シネマハウスへようこそ (遊馬友仁)
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プロローグ~イノセント・ワールド~①

四九九本━━━。

これは、有間秀明が、生後十五年と二カ月あまりの間に、観てきた映画の本数である。

 

小学五年生になる年の春にテレビで放映された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に衝撃を受けて映画のトリコになって以来、映画館、レンタルビデオショップを駆け回り、地上波でテレビ放映される作品なども含めて、週に二~三本の観賞をこなすことで、この数にたどり着いていた。

一九九四年の夏休み終盤、一ヶ月ほど前に読んだ、とある書籍のコラムに書かれていたハリウッド映画のプロデューサー兼脚本家であるジョン・ヒューズの作品を

 

(記念すべき映画観賞五〇〇本目のタイトルにしよう!)

 

と計画した秀明は、ヒューズが脚本を執筆した学園生活を描いた六本目の作品となる『恋しくて』が置かれているレンタル店を探し、相棒のブライアン号(平行ハンドル自転車タイヤサイズ二十六インチ)で、彼の住む街とその近郊を巡っていた。

この日は、昼過ぎに自宅を出発して、高級住宅街が並ぶ私鉄沿線の駅を中心にビデオ店のハシゴをしたものの、お目当ての作品は、まだ見つけられていなかった。

午後の早い時間は、残暑の厳しさが感じられ、山の手の坂を愛車で登る時には、

(この炎天下で坂道か……。あのスポーツ飲料のCMみたいやな)

と、この年のシングルCD売上のトップを獲得したナンバーが流れるテレビコマーシャルを思い出したりしながら、サイクリング兼ビデオ探索を続ける。

自宅を出て、すでに数時間。

私鉄の路線と競馬場に挟まれた《駒の道》と名付けられた宝塚市内の県道を南下する。

この頃になると、朝からの快晴が一転し、北西の六甲山系から黒い雲が立ち登りはじめ、夕立の前ぶれとも言える独特の香りが鼻を付いた。

(これは、夕立が近い!?時間も時間だし、今日は次の店で探索を止めて、明日は、別の方面に遠征してみるか)

などと悠長に考えていると、突如として背後で雷鳴が轟き、二~三の雨粒を感じたあと、ザーと言う轟音とともに、滝の様な雨が降りだした。

幸いなことに、競馬場前の坂を登りきった後で、目指すビデオ店『ビデオ・アーカイブス仁川店』は駅前のロータリーの一角にあったので、急いで愛車を店舗の前に停め、店内に駆け込んだ。

夏休みとは言え、平日の昼下がり。

さほど広くない敷地のビデオ店は、秀明の他に客の姿はなかった。

早速、お目当ての作品の探索にかかり、洋画の《ドラマ》コーナーに移動する。

すると、コーナーの隅の方に、

 

《ジョン・ヒューズ作品》

 

と書かれた一角が目に入った。

(おお、ここは、『分かっている』店だ!)

と、何に感動を覚えたのかは自分にも分からないまま、一人テンションを挙げてみるも……。

 

『素敵な片想い』

『ブレックファストクラブ』(貸出中)

『ときめきサイエンス』

『フェリスはある朝突然に』(貸出中)

『プリティ・イン・ピンク~恋人たちの街角~』

『恋しくて』(貸出中)

 

と言うビデオ棚の構成に、

(ああ、無念……)

と、天を仰ぐ。

 

その時、アプリコットとジャスミンのフルーティーな香りが秀明の鼻腔をくすぐり、不意に声を掛けられた。

「ジョン・ヒューズの作品が、お好きなんですか!?」

少し高揚した声色に振り返ると、ショップの店名が書かれたエプロンをした女性が立っている。

「え、ええっと……。最近、読んだ本に面白いと書いていて、『ブレックファストクラブ』とか『フェリスはある朝突然に』とか面白かったので……」

「そうなんですか!」

彼女の声が弾むと同時に、後ろに縛られた長い黒髪も僅かに揺れる。

「ちょうど、貸出中のが返却されたところなんですよ。と言うか、三本ともワタシが観てたんですけど」

三本のテープを抱えながら、そう言って悪戯っぽく笑い

「お探しの作品は、コレですか?」

と、『恋しくて』のテープを差し出す。

唐突に声を掛けられただけでなく、探していた作品が、邦題も、そして、ストーリーも、ナタデココよりも、甘々のラブコメディー作品であるとの情報を仕入れていた秀明は、急に気恥ずかしくなり、

「えっ、あっ、はい……」

と答えるのが精一杯だった。

「やっぱり!『ブレックファストクラブ』も『フェリス~』も観ていて、棚に無かったのは、『恋しくて』だけだったから!このまま借りられますか?」

一気にまくし立てる彼女の言葉に、

「あっ、はい……」

と、壊れた電子機器の様に、同じセリフを繰り返す秀明。

「他にお探しの作品はないですか?」

「いや、今日は、その一本だけで良いです」

そう答えると、

「じゃあ、レンタルの手続きをしますね」

と、サッサとカウンターに向かって歩き出す店員。

あまりに急な展開と、目当ての作品が見つからなかった時は、雨宿りも兼ねて、じっくりと店内のビデオタイトルを見学させてもらおうと考えていた秀明は、内心かなり焦ったが、カウンターに戻った店員は、貸出の手続きをすすめる。



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プロローグ~イノセント・ワールド~②

「レンタル期間は、一週間でよろしいですか?」

「いえ、一泊二日で……」

(ここで会計を済ませてしまうと、この雨の中、外に出ることになってしまう……)

などと困惑していると、

「あっ、勝手にすすめてしまってゴメンナサイ。まだ、雨が強いから、良かったら、そこで休んで行きませんか?」

と、ドリンクの自販機の横に備え付けられたベンチを指差す。

「では、お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」

ペコリとお辞儀をして、一泊二日分のレンタル料金を支払い、

(雨宿りさせてもらうから、自販機でドリンクくらい買ってた方が良いよな)

そんな事を考えながら、ドリンクを選ぼうとすると、

「さっきのお話しの続き、イイですか?」

と、再び声を掛けられる。

何度目かの不意打ちに

「えっ、あっ、はい」

と、これまた何度目かわからない当惑の言葉を返すと……。

アハハ、と声を上げて笑う店員。

「ゴメンナサイ。さっきと同じ反応だったから面白くて」

さすがに、この言葉には、秀明も少しムッとして、

「いやいやいや、そんな風に急に声を掛けられたら、ビックリしますって」

と反論する。

「あっ、ゴメンね。こっちから話してばかりで。でも、『ホーム・アローン』以外で、ヒューズの映画の話が出来るヒトが居ると思うと嬉しくて」

そう言うと、彼女はもう一度「ゴメンナサイ」と言って顔の前で手を合わせた。

この時になって、秀明は、ようやく冷静に彼女の姿をとらえることが出来た。

身長は、一六五センチの自分と同じくらい。

スラリと伸びた手足と大人びた雰囲気、何より店員として働いていることから考えても、中学生の自分よりも、いくつか年上だろうか?

そんな想像を巡らせていると、

「良かったら、雨が止むまで、少しお話しさせてもらえませんか?ビックリさせてしまったお詫びも兼ねて、ココのドリンクをおごらせてもらうから。他にお客さんも居ないしね」

先ほどと同じように、また悪戯っぽい

笑みを見せながら、マイペースで話をすすめる年上と思われる店員に対して、つい敬語になり、

「あ、ありがとうございます」

「何か飲みたいモノはある?」

「じゃあ、ウーロン茶をお願いします」

「は~い」

と返事をして、自販機に硬貨を投入。

ウーロン茶のボタンを二回押し、取り出し口から引き出して、一本をベンチに腰掛けた秀明に差し出す。

「それで、ヒューズ作品についてなんだけど……」

自分もベンチに腰掛け、会話を続ける。

「今まで、どんな作品を観たの?」

「今日、借りた『恋しくて』以外、そこのコーナーにある映画は全部」

「ホントに!?どの作品が良かった?少し感想を聞かせてくれない?」

またしても急な展開に苦笑しながら答える。

「えーと、五本の中では、『ブレックファストクラブ』と『フェリスはある朝突然に』が良かったかな。『素敵な片想い』と『プリティ・イン・ピンク』は、似た様なストーリーだったし……。『ときめきサイエンス』は、伝えたいメッセージは分かるけど、如何にもオタク向けに感じられる、と言うか」

店員は、うんうん、と頷きながら、さらに質問を重ねる

「『ブレックファストクラブ』と『フェリス~』は、どんな所が良かった?」

「う~ん。『ブレックファストクラブ』は、登場人物の設定と言うかキャラクターがリアルなところが良かったかな。学園モノの映画って、イイ奴とイヤな奴がハッキリと描かれている作品が多いと思うけど、この映画は、そんなお約束の型にハマっていないと言うか……。クラスの中でも、グループが違うクラスメートとは、交流もなかったりして、相手が、どんな事を考えたり、どんな事で悩んだりしているのか分からないことも多いけど、色々と話したりすることで、ほんの少しでも『互いに分かり合えた』と思わせるところが、何かイイなぁ、と」

「おぉ~、語ってくれますね~」

ニヤニヤ笑いながら指摘され、秀明は、自分が照れているのを感じた。

しかし、ショップの仕事を放棄中の隣に座る店員は、なおも、興味津々!と言う雰囲気で質問を続ける。

「『フェリスはある朝突然に』は、どんな風に感じた?」

「『フェリス~』は、『ブレックファストクラブ』みたいなリアリティは感じられなかったけど(苦笑)でも、あんな風に平日に学校をサボって、街中でやりたいこと・好きなことが出来たら、楽しいだろうなって言う憧れみたいなモノを感じるかな?日本じゃ絶対に無理だけど。って、アメリカでも、あんなの有り得へんか(笑)」

「そっかそっか」

満足した様子で、傍らの女子店員は、今度は自分から語り出した。

「ジョン・ヒューズの学園を舞台にした映画なら、『ブレックファストクラブ』と『フェリス~』の出来が抜けているのは、ワタシも同意かな。ちょっと、ワタシの方からも語らせてもらって良い?」

「どうぞどうぞ」

「まず、『ブレックファストクラブ』は、学校のクラス内で感じられる階級と言うか《グループ》の存在を明確に描いたことが画期的だと思うの。体育会系のスポーツマン・ファッションに関心の強いお嬢様・成績優秀の優等生・クラスで孤立している不思議少女・クラスメートに関心を持っていない不良少年。これまでの映画でも、個別にこんなキャラクターが描かれることはあったと思うけど……。それぞれのグループに所属するメンバーは、他のグループと交流が無くて、『相手がどんな事を考えているのか分からない』って言うのは、キミの言ったとおりね。それで……」

ココまで一気にまくし立てると、彼女は自分をおちつけるためか、一息ついた。



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プロローグ~イノセント・ワールド~③

今度は、秀明がウンウンと頷き、

「それで、お姉さんの見解は?」

「うん、それで……」

再び何かに取り憑かれたかの様に語り出す。

「その別々のグループに居て交流するハズのないメンバーが、補習授業で一同に集まるってアイディアが素晴らしいと思うの」

「ああ、あの五人が登校してくるシーンの演出、スゴく良いですよね」

映画を観る上で、ストーリーを構成する脚本とともに、映像的演出を重視する秀明も同意する。

「そうそう!あのオープニングの映像だけで五人の個性や特長を分かりやすく伝えているし、同じクラスなのに、接点の無さそうなメンバーが、教室に閉じ込められることで、否応なく他のグループの生徒と向き合わせるという展開は、ホントにスゴいと思う。さらにスゴいのはね、その別々のグループに居る者同士の恋愛を描くことで、新しいドラマを生み出したことかな」

「なるほど!」

一気呵成の意見表明にも反応良く賛同する秀明。

気を良くしたのか、さらに彼女は言葉を続ける。

「あと注目したいのは、クラスで浮いている不思議ちゃんのアリソン。黒づくめのメイクとファッションの《ゴス》少女が映画で取り上げられたのは初めてなんじゃないかな?お嬢様のクレアに、『わたしたちも自分の親みたいになるのかな?絶対にイヤ』って話し掛けられた時のアリソンのセリフが、またイイの!『そうなるわ、必ず……』」

 

「「『大人になると心が死ぬもの』!!」」

 

二人の声がハーモニーの様に重なる。

一瞬の沈黙のあと、アハハハハハハ、と職務放棄中の店員は、今までで、一番大きな声を挙げて笑った。

彼女の声に秀明も声を少し弾ませて

「このセリフ、何か印象に残ってるんですよね」

秀明が答える。

「あ~、驚いた!あのセリフに共感するヒトと話せるとは思わなかったから」

また、嬉しそうに笑う彼女は話しを続け……。

 

「あのセリフは、大人になっても『心が死んでいない』ジョン・ヒューズだからこそ書けたんじゃないかな、と思うのね。だからこそ、この映画、10代の自分たちに共感できる内容になっているんじゃないかと思うんだけど。あ~、この気持ちを共有できるヒトと会えるなんて、清々しい気分!この映画のラストの不良少年ジョンが拳をあげたのは、こんな気持ちなのかな?」

(いや、それは良く分かりませんけど)

と思いながら、秀明は内心で苦笑しつつ、

「お姉さんが嬉しい気分になってくれたなら、ボクも嬉しいですよ」

と笑顔で返しておいた。

「ありがとう。少し雨が小降りになって来たけど、まだ時間は大丈夫?キミに時間があるなら、『フェリスはある朝突然に』についても話したいんだけど……。ダメ、かな……?」

気遣いを見せながらも、すがる様な表情をみてとった秀明は、

「大丈夫ッスよ!」

快活に応える。

「せっかくだから、お姉さんの『フェリス~』論を聞かせて下さい。あっ、『フェリス~』にも気に言っているセリフがあって、主人公のフェリスが、冒頭とラストで観客に向かって言う『人生は、何をするか、ではなく、何をしないか、だ』みたいなセリフなんですけど……」

「そうね!それも、ジョン・ヒューズが10代に贈っているメッセージと言えるかも。フェリスは、映画の中で、たくさん名言を残しているし(笑)でもね、この映画は、一見主人公と思われているフェリス以外の登場人物が重要だと思うの」

「ふ~ん、と言うと?」(どう言うことなんです?)

と疑問に感じながら彼女に発言を促す。

「うん。この映画のフェリスって、他のヒューズ作品の登場人物と違って、完全無敵のヒーローって、感じじゃない?クラスの中でのハミ出し者だけじゃなくて、中心的人物の体育会系男子や流行に敏感な女子にも、それぞれ悩みはある!って描写が、ヒューズ作品の特長なのに……」

「あ~、確かに、フェリスって、映画を観たヒトが共感する存在じゃなくて、『あんな風に自由に生きられたらな』って思う、理想のキャラクターを演じてる気がしますね!」

「そうそう、この映画の本当の主人公は、フェリスの友人のキャメロンと妹のジーニーなんじゃないかな?学校をズル休みしたり、成績を改竄したり、やりたい放題のフェリスに、『あいつは特別だから……』って、ふさぎ込んだり、『どうして、兄貴だけ贔屓されるの……』って、嫉妬したり。でも、そんな二人がラストで自分自身のことについて、前向きになれるところが良いな、って感じるの」

「なるほど……。言われてみれば、友人キャメロンとフェリスの妹の方が共感しやすいキャラクターですね~」

「でしょう?(笑)そして、キミが言ってくれた『人生は、何をするかではなく、何をしないかだ』も、この映画のテーマになってると思う。人間が自分の人生を振り返る時に思うことって、『あの時、こんな事をしなければ良かった』ってことよりも、『あの時、ああしておけば良かった、こうしておけば良かった』って言う後悔なんじゃないか、と思うの。キャメロンは、ふさぎ込んだ性格だけど、それは、将来の進路を指図する父親に遠慮して、自分自身を抑え込んでいるからだと気付いて……。だから、最後にキャメロンが自分を抑圧する父親と対決する、と決意する場面は、ホントに胸が熱くなるなって……」

それまでの冷静沈着な話しぶりから一転、急に感情を込めた口調になった彼女に、秀明は声を掛けられないでいた。



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プロローグ~イノセント・ワールド~④

本日、二度目の沈黙の後、

「あっ、ゴメンね。つい、感情的になって」

「いえいえ。熱いシーンだったと思うのは、ボクも同じですから」

とフォローを入れる。

さらに続けて、

「そう言えば、ジョン・ヒューズ作品は、出演した女優や俳優が、作品を通じてブレイクしていくと言う先見の明があると思うんですけど、『フェリス~』のラストで、妹のジーニーが、薬物使用で収監されているチャーリー・シーンとイイ雰囲気になる場面を観て思ったんですよ。九〇年代になって、薬物中毒になってしまったチャーリー・シーンの将来を見据えているとは、

 

『この方面でも、先見の明あり過ぎだろ、ジョン・ヒューズ!』

 

って……」

そう口にすると……。

プッ、ハハハハハハ、と彼女は声を挙げて笑い、

「キミ、なかなかヒドいコト言うね」

と言いながら、軽く目尻に人差し指を当てる。

「まあ、関西人ですから。あと、最近、聞き始めたラジオの影響かも知れません」

と秀明は返答しつつ、

(ハァ、ウケて良かった)

と胸を撫で下ろしていた。

そんな風に会話が一段落した頃、ちょうど店舗の自動ドアが開き、男性客が入店して来た。

気がつけば雨も上がり、ガラス張りのウィンドウ越しに、店内からでも空が明るくなり始めているのが見てとれる。

「いらっしゃいませ!」

と客に声を掛け、秀明にも、

「じゃあ、仕事にもどるね」

と付け加える。

自分も、お暇するべきか、とベンチから腰を上げた秀明が、ウーロン茶と雨宿りのお礼に

「お話しできて楽しかったです!雨宿りの上に、お茶までいただき、ありがとうございました」

と一礼すると、カウンターに戻った彼女は、店内の防犯カメラの映像を確認しながら、

「あっ、もう一つだけ!『恋しくて』は、『フェリス~』のキャメロンに共感してくれたなら、絶対に面白いと思うよ!もし、次に会う機会があったら、また感想を聞かせて!」

「わかりました」

と、微笑んでうなづく秀明。

さらに、仕事に戻ったハズの彼女が続ける。

「あと、『素敵な片想い』も『プリティ・イン・ピンク』も、良い映画だから、機会があれば、女の子の気持ちになって見直してみて!それに、『ときめきサイエンス』もオタッキー少年に都合が良いだけの映画じゃないと思うから、また見直してみてね」

リクエストまで求める言葉に、

(いやいや、一言だけじゃないんかい(笑)それに、オレの感想にダメ出し!?)

などと感じたものの、口には出さず。

「了解しました。機会があれば是非」

と苦笑しながら、答える。

「長い時間、本当にありがとうございました」

と付け加えると、

「こちらこそ、お付き合いありがとうね。またのご来店をお待ちしております。あっ、見終わったビデオは巻き戻しておいてね。有間秀明クン!」

と告げて、本来の仕事に戻った店員は、丁寧にお辞儀をしてくれた。

ショップから出た秀明は帰途に着くべく、ブライアン号で、住宅街の中の緩やかな坂を下りながら、

 

(ビデオを借りに来て、映画の感想を求められるとは……)

(しかも、持論を展開した上に、最後はコッチの感想のダメ出しかい!)

(会員証を見たのか、名前まで把握されてるし)

(変わったショップやったな)

(───でも、まあ……。面白かったけど───)

 

と、数十分の間に起きた事を回想し、頭の中を整理していた。

 

 

有間家の両親は、それぞれ公務員と看護師の仕事に就く共働きであった。

帰宅の遅い両親に代わり、夕食の支度をするのが、夏休みに入ってからの秀明の日課となっていた。

この日は、夕方までビデオ探索に出る予定を立てていたので、あらかじめ午前中に、夕食用のパスタソースを作り、冷蔵庫に入れて保存しておいた。

帰宅して、準備していたパスタを食べたあと、記念すべき500本目のタイトルである『恋しくて』を観賞し終えた秀明は、

 

(面白い!これぞ、ジョン・ヒューズの学園モノの集大成だ!!)

(ストーンズの『Miss Amanda Jones 』が流れるシーンは良かったな~)

(確かに、『フェリス~』のキャメロンと、この映画の主人公キースを通して描かれるテーマは同じだ!)

(でも、何と言っても幼馴染みのワッツを選ぶラストが最高!やっぱり、最後に選ばれるのは、幼馴染みでしょう!)

 

などと感じたことを作品の基本データとともに、映画の感想をまとめたキャンパスノートに綴った。

 

 

翌日、秀明が昨日借りたビデオテープを『ビデオ・アーカイブス仁川店』に返却しに行くと、カウンターには、中年と思われる男性が立っていた。

 

(昨日のお姉さんは、今日は休みなのかな?)

 

思いきってカウンターに立つ男性に、昨日会話を交わした女性店員についてたずねようかとも考えたが、不審がられるか、とも思い、事務的な返却作業をしてもらった後は、昨日と同じ様に家路に着いた。

その後、何度かこのレンタル店の近くに立ち寄った時に店内を覗いたものの、彼女らしき人物が店番をしているのを見ることはなかった───。



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プロローグ~イノセント・ワールド~⑤

こうして、夏休みも明け、中学三年の後半を迎える頃には、進学先の高校を決める季節になる。

秀明は、彼の通う中学校の生徒の多くが通う学区内の高校ではなく、今年度に市内に創設され、秀明たちの学年が二期生となる単位制高校を志望校に選んだ。

一般の学年制高校とは異なり、「習得する単位を一定の中から自由に選択でき、自分の進路に合った授業を学べる」という謳い文句が気に入ったからだ。

 

(自分の興味のある分野や教科を優先的に学べるのは大学や海外の学校の様で面白そう)

 

と感じたからでもある。

幸いなことに、定期試験中でもほとんど学習机に向かわない、という怠惰を極めた勉学スタイルであろうと、中学校までの学習内容なら、秀明は学年でも上位の成績をキープできており、内申点なども問題にならなかった。

彼の志望校である県立稲野高校単位制過程のクラスは、筆記試験とともに、小論文および面接試験が課せられたが、秀明の通う大荘北中学でも小論文対策や模擬面接が行われ、入試対策にも大きな問題はなかった。

高校受験前の年末年始も滞りなく過ぎ去り、いざ試験本番まで、残りわずか、となった時期に、《あの日》を迎えることになる。

 

 

一九九五年一月十七日午前五時四十六分。

 

明石海峡を震源とするマグニチュード七.三の大地震が、兵庫県南部を中心とする近畿地方を襲った。

都市直下型の地震ということもあり、神戸市をはじめとする阪神地区は、特に甚大な被害に見舞われた。

幸運なことに、秀明の住む市域は、活断層から少し逸れた場所にあったため、家屋の倒壊は免れ、ライフラインの復旧も迅速に行われるなど、生活基盤を比較的早く取り戻すことができた。

それでも、秀明には気になることが二つあった。

一つは、震災の影響で、約一ヶ月の延期となった高校入試。

そして、もう一つは、あの夏の日に会話を交わした職務放棄気味だった女子店員とビデオショップ『ビデオ・アーカイブス仁川店』の現状だった。

実際、件のビデオ店から数百メートルほどの場所にある競馬場は、アーチ状の大屋根が大きく破損するなど、近隣の被害規模は、秀明の自宅周辺よりも大きなことが予想された。

 

(入試が終わったら、また、『ビデオ・アーカイブス』に行ってみるか)

 

そんなことを考えつつ、中学生活最後の関門となる高校入試当日を迎え、筆記試験、小論文、面接試験を何とか無事にやり過ごし、あとは、合格発表を待つ身となった。

入試本番が金曜日だったので、翌日の土曜日、秀明は愛車に跨がり、ビデオショップを目指した。

途中、ひび割れたアスファルトの道路や補修中の橋脚など、地震の爪跡を感じさせる箇所を迂回しながら、目的の場所に到着する。

震災から一ヶ月が経過し、周辺でも営業を再開している店舗があり、秀明の心配の種であるビデオショップも、その例に漏れていなかった。

(良かった!このショップも無事だった)

安堵して、店内に入る。

しかし、カウンターで作業をしているのは、夏にビデオ・テープを返却した時の中年男性だった。

少し気落ちしたものの、今度は、意を決して、作業中の男性にたずねてみた。

「あの、すいません。去年の夏にこちらのショップで、ビデオをレンタルさせてもらったんですけど」

「はい?」

と怪訝そうに返事をする男性店員。

秀明は、構わず続ける。

「その時、夕立の雨宿りを兼ねて、ここのベンチで、映画の女性の店員さんとお話しをさせてもらったんですけど、そのお姉さんは、まだ、こちらのショップで働いていますか?」

一気に喋りきったあと、

(ああ~!「ですけど」とか「こちらのショップで」とか何回言うてんねん!それより、ちゃんと伝わってるかな?)

などと、思いきって問い掛けた後の緊張が途切れ、秀明は一気に気恥ずかしさを感じていた。

そんな秀明の感情をよそに、

「あぁ、あーチャンが言うてたジョン・ヒューズの話をしたのは君か?」

と、気の抜けた様な声で一人納得する中年男性。さらに、気安く話しかけるように、

「ごめんな。彼女は、夏休み限定で店を手伝ってもらう約束やったから、今は働いてないねん」

「……そうですか」

店内に入った時よりも一層、気落ちしたものの、秀明は質問を続けた。

「あの……、お姉さん、あーチャンさんは、地震で被害に遭ったりは、しなかったでしょうか?」

「ん?心配してくれてありがとう。今は店には来てないけど、彼女も家族も無事やから、安心して」

「そうですか!良かったです」

と安堵して秀明が答えると、

「まあ、ウチの店の方は大変やったけどな~」

と冗談めかして苦笑する。

一月の震災では、地震発生時のコンビニエンスストアの防犯カメラなどに、店内陳列物が崩れ落ちる映像が数多く残されており、日本中が衝撃を受けていた。当然、店内にところ狭しとビデオソフトが並んでいるショップなら、その様子も想像でき……。

「あっ、すいません。そうですよね。お店の方も心配だったんです。店内とか大変だったと思うんですけど……。何て言うか、お店が再開されていて良かったです」

焦って答える秀明に、男性店員は、ハハハと笑い、続ける。

「ありがとう。君、面白い子やな。あーチャンにも、君が店に来てくれたことと、あーチャンを心配してくれていたことは、伝えとくわ」

「ありがとうございます!よろしくお願いします」

と、弾かれた様にお辞儀する秀明。

「はい、頼まれときます。ところで、今日は何か借りて行ってくれるの?」

「そうですね、何かオススメ作品は、ありますか?」

「『ブレックファストクラブ』の話をしたなら、エミリオ・エステベスつながりで、『セント・エルモス・ファイヤー』は、どうかな?他にも、共演者が被ってるし。まあ、《ブラッド・パック》って言っても君らには通じないな(笑)まだ、観てなければ、やけど・・・・・。」

「まだ、観てないので、お願いします!一泊二日のレンタルで!」

語りたがりの少女との再会は叶わなかったものの、彼女とショップの無事を確認できたことは、秀明にとって大きな収穫だった。

晴れやかな気分でこの週末を過ごすことが出来た彼の映画ノートには、543本目となる作品の感想が加わる。

 

(この映画、鈴木保奈美主演のドラマ『愛と言う名のもとに』の元ネタ?)

 

さらに、数日後、志望校の合格発表があり、秀明は、同じ中学のメンバー4人全員とともに、無事に自分受験番号が掲示板にあることを確認することが出来た。

この年の春は、秀明自身の関心事の他にも、

 

・日本人投手の米メジャーリーグ移籍

・東京での地下鉄テロ事件

 

など、激動の年に相応しい、大きなニュースが起きている。

 

そんな中でも、秀明は残り少ない中学校生活と春休みの間も映画漬けの日々を満喫し、その中には、映画館で観賞した『レオン』と『フォレストガンプ』が含まれていた。

 

こうして、有間秀明は、一九九五年の四月を迎えることになる。

観賞した映画の本数は、五五〇本になっていた。



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第1章~Real Wild Child~①

宇宙人や未来人や異世界人や超能力者などが本当に存在しているかということは、特撮映画やSF小説・コミックなどを好む者にとって、子どもの頃に良く自問することかもしれない。

だが、有間秀明に関して言えば、確信を持って言えるが、そんなものは、最初から信じていなかった。

 

彼は、子供の頃から、ゴールデンタイムに放送してた『インチキUFO番組』に出てくる謎のメキシコ人にはツッコミを入れていたし、『ハンドパワー』を操ると豪語する超魔術師には、甚だウサン臭いものを感じとってていた。

 

しかし、そんな賢しらぶった少年時代を過ごした有間秀明なのだが、一方で、少年マンガにありがちな「毎日が文化祭的なドタバタ学園生活」のような日常が、現実には存在しないことに気付いたのは、相当後になってからのことだ。

 

(俺が、朝目が覚めて夜眠るまでのこのフツーな世界に比べて、少年マンガ的学園生活で描かれる世界の、なんと魅力的なことか!)

(俺もこんな世界に生まれたかった!!)

 

しかし、現実というものは、いつも厳しい。

実際のところ、毎朝お弁当を作って、部屋まで起こしに来てくれる「隣りに住む幼馴染み」や、周りの連中をアジって始終騒動を起こす「メガネ」がクラスにいるなんて事は、皆無だったし、何でも出来るのに好きな相手には素直になれない「美人の生徒会長」や頭のユルいマッドサイエンティストが作った「サイボーグ」などの友人に恵まれる事もなかった(タイムトラベラーや超能力者の存在は信じないのに、機械人間の様な存在は信じるのかというツッコミは、さておき)。

日々つつがなく進行していく日常世界を過ごしながら、秀明はいつしかこれら少年マンガの様な夢想をすることもなくなっていた。

 

(そんな事あるワケないか、でも少しはあって欲しい……)

 

などと、一般社会に迎合しつつ、ささやかに夢をみる、くらいにまで彼も成長したのだ。

そんなことを頭の片隅でぼんやり考えながら、有間秀明は高校生になり……、

 

(それなら、自分から何かを発信してみるか!?)

 

と余計なことを思い付いた。

県立稲野高校の入学式も、つつがなく終了し、体育館から彼らのクラスである一年B組の教室に向かう途中のことである。

 

 

設立二年目となる稲野高校の単位制カリキュラムを実施するクラスは、A組~C組の三クラスに別れていた。

秀明たちが配属された一年B組の担任、大学を卒業後に教職に就いて三年目の英語教師、東野明子教諭は、

 

・単位制によるカリキュラムは、県下初の試みであること

・その二期生にあたるこの学年は、単位制システムの将来の評価に大きな比重を占めること

・いずれにせよ、高校生活は、中学までの義務教育とは違うのだから、自覚して勉学と学生生活の向上に励むこと

 

など、生徒の立場からすると、甚だしく気力を削がれる訓示(というのか?)を述べたあと、『言うべきことリスト』が書かれていると思しきメモ帳をたたむ。

 

(それは、教職員側の言い分であって、生徒のモチベーション向上には繋がらない内容なんじゃないですかね?)

 

などと、秀明が心の中で不遜なツッコミを入れていると、言っておくべきことを終えた英語教師は、こう続けた。

 

「じゃあ、各自に自己紹介をしてもらおうかな。座席の順に有間から」

 

「じゃあ、各自に自己紹介をしてもらおうかな。座席の順に有間から」

 

男女別に、五十音の姓名順に並んだ座席の窓際最前列に座る秀明に起立を促した。

 

「大荘北中出身、有間秀明です」

 

名前を告げたあと、一拍おいて

 

「趣味は、映画観賞、競馬観戦、深夜のラジオ番組を聴くこと。好きな映画作品は、ジョン・ヒューズ監督の学園モノ作品です。そんな訳で、このクラスに、映画、競馬、ラジオ番組などに興味があるヒトがいたら、ボクのところに話しに来て下さい。以上……です!」

 

そう言って、クラスメートからお約束の拍手を受けとると、席に着く。

 

有間秀明が行った自己紹介のついでに、中学生時代を映画とともに過ごして来た彼が、この時期、他に夢中になっていたものについて、補足をしておこう。

 

彼が中学生時代後期から熱中していたものの一つが競馬観戦で、中学二年の秋にプレイし始めた競馬シミュレーションゲームにどっぷりとハマり、その年の暮れの有馬記念で競馬史上に残る名馬の《奇跡の復活》劇を目の当たりにして、彼の競馬という競技に対する興味は、俄然高まった。

さらに、彼が中学三年になった翌年には、10年ぶりにクラシック三冠馬が誕生したこともあり、この時期は、競馬そのものがスポーツ新聞やスポーツニュースだけでなく、一般のニュースやドキュメンタリー番組などで取り上げられる機会も多かった。

(多くの読者の予想するところであろうが、秀明の愛車ブライアン号は、この年の三冠馬から名付けられている)

 

そして、彼が夢中になっているもう一つの趣味は、深夜ラジオを聴くことだ。

歌手・声優・局アナ・お笑い芸人など、様々なジャンルの人々が語り手としてラジオ番組を盛り上げていたが、中でも、秀明のお気に入りは、関西ローカル局が制作する《深夜の情報判断番組》を標榜するトーク番組と《オリジナル・サウンド・ドラッグ》なる怪しげなコンセプトを掲げる映画紹介番組であった。

前者からは、超常現象や芸能界から政治・社会情勢に至るまであらゆる物事を斜めから見る方法を、後者からは、映画制作者の趣味嗜好・性癖から作品のテーマを邪推・・・もとい、推察する楽しさを吸収し、彼の世間に対する見解や映画の観賞態度に大きな影響を与えていた。

 

(まあ、マンガのキャラみたいな友達は無理にしても、話しの合う人間の二~三人くらいは出来るだろ)

 



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第1章~Real Wild Child~②

余談に近い筆者の補足説明と秀明の内心をよそに、後続のクラスメートの自己紹介が続く。

「六庫東中学校出身の伊藤大地です」

秀明の後方座席である伊藤、梅原と出席番号順に自己紹介が続き、窓際の列の生徒が語り終わると、秀明の隣の男子が立ち上がった。

細身の体躯と色白の肌が印象的で、目付きは鋭く、海外のロックシンガーの様だ。

(PVで観た『リアル・ワイルド・チャイルド』のイギー・ポップみたいやな)

秀明が、そんな風に観察していると、

 

「深洲中学出身の坂野昭聞です。昭和の昭と新聞の聞で《あきひろ》と読みます。ボクのことは、気軽にブンちゃんと呼んで下さい。中学時代は、放送部に所属していました。洋楽を中心とした音楽と、あと、隣の席の人と同じくラジオ番組を聴くのが好きなので、高校でも放送部に入ろうと考えてます。高校生活で何か面白いことをやってみたいと思う人が居たらヨロシク!」

 

あらかじめ紹介文を考えていたのだろうか、なめらかな口調で自己紹介を終えた男子は、着席する前に、秀明に向かって、もう一度「ヨロシクな」と付け加えた。

不意のことに、「あ、どーも」と返答しながら、

 

(入学の時点で、自分のやりたいことを明確に言えるなんて、スゲーな坂野氏もとい、ブンちゃん)

 

と感じながら、他のクラスメートとともに、拍手を送る秀明。

続く生徒たちも、出身中学や趣味のことなどを織り交ぜながら、無難に自己紹介を終えて行く。

 

「じゃあ、最後は吉野」

 

担任教師が告げる。

ホームルームの時間をたっぷり一コマ分利用した一年B組の自己紹介の掉尾に当たった女生徒が、教室の窓際最後方の座席から立ち上がった。

彼女とは、二十メートル程度は離れているであろう、教室の対角線上に位置する秀明の席からも、印象的な長い黒髪とともに、目鼻立ちの整った容姿であることがわかった。

 

「甲稜中学校出身の吉野亜莉寿です。変わった名前だと言われることも多いですが、両親が好きな小説家の名前から名付けられました。自分も、小説を読んだり、映画を観たりするのが好きなので、良ければ、お話ししに来て下さい。一年間よろしくお願いします」

 

ハキハキと、しかも、落ち着いた声色で紹介を終えたあと、吉野亜莉寿は、教室の隅の席から対角線上に視線を向けて、ニッコリと微笑んだ。

瞬間、彼女の顔を正面から見ることの出来る男子生徒十名ほどから、声にならない声が上がるのを感じた。

 

(えっ!?あのコと目が合った??オレの方を見て笑ってる!?)

(……って、そんなことある訳ないか(笑)自分の周りの男子も、みんなそう思ってるよな)

 

一瞬の動揺の後、努めて冷静さを取り戻そうとした秀明が、その微笑みの理由を知るのは、まだ先のことであった。

 

 

ホームルームの時間が終わり、休み時間が始まると、早速、隣の席の坂野昭聞が秀明に声を掛けてきた。

「なあ、映画が好きって言ってたけど、どんな映画が好きなん?」

「ん~、基本的にどんなジャンルの映画でも観るけど、自己紹介の時に話したジョン・ヒューズ以外の作品なら、おバカで熱いノリの映画かな?バズ・ラーマンの『ダンシング・ヒーロー』とか!ダンシング・ヒーローって言うても、荻野目洋子は関係ないで(笑)!あと、『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』は、七十二回観た!ウソやけど……」

余計な小ボケを挟む秀明に、「わかってるわ」と返す昭聞。

さらに、何かを確信したのか、意を決したかの様に、続けてこんな事を聞く。

「ラジオを聴くのも趣味って言うてたけど、土日の深夜にラジオ聴いてへん?」

「ん?聴いてるけど、ABCラジオの『アシッド映画館』と『サイキック青年団』」

 

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

と、コーテーションマークが、いくつも周囲を取りかこんだ様な表情をした昭聞が興奮した様子で続ける。

 

「やっぱ、そうか!まさか、高校であの番組のリスナーに会えるとは思わんかった!」

テンションを上げる昭聞の言葉に

「なになに、何の話ししてんの?」

と、伊藤、梅原の二人が加わってきた。

「どんなラジオ番組を聞いてるか?って話。二人は、受験勉強の時にラジオとか聞いてた?」

秀明がたずねると、

「オレは、ミューパラ、『ミュージックパラダイス』やな」

と伊藤。続けて梅原が、

「オイラは、『ブンブンリクエスト』派やわ」

「二人は、こんな感じらしいですよ坂野氏、もとい、ブンちゃんと呼ばせてもらうわ。で、何の話やったっけ?」

昭聞に話を振り、会話の続きを促す秀明。

すると、無駄話しに興じている男子四人組の輪に、一人の女子が加わってきた。

 

 

「なあなあ、有間に聞きたいことがあるんやけど、ちょっとイイ?」

そうたずねるのは、正田舞。秀明と同じ大荘北中学の出身の女子生徒である。

「ん?何、ショウさん」

中学時代の彼女の愛称を呼んで答える秀明に

「吉野さんと有間って、知り合い?」

そうたずねる。

「いや、会ったことないと思うけど……?」

「そっか。あのコ、自己紹介の最後で笑った時に、何か言いたそうな表情やったな、と思って。……で、どこを見てるのかなって、視線を追ったら有間の席の方を見てるみたいやったから」

「そうなん?いや、自分でも一瞬、《吉野さんと目が合った?》とか思ったけどさ。そんな『アイドルのコンサートに行って、《あのヒトと目が合った~》って喜ぶ、イタいファンじゃないんやから』って、自分にツッコミ入れてたところやわ」

苦笑しながら返答する。

「いや、私が、男子の席を見たときは、みんなアホみたい顔して、吉野さんに見とれてた様に感じたけどな~」

と感想を述べる同級生女子。

「女子にどう見えたかは、男子からは知りようが無いので、そこは、ノーコメントで……」

秀明が、再び苦笑いで答えると

「うーん。やっぱり、直接本人に聞く方が早いか」

「そうして。この学校には、ショウさん以外に女子の知り合いはいないと思うから」

「まあ、あんな可愛いコが、有間の知り合いな訳ないか」

彼女がニヤニヤと笑い、遠慮なしに言うと、周囲の男子三人も、「そら、そうやな」と納得の言葉を口にする。

「おい!ショウさんはともかく、今日が初対面のお前らに失礼なコトを言われる筋合いは無いゾ!!」

とバラエティー番組のひな壇芸人の様に立ち上がって言い返す秀明に、

「大丈夫!女子に縁の無さそうなことくらい、今までの流れでわかるから。お前も、アイドルのライブで、客席からライトを振ってる側の人間やろう?」

昭聞は間髪いれずに返答し、秀明の肩に優しく手を置く。

「誰がアイドルオタクやねん!!って……、ちょっと、四人とも可哀想なコを見るみたいな目で見るのは止めて!」

 

これまで以上に馬鹿馬鹿しいノリになってきたのを見てとり、気さくな女子は「お邪魔しました~」と言って、秀明たちの元を去る。

「あっ、ショウさん!何かわかったことがあったら、また教えて」

と、秀明が立ち去る彼女に声を掛けると、「りょ~かい!」と振り向かずに右手でサムアップをして返答した。

「正田さんって、有間と同じ中学やったん?」

伊藤がたずねる。

「そう。ウチのクラスのツジモっちゃんとC組の浜名と同中(おなちゅう)は、オレら四人。女子はショウさんだけ」

秀明が答えを返すと、昭聞は話題を変えた。

「正田さんの話しで思い出したけど、吉野さんのあの笑顔はヤバいな。あれはイカン。あれは、《童貞を殺す笑顔》やわ」

「《童貞を殺す》って。それなら、ウチのクラスの男子の八割以上が、殺されてるやろ」

と、笑いながらツッコミを入れる秀明。さらに続けて

「それに、女子慣れしてないオトコなら、むしろショウさんみたいな気さくに話し掛けてくれる女子に惹かれると思うけどな、長い目でみたら……」

と自身の見解を加えた。

 

秀明には、吉野亜莉寿の意図が含まれた様な笑顔に「アホ面を晒していた」と呆れられる男子たちの見解より、「何か言いたそうな表情だった」という女子の直感の方が気になっていた。



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第1章~Real Wild Child~③

入学式と翌週初めの実力テストが終了すると、稲野高校でも本格的に授業がスタートした。

 

ここで、秀明たちが通う稲野高校の単位制の授業の特色を説明しておこう。

単位制によるカリキュラムには、秀明が、この学校を志望した理由でもある「授業科目を自由に選択できる」という特長がある。そして、科目を自由に選択できるということは、生徒それぞれで受ける授業も異なるということになる。

そのため、同じクラスの生徒であっても、常に同じメンバーで同じ授業を受けるということは少なくなる。

例えば、文系科目を中心に選択した秀明・昭聞と、理系科目を中心に選択した伊藤・梅原は、同じクラスでありながら、別の教室で異なる担当教諭の授業を受けることが多かった。

なお、秀明たち一年次のクラス配属については、高校授業の必須科目である芸術分野のうち、

 

・美術選択者:一年A組(男子八名・女子三十二名)

・音楽選択者:一年B組(男子十六名・女子二十四名)

・書道選択者:一年C組(男子二十二名・女子十八名)

 

このように振り分けが成されていた。

また、こうした単位制システムの副産物として、一般的な普通科高校の学年制カリキュラムによるクラス編成に比べて、単位制に通う生徒のクラスへの帰属意識は、比較的ゆるやかなものになるのも特色と言えるかも知れない。

このことが、一年B組の昼休みの風景に大きな影響を及ぼすことになる。

 

授業開始後、数日が経過して昼休みに集うメンバーが固まり始めた頃、教室の片隅組である秀明、昭聞、伊藤、梅原も互いに敬称抜きの姓名もしくは愛称で呼び合う仲になっていた。

この日の話題は日曜日に行われる中央競馬のメインレース皐月賞から始まった。

「秀明、週末の皐月賞どうなると思う?」

「う~ん、フジキセキの離脱がなぁ。残念やなぁ。梅ちゃんの見解は?」

「オイラは、むしろ人気薄の可能性が高まって嬉しい!」

「……」

 

四人の会話が始まると、

 

「おっ、皐月賞の検討会か?」

と、一年B組の委員長に選ばれたばかりの竹本剛志が加わってきた。

「委員長は、どう思う?今年の皐月賞」

「そら、タヤスツヨシやろ。オレと同じ名前のツヨシやし!」

「そっか~。けど、タヤスツヨシは、去年のたんぱ杯を勝って以降、今年になってからは人気を裏切り続けてるのがなぁ」

「そもそも、一番人気がどの馬かワカラン」

「……」

「フジキセキの勝ち方からして、ホッカイルソーか?弥生賞では、五馬身ちぎられてるけど」

「馬柱的に見れば、ダイタクテイオー、ナリタキングオー、ジェニュインも人気するやろ?」

「ダイタクテイオーはなぁ・・・。毎日杯勝ちの馬が押し出されて人気の時って、典型的な危険馬やろ?ナリタキングオーは、三年連続でナリタの馬が皐月賞馬になるほど上手く行くか?って、感じはするし、ジェニュインにしても、前走は結果的に一着やけど、降着してルイジアナボーイに五馬身離されてるのがなぁ」

「よし、ここはイブキタモンヤグラやな!」

 

「「「「梅ちゃん、タモンヤグラって言いたいだけやろ!!!!」」」」

 

ここで、勝手に盛り上がる四人にイラついたのか、はたまた競馬には造詣が浅く会話に加われないフラストレーションが溜まったのか、ここまで無言を貫いてきた伊藤大地が声を挙げた!

