃないか」

 

 アデクがポケギアの地図機能を呼び出してちょうどチョウジタウンの場所を探していたらしい。アデク自身はジョウトに渡った事はないのだろうか。

 

「ジョウトには?」

 

「一度もないな。そもそもカントーに来たのだって初めてじゃし」

 

「イッシュからか。不安はなかったのか? その、言葉とか……」

 

「一応は標準語と呼ばれているものをマスターしたつもりじゃけれどな」

 

 その割にはアデクの口調は随分とジョウト寄りだ。ヤナギは、「まぁ支障がないのならばいいが」と濁す。

 

「なんじゃい。何か言いたい事でもありそうじゃな」

 

「いや、お前は、どういう家系だったんだ? 公式の情報では先住民族の末裔という事だったが」

 

「ああ。まぁ末裔と言えば末裔かな」

 

 アデクの言葉に含むものを感じヤナギは問いかけていた。

 

「公式に不備でもあったのか?」

 

「いや、不備はないが。……せっかくじゃし、言っておこう。イッシュではな、奴隷制度というものがつい何十年か前まであってな」

 

 シチューを混ぜるアデクの言葉に苦渋が滲み出ていた。奴隷制度。ヤナギも聞いた事くらいはある。イッシュに根付いていた選民意識。それが先住民族との衝突を招いたと。

 

「イッシュは、その、カロスから渡ってきた人間も多かったんじゃ。だから、人種差別ってもんが……。恥ずかしい事じゃが」

 

 アデクは自分の恥のように口にするがそれはカロスの人間達の恥部なのだろう。自分達は虐げられていた。それをアデクは自分達も悪かったように口にする。

 

「後から来た人間達が勝手につけたものだろう」

 

「それでも、戦ったオレ達も悪いと言えば悪いんじゃ。相手が敵だと決めつけてかかったのはどちらも同じじゃからのう」

 

 相容れない敵だと思い込む。自分とユキナリもそれだったのかもしれない。シルフビルで対峙した時、あるいは谷間の発電所で合間見えた時、何故言葉による理解よりも戦闘を優先したのか。それは自分の中にある敵意を相手に見たからだろう。

 

「抗ったお前達は悪くないだろう。価値観が違えば、争うものだ」

 

「そうじゃのう。お前さんの言葉ももっとも。だがな、もし価値観が同じになった、今のような時代だとしても依然として差別はある。カロスの人間はオレ達を許さんじゃろうし、オレ達の中にもあいつらを許さんみたいなものはある。イッシュ建国神話を聞いた事があるか?」

 

 思わぬ問いかけにヤナギはシロナが言っていたイッシュの英雄伝説を思い出す。

 

「確か、白い龍と黒い龍が争って、イッシュ地方が焦土になったとか言う、あれか」

 

「あの建国神話、いや英雄伝説か。あれはカロスから持ち込まれたものかもしれない、って言い出す研究者もいてな。イッシュには何もなかった。それこそ古い因習に縛られた土地だった、って言い出す輩が本国にはおる」

 

 それは、とヤナギは言葉を濁す。それではまるでアデク達の居場所などないではないか。アデクはその視線を感じ取ったのか、「別に英雄伝説がイッシュ独自のものだとか」と続けた。

 

「そういう固い物の見方を強制するわけじゃない。ただな、まだお互いの理解は難しい、っていう話じゃ。歩み寄れたと思ったら実は平行線だった、なんて事はよくある話で……。オレは、結局、赦しを請いたいだけなのかも知れんな」

 

「誰に?」

 

 アデクは自分の分のシチューをカップに注ぎながら、「誰に、か」と呟く。

 

「ユキナリを否定したまんまじゃ寝覚めが悪い。オレは絶対にユキナリに再会したい」

 

 ヤナギは頬杖をついた。

 

「お互い、オーキド・ユキナリには貸しがあるというわけか」

 

「話が早いな。そう。あいつにこのまま消えてもらっちゃ困る、っていう点で言えばオレもお前さんも大して変わらん」

 

 アデクは快活に笑った。ヤナギは、「大して変わらない、か」と口にする。

 

 だがアデクは仲間で自分は敵だろう。ユキナリにとってそれは覆らないはずだ。ならば、自分は敵であり続ける事が正しいのではないか。あの時はキクコ奪還のために手を組んだに過ぎない。本来は相容れない敵同士。

 

「……だが、オーキド・ユキナリにとって帰るべき場所があるとすれば、それはお前達のところだ。俺では決して用意が出来ない。そのようなところなんだからな」

 

 呟いていると背後のキュレムが身じろぎした。どうやら黒い姿の限界が訪れたらしい。ポケギアを見やる。

 

「一時間半か。白い姿に比べると短いような気がするが、フリーズボルトの反動だろう。一時間半を目処にして戦闘を行なう」

 

 キュレムが灰色の龍の姿へと戻る。アデクが、「似ているな」と呟いた。

 

「似ている? 何とだ?」

 

「英雄伝説に出てくる二体の龍に。今にして思えば白い姿はその片割れ、黒い姿もその龍の一部と見えなくもない」

 

「その姿は?」

 

 アデクは枝を使って地面に描くが下手な絵で分かったものではなかった。

 

「まぁ、とにかく似ておる。そのキュレムって言うポケモン、どこで手に入れた?」

 

「これは、ヘキサが輸送してきたんだ。イッシュから、と言っていたか」

 

 そう考えると英雄伝説のポケモンと全くの無関係ではないのかもしれない。だが、英雄伝説の龍は二体のはず。一体のポケモンになったという話は聞いていない。

 

「イッシュにも秘境ってものがまだ残っていてな。北方のカゴメタウンっていうところにジャイアントホールって場所がある」

 

 アデクは枝を振り回して語り出した。まるで怪談でも語っているかのような話し振りだ。

 

「ジャイアントホールには誰に近づかん。夜になると奇怪な呻り声が聞こえてくるんだと。それが悪魔の呼び声じゃと信じて疑っていない連中が住んでおる」

 

「オカルトだな」

 

「だが、実際にオレもその呻り声を聞いた。その声と、キュレムって奴の声が似ているような気がしたんじゃが……」

 

 アデクがキュレムを仰ぎ見る。ヤナギは、「偶然だ」と切り捨てた。

 

「俺は信じていないものが二つある。俺よりも強い奴と、そういうオカルト話だ」

 

 ヤナギの言葉にアデクは、「怖がっておるのと違うか?」とからかった。ヤナギは相手にせず、「どうだかな」とかわす。

 

 そのようなポケモンを使っているのだとすれば自分は悪魔を使役しているのか、それとも使役されているのか。どちらともつかない。ただキュレムは自分を認めてくれている。ハンサムが焼け死に、自分がその末路を辿らなかったのは実力があるからだ。それだけは自負としてあった。キュレムをボールに戻す時、アデクが、「おいちょっと待て」と声を出した。怪訝そうに振り返る。

 

「何だ? 今日のスパーリングはもう」

 

「そうじゃない。キュレム、足元に何かが浮かんでおるぞ」

 

 アデクの指摘にヤナギはキュレムが冷気を用いて足元の地面を凍らせ、何かを描いている事に気づく。慌てて歩み寄ると描かれていたのは複雑な地形のようなものだった。キュレムはレーザーを放射するように冷気で地面を刻んでいる。何か意味のある事だとヤナギは判断した。

 

「何の意味が……」

 

「ちょっと見せてみい」

 

 アデクがシチューを持ったまま歩み寄り、窺い見て、「こりゃ設計図だ」と口にする。

 

「設計図?」

 

「ああ、ちょうどこの辺に」

 

 アデクが指差したのは貫いている十字の線であった。

 

「大きさを表す線が刻み込まれている。これは三次元の設計図だ。キュレムは何通りこれを作っている?」

 

 唐突な質問に、「俺が分かるか」と突っぱねる。アデクはキュレムの足元を探った。キュレムは足を退ける。その下から新たに設計図らしきものが浮かんでいた。

 

「どうやらオレ達が喋っている間にキュレムはこの設計図を組み上げていたようじゃな。いくつもある。ヤナギ、紙はあるか?」

 

「そんなもの持っているわけがない」

 

「じゃあポケギアにそういう機能はないか?」

 

 そういえばポケギアには写真撮影機能がついていたか。ヤナギは、「写真なら出来るが」とポケギアを掲げる。

 

「じゃあ撮れ」

 

 アデクの物言いにヤナギは、「何を真剣になっている?」と尋ねた。

 

「何なのかまるで分からないもののために」

 

「まるで分からない、というわけでもあるまい。キュレムが、ポケモンが作った設計図じゃ。何かの意図が見え隠れする」

 

 アデクの声に、「まさかヘキサの?」と訊いていた。ハンサムが予め仕込んでいた罠か。だがアデクは、「ヘキサじゃとして、今開示する意味が分からん」と答える。もっとも話だ。

 

「恐らくは、これはキュレムの意思なんじゃないか?」

 

「キュレムの?」

 

 ヤナギはキュレムを仰ぎ見る。キュレムが何を考えているのか推し量る事は難しい。マンムーならばもっと心が通じ合えていたのだが、昨日今日で何もかもをお見通しの仲というのは無理な話だ。

 

「キュレムの意思だとして、何を伝えている?」

 

 アデクはポケギアで撮影しながら、「さぁな」と応ずる。

 

「さぁな、って、これを設計図だと言ったのはお前だろう。何を根拠に」

 

「オレ達が作っていた家の設計図によく似ている。これはイッシュ伝統の図法じゃ。だから一発で設計図だと分かった」

 

 だとしても何の。疑問が深まるばかりだったがアデクは呟く。

 

「こりゃ、船じゃな」

 

「船、だと?」

 

 思いも寄らない言葉にヤナギは眉根を寄せる。

 

「そう。船の設計図。だがこの設計図の奇怪なところは、このスケールじゃと明らかに数年、いや数十年単位のものが出来上がるという事じゃ」

 

「だったらキュレムはデタラメを伝えている」

 

「オレはそうは思わん」

 

 即座に否定されヤナギは、「何故」と問うた。

 

「ポケモンは嘘をつかんよ。嘘をつくのは人間だけじゃ」

 

 その言葉は不思議な重みを持っていた。自然賛美というわけではないが、アデクの声音には生活に根ざしたものがある。

 

「……だがこの船、図法はともかくとして何で作ればこのスケールが可能になる? 木材で作るにせよ、何年何十年単位の設計図をオレ達に見せるのはどうしてじゃ?」

 

 ヤナギはキュレムの目を見つめる。黄色く光る眼は何かを訴えかけているようだった。不意にヤナギは呟いていた。

 

「……氷だ」

 

 その言葉にアデクが振り返る。

 

「氷で作るんだ。キュレムほどの冷気の使い手ならば何年も何十年もかからない。せいぜい十日前後で作れる」

 

 ヤナギの口調に、「おいおいおい」とアデクが突っかかる。

 

「いくらなんでも氷の船ってのは納得がいかん。動力はどうする? 氷は半導体。電気はほぼ通さんぞ」

 

「一つだけ、氷を苗床に動力にする方法がある」

 

 ヤナギの声にアデクは息を詰めた。

 

「その方法は?」

 

 ヤナギはキュレムを仰ぐ。きっと、これが言いたいに違いない。

 

「キュレムそのものが船の動力だ」

 

 アデクが声を詰まらせる。あまりに信じられない言葉だったのだろう。キュレムとヤナギを交互に見やり、「だがな、ヤナギ」とアデクはうろたえる。

 

「そんな事をすれば戦力のダウンどころでは済まないぞ。キュレムが使えんとなると、こちらではお前さんという貴重な戦力を失う事になる」

 

「誰も、キュレムが動力になっている間動けないとは言っていないだろう」

 

 その言葉にアデクは目を丸くする。

 

「ただの船じゃない。キュレムの設計したこれは戦闘母艦だ。自分も攻撃出来るように仕込んでいるはず。そうでなければキュレムが俺達に伝えるわけがない」

 

「し、しかしな、お前さん。本当にキュレムの生成能力で十日前後なんじゃろうな?」

 

「俺にも分からん。だが、試してみる価値はある。キュレムの氷は、そうそう融けはしない。明日から作業に取りかかろう。アデク、お前は設計図を纏めておいてくれ。イッシュ伝統の設計図ならば解読するのは俺ではなくお前だ」

 

 ヤナギの言葉にアデクは設計図を写真に収め、「どうなっても知らんぞ」とやけっぱちに呟く。

 

「さぁな。だがきっと悪いほうには転がらないはずさ」

 



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第百四十七話「歩み進む」

 

 新聞各紙を震撼させるかに思われたヘキサの声明は翌日になっても報じられなかった。

 

 おかしいと感じたチアキはゲート付近で待ち合わせた。スパーリングを繰り上げてでも、確かめねばならない。今、世界はどう動いているのか。波止場のほうから駆けて来る雷撃の獣の蹄の音に顔を上げる。チアキの視線の先にはゼブライカに跨ったカミツレの姿があった。カミツレは黄色いファーコートを羽織っておらず地味目の黒い服装に身を包んでいる。電線のようなヘッドフォンもしていなかった。カミツレを知らない人間ならば見落としただろう。カミツレはゼブライカから降りて、「シオンタウンまで行って来たわ」と告げる。

 

「どうだった?」

 

「新聞の中のごく一部だけが報じていた。それも信憑性に欠けるスポーツ新聞社が一つ」

 

 その事実の示すものをチアキは噛み締める。

 

「握り潰された、というわけか」

 

 しかしヘキサ以上に権力を持つ組織とは何だ。チアキは少なくともヘキサが最高権限を持ち合わせていると思い込んでいただけに思い浮かばなかった。

 

「……シロナから聞いた話なんだけれど」

 

 カミツレが言い辛そうに口火を切る。この場でシロナの名前を出す事に抵抗がある様子だった。

 

「何か言っていたのか?」

 

「私達でも観測出来ない闇の組織があるって言っていた。仮面の軍勢、って呼んでいたけれど正式なところは分からない。もしかしたらそいつらかも」

 

「仮面の軍勢……」

 

 チアキは初耳だったが今の情勢下でロケット団とヘキサ以上に動けるとなればそれを疑うしかない。ロケット団はヘキサの声明を抹消する意味がないので第三者の組織が関与している可能性は充分にあった。

 

「ヤナギは?」

 

 カミツレは首を横に振る。

 

「私達にはそういう話はしてこない」

 

 一人で抱え込むつもりか。何も知らない、という事はあるまい。ハンサムを襲撃した際、全ての真実を知らされたとヤナギは言っていた。

 

「私達もまだ信用されていないという事なのか」

 

 あるいは誰にも話すつもりはないのかもしれない。ヤナギはそういう人間だ。

 

「チアキさん。この事、私達以外には」

 

 チアキは頷く。

 

「ああ、秘密にしておこう。ナツキ達に余計な心配をかけても仕方がないからな」

 

 今は自分とのスパーリングで強くなってもらわねば。そのための障害となる情報は出来るだけ耳にさせたくなかった。

 

 カミツレはくすりと微笑む。

 

「何だ?」と怪訝そうな声を出すと、「チアキさん、結構乗り気なのね」とカミツレは顔を覗き込んできた。

 

「最初はスパーリングなんて、って言っていたくせに」

 

 カミツレの声にチアキは唇を尖らせた。

 

「やるからには真剣に、というだけの話だ。スパーリングとはいえ戦闘には違いない。メガシンカを扱うのならば命の危険も出てくる」

 

「ナツキさんは、それを押してでも戦おうとしているのね」

 

 傷つきながらも何度でも立ち上がるナツキの姿が脳裏に浮かびチアキは、「ああ」と首肯していた。

 

「ナツキには心の中に強さがある。それが悪鬼羅刹のものか、それとも善性なのかはまだはかれていないがな」

 

 もし悪鬼のものだとするのならば封殺するのは自分の役目だ。チアキの密かな覚悟にカミツレは、「でも、私だけやる事ないしつまらないわね」と髪をかき上げた。

 

「ゼブライカとの連携を固めればいいだろう?」

 

「そうだけれど……。やっぱりサンダーを失ったのは痛いわ。今まで割と自由に出来たのはサンダーのお陰だし」

 

「ゼブライカは貴公のパートナーだろう」

 

 チアキの声にカミツレは、「そうだけれど」と額に手をやる。

 

「だったら信用してやる事だ。信じる事からのみ、それは始まるのだからな」

 

 チアキの言葉にカミツレは、「やっぱり変」と笑う。

 

「何がだ。私は至って真剣に――」

 

「そういうのが、よ。チアキさん、最初は冷たい刃みたいな人かと思ったのに話してみると誰よりも熱くってちょっと戸惑っている」

 

 チアキは心外だと言わんばかりに眉根を寄せたがそれは誰にしたところで誤解される部分だった。戦いにのみ悦楽を感じる事が出来る鬼だと形容され、チアキは今まで女性らしく振舞う事さえ許されていなかった。それがここに来て自分より強い相手に巡り会い、共に手を取り合うことの大切さを説いているのだから不思議なものである。自分の中にない言葉は生まれない。だからこれはきっと自分が原初より抱いている言葉なのだろう。

 

「私は、そう冷たくあしらっているつもりはないのだが」

 

 カミツレは、「そういうのにまず疎い人だと思った」とますますおかしそうだ。チアキは、「そう思われていたとはな」と呟く。

 

「ちょっとそこで話でもしないか?」

 

 チアキが指差したのはこの街でも残り少ないベンチだった。カミツレが、「デートでもするの?」と茶化す。

 

「必要な話だ」とチアキが真面目ぶって答えると、「冗談よ、冗談」とカミツレは笑った。馬鹿にされている気がしないでもないがチアキは黙っておいた。

 

「今回、サンダーが奪われた」

 

 座るなり口火を切るとカミツレは、「そうね」と顔を伏せる。自分のせいだと思っている面もあるのだろう。

 

「だが、私がまず疑っているのは貴公が何故、サンダーほど強力なポケモンを持つ必要があったか、だ」

 

 それには思い至らなかったのだろう。カミツレは、「そりゃ、戦力として増強するために」と口にする。

 

「貴公とてジムリーダー。ゼブライカだけでも申し分ないはず。何故、ヘキサは伝説のポケモンを揃えようとしていたか」

 

 その部分に真実があるような気がしてならない。伝説のポケモンを集め戦力を増強し、ヘキサは何と戦うつもりだったのか。カミツレは、「言われてみれば」と呟く。

 

「シロナにヘキサに入ったほうがいいって言われて入ったけれど、実際にはほとんど何も知らないも同義だった。それもこれも狂わせたのは」

 

「ジムリーダー殺し」

 

 チアキが声にする。ヤナギから誘われる際にも条件となった言葉だ。チアキは仮定する。

 

「もし、ジムリーダー殺しの一件とヘキサが繋がっていたとすればどうする?」

 

 その言葉にカミツレが瞠目した。その可能性に、「ありえないわ」とカミツレが首を振る。

 

「何故、あり得ないと言える?」

 

「だって、ジムリーダー殺しを調査していた団体よ。それなのにその実は繋がっていたなんて」

 

「実力者を募るための条件付けとしてジムリーダー殺しを誘発させていたとしたら? あるいは犯人が分かっていて放置していた」

 

「根拠がない」

 

 カミツレが返すと、「確かに、その通りだ」とチアキは頷く。

 

「だが否定も出来ない。ジムリーダー殺しの一件が原因でヤナギはヘキサに入った。貴公も、それに私も。ヘキサは何と戦う気だったのか」

 

「仮面の軍勢?」

 

「当らずとも遠からず、と感じるが、私はもっと包括的に、ヘキサが戦うべきだと思っていたものを考える」

 

「何かあるの?」

 

 この可能性はもしかしたら間違っているかもしれない。だが、今回の一連の騒動を見るに考えに浮かぶ一事ではあった。

 

「歴史、だと私は考えている」

 

「歴史、ってどういう意味なの」

 

 分からないのも無理はない。だがヤナギが隠し通している真実のうち、これだけは信憑性の高いものだと感じていた。

 

「シロナから聞かされなかったか? このカントーという土地には歴史がない、と」

 

「ええ、そういう事をシロナは言っていた。伝承、神話がない地域だと」

 

「もしも、の話だが、今まで連綿と続いてきたカントーの歴史がもし操られていたものだとしたら? その仮面の軍勢とやらによって」

 

 チアキの話は突飛にも思われただろう。カミツレは額に手をやって、「そんなの……」と息を詰まらせる。

 

「あるわけがない、と言えないと私は思うがな。カントーの王の突然の崩御、その後の第一回ポケモンリーグ、オーキド・ユキナリという特異点、これらのキーワードを連立させて歴史に辿り着くのは全くの意想外ではない」

 

 あるいは、とチアキは考える。歴史を巡ってこの戦いが勃発していたのだとしたら? ヘキサの求める歴史、仮面の軍勢の求める歴史、ロケット団の求める歴史が違うからこそ起きている諍いなのではないか。

 

「でもたかが歴史に……」

 

 カミツレの言葉に、「されど歴史は、一国の興亡を左右する」と差し挟んだ。

 

「後年になって、その国の正義と悪を断罪するのは、結局のところ歴史でしかあり得ない。私はこの可能性を掲げるが、ここから先が頼みだ」

 

「何?」とカミツレが窺う。

 

「ヤナギには言わないで欲しい」

 

「どうして?」

 

 この可能性を一刻も早くヤナギに伝えるべきだとカミツレは考えているのだろう。チアキは視線を振り向ける。

 

「ヤナギは、この可能性どころか真実を知っている。私達が下手に出ればヤナギは事を急ぎかねない。そうでなくってもあれはすぐにでも敵陣を攻めたがっている。自分の中に強さがない事を誰よりも歯がゆく思っているはずだ」

 

 自分がヤナギの立場だとしてもそうだろう。真実を知るのは少ない人間だけでいいと考える。チアキの言葉にカミツレは暫時言葉を失っていたがやがて頷いた。

 

「分かった。言わない」

 

「すまないな。私の勝手な推論で貴公を止めてしまって」

 

「いいわよ。それにチアキさんって男前過ぎる気があるから、こういう時にだけ女の人なんだって分かるし」

 

「……それは、大変に不本意な話だが」

 

 チアキがむくれていると、「冗談、冗談」とカミツレが肩を叩いてきた。本当に冗談だと思っているのだろうか。

 

「でもヤナギ君、チアキさんの言う通り真実を抱え込んでいるのだとしたら、酷よね」

 

「ああ」とチアキも同調する。ヤナギは自分一人だけで全てを解決しようというのか。ユキナリの事も、シロナの事も抱え込んで。さらに世界の真実まで知っている。これ以上、あの脆い双肩にどれだけ抱え込ませるというのだろう。

 

「そうさせないために私達がいるんだ」

 

 チアキは強く言葉にする。ヤナギをこのまま逼塞させるわけにはいかない。どこかで救わねばならない。自分自身でしか本当の意味で救えないのかもしれないが、共に旅をした自分達にはその資格はあるはずだ。

 

「無茶無謀を重ねるだけが勇気ではない。どこかで誰かに頼るのもまた勇気なんだ」

 

「それも意外。チアキさんは自分一人でやれ、って言い出すかと思っていたから」

 

 カミツレの失言にもチアキは口元に笑みを浮かべる。

 

「そこまで私は冷徹になれないよ」

 

 ナツキに関してもそうだ。メガシンカを後押しする役目を背負いつつも、どこかで同じ痛みを分け合えないかと模索している。カミツレは立ち上がり、「そろそろ行かなきゃ」と口にする。

 

「ああ。時間を取ってすまなかった」

 

「ナツキさんの?」

 

「スパーリングだ。こいつも相当に焦っているから性質が悪い。焦ったところで何も好転しない。自分のペースで、と言っても聞き入れないだろうがな」

 

 よく分かっている。自分に似ているからだ、とチアキは結論付けて歩き出した。

 



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第百四十八話「強欲」

 

 並んだデータベース上の数値を眺めてほうと嘆息をついた。

 

「ポリゴンシリーズはここまで出来上がっていたのか。ボクでも予想外の数値だ」

 

 フジの呑気な言葉にカツラはコーヒーカップを持ち上げながら、「お前がミュウツーにかかりきりだったからな」と告げる。

 

「俺は俺で調整させてもらったよ。元々戦闘向きじゃないんだが、アップグレードとバージョンアップのパッチを組み合わせた結果、異次元空間でも作業可能なポケモンと化した」

 

 大番狂わせだ、とカツラは笑う。フジは羅列されるデータの数値を目にして、「特に変動がなければ」と口を開いた。

 

「このまま実戦投入しよう。こちらには面白いカードも揃った事だし」

 

 フジの目にはワイプモニターで映されたキクコの姿があった。キクコはカプセルの中で眠りについている。データを計測するためにカプセルに入れたのだが表示される情報はフジの予想の斜め上をいくものばかりだった。

 

「特異点としての覚醒を促した結果か。元々備え持ったものか分からないけれど、このキクコはポケモンの遺伝子情報が多いね」

 

 表示されるのはポケモンとの遺伝子情報の差だ。そこには九割同一と表示されている。つまり映っているキクコはほとんどポケモンなのであるが、一割だけ違う、人間の部分が今の彼女の姿を形成しているという事なのである。

 

「どうしてイレギュラーな一割程度で彼女が生成されたのか。興味は尽きないね」

 

「お前の事だ。既に仮説は立てているんだろう?」

 

 カツラの言葉に、「まぁね」とフジは返す。椅子に膝を立て、「仮説に過ぎないが」と前置きする。

 

「彼女はオーキド・ユキナリ君がそう望んだから産まれた存在、と思っている」

 

「理想、か?」

 

「ちょっと違うかな」とフジは首を横に振る。

 

「あれはね、理想なんて言う生易しいものじゃない。ある意味では生命の創造だよ。しかもポケモンが九割、人間の要素が一割にも関わらずキクコの姿を取った、新生命体だ。オーキド・ユキナリ君は覚醒した時にボクらが思っているよりももっと壮絶な何かを具現化した。滅び、もそうだけれど彼が生み出したのは何も無益なものだけじゃないんだ。全てを無に帰す、という行為は、無、という状態を生み出す事だからね。つまり、何故、何もないではなく何かがあるのか。あれは、無、の象徴と考えてもいい」

 

「なるほどな」とカツラはコーヒーメーカーからカップへとコーヒーを注ぎフジに手渡す。フジは苦み走ったコーヒーを口に運びながら、「カツラも見てみなよ」と呼びつけた。

 

「数値上だけでも面白い。一時間は暇を潰せる」

 

「だがお前に暇なんてないのだろう」

 

 心得たようなカツラの声に、「首尾は上々さ」と答える。

 

「新型ボールで捕まえたサンダーもきちんと制御下にある。君のファイヤーはそれこそどうした?」

 

「苦労して捕まえた個体だ。大事に保管してあるよ」

 

「もしもの時に使えないんじゃ世話はない。金庫よりもホルスターに留めておくほうがボクは賢いと思うけれどね」

 

「考えておこう」

 

 カツラはその実、フジの言葉を待っていただろう。ファイヤーをいつでも使える権限が欲しいのだ。だからと言って謀反を企てているような怖いもの知らずの輩でもない。ミュウツーがいればファイヤー程度すぐに制する事が出来る。

 

「ミュウツーの状態は?」

 

 カツラは機器を操作し、「肉体組織の九割が回復。だが」と顔を翳らせる。

 

「何かあるって顔だな」

 

「実のところ、どうしても治らない箇所もある。細胞が焼かれているんだ。それも氷と炎による連鎖攻撃の痕跡がある。一体、どんな怪物と一戦交えてきた?」

 

 フジはヤナギの攻撃を思い出す。「コールドフレア」だったか。あの一撃、思っていたよりも効いたようだ。強化外骨格はミュウツーの脆弱で不安定な細胞を守る意味もあったのだが、それを貫通してくる攻撃と早々に出会うとは。

 

「とんでもない怪物さ。ミュウツー以上かも」

 

 フジの発言にカツラは微笑んだ。

 

「悪魔を育てておいて怪物を恐れるとは。神をも恐れぬフジ博士らしからぬ発言だな」

 

 フジも微笑み、「悪魔だなんて」と返す。

 

「ミュウツーは精緻な芸術だよ。完全なる美を悪魔だと形容するのならば、それも当てはまるけれどね」

 

「実際、神も悪魔も紙一重だと俺は思うがね」

 

 カツラはウィンドウを切り替えて別の場所を映し出す。

 

「アグノム、ユクシー、エムリット。本気か? 逃がすというのは」

 

「ああ。今実行してもいい」

 

 フジの手元にエンターキーがある。これを押すだけで三体が自由の身になる。ただしポリゴンシリーズを引き連れた状態だが。

 

「俺には勿体無いとしか言えないね。赤い鎖の再形成も可能だろう? あれほどの武器はそうそうないぞ」

 

「カツラ、その考えにボクが至らないと思っているのかい?」

 

 フジは機器を操作し、カツラの近場の液晶にそれを映し出す。三本の灰色の鎖が培養液の中で浮いていた。

 

「赤い鎖のレプリカだ。バックアップを取るのは研究者の心得でも初歩の初歩だよ」

 

 カツラは一本取られたとばかりに口元に笑みを刻む。

 

「だが、状態を見るにあれは不完全だな。オーキド・ユキナリを封印した時のような効果は見込めそうにないが」

 

「まぁ、オーキド・ユキナリ君を封印したのが半永久的ならば、これは数時間ってところだろう。それでも充分さ。相手の防御を貫通し、無条件に無力化させる道具なんてないからね」

 

 対キュレム戦に使えるか、と思案する。だが、キュレムにはミュウツーで一矢報いたいものだ。自分の中の研究者の部分ではない。トレーナーとしての僅かな部分が報復を誓っている。自分も燻っているのだ、と自嘲した。

 

「ミュウツーと話させてもらえるか?」

 

 フジは立ち上がった。「彼は話せるのか?」とカツラが尋ねる。ミュウツーは培養液の中だ。

 

「言葉少なだが、ボクよりかはコミュニケーション能力があると思うね」

 

「違いない。お前はそういう部分が欠落しているからな」

 

 軽口を交し合い、フジは下階にあるミュウツーのカプセルへと向かう。強化外骨格はヤマキ達に一任しており、こちらではもっぱらミュウツー本体の調整だった。カプセルの中で胎児のように丸まったミュウツーへと声をかける。

 

「ボクの言葉が聞こえるか?」

 

(お前が何をしたいのか、私には皆目見当がつかない)

 

 ミュウツーが僅かに瞼を持ち上げて返す。テレパシーで頭の中に切り込まれる感覚は何度味わっても慣れない。

 

「全てだよ。全ての事象をコントロールしたい」

 

(傲慢だな)

 

「望むのならば傲慢なほうがいいさ。一度きりの人生だ」

 

 フジの言葉にミュウツーは、(お前のような人間に使役されて、私はどう思うべきなのだろうな)と返す。

 

「ボクが君の立場ならば、それは光栄だ、だろうね」

 

(光栄? 使役される立場に光栄も何もあるのか)

 

「あるさ。上が腐っていれば下も充分に力を発揮出来ない。おっと、誤解しないでくれ。何も君を下だと言っているわけじゃない。ボクらは対等だ。ポケモンと人間の間柄では、それは珍しい部類なんだよ」

 

(お前らが言うデータとやらを読ませてもらった)

 

 ミュウツーには閲覧許可を出している。ヘキサツールの事までミュウツーには既に周知の事実だ。そしてキシベという目の上のたんこぶがある事も。

 

「どうだった?」

 

(キシベ・サトシ。確かに恐るべき人間だ。だがそれよりも恐れるべきは特異点だろう)

 

「君も同じ結論か。キシベは、特異点が最大まで能力を発揮出来る土壌を作っている。ボクにはそう思えて仕方がない」

 

(オーキド・ユキナリとサカキ。情報を統合するに片方の存在がもう片方の均衡に一役買っている。あの局面、サカキが覚醒するリスクはゼロではなかった)

 

「だが条件が揃っていない。サカキには必要なポケモンも、必要な時間も揃っていないんだ。あるのは場所だけさ。ロケット団という事象だけがサカキに用意されている。これでは何も出来ないのと同義だよ」

 

 フジもヘキサツールの内容は理解している。だからこそ、サカキの覚醒リスクは抑えられている事は分かっていた。キシベによって意図的に、なのか。それとも、この時代にはサカキの覚醒は事象として組み込まれていないのか。どちらにせよ、ユキナリの覚醒でも、まさか、という思いのほうが強い。本来ならば四十年後の滅びを誘発するまでにこの次元のユキナリは成長しているという事なのか。あるいはキシベが用意した盤面のうちに過ぎないのか。

 

(私と悠長にお喋り、というわけでもあるまい)

 

「察しがいいね。そうだよ。そろそろ動こう。データには目を通してあるはずだ」

 

(フリーザーの捕獲か)

 

 ロケット団のデータベースにはつい先日フリーザー捕獲作戦の決行が示されていたが、それは失敗に終わったという。現れたネメシスの尖兵によってフリーザーは捕獲され、今はネメシスの手の中にある。

 

「そうだ。そのためには新型のモンスターボールを操り、フリーザーをスナッチする。これは君にしか出来ない。分かっているね?」

 

(言われるまでもない)

 

 ミュウツーはにわかに動き出す。培養液を破って出てくる事はない。フジはヤマキへと通話を繋いだ。

 

「強化外骨格のメンテナンス状況は?」

 

『既に八割が出来ています。出せますよ』

 

「結構。行くよ、ミュウツー」

 

 ミュウツーはカプセルの中から転移する。強化外骨格のある場所へと「テレポート」を行ったのだろう。階段を上がりフジはカツラに言い置く。

 

「ネメシスの居城へと襲撃をかける。なに、そう難しいやり取りじゃないよ。ミュウツーに立ち向かうなんて輩がいればちょっとばかし立て込むかもしれないが、賢明ならばミュウツーには戦いなんて挑まないだろう」

 

「だが無謀な人間はどこにでもいるものだ」

 

 カツラの忠告にフジは、「まぁね」と鼻を鳴らす。

 

「カンザキ・ヤナギだってボクには敵わないってのは最初の一撃で分かったはずなのに攻撃してきた。ボクはね、無謀な奴ってのは割と好きだよ。ただ無謀と分を弁えない人間というのは違う。前者はともかく後者はね。度し難いって言うんだよ」

 

 フジは機器を操作して強化外骨格を身に纏ったミュウツーに通信を繋ぐ。

 

「ミュウツー。ボクも行く。分かっていると思うが座標の指定はボクでなくては出来ない」

 

(お前なしでは、私も所詮は何も知らぬ赤子というところだからな)

 

「分かっているじゃないか」

 

 フジは青い光に包まれた。これからミュウツーと共に「テレポート」を行う。カツラが手を振り、「餞別はいるか?」と尋ねる。

 

「いや、ボクらには。ただ、スナッチ用のボールを開発した彼にはそれなりの報酬を払ってやってくれ」

 

 その言葉に、「私がした事は少ないよ」と人影が歩み出てきた。先ほどまでミュウツーを眺めていたのだろう。自分の開発したものが使われる気分を味わっていたに違いない。

 

「それでも、君の活躍には目を瞠る。こちら側についてくれて助かったよ。――シリュウ。いや八代目ガンテツと呼ぶべきか」

 

 フジの言葉にシリュウは、「私が欲しいのは富だけ」と口元に笑みを刻む。

 

「名声は必要ない。誰の銘が入っていようが、そこにこだわるのは三流だよ。ガンテツの名はいわばブランド、自分を売り込むための道具に過ぎない」

 

 この男はどこへでも鞍替えする人間だ。当然、フジは信用していなかったし、カツラもそうだろう。ミュウツーの存在以外のアクセス権を与えなかったが、シリュウは喜んで自分の技術を差し出し新型モンスターボール――通称ミュウツーボールの開発、量産の手助けをした。既に捕獲状態にあるポケモンの主導権を奪う禁忌のボールであるこれの機能を「スナッチ」と呼び、恐るべき技術だったがシリュウは何のてらいもなくそれをロケット団、ひいては自分達に譲渡した。

 

「名を残す必要はない」とはこの男の弁である。

 

「名に執着するのはそれがなくては自分を維持できない人間だ。私はね、疾風のシリュウの通り名でさえ場合によっては必要ない。ただ私という記号を構成するために名乗っているだけさ。ガンテツの名は、その点では最高の名前だった」

 

 フジは口元に笑みを刻み、「ボクは行こう」と前を向いた。

 

「ミュウツー、座標はトキワシティ近郊、政府中枢セキエイ高原だ」

 

(了承した)

 

 ポケギアの放つ電波を受け取り、座標を脳裏に呼び出したミュウツーに従ってフジはこの場から姿を消す。後にはカツラとシリュウだけが残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前はどうする?」

 

 カツラの問いかけにシリュウは、「何も」と応ずる。身を翻したシリュウへと、「富だけが目的と言ったな」と声をかけた。

 

「ビジネスライクな人間だ。歴史に名を刻む、という偉業には興味がないのか?」

 

 ヘキサツールの事は教えていない。だがもしかすると今までの経歴から知っている可能性はあった。ロケット団、キシベの直属からこちらへと渡ってきた人間だ。キシベはシルフビルにて捨てる側の人間にシリュウを選んだ。既に必要のない駒だと判断したのだろう。だがフジと自分はそれを拾った。そのお陰でサンダーが捕獲され、フリーザーも恐らく問題なく捕獲される事だろう。これだけの功績を称えるのにその場だけ機能する金などで動いているとするのは早計ではないのか。もっと大きなうねりで動いているとカツラは睨んでいたがシリュウの言葉は簡潔だった。

 

「私はね、金が好きなんだ」

 

「好き、か」

 

「ああ。何よりも優先させられるべきは富だ。名声など後からいくらでも付いて来る。ガンテツ一門にいた時、こう教えられた。『その時々の価値観に左右されるのは三流以下』だと。だがね、私はこう考えている。価値観など時代で変わる。ならばその時々を楽しんだ者の勝ちではないのか、とね」

 

 カツラはコーヒーカップを傾けながら、「研究者とは真逆の考えだな」と口にする。

 

「我々研究者は歴史に名を刻む事を目的としている。そりゃ、新しい価値観を生み出す事も大事だがね。名を刻む事が価値観の有無に起因する事を知っているからこそ、新たなフロンティアへと挑戦する気になるんだ」

 

「酔狂な生き物だな」

 

 シリュウは一笑に付した。

 

「私とロケット団の関係は、もう切れたと思っていいのかな?」

 

 この男は後に禍根を残したくないのだろう。ロケット団にいたという経歴を抹消し、また新たな居場所を探す算段だ。

 

「そうだな。ミュウツーボールの量産は軌道に乗った。どちらにせよ、あれはそう何個もいるような代物じゃない。スナッチの技術は大変に魅力的だった」

 

「お褒めに預かり光栄だよ」

 

 どちらも形だけの賛美を送り合い、カツラは問いかける。

 

「どこへ行く?」

 

「ボールの技術が欲しい企業はいくらでもいる。シルフが駄目ならばデボンだ。もう協賛企業も中心がデボンに据え変わろうとしている。シルフに十年遅れていた企業だからな。ボールの最新鋭技術を売り込めば高く買い取ってくれる」

 

 この男にはプライドも何もない。ただ人生を楽しめればいいという考え方だ。どこへ与するのにもまずそれが中心にある。ある意味ではぶれない考え方だが、カツラは好意的に見る事が出来なかった。シリュウはクロバットを繰り出し、移動姿勢に入る。

 

「ポケモンリーグの玉座などにしがみつく連中は分を弁えない馬鹿ばかりだ。王になったところで死ねば終わり、殺されれば終わりだ。私は窮屈な生き方は御免でね」

 

 研究所の窓からシリュウは飛び立っていく。その背中を眺めながらカツラは鼻を鳴らした。

 

「窮屈な生き方、か。だがね、シリュウ。金も富も、それこそ生きているうちだけの賛歌だよ。あの世に金は持っていけないからね」

 

 カツラは通話を繋いだ。通話先の相手へと情報を寄越す。

 

「俺だ。今、シリュウがこっちと手を切った。狙うのならば今だぞ」

 



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第百四十九話「明日へのプライド」

 

 タマムシシティの高層ビル群が視界に入り、シリュウは降下を始めた。

 

 その一つのビルに間借りしている連中と取引の約束があったからだ。ロケット団を見限るタイミングは適切であったと考えている。シルフビルで本来ならば落としていた命。それを拾われた恩はあるが恩義は感じていない。損得勘定で動くシリュウに関して言えば、恩義も、礼節も、全くの無縁であった。自分にあるのはこの技術をどこに売れば誰が得をするのか、損をするのか。

 

 自分は損をする側には決してつかない。だからこそ、シリュウは銘というものを嫌っていた。ガンテツ一門が頑なに守ってきた自身の銘を掘り込む作業。あれは無意味というほかない。あんな事をして結果的に一門が潰れてしまえば何の意味もないだろうに。ブランドを守りたければ、ひっそりと生きるに限る。ガンテツ一門は既に時代遅れの産物だ。これからは売れる側につき、損をする事には絶対に関わらない。自分の学問としてそれはある。

 

 別に幼少自体に貧しかったわけでもない。シリュウは中流の家庭に生まれ、ほとんど全ての学業において優秀な成績を収めてきた。自分には何でも出来る。それが錯覚ではなく本当にそうなのだから挫折とは無縁であった。そんな時だ。彼の故郷に古くから伝わるガンテツ一門の名を聞いた。なんでも一門でガンテツの名を継ぐのは何十人に一人なのだという。これは好機だと感じた。自分の才能を活かし、なおかつ食うのには困らない。ボール職人という職業には興味がないが、これから先にその事業が席巻していく事だけは理解していた。シリュウは誰よりも時代の流れには敏感であった。どこにつけば自分の才能を活かせるのか。誰が成功し、誰が失敗するのかが手に取るように分かった。

 

 ガンテツ一門で生き残り、襲名するのは難しくなかった。ノウハウを教わったシリュウはその技術を売った。何の迷いもなかった。これから先、古めかしいボール作りの方策は無効だ。量産態勢を整え、巨大な事業として立ち行かせるには大企業にその技術を売る事だ。当然、破門はされたがシリュウにとっては痛くも痒くもない。自分には誰よりもうまくボールを作れる自信があったし、ポケモントレーナーとしての才覚もある。いざとなれば裏組織で食っていく事も視野に入れていた。結果的に裏と表を行き来する事になったが、それも今日までだ。シリュウはビルの屋上へと降下準備を始める。このビルで交わされる密談の後、自分の地位は確固たるものとなる。デボンの重役の椅子を今度は狙ってみるとしよう。その業績を活かして令嬢と結婚も悪くない。シリュウの中で野望が渦巻き、口元に笑みを深く刻んだ。その時であった。

 

 青い光が不意に自分へと纏わりついた。狼狽する前に屋上に立っている人影に気がつく。

 

「誰だ……」

 

「ヤドラン! サイコキネシス!」

 

 その言葉に青い光が首を締め付けようとする。シリュウは咄嗟に首下へと手をやり窒息を防ぎつつクロバットに指示を飛ばした。

 

「クロバット! 相手の首を落とせ、エアスラッシュ!」

 

 クロバットが翼に空気を纏いつかせ、刃の旋風として放った。その一撃が屋上に立つ影のすぐ脇を掠める。だが、人影は迷わなかった。砕け散った屋上の砂礫をサイコキネシスで拾い上げ、シリュウを指差す。

 

「隙だらけやで。サイコキネシスで石粒の弾丸を撃ち込む!」

 

 青い光で浮き上がった石が一斉にシリュウへと襲いかかった。シリュウはクロバットの翼の位相を変え降下速度を速める。ほとんど転がるようにして屋上へと降り立った。先ほどまでいた空間を石の弾丸が貫く。それを肩越しに見ながらシリュウは口元を緩める。

 

「どうして、貴様のような人間がここにいる?」

 

 人影が、「悪いな」と袴についた汚れを払う。青い袴姿の少年には見覚えがあった。

 

「お前を追うって決めたもんでな。ヤマブキかタマムシ近郊に現れると踏んで張っていたのが正解やったな」

 

「十代目ェ……!」

 

 シリュウの視線の先には十代目ガンテツの名を持つ因縁の少年が屹立していた。ガンテツは、「因縁は、ここまでにしようや、八代目」と返す。

 

「俺はお前を待っていたんやからな」

 

「どうしてだ? どうして私がここに来る事が分かった?」

 

 それだけが解せない。ガンテツが自分の動きを探知する事など出来ないはずだからだ。ガンテツは、「俺は機械にとんと疎い」とポケギアを示す。

 

「だから、突然電話がかかってきてもそういうもんやと思って取ってしまう。相手先は名乗らんかったが、俺にはお前の目的と行き先さえ分かれば充分やったからな。乗ってやったんや。あしながおじさん、と名乗った相手にな」

 

「あしながおじさん、だと……」

 

 その言葉に真っ先に思い至ったのはカツラだ。シリュウは歯噛みする。

 

「……あの腐れ研究者が。私を売ったのか」

 

「これまで数多の企業と人間を裏切ってきたお前が、裏切られて俺の前に立つとは皮肉やな」

 

 ガンテツの声にシリュウは、「黙れ!」とクロバットに命ずる。

 

「ヤドランに進化したようだがまだ甘いわ! 私を殺したくば空中にいる間にやるべきだったな。真正面から愚直に戦うなど!」

 

 クロバットがガンテツの首筋を目指して翼の刃を突き立てる。しかし、その動きは驚くほど遅かった。シリュウはその段になってハッとする。自分の足元に包囲陣が刻まれていた。

 

「レベルの上がったトリックルーム。包括する範囲が格段に上がっている。屋上に降りた時点で、お前の敗北は決定的やった。トリックルームが張られている事に、まさか、気づかんかったか?」

 

 迂闊であった。屋上に来るのが予め分かっているのならば罠を張る事など容易であったはず。その可能性に思い至らなかった自分は最初から負けていた。

 

「く、くそっ! クロバット! まさか、動けないって言うんじゃあるまいな?」

 

 クロバットの動きは限りなく遅い。ヤドランとガンテツはクロバットの風の刃を余裕じみた動きでかわした。

 

「皮肉やな。お前は何も信じてこなかったゆえに、誰にも頼れん。この状況で助け出す人間もおらん。俺がけりをつける」

 

 ガンテツがすっと腕を掲げる。するとサイコキネシスの光の腕がシリュウの首を絞めた。

 

「や、やめろ。殺人だぞ? 私なんかを殺して、ガンテツの名に傷がつくと思わないのか? お前らが守りたいのはガンテツ一門の純潔のはず」

 

「俺らが守りたかったのは、そんなもんやない」

 

 ガンテツが腕を払う。その瞬間、シリュウの首の骨が折られた。

 

「俺達の守りたかったんは、〝誇り〟や。それを安売りして、切り売りしたのはお前自身。それが分からなかったお前には、もう何も残らんやろうな」

 

 その言葉を残響する鼓膜に聞きながら、シリュウは闇の中へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シリュウの横たわる死体を見つめながらガンテツは息を吸い込んだ。

 

 悪人とはいえ人を殺した。自分にはそれ相応の咎が待っていることだろう。だが一門の誇りは守れた。誇りのためならば殺人の罪くらいは被ろう。これ以上、ガンテツ一門が穢れていく事態は免れたのだ。

 

「あしながおじさん、にはもう連絡つかんか」

 

 ポケギアの通話状態が既に非通知になっている事に気づき、ガンテツは空を仰ぐ。この状況で頼れる人間がいないのは自分も同じだ。ふとユキナリの姿が脳裏に浮かんだがガンテツは首を振った。

 

「いかんな。オーキドに今度会うときには、もっと誇れる自分になっとらへんと」

 

 少なくとも今の自分ではない。ガンテツは階下へと降りていった。途中、デボンの取引先と出会ったが軽く会釈して去っていく。ガンテツとして、もうやるべき事は果たした。

 

「いつか、誇れるようになるか分からんけれど、俺もいつかオーキドのように」

 

 その言葉を胸にガンテツは歩き出す。その先にあるものを誰も知らない。

 



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第百五十話「未来を信ずる」

 

「息子が何をしようとしているのか分からない……」とカンザキは全てを聞き終えてから呟いた。

 

 ヘキサツールに関わる戦い、このポケモンリーグの大元を問い質したところで一人の人間の理解の範疇を超えていた。別次元からもたらされた歴史の通りに進ませようとしているネメシスという組織。全ては破滅を回避するため、と言われても全く分からなかった。ロケット団は破滅回避という目的だけは同じでありながらも特異点と呼ばれる存在を擁立しており、それがサカキとユキナリなのだという。ヤナギはユキナリに対して敵意を剥き出しにしており、それが破滅へと繋がったのではないか、という推論にカンザキの脳の容量はパンク寸前だった。

 

「まぁ、無理もないわよね」

 

 そう口にしたのはイブキだ。優勝候補、とだけ思っていたが最早ポケモンリーグ優勝などという範疇ではこの戦いは語れない。即刻、中断すべきだ、とカンザキは感じたがそれをさせないためのこの場所なのだろう。ヤグルマも自分を駒としてしか感じていなかった。だから不必要になって殺そうとした。自分ははからずもネメシスによって命を救われた結果になる。しかし、だからと言って素直に感謝出来るかと言えばそうではない。ネメシスの語った真実にカンザキは戸惑うばかりだ。

 

「ヘキサツールなんていうわけの分からないもののために、たくさんの人々が夢を掴もうとこの地にやってきたんだぞ。その正体が、こんな事だったなんて」

 

 こんな事、という言葉で集約するにはあまりに重たい。分かっていても歴史の強制力に任せようとするネメシスと人類の手で破滅を回避しようとするヘキサとロケット団に関してはまるで別世界の話だった。ましてやそのヘキサの頭目が自分の息子であるなど容易に信じられるほうがどうかしている。

 

「何かの、罠ではないのか……」

 

 思い至ったその考えに、「すまんけれどおっさん。罠なんかやあらへんで」とマサキが応じた。マサキは先ほどから端末をいじっており、説明はもっぱら仮面の秘書官――キクノというらしい――とイブキ、それにカラシナによって行われていた。

 

「信じられないのも無理はないですけれど、あたし達はヤナギ君の状況も含めて真実を話したつもりです」

 

 カラシナの言葉に、「だからと言って」とカンザキは苦渋を漏らす。自分の息子がテロリスト紛いの集団でリーダーを務めているなど、誰が信じられるものか。

 

「おっさん、いや、カンザキ執行官。現実から逃げてもしゃあない。ここは受け入れるのが賢い大人やと思うけれど」

 

「うるさい! 親の気も知らないで!」

 

 カンザキは思わず出た言葉にハッとする。彼らの眼を見やると混乱した大人という一語に集約された視線が矢のように突き刺さった。今、状況にかき乱されているのは間違いなく自分一人だ。他の者達は既に自分の行うべき事を心得たような眼差しをしている。

 

「受け容れられないのも、無理はないです」

 

 キクノの声にイブキは、「でもさ、先生」と返す。どうやら先生とも呼ばれているらしい。

 

「私達はありのままを話した。もうこれ以上、嘘をつき通すことも出来ないし、執行官にだけ都合のいい事実なんてもうないのよ」

 

 自分にだけ都合のいい事実か、とカンザキは自嘲する。この集団は最早、個体の枠組みを超えた、歴史という大きなものを背負った人々だ。自分のような凡人では窺い知る事など出来ない。

 

「ヘキサツールに刻まれた歴史は鉄の掟。何があっても守り抜かねばならない。私達はそのために存在し、これまで沈黙を守り続けた。歴史、というものはそれほどまでに重要視されねばならない。それが未来も過去も見通すものならばなおさら」

 

 そのためならば犠牲など瑣末なものだと決めつけてかかっている声だった。仮面の人々を統率するキクノの声はどこまでも冷たい。

 

「だが、そのために息子が……、ヤナギが……」

 

 犠牲になる。少なくとも政府はヤナギの属するヘキサという組織を敵と見なした。もう誰も匿ってはくれないし、庇う事など出来ない。何故ならば、ヤナギ自身が声明を出したからだ。たとえ民衆には正しく伝えられなくともヘキサという組織を破壊するだけの力がネメシスという組織にはある。

 

「カンザキ・ヤナギだけで済むのなら安いものです」

 

 本来ならば四十年後に発動するはずだった破滅。それが早められ、つい昨日起ころうとしていた。それに比べればヤナギ一人を殺す事など蚊ほどにも感じていないのだろう。カンザキは拳を握り締める。

 

「だが……、だが私の、たった一人の息子だ」

 

 嗚咽の混じったその言葉にキクノは、「では人類が終焉を迎えてもいいと言うのですか?」と尋ねた。その天秤はあまりにも酷である。自分一人に決められるはずもない。覚えず顔を背けるとキクノはため息をついた。

 

「ヤナギ抹殺のために動きます」

 

 その言葉に、「待って」と声を出したのはカラシナだ。

 

「お願い、待って……。ヤナギ君にも考えがあるはず」

 

「猶予はありません。特異点をどうするつもりなのか見えませんが悪用されれば世界は滅ぶ。それは四十年後ならば何の問題もありません。ですが、今は駄目なのです。今、滅びが少しでも起こる事はあってはならない。ヘキサツールは絶対なのですから」

 

「ヘキサツールが絶対って……。じゃあ、そのために死んだ人達は? その犠牲は仕方がないで済ますって言うの?」

 

 カラシナの言葉にキクノは沈黙を貫いている。それが答えだった。「何て、非道な……」とカラシナが吐き捨てる。

 

「非道だろうがこの世の真理なのです。ヘキサツールを守り抜く事。それがこの次元で我々に与えられた神託」

 

「でもそれが! このような悲劇を招いている。愛する事が最も残酷な悲劇を……」

 

 カラシナの頬を涙が伝う。キクノは仮面を被ったまま、頭を振った。イブキも言葉をなくしている。胸中では彼女も同じ気持ちなのかもしれない。だが、何も言い返せない思いのほうが強いのだろう。

 

「姐さんに先生。ヘキサツールを守る事。それが何よりも優先される事やと思っているのか? 本気で」

 

 その沈黙に風穴を開けたのはマサキの一言だった。その言葉にキクノもイブキも顔を上げる。マサキは、「ワイはな」と口を開いた。

 

「そこまで高尚なもんが宿っているとは到底思えんのや。何度も話を統合したし、ロケット団のやり口も、ヘキサのやり口も知ったつもりやけれど、それでも納得出来ん部分ってのがある。ネメシスのやり方が正義だともワイは思わん」

 

 マサキは味方をしてくれているのか、と思ったが恐らくは違う。彼なりの答えを出しているだけなのだ。彼が、あらゆる逆境の末に言葉を次いでいる。

 

「何が言いたいのです?」

 

「ヤナギに全ての責任をおっ被せてはい終了、じゃ、もうないって言うとるねん」

 

 マサキはノート端末に向き合ったまま答える。キクノから静かな殺気が放たれた。この場で一つでも言葉が間違えばマサキを抹殺してしまいかねない様相だった。それを制するようにイブキが遮る。イブキはマサキの肩を持っているようだ。

 

「なら、王の崩御も、これまでの歴史上の人々の死も、全てあなたは否定すると?」

 

「そうは言っとらへんよ。でも、ヘキサツール一つで何千、何万と死んでいくこの現実が果たして正しいのかって話や」

 

「それが今までのネメシスを否定しているのだと、あなたは気づいているはずですよ。聡明ですからね、ソネザキ・マサキ」

 

 キクノが一歩踏み込む。戦闘の気配が発せられようとした、その時であった。

 

「――何だ? ボクが来る前にもう一触即発じゃないか」

 

 その声に全員が顔を上げる。視線の先に青い光を身に纏った灰色の人型があった。それが何なのか、全員が理解出来ていない。否、ただ一人、マサキだけはそれを知っている様子だった。

 

「来たな。それがミュウツーか。フジ博士」

 

 全員が瞠目する中、一人だけ冷静なマサキへと人型に次いで空間を裂いて現れた人物が感嘆の息を漏らす。

 

「やっぱり、君は知っていたか。ソネザキ・マサキ」

 

「ずうっとロケット団にハッキングしていたらな。お前らの事は結構、話題に上がってくるで。特A級の離反者やってな」

 

「離反者とは」

 

 フジと呼ばれた青年が手を振り翳す。その一動作に呼応して灰色の鎧を身に纏った人型が手を薙いだ。青い思念の光が突風のように吹き荒び、石英を砕いていく。子供達が悲鳴を上げてキクノの下へと駆けていった。

 

「レプリカントか」

 

 どうやらフジはレプリカントの事も知っている様子だった。キクノが懐からモンスターボールを取り出す。

 

「お止めなさい。この場所は聖なる領域。何人たりとも土足で踏み込む事は許されません」

 

「ボクの見立てじゃ全員土足っぽいけれど」

 

 フジは面白がってキクノを窺う。イブキとカラシナも戦闘姿勢を取った。その中のイブキをフジは指差す。

 

「面白いから出してみなよ。持っているんだろ? フリーザー」

 

 その言葉にイブキが硬直した。マサキが立ち上がり、「姐さん、出したらあかんで」と制する。

 

「ミュウツー。培養液内部と同じ細胞活性化装置――通称、強化外骨格を纏っていなければ三十秒と持たない人工のポケモン。ロケット団が造り出した禁忌の生命体。ミュウの睫の化石から造ったっていう話やけれどほんまか?」

 

 マサキの声は単純に知的好奇心を満たそうとする響きだった。フジは、「本当だよ」と応じる。まさか、あれが人造のポケモンだというのか。カンザキはミュウツーと呼ばれたポケモンを見やる。人型で灰色の鎧の合間から薄気味悪いほどに白い表皮が覗いている。

 

「正確にはミュウジュニア計画をボクが勝手に改変したものなのだが、それは触れていないのかな?」

 

「いや、記録にはあるよ。ただ、お前がほんまにフジ博士なんか、ちょっと疑問やっただけで」

 

 マサキの疑問はフジと呼ばれた青年があまりに若いからだろう、とカンザキは感じ取った。青年、と言っても十代でも通用する若々しさだ。

 

「まさか、自分も改造しているとかやあらへんよな?」

 

 マサキがニタニタと笑いながら尋ねる。だとすればおぞましい話だったがフジはそれを否定する。

 

「残念ながらそこまで狂ってはいない。研究者ってのは太陽の光とは無縁でね。お陰で若々しい外見になっているだけさ」

 

「狂ってへん、ってのは自分で言うと嘘くさいなぁ」

 

「君ほどじゃないさ。こうしていながら、今も君はデータ収集をしているのだろう? ボクも君も、同じくらいの変人だよ」

 

 フジは語りながらゆっくりと降下してくる。青い光がその身体から失せ、ようやく人としての輪郭を帯びたように映った。

 

「ワイもな、やりたくてやっとるわけやないねん。お前らがおもろいデータばっかり送ってくるから、躍起になっているだけで」

 

「送ってくる? 奪っているの間違いじゃなくって?」

 

 お互いの語り口調には嘲りも、軽蔑もない。ただ事実だけを淡々と述べる奇妙な二人がカンザキの視界にはあった。

 

「ここに来た目的は分かっとる。フリーザーの捕獲」

 

 切り込んだマサキの声に、「さすが」とフジは拍手を送った。この空気の中ではあまりにも白々しいものだったが。

 

「何で三体の鳥ポケモンを集めとる? ミュウツーがあればええやろ。それとも別の目的か? たとえば、破滅を回避するための」

 

 マサキの言葉にフジは指を鳴らす。

 

「賢い人間は嫌いじゃない。でも、破滅を回避するためにみんながみんな、動いているわけじゃない事も君ならば分かるだろう?」

 

「ああ、破滅を喜んで受け容れる頭のネジの飛んだ奴がいるって事をな」

 

「お互いに、ネジの飛んだ相手と行き会ったようだね」

 

 フジとマサキの間に降り立った無言の了承にカンザキは息を詰まらせる。この二人は何を話している?

 

「さて、本題に移ろう」

 

 フジがカンザキへと視線を振り向ける。まさか、自分が、と身構えたカンザキに、「あなたじゃないよ」とフジはせせら笑う。

 

「最早、一単位に過ぎない執行官の肩書きは必要ない。この場でご退場願ってもいいくらいなのだが、殺すのも惜しい。もしかしたら、何かしらの行動を起こす時に必要になる駒かもしれない。ソネザキ・マサキ。チェスは好むかい?」

 

「ワイは生まれてこの方、将棋しかやらんな」

 

「基本ルールは同じだが、チェスは取った駒を復活させる事が出来ないんだ。だから、一手は慎重にならざるを得ない。敵を取り込んで味方に、ってのも無理。だから、切り捨てた駒は早々に諦めるしかない」

 

「オーキド・ユキナリを、お前らは切り捨てたんか?」

 

 マサキの声にフジは微笑む。

 

「その逆さ。今回ばかりは将棋のルールを採用させてもらったよ」

 

 フジの手にはテンキーがあった。何のつもりで、とカンザキが窺っているとフジはテンキーを掲げる。

 

「これ、何だか分かる?」

 

「遠隔で繋がっとる端末やな。三体のポケモンを逃がすための」

 

 三体のポケモン。カンザキは真っ先にフリーザーを含む三体だと思ったがまだ捕まえていないポケモンを逃がすとはどういう事なのだろう。フジは、「そこまで分かられていると、不気味ささえ感じる」と口角を吊り上げる。その笑みのほうが不気味だった。

 

「アグノム、ユクシー、エムリット。君達はせいぜい追うといい。揃っても揃わなくっても、我々の優位は変わらない」

 

 フジがエンターを押し込む。まさか自爆か、と一人だけ身構えたカンザキにフジは笑った。

 

「自爆ボタンかと思った? 残念、そんな一昔前のコメディアンじゃないよ」

 

「今ので逃がしよったな……」

 

 マサキが苦渋を滲ませる。何が起こったのかカンザキにはまるで分からない。

 

「ノート端末でどこにハッキングしているのかな。そういう危ないのは壊させてもらおうか」

 

 ミュウツーが片腕を持ち上げる。その一動作でマサキの手元の端末から火が立ち上った。舌打ちと共にマサキが端末を捨てる。

 

「マサキ!」

 

 イブキの声にマサキは、「ワイは大丈夫」と返す。

 

「それよりも姐さん! 絶対、こいつの前でフリーザー出したらあかんで。こいつの目的は三体の鳥ポケモンの奪取なんやからな!」

 

「どういう事……」

 

「説明は後や、後! 今はハクリューで応戦して欲しい。それとキクノ先生とカラシナはんは援護してくれ、頼む!」

 

 マサキの急いた声にカラシナは気後れ気味に応じる。イブキがホルスターからモンスターボールを引き抜こうとするとフジはため息をついた。

 

「相手が出さないからって手待ちってのは趣味じゃないんだ。ミュウツー。イブキが持っているフリーザーのボールを引っ張り出せ」

 

 ミュウツーが手を振り下ろすとイブキの懐にあったモンスターボールが不意に飛び出した。イブキは完全に虚をつかれた様子で狼狽している。

 

「スペックⅤで捕まえるとは、念の入りようじゃないか。困ったね。出してくれないとスナッチするのにも時間がかかるんだが」

 

(解除時間を考慮するまでもない。このままスナッチしよう)

 

 ミュウツーの肩の装甲版が開閉し、内部から飛び出したのは黒いモンスターボールだった。それがフリーザーの入ったボールを包囲し、一斉に飛びかかる。獣のような挙動でモンスターボールごと赤い粒子となって吸い込まれた。

 

 その一連の行動にマサキを除く全員が目を見開いていた。

 

「モンスターボールごと……」

 

「呑んだ……」

 

 黒いモンスターボールは肩装甲へと収納されていく。フジは確信を込めて言い放つ。

 

「これで、伝説は全て揃った」

 

「させない! ハクリュー!」

 

 モンスターボールから飛び出したハクリューに青白い光が棚引き、全力で飛びかかる。渾身の突進攻撃はミュウツーに命中する寸前で止められた。ミュウツーから放たれた思念の光がハクリューの動きを絡め取る。

 

「ドラゴンダイブを、止めた……?」

 

 イブキが目を戦慄かせる。フジは、「ハクリューに輝石を持たせているんだ?」と分析する。

 

「その威力からのドラゴンダイブ。なるほど、通常のポケモンならば沈んでいるね」

 

 暗にミュウツーが普通のポケモンではないと告げているようだった。ミュウツーが手首をひねるとハクリューの首根っこが締め上げられる。

 

「ハクリュー!」

 

「手持ちを心配するのはいい。トレーナーの鑑だ。だが、もう終わっているのだと気づく察しのよさも必要だよ。ボクはフリーザーを捕まえに来たんだ。他に用事はない」

 

 フジが後ずさりする。空間を裂いてこの場から立ち去ろうというのだろう。

 

「逃がしません」

 

 その声と共に一体のポケモンが躍り上がった。強靭なハサミを持つ灰色のポケモンが皮膜を広げる。それを援護するように砂嵐が拡散し、砂の刃がミュウツーへと迫る。

 

「グライオンともう一体、カバルドンによる連携攻撃か」

 

 フジは冷静に事の次第を分析しているがその眼前にもう一体、ポケモンが現れた。カラシナの召喚したそのポケモンは美しい鱗に覆われている乳白色の龍だ。

 

「ミロカロス! 瞬間冷却でミュウツーの外骨格を無効化する!」

 

 総数、四体。それに比してミュウツーはたった一体である。しかし、それでも余裕を感じさせる立ち振る舞いであった。ミュウツーがまず腕を振るい、グライオンと呼ばれたポケモンを封じ込める。その挙動は驚くべきものだった。

 

 ミロカロスの放った凍結攻撃をそのまま偏向させ、グライオンへとぶつけたのである。相殺し合ったグライオンとミロカロスの狼狽を他所に砂の刃がかかろうとする。それももう片方の腕で止めているハクリューの身体を盾にして防いだ。四対一。その圧倒的戦力差にもかかわらずミュウツーは無傷であった。

 

「弱い」

 

 フジはそう断じる。カンザキは、「馬鹿な……」と呻いていた。優勝候補と謳われる人間が二人も混じっているのだぞ。一撃の重さは誰にも増しているはずだ。それなのに、ミュウツーは特別な事を行うでもなく、たった二本の腕から発する念力だけで制した。

 

「これが、ミュウツーか……」

 

 マサキの声にフジは、「どうする?」と訊いた。

 

「ボクを追って戦闘不能になるかい? それとも諦める?」

 

 イブキが歯噛みして踏み出そうとするのをマサキが、「姐さん、あかん」と声で制する。

 

「マサキ? でも、このまま馬鹿にされて……!」

 

「馬鹿にしとるとか、そういうレベルやない。次元が違うんや。ポケモンとしての立ち居地が異なっとる。今のままのワイらじゃ、絶対に勝てん」

 

 マサキの言葉にイブキが口惜しそうにフジを睨みつける。フジは肩を竦めた。

 

「彼我戦力差も分からないのではトレーナーの鑑、という先ほどの言葉は撤回かな。さよならだ。もう会う事もないだろう」

 

 フジは空間の裂け目を作り出してこの場から逃げおおせようとしている。誰も止められなかった。ミュウツーとフジが消えていった亀裂を眺めて全員が己の無力を思い知った。

 

「どうすれば、よかったって言うの……」

 

 カラシナの声にマサキは、「今のワイらじゃ絶対に勝てん」と繰り返す。その胸倉にイブキが掴みかかった。

 

「お、落ち着いて」とカンザキが仲裁に入ろうとする。しかしイブキは冷静な声音だった。

 

「今の、って言ったわよね? つまり、勝てる算段があるって事?」

 

 イブキの言葉にカンザキが目を丸くしているとマサキは、「ああ」と首肯する。

 

「あいつらはワイらを嘗めている。だからこそ、目の前で三体のポケモンを逃がした」

 

「三体……」

 

 先ほどフジの言っていたアグノム、ユクシー、エムリット、というポケモンの事か。だが、逃がしたといってもどこに行ったのか分からないのではないのか。

 

「その三体、当てがあると考えていいのよね?」

 

 イブキの声音にマサキは、「もちろんやで」とサムズアップを寄越す。だが端末は破壊されてしまっている。どうするのか、とカンザキが勘繰っていると、「こんなもん、クラウドにいくらでもバックアップが取れる」とマサキは端末を足で踏み砕いた。

 

「ワイの情報網、嘗めてもらったら困ります。預かりシステムを作ろうという稀代の研究者、ソネザキ・マサキやぞ。当然、こんなおもちゃやない、本物がある」

 

 どこに、とカンザキはマサキを上から下へと眺めた。マサキは左手を掲げる。その手首にはめられたポケギアにまさか、とカンザキは息を詰まらせた。

 

「ワイのポケギアは特別製。この端末と同期しとるし、ワイのあらゆる情報網からデータを吸い出すくらいは容易や。あのフジとやらも、さすがにここまで小型化されとるとは思わんかったみたいやな」

 

 マサキはポケギアを操作し何やら情報を閲覧している様子だった。カンザキにはわけが分からない事だらけだったが、この青年に関して言えば自分達の想像の斜め上を行っているのは間違いない。

 

「かかった」とマサキは口にする。

 

「アグノム、ユクシー、エムリット……、赤い鎖……」

 

 イブキがマサキのポケギアを覗き込みながら呟く。それらの言葉の連なりが理解されないうちに、「セキチクシティで起こった破滅の現象について、いくつか整理しとく」とマサキは切り上げる。

 

「その前に、と言うか確認事項やけれど、ワイはネメシスを抜ける」

 

 突然の言葉にキクノとカラシナが、「何を……」と狼狽した。イブキは、「当てがあるわけよね?」と確認する。

 

「当然、と言いたいところやけれど五分五分やな。今回ばかりは頭下げるしかないかもしれん」

 

 どういう事なのだろう。カンザキの思案を他所にマサキは言葉を並べ立てる。

 

「先生。世話になったところ悪いが、ワイはヘキサに行くわ」

 

 唐突な物言いにキクノは、「何故です?」と問い質した。

 

「ネメシスにおっても、このまま錆び付いていくだけ。ワイは行動を起こしたい。破滅を回避するってのには同意やけれど、先生はこのまま何もせんと歴史のままに任せろって考えなんやろ? ワイは、そんな風に落ち着いていられるほど人間出来とらへん」

 

 マサキの思わぬ言葉に面食らっていると、「離反する、というわけですか」とキクノは確認した。それを許さぬ口調である。

 

「離反とか、そういう次元やないやろ。元々ワイがここに来たんだって真実を知るためや。誰も先生に与するとは言ってないで」

 

 勘違いするな、とでも言いたげな口調にキクノは、「フリーザーの確保も、あなたの計画のうちだったのですね」と淡々と口にする。

 

「いやいや、違う。そこまでワイは悪い人間やないで。フリーザーがどうなるかはほんまに分からんかった。だからこそ、姐さんが認められたんやろ。まぁ、今やフリーザーは敵の手のうちやけれど」

 

「敵に主戦力が回ったら鞍替えするというわけですか」

 

「せこいとか、謗られてもしゃあないし、別にええで、どんだけ悪く言うても。ただな、先生。勝てへんとあかんのだけは分かるやろ?」

 

 勝つ。その言葉にカンザキは、「その目算はついているのかね?」と訊いていた。訊かねばならなかった。自分の息子が率いる組織に入ろうというのならば。カンザキの胸中を察したのか、「ヤナギが勝つかは分からへん」とマサキは首を振った。

 

「誰が最終的な勝利を手にするのか、ワイにも見当がつかん。ただな、カンザキ執行官。勝とうとする奴が勝つんや。どの世界でも、どんな場所でもそれは変わらん。負けを簡単に認める奴に勝利は訪れへん」

 

 その言葉には異様な説得力があった。カンザキが言葉を飲み込んでいると、「あたしも」とカラシナが歩み出そうとした。

 

「あたしにも、出来る事があるのなら」

 

 カラシナもネメシスを離れようというのか。カンザキの予感にマサキは、「いや、ワイは姐さんと行く」と告げた。

 

「カラシナはん。あんたはネメシスにおったほうがええ。……ヤナギ、悲しませたくないんやろ」

 

 その言葉でカラシナは説得されたようだった。言葉を仕舞い、「……そう、ね」と呟く。カラシナとヤナギの間に何があったのかは全く分からなかったが、余人が口を挟める領域ではない事は明白だった。

 

「ですが、このまま見過ごすわけにもいきません」

 

 キクノが歩み出て手を振り翳す。当然、攻撃が放たれるのだと思ったが、青い光がイブキとマサキを包み込んだだけで攻撃の光ではなかった。

 

「餞別のつもりか」

 

 マサキの姿が透けていく。「テレポート」だとカンザキでも分かった。しかし、どうして、とキクノを見やる。キクノの表情は仮面に隠れていて相変わらず分からなかったが、その唇がきつく引き結ばれているのは窺えた。

 

「私に出来るのはこの程度。いえ、この取るに足らない行動でさえ、歴史に支障を来たすかも知れない」

 

 ネメシスの理念としてヘキサツールを破る事だけはあってはならないはずだ。その禁を自ら破ろうとしている。それはキクノにとっては一大決心だと感じられた。

 

「それでも、私とて信じたい。未来の光を」

 

 本心では破滅を回避したいのだろう。だが、それを口にするのはネメシスの立場から憚られている。だから未来の光、という曖昧な表現で済ましているのだとカンザキには分かった。

 

「あなた方をセキチクシティへ。きっとカンザキ・ヤナギは導き手になる」

 

「おおきに、先生。また会いましょ」

 

 マサキが片手を上げる。イブキは、「あんたがこうまでするとは思わなかったわ」と感想を漏らした。

 

「もっと超然とした立場を貫くのかと思っていた」

 

「私とて、人の子だったという事です。破滅を実際に目にして、私は恐怖しました。まだ終わりたくない。それだけですよ」

 

 淡白な物言いにイブキは微笑む。キクノらしい、と感じたのか。二人の姿は間もなく見えなくなった。取り残されたカンザキはカラシナとキクノへと視線を配る。

 

「私は、どうすればいい?」

 

 真実を知った。だからと言ってどこかに与するわけにはいかない。もう、そのような次元で動いていい身分を越えている。

 

「カンザキ執行官。あなたは第一回ポケモンリーグ責任者としての務めを最後まで果たしてもらいます」

 

 つまり傍観者に徹しろ、という事か。カンザキはそう理解した。息子に肩入れするわけでもなく、ロケット団を取り締まるわけでもなく、かといってネメシスの思い通りに動くわけでもない。あくまで傍観者、観測者としてこのポケモンリーグの行く末を見届けろと。

 

 それは残酷な選択に思われたがカンザキは従う他なかった。

 

「……ああ。私は、そうしよう。未来を動かすのは、あくまで若者達の役目だ」

 

 カンザキはセキエイ高原中枢から望める空を仰ぐ。黎明の光に石英が透けて輝いた。

 



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第百五十一話「実力者たち」

 

「ええんか? 姐さんも無断の了承でこっち来てもうたけれど」

 

 マサキが今さらの声をかける。イブキは腕を組んでため息をついた。

 

「何を今さら。あんたの身勝手に付き合っているのは今に始まったことじゃないでしょう」

 

「そら、すんまへん」

 

 マサキは後頭部を掻きつつ笑う。だが内には野心を秘めているはずだ。それを自分の前だけ明らかにする。マサキはそういう男だった。

 

「で? 今テレポートで送られているわけだけれど」

 

 歪む空間内を眺めつつイブキは短めの言葉を発する。

 

「今度こそ、勝てるんでしょうね?」

 

 それは大きな意味を含んでいた。ロケット団に、でもあり、ユキナリに、でもある。まともに戦える、と言い換えてもいい。今まで不戦勝じみた戦いや、結果的に戦闘状態に陥ってしまった事があるだけにイブキは慎重だった。

 

「まぁ、姐さんが思うとるほど、ワイは強かやないですよ」

 

「どうだか。あんたは、いつだって先の先を見越しているんでしょう?」

 

「ややな、姐さん。先の先違います。先の先の先を見越しているんですよ」

 

 さらに上手と言いたいのか。イブキは額に手をやり、「いいわ」と応じる。

 

「旅の恥は掻き捨て、みたいなのもあるし、あんたといても恥の上塗り。今さら、下げて済む頭ならば下げましょう」

 

「おっ、姐さん、自分と分かりやすくなったやないですか」

 

 マサキの言い分にイブキは指差して言い含める。

 

「言っておくけれどね。あんたが必要だって言うからやっているのよ。私のプライドがなくなったみたいに思われたら堪ったもんじゃないわ」

 

「重々承知してます」とマサキはへこへこする。

 

「姐さん、プライドだけは高いですもんね」

 

「だけって何よ」

 

 マサキの頭を小突くと大げさによろめいた。

 

「……でも、ここから先は、ほんまに出たとこ勝負です。ワイも姐さんも、どこまでも下手打てばやられる。フジとキシベ、敵が増えた結果になりましたが」

 

「こっちも味方が増えたわ」

 

 お陰で、とは言わない。どちらも一蓮托生である事は承知だからだ。マサキは、「ええですね」と口にする。

 

「仲間、言うんは」

 

 今までそういうものとは無縁だったかのような口調だった。イブキは尋ねる。

 

「あんた、友達っていたの?」

 

 不躾な質問だと思う。だが、聞くのは今だけだと感じていた。マサキは顎をさすりながら、「研究チームとかで同期はいました」と答える。

 

「でも友達って呼べるかどうかは分かりませんな。ワイ、これでも一匹狼やったさかい、もしかしたらよく思われてへんかったかもしれん。今まで感じた事もなかったですわ。他人からどう思われているのか。自分がどう思われたいのかなんて」

 

 マサキはきっと誰よりも未来図を明確に描けるのだろう。それだけについてこられない人間は蹴落とされていく。彼の未来図に相応しくない人間は脱落する。人間関係を嫌ってハナダシティの離れに住んでいたのだとすればそれも納得だった。

 

「でもワイ、妹がおりますねん」

 

 マサキは破顔一笑して誇らしげだった。

 

「妹にはね、世界一のプログラマーやって教えてます。もちろん、母親にも。あっ、言ってませんでしたっけ? うち、母子家庭なんです」

 

 思わぬ言葉にイブキは面食らった。今までマサキは自分に関する事は滅多に話さなかった。

 

「母子家庭、だったの」

 

「ええ。他の大勢と同じ、父親は夢見過ぎのポケモントレーナー。その挙句が家族ほっぽり出して旅に出てもう五年も帰ってこない。ワイ、金の心配だけはかけさせたくないからタマムシ大学にも特待生で入って。その後の就職コースも軌道に乗ってきちんといいところへ行ったんです。研究チームに配属されて二年後くらいやったかな、ヘキサに引き抜かれたんは。ワイはね、自分の実力さえ認めてもらえればそれでええんです。認めて、ワイを必要としてくれれば」

 

 イブキはある予感を口にしようとしたがそれは喉元で飲み込んだ。

 

 ――それは父親の代わりを探しているのではないのか。

 

 無意識の事かもしれない。マサキは誰かに認められたい、居場所が欲しいのだ。自分が用意するのではない。安心出来る誰かに用意してもらった居場所を。だがマサキはそれを自ら壊す真似もしている。ヘキサの時も、ロケット団の時も、今回のネメシスだってそうだ。マサキの中に眠る父親と同じ血が、居場所を放り出す癖をつけてしまっているのかもしれない。だがこのような事、目の前で口に出来るはずもない。それはマサキを愚弄しているのだと同じ事だ。傷つけてしまうかもしれない言葉をイブキは胸の中に仕舞う事にした。マサキは前を歩こうとしている。その歩みを止める権限は誰にもない。

 

「出ます」

 

 マサキの声にイブキは身を強張らせた。「テレポート」から脱した身体に重力が襲いかかり、イブキは一瞬呼吸が出来なくなるがすぐに持ち直す。憎々しいほどの晴天の下、瓦礫の惨状が広がっていた。

 

「これが、セキチクシティだって言うの……」

 

 思わず言葉を濁してしまう。マサキは新たに鞄から端末を取り出した。先ほどフジに破壊されたのと色違いのノート端末だ。

 

「何台持っているのよ」

 

「秘密です」とマサキは悪戯っぽくウインクする。イブキは気味が悪そうな眼差しを向けた。

 

「えっと、位置情報的にもここはセキチクで間違いありませんね」

 

 マサキは端末を起動させすぐさま位置情報アプリを呼び出す。それほどの技術がどこに転がっているのだろうとイブキは怪訝そうな顔をする。

 

「でも、それらしい建築物がどこにもないって言うか……」

 

 ポケモンセンターですら存在しない。荒涼とした大地に言葉をなくしていた。

 

「破滅、の影響は思っていたよりも深刻って事やね。オーキド・ユキナリの覚醒がこれほどの破壊をもたらすとはワイも想定外です」

 

 マサキも物珍しそうに周囲を眺めている。イブキは北方を見やって、「しっ」とマサキを制した。

 

「どうしました?」

 

「風の流れが違う」

 

 イブキは戦闘本能を研ぎ澄まし、気流の流れが異なる北方を指差す。しかしマサキにはピンと来ない様子だった。

 

「何がある言うんです?」

 

「とにかく身体を沈めて。ゆっくりと近づくわ」

 

 イブキはホルスターからモンスターボールを抜き放った。マイナスドライバーでボタンを緩めていると不意にプレッシャーが横っ面を弾いたように流れる。瞬時に感じ取った肌が粟立ち、イブキはマサキを担いで飛び退った。先ほどまで自分達のいた空間を高速で何かが切り裂いていく。マサキは慌てて端末を抱えた。

 

「あ、危なっ!」

 

「危ないなんてもんじゃないわ。これは殺気よ」

 

 ボールを構えていると、「すいませーん」と声が飛んできた。姿勢を元に戻すとボブカットの少女が駆け寄ってきた。少女からは敵意を感じない。今のは、と確かめる前に少女が頭を下げた。

 

「ここいらは戦闘区域になっていまして。まさか人が入ってくるなんて」

 

「戦闘区域?」

 

 イブキが怪訝そうにしているとまたしても殺気の渦が飛びかかってきた。今度は上空からだ。少女と自分が同じ方向に飛び退く。マサキだけが不恰好に転がる形となった。

 

「あれ、やりますね」

 

 少女の声音にイブキは本能的に訓練された人間である事を悟る。

 

「……あなた何者?」

 

「あたし? あたしはナタネ。タマムシジムのトレーナーです」

 

「タマムシのトレーナー? そんな人が何でこんなところに」

 

 ナタネと名乗った少女は、「少し込み入った事情があるんですけれどね」とはにかんで笑った。しかしいつ殺気が降って来るか分からない状況で笑えるか? と冷静な自分が考えている。

 

「この殺気は何?」

 

「ああ、スパーリングですよ。ナツキちゃんとチアキさんの」

 

「ナツキ? チアキ?」

 

 またも知らない単語が飛び出しイブキが戸惑っているとナタネが中空を指差した。

 

「ほら、あれ」

 

 その言葉に目を向けると宙に踊りあがった影が交差する。一つは赤と黒を貴重とした鋭角的なフォルムのポケモンだ。顎のような巨大なハサミ型の腕を振るい上げ青い翅を揺らす。その速度は突風だった。一動作で空気が鳴動する。それと対応しているのはこちらも赤いポケモンだったが姿形は鳥人そのものだった。V字型の鶏冠から炎が迸り、蹴りを放つ足首と手首から点火している。

 

「あれは……」

 

「バシャーモとメガハッサムです」

 

「メガ……」

 

「あ、いきなりじゃ分からないですよね。説明しますと――」

 

「いや、必要ないですわ、ナタネはんとやら」

 

 マサキが遮り端末を操作して戦闘する二つの影を捉える。

 

「バシャーモはホウエンでよく見られるポケモンで二進化ポケモンや。炎・格闘タイプ。対して、メガハッサム言うんはないけれどハッサムって言うポケモンのデータならある。虫・鋼タイプ。でも、ワイが持っているハッサムのデータとあのポケモン、姿どころか戦闘力も全然違うやん。どうなっとるんや?」

 

 マサキはこんな時でも情報収集を忘れない。即座に呼び出したデータはとある研究機関へのハッキングだった。二つのポケモンのタイプと能力が表示されるが、だとすれば虫・鋼のハッサムは圧倒的不利ではないか。

 

「これ、スパーリングって言ったわよね? 何でこんな無茶を?」

 

「メガシンカを扱うために」

 

 ナタネの口から発せられたメガシンカという言葉にまたもイブキは思考を中断された。

 

「何? メガ……」

 

「メガシンカ。カロスで観測されたポケモンの上位互換形態。特殊条件化における特定のポケモンの進化のさらなる先の姿」

 

 滑らかに発せられた説明にイブキは瞠目する。

 

「あんた、あれ知っているの?」

 

「いや、知らへんけれど、調べたらそう書いてあったし。……せやけれど、メガシンカ。小耳に挟んだけれど眉唾や思うてたわ」

 

「知っていたんじゃない」

 

 イブキが腰に手を当てて口にすると、「せやから実際に見るのは初めてやって」とマサキは端末のキーを叩きながら応ずる。

 

「メガシンカ、ってのが存在する事すら、学会では大きく取り沙汰されとらへん。それにはこの事象がさらなる眉唾物の上に存在するからなんやけれど、その眉唾が実在するから、メガシンカがあるって事なんやろうね」

 

 一人で納得するマサキにイブキは業を煮やした。頭を小突き、「何納得してんの」と声を飛ばす。

 

「痛いな、姐さん」

 

「あんたが自分一人で分かったつもりになっているからでしょう。説明しなさいよ」

 

 イブキは交差するメガハッサムとバシャーモの戦闘を視界の隅に入れながら説明を求める。メガハッサムと呼ばれたポケモンは相性上、不利なはずなのに素早く動きバシャーモを翻弄しているようにさえ映る。発達した両腕のハサミの重量をものともしない動きであった。

 

「メガシンカ、っていうんは、ワイも専門分野やないけれど、トレーナーとの絆が左右するんや」

 

「絆……」

 

 イブキの言葉に、「そ、絆」とマサキは目に見えて不愉快そうに顔をしかめた。

 

「正直、そんなあるのかないのか分からんもんに、さらに分からん事象が重なっとるさかい、ワイはメガシンカの話題は嫌いなんやけれど、姐さんのためやし、しとくと、メガシンカ、ってのは同調が鍵になっているんじゃないかって言われとる」

 

「同調現象の事よね?」

 

 ロケット団内部で調べ上げた資料の中にあった単語の一つだ。マサキは、「その同調」と首肯する。

 

「でもあれって、実証不可能な話じゃなかった? だってポケモンとの同調、意識圏の拡大、反射の応用、ダメージフィードバックって全部人体実験が絡むから出来ないって」

 

「それを成し遂げたから、メガシンカしとるんやろうけれど、研究者としては認めたくないところやな。絆、なんて」

 

 マサキの言葉にイブキは改めてメガハッサムを見やる。メガハッサムはハサミだけでなく全身を使った攻撃でバシャーモと対等以上に戦っているのが見て取れた。

 

「あの、トレーナーは?」

 

 バシャーモとメガハッサムを操っているトレーナーはどうしているのか。ナタネは、「ああ、それならあそこに」と二人を手招いた。目に飛び込んできた光景に絶句する。

 

 そこには二人のトレーナーが文字通り身を削らせて向かい合っていた。片や、黒い着物を流麗に纏い、刀を常に突き出している物々しい女性。片や、全身傷だらけの少女だった。ポニーテールの頭部を項垂れて少女は今にも倒れそうである。荒い呼吸の後、少女が双眸を女性へと向けた。その光に思わずイブキがたじろいだ。戦闘の気配、などという生易しいものではない。まさしく手負いの獣、野生の戦闘本能で研ぎ澄まされた光に後ずさる。

 

「姐さん、あの子、普通やないで」

 

「……ええ」

 

 身をもって実感したイブキは口調が気後れ気味になる。少女はどこを見ているのかといえば女性トレーナーだが、その眼差し、特に左目がかもし出す異様な空気の圧迫があった。少女の右目はブラウンだが、左目の色は人工色めいた青である。しかもその左目から紫色のオーラが迸っているとなれば誰の目から見ても普通ではなかった。

 

「一旦、スパーリングを止めましょうか?」

 

 ナタネの提案に、「出来るの?」と思わず尋ねていた。この緊迫感、入り込む余地などないのではないのか。「出来ますよぉ」とナタネは間延びした声音で戦闘地帯へと入っていく。背中に言葉をかけて止めようとしたがナタネはお構いなしだ。ナタネが、「ちょっと、お二人さん」と声を投げようとしたその瞬間、バシャーモとメガハッサムがきりもみ、バシャーモの放った炎とメガハッサムの放った弾丸の流れ弾がナタネへと真っ直ぐに飛んできた。「危ない!」とイブキが声を上げようとした瞬間、ナタネの頭部に命中しようとしていたそれを何かが弾く。目にも留まらぬ速度で繰り出された緑色の痩躯が弾丸と炎を霧散させた。あまりの事に呆気に取られていると、「危ないなぁ」とナタネがボブカットの髪をいじった。

 

「お二人ともー。お客さんだよー」

 

 その声にようやく二人は我に帰った様子だった。戦闘状態から半ば虚脱したように二人とも息をついている。

 

「何だ?」

 

「ナタネさん……。誰なんです?」

 

 ようやく現実認識の追いついた二人へとナタネはイブキ達を紹介する。

 

「ここに急に飛んできた命知らず二名」

 

 自分のほうが命知らずではないか、と言い返したかったがここが戦場だと知らなかったイブキはそう紹介されても仕方がないと感じていた。

 

「あっ、イブキさん……」

 

 少女のものに戻った声音にイブキはようやく思い出す。

 

「オーキド・ユキナリと一緒にいた……」

 

 ナツキという少女の像がようやく脳裏で結ばれ、しかし、とイブキは頭を振る。トキワの森で出会った時とも、ハナダシティの外れで出会った時とも違う。戦闘色とでも言うべき色濃い気配がナツキには纏い付いていた。

 

「誰だ?」

 

 もう一人はナツキでないのならばチアキだろう。不遜そうな声音に、「優勝候補の方です」とナツキが丁寧に返した。先ほどまでの戦闘の迫力はどこへやらと失せたように思われたが、その一方であれほどの重圧を操れるだけのトレーナーに成長したのかとそら恐ろしくもある。

 

「優勝候補……、このポケモンリーグのか?」

 

 チアキが身構える。その様子にナタネが、「敵じゃないと思うけどなぁ」とこぼした。

 

「信用なるか。今、我々に近づいてくる連中はまず疑ってかかるべきだ。戦闘地帯の真っ只中に入ってくるような連中だぞ。相当な手だれか馬鹿かのどっちかだろう」

 

 その言葉にマサキは両手を上げた。

 

「ワイら、多分後者やと思う」

 

 イブキも大人しく両手を上げる。この二人に敵う気がしなかった。チアキはまだ身構えていたがナタネが割って入る。

 

「敵じゃないって。敵ならあたしだって分かるし」

 

「日和見の貴公の意見なんぞ聞いてない」

 

 チアキはイブキへと喧嘩腰の視線を向ける。イブキも目つきがきついせいだろう。ついつい睨み返すような視線になってしまう。

 

「姐さん、着くなり喧嘩は御免やで」

 

「……分かっているわよ。でもこいつが」

 

「こいつが、何だ? 私からしてみればお前達のほうが侵入者だ」

 

 チアキとイブキはお互いにガンを飛ばし合う。チアキをナツキが、イブキをマサキが止めた。

 

「話が進まへんでしょう。ワイらから礼節に従って自己紹介させてもらいます。イブキ姐さんと、ワイはマサキ」

 

 マサキが友好的な笑みを浮かべるがチアキは身構えたままだ。ナツキが、「マサキさん……」と声にする。その段になってマサキも気づいた様子だ。

 

「あー! あの時の子か?」

 

 どうやら誘拐作戦の事を今の今まで忘れていたらしい。自分に負けず劣らず、この男も馬鹿だと感じる。

 

「知り合いじゃない」

 

「いやぁ、ワイもあの時はろくに覚える気がなくってなぁ。顔と名前が全然一致せぇへんねん。すまんな、ナツキちゃんとやら」

 

 マサキの声に、「いえ……」とナツキは顔を逸らす。マサキは鋭く切り込んだ。

 

「オーキド・ユキナリ、おらんのやね」

 

 ナツキが目に見えて動揺する。イブキが、「おい」と注意を飛ばそうとするがマサキは言葉を継いだ。

 

「ワイら、その助けになるために来たねん。あんさんらヘキサに、ワイは協力する」

 

 ナツキが目を見開く。チアキは刀をようやく仕舞い、「魂胆がありそうだな」と口にした。

 

「大したもんやあらへんよ。ただ、そっちにとって有益な情報を、ワイは提供出来る」

 

 にやり、と笑ってみせたマサキにチアキは鼻を鳴らす。

 

「情報提供か。だが偽の情報を掴まされる事ほど、今危惧すべき事はない。我々は慎重を期す事、一糸乱れぬ事、その二つが最優先だ」

 

 チアキは存外に落ち着いている。戦闘狂か、と判断しようとした自身の早計さを恥じた。

 

「分かっとるよ。だからこそ、あんさんらのボス、ヤナギに会いたい」

 

 言い当てられた事をチアキは驚きもしない。昨日の声明があるので驚く事でもないのだが、ネメシスが正式に握り潰したという事は民間には下りていないだろう。

 

「貴公ら、ネメシスの中心人物か」

 

「鋭いな。ワイら、ついさっきまでネメシスにおったねん」

 

「余計に信用ならなくなった」

 

