時世 (宇宙の正面)
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時世#1

過去の刊行作品になります。
Pixiv掲載済みですが、
こちらにも転載させていただきました。
マイスターが(一応)主役です!



「―あんたは幸いを見たのかい?」

 それが、あの老人の発した最初の言葉だった。

 

 

 

  1

 

 艦砲射撃をくらったような側面からの衝撃に弾き飛ばされて、ウルトラマグナスは身構える間もなく環境の床に叩き付けられていた。

 素早く上体を跳ね起こして半瞬の間に辺りを確認すると、右舷に傾いた冷たい床の上には、まるで同じ方向から強風を受けた草木のように、それぞれのシートから投げ出された当直の部下達が同じ格好で転がっていた。

 全員が虚を突かれたと解かる顔で、周囲に答えを求めながら視線を迷わせている。ウルトラマグナスは立ち上がるより先に、恫喝にも似た声を艦橋一杯に張り上げて、未だ呆然と止まっている空気を引き破った。

「状況を報告しろッ!!」

 コンソールに片手を引っ掛けたままシート下にずり落ちていたオペレーターが、上官の一声に飛び上がってモニターにかじり付く。それを引き金に次々と個々の役割へ立ち戻った部下達の間から、艦橋に生気が戻り始めた。傾いた船体も自己修復機能を受けて緩やかに正規の位置へ移動を始めているらしく、立ち上がっても支障は感じない。

 ウルトラマグナスはひとまず、口中に幸いを呟いた。

 外部から火器攻撃を受けたのでない事は、最初の衝撃が去った時点で長い経験から判っていたが、当直番が自分以外だったら、もっと騒ぎが大きくなっていただろう。元々、いつデストロンの強襲を受けてもおかしくない今回の単艦巡航に、出発前から随分と苦言があった。いくら同盟星の式典に列席するだけの公務だからと言って、宇宙軍総司令官が僅かな兵士と文官だけを供に旗艦一隻で出かけるなど‥‥と。もちろん、そんな陰口を一蹴したのは総司令官―ロディマス自身なのだが。

 目まぐるしくモニターの映像が変化する間に、艦橋の分厚い扉を蹴飛ばす勢いで、自室に引き取っていた他の面々が駆け込んできた。眠りを妨げられて飛び起きたらしいスプラングの後ろに続いて動揺も露わな文官達が雪崩込み、ウルトラマグナスの周りを右往左往行き交う。

 こうなると、ただでさえ広くない艦橋は指示を出すにも困る。

「申し訳ないがそこを、」

 どいてくれ、とウルトラマグナスが語調をきつくしようとした瞬間、見透かしたようなタイミングの良さで、さっと人垣が分かれた。

「こんな時ばかり、定員オーバーだな」

 半開きになった扉の前でロディマスが苦笑交じりに中を見渡して言いながら、自分の為に空けられた隙間を進み出てウルトラマグナスに肩を並べる。ロディマスは副官の手元で展開するモニターを覗き込んで、軽く呼気を吐いた。それは大事に至っていない現状に安堵したと言うより、休息を邪魔された事への諦めに聞こえてウルトラマグナスを鼻白ませた。

「ロディマス、怪我は?」

「大丈夫だよ。ベッドから転げ落ちただけだ。君こそどこか打ったんじゃないか?」

「眠気がふっ飛んで、丁度よかった」

「そりゃラッキーだね」

 ロディマスは彼らしい精悍な笑みをニッと浮かべて、友人の冷静さを労った。

「―副司令、左舷側の映像が出ますッ」

 告げる声を追って、大きな全方位モニターの正面が切り替わる。抗原を手前に取ったために漆黒の背景をまとって像を結んだのは、全長1キロにも及ぼうかというこちらの巨体に船首から胴体まで半分以上がめり込んだ格好の小型輸送船だった。

 一見して旧式とわかる船体は目茶苦茶にひしゃげ、剥がれ落ちて辺りを漂う装甲板に、辛うじて縞のペインティングの跡がうかがえる。すでに薄くなってしまっているがレッドとグリーン、それと‥‥

「‥‥ゴールド‥‥?!」

 ロディマスの呟きが息を吞んで掠れた。

「〝巡礼船(ハロウィン)〟かッ」

 ワッ、と俄かに喧噪で覆われた艦橋内を一瞥して、ウルトラマグナスはすぐにオペレーターへ的確な指示を飛ばしていた。

「航路局に照会だ。船体の照合も急げ!救護班と小隊はハッチへ!」

「マグナスッ、小隊の指揮は俺が取る」

 言って踵を返したスプラングの背に「頼む」と一言告げながら、ウルトラマグナスの十指はコンソールに走り、アセニアとの緊急回線を開いた。画面にはほんの数秒サイバトロンの赤い紋章が閃き、司令部直属のオペレーターが生真面目な顔を出す。

 手短に現状を伝えるウルトラマグナスの傍らから顔を上げて、ロディマスは巨大なモニターの中にある巡礼船の残骸を黙然と見つめ続けた。

 

 

 公に知られているだけで、この銀河に『信仰』と呼ばれる存在は奥とある。そしてその十パーセントが、星系規模で宇宙進出を果たしていると言われている。つまり遠隔地に及ぶ『信仰』になると、彼らが信じるところの神そのものや聖地が他星系、他銀河に存在する例も少なくなく、一部の熱心な『信仰』者はその地へ訪れることを一生に一度の大義として実行に移す。〝巡礼船(ハロウィン)〟とは、そんな者達が集って聖地巡礼用に仕立てた船を指すが、それは大抵の場合、払下げの民間船や廃棄直前の輸送船であり、決して旅程そのものの安全を保障するものにはなりえなかった。

 いつからか巡礼船は独自の規定を作り、レッド、グリーン、ゴールドの三色を船体に施すことによって巡礼者の一行であることを示し、戦闘地域での保護や危急時の援助を求める印としたが、その視覚的な証は逆に巡礼船狙いの宇宙海賊を急激に増大させていた。

 この数年を見ても襲撃されて乗員全てが死亡した例、女性子供が略奪された例、奴隷として売り飛ばされていた例、数限りない。正直なところ、正規の報告に上がらないまま「遭難」の一言で片付けられている船は数十倍にも及ぶだろう。

 無論サイバトロンに限らず、多くの星系政府は巡礼船の危険性を説いているが、信仰心という無謀な勇気の前にはどんな警告も意味を成していなかった。むしろ巡礼者にとっては行程半ばでの「苦難」すら、一つの信仰の表れなのかもしれなかったが。

《―酷いもんです。腐敗が進み過ぎて、ほとんど肉片ですよ》

 非常灯の赤い照明を頭上に受けながら、スプラングは画面越しに苦笑と溜息を送ってきた。映像の奥には三十人も乗れば一杯の座席もない輸送船の床が見えるが、小隊の兵士が検分に動き回っているせいで、ウルトラマグナスはその〝肉片〟を見ずに済んだ。

「救護金は必要なかったな」

《必要なのは葬儀屋ですね。もっとも、どっからどこまでが一人分かわかりませんけど》

 この皮肉には思わず、ウルトラマグナスも肩を竦めるしかなかった。

「船の出所は分かったのでね、アセニア経由で引き取りを打診しているところだ。遺体の確認は向こうでやってくれるだろう。とりあえず二時間ほどで、宙域警備隊が保護に来てくれることなった」

《了解しました。一応、内部状況と船体の故障箇所を記録してから戻ります》

「よろしく頼む」

 回線を閉じるとようやく一息ついて、ウルトラマグナスは指揮席に身を投げ出すようにして腰を下ろした。

 艦橋はもう平常通りにオペレーターが立ち働き、衝突のショックを引き摺っている者はいない。一時はここに寄り集まっていた文官達も自室に引き取って、こちらの気を散らすこともなくなった。

 こうなると不意に最初打ち付けた足が痛み出し、ウルトラマグナスは仕方なく艦橋の指揮を護衛兵の一人に預けて医務室へ向かった。

 医務室と言っても常駐している医師がいる訳でもなく、まったく簡易な救護セットが置いてあるだけの部屋だが、ウルトラマグナスが入るとすでに先客が小さなベッドを占領して待っていた。

「ロディマス?」

「よ。やっぱり来たな」

「やっぱり‥‥だって?」

 問いかけに、ロディマスは寝そべっていた体をぴょこんと元気に跳ね起こしてベッドを下りると、代わりにウルトラマグナスを強引に座らせて、言った。

「艦橋で会った時、少し左足を庇ってただろ?そのうち痛いことに気付くと思ってた」

「人を鈍いみたいに言わないでくれ」

「でもそうだったろ?」

 あはは、とロディマスに笑い飛ばされると、確かにそうだとしか答えが見つからず、ウルトラマグナスは黙って降伏のポーズを取った。

「よし、素直な君には痛み止めのご褒美だ」

 ロディマスがずいと差し伸ばした手の中に、ここの薬品で一番ましな錠剤がちんまりと乗っていて、ウルトラマグナスは有り難くそれを口に放り込む。痛みを完全に止めるなら感覚回路を遮断すればいいのだが、それでは他の感覚にまで支障が出るために、ほとんどの場合はこういった錠剤タイプの止痛薬を使う。本格的な治療を受けまで、感覚回路の通りを鈍くしておく薬だ。

「助かった。これなら指揮に戻れる」

 と、言う間にも腰を浮かそうとするウルトラマグナスを、ロディマスは苦笑で押し止めた。

「君は少し休んでくれ、マグナス。帰港するまで私とスプラングで艦橋に出るから」

「そういう訳にもいかないだろう。衝突時に指揮を執っていたのは私だし、色々と引き継ぎ事項もある」

「だが、しばらく艦も動かせないんだから、少し休むくらいはいいだろう」

「いや、そう言ってもいられない」

「マグナスッ」

 引き留めようと伸ばしたロディマスの手がウルトラマグナスの広い肩に触れる寸で、甲高いコール音が狭い医務室の一角で上がり、二人は同時に顔を見合わせた。

 ほとんど使用されずに埃を被ったコンソールに、通信を示す緑の光点が点滅している。ロディマスが回線を開けると、艦橋に残してきた下士官が敬礼を作って丁重に言葉を繋いだ。

「恐れ入ります、総司令官閣下。アセニアの統合本部より通信が入っております。そちらへお繋ぎした方がよろしいでしょうか?」

「あ、あー‥‥そうだな、」

 ちらりとウルトラマグナスへ目をやって、ロディマスは返答を濁す。自分が艦橋へ戻ることになれば、ウルトラマグナスも当然付き従ってくるだろう。それでは意味がない。

「わかった、回線をこっちにくれ」

「ロディマス‥‥」

 真面目すぎる副官の呆れ声を無視して、ロディマスはモニターに向かい直した。と、その途端、内蔵スピーカーから悲鳴のような呼びかけが迸り出、ロディマスとウルトラマグナスは瞬間、飛び上った。

《司令!!ロディマス総司令官ッ!》

 モニターに浮かんだ相手の顔を確認したロディマスはもう一度驚きに両目を見開いて、その名を呼び返した。

「‥‥マイスター参与(さんよ)

《ああ、総司令官。ご無事ですか?お怪我はッ?》

「だ、大丈夫です。この通り」

 子供のように両手を広げて見せながら、あの‥‥とロディマスは恐る恐る、マイスターの安心し切った顔を覗き込んだ。

「どうなさったんです?そんなに慌てられて、貴方らしくもない」

 その疑問が口を突いて出たのは当たり前だった。

 かつてコンボイに仕え、かの英雄の片腕として知られた副官、マイスターは、その智謀と冷静な指揮力でサイバトロンを幾度も勝利に導いてきた重鎮である。元来が穏健な性格で、どんな場面でも声を荒げたことのない篤実さは、多くの僚友、下士官達から厚い信頼を得る理由になっている。

 ロディマスは総司令官就任を機に、マイスターのムーンベースⅡ駐留司令官の任を解き、特にと口説いて現在は統合司令部参与の任を負ってもらっていた。参与は見識の深さを求められる軍の重職だが、マイスターはこれまで完璧と言っていい働きを見せてくれている。

 そんなマイスターが何事であれ狼狽し切って声を上擦らせているのだから、ロディマスでなくとも問い返さずにはいられない。ロディマスが聞かなければウルトラマグナスがそれを問うていたところだ。

 マイスター自身も問われて急に自分の狼狽ぶりに気付いたのか、ほっとすると同時、はたと真顔に戻って申し訳程度の敬礼を取った。

《すみません。旗艦が巡礼船(ハロウィン)に衝突されたと報告があったもので、驚いて‥‥》

「いや、衝突されたというか、単なる事故で」

《事故?間違いありませんか?》

「ええ、報告では‥‥」

「単に、故障で漂流していた船とぶつかっただけのようです」

 マイスターらしからぬ警戒を含ませた問いに応じようとしたロディマスの言葉尻を、後ろから顔を覗かせたウルトラマグナスがやんわりと引き取った。

 目顔でロディマスを制しておいて、淀みなく事実を告げる。

「ワープ直後のエンジントラブルで亜空間から転移できなくなっていたようで、こちらの転移波に引かれて、同じ座標軸に出てしまったようです。船体自体が旧式な上に、満足な整備もせずにワープ航法を繰り返した結果でしょう。残念ながら生存者もおりませんでした」

《そう‥‥そうですか》

 ふと、呟いたマイスターの表情を過ったのは、ようやくの安堵でもない昏い陰りだった。ウルトラマグナスは探るように間を置いて、問い直す。

「参与、何か、ご心配が?」

 ゆっくり首を横に振り、マイスターはモニター越しの視線をウルトラマグナスの真摯な眼差しから外した。

《すみせん。ただ少し‥‥嫌な記憶が蘇って》

「嫌な?」

 ふた呼吸、マイスターは無音をまとって、その問いに対する適切な答えを自身の中に探しているようだったが、やがてふっと両肩を落とすと薄く笑んだ。

《‥‥以前、コンボイ司令や私の乗った艦が不時着する事故があったことを、覚えておいでですか?》

 ロディマスがウルトラマグナスの横顔を見上げながら、

「そういう話だけは聞いています」

 戸惑い気味に応じると、ウルトラマグナスが同意を示して言った。

「確か、私が地球駐留軍に配属される直前でしたか。同盟星の和平調印式に向かう途中、トラブルがあって不時着したと。不時着先の砂嵐の影響で、哨戒に出たコンボイ司令と三日ほど通信が途絶して、かなりアセニアの司令部も混乱しました」

 だがコンボイは三日後、何事もなかったようにひょっこりと艦に戻ってきて、身を案じていた部下達を唖然とさせたという。その後の公務も滞りなく終えて帰った頃には、司令部でもほとんど笑い話になっていた。

「結局、不時着の原因も報告ではうやむやで、」

 言いかけて、言葉が急停止する。

 軍の膨大な報告書をいくつも斜め読みしていた時、たった一つだけ曖昧すぎる表現で結末を締め括ったものにぶつかって、苦笑した記憶がある。あれは何と書いてあったか‥‥〝事故原因・未確認飛来物との衝突〟‥‥?

《すべて、コンボイ司令がそう口裏を合わせて報告するようにと、お命じになった事なんです》

「それは、どういう事です‥‥?!」

 コンソールに載せた両手を無意識に強張らせるロディマスを優しい視線でなだめて、マイスターは続けた。

《お二人には、もっと早くお話ししておくべきだったかもしれません。司令が連絡を絶っていたあの三日の間、本当は何が起こっていたのか》

 

 

  2

 

 地球の文化に触れて初めて、マイスターはセイバートロン星のある一角が〝アルファ・ケンタウリ〟と呼ばれていることを知った。

 宇宙進出に多大な困難が伴う地球人と違い、それ自体にいくつかの技術が求められるだけのトランスフォーマーにとって、星系や銀河、それ以上の超銀河団は海原に点在する島と同じだ。だから、大層な名称も付けずに接していた星々に、地球人が半ば空想的とも思える音律を与えていると知った時は感心し、感動すら覚えたものだった。

 その「地球式」に則れば、為す術もなく艦を不時着させた青白い砂ばかりのこの星は、どんなに魅力のある名を付けられることだろう。もっとも、彼らの言うところのオリオン腕から回転軸方向へ、ペルセウス腕内縁の散光星団近くまで航行してきた自分達同様に、地球人類が自らの科学力で辿り着く日が来れば、だが。

「‥‥まったく」

 マイスターは艦橋から外界を見渡して、軽く呼気を吐く。何とか今の状況を良い方向に解釈してみようと試みてはいるのだが、結局、不時着という現実は呆れるほどの痛手に変わりない。ようやく締結に漕ぎ着けた同盟星同士の和平調印式に、その功労者であるコンボイが遅刻するような事になれば大問題の一言では済まないし、サイバトロン軍全体の体面にも関わってくる。

 しかし、自分の苛立ちで艦が動いてくれる訳もない。

「‥‥やはり通信も無理ですね、マイスター副官」

 まるで駄目押しのように、コンソールへ向かっていたオペレーター、ロイグが振り返って告げる。マイスターは思わず顔を覆って呻いた。

「その報告は聞きたくなかったな、ロイグ」

「私も心苦しいですが」

 苦笑いを浮かべたロイグは、どうぞ、と少しシートを引いて場所を開け、モニター近くへマイスターを招いた。手元のモニニターには三つのウィンドウが開いて、それぞれに数式や文字、外部映像を映し出している。映像は舷側とその横腹に穿たれた巨大に穴に視点が結ばれており、周囲には兵士達が動き回っている。

 ロイグは隣のウィンドウを示して、とんとんとそこに並んだ字面を弾いた。

「惑星地表の〝砂〟の解析結果です。鉄、銅、ニッケル、亜鉛とクロムと‥‥砂と言うよりは鋼鉄の塵ですね。その上、薄い上層大気を抜けて降り注いだ宇宙線に汚染されて、微量ながら磁界を放出しています。これでは自然のチャフですよ。いったん舞い上がれば、地表上の通信もほぼ不可能でしょう」

「なるほど、どうりで変わった色の砂だと思った」

 窓外に広がる砂の青白をつい恨みがましく睨めて、マイスターは問の先を移した。

「そっちは仕方がないとして、アセニアへも連絡は無理かい?」

「ええ、システムのほとんどが落ちたままですから、光速通信はちょっと‥‥。通常信号なら送れますが、どうします?」

「ここからだと、どのくらいかかる計算だい?」

「一番近い中継基地まで二日ってところです」

「ちなみに、システムの復旧にはどれくらい?」

 問うと、ロイグはピンと立てた三本の指をマイスターの眼前に突き出して笑った。

「特急で三日です」

 つまり情報がノロノロと往復している間に、艦が発進できてしまうという事だ。それでは通信の意味がない。

「‥‥わかった。復旧を急がせてくれ」

「それはもちろん、全員でかかってます。ですが機関部をごっそり潰されましたからね、あの巡礼船(ハロウィン)に」

 ロイグが不機嫌に唇を歪めて一瞥したウィンドウに、マイスターもつられて目をやった。

 船体の大穴に突き刺さっていた「衝突物」は二次被害を避ける為にとうに引き抜かれていたが、衝突時の爆発とエネルギー炉のオーバーフローによってこちらの装甲と融合してしまった外装の一部が、のたくった怪物の影のように牙を伸ばしている。微かに判別できるのは、巡礼船を示す三色の塗装だけだ。

 ウィンドウに送られてくる映像をスライドさせると、原型も止めない巡礼船の残骸を中心にトランスフォーマーの民間人が数十人、所在なげに集団で身を寄せ合って座り込んでいるのが確認できる。遠目に見たせいか、その集団はひどく異質な気配の塊にしか感じられない。彼らにしても望んでなった事態ではないのだから、混乱しているのだろう。まして、衝突した相手がサイバトロン軍の長が乗った船では。

 しかし疑念も残る。

「マイスター、今いいか?」

 艦橋の扉を軽快な足音と共に抜けて顔を出しのは、外で指揮を執っていたハウンドだった。今度の旅程に加わっている士官の中では、マイスターに次いでもっともコンボイの信頼を受けている指揮官クラスの同胞である。

 ハウンドは鉱砂にまみれた頬を豪快に拭いながら足早にマイスターの元へ来ると、

「ありゃ駄目だ。話にならないよ」

 言って、肩をいからせた。

 巡礼船の乗員保護を割り当てられたハウンドの仕事は救出と負傷者の手当てが主だが、一方でこの事故原因の調査のための聴取も含まれる。とは言え民間人相手、しかも「信仰」に凝り固まった者達が相手では、通じるものも通じない事が多い。実際こんなことでもなれければ、軍としても避けたい部類の相手だ。

 労うようにマイスターは、ハウンドの言葉を継いだ。

「何も喋らないのか?彼らは」

「いや、基本的な事は聞けたんだけど‥‥アケロン教って、知ってるか?」

「ああ、確かブロードキャストが言っていたな。最近あちこちの惑星系で浸透してる新興宗教だろう?〝アケロンの使徒教団〟とか言う」

「そう、それ」

 一つの惑星系から宇宙に広がる新興宗教は、古来のそれに比べれば遥かに少ない。その大概が既存の教義の焼き直しだったり良いところの寄せ集めであったりと、あまりにお粗末な教えを掲げる集団がほとんどで、根付く前に見限られる方が早いからである。アケロン教は、言わばそんな流行り廃りの只中にあって唯一勢力を拡大し続けている集団の一つだった。

 すでに死亡しているという教団創始者のアケロンが、生前に書き記したという「予言書」を教義の指針とし、純潔を保ったままの死によって全宇宙を統べる〝女神〟の元へ回帰できるという難解な内容ながら、新しい救いの道を説いたと評判になり、近年では神の概念を持たないトランスフォーマーの文化面にまで入り込んでいた。じわじわと信者が増え、軍内部にまで広がりつつあるその教義を危惧して、ブロードキャストが会議の席で報告したのである。

 コンボイは各個人の信仰心に対して寛容で、マイスターも同様に、軍全体の問題にするほどの事ではないと考えていたが、ここでその名が出てくると奇妙な胸騒ぎを覚えずにはいられなかった。