 

「あぁ~、もう!高校生が昼休みにする話しが競馬の話でイイんか!?会社員のオッサンのランチやないねん!高校生らしく、もっと、他に話すことがあるやろ!!」

 

「ゴメンゴメン!優等生の伊藤クンに怒られたから帰るわ」

と、笑いながら自席に退散する竹本委員長。

伊藤の剣幕に、場を和ませようと

「じゃあ、高校生らしい話題って、どんな話しよ?」

と笑いながら、たずねる秀明に、

 

「それは……。お昼の時間やし、彼女が出来たら、どんなお弁当を作って欲しいとか……色々あるやろ」

 

瞬間、時が止まったかの様に空気が固まり、発言者をのぞいた三人は、必死に笑いをこらえた。

 

「あのな、伊藤クン。あえて、クン付けで呼ばせてもらうけど、伊藤クン!モテない高校生男子のために、お弁当を作ってくれる女の子なんて、『スレイヤーズ』とか『ロードス島戦記』に出てくるモンスターと同じで、空想上の生き物なんやで」

 

と、笑いをかみ殺しながら、宇宙人の存在を信じる人間を諭す様に、優しく語りかける昭聞。

 

「そうそう!義務教育で習ったやろ?六庫東中学校では、そういう授業なかった?」

 

と、肩を震わせながら、たたみかける秀明。

梅原慶明は、三人の姿を楽しそうに見守る。



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第1章~Real Wild Child~④

この様に、わずか数日の間で、彼ら四人の会話には、役割分担が出来つつあった。

 

間合いやタイミングを計りながら、三人に話しを振る有間秀明。

振られた話題に天然ぶりを発揮して、場を盛り上げる伊藤大地。

毒舌とも言える切れ味でツッコミを入れ、笑いをとる坂野昭聞。

空気を読みながら、適度な相づちで会話を円滑にする梅原慶明。

 

さらに、伊藤の天然ボケや坂野のツッコミに、秀明が火に油を注ぐが如く茶々を入れると、彼らの会話は永久機関の様に無限に拡がりをみせた。

「そうそう、お弁当と言えば、ドーナツチェーンのキャンペーンCM覚えてる?」

と秀明が三人にたずねる。

「あぁ~、あのネタをココで出すか?」

ニヤニヤと笑う昭聞。

「なになに、何の話しよ?」

あくどい笑みを浮かべる二人の話しに梅原が食いつく。

「これは、オレとブンちゃんが聴いてるラジオで話してたことなんやけど……」

秀明は語り始めた。

「去年さ、某ドーナツチェーンが、スクラッチカードの得点を集めてお弁当箱をもらえる恒例の企画をしてたやろ?その一環で、CMに出演してる《人気アイドルが手作りしたお弁当を抽選で一名にプレゼント》っていうキャンペーン企画があったのよ」

「ああ!確かに、手作りマフィンとかお弁当箱とかCMしてたよな」

梅原が反応する。

「さすが、テレビっ子の梅ちゃん!そうそう!しかも、手作りしたお弁当は、そのアイドルが直接お届けしてくれるというオマケ付きだった訳よ」

ここで、たっぷりと間を置いて秀明は続ける。

「……で、このプレゼント、どんな人が当選したと思う?」

「そういう企画なら、応募するのは、そのアイドルのファンやろうし、普通にファンが当選したんと違うの?」

純粋無垢な伊藤は、そう答える。

「と思うよな?ところが、このプレゼントに当選したのは、十四歳の女の子でした、というオチ」

そして、食べ終わった弁当箱を横にどけて、机をドンッ!と叩き、

 

「ちょっと待て、と!こういう企画なら、応募者の九十九・九パーセントは、そのアイドルのファンやろう?なぁ、ブンちゃん」

 

「そう!」

 

声色を低くした昭聞が続ける。

「『早く、アノ娘のおべんとうが食べたい~』って、妖怪人間みたいなファンが、ドーナツを大量にむさぼりながら、複数応募してたと想像するね」

「ミスドやし、普通に女の子が当選してもおかしくないんちゃう?」

と梅原が答えるも、

「いや、ブンちゃんの言うとおり、ファンが一人で大量応募することを考えると、確率からして、無作為の抽選が行われたとは考えにくいんちゃう?当選者の女の子がヤラせだったとまでは言わんけど、初めから当選するタイプのヒトは、決まってたんじゃないかな?」

秀明が見解を述べると、さらに、昭聞が続ける。

「『あの人気アイドルが、どんな濃いファンと遭遇するんやろう?』って、期待してたのに!ホンマにドーナツチェーンには、ガッカリやわ!」

そして、飲み終えた紙パックのドリンクを握りしめ、

「『ファンが、どんな気持ちでドーナツを大量購入したのか、わかってるのか!?』と関係者には問いたい!」

最後に秀明がダメを押す。

 

「ドーナツ大量に食べて応募しても、この仕打ちやからね(笑)企業キャンペーンですら、オトコの夢は打ち砕かれるねん。なっ!?これでわかったやろ?かわいい女の子がアイドルファンになる様なオトコにお弁当を作ってくれるなんて、現実世界では有り得ないのよ!!ここ、次の定期テストに出るから忘れたらアカンで」

 

絶妙なコンビネーションで、ネタを披露する二人に、伊藤大地は無言で感心していた。

一方、梅原は思い出した様に付け加える。

「そう言えば、あのアイドルって、先月フジテレビのオークション番組にも出てなかった?落札者と一緒に映画を観るとか何とか」

(筆者注:この頃、芸能人を初めとした有名人に所縁のある《品物》や、その有名人に様々なことをしてもらう《権利》を一般視聴者がオークション形式で落札するバラエティー番組が実在した)

「あったな~!あのアイドルが主演した映画を彼女と二人で観る権利!落札価格は、五十八万円やったっけ?ドーナツチェーンのお弁当キャンペーンとは違うかたちで、ファンのガチンコぶりが見れたな」

秀明が即座に反応する。

昭聞が続けて、

「映画を観たあとは、手を繋いでくれるって、オプションもあったよな!アイドルと映画デートもどきのシチュエーションを体験しようと思ったら、お値段五十八万円か……。切ないな~」

後の国民的アイドルなどが行う握手会ビジネスにも通じる悲哀を感じさせる案件である。

 

「まあ、我々のような、将来的にアイドルコンサートの客席に座ってる人間にとっては、《人気アイドル級の美少女と映画デートが出来るということには、それだけの価値がある》と考えるしかないかな?あの映画には、一ミリも興味ないけど(笑)。そういうことやろ、ブンちゃん?」

「まあ、映画の原作者である『折原みと先生の大ファン』である俺からしたら、作品を揶揄するようなヤツらは許さへんけどな(笑)」

「ボケてるのか、素なのかわからんネタで落とすのは止めてくれ」

秀明が、そう言って会話を締めたと同時に昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

この時、ボンクラ四人組の馬鹿話を眺めながら、教室内で、ため息をつくクラスメートがいたことに、彼らは気づかなかった。

四月中旬の穏やかな春の出来事である。



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第1章~Real Wild Child~⑤

翌週の月曜日の昼休み、秀明たち四人組が日曜日に行われた皐月賞のレース回顧をしていると、竹本委員長と梅原と同じ中学校の出身であるクラスメートの三津屋がやってきた。

「おめでとう委員長!タヤスツヨシ負けてなお強しの二着やったな!直線の長くなるダービーなら一番人気確定じゃない?」

「オレの言ったとおり、タヤスツヨシ来たやろ?でも、あそこまで、ジェニュインを追い詰めたら勝ってほしかったけどな~」

この日も、言いたいことだけ言うと、委員長は、自席に戻る。

秀明は、自分たちの元に残った新たな来訪者に声を掛ける。

「三津屋クンは、何か話したいことがあった?」

「伊藤クンと梅ちゃんから、『ここで何か面白い話しをしてる』って聞いたから」

理系志望の彼は、伊藤、梅原と同じ授業を受けることが多く、彼らから昼休みの話題を聞きつけたらしい。

昼休みに秀明の元に集うメンバーは五名となり、この時点で、一年B組内に形成されるいくつかのグループのうちの最大勢力となりつつあった。

「やっぱり、単位制に進学志望する人間は変わってるな。こんな話しをしてるメンバーがクラス内最大派閥になるとは」

昭聞がつぶやくと、秀明はすかさず返す。

「ブンちゃん、自覚できてるか知らんけど、自分もその一員なんやで」

などと相変わらずの掛け合いを続けていると、約一週間ぶりに正田舞が輪に加わってきた。

 

「わっ!ボンクラーズの人数が増えてる」

 

笑いながら会話に加わる彼女につられて、新規加入の三津屋が照れて笑う。

 

「『ボンクラーズ』って!いや、確かにその通りのネーミングやけど」

秀明がツッコミを入れると、

「私が名付けたんじゃないで(笑)女子の間で、そう呼ばれ始めてるの知らんかった?」

 

入学式から、わずか一週間足らずで、このメンバーは、良くも悪くも(いや良い要素はほぼ無いのだが)クラス内で目立つ存在になりつつある様だった。

「それは、存じ上げませんでした」

と答えた秀明は、女子の来訪を歓迎し質問する。

「ところで、ショウさん。今日も何か聞きたいことでもあるの?」

「いや、その逆。先週、頼まれたことを伝えようと思ったんやけど……。あまり大勢のいるところでする話しでも無いな~。有間、今日帰りの時間合わせられる?」

そう聞き返す舞に、秀明は一瞬、考える。

中学三年の夏休み以来、家庭内の炊事全般を任されていた彼は、普段、高校の授業が終わると、真っ先に教室を後にして帰路に着くことにしていた訳なのだが・・・。

「うん。今日必要な買い物は済ませてるから、そんなに遅い時間じゃなければ大丈夫!」

と答える。

「じゃあ、放課後、猪名寺駅の改札で待ってて」

正田舞は、そう答えて去っていった。

 

 

県下の様々な地域から生徒が集う稲野高校の単位制クラスは、鉄道による通学者が多くを占めており、自宅の最寄り駅の場所によって、校舎に隣接する位置にある猪名寺駅を利用する組と、校舎からは数百メートル離れた位置にある稲野駅を利用する組に分かれる。

その日の放課後、他のクラスメートと話し込んでいる梅原、稲野駅から帰宅する伊藤と校門で別れた秀明は、帰宅方向が同じである昭聞と、猪名寺駅の改札口で雑談をしていた。

「ショウさんの話しって、やっぱり吉野さんのことかな?」

「さぁ?でも他に正田さんに頼んでたことがないなら、そうなんちゃうの?」

そんな話しをしていると、二人の元に正田舞がやってきた。

「あっ、坂野クンと二人なんや」

と彼女が二人に声を掛けると、昭聞は、

「ゴメン、帰る方向が同じやから。正田さんの話しが秀明にだけ話す内容なら、少し場所を離れるわ」

と気を利かせる。

「うーん、まあ、坂野クンだけなら話しても大丈夫、かな?伝えたかったのは、吉野さんのことなんやけど」

「「やっぱり」」という表情で顔を見合わせる秀明と昭聞に、

「今日の体育の授業の時に吉野さんと話しをさせてもらってさ……」

と、彼女がその時の会話から得た情報を話してくれた。

吉野亜莉寿が正田舞に語った内容は、入学式直後の自己紹介の時に伝えたことのほかに、

 

・両親の仕事の関係で幼少期は海外で過ごす期間が長かったこと

・そのため子供時代に親しんだテレビ番組などについて同世代と話しが合うことが少ないこと

・趣味の読書は両親の、映画観賞は叔父の影響が大きいこと

 

など、彼女の人となりが伺えるエピソードだった。

「なるほど。吉野さん、自己紹介の時だけじゃなくて、他の生徒と雰囲気が違うと思ってたけど、その話しを聞くと納得やわ。けど、オレも聞かせてもらって良かったんかな、その話し」

と、昭聞が納得しながら、自身が会話に加わったことについての疑問を口にする。

「まあ、問題ないんじゃない?いま、話したことを他のクラスメートに話しても大丈夫か確認したら、『あまり大勢のヒト相手で無ければ、そうして欲しい……』って、了承してもらったから」

と情報提供する彼女は快活に答え、

「それに、有間も坂野クンも、女子のプライバシーを誰彼かまわず話すタイプじゃないやろ?」

と微笑みながら、クギを差すのも忘れない。

 

「「はい、気をつけます!」」

 

声を合わせて応じる男子二名。

「……で、肝心の吉野さんがオレと関わりがあったかどうか、って何かわかった?」

と前週から気になっていたことを聞こうとする秀明に、

 

「あぁ、今日はそれが本題やった!吉野さんに有間と関わりがあったのか聞こうとしたら、彼女の方からさぁ……」

 

そう言って、正田舞は、授業中の吉野亜莉寿との会話を回想した。



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第1章~Real Wild Child~⑥

体育の授業中、記録測定の待ち時間の間に、吉野亜莉寿との接触に成功した正田舞は、彼女の人となりがわかる、いくつかのエピソードを聞いた後、

「吉野さん、色々とお話し聞かせてくれて、ありがとう!あと、もう一つだけ聞かせてもらって良いかな?」

と、自分が最も関心のあることをたずねようとした。すると、それまで舞の質問に答えるだけだった亜莉寿が、

「その前に、私の方からも正田さんに聞きたいことがあるんだけど良いかな!?」

唐突に、しかも、食い入る様に話し掛けてきたので、

「う、うん、どんなこと?私に答えられることなら答えるけど……」

やや困惑しながら、返事をする。亜莉寿は、意を決した様にたずねた。

「正田さんは、有間クンと同じ中学出身だよね?有間クンとは仲が良いの?先週も、お昼休みに有間クンたちと話してたみたいだけど……」

 

まさに、秀明のことを聞こうとしていた舞は、普段の冷静さを失い、

 

「えっ!?え~と、仲が良いというか、普通に同じクラスの男子として話す程度かな?まあ、中学校が同じだったから、話す頻度は少し多いかも?ってところかな」

 

と、少々焦り気味に答える。すると、

「そうなんだ……」

と、声のトーンを落とす亜莉寿。その様子を見て落ち着きを取り戻した舞は、亜莉寿に落ち着いた口調で語った。

「あの、実は先週、有間と話していたのは、吉野さんのことで……。違ってたら、ゴメンやけど、吉野さん、自己紹介の時、有間の方を見て笑ってなかった?」

 

「!!!!!!!!!!!!!」

 

「だから、『吉野さんと有間は知り合いなのかな?』って思って、有間に聞きに行ったんやけど、本人は全然、認識が無いみたいで……。って、吉野さん、大丈夫?」

表情が紅潮したあと、急に青ざめ出した亜莉寿を見て、心配する舞。

「もしかして、私が有間クンのことを見てたの、クラスのみんなにバレてるのかな?」

暗い表情で、落ち込む亜莉寿に、

「いや、吉野さん心配せんといて。男子はもちろん、女子も気づいてないから」

「ホントに?」

おそるおそる聞く亜莉寿に、

「うん!有間なんか、『一瞬、吉野さんと目が合ったと思ったけど、《アイドルファンが、コンサートでアイドルと目が合った~》とかいう勘違いと同じやろう』って、自分で否定してたくらいやし」

舞は、そう応答した。

「あっ!それはそれで、何だかムカつく」

落ち着きを取り戻したあと、ムッとした表情を浮かべる亜莉寿に、舞は親近感を覚えた。

「ホンマ、どうしようもないな~、あのボンクラーズは……」

そう舞が口にすると、

「えっ、ボンクラーズってナニ?」

と疑問を口する亜莉寿。

「多分、久野さんたちのグループ辺りが名付けたんじゃないかと思うけど、昼休みに有間の席に集まって、どうしようも無い話しで盛り上がってる四人のこと」

舞が答えると、亜莉寿は声を立てて笑い

「あ~、ボンクラーズ(笑)確かに。久野さんたちのグループ、華やかだもんね。クラスの中心グループの人たちからすると、有間クンや坂野クンの趣味の話しだと、アウトサイダー過ぎて、何を話してるかわからないだろうし(笑)」

「やっぱり、吉野さんの視線の意味に気付いてなかったってことか。その意味でも、ボンクラーズの筆頭やな、有間は……」

舞がそう言ってため息をつくと、亜莉寿は、また声をあげて笑って、こんなことを話した。

 

「ねえ、正田さん。ここからする話は、誰にも、特に有間クンには話さないんで欲しいんだけど……。良ければ、私の話しを聞いてくれる?」

 

そう言って亜莉寿が聞かせてくれた内容は、舞が感じていた疑問を払拭するに余りある内容だった。

 

 

「お話し聞かせてくれてありがとう。いま、聞かせてもらったことは、私も、有間が自分自身で気づくべきことやと思うわ。吉野さんのお願いが無くても、絶対に、私からは、有間にこの話しをしないから安心して」

「ありがとう、正田さん。私も話しを聞いてもらって、胸のつかえが、少し楽になった感じ」

そう気持ちを伝える亜莉寿に、「どういたしまして」と答えながら、

 

「あ、最後に一つだけ言わせて!吉野さん、可愛いから自己紹介の時みたいに、笑顔振り撒いたら、他の男子が勘違いすると思うから気をつけた方がイイよ」



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第1章~Real Wild Child~⑦

「……という訳で、私からの話しはココまで!あとは、自分自身で気付くか、吉野さんに確認しに行くこと!しっかりしいや、ボンクラーズ!」

と秀明の二の腕を叩きながら、吉野亜莉寿との約束を違えずに話すべき内容を伝えた正田舞に、

 

「ここまで来て、まさかの説明なし!?」

 

と声を挙げる秀明。

「秀明、あらためて聞くけど、おまえ、ホンマに吉野さんと面識ないの?」

「う~ん、吉野さんの出身の甲稜中って、ブンちゃんと同じ西宮市内やろ?西宮の女の子と接点があるかと言われると……」

頭をひねる秀明に、

「まあ、それは置いといても、吉野さん、意外に策士かも知れんな」

と話題を変える昭聞。

「ん?どういうことなん?」

と秀明が疑問を呈すると、

「吉野さんは、『自分の知ってもらいたい情報を正田さん経由で秀明に伝えてもらう。さらに、正田さんを味方に取り込みつつ、秀明自身が解明すべき謎は、秀明に委ねたまま』。まとめると、こういうことやろう?自己紹介の時の笑顔は、男子を虜にするスマイルかと思ってたけど、これは評価をあらためないとイカンな」

昭聞は答え、舞に質問する。

「正田さん、この話し男子だけじゃなく、他の女子にも話すつもりはないやろ?」

「もちろん!吉野さんは、これ以上この話しが拡がることを望んでないと思うし」

さらに舞が続ける。

「興味本位で吉野さんに近付いた私が言うのもアレやけど、冷静に見たら、結果的に吉野さんに利用された部分はあるかな、って。でも、不思議とイヤな気持ちにはなってないわ。むしろ、吉野さんを応援したい気分」

と言って笑う。

「なるほど!吉野さんが、何か色々と考えてるということには、同意するわ。まさか、自分が当事者になるとは思ってなかったけど」

と、のんきに話す秀明の表情を眺めた二人は、

 

「「ハァ、ホンマにボンクラやなぁ」」

 

と、ため息をつき、昭聞は、

「これは、男のオレでも、吉野さんに同情するわ」

そう呟いた。

 

 

正田舞と坂野昭聞によって、《秀明自身の解決すべき問題》とされた一件の解明が進展しないことをよそに、ボンクラーズと称された秀明たちのグループの人員数は、拡大の一途をたどっていた。

秀明と昭聞が舞から話しを聞かされた日の翌々日の昼休みには、一年B組の隣のA組から、上野、蝦名の二名がクラスを越境して秀明たちの元にやってきた。

どうやら、伊藤、梅原の二人が数学や英語の授業時に、これまで秀明たちが語ったネタを吹聴しているらしい。

 

「『ここで面白い話が聞ける』と聞いたけど」

 

そう話す蝦名に、

「わざわざ、A組から来てもらえるほどのお構いが出来るのかわかりませんが……。とりあえず、アニメ化された『スレイヤーズ』について、どう思う?」

翌週の半ばには、さらにA組から川端と委員長である井原が加わった。

この様子を眺めていた正田舞は、

 

《有間が、問題の解明に近づくことは、当分なさそう》

 

と吉野亜莉寿に同情した。

その日の放課後、

「まさか、A組にボンクラーズの支部が出来る様になるとは」

秀明が苦笑いしながら昭聞に話すと、昭聞は思うところがあるのか

「やっぱり、ネタはともかく、話しの転がし方には一定の需要があるな」

とつぶやく。

さらに続けて、

「明日から、昼休みと放課後は、放送部に顔を出すことになったから!オレは、しばらくボンクラーズから離れるわ」

と秀明に断りを入れる。

「了解!コッチに戻ってこれる様になったら、また教えて」

「ああ、その時は色々と協力を頼むことになると思うわ」

と返す昭聞。

 

《協力?いつものメンバーに戻るのに、何か協力する必要ある?》

 

秀明が抱いた新たな疑問が解かれるのは、ゴールデンウィークが明けてからのことだった。



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第2章~Get along~①

昼食時に集うメンバーの数が肥大化する一方、昭聞の不在という変化があった五月も半ばとなった頃……。

 

入学式からこの時期までに、好きな話しの出来る仲間が増えたことには満足していたものの、メンバー的に昭聞以外と映画の話しが出来ないことに、秀明は少し不満も感じていた。

 

(春休みが終わってから、ゴールデンウィークも映画館には行けてないし、そろそろ観る本数を増やしたいな)

 

(と、なると、やっぱり二本立ての劇場を探すか)

 

そう考えながら、帰宅の途上で立ち寄った自宅近くのコンビニで、雑誌『ぴあ関西版』の近畿地方の映画館上映スケジュールのページを開く。

 

インターネットサービスが一般社会に普及する以前のこの時代、映画館の上映スケジュールは、情報誌か新聞の片隅に掲載されるスケジュール一覧を確認するのが一般的だった。

 

(震災に遭った神戸方面の映画館も、春から再開しているところが出てきてるのね~)

 

(『パルシネマしんこうえん』は……。おお!タランティーノの二本立て!!めっちゃテンション上がる!)

 

(ヨシ!今回の観賞は、この二本にしよう!!)

 

そう決意した秀明は、五月下旬の日曜日に、神戸・新開地にある名画座を目指すことにした。

 

 

 

 

 

 

次の日は週末の金曜日だった。

 

昼休みも終盤に迫り、一年B組・出席番号一番~三番の面々で

 

 

 

「最近、坂野だけ昼休みに居なくなるなぁ」

 

「何か、今年の放送部は活動を増やすらしくて、それで昼休みも準備にかかりきりになってるらしいわ」

 

「坂野クンが、放送で話したりするんやろか?」

 

「ブンちゃんは、自分メインで喋ろうとするタイプではない気もするけど(笑)趣味から考えて、音楽関係の放送なのかな~、と予想してみたり」

 

「やっぱり、そうかな」

 

「せっかくやし、ここは、クラスメートとして、アニメ版『スレイヤーズ』の主題歌をリクエストしてあげよう!」

 

「あ~、中学校の時も、昼休みの時間中にアニソン流すヤツおったなぁ(笑)」

 

こんな話しをしていると噂の渦中の人物が教室に戻って来た。

 

「小規模な悪巧みで、ナニを盛り上がってるねん(笑)」

 

「悪巧みとは失礼な!オレたちには、『スレイヤーズ』のOP『Get along』の魅力をあまねく校内に広めようという崇高な目的があるのに!!」

 

笑いながら反論する秀明に、昭聞は「ハイハイ」と適当にあしらい、直後、少し真面目な顔で

 

「秀明、おまえに頼みたいことがあるんやけど、今日の放課後、ちょっと時間作ってくれへんか?」

 

と聞いてきた。

 

「OK!あんまり遅い時間にならないならイイよ!」

 

と秀明は答え、

 

(そう言えば、ちょっと前に協力してほしいことがあるとか言ってたな)

 

と数週間前の昭聞の言葉を思い出した。

 

 

 

 

 

 

その日の放課後、「じゃあ、ちょっと放送室まで来てくれるか?」と、昭聞に誘われた秀明は、彼とともに教室を後にした。

 

放送室へ向かう道すがら、秀明は、いつもの調子で、

 

 

 

「今日は、何か真面目な話しなん?告白したいことがあるとかなら、放送室より、『伝説の樹の下』で聞くけど(笑)」

 

そんな風に冗談めかして言うと、

 

「誰が恋愛シュミレーションゲームの話しをする言うてんねん?悪いけど、今日は、おまえのしょーもないネタに付き合ってるヒマはないから」

 

と取りつくしまがない。

 

(ひゃ~、ピリピリしてるな~。まあ、ちゃんとツッコミを入れてくれる辺りは、ブンちゃんらしいけど。けど、そんなに重大な話しって何やろ?)

 

などと考えながら、クラスメートの後を追った。

 

 

 

放送室に着くと、

 

「今日は、オレら以外は誰も来ないハズやから。まあ、リラックスしてくれ」

 

と、昭聞は、機材が並ぶ放送室に雑然と置かれたパイプ椅子に着席を促す。

 

「……で、坂野氏。真面目な話しって、何なのよ?」

 

と、パイプ椅子に腰かけ、秀明がたずねる。

 

「前にも、放送部が活動に力を入れていく、ってことは話したよな」

 

「うん、聞かせてもらった」

 

「その活動目標の一つが、昼休みの放送内容の充実やねん」

 

「ふんふん」

 

「まだ、アイデア段階やけど、曜日別に、音楽・映画・スポーツ・グルメ・ファッションの情報などを発信するラジオ番組みたいなモノを放送したいな、と考えてる」

 

「そうなんや。頑張ってるな~」

 

「それで、今のところ音楽と映画の情報番組を優先的に作ろう、というところまで話しはまとまってるやけど……」

 

「そっか!音楽とか映画なら、男女問わず受け入れられる情報やもんな。スポーツなら男子、ファッション&グルメなら女子向けに偏りそうやし(笑)」

 

「まあな」

 

「ちゃんと考えてるやん、放送部の皆さん。で、それがオレと何の関係があるの?」

 

「うん。それでな……」

 

ここで、坂野昭聞は、たっぷり間を取り、こう切り出した。

 

「秀明、おまえ、この企画の映画の番組に出演せえへんか?」

 

 

 

「はぁ!?」

 

 

 

秀明には、一瞬、放送室の空気が止まった様に感じられた。



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第2章~Get along~②

「えっと……。いきなり、そう言われても、『ちょっと、ナニ言ってるかわからないです』状態なんやけど……。それは、オレに放送部に入れってこと?そうなると、時間の都合上、ちょっと……」

 

難しい、と秀明が続ける前に、昭聞は言葉を遮り、

 

「ああ、ゴメン!説明不足やった。今回の企画は、出演者を『放送部以外からも募集する』ってコンセプトもあって、それで、おまえに頼みたいんやけど」

 

「そうなんや。う~ん、けど、いきなり言われてもなぁ」

 

放送室内の緊張感は解けたものの、秀明は苦笑して、そう言った。

 

すると、昭聞は、こんな話しを始めた。

 

「なあ、秀明。スティーブ・ジョブズってヒトを知ってるか?」

 

「え~と、アップルコンピューターの創業者やったっけ?」

 

「そう、PCのMacのな。そのジョブズが、ペプシ・コーラの事業部の社長をしてたジョン・スカリーを自分の会社にヘッドハンティングする時に、こんなことを言ったらしい。『このまま一生、砂糖水を売り続けたいのか?それともわたしと一緒に世界を変えたいのか?』って。秀明、昼休みにいつものメンバーと話すのも楽しいやろうけど、アニソンをリクエストして仲間内で楽しむだけで満足か?オレと一緒にお昼の放送を変えてみようと思わへん?」

 

多弁で口は悪いが、いつもクールなタイプだと思っていた昭聞の熱っぽい口調を意外に思いながら、秀明は

 

「珍しく熱いやん、ブンちゃん」

 

と口にする。

 

「なあ、秀明。オレと一緒にウチの高校の昼休みに革命を起こさへんか?」

 

「今度は、江夏にリリーフ転向を提案する時の野村監督かい!革命とか大袈裟な(笑)」

 

「いま、返事をしてくれとは言わんから、ちょっと考えてみてくれへんか?」

 

「まあ、考えてみるだけならイイけど。でも、ブンちゃんなら当然わかってると思うけど……。関西弁の『行けたら行く』と『考えとくわ』は、断り文句やで(笑)」

 

二人で、そんな応酬をしていると、

 

 

 

《ザザッ!》

 

 

 

と、スピーカーから雑音がしたあと、不意に、コンコン、と放送室のドアをノックする音がして、「失礼します」と一人の女子生徒が入ってきた。

 

自分たち以外、誰も来ないと聞いていた秀明は、見知らぬ生徒の入室に驚きながらも、彼女の制服のネクタイや校章を目にとめた。

 

(青色のネクタイと校章。ってことは、一学年上の二年生か)

 

「あ!あきクンと、お友達だけ?」

 

彼女のそう問う声に、

 

「はい!翼センパイ!!紹介します」

 

と秀明に向けて手をかざし、昭聞が続ける。

 

「クラスメートの有間秀明です」

 

「どうも、どうも。キミが、あきクンのクラスの有間クンか~。話しは、いつも聞いてるよ~。私は二年の高梨翼。よろしくねぇ」

 

自分の戸惑いをよそに進められる会話に何とか追い付こうと、

 

「あ、どーも。よろしくお願いします」

 

と秀明が返答すると、高梨翼と名乗った上級生は、

 

「それで、勧誘は上手くいったん?」

 

と昭聞にたずねる。

 

「はい!有間からは、前向きな答えをもらえました!」

 

と答える昭聞に、

 

(おい!オレの話し、ちゃんと聞いてたんか!?)

 

という目線で昭聞に訴えると、

 

「あ、ゴメンな~。あきクン、強引に話しを進めようとしてるやろ~。他にすることがあったり、イヤやったら、断ってくれてイイから」

 

そう言って、ゴメン、という感じで小さく手を合わせて微笑むと、彼女のショートカットの髪が揺れた。

 

(なんか、憎めない感じの先輩やな)

 

高梨翼の穏和な雰囲気に、話しやすさを感じた秀明は聞いてみた。

 

「放送部の部外者が参加するのは良いとして、僕みたいな入学したての一年が出演しても大丈夫なんですか?放送部の他の先輩たちの意見もあると思いますし……」

 

「あぁ~、その辺は心配せんといて。この日替わりの放送の企画は、私が立てたし、出演してくれるヒトのスカウトも任されてるから」

 

(ふ~ん。しかし、この先輩まだ二年やのに、新企画の全権を任されてるとか何者なん?)

 

秀明が、そんなことを考えていると、

 

「翼センパイは、一年の春に放送部に入部してから、ずっと、この企画を実現するために、色々と動いてたんや。ようやく、内容が認められて、企画が実現できそうなところまで来たんやけど、出演してくれるヒトが見つからんのよ」

 

昭聞が、苦笑いしながら説明する。

 

「放送部の中に、出演してもイイって言ってくれてるヒトは居てはらへんの?」

 

秀明が質問すると、

 

「ウチの部は、音楽好きなヒトは多いけど、映画に詳しいヒトは、ほとんど居てなくて。それに、どちらかというと、制作側に回りたいヒトが多いから」

 

今度は、上級生が答えてくれた。

 

(なるほど!学生の自主映画なんかで、企画と脚本とコンテは出来てるけど、出演者が居ないパターンか)

 

と、秀明は納得したものの、念のために聞いておく

 

「ブンちゃんは、それなりに映画好きやろう?ブンちゃんは出演しないの?」

 

「オレには、『アシッド映画館』で言うところの《ボンちゃん》の役目があるから」

 

そう答える昭聞に、

 

(やっぱり、ブンちゃんは、その役目に落ち着きたいんや)

 

と、予想通りの答えに、秀明は笑みをこぼす。

 

「まあ、せっかく久々に放課後に学校に残ったので、話しだけは聞かせてもらいましょう」

 

秀明が、そう伝えると、放送部所属の同級生と上級生は、彼らが企画する映画情報番組(?)の概要を説明した。

 

・放送時間は三十分

・出演者は二名(予定)

・放送の収録は前日の放課後に行う

・上映日の近い注目映画を紹介する

・直近に注目作が無い場合はレンタル可能なオススメのビデオ作品を紹介する

 

「はい!企画の内容は、だいたい、わかりました。ブンちゃんが、何でオレに依頼したのかも、理解できたわ」

 

秀明が、二人に伝えると、同級生は、「そうか」と安堵した様につぶやき、上級生は、

 

「有間クンも、あきクンが聴いてるラジオのリスナーやって聞いたから……。出来たら協力してほしいんやけど」

 

と、先ほどと同じ様な手を合わせるポーズで、今度は「お願い」と、ささやく。

 

(最初は、『イヤなら断って』みたいなこと言うてたのに、この先輩、着実に外堀を埋めてきてるやん)

 

と感じながら苦笑いし、秀明は

 

「ところで、企画書には、出演者二名と書かれてますが、もう一人の出演者について、メドは付いてるんですか?」

 

と、たずねる。

 

「それが、まだなんよね~。有間クン、誰か映画に興味あるヒトに心当たりない~?」

 

と、この上級生は、部外者に話しを振り返した。

 

「残念ながら……」

 

洋画の外国人俳優の様に、大げさに肩をすくめて、秀明は答える。

 

「そっか~。もう一人のヒトについては、私たちの方で頑張ってみるわ~」

 

「チカラになれるか、わかりませんけど、ここまで話しを聞かせてもらったし、僕も何か協力させてもらいます」

 

そう伝える秀明に、

 

「さすが、秀明!ありがとう」

 

「有間クン、ありがとう~」

 

と、二人が感謝の言葉を口にする。

 

「と言っても……」

 

一瞬、秀明の脳裏には、クラスメートの女子の顔が浮かんだものの、すぐに打ち消して

 

「あてがある訳ではないので、あんまり期待しないで下さいね」

 

と答え、ようやく放送室から解放してもらえることになった。



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第2章~Get along~③

緩急を織りまぜた放送部からの勧誘活動によって、秀明が精神的疲労を負っていると感じたのか、高梨翼は、

 

「あきクン、帰る方向が同じやったら、有間クンのケアをしてあげて~。あと片付けは、こっちでやっとくから~」

 

と気遣いを見せた。

 

思ってもみない提案をされた上に、自分から協力を申し出ることになった顛末を振り返り、

 

(これは、放送部の二人の思惑にハメられたのか?)