 チアキが鯉口を切る。それを制するようにナタネが、「とにかく話を聞けばいいんじゃないかなぁ」とチアキの手に触れる。よく狂犬のようなチアキに触れられるものだ、とイブキは内心、感心してしまう。だがチアキはナタネの言う事に抵抗する様子もなく、「話は?」と切り出した。

 

「要求はまず、ボスに会わせてくれ。そっちで話をつける」

 

「ヤナギは今、サファリゾーン跡にいる。だがそう容易く組織の頭目に会えると思っているのか?」

 

「一戦交えるんならワイは勘弁やで。姐さんがやる」

 

「馬鹿! 勝手に決めているんじゃないわよ!」

 

 マサキを肘で小突くとつんつんとディスプレイを見るように促された。そこには「相手は強硬手段には出ない」と表示されていた。

 

 目線だけで「どうして?」と尋ねる。キーをさばき「攻撃意思があるのなら、ナタネに防御はさせん」と続けられた。もっともな話だ。

 

「で? どうするん? 姐さん、これでも結構強いけれど」

 

 チアキはこの挑発に飛びかかると考えていたが意外にも引き際が潔かった。

 

「……よかろう。ヤナギのところまで案内してやれ、ナタネ」

 

 チアキの了承に、「じゃあお二人さん、ついて来てくださーい」とナタネが手を振って歩き出す。その背中に続きながら、「どうして確信があったの?」とマサキに訊く。

 

「一触即発の状態になってもおかしくなかった」

 

「ならんよ。あの二人はスパーリングやってる言うたやん。つまり、一刻も早く強くならなあかんって事やろ? そんな時にイレギュラー混ぜへんて」

 

「でも、チアキ、さんって人には本気の迫力があった」

 

 一応敬称をつけると、「あら見せかけや」とマサキが口にする。

 

「戦いもしないあんたが分かるの?」

 

「ああいう手合いはな、姐さん。強そうに見えて意外に脆い。そら、実力は折り紙つきやろうけれど、ワイら相手にするのに自分が抜くまでもないと思ったんやろ」

 

「じゃあ誰が」

 

 戦うというのか、という問いにナタネが振り向かずに手を振る。まさか、という思いに、「このナタネはん一人で充分や」とマサキが告げた。

 

「あんさん、ワイら二人、いや姐さんが百人にいても勝てるつもりやろ?」

 

 マサキの言葉に、「買い被り過ぎですってぇ」とナタネは笑う。

 

「あたし、それほど強くないです。だって、スパーリングもしてないし」

 

「する必要がないほど強い。ちゃうか?」

 

 マサキの勘繰る言葉にイブキは思わず肩を引っ掴む。

 

「ちょっと。挑発なんてしても」

 

「しても、このお人は絶対に乗らんよ。それが分かっとる」

 

 思わぬ言葉にイブキが瞠目していると、「そだね」とナタネは応じた。

 

「だってポケモンセンターまで吹き飛んだわけだし。タマムシまでサイクリングロードがあるとはいえ上りは辛いから」

 

 それだけの理由だというのか。だがすぐにポケモンが回復出来ない状況は不安に違いない。

 

「じゃあ、スパーリングしているあの二人は?」

 

「あたし達と医療施設の人達が持っている回復の薬やらなんやら掻き集めてスパーリングしているんだよ。特にナツキちゃんには強くなってもらわないといけない理由があるからね」

 

「オーキド・ユキナリか」

 

 確信を込めて放った言葉にナタネはちらと視線を振り向けて、「イブキさん、だっけ?」と尋ねた。

 

「あなたもユキナリ君のファン?」

 

「ファンって、私はふざけているわけじゃ――」

 

「ジョーク、ジョーク」とナタネは手を振る。その段になってナタネの口調から敬語が外れている事に気づいた。どうやらこれが彼女の素らしい。いい加減な性格だ、とイブキは感じる。

 

「あたしはユキナリ君のファンだよ。だってさぁ、匂いが違うから」

 

「匂い?」

 

 思わず聞き返すと、「匂いの違う奴ってのはやっぱり違うもんだね」とナタネはのんびりした様子で口にする。

 

「破滅なんか起こしちゃうんだから」

 

「知っとったんか?」

 

 マサキの言外に含むところのある言い回しに、「いや、知らない」とナタネは返す。

 

「難しい事はヤナギ君に聞いたけれど、特に気に留める事でもないかな、って。ユキナリ君が特異点だとか何だとかさ。あたしには割とどうでもいい」

 

 本心からそう思っている口調だった。ナタネはユキナリ一行の仲間ではないのか。勘繰っていると、「でもナツキちゃんはそうじゃない」とナタネは真剣な声音になった。

 

「ナツキちゃんからしてみれば、一刻を争う事態。だからこそ、あたしは協力している。本当はマスターにこういう時お伺いを立てたいけれど、マスターも留守みたいだし、心配だなぁ」

 

 ナタネの言う「マスター」とやらが誰なのかは分からないが少なくとも敵対関係ではないらしい。

 

「ナツキ、の手助けになりたいと思っているの?」

 

 歯切れ悪く口にすると、「そりゃ、友達だしさ」とナタネは軽く返した。友達。その繋がりで持っていける関係と持っていけない関係がある。自分はユキナリと再戦を約束していながらロケット団に入り敵対してしまった。これも背信といえばそうだ。

 

「……私は知り過ぎてしまった。だから、戻れなくなっている」

 

 イブキの独白に、「そういうのはさ」とナタネは肩を竦める。

 

「あたしじゃなくってヤナギ君に言ってよ。あたしは決められる権限ないし」

 

「誰でもいいんだ。誰かに、私の懺悔を聞いてもらえれば」

 

 本音にナタネは沈黙を返した。マサキも何も言わなかった。こういう時に気の利いた台詞が欲しかった。

 

「あれだよ」

 

 ナタネが示した方向に屹立する物体にイブキは息を呑む。マサキも目を見開いている。

 

「これは……」

 

「なんか昨日から造っていてさ。あたしもよく知らないんだけれどアデクさんと共同で造っているから要るものなんでしょ」

 

 アデク、の名に、「彼もここに?」と訊いていた。まさかここに来て因縁の人物と一同に会するとは。

 

「うん、まぁね。でも、あたしにはさっぱり」

 

 ナタネがやれやれといった様子で首を横に振る。イブキとて目の前の物体を把握し切れない。白い天使の輪のような光を広げ、一体のポケモンが浮遊している。全身を氷に包まれた灰色の龍であった。ドラゴンタイプのエキスパートであるイブキでさえその龍の全貌は掴めない。

 

「あれは……」

 

「ああ、あれはキュレム、って言うんだってさ。ヤナギ君の手持ち」

 

 キュレム、と呼ばれたポケモンの真下で物体を仰いでいる二人組へとナタネは声をかけた。一人が振り返る。赤い鬣のような髪型の青年はアデクだ。ではもう一人がヤナギなのだろう。青いコートに身を包み、キュレムの一挙一動を注意深く見守っている。

 

「ヤナギ君、お客さん」

 

 その言葉でようやくヤナギが振り返る。目に険のある少年でイブキとマサキを認めるなり、「何だ、こいつらは」と不躾に聞いてきた。

 

「だからお客さんだって。このセキチクにわざわざ出向く酔狂なお二人」

 

 とんだ言い草だったが事実には違いない。ヤナギはナタネを無視してイブキとマサキを交互に見やり、「確か、優勝候補の」と口にした。

 

「イブキです。こっちはマサキ」

 

「確か、ロケット団に誘拐されたと聞いていたが」

 

 ヤナギも聞き及んでいるらしい。ヘキサならばそれも当然か。

 

「抜け出してきたんや。やるやろ?」

 

 マサキが気安く手を差し出すとヤナギはその手を無視して、「用件は?」と訊いた。マサキは握手の手を仕舞い、「なに、ちょっと相談があってな」とヤナギを手招くがヤナギは近寄る気配は見せない。

 

「話ならば立ちながら聞く。あまり時間がなくってな」

 

 ヤナギは再びキュレムを振り仰いだ。マサキが尋ねる。

 

「なぁ、これってなんやのん?」

 

 これ、と示されたものはイブキが先ほどから圧倒されている物体の事だった。巨大建造物のように思えるがその全貌が異様なのは全て氷で構築されているからだ。少しずつ、キュレムが凍結させて造り出しているのである。今は底部を固めているようだった。

 

「これは船だ」

 

「船?」

 

 その言葉の奇怪さにイブキは聞き返す。

 

「氷の船やって言うんか」

 

「キュレムが設計図を寄越した。形状からして、恐らくは航空母艦」

 

 ヤナギが指を差し出すとその手へと氷の紙片が構築されていく。キュレムへと命令したのか。しかし、今の一瞬で? とイブキは信じられない。紙片は瞬く間に一葉の設計図を組み上げた。

 

「これを昨日の夜、キュレムが作った。俺達はこれを十日前後で完成させるべく動いている。邪魔はしないでもらいたい」

 

 邪険にするでもなく先ほどから無関心の態度を貫いているのはそのせいか。だがイブキには到底信じられない。

 

「ポケモンが設計図をあなたに寄越しただなんて」

 

 その言葉にヤナギはちらと視線を僅かに配ってから、「伝説級のポケモンだ」と口にする。

 

「常識では考えられない事が起こり得る。それともドラゴンタイプといえど伝説は専門外か? 竜の一族の継承者というのは」

 

 神経を逆撫でする物言いにイブキが歩み寄ろうとするとマサキが、「まぁまぁ」と制した。

 

「お二人とも、そう喧嘩腰にならんといて。ワイが気を遣わなならん」

 

 マサキの仲裁にイブキは腕を組んで、「こいつ、当てになるの?」と訊いていた。

 

「姐さん、口の利き方頼むで」

 

「どうやらフスベタウンとやらは教育も行き届いていないようだな。同じジョウトの民として恥ずかしいところだ」

 

 イブキが再び詰め寄ろうとするのをマサキが必至の体で止めた。

 

「待った! 待った、姐さん。こいつも意地悪いけれど、姐さんも怒りっぽい」

 

「じゃあ、どうするってのよ!」

 

 イブキのヒステリックな声音にマサキはため息をついて佇まいを正す。

 

「だから、話し合いやて。ほんま、なんべんも言わせんといてや」

 

 マサキは端末を指差し、「ヤナギはん!」と呼んだ。

 

「ここにおまいさんらが喉から手が出るほど欲しい情報が入っとる」

 

「興味がない」

 

 ばっさりと切り捨てられてもマサキはめげない。

 

「それがオーキド・ユキナリに関係のある情報やとしたら、どうする?」

 

 その名前にヤナギの動作がピタリと止まった。肩越しに振り返り、「何だと」と問い質す。その声音は尋常ではない。戦闘の緊張感でさえはらんでいる。

 

「オーキド・ユキナリと言ったか?」

 

「ああ、言うた。必要になると思うで。ワイと、ワイのネットワークはな」

 

 マサキの言葉にヤナギはその必要性を問うかのように、「それが罠ではない、という安全は」と言った。

 

「ないな。やけれど、これが助け舟やって言う可能性も同時にあるわけや」

 

 ヤナギはアデクへと目配せしようやくマサキへと振り返った。

 

「何がある? 話せ」

 



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第百五十二話「ユキナリ奪還作戦」

 

 会談の場、と言われてもまともではない。それは病院だった。

 

 なんでもこのセキチクシティでまともに残って機能している唯一の建物らしい。スパーリングを終えたのかチアキとナツキもその場に同席した。イブキはどこか窮屈さを覚えながらも病室の一つ、複数のベッドの並ぶ相部屋でマサキの情報を開示する事にした。ただし、その前条件として今、ヘキサの置かれている状況を話す事を求められ、ヤナギは「長くなるぞ」と前置きしてから話し始めた。

 

 その意味するところに二人とも驚嘆する。頭目であるハンサムが死に、実質的にヤナギがヘキサを纏める事となった経緯。キュレムを手にし、今まで数多の死を乗り越えてユキナリを殺そうとしたがユキナリの同行者であるキクコの暴走を止めるため共同戦線を張った。その途上での出来事であったと言うのだ。あの破滅の光景は。

 

「あれは、ヘキサツールに刻まれている終焉だな」

 

 ヤナギも心得ているらしい。当事者以外は立ち入らせなかった。

 

「ええ。少なくともネメシスの頭はそう見ている」

 

「ネメシスの頭……」

 

 ヤナギは何かしら思うところがありそうな様子だったがそれを押し殺して、「ネメシスは」と言葉を継いだ。

 

「俺の声明を握り潰した」

 

 確認のしようはないはずだがヤナギ自身も分かっていたのかもしれない。「情報統制は行き届いとる」とマサキは応じた。

 

「一部スポーツ紙だけが取り上げた。それも消されるやろうな。公式の記録からは」

 

「それが歴史を操ってきたネメシスの強みか」

 

 ヤナギは特に自分の声明が握り潰された事に対する憤慨はないようだった。むしろ、好都合だというように、「動きやすくて助かる」と告げた。

 

「あれは、一応警告のつもりだったのだがな。これからカントーの地を襲うかもしれない、災厄の」

 

「カントーで何をするつもりなの? あの航空母艦とか言う氷の船で」

 

 イブキの質問にヤナギは、「戦う」と短く返した。

 

「戦うって……」

 

「ロケット団、その中の一部は強大な戦力を秘めている」

 

「それはサカキじゃ――」

 

「そんなものの比ではない」

 

 ヤナギの説明したのはミュウツーと呼ばれるポケモンであり、それが伝説の一角サンダーを捕獲したのだと語った。思わぬ符合にイブキは息を呑む。

 

「……そのミュウツーに、こっちも伝説を奪われたわ」

 

「やはり、相手の目的は伝説の三体、その捕獲」

 

「でも何のために……」

 

 深まる謎にマサキが、「まぁ、それは待ちいな」と手を挙げた。

 

「今はワイの話を聞いてくれ。オーキド・ユキナリに関する、これは急務や」

 

 ヤナギは分からない程度の目配せをする。チアキと、それにジムリーダーだというカミツレに、だった。戦闘の警告サイン。ここでもし戦闘状態になれば真っ先に揉み消せ、という暗黙の了解だった。その中で唯一無関係なのはナツキくらいだ。ユキナリの名前が出た途端に、「ユキナリはどこへ?」と身を乗り出してきた。

 

「オーキド・ユキナリはレプリカント、キクコと接触、覚醒状態に入った。本来ならキクコと接触した程度じゃ覚醒はせんのやけれど、キクコは聞いた話じゃポケモンに取り込まれていたらしいやん。それは危うい状態や。ネメシスの頭目はキクコの事をA判定のレプリカントやと言っていた。この判定はポケモンとの同調の度合いによるもので、その分、ポケモン側に引っ張られた結果になる。つまり、ヒトでもポケモンでもない、全く新しいものとユキナリは接触し、その過程で覚醒が誘発。破滅の現象が起こった」

 

 マサキの仮定にヤナギは耐え忍ぶように目を瞑っていた。キクコに関して彼は入れ込んでいる事が話の節々から窺えた。今のマサキの仮定は複雑なのだろう。

 

「……仮にその通りだとして、では奴はどうなった?」

 

「オノノクスが覚醒の手助けになった。これは、今まであんさんほどの実力者がなんべんも取り逃がしている事からも窺える、ユキナリの強さや」

 

「どうなったのかと聞いている」

 

 答えを促すヤナギへとマサキは、「これも仮説やけれど」と前置きする。

 

「ユキナリはオノノクスと一体化、その状態を第一覚醒状態とする。この状態だけでは破滅の扉を開くのに不充分や。エネルギーが足りとらんからな。ヘキサツールの情報とネメシスで得た情報をすり合わせるに、相当なエネルギーが必要なはずなんや。一個人、まぁ特異点と言っても普通の状態はただの人間。それとポケモンが垣根を越えた程度では、過度な同調レベルで済む。ただ話では一体化やから過度、じゃ済まんか」

 

 マサキは言葉を切り、全員の顔を窺う。ナツキは口元を手で押さえていた。ヤナギは無表情で、「ではオノノクスと一体化した奴は何故、キクコとメガゲンガーを取り込んだ?」と質問を重ねる。

 

「それがエネルギー補給の過程やった、と思われる。オノノクスが覚醒のトリガーとなり、特異点としてユキナリはエネルギーの塊になった。エネルギーってのは一箇所に集まってこそ意味がある。この場合、ユキナリの願望を叶えるために、高密度エネルギーは集中し、オノノクスの形状を取りながらもそれは全く別種の存在へと昇華しようとして――」

 

「結論を言え」

 

 遮って放たれた言葉にマサキはヤナギを真正面から見つめた。

 

「つまり、エネルギー体となったユキナリにもう人間に戻るっていうのは不可能な話なんや」

 

 その結論に立ち上がったのはナツキだった。

 

「そんなの! そんなの、あんまりじゃないですか……。だって、ユキナリは、キクコちゃん助けるために……」

 

「落ち着け、ナツキ」

 

 ヤナギが最も意外な言葉でナツキを宥めさせる。

 

「まだオーキド・ユキナリが戻ってこないというわけではあるまい」

 

「でも、今の話じゃ――」

 

「では何故、フジはオノノクスを止め、オーキド・ユキナリを攫った?」

 

 その疑問にナツキは目を見開く。マサキは、「察しがええな」と説明を続ける。

 

「全員の話を統合すると、オノノクスを止めたんはシンオウの神話の中にある赤い鎖。これは神と呼ばれるポケモンでさえ制御する能力を持つ特殊な道具や。これを生成する過程にこそ、ユキナリ奪還のチャンスがある」

 

 マサキの言葉にナツキは、「教えてください!」とマサキに詰め寄った。

 

「どうすればいいんですか? ユキナリは、どうすれば……」

 

「取り乱すな! ナツキ!」

 

 怒声を放ったのはチアキであった。その印象とは正反対な声音は既に一線を引いた関係ではない事を示している。ナツキは押し黙った。師弟と呼んでも差し支えない関係だろう。チアキは、「今は冷静にソネザキ・マサキの話を聞く事だ」と諭す。

 

「それが結果的にユキナリを救う事に繋がる」

 

 ナツキは目を瞑って押し黙り、「話してください」と決心した声を出した。冷静に話を聞く事すら難しい状態にある。それほどユキナリという存在との絆が深かったのだろう。マサキは、「赤い鎖と言うんは」と端末のキーを打って画面に表示させた。

 

「生成条件が特殊なんや。とある三体のポケモンに過負荷をかけた時のみ、生成される道具。それぞれ、アグノム、ユクシー、エムリット」

 

 三体の画像を全員に見せるマサキ。イブキは粗い画像や歴史的建築物に刻まれた三体の抽象画を目にした。

 

「おかしいな」

 

 ヤナギの声にマサキは、「気づいたみたいやな」と応ずる。何がおかしいのか。イブキが首をひねっていると。

 

「この三体に関するデータは、ヘキサにも、ロケット団にも全くない」

 

 マサキの出した結論に全員が色めき立った。「ちょ、ちょっと待って!」とナツキが声を差し挟む。

 

「だって、ロケット団は赤い鎖を作ったし、現にミュウツーがそれを使って――」

 

「ロケット団の総意ではない、という事か」

 

 ヤナギが落ち着き払って口にすると、「ほんま、あんさんと話していると結論が早く出て助かる」とマサキは口元を緩めた。

 

「ミュウツーと赤い鎖、それにユキナリの覚醒阻止は一部の人間の勝手な行動だと判ずる事が出来そうやな。その一派のリーダーと思しき人間が」

 

「フジ、か」

 

 ヤナギは額に手をやって考え込む。マサキは、「そう難しい話でもないで」と陽気に口を開く。

 

「ワイが今話しているのはロケット団内部の軋轢の事やなく、どうすればオーキド・ユキナリを奪還出来るか、やからな」

 

 その一事のみ、を当面の目標に仕立て上げようというのだろう。ヤナギは、「さっきの三体か」と端末を指差す。

 

「アグノム、ユクシー、エムリット。この三体が鍵を握っている」

 

「せやな。ワイが考えるに、赤い鎖をフジは還元したと思われる」

 

「還元って……」

 

 思わず言葉を詰まらせたイブキへと、「赤い鎖は半永久的に存在するもんやけれど」とマサキは振り返った。

 

「元々は三体のポケモンのストレスの権化や。元通りにする方法として、三体のポケモンに分ける、という事が挙げられる」

 

「それが還元か」

 

 マサキは頷き、「もうユキナリは人間の形状を留めとらんやろうな」と呟いた。

 

「純粋にエネルギーの塊と化した時点でそうやけれど、さらに三つに分解されたとなれば、ユキナリを完全に奪還するのは難しい。というよりも、奪還したユキナリはヒトなのか、それともポケモンなのか、エネルギーの凝縮体なのか。それすら定かやないな」

 

 つまり助け出したとしてもそれは以前までのユキナリではない、という非情な宣告だった。ナツキは精一杯平静を保とうとしているが表情に不安が見え隠れしている。ヤナギはそれらを聞き届けた後、「だが、当てがあるのだろう?」と尋ねる。マサキは、「せやから、自分らに提案した」と告げる。

 

「ユキナリが赤い鎖で封印されたって言うんなら、この三体を捕まえてサルベージすればええ」

 

「でも、シンオウの神話のポケモンなんでしょう? このカントーにいるっていう保障はないわ」

 

 イブキの声に、「いや、おるよ」とマサキは確信めいた声を出す。

 

「どうしてそう言い切れるっての?」

 

「ロケット団、いやフジ一派と言うべきか。フジ一派は当然、ワイらがこの可能性に行きつくことを想定して、三体にマーカーをつけとる。何か発信機かかもしれん」

 

「そんなの探って、ばれないの?」

 

「ばれとるよ、そりゃな」

 

 あっけらかんと言ってのけるマサキに開いた口が塞がらなくなった。

 

「決死のハッキングかけてフジ一派の情報を探っとるさかい、向こうから露見するのも覚悟の上。でも、そんなん怖がっていたらユキナリはいつまで経っても救えん。そうこうしている間に三体がカントーを離れたらお終いや」

 

「つまり、一秒でも早い決断が求められている、という事か」

 

 ヤナギの言葉にマサキは目を向ける。

 

「どないする? 全てはおまいさんの一存やで」

 

 ヤナギならばもしかすると乗らないのではないのだろうか。ユキナリとは因縁の仲である。ここでユキナリを見捨ててもヤナギからしてみれば失うものは少ない。今はミュウツー対策に時間を取るべきだろうという考えもあり得る。全員が固唾を呑んで見守っていると、「最初から決まっている」とヤナギは口にした。

 

「オーキド・ユキナリ奪還作戦、乗らせてもらおう」

 



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第百五十三話「迎撃」

 

「いやはや、意外な結論やったな」

 

 マサキはマイクの音声を切ってそう呟く。イブキはマサキ護衛につかされていた。それ以外の人間は出払っている。その目的は既にユキナリ奪還作戦に向かっていた。端末に作戦開始時刻までのカウントダウンが出ている。

 

「意外ってのはヤナギの事?」

 

 イブキが尋ねる。電気の通っている病院からは抜け出せないのでマサキとイブキは病室で居を構えていた。

 

「ああ、あいつはやっぱりただもんやないわ。ワイやったらそんな因縁の相手、消してしまってもええもん」

 

 マサキの感想は率直だがあってもおかしくはない話だった。だがヤナギは決断した。ユキナリを助け出すと。

 

「全ての因縁をなかった事にする、ってわけじゃなさそうだったけれどね」

 

 因縁の上に自分達の関係性すら置こうというのか。ヤナギの英断はそれだけの覚悟の上にある。

 

「自分を客観視出来る言うんかな。あれほどの逸材やとは思わんかった」

 

 マサキはカントーの地図をディスプレイに呼び出す。三体の位置情報がリアルタイムで送られてきた。

 

「これ、誰かが協力しているの?」

 

 マサキ一人の力にしては出来過ぎている。イブキの声に、「ああ、分かる? 姐さん」とマサキはヘッドセットを首にかけて返した。

 

「ワイの研究仲間に募って位置情報の特定や、データの更新速度なんかを手伝ってもらっとる」

 

「それって、犯罪じゃ」

 

「そうやな。ばれれば」

 

 相手も犯罪組織なので大っぴらにはしないのだろうがロケット団を探るのに手伝ってくれる人間がいるのは意外だった。

 

「マサキ、あんた友達はいないって言っていたわよね」

 

「せやから友達というよりかは、んー、なんて言うかな、同業者、って言えば早いかもしれん」

 

 それでもいざという時に頼りになる人間はいるのだ。マサキはただ孤独なだけではない。それが分かっただけでもよかった。

 

「で? その三体の居場所は?」

 

 ディスプレイ上では常に動いているように見える。マサキは、「周期的なテレポートを繰り返して逃げとる」と答えた。

 

「だからこっちから仕掛けようって思っても、相手はこっちの殺気みたいなもんを鋭敏に感じるから、確実性を求めて捕獲は難しいな」

 

「どうするの?」

 

「周期パターンを計算してもらっとるから、もうじき出ると思うよ。あとは周期パターンが重なる時間帯にその場所に出向けばええ。ここからやと、サイクリングロード、シオンタウン経由の道路、ヤマブキからの接続点辺りが攻めやすいかな」

 

「他の場所に構成員を置くってのは考えないの?」

 

 その案をマサキは首を振って却下する。

 

「それも考えたけれど、この三体の特性を考えた場合、実力者による強行捕獲以外、不可能なのが分かる」

 

 アグノム、ユクシー、エムリットは精神を司るポケモンと分類されている。それはそれぞれが人間の精神の基点となったと言われているからだ。

 

「アグノムは意志、ユクシーは知識、エムリットは感情、か。傷つければ七日でそれぞれの精神が崩壊する。こりゃ恐ろしい伝承やな」

 

「でも伝説でしょ?」

 

「いや、分からんで。なにせ、今回導入するのはメガシンカポケモンや。トレーナーとの過度の同調にある。そのようなポケモンに精神攻撃されてみい。トレーナーにも危害が及ぶ可能性はある」

 

 マサキの説明にイブキは息を呑む。

 

「その事、ナツキ達には」

 

「伝えた。けれど、行くいうて聞かん。それにメガハッサムは絶対に使いたいところやってヤナギも言っていたからな。恐らくは実戦前の手応えを得たいんやろ」

 

 今回、捕獲班は大きく三手に分かれた。一班はアデク一人による強行突入。もう一班はチアキとカミツレによる協力捕獲班。そして最後の一班がナタネとナツキによるものだった。アデクとチアキ、カミツレに関しては心配していないがナツキに関しては不安要素も多い。

 

「どうして、この編成にしたの? ナツキを安定して使いたいのならばチアキと組ませれば」

 

「カミツレと組ませたほうが成功率は高いし、何よりもワイもヤナギ同様、メガハッサムの性能には興味があるんでな。ナタネと組ませる結果になった」

 

 イブキは一応納得したもののまだ払拭しきれないものがあった。

 

「どうしてヤナギは出ないわけ」

 

 ヤナギは今次作戦には参加しない。その理由を問い質したところ、「航空母艦を一日でも早く造りたい」のだと言う。マサキは、「しゃあないと思うで」と返す。

 

「ヤナギにはヤナギの考えがある。ワイらがどうこう出来るもんやない」

 

「でも、あいつがリーダーでしょう?」

 

「せや。だからこそ、ボスってのは一番どっしり構えるもんやって理解しとるんやろ」

 

 ヤナギにそこまでの考えがあるかどうかは甚だ疑問であったが。しかし、イブキもマサキの護衛任務という、危険に赴く五人よりかは安全なポジションだ。文句は言えた義理ではない。イブキは病室のベッドに座って脚を組んだ。

 

「周期パターンは洗えたの?」

 

「まぁな。今回の場合、相手のテレポート先を予想して向かう、というよりかはこっちに限りなく近い場所に来てもらうのを待つ、と言ったほうが正しい。幸いにも三体はカントーから離れる様子はまだ見せん。それにしたって、フジは末恐ろしいやっちゃな」

 

 マサキの感想にイブキは、「ミュウツーの事?」と尋ねる。

 

「そいつもやけれど、この三体だって扱い間違えれば精神崩壊やで。正直、道徳の観念とか、自制のリミッターが外れた考えの持ち主やってのは確かやな」

 

 赤い鎖の生成方法を聞いた今となっては、それほどのリスクを払ってまでユキナリを確保したかったのは何故なのか、と考えさせられる。

 

「赤い鎖じゃないとオーキド・ユキナリはまず止められなかった。覚醒し、破滅の扉を開くのは誰にも止める事なんて出来なかったわけよね」

 

「そうやな。だからと言ってこいつは賛辞が欲しいわけでも、世界を救うとか言いたいわけでもない。ミュウツーを前にしてはっきりと分かったやろ?」

 

 マサキの問いかけにイブキは首肯する。ミュウツー。あれは殺気の塊だ。鬼と言い換えてもいい。ポケモンの領域に留めておくにはあまりに危険であった。

 

「よくあれを御するなんて考えるもんよ」

 

「研究者言うんはな、御せへんもんは使わんよ。全部想定内の事象に持って来ようとする。今回のユキナリ奪還作戦かて、フジの掌の上だって言う可能性は大いにある」

 

「じゃあ、私達が動くのも……」

 

「フジは読んどるやろうな。でも、だからと言って止めにも来ないのは、それが自分に優位に働くという確信があるからや。せやなかったら、この三体を餌にして何か仕掛けてくるか……」

 

「餌……」

 

 この三体に辿り着く事はフジの側からしてみても計算の範囲内。考えたくなかったが、そう考えてしまうと辻褄の合う部分が多い。

 

「……でも、そうなってくるとオーキド・ユキナリ覚醒を阻止したのも分からなくなる。一面を認めるともう一面が矛盾する」

 

「結局のところ、何もかもを分かっているのはもしかするとキシベかもしれんな」

 

 キシベの名前が出てイブキは身構えた。自分達は裏切り者である。もしかするとフジを通じて消そうという動きでもあったのかもしれない。その予感をマサキは否定する。

 

「でもフジとキシベが手を取り合うってのが想像出来ん。やっぱりキシベは高みの見物、言うのが正しいか」

 

「キシベはそれなりに戦局を理解して、フジを泳がせているって事?」

 

 マサキは頷き、「せやなかったらロケット団内で謀反が起きとる事になるし」と続けた。

 

「キシベはこの時代にロケット団を設立する事にこだわっていたはず。ロケット団が内部分裂で終わる、ってのは考え辛い」

 

「でもオーキド・ユキナリ覚醒時に、サカキは何も動かなかった」

 

「それも分からんねんなぁ」とマサキは首をひねった。

 

「特異点であるユキナリを打ち消せるんは、同じく特異点であるサカキが最も相応しいはずなんやけれど、それをぶつけなかったところを見ると、キシベはフジが覚醒を阻止する事を知っていた、と考えるべきやろうな」

 

 だが、その推論にはある疑問が付き纏う。

 

「だったらフジの行動は筒抜けって事よね?」

 

「せやなかったら説明つかんし……。でも、そうやとすると、今度はフリーザー捕獲に乗り出した意味が分からん。だってどうせフジが捕獲するんなら、ふたご島での戦闘なんて避けりゃええやん」

 

 もっともな意見だ。同じ組織内部で捕獲の意図があるのならば成功率の高いほうに預けるべきである。そうしなかったのは――。

 

「私達に捕獲させたかった?」

 

「あるいはロケット団の目から一度隠す必要があった」

 

「でもあんたの推理が正しいと、ロケット団でもフリーザーが捕獲された事は公になっていない」

 

「それどころかサンダーもやろ。フジがやっている事が組織内部で露見したら、それこそフジは大罪人。裏切り者やで」

 

 キシベが黙認していても誰かが我慢出来なくなる。そのはずなのだ。

 

「伝説の鳥ポケモンが一個人の手に渡ったとなれば焦るわよね」

 

「そりゃ、そうやろ。でも、キシベは焦るどころか尻尾も掴ませへん。フジのやりたいようにやらせている」

 

「それが結果的に自分に吉となるって分かっているって事かしら」

 

「やとしたら、キシベはヘキサツールよりも恐ろしいな」

 

 マサキの意見にイブキも首肯するしかなかった。

 

『こちらアデク。聞こえとるか?』

 

 割って入った通信の声にイブキは肩をびくりとさせる。マサキが落ち着いて対応しヘッドセットを耳に当てた。

 

「おう、こちらマサキ。ワイの改造したポケギアのアプリ、使えているか?」

 

『バッチリじゃな。位置情報を常にトレースして、来るのを伝えておるが……、本当に来るのか?』

 

 現場からしてみれば不安だろう。アデクの赴いているのはヤマブキシティとタマムシシティの境だ。飛翔能力のあるウルガモスならば遠くでもいいだろうという判断だった。もちろん、ポケモンリーグとしては長距離の「そらをとぶ」は違反となるのだがアデクはそれも厭わない考えだった。ギリギリまで自分を切り詰めてでもユキナリを救いたい。それは彼の仲間ならば誰しも同じようだ。

 

「来るかどうかについては心配いらん。ワイが解析したぴったりの時間に来るさかい。それよりも他の連中、返事はないが大丈夫か?」

 

 マサキが広域に呼びかけると、『こちら第二班』とチアキの声が聞こえてきた。

 

『私達はサイクリングロードに展開している。……それにしても、これは何とかならないのか?』

 

 これ、というのは自転車だろう。サイクリングロードでは自転車に乗る規則となっている。

 

「規則やからな」とマサキも返した。

 

「跨っとるだけでええって。手持ちの状態は?」

 

『貴公の指示通りの編成だ。この戦法は試した事がないのだが、うまくいくのか?』

 

「ゼブライカとバシャーモやろ? 二体の素早さを最大限まで活かすにはこれが一番ええんや。頼むで」

 

 そちらの交信を切り、マサキは第三班へと繋いだ。

 

「ナツキ、とナタネ。大丈夫か?」

 

『こちら第三班。指示通り、シオンタウン周辺のクチバ東に展開中。状況は……』

 

 通信網にナタネの鼻歌が聞こえてくる。ナツキはため息を漏らし、『聞いての通り』と口にした。マサキは苦笑する。

 

「リラックスしてるんはええ事や。ナツキも気を張り過ぎるなよ」

 

『了解』とナツキが通話を切る。その直後、カウンターの一つがゼロを刻み、赤く染まった。

 

「第一班、アデク! 来たはずやで!」

 

 マサキの声に、『こちらアデク』と通信が繋がる。

 

『マサキ。本当に、相手は小型のポケモンじゃろうな?』

 

 アデクを含め戦闘展開させている五人には新型モンスターボールを渡してある。いくら三体のポケモンが伝説級とはいえ、新型の機能を発揮すれば難しい話ではないはずだった。

 

「ああ、そうやけれど。どないした?」

 

 アデクの声音の変化を感じ取ったのだろう。マサキの問いかけに、『聞いとらんぞ……。二体! 見た事のないポケモンがユクシーを守っておる!』と叫ぶ。

 

「二体、やと……」

 

 マサキも想定外だったのか、端末を引っ手繰りキーを素早く叩く。その間にもう一つのカウンターが赤く染まった。第二班の通話が繋がる。

 

『……おい、目標は一体ではなかったのか?』

 

『マサキさん。何かまずそうなポケモンが付いているんだけれど……』

 

 続け様に弾けたチアキとカミツレの声にマサキは、「大丈夫か?」と聞き返す。

 

「その得体の知れんポケモンってのは何や? 情報を送って欲しい!」

 

 マサキの必死の呼びかけにアデクが応ずる。

 

『こいつは……。マズイ! 攻撃してくる!』

 

「アデク? アデク!」

 

 通信に多量の雑音が混じり、アデクとの音声通話が難しくなる。途端に途切れた回線を繋ぎ直そうとするがさらに狂乱の声が響いた。

 

『この、ポケモンは……!』

 

『こちらカミツレ! 先制攻撃が弾かれた! 目標の映像を送るわ』

 

 カミツレからポケギアを通じて送られてきたのは粗い画像だったがユクシーを囲うように二体のポケモンが浮遊している様だった。二体はけばけばしい色を湛えた案山子のような形状をしている。

 

「何や、これ……」

 

 マサキでも理解出来ない現象なのだろうか。完全に硬直したマサキへとイブキは声を飛ばす。

 

「マサキ! 早く指示をしないと!」

 

 我に帰ったマサキが、「分かってるけれど……」とキーを叩き情報を共有しようとする。しかし、研究仲間から出た結論に二人して唖然とした。

 

「アンノウン……。未確認のポケモンやと……」

 

 表示された文字に硬直するしかない。イブキは自分達では窺いようもない現象が巻き起こっている事に戦慄した。

 



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第百五十四話「失わないために」

 

 枝葉を踏む足音に声を投げる。

 

「誰だ?」

 

 設計図を眺めながら振り返らずに発した言葉に相手は応じた。

 

「そろそろ必要な頃だと思ってな。俺が訪れた」

 

 ヤナギはキュレムから視線を外し、ようやく振り返る。

 

「ロケット団の幹部、ゲンジか」

 

 既にその情報はヘキサのデータベースにあった。キャプテン帽を目深に被り、ゲンジは口元に笑みを浮かべる。

 

「ああ。俺も存じ上げている。カンザキ・ヤナギ」

 

 名前を呼ばれヤナギは慌てるでもなく落ち着いて対処する。

 

「言っておくが戦闘はしないつもりだし、したとしてもお前ご自慢のドラゴンタイプはキュレムの前に無力だ」

 

 キュレムが航空母艦建築に心血を注いでいるとはいえ瞬間冷却くらいならば腕を振り上げるだけで放てる。恐らくはゲンジが繰り出す前に勝負は決するだろう。

 

「今日は戦いに来たのではない。俺からしてみれば大変に不本意な役目だ」

 

 ゲンジは足元にある丸太を指差し、「座っても?」と尋ねる。ヤナギは、「ああ」と頷いた。

 

「では何の用で来た。まさかロケット団の幹部が酔狂でやってくる場所でもないだろう」

 

 セキチクシティは完全に麻痺状態だ。セキチクシティに訪れる意味など襲撃以外で考えつかない。ゲンジは、「情報を提供しに来た」と告げた。

 

「情報? 悪いが足りている。ちょうどいい駒が手に入ったのでな」

 

「その駒、ソネザキ・マサキでさえも対応出来ない状況だとすればどうする?」

 

 相手にしないつもりだったがマサキの事を把握されているのだと分かりヤナギは目線を振り向けた。

 

「……何が言いたい?」

 

「俺が来たのは、お前達に加勢するためだ」

 

「加勢? ロケット団とヘキサは敵対関係のはずだが」

 

「だから、大変不本意だが、と前置きしただろう」

 

 ゲンジが息をつく。ヤナギはキュレムを一瞥した。

 

「安心しろ。彼我戦力差は圧倒的だ。俺は全く勝つ見込みのない戦いまで挑むほど無鉄砲じゃない」

 

 ゲンジの言葉を信用するべきか否か。当然、ヘキサの頭目としてはゲンジをこのまま捕縛するのが正しい。だがマサキでも対応出来ない事態。それはつまり今のユキナリ奪還作戦の事を言っているのか。探りを入れようとする前に、「オーキド・ユキナリ」とゲンジは口にする。ヤナギが目を見開いていると、「俺も因縁がある」とゲンジは続けた。

 

「だから助ける」

 

「筋が通っているようには思えないな。どうしてロケット団がオーキド・ユキナリを助ける?」

 

「ロケット団の目的は特異点の保護だ」

 

「知っている。だからこそサカキを擁立している」

 

「今の状況、ロケット団としては好ましくないと判断する」

 

 ゲンジの言葉を統合するに組織としてのロケット団はフジの行動を否定する、という事なのだろうか。それはマサキの可能性にあった内部分裂、と捉えていいのだろうか。ゲンジは、「俺もフジ博士は気に食わん」とこぼす。

 

「だから、というわけでもないが、俺は使者に遣わされた」

 

「何故、俺達に加勢しようとする? 貴様らの優位になる事など一つもない」

 

「だが、ヘキサの優位にはなるだろう? 今は、一人でも戦力が欲しいはずだ」

 

 その通りであるがロケット団まで混在するほど考えに余裕があるわけでもない。どだい、ゲンジの考えは読めないのだ。安請け合いが危険な事くらいは判断がつく。

 

「戦力は欲しい。だが危険因子は排除したい」

 

「俺を通じてロケット団が情報を盗むとでも?」

 

「情報ならまだかわいいさ。俺が最も危惧しているのは命が奪われる事だ」

 

 騙し討ちくらいならばやりそうだ。ヤナギの言葉にゲンジは口元に笑みを浮かべた。

 

「……すぐには信用出来ないか」

 

「当たり前だな。いくら有益な情報を持ってこようが、お前自身が最も危うい人物である事を忘れるな」

 

「ならば、こうしよう」

 

 ゲンジはホルスターからモンスターボールを抜き放ち、地面に転がした。ヤナギは足元まで来たそれを視界に入れる。

 

「これで無力化だ」

 

「ブランクのモンスターボールかもしれない」

 

「疑り深いな。ならば手に取って確かめるといい」

 

 ヤナギは顎をしゃくる。キュレムが凍結の手を地面から根のように伸ばしモンスターボールを持ち上げた。がっちりと食い込ませ、時限式の開閉であっても出来ないようにしてからモンスターボール内部を眺める。中にはゲンジの手持ちと思しき水色のドラゴンタイプが入っていた。

 

「ポケモンリーグ参加者の手持ちは一人一体。俺に他の手はない」

 

「もう辞退していればその所持数制限に引っかかる事もない」

 

 言い捨てたヤナギに、「そこまで器用じゃないさ」とゲンジは微笑む。

 

「それに俺の目的はあくまで故郷における地位の確立。そのためにはそれなりの結果を出す必要がある。まだポケモンリーグを辞退するわけにはいかない」

 

「それならばなおさらだな。オーキド・ユキナリに関わる理由がない」

 

「因縁があるから、では不満か?」

 

 窺ってくるゲンジに、「不確定要素だ」とヤナギは切り捨てる。

 

「そうまでしてお前が俺達の下へと来る、その理由付けが不安定過ぎる。俺は組織を纏め上げる人間だ。不穏因子を招き入れて内部分裂、ではお話にならない」

 

 ヤナギの言葉にゲンジは口元を綻ばせる。

 

「まるでロケット団の事を言われているようだ。耳に痛いな」

 

「何のつもりの接触か、隠し立てをせずに答えれば命はもう少しだけ長続きする」

 

 ヤナギの最後通告にゲンジは、「このままでは平行線だ」と膝を叩いた。

 

「単刀直入に言おう。キシベの命だ」

 

「キシベの……」

 

 ヤナギの口調に宿るものを感じ取ったのだろう。ゲンジは、「そのキシベが」と指差す。

 

「お前らをフジ博士の手から守るように命じた」

 

「何のために?」

 

「フジ博士の進める計画とキシベの進める計画には微妙な差異がある。その差異において、ここで勝たなければお前らは決して前には進めない。個人的意見を言わせてもらえば強者の頂に達したオーキド・ユキナリともう一度戦いたい。それだけだ」

 

 最後の言葉は余計だったのだろう。ゲンジの口調にはしかし嘘くさい感触はない。

 

「最後の言葉だけは本物のようだな」

 

 ヤナギの言葉にゲンジは、「今、三体の伝説を追っているのだろうがこのままでは敗北する」と告げた。

 

「それはフジ博士の造った人工のポケモンが守っているからだ」

 

「人工のポケモン……、ミュウツーか?」

 

 真っ先に頭に浮かんだ名前にゲンジは首を横に振る。

 

「ミュウツーではない。三手に分かれたようだが、それぞれ二体ずつ配備されている。このままではお前らは壊滅するぞ。いくら強力なトレーナーだとしても、相手の情報が全く分からなければ対処出来ない。それに時は一刻を争うはずだ。三体のポケモンが再びテレポートする前に二体の護衛の人工ポケモンを破壊しなければやられるのはお前らだと言っている」

 

 ヤナギはその言葉を信じるべきかの判断を迫られていた。ゲンジの行動はキシベによるもの。全てはキシベの思い通りか。だが、もしもゲンジの言葉が真実だとすると自分達は五人もの戦力を失う事になる。その中にはチアキやカミツレもいるのだ。

 

 ――これ以上、自分の判断ミスで誰かを失いたくはない。

 

 シロナとキクコの姿が脳裏に浮かびヤナギは深く瞑目する。

 

「その情報を完全に信じ込む事は出来ない。だから、俺はお前を利用する。お前を信じたわけでは決してない。部下として置くつもりもなければこの情報以上のものを期待する事もない」

 

「充分だ」

 

 ゲンジが立ち上がる。ヤナギはその眼を見据えて頷いた。

 



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第百五十五話「タフボーイ」

 

 接続不良の表示とアラートの赤い光が次々に映し出されマサキは荒い息をついた。イブキも声を詰まらせる。一瞬で三人の行方が分からなくなった。この状況、最も混乱しているのはマサキだろう。

 

「……どうなっとるんや。このままじゃ全滅やぞ!」

 

 カウンターが機能しているのは第三班のものだけだ。第一班と第二班のカウンターはゼロを指し、赤色に変化している。さらにカミツレの映し出したポケモンのデータがどの地方にもないとなれば焦燥が襲いかかるのも無理はなかった。

 

「未確認のポケモンだとして、弱点はあるはずよ。マサキ、落ち着いて……」

 

「落ち着こうとはしとる! でも、通信は途絶した。状況も分からんし、これじゃどうしようも――」

 

 ない、と続けようとしたマサキの声を遮ったのは踏み込んできた足音だった。まさか敵がここまで、と警戒したイブキの目に映ったのはヤナギと、その後に続く意外な人物だった。

 

「あんた……ふたご島の……」

 

 ロケット団に所属しているはずのゲンジがキャプテン帽を目深に被って返礼する。

 

「久しくもないか。つい数日前に会っているな」

 

 ゲンジの存在にイブキはわけが分からなくなった。何故、ヤナギと共にいるのか。ヤナギも何を考えている? まさか操られているのでは、という危惧を、「落ち着け」という声が否定した。

 

「ゲンジとは一時的な協力関係だ。利害が一致しているからここに連れて来たに過ぎない。相手に抵抗の術はない。俺がこいつの手持ちは持っている」

 

 ヤナギがモンスターボールを手に取っていた。その中にタツベイが入っているのが確認される。

 

「じゃあ、どうして……!」

 

「フジ博士の企みを止めたい。そのために来ただけだ」

 

 ゲンジはマサキへと歩み寄り、「護衛についているポケモンのデータを確認させろ」と言い放った。

 

「な、何でお前なんかに!」

 

「マサキ! 今は、言う通りにさせろ」

 

 ヤナギが声を張り上げる。一刻を争う事態にヤナギの声はマサキの判断を常時に戻した。

 

「……これが、その目標やけれど」

 

 マサキが先ほどの画像を見せる。すると、「やはりこれか」とゲンジは応じて声にする。

 

「これはポリゴンシリーズだ」

 

「ポリゴン……?」

 

「ロケット団内で密かに計画されていた人工ポケモンの一つ。ポリゴンという名前だが、これはその最終形態。我々はポリゴンZと呼んでいる」

 

 ポリゴンZ。それが相手の名称だとすればゲンジはロケット団から離反したと言う事なのだろうか。そのような勘繰りを済ませる前にゲンジは、「これの攻略法は一つだ」と口にした。

 

「攻略法……。あるんか?」

 

「通信障害が発生しているはず。このポリゴンZは三メートル圏内に二体でいる時のみ強力な電磁波を発生させ通信障害を引き起こす。まずは分散させる事だ」

 

 ゲンジの判断にマサキは、「信用に足るんか?」とヤナギに目を配る。ヤナギは、「今はすがるしかない」と応じた。

 

「ポリゴンシリーズを破壊する術をこいつは持っていると言ってきた。今は、どうやらその男の言う通りに事が進んでいるようだからな」

 

 信じる、信じないに関わらず従うほかない、という事なのだろう。イブキは密かにボールに手を添えて警戒する。

 

「ポリゴンシリーズを三メートルの圏内から引き剥がし、個別に撃退しろ。無理ならば二体同時だ。片方が生き残っていると自動修復プログラムが走らせられ、再生が行われる。この間、僅か三分」

 

「三分……、たったそんだけで……」

 

 マサキの驚愕を他所に、「逆に言えば、三分だけならば片方を無力化出来る」とゲンジは告げた。

 

「二体同時破壊が理想だが、それが無理ならば三分以内に片方を破壊しもう片方も殲滅しろ。ポリゴンシリーズは必ず殲滅しなければ、三体のシンオウのポケモンを捕獲など出来ないぞ」

 

 どうやらこちらの企みは全てお見通しの様子だった。やはり、キシベか、とイブキが感じているとマサキはヤナギを見やった。

 

「こいつ、信用するしないに関わらず、ワイはポリゴンZについて文字情報を送り込むしかない、みたいやな」

 

 そうでなければ壊滅は必至だ。マサキはポケギアの通信機能の一つ、チャット機能を用い、第一班と第二班へとポリゴンZの情報を送る。

 

「これで、あいつらが倒してくれるのが理想やけれど……」

 

「ポリゴンZは特殊攻撃力に秀でたポケモンだ。通信障害を起こしつつ破壊光線を交互に放ってくる。生半可なポケモンではもう無力化されているだろう」

 

 そんな、とイブキが声を発しようとすると、「その点は心配ない」とヤナギが断言した。

 

「それほどやわな奴らじゃないのでね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青い光条が景色を引き裂いた瞬間、ウルガモスへと命中したかに思われた。案山子のような二体の護衛ポケモンがユクシーを守っている。赤い宝玉を額に備え、黄色い頭部を持っているユクシーは小柄な妖精の姿だった。ポケギアからのリアルタイム情報によるとほとんど瀕死に近い。どうやら赤い鎖生成のために無理をさせられた、という話は本当らしい。

 

「それにしたって、いきなり攻撃ってのはな……」

 

 アデクも辟易する。ウルガモスの腹腔を撃ち抜いた光の帯が霧散するのを視界の端に捉え、「ウルガモスでなければやられていたかもな」と呟く。

 

 直後、ウルガモスの像が掻き消え、新たなウルガモスが護衛ポケモンをすり抜けてユクシーの背後に回っていた。

 

「蝶の舞。戦闘前に限界まで積んでおいてよかった。お前さんらが撃ち抜いたのは蜃気楼じゃ。本物のウルガモスじゃない」

 

 案山子の護衛ポケモンの片方が身体を回転させながら振り返り様に光条を撃つ。光線が薙ぎ払われウルガモスを引き裂いたがそれさえも残像だ。本物のウルガモスは既に感知される事のない速度へと達している。

 

「オレが何の鍛錬も積まずにこの二日余りを過ごしていたと思うか?」

 

 ウルガモスが数体立ち現れる。当然、護衛のポケモンは狼狽した様子だった。

 

「オレだってスパーリングじゃないが、ウルガモスとさらなる高みを目指しておった。ヤナギに頼み込んでな。キュレムの氷と撃ち合えるレベルの炎を展開出来るようにしておったんじゃ。ヤナギの傍にいたのは全てそのため。キュレムの氷とウルガモスの炎を同威力まで引き上げる修行やったって事。そして、その炎は!」

 

 護衛のポケモンが両腕に当る部分を回転させ衝撃波を放った。ウルガモス全体を攻撃するが、それらでさえ残像であり、さらに掻き消えた残像から炎が立ち上った。瞬く間に護衛のポケモンの表皮を焼いていく。

 

「こんな風に、常に蜃気楼を発生させるレベルまで昇華させられた! お前さんらがいくら目がよくってもな、オレのウルガモスをもう二度と捉える事は出来ん」

 

 護衛のポケモンが周囲へと黄色いぐるぐる巻きの視線を走らせる。その時ポケギアが鳴った。

 

「なになに……、なるほど、ポリゴンZ言うんか。倒す方法は二体同時に破壊するか、それか一体を破壊し、三分以内にもう一体を破壊する。どちらにせよ、ポリゴンシリーズは全て殲滅せねばならない、か。分かり易くていいな」

 

 護衛のポケモン――ポリゴンZが嘴のように見える筒先をアデクへと向ける。どうやらポケモンが捉えられなければ本体であるトレーナーを狙う算段らしい。

 

「ポリゴンZが独自判断しているんだとしたら、かなりの脅威じゃな」

 

 呑気に告げるアデクへと破壊光線の光が瞬き、一条の光の帯が放たれた。だがアデクへと至る前に炎が巻き起こり壁となってそれを防ぐ。

 

「だけれども、オレのウルガモスはさらに上を行く。炎熱地獄を味わうか?」

 

 アデクが指を鳴らすと炎がそれぞれ意思を持ったように二体のポリゴンZに纏わり付いた。ポリゴンZは身体を回転させて振るい落とそうとするが炎は粘性を持ってポリゴンZの装甲を侵食していく。

 

「一体ずつ倒す、ってのはオレには向かんな。二体同時に殲滅する」

 

 ウルガモスが景色から突然現れる。周囲の空気を歪ませるほどの炎熱を湛え、三対の翅から火の粉が噴き出している。

 

「ウルガモス、オーバーヒート」

 

 ウルガモスの周囲が赤い炎の陣で円形に切り取られたかと思うと地面から炎が柱となって立ち上り、両脇にいたポリゴンZへと命中する。炎の柱は数秒間続いたが、やがてウルガモスがそこから現れると何事もなかったかのように消滅した。だが円形に切り取られた地面には草木一本ですら存在せず、土くれも全て焦がされている。まさしく焦土と化した場所に二体のポリゴンZが横たわっていた。バラバラに破壊され、機能不全を起こしているのか青い電磁がのたうっている。

 

『回復した……』

 

 マサキの声がポケギアから聞こえ、「おお! マサキか!」とアデクは大声で応じる。

 

『アデク! そっちは――』

 

「なに、世は事もなし。二体とも殲滅したし、それに――」

 

 アデクがモンスターボールを放り投げる。命中したボールに吸い込まれユクシーが内部へと捕獲される。

 

「作戦は遂行した。帰還する」

 



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第百五十六話「灼熱の騎士」

 

 一撃目を回避する。

 

 バシャーモには出来たがトレーナーとなると難しい。アグノムを取り囲む案山子のようなポケモンは一撃目でバシャーモとゼブライカ。さらに言えば自転車に乗っているせいでまともに動けないチアキとカミツレを狙ってきた。自転車が一瞬にして灰燼に帰す。当然、跨っていた二人も消滅を免れない、かと思われた。

 

「……なるほど。トレーナーを真っ先に狙う。戦略としては当然の帰結だな」

 

 その声が聞こえたとするのなら護衛のポケモンは驚愕した事だろう。チアキからしてみれば護衛のポケモンには表情というものがないせいで推し量るしか出来ないが。

 

 バシャーモが小脇にカミツレを抱え、さらに肩に乗っているチアキに従っている。今の一瞬でどうやってトレーナーを助け出したのか、護衛のポケモンには不思議だろう。チアキは降り立つと同時に、「攻撃、というものは」と口を開く。

 

「必ず、どれほど熟練しようとも、いや熟練の域に達すれば達するほどに壁となる地点、つまりは準備動作が存在する。今の攻撃、貴公らは準備動作として腕を回転させた。恐らくは破壊光線の集束のために」

 

 破壊光線で硬直している片方の護衛ポケモンに目を向ける。もう片方のポケモンは今しがた攻撃の準備動作に移ろうとしていた。

 

「だが、私はメガハッサムと戦う際に苦戦を強いられた。スパーリングとしては失格だが、メガハッサムの電光石火、あれには準備動作がほとんどない。ほぼ瞬間移動と言ってもいい速度で私のバシャーモへと攻撃が向けられる。加速特性があっても、バシャーモでは追い抜けない。同調の網目を付こうにも相手はどんどん強くなる。対して、私の癖、と言うべきか、隙はナツキの目には明らかになっていっただろう。トレーナーの指示の癖、命令へのタイムラグ。同調はそれらを跳び越えての命令を可能にする。メガハッサムとスパーリングするのは骨が折れた。だが、強くなったのはナツキとメガハッサムだけではない」

 

 バシャーモが再び攻撃姿勢に入る。それはマサキより伝えられた今次作戦の遂行のために必要な姿勢であり、同時にチアキが今の自分を超えるために必要だと判断した姿勢であった。

 

 バシャーモが騎乗する。ゼブライカへと、まるで騎士のように。

 

「人型のポケモンであるバシャーモと四足歩行のポケモンであるゼブライカにしか出来ない方法だ。ゼブライカの速度を借りて、あるいはバシャーモの速度をゼブライカが借りて、お互いに速度を極限まで高める。準備動作を限りなくゼロにする」

 

 護衛のポケモンが破壊光線を撃ってくる。今度は騎乗するバシャーモとゼブライカを正確に狙ったつもりだろう。だが、二体は瞬時に掻き消えた。駆け抜けたでもなく、跳躍したでもなく、掻き消えたという表現が相応しい。

 

 次の瞬間にはゼブライカとバシャーモは護衛のポケモンの背後にいた。

 

「バシャーモの加速」

 

 降り立ったカミツレが口にする。バシャーモの姿は像を結んでいない。幾重にもぶれて存在している。

 

「ゼブライカのニトロチャージによる極限までの速度上昇」

 

 チアキの続けた声にゼブライカがいななき声を上げた。赤い光がゼブライカを押し包んでいる。

 

「これによって、この二体は速度の閾値を越えた、まさしく神速に相応しい速度を手にしている。ある意味では感謝しているぞ。私達は、貴公らに出会わなければ、脅威を目にしなければ、これを実戦で使う機会もなかっただろうからな」

 

 バシャーモの身体から炎が迸り全身を包み込んでいく。瞬く間に上がった炎は白熱の域に達し、赤いバシャーモの表皮を白く染め上げた。それはゼブライカにも至り、ゼブライカの白馬のように炎の鎧を身に纏う。ポケギアが二人同時に鳴った。視線を落とすとマサキからの文字通信だ。

 

「対象の名はポリゴンZ。攻略方法は二体同時に破壊するか、あるいは片方を仕留めて三分以内にもう片方も破壊する。どちらにせよ、殲滅せねばアグノムは手に入れられない、か。いいだろう。バシャーモとゼブライカ、その真価を試す」

 

 騎乗のバシャーモが両腕を交差させ振るい落とす。炎が手首に至り、そこから掌を伝って両手から引き出されたのは白い炎の刀である。二刀を振り翳し、バシャーモは吼えた。

 

「炎技の極み、ブラストバーン。それを凝縮した刀の威力、食らい知れ!」

 

 バシャーモとゼブライカが消失する。ポリゴンZは破壊光線を一射したがそれは空を穿つばかりだ。

 

「遅い」

 

 チアキの声にバシャーモとゼブライカが出現する。それはポリゴンZにちょうど挟まれる形だった。眼前に現れた二体にポリゴンZは反応が遅れる。破壊光線の準備動作にも、あるいは他の技の準備も足りない。バシャーモが「ブラストバーン」の刀を交差させると、すれ違い様にポリゴンZへと放った。ポリゴンZが緩慢な動作で後ろへと振り返ろうとする。その瞬間、ポリゴンZの頭部が揺らいだ。その黄色いぐるぐる巻きの眼が自身の身体を捉える。二体とも胴体が両断されていた。

 

「これでポリゴンZは殲滅した」

 

 青い電磁をのたうたせポリゴンZ二体が戦闘不能に陥る。ゼブライカとバシャーモから白い炎が失せ、元の姿へと戻っていった。チアキは歩み寄り、「やはり消耗は激しいな」とバシャーモの表皮を見やる。ゼブライカとバシャーモは表皮に火傷を負っている。炎タイプですら減衰出来ないほどの威力が押し包んだのだ。当然の帰結だろう。

 

「ゼブライカは」とカミツレが不安そうな声を出す。

 

「ああ、想定内の怪我だが、巻き込んでしまって悪かったな」

 

「チアキさん、いきなりこの連携で行こうって言うのだもの。私は不安だって言ったけれど、マサキと打ち合わせ済みだって言うんなら従うしかないでしょう」

 

 カミツレの恨み言をチアキは微笑んで聞き流す。

 

「だが、お陰で勝てた。ありがとう」

 

 てらいのない感謝にカミツレが頬を赤らめる。

 

「……チアキさんって普通に感謝出来るんだ?」

 

「出来るさ。何者だと思っている?」

 

「尊大な人だと」

 

 カミツレが肩を竦める。チアキは、「そこまで傲慢になり切れないさ」と口にしてモンスターボールを放った。アグノムへと命中し、捕獲が完了する。

 

『ようやってくれた。第二班』

 

 ようやく通信が復旧する。チアキは声を吹き込んだ。

 

「あとはどうだ。状況は?」

 

『アデクは既に完了したと。あとは第三班、ナツキとナタネだけやな』

 

 自分が教え込んだのだ。当然、ナツキはこの任務を遂行出来るはず。だが一抹の不安がないわけではなかった。正体不明のポケモン。この二体は自分達の連携だから問題なく下せた。まだメガシンカに慣れていないナツキではどう戦うのかまるで読めない。

 

「せめて、無事を祈るしかない、か……」

 

 呟き、チアキはバシャーモをボールに戻した。

 

 

 

 

 

 

第九章 了

 



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崩壊の章
第百五十七話「帰還の刻」


 

 ポケギアが鳴る。呼び出し音に答えた。

 

「はい、こちら第三班」

 

『第三班、第一班と第二班は既に目的を遂行した。あとは頼むで』

 

 その言葉に身が引き締まる。間もなく眼前の空間が歪み、それが現れた。ピンク色の房のような頭部を持つ小型のポケモンである。妖精のように舞い浮かぶポケモンを守護する護衛のポケモンが主軸となる身体を中心にして腕を振り回す。詰めた息を吐き出し、モンスターボールを握り締める手に力を込めた。

 

「いけ、ハッサム」

 

 繰り出されたのは赤い痩躯だ。翅を震わせ、ハサミを突き出したハッサムが護衛のポケモンへと駆け出した。やはり張っていた。そう易々と目的を達成させられそうにもない。ハッサムが地を蹴りつけ護衛のポケモンへと肉迫する。その瞬間、護衛のポケモンが電磁波を広範囲に放った。指示の声を事前に飛ばし電磁波の膜から逃れるがそれでも容易に近づけない事は明白だ。

 

 もう一度、とハッサムが駆け出す。今度は護衛のポケモンから仕掛けてきた。嘴のように見える筒先を突き出しハッサムに突進する。ハッサムは咄嗟にハサミを翳して防御する。護衛のポケモンは案山子のように広げた両腕を前に出してハッサムの防御を破ろうとする。

 

「徹底抗戦、ってわけ」

 

 呟き左目をさすった。青く染まった虹彩から紫色の光が漏れ出し、すぐさま光の帯が交差する。その瞬間、ハッサムの眼前に紫色の皮膜が覆い被さった。ハッサムがハサミを突き出し、皮膜を破る。直後、その姿が変異していた。顎を思わせる強靭なハサミが護衛のポケモンの身体へと突き上げられる。護衛のポケモンは無様に転がった。ハッサムであったポケモンは紫色の皮膜の殻を纏いつかせながら片腕を振るい上げ弾丸を装填するようにがちりと噛み合せた。

 

「――メガシンカ、メガハッサム」

 

 主の声に赤と黒を基調としたメガハッサムが鋭角的なフォルムに似合った素早い動きを見せる。その場から瞬時に掻き消えたかと思うと護衛のポケモンを蹴飛ばしていた。護衛のポケモンは両腕を回転させて制動をかけるが、それよりも速くメガハッサムがその背後に回り追い討ちを仕掛ける。ポケギアが再び鳴った。

 

「対象の名前はポリゴンZ。特殊攻撃力に秀でているために破壊光線に留意されたし。って、この距離で?」

 

 ポリゴンZと呼ばれているポケモンが両腕を回転させて嘴の先に光を集束させる。メガハッサムに回避運動を取らせる暇もない。撃たれる、と思われたその瞬間だった。

 

 突如としてポリゴンZへと種の弾丸が襲いかかった。弾丸によってポリゴンZの軌道が僅かにぶれ、破壊光線の光条が空へと吸い込まれていく。

 

「援護射撃、三秒遅いです、ナタネさん」

 

 声をかけると貴婦人の装いをしたポケモンが花束の腕を突き出している。その腕から発射の煙が棚引いていた。そのポケモンを操るボブカットの少女がむくれて返す。

 

「そっちだって、メガシンカするの遅くない? 最初っからやっていれば手間取らずに済んでいるのに」

 

「こっちだって事情があるんです。合わせてくださいよ」

 

「仰せのままに」

 

 ナタネは恭しく頭を下げてから指を鳴らした。「ロズレイド」とナタネが呼ぶと貴婦人の装いのポケモンは再び弾丸を矢継ぎ早に発射する。「タネマシンガン」は一発ごとの威力は低いものの何度も命中する稀有な技だった。

 

「ナツキちゃんの邪魔にならないようにあたしは遠くから援護する。この戦闘姿勢、間違ってないでしょ?」

 

 名前を呼ばれたナツキは鼻を鳴らした。

 

「メガハッサムの近接戦闘にどこまであたしが耐えられるか、にもよりますけれ、どっ!」

 

 思惟でメガハッサムを動かす。即座に掻き消えたメガハッサムはポリゴンZの直上を取った。

 

「食らえ! バレットパンチ!」

 

 顎のようなハサミが僅かに開かれる。すると内部から砲弾の一撃が発射された。ポリゴンZの胴体を砕き、その一撃が終息する。メガハッサムの肩口まで発射による衝撃を減衰させるための煙が棚引いている。

 

「これで、無力化……」

 

 その段になってナツキはハッとした。目標であるピンク色の頭部を持つポケモンがいないのだ。

 

「移動している? まだそんな体力が」

 

「ナツキちゃん! エムリットの捕獲を最優先!」

 

 ナタネの声に、「分かっています!」とナツキはメガハッサムへと高速機動を促した。メガハッサムが地を蹴り、一瞬のうちにエムリットの頭上へと至る。エムリットへとハサミを突き出し、「アンカー!」という声に応え、メガハッサムがアンカーを打ち出した。アンカーはエムリットの周囲の空間へと巻きつき、エムリットそのものの「テレポート」を封じる。「テレポート」の際、僅かに周囲の物体も転移する。逆に言えば周囲の物体を完全に固定すればそれだけ「テレポート」にもロスが生じるというわけだ。

 

「取り付いて捕獲します! メガハッサム!」

 

 メガハッサムがアンカーを打ち出したのとは逆の腕を開く。その腕の中には砲弾の代わりにモンスターボールが詰められていた。打ち出されたモンスターボールがエムリットへと命中し、エムリットが赤い粒子となってモンスターボールに収納される。ナツキは肩を荒立たせながらモンスターボールの中にエムリットが捕獲されたのを確認する。メガハッサムが片腕にモンスターボールをがっちりとくわえ込んでいた。

 

「……作戦成功。帰還するわ」

 

 安堵の息をつく前に、「まだだよ!」とナタネが叫んだ。その瞬間、何かがメガハッサムの背後へと立ち現れる。すぐに反応したナツキはメガハッサムに振り返り様の一撃を浴びせかけるように命令を飛ばそうとするが相手のほうが僅かに速かった。周囲へと青い電磁波が拡散する。メガハッサムの関節に纏い付き、動きを鈍らせた。背後にいたのは先ほど駆逐したはずのポリゴンZである。

 

「ポリゴンZは二体一組。どうしてこっちには現れなかったのか不思議だったけれど、ギリギリまで引きつける作戦だったんだ」

 

 ナタネの得心した声に、「しゃらくさい!」とナツキは言い捨てた。

 

「こちとら捕獲作戦はもう遂行したっての! メガハッサム! バレットパンチ!」

 

 命じるがメガハッサムの動きは明らかに障害が発生している。腕を上げる事すら難しい様子だった。

 

「何で?」

 

「今の、電磁波だ。メガハッサムはまともに受けてしまった。麻痺状態だよ。それに今、嫌な報せが届いた。どうやらポリゴンZ、一体でも動けば三分以内に始末しないともう一体も再生するらしい」

 

 ナタネの冷静な声に、「そんな冷静ぶっている場合ですか?」とナツキは焦る。視線を振り向けると先ほど破壊したポリゴンZが再び立ち上がろうとしている。このままではまずかった。

 

「二体同時、って、メガハッサムは近接戦闘用だし、そもそもスパーリングで一対一しかしてないし」

 

「あたしとの連携も付け焼刃だしね」

 

「だから! 冷静に言っている場合じゃ!」

 

「分かっているよ。ロズレイド、花吹雪」

 

 ロズレイドが花束の腕を交差させ戦闘に割って入る。メガハッサムの攻撃スタンスの関係上、ロズレイドが接近すれば巻き込みかねなかったが今さらであった。ロズレイドの全身から細やかな花弁が放出され花束の腕でそれを操る。一枚一枚が刃のように尖っており、それらの集合体はまさしく一陣の旋風であった。ロズレイドの放った花吹雪がポリゴンZの鼻っ面を捉えようとする。しかし、ポリゴンZはすぐさま応戦の破壊光線を放ってきた。花吹雪の一端が霧散するがもう一方へと攻撃を仕掛けた花吹雪は減衰されなかった。メガハッサムと対峙するポリゴンZの胴体に花弁の剣が突き刺さる。ポリゴンZがよろめいた。

 

「今だ!」

 

「メガハッサム! 電光石火で接近! バレットパンチ!」

 

 メガハッサムが片腕を掲げて地面を蹴り、軽業師めいた機動でポリゴンZの眼前へと瞬く間に接近する。ポリゴンZはロズレイドの攻撃に思考を割いていたせいか唐突なメガハッサムの肉迫には気づけなかったようだ。ポリゴンZの頭部へとメガハッサムが砲塔を向ける。

 

「砕け散れ!」

 

 メガハッサムが腕を引き、そのままハサミをポリゴンZの頭部にめり込ませる。亀裂が走った頭部へと砲弾の一撃が見舞われた。頭を失ったポリゴンZはそれでもまだ生きている様子で腕を動かしている。その動きが回転の域に達し、集束を始めた瞬間、ナツキは首筋がひやりとした。

 

「こいつ、自爆する気?」

 

 離れろ、とメガハッサムに命じる前にポリゴンZが瞬いて爆発の光を押し広げる。その威力はいくらメガシンカといえども減衰し切れなかった。ナツキは必死にメガハッサムへと防御の姿勢を取らせようとするがそれでもダメージが突き抜けていく。全身を貫く激痛に呻きを上げた。

 

「ナツキちゃん?」

 

 もう一体のポリゴンZを相手取っていたナタネが心配そうな声を上げる。ナツキは息を荒立たせながら、「大丈夫、です」と応じる。

 

「ちょっと、ダメージフィードバックに慣れていないだけで……。今、視界が真っ暗なんですけれどすぐに追いつくかと」

 

「大丈夫じゃないじゃん。待ってて、こっちのポリゴンZを三分以内に仕留めれば」

 

 ロズレイドがポリゴンZを捉えようとするがポリゴンZは電磁波を振り撒きロズレイドの接近を許さない。

 

「あんまし接近戦が出来ないなぁ。これじゃ、消耗戦だ。出し惜しみしている場合じゃない、か」

 

 ロズレイドが花束の腕を交差させ、内側から光を発する。

 

「リーフストーム!」

 

 直後、無数の葉っぱが寄り集まり、豪雨のように巨大な壁としてポリゴンZへと降り注いだ。葉っぱの嵐「リーフストーム」。ロズレイドのとっておきの技だがポリゴンZは嘴の先にエネルギーを凝縮させ、あろう事かロズレイドへと接近した。

 

「なに……」

 

 その行動はナタネにとっても意外そのものだったのだろう。まさか、知っているのか、とナツキは震撼する。ロズレイドの「リーフストーム」、その広大な攻撃範囲の中の台風の目はロズレイド自身である事を。ポリゴンZはロズレイドの間合いへと入る。当然、ロズレイドは突然に攻撃範囲を狭める事など出来ない。

 

「こいつ……!」

 

「ナタネさん! あたしが!」

 

 メガハッサムが身を沈ませて一気にポリゴンZへと狙いを定めようとした。飛び込んだメガハッサムの邪魔をしたのはしかし、ポリゴンZではなく放たれた「リーフストーム」であった。まさかお互いの攻撃がお互いの個性を潰す結果になろうとは。メガハッサムはまともに新緑の嵐の刃に身を削らされる。

 

「ナツキちゃん! 接近はまずい!」

 

「でも、三分以内に決着をつけないと……」

 

 視界の端に映ったのは既に再生を始めている先ほど破壊したポリゴンZの残骸だ。一体でも逃せばもう一体も再生する。厄介だな、と思う前にナツキは「リーフストーム」の皮膜を破って攻撃の手をポリゴンZへと向けようとする。しかし、ナタネのロズレイドは伊達に育てられていない。「リーフストーム」を破るだけで体力が大幅に削られていく。

 

「このままじゃ、持たない……。時間が……」

 

 メガシンカには制限時間がある。ナツキの場合、持続時間は僅か三分。連続してメガシンカは出来ない。ポリゴンZが頭部ごと振り返った瞬間、破壊光線の光条がメガハッサムの肩口を焼いた。ナツキは激痛に顔をしかめる。

 

「……これじゃ、我慢比べにしかならない」

 

 それにそろそろ制限時間だ。メガシンカが解ければポリゴンZ二体を相手取る自信もない。

 

「何とかしなさいよ、馬鹿ユキナリ!」

 

 ほとんど自暴自棄になって叫んだ声に、突如として切り込んできたのは先ほどエムリットを捕まえたモンスターボールだった。内部から黒い剣閃が出現し、全くの想定外だったポリゴンZの身体を貫いた。ポリゴンZはその一撃に内側から四散する。ナツキもナタネも目を見開いていた。一瞬だけ光を発射したモンスターボールには傷一つなく、ただ沈黙を守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ポリゴンZ、六体の破壊を確認』

 

 研究所に響いた声にカツラが、「まさか六体ともやられるとは……」と声を漏らす。しかし、フジは冷静だった。

 

「これも事象のうちさ。まぁ、予想以上に強かったのは認めるけれど、まだこっちには何体かポリゴンシリーズが残っている」

 

 フジは機器を操作して、「今の、観ていた?」と声をかける。すると頭に直接切り込んでくる声があった。

 

(ああ。最後の一体、エムリットの時に覚醒の兆候が見られた)

 

 下階で培養液の中にいるミュウツーの声だ。その言葉にカツラは顎に手を添える。

 

「オーキド・ユキナリ。手離して損な戦力ではないのか?」

 

「ボクらが持っていたって仕方がないよ。幸い、こっちには面白い戦力も出来た。駒が揃うのには少しばかり時間がかかるだろう。それはヘキサだって例外じゃない」

 

 ヘキサ側とてすぐにユキナリを再生する事は出来ないだろう。それどころか逆に混迷する事になりかねない。ここから先は一手間違えた側が敗北する。

 

「キーとなるのはやはりオーキド・ユキナリか」

 

「サカキだって分かったもんじゃない。キシベが何か手を打っている可能性はある」

 

「キシベの消息は?」

 

「全くもって不明」とフジはディスプレイを覗き込んだ。

 

「怖いくらいの沈黙だね」

 

「キシベがただ事を大人しく見守っている性格でないのは」

 

「重々承知しているさ。だが、今は何も出来まい」

 

 フジは消えていくエムリットのマーカーを眺め、愛おしそうに呟いた。

 

「おかえり、オーキド・ユキナリ君。待っていたよ」

 



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第百五十八話「リペアチャイルド1」

 最初に感じたのは、寒い、であった。

 

 唐突な目覚めの後、湧き上がってきた感情は虚脱に近いものだった。何か、とてつもない事を忘れているような気がするがそれを説明する手段はない。浮き上がっていく泡沫を眺める。

 

 ここは水底か、と判じた感情を処理する間もなく、ブザーが鳴り響き数人の知らない大人が自分を取り囲んだ。何を始めるのか、と思っていると彼らは自分の入っている物体から水を抜き始めた。

 

 薄茶色の液体は抜き取られるにつれて重力が感じられるようになった。どうやら自分は棺状の物体に入っているらしい。四方を眺めて判断すると天蓋に当る部分が開き、簡素な服を着せられると大人達にすぐさま拘束された。

 

 両腕に手錠がはめられ、両足にも同様だった。すぐさま担架のようなものに乗せられたかと思うと、足の裏に何かを書かれた。こめかみに何かが当てられた感触があったかと思うとそれは吸い付いてきた。生き物の体温ではない。鉄か何かを当てられたようだったが自分では見えない位置だ。そのまま担架を転がされる。部屋から出ると廊下が延々と続いており、不思議な事に透明な廊下だった。まるで氷の彫刻の内部にいるかのようだ。いくつもの通路が交差しているのが分かる。ここはどこなのだ、と今さらに浮かんだ考えに大人の一人が、「RC1の脈拍、心拍、脳波共に正常」と述べて担架を止める。すると、顔を覗き込んできた人影にぎょっとする。水色の髪を結ったその顔立ちは、イブキその人だったからだ。

 

「イブキさん……」

 

「声は出せるみたいね」

 

 イブキは淡白に応じて何かのカルテにペンを走らせている。

 

「私の声が分かる?」

 

「分かるも何も……」

 

 起き上がろうとするが両手両足の拘束が邪魔をする。イブキは鏡を持ち出し、「これに映っているのは?」と質問した。自分としては全く理解が出来ないが答えるしかないのだろう。

 

「僕、です」

 

「名前は言える?」

 

 馬鹿にしているのか。それとも担いでいるのかと感じたがこれも答えるほかないのだろう。

 

「えっと、オーキド・ユキナリですけれど」

 

「自己認識は正常。記憶の継続性も見られる」

 

 イブキはカルテに書き付けて、「司令室へと運びます」と大人達に命令した。大人達は再び担架を走らせる。ユキナリはイブキに質問をしようとしたがイブキの纏う空気がそれを許さなかった。何か、責め立てるような視線を感じ取る。大人達からは畏怖の眼差しだ。自分にとって居心地の悪い感触がいつまでも続くかに思われたが扉が開き、それは中断させられた。

 

 広い部屋に出たのだと分かった。天井は高く、何段階かの空間に区分けされている。一番下の層に自分は連れてこられたのだと感じ取る。

 

「司令室へ。RC1、仮称オーキド・ユキナリを連れて来たわ」

 

 仮称、とは何だ。自分はユキナリという名前で、そのものではないのか。イブキに質問する前に、「ご苦労」と声がかかった。その声に聞き覚えがある、と感じていると、「拘束、解いてええよ、姐さん」と上層から指示が届いた。

 

「ええ、そうするわ」

 

 イブキが顎でしゃくると大人達がユキナリの拘束を解いた。しかし、それでも監視されているかのような感覚が付き纏う。担架ごと引き起こされ、ようやく床を踏み締めると驚くほど冷たかった。ぎょっとして視線を落とす。氷が幾層にも渡って形成されている。

 

「何だこれ……。氷の床だ」

 

「せやな。突然の事で分からんかもしれんけれど」

 

 応じた声にユキナリは振り仰ぐ。上層には端末を抱えてこちらへと目線を配るマサキの姿があった。

 

「マサキさん……」

 

「動作確認、よし」

 

 マサキはユキナリの声には返さずエンターキーを押す。するとこめかみに当てられている何かがきゅっと締め付けられた。どうやら両側につけられているらしい。ユキナリはそれを手で押さえる。突起物で掌ほどもない小型だったが何かの道具だと思われた。

 

「何です、これ? 外してくださいよ」

 

 無理やり引き剥がそうとするが吸着して離れない。背後のイブキが、「……外せるわけがないでしょう」と呟く。どういう意味なのか、ユキナリが問い質そうとすると、「動作確認終了。後の権限を全て艦長に移す」とマサキが口にする。

 

「そうか」

 

 その声にユキナリは歩み出てきた人物を目にする。先ほど「ご苦労」と言った人物の声音と記憶の声が合致し、ユキナリにその人物の名前を口にさせた。

 

「……ゲンジさん」

 

 ゲンジはキャプテン帽を傾け、「RC1、オーキド・ユキナリ、だな」と歯切れ悪く確認する。ユキナリには前半部分は全く理解の範疇を超えていたが、後半に関しては頷けた。

 

「結構。マサキ。特異点オーキド・ユキナリとは?」

 

「遺伝子情報では特異点オーキド・ユキナリを九十パーセント以上で模倣してるな。ここまでになるとほぼ完全な再現だと言わざるを得ないやろ」

 

「では対象RC1を現時刻よりオーキド・ユキナリと呼称する」

 

 ゲンジがどうしてマサキ達と行動を共にしているのか。ある推論がユキナリの脳裏に浮かんだ。

 

 まさか、ここはロケット団なのではないか。ゲンジもロケット団ではあるし、イブキもロケット団に所属していた。それならば自分を正体不明の名前で呼ぶのも頷ける。

 

「あの……」とユキナリが声を出そうとした瞬間、警告音が鳴り響き司令室と呼ばれた空間を満たした。

 

「高熱源体、探知! ポリゴンシリーズです!」

 

 司令室に木霊する声にユキナリは戸惑う。しかしユキナリ以外は冷静に、「ポリゴンシリーズ、早いな」とそれぞれ声を漏らす。

 

「既にロケット団の手が伸びているわけか」

 

 その言葉に疑問符を浮かべた。ここがロケット団ではないのか。ゲンジが声を張り上げる。

 

「航空母艦ヘキサはこれより第一種戦闘配置」

 

 その言葉に司令室がざわめく。

 

「第一種、って、航空母艦を動かすつもりですか?」

 

「それ以外にポリゴンシリーズから逃れる術はない」

 

 断じたゲンジの声は冷たい。それ以外に手段がないとでも言うかのように。ユキナリは転がっていく状況を見ていられずに進言していた。

 

「あの、何が襲ってくるのか分からないですけれど、僕とオノノクスを出させてください。そうすれば、勝てます」

 

 ユキナリの言葉に矢のような視線が飛んできた。司令室にいる全員が沈黙し、ユキナリを睨んでくる。この敵意は何だ、とユキナリが怖気づいていると、「これは決定事項だ」とゲンジが告げる。

 

「航空母艦ヘキサを飛ばす。キュレムとヤナギにも通信を繋いでくれ」

 

「ヤナギ……?」

 

 この場で出るとは思えない意外な名前にユキナリは戸惑う。どうしてヤナギがロケット団と思しき連中と行動を共にしているのか。マサキが、「通信、繋ぐで」と率先する。

 

「ヤナギ、こちら司令室だ。飛ばせるか?」

 

『俺もキュレムも調整中だ。飛ばせるには飛ばせるが、一部循環路に問題が発生している。生憎、そちらに手が回せない。循環路を無理やりにでもこじ開けて欲しい』

 

 それは間違いようもなくヤナギの声だった。ゲンジは首肯しポケギアで通話する。

 

「ナツキ。循環路の一部に問題が発生している。メガハッサムで切り拓いてもらえるか?」

 

『ええ。分かったわ』

 

 返ってきた声、それにゲンジが口にした名前にユキナリは瞠目する。

 

「ナツキ……」

 

 自分のせいで戦線を離脱した仲間の名前を何故ゲンジが言うのだ。ユキナリが呆然と突っ立っていると、「チアキさんに任せたほうがいいのでは?」と司令室の一人が声を発した。ユキナリはその人物を目にしてまたも驚愕する。黄色いファーコートを身に纏ったその姿はヤナギと行動を共にしていたカミツレとか言う女性だった。何故、ここに? ユキナリの疑問を他所に、「チアキでは融かしかねない」とゲンジが答える。

 

「それにメガハッサムとて鋼タイプ。精密な動作にはあれくらいがちょうどいい」

 

 交わされる会話と了承にユキナリは何が起こっているのかを判ずるだけの頭がなかった。ただ、自分の言葉が無視されている事だけは分かる。

 

「ゲンジさん!」

 

 ユキナリが声を張り上げるとゲンジは僅かに視線を向けて、「何か」と返した。何でもない事のように。ユキナリは戸惑いと怒りで声を荒らげる。

 

「ゲンジさんがポケモンを出せばいいじゃないですか! 何でナツキなんです? ナツキは、毒を受けていて、もう戦える状態じゃありません。そんな人間を駆り出さなくっても、僕が」

 

 ユキナリが歩み出る。その動作に嫌悪の眼差しが飛んできた。

 

「僕が戦います! オノノクスと出させてください!」

 

 ユキナリの声に沈黙が流れたのも束の間、「ポリゴンシリーズ、距離、なおも接近!」と声が響く。

 

「急がせろ。循環路のこじ開けくらい、出来るな?」

 

 改めてナツキへと命令が下される。ユキナリが制するよりも先に、『もう循環路まで来ているけれど』とナツキの声が聞こえてくる。

 

『あまり高威力の技を出すとバランスが崩れかねない。そっちで循環路に熱を通すタイミングをポケギアに送って。そのタイミングでバレットパンチを打ち込む』

 

「了解した。マサキ」

 

「ガッテンや」

 

 マサキが片手を挙げ、端末に何やら打ち込む。他の人々の声が続け様に弾けた。

 

「ポリゴンシリーズの一体から高エネルギー反応!」

 

「破壊光線、来ます!」

 

 その言葉の直後、氷の司令室を激震が襲った。ユキナリが思わずつんのめる。それを辛うじて制したのはイブキだった。礼を言おうとする前にイブキの睨む視線にたじろいでしまう。今、自分がこの場にいる事そのものが間違いだとでも言うかのような視線だった。

 

「損害状況報告」

 

 ゲンジは落ち着き払って口にする。「左翼部に被弾!」と被害状況が報告される。

 

「飛ぶのに支障は?」

 

「ありません。今のところ氷の装甲板は健在。キュレムによるフィールドの形成も手伝って被弾箇所にはさほど問題はありません」

 

「よし。マサキ、循環路の形成にはあと何秒かかる?」

 

「あと二十秒後にナツキがメガハッサムで開く。そのタイミングと同期してキュレムに飛ばすように指示」

 

 マサキの滑らかな言葉にゲンジは、「ならば」と頷いた。

 

「航行シークエンスへ移行。オノノクスの保護を最優先」

 

「オノノクス……」

 

 意外な形で自分の手持ちの名前が出てユキナリは狼狽する。一体何が起こっているのか。ユキナリが判ずる前にイブキが手を引いた。

 

「オーキド・ユキナリ。司令室は間もなく戦闘状態に入る。ここにいては危険よ」

 

 イブキの手をユキナリは振り払い、「何なんだよ!」と喚いた。

 

「みんな、どうしちゃったんだ? 何で僕に何も教えてくれないのさ! オノノクスがいるんでしょう? だったら、僕がそのポリゴンシリーズとかを倒します!」

 

 ユキナリの宣言にもゲンジは冷ややかだった。

 

「駄目だ」

 

「どうしてですか? 僕は、じゃあどうすれば?」

 

 イブキがユキナリの肩を掴む。ゲンジは冷酷な眼差しをユキナリへと注ぎ、言い放った。

 

「オーキド・ユキナリ。お前はもう、何もするな」

 

 その言葉に衝撃を受ける間にイブキが手を引く。ユキナリは司令室から外に出された。

 



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第百五十九話「最後の砦」

 

「ポリゴンシリーズ、依然として接近!」

 

「距離は?」

 

 ゲンジは艦長としての声を降りかける。すると氷の一面に映像が投射された。マサキの技術だ。それとヤナギとキュレムの力が手伝ってこの状況を可能にしている。ポリゴンZと思しき敵影が二体、こちらへと一直線に飛んできている。

 

「ポリゴンZ、やはりこれか」

 

「敵側もやっぱ、ワイらがいつまでもセキチクに停泊しているんが気がかりなんとちゃうかな」

 

「仕方あるまい。これを完成させねば我々に勝利はないのだから」

 

 ゲンジの声にマサキは、「ナツキ。循環路開くまで残り五秒」と吹き込んだ。

 

『カウントダウン開始するわ』

 

 ナツキとマサキが声を合わせ、カウントが一秒を切る。その瞬間、振動が司令室を揺さぶった。循環路が形成され、エネルギーの熱が点火したのだ。キュレムのエネルギーの渦が航空母艦を満たしていく。マサキの端末上にキュレムからのエネルギー供給率が示された。

 

「供給率、七十パーセント越え。飛ばせるかギリギリの数値やな」

 

「充分だ」

 

 ゲンジは司令室へと声を轟かせる。

 

「航空母艦ヘキサを準備モードから航空モードへと移行! 供給したエネルギー循環路から直結回路へと打ち込め! 飛行用意!」

 

「飛行用意!」の復誦が返り、ぐんと司令室を重圧が押し込めた。キュレム単体のエネルギーで飛ぶにはやはり無茶がある。だが、今は飛ぶしかないのだ。それしか、この状況を逃れる術はない。外部センサーに簡易図化された航空母艦の映像が映る。前方へと二脚が張り出しており、航空母艦本体には不恰好に翼が付いている。翼は段階上に広がるようになっており、今、第一段階として二対に分かれた。

 

「主翼、これ以上広がりません!」

 

 報告の声に、「ならばこれで飛ぶしかあるまい」と応ずる。

 

「主翼は第二段階までの拡張が前提となっておりますが……」

 

「止む終えない。第二段階をカット! 主翼、第一段階で循環型飛行エネルギーを放出する!」

 

「接近してくるポリゴンZより、高エネルギー反応!」

 

「仕掛けてくるか」

 

 ゲンジが呟くと同時に司令室が揺さぶられた。またも直撃だ。「損害報告!」と声を飛ばす。

 

「第二甲板に被弾!」

 

「航空に支障は?」

 

「問題なし。いけます!」

 

 ゲンジは頷き、マサキへと視線を振り向ける。

 

「マサキ、供給されたエネルギーの放出をヤナギに伝達」

 

「了解や。ヤナギ、キュレムからエネルギー伝達。オノノクスのエネルギーを使ってキュレムを叩き起こしてくれ」

 

『俺としては不本意だがやるほかなさそうだな』

 

 ヤナギの声にゲンジは、「文句を言っていたらいつまでも航空母艦は飛んでくれんぞ」と返す。ヤナギは鼻を鳴らした。

 

『俺とキュレムなしではただの氷の彫刻に過ぎない航空母艦が何を言う。いいさ。今、循環路にオノノクスからの供給エネルギーを混在させている』

 

「循環路に熱が通った! 今なら行けるで!」

 

 マサキの声に、「飛行!」とゲンジが声を張り上げる。

 

 その瞬間、航空母艦の頭上へと天使の輪のような光が放出される。半分海面に埋没していた航空母艦が呻りを上げ、ずずっと海面から引き上がっていく。航空母艦ヘキサが空へと徐々に持ち上がっていく光景は異様なものだった。氷の巨大建築物にしか見えないそれが浮上しているのである。ポリゴンZのうち一体が編隊を離れ、航空母艦の下に回ろうとする。

 

「ポリゴンZのうち、片側が船体下部へと回ろうとしています」

 

「心配はいらないだろう。船体下部にはあいつがついている」

 

 マサキがカメラをそちらへと移行する。ポリゴンZが氷の大彫刻である航空母艦を見上げる形となった。その嘴の先に青い光を凝縮させようとする。腕を振り回し集束しようとするのを横っ面から叩きのめした影があった。赤い顎のようなハサミがポリゴンZの頭部をくわえ込む。

 

『潰れ、ろっ!』

 

 ナツキの声が響き渡り、メガハッサムのハサミがポリゴンZの頭部を打ち砕いた。ガラス細工の如く散らばったポリゴンZが海面へと落下する。ゲンジはもう心配はいらないだろうと残っている前方のポリゴンZを見据えた。

 

「主砲用意」

 

 ゲンジの声に司令室の人々がぎょっとした。

 

「しかし、艦長。あれは未完成で」

 

「今使わねばいつ試す? 試し撃ちも兼ねて、だ。マサキ、ヤナギへと主砲クロスサンダーの発射準備をさせてくれ」

 

『もうしている』

 

 返ってきた声に、「さすがだな」とこぼした。

 

『言っておくが、クロスサンダーを砲弾にして放つなんて離れ業、そう何度も出来ない。照準補正はそちらに任せる。俺はキュレムに命じるだけだ』

 

「分かっている。照準補正!」

 

 かけられた声にやるしかないと判断したのか司令室で愚痴をこぼすような輩はいなかった。

 

「照準補正開始! 地球の自転、重力の誤差修正!」

 

 前方スクリーンのポリゴンZへと逆三角の照準が何重にもかけられていく。一つの照準がクリアしてもあと二つも照準が存在する。航空母艦の保有戦力といえども、元々はキュレムの攻撃だ。それを兵器転用するとなればそれなりにツケが回ってくる。

 

「照準、二つ目クリア!」

 

「三つ目も、今、入りました!」

 

 全ての照準がクリアし、緑色に点灯する。ゲンジは腹腔より叫んだ。

 

「発射!」

 

「発射!」と復誦が返り、航空母艦の二脚のうち、片側から発射されたのは青白い砲弾であった。常に光を放射しておりその形状が変化した瞬間ポリゴンZへと突き刺さる。ポリゴンZは満身にその攻撃を受け止めた。内部から破裂し、ポリゴンZの反応が消える。

 

「現宙域より敵影なし。目標、殲滅完了しました」

 

 司令室に収まる人々から嘆息が漏れる。マサキは破壊されたポリゴンZの痕跡を僅かに残す空間を見やり、「これが航空母艦ヘキサの力か」と呟いた。

 

「ああ。この戦力が我々の保有する、最後の砦だ」

 

 ゲンジは航空母艦の簡易図を見やる。ちょうど上空から眺めた形となる航空母艦の図柄は六角形をしていた。

 



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第百六十話「歴史に異を唱える者達」

 