 マイスターの不審を横に、ハウンドはちょうどモニターに映し出されている巡礼者達を呆れ顔に見据えた。

「教団のこと以外はいくら聞いても、誰が操船してたのかも知らないって全員が口を揃えてるんだよ。自分達は聖地を目指していたのに、船が故障した勝手にぶつかった、って」

「そんな馬鹿な!」

 弾かれたように声を荒げたのは、傍らでコンソールを操作していたロイグの方だった。ロイグはハウンドが上官に当たるのも忘れたように食ってかかった。

「ありえませんッ。故障した船が、三万キロも手前から機関部めがけて突っ込んで来ますか?!」

「俺もそうは思うけど」

「こっちが五回も回避行動をとる度に、巡礼船も回頭して軌道修正してます。明らかに故意ですッ」

「‥‥当たるなよ」

「ま、まあ、疑いは濃厚だが、民間人相手に尋問という訳にもいかない」

 慌ててマイスターが割って入ると、ロイグははっと非礼に気付いて短く詫び、口を閉ざす。

 ロイグに指摘されるまでもなく、マイスターの中にずっと蟠っている疑念はそれだった。巡礼船の接近をレーダーに捉えてから発した警告は十回以上、回避は五度だ。距離と速度から考えても、充分衝突を避けられるはずだったのに、巡礼船は狙い澄ましたように舷側へぶつかった。航行システムの故障だけでは到底ありえない確率の事故なのだ。少なくとも、衝突時に操縦桿を握っていた誰か―一人か、もしくは数人―の作意があると想像する方が的を射ている。

「とりあえず、詳しく事情聴取するにしても人権の関係があるし、この星では無理だ。アセニアに連れ帰ってからになるだろうな。‥‥ハウンド」

 と、言葉尻を向け、マイスターは目顔で艦橋を出るよう促す。

「巡礼者全員の身元を確認したら、こちらの艦に乗船させてくれ。ただし警備の関係上、荷物は持ち込ませないように」

「了解。すぐ取りかかる」

「それからコンボイ司令に、艦橋までお戻り下さいと」

「え?」

 不意を突かれたように、ハウンドの瞳が宙を惑った。

「え、あれ?コンボイ司令、哨戒に出るって言っていかなかったのか?」

「哨戒に出たって、お独りでッ?」

 咄嗟にマズイという顔をして、ハウンドは追求から逃れようと一歩後ずさる。

「未開惑星だから大した危険もないようだし、近くを見回って来るだけだと言ってたけど‥‥もう戻るんじゃないか?」

「‥‥ああ、まったく、あの方はッ」

 マイスターは頭を抱えて唸った。

 不時着の原因に不安要素があることくらい簡単に察しの付く人なのに、解かっていながら平然と、足下の亀裂に爪先を差し入れてしまう無鉄砲さまで持ち合わせている。部下の手本になるべきコンボイがこれでは、気を揉むだけマイスターの方が損だ。もちろん、自身の危険を顧みずに前線へ立ち続けるコンボイだからこそ、多くの戦士達の尊敬を集めもするのだが、ここが戦場ではないからこそ慎重な行動が必要なのではないか。

 不安げにロイグが、満面に苦渋を浮かべたマイスターを見やった。

「小隊を迎えに回しましょうか?副官」

 同意しかけて、いや、とマイスターは首を振る。

「司令がどの辺りにおられるかも判らないのに、無暗と小隊を動かしても仕方ない」

「ある程度の距離と方向なら、簡易レーダーでも探せないことは‥‥」

 言う間にコンソールパネルを走り出したロイグの指先は、ウィンドウが切り替わった途端、ぴたりと凍り付いてキーの上に停止した。

「‥‥まいった‥‥二時、六時、九時方向、同時に砂嵐が発生しています」

「やはりチャフに?」

 覗いた画面には走査不可能の文字が点滅し、 艦から半径八十 キロほどおいた一帯に砂嵐が起っている事を示す黒い間隙が広がり始めていた。これでは、 何とか機能しているサブシステムもろくに動いてはくれないだろう。

「通信もままならない中に出るのは危ないな。 司令がどうされているか心配だが、迂闊に出て二次遭難になるのもまずい。とりあえず、こちらも嵐に備えよう」

 仕方なく結論を先延ばしにして言葉を納めたマイスターは、まず早急に済ませてしまわなければならないシステムの復旧と巡礼者達の収容にハウンドを促して戻りかけ、 と、その背を弾んだ電子音に呼び止められた。

 通信のコール音だと気付くのに二秒もかからず、マイスターとハウンドはロイグの肩越しにモニターを覗き込む。

「コードはコンボイ司令です。 開きます」

 画面一杯にざらついた走査線が流れ、時間をかけて灰色の波の奥からわずかな色彩が像を結ぶと、それは歪みながらもコンボイの造作を映し出した。追いかけるように途切れ途切れの音声がスピーカーを伝ってくる。

「補正できないのか?ロイグ」

「やってますが、これ以上は不可能です。障害がひどくて双方向通信もできません」

 音量を最大に上げると耳障りな擦過音が艦橋に響いたが、状況を告げるコンボイの声が雑音を避けて、なんとか聞き取れた。

《―の砂嵐で、動きようがなくなった。すまないがマイスター、私はこれから迷える羊のごとく、どこかに隠れる》

 やれやれ、とハウンドが鼻白む。

《‥‥君がどれほど目のいい羊飼いの一人でも、セイバートロンの加護でもない限り私を見つけ出すのは不可能だよ》

「司令は元気そうですね」

「ハウンド最後まで聞こう」

 生真面目に唇を真っ直ぐ結んでたしなめるマイスターの横顔に、ハウンドは訝しげな視線をやって、続きに耳を向ける。 画面越しのコンボイは、映像の乱れも関係ない明朗な笑みを見せて言った。

《私がそこへ戻るまで、君がいいように采配したまえ。どんな指示についても私は不問にする。‥‥それでは》

 ひらりと左手を挙げた格好を最後に、ぶつりと通信は途切れた。瞬く間、通信によって閉じられていたウィンドウが画面に戻る。 ロイグはあちこちキーを叩いていたが、 コンボイとの通信が回復する気配はなかった。

「回線ごと落ちました。これだけです」

「わかった。君は引き続き、システムの復旧作業をサポートしてくれ。ハウンド、君は私と」

 モニターに注がれていた視線を引き剥がし、さっと踵を返して艦橋を出るマイスターの背に、半瞬、前線でしか見せたことのない張り詰めたものがまとわりついているのをハウンドは見逃さなかった。

 大急ぎに艦橋を出、すでに通路の先を曲がろうとしている背中に追いつくと、待ちかねたようにマイスターが口を開いた。

「ハウンド、君に指揮を頼みたい。私はコンボイ司令の所へ行って来る」

「行くって‥‥はぁ?」

「さっきの通信を聞く限り、司令の置かれた状況はあまり良くない」

「通信って、すごい元気に『探しても無駄』みたいなこと言ってたじゃないか」

 マイスターは押し黙ったまま角を二つ折れ、下層ハッチ直通の士官用エレベーターのボタンを押し込む。上昇音をさせてボックスが運ばれてくる間、マイスターは憚るように辺りへ気を配り、溜息と共にやっと応じた。

「あれは、司令なりの状況報告だ。〝迷える羊〟は信仰者の暗喩。おそらく今回の巡礼船衝突に絡んだ人間、もしくは一派と一緒にいる。そして私をわざわざ〝羊飼いの一人〟と呼んだこと」

 言われてハウンドも、随分と迂遠な表現に終始していたコンボイらしくない言動に気づいた。

「目のいい羊飼いは、ベツレヘムの星を見つけた三人のことだろう。〝セイバートロン〟は旧語で『賢者の影』を意味する。三人の羊飼いは、異説で〝東方の三賢者〟とも呼ばれている。 司令はここから東に位置する場所にいると伝えたかったんだ」「東って言うと‥‥確か一箇所、奇岩地帯があったな」

「そこまで判れば難しくない。司令が私に采配を取れと言ったのは、私がこう考えることを見越した上だよ」

「にしたって、司令がああ言うように強制された可能性もある。罠なんか張られたら、」

「それはない」

 艦内の静謐さを損なわないよう、極力防音に努めて設計されたエレベーターが、到着も気付かせない静かさで扉を開けた。踏み込む踵を鳴らしてボックスに滑り込んだマイスターは、操作盤に伸ばした手をそのままハウンドへ翳して、 友人を通路に留めさせた。

「言え、と強制されたのなら、誰にでも想像がつく『解かりやすい』暗号を使うだろう。それをわざわざ解かりにくい暗喩にしたのは、傍で聞いている相手にも解からなくするためだ。つまり、一緒にいる人間は地球文化に明るくない、少なくともメガトロン一派ではない、と」

「あ‥‥!」

「と言うことで、行ってくる」

 マイスターを押し包むように扉が閉じると、畳み掛けるような説明にあんぐりと口を開けていたハウンドは、鼻先に残った自分の鏡像に向かって苦笑と悪態を投げかけていた。

 

 

《続く》

 

 



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時世#2

時世の第2回目、コンボイが登場します。

そして1回目にタイトルの読み方を書き忘れてしまい…
「ときよ」と読んで下さい。(今更すみません(*_*))



 

 3

 

 タイヤが空転する度、巻き上がった大量の砂が否応無く関節部に侵入して、全身がガリガリと嫌な音を立てる。

 トランスフォーマーの身体は幸い、機体に変形している間は極限の環境下でも弊害なく動けるように出来ているため、砂を噛む不快な感覚さえ気に留めなければ、思ったように進めない砂漠の真っ只中だと言っても不安はない。マイスターが一つだけ後悔しているのは、よりにもよって自分がオフロードにまったく向かないポルシェにしか変形できない点だった。

 おかげで二時間近く走り続けている割に、目的地へ近付いた気がしない。それどころか前進するごとに周囲の大気は乱れ、マイスターはいつのまにかすっかり砂嵐の中へ呑み込まれてしまっていた。

 こうなると数十センチもない視界を、天然チャフで狂わされたレーダーに頼らずにほとんど勘と経験で方向を定めて行くしかない。無論の事、状況の悪化も考慮して最短経路は何度も確認してあるから、向かっている方角に誤りはないのだが、それでも頭上を覆い尽くして逆巻く砂塵に空も景色も塞がれてしまうと、まるで同じ場所をグルグル走り続けているだけのような錯覚に襲われる。

 時間と距離をもう一度確認し、マイスターは動かすのも虚しいほど激しく左右に振り続けているワイパーの向こうに、素早く視線を走らせた。予測ではこの辺りから、コンボイがいる奇態な岩山の連なりが視認できるはずなのだ。だがどれだけ目を凝らしても、煙った砂は取り込んだマイスターを弄ぶように粒子を叩きつけるだけで、一向に隙を見せようとしない。

 ともかく嵐から抜け出そうと、ギアをトップに入れ替えた瞬間だった。

 ギュルン、と後輪が唸ったかと思う間に、薄い砂の下に埋もれていた硬い何かにバランスを取られて、マイスターは横倒しにひっくり返った。

 砂丘にめり込む寸でで反射的に変形を解いたが、反動で頭から倒れ、全身に砂をかぶる。

「‥‥まいった‥‥!」

 口一杯に吸い込んだ流砂を吐き出しながらごちて、タイヤの一つを確認すると、見事に引き破られている。これでも、地球の一般車とは比べものにならない高度な材質で出来ているのだが、ここまで破損してしまっては車体に戻っても満足に走れないだろう。

 思わぬ不運にマイスターは、タイヤが引っかかった辺りの砂地を払いのけてみた。

 数度、砂を掻いただけで、斜めに傾いた黒い岩盤のようなものが現れる。相変わらず狂ったように舞い上がる砂礫で、現れたと思うと瞬く間に隠れてしまうそれを手探りして、指先の感触にマイスターの顔が曇った 。

(これは‥‥紋様じゃないか)

 岩盤に見えた一枚岩は、その一端を直線に切断したブロックの一部のようだった。風化してはいるが、表面を撫でると絵文字に似た模様の羅列がわかる。不時着時の哨戒では数種類の野生動物を確認しただけだが、元は一般的な文明星だったらしい。

(とすると、この近辺は遺構群なのかもしれないな )

 マイスターは腕で視界を庇いながら立ち上がり、ブロックの傾きと逆の方向、暴風が真正面から吹きつけてくる方へ足を進めた。

 実のところ、初期段階で文明が滅亡した星に偶然行き当たることは少なくない。トランスフォーマーの広範囲に渡る進出から、サイバトロンの保有している銀河航路図が最も進んだ信頼性の高い地図だと言われているが、それでも、出会う前に興り、消えてしまった文明の存在は地図に書き足しようが無いからだ。そして多くは密林に覆われていたり氷に閉ざされていたり、今回のように砂漠化していたりする。

 マイスターが迷わず方角を定めたのは、こうした、かつての文明星に降りた場合の行動マニュアルに従った結果だった。

 巨大なブロック状の岩石は、大抵の文明で城壁や砦といった集落を守る要所に使用される。つまり最も外縁だ。それが風化し、崩壊する時には、ほとんど集落の側へ倒れない。内側に壊れて味方を傷付けないよう強化してある分、同じ風化状況でも外の面の方が先に崩れてしまうからだ。一ヶ所が崩れると、後はドミノ倒しのようにバタバタと全てが同じ方向へ崩れる。

 こういった遺構を見つけた場合、倒れている方向の真逆に進めば形ある場所に出られるのである。マイスターが直感的に遺構と結び付けたのは、砂漠の中にぽつんと突き出していた奇岩地帯の奇妙さだった。

 地球でも岩山を刳り貫いて造られた遺跡を見たことがあるが、ここの奇岩の群れもそうだとしたら、怪しまれずに身を隠すには絶好の場所だ。

(やはり、ここにおられる)

 ガリリ、と両膝が砂を噛んで悲鳴をあげる。

 一歩二歩、慎重に爪先で探りながら砂塵の奥へ踏み込んだマイスターは、数十メートルも行ったところで不意に、それまでの風の猛りとは違う音に気付いて顔を上げた。と、それまで晴れることを知らなかった砂嵐の向こうが眩しいほどの陽を浴びて白く輝き、唐突に現れ出たような、そびえ立つ黒い岩山を照らし出した。

「いつの間に‥‥」

 目と鼻の先まで辿り着きながら、まったく見えていなかった。見上げると、切り立った幾つもの天辺が晴天を突いて立ち尽くしている。だが。

(?‥‥何だ、少し違和感が)

 初めて直視した景色だ。違和感があるのは当然かもしれない。

 思い直してもう一歩、前に踏み出した爪先が、マイスターの期待を裏切るように空を掻いた。

「ッ!!」

 浮遊感は、半瞬で落下に変わった。

(そうか、高さがッ!)

 地上から伸びた岩山の高さが哨戒時のデータに比べて低すぎたのだと気付いたのは、地上から地下へと穿たれた断崖に沿って、真っ逆さまに墜落し始めてからだった。

 見る間に地表の嵐が遠ざかり、崖を流れ落ちていく砂の囁きと、漆黒の谷底から伸びる岩の群れに反響した風の叫びが、繰り返しマイスターの聴覚を劈く。

 墨絵のように上へ上へと流れ去る奇岩の所々に、人為的な窓や出入り口の跡が見えた。咄嗟にマイスターは空中で姿勢を変えると落下し続ける身体を伸ばして、 眼前に迫った窓枠の一つに右手一本で掴みかかった。

 激痛と反動が全身を貫く。だが指先に全力を込めて、落ち続けようとする身体を引き上げると、マイスターは転倒しながらも何とか中に這い上がった。

 息を切らせて右肩をさすり、思わず存在を確かめる。

「てっきり外れたかと思ったが‥‥助かった」

 痛みは残ったが、銃も持てないほどではない。ほっとする間もなく身構えて慎重に立ち上がり、改めて薄暗い周囲を見回すと、案の定そこは部屋のように造られた一角で上下左右が平らに均された壁面になっていた。 居住のための部屋と言うよりは見張り台に近そうだ。天井は立って歩くのに支障ない高さだが、出入り口は外部からの侵入者を阻む目的でか、腰を屈めないと通れないほど狭い。

 マイスターは辺りに気配がないことを何度も確認してから 中廊下へにじり出、正面と左右、三方に伸びる洞穴のような廊下を見渡した。 アイグラスにサーチをかけてもこれといった反応はなく、岩盤が邪魔して熱源を見分けるのはかなり無理なようだ。ただ音だけは、色々なものが入り混じって反響している。

 この奇岩地帯は八キロ四方ほどに区切られていたはずだが、入り組んだ内部を虱潰しに探すより、微かでも音が発せられている場所を当たっていった方が確実かもしれない。ある程度コンボイに近付けば、認証シグナルで判別もできる。

(とりあえず、隠れるなら中層より下だろうな)

 内部空間を把握するには外周を知るのが先決だが、岩山の構造上、低層に行けば行くほど裾が広がって専住空間も大きくなっていくはずだ。自分より上背のあるコンボイを連れて、わざわざ行動範囲を狭めるような場所に隠れている訳はない。

 まず左手の廊下に定めて踏み出すと、マイスターは下へ続く通路を探した。前方からザラザラと岩の崩れる音がするのも、通路ではないにしろ下方に向かう道筋なりがあるような感じだ。

 岩壁に沿ってうねった廊下を一キロも行くと、マイスターの眼前に頭上から地階へ一直線に穿たれた巨大な縦穴が現れた。

「す‥‥」

 無意識に出かかった声を、ばっと片手で塞ぐ。

(‥‥ごいな、これは)

 まるで巨木が生えていた跡のようだ。

 時折その穴を、崩れた岩石の欠片が流れ落ち、底に吸い込まれていった。覗き込むと縦穴の壁面に螺旋階段状の踏み石が所々残り、ずっと下まで続いている。正規の階段ではなく補修や点検の時に使うものだったのか、間隔は疎らだし足を乗せる部分が小さい。さすがにマイスターの体重を支えるほどの強度はなさそうだ。

 しかし気付かれずに下へ行くには、階段を見つけて降るよりずっと人目を避けられていい。幸い、断崖を行き来するのは経験済みだ。

(大体()()()は、真下が帯電水でもっと危険だったな)

 それに比べれば簡単だ、と無意識に状況を重ねている自分に、マイスターはつい口元を綻ばせた。

 土星の衛星タイタンで、タイタン人の神に扮したデストロンの悪行を止めるために奮闘したのはもう十年近くも前だというのに、以来マイスターは難問に直面する度、あのタイタンでの出来事を対比の尺にしてしまうようになった。

 その経験が、戦士として生きてきた人生の内で最も苦労したものなのか、と聞かれるといつも答えに困ったが、マイスターにとってタイタンでの全ては代えがたい記憶の一つなのだった。彼女に―タラリアに出会えたという、ただ一点で。

 まだ崩落の危険がなさそうな壁の一部に携帯型ワイヤーの先を食い込ませると、残りを暗い穴の底に垂らして、マイスターはゆっくりとワイヤーに取り付いた。ぎしりと唸って、華奢な筋が重みに耐える。

(こんな危ない事をしているようじゃあ‥‥)

 そろりそろりと空中に足場を探すような慎重さでワイヤーを伝い下りながら、マイスターは不思議と冷静にタラリアの姿を思い返していた。

(‥‥やっぱり、結婚なんて言い出せないなぁ)

 

 初めて会った時から、タラリアは今まで出会ったどの女性よりも聡明で、勇敢だった。

 トランスフォーマーはすべてデストロンと誤解して一人堂々と矢を射かけてきた度胸も、こちらの説明を正しく聞き入れて判断できる明敏さも、望んで得られる訳ではない天性の才能だ。マイスターはタラリアの見せるいくつもの面が好ましかった。

 もちろんトランスフォーマーの美意識とタイタン人のそれが違うのは当然で、タラリアを素晴らしい女性と認識しこそすれ、最初は決して愛情の対象だった訳ではない。タラリアにしても、生まれて初めて遭遇した異星人を一個の男として意識したとは到底思えないし、事実、衛星タイタンの文化的復興への助力をコンボイが買って出て、その名代としてマイスターが度々タイタンを訪れるようになっても、しばらくの間、互いにそんな感情を表すことは無かった。

 だからこそ、自然に緩やかにタラリアを女性として慕い始めている己の気持ちに行き当たっても、マイスターは至極普段通りに振る舞った。

 当然の顔で二人の境に立ちはだかっている種の違いは、一方の思い込みや熱情だけで越えられるほど簡単な障害ではない。 まして自分達は、金属生命体と有機生命体。その差が恐ろしく歴然としている以上、誰にも知られず秘め続ければ、きっと忘れられる感情だとマイスターは思っていた。

――結婚してほしいの

 と、 ある日、前触れもなくタラリアに告げられた時、マイスターの思考は無様に中断した。

 それはまるでいつもと変わらない散歩の途中で、あまりにも周囲の木々は静かで、ほんの一分前まで他愛ない会話に笑い合った後で‥‥マイスターだけが、それをデートと思っていなかった事が後から判明したのだが、タラリアもまた同じように抱き始めたマイスターへの愛情を、意を決して言葉に変換したのだ。

 互いの意思を確認する前に、早々と手順を飛び越えて結婚に至った明快さはタラリアらしい。突然の慣れない恋愛感情に戸惑った末、真っ向勝負に出るしか手段を知らなかった彼女の正直さに、マイスターは圧倒された。そして、押し込めた胸の奥底から溢れ出してくる喜びに狼狽えた。

 愛している、と確信を持って言える。タラリアがこの想いに応えてくれるのなら、他のすべてを失っても構わないとさえ思う。しかし不安なのだ。愛が確かであればあるほど、越えられない種の運命が。

 マイスターはタラリアに、その場で応えることができなかった。タラリアは彼女自身の聡明さでマイスターの迷いを感じ取り、それを責めも悲しみもしなかった。

 コンボイが、そんなマイスターの背を押したのだ。守るものが増えること、それは一層強くなる証だと。

 マイスターはタラリアとの結婚を決めた。決めたと言っても二人でそう誓い合っただけで、実際に「結婚」へ向かっている訳でもないし、いつ実現するかもわからない約束だ。

 その上、クリアしなければならない問題が他にもある。本当なら、コンボイに随行して出立するまでに解決するべき問題だったのだが‥‥

「つくづく、運が、悪い‥‥ッと」

 悪態でテンポを取りながらワイヤーから飛び降りると、マイスターの両足は堆く積もった砂の上に着地した。仰ぎ見るとワイヤーを掛けてきた先は黒く滲んで、もう窺い知れない。おそらく一キロ近くも縦穴を下降して、ようやく着いた地上‥‥いや、谷底だ。