 

などと考えながら、秀明は昭聞と帰路に着く。

 

 

 

約一ヶ月ぶりとなる二人での下校途中、猪名寺駅で電車を待つ間に、「あんまり他人には話してないことやけどな……」と昭聞が語り始めた。

 

「オレ、将来はメディア関係の仕事に就きたいと思ってんねん。テレビとかラジオとか雑誌とか……。媒体は何でも良いけど、情報の受け手側じゃなくて、発信する人間になりたいなって」

 

「うん。それは、ブンちゃんらしいと思うわ。それに、入学式の日も思ったけど、高校での活動にしても、将来の夢にしても、明確に目標があるのって、正直うらやましいと思うで」

 

「なんやねん。そんな誉めんなや」

 

と照れる昭聞に、

 

「オレなんか、この高校選んだの、目の前の《つかしん》の映画館で、『帰りに映画観るの便利やな』って思ったからやし」

 

と、ショッピングモールから徒歩一分という稲野高校の好立地ぶりを理由に挙げた。

 

「それはそれで、おまえらしいけどな」

 

と笑う昭聞。

 

入学式の日から、最も気の合うクラスメートだとは感じていたが、昭聞がこれまで見せなかった一面を垣間見た思いがして、秀明は、坂野昭聞という人間との距離が近付いた気がした。

 

「ところで、ブンちゃん!放送室で話しを聞かせてもらった時に気になったことがあるやけど、いくつか質問させてもらってイイ?」

 

「ん?時間とって話しも聞いてもらったし、気になることがあったら、何でも聞いてくれてイイで」

 

秀明は、頭の中を整理して、気になったことを順番に聞き出す。

 

「最初は、ブンちゃんと高梨先輩のことなんやけど。何か仲が良さそうに見えたけど、二人は、前から知り合いやったん?」

 

「あぁ、さっきは話せてなかったっけ?翼センパイとは、中学校が同じで放送部でも一緒に活動してた。ウチの高校選んだのも、翼センパイが『今の放送部で活動にチカラを入れたい』って言うてたのもあるな」

 

「そうなんや、なるほど。二つ目は、高梨先輩が放送室に入って来た時のこと。答えにくかったら別にイイけど、先輩は最初から放送室に来る予定じゃなかった?」

 

「い、いや、それは……」

 

「ブンちゃんは、『他に誰も来ないから安心して』って言ってくれてたけど、高梨先輩が放送室に来たタイミングが、あまりにも良すぎたし(笑)正直オレは、ちょっとビビったけど、ブンちゃんは、驚いてる様子がなかったからな」

 

「そ、そうやったっか?」

 

放送室で熱い口調の勧誘を行った時とは違う意味で、普段の冷静さが見られなくなった昭聞に、秀明は質問を続ける。

 

「あの時、スピーカーから雑音が鳴った様な気がするんやけど、放送部にしか出来ない方法で、合図を送ったとか、そんなこともあるんかなって、邪推したり」

 

昭聞は、取り繕うことを諦めたのか、

 

「おまえ、学校の成績はボロボロやのに、変なところで鋭いな」

 

と素直に口にした。

 

「まあ、正直、『二人にハメられたんちゃうか?』と思わないこともないけど、最後の質問に答えてくれたら、水に流すわ」

 

「そうか、助かる」

 

と安堵する昭聞。

 

しかし、秀明は、そんな気の緩んだディフェンス陣を切り裂くかの様に、豪快なミドルシュートを撃ち込む。

 

「ブンちゃんが、そこまで放送部の企画にイレ込むのって、高梨先輩の存在と関係あるの?」

 

「は、はぁ~?」

 

今度は、昭聞が声を挙げる番だった。

 

「か、かんけいし!」

 

焦る昭聞に、秀明はたたみ掛ける。

 

「ん?関係詞?who?which?that?」

 

「いや、翼センパイのことは、関係ないし!あと、おまえが、いま言ったのは、全部関係代名詞や!!」

 

「そうやったっけ?まあ、細かいことはイイやん!今の問題は、ブンちゃんの熱意の源が、高梨先輩にあるのか否か、ということやから(笑)」

 

「だから、関係ないって!翼センパイのことは!!センパイは、去年から一人で今の企画を実現するために、がんばってたらしいから、自分も協力したいと思ってるだけで……」

 

「そっか、そっか(笑)いや、もうブンちゃんの反応を見てるだけで、大体のことは、わかったから、これ以上は追及せんとくわ。でも、ちょっと気持ちはわかるかな。おっとりした可愛いらしい先輩が、がんばってる姿を見たら、応援したくなるもんな。健全な男子としては」

 

口ではフォローしながらも、秀明はクククと笑いを噛み殺す。

 

「女子のことで、おまえにだけは、とやかく言われたくないわ!」

 

「ゴメン、ゴメン!もう触れへんから」

 

笑いながら謝る秀明に、

 

「おまえの方こそ、吉野さんのことは、どうするねん?何も進展してないんやろ?」

 

と昭聞が反撃する。

 

「おっと、さすがブンちゃん。セリエA強豪クラスのカウンターアタックを仕掛けてくるやん」

 

「冗談じゃなくて、放置したままで大丈夫なんか?吉野さんのこと」

 

「そう言われてもなぁ。思い当たるフシが無い以上、何もわかってないまま、話し掛けるのも失礼やろうし……」

 

「おまえが、そう思うなら、こっちから何も言うことはないけど……。まあ、有間秀明に女子関係の話しを聞くのは時間の無駄か」

 

あきれた口調で、語る昭聞に、

 

「いやいや、オレだって女のヒトと会話が盛り上がることくらいあるよ!」

 

秀明は反論を試みる。

 

「ほぉ~。ぜひ、その話しを聞かせてもらいたいもんやな」

 

昭聞が、挑発する様に言うと

 

「そうやな。今日はブンちゃんが色々と自分の話しを聞かせてくれたし、せっかくやから、オレの話しも聞いてもらおうか」



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第2章~Get along~④

そうして、秀明は前年の夏休み終盤に、ビデオレンタルショップで出会った職務放棄をしながら、熱心にジョン・ヒューズの学園映画について語ってきた女性店員の話を、昭聞に語った。

 

 

 

「へ~、去年の夏、そんなことがあったんや」

 

「まあ、そのお姉さんとは、それから会えてないんやけど……」

 

と、つぶやく秀明に対して、昭聞は感心した様に、

 

「けど、おまえより映画について熱く語るとか、そのヒト、なかなかスゴいな」

 

と感想を漏らした。

 

「そうやろ!しかも、細かいところまで作品を良く見てるなって思うし、それを言語化、って言うの?ちゃんと言葉にして表現できるところとかも……。ブンちゃんが、オレのこと評価してくれて、今回の企画に誘ってくれたことは、嬉しく思ってるところもあるけど、自分は、あのお姉さんには、到底かなわんと思ってるわ」

 

苦笑いしながら、答えた秀明に、

 

「まだまだ、その店員さんと話したいことがあったみたいやな」

 

昭聞は、そう言って気持ちを察する。

 

「そうやな」

 

うなづく秀明に、

 

「また会えたらイイな。その店員さんと」

 

昭聞は、秀明に語りかける。

 

この時、普段は冷たさすら感じさせる、その目は優しかった。

 

 

 

尼崎駅で路線の乗り換えを行い、自宅の最寄り駅に近付いた時、秀明は昭聞に切り出した。

 

「今日聞かせてもらった話しは、前向きに検討させてもらうわ。ただ、放課後の活動になるなら、一応、親にも報告しておきたいし、日曜日の夜までに、ブンちゃんの家に電話して、返事するってことで良いかな?」

 

中高生が携帯電話を所持する前の時代である。学校外で連絡を取り合うには、家庭用電話を活用するのが一般的であった。

 

「ああ、イイ返事を期待してるで!今日は、秀明と色々な話しが出来て良かったわ」

 

と返答する昭聞に、

 

「お互いにな!」

 

秀明は返答して、昭聞と別れた。

 

 

 

 

 

 

日曜日の夕方、秀明は映画観賞から帰宅して、すぐに昭聞の家に電話を掛ける。

 

 

「あ、ブンちゃん!金曜日の話しやけど、正式に放送部の依頼を受けさせてもらおうと思うわ」

 

「それと、もう一人の共演者についても、協力してくれるかも知れないヒトが見つかったから、月曜日の放課後に放送室に行かせてもらって良いかな?」

 

「え、誰かって?それは、月曜日のお楽しみということで!アカデミー作品賞の『フォレスト・ガンプ』にケチをつけて、『レオン』では、ジャン・レノやナタリー・ポートマンじゃなくて、ゲイリー・オールドマンに注目するヒトやから、期待しといて!とだけ言わせてもらうわ」

 

 

 

興奮気味に語り、「高梨先輩にも報告をお願い」と付け加えてから、受話器を置いた。

 

 

 

 

 

 

月曜日の朝、登校してきた正田舞に声を掛けて、廊下での立ち話に誘った秀明は、週末に吉野亜莉寿から課されていた課題をクリアしたことと、その時の顛末を端的に話した。

 

 

 

「そっか。ようやく、ちゃんと吉野さんと話しが出来たんや。ホンマ、他人のことやのに、この一ヶ月は焦れったい感じやったわ」

 

そう言って、ホッとした表情を見せるクラスメートに、

 

「ご迷惑とご心配をお掛けしました」

 

と謝意を示す秀明に、「どういたしまして」と、明るく返して、

 

「もし、聞けたら、吉野さんの方からも、どんな感じだったか話しを聞いてみようかな?」

 

と、さらに興味を持った様だ。

 

「あ~、吉野さんが、どこまで話しすのかは、わからへんけどね……」

 

と秀明が答えると、

 

「大丈夫!吉野さん、有間のことやったら、普段と違って、おしゃべりになるから」

 

と笑って、彼女の席に戻って行った。



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第2章~Get along~⑤

その日の放課後、秀明はクラスメートを伴って、放送室へ向かう。

 

ノックをして放送室に入ると、坂野昭聞と高梨翼の姿があった。

 

「おっ、来てくれたか!秀明と……、吉野さん!?」

 

昭聞が驚きの声を挙げる。

 

「有間クンに誘われて、お話しを聞かせてもらいに来ました。よろしくお願いします」

 

と亜莉寿が丁寧に挨拶する。

 

秀明は、三人の様子をうかがいながら、切り出した。

 

「高梨先輩、僕と坂野クンのクラスメートの吉野亜莉寿さんです。放送部の新しい企画に興味を持ってくれたので、今日は一緒に来てもらいました」

 

上級生にクラスメートを紹介したあと、続いて、

 

「吉野さん、こちらは、今回の企画の立案者で二年生の高梨翼先輩です。坂野クンとは、中学校時代からのお知り合いだそうです」

 

とクラスメートに上級生を紹介した。

 

「わ~。ありがとう~吉野さん!女の子に来てもらえて嬉しい~」

 

と言って自身抱きついてくる翼に、戸惑いながら、亜莉寿も「よろしくお願いします」と再度、上級生に答えた。

 

その様子を見ながら、秀明は

 

「すいません。部外者なのに、勝手に話しを進めてしまって……」

 

と、神妙に謝罪の言葉を口にした。

 

「ううん、有間クンもありがとう!じゃあ、早速、吉野さんにも話しを聞いてもらおうか~」

 

と、翼が場を仕切り始め、状況に追い付いて来ていない昭聞の表情を確認し、秀明は、胸を撫で下ろし、

 

(よし!ブンちゃんに吉野さんのことをあれこれ聞かれる前に、凌ぎきった)

 

と安堵していた。

 

そう、この時までは……。

 

 

放送部の二人は、前週の金曜日に秀明に話した企画内容と意図をあらためて説明した。

 

「面白そうな企画ですね」

 

と肯定的な意見を述べる亜莉寿に好い感触を得たのか、翼は昭聞に向かって提案した。

 

「あきクン!この二人になら、あのお話しをしてもイイかも~」

 

昭聞は、「そうですね」と応答し、

 

「映画の情報番組に出演してもらうには、当然、映画を観てもらうことになるけど、毎回、自腹を切って映画館に行くのも大変やろう?」

 

「あ~、それはそうやね」

 

と秀明が答え、亜莉寿もうなづく。

 

「そこで、我が放送部もなるべく出演者のフォローをするべく、試写会のペア券を手に入れております!はい、拍手!」

 

昭聞の一言に、「おおっ!」と声を挙げて秀明と亜莉寿は手を叩き、なぜか翼もこれに加わる。

 

「今回、入手したのは、六月公開予定の『ショーシャンクの空に』!」

 

昭聞が、そう宣言すると、

 

「ホントに!?」

 

亜莉寿のテンションが俄然上がる。

 

「それって、スティーブン・キング原作の映画やったっけ?」

 

と確認する秀明に、

 

「そう!この原作が、スゴくイイお話しなの!!」

 

と亜莉寿。

 

「吉野さんは原作を読んでるんや。これは、映画の方も期待できるかな。それに、吉野さんと二人で映画に行けるんや。秀明にとっては、五十八万円くらいの価値があるやろう?」

 

と言ってニヤニヤ笑う昭聞。

 

思わぬ話しの展開に秀明は、

 

「あー、そうやな……」

 

と曖昧な返事をし、

 

「五十八万円って、何のこと~?」

 

と翼が疑問を口にする。

 

「今年の春くらいに、テレビのオークション番組で、『某アイドルの主演映画をそのアイドルと二人で観る権利』が、出品されたんですよ」

 

昭聞は、先輩の質問に答え、さらに続ける。

 

「その権利の落札価格が五十八万円だったんですけど、有間秀明センセイ曰く、『自分たちの様なモテない男子が、アイドル級の美少女と映画デートするには、それくらいの価値はある』だそうです」

 

笑いをこらえながら説明する昭聞に、

 

「そうなんや~。デートするだけで、五十万円以上も払うの?男のヒトって、アホやなぁ~」

 

のんびりした口調で話す上級生の言葉を耳にしながら、秀明は、いよいよ焦りだす。

 

しかし、彼の動揺をよそに、吉野亜莉寿は、こんなことを口にした。

 

「坂野クン、私、昨日、有間クンと映画を観て来たよ?」

 

 

「はぁ~!?」

 

 

放送室に二人が入室してきた時より、さらに、大きな声を挙げた昭聞の表情をうかがいながら、

 

(あ~、やっぱり隠し通すのは無理やったか……)

 

と秀明は、うなだれた。

 

「そんな話し、何も聞かせてもらってないんやけど!」

 

昭聞が、秀明の肩に手を置き、詰め寄る。

 

「これは、ジックリと話しを聞かせてもらわなあきませんな~、有間センセ!!」

 

昭聞の腕に一層チカラが加わるのを感じながら、秀明は、昨日、起こった出来事を回想していた。

 

 

 

 

五月二十一日、日曜日。

 

約二ヶ月ぶりとなる劇場での映画観賞に気持ちが高ぶったこともあり、この日の初回の上映時間よりも、二十分ほど早く劇場に着いた秀明は、チケットを購入し、館内でスクリーンから三列目にある好位置の座席を確保してから、一旦ロビーに出た。

 

ロビーの椅子に腰掛けながら、チケット購入時に手渡される、この映画館の近況や近日上映予定の作品が書かれた、手書きの《かわら版》に目を通す。

 

彼は、映画上映前に、この劇場謹製のオリジナル小冊子を読み込むのを楽しみにしていた。

 

その時、不意に彼の斜め前方から声がした。

 

 

「ねえ、有間クン、だよね?稲野高校の……」

 

 

アプリコットとジャスミンの混じった香りが、秀明の鼻腔をくすぐり、手元の《かわら版》から声のする方へと視線を向ける。

 

と、そこには、彼に謎解きの課題を課しているクラスメートが立っていた。



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第3章~パルプ・フィクション~①

神戸・新開地。

この街の商店街の北の端にある市民のいこいの広場、小高くなった湊川公園の東口に、名画座『パルシネマしんこうえん』がある。

一九七一年に開業したこの映画館は、高校生料金・八〇〇円の低価格で二本立ての映画を観賞できるということで、映画観賞にもコストパフォーマンスを重視する秀明が、もっとも頻繁に通う劇場であった。

バブル景気の浮き沈みを経験し、平成に時代が変わり、神戸市内に大きな被害をもたらした震災を経た後も、再開を果たし、元号が令和となった現在もなお、昭和の名残を強く感じさせるこの劇場は、秀明のお気に入りスポットの一つなのだが。

 

しかし……。

 

昭和の薫りが強く漂うこともあり、秀明と同世代の十代の人間が多く訪れる場所では、決してない。

 

(況んや、同級生の女子においてをや)

 

思わず古語表現になるほど、彼の思考回路はショートし、混乱を来していた。

自分の様な、同世代の流行とは無縁な人間のテリトリーである場所に、クラスメートの女子が立っている。

この状況をどう理解すれば良いのか、頭のなかを整理するのには、時間が必要なことは言うまでもない。

 

 

「ねえ、有間クン、だよね?稲野高校の」

「あ、うん。吉野さん」

思考がまとまらない秀明の脳内は、

(えっ?なんで?吉野さんが?なんで、ここに?)

というクエスチョンマークの嵐が風速四十メートルの勢いで吹き荒れる。

呆けた顔で自分を見つめる秀明に、亜莉寿がたずねる。

「ん?『どうして、ここにいるの?』って、顔してるね」

「え?ああ、うん」

某実況プロ野球ゲームで連打をくらった投手のように混乱状態継続中につき、同じ答えを繰り返す秀明の様子を見つめ、クスクスと笑う亜莉寿。

「あの時と、同じだ」

相手には聞こえない小さな声でつぶやく。

さらに、彼女はわざとらしく拗ねた様な表情で、

「女子が一人で映画を観に来ちゃいけませんか?」

こんなことをたずねる。

「いや、全然そんなことはないと思うけど……」

と答える秀明だか、頭の中では、全く別の想いが錯綜していた。

(女子が一人で映画を観に行くことに疑問はないけど。……けど、この劇場に一人で来るか!?)

秀明の疑問のもとは、劇場の立地にあった。

先述した様に、この劇場は、広々として明るく開放的な公園の隅に所在しているが、二区画ほど先には、日本有数の歓楽街が広がっていた。

その雰囲気を色で表すなら、ズバリ《桃色》の一言に尽きる。秀明には、最初にこの劇場に来た際、道に迷い、その歓楽街のど真ん中を延々と彷徨した経験があった。

(ここは、十代の自分が歩いていて歓迎される場所ではない)

そんな想いにかられながら、ようやく劇場にたどり着いた時には、そこがオアシスの様に思えた。

ともあれ、健全志向の作品としては、これ以上の描写は致しかねるので、秀明の戸惑いの理由については、読者諸氏の想像力に委ねたい。

 

「綺麗な公園もあって、周りもとってもイイ雰囲気だよね」

 

秀明の困惑をよそに、吉野亜莉寿はつぶやく。

彼は、自身のトラウマに近い経験をクラスメートの女子が体験していないことを察して、安心しつつ、

「あ、ああ。商店街も、ちょっとレトロな感じがあって良い感じでしょ?」

と返答し、話題を変えることにした。

「吉野さんは、タランティーノ好きなの?」

「そうね。『余計なおしゃべりが多いんじゃないか』とか気になるところもあるけど、とにかくセンスの良い映画を撮るなって思う!有間クンは?」

「うん、自分も、そんな感じ」

秀明は、混乱から立ち直り、ようやく会話を成立させられる状態になった。

しかし、落ち着きを取り戻しつつある彼の心情をよそに、吉野亜莉寿は、さらなる追撃の矢を繰り出す。

「ねぇ、有間クン。有間クンは、映画のことより、私のことで気になってることがあるよね?」

そう言って秀明の座っていたベンチの隣に座る。

「えっ、ああ」

(あぁ、そうやった。彼女から掛けられている《謎》は、まだ、解明できてない)

再び、脳内をフル回転させる準備をしながら彼女の表情を観察する。

その顔はニッコリと微笑みながらも、よくよく見ると目が笑っていない。

秀明には、その表情に見覚えがあった。

一部の男子を勘違いさせる破壊力を持ちつつも、正田舞に《何か言いたそうな表情》と感じさせた、あの微笑みである。

 

(これは、慎重に言葉を選ばねば……)

 

教室内の対角線上の位置、約二十メートルの位置からではわからなかったが、手を伸ばせば届く距離にいることで感じる緊張感なのだろうか?

同級生と話しをしているだけなのに、何故だか強烈なプレッシャーを感じながら、質問をする。

「あの、正田さんにも話しを聞かせてもらったんやけど、吉野さんは、オレのことを以前から知ってくれていたんかな?」

「ええ、そうね」

簡潔に返答する亜莉寿は、変わらない微笑を浮かべながら、相変わらず重圧を感じさせるオーラを放っている。

「本当に申し訳ないけど、自分には、その認識というか記憶が無くて……。もし良ければ、吉野さんとオレが、ドコで会ったことがあるのか教えてもらえないかな?」

そう一気に秀明は言い終えると、最後に、「ゴメン」と小さく謝った。

この言葉を聞いた彼女は、

「ハァ~~~」

と、盛大なため息をつき、

「仕方ない、これが本当に最後のヒント」

そう言って、持っていたポーチからゴムバンドを取り出し、髪をたくしあげる。

彼女が髪をかきあげると同時に、アプリコットとジャスミンの香りが微かに漂った。

その香りを感じた瞬間、秀明の脳裏に、八ヶ月前の夏休みのあの日の記憶が、鮮やかに、よみがえった。

 



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第3章~パルプ・フィクション~②

「あっ!《ビデオ・アーカイブ》のお姉さん!!」

 

長い黒髪をポニーテールにまとめ、

 

(はい、コレでわかったでしょう?)

 

という表情を見せた吉野亜莉寿は、

「ようやく、思い出してくれた?じゃあ、約束通りジョン・ヒューズ脚本の『恋しくて』の感想を聞かせてもらえない?有間秀明クン」

その口調は、まさしく、あの夏の日に職務放棄をしていた女性店員のものだった。

しかし、彼女のコトバが終わると同時に、この日、一回目の上映開始を告げるように館内が暗くなり始める。

「あっ、映画が始まるみたいだけど、どうしようか?」

秀明は、亜莉寿にたずねる。

「ん~」と、つぶやいて、彼女は再び秀明を惑わせる微笑みを作り、

「有間クンは、どうしたいの?」

と問い掛けた。

秀明は、その瞬間、その微笑みの意味をようやく理解した。

手を伸ばせば届く距離だからこそ、わかる!

そのスマイルは、

 

《私の気持ちを察しなさい!》

 

という無言の圧力なのだ。

その刹那、秀明の脳裏には、二つの選択肢が浮かんだ。

 

 A:スクリーン前の良い席を確保しているから、一緒に見ない?

 B:せっかく、こうして会えたから吉野さんと話しがしたい。もし、良かったら、もっとお話しできないかな?

 

(吉野亜莉寿=ビデオ・アーカイブのお姉さんの言動からして、選択肢はコッチしかない!)

 

そう確信した秀明は、意を決して提案する。

 

「せっかく、吉野さんと会えたから、映画の話しが出来たら嬉しいな、と思うんやけど。もし、良かったら、これから、お話し出来ないかな?」

 

「えぇ~」と声を発した亜莉寿は、もったいぶって、

「タランティーノの二本立て楽しみなんだけどな~」

などと口にするが、言葉とは裏腹に、先ほどの高圧的な印象は消えていた。

「でも、まあ、有間クンが、そんなに私とお話しがしたい、と言うなら仕方ないか~」

目元にも口元にも緊張が弛んだ表情が見てとれる。

(吉野さん、口元が緩みすぎなんですけど)

と声には出さずに感じながら、自分の選択が誤っていなかったことに安堵した。

 

(もし、選択肢を誤っていたら……)

 

その先のことは、恐ろしくて考えたくもなかった。

 

 

この日の一回目の上映回の観賞を遠慮することに決めた秀明は、急いで予告編が流れる場内に戻って、座席確保のために置いていた荷物を回収し、亜莉寿にこんな提案をしてきた。

「この映画館は、許可をもらって再入場することが出来るから、良かったら、一度外に出よう?ロビーで話し込むと、観賞中の人たちに迷惑が掛かるし……」

彼女も同意して、二人は《外出札》と書かれたプラスチック製プレートを窓口の人から受け取り、劇場の真上にある湊川公園に移動する。

「この前のドリンクのお礼」

と言って、移動中に自販機で買ったドリンクを秀明に手渡された亜莉寿は、彼が隣のベンチに腰掛けるのを待つ。

五月下旬の陽射しは暖かく、開放的な雰囲気もあり、公園で過ごすには絶好の環境だ。

受け取ったドリンクの栓を開け、亜莉寿は、あの夏の日から今日までのことを想い返した。

 

 

吉野亜莉寿が、叔父の経営する『ビデオ・アーカイブ仁川店』(と言っても店舗は、この一軒のみなのだか)を手伝う許可を両親からもらったのは、中学三年の夏休みのことだった。

彼女が、このレンタル店の手伝いをかってでた動機は、叔父にこの店の店名の由来を聞いた時に、聞かされたこんなエピソードに興味をひかれたからだ。

 

「あぁ、《ビデオ・アーカイブ》っていうのは、アメリカの南カリフォルニアにあるレンタルビデオ店から取ったんや。そのビデオ店《マンハッタンビーチ・ビデオ・アーカイブ》の店員に、『トップガン』を借りに来た客に対して、口八丁でゴダールの作品を薦める人間がいたらしい。で、その店員が『レザボアドッグス』を監督したクエンティン・タランティーノやねんて。なかなか面白い店やろ(笑)?」

 

両親の仕事の都合で、子供の頃は海外で過ごすことが多かったためか、同年代の人間とは、なかなか趣味や話題が合わずに中学生活を過ごしていた亜莉寿は、叔父の言葉に、

 

「このお店で店番をすれば、映画好きのお客さんとオススメ作品を語り合えるかも知れない!」

 

と、あり得ない幻想を抱いてしまった。

こうして、吉野亜莉寿は、日給三千円というお小遣い程度の給金で、夏休みの間、叔父の不在時に店番を任されることになったが、彼女の願い通り、ビデオレンタルに訪れた客と映画についての会話を交わす機会など、皆無に等しかった。

 

(このまま、何の収穫もなく、夏休みが終わってしまうのかな……)

 

と思い始めた、八月の終わり頃、突然降りだした雨の中、この店には珍しい、自分と同年代の男子が駆け込んできた。

しかも、彼は、その日、亜莉寿が店番をしながら視聴していたジョン・ヒューズの関連作品を物色しているではないか!

思わず視聴中のビデオテープを停止させ、テープの返却作業を口実に近付き、彼に話し掛けてみた。

 

彼女の想像した通り、ジョン・ヒューズ作品のファンだと話す彼の感想を聞いてみたかった。

何より、自分のジョン・ヒューズ作品に対する想いを話したかった。



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第3章~パルプ・フィクション~③

彼が探していたタイトルは、ジョン・ヒューズ脚本の『恋しくて』一本だけだった様だが、レンタルの手続きの際には、あえて

「他にお探しの作品はありませんか?」

と、たずねてみた。彼が、

「何かオススメのタイトルは無いですか?」

と聞いてきたら、

(八〇年代の作品が好きなら俳優つながりで、『セントエルモス・ファイヤー』は、どうか?)

(最近の九〇年代の作品なら、『リアリティ・バイツ』を薦めたい)

(舞台となる時代を遡っても良いなら、『バッド・チューニング』もオススメだ)

(いや、そもそも、青春映画の原典とも言うべきルーカスの『アメリカン・グラフィティ』は、もう観ているか?)

など、いくつもの作品を挙げてみたかったのだが、残念ながら彼の答えは、

「今日は、その一本だけで良いです」

というものだった。

自分の用意していた答えが空回りに終わり、少し気落ちしたものの、また彼がビデオの返却をしに来店した時に会えるだろう、と考えた。

間の悪いことに、翌日は亜莉寿の通う中学校の登校日で、午後から店番に入った彼女と、午前中にビデオを返却しに来た彼との再会は叶わなかったのだが……。

それでも、わずか数十分のその日の出来事は、吉野亜莉寿にとって、中学三年の夏休みの中で、最も印象に残る時間として、胸に刻まれることになった—――。

彼の差し出した会員証の裏面に書かれた《有間秀明》の名前とともに。

 

夏休みが終わって、亜莉寿が《ビデオ・アーカイブ》の店番に入ることもなくなり、彼の足もビデオ店から遠ざかっていた様だが、あの震災の後に、その彼が来店し、亜莉寿のことを気に掛けていたと、叔父から聞かされた時は、一言では言い表すことの出来ない複雑な想いが宿った。

 

そして、あの入学式の日、クラスの一番手として自己紹介を始めた男子が名前を告げ、自分の趣味について語り出した時の驚きは、それ以上に言葉にならないものだった。

 

(高校で、また会えるなんて!)

 

それから、出席番号が最後である自分の順番が来るまで、どのように、自己紹介をして有間秀明に自分のことを知らせようかと考えてみたが、結局、良いアイデアは浮かばず、最後に視線の合った彼に、自分の想いに気付いてほしい、と思いを込めるだけだった。

その後も、自分に対して話し掛けて来る気配の秀明に、イラ立ち、

 

(もしかすると、彼は冴えない見た目とは裏腹に女子の気持ちを弄ぶタチの悪いタイプなんじゃないか?)

 

と、読者諸氏からも、

「なんでやねん!!」

と、総ツッコミを受けそうな有り得ない想像をすることもあった。

が、クラスメートの正田舞から秀明に関する情報を聞いて、胸につかえていたモヤモヤした感情は、少し落ち着きを取り戻す。

しばらく、秀明たちの様子を観察する日が続いた五月の初旬、情報誌『ぴあ関西版』の上映スケジュールを眺めていた彼女は、神戸地区の映画情報のページに目をとめた。

 

(『パルプフィクション』と『レザボアドッグス』の二本立てがあるんだ!)

(まだ行ったことのない映画館だけど、どんな劇場なんだろう?)

(有間クンは、もうタランティーノの映画を観てるかな?)

 

そんなことを考えながら過ごした五月も下旬になろうとする、この日。

『パルシネマしんこうえん』の劇場入り口でチケットを購入し、半地下にあるロビーに続く階段を降りて、彼の姿が目に入った時は、驚きというよりも、

 

(このチャンスは、絶対に逃してはならない)

 

という想いが強かった。

 

ともあれ、ようやく、彼女の心をかき乱し続けた有間秀明と話し合える機会が巡ってきたのだ。

彼女には、映画の話し以上に、彼自身から聞いておかなければ、気持ちが収まらないことが、タランティーノ映画の台詞のように溜まっていた。

 



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第3章~パルプ・フィクション~④

「映画の話しを聞く前に、時間が出来たから、有間クンに聞いておきたいことがあるんだけど!」

劇場で話していた時とは、また異なる気配で語る亜莉寿に、

「はい、なんでしょう」

と再び気圧される秀明。

「どうして、一ヶ月近くも同じ教室にいて、私のことに気付かなかったの!?」

問い詰めるかのような口調の亜莉寿に、

(うわ~、やっぱりメッチャ怒ってる)

と焦りながら、

「その件については、申し開きの機会をいただけないでしょうか?」

と、恐る恐るたずねる。

「いいでしょう。では、被告人、前へ」

(被告人!?犯罪者扱いかよ!!)

「何か、不満でも?」

「いえ、何でもありません。ワタクシ、有間秀明は、被害を訴えておられる吉野亜莉寿さんに対して、重大な思い違いをしていました。昨年の夏、二人が出会った時、彼女は宝塚市内のビデオ店で働いておりました」

「確かに、そうですね」

「有間秀明としては、自分と同じ年の中学生がアルバイトをしているとは思えず、初対面の吉野亜莉寿さんを年上の女性だと認識していたのです」

「なるほど。一理ありますね」

「はい、ビデオ店の所在地から店員さんは、宝塚在住だと考えていましたし、また、彼女が働いている時と高校に通学される吉野さんとは髪型が違いました……。夏の日に出会った店員さんに対して、大人っぽい雰囲気でキレイな女性だな、と感じたので、彼女が自分と同じ年齢だとは想像できず、自分と同じ高校に同級生として在籍しているとは思い至ることが出来ませんでした」

「今の供述をもう一度」

「えっ、と。髪型が違って、大人っぽい雰囲気だったので……」

「そ・の・あ・と!!」

「その、キ、キレイな女性だな、と感じたので、自分と同じ年だとは思いませんでした」

最後は、小声になりながら供述する。

「なるほど、被告人は、被害者の吉野亜莉寿さんに対して、その様な感情を抱いていたのですね」

ニマニマと笑いながら問う裁判長。さらに続けて

「しかし、それだけ印象的な女性なら、髪型が異なっていたとしても気付かないものなのでしょうか?被告人は、髪型をアップにした女性にしか関心を示さない特殊な趣味を持っているのですか?」

「いえ、決してそんなことは……。入学式のあの日も、彼女と目が合ったかも、と動揺しましたし。って、あっ!!」

「『《アイドルと目が合った》とか言うファンと一緒じゃないか!』でしたっけ?それは、照れ隠しだったということですか?」

「なんで、知ってるん!?―――って、ショウさんから聞いた?」

小芝居も忘れて聞き返す秀明。

「はい、今回の貴重な証人である正田さんの証言です」

「そうですか。正田舞さんの証言でも理解いただけたかと思いますが、有間秀明は、自他ともに認める女子とは縁が無い男子ですので、その辺りのことも考慮して、裁判長には、ぜひとも寛大な判決をいただければと考えます。被告側からは、以上です」

「わかりました。被告人にも相応の事情はあった様ですし、情状酌量の余地ありとして、被害者・吉野亜莉寿のこれまでの心情を理解し、これからも彼女の心情に配慮することを条件に、《無罪》としましょう」

「ありがとうございます。ところで、裁判長、最後に質問させていただいてもよろしいですか?吉野亜莉寿さんが、有間秀明の名前を認識していたのは、ビデオショップの会員証の名前を見たからなのでしょうか?」

「そうですね。彼女は会員証に書かれた名前を記憶していました。今回の様な裁判に備えて、ビデオ店での彼の貸出履歴も調査したそうです」

二十一世紀の現在なら、ビデオショップのSNSアカウントが、大炎上しが発生しそうなことをサラリと言う。

「ちょっ……。それ、プライバシーの侵害でしょう!越権行為じゃない!?」

「有間秀明容疑者の性格や人となりを理解するための調査です。問題ありません」

この場の司法を取り仕切る彼女は、ピシャリッ!と言い切った。

(マジかよ!やっぱり、このコを怒らせたらアカンわ)

と、秀明が背中に冷や汗を感じていると、

「ねぇ、もう髪を下ろしてもイイかな?」

彼女は問うので、

「どうぞ、ご自由に」

秀明が、返答すると、彼女は本気とも冗談とも判断が付かない口調で、こう言った。

「あぁ、良かった。有間クンがポニーテールの女子しか相手にしないタイプじゃなくて」

(しかも、結構、根に持つタイプやし……)

これ以上、自分に火の粉が掛からないうちに、秀明は、話題を変えることにした。

「そう言えば、あの時レンタルさせてもらった『恋しくて』の感想を話せてなかったけど……」

 



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第3章~パルプ・フィクション~⑤

その後、前年の夏の日からの課題事項であった『恋しくて』の感想戦に始まり、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『フォレスト・ガンプ』、『レオン』と続く映画談義を終えた二人は、劇場に戻って、二本立ての映画を観賞し、帰途に着いた。

帰りの道すがらも、クエンティン・タランティーノに影響されたのか、二人の話しは延々と続いたため、少しでも長く話しをしたいと思った。

 

そして、秀明は、亜莉寿が乗り換えに使う西ノ宮駅で、彼女と別れる前に、昭聞から提案された件について、思いきって話をしてみると、

「確かに、面白そうな企画ね!お話しを聞くだけなら、放送室に行ってみてもいいかな」

と、亜莉寿は、興味を示してくれた。

週明けの放課後に、放送室に同行することに同意してくれた彼女と別れ、電車に乗車した秀明は、濃密な一日を振り返り、

(今日は、濃い一日だったな~。ともあれ、吉野さんと色々な話しが出来て良かった)

(話しが盛り上がったのは、タランティーノ映画のおかげかも)

(それにしても、映画館で女の子と出会って話しが盛り上がるなんて、タランティーノ脚本の『トゥルー・ロマンス』とか去年読んだ小説の『グミ・チョコレート・パイン』みたいやな~)

 

(………………ん?)

 

ここで、彼は唐突に、数週間前、教室で、ボンクラーズの面々を相手に語った自らの発言を思い出した。

 

「まあ、我々のような女子に縁のない人間にとっては、《アイドル級の美少女と映画デートが出来るということには、五十八万円くらい払う価値がある》ということよ」

 

(!◎△$♪×¥●&%#?!)

 

(話しに夢中で、全然意識してなかったけど、今日、吉野さんと二人で映画観てるやん!)

 

「ナニを今さら……」という読者諸氏からのツッコミをよそに、一ヶ月ほど前に自ら発した言葉に縛られ、その後の彼の思考は停止したままだった。

 

(とりあえず、ショウさんには、橋渡し役になってくれたお礼の意味で報告するとしても……。これは、ブンちゃんには話しづらいなぁ)

 

 

そして、月曜日の放課後の放送室。

秀明から、土曜日の出来事を聞かされた昭聞は、ノックダウン寸前のボクサーの様によろめきながら、つぶやいた。

 

「あ・・・ありのまま、いま起こったことを話すぜ!『クラスで一番女子に縁のないと思っていてオトコが、ヤツを嫌っていたハズの吉野さんと週末に二人で映画を観に行っていた。』何を言っているのかわからねーと思うが、おれも何をされたのかわからなかった。頭がどうにかなりそうだった。『D・N・A2』だとか『BOYS BE・・・』だとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ」

 

「ポルナレフかい!しかも、めちゃくちゃ失礼なこと言われてる気がするし……」

すかさず、秀明がツッコミを入れる。

「ポルナレフ?今の何かの映画のセリフ?」

「ミシェル・ポルナレフ?『シェリーの口づけ』かな~」

「いや、少年マンガのセリフやから、二人は、気にしないで下さい」

秀明が、そうフォローすると、グロッキー状態から立ち直った昭聞が頭を振りながら冷静さを取り戻す。

「しかし……。まさか、有間秀明センセイが、女子に手の早いタイプとは思わへんかったわ。もしかして、オレの知らん間に、未来人にDNAを書き換える弾丸を撃ち込まれた、とか?」

「アニメ版の主題歌以外、二十五年後には、多くのヒトが忘れてそうなマンガを例に出すのは止めよう」

コミックやアニメの話しには疎そうな女子二名を差し置いて、彼女たちに背を向けた男子二名は、肩を組みながら、さらに小声で話し始める。

「確認しとくけど、吉野さんの手を握ったり、繋いだりはしてないよな?」

「たまたま、一緒に映画を観ることになっただけで、付き合ってる訳でもないのに、そんなコト出来るわけないやろ!」

「まあ、そら、そうやわな。五十八万円の価値には、届きそうにないか?有間センセ」

ニヤニヤと笑いながら、昭聞が言うと、

「男の子同士で、お話ししてるところ、申し訳ないんですけど」

と、吉野亜莉寿が会話に割り込む。

「『女子にモテない有間クン』は、私と映画を観たことについて、どれくらいの価値があると感じたのか、是非とも聞かせてもらいたいんだけど?」

土曜日にも、さんざん彼の肝胆を寒からしめた、あの《亜莉寿スマイル(命名者:有間秀明)》を携えて……。

「あっ、えっと。二本も一緒に映画を観ることが出来たし、自分にとっては、一〇〇万円以上の価値があるのではないか、と思っています。はい」

「そう」

亜莉寿が、満足気にうなづくと、

「有間クンは、幸せ者やね~」

と翼が感想を口にする。

「先輩も、そう思われます?」

と問う亜莉寿に、「うん」と上級生がうなづき、女子二人は、意気投合した様だ。

そんな二人を見ていた昭聞は、さらにこんなことを言い出した。



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第3章~パルプ・フィクション~⑥

「そう言えば……。吉野さん、有間センセイが、金曜日にオレに語ってくれたことがあるんやけど、聞きたい?」

「いや、ブンちゃん。そこは、友情を確かめあった仲と言うか、紳士協定みたいなものを守ろうや!」

抗議する秀明に、

「吉野さんと映画を観に行ったことをオレに隠そうとしたヤツに友情も紳士協定も無いわ!」

と、昭聞は一蹴。

「なになに?聞かせて!」

目を輝かせて、昭聞の言葉に食い付く亜莉寿。

「吉野さんのことを一ヶ月以上ほったらかしにしてるみたいやったから、『大丈夫か?おまえに女子と話し出来るかなんて聞くだけ無駄か?』って聞いたのよ」

「うんうん」

「そしたら、有間センセイ、『自分にも会話が盛り上がる女性くらい居る』とか、ぬかすのよ」

「へ~、そうなんだ~。どんなヒトか興味あるな~」

一瞬、負のオーラをまとった亜莉寿の声は、一段、低くなりかけたものの……。

「オレも気になって聞いてみたら、去年の夏休みにレンタルビデオ店で出会った女性の店員さんと、『ジョン・ヒューズの映画の話しで盛り上がった!』って言うねん。これって、さあ……」

続く昭聞の言葉を聞くと、途端に彼女の声のトーンが弾んだ。

「その店員さんについて、有間クンは、なんて言ってたの!?」

亜莉寿のテンションの上がり様に、昭聞も笑いを噛み殺し、秀明を見ながら、

「有間センセイ曰く、『そのお姉さんの映画の見方や語る内容は素晴らしくて、自分は到底かなわない』だそうで(笑)『まだまだお姉さんとは話し足りないことがある』『また、いつか会えないかな』なんてことも熱っぽく語ってくれましたよ、オレに!なあ、有間センセイ?」

昭聞は、先ほどとは立場が逆転し、強烈な連打でノックアウト寸前と言える状態の秀明に、わざとらしく同意を求める。

「いや、最後の方のセリフは、ブンちゃんが、オレに聞いたことやん?」

小声で空しく抵抗を試みる秀明を眺めながら、亜莉寿は、何かを勝ち誇った様な表情で、

「そんなに、そのお姉さんと会いたかったの?有間秀明クン?」

と問い、腰を屈めてクククと笑う。

そして、秀明の耳元で彼にしか聞こえない低く小さな声で、

「昨日は、そんなこと一言も言わなかったのに……」

と、ささやき、また笑顔に戻る。

マンガ的表現が許されるのであれば、秀明には、亜莉寿の背後に、手の甲を当てて高笑いする、もう一人の吉野亜莉寿が見えた気がした。

三人の様子を観察しながら、

「あ~、あきクンの話しから想像すると、その店員さんが、吉野さんやったってことで良いんかな~?でも、そんなに印象的なことがあったのに、何で有間クンは、吉野さんに気付かなかったん?」

そう問う、翼に対して、亜莉寿は、

「そうなんですよ!聞いてください、先輩!有間クンは、ヘアスタイルをアップにして、うなじを見せている女性にしか積極的に話せない特殊な性癖の持ち主なんです!私なんて、同じクラスなのに、髪を下ろしていたら、一ヶ月半も話し掛けられなかったんですから!!」

「ちょっと、ヒトをそんな変態みたいに……」

秀明が抗議の声を挙げるも、亜莉寿は、「何か言いたいことでも?」と例の微笑で威嚇する。

「そっか~。有間クンと仲良くお話ししようと思ったら、髪の毛を括っておいた方が良いんや~?でも、私、髪の毛短いから似合うかな~?」

などと言って、上級生が髪の毛をかきあげると、今度は、昭聞が

(おまえ、吉野さんだけじゃなく、翼センパイにも、ちょっかい出したら、大阪湾に沈めるからな!)

と、氷の様な冷たさを感じさせる視線で、秀明を見る。

放送室が、かしましくなる中、吉野亜莉寿は、上級生に、こう宣言した。

「高梨先輩。この企画、ぜひ私にやらせてもらえませんか?どうやら、有間クンは、どうしても、私と映画の話しがしたいみたいですし」

答えは聞くまでもないといった感じの満面の笑みで、「ね、有間クン」と付け加えて秀明の顔を覗きこむ。

「ありがとう~、吉野さん。吉野さんが参加してくれたら、絶対イイ番組になると思うわ~」

こうして、放送部の新企画は、本格的なスタートを迎えることになった。

「よし!そういうことなら、二人で試写会に行って来い!この企画に参加してくれるなら、それで貸し借りナシのチャラにしたるから」

と秀明にハッパを掛ける昭聞。

「ブンちゃんに借りを作った覚えはないし、今回の企画の一番の功労者って、今のところ、オレじゃない?放送部の提案に乗っただけじゃなくて、共演者も連れて来たんやから!」

「そう思うなら、翼センパイと吉野さんに、そう言うてこいや(笑)」

「あ……。色々と面倒なことになりそうやから、止めとくわ」

秀明の言葉を聞き終わらないうちに、昭聞は亜莉寿の方を振り返り、

「吉野さん、知ってると思うけど、有間センセイは、女子と映画を観に行くのとか慣れてないから……。色々と至らない点もあると思うけど、そこは大目に見て、一緒に『ショーシャンクの空に』を観に行ってあげてくれへん?」

と、提案する。彼女も、

「うん!有間クンに女の子への気遣いとか最初から期待していないから大丈夫だよ」

と返答し、二人して声を出して笑い合う。

「有間クン、女の子と出掛ける時は、ちゃんと気を配らないとアカンよ」

上級生の翼も、クギを差すことを忘れない。

 

(ハァ……。このまま、この企画にのると、三人にイジられ続けることになるのか……)

 

新企画が、ようやく軌道に乗り始めたことを秀明自身も嬉しく思うものの、今後の自分の立ち位置を考えると憂うつな気持ちにもなる。

 

その気分を振り払うために、秀明は当初から気になっていることをたずねた。

 

「ところで、ブンちゃん!この企画、番組名というか、タイトルは決まってるん?」

「ああ、もうタイトルは決めてあるねん」

昭聞が最後に見せた印刷用紙には、こう書かれていた。

 

《IBC金曜日『映画情報番組・シネマハウスへようこそ』》



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第4章~たんぽぽ娘~①

吉野亜莉寿が、積極的に参加を表明して出演者が決定したことで、新企画の準備は、一気に進み始めた。

企画の立案者にして、番組プロデューサーの役目を務める高梨翼から、初回放送日までの予定が発表される。

 

・五月二十五日(水)

『ショーシャンクの空に』試写会

・五月二十六日(木)

最終打ち合わせ会議

・五月三十一日(水)

収録リハーサル

・六月一日(木)

放送用本番録音

・六月二日(金)

『シネマハウスへようこそ』初回放送

 

最初に日程を聞かされた時、出演者の秀明と亜莉寿には慌ただしいスケジュールと思えたが、「出演者さえ決まれば、いつでも開始できる様にしている」と言う高梨翼の言葉通り、放送部は準備万端で放送開始に備えていた様で、二人は、放送の内容を充実させることに集中することができた。

 

放送室で四人が初めて顔合わせをした日の二日後となる水曜日の夕方、秀明と亜莉寿は、試写会の会場にいた。

「私、試写会で映画を観るの初めてなんだ」

と言う亜莉寿に、

「そうなんや。そう言えば、オレも、同級生とか友達と試写会に来るのは初めてかも!」

と答える秀明。

二人は、ともに夜の時間帯に映画を観るのは久々ということもあって、気分が高揚していた。

「吉野さんは、この映画の原作を読んでるねんな?」

「うん!ストーリーは、とっても面白いよ。だから、どんな風に映像化されるのか楽しみ半分、不安半分ってところかな?」

と言って笑う。

「あ~、スティーブン・キングって、映像化に恵まれない作品もあるもんな~」

と秀明も苦笑する。

「まあ、今年のアカデミー作品賞にもノミネートされているから、その点では期待して良いのかも知れないけど」

「なるほど!これは、『フォレスト・ガンプ』と、どちらが優れているのか、我々の目で見極めないといけませんな」

と、秀明はニヤリと笑う。

つられて、亜莉寿も

「確かに、そうね」

と言って、フフッとわずかに口角を上げる。

秀明は、土曜日に亜莉寿と春休みに観た映画について語り合った際に、彼女が第六十七回アカデミー作品賞に輝いた『フォレスト・ガンプ~一期一会~』の作品としての問題点を鋭く指摘したことを思い出していた。

二人で、そんな会話を交わしていると、上映時間が迫り、司会の女性がスクリーンの前の舞台に登場した。

 

(さて、『シネマハウスへようこそ』第一回目となる予定の作品は、どんな映画なのか、楽しませてもらいましょう!)