 司令室から追い出され、ユキナリが向かったのは小さな個室だった。それも監禁部屋と言ったほうが正しいレベルの窮屈さだ。氷の皮膜が薄く張られており、ちょうどガラス越しのように対面にマサキとゲンジが現れる。ユキナリはイブキへと目線を配った。イブキはユキナリの事を覚えているはずだ。だというのに、どうしてだかその視線は冷たい。

 

「あの、何が起こったんですか」

 

 ゲンジにまずは問い質さねば。何故、ここにいるのか。だがその前に先ほど司令室から追い出されたのが解せなかった。ゲンジはキャプテン帽を被り直し、「敵が襲ってきた」と簡素に告げる。

 

「我々は迎撃に成功。それだけの話だ。お前にはその間、司令室でかき乱されては邪魔だったので出てもらった」

 

 ゲンジの声音にはユキナリへの配慮がまるでない。自分にとってユキナリの存在は害悪だとでも言わんばかりの口調だった。

 

「敵って、ロケット団なんですか?」

 

 その質問にゲンジは沈黙する。マサキは、「そういうレベルやない、って言ったほうが正しいかな」と肩を竦めた。

 

「マサキさん。確かハナダシティの外れで出会って以来ですよね」

 

「ああ、そやな。記憶の継続性、あるやん」

 

「だからそう報告したでしょう」

 

 イブキが不遜そうに口にする。マサキは端末をいじる手を止める事なく、「でも興味深いよな」と呟いた。

 

「どこまで記憶しているのか。ユキナリ。最後の記憶って何や?」

 

 唐突な質問にユキナリは面食らったが記憶の糸を手繰るのはさほど難しくなかった。

 

「えっと、僕はオノノクスと共にキクコを助け出しました。メガゲンガーを倒したはずです」

 

 それは確信を持って言える。あの時、セキチクシティを襲った災厄から自分はみんなを守り抜いたのだと。だが、ユキナリの言葉にマサキが、「やっぱりそこまでか」と残念そうに口にする。イブキも、「やっぱりそうなのね」と言った。何がやはりなのか。ユキナリとしては自分の記憶をそのまま言葉にしただけなので戸惑いしかない。

 

「あの、僕、おかしな事言いました?」

 

「いや、何らおかしくないよ。せやな。オーキド・ユキナリがあの状態からここまで還元されたんやとしたらその記憶で正解や」

 

 あの状態、とは何なのか。ユキナリが問いかけようとすると、「もう一つ、質問ええか?」とマサキが先に口を開く。

 

「えっ、はい……」

 

「キクコを助け出した、言うたな」

 

「そ、そうなんです! だからきっとキクコも僕と同じように――」

 

「オノノクスと一緒にいるはず、とでも?」

 

 先んじて放たれた言葉にユキナリは硬直する。マサキは、「姐さん」とイブキを呼んだ。イブキはフィルムで保護された物体を持ってくる。それはユキナリのスケッチブックだった。

 

「オノノクスから還元されたのはオーキド・ユキナリ。あなたとこのスケッチブックだけ」

 

 イブキの宣告にユキナリは戸惑う。スケッチブックを手渡され逆に確証を得た気分だった。

 

「これがあるって事は、やっぱり助け出したって事の証明になりますよね?」

 

 ユキナリの質問に全員が無言を返す。どうして誰も自分の言う事にまともに取り合ってくれないのだ。スケッチブックは傷一つに至るまで自分のものに違いなかった。あの時、置いていったはずだ。キクコが持っていたのを最後の記憶で知っている。

 

「オノノクスは? この場所にいるんでしょう?」

 

「オノノクスは最高警備でキュレムが封じている。キュレムの氷結領域の中でしか制御出来ないから」

 

 発せられた意味が分からずユキナリが呆然としていると、「つまりはオノノクスはもう使えん、って事や」とマサキが告げた。

 

「で、でも、僕が行けば……」

 

「データ上、オノノクスはもうオーキド・ユキナリをおやとして認識していない可能性のほうが高い。それもそのはずやな。一度分解されたんや。その大元である人間をおやと思えるか、って話やし」

 

「分解って……、何です? オノノクスに、一体何を……!」

 

 氷の壁を叩くとゲンジが、「オノノクスを害してはいない」と短いが迫力のある声で口にした。

 

「ただ、三体のポケモンの中へと還元されたオノノクス、ならびにオーキド・ユキナリを復元するのに少しばかり手間取っただけの話だ」

 

「手間取ったって……。でも僕はキクコをオノノクスで助け出したはずなんだ。キクコはどこです?」

 

「――鈍いわね」

 

 その声にユキナリが目を向ける。見知った声の主はポニーテールを揺らしてユキナリへと睨む目を向けていた。

 

「ナツキ……」

 

 その名を口にするとナツキはつかつかと歩み寄ってきた。「よかった、無事だった――」と発しようとした声をナツキの拳が遮る。ナツキが氷の壁を殴りつけていた。ユキナリは覚えず後ずさる。「ナツキ」とゲンジがいさめる。

 

「……駄目ね。割り切れない」

 

 ナツキは腰を砕けさせたユキナリを見下ろす。左目に眼帯をしていた。

 

「あの、ナツキ、眼が……」

 

「あんたには関係ない」

 

 冷たく発せられた声に思わず身震いする。ナツキは、自分の知っている幼馴染は、これほどまでに冷たい殺気を放つ人間だったか。

 

「関係ないって、何だよ……。僕が、僕のせいでやっぱり目をやってしまった事、怒っているの?」

 

「そういうレベルじゃないのよ。あれからもう三ヶ月も経っているんだから」

 

「三ヶ月……」

 

 ユキナリは絶句する。自分の時間感覚ではキクコを助け出したのはつい昨日の出来事だ。それを三ヶ月と言われれば信じられるはずがない。

 

「何で。三ヶ月も何を」

 

「眠っていたのよ、あんたは。オノノクスの中でね」

 

 意味が分からなかった。自分はオノノクスを操るトレーナーであってどうしてオノノクスの中にいたというのだろう。ユキナリは、「何を言っているんだ」と頬を引きつらせた。

 

「僕は、オノノクスのトレーナーで、あの時、メガゲンガーを倒したんだ。間違いようのない事実は、それだけじゃないか」

 

 ユキナリの言葉にナツキがため息をついて腕を組む。

 

「あんたがそう思いたいのならばそうすれば? それでも、あんたにはこの三ヶ月を埋める方法はないけれどね」

 

「……何だよ、その言い方。おかしいよ! ナツキ!」

 

「艦長。こいつ、しばらく黙らせておいて。そのほうがいいわ」

 

 ナツキの言葉にゲンジは、「そのつもりだ」と応じる。

 

「何をするって言うんですか?」

 

 ゲンジはこめかみを指差す。

 

「そこに装着されているだろう?」

 

 ユキナリは氷の壁の反射でそれを目にする。突起物が自分の頭部の両側面に吸いつけられていた。

 

「これは?」

 

「特異点としての覚醒リスクを抑えるための道具や。ポケモンと同調、あるいは思惟で動かしたりするとそれが発動。自動的に装着者を消去する仕組みになっとる」

 

 マサキの説明に恐る恐るそれに触れる。

 

「つまり、死ぬ、って事ですか……」

 

 信じられない心地で呟くが誰も否定しない。つまり、それが事実という事なのだろう。ユキナリは俯き額を押さえた。

 

「わけが分からない。いきなり三ヶ月経っているだとか、覚醒リスクだとか特異点だとか……。じゃあ僕は何をすればいいんですか?」

 

「何も」

 

 返ってきた声はやはり冷たかった。ゲンジは迷う事のない言葉をユキナリに向ける。

 

「特異点オーキド・ユキナリにこれ以上の行動権限はない。我々がもう一つの特異点を破壊し、危険因子を排除するまでは」

 

「危険因子って何です? もう一つの特異点って、僕以外にもそんな人が」

 

「教える義務ないで、艦長。たとえオーキド・ユキナリやとしても、いや、やとしたら、か。こっから先の未来の歴史を変えるためには生き永らえさせちゃいかんのやからな」

 

 傍観者を貫くマサキの声音にユキナリは反論した。

 

「僕が、生きてちゃいけないって言うんですか」

 

「そうや」

 

 まさか即答されるとは思ってなかったユキナリは言葉を飲み下す。

 

「そう、って……」

 

「だってせやもん。ワイやイブキ姐さんはそれを誰よりもよく知っとるし、ナツキも承知の上や」

 

 ナツキへと視線を向けようとすると、「後は頼むわ」と言い残してナツキは去っていく。ユキナリはその背中へと呼びかけた。

 

「待ってよ! ナツキは、じゃあどうしてたって言うのさ! キクコはどうなったの? どうして僕は眠ってなんか――」

 

 その時、遮るようにポケギアが鳴り響いた。ゲンジが、「俺だ」と吹き込む。

 

『接近警報が出ています。ですが、敵影は視認出来ず。司令室まで来てもらえますか?』

 

「分かった、すぐに行く。マサキ」

 

「あいよ」とマサキが立ち上がる。ゲンジとマサキは自分を置いて離れていく。

 

「待てよ! 何なんだよ! キクコは? キクコはどこなのさ!」

 

 マサキがひらひらと手を振る。その時ユキナリの脳裏に切り込んでくる声があった。

 

 ――ユキナリ君。

 

 ハッとして周囲を見渡す。しかしイブキ以外誰もいなかった。

 

「さぁ、オーキド・ユキナリ。これから部屋へと案内するが」

 

「イブキさん。キクコの声です」

 

 その言葉にイブキは怪訝そうな目を向けた。

 

「……何も聞こえないが」

 

 そんなはずはない。ユキナリは再び周囲を見渡す。すると同じように声が響いてきた。

 

 ――ユキナリ君。どこ。

 

「やっぱりキクコだ。キクコは、ここにいるんですよ」

 

 イブキは訝しげな眼差しを通り越して警戒した。ユキナリはイブキに必死に呼びかけようとするがイブキはポケギアに声を吹き込む。

 

「マサキ。周囲に何かいる?」

 

『いや、敵影は全く分からんな』

 

「じゃあ、これも敵の罠か」

 

 全く信じようとしない。ユキナリは拳を握り締め、「そうかよ……」と身を翻す。

 

「キクコ! ここだ!」

 

 その直後、影の球体が壁を砕いた。ユキナリの服を風が煽る。どうやら上空を飛んでいるらしいこの氷の建造物の横合いから不意に入ってきたのは魔女の帽子を思わせる頭部をした紫色のポケモンであった。クラゲのように身体を空間にたゆたわせている。ユキナリは目を見開く。

 

「キクコ、そこにいるのか?」

 

 ――ユキナリ君。来て。

 

 魔女のポケモンが視線を振り向ける。ユキナリが踏み出そうとすると、「駄目よ! ユキナリ!」とイブキの声がかかった。

 

「ここにいる事ね」

 

 その言葉にユキナリははらわたが煮えくり返るような怒りを感じた。先ほどまで適当にあしらっていたくせに何を今さら。

 

「キクコが呼んでいるんです。僕は行きます」

 

「駄目だ」

 

 その声に目を向けるとゲンジとマサキが突風に煽られながらユキナリを見据えている。

 

「ここにいろ」

 

「ユキナリ、悪い事は言わへん。ここにいるのが一番安全なんや」

 

「……何なんだよ。さっきまで僕を物みたいに扱っていたくせに、安全も何もあるかよ。僕は人間なんだ。自分の意思で決める」

 

 マサキは舌打ちを漏らし、「ナツキか」とポケギアに声を吹き込む。

 

「RC1が逃亡する。全力をもって阻止するんや」

 

「ユキナリ。ロケット団に行ったところで居場所なんてないぞ」

 

 ゲンジの言葉にユキナリは目を丸くした。

 

「ここもロケット団じゃないんですか」

 

「違う。我々の名はヘキサ。この歴史に異を唱える者達だ」

 

 ヘキサ、と言われても分からない。ゲンジもマサキも何がしたいのだ。自分を抱え込みたいのか、そうでないのかはっきりすればいいものを。

 

「あなた達は、勝手な理屈で僕を縛って……。僕はキクコを選びます。信じる事にするって決めたんだ」

 

 ユキナリが踏み出そうとするとイブキが、「どこへ行こうと勝手だけれど!」と叫ぶ。

 

「もうポケモンと同調だけはしないで! それはあなたにとっても最悪の結果になってしまうから。後悔する前に」

 

 ユキナリは皆まで聞かず、魔女のポケモンに身を任せた。影が出現し、ユキナリを捉える。マサキが、「分からず屋め」と呻いたのが最後に聞こえた。

 



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第百六十一話「哀戦士」

 

『ナツキ! RC1、ユキナリはロケット団に捕らえられた!』

 

 マサキの報告をポケギアに聞きながら、「あんたらは何してるのよ!」と怒声を飛ばし、同じように見える氷の廊下を駆け抜けた。

 

『ゴーストタイプのポケモンや。確かムウマージ。今の今までゴーストダイブで自分の姿を隠していたらしい。でも、そう何度も使えんはず。叩くなら今やで!』

 

「でも、ユキナリがいるんでしょう?」

 

 ナツキの逡巡に、『アホか!』とマサキが返す。

 

『今、ユキナリ奪われたら一番困るのは誰やねん!』

 

 それは、と声を詰まらせる。マサキは、『ユキナリ奪還にあんだけ使命燃やしてた奴は誰や』と続け様に言い放つ。

 

『このままやと、またユキナリは利用されかねないんやぞ』

 

 それは分かっている。だが、再生されたユキナリをこれまでのユキナリと同列に扱えるかどうかといえば自分の中で疑問もあった。

 

「でも、あたしの射程からじゃ追いつけない」

 

 ナツキはポケギアの周波数を変え、通話を繋いだ。

 

「もしもし?」

 

『あー、ナツキちゃん。何?』

 

「何、じゃないですよ! ナタネさん。今、どこにいるんです?」

 

『部屋だよ、部屋。いいね、この航空母艦。年中、クーラーいらずで』

 

「ナタネさんの部屋って確かDの三階層でしたよね?」

 

 確認の声に、『うん? そうだけれど?』とナタネが疑問符を浮かべる。

 

「敵が近くまで来ています。そこの天井破って一気に目標に目がけて撃ってください」

 

 とんでもない提案にナタネは、『ええ?』と仰天した。

 

『でも、天井破るのもったいないし……』

 

「渋ってもヤナギがどうせ作り直してくれます! 今は、ナタネさんの力が必要なんです!」

 

 決死の呼びかけに、『ああ』とナタネは得心した様子だった。

 

『そういやユキナリ君、目が覚めたんだっけ? で? どうだった?』

 

「どうって、相変わらずの馬鹿っ面でしたよ」

 

『その馬鹿面拝むためにあんだけ頑張ったのはどこの誰だったかな』

 

 ナタネも自分をからかっている。「ああ、もう!」とナツキは喚いた。

 

「あたしですよ、あたし! 認めますから、さっさとやっちゃってください!」

 

『合点承知!』

 

 その言葉の直後、ナタネの部屋の天井が崩落する音がポケギアに漏れ聞こえた。今は、ナタネに任せるほかない。ナツキは立ち止まり天井を振り仰ぐ。

 

「ユキナリ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井を破砕するとすぐに目標とやらが目に入った。ナタネはロズレイドを繰り出し、ゆっくりと目標であるポケモンへと狙いを定めた。魔女の帽子のような形状で下半分は海洋生物の特徴がある。ゆらゆらと揺れるベールの向こう側に逃げ出される前に決着をつける必要があった。

 

「的を狙えば外さないよん」

 

 ナタネはロズレイドへと命令する。ロズレイドは花束の腕を突き出し、目標へと集中した。直後、破砕音と共に花束から放たれたのは一粒の種だった。その種が弾丸のように目標の頭部へと突き刺さる。よろめいたがその程度で止まる相手ではないのは分かっていた。

 

「それって、ただの種じゃないんだよね」

 

 ナタネが指を鳴らすと着弾点が爆発した。目標の頭部が半分霧散する。ナタネはロズレイドと共に氷結した甲板を駆け出した。

 

「えいやっと!」

 

 ロズレイドが同じ調子で種の弾丸を発射する。目標の腹部と頭部に二発ずつ命中し、ナタネが指を鳴らすと同じように爆発した。

 

「タネ爆弾だよ。さぁて、これでどう反応するかな」

 

 しかし、予想に反して相手は頑丈だった。飛び散った部分を影で補強し、飛び立とうとする。

 

「にゃろっ! トレーナーがいないからてっきり思惟で操るタイプかと思って頭狙ったのにまだ動く」

 

『気ィつけぇ! 相手はユキナリを保持しとるんやぞ!』

 

「いざとなれば盾にして差し出す? それともユキナリ君だけはきっちり守るのかな。帽子ちゃん」

 

 マサキの怒声を意に介せずナタネは目標へと駆け寄る。目標のポケモンから黒い球体が練り出されて放出された。

 

「うおっ、シャドーボールか」

 

 ナタネがたたらを踏む。もう少し深ければ空間ごと身体を切り取られていただろう。主人が止まってもポケモンは進む。ロズレイドはそのまま相手へと肉迫し、花束の腕を交差させた。

 

「リーフストーム!」

 

 葉っぱの包囲陣が相手を包み込む。逃げ出す手立てはないかのように思われたが、相手は自身を扁平な影の中に隠した。その行動にナタネは目を瞠る。

 

「自分を影で包んだって?」

 

 新緑の嵐は吹き荒ぶが、扁平な影には全く通用する気配がなかった。何度か貫通するがダメージのある様子もない。

 

「こいつ、今は逃げに徹する気だ」

 

 させない、とロズレイドは接近戦を試みようとする。だが、その時には影が滑るように移動し、ロズレイドの射程をすり抜けた。ロズレイドが即座に跳び上がり、下方へとタネの弾丸を放つ。爆発が広がるが、氷の装甲板を破砕しただけで目標本体にダメージはない。扁平な影がコマのように回転しながら空中を疾走していく。

 

「逃がすか!」と追撃の攻撃を放つがそれらは全て虚しく空を穿った。

 

「仕留め損なった……」

 

 ナタネは呟き、「あーあ」と寝そべった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポケギアの通話状態が回復し、声を吹き込んだ。

 

『もしもし? こっちは逃がしてもうた』

 

 マサキの声に、「やってきた敵は?」と尋ねる。

 

『ムウマージ。ゴーストタイプのポケモンやね』

 

 ゴーストタイプ、という部分に反応する。もしや、キクコが操っていたのではないのか。だがキクコはもういないはずだ。自分が引きずっていればいつまで経っても組織は自立ししない。

 

「追撃部隊は?」

 

『一応、カミツレとナタネを出したけれど、多分、捕捉は不可能やろうな。そっちはどうや?』

 

「こちらか」と視線を上げる。眼前に氷によって押し包まれた黒色のドラゴンタイプの姿があった。オノノクスが全身に氷の拘束を施されている。その根の先へと視線を上げるとキュレムが翼だけを甲板から出してオノノクスを制御していた。オノノクスは眠りについている。ちょうどユキナリと同じように。だが、ユキナリは目覚め、ロケット団が恐らくは身柄を奪った。オノノクスを残してユキナリだけを攫うという事はまだ特異点として有効だという事だろう。ヤナギは呟く。

 

「オノノクスは完全に沈黙している。これがトリガーになる事はないと思うが」

 

 何が破滅を誘発するか分からない。ヘキサは慎重を期す必要があったが、ゲンジの判断もマサキの判断も間違っていない。自分一人で何もかもを考えるのは危険だ。殊に今回のような事態に転がっていては。誰かが静観する事も、だからと言って声を荒らげる事も出来ない。ユキナリとロケット団、その追撃のみを優先事項とせねば。

 

「どちらにせよ、俺からはこれ以上の事は出来かねるな」

 

 その言葉に背後に立つ気配を感じ取った。視線を振り向けず、「チアキか」と呟く。

 

「いいのか? オノノクスを保護していればこちらにもまだ分がある、とする貴公の見通しは甘い、という声もあるが」

 

「お前も、人の話を聞くようになったな」

 

 ヤナギの感想に、「心外だな」とチアキが応ずる。

 

「私は少なくとも貴公よりかは向こう見ずでないつもりだが」

 

 違いないな、とヤナギは自嘲する。キュレムを振り仰ぎ、「だが事象は確実に我々の方向に向いている」と返す。

 

「このまま、あるいは何らかの変化を求めるべきか。どちらにせよ、オーキド・ユキナリ奪還を相手も考えていた。この結果論は大きい。何故、我々に掴ませるような真似をしたのか、も考察の対象になる」

 

「貴公は、いつまでも隠居のような真似をしているつもりか?」

 

 チアキの声は暗に戦えと囃し立てているようだったが、ヤナギは冷静だった。

 

「航空母艦ヘキサの心臓部がキュレムなんだ。俺が表舞台に立つ事は難しいだろう」

 

「……そうではない。貴公は、まだ戦士なのだ。それなのに」

 

 ここで自分を食い潰す気か、と問いかけている。チアキのようなストイックな人間にとって戦士の条件とは厳しいのだろう。それを満たしているヤナギが敵対していたユキナリのためにここまでしているのはおかしい、と言っているのだ。

 

「意外だな。お前のような人間にも心配事はあったか?」

 

「心配というよりも不安だな。貴公の戦いをもう見られないのかと覚悟せねばならない事を」

 

 チアキからしてみれば宿縁の相手でもある。もう一度、再戦をと願いたいところなのだろうがヤナギとてこのままでいいはずもなかった。

 

「俺も、オノノクスをどうにかした後に考えよう。それまでは一休みだと思わせてくれ」

 

 ヤナギの先延ばしにする言葉にチアキは反論があったのだろうがそれをそっと仕舞って踵を返した。ヤナギはキュレムによって航空母艦ヘキサが成り立っている事を痛感する。自分が少しでも意識の網を切れば、キュレムの集中も途切れる。少なくとも航空母艦を飛ばしている間中は眠っている暇さえなさそうだ。

 

「不眠不休か。これまでの罰のようなものだな」

 

 だが、それも悪くない。自分一人で、徹底的に今の状況を俯瞰する事が出来る。ヤナギはキュレムへと問いかけた。

 

「だが、お前と向き合うにはちょうどいい、キュレム。お前は、まだ何かを隠していそうだからな」

 

 その言葉にキュレムは沈黙を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風が髪を煽る。

 

「相手先の情報」とマサキをけしかけてナツキは離れていく影を眺めていた。ハッサムで氷の壁を粉砕し、そこから頭をひょっこり出す形になっている。

 

『ムウマージ、つうポケモンや。ゴースト単一』

 

「……キクコちゃんが、操っている可能性は?」

 

『復元時にはキクコは復元されんかったし、その情報の一片でもあればヤナギが黙っとらへんやろ。ワイらが奪還したのはユキナリとオノノクスだけ。それも、オノノクスを封印せなあかんような状況になっている時点で負けな気もするけどな』

 

 ヘキサ全体からしてみればユキナリとオノノクスはセットで封印するか、あるいは戦力としての拡充もはかりたかったのだがどっちつかずのままユキナリは目覚め、オノノクスは今もヤナギが責任を持って封印している。

 

「信じたい、わね」

 

『何や? 女の勘か?』

 

「そういうんじゃないわよ。でも……」

 

 もし操っているのがキクコだとすれば。ナツキは拳をぎゅっと握り締める。次に会う時には敵同士になっている可能性がある。その予感に胸がざわりとした。同時に雲間に消え行く扁平な影を睨み据え言い放つ。

 

「あれじゃ、馬鹿って言うより、ガキね」

 



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第百六十二話「ロスト」

 

 最初に感じたのは、寒い、であった。

 

 唐突な目覚めの後、湧き上がってきた感情は、今、自分はどうしているのか、という確認である。ユキナリはベッドに寝そべっていた。滅菌されたような白い天井が視界に広がっている。身を起こすと病室を思わせる部屋の窓辺のカーテンが揺れている。風があるのだろうか、と目線を向けていると気配を感じて振り返った。

 

 ドアの前にキクコが佇んでいる。身体に引っ付いたような黒いスーツを身に纏っている。今までの記憶の中にあるキクコとは印象が違う姿だが、間違いなくキクコであった。

 

「……やっぱり助けたんじゃないか」

 

 ユキナリの呟きにキクコは、「こっちへ」と身を翻す。ユキナリはベッドから起き上がろうとして、自分の衣服が既に整えられている事に気づいた。今まで旅を続けていたのと同じ、白いワイシャツに茶色のズボンである。ベッドの傍にはスケッチブックが置かれていた。スケッチブックはイブキ達に渡された時の状態のまま、袋に包まれて保存されている。スケッチブックを手に取り、ユキナリは先を急ぐキクコの後姿を追った。

 

 病室を出るとキクコは迷いのない歩調でエレベーターへと向かっていく。その際、キクコは無口だった。自分と出会っても、何も変化などないように。だがヘキサの面々の無口とは違う。彼らはユキナリを嫌悪していた。キクコはユキナリを否定しない。それだけでもまだマシに思える。

 

「あのさ、キクコ」

 

 自分から口火を切ったがうまい言葉が出てこなかった。キクコが、「何?」と振り返る。

 

「ここってどこなの? 何だか……」

 

 そこから先を濁したのは飛び込んでくる光景がどこか退廃じみていたからだろう。病室以外は廊下もエレベーターも旧式でばらけたパズルを組み合わせたようだ。

 

「わざとどこなんだか分からないようにしているみたいで」

 

 ユキナリの印象に、「これから会う人に聞けばいい」とキクコは答えた。これから会う人、とは誰なのだろう。そんな疑問を抱きながらエレベーターに乗る。エレベーターは地下へと続いており途中、ゴゥンゴゥンと低い音が連鎖した。

 

「海鳴り、かな」

 

 それとも何かを汲み上げる音だろうか。海だとするのならばセキチクシティからそうそう離れていない事になる。

 

「そういや、キクコ。使っていたのゲンガーじゃないんだね」

 

 自分を奪還するのに使ったポケモンは見た事がなかった。キクコは、「ムウマージ」と口にする。

 

「それがこの子の名前」

 

 ホルスターに留められているモンスターボールは赤と白の二色で構成されている新型だった。ユキナリはぎょっとすると共にあれから三ヶ月経ったというナツキの話も嘘ではないのかもしれないと思い始めた。

 

「でも、だとしたら何で僕は三ヶ月も」

 

 眠っていたのか。それだけが解せない。キクコも助け出せた。メガゲンガーもどうやら倒したらしい。だがキクコに以前のようなものを感じない。どこかしら余所余所しいのだ。初めて会った時だってもう少し愛嬌があったのに。

 

「あの、キクコは何していたの?」

 

「命令を待っていた」

 

 にべもない返事に、「命令、って」と会話を続けようとする。

 

「それって誰か、その、先生とかの命令?」

 

「先生?」

 

「うん、先生。ほら、キクコ言っていたじゃないか。先生の言う事は絶対だとか。怖いものは仕舞っちゃいなさいだとか」

 

 キクコの口癖を一々思い出しながらユキナリは会話の糸を途切れさせないようにする。だがキクコは言葉少なだった。

 

「先生って、誰?」

 

 その質問にユキナリは答えられない。何故ならば、一度としてキクコから詳しい事は聞いていないからだ。

 

「えっと……、先生は先生だって、キクコ言っていたし」

 

「そうなの」

 

 そこで会話は途切れてしまった。キクコはエレベーターを降りてそのまま狭苦しい廊下を進む。パイプが生物の血管を思わせる密度で巡っている。そこらかしこから低い音程が響いた。

 

「ねぇ、ここは地下なの?」

 

「そう」

 

 キクコは答える気がないのか、それとも答えようとしないのか分からない。だが、ユキナリにはキクコとまた話せるだけで意義があった。

 

「キクコはさ、ここの事知っているの?」

 

「知っている?」

 

「うん。だってさっきから迷わずに道案内してくれるし」

 

「命令だから」

 

 キクコと共にユキナリは回廊を進んだ。その中にはガラス張りの廊下もあり思わず足場を気にした。

 

「あの、ここを通るの?」

 

「いけない?」

 

「いけなくはないけれど、でも僕はあんまり高いところは好きじゃなくって」

 

「そう」

 

 キクコは自分に興味がないのだろうか。再会の喜びもなく、最低限の感情表現だけでキクコは済ましている。ヘキサの面子ほど恐々としたものはないが、それでもユキナリからしてみれば充分に不気味だった。

 

 その時、不意に誰かの鼻歌が聞こえた気がした。立ち止まり、ユキナリはガラス張りの床へと視線を落とす。ちょうど交差する形の通路でポケモンの彫刻の前に座り込んでいる人影を見つけた。どうやら鼻歌の主はその人物のようだ。ユキナリが見つめていると相手も気づいたのか振り返ってくる。

 

 少年、と最初は感じたが青年、と言っても差し支えない外見だった。若々しい、と呼ぶにはどこか老練じみた印象のある眼差しがユキナリを見据える。その眼に敵意はない。むしろ、慈愛に満ちていた。突然目線が合ったものだからユキナリは目をそらし、そそくさとキクコの後ろについて行く。すると両開きのシャッターがあり、入ると椅子に座りこんでいる一人の大人がいた。帽子を被っており、サングラスをかけている。視線は読めないがユキナリの事を興味深そうに眺めてから口を開いた。

 

「やぁ、連れてきてくれたか」

 

「命令だったので」

 

 キクコの言葉の淡白さを全く意に介せずその人物は立ち上がり、「君が、オーキド・ユキナリだね」と声にする。

 

「あ、はい。僕ですけれど……」

 

 それが何かあるのだろうか。ユキナリが訝しげに眺めていると彼は立ち上がりユキナリへと歩み寄ってきた。思わず身構えると差し出された手にきょとんとした。

 

「はじめまして。俺はカツラ。ここでポケモンの研究をしている酔狂な研究者さ」

 

 カツラ、と名乗った男の手に視線を落としていると、「毒はないよ」と彼は肩を竦めた。手を握り返し、「オーキド・ユキナリです」と自己紹介する。

 

「知っている。君が眠っている間に色々と調べさせてもらったけれど、なるほど、外見上はオーキド・ユキナリと大差ない」

 

 外見上は、という言葉に引っかかりを覚えたがそれを解明する事はなくカツラは近場のコーヒーメーカーへと歩み寄ってカップに注ぐ。

 

「飲むかい? それとも苦いコーヒーは苦手かな?」

 

 カツラの勧めに、「いえ、飲みます」とユキナリは受け取った。湯気を立ち上らせるコーヒーの表層を眺めながら、「あの」と口を開く。

 

「うん? どうかした? お気に召さないのならば」

 

「いえ、いただきます」

 

 ユキナリはコーヒーを口に含む。苦味が走りながらもほのかに酸味も感じさせた。

 

「すまないね。これくらいしかもてなしが出来なくって」

 

「いえ、僕は別に。……あの、ここはどこなんです?」

 

「ロケット団だよ」

 

 カツラの放った声にユキナリは肌を粟立たせた。まさか、ロケット団に捕らえられるとは思ってもみなかったのである。だがカツラは取り乱す事はない。

 

「ロケット団、と言ってもその末端かな。研究所だよ。グレンタウンにある」

 

「グレンタウン……」

 

 確かマサラタウンの南の沖にある島だ。どうしてそのような場所に自分が連れてこられたのだろう。カツラは、「ヘキサの連中に、拷問でもされたのかな」と口にした。

 

「随分と俺を警戒しているから」

 

 警戒していたのは事実だがヘキサに何かをされた、と言えばこめかみの装置くらいだ。他には何もされていない。少なくとも記憶の範囲内では。

 

「いや、その、失礼だったのならば謝ります」

 

「失礼だなんて。俺は君を買っているからね」

 

「買っている、って」

 

「言葉通りの意味だよ」とカツラは椅子に座る。手元の機器を操作し、「君は特別なんだ」と呟いた。

 

「特別……」

 

「選ばれた存在、とでも言うべきか。俺は選ばれなかった。だからこうして君と会っている。会って、話をする程度しか出来ない」

 

 選ばれた、と言われても自覚はまるでない。何をするべきなのか。自分に何が出来るのか。ユキナリは考えながらコーヒーを啜る。

 

「どうかな?」

 

 味の事を聞いているのだと分かり、「おいしいです」と答える。実際にはユキナリには苦いくらいだったがこれがコーヒー本来の味なのだろう。

 

「俺が君を信頼させられる存在でない事だけは確かかもしれない。ここがロケット団云々の話よりもね」

 

 カツラは客観的に物事を見る目を持っているようだ。ユキナリの考えている事などお見通しなのだろう。妙な隠し立てはせずにユキナリは、「あの」と口を開いた。

 

「僕は、何のためにここに連れてこられたんですか?」

 

「先ほども言った通り、君は特別なんだ。特異点、と呼ばれていてね」

 

「それ、ヘキサでも聞きました。何なんです?」

 

 質問にカツラは、ふむ、と一呼吸挟む。

 

「説明は、彼からしたほうがよさそうだな」

 

 カツラが視線を振り向ける。ユキナリが振り返るとそこに立っていたのは先ほど鼻歌を口ずさんでいた少年だった。気配もなかった。

 

「さっきの……」

 

「君は然るべき時に、彼と共に行動する事になる」

 

 全く説明になっていない。ユキナリは、「行動って」と懸念を口にする。

 

「まさかヘキサと敵対するなんて事はないですよね?」

 

「心配はもっともだろうが、俺達はヘキサを敵視しているわけじゃない。向こうが勝手に敵対関係を作ろうとしているだけだ」

 

 カツラの言葉にユキナリは気持ちが凪いでいくのを感じた。よかった。ナツキ達と戦わないで済むのならば。

 

「だがこれだけでは君は俺達を信用しないだろう。これを渡しておく」

 

 カツラが懐から取り出し、ユキナリの手に掴ませる。それを目にしてユキナリは瞠目した。そこにあったのは灼熱の色に染められたバッジだったからだ。

 

「これは……」

 

「クリムゾンバッジ。俺のバッジだ」

 

 その言葉にユキナリは改めてカツラを見やる。カツラは、「もう一つの顔があってね」と微笑んだ。

 

「このグレンタウンのジムリーダー、カツラ。それが俺だ」

 

 意想外の言葉にユキナリは開いた口が塞がらなかった。バッジを二度見すると、「本物だよ」とカツラが見透かした声を出す。

 

「そりゃ疑わしいだろうけれど。何ならポケギアを翳してみるといい」

 

 その段になって自分がポケギアを携帯していない事に気づいた。所在なさげにするユキナリへと、「ポケギアならある」とカツラが手渡す。現行のタイプとは随分と違ったデザインだった。ユキナリが左手首に装着するとすぐさまユーザー認証の画面に入り、パスワードを入力してポケギアの機能を呼び出す。

 

「翳してみるといい。本物だって分かる」

 

 カツラの言う通りにユキナリはポケギアを翳す。すると固定シンボルポイントが自分のポケギアへと入った。

 

「50000ポイント……」

 

 驚くべき数値に、「おかしな話じゃないさ」とカツラは応じた。

 

「ここまで来るのには波乗りか定期便しかない。それに、波乗りならば強敵揃いのふたご島を攻略しなければならない。自然とそれなりの力はついているものだよ」

 

 ユキナリは服にバッジを留めようとして最初のグレーバッジがない事に気がつく。

 

「あれ、グレーバッジ……」

 

 ヘキサに持ち出されたのだろうか。そう考えていると、「キクコ」とカツラが呼びつける。キクコは二つのバッジを持っていた。ユキナリの所持していたグレーバッジ、それに見た事のないピンクのバッジだ。

 

「セキチクシティジムのバッジだよ。君が持っているといい」

 

 カツラの言葉に、「でも、セキチクを攻略したのは、僕じゃ」と遠慮しようとすると、「持つべき者が持つのが相応しい」とカツラは笑った。

 

「生憎、研究者である俺には興味がない。玉座ってのを狙っているんだろう?」

 

 ユキナリは厚意に甘えて三つのバッジを襟の内側につける。ポケギアを翳すと合計所有ポイントが表示された。

 

「十万の大台を超えた……」

 

 カツラが拍手をして、「おめでとう」と称える。

 

「十万あれば、リーグ戦はほぼ確定と見ていいだろう」

 

「でもいいんですかね。何だかずるしたような気分で……」

 

 釈然としないでいると、「なに、君の実力さ」とカツラはコーヒーを呷った。

 

「これからしてもらう事に協力するための、前金と考えてもらってもいい」

 

「前金、ですか」

 

 嫌な予感のする言葉だが、「また説明するよ」とカツラは言い置いて機器へと向き直った。

 

「今日はここまでだ。わざわざすまなかったね」

 

「いえ、僕のほうこそ。ヘキサから助けてもらったみたいで」

 

 恐らくはカツラの計らいなのだろう。ヘキサから自分を奪取して何の目的があるのかは分からないが、あの場所にいるよりかはずっとよかった。

 

「部屋は用意している。キクコ、案内を頼む」

 

「はい。ユキナリ君、こっちへ」

 

 キクコに案内され、ユキナリはその場所から離れた。カツラと少年だけが取り残され、ユキナリは同じ棟にある小部屋へと移された。滅菌されたような白い部屋で、ベッドがあるだけだ。扉があり、鍵はかけられない様子だった。

 

 キクコが連れてくるだけして踵を返す。その背中を呼び止めようとしたがうまい言葉が見つからずユキナリはベッドに寝転がった。間もなく眠りはやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「前金、か。随分とせこい真似を考えたね」

 

 フジの言葉にカツラは肩を竦める。

 

「どうせ俺には必要のないものさ。玉座には興味がないし、この場合、最も活かす手立てはオーキド・ユキナリの手にあることだ」

 

 とはいえ、これを考え付いたのはカツラではない。もちろん、フジだった。

 

「見せなくてよかったのか?」

 

 カツラが問うたのはユキナリがいずれ使う事になる力の象徴だった。下階で眠っている気配を感じ取り、フジは虚空に声をかける。

 

「ミュウツー。見ていただろう?」

 

(ああ。あれが特異点か)

 

「興味は?」

 

(あれがお前以上に私を使えるのだとすれば、興味はあるな)

 

 ミュウツーの声にフジは口元に笑みを浮かべて、「でも、違和感はなかったかい?」と訊いた。

 

(違和感、とは?)

 

「オーキド・ユキナリ君は以前までの彼とは違うんだよ。オノノクスと完全同調を果たし、破滅の扉を開こうとした。その後、三体のポケモンに還元され、さらに復元を果たした存在だ。正直、人間という定義から外れた位置にいる」

 

(だからこそ、お前が興味深いのだろう?)

 

 ミュウツーの正鵠を射る言葉にカツラが笑い声を上げる。

 

「違いない。一番に彼と接触したいのはお前だ」

 

 からかう声にフジは、「だとしても、さ」と答える。

 

「お膳立てを整える手伝いくらいはしてもらえるんだろうね?」

 

「ああ、構わない。だが、どうする? もし、彼がお前の思い通りにならなかったとしたら」

 

「なるよ。彼はそうなる。そうせざるを得ないはずだ」

 

「その根拠はどこに?」

 

 問いかけるカツラへとフジは言ってのける。

 

「決まっている。彼が、オーキド・ユキナリだからだよ」

 



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第百六十三話「消失点」

 

 梱包袋に入っているスケッチブックを眺める。

 

 今が何時なのか、朝なのか夜なのかを調べるのは定期的に運ばれてくる食事と服飾で判断するしかなかった。ペースト状の食品はお世辞にもおいしいとは言えなかったが栄養価はあるらしい。現に満腹感は得られた。

 

 服飾はユキナリの常の服装だった白いワイシャツと茶色のズボンだ。パンツも替えが運ばれてくる。他人に運ばれれば赤面するようなものだが、自動的にポストに入っているのでユキナリは気にしなかった。着替えを済まし、食事をしてからユキナリはスケッチブックを片手に研究所内を散策する事にした。自分は何も知らない。少しずつでもいい、知っていこうと思えたのはキクコと再会出来た喜びからかもしれない。スケッチブックを袋から出さずにユキナリはキクコの名を呼ぶ。どこかで自分と同じような部屋にいるのだろうか。

 

 研究所ではあらゆるものが新鮮だった。同じコースを定期的に、同じ速度で走るマシンや、粒子加速器を思わせる輪。一定時間で明滅を繰り返す水槽などがある。水槽の中を覗き込んだが何もいなかった。

 

「どこにいるんだろ」

 

 キクコの名を呼びかけつつユキナリは研究所を同じ歩調で進む。総じて言えることはどこか研究所は死んだような印象を受ける事だ。動き、と言ってもそれほどまでに急激なものは一切ない。死んだような、よく言い換えても眠っているような速度だった。

 

 しばらく歩いているとテントのようなものが目に入った。緑色のテントは自分が旅していた時に使ったものと酷似している。歩み寄ると人の気配を感じた。

 

「キクコ?」と覗き込んだ瞬間、視界に大写しになったのはキクコの白い肌だった。ユキナリは慌てて背中を向ける。

 

「ちょ、ちょっと! 服着てよ!」

 

 ユキナリの慌て様に反してキクコは冷たく尋ねる。

 

「それは命令?」

 

「命令って言うか、普通はそうでしょう」

 

「分かった」

 

 キクコが衣擦れの音を立てて服を着込むのが伝わる。ユキナリは動悸がパンクしそうなほどに高鳴っているのを感じた。キクコの裸体ならばスケッチブックに描いたろうに、それでも緊張する。

 

「着替えた」

 

 その声にユキナリは安堵してテントに入ろうとする。すると爪先に寝袋が触れた。ゆっくりと跨ぎ、「あの、さ」と口を開く。

 

「キクコは、ここにいるの?」

 

「うん。命令を待っている」

 

「命令……、どんな?」

 

 キクコは答えない。言ってはいけないのだろうか。ユキナリは質問を変えた。

 

「ここって、落ち着く?」

 

 その言葉にキクコは小首を傾げる。意味が分からない、というように。

 

「落ち着く?」

 

「そう、落ち着くか、って。キクコ、オツキミ山のキャンプの時、楽しそうだったから。だからこのテントに住んでいるのかな、って」

 

「オツキミ山……、キャンプ……」

 

 キクコはユキナリの言葉を繰り返す。思い出している、というよりかは意味の分からない言葉を咀嚼しようとしている様子だ。

 

「うん……。あの時はさ、キクコ、インスタントのスープがおいしいっていうものだから。もっとおいしいものは世の中にたくさんあるのに」

 

 笑い話にしようとするとキクコは、「おいしい?」とまたも不思議な反応をする。

 

「……うん。おいしいって言っていたし」

 

「ねぇ、ユキナリ君」

 

 改まった声音にユキナリは、「何?」と尋ねる。

 

「楽しいって、おいしいって何?」

 



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第百六十四話「怪物共」

 

 キクコとの会話は結局噛み合わなかった。

 

 どこか、キクコの記憶に欠落でもあるのだろうか。そう考えなければあの反応は異常である。まるで、今まで旅した事が全て消えてしまったかのようだ。ユキナリはスケッチブックを片手に自室へと戻ろうとする。その時、耳を掠めた音に立ち止まった。

 

 昨日と同じ、外に面した中庭で少年が鼻歌を口ずさんでいる。ユキナリはここから外に出るコースを探し出し、中庭に出た。すると少年は振り返り、「やぁ」と挨拶する。

 

「ど、どうも」

 

「そう硬くならないで。ボクの鼻歌が聞こえたのかな」

 

 はにかむ少年にユキナリは、「まぁ、うん」と歯切れ悪く返す。自分とて鼻歌が聞かれていれば恥ずかしいだろう。しかし、少年は、「歌はいい」と口にした。

 

「心が洗い流される感じがする」

 

 またしても鼻歌のリズムを取ろうとする。ユキナリは、「あの、さ」と口を開いた。

 

「この研究所っていつからあるのかな」

 

「ずっと昔からさ。グレンタウンがまたカントーの一部として認知されていない頃から実験的に配置されていた。そう言い伝えられている」

 

「詳しいんだね」

 

「ボクも一応、研究者の端くれだからね」

 

 その言葉にユキナリが目を見開く。「ああ、ゴメン」と少年は微笑んだ。

 

「言っていなかったね。この研究所の主任研究員なんだ」

 

「主任? カツラさんが主任じゃなくって君が?」

 

 ユキナリが驚いていると、「変かな?」と彼は小首を傾げる。

 

「いや、変って言うか……。だって僕とそう歳も変わらないみたいだし」

 

「これでも成人しているよ」

 

 その事実に二重に驚いた。まさか成人だとは思ってもみない。

 

「最近実装された、十歳成人法じゃなくって」

 

「うん。本当の成人、だから二十一歳だね」

 

 自分より六つも上の相手に同い年だと思って接していた事にユキナリは、「あの、ごめんなさい」と謝る。

 

「そうは見えなくって……」

 

「よく言われるよ。歳を取っていないみたいだって」

 

 彼は微笑んで今のユキナリの失言をなかった事にしてくれた。ユキナリは、「すいません」と年上にするのと同じ調子で返す。

 

「やめてくれよ。ボクは君と対等がいいんだ。タメ口でも構わない」

 

 彼の言葉にユキナリは、「でも……」と言おうとしたが彼が先んじて言い放つ。

 

「君と一緒がいいんだよ」

 

 その言葉にユキナリは逡巡を浮かべながらも頷いた。

 

「分かった。でも、まだ僕は君の名前も知らない」

 

「フジだよ。フジ博士と呼ばれている」

 

「フジ博士、って僕も呼んだほうがいいのかな」

 

「いいや」とフジは首を横に振った。

 

「博士なんて呼ばれるほどのガラじゃないんだ。君の好きなように呼んでくれていい」

 

「じゃあ、あの……フジ君」

 

「何かな、オーキド君」

 

 ユキナリは、「さっきの鼻歌」と口にする。

 

「何の曲なの?」

 

「ベートーヴェンの第九。その一部だよ」

 

 ユキナリは音楽方面には明るくないので、「どんな曲なのかな」と呟いた。

 

「クラシックさ。君は、クラシックは聞かない?」

 

「音楽とか、よく分からなくって」とユキナリは笑ってはぐらかす。フジは、「そう難しい話じゃないよ」と応じた。

 

「自分が音の一部になる感覚って言うのかな。音楽っていうのは喉だけで奏でるものじゃない。全身で奏でるものなんだ。だから、ボクは音楽を聴覚の芸術だとは思っていない。そうだね、近いものを上げるのならば彫刻や絵画だ」

 

「彫刻?」

 

 それに絵画とは。ユキナリはその意外さに目を見開く。フジは、「彫刻は、触って楽しむ事が出来る」と手を翳した。

 

「絵画も、見て楽しむ事が出来る。でも、音楽も絵画も彫刻も、一面だけじゃない。どこか多面性を持っているのが芸術なんだ」

 

「難しいな。僕とフジ君じゃ認識が違うからかもしれないけれど」

 

「そんな事はないよ。君だって芸術をたしなんでいる」

 

 フジの目が手に取っているスケッチブックに注がれているのが分かり、ユキナリは咄嗟に手で覆った。

 

「大層なものじゃないよ」

 

「楽しむのに、理由はいらないだろう? 君は絵を描くんだね」

 

「うん……。と言っても、下手だし見せられないし」

 

「描いて楽しむ事と見て楽しむ事は必ずしも同義である必要性はない。たとえば君が鑑賞を重視して描いたとしても、逆に誰にも見て欲しくないのに描いたとしても、そこに楽しむ意義がある」

 

 ユキナリの謙遜を掻き消す言葉を投げてくれたのだと分かった。はにかんで、「フジ君はすごいな」と頬を掻く。

 

「僕にはとてもそんな風には」

 

「思えないって? なに、これも年長者ならではの視点だよ」

 

 ユキナリはスケッチブックを眺め、「あのさ」と口を開く。

 

「僕が、もう一度描いてもいいのかな」

 

「それを決めるのは君さ。他の誰でもない」

 

 ユキナリは梱包袋を破ろうとしたが、寸前でその感情は霧散した。

 

「……まだ無理みたい」

 

「いいさ。時間はある」

 

「また来ていいかな」

 

 ユキナリは遠くに沈もうとしている斜陽を眺めながら尋ねる。フジは、「いつでも大歓迎だよ」と返し、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ミュウツーの強化外骨格、第二段階に入ったらしいね」

 

 フジは研究者としての声を吹き込む。すると通信から返事が来た。

 

『ええ、何とか。三ヶ月経ってもこの程度、ってのはやりきれませんがね』

 

 答えたのはヤマキだ。フジはディスプレイに表示されている新型の強化外骨格を見やる。概観はほとんど変わらないが活動限界までの時間が大幅に延長されたという。さらに防御性能、攻撃補佐の性能も付与された。

 

「ミュウツーは文字通り、完成を見るわけだ」

 

『でも、強化外骨格を使わないのがベストなんでしょう?』

 

「なに、仕方のない事さ。これを使わなければ本当ならば四十年かかる技術で造られたポケモンだからね」

 

 その四十年を無理やり縮めたのは他ならぬ自分だ。その自負にフジはミュウツーへと通話を繋ぐ。とはいってもポケギアの周波数を合わせる必要もなければ、通信機を持ち込む必要もない。ただ頭で念じればよかった。

 

 ――君の意見が聞きたい。

 

(私の意見か。そのようなもの、端から無視されているものだと思っていたが)

 

 その言葉にフジはフッと笑みを浮かべる。

 

 ――ひねくれているね。でも仕方のない事か。君より強いポケモンはいないのだから。

 

(私はお前達の提供するあらゆる情報にアクセスする権限を持っている)

 

 今さらの言葉にフジが疑問符を浮かべているとミュウツーが尋ねた。

 

(私よりも強いポケモンなどたくさんいる。状況面で私に優れた相手がいないだけだ。お前達はどうして私に投資する?)

 

 フジは可愛げのないミュウツーに苦笑した。自分が状況面で優れているだけだと冷静に判断出来るのはある種、才能だ。

 

 ――そういうところが、君を最強に引き上げる部分なのさ。自分は本当に強いのか、試したいのだろう? でも試す相手がいない。そもそも、ボクらの支援がなければまともに活動も出来ない事を知っている。

 

(だからこそ、支配を受け容れている)

 

 ――真に賢しいとはその事さ。自分が一番能力を発揮出来る環境の見極めってのは人間でも難しいんだ。

 

 ミュウツーはその点において人間よりも優れているのだろう。だが、人間がそれを超えるのはミュウツーがそこまで考えつくのだと想定する事だ。ミュウツーの考えがどこまで及ぶのか、それを見極めるヒトのほうが僅かに勝っている。僅差ではあるが、この差は溝のように大きい。一つの溝に支配する者される者の逆転がある。

 

『フジ博士? 聞こえてますか?』

 

 ミュウツーとの思念の会話に割いていたせいだろう。ヤマキが怪訝そうに尋ねてくる。フジは、「ああ聞こえているとも」と応じた。

 

「ボクとしては、ミュウツーに負荷はかけたくない。確実な仕事を要求する」

 

『それはいつもの話でしょう』

 

 ヤマキは笑うが、現場からしてみれば血の滲むような努力だ。未知のポケモンの強化外骨格を造り、いつまでとも決められていない戦いに身を投じる。ある意味ではポケモンリーグという分かりやすい枠に収まっていたほうがマシな身分だろう。だが、彼らは率先してそれを選んだ。キシベによる支配を納得出来なかった人々だ。それを選出したのがキシベ自身なのが笑えるが。

 

「ミュウツーの技はどこまで使えるのか、試したい」

 

『細胞実験は我々の範疇にないのでフジ博士に頼みます』

 

「手厳しいな」

 

 フジは笑って、「引き受けよう」と首肯する。

 

「ただ、そっちはそっちでうまい具合に造り上げてくれよ。その出来次第でこれからの動きが変わってくる」

 

『ええ。しかし、妙な噂を聞きましたよ』

 

「噂?」

 

 突然に話題が変わってフジは怪訝そうな顔をする。

 

『キシベさんです。サカキ擁立をしていたあの人の消息がぱったり途絶えてからもう三ヶ月ですけれど、おかしくないですか? 三ヶ月もあれば優勝させられる事なんて出来るでしょう』

 

 それはその通りだ。現に優勝候補達は既にグレンタウン近海に集まってきている、という情報がある。来たところでジムリーダーのカツラは既にバッジをユキナリに渡しているので意味はないのだが。

 

「グレンタウン攻略に意味がないのだと悟れば、すぐさまトキワシティ、最後のジムリーダー突破を目標にしそうなものだけれどね」

 

『でしょう? その事に関してですが仲間内で出た噂に、サカキを優勝させる気はないんじゃないか、っていうのがあるんです』

 

 フジは興味深そうに、ほう、と嘆息をつく。

 

「そりゃまた、何で?」

 

『何でなのかは推測の域を出ないですけれど、キシベさんは最初から特異点サカキを優勝のためではなく、他の目的に使う気だったんじゃないかって話ですよ』

 

「何のために? まさか破滅の誘発?」

 

 それはあり得ないだろう、と自分でも感じる。特異点の覚醒による破滅は最も忌避すべき事態だ。ユキナリが扉を開きかけた時にキシベが何もしなかった事も気がかりだが、自分の行動が予見されていたのならば答えは出る。しかし、キシベはサカキに何を期待しているのか。ユキナリ以上にサカキに執着する理由は未だに解けなかった。

 

『それはないでしょうけれど……。でもあの人も何を考えているのか分からないですから。破滅を願っていても不思議はないです』

 

「あの人も、ってボクも異常みたいな言い方だね」

 

『実際、そうじゃないですか』

 

 軽口に、「かもね」と笑い返す。ユキナリが何を成すのかが気になっている。自分の知的探求心を満足させるために世界を破滅寸前まで追い込んだ。

 

「強化外骨格のスケジュールは君に一任しよう。ただ完成品はきちんと頼むよ。不完全なものを掴まされたら堪ったもんじゃないからね」

 

『ご心配なく』

 

 通信を切り、フジは息をついた。傍にいたカツラが、「定期通信、ご苦労だな」と呟く。

 

「部下の顔を窺うのも仕事のうちか?」

 

「嫌だな、カツラ。ボクはそこまで性悪じゃないさ」

 

 カツラがコーヒーカップを差し出してくる。フジは受け取って口に含んだ。

 

「だが、キシベが何を考えているのか分からない、っていうのは同意する。実際、三ヶ月音沙汰はない。不気味なほどだ」

 

「ボクらは結構派手にヘキサとやり合っている。ポリゴンシリーズを出し過ぎれば目立つと思っていたんだけれど、その情報が根こそぎ握り潰されているのは、これはネメシスのお陰かな」

 

 歴史の陰で細々と矯正を行ってきた存在、ネメシス。彼らが火消しに躍起になっているのはよく分かる。それほどまでにロケット団とヘキサの闘争は激化している。ヘキサは空中要塞のような氷の兵器までつぎ込んできた。ことごとくその要塞にポリゴンシリーズは煮え湯を飲まされている。開発者としては少し腹立たしい。

 

「ネメシスは、ヘキサのような大規模組織こそメスを入れるべきだと思うがな。それほどまでの動きがないのはヘキサがいずれ滅びる事を知っているからか?」

 

 カツラの問いに、「どうとも言えないね」とフジは保留にする。

 

「滅びる、って言うのならばロケット団も同じだし。ネメシスの頭目がどこまで歴史の強制力って奴を信じるかどうかだ。実際、歴史の終焉はまだ訪れていないわけだし」

 

「だが、セキチク……。街が一つ地図から消えたのは想定外だったんじゃないのか?」

 

 カツラの言葉に、「未だに復興の目処は立っていないみたいだ」と情報を集めながら呟く。

 

「死傷者は五百人以上。正直、その五百人をどうやって誤魔化すのか、逆に興味深くはあるけれど」

 

「歴史の差異、か。あるいはいずれ死ぬのならば五百人程度、あってもなくても同じと考えるか」

 

「怖い怖い」とフジはひらひらと手を振る。ネメシスがどのような考えであれ、自分達とは対立するだろう。ヘキサツールの歴史通りに事を進ませるつもりならば。

 

「ヘキサツールの通りに全ての事象が動けば間違いなく滅びが訪れる。ネメシスは諦観のうちにその滅びを受け容れようとしているが、四十年後が今になれば困るわけだ。だからと言って歴史の積極的干渉は避ける。……傍観者に徹してもらえればこれほどありがたい話はないんだがな」

 

「そうはならないだろう。フリーザーを捕獲したあたり、少しくらいはよくしようという考えなのかもしれないね。少なくとも、二の轍は踏まない志か。だからこそ、ボクのミュウツーが効いてくるわけなんだが」

 

「本来ならば三十年後に出現するはずの人工のポケモンを今の時代に出しても本来の能力は発揮出来ない。ただし、それは何もしなければ、の話か。フジ、考えとしてお前が操る以外の案は既にあるんだろう?」

 

「まぁね。そのためのオーキド・ユキナリ君の存在でもある」

 

 カツラは、「わざとらしい接触だったよ」と感想を述べる。カメラで見ていたのだろう。趣味が悪い、とはお互いに言えなかった。

 

「また会いに来ると思うか?」

 

「思うね。彼と出会って確信したよ。ボクは、彼のために生まれたのだと」

 

「大げさだな」

 

 肩を揺すって笑うカツラに、「いいや、大真面目さ」とフジは答える。

 

「彼が何を望むのか。それによってこれから先のアプローチが変わってくる」

 

 遠くを眺めるフジにカツラは、「それよりも先決すべきは」と話題を変えた。

 

「三体の伝説、その本部への輸送だよ」

 

 この三ヶ月の間に起こった出来事だ。サンダー、ファイヤー、フリーザーの三体がロケット団本部、つまりは今のキシベの下へと集められた。それはミュウツーの存在を黙認する代わりのある種、引き換え条件だった。もちろんキシベの口からミュウツーが云々と直接言われたわけではない。ただ三体の鳥ポケモンを預からせて欲しい、とのお達しだった。

 

「ああ、そうだったね」

 

「だが断ったのだろう?」

 

 今さらの確認事項に、「どうしてだ」とカツラは詰め寄った。

 

「ミュウツーの存在の黙認なんてもう不可能さ。既に何人ものロケット団員が関わっているんだ。人の口に戸は立てられない。そうでなくっても中間報告書をシルフビルがあった頃に提出している。マサキなんかには周知の事実だ。だから今さらミュウツーを隠したいだとか、そういう事は一切ない。だから三体の鳥ポケモンも渡さない」

 

「だがどうしてこだわる? あまりに独断先行が過ぎればキシベの妨害に遭う可能性もあるんだぞ」

 

 フジはカツラへと視線を振り向けて、「怖いのかい?」と訊いた。カツラが瞠目する。

 

「何だって?」

 

「キシベが怖いのか、って訊いているんだよ」

 

 その言葉にカツラは憮然として応じた。

 

「馬鹿を言え。キシベが怖くってお前につけるか」

 

「そうだろう。キシベなど、最早おそるるに足らない。ミュウツーとオーキド・ユキナリ君はボクらの手中にある。ミュウツーを遠隔で操るだとか、この研究所を爆破するだとかそういうぶっ飛んだ考えじゃない限りキシベはボクらを止められないし、ボクも止まらないよ」

 

 フジの自信にはもちろん、ミュウツーの圧倒的戦力が背景にあったが、それよりも特異点を有した事の強みがある。特異点を向こうも持っているとはいえユキナリには及ばないだろう。サカキにはユキナリほどの価値はないのだとフジは考えていた。

 

「だが、サカキが俺達の想像を超えた化け物だとすればどうする?」

 

「その時はこうすればいい」

 

 フジはカツラを指差す。

 

「目には目を、毒は毒をもって制する。化け物には、同じくらいの化け物を、だよ」

 



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第百六十五話「インフェルノ」

 

 朝食のケースが収納される。

 

 ユキナリは今日のワイシャツに袖を通し、スケッチブックをさすった。梱包袋越しのスケッチブックではあるが、自分のものだという確信はある。引っ掻いたような傷や、スケッチがうまくいかなかった時につけた黒鉛の痕など誤魔化しようのない部分がいくつもあるのだ。だがヘキサの面々はこれだけしかオノノクスから復元出来なかったと告げていた。

 

「……でもキクコは生きていたんだ。それでいいじゃないか」

 

 ユキナリはスケッチブックを片手に部屋を出る。目指したのは昨日フジと出会った場所である。中庭に出るとフジはユキナリを認めて、「やぁ」と片手を上げる。ユキナリは歩み寄り、「朝から早いね」と返す。

 

「見てごらん」

 

 フジの指し示す方向は朝靄で曇っている。目を凝らすと海面を跳ねているポケモンの姿があった。

 

「ああして海面を跳ねて何をしていると思う?」

 

 その問いかけにユキナリは返事に窮した。

 

「さぁ。見当もつかない」

 

「跳ねて海面に振動を起こし、餌となるポケモンを炙り出しているのさ。わざとびっくりさせてね」

 

 ユキナリは感嘆の息を漏らした。同じポケモンの生息域と言っても海上と草原ではまるで違う。

 

「フジ君はすごいな。何でも分かるんだ」

 

「職業柄ね。観察力なら君も負けてはいないだろう?」

 

 フジはユキナリのスケッチブックを指し示し、「絵が描けるのなら鉛筆がいるだろう?」と言ってきた。こちらから切り出そうと思っていただけにユキナリは呆気に取られる。

 

「えっ、何で分かったのさ」

 

「スケッチブックだけじゃ絵は描けないよ。それくらい、ボクでも分かるさ」

 

 ユキナリははにかんだ笑みを返し、「じゃあそのお願い出来るかな?」と訊いた。

 

「鉛筆だけでいいのかい?」

 

「うん、欲を言えばカッターや消しゴムも欲しいけれど、まずは鉛筆さえあれば困らないし」

 

「書き直しとかやり直しはしないのかい?」

 

 ユキナリは海上を眺めて、「好きじゃないんだ」と答える。

 

「やり直しとか、そういうの。だから、大体は一発書きで当たりを取って、それから肉付けをする。僕のはスケッチって言うかデッサンみたいなものだから。本格的に色を乗せるのなら、この方法じゃ駄目なんだけれど」

 

「ボクも見てみたいな」

 

 フジの言葉にユキナリは、「大したものじゃないって」と謙遜する。

 

「いや、君が生み出すものだ。大したものだろう」

 

「僕に出来る事なんてこのくらいだよ。でも……」

 

 言葉を濁すと、「その封を開ける踏ん切りがつかない?」とフジが顔を覗き込んでくる。ユキナリは頭を振って笑う。

 

「……本当に、何でもお見通しなんだ、フジ君」

 

「いつも君だけの事を考えているからね」

 

 ユキナリはスケッチブックを包む袋に指を引っ掛けようとする。しかしあと一歩のところでどうしてもそれを開ける勇気が失せてしまう。

 

「怖いんだ」

 

「怖い?」

 

「そうだよ。もし、もしだよ? この封を開けてこのスケッチブックに何も描かれていなかったら、それは僕のものじゃない。僕がこの世にいたって言う証明が何一つなくなってしまう。キクコもあんな調子だし、ヘキサの人達は僕をどうしてだか恨んでいる。そう、怖いんだよ!」

 

 ユキナリはフジへと向き直って叫んだ。自分の思いの丈をぶつけたつもりだった。フジは柔らかく微笑み、「その恐怖は正しい」と頷く。

 

「誰しも自分の証明というものに戸惑うのさ。いつまでも現実味を帯びないのはいつだって自分自身だ。明日の自分を描く事さえ困難になってしまう。それでも明日はやってくるし、その次の日も、惨いようだけれど絶対にやってくる」

 

 フジの言葉にはユキナリがいくら答えを先延ばしにしても逃れられないものがあると言っているように思われた。自分が先延ばしにしているもの。答えがあるのかないのかさえも定かではないもの。

 

「怖いものは、一緒に探そう。苦しい事も分かち合おう。それでこそ、意味があるのだとボクは思う」

 

 フジの声は前向きだ。しかし、自分にとっては踏み込むのがやっとの部分だった。

 

「でも、僕にはその資格が……」

 

「資格なんて誰でも後からつけるものさ。今は歩み出そうよ」

 

 ユキナリはフジの顔を見やる。フジはユキナリの決断を待っているようだった。ならば、自分はどこへと進むべきか。ユキナリは頷いた。

 

「知りたい。僕が何をしたのかを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フジが行こうと言ったのはグレンタウンの研究所と直結している灯台だった。遠くまで見通せるらしい。しかし外側を行く鉄製の階段は軋みを上げ、今にも崩れ落ちそうだ。ユキナリは鎖状の手すりに掴まりながらやっとの様子で上がっていく。比してフジは率先して前を行った。その背中が一瞬だけ吹き込んできた雲に隠れて見えなくなる。ユキナリの胸中を不安が襲った。掻き乱されるような焦燥に声を上げようとする。

 

「フジ君――!」

 

 その声の先を突風が遮る。耳を劈くような突風の流れにユキナリは目を閉じ、耳を塞いだ。その場から一歩も動けなくなる。震えているとすっと手が差し出された。フジがユキナリの前に佇んでいる。

 

「行こう」

 

 その言葉にユキナリはフジの手を握って歩き出す。これでは子供だな、と自分でも弱さが嫌になった。

 

 頂上に辿り着くと四方に双眼鏡が備え付けられている。それ以外にもディスプレイやスピーカー、投光機などがあった。宵闇に迷った船の道標になる必要からだろう。

 

「オーキド君。ここからならばよく見えるよ」

 

 フジが示したのは東側の双眼鏡である。ユキナリは双眼鏡へとそっと目を当てた。

 

 飛び込んできた光景は異様なものだった。ふたご島の向こうにはセキチクシティが広がっているはずである。だが、セキチクシティの影も形もない。靄のせいか、と感じたが東側の視界は良好だ。ふたご島に隠れる程度しかものがなかっただろうか、と考えていると、「双眼鏡からだと何も見えないだけだろうね」とフジはポケギアへと声を吹き込んだ。

 

「カツラ。ここに、セキチクシティの俯瞰図を映し出してくれ」

 

 その言葉にディスプレイの一つが点灯した。ユキナリがそちらに目を向けるとさらに異様な光景があった。何もない平野が広がっている。荒れ野、と呼んでもいい。隕石でも降ってきたように大小様々な穴が穿たれており、残っているのは病院くらいなものだった。瓦礫の山と化した場所をフジは「セキチクシティ」だと言った。ならば、この見えている光景は何なのか。問いかける前にフジが口を開く。

 

「これが現在のセキチクシティの様子だ」

 

「何を言って……。だってセキチクシティには、サファリゾーンがあって、ジムもあって、それに施設もたくさんあったはず」

 

「根こそぎ破壊されたんだよ。破滅によってね」

 

「破滅……?」

 

 聞き返すとフジは息を吸い込み、「これから語る事は君に大きな衝撃を与えるだろう」と前置きした。

 

「三ヶ月前、セキチクシティでキクコのメガゲンガーが暴走した。その時、君はオノノクスと共に特異点として覚醒、四十年後に訪れるとされている大災害、いわゆる破滅のトリガーを引いてしまった」

 

「僕、が……」

 

 半ば信じられない様子で聞いていると、「この世界には寿命があるんだ」とフジは告げる。

 

「世界の寿命は予め決まっていてある石版がそれを指し示しているとされていた。その事実を知るのはロケット団、ヘキサの上層部、そして歴史を裏から操る秘密結社ネメシスだけだったのだが、その石版の情報があらゆる人々にもたらされた。それによれば破滅を導く要因として存在する人間がいるとされている。ネメシスはその人物を特異点と呼んだ。特異点、つまりはオーキド・ユキナリ君、君の事だ」

 

 その言葉にユキナリは愕然とする。一体何を言われているのか分からない。突然、特異点だと言われても理由がまるで浮かばなかった。

 

「何で……、何言ってるんだよ。だって僕は普通の人間で、何一つ他人と変わらない子供で……」

 

「そう。何一つ変わらない。だが、特異点とされた人物が未来にどう影響を及ぼすのか検証された結果、君ともう一人の特異点がこの次元にいずれ破滅をもたらすとされた。それがオーキド君とサカキ。君ら二人には接点もないし面識もないだろう。だが、この次元の特異点は君達二人なんだ」

 

 ユキナリは狼狽する。未来に何が起こるなどと言われても実感がまるでない。

 

「……サカキなんて、会った事もないのに。何で僕とそいつなのさ」

 

「これは決められた事なんだ。ある意味、預言書のようなものかな。その石版に書かれている通りにこの世界では歴史が進んできた。歴史をそのまま適応しようとしているのがネメシス。歴史を変えようとしたのがヘキサとロケット団だ。だがヘキサは頭目がヤナギに変わった事によって動きを変えつつある。それまで保守的だった特異点の抹殺にも力を入れ始める事だろう」

 

「抹殺って、僕が殺されるって言うの」

 

 その言葉にユキナリはこめかみに吸いつけられた機具を思い出す。ポケモンとの過度の同調、あるいは覚醒リスクを抑えるためのものだと説明された。もし、禁を破った場合、自分が死ぬと。

 

「……嘘だ。嘘だそんなの。信じないぞ、僕は信じない」

 

「でも、このセキチクシティの惨状は本物だよ」

 

 フジの声を聞くまいとユキナリは耳を塞いだ。それでも視界に入ってくるのは嘘偽りのない破壊の爪痕だ。

 

「三ヶ月前、君はオノノクスと共に四十年後に訪れる破滅を早めた。扉を開き、破滅が訪れようとした。直前で抑えられたもののその被害は推し量るべきだ」

 

「やめてよ……。何で僕にこんなものを見せるのさ」

 

 自分勝手な物言いだという事は充分承知している。知る覚悟があるのか、とフジはきちんと自分に確認したではないか。

 

「君は知らねばならない。知らなければ前に進めないし、後退も出来ない。ただ、見ての通り、人がたくさん死んだ」

 

「やめてよ! 僕のせいじゃない!」

 

「ヘキサが君に恨みを持つのも頷ける。その安全装置もヘキサが何よりも世界の破滅を免れるための措置だろう。君個人の命と世界の命。それを天秤にかければ導かれない答えじゃない」

 

 自分がそのような存在など信じられる話ではない。だが、ヘキサはオノノクスとユキナリを分断し、自分にこのような措置を講じた。

 

「僕は……ただ、キクコを助けようとしただけだ。何も悪い事なんてしていない」

 

「だが結果的にそれがこのような破壊をもたらす結果になってしまった。全てのきっかけは、君なんだよ」

 

 ユキナリはその場に蹲った。耳を塞ぎ俯いて呻く。

 

「信じない……。僕にどうしろって言うのさ」

 

「起こってしまった事は取り消しようのない事実だ。だが贖罪の道はある。希望は残っているよ、どんな時にもね」

 

 ユキナリは嗚咽を漏らした。その声だけが朝靄の中に沈んでいった。

 



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第百六十六話「呪詛」

 

 頼んでおいた通りに、フジは鉛筆を持ってきたがユキナリはスケッチブックの封を開ける事が結局出来なかった。あのような惨状を見せられてそれでも能面を貫けるほうがどうかしている。呑気にスケッチという気分でもなく、ユキナリはため息をついた。ベッドに寝そべり、スケッチブックに爪を立てる。

 

「……でもキクコは助けたんだ。それ以上に僕が何を出来たっていうんだよ」

 

 キクコを助け出した。それだけが自分を許せる免罪符であった。朝の時間になればユキナリは鉛筆とスケッチブックを片手に研究所をさまよい歩く。何が真実で何が嘘なのか分からない。だがキクコと話せば、もう一度彼女を絵に描く事が出来れば、何かが変えられるかもしれない。自分を許せるかもしれない。

 

 キクコは以前と同じようにテントに住んでいた。訪問時には声をかけてからテントに入る。キクコは不在であった。ユキナリはテントの中を見渡す。中は割とごった返しており、生活必需品が段ボールに込められている。どうやらキクコも自分と同じような食事を毎日しているらしく、テントの外にはトレイが置かれていた。誰かが交換に来るのだろうか。今朝の分しかない。

 

「そうだ。キクコは、インスタントのスープが好きだったっけ」

 

 この研究所で話が出来るのはカツラとフジだけだったが、フジには昨日の手前会いにくい。ユキナリはカツラを探そうとしたが、カツラはなかなか現れてくれなかった。研究所の窓が朝露で曇っている。今のうちに、研究所がどのようになっているのかを知っておくのも悪くないと考えた。研究所でカツラと最初に出会った場所を目指そうとするがどこも似たような造りのため早速迷ってしまった。

 

 どこへ行くべきなのだろう。ユキナリは暗がりの中で手を伸ばしていると不意に投光機のスイッチを押してしまったらしい。ガン、と巨大な音と共に光が広がり、ユキナリは眩さに目を細めた。

 

 その視界に入ったのはけばけばしいピンクと青を基調とした鳥型の置物の群れだった。思わず息を呑む。整然と並び立てられた鳥型の置物は黙している。今にも動き出しそうだったが生きている感じはしなかった。

 

「これって……」

 

「ポリゴンシリーズ。俺とフジが共同で開発した、世界で初めての人造のポケモンだよ」

 

 不意にかけられた声にユキナリは慌てて振り返る。カツラが白衣のポケットに手を入れて佇んでいた。

 

「あ、あの、これ、ポケモンなんですか?」

 

 自分の目には置物にしか見えない。カツラは口角を吊り上げ、「見えないだろうね」と応じる。

 

「ポケモンにしては、何ていうか……」

 

「生気がないだろう。それも当然、こいつらは電気を通してやらないと動かないんだ。そうだな、言うなれば魂というものが存在しないポケモンと言うべきか」

 

「魂……」

 

「我々が当たり前に信じている神話みたいなものさ。魂の存在を疑った事はないだろう?」

 

 それはそうだった。人間にもポケモンにも当たり前のように魂があるのだと信じている。

 

「このポリゴンシリーズには、ないんですか?」

 

「わざと入れていない。魂を入れればこいつは暴走する可能性がある。単純機動のプログラムを走らせて、その通りにしか動かないようにしている。機械と大差ないよ」

 

 カツラの声音にユキナリは、「寂しいですね」と感想を漏らす。

 

「寂しい、か。それはポケモンに魂があって欲しいと君が願うからだろう」

 

「あの、カツラさん」

 

 切り出すのは今しかないと感じていた。カツラは、「うん?」と小首を傾げる。

 

「フジ君から聞きました。僕と、サカキっていうのが特異点だって」

 

 カツラは帽子を目深に被り、「そうか」と頷いた。

 

「いずれは分かる事だが、フジは焦っているのかな。真実はいつだって残酷だろうに」

 

「知りたいんです。サカキは何者なのか」

 

 カツラは逡巡の間を浮かべるように顎に手を添えてポリゴン達を眺めてから、「君は何を好む?」と訊いてきた。

 

「好む、って……」

 

「何かをしながらじゃないと話せる気分じゃないんだ。チェスか、将棋、碁でも打てるとやりやすいんだが」

 

「チェスなら、ルールくらいは」

 

「結構。ならばついてきたまえ」

 

 カツラがその場から歩み出す。ユキナリはその背中に続いた。カツラが訪れたのは狭い一室でスポットライトのように一部分だけが明るい。そこに作り物めいた机だけがあった。

 

「チェスは、倒した駒を味方には出来ない」

 

 チェス盤を用意しながらカツラが口を開く。ユキナリは対面に座りつつ、「それは知っていますけれど」と応じる。

 

「だが現実問題には、倒した敵を味方にする事が出来る事もある」

 

 駒を並べながらカツラが続ける。意味が分からなかったがとりあえずユキナリは首肯する事にした。

 

「さぁ、始めようか」

 

 カツラに先手を与えられユキナリは駒を動かす。カツラは的確にユキナリの攻撃をさばいていく。まるで何手先までも読まれているようだ。ユキナリの駒はあれよあれよという間に何個も取られていく。カツラは途中で手を止め、「あと六手」と言った。

 

「それで君の詰みだ」

 

 ユキナリはそこで駒を動かすのをやめた。どうせ負けるのならば動かさないほうがいい。カツラは、「諦めがいいのも問題だな」と呟く。

 

「最後まで足掻いてみせるといい。そうすれば見えてくるものもあるだろう」

 

「足掻く、ですか。でも、僕はどう足掻けばいいのかも分からない。オノノクスがせめて近くにいれば抗いようもあるんですけれど」

 

「今までの旅はオノノクスと共にあったのだろうからな。心細いのも無理はない」

 

 カツラがチェックメイトをかける。ユキナリには打つ手がない。

 

「たとえチェックメイトをかけられても、君は今まで戦ってきたのだろう?」

 

 カツラの言葉にユキナリは肩を縮こまらせる。

 

「……駄目なんですよ。僕は。一度、自分の中でぐるぐると決められないと、何をやっても駄目で」

 

「そのスケッチブックの封を開けるもの怖いのか」

 

 カツラの目線がスケッチブックに注がれる。ユキナリは手で覆って、「はい」と頷いた。

 

「もし、このスケッチブックにも僕が描いた証明がなくなれば、今度こそ居場所がなくなってしまう」

 

「フジに何を聞かされた?」

 

「秘密結社ネメシスだとか、この次元の特異点だとかです。全然わけが分からないのに、それでも信じざるを得なくって。じゃあ、キクコは何なんだ。僕が、助けたのに……」

 

 自身の掌に視線を落としていると、「これを」とカツラは懐から一葉の写真を取り出した。ユキナリはそれを手にして絶句する。

 

 そこには、粗い画像だったが数人の仮面を被った人間に囲まれたキクコらしき人物の姿があったからだ。

 

「キクコ?」

 

「キクコではない。そこに映っているのは秘密結社ネメシスの総帥だ」

 

「ネメシス総帥、って……」

 

 しかし写真に写っているのは紛れもないキクコ本人に思えた。違うのは瞳が赤くない事と背丈ぐらいか。

 

「フジからネメシスの目的は聞いたかな?」

 

「いえ」と頭を振るとカツラは口を開く。

 

「ネメシスはこのカントーという土地を最初に切り拓いた人間の末裔と呼ばれている。古代の人々はネメシスの正典、ヘキサツールと呼ばれる石版の解読に成功し、その歴史の預言書の通りに歴史を進め、カントーを作り上げた。カントーは元々あった土地ではなく、人々が造り上げた人為的な場所だ」

 

「ヘキサツール……」

 

「そこまでは聞いていなかったか。ヘキサツールに刻まれた名前の人間にはその次元での特権とも取れる役割が与えられている。君もそうだ」

 

「それが、特異点……」

 

 カツラは頷き、「だがヘキサツールに刻まれた特異点は」と続ける。

 

「この長い幾星霜の年月の中で、たった二人。君とサカキだけだ」

 

 それが疑問だった。どうして自分とサカキなのか。ユキナリが問いかけようとすると、「並行世界を信じるかな」とカツラが逆に質問してきた。ユキナリは戸惑い、首を横に振る。

 

「おや、信じないか」

 

「並行世界とか、そういうのってフィクションでしょう」

 

「だがヘキサツールの存在を説明するのに、もう一つの次元の存在は欠かせない。これは推測だがね。ヘキサツールはそっち側の次元からこちら側へと送られてきたのだとする仮説が優位を占めている」

 

「送られてきた?」

 

 意味が分からずに聞き返す。カツラは一つ息をつき、「もう一つの次元は」と言葉を継いだ。

 

「恐らくは今よりも四十年後、滅亡に瀕した。その時か、あるいはそれ以前かは判然としないが、その前後期間にヘキサツールは製造され、何かの弾みにこちらの次元に入ってきた。こちらの次元の始まりに、もしかしたら宇宙創成よりも先に、ヘキサツールがあったのかもしれない。ヘキサツールの形状は判然としないが、一説によればカントーの陸地そのものの形をしているという」

 

 それこそ眉唾物ではないのか。研究者がそのような噂に左右されていいのだろうか、とユキナリが感じていると、「それを守護するのがネメシスだ」とカツラは告げた。

 

「どうしてキクコと同じ顔を……」

 

「ネメシスの人々は純血を守る術として、遺伝子研究分野に関する画期的方法を古来より持ち合わせている。全ては将来、ヘキサツールの守り手を育て、優れた担い手に譲るために。ネメシスは、遺伝子を操作し、自分と全く寸分変わらぬクローンを作り出す事に数百年前から成功している」

 

「何を……」

 

 言っているのだ。ユキナリには分からない。その論法が正しければ――。

 

「キクコもその一人だ。我々はレプリカントと呼んでいる。ネメシスの造り上げた人造人間だよ」

 

 ユキナリは愕然とする。衝撃的な言葉の応酬に頭がついていかない。それも構わずカツラは続ける。

 

「レプリカントは一度に大量生産される。恐らくは今も数十人のキクコと同じ遺伝子組織を持つネメシスの守り手がいるはずだ。その精度はここ数十年で飛躍的に向上し、遂に彼らは人とポケモンの垣根を越えた存在を造り出す事に成功した。それがキクコだ。赤い瞳は何故だと思う? あの眼の色に見覚えはなかったか? ポケモンの虹彩は大部分が黒や茶色だが、赤い眼のポケモンも数多い。あれと全く同じ色相の虹彩だよ。キクコは八割以上ポケモンの遺伝子素子を模倣し、組み上げたポケモンと人間の申し子だ」

 

 ユキナリが脳内を整理する前にカツラは言葉を続ける。

 

「君も聞き覚えがあるだろう。ジムリーダー殺し」

 

 ようやく分かる話題が提供され、「え、ええ」と首肯した。

 

「その主犯はキクコだ」

 

 だからだろうか。その言葉の持つ衝撃にユキナリはついていけない。目を見開き、慄く事しか出来なかった。

 

「何となく予感はしていたはずだがね。君とキクコはオツキミ山で出会った。その時にも人殺しがあった。キクコは自分より一世代前のキクコ、キクノと名乗っているようだが、それに命令されてジムリーダーを殺し、ジムバッジを確実に奪う手段を指示されていた」

 

「何のために……」

 

「歴史の矯正のためだ。このポケモンリーグ、そのものがヘキサツールに刻まれたある種の実験だった。特異点である君とサカキがどこまで影響するのか。ネメシスには最初から答えが分かっているはずだったが、そのための不穏分子を出来るだけ排除し、ヘキサツールに刻まれた歴史通りに事を動かすための。ただし、君を直截的に支援すれば、それも歴史を変える事に繋がりかねない。当初、キクコは君との出会いは仕組まれていないはずだったが、君が彼女を引き寄せた。王の選定、全てはその後の歴史を円滑に回すための手段。キクコはジムリーダーを殺し、ジムバッジを誰よりも早く取得して王を選ぶ必要があった。ただ、それよりも君達のほうが動きの早かったために、何人かは犠牲になってしまったがね」

 

 自分のせいでタケシは死んだと言うのか。カツラの言い分が正しければそうである。カツラは肯定も否定もせずに話を続けた。

 

「ネメシスが絶対に回避したいのは破滅を引き寄せる事だ。そのために三十年後に本来発生するロケット団やその他の人物を排除せねばならなかった。だが自分達が率先して動けば歴史はまた変わる。君が反ロケット団の思想を持っていたのは彼らにとって都合がよかった。シルフカンパニービルを破壊した事も彼らの歴史からしてみれば、駒としてよく機能した証明だろう」

 

 ネメシスからしてみれば自分もキクコも駒だったというのか。信じられない心地で聞いているとカツラはポーンの駒を盤面に置いた。

 

「君自身は取るに足らないポーンだ。だが、君というポーンは世界という盤面そのものを動かす能力を持っている。強力なナイトやクイーン、ビショップがいたところで、この世界そのものを破壊する力を持つポーンには勝てない」

 

「……僕が、そんなものだっていうのは何で分かったんですか」

 

「ヘキサツールだ。何度も言うように。君がこの時代に生まれる事も、ポケモンを持ってポケモンリーグに参戦する事も全て予言されていた。そしてこの先の君の未来も」

 

 ユキナリは机を叩いてカツラに詰め寄った。

 

「教えてください! 僕は、この先、何をするんですか……」

 

 カツラはばつが悪そうに目を逸らし、「悪いが教えられないんだ」と答える。

 

「そうすればまた歴史は変わる。ロケット団の目的は破滅の阻止。だから、君にはヘキサツールの事までは教えた。キクコがレプリカントである事も。ただ、この先の未来は変動する。君に不用意な情報を与えるわけにはいかない。俺の権限ではね」

 

「じゃあ誰が決定するんですか?」

 

 まさかフジが、と考えたが、「フジでもないよ」とカツラは先んじて答える。

 

「ある人物の計画だ。フジはそれを阻止するために動いている。君をロケット団のサカキの下ではなく、こちらに寄越したのも全てフジの計らいだ。恐らく特異点が重なると危ないという事はあれも分かっている」

 

 フジ以外の何者か。それが動いているという事なのか。ユキナリは、「その誰かは教えてもらえないんですか」とカツラに詰め寄る。しかしカツラは頭を振った。

 

「それは君にとって知らないほうがいい」

 

 その言葉に何か重苦しいものを感じ取る。分かったのは自分が特異点としてヘキサツールに認定されている事ぐらいだ。

 

「キクコは……、そうだ、キクコはレプリカントとか言う人造人間だとしても、僕が、助けたんですよね?」

 

 それだけは確認しておきたかった。だがカツラは非情な宣告を突きつける。

 

「以前までのキクコとは別形態だ。今のキクコは遺伝子情報の九割がポケモンの情報で出来ている。人間というよりもポケモンに近い。恐らく君との旅の思い出も引き継いでいないだろう」

 

 その言葉はユキナリの最後の支えを消し去った。キクコが以前までのキクコとは別人。ならば、自分は誰も助け出していない。ただ破滅を導いただけだ。

 

「そんな……。じゃあ、僕のした事って」

 

「ヘキサはだからこそ君に呪いをかけた」

 

 カツラがこめかみを指差す。ユキナリはそれが死を誘発するものであると思い出す。

 

「それは人類全体の選択だ。だが我々ロケット団は君の願いを叶える事が出来る。そのための組織なんだ」

 

 ユキナリにはそこから先ほとんど耳に入ってこなかった。

 

「……すいません。もう、帰っても」

 

「ああ、いい。ただ時が来れば君の力が必要になる」

 

 よろり、と立ち上がりよろめくように歩き出す。

 

 ――助けられていなかったんだ。

 

 キクコも、誰一人として、自分に出来る事などなかった。みんなの運命を歪めてしまったのだ。たった一時の感情に飲み込まれて。ヘキサツールの歴史、その特異点。ヘキサの面々の罵声や、視線が思い起こされる。

 

 彼らは自分を殺したいほど憎かったに違いない。何も知らない自分が滑稽に映っていた事だろう。空回りを繰り返す自分に、生きていく価値はなかった。

 

 部屋に戻り、ユキナリはスケッチブックを手に取る。その封を切る前に、叫んで投げ捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やれやれ、とんだ憎まれ役だ」

 

 カツラがやおら立ち上がる。暗がりから声が聞こえてきた。

 

「仕方がないんだ。彼に、闇雲に動かれでもすれば困るのはお互い様だからね」

 

「だからと言って俺が悪者になる事はないのではないか、フジ」

 

 フジは机に並べられたチェスの駒を一つ、手に取る。

 

「誰かが、オーキド君に真実を伝えねばならない。彼は知らずにヘキサに連行されるのをよしとするか、それとも知ってロケット団に協力してもらうか。ボクは後者のほうがいいと考えている」

 

 ポーンをフジは差し出す。カツラは、「だがこれより先の未来は確定していない」と応ずる。

 

「もしも、この先キシベが手を打っていたとすれば終わりだ。詰むのはこちら側かもしれない」

 

「ミュウツーがある」

 

「過信し過ぎるな」とカツラは警告する。

 

「ミュウツーとて万能ではない。そりゃ、万能に近い力だろうが、強化外骨格が出揃っても活動時間は十分程度。その間に何が出来るかと言えばそう多くない」

 

「サンダー、ファイヤー、フリーザーのカードを切ろう」

 

 フジはルークの駒を進めた。カツラが眉間に皺を寄せる。

 

「だが、あれは最後の手段だぞ」

 

「彼に言ったんだ。希望は残っていると」

 

「自ら立てた誓いに雁字搦めになるか? 言っておくが、俺は希望を信じていない。むしろ、もっと悪く転がる前に、早々に芽は摘んでおくべきだ」

 

「意外だね。ヘキサの思想に似ている」

 

「いつまでもお前の味方をしているわけじゃないって事だ」

 

 カツラはナイトを進ませた。フジは顎に手を添え、「王が動くか、というところだね」と呟く。

 

「王……。サカキの事か?」

 

「サカキの実力をボクは聞き及んでいないけれど、でもミュウツー以上ならばそれこそ対抗組織がロケット団内部から持ち上がってもおかしくはない」

 

「現に俺達が動いているが」

 

「ボクらは反逆って言うほどじゃないさ。ただキシベのシナリオが不透明過ぎるから、そこにメスを入れたいだけ」

 

 クイーンが進む。カツラは、「だがキシベの事だ。全ての先手を打っている事だろう」と告げた。

 

「だったら、その一手先をボクは読む。あるいは」

 

 フジが盤面を握り、引っくり返した。しかし駒は落ちない。磁石で駒が固定されているからだ。

 

「世界という盤面を引っくり返すか」

 

「オーキド・ユキナリ。再び破滅に利用される事をよしとはしないだろう」

 

 フジは盤の裏を叩く。すると何個か駒が落ちた。

 

「しかし、世界から零れ落ちる駒もいる。ボクはイレギュラーとして、彼に味方するつもりだよ」

 

 その言葉が意外だったのかカツラは口元に笑みを浮かべる。

 

「お前の味方する、はどこまで本気か分からない」

 

「ボクは本気さ。オーキド・ユキナリ君は好意に値するよ」

 

「好意?」

 

 カツラが聞き返すとフジは立ち上がって答えた。

 

「好きって事さ」

 



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第百六十七話「再生者」

 

 テントの前で待っていると足音が聞こえてきた。ユキナリは俯いたまま言葉を投げる。

 

「キクコ」

 

 足音が傍で止まる。ユキナリは呼びかけを続けた。

 

「キクコだよね? あの時、助けたよね?」

 

 嘘でもいい。そうだと言って欲しかった。助けてもらった。旅の記憶もきちんとある。そう言ってもらえればどれだけ心が救われた事か。だが返ってきたのは非情な現実だった。

 

「知らない」

 

 ユキナリは歯噛みする。今すぐにキクコを問い詰めたい。だが、必死に自分の理性を訴える。

 

「……僕が助けたんだ。君を」

 

「そう」

 

 素っ気ない言葉にユキナリは、「じゃあ」と最後の手段に打って出た。

 

「僕の事をどう思っているの? 僕は、キクコの事が好きだった」

 

 このような質問、卑怯もいいところだろう。だがユキナリには確かめたかった。今までのキクコならば答えは分かっている。意味も分からず好きだと返してくれるはずだ。

 

 だが――。

 

「キクコなら、こんな時にそう言うの?」

 

 ユキナリは目を見開き、「じゃあもういいよ!」と逃げ出した。だがどこに逃げるというのだ。キクコが自分の知っているキクコではない。ヘキサの人々の言う通りだった。自分は滅亡させただけだ。何もいい事なんてない。ただ滅ぼすためだけに生まれてきた。

 

 部屋に入って壁に頭を打ちつける。俯いて額に手をやった。このまま消えてしまえればどれほどにいいだろう。だが消滅という安息を誰も許してくれない。

 

 扉の開く気配がする。しかしユキナリは振り返らなかった。

 

「オーキド君」

 

 フジだ。だがユキナリは無言を貫く。

 

「スケッチブック、落ちているよ」

 

 その言葉にも返さない。フジはため息を漏らし、「そろそろ時が来る」と告げた。

 

「嫌だ!」

 

 ユキナリは叫ぶ。自分の感情の堰が切れたように言葉が溢れ出した。

 

「僕が生きていたっていい事なんて何もない! みんなに嫌われるだけじゃないか! だったら何もしないほうがいい!」

 

 フジは少しの沈黙を挟んでからスケッチブックを拾い上げた様子だった。

 

「……そうやって自分の殻に閉じこもってもいい事なんてやってくるはずもない」

 

「でも、じゃあ僕はどうすればいいのさ! 誰も信じられない! ナツキも、キクコも、アデクさんも、みんな……!」

 

「でもボクだけは信じて欲しいな」

 

「出来ないよぉ……!」

 

 誰一人として信じられるものか。みんながみんなして自分を陥れようとしているに違いない。特異点としての自分を憎悪し、この世から消すべきだと思っているに違いない。

 

 ならば消えてしまうべきなのだ。ユキナリは握り締めた鉛筆を首に突き立てようとした。しかし、鉛筆が首筋に至る前にフジの手がそれをそっと止めた。

 

「何で止めるのさ……」

 

「君に死んで欲しくないからだよ」

 

「君だって信じられない僕に?」

 

 フジは柔らかく微笑み、「信じられなくたっていいさ」と答える。その手が滑るようにこめかみへと至り、側頭部にある機器の圧迫感が外れた。ハッとしているとフジが自分の側頭部へと機器を吸い付かせる。その様子にユキナリは、「どうして……」と呟いていた。

 

「最初からこうするつもりだった。君を呪縛から解き放つには」

 

 フジの言葉には真実の慈愛があった。でも、どうして、という言葉がついて出る。

 

「それをつけたら、ポケモンを操れば死ぬんだよ?」

 

「知っている」

 

「もう一生、戦えないのに」

 

「それも知っている。でもいいさ。ヘキサの呪いは、ボクが引き受けよう」

 

 フジの言葉には迷いがない。ユキナリは戸惑った。どうして自らそのような危険を冒す事が出来るのだ。

 