 アイグラスに指示を送ると直ぐ様サーチ機能が起動し、周囲の走査結果が視界に重なる。思った通り、このフロアが一番広い。入り組んだ通路と横穴、大小様々な部屋が奇妙に交差して、正しい順路もないようだ。

 やはりコンボイの反応を探す方が早いと判断すると、マイスターは迷わず音源の走査に切り替えた。

 感度を上げた途端に飛び込んで来るいくつもの音から、自然のそれを選り分けていくと、一ヶ所、不自然なリズムを響かせている場所が浮かび上がる。微かだが金属音が混じっているようだ。

(十時方向に三キロ‥‥四キロはない)

 認証シグナルで判断できるギリギリの距離だ。

 マイスターは操作をそちらに替え、迂回しながら目標地点に近付いて行った。

 こちらの足音は上手い具合に地下水の滴りに紛れ、思ったほど響かない。あと一キロほどの近さになると、マイスターの耳にはコンボイ特有のシグナル音がはっきりと聞き取れた。こうなればこの先、道が塞がれていても迷わず辿り着ける。

 天井の抜けた狭い横穴を這って通り、通路を二つ折れてまた横穴へ入り込む。そこを抜けるとホールか広場のようにやや大きく造られた空間に出、左手前に真っ黒い通路が奥に向かって伸びていた。通路と言っても、元は壁で仕切られていた通路と横穴が崩落のせいで一本の洞窟のようにつながってしまった形で、入り口を岩盤の名残が塞いでいる。

(銃を使うのは考えものだが)

 壁に背を張り付けて、マイスターは光子ライフルを引き出した。

 奥にコンボイがいるのは間違いないのだが、敵の数がはっきりしない。だが、あまりに静かなところを鑑みると多くて三人。いや、以下の方が可能性として高い。

 十五分待って、マイスターはするりと通路に滑り込んだ。銃口を油断なく正面につけ、一歩ずつ奥へ踏み込んでいくと、やがて視線の先で、薄汚れた床に座り込んでいるコンボイの巨体がぼんやりと滲み出した。

「コンボイ司令ッ」

 マイスターの声に、コンボイは「やあ」と手を上げ、

「さすがは君だ。一晩かからずにここを見つけてしまったな」

 と、素直に感嘆した。

 マイスターは転がるようにコンボイの傍らへ跪き、急いで上官の具合に目を走らせた。

「指令、お怪我は?どこか痛められたのでは」

「いや大丈夫だ。手荒なことはされていない」

 言いながらも、コンボイはまるでマイスターを拒否するように立ち上がろうとしない。 マイスターは辺りに視線を走らせて、コンボイの肩を促した。

「とにかく、ここを出ましょう。気付かれないうちに」

 だがコンボイは苦笑を見せてかぶりを振った。

「そうしたいのは山々だが、そうもいかないんだ。マイスター」

 言って、さっと眼前に持ち上げられたコンボイの右手を確認した途端、マイスターは声をつつ抜かせた。

遠隔起爆装置(ウロボロス)?!」

「そういう訳だ」

 コンボイの腕には飾り気も何もない鈍い銀の光を放つ細いリングが取り付けられ、 ダイオードの小さな青い光点が一ヶ所、等間隔に明滅を繰り返している。

 〈ウロボロス〉と名付けられたそれは、軍がデストロン兵囚の保護観察処分時に用いる刑具の一つで、遠隔装置と起爆本体の二つからなる。一方の遠隔装置を保護観察人となるサイバトロン所属騎士に取り付け、起爆本体部はデストロン兵の体内に組み込む。この二つは連動しており、常に信号を発している遠隔装置から起爆部が二キロ以上離れると、脱走の危険があると判断され起爆スイッチが入る仕組みで、三十分以内に信号圏内に戻らない場合は体内で爆発するようにプログラムされている。

 とは言え、実際にこの刑具で死亡した例はなく、一種の警告として使用されているに過ぎない。第一に爆発の威力はさして大きくなく、また組む取り込む位置によってはほんの掠り傷程度で済んでしまう。しかし同じ技術を悪用し、デストロン内部で近年、爆発の威力を高めた装置が出回っているという噂もあった。

 今コンボイの腕に絡み付いているものは、間違いなくその筋の違法品である。

 マイスターはコンボイの手を取り、リングをぐるりと眺めて訝しげに告げた・

「‥‥しかしこれは、遠隔装置の方ですね。一応、改造品のようですが」

 コンボイを捕虜として扱うなら、逃亡できないように爆発部分を取り付ければいいはずだが、見たところその腕にあるのは、信号を送受信する遠隔装置だった。これではまったく使用している意味がない。

 マイスターの言葉に、コンボイがまた苦笑して軽く首を振った。

「確かに逃げるのには支障ないんだが‥‥相手が一枚上手だった」

 つと、外通路の奥に広がる闇へコンボイが目を向けると、いつからそこに佇んでいたのか、矮躯の年老いたトランスフォーマーが一人、影のように静かに姿を見せていた。

 反射的に銃口を跳ね上げるマイスターを、コンボイが慌てて制した。

「彼は武器は持っていないから、心配ない。ただ、」

 言いながらコンボイは、トンとこめかみを突いて言った。

「頭部に起爆部を埋め込んでいるんだ。私の腕に取り付けたこれと、同調しているやつを」

「何ですって?!」

「つまりは彼の命が『人質』という訳だ。私が逃げたりすれば、彼が死んでしまう」

 マイスターは思わず声を噛み殺した。

 想像もしなかった手だ。普通なら捕虜そのものを爆発部で『死』の恐怖に拘束するものなのに、優位にある捕縛者自身が『死』をもって捕虜の行動を抑制してしまうなんて。いや、もちろんこれはコンボイが相手でなければ破綻する論理だ。

 コンボイなら、己の逃走によって相手に自爆の危険があると分かれば、たとえ敵でも行動には移らないという、真っ正直な気質を利用している。これでは、マイスターがどれだけ言ってもコンボイは頑として動くまい。

 マイスターは銃を下ろすと、作り物のように佇立したままの老人に歩み寄った。

 見るからに小さいと感じた老人の身体は、間近にすると一層貧弱で脆く、修理と改造の跡が全身に伺えた。かつては普通並みの肉体を持っていたのだろうが、あちこちに手を加えたせいで衰え、パーツを小振りにする他なかったのだろう。この身体では武器を隠し持つどころか、立って歩くだけがやっとのはずだ。

 その左の胸先にデストロンの紋章を削り取った跡があるのも、マイスターは見逃さなかった。

「ご老人、あなたも〝アケロンの使徒教団〟‥‥の方ですね?」

 老人はマイスターの顔をちらりと見上げただけで答えず、億劫そうに腰を下ろした。

「要求を言ってください。わざわざ艦までぶつけてコンボイ司令を捉えたからには、理由があるのでしょう?狂信者の単なる思いつきではないはずだ」

 だがやはり、答えはなかった。肩越しにコンボイの溜息が聞こえて振り返ると、コンボイは「無駄だ」と言うように肩を竦めていた。

「私にもまだ、何も言ってくれないんだ。地道に待つとしようじゃないか」

「しかし‥‥」

「アケロン教団、だったか?分かっている所まででいいから報告してくれ。衝突の原因なのだろ?」

 コンボイの性格を冷静沈着と評する部下は多いが、マイスター自身はどちらかと言うと、この上官を『豪胆』だと思っている。危機的状況を横に置いて行動できる大胆さは従う人間にとって頼もしいが、それゆえにコンボイは時折、己がサイバトロン全軍を指揮する立場だということを忘れてしまうのだ。今だとて本来なら、唖の老人に付き合う前に、いつ総司令官と副司令官が不在と気付くかしれない艦に一刻も早く戻る手立てを模索するべきなのだが、コンボイはそう考えていない。

 マイスターは盛大に溜息を吐き出して、渋々コンボイに向き直った。

「司令、ここで収めるべき問題ではありません。とにかく部下達が騒ぎ出す前に、艦にお戻り頂かなければ困ります」

「一日二日なら、なんとでも誤魔化せるさ。ああ、しかし元老院にバレると厄介だな。また絶好の口実を与えてしまう」

 コンボイは言いつつも、むしろからからかうように笑みを含ませて、呆れ顔のマイスターを見返すと、

「それなら、君に一旦()()()()()()もらう方がいいかも知れないな」

 本気とも冗談ともつかない口調で、自身の胸元を指差した。胸部プレートの奥に納まった叡智の存在を知るのはごく一部だが、ここ数年、元老院が強硬に後継者問題を取り沙汰する事もあって、サイバトロンのみならずデストロン内部にも噂が流布し、新たな標的の一つに挙げられてもいる。

 マイスターは笑えずに、首を振った。

「そういう訳にはいきません。私など、触れるどころか眺めるだけで十分―」

 ガララッ、と瓦礫を蹴り付けて、マイスターの背後に突然気配が跳ね立った。 それまで何の関心も示さなかった老人が棒立ちに、双眼を一杯に見開いてこちらを凝視し、喘ぐようにパクパクと薄い唇を動かしていた。

 長いこと乾き切っていた喉がようやく、割れた音を紡ぐ。マイスターに聞こえたのは、その最後の数音だけだった。

「――あんたは、幸いを見たのかい?」

 意味が繋がらず困惑して首を傾げると、老人の目は瞬く内に失望の色を滲ませて沈んだ。

 マイスターは、がっくりと短躯を縮ませる老人を見下ろして、まだその言葉の意味を探していた。

 幸い?いったい今、何を言ったんだ?まるで天啓でも受けたような喜びに満ちた顔で。

「あんたも‥‥救えん愚か者だな」

 老人は一度沈めた視線をゆるゆるとマイスターに戻すと、哀れみを隠そうともせずに言った。

 

《続く》

 

 



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時世#3

少し短い3回目です。
引き続きお楽しみください。


 

 4

 

「わしにはもう、名なんぞ無い。 不便なら〝名無し(ネブラ)〟とでも呼べばいい」

 ぶっきら棒にそう言って、老人は―ネブラは、岩壁に沿って重そうに座り込んだ。

「ではネブラ、喋れると分かったところで少し‥‥」

 言いつつコンボイは、立ちっぱなしに二人の顔を見比べているマイスターへついと手をかざし、座るよう勧めた。 一方が憤然としていては、 ネブラの機嫌を損ねかねないという配慮だろう。マイスターは素直に従って、コンボイの斜向かいに腰を下ろす。

「‥‥こちらから聞いても構わないかな?君の話せる範囲で良いが」

 ネブラは答えなかったが、横目でコンボイを伺い見ただけで拒否はしなかった。

 言葉を選び出すまで軽く黙って、コンボイは問うた。

「君の目的は私なのか?」

 ぎょっとして肺を竦ませたのはマイスターの方である。

 コンボイの言い様は遠回しな探りどころか、正面切って核心に踏み込んでいるだけで、裏を返せば危ない事この上ない。

 どう反応されるかと息を詰めて見守ると、意外にもネブラは老人特有の、年少者の無謀に呆れる渋面を作って肩を怒らせただけだった。コンボイは最初からそんな対応が返って来ると予想していたように、続けて言った。

「正直なところ、私の首に過大な商品価値を付けるのはメガトロンくらいのものだ。だが、君は見たところ、もうデストロンではないらしい」

 さすがに、コンボイもネブラの表皮から削られたマークの跡は見逃していなかったようだ。もちろんデストロンの紋を負っていない者でも、流れ傭兵や賞金稼ぎ、私兵集団の中には、金品でデストロン上層と繋がっている輩も多い。正直なところ、サイバトロンにとっては見た目で判断できるデストロン兵よりも、そういった手合いの方が厄介なのである。

 だが、ネブラはあからさま不快な様子でコンボイを睨めた。

「わしがデストロンに身を置いていたのは、随分前の話だ。 あの不毛の生活からは足を洗ったよ。今の教義に出会ってな」

「アケロンの使徒教団、だね?私は明るくないんだが」

「当然だ。わしだって若い時分は、トランスフォーマーに信仰だなんて馬鹿らしいと思っとった」

 トランスフォーマーの観念に『神』はない。正確には、地球やその他の文明内で神と呼ばれているような、形のない存在として信じられていないのだ。『神』はすなわち、プロトドールと呼ばれた最初期のロボット生命体をプログラムし、設計したベクターシグマであり、 かのスーパーコンピュータは『マザー』として現在でも存在し続けているからである。

 かつてトランスフォーマーの文明において、宗教観念が産まれなかった理由はそこにある。

「わしは多くの兵士がそうだったように、硝煙と血の臭いの中を、死体を掻き分けながら生き延びてきた。戦うために生きているのか、生きるために戦っているのかもわからないほど地獄を見て、いい加減疲れ切っていた頃、アケロンの教義を聞いたよ」

「〝人は皆、純血であれ。女神の腕は等しく平等に死を癒し、その頭上に新しき生を与える〟‥‥」

 マイスターが一節を呟くと、ネブラは感心したように目を上げて、そうだ、と同調した。

「‥‥驚いたよ。わしは、アケロンの言葉の中に初めて生きている意味を見つけた。わしのような者でも、生きていていいのだと‥‥許されるんだとな」

「しかし、唯一神への帰依を謳った教義なら他にもあるだろう?」

「アケロンが奉じているのは、神ではない」

 この時ばかりはキッと眦を吊り上げて、ネブラはきっぱりとマイスターの言い様を否定した。

「アケロンはこの世界、全宇宙の中心にいる〝存在〟を知っていた、選ばれた方だったのだよ。だから、後の我々に向かって指針を残された。生命体の本質を」

 言ってネブラのくすんだ双眸が、コンボイの顔をじっと覗き込む。まるで自分が解けなかったクイズの答えを長い間待ち続けているような、祈りにも似た視線。

 コンボイは老人の不躾な目を真っ直ぐ見つめ返して、ちょっと笑った。もちろん、ネブラは笑い返したりはしなかったが。

「‥‥わしはアケロンの遺した言葉の全てを解き明かし、理解したいと思った。アケロンが『見て』いたものを見たいんだ。宇宙の理を‥‥幸いを。その為にはコンボイ司令官、あんたに会わなけりゃあならんかった」

「私を捕まえた理由は、そこか?」

 数瞬の沈黙を、ネブラが頷きで破った。

「わしが見るところ、今の世でアケロンの言う〝存在〟に最も近いのはあんたか―メガトロンだ」

 マイスターの呼吸の竦む音が、コンボイの目を半瞬、引き寄せる。だがコンボイは顔色を変えることもなく、冷静に老人の言を受け取った。

(まともな思考じゃない‥‥!)

 コンボイの手前、憚って口には出さなかったが、マイスターはネブラの妄言とも思える言い様に隠れた黒い困惑と不気味さとに、言い知れないものを嗅いだ気がした。

 コンボイとメガトロンを同列に見ること自体、ありえない話である。それは何百万年と真逆の立場を貫き、それぞれの頂点を極めた二人だからという訳ではなく、求めるもの望むものの明暗たる隔たりがコンボイとメガトロンの外殻を対極に位置づけ、人々の認識に染み込んだが故なのだ。仮に二人が一個体から派生した瓜二つの資質であっても、同じ場所に存在する光と影が交わることの無いように、やはりこの認識は変わるまい。

 マイスターがコンボイの清廉さに崇拝の念すら抱いて長年付き従ってきたのは、何より、数限りなく戦場で相見えてきたメガトロンの残虐さ、狡猾さを身に染みて理解し、嫌悪したからだ。

 そんな二人を『同じ』だと、ネブラは言うのか?それも、彼らの言う実在も不確かなアケロンの言葉に照らし合わせて。

「‥‥面白い言い方をするものだ」

 しかし、コンボイの口から発せられた語気は穏やかで、一片の怒りも滲んではいなかった。むしろ、難解な数式の答えがぽんと頭に舞い降りてきたような明快ささえ感じられる。

「私かメガトロンか、とはな。 それで、私に近付く方を選択したのも賢明だ」

「司令ッ」

 いくらなんでも言葉が過ぎる。マイスターが窘めるように声をかけると、コンボイは素直に非を認めて首を竦めた。

 ネブラは、コンボイとのやり取りを恐ろしく生真面目に遮るマイスターの気概がよほど目障りと見えて、ひと睨みして嘆息する。それきり、老人の言葉はマイスターを無視してコンボイ一人に注がれた。

「あんたなら解かるだろう。大帝―メガトロンはある意味合いにおいて、全く真面な男だってことが。‥‥悪意だよ。純粋な悪意なんだ、 あの男を形作っているのは。デストロンに身を置いたって、いくら死線を超えたって、あの域に到達できる人間なんか滅多やたらといやしない」

「そうやたらと現れるようでは、我々の手にも負えなくなる」

 丁重に勘弁願いたいね、と付け足すと、ネブラは掠れ気味の喉を鳴らして短く咳き込んだ。それとも笑ったのだろうか。

「だからこそ、メガトロンは常に高みにいる。アケロンの謳った〝女神〟の‥‥この世の幸いの側に」

「悪が幸いか?」

「悪ではない、『純粋な悪意』がだ。屈曲のない唯一の信念はむしろ、何億という雑念に勝る。すでに真理だ。だがメガトロンには、いくら語ったところでアケロンの言葉など通じまい」

「曲がらないが故に、かな?」

「そうだ。あの男は幸いの傍らに立ちながら、己の人生に関わりないものは見ようともせん。たいした愚か者なのだ。だが、あんたなら見渡せる。いやいや、その胸にあるものが『見せてくれる』はずなんだ」

 ネブラの細った指が、つとコンボイの胸元に向かって伸びたが、マイスターが遮ろうとする前に自ら臆して、おずおずと引き戻された。

「どうかわしに、真理を、幸いを見せてくれ。サイバトロンの王よ」

 陳腐な芝居の一場面でも、 こんなにあからさまな失望を感じたことはない。朽ち果てた遺構の、芸術的に穿たれた洞穴の黒い岩肌は、単なる出来の悪い書き割り以外のものでなく、演者は自分に都合の良い台詞しか覚えていない老人一人。これで、どんな感慨を観客に与えられる気でいるのか。

 マイスターは沈黙して一ミリも振れない感情の針に、己の冷血さを疑ってみた。しかし、伺い見たコンボイの表情にもまた、年寄りの熱を帯びた言葉に動かされた感情は滲んでいなかった。

 コンボイはゆっくりと数度、首を振る。

「私は専制者ではない。マトリクスの所有者ではあっても、支配者でも占有者でもない。私に偉大な力があると思うなら、それは大きな誤解だ」

「誤解?!ああ――それは謙遜だ。他者を膝先に従わせる力を、あんたは持っていないというのか?メガトロンも有している、あの威勢を」

 たまらず広げた両腕を歓喜に震わせて、ネブラは陶酔して言い連ねた。

「善と悪?光と闇?そんな概念が何の意味を持つ?あんたが知っている〝世界〟を、わしに見せてくれるだけでいいんだ!」

「――残念だが、期待には添えない」

 決然としたコンボイの返答に、反論を捩じ込む隙はないように思われた。

 ザアアッ、と遠い反響が、高みから失墜する流砂の音を運んでくる。砂時計の一方から零れる最後の一握に似て、音が止むと同時、ネブラの老躯を煽り立てていた狂騒の熱までが潮のように引いて行くのがわかった。

 一時の昂ぶりが冷めると、そこにはやはり痩せ切った老兵士がいるだけだったが、マイスターには奇妙に現実の手応えがなかった。

 危険を冒してまでコンボイを捕らえ、取り縋って己の奉じる真実を欲していた狂信者と、諦観すら漂わせて厭世者のように短躯を縮めている老人。これは同一の存在なのだろうか。

 俄かにぞっとしたのは、ネジが切れる寸前のようにゆるゆると岩壁にもたれるネブラの横顔が、大破した巡礼船の傍らで所在なく身を寄せ集めていた他の信者達に酷似していたからだ。個を持たず、望みを持たず、依存するだけの生き方に帰結してしまった者の顔。一方では狂暴になりながら、否定されれば途端に己を見失う、愚かな子供のような信者達。

 口中に何事かを呟くばかりで、眼前のマイスター達を顧みることもなくなったネブラを、コンボイは哀れみの目で追って嘆息すると、それ以上の関わりを諦めたようにマイスターへ向き直った。

 素早く、ごく自然にマイスターは、コンボイの腕にかけられた金属の枷を確認する。コンボイから低く問いが上がった。

「外せそうか?」

「いえ、すぐには‥‥あちこち改造された品のようですから、一日いただければ何とか‥‥」

「何事も力任せにはいかないな、私の性には合っているが」

 マイスターは苦笑を返答に代えて、ネブラの死角に入り込むようにコンボイの横へピタリと並んで腰を下ろすと、立てた膝を盾にコンボイの腕を引き寄せる。間近で見下ろす無機質な環は光点を常に明滅させて、爆発するぞと威嚇を続けているようだ。

 滑らかな表面をなぞると、指先が微かな接合面を探り当てて小さなパーツを剥ぐ。近未来的な街並みを模した、極小のミニチュアにも似た回路がびっちりと入り組んで埋め込まれ、その隙間を幾何学的な模様が轍のように交差して色を添えている。 だが、街に陣取る一部の尖塔は、明らかな作為によって形を捩じ曲げられ、 景色に不和を奏でていた。

 回路を遮断してしまうのは簡単だが、連動している信号が不用意に止まれば、 勝手に爆発しかねない‥‥もちろん、ネブラの頭蓋に食い込んだ一方が、だ。コンボイに起爆装置を付けられなかったのは幸いだが、やはり、この至近距離で自爆されるのは御免被りたい。

(しかし‥‥粗悪品もいいところだ)

 デストロンが使う改造品というよりは、ジャンク屋が闇で安価に売り捌く品に近い。 放っておいても勝手に壊れて爆発する類だ。いや、この状況では質が悪いほど手を入れ辛く、解体には慎重に時間をかけなければならない。 一日とは言ったが、果たして時間が足りるかどうか。

(どこから手を付けるかだが‥‥)

 直接、回路に侵入して乗っ取るか、根気よく部品をばらしていくべきか。 マイスターが黙り込んで選択しかねていると、その真剣な横顔に事態を察したコンボイは間を取りなすように口を開いた。