 

 

「…………」

 

エンドロールが終了し、場内が明るくなっても余韻にひたる秀明に、亜莉寿が声を掛けた。

「有間クン、どうだった?」

「うん……。スッゴい良い映画だったし、スッゴい良くできたストーリーだった!」

興奮気味に答える秀明に、

「でしょう!!」

満面の笑みで亜莉寿も応じる。

「いや~、『この映画に出会えて幸せだ!』って思える作品を久々に観た感じやわ」

と秀明が感想をのべると、亜莉寿はフフフッと笑い、

「大袈裟ね。でも、確かに、その気持ち少しわかるかも。私も原作を読んだ時に、『ああ、良いお話しに出会ったな』と思ったから」

と答えた。

「そっか~。吉野さんが羨ましいな。原作と比べながら、ストーリー展開も冷静に見て分析できたんじゃないかと思うし」

「私は、逆に有間クンが羨ましいけど?ストーリーを知らないまま、映画で初体験できたんだから」

「そういう考え方もあるか!いや、どちらにしても、今日の映画と見比べるために、原作の文庫本を買ってみようと思う」

「うん!読んだら感想を聞かせて」

「あと、『シネマハウスへようこそ』で取り上げる第一回目の作品が、この映画であったことと、試写会の招待状を融通してくれた放送部には感謝しないと」

「確かに、それはそうね!すごく幸運だったかも」

そんな会話を交わしながら、試写会場を出ると、時刻は夜九時を大幅に過ぎていた。

「うわっ!もう、こんな時間か!?あぁ、今日の映画について、もっと話したい!けど、映画の余韻にひたりたい気持ちもある!どっちにしても、時間が無いけど……」

「そうね。私も感想を話し合いたいと思うけど、いま、映画を観た気持ちを、もう少し留めておきたい感じもあるかな」

そう言いながら、二人は梅田駅を目指す。

百貨店の前を通り、ムービングウォークが設置されている高架下を抜けて、阪急梅田駅のコンコースまで来た時に、秀明は、思いきってたずねてみた。

「あのさ、吉野さん。もし良かったら、今度の土曜日に会われへんかな?今日の映画をどんな風に放送で伝えるか相談したいし、映画のことも、もっと話しができたらなって、思うから……」

「えっ!?」と、亜莉寿は、一瞬おどろいた表情を見せた後、

「ん~、有間クンは、そんなに私とお話ししたいの?」

と、人差し指を頬にあて、小首をかしげながら、たずねる。

「うん。吉野さんと、もっと話しがしたいなって、思う……」

最後は小声になりながら、秀明が答えると、白い歯を見せた亜莉寿は、

「そっか!イイよ!土曜日に打ち合わせしよう。今日は、もう時間が遅いから、詳細は明日の放課後、放送部での会議の前か後に決めるってことで良いかな?」

と返答した。

「うん!ありがとう」

と秀明は答え、「改札まで送らせて」と言って、二人で駅舎の二階に移動する。

自動改札機の前で、秀明が

「今日は、ありがとう。映画も良かったけど、吉野さんと色々話せて楽しかった」

と声を掛けると、亜莉寿は、

「私も、有間クンと今日の映画を観ることが出来て良かったよ!じゃあ、また明日ね」

そう言って、手を振り、階上のホームへと消えて行った。

 



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第4章~たんぽぽ娘~②

翌日、秀明は朝の教室で、昭聞に昨夜の映画についての感想を伝えた。

「ブンちゃん、『ショーシャンクの空に』めっちゃ良かったで!まずは、ブンちゃんと放送部に感謝を伝えておこうと思って」

「そうなんや。それは、良かった。二人を派遣した甲斐があったわ(笑)詳しいことは、放課後に聞かせて」

「了解ッス。じゃあ、この話しは、また放課後に!」

 

 

その日の放課後、月曜日と同じメンバーが再び放送室に集った。

 

「あきクンから聞いたけど、映画、面白かったんやね~」

秀明と亜莉寿が放送室に入ると、新番組(!)のプロデューサー役を自認する高梨翼が、開口一番、二人に話し掛ける。

「はい!とっても良い映画でした!試写会に行かせていただき、ありがとうございました」

と亜莉寿が、丁寧に礼を述べる。

秀明も、

「記念すべき第一回目の放送で、この映画に巡り合えて幸運だと思いました。高梨先輩、ありがとうございます」

と感謝の言葉を述べた。

一方、新人プロデューサーは、出演者二人からの謝意に対して、

「二人とも、お礼は、この提案をしてくれた、あきクンに言ってあげて~。でも、それだけ良い映画やったら、二人のお話しにも期待したいな~」

と、しっかり放送のことに意識を向けさせることも忘れない。

秀明と亜莉寿は、顔を見合せて苦笑し、

「全力を尽くします」

と秀明が答えた。

 

最終打ち合わせでは、新企画のコンセプトと番組の各コーナーの役割について確認を行った。

 

《『シネマハウスへようこそ』番組コンセプト》

 

架空の映画館シネマハウスの館長アリマとレンタルビデオ店シネマアーカイブスの店長アリス、そして、アリマの弟子であるブンちゃんが、新作映画やレンタルビデオ作品について、見所およびツッコミ所を紹介する映画情報番組。

 

《出演者とスタッフ》

●出演者

アリマ館長:有間秀明

アリス店長:吉野亜莉寿

ブンちゃん:坂野昭聞

●番組スタッフ

プロデューサー:高梨翼

ディレクター:坂野昭聞

 

《各コーナー名と概要》

●ウィークリー・ニュー・シネマ

メイン担当:アリマ

近日公開もしくは公開中の新作映画の見所を独自の視点で紹介

 

●レンタル・アーカイブス

メイン担当:アリス

レンタル可能な名作・傑作のビデオ作品を店長の解説を交えて紹介

 

昭聞作成の当初の企画書では、レンタル・アーカイブスのコーナーも、秀明が担当することになっていたが、アリマ館長から

 

「このメンバーには知られてしまっているから言うけど、レンタルビデオ店での吉野さんと自分との会話から考えて、レンタルビデオのコーナーは、アリス店長メインの方が相応しい」

 

との意見が出て、企画者と出演者双方の合意が成立したため、新作映画とレンタルビデオの紹介は、コーナー別にメイン担当を設定することになった。

 

《各パートの伴奏曲》

●オープニング

ロバート・パーマー『Addicted to Love』

●ウィークリー・ニュー・シネマ

エリック・セラ『Let Them Try』

●レンタル・アーカイブス

スティーブン・ライト『And now Little Green Bag』

●汎用ジングル

デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

チャック・ベリー『You Never Can Tell』

●エンディング

ヴァンゲリス『Love Theme』

 

リストを見た秀明は、

「リュック・ベッソンに、タランティーノに、リドリー・スコット作品か……。作曲家はエリック・セラに、ヴァンゲリス!ここで、ジョン・ウィリアムズとか久石譲を使わないところが、いかにも、『ワタシたち、映画わかってます』って感じが出ててイイな!さすが、ブンちゃん」

と、言ってサムズアップを昭聞に送る。

「おまえは、選曲にも、いちいち嫌味を言わなアカンのか!?」

と昭聞が笑いながら応酬する。

 

「はい、新番組『シネマハウスへようこそ』は、こんな内容になります。異論がなければ、今日のところは、ここまでにしよう~」

高梨プロデューサーの一言で、会議は終了となった。

帰り際に、秀明は亜莉寿に声を掛ける。

「吉野さん、土曜日のことやけど……」

「あ、場所と時間を決めないとだね」

「うん。吉野さんは、場所や時間の希望とかある?」

「う~ん。あまり自宅から離れていない場所で、時間は午後からだと嬉しいかな?」

「じゃあ、西宮北口駅の北改札に午後1時頃に集合で、どうかな?あの辺りなら、お店もたくさんあるし」

「北口駅に午後1時ね、了解!」

亜莉寿とのアポイントメントの確認が終了して、集ったメンバーが解散すると、秀明の元に昭聞が寄って来た。

「なに?おまえ、土曜日にも吉野さんと会うの?」

と、ニヤニヤ笑いながら聞いてくる。

「来週の収録本番に向けた打ち合わせな。ブンちゃんが高梨先輩と行きたかったであろう試写会に行かせてもらったんやから、キチンと仕事をこなさない

とね」

と、無表情を装いながら、カウンター・アタックを繰り出す。

「アホか!?翼センパイは、関係ないやろ!」

などと、男子二人が、じゃれあっていると、

「ナニナニ~?私が、どうかした~」

登下校に利用する路線が同じである上級生が寄って来た。

「いや、何でもないです……。なあ、有間センセイ」

と、昭聞は話しをそらそうとする。

「ふ~ん。あ、有間クン、吉野さんと打ち合わせするの?頑張ってね~。今回の企画は、出演者の二人のお話しがメインやから~」

翼は、それを受け流し、のんびりとした感じながら、プロデューサーとして秀明にクギを差す。

「はい!」

素直に答えながらも、

(おっとりしてる様に見えるけど、抜け目のないヒトやなぁ。この先輩は……)

そんなことを感じながら、秀明は放送部の二人と別れたあと、近所の書店で『ショーシャンクの空に』の原作『刑務所のリタ・ヘイワース』が収録されている新潮文庫『ゴールデンボーイ~恐怖の四季・春夏編~』を購入して帰宅した。



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第4章~たんぽぽ娘~③

土曜日の午後。

待ち合わせの時間通りに、集った秀明と亜莉寿は、西宮北口駅から北側徒歩数分の場所にある喫茶店『珈琲屋ドリーム』に向かった。

 

店内に入ってテーブル席を確保し、二人で向かい合って席に着いて、注文を終えると

「有間クンは、良く喫茶店に来るの?」

と亜莉寿がたずねた。

「いや、正直に言うと、あまり多くは来ないかな。どちらかと言うと、コーヒーも苦手やから(笑)ただ、ここのお店のアイスコーヒーのエスプレッソマイルドは、初めて飲んだ時に美味しさに感動して、それから、何回か来さしてもらってる感じ」

「そうなんだ。じゃあ、コーヒーの味も楽しみにしようっと」

そう言って亜莉寿は笑った。

注文した品が卓上に届く前に、秀明は切り出す。

「あ、そうそう!『ショーシャンクの空に』の原作『刑務所のリタ・ヘイワース』読ませてもらいましたよ」

「どうだった?」

「映画も素晴らしかったけど、やっぱり、小説の方が、ストーリーをじっくり楽しめるなぁ、と思った」

「そうね!スティーブン・キングは、情景描写も心理描写も細かいから(笑)」

「それと、原作と映画の相違点で一番驚いたのは、モーガン・フリーマンが演じたレッドが、アフリカ系じゃなくて、アイルランド系の人物だったことで……」

「私も、そこは映画を観てビックリした!『え?モーガン・フリーマンがレッドなの?レッドって赤毛だったよね!?』って(笑)」

「レッドの名前の由来だけ、映画のセリフに残ってるのが、また……」

「あれは、ジョークなのかどうなのか、笑っていい場面なのか迷ったな~(笑)」

「あと、映画では全く語られなかったけど、レッドは、保険金殺人で逮捕されてて、しかも、自分の妻だけじゃなくて、近所の親子も巻き添えにしてるという……。アレは、人柄の良さそうなモーガン・フリーマンには似つかわしくない犯罪やから、映画では語らなくて正解やったな、と」

こんな会話を交わしていると、アイスエスプレッソマイルドが二人の席に届いた。

ガムシロップを注いで、コーヒーを一口すすった亜莉寿は、

「あ、イイ香り!美味しい」

と感想を述べた。

「アリス店長のお口に合った様で、良かったです」

と秀明は安堵して、笑った。

「それで……、映画と原作の相違点の話しだったっけ?」

と亜莉寿が、話しを戻そうとする。

「ああ、そうそう」

秀明が相づちを打つと、

「キャスティングとしては大成功だったと思うけど、ティム・ロビンスも、原作のアンディとは、少しイメージが違うよね?」

「確かに!原作のアンディは小男で、映画のティム・ロビンスは身長一九〇センチくらいあるしね」

「うん!原作の小男の銀行員という設定の方が、奥さんに浮気をされて、さらに冤罪で収監される悲劇が際立つかなって……(笑)」

「男からすると、真面目な人間なのに、美人な奥さんに浮気されるアンディが可哀想すぎて……。あと、物語の根幹に関わるけど、あの脱獄方法は、アンディが小男だから成り立つ部分もあるんじゃないかと思うんやけど」

「そうね(笑)」

「身長一九〇センチの男が通れる抜け穴って、『どんだけ大きい穴を掘らなアカンねん!?』って言う(笑)」

「確かに、あの下水管も、ティム・ロビンスが通れるサイズで良かったね(笑)」

二人は声を上げて笑う。

「ところで、アリマ館長は、この作品のテーマって、何だと思う?」

「えっ!?作品のテーマ……。やっぱり、映画でも原作でも頻繁に出てくる『希望はいいものだ。希望を捨てるな』ってことになるのかな?」

「うん、確かにそうね。アンディが、希望を持てない刑務所の中の生活で、モーツァルトの音楽を掛けたり、図書館を作ったり、コソ泥のトミーに勉強を教えるのも、その象徴かも」

「うんうん」

「でも、私はアンディ自身が希望を捨てずに、脱獄するための穴を掘り続けていたことが、この作品のテーマと関わっているんじゃないかと思うの」

「ん?と言うと?」

「刑務所モノの映画って、『パピヨン』にしても、『アルカトラズからの脱出』にしても、『暴力脱獄』にしても、脱獄することが目的になるじゃない?」

「確かに、そうやね」

「こういう作品が、名作として多くのヒトの心に残るのは、《刑務所=退屈で縛られている人生》の比喩で、『そこから脱け出したい!』と願う気持ちに、強く訴えているからんじゃないかと思うの」

「ほうほう」

「『ショーシャンクの空に』の場合、刑務所生活を送るアンディが、誰にも知られずに抜け穴を掘り続けて脱出に成功するのは、退屈な人生で義務の様にしなければならないことの他に、自分の中で深く掘り下げられるモノを持っておくべきだ、と言うことの象徴なのかも……」

「『自分の中で深く掘り下げるモノ』か……。例えば、どんなことなんやろう?」

「た、た、例えば、人生の義務と言える仕事や学業をしながら、しょ、小説を書いたり、とか……?」

「そうか!仕事にしなくても、趣味で音楽をしたり、絵を描いたり、とか?」

「そ、そうね!創作活動に限らず、たとえ、希望の持てない暮らしをしていたとしても、自分の中で《掘り下げられる穴》を掘り続けることで、『いつか、理想とする場所に抜け出すことが出来る!』この作品は、そんなことを描こうとしてるんじゃないかって思うんだ」

「なるほど……」

秀明は、亜莉寿の披露した見解に、ただただ、感心していた。

(う~ん、やっぱり、彼女の話しを聞くのは面白いなぁ)

(新作映画の紹介も、自分メインで良いのか自信がなくなるわ)

(でも、二人で話し合えたことは有意義だったし、自分なりに紹介する内容をまとめてみるか)

などと考えながら、

「アンディは、ショーシャンク刑務所で、不良囚人に《自分の穴》を掘られながらも、諦めずに《自分が掘り下げるべき穴》を掘り続けたことで、明るい未来を手に入れた訳やね」

と口にした。

「もう、真面目に話したんだから、茶化さないでよ」

熱い語り口で高揚していた感情を沈めつつ、亜莉寿は笑いながら答えた。

「あ、ゴメン!つい、いつものクセで余計なこと言うてしもた」

「有間クンが、そういうヒトだって言うのは、わかってきたから、別にイイけど」

わざとらしく、ふて腐れる。

(でも……。自分としたことが、ちょっと熱くなってしまってたから、助かったかも)

と亜莉寿は、自分の感情を確認しながら、

「今回だけは、特別に許してあげます」

と、うかつな相手に自らの寛大さを誇示する。

「はい、アリス店長の心の広さに感謝します」

と平身低頭する秀明。

 

この時の吉野亜莉寿が、いつもに比べて冷静さを欠いていた理由を、有間秀明が知るのは、まだ先のことであった。



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第4章~たんぽぽ娘~④

その後、二人は番組内で映画を紹介する際の時間配分や押さえておくべきトピックスを確認し、打ち合わせを終えた。

会計を済ませて、喫茶店から駅に向かう道で、亜莉寿は、こんなことをたずねた。

「映画のすぐ後にキングの原作本を買ったみたいだけど、有間クンは、小説も良く読むの?」

「うん、映画ほどではないけど、小説を読むのも好きかな。SF小説については、ビギナーなので、早川のSFハンドブックを買って名作・人気作を読み始めていってるところ」

秀明が答えると、

「そうなんだ!どんなタイトルを読んでる?」

「ハインラインの『夏への扉』と『宇宙の戦士』、『ブレードランナー』が好きだったから、ディックの作品をいくつか……。あとは、『アルジャーノンに花束を』が面白かった。ベタなチョイスですが……」

笑いながら秀明が言う。

「そっかそっか」

何やら、思案気味に亜莉寿は返答する。

「吉野さんも、SF小説を読むのが好きって言ってたよね?」

秀明の問いに対して、彼女は、「うん!」と、返事をしたあと、こんな提案をしてきた。

「そうだ!有間クンにオススメしたい作品があるんだけど……。今度、放送室で集まる日に持って行って良いかな?」

「ありがとう!アリス店長のオススメなら、小説も期待しておくわ」

秀明が答えると、

「うん!楽しみにしておいて」

と、フフフと笑いながら言った。

 

 

週が明けて水曜日。

収録の本番前日にあたるこの日は、放送部から、収録の流れなどのレクチャーが行われた

「録音ブースの方で操作をしてもらうことは、ほとんど無いから、スタートの合図の『キュー』のタイミングとトークの時間配分だけ気をつけて。初回は、二人の話しの流れをみながら、だいたい十五分前後で、オレもブースに入って、トークに加わらせてもらおうと思うから、目安にしてほしい」

テキパキと説明する昭聞の的確な指示のもと、リハーサルは進む。

「じゃあ、番組開始のタイミングだけに絞って、リハをしてみようか?」

昭聞の提案に、秀明はたずねる。

「ブンちゃんの『キュー』の合図は理解できたけど、冒頭は、何を話したらイイの?」

「まずは、番組のタイトルコールやな。放送用語で、『どなり』とも言うけど、秀明お前も聞いてる、あの番組を参考にしてくれ。秀明に稲野高校放送局の略称『IBC』と叫んでもらうから、吉野さんは、『シネマハウスへようこそ』のタイトルを言ってみて」

昭聞の要求に、

「「了解!!」」

秀明と亜莉寿も声を揃えて応答する。

「吉野さんのタイトルコールが終わると同時に、オープニング曲を流すから、秀明は、タイミングを見計らって、オープニングのトークを始めてくれ。じゃあ、実際にやってみよう!」

昭聞は、そう言って、『キュー』の準備に入る。

「本番十秒前!九・八・七・六・五秒前……」

四・三・二・一…………。

 

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「みなさん、こんにちは!今日から、始まる放送部の映画情報番組『シネマハウスへようこそ』の進行を務めるアリマヒデアキです」

♢「ヨシノアリスです」

♤「この番組では、最新の映画情報はもちろん、オススメのビデオ作品などを紹介する番組として、毎週金曜日のお昼休みに…………」

 

「おつかれさま~」

リハーサルが終了すると、上級生が、にこやかに声を掛けてくる。

「今日は、キューとクロージングのタイミングを掴んでくれたら、それで良いから~。本番でも緊張せずにリラックスしてね~」

素の語り口なのか、出演者の二人を気づかってのことなのかはわからないが、プロデューサー役の高梨翼の醸し出す雰囲気にも助けられ、前日の準備は滞りなく完了した。

「明日が本番やけど、今日の落ち着いた二人の雰囲気なら、大丈夫やと思うから~。明日も、この調子でがんばって~」

これまでとは違い、二人に余計なプレッシャーが掛からない様にしているのか、上級生の口調は、いつも以上に穏やかだった。

「じゃあ、明日に備えて、今日はこの辺までにしとこうか?二人とも、明日はヨロシク!」

昭聞の言葉で、放送室に集合してから一時間あまりの前日リハーサルは終了した。

 

この日の帰り際、秀明は、亜莉寿から「土曜日に話したオススメの本を持って来たよ」と一冊の文庫本を渡された。

少し日焼けした外観は、本が購入されてからの年月を物語っている。

白いワンピースの様な服装の少女のイラストが描かれた表紙も印象的だ。

 

『集英社文庫コバルトシリーズ海外ロマンチックSF傑作選②たんぽぽ娘』

 

手渡された文庫本には、そんなタイトルが書かれていた。



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第5章~耳をすませば~①

六月第二週の土曜日、秀明と亜莉寿は、翌週の放送の打ち合わせのため、再び西宮北口駅近くの喫茶店で落ち合うことにした。

初回と二回目の放送を終えた後の放送部や周囲の反応も悪くなく、二人は、それなりに手応えを感じていた。

また、二人で話し合い、これまでの放送は、二回とも上映中作品の映画紹介であったことと、六月中旬~七月初旬までは推したい作品が少なかったことから、三回目と四回目の放送は、『レンタル・シネマ・アーカイブス』のコーナーを軸に、亜莉寿がメインで語る内容にしようと計画していた。

 

さらに……。

 

秀明は、亜莉寿から

「この前、貸した『たんぽぽ娘』は、どうだった?読み終わっていたら、早く感想を聞かせて!」

という、《オススメ本を周囲の人たちに読ませたがる人間特有のプレッシャー》を受けていたため、彼女から借りた本を返却するとともに、返礼として、このSF短編の感想を語るという使命(?)を帯びていたのだった。

 

 

待ち合わせ時間は前回と同じく午後一時、待ち合わせ場所は『珈琲屋ドリーム』に直接集合するということで、秀明が午後一時ちょうどに店内に入ると、亜莉寿は、すでに席に座り、文庫本を読み耽っていた。

「ゴメン、待たせてしまった?」

秀明が彼女の座る席に近付いて言うと、チラリと腕時計を見て、

「ううん。時間ピッタリだし、私もさっき来たところだから」

と言って、朗らかに笑う。

その屈託が無いと感じられる彼女の笑顔から、いつになく上機嫌であることを感じ取った秀明は、

(オレに会えるのが、そんなに嬉しかったのかな……?って、思うのは調子に乗りすぎか?)

(でも、この打ち合わせの時間を楽しみにしてくれてる、ってことは間違いないのかな?)

(もし、吉野さんも、そう思ってくれてるなら嬉しいな)

などと考えつつ、前回と同じく、アイスエスプレッソマイルドのコーヒーを注文する。

秀明が席に着くと、亜莉寿は、ワクワクする気持ちが抑えられないといった感じで、

「ねぇ、番組の打ち合わせをする前に、早速、読んだ本の感想を聞かせてくれない?」

と、身を乗り出さんばかりの姿勢で、たずねてくる。

「あ~、え~と。とりあえず、表題作の『たんぽぽ娘』の感想で良い?」

「うん!私が聞きたいのも、そのお話しの感想だから!」

 

ロバート・F・ヤング『たんぽぽ娘』は、一九六〇年代初頭に発売されたSF短編集の一編だ。

本作の発表から四十年以上が経過した二十一世紀になってからも、PCゲームの『CLANNAD』や小説『ビブリア古書堂の事件手帖』などの作中でロマンチックな物語として取り上げられる程、読書好きに愛されている作品ではあるが、未読の読者のために、会話に夢中になっている亜莉寿と秀明に代わって、筆者が、あらすじをご紹介したい。

 

 

四十四歳の弁護士マーク・ランドルフは、夏の休暇の二週間を過ごすべくコーブ・シティの山小屋に赴く。

当初の計画では、夫婦二人で休暇を過ごす予定だったが、妻のアンは陪審員として裁判所に召喚されたため、やむなく一人で休暇を過ごすことになってしまった。

退屈をもてあましていたある日、山小屋の近くにある丘の上で、白いドレスを着た美しいタンポポ色の髪をした少女に出会う。

マークが話し掛けると、ジュリー・ダンヴァースと名乗った少女は、二百四十年後の未来から、父親の発明したタイムマシンに乗って、この時代にやって来たと言う。

この時代と、この丘の上から見える景色がお気に入りだと話す彼女は、マークにこんなことを言った。 

 

「何時間も立って、もう、ただ、うっとり見とれていたりして。おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」

 

マークは、彼女の説明を空想と受け止めながら、あえて否定せずに、その話しに付き合うことにする。

次の日も、その次の日も、丘の上で彼女と会って話すうちに、マークは、二十歳近くも歳の離れた彼女にどんどん惹かれていく。

ところが、ある日、彼女はぱったりと姿を見せなくなってしまう。

歳の離れたジュリーへの想いと、愛する妻アンに対する罪悪感に苛まれるマーク。

数日後、再び彼の前に現れたジュリーは、喪服を着ていた。彼女が使用しているタイムマシンを発明した父親が亡くなったのだ。

壊れてしまったタイムマシンを修理する術はなく、タイムトラベルが行える機会は、あと一回あるかどうか……。

「それでも、君は僕に会いに来る努力はしてくれるんだね?」とたずねるマークに、彼女は答える。

「ええ、やってみるわ。それから、ランドルフさん。もし、来られなかった時のために……、思い出のために……いっておきます。あなたを愛しています」

 

そう言い残して、ジュリーはマークの元を去って行った。

 

 

はたして、たんぽぽ娘とマークは、再会することが出来るのか?

この先の展開が知りたい読者諸氏は、ぜひ原作を読んでいただきたい。

 

この切ないSF短編に感銘を受けた二十代の有間秀明が、テレビアニメ版の『CLANNAD』のオープニングを観て、

 

「アニメ版では、ストーリー全般に触れられることは無いけど、このオープニングで一ノ瀬ことみが、たんぽぽの綿毛を吹くシーンは、ことみが大事にしている小説『たんぽぽ娘』を示唆してるんやね。さすが、京都アニメーション!芸が細かい!!」

 

と、したり顔で話し、『ライオンキング』フランス語版について語るクエンティン・タランティーノばりに周囲にうざがられるのだが、それはまた、別のお話し。

 

一方、亜莉寿と秀明の会話の続きが気になる諸氏もいるハズ……、との希望的観測をもとに、時間と場所を一九九五年六月の喫茶店に戻そう。

 



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第5章~耳をすませば~②

亜莉寿に感想を急かされた秀明は、テーブルに置かれているグラスの水で、喉を少し潤すと、

「まず、率直な感想として、とても良いお話しでした。薦めてくれて、ありがとう」

と、口にする。

「どういたしまして。有間クンなら、気に入ってもらえると思ったから!」

この日は、顔を合わせた時から上機嫌の亜莉寿が嬉しそうに答える。

「『夏への扉』『ある日どこかで』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。やっぱり、タイムトラベル作品は、面白いモノが多いな~。あと、『たんぽぽ娘』は、クリストファー・リーヴの『ある日どこかで』に、ちょっと近い雰囲気が近いかな、って思った」

と秀明が雑感を述べると、

「確かに、そうね。タイムトラベルを行うのが、男女の違いはあるけど、古典的なタイムトラベル作品ということとロマンチックな雰囲気は、似ているかも」

亜莉寿が応じると、このタイミングで、注文したアイスコーヒーが運ばれてきた。

ガムシロップをアイスコーヒーのグラスに注ぎながら、亜莉寿は続けてたずねる。

「ねぇ、やっぱり男性は、ジュリーみたいな出会い方をした女の子のことは気になるものなの?」

「う~ん、まあ、最初の出会いで、『おとといは兎を見たわ。きのうは鹿、今日はあなた』やったっけ?ああいう可愛いことを言われたら、気になるんじゃない?」

亜莉寿は薄い笑みを浮かべながら、

「自分には愛する奥さんがいるとしても?」

とたずねる。

「いや、それは結婚してないオレには、答え様がないけど……」

苦笑して答える秀明に、

「まあ、恋人もいなさそうな有間クンに聞いてもムダだったかな?」

と悪戯っぽく笑う。

この数週間で亜莉寿との会話に慣れてきた秀明は、

「悪かったね。お役に立てなくて」

と軽くいなした。

「他には気になることとか無かった?」

と亜莉寿は、秀明の様子をうかがいながらたずねる。

「そうやね~。スゴくロマンチックで良いお話しに野暮なツッコミを入れるのアレやけど……」

秀明の言葉に

「アレやけど?」

と口調を真似て返す亜莉寿。

「うん、普通ジュリーを最初に見た時に誰か気付かへん?マークさん、ちょっと鈍いんとちゃう?」

秀明が答えるや満面の笑みを称えた亜莉寿は、彼がアイスコーヒーのストローに口を付けた瞬間を見計らい、勝ち誇った様に口にする。

 

「へ~、《ビデオ・アーカイブス》のお姉さんがクラスにいることに、ひと月以上も気付かなかった有間クンが、それを言うんだ~」

 

ブホッッッッッッッッッッッッッッ!!

 

一際、大きな音を立て、『コーヒー吹いた』を後世のネットスラングとは異なる意味でリアルに体験させられる有間秀明。

「な、な、な……」

強烈なストレートパンチに、一発でリングに崩れ落ちた秀明に対し、亜莉寿は、さらに死体蹴りとも言える言葉を続ける。

標準語を話す人間特有のエセ関西弁のイントネーションで、

 

「普通、最初に見た時に気付かへん?有間サン、ちょっと鈍いんとちゃう?」

 

その言動が、関西人を最もイラつかせる行為であることを彼女が認識しているのか、秀明は知るよしもなかった。

……が、唖然としながらも、亜莉寿の様子をうかがうと、自分が発したセリフに受けているのか、それとも、彼女の目論みが上手くいったことに喜んでいるのか、目尻を人差し指で拭いながら、腹を抱えんばかりに笑っている。

今日は、いたくご機嫌やと思っていたら、こんな仕掛けを考えていたのか───。

 

(せ、性格ワルっ!!)

 

彼女の姿を見ながら、秀明は心の中で悪態をつくのが精一杯だった。

 

「あ~、面白かった。やっぱり、有間クンに『たんぽぽ娘』を読んでもらって正解だったな~」

クククッと、まだ笑いの余韻を引きずりながら亜莉寿は言う。

秀明は、やや憮然としながら、

「もしかして、いや、もしかしなくても、オレが『たんぽぽ娘』を読んで、どんな感想を言うか、最初から予想してたとか?」

と彼女に問う。

映画や小説の出来不出来に関わらず、秀明がストーリーなどに余計な茶々を入れる性格であることを、吉野亜莉寿なら想定していたハズだ。

「さぁ~、どうかな~?」

ニヤニヤと笑いながらはぐらかす亜莉寿の表情を見ながら、秀明は自分の問いが限りなく正解に近いであろうことと、その壮大な仕掛けに、ものの見事にハメられてしまったことを悟る。

「最初にお店で声を掛ける時に、《おとといは『ロジャーラビット』を借りる人を見たわ、きのうは『ディア・ハンター』、今日はあなた》って言っておけば、覚えててもらえたのかな?」

亜莉寿は無理筋な例えを出すが、

「いや、去年の夏には、まだ、この物語を知る前やから、そんなこと言われても意味がわからんと思うし……」

素で返答する秀明には、ユーモアを交える余裕はなかった。

 

 



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第5章~耳をすませば~③

「そっか、残念。でも、『たんぽぽ娘』の彼女が不安な想いで過ごしていた時間を考えたら、私なんて、《たったのひと月》だもんね。全然たいしたことないよ」

 

(『全然たいしたことない』って、メチャクチャ気にしてるやん)

 

言葉とは裏腹に、言外に含まれるニュアンスをヒシヒシと感じさせる内容に対して、これ以上、長期に渡ってこの件に触れられたくはないと、

「その節は、あらためて申し訳ありませんでした。どうすれば、その《ひと月》の間のことを許してもらえるでしょうか?」

素直に謝罪し、救済策(?)を乞う。

「そうね。『たんぽぽ娘』を読んで感じてくれることがあったなら、マークと最後に別れた後のジュリー・ダンヴァースの気持ちを想像して、その気持ちを忘れないであげて」

亜莉寿の言葉を受けて、秀明は、もう一度『たんぽぽ娘』のストーリーを思い出し、ジュリーの存在に想いをはせる。

「……わかりました。了解です」

秀明の言葉に納得したのか、亜莉寿は、満足した様な表情を見せたあと、さらに要求を追加してきた。

「それと……。打ち合わせに備えて、何か食べたくなってきたな~」

「……はい。今日は、これまでの埋め合わせに、ここのお店のお代は払わせていただきます」

「そうなの?そう言ってくれるなら追加の注文を……」

メニュー表を手元に寄せ、ケーキなどのデザート類に目を通す亜莉寿。

「吉野さんが、カロリーとか気にしないタイプならだけど」

その秀明の一言に、亜莉寿が顔を上げると

「ん~。何か余計な言葉が聞こえた気がしたけど、空耳かな~?」

いつか見た様な黒い笑顔が現れたが、今日は機嫌が良いのか、警戒レベルは五段階のうち、まだまだレベル一といったところだ。

「いえ、何でもないです。お好きなモノをお召し上がり下さい。お嬢様」

秀明は、向かいに座る亜莉寿に対して、うやうやしく礼をする。

「それでは、遠慮なく……」

と亜莉寿は、近くのウェイターに、フルーツワッフルの追加オーダーを頼んだ。

(よりによって一番値段が高いメニューを……)

と秀明が、一瞬苦い表情をすると、

「どうしたの?何か訴えたいことがあるのかな、有間クン」

と目ざとく質問をする亜莉寿。

また、余計なことを言われたくないと感じた秀明は、話しをそらすべく、

「いや……。今日は会った時から、ご機嫌だったから、『吉野さんも打ち合わせを楽しみにしてくれているのかな?』って思ってたんやけど、こんなトラップが用意されていて、それにまんまとハマってしまう自分の間抜けぶりに自己嫌悪に陥っていたところ」

と答えると、亜莉寿は「ふ~ん」とつぶやいて薄く目を閉じ、

「いま言われたことには、いくつか気になる点があるんだけど……。まあ、それは置いておいて、有間クンが、『私《も》打ち合わせを楽しみにしているのか?』って、想像したということは、少なくとも『有間クン《は》、今日の打ち合わせを楽しみにしていた』ということで良いんだよね?」

クスクスと言って笑う。

「あっ……」

話しをそらそうとして、またも自身で墓穴を掘ったことに気付いた秀明は、開き直って、

「えぇ、そうですよ!去年の夏にジョン・ヒューズの話題で盛り上がることが出来たお姉さんと話すことが出来てるんだから、楽しみにしてるに決まってるじゃないですか!」

と言い返す。すると、

「そうなんだ~。そっかそっか」

終始ご機嫌だった彼女が、この日一番と言っても良い満点の笑顔で、

「それは、お姉さんとして、期待に応えないといけないね~」

と、子供かペットをあやす様な口調で応じた。

さらに、よほど気分が良いのか、彼女は、いつも以上に饒舌に語る。

「『たんぽぽ娘』はね……。うちの母が父と出会った頃に、『読んでほしい』って薦めたお話しなんだって。その時に薦めたのは、別の短編集だったみたいなんだけど。今日、返してもらった文庫版は、このお話しが気に入った父が、『亜莉寿が本を読める様になった時のために』って、私が生まれた日に買ってくれたものなの」

秀明は、彼女の言葉に耳を傾けながら、文庫本の最終ページを確認した時のことを思い出した。

『集英社文庫コバルトシリーズ海外ロマンチックSF傑作選②たんぽぽ娘』の奥付には、

 

一九八〇年二月一日発行

 

と書かれていた。

「ずいぶん前に出版された本やと思ったけど、そんなエピソードがあったとは……。大切な本を貸してくれて、ありがとう」

あらためて、礼を述べると

「ううん、お話しが気に入ってくれたみたいで良かった!何より、有間クンの色んな面白い表情が見れたしね」

ニコニコと楽しそうに笑う。

 

(結局、それが目的やったんかい!)

 

「『たんぽぽ娘』を楽しんでくれたみたいだから、また、今度は別のSF小説をオススメしたいな」

と亜莉寿は続けて語る。

「アリス店長のオススメなら、ぜひ読んでみたいな」

秀明が応じると、

「わかった。じゃあ、次はジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを読んでもらおうかな。『たった一つの冴えたやり方』って知ってる?」

「タイトルは聞いたことあるけど、まだ読んだことないな……」

 

二人の会話は続く。

終始、亜莉寿の手のひらの上で踊らされている様な感覚が拭えなかった秀明だが、自身の気分を害されたという想いにはならなかった。

 

(まあ、吉野さんが楽しんでくれてるなら、別にイイか)

 

彼の内面では、吉野亜莉寿と会う度に、ある病が少しずつ中毒の様に進行していった。

この時は、まだ自覚症状すらなかった有間秀明は、その病の体験も乏しいため、抗体や免疫などを持ち合わせているハズもなく、本格的な中毒症状が出るまでに何も対策を打つことが出来なかった。



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第5章~耳をすませば~④

秀明たちの二回目の打ち合わせから、さらに十日が過ぎ、初回の『シネマハウスへようこそ』の放送から一ヵ月が経過した六月末。

今回の企画の立案者であり、番組プロデューサーを自認する高梨翼は、今月の放送内容の一覧表を眺めながら思案していた。

 

六月二日『ショーシャンクの空に』

六月九日『フォレスト・ガンプ~一期一会~』

六月十六日『ブレックファスト・クラブ』

六月二十三日『アメリカングラフィティ』

六月三十日『恋人たちの食卓』

 

(有間クン、吉野さん、あきクンのトークの中身に不満はないけど……)

(取り上げている作品が地味なのかな?もう少し、聴き手の印象に残る内容にしてほしい……)

 

出演者の達成感や自己満足の感覚とは異なり、放送の制作にたずさわる者として、

 

「観たいと思っていた映画の話しを観る前に聞けて良かった!」

「放送を聞いて、もっと興味が出てきた!」

 

といった反響が、あまり伝わってこないことに、やや不満を感じていたのだ。

 

(やっぱり、認知度&注目度の高い映画を取り上げてもらわないと、ちゃんと聞いてもらえない)

(自分たち制作側からも、取り上げてもらいたい映画を推薦してみるか……)

 

そう考えて、夏休み前の最後の機会となる七月七日の放送では、初回と同様に放送部から、取り上げる作品を指定することにした。

 

 

月が変わり、七月最初の土曜日は、隔週の学校週五日制により、登校する日に当たっていた。

 

この日の体育の授業時、秀明はボンクラーズの面々に前日の昼休みに放送された『シネマハウスへようこそ』の感想を聞いてみた。

 

「昨日の放送で話した『恋人たちの食卓』は観てみたい、と思った?」

「う~ん、良くわからへん。何か地味な映画?」

「今までの放送も聞かしてもらったけどさ。何か話しを聞く前から『観てみたい!』って思う映画が取り上げられたことがないから、どう思ったのか、感想を聞かれても困るわ」

「タイトルを知ってる映画の時でも、『フォレスト・ガンプ』を取り上げると、思ったら、何かアカデミー賞作品にケチを付け始めるし……」

「いや、あれは、二人の意見が一致してしまったから……」

「新作の方は、まだ『観に行きたい!』って興味の湧く映画はないけど、吉野さんのオススメしてるレンタルビデオの方は、ちょっと観てみたいかな(笑)?」

「オレの新作映画紹介は、どうでもイイんかい!?」

「そう言うなら、もうちょっと、みんなが興味ある映画を取り上げろ!」

「はいはい、わかりましたよ!まあ、夏休み前最後の放送は、期待しといて」

 

 

放送部直々の指名と、彼らによる応募ハガキ攻勢の甲斐もあり、秀明と亜莉寿が参加する二度目の試写会は、この年公開のスタジオ・ジブリ制作『耳をすませば』となった。

事前の期待度に違わぬ映画の出来映えに感心しつつ、ようやく『シネマハウスへようこそ』で注目度の高い作品を取り上げられることに感謝しながらも、秀明は、映画後半のとあるシーンで、隣の席に座る亜莉寿が、感極まって涙する姿を

 

(彼女にとって、そんなに胸に迫るシーンなのか……?)