「でも、僕なんかのために、フジ君が命を落とす危険を」

 

「いいんだ。君のために出来る事ならば」

 

 フジはスケッチブックをユキナリに差し出す。ユキナリはそれを改めて手に取った。

 

 自分のスケッチブック。これだけは自分のもののはずだ。

 

「一緒に開けよう」

 

 フジの提案にユキナリは面食らう。

 

「えっ、今?」

 

「一緒ならば出来るさ。一人の勇気よりも二人なら」

 

 フジが梱包袋に手をかけるのを手伝う。ユキナリはフジの体温を手の甲に感じながら、一気に梱包袋を引き裂いた。スケッチブックの手触りは見知った感覚だ。ページを捲ると間違いなく自分のものであるデッサンやスケッチがあった。そのどれもが自分が旅してきた事の証明であった。

 

「オーキド君。君は君だ。いくら周囲が変わろうとも、これだけは忘れないで欲しい。そして、ボクはそんな君を応援したい」

 

 ユキナリはフジを見やる。フジの笑顔にユキナリは、「君を」とページを捲りまっさらの場所に鉛筆を突いた。

 

「君を描いてもいいかな?」

 

 ユキナリの提案にフジは不思議そうな顔をする。「あ、やっぱり」と取り下げようとすると彼は微笑んだ。

 

「いいよ。動かないほうがいいかい?」

 

 ユキナリは頷き、「そこに座って」とベッドを示す。自分は床に座っての作業になった。

 

「上手いね」

 

「僕みたいなのは大勢いるよ。これくらい、大した事ないって。ただ、僕はこの旅を通して、少しばかり成長出来たと思っていたんだ。ナツキやキクコ、アデクさんやガンちゃん、ナタネさんに出会って自分は変われたと思っていた。だから、僕は……」

 

 声音に嗚咽が混じりそうになるのを必死に堪え、ユキナリはペンを走らせる。その言葉の行く末を案じたようにフジが声にする。

 

「君が心配しているよりも世界は君の事を想っている。ボクだってそうさ。君に死んで欲しくないんだ」

 

 フジの言葉にユキナリは熱いものが頬を伝うのを止められなかった。どうしてフジはこうも優しいのだろう。自分のような、異端とも言える人間に対して。

 

「……僕は、ヘキサから恨まれて、この世界から爪弾きにされたものだとばかり思っていた」

 

 フジは柔らかく首を横に振る。

 

「最後の最後まで、ボクがいるよ」

 

 ユキナリは涙で濡れた面を上げ、「君ならば出来るよ」と言った。

 

「僕なんかよりもきっと、世界をよく出来る」

 

「君となら、さ。一緒がいいんだよ」

 

 フジの言葉は温かなものとなってユキナリを包み込む。その心地よさに思わず口元が綻んだ。

 

「どうしてかな。フジ君と一緒にいると、こんな僕でもまだ生きる価値があるような気がしてくる。これって、君の魔法かな?」

 

「君自身が持つ輝きにボクが引き寄せられているだけさ。もっと自信を持つといい。これから言う事はお願いだからね」

 

「お願い……?」

 

 ユキナリが筆を止める。フジは口元だけを動かした。

 

「グレンタウンの最深部、そこに三体の伝説のポケモンが安置されている。それぞれ、サンダー、ファイヤー、フリーザー」

 

 因縁の名にユキナリは目を慄かせる。フジは、「聞いた事くらいはあるだろう?」と僅かに首を傾げる。

 

「ああ、うん。特にサンダーは」

 

 煮え湯を飲まされた相手だ。思い出していると、「その三体ともう一体」とフジは続けた。

 

「ボクらの希望となるポケモンが存在する」

 

「希望?」

 

 フジは微笑み、「もしかしたら、やり直せるかもしれないんだ」と言葉を継いだ。ユキナリは覚えず目を見開いて聞き返す。

 

「今、何て……」

 

「君がしてしまった事、それは取り消せない。だが贖罪の道はあると言った。三体の伝説のポケモンのエネルギーとその特別な一体を君が扱えば、破滅とは真逆の、正のエネルギーへと転化するはずだ」

 

 フジの言葉にユキナリは鉛筆を取り落とした。フジのスケッチはまだ途中だったが、それを聞かねばならないという気持ちが先行する。

 

「正のエネルギーって、つまり、破滅の逆って事?」

 

「そうなるね。帳消しに出来るかどうかはまだどうとも言えないけれど、やり直しが利くかもしれない」

 

 ユキナリはスケッチブックを置き、「どういう事……」と詰め寄る。フジは慌てふためく様子もなく、「言葉通りの意味だよ」と返した。

 

「ボクが造り上げたポケモン、ミュウツーと呼んでいるが、そいつを依り代にして間接的に三体の伝説級からエネルギーを取り出す。ヘキサツールがこの次元に来た時、それと同じエネルギーが観測されたはずなんだ。それをミュウツーで擬似再現する」

 

「擬似再現……」

 

「本来ならば起こり得ない幻の技、三位一体。それを普通のトレーナーが使うのは至難の業だ。だがミュウツーによる擬似再現ならば、トレーナーへの負荷はほとんど無視して再現出来るはずさ。それを行うには技の制御とミュウツーの制御に二人要るんだ」

 

「二人、って」

 

「単刀直入に言うよ。ボクと一緒にミュウツーを使って欲しい。そして、やり直すんだ。この世界を」

 

 フジの言葉にユキナリは瞠目する。フジは一直線に自分を見据え、「そう易々とは信じられないだろうが」と続けた。

 

「ミュウツーだけが、ボクらの希望なんだ。それに、三位一体ほどのエネルギーを同調なしに使うにはこの方法しかあり得ない」

 

「その、三位一体って言う技が、どうして鍵だと分かるの?」

 

「ヘキサツールには特殊なエネルギーが働いている事が分かっている。それが、ヘキサツールに刻まれた歴史を人々が鵜呑みにしてきた根拠でもある。そのエネルギーと正反対のエネルギーをぶつけるには、やはりそれ相応の技でないと突破出来ない。ボクが研究し、観測した例で言えば、三位一体以上の技はない」

 

 研究者として、フジは偽らざる言葉を口にしているのだろう。だがユキナリにはその言葉の現実味がなかった。

 

「……僕には、その三位一体ってのはよく分からないし、何で伝説級のポケモンが必要なのかも分からない」

 

「炎・水・草。この三元素で出来上がるはずの技なんだが、生憎それ相応に育て上げられたポケモンもトレーナーもいない。この技は過度な同調以外に到達する事がまず不可能なものだ。トレーナーを三人用意する事も出来なければ、三体のポケモンを集める事も出来ない。だが、その三元素に限りなく近い属性を並べ立てる事は出来る。三体の鳥ポケモン、差異はあれど、この三元素でも三位一体の領域には至れる。ただし、直接トレーナーが使うのはリスキーだ。だからこそ、ボクはミュウツーによる間接的な使用を提案する」

 

 フジの言葉通りならば自分はミュウツーを通して三位一体を使え、という事なのだろう。だが、名前も存在も今知ったばかりの技など使えるのだろうか。しかも、三体のポケモンは揃って伝説級なのである。

 

「でも、僕なんかに……」

 

「だからこそ、二人なんだ。トレーナーとして、君は優れている。君はミュウツーを通しての三位一体を。ボクはミュウツーの制御を担当する」

 

 フジの提案にユキナリは、「そんな、うまくいくのかな」と懐疑的な声を出す。

 

「伝説のポケモンから技を引き出すなんて並大抵の事じゃないだろうし」

 

「だからこそ、ミュウツーはボクがきちんと制御する。君にはただ三体のポケモンを操る事だけを考えてくれればいい。なに、オノノクスを操っていた事に比べれば大した事じゃないよ」

 

 ユキナリは自身の掌に視線を落とす。出来るのだろうか。その懸念を読み取ったように、「オーキド君」とフジが呼びつける。

 

「ボクと二人でやるんだ。何も君一人に背負わせる気はない」

 

 その言葉にユキナリは気持ちが和らいでいくのを感じた。どうしてだろうか。フジの言葉はいつだって自分を勇気付ける。

 

「……そうだね。君なら出来るよ」

 

「君となら、だよ。ミュウツーは既に二人で操る事を前提に設計している。ボクと君は運命共同体だ」

 

 フジが小指を差し出す。ユキナリは、「いいのかな……」と呟いた。

 

「約束出来るわけじゃない」

 

「それでも。約束しよう」

 

 フジの言葉にユキナリは躊躇い気味に小指を絡ませる。フジは、「指きりだ」と口にした。

 

「必ず二人で世界をいい方向へと持っていこう」

 

「……うん。そうだね。出来るような気がしてきたよ」

 

 ミュウツーというものがどのようなものなのか理解したわけではない。ただフジは信じられる。それだけだった。

 

「オーキド君。そう謙遜するものじゃないよ」

 

「あの、下の名前でいいよ」

 

 ユキナリの言葉にフジは微笑んで、「じゃあ、ユキナリ君」と頷いた。

 

「君は君が思っている以上に尊い。それを自覚してくれ」

 

 フジの言葉は心地よい。自分になかったものが満たされていく感覚がある。ユキナリは少し照れくさいようなくすぐったいような感覚を覚えながら首肯する。

 

「そうだね。行こう」

 



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第百六十八話「盟約と審判」

 

 培養液が取り除かれ、すぐさま転移したミュウツーが向かった先は強化外骨格の製造工場だった。所定の位置につき、ミュウツーの身体へと無骨な灰色の装甲が装着される。最後にヘルメットが被らされ、後頭部で固定された。

 

『強化外骨格、プロダクションタイプ装着完了。後の判断をミュウツーへと委譲する』

 

 ミュウツーは転移し、再び現れたのは自分達の眼前だった。モニターで眺めていたユキナリは瞠目する。

 

「これが、ミュウツー……」

 

「最初に俺に会った時、こいつは既に君の事を観察していたよ」

 

 カツラにそう言われてもまるで実感が湧かない。すると思考に直接声が切り込んできた。

 

(特異点、オーキド・ユキナリか)

 

 その声にユキナリは狼狽する。

 

「今の、は……」

 

「テレパシーだ。ミュウツーは人語を解する。造られたポケモンの、それが普通のポケモンとの隔絶かな」

 

 カツラが説明するがユキナリには怖気が走っていた。自分の考えが丸裸にされたようで落ち着かない。

 

「大丈夫だよ」と口にしたのはフジだった。

 

「ミュウツーは明け透けになった人の考えを読むような下種には育てていない。彼だってプライバシーを尊重する考えはある」

 

 ユキナリが不安げにフジへと目線を向ける。ミュウツーは、(私を信じられなくとも無理はない)と言った。

 

「だからボクを信じて欲しい」

 

 続けたフジの言葉に幾分か緊張が和らげられる。ユキナリは頷き、ミュウツーを操ろうと思惟を飛ばす。

 

「さぁ、行こうか。ユキナリ君」

 

 カツラの先導でユキナリはミュウツーへと思考をダイブさせた。オノノクスを操る要領とさして変わらないと聞いたがミュウツーの内部はがらんどうで、オノノクスのような自我はさほどない。

 

 ――気を遣っているのさ。

 

 思考の声ですぐ傍のフジが察する。

 

「それは、あの、彼なりに?」

 

「ああ。ミュウツーはわざと自分の中を空っぽにしている。それくらいは出来るようになったわけだ。成長したね、ミュウツー」

 

(こうしろと命じたのはお前だろう。私は何も考えなくていい分、楽ではある。だが咄嗟の判断は鈍るだろう。その時には)

 

「分かっているよ。ユキナリ君はトレーナーとして、今までの経験の蓄積通りにミュウツーを操ってくれ」

 

「ああ、うん。それはいいけれど」

 

 ミュウツーの思念でふわりと浮き上がった身体の浮遊感をそのままにユキナリは振り仰ぐ。頭上にはムウマージを従えたキクコが影に入って自分達を監視している。

 

「キクコの事かい? 彼女はお目付け役さ。何が起こるのかまるで分からないからね。この先、グレンタウンの地下に広がる広大な回廊は伝説の三体の力を封じ込める結界の意味もある。ロケット団やヘキサを退けるためのね」

 

 ミュウツーが降下し、その足先が隔壁に触れる度、自動的に重々しい隔壁が開いていく。まるでミュウツーという主人を通そうとしているかのようだった。

 

「ロケット団に勘付かれても駄目なの?」

 

「ロケット団本隊はこの三体をどうしてだから狙っている。そりゃ、最大の戦力になるからだろう。ヘキサは言わずもがなさ」

 

 ユキナリはムウマージを仰ぎ見て呟く。

 

「キクコじゃないのに……」

 

 自分を見つめているのはキクコではない。キクコの似姿だ。旅をした記憶もなければ、蓄積したものもない。ただポケモンと同調するセンスだけはあるらしい。フジから聞いた話では同調の度合いを一瞬にしてゼロから百まで切り替えられるという。

 

「ポケモンに近いからだろうね」とフジは評した。そのようになってしまったキクコを、もう好きにはなれそうにない。

 

「伝説の三体はそれぞれが強い力を発する個体だ。それはボールに入っていても同じ事。トレーナーという楔を離れれば、それぞれの発する結界が相互作用をもたらし、眼下のような様相を呈す」

 

 フジがそう示したのは視界いっぱいに広がる青白い天蓋だろう。半球体のそれが空間を満たしている。電磁が走り、一切を拒んでいるのが分かった。

 

「これが三体の結界だ」

 

「どうするの?」

 

「それを破るためのプロダクションタイプだよ。ここはボクに任せて」

 

 フジはポケギアにしか見えない端末を駆使しプロダクションタイプと呼んだ強化外骨格を操作した。すると、肩の部分が張り上がり、広がったアンテナのような物体から思念の波紋が放たれる。青い波紋が結界と同期し、同じ波長を通い合わせたかと思うと、結界がガラガラと崩れ始めた。

 

「やった……!」

 

 ユキナリがフジへと視線を振り向ける。フジが微笑んだ、その直後だった。

 

 肌を刺すプレッシャーの嵐にユキナリは習い性の身体を動かす。

 

「後ろだ!」

 

 ミュウツーが同期して振り返り様に腕を突き出した。黒い球体を一瞬で練って放射線状に撃ち出す。相手は奇襲を狙っていたようだが失敗して壁を蹴った。結界の縁に着地したその姿にフジが声を上げる。

 

「へぇ、君が来るんだ」

 

 意外そうな声に水色の表皮を持つポケモンの主は、「出来れば、単体で出会いたくはなかったが」と口にする。従えているポケモンが大口を開けて咆哮した。

 

「ユキナリ君。あれが、サカキだ」

 

 フジの言葉にユキナリは戸惑った。結界の縁で水色のポケモンと涼しい目元の少年が自分達を睨み据える。

 

「あれが……」

 

「オーキド・ユキナリか」

 

 忌々しげに放たれた声音にユキナリは嫌悪感を示した。自分と同じ特異点と呼ばれる存在。同じでありながらも、決して存在を許してはならない。直感としてそれがある。

 

「フジ君。僕が、倒してしまってもいいんだよね?」

 

 ミュウツーならばそれが出来る。その確信にユキナリは敵を見る目をサカキへと向けた。

 

「相性上は、ミュウツーのほうが上だ。サカキのあれはニドクイン。毒・地面タイプ。だが、並大抵の強さじゃない。ユキナリ君、ここは退いても――」

 

「諦めてくれるような相手じゃないよ」

 

 遮ってユキナリはミュウツーへと攻撃動作を促す。ミュウツーの身体が空中で跳ね上がり、黒い瘴気を右手に纏い付かせてニドクインへと突っ込んだ。

 

「来るか。だが俺のニドクインを嘗めるな」

 

 ニドクインが腕を突き出す。すぐさま放たれた水色の光条にユキナリの目が眩む。凍り付いたのはニドクインの眼前だった。「れいとうビーム」を攻撃にではなく、目くらましに使った。攻撃時の発光現象を逆手に取った戦法にユキナリが瞠目する前にニドクインがその巨躯に似合わない挙動で跳躍した。一瞬にして距離を詰め、ニドクインの拳がミュウツーの胴体へと叩き込まれる。ユキナリは自分自身が殴られたような錯覚に陥った。

 

「いけない。同調が過ぎるんだ。ユキナリ君、サカキと戦うのは得策じゃない。サカキは同調であの強さを得ているわけじゃないんだ。サカキの強さは天性のもの。ポケモンを操るセンスがずば抜けている。ボクだって相対しなければ気づかなかっただろう。あのキシベがあれほどまでに虎の子として扱っていたのがよく分かったよ。彼は、強い」

 

 ニドクインが腕を薙ぎ払う。ミュウツーが吹き飛ばされ、壁へと背中をぶつけた。強化外骨格が軋み、ミュウツー自身への負荷へと繋がる。ユキナリは口元を拭い、雄叫びを上げた。ミュウツーが両腕の間に電子を行き交わせ、黒い散弾を放射する。幾何学に襲いかかったそれらの攻撃をサカキもニドクインも難なく回避し、次の攻撃の足場を探すために着地した。

 

「この!」

 

 ユキナリの攻撃の意思がミュウツーを通じ、砲弾として放たれる。「シャドーボール」の砲弾がニドクインを叩きのめそうとするがニドクインは後ろへと飛び退った。まるで攻撃の網が最初から読まれているかのようだ。

 

「オーキド・ユキナリ。どれほどのものかとずっと、ずっとキシベに聞かされてきたのだが。――その程度か」

 

 その声に肌が粟立つ。本能的に刻まれた危険信号がユキナリの脳天に伝わってくる。ニドクインが跳ね上がり、ミュウツーの頭部を殴り据えた。バイザーに亀裂が走る。

 

「いけない! このままじゃ、ミュウツーの生命維持に支障を来たす。ユキナリ君! もうサカキは相手にしないほうがいい! ボクらの目的を先にするんだ!」

 

 ミュウツーのシステム維持を最優先にするフジの警告にユキナリは、「いいや」と頭を振った。

 

「ここでサカキを倒さなくっちゃ、どっちにしろ、未来なんて……!」

 

 ミュウツーが思念の推進剤を焚いてニドクインへと突っ込んだ。蹴りを見舞おうとするがニドクインの反応速度のほうが上だ。手で払われ、逆に尻尾による追撃を許す。首根っこが締め付けられ、持ち上げられた。

 

「俺に勝とうというのが間違っている。オーキド・ユキナリ。特異点ならばそれなりに強いだろうと期待はしていたが、やはりお前は、俺の知る通りもうろくした老いぼれだったという事だ」

 

「ふざ、けるな!」

 

 ユキナリの思惟にミュウツーが尻尾を振るい上げニドクインへと牽制する。ニドクインは尻尾を離す代わりにミュウツーを放り投げた。ミュウツーは思念で急制動をかけるがそれでもダメージが色濃く残っている。

 

「僕は、まだ十五だ」

 

 ユキナリは荒い息をつきながら返す。サカキはフッと口元を緩めた。

 

「こちらの次元では、そうだったな。だから誰にも理解されないんだ。……オーキド・ユキナリ、夢は見るか?」

 

 唐突な問いかけにユキナリは狼狽する。一体、この命を賭した戦闘で何をのたまっているのだ。

 

「何だと……」

 

「夢を見るか? と訊いている。俺は毎日見る。どれだけ疲労が濃かろうが、睡眠薬を使おうが関係がない。ずっと小さな頃から、毎日だ」

 

「何を言って」

 

「ユキナリ君! サカキはボクらを惑わそうとしているだけだ! 口車に乗っちゃいけない!」

 

 フジの警告が耳に入るがサカキから視線を外す事がどうしてだか出来なくなっていた。サカキへとミュウツーを飛ばすが、ミュウツーはニドクインの太い腕で阻まれる。青い光を纏い付かせた拳を放つものの、ニドクインは爪の先端を氷結化させ直撃を防ぎながら的確にさばく。

 

「俺は、この現象が理解出来なかった。だが、キシベだけは違っていた。あれは俺の夢の理由が分かると言っていた。俺からしてみれば奴の企みなどどうでもいい。ただ、この体質をどうにかしたかった。それだけだ」

 

 静かな告白とは裏腹にニドクインの攻撃は鋭い。少しでも意識の網を緩めれば必殺の一撃を食らってしまう。

 

「お前は、意識圏で操っているんじゃないのか?」

 

 ユキナリの問いにサカキは、「どうしてだかな」と首を振った。

 

「意識圏も、認識も、同調現象も必要ない。俺には、俺という肉体があればそれでいい。どうしてだかどのようなポケモンでも俺に従う。何も持たなかった俺が、何故、今まで生きてこられたのか分かるか?」

 

 ユキナリはサカキの言葉が理解出来ない。ただ、その声音には怨嗟の響きがある事だけは理解出来た。

 

「答えは明白だ。――お前より俺のほうが、世界が憎いからさ」

 

 ニドクインの爪がミュウツーの胸部に突き刺さる。あわや、死を免れない位置へと受け止められた爪は強化外骨格によって阻まれた。ユキナリはその期を逃さずニドクインの腕を引っ掴む。ニドクインの頭部へと青い思念を帯びた拳が放たれた。その頭部を打ち砕くかに思われたが、ミュウツーは動きを止める。

 

「どうしたんだ? ユキナリ君? ここまで追い詰めたのならば――」

 

「聞きたい。サカキ。お前はどうして……」

 

 ここまで聞かされれば他人事とは思えなかった。同じ特異点。何か通じ合うものがあるのかもしれない。ユキナリはそれを問い質すために攻撃を止めた。しかし、いつでも撃てる間合いに入っている。サカキはそこまで馬鹿ではないだろう。

 

「俺を理解しようとするか。だが、オーキド・ユキナリ。俺の夢の中でお前はもうろくした科学者であったように、お前の夢の中では俺は何なのだろうな」

 

「何を言って……。サカキ。お前が何を言っているのか、僕には分からない」

 

「分からないだろうさ。この世界との不和など。しかしな」

 

 瞬間、ユキナリはハッとした。地面を伝って冷気が染み出している。噴き出した冷気が波になって襲いかかった。

 

「大地の力と冷凍ビームを連携させた。避け切れまい」

 

 亀裂の走った大地から冷凍ビームが掃射される。マシンガンのように間断のない攻撃にミュウツーの外骨格が震える。

 

「このままじゃ……!」

 

「ユキナリ君! 一時的に奴を退ける手段ならばある!」

 

 フジがポケギアを操作し、ミュウツーの強化外骨格の締め付けを強くした。一瞬、心臓が圧迫されるような感覚が全身を襲う。血流の急激な変動で意識が持っていかれそうだった。

 

「フジ、君……」

 

「耐えてくれ。ミュウツー、ユキナリ君。これならば!」

 

 ポケギアが操作されミュウツーが腕を振るい上げる。その手から黒い濁流のような闇の塊が放出された。光を吸い込み、空間を捩じ込ませて球体が成長する。

 

「これは……」

 

「食らえ、サイコブレイク!」

 

 フジへとコントロール権が委譲されたのだろう。ユキナリの意識は引っ張り込まれ、ミュウツーも強化外骨格で無理やりにその技を引き出された様子だった。闇の塊をニドクインが満身で受け止める。ニドクインとサカキはしかし、耐えた。必殺の勢いを持ったその一撃を。

 

「どうやら俺を止めるにはその技は無効だったようだな」

 

「それはどうかな」

 

「何を……」

 

 その時になってニドクインの様子がおかしい事に気づく。ニドクインの関節から闇の靄が滲み出し、その動きを鈍らせているのである。たちまち全身が拘束され、ニドクインは立つ事すら難しくなった。

 

「何をした……」

 

「サイコブレイクは相手の特殊防御力ではなく、防御力でダメージを計算する。ポケモンってのは大なり小なりエネルギーに対する耐性があるんだ。それを科学者は特殊防御と呼ぶんだが、この攻撃は特殊攻撃でありながら、そのエネルギーに減殺されない。つまり肉体へともろにダメージが行き届く。ポケモンの本能で決められている事だ。特殊攻撃には自身に無意識中に纏っている特殊防御で対すると。だが、これはその無意識の防御をすり抜ける技。肉体的な防御を全く行わなかった結果、全身の間接が擦り切れるレベルになっているはずだ。動けば動くほど、その攻撃は激しくなる」

 

 ニドクインが力なく膝をつく。呼吸が荒くなっているのが分かった。

 

「心肺機能に達している。賢いトレーナーならばボールに戻すね」

 

 フジの冷徹な言葉にサカキは舌打ちする。

 

「キシベの狸を出し抜こうというだけはある、か。だが、その特異点が役に立つか?」

 

「君を味方に引き入れるよりかはずっと安全だ」

 

 フジはユキナリへと近づき肩を揺すった。意識の閉じかけていたユキナリはそれでようやく目を覚ます。

 

「……フジ、君。僕は……」

 

「気絶寸前だった。サカキはもう追ってこない。ニドクインが駄目になったからね。行こう、ユキナリ君」

 

「ああ、うん」

 

 意識が判然としない。ミュウツーも急な変化に戸惑っている様子だった。ミュウツーへと意識のリズムを合わせ、ユキナリは呼吸を整える。肩越しにサカキを一瞥するとサカキはニドクインをボールに戻し、ずっとこちらを睨んでいた。その眼差しからは一種の憎悪すら読み取れたほどだ。

 

「サカキは……。何で、あんな事を言ったんだろう」

 

「戯れ言だよ。気にしないほうがいい」

 

「でも、この次元、って言っていた。サカキも、知っているの?」

 

「あいつの上司が知っているんだ。だから吹き込まれたんだろう。ここでボクらを止めれば、キシベの目的は達成されるからね」

 

「キシベ……」

 

 不思議と、聞いた事のある名前に思われた。だが、どうしても思い出せない。自分の深い部分に根ざしている名前であるはずなのに。その名前の意味するところに自分から手を伸ばせない。

 

「ユキナリ君。ここがグレンタウンの地下最深部。伝説の三体を封印した場所だ」

 

 その言葉にユキナリは目を向ける。台座に三つのボールがはまっていた。どれも紫色で上部に突起のついた「M」の文字が刻まれている。

 

「あれが、三体の入った……」

 

 しかし、その段になってフジは、「……何でだ」とミュウツーを促す思惟を止める。ユキナリはつんのめる形となった。

 

「ど、どうしたんだよ、フジ君。あの三体を使えば、やり直せるんでしょう?」

 

 ユキナリの声にフジは顎に手を添えて、「何かが奇妙なんだ」と呟く。

 

「何かって……」

 

「ボクは三体を確保後、一切手を触れていない。だから、あの三体のうち二体はミュウツーボールに入っていなければおかしい。結界は三体を確保した時、そのエネルギーの保有量に見合ったものが形成されたはずだ。だからボクは即座にこの地下空間に閉じ込める事を決定した。三体を物理的に近い位置で安置するのは限りなく危険な状態だと判断したからだ」

 

 ユキナリにはフジの言葉の意味が分からなかったが、伝説の三体が入っている事は間違いないのだろう。ならば、あれを持ち上げればいいだけのはずだ。

 

「フジ君、何を迷っているのさ。伝説があるって言うんなら」

 

「……でも、あのボールはスペックV、あちらの次元で言うマスターボールだ。いつすり替えが行われた? ボクの決定は絶対のはず。だって言うのに、どうしてマスターボールに入っている? マスターボールじゃ……」

 

「ボールなんてどうだっていいじゃないか。あそこに伝説がある事は確かなんだろう」

 

 フジは額に手をやって頭を振った。何か、重大な見落としに気づいたかのように。

 

「いや、そうか、それこそが手だったんだ。……そうか、そういう事か、キシベ。ボクの味方なんて最初からいなかったわけだ」

 

 自嘲気味に語るフジはユキナリには奇異に映った。先ほどまでの目的遂行のためならば何も厭わなかったフジの姿はない。今、彼の目にあるのは恐れだけだった。ユキナリは怪訝そうに口にする。

 

「フジ君が何を心配しているのか分からないけれど、あそこに行けばいいんだろう」

 

 ミュウツーへと思惟を飛ばす。ミュウツーがゆっくりと浮遊しようとしたその瞬間、眼前へと鋼の砲弾が着弾する。咄嗟にプレッシャーの網を感じて身を引いたユキナリは振り仰いだ。

 

「何だ?」

 

 その視界に大写しになったのはハッサムだった。瞬時に紫色の皮膜を身に纏い、その姿がじりじりと書き換えられていく。強靭な顎を思わせるハサミを有し、赤と黒を基調としたその姿はハッサムとは本質的に異なっている。

 

「メガハッサム、電光石火!」

 

 ナツキの声が弾け、メガハッサムと呼ばれたポケモンが掻き消える。その姿はミュウツーの真横にあった。対応したユキナリは腕を掲げ、メガハッサムの蹴りを受け止める。ただの「でんこうせっか」にしては強力な蹴りに思わず怯んでしまう。恐らく特性はテクニシャンか、それを強化したものなのだろう。メガハッサムが追撃をしようとした空間をミュウツーで歪ませる。メガハッサムはそれを察して飛び退いた。どうやら直感も優れているらしい。

 

「何をするんだよ! ナツキ」

 

「馬鹿ユキナリ? まさかあんたそのミュウツーを動かしているの?」

 

 ナツキの声にユキナリは自嘲気味に答える。

 

「……そうだよ。ヘキサなんかが僕に与えた罪の象徴なんて知った事じゃない。僕は僕の意思で戦うんだ。誰にも邪魔はさせない」

 

 ユキナリの声にナツキは暫時沈黙を挟んだが、やがて吐き捨てるように呟いた。

 

「……ホント、ガキね。そういう勝手が許される身分じゃないって事くらい、分かりなさいよ!」

 

 メガハッサムが空間を駆け抜ける。ミュウツーが先回りして空間を歪ませるが、メガハッサムはそれすらも蹴ってミュウツーの直上を取ろうとする。ミュウツーで思念の光を展開し、メガハッサムを退けようとする。しかしメガハッサムは思念の網をすり抜けてミュウツーへと攻撃を撃ち放とうとした。その瞬間、がくんとメガハッサムの身体が軋む。振り仰ぐとムウマージから放たれたシャドーボールがメガハッサムに命中していた。

 

「足止め、ってわけ」

 

 ムウマージから紫色の思念の渦が放たれる。メガハッサムを操るナツキは舌打ちを漏らし、「その程度」と口にした。直後、ムウマージを激震する攻撃の波が訪れる。弾丸のような物体がムウマージに命中し、着弾点が爆発した。

 

「援護射撃、いつも遅いです」

 

「ゴメンね、ナツキちゃん。ちと、ムウマージは狙いづらいんだわ」

 

 ナタネの声だ。どこから狙っているのか分からないがどうやらナツキを援護しているらしい。ムウマージとキクコの援護は期待出来そうになかった。

 

「この!」

 

 ユキナリが手を振るうとミュウツーが同期してシャドーボールを散弾にして放つ。メガハッサムは巨大なハサミを翳して防御し、「嘗めているの?」とナツキの声が弾けた。

 

「そんなもんで、あたしとメガハッサムは止まらない!」

 

 メガハッサムがハサミを振り上げる。ユキナリは舌打ち混じりにミュウツーを転移させた。空を穿ったメガハッサムの弾丸を見やりながら、ミュウツーとユキナリはその背後を取る。

 

「ゴメン、ナツキ」

 

 突き上げた拳がメガハッサムの身体に捩じ込んだかと思われたが、メガハッサムはもう片方のハサミを背後へと突き出し、それを防御していた。

 

「その程度で。だから嘗めるなって話よ」

 

 メガハッサムのハサミが僅かに開き、鋼の砲弾が発射される。ミュウツーを操るユキナリはハッとして思念の壁を形成させた。「バリヤー」で砲弾が遅くなった機を狙い、ミュウツーは飛び退る。メガハッサムは予想以上に強大であった。このままでは押されてしまう。

 

「フジ君! フジ君も手伝ってよ!」

 

 ユキナリの声にフジは額に手をやったまま首を振る。

 

「駄目だ、ユキナリ君。もうやめよう。あれは、ボクらのボールじゃない」

 

「僕らのじゃないって、そんなわけないじゃないか。ここに伝説の三体があるって言ったのは君だよ」

 

「もういいんだ。あんなものにすがったっていい事はない」

 

 フジの言い分が理解出来なかった。ここまで自分を押し進めた原動力である希望を易々と手離せというのか。不可能だ。

 

「僕は……」

 

 ナツキの雄叫びが考えを中断させる。ユキナリはミュウツーへと防御を促した。メガハッサムの肉弾戦をミュウツーが受け止める。思念でメガハッサムを地に落とそうとしたが、メガハッサムは素早く蹴りつけてミュウツーを上段から攻める戦法を取っている。ユキナリはミュウツーの弱点が看破されていると感じた。

 

「メガハッサム、ミュウツーを倒そうって言うのか」

 

 赤い痩躯が駆け、顎のハサミを突き出す。ミュウツーをその度に後退させたが、このまま逃げるだけでは何も成す事は出来ない。ボールからも離れる一方だ。

 

「ミュウツー、バリヤーを張りつつ相手の懐に潜り込めないか? そうしなきゃ作戦そのものの意味がなくなってしまう」

 

(だが、このままではメガハッサムとやらの攻撃をさばくので手一杯だ。上には狙撃手が張っている。ムウマージの援護も期待出来ない今、このまま闇雲に攻めても得策とは言えない)

 

 ミュウツーの言葉には一理ある。メガハッサムはエスパーであるミュウツーの苦手とするタイプ構成が取られている。鋼に対して、有効打を撃てる技をユキナリは咄嗟に探そうとするが飛行タイプも持ち合わせているメガハッサムには大した打撃にはならないだろう。

 

「どうする? どうすればいい? フジ君!」

 

 ユキナリは先ほどから沈黙しているフジへと目を向けた。フジは頭を振って、「もういいんだ」と呟く。

 

「これ以上戦ったって仕方がない。ここはヘキサに降伏を――」

 

「出来るわけないじゃないか! 何のためにここまで来たのさ。伝説の三体さえあればやり直せるんだ! その邪魔なんて、いくらナツキだってさせはしない!」

 

 ミュウツーが片手でシャドーボールを放つ。メガハッサムは軽い身のこなしで掻き消えて肉迫した。その瞬間、もう片方の手に溜められていた青い光を放射する。

 

「何?」

 

「ゼロ距離ならば! 波導弾!」

 

 青い光は思念ではない。波導と呼ばれる生物の根源エネルギーを固めたものだ。それを発射するこの技は格闘タイプであり、鋼だけならば有効打になるはずだった。メガハッサムの懐へと波導弾が打ち込まれる。だが、メガハッサムは少し衝撃波を受けただけで大したダメージには見えなかった。

 

「ゼロ距離でも、格闘ならばダメージにならない」

 

 メガハッサムはハッサムの時と同様ならば鋼・飛行だろう。飛行タイプが格闘の技を半減する。よってメガハッサムに波導弾は有効な手段ではなかった。だが、ユキナリの目的は弱点攻撃を攻める事ではない。メガハッサムに一撃でも与える事だった。

 

「でも、食らったな」

 

 メガハッサムが膝を落とす。ナツキも何が起こったのか分からない様子だ。同調してわけも分からず力が抜けたようだ。

 

「何を……」

 

「波導弾は必中の技。そこにサイコブレイクを少しだけ混ぜておいた。波導弾じゃあまりダメージにはならないだろうけれど、サイコブレイクは相手の隙を突けば関節や筋肉にダメージを残す事が出来る」

 

 あくまでナツキとメガハッサムを足止めする事だ。倒す必要はない。ユキナリはミュウツーを浮遊させ、メガハッサムのすぐ脇を通り抜けた。メガハッサムとナツキは抵抗しようとするがやはり筋肉素子まで及んだ攻撃からは脱し切れていないのだろう。ユキナリは台座を目指した。伝説の三体が安置されている周囲三十メートルほどは三つの属性がせめぎ合う結界だった。電気、氷、炎とそれぞれの強大なエネルギーが膜を張っている。

 

「これを突破するためのミュウツーの強化外骨格だ」

 

 ユキナリが念じるとミュウツーのバイザー内部にある眼が発光した。すると結界が徐々に晴れていき、進む先から掻き消されていく。

 

「……やめよう。ユキナリ君。あれはボクらの望んだものじゃない」

 

 この期に及んでそのような事を口にするフジにユキナリは幻滅していた。自分を駆り立てたくせに責任が持てないとでも言うのか。

 

「僕は、やる」

 

 その瞬間、フジのポケギアから警告音が発せられる。どうやらフジのコントロールからミュウツーが離れたらしい。

 

「コントロールが……!」

 

「やり直すんだ、僕は。そうしたらナツキも、ゲンジさんも、キクコも、みんな戻ってくる。もう一度、何事もなかったかのように旅を続けられる」

 

 ミュウツーがその手を伸ばす。腕に装着された装甲が拡張する。ボールに施された結界を一つずつ破っていく。

 

「まずい!」とナツキが叫んだのが聞こえた。

 

「ナタネさん! ミュウツーを!」

 

「あいよ。これで!」

 

 どこからともなく発射された種の弾丸がミュウツーへと命中する。しかし、ミュウツーの細胞はそれを吸収した。

 

「細胞を炸裂させる弾を使ったんじゃ」

 

「使ったよ! でも、これが通じないって、あのポケモン……」

 

 ナツキとナタネの言葉を他所にユキナリはミュウツーを通じてマスターボールを手にする。思念で持ち上げ、三つのボールが台座から浮き上がり、封印が解かれた。中で鼓動を発する伝説の三体が感じられる。

 

「やった……!」

 

 これで全てが叶う。その予感に口元を綻ばせた。その時である。ミュウツーの強化外骨格内部から異音が聞こえ始めた。高周波のような耳障りの悪い音が次第に高くなりユキナリは周囲を見渡す。

 

「何が、何が起こって……」

 

 ミュウツーは三つのボールを衛星のように周回させながら頭を振った。

 

(私にも分からない……。だが、これは。人間共が仕組んだ罠か……)

 

 その直後、ミュウツーの眼窩が膨れ上がり、バイザーの内部で赤く発光した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フジはとっくに気づいているだろう」

 

 自分が最深部への侵入者に対して何も言わなかった時点で。いや、それよりも早くフジには分かっていたのかもしれない。自分には味方が誰一人としていない事に。

 

「計画通りだったのだろう? キシベ」

 

 その声にポケギアの通話の向こう側からキシベの声が漏れ聞こえる。

 

『ああ。よくやってくれた。カツラ。それに、ヤマキ達も』

 

 ヤマキ達も自分と同じようにこの通話を聞いていることだろう。そして決心しているはずだ。いや、既にした決意を改めて実感していると言うべきだろうか。

 

「フジを騙すのは心苦しかったよ」

 

 正直な胸中を吐露すると、『私もだよ』という表層にも感じていない言葉が返ってきた。あまりの嘘くささにカツラは苦笑する。

 

「フジは、我々を信用し切っていた。だからこそ、ミュウツーにこのシステムを組み込めた。しかし、お前は何を望んでいる? 特異点である二人を接触させ、このシステムを発動させればただでは済まないと理解しているはずなのに」

 

 何故、と問いかける言葉にキシベは、『必要な事だからだ』と答える。

 

『ミュウツー自身がこれを感知するのが最も恐れるべき事態だったが、ミュウツーもフジを信用していた。三十年後の隔たりがミュウツーにそれを見えなくしていたのか、それとも単なる見落としかは分からないがね』

 

「全てはヘキサツールの意のままに、か」

 

 呟き、カツラはだとすればユキナリが一番の被害者だろうと自嘲する。フジを信用したつもりが、本当のところでは自分達のような賢しい大人に騙されていたとなれば。

 

「キシベ、一つ聞いていいか?」

 

 カツラの声に、『何か?』とキシベは涼しい様子だ。罪の意識などまるで感じていないように。

 

「お前は、フジを利用する事も、オーキド・ユキナリを利用する事も全て織り込み済みだったのか? それを前提として、この計画を組み上げたって言うのか?」

 

 だとすれば、それは人智を越えている。既に神の領域だ。キシベは通話越しでも分かるように、『そこまで狡猾だとは思わないで欲しい』と虚飾に塗れた声を発する。狡猾な大人達に騙されたフジとユキナリは翻弄される事になるだろう。その過ちの責任を取る事が残念ながら自分達には出来ない。

 

 カツラは手元を見やる。一握りの銃があった。ヤマキ達も同じように銃を持っている事だろう。この計画が発動すれば全員が達成せねばならない事だった。

 

「俺はね、キシベ。フジを最後まで友人だと思いたかった。だからこんな形で幕引きするのは気が引ける」

 

『だが約束の時は来た。始めよう。そして終わりだ』

 

「ああ」とカツラは拳銃の銃身を口でくわえた。始まりと終わりは表裏一体。このように、巡り巡るのが相応しい。

 

『君達とはさよならだが、これも私の計画のために必要な一手。悪くは思わないで欲しい』

 

 その言葉を聞き届けてカツラは引き金を引いた。

 



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第百六十九話「砕け散る世界」

 

 強化外骨格の表面が赤く発光する。

 

 アンテナのような形状の追加装甲が伸び、形状を変化させていく。ユキナリにはわけが分からなかった。何が起こっているのか。必死にミュウツーの意識を探ろうとするがミュウツーは意識を失っている。これはミュウツーの意思ではない。それが分かった時、ポケギアに声を吹き込んだ。

 

「カツラさん! 異常事態です! 何とかそちらで強化外骨格を止められませんか?」

 

 しかし聞こえてくるのはノイズばかりだ。一体、カツラの身に何が起こったのか。それを察知する前に衛星のように自転するボールが開かれ、伝説の三体が姿を現した。

 

 サンダー、ファイヤー、フリーザーである。今の主はミュウツーを通したユキナリのはずだ。だが三体はユキナリの意思を無視してそれぞれのエネルギーの膜を押し広げた。三体のエネルギーが一点に注がれる。それは先ほどまで安置されていた台座だった。台座は三つの属性の攻撃を受け、内部から拡張しパーツが外れた。露になったのはガラス玉ほどの小さな宝玉だった。ユキナリが呆然としている間に宝玉が浮き上がり、意思を持ったかのようにミュウツーの身体の中央へと突っ込んできた。体内へと潜り込んだ宝玉が発光し、ミュウツーの体組織を組み換えていく。

 

 一瞬にして強化外骨格が取り払われ、出現したのは従来のミュウツーの半分ほどの矮躯だった。尻尾と頭部が繋がったような形状をしており、赤い眼が射る光を灯している。浮き上がった強化外骨格がミュウツーの周囲を回っているが、最早ミュウツーにはその拘束が意味を成さないようだった。ユキナリがコントロールしようとするがミュウツーは伝説の三体を引き連れ、上昇していく。あまりの速度に思考がついていかない。研究所を破壊し、ミュウツーがグレンタウンの中空へと躍り上がった。

 

 小さな手でミュウツーが薙ぎ払う。その一動作と共に三体の伝説からオーラが立ち上った。

 

「これは……、何が……」

 

 ユキナリが見渡している間に三体の伝説から放たれた光条が空を貫く。その直後、空間が歪み、蜃気楼のように位相を変えたかと思うと雲が吸い込まれ、紫色に染め上げられた。牢獄を思わせる光の鉄格子が形成されてゆき、霞むその向こう側の空間が視界に入る。

 

「――四十年後に訪れる破滅。その始まりの儀式さ」

 

 答えたフジへと顔を振り向けて絶句する。フジのこめかみにつけられた機具が発動し、天使の輪の外観を持つ赤い光が広がっていた。

 

「フジ、君……」

 

「ゴメンね。ボクはここまでみたいだ」

 

 フジは何でもない事のように微笑んで見せる。だがそれが発動したという事は死が免れないはずだ。ユキナリは取り乱して叫ぶ。

 

「い、嫌だ! フジ君!」

 

 触れようと手を伸ばすが自分とフジの間には隔絶があり、ミュウツーをどうにかしない限りどうしようもない。

 

「ミュウツーは予めキシベによってそれが発動するように仕組まれていたんだろう。メガシンカした、メガミュウツーと呼ぶべきか。この形態になったら、ボクでも何が起こるのか分からない。だが、目的は一つのはずだ」

 

「フジ君。三位一体を使えば、正のエネルギーをぶつければ、やり直せるはずじゃ……」

 

「物事はそう簡単じゃなかったって事だね。三位一体を使って次元の扉が開いた。その代わり、メガシンカしたという事はボクとユキナリ君を触媒に同調を果たしたという事。どちらかが消えれば、メガシンカは止まるだろう。これは正しい事なんだ」

 

「何を……、フジ君。君が何を言っているのか、分からないよ」

 

 フジは頭を振り、「ボクが責任を取ろう」と応じた。

 

「目的が何であれ、次元の扉はボクが閉じる。このままでは滅びが訪れてしまうからね」

 

「滅び、って……」

 

 言葉にする間にミュウツーが空間を引っ掻いた。月を中心として扉が開き、その内側に闇が蠢く。

 

「キシベの目的は次元の扉を開く事。滅びはその副産物だろう。さすがは向こうの次元、ヘキサツールに刻まれた重要人物だ。王を自分の手で生み出す事こそが奴の真意」

 

「何の事――」

 

 その言葉を発しようとした瞬間、次元の回廊へと一人の人間が吸い込まれていくのが目に入った。

 

「あれは、サカキ?」

 

 サカキが風に煽られるように次元の扉の向こう側へと消えていく。抗おうとニドクインを出そうとしたが、それさえも無為になって扉の向こうへと消え行く。

 

「キシベがサカキを擁立していた意味がようやく分かった。あれは交換条件だったんだ。あの男を召喚するために」

 

 フジが目を細める。フジの言っている事の半分も理解出来なかったが、ユキナリはフジがこのまま死ぬつもりである事だけは分かった。

 

「フジ君。嫌だよ……。せっかく、分かり合えたのに……」

 

 嗚咽を漏らしながらユキナリは蹲る。フジは、「そんなものなのさ」と達観していた。

 

「分かり合えたと思ったら、もう次の機会はない。でも、君は違う。その先のステージに進む事が許されているんだ」

 

「僕には、何も!」

 

 その言葉を激震が遮った。振り返ると氷の航空母艦が自分達に突っ込んできていた。感知野が声を拾い上げる。

 

 ――目標、ミュウツーメガシンカ形態! クロスサンダー、クロスフレイム同時発射!

 

 ゲンジの声に二つの砲門から青い砲弾と赤い砲弾が同時に発射される。ミュウツーはしかし、腕を軽く払っただけでその二つを相殺させた。航空母艦へと薙ぎ払われたシャドーボールが突き刺さる。さらに追い討ちをかけたのはムウマージの放つ攻撃であった。航空母艦を沈ませようとムウマージが間断のない攻撃を仕掛ける。

 

「キクコ……」

 

「君の知っているキクコじゃない。あれの主はボクのつもりだったが、キシベが実際のところコントロールしていたんだろうね。航空母艦ヘキサを沈ませるつもりだ」

 

 その言葉にユキナリは目を戦慄かせた。

 



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第百七十話「黎明の空」

 

「あっちゃー。酷い有様だ」

 

 研究所の最深部に続く縁で張っていたナタネが手をひさしにして荒れ狂う赤い嵐の中を眺める。

 

「傍観者決め込むつもりですか、ナタネさん」

 

 メガハッサムを伴って上ってきたナツキが言葉を返す。ナタネは唇をすぼめる。

 

「だからってあたし達に出来る事ってもう少ないじゃん? 航空母艦ヘキサの援護に回る? それとも、ユキナリ君を助け出す?」

 

「両方です」

 

 ナツキは応じてメガハッサムの活動時間を確かめた。残り一分を切っている。視界の端に映っているミュウツーのメガシンカ形態を止めるには時間が足りない。

 

「ナタネさん。ガキユキナリを頼みます」

 

「いいけど……、航空母艦の援護に回るの? ナツキちゃん的にはユキナリ君を助けたいんじゃないの?」

 

「今は」

 

 ナツキは拳をぎゅっと握り締める。

 

「やれる事を最大限にやるしかないですから」

 

 自分にはあのミュウツーを止める事は出来ない。時間もない。決断が迫られていた。ナタネはその逡巡を察したように、「あたしだってうまく出来るかは分からないよ?」と言う。

 

「少なくともメガシンカの時間が限られているあたし達よりかは立ち回れるでしょ」

 

「どうかな。マサキさんが開発した破壊の遺伝子とかいう道具の入った弾丸も通用しなかったし」

 

 先ほどの種爆弾に紛れ込ませていた道具だ。マサキ曰く「ミュウツーを倒す唯一の術」であったらしいが望み薄だろう。マサキの頭脳をもってしても理解出来ない存在がミュウツーなのだ。

 

「本来なら内部分裂を起こすはずらしいけれど、それどころかメガシンカしたっぽいし」

 

「あたし達は、最後まで抗うだけよ。ナタネさん。ユキナリを頼むわ」

 

 託す事は何よりも辛い選択だったが、今はナタネを信じる他ない。ナタネは、「全力でやるまでだね」とロズレイドを伴って駆け出した。ナツキもメガハッサムと共に駆け出す。メガハッサムが地面を蹴りつけ航空母艦へと攻撃を仕掛けるムウマージに取り付いた。だが、ムウマージは霧となって攻撃を回避する。つんのめった身体を翅の振動を利用して立て直し、背後へとハサミを払った。実体化しようとしていたムウマージの身体をハサミがくわえ込む。

 

「もう逃げられないわよ!」

 

 ナツキの声に影から現れたのはキクコだった。だが、キクコはもういない事は聞かされている。迷いはなかった。

 

「ムウマージの動きを封じれば、あんたが出てくるほかないわけだけれど、どうするの? このままムウマージを破壊して同調しているあんたの命も奪ってしまうかもしれない」

 

 それでも手心を加えたのは一緒に旅をした同情からか。キクコは機械のように聞き返す。

 

「知らない……。こんな時、キクコならばどうするの?」

 

「それこそ知らないわよ! 自分で考えなさい!」

 

 ナツキの言葉にキクコは、「自分で、考える……」と呟いたかと思うと影に紛れ込ませていた自分を地表へと放った。同調の範囲から離脱したせいだろう。ムウマージの挙動に迷いが見え隠れする。ナツキは思い切ってムウマージの頭部をハサミでくわえ込ませ、雄叫びと共に引き千切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「フジ君……」

 

 いくら言葉を弄してももう遅い。それは分かっていたがユキナリは最期の瞬間までフジを諦められなかった。自分の代わりに死ぬ命。それほどの価値が自分にはあるのか。フジが生きていたほうがこの先、人類の、みんなのためになるのではないのか。その天秤にフジは否と言った。

 

「いいんだ。生と死は等価値なんだ、ボクにとって。自らの死こそが絶対的自由でもある。ボクが生きていたところでまた誰かに利用されて第二、第三のミュウツーを造り出すだけだ。悪魔の手なんだよ、ボクの手は。でも、君は違う。希望を作り出す事が出来る」

 

 ユキナリは首を横に振った。自分に出来る事など何もない。フジと一緒ならば何もいらない。

 

「嫌だ……。僕一人で生きていられない」

 

「一人じゃないさ。君を支えてくれる人達はたくさんいる。人の縁が君を導くだろう」

 

 ユキナリは頬を熱いものが伝うのを止められなかった。止め処なく涙が溢れてくる。

 

「そんな顔しないで。また逢えるよ」

 

 フジは柔らかく微笑んでいる。天使の輪が収縮しようとする。フジはポケギアを使い、ミュウツーをコントロールしようとした。バラバラに砕けた強化外骨格を構成し直し、ミュウツーの力を制御しようとする。強化外骨格の両肩の部分がスライドし、中から黒いボールが複数飛び出した。

 

「ミュウツーボールはまだボクの制御下にある。これで三体を再封印し、ミュウツーの体内に収まったメガストーンは無理やり抉り出すしかない」

 

 ミュウツーボールと呼ばれた黒いボールが三体を取り囲み、一瞬にして捕獲した。ミュウツーの右腕へと装甲が再び装着され、無理やりその腕を胸部へと伸ばそうとする。当然、ミュウツーは抵抗したが、ユキナリが必死に押し留めた。これぐらいしか自分には出来ない。だが、フジのためならば。

 

「ありがとう、ユキナリ君」

 

 右手が胸部を抉り込み、中から宝玉を取り出した。その瞬間、ミュウツーと同じ箇所に激痛を感じる。フジは右腕で宝玉を破壊した。瞬間、ミュウツーのメガシンカが解け、通常形態へと戻る。

 

「フジ君!」

 

 それと天使の輪が収束したのは同時だった。フジの頭部へと打ち込まれた天使の輪が頭部を破砕する。血飛沫がユキナリの視界を奪った。先ほどまでフジがいた空間には血溜まりだけで、もう彼の証明もなかった。

 

 三体の伝説を捕獲したボールが降下していく。それと共にミュウツー自体も落ちていく。このまま落下して死ぬのならばいいか、と諦観のうちに意識を沈めようとすると、「しっかりしろ!」と声が弾けた。ナタネのロズレイドがミュウツーに取り付き、花束の腕を突き出す。

 

「こんの! 食らえ!」

 

 弾丸が打ち込まれ、ミュウツーが内部から膨れ上がる。

 

「破壊の遺伝子は正常に作動した! ユキナリ君、手を!」

 

 ナタネが手を伸ばす。しかし、ユキナリは塞ぎ込んで首を横に振った。

 

「……もう、いいんです。僕に、生きる価値なんて」

 

「しっかりしろ。男だろ! ナツキちゃん一人くらい、助けてみせろ!」

 

 ナタネの声にユキナリは顔を上げる。

 

「ナツキ……」

 

 その手をナタネが無理やり取ってロズレイドと共にミュウツーを蹴りつけて離脱した。ミュウツーの身体が形象崩壊しようとした瞬間、思考に声が切り込んできた。

 

(さよならだ。どうやら私は、生まれるのが随分と早かったらしい)

 

 ミュウツーも意識を取り戻したのだろう。ユキナリは目をきつく瞑って答えた。

 

「ゴメンよ。結果的に君の命を弄んでしまった」

 

(いい。どうせ三十年後も同じ結末だろう。お前に、会えてよかった。オーキド・ユキナリ。未来を……)

 

 そこから先は言葉にならなかった。視界の隅でミュウツーの身体が弾け飛び、月を切り裂いた扉が閉ざされていく。次元を通じた回廊も閉じ、全てが嘘のような静寂が降り立った。ユキナリはロズレイドとナタネと共にグレンタウンの沿岸部に着地する。ナタネが、「ぺっぺっ」と口に入った砂を吐いた。

 

「やれやれだ。君も手間がかかるね。まぁ、ナツキちゃんも同じようなものだからいいけれど。にしても、破滅を二度も起こしかけるとは」

 

 ユキナリは言葉もない。俯いて沈黙を返している。ナタネがため息をついて後頭部を掻いた。

 

「こりゃ、あたしの手に負えないなぁ。ナツキちゃん! 早く、こっちに来てよ」

 

 ナタネの言葉に、「今、来ていますって」とナツキが返す。メガシンカは既に解け、ハッサムを伴っていた。ナタネは、「こりゃ、惨状だ」と周囲を見渡した。破滅の一歩手前まで行ったせいだろう。研究所は薙ぎ払われ、グレンタウンは瓦礫の山が積み上がっている。

 

 ユキナリは蹲ったまま、声を発する事さえも出来なかった。ナツキとナタネが視線を交わし合う。

 

「ナツキちゃん」

 

「知りませんよ。こいつの責任なんですから」

 

 突き放す物言いをしつつ、ナツキはハッサムをボールに戻す。ナタネはため息を漏らしてナツキの肩に手を置いた。

 

「でも、どうにか出来るのもナツキちゃんだけだって、分かっているんでしょ?」

 

 ナタネが離れていく。ナツキはその背中を見送っているようだったが、やがてユキナリに歩み寄り、その背中を蹴りつけた。

 

「あたしを助けてくれないんだ?」

 

 ユキナリはその言葉に返す事が出来ない。フジさえも助けられなかった自分に何が出来るのだろう。ナツキはほとほと呆れた様子だったが、やがてユキナリの背中を引っ掴んで無理やり立ち上がらせた。

 

「ほら、これ持って。航空母艦ヘキサの停泊位置まで行くわ」

 

 ナツキから手渡されたのは簡易キットだった。しかし、力が入らない腕ではそれらが滑り落ちていく。ナツキは苛立たしげに、「持って立つくらい出来るでしょ!」とユキナリの頬を引っ張った。だが痛みさえ、今は遠い。フジを失った衝撃が胸の中にぽっかりと穴を開けている。

 

「まったく」

 

 歩き出そうとしたナツキは足音を感知して立ち止まった。ユキナリも振り返ると、キクコが砂礫の大地を踏み締めていた。

 

「キクコちゃん、よね……?」

 

 キクコは、「そのはずだけれど」と淡白に返す。ナツキは、「聞いているわ」と応じた。

 

「記憶がごっそり消えている事。それに、あんたはもうポケモンに近いっていう事。でも、いいわ。付いて来て」

 

 ナツキがユキナリの手を引いて歩き出す。背中に背負っていたスケッチブックが地面に落ちた。だがユキナリには拾う気がない。もう無用の長物だった。背後でキクコが身じろぎし、それを拾ったのを感じ取る。

 

 三人は、滅びの誘発された砂浜に足跡をつけながら歩き出す。ちょうど黎明の空から光が折り重なり、明日が訪れようとしていた。

 



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第百七十一話「KINGS」

 

 キシベが訪れた時、既に航空母艦ヘキサが反対側の沿岸に停泊していた。秘密裏に進めてきた潜水艦で反対側の陸地に一人だけで歩く。滅びが擬似的に再現されたグレンタウンはほとんど瓦礫の山だった。

 

「ミュウツーは死に、フジ、カツラ、並びにヤマキ達にも死んでもらった。ロケット団は事実上の解散を余儀なくされたわけだ」

 

 自身の部下達の命を根こそぎ奪ってまでも手に入れなければならないものがあった。それはこのグレンタウンにもういるはずなのだ。崩壊した研究所で大口を開けている最深部への入り口の縁にその人物は佇んでいた。唐突な目覚めに狼狽しているようだったが、彼は瓦礫を眺め、この世界の事を少しでも理解しようとしているようだ。キシベは声をかけた。

 

「見覚えは?」

 

 その言葉に人影は重々しく、「ないな」と答える。

 

「だが、遥か遠くにカントーの陸地が見える。ここは、グレンタウンか」

 

「ご明察」

 

 キシベの送る乾いた拍手にその人物は鼻を鳴らす。

 

「わたしには何が起こったのかまるで分からない。人里離れた土地で自身を研鑽する日々を送っていたはずなのだが、どうしてだか今、このような場所にいる。少なくともカントーにいたつもりはないのだが」

 

「私が呼んだのです。特異点を犠牲にし、あなたをこの次元に呼ぶ事。それこそがロケット団がこの時代において生存する唯一の術だった」

 

「ロケット団、か」

 

 人影が懐かしそうにその名前を紡ぐ。

 

「何もかも皆、懐かしい」

 

「あなたにとってはそうでしょう。昨日の出来事です。しかし、我々にとっては明日の出来事なのです」

 

 人影が振り返る。帽子を目深に被り、黒いスーツに身を包んだ紳士だった。しかし、目元が射るように鋭く、その戦闘本能を隠し切れていない。

 

「面白い事を言うな。ロケット団は解散したはずだが」

 

「この時代では、まだロケット団は生まれてすらいない。だからあなたが立つのです。王として。――サカキ様」

 

 サカキ、と呼ばれた紳士は口元に皮肉めいた笑みを浮かばせる。

 

「わたしに王の資格があるというのか。一度敗れ、最早悪の道には染まらないと誓ったこのわたしに」

 

 キシベは跪き、「この時代はあなたのいた時代から三十年前の次元」と声にする。

 

「だからこそ、王になれる。あなたが王になれば、ロケット団はあなたのいた次元よりもなお強い支配を得る事が出来るでしょう。まさしく、ロケット団が世界を牛耳るのです」

 

 サカキは自嘲めいた声音で、「わたしは、死んだのだ」と答える。

 

「トレーナーとしても、ロケット団のボスとしても。だから、もういなくてもいい存在のはずだ」

 

「それはあなたのいた次元での話でしょう。この次元ならばいくらでもやり直せます」

 

 キシベの言葉にサカキは、「やれやれ、だな」と懐からモンスターボールを取り出した。

 

「隠居の道しかないと思っていたが、わたしの、いや、俺の中にまだ燻るものがあったとは」

 

 サカキがモンスターボールを握り締め、キシベへと振り返る。

 

「名は?」

 

「キシベ・サトシと申します」

 

「キシベ……。こっちでもそうなのか」

 

「向こうの私とは違いますよ」

 

 キシベは口元に笑みを浮かべる。

 

「妄執に取りつかれた人間ではありません。私は未来のために、あなたの力が必要だと感じているのです」

 

 キシベの言葉にサカキは鼻を鳴らす。

 

「相変わらず考えの読めぬ男よ。だが、気に入った。キシベ。この世界の状況を俺に教えろ。王になれる、と言ったな?」

 

「は」とキシベは頭を垂れたまま応じる。

 

「なろうじゃないか。この世界の、王に」

 

 その宣言にキシベは口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

第十章 了

 



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相克の章
第百七十二話「荒野の一粒」


 

 海岸線に向けて歩いているのが分かった。

 

 潮風が運ばれて鼻腔をくすぐる。今までグレンタウンにいたというのに、潮風など感じる暇はなかった。それは研究所に幽閉されていたせいだろうか。だが、研究所での生活を決して苦だと思えないのはフジとの思い出があるからだろう。ユキナリはすすり泣く。

 

 片手をナツキに引っ張られて、荒廃した大地を踏み締めた。じゃり、と細かな瓦礫が砕けるのが分かる。研究所は跡形もなく消えてしまった。カツラとフジの残そうとしたものはこの世には一片たりとも存在しない。最早、彼らを留めているのは思い出だけだ。その思い出も自分しか知らない。カツラには酷な現実を突きつけられ、フジには自分の宿命を押し付けてしまった。彼らには悪い事をした。そのような小さな罪悪感で済ませるにはなくしたものは大きい。人生を歪めてしまったのだ。ユキナリが顔を伏せっていると、「ロケット団に何を吹き込まれたのか知らないけれど」とナツキが口火を切った。

 

「ミュウツーをあんたに使わせようとしたのは完全に計算通りだったんでしょうね。誰かさんの」

 

 フジを侮辱されているように感じ、ユキナリは、「計算なんかじゃ……」と抗弁を発しようとする。だが、そのような気力さえも湧かない。まさしく生きる活力は失われた。フジの死とミュウツーとの死別はユキナリの胸にぽっかりと穴を開けている。無気力状態のユキナリにナツキは言葉を投げる。

 

「あんた、それでもあいつらはいい人だって言うんでしょうね」

 

 どこか、投げやりでありながらもユキナリを慮った声音だった。ユキナリはようやく顔を上げる。眼帯をつけたナツキが自分の顔を真正面から見据えていた。

 

「航空母艦ヘキサでの扱い、不服だったと思っているわ。でもああするしかないの。あんたの双肩に世界が背負わされているとなれば」

 

「……ナツキが何を言いたいのか、僕には全然分からない」

 

 ユキナリは自嘲気味に呟く。こめかみを押さえ、その部分に当てられていた呪いを思い返した。

 

「頭が悪いせいかな。それとも、僕が、特異点だから?」

 

 ナツキは首肯し、「それも分かっているのね」と口にする。ユキナリは、「その程度しか、カツラさんは教えてくれなかったけれど」と背後を気にした。先ほどから自分達の後ろについてきている人影を目にする。

 

「キクコ、が、人間じゃないって」

 

「そうね。レプリカント、キクコ。ネメシスの造り出した人造人間」

 

 事もなさげに口にするナツキにユキナリは呼吸音と大差ない声を発した。

 

「やっぱり、知っていたんだ……」

 

「それでも、人間と対等に扱おうと思っていたのは、ヘキサの頭目よ」

 

「ヤナギ……」

 

 ユキナリはその名前を紡ぐ。ヤナギはどこまで知っていたのか。最初から知っていて、キクコを大切に思っていたのだとすればどれほど強固な意志だろう。ユキナリには作り物の生を本物の人生だとは思えなかった。自分でもそうなのだから他人ならばなおの事だろう。

 

「ナツキ。僕は本当に、セキチクシティの人達を殺してしまったの?」

 

 フジに聞かされた真実だ。ナツキやヘキサはそれを承知の上でユキナリに罰を背負わせようとしたのか。ナツキの答えは、「半分」だった。

 

「半分、って」

 

「正解だけれど、間違いでもある。あれは突発的な事故とも言えた。メガゲンガーの進化エネルギーとレプリカントであるキクコ、それと特異点であるあんたとオノノクスの覚醒。偶発的な出来事の連鎖でありながら、これらは全て破滅へと直結する出来事だった。特にいけなかったのは、覚醒したあんたとポケモンに取り込まれたキクコとの接触だった」

 

 やはり助け出そうとしたのが間違いだったのか。ユキナリは深い後悔の念に目をきつく瞑る。ナツキはユキナリを引っ張りながら言葉を継いだ。

 

「でも、あの場でメガゲンガーを止めていなければ、あたしだって今を無事に生きているか分からない。正直、セキチクシティは諦めるしかなかった。メガゲンガーの特性は影踏み。あの時、セキチクにいた人間は誰も逃げられなかった。その運命にあったのよ。それを解き放ったのは、ユキナリ、あんたと型破りのオノノクスだけ」

 

「僕が……」

 

「そう。救ったのよ。そりゃ、手放しでは喜べないけれど、あんたが全部の責を負って失われた命の勘定をする事はない。少なくとも、あたしはそう思っている」

 

 だがその一方で失われた命への贖罪はどうすればいいのだろう。ユキナリには思い浮かばなかった。命は命だ。自分の目の前で死んだフジも、静かに命の灯火を散らせていったミュウツーも、どちらも同じ命。この世界に命の貴賎はない。だから奪った命は贖わねばならないはずだった。

 

「……ゲンジ艦長やマサキさんの考えはあたしとは違うかもね。ヤナギも、どう思っているのかは分からない。でも、あたしに戦う力を再びくれたのは、ヤナギなのよ」

 

 ナツキが左目をさする。その左目の責を負おうとしてユキナリは一度逃げた。今さらに卑怯者の傷跡が疼いてきてナツキを直視出来なくなる。

 

「ヤナギは、あたしに抗えと言った。だからあたしはここに立って、あんたの手を引っ張っている。この左目に関しては完全にあたしの独断専行。……あんたは気にしなくっていいのよ」

 

 そういう意味での関係ない、という言葉だったのだろうか、と考える。だが、あの時には冷たく突き放す物言いに思えた。全ての世界が自分の言葉を拒絶する中、受け入れてくれたのがロケット団だったのだ。迂闊だった、と言えばそこまでだが、フジの優しさは本物だったと信じたい。

 

「ナツキがそう言ってくれても、僕には僕なりのケジメがある。だから、全く気にしない事なんて出来ない。それに破滅の引き金を引いたのは同じじゃないか。だったら、ヘキサが僕に呪いをかけたのも頷ける」

 

 でも、とユキナリは嗚咽を漏らす。立ち止まったユキナリをナツキが怪訝そうに眺めた。

 

「……でも、フジ君はいい人だったんだ。僕なんかより、生きる意味があった。この世界で、生きていて欲しかった……」

 

 心の奥底からの願いにナツキは、「嘆いたって死者は戻ってこないわ」と非情な声を返す。

 

「悔しいけれど、それが世の理。あんたはさ、フジから命を預けてもらったとは考えられないの?」

 

 荒涼とした風がナツキのポニーテールをなびかせる。ユキナリは、「預けてもらった……?」と呆然とする。

 

「この世界はね、何も奪わずに生きていけるほど甘く出来ていないのよ。誰かが割りを食ったり、何かが欠けたりしてようやく均衡を保っている。誰だって平等じゃない。人類皆平等、ポケモンと仲良しこよし、なんて幻想よ。そんなまやかしに甘えられるほど、あたし達はもう子供じゃないんだから」

 

 ナツキの言葉は厳しいが真理だ。旅をしてきたならば分かる。

 

 誰もが奪い、命を燃やした。

 

 その中で分け合えるものもあれば、分けられないものや譲れないものがあるのも分かった。フジは自分に託してくれたのだろうか。だが託された命というたすきはあまりに重い。それは人間が、人生と言う長い旅路で一度しか得られないものだからだ。

 

「フジの事をどうだとか言うつもりはない。あんたとフジがどんな言葉を交わしたのかも知らないし、あたしにとってそれは関係ない。今、あんたが生きるのか、どうかよ」

 

 ナツキの言葉は直線的だが、生きる目的を失って彷徨っているユキナリには重く響き渡った。生きていいのだろうか。誰かを踏み台にしてまで、生きて、幸福になる権利があるのだろうか。

 

「僕は、やり直したかったんだ」

 

 呟いてユキナリは掌に視線を落とす。散っていったひとひらの命。彼はやり直せると言っていた。

 

「変だよね。僕はやり直しが嫌いだったはずなのに。絵でも何でも。でも、ナツキ達と旅した事は、このポケモンリーグの旅だけは、なかった事にしたくなかった。消えて欲しくなかったんだ。記憶のキャンバスから」

 

 ユキナリが再び蹲って泣きじゃくり始める。ナツキは慰める言葉をかける事はなかった。キクコも同様だ。彼女は、自分がどうすればいいのか分からないだけかもしれない。だが、誰かに慰められてしまえば、恐らく一生甘えてしまう。それだけはしたくなかった。フジが何を思い、何のために自分の呪いを引き受けたのか。その意味さえも消えていってしまいそうで。

 

「……ナタネさんが航空母艦をグレンタウンの港に停泊させるための手はずを整えているわ。泣くんなら今のうちにしておきなさい。多分、ヘキサの面々の前では、泣きっ面なんて一番に見せられないだろうから」

 

 ユキナリは頬を伝う涙を拭い、「でも、悲しいよ」と胸の内を吐露した。ナツキは、「そりゃあね」と否定せずに受け止める。

 

「誰だって、大切な人がいなくなれば悲しいわ。そう、誰だってね」

 

 ナツキはキクコを見やり、「あんたも答えを出さないとね」と顎でしゃくる。

 

「どうするの? 多分、ヤナギはあんたを見たら判断を鈍らせる。でもヘキサの構成員や、上層部はそうじゃない。あんたはロケット団にサルベージされたキクコの断片。敵対組織の情報よ。解体される事も視野に入れないと、もっと惨い仕打ちに遭うわ」

 

 ナツキの言葉は最悪を想定させたが、自分の場合でもあのような処遇だったのだ。キクコが人間ではないと分かっている連中がどのような行動に出るのかは分からない。

 

「分からない」

 

 キクコの言葉は躊躇ったわけでも、返事に窮したわけでもない。ただ純粋に「分からない」という返答だった。

 

「旅していた頃の記憶は?」

 

「ない」

 

「先生だとか、ネメシスの記憶も?」

 

 キクコは首肯する。ナツキは面倒事を引き受けてしまった事に眉をひそめながらも後頭部を掻いて妙案をひねり出そうとする。

 

「……誤魔化しは利かないわよ。もう、相手だってあんたがキクコで、ネメシスの尖兵だって知っているんだから。ジムリーダー殺しの件だって明らかになっている。正直、一番に信じられないのはあんたよ。ユキナリには記憶の継続性があるから辛うじて最低限に人間の扱いが出来たけれど、あんたにはそうじゃない。実験動物と同じ扱いを受けるわ」

 

「それでも」

 

 キクコはユキナリへと視線を落とす。小脇にスケッチブックが抱えられているのをユキナリは目にした。

 

「そのスケッチブック……」

 

「ユキナリ君の。でしょう?」

 

 キクコはスケッチブックをユキナリに手渡す。ユキナリはしかし受け取れなかった。

 

「……まだ、向き合えそうにないんだ」

 

 その言葉にキクコは、「そう」と淡白に返してスケッチブックを抱える。まるで大切なもののように。

 

「航空母艦に引き入れられたら、あんた達は真っ先に拷問を受ける。いえ、拷問とはいかなくっても尋問ね。何が起こったのか。何をしたのか。ユキナリ。あんたは破滅を引き寄せたわけだから封印措置が取られる可能性がある」

 

「封印措置、って……」

 

「生きる事を許さず、かといって死ぬ事も許されない、無間地獄。あたしは、でも、あんたがそこまでの重責に身をやつす必要はないと感じているけれど、一構成員じゃ何とも言えないわ。ヤナギがどう手を打つかによる」

 

「どうして、ヤナギなんだ?」

 

 先ほどからついて回った疑問にナツキは、「そっか」と得心した様子だった。

 

「あんたは知らないんだっけ。ヤナギはヘキサの現在の頭目。キュレムを手に入れてそうなった、と言うべきね。決定権はヤナギにあるけれど、もちろんヤナギの好き勝手にさせないために上層部がいる。これは、以前までのリーダーの思想を引き継いでいるわ。だからヤナギがあんた達に温情を与える措置を取ったとしても、上層部が許さなければ意味がない。ヤナギには考えがあるのかもしれないけれど、あたし達には決して言わないからね」

 

「何で、断言出来るの?」

 

 ナツキはため息をつき、「そういう性格だからよ」と空を振り仰いだ。黎明の空を切り裂いて、巨大な氷の翼を広げ、航空母艦が港に降り立つのが目に入る。

 

「ナタネさんがしばらくすると呼んでくるわ。あたしは行かなきゃならない」

 

「待ってよ、ナツキ」

 

 ユキナリの声にナツキは視線を振り向けた。

 

「特異点とか、その辺の事、まだよく分かっていない部分もあるんだ。僕に何が出来るのかも。ただ、単純な事を一つだけ聞かせて欲しい。ナツキは、変わったの?」

 

 三ヶ月が経ったと言う。自分が破滅を引き寄せ、ナツキはその前後に再起不能に陥った。心情の変化があっても不思議はない。ナツキはしかし、腕を組んで憮然と言い放つ。

 

「変わってないわ。まだ玉座を目指す気はあるもの。ただ、それを純粋に追い求めるにしては、真実って奴を知り過ぎた」

 

 ナツキの声音には憔悴さえも読み取れた。三ヶ月間、ナツキは何を思って戦い続けたのだろう。その空白を埋める手段は自分にあるのだろうか。

 

「勘違いしないで。別にあんたに責任取れって言っているわけじゃないし。それに、あたしだって一端に強くなったつもり。あんたにおんぶに抱っこのつもりはない」

 

 言い放ってポニーテールを払ったナツキにはいささかのてらいも見られない。誇張でも、強がりでもなく本当に強くなったのだろうとユキナリは感じた。

 

「ただ、今まではフジの放つポリゴンシリーズとミュウツーが最大の脅威とされてきた。それが塗り替えられたのは事実。この後、あんたがどのようにヘキサに扱われるのかは予測出来ないし、庇い立てする事も難しい」

 

 畢竟、一人で戦うしかないという事なのか。ナツキがそうであったように。ユキナリはぎゅっと拳を握り締める。

 

「ナツキはさ、何でここまで僕に話してくれるの? 何も知らせずに僕をまた処理する事も出来たはずだよね」

 

 それだけが不明だった。ナツキは既にヘキサの構成員。組織に害悪のあるものを処分する権限くらいは与えられているはずである。その質問には、ナツキも、「どうしてかしらね」と答えを彷徨わせる。

 

「ただ、あんたがこのまま死んじゃったら悲しむ人がいるだろう、って思ったからかもしれないわ」

 

 ナツキは航空母艦を眺めたまま顔を向けようとしない。その表情がどのようなものなのかは推し量る事しか出来ないが、きっと最大限の譲歩なのだと理解した。ナツキが出来る幼馴染としての今の限界。それが今までの会話なのだ。もうこれ以降話す事はないかもしれない。それどころか会う事さえも。ユキナリは、「ありがとう」と声を搾り出す。ナツキは振り向かずに、「どこにでもいるのよ」と答えた。

 

「人は、誰も一人で生きているわけじゃないんだから」

 

 航空母艦から数人の人影が降りてくるのが視界に入る。ユキナリはもう一度、噛み締めるように礼を言った。

 



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第百七十三話「パラドクス」

 

『ヤナギ。レプリカント、キクコの生存を確認。オーキド・ユキナリも生存。この一時間後、上層部との直接対談による二人の処遇を決める議会がある』

 

 マサキの連絡にヤナギは、「ああ」と応じてキュレムを見やる。キュレムは口の端から吐息を棚引かせて静かに航空母艦を制御している。

 

『ヤナギ、聞いとるんか? 一時間後やぞ。全く、お歴々は。現場の苦労ってもんを分かっとらんもんやの。どこの組織に行っても』

 

 数々の組織を渡り歩いてきたマサキの口から出れば性質の悪い冗談に他ならない。ヤナギは、「それだけ連中も必死なのさ」と答える。

 

「オーキド・ユキナリの身柄、及びキクコとなれば一歩間違えれば破滅のトリガーだ。内心は戦々恐々だろうさ」

 

 しかし、ヤナギの胸のうちにはもう一つの感情が宿っていた。

 

 ――生きていてくれた。

 

 キクコとユキナリ、両方に言える感情だった。そのベクトルは違えど、この二人の生存はこれからの自分の身に振り方に影響する。

 

『そんなかわいいもんやろうかな……。すぐに封印措置取られれば、こっちでデータを取る暇も与えられん。全く、難儀な事やで』

 

 マサキはエンジニアとしてユキナリとキクコ生存を観測したいのだろう。だがヤナギは、「これからが大詰めだ」と明かした。

 

「議会で優位を取れなければ俺達の言葉など無視して封印措置を取る事が出来る」

 

『現場で今まで勝手してきたツケみたいなもんやな。連中はそれを盾にして、否が応でもお前にうんと言わせたがってるで』

 

「キクコの封印措置か?」

 

『アホ。オーキド・ユキナリ最優先やろが。ヤナギ、間違うなよ。感情論で動いとったら意外なところで足元すくわれるぞ』

 

 忠告を受け止めてヤナギは、「航空母艦の事はどうなる?」と訊いた。

 

『それも議会で、とちゃうん?』

 

「航空母艦ヘキサが挙げてきた戦歴を無下には出来まい。ポリゴンシリーズの撃破とミュウツーによる破滅の誘発の抑止。この二例だけでも恩を売る事ぐらいは出来るだろう」

 

『相変わらず、せっこい奴やなぁ』

 

 マサキの感嘆したような声音にもヤナギは平静と同じように答える。

 

「せこくても事実は事実だ。航空母艦ヘキサがなければ今頃破滅の後の惨状が広がっていた事だろう」

 

 いや、破滅が起こったのならば誰も観測出来ないか。惨状を目にするまでもなく、全員が破滅の向こう側行きだ。

 

『まぁポリゴンシリーズの破壊と、ロケット団の事実上の解散ぐらいは大目に見てくれるんと違う?』

 

「事実上の解散、か」

 

 本部基地と思しきグレンタウンの研究所は跡形も残さず破壊された。フジも生きてはいまい。この状況で自分達に歯向かう存在などあり得ない。そう思う反面、まだ何も終わっていないのではないかという予感があった。ロケット団は解散どころかより厄介な存在になった、と考えたほうがまだしっくり来る。

 

『何か言いたげやんけ』

 

「……いや、お歴々にはそう報告したほうが都合がいいだろう。無駄に心労をかけさせて死を待とうにもああいう連中ほど長生きする」

 

『ああ、違いない』とマサキは通話越しに笑い声を上げた。

 

「ゲンジはどうしている?」

 

 周囲にゲンジがいないからだろう。マサキはゲンジの張り詰めた空気が苦手である。だからか、彼の周りでは笑わない。

 

『艦長殿は、今艦橋におる』

 

「オーキド・ユキナリの出迎えか」

 

『まぁ、戦った因縁の相手とようやくまともに話し合えるんや。当然と言えば当然やな』

 

 因縁ならば自分にもあるが、ヤナギは持ち出す気はなかった。マサキに愚痴っても仕方がない、というのを理解していたのもある。

 

「ナツキはうまくやったようだ。オーキド・ユキナリの生存は優位に働く」

 

『ミュウツーが脅威となっているあの状況じゃ、呪いを仕込む他なかったもんなぁ。ロケット団こそが明確な敵やったし。ただ今の状況、どこが得をしてもおかしくはない』

 

 マサキの分析を聞きだす事にした。

 

「と、言うと?」

 

『ネメシス側からしてもレプリカント、キクコの生存は寝耳に水やろう。キクコ奪還作戦が取られても不思議はない』

 

「渡す気はないが」

 

『お前が渡す気がなくっても、向こうはいるっちゅうねん』

 

 強情なヤナギの言葉をマサキは軽く突っ込んでいなす。

 

「となるとキクコの守りを固めるべきか」

 

『いや、必ずしもそうなるっていう確信はないで。それどころかユキナリの生存もまずいっちゃまずいんやなー。ネメシスは特異点を殺す気はないから、ワイらから守ろうとユキナリを奪取する可能性もある。だからと言って、ユキナリに守りを固めるとキクコの守りが手薄になる。二人を同時に守ろうとすれば、航空母艦ヘキサへと直接攻撃がくわえられる』

 

「ジレンマだな」

 

『ほんまやで』とマサキはため息をつく。

 

『キュレムの所持かて黙認や。あくまでもな。ネメシスは過ぎた力は毒やと思っとるし、ワイらの戦力増強、一番快く思ってないのはお歴々よりもネメシスやろうなぁ。向こうはワイと姐さんの戦力が減って動かせる駒が限られとるし』

 

「お前を戦力として数えていないのかもしれない」

 

 ヤナギの言葉に、『手厳しいな』とマサキは喉の奥でくっくっと笑う。

 

『でも姐さんは充分に戦力やったはずやで。ドラゴン使いのイブキ。その実力は錆び付いてないやろうし。向こうで動けるんは先生、いや、キクノと言い換えたほうがええか。キクノは出来るだけ歴史への介入は行うべきやないとまだ考えとるか知らんけれど、ネメシスの方針をそうそう曲げるとは思えん』

 

 キクノ。マサキより聞かされたネメシスの頭目。自分が今まで出会ってきた先生と呼ばれる存在。それが遺伝子レベルではキクコと同一であったという事実は衝撃に値した。だが、だからと言って同一人物と言うわけではない。ヤナギはもしもという時には殺害も充分に視野に入れていた。だからこそ、奇妙ではあったのだ。ユキナリと共に消えてしまったキクコを追わず、あまつさえ仲間が二人減るような事態になっても、三ヶ月間沈黙を守り続けたネメシスの意思はどうなのか。

 

「ロケット団を解散に追い込めたからよしとするか。いや、そういえばお前らがネメシスと接触したのはシルフビル壊滅後だったな」

 

『せやけど、何か引っかかるん?』

 

「ロケット団を壊滅したかったのならば、いや、表向きに壊滅したのはあの時だ。それが目的だったのならばお前らの懐柔に意味はない。それどころか泳がせたほうがよりロケット団の情報を仕入れられただろう」

 

『やっぱ、ワイの力が不可欠やと思ったんかな?』

 

 マサキの冗談は無視してヤナギは考察を続ける。顎に手を添え、そもそもネメシスの最終目的とは何か、という原点に立ち帰った。ネメシスは何のためにキクコにジムリーダー殺しをさせようと企んでいた。全ては王の選定のためだ。しかも、自分達に都合のいい王の選定。

 

 つまり、ヘキサツールの歴史を乱さない人間を祀り上げる事だった。そのためには意想外の人間が王になってはならない。だと言うのに、何故純血を乱すような勅命を下したのか。他地方を招き入れたのは何も冷戦状態を回避するだけではあるまい。政府の高官達がいくら渋面をつき合わせても最終決定はネメシスの手で行われる。何のためのポケモンリーグか。ヤナギは基本をなぞるようにその思考に至った。キュレムと壁一枚で隔たっている氷の向こう側を眺め、「何故、ポケモンリーグを行わねばならなかったのか」と自問する。

 

『そりゃ、お前、優秀な人材を集めるためやろ』

 

 割って入ってきたマサキの声に顔をしかめる前に疑問が湧き起こる。

 

「だが、特異点は既に定まっていた。何もしなくとも、特異点は然るべき発見、あるいは行動に移すのではないのか?」

 

 その質問にマサキは、『うーん』と考え込む。

 

『特異点が何もせんでも勝手に事を起こすかどうかっつうのは、結構ギャンブルやと思うで。特異点、っていうのは歴史の分岐においてそう定められている重要人物。歴史を変えるとされている人物や。それが拡大解釈されて、破滅を誘発する恐れのある人物ってヘキサもロケット団も考えとるんやけれど、ネメシスはそこまで深刻には考えてないのかもしれん』

 

「本来のオーキド・ユキナリは破滅と関連付けられる人物ではない?」

 

 ヤナギの推論に、『言ってしまえば』とマサキは肯定した。

 

『ヘキサツールが解読不能な今、本当のところってもんは誰も分からんけれど、ユキナリは破滅を生む、そやな……遠因、と言えばええんかな。つまり間接的に関わっているだけで、直接破滅を生むような人物やなかった』

 

「だが、実際、オーキド・ユキナリをトリガーに破滅が起きた」

 

 この矛盾をどう説明するのか。マサキは、『それなんやなー』と悩む声を上げる。

 

『結果として、ユキナリは破滅のトリガーやったし、オノノクスとレプリカント、キクコ、メガシンカエネルギーと条件が重なってしもうた。でも、キクノは、それは全くの想定外であったかのように言っとったな』

 

「想定外……。破滅は、起こるべくして起こる。だが今はその時ではない」

 

『せや』とマサキはヤナギの意見を補強する。

 

『本来は四十年後らしい。でも、この次元のおかしいのはそれだけやないんやと』

 

「……何だと?」

 

 それは初耳だった。ヤナギはポケギアに声を吹き込む。

 

「この次元の、何がおかしい?」

 

 マサキは、『笑うなよ』と前置きする。

 

「この真剣な局面で誰が笑う」

 

 咳払いをし、マサキは言葉を継いだ。

 

『まずワイという存在や』

 

 ポケギアの通話を切ろうとするとマサキは、『待て! 待てや!』とその行動を見ているかのように制止する。

 

『何も冗談や酔狂やあらへん』

 

「何がだ。自分の存在が次元の異常だなんて言う人間のたわ言を信じろと?」

 

『たわ言かどうかは、ワイの説明を聞けば分かる。ええか? まずワイらが当たり前に喋っているこのポケギア。これは三十年後の発明のはずやった』

 

 その言葉にはヤナギも声を詰まらせた。当たり前のように使っているものがまさか三十年後の技術だと言うのか。

 

「あり得ない」

 

『それがあり得るからこの次元は変なんやって。パソコンと転送の技術も、実はもうちょっと時代が下ってから。それを発明するのは何でもない日常から始まるものやった。発見が、発明を誘発し、それに触発された技術者がこぞってポケモン関連の技術を提供した。それが三十年後。最も法整備が成され、最も技術に恵まれた子供達が旅立つ頃や。その時代に皮肉にも破滅は起こってしまうわけやが』

 

 マサキの話を妄言と切り捨ててもいい。だが、この状況で冗談を言ったところで誰も得をしない。マサキは真実を話している。その前提で話を進めるべきだろう。

 

「ではどうしてこの次元にはポケギアがあり、パソコン通信がある? まさか何者かにもたらされたとでも言うのか」

 

『そこなんや、ワイが言いたいのは』

 

 マサキの声に混じってキーを叩く音が聞こえてくる。マサキは必死にデータを収集し、この次元の異常について説明しようとしていた。

 

『実はな、ポケモン関連の技術は全て、いや、全ては言い過ぎでも九割はシルフカンパニーのものになるはずやった。ほぼ独占状態。それが別の次元での当たり前の現実やったんや』

 

「だが、この次元のシルフカンパニーは」

 

 その言葉の先をマサキが引き継いだ。

 

『壊滅した。もう再建の余地はないやろ。この時点で歴史が分岐したと考える』

 

「待て。それこそ、ネメシスの嫌う歴史の強制力に従わない結果だろう?」

 

 ネメシスはシルフカンパニーを擁立すべきだった。その考えに至った瞬間、ヤナギの脳裏に閃いた。

 

「そうか……! ロケット団が先回りした」

 

『正解。ロケット団もヘキサも、同じようにヘキサツールがあり、ネメシスと大して情報量に差がなかったのが運のツキ。早いもん勝ちやったわけ。ネメシスはその時点でタッチの差で負けてたんやろうなぁ。だからこそ、ネメシスはワイらを引き連れて真実を話した。その事に意味を見出そうとした』

 

「だが実際には、都合の悪い事実を知ってしまった人間が増えてより厄介になった、というわけだ」

 

 嘆息を漏らすとマサキは、『ワイらが新しく組織を作らんかっただけでも御の字やと思うで?』と返す。

 

『新しい脅威があったら、真っ先に狙おうとしてくるやろうしなぁ』

 

「ヘキサがそれに値するとも思えるが」

 

『ヘキサの頭目がお前に変わったとはいっても、まだハンサムの残した偉業は数知れず。その代表格が評議会やな』

 

 評議会。これからヤナギが対面し、ユキナリとキクコの処遇を取引せねばならない相手である。ハンサムは自らの死を勘定に入れるほど賢しかったとは思えないが、組織としてのヘキサの存続には力を入れていたらしい。いくらヤナギが事実上の盟主になったとはいえ、上層部である評議会の決定は覆せない。

 

「航空母艦ヘキサも、キュレムの所持も全て評議会のお達しの通りだからな。特にキュレムの輸送に関しては、評議会の力がなければ不可能であった部分が大きい」

 

『カントーの高官からしてみれば皮肉やて。カントーを守る術を持つ組織の上層部が、ほとんど他地方の人間達なんやから』

 

 評議会のメンバーはイッシュ地方の人々で占められている。これはヘキサが元々地方行政を超えた超法規的機関として成り立った経緯があるからだが、カントーからしてみれば行政に口を出されるのは気分のいい話ではないだろう。

 

「別名、七賢人。賢人の名が相応しいかどうかは疑問だがな」

 

 ヤナギの言葉にマサキは、『ほんま、それ』と同調する。

 

『実際、七賢人のやった事ってヘキサ立ち上げと諸々の行政に口出す権限をカントーから引き出したくらいやさかい、あんまり政治家とやっとる事は変わらんな』

 

 だが七賢人は政治家よりもよっぽど力を持っている。その内情にはヘキサツールの知識という大きなアドバンテージがあるからだ。ヘキサツールの存在を知っているだけで、無知蒙昧なカントーの政治家よりかは地位が高いと考えたほうがいい。

 

「ポケモンリーグも大詰めだ。そろそろリーグ戦が開始されるか」

 

 ヤナギは話題を変えた。このまま七賢人の陰口を続けたところで仕方がない。

 

『せやな。ポイント数とリーグ戦で王が選定され、この地方の行政は磐石となる』

 

「なると思うか?」

 

 疑問を含んだ声に、『信じとらん、って感じやな』と返す。

 

「父上の名前が依然として出ない。何かあったのではないか」

 

 マサキは、『さぁなぁ』とその話題に触れようとしない。ヤナギは直感していた。マサキは自分の父親に関する何らかの情報を持っている。持っていながら隠しているのだと。だが、飄々としているようで口の堅いマサキから聞き出すのは至難の業だろう。ヤナギは今だけは考えない事だと思考に蓋をする。父親は生きている。その確信があればいい。

 

『ヤナギ、お前は王になる気はないんか?』

 

 その問いかけにヤナギはずっと持ち続けてきた言葉を返した。

 

「あるに決まっている。俺はポイント上でも上位に食い込む可能性のある人間だ。諦めちゃいない」

 

『だがヘキサの頭目となれば身動き取れんやろ。七賢人もそれが分かっていてお前みたいなのを野放しにしているんかもしれんし』

 

 力がある事を逆利用されているのかもしれない。その予感はヤナギにもあったが、「だとすれば、俺も利用するまで」と強気に出る。

 

『七賢人をか?』

 

「俺の手にある全ての事象を、だ。オーキド・ユキナリ、キクコ、ネメシス、ヘキサ、全てを利用して俺は王になる。それが胸に誓ったものだ」

 

 ヤナギは拳を握り締める。マサキは、『相変わらず強欲なこって』と口にした。

 

「望むのならば強欲でも、傲慢でもいいさ。どのような冠がつけられても俺は俺だ。やるべき事は最初から決まっている」

 

『七賢人の前でも揺るがん決意か』

 

「誰の前であっても、だ」

 

 たとえ神が敵となっても、ヤナギの決心を揺るがす事など出来ないだろう。時は熟した。あとは自分次第だ。

 

『そろそろ切るで。お前がどこまでやるんか、ワイも見せてもらうわ』

 

「せいぜい、見ておく事だな。王の戦いというものを」

 

 その言葉を潮にしてヤナギは通話を切った。

 



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第百七十四話「七賢人」

 

 航空母艦ヘキサに連れ込まれる際、ユキナリは久しい人物と顔を合わせた。キャプテン帽を目深に被り、上着をはためかせた男の威容に首を引っ込める。ゲンジは鋭い視線のまま、「生きていたか」と告げた。

 

「……ええ」

 

 答えたのはナツキだ。ゲンジは構成員達に一瞥を向け、「後は俺とこいつが引き継ぐ」と顎をしゃくった。その先には赤い鬣の人影が佇んでいた。

 

「アデクさん……」

 

「久しぶりじゃな。ユキナリ」

 

 最後に会ったのはナツキの事で対立して以来だ。ユキナリはばつが悪そうに顔を伏せたが、アデクは、「生きとったか」と感無量の声を出す。

 