「どうも、君には貧乏くじを引かせてしまったらしいな。申し訳ない」

「!何をおっしゃいます」

 部下が上官の為に動くのは当然だ。ましてコンボイの直轄指揮下にいる騎士は皆、この偉大な英雄に尽くせることを誇りにすらしている。マイスターも例外ではない。

「司令を無事に連れ帰るのが私の役目です。お気になさることではありません」

「だが、君を死なせでもしたら、令夫人に合わせる顔がない」

 その言葉にマイスターは思わず苦笑した。

「いえ、まあ‥‥正式にはまだ、妻と言う訳ではありませんし‥‥」

 コンボイは、マイスターの結婚相手であるタラリアと面識がある。実際の話タラリアと、通信越しとはいえ最初に言葉を交わしたのはコンボイ本人なのだ。

 当時、衛星タイタンからの救助信号を受けてコンボイは自ら出撃しようとしたのだが、随行や護衛人数などの問題からマイスターが名代としてタイタンに赴いたのが、そもそもの始まりである。その後タラリアとの関係が親しくなるのに伴い、マイスターは時間を作って二度ほどタラリアをコンボイに引き合わせた。コンボイは彼女の廉直さを高く評価し、マイスターとの結婚を先に立って後押ししてくれている一人だった。

 相手がコンボイでなければ、苦笑いに紛らせてかわしてしまったのだろうが、マイスターは応じたついで、喉元に引っかかったきりでいた塊をふと吐き出していた。

「‥‥正確には、男と女でもないと言うか‥‥」

 言ってしまってから軽く後悔する。コンボイとは時折、友人の一人として話をすることもあるが、さすがに今はその状況ではない。

 非礼を詫びようとした途端、コンボイが一拍早く答えた。

「気付かなかった、そうだったのか?」

 問う声は純粋そのもので、素直に驚いているのが良く分かる。こういう話題に疎いのはいかにもコンボイらしく、マイスターは矛先を変えるタイミングを逸したが、決して気分は悪くなかった。

 不思議と、特殊な状況下にいるからこそ、普段なら避けたいようなプライベートな問題まで衒いなく話せるような雰囲気がある。 思った通り、マイスターの口は滑らかに動いた。

「こう、体の構造が違いすぎると、どうにも越えられない一線がありまして」

「そうだろうな‥‥当然だ」

 標準的な初期型体型であるマイスターは、身長も四メートルとさほど大きい訳ではないのだが、地球人型より少し背丈が高いだけのタイタン人と比べれば、やはり巨人と小人と言っていい。まして機械生命体の身体で、生身のタラリアと肉体的な結び付きに及ぶのは全く無理な話だった。

 もちろん外見の差異は出会った時から明らかで、それすら承知の上で親しくなった二人なのだから、世間一般に照らし合わせた関係に発展しないこと自体は不和を引き起こす原因にもならない。とは言え、情熱それ自体を抱いていない訳ではないところが問題なのだ。

 衝動に逆らうのは、マイスターほどの男にとっても並みの苦労ではない。押し止めていられるのは偏にタラリアの身体がか弱く、脆い生身のそれだと認識しているからに他ならなかった。

「もし今、死んだりしたら、たっぷり未練が残って化けて出そうです」

「じゃあ、簡単には死ねないな。理由はどうあれ明確な意義を持つのは良いことだ」

 おそらくそれは本心だろう。何かと神聖視されがちなコンボイだが、下世話な話題も意に介さない寛大さを持ち合わせているのも、彼が尊敬を集める所以の一つだ。

「なに、今は無理でも、じきに医療部辺りが良い方法を確立してくれるさ。そうやって一つずつ、進化してきた我々だからな。‥‥それまで我慢しろ、と君に言うのはかなり酷ではあるが」

「いいえ」

 マイスターは笑んで、視線と指先を銀のリングに戻しながら言った。

「私の腕で彼女を抱きしめることは出来ませんが、彼女はいつも、代わりに私を精一杯に包んでくれます。 その瞬間までは狂おしいほど彼女が欲しいと思っていても、 それだけで満たされた気持ちになる‥‥あの感覚だけは、不思議でたまりません」

「それは‥‥―」

 言いかけて、コンボイはふと思い直したように続きを飲み込む。かつて自身が味わったことのある想いと、マイスターの言うそれを引き比べてでもいるのだろうか。

 かつての、自我もないトランスフォーマーなら抱くことすらなかっただろう感情の正体を知っていながら、明確な名を与える無粋を嫌うように、コンボイは地球語の一節を呟いた。

「〝さあ、切符をしっかり持っておいで。お前はもう夢の中の鉄道でなしに、本当の世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐ歩いていかなければいけない。天の川の中でたった一つの本当のその切符を、決してお前はなくしてはいけない〟」

「『銀河鉄道の夜(ナイト・オブ・ザ・ミルキーウェイトレイン)』ですね?その台詞は」

 地球で目覚めてからのコンボイが寸暇を惜しんで吸収した文化の一つが、膨大とも思える多種多様な書物に目を通すことだった。今では唯一マイスターだけが、そのコンボイの知識量に匹敵できる。

 それを知っていて選んだ言葉だったのだろう。マイスターが的確に応じると、コンボイは微笑んで安堵したように頷いた。

「君にはもう〝切符〟がある」

「え?」

「何故、そのことに気付かない人間が減らないのだろうな。切符も持たずに求めるだけでは、プレシオスの鎖は解けないのに。 結局、私にも――」

 語尾を粗削りな岩壁投げかけて、コンボイはすぐ傍に朽ちた彫像のように座り込んだ老人を見返した。

「あの哀れな年寄りにも」

「司令‥‥?」

 訝しむマイスターを軽く制して、コンボイはついと湧き上がる風のごとく、音もさせずに立ち上がる。光源も乏しい洞穴の中だというのに、 地面に突き立てられた一条の刀身の如く凛としたコンボイの肢体は、微かな光すら放っているように見えた。

 トランスフォーマーをそれと認識していない種族が目にすれば、少なくともコンボイは、想像に棲む偉大な力の主と崇められる事もあるかもしれない。それほどまでに美しい。

「――ネブラ」

 呼びかけても反応すらしない老人に、コンボイの言葉は静かに続いた。

「お前の求める真理が、果たして本当にアケロンの言うものと同じなのか、問わせてやろう。アケロン自身に」

 

 

《続く》

 

 

 



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時世#4

4回目です。
また短めですが、ご覧ください。


 5

 

 厚い窒素の雲に覆われた衛星タイタンの地表は、昼間でも宵のように薄暗い。

 見渡す限り肥沃な土地などなく、そのほとんどは極寒の氷層。 植物らしきものはひょろ長く背を伸ばすだけの棒のような姿を林立させ、時折激しく地上を打つ硫酸の雨によって奇怪な形に削られた岩山が、どこまでも連なって行く手を塞いでいる。おかげで、生活に必要な水分は危険値を遥かに超えたエタンと電気を帯び、盆地に生まれた人里は長い間、帯電した谷川によって隔離されていた。

 その盆地から抜け出して対岸に再建された新たな邑も、やはり裕福とは程遠かった。痩せた土地を開墾しても作物が実るには限度があり、 何より酸の雨は作物ばかりか、木を組んで作っただけの質素な家までを脅かすのである。

 唯一、鉱山から採れる巨大な高エネルギーの結晶体だけが産業と言えばそうで、サイバトロンの仲介によって太陽系外に輸出できるようにはなったものの、最も埋蔵量のあった洞窟はデストロンに破壊されており、急激に邑が潤うほどの利益は上がらなかった。

 しかし、邑を捨てて別天地を求めようという住人がいなかったのは、偏にタイタン人の質朴さの故であろう。村人は不平一つ言わず、ただただ地道に彼等の生活を向上させるべく勤勉に働いた。

 その中心となって邑の発展に尽力しているのが、タラリアだ。

 タラリアが自らを戦士として、偽の神を名乗るデストロンや、そこにおもねた邑の裏切り者に毅然と戦いを挑んだのは、誰よりも深く邑を愛し、人々を愛していたからである。新しい次の世代に進もうとするタイタンにとって、タラリアは既に無くてはならない存在になっていた。

 村人達がタラリアに向ける畏敬の眼差し。それは裏返って、タラリアの傍らにいるマイスターへの嫉視になった。邑を救ったサイバトロンの騎士‥‥だが、その邑の復興に欠かせない女性を奪い去ろうとしている、異星人。

 反目しあう感情を殊更露わにする者はいなかったが、マイスターにも彼等の内に澱のように沈殿していく不安と疑念は、手に取るようにわかった。文明らしきものを作り出していく過程に、本来ならば指導者などいなくても一向構わないのだが、それでも人の心情からすれば形のある『誰か』の姿が必要なのだ。振り返って数多い歴史を眺めても、そういう形態を取った文明は少なくない。むしろトランスフォーマーの歴史の方が奇異ですらある。

 マイスターは無論、タイタン人の事情を理解しているつもりだった。タラリア自身が星の復興を見届ける気でいることも承知していたし、トランスフォーマーの身からすれば時間の長短は意味を成さないのだから、タラリアが納得するまで待つこと自体は問題ではない。

 お互いがお互いをかけがえのない存在だと認識し、想い合っていれば構わないのだと考えていたのだ。悪く言えば気楽に、今はまだ受け入れられなくとも、時間をかければ祝福してもらえる、と。

 だがマイスターの穏やかな推測とは逆に、タイタン人達がトランスフォーマーを眺める目は畏怖と恐怖から離れることがなかった。

 それが決定的だと確信したのが、つい先日、コンボイに随行してしばらく太陽系を離れる事になると報告に赴いた時である。

 マイスターがタラリアの元を訪れる度、邑では礼を尽くしたささやかな宴席を設けてくれるのが常で、その晩も結局断り切れずにマイスターは賓客の席に着いていた。席と言っても地面に筵を延べただけで、邑の者は好き勝手な場所に直接座り込み、大きな焚き火を囲んで歌や踊りに手拍子を打つような集まりで、トランスフォーマー用の趣向が供される訳でもない。

 何とはなし、娘達の輪唱に合わせて手を打っていたマイスターの横で不意に、邑で一、二の生き字引だという老婆がぼそりと呟いたのだ。

「この地から離れては‥‥暮らせません」

 最初、言われた言葉の意味が分からなかった。空耳かとすら思ったが、歌声と手拍子に混じる老婆の声は、驚いて隣を見下ろすマイスターに向かって紡がれていた。

「この不毛の土地で野放図に育った娘が偉い御方の伴侶など、勤まろうはずがない」

「それは―何をおっしゃりたいんです?」

 極力押し殺したはずの声音が、マイスターの耳にはうるさく届いた。

 老婆はずっと下を向いたまま、目を合わせてくれない。マイスターの目線からでは、皺の深い鼻梁が少しと色の抜けた薄い頭髪が見えるばかりで、会話そのものが成り立つかどうかも怪しかった。

「一体どういう‥‥」

 重ねて問い返しながら、マイスターは無意識にタラリアの姿を探した。いつも傍にいるはずが、ついさっき燈火の具合を確かめに立って行ったきり、まだ戻らない。

「‥‥どういう、意味でしょう?」

 間を置いて、老婆の口元が静かに動いた。

「この地で生まれ、この地で無に還る。それがあれにとっても幸せだとは、お考え下さらんか」

「私では――トランスフォーマーでは、それほどご不信ですか?元より彼女を不幸にする気などありません。それでも、」

「相容れぬものは、往々にしてあるものです」

 す、と老婆の頭が沈んだのが懇願の為だとわかった途端、マイスターの頭蓋の底に、凍り付いた一点が勃然と 現れた。それは、宿主の許しも得ずに躯を侵す病巣のように、音もなくマイスターの内を這い回ろうとする。

 憤りという、その名。抗うにはあまりにも漠然として、捉えどころの見当たらない敵。どんな武器でどんな戦術で戦うべきなのか、誰にも教わったことがない。しかし、確実にマイスターは、老婆の投げかけた言葉に潜んでいたその敵に、素手で向き合っているのだ。

 望んだ訳でもないのに。

「――私達が――愛し合っていても、」

 許さないのか。誰もが。

 他者の目に映る自分達の姿が、どれほど奇異でも構わないはずだった。確かなものがあることを互いが知っているなら、許す者がいなくても揺らぐことなどないと、信じていた。

「貴方がたが許せないのは、私が機械の――」

 ああ、そうだとしたら一体、彼等はタラリアをも怨嗟するのだろうか。 抱き締め合うことすら叶わない鋼鉄族の男を、想ったと言うだけで。

 タラリア。

 君を守るには、どうしたらいい?

 

 

「――マイスターッ」

 表皮に弾ける砂礫が、辺り一面の音を土砂降りの雨音のように変えていた。

 マイスターはハッとして、横から砂まみれの顔で覗き込んでいるコンボイの、気遣わしそうな視線に頷く。

「す、みません‥‥少しぼうっとしていました」

「ああ、わかる。こう砂ばかりだとな」

 コンボイは屈託なく苦笑して、マイスターを支えていた腕を自然に解いた。

 どのくらいの距離、地平しか見えない砂漠を歩いて来たのだろう。振り返ってアイグラスのズームを最大まで上げてみても、夜のうちに出立してきた奇岩の中の遺構は、もう影も形も見えなかった。 見えるのは三百六十度の青白い砂漠と先頭を行くコンボイの背と、その背を不平一つ言わずに付いて行くネブラの、老いた短躯だけだ。自分達が付けて来たはずの足跡すら幾度とない突風に洗われて、砂丘は真新しい形に変化しつつある。

 一体、どこへ向かっているのか。

 コンボイが突然、アケロンという人物に会わせてやるとネブラに告げて、あの岩山を出てきたところまではいいが、方角も目的地もマイスターは知らされていない。コンボイのことだから、全くの出任せでその場凌ぎをしていると思わないが、

(いつまでも宇宙放射線を浴び続ける訳にも‥‥)

 上層大気からの直射と砂礫からの反射は、いつトランスフォーマーの繊細な内部構造に影響を引き起こすか分からない。それに、この細かな砂だ。

(CRDくらいは装備しておくんだった)

 コンボイが旗艦との通信が途絶してから、すでに二日近く経ったろう。

 ハウンドが上手に艦内の規律を保っていてくれることを祈りながら、マイスターは砂にめり込む足を根気よく前に動かしていった。

 陽が斜めに傾ぐまで代わり映えしない砂の波間を歩き続け、蓄積された徒労感に老人の足取りが重くなってきた頃、ようやく前方のコンボイが反り立った砂丘の前で爪先を止めた。

 見る限り、今までと変わらない砂漠の直中だが、コンボイが屈んで足元の砂を払うと黒い岩肌が現れる。

「マイスター、手を貸してくれ」

 呼ばれて傍らへ寄ると、岩肌には侵食されて薄れた記号のような模様が刻まれ、一ヶ所、四角く切り口が走っていた。地下への出入り口にでもなっているのか、引き上げやすいように鉄環まで取り付けてある。 ただしそれは錆び切って、もう何百年と人の手に触れたことがないようだった。

 鉄環に指をかけながら、マイスターは問うた。

「司令、ここも遺跡ですか?」

「ああ、その一つだ」

「ここは未開惑星だと思っていました。これほどの遺構があるとご存知だったなら、それなりの保護指定をなさっても‥‥」

「この星は、かつて〝エタ・ヴァーマ〟と呼ばれていた」

「エタ‥‥―」

「エタ・ヴァーマッ!」

 マイスターの呟きを遮ったのは、ネブラの発した悲鳴のような数語だった。コンボイは老人の反応が分かっていたように頷いて、訝しむマイスターに告げた。

「使徒教団の始祖、アケロンが最期を迎えた時に住んでいたと言われた星だ。半ば伝説の」

「ここが‥‥その星?」

 目を見開いて呆然と砂地に膝まで埋めているネブラを瞬間伺い見て、マイスターはコンボイに視線を返す。浮かび上がる疑問は尽きなかったが、コンボイはそれ以上の会話を拒否するように唖を通して、ようよう持ち上げた石蓋を丁寧に脇へどかした。

 案の定、ほとんど垂直に近い窮屈な手彫りの石段が暗い穴を穿って伸び、底から黴と腐葉土の臭いの混じった湿気が吹き上がる。遺構には違いないが、地下に造られた建造物だとすると貯蔵庫の類か、それとも墓地か。

 躊躇いもなくコンボイが石段を降り始めるのを見て、先に後を追ったのはネブラだ。急き立てられるように岩肌の切れ目へ吸い込まれる老躯を苦い目で見送り、マイスターは後ろに続く。

 奇妙なものだ、とつくづく思う。

 銀河の明暗すら握れるサイバトロンの英雄と、デストロンを抜けた狂信者とが連れ立って歩いている。威風堂々たる戦士の背中と、卑屈なほど縮こまった老人の背‥‥違和感を通り越して、 その様子は対比を狙って完成された芸術品にも見えてくる。

 だが、この憤慍は何だろう。マイスターは二つの背を追いかけながら、泡のように浮かび上がる感覚に狼狽した。

 それは手の届かない部位に出来たしこりに似て、疑いようもなく体内に居座っているのだが、自分では形が見えない。確かめられないのに、それが居る。

(この感情は、同じだ)

 疲労の中で見た短い追想に呼び起こされた感覚が、感情回路を混乱させているのではないかと思ったが、こうしてネブラの背に目を当てているうちに暗澹と広がっていくそれは、まったく異質で、同時に良く似たものへと帰結していく。

 文字にすれば、 あまりに容易い。

 理不尽さへの苛立ちと恐れ。

 どれだけ言葉を尽くしても頑なに交わりを拒む者への、絶望。

 マイスターが無意識に目をやったのは指先だった。

 長い石段の途中では上からも下からも輪郭をはっきりと区切るだけの光量が届かず、思うように見えないはずが、トランスフォーマーは視覚機能が瞬時に補正を施して走査に切り替わるため、形や色、温度分布すら苦もなく判別できる。この便利な、だが冷たい機械の身体。

 トランスフォーマーであるが故にタイタン人に拒まれる自分を見つめ直す前に、今度は、マトリクスを持たない存在である事を理由に老人から拒まれた。

 マイスターを深く傷付けるのは、それぞれが持ち出す型にほんの少し嵌らないというだけで拒絶し、否定する人間に届く言葉が、一つも見当たらない現実だった。

 全宇宙の平和?

 すべての生命体の共生?

 コンボイの壮大な理念を嗤う者は確かに多い。本音を問われればマイスターも、実現の困難さは肌で感じて知っている。自分が生を終える間に叶う望みでないことも、理解はしている。だが、コンボイが「そうあれ」と願うのは盲目的に理想を追うことではなく、理想に一歩でも近付くことが出来るよう、まず自身が平和と共生を実行しろと言うことなのだ。

 だからこそマイスターは、拒絶する者にかける言葉がない事実が悲しいのだ。相手が異星人であれ、同じトランスフォーマーであれ。

(私は‥‥また何も言えなかった)

 不恰好に短躯を傾いで石段を下って行く老人の背は、無言のままにマイスターを拒む。声をかけたら振り返るだろう。しかし、正しい言葉が見つからないうちは、何も言えない。

 タイタンを出る前、タラリアに何も告げられなかった時のように。

「‥‥?」

 つんと鼻腔を刺激する黴臭さがマイスターの足を止めさせた。 前方に意識を戻すと、コンボイとネブラは階段を下り切った部分のややなだらかなフロアに進み、階の最後の数段を残して立ち止まっているマイスターが追い付くのを待つように、こちらを伺い見ていた。

 そのコンボイの前、もう鼻先に、ざらついた石の扉がある。 いや、扉よりは粗末で、洞窟を塞ぐための岩盤と言った方がいいか。

「もうすぐだ。マイスター、平気か?」

 気遣うコンボイの方こそが爆弾を抱えた身体であろうに、マイスターは度量の差に苦笑をして頷き、足早に二人の背へ追いつく。

 ちら、とネブラが侮蔑の眼で伺うのを、マイスターはあえて無視した。ここで険悪になっても始まらない。

「司令、ここは‥‥」

「地下都市の名残り、とでも言うべきかな。最も建造途中で捨てられたから、都市と言うより迷路だ。その唯一の入り口さ」

 一息置いて、コンボイは歯切れよく付け足した。

「他の入り口は、すべて潰してあるはずだからな」

「どういう事です?ここに不時着したのは偶然の、」

「無論、偶然だ。ただ、この航路を選定したのは私だし、一度外から見ておこうかと思ったのも事実だ」

「最初から、この星の外縁をご覧になるおつもりだったのですか。道理で‥‥」

 目的の同盟星まで最短距離のルートでないのは確かだったが、サイバトロン名で宇宙の要所に設置している中継基地との兼ね合いで、少なからず迂回の航路を辿るのは不自然なことではなかった。だからこそ、マイスターも特に予定航路への不審は抱かなかったのだ。まして、こんな事態になっていなければ、とうの昔に通過していた星系である。

「彼だって、そんな事は知らずに船をぶつけてきたのだろう。辺境の未開星系、だからな」

 コンボイの穏やかな視線を受けて、老人の皺深い顔にさっと羞恥が走る。どうやらコンボイの読みは図星を突いたらしい。狼狽と共に滲むのは、己の力が及ばない相手への嫉妬にも感じられ、ネブラの沈んだ眸は一層冥い色を帯びた。まるで、コンボイそのものが眩しいものであるかのように。

 進み出て、コンボイの両腕が分厚い岩盤を横に押し退けると、細く長く直線的に伸びた通路が、これまでと変わらない黒々とした岩肌を裂いて奥まった場所へと続いているのが露わになる。

 ぽつんと、その焦点に淡い色が泳いだ。

 湿った微風に混じる、質の悪い油の匂い。ギイギイと軋みを上げているのは、古びた金属の擦れ合うそれだろうか。確実ではない、しかし間違えようのない生活の気配が洞穴の先から流れ出ていた。