 

と意外な想いで横目で眺めていた。

 

ただ、彼は、恒例となっている放送内容の打ち合わせの時にも、彼女に、そのことを問わないまま、収録日を迎え、放送用音源の収録を終えた。



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第5章~耳をすませば~⑤

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「みなさん、こんにちは!『シネマハウスへようこそ』館長のアリマヒデアキです」

♢「はい、店長のヨシノアリスです」

♤「という訳で、開始から、ひと月を乗り切った、『シネマハウスへようこそ』!無事に七月を迎えることができた訳ですが……」

♢「はい」

♤「なんと!夏期の短縮授業と夏休みの影響で、次回の放送は二ヶ月後になるという事態でありまして……」

♢「ねぇ(笑)?ちょっと、リズムが掴めて来たと思ったところで……。でも、まだ、開始から一ヶ月しか経っていないというのも信じられないけど」

♤「ホンマやね!一回目の放送とか、かなり前やった様な気がするけど、まだ、ひと月しか経ってないという」

♢「(笑)」

♤「そんな中、夏休み前の最後の放送ということもあって、今回は、これまで以上に注目度の高い作品を取り上げたいと思います!」

♢「これまで放送で、お話した映画も、良い作品だったと思うんだけど」

♤「プロデューサーさんから、『もっと、みんなが注目してる映画も取り上げてほしいな~』とプレッシャーを掛けられまして(笑)」

♢「六月は、大作映画が公開されなかったという事情もあるんだけどね……」

♤「そんな訳で、今回は、この夏休み最大の注目作品を取り上げたいと思いますので、ご期待下さい!」

 

BGM:デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

 

♢「IBC『シネマハウスへようこそ』は、映画の最新情報を放送室から、お送りしています!」

 

 

♢「ウィークリー・ニュー・シネマ!」

 

BGM:エリック・セラ『Let Them Try』

 

♤「さぁ、夏休み前最後の新作映画ですけれども……」

 

BGM:オリヴィア・ニュートン・ジョン『Take Me Home,Country Roads』

 

♤「はい、オリヴィア・ニュートン・ジョンの『カントリー・ロード』が流れてきました。今回ご紹介するのは、スタジオジブリの新作アニメ『耳をすませば』です」

♢「一年ぶりかな?スタジオジブリのアニメが公開されるのは?」

♤「はい、去年の『平成狸合戦ぽんぽこ』に続いて、一年ぶりですね。ここ何年かで、《夏休みと言えば、ジブリアニメ》という感じになっていますが……」

♢「はい」

♤「今年の作品『耳をすませば』は、スタジオジブリの二大巨頭・宮崎駿さん&高畑勲さんのいずれでもなく、アニメーターとして、このお二人を近藤喜文さんが初監督を務めているということが、最大の注目ポイントじゃないかと思います」

♢「宮崎さんと高畑さん以外の人が監督するのは初めてなのね」

♤「そうなんですよ!ジブリの内部で、以前から、近藤さんに演出を任せようという約束があったみたいで、今回、宮崎さんは、企画と脚本を担当している様です」

♢「へー、そうなんだ」

♤「はい、という訳で、どんなストーリーなのか、ちょっとだけお話しさせてもらいます。主人公の月島雫は、読書好きの中学三年生。ある日、彼女のお父さんが勤めている図書館で、自分が借りた読書カードに、どれも天沢聖司という名前が書かれていることに気付きます」

♢「あの読書カードのシーン、スゴく良かったよね!何枚ものカードに書かれた『天沢聖司』の名前が一つに重なっていって、雫ちゃんの中で、その名前がスゴく重要な存在になることを視覚的に表現していて……」

♤「あっ!それ、ボクも思ったわ!アニメーションならではの演出というか表現かも知れないけど、あのシーンを観た瞬間に、『近藤監督の演出力すげぇ!』って(笑)」

♢「うんうん!」

♤「夏休みになっても、たくさん本を読みたい雫は、学校の図書室を特別に開けてもらって、街の図書館にも置いていない様な貴重な蔵書を借りるんですが、その本の寄付者に『天沢』の文字が!」

♢「このストーリーにグイグイと引き込んで行く脚本も上手いよね」

♤「先ほども話しましたが、脚本を担当しているのが、宮崎駿さんです。この図書室の蔵書のくだりは、原作のコミック『耳をすませば』とは少し異なるんですけど……」

♢「えっ!そうなの?」

♤「この辺り、興味のあるヒトは、りぼんマスコットコミックスの『耳をすませば』と読み比べてみて下さい」

♢「原作は、少女マンガなのね」

♤「はい!ボクも、自称・弟子っ子のブンちゃんも、原作既読組ですよ」

♢「そうなんだ(笑)」

♤「余談ながら、今回の作品は、宮崎さんが別荘だかアトリエだかに居た時に、たまたま目にした少女マンガ雑誌に掲載されていた、原作『耳をすませば』を気に入ったことがアニメ化の発端だそうなんですが……」

♢「へぇ~」

♤「雑誌掲載分の一部のお話しを、アニメにするために膨らませる話し合いに、『うる星やつら』の押井監督と『ふしぎの海のナディア』の庵野監督が参加していたという豪華ぶりで……。アニメファンとしては、この話し合いの場を覗いてみたい!!」

♢「あ~、ファンならそういう気持ちあるよね(笑)」

♤「余計な話しはさておき、ストーリーに話しを戻すと……。雫は、借りた本にあった天沢の名前が気になって図書室をあけてくれた先生に、どんな人なのかを尋ねるんですけど、待ち合わせをすっぽかされたクラスメートの夕子ちゃんが図書室にやってきて、この件は、有耶無耶になってしまいます」

♢「親友の夕子ちゃんも、図書室で面倒をみてくれる高坂先生も、良いキャラクターなのよね!」

♤「ですね~。雫が夕子と待ち合わせをしていたのは、この作品のテーマ曲とも言える『カントリー・ロード』の和訳した歌詞を夕子に渡すため。自分では、その訳詞に納得いかなかったので、遊び半分で作った『コンクリート・ロード』なんて替え歌を見せて、二人で笑いあったり、夕子ちゃんから恋愛の相談を受けたりして……」

♢「その恋愛相談の内容がまた複雑というか……(苦笑)」

♤「この辺りは、作品の見所のひとつとも言えるので、あまり深く触れずに、実際に作品を観て楽しんでもらいましょうか?さて、学校から帰ろうとした二人ですが、雫は図書室で借りた本をベンチに置き忘れていたことに気づいて引き返すと、そこには置き忘れた本を読んでいる見知らぬ男子生徒が居て……。彼は、何故か彼女が月島雫という名前であることを知っていて、さらに、『コンクリート・ロード』の歌詞を揶揄したりするので、怒った雫ちゃんは……」

♢「『やな奴!やな奴!やな奴!やな奴!』(笑)」

♤「……なんて、連呼しながら家に帰ります」

♢「このシーンは、印象に残るよね~」

♤「確かに(笑)家に帰った雫は、『コンクリート・ロード』の歌詞が書かれた紙を丸めて捨てる……、とストーリーの解説は、ここまでにしておきましょう!『天沢聖司が誰なのかは、普通に気付くやろう!?』という野暮なツッコミを入れると、アリス店長にイジられるので、今回は自重します」

♢「この映画の場合は、雫ちゃんが聖司クンの正体に気づくチャンスがなかったので、仕方ないんじゃない(笑)?」

♤「そ、そうかな……。そんな訳で、作品の評価としては、どうでした?」

♢「スッゴク良かった!主人公たちの表情や仕草の細かな演出とか……」

♤「この辺は、期待を裏切らないクオリティやったね~」

♢「スタジオ・ジブリの作品では、久々に主人公が同年代で共感できたところも多かったし!」

♤「そう言えば、『ラピュタ』や『トトロ』を観た時は、まだ小学生で主人公たちと同年代だったけど、『おもひでぽろぽろ』とか『紅の豚』とか、主人公が大人になってたもんね」

♢「そうそう!」

♤「やっぱり、共感できるところが多かったですか?店長、映画の途中のシーンで、めっちゃ泣いてたもんね?」

♢「えっ!?そうだっけ(笑)?」

♤「うん、雫が地球屋のお爺ちゃんさんに、小説を読んでもらったシーンとかで……」

♢「それ、今ここで言う必要あるかな(黒笑)?」

♤「(ヤバい、また何か地雷を踏んだ!?)いえ、その必要は無いです」

♢「そう。賢明な判断ですね(微笑)」

♤「(うわっ!「あとで覚えておいてね?」とか思ってる表情やん、コレ(汗))こ、今回の映画は、全体的に見れば、原作のコミックとの違いもありつつ、素晴らしい映画に仕上がってるな、と思うんですけど。ただ……」

♢「ただ?」

♤「個人的に気になる点もあって……。一つは、冒頭にも話した、図書の貸出カードに書かれている名前をきっかけに、雫が天沢聖司クンを意識するってところなんやけど……。アレって、プライバシー的に問題ない?」

♢「まあ、それはね……(笑)雫ちゃんのお父さんも、『もうすぐ図書館の貸出手続きが、バーコード方式に変わる』みたいなことを言ってたし」

♤「貸出カードにある名前を見て、『この本を借りた人は、どんな人なのかな?』って、想像するのは、原作のコミック版にも描かれているシーンで、図書館に通う《読書好きあるある》かも知らんけど……・。これからの時代は、もう、そういう描写も許されないと思うんですよ」

♢「確かに、問題があるかも知れないけど……。でも、私もお手伝いしていたビデオショップで、『この作品を借りたのは、どんな人なんだろう?』って気になったことがあってね……」

♤「うんうん」

♢「ラブコメ映画の『恋しくて』を借りて行ったのは、どんな人なのか、レンタル履歴を調べたことがあるからな~(笑)」

♤「へ~、そうなんや」

♢「そうしたら、そのヒト、他にも『小さな恋のメロディー』とか『リトルロマンス』を借りていて、あ~男の子なのに、ロマンチストなのかな~、って思ったり」

♤「ふ~ん、男性客やったんや。男子が、そのタイトルは確かに……。……ん?『小さな恋のメロディ』に『リトルロマンス』『恋しくて』って―――。それ、オレが仁川のレンタルショップで、リアルに借りたタイトルやん!!!!!!」

♢「あ、そうだったっけ(笑)?」

♤「(はぁ~、さっきの仕返しですか!?)それ、今ここで、言う必要ある?校内放送で、プライバシーをさらすのだけは、マジで、止めて(泣)」

♢「雰囲気に似合わず、ずいぶん可愛い趣味なんだなって、思ったけどな~(笑)」

♤「雰囲気に似合ってなくて、悪かったッスね!」

♧「どうも、お邪魔します。ブンです。なになに、アリマ先生?えらい可愛いらしい映画のタイトルが聞こえてきたけど(笑)」

♤「こんな話題にだけ食い付いて来て……」

♧「だって、先生!オレが好きな映画を聞いた時は、《スーパークールなタランティーノ映画》とか《おバカで熱いバズ・ラーマンの映画》とか言うてたのに……。そんな少女趣味があったんや(笑)?」

♤「いやいや、講談社ティーンズハート文庫の折原みと先生の大ファンとか、『魔法騎士レイアース』のアニメ観て泣いたとか言うてるブンちゃんにだけは言われたくないわ!!!」

♢「でも、二人とも『耳をすませば』の原作の少女マンガを買ってるんだよね?」

♤♧「「オトコが少女マンガ読んだらダメなんスか?」」

♢「そうは言ってないけど(笑)まあ、坂野クンなら、イメージ的に全然アリなんじゃないかな?女子から見ても、お話しが合いそうだし!でも、有間クンはねぇ……(笑)」

♧「だそうですよ、センセイ(笑)?」

♤「なに、この扱われ方の格差は?プライバシーをさらされた上に、オレだけ、ディスリスペクトされてる感じがするんやけど。この番組どうなってんの!?」

♧「あきらめて現実を受け止めよう、センセイ」

♢「(笑)」

♤「ひどい扱いや……。まあ、それはいいとして、もう一つ気になったのは、ラストシーンでの聖司クンのセリフなんですよ。ネタバレになるから具体的には言わないけど、二人ともアレどう思った?」

♢「あぁ、アレもね……(笑)」

♧「あそこは、宮さん、宮崎駿御大やってしもたな(笑)アニメの後半部分は、原作の少女マンガとは異なるところも多いんやけど、特にあのラストは、宮崎駿脚本のオリジナルの箇所やからな~」

♤「いや、恋愛に縁の無いボクが、宮崎御大にモノ申すのも、どうかと言う自覚はありますよ。自覚はありますけれども!それでも、『キミたち、まだ中学生やで!』ってツッコミを入れたくなるという(笑)」

♢「あ~ね~(苦笑)」

♧「あのラストシーンは、原作とは全然違うセリフになってるから、宮さんなりの若い観客へのメッセージなんやろうけど……。脚本家の恋愛観が、あそこに出てるとしたら、十代の人間とは、ちょっと価値観のズレがあるわな」

♤「この映画って、雫や聖司たちの日常が描かれるパートと雫の創作した幻想的な劇中劇の二つの世界を体験できるっていう、大きな魅力があると思うねんけど……。あのラストのセリフで、『なんでやねん!?』ってツッコミを入れることで、良い感じで物語の世界から現実に戻してもらえたわ、個人的には(笑)」

♢「私も、宮崎アニメの一番の魅力は、『この世界に、ずっと浸っていたい』と思わせる《魔力》にあると思ってるんだけど……。自分としては、今回の映画も最後まで作品の世界に浸ることが出来て満足だったけどな~」

♧「東京の聖蹟桜ヶ丘ですか?映画版の舞台になったああいう街に憧れっていうのはあるな」

 

BGM:ヴァンゲリス『Love Theme』

 

♤「あ、もうエンディングの時間!?まあ、最後に余計なツッコミを入れてしまいましたけど、あらためて我々が言うまでもなく、今回もスタジオジブリは、素晴らしい作品を提供してくれました!ぜひ、夏休みに映画館に観に行ってみて下さい!」

♧「やっぱり、夏と言えば、ジブリアニメは外されへんな」

♤「というわけで、本日のお相手は、『耳をすませば』のまぶし過ぎる登場人物たちを見て、死にたくなってきた有間秀明と」

♢「雫ちゃんと聖司クンの二人を応援したい、と思う吉野亜莉寿と」

♧「あの坂のある街に住みたいと思うブンでした!」

♤「それでは、また夏休み明けに!」



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~①

夏休み前の最終日の放課後、一学期の放送を振り返る反省会と打ち上げを兼ねて、秀明と亜莉寿は、放送室に招待され、放送部の面々から感謝と労いの言葉をもらった。

特に、番組プロデューサーを自認する高梨翼からは、

「最初は、どうなるかな~と思ってたけど~。地味な映画紹介ばかりで少し心配だったし。でも、最後の『耳をすませば』の紹介は、三人の息もピッタリ合ってたし、面白くてメッチャ良かったよ~。二学期からも、この調子でがんばって~」

と称賛の声をいただき、二人を、くすぐったい気分にさせた。

その気分に耐えかねた秀明が、自嘲気味に、

「けど、僕は、あの映画の紹介の時、吉野さんとブンちゃんの二人にイジられた記憶しか残ってないんですけど……」

と答えると、

「あぁ~、それ有間クンの役目やから~(笑)バラエティー番組は、自分の役割をこなすことが一番大事なのはわかってると思うけど~。二学期以降も、イジられ役ヨロシクね~」

昼休みの校内放送の実権を握っていると言っても過言ではない上級生は、にこやかな表情で即座に切り返す。

「えっ!?『シネマハウスへようこそ』って映画情報番組じゃなかったんですか?しかも、ボクの役割は、新作映画を紹介することで、他の出演者にイジられることじゃないですよね!?」

口角泡を飛ばさんばかりの勢いで、番組プロデューサーに訴える秀明の様子を見ながら、亜莉寿はクスクスと笑い、昭聞も笑いをこらえながら、

「秀明、翼センパイの言うてはることは、リスナーである全校生徒の意見も踏まえてのことや。ここは、今後も自分の役目を全うしてくれ」

と、言い終わるか終わらないうちに、「プハハ」と声を吹き出す。

「このプロデューサー、鬼や……」

秀明がつぶやくと、

「人聞きの悪いことを言わんといて~。私は、放送部でもそれ以外でも、《仏の高梨》として知られてるのに~」

と翼が応じる。

よく見ると、「ウンウン」とうなず昭聞以外の部員は、ほぼ全員が渇いた笑いを浮かべている。

色々と状況を察した秀明は、それ以上の反論を行うことなく、放送部に用意してもらったドリンクでの「乾杯!」の声に応じた。

 

 

打ち上げが解散になったあと、帰り支度をする秀明に、亜莉寿が寄ってきた。

「はい!これが、夏休みの課題図書」

彼女が満面の笑みで、秀明の目の前に置いたのは、四冊の文庫本。

前月の打ち合わせ時に予告された通り、いずれも、アメリカのSF作家、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの短編集だった。

高梨プロデューサーから、直々にお誉めの言葉をいただいたからか、あるいは夏休み前という高校生の気持ちが、最もハイになる時期であるためかは判断が付かないが、彼女の上々のテンションに、若干、面食らいつつ、

「あ、ありがとう。今回は、たくさん貸してくれるんやね?」

と、秀明が返答すると、

「うん!夏休みだしね。本を読む時間も、たっぷりあると思って!」

当然だろうという感じで、亜莉寿は断言する。

「そ、そうやね。なるべく早く読み終わる様にするわ」

「じゃあ、読み終わったら、ウチに連絡くれない?平日のお昼の時間帯なら、私が電話に出られると思うから!」

いつも以上に前のめりな状態の吉野亜莉寿の態度に、内心で戸惑いつつ、文庫本を受け取る。

「あ、それから……。この四冊は、作品の発表順に『故郷から一〇〇〇〇光年』『愛はさだめ、さだめは死』『老いたる霊長類の星への讃歌』『たった一つの冴えたやり方』の順番で読んでもらう方が良いかな?あと、出来れば、各巻のあとがきは、四冊全部を読み終わってから、まとめて読んでもらうと嬉しいかも」

そう話す彼女の言葉に、秀明は

 

(本を読む順番まで指定するんかい!)

 

と苦笑しながらも、

 

(まあ、彼女が、そこまで言うからには、何か理由があるんかな)

 

と受け止めて、《この夏の課題図書》に挑むことにした。



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~②

《課題図書》とされた四冊の文庫本を読み始める前に、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという作家の予備知識を得ておこうと、秀明は、以前に古書店で購入していた早川文庫の『SFハンドブック』を開いた。

一九九〇年版の読者アンケートでは、短編部門のオールタイムベストは、このようなランキングになっていた。

 

第一位『たった一つの冴えたやり方』

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

第二位『冷たい方程式』

トム・ゴドウィン

第三位『接続された女』

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

第四位『愛はさだめ、さだめは死』

ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア

第五位『アルジャーノンに花束を』

ダニエル・キース

 

このランキングを見るだけで、秀明の期待は、大いに高まり、亜莉寿に借りた文庫本を開く。

夏休みのため、日中は図書館へ、夜はクーラーの効いた自室で、《課題図書》を読みふける。

 

(ふーん、ティプトリーは覆面作家だったのね~)

(以前に借りた『たんぽぽ娘』の短編集と違って、難解な内容が多いな……)

(『愛はさだめ、さだめは死』のシルヴァーバーグさんの序文(笑))

(『接続された女』―――。メッチャ面白い!)

(『男たちの知らない女』―――。これは、ピンクレディーの『UFO』の歌詞みたいな内容やな)

(『たった一つの冴えたやり方』―――。他の作品と違って読みやすいし、わかりやすい!なるほど、さすがはSF短編部門のオールタイムベストの第一位!)

(さて、短編集の方は読み終わったし、あとがきを読むか……)

 

 

夏休み開始から一週間後────。

 

亜莉寿に言われた通り、各編のあとがきを後回しにしつつ、夏休みの最初の五日間で文庫本四冊を読み終えた秀明は、しばし放心状態となっていた。

SFファンの評価に違わぬ作品集であったが、それ以上に、文庫本のあとがきなどに記されていた作家の経歴は、小説以上にドラマに溢れている。

 

「いやいや、なんという波瀾万丈で衝撃的な人生なのか……」

 

秀明は、頭の中を整理するために、断片的に知り得た、この作家についての情報を自分なりにまとめてみた。

 

・一九一五年

アメリカ合衆国シカゴのシカゴ大学近郊にあるハイドパーク地区で生まれる。

父は法律家で探検家でもあるハーバード・ブラッドリー。母は小説や旅行記を書いていた作家のメアリー・ブラッドリー。

幼い頃から両親とともに世界中を旅した。

子供時代の多くをイギリス植民地下のアフリカやインドで過ごし、母親は我が子の目を通したという設定で、旅行記を残している。

十歳にしてグラフィックアーティストを志し、十六歳の時には、個人名義で展覧会を開く。

また、学生時代に結婚と離婚を経験している。

 

・一九四一年

この年から翌年にかけて、シカゴ・サン紙で、美術評論記事を執筆。

 

・一九四二年

アメリカ陸軍航空軍に入隊。国防総省にて、情報分析士官として写真解析部に勤務。

 

・一九四五年

敗戦国ドイツの科学技術および科学者のアメリカ移送プロジェクトに参加。同プロジェクトに勤務していた同僚と再婚。

 

・一九四六年

陸軍を退役し、夫婦で起業する。

ザ・ニューヨーカー誌に、最初の小説『The Lucky Ones』が掲載される。

(この時の筆名は、ジェイムズ・ティプトリーではなかった)

 

・一九五二年

夫婦そろってアメリカ中央情報局(CIA)に招聘され勤務。

 

・一九五五年

中央情報局を退職。

 

・一九五七年~五九年

アメリカン大学にて学士号を取得。

 

・一九六七年

ジョージ・ワシントン大学にて、実験心理学の博士号を取得

この頃、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの筆名を使い、雑誌などに小説を投稿し始める。

 

・一九六八年

同大学の講師を勤めるも、体調を崩して退職。

投稿した短編小説が採用され、『セールスマンの誕生』をはじめ四編が雑誌掲載される。

 

・一九七三年

第一短編集『故郷から一〇〇〇〇万光年』発売

『愛はさだめ、さだめは死』でネビュラ賞受賞

 

・一九七四年

『接続された女』でヒューゴー賞受賞

『男たちの知らない女』がネビュラ賞の候補に挙がるも「後進に譲る」という理由で選考を辞退。

 

作家デビューから五年あまりで、アメリカSF界の権威ある賞を獲得した実績は、のちに《ティプトリー第一の衝撃》と伝えられる。

 

この頃の同業者のティプトリー評を取り上げると───。

 

ハーラン・エリスン(代表作:『世界の中心で愛をさけんだけもの』)

「今年一番の女性作家がケイト・ウィルヘルムなら、それを迎え撃つ男性作家はティプトリーである」

 

シオドア・スタージョン(代表作:『人間以上』)

「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアを例外とすれば、最近のSF作家でこれはと思うのは女性作家ばかりだ」

 

ロバート・シルヴァーバーグ(代表作:『禁じられた惑星』 共著:『アンドリューNDR114』)

「ティプトリーが女性ではないかという説も耳にするが、この仮説はばかげていると思う。なぜなら、ティプトリーの書くものには、なにか逃れようもなく男性的なものがあるからだ。男にジェーン・オースティンの小説が書けるとは思えないし、女にアーネスト・ヘミングウェイの小説が書けるとは思えない。それと同じ意味で、ジェイムズ・ティプトリー作品の筆者は男性だと、わたしは信じている」

 

・一九七六年

『ヒューストン、ヒューストン聞こえるか?』で、ネビュラ賞とヒューゴー賞をダブル受賞

この年、母親のメアリー・ブラッドリーが逝去。

(この頃、一部の親しいSF作家たちには、自身の正体を明かしていた様である)

 

・一九七七年

『ラセンウジバエ解決法』でネビュラ賞受賞。

(ラクーナ・シェルドン名義)

ティプトリー自身による「シカゴ在住の作家である母が亡くなった」との近況報告から、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの正体を探る人たちが、ついに、この覆面作家の正体を突き止める。

作家の本名は、アリス・ブラッドリー・シェルドン。

ヴァージニア州マクリーン在住の女性であった。

当時の世相や社会運動とも絡んで正体を明かさざるを得なくなった様で、同時代の女性作家、アーシュラ・K・ル・グインが記述したところによると、

 

「アリス・ジェイムズ・ラクーナ・ティプトリー・シェルドン・ジュニアが、ヴァージニア州マクリーンの自宅の郵便受けから微笑を浮かべつつ、ためらいがちに姿を現した」(友枝康子訳)

 

このSF界を揺るがした、覆面作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの素性が明らかになったことを指して、《ティプトリー第二の衝撃》と呼ぶ。

 

・一九八三年

チャールズ・プラットによるインタビューで、自ら幼少期からの波瀾万丈の人生を語る。

(あまりに刺激あふれる内容から、《ティプトリー第二・五の衝撃》とも呼ばれる)

 

・一九八五年

『たった一つの冴えたやり方』で、ローカス賞と星雲賞海外短編部門賞を受賞

 

・一九八七年

四十年以上に渡って連れ添い、老人性痴ほう症を患っていた夫ハンティントン・シェルドンをショットガンで射殺したあと、出血性潰瘍と鬱の症状に悩まされていた自らも頭を撃ち抜き自殺。

日本語版の『たった一つの冴えたやり方』の翻訳作業が成されている最中のことで、本国アメリカのみならず、日本のSF関係者にも大きな衝撃与えた。

(この辺りのエピソードは、早川書房『たった一つの冴えたやり方』の訳者あとがきに詳細が記載されている)

二人が発見されたときには、ベッドに夫婦ならんで手を繋いだ状態で横たわっていたという。

言うまでもなく、これが《ティプトリー第三の衝撃》である。

 

・一九九一年

作家ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの功績を称え、性別に関する社会的規範と性差、すなわち《ジェンダー》に対する深い理解を示す作品を表彰するジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞が創設された。



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~③

一九九五年の時点では、死後十年が経過していないとはいえ、この稀有な経験を持つ作家の波瀾にとんだ人生が、映画化されていないことが信じられないくらいのインパクトである。

 

そして、ティプトリーの最期の決断を知った上で、秀明は、彼女の代表作といえる『たった一つの冴えたやり方』を、もう一度、読み直す。

再読時、この哀しくも美しい物語の最後の十ページほどは、胸が熱くなり、喉もとに詰めものが掛かった様な感覚を味わって、読み進めること自体が苦しく感じられた。

 

(これは、確かに読んだ後、誰かに話したくなる気持ちはわかる……)

 

秀明が読んだ、全部で四十編あまりの短編には、難解な内容のものもあり、すべての作品の本質を理解できたと胸をはっていえる訳ではない。

それでも、感銘を受けたという言葉だけでは言い表すことのできないくらい感情を揺さぶられた、いくつかの物語と、劇的に過ぎる作家の人生については、推薦者であるクラスメートと語り合いたいところだったが……。

語るべき情報があまりに多すぎること、そして、なによりも、作品と作者の人生を想う時に、自分の感情を抑えられる自信がなかった。

 

(すぐにでも、吉野さんと話したいけど、もう少し頭の中身を整理しないと……)

(なにより、もっと、この作家について知りたい!)

(明日は、梅田に映画を観に行く予定だし、本屋でティプトリー関連の情報を探してみるか……)

 

そう考えた秀明は、文庫本を読み終えた翌日、公開されたばかりの映画『恋する惑星』を観に行くついでに、各巻のあとがきに記されていた内容を頼りに、大阪・梅田の古書店や大型書店を巡り、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの特集が組まれた数冊の雑誌のバックナンバーを購入して、読み耽った。

ティプトリーもとい、アリス・シェルドン自身が、自らの人生を語った《ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア・インタビュー》や、短編『接続された女』の作中に隠された作家の過去に関する評伝などを読み、この稀有な作家への理解と興味が深まったところで、ようやく、彼女に連絡を取ろうと決心が着く。

 

七月の最終日の午後────。

秀明は、自宅の固定電話の前で腕を組んでいた。

 

(吉野さん家に電話をするのは、やっぱり緊張するなぁ……)

 

スマートフォンはもちろん、携帯電話すら中高生が所持するまでには普及していなかった一九九五年当時、クラスメートといえど、学校の外で連絡を取り合う手段は、相手の自宅に電話を掛ける以外に皆無といって良かった。

クラスの連絡網(令和の時代には考えられないことだが、新学期とともに、クラスメートの自宅の連絡先が書かれたプリントが配布されていた)を頼りに、吉野家の電話番号をプッシュしようとする。

 

彼女の自宅に電話を掛けるということは、クラスメートの彼女自身ではなく、両親もしくは家族が電話に出る可能性もある訳で、その事を考えただけでも緊張感が高まる。

これまで、女子との接点をほとんど持たなかった男子高校生にとって、このシチュエーションは、それなりに、心理的ハードルが高いことを読者諸氏に理解いただきたいと思う。

 

(コンセントレーション!)

 

深呼吸をした秀明は、試合の大切な場面でフリーキックを任されたプロサッカー選手の様に、ポジティブなイメージを描きながら、集中力を高める。

呼吸が整ったところで、078────と番号をプッシュする。

 

Trrr・・・Trrr・・・Trrr

 

呼び出し音が三回鳴ったところで、

「はい、吉野です」

聞き慣れた声がする。

「あっ、吉野さんのお宅でしょうか?稲野高校の有間と申します」

「有間クン!十日ぶりかな?元気にしてた?」

久しぶりに聞く吉野亜莉寿の声に、ホッと安堵する。

「あっ、うん。体調は問題ないよ」

「なかなか連絡が来ないから、どうしたのかな、って心配しちゃったよ」

「そっか、ゴメン。借りた本を読むのに時間が掛かったのと、その後も、色々と気になることがあって調べたりしたことがあったから、連絡が遅くなってしまって……」

「そうなんだ?それで、四冊とも読んでくれたのかな?」

「うん!先週末には読み終わってたけど、色々と感じることや考えることが多すぎて、頭の中身を整理してた」

「そっか。もうお話しできる状況になった?」

「うん。すぐにでも、吉野さんと会って話したい気分かな」

「わかった!じゃあ、明日いつもの喫茶店で午後一時に待ち合わせにしない?」

「了解ッス!色々と思ったことを話したいし、聞きたいこともあるから」

「うん。じゃあ、また明日!」

 

無事に通話が終わり、再び安堵する秀明。

 

(緊張したけど、何とか普通に終わって良かった)

(色々、聞きたいこともあるけど、答えてくれるかな?)

 

秀明には、今回の読書体験を通して、語り合いたいことともに、吉野亜莉寿自身に確認したいと思うことがあった。



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~④

八月一日の午後。

二人は、ほぼ時間通りに、珈琲屋ドリームに集合した。

亜莉寿から借りているティプトリーの短編集四冊、早川書房のSFハンドブック一冊、購入した雑誌二冊、さらに、「自分から薦めたい本を持って行こう」と考えて、単行本一冊を加えたために、この日の秀明は、少し多めの荷物を抱えていた。

 

「今日は、荷物がたくさんね?」

喫茶店内のテーブル席に座り亜莉寿が開口一番、そう口にする。

「今回の『課題図書』の読書体験では、大いに刺激を受けたから……。色々と調べたいことが出来て資料が増えてしまった」

と秀明は、笑って返答する。

二人は、いつもの様に、アイスエスプレッソマイルドのコーヒーを注文し、

「さて、何から話したら良いかな?」

と、こめかみを掻きながら秀明は自問する様に、つぶやく。

「え?そんなに話したいことが溜まっているの?」

クスクスと笑いながらたずねる亜莉寿。

「今回は、小説を読んで感じたこと、あとがきや雑誌を読んで、この作家について初めて知ったことの情報量が多すぎて、頭の中を整理するのが大変やったから」

苦笑して秀明が答えると、亜莉寿は、ニヤリと少し口角を崩して、

「じゃあ、まずは小説の話から聞かせてもらおうかな?」

とリクエストする。

「了解!全部で四〇編くらいのストーリーのうち、きっちりと内容を理解できたと言いきれるのは、半分くらいしかないけど……。それでも、強く印象に残ったり、自分の好みに合う話があったわ」

「どのお話しが有間クンの印象に残ったの?」

「全部は挙げられないから、四つに絞ると、『愛はさだめ、さだめは死』『男たちの知らない女』『接続された女』『たった一つの冴えたやり方』かな?」

秀明が答えると、タイミング良く、エスプレッソマイルドのアイスコーヒーが二つ運ばれてきた。

「じゃあ、『愛はさだめ、さだめは死』の感想から聞かせてもらおうかな?」

テーブルに置かれたアイスコーヒーにガムシロップをまぜながら問う亜莉寿。

「うん。内容が抽象的なストーリーやから、自分の理解が正しいのか自信の無い部分もあるけど……。他者を求めるオスの衝動の悲哀が感じられるというか、それが生物自体の《死》に繋がることを連想させるのが、またさらに悲しいというか……」

秀明が語ると、

「詩的な内容だもんね。でも、あの内容に何か感じるモノがあるなら、もしかして、有間クンの男女観や恋愛観と何か重なるところがあるのかな?」

フッと笑って亜莉寿が問いかける。

 

(うっ、相変わらず鋭い)

 

秀明は感じながら、

「う~ん、具体的に、どの部分がというのは語りにくいけど、まあ、そういう面はあるのかも」

と答える。

ニマニマと笑いながら、亜莉寿は会話を続ける。

「次は、何だっけ?『男たちの知らない女』?」

「そう!これは、まだわかりやすかった!この短編を読んだとき、ピンクレディーの『UFO』の歌詞を思い出したんやけど、そんなことなかった?」

「わたし、あまり邦楽には詳しくはないんだけど……(笑)確か、♪それでもいいわ/近ごろわたし/地球の男に/あきたところよ/だった?」

「そうそう!しかも、確か二番の歌詞ではオレンジ色の光に包まれて、宇宙に拐われる内容やったハズで……。『男たちの知らない女』の内容と重なるところがあると思うんやけど」

「そんな解釈は、初めて聞いたけど……。面白い説ね!ピンクレディーがウーマンリブ運動とかフェミニズムに影響を受けているかは、わからないけど(笑)」

「オレも、作詞家の阿久悠先生が、ティプトリーの影響を受けてるとは思わへんけど(笑)でも、どっちも比較的近い時期に発表されてるし、日本でもアメリカでも、そういう世相とか時代の気分があったのかなって思った。自分が生まれる前の時代やから、想像でしかないけどね」

ここまで一気に語って、二人は一息つき、コーヒーをすする。

秀明は、再び口を開き、

「オトコとしては、何となく宇宙人に地球人の女性を寝取られたみたいで居心地が悪いけど……。この話しを中年男性の一人称視点で書ける才能はスゴいと思うわ。これは、当時の読者が、男性作家と思い込んでしまうのも無理ないわ(笑)」

「編集者も同業者もファンも、ほとんどの人が男性だと思ってたみたいだしね」

「『愛はさだめ、さだめは死』の序文を書いていたシルヴァーバーグさんやったっけ?力強く『ティプトリーは、男性作家である』って断言に近い書き方してたけど、あの後の気まずさは、ハンパじゃなかったやろうな~」

「あぁ、そうね!」

「あの気持ちは、ちょっとだけわかる(笑)。『たんぽぽ娘』の主人公にツッコミを入れたあと、目の前のヒトに、《あなたが、それを言う?》ってカウンターを打ち込まれたから」

「まあ、どちらも『自分の言動には責任を持ちましょう』という教訓を得られたのは良かったんじゃない?」

「アリス・シェルドンは優しい女性だったみたいだから、シルヴァーバーグさんは面目を保てたみたいやけどね」

「あら?彼みたいに失態をおかしても、真摯な態度を取ることが出来れば、周りのヒトたちも認めてくれるんじゃない?」

お互いに無言で笑みを浮かべながら、一瞬、バチッと火花が飛び掛けるが……。

亜莉寿に挑むことが無謀あることを即座に悟った秀明は、無駄な抵抗を止める。

「確かに、男性たる者、あれぐらい潔く、過ちを認める度量が必要かな?」

「そうね。相手のアリスさんは寛大ですから」

「それは、ありがたい……」

苦笑まじりに答えた後、少し間を置いて、秀明は切り出す。



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~⑤

「次は、『接続された女』の話しをしても良い?」

「ええ、どうぞ」と、亜莉寿は手のひらを秀明に向けて差し出し、続きをうながす。

「この短編は、物凄く気に入った!今まで読んだSF短編の中でもトップクラスかも!」

「へ~。そうなんだ(笑)どの辺りが有間クンの琴線に触れたの?」

「お気に入りのポイントを挙げれば、キリがないけど、一つ目は、ヴァーチャルな存在のアイドルをテーマにしているところかな?美の化身として完全体なアイドルであるデルフィを、演じているのが、人々から目を背けられる醜い少女Pパークという設定だけで、心を鷲掴みにされてしまったわ」

「サイバーパンク小説の元祖みたいに言われてるけど、あのアイデアは、スゴいよね!」

「そうそう!で、《デルフィ=Pパーク》は、イケメンの御曹司と恋に落ちるけど、彼が愛しているのは、デルフィの外見なのか?中身のPパークの存在なのか?っていう葛藤があって……」

「ああいう切ないお話しが、お好み?」

「う~ん、その切ない部分に惹かれたというよりは、テクノロジーを用いて、アイドルの少女の恋愛に絡めて行くアイデアの先進性っていうのかな?今から二十年以上前に、そんなアイデアを小説化できる才能にびっくりした」

「そっか~。有間クンは、やっぱりSF好きなんだね」

「そうなるのかな(笑)?あと、もう一つ感心したのは、未来世界では、『アイドルそのものが広告塔になっていてCMや広告が必要なくなっている』っていう設定。あれも今の時代に、JーPOPの歌手がファッションリーダーになって、みんなが服装を真似したりするところにも通じてるかな?」

「そこに、デルフィの開発元である大企業の思惑が絡んでいたりね(笑)」

「そう、それ!広告の無い世界になっても、大企業や広告代理店みたいな存在が暗躍するって未来予測ぶりが、本当に素晴らしいなって思った」

「SFには、社会批評的な視点も必要だもんね」

「そうそう!他にも、注目したい点はあるけど、とにかく先見の明がありすぎて、驚きの連続でした」

「お~、ベタ褒めだね~(笑)」

「今年、『攻殻機動隊』ってコミックがアニメ化されて劇場公開される予定やけど、サイバーパンク分野の先駆けみたいな作品を読むことが出来て、ホントに良かったと思うわ」

「それはそれは……。そこまで気に入ってくれて、オススメした甲斐がありました(笑)」

「うん!教えてくれて、ありがとう。───それで、最後に『たった一つの冴えたやり方』について話したいけど、これは、作者自身に関わることも多いし、吉野さんに聞きたいこともあるから、その前に一息つかしてもらって良いかな?」

秀明は、本題に入る前に……。といった感じで一呼吸おき、再び語り出す。

「自分の好みの問題は置いておいて、一番ストーリーが理解しやすくて、読みやすかったのは、『たった一つの冴えたやり方』やったわ」

「そう、やっぱりね」

予想した通り、といった表情で、亜莉寿は、手元のコーヒーグラスに視線を落とす。

秀明は、さらに言葉を続ける。

「最初に読んだ時、『さすが、SFファンが選ぶオールタイムベスト!』と思った。主人公のコーティが一人で宇宙に出ていく準備をする時のワクワク感!これこそ、『SFを読む楽しみ!』って感じがしたし、川原由美子先生の挿し絵もあるからか、他の短編集とは違って、ジュブナイル向けのスニーカー文庫とか、富士見ファンタジア文庫の作品を読んでるみたいに楽しめた。吉野さんは、どうだった?」

「私は、最初に読んだティプトリーの作品が、『たった一つの冴えたやり方』だったんだけど……。有間クンと同じように、自分も、最初は、とても楽しみながら、この物語を読み始めた記憶があるな」

ストローでグラスの中身をかき混ぜながら、相変わらず目線を落としたままで答える亜莉寿。

「そっか……。その後のコーティと異種族のシルベーンとの出会いから、ラストまで一気に読ませるストーリーテリングの上手さもスゴいと思うけど……」

秀明が、ここまで語ると、亜莉寿も、

「うん」

とうなづく。

「やっぱり、この物語は、あとがきに書かれていた、ティプトリー・ジュニアいや、アリス・シェルドンの経歴を知ると、彼女の人生そのものが語られてるみたいで、胸が締めつけられる様な想いになってしまう」

「うん、そうだね」

「吉野さんは、こういう効果を期待して、あとがきを読むのを後回しにする様にアドバイスしてくれたんかな?」

秀明は、気になっていたことの一つをたずねる。

「そうね。その方が、より彼女の作品を印象的に感じてもらえるんじゃないかって思ったから……」

亜莉寿が、ポツリと小さな声で答える。

その答えを受けて、

「そっか。今回も、名脚本家・吉野亜莉寿の演出に、まんまとハマッてしまいました」

秀明は、サッパリとした表情で応じる。



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第6章~愛はさだめ、さだめは死~⑥

うつむきがちだった亜莉寿が顔を上げると、

「吉野先生の配慮の影響で、ティプトリー・ジュニアのことが、気になって、気になって、仕方なくなって、もっと、この作家のことを知りたくなって……。おかげで、梅田までティプトリーの特集を組んでる雑誌のバックナンバーを探しに行くことになってしまったわ」

我ながらアホなことをしてる、という表情の秀明の顔を見た亜莉寿は、

「そんな事までしてたの……?」

と言いながら、クスクスと笑い出した。

「まあ、勉強熱心なことは、悪いことじゃないと思うけど……」

笑顔が戻った亜莉寿に、秀明は答える。

「優秀な先生に、《やる気スイッチ》を押してもらったからね!おかげ様で、『接続された女』のテーマに隠されたアリス・シェルドンと母親の複雑な母子関係や、ティプトリー・インタビューで、より彼女の経歴や内面を深く知ることが出来て良かったですよ」

少しあきれた様子で亜莉寿は言う。

「有間クンって、アレだよね。オタク気質って言うの?ちょっと変わってるよね」

「やっぱ、そうかな?『なに、そんなに必死になってるの?』って、引いてない?」

秀明が、やや心配そうな顔でたずねると

「う~ん。ちょっと、いや、かなり引いてるかな?」

いたずらっぽく笑いながら亜莉寿が答えると、

 

「はぁ、マジか~」

 

と、あからさまにショボンとした表情になる秀明。

その表情を見て、快活さを取り戻した亜莉寿が、「アハハ」と笑い、

「冗談だって……。有間クンの表情がコロコロと変わって面白いから、ちょっといじめたくなっただけ」

と言うと、

「勉強熱心な生徒をいじめるなんて、酷い先生やわ」

と秀明。

「でも、そんなに熱心に読んでくれたと思うと嬉しいな」

亜莉寿は答える。

すると、秀明は、

「自分が話したから、吉野先生の『たった一つの冴えたやり方』に対する見解も聞かせてもらいたいんやけど」

とリクエストする。

「えっ!?私の?」

不意をつかれた様に驚く亜莉寿に、

「うん!この物語をオススメしてくれたのは、何か理由があるのかな、って思ったから」

と、秀明がうながす。

「そうね……」

と、つぶやいた亜莉寿は、自身の見解を語り始める。

「『たった一つの冴えたやり方』って、ティプトリー、アリス・シェルドンの人生そのものが描かれている、っていうのは、有間クンと同じ見解かな?一人で宇宙に飛び出すのは、少女期の彼女の体験を通していることが想像できるし、コーティとシルベーンの出会いは、自分を理解してくれるパートナーを得た中年期の彼女の心境かな?そして、最期の決断も……」

ポツポツと語る亜莉寿に、秀明は「うん」とだけ、相づちを打つ。

亜莉寿が続けて

「人生の最後に、ああいう手段をとった彼女を肯定できるかと言われると、即答はできないけれど……。でも、ティプトリーは───、彼女は───、自分の人生や最期の決断を、自分自身で肯定したくて、誰かに理解してもらいたくて、『たった一つの冴えたやり方』を書いたんじゃないかなって、そんな気がするの」

こう語ると、

「そうやね。そんな気がするわ」

秀明が同意すると、亜莉寿は、さらに続けて

「正直、ティプトリーの作品は、読んでもらうのが、ちょっと怖かったんだ……」

と、打ち明ける。

「ん?なんで?」

秀明が、疑問に思ったことを、たずねると

「だって、ティプトリーの作品は、SFを読み慣れてなかったら、難解な内容のモノも多いから……。有間クンに『良くわからなかった』とか、『つまらなかった』とか言われてたら、悲しくなってたと思う。あと、一週間も連絡が無かったし……」

照れているのか、恥じらっているのか、普段はあまり見ない亜莉寿の表情に秀明が少し戸惑いながら、

「あ、それはホンマにゴメン。あまりに刺激を受けすぎて、ちょっと頭と感情の整理をしたかったから……」

と釈明すると、

「ううん、有間クンの感想を聞けて良かったよ!ありがとう」

亜莉寿が答えるので、

「いや、感謝される様なことは……。こちらこそ、素晴らしい読書体験の機会をいただき、ありがとうございました」

秀明が頭を下げると、亜莉寿は、照れくささと嬉しさが混じった様な表情で笑う。

秀明は、続けて

「そう言えば、他にも気になってることがあって……。アリス・シェルドンの三十歳以降の経歴は、かなり詳細にわかって来たけど、両親と海外で過ごした幼少期の体験も面白そうなのに、母親が執筆した本は、まだ翻訳版が出ていないみたいやから、これ以上知ることができなくて……」