「オレはな、生きていてくれて嬉しい」

 

 その言葉を聞き返そうとする前にアデクは身を翻した。ゲンジが構成員達を散らせ、自分とアデクだけでいい事を示す。

 

「あたしは」とナツキが声を出すと、「お前は別件だ」とゲンジは突き放した。

 

「航空母艦ヘキサがこの期を狙われれば面倒な事になる。評議会との連絡もある事だし、周囲の警戒に務めて欲しい」

 

「……いいけれど、この期に及んでまだユキナリの身を狙おうとしてくる連中がいるっての?」

 

 ナツキの疑問にゲンジは、「分からない」と答えた。

 

「だからこそ、見極めのためにもお前達のような人間に詰めていて欲しい。既にチアキとカミツレは配置した。俺とアデクでオーキド・ユキナリに関しては充分だ。航空母艦に奇襲をかけられるのは面白い話ではない」

 

 ナツキは得心したのか、あるいは納得がいっていないのか鼻を鳴らす。

 

「要するに、これ以上踏み込む権限はあたしにはないわけ」

 

「無碍にしているわけではない。分かるな?」

 

「重々承知よ。ゲンジ艦長」

 

 皮肉たっぷりに言い放ってナツキは手を振った。離れていくナツキの背中にユキナリは呼びかける。ナツキは立ち止まって、「何よ?」と肩越しに視線を振り向ける。

 

「その……、僕は僕でナツキ達の役に立ちたい。だから、どうすればいい?」

 

「それは艦長とアデクさんに聞きなさい。あたしは戦うだけだし」

 

 取り付く島のない返答だったが、何も分からなかった時よりかは感情のようなものが窺えた。

 

「オーキド・ユキナリ。こちらへ」

 

 ゲンジが先を促す。ユキナリとキクコはそれぞれ続いた。ふとした事をゲンジに尋ねる。

 

「あの、ゲンジさんは、何でヘキサに?」

 

 聞きそびれていた事だった。ゲンジは無言を返事とするかに思われたが、「任務上な」と答えた。

 

「それはロケット団の任務ですか?」

 

「最初はそうだった。だが、ロケット団は壊滅。最早戻る場所もない。艦長職が性に合っていたらしい。今は航空母艦の責任者だ」

 

 ゲンジは肩を竦める。数奇な運命にユキナリは閉口した。

 

「玉座は……」

 

「俺の目的は元々、玉座ではなく故郷であるホウエンの自治権、そして守れる立場につく事だ。だから王である必要性はない。このポケモンリーグである程度の結果が残せればそれでいいんだ。ヘキサはポイントに関しては俺の交渉に叶ったものを与えてくれる。俺はそれでベスト16程度に残れればいい」

 

 随分と消極的な考えだったが、最初からその目的だとすればゲンジはうまく立ち回ったのだろう。ユキナリは続いて疑問を口にする。

 

「あの、僕ら、拘束しないでいいんですか?」

 

「拘束したところで奇襲をまたかけられれば同じだ。それならば実力者で周囲を固めたほうが得策である事は分かったからな」

 

 実力者。それはナツキやナタネ、それにチアキ、カミツレと呼ばれた人々なのだろう。アデクもその人数に入っているのかもしれない。どちらにせよ、ポケモンも持たずに抗う事は不可能だった。

 

「そっちのレプリカント、キクコももう手持ちはないとの情報だ。あったとしてもアデクと俺ならば止められる」

 

 キクコはスケッチブックを抱えたまま無言でついてきている。何の抵抗も示さないのは命令がないからか。それとも、最早戦う事はないのだと感じているからか。

 

「アデクさん。あの、僕は……」

 

 言葉を濁す。どのように切り出せばいいのか分からなかったせいだが、アデクは、「ナツキの事ならば気にするな」と思いのほか簡素に告げた。

 

「あいつは強くなった。オレやお前さんが守るとか言う必要のないほどにな」

 

 誇張の響きはない。実際、ナツキの強さは目にしている。ユキナリはナツキが得た力について問おうと考えたが、それも無駄だろうと諦めた。ナツキは自分では及びもつかない努力をしたに違いないからだ。

 

「アデクさんは、僕に何か思うところはないんですか」

 

 ヘキサの面々は当初、自分を恨んでいるような節があった。それは無自覚のうちに破滅を誘発したせいだろう。今だってミュウツーを使って破滅が起こりかけた。糾弾されても文句は言えない。だが、アデクは静かな心持ちだった。

 

「もうお前さんに恨み節をぶつけても、仕方がないってのはヘキサ全員が分かった事。呪いをつけたとしても、誰一人としてその呪いを発動させようとは思わんかった。艦長やヤナギの考えまでは分からんがな」

 

 アデクがゲンジに視線を振り向けると、「俺は場合によっては仕方がないと考えていた」と吐露する。

 

「ヘキサのため、ひいては世界のための犠牲だと。だが管理や、それに伴う維持を合理的に考えた結果、お前の自由を縛ったところで感知しないところで陰謀は動く。我々が努力すべきなのは、特異点を殺す術ではなく、活かす術だった、と一連の事件で教えられたな」

 

 どうやら二人とも最早ユキナリを殺そうとは思っていないようである。だが、ユキナリの胸には殺されても仕方がないという諦観も存在した。

 

「ロケット団がどう動くか分からない以上、僕にまた呪いをつけるのも一つの手なんじゃないですか」

 

「そうだな。壊滅したと、楽観的に考える事は出来ない。現にキシベの動きが全く読めない」

 

 その名前はフジが最期の瞬間にも言っていた名前だった。キシベ。ユキナリは聞いた事があるという印象だけは抱いていたが、それがどのような意味を持つのか、全く分からなかった。

 

「あの、キシベ、って……」

 

「ロケット団を動かし、この時代にロケット団を作り上げた人間だ。本名、キシベ・サトシ。だが部下であった俺でも全く奴の考えている事は分からない」

 

 その言葉にユキナリは立ち止まる。二人が怪訝そうに振り返り、「どうした?」と声を投げた。

 

「キシベ・サトシ……」

 

 何故忘れていたのだろう。その名前を。その意味を。ユキナリが目を戦慄かせる。ゲンジが歩み寄り、「聞き覚えが?」と訊いた。

 

「……ええ。だってその人は、僕をこの旅に導いた、張本人です」

 

 その言葉にアデクとゲンジは顔を見合わせる。ユキナリは額に手をやり呻いた。

 

「張本人とは?」

 

 アデクがようやく尋ねる。ユキナリは熱くなった目頭を押さえ、「僕は……」と声に出す。

 

「最初、この旅に出るつもりはなかった。そのきっかけを作ってくれたのが、キシベさんです」

 

 今にして思えば符合する点がいくつかある。見せられた名刺の「R」の文字。あれはロケット団のシンボルマークだった。キシベの名前に、どうして真っ先に思い浮かばなかったのかと自身の迂闊さを呪う。

 

「……なるほどな。キシベがどうしてお前の存在にあれほどの自信を持っていたのか、これではっきりした。あいつは自ら駒を揃えたわけだ。ユキナリ、お前ともう一人、サカキを」

 

 特異点を自らコントロールしていた。その用意周到さに怖気が走る。だが、とユキナリは思い至る。

 

「でも、だったらどうして、サカキをあの時、僕らを阻む形で配置した……?」

 

 ユキナリが呟いた声にゲンジは眉根を寄せる。

 

「サカキが、出たと言うのか?」

 

 どうやらヘキサでも感知していないらしい。ユキナリは顔を上げて頷いた。

 

「僕と、フジ君がミュウツーで突破しようとした時、サカキが邪魔に入ったんです。でも、今にして思えば変だ。サカキは次元の扉の向こう側に吸い込まれていった」

 

「何だと?」

 

 ゲンジが問い質す。ユキナリは最後に見た景色の中にサカキが向こう側へと消えていくのが感知されたのを思い出した。

 

「確かなはず。サカキは、もうこの次元にはいない」

 

「サカキが、死んだのか?」

 

 ゲンジは疑念を払拭出来ていない様子だったが、「だとすれば」とアデクが考えを寄越す。

 

「もう特異点サカキとしての機能はない、という事になるんじゃ?」

 

「いや、そもそも何故、キシベは次元の扉が開くと分かっていて、フジとミュウツーの横暴を許していたのか。サカキをそのような危険地帯に何故置いたのか。疑問が残る」

 

 ゲンジの言葉にアデクは、「確かに不気味じゃ」と首肯する。

 

「キシベの考え通りに事が進んでいないのを祈るばかりじゃが……。こればっかりは考えても仕方がないのう」

 

 ゲンジは、「時間もない」と歩き出した。ユキナリもそれに続く。

 

「これからお前達の処遇をどうするかの議会が開かれる。七賢人と呼ばれるヘキサ上層部と俺とヤナギが出席する。アデクはもしもの時の備えだ」

 

「議会、ですか」

 

 そのような大仰な場で決議すべき事態に陥ったのだろう。破滅をもたらしたのだから当然と言えた。

 

「ミュウツーの破壊、フジの死亡、サカキは行方不明。これではキシベの側の戦力も随分と減ったと思うが、果たしてあの男が俺達凡人の考えの及ぶところで動いているかどうか」

 

 ゲンジの懸念を払拭する事は出来ずに、ユキナリはある部屋に入った。部屋の奥へと机が伸びている。だが着席している者はおらず、代わりのようにそれぞれの椅子の前にパソコンの筐体があった。ディスプレイには「音声のみ」と表示されている。

 

「アデク、後は」

 

「ああ、分かっとる」

 

 アデクは扉の前で歩みを止めた。部屋に入ったのはユキナリとキクコ、それにゲンジだけだった。

 

「ヤナギの姿が見えないな」

 

 ゲンジが首を巡らせていると、「ここだ」と上から声がかかった。張り出した二階層の部分でヤナギが顔を見せた。前回、声だけを聞いていた因縁の相手は鋭い視線は相変わらず敵意を含んでいる。その目がキクコを見据え、僅かに細められた。

 

「では始めるとしよう」

 

 ゲンジの号令に、『生憎だが、選択権は我々にある」とパソコンから電子音声が発せられた。ユキナリが戸惑っているとゲンジが耳打ちする。

 

「あれが七賢人だ」

 

 

 



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第百七十五話「交渉手段」

 

 ユキナリは机に集まったディスプレイを眺める。どうやら対面と言っても向こうは直接顔合わせする気はないらしい。

 

『オーキド・ユキナリとレプリカント、キクコの捕獲。大義であった』

 

 その言葉に眉をひそめる前にゲンジは頭を垂れた。

 

「勿体無きお言葉」

 

 ゲンジらしからぬ行動だったが七賢人とやらがヘキサの動向に対して発言力を持っている証明とも言えた。ヤナギは無言のまま、机を見下ろしている。

 

『オーキド・ユキナリ。いや、三体のポケモンから情報だけをサルベージされた再現体、と呼ぶべきか』

 

「我々ではRC1と呼称しています」

 

 ゲンジの言葉に七賢人達は、『だが、その力はまだ健在、である事がはっきりと窺えた』と告げる。

 

『ミュウツーとの同調、それによる破滅の誘発。最早、猶予を与えるまでもない。オーキド・ユキナリの抹殺を提言する』

 

 その言葉に肌が粟立つ。目の前で突きつけられた死刑宣告に、「お待ちください」とゲンジが声を差し挟む。

 

「急いては事を仕損じます。もっと慎重を期すべきなのでは?」

 

『慎重を期した結果がこの三ヶ月だよ』

 

『我々はフジに時間を与え過ぎた。航空母艦ヘキサとキュレムの所有権はただ預けているわけではない。ポリゴンシリーズの殲滅にこそ、意味があった』

 

「ですから、それは達成したわけです」

 

『それが無為であったとは言わない。だが、本来の脅威であるミュウツーとレプリカント、キクコの発見の遅延。及び、破滅を誘発させた事は罪深い』

 

『本来ならば君達の即時解体を打診しても何ら不思議ではない状況。その責任が問い詰められないだけありがたいと思いたまえ』

 

 七賢人の言葉にゲンジは言い返す様子もない。この場において発言力が低いのだろう。元ロケット団というのも影響しているのかもしれない。

 

「ですが、我々の働きがなければ、オーキド・ユキナリのサルベージですら実行されませんでした。その事に関してどうお考えで?」

 

『サルベージはいずれしていたよ』

 

『それが君達ではないだけの話だ。我らにも技術者がついているのでね。ご自慢のソネザキ・マサキだったか? 彼に勝るとも劣らない』

 

 七賢人の言葉は真実だろうか。それを探る術を持たないのはゲンジも同じようだった。

 

「マサキはよくやってくれています。我々に協力を惜しまないと言ってくれている」

 

『だが今まで都合よく組織を鞍替えしてきた人物だよ』

 

『今回もそうではないという保障はない。そもそも、ヘキサを離反し、ロケット団に所属、ネメシスで真実を知った過程も評価されるべきではないね。これは裏切り者の烙印が押されても不思議ではない』

 

 暗に自分達だから生かしているのだ、という傲慢さが見て取れた。七賢人達はそれを隠そうともしない。

 

『忠誠を誓え、とまでは言わないが、これまでの経歴から鑑みてマサキを重要ポジションに置く事に異議を唱えざるを得ない』

 

「それは、ヘキサからマサキを外す、という事でしょうか?」

 

『飼い殺しにしておいても、奴は反旗の芽を着々と育む事だろう』

 

『我らが真に危惧しているのはマサキがヘキサを離反する事ではない。ヘキサに匹敵する組織を作り上げる事だ。奴にはそれほどの力と権限がある』

 

『だが力と権限を奪ったところで同じ事。我らはマサキという人材を高く買い過ぎた気がある』

 

『左様。マサキの言う通りに進めてきた計画の変更もやむなし、とせねば』

 

 七賢人の言い分は身勝手だ。ユキナリでもそれは分かる。今までマサキやゲンジ達を体よく利用して生き延びたものの、いざとなれば切り捨てる。叫び出したかったが、自分はこの場において裁かれる罪人。当然の事ながら、裁量の余地は向こう側の感情次第。自分に差し挟む口などない。

 

『ヘキサは未来に滅亡が起こる事をよしとしていない。その要因は取り除くべきだと考えている』

 

「では、お考えは変わらないのですか」

 

 ゲンジの声に、『無論だ』と七賢人は返す。

 

『特異点の封印、あるいは抹殺。これは譲れんよ』

 

『だがレプリカント、キクコ。こちらは駒としては優秀そのもの。遺伝子レベルでは九割がポケモンなのだろう? だとすれば、ポケモンと同列の扱いで構わないだろう』

 

 その言葉にユキナリは思わず口を開いていた。

 

「キクコを、実験動物扱いする気ですか……」

 

 ユキナリの声に七賢人が、『黙っている、という事すら出来んのかね? 彼は』と侮蔑の声を投げる。

 

『我々が決定する事はヘキサの意思。それは即ち、世界の声だ。世界が滅びる事を君はよしとするかね』

 

『さすがは特異点、と言いたいところだが、君に差し挟む口などないのだよ』

 

『歴史は我らが回す。一部の特権層が勝手に創造し、破壊していい代物ではないのだ』

 

 それは七賢人のやり口そのものに言える話ではないのか。だが彼らは自分達を度外視して話を進めている。その光景に奇妙ささえ浮かんでいた。

 

「レプリカントの処遇に関しては反対です。俺も、そのような扱いは人道的とは思えない」

 

 ゲンジの助け舟が入ったが七賢人達は、『何を言う』と嘲る。

 

『航空母艦に風穴を開けられておいていざ姿が見えれば容認かね? 姿形に惑わされてはいけない。指導者たるもの、常に冷静な判断を、だよ』

 

『特異点に関しては封印措置、あるいは抹殺。これでも譲歩しているのが分からないのか。レプリカントを生かしておく、という温情だよ』

 

 温情であるものか、とユキナリは反発しようとするが当然、七賢人は聞く耳を持たないだろう。自分達以外はどうなってもいいと考えている連中だった。

 

『オーキド・ユキナリを封印し、レプリカントは経過観察。これが現時点での決定だよ』

 

『人類が常に規範の道を選ぶための、必要な犠牲なのだ』

 

 ユキナリは歯噛みした。この連中の言い分はある意味では正しい。大勢を生かすために少数を見殺す。どの時代でも当たり前に行われてきた事だ。今回の場合、自分一人の命とキクコの自由。それが消滅すればこの世は安泰なのだからそれを選択するのは当然だろう。拳を握り締め、無力感に苛まれていると不意によく通る声が響いた。

 

「それは違う」

 

 全員が声の主を確かめる。二階層で今まで無言を貫いてきたヤナギが静かに口を開いた。

 

「七賢人、あんたらはただ自分達の生き死にが恐ろしいだけで、早計な判断を下そうとしている。後悔の道を選びたくなければ、もう少し熟考する事だな」

 

 ヤナギのへりくだった様子もまるでない声音に七賢人が反発する。

 

『貴様! 何だ、その言い草は!』

 

『キュレムを与えてやっている恩、忘れたとは言わせんぞ!』

 

 投げかけられる罵声にヤナギは静かに応ずる。

 

「ただ当たり前の感想を述べているだけだ。それとも、議論とは片一方の感情論だけで語られるものだったか? 俺にはそのように教育させられた覚えはないし、あんた達は言わずもがなだと思うが」

 

『侮辱だ!』と七賢人が今にも飛びかかってきそうな勢いで声にする。ヤナギは風と受け流し、「侮辱でも何でも」と口にする。

 

「俺に対して抗弁を開くという事は王に対して、と心得ろ。それが王への言葉か?」

 

『カンザキ・ヤナギ。キュレムの力を持って傲慢に成り果てたか?』

 

 怒りを押し殺した声に、「傲慢?」とヤナギは笑った。

 

「元々の性根だ。それに、キュレムをあんた達に与えられた覚えはない。俺は勝ち取っただけだ。キュレムが俺を選んだ。だからこうして立っている」

 

 ヤナギの言葉には迷いがない。七賢人の権力などどこ吹く風だ。自分達を侮辱されたと感じた七賢人はこぞってヤナギへと攻撃の口を開く。

 

『王だと? 貴様如きが王を名乗るなど片腹痛いわ!』

 

『まだ一トレーナーに過ぎない人間が何を。特異点でもない、何者でもない俗物が』

 

「ではどうしてあんたらはその言うところの特別である特異点を排斥しようとする。自らの身が可愛さに大多数で少数を黙殺しようと言う魂胆が丸見えだが」

 

 ヤナギの売り言葉に買い言葉の体にゲンジが、「ヤナギ!」と声を張り上げた。

 

「ここで事を大きくすれば!」

 

 何が待っているのか、ゲンジには分かっているのだろう。だがヤナギは論調を緩める事はない。

 

「俺を糾弾するか? それとも裁判にかけるか? 好きにするといい。だがその場合、あんたらの重要な拠点である航空母艦一つが犠牲になるし、俺を信奉している何人かの実力者は散り散りになる。そのリスクを背負ってまで、俺を追放したいのならばやってみろ。俺は逃げも隠れもしない」

 

 これが、とユキナリは感じ取る。ナツキが語っていた、ヤナギについて行こうと決めた光。ヤナギの言葉は横暴だが、希望もある。それは絶望の淵に立っていた人間からしてみればまさしく先導する人間の言葉だろう。

 

『この議会そのものを侮辱する気か!』

 

『貴様について来る実力者だと? 驕るのも大概にしろ!』

 

『待て』

 

 一人の七賢人が制止の声を出す。他の人々は、『しかし……』と言葉を彷徨わせた。

 

『カンザキ・ヤナギ。確かに我らヘキサからしてみれば実力者の離反は惜しい。その中には先の議論に上がったソネザキ・マサキもあろう。技術者の替えは利かない。それはこの場にいる誰もが理解しているところだ』

 

 技術者のみならずトレーナーの能力も替えが利かない。それをヤナギは理解させようとでも言うのか、「技術者と限定するのはどうかと考える」と続けた。

 

「ジムリーダーであったカミツレ、それにチアキ、この二人がヘキサ側についている事による信頼は大きいだろう。もし、彼女らがあんた達に敵意を持った場合、多くの構成員が失われる。そうでなくとも士気の低下は否めない。それらを総括して考えていただきたいな」

 

 今まで完全に上手に出ていた相手に対して牽制を浴びせかける。ヤナギの手法は容赦がない。七賢人達はすぐさま熟考の波に呑まれる事となった。

 

『確かに、ジムリーダーである二人による構成員の士気が上がったのは事実』

 

『ジムリーダー勢がついた事によってヘキサを正義の組織だと考えている構成員も多かろう』

 

 言葉だけでヤナギはこの場を一転させてしまった。それはカリスマと呼ばれるものだろう。ヤナギには天性の指導者としての才覚がある事は認めざるを得なかった。

 

『だが、それだけでは特異点の封印とレプリカントの管理の議決を変更する条件ではない』

 

 重々しく放たれた声が散らばろうとしていた意見を一括する。どうやらこの声の主が七賢人の中で最も権力を持っているらしい。

 

『レプリカント、キクコは管理せねばネメシスに奪われかねない。そうでなくとも奪還作戦が立ち上がっている可能性はあり得るのだ。この場合、ネメシスを敵に回す事の失策がどれほどのものなのか、傲慢に成り果てたとはいえ君にならば分かるだろう』

 

 ヤナギは特に気に留めた様子もなく、「そうだな」と応ずる。

 

「ネメシスの戦力はほぼないと考えてもいいが、それは希望的観測だ。どちらにせよ、オーキド・ユキナリとキクコに関しては何かしらの策を講じなければならない。封印措置、抹殺、大いに結構だ」

 

 先ほどまでとは正反対の言葉を発するヤナギにゲンジが戸惑いの声を出す。

 

「ヤナギ。何のつもりで――」

 

「ただし、封印措置、抹殺をするのならば俺からも条件を出させてもらう」

 

 提示した声に七賢人からも戸惑いが漏れる。

 

『どういうつもりか』

 

『封印措置、抹殺を肯定するのか否定するのかはっきりしろ』

 

「オーキド・ユキナリを封印措置、または抹殺するのは肯定だ。だが、その全権を俺に委譲してもらいたい」

 

 驚くべき言葉にゲンジが目を見開いた。七賢人も狼狽している。

 

『何を……』

 

「何を言っているんだ! ヤナギ!」

 

 ゲンジの張り上げた声に、「言葉通りの意味だ」とヤナギは事もなさげに返す。

 

「封印措置や抹殺を施すのならば、俺がやる。七賢人、あんた達は俺のやる事に文句を挟まないでもらいたい。それだけの話」

 

『貴様に全権を委譲すれば、破滅を誘発する可能性もある』

 

 反論に、「それはない」とヤナギは口元に笑みを浮かべる。

 

「破滅は俺も望むところではない。それは俺を頭目に祀り上げたあんた達が一番分かっていると思ったが」

 

 ヤナギの言葉に七賢人達が返事に窮する。ヤナギの真意が何なのか、ユキナリも分かりかねた。

 

『……だが、貴様が封印措置を行うとは限らない。オーキド・ユキナリを利用して何を企んでいる?』

 

「企んでいるとは人聞きの悪いな。まぁ、このようなリスクを抱え込もうとしているんだ。伊達や酔狂ではない事ぐらいは察しがつくか」

 

 ヤナギの言葉の節々には七賢人を馬鹿にする声音があった。

 

『仮に君が封印措置を行うとして、ではどうすると言うのだ。我らの助力なしに、どうやって特異点を抹殺する?』

 

「何のための力だと思っている?」

 

 ヤナギは試すような物言いを用いた。

 

「キュレムを使う」

 

 その言葉に七賢人がざわめく。だが、一人だけ冷静な声音を保ったままの賢人は、『なるほどな』と納得した様子だ。

 

『キュレムほどのポケモンならば封印措置、あるいは抹殺は可能だろう。現にトリガーの一つであるオノノクスを三ヶ月もの間、永久氷壁の中に封じ込めている』

 

 オノノクスがキュレムに封じられている、という話は耳にした。自分の事をおやと認識しないとも。

 

「キュレムの封印を一時的に解除。オノノクスをオーキド・ユキナリに使わせる」

 

 意想外の言葉に七賢人も、ユキナリでさえ驚愕する。自分にオノノクスを使わせれば破滅を誘発する事くらいヤナギには分かっているだろうに。

 

『馬鹿な! わざと破滅しろと言うのか!』

 

『カンザキ・ヤナギ。貴様にキュレムの管理を任せたのはどうやら失敗だったようだな』

 

「俺を更迭したければするといい」

 

 ヤナギは意に介さず鼻を鳴らす。

 

「ただ、キュレムは俺を選んでいる。他の人間に今のような働きが期待出来るとは思えないな」

 

『それが傲慢に成り果てたのだと言っているのだ!』

 

『キュレムのトレーナーのバックアップくらい、ないと思っているのかね?』

 

「そいつは何の意見も言わない従順なしもべか? だが、そいつの力量ではキュレムの意志の力を止められない。キュレムは、ただの伝説クラスではないのだからな」

 

『既にカンザキ・ヤナギという一個人を取り込み、その意志は君と同一、か』

 

 達観したような声に、「分かっているじゃないか」とヤナギが返す。

 

「ならばこの状況、俺にしか動かせない事も分かっているな?」

 

『悔しいが致し方ない』

 

 その言葉に、『だが、我らの総意ではない』と声が飛ぶ。ヤナギは、「あんた達の勝手だ」と告げた。

 

『ヘキサの総意としては、オーキド・ユキナリ抹殺のために、オノノクスと接触させるべきではないと感じる。破滅を導く気なのか?』

 

「だが今のままでは膠着状態が続く。オノノクスを封印している限り、キュレムは自由に動く事も出来ない。オノノクスとオーキド・ユキナリ、両方を抹殺すればいいだけの話だ」

 

『簡単に言うが、それが難しいからこそ、今までの手段を貫いてきたのだ』

 

『キュレムならばそれが出来ると言うが、キュレムは実戦経験の浅いポケモン。使えるかの判断材料に上るには疑問が残る』

 

「その点に関してはキュレムではなく、俺の実力を加味してもらえると助かるな。氷結のヤナギ、そのトレーナーとしての実力を」

 

 ヤナギの声音は横柄だが、この場で最も説得力のある言葉ではあった。ユキナリが呆然としていると、『よかろう』と七賢人の声が響く。

 

『どちらにせよ、封印措置と抹殺のためには大仰な力が動く。伝説級を動かさざるを得ないだろう。その手間が一つでも省けるのならばそれに越した事はない』

 

『しかし、最悪の想定だが、キュレムが敗れたらどうする?』

 

 その言葉に、「それはあり得ない」とヤナギはすかさず返した。

 

「負けるはずがない」

 

『万に一つの可能性だよ』

 

 七賢人は慎重を期している。ヤナギの慢心だけを信じ込んで実行するわけにはいかないのだろう。

 

『その場合、カンザキ・ヤナギ。君の、今回のポケモンリーグ参加権の破棄と、ヘキサ首領としての権限の全面撤回を求める』

 

 つまり、ヤナギにこのポケモンリーグを諦めろ、という要求だった。そのようなものを呑むはずがない、とユキナリは感じていたがヤナギは、「いいだろう」と首肯する。

 

「俺が負ければ、王になろうという野心は捨て、ただのトレーナーとして人生を終える」

 

 分の悪い賭けにヤナギが乗った。その事実にユキナリはヤナギへと視線を振り向ける。ヤナギは、「勘違いをするな」と口にした。

 

「お前のためではない」

 

 ユキナリはヤナギと視線を交わす。鋭い双眸が突き刺すようだった。七賢人が、『では議会を終える』と言葉を発した。

 

『オノノクスとオーキド・ユキナリの接触。それによる破滅が起こる前に、君達は戦い雌雄を決しろ。オーキド・ユキナリが勝利した場合、カンザキ・ヤナギの参加権を剥奪。カンザキ・ヤナギは勝利と同時に特異点の封印、あるいは抹殺を行うべし。カンザキ・ヤナギ。最終確認だが、この条件に異論はないな?』

 

「無論だ」

 

 七賢人は何も言わない。ヤナギの自信に感服したのか、それとも返す言葉もないのか。

 

『では議会を閉廷。ただし期限は設けさせてもらう。明日だ』

 

 急な話に、「待ってください!」とゲンジが声を張り上げる。

 

「そのような急に――」

 

「オーキド・ユキナリが力の使い方に慣れてからでは遅い。賢明な判断だ」

 

 遮って否定したのはヤナギ本人だった。七賢人は、『ならば航空母艦ヘキサの権利も我らに委譲してもらわねば』と口にする。

 

『そうでなければ不公平だろう』

 

「構わない。俺が負ければあんたらの勝手だ。好きにしろ」

 

『ではカンザキ・ヤナギに最大限の健闘を祈ろう』

 

 上っ面だけの言葉で議会は締めくくられた。パソコンのディスプレイから表示が消え、沈黙が降り立つ。ユキナリはヤナギを振り仰ぐ。

 

「どういうつもりなんだ……。僕が、お前と戦う?」

 

「言葉通りの意味だが? それとも、その理解さえ皆無な脳になってしまったのならば別だが」

 

 ヤナギは言葉を改める様子もない。七賢人の前だから大見得を切った、というわけでもなさそうだ。ヤナギは本気だ。本気で、自分と戦い、その果てには殺そうと言うのだろう。

 

「……何でそんな。そんな酷い事が平然と出来る?」

 

「酷い事、か」

 

 ヤナギが口にして天井に視線を据える。

 

「ならば特異点をトリガーとして尊厳などなしに命を奪われていった者達からしてみれば、お前の存在自体が酷い事、ではないのか」

 

 ヤナギの言葉にユキナリは歯噛みする事しか出来ない。身を翻し、「明日、だ」と告げる。

 

「明日、俺とお前の戦いに決着がつく。オノノクスとは事前に仕込など出来ないよう、ギリギリまで秘匿させてもらう」

 

「そんなのって……。何も対等じゃない」

 

「対等だと? 対等な勝負を挑みたければもう少しマシな身分に生まれるのだったな」

 

 ヤナギはそう言い捨てて部屋を出て行った。ユキナリは顔を伏せ、「何だって言うんだよ!」と怒りをぶちまける。

 

「あいつ、人の命を物みたいに交渉材料に使って」

 

「ああ。だがあいつなりにかなり譲歩した結果になった。お陰でお前は即座に封印措置を取られる心配も、抹殺される不安もなくなったわけだ」

 

 ゲンジの言葉にユキナリは顔を上げる。ゲンジは顔を振り向けて、「ヤナギが喋っただけで大きく風向きが変わった」と続ける。

 

「まずレプリカント、キクコの管理が保留にされた。それは航空母艦ヘキサとキュレムの力、それにお前の覚醒と解放のリスクを考えれば差し迫った脅威に対して鈍感になったのだろう。七賢人はそれについては何も約束させなかった」

 

 それは、とユキナリは言葉を飲み込む。ヤナギはそれが狙いだったのか。キクコから一時でも注意を逸らすために自分を利用した。

 

「それに、お前は対等ではないと言ったが、ヤナギは対等なステージにまでお前を引き上げたのだと思うぞ」

 

 思わぬ言葉にユキナリは唖然とする。「どうして」と声にしていた。

 

「だって、急に実戦なんて。その如何で僕は殺されるんですよ?」

 

「だが本来ならば、議会での話し合いだけでお前の死は決定されるはずだった。それを引き伸ばしたのはヤナギの力だ。それに、お前も努力次第では生き残る術がある。ヤナギは己の王になる権利を賭けのレートに上げてまで、お前と決着をつけようとした。それほどまでにこだわりたいのだろう」

 

 ゲンジの言葉にユキナリはヤナギの高圧的な態度を思い出す。全ては自分の手中にユキナリとキクコの命を置くため。そのために王になる権利をヤナギは賭けている。だが自分とて命を賭けているのだ。

 

「……僕だって、必死ですよ」

 

 言い訳のように発した言葉に、「そのほうがいいだろう」とゲンジは返す。

 

「ヤナギは、きっと手加減なんて望んでいないだろうからな」

 

 部屋を出て行く。それ以上の言葉はなかった。



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第百七十六話「挑戦者達」

 

『――って言うのが、議会決定したらしい』

 

 マサキからの説明を受け、ナツキは、「そんな馬鹿な事が……」と声を詰まらせた。今は航空母艦の周辺警戒に当っている。マサキに頼んで議会の盗聴を仕込んだのだ。マサキは喜んで買って出た。この種の人間は盗聴や盗撮など、人のプライバシーを覗くのが大好きだ。

 

『まかり通った、ってわけやな。ワイかて信じられんで』

 

「ヤナギが負ければ参加辞退。ユキナリが負ければその命? そんなの、対等でも何でもないじゃない」

 

 思わず叫び出しそうになったがマサキは落ち着き払って、『いや、随分と対等に持ってきたと思うけれど?』と返した。

 

「どこがよ? 負けると命を取られるポケモンバトルなんて。それにオノノクスはユキナリをおやと認識しない可能性があるんでしょう?」

 

『せや言うても、それ以前に議会でユキナリの命の是非は七賢人の手にあった。それをヤナギはこっち側に持って来たんやで? つまりヤナギ次第でユキナリは生き永らえるかもしれん、って事や』

 

「あのヤナギが手加減なんてするはずがないわ」

 

『そら、そやろうな。ヤナギはこれを最後の機会やと思っとるんかもしれん』

 

「最後の機会って。何のよ?」

 

 マサキは息をつき、『自分達の宿命の、や』と答えた。

 

「自分達って……」

 

『ヤナギは今までユキナリ回収のための労力は惜しまんかった。でもそれはユキナリを大事やと思とるからやない。ユキナリを倒すべき敵やと思ってるからや』

 

 ナツキは絶句する。そのような事をヤナギが企んでいたというのか。

 

「そんな事……。だって、ヤナギはあたしにチャンスをくれた」

 

『それもこの舞台を用意するための一要素やったとしたら? 最初っからヤナギはユキナリを殺そうと思っていた』

 

「何のために?」

 

 それだけが疑問だった。ユキナリを何故殺そうなどと考えるのか、理解に苦しむ。数回しか出会っていないはずである。マサキは全てを悟ったような声音で、『まぁ、女には分からんやろうなぁ』と呟く。

 

「何よ、それ。じゃあ女のあたしにも分かるように説明なさいよ」

 

 マサキはため息を漏らしてから、『宿敵、って奴や』と答える。

 

『ヤナギにとってのユキナリがそれであり、ユキナリにとってのヤナギはそれであった。ただ、それだけの、シンプルな話や』

 

「シンプルって……」

 

 何も答えになっていない。どうして二人が戦わなければならないのか。もっと明確な答えが欲しかった。だがマサキは濁す。

 

『お前に分かるのはここまでやって。ここから先は、当事者だけが分かる次元』

 

「じゃあ、あんただって分かっていないじゃない」

 

『そらな。ワイには自分の存在を賭けてまで許せない奴なんておらんもん』

 

 ヤナギは自分の存在理由を賭けてまでユキナリの存在を許容していないというのか。だが、だとすれば自分達に力を貸さねばいいだけの話だった。どうして自分に希望を掴ませたのか。

 

『ナツキ。色々と考えとるんやろうけれど、多分、答えは出んで。ユキナリとヤナギに、同じ光を見たお前にはな』

 

 心の深いところを覗き込まれた感覚だった。二人に同じものを見た。それは自分だけの秘密のつもりだったからだ。

 

 ユキナリは常に自分に希望を見せてくれた。ヤナギも同じだと、今の今まで信じていた。だが、マサキに言わせれば二人は違うのだという。ナツキにはその差異が理解出来ない。

 

「……やっぱり、いくら頭をひねってもあたしには分からない。どうして二人が争うのか」

 

 マサキは、『これは男にしか分からんやろ』と返す。

 

『一人の女を二人の男が好きになってしまった状態言うんは』

 

 ナツキは、「何よ」と軽口で返したが、アデクの事が脳裏に蘇り、自分とて他人事ではないな、と航空母艦を眺める。荒涼とした大地に風が吹き抜けた。

 

「ナツキちゃん」

 

 呼びかける声に振り返る。ナタネがボブカットの髪をかき上げながら、「全然、来ないねぇ」と崩落した研究所に視線をやる。

 

「来ないほうがいいでしょう。こんな状態でもし伏兵がいたとしたら、あたし達で止められるかどうか」

 

「そんな不安がる事ないでしょ? チアキさんやカミツレさんもいるんだし」

 

 ナタネはお気楽だ。ジムトレーナーとしての実力もある。自分とは違う、とナツキは身勝手に思ってしまう。

 

「あたしは肩肘張りますよ。攻めてこられれば厄介な戦力が生き残っていないとも限らない」

 

「まぁね。伝説の三体とか使われればちょっとまずいかなぁ」

 

 ナタネからしてみれば「ちょっと」なのだ。自分は、と言えばメガシンカをまだ完全に制御下に置いたわけではない焦燥が胸を占めている。

 

「でも、もうスパーリングしている時間もないんですよね」

 

「ああ、ユキナリ君、明日戦うんだって?」

 

「聞いていたんですか」

 

 ナツキは呆れてしまう。ナタネは盗聴を当たり前のように認めた。

 

「マサキさんに教わっておいた。ナツキちゃんは分かりやすいから。周波数を合わせるタイミングもバッチリ」

 

「犯罪ですよ、それ」

 

 ため息をつくとナタネは、「あのさぁ」と口を開く。

 

「あたし達がいくら頭を悩ませても仕方ないじゃん? 結局は当事者の問題なんだから」

 

「当事者、ね。あたしは、ユキナリとは同じ故郷の仲間のつもりでしたけれど」

 

 ならば自分とて当事者だ。この言い分をヤナギは認めるだろうか。いや、先ほどのマサキの口調からしてみてもそのような生易しい状況ではないのだろう。

 

「硬い、硬いって、ナツキちゃん。あたし達はさ、どう足掻いたってユキナリ君の苦しみの全てを理解出来ないわけだしさ」

 

 ナタネが肩を揉もうと背後に回り込む。ナツキは、「それでも!」と振り返って声を出した。

 

「それでも、あたしは、ユキナリに何か出来ないかって思うんです。これって、やっぱりお節介でしょうか?」

 

 ナタネは顎に手を添えて、「うーん」と悩みながら、「なまじ親しいとね」と言う。

 

「見えない事もあるんだよ。親しいからこそ、相手には悟らせたくないって言うか。ナツキちゃんにも心当たりあるんじゃない?」

 

「それは……」と返答を濁らせる。アデクの事を明け透けに話すわけにはいかなかったのは自分の問題だと思っていたからだ。恋愛なんて他人に容易く踏み込んできて欲しい領域ではない。もしかしたらマサキはそれを言いたかったのかもしれない。

 

「……じゃあ、あたしには何も出来ないじゃないですか」

 

「そーだよ。あたし達二人とも、ね」

 

 ナタネは瓦礫に座り込む。横を示すナタネにナツキは、「汚いですよ」と顔をしかめた。

 

「子供の時とか、草原に寝そべったりしたでしょう? そういうもんだよ」

 

「そういうもんですかねぇ」

 

 ナツキはおっかなびっくりに瓦礫へと腰を下ろす。意外にも座り心地は悪くなかった。

 

「こうしてナツキちゃんと話すのも久しぶりか」

 

「ユキナリ奪還作戦から先、作戦にしか頭にありませんでしたからね」

 

 ヘキサに属してナタネと組む事は数知れずあったが、余計な会話を挟んだ事はなかった。

 

「こうやってさ。頭空っぽにして、風を感じるのが、あたし好きだったんだよね」

 

「シンオウでの話ですか?」

 

 ナタネが故郷の話をするのは珍しい。訊くと、「うん」と答えた。

 

「シンオウで、草タイプの勉強して、カントーのポケモンリーグではジムトレーナーの地位を得て、マスターにもタマムシシティの人達にもよくしてもらって。みんな、元気かなぁ」

 

「ナタネさん、マスター、エリカさんとは連絡は?」

 

「してないよ。すると寂しくなっちゃうもん」

 

 意外な一面にナツキは目を見開く。ナタネがウインクして、「寂しいって、そういうの思っちゃうんだ、とか考えた?」と尋ねる。図星だったのでナツキは顔を背けた。

 

「そうだね。自分でもそういうのとは無縁に生きてきたつもりだったんだけれど、マスターに、ナツキちゃん達と旅をしなさい、って言われた時はちょっと悲しかったもんだよ。もうマスターにはあたしは要らないんだって」

 

「そんな事」

 

「ない、って思うだろうけれど、あたしにとってマスターは全てだから。タマムシシティでの暮らし方も、カントーの標準語も大体マスターに教えてもらったものだし。それにジムトレーナーとしてあたしを雇ってくれたのは、誰でもなくマスターの意思だし」

 

 ナツキは歩み寄って聞く事にした。これまでナタネの内面には全く触れてこなかったのでそれらが新鮮に響いたせいかもしれない。

 

「ジムトレーナーって、ジムリーダーが選ぶんですか?」

 

「ああ、うん。一般には知らされていないんだっけ。そうだよ。地方ごとの特待生を集めて、その中からジムリーダーが選抜するの。ちょうど野球のドラフト会議みたいにね」

 

 知らない事だったのでナツキは素直に感心する。ナタネがそれほどの逸材であった事もそういえばほとんど忘れていた。

 

「ナタネさん、強いですからね」

 

「強いだけじゃ取ってもらえないよ。人格、心理傾向、それに家族構成までみっちり調べられて、まるで取調べみたいだったなぁ。でもそれを知ってまで取ってくれたマスターには感謝しかないし、嬉しかったなぁ。何だか、自分が全肯定されたみたいでさ」

 

 ナツキは今までそのような事を感じた瞬間はあったろうか、と考える。自分の全てを肯定してもらえた時。それはきっと、自分の道を選ぶ時に他ならないのだろう。

 

「ナツキちゃんはさ。本気で玉座狙っているの?」

 

 思わぬ言葉に聞こえてナツキは、「そりゃ……」と返しかけて言葉を詰まらせる。ナタネはその間をじっと待っていた。

 

「そりゃ、あたしだって現実は見てますよ」

 

 ぽつり、と本音が漏れる。ユキナリには言えなかった脆い部分だった。

 

「オノノクスを見た時、いいえ、ともすればキバゴだった時から、ユキナリには敵わないんだと分かっていたのかもしれません。オーキドの血だとか、そういうの一切抜きにして、どうしてだかあいつに説教臭く言ってしまっていても、それは自分に跳ね返ってくるような気がしてならなかったんですよね」

 

 ポケモンの扱いが分からないユキナリを軟弱者とそしった事もあった。だが真に恐れていたのは、それが自分への言葉になりかねない事だった。

 

「ユキナリよりもずっと勉強して、ポケモンの事をニシノモリ博士に聞いて色々と知ったつもりになっていても、二ヶ月でそれを追い越そうとしてくるユキナリのエネルギーには勝てないって思った事があります。あいつ、一旦決めると聞かないから。誰が無駄だとか、意味がないって言っても、結局あいつは決めるんですよ。いいところを」

 

 それが何年も共にしてきた幼馴染ながらの感想だった。ユキナリはきちんと自分の道を歩める。その素質がある。加えて特異点という、この次元での特別な人間でもあった。

 

 ――では自分は?

 

 何度も首をもたげかけた疑問。自分は何者になれるのか。ユキナリやヤナギのような強者を相手に、立ち回れる自信はあれど、それは勝利への確信には繋がらない。どこかで、自分にはないものを彼らが持っているのだという予感がある。いくらチアキとスパーリングを重ね、ナタネと作戦行動を共にしても埋められなかったものはそれだ。

 

 素質、才能。

 

 この世界は残酷な事にそれがまかり通る。自分にはないもの。自分では決して扱えない代物をユキナリもヤナギも抱えて立っていられる。それは強さだ。何者にも邪魔されず、冒されない。

 

「確かにユキナリ君もヤナギも、別格だな、って思う瞬間はあるよ。でもさ、ナツキちゃんはそれで諦めるような人間でもないでしょ」

 

 ナツキは拳をぎゅっと握り締める。「でも敵わないんですよ」というのは逃げの方便に自分でも聞こえた。

 

「敵わないのに、戦おうとするなんて」

 

「それってさ、挑戦者の特権じゃん。勝てないかもしれない、負けるかもしれない、それでも立ち向かう、ってのはさ。そういうのと常に戦っていきたいな、あたしは」

 

 挑戦者。

 

 ナタネはジムトレーナーなので肌で感じてきたのだろう。彼らが傾けてきた情熱を。語りかける強さと注いできた時間を。それらを一瞬で無為にしてしまう自分の職業に、嫌気が差す事もあったかもしれない。だがナタネは逃げなかった。逃げずにジムトレーナーであり続けた。敗北の時まで。

 

「負けないってのはね、誇りであると同時に呪いなんだよ。一回でも黒星があると、そこからずるずると負けを引きずって、いつまで経ってもうじうじ悩む。きっと、この世で一番強い呪いは、勝ち続ける事よりも負けない、っていう気持ちなんだと思う」

 

「負けない、ですか……」

 

 何度も吼えてきた。負けない。勝利する、と。だが、負けない、という幻想が崩された瞬間、その後の人生を引きずりかねない呪いを背負う事になる。もしかしたらその呪いは一生解けないかもしれない。

 

「勝負に命賭けてきた人間はね、簡単に自分の命をレートに上げられる。それが周りの人間にとってどれほど酷な事であろうとも、どれほど最悪の道を選んでいるように見えても、命を張るだけの価値ってもんがあるんだよ」

 

「命を張る、価値……」

 

「らしくないかもね。でも、あたしはそう思う」

 

 ナタネは微笑んで今までの話を打ち切ろうとする。ナツキはしかし、その言葉が重く響いた。ユキナリもヤナギも、自分のこれからを賭けた戦いに身をやつそうとしている。その後の人生がどう転がってしまうのかを、一度きりの勝負に賭けているのだ。

 

「男同士の、宿命、か」

 

 マサキの言っていた事が思い出される。余人は口を挟めない。まさしくこの二人だけの戦い。

 

「おっ、そっちもらしくない事呟くじゃん」

 

 ナタネの声音はいつもの調子に戻っている。飄々としていて掴みどころがなく、他人との距離を物ともしないナタネに。

 

「ヤナギに感化されたんですかね」

 

 ナツキは立ち上がり、航空母艦へと振り返った。

 

「だからこそ、やるべきですよね。あたしが」

 

 ナツキの言葉を今さら確認しようともしない。ナタネは、「決着つけたいんでしょう?」と心得ている。

 

「だったら、つけて来なよ。それでどう転がるのかは分からないけれどさ。ナツキちゃんが後悔しない道をね」

 

 ナツキは駆け出していた。

 



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第百七十七話「笑顔を君に」

 

 アデクはユキナリの背中をじっと見つめていた。

 

 強張って今は自分の命どころか世界の命運さえも握らされている背中。鈍感な自分でも分かる。ユキナリは今、岐路に立たされている。その道を決めるのはユキナリ自身。自分は、結局のところ旅のお邪魔虫でしかなかったのだと。

 

「ユキナリ。俺は、一応ヤナギと話を通しておく。明日の戦いには訪れないかもしれない」

 

 ゲンジの思わぬ言葉にユキナリは衝撃を受けた様子だ。「でも、ゲンジさん」と不安げな声を出す。

 

「僕には、何も……」

 

「オノノクスと会え。アデクが導いてくれる」

 

 ドラゴン使いでもあるゲンジにはまず手持ちと会えとしか言える事はないのだろう。アデクはユキナリの眼差しを受け止めた。不安と罪悪感、それがない交ぜになったような顔をしている。最後に戦ったのはトレーナーとしての価値観ではなく、自分の、男としての価値観を突きつけた戦いだった。それ以来となればお互いに緊張する。ゲンジは離れていくが、ユキナリはどこへ行けばいいのか分からない迷子のように顔を伏せた。

 

「キクコはとりあえず、別室を用意してある」

 

 アデクは年長者として示さねばならない規範がある。落ち着いた面持ちでキクコとユキナリを案内した。キクコの部屋はほとんど外界との接点がシャットダウンされた牢獄のような部屋だった。当然、ユキナリから反感が上がるかと思われたがユキナリは何も言わない。今はそれどころではないのかもしれない。

 

「ここで、命令を待てばいいの?」

 

 キクコの口調は最後に会った時と印象が違う。やはり遺伝子の九割がポケモンのものに挿げ変わったと言う話は本当なのだろうか。似合わぬ思案を振り払い、アデクは、「ああ」と首肯する。

 

「命令、っつうのはちと違うかもしれんが、ヤナギが最終決定を下す。その時まで辛抱して欲しい」

 

 アデクの言葉にキクコは抵抗の素振りも見せず独房の中へと入っていく。その胸にスケッチブックが抱えられたままなのが目に入った。

 

「ユキナリはこっちへ。オノノクスと会ってもらう」

 

 アデクの言葉にユキナリは何も反論せずについてくる。その沈黙が余計に歯がゆかった。これが距離か、と。三ヶ月の隔絶とナツキを巡っての確執。それが自分とユキナリの間に横たわっている。なかった事にするのは出来ない。どれも捨てていくには重過ぎる。

 

「……アデクさん」

 

 ようやくユキナリが口を開いた。アデクは何でもないかのように、「どうした?」と顔を振り向ける。

 

「アデクさんは、前みたいな喋り方じゃなくなったんですね」

 

 以前の喋り方、と言われてもアデクには咄嗟に浮かばなかったのは、自分の力の至らなさを実感し、出来る事の範疇を知ってしまったからだろう。天井が見えてしまった人間の言動は覚えず気後れしたものとなる。

 

「……そうじゃな。ヤナギにはうるさいのは鬱陶しいがられるからのう」

 

 そう誤魔化すが、本当のところは自信の喪失に他ならなかった。ユキナリは特別で、自分が特別ではなかった、というだけの話。単純明快な論理だ。だが、それを認めるにはイッシュから送り出された優勝候補の誇りが邪魔をする。

 

 簡単に負けを認められない。しかし、ユキナリは一地方などという程度の話ではない。この次元、世界そのものに対する特異点。世界がなければ自分を自覚する方法がないように、ユキナリがこれから及ぼす事が恐らく、世界の基準となっていくのだろう。それを見届ける事しか出来ない自分に歯がゆさを覚える。今まで対等に接してこられた友人の仲では決してない。勝手に作った壁でありながら越えられないものをユキナリに感じている。

 

「ヤナギ、ですか……」

 

「不安か?」

 

「ええ」

 

 以前までならば肩でも叩いて一喝出来た。だが、もうそのような気力は自分の中にもなくなってしまっている。この旅が自分を変えるものになるとは思いもしなかった。ユキナリと出会い、自分は確かにこれまでとは違う自分となった。それが望もうと望まぬ事だろうと。

 

「ユキナリ。オレはな、お前さんが帰ってきてホッとしとる」

 

 切り出した言葉にユキナリは、「僕は……」と所在なさげに顔を背ける。

 

「アデクさんに顔向け出来るとは思っていませんでした。だって、僕は逃げ出した」

 

 それが最後の記憶なのだから自分の印象は最悪だろう。アデクは首を横に振って、「もう気にするな」と声を降りかける。だが、最初の頃のように大声で相手の都合も考えない喋り方ではなくなっていた。自分も大人にならざるを得なかったのか。その苦味を噛み締めていると、「気にするなってのは、無理ですよ」とユキナリが返す。

 

「何にも気づけなかった。何も分からなかったんだ。だから僕は他人を傷つけた」

 

「……自分が嫌いなんじゃな」

 

 ユキナリは頷く。アデクは今までならば分からなかった感情だが、今になれば痛いほど理解出来る。

 

「だから自分を傷つける。他人を傷つけた時の痛みを知っているから、自分が痛ければ他人に痛みを押し付けないで済むから」

 

 だが、それは逃げだ、とアデクは感じた。

 

「ユキナリ、しかしな、誰も傷つけないで生きていく事なんて出来ないんじゃ。誰かを好けば、誰かに嫌われる。誰かを嫌えば、自分の心が傷つく。結局のところ、そう都合のいい生き方なんて選べない。人は皆、不器用なんじゃよ」

 

「……アデクさんだって、他人でしょう。僕の生き方なんて」

 

「お前さんには関係なくてもオレには関係ある。お前さんの生き方でさえ、背負い込もうと考えているからな」

 

「いいですよ。僕に、そんな価値――」

 

「あのなぁ、ユキナリ」

 

 アデクは立ち止まる。ユキナリは目線を合わせようともしない。荒療治になるか、と感じたがアデクはそれを実行した。肩を引っ掴み、「お前さんは!」と久方振りに声を張り上げた。

 

「やれる事があるじゃろう? これから戦えるんじゃ、世界と! お前さんには資格がある! 他人だから何だって言うんじゃ! このまま逃げる気か? キクコも救えず、ヤナギとも向き合わず、ナツキからも逃げ続ける気なのか? オレはそんなの絶対に許さんからな!」

 

 掴む手に力が篭る。ユキナリは唐突に目を覚まされたかのように呆然としていた。

 

「誰だって今が絶対じゃない。オレは、お前さんならば超えてくれるんじゃと信じとる。信じて、だから三ヶ月待った。オレの答えを保留にして、お前さんが帰ってくるのを。帰ってきた時、同じ男として、向き合えるのを」

 

 あの時に一方的に突きつけた答えを、もう一度持ち直そう。自分とユキナリならばそれが出来るはずなのだから。アデクはもう一声、ユキナリに一喝した。

 

「勝て! ヤナギに。そして、男を見せろ!」

 

 自分の感情をぶちまけた気分だった。汚いものも綺麗なものも全て。アデクが荒く息をついているとユキナリは、「ちょっとだけ、安心しました」と答えた。

 

「アデクさんも、変わっていなかったんですね」

 

 ユキナリが何より恐れていたのは自分以外の全てが変わってしまった事だったのだろう。それに気づけなかった己の不明を恥じる前にユキナリは前を向いた。

 

「ありがとうございます。アデクさんには最初から、怒鳴られてばっかりだった気がするけれど、多分、それが正解なんだ」

 

 アデクは、「そう怒鳴っとらんぞ?」と肩を竦めたが、今のユキナリに対して格好つけたところで仕方がなかった。お互い、同じ思いを貫いた同士、逃げずに戦え、という意思確認が出来れば充分だ。

 

「アデクさん、オノノクスは、僕を待っているでしょうか?」

 

「分からんな。ヤナギでしか管理出来ないセクションに幽閉されておるから。だが、ヤナギは全力のお前さんを潰したがっているはずじゃ。オノノクスに妙な細工はしないと思うが」

 

「随分と信用が厚いんですね、ヤナギは」

 

「まぁ、仮にもリーダー。それなりのカリスマはあるみたいじゃな」

 

 ユキナリと肩を並べて氷の廊下を歩む。ようやく理想形に至れた。だが、この関係がいつまでも続くわけでもないだろう。ナツキの事に関しても決着をつけねばならない。何も答えを突きつけられているのはヤナギだけではない。自分とてユキナリと一悶着あった。その清算にはユキナリがきちんと帰ってくる事と、ナツキの気持ちを問い質す必要があったが、それも今はいいだろうと思えた。こうして対等な関係でいられる。今は、それだけで。

 

「この先じゃ」

 

 立ち止まると、氷の結界の向こう側にオノノクスが全身を拘束されて蹲っている。両手両足に氷の拘束具、それに一本の幹のような氷の大樹に埋め込まれた形となっている。三ヶ月間もこの状態となればもしかしたらオノノクスには悪影響が出ているかもしれない。だが、ユキナリは一刻も早くオノノクスと会いたい事だろう。アデクは懐からボールを取り出した。

 

「GSボールは復元されなかった。ガンテツの行方も不明。代わりと言っては何だが、モンスターボールならばある」

 

 赤と白のツートンカラーが映える新型モンスターボール。ヘキサの構成員はこの規格で統一されている。ユキナリはそれを手にし、「うまくいくでしょうか」と懸念事項を述べた。

 

「GSボール、ガンちゃんのボールだから、僕の言う事を聞いてくれていたのかもしれない」

 

 その可能性はあり得る。だが、代わりを用意出来なかった不手際を詫びる事しか出来ない。

 

「すまんな。ガンテツを探し出せてお前さんと引き合わせるのが理想だったんじゃが」

 

「この新型、ロケット団のものじゃ……」

 

「いや、完全に資本はデボンに移った。規格内容も一応は出回っていた先行量産型のものじゃが、デボンのシステムで管理されておるから万が一ロケット団が生き残っていたとしてもボールの管理は出来んはずじゃ」

 

 ユキナリはボールへと視線を落とす。その眼差しに様々な思いが交錯しているはずだ。果たしてオノノクスは自分の制御に置けるのか。ヤナギを倒せるほどの力に育っているのか。ただ、ユキナリはそれらの不安と真っ向から対決する眼をしていた。先ほどまでのぐずついた気配はない。もう逃げ出さないと決めた双眸をオノノクスに投げ、「いいです」と首肯する。

 

「結界を解いてください」

 

 アデクはヤナギへと通話を繋ぐ。

 

「ヤナギ、結界を」

 

『了解した』

 

 キュレムによる永久氷壁が瞬く間に分解され、ユキナリが駆け出した。後を追おうとしたアデクを他所にユキナリはボールをオノノクスに向ける。

 

「オノノクス! 僕だ!」

 

 その声にオノノクスが僅かに目を開いた。この三ヶ月、目覚めた事は一度もないと言われていただけにアデクは唾を飲み下す。

 

「……大丈夫、なんじゃろうな?」

 

 小声でヤナギへと確認する。もし、この接触が破滅を引き起こしたとしたら。だが、ヤナギは太鼓判を押すわけでもなく、『さぁな』と濁した。

 

「さぁな、ではない。もし、この場で破滅なんて事になったら、オレじゃ対抗し切れんぞ」

 

 覚えずモンスターボールに手を添えている。ヤナギの声は落ち着き払っており、『心配はいらないだろう』と答えた。

 

「何故、言い切れる?」

 

 ユキナリが歩み寄る。オノノクスがぐっと身じろぎした。ボールを突き出す。『決まっている』という声をアデクは聞いた。

 

『あれが、オーキド・ユキナリだからだ』

 

 オノノクスが拘束を破り、大樹から解き放たれる。ユキナリは、「戻れ!」と命じた。赤い粒子となってオノノクスがボールへと戻っていく。あまりに呆気ない顛末にアデクは緊張の声を出した。

 

「オノノクス、は……?」

 

「僕の手に」

 

 ユキナリがボールを示す。どうやらオノノクスは破滅を引き起こす事はなく、ユキナリのボールに収まったらしい。アデクは額の汗を拭って、「そうか……」と声にした。自分の緊張が伝わったらしく、「僕も、破滅を引き起こすかもしれないと思っていました」とユキナリは告白する。

 

「でも、アデクさんの言葉のお陰で、吹っ切れたんです。破滅を起こすかもしれない。でも逃げちゃ駄目だって。自分の本当にすべき事から。自分の出来る事に目を逸らしちゃ駄目だって事を」

 

 まさか自分の言葉が破滅を食い止めたと言うのか。にわかには信じられなかったが、アデクは思い出した。

 

「……そうじゃった。お前さんは、いつだってこっちの予想を超えてくる奴じゃった」

 

 だから、今回の事だって自分の予想外をユキナリが飛んだだけだ。自分はそのきっかけを与えたに過ぎない。誰かの予想よりもっと高く跳べる。それこそがユキナリの才能、特異点としての存在意義なのかもしれない。

 

 よろめいたアデクが不審に映ったのだろう。「アデクさん、大丈夫ですか?」と逆に心配された。

 

「いや、緊張しとったから。何だかんだでお前さんは超えてくる。飛んでくる奴じゃって思い出したら笑えてきたわ」

 

 アデクが快活に笑い声を上げる。久し振りに腹の底から笑えた。

 



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第百七十八話「純粋なる兵」

 

 ユキナリは部屋に案内された後、どうしてだか自分に礼を言った。

 

「何だか、アデクさんにはいつでも、躓いたときに助けてもらっているような気がして」

 

「そんな事はない。今回だって、お前さんが自分で勝ち取った結果じゃ。誇りに思っていい」

 

 ユキナリは少しだけはにかむように笑った後、「勝ちます」と強く言い放った。

 

「僕は、ヤナギに勝つ」

 

「そう来なくてはな。ヤナギとて張り合いがないて」

 

 アデクは部屋を後にする。ユキナリの闘志に自分までも火が点けられたようだった。ユキナリはいつだって容易く超えてくる。自分の及びつく限りの事を、踏み越えてくるのがオーキド・ユキナリという男なのだ。ならば、自分も応えねばならない。

 

「しかし、何で応えるべきか……」

 

 アデクが答えを彷徨わせ、首をひねっていると背中に声がかかった。

 

「アデクさん!」

 

 その声に振り返る。ナツキが肩を荒立たせて立ち竦んでいた。アデクは、「ユキナリならば心配はいらん」と告げる。

 

「オノノクスも物に出来そうじゃ。まったく、あいつはいつだってオレの予想なんて突破してくるから面白い」

 

「そうじゃないんです。今は、アデクさんに用があって」

 

 思わぬ言葉にアデクは目を見開く。

 

「オレに?」

 

「はい。……今まで保留にしてきた事、決めようと思いました」

 

 その言葉に心臓が跳ねたのを感じた。ナツキとはこのままうやむやになってしまうものだとばかり考えていた。それを向こうから切り出すのは意外だったし、アデクも予想だにしていなかった。

 

「――あたしは、やっぱり最後の最後までユキナリの事を見ていたいんです」

 

 だからこそ、その答えが受け止められたのかもしれない。ユキナリの決意を目にし、自分の中の燻っていた部分に火が点いた。それはもしかしたらナツキも同じだったのかもしれない。ユキナリの帰還を望み、ようやくスタートラインに立ったユキナリに対して今までのような曖昧な関係ではいられないと感じたのだろう。

 

「……なるほどな。分かった!」

 

 アデクは手を打って微笑む。

 

「きっぱり諦める。それが潔いじゃろう!」

 

 アデクの口調が以前に戻っている事に気づいたのだろう。ナツキは、「アデクさん、喋り方……」と指摘する。

 

「こっちのほうがオレらしいって気づかされてな。他でもない、ユキナリに」

 

 ナツキも緊張していたのだろう。少しだけ頬を緩めて、「何ですか、それ」と笑った。

 

「オレもユキナリは好いておる! だからあいつになら、何でも任せられるって思ったんじゃ」

 

「相変わらずですね。でも、好いてるってのはちょっとキモチワルイですよ」

 

「気持ち悪いとは人聞きの悪いのう」

 

 お互いに笑みがこぼれる。不思議なものだった。今まで絡み合っていた因果が一時に解けるものだと。ユキナリも、自分も、ナツキも、それぞれが受け入れられている。この結果に誰も不服は言わないだろう。

 

「ポケモン勝負とは違うが、心地よい風が吹き抜けている気分じゃ。ようやく、すっきり出来た」

 

「玉座は?」

 

「狙いたいところじゃが、もうオレの手に入れたバッジはヤナギに渡してしまったからな。後はユキナリとヤナギ、二人の戦いの果てに、じゃて」

 

 それでもポイントならばまだ追いつける範囲にはいるが、諦めも肝心。玉座に三人も四人も入ろうとしたところで弾かれてしまう。

 

「でもアデクさんらしくないですよ」

 

「ユキナリもきっとそう言うじゃろうよ。だが、オレはユキナリに負けておる。二度も三度も結果が分かっていて戦うのは、諦めが悪いんじゃなくって馬鹿と言うんじゃよ」

 

 アデクの言葉にナツキは、「馬鹿でもいいじゃないですか」と返す。

 

「諦めない人なら、きっとチャンスは巡ってきます」

 

「そうじゃな。ただオレにとってこのポケモンリーグ、一生忘れられんようになるのは確実みたいじゃ」

 

 アデクは笑い声を上げながら身を翻す。ナツキが、「どこ行くんです?」と訊いた。

 

「オレは風来坊。どこへ行こうと風任せよ。ただ、明日のユキナリの戦いだけはきっちり拝ませてもらう。そのために早目に寝るとするか。眠る事も戦いのうちじゃし」

 

「まだ昼ですよ?」

 

「昼も夜も関係あるか。オレはオレの道を行く!」

 

 ナツキは呆れたように、「変わらないですね」と口にした。

 

「おうよ。イッシュの男は変わらない男らしさがウリってな!」

 

 アデクは足音を踏み鳴らしてナツキから離れていった。辛くないわけでも、痛みに鈍感になったわけでもない。ただ、一つの春が終わった。特別な事でなく、それだけの話だ。

 

 航空母艦の甲板に出ると潮風が赤い鬣のような髪をなびいた。甲板に胡坐を掻き、海を眺める。正午を回ったところの太陽が肌を焼く。アデクは甲板を撫でる。氷に閉ざされた甲板を誇る航空母艦ヘキサは明日を持って解体されるだろう。キュレムが動くという事はそういう事だ。オノノクスはユキナリの手に渡り、ようやく然るべきカードが揃った事になる。この時点でようやく、ユキナリは帰還出来た、と言えるだろう。

 

「帰る場所、か」

 

 もし、玉座を途中で諦めたとなればイッシュの人々はどう思うだろう。軽蔑するだろうか。それとも功績を称するだろうか。ポケギアには玉座につくに相応しいポイントが割り振られている。繰り上がりで入賞は出来そうだが目指すならば王だ。それを徹頭徹尾貫くのが自分という男らしいのではないか。葛藤に揺れる胸中に差し込むように、「いいか?」と尋ねた声があった。

 

「ああ」と答える。声の主は数歩距離を開けたまま口を開く。

 

「周辺警戒の合間を縫ってな。ちょっと甲板に出てみれば貴公がいたので驚いた」

 

「チアキ、だったか。オレに話しかけるとは珍しいな」

 

 その言葉にチアキは、「何かとな」と答える。

 

「考え事をしたい時には甲板に出る事が多い。今回は特別、貴公がいただけの話だ」

 

「そうか。お前さんも考え事をするのか?」

 

「失礼な言い草だな。貴公も言えた義理ではなかろう」

 

「そうだった」とアデクは笑おうとする。しかし、声には嗚咽が混じっていた。

 

「……泣いているのか?」

 

「泣いてなどおらん」

 

「肩が震えているぞ」

 

「武者震いじゃ。明日の戦いが楽しみでのう」

 

 チアキはあえてそれ以上触れてこなかった。その不器用な優しさがありがたかった。

 

「明日、全てが決するのか」

 

「お前さんはヤナギに何か告げ口でもしに来たのか?」

 

 その言葉にチアキはフッと笑う。

 

「そのような人間に見えるか?」

 

「見えんな」

 

 正直な感想を口にすると、「だろうな」とチアキも同意だった。

 

「私と貴公は、同種の人間だ」

 

「同種、か。褒められているのか貶されているのか分からんが」

 

「戦いの中に生き、戦いに死ぬ運命にある。不器用で、たった一つの光を目にしたのならば、それを拠り所にするしかない」

 

 チアキは自分がヤナギに惹かれた運命の事を話しているのかもしれない。アデクは黙って聞いていた。

 

「ヤナギは、あれは、私を見ていない。私だって、戦士だ。女性として見られたいわけじゃないが、ヤナギの目を見ているとどうしようもないのだと思える時があってな」

 

 ヤナギは時折遠くを見ているように思える節がある。何か大切なものを失った人間の眼だ。自分達には推し量れない喪失を抱えている。

 

「ヤナギの過去は?」

 

「聞いた事がない。お互いに詮索は野暮だと考えているのでね」

 

「ヤナギはキクコを求めているのだとばかり思っていたが」

 

 分からないものだ、とアデクは考える。チアキは、「人の心は迷宮だよ」と口にした。

 

「一度迷い込んでしまえば、もう出る事すら叶わない。ヤナギの事を知りたいと感じてしまったがゆえに、私は、純粋に戦士である事をいつの間にか拒んでいたのかもしれない」

 

 チアキの女性の部分を引き出したのがヤナギだと言うのか。ヤナギには確かに人並み外れた光がある。ユキナリとは別の光でありながらも、人を先導すると言う意味では同じだ。

 

「女の気持ちも、オレには分からんな」

 

「分からないほうがいい。分かってしまえば、それまでだよ」

 

 目頭が熱くなる。分かってしまえばそれまで。分かったつもりになって声を張り上げている間が、実は一番幸福なのかもしれない。

 

「……涙を拭け」

 

 チアキが肩にハンカチを差し出す。顔を覗き込んでこないのが救いだった。アデクは受け取り、盛大に鼻をかむ。

 

「汚いな」

 

「放っておけ。オレはこういう男なんじゃ」

 

「重々承知しているさ。不器用なのはお互い様だ」

 

 アデクは涙を拭い、「この勝負」と口を開いた。

 

「どう転ぶと思う?」

 

「オーキド・ユキナリとヤナギ、か」

 

 頷くと、「分からない、というのが本音だ」とチアキは返した。

 

「ずっとヤナギと一緒にいたわけではなかったか」

 

「私はヤマブキからの同行者だからな。カミツレやシロナのほうがずっと長い」

 

「その、シロナ・カンナギはどこへ?」

 

 チアキは答えない。それが答えになっていた。

 

「……そうか」

 

「途中からヤナギを見ているが、あれは強い。キュレムを己の目的のために従え、ヘキサという組織を最大限まで利用した。王にでも、鬼にでもなれる性質だ」

 

「鬼、か」

 

 ヤナギを形容するのに、これほど適した言葉はないだろう。今度はチアキが逆に切り込んだ。

 

「オーキド・ユキナリは? どうなんだ?」

 

「同行したり、しなかったりだが、オレから見てもあいつは強い。オレなんかの予想を簡単に跳び越える。多分、そっちの予想もな」

 

「そうか。ナツキからよく聞かされていたから、どのような人物なのか、気にはなっていたのだが」

 

「ナツキが?」

 

 意外そうに尋ねると、「ああ。自分なんかよりもユキナリのほうが強いとな」とチアキは応じた。そういえば二人はスパーリングを共にしていたか。

 

「拳を交わす中で見えたものはあるか?」

 

「分からないな。意外にも、戦いっていうものは重ねるほどに逃げていく逃げ水のようなものだ。勝率も、戦法も、それを構成する一要素に過ぎない。貴公にも覚えがあるだろう?」

 

「ああ。戦えば戦うほどに、己の限界が見えてくる。そういう点で、眩しいものに出会った瞬間、自分の中で何かが開けたようになるな」

 

「分かっているじゃないか」とチアキが鼻を鳴らす。アデクは、「オレとて戦士じゃ」と笑う。

 

「戦いの中でしか、分からないものがある事を知っておる。ユキナリもそのかけがえのないものを教えてくれた。だからオレにとっちゃ、あいつも恩人じゃな」

 

「奇妙なものだ。我々戦士にとって、怨敵というものが自分を知る最大の恩人になるのだから」

 

 チアキは黒い着物を風にはためかせる。アデクは最後に聞いておこうと考えた。

 

「もし、ヤナギが負ければどうする?」

 

「どうもしない。私は、またヤマブキに戻ってわが師カラテ大王を待つだろう。いつまでもな」

 

「それはどっちにしろ決めていた事なのか?」

 

 チアキは少しの逡巡を浮かべ、「旅の次第では、ヤナギについていくのも悪くないと思っていた」と心情を吐露する。

 

「だが、ヤナギは、そのような湿っぽい戦士などいらないだろう。私は戦士であって女ではない」

 

 断じたチアキの声はどこまでも冷たいが、同時にヤナギを心底信じている事が節々に伝わる。アデクは返していた。

 

「オレもな。さっきまでずっと自分を縛り付けてきたものから自分自身を解放したばかりじゃ。心地よいのか、それともこれから先の目的を失ったのか、まだ判然とせんが」

 

 迷っていたのはナツキではなく自分だったのかもしれない。ユキナリとの時間のほうが長いナツキにそのような決断を迫った身勝手。だが、徹したかった。それが意地と呼ばれる部分であっても。

 

「貴公も変わり者だ。自分から傷つくなんて」

 

 チアキは聞き及んでいたのかもしれない。だが、今は羞恥よりも清々しい気持ちが勝った。アデクは微笑む。

 

「ユキナリに大見得切ったからのう。自分が傷つくのを恐れているんじゃ、見本にならん」

 

 アデクの声にチアキは、「大馬鹿者だ」と呟く。

 

「お互いに、傷つく道しか選択出来なかった」

 

 己の事か、それともユキナリとヤナギの事か。それを問い質すほど野暮でもなかった。

 

「旅の恥は掻き捨てと言う! お前さんも恥を晒してみるのもいいかもしれん」

 

「いらない。私には格闘タイプのジムリーダーとして矜持があるのでな」

 

 可愛げのないチアキの言葉にアデクは、「だが心配もしておるのだろう?」と胸中を読んだ声を出す。

 

「せめて、本人の前で言えない事の一つくらい、明かしておこう。お互いにな」

 

「貴公に弱さを見せるほど、私は脆くないぞ」

 

 かもしれない。だが、今は同じように考えているはずだ。

 

 ――勝ってくれ、と。

 



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第百七十九話「ファーストキス」

 

 命令がなければどう動けばいいのか分からない。

 

 感情というものはその際には非常に邪魔で不合理で、何を成すにしても感情というものを発露させた行動は後悔しか生まない。だから命令を待っている。それが自分の中にある全てだった。

 

 以前の「キクコ」にはこの他にも様々なものがあったと聞く。先生や、怖いものへの恐れ。インスタントスープが好きだったらしい。それに、何か大切なものを培ったと言うが、今の「キクコ」にはそれが一切感じられなかった。

 

「好き、って何? 私は、何?」

 

 キクコは抱えていたスケッチブックのページを捲る。どうしてだかこれは手離してはならないような気がしていた。

 

 以前の「キクコ」が大切に守っていたからか。だがその記憶は記録としては自分の中に僅かながら残っているもののほとんどポケモンとの同位体になってしまった自分には無縁のものに思えた。キクコはスケッチブックのページをさする。鉛筆で描かれたポケモン達は活き活きとしている。これがポケモンなのか。では九割それに近い自分はこれなのか。だが、キクコには「生きる」という行為が理解出来ない。

 

 かといってその逆の「死ぬ」という行為に沈殿しているかと言えばそうでもなく、どっちつかずの身を持て余している。さらにページを捲っていくと、一人の少女のスケッチに行き着いた。キクコはそれを眺め、認識する。

 

 それが以前の「キクコ」であると。自分と髪の色も眼の色も変わらない。ただ一つだけ、記憶が継続していない以外は。キクコはつい最近生まれたようなものだ。だから、描かれている前のキクコの事を知るよしもない。そのはずだった。

 

「何……」

 

 頬を熱いものが伝う。それを理解出来ずにキクコは拭った。雫が顎を伝って零れ落ち、スケッチブックを濡らす。

 

「これが、涙。泣いているのは、私?」

 

 どうして泣いているのだろう。以前のキクコもその答えを知らなかった。当然、自分が知っているはずもない。しかし、答えを知らないからと言って、それらが全て先延ばしにされたわけではなかった。涙を流している自分だけはここにいる。誰に否定されようとも、ここで泣いている自分だけは否定出来ない。

 

「私は、キクコ……。でも、じゃあどうして」

 

 泣きたいのだろう。寂しいのだろう。ユキナリの絵を見つめているとこみ上げてくる感情は何なのか。

 

「私の心。ユキナリ君を、呼んでいる」

 

 どうしてだかユキナリに会いたい。その感情に衝き動かされるようにキクコは部屋を出た。スケッチブックを小脇に抱え、氷結した廊下を歩く。その矢先、出会った人影にキクコは立ち止まる。

 

「俺の事を、覚えてはいないのだったな」

 

 そう呟く青いコートの少年の記憶はなかった。

 

「誰?」

 

「カンザキ・ヤナギだ」

 

 そう名乗った相手には憐憫の情があった。キクコの事を以前から知っている人間だろうか。だが今の自分には相手の感情に答えられない。

 

「どこへ行く?」

 

「ユキナリ君のところへ」

 

 答えたキクコにヤナギは、「あいつのところに行くのか」と忌々しげに口にする。

 

「それしか、私にはないもの」

 

 スケッチブックを眺めて自分の中で初めて感情の振れ幅が動いた。今までなかった事に戸惑うよりも急く気持ちが勝っている。ユキナリに会えばもしかしたら、この気持ちの答えが知れるかもしれない。

 

「行かなきゃ」

 

 先を急ごうとするキクコの手をヤナギは掴む。

 

「待て。キクコ」

 

 振り返るとヤナギの眼は真剣そのものだった。真正面から自分を見据えている。

 

「何?」

 

「オーキド・ユキナリが大事か?」

 

「分からない」

 

「では何のために行く?」

 

「分からない」

 

「俺が止めても行くのだろう?」

 

「多分」

 

 確証はないがヤナギに止められても自分はユキナリに会おうとするだろう。それしか自分を知る方法がないから。

 

「お前は、自分自身を知りたいはずだ」

 

 頷くと、「なら」と平静を保ち切れないヤナギの声が響いた。

 

「俺では、駄目なのか……」

 

 最後のほうは尻すぼみになっていた。自分には資格がない、とでも言うように。キクコはヤナギが何を考えているのか分からない。その瞳から涙が伝い落ちる理由が、分からない。

 

 だからだろうか。

 

「泣かないで、ヤナギ君」

 

 無意識のうちに口からついて出た言葉に驚いたのはキクコも同じだった。ヤナギの涙を指先で拭い、そっと口にする。

 

「泣かないで」

 

 ヤナギは、「すまない」と目元を拭う。白いマフラーが視界に映えた。

 

「そのマフラー」

 

「ああ、ずっとつけているんだ。君のくれたものだから」

 

 今のキクコには記憶がない。ただ、それが大切なものである事だけは理解出来る。

 

「ありがとう。もう泣かない」

 

 ヤナギはコートを翻す。どうやら覚悟は決まったようだった。キクコはその背中に問いかける。

 

「ヤナギ君、明日の戦いでユキナリ君を本当に倒すつもりなの」

 

 それだけは聞かねばならない。ヤナギは迷いなく、「そうだ」と答える。

 

「倒さねば、未来はない。俺達はそう宿命付けられているんだ。初めて会った時から、どちらかが夢を諦めねばならない。どちらかが相手を下し、どちらかが敗北して地べたを這い蹲る。頂へと上るのは片方だけでいい」

 

 ヤナギは白いマフラーをさすり、「ありがとう」と再び礼を言った。

 

「キクコ、君はまだ俺の事を思い出してもいないだろうし、覚えてもいないだろう」

 

 ヤナギがまさか胸中を読んでいるとは思わなかったのでキクコは少しだけ驚く。静かな口調で、「でもいいんだ」と続けられた。

 

「君の思い出に俺がいなくとも、俺が君を覚えている。生きていてくれた。それだけで構わない」

 

 ヤナギは歩き去っていく。キクコはしばらくその背中を眺め続けた。こうと決めた男の背中と歩みを止める言葉は、自分にはなかった。

 

「……ユキナリ君」

 

 キクコは感知野を広げユキナリの居場所を探る。廊下で誰かと話しているのが伝わり、キクコは角を曲がる前に足を止めた。ユキナリはナツキと喋っている。その内容が僅かに聞こえてきた。

 

「あんた、オノノクスは?」

 

「うん。何とかなりそうだ。ただ、僕も制御出来るかは分からない」

 

 ユキナリはオノノクスの入ったボールに視線を落として呟く。ナツキはその手へと自分の手を重ねた。

 

「ナツキ?」

 

 ユキナリが怪訝そうに声を発しようとした瞬間、ナツキはユキナリにくちづけていた。キクコはスケッチブックを抱えたまま、それを目にする。ナツキは唇を離し、「馬鹿」と呟く。

 

「そんなの、あんたらしくないわよ」

 

 ナツキの言葉にユキナリは呆然としている。ナツキは、「今の、前借みたいなものだから」と早口に言った。

 

「今度はあんたからね。あたしは、それしか受け取らないし」

 

 ナツキは駆け出していく。キクコとは反対方向だった。ユキナリは廊下で立ち竦んでいる。唇をさすっているユキナリへとキクコは歩み寄った。

 

「ユキナリ君」

 

 その声にユキナリはびくりと肩を震わせる。

 

「……あっ、キクコ、か」

 

 少しばつが悪そうにユキナリは視線を逸らす。キクコは思い切ってスケッチブックを差し出した。

 

「ユキナリ君。お願いがあるの」

 

「お願い? 僕に?」

 

「もう一度、絵を描いて欲しい」

 

 その言葉にユキナリは面食らった様子だった。「まさか、記憶が……」と驚愕の表情を浮かべる。キクコは努めて笑顔を保とうとした。

 

「もう一度、描いて、ユキナリ君。絵を描いているユキナリ君が、私は一番好きだから」

 

 記憶はまだ戻っていない。恐らくは戻ってこない。以前の自分と今の自分は断絶している。ただ、ユキナリを幻滅させたくない。そして何よりも、幸せを願いたい。そのために自分の出来る事は描いて欲しいと言う事だけだった。

 

 ユキナリは視線を彷徨わせ、「でも」と口を開く。

 

「僕に、また描いてもいい資格なんてあるのかな。明日、ヤナギに勝たなきゃ、僕もキクコも殺されてしまう。そんな時に、絵を描くなんて……」

 

 キクコはユキナリへとスケッチブックを握らせる。その手にある温もりを感じながら、「ユキナリ君なら、大丈夫だから」と告げた。

 

「きっと、大丈夫だから」

 

 繰り返した声にユキナリはスケッチブックを握り締める。きっと生きる活力になる。明日を迎えるのに希望は必要だった。

 

「……もし、生きていたら」

 

 ユキナリは顔を上げてキクコを見据える。

 

「また描かせて欲しい。君を」

 

 キクコはその言葉にユキナリの唇へと人差し指を当てた。ユキナリが目を丸くする。キクコは悪戯っぽく微笑んだ。

 

「駄目だよ、ユキナリ君。本当に大切な女の子以外に、そういう事言っちゃ」

 

 その言葉にユキナリが追及の声を上げる前にキクコは身を翻して駆け出した。どうしてだか分からない。

 

 ただ涙が止め処なく溢れ出していた。胸の中心にぽっかりと穴が開いたように思える。

 

 感情――分からない。

 

 記憶――分からない。

 

 好き――分からない。

 

 それでも、この胸を繋ぐ寂しさと空虚だけは、本物だった。

 



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第百八十話「ジョーカーⅡ」

 

 部屋を訪れるとちょうどプログラムの構築中だったらしい。

 

 マサキは熱心に端末のキーボードを打っている。イブキは声をかけるのが躊躇われたが、「なに? 姐さん」と向こうから声をかけてきた。

 

「別に。よくやるわね、あんたも」

 

 イブキがディスプレイを覗き込むと無数の文字列が並んでいる。マサキは、「ロケット団が本当にやりたかった事は何なのか」と呟いた。

 

「知っておいて損はないやろ」

 

 イブキは簡素な部屋を見やる。端末と数個のポケギアが並んでいるだけで私物と言えるものがほとんどない。椅子の一つを引き寄せて腰を下ろす。マサキの背中を眺め、「ヤナギは」と口を開いた。

 

「明日、全てを決するつもりなのね」

 

「せやな。まぁ、ヤナギらしい賭けのレートに乗せたんとちゃう? ヤナギのする事ってのはいつだって唐突やけれど、ほとんど正解や。今回の事も、ユキナリやキクコの安全のためやろ」

 

「じゃあ、ヤナギは負けるつもりだって言うの?」

 

「その気は本人にはないやろうが、本能的にユキナリと正面対決切りたいと思っとるんやろうな」

 

「何で、そこまでしてユキナリを倒す事にこだわるの?」

 

 イブキにはそれが分からない。ヤナギがユキナリにこだわる理由。キクコの事だけにしては執着し過ぎだ。

 

「ワイかて分からんけれど、ケジメ、みたいなもんやろうな」

 

「ケジメ、って、でもこうもすれ違い続けた人間っているのかしらね」

 

 ヤナギはユキナリに対して敵対心を燃やし、ユキナリもわけが分からぬうちにヤナギを憎むようになっている。お互いに言葉を交わした事も少ないだろうに、どうしてだか双方が相手を脅威だと考えている。

 

「そういうもんがあるんやって。姐さんでも分からんか」

 

「分からないわよ。あの二人に関してはね」

 

 マサキは長く息を吐き出して、「ワイもあいつの考えが全て分かるわけやない」と言った。

 

「ただな、気持ちは分かるねん。どうしてだか憎まざるを得ない相手というものが存在するって言うのも。その発端が同じ女を好きになっただけやってのは皮肉でしかないけれどな」

 

 マサキとてこの宿縁には疑問を挟まざるを得ないのだろう。イブキは、「少しだけ安心した」と呟く。

 

「安心?」

 

「あんたまで彼岸に行ってしまったような事を言わないで済んでいるのが」

 

「彼岸か」とマサキは嘲笑する。

 

「そんなもん、ワイらとっくに超えとるやん。ボーダーラインを跳び越してから気づく過ちなんて、そんなもん人生において数知れんわ。ロケット団を裏切り、ヘキサを裏切り、ネメシスを諦め、またヘキサに入った。この時点で、もう手遅れもいいところ。ただワイにとって救いやったのは、姐さんがいつもいてくれた事やな」

 

 マサキの言葉にイブキは頬を赤らめる。

 

「冗談言っているんじゃないわよ」とマサキの頭をはたいた。

 

「冗談ちゃうんやけれど……」

 

 マサキが後頭部をさすりながら声にする。イブキはマサキと僅かに視線を合わせた。

 

「姐さんおらんかったら、世界と戦うみたいな真似、出来んかったやろうし」

 

「馬鹿ね。そういうのは言わないほうがいいってのは」

 

「重々承知しとるよ。ガキやないんやから」

 

 マサキは再び端末に向かい合った。イブキは静かに口を開く。

 

「私は、まだ玉座を諦めていない」

 

「せやろうな。そういう姐さんやからワイはついてきたんやけれど」

 

「冗談は抜きにして、私はフスベの里で選ばれたドラゴン使い。何があっても、王になりたい」

 

 イブキの願望をマサキは否定するわけでもない。ただ、「分かっとる」とだけ答えた。

 

「姐さん強情やし。一度決めたら聞かんやろ」

 

 イブキは少しだけ笑ってから、「でも、そのためには二人を超えなきゃならない」と続けた。

 

「私に、出来ると思う?」

 

 ドラゴン使いと言ってもオノノクスほどの強力なポケモンを持っているわけでもない。キュレムのような伝説級でもない。ただのハクリューだ。それでも、ずっと勝ち進みたい。相棒と決めたこのポケモンで。

 

「難しいやろな。オノノクスどころかキュレムに対して勝算は十パーセントもない」

 

「手厳しいわね」

 

 マサキは正直だ。取り繕うような言葉や、誰かに媚を売ることもない。

 

「まぁゼロパーセントやないから、戦ってみるまで分からんけれどな」

 

 確率論で決めるマサキにしては珍しい言葉だった。イブキは、「あんた、ちょっと変わった?」と声に出す。

 

「ワイは全く変わっとらんよ。変わったんは姐さんと違う?」

 

 かもしれない。イブキは、「戦う事だけ考えていた頃には戻れないわよ」と返す。

 

「色々と知り過ぎた。知らなくていい事まで」

 

「姐さんは、ほんま、戦う人やったんやと思うで。ワイが半分巻き込んだみたいなもんやな」

 

 ヘキサツール、特異点、ネメシス、どれもマサキなしでは知るよしもなかった事だ。

 

「ところで、あんたはさっきから何をしているわけ?」

 

 端末に視線を落としたままこちらを一顧だにしないマサキへと問いかける。

 

「一応、次元の扉が開いたんや。キシベが何らかの目的を果たそうとしたと考えるべきやろ。あるいはフジ、か」

 

「ナツキからの報告では、フジはユキナリの目の前で死んだ、とあるけれど」

 

「機器が発動した時、傍にいたのはフジやから死んだのもフジ、と考えるのが自然やけれど、だとすれば分からんのは、フジは何のために次元の扉を開いたのか」

 

「キシベの命令」

 

「それはない」

 

 提言したものをマサキは即座に否定する。

 

「……どうして言い切れるのよ」

 

「キシベの目的にしちゃ、フジは身勝手に動き過ぎやった。キシベは今までワイらの前に積極的に現れたか? ワイは一度しか会ってへんし、姐さんもその程度やろ」

 

 マサキの言う通り。キシベと物理的に接触したのはそう何度もない。最初のほうこそ重宝されている様子だったが、マサキと組み始めてから状況が一変した。

 

「……じゃあ、何でフジは次元の扉を開いて、破滅を誘発させたの? ユキナリが何の考えもなくそんな事をするとは思えない」

 

「ワイも同感。ミュウツーと同調なんて普通なら一番にあっちゃいかん事や。フジは科学者。その程度、理解していなければおかしい」

 

 では、何の目的でユキナリは再び破滅のトリガーを引く事になったのか。その疑問を解き明かそうとマサキは奮闘しているのかもしれない。

 

「あんたは、どう考えているの?」

 

「ワイか。持論でよければ、やけれど」

 

 マサキは一瞬だけイブキを見やる。イブキが首肯すると、「目的の相違、やと思う」と口を開く。

 

「目的の相違?」

 

「フジに知らされていた情報と、キシベの持っていた情報の質が違った。あるいはフジはキシベに一杯食わされた、と考えるのが筋やろうな。意図的にキシベはフジに間違った情報を掴ませてユキナリの覚醒を導いた」

 

「でもそんな事。フジの下には優秀なエンジニアが何人もいたはず」

 

 そうでなければポリゴンシリーズによる間断のない攻撃が説明出来ない。「それやねんなぁ」とマサキも頭を悩ませる。

 

「ある程度フジに命令権が委譲していたのは間違いないんや。戦力もほぼフジが持っていたと考えたほうがええ。でも、キシベが最後の一線で主導権を握った。どうやってなのか、まるで分からん。そもそもフジの下にいた技術者がキシベに寝返るメリット言うんがな。全く浮かばんねん」

 

 マサキは天然パーマ気味の頭を掻き毟り、「どうしてワイでも分からへんのや!」と半ばやけになった様子で叫ぶ。イブキはキシベの人となりを思い出す。多くの部下を従えていた様子だったが、真に信じるのは己の腕だけ、という部分が見え隠れしていた。だからと言って、キシベが優れたトレーナーであったとは思えない。むしろ、逆だ。トレーナーとしては最弱もいいところ。恐れるべきは、その謀略と先の先を読む先見の明。キシベの手腕はそれに集約されていた。

 

「キシベが、技術者を騙して、フジの下につかせていた可能性は?」

 

「じゃあ何でフジに特別な力の誇示をさせた? そんな事、内部分裂もんやし、フジの力に勝る自身のある駒がない限りリスクが高過ぎる」

 

 ミュウツーに勝てる戦力、というものが咄嗟には浮かばない。ミュウツーは間違いなく最強のポケモンであり、それを操るフジも一流に近かった。そんな人間がどうしてミスをする? ユキナリという最強のカードを手に入れて、どこで踏み誤ればキシベの術中に落ちると言うのだ。

 

「慢心……」

 

「ないない。フジはそういう人間やないのは、相対したワイらが一番分かっとるやん。フリーザーを奪ったあの時、フジは絶対にこの段階まで見越していたはずやねん」

 

 マサキがディスプレイを指差す。そこには一部分だけ押し広げられた波形データがあった。

 

「何のデータ?」

 

「次元の扉が開いた時のエネルギーのデータ。ここの」

 

 マサキが示したのは最も高い値である。その時点で何が起こったのかはイブキにはまるで分からない。

 

「次元の扉が開かれて破滅の一歩手前まで行く瞬間、何か大きなエネルギーが転送されたような形跡がある」

 

「転送?」

 

 思いもよらない言葉に聞き返す。マサキは、「破滅の高エネルギーを利用したもんやろ」と結論付けた。

 

「何が送られてきたってわけ?」

 

「送った可能性もあるんやけれど、ワイはこれこそ、キシベの目的の気がしてならん」

 

 マサキの言葉を咀嚼し、「つまり」とイブキは慎重に言葉にする。

 

「破滅の現象を利用して、異次元に何かを送る、あるいは送ってもらう事こそ、キシベの狙いだった、と?」

 

「そう考えると腑に落ちる部分もあるんやけれど、その何か、ってのがどうしても分からん」

 

「強力なポケモンとか?」

 

「ワイらに邪魔されんとユクシーやらを揃えられたロケット団がそんなもんを恐れるかい。それに強力なポケモン言うても限度がある。破滅のエネルギーを利用してまで欲しい戦力なんて思いつかんな。だがキシベはそれが最終目的だったとすれば今までの奇行も別に変とも思えんのや」

 

 奇行、というのはあらゆるトレーナーを集め、ロケット団をこの時代に建設した事だろう。この時代にこだわらずとも、ロケット団は三十年後にはこの世の春を謳歌するはずだ。何故、それを待てなかったのか。

 

「ロケット団に関する情報、もっと集めるべきだったかもね」

 

「せやな。この情報、言うんは、ネメシスの記録する未来の情報やろ。未来にロケット団がどういう構造の組織やったのか、少しでも分かっていれば手の打ちようがあったかもしれんが、ワイらには未来の情報はほとんど話されていない。この時代で必要な事象と、ユキナリとサカキが特異点である事だけ。ネメシスから情報を搾れるだけ搾るべきやったかもな。まぁキクノもヘキサツールは解読不能言うとったさかい、未来の事象が分からんかったのかもしれんけれど」

 