 この死に絶えた星で、いったい人間が何かを思いながら暮らせると言うのだろうか。

 ここはもう、ただの墓地だ。

 マイスターの胸郭に得心となって、遺構を目にするたび否応なく嗅いだ廃墟の空気が落ちてきた。

 「死」の臭い‥‥いや、「死」への半ばにある臭いかも知れない。それとも、病人の。

 ギイギイと、湿った通路の奥から軋みを上げながら、暗幕をすっぽりとかづいたような影が近づく。影の中心で規則的に左右へ振れる朱い色が、手作りの粗末なランプに据えた灯心の火だと判別できる距離に来て、マイスターは頼りない燈火の向こうに居る、この遺構の住人の顔立ちに、あっと声を上げていた。

 途端、影は不躾な客の態度に腹を立てる素振りでランプを掲げ、じろりと招かれざる三人を睥睨する。だが、その中にコンボイを見つけると影は微かに呆れを帯びた。

「‥‥君か、オライオン。‥‥ああ、今はコンボイと言う名だったかな」

 老長けた緩慢な笑みを薄く口元に浮かべて、年少の懐かしい知人の姿に目を細めて見せたのは、老躯のネブラよりも更に痩せて華奢なトランスフォーマー――その年ふりた表情や仕草とはあまりにもちぐはぐな、鳶色の色彩をまとった愛らしい少年だった。

「久しぶりだ、アケロン」

 絶句して、誰に答えを求めることもできずにいるマイスターとネブラをそのままに、コンボイは少年に向かってゆるりと微笑んだ。

 

 

《続く》

 



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時世#5

5回目になります。
物語の主題に迫って行く回です。


 

 6

 

 時間ほど残酷なものはない。

 そんな一文が書かれていたのは、何気なく選んだ地球の書物だったろうか。今ならあの意味が痛いほど分かるのに、昔はトランスフォーマーという己に頼り切るあまり、何の感情も抱かなかった。それだけ、時間が過ぎ去っていく事の重大さに対して認識不足だったのだから、愕然とする。

 小さな――まったく躯に見合ったこじんまりとして質素なアケロンの住まいは、壁の一部を刳り貫いた剥き出しの寝台と石造りの卓と椅子があるきりの、遺構の通路に面した手掘りの一室だった。

 壁一面が黒く変色しているのは、地下から採る原油を灯した時の油煙に煤けたためで、それがいっそう室内を薄暗く見せ、とても人間が生活できる空間には思えなかった。少なくとも、囚人か隠遁者でなければ、一年と持たない場所だろう。こんなにも隔絶された、静寂の中。

「適当に腰を下ろしてくれ。私は‥‥すまんが少し、横になりたい」

 この部屋まで大した距離があった訳でもないのだが、少年は招じ入れた客達に息切れを堪えながら席を勧めると、ざらついた呼気を不規則に吐き出して、冷えた寝台に身を任せた。とても外見の活発さとは噛み合わない。

 マイスターは椅子に掛けたコンボイの傍らに付いて、まだ戸口に突っ立ったまま少年を睨め付けているネブラの様子を伺う。 一時の自失からは立ち直ったものの、 ネブラの、少年を値踏みする視線は尋常ではなかった。

 自らが心酔し追い求めてきた存在が、生きて眼前に居るというのに、ネブラは何一つ信用していないのだ。それも当然だろう。教義上は遥か以前に死亡しているはずのアケロン。教徒達の口伝に依るなら彼は少年でも、ましてネブラと同じトランスフォーマーでもないはずなのだ。疑いは濃くなりこそすれ、薄まることはない。

 ネブラの疑念の根。マイスターにも、それは解かった。

「彼の肉体は、〝カーゴ〟‥‥ですね」

 低い呟きがすでに確認であることを悟って、コンボイは副官の慧眼に軽く頷く。

「見ての通り、だな」

 軍籍にある者が戦場で負傷し、著しい損傷によって本来の肉体が使用不能となった時、治療が済むまでブレインサーキットなりスパークなりを留め置く仮宿として与えられるのが、カーゴと呼ばれる疑似肉体である。 カーゴはエネルギー消費を最低限に抑えることを目的としているため、大抵が幼少体をしており、傍目には本当の子供と区別がつかない。

 ただし、この医療技術については現段階でも、耐用年数の問題、安易な転生技術への悪用など諸々の課題を抱えており、まだ広く一般に認知されるには至っていない。

(しかもあのカーゴ、とっくに使用期限が切れている)

 マイスターがちらりと目顔でコンボイに同意を求めると、コンボイも目線にそれを肯定する。アケロンが疲労で起きていられないのも、途切れ途切れに意識が薄くなるのも、おそらくカーゴ自体が限界を超えているからだ。姿は少年でも中身は数百万年以上を経た老体。入れ物がいくら新しくとも、生命を維持し続けるのは無謀だ。

 ふと、マイスターは身の内に深い憐れみが滲むのを感じた。軍属にないアケロンがカーゴを使用していること自体、既にありえない事なのだ。だからこそネブラはこの幼い姿をした相手を、アケロンとは信用できずにいるのだろう。もっとも年相応の姿で現れても、俄かに受け入れられるものではない。

 なぜ、アケロンは生きている?

 ネブラの心情に暗として点る憤慨を、マイスターは感じていた。

 戦いの中で生き、老い、生の終末にようやく得た『信仰』という名の安寧を、なぜ今さら掻き乱す?

 老躯のネブラにとって、アケロンの姿は裏切りに等しい。刻の流れがネブラから全てを貪り尽くす間、アケロンはその楔から離れ、生き続けてきたのだ。 この不公平が時を支配する者の残酷さでなくて何だろう。

 無意識に、疲労の色が濃く落ちるアケロンの、それだけは若い横顔をじっと見つめていたらしいマイスターは、反対にアケロンの揶揄するような視線を返されて、はっと目を逸らす。声も立てずアケロンは笑った。

「コンボイ、二度と会わぬと言って別れたはずだが、なぜ来た?」

「色々と事情がありまして。貴方に会わせてやろうと‥‥彼を」

 と、ネブラを示すと、アケロンは億劫そうに老人を見やった。

「‥‥彼は?」

「貴方の信奉者です。それも特に敬虔な」

「信奉者?」

 心底驚いた様子で、少年特有の大きな双眸が見開く。そこに宿った光は困惑のようだった。

「貴方の残した予言書を教義に戴いて、その解読に人生をかけている者達の一人だ」

 コンボイの言葉に、アケロンはもう一度目を剥くと、

「馬鹿を言う。私は宗教のような愚かしいもの、説いた覚えはないぞ」

 心外そうに言い捨てた。

 ギシリ、とネブラの全身が萎縮したように音を立てたのは、気のせいか。マイスターは振り返って確かめたい衝動に駆られた。

 アケロンは寝台から、一呼吸の間に沈黙の霜が降りた室内を見回すと、嘆息して首を振った。

「コンボイ、私の書いた()()をいつの間に誰が、予言書などという大層な物に担ぎ上げたんだ?」

「貴方が表舞台から身を引いてからでしょう。私自身もつい最近までは、貴方が昔、生命体すべてへの警告文として認めていたあの文書が、一教団の聖典に祭り上げられているとは知りませんでした」

「皮肉なものだな。あの頃、どれほど人々に伝えようと奔走しても、誰一人耳を傾けなかったものが‥‥今や教義とは」

 自嘲気味に広がる浅い笑みの後、アケロンは深く息を吐き出して天井の一点をぼんやりと見上げた。

 コンボイは、ネブラの陰影に窪む相好に目をやって、先を促すように肩を竦めてみせる。自分の口で問え、と、ネブラもその意味は悟ったようだが、 いざ口を開こうとすると唇も喉も干からびて、容易に声帯は役目を果たそうとしなかった。

 どれだけの時間をかけたか、零れる欠片のように紡がれたたどたどしい声が問う。

「本当に‥‥貴方がアケロン様か‥‥?」

「そういう名の存在であるか、という問いなら、是だ」

「生きている‥‥?なぜ?」

「生きていると言えるのか?私はすでに屍と同義だ。遥か昔から‥‥いや正しくは、この世界に〝現れ出た〟時から」

 はっとネブラの眸が緋に輝く。だがアケロンは苦笑を上せて、否定に首を振った。

「‥‥生憎だが客人、私は、私が記した『女神』の元から遣わされたのでも、生まれたのでもない。その事はコンボイもよく知っている」

 私は‥‥と付け足してから、アケロンは喋りすぎて消耗した意識が明確になるのを何秒も待って、告げた。

「‥‥トランスフォーマーでも、他のどんな生命体でもない‥‥ただの、魂なのだよ」

「魂、だと?」

「そう怪訝そうな顔をしてくれるな。私が警鐘を鳴らさんが為にあの書を記した経緯を語るには、私自身が何者なのかを、知ってもらわねば始まらぬのだ‥‥」

 アケロンは唇の端だけを窪ませて力無く笑うと、

「すべてを明らかにすることが、あの書の内容を曲解してしまった者達への、せめてもの贖罪になろう」

 言って、言葉に間違いがあった時は修正してくれとコンボイに言い置き、細い糸をなぞるような慎重さで、アケロンは静かに語り出した。

 おそらくはコンボイすら確とは知らない、セイバートロン星がまだ、その名すら定かでなかった彼方の話を。

 

 

 最初に有ったのは、澱みだ。

 アケロンはただ本能的に、その黒々とした澱(おり)の中に全てを賭けて追い続けてきた『奴』が混じり込んでいる事に気付いた。

 どれほどの時間、どれだけの次元‥‥記憶に留めることすら困難になるほどの悠久を超えたか。何度も追い詰めながら結局は取り逃がし続けて、こんな見知らぬ最果ての次元でようやく手の届く距離に辿り着いた。

 アケロンは奇跡に感謝し、思い出そうとしても劣化しきって像を結ぶこともない、霞んだ記憶の向こうにある己の国や家族を想った。

 意識が霧中に沈むようになってから、随分と刻が経った。おかげで、今では『奴』を抹殺しなければならないという使命のみが衝動を司る意志であり、誰から何の為にこの命令を受けたのかも忘れてしまった。

 だが、構わない。『奴』を跡形なく消し去ってしまえば、それで心は満たされる。やっと永い責務から解放されるのだ。

〈それにしても――〉

 この空間に凝る、澱みの禍々しさは何事だ。

 遥か頭上、遥か眼下に目を転じても、分厚い鋼鉄を継ぎ目なく組み上げた冷たい機械の天井と地表が見渡す限りを覆い尽くし、緩く弧を描きながら焦点を結んでいる。

 ここは一体、長大な鉄の箱の中か。それとも金属が構成する星の内部でもあるのか。

 アケロンは、自身が抜け出てきた〝孔〟を顧みた。

 ぼんやりと淡く、一見すると灯火のような紅い光を放って、中空の一部に押し広げられた丸い裂け目。『奴』の航跡を追って出るために、向こう側から強制的に固定した孔はまだ原形を留めているが、同じ空間のあちこちでは今しも新しい裂け目が無数に生まれ、 何ものともつかない忌まわしい邪気が――そのほとんどは形も持たない姿のままで――溢れ出し、互いを吸収し合いながら別の物へ変異しようともがいている。いずれはあれすら、『奴』が溶け込んだ深い澱と同化するに違いない。

〈何もかも、無秩序に過ぎる〉

 孔は邪気を吐き終えると、爛れ切った傷口のように崩れ去っていく。その傍らに次の傷が開き、再び異界に通じる孔から元の世界に存在を許されなくなった禍が逃げ込んでくる。この閉鎖空間は邪気の墓場でもなければ、牢獄でもない。むしろ再生を得るまで一時、身を休められる隠れ家のようなものなのか。

 無秩序と言う名の、世界。だがアケロンが怖れるのは、この世界を支配する別の秩序があることだった。

〈〝異界(シード)〟の孔をこれだけ維持する力‥‥どこから来るものなのだ?〉

 アケロンの知る限り、異界との孔道が現れる確率は常人が思うほど稀ではない。だが全く異質の孔が同一の空間に保たれる事は、ほとんどない。干渉しあって消失するか、次元同士が捩じれて繋がることで変異するか、ともかくここまで整然と現存するのは自然には有り得ないことだ。間違いなく作意が――それも悪辣な意思を持った者の力が働いている。

 『奴』もその力に魅かれたのか?

 ギリ、と魂を締め上げる痛みに、アケロンは不吉な予兆を感じた。

〈――今のうちだ!次の器に転移されれば、『奴』を倒す機はまた無くなるッ〉

 一つの集合体に成るだけで手一杯の邪気の中でなら、『奴』だけを確実に仕留める自信がある。このまま他の邪気を残すのは無用な災いの種を蒔くのと変わらないが、『奴』がこの次元に再起する事でもたらされるだろう数々の厄災や戦火に比べれば、遥かにましだと思われた。

〈先決なのは、『奴』を復活させないことだッ〉

 意を決すると、アケロンは一所に黒々と蟠った邪念の澱みに向かって飛翔した。

 突き進む先はもう、闇というより〝虚無〟だった。何の形質もなく、質量すらない。 後から後から融合してくる邪気によって際限なく膨張し、凝り固まり始めているが悪気の原子は研磨されて、唯一の意思を持とうとする。その最深部に『奴』は鎮座していた。

 待っているのだ、とアケロンには解かった。

 格下の低俗な邪気が互いを食い荒らして肥大化し切るのを、じっと待っているのだ。 己の復活に足りるエネルギーが満ちるまで。

 不可視なものに成り下がっても『奴』の狡猾さは、やはり『奴』にしかないものだった。

 だが、終わらせる。

 アケロンは『奴』を真正面に捉えると、全霊を一点に込めた。

 一撃。たった、一撃でいい。

〈―――‥‥?〉

 苦痛はなかった。音も立てずに足元へ散っていくものの煌めきが、奇妙に眩しかった。

 これは、何だ?

 どうして、私には形がない?

 手は。足は。胴は。

 私の顔は‥‥どこだ?

〈わ、た、し、は、〉

 『奴』を打ち倒すための、肉体が無い。

 ニタリ、と邪気が嗤った。ここまでの苦難がすべて無駄だったな、と。

〈――ッ!!〉

 アケロンは吠えた。吠え続けるしか術がなかった。

 もはや生命と呼べるものの咆哮でないそれは、空漠とした悲壮感を内包してはいても、身を引き裂かれるほどの痛みも憎しみも響かせることはない。誰に届くことも叶わない、魂の悲鳴。

 魂?嘘だ。嘘に決まっている。どこからが?すべてがか?それは私が私という存在ですらなかったということか?愛するものもあった。憎悪もあった。私の肉体が消え去ってもこびり付いて離れないこの感情は、嘘のはずがない。

 長い咆哮が細く途切れると、アケロンはやはり『奴』の前に居た。『奴』がそうであるように自らも元の身体を失い、一つの「念」の塊と化した姿ではあったが。

〈私は――ここで貴様を見続けよう〉

 凝り固まるなら、それもいい。

 討ち果たせないまでも、アケロンという反目の『気』が混じり込んだ空間の中では、『奴』が有り余る邪気を吸収して次元に適う器を手に入れるまで多くの時間を必要とするだろう。何千、何万‥‥刻の永さなど、肉体の枷から解き放たれた者には無意味でしかない。

 待つのだ。『奴』を滅ぼすに足る者が現れるまで。その力と出逢うまで。

 アケロンはそれからの茫漠とした時間を、絶えず吐き出される邪念の渦中にひっそりと身を沈めて過ごした。闇があり、明滅する異界の裂け目があり、嵐のように空間を行き交う邪気があり、その中で次第に『奴』が膨張していく様は、むしろ緩慢な変化と呼ぶよりも進化に近いように思われた。

 確かに、『奴』の再生は進化だった。

 アケロンにじっと見つめられながら、『奴』はかつての姿とは似ても似つかない、金属で構成された極微細ナノマシンの集合体になりつつあったのだ。

 これは、この空間の〝向こう〟に生まれつつある生命体の姿なのか?なんと特異で、異質な生命だろうか。これも『奴』を引き寄せた強大な何者かの作意なのだとしたら、どんな世界を創るつもりなのだろう。その中に果たして、『奴』に拮抗しうる者がいるだろうか。

 それから何万年が過ぎたろう。徐々に生命体らしき形に育ち始めた『奴』の前に、外側の空間から一人の男が現れた。

 肉体の原子すべてが金属で構成された、自我のある機械生命体。輝くばかりに強靭な魂を持った隻腕の剣士。

 アケロンは再びの奇跡に歓喜した。

 まだ胎生から脱していない『奴』なら、剣士の力量で充分に滅ぼせる。世に悪災を解放することもない。多くの生命体が救われるのだ。

 だが、剣士はアケロンの願いを拒絶した。

――俺がこの星に帰ったの俺の女を取り戻すためで、未来の災いを取り除くためじゃない――

 『奴』の胎生が垂れ流す禍々しい気が、いずれ来る戦禍の根源になることを理解しながらも、剣士は結局『奴』に一筋の傷も負わせることなくアケロンの元を去って行った。

 待ち続けて得た光明に背を向けられたアケロンの絶望は、想像を絶した。

〈『奴』はもうじき生まれてしまう!この世界に、〝宇宙〟という空間に放たれてしまうのだぞ!〉

 『奴』の胎動は日増しに大きく力強くアケロンの魂を揺さぶり、その時が近付いていることを誇示していた。残された希望は、器を得て能力を倍加させるだろう『奴』の邪念に対抗できる、高い叡智を秘めた者を探し出すことだけだった。

 その為には、長い間『奴』と共に居たこの閉鎖空間を捨て、外界に踏み出さねばならない。ここへ唯一訪れた隻腕の剣士と同じ、機械の肉体に魂を宿した生命体が闊歩する外側‥‥機械惑星の地表へ。

 そして人々に伝えよう。『奴』がかつてもたらした戦禍によって、どれほどの民が散っていったか。『奴』の撒き散らす悪意を遠ざける高潔な意志が、これから否応なく要求される現実を。 救いに役立つ道標を。

 アケロンは闇の奥で微かな鼓動を発している、かつては『奴』そのものであり、今は『奴』が溶けた邪念によって醜悪な自我を目覚めさせつつある胎生を睨め付けた。おそらく次に出会う時、互いの姿は見知らぬものに変わっているだろう。しかし久遠に感じ続けた魂の本質で、アケロンは『奴』を見分ける自信があった。

〈貴様を滅ぼせる者は、きっといる〉

 それまで、しばしの別れだ。

 最後にもう一度、意識の奥底へ刻み込むように胎生を凝視すると、次の瞬間、形のないアケロンの魂は澱んだ闇を突き抜けて、まだ見ぬ地上めがけ飛び出していった。

 トランスフォーマーと呼ばれるようになったばかりの機械生命体が暮らす、地上へ。

 

 

 アケロンの荒い呼吸だけが、湿った岩壁に反響していた。話が終わってから相当の時間、マイスターは息を呑んだままでいたように思う。ネブラもただ呆然と、腑抜けたように汚れた床へ座り込んで、長いこと無言だった。

 問い返そうにも多すぎる疑問で、何を口にしても中途半端になってしまう気がするのはネブラも同じなのだろう。ただコンボイだけが涼しい顔で、アケロンの呼吸が落ち着くのを眺めていた。

 横たわった少年の顔を歪めて、アケロンは言った。

「‥‥私は地上でいくつもの肉体に憑依し、生き続けた。ああ、もちろん死体ばかりだったがね‥‥苦しい生だったよ」

 それはそうだろう。マイスターは出かかる言葉を飲み込む。

 生まれついてのトランスフォーマーがカーゴに意識を移すだけでも、かなりの苦痛を伴うのだ。まして「魂」でしかない存在がトランスフォーマーの身体を、それも骸になっているものに入り込んで動かすとなれば、想像を絶する感覚に襲われるに違いない。それこそ生気を削り落とされるほどに。

 アケロンが衰弱しているのは、その無謀な憑依が原因なのではないか。ただでさえ、肉体の置換は何度も耐えられる処置ではないのだ。

 コンボイが言葉を継いで、説明を付け足す。

「初めて出会った時、彼は老人の姿で、私が働いていた管理庫の近くに住んでいた。私がコンボイに転生した後、焼け出されて弱っていた彼を見つけてアルファートリンの所へ運び込んだんだ」

 そこでアルファートリンに正体を見抜かれたのだと、アケロンは苦笑してみせた。

 アルファートリンは、アケロンが死者の肉体に乗り移りながら旧敵を倒す能力を秘めた戦士を探していることを知ると、新しいカーゴを造り与え、進んで匿ってくれたのだと言う。ネブラ達が予言書として奉じる書物は、そうして匿われて過ごした期間に『奴』の脅威と戦禍への防備を書き連ねた、トランスフォーマー全体への警告書なのだった。

「では、貴方が言われる女神というのは‥‥」

 マイスターの問いに、アケロンは笑顔を向けた。

「君は、それを何だと思う?」

 逆に問われてマイスターは口ごもる。元々が抽象的なものに答えなどあるのだろうかと思考を巡らせるうち、想像はマイスターの奥に巣食った果てしない困惑や懊悩まで呑み込み、別の想いへと膨らんでいく。