寂しそうに秀明が答えると

「そうなんだ……」

亜莉寿が、つぶやく。

「あと、これはプライベートなことやから、聞くのは失礼なことかも知れないけどさ……。吉野さんの亜莉寿って言う名前は……」

そこまで言葉を発した秀明をさえぎって、亜莉寿が言う。

「ねぇ、有間クン。ティプトリーの幼少期アリス・ブラッドリーのことが書かれている『ジャングルの国のアリス』を読んでみたくない?」

「えっ!?それは、もちろん読んでみたいけど……。さっきも言ったけど、その本って翻訳されてないよね?」

秀明が疑問をぶつけると、「フフッ」と亜莉寿は微笑む。

「もし、今から時間があるなら、ウチに来てくれないかな?」

「今から吉野さんの家に!?」

秀明が声をあげると、亜莉寿は質問を続ける。

「今日は時間が無いかな?」

「いや、そういう訳じゃないんやけど……」

「じゃあ、女子の家に行くことに抵抗がある?」

「え、いや……。それは何というか……」

亜莉寿が予想した以上に、秀明は、戸惑いと逡巡する様子を見せる。

その姿に、亜莉寿は、フッと息を吐き、

「もしかして、この炎天下で、それだけの量の本と雑誌を駅から自宅まで女の子に持って歩かせるつもり?」

そこまで言われて、秀明は、あらためて自分の持ってきた荷物を確かめる。

「あっ、ゴメン!確かに、そうやね」

「有間クンって、ホント初歩的な気づかいとか全然デキないよね?」

その言葉に続いて、彼女が何かつぶやいた気がしたが、秀明には、よく聞き取れない。

ともあれ、こうして二人は、喫茶店の最寄り駅である西宮北口の三駅先にある仁川駅から、徒歩十分の吉野亜莉寿の自宅に向かうことになった。



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~①

夏休みが明けた。

始業式から一週間後、『シネマハウスにようこそ』も、二ヶ月ぶりの放送日を迎える。

夏休みに入る前の最後の放送で周囲から好評価を得た秀明は、気分良く収録に臨むことができた。

彼らが、二学期最初の放送で取り上げるのは、ヨーロッパを舞台にした恋愛映画だった。

 

 

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「みなさん、お久しぶりです!『シネマハウスへようこそ』館長のアリマヒデアキです」

♢「ビデオショップ『レンタル・アーカイブス』店長のヨシノアリスです」

♤「約二ヶ月ぶりの放送となる訳ですが、皆さんは、いかがお過ごしだったでしょうか?」

♢「みんな、思い出に残る様な過ごし方をされたんですかね?」

♤「そんな中、ボクは、学校の課題の他は、いつも通り、映画を観に行ったり……。あと、ある作家のSF小説にハマって、夏休み中は、ずっとその作家さんのことを考えたりしてましたね」

♢「ずいぶん熱心に、色々と調べてたみたいだもんね~(笑)?」

♤「そうなんですよ!一方、店長はこの夏休みの思い出とかあります?」

♢「まあ……、私の方は、ノーコメントということで(微笑)」

♤「え~、これ以上ふれてくれるな、という笑顔で返されました。そんな訳で、今回は、夏休みに良い思い出を作れたヒトも、そうでないヒトも、『この秋は、この映画で良い思い出を作ってもらいたい!』という作品を紹介させてもらいたいと思います!」

♢「アリマくん、この映画にハマッてるもんね~(笑)」

♤「プロデューサーさんからは、『また地味な映画なん~?』と言われそうなんですけど……(笑)では、新作紹介行ってみましょう!」

 

BGM:デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

 

♢「IBC『シネマハウスへようこそ』は、映画の最新情報を放送室から、お送りしています!」

 

 

♢「ウィークリー・ニュー・シネマ!」

 

BGM:エリック・セラ『Let Them Try』

 

♤「さぁ、夏と青い海を連想させる『グラン・ブルー』のジングルのあとは……」

 

BGM:ケース・ブルーム『Come Here』

 

♤「しっとりした秋に相応しい曲が流れて来ました」

♢「まだまだ、残暑が厳しい季節だけどね(笑)」

♤「今年の夏は、『恋する惑星』という恋愛をテーマにした香港映画が、スゴく話題になったんですが……。残念ながら、関西では劇場公開が終わってしまったので、今日は公開中の映画を取り上げさせてもらいます。今回、ご紹介したい映画は、『恋人までの距離(ディスタンス)』という作品です。いま、流れているBGMは、この映画のサウンドトラックから『Come Here』という曲なんですが……。涼しくなって行く、これからの季節にピッタリの曲だと思いません?」

♢「アリマくんの推し方が、ちょっと暑苦しいことをのぞけば、まあ、そうかもね(笑)」

♤「はい、厳しいご指摘は、スルーして作品の紹介に入らせてもらいます。この映画の舞台は、ヨーロッパ。ハンガリーのブダペストからパリへ向かう長距離列車の中で、中年の夫婦が喧嘩を始めてしまいます。その夫婦喧嘩に嫌気がさしたイーサン・ホーク演じる青年ジェシーが、近くに座っていたジュリー・デルピーが演じる同年代の女性セリーヌに声を掛けます。話し掛けられた女性が英語を話せることを確認して二人は列車内の食堂車に移動します」

♢「あの導入部は、上手いよね!二人の偶然の出会いがスムーズに描かれていて」

♤「はい!そして、食堂車での会話で二人は意気投合するんですけど……。列車は、ジェシー青年が降りる予定のオーストリア・ウィーンに到着してしまいます。さて、二人は、どうするのか!?」

♢「ここで、イーサン・ホークが彼女を誘うセリフが良いのよね!」

♤「『これは未来から現在へのタイムトラベルだ。若い頃失ったかも知れない何かを探す旅。君は《何も失っていない自分》を発見する。僕はやっぱり退屈な男だった。君はその夫に満足する』だったかな?」

♢「これだけだと、ちょっとわかりづらいけど、相手の女性ジュリー・デルピーが、未来で別の男性と結婚しているとして、今の自分たち二人の出会いを思い返した時に、『よく知りもせずに別れてしまった男に未練を感じて、未来の君が、その時のパートナーに不満を感じることが無いように』ボクをつまらない男だったと思い出せる様に、『これから一緒に過ごさないか?』って意味なんだけど……。スゴい誘い文句ね、コレ」

♤「ですよね~。一度で良いから、こんなシチュエーションに恵まれた時に、このセリフを使ってみたい!」

♢「あ~、アリマくん、わかってると思うけど、これはらイーサン・ホークが話すから、サマになるのであって……(苦笑)」

♤「わかってますって!女子の方だって、『こんな風に誘われるのは、良いかも!《※ただし、イーサン・ホークに限る》』って、ことでしょう?」

♢「自覚があるなら、大丈夫、かな(笑)?」

♤「はいはい。さて、この後の二人は、ウィーンの街に繰り出すのですが……。ここから二人は、ジェシーの搭乗する飛行機が出発するまでの十四時間の間、この映画の原題『ビフォア・サンライズ』のタイトル通り、夜明けを迎えるまでのウィーン市内をブラブラと歩きながら、お互いの素性や家族のことを明かしたり、人生観や男女観などを交えて、哲学的かつユーモアに溢れる会話を延々と続ける、という展開になっていきます」

♢「うんうん」

♤「そして、この映画の内容は、以上!!―――これだけです」

♢「登場人物も、事実上、イーサン・ホークとジュリー・デルピーの二人だけだしね。う~ん、ある意味で、斬新というか……(苦笑)」

♤「そう、出演者は、いくつかのシーンをのぞけば、ほぼ、この二人だけ!……ただね、この二人の会話劇が、ウィーンの美しい街並みにバッチリとハマッて素晴らしい雰囲気なんですよ!!……って、アリス店長とボクの間で、ものすごくテンションに差があるんですよねぇ」

♢「いや、良い映画だと思うよ、思うんだけど……。自分は、この映画のリチャード・リンクレイター監督の作品なら、『バッド・チューニング』の方に思い入れがあるから……」

♤「あ~、アメグラ!『アメリカン・グラフィティ』に似てるタイプの映画やったっけ?」

♢「そうそう!『バッド・チューニング』は、自身の思春期の時代を題材にしたリンクレイター監督版の『アメリカン・グラフィティ』と言っていいんじゃないかな?この監督は、『恋人までの距離』と正反対の集団劇の撮り方も上手だし!脇役で出演している、マシュー・マコノヒー、ミラ・ジョヴォビッチ、ベン・アフレック、レニー・ゼルビガーは、絶対にブレイクしていく俳優だと思うから、その点にも注目して観てほしいな!」

♤「その映画は、まだ観ることが出来てないんですよね~。今度、『レンタル・アーカイブス』のコーナーで紹介してくれる?」

♢「そうね!機会があれば、ぜひ紹介させて!」

♧「はい、アリマ先生とヨシノ店長、そして、お聞きの皆さま、お久しぶりでございます。アリマ館長の弟子っ子のブンです。なに?先生、今回の映画は、男女二人が延々と哲学的なことを語り合う作品?押井守監督、ヨーロッパでも実写映画撮るくらい出世したん?」

♤「誰がアニメの話しをしてんねん(笑)!?一分くらい前にリチャード・リンクレイター監督の作品って言うたやん!」

♧「いや、すんません。何か、アリマ先生の紹介だけ聞いてると、シチュエーション的に、『うる星やつら2』とか『ご先祖様万々歳』とか『パトレイバー2』とかの押井守作品に近いな、って思ったから(笑)」

♤「『うる星2』と『パト2』は、ともかく、『ご先祖様万々歳』の例を出しても、校内のリスナーは、九十九パーセントが知らないアニメやろう?そんなボケかましても、聞いてるヒトには、わかってもらわれへんで!」

♧「いや、申し訳ない。まあ、押井監督は、この秋に公開予定の『攻殻機動隊』の準備でそれどころやないわな。それより、さっきの先生の発言で気になることがあったんやけど……」

♤「ん、なになに?」

♧「なんか、旅先でイーサン・ホークが、お姉ちゃんを口説く時のセリフに憧れるとか言うてたけどさ……。自分の人生で、そんなシチュエーションが起こるなんて、本気で思ってんの(笑)?センセイ、頭の中、お花畑やな!」

♢「アハハハハハハハハ(爆笑)!」

♤「なっ!エエやんか、別に!そう思うくらい」

♢「サカノくん、Good Job!良く言ってくれました!私も、さっき、同じことを思ったんだけど、女子の立場から、それを言っちゃうと、さすがにかわいそうかな、って思って自重したんだ」

♤「さらに、追い討ちを掛けられた……」

♧「自分の発言から出たことやから、責任を重く受け止めてくれ(笑)」

♢「思想・信条の自由というものがあるから、映画のセリフやシチュエーションに憧れるのは、少しも悪くないと思うけど……。それを口に出して言うのは、ちょっと、ねぇ(笑)」

♤「また、こんな扱いかよ!夏休み前より、さらに状況が悪化してる気がする……」

♧「今回も、ヨシノ店長に、大いにイジってもらえて羨ましい限りやわ(笑)」

♤「はあ~。ヒトの繊細な心を理解しない、目の前の二人は、こんなこと言ってますけど……。自分は、この映画の中の主人公二人のセリフや物事の考え方は、とても共感できるところが多いな、と思いました」

♢「あ、話しをそらした!」

♤「スルーして、続けますよ~。映画の後半に、ジュリー・デルピー演じるセリーヌが、こんなセリフを言います。『この世に魔法があるなら、それはきっと、誰かを理解し、何かを共有しようとする努力の中にある』恋愛に限らず、色々な人間関係にも当てはまることなんじゃないかな、と……。そんなことを感じながら、この映画を観終わりました。個人的には、この映画は、恋愛映画史上に残る傑作だと思っています」

♧「メッチャ推すなぁ、この映画(笑)」

 

BGM:ヴァンゲリス『Love Theme』

 

♤「はい、エンディングの時間です。こんな扱いをされるんなら、もう恋愛をテーマにした映画を取り上げるのは止めよう(笑)!次回は、『ジャッジ・ドレッド』の紹介でもしましょうかね?」

♧「おっ、スタローン主演のコミック原作映画!」

♢「また、極端な映画を……(笑)」

♤「そんな訳で、『恋人までの距離』のラストシーンの二人が、どうなったのか気になるアリマと」

♢「リンクレイター監督に、もっと注目が集まってほしいと思うヨシノと」

♧「まあ、そんなに先生が推すなら、ちょっと、この映画を観てみようかと思うブンでした」

♤「それでは、また来週!」

 



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~②

無事に、二学期最初の収録を終えて、帰宅の準備をする秀明に、亜莉寿が声を掛けてきた。

「ねぇ、有間クン。今日、番組で話した内容のことなんだけど……。私、ちょっと言い過ぎたかな?」

「ん?気に掛けてくれてるの?大丈夫!気にせんといて!」

と、明るく答えつつ、

「帰る準備が出来たから、もし、気になる様なら外で話そうか?」

そう言って秀明は、亜莉寿を放送室の外に出るように、うながした。

二人は、廊下を歩き、放送室から少し離れた階段の踊り場に移動する。

周囲に他の生徒がいないことを確認して、

「で、放送の内容のことやったっけ?」

秀明がたずねると

「うん、ちょっと、有間クンにキツく言い過ぎかな、って……」

亜莉寿がつぶやくと、

「あ~、さっきも言ったけど、マジで気にせんといて!ちょっと嫌がるふりしてるのは、高梨先輩に対する牽制やから」

手をヒラヒラと動かしながら、秀明は笑って答える。

「牽制……?」

「うん、夏休み前の最後の放送は、聞いてくれてる人たちの反応を考えて、取り上げる映画が指定されたやろ?ずっと、それが続くのは面倒やなと思ってて……。番組の方針で、もしもキャラ付けを強要されたら、それを受け入れる代わりに、『新作映画やレンタルビデオの選択は、出演者に一任してほしい』って交渉しようと考えてたんよ」

秀明が、意図を語ると、

「そうなんだ!」

亜莉寿は、声を上げる。

「まあ、交渉材料にするなら、イジられ役を嫌がってる方が、説得力が増すかな、と……(笑)オレが担当してる新作映画は別にいいけど、アリス店長の『レンタル・アーカイブス』のコーナーは、意図を持って作品を選んでるやろ?」

秀明が、ニヤリと笑ってたずねると、

「う、うん」

と肯定する亜莉寿。

「そこに横ヤリを入れられるのは避けたい、と思ってたんよ。でも、交渉に入る前に、先輩の方から作品の選択を一任してくれることを提案してくれて良かった。まあ、あの先輩のことやから、オレが本気で嫌がってないことは、わかってたと思うけど……」

苦笑いしながら、秀明は答える。

「そっか……。でも、どうして、そこまで自分たちでオススメ作品を選ぶことにこだわるの?」

亜莉寿が、たずねる。

「う~ん、さっきも言ったみたいに、新作映画紹介は、ある程度、作品の指定があっても、自分たちが気に入らない映画やったら、ツッコミを入れまくって紹介しても良いと思ってるんやけど……。レンタルビデオの方は、オレ自身が、アリス店長が本当にオススメしたいと思う映画を知りたいと思うから」

少し照れながら、秀明は語る。

「そうなの?」

「多分、アリス店長は、学園モノと言うか、青春映画をチョイスして、レンタル作品を紹介してくれるんじゃないかと思うんやけど……。SF小説を貸してくれた時みたいに、自分が知らない作品なら、新しく知る喜びがあるし、既に観たことのある映画なら、『アリス店長は、どんな風にこの映画を紹介するのかな?』って楽しみがあるから。それを他のヒトに邪魔されたくないな~、と思って……」

頬をかきながら、秀明はつぶやく様に語った。

「そんな風に考えてくれてたんだ……。ありがとう」

ポツリと亜莉寿がつぶやくと、

「いやいや、感謝される様なことじゃないから!」

大げさに手を振って応じる秀明。

「ううん、ありがとうね、有間クン。……でも、本当に全校放送で、あんな風に言われるのは、イヤじゃないの?」

どうしても気になるのか、亜莉寿は、再び疑問を口にした。

「あ~、そのことね。少なくとも、ブンちゃんとアリス店長にイジられることで気分悪くなることはないから、安心して!ブンちゃんとの会話は、いつもの馴れ合いの延長やし(笑)それに、アリス店長……いや、吉野亜莉寿さんにも、喫茶店での会話とかで、いつも、からかわれてるじゃないですか!?」

顔をそむけて、

「言わせんなよ、恥ずかしい……」

と、最後は小声になる秀明。

普段とは異なり、この日は、会話の主導権を取ることが、ほとんどなかった亜莉寿だが、彼の様子をみて、いつもの調子を取り戻し始める。

「あれ~、有間クン。顔をそむけて、どうしたの?もしかして、嫌がってる風を装いながら、吉野亜莉寿さんにからかわれるのを秘かに喜んでいたのかな?」

ニヤニヤと笑いながら、亜莉寿は秀明の顔をのぞき込む。

「べ、別にそんなことは言ってないやん!」

必死に取り繕う秀明の言葉を受け流しながら、

「あ~、ポニーテールの髪型だけじゃなくて、また一つ有間クンの異常な性的嗜好を発見してしまった……。いや、これは、禁断の扉を開いて、開発してしまったのかな?」

一人言の様に、亜莉寿はつぶやく。

「あの、オレはポニテフェチではないし、女子にイジられて喜ぶ性癖なんて持ってないからね!」

必死に自らの潔白を訴える秀明だが、おそらく、目の前の彼女の耳には届いていない。



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~③

その後も、何やらブツブツと語っていた亜莉寿は、唐突に、

「でも、有間クンが、『シネマハウスにようこそ』での坂野クンとの会話を嫌がっていないみたいで良かった!」

と目を輝かせて話し始めた。

「えっ、なんで?」

と聞き返す秀明に、

「だって、坂野クンが番組の途中で、有間クンの発言に絡んで入ってくるのは、目の前で見ていて、とても楽しいんだもん!あぁ、男の子同士の会話ってイイな~って思うの」

亜莉寿は、いつも以上に饒舌に語り出す。

「はあ、それはどうも」

彼女の意図がわからず、曖昧な相づちを返す秀明の言葉に続いて、

「特に、最初は坂野クンの言葉に反発しながらも、最後はいつも彼を受け入れる有間クンを見ていると、このまま二人の会話を見続けていたいなって……」

 

(は?オレがブンちゃんを受け入れる?)

(ナニを言い始めるねん、いきなり)

 

困惑する秀明に構わず、亜莉寿は、切な気に語り続ける。

「表面上は、喧嘩を装いながらも、本音ではお互いを理解しあっている仲睦まじいカップルの会話みたいで、私が会話に入るのは、お邪魔虫なのかなって思ったり……」

(今日はブンちゃんが来てからしばらくの間、会話に入って来なかったのは、それが理由か!?)

「いやいやいや、三人で話す番組なんやから、ちゃんと会話に参加して下さいよ!」

思わずツッコミを入れる秀明の言葉は耳に届いていないのか、亜莉寿は、一人で話し続ける。

「だから、もし、有間クンが、坂野クンとの会話を望んでいないなら、もう、二人のイチャイチャが見られなくなるのは、もったいないなって……」

「何も、もったいないことはありません!」

有間秀明の嗜好以前に、吉野亜莉寿の思考には、何やらノイズが混じっている様である。

秀明は呆れながら、

「『シネマハウスにようこそ』でのブンちゃんとアリマの会話をどう楽しむかは、個人の自由やと思うけど……。そういうスタンスなら、番組の中で、アリス店長がイジる相手は、アリマ館長だけにしておいた方が良いやろうね」

と提案する。

ようやく、自分の世界から戻ってきた亜莉寿にも、今度は声が届いていた様で、

「ん?どうして?」

と聞き返す。

「男子二人に女子一人のグループで、女子が男子二人ともに、気軽にツッコミ入れたり、イジったりすると、他の女子の反発を招くと思うから……。最近、ブンちゃんは、女子の注目を集めつつあるみたいやから、余計にね」

秀明は、『シネマハウスにようこそ』夏休み前の最後の放送から、夏休み明けのこの日に至るまで、昼休みや放課後に、秀明たちの一年B組の教室を訪れる女子生徒が少しずつ増えている様に感じていた。

そして、彼女たちのお目当てが、坂野昭聞であることも……。

「そっか……」

つぶやく亜莉寿に、秀明が続ける。

「多分、これは高梨先輩の見解とも一致すると思うねんな~。今後、もしアリス店長が、ブンちゃんもからかいだしたら、敏腕プロデューサーから、『吉野さん、アキくんは良いから、有間クンをもっとイジってあげて~』って、リクエストが出ると思うわ」

「確かに、なんとなく想像できるかも」

と言って亜莉寿は微笑む。

「ブンちゃん、性格はともかく、見た目は女子受けすると思うから……。あんまり親しげに絡む女子は、聞き手に歓迎されへんと思うねん」

秀明が語ると、

「そうだね!その点、性格も見た目も女子受けしない有間クンなら、他の女子も気分を害さない、と……」

ニヤケながら答える亜莉寿。

「そこまで、ハッキリ言わんでもエエやん……」

と、秀明は、すねた様につぶやいて、続ける。

「まあ、今の『シネマハウスにようこそ』の三人の会話のノリなら、そういう流れにはなりにくいと思うけど……。だから、高梨先輩は、『この調子でよろしく』みたいに言ってくれてるんとちゃうかな?」

秀明が自身の見解を言い終えると、

「なるほど……。有間クンも、色々と考えてるんだね!坂野クンや私にからかわれて、イヤな想いをしているか、それとも、喜んで恍惚の表情を浮かべているかのどちらかだと思ってた」

と言って悪戯っぽく笑う。

「なんで、そんな両極端な想像なん!?」

思い切りツッコミを入れた秀明が、さらに続けて

「でも、亜莉寿さんが、オレのことを心配してくれるとは思ってなかったわ。いっつも、イジられっぱなしやし」

と笑いながら言うと、亜莉寿は珍しく硬直して、

「べ、別に心配したとか、そんなんじゃないんだから……」

と、たどたどしく言い返す。

秀明が満面の笑みで、

「いや、もうその言葉を聞けただけで満足です!高梨先輩から、作品選択一任の言質を取ったことよりも嬉しいかも」

と返すと、亜莉寿は、

「もう!有間クンのくせに、上から目線はやめてくれる?あなたは、坂野クンにからかわれてるくらいが、ちょうどイイの!!」

と言って、すねた様にそっぽを向いた。

その様子を見た秀明は、苦笑しつつ、

「はいはい、わかりました。これからも、『シネマハウスにようこそ』では、二人で大いにアリマ館長をイジって、番組を盛り上げて下さい」

と付け加える。

その言葉に機嫌を直したのか、亜莉寿は、フフッと笑いながら、

「本当は、それが嬉しいくせに!」

と言い返してくる。

「なんでやねん!」

と、お約束のツッコミを入れた秀明が、「さて、遅くなったし、そろそろ帰りますか」と言って、二人は昇降口に向かった。

秀明には、夏休みの一件以降、亜莉寿との距離が縮まっている、と感じられた。



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~④

翌日、金曜日の昼休み終了間際。

前日に収録した録音の放送が無事に終了し、秀明、亜莉寿、昭聞の三人は、放送室から一年B組の教室に戻る。

それを確認した正田舞が、秀明の席まで来ると、こんなことを切り出した。

「有間、今日の放課後、時間ある?ちょっと話しておきたいことがあるんやけど」

突然の提案に、少し驚いた秀明だったが、何か重要なことかと思い、

「ああ、そんなに遅い時間にならないなら大丈夫!どこか店に寄った方が良い?」

と聞き返す。

「うん。できたら、ファーストフードかファミレスが良いかな?」

「じゃあ、立花駅前のマクドにしようか?待ち合わせは、どうする?」

「う~ん、放課後、少し時間が掛かるかもやから、先にお店に入っててくれる?」

「了解!じゃあ、二階で席を取っとくわ」

と答えた秀明は、

 

(ショウさん直々の話しって、何やろ?)

(時間が掛かった時に備えて、今日の夕飯は、簡単に作れるモノにするか)

 

そんなことを考えながら、午後の授業を過ごした。

 

 

その日の放課後。

ショートホームルームが終了した後、いつもの様にすぐに下校した秀明は、午後四時過ぎに、自宅の最寄り駅前のマクドナルドに到着し、同級生を待っていた。

 

「少し時間が掛かるかも……」

 

と言っていた通り、正田舞が店に現れたのは、秀明が入店してから、たっぷり一時間が経過した午後五時過ぎのことだった。

「ゴメン!遅くなって。吉野さんとの話が長引いてしまって」

謝りながら席に着く舞の様子を見ながら、

「いやいや!ショウさんからの話しなら、何か重大なことかも知れんから。何時間でも待ちますよ。それより、学校では、亜莉・・・いや、吉野さんと話してたん?」

秀明は返答する。

 

すると、舞は、トレイの上のドリンクに口をつける間もおかず、質問を繰り出した。

「そう!これから話すことと関係あるから……。遅れて来たところ、いきなり聞くのも申し訳ないけど、有間、夏休み中に吉野さんの家に行ったん?」

単刀直入の質問に、秀明が、やや動揺しつつ、

「あっ、うん……。吉野さんから聞いた?けど、ショウさんが心配してくれる様なことはなくて、彼女から自宅に招かれたんやけど……」

と答えると、

「それも吉野さんから聞いた!それで、吉野さんの家では何かあったん?」

と、これまたストレートな質問に対して、秀明は、約一ヶ月前のことを思い出していた。

 

 

阪急仁川駅から山の手側に徒歩十分。

関西では、四大私大とされる私立大学の目の前という好立地。その一角のスタイリッシュなマンションが、吉野亜莉寿の自宅だった。

 

八月一日の午後。

吉野亜莉寿から自宅に招かれた有間秀明は、本や雑誌を入れた紙袋を下げ、緊張の面持ちで、彼女の家を訪問していた。

 

(まさか、こんな流れになるとは……)

(女子の部屋に来るなんて初めてやし……)

(そもそも、ホンマに自分なんかが来て良かったんか?)

 

有間秀明の脳内に様々な想いが交錯する中、彼の逡巡を気にする様子もなく、吉野亜莉寿は自室に秀明を招くと、

「荷物持ちありがとう!暑かったよね?いま、飲み物を入れて来るから!」

と言って、キッチンに向かった。

彼女が自室から出てドアを閉めると、アプリコットとジャスミンの混ざった様な香りが鼻腔をくすぐる。

不意に、秀明は前年の夏休み終盤の日のことを思い出した。

 

(そう言えば、吉野さんと出会ってから、もうすぐ一年になるのか?)

 

秀明は、この辺りの場所に土地勘がなかったため当初は気付けなかったが、駅から亜莉寿の家まで移動する過程で、彼らが出会ったビデオ店と彼女の自宅が、遠くない距離にあることも実感できた。

 

あの夏の日───。

 

(また、あのお姉さんと話しが出来たら楽しいだろうな)

 

秀明は、そう感じていたが、この数ヶ月ほどで、亜莉寿と映画や小説など、色々な話題について語り合えていることは、彼にとって望外の喜びと言って良かった。

 

あらためて、そんなことを考えながら、周囲を見渡してみる。

目の前には読書をしたり軽い食事ができそうなテーブル、左手には学習机が置かれ、正面の大きな窓を挟んでタンスとベッドが並ぶ。

何よりも秀明の目を引いたのは、ベッドの脇に配置された大きな本棚だ。

下段の方にハードカバーの単行本、中段にソフトカバーの単行本、そして、中段から上段までは、早川文庫や創元文庫、さらに、九〇年代には希少品となりつつあったサンリオ文庫などが、レーベルと作者ごとに綺麗に並べられている。

本棚を眺めただけで、彼女が所有している書籍を大切にしていることが想像できた。

その一部を自分に貸し出し、読ませてくれたということが、秀明には嬉しく思えた。

そんなことを考えていると、「お待たせしました」と言って亜莉寿がキッチンから戻ってきた。

 



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~⑤

「アイスティーしかないけど、いいかな?」

 

そう問う彼女に、

「うん!ありがとう。前にも言ったかもやけど、普段はコーヒーより紅茶派やから」

秀明が答えると、彼の視線が本棚に向いていたことに気づいた亜莉寿は、

「なに?本棚をじっと見て……」

と、いぶかしげに言う。

「いや、思った通りというか、たくさん本があって、それに大切に読んでそうだな~、って感じたから」

秀明が、そう答えると、

「そんな大したことはないよ」

と、亜莉寿は少し照れた様に応じる。

そして、本題を思い出した様に、

「それで、『ジャングルの国のアリス』なんだけど……」

彼女が切り出すと、秀明も応じる。

「そうやったね。あの、もし英語の原書やったら、自分の英語力では読み通せるかどうか、自身がないんやけど……」

その答えを聞いた亜莉寿は、フフッと笑って、「心配しないで」と言い、自分の学習机の本立てにささっているハードカバーの本を手にする。

彼女は、その本を秀明に差し出した。

 

「これは?」

 

という表情の秀明に、「読んでみて」とだけ答える亜莉寿。

表紙を見ると、そこには、

 

『ジャングルの国のアリス』

著:メアリー・ブラッドリー

訳:吉野真莉

 

と、書かれていた。

 

表紙を開くと、最初のページには、本作の主人公アリス宛てに、彼女と親しい大人が書いた手紙と思われる文章が訳されている。

 

「読ませてもらって良いの?」

 

秀明が問うと、亜莉寿は、「ええ、どうぞ」とうながす。

それなりのページ数なので、読み終えるまでに時間が掛かると考えた秀明は、

「ありがとう!読ませてもらってる間に、良かったら、オレが持ってきた本を読んで待ってて」

と提案する。

「うん、そうさせてもらおうと思ってた!」

そう答えた亜莉寿は、「これを借りるね」と言って、秀明の持ってきた紙袋から、早川書房の単行本、大槻ケンヂ著『くるぐる使い』を取り出して読み始めた。

 

秀明は、再び単行本に目を通す。

一ページ目から、さらにページを繰ると本編となり、物語は、こんな書き出しで始まっていた。

 

 

《第一章~アフリカへ出発~》

《遠い遠いアフリカの真ん中まで連れていってあげる───両親から急にそう言われたら、みなさんはどう思いますか?アフリカには黒人が住んでいて、ジャングルや草原が広がっています。サルが木を登り、首の長いキリンが林を見下ろし、大きなゾウが食べ物を口に運んでいます。ゾウといっても、背中に乗ったり、ピーナッツを食べさせたりできるような、おとなしいサーカスのゾウじゃありません。近づくことさえできない、荒々しい野生のゾウです。夜にはライオンのうなり声が聞こえることも、ひょっとしたら昼間にはその姿を目にすることもあるでしょう。そんなところへ連れていくと言われたら?》

《びっくりしすぎて、現実なのか、サーカスの帰りに見た夢なのか、わからなってしまうかもしれませんね》

《アメリカのシカゴに住むアリス・ブラッドリーは、本当に「アフリカに連れていってあげる」と言われました。両親の友人でアリスが「エイクリーおじさん」と呼んでいる、カール・E・エイクリーといっしょにです。エイクリーおじさんは、ニューヨークのアメリカ自然史博物館に展示する野生のゴリラを仕留めにいく予定でした。その旅に両親も加わることになり、五歳のアリスも連れていかれることになったのです。》

 

 

二時間弱の時間を掛けて、秀明は、翻訳された『ジャングルの国のアリス』を読み終える。

平易な言葉で訳された文章は読みやすく、楽しく読み通すことができた。

秀明がハードカバーの本から顔を上げると、亜莉寿は、一足先に『くるぐる使い』を読み終えたのか、彼の様子をうかがっていた様だ。

「読み終わったよ」と、秀明が声を掛けると、

「どうだった……?」

と、緊張した声で亜莉寿がたずねる。

 

「翻訳が良いからか、スゴく読みやすかったし、スッゴい楽しめた!読ませてくれて、ありがとう」

 

素晴らしい読書体験直後の、醒めない興奮状態そのままの感想を口にした秀明の答えに、「良かった……」と亜莉寿は、つぶやく。

彼女は続けて、

「この日本語訳の『ジャングルの国のアリス』はね……。お母さんが、私の六歳の誕生日の時に、製本してプレゼントしてくれたものなんだ」

と語った。

「じゃあ、お母さんが、この文章を?」

訳したのか、という意味で秀明がたずねると、

「うん。ウチの母は、海外の小説や文章を翻訳する仕事をしてるんだ」

亜莉寿は答えた。

「そうなんや。それで……」

秀明は、読み終えたばかりの文章が、とても読みやすいものだったことに納得する。

さらに、亜莉寿が言葉を続ける。

 

「さっき、喫茶店で有間クンが聞こうとしてくれたこと……。私の名前はね、有間クンが予想している通り、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの本名アリス・シェルドンが由来なの」

 

秀明は、「やっぱり、そうやったんや」と、優しくつぶやくと、

「うん、小さい時は、良く私の名前を名付けた理由を話してくれたんだ」

と亜莉寿が答える。

さらに、秀明が

「ご両親は、ティプトリーという作家に特別な想いがあったのか。そう考えると、スゴく素敵な名前やね。亜莉寿って……」

と語ると、それを聞いた亜莉寿は

「あ、有間クン……。良く、そんな恥ずかしいこと言えるね?」

と、表情を紅潮させる。

「え!?ゴメン!オレ、何か変なこと言った?」

と焦る秀明に、今度は少し呆れた様子で亜莉寿は、

「はぁ、まあ、誉めてくれているみたいだから、いいけど……」

と言って、照れた仕草を見せる。

「うん」

と相づちの様にうなずいた秀明の言葉の直後、今度は少し表情を曇らせた亜莉寿は、

「でもね……。私が、このプレゼントをもらった次の年に、ティプトリーは……」

そこまで彼女が言った時に、秀明も思い出した。

 



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~⑥

ティプトリー=アリス・シェルドンが、夫を殺害後に、自らの命を絶ったのは、一九八七年───。

秀明と亜莉寿が七歳の時である。

「小学校の低学年の時だったと思うけど、その後、両親はあまりティプトリーのことを話題にしなくなったんだ……」

と亜莉寿は語る。

「そっか……。ツラい話しをさせてしまって、ゴメン」

秀明の言葉に、「ううん」とつぶやく亜莉寿。

彼女の返事を聞いた秀明は、言葉を続けた。

「けど、今日は、『ジャングルの国のアリス』を読ませてくれて、本当にありがとう」

その言葉を意外に感じたのか、亜莉寿は「どうして?」と聞き返す。

「うん、スゴく面白い内容だと思ったし……。それに、ティプトリーの幼少期のことがわかって、『たった一つの冴えたやり方』の主人公コーティのキャラクターが、どうやって生み出されたのか、良くわかった感じがするから」

秀明の答えに、

「それなら、有間クンに読んでもらって、私も本当に良かったな」

と亜莉寿も応じる。

亜莉寿の言葉を聞いて、秀明は、さらに自分が感じたことを語った。

「あと、『ジャングルの国のアリス』を読んでいて感じられたのは、アリスが、お母さんにスゴく愛されているんだな、ってこと。これは、優しい文章で書かれた翻訳の影響も大きいと思うけど……」

それを聞いた亜莉寿は、

「それは、作者も翻訳者も、仕事冥利に尽きるかもね」

と言って笑った。

さらに、彼女は続けて語る。

「ねぇ、もう一つ、私の話しを聞いてもらって良い?」

亜莉寿のリクエストに

「何でも、どうぞ!せっかくの機会だし、ぜひ聞かせて!」

と快く応じる秀明。

それを聞いた亜莉寿は、

「私ね、将来は映画のシナリオライターになりたいと思ってるんだ!そして―――、まだ、ハリウッドでも実現していない、『たった一つの冴えたやり方』とジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの人生を映画化するのが、私の夢なの」

一気に話したあと、照れた様に、「他のヒトには、話したことないんだけどね……」と、つぶやく。

「そっか……。うん、吉野さんらしい素晴らしい夢やと思うわ」

秀明は、正直に想いを口にして、

「それに、『たんぽぽ娘』を借りた時も、ティプトリーの小説を借りた時も、何か工夫して、オレを驚かせたり、楽しませてくれたりしたし……。吉野さんには、演出とかストーリー・テリングの才能があると思うな」

と付け加えた。

亜莉寿は、照れ隠しをする様に、

「う~ん、映画のお客さんが、みんな有間クンみたいに、わかりやすい反応をしてくれるとイイんだけど」

と言って、悪戯っぽく笑う。

「そこは、『シネマハウスにようこそ』の館長の目利きを信用して下さいよ」

秀明も、そう言って笑った。

真夏の陽の長さがあるとは言え、亜莉寿の部屋に射し込む西日も、だいぶ傾いている。

腕時計を見ると、時計の針は午後六時に近づいていた。

「あっ、もうこんな時間か!そろそろお暇しないと……」

秀明が、そう言って立ち上がろうとしたと同時に、吉野家の玄関からドアの閉まる音がした。

 

 

「あっ、お母さんかな……?」

と亜莉寿がつぶやき、しばらくして、彼女の部屋がノックされる。

「亜莉寿、誰かお客様が……」

来てるの?と言い終わる前に、秀明の姿を確認した女性は、質問を変える。

長い髪をくくっているのだろうか、アップにまとめられた髪で紺色のスーツを着こなし、薄いフレームのメガネ姿が印象的に写り、顔立ちは娘の亜莉寿と似ているものの、彼女よりも怜悧な雰囲気を感じさせる。

「こちらは、どなた?」

「お母さん、高校のクラスメートの有間クン」

吉野家の母と娘の会話の中で紹介された秀明は、亜莉寿の母・真莉から感じられた雰囲気に、秀明が、直立不動となり、

「吉野さんのクラスメートの有間です。今日は、急にお邪魔してしまって、申し訳ありません」

と彼女に向かって、礼をすると、

「そう。お構いも出来ずにごめんなさい。今度、ウチに来る時は、なるべく事前に教えてちょうだい」

と言い残し、亜莉寿の部屋のドアを閉め、ダイニングの方に去って行った。

予想外の亜莉寿の母親との対面に緊張していた秀明は、「ふぅ~」と息をつき、

「そろそろ帰らせてもらうね」

と、あらためて亜莉寿に伝える。

 

(『ジャングルの国のアリス』の翻訳を読ませてもらった時は、優しいお母さんなのかな、って感じたけど、会ってみた印象は、ずいぶんと違うな)

 

秀明は、そう感じた。

それでも、彼は

「お母さんに、ご挨拶だけさせて」

と亜莉寿に話してダイニングにむかい、真莉に対して、

「遅い時間まで、お邪魔しました。帰らせていただきます」

と伝える。

「はい、どういたしまして。気をつけて帰ってね」

淡々とした口調で、返す真莉に、今度は亜莉寿が、

「有間クンを下まで送ってくるね」

と伝えて、二人は玄関にむかった。

 

 

マンションのエントランスまで来たところで、別れ際に亜莉寿は、こんなことを言ってきた。

「ねぇ、有間クン。一つ提案なんだけど……。今度から、私のことは、亜莉寿って呼んでくれていいよ」

突然の《提案》に、秀明は、やや驚いて

「えっ?どうして、急に?」

と、亜莉寿の意図を問う。

彼女は、照れながら、

「さっき、私の名前の由来を話した時に、《素敵な名前だ》って言ってくれたから……」

「あぁ、そっか……。こうして聞くと、かなり恥ずかしいこと言ったんやな、オレ」

と、今度は秀明の表情が赤くなる。

「そうだよ!でも……、そう言ってもらえて嬉しかったから」

亜莉寿が答えると、

「そっか……。うん、ありがとう!『遠慮なく、そうさせてもらおう!』と、思うけど、やっぱり、二人で話す時だけにしようか……?他の人もいる時に、亜莉寿って呼ぶのは、なかなか勇気がいる」

と苦笑いする秀明。

「確かに、他の人に聞かれて、噂とかされると恥ずかしいし……」

と言って、亜莉寿もクスクス笑う。

 

(ん?どこかのゲームのキャラクターのセリフみたいやな)

 

と秀明は感じながら、

「今日は、貴重な本を読ませてもらった上に、色々なお話しを聞かせてもらって、ありがとう!亜莉寿さん」

感謝の言葉を口にする。

「こちらこそ、たくさんお話し出来て良かったと思う。ありがとう」

亜莉寿の言葉に、

「そう思ってくれて嬉しいわ。じゃ、また学校で!」

と秀明は答え、エントランスを出て、駅に向かった。



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~⑦

「はぁ~~~~~~」

 

と正田舞は、大きなため息をつく。

 

「それで、ホンマに吉野さんの部屋で、二人で本を読んで帰って来ただけ?」

呆れかえる様に聞くクラスメートに、秀明は、「はい」と消え入る様な声で返事をして、

「結果的に言うと、そうなりますね……」

と続けた。

「今どき、小学生でも、その展開は無いんとちゃう?」

再び、ため息まじりに言う舞。

「そう言われると、何も言葉がないと言うか何と言うか……」

苦笑いしながら、視線を落とす秀明を見て、舞はフォローを入れる。

「ま、何かトラブルになる様なことがなかっただけでも良かったと考えたらイイんちゃう?それに……」

「それに……?」

聞き返す秀明に、

「何て言うか、今日の吉野さん、機嫌が良かったんよな~。『夏休みに貸した本を有間クンがスゴく楽しんで読んでくれた』とか『ようやく、有間クンも気をつかえるようになってきた』とか『有間クンと坂野クンの会話を見てるのって和むよね』とか。最後の方は、何を言ってるのか、良くわからへんかったけど……。夏休みから、今日まで吉野さんと話す機会は多かったん?」

と舞は秀明に問い掛ける。

「あぁ、夏休みにお家にお邪魔させてもらった日と昨日の放課後と、わりと話し込んだ気はする。夏休みの時の話しは、彼女のプライベートに関わることやから、ショウさんと言えど、オレの方からは話されへんけど……」

秀明が答えると、

「あ~、吉野さんの家で、有間に家族の話しを聞いてもらったとか言ってたのは、そのことか……。昨日は?吉野さんと何か話したん?」

問われた秀明は、中学時代以来の仲である同級生を信頼し、出演する番組の《暗黙のコンセプト》について打ち明けた。

「これも、自分たちの内輪の話しやけど、ショウさんになら話しても良いか……。オレたちが放送してる『シネマハウスにようこそ』で、最近は、ブンちゃんと吉野さんが、オレをイジる様な内容が多いやろ?」

「そう言えば……。『耳をすませば』の紹介をした時くらいから、三人の会話が面白くなって来たかな?興味を持ってた映画やったってこともあるけど、有間たちが楽しそうに話してたから、夏休みに観に行ってきた」

舞の返答に、

「ありがとう!それは、あの放送をしてた人間としては、めっちゃ嬉しいわ!!───それは、さておき、昨日は吉野さんが『番組の中で、イジられ役をするのはイヤじゃないのか?』って聞いてきたから、『オレは気にしてないから、今のままで大丈夫!けど、吉野さんがブンちゃんをイジるのは止めておこう』って提案したんよ」