 もし未来が分かったのならば、キシベを抹殺する方向に動けばよかったのではないのだろうか。だがフジの存在とミュウツーが脅威として立ち塞がった以上、そちらを排除する事を最優先事項として置くしかなかった。少なくとも、ほとんど音沙汰のないキシベよりかは危険だと思われたのだ。キシベの所在は今も分からない。サカキもそうだ。ポケモンリーグも最終局面。サカキという駒をどこで導入するつもりなのか、さっぱり分からない。

 

「サカキを、いつ使うつもりなのかしら」

 

 そろそろ動き出さねばおかしい。マサキは、「あるいはもう使っとるんかもしれん」と答える。

 

「いつよ?」

 

「それが分かったら苦労せんて。サカキは公の場にほとんど出てないし、ワイも会った事すらないんや。枝もつけられへんし、そんな隙のある人間やないんやろ?」

 

 全てはゲンジの弁であったが、イブキ達はその頃シルフの穴倉に篭っていたのだ。シルフビルでこそサカキに接触出来た最大の好機だっただろうに。

 

「それはゲンジしか、知らないわ……」

 

「だからゲンジは今動いとる。キシベの所在が掴めそうなのはゲンジだけやからな。無論、こっちからモニターしようとは思っとるけど、キシベがそれを許すような相手やとは思えん。逆にこちらが掴まれたら、手に負えんな」

 

 マサキはお手上げのポーズをする。マサキでさえも手の負えなければ誰にも対処出来まい。

 

「でも、その頃にはヘキサがあるかどうかも分からないんでしょ」

 

 明日の戦いで航空母艦ヘキサは崩壊する。その予感に、「せやろなぁ」とマサキは返した。

 

「キュレムを使う、言うんは、この航空母艦を捨てる、言う事やし。まぁ、ヤナギからしてみればその価値はあると判断したんやろ。全てはユキナリとの決着、か。あいつは全くぶれんな」

 

 それに引き換え自分は、とイブキは顧みた。最初は純粋にフスベの里を盛り立てるためのトレーナーとして優勝候補に祀り上げられ天狗になっていた。それをへし折ったのはユキナリだが、結局、ユキナリとはろくに勝負も出来なかった。

 

「私だって決着つけてないのにね」

 

「でも姐さんにはもうその気はないんとちゃう?」

 

 見透かしたマサキの声にイブキはため息をつく。

 

「……あんた、そういう勘だけは鋭いわね」

 

「ユキナリとの戦い云々にこだわるよりも王になりたいんやろ? 姐さん、諦めだけはええから」

 

 王になるためにはユキナリとの戦闘は避けられない、というよりもユキナリとの戦いは極力避けて玉座を得たかった。自分と相手との彼我戦力差が分からないほど衰えてはいない。

 

「皮肉な事に、ユキナリと戦わない事こそが玉座に一番近いんだって分かってしまっている」

 

「その点、ヤナギはアホやんなぁ。ユキナリと戦えば絶対に王になるか野垂れ死にするかのどっちかやって分かっているのに、それでも諦められん、ってのは」

 

「でも、私は立派だと思うわ」

 

 自分には出来なかった理想を勝手に押し付けているだけなのかもしれないが、ヤナギなら、という希望もある。

 

「でも、ユキナリも負ければ死や。必死の戦いになるやろうな」

 

 どこか寂しげにマサキは告げる。マサキも現状維持こそが最大の幸福だと思っていたのだろうか。

 

「ヘキサがなくなるのは、嫌なの?」

 

「ヘキサはなくならへんよ。上層部、七賢人はヘキサを名前変えてでも存続させる腹積もりやろうし、ヘキサという組織はなくならん。ワイは、ヤナギというリーダーがいなくなるのが少しばかり寂しいだけや」

 

 意外だった。マサキが人に入れ込む事はないだろうと思っていたからだ。

 

「あんた、他人に期待したりするのね」

 

「するよ。ワイかて姐さんを期待しているから色々と出来たわけやし」

 

「おだてても何も出ないわよ」

 

 たしなめてイブキはヤナギがこの先どうするのだろうと感じた。ユキナリに負けるとは一分も思っていないだろうが、万に一つはあり得る。ユキナリは特異点だ。その死が及ぼす可能性ははかり知れない。歴史の強制力がユキナリへと勝利を導くかもしれない。はたまた、純粋に強さでユキナリが勝っている事も考えられない話ではない。

 

「明日勝つのがどちらであろうとも、ワイらの身の振り方が変わる事に間違いはないな」

 

 マサキはどうやらヘキサにそのまま所属する気はないらしい。

 

「あんた、自分の技術を買ってくれるところならどこでもいいんじゃなかったっけ?」

 

「どこでもええよ。でも、ワイはこの先、唾つけられて捨てられるだけや。ヘキサやとな」

 

 その感想は持っていなかった。ヘキサはマサキを信奉しているはずである。

 

「ヘキサは、それほどまでに愚かだとは思えないけれど」

 

「いや、七賢人はワイに代わる人材をもう見つけとるよ。ネメシスの遺伝子研究やロケット団の技術の粋を使ってまで、十年に一度の人材を自ら造り出そうとしとる」

 

 その情報にイブキは目を戦慄かせた。まさかキクコのような悲劇がまた起きるというのか。

 

「それって……」

 

「もちろん極秘。せやかて、ワイには秘密なんてもんは真っ先に意味がなくなるのは知ってるやろ?」

 

 マサキはそれこそヘキサのメインコンピュータにハッキングでもして知り得たのかもしれない。しかし、自分が既に組織に不必要だとされていて全く不安がないかのような面持ちだ。

 

「禁忌の実験で自分の代わりを生み出す、か。七賢人も随分とねじが飛んでいるわね」

 

「しゃあないよ。ワイの代わりが世に出るのには早過ぎる。自分達で天才を作ってしまったほうが速い、言うんは正しい」

 

「あんた、それ自分が天才だって言っているように聞こえるけれど」

 

「せやかて、ワイは十年に一人の天才。それは間違いないやろ?」

 

 マサキの自負は時に困るがその認識は誰よりも正しい。ある意味では客観視出来ている。

 

「そうね。あんたじゃなきゃ、開けなかった扉ばかりだし」

 

「だからこそ、不可解なんやな。この時代に、意図的に人間が集められたようで」

 

 マサキは顎をさすって考え込む。イブキは、「それは偶然じゃないとでも?」と言っていた。

 

「偶然にしても出来すぎとる。もう一つの次元、そっちだともしかしたら分散されとった事象が、この次元では一極集中するって事は、何かしらをこの時代、このポケモンリーグで起こせ、というそれこそ歴史の強制力なんかもしれん」

 

 考え過ぎだ、と言いたかったが、この時代が異常なのはイブキでも分かる。ロケット団の暗躍、ヘキサの台頭、ネメシスという組織が明るみになる。これだけの事を知っている人間は一握りとはいえ、綱渡りのように危うい均衡の上にある。

 

「何か、ね……」

 

「それを引き起こせる人間を、ヘキサツールは特異点と呼んでいるのかもしれん」

 

 だとすれば、発揮出来るのはユキナリかサカキのどちらかだ。だが、明日の勝負に敗北すればユキナリは封印か抹殺。イブキは胸のうちにある予感を口にする。

 

「歴史の強制力が、ユキナリを勝たせると思う?」

 

「いんや。ヤナギは強い。正直、分からん。それに、ワイは正直な話、ヤナギが勝ったほうが未来のあるような気がしとる」

 

「ユキナリが勝つとは思っていないのね」

 

「どっちが勝ってもええよ。ただ、ワイは変えて欲しい。この時代を。言ってしまえば、この次元そのものの宿命を」

 

 いずれ破滅する世界。それを知ってしまった人々は諦観のうちに生涯を終えるか、あるいは抗い続けるだろう。自分達は後者を選んだ。キクノは前者を選び、今もヘキサツールと共にある。

 

「世界の破壊を防いでくれると思う?」

 

「分からん」とマサキは後頭部に手をやって欠伸する。

 

「ただ、世界を破壊する宿命の人間が世界を救ってみるってのも、見てみたいもんではあるやん?」

 

 マサキの言葉にはそれ以上他意はないようだった。破壊と救済が表裏一体。イブキもそれ以上の言葉はなく、ただ信じるしかなかった。

 

 どちらが勝つ事になろうとも明るい未来があらん事を。

 



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第百八十一話「アルテマ・インパクト」

 

 光は乱反射する。

 

 特に氷に包まれたこの航空母艦の上となれば余計だった。アデクに引き連れられ、ユキナリは甲板に立つ。航空母艦は眺めればよく出来ている。本物の軍用の母艦を参考にしたような精緻さがあったが、この時代にこのような巨大建造物が可能とも思えない。他地方でも聞いた事がない。まさしくオーパーツの集積とも言えるこの場所で、ユキナリは宿命の相手を視界に入れる。

 

 ヤナギは青いコートをはためかせ佇んでいる。その眼差しには敵意を超え、憎悪を超越し、宿命となった男の鋭い双眸があった。キクコの事も、今までの事も全て帳消しにはならない。だがこの場で決着がつく。それだけは確かだった。ヤナギの足場付近から氷の両翼が生えている。あれがキュレムだろうか。一度しか見た事がないためにその全容までは掴めなかったが、航空母艦そのものだと聞いていた。

 

「カンザキ・ヤナギ」

 

 その名を呼ぶ。ヤナギは応える。

 

「オーキド・ユキナリ」

 

 お互いに牽制の声も、罵声もない。ここに至れば、ただ名前を呼ぶだけで相手の考えが透けて見えるかのようだった。

 

 ――お前を倒す。

 

 考えている事は同じだろう。倒して、未来を掴む。ユキナリはギャラリーへと視線を移した。航空母艦の甲板はこれから戦場になる。ナツキやキクコ、アデクを含む数十人のヘキサ構成員達が固唾を呑んで見守っている。彼らはこれから降りなければならない。

 

 降りて、航空母艦が崩壊しながらも戦う自分達の決着を見守る事、それしか許されていない。ヤナギも同じ心持ちだったのか、チアキやカミツレへと視線を向けていた。信じ切っている光が彼女達の目にはある。ヤナギを希望として捉えている。だが、こちらも負けていられない。自分を希望だと言ってくれた。明日へと繋ぐ存在だと言ってくれた人々に報いるために。

 

 預けられた命に応えるために。

 

 ユキナリはホルスターからモンスターボールを引き抜く。

 

「いいか? オーキド・ユキナリ」

 

 ヤナギが確認の声を出した。恐らく、余計な事を喋るのはこの瞬間だけだろう。

 

「この戦いに審判はいない。ジャッジするのは己だけだ。戦える限界点まで戦う。もし、トレーナーである自分が死のうとも、それは関係がない。手持ちが戦闘を続けるのならばな」

 

 ヤナギは最期すらも自分以外に託す事の出来る人間なのだろう。ユキナリは応じた。

 

「僕の最後は僕が決める。それでいいんだろう」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「分かっているじゃないか」と口にする。

 

「バトルフィールドが崩れようが、戦闘が深海にもつれ込もうが関係がない。最後の勝負だ。オーキド・ユキナリ」

 

「かかって来い。お前とは、戦う事でしか分かり合えない」

 

 悲しい存在だとは思っていない。お互いにそうやって出会うことしか出来ない不器用な関係だったと思うほかないのだ。

 

 ヘキサの構成員達が飛行タイプのポケモンで降り立っていく。グレンタウンでヘキサは解散する。誰一人として信じられなかっただろう。納得していない顔も中にはあったが、ヤナギの最終決定に口を挟む輩は存在しなかった。

 

 その中のナツキへと目をやる。ナツキはユキナリと視線を交わし、一つだけ頷いた。信じている、という確認だった。自分も信じている。帰る場所があるのだ。アデクは清々しい笑顔でサムズアップを寄越す。ユキナリもそれに返した。

 

 ヤナギは全員が降り立った事を確認し、片手をすっと掲げる。地鳴りのような音が連鎖し甲板を揺らした。航空母艦そのものが崩壊の時を迎えようとしている。核であるキュレムの始動はそれと同義である。眼光が煌き、キュレムが氷を打ち砕いて出現する。ヤナギは動じる事なく手を薙いだ。すると氷の足場が形成され、ヤナギは浮き上がる。ユキナリの周囲も同じように足場が形成された。罅割れ、鳴動しながら崩れ去っていく戦場へとユキナリはボールを投げて叫ぶ。

 

「いけ、オノノクス!」

 

 ボールが割れて光と共にオノノクスが氷の足場に降り立った。三ヶ月前と同じ、自分の手足のように感じ取れる。オノノクスは黒い瘴気を身体から放出する。ヤナギはそれを見やり感嘆の吐息を漏らした。

 

「やはり、普通ではないな」

 

 ヤナギは手を薙ぎ払う。キュレムが咆哮し、身体の右側から白い体毛が出現した。瞬く間にキュレムの身体が直立し、発達した前足を振り上げる。既に腕の形状となったその掌に赤い光が集約された。

 

「クロスフレイム!」

 

「オノノクス、ドラゴンクロー!」

 

 キュレムが赤い光を放り投げる。オノノクスは牙から赤い磁場に包まれた黒い瘴気を纏い付かせて一射した。空中で二つの技がもつれ合い、相殺の爆風がお互いを煽る。

 

「オノノクス!」

 

「キュレム!」

 

 双方の手持ちの名を呼んだのは同時だった。オノノクスはユキナリの思惟に従い、氷の足場を踏みつけながらキュレムへと肉迫しようとする。キュレムは身体の前で腕を交差させたかと思うと、一瞬にして白かった部分が黒色へと変化した。その早変わりにユキナリは瞠目する。

 

「何だ……」

 

「クロスサンダー!」

 

 キュレムが左手に青い光を収束させ、それを握り潰したかと思うと十字の剣の形状と化した青い光を保持してキュレムはオノノクスへと打ち下ろした。射線上の光が奪い取られ、青い磁場が生成される。周囲の空気を巻き込んだその一撃をオノノクスは真正面から受け止めた。赤い磁場が走り、黒い剣閃が瞬いて「クロスサンダー」を相殺させる。

 

「見た事のない、攻撃……」

 

「この三ヶ月、無駄に過ごしたわけではない!」

 

 ヤナギの雄叫びに呼応してキュレムがもう片方の手を押し広げる。

 

「瞬間冷却、レベル5!」

 

「弾いて回避! 上段に回れ!」

 

 十字架の剣との鍔迫り合いを中断し、オノノクスは脚を膨れ上がらせて跳躍する。瞬間冷却の攻撃が先ほどまでオノノクスがいた空間を凍て付かせた。

 

「打ち下ろせ! ドラゴンクロー!」

 

「馬鹿の一つ覚えで!」

 

 急降下のエネルギーと共に黒い瘴気がオノノクスへと纏い付く。発射された一撃をキュレムが「クロスサンダー」の剣で弾き落とす。

 

「俺のキュレムには! 勝てん!」

 

 電磁を纏いつかせた剣がオノノクスを突き刺すかに思われたがオノノクスは両腕を振り上げ、二の腕の筋肉を膨れ上がらせた。

 

「衝撃波で減衰させろ、ダブルチョップ!」

 

 二つの手刀が衝撃波を生み出し「クロスサンダー」の剣と干渉波のスパークを弾けさせる。

 

 ヤナギが舌打ちを漏らす。ユキナリは、「蹴り飛ばして距離を!」と指示を飛ばす。オノノクスは堅牢な足の爪で剣を蹴飛ばし、宙返りを決めて着地する。だが、着地したその場所は既に崩壊の只中にある氷の戦場だ。

 

「甲板も、航空母艦も、キュレムが動き出した事で崩壊するのか……」

 

 だがいささか崩壊が思っていたよりも早い。ユキナリが歯噛みするとその合間を縫うようにキュレムが電気の剣を振り下ろす。オノノクスは牙で受け止めようと振るった。その瞬間、剣が弾け飛ぶ。直後に広がったのは氷の欠片だった。先ほどまで電気の剣だと思って打ち合っていたものが氷で包まれていたのだ。オノノクスが牙で受け止めた事により、砕け散ったそれらが周囲へと拡散する。

 

「氷が、囲うみたいに……」

 

 ヤナギが拳を握り締める。ユキナリはキュレムが再び白い姿に戻っている事に気づいた。内部から赤い光が滲み出し、キュレムの血管が浮かび上がる。光が放射された瞬間、「駄目だ! この距離は!」と叫び、オノノクスへと思惟を飛ばそうとする。その直後の事だった。

 

「コールドフレア」

 

 赤い光が氷を透過したかと思うとそれぞれの欠片をレンズのように利用して瞬時にオノノクスを包囲する。赤い光が満ちた瞬間、爆撃がオノノクスを襲いかかった。光の爆心地が融解し、足場となっていた氷壁が根こそぎ剥がれ落ちていく。キュレムが攻撃の余韻を確かめ元の姿に戻ろうと身体を沈める。前足が短くなり、前傾姿勢になったキュレムの全身から蒸気が迸っている。

 

「コールドフレアはミュウツーでさえも退けた技。これを食らって、生きているとは……」

 

 その言葉の先を遮ったのは黒い剣閃だった。キュレムの無防備な身体へと突き刺さる。ヤナギが瞠目した。

 

「まさか!」

 

 余剰衝撃波で歪んだ視界と爆風が逆流する。渦の中心にいたのはオノノクスだった。ユキナリも健在であった事をヤナギは驚愕の眼差しで受け止める。

 

「生きていたか……」

 

「この程度で、膝をつくわけにはいかない」

 

 だが今の攻撃、炎の属性ではない。恐らくは氷の攻撃の一部。それが爆発のような熱量を瞬時に作り出した。氷の攻撃はドラゴンであるオノノクスにとって効果は抜群。全身が焼け爛れたかのような熱さを皮膚に感じ取る。意識が今にも閉じそうだった。オノノクスの表皮にもダメージはある。だがそれ以上に操る自分自身が陥落してしまいそうだ。

 

「トレーナーが自ら思惟を飛ばし、ポケモンを操る同調か。その域に達している事は、なるほど、さすがは特異点だと言わざるを得ない。だが、逆にそれを使わない事が強みでもある」

 

 ヤナギは同調をしていない。だからこそ、キュレムに無茶な機動をかけられる。恐らくは同調していたのならば瞬時に姿を切り替え、攻撃技を切り替える事も出来ないはずだ。ヤナギは普通のトレーナーとポケモンの関係の最果てまで行っていると考えていいだろう。思惟を使わず、感知野も用いない。しかし、鋭敏な反応と同調以上の戦いが出来る。

 

 これ以上の使い手には出会った事がなかった。

 

「……お前は、どうしてそこまで」

 

 強くなれるのか。呼気を荒くして口にした言葉にヤナギは、「追及だ」と答える。

 

「自分がどこまで行けるのか、どこまで試せるのかの追及。それこそが俺の強さ。同調、それが究極点だと言ってしまえばそこまでだ。俺は異を唱える。それ以上が、ポケモンとトレーナーの――いいや、俺とその手持ちならば可能だと」

 

 キュレムが呼応する鳴き声を上げる。キュレムほどの伝説級がヤナギという小さな一個人を信じている。それも心の奥底から。だからこそ引き出せる強さがあるのだろう。ポケモンとトレーナーが、同じように相手の強さの最大限まで引き出そうとしている。理想的な関係と言えた。

 

「でも、僕だって負けていられないんだ」

 

 歯を食いしばり、ユキナリは思惟を飛ばす。それそのものが苦痛を伴うものであっても、最後までオノノクスと共にある。それが信じると決めたのならば。勝つと決意したのならば、その務めだ。

 

「まだ同調に頼るか。ならばキュレム、教えてやろう。本当のポケモントレーナーというものを」

 

 キュレムが黒い姿に変身し、左腕を振るい上げる。またも電気の剣が来るかと身構えたが、今度訪れたのは氷の欠片だった。青い電磁がそれらを繋いで網としてオノノクスを囲む。ユキナリは戸惑い、オノノクスもどこに攻撃を絞るべきか逡巡する。

 

 その一瞬の隙をヤナギは見逃さなかった。青い電磁が剣のように尖り、内側に絞り込まれた。網が一気に集束し、内側に電流の剣が顕現する。これは攻撃だ、とユキナリが判ずるまでの僅かなロス。オノノクスに伝わる前に集まった電流の剣の束が突き刺さった。腹腔を貫かれたかのような激痛がユキナリへと襲いかかる。思わずその場に膝をついて呻き声を漏らした。

 

「フリーズボルト」

 

 ヤナギが技名を口にする。今の攻撃も電気の属性を帯びているが本質は氷だ。オノノクスへのダメージははかり知れない。それ以上に、操るトレーナーである自分の限界が近かった。

 

「オノノ、クス……」

 

 ユキナリが揺れる視界の中、手を伸ばす。オノノクスは電流の追加効果で痙攣していた。指先が震え、直立する事も儘ならないようである。

 

「同調は、なるほど、確かに一種の究極点ではある。だが、それに頼れば何でも通用すると思うな。キュレムと俺はお前に決して超えられないものがあると痛感させるだろう。お前は、その人生の最後に、これ以上のない完全な敗北を味わうのだ」

 

 ヤナギの声がどうしてだか近くに感じられる。聴覚が麻痺したのだろうか、と思ったが違う。ヤナギが足場を近づけて、ユキナリへと近寄っていた。何をするのか、と麻痺した頭脳で感じているとヤナギはユキナリの首根っこを掴んで引き上げると、拳で頬を殴った。

 

 打ち据えられた頭がゆらゆらと揺れる。

 

「そんなものか」とヤナギは挑発した。

 

「俺の前に幾度となく立ちはだかり、その都度俺に絶望を突きつけてきた、オーキド・ユキナリの強さはこんなものかと聞いている!」

 

 ヤナギは倒れ伏したユキナリを蹴りつけた。視界の中にはキュレムに首根っこを掴み上げられたオノノクスの姿が映る。主と同じようにキュレムによって命を奪われようとしていた。

 

「この距離ならば何の問題もない。瞬間冷却で思考まで凍らせてやる」

 

 ヤナギは言い放ち、キュレムへと命令を放とうとする。ユキナリは思考が靄に包まれていくのを感じていた。

 



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第百八十二話「未来を掴む手段」

 

 パソコンを使わせて欲しい、と提言したのはやはりまずかったか。

 

 言ってからそう感じたが、ユキナリは訂正する気もなかった。マサキとイブキは揃いも揃って驚愕の眼差しをユキナリに注いでいる。

 

「パソコン、聞いたらマサキさんが一括管理しているって。だから本人に聞くのが一番早いって聞いたんですけれど……」

 

 濁したのはイブキと同室していたからだ。もしかすると、居てはならない状況に出くわしてしまったのかもしれない。

 

「すいません、後で……」

 

 回れ右をしようとするとイブキが慌てて立ち上がり、肩を引っ掴んだ。

 

「ご、誤解しないで! 誰がこんな変人と!」

 

「変人とは心外やな、姐さん。ワイら、ずっと運命共同体や言うてたやん」

 

「馬鹿! この状況をややこしくしているって分からないの?」

 

 イブキの声に、「姐さんが男の部屋に入ってくるのが悪いんやん」とマサキは唇をすぼめる。

 

「で、何やて? パソコン貸して欲しいって?」

 

 ユキナリの本題にようやく移り、イブキは威厳を取り戻すように咳払いをした。

 

「どこに繋げる気なの?」

 

 イブキの質問にユキナリはホルスターに手を添えて返す。

 

「ニシノモリ博士に。もしかしたら、最後になるかもしれないから」

 

 自分は処刑されなければならないのかもしれない。だがオノノクスはその咎を負う必要はないのではないか。その考えからだった。幸いにもグレンタウンからならばマサラタウンは近い。イブキに任せる事も出来る。ユキナリの考えを読み取ったのか、イブキが今度はがっしりと両肩を掴み、首を横に振った。

 

「……駄目よ。そんな考えは」

 

「でも、イブキさんになら任せられます。もしもの時に、オノノクスが封印対象にならないように、ニシノモリ博士に言っておきたいんです。博士の承認があれば、イブキさんか、ゲンジさんでもオノノクスを継続して任せられますし、もしかしたら僕なんかより、もっと充実した研究成果を――」

 

「そういう事を言っているんじゃないの!」

 

 遮って放たれた言葉にユキナリは表情を強張らせた。イブキは真剣な声音で、「諦めちゃ駄目」と口にする。

 

「私を倒した、あの時の威勢はどこへ行ったの? 絶対に無理な状況でも、あなたは覆してきた。どうして今までの自分を信じられないの?」

 

 イブキの言葉はありがたい。だがユキナリは首を横に振る。

 

「僕は、駄目だ。駄目なんですよ。ヤナギに勝てるビジョンがない。今までは、絶対に無理だと思えても、僕を最初に旅に駆り立ててくれた人の言葉を思い出して立ち上がれた。……でも、その人物が、敵であるキシベだったなんて」

 

 ユキナリの声音が震えている事を感じ取ったのだろう。イブキは手の力を緩める。

 

「キシベ……?」

 

「そうなんですよ。僕は、旅に出るはずじゃなかった。トキワシティでキシベ・サトシさんに出会ったから、旅に出ようと思い立てたんです。でも、そのキシベは全ての元凶だった。僕を特異点として利用し、フジ君を殺したのも、サカキを操っていたのもそのキシベだったんだ! ……もう、僕は何を信じればいいのか分かりません。最悪の境遇でも、夢を追う資格のない人間はいないって言う、キシベさんの言葉で立ち直れてきたのに……」

 

 もう、その人物が敵である事を知ってしまった。知らなかった頃には戻れない。キシベはフジの死の遠因になった人物だ。サカキも、特異点も、ロケット団も元を辿ればキシベである。キシベは最初から、あの日自分に出会い、旅立たせる事を仕組んでいた。偶然なんかではなかった。運命なんかではなかった。全ては必然の計画の内だったのだ。だとすれば、自分の努力も、鍛錬も、戦いも、友情も、全てキシベに仕組まれていた気になってしまう。

 

「僕の旅に、意味はなかった……」

 

 イブキは言葉を返そうとしない。慰める言葉も見つからないのだろう。

 

「そうやな。キシベに騙され、いいように転がされて、ここまで来たんや。特異点である事も知らず、オノノクスを覚醒に導き、破滅のトリガーを引く存在までになってしまった」

 

「マサキ!」

 

 イブキが声を荒らげる。マサキの言葉はあんまりだと感じたのだろう。ユキナリは拳をぎゅっと握り締める。ここで糾弾されても何の文句も言えないと感じていた。

 

「……けれどな。本当にそうか? お前、本当に全部キシベの言葉だけで決めてきたんか?」

 

 マサキが問いかけてくる。立ち上がり、ユキナリへと歩み寄った。イブキが退く形となり、マサキの顔が真正面に映る。覚えず視線を背けると、「ワイは、そうは思わん」とマサキは口にする。

 

「人の意思が、誰かの都合のええように、その思惑通りに変えられたって? 確かに、キシベは読めん奴や。先の先まで考えていても不思議やない。でも、お前が出会ってきた連中は、ほんまに全部キシベの思い通りの出会い方やったと思っとるんか? 対立も、友情も、恋慕も、全部キシベの手中やったと?」

 

 ユキナリはハッとする。今まで出会ってきた人々は、形こそ違えど、ユキナリと時に対立し、時に手を組んで高め合えた。それこそがライバルであり、友なのだと感じていた。

 

「キシベの思い通りなんて、そんな事は絶対にあらへんのや! そう思いとうなかったらな、全てを手中に置いていたキシベを、この局面で見返したろうって気持ちはないんか? 男やろ?」

 

 マサキの言葉はそのままユキナリへと突き刺さる。マサキは手元の端末をユキナリに手渡した。

 

「ワイは、少なくともお前には考える自我があると思っとる。そりゃ、科学者としては完全同調で消えてしまったお前と、今のお前は同じかどうか分からんよ。でもな、気持ちじゃ違う。お前はお前や! オーキド・ユキナリなんや! 特異点やとか、オーキドの血なんて関係ない! 全部覆してしまえ!」

 

 マサキの言葉に押されるようにユキナリは端末を受け取る。マサキは、「それだけ言わせてもらう」と穏やかな口調になった。

 

「マサキさん……」

 

「お前からしてみれば、ワイも卑怯な大人やし、勝手気ままな人間に映るかもしれん。でもな、信じろや。そういう奴ばっかりやない。世の中、意外に捨てたもんやないで」

 

 マサキは部屋を出て行く。それを追ってイブキも出て行った。ユキナリは回線が繋がっている事を確認し、博士のアドレスへとメールメッセージを送る。するとすぐさま返信が来た。ビデオチャットの表示が開き、ユキナリは承認する。すると、博士の顔が大写しになった。

 

「あの、博士……」

 

 博士からしてみれば自分は三ヶ月もの間、音信不通であったはずだ。ユキナリが言葉を考えあぐねていると、「ユキナリ君」と博士は口を開いた。

 

「まず、こう言うべきかな。おかえり、と」

 

 その言葉に博士は全てを知った上で自分と通話しているのだと感じた。恐らくナツキから聞いたのだろう。

 

「ただいま、って言うべきなんですかね……」

 

 苦笑すると博士も笑って、「そうかもね」と頷いた。

 

「どこから話すべきなのか分かりませんけれど……」

 

 ユキナリは今置かれている状況を説明する。自分は特異点と呼ばれる特別な存在であり、封印か抹殺かが迫られている。それを覆すにはヤナギに勝つしかないのだと。ユキナリはオノノクスで立ち向かう、と口にしてから博士は、「オノノクスの調子は?」と訊いてきた。

 

「ついさっきまで、氷の拘束の中にいましたけれど、元気みたいですよ」

 

 ボールを透かして中を覗く。オノノクスは好調だ。問題なのは自分のほうだろう。

 

「ユキナリ君。三ヶ月前、オノノクスのデータを送ってくれたね」

 

 突然話が飛んだものだからユキナリは、「えっ」と戸惑った。博士は細長いレシートのようなデータ用紙に視線を落としている。

 

「三ヶ月前のデータだから参考になるか分からないが、オノノクスの覚えている技はきちんと四つある」

 

「四つ?」

 

 ユキナリには覚えがない。オノノクスの覚えている技は確か二つだったはずだ。

 

「ドラゴンクローと、ダブルチョップだけじゃ……」

 

「そうじゃないみたいだよ。詳細にデータ解析した結果、オノノクスはもう二つ、技を使える。ハサミギロチンという技と逆鱗という技だ」

 

 逆鱗はゲンジが使っていたのでイメージが出来る。だがもう一つは聞き覚えもなかった。

 

「ハサミギロチン……。どういう技なんですか?」

 

「有り体に言うのならば最強の技、かな」

 

「最強の……」

 

 ユキナリが言葉を詰まらせる。その意味するところが分からなかったからだ。博士は説明を始める。

 

「ハサミギロチンは命中すれば、ほぼ確実に相手を倒せる。一撃必殺系の技と言われている」

 

「一撃必殺……」

 

 そのような技を習得していた覚えはない。だが、オノノクスへの進化も唐突であった。その進化の際、自分では理解していなかったものもあるのだろう。現に「ドラゴンクロー」は明らかに強力になっていた。

 

「意図して使った事は?」

 

 ユキナリは首を横に振ろうとしたが、エリカとの戦いの最中や、メガゲンガーとの戦闘に使った正体不明の影の断頭台を思い出す。あれが「ハサミギロチン」だとすれば。その前提でユキナリは、「意図しないで使った事なら……」と答えた。

 

「オノノクスの特性は型破り。これは相手の特性に関係なく放てるというものと判断して間違いないだろう。だとすればこのハサミギロチン、ほぼ全ての相手へと通用する技と考えられる」

 

 博士曰く、特性を無視して一撃必殺の技を加えられるのは相当なアドバンテージなのだと言う。しかし、ユキナリからしてみれば狙って使えない技など論外だった。

 

「ヤナギに勝たなくっちゃいけないんです。それなのに狙って出せない技は使えません」

 

「きっかけはなかったかい? ハサミギロチンを使う前後に?」

 

 ユキナリは考え込む。使用の前後、確か昂揚感に包まれていた覚えならばあるが、それは根拠に欠けるだろう。

 

「分かりませんね。それに一撃必殺って絶対に命中するんですか?」

 

「命中率は限りなく低い。同じレベルならば三十パーセント前後。レベル差で変動するがレベルの高い相手にはまず当らないと考えていいだろう」

 

 では余計に実戦向きではない。ユキナリはもう一つの技について問いかける。

 

「逆鱗は、どうなんです?」

 

「こっちのほうが使いやすいかもね。ただ酷使すると混乱状態に陥るから多様は禁物だけれど。攻撃の値がかなり高いオノノクスならば逆鱗をメインに据える事で有利に戦いを運ぶ事が出来るかもしれない。だが、それは通常の相手の場合、の話だ。ユキナリ君、明日戦うヤナギが所持しているのは、キュレムと言っていたね」

 

 ユキナリが首肯すると博士は難しそうに眉根を寄せた。

 

「博士。僕にはよく分かっていないんですが、キュレムって言うのは?」

 

「説明するほど私も詳しくはないが、イッシュにそれに近いポケモンの報告例がある。ただ外見や能力などは一切不明だが、ヤナギが使うのならば氷タイプだと推測される。ユキナリ君、分かっていると思うがドラゴンは氷に弱い。この弱点を克服する技を持っていないのはある意味では不利に働くだろう」

 

「キュレムが伝説級だとも聞きました。それほどに?」

 

「イッシュの伝説と言えば建国神話の英雄伝説が有名だが、それに該当するポケモンがない。一説では黒い龍と白い龍という記述のある事からこちらはドラゴンタイプである可能性が高いが、もし、キュレムが氷・ドラゴンの両面を持つポケモンならばオノノクスの天敵だ。だが同時に、ドラゴンの部分を突く事も出来る。可能性だがね」

 

 勝てる算段はあるかもしれない。一縷の希望にすがるしかなかった。

 

「逆鱗は、まだ使いこなせる自信がありません。それに、ハサミギロチンも」

 

 博士は熟考の末に、「だとすれば今まで通り」と口を開く。

 

「ドラゴンクローとダブルチョップをメインに据えるしかない。だが、伝説級に対してドラゴンクローの攻め手が通じるとは、正直思えない」

 

 だが諦めるわけにはいかない。命がかかっているのだ。博士も分かっているのだろう。必死に策を巡らせようとしてくれているが、ユキナリは心に決めた。

 

「博士。僕はどんな事があってもオノノクスでキュレムを破ります」

 

 相手に背中は見せない。どのような状況に置かれても戦い抜いてみせる。その覚悟に博士は、「……どうあっても、かい?」と尋ねる。

 

「君を失えばナツキ君が苦しむだろう。それだけじゃない。私だって心が苦しい。君は、だって前途ある若者なんだ。その若者の命が、大人の身勝手で散っていってしまうのを静観していられるほど、私は冷徹じゃない」

 

「でも、後は僕の問題です」

 

「ユキナリ君、抱え込む事は――」

 

「分かっています」

 

 博士の言葉を遮り、静かに諭す。

 

「分かっています。僕は、ただ闇雲に立ち向かうわけじゃない。勝って、未来を掴みに行くんです。誰でも出来るわけじゃない、僕にしか綴れない未来を」

 

 その言葉に博士は、「悪いが無責任に応援は出来ない」と答えた。

 

「リーグ事務局に、直訴する事も辞さない覚悟で、私はいる。このような戦いがまかり通っていいのか。ヘキサという組織を暴くつもりだ」

 

 だがヘキサは既に地方行政くらいは手玉に取っているだろう。博士の声は揉み消される可能性があった。

 

 それでも博士は考えを曲げる様子はない。

 

「これが、私の戦いだ」

 

 博士もまた戦おうとしている。この世の不条理から。自分の見出した希望を繋ぐために。

 

「ありがとうございます。僕とオノノクスで、勝ちます」

 

 勝たなければならない。未来を掴む手段は、それしか残されていないのだから。

 



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第百八十三話「勝利への渇望」

 

「――勝つ」

 

 口中に血の味が広がる。ユキナリは片手で身体を持ち上げてもう一度呟いた。

 

「勝つ。そのために来た」

 

「口ではどうとでも言える。反撃してみろ、オーキド・ユキナリ」

 

 ヤナギの足を掴み、ユキナリは引き込んだ。ヤナギが眉を僅かに上げる。ユキナリはそのまま足にすがりつく。

 

「勝つんだ……。僕と、オノノクスなら」

 

「いつでも瞬間冷却の中に放り込む事が出来る。この状況下で勝つとのたまうのは、現実的じゃないな」

 

「たとえ夢物語でも……」

 

 ユキナリはよろりと立ち上がる。自らの身体を動かしているのは、自分だけの意思ではない。半分がオノノクスと混じり合っている。ポケモンと人間の境目が曖昧になり、獣の本能に呑み込まれそうになる。

 

「夢を追う資格のない人間は、いない!」

 

 オノノクスが赤い眼を開く。その脈動がユキナリの中へと流れ込み「ヒト」としての閾値を越えていくのが分かった。

 

「完全同調……。破滅をもたらすつもりか」

 

 オノノクスの黒い斧牙に赤い脈動が宿り、その首を薙ぎ払う。それだけで空間がビィンと震えキュレムの腕から血飛沫が舞った。覚えずキュレムが手を払って離す。オノノクスは崩壊していく氷の足場へと着地し、低く咆哮する。

 

「だから、僕は……!」

 

「獣になるのも厭わない、か。それも、確かに一種の覚悟の形。だが」

 

 ユキナリのがら空きの懐へとヤナギの拳が入る。ユキナリは肺の中の空気を吐き出した。

 

「俺とキュレムは、それを超える!」

 

 キュレムが白い姿になり、右手に熱量を凝縮させる。放たれた光弾をオノノクスは牙で弾くが、弾いた瞬間、それが起爆した。十字に炎を押し広げさせ、オノノクスが爆風で煽られる。一瞬だけ、同調している視界が眩く包まれた。だがその一瞬でキュレムは距離を詰めていた。オノノクスが咄嗟に反応して攻撃を見舞おうと腕を薙ぎ払う。しかし、キュレムはその手刀を手首から掴み上げ、瞬時に凍結させた。オノノクスからの激痛のフィードバックがユキナリを襲う。左手首が凍傷に蝕まれていた。

 

「完全同調とは、即ちポケモンのダメージを全て引き受けるという事。通常ならば、使えば勝てるだろうな。だが、相手はこの俺とキュレムだぞ?」

 

 キュレムが右手を掲げる。オノノクスの眉間へと手刀が突き刺さった。ユキナリは額を押さえて激痛に叫ぶ。瞬時に傷口が凍て付き、内部から侵食してくる。

 

「その程度の力で立ち向かう事、それに勝てるとのたまった事が間違っている。脳の内側から凍って死ね」

 

 キュレムの冷気が内部からユキナリの思考を分断する。血潮さえも凍り付く外気。オノノクスが眼球をぐるぐると回し、死の瀬戸際まで追い込まれる。

 

 ――負けるのか?

 

 ユキナリの思考の一点に浮かんだのは死への恐怖でもなく、ただそれだけだった。ここまで来たのに、自分は敗北すると言うのか。

 

「……い、嫌だ」

 

 喉を震わせた声はほぼ無自覚だった。ヤナギが怪訝そうに見やる。

 

「僕は負けたくない。この勝負に、勝つために生きてきた。今ならば分かる。僕は、勝たなきゃいけない。ヤナギ、お前を倒してまででも」

 

「俺を倒して、何を望む? 玉座か?」

 

「……そんなもの、欲しければくれてやるさ」

 

 自分でも意外な言葉にヤナギは瞠目する。自分は玉座が欲しくて今まで戦ってきたわけではない。今になってそれがようやく分かった。

 

「僕は、僕の欲しいものは、もう手に入っているんだ。なんて、遠い回り道をしてきたのだろう。僕が望むのは、勝利への渇望だ。今まで、そんなものを望んでいる事を頭では否定してきた。そんな醜い代物が、僕の望みであるはずがない、と感じていた。でも、死を間際にして分かった。僕は、ただ勝ちたいだけだ。それは、誰を踏み越えてでも、この世界を巻き添えにしてでも」

 

「その身勝手で世界が滅びる。それを勘定に入れているのか?」

 

「……かもしれない。でも、失うのを恐れていたら前には進めない。僕は、失いながら進むんだ。それが、生きていくって事なんだ」

 

 恥も外聞も捨てて叫ぶ。ユキナリは、自分の真の望む願いへと。

 

「僕は純粋に、誰にも負けたくないだけだ!」

 

 願いの鼓動が弾け飛び、オノノクスへと伝播する。オノノクスが視界を定め、キュレムを睨んだ。その直後、オノノクスの内部骨格が赤く燐光を帯びる。キュレムが掴んでいた左手首から煙が棚引いた。

 

「この高温……、逆鱗か」

 

「ヤナギ! 僕は勝つ!」

 

 その願いのためならば何を犠牲にしても構わない。逆鱗の光が制御出来ないうねりとなって身体を突き抜ける。オノノクスの背筋から赤い光の羽根が伸びた。

 

「獣となるのも恐れないか。だが、オーキド・ユキナリ! 負けられないのは俺も同じだ!」

 

 ヤナギがキュレムへと指示を飛ばす。キュレムが黒い姿になろうと体色を変えかけて、オノノクスと同期した腕を伸ばす。キュレムの手刀が突き刺さったままの眉間へと、オノノクスが手を薙ぎ払った。キュレムは咄嗟に手刀を抜こうとしたが、それよりも素早くオノノクスの光を纏った手が命中したらしい。指が何本か削げ落ちていた。

 

「俺のキュレムに傷を……!」

 

 オノノクスは眉間に突き刺さった指を取り払い、鋭い眼光をキュレムに向けた。額の傷跡が内側からの光で浮き上がる。十字の傷の上に、縦の一本線が刻まれていた。

 

「三本の線、六角形を形作るのに必要な要素……。なるほど、皮肉だな。俺のキュレムが、ヘキサの象徴たる俺自身が、お前とオノノクスを完璧の領域に引き上げるとは」

 

 オノノクスが咆哮する。空気が逆巻き、暴風がキュレムへと襲いかかった。赤い燐光を混じらせた疾風を、しかし、キュレムは冷却した風で受け流す。

 

「僕は勝つ!」

 

「来い! オーキド・ユキナリ!」

 

 オノノクスが薙ぎ払った腕の風がキュレムへと突き刺さる。キュレムは黄色い眼光に戦闘本能を滾らせて睨み返す。瞬時に黒い姿になり、電流の剣を形作ったかと思うと、オノノクスへと投擲した。オノノクスの肩口に「クロスサンダー」の剣が突き刺さる。ユキナリは肩を押さえながらヤナギへと飛び込んだ。

 

「現実の俺を認識している? 完全同調ではないのか?」

 

 飛んできた拳を避けたヤナギが瞠目する。ユキナリは、「いや、完全同調さ」と震える指先を見やった。

 

「だが、お前でもその先がある事を知らなかったみたいだな」

 

 ユキナリの視界には既にヤナギは実体を伴っていない。光の塊が人間の形を取っているだけに見える。光はそれだけではなく万物に流れているのが理解出来た。視覚ではなく五感と第六感を駆使して戦う。これが、自分とオノノクスの最大到達点だ。

 

「僕の肌に突き刺さるのは、これは風だ。その微粒子までも感じられる」

 

 鋭敏な感覚はそれだけでも毒のように身を揺さぶる。一点に留めておくと、それ以外が見えなくなってしまう。ユキナリはあえて、オノノクスと情報を分断した。オノノクスはキュレムと戦えばいい。自分の相手は、ヤナギ自身だった。

 

「完全同調でありながら、その上があったというのか。マサキのデータにはなかったな。だが、ここまで来れば最早迷いは微塵にもない。オーキド・ユキナリ。お前を殺す事に躊躇いは一切感じなくなった。もう化け物なのだからな」

 

 キュレムが右手を顔の前に翳す。氷で失った指が補強され、再び炎熱を充填する。

 

「させない!」

 

 ユキナリの声が響くと同時にオノノクスが牙を振るって黒い光条を放つ。キュレムは右腕で弾こうとするが、その時には既に右腕を侵食されていた。黒い顎のように映る存在がキュレムの右腕に噛み付き、そのまま肘から先を食い千切った。キュレムが目を見開き、ヤナギは、「まさか」と口にした。

 

「キュレムの右腕を、引き千切るほどの威力など」

 

 信じられない声音だったが、直後に膨張した炎のエネルギーが生き別れになった腕と共に爆破し、ヤナギは考えを改めた様子だった。

 

「……なるほど。人間とポケモンの垣根を冒すもの。それが特異点、オーキド・ユキナリという事か!」

 

 ユキナリは雄叫びを上げてヤナギへと拳を見舞うがヤナギは軽くステップを踏み、「そのようなへっぴり腰で!」とユキナリの背中に肘鉄を食らわせた。

 

「俺に敵うものか!」

 

 手を振り翳し、キュレムがもう片方の腕に青い光を滾らせる。黒色へと変化したキュレムが電流の剣を振るい上げた。オノノクスが牙を振るう。黒いブーメランのようなものが二つ、キュレムに向けて放たれた。キュレムは電流の剣で薙ぎ払うが、黒い何かはそのまま顎へと変異し、電流の剣を噛み砕いていくではないか。キュレムと共にヤナギが震撼したのを感じ取る。

 

「何だ……? さっきの、右腕を引き千切った攻撃と同様か?」

 

 ヤナギとキュレムの判断は早い。即座に剣を手離す。電流の剣は断頭台のような顎に食い潰された。

 

「対象を絞った攻撃、さらに属性も関係なく発動する必殺の一撃……。統合するに、これは食らえばお終いだな。俺が知っている通りでは、ハサミギロチン、角ドリル、絶対零度が思い当たるが」

 

 その中に「ハサミギロチン」が入っている事にユキナリは目を瞠る。ヤナギの審美眼は伊達ではない。ポケモンの特性、攻撃属性に至るまで全てを瞬時に読み取る。

 

「ハサミギロチン、だと考えられるが、この威力と射程、それに命中精度。ただ闇雲に撃っているにしては馬鹿に出来ない。本気で、潰しにかかるか」

 

 ヤナギがすっと指を振るい落とすとキュレムが右腕の断面を押さえた。歯を食いしばり、生成されたのは氷の義手だった。

 

「付け焼き刃で申し訳ないが、我慢してくれ、キュレム」

 

 氷の義手の内部へと青いチューブと赤いチューブが交差して接続される。どうやらそれが神経の働きをするらしい。指先の末端まで至ると、元の腕の通りに指を動かしてみせた。

 

「氷の腕が、動く……」

 

「俺が到達した凍結術の極みを見せてやろう。お前のオノノクス、ハサミギロチンとどちらが強力か――」

 

 キュレムが氷の右腕を振るい上げる。その瞬間、周囲の空気が震え出す。振動が景色を歪ませ、霜が降り始めた。氷の右腕の内部で赤い神経と青い神経が螺旋を描き、瞬いた。その直後である。

 

 オノノクスとユキナリをプレッシャーの網が襲いかかった。肌が粟立ち、ユキナリはオノノクスへと後退を促す。

 

「思い知れ!」

 

 先ほどまでいた空間が凍り付き、巨大な氷の立方体が立ち現れた。何もない場所からキュレムが生成した、というわけではない。キュレムは空間そのものを凍結させたのだ。キュレムが右腕を握り締めると立方体が内側から弾ける。まともに食らっていれば同じ末路を辿ったであろう。

 

「今の攻撃は……」

 

「絶対零度。一撃必殺の技だが命中精度と射程距離が限りなく短い。マンムーならば使いどころもあるのだが、キュレムの射程や特殊攻撃力を加味した場合、使わないほうが一般的だろう。だが、オノノクスのハサミギロチンに対抗するにはこの技しかない」

 

 目を凝らせばキュレムの右腕で螺旋を描いていた赤と青の神経が途切れている。ユキナリの視線を読み取ったように、「気づいたか」とヤナギが言う。

 

「この攻撃は強力さゆえに、連発出来るものではない。通常の腕ならば二三回には耐えられるだろうが、氷の義手では神経接続が途切れてしまう。一発で命中させねば後がないな」

 

「何故それを」

 

 ユキナリは荒い呼吸のまま口にする。

 

「僕に教える?」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「完全同調の状態のトレーナーと対等に渡り合うには」と語り始める。

 

「同じ状態に身を浸すか、あるいは別の道を模索するか、決断は早目にするべきだ。完全同調、出来る出来ないではなく、やらない。それが俺の答えだ。リスクの高さと相討ち覚悟でもない限りする意味がない。そして、俺はお前に勝って勝利者として降り立つ。それが目的。だからあえて、トレーナーとポケモンの垣根は越えず、このままで戦う」

 

 何という信念だ。ユキナリはその志の高さに感服すらしてしまう。ヤナギは自分と同じフィールドには立たないとあえて宣言した。だが、手の内は全て明かす。それが対等だと感じたのだろう。ユキナリもそれに応える義務があった。

 

「僕とオノノクスは完全同調状態。だからオノノクスを殺せば僕も死ぬ。つい先ほどまでの攻撃はハサミギロチン。一撃必殺だ。どうしてだか、僕とオノノクスは長距離射程で、広範囲の攻撃を連発出来る」

 

「その代償は大きいはずだ」

 

 恐らくは完全同調によるリスクが代償であろう。あるいは命を削る代物か。どちらにせよ、ユキナリはそのような危険性を恐れている場合ではなかった。

 

「僕は、勝つ。それ以外はもう考えない事にした」

 

 ユキナリの言葉にヤナギは、「それでこそ、我が怨敵に相応しい」と青いコートをはためかせる。

 

「来い! 迎え撃ってやる!」

 

 ユキナリはオノノクスへと前進を促す。オノノクスが内部骨格から赤い燐光を滲ませ、氷の足場を蹴りつけた。もうほとんどの足場が崩落し、残るはトレーナー同士の足場と数えるほどのものしかない。オノノクスが逆鱗の翼を羽ばたかせてキュレムの攻撃射程へと入る。

 

 その瞬間に黒い斧牙の一閃を放った。何度も撃てる、とヤナギの前で大見得を切ったが恐らくはそれほど強力な技ならば五回前後。そして、先ほど三回撃った。もう二回しか撃てない。一射した黒い顎の一撃に対してキュレムは左腕を掲げた。左腕に黒い顎が噛み付く。即座に噛み切られていくが、代わりに右腕を温存しているのだろう。オノノクスが攻撃射程に入るのを待っているように思われた。ユキナリは牽制の「ドラゴンクロー」を放ち、キュレムの懐へと入る。あと一発。それを確実に命中させ、倒すには射程に入るのを恐れては不可能だ。キュレムがオノノクスへと狙いを定める。右腕が振るわれ、一撃必殺の技が放たれるかに思われた。

 

「今だ!」

 

 オノノクスが牙を振るう。黒い一撃に対して放たれたのは「ぜったいれいど」ではない。赤い神経が脈動している。今まで前に出していた左腕が「ハサミギロチン」によって引き千切られ、炎熱を固めた右手が視界に入った。

 

 ――絶対零度じゃ、ない?

 

 ヤナギが口元を緩める。

 

「誰が、絶対零度を撃つと言った? クロスフレイム」

 

 縮まった距離で放たれた灼熱の十字架はオノノクスの身体へと叩き込まれた。その攻撃でオノノクスとユキナリが仰け反った一時の隙。それを狙い定めたかのように再び空気が鳴動していく。

 

 いけない。射程内だ、と身体を動かそうとするが既にオノノクスは逃げられない距離にまで至っていた。キュレムが口角から白い吐息を棚引かせる。

 

「絶対零度。これを放てば俺の勝ちだ。お前は死に、宿命に決着がつけられる」

 

 ヤナギは顎をしゃくり、「オーキド・ユキナリ」と名を呼んだ。

 

「言い残したい言葉があるならば今聞こう」

 

 ヤナギなりの温情だろう。ここまで戦った敬意を表したいのかもしれない。仰け反ったオノノクスとユキナリは、「残したい言葉は――」と首を戻した。

 

 その瞬間、ヤナギが戦慄したのが伝わる。牙にはまだ黒い瘴気が纏い付いていた。それが必殺の一撃の威力を誇る事にヤナギは気づいたのだろう。「馬鹿な!」と声を荒らげる。

 

「先ほど、ハサミギロチンは撃ち尽くしたはず……」

 

「誰が、ハサミギロチンだと言った?」

 

 どちらも一撃必殺の技を持っているのならば、先に使った側の負けになる。相手の先の先を読み、どこまで手を打つかにかかっている。

 

「お前がクロスフレイムを隠すために左腕を犠牲にしたように、僕はハサミギロチンの最後の一撃を残すために全ての技を出し尽くした。さっきのはドラゴンクローだ。ハサミギロチンの攻撃モーションを真似た、な」

 

 今まで一片通りの使い方しかしてこなかったのは理由がある。「ハサミギロチン」の攻撃モーションを確実にヤナギは学習しているはずだった。そうでなくともキュレムにはどの動きがどの技に連携しているのか即座に分かるだろう。だから「ハサミギロチン」を連発した。牙を振るう動作がその攻撃に直結しているのだと錯覚させるために。

 

「一手、遅れを取ったというのか。この俺が……!」

 

 両方の牙に黒い瘴気が満ち、牙を伝う赤い脈動が熱を伴った。キュレムが右腕を振るい落とす。その手から一撃必殺の技が放たれる。どちらも相手を射程内に収めていた。

 

「絶対零度!」

 

「ハサミギロチン!」

 

 足場で二人のトレーナーが相手へと向かって駆け出す。拳を振りかぶり、双方に向けて放たれた。黒白の彼方の一撃に全ては吸い込まれていった。

 



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第百八十四話「真伝説」

 

 航空母艦が崩壊していく。

 

 グレンタウンの沖から臨めるのはそれだけだった。方舟のように映る航空母艦がブロック状に崩れ落ちる。今までの日々も、戦いも全てを無に帰す覚悟の現われに映った。ヤナギはそれを賭けて戦っている。心の灯火、プライドというものを。ナツキにはそう感じられた。

 

 ナツキだけではない。ヘキサの面々は皆、ユキナリとヤナギの戦いに固唾を呑んで見守っている。どちらが勝とうとも、何の文句もない。ヘキサの人々にはヤナギが希望の象徴に映る事だろう。ユキナリとヤナギ、どちらを信じればいいのか。昨日には迷いのしこりとなっていたものだったが、もう心に決めた。決してユキナリを裏切る事はないと。ユキナリもナツキの期待を裏切る事がないのだと感じていた。

 

「氷の要塞が破壊されて……」

 

「キュレムが動いとるからやろ。オノノクスも同じくらいの強さで向かっているみたいやけれど、勝つのはどっちか分からんな」

 

 マサキの声には一抹の寂しさが混じっているようだった。ヤナギに一時でも賭けたものがあるはずである。それが崩れ落ちると言うのだ。寂しくないはずがない。

 

「おい、見ろ!」と誰かが指差した。その先には黒と白の光が交差して弾け飛び、航空母艦を一挙に破砕した。球状に開いた空間には二体のドラゴンタイプが対峙している。

 

 片や、赤い光を全身から放つ黒いポケモン、オノノクス。片や、白い姿のまま、氷結した身体を直立させているキュレムがいた。キュレムは氷を義手のように固めた右腕を突き出したままの姿勢である。オノノクスは体表面のほとんどが氷によって侵食されていた。

 

 全員がキュレムの勝利を感じ取った。キュレムは右腕を静かに下ろす。オノノクスの全身を氷が包み込もうとする。ナツキは思わず目を瞑った。その時である。

 

 鋭い音が響き渡った。目を開くとキュレムの身体へと黒い影が迸っているのが目に入った。キュレムが小刻みに震える。自らに起こっている事象が信じられないかのように。右腕を動かそうとすると、内側から破裂した。右腕を失い、左腕も千切り落ちている。両腕を失ったキュレムが仰け反った。黒い影はキュレムそのものを両断していた。ずるり、と半身が落ちていく。キュレムの身体が海面へと沈み、オノノクスの体表面の侵食が収まった。オノノクスは気づいたのか、赤い光を再び灯らせて翼を広げる。ゆっくりと砂浜へと降下したオノノクスに誰かが、「オーキド・ユキナリが勝ったんだ……」と呟いた。

 

「ユキナリが……?」

 

 半ば信じられない心地でナツキも口にする。キュレムは断末魔の叫びを上げる事もなく、静かに沈黙している。海に沈むその身体を支えるものは何もない。両腕を失ったキュレムが沈み込もうとするのに、ナツキは咄嗟にホルスターに手を伸ばした。

 

「ハッサム、メガシンカ!」

 

 声に応じ、メガハッサムが駆け抜けてキュレムを受け止めようとする。キュレムは身体のほとんどを破砕されており、最早手遅れなのは誰の目にも明らかだった。だがその骸が海底へと沈んでいくのは見ていられない。ナツキはその一心でキュレムを抱き留めた。キュレムは呼吸音と大差ない鳴き声を発する。

 

 すると、頭上で鈍い音が聞こえてくるのに気づいた。仰ぎ見ると氷の足場の上で二人の人影が交錯していた。お互いに相手を殴り合い、顔は赤く腫れ上がっている。ユキナリとヤナギだった。

 

「まだ、戦っているって言うのかよ……」

 

 誰かが信じられないように呟く。徐々に降下してくる氷の足場の上でユキナリが拳を振り上げた。ヤナギはそれを受け止め、ユキナリの腹部へと膝蹴りを見舞う。

 

 ユキナリは歯を食いしばりヤナギの背筋へと肘鉄を食らわせた。ヤナギが呻き、その手が薙ぎ払われる。ユキナリの頬を捉えた一撃によろめいた隙にヤナギはおぼつかない足取りで距離を取った。

 

 ユキナリも同様でよろよろと後ずさる。

 

 お互いに体力の限界に達している様子だった。だが、二人は戦いをやめようとしない。一喝する叫びを放つとユキナリは相手の顔を殴りつける。ヤナギも叫びながらユキナリの顎へと容赦ない一撃を食い込ませた。

 

 ユキナリは額に手をやって足取りが危うくなるが辛うじて持ち堪えてヤナギを睨み据えた。ヤナギは肩を荒立たせてユキナリを挑発するように手招く。ユキナリは構えを取り、ヤナギの頬を力いっぱい殴りつける。ヤナギは氷の足場に血の唾を吐いてから、ユキナリの頭部へと拳を放った。ユキナリは腕で押さえようとするが力が足りず、たたらを踏む結果になる。ヤナギは姿勢を崩したユキナリを蹴りつける。ユキナリは足を払い、倒れたヤナギを引っ張って頬へと張り手を見舞った。

 

 ヘキサの面々はただ硬直するしかなかった。自分達のリーダーが、破滅を誘発した相手を殴り合っている。それが全く理解出来なかったせいだろう。ナツキも、このように暴力的なユキナリを目にするのは初めてだった。鼻血をユキナリは拭い、「この程度か」と頬をさするヤナギを睨んでいる。

 

「まだまだァ!」

 

 ユキナリの拳が空を切り、ヤナギの拳が眉間へと吸い込まれる。ユキナリはその一撃で倒れたかに見えた。だが、「まだ……まだ」と諦めていない様子である。呼吸音と大差ない声音にもヤナギは容赦ない。立とうとした手を踏みつけて、「そんな手で何が出来る?」と怒鳴りつけた。

 

「何も守れやしない! 大切なものも」

 

「守ってみせる。勝ってみせる!」

 

 歯軋りしたユキナリはヤナギの白いマフラーを引っ張る。激情したヤナギが、「貴様ァ!」と叫んでユキナリの鼻っ面を蹴りつけた。ユキナリはマフラーを離さない。ヤナギは、「穢れるだろうが!」とユキナリに容赦のない攻撃を浴びせる。

 

「貴様のような凡俗に!」

 

「黙れ! お前のような奴に!」

 

 バランスを崩して倒れたヤナギへとユキナリは馬乗りになって拳をぶつける。

 

「僕は、勝つんだ!」

 

「貴様がっ! 貴様がいるから!」

 

 ユキナリの拳を受け止めきれずにヤナギの声に苦悶が混じる。氷の足場がようやく砂浜に降り立ったがそれでも二人は離れようとしなかった。お互いを罵倒し、殴り合っている。

 

 割って入る勇気を持つ者など誰もいない。ヤナギが身体をひねってユキナリを振るい落とし、立ち上がって顔を拭った。白かったマフラーは血で汚れていた。ヤナギの顔は赤く腫れ上がって痛々しかったが、それはユキナリも同じだ。呼吸音がしばらく続いた後、双方、雄叫びを発した。身体の奥底から発せられた声が砂浜に響き渡り、吸い寄せられるように拳が相手の頬を打ち据える。両者共にそれを満身に受け、仰向けに倒れた。その段階になってようやく、「ユキナリ……」とアデクが口にした。それに倣うかのように人々が、「ヤナギさん」、「リーダー」と声を出していく。ナツキもメガハッサムを置いてユキナリの下へと駆け出した。近づいた瞬間、思わず口元を押さえる。ユキナリの顔は血で塗れていた。拳も真っ赤である。

 

「ユキナリ、しっかり!」

 

 肩を揺すると切れた瞼を開き、「ナツキ……?」と声を漏らす。ナツキは思わず嗚咽の声を出した。

 

「よかった……! 生きている……!」

 

 ナツキがユキナリの頭を抱き、「あんた馬鹿よ。大馬鹿よ!」と喚いた。

 

「……うるさいな。馬鹿じゃないよ」

 

 ユキナリの声には憔悴があったがきちんと脈動もある。どうやら命には別状がないらしい。対してヤナギの側も多くの人々が詰めかけ、呼びかけを続けていた。

 

「ヤナギさん!」

 

「ヤナギ! 起きろ! 貴公は、務めを果たしたのだから!」

 

 チアキの平時を知っているのならば信じられないような声音に驚く。取り乱した様子のチアキとカミツレの呼びかけにヤナギは僅かに目を開いた。

 

「……耳障りだ。大きな声を出すな」

 

 ユキナリと同じようにヤナギは小言を漏らして気がつく。チアキとカミツレを含むヘキサのメンバーが安堵に顔を綻ばせた。

 

「よかった……! ヤナギ」

 

「……聞かせろ。勝ったのはどっちだ?」

 

 だからこそ、ヤナギの放った言葉は全員の度肝を抜いたのだろう。勝敗云々よりも生きている事が素晴らしいと言うのに、ヤナギはあくまで勝負にこだわっている。それはユキナリも同じだった。

 

「オノノクスは……?」

 

 首を巡らせてその視界に砂浜へと降り立ったオノノクスを入れると、ユキナリはやおら立ち上がった。

 

「どこへ……」

 

 ナツキの声に、「オノノクスには」とユキナリはよろめきながら返す。

 

「僕がいなくっちゃ。手持ちを、失うわけにはいかない」

 

 その信念とも言うべきか、意地とも言うべき部分にナツキは息を詰まらせ、ユキナリの背中に抱きついた。ユキナリが歩みを止める。ナツキは早口に呟く。

 

「ユキナリ。もう、終わったんだよ」

 

 その言葉でようやくユキナリはヤナギへと目を配る。ヤナギはチアキの肩を借りて、「まだ、勝負がついていないとのたまうつもりはない」と顎をしゃくる。

 

「お前の勝ちだ、オーキド・ユキナリ」

 

「僕の……」

 

 ユキナリは呆けたように口にする。ナツキはユキナリがこれ以上傷つかないように抱き留めた身体を離すつもりはなかった。

 

「あんたはキュレムとヤナギに勝ったんだよ」

 

「僕のオノノクス。そうなのか? 僕は、勝ったのか?」

 

 ユキナリはオノノクスへと問いかける。ダメージはあったがオノノクスは肯定するように鳴いた。

 

「そう、か。僕が勝ったんだ」

 

 先ほどまで殴り合いをしてまで勝利に固執していた姿はどこへやら。ユキナリはようやく現実認識が追いついたようだった。ヤナギはゆっくりとユキナリへと歩み寄る。まだ戦いを続けるつもりか、と身構えたがヤナギは自嘲の笑みを漏らす。

 

「殴っても蹴っても、お前は俺に立ち向かってきた。その男の覚悟と誓い。しかと見届けさせてもらった」

 

 ヤナギはメガハッサムに抱えられているキュレムへと顔を向け、「もうキュレムは死ぬだろう」と冷静に告げていた。

 

「キュレム。墓の一つも立ててやれず、海の底ですまないが、休んでくれ。もう戦う必要はない」

 

 ヤナギの言葉にキュレムはメガハッサムの手を振り払い、沖へとその身体を進ませた。だが両腕のない身体はすぐさま波に煽られ、氷の翼がボロボロと崩れていく。キュレムは振り返らずに海の底へと沈んでいく。それは主人であるヤナギも望んだのならば最期の形でいいのだろう。氷の龍は流氷のように小さくなり、やがて見えなくなった。ヤナギは青いコートの詰襟を開き、懐に留めてあるバッジに手をやる。一つ一つ、丁寧に外してゆき、それをユキナリの手に握らせた。

 

「餞別だ。オレンジバッジ、レインボーバッジ、ゴールドバッジの三つ。勝ったのだからお前に資格はある」

 

 ユキナリは三つのバッジへと視線を落とし、「僕の……」と呟く。

 

「そうだ。ここまで来たんだから後戻りするんじゃないぞ。――王になれ。それが俺を踏み越える人間の務めだ」

 

 ユキナリはヤナギの言葉を受け止めた様子だった。バッジを留め、「これで六つ」と口にする。

 

「ヤナギ。お前は……」

 

 ヤナギはフッと口元を緩め、「負けても清々しい風が吹くのだな」と海上を眺めた。

 

「俺は、敗北者には、地を這い蹲る姿こそ相応しいのだとばかり考えていたが、いざ自分がこれ以上のない敗北を味わうと、まだ終わりたくないというわがままが出てくるものだ」

 

 ヤナギは自分の側に集まった人々の顔を視界に入れ、「お前らもそうだったのだろう?」と目配せした。チアキとカミツレは首肯する。だからこそ、今までヤナギについてきたのだと。

 

「オーキド・ユキナリ。いや、下の名前でいいか?」

 

 ヤナギは手を差し出す。思わぬ行動にナツキも驚愕した。

 

「ヤナギ、あんた……」

 

「もう、意地を張っても仕方がないのだと痛感したよ。お前にも、失いたくない大切な人がいるのだと。だから、この命を賭けた勝負、締め括るために、握手をしたい。今まで相手の死をもってでしか、決着がつけられないと感じていた己への戒めに」

 

 ユキナリは歩み寄り、「それは僕も同じだ」と答えた。

 

「カンザキ・ヤナギ。僕もお前の死でしか、この宿命は変えられないのだと感じていた。でも、そうじゃない。僕達は、共に歩む道も選べるんだ」

 

 ユキナリがヤナギと固く握手を交わす。その光景は今までの二人を知っているのならば信じられないものだったが、二人はようやく超えたのだろう。宿縁という呪縛から、解き放たれたのだ。

 

「ヤナギ、でいいか?」

 

 呼び捨てなのはお互いに不器用なせいに違いなかったがヤナギは頷いた。

 

「ユキナリ。俺を超えたんだ。絶対に、王になれ」

 

「ああ。僕は王になる」

 

 固く誓った言葉にユキナリは水平線を照らし出す太陽の光を眺める。これから向かう先は故郷、マサラタウンを超えた場所。開催地、トキワシティのさらに先にある中枢、セキエイ高原。そこでリーグ戦が繰り広げられるはずだ。

 

「ユキナリ、あたしからも渡すものがある」

 

 ナツキは襟元につけておいた雫の形をしたバッジをユキナリに手渡す。ユキナリはそれを目にして、「いいの?」と訊いた。

 

「だって、ナツキも玉座を目指すなら」

 

「あたしにだって結構ポイントはある。優勝圏内かは分からないけれど、バッジに頼るのはやめるわ。バッジは一箇所に集められなければいけない。そうでしょ? ヤナギ」

 

 視線を振り向けるとヤナギは、「そうだな」と応じた。

 

「これで七つ。全部で八つのバッジのうち、ほぼ全てが手に入った」

 

 ヤナギはヘキサの人々へと呼びかける。

 

「これから、リーグ戦にもつれ込む前に、皆に知って欲しい事がある。バッジに存在する能力についてだ」

 

 ヤナギは声を張り上げる。身体の自由がほとんど利かないというのにタフな精神力だと感服するしかない。

 

「バッジは、ただのシンボルじゃないのか?」

 

 ユキナリが呟くとヤナギは振り返り、「そうだな。お前が一番知らねば」と口を開いた。

 

「バッジを集める事と、その意義について。ユキナリ、ヘキサツールがセキエイの中枢には存在する」

 

 その名を聞き及んでいたのだろう。「ヘキサツールが……?」とユキナリは声を詰まらせる。

 

「ヘキサツールにバッジが埋め込まれた時、真の王が君臨し、カントーの地は磐石な支配の下、何百年、何千年の平和が約束される。ネメシスの目的は王の擁立。そのために傍観を貫いているはずだ。今は、お前に王の資格はある」

 

 ユキナリはバッジをさすりながら、「ヘキサツールを完成させればいいのか?」と尋ねる。だがヤナギは頭を振った。

 

「その逆だ。ユキナリ、お前はヘキサツールを破壊しろ」

 

 思わぬ言葉に全員が息を呑む。ナツキもヘキサツールの完成こそが平和の礎だと思っていただけに意外だった。

 

「何で? ヘキサツールが完成すれば平和になるって……」

 

「言い方が悪かったな。平和にはなる。ただし、この地方のみだ。破滅は四十年後に確定した未来として襲いかかる。恐らくはヘキサツールを有していない他地方のどこかへと」

 

「そんな……」

 

 ユキナリは拳を震わせた。カントーだけの平和をよしとしないヤナギは続ける。

 

「ユキナリ。この状況で、全てを理解し、王になる素質を備え、ヘキサツールの間に招かれる可能性があるのはお前だけだ。お前自身の手でヘキサツールを破壊しろ。それが特異点としての最後の務めだ」

 

「でも……」とユキナリは戸惑う。当然だ。王の証を自ら壊せと言われているのだから。

 

「俺は最初から、ヘキサツールの存在を知った時点で、そうするつもりだった。ヘキサツールの間はネメシスの支配下だ。その情報は既にマサキが手に入れている」

 

 マサキが、「でもやで」と端末のキーを叩いた。

 

「あれは破壊出来んようになっとる。もしかしたらフジから聞いたかもしれんが、エネルギー体が覆っとるんや」

 

 その言葉にユキナリは、「三位一体のエネルギー」と呟く。聞いた事のない言葉にナツキが狼狽しているとマサキは首肯する。

 

「どうやらフジもそこまでは突き止めたみたいやな。それを破る術は聞いとるか?」

 

「サンダー、ファイヤー、フリーザーを使い、擬似的に三位一体を再現する。次元の扉を開く方法で、そうすればやり直せるってフジ君は言っていた」

 

「やり直せる云々は知らんが、その方法論で三位一体を使用し、ヘキサツールを破壊する。そうでしか今までは出来ん、と思われとった」

 

「今までは?」

 

 ユキナリが顔を上げる。つまり、それに代わる方法が考案されたという事だ。

 

「せや。お前のオノノクス、それが持っとる型破りの特性。それでヘキサツールを破壊出来るかもしれん」

 

「僕のオノノクスで……」

 

 ユキナリはオノノクスへと視線を向ける。マサキは天然パーマの頭を掻きながら、「ヤナギでも可能性はあったんやけれどな」と口にする。

 

「白い状態と黒い状態のキュレム。ワイはターボブレイズとテラボルテージと名付けた特性やが、これにも同等の力があった。だからワイはヤナギにこそ頼むべきやと思っとったんやけれど」

 

 ヤナギは鼻を鳴らし、「勝ったのはユキナリだ」と告げた。ユキナリはその分まで背負わなければならない。あまりに重い責任がその双肩にかかっている。

 

「ユキナリ、無茶は……」

 

「大丈夫」

 

 ユキナリは応ずる。その双眸に最早迷いはなかった。

 

「リーグ戦、必ず勝ち残ってヘキサツールを破壊する。そして掴むんだ」

 

 拳を握り締め、その言葉を口にした。

 

「本物の未来を」

 



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第百八十五話「魔神」

 

 爆心地へと降り立つとゲンジは身が竦み上がるのを感じた。

 

 研究所跡地に生きているものの気配はない。ゲンジは息を詰め、手持ちのタツベイに周辺を警戒させていた。握り締めた懐中電灯を震わせ、「この階層が、いわゆる最深部か」と奈落へと続く穴を窺った。全ての光を吸い込むかのように広大な穴が広がっている。ゲンジはタツベイへと命ずる。すぐさまコモルーを経てボーマンダへと進化した背中に跨って、最深部へと降下を始めた。

 

「フジは、ユキナリをそそのかし、何かをさせようとしていたはずだ。ならば、この最深部こそ鍵になる。何が眠っているのか。前情報では三体の伝説級のはずだったが」

 

 ナツキとナタネの情報をすり合わせると、スペックⅤのボールに入っていたのだという。台座に安置されていたが、予め仕組まれていたようにメガストーンがミュウツーに作用し強制的にメガシンカさせた。

 

 その後の顛末は艦長である自分も知っていたが、ミュウツーは破壊された。フジも死亡し、誰がこのような場所を利用するというのだ。通常の考えならばあり得ない。だがゲンジには懸念事項があったのだ。

 

 もし、キシベが生きているとすれば。生きて、何らかの策を講じているのならば、この最深部でこそ行われているはずだと。闇の中で何かが身じろぎしている。懐中電灯を振り向けると、痩身が露になった。馴染みのある黒いスーツ姿の男にゲンジは目を瞠る。

 

「キシベ……!」

 

 キシベはゲンジへと振り返り、「来ましたか」と口にした。ゲンジは着地すると同時に、「何をしている!」と声を張り上げた。

 

「こんな場所で、お前の目的は何だ?」

 

「私の目的は、ロケット団で当に話したと思いますが」

 

 全く動ずる様子のないキシベへとゲンジは警戒心を向ける。何故、キシベがここにいるのか。その目的は推し量れた。

 

「三体の伝説の鳥ポケモンの確保か」

 

 キシベは指を鳴らし、「正解」と答える。

 

「ですが、フジ博士は最後の最後に妙な細工をしてしまったので、開封は今の技術では困難でしょう」

 

「キシベ。やはり無理だ。このボールは、向こうの次元でも規格外だった」

 

 暗闇から聞こえてきた声に、「誰だ?」とゲンジは身構える。

 

「カツラでも、フジ博士でもないな。そこにいるのは誰だ?」

 

 懐中電灯の光を向けると、振り返った人物が視界に入った。この場に似つかわしくないような中年の紳士が仕立てのいいスーツを着込んで佇んでいる。ゲンジはうろたえた。キシベと行動を共にする相手は大体絞れているつもりだったが、その紳士は見覚えがない。

 

「誰なんだ? キシベと関わっているという事はロケット団か?」

 

「これは、これは。ゲンジ殿でも分からないか」

 

 キシベは口角を吊り上げる。ゲンジが怪訝そうな目を向けていると、「無理もない」と紳士は応じた。

 

「三十年前の姿だ。さすがに背格好が違うだろう」

 

 紳士が目を細める。その鋭い眼光には見覚えがあった。だがどうしても思い出せない。キシベと年齢の違わない幹部などいたか?

 

「ミュウツーボールは」

 

「生態認証型だ。フジの生態認証でロックされている。この場にフジの指先の一片でもあれば別だが」

 

「無理でしょうね。フジ博士はその点では最も適した方法で死んでいった」

 

 おぞましき会話に肌が粟立つ。この二人は何を話しているのか。

 

「では三体の伝説は諦めるほかないな。なに、ヘキサツールとやらのためにバッジを集めればいいのだろう? リーグ戦の時にでも総取りすればいい。話ではカンザキ・ヤナギが半分保持しているのだったか」

 

「ええ。こちらの戦力として三体の伝説があれば心強いとだけの話。ロケット団の過度な力の誇示もあなたが王になれば必要ありません。王という説得力が何よりの戦力となるはずです」

 

 キシベは紳士を王に祀り上げるつもりなのか。だが、紳士の井出達ではポケモントレーナーという感じは全く見受けられない。さしずめ、歳若い企業の社長ポジションだろう。

 

「キシベ。何を企んでいる? ヘキサツールを完成させたらどうなるのか、お前が一番分かっているはずだろう」

 

「ええ、ヘキサツールの完成はつまりカントーという土地の支配が磐石になった事を示す。私がやりたいのは、破滅の回避。それは揺るぎようのない」

 

「だが、その代わりに他の地方で誰かが死ぬ。カントーは破滅を免れられても、誰かが滅びをおっ被る事には変わりないんだ」

 

「解せませんね。何故、他人を気にする必要があるのか」

 

「何だと?」

 

 キシベの発言にゲンジが食ってかかる。キシベはゲンジの気迫を風と受け流した。

 

「他地方が滅びても、何の問題もないじゃありませんか。私の目的はロケット団の存続。そのために、この方に王になってもらう」

 

 紳士が歩み出て、「不服か?」と高圧的に告げる。ゲンジは歯軋りを漏らす。

 

「狂ったか、キシベ。今までの計画にない、どこの馬の骨とも知れない人間が玉座にいきなりつくなど不可能だ」

 

「あなたは知り得ていなかっただけ。彼の存在は、しかし開示していたはずですが。大っぴらにね」

 

「そのような男の存在は知らん。俺は、キシベ、お前を止める。ヘキサツールの完成は、確かに滅びを免れる一手段かもしれない。だが、王になってロケット団を存続させるなど驕りだ。そのような考えは死を招くぞ」

 

 ボーマンダが内部骨格を赤く輝かせ、いつでも強襲がかけられるように咆哮する。キシベは、「やれやれだ」と首を振った。

 

「あなたには理想が分からないでしょうね。この崇高な理念。カントーという土地が平和に包まれるんですよ? ロケット団の支配下、ではありますがね」

 

「黙れ! ロケット団の支配などカントーの民草が喜ぶものか!」

 

 ゲンジの怒気に紳士が、「私がかたをつけよう」とネクタイを緩めた。

 

「いいのですか?」

 

「いい。こういう手合いには勝ち負けという結果が一番分かりやすい。ゲンジ、だったか?」

 

 紳士の言葉に、「俺を嘗めないでもらおう」とゲンジは声にする。

 

「ボーマンダは今のところただ一度の敗北しか知らない。それ以外は全て白星だ」

 

「ならば知る事になるな。二度目の敗北を」

 

 紳士の強気な発言にゲンジは息を詰めた。

 

「……後悔するぞ。逆鱗!」

 

 ボーマンダへと攻撃を促す。赤い燐光を滾らせてボーマンダが無防備な紳士へと突っ込むかに思われた。

 

 その刹那、紳士の姿が掻き消える。どこへ、と首を巡らせようとした瞬間、ボーマンダが仰け反った。堅牢なドラゴンの表皮が破られ、血飛沫が舞い散る。何が、と状況を確認する前にゲンジの身体を衝撃が嬲った。視界に広がったのは身体を引き裂いた真っ赤な血潮だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美しいな」

 

 その光景を眺め、感想を述べる。

 

「戦場で散っていく、というのは。トレーナーであった頃の血が騒ぐ」

 

 ゲンジが膝をつき、倒れ伏した。手持ちであるボーマンダも力なく横たわっている。キシベが歩み寄り、「さすが」と拍手を送った。だがそれが表面上のものであることは何よりも理解している。

 

「ゲンジ。惜しい事をしたな。俺のいた次元では、生き永らえればホウエンの四天王になれたものを」

 

 キシベが恭しく頭を垂れ、「あなたの玉座の前には必要ないでしょう」と口にした。

 

「サカキ様」

 

 名を呼ばれサカキは鼻を鳴らす。

 

「この次元では、俺がいた時代とは異なるか。そもそも、俺は生まれてすらいないはずだが?」

 

「時空の歪みによるものでしょう。ヘキサツールがあなたという器をこの時代に招いた。ちょうど、次元の扉であなたがこちら側に招かれたように」

 

 サカキはキシベより聞かされた自分の依り代となるために擁立された少年の事を思い出す。皮肉にも同じサカキの名を冠していたのだという。サカキは天上を仰いで口を開く。

 

「キシベ。夢は見るか?」

 

「夢ですか。私はてんで」

 

「だろうな。お前ほどのリアリストも珍しかった。俺は、あちら側にいた時、何度か見た事がある。全てを失い、ロケット団も解散した後の話だが、眠る度に同じ夢を見た。名も知らぬ少年となって、赤子からやり直す夢だ。今にして思えば、願望が出ていたのかもしれないな」

 

 自分には似つかわしくない感傷に浸っているとキシベは懐から、「その夢が現実になります」と箱を取り出す。サカキは受け取り、蓋を開いた。

 

「フジ博士の遺したもの、か。向こうでもフジ博士は重要参考人だった。ミュウの実験のための」

 

 箱の中には注射が入っていた。針のケースを抜き取り、サカキは自らの腕を捲り上げる。

 

「ミュウツー細胞。それがもたらすものは俺にやり直しの機会を与えてくれるわけか。よかろう。俺は、この次元で再び天下を取る」

 

 針を突き立てる。ピストンを押し込むと身体の内側で脈動が感じられた。鼓動が早まってゆき、意識が朦朧とする。だが、その症状はすぐに治まった。次に感じられたのは明瞭化する視界と思考だった。研ぎ澄まされた思考は全盛期そのものだった。

 

「これが……」

 

「サカキ様。これを」

 

 キシベが襟元につけたバッジを取り外し、サカキへと献上する。サカキはそれを手に取った。

 

「始まりと終わりは同じ、か。これがこちら側の、オリジナルグリーンバッジ」

 

 手にあるのは緑色の葉っぱの形状をしたバッジだった。サカキはそのバッジを胸元に留め、宣言する。

 

「俺が王になる。そしてロケット団の再建、約束しよう。真実の未来を」

 

 

 

 

 

 

 

第十一章 了

 



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永久の夢の章
第百八十六話「最後の大仕事」


 

 自分は職務を全うしたのだ。

 

 カンザキはそう感じるほかなかったし、他人もカンザキを責め立てようとはしないだろう。自分の立場に立たされれば、否応なくこの決断を迫られるはずだ。誰にも、この感情の瀬戸際に、口を挟めるはずがない。カンザキは通話端末を翳し、「私だ」と声を吹き込む。

 

『何でしょう?』

 

 答えたのは以前と変わりない自分の秘書の声だった。一時行方不明となった自分を必死に捜索してくれたらしい。カンザキはネメシスとの会談を決して明かさなかった。それは彼女らとの約束でもある。

 

「優勝候補は、もうセキエイに?」

 

 カンザキの目線は遠く望めるカントーの陸地に注がれている。この不浄の地で、どれだけの血が流されたのか。ネメシスは、これがポケモンリーグだからこそ、最小限の犠牲で済んだ、と説明した。本来ならばイッシュや各国との戦争でさらに多くの人民が命を落としたと。だから、これは最良なのだ、と納得させられたがもちろん腹の内では完全な納得は果たされていない。

 

 船舶が揺れ、カンザキは一瞬よろめく。不眠の日々が続いており、意識が危うかった。

 

「気をつけてくれたまえ」

 

 高速船舶で向かっているのは南方に映るグレンタウンだ。一昨日の事、活火山の噴火として処理された案件をカンザキは確認せねばならない。その実が破滅、という突拍子もならない事だと船舶の主は知るはずもない。

 

「すいませんね。何分、お急ぎで、との事だったんで」

 

 皮肉たっぷりに返された言葉には官僚への不満が爆発していた。カンザキは咳払いし、「で、何人が?」と問い質す。

 

『既に数人がトキワシティへと訪れていますが……、リーグ事務局に問い合わせが殺到していたので言いますけれど、トキワのジムリーダーは不在で?』

 

 知るはずもない。だが、カンザキにはその言葉の意味するところがネメシスから何度も聞かされた事柄と符合した。

 

「……ああ。恐らくは」

 

 この事件をさらにややこしくしている元凶、キシベ。彼がトキワジムのリーダーだと知ったのはつい先日。ネメシスの拘束から解かれる前後だった。歴史の修正をしようとするロケット団の頭目が最後のジムリーダーである事になにやら因縁めいたものを感じないでもなかったが、それよりも管理のずさんさが表立った。経歴を調べないはずがなかったのに。ロケット団の情報網が勝っていたのならば何も言えないが。

 

『最後のジムバッジの取得権について上と少し揉めましたが、高官の裁量でトキワジムに辿り着いた人間全てに平等にポイント配布する事で収束しました』

 

「そうか。それは」

 

 悪い事をした。一瞬だけそう感じたが、自分はそれよりもさらに悪い、最悪と呼べる状況の只中にある事を思い出し、身を引き締めた。

 

「優勝圏内には?」

 

『数名が挙がっております。先着順ですと――』

 

 羅列される名前の中にカンザキは戦慄する。慌てて船舶の主に声を張り上げた。

 

「船長! すまないが、マサラタウンへとんぼ返りしてもらえるか?」

 

 船長が、「はい?」とモーター音に掻き消されないように聞き返す。

 

「今、何ですって?」

 

「マサラタウンに向かってくれと言ったんだ。グレン行きは取りやめる」

 

 カンザキの言葉に船長は眉根を寄せて、「もう着きますけれど……」と不満の声を漏らす。

 

「構わん。金なら倍払う。今すぐにマサラタウンに戻って欲しい」

 

 その後はすぐさまセキエイ高原に向かわねばならないだろう。カンザキは貧乏揺すりをしながら、「頼む、頼むぞ……」と口中に呟いた。

 

「間に合ってくれ……」

 



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第百八十七話「BLAZE Ⅰ」

 

 トキワシティは開催日と同じか、それよりもなお濃い熱狂に包まれていた。人々が口々に叫ぶ。

 

「ポケモンリーグ! ポケモンリーグ!」

 

 群衆の波に呑まれないように高らかな実況が響き渡った。

 

『今、トキワシティは熱気に包まれています! ゆうに百二十三日をかけて、優勝圏内の選手達がここ、トキワシティを出発し、再び戻ってくる時が来たのです! 彼らこそ、真のポケモントレーナー! 真の冒険者達だー!』

 

 実況者も随分と興奮しているようである。それもそのはず、三ヶ月以上をかけてようやくトキワシティに舞い戻ってきた人々は誰も彼も面持ちが違う。旅立った時とは比べ物にならないほど、その顔立ちに凄みがかかっていた。

 

『第一回、ポケモンリーグがここトキワシティの最終チェックポイントを超え、さらなるトレーナーの高み、政府中枢セキエイ高原に設けられた魔境、チャンピオンロードへと歩を進めようとしている! その一歩は偉大なる一歩だと、我々は実感しています!』

 

「随分と喧しい事だな」

 

 ヤナギはそんな中でも冷ややかな声を漏らす。ナツキが、「そりゃ、色んな人達が来ているでしょうよ」とこちらも落ち着き払っていた。

 

「でも、この人達はあたし達の戦いなんて知りもしないのよね」

 

「知らなくってもいい事だ。平和に生きる分には、破滅がもたらされかけたなんて知ったところでどうしようもない」

 

 ヤナギが顔を拭い、「それにしても」と口にした。

 

「俺はヘキサ頭目として演説したはずなのだが、チェックポイントで何も言われなかった事を思うと、政府は俺を追っていないらしい。ネメシスもそこまで暇ではないか」

 

「それこそ無駄骨、という奴ね。まさか首謀者がろくに武装もせずに訪れるとは思っていないんでしょうよ。ねぇ、聞いてる? ユキナリ」

 

 前を歩く自分に声を振りかけられてユキナリはようやく気づいたように返す。

 

「何が?」

 

 ナツキはため息をつき、「こういう性分よ」と呟いた。

 

「ようやくトキワに戻ってきたって言うのに、何の感慨もないのかしら」

 

 そんなはずはない。ユキナリの鼓動は爆発寸前だった。胸を震わせるのは玉座への期待だ。ジムバッジは既に七つ、ユキナリの手にある。チェックポイントであるトキワジムを超えて、残った選手が再び集められようとしていた。旅立った時と同じようにグリッドに並べられ、今度はカントー一周ではなくセキエイ高原への道を辿らされる。

 

 ――ようやく来たのだ。

 

 その興奮に胸を躍らせる。

 

「負けてられんのう!」

 

 アデクはグリッドに並び立った人々を眺めて口笛を吹く。ほとんどのヘキサ構成員はマサラタウンで別れた。チアキもカミツレも、である。ここから先は玉座を目指す人間の進むべき道だ、と諭したのはヤナギだった。

 

 だが必要ないとは断じなかった。むしろ謙虚ささえ漂わせて今までありがとうと礼を言ったヤナギに構成員全員が瞠目したほどだ。それほどまでにヤナギは絶対的な力の象徴だったのだろう。ユキナリは他の参加者と同じように歩を進めるヤナギへと視線を振り向けた。

 

「まさか、僕らが同じような歩調で進むなんて思いもしなかった」

 

 ユキナリの感想に、「俺もだ」とヤナギは告げる。

 

「お前を憎んでいるわけでもなく、ただ清々しい風が胸を吹き抜けるとは。考えられなかった事だな」

 

 因縁は全て消し去った。残っているのはただただトレーナーとしての矜持のみ。ユキナリは一つだけ胸に突き刺さった懸念事項を口にする。

 

「あのさ、キクコは……」

 

「キクコは、玉座には興味がないと言っていた。ニシノモリ博士が面倒を見てくれるというのならばそれでいいだろう」

 

 ユキナリは別れたキクコの横顔が脳裏に思い出され、少しだけ胸に居残った。ユキナリとヤナギの決着を見届けたキクコにはもう以前までのような翳りはない。キクコも乗り越えたのだとユキナリは結論付ける。自分達と同じように、過去の因縁から。以前までのキクコとは別人なのかもしれない。それでも、航空母艦で最後に交わした言葉をユキナリは忘れるはずがなかった。あの言葉は間違いなくキクコの言葉だ。誰かに借りた言葉ではなく、キクコが自分の心に従って放った言葉に違いない。だからこそ、胸を掠めるのは感傷か。ユキナリは初恋の終わりの虚しさも抱きながら玉座へと進もうとしていた。だが、それはヤナギとて同じだろう。ヤナギはヘキサの雑務でまだキクコの気持ちを聞いていないはずである。一番にキクコの事を想っているのはヤナギのはずだ。全てが終わった後、ヤナギは確認するに違いない。その事に関しては自分が口を挟む領域ではなかった。

 

「スターティングポジション、か。三ヶ月前には何百人といたが」

 

 ヤナギは周囲を見渡す。残された参加者は二十人にも満たない。最初の場所に戻ってきた十数人の人々の顔をユキナリは眺めた。

 

「ツワブキ・ダイゴ。イブキさんに、それに見た事のない人達もいるな」

 

 優勝候補と最初からおだてられてこの場所に再び立つ事を許されたのはデボンコーポレーションの御曹司と、フスベの里のドラゴン使い、イブキであった。イブキとは事前にもうお互いにライバルであり、余計な干渉はしない事を誓い合った。

 

「あいつとて、故郷のために必死なのだろう。俺達四人とイブキ、それに何人かの参加者がいるが、実質的に優勝圏内なのはお前か、もう一人くらいだろう」

 

 ユキナリは七つのジムバッジを有している。ほとんど優勝は固いようなものだった。

 

「それでも、緊張しないわけではないよ」

 

 人の列で陰になって見えない参加者もいる。スターティングポジションは三ヶ月前と同じようにアトランダムに組まれており、ヤナギやアデクとはその直前に分かれた。

 

『参加選手で優勝圏内にあるのは今のところ四人です! 集計が立て込んでいるために個人名の絞り込みまで時間がかかっていますが、あと数十分と言ったところでしょう。しかし! ここまで来た猛者達はその数十分さえ惜しいはず! 最終ステージは五分後に開幕します。泣いても笑っても、これが最後! 最後の難関はセキエイ高原へと続く天然の迷路、チャンピオンロードだー!』

 

 ユキナリは最終チェックポイントで与えられたポケギアのデータを参照する。そこには追加マップとしてチャンピオンロードが指し示されていた。

 

『今では政府中枢として名高いセキエイ高原ですが、かつては人間の介入を拒む厳しい自然に守られてきました。そのセキエイ高原へと向かう洞窟こそがチャンピオンロード! まさしく王者の道が口を開けております! 新たなるこの地の王を選定するために!』

 

 セキエイ高原に向かうのに通常ならばならされた道を使うが、まだ整備されていない土地があり、その場所を今回のポケモンリーグになぞらえてチャンピオンロードと呼んでいるらしい。

 

「今まで以上に厳しい野生ポケモンと自然、か」

 

「これまでに数多の試練を乗り越えてきたあたし達にとってはぬるいわね」

 

 隣のナツキが強気な発言をする。ユキナリは、「あんまり強い言葉を吐くと後悔するんじゃない?」と尋ねる。ナツキは、「構うもんですか」と鼻を鳴らす。

 

「ここまで来たんだから」

 

「……何だかナツキの言動ヤナギに似てきたよ」

 

 そうこぼすと、「あたしとヤナギのどこが似てるって言うのよ!」と不満の声が飛んだ。

 

「分かってるって。ただ、ここから先は出たとこ勝負。どうしたって実力でしか生き残れない」

 

 ユキナリの言葉にナツキも、「分かっている」と返す。

 

「せめてマサキさんがいてくれれば、心強いんだけれどね」

 

「マサキさんはシステム面でのサポートはしてくれるみたいだし、もしロケット団の襲撃があったらすぐに対応してくれるって言ってたから」

 

 マサキはこの場にはいない。グレンタウンで追跡調査を行っており、ヘキサ構成員の一部を連れ立っているはずだ。その中にはマサラで別れたチアキやカミツレも合流する手はずらしい。

 

「イブキさんじゃなくっていいのかしらね。あれだけ姐さん姐さんって慕っておきながら」

 

 ナツキの声に、だからこそ、なのではないか、とユキナリは感じる。自分のせいで慕った人間の夢を止めてはいけない。せめて最後くらい迷惑のかからないようにしたい、という思いがあるのだろう。マサキとて人の子だ。どれだけ表面上は傍観者を決め込んでいても自分を叱咤してくれた熱さもある。

 

「マサキさんは、ただ冷たいだけの人じゃないよ」

 

 ユキナリの弁に、「どうかしらね」とナツキは怪訝そうな声を漏らす。

 

「薄情な奴だとあたしは思っていたけれど」

 

 何度も助けられただろうにそれはないだろう、とたしなめようとすると実況者の声が響き渡った。

 

『最終ステージゴールまでの説明を行います! 各選手はスターティングポジションから保持ポイントごとに出発、チャンピオンロードを超え、その先にある殿堂入りの間で自身のポケモンをこの地の玉座に君臨するポケモンとして登録してもらいます。そこで殿堂入りになって初めて、その選手を優勝と見なします! 最後まで全く気の抜けないこの戦い、果たして勝利するのは誰なのか?』

 

 スターティングポジションはポケギアのポイント機能と同期しており、フライングは認められない。ポケギアからゴーサインが出て初めて、チャンピオンロードへ挑む事が許されるのだ。

 

「ユキナリ、勝ちなさいよ」

 

 ナツキの言葉に、「自分だって負ける気はないくせに」と軽口を返す。ナツキは、「まぁね」と首肯した。

 

「あたしのこれまでの戦いの全てを賭けて、これを制する」

 

 ナツキは左目をさすっていた。その動作に心が痛みそうになったのも一瞬、それ以上は考えない事だと自分に戒めた。ナツキとて一端のトレーナーである。

 

「そういや、ナタネさん、意外だったな。ここで諦めるなんて思わなかったのに」

 

 ユキナリが口にしたのはマサラタウンで別行動を取る事になったナタネの話だった。ここまで来たポイントもあるだろうに、それをナツキに与えてまで、「自分はここまででいい」と言ったのである。

 

「でもどうして。ナタネさんだってこの地方の玉座につく権利はあるのに」とナツキは狼狽したがナタネはいつもの飄々とした様子で、「いいんだよ」と返した。

 

「ちょっとあたし気になる事がまだあるから。ナツキちゃんはさくっと王になってくるといいよ」

 

 その言葉に奇妙なものを覚えないでもなかったがナツキは既に割り切っているようで、「あの人はずっとあんな感じよ」と告げた。

 

「だって趣味が暗躍だし」

 

 今までのナタネの言動からしてみてもない話ではない、と考えつきユキナリはポケギアからのアナウンスを聞いた。

 

『オーキド・ユキナリ様。カウント三分前です。三分後に出発許可が下ります』

 

 アナウンスにユキナリは苦笑する。

 

「どうやら思い出話をしている暇もなさそうだ」

 

 ナツキも口元に笑みを浮かべ、「みたいね」と頷く。

 

「頼むわよ」

 

「ああ」

 

 優勝だけではない。ヘキサツールを破壊せねばならないのだ。それこそがヤナギやナツキ、ヘキサの人々から受け継いだ信念である。

 

「僕が、勝つ」

 

 ヤナギとの勝負で見えたものもあった。自分は勝利に飢えている。獣のような獰猛さで勝利を渇望しているのだ。だが今はそれが下劣だとは思わない。勝利を願って悪い事はない。願いを進ませるのは自らの意思によってのみ。ユキナリは心の底から、真の勝利を願っていた。

 

「行くよ、オノノクス」

 

 ボール越しに語りかける。オノノクスは今か今かと待ち望んでいる事だろう。オノノクスに殿堂入りの誉れを与えられるのもそう遠くない気がした。

 

『スタート、一分前』

 

 ポケギアの案内にユキナリは身を沈ませる。駆け出す用意をして再びスターティングポジションを眺めた。自分と同じように駆け出す姿勢をしている人間が一人だけ見つけられた。

 

 ――誰だ?