 アケロンはその真剣な顔を見返して、何故か満足そうに呼気を吐いた。

「幸いなる騎士殿、それこそが真理だ」

 と、静かに流した目の先にネブラの老いさらばえた短躯を写し取り、アケロンは相容れない感情を否定する時のように、そっと首を振った。

「客人、君は諦めるのが賢明だ。その身の内には、私が記した真理など‥‥見当たらない」

「な、んと?」

 性急に踏み出した拍子、ネブラの古い関節が、耳障りな音で軋んだ。まるで全身が、一瞬で錆び付いてしまったような悲鳴。

 マイスターは自分が詰め寄られたような錯覚に眩暈を覚えたが、ネブラの奇妙にねじくれた声音は立て続け、冷えた壁に跳ねてアケロンへ飛んだ。

「わしはッ、誰よりも貴方を理解してきた!こんな若造が、あの書の言葉の何を理解できていると言うッ?!わしは繰り返し、繰り返し貴方の言葉を――」

「言葉は、真理など生み出さない。文字を追う事に幸いや救いがあると思う者は、盲目的な己に酔っているだけだ。すべてを閉じてしまえば闇も、」

 ふつりと、アケロンの声が前触れなく途切れた。

 滴り落ちた点が波紋を広げるように双眼が恐怖に見開かれ、その眼窩はネブラの姿を素通りして壁を凝視し、更に外側まで見透かそうとするように、残った光を凝縮していく。

「アケロンッ?!」

 コンボイが跳ね立って寝台へ駆け寄ると、飛び起きたアケロンの華奢な上体が差し伸ばした腕に取り縋った。

「――‥‥だ‥‥!」

「何だって?」

「‥‥『()』だ!『奴』が近くにいるッ――コンボイッ」

 力強く一つ頷き、コンボイは不意に己の使命を見出しでもしたようなしなやかさで踵を返した。

「マイスター、彼を頼むッ。ネブラ、一緒に来てもらうぞ!」

 命じるより早く老人の腕を引っ掴むと、コンボイの姿はもう、戸口から暗い通路へ掻き消えている。

 マイスターが、コンボイとネブラ結び付けて離さない起爆装置(ウロボロス)のことに思い至ったのは、残されたアケロンの脆い身体を慎重に支えた後だった。

 コンボイがネブラを連れて出たのは、不用意に離れてネブラを自爆させてしまう危険も然る事ながら、アケロンからあの狂信者を遠ざける目的だったのかもしれない。

 ネブラにとってアケロンはもはや、彼等が信じるところの予言者ではなくなってしまった。これまでの崇拝が意味をなさない妄信だと気付いた人間の狂気は、マトリクスという形ある偶像を身に秘めたコンボイが何より知っている。そして、偶像から目を背けた先に現実がある事を示すために、コンボイは言葉を尽くす。アケロンと同じように、誰の耳にも届かない暗闇の中でも。

 まるで、漆黒の夜に光を投げる灯台守のように。

騎士殿(サー・ナイト)、私を‥‥」

 紡いだ声の弱弱しさを振り払うように、アケロンはマイスターの腕にきつく指を立てて語気を強めた。

「私を、コンボイの所へ‥‥『奴』の前へ」

「無茶です、アケロン殿!お身体が、」

「構わぬよ。私にも『奴』の足止めくらいは出来る」

「それは戦士の役目ですッ」

「‥‥私も、戦士であった」

 マイスターは、引き留めようとする腕を押し退けて寝台から這い出したアケロンの背を、無言で見つめるしかなかった。

 

 

《続く》



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時世#6

第6回です。
核心に近づく『奴』が登場します。


 

 7

 

 大気を刺し貫いて降り注ぐ強烈な日差しが、地表を覆う青白い粒子を焼いて、刹那、コンボイの視覚を眩ませた。光度の調節はコンマ数秒で終わったが、それでも頭蓋には尖痛が走り、厄介なしこりを残す。

 全速力で駆け通したせいか、砂をかぶるのも構わず這いつくばって、息継ぎとも喘ぎともつかない呼気をヒューヒュー吐き出しているネブラの手を、コンボイはようやく解放した。だがネブラは立ち上がる気力も見せない。ただ恨めしげに、風が洗う人影もない砂漠を睨め付けて、短い悪態を吐いた。

「どこに‥‥敵がいる、だ‥‥?」

 地平の果てで陽炎が揺らめき立ち、彼方の像を奇妙に歪める。コンボイはすっくと立ち尽くしたまま、ネブラの問いを無視した。

「馬鹿馬鹿しい‥‥異界(シード)だ?戦禍だ?隻腕の剣士だと?‥‥どれもこれも、狂人の妄言だ。あんな屍が、アケロン様ご自身であるはずがない‥‥!」

 震えながら拳を作ると、砂目に引き摺ったような十指の跡が残る。ネブラはそれを滅茶苦茶に掻き消した。

「そうだとも、あんな男が‥‥わしらのアケロン様ではならんのだ‥‥ッ」

「だが、少なくとも」

「?」

「彼が『奴』の気配を誰よりも強く感じる能力を有しているのは、本当だ。おかげで、かつて私は幾度も『奴』に先んじて、戦闘地域を特定することが出来た」

「かつて‥‥?」

「だから疑い様はない。彼がいると言うなら『奴』は現れる。―――ここへ!」

 砂が、爆音と共に天高く突き上がった。

 天空に薄く広がる雲を真一条に突き抜けて地上を襲った紅いレーザーの弾道は、 わざとコンボイの真横に逸れて地面を深々と抉り取ると、巻き上げた砂をその上へ叩き付けて激しい音を立てさせた。

「‥‥質の悪い趣向だ」

 煙る視界の一点に、白銀が閃く。

 すう、と風が抜けるように音もなく、冷笑混じりの低い声音と共に飛来した巨体が、コンボイの頭上近くにその身を留めてこちらを見下ろした。

 前線にある姿を見止めただけで、誰もが体内に冷たいものを流し込まれたような得体の知れない恐怖を覚える、銀の肢体。焔を溶かした双眸。右腕に黒々と掲げた砲身。

「サイバトロンのボロ船が不時着したと言うから来て見れば‥‥思わぬ拾い物だな。なあ?コンボイ」

「つくづく縁がある――メガトロン」

 にやりとメガトロンは満足そうに口端を吊り上げる。コンボイの皮肉がさも嬉しいようなその笑みに、だがネブラは戦慄した。

「『奴』‥‥メガトロン‥‥?!」

 アケロンは、何を語っていた?

 かつて誰も知り得なかった、重大な秘密を語っていたのではないか?あの男の――破壊大帝と呼ばれるに至った男の、隠された真実を。

「‥‥目障りな雑魚を一匹、つれておるな」

 メガトロンの瞳が射抜くようにネブラを睨めた。

 その視線が意図的な殺意に満ちたものでないと分かっていても、全身から常に揺らぎ立つ威圧感だけでほとんどの人間は凍り付く。かつて戦場で一度、遥か遠くに銀の肢体を見晴るかした時ですら、ネブラはその威容に打ちのめされたものだ。数万、数億とすら言われるデストロン兵の総てを治める男は、血に塗れて戦場を這いずる一兵卒にとって、 敵軍と同じ恐怖の対象にしかなり得なかった。

 だからこそ捨てたデストロンの主が、自分を見ている。コンボイの傍に『居る』というだけの理由で。

 ただそれだけで。

「たまには、観客を置いてみるのも悪くないだろう?」

 ネブラの内に突勃然と湧き上がりかけた生暖かい感情は、コンボイの皮肉に近い返答によって寸断された。

 はっとして、ネブラは己の置かれた状況が最悪よりも酷いものであることを改めて悟らされる。思わず砂をにじると、メガトロンはまったく本心から、下らないものを見たと言うようにネブラから視線をずらした。ただし、口元に滲んだ笑みはコンボイの言葉を肯定した。

「言うものだ。釘を刺しておけば、わしがその雑魚に手を出さんと思う訳か、コンボイ?」

「お前はそこまで紳士的ではなかったかな」

「紳士?!なるほど、では特別に観覧を許可しよう。いやいや、誤解のないように言っておくが、わしは元々興味はないぞ。デストロンの紋章すら捨てて逃げ出す腰抜けなどな」

 背後で老人の呼吸が乱雑に弾むの、コンボイは口中だけの苦笑に紛らせて、メガトロンの泰然とした高みからの嘲笑を見つめた。

 さすが、メガトロンの眼力にはいつも舌を巻く。

 ネブラから両軍どちらの認証シグナルも発せられていない事実を確認しただけで、デストロンの元兵士だと推測してしまった。おそらくは二度、目をやる間に、指や脚に残る表皮の腐食度から戦場経験やその従事期間を判別したに違いない。確かにネブラと同年配のサイバトロン兵なら、手厚い福利厚生制度によって傷や腐食とは無縁の身体をしているから、勘が良ければ解答を導くのは簡単だ。

 もっとも、それをほんの数分でしてのける人間はそういない。

 コンボイが真に恐ろしいと感じるのは、メガトロンのこの智謀を突き付けられた時だった。知ればメガトロンは至上の喜びを味わうだろうが。

 メガトロンは彼の専売特許とでも言うべき冷徹な笑みを僅かばかり掃くと、す、と左手をこめかみの辺りへ引き上げた。 それが通信に及ぶ動作だとコンボイが気付く前に、メガトロンは顔色一つ変えるでもなく決然と告げた。

「サウンドウェーブ! 艦を攻撃しろ!!」

「――メガトロンッ!!」

 砂塵が微かに煙った刹那、ネブラはコンボイの姿を見失った。

(何だ?!)

 咄嗟に判断が追いつかない。

 大気を引き裂く融合カノン砲の轟きに目を上げて、そこに黒光りする電磁ライフルを構えながら砲火の正面へ飛び込むコンボイの背を認めるまで、ネブラは戦闘の口火が切られたことにすら思い至らなかった。

「観客を認める代償だ!」

 立て続け、メガトロンが目測も取らずにカノン砲を連射する。当てる気も無いような幾筋もの弾道が閃光を放って地平へ消え、爆音が聴覚を劈いて、ネブラは脳髄を掻き回されるような感覚に蹲る。

 これが戦いか?!まるで‥‥

(狂騒だッ)

 カーニバルの中心で吹き上がる焔に、身を任せて踊るだけ。自らの焔に、そして巨大な流れに世界を引き摺り込むだけ。本能でメガトロンはその役割を知っている。

 否応なく頭上を飛び交う弾道の応酬に、頭を抱え込んで耐えながら、ネブラは体内を食い破り出そうになる悲鳴を噛み殺した。

 ()()だ。背を向けて逃げ出したのは、()()()()()

 見開いた視界一杯に、自分の影に落ち込んだ青白い砂礫の、微細な粒が身を寄せ合う虫の群れのように大きく映り、ネブラは呼吸を止める。

 コンボイの怒号。メガトロンの嘲笑。砲口から解き放たれるレーザーの、焦げた匂い。絶え間なく往来する閃光。

 どれもこれもがネブラを不快に貶めた。

(わしが欲するものを‥‥持った奴らが‥‥!)

 真理に近付こうと足掻く自分よりも、こんな戦いに日々を費やして生きる者達の方が報われている。 そんなに馬鹿げた事があるか?自分は老いていくだけなのに‥‥朽ち果てていくだけなのに。

 あの、カーゴに宿る亡霊のように。

「――見るがいい、コンボイッ」

 砲身を盾に、殴りかかってくるコンボイの拳を右に弾き返しながら、メガトロンは楽しげに声を上げる。

「折角の観客が退屈しておるわ!わしと貴様が楽しむだけではな!」

 言い様、左手に具現化したライフルの銃星が、蹲るネブラの正面に振り向く。撃つことに躊躇いなど微塵も無い横顔に、コンボイは地を蹴って飛びかかり、放たれた銃弾は寸でに狂ってネブラの膝先に突き刺さる。砂が派手に舞った。

「相手は私だッ」

 振るったコンボイの拳が、メガトロンの顔面を抉る。メガトロンは数メートルも吹っ飛び、背中から砂塵に倒れ込んだが、すぐさま跳ね起きて融合カノン砲を撃ち放った。一発は横に逸れ、続けて放った一発がコンボイの脇腹を掠め飛ぶ。

 コンボイが呻いて腹を押さえる隙、メガトロンの身は瞬く間、射程距離まで駆け戻る。咄嗟にコンボイが左へ身を捻ると、それまで体のあった場所を光線が射抜いた。

「良い反応だッ、褒めてやる!」

「遠慮するッ」

 きつい切り返しで、コンボイはメガトロンの目を引き付けたままネブラから離れるように弧を描いて駆けた。メガトロンは、石のように動かない老体にはもう目もくれず、興に乗って標的 へ連射を浴びせる。砂塵が巨大なパイプオルガンの形に突き上がり、奇妙な風の音を撒き散らした。

 と思う間に、メガトロンの肢体は砂を振り切って宙を飛ぶ。並みの戦闘能力では維持できない不自然な体勢に全身を捻って、砲口から紅い閃光が牙を剥いた。着弾と同時、コンボイが前のめりに吹き飛ばされる。だが被弾してはいない。

 メガトロンの鋭い舌打ちがコンボイの頭上に覆い被さり、跳ね上げようとした上体にゴツリ、と融合カノン砲の口が擦れた。まだ熱を帯びた砲口を背中に押し当てられると、痛みに似た痺れが中心を襲い、コンボイは呼吸を半拍飲み込む。

「‥‥だから、貴様は愚かなのだ、コンボイ。戦いの場で己の命以外が守れると思っている。そのくだらん理想に振り回されなければ何度わしを殺す機会があったか、数えてみた事はあるか?」

「理想ではない、信念だ」

「その信念のために、貴様はどれだけ部下を犠牲にした?達し得ない信念を理想と言うのだ」

 それとも、と続けた声に苛立ちが混ざった。

「一人救うのに千人の命が必要か?そうだと言ってみろッ、総司令官閣下」

 頑なに上げられたコンボイの頭が、否定の意味で強く横に振られた。

「‥‥お前は、誰一人救わない。千人の命で一億の命を相殺させる事が、私の信念に勝るのか?」

「現実を見ろ、コンボイ。貴様が守ろうとする中で、その価値に見合うものなど片手で足りる。それ以外は、たった今消滅しても憐憫さえ催さぬ、クズだ」

「その価値を決めるのも、私だッ」

「いいや、時代だ!!」

 振り上げられた砲身がコンボイの側頭部を強かに殴り付け、 表層の窪む鈍い音が響く。倒れ込んでもおかしくない衝撃を、コンボイは昂然と耐えた。

 再び、捩じ込むような鋭さで砲口が首筋に押し当てられる。 ざり、とメガトロンの爪先が砂を掻き、砂煙が視界を塞いだ。

「これが、現実だッ」

 エネルギー放射の熱が急速に背後で高まり出す。

 瞬間、コンボイはひと掴みの砂をメガトロンめがけて叩き付けた。思わぬ無様な反撃にメガトロンの思考が逸れた刹那、一条の光弾が砂埃を突き抜けて白銀の肢体を掠め飛び、メガトロンは咄嗟に後背へしさった。

「――コンボイ司令!」

 砂塵が千切れ、体勢を直したコンボイを庇うように浮かび上がった影は、光子ライフルを右手一本に構えたマイスターの姿をメガトロンの眼前に曝け出した。そして、左手を支えに肩へ乗せた、幼い少年の姿をも。

「マイスター、何故――?」

「お叱りは如何様にも。ですが、」

 言葉を切り、マイスターは己の首筋に取り縋るアケロンの、毅然と破壊大帝を凝視する横顔に目をやって答えた。

 アケロンは弱り切った小さな体をマイスターに預けたまま、メガトロンの忌まわしい紅色の双眸から視線を外そうとはしない。コンボイは今にもメガトロンの融合カノン砲がせり上がり、邪魔な虫を追い払うほどの気安さでアケロンを撃ち抜くのではないかと恐れたが、数秒、数十秒が経過しても、メガトロンはアケロンと目を合わせたまま動こうとしない。

 やがて静かに、およそ感情とは無縁のメガトロンの瞳が、不可思議なものを見つけた時の子供のそれのように見開かれていた。

「‥‥‥‥は‥‥‥‥はははッ!」

 唐突に、メガトロンの喉を笑声が突いた。

 メガトロンはおどけた仕草で両手を広げて見せると、コンボイの訝しげな顔に一瞥をくれて、アケロンに視線を引き戻す。

「‥‥これが、笑わずにいられるか?」

 さっと掃いた高揚の色が、メガトロンの冷厳な眸の奥で燐火に揺らいだ。

()()()()()()()()()()()()()?」

 マイスターは不意に、首に回されたアケロンの細い腕が緊張に強張るのを感じて、ライフルを握る五指に力を込めた。アケロンは平静さを従わせるまで三拍待って、

「――破壊大帝、」

 よく通る、子供特有の凛とした声音を発した。

「それは、私がお前の本質と等価なものであるからだ」

「等価‥‥だと?」

「その一部だとて、魂に刻まれた適手の波長は消えぬ。私がそうであるように」

「貴様――どこで逢った?」

「悠久の彼方で」

「そうか。だが生憎、敵手には事足りておる」

 皮肉に、アケロンの口元が綻ぶ。愛らしいその笑顔が呆れなのか怒りなのか、マイスターが読み取ろうとする間に、アケロンがするりと肩から砂地に飛び降りると左手を真横に差し伸ばした。と、掌に眩い光芒が走り、一振りの剣となって像を結ぶ。それは一陣の風のごとく滑らかに、アケロンの華奢な五指を主に選んだ。

 ほう‥‥と、メガトロンがわざとらしい感嘆の声を上げる。だが、清寂は一瞬だった。

「亡霊に用はないッ!」

「ッ!!」

 メガトロンが地を蹴る。マイスターが視認したのは、ほとんど同時に砂塵を残して飛び出したアケロンの、常軌を逸した速度で駆け去る背中だけだった。

 

 

 8

 

 閃光。衝撃音。

 吹き飛ばされた身体を何度砂地に埋めても、アケロンが攻撃の手を緩める気配はない。それはあまりに一方的な――メガトロンの暴虐だった。

 元から、手加減などという言葉を知る男ではない。メガトロンが戦いに挑む姿勢は、その相手がコンボイであれ一兵卒であれ常に全力に等しい。手加減、と映る事があるとするなら、それは簡単に狩れる獲物だと見切りをつけて悪趣味に弄んでいる時で、その点から判断すれば最大の応酬を受けているアケロンは、〝狩り甲斐〟のある戦士と判断されたと言えよう。

 だが、無茶苦茶だ。

(カーゴで、あれだけの能力を維持するなんて!)

 コンボイが飛び出し、アケロンが薙ぎ払われると同時に反撃に出る。交互に繰り出される攻撃にさしものメガトロンも忌々しげに呼吸を荒げて、しかし超人的な戦闘センスで縦横無尽にアケロンの剣先とコンボイの拳をいなしながら一陣の突風のように身を翻す

 マイスターは一歩も動くことができないでいる己を疑った。

 確実な答えは、自分があの流れに加わっても足手まといにしかならないだろうという事。どんなに激しい流れでも、堰き止めてしまえば双方が崩壊する。それだけは避けなければならない。

 だが、限界値を超えた動作を強いられているアケロンの肉体は、いつ内部崩壊してもおかしくない状況だった。ただでさえ必要量以上のエネルギー消費を抑えたカーゴは戦闘力など無く、アケロンがこうしてメガトロンの反撃に反応していられるのは、強制的にリミッターを解除しているからに他ならない。

 つまり、死を顧みず。

(何て人だ‥‥ッ)

 〝死〟のために戦う。

 不毛で、それ以上に恐ろしく純粋な目的。

 アケロンにとっては、メガトロンの奥底に『奴』の一部がある現実こそが打ち砕くべき災禍なのか。いま再び、あのカーゴに宿った〝魂〟は与えられて果たせなかった使命に目覚め、それを為しえようとしている。

 己の‥‥かつての形を確かめるように。

「マイスター!」

 隙を突き、メガトロンの鳩尾を蹴り飛ばしたコンボイの声が、砂煙の間に響いた。

「ネブラを連れて離れろッ」

「しかし‥‥ッ」

 立ち上がるメガトロンに向かい、アケロンと共に駆け出しざま大きく振られたコンボイの右手首が鈍い反射光を引き摺り、マイスターの決断は掻き乱された。

 コンボイとネブラをつなぐ厄介な遠隔装置がある以上、二人を闇雲に引き離せば、この戦闘の中で安全な距離を保てるかどうかも怪しい。いや、信頼が大きいからこそマイスターにその役割を与えたのだろうが、マイスター自身にその自信がなかった。

 引き離して、危険に晒されるのはネブラなのだ。仮に不幸な手違いでネブラが爆死しようと、 コンボイは傷付かない。何一つ、サイバトロン総司令官としての名誉も。

(――何を考えている?!)

 マイスターは突然、頭蓋を叩き割られるような衝動に身震いして、己の胸を掻き毟る。

(そんな真似を、司令が許すものかッ)

 一瞬でも、無力で愚かな老人の存在を疎ましく感じた自分を責め立てると、コンボイに応えるべき本来の使命感がマイスターを突き動かした。硬直していた脚が砂を踏み締め、砲火の交わりに踵を返す。

「ネブラ!」

 着弾によって抉られた無数の穴の先に、震えながら身を丸めて災いに備えた老人の姿は容易に見つかった。その姿にデストロンの兵士だったという過去の面影は微塵もない。老いた肉体を頑なに押し包んでいるのは。一刻も早く頭上の災禍が過ぎ去れと願うだけの浅ましい感情でしかなかった。

 マイスターは左手に光子ライフルを引き出して構え、大股に老躯へ近付くと肩に手を掛けた。

「ネブラ、安全圏まで退避する。立てるか?」

 途端、拒絶を表すように全身が小刻みに震え出す。

「‥‥‥‥だと‥‥?」

「何?」

 身体の震えが急速に上下し、マイスターは驚いて、乗せた手を咄嗟に引き剥がした。

「今―――笑‥‥」

 恐怖、ではない。笑っているのだ。

 低く、這うよりも低く滲み広がるような掠れた笑声が枯れた喉から絞り出される度、こんもりと丸まったネブラの老躯が不規則に上下動し、それは見知らぬ獣の拍動思わせてマイスターの嫌悪感を煽った。

 むくり、と老人が、突っ伏していた顔を億劫そうに持ち上げる。青白く砂に染まった頬が痙攣を起こし、口元が奇妙に歪んで泣いているようにすら見える顔が、軋みながらマイスターに向けられた。

 焦点も合わない双眼で、ネブラは驕慢に笑った。

「あんな奴等が、選ばれた人間だと?」

「なん‥‥だって?」

「笑わせるな。あんな馬鹿共がどうして真理など知るものか‥‥わしだ、相応しいのはわしのはずだ」

「ネブラ!!」

 力任せにネブラの腕を鷲掴んで、マイスターはうわ言を繰り返す老人の目を無理矢理に自分へ向かわせると、怒鳴りつけるように告げた。

「しっかりするんだ!アケロン殿が、コンボイ司令がなぜメガトロンの気を引き付けていると思っている?!貴方の為だぞ!」

「ふざけるなッ!!」

 迸った恫喝に、激しく叩き落された手の痛みが覆い被さり、マイスターは言葉を失う。キッと睨め上げる老人の眸に燃えた憎悪と嫌悪の色は、反論を聞き入れる余地の無い独善者のそれだった。

()()()()()に救われてたまるかッ。わしは本物の幸いの傍へ行く人間だぞ。こんな場所で生きるの死ぬのと下らん諍いに命を懸ける愚か者など、共に滅びてしまうがいいのだ!そうとも、あやつ等の手は、」

 螺子の外れた楽器のようにけたたましい笑声を一頻り放って、ネブラはマイスターの肩越しに、光弾の只中を行き交うコンボイ達の背を汚らわしいもののように順繰りに指し示して吐き捨てた。

「あの手は俗界を這いつくばって生きるしか能が無い、血塗れの武器だ。殺し、奪い、傷付けることしか出来ない獣だッ」

 カッとこめかみに熱塊が膨らむのを感じた瞬間、マイスターは一度振り払われた手を再びネブラの肩にきつく食い込ませていた。トランスフォーマーの硬い表皮が圧力に屈し、鈍い音を立ててへこむ。だが熱っぽく彼方を見やるネブラの顔は苦痛に歪むこともない。

 マイスターは手荒く老体を引き寄せて、反駁した。

「愚か者など、ここにはいないッ。少なくとも私の目の中には!戦士の手は愚かだから血に塗れているのではないし、傷付けた数だけ守り通しているものがあるッ。誰にも、それを愚かだと言う権利なんか無いはずだ!貴方は、」

 激昂に突き動かされるまま吐き出しかけて、マイスターの理性が最後の一言を胸に縛り付ける。竦むように黙ったその顔に、ネブラは口汚く舌打ちした。

「愚か者は、何を吠えても愚かなことに変わりない」

「貴方は‥‥目を背けているだけだ」

 己の死から。強大すぎる存在から。トランスフォーマーの宿命から。

 逃げる行為を正当化する為にすべて否定して、都合よく構築した居心地の良い幻想の世界に転がり込んでいるだけなのだ。庇い合い寄り添って、形の無いものに縋っていればいいだけの群れに。

「アケロン殿は言った。貴方の中に真理はないと。それなのに、貴方はまだご自分が正しいと信じている。もういい加減、認めなさい。見下すことしか自分を守る術がない今の貴方に、掴み取れるものなんて何もないッ」

「では、答えてみせろ!貴様の〝真理〟とは何だ?!」

「私の――」

「アケロンは、貴様に真理を認めたではないか!貴様に、貴様の中に!