秀明が答えを返すと、

「ん?なんで?もしかして、最近、坂野クンが女子に注目され始めてることと関係ある?」

と舞が聞き返す。

「さすが、ショウさん!『女子に人気がある男子に絡むのは、聞き手の女子に反感を持たれる可能性があるから、なるべく止めておこう』って提案したんよ」

秀明が昨日の会話のいきさつを語ると、舞は心得た、という風に答える。

「……で、その点、『女子に注目されてない有間なら、いくらイジっても大丈夫!』と伝えた、と」

「ご明察、その通りです」

秀明は、感心した様に頭を下げて、目の前の同級生に敬意を示した。

「そっか……。だいたいのことが、わかってきた。───で、ここからが本題!」

言葉の最後の声のトーンを一段上げて舞は秀明に語る。

「他の生徒、特に異性から注目を集め始めてるのは、坂野クンだけじゃないと思うねんけど、その点、有間はどう考えてるん?」

「……それって吉野さんのこと?」

懸念していたことなのだろうか、秀明の声のトーンは、一段低くなる。

舞は、秀明の問いを肯定する様に答えた。

 

「そう!有間も予想というか、覚悟してたことやろ?」

 

舞と秀明の考えには、それなりの根拠があった。

秀明たちの通う稲野高校は、彼らの所属する単位制コースと、その他に、理数系科目の授業に特化した理数科コース、一般的な普通科高校の授業を行う普通科コースの三つのコースに別れている。

秀明たちが一年制時の各学年のクラス編成は、

 

一年生:単位制三クラス・理数科一クラス・普通科六クラス

二年生:単位制三クラス・理数科一クラス・普通科六クラス

三年生:理数科二クラス・普通科八クラス

 

となっていた。

このうち、一年と二年の単位制と理数科のクラスは、体育の合同授業などで、他のクラスの生徒とも面識があったが、単位制と普通科クラスの生徒は、授業が重なることがないため、生徒間の面識は、ほぼ無いと言って良かった。

また、単位制クラスでは、校内のクラブ活動をする生徒が極端に少なかったため、稲野高校内の上級生と交流を持つ生徒も少ない。

このため、秀明たち一年生の単位制コースの生徒は、単位制三クラス一二〇名以外の生徒とは、事実上、没交渉状態にあった。

しかし、全校生徒向けに昼休みの放送を行うということは、これまで学校内で、一二〇名の生徒にしか存在を認識されていなかった秀明・亜莉寿・昭聞の三人が、一気に全校生徒一二〇〇名に認識されるということになる。

校内で目立った活動を行う生徒が、容姿まで人目を引くとすれば……。

 

「これが、マンガとかの世界なら、ブンちゃんにも、吉野さんにも、校内ファンクラブが出来てるところやな」



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~⑧

秀明が、おどけた様に言うと、舞はいつも以上に真剣に、

「無理に茶化したくなる気持ちもわからなくはないけど、笑いごとじゃないで?」

そして、言外に「わかってるやろうけど」というニュアンスを込めて、語る。

「ウチら単位制は、男子が少ない上に、女子に積極的な人間が、さらに少ないから……。今まで吉野さんにアプローチする人間はいなかったけど、これから先は、どうなるかわからへんで?」

現実を突き付ける様に、淡々と話す舞の言葉に、秀明はうなづくしかない。

「まあ、ブンちゃんの注目のされ方をみると、そうなるよな……。けど、オレには……」

言葉を続けようとする秀明に、

「『自分に、それをどうこう言う資格は無い』って言いたいんやろ?」

まるで、秀明の心を見透かした様に、舞は図星をつく。

「あ……。うん」

秀明は、再びうなづくことしかできない。

言葉の続かない秀明に、舞は再び告げる。

「『なんで、言いたいことがわかったん?』って、顔してるけど、今の有間の立場なら、そう言うしかないやろ?」

「確かに、そうやね……」

肯定する秀明に、

「まあ、仮に、有間が『吉野さんが他の生徒にアプローチされたり、告白されたりするのはイヤや!』って、私に話したところで、私にもどうする事も出来へんから、有間の答えを聞かせてもらいたかった訳じゃないねんけどな……」

舞は、そう語る。

「えっ、じゃあ……」

秀明が疑問の言葉を言い終わらないうちに、

「なんで、こういう話しをしたかったっていうと、有間自身に、自分の気持ちに向き合って欲しかったから」

舞が自らの考えを口にした。

「オレ自身に……?」

「そう。中学の時に有間の話しを聞かせてもらってから、ずっと思ってたんやけど……。もし、有間のそばに魅力的な女子がいた時に、『有間は素直に自分の気持ちに気付くかな?』って。有間は、小学生の時以来、自分自身の恋愛的な気持ちにフタをしてしまったんじゃないか、って思ってたから」

「そ、それは……」

舞の言葉を聞いて、秀明は動悸が早まり、呼吸がしづらくなっていることに気付いた。

「ツラい想いをさせてしまったら、ゴメンやけど……。でも、もし、有間が自分自身の想いに気付けなかったら……。自分の気持ちにケリを付けられなかったら……。どういう結果になるにしても、誰も幸せにならへんと思うから」

舞は一気に話し終えると、一口ドリンクをすすった。

「今日、私が話したかったのは、これだけ。一方的に話しをしてゴメンな。しかも、あんまり聞きたくない話しやったと思うし……」

「いや、ありがとう……。オレのことを考えて話してくれたことはわかるし……。ショウさんも、こんなこと話しにくかったやろ?」

秀明は、感謝の言葉を述べる。

「まあ、話しやすいか、話しにくいかと言えば、話しやすい話しではないな~」

そう言って舞は笑う。

「でも、有間なら聞いてくれると思ってたから―――。それに、私のことも、ちゃんと配慮してくれてるし」

「いや、それは当たり前やろう?」

秀明が、当然といった感じで聞き返すと、

「自分に耳の痛い話しをする相手のことを配慮するって、出来ないヒトも多いと思うけど……。そういうところも含めて信頼してるから、話してみようと思ったんよ」

「ショウさんに、そこまで信頼してもらえてるだけでも嬉しいわ」

笑いながら素直な想いを口にした秀明に、

「まあ、どんな結果になるにしても応援してるから、有間が聞いてほしい話しとかあれば、いつでも遠慮なく言って!相談に乗るから」

「ありがとう……!ショウさんも困ってることがあったら、いつでも言って!オレの方は、話しを聞くくらいしか出来ないかもやけど……」

秀明が、そう言うと、舞は笑って

「気持ちだけ受け取っとくわ」

と、返答した。

会話が一段落すると、秀明は時計を見る。

時計の針が、午後六時をさしているのを確認すると、

「あっ、ゴメン!そろそろ帰らんと」

と帰宅の準備をする。

「夕飯の準備してるんやったっけ?ご苦労様」

舞が声を掛ける。

「うん!今日は、チャーハンで簡単に済ませようと思うけど。それと、貴重なアドバイスありがとう!」

「どういたしまして。私は、もうちょっと残っていくわ」

舞が、告げると、

「了解ッス!ショウさんも、気をつけて帰ってな」

秀明は、そう言って帰って行った。



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第7章~恋人までの距離(ディスタンス)~⑨

正田舞は、一人残ったファーストフードのテーブル席で考える。

余計な期待を持たさないため、秀明には話さなかったが、亜莉寿は、ここ一ヶ月ほどの彼との会話で、秀明への信頼をかなり深めた様だ。

放課後の会話で、彼女は、自分が大切に思っている小説を秀明が気に入ってくれたことを舞に話した。

 

「しかも、何が気になったのか、その作家について、色々と調べたりしたみたいで、本を薦めた私より詳しくなってたり……。アレには、ちょっと引いたな~」

 

冗談めかした口調で辛口なことを言うが、亜莉寿の表情は、心の底から嬉しそうだった。

さらに、彼女たちが出演している『シネマハウスにようこそ』の収録を通して、秀明が策を練りながら、亜莉寿の担当するコーナーの決定権を守ろうとしていたことも……。

 

「私は、自分の考えていることを察してもらえないと、相手の人と駆け引きしたり、交渉するのが苦手だから……。有間クンが、そういうことを考えてくれてたのは、ちょっと嬉しかったな……」

 

秀明のことをほとんど誉めない彼女が、彼の言動について珍しく素直に喜びの感情を口にしたことに、舞は少し驚いた。

 

四月の入学式の頃には、秀明が亜莉寿に最悪に近い印象を与えていたことを考えると、半年も経たないうちに、ここまでの関係性に発展するとは予想もできなかった。

もっとも、驚いたと言えば、ようやく秀明が亜莉寿とコミュニケーションを取れる様になったと聞いた日から、十日ほど後に、いきなり二人が昼休みの校内放送を始めた時もそうだったが……。

後に、知り合いの上級生から聞いたところによると、昭聞たち放送部が以前から企画していた番組だったらしく、ある程度は納得したものの、常識人である正田舞にとって、秀明と亜莉寿の行動は、予想のつかないことだらけだ……。

 

(まあ、それがあの二人を見ていて飽きない理由でもあるけど)

 

と考えると、不意に笑みがこぼれる。

周囲の人間の心情に対する好奇心が誰よりも旺盛な正田舞にとって、わからないことだらけの秀明と亜莉寿が、関心の的になることは必然なのかも知れない。

 

さらに、わからないと言えば、吉野亜莉寿が、

「有間クンと坂野クンが、番組内でイチャイチャとトークをするのを眺めているのが楽しい」

と言っていたことも……。

「有間秀明は反発しながらも、いつも最後は坂野昭聞を受け入れる」

といったニュアンスのことを語っていたが、この発言だけは、まるで彼女の真意がわからず、舞は曖昧にうなづくことしかできなかった。

 

(この話しについては、また機会がある時に有間に聞いてみよう)

 

と、ここまで自身の頭の中を整理した後───。

それにしても───と、正田舞は秀明と亜莉寿について考える。

 

二人の心理的距離が、なんとも微妙なバランスの時期に取り上げる映画のタイトルが、『恋人までの距離(ディスタンス)』とは……。

 

あれは、秀明の亜莉寿に対する何らかのメッセージなのか?

それとも、過去の経験から自らの感情にフタをした秀明の無意識の現れなのか?

あるいは、ただ単に、秀明が気に入った映画を他人に薦めたかっただけなのか?

 

(まあ、有間のことやから、多分、三番目の可能性が高いな……)

 

さらに、それにしても───。

心理的距離が、その様な状態にある時に、二人とも、よく照れることもなく、人前で、恋愛をテーマにした映画について語れるものだ……。

しかも、タイトルから想像できる様に、どうやら、その映画は、友情と愛情の間で揺れる男女の心理をテーマにした作品らしい。

現在の自分の心理状況と登場人物を重ねると、冷静かつ客観的に、その映画の魅力を他人に話すことなんて出来るものなのか?

 

(普通は、無理やわ)

 

ここから、有間秀明と吉野亜莉寿について考えられることは、二人は恋愛に関して、恐ろしいまでに初心(うぶ)なのか、ド級クラスの天然なのか、ということである(あるいは、その両者かも知れない)。

「今どき、小学生でもあり得ない」と秀明には言ってしまったが、吉野亜莉寿の自室で過ごした時間について、二人は大いに満足している様子だ(秀明は、舞の指摘に苦笑するだけの客観的視点は持ち合わせている様だが)。

 

そこには、他人にはうかがい知ることのできない信頼関係があるということだろう。

いずれにしても───。

正田舞の見立てでは、有間秀明と吉野亜莉寿は、良くも悪くも似た者同士であることに変わりはなさそうである。

そして、現状では最も信頼のおける異性の友人であることも……。

 

ただし、男女の友情が成り立ち難い様に、一方に恋愛感情が芽生え、相手が、その想いを受け入れられない場合に、片思いをしてしまった側の心理的ダメージは、計り知れないモノになる。

これまでの二人の言動から、舞が想像するに、秀明は過去の体験から自分の感情に気付かないふりをし、亜莉寿は、そもそも異性との交際に価値を見出だしていない様に感じる。

このことから、二人の心理的距離に変化が訪れ、その想いが成就しない場合、心理的ダメージを受けるのは、おそらく───。

 

(二人には幸せになってほしいけど……)

(その道は、茨の道かも知らんで有間)

 

そう心の中でつぶやいた舞は、ようやく席を立ち、帰宅することにする。

 

(まあ、高校生活は三年間もあるし、もう少し二人を見守ろう)

 

正田舞は、自分に言い聞かせて、店を後にした。



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第八章~フェリスはある朝突然に~①

二学期の開始から一ヶ月が経過し、季節は本格的に秋を迎える。

稲野高校は、次年度より成績考査などが、現行の三学期制から前後期の二学期制に移行することが決定しており、十月の初日に秀明たちの所属する単位制の生徒に向けて、説明会が開催された。

 

一二〇名が集められた新校舎の集会用ホールは、新築のためなのか、季節的なものなのか、多数の生徒が集ってもなお、ヒヤリとした雰囲気に感じられる。

 

次年度からの学期制変更の淡々とした説明が終了すると、話題は、二年次の単位選択の話へと移行した。

 

教師の言葉を要約すると、以下のようなものだった。

 

「二年次は理系・文系ともに受験において重要な科目が並ぶ。しっかりと大学受験を見据えた単位選択を行うように」

 

(結局、受験に向けてハッパを掛けたいだけなのか……)

 

教師の言葉に対して、そう感じた秀明は自分の気持ちが萎えていくのを感じた。

 

「習得する単位を一定の中から自由に選択でき、自分の進路に合った授業を学べる」

 

との謳い文句は、一体なんだったのか?

 

(単位制なら、もう少し自分の興味のある分野や教科を優先的に選べると思ったのに……)

 

秀明は、そう感じたものの、一方で、新体制下での名門大学への進学率向上というわかりやすい結果を高校側が求める事情も、理解できなくはない。

学校側の言動に反発心を抱きながらも、日々の授業や課題、『シネマハウスにようこそ』の活動など、目の前の日課をこなすことに精一杯で、現実的な折り合いを付けようとする自分自身にも苛立ちが募る。

秀明は、感情の矛先をどこに向けたら良いのかわからないモヤモヤとした気分を抱えたまま、集会は解散となった。

集会用ホールから、三々五々、それぞれ教室に戻っていく生徒の中に、秀明は

亜莉寿の姿を見つけた。

数メートル先の彼女は、ややうつむき加減で、やはり明るい表情には見えない。

 

(そう言えば、亜莉寿は、どんな進路を考えているんだろう?)

 

自分の進路以上に、秀明には、そのことが気にかかっていた。

 

 

学年集会の終了後、各教室では、ホームルームの時間となり、後期のクラス役員の選定が行われる。

次年度からの本格的な前後期制導入に先駆けて、学校運営に影響の少ないクラス役員は、この年から前期と後期の二期制に移行していた。

 

秀明は、四月から九月までの前期を役職なしで過ごしたが、男子生徒の人数が比較的少ない一年B組にあって、十月から三月までの後期は、彼も何らかのクラス委員の役職に就くことが求められ、

 

「有間は、映画についてしゃべってるんやから、文化委員をやっておけ!」

 

というクラスの総意のもと、文化委員に選出された。

 

その日の放課後、秀明は、三学年から各クラスの文化委員が集う文化委員会に出席するため、委員会が開かれる三年生の教室に向かう。

その移動中、

「ゴメンな!女子のパートナーが、吉野さんじゃなくて」

と、正田舞が笑いながら話しかける。

「何をおっしゃいますやら……。自分としては、ショウさんが、委員会のパートナーで心強いッスよ」

秀明も、柳に風といった感じでサラリと受け流す。

彼女は、前期に続いて、一年B組の文化委員を引き受けていた。

二人が会合の開催場所となる教室に着くと、しばらくして委員の全員が集合し、後期最初の文化委員会が開会となる。

稲野高校では、毎年六月に文化祭にあたる『いなの祭』が開催されるため、文化委員の主な仕事は、四月から九月の前期に集中している。

一方で、十月から三月の後期には、外部から演者を招く芸術鑑賞会の準備担当くらいしか仕事がないとのことである。

そのため、文化委員会の会合も、ユルいノリになり、三学年各クラスの顔合わせを兼ねた自己紹介が終了すると、『交流会』と称した雑談の時間となった。

 

「前期は、『シネマハウスにようこそ』の準備に掛かりきりで、文化祭のクラスの展示にすら、ほとんど関わってなかったから、後期の文化委員の仕事の内容を聞くと、何か申し訳ないわ」

 

と秀明が苦笑して舞に語ると、

 

「そうやな~。有間は、全然クラスの役に立ってなかったから!何かで埋め合わせしてもらわんと」

 

舞も笑って答える。

 

「ショウさんには、いつもお世話になってるし、オレに出来ることなら何でもさせてもらうわ」

 

リラックスした周囲の雰囲気から、椅子の背もたれに背中を預けて、後方に揺らしながら秀明が返答すると、舞は、こんな問いを投げ掛けてきた。

 

「先月やったかな?吉野さんの話しを聞いた時に気になったんやけど……。吉野さんは、『有間と坂野クンがイチャイチャしてる』とか、『有間が坂野クンを受け入れる』とか言ってたけど、アレは、どういう意味なん?」

 

ガタン!!

 

あまりに予想外の角度からの質問に、揺らしていた椅子からズリ落ちそうになりながらも、何とか踏みとどまった。

「それをオレに聞きますか?」

困惑した笑みで、秀明は舞の質問に応じようとする。

その時、フワリと、柑橘系とローズの交じった香りが秀明の鼻腔をくすぐった。

 



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第8章~フェリスはある朝突然に~②

「なになに!大きなリアクションに見えたけど。何か面白い話ししてんの?」

 

そう言って会話に加わってのは、一年A組の朝日奈愛理沙。

栗色がかった髪はユルく巻かれ、肩を越す長さ。人目をひく顔立ちには、校則に抵触しない程度のメイクが施されている。

単位制一二〇名の中でも、最も華のあるグループの一人だ。

彼女の問いには、舞が応じた。

 

「朝日奈さん、有間が坂野クンたちと昼休みに校内放送で映画について話してるのは知ってる?」

「うん、あの放送、何となくは聞いてるよ。放送してるのは、金曜日やったっけ?」

「そう!そこで、有間と坂野クンが話すのを『イチャイチャしてる様に見える』って、一緒に放送してる吉野さんが言ってて……」

「えっ!?有間と坂野って、そういう関係なん!!」

女子二人のトークのスピードに乗り遅れていた秀明は、ここでようやく、

 

「そんな訳ないやろ!!!」

 

とツッコミを入れる。

「あ、ゴメンな~!勝手に話してしまって」

と笑いながら、謝る愛理沙。

「でも、そしたら、なんで吉野さんは、そんなこと言うの?」

疑問を口にする愛理沙に、舞も同調する。

「それが、わからなくて、有間に聞いてみようと思ってん。何か、吉野さん曰く、『有間は、坂野クンの想いを受け入れてる』らしいし……」

「えっ!?有間って、そういう趣味なん!!」

先ほどと同じような反応を返す愛理沙。

 

「なんでやねん!!!」

 

再び、秀明はツッコミを入れる。

アハハと笑いながら、

「冗談やって!有間はノリが良いな」

と愛理沙。

「ほとんど話したことない男子を呼び捨てできる朝日奈さん程じゃないけどな」

秀明も間髪いれずに応じる。

「あ~、ゴメン!気になる?」

少し悪びれた様子で謝る愛理沙に、

「いやいや、全然、気にならへんけど。朝日奈さんのキャラなら許されるやろ?」

秀明が返すと、

「それ、有間の中で、私どんなキャラなん?」

と、愛理沙は、再び笑って答えた。

すると、

「ちょっと、二人だけで話しを進めんといてくれる?私の疑問は、どうなったん?」

と舞が割って入った。

「ああ、ショウさんゴメンな!話しをそらすつもりはなかってん。───で、その話し、オレなりに、『多分こういうことやろう?』と言う見解はあるんやけど、話したが方が良い?」

と、秀明が彼女に答えると、

「何か、わかってることがあるのなら、聞きたいな」

と舞も返答する。

「了解しました。当事者の立場で、しかも、『オトコが女子に解説する様な話しなのか?』とも思うけど……」

ここで、一拍間をおいて、

「ショウさんには、前期の埋め合わせと日頃お世話になってる借りもあるから、自分なりの見解と言うか想像を説明させてもらうわ」

秀明がそう語ると、舞と愛理沙が二人そろって

「「うん、お願い!」」

と答える。

二人にそこまで言われたら仕方ないな、と秀明は語り始めた。

「ところで、二人ともマンガの『スラムダンク』は読んでる?」

秀明の問いに、

「読んでるよ!単行本やけど」

と答える舞に続いて、

「私も、この前、弟が買って来た二十五巻を読んだばっかりやわ」

と愛理沙が答える。

「それなら、話しはしやすい!」

と秀明は応じて、話しを続ける。

「本筋のバスケの話しから少し外れるけど、あのマンガで、《花道はゴリの妹の晴子さんのことが好き》《でも晴子さんは流川のことが好き》《花道と流川は犬猿の仲》って人間関係が描かれてるやろ?」

「うんうん」

「そうやな~」

「でも、それがどう関係あるん?」

と舞と愛理沙が交互に口にする。

「これは、一見、ありがちな三角関係やけど、『スラムダンク』は、恋愛をテーマにしたマンガではないし、ぶっちゃけ、晴子さんが最終的に誰を好きになって付き合うかとか、わりとどうでも良くない?それより、『花道と流川って、最初は嫌いあってる様に見えるけど、最後は試合の良い場面で、二人が、どんなスゴいプレーを見せてくれるんやろう?』って期待の方が上じゃない?」

秀明が二人にたずねると、

「ああ、それは何かわかる気がする!」

「花道と流川の関係性って、何かイイもんな~」

と二人からは返事が返ってくる。

「そう、まさに、『この二人の関係性って、イイよね~』って、見方をクローズアップして、マンガを読んでいるヒト達がいるのよ」

秀明が解説すると、

「そうなんや」

「まあ、何となく、そういう見方をする気持ちもわかる気がするな~。お互いに言葉を交わさなくても成立する男子同士の友情ってイイなって言うか」

二人の答えを聞いて、秀明は結論を述べる。



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第8章~フェリスはある朝突然に~③

「で、質問の答えに戻ると、吉野さんが、オレとブンちゃんが《イチャイチャしてる》って言うのは、いま言った、花道と流川の様な関係性を、オレ達二人にも見ようとしているというなんやろうね、多分。この際、自分を『スラムダンク』のキャラに例えるな!って、ツッコミは置いといてな」

笑いながら言い終えた秀明に、

「あぁ、そういうことやったん」

と舞は、納得したようにうなづく。

「でも、まさか自分がそんな風に見られる対象になるとは思わんかったわ……。女子に人気のあるブンちゃんや伊藤なら、ともかく」

と苦笑いしながら答える秀明に、

「あ~、そう言えば、ウチのクラスの女子も、たまに『伊藤クンと坂野クンが……』って、キャッキャッしながら言ってるな~」

と今度は愛理沙がつぶやく。

それを受けて、秀明も続けた。

「A組って、美術選択やったよな?イラストとか描くの上手な女子とか多そうやもんね!なんとなく、そのコ達が、何を言ってるか想像できるわ」

一年B組では、特殊メンバー扱いの《ボンクラーズ》も、クラスが変わると、評価が変わるということなのだろうか?

A組の一部の男子が、昼休みにB組に移動して来ている理由が、《オタク的要素の濃い話》に参加しに来ているということを想像するのは、他クラスの生徒には難しいかも知れない。

秀明が、そんなことを考えていると、

「ふ~ん、やっぱり坂野って、人気があるんや?」

と愛理沙が聞くともなしにたずねる。

「校内放送を始めてからは、単位制以外の一部女子からもね……。ただ、本人は、迷惑とまでは言わないけど、戸惑ってるみたいやねんな~」

秀明は、その理由にも想像がついていたが、昭聞のプライバシー(というか、いわゆる恋バナだが)に踏み込むことになるので、その点には触れないでおいた。

「それは、吉野さんもやんな、有間!」

と、秀明の肩を叩き、舞が意味ありげに笑う。

「ま、まあ、そうやね。最近、ウチのクラスには、他の学年からもギャラリーが集まって来てるみたいでさ……。周りにも迷惑が掛かるかも知らんし、何か、穏便にヒトが集まるのをおさめる方法はないかな、と考えてるところ」

と、秀明は話した。

すると、愛理沙は即座に答える。

「そういうことは、責任者の上級生に相談したらイイんちゃう?ちゃんと考えてくれるヒトなら、『放送でキッチリ注意しよう』って話しを進めてくれると思うけど?」

あまりにアッサリと回答を出した彼女に、秀明は驚きと感心がまじった思いで、

「そっか……。やっぱり、そうやな!朝日奈さん、ありがとう!できるだけ早く、放送部の先輩に相談してみるわ!」

と愛理沙に礼を述べる。

「別に当たり前のコと言っただけやけど。私も有間と坂野の怪しい関係と『スラムダンク』の面白い話しが聞けて良かったわ」

と愛理沙。

「オレとブンちゃんのことを妄想してるのは吉野さんだけやから、そこはハッキリさせとこう!」

と秀明はキッパリ言い切った。そして、

「あと、『スラムダンク』やけどさ。今の山王工業戦って試合前からテンション高すぎへん?このままのノリで続けたら、湘北の選手も作者もボロボロになって、山王に勝っても、そこで連載が終わってしまうんちゃう?」

と続けて語る。

「え~、まだ二回戦とかやろ?ここで終わられたら困るわ」

と舞が反論すると、

「まあ、それもそうやね。あんなに売れてるマンガを『少年ジャンプ』がアッサリ終わらせるハズないか」

秀明も、ハハハと笑い、

「じゃあ、他のクラスとも交流してくるわ!」

と言って、A組とC組の男子の委員の会話に加わりに行った。

 

 

秀明が去った後で、愛理沙が興味津々といった感じで、小声でたずねる。

「なあなあ、正田さん!今の話し聞いてて思ったんやけど、有間って吉野さんのこと気になってるんかな?」

 

(まあ、誰でもわかるよな~)

 

と感じつつ、渋い表情で笑いながら、舞が答える。

「本人に自覚がないみたいやから、そこは、あんまり触れんといてあげて……」

愛理沙は続けて、

「でも、有間は、吉野さんにオトコとして見られてないみたいやな」

舞の表情は、さらに渋いものになり、

「それな~。でも、今日の有間の例え話でわかったわ」

と答える。

「わかったって、何が?」

と問う愛理沙に、

「吉野さんって、有間のことは気に入ってるみたいやけど……。有間のことを話す時の吉野さんって、ペットとか可愛がってる弟のことを話してるみたいな感じがしてたんよ。有間の話しを聞いて納得がいったんやけど、あんな風に男子を見てるヒトも居るんやな」

と舞は答える。

すると、愛理沙は、

「でも、それってさ、『自分は男子の観察者で居たい』っていうことやろ?あんまり他人の趣味にケチをつけたくはないけど、これって『恋愛する覚悟が無い』ってことじゃないの?」

と断定的な口調で語った。

「さ、さすがに、それは言いすぎちゃうかな……?」

亜莉寿をかばうつもりはないが、舞は断言する様に言った彼女の言葉にクギをさす。

すると、愛理沙は、三人で話していた時のことを思い出しながら、

「そうかな~。今のままやったら、有間が、ちょっとカワイソウやな~、って思って……」

と感じたことを語った。

一方の舞は、

「う~ん、ただ有間は、まだ自分の気持ちに気付かないフリをしてると思うから……。『恋愛する覚悟が無い』のは、有間の方なんじゃないかと思うねん。私としては、今の段階では同情の余地ナシと感じるわ」

と、自分が以前から感じていたことを愛理沙に伝えた。



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第8章~フェリスはある朝突然に~④

「───と、いう訳で、最近、吉野サンと坂野クンの周りにヒトが集まりだして、このままだと、周囲に軋轢が生じかねないので……。高梨先輩、番組内で告知をしたり、何か対策を取れないでしょうか?」

秀明は、文化委員会の会合が行われた翌日、上級生の高梨翼の元へ相談におもむいていた。

「あ~。他のところからも、そんな声が上がってるね~。私達の番組に注目してもらえるのは嬉しいけど、吉野さんと、あきクンのためにも、そろそろ何か考えないと!って思ってたところなんよ~」

三年生が活動を退いたため、名実ともに、放送部と校内放送の責任者になった上級生の言葉に、秀明は胸を撫で下ろした。

「やっぱり、出演者のことを考えていてくれてたんですね!ありがとうございます」

秀明が、感謝の言葉を伝えると、翼は、こんな提案をしてきた。

「有間クンも、吉野さんと、あきクンのために協力してくれるかな~?」

「そうですね、自分に出来ることであれば、ぜひ!」

秀明は即答する。

「ありがとう~。有間クンなら、そう言ってくれると思ってたわ~。じゃあ、収録のある木曜日までに準備をしておくから、あとは、こっちに任せて~」

翼の言葉に安堵した秀明は、

 

(やっぱり、最後は頼りになる先輩やな)

 

と、これまでの彼女への印象を改めようと考えた。

しかし、この二日後、自身の見通しの甘さを嘆く羽目になることを、彼は、まだ知らない───。

 

 

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「みなさん、こんにちは!『シネマハウスへようこそ』館長のアリマヒデアキです」

♢「ビデオショップ『レンタル・アーカイブス』店長のヨシノアリスです」

♤「十月になって、過ごしやすい季節になりましたね」

♢「ようやく、イヤな暑さがなくなって、嬉しいなと思っていたんですけど……」

♤「紹介しきれないくらいオススメ候補の映画に恵まれていた九月とは反対に、今月は取り上げたい新作映画が極端に少なくなりそうで……(笑)」

♢「ホント、先月は最初に取り上げた『恋人までの距離』に始まって『エドウッド』『乙女の祈り』と小品ながら良い映画がたくさんあったんだけど……」

♤「あと、ツッコミを入れまくって紹介した『ジャッジ・ドレッド』とか、語りたい作品が多かっただったんですけどね~」

♢「他にも、大ヒット中で評価の高い『マディソン郡の橋』も!」

♤「いや、あの映画の内容は、この校内放送では取り上げにくい(笑)と言う訳で、今月は紹介したい映画が、『クリムゾン・タイド』と『ブレイブハート』くらいしか無いので、レンタルビデオの方にチカラを入れたいと考えています!」

 

BGM:デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

 

♢「IBC『シネマハウスへようこそ』は、映画の最新情報を放送室から、お送りしています!」

 

 

♢「レンタル・アーカイブス!」

 

BGM:スティーブン・ライト『And now Little Green Bag』

 

♤「久々ですね、このジングルも。レンタル・ビデオの紹介です。アリス店長、今週は、どんな作品を取り上げてくれるんでしょう?」

♢「今回、紹介したいのは、ジョン・ヒューズ監督の『フェリスはある朝突然に』です!」

♤「来た!ジョン・ヒューズ作品を取り上げるのは、二回目かな?」

♢「そうですね。『レンタル・アーカイブス』の最初の回で紹介させてもらった『ブレックファスト・クラブ』に続いて、ジョン・ヒューズ監督の作品を取り上げるのは、二回目です」

♤「それだけ、注目したい映画監督であると?」

♢「そう!ジョン・ヒューズは、プロデュース作品を含めると、高校生を主人公にした映画をこれまで六本撮影しているんだけど、どれも素晴らしい作品なんです」

♤「ボクが、アリス店長にレンタルしたことを暴露された『恋しくて』も、ジョン・ヒューズのプロデュース作品なんですよね~。あの映画は、邦題のセンスが悪いわ!原題の『サム・カインド・オブ・ワンダフル』のまま公開してくれてたら、あの時も、あんな恥ずかしい想いをしなくてすんだのに(笑)」

♢「アリマ館長は、あの映画お気に入りだもんね(笑)私に代わって、紹介してみる?」

♤「いや、このコーナーは、アリス店長の担当なので、つつしんで辞退します」

♢「遠慮しなくてもイイのに(笑)今回は、前回の『ブレックファスト・クラブ』の紹介の時に話せなかったジョン・ヒューズ監督の経歴についても、少し触れてみようかな、と思います」

♤「はいはい」

♢「高校を卒業後、大学を中退したジョン・ヒューズは、シカゴの広告代理店でコピーライターとして生計を立てながら、雑誌に記事や小説などを寄稿していたそうです。その実力が認められて、『ナショナル・ランプーン/パニック同窓会』で脚本家として映画デビュー。翌々年には、『プリティ・イン・ピンク』で映画監督としてもキャリアをスタートさせます」

♤「『シネマハウスにようこそ』で、取り上げたいのは、ここからの作品なんですよね~」

♢「そうそう!この『プリティ・イン・ピンク』から『ブレックファスト・クラブ』『ときめきサイエンス』『フェリスはある朝突然に』『素敵な片想い』『恋しくて』の監督もしくは制作を担当した八〇年代に作られた六本の映画が、青春映画、とくに高校を舞台にした学園モノ映画として支持を集めている作品です」

♤「でも、悲しいかな、この辺りの作品は、日本ではあまり注目されていない……(笑)」

♢「本国アメリカでも、ジョン・ヒューズに注目が集まるのは、九〇年代になってからだから……。その後、『ホーム・アローン』や『ベートーベン』シリーズなどで、一気に映画界の有名プロデューサーに!来年は、ディズニーアニメの『101匹ワンちゃん』の実写化も手掛けるみたい」

♤「また、ファミリー映画か!?まあ、『ホーム・アローン』は、この放送を聞いてくれている皆さんの中に、映画を観たとかファンのヒトも多いと思うけど……」

♢「この番組として、注目したいのは、彼が八〇年代に制作に携わった作品なので……!今回は、その中でも、『ブレックファスト・クラブ』と並んで、人気の高い『フェリスはある朝突然に』をご紹介します」

♤「よろしくお願いします!」

♢「それでは、映画のあらすじを……。マシュー・ブロデリック演じる主人公のフェリス・ビューラーは、高校三年生。ある朝、熱はないにもかかわらず、『胃が痛い』と両親に訴えます。彼は、この学期で九回目の仮病で学校を休むことに決めたんです」

♤「そんで、フェリスは、『今度、だます時は吐血が必要だ』みたいなことを言うねんな(笑)」

♢「そうそう!フェリスの細かなセリフが、どれも笑わせてくれて楽しいの!フェリスの妹のジーニーだけは、兄の仮病に気付いているけど、それを両親に訴えても信じてもらえなくて……。フェリスは、この後、本当に具合が悪くて学校を休んでいる友人のキャメロンと、すでに学校に登校している恋人のスローアンを誘い出して、キャメロンの父親が所有するスポーツカーで、シカゴの街へと繰り出します。フェリスとキャメロン、スローアンは、どんな一日を過ごすのか?これが、この映画の主なストーリーです!」

♤「はい!この映画ね、学校をズル休みする話しやから、『マディソン郡の橋』とは違う意味で、校内放送ではオススメしにくいな、と思ってたんですけどね(笑)思い切ったね?アリス店長」

♢「まあ、別に学校をサボタージュすることが、この映画のテーマではないと思うから(笑)シカゴの街に飛び出したフェリスたちは、シアーズ・タワー、先物商品取引所、野球場、シカゴ美術館、さらに、ミシガン湖とシカゴ各地の名所を巡ります」

♤「フェリスたちが野球観戦するシカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドは、この当時ナイター設備がなかったから、学校の授業のある平日の昼間でも試合が開催されてるですよね~」

♢「そして、この名所巡りのクライマックスは、市街地で行われるパレードに飛び入り参加するフェリス!ここで、マシュー・ブロデリックがビートルズの『ツイスト・アンド・シャウト』を熱唱するシーンは、青春映画史に残る屈指の名シーンだから、ぜひ観てほしいな!」

♤「青春映画史というモノがあるのかはワカランけど……。確かに、素晴らしいシーンやね!ちょっと、話しはそれるけど、クラス内で非主流派の人間って、『普段は目立たない自分が、学園祭でバンド出演して超絶ギター技(テク)もしくは、美声のボーカルを披露して人気者になる』って、妄想を抱きがちじゃないですか?フェリスは、そういう日陰者の『こうありたい!』って、願望の具現化とも言えるかも」

♢「アリマくん、そんな願望があるの(笑)?」

♤「いや、あくまで一般論ですよ、一般論!」

♢「どこの世界の一般論なのか、わからないんだけど(笑)とにかく、映画の前半は、あり得ないくらい偶然が重なるフェリスの活躍と彼がカメラに向かって語る名言を存分に楽しんでください!」

♤「あと、この映画の面白さの半分は、フェリスが観客に向かって語りかけるセリフにあるから……。字幕では追いきれないこともあるし、ビデオを借りる時は、日本語吹替え版の方が良いかも知れないね」

♢「確かに、それは言えるかも!でも、この映画の見所は、フェリスの含蓄のあるセリフだけじゃないんだ。これは、以前にアリマ館長と話したことがあるんだけど……。この映画のフェリスって、他のヒューズ作品の登場人物と違って、思春期特有の悩みや葛藤と無縁なんだよね。『ブレックファスト・クラブ』を紹介した時にも話した様に、クラスの中でのハミ出し者だけじゃなくて、中心的人物の体育会系男子や流行に敏感な女子にも、それぞれ悩みはある!って描写が、ヒューズ作品の特長なのに……」

♤「そうそう!映画を観たヒトが共感する存在じゃなくて、さっきも、言った様に『あんな風に自由に生きられたらな』って考えるキャラクターの理想像って感じやね」

♢「うん、ある意味で、フェリス・ビューラーは、おとぎ話や神話に出てくるトリック・スター的な感じかな」

♤「真面目チャンの妹から見たら、フェリスは、いたずら者で不真面目なのに人気があるから、『ムカつく』対象って感じやろうし(笑)」

♢「だから、モラルや道徳を守って、他の人間にもルールを守らせようとするタイプのヒトは、この映画を観る時に、少し気を付けて下さい。主人公のフェリスのことが好きになれないかも知れないから……」

♤「でも、この映画は、フェリスに振り回される周りの人間にも、キチンとご褒美が用意されているので、フェリスの言動が気に要らないヒト達も、その視点で観てくれると良いかも!」

♢「そうそう、この映画の本当の主人公は、フェリスの友人のキャメロンと妹のジーニーなんじゃないかな?学校をズル休みしたり、成績を改竄したり、やりたい放題のフェリスに、『あいつは特別だから……』って、ふさぎ込んだり、『どうして、兄貴だけ贔屓されるの……』って、嫉妬したり。でも、そんな二人がラストで自分自身のことについて、前向きになれるところが良いな、って感じるんだ」

♤「フェリスの友人キャメロンとフェリスの妹は、観ていて共感しやすいキャラクターですしね~」

♢「うん!そして、フェリスが語る『人生は、何をするかではなく、何をしないかだ』という言葉が、この映画の最大のテーマになんじゃないかと思うの」

♤「あ、それ、お気に入りのセリフやわ!」

♢「前にも、話してくれたよね(笑)人間が、自分の人生を振り返る時に思うことって、『あの時、あんな事をしなければ良かった』ってことよりも、『あの時、ああしておけば良かった、こうしておけば良かった』って言う後悔なんじゃないかな、って思うんだ。キャメロンは、ふさぎ込んだ性格だけど、それは、将来の進路を勝手に決める父親に遠慮して、自分自身を抑え込んでいるからだと気付いて……。だから、最後にキャメロンが自分を抑圧する父親と対決する、と決意する場面は、胸が熱くなるんだ……」

♤「先月の『恋人までの距離(ディスタンス)』のボクの時よりも、熱心に語ってる(笑)アリス店長、この映画のことになると、熱くなるからね~」

♢「思わず、熱く語っちゃった……」

♤「じゃあ、店長が落ち着くまで少し話しをさせてもらいましょうか(笑)ジョン・ヒューズの映画は、若者の気持ちに寄り添いながら、『でも、キミ達、今のままでイイのか?』って疑問も常に観客に投げ掛けていて、この問い掛けは、『フェリス~』の一つ前の監督作品でもある『ときめきサイエンス』でも共通したテーマだったかも。この映画のフェリス・ビューラーは、とても十七歳とは思えない発言が目立つけど、それは、かつて十七歳だったジョン・ヒューズ監督から十代の人間へのメッセージだと思うので、そういう点にも注目して観てもらえると良いかと思います、はい。では、落ち着いたみたいなので、アリス店長、締めくくって下さい」

♢「なんだか、言おうとしたことを、言われてしまった気もするんだけど……(笑)ジョン・ヒューズが携わった八〇年代の作品は、どれも楽しくて、だけど、どこか哀しさも感じさせる映画なんだよね。それは、彼の映画を観たヒトが、どこかで自分の青春時代にウソをついているから、ホロ苦くて哀しく感じられるんじゃないかなって思うんです。もし、この放送がきっかけで、ジョン・ヒューズ作品を観て、なにかを感じてくれたヒトがいたら……。自分の心の中から聞こえて来る、その想いを大切にしてほしいな、と思います。以上、『レンタル・アーカイブス』のコーナーでした!」



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第8章~フェリスはある朝突然に~⑤

BGM:チャック・ベリー『You Never Can Tell』

 

♤「え~、あんまり使用しないジングルが流れたんですけど、ここからは、ブンちゃんにも入ってもらいます」

♧「はい、お邪魔します。いや~、紹介する映画がないって言うてたから、今日は、今週から始まった『新世紀エヴァンゲリオン』の話でもさせてもらおうかと思ってたんやけど(笑)」

♤「第一話からスゴかったらしいな!ビデオに録画してるから、家に帰ったら、速攻で観てみようと思うわ。……って、その話しは、どうでもエエねん!今日は、この番組と放送部から、何か重要なお知らせがあるんやろ!?」

♧「そうそう!二人とも、ちょっと、この用紙の朗読をお願い。はい、先生とヨシノさんにも……」

♤「はいはい」

♢「ありがとう!」

♧「じゃあ、まずはアリマ先生から、お願いします」

♤「《番組制作者から、皆さまへお願い》《校内の皆さん、いつも、『シネマハウスにようこそ』をお聞きいただき、ありがとうございます。おかげさまで、この番組も好評を博し、番組内で紹介する映画やビデオタイトルだけでなく、出演者にも注目をしていただける様になりました。ただ、一方で、出演者に注目が集まるあまり、休み時間を中心に彼らのクラスに生徒が集まるなど、一部で、出演者の周囲の方々に不都合が生じているとの報告を受けました。番組出演者に注目をしていただけることは、制作スタッフ一同、感謝の念にたえませんが、皆さまにおかれましては、何卒、節度ある行動を取っていただきます様、お願いいたします》」

♧「続けて、ヨシノさんお願い」

♢「《追伸》《なお、番組出演者の一人である有間秀明君に関しては、放送開始から数ヶ月経過した現在でも、特にギャラリーを集めたとの報告は受けておりませんので、今回のお願いの対象外とさせていただきます。有間秀明君には、より一層のご声援ならびに、異性・同性問わず、全校生徒の皆さんの愛の手を差し出していただければ幸いです》《十月五日『シネマハウスにようこそ』制作スタッフ一同より》」

♧「……………………(笑)」

♢「……………………(笑)」

♤「…………………………。ちょ、ちょっと、待って!!!!!オレが読んだ方は良いとして、もう一方の文章は、ナニ?」

♧「いや、《番組からのお願い》やけど(笑)」

♢「有間クン、そんなに注目してほしかったんだ」

♤「いやいや!ボクが自分で言い出したみたいになってるやん!これ、プロデューサーが、勝手に書いた文書でしょ!?」

♢「えっ!?はい!今、ブースの外にいるプロデューサーさんからメッセージが!『私の元には、有間クン見たさに集まる生徒がいるという報告は入ってきていないので、あらためてお願いをしてみました~』だって」

♤「余計なお世話や!!!!これ、番組公式で、アリマヒデアキの人気が無いということを表明してるってこと?」

♧「公式もナニも、客観的事実やから……(笑)」

♤「やけにアッサリと要望を受け入れてくれたと思ったら、こういうことやったんか……。あの、プロデューサー、出演者の人権とか考えてへんやろ!?もう、何も信じられへん!マジで、この世界に居るのが、イヤになって来たわ」

♧「おっ!現実逃避するか!?」

♤「これもう、来週発売されるプレイステーション版の『ときめきメモリアル~forever with you~』を買いに行くしかないな!」

♧「今度は、映画じゃなくて、ゲームで二次元の世界に浸るんや(笑)?」

♤「ああ、もう三次元に希望はないし、ちょっと次元の壁を越えてくるわ!」

♧「何をちょっとカッコいい風に言ってるねん(笑)」

♤「これからの時代は、バーチャルですよ、バーチャル!あっ、どうでもイイ話しやけど、いま話した『ときめきメモリアル』のタイトルって、たぶん、ジョン・ヒューズの『ときめきサイエンス』の影響を受けてるよな?」

♧「いや、そんなこと急に聞いてきて、同意を求められても『知らんわ』としか答えられへんわ……(笑)」

♤「多分、そうやって!あと、アリス店長も、ちゃんと会話に入って来てね」

♢「うん……。でも、二人って、ホントに仲が良くて楽しそうに話すよね(笑)」

♤「オレに対するフォローとかなくて、注目するところは、そこ!?」

♢「私は、ゲームのお話しとか良くわからないから、二人の会話を聞いてるだけで十分だよ」

 

BGM:ヴァンゲリス『Love Theme』

 

♤「ようやく、エンディングか……。今日は、めっちゃ時間が長く感じたわ」

♧「今日の放送は、アリマ先生の尊い犠牲の上に成り立ってるからな。感謝感謝」

♢「アリマ君には、もう愛の手が差し伸べられていると思うから、あとは、それを受け入れるだけだよ!」

♤「ナニを言うてんねん……。そんな訳で、今週のお相手は、『レンタル・アーカイブス』のオススメ作品のことも忘れないで下さいね!アリマヒデアキと」

♢「今日も、男子二名の会話を楽しんだヨシノアリスと」

♧「『エヴァンゲリオン』の第弐話が気になって仕方がないブンでした」

♤「来週、ボクの声が聞こえてこなかったら、『ときめきメモリアル』の舞台《きらめき高校》に転校したと思って下さい。それでは、また!」

 

 

十月最初の『シネマハウスにようこそ』の収録が終了した、その日の夕刻───。

有間秀明は、帰宅して早速、前日に録画していた『新世紀エヴァンゲリオン』の第壱話を観賞した。

 

初回のエピソードから緊迫感あふれる演出とストーリーに、思わず目が釘付けになる。

 

(演出・シナリオ・作画、どれを取っても、これは、スゴい……)

(やってくれたな、GAINAX&庵野監督!)