 

 それを窺う前に実況が熱く響く。

 

『さぁ、いよいよポケモンリーグも大詰め! ポイント獲得数の一二位が同時スタートする時です! 皆さんもカウントしてください! 3!』

 

「2!」と群衆も一緒になって叫ぶ。ユキナリは巡らせようとした首を真正面に向け直す。

 

「1!」

 

 人々の声が相乗し、ユキナリはうねりを感じ取った。これが王を選ぶための戦いのうねり。人々の願いの結晶。それが自分の手に入ろうとしている。恍惚に口元が緩みそうになるがそれを制するように頬に貼った絆創膏の痛みが警告する。

 

 まだ終わっていないのだと。

 

 ヤナギが追いついてくるかもしれない。そうでなくとも自分とそうポイントが変わらない人間が一人いる。一体誰なのか。ダイゴか? それともイブキか? あるいは他の誰かか。

 

 益のない考えに蓋をするようにユキナリは目を閉じ、カッと開いた。

 

『スタート!』

 

 実況の声にユキナリはすぐさまホルスターからモンスターボールを引き抜き、オノノクスを繰り出す。オノノクスの威容に観客達からどよめきが漏れた。

 

 ――どうだ、これが僕のポケモンだ。

 

 誇らしくなりユキナリはチャンピオンロードに続く道を直進する。オノノクスに飛び乗るとオノノクスの足が地を蹴った。チャンピオンロードは薄暗く、入ってすぐに直進は危うい事に気づく。「フラッシュ」の技を使うほどでもないが、考えなしに進めない。そう感じたユキナリの肌を粟立たせるプレッシャーの波があった。背後から近づいてくる。

 

 先ほど見やったポイントの近い選手か、とユキナリは洞窟の奥へと入っていった。すぐにでも殿堂入りの間を抜け、ヘキサツールを破壊するべきだったがその選手に先を越されればヘキサツールどころか殿堂入りすら危うい。息を詰め、「誰だ……」と呟く。

 

「僕とポイントがあまり変わらない奴。ヤナギじゃない。それは確認した」

 

 ヤナギ以外に自分とポイントが変わらない人間はいないと感じていたがそれ以上という事なのだろう。緊張を走らせ、戦闘意識を研ぎ澄ます。チャンピオンロードに入ってきた瞬間、それを狙うしかない。汚い手でもあるが、勝つためならば手段を選んでいられない。

 

「来い……。オノノクスのドラゴンクローで仕留める」

 

 オノノクスが牙に黒い瘴気を棚引かせる。赤い電磁を帯びて発射の瞬間を待ちわびた、その時であった。足元で石ころが転がってくる。洞穴の中に入ってくる気配はない。ただ、石ころだけが同じ調子で降ってきた。それを理解するのに数秒を要した。どうして石ころが落ちてくるのか。それは洞窟内部へと人知れず入った人間の痕跡に他ならない。

 

 ――天井、上か!

 

 ユキナリが振り仰いだ瞬間、紫色の巨躯が大写しになった。

 

 毒々しい棘を背びれに並び立てた全身これ武器とでも言うようなポケモンだった。鎧のような表皮を持つポケモンは大口を開けて咆哮する。ユキナリとオノノクスの反応が遅れた。それは相手のポケモンの気迫のせいだけではない。それを操るトレーナーの姿だった。

 

 黒いスーツを身に纏い、トレーナーは口角を吊り上げる。

 

「――さぁ、ニドキング。狩りの時間だ」

 

 涼しげな目元が細められる。ユキナリはハッとして身構えた。オノノクスの身体へとニドキングと呼ばれたポケモンの攻撃が入る。怪獣と呼ぶほかないポケモンの胸部の中心に紫色の輝きを放つ宝玉が埋め込まれていた。それが中から点火し、ニドキングの攻撃性能を高める。防御の姿勢を取ったはずのオノノクスへとニドキングは恐るべき膂力で迫り、着地と同時に地面を揺るがせた。

 

「大地の力!」

 

 相手トレーナーが叫んで華麗に舞い降りる。ニドキングから放たれた衝撃波がオノノクスの足場を揺るがせ、ユキナリもつんのめった。揺らぐ視界の中で、信じられない、と思いつつも叫ぶ。

 

「そんな、お前は――サカキ!」

 

 だが、ユキナリはそう簡単に認めるわけにはいかなかった。フジと共にミュウツーがキーとなって次元の扉が開いた。グレンタウンを飲み込んだ破滅の瞬間、サカキは次元の扉の向こう側へと吸い込まれていったはずだ。サカキはもうこの世にはいないはずなのに。

 

 オノノクスがニドキングと組み合おうとする。ニドキングは足を踏み鳴らし、拡散させた「だいちのちから」の範囲から亀裂を生じさせた。その攻撃の予感にユキナリは叫ぶ。

 

「駄目だ、オノノクス。距離を!」

 

 オノノクスと瞬間的に同調し、攻撃姿勢から即座に回避行動に移る。飛び退いたオノノクスが先ほどまでいた空間を氷の光線が掃射された。グレンタウンで見せたのと同じ戦略だ。大地の力を触媒にして冷凍ビームを掃射するコンボである。サカキは避けられたのが意外だったのか眉根を寄せた。

 

「避けた、か。だが、その容貌」

 

 サカキは自分を注意深く観察し呟く。

 

「よく知っている。オーキド博士、いや、オーキド・ユキナリだ。特に変わったところはないようだが、一瞬で同調したな。その辺が違う、というわけか。キシベの警告通りにはなりそうだ」

 

「今、なんだって?」

 

 ユキナリはその名を問い質す。サカキは何でもない事のように鼻を鳴らす。

 

「キシベの名が意外か? だが、俺からしてみればお前も意外そのものだ。オノノクス。あちら側ではそういうポケモンの所持歴はなかったはずだが」

 

「……何を言っている? 僕は最初からオノノクスがパートナーだ」

 

 あるいは前回、ミュウツーで対峙したために気づいていないのか。サカキは意味深な笑みを浮かべた後、「なるほどな」と納得した様子だった。

 

「こちら側とあちら側では少し違う。キシベの話通り、楽しめそうだ。オーキド、と言えばもうろくしていたイメージしかないが、これほどまでに強かったとはな」

 

「勝手に納得して、何なんだ。お前こそ、所持ポケモンが……」

 

 ニドキングがサカキの傍に立つ。ユキナリはその威容に固唾を呑んだ。一本の鋭い角が頭部に生えており、丸太のように太い手足はパワーがある事を容易に想像させる。

 

「ああ、ニドキングは初めてだったか? あるいはこちら側の俺はニドキングを使っていなかったか」

 

 先ほどからサカキと自分の言葉は噛み合っているようで平行線だ。サカキが言っている事を全く理解出来なかった。

 

「あちら側って何だ? お前は、僕の何を知っている?」

 

「何を、か。全てだ」

 

 断言した声音にユキナリは息を呑む。

 

「オーキド・ユキナリ。お前は、俺に敗北する」

 



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第百八十八話「BLAZE Ⅱ」

 

『たった今、情報が入りました。最終ステージ、首位争いをまず繰り広げるのはポイント総数一位、オーキド・ユキナリ選手と優勝候補サカキ選手だー!』

 

 実況の声に聞き間違いか、とナツキは顔を振り向けた。だが訂正される様子もない。それどころか実況は続けられる。

 

『サカキ選手は歴史あるチャンピオンロードの入り口から入らず、あえて横穴から入ったー! これはルール上、セーフです! 先行する相手の行動を予見し、予想外の行動に出るのはトレーナーならば当たり前だー!』

 

「今、何ですって? サカキ?」

 

 それはあり得ないはずだった。ユキナリの報告を聞き及んでいる。信じるならばサカキは次元の扉の向こう側へと飲み込まれた。こちら側の次元には、もう存在しないはずなのに。

 

『スタート一分前です』

 

 ナツキの順番が回ってくる。事の真相は追いついて確認するしかないのか。ナツキはポケギアのカウントに従い駆け出した。

 

「行け、ハッサム!」

 

 あえてメガシンカはまださせず、ハッサムを追従させる。すると、すぐに追いついてきたヤナギが目配せした。駆け寄って、「今の」と問い質す。

 

「サカキ、って……」

 

「ああ。俺も信じられないが、生きていたと考えるほかない。他人がサカキの名を名乗ってリーグ戦に出るとしても不利益だ」

 

「何で、サカキなの? だって、ユキナリの言葉通りなら、もういないんじゃ……」

 

「その通りではなかったのか。あるいは、サカキは別の手を打っていたか。アデク」

 

 ヤナギはウルガモスを繰り出しているアデクへと声を振りかけた。アデクは、「何じゃ」と駆け寄ってくる。

 

「俺達三人でユキナリの優勝を阻む奴らを食い止めようかと思ったが、サカキが本当にいるのかどうかを確かめねばならない。場合によってはユキナリかサカキを排除する」

 

 断じた声音にナツキは身体を震わせた。

 

「そんな……。あんた達、分かり合ったんじゃ」

 

「そのつもりだったが、特異点が二人、まだ残っているとなれば話は別だ。特異点二人とヘキサツールの接触は破滅を誘発しかねない。こんな人の多い場所で、破滅が起こってみろ。セキチクの比ではないぞ」

 

 ヤナギの言葉は正しい。多くの人を巻き込んでユキナリが破滅を引き起こせば今度こそ無事では済まない。

 

「キュレムがいればな。だが、悔やんでいる暇はない」

 

 ヤナギは即座に反転し、「先を行け」と命じた。

 

「何を。あんた何のつもりで」

 

「俺が行けば、ユキナリを殺すのかもしれない、と勘繰っているのだろう?」

 

 心の中を読まれ、ナツキは声を詰まらせる。ヤナギは首を横に振り、「その心配はいらない」と口にする。

 

「俺は連中を足止めする。サカキについてはお前らで対処しろ。メガハッサムならば出来ない話でもないはずだ」

 

 意想外と言うほかない言葉にナツキは戸惑う。アデクも同じ調子だった。

 

「お前さんはどうするんじゃ! 優勝をみすみす逃すつもりか?」

 

「そのつもりもない。幸い、ポケギアの通話は生きている。まだマサキが中継点になってくれているお陰で盗聴の心配もない。俺達は連絡を取り合ってサカキを止める。それとユキナリの使命を助ける。その他ない」

 

 ポケギアを掲げ、ヤナギは目線を向ける。自分達が先を行き、ユキナリの助けをしろ、という事なのだろう。だが、それならばヤナギでも適任のはずだ。ナツキは思わず口にしていた。

 

「でも、あんたでもその資格は……」

 

「向かってくるのは強豪揃い。誰もここまで来た連中を過小評価していない。ウルガモスとハッサムは一対一にこそ真価を発揮する。多数を相手取るのならば、俺のポケモンがちょうどいい」

 

 ヤナギはモンスターボールを掲げる。新型ではない、旧式のボールがその手にはあった。

 

「だがヤナギ! お前さん一人で!」

 

「何度も言わせるな、アデク。適材適所だ。メガハッサムとウルガモスならばお互いの短所を補える。合理的に考えれば答えは出るだろう。それとも、お前はそれほどまでに頭が回らない人間だったか?」

 

 ヤナギの言葉にアデクは歯噛みする。頭では分かっている。だが心の底では理解出来ない。

 

「あたし達だって、平等に戦いたい! そのためにここまで来たのに!」

 

「平等、か。だが、サカキの存在がその平等の基盤を揺るがそうとしている。サカキが王になれば、今まで俺達のやってきた事そのものが無為となる。それだけは絶対に避けなければならない」

 

 ヤナギの言葉にアデクが肩に手を置いた。これ以上の説得は無意味だと首を振る。

 

「でも! あんただって、王に!」

 

 そのための野心は持っているはずなのに。ナツキはヤナギが自分の夢を諦めてまで使命に生きる事が許せなかった。それはあまりに寂しい。

 

「ナツキ」とアデクが制そうとするがそれを振り払って声にした。

 

「ヤナギ! 諦めていないから」

 

 その言葉に自分の思いが集約されていた。ヤナギは背中を向け、「重々承知だ」と返す。

 

「俺とて諦観の中にいるわけではない。今だけは足止めする。長くは持たないし、全員を止められるとも思っていない。行け、ナツキ」

 

 その声にナツキは駆け出していた。チャンピオンロードの洞窟が口を開けている。その薄闇の中へとナツキとアデクは続いて入っていった。

 



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第百八十九話「BLAZE Ⅲ」

「さて。あいつらも世話が焼ける」

 

 ヤナギは嘆息を漏らす。

 

 ヘキサで苦楽を共にした事が仇となったか。あの二人に余計な感情が芽生えようとしている。

 

 今までは必要なものだけを取り揃え、不要なものは切り捨ててきた。だがユキナリとの決着の最終局面、それだけで人生は成るものではないのだと気づけたのだ。響き合える人々が、お互いの音を奏で世界は回っている。当たり前の事に今まで気づけなかった。己の不実にヤナギは自嘲する。

 

「皮肉な事だ。まさか誰よりも玉座を目指していた俺が、その一線から退いて足止めの役割を買って出るとは」

 

 これも出会いの成せるものなのか。

 

 ヤナギは向かってくる後続集団を視界に入れた。少女がポケモンを伴って一直線に駆け抜けてくる。海草のような薄っぺらい表皮が紫色に透けている。海底にいたとすれば景色と見分けがつかないであろう保護色に包まれた細長いポケモンであった。見た事がないがだからと言って退くつもりもない。

 

 ヤナギは遮り、「お前らをここから先に通すわけにはいかない」と立ち塞がった。その言葉に細長いポケモンに跨った少女が眉をひそめた。

 

「あら、何様のつもりなのよ?」

 

「悪いが通せないんだ。なに、少しの間だけさ。理解してくれると助かるのだが」

 

「わたしのエースであるドラミドロを前にしても、そんな台詞が言えるの?」

 

 ドラミドロというらしい薄っぺらいポケモンは身体を揺らめかせている。本来、陸にいるようなポケモンではないのかもしれない。僅かに体表が湿っている。

 

「悪い事は言わないが」

 

「そのような勝手なルール。はいそうですか、と頷くわけにもいかない」

 

 あとから続いて声を発したのは銀色の髪に長身の青年だった。デボンの御曹司、ツワブキ・ダイゴ。厄介な相手が後続集団に混ざっていたものだ、とヤナギは舌打ちする。

 

「優勝候補が、ここまで来るとは」

 

 ちら、と視線を振り向けるとイブキだけは何も言おうとはしない。イブキには緊急事態だという事が分かっているのだろう。ヤナギはまず、ダイゴと少女を相手取らねばならなかった。

 

「ツワブキ・ダイゴ。あとは」

 

「ドラセナよ。同じカンナギタウンから出ているのに、どうしてだかシロナばかり注目されていたけれど。シロナはいつだってそう。わたしのほうが実力は上なのに、いつも上から見下して……」

 

 どうやらシロナとは確執があるらしい。ドラセナは、「でも」と顔を明るくさせた。

 

「ここにシロナはいないって事は、彼女棄権でもしたのかしら。わたしの実力に恐れを成したわけね」

 

 ヤナギはこの少女にシロナの経緯を説明するのも馬鹿馬鹿しくなり、「どうだろうな」と適当な声を放った。するとドラセナの表情が笑顔のまま強張っていく。

 

「……わたしを軽くあしらうような人間は許さないわよ? よく出来た二番手ねー、なんて褒められたって」

 

 ドラセナはどうやら押し通るつもりらしい。ダイゴへと視線を振り向けると、「ぼくだって、一応はトレーナーさ」と肩を竦めた。

 

「彼女と同じ気持ちかな。カンザキ・ヤナギ。君の思い通りにはさせない」

 

 デボン社特製のモンスターボールを放り、ダイゴは手持ちを繰り出す。四つの脚部を有する銀色の戦車のようなポケモンだった。赤い瞳孔が射る光を灯す。X字の意匠が中央に刻まれていた。

 

「メタグロス。彼に分からせよう」

 

 臨戦態勢なのはお互い様だった。ヤナギはため息をつき、「少しの間でよかったんだが」とホルスターからボールを引き抜いた。

 

「そちらがその気ならば仕方がない。俺のわがままを聞いてもらえないのならば、こちらも強硬手段だ」

 

 ドラセナが手を薙ぎ払い、「ドラミドロ!」と声にした。ドラミドロが地面を跳ね、尻尾を突き出した。

 

「ドラゴンテール!」

 

 尻尾が切っ先の輝きを放ち、ヤナギへと真っ直ぐに放たれる。ヤナギは短く言葉を発する。

 

「氷壁、レベル4」

 

 直後、空気が氷結し、氷の壁が音もなく現れた。ドラミドロの攻撃が氷壁の前に弾かれる。信じられないものを見る目つきでドラセナが瞠目した。

 

「何よ……、それ」

 

「見えているものだけが答えだ。行くぞ、マンムー」

 

 相棒の名を呼ぶと、ボールから出されたマンムーが茶色の毛並みを揺らして咆哮する。キュレムを使っている間もマンムーのメディカルチェックは欠かした事がない。マンムーにいつでも切り替えられるように準備をしていた。

 

 久方振りの戦闘に心躍っているのは何も自分だけではない。マンムーも主と戦える事を誇りに思っているようだ。

 

「氷の壁なんて、ちょこざい真似を!」

 

 ドラセナが苛立ちを露にし、「ドラミドロ!」と呼びつけた。ドラミドロは筒先のような口から鉄砲水を弾き出す。

 

「ハイドロポンプ!」

 

 ヤナギは手を繰って氷の生成を操る。マンムーに即座に命じた。

 

「瞬間冷却、レベル4」

 

 レベル4の瞬間冷却で命中する前に「ハイドロポンプ」を無力化する。自分には出来ない範疇ではない。そう高を括っていたがドラセナはさらに命じる。

 

「ドラミドロの術中にはまったわね」

 

 ぴくりと眉を跳ね上げる前に「ハイドロポンプ」が紫色に濁っていくのが目に入った。ヤナギは手を薙ぎ払い、「押し出せ」と命令するがその時には氷が融かされていた。融解性能を持つ毒の一種だ、とヤナギが判じた瞬間「ハイドロポンプ」の出力に上乗せされたその技が放たれる。

 

「ヘドロウェーブ!」

 

 ヤナギはすぐに手を振り払い、「氷壁!」と眼前にある氷壁の強化をはかったが氷の壁はいとも容易く剥がれ落ちようとする。

 

「氷も融かす、か。熱性の毒、あるいは多様性のあるものか」

 

「正解は教えないわよ? ドラミドロの強みだもの」

 

 迂闊であった。ドラゴン単一タイプだと思い込んでいたがまさか毒タイプの使い手だとは。ヤナギは舌打ち混じりに、「仕方がないな。マンムー」と呟いた。

 

「そうでしょう? 早くそこをお退きなさいよ」

 

「少しだけ本気を見せてやるほかなさそうだ」

 

 ヤナギの声にドラセナが目を見開く。指を鳴らしヤナギはマンムーへと技を繋がせる。

 

「瞬間冷却、レベル5で氷壁を補強する。今まで、レベル3の氷壁だったからな。これで少しは持つだろう」

 

 その言葉の直後、放たれた冷気が氷壁を固めた。毒に侵されかけていた氷の壁が持ち直す。ドラセナが目を戦慄かせた。

 

「どうした? まさか、この程度で毒タイプ使いを名乗る気じゃないだろうな?」

 

 ヤナギの挑発にドラセナは拳を握り締め、「嘗めているんじゃないわよ!」と声を張り上げた。

 

「ドラゴンテールで至近距離へ!」

 

 ドラミドロが跳ね上がり尻尾の切っ先を用いて氷の壁へと突き立てる。

 

「そこからヘドロウェーブ! ゼロ距離なら!」

 

「氷の壁が崩せると? 随分と短絡的なお話だな」

 

 ヤナギはつまらなそうに指を鳴らす。

 

「氷の壁に触れているのならば触媒を使う必要もない。瞬間冷却、レベル8」

 

 氷の壁から伸びた冷気の手がドラミドロを絡め取る。ドラミドロは氷の気配を感じ取ったのかドラセナの指示の前に飛び退いた。直後、空間が凝固し、先ほどまでドラミドロのいた場所を凍て付かせる。

 

「賢いポケモンだ。主人の猪突猛進気味な指示を受けず、自己判断で瞬間冷却を避けるとは」

 

 ヤナギの言葉にドラセナはヒステリック気味に叫ぶ。

 

「何をやっているの、ドラミドロ! 早く倒しておしまい!」

 

「ドラミドロには分かっているのさ。相性上、マンムーは不利だという事がな」

 

 それでもドラセナは退く気配がない。ここは一気に攻めて諦めさせるか、とヤナギが歩み出て瞬間冷却の手を伸ばそうとする。だが、それを防いだのはまさかのダイゴのポケモン、メタグロスだった。メタグロスはドラミドロの前に出ると鋼の腕で冷気を叩き落した。

 

「何を……」

 

「一方的に負けるレディーを見るのは忍びないのでね」

 

 ダイゴの言葉に、「負けてないわよ!」とドラセナは声を張り上げるが、「冷静になるといい」とダイゴは忠告した。

 

「マンムーは氷・地面タイプだ。そのタイプ構成上、組み込んでいる技があるだろう」

 

 ダイゴの言葉にドラセナはハッとした。

 

「地震……」

 

「そう。地震は貴女のドラミドロの弱点だ。毒・ドラゴンならね。一番受けてはならないのは瞬間冷却とやらの氷で動きを封じられ、そこに地震を打ち込まれること。そうなると、貴女がいくら泣こうが喚こうが待っているのは確実な敗北だ」

 

 ダイゴの言葉にドラセナの興奮が収まっていく。分の悪い勝負である事をダイゴの口から聞かされたことによって冷静さを取り戻しつつあるのだ。ヤナギは歯噛みする。余計な事を口にして、何のつもりなのか。

 

「で、でも、どうしてあなたがそんな助言をするのよ?」

 

 不可解な謎にダイゴははにかんで答える。

 

「なに、ぼくは負けるのが嫌いなんで。だから今からぼくのメタグロスと組んでもらいたい」

 

 その申し出にはヤナギもドラセナも信じられなかった。「はぁ?」と明らかに嫌悪感を露にするドラセナに、「そう嫌な条件でもないはずだよ」とダイゴは笑みを浮かべる。

 

「ここでカンザキ・ヤナギの突破は絶対条件。そうでなくってもぼくらは優勝圏内でも最後尾のグループ。出来れば首位に追いつきたいところだろう?」

 

 ダイゴは自分を売り込んでまで優勝に食い込むつもりだ。そのためには誰を利用しても構わないとする割り切りが見て取れた。

 

「……でも、あなたが勝つという可能性は」

 

「いや、あるよ。ぼくのメタグロスは鋼・エスパー。鋼は氷に弱点を突ける。まぁ、地震が痛いのは貴女と同じだが、どちらかがマンムーの鼻っ面に食い込めば、勝機はある」

 

 ダイゴには驕った様子もなく、ただ事実のみを述べ立てているようだった。ドラセナが揺らぐ気配を見せる。ダイゴは、「そっちの優勝候補さんも、どうだい?」とイブキを誘った。しかし、イブキは突っぱねる。

 

「遠慮するわ」

 

 その言葉にドラセナは、「同じドラゴン使いって言っても、箱入り娘さんじゃね」と小言を口にする。

 

 イブキは歯牙にもかけない。旅の序盤ならば彼女の自尊心を傷つけたかもしれない言葉だが、旅が彼女を強くした。一事の気の迷いで動く事は断じてないだろう。ヤナギを信用している、というよりかは、ダイゴが信じられないから、という部分が大きそうだ。今までマサキというペテン師なのかそうでないのか判然としない相手をつるんできたからか、イブキの眼には迷いはない。だが、それを自分の口からドラセナに伝えたところで逆効果だろう。

 

「どうする?」

 

 ダイゴの提案に、「受けるわ」とドラセナは応じた。

 

「二対一のほうが勝算も高いし」

 

 どうやらドラセナは感情で動くタイプのようだ。ヤナギに勝てないままで時間を無駄に過ごすのが嫌なのだろう。最後尾、とはいえここで足止めを食らっている場合ではない、という焦燥が彼女に決断させた。

 

「では、ぼくのメタグロスで氷の壁を突き破るとしますか」

 

 ダイゴは腕を払い、メタグロスに指示を出す。メタグロスは脚部を展開させて浮遊した。

 

「地震が怖いからね。電磁浮遊させてもらう」

 

「自分だけ安全圏に逃れるつもりか」

 

 ヤナギの糾弾の声はしかしドラセナには届かない様子だった。「ドラミドロ!」とドラセナが呼びかけ、ドラミドロが筒先になっている口を突き出す。

 

「ハイドロポンプ!」

 

 何のひねりもない、直線攻撃だ、とヤナギは氷結の手を伸ばそうとする。しかし、その合間を裂くようにメタグロスが接近する。ヤナギはメタグロスへと氷結範囲を伸ばしかけてはたと取りやめた。

 

「どうした? ぼくのメタグロスを凍らせてもいいんだよ?」

 

「何か手を打っているな。不穏な空気には触れたくないのでね」

 

 氷結範囲を当初の予定通りドラミドロに集中させる。ドラセナは徐々に凍らされていく鉄砲水に恐れを成したがダイゴは涼しげに、「大丈夫」と口にする。

 

「ハイドロポンプの氷結はプラン通りだ」

 

「ほ、本当でしょうね?」

 

 ドラセナは怪訝そうな目を向ける。ヤナギにはダイゴの目的とするところが今一つ分かっていないが、警戒すべきなのはドラセナよりもダイゴだろう。ドラミドロの搦め手は今のところ毒攻撃のみ。他のドラゴンタイプの攻撃がある可能性は捨てきれないが、あったとしてもドラゴンならば逆に効果抜群をつける。

 

 だがメタグロスは厄介な相手だった。「でんじふゆう」によって地面タイプの技が命中しない。マンムーの戦略を切り替えるべきかと感じたが、マンムーにも負荷がかかる。何より、鋼の一撃が怖い。いくら瞬間冷却が達人の域とはいえ、氷の属性からは逃れられない。キュレムならば、と考えてしまう自分を内心叱責した。今のパートナーはマンムー、かねてよりの相棒だ。その相棒の隣で失ったポケモンの事を思い浮かべるなど。ヤナギはメタグロスを叩き落すために策を練った。

 

「マンムー。原始の力」

 

 地面がくりぬかれ、巨大な岩となって持ち上がる。紫色の波紋が岩同士を繋ぎ止め、浮遊した。「げんしのちから」に切り替えれば瞬間冷却は扱いづらくなる。だが一度でもメタロスに触れればこちらのものだった。そのためには岩の技に一時的にせよ頼るしかない。岩が一斉に掃射される。しかしメタグロスは防御の姿勢を取る事もない。鋼の身体は全く動じなかった。

 

「メタグロスの鋼のボディを嘗めないでもらいたい!」

 

 メタグロスが真っ直ぐ突き進みヤナギの氷壁の前で腕を突き出す。ヤナギは咄嗟に、「氷壁の補強を」と命じようとしたがマンムーは一拍遅い。メタグロスの鋼の爪が氷壁に食い込んで眩く輝いた。直後、爆発の音が連鎖し、ヤナギとマンムーへと襲いかかる。

 

「コメットパンチ!」

 

 氷壁を打ち据えるメタグロスは勢いを止める事はない。何度も槌のように氷の壁を砕かんとする。ヤナギは歯噛みする。このまま防戦一方でいいはずがない。

 

「わたしはどうすれば?」

 

 ドラセナの質問に、「今はぼくが攻めている!」とダイゴは自信満々に告げた。

 

「だから、ぼくを引き立たせるために貴女の攻撃が必要だ。コメットパンチで薄くなった氷壁をヘドロウェーブで完全に融解させる」

 

「分かったわ」

 

 ドラセナはドラミドロへと命じる。「ハイドロポンプ」が一瞬にして紫色の濁流になった。

 

「鋼と毒のコラボレーションよ!」

 

「ぼくのメタグロスは相性上、ヘドロウェーブを受けない。この連続攻撃に、耐えられるわけがない!」

 

 ダイゴの声音に乗せて毒の霧が浮かび上がる。氷壁が融かされ、水蒸気と化しているのだ。

 

「ヘドロウェーブが通った!」

 

 ドラセナの声にダイゴは笑い声を上げ、「ここまでだ」と告げる。何の意味か分かっていないのか、ドラセナが疑問符を浮かべる間にメタグロスの脚部がドラミドロへと照準を合わせた。

 

「残念ながら、共闘のつもりはさらさらない。貴女の力は思っていたよりも高かった、と評価しておこう。バレットパンチ」

 

 後ろ足が胴体から離れ、推進剤を焚いてドラミドロへと直進する。ドラセナは咄嗟にドラミドロへと防御を命じた。ドラミドロの身体に突き刺さった二本の腕から氷結が発生する。

 

「何ですって? ダイゴ、あなた裏切って――」

 

「最初からぼくはプランを持ちかけただけだ。それ以外は全て貴女の意思。ぼくは強制した覚えはない」

 

「裏切ったのね!」

 

 ドラミドロが毒攻撃を浴びせかける。だが二本の鋼の腕には通用しない。発生した氷結の波がドラミドロを押し包み破裂した。鋼の腕そのものが冷凍爆弾となってドラミドロの動きを封じ込める。

 

「ドラミドロに、氷の攻撃を……!」

 

「メタグロスとて最も脅威とするのはドラゴン。覚える技だけでは芸がないだろう? 冷凍パンチを仕込んでおいた」

 

「騙したのね!」

 

 怒り狂うドラセナとは対照的にダイゴは落ち着き払っている。

 

「まぁまぁ。こうして氷壁を突破してぼくのメタグロスは射程に入った。その点で言えば貴女を評価しないとは言っていないんだ。ただ、純粋に結局、ぼくが一番強くってすごいんだよね、って事さ」

 

 ドラセナはダイゴへと殴りかかろうとするがそれを制するように、「駄目駄目」とダイゴが指を振った。

 

「直上にまださっきの攻撃で弾け飛ばさなかった腕が残っている」

 

 ドラミドロの頭上に鋼の爪が至近距離で突きつけられている。ドラセナは反抗の声を飲み込んだ。凍りついたドラゴンに鋼の腕が叩き込まれれば、その末は分かり切っている。

 

「内側から破壊されなかっただけ、ありがたいと思いなよ。冷凍パンチだけでおしゃかにも出来たんだから」

 

 ダイゴはヤナギへと向き直り、「さぁ」とメタグロスへと直進を促した。メタグロスは既にマンムーの懐へと潜り込もうとしている。

 

「何でさっき原始の力を撃った? 見せかけ、じゃないだろう? 岩の内部に氷の触媒でも植え付けていたか?」

 

 ダイゴの言葉にヤナギは目を瞠る。ダイゴは不敵に微笑み、「悪いが、運だけでここまで来たわけじゃないんだ」と告げる。

 

「ぼくも玉座に手をかける資格のある人間だ。だからこそ、解せない。何で、君は玉座に執着がないのか」

 

 ダイゴの問いかけにヤナギは口元を緩める。その笑みの意味を解していないのかダイゴが怪訝そうにした。

 

「執着がない、か。そう見えるかもしれない。俺は託したからな。自身の未来も、夢も。託したからこそ繋げる強さがある」

 

「ポケモンリーグはどれだけ言い繕ったって所詮は個人競技だ。誰も守ってはくれないし、誰も勝手に玉座に連れて行ってはくれない」

 

 メタグロスはマンムーの氷結の手をすり抜け、鋼の腕を額へと突きつけた。

 

「王手だ。君は、戦いに対して無欲過ぎた。そう結論付けるといい」

 

「無欲。俺をそう装飾する奴は初めてだな。このヤナギを無欲だと?」

 

 ヤナギの余裕にダイゴは警戒するがメタグロスの射程があれば問題ないと考えたのだろう。「そう言うほかない」とダイゴは告げる。

 

「無欲ゆえに、仲間というぬるま湯に浸かり、無欲ゆえにここでぼくに敗北する。諦めが肝心さ。なに、ぼくに敗北宣言をすればいい。そうすれば、ベスト10位くらいには入れるだろう。ぼくはこのまま先行集団を追う。君が意地を張らないだけで、手持ちを生き永らえさせられる」

 

 ダイゴの言葉は説得じみている。ヤナギは思わず苦笑する。ここで相手を足止めするはずが、自分を諭そうとする輩が現れるとは。その様子が気に食わなかったのか、「可笑しい、とでも言うようだね」とダイゴは眉を跳ねさせる。

 

「ああ、まぁ、可笑しいな」

 

「ぼくは温情で言っているんだ。鋼タイプのメタグロスならば、致命傷を与える事くらい造作もない」

 

「ならば、俺も温情で言ってやろう」

 

 ヤナギが指を一本立てる。ダイゴは、「何のつもりだ」と声にした。

 

「先ほどの原始の力、確かに氷の触媒をメタグロスに浴びせるつもりだった。だが、お前も忘れてはいないか? メタグロスに岩も氷も半減されてしまう。これはタイプ相性が頭に入っていれば分かるはずだ」

 

「だから何だって……。ぼくのメタグロスはタイプ相性通りに氷タイプのマンムーを貫通させられる。ぼくは一言命じればいい。バレットパンチでもコメットパンチでもいい。どちらかが入ればマンムーの身体に横穴が開く。これは決定事項だ」

 

 どうやら気づいていないらしい。ヤナギは、「ヒントを出してやろう」と指を鳴らした。その瞬間、地面を伝わって冷気が走り、ドラセナのドラミドロにかけられた冷凍の網を相殺した。

 

「何を……!」

 

 驚愕の声を振り向けるダイゴへとヤナギは言い放つ。

 

「誰が、ポケモンを直接狙うと言った?」

 

 その直後、可視化出来るほどに濃密な冷気がダイゴを含めメタグロスの周辺を囲い込む。氷の欠片が陽光に乱反射し、ダイゴをも射程内に置いていた。

 

「これは……」

 

「氷の網、キュレムを使っていた時に発展させた戦法だ。お前の言う通り、原始の力に埋め込んでおいた触媒があった。だが、あれは砕かれてこそ真価を発揮する。お前のメタグロスが、無遠慮に砕いてくれたお陰で、今、この空間には冷気が満ちている」

 

 ダイゴはその段になって先ほどの岩攻撃が牽制でも何でもなく、この攻撃への布石だと気づいたらしい。慌てて後ずさろうとするがヤナギはすっとその足元を指差した。

 

「凍れ」

 

 一言でダイゴの高級そうなブーツが凍て付き、地面と一体化する。ダイゴは尻餅をつく結果になった。

 

「ポケモンで相性を崩せないのならばトレーナーを狙う。定石だ。……さて、誰がぬるま湯に浸かっていると言っていたか」

 

 氷の群れが光を弾き飛ばし、ダイゴが呼吸を荒くする。今の今まで包囲されている事に気づいていなかったのだ。突然に攻撃射程内にあると分かれば動揺もするだろう。

 

「メタグロスと俺のマンムーの瞬間冷却、どちらが早いか比べるか? もっとも、こちらが勝利すれば命が奪われる事となるが」

 

 ダイゴは取り乱して、「く、来るな!」と喚いた。

 

「いいのか? カントー中、いや世界中が注目するこの競技の最終局面で人殺しなんて……」

 

「構わない。俺の手はもう血に染まっている」

 

 冷徹に響いたヤナギの声に恐れを成したのだろう。その場に縫い付けられたダイゴはドラセナへと振り返った。

 

「貴女を、ぼくは手助けしましたよね? 今度は返してくださいよ、貴女の手で!」

 

 ダイゴの声音にドラセナは困惑している。無理もない。一度切り捨てた身分でよくものうのうと、と誰でも感じる。

 

「俺と真剣勝負をする気はない、と考えていいのか……」

 

 ヤナギが歩み寄る。ダイゴは、「来るなぁ!」と目を戦慄かせる。見下ろした視線の先にいるのは小さな男一人。デボンの御曹司という看板も、実戦では何の意味も成さない。ヤナギはポケギアへと目線をやってから、「そろそろか」と呟いた。指を鳴らす。ダイゴは攻撃が放たれると思ったのか目を瞑っていた。ドラセナも目の前で人殺しが行われるとなれば穏やかではなかったのだろう。顔を背ける。イブキだけが見つめていた。その視界の中で、氷結が静かに解除されていた。

 

「ヤナギ。あんた……」

 

 イブキが何を言わんとしているのか、ヤナギはあえて問いかけなかった。ダイゴは氷結が解けた事に唖然としている。

 

「行け。もう俺が時間稼ぎをしても仕方がないぐらいの時間は過ぎた」

 

 ヤナギの目的が本当に時間稼ぎだとは思わなかったのだろう。ダイゴとドラセナは、「決着は……」と現状を把握していない。

 

「俺が心変わりする前にさっさと去るんだな。役目は果たした」

 

 ダイゴがゆっくりと立ち上がり、メタグロスを伴ってヤナギへと探る目を寄越す。ヤナギは、「氷の結界は解いてある」と再三言った。

 

「お前らを拘束する気も、もうない。玉座を目指すなり、好きにするといい」

 

 拍子抜けしたかのようにダイゴは所在なさげにドラセナを見やる。ドラセナは駆け出していた。ヤナギの横を通り過ぎる際、少しだけ警戒はしているようだったがヤナギには最早相手取る意味がない。ドラセナが先を行くとダイゴが踏み出し始める。二人の足音が遠ざかってから、イブキが静かに歩み寄ってきた。

 

「ヤナギ。本当に、時間稼ぎのつもりだったのね」

 

「意外か? だが俺には弱者をいたぶる趣味はない」

 

「いえ。あんた達の本当の目的のためならばこうして戦っている事さえも惜しいでしょうね」

 

 イブキは全てを理解している。理解した上で手を差し出した。

 

「何のつもりだ?」

 

「行くのよ。まだこの戦いは終わっていない」

 

「ユキナリがサカキと戦っているのだとしたら、充分な時間はある。ナツキ達も合流したはずだ」

 

「そうじゃない。ヤナギ、まだあんたにも、出来る事があるのよ」

 

 搾り出したイブキの声にヤナギは瞠目した。まだ夢を捨てるな、と言うのか。ヤナギは、「分かっているさ」とイブキの手を払った。

 

「夢を追う資格のない人間などいない、だろう?」

 

 ユキナリの口調を真似た弁にイブキは微笑み、「行きましょう」と促した。

 

「まだ決着がついたとは限らない」

 



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第百九十話「BLAZE Ⅳ」

 

 サカキが生きている、などという冗談が通用するとは思えない。

 

 だが、目の前にいるのはサカキ本人だ。どこも取り違えようがない。変わっているのは手持ちだった。前回はニドクインだったのがニドキングというポケモンになっている。

 

「僕が、負ける……?」

 

 放たれた言葉にユキナリは放心する。サカキと相対したプレッシャーはそのままに、「言葉通りの意味も通じないか?」と挑発した。

 

「僕は、負ける気はない」

 

 相手が生きているはずのない、亡者であろうとも押し通り突き進む。それが勝利への道。強者の頂だ。

 

「僕は勝つためにここに来ている!」

 

 オノノクスが相乗して咆哮し、黒い光芒を放った。ニドキングはしかし、腕を薙ぎ払っただけで弾き飛ばす。

 

「……嘘だろ。ドラゴンクローを、何の技でもなく弾いただって?」

 

 目の前の現実が信じられずに呟くと、「今のがドラゴンクローだと?」とサカキも釈然としていない様子で手を払った。

 

「ドラゴンクローが光線になっている、というのはキシベの妄言でもなく真実だったか。俺のいた次元では、そういう使い方をしてくるオノノクスはいなかったが、特異点だからか? まぁ、いいさ。ドラゴンクロー、今の攻撃が全力だと言うのならば、止めるコツは掴んだ」

 

 サカキの言葉にユキナリは、「全力だって?」と再び命じる。

 

「こっちだってまだ全然力を出していないんでね。オノノクス、ドラゴンクロー、拡散!」

 

 オノノクスの牙に纏いついた瘴気が弾け飛び、短剣となってニドキングを包囲した。さしものニドキングといえども包囲陣の攻撃に狼狽している。サカキも、「何だこれは……」と呟いた。

 

「これがドラゴンクローだというのか」

 

「これが、僕とオノノクスが編み出した攻撃だ! 食らえ、サカキ!」

 

 短剣が一斉にニドキングへと襲いかかる。しかし、ニドキングは大した防御も、ましてや攻撃に転じる事もない。サカキはまだ納得していないが、「ならば」と対抗する面持ちになった。

 

「消し飛ばせばいいだけだな。啼け、ニドキング」

 

 ニドキングが腹腔から渾身の声を放つ。その音波だけで短剣の「ドラゴンクロー」が霧散した。命中する前に四方八方全ての短剣が掻き消えたのである。ユキナリは瞠目していた。今の現象が信じられない。

 

「鳴き声だけで、ドラゴンクローを消した……?」

 

 今のは攻撃でも何でもない。ただ咆哮しただけだ。その気迫がこちらの攻撃に匹敵したと言うのか。頭の理解がついて来ていないユキナリを見やり、サカキはネクタイを緩める。

 

「どうやら少しばかり本気を出す必要がありそうだな。だが、オノノクスならば確か単一ドラゴンタイプのはず。打ち破る術は、これで行こう」

 

 サカキが手を薙ぎ払う。ニドキングがオノノクスへと猛進していく。ユキナリは咄嗟に、「防御を!」と叫んでいた。オノノクスとニドキングが組み合う。ニドキングはオノノクスの防御をいとも簡単に掻い潜り、顎へと一撃を見舞った。同調状態にあるユキナリは衝撃で視界がくらくらとする。

 

「受けるだけじゃ駄目だ。オノノクス、その間合いなら外しようがない、ドラゴンクローを叩き込め!」

 

 オノノクスが黒い瘴気を片方の牙に纏い付かせ、そのまま打ち下ろそうとする。斧のような形状となって凝縮された一撃はニドキングを肩口から切り裂くはずだった。だが、ニドキングはまさかの行動に出る。

 

「受け止めろ。お前ならば容易だろう?」

 

 サカキの指示は信じられないものだった。技を真正面から受け止める? 不可能だ、と思い立つよりも無謀だった。

 

 先ほど光線の「ドラゴンクロー」を弾いたとはいえ、今度は牙に纏い付かせた高密度の攻撃。渾身の一撃に等しいそれを破る事は容易くないはずである。無茶な指示をポケモンは聞けない。その場合、戸惑うか混乱で無策な行動に出る事が多いのだが、ニドキングはそのどちらでもなかった。正気を保った眼光で睨み据え、掌で黒い牙の一撃を受け止めた。衝撃波が円形に広がり、砂塵が舞い散る。ニドキングは素手で「ドラゴンクロー」を白刃取りしていた。

 

「そんな……。僕のオノノクスの攻撃を」

 

 受け止めるだけではない。白刃取りなど。ユキナリが恐怖に目を戦慄かせているとサカキは喉の奥でくっくっと嗤った。

 

「この程度か、こちら側というのは。まだトレーナーも発展途上に映る。向こうほど血沸き肉踊る戦いは期待出来そうにないな」

 

 サカキはさも愉快そうに指を鳴らす。するとニドキングが牙ごとオノノクスを持ち上げた。驚くべき膂力に言葉を失っているうちに、サカキは指を鳴らして鼻歌を口ずさむ。ニドキングがオノノクスの顔面を洞窟の壁面へと打ち付ける。そのまま引きずって走り出した。オノノクスと繋がっているユキナリへとそれは間断のないダメージとなって伝わる。

 

「何を……、楽しんでいるのか……」

 

 言葉を発する事さえも儘ならない。サカキを突き動かしているのは何だ? ミュウツーで対峙した時とは本質が異なっているように思われた。

 

「ニドキング、首をひねり上げてそのまま地面に打ち付けろ」

 

 サカキの指示に忠実に、ニドキングは動く。同調しているようではなかった。サカキの命令にニドキングはそれ以上でも以下でもなく、その通りに動いているだけだ。オノノクスが思い切り地面に叩きつけられる。起き上がろうと思惟を飛ばしかけた矢先、頚椎を踏みつけられた。ニドキングの攻撃はほとんどバトルの体をなしていない。まるで遊んでいるかのようだ。

 

「僕、は……」

 

「同調しているのか? 通りで強力なはずだ。だが、その程度ならば何の問題もない。脅威度判定は低い。オーキドの若い時と聞いて少しばかり警戒していたが、やはりそれほど強くはなかったか。なに、伝説には尾ひれがつくものだ。オーキドが昔強かった、というのを何度も聞かされたものだが、それももうろくした老人の言い分か」

 

 サカキは半ば諦めたようにユキナリを眺める。ユキナリは我慢ならなかった。今、ニドキングに手も足も出ない状況もそうだが、何よりもサカキに馬鹿にされている事だ。奥歯を噛み締め、「何が……」と声にする。

 

「何が、この程度、だっ!」

 

 オノノクスの牙から黒い瘴気が立ち上り、刃の鋭さを伴ってニドキングへと襲いかかった。ニドキングは咄嗟に飛び退くが瘴気はニドキングを捕捉して追尾する。遂にはニドキングが腕で振り払うしかなかったが、ニドキングの腕に吸い付いた瘴気はそれで終わらなかった。すぐさま千本の刃へと転じ、ニドキングの腕を貫く。サカキがここに来て初めて眉をひそめた。

 

「……今の攻撃。それに、オーキド……」

 

 サカキは立ち上がったオノノクスよりもトレーナーである自分を見つめている。ユキナリは瞬間的に完全同調を果たしたせいで荒い息をついていた。

 

「赤い眼……、それがキシベの言っていた脅威か。この世を破滅に導くという特異点の力。まぁ、チャンピオンロードの中ならば破滅の扉の開きようがないだろうがヘキサツールの前となればそうもいかないだろう」

 

 ヘキサツールの名にユキナリは肩を震わせる。何故、知っているのか。サカキは胸元をさすった。胸に光るバッジにユキナリは瞠目する。葉っぱの形状を模した緑色のバッジがあった。

 

「それは……」

 

「オリジナルのグリーンバッジ。この次元では意味があるらしいな。バッジを八つ集める事が。オーキド。残り七つを俺に献上しろ」

 

 サカキの要求にユキナリは睨みつけ、「誰が」と吐き捨てた。だが、同時に考える。どうしてサカキの手に最後のバッジがある? 誰かが手引きしたのか。最後のバッジはジムリーダー不在のために存在しないはずなのに。

 

 その段階になってユキナリはある推論を頭に浮かべた。だが、それはにわかに信じがたいものだった。

 

「……最後のジムリーダーが加担している?」

 

 認められたくなかったがサカキは、「その通り」と首肯する。

 

「最後のジムリーダーの名前はキシベ・サトシ。お前がこの次元で信じ込んだ人間であるらしいな」

 

 ユキナリは衝撃を受けると共にある程度、考えには上っていた。トキワシティでどうして彷徨っていたのか。どうして自分に声をかけたのか。全て、ジムリーダーであり、この旅の目的を作らせるためだとすれば合点もいく。信じていたものが崩れ去る音が響き渡った。

 

「キシベが最後に選んだのは俺だった。オーキド、お前ではない」

 

 サカキの言葉にユキナリは、「それでも」と返す。以前までならば絶望していたかもしれない。だが、ヤナギとの戦いを経た自分には、揺さぶるような材料にならなかった。

 

「僕は進むと決めたんだ。誰かの思い通りになっているのかもしれない。それでも、僕自身が勝利を得るために」

 

 それは散っていたフジへの手向けでもある。ユキナリの言動が意外だったのかサカキは嘆息をつく。

 

「……話が違うな。これを言えばこいつは完全に戦意を喪失するだろうとキシベは踏んでいたが。まぁ、いい。その程度で全てを投げ打つような精神の弱い人間と、戦うつもりもない」

 



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第百九十一話「BLAZE Ⅴ」

 

 サカキは手を払いニドキングに命じる。

 

「ニドキング、もう一度懐に飛び込んで押さえ込む。今度は窒息死させるつもりでやれ。完全同調ならばオーキドも死ぬ」

 

 ニドキングが重機のように地面を踏みしだきながらオノノクスへと接近する。オノノクスへとユキナリは指示していた。

 

「二度も接近させるか! オノノクス、ダブルチョップ!」

 

 オノノクスが両腕を振るい上げ、衝撃波を放つ手刀をニドキングに向けて打ち込む。ニドキングはその一撃を横っ飛びで回避した。

 

「愚直な攻撃だな。真正面から来る敵に真正面から向かうなど」

 

「分かっているさ」

 

 ユキナリが口元を緩める。サカキがその意味を解する前に下段から放たれた手刀がニドキングの脇腹に突き刺さった。

 

「だからこそ、正攻法じゃ戦っていないだろう?」

 

 自分とオノノクスは完全同調状態。必要な事は喉を震わせる事もない。全て思惟で伝わらせている。

 

「思考で操っていたか。ニドキング、すぐに懐へと飛び込むんだ。脇腹の怪我は気にするほどじゃない」

 

 ニドキングがオノノクスへと角を突き出して特攻する。オノノクスの間合いを熟知していなければ出来ない決断だった。

 

「オノノクスの牙は確かに驚異的な攻撃性能だ。だが、それは振るえれば、の話。超接近戦に持ち込めば、オノノクスの牙は当らない」

 

 いわば台風の目だ。サカキは瞬時にそれを理解したのか、あるいはキシベに教えられていたのかは分からない。だが、ユキナリはすぐさま応戦する。

 

「脇腹の手刀を抜け!」

 

「押さえ込むつもりか? だが、ニドキングの腕力とオノノクスの腕力、牙で比べるならばまだしも単純に腕比べと言うのならば、勝つのはどちらか、迷うまでもあるまい」

 

 ニドキングが二の腕を膨れ上がらせる。ユキナリは落ち着いて命ずる。

 

「ダブルチョップ!」

 

「だとしても、だ。俺のニドキングには命中しないし、命中しても首根っこを押さえ込んで殺す」

 

 サカキの言葉にユキナリはオノノクスと同期させた腕を振るい落とす。その手刀はニドキングを捉えるかに見えたが、空を裂いただけだった。

 

「命中しない? この距離で?」

 

 疑問を発したのはユキナリではなくサカキだった。この距離で完全同調ならば二発ともならばまだしも一発も命中しないのは不可解だと感じたのだろう。だが、それも全て予期された事だった。衝撃波が地面へと伝わる。サカキはハッとした。

 

「そうか! 衝撃波で」

 

 地面が捲れ上がり砂塵が舞い散る。砂の波はサカキの視界を奪った。

 

「俺とニドキングの命令系統を阻害するために……!」

 

 同調していないトレーナーならば、見えていない範囲をカバーする事は不可能なはずだ。ユキナリはオノノクスに蹴りつけるように思惟を飛ばす。主の命令を失ったニドキングがたたらを踏む。

 

 一瞬の隙。だがそれが好機に繋がる。姿勢を崩したニドキングへとオノノクスが牙を振り上げた。黒い瘴気が纏い付き、牙に集約される。ユキナリは腕を薙いで命令する。

 

「ハサミギロチン!」

 

 牙を振るったオノノクスから発生した黒い断頭台がニドキングの首を捉える。ニドキングは動きを封じられ、首を掻くが断頭台が外れる事はない。

 

「命中した! これで一撃必殺!」

 

 断頭台の刃が下ろされるかに見えたその時、サカキは取り乱す事もなく、「なるほど」と呟いていた。

 

「一撃必殺の技を放つのに、確かにこの射程は正解だ」

 

 サカキの冷静さの理由が分からない。何故、今にも手持ちを潰されようとしているのに冷静さを装えるのか。その考えを見透かしたように、「俺は何も取り繕っていない」とサカキは答える。

 

「ただ、少しばかり骨のある奴だったのだと考えを改める必要がある、と感じたまでだ。ニドキング、首を封じられたか?」

 

 ニドキングが呻いて答える。首を断頭台にかけられば最早逃れる術はない。

 

「そうだ! お前は僕の首を持っていくと宣言したが、持って行かれるのはお前のほうだ!」

 

 断頭台が下ろされる瞬間、サカキは、「ならば」と指を鳴らす。

 

「やれ。角ドリル」

 

 その言葉が発せられた途端、ニドキングの額から生えている一本の角から高周波が放たれる。角が震え、断頭台の刃と共鳴しているのか劈くような高い音を発生させた。ユキナリが思わず耳を塞ぐ。サカキは平然と事のなりを見つめている。すると、どうした事だろう。断頭台が薄らぎ、瞬く間に景色へと溶けていく。ユキナリが目を見開いているとサカキは、「一撃必殺は」と口にする。

 

「同じように一撃必殺の技でのみ相殺出来る。ハサミギロチン、と言っていたな。これは角ドリル。ニドキングの覚える一撃必殺の技だ」

 

 サカキの説明に慄然とする。ニドキングも一撃必殺を隠し持っていたというのか。断頭台から逃れたニドキングがその重厚さに似合わぬ軽業で後ずさる。まだ角は震えていた。

 

「角ドリルはしかし、射程がかなり限られていてな。身体が重なり合うほどの至近距離でなければ使用しても仕方がない。だが、ハサミギロチンへの対抗策として押さえておくのはいいだろう」

 

 ユキナリは覚えず後退する。それはつまり、ニドキングに「ハサミギロチン」は通用しないという事を意味していた。同時に懐に潜り込まれれば終わりだと言う事も。

 

「命中率の低いこの技は滅多に使わない。それに一撃必殺への対抗策など普通はいらないからな。だが、今のハサミギロチン、か? 何か、普通の一撃必殺ではない、恐怖を覚えたぞ」

 

 まさか、その正体を看破されたか? 一瞬で見抜けるはずもない。ましてや技は実行されなかった。その射程を読む事も出来ないはずだ。

 

「射程距離までは不明だが、なるほど、不用意に近づく事もまた命を縮めるのだと、理解したよ」

 

 ニドキングは身体を開く。胸部の中央に紫色の宝玉があった。それが光り輝きニドキングの四肢へと血脈を送り込む。何だ、と感じている間に、「ニドキングは」とサカキは口を開いた。

 

「近距離戦闘を得意とするポケモン。だが、その固定観念に囚われていては真価を発揮する事は出来ない。あまり技を使って戦うのは趣味じゃないんだが、仕方あるまい。ニドキング、体術だけで戦うのは限界が来た。技を併用していくぞ」

 

 サカキの呼びかけにニドキングは咆哮する。その瞬間、地面へと波紋が送り込まれた。オノノクスの直下へと至った瞬間、地面から茶色の刃が出現する。

 

「大地の力」

 

 ユキナリは、まずいとオノノクスへと思惟を走らせた。このコンボは――。

 

 その思考を裂くように大地の力で出現した裂け目から水色の光が凝縮して放たれる。

 

「冷凍ビーム、掃射」

 

 縫うように放たれた冷凍ビームの光条をオノノクスは紙一重で回避する。天井から生えている鍾乳洞が氷で固まった。サカキは、「これは避けるだろうな」と呟く。

 

「一度発した技のコンボを見抜けないほどの馬鹿だとは思っていない。だからこそ、もう一つを仕込んでおいた」

 

 オノノクスに思惟を飛ばしているユキナリは疑問符を挟む。もう一つ、とは何なのか。視界を巡らせようとすると不意に身体が引っ張り込まれた。いつの間に接近していたのか、ニドキングがオノノクスの腕を引っ張って射程へと潜り込もうとする。その角を警戒し、ユキナリは牙での攻撃を選んだ。

 

「ドラゴンクロー拡散で距離を取れ!」

 

 即座に展開され、包囲した短剣の群れにニドキングは臆する事もない。宝玉を中心としてエネルギーが凝縮し、直後拡散した紫色の奔流がオノノクスへと襲いかかった。根こそぎ短剣を打ち消し、濁流がオノノクスを飲み込む。オノノクスと同調していたユキナリは全身の毛穴に染み渡ってくる激痛を感じた。覚えずその場で膝をつく。オノノクスも表皮が赤らんでおり、今の攻撃を受けたのだと知れた。

 

「今のは……」

 

「ヘドロウェーブ。毒の霧だな。ニドキングの放つ技ではそう飛躍したものでもない、毒タイプの技だ。ただし、自分を中心に拡散するために命中率が高い。至近距離で受けたのならば、その毒の効力は」

 

 その言葉の行きつく先を裏付けるようにユキナリは激痛と共に痺れが走るのを感じた。舌がもつれ呼吸が危うくなる。

 

「無論、最大値。毒に呑まれて死ぬといい、オーキド」



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第百九十二話「BLAZE Ⅵ」

 

 完全同調が仇となった。

 

 これでは反撃に出る事も出来ない。オノノクスが動きを止めたのを見てサカキは、「さて」と腕を上げる。ニドキングが角ドリルを発動させ、ゆっくりとオノノクスに歩み寄ろうとした。

 

「生き永らえても無様だろう。俺の手でせめて引導を渡してやる」

 

 ニドキングが動けないオノノクスへと角を突き出して突進の構えを取る。このままでは、とユキナリは歯噛みした、その時だった。

 

「電光石火!」

 

 声が響き渡り、洞窟を蹴りつけて何かが高速でニドキングへと肉迫する。ニドキングは攻撃の気配を感じ取ったのか角ドリルを仕舞い、飛び退った。先ほどまでニドキングの頭部があった場所へと鋼の一撃が打ち下ろされる。

 

「メガハッサム……。と、いう事は」

 

「ユキナリ!」

 

 振り返ると、ナツキとアデクが駆け寄ってきた。アデクはウルガモスへと指示を出す。

 

「ウルガモス! 最大火力で行くぞ! フレアドライブ!」

 

 ウルガモスが白い体毛を赤く染め、炎の鱗粉を放ちながらニドキングへと突撃する。ニドキングは腕で払ってウルガモスを押さえ込もうとするがウルガモスのパワーが勝った。

 

「俺のニドキングと同じだけの膂力を……!」

 

「嘗めるな!」

 

 アデクの声が飛び、ウルガモスがニドキングを突き飛ばす。ニドキングは一瞬だけ姿勢を崩しかけたが、「大地の力で立て直せ」とサカキが命じた事で瞬時に戦闘姿勢へと戻る。ウルガモスで深追いはせず、ユキナリの前にアデクとナツキが歩み出た。

 

「どうして……」

 

「毒状態ね。これを」

 

 人間用の毒薬をアデクへとナツキは手渡す。既にその左目は紫色のオーラが噴出しており、メガシンカであるメガハッサムを操っていた。

 

「こいつが、サカキか」

 

 アデクの声にナツキは目線で問いかける。

 

「会った事は……」

 

「ない。こいつだけは優勝候補でも顔出しが少ない奴じゃったからな。当然、一緒に写った事もない」

 

 アデクとナツキは警戒を解かずにサカキを睨み据えている。毒消しの注射を打ち込みながらユキナリは舌足らずな声を発する。

 

「……気を、つけ、て。そい、つ……」

 

「ユキナリ、あまり喋るな」

 

「言われなくっても気をつけるわよ。優勝候補だからね」

 

 それだけではないのだ。ユキナリは伝える手段が今ない事に歯噛みする。このサカキは普通ではない。

 

「誰かと思えば、カイヘンの王とイッシュの王か」

 

 サカキの言葉に二人して眉根を寄せる。

 

「カイヘン……、確か辺境の地方よね? 何で、あたしがその地方の王なのよ」

 

「オレもイッシュの出じゃが、まだ王にはなっとらんが」

 

 サカキは二人を観察してからフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「そうか。この次元ではまだなのだったな」

 

 それに、とサカキは付け加えて二人のポケモンを見やる。

 

「カイヘンのほうは手持ちが違うな。イッシュのほうは、ウルガモスか」

 

 サカキの一瞬にして全てを把握したような声音に二人とも緊張したのが伝わった。

 

「……何者なんじゃ。ウルガモスは希少なポケモン。そう易々と情報を知る事は出来ないはず」

 

「ロケット団の情報かもしれないですね。どちらにせよ、徹底抗戦に出ましょう。ここで押さえなければ、ヘキサツールが」

 

 その段階でようやく思い出したように、「そうだ、そうだった」とサカキは口にした。

 

「オーキドを殺すのが手っ取り早いと思って忘れていたな。ヘキサツール。この次元での歴史の大元を完成させねば」

 

「させない。そのために、あたし達は来た」

 

「おうよ! お前さんなんぞに、ヘキサツールを完成させるものか! ウルガモス!」

 

 アデクの声に反応してウルガモスが三対の翅を震わせる。放たれた鱗粉が火の粉となって降り注いだ。

 

「何だ? この程度の火力でニドキングを止められるとでも」

 

「止めるのが目的じゃないわ!」

 

 ナツキのメガハッサムが空間を駆け抜け、鍾乳洞を利用しニドキングへと接近する。蹴りつけられた一撃を受けてニドキングがよろめく。すぐさま角度を変えて頭部へとハサミによる一撃が加えられた。食い込んだハサミが開き、内部から必殺の勢いを漂わせる。

 

「まずいな」

 

「バレットパンチ!」

 

 鋼の砲弾が撃ち出されニドキングが危うい足取りになった。姿勢を崩したニドキングの腹腔へと突っ込んだのはウルガモスだった。「フレアドライブ」によって発生した炎の鎧を纏い、ニドキングを突き飛ばす。ニドキングが大地の力で踏ん張って必死に制動をかけようとするが、その背後を既にメガハッサムが取っていた。

 

「これで!」

 

 メガハッサムの蹴りがニドキングの頭部を打ち据える。ニドキングは後ずさりながら咄嗟に庇った頭部を手で押さえた。腕の表皮に亀裂が走っている。

 

「いける」とナツキは口にしていた。

 

「勝てるわ、この戦い。あたし達なら」

 

 サカキは動じる様子もなく、淡々と戦いを見守っていた。顎に手を添え、「なるほどな」と呟く。

 

「メガシンカ。どうやらその産物らしいハッサムの進化系。条件は恐らく、トレーナーとの過度の同調」

 

 サカキは自分のポケモンがなぶられているのに気にする事はなく自体を俯瞰しているようだった。ナツキが、「気に入らないわね」と口走る。

 

「と、言うと?」

 

「あたし達が束になっても、まるで意味がない、みたいな態度が」

 

「俺はそのような態度をしていたか」

 

 今まさに気がついたとでもいうようにサカキは哄笑を上げた。ナツキは顔を強張らせる。アデクでさえも、「狂っている」と呟いていた。

 

「そうだな、二対一。普通ならば焦るか、そうでなくとも命令精度が落ちるだろう。勝負を急いても仕方がない。全ては、俺の目論見通りに事が進む。キシベはそう言っていた。それこそが俺の特異点たる所以だと」

 

 毒による痺れは随分と取れてきた。ユキナリはようやく口にする。

 

「気をつけて。このサカキという奴、普通じゃない」

 

「普通じゃないのは見ても分かるわよ」

 

「しかし、お前さんが復活すれば三対一。数の有利はこちらにあるのう」

 

 アデクの言葉にサカキは、「果たしてそうであろうか?」と疑問形で返す。アデクは睨みを利かせて、「馬鹿か、お前さん」と吐き捨てた。

 

「ポケモンの状態も分からんで、何が特異点じゃ。今のオレ達の猛攻で、そのポケモンは疲弊し切っておる」

 

 アデクの指摘に、「これはまた参ったな」とサカキは読めない笑みを浮かべる。

 

「ニドキング、戦闘続行不可能か?」

 

 主の問いかけにニドキングは額を押さえてよろめいた。その隙を逃さない。

 

「メガハッサム!」

 

 ナツキの声が飛び、メガハッサムが掻き消えた。電光石火で一気に決めるつもりだろう。だが、ユキナリはその瞬間、サカキが口元を緩めるのを目にしていた。

 

「駄目だ! ナツキ、接近戦は――」

 

「もう遅い。角ドリル」

 

 ニドキングの角を高周波が包み込む。高速振動する角をメガハッサムが現れる地点を予測したかのように振るう。ナツキが呻く。手に蚯蚓腫れが発生していた。

 

「メガハッサムの、攻撃を予測して……」

 

「電光石火によって急速接近。さらに、そこから連続攻撃に繋げる。まさしく、見事、としか言いようのない連携。恐らくは相当鍛錬を重ねたのだろう。だが、同時にこうは思わなかったか? これ以外の戦法を取れば負けるのではないのか。磐石の戦法は同時にワンパターンという穴を開ける。メガハッサムの出現地点、一度見れば、見極めるのは難しい話ではなかった」

 

「ナツキ、メガハッサムを戻すんだ!」

 

 ユキナリはオノノクスと完全同調し牙を振るう。するとニドキングはこちらに反応して角ドリルで応戦してきた。黒い顎と角ドリルが相殺し、どちらも一歩後ずさる結果になる。その代わり、ナツキは離脱していた。だがメガハッサムの片腕のハサミが今にも破砕されそうな状態になっている。今までの動きで戦闘続行は難しそうだった。

 

「ハサミギロチンを使ってまで守るとは、オーキド、お前にとってそれほど大事なのか?」

 

 ユキナリは歩み出て、「ナツキ、退いて」と口にしていた。ナツキは腕を押さえながら、「まだ」と立ち上がろうとする。

 

「いいから退くんだ!」

 

 怒鳴ったユキナリにナツキは瞠目する。これ以上、ナツキを傷つけるわけにはいかなかった。アデクは、「しかしのう」とユキナリと肩を並べる。

 

「オレ達は加勢に来たんじゃ。お前さんばかりに戦わせられん」

 

 アデクの言葉に、「だとしても、サカキへと不用意に攻撃するのは危険です」と忠告する。

 

「ニドキングは一度見た攻撃ならば、ほぼ間違いなく防ぐ手立てを持っている。そう考えて間違いない」

 

「そのような、化け物じみたポケモンとトレーナーなんぞおるのか?」

 

「現に今」

 

 ユキナリは顎をしゃくる。サカキは超えようのない現実として屹立している。アデクは唾を飲み下した。

 

「そのようなトレーナーなど……」

 

「あるわけない、と断じるのはお前らの勝手だ」

 

 サカキは超越者の佇まいでニドキングを引き連れる。ユキナリとアデクは決断を迫られていた。この状況、二対一でも相手の優位は揺るがない。ならば、と声を出したのはアデクが先だった。

 

「ユキナリ。お前さんはヘキサツールの下へと向かえ」

 

 アデクの言葉にユキナリは、「でも」と返す。

 

「ここでアデクさんだけに任せるわけには」

 

「いいか? オレ達の目的は玉座以上にヘキサツールの破壊。ヤナギが自分から汚れ役を買って出たんじゃ。少しくらいは恩義に報いる義務がある」

 

 ヤナギがアデクとナツキをここまで進ませたと言うのか。今までの行動からは考えられないが、それほどまでにヘキサツールの破壊に賭けているのだろう。

 

「でも、僕が離脱しようにも、ニドキングに隙はない。下手に行動すれば相手の術中にはまるだけです」

 

「ウルガモス、もう一発フレアドライブ、撃てるか?」

 

 その問いかけにウルガモスが鋭く鳴いた。ユキナリは、「あまり使い過ぎれば」と忠告する。

 

「フレアドライブは自らの身体を焼いて相手へと突っ込む技。ウルガモスと言えども、そう何度も撃てないでしょう。ここは炎で相手を牽制して」

 

「それが通じる相手ではない事は、お前さんが一番分かってるじゃろう」

 

 ユキナリは確信していた。生半可な攻撃ではニドキングを打ち破る事など出来ない。自分達も無駄な消耗戦を続けるだけだ。

 

「でも、ウルガモスに無理をさせれば……」

 

「遅れてきたんじゃ。少しくらいはカッコつけさせろ」

 

 アデクはユキナリが止めるよりも先に、「ウルガモス!」と呼びつけた。ウルガモスが三対の翅を震わせて炎を作り出す。

 

「オーバーヒート!」

 

 陽炎の向こう側にウルガモスの姿が出現する。ウルガモスに攻撃すれば、蜃気楼を追うが如くその攻撃はことごとく空を穿つはず。その隙を逃すな、というのだろう。ニドキングはしかし、ウルガモスへと直接攻撃の愚を犯すような真似はしなかった。

 

「オーバーヒートで炎の場を作る。だが、それをすぐに攻撃に転じてこないのは理由があるな。恐らくはカウンターを目的とした戦法か」

 

 読まれている。その予感にもアデクは動じず、「だからどうした!」と声を張り上げる。

 

「動かないのならば丸焼きじゃ!」

 

 炎の円はじりじりとニドキングとサカキを追い詰めていく。攻撃すればカウンターを食らい、攻撃しなければ無抵抗のまま焼き尽くされるという二者択一。だが、サカキはどちらでもない三つ目の選択肢を取った。

 

「ニドキング、大地の力」

 

 ニドキングが足を踏み鳴らし広げた波紋から茶色の刃が出現する。ウルガモスを捉えようとしたその一撃を回避し、ウルガモスはニドキングの背後へと回り込んだ。

 

「もらった!」

 

 ウルガモスがニドキングを射程範囲に捉える。だが、サカキは落ち着き払っている。

 

「地面の攻撃を避ける、という事は特性を絞る意味もあった。そのウルガモス、そう万能でもないらしい。それに背後を取られる事も計算内だ」

 

 ニドキングの毒の背びれから霧が噴出する。アデクは咄嗟に、「退け!」と声を上げていた。

 

「遅い。ヘドロウェーブ」

 

 毒の霧がウルガモスの身体を侵す。ウルガモスが痺れたが、その姿が掻き消えた。何だ、と思ったのはユキナリも、だ。そのウルガモスが本体ではない。アデクの言動からそれが本体だとばかり思っていたが、それさえもデコイなのだ。どこへ、とユキナリは首を巡らせる。

 

「今のウルガモスですら、蜃気楼の幻影だと……」

 

「残念じゃったな。本体は……」

 

 ニドキングの直上から火の粉が舞い散る。サカキは振り仰いだ。その視線の先にウルガモスが翅を広げて炎を降り注がせている。白い体毛が赤く染まり、瞬く間にウルガモスを火球にした。

 

「フレアドライブ!」

 

 ウルガモスは二つの幻影を操り、ニドキングの真上を狙っていたのだ。それに気づいた時には既に遅い。ウルガモスの翅が拡張し、炎の色が視界に色濃く残る。熾天使の威容を映し出したウルガモスの特攻がニドキングとサカキを燃焼させようとする。

 

「これで決まりじゃ!」

 

「決まり、か。そうならば、どれほどいいのか」

 

 サカキはこの段になっても冷静だった。何故、そこまで冷静でいられるのか、ユキナリには分からないがアデクの行動を無駄には出来ない。ユキナリはオノノクスに騎乗して駆け出した。ヘキサツールの間に向かうのが自分の使命。そう割り切った行動だったが、決着だけが気になった。ウルガモスの攻撃は果たして、ニドキングへと命中した。ニドキングの身体があまりの熱量に溶解し、咆哮しながら消滅していく。それを目にしてユキナリは勝ったのだ、と感じ取る。だが、直後に感覚されたのは変わらぬプレッシャーだった。

 

「何を……」

 

 ユキナリへと真横から出現した影が突っ込む。それはニドキングだった。どうして、と疑問を発する間にアデクが、「なに?」と奇妙な手応えを覚えたのか口にする。

 

「そうだ。このニドキングは」

 

 サカキが手を薙ぎ払う。「フレアドライブ」を受けて溶解したのはニドキングが氷で作った彫像だった。一瞬でニドキングは自らの身代わりを作り、その身代わりを攻撃させている間にユキナリへとニドキングを走らせていた。氷の彫像が溶けて内部から毒の霧が噴出する。どうやら彫像内部に毒の霧のカプセルでも埋め込んでいたらしい。ウルガモスは毒の洗礼を身体中に浴びる事となった。

 

「オレの戦略を、真似て……」

 

 サカキはアデクがウルガモスによる陽炎戦法を取るのを見て、即座に模倣した。その審美眼に恐れるほかなかった。

 

「ウルガモスは、これで封じた。あとはオーキドだな」

 

 ニドキングが二の腕を膨れ上がらせてオノノクスと組み合おうとする。ユキナリは降りようとしてバランスを崩した。ほとんど転げ落ちる形でユキナリは視界が回転するのを感じた。オノノクスの攻撃網を抜け、ニドキングがユキナリへと向かう。ユキナリは暗転しかけた視界の中で落ちた七つのバッジが地面に転がっているのを発見する。

 

「しまった……! バッジが」

 

 拾おうとする前にニドキングの太い腕がバッジを根こそぎ持っていった。ユキナリは目の前でバッジを奪取された形となった。

 

「バッジを……!」

 

「これで目的は果たした。オーキド、お前を殺してバッジを奪うのが理想だったが、これでもいい。ヘキサツールは完成する」

 

 ニドキングが主の下へと飛び退ろうとする。ユキナリは歯を噛み締め、「させない!」と手を払う。オノノクスと同調し、黒い瘴気が凝縮して光条を撃ち出した。しかし、ニドキングは容易くそれを弾き、サカキへとバッジを献上する。

 

「よくやった。これで」

 

 サカキは懐へとバッジを仕舞い、まずはアデクとウルガモスに目を向けた。

 

「ゴミ掃除をして終わりだ」

 

 アデクとウルガモスを襲ったのは地面を伝って出現した冷凍ビームの掃射だった。アデクへと水色の光条が突き刺さろうとする。

 

「アデクさん!」

 

 ユキナリの叫びよりも光線のほうが早い。アデクが終わりに目を瞑ろうとしたその時、ウルガモスが身体を引きずってアデクへと向かう冷凍ビームの群れを受け止めた。炎タイプのウルガモスに氷の冷凍ビームはそれほどの効果がないはずだったが「フレアドライブ」の酷使で身体は限界に近づいていた。その身体へと無慈悲に突き刺さった氷の攻撃にウルガモスが呻き声を上げる。アデクは、「やめろ! ウルガモス!」と叫ぶ。

 

「お前が犠牲になる事は……」

 

 その言葉が最後まで紡がれる前に、幾重もの冷凍ビームが鋭く突き刺さった。ウルガモスの腹腔を破り、翅をもいだ。地へとウルガモスは倒れ伏す。その身体にアデクは歩み寄って触れた。

 

「ウルガモス……、お前は……」

 

 アデクの頬を涙が伝う。ウルガモスからは生きている者の感覚が失せていた。感知野を広げたユキナリにも分かる。ウルガモスは最後の最後に身を挺して主人を守ったのだと。

 

「何で……、何でじゃ! 何でオレの守りたいものは、こうも手を滑り落ちていく? ウルガモス! お前がいてくれれば、何も怖くないと思えたのに……」

 

「戦闘中に涙を見せるとは、片腹痛いな」

 

 サカキの無慈悲な声がウルガモスを失ったアデクへと襲いかかる。ニドキングが腕を振るい上げた。アデクには最早抵抗の気力はない。ユキナリは瞬時にオノノクスと同調し、「させない!」と黒い瘴気を刃にして振るった。ニドキングがこちらへと注意を向ける。

 

「ウルガモス……。ウルガモスよぉ……」

 

 アデクの慟哭は見ていられなかった。ユキナリは拳を固く握り締め、「何でだ」と呟く。

 

「何で、お前らはそう簡単に他人の大切なものを奪えるんだ!」

 

 怒りを滲ませた牙の一撃がニドキングへと打ち下ろされる。ニドキングはそれを弾き様に手を薙いだ。払われた空間上へと水色の光が凝縮し、連鎖した冷凍ビームがオノノクスへと放たれる。オノノクスは脚部に力を込めて冷凍ビームを跨ぐように跳躍した。ニドキングへと足の爪で組み付き、「何でだよ!」とユキナリの怒声を引き継いだ咆哮を発する。

 

「お前らは何で……。何が目的なんだ!」

 



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第百九十三話「パラノイア・エージェント」

 

 ゲンジからの定期通信が切れてからもう二十四時間を超えた。マサキは予めつけておいたマーカーを起動させグレンタウンの最深部へと向かっていた。

 

「しかし、本当にゲンジがやられたというのか? マーカーの間違いじゃ」

 

 問いかけるチアキの声に、「まず間違いないで」とマサキは返す。

 

「どうして? だってこの最深部は電子機器の干渉を許さないんじゃないの? ゲンジ艦長もそれにやられたと考えれば」

 

 疑問を含んだ声音はカミツレだ。二人ともポケモンを出して戦闘態勢に入っている。バシャーモはゼブライカの背に騎乗し、さながら騎士のような威容をかもし出している。

 

「ワイもそれは考えた。でもな、ワイの技術はその程度で掻き消されるもんとちゃうねん。ゲンジのマーカーは手持ちであるタツベイと同期していた。そのタツベイの生命反応が限りなくゼロに近づいたっちゅう事は、ゲンジ自身も危ういところにいると考えてええやろ」

 

 だが、これは一番試算したくない確率だった。ゲンジがやられた、というのは純粋には考え辛い。正直、危機の故障であって欲しいと言うのが本音だ。それに、ゲンジとて実力者。それを破るだけの人間など、そういて堪るか。

 

「最深部には、確か伝説の三体が安置されているのだったか」

 

 ロケット団の研究所があった頃の名残だ。だが伝説の三体もユキナリ覚醒時にどうなったのかは不明である。

 

「誰かが封じたんやと思うけれどな。誰が封じたまでは分からん」

 

 だが推測は立っていた。恐らく封じたのはフジだ。使ったのもミュウツーのボールだとすれば頷ける。しかし何故、フジは自らの計画の推進のために必要だった三体を自ら封じたのか。

 

 悪魔の研究だったから、という理由は今さら通用しない。研究者とは自らの研究が禁忌に触れるものだとしても、それを分かっていて行動する。マサキもそうだ。それをフジが忌避したとは考えにくい。ミュウツーというのは禁忌の塊である。

 

 ユキナリの弁ではフジ死亡後にミュウツーも形象崩壊したと言う。信じられないわけではないが、もしミュウツーが残っていればという危惧もあった。その力をよからぬ事に使おうという人間もいるだろう。真っ先に浮かんだのはキシベの顔だ。だが、キシベが何だというのか。客観視すればたった一人に何が出来るというのだ。キシベとて人間である。人間の領分を越えた範囲の行動は出来ない。

 

 少なくとも常識ではそうだ。

 

「常識で動いとるわけやないよな。今さら……」

 

 キシベがどこまで読んでいたのかは分からない。だがもしフジの死亡とユキナリの覚醒によって招かれるものが存在したのだとすれば。それを待つためにキシベの雌伏があったのではないか。だが、それとは何だ? マサキにはどうもピンと来るものがなかった。

 

「貴公、キシベと出会った場合、対抗手段は?」

 

「そりゃあんたらに頼るほかないな。ワイはポケモンを持っとらんさかい」

 

「随分と勝手なお願いね」

 

 カミツレの声に、「堪忍したってぇや」とマサキは笑った。

 

「ワイ、ここまで手持ちなしで来とるんやで? それでも随分と役には立ったと思うけれど?」

 

 相当な無茶をしている自覚はあった。イブキではないがポケモンの一体くらいは持っていても邪魔にならない。せめてこのポケモンリーグが終わってから、ゆっくりと手持ちを探すとしよう。

 

 その時、降下のために使っていたアンカーが揺れた。

 

「どうやらワイヤーの長さ、ここまでみたいやな」

 

 ニシノモリ博士に事情を話し、グレンタウンでの再調査を行う事を決定してから半日。グレンタウンは表向き活火山による破壊と伝えられているので重機を持ち出すのは難しくなかったが、その重機のレベルがポケモンに遠く及ばない。

 

「リフトでここまで降りられただけでも御の字だろう」

 

 チアキとカミツレはそれぞれのポケモンに身を任せようとするがマサキだけはそうもいかない。やはり手持ちぐらいは探しておくべきだったか、と遅い後悔をしていると、「何だ……」とチアキが呟いた。

 

「どうした?」

 

 チアキは目を凝らして、「穴の底だ」と口にする。

 

「何かが動いている。あれは、人工物の光だな」

 

 目がいいチアキならではの言動だろう。カミツレは、というと手をひさしにして、「どこ?」と訊いている。同じジムリーダーでも差があるものだ、とマサキは感じた。

 

「何とかして降りられればええんやけれど」

 

「仕方がないな」

 

 チアキはマサキへと手を伸ばした。

 

「私に掴まれ。妙な動きを見せなかったら何もしない。大丈夫だ」

 

 妙な動き、というのはマサキの口調も入っているのだろう。マサキは口元をチャックする真似をしてから、「ほなな」と手を掴んだ。チアキは予想外に力が強く、マサキが引っ張り上げられたかと思うとすぐさまバシャーモによる降下を始めた。その勢いに思わずチアキにすがりつく。チアキは、「どこを触っている? 死にたいか」と睨みを利かせた。

 

「せ、せや言うたかて、この急転直下は……」

 

 その言葉を言い切る前にバシャーモが穴の底へと着地する。少しばかりの粉塵が舞い散り視界を埋めた。マサキは放り投げられるようにチアキから離される。

 

「まったく。妙な動きを見せるなと……」

 

「そっちかって問題あるで。こんな勢いで落とされたら、誰だってびびる……」

 

 抗弁を発する前に降り立ったゼブライカから同じように粉塵が舞い、マサキは咳き込んだ。チアキとカミツレは目配せする。

 

「おかしいな」

 

「おかしい? 何が?」

 

「さっきまでこの場所で、確かに人工物の輝きがあった。だというのに、今は人の気配すらしない」

 

「見間違いやたんやないか?」

 

 マサキの言葉に、「それは考えられないんだ」とチアキは額に手をやった。

 

「私が見間違える事など」

 

「まぁ、どっちにせよ、誰もおらんのやったら、ワイらが作業しても何の問題も――」

 

 その言葉尻を裂くようにチアキは目を向けてバシャーモに命じる。

 

「バシャーモ、ブレイズキック!」

 

 バシャーモが即座に足を薙ぎ払う。それはマサキの頭上すれすれを狙って放たれたものたった。マサキが短く悲鳴を上げる。その瞬間、何かが視界を横切った。素早い動きで浮遊し、バシャーモの射程から離れようとする。だがバシャーモはそれを超える速度で追いすがり、爪を立てて捕まえた。

 

「こいつは……!」

 

 驚愕の声音を含んだチアキの意味が分かった。マサキにも見覚えのある因縁のポケモンだったからだ。

 

「ポリゴンシリーズ……」

 

 ポリゴンシリーズの第一段階、ポリゴンがバシャーモの手の中に捕まえられている。マサキは、「何でや……」と呟く。

 

「何で、ポリゴンが活動しとるねん」

 

「主を失っても、動くように設計されていた、というのは」

 

 チアキの推論に、「ありえん」とマサキは首を振った。

 

「ポリゴンには電気を通さんと動かん。それは実証実験で何度も試しとる。今、この場でポリゴンに指示を出すためには電気を供給するしかないねん」

 

「あまり私が動かないほうがいい、のよね。話を聞く限り」

 

 カミツレが一歩後ずさると、足元から丸みを帯びた物体が飛び出した。瞠目するカミツレへとポリゴン2が嘴の先へと破壊光線の光を凝縮していく。チアキが舌打ちをして手を薙ぎ払った。バシャーモの投げたポリゴンとポリゴン2がもつれ込んでバランスを崩す。破壊光線の光条はカミツレのすぐ傍の足元を掠めた。

 

「ぽ、ポリゴン2……」

 

 カミツレは腰を砕けさせ、その場にへたり込む。「そのような暇はないぞ!」とチアキが檄を飛ばした。

 

「まだ来る!」

 

 呼応したように地面からポリゴン達が飛び上がった。それぞれポリゴン、ポリゴン2、ポリゴンZの差異はあれど全員が破壊光線の準備にかかっている事だけは間違いなかった。

 

「どうすれば……」

 

「ワイに任せい! この周波数ならば!」

 

 マサキはプログラムを走らせエンターキーを押す。すると破壊光線が中断された。チアキが、「何を……」と怪訝そうに振り返る。

 

「なに、こいつらはいわば精密部品や。少しだけ違う周波数をぶつけてやるだけで攻撃命令を中止する事が出来る。ただし、一度きりやけれどな」

 

 マサキはチアキの名を呼ぶ。その間に片をつけろ、と理解したチアキはバシャーモに指示を出した。

 

「ブラストバーン! 全体を斬り捨てろ!」

 

 バシャーモの手首から炎が迸り、瞬時に両手に長刀を形成する。片方を逆手に握り、バシャーモは身体に回転を加えて薙ぎ払った。マサキとカミツレは咄嗟に身体を伏せる。炎の波紋が広がり、ポリゴンシリーズの戦闘力を奪っていった。一撃の下でチアキは黙らせた。だが、ポリゴン達は本来の形状を失いながらもまだ浮遊し、電子音声を響かせる。

 

「不死身か……」

 

「いや、どっかで操っとる奴がおるねん。ポリゴンは痛みを感じへんから、完全に破壊するまでいつまでも使えるからな」

 

 マサキは首を巡らせ、「おるんやろ!」と声を張り上げた。

 

「キシベ・サトシ……!」

 

 その言葉にポリゴンの合間から電流が迸った。景色から透けて出てきたかのように人影が出現する。否、今までもそこにいたのだが見えないように細工されていただけだ。

 

「光学迷彩とは。ほんまにお前は、この時代の人間とは思えんな」

 

「それを言うのならばそちらとてそうだろう。私が隠れているのを見抜くとは」

 

「お前の腹黒い性格のこっちゃ。ワイらをただポリゴンと遊ばせるんやない、自分で見届けたいはずやと踏んでな」

 

 マサキの指摘にキシベは肩を揺らして嗤った。チアキは警戒を強める。

 

「こいつが、キシベか」

 

 チアキは数えるほどしか会った事がないのだろう。自分は、といえばその企みを探ろうとしていた人間だ。何度も、ではないがデータの上では名前を見ない日はなかった。

 

「ああ、こいつがこのポケモンリーグの裏で全てを操っていた元凶や」

 

 マサキの言葉にキシベは肩を竦める。

 

「とんだ言い草だな。まるで世界の敵だ」

 

「そやろ。あちら側じゃ、お前は世界の敵やった」

 

「……驚いたな。あちら側の私の経歴を知っているのか?」

 

 マサキは呼吸を整え、チアキとカミツレに目配せする。

 

「ええか、これから言う事は信じられんかもしれんが真実や。特異点は、実は二人やない。ユキナリとサカキ、それにキシベ、こいつを入れて三人なんや」

 

 チアキが目を見開き、カミツレも驚愕の面持ちで聞き返す。

 

「でもヘキサツールには、二人って」

 

「ここからはワイの推測が入るがな」

 

 マサキは前置きしてから指を一本立てる。

 

「あちら側のキシベは、もしかしたらヘキサツールを作った張本人とちゃうか? だから、自分の名前は入れなかった。意図的に排除された名前、それがキシベという存在」

 

「面白い冗談を言うのだね」

 

「悪いが、冗談ちゃうで。キシベ、何の証拠も根拠もないけれどな、全ての事象がお前に結びつくねん。これを特異点と呼ばずして何と呼ぶ? お前は隠された、三人目の特異点や。それを、自覚している、稀有な男やっていうんがワイの推測や」

 

 マサキの説明に、「だが」とチアキが疑問を挟む。

 

「特異点だとすれば、常にサカキと共にいた。何故、ユキナリに破滅が誘発されてこいつには適応されなかった?」

 

「簡単な話、こいつ、手持ち持っとらへんからやろ」

 

 チアキは、「ポリゴンシリーズは」と周囲を見渡す。

 

「所詮、操り人形や。考えてもみてみぃ。ユキナリですら、ポケモンとの接触を切れば特異点としての機能はほぼ無力化された、とヘキサで結論付けられていた。だっていうのに、こいつはポケモンを手持ちにした事もなければ、使うような事もない。ホルスターのそれ、飾りやろ」

 

 マサキが顎をしゃくる。キシベの腰にはモンスターボールがつけられていたが、それを掴んでキシベは開閉ボタンを押し込む。中はブランクだった。

 

「よくそこまで見抜いたものだ。だが、という事は私の闇を直視した、と考えていいのかな?」

 

「闇、だと……」

 

 チアキがうろたえる。マサキが裏切る可能性を視野に入れたのだろう。さすがはジムリーダーだ、と感服し、「ワイは裏切らんよ」と答える。

 

「確かにな、深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている、ってのは心得とかへんとあかん事や。殊に研究者は常にそうでな。深淵に呑み込まれればそれまでや。キシベという闇。ワイも引っ張り込まれかけたが、何とか持ち堪えた」

 

「果たして真実かな。チアキ、カミツレ、君達はこの男を信じていいものか、どうか」

 

 キシベの問いかけに心を乱されたようにチアキとカミツレはマサキを気にする。マサキは、「疑われても仕方ない」と開き直る。

 

「今まで散々鞍替えしてきたからな。ただ、揺るがんかったのはキシベ、お前の下には絶対につかんって事や。姐さんとも、約束したしな」

 

 キシベは、「それは残念だよ」と心にもない事を言う。

 

「だがソネザキ・マサキ。君の根拠に欠ける仮説にはもう一つ、穴がある。私が特異点だとして、何を目的として動いてきたのか。どうしてロケット団を作ろうと思ったのか。動機のない行動に関して意味を見出せなければ同じ事だ」

 

「その辺は分かっとるで」

 

 マサキの言葉が思いもよらなかったのか、キシベは嘆息を漏らす。

 

「ほう、ならば聞かせてもらおうか。私の計画を」

 