 あの時の、何を考えていたろう。

 マイスターは思い出そうとした。アケロンの言う『女神』の姿を想像しながら、自分が繰り返し思い描いたものの愛しさを。決して振り切ることのできない想いを。

 そうだ、あれは。

「――マイスターッ、避け‥‥!!」

 コンボイの叫びを知覚した刹那、唐突に視界が黒く染まって、マイスターは高く吹き飛ばされる独特の浮遊感の中に広がる、奇妙なほど安らかな眠りの腕へ落下していく自分自身を感じていた。

 

 

 いつも返ってくる答えは単純明快で、それ以上の意味でも、それ以下の皮肉でもない。こっちが驚くほど、タラリアは真っ直ぐな感情しか言葉にできない女性なのだ。

 だから、おそらくこれは純粋な本音なのだろうとマイスターは思った。

「分かり切っている事をぐだぐだ言ったって、あたし達は変わらないんだ。だから先に約束しておくよ。どっちが先に死んでも恨みっこなし。まあ多分、あたしが先になるだろうけど、真面目にあたし一人を想ったりしなくていいんだからね、マイスター」

「でもそれは‥‥わからないよ」

「言うと思った」

 タラリアは大仰に、まるで母親が子供を叱るのと同じ仕草で腰に手をやると、苦笑いを浮かべたマイスターの真正面まで三歩で歩み寄る。真下から見上げても、互いの顔の間に二メートル近い差があることを確認すると、タラリアは有無を言わせずマイスターの膝に手をかけ、軽々と肩までよじ登った。

 元々が、地球的感性に照らし合わせると官能的に過ぎる衣装のスリットから、堂々と片足を剥き出してバランスを取り、ぐるりとマイスターの首に両腕を回す。傍目には巨人と小人の不釣り合いなダンスだが、タラリアはこの不安定な位置に立ってマイスターの鼻先に顔を寄せることを好んだ。その度に、マイスターがどれだけの衝動を堪えているかも知らずに。

 絡んだ腕の温もりで次第に冷たさの緩み始めた身体に、マイスターはそっとタラリアを抱き寄せた。

「私にそれを望むなら、タラリア、君もそうしてくれ。私が君を残して逝ったら、別の誰かを愛してほしい。君を守れる人を」

「突然、どこからか現れればね」

 悪戯っぽく微笑んだのは、あまりにも運命的なマイスター自身との出会いを思い出したからだろう。マイスターも思わず笑んで、

「できたら、トランスフォーマーはやめてほしいが」

 冗談混じりに付け足した。もちろん、少しばかりの本気を込めて。

 タラリアは抱き竦めるようにマイスターの頬へ寄りかかると、うん、と言い聞かせるように呟いて言った。

「この先どうなるかなんて、まだ全然わからないけど、あたしが貴方に出会ったことだけは天に感謝してる。だって本当なら、出会うはずがない別世界で生きてたんだよ。それが今はこうして、抱き締めることが出来る。これって凄い事だ」

「タラリア‥‥」

「だから、大丈夫。この一秒ごとにちゃんと愛があるなら、先の悲しいことも何もかも、私は笑って蹴っ飛ばせる。それなら安心でしょう?」

「ああ。‥‥まったく、君には敵わない」

 おそらく、最初から敵うところなど無いのだが。

 不意に、抱き竦める細い腕から僅かな震えと、離すまいとする力強さとがマイスターの肌に伝え落ちた。

 タラリアは知っている。

 啓示の如くマイスターは、タラリアが問えずにいる茫漠とした不安の根に突き当たって、何の正しい言葉も選び取れずにいる己を恥じていた愚かさに打ちのめされた。

 何より、同じ星に生きてきた人々から祝福を得られない現実に怯え、憤っているのはタラリア自身のはずなのに、タラリアが諦めを口にすることは決してない。それは無言の、最も雄弁な誓い。そして願いだ。

 誰一人認める者がいなくても、互いが認め合えるのなら、それが真実なのだと。

(私は‥‥大馬鹿者だ)

 タラリアが欲しているのは言葉じゃない。ただ確かにあるとわかる、お互いの強い決意だけでいいのだ。二人で生きて行くと決めた、あの瞬間の想いで。

 言葉は、真理など生み出さない。

 あれは誰の言葉だったろう。今頃こんな簡単に答えへ辿り着くなんて、どうかしている。

 ああ、それを教えてくれたのは君だ、タラリア。

「――マイスター」

 頬を包んだ手へ唇を滑らせて、タラリアは押し止めるようにマイスターの口を塞ぐと、地球の空の鮮やかさを固めたようなアイグラスの端に口付けた。

 不意に突風が踝を洗い、どこからともなく湧き上がった艦船の駆動音が甲高く聴覚に割って入る。 遠くから、乗船を急かしてマイスターの名を呼ぶ下官の声が切れ切れに届いて、マイスターははっとした。

 この艦でアセニアに戻らないと、随行する予定になっているコンボイの外星系行旅の出発に間に合わない。

「呼ばれてる、ほら行かないと」

「タラリア、」

 止める間に、タラリアはひらりと肩から飛び降りて、ぐいとマイスターの腰辺りを押しやった。

「いつまで別れを惜しんでるんだって笑われたら、あたしの責任だからね。ほら、行った行った」

「いや、あと一つだけ」

「何?」

「ええと‥‥なん、だっけ?」

 呆れ顔で、マイスター、とタラリアは両肩を竦める。だが、苦笑には僅かばかりの愛しさが混ざって、マイスターを安心させた。

「大切なことなら次よ。だから気をつけて行ってらっしゃい。 怪我なんかしたら承知しないからね」

「大丈夫だよ、前線に行く訳じゃないんだから」

「安請け合いしちゃって。約束破ったら、こっちからぶん殴りに行くからね」

「それは嬉しいな。気合が入りそうだ」

 笑うと、タラリアは心外そうにマイスターを見上げて、ぶんと振り上げた片腕を豪快に回しながら、まるで嘘の無い純真な笑みを突き返した。

「気合どころか根性だって入るよ。あたしの拳は、

 

 

《続く》

 

 

 




今回、最後の文章が途切れているのは
作品上の演出になります。
(書き漏れではありませんのでご心配なく)

『時世』は次回で最終回です。
どうぞ最後までお付き合いくださいませ。


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時世#7

ここまでお付き合いいただき、
ありがとうございます。
『時世』は今回で最終回となります。
当方が考えるマイスター像、コンボイ像、
トランスフォーマーの世界感を
味わっていただけたのなら幸いです。


 

 9

 

 背中に走る鈍痛に覚醒を促されて、マイスターは淀んでいた視点を砂礫に覆われた地平線上に引き戻した。

 倒れた弾みに顔の半分が砂にめり込み、視界の一方を完全に塞がれているせいか、瞬間に識別できたのは投げ出された自身の手と波打つ地平の青白さと、面を接した薄雲だらけの空の色。次いで焼け焦げた臭気と銃撃の乱射音が五感を襲い、マイスターの全身はようやく現実を取り戻して軋みをあげた。

 メガトロンの放った光弾が掠め、その威力に巻き込まれて吹き飛ばされたのだとは解かっている。直撃していたら痛みを感じるどころか、胴体が引き千切れていてもおかしくないのだから、むしろ軽傷と言っていい。

(夢‥‥だったのか)

 タラリアの拳が背に当たったような、妙に温かい感触を抱えたままマイスターは呻いて、埋まった上体を支え起こす。

「‥‥根性‥‥入ったよ」

 おかげで正気にも戻れた。こんなところで寝そべっている場合じゃない、と。

 マイスターは起き上がりながら、砂を掻いた右手に慣れた感触がないのに気付き、慌てて周囲を見回した。飛ばされるまで握り込んでいたライフルが、砂に呑まれてしまったのか見当たらない。

(しまった‥‥ッ)

 近接戦用の武器はあれ一丁きりしか携帯していない。今は自衛の為にも失う訳にいかないが、手当たり次第に倒れていた辺りを掻き回してもそれらしい物が埋まっている気配はまるでなく、マイスター指の関節に入り込んでくる粒子の不快さに焦れた。

 横目でコンボイの姿を探すと、やや後方に距離を作ってはいたが、脆すぎる幼体のアケロンと二人ではメガトロンを完全に押さえ込むには至らない。 むしろ形勢は互角か、常にアケロンの援護へ回らなければならないコンボイの側が不利だ。

(こうしている間に、艦も‥‥!)

 メガトロンの号令が真実なら、サウンドウェーブ以下、どれだけの手勢か知れないがデストロンの一団が、応戦も碌に出来ない不時着艦を強襲しているのだ。これ以上の時間、ここで足止めを食う訳にはいかない。退避が先だ。

「ネブラ――」

 あの砲撃の威力では、すぐ傍に居た老人も相当なダメージを受けているはずだ、咄嗟、コンボイの声に反応して庇ったような気もするが、それでも無傷では済むまい。

 マイスターは微かな振動にも悲鳴を上げる身体のあちこちを黙らせながら、這いつくばる体勢から上体を捻り上げ、老人の名を呼ばわった。

「どこだ、ネブラッ」

 砂目を渡る風が金属の肌にいくつもの音を跳ね上げた後、むくりと砂丘の陰に黒いものが動いた。

 最初に、声が居竦んだ。

 マイスターがそれと始めに知覚したのは、老人の胸元にしっかりと、赤子のように抱きかかえられた光子ライフルの黒光りする細長い影。マイスターの視線を吸い込むようにネブラの手の中で銃身が向きを変え、穿たれた銃口が光のない漆黒の隻眼でこちらを睨めた。

 不気味に長い時間、マイスターは己のものであるはずのライフルと睨み合い、老躯に抱かれたそれが放つ殺気と悪意を受け入れようとしたが、応える声はどこにも無く、ネブラの顔貌すらどんな感情に彩られているのか判然とはしなかった。

 撃たれるのか?

 逆流して体内を駆け巡る熱塊が、戦慄を伴って思考を満たす。

 今にも、躊躇い無くトリガーに掛かったネブラの指が動くかもしれない‥‥だがマイスターを捕えた死への濁った想像は、ネブラの喉を突いて零れた嘲笑に遮られた。

 ネブラの形をした影が砂塵を滑る。

 瞬間、マイスターの視界で黒い銃身が新たな―本来の獲物に向かって牙を剥いた。

 畏怖の存在でしかないメガトロンに、いや、その傍らにある、老人にとっての裏切りの『予言者』に。

「――コンボイッ、来るな!!」

 絶叫は哀願に聞こえた。

 アケロンはコンボイの足を居竦ませると、ネブラの元から放たれた光輝に咄嗟、俊敏に反応して回避行動に移るメガトロンの下肢に全身で飛びかかった。

「ッ!貴様?!」

 子供の、ほんの小さな身体だ。片腕の一振りで薙ぎ払える、弾道を躱すのに一秒も必要ない。

 しかしメガトロンの予測は身を引く動作に移った途端、鉛のように食い付いて下肢を縫い止めアケロンの、想像以上の威力によって破綻した。

「!何をするッ」

 共に滅びる事に一片の恐れもないアケロンの瞳が、メガトロンの紅を溶かした眼を見透かす。勃然と耐え難い怒りを掻き立てられて、メガトロンはアケロンの幼い身体を蹴り上げ、引き離そうともがいた。だが、遅い。

 閃光がメガトロンの身体を刺し貫いた。

 コンボイは、吹き飛ばされるメガトロンの白銀の肢体に、なお牙を突き立てるようにして縋り付く、腰から二つに引き千切られた幼子の上半身を、それが現実に起こっている事なのかどうかも理解できずに見送った。

「ア‥‥ケロ‥‥」

 その位置に残された華奢すぎる両脚が、支えの無い棒のように砂煙を立てて地面に倒れ伏す。 無造作に千切れた半身からドロリと滲み出した体液が、砂目の間に黒々と色を落として吸い込まれた。 繋ぎ止められていたアケロンの魂が流れ出して行くように。ようやくその身に訪れた『死』の中へ。

 マイスターは抜け殻に思える空虚な肉体を引き上げると、足首まで纏い付く砂の重みに邪魔されながら、蕭然とネブラの前へ歩み寄った。ネブラはライフルの引き金にしっかりと指を添えたままの姿で、マイスターの強張った顔を楽しげに見上げた。

「‥‥‥‥なぜ、撃った?」

 問う声の硬質さに、マイスターは自身の怒気が急激に波打つのを自覚し、思わず両の拳を握り込む。抑え込もうとしたが、再び唇を動かした瞬間にそれは怒声に変わっていた。

「なぜ撃ったッ!!」

 奪い取った重い光子ライフルを投げ捨て、無意識に老躯の腕を捩じり上げる。凶暴な痛みに顔を顰めながらマイスターを見つめるネブラの双眼に、凍えるほどの残酷な灯が揺らめいた。誰のどんな言葉も通じる耳を持たない人間の、それは酷薄な拒絶の印だった。

「答えろ、ネブラッ。なぜ撃った?!」

「‥‥あんなものは、存在するべきじゃない」

 億劫そうな、吐き出すのももどかしい応答。問われることへの理不尽な苛立ちに侮蔑が滲んだ。

 マイスターは老躯を荒々しく引き摺り上げ、

「あんなものッ?――彼は、」

 砂塵に横たわるメガトロンの上に、アケロンの半身が毅然としがみ付いているの指差して叫んだ。

「彼は貴方と同じ『人間』だ!信仰を踏みにじったのは彼じゃない、貴方自身だろう?!なぜ彼を憎む!」

「‥‥言っている意味が、分からん」

 呟いて背けようとする老いた顔を、マイスターは片方の手で無理矢理にねじ向けた。 ネブラの皺だらけの顔が無茶な格好に歪む。だが力は緩めなかった。

「憎むのも恨むのも勝手だ。だがそれで排除していい命なんか無いッ、それを」

「わしは正しい!あれを消してやった。あれはアケロン様などではない、あってはならないッ。あれは、消え去るべきなんだ!」 「なぜ‥‥ッ?!」

「なぜ、なぜ、なぜ?貴様にわしの正しさが理解できる訳がない。感情などと言う不確かで愚かなものに振り回されている、俗物には」

「―――」

 届く言葉を導き出せない己の無力を、嘆くことがある。それは見渡そうとしている次元があまりにも遠くかけ離れている事実に直面した時、マイスターを容赦なく苦しめた。何も通じ合えない現実。認め合えない堅実。拒絶するだけの現実。

 一方にほんの僅か、受け入れる扉があることで理解し合える可能性が生まれるのなら、自分の中にその場所を作りたいと願ってきた。かつて地球の多くの友人が、彼等の内にある場所に期待と不安を持ってトランスフォーマーという異質な自分を受け入れてくれたように。 タラリアが信頼と勇気に賭けて、この鋼鉄の身体を愛してくれるように。

 今、ネブラはその全てを否定したのだ。人間を人間たらしめている『不確かで愚か』なもの。

 マイスターは鷲掴んだ老人の腕に、握り潰さんばかりの力を込めて呻いた

「――俗物で何が悪い?感情に動かされる事のどこが愚かだッ?!」

「はッ、はは、認めるのか!」

「そうだ、私は俗物だッ。『不確かで 愚か』な感情のために笑ったり泣いたり、怒ったり悩んだりする。好きな女性への欲望に駆られることもある、ただの男だッ」

 執拗に嘲笑うネブラを睨め付けて、マイスターは吠えた。

「私は愚かだから彼女を苦しめたり、傷付けたりする。それでも彼女はずっと手を振って見送ってくれるし、冷たい身体を抱いて温めてくれる。時々は私を叱って、励ましてもくれる。そんな何気ないことが嬉しいのは、私に感情があるからだッ。形なんか無くても、確かに心があるからだ!どこが悪い?!どこが間違っている?!」

「貴様、なんぞに‥‥ッ」

「私は分かりたくもないッ。もし何も感じない心が貴方の言う信仰の産物なら、這いずり回って戦火に塗れて、永遠に俗物のままで生きていく!それでも」

 苦しみも喜びもない世界を歩き続けるより、遥かにましだ。 たとえ絶え間ない感情の揺らぎによって激しく翻弄される人生になっても、踏み出す先に見つかる答えがきっとあるなら、人は時代を超えて必ず大切なものを掴み取れる。愛でも、正義でも、本当の幸いでも。

 可能性こそが、人間の持ちうる最大の武器なのだから。『不確かで愚か』なものを抱えているが故に。

「これが答えだ、ネブラッ」

 マイスターは痣が付くほど握った老人の腕を再び引き寄せ、言い放った。

「私たち人間が、苦悩や歓喜に左右されながら生きる事の、その事実が真理なんだッ。求めるものはいつも、ここにある!」

 拳の突き付けられた薄い胸先をネブラは呆然と見下ろして、醜い笑みの張り付いた頬を強張らせたまま、マイスターの言う意味を処理しようと絶句する。

 ザザ‥‥と風に運ばれた砂が擦れて、その足元にざわめきを立てた。

「‥‥‥‥の世界が‥‥‥‥」

 掻き消されそうなか細い声は、静かに引き上げられたネブラの双眼に奥深く宿る暗黒の色によって、マイスターの聴覚を禍々しい響きに貫いた。

「違う、この世界が、狂っているんだ‥‥ッ」

 噛み締めた怒気がマイスターの全身を踏み荒らし、切り刻んでいく。音も気配も、感じられるものはその一瞬のうちに意識の外へ押し退けられていた。

「―――狂っているのは、貴方だッ!!」

 絶叫が、ネブラの耳に届いたかどうか分からない。

 唐突に老人の体は真横から襲いかかった銃声に射貫かれ、マイスターの手から捥ぎ離されると、両脚の下半分を別々の方向に撒き散らしながら弧を描いて砂塵の上に二度跳ね飛び、ごろりと人形のように転がり落ちた。

 マイスターは、不意に空になった両手を不格好に曲げたまま、黙然と振り返る。

 遠い視線の先に、硝煙の匂いを立ち上らせる、型の古いライフル銃。

 ゆっくりと銃撃の構えを解いたコンボイは、マイスターがその澄み切った蒼い瞳の底に滲むものを汲み上げようとする間に、まるで穏やかに視線を外して、倒れたままのメガトロンの元へと歩を進めていった。

 目を戻すと、起った現実が瀕死の呼気に喘ぐネブラの姿を止めて、そこにある。

 コンボイが撃った。なぜ?