「お前の計画には二つのものがまず必要やった。それはユキナリとサカキ、二人の特異点」

 

 マサキは説明を始めながら端末を操作する。今までのデータから推測したキシベの計画。それは遠大なものだった。

 

「まずはユキナリやったんやろうな。ユキナリが特異点として覚醒するように、お前は旅の目的を自分の言葉とした。ある意味では呪いみたいなもんやけれど、ユキナリの旅路において必要なのは悪の組織やった。いわば敵、やな。その配置としてロケット団を作り上げた」

 

「面白い仮説だが、それだとロケット団は壊滅が前提のように思える」

 

「せやろ。その通りに、お前は壊滅させるつもりやった。この次元での、前の次元と異なるのはそれが一番やろうな。シルフカンパニー傘下のロケット団の駆逐、及び自分に必要な、言い換えれば従順な駒の確保。イレギュラーの存在しない、自分のためだけの組織。それを作り上げるために随分と苦心したんとちゃうか?」

 

 キシベが口角を吊り上げる。自分にその後の仮説を続けさせるつもりだろう。マサキは言葉を継いだ。

 

「ミュウツー、フジ博士、これもお前からしてみればイレギュラーに見えて、実は計算のうちの動きやった。裏切りも、離反も計算して、お前はある目的を果たそうとしとった。それはユキナリの覚醒と解放、そして封印」

 

 チアキとカミツレも固唾を呑んでマサキの仮説を聞いている。今までの状況が全て仕組まれたと分かっていればそれも無理からぬ事だろう。

 

「封印はフジがやると結論付けておいて、お前はそれまでに揃えるべきピースがあった。伝説の三体の鳥ポケモン。さらには、もう一人の特異点サカキ」

 

 マサキはサカキのデータを呼び出す。サカキについてはロケット団本部でもほとんどのデータが削除済みだったがマサキがアクセスしたのはネメシスのデータだ。その中にサカキのデータがあった。それは精神疾患の患者のデータだった。

 

「サカキは、悪夢に苦しめられていたらしいな。幼い頃からずっと。さらにもう一つ、サカキの前では全てのポケモンが言う事を聞いた。このデータを秘匿したのは誰もがサカキを恐れたからや。サカキは人の輪から外れ、心はボロボロに荒み切っていた。その心の隙間をついたんやろ。お前にはサカキが何故苦しんでいるのか分かっとったはずやからな」

 

「どうしてサカキに関して私が分かったと言える? サカキのデータを遡る事すら困難のはずだ」

 

「なに、簡単な事や。こっちの次元のサカキの苦しみを知るんじゃなくって、あちら側の次元のサカキの苦しみを知れば、こっちの悩みくらいは推し量れる」

 

「あちらの次元……、ちょっと待て、マサキ。その前提ではこいつは別次元のサカキの人格を知っていた事になるのではないか?」

 

 チアキの疑問にマサキは、「そうや」と首肯する。

 

「それが特異点たる所以。キシベ、お前はこの次元で唯一、ヘキサツールの予言が解読出来る人間やったんやな」

 

 その事実にチアキが目を慄かせた。カミツレも、「そんな事って……」と言葉を失っている。ヘキサツールは解読不能の預言書。その前提条件が崩れようとしているのだ。

 

「何故、私が解読出来ると?」

 

「せやなかったら、サカキの事も、ユキナリの事も予め知る事は出来んはずやからな。一番核心に近いとすれば、それしかない。でもな、ワイも分からん事があるねん。どこでヘキサツールを見たのか? ヘキサツールのレプリカはヘキサとロケット団にあったが、オリジナルのヘキサツールじゃなければ解読なんて出来んはずやからな。ワイはその条件に合致する人間を探した。するとな、一人だけおるねん。ヘキサツールに近づけて、なおかつ解読出来る人間が」

 

 マサキは指を一本立てる。その指が震えていた。これから話す事は禁忌に繋がる。もしかすると、まったく見当違いの方向かもしれない。だが、確信がある。これを話せばもう戻れないと。

 

「カントーの王、崩御したはずのそいつならば、ヘキサツールに充分に近づく事も、解読も可能やったはずなんや。カントーの王が誰かなんてほとんど語られんからな。王の名前だけが刻まれとるだけやし、死を偽装して、先王はお前という人間へと成り代わった。キシベ・サトシ、いいや、王、グリーンか」

 

 マサキの言葉にチアキは驚愕の面持ちでキシベを見やった。先王を前にしているとなれば自然と身体が強張るのだろう。「で、でも」とカミツレが声にする。

 

「先王だとすればポケモンは所持しているはず。それに、さすがに遺体の処理や、自分の死を偽装なんてそんな大それた事……」

 

「出来るはずがない。せやな、そう思うのが自然や。ワイもネメシスのキクノから自らの手で先王に止めをさしたと聞かされた。だけれどな、死体をどうしたとか、そもそも先王が無抵抗に殺されたとか、そういう事は一切聞いてないねん。自分が殺した、言うても証拠は全くない。その話を無条件に信じるには少し抵抗があった。だから、ワイはその時間、ほんまに先王が玉座にいたのか確認をした。何度もデータを洗い直し、ネメシスに留まっていたのはそれも理由やった。結果として分かったのは、ネメシスには重大な見落としがあった事や」

 

「重大な見落とし……」

 

「キクノの話は八割が真実やとしよう。でも二割は嘘やった。簡潔に言うのならば、ステルスロックを当てて殺そうとしたところまでは本当。その証拠に、キシベ、お前の身体中、実は傷だらけなんやろ? だからもうポケモンが使えん」

 

 カミツレは黒衣を身に纏ったキシベに視線を向ける。指先まで手袋で覆われており、皮膚が見えなかったがキシベは、「面白い冗談だ」と返した。

 

「私が先王。そこまで飛躍した理論を組み立てられるのは才能かな? 研究者というものは解せない」

 

「ワイも最初はお前だって研究者やと思っていた。それは半分正解で半分間違っていたんやな。このカントーの玉座についていた人間。顔は整形か? この時代ならば顔と声質が違えば別人も同然やもんな」

 

 キシベは肩を竦め、「陰謀論だな」と感想を述べた。

 

「映画のシナリオにでもするといい」

 

「ワイも思うで。映画とかフィクションならばどれだけええか。でも、お前がヘキサツールのオリジナルを知っている理由を探すと、これしか思い浮かばんねん。そりゃネメシス関係者も考えたが、頭目であるキクノがそれについては否定した。自分の権限より下の人間にはヘキサツールの真実は語られていないと。所詮はレプリカントのメディカルチェックレベル。こっちのほうが信用には足るな。それにヘキサになってからもずっと調べたけれど、お前のキシベ・サトシって名前、存在しない名前やねん。カントーの何万人の戸籍謄本から調べ上げた結果や。まぁ、ジョウトの出や他の地方も考えはしたが、それやとお前のもう一つの顔であるトキワシティジムリーダーの説明が出来ん」

 

 マサキの発した言葉に、「何だと?」とチアキが反応する。

 

「トキワシティジムリーダーという事は最後のジムリーダーであるという事か? ヤナギ達の報告では、確か不在だったと言うが」

 

「こいつは、最後のジムバッジを隠し持っていた。サカキのためにな」

 

「そのサカキも、何でこいつは擁立していたの? 自分が戦闘不能の状態だからって諦めるような人間だとは思えない」

 

 カミツレの感想にマサキは、「最初からや」と応じる。

 

「最初から、自分の死の後にサカキを擁立した組織、ロケット団を作る事は決められていた。何でこうまでサカキにこだわったのか。推し量るにサカキはもう一つの次元でのロケット団の重要ポジションやった。考える限りでは幹部か? まぁそれはええんや。問題なのは、こいつはサカキを必要としながら、全く別の事を考えとった」

 

「別の事……」

 

 チアキが思案する。キシベは、「もう答えを言ってやるといい」と促した。

 

「私の考えの全てを、君は知っているのだから」

 

 やはりか、とマサキは感じると同時にこのおぞましい計画の末を語り始めた。

 

「特異点、サカキはきっかけに過ぎない。こっちの次元のサカキを必要としていたのではなく、こいつが本当に欲しかったのは向こうの次元のサカキやった」

 

「向こうの次元……」

 

「ユキナリの報告は何一つ間違ってなかったんや。次元の扉がどうしてグレンタウンで開かれたのか。それはミュウツーと三体の伝説をキーとして破滅の現象を誘発し、サカキをこっちの次元と向こうの次元で交換する。特異点サカキの目的はそれに尽きていた。キシベ、お前の最終目的は別次元のサカキを王にする事やな?」

 

 確認の声にキシベは頷かない。ただ、肩を揺らして嗤っていた。狂気だ、とマサキを含めた三人は感じ取る。サカキという一個人をただ単に自分の計画を推し進めるための駒として数えていた。

 

 サカキを交換条件にし、もう一つの次元のサカキを呼び寄せる。通常ならば及びもつかない計画だがヘキサツールを解読していたのならばそこに至る道標を正確に辿る事が出来る。ただそれでも気が遠くなるような計画だろう。一つでもミスをすれば終わりの計画。だが、キシベの思った通りに世界は動いた。それは何もキシベが特異点だからだけではない。全員がキシベとサカキを押し上げるために存在していたと考えるのが筋だろう。

 

「だが、サカキを王にして、その先はどうするのだ?」

 

「そうよ。サカキが王になったからと言ってキシベ、あなたの未来が確約されるわけじゃない」

 

 チアキとカミツレの疑問はもっともだが、マサキにはその先の目指すものも見えていた。

 

「ちゃうねん、お二人さん。こいつは自分の未来なんて考えとらん。ただ一つだけ、考えとるんは、歴史改変。三十年後に存在するはずのロケット団を興し、三十年後の技術であるミュウツーを造り上げ、未来にいるはずのサカキを呼び寄せた。それらの答えの導く先はロケット団という組織の支配。こいつは自分が死ぬ事さえも勘定に入れてる奴や。たとえばワイらがここでキシベを殺したとして、キシベは何ら焦る事はなく、全てをサカキに任せるつもりやろう。こっち側のガキのサカキちゃう、別次元のサカキならば王になれば絶対的な支配が完成するんやと信じとる」

 

「絶対的な支配……」

 

「そんなものために……」

 

 二人が言いたい事は分かる。そんなもののためにたくさんの人命が失われたのか。だが血で贖う以外にロケット団を再建させる事など不可能だったのだろう。キシベはこの状況でも落ち着き払った様子で呟く。

 

「ソネザキ・マサキ。夢は見るか?」

 

「……いや」

 

「私は毎日見る。眠りが浅くても深くても。私は娘を抱いているのだ。名前はルナという。その娘が愛おしくって仕方がない。妻は思い出せないが娘の事は明確に分かる。私は研究者らしく、白衣を纏って研究に没頭しているのだが、よく場面が飛んで培養液のカプセルが居並ぶ光景を目にするのだ。その中には愛娘のルナの似姿達が並んでいる。どうやら向こうの次元では私の娘は研究者共に切り刻まれ、解体され、その挙句にクローンまで造られるらしい」

 

 キシベの言葉を戯れ言だと判断する事も出来る。だがそうしないのは、特異点ならば別次元の自分の存在を感知出来てもおかしくはないと思えるからだ。

 

「私は絶望し、ロケット団、否、世界への復讐計画を練り始める。ロケット団残党に紛れ込み、ヘキサなる組織を興して街一つを質量兵器としてカントーに落とそうとするが失敗し、私は自我を封じ込めたカプセルと共に消滅する。ここまでが夢の内容だ。突拍子もない、と感じるか? それとも誇大妄想だとでも? だがね、私にはそれが信じるに足る事実だと言う確信があるのだ。もう一つの次元の私はそのような選択をしたのだろう。こちら側で未来の悲劇を封殺するためにどうすればいいのか、色々と考えたよ。だが、何もしなければ私は同じ事をしてしまいかねない。繰り返し、だ。だがこの次元で私は僥倖な事にサカキとオーキド・ユキナリと同時代を生きる事が出来た。特異点、という二人の特性を解読し、私はとある決心をした。もう二の轍は踏まない。こちらの世界を救うために、私は動こうと」

 

「それがロケット団とサカキによる絶対的支配やと言うんか」

 

「サカキがいないがために、向こうの人々は惑った。だがこちらにはサカキがいる。そして、私の手の中にある。ならば、と考えたのがこの計画だ。支配というのは全ての幸福に直結する。私は支配被支配を否定するつもりはない。それが絶対者の行動ならば衆愚は従うしかない。先導する者が現れれば、こちらの世界では間違う事がないはずだ」

 

「……狂っている」とカミツレが口元を押さえて呟く。マサキも同じ気持ちだったが果たして本当に狂気に埋没しているのだろうか、とも考える。狂っているのは世界のほうで、この男は正常なのかもしれない。世界を見据えてしまう能力ゆえに他人とは別の道を歩まざるを得なかっただけで。

 

「さてお喋りはこの程度にしようか」

 

 キシベは手を振るう。ポリゴン達が浮遊して破壊光線を充填する。

 

「私はロケット団で君達はヘキサ、いや、この世界の強制力の一つか。私を止めに来たのだろう? 私もね、ある意味では君達を待っていた。運命はどちらを選ぶのか。私か、それとも他の人間か」

 

 チアキはバシャーモを呼びつける。ゼブライカに騎乗したバシャーモはゼブライカから放たれる加速のエネルギーを得る。ゼブライカの蹄から炎が迸り、電流をその身に纏い付かせた。バシャーモはそれと相殺するように身体から炎を迸らせる。たちまち白熱化し、白いバシャーモと化した。両手に提げた炎の長刀を交差させる。

 

「言うとくけれどな、ワイらは未来を諦めとらへんし、そんな簡単に投げ捨ててええもんやとも思ってへん。未来を切り拓く力はこの次元の人間にもあるはずなんや。それを、身勝手な理由で奪っていいとは思わんな」

 

 マサキの言葉にキシベは意外そうに息を漏らす。

 

「君がそう言うとは思わなかったな。利己主義の面が目立つ研究者にしては、なるほど、少しばかり非合理だ」

 

「人間なんて非合理に出来とるねん。考えている事も、何もかも非合理そのものや。でもな、その非合理を愛する事が、最初に人間の出来る事やと、ワイは思う。思えるようになった」

 

「愛か。……気安く愛を語るな、と激昂するのも悪くないが生憎こちらの私は愛も知らなければ憎悪も知らない。ただの器だ。憎しみの果てにこの状況に晒されたわけでもないし、愛ゆえに誰かを利用したわけでもない。ただ単に、真実を知ってしまった人間の務めとして、この役目を演じていただけだ」

 

 役目を演じる。キシベはまさしくそうなのだろう。特異点でなければ、という仮定は無意味だ。キシベは特異点の必然があった。特異点としてヘキサツールの真実を解読する。それこそがこの次元での役割だったのだろう。

 

「一つ聞かせてくれ。キシベ。ほんまに四十年後にはこの次元はなくなるんか?」

 

 ネメシスが信じ込んでいる破滅。それに直結する現象を何度も見てきた。だが、それは本当なのか。誰かが歪めてしまった世界の真実ではないのか。キシベは口元を緩める。

 

「瑣末だよ。滅びの前では感情などね。滅びは訪れるよ。この次元の人々は等しく死に絶える」

 

「それに関して思うところはないのか」

 

 チアキが口を差し挟む。あまりにキシベが人間離れしているように映ったからだろう。彼の中に一欠けらでも人間らしい部分を見つけようとしたのだ。だが、キシベは首を横に振る。

 

「ないな。滅びるのに感情など」

 

 キシベは無機質に告げる。その様子にチアキの心は固まったようだった。

 

「……そうか。ならば私も、心を捨てて鬼となって貴公を討とう」

 

 バシャーモが咆哮する。ポリゴンシリーズが破壊光線を放とうとするのをフレアドライブによって加速の最果てへと至ったゼブライカとバシャーモが跳び越えた。二本の刀を振るい上げ、一本に纏める。それが遺伝子のように絡まり合い、一つの炎の奔流となって空気を圧迫した。

 

「全力でいくぞ。ブラストバーン!」

 

 振るい落とした剣閃がポリゴンシリーズを根こそぎ焼いていく。次々と沈黙していくポリゴンを視界の隅にやりながらキシベは口角を吊り上げていた。

 

「キシベっ!」

 

 チアキの声が弾け、長刀を提げたバシャーモが肉迫する。キシベは抵抗する事も、ましてやポケモンに頼る事もなかった。薙ぎ払われた一撃によってキシベの身体が分断される。チアキは、「やったか」と口にする。

 

「そうだな、全て、ヘキサツールの予言通りだ」

 

 キシベの口から出た言葉にマサキは目を見開く。駆け寄ってその身体を揺すった。

 

「おい! どういう事やねん! これも、お前の死でさえも、予言に組み込まれていたっちゅうんか?」

 

 キシベは既に答えない。完全に息絶えていた。マサキは歯噛みし、「ゲンジを探すで」とチアキ達に振り返る。

 

「だが、こいつは死さえも計算に入れていたのか? それに先ほどの話も統合すればこいつが死んでもサカキさえ王になれば――」

 

「今は、余計な事は考えんほうがええ」

 

 マサキはそう口にしてキシベの遺体を野ざらしにした。このグレンタウンの最深部で、誰にも悟られずに死ぬ。それさえも運命だというのか。それを受け入れる事がキシベの計画の中に組み込まれていたのだとすれば、超越者というほかなかった。

 

「……ねぇ、結局キシベは本当に先王だったの? だとすれば何を思ってこのカントーという土地の真実を見つめたのかしら。何を思って、二度も死んだのかしら」

 

 カミツレの質問に答えるだけの口を、マサキは持ち合わせていなかった。

 



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第百九十四話「クリティカルレベル」

 

「どうして、か。つまらない問いだな」

 

 サカキのニドキングがオノノクスの攻撃を弾き、冷凍ビームで牽制する。先ほどまでと違うのは逃げるためのタイミングをはかっている事だ。既に全てのバッジが手中にある今、ユキナリの相手をする意味はないと感じているのだろう。

 

 ユキナリは一秒でも長くこの場にサカキを留める必要があった。こいつだけは王にしてはいけない。その確信にオノノクスが跳ねる。打ち下ろされた牙が地面を抉った。土煙の舞う中でニドキングとオノノクスが同時に引き裂き、お互いの攻撃をぶつけ合う。ニドキングの表皮が引き裂けるが、オノノクスの牙の表面を衝撃が襲った。

 

 オノノクスが仰け反り頭蓋を揺らす攻撃に呻く。同調しているユキナリにもその衝撃が伝わった。脳髄をシェイクするような感覚に一瞬だけ視界が暗転する。

 

「弱ければ死ぬ。強ければ生き抜く。この世の道理だ。それを分からぬほど、子供でもないはずだが」

 

 ニドキングの攻撃がサカキの声音と同期して放たれる。連鎖する冷凍ビームをオノノクスは紙一重で避けながら、「だからって!」とユキナリはアデクとナツキを視界の隅に入れる。ナツキは身体を削ってまで戦った。アデクは手持ちの命を失うまで戦った。どうして失わなければならない。どうして傷つかなければならない。弱いからか? 強ければ何も失わなくって済むのか? だがそれは身勝手な理屈だ。強者と弱者の境目など曖昧で、それこそ簡単に入れ替わってしまう代物なのに。

 

「僕は、お前の言葉が真実だとは思えない」

 

 オノノクスが黒い光条を一射する。ニドキングは胸部の紫色の宝玉から右腕へと光を集中させた。注ぎ込まれた力の奔流が瞬き、右手から一射されたのは水色の光線だった。今までとは比べ物にならない冷凍ビームの閃きがオノノクスの「ドラゴンクロー」を呑み込み打ち消していく。ユキナリは肌がプレッシャーで粟立ったのを感じ取る。オノノクスを飛び退らせ、冷凍ビームを回避したかに見えたがその攻撃の射線にあるものに気がついた。

 

「アデクさん、ナツキ……!」

 

 この攻撃は自分とオノノクスだけを狙ったものではない。本来の目的はナツキ達を殺す事だ。判じた身体が跳ね上がり、オノノクスが瞬時に射線上へと動く。

 

 ――間に合わない。

 

 オノノクスの素早さでは射線に回り込む事など出来ない。ユキナリは奥歯を噛み締め手を薙ぎ払う。

 

「オノノクス、ハサミギロチンで打ち消せ!」

 

 牙を払い、オノノクスが黒い断頭台を発生させる。中空に黒い顎が出現し冷凍ビームを噛み砕いた。冷凍ビームは噛み砕かれた先から霧散していく。あと一歩でナツキ達が犠牲になるところだったが、寸前で消滅させられた。荒い息をついていると、「これで三回、か」とサカキが口にする。視線を振り向けるとサカキは指を二つ折っていた。

 

「ポケモンの覚えられる技には限界数というものが存在する。強力な技ほど、そう何度も撃てない。ハサミギロチンは角ドリルと同じく一撃必殺の強力な技。恐らくは五回程度が関の山だろう。お前とオノノクスは三回、撃った。あと二回だ。これを撃ち尽くせばニドキングの攻撃の合間を縫って戦うなどという無茶は出来なくなる」

 

 サカキが歩み出る。その踏み込みは超越者のそれを想起させた。

 

「二回だ。命中率三十パーセント以下の技がたった二回。ニドキングが避けるのは、そう難しい話ではない」

 

 ユキナリは歯噛みする。オノノクスの秘密を看過されたばかりか、サカキはオノノクスの完全な無力化を計っている。そして自分はそのペースにまんまと乗せられているのだ。

 

「ニドキングの秘密を少しだけ教えてやろう。ニドキングの胸部のあるのは命の珠。体力を削りながら技を強化する。さらにその特性は力尽く。技の追加効果、たとえば凍結などが発生しない代わりに技の威力を強化する。ここで問題なのは、この特性ならば命の珠の追加効果を打ち消す、という事だ。この意味が分かるか、オーキド。今のところ、ニドキングのダメージは先ほど撃たせてやったウルガモスの技とメガハッサムの技のみ。しかも、その技は効果が今一つ。対して、だ」

 

 サカキがオノノクスを指差す。それだけで銃口を突きつけられているかのように息が詰まった。

 

「オノノクスはどれだけダメージを負った? 直撃は受けていなくとも効果が抜群のダメージを何回も受け流せるはずはあるまい。身体に蓄積しているはずだ」

 

 その瞬間、オノノクスが膝を落とす。ユキナリも動けなくなっていた。毒か、と感じたが先ほど毒は抜いたはずである。だとすれば、これは――。

 

「限界点だ。オノノクスからのダメージフィードバック。それとオノノクスそのもののダメージ。もう戦えない。まともには、な」

 

 そんな、とユキナリは呼吸音と大差ない声を漏らす。オノノクスの指先が震えている。我知らず痙攣しているのだ。これでは全力で戦う事も無理ならば「ハサミギロチン」に賭ける事も出来ない。

 

「ニドキング相手に善戦したとは思う。だが、オーキド、特異点であってもお前は所詮、王の前にある些事だったという事だ」

 

 ニドキングが両腕を突き出す。命の珠からエネルギーが両腕へと注ぎ込まれ水色の光が交差した。やられる、と覚悟したユキナリへと差し込んだ声が響く。

 

「メガハッサム!」

 

 メガハッサムの影が躍り上がりニドキングの腕へとハサミを撃つ。ニドキングはすぐに冷凍ビームを拡散させた。

 

「邪魔だな、冷凍ビーム」

 

「凍結しないんでしょう? だったら、恐れる事はないわ!」

 

 メガハッサムがほとんど捨て身に近い攻撃を放つ。懐へと潜り込んだメガハッサムがニドキングの胸部にハサミを突き出した。

 

「バレットパンチ、連射!」

 

 ハサミが開かれ内部から鋼鉄の弾丸が何度も何度も胸部へと撃ち込まれる。その度にニドキングは衝撃を減殺しようと足を膨れ上がらせるがメガハッサムの攻撃のほうが早い。すぐさま押し切られる形となり、命の珠に亀裂が入った。

 

「虫けらが」

 

 サカキが吐き捨てニドキングが足を踏み鳴らす。大地の力の刃をすり抜け、メガハッサムは背後へと回り込んだ。命の珠から光が漏れている。

 

「これで命の珠による技の強化は防いだ」

 

 メガハッサムの巨大なハサミがニドキングの喉元を押さえつける。拘束する構えを取ったメガハッサムは身体に突き刺さる棘をお構いなしでニドキングの動きを封じた。

 

「今よ! ユキナリ!」

 

 その言葉の意味が最初、分からなかった。ナツキは懸命に声を発する。

 

「ハサミギロチンを撃って! あたしごと切り裂けば勝てる!」

 

 何を言われているのか、ユキナリには解せない。だが、ナツキは叫ぶ。

 

「メガハッサムがニドキングの動きを封じた! 今なら!」

 

「何を……」

 

 自分にナツキごとニドキングを倒せと言うのか。ユキナリはメガハッサムを見やる。ほとんどボロボロだ。強靭だったハサミは亀裂が入っており、先ほどの「バレットパンチ」が無理の祟る代物であった事を物語っている。ニドキングは命の珠をほとんど破壊されていた。今ならば、確かにニドキングにとどめを刺せるかもしれない。だが、それはナツキの命と引き換えだ。

 

「早く! オノノクスのハサミギロチンなら!」

 

 棘がメガハッサムの表皮を突き刺している。ナツキは激痛を押してまでサカキを止めようとしているのだ。自分ならばサカキを倒せる。その希望を繋ぐために。

 

「撃てるのか? オーキド。仲間を見殺しにしてまで、俺を止められるのか?」

 

 サカキは試すような物言いで言ってくる。ユキナリは揺れ動いた。ここでナツキごとニドキングをやれば、サカキは王になれない。ポケモンを失ったサカキならば今のオノノクスと自分でもバッジを奪い取れる。簡単な話だ。だが、そこには命が絡んでくる。

 

「ここで撃てば、俺はお前を見直すかもしれないな。だが、いいのか? 大切なものを失うぞ?」

 

 自分が先ほど言った事ではないか。どうして大切なものを奪えるのか、と。サカキは自分の命を削ってでも大切なものを奪ってくる。ユキナリの手に残るのは世界を救った、という曖昧なものだけ。あとは王になれた、という虚構の城。

 

 そんなものに価値はあるのか?

 

 ナツキを殺してまで、玉座を手に入れる意味はあるのか?

 

「オーキド。迷うな。撃て」

 

 サカキは撃てと言う。ナツキも撃てと叫ぶ。アデクは咽び泣き、自分は――。

 

 自分は何も失いたくない、誰かを失うくらいならば何もいらない。

 

 その感情が堰を切ったように溢れ出し、頬を伝っていた。

 

「……嫌だ。僕は、もう誰も」

 

 フジの姿が脳裏を過ぎる。フジは自らの命をもってユキナリの未来を繋いだ。縁が自分を導くだろう、と言葉を添えて。

 

「嫌だ……。フジ君……」

 

 ユキナリは涙を止める事が出来ずに土を握り締める。それが敗北宣言に繋がっていた。ニドキングが背後のメガハッサムに肘打ちを放つ。緩んだ拘束を解き、ニドキングはメガハッサムの頭部を殴りつけた。ナツキがよろめき、左目の光が薄らぐ。メガハッサムの姿が蜃気楼のように消え去り、ハッサムの矮躯が残った。

 

「脆いな。消えろ」

 

 ニドキングがハッサムの首をねじ上げ、そのままくびり殺そうとする。ユキナリは泣き叫んだ。

 

「やめろ! オノノクス!」

 

 オノノクスが同期して牙を振るう。黒い剣閃が顎の形状となり、ニドキングを両断しようとした。だが、ニドキングは振り向き様に角を振るう。放たれたドリルの勢いに断頭台が掻き消された。

 

「撃ったな。これで残り一回だ」

 

 ユキナリは荒い息をつく。不意打ちじみた今の攻撃が通じなかった。ニドキングはハッサムを投げ捨て、胸部をさする。ほとんど命の珠は用を成していなかった。

 

「だが力尽くの特性は生きている。命の珠を潰した程度では、俺とニドキングは止まらん。それに、最早オノノクスは恐れるものではない」

 

 サカキは身を翻す。ユキナリは一歩も動けなかった。ニドキングとサカキの歩みを止めるだけの攻撃も意志も自分の中にはなかった。

 

「さよならだ。オーキド・ユキナリ」

 

 サカキの言葉は完全な勝利宣言だった。ユキナリは自らのがらんどうの身体を持て余した。

 



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第百九十五話「ライジングワールド」

 

『おおーっと! 今の今まで何があったのでしょう? 全く戦闘がモニター出来ませんでしたが、洞窟を、この難攻不落のチャンピオンロードを一番に抜けてきた人影は――!』

 

 実況の声に観客が沸く。熱が包み込んだ観客席から黄色い声が上がった。

 

『サカキだー! シルフカンパニーの擁する新鋭トレーナー、サカキが相棒のポケモンと共にチャンピオンロードを抜け、殿堂入りの間まで残り三十メートルを切ったー!』

 

 サカキは観客達を眺め、これほどつまらない眺めはないと感じていた。この人々は新たなる王の君臨に心躍らせているのだろうが、ここから先、カントーを支配するのは暗黒時代だ。ロケット団が君臨し、再びこの世の春を謳歌する。それは自分の再起でもあった。自分が一度諦め、成せなかった事を再び成す。奇妙な感覚がついて回ったが、以前までの自分は切り捨てる事にしたのだ。

 

 最早、この次元のサカキ自身を知る人間など一人もいない。当然だ。この次元の自分ではない。もっと大きなものを背負って自分はここに立っている。玉座への道を駆け抜けている。

 

『今! サカキが殿堂入りの門を潜ったー! 殿堂入りの間へとこのまま誘われます。カントーの王はサカキで決着だー!』

 

 サカキは鼻を鳴らす。自分には王の素質がある。カントーの民草には悪いが、また支配を受けてもらおう。

 

「こちらへ」とポケモンリーグの事務局の人々がサカキを誘う。そこには旧式だが殿堂入りの間と同じく手持ちを記録する機械があった。

 

「さぁ、このマシンにあなたのポケモンを永遠に記録いたしましょう」

 

 サカキはニドキングをボールに戻し、歩みを進める。殿堂入りの間は殺風景だった。奥まった場所に機械が据えつけられているだけだ。サカキは先導する人間に目を向ける。

 

「ここは、観客に見せないのだな」

 

「ええ。言うなればこれは儀式。一市民が見ていいものではありません」

 

 そう説明する事務局の人間はサカキが王になっても淡白な様子だった。だが、それでも構わない。むしろ、支配の一歩目だ。こういう手合いの人間を手中に置くのは。

 

「そうか。まぁ、俺も煩わしくなくっていい」

 

 サカキが歩を進めると事務局の人間は立ち止まった。何をしているのか、と訝しげにサカキも足を止める。振り返り、「あなたがここに来れば」と事務局の人間が口を開く。

 

「止めねばならぬと、ずっと感じていました。玉座には相応しい人間がなるもの。私は諦観のうちにそれを決定付けていた。ですが同時に気づきもしたのです。諦めているだけでは未来は掴めない、と」

 

 事務局員らしい――灰色の髪の女性――はモンスターボールを手にした。サカキは睨みを利かす。

 

「何のつもりだ?」

 

「止めます。邪悪は止めねばならない」

 

「驚いたな。セキエイ側の人間が王になる人間に異を唱えるか?」

 

「オーキド・ユキナリ、カンザキ・ヤナギらが来たのならばまだ納得出来ました。ですが、あなたは……。あなただけは」

 

「選り好みするか。だが、気をつけろよ、三下。旧式のモンスターボールと新型の、いや俺の次元ではこれでも古いものだが、こっちとどちらが抜くのが速いか比べるまでもないだろう?」

 

 サカキがホルスターから再びボールを抜く。事務局員は、「私は止めねばならないのです」と告げた。

 

「キシベの話にあったネメシスの人間か。こいつらはどうせ静観するだろうと思われたが、抵抗するとは馬鹿な奴め。人の形に生まれた事を後悔させながら殺してやる」

 

 旧式のボールから蒸気が発せられるがそれよりももちろんサカキのモンスターボールからニドキングが射出されるほうが速い。ニドキングは即座に、ボールからポケモンが繰り出される前にその腕を握り潰す。骨の砕ける音と腕が引き千切られる無残な姿が視界に映った。事務局員の女は千切られた片腕を押さえ、「ああ」と呻く。サカキは鼻を鳴らす。

 

「どれほどのポケモンであったのかは知らないが、事務局員が玉座の人間に牙を剥いていいと思っているのか」

 

「我々、ネメシスは……」

 

 事務局員がよろりと立ち上がる。血に染め上げられた手を握り締めた。

 

「一度は見過ごそうと考えていた。でも、オーキド・ユキナリやカンザキ・ヤナギ。彼らの姿勢が、未来を手にしようとする彼らの思いが、私の心を打ったのです」

 

「その他大勢に影響を与えるほどではある、という事か」

 

「その他大勢ではありません」

 

 事務局員は意思を固めた双眸を投げる。

 

「私の名前はキクノ。たとえ身体がレプリカントのそれでも、一個人として私は戦う」

 

「キクノ……。向こう側にもいたな、そういえば。シンオウの四天王だったか」

 

「四天王……?」

 

 意味を解していないのだろう。サカキはキクノへと視線を向けて、「だがどうする?」と問いかける。

 

「ポケモンを失った。ヘキサツールは完成し、俺が王となる。これは既に決定事項だ」

 

「誰が、ポケモンを失った、と言いましたか」

 

 ことり、と衣服から何かが零れ落ちる。それはモンスターボールだった。キクノは緊急射出ボタンを踏みつけて叫ぶ。

 

「いけ、グライオン!」

 

 飛び出したグライオンがハサミを突き出し、ニドキングへと襲いかかる。だがニドキングを操るサカキは平然としていた。

 

「一体で向かってくるほど自信家ではない事ぐらいは考えが及ぶ範囲だ。グライオン、確か地面・飛行タイプ。弱点はこいつだな」

 

 ニドキングが腕を払う。その射線上に冷凍ビームの光が凝縮された。連鎖した冷凍ビームがグライオンに向けて放たれる。それぞれが一拍遅れで中空を裂いた。グライオンは皮膜を広げて逃れようとするが一撃を掠める。それだけでグライオンの飛翔能力が削がれた。

 

「四倍弱点のはずだ。命の珠の加護がないとはいえ、特性は生きている」

 

 素早さを奪われたグライオンはすぐさま氷の洗礼を受けた。氷結する事はないと言っても冷凍ビームそのものの威力は健在だ。瞬く間に皮膜が破れ、グライオンがよろめいた。その身体がふらふらとニドキングへと覆い被さろうとする。その瞬間にハサミがぎらりと凶暴な光を湛えた。

 

「刺し違えてでも! ハサミギロチン!」

 

 肉迫したグライオンがハサミを撃とうとする。だが、それよりも速く、ニドキングは跳躍した。グライオンを跳び越え様に直下へと冷凍ビームが一射される。冷凍ビームを背筋に受けたグライオンが完全に戦闘能力を奪われて地面に転がった。

 

「無様、というほかない。俺は王だ。王に立ち向かうにしては力不足だったな」

 

 ニドキングがグライオンを踏みつける。拳を固めてニドキングがグライオンの頭部を殴りつけた。表皮に亀裂が入る。キクノは、「やめて……」と悲鳴を漏らしたがニドキングとサカキはグライオンとまだボールに収まっている手持ちポケモンとを同時に無力化した。ボールに入っているほうは握り潰し、グライオンは再生不可能なほど叩き潰した。キクノがその場に蹲る。

 

「レプリカント。聞いているぞ。瞬時にポケモンとの同調率を操れる人造人間。同じ顔の連中らしいな。まぁ、その怪我ならば失血死は免れまい。俺が放置しておいても死ぬだろう。最後に聞いておく。ヘキサツールはどこか?」

 

「誰が、あなたなんかに……」

 

 ニドキングが手を払う。キクノが煽られるように転がった。

 

「もう一度、聞こう。ヘキサツールはどこなのか?」

 

 最早虫の息のキクノに問い質す。その時、不意に足音が聞こえた。そちらへと目を向けると、子供達が逃げ去っていく背中が見えた。

 

「なるほど。あとはレプリカントのガキ共に聞こう」

 

 サカキが歩み出そうとするとキクノはその足にすがりついた。虫けらを眺めるように眼を向ける。

 

「……お願い。あの子達だけは……」

 

「意外だな。道具としか思っていないようにキシベからは聞いていたが」

 

「……気づいたんです。私も、とても酷い事をあの子達にしてきた。キクコも、運命に翻弄されてきた。でも、私達大人がすべき事はそうじゃない。子供の未来を縛るのではなく、その未来の道を拓く事だと。それが、大人の務めです」

 

「言葉の上では尊敬するよ。だが、それは詭弁だ」

 

 サカキはキクノの頭を蹴りつけ吐き捨てるように口にする。

 

「断言しよう。大人が子供にすべき事は未来を閉ざす事だ。未来、希望などというあやふやなものにいちいち光を見出させて、この絶望の世界に突き落とす事の、何の意義がある事か。世界は最悪だ。常に、そうなのだ。破滅へと向かう世界、破滅はなくともだらだらと延命し続ける世界、あるいは誰かが気紛れに終わらせられる世界、そのような世界に堕とす事に大人の義務を見出すのは不可能だ。それはな、押し付け、と呼ぶのだよ」

 

「それでも……、あなただって人の子でしょう?」

 

 最後の希望をかけた言葉だったのかもしれない。だが今の自分には通用しなかった。

 

「そうだな。人の腹から生まれ、人の血が流れている。だが、今の俺は超越者だ。人を超えたのだよ」

 

「……傲慢な」

 

「傲慢で何が悪い。人の上に立つのならば傲慢なほうが都合はいいではないか」

 

 サカキはキクノの頭を蹴り飛ばして意識を失わせた。それでも絡んでくる手を蹴り払い、子供達の後を追う。子供達はサカキの事を本当の脅威だと思っていないのか、その足並みは緩やかなものだった。逃げている、というよりも遊んでいるかのようだ。

 

「俺をヘキサツールの場所まで導こうと言うのか?」

 

 あるいは子供達こそが地獄への案内人か。そのような考えが浮かび、フッと口元を緩める。

 

「俺は王だ。さっさと案内してもらおう」

 

 子供達が足を止める。その先には杭で壁に留められた石版があった。カントーの陸地の形状をしておりサカキにはそれが一目でヘキサツールなのだと分かった。

 

「八つの窪み。なるほど、これがヘキサツール。その完成の日を見たわけか」

 

「キクコは来なかったんだね」、「そりゃそうだよ。あいつとろいもん」、「じゃあ、この人が王様?」、「王様って言うかチャンピオンだよ」、「どっちも同じだろ」

 

 口々に飛ぶ同じ顔の子供達の声にサカキは指を鳴らす。

 

「ニドキング、黙らせろ」

 

 重戦車のようにニドキングが駆け抜け、子供達を一人、また一人と惨殺していく。子供達はどうしてだか無表情で無感情にそれを眺めていた。誰一人として悲鳴を上げない。まるで予定された犠牲だとでも言うように。

 

 血で濡れた腕を掲げたニドキングが吼える。サカキはヘキサツールへと歩み寄った。

 

「番人は全て消した。あとは完成させるのみ」

 

 一つ一つ、丁寧に窪みへとセットしていく。それぞれの街のシンボルとなっているバッジを各々の場所に。最後のグリーンバッジをセットすると、ヘキサツールが留められていた杭が不意に老朽化し、石版が落下した。だが粉砕する事はない。ヘキサツールの表面を何かの力が覆っているからだ。

 

「三位一体によって生じたエネルギーの波か。これで俺は名実共にカントーの王だ。このヘキサツールをロケット団のシンボルとして飾ろう。そうなれば全ての現象はロケット団を中心として回る。この世の幸福はヘキサツール所持者が持つ事になる」

 

 サカキは石英の茂る空間に開いた中天を眺める。雲一つない青空が区切られており、「ここからロケット団の支配は始まる」と告げた。

 

「人々の血と、嘆きの中心に。街々を襲いつくせ、打ちのめせ、悪の牙達よ」

 

「――させない」

 

 その声にサカキは振り返った。今しがた殺し尽くしたはずの灰色の髪の少女が佇んでいる。はて、とサカキは死体を眺めてからようやく納得した。

 

「そうか。お前は、レプリカント、キクコだな。だが、俺をどうしようというのだ? 手持ちもなしに俺に立ち向かうつもりか?」

 

「ユキナリ君が来る。私は、せめてもの時間稼ぎと、罪滅ぼしのために」

 

 キクコが手に取ったのはモンスターボールではない。一つのリモコンだった。サカキが怪訝そうに眉をひそめていると、「これは」とキクコが言葉を継ぐ。

 

「私が命令を待っていた時に手にしたもの。自分にもしもの事があれば使って欲しいと命令を受けていた。今ならば分かる。私は託されていたのだと」

 

 キクコがリモコンのボタンを押す。サカキは自爆を恐れてニドキングを先行させたが何かが起こる気配はなかった。ニドキングが血に汚れた手でキクコを羽交い絞めにしようとする。

 

「何をした? まさかここまで来て、意味のない事をしようとしたのではあるまい?」

 

 キクコは小さく、「……私が何かしたと言うよりかは」と口にする。

 

「そうするように命令されていた。だからこれは、私の意思じゃない」

 

「理由も意図も不明だが、レプリカントに人権はない。このまま死に絶えろ。ネメシスは崩壊だ」

 

 ニドキングがその力を込めようとする。その瞬間、サカキは額に雨粒を感じた。空を仰ぐと先ほどまで晴れ渡っていた空が急激に流転している。積乱雲が渦巻き、悪天候と化していた。

 

「何が……」

 

 サカキはハッとしてキクコを見やる。だがすぐに判ずる。違う、こいつは何もしていない。

 

「何が起こっている?」

 

 問い詰める声に、「来たのよ」とキクコは簡素に告げた。

 

「来た、だと?」

 

 サカキが再び空を仰いだ瞬間、雷が鳴り響き、天空に三つの影が躍り出た。その影の正体にサカキは震撼する。

 

「まさか、伝説の三体の鳥ポケモン……」

 

 だがその三体はフジによって封印されたはずだ。その段になってサカキは先ほどのリモコンの意味を悟った。

 

「フジが、最悪の状況を想定してお前に渡していたというのか。解除キーを」

 

 キシベの話では今のキクコはフジの再生した代物だと言う。ならば命令権はフジにあった。

 

「死者が、悪あがきを……!」

 

 サカキの命令が飛ぶ前に降り立った三体の鳥ポケモンがそれぞれオーラを迸らせた。電流の皮膜を張ったサンダーの放つ一閃がニドキングの腕を焼く。ニドキングが覚えずキクコを取り落とした。ファイヤー、フリーザーと続き、各々の光を纏った。

 

「まさか、こいつらは……」

 

 サカキが即座にニドキングを呼び戻そうとする。だがそれよりも三体の力が相乗するほうが早い。サンダー、ファイヤー、フリーザーの放ったエネルギーの奔流が雪崩れ込むようにヘキサツールへと撃ち込まれる。ヘキサツールの表面を引き裂き、エネルギーの凝縮体が引っぺがしていく。すると今までの経年劣化をまるで感じさせないヘキサツールの石版が徐々にくすんでいくではないか。サカキは判ずるほかなかった。

 

「三位一体……! 正のエネルギーと負のエネルギーがぴったりと一致したわけか。エネルギーの凝縮体が次元の扉の回廊を開くエネルギーと同質であると考えるほかない。このような不均衡な状態に晒されれば……」

 

 サカキの不安を裏付けるようにヘキサツールの中心に穴が開いた。だがただの穴ではない。全てを吸い込んでいくかのような暗黒の穴が大口を開けているのだ。

 

「次元回廊、局地的な扉の形成……。ヘキサツールが自壊しようとしているのか……」

 

 三位一体によってヘキサツールの中の正のエネルギーと負のエネルギーの値がちょうどゼロとなった。その結果、次元を開くのと同じだけのエネルギーが放出されている。

 

「ニドキング!」とサカキは呼びつけ、その腕で自分を引っ張り込ませた。直後に傍にあった子供達の死体が吸い込まれていく。これは次元の扉と同じだ。近くにあるものを全て吸い込み、向こう側へと送ってしまう。

 

「くそっ! このようなところで、俺が負けるはずがない。俺は、王になるのだ! それを、貴様のような紛い物の人間モドキに! 邪魔されるわけには!」

 

 ニドキングがキクコへと冷凍ビームを放とうと充填する。キクコは抵抗する素振りもない。三体の伝説もキクコを主人だとは思っていないようでそれぞれがヘキサツールの次元の扉を眺めている。勝った、と確信した、その瞬間だった。

 

 黒い光条が放たれ、ニドキングの手をぶれさせる。冷凍ビームがキクコの傍の地面を抉った。

 

「まさか……!」

 

 キクコが振り返る。サカキも視界に捉えた。

 

 ユキナリがオノノクスを連れて、自分へと指を向けていた。

 



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第百九十六話「イノセントブルー」

 

 敗北。その二文字が突きつけるのは決定的な事実だった。

 

 自分は王に相応しくなかった。その言葉を裏付けるように実況の声が響き渡る。

 

『サカキだー! ポケモンリーグはサカキで決着を見ました! 百二十三日にも及ぶポケモンリーグに終止符が打たれたー!』

 

 堪えきれない涙が溢れる。何も出来なかった。ナツキとアデクを救う事も。王になる夢も。何一つ叶えられないまま自分は朽ちていく。その後悔が身を包み込もうとしている。

 

 ナツキも何も言わない。アデクも無言だった。出来る事はやり遂げた、という慰めさえも無意味だ。結果論が全て。王になれないのならば意味がない。ヘキサツールも完成させられてしまう。拳をぎゅっと握り締める。

 

 その時、自分の名を呼ぶ声が響き渡った。振り返ると馴染みのない人影が目に入った。

 

「カンザキ、執行官……」

 

 どうして執行官がチャンピオンロードにいるのか。その疑問を氷解させる前にジープに乗って無理やりチャンピオンロードを行く執行官が手を伸ばす。

 

「ヘキサツールを破壊するのだろう?」

 

 その声にユキナリは顔を伏せた。

 

「……でも、僕じゃサカキを止められませんでした。もう何も出来ないんです」

 

 執行官はジープから降り、「しっかりするんだ」と声にした。

 

「私は、息子とも向き合えない半端者だが、ネメシスと行動を共にして分かった事がある。王の素質のある人間であろうともなかろうとも、悪を止めるという意思の輝きのある人間は存在するのだと。私に頼ればこの大会では失格となるが、ジープならば今からでも間に合う。ヘキサツールの間に急ごう」

 

 ユキナリはしかし、気力がなかった。この状態でどうしろというのだ。持て余していると執行官から檄が飛ぶ。

 

「ニシノモリ博士から聞いたんだ! 君の大切な人が一人でサカキへと向かっている。それを君は静観出来るのか?」

 

「博士から……。キクコ……?」

 

 自然とその名が口をついて出ていた。執行官が手を伸ばす。

 

「私と共に。オノノクスは、まだ完全に戦闘不能ではない」

 

 ユキナリは握り締めた拳を開き、「僕は……」と言葉にした。

 

「まだ、負けたくないと思っている。勝ちたいと。そのために飢えた。そのために、ヤナギと戦った。僕は、勝つためにここに来た」

 

 執行官は首肯する。

 

「最後まで足掻こう」

 

 ユキナリはオノノクスをボールに戻し、ジープへと飛び乗った。ジープは獣道を無理やりにこじ開けて行く。運転席に収まった執行官は、「まさか私がこんな真似に出るとは」と自分でも信じられない様子だった。

 

「私はね、ずっと息子から逃げてきたんだ。そのツケかな。君達を応援したい。この世に悪をのさばらせてはならないんだ」

 

 執行官の熱い思いを受け取り、ユキナリはオノノクスのボールを握り締める。チャンピオンロードを出たところで戸惑いの実況が響いた。

 

『どうした事でしょう? ジープが飛び出してきました。……えっ。あ、運営からの指示です。チャンピオンロードで脱出困難になった選手を運んでいるらしく……、どういう事でしょうか。一位だったオーキド・ユキナリが乗っています』

 

 群衆のざわめきを他所に目指したのは石英が木々のように鬱蒼と茂る場所だった。ユキナリは呟く。

 

「ここが、セキエイ高原の中枢……」

 

「この先がネメシスの守護する殿堂入りの間、その向こうにヘキサツールの間があって……」

 

 その言葉は殿堂入りの間に入った瞬間に遮られた。女性が一人、倒れ伏しているのだ。片腕の肘から先がなかった。執行官がジープを横付けし運転席から飛び出す。

 

「ネメシスの……!」

 

 その言葉から察するにあの女性が先生と呼ばれる人間なのだろう。執行官は、「まだ息がある」と声にした。

 

「しっかりしたまえ! 何があった?」

 

 息も絶え絶えに先生が口を開く。近くで目にすればまさしくキクコの生き写しだった。

 

「……サカキを、止めなければ……」

 

 うわ言のように繰り返される声にこの人も抗ったのだと感じた。抗えないと知りながら、運命といううねりをどうにかしたいと考えたに違いない。

 

「僕が行きます」

 

 その言葉に先生は安心したのか意識を失った。執行官が、「私は彼女を医療施設へ」とジープに乗せようとする。その時にユキナリと視線を交わし合った。

 

「この先は、大丈夫なのか?」

 

「自信はありません。サカキを本当に止められるのか。でも、僕は勝たなきゃいけない。勝って、未来を切り拓くんだ」

 

 胸に掲げた決意に執行官は息をつき、「それがトレーナーか」とこぼす。

 

「私ももう少し理解があれば、息子ともうまくやれたのかもしれない」

 

「これからがあります。未来は、まだ確定していない」

 

 ユキナリの言葉に執行官は少しだけ目を見開き、「そうだな」と頷いた。

 

「これから先があるんだ。息子とも、また喋っておきたい。親子として。同じ男として」

 

「行きます」

 

 ユキナリはホルスターからモンスターボールを引き抜き緊急射出ボタンに指をかけた。

 

「行け、オノノクス!」

 

 オノノクスが飛び出し、ユキナリは尋ねる。

 

「怖いか?」

 

 先ほどのニドキングとの戦いで自分とオノノクスは埋めようのない溝を感じ取った。オノノクスは弱々しく鳴く。

 

「……だよな。僕も怖い」

 

 負けてしまう事が。あるいは命を落としかねない事が。

 

「でもそれ以上に、尻尾を巻いて逃げるのが怖いんだ。最後のわがまま、付き合ってくれるか?」

 

 オノノクスは地面を踏み締めて気高く吼えた。それを了承としてユキナリはオノノクスの背に乗る。つんと鼻を刺激するのは血の臭いだ。サカキは何をしたのか。キクコは無事なのか。焦燥と不安が波のように押し寄せる。開けた場所に出た、と思った瞬間、キクコの背中が目に入った。それと同時に奥にいるサカキがニドキングを伴って石版から逃れようとしている。

 

 あれがヘキサツールか、とユキナリは見やったがそのヘキサツールの中央に真っ黒な穴が開き全てを吸い込んでいるようだった。三体の伝説の鳥ポケモンが居並び、それぞれ穴を眺めている。異次元への扉だ、とユキナリは察知しオノノクスから降りて指を向けた。

 

「ドラゴンクロー!」

 

 黒い瘴気が折り重なり光条としてオノノクスが放つ。キクコへと攻撃しようとしていたニドキングを弾いた。サカキが怨嗟の混じった声を放つ。

 

「オーキド・ユキナリ!」

 

「サカキ!」

 

 オノノクスを前進させ、ユキナリはサカキと対峙する。キクコを庇うように前に出た。

 

「ゴメン。少し遅くなった」

 

 キクコはその言葉に、「ううん」と返す。だが一人で立ち向かおうとしていたのだろう。ユキナリはその勇気に自分だけではないのだと感じた。サカキを止めねばならないと誰もが思っている。この世界をロケット団の好きにさせていいのではないと。

 

「サカキ。この次元の未来は僕達のものだ。確定された未来なんて存在しない。ヘキサツールが未来を矯正するのならば、僕らがそれを壊す。お前が未来に立ち塞がるのならば、僕らが乗り越える。そうやって、人は生きていく事が出来るんだ」

 

「知った風な口を! 絶望の世界に未来など」

 

 ニドキングが跳ね上がり、サカキを抱えたまま腕を振り上げる。冷凍ビームが一射されるがユキナリはオノノクスと完全同調しすぐさま回避した。

 

「絶望なんかじゃない。ヘキサツールが未来を縛るものだと言うのならば僕達は越えなきゃいけないんだ。それがこの次元に生まれた人間の使命ならば」

 

 三体の伝説が飛び上がる。その時、声を聞いた気がした。

 

 ――そうだ、ユキナリ君。君の未来と幸せは、君で掴んでくれ。

 

 その言葉にユキナリは口元を綻ばせる。

 

「そこにいたんだね、フジ君」

 

 三体の伝説がそれぞれの属性の皮膜を張り、ニドキングへと攻撃を放つ。サンダーから放たれた雷撃の鎖がニドキングの腕を拘束する。ファイヤーの放った炎熱の牢獄がニドキングを封じ込める。最後にフリーザーが関節を氷結させて動きを止めた。

 

「こいつら……、野生風情が……」

 

 ユキナリは指を向ける。その向かう先はサカキを真っ直ぐに示していた。

 

「最後の技だ。僕のかけられる、全てをかけよう!」

 

 オノノクスが牙を拡張させる。黒い瘴気を全身から放出し、片方の牙に凝縮させた。左側の牙が過負荷に耐えかねてボロボロと崩れていく。一点に寄り集まった闇の斧が瞬時に凝り固まったと思うとオノノクスは雄叫びを上げて牙を振るった。

 

 黒い断頭台が出現し、ニドキングを絡め取る。今までに見た事のないほどの巨大なものだった。ニドキングよりも空間そのものを噛み砕いて「ハサミギロチン」が完遂しようとする。サカキが叫びを放った。

 

「何をやっているのか、分かっているのか? 一方の正義だけで未来を不確かなものにしようとしているのだぞ? ヘキサツールの示す未来は恐らく最良の未来。四十年後の破滅は、もしかすると最大まで延命した結果かもしれない。それよりも早く、世界が終わりを告げる。そのような未来を是とするか? 俺は、ヘキサツールには従う、と言っているんだ。キシベの思惑は恐らく俺を手に入れて歴史を改変する事だろう。だが、俺はヘキサツールの語る未来でも構わない。あちら側の再現になるくらいならばな」

 

 サカキの言葉は一方では真理かもしれない。人々がそれぞれ不確かな未来を紡ぎ、合い争うよりかはヘキサツールの通りに提示された未来をなぞるほうが。しかし、とユキナリは首を横に振った。

 

「お前の言葉は真理だ。だが真実じゃない。そこには心がない。僕らは駒じゃないんだ。与えられたルートを与えられたままに動く駒じゃない。僕らの道は、僕らが切り拓く」

 

 きっと、それが一番いいはずだから。サカキは、「痴れ者が!」と喚いた。

 

「そのような未来が不均衡な形だから、貴様のような人間が現われるのだ! 俺のような人間が現われざるを得なかったのだ! ポケモンと人間に未来を任せていては何度でも改変が起きる。ならばヘキサツールに身を任せればいいものを……!」

 

 オノノクスに変化が訪れていた。徐々に身体が小さくなっていく。黒い光を散らせながらオノンドに戻りかけていた。オノノクスは自らの時間を対価にしてまでニドキングとサカキを討とうとしている。ユキナリは覚悟を固めた。

 

「たとえ不均衡でも、信じられるものがある。人の意思は、そう容易く折れるものではないと」

 

 指を振り下ろす。その瞬間、闇の顎がニドキングを噛み砕いた。ニドキングの身体が闇の中へと溶けていき、サカキの身体が宙に投げ出される。地面に落下する前に、大口を開けて飲み込んだのはヘキサツールに開いた穴だった。サカキはずぶずぶとヘキサツールへと呑まれていく。ヘキサツールそのものも中央に開いた穴へと自らを粉砕させながら飲み込まれていく様子だった。

 

「い、嫌だ……。せっかく生きる希望を見つけたのに……。こちらの次元ならば、やり直せると思ったのに」

 

 サカキも自分と同じだ。やり直せると感じて過ちを犯した。その罪を購わなければならない。

 

「誰も、一度やってしまった事をやり直すなんて都合のいい事は出来ないんだ。なかった事にするのも」

 

 サカキの身体が完全に穴へと吸い込まれる。忌々しげに、自分の名前が叫ばれた。

 

「オーキド・ユキナリ! 呪われろ! お前は、お前の行動を後悔するだろう! お前が生きているという事は、滅びに至る要因は消えていないという事なのだからな!」

 

 怨嗟の響きは徐々に消えていった。サカキは狂気の笑い声を上げながら穴に身体を持って行かれた。ヘキサツールも圧縮され次元の扉の向こう側へと消えていく。ユキナリはそれを確かめてから呟いた。

 

「……きっと、これでいいんだ。ヘキサツールは破壊され、サカキも消えた。未来は、再び混迷の闇の中。ここから先はどうなるのか誰にも分からない」

 

 空を仰ぐ。三体の伝説はそれぞれ羽ばたきながらどこかへと飛び去ってしまった。再び青空が戻り、ユキナリは、「それにしても」と手を翳した。

 

「突き抜けるような、青だ」

 

 近くで声がする。目を向けると、小さな影がころりとすっ転んだ。キクコがそれを抱える。

 

「オノノクス……、キバゴに戻ってしまったんだね」

 

 キクコの腕には左側の牙を失った片牙のキバゴがいた。ユキナリとは目線を合わせようとしない。ばつが悪そうに顔を伏せている。まるで悪戯をした子供のように。ユキナリはそっと頭を撫でてやった。

 

「よくやったよ、キバゴ。さぁ、帰ろうか」

 

 ユキナリは静かな時を刻む石英の広場で口を開いた。

 

「僕らの故郷へ」

 



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第百九十七話「征く者達」

 

『――第一回ポケモンリーグは熱狂のうちに終了しました。ちょうど半年前の事です。ええ、私も参加しました』

 

 テレビからインタビューの声が聞こえてくる。目を向けると水色の髪を結った女性が質問に答えていた。

 

『イブキさん。あなたは最終的に第六位着。完走者二十名の中で一桁に食い込んだのは素晴らしい結果というほかないわけですが、何か旅において学んだ事はありますか?』

 

『そうですね。私は、常に自分が出来る最善を尽くしてきました。何が正しくて何が駄目なのか。何が邪魔なのか、ではなく、駄目なのか、です。邪魔なものは、要らないものなんて何一つないんです。私は当初の目的通り故郷を盛り立てる事が出来ました。それだけでも充分に嬉しいのです』

 

『フスベタウンは自治権を拡大し、フスベシティを名乗る事が二ヶ月前に可決されたばかりですからね』

 

『私はこれから、竜の里、フスベシティを誇りに思って生きたいと思います。私だけではないはずです。皆、故郷のために、あるいは自分の誇りを胸に戦ったのだと思います。この大会は各々の誇りをかけた戦いであったのだと、改めて感じる次第です』

 

『なるほど。それではお時間も参りました。本日のお客様は第一回ポケモンリーグにおいて栄えあるベストシックスに輝いたイブキ女史のインタビューをお送りしました。では、またこの時間にお会いしましょう。お相手はカントー放送局のサヤマがお送りいたしました』

 

 人々は無関心のうちに電気街で流れるそのインタビューを流し見していた。同時刻、イブキのインタビューを端末で眺めていた自分くらいだろう。彼女の言葉の節々に浮かぶ苦渋を感じ取れたのは。

 

『直通便は間もなくクチバ港を出て、イッシュへと向かいます。お急ぎのお客様は三番港をご利用ください』

 

 端末をデータベースへと繋ぎインタビュー記事へと目を走らせる。そこには「第一回ポケモンリーグ最終結果」と書かれていた。

 

「結局、一位通過したサカキは本人不在のために失格。二位以下が繰り上げられ、ツワブキ・ダイゴがカントーのチャンピオンとなった、か。皮肉な事に殿堂入りを果たしていなかった事でこれがスムーズに行われたとはな」

 

 自嘲気味に口にすると、「でもさ。だからこそ揉めなくて済んだんじゃない?」と声がかけられた。髪の毛を金髪に染め上げた女性が傍に立っている。人目を引くその姿にひらひらと手を振った。

 

「カミツレなぁ、もうちょっと地味な格好ってもんは選べんの? お陰で注目の的やで」

 

 苦言に対してカミツレは腕を組んで、「心外ね」と返す。

 

「私はファッションスターよ。どこにいてもそれなりの格好が求められる。逆に落ちぶれた姿みたいなのは見せられないわ」

 

「ギンギンにどぎつい金髪にそのファッションじゃ、落ちぶれるのも随分と先の話に思えるな」

 

 その言葉にカミツレはため息をつき、「ねぇ、マサキ」と自分を呼んだ。

 

「何や?」

 

「結局、何が正しかったのかしら? だってキシベが先王であった証拠は残っていない。サカキも、後からの証言を繋ぎ合せれば別次元からの来訪者だったらしいけれど、それも証明出来ない。このポケモンリーグ、一番に得をしたのは誰?」

 

 キシベに関しては黙り込むしかないが、サカキは対峙したユキナリからの情報だった。しきりに「こちらの次元」という言葉を使っていた事、手持ちが違っていた事から別次元のサカキであった事を推理したが、これは推論であって決定打ではない。サカキもキシベも、何を思ってロケット団をこの時代に作ろうとしたのか、結局のところ分かっていないのだ。

 

「きっと変えたかったんやろうな」

 

「歴史を?」

 

「それもやけれど、多分、運命って奴を」

 

 らしくない感傷の言葉にカミツレが笑みを浮かべていじる。

 

「研究者でもそういう事って思うんだ?」

 

「ああ、ええよ。今のは忘れてくれ。ワイは研究者やし、運命も神様も信じとらへん。これでええんやろ?」

 

 カミツレはくすりと笑う。その時、声がかけられた。

 

「ヘイ彼女。長旅? 俺らもイッシュに行くんだけれど」

 

 驚いた。相手がカミツレだと知ってナンパしているのか? あるいはただの馬鹿かのどちらかだったが、カミツレは袖にする。

 

「生憎だけれど彼氏がいるの」

 

 その言葉にナンパ相手と自分は同時に目を見開いた。長身で身支度も最小限な彼女と自分とではまるで釣り合わない組み合わせだったが相手は一応納得したらしい。「ああ、そう」と曖昧な笑みでどこかへと走り去っていく。

 

「意外やな。ナンパされるんや?」

 

「……あんた、私の事嘗めてない?」

 

「嘗めてへんよ。イッシュではファッションリーダーなんやろ?」

 

 マサキは頬杖をついて端末の記事に視線を落とす。ポケモンリーグの結果は優勝したのがツワブキ・ダイゴ。二位入選がドラセナ。三位がカンザキ・ヤナギとなっていた。

 

「これも皮肉な事よね。爪を研いでいた私達の仲間の中で、三位圏内に入ったのはヤナギだけだったなんて」

 

「しゃあない事や。ユキナリは執行官の手を借りた事で失格。ナツキとアデクはチャンピオンロードで戦闘不能になっとった。姐さんが遅れて二人を連れてゴールしたのは六位。総ポイント数ではナツキとアデクは一応、特別賞に入ったわけやし。ただ、報われんな、と思ったのはユキナリやな」

 

「実績は買われたんでしょう?」

 

「それでも、一番に勝利に飢えていた奴が、何の功績も与えられんってのは」

 

 自分の事のように悔しい。それだけユキナリに肩入れしていたのだろう。カミツレは記事を覗き見て呟く。

 

「今次ポケモンリーグの成果を他地方も鑑みて、ジムバッジ制度とジムリーダー制度を取り入れる事にしたんじゃない。私も祖国でジムリーダーを続けられるのなら、それに越した事はないわ」

 

 政府の役人達は今回のポケモンリーグで得た成果を他地方にももたらした。ジムリーダー制度、ジムバッジ制度は広く普及されるだろう、との見方だ。

 

「それだけやないやん。いちいちポケモンリーグ規模の事やっていたらいくら資金があっても足りんっていうんで、確か政府直営部隊の新設もあるみたいやし」

 

「四天王制度か。そう言えばヤナギも三位に入ったんだし、四天王にお呼ばれされたんじゃない?」

 

「いや、ヤナギはジムリーダーの身で落ち着くらしい。昨日連絡が来てな。故郷でジムリーダーをやるんやと。政府役人も必死に説得したが、ヤナギの決意を曲げる事は出来んかったみたいやな」

 

 今回のポケモンリーグがもたらした経済効果は莫大なものだ。執行官はこの競技に対して非人道的な殺人競技との批判を受けたが、全ての利益を寄付する、と宣言した事で丸く収まった。それ以上に、今回のポケモンリーグ制度で学ぶ部分が多かったのだろう。批判よりも賛美が飛んだ。

 

「まぁ、トレーナーの受け皿、という点ではジムリーダー制度は渡りに船みたいなもんやさかい、広まるやろうな」

 

 むしろどうして今まで存在しなかったのか不思議なくらいだったが、これもネメシスの連中の介入があったのかもしれない。

 

「四天王は政府直属の護衛部隊の任も兼ねているみたいだし、誰がなるのかしらね」

 

「もうメンバーの選定は始まっているみたいやけれど」

 

 マサキは先んじて入手した構成員の中にキクコの名前がある事をあえて伏せた。キクコは恐らく、ネメシスによる差し金だろう。あるいはニシノモリ博士が推薦したか。どちらにせよ、キクコの人間性から考えて戦う事だけに特化すればいい、という四天王は打ってつけかもしれない。

 

「チアキさんも来ればよかったのに」

 

「チアキは来ないやろ。ジムで師匠であるカラテ大王の帰りを待つって言っていたし」

 

 それぞれが散り散りになってしまった。アデクはイッシュ地方に今回の成果を見込まれて歓迎されるという。恐らくはチャンピオン相当の地位を約束されるだろう。これもハッキングで得た情報だが、カラシナは全ての経歴を抹消し、シンオウへと帰ったという。故郷、カンナギタウンで長老を勤めるらしい。そのお腹の中には新たな命があるのも、マサキしか知らない。ただすれ違うカラシナとヤナギの関係が少しだけ悲しかった。

 

「……この戦いで失われたもののほうが大きいのに、結果的に人々は満足した。王の誕生と、カントーの統治、それが成されたわけやからな。イッシュとの関係も穏やかになりつつある。なぁ、カミツレ。これ、ほんまにワイらが掴み取った未来なんかな」

 

 ふとした疑問に突き当たる。カミツレは、「えっ」とマサキに向き直った。

 

「ヘキサツールは破壊された。ネメシスも解散。ヘキサもなくなったし、ロケット団も跡形もない。でも、これら全てがヘキサツールに刻まれてへんって誰が言うた? もしかすると、ワイらが抗う事でさえも、ヘキサツールは予言していたのかもしれん。そう思うとな、怖い時があるねん」

 

 マサキの告白をカミツレは黙って聞いていた。カミツレ自身も思うところがあるのだろう。

 

「歴史は結局、変えられんかった。全てが丸く収まる事でさえも、予言のうちやったら? 誰も分からん。解読出来たのはキシベだけやし、そのキシベだって、正しく解読したのかは最後まで隠し通したからな」

 

 ヘキサツールに何が刻まれていたのかは、誰にも分からない。全ては闇の中だ。だが未来とはそういうものなのだろう。闇の中を必死にもがき、光を見つけ出そうとする。それが人生なのだ。

 

「……私はどちらでもいいんじゃないかって思ってる」

 

 カミツレの言葉にマサキは目を向けた。

 

「と、言うのは?」

 

「だって私達は生きているんですもの。それだけで、きっと素晴らしい事なんだわ」

 

 短い言葉だったがあらゆるものが詰まっていた。生きていればこの先に機会があるかもしれない。全ての真実が明らかになる事も何十年か先にあるかもしれない。

 

「やな。ワイも、今日を無事に生きられる事に感謝するしかないな」

 

 マサキは太陽に手を翳す。血潮が透けて見えた。

 

「ゲンジさんも、生きていたもの」

 

 キシベを倒した後、グレンタウン最深部でゲンジが見つかった。その時にはコモルーが必死に体表の殻でゲンジの出血を止めており、そのお陰で一命を取りとめた形となった。後遺症もなく、ゲンジはホウエンに帰ったのだという。

 

「どうするのかしらね」

 

「ゲンジほどの実力なら四天王クラスやろ。まぁ、後は自分の心配やな」

 

 マサキの不安を他所に船は出発しようとしていた。汽笛が低く鳴り響く。

 

「そういやイッシュに技術支援に行くんだって?」

 

「せや。アララギ、言う研究者がワイに興味を持ってくれてな。全世界を覆うグローバルテクノロジーの実用化に手伝ってくれるかもしれん」

 

「叶うといいわね」

 

 カミツレは微笑んだ。マサキは天然パーマの頭を掻きながら、「まぁな」と応じた。

 



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第百九十八話「友よ」+第百九十九話「キミノウタ」

 

 誰が幸福だったのだろう。

 

 時折、そう考える事がある。ヤナギは建築されていくジムを眺めながら怒りの湖を散歩するのが日課になっていた。ジョウトにもジムリーダー制度が敷かれ、自分はその中でも最初のジムリーダーとして後進を支える義務がある。ポケギアを通話モードにして声を吹き込んだ。

 

「現時点でのジムの建設状況は?」

 

『三割程度です。何分、ジムの間取りや決め事なんかも曖昧でして』

 

 雇っている大工が苦言を漏らす。ヤナギは、「急ぐ必要はないさ」と応じた。

 

「いいものを期待している」

 

 その言葉に大工が、『恐縮です』と返して通話が終わった。この戦いで様々なものを失った。だが得たものもある。ヤナギは電話帳に登録している番号へとかけた。相手はどのように反応するだろう。それが少しだけ楽しみだった。以前までの自分ならば話し相手も、仲間も必要なかっただろう。だがこの旅は失うものだけではなかった。かけがえのないものを教えてくれた。

 

 時に憎しみ合い、争ってでも確かめ合いたかったものが何なのか、今ならば少し分かる気がする。

 

「もしもし」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まずいよ、まずい」

 

 慌てて階段を駆け降りると研究員達が、「またですかぁ?」と笑った。

 

「笑い事じゃないんだよ。急がないと学会に遅れちゃう」

 

 今月に入ってからもう三度目だ。さすがに遅刻は許されないだろう。白衣に袖を通し、慌てて身支度を整えようとすると声が飛んだ。

 

「もう、いっつもギリギリなんだから」

 

 研究道具一式が揃えられた鞄が手渡される。髪を短く切り揃えた伴侶の相貌に礼を言った。

 

「ありがとう、ナツキ。でもあれが足りないよ」

 

 あれ、という言葉にナツキは少しばかり考え込む。鞄の中身を確かめて研究書類一式をバインダーに挟んだ。

 

「ああ、あれね」とナツキは思い至り、自室から胸に抱えて持ってきた。それはスケッチブックだった。

 

「学会にスケッチブックがいるんですか? 博士」

 

 研究員のからかう言葉に、「これがないと締まらないんだよ」と応じる。ナツキが、「頭、寝癖すごいわよ」と髪型を整えてくれる。

 

「うん、悪いね」と応じつつも研究書類のページを繰りながら靴を履く。

 

「博士はいつでも慌ててますねぇ」

 

「師匠であるニシノモリ博士の落ち着き様とは大違い」

 

 研究員達は我関せずのスタンスでコーヒーを淹れて笑い合う。そこに鋭い指摘を入れた。

 

「あのさぁ、僕がもし学会でポカやったら君達の首だって飛ぶんだよ? その辺分かってる?」

 

「大丈夫ですよ。私達は再就職先ぐらいは決めますから」

 

 ぐうの音も出ない。彼らならば逞しく生きるだろう。

 

「ほら、さっさと準備する」

 

「分かってるって。焦らせないでよぉ、もう」

 

 ほとんど涙声になりながら研究所を出て行く。その背中に声がかかった。

 

「晩御飯、食べるんなら連絡入れてよねー! ユキナリ!」

 

 その言葉に振り返りながら応じる。

 

「もうオーキド博士だってば。そっちで呼んでよ」

 

 つんのめりながらユキナリは車へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なーにが、もうオーキド博士、よ。ちっとも進歩してない」

 

 ユキナリが車に入ったのを確かめてからナツキはぼやいた。研究員達は、「私達はユキナリ君の小さい頃から知っていますからね」と口々に笑う。

 

「その彼が今やポケモンの権威なんて、ちょっと信じられないですよ」

 

「ニシノモリ博士が一線から退いて五年か。長かったような、短かったような」

 

 休憩している研究員へとナツキは注意を飛ばす。

 

「言っておくけれど、あなた達だって研究成果挙げないと給料減ですからね」

 

 その言葉に研究員達は蜘蛛の子を散らしたように自分の居場所に戻り始めた。

 

「おお怖い怖い」

 

「ユキナリ君も前途多難だな。恐妻家とは」

 

「聞こえているわよ!」

 

 ナツキはそう返して自室へと戻っていった。室内は落ち着いた暖色で固められており、奥に執務机があった。額縁には第一回ポケモンリーグ特別賞の賞状である。トロフィーも置かれており、その隣にぽつんとモンスターボールがあった。ナツキはそれを手に取って愚痴をこぼす。

 

「まったく、研究所のみんな、サボる事だけは一流なんだから」

 

 唇を尖らせてナツキはモンスターボールの中の相棒に声をかけた。

 

「あなたもそう思うでしょ、ハッサム」

 

 透かして見るとハッサムが中に入っている。ナツキは窓辺に立って回顧する。ニシノモリ博士から研究所を引き継いで五年、ユキナリと結婚してからもう二年。ポケモンリーグの熱狂はほとんど忘れ去られたようなものだった。だがジムリーダー制度や四天王制度、さらに言えば今回のポケモンリーグを踏まえ、リーグ制度が見直され、トレーナーの受け皿は格段に増えた。ポケモントレーナーが兵力として常備されている、という噂もぱったりと消え、夢を目指す事に誰も負い目を感じなくなった。

 

「これでよかったのかしらね。夢を追う資格のない人間はいない、か。ユキナリ。あんたはこれで――」

 

 その時、遮るようにナツキは不意にお腹をさすった。

 

「蹴った。元気でいい子」

 

 微笑みを湛え、ナツキは窓辺から望む景色に秋の気配が混じり始めている事に気づいた。

 



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最終話「僕らの夏の夢」

 

 中継される戦いにお茶の間が沸く。

 

『ゲンガー、シャドーボール!』

 

 黒い球体を練ったゲンガーが相手へと攻撃を見舞う。闇の散弾を潜り抜けたのは紫色の疾駆だ。角を突き出し、甲高い声で鳴く。

 

『ニドリーノ! 毒針!』

 

 その一撃をゲンガーは軽くいなした。

 

『毒タイプに毒針とは、釈迦に説法のようなものよの』

 

 そう答えたのはバトルフィールドの片側にいる杖をついた老婆だ。灰色の髪に赤い瞳が輝く。

 

『ゲンガー、教えておやりなさい。本当の戦いというものを!』

 

 ゲンガーが跳躍し両手を薙ぎ払う。すると、先ほどよりも細やかな闇の散弾が連鎖して形成された。

 

『なにぃ! シャドーボールを同時にそんな風に!』

 

『まだまだ青いよの、挑戦者。ポケモンの数だけ戦略があるという事を、教えておやりなさい、ゲンガーよ!』

 

 ゲンガーの放った「シャドーボール」の連激にニドリーノが倒れ伏す。ジャッジの声が響き渡った。

 

『勝者、四天王キクコ!』

 

「やっぱ強いよなぁ! キクコは!」

 

 少年がテレビを見ながら感心する。いつだって挑戦者はキクコ辺りで敗北するのだ。ゴーストタイプへの対抗策をメモに書き留める。

 

「えっと、効果抜群が悪タイプと……何だっけ?」

 

「あんた、オーキド博士に習ったんじゃないの?」

 

 母親がいつの間にか歩み寄っていたらしく少年は驚愕する。

 

「うわ! 急に近づかないでよ、母さん」

 

「そう言えばオーキド博士が呼んでいたわよ。何でも、前から約束していたものが出来たとか何とか」

 

「本当? じゃあ、俺、行ってくるよ!」

 

 駆け出した少年の首根っこを母親は掴み、「待ちなさい」と制する。

 

「何だよ、これからってのに」

 

「忘れ物」と手渡されたのは赤い帽子だった。

 

「いけね! これがないとな!」

 

 帽子を被り駆け出して母親の声が飛ぶ。

 

「失礼のないようにね!」

 

「分かってるって」

 

 マサラタウンの街並みを抜け、一際大きな建物へと歩み寄る。看板があり「オーキド研究所」と書いてあった。

 

「失礼しまーす」

 

 入ると顔馴染みの研究員が、「ああ、君か」と声を発する。

 

「博士ならば奥で待っているよ」

 

「マジに出来たの?」と奥にいる白衣の老人へと声をかける。振り返った老人は、「おお来たか」と微笑みを浮かべた。

 

「だが、一足遅かったようだぜ?」

 

 その声に視線を向けると二階から降りてきたのは幼馴染だ。

 

「シゲル! お前も呼ばれたのかよ」

 

「間抜けなお前だけをじいさんが選ぶわけないだろ。なぁ、じいさん。早く渡してくれよ。うずうずしてるんだぜ」

 

 その言葉に白衣の老人は、「分かっておるよ」と二つ差し出す。

 

「これが例のポケモン図鑑?」

 

 赤い本型の端末だ。開くとユーザー認証画面に入った。

 

「そう。今まではトレーナーとしての知識や勘で動く部分が多かったが、これが普及すればポケモンの覚えている技や特性も一目瞭然。ワシはこれで世界が変えられると思っておる。それにワシの夢もな」

 

「博士の夢って?」

 

「この世界に棲むポケモン達の生態図鑑を作る事がワシの夢だったんじゃ。しかし、ワシは見ての通りもうジジイ。夢は君達に託そう」

 

「だってよ。じゃあ遠慮なく俺は受け取るとするぜ」

 

 シゲルはポケモン図鑑のユーザー認証を早速行う。「せっかちな奴じゃなぁ」と博士は呆れた様子だった。

 

「我が孫でありながら」

 

「じいさんがゆっくり過ぎるんだよ」

 

 ユーザー認証を果たしたシゲルが図鑑を手にする。少年も負けじとユーザー認証を済ませた。

 

「これだけじゃないんだろ、じいさん」

 

 博士は、「やれやれ」とため息を漏らしながら視線を向ける。そこには三つのモンスターボールが置かれていた。

 

「そこに三体のポケモンがおるじゃろ? それぞれ、草のポケモン、フシギダネ、火のポケモン、ヒトカゲ、水のポケモン、ゼニガメ。どれでもいい。好きなポケモンをパートナーにするといい」

 

「俺はがっつかないからな。お前に選ばせてやるぜ」

 

 シゲルの言葉にむっとしながら一つのボールを選び取った。

 

「じゃあ、俺はこいつだ。ヒトカゲ!」

 

 放り投げたボールから炎を尻尾に灯らせたポケモンが躍り出る。

 

「ニックネームをつけるかな?」

 

「いえ、俺はヒトカゲのままで」

 

「ではシゲル。お前はどうする?」

 

 その言葉にシゲルは鼻を鳴らす。

 

「センチメンタルだけじゃ勝てないんでね。俺はリアリストなんだ。行け、ゼニガメ!」

 

 シゲルの放ったボールから水色の矮躯が躍り出る。それぞれのポケモンが出揃いシゲルが持ちかけた。

 

「バトルしようぜ。ここいらでチャンピオンになる素質とやらを見せ付けてやる」

 

「こっちこそ!」

 

 売り言葉に買い言葉の体でバトルの火蓋が切られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、これが、とユキナリは感じる。

 

 もしかしたらずっと求め続けていた結果なのかもしれない。老いぼれてまで自分の持つ全ての情熱を傾けて待ち続けていたのはこの時だったのだ。後に託す事、それこそが自分に出来る最大限の貢献であった。

 

 勝負がつき、「だが俺はチャンピオンになる」と言い捨てて孫であるシゲルが出て行く。少年もそれを追おうとして自分へと振り返った。

 

「そういえば博士、ずっと戸棚に写真を飾っていましたよね。あれって何のポケモンなんですか?」

 

 ユキナリは、「ああ、あれか」と応ずる。

 

「ワシの生涯の相棒じゃよ。思えば、キバゴとの出会いが全てを変えてくれたんじゃな」

 

「その相棒は……」

 

 ユキナリは首を横に振った。

 

「もういない。妻にも先立たれ、キバゴも失ってしまった。だからこそ、君達に託したい。ワシの夢を。一つだけ、聞いて欲しい。夢を追う資格のない人間などいない。誰もが皆、生まれながらにその資格を有しているのだと」

 

 自分が勇気付けられた台詞を口にする。何度も打ちのめされそうになった時この言葉を思い返した。たとえ呪縛だとしても、自分を衝き動かしたのはこの言葉なのだという誇りがある。

 

「分かりました。博士の夢、俺が叶えます」

 

 ユキナリは手を振る。二人とも立派なポケモントレーナーになってくれるだろうか。その旅路は不安だがそれ以上に希望に満ちている。ユキナリは応接室にある写真を眺めた。そこには片牙のキバゴと写っている自分の若い頃の写真がある。ナツキと挙式した時の写真も隣にあった。博士号を取った時の写真、ポケモンの学説を確立させた時の記念式の写真など様々な写真の中にユキナリは一葉の写真を見つけ出す。

 

 ヤナギとガンテツ、それにアデクと撮った一度きりの写真だった。自分以外は写真が嫌いで、この四人で写ったのはこれしかない。ユキナリは色褪せた写真を撫で、「みんな、ワシは、いや僕はやったよ」と呟く。

 

「夢を繋ぐ事が出来た。これほど幸せな事はない」

 

 戸棚の中にスケッチブックが挟まれている。ユキナリは埃を被ったスケッチブックの表面を軽く撫でて、「せめてこれからの旅路に幸あらん事を」と祈った。

 

 全てのポケモントレーナーが夢を追える世界に。自分は少しでも近づけたのだろうか。

 

「さぁ、行くといい、若人よ。ポケットモンスターの世界へ」

 

 きっとその先には今よりずっといい未来が待っているはずだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NEMESIS ポケットモンスターHEXA 完

 




あとがきと「あとがき+」にて完結します。ありがとうございました。


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あとがき

 

 どうも、オンドゥル大使です。

 二百話……。長きに渡った戦いもようやく終わりを迎え、この物語にケリをつけられました。『NEMESIS』という物語について、ここではちょっと私の事情も含めてお話したいと思います。

 そもそもこの物語のきっかけはとあるスレでした。「赤緑より前のポケモンをそろそろ出すべき」というスレタイでそこで取り上げられていたのが「ポケットモンスターセピア・モノクロ」のネタ画像でした。私は当時、これより前のポケットモンスター二次創作の三部作を終わらせ、もうポケモンはいいかな、と思っていた頃だったので四部に当たるこの作品を書くつもりはあまりなく、どちらかと言うと消極的だったのですが、このネタ画像を見て、さらに言えばスレの人々が膨らませる妄想の数々で刺激を受けて「そうだ、次はオーキド・ユキナリを主人公にしよう」と思えました。

「誰もやっていないぞ。やっていたとしても前任者は少ないからオリジナリティ出せるこれ!」と。しかしやってみると、ユキナリが主人公の場合、難しい問題が山積している事に気付きました。

 一番の問題点。技術面。モンスターボールに関しては映画「セレビィ、時を越えた遭遇」を参考にするとしてもリザードを手持ちにするか? と言えばそうでもなくもっと相応しい手持ちがあるのではないかと考えました。それといずれオーキド博士になる、と分かっている状態からのお話、というのはそれだけで難しく、主人公がオーキド博士ならば何人かかかわっていなければならない人物がいることも判明し「これは一筋縄では行かないぞ」というのがよく分かりました。技術面に関しては私がやった三部作の設定をある種流用する形となりました。

 第三部「NOAH」でポケモンが現実世界に持ち込まれたため前後の歴史が歪んでしまい、技術面、あるいは登場する人物が時代に則していないのも全ては時空の歪みのせいなのである、としたこの英断は自分でも間違っていないと思います。そうしなければ最初から、技術面で立ち止まっていた事でしょう。

 技術面の次に立ちはだかったのが人物相関図。ヤナギ、フジ、ゲンジ、キクコ、ガンテツ、アデク……、出さなければならない人物が結構多かったです。そいつらの見せ場をきっちり作りつつこれまでの二次創作とは一線を画したものにする。そのために思いついたのが「いきなりヤナギが敵対している」という図でした。

 ヤナギはユキナリの理解者、という二次創作や設定が多い中でこれはそれら全てに背を向けた結果の設定になったと思います。ですがこれを設定した瞬間、この『NEMESIS』の道が拓けました。「どうしてヤナギはユキナリと敵対する図になるのか」、「そもそもヤナギの立場はどうなのか」、「キクコとの関係は?」とヤナギに関して考えていくうちに元ネタである「セピア・モノクロ」では背負いきれなくなった部分があり、その点はばっさりと変えさせてもらいました。

 ヤナギはユキナリの最大のライバルであり敵対者。この二人は戦う事でしか分かり合えない。

 そういった設定を持ってくるとこの物語に締まりが生まれたのです。ヤナギとユキナリは常時何らかを奪い合って敵対している。ならばその奪い合う対象は? そこでキクコという少女がどの立ち居地にいるべきかが決まりました。

 他の二次創作ではキクコはユキナリの幼馴染、という設定がありますがそれだと似たり寄ったりになってしまいますので決定的に違う点が「キクコは気弱で赤緑時点のような強さは全くない」という設定です。キクコという少女を巡っての三角関係をユキナリとヤナギで構築する事で二人は常に敵対するようになり、これで物語に一種の緊張状態が常に生まれる事になりました。

 ヤナギとユキナリ、キクコの関係性は出来た。ではあとはどうする? 最大の難関として立ち塞がったのはリーグシステムです。第一回ポケモンリーグを標榜するのならばこれからのリーグの基礎を作らなければならない。その場合、どうやって競わせるか。

 ポイント制とジムバッジ制度はそのために生まれました。ポイント制にする事で実力が拮抗するためには戦うしかない、という状況になりジムバッジをシンボルポイントにすればジムバッジを巡っての攻防も書ける。さらに言えば今作のジムバッジには特別な意味を持たせ、最終的にはジムバッジを得るものこそがこの地を治める資格を持つ……という風にジムバッジを集める事が必要不可欠にするための条件付けに苦労しました。ポイント制に関してはどう足掻いてもこの時代の技術ではどうにもならずポケギアを出しましたがこれも前述の「時空が歪んでいる」という設定を多いに利用しマサキをこの時代に呼び寄せました。

 問題点と言えば、ユキナリ含む原典キャラのメイキング。彼らの若い頃は想像するしかないのですがあまりにかけ離れているとどうしようもないので色々と調べものをしました。正直、調べても答えは全然出てこないので(というかポケモン自体そういう伏線は張っておいて放置しているジャンルなので)もう自分色でやるしかありませんでした。気に入っていただければ幸い、気に入ってもらえなければ自分の力不足です。

 なかなかに苦労する部分はこれでクリアしたかに思われましたが今度は思いつきで書いた部分の補完でした。

 ロケット団とキシベ・サトシ。特異点オーキド・ユキナリとサカキ。ネメシスの最終目的と他の組織との対立。

 実のところ全て思いつきで書いているので整合性を持たせるのに苦労しました。特にフジ博士はこの時代にいながらにしてこの時代にいてはならないものを生み出さなければならないのでロケット団にいるのは当然として、ではユキナリ少年とどう関係を持たせる? という答えが狂言回し的な役割になった、という意味です。

 ロケット団に関して言えばシルフビル倒壊時点で既に勝負は決していたのですがその後、キシベは何故ロケット団とサカキにこだわったのか。その部分は考えるより他なく、結果的に「特異点サカキは向こう側(ポケモン時空)のサカキと繋がっており、キシベの最終目的は向こう側のサカキを王にする事であった」というのは本当に最後の最後に考えついた悪足掻きでした。

 それまでこの最強トレーナーサカキを倒す手段が全く思いつかず、どこで戦わせるのかも曖昧だったのでユキナリと戦わせるには因縁がヤナギと違って全くないので苦労した点です。

 ただ最後の最後にニドキングを伴って現れたサカキは結構いい感じに書けたのではないかと思っている部分でもあります。

 サカキは「悪の帝王」というイメージが強かったので絶対に分かり合えない存在、として描きました。まぁ、まずサカキがこの時空に存在している時点でちょっと無理はあるのですがそこは便利な「歪んでいる次元」を使っての事で……。

 あと地味に苦労したのはナツキです。ナツキは前三部作の第一部に登場する主人公ですが、あちらでは強過ぎたのでこっちでは大分ヒロインらしく設定し直しています。

 ある意味「キクコとナツキでどっちとユキナリはキスをする?」という命題だけでこの物語は突き進めた感じもあるのでナツキを気の強い幼馴染に設定したのは正解でした。

 メガシンカを出したのはやはり別の次元ならば出てもおかしくないだろうという事と自分の作品を突き詰めた時に発生する「同調現象」の結果点としてとても便利だからです。「ポケモンを超えたポケモン」というアオリもつけられましたし、ナタネが最初使うのもある種面白いかな、と。

 ちなみにタイトル『NEMESIS』の意味はこの作品に登場する組織「ネメシス」であることと辞書の意訳の一つに「手強い者達」という意味があったからです。手強い者達、つまり立ち塞がるライバル達。まさしくこの第一回ポケモンリーグに相応しいタイトルだと感じました。

 最後にこの小説で死した者達に黙祷を。

 またしても私は話の都合とはいえ人を殺し過ぎました。深く反省しております。

 物語は第一回ポケモンリーグを経ての時代となり、次世代へと受け継がれます。

 次はHEXA第五部『INSANIA』でお会いしましょう。この戦いで出てきたあの人が意外な形で登場しますよ。

 それではこれで。

 

2015年10月30日 オンドゥル大使より

 



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あとがき+

あとがき+

 

拙作『NEMESIS』をここまで読んでいただき、ありがとうございます。あるいは、ここだけでしょうか。いずにれせよ、とても長い物語でしたので読者の皆様、お疲れ様です。

 この作品は前のあとがきでも触れたのですが、HEXA第三部までのストーリーが全て終わったその後に時間が巻き戻った、いわゆる「一巡後」の話となります。

 なので、オーキド・ユキナリの物語になったのは、すべての始まりといえるストーリーを描くことによっての「やり直し」とそして原点回帰を狙ったものとなります。

 HEXA第一部と同時並行で更新したのは、ある意味では対比であったのと、そして同じ作品内であるはずなのに全く違うキャラクターとなる「ナツキ」を含む同名のキャラ。

 読者の皆様からしてみれば、分かりづらい展開か、あるいは混乱を生んだのかもしれません。

 言ってしまえば別の時間軸の並行世界の話。

 HEXA三部作に続く作品として構築したわけですが、いろいろと公開当時に言えなかったのは、かなり……というかあからさまなオマージュですね……。

 トレーナー同士が一個の競技者として優勝者の身分を争うというのはジョジョ七部ですし、八章十章なんてエヴァなのでどうなのかなぁ、とは思いましたが、ある意味ではこういうのは心の澱ですので必要な時や大事な時に出してしまうよりかはこういう二次創作でやってしまうのが一番いいと思ったのです。

 ある意味ではこのシリーズそのものが大きな実験場ですのでたまにはこうして解放しないと色々と澱がたまってしまうのですから、自分で試行錯誤しつつ、やっていくしかなかったのです。

 実験場ですので、無理そうな設定や、怒られそうな話もやれる……というほど思っているわけではありませんが、それでもこうして試行錯誤を繰り広げることで、可能性が広がり、やれる範囲もだいぶ広がってきた結果が第十部であり、そしてこの先に更新予定のHEXA第五部でもあります。

 この先、HEXA第二部と第五部を同時更新し、ハーメルンにて少しでも皆さんの暇つぶしになれるように精進していきたいと思っております。

 いずれにせよ、最終目的はHEXAシリーズ最終幕の第十部であり、ほかのシリーズは繋ぎのようなものなのですが、知っていただくことで自身の作品を受け入れていただく土壌も整うと考え、そうした次第です。

 あ、更新ペースが速いとか、何かしら不満があれば仰ってくだされば改善します。

 何にせよ、NEMESISだけは一月の中旬までに終わらせる必要性があったのです。それはまぁ、エヴァが終わるからですね。

 そんな身勝手な都合ながらも、毎日更新していれば何かと気づく点はありましたし、それに何よりも過去の自分の書いた作品を読み直し、自身の癖やこうしたほうがおもしろそうだ、などとも考えました。

 ですが、今になってはほっとしているのです。

 ひとまず第四部を完結できた。その安堵と、あとはこれを次に活かせそうだという感覚でしょうか。

 HEXA十部『AXYZ』はちょっと時間がかかりそうだな、という感じです。

 ソードシールドの要素や、あるいは別段階の要素を入れるつもりでもありますので、その辺りはすいません、気長に待ってくださいとしか言えませんが、ひとまずはここで筆を置かせていただきます。

 では次はHEXA第五部『INSANIA』にて。

 大きな物語が平穏に終わるのを願って。

 

2021年1月14日 オンドゥル大使より

 



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