 また、なぜ、だ。なぜでもコンボイはネブラを撃ったのだ。いや、自分も撃とうとした。手の中に銃が有りさえすれば。

 マイスターはよろめきながら、埋もれかかっているネブラに近付こうとした。と、その背を突如巻き起こった旋風に弾かれ、のめって叩きつけられる。

 頭上に覆い被さる影を仰ぐと、手の届かない高みに傲然とメガトロンの肢体が滞空し、忿怒の形相も露わに地上を睥睨していた。片手で押さえた腹部から流れるオイルが、指の隙間を伝ってポタポタと滴り落ち、脚までを薄汚く汚している。最初にアケロンを直撃したため致命傷は免れたらしいが、激痛と屈辱に歪んだ唇が傷の深さに比例して、軽くないダメージを証明した。

 気持ちはどうあれ、メガトロン自身が撤退の必要性を痛感しているはずだ。

 ギリ、と奥歯の軋む音がし、メガトロンの融合カノン砲が震えた。

「とんだ邪魔が入ったわ‥‥!二度は無いと思え、コンボイッ」

 砂煙の向こうに見る間、天高く吸い込まれてメガトロンの姿が小さくなってゆく。追跡しようにも、疲弊し切った身体がそれを許さなかった。コンボイは雲間に消えるメガトロンを最後まで見送ると、やがて、風に煽られて擂り鉢状に抉れた砂の底に横たわるアケロンの、二つに分かれた亡骸の傍へ歩み寄った。

 魂を失った仮宿の肉体は氷のように冷たいのだろう。その凍った頬にこびり付いた塵を拭うコンボイの優しい指先に背を向けて、マイスターは静かに、転がったネブラの傍らに立った。

 アケロンと同じように同じ星の大地に倒れ伏しながら、どうしてか、その老人のいる場所は光すら当たらない澱みに見える。しかし、切れ切れの息遣いに上下する老いさらばえた身体を見下ろしても、感慨や哀れみを覚えさせることはなかった。

 助けなければ、と思ったのは、サイバトロン戦士としての義務に動かされたからで、それが己の本心でないこともマイスターは知っていた。

 少なくとも、今ならまだネブラは救える‥‥命なら。

 屈み込み、手を伸ばそうとしてマイスターは、苦痛に歪んだ老人の喉から低く流れる嘲笑にぴくりと強張った。

「‥‥よく、分かっただろう‥‥?」

 搾り出した声は弾んでさえいて、くくっ、と喉を鳴らすと、捥ぎ取られた脚の断面から嫌な音を立てて体液が噴き出す。目だけを挑むように持ち上げたネブラは、まるで自分の置かれた状況が証拠だと言わんばかりの勝ち誇った顔で、マイスターを見返した。

「‥‥これが、凡人と選定者の違いだ‥‥!」

 選び取る資格がある者の、権利。

 ネブラが欲して止まなかった「幸い」の、最も近くにいる者の―――

 砂目を踏みしだく音にはっとして首を巡らすと、マイスターの真後ろに凛と佇立したコンボイが、無言でネブラを見下ろしていた。 陰が色濃くその顔容を遮り、はっきりとそこにある表情を読み取ることは出来ない。

 マイスターは黙って立ち上がり、場所を空けた。

「サイバトロンの、王‥‥わしを裁くのか‥‥?」

 一呼吸の合間に、老人の唇から血が噴き零れる。コンボイは何も答えず、ただ唖のまま老躯を見つめ続けた。

「裁けばいい‥‥そうあるべきだ‥‥」

 コンボイが額面通りにそれを実行したら、自分は止めるだろうかとマイスターは想像してみた。だが結局、そんな無意味な推測は途中で破綻する。 なぜなら自分が一番に、コンボイが形のない者の名を借りて他者を断罪する傲慢を嫌悪している事実を知っているからだ。

 たとえ、コンボイの手が均しくその存在と同じであったとしても。

 長い長い清寂の奥から、コンボイの威厳に満ちた声音が流れた。

「裁く者は、君が殺した」

 君が、とネブラの耳へ刻み付けるように繰り返し、コンボイはつと、左手を自身の右肘に宛がった。

「‥‥ぅお‥‥ッ」

「ッ!司令、何を――?!」

 激痛を噛み殺す呻きに合わせて、正常な機器の密集を握り潰す金属の悲鳴が、風の嬌声に混じって辺りを満たす。瞬間、コンボイの右腕は自らの負荷によって無理矢理に肘から引き抜かれ、左手の中にだらりとぶら下がって無機質な物量を晒した。 裂け目から絡まり合って垂れたコードやチューブは、腕としての役目を寸断されたことに気付いてもいないのか、オイルと電気信号を断続的に放ち続けている。

 コンボイは下半分を失った右腕を庇うこともなく、千切った部位をネブラの前に投げ捨てた。その手首に嵌った銀色の、老人とコンボイを繋げていた楔が、舞い上がった砂の反射光に輝いて笑う。

 つられたように口端だけで笑みを作るネブラの横顔に、コンボイは確然と告げた。

「餞別だ。生涯、それを抱いて行くがいい」

 これが裁きでないのなら、考え付く限りで最も痛烈な皮肉に違いない。

 投げ与えたコンボイの一部は、すでにネブラの犯した罪の証。己の盲目で永劫に失った道の先にだけあるものの欠片。その幻。

 だが、求めるものに辿り着く術を捨て去った事に、ネブラは気付かない。これは推測ではなく、事実だ。

(私は‥‥私には)

 マイスターは汚れ切った両手を僅かに広げて、表皮に走る無数の傷を見つめた。痛みはない。けれど、疼く感触は確かにある。

 私には今、触れられるこの手が付いている。愛するものを確認するための手が。アケロンに教えられた真理の源が。

 たったこれだけの現実が、なんて素晴らしいのだろう。

(私には、言葉以上のものがある)

 柔らかにコンボイの左手がマイスターの肩に触れ、振り向けた視線が互いの存在感を認めるように交わる。マイスターが見たのは、敬愛する上官の瞳に映る自分の顔だった。その眸が衒いなく緩む。

「行こう。もうここに私がいる意味は無くなった」

 不格好に短い右腕で綺麗にバランスを取りながら、コンボイは颯爽と踵を返す。マイスターは虚を突かれて、

「司令?彼を‥‥」

 置き去りにされたネブラと、アケロンの亡骸に歩み寄る背を見比べた。コンボイは左手一本で包み込むようにアケロンを掬い上げ、マイスターの問いを肩越しに殺すと、二度、首を横にする。それはコンボイらしからぬ、頑とした拒絶の表れだった。

「艦へ戻ったら、巡礼船の乗員は非常食と救命艇を与えて、全員をこの星へ降ろすように命じてくれ」

「まさか、捨て置かれるのですか?」

「‥‥マイスター、それは違う。この星こそが彼等の探していた〝聖地〟だ。どんな環境下であろうとな‥‥信仰を貫くのも捨てるのも、先を選ぶのは彼等だ」

 運が良ければ、と皮肉ではない幾ばくかの期待を込めて、コンボイは続けた。

「あの老人も仲間に救われて生き永らえるだろう。私の関知しない所で」

 何もない、砂に埋もれ行くだけの惑星で、既に消え去った予言者の影に縋って生きていくことが信仰の証だと言うなら、肩を寄せ合いながら慰めと励ましに凝り固まって過ごす彼等の気持ちなど永遠に理解できなくていい。そう願わずにいられない自分の中に、マイスターは確固たる己だけの火が盛るのを感じた。

 ネブラをこのまま置いていけば、いずれ新たな争いの種に変じるかもしれない。老人一人でなく、別の狂信者が‥‥信仰を捨ててこの星を出る弱者が‥‥コンボイはその身に未来の火の粉まで被るつもりでいるのだ。

 それはただ、コンボイ自身の正しさで。

 マイスターの足は砂を踏み分ける踵にありったけの力を満たして、巍然と歩むコンボイの背に向かい、砂塵に嬲られるネブラには一瞥も残さず進んでいった。

 老人が漏らす嘲りと歓喜の笑声が風に攫われ、完全に聴覚から引き離されても、マイスターの視線はコンボイの後ろ姿だけを見つめ続けた。

 

 

 10

 

 深く漆黒に切り込んだ断崖の底は、唸りを発して吹き上がる突風に遮られて見下ろすこともできず、絶えず流れ落ちて行く青と白の砂礫から出来る紗のコントラストだけが果てしなく何十キロと左右に伸びて、マイスターの内に滅びゆく惑星が見せる最期の美しさを実感させた。

 コンボイは、慎重に足を運んで崖の端に身を立たせると、地の底まで続く真っ暗な裂け目の上に、抱きかかえてきたアケロンの小さい骸を差し出す。するり、と風圧の伸ばした別の腕が抱き取るように骸が宙に飛び、 落下と言うには余りにも緩慢にアケロンはコンボイとマイスターの眼下に広がる闇へと吸い込まれ、消えた。

 アケロンの魂が最期に休んだ仮の肉体は決して彼自身ではなかったはずなのに、誰の目にも触れることのない闇で、ようやく少しは安楽に眠れるのだろうかとマイスターは想像し、胸の痛みに拳を作る。

 この次元に解き放たれた魂は、どこへ還るのだろう。できるならどこへも逝かずに、ここにいればいい。私達の中に。

「‥‥私を赦してくれ、アケロン」

 千切れた右腕に手を這わせて呟くコンボイの凛とした横顔に、マイスターは目を当てる。コンボイは指先に、飛び出した幾本ものチューブを絡ませながら、口を開ける爪先の闇に向かって告げた。

「私の犯す多くの罪は、私の命で必ず洗う。それを見届けてくれ‥‥頼む」

「司令‥‥――」

「マイスター、君にも頼む」

 ふと、コンボイはマイスターの狼狽した瞳を真っ直ぐに見返して、微かに笑んだ。

「君は妻を得、子を生し、家族を持て。そして愛する者達を守るために生きろ。アケロンと私にはできなかった、それが君への願いだ」

「‥‥私は‥‥」

「君にならプレシオスの鎖も解ける。そこへ至る答えは、もうあるだろう?」

 どんな理屈よりも雄弁に、自分を見据えるコンボイの瞳の奥にマトリクスと同じ清廉な蒼が浮かび、マイスターは一切の言葉を飲み込む。

 コンボイが、アケロンが、永遠に手に入れることの出来ない幸い。ネブラが求め得ようとした偉大な力の傍にいる限り、決して許されない人間らしい平凡な願い。

 愛すること、愛されること、その一念のために生き、守ること。

 こんな当たり前の現実が宇宙で最も尊い真理だと気付いている者が、どれだけいるのだろうか。コンボイが負う限りない贖罪にも気付かないで。

 それは、私も。

「誓います――必ず‥‥ッ」

 マイスターの声は半端に掠れて風に押し戻され、コンボイの元まで決意を運びはしなかったが、コンボイは静かに笑っただけで聞き返そうとはしなかった。

 マイスターは顔を上げて遥かな地平を望んだ。天地の境を失って交わるそこに、自分が生きて行くべき世界が連なった、紛れもない現実がある。

 タラリア、今すぐ飛んで帰って抱き締めたい。愛していると伝えたい。

 解けた鎖の両端に私と君がいて、いや、『不確かで愚か』な心を抱えて生きる人間がいて、初めてそれが完全な形を成すのなら。

 この想いに、何の遠慮がいるだろう。

 セイバートニウム金属の肌に弾ける砂礫の音階を聴きながら、マイスターはじっとコンボイが望む空の彼方に視線を投げて、敬愛すべき宇宙の雄がアケロンの死を悼む間、ただ無言でその傍らに付き随った。

 沈黙と静寂が死者を悼んで、二人の間に満ちるまで。

 

 

 意識に握った十指が予想外の軋みを立てて、はっとロディマスは、モニターの向こう側にある穏やかなマイスターの面に焦点を戻した。

 マイスターが、その一片の曇りもない温厚な眼差しの下にどんな事実を焼き付けた数日だったのか、ロディマスにはすべてを推し量ることもできない。それでも出会ってから今日まで、マイスターが多くの仲間に傾けてくれた思いは、いつも変わらなかった。それがどれほど貴く誇り高い感情から生じるものか、説明はいらない。

 ロディマスはそっと肩に添えられた手の感触から、傍らにいるウルトラマグナスの心の内を察して頷く。元よりロディマスは、マイスターがどんな言葉も必要としていないことを知っていた。

「感謝します。参与。よく‥‥お話しくださいました」

〈私も、お二人にお聞きいただいて良かった。今ならコンボイ司令もお許しくださいますでしょう〉

 艦に戻ったコンボイとマイスターはその後、ハウンド指揮の元、サウンドウェーブ率いるデストロン一隊の強襲に耐えた艦を不時着時の故障のように急遽偽装し、巡礼船との衝突の痕跡まで消して出立した。聖地を目指す盲目の信者達を不毛の砂の惑星エタ・ヴァーマに残して。

 それから十数年。だが半ば熱狂的な信奉者が集う『アケロンの使徒教団』は、かつての新興宗教一派と言うだけでない存在として依然、名を轟かせている。当時ブロードキャストが危惧した通り、宗教観念の稀薄なトランスフォーマー文化に深く根を張りつつある教団の実質指導者が、デストロンの脱走兵であるという事実も今や誰もが承知の事だった。

 あの老人が――ネブラが生きている。自らが殺したアケロンの名を戴き、捻じ曲げられた予言を説いて。

 コンボイの片腕を抱いて。

 拭い切れない怒りと恐れは、常にマイスターを苦しめた。

〈彼等はいつか、サイバトロンに大きな災いをもたらすやもしれない。ですが、ネブラに生き延びる道を残したのも、またコンボイ司令のご意思でした。もっとも、私が心配性に過ぎるのかもしれませんが〉

 苦笑するマイスターを擁護するように、ウルトラマグナスが首を振って制した。

「お話を伺って、参与が今回の事故に敏感にならざるを得なかった理由が分かりました。ご心配をおかけいたしました事、改めてお詫び申し上げます」

「参与、私からも!」

 首を垂れて謝意を表す副官の姿にロディマスまで子供のように意気込んで声を上げると、ウルトラマグナスは思わず呆れて頭を抱え、マイスターはその真っ正直な口調に微笑んだ。

〈ロディマス司令、無事のご帰還を祈っております。‥‥いつでも〉

「大丈夫。マグナスがいますから」

〈そうでした〉

 マトリクスを継承し、サイバトロンの頂点に立つロディマスも、コンボイやアケロンがそうだったように己自身の幸いを求めては生きられない道を決定付けられた、時代の贄。それでもロディマスが公平に人々へ注ぐ澄み渡った瞳の奥の灯の色が、コンボイのものと明らかに違うことを知った時、マイスターは嬉しかった。

 妻を得て、子を生し、家族を持つ。

 ロディマスはコンボイの願いで生まれる家族すべてを、自身の一部のように分け隔てなく愛してくれるだろう。愛することの本質を恐れない瞳で、この世界を照らし続ける限り。

 ネブラはコンボイをサイバトロンの王と呼んだ。今ロディマスの前に現れても、老人はこのマトリクス継承者を王と呼ぶだろうか。それとも拒絶し、憎悪するのだろうか。誰の教えも請わずに真理へ至る心の本質を、『愚かで不確か』な感情を受け入れて戸惑いながらも生きる総司令官を。

「参与、今回の事故に関しては、アセニアに戻り次第ご報告に伺います。日程に目処が立ちましたら、改めてご連絡いたしますが‥‥」

 マイスターはウルトラマグナスに告げられて、ああ、と慌てて手を振った。その顔が照れ臭そうに綻ぶ。

〈申し訳ありません。実は明日から休暇で、タイタンに帰るので〉

 躊躇なく「帰る」と口にしたマイスターの、むしろ誇らしげですらある相好にウルトラマグナスが中てられて苦笑し、ロディマスもつられて笑った。

「私達のせいでアセニアに引き留めたら、令夫人に恨まれますね。ただでさえ参与を激務に縛り付けて離さない軍にはお冠でしょう」

〈ご心配いただいて恐縮です、司令。ですが、()はむしろ私との今の暮らしを楽しんでおりますから、喧嘩にもなりません〉

「‥‥それは惚気ですか?」

〈そう聞こえたのなら〉

「そう聞こえました。羨ましいくらいに」

 マイスターは深く、まるで感謝するように綺麗な笑みを浮かべると、無駄のない仕草で敬礼を一つ作り、手短な辞去を述べて画面から姿を消した。

「なあ、マグナス」

 医務室の白い壁伝いに流れる艦の駆動音を聞きながら、ロディマスは沈黙したモニターに映り込む自身の顔を見つめて、問うた。

「私には、皆があんな風に笑える世界を作る手が、あるかな?」

「――あるとも」

 伸びてきたウルトラマグナスの大きな手が、コンソールで握られたロディマスの右手を強く包んだ。

「ここにある。参与と同じように、君には守るべき多くの人に触れられる手があるよ」

「‥‥そうか。うん、わかってる」

 そして、マトリクスの所有者である自分に課せられた使命の意味も。

 コンボイとアケロンがマイスターに望んだものを、自分も見ていたいとロディマスは素直に思った。叶うのなら、人々を繋ぐ環の一つになって。

「ロディマス」

 現実へ戻る扉を示すように鳴り出した艦橋からのコール音が、柔らかく呼ぶウルトラマグナスの声に重なり合い、ロディマスは彼方に彷徨わせていた瞳を力強く振り仰いだ。

 

 

 

《了》

 

 




ありがとうございました!
オリジナル設定だらけですが、感想などいただけると励みになります。

以下『時世』の用語解説ですので、併せてご覧くださいませ。

○用語解説○

【アケロンの使徒教団】
近年、超銀河団レベルで台頭してきた新興宗教の一派。アケロンとは素性不明の教団創始者で、現在は死亡している(とされる)。生前アケロンによって書かれたとされる預言書が経典となっており、その内容は、純潔を保持したままの死によって銀河の中心に座す女神の元へ回帰できるという内容であったが、いつからかそれが「身を二つにしない体を持つ」事とされ、男性及び出産を知らない女性のみが救われるという解釈に変じていった。TF世界において、その論理的でない教義は当初関心を浴びなかったが、教団に入った元デストロン兵の老人が「女神」をベクターシグマの分身であると唱えて、急速にTF間へ浸透した。

【カーゴ】
戦闘によって重傷を負い、本来の肉体が使用不可能な状態にまで陥った場合にのみ、ブレインサーキットやスパークを移し替えて使用する仮の肉体をカーゴと呼ぶ。多くは幼児体で、エネルギーの過剰放出を抑えるのが目的。素体(プロトフォーム)とは基本的に異なる。

【『銀河鉄道の夜』】
宮沢賢治著。少年ジョバンニが、親友カムパネルラと共に銀河鉄道で旅をする幻想童話。文中のコンボイの台詞は、初期形「ブルカニロ博士編」からの引用。

【鋼鉄族】
本来は無機物である金属素体の生命が、文明を持つまでに進化したものを総称して鋼鉄族といい、TFを含めて全宇宙に数種類確認されている。しかしながらセイバートロン星から派生したTF種が最も多く、また抜きん出た文化水準を持っているため、現在鋼鉄族と言えばTFの事を指す。また有機知性体が上位文明に昇華する段階で有機体を捨てて金属素体を選んだ場合は、鋼鉄族とは呼ばれない。

【サイバトロン宇宙軍】
900万年前、デストロンの前身である戦闘組織“アウター”の台頭に対抗して一般市民が組織した“インナー”という義勇軍が前身となって発展した軍事組織。現在では全宇宙の大部分を防護対象としている。

【サイバトロン宇宙軍総司令官】
サイバトロン全軍の統率指揮権を有する最高職。総司令官の任命は元老院の決定に拠るが、トランスフォーマーの叡智マトリクスを所有する者が総司令官たる資格を持つとされた。しかしロディマスコンボイがマトリクスを携えたまま羇旅に出たため、以降の総司令官はエネルゴン・マトリクスを必要に応じて使用するようになった。

【サイバトロン地球駐留軍】
地球暦1990年以降、10年に渡って地球に置かれた臨時本部が、メガトロンの太陽系撤退に伴って引き上げられた後、国連の要請によって配備された部隊。アメリカにある基地にはサイバトロン戦士の他、地球代表大使スパイクの一家が暮らしている。

【CRD(COSMIC RUST DEFENSER)】
未開惑星系や危険指定区域に降下する際、全身に宇宙サビ抗体薬を塗布することを指す。パーセプターの開発したサビストップを改良し大量精製できるようになってから、CRDの軍使用は規則事項となっている。

【“異界”(シード)】
セイバートロン星の地下には別次元への通路が数多く存在しており、それら別次元を総称して“異界”(シード)と呼ぶ。太古、一部がクインテッサの流刑地などに使用されていたことも知られるが、同一狭隘空間には理論上、二つ以上の次元孔が維持できないとされているのに、何故セイバートロン星に限って存在できるかは不明。また異界の向こう側からは通路を開けないと言う不文律もある。

【〝隻腕の剣士〟】
デストロンの伝説的剣豪、剣士バイロイトであると思われる。実在の人物かどうかは歴史上確かめられておらず、シックス一族の初代大主シックスクロウがモデルとも言われている。

【タラリア】
土星の衛星タイタンの民。以前は、偽の神を奉る一派に対抗するレジスタンスのリーダーだったが、現在は新しい邑の指導的立場にある。タイタン人の身体的特徴は地球人に酷似しているが、平均身長が2メートルと、やや大柄。

【デストロン宇宙軍】
破壊と殺戮を好み、全宇宙の支配を目的とする戦闘組織。その頂点に立つ者は破壊大帝の称号を持ち、全兵士を掌握する。しかしながら、メガトロン不在時の混乱から軍の内部は一部瓦解し、大量の遊軍と傭兵を生み出してしまった。

【基本遺伝子(データベース)】
個としての変形機構、色、形、声質、性向などを生体データに変換して保存している回路。通常それが二つないし二つ以上混合されたところで無作為に選定、次代の個(胎生)の基本遺伝子となる。ただしデストロンではこれの限りではなく、単相生殖が多い。また回路を凍結することによって避妊できる。

【“ナイト”】
名前の後に付ける事によってサイバトロン所属の戦士であることを表す称号。また一般人が「サー・ナイト(騎士様)」と呼びかけに使う場合があるが、これはサイバトロン戦士に対する敬称であると同時に、軍に属しない騎士かそれ以上の能力を有する者への敬称である。余談だが、デストロン兵士は一般に“ダークナイト”と呼称されるため、こういった呼び名は存在しない。

【認証シグナル】
軍属にある者が等しく発している信号電波で、サイバトロンとデストロンの波長が異なるために、視界不良の戦地や乱戦の中でも誤って友軍を攻撃する心配が無い(もっともデストロンはシグナル自体を無視することも多い)。またシグナルコードだけは簡単に変更が可能なため、間諜に従事する者は常に二種類のシグナルを持つことがある。

【プレシオスの鎖】
童話『銀河鉄道の夜』からの引用。解くのが困難な謎の比喩表現。聖書ヨブ記中の「プレアデスの鎖」と同義と言われる。

【プロトドール(機械奴隷)】
TFは誕生当初、鋼鉄族の中でも最低級のプロトドールと言う差別語で呼ばれていた。後にTF自体が「高商品」として知れ渡るにつれ、この言葉はTFの脱走奴隷を指すようになったが、言葉そのものが死語となった現在においても、ロボット生命体を受け入れない他種族の中にはこの侮蔑語を使う者達がいる。

【マトリクス】
“青い炎の核”と呼ばれた旧時代の遺物。あらゆる叡智、あらゆる事象を記憶した高エネルギー体で、代々サイバトロン総司令官に引き継がれてきた至宝。邪神ユニクロンを封じるための『鍵』として生まれた物質で、ベクターシグマの元で永い間主人に相応しい人間を待っていた。主人たる者が純粋に一つを望んだ時、それを完全叶える力を持っており、善にも悪にもなりうる魔の物質でもある。

!注意!
以上は当サークル独自の設定、解釈を含んでおり、オフィシャル設定とは合致しない場合があります。




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