(ブンちゃんが、あのテンションで語りたがっていたワケだわ)

 

そして、アニメやコミックには、あまり詳しくない、と言っていた亜莉寿は、この作品をどう見るだろう、と想像する。

彼は、このところ、自身が気に入った映画や小説に出会うたびに、

 

「亜莉寿なら、この作品をどう評価するんだろう?」

 

そんなことばかりが気になっていた───。

 

 

十月最初の『シネマハウスにようこそ』の収録が終了した、その日の夜───。

吉野亜莉寿は、眠れない時間を過ごしていた。

 

週の始めに行われた学期制変更に関する説明会での教師の言葉、この日の午後に放送用の収録で語った内容、とりわけ秀明が放った『キミ達は、今のままでイイのか?』という言葉には、心を動かされた。

自分が成し遂げたいことを実現するには、何をするべきなのか?

自問自答するうちに思考のループに入り、答えを出すことが出来ない。

結局、解決策を見いだせないまま、いつの間にか眠りに落ちていた。

 

翌日は、この季節に相応しい秋晴れの一日だった。

寝不足気味の頭も冴えてくる素晴らしい快晴だ。

昨日、放送室で語り合った映画の主人公フェリス・ビューラーなら、学校をサボって、友人の父親の愛車を借りて、街に繰り出そうと計画するくらいに───。

亜莉寿はその朝突然に、こう考えた。

 

『人生は、何をするかではなく、何をしないか、だ───』

 

自分は、今のままで、良いのか───。

この場所に、居続けるべきなのか───。



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~①

十月も下旬を迎えた週末、秀明は喜びと疑問、そして、期待と不安が綯交ぜ(ないまぜ)になった複雑な想いを抱えながら帰宅の途に着いていた。

彼を複雑な心境にさせていたのには、二つの要因があった。

 

一つ目は、この週末の日曜日に行われる秋の天皇賞で、春のレース後に股関節の故障で戦線を離脱していた前年度の三冠馬ナリタブライアンが復帰することだった。

圧勝続きだった前年に続き、故障前の最後のレースだった阪神大賞典も圧巻の走りで他馬を圧倒し、この年も『ブライアンの前に敵はナシ』と思わせるレースぶりだったが、前述の様に、この馬が戦線離脱していたことで、秀明の競馬に対する注目度や熱の入り具合は、やや下がりつつあった。

しかし、彼が最も注目する三冠馬が、ついに秋の大レースに戻って来る!

怪我をした故障馬の復帰後の成績が全体的に芳しくないことや、天皇賞に向けた調整過程に対する不安などは感じていたが、それでも、秀明にとっては、「ナリタブライアンを秋のG1レースで見ることができる」という期待感が、遥かに大きかった。

 

そして、もう一つの要因は、さらに彼を期待と不安の混じる複雑な想いにさせた───。

金曜日の昼休み、いつもの様に放送室から教室に戻る際、亜莉寿から、こんな風に声を掛けられたのだ。

「有間クン、来週の土曜日の夜の予定は空いてる?もし、良ければ、この映画を一緒に観に行かない?」

彼女は、そう言って、一枚のチラシを差し出した。

チラシには、

《ロッキー・ホラー・ショー ハロウィン特別上映》

と書かれている。

「へぇ~、『ロッキー・ホラー・ショー』のリバイバル上映があるの?面白しそうやね」

チラシに目を通した秀明が答えると、

「しかも、ただの上映じゃないの!詳しくは、観てのお楽しみ!なんだけど……。それで───、予定は、どうかな?」

いつも、ハッキリとした口調で話す亜莉寿にしては珍しく、控えめなトーンでたずねてきた。

「うん、大丈夫!レイトショーで、場所は心斎橋のアメリカ村か……。なら、女子一人より、誰かボディーガードになる役になる人間が必要かな?いや、オレで役に立つか、わからんけど」

わざと、おどけた口調で語る秀明に、

「うん。それもあるんだけど……。ちょっと、有間クンに話したいこともあるから───」

亜莉寿は、何かを言いたそうな、それでも、話しにくそうな口調で答える。

「……そっか。わかった!」

と、一呼吸おいて快諾したあと、秀明は小声で「亜莉寿の話しも、しっかり聞かせてもらうわ」と、彼女にだけ聞こえる様にささやいた。

 

───と、この様な経緯で、十月の最終土曜日に、秀明は吉野亜莉寿とともに、レイトショーの映画を観に行くことになったのだが……。

 

(亜莉寿から、映画に誘われた!誘われた!誘われた!)

(しかも、レイトショー!レイトショーやって!)

 

喜びと興奮のあまり、普段でさえ高くない秀明の脳機能は、著しく低下する。

読書諸氏におかれては、どうか

 

「吉野亜莉寿と映画に行くくらい、『シネマハウスにようこそ』のための試写会で何度も経験済みだろう!!」

 

とツッコミを入れないであげて欲しい。

これまで、『シネマハウスにようこそ』に関連しない映画を二人で観に行くようなことは無かったし、まして、亜莉寿から直々に声を掛けて来たのだから、秀明は、まさしく《天にも登る気持ち》であった。

 

しかし、一方で彼女の言った『話したいこと』とは、何なのか?

そのことを考えるだけで、胸の奥には、モヤモヤとした気分が充満する。

放送では、亜莉寿やブンちゃんに付きまとうことに対して、釘を差す内容の話しをしたが、直接的な効果が出るのか秀明には、判断が付かなかった。

 

(亜莉寿も、ブンちゃんみたいに異性の視線にさらされてるのかな?)

 

そう考えると、モヤモヤとした気分が、チクリとした痛みに変わる。

 

(ショウさんが、言ってくれてたことは、このことか……)

 

今さらながらに、委員会活動などで時間をともにすることが増えたクラスメートの言葉が、身に染みる。

とは言うものの、秀明自身にこれ以上、何か出来ることがある訳ではない。

 

「まあ、自分に出来ることは、亜莉寿の話しを聞くことくらいか……」

 

自分自身を納得させるために、彼はつぶやく。

もう一つ、秀明は疑問に思うことがあった。

亜莉寿から《持って来るものリスト》として、メモ用紙には、こんなことが書かれていた。

 

・米粒の大きさに丸めたティッシュペーパー

・新聞紙

・ペンライト

・パーティ用のクラッカー

・野球の応援に使う風船

 

あまりにも不思議なリストの内容に思わず、もう一言つぶやいてしまった。

 

「これ、いったいナニに使うの!?」



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~②

特別上映が行われる当日、梅田駅で集合した秀明と亜莉寿は、地下鉄で映画館のある心斎橋駅に向かう。

「夜にアメ村に行くのは、初めてやから、何か楽しみやわ」

と秀明が言うと、

「私も試写会以外で、レイトショーの時間に映画を観るのは初めてだから、今日は、すごく楽しみにしてるんだ」

と亜莉寿。

彼女の言葉に、秀明は、あらためて、二人で今夜の特別上映に来ることが出来たと実感し、喜びを感じていた。

それでも、気恥ずかしさから、なるべく、その想いを相手に悟られない様に言葉を選ぶ。

「ところで、《持って来るものリスト》に書かれてたモノは、全部揃えたけど、何に使うの?」

この十日ほど、彼を悩ませていた疑問の一つを口にする。

それを聞いた亜莉寿は、

「それは、映画が始まってからのお楽しみということで……。でも、上映前の注意事項の説明の時に解説があるかも知れないから、正確には、上映開始前のお楽しみかな?」

と意味ありげに笑う。さらに、

「私は、風船が用意できなかったんだけど、有間クンは持ってきてるんだ?」

と秀明にたずねる。

「うん、待ち合わせの前に、阪神百貨店のショップで買ってきたから。五本入りセットやから、良ければ、亜莉寿サンもどうぞ」

秀明が返すと

「本当!ありがとう」

と嬉しそうに亜莉寿は答えた。

そんな会話を楽しみながら、会場となる映画館にむかうと、そこには、混沌《カオス》が広がっていた。

 

 

大阪・アメリカ村の中心地である商業施設、心斎橋ビッグステップ。

ハロウィンを目前にした週末の夜、そこには、この世ならざる場所から迷い込んできたのではないかと思われる風体の人々が集っていた。

燕尾服に珍妙なサングラスをした集団もさることながら、中でも注目を集めているのが、この四名だ。

 

・真っ白な肌に後頭部のみ長い白髪を垂らした執事服の男。

・真っ赤なドレッドヘアーにエプロン付メイド服を着た女。

・金色のラメの入ったシルクハットとスーツが目を引く女。

・顔を白塗りにしたボンテージと網タイツ姿の性別不詳者。

 

(最初の二人は、リフ・ラフとマジェンタだったっけ?ラメ服がコロンビアで、そして、網タイツはフランクン・フルター博士か……)

 

秀明は、以前にレンタルビデオで観た『ロッキー・ホラー・ショー』の登場人物を思い出す。

しかし、そのあまりに浮世離れした光景に、思考が追い付かず、思わず言葉が漏れる。

「ここは、コスプレ会場か!?」

そのつぶやきが聞こえたのか、亜莉寿はクスクスと笑って、

「みんな気合いが入ってるね~」

と同調する。

「この人たちと一緒に映画を観るの?何か、この映画の主人公ブラッドとジャネットになった気分なんやけど」

秀明が苦笑いしながら言うと、

「うん!リアリティがあって、より面白そうじゃない」

と満面の笑みで答える亜莉寿。

(ノリノリやな、姐さん)

と彼女のテンションに少し引きながらも、秀明は商業施設の四階にある映画館に入場した。

 

今回の映画は、『シネマハウスにようこそ』の校内放送では取り上げられない類の作品であるため、ここで、秀明と亜莉寿に代わり、『ロッキー・ホラー・ショー』のあらすじを簡単に記しておこう。

 

 

親友の結婚式の帰り、ブラッドは、高校時代から交際していたジャネットに求婚し、二人は婚約する。その報告のため、車で高校時代の恩師の元に向かうが、途中で暴風雨に遭い、タイヤがパンクしてしまう。電話を探すため、雨の中を歩くと、古い館にたどり着いたのだが、その屋敷の中では、世にも奇妙なパーティが繰り広げられており……。



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~③

一見すると、作品のタイトルと冒頭のストーリーからゴシック・ホラーを思わせる雰囲気であるが、その実態は───。

 

秀明が、中学二年生の秋にこの映画を初めて観た時の感想は、

「なんだか良くわからない部分も多いけど、とにかく色々とスゴい……」

といった感じだったので、亜莉寿が、この映画をどう評価しているのか聞いてみたいと思う気持ちが強かった。

 

そんなことを思いながら、館内のシートに席を下ろし、上映開始を待っていると、燕尾服を着た男女二人がスクリーンの前に立ち、こんな説明を始めた。

 

「みなさん、こんばんは!今夜は『ロッキー・ホラー・ショー特別上映』に参加いただきありがとうございます。上映に先立って、観賞時のルールをお話しさせていただきます。本日は、館内の安全性と美化を考慮して、上映中の火気・水・お米の使用は厳禁です。それ以外の小道具に関しては、ご自由にお使いください。ただし、劇場に迷惑が掛からない様に、映画が終わったあとは、キチンと掃除をしましょう。歌って、踊って、声を上げて、大いに映画を盛り上げてくれると嬉しいです。それでは、みなさん、一緒に楽しみましょう!」

 

二人の前説が終わると、いよいよ上映開始。

この映画の代名詞とも言えるヌラヌラとした唇がスクリーンに大写しになると、途端に歓声が上がる!

 

オープニング・ソング『サイエンスフィクション/二本立て』が流れ始めると、場内は楽曲へのコールと合唱に包まれる。

特別上映とは聞いていたが、これまでのあり方とは全く異なる映画観賞のスタイルに、秀明は早くも興奮を覚えていた。

チラリと隣の席の亜莉寿に目を移すと、彼女も大いに、このオープニングの雰囲気を楽しんでいる様だ。

初めての体験に期待が高まっていくと同時に、オープニング曲が終了しようとした時、亜莉寿に声を掛けられた。

「有間クン、ティッシュペーパーの準備をして!」

そう言われ、カバンから米粒大の大きさにちぎって丸めたティッシュペーパーを入れたビニール袋を取り出す。

オープニングが終了し、冒頭の主人公たちの友人の結婚式のシーンが写し出されると、お米に見立てたペーパーを観客が一斉に投げ散らし始める。

劇中のライスシャワーの模倣だ。

 

(なるほど、特別上映とはスクリーンの登場人物たちと一緒になって楽しむ観客参加型の上映のことだったのか!)

 

秀明が感心していると、場面は切り替わり、ジャネットとブラッドは暴風雨の中、車から降りている。

劇場内の観客は、劇中のジャネットと同様、一斉に新聞紙を頭にかぶる。

ここで再びミュージカル・パートなり、『フランケンシュタインの屋敷に』のサビの歌詞では、ペンライトが光りだす。

劇場の暗闇の中に光るライトは、なんとも言えず幻想的な光景だった。

 

そして、ジャネットとブラッドが、洋館の執事フリ・フラに館に招き入れられると、早くも、『ロッキー・ホラー・ショー特別上映』のハイライトが訪れる!

ロック調の『タイムワープ』のイントロが流れ始めると、映画館内では、リフ・ラフとマジェンタの衣装を着た二人がスクリーンの前に飛び出し、手を合わせながら踊り始めた。

館内の観客も総立ちとなり、ダンスタイムの幕開けだ!

 

 まずは左へジャンプ!

 次は右足でステップ!

 次に手を腰に当てたら

 両膝を閉じスタンバイ

 あとは腰を振るだけさ

 レッツ・ドゥ・ザ・タイムワープ・アゲイン!

 レッツ・ドゥ・ザ・タイムワープ・アゲイン!

 

秀明も亜莉寿や周りの観客とともに、踊り、歌い、叫ぶ。

十月初めの学校内の集会で感じたことや自身の亜莉寿に対するモヤモヤした想いが全て吹き飛んで行く感じがした。

曲が終わり、再び席に着いた時、秀明は何とも言えない高揚感を味わっていた。

亜莉寿も同じ様に、何かが吹っ切れた様に晴れやかな表情をしている。

 

(亜莉寿も、何かストレスを抱えていたのかな?)

 

彼女の表情から、秀明が色々と想像をふくらまそうとする間に、映画は、物語の最重要人物であるフランクン・フルター博士の登場シーンに移ろうとしている。

やはり、予想通り、ここでもフルター博士のコスチュームの性別不詳者がスクリーンの前に立ちはだかる。

『タイムワープ』で沸いた館内から再び歓声が上がる。

観客全員でダンスするという経験を経た場内は、一体感に包まれている。

フルター博士が《ショー》と言い張る人造人間ロッキー・ホラーのお披露目前には、クラッカーを鳴らし、映画のクライマックスである洋館が空へ登って行くシーンでは、プロ野球の応援席でお馴染みの通称・ジェット風船が乱れ飛んだ。

 

ここまでの記述で読者諸氏も気付かれたと思うが、この『ロッキー・ホラー・ショー』の特別上映は、平成末期から日本でも定着し始めた、映画の《マサラ上映》や《応援上映》と呼ばれる観賞スタイルの元祖と言えるモノだった。

これまで、映画を観る時は、一人で観賞することが多く、観賞中も観賞後も、映画から感じられることを、頭の中をフル回転させながら考えるスタイルを取っていた秀明にとって、それは、斬新かつ新鮮な体験であったことは言うまでもない。

一〇〇分足らずの上映時間ながら、この日の特別上映は、刺激的かつ強烈な印象として、彼の心に刻まれた。

 

そして、劇場を出て、階下に降りようとエレベーターを待つ間、不意に亜莉寿は、こんなことをたずねる。

 

「ねぇ、有間クン。この後、時間はある?私、今日は帰りたくない気分なんだ」

 

その言葉を耳にした途端、秀明の思考回路は、機能停止に陥った。



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~④

すでに、時刻は十一時を過ぎようとしている。

心斎橋から梅田経由で秀明や亜莉寿の住む神戸方面へ向かうには、終電まで一時間の猶予もない。

 

「わ、わかった!とりあえず、家に電話するから、ちょっとだけ時間くれる?」

 

ビッグステップの周辺で、あわてて、公衆電話を探した秀明は、自宅に電話を掛ける。

「はい、有間です」

母親が電話に出る。

「あ、秀明やけど。遅くにゴメン。今日は帰りが遅くなるって言ってたけど。友達の家で話してたら、盛り上がって、『今日はウチに泊まっていけ』って言われて……。明日の朝イチに帰るから、今日は泊まらせてもらうわ」

秀明が一気に言うと、

「そうか。相手のご両親にも、ちゃんとお礼を言っときや~」

と母親は、特に疑う様子もなく了承した。

「うん、わかった。それじゃ」

と言って電話を切る秀明。

 

まずは、第一関門を突破したというところだが……。

 

(そう言えば、彼女の方は家に連絡しなくて大丈夫なのか?)

 

気になった秀明は、亜莉寿の元に戻って、彼女にたずねる。

「吉野家には、帰れないって連絡しとかなくて大丈夫?」

秀明の問いに、亜莉寿は答えた。

「うん。今日は、『ハロウィンで友だちの家に泊まらせてもらう』って伝えて来てるから……」

その答えに、また色々と想像をめぐらせ、秀明の脳内には、

 

 ・人通りの少ない西の方向に歩く

 ・人通りの多い東の方向に歩く

 

と二つの選択肢が浮かんだが……。

 

「そ、そっか!とりあえず、落ち着いて話せるファミレスにでも行こっか?」

 

無難な提案をして、道頓堀川のそばにある高級指向のファミリーレストランにむかうことにした。

 

 

心斎橋アメリカ村から御堂筋に出て、目的地にむかう途中、様々な想いや想像が交錯し、秀明の口数は少なかった。

亜莉寿もまた、何か考えるところがあるのか、話す言葉は少ない。

結局、ほとんど言葉を交わさないまま、目的地であるファミレスに到着し、ウェイターに案内された席に着く。

席に座り、

 

「ご注文が決まった頃に、また伺います」

 

と、ウェイターが立ち去ったと同時に、緊張感に耐えられなくなった秀明が、ゆっくりと切り出した。

「あの、今日、自宅に『帰りたくない』っていうのは……。この前、言ってた『話したいことがある』ってことと関係あるのかな?」

亜莉寿は、

「うん、今日のお話しは、ちょっと長くなるかも知れないから……」

と答える。

彼女の答えに秀明は、「ふぅ」と息をついた。

 

(あぁ、良かった~!変な勘違いして、ビッグステップから反対方面に歩かなくて!!)

 

アメリカ村から東の方向に進めば秀明たちが歩いた大通りの御堂筋に出るが、反対の西の方向に歩いて四ツ橋筋に向かうと、そこには、ホテル街が広がっている。

『そう!自分には、やましい気持ちなどないのだ!』と、自らに言い聞かせて、秀明は努めて、さわやかに語る。

「わかった!この店は早朝まで営業してるし、今日は朝まで話しを聞かせてもらうわ」

そう言って笑う秀明を見て、亜莉寿も、緊張がほぐれたのか

「うん、ありがとう」

と言って、映画館を出てから初めて笑みを見せた。

「じゃあ、大事なことなら、急には話しにくいかも知れんから、さっきの『ロッキー・ホラー・ショー特別上映』の話からしよっか?」

秀明の提案に、亜莉寿もうなづく。

「そうね!じゃあ、有間クンの感想から聞かせてくれない?」

いつもの様に、お気に入りの映画や小説について語る時の亜莉寿が見せる表情に戻ったことに安心しながらも、秀明は急なフリに少したじろぐ。

「えっ!?オレから?……と、その前に、心の準備をしたいから、ドリンクの注文だけさせてもらって良い?」

と言って、ウェイターを呼び、ドリンクを注文する。

注文を終えた秀明は、言葉を選びつつ、

「う~ん、何というか、今日みたいな上映会は、自分の映画観賞にとっても初体験やったから……」

と苦笑いしながら、

「でも、ものスッゴい楽しかった!今日の特別上映に誘ってくれた亜莉寿サンに大感謝です」

と続ける。

「良かった!有間クンなら、そう言ってくれると思ってた」

亜莉寿も、つられた様に笑う。

「今日の特別上映は、映画観賞と言うより、『体験』とか『体感』とか、そんな感じの言葉が当てはまるのかな?とにかく、スゴい経験をしたって感じ!亜莉寿は、どこでこんな企画があるって知ったの?」

秀明がたずねると、

「もともとは、『フェーム』って映画で、『ロッキー・ホラー・ショー』の参加型上映を取り上げているシーンがあって、それで知ったんだけどね。情報誌を見ていたら、大阪でも、その参加型上映会をするって書いてあったから、行ってみたいな、って思ったんだ!」

亜莉寿は、そう答えたあとに、

「でも、一人だったら、やっぱり来る勇気がなかったと思う……。今日は、一緒に来てくれて嬉しかった!ありがとう」

と付け加えた。

 

(いやいや、嬉しいのは、コッチの方だわ!)

 

秀明は、心の底から、そう思ったが、口には出さない。代わりに、

「それは、良かった……。少しは役に立てたかな?自分も、学校では優等生と思われているであろう《吉野サン》のハジけた様子を見ることが出来て楽しかったし」

少し彼女をからかう口調で言うが、そこには、秀明の

 

(吉野亜莉寿が、こんな映画を観て、こんなにも楽しそうにしている姿を知っているのは自分だけなのではないか?)

 

という優越感にも似た想いも交じっていた。

秀明の口調に感じるところがあったのか、亜莉寿は「ナニ、それ」と少し頬を膨らませたが、

「でも、この映画というか、原作のミュージカルも含めて、作品には、《抑圧からの解放》っていうテーマがあると思うから……。それも、ある意味で正しいのかな?」

と話しを続けた。

彼女が言うと同時に、注文したドリンクが二人の席に届いた。



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~⑤

亜莉寿の言葉を聞いた秀明は、

 

「あっ、気分を害したならゴメン」

と謝ったあと、

 

「それと、聞きたいことがあるやけど……。今回の特別上映を含めて、『ロッキー・ホラー・ショー』をどんな風に観てたのかな?アリス店長の見解を聞かせてくれると嬉しいんやけど……」

と続けて言う。

 

「う~ん、そうね。この作品には、二つの大きなテーマがあるんじゃないかなって、私は考えてるの。一つは、メジャーよりマイナー、マジョリティよりマイノリティという感じの《制作者を含めた少数派の人たちへの讃歌》。もう一つは、さっきも言った《抑圧からの解放》かな」

 

いつもの様に、理路整然と話す亜莉寿に感心しながら、秀明は問い掛ける。

 

「《少数派の人たちを讃える》っていうのは、冒頭の『サイエンスフィクション/二本立て』のこと?アレって、B級映画へのオマージュやんな?」

「そう!モノクロ映画時代からの怪物映画やSF映画なんかのB級映画に対する想いと自分たちの境遇を重ね合わせた歌なんじゃないかな?映画でもリフ・ラフ役を演じているリチャード・オブライエンが、ミュージカルの作詞・作曲も担当しているんだけど、彼は作品の執筆当時、売れない俳優だったし、なおかつ同性愛者みたいだから……」

 

秀明の問いに答える亜莉寿。

 

「なるほど、それは何となくわかる気がする。あのオープニングって、映画が始まる期待感と同時に、何か物悲しさみたいなモノも感じるもんね。昔とは意味が違うと思うけど、二本立て映画を良く観に行くから、あの歌は、泣けてくるモノがあるから……。《抑圧からの解放》を象徴する楽曲は、やっぱり『タイムワープ』?」

続けざまの秀明の問い掛けに、亜莉寿は答える。

「そう!なんだけど……。その前に、個人的に気に入っているのが、『Over at The Frankenstein Plase』に、There's a light, light In the darkness of everybody’s lifeっていう歌詞があって、《誰の人生にもある闇の中に、光りを見つけた》という意味なのかな、って考えてるんだ。だから、あのシーンで、今日の特別上映のときにペンライトが光り出したのを見て、涙が出そうになっちゃって……」

「それって、『フランケンシュタイン屋敷に』の歌詞だっけ?あのシーンは、幻想的で良かったよね」

 

秀明が同意すると、我が意を得たという感じで亜莉寿は、再び語り始めた。

 

「うん!あの暴風雨の中で洋館を見つけるシーンは、『退屈だったり、ツラい日常を過ごしているジャネットやブラッドの様な多数派の人たちが見つける希望の光りは、洋館の人たちが象徴する少数派の価値観の中にこそある』ということを表していると思うんだ」

 

彼女の答えに、秀明は感心した様に「そっか~!」と声を挙げる。

 

「それが、洋館での『タイムワープ』の解放感に繋がるのか!」

 

亜莉寿の見解を聞き、荒唐無稽に思えた『ロッキー・ホラー・ショー』のストーリーが巧みに構成されている様に、秀明には感じられる。

良くわからないと感じていた疑問がキレイに氷解したことで、彼は感動に似た想いを覚えていた。

 

(やっぱり、亜莉寿と話すのは、刺激的でメチャクチャ面白い!)

 

あらためてそう感じた秀明が、

 

「まあ、嵐の中で見つけた希望が、フルター博士の館というのは、何とも皮肉という気もするけど……」

 

と苦笑い交じりに言うと、亜莉寿も

 

「あのシーンは、本場のアメリカではライターで灯りを点しているらしいよ。映画館で、ちょっと危険すぎない?」

 

と海外での盛り上がりぶりを語って笑う。

いつもの二人の様に、いや、この日は、それ以上に会話が弾む。

 

「今日の一番の思い出は、やっぱり『タイムワープ』のダンスかな?もし、どこかで、この曲のイントロが流れるのを聞いたら、それだけで踊り出したくなるくらいにハマったわ」

 

と、秀明。

 

「大げさ!でも、本当に楽しかったね!他のお客さんも、すっごくノリが良かったし!」

 

亜莉寿が言うと、秀明は

 

「特に、リフ・ラフとマジェンタの人たちは、スゴかったな~。今日は、あんな感じだったけど、あの人たちも、普段はサラリーマンとかOLサンとして、真面目に働いてるんやろうか?」

 

と感じていた疑問を口にした。

 

「案外、そうかも……」

 

亜莉寿は、つぶやく様に言って笑う。

 

「だとしたら、まさに《抑圧からの解放》を体現してくれてるな」

 

そう言って、つられる様に秀明も笑った。

 

「でも、やっぱり一番目立ってたのは、フランクン・フルター博士じゃない?」

 

と亜莉寿。

 

「アレは、反則ちゃう!?ボンテージに網タイツって、自分を解放し過ぎやわ!ビッグステップの前で、フルター博士を見掛けた時は、亜莉寿と一緒じゃなかったら帰ろうかと思ったもん」

 

大仰に話す秀明に、亜莉寿は、「もう、また大げさに話して」と笑いながら言い、

 

「でも、あのフランクン・フルター博士の仮装をしてたヒト、それなりの年齢だった感じなんだよね。もしかしたら、会社勤めで、何人も部下をかかえている部長さんとかかも……」

 

と付け加えた。

秀明も、亜莉寿の言葉に乗り掛かる。

 

「う~ん、もしそうだとしたら、その部長さんの部下になるのは良いことなのか、どうなのか……。仕事でミスしたら、エディみたいに斧で殴られたりするんかな?」

「フランクン・フルター博士の元で働くのは大変そうね。あっ!だから、リフ・ラフとマジェンタは嫌気がさして、故郷に帰っちゃうのか……」

 

亜莉寿は、一人言の様につぶやいて、納得していた。



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~⑥

彼女の言葉を聞いていた秀明は、

 

「あのラストシーン近くの洋館が空に飛び立って行くところで、ジェット風船を飛ばした時に思ったんやけどさ……。『ロッキー・ホラー・ショー』のファンの盛り上がり方と野球の阪神ファンの盛り上がり方って、ちょっと似てるなって感じたんよ」

 

と、自身の見解を述べ始めた。

 

「どう言うこと?」と問う亜莉寿に、

 

「う~ん、プロ野球に興味がないと伝わりにくいかも知らんけど……。阪神タイガースって十年前に優勝して以降、ずっと成績が低迷してるにも関わらず、ファンの熱心さだけは変わらへんのよ。万年最下位に近い弱いチームなのに、甲子園球場には、十二球団で一番に近い数の観客が集まるし」

 

「そうなんだ!」と関心を示す亜莉寿。

 

「それに、ファンが勝手に始めた応援スタイルが定着して公式に認められて行くところもかな?あの風船を飛ばすスタイル自体は、甲子園球場で広島カープのファンが始めたってのが定説やけど……。それを大々的に取り込んで、球場のファン全体で始めたのは、阪神ファンやねんな。球団もそのスタイルを公認して、甲子園球場でも七回の攻撃が始まる前に風船を飛ばすための映像と音楽を作ったりして雰囲気を盛り上げようとするところなんかも似てるかなって思ったり」

 

「うんうん」と亜莉寿は、相変わらず熱心に話しを聞いてくれる。

 

「人気だけはある球団やから、マイノリティとは少し違うかも知らんけど……。弱小チームへ想い入れるのは、弱さゆえに応援してあげたくなるのか、その弱さに自分自身のダメな部分を見いだして、チームに思い入れを持ってしまうのか。これって、亜莉寿が言ってた《少数派への讃歌》って部分に共通するところもあるかな?」

 

「そっか~。確かに、そう言うところは似てるかも」

 

同意する亜莉寿に、気を良くした秀明は、さらに持論を展開する。

 

「それと、《抑圧からの解放》っていうのも……。甲子園に集まる観客って、チームを応援したいだけじゃなくて、ストレス発散のために来てる面があると思うねんなぁ~。夜の試合で背広を着てきた会社帰りの真面目そうなオッチャンが、ユニフォーム柄の法被を着替えたとたんに、ヒトがかわったみたいに大声を張り上げてる光景なんて、しょっちゅう見てるし」

「そうなんだ~。何か面白そうね!甲子園球場」

 

興味を示す亜莉寿に、秀明は

 

「いや、あんまり女子に薦める様な場所ではないかも知らんけど」

 

と笑いながら言い、

 

「あとは、愛のある野次とツッコミの存在かな?」と付け加える。

 

「確かに、『ロッキー・ホラー・ショー』の参加型上映は、野次とか茶々をタイミング良く入れる楽しみがあるけど。球場でも、そうなの?」

 

亜莉寿の問いに、答える秀明。

 

「阪神ファンには、定番のネタがあってな。十年くらい前まで代打で活躍してた川藤っていうファンから愛されてた選手がいたんやけど……。レギュラーで出場してる選手が打てない時には客席から、『川藤出さんかい!』『代打川藤!』って野次が飛ぶんよ」

 

「それで?」と続き促す亜莉寿。

 

「で、いざ監督が代打に川藤を告げると、客席から『ホンマに出してどないすんねん!?』のツッコミ。その声を聞いた打席に向かう川藤も思わずコケたとか、コケてないとか……」

 

オチを告げる秀明に、「ハハハ」と笑う亜莉寿。

 

「関西のヒトって、やっぱり面白いね!その選手って、あのビールのTVコマーシャルのヒト?」

 

一九九五年当時、ビール会社の販促キャンペーンとして、一九七〇年代から八〇年代に掛けて活躍したプロ野球選手OBが結集して、モルツ球団なる野球チームが結成された。

 

阪神タイガースOBの川藤幸三氏も、そのチームの一員として、TVのコマーシャルに出演していたのだ。

彼女の問いに秀明は答える。

 

「そうそう!桂ざこば師匠にツッコミを入れられてるのが、川藤さん。他の選手は、カッコいい感じに仕上がってるのに、『代打川藤』だけは面白ネタ扱いなんよな~。あのCM作ったヒト、多分、阪神ファンなんちゃうかな?」

「へぇ~。スポーツに、そんな楽しみ方があるなんて、知らなかった」

 

と感心するように話す亜莉寿に、

 

「いや、阪神タイガースとファンの関係は、ちょっと独特やけどね」

 

と秀明は苦笑して答える。

さらに続けて、

 

「ただ、そういう、ちょっとダメな部分をバカにするんじゃなくて、野次とかツッコミを入れつつ、阪神ファンが、そのダメな部分を愛してる様に見えるところは、観客から野次とツッコミを入れられる隙を作ってる『ロッキー・ホラー・ショー』の作品自体にも、ファンにも共通してるんじゃないかと思うわ」

 

と、自身の見解を締めくくった。

秀明が語り終えると、亜莉寿は、「おぉ~」と感嘆の声を挙げて、パチパチと手を叩き、

 

「さすがは、『シネマハウスにようこそ』のアリマ館長!坂野クンが、映画の番組にスカウトしようと思ったのも納得って感じ!」

 

と、秀明に賛辞の言葉を送った。

 

なお、筆者から補足をさせてもらうと、この時、秀明が亜莉寿に語った持論は、すべて阪神タイガースが《暗黒時代》と呼ばれる低迷期を送っていた一九八〇年代後半から九〇年代末期までに当てはまることであり、二度のリーグ優勝と三度の日本シリーズ出場をはたした二十一世紀のチームには必ずしも当てはまらない部分がある。

また、同じく二十一世紀の現在では、プロ野球を始め、他のスポーツにおいてもファンが独自の応援スタイルを確立して、そのスタイルがチーム公認で広く浸透しているのは、阪神タイガースに限ったことではないことも、あわせて付け加えておきたい。

 



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第9章~ロッキー・ホラー・ショー~⑦

閑話休題───。

 

亜莉寿の言葉に、

 

「いや、それ程でも……」

 

と、謙遜して答えながらも、彼女に誉めてもらえたと感じた秀明は、今までの自分の人生すべてを肯定してもらえた様で、かつて経験したことのない様な幸福感を味わっていた。

 

(亜莉寿に誉めてもらえるのが、こんなにも嬉しいなんて!)

 

それは、彼自身、意外な発見であった。

そして、秀明は再び彼女の言葉を思い返す。

『ロッキー・ホラー・ショー』のテーマは、《抑圧からの解放》だと亜莉寿は言った。

プレッシャーから解放されるということは、『自分を縛る枷から自身の気持ちや想いを解き放つ』ということでもある。

 

自分の気持ちは───。

素直な想いは───。

彼女のことを───。

 

秀明は、そう心の中で問い直し、テーブルを挟んで、目の前で微笑んでいる吉野亜莉寿を目にすると、急激に自身の体温が上がるのを感じ、彼女の前に座っていることに気恥ずかしさを覚えた。

そして、その場にとどまることが、いたたまれなく感じられ、

 

「ちょっと、トイレに行ってくる」

 

と言って、亜莉寿を席に残し、ファミリーレストランの男性用化粧室に駆けこんだ。

空いていた個室に入って洋式の便座に蓋をしたまま、座り込むと、頭を抱え

 

「やっぱり、そうか……」

 

と、一人言をつぶやく。

 

彼の頭の中に、初めて亜莉寿と出会った時のことに始まり、彼女と時間をともにした様々な思い出と、その時々に見せるいくつもの彼女の表情が駆けめぐる。

 

 ・ビデオ店で熱心に語った時の真剣な表情

 ・始業式の日に自分に向けられた暗黒微笑

 ・喫茶店で楽しそうに小説を語る時の笑顔

 ・夏休みに彼女の家で垣間見た不安と安堵

 ・映画上映の最中に見惚れてしまった横顔

 ・映画観賞の後にドキリとさせられた言葉

 

映画や小説に対する知識や見識の深さに対するリスペクト、話しをするだけで刺激を受ける楽しさ、不安げな表情を見せた時に何かをしてあげたくなる想い、他の男子と仲良く話すことを想像すると感じる胸の痛み、「帰りたくない」と言われた時に頭をよぎった邪な感情まで含めて……。

 

どのように言葉を取り繕うと、自分の抱える亜莉寿に対するこの気持ちは、《恋愛感情》という言葉、それ意外には言い表すことができないだろう。

 

ふと、一ヶ月前の正田舞の言葉を思い出す。

 

「自分の気持ちに向き合うこと」

 

今夜、観た映画のことも思い出す。

 

「自分の想いを解き放つこと」

 

確かに、どちらも今の自分にとって必要なことではあるが……。

 

(この状態で、どんな表情して亜莉寿に会ったらエエねん……)

 

これまで、過去の体験から、「自分には恋愛感情を抱く資格はない」と自身の気持ちに蓋をして向き合わなかったこと、そして、これからどうすべきなのか、わからなくなってしまった自分の不甲斐なさに、

 

「ウワアァァァァァ~~~~!!!!」

 

と叫び出しそうになるのを、秀明は何とかこらえた。

 

今夜、まだ自分には、成すべきことが残っている。

様々な感情が渦巻きの様に押し寄せるが、これまで、亜莉寿が不安な表情を見せた時、

「自分に出来ることなら、チカラになってあげたい」

と思ったことは事実なのだ。

 

それならば、今はその気持ちに従うしかない───。

 

そう決意した秀明は、個室を出て、洗面所で顔を洗い、気合いを入れる。

洗面台の鏡を見ながら、

 

(どんな話しが出るにしても、彼女の不安が少しでも小さくなるようにしないと……)

 

あらためて、そう思い直す。

男性用化粧室から出た秀明は、真っ直ぐ自分たちの席に戻った。

 

 

「どうしたの?大丈夫?」

と、心配そうに聞く亜莉寿。

秀明は、

「心配かけて、ゴメン!女の子に誉められることなんて、これまで無かったから、思わず感激にひたってしまって……」

と、努めて明るい表情で答えた。

「また、大げさに言って……。でも、安心した!冗談が言えるくらいなら大丈夫みたいね」

フッと笑いながら、穏やかな表情で語る亜莉寿に、秀明も応じる。

「ゴメンゴメン!それで、『ロッキー・ホラー・ショー』の話しは、もう出尽くしたかな、とも思うから……。亜莉寿が良ければ、オレに話したいって言ってたことを聞かせてもらいたいんやけど……」

その言葉に、彼女は「うん」と、うなづき、意を決した様に、言葉を発した。

 

「私ね、今の学校を辞めようかなって考えてるんだ」

 

亜莉寿の一言に、秀明は

 

「えっ……!?」

 

と言葉を失い、彼の思考回路は、この日、二度目の機能停止に陥ろうとしていた。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~①

時刻は、深夜二時をまわろうとしていた。

亜莉寿の唐突な発言に、秀明は絶句したあと、二の句が継げないでいた。

予想していなかった、彼女の言葉に、彼の思考は追い付けないでいる。

しかし、

「ゴメンナサイ!急にこんな話しをしてしまって……」

申し訳なさそうに、身を縮める亜莉寿の様子を見て、停止しかけていた思考が戻り始める。

とにかくも、ほんの数分前に亜莉寿の話しを聞くことを決めていたのだ。そう、自分で決意したことを思い出し、秀明は、慎重に彼女にたずねる。

「いや、ちょっとビックリしただけやから、謝らんといて。学校を辞めるっていうのは、家庭の事情とか?」

フルフルと無言で首を振る亜莉寿。

「じゃあ……。学校で何か不満に思ったこととかがあった?」

秀明が、言葉を選びながらたずねると、亜莉寿は、小さく首を縦に振った。

「そっか……。それってさ、今月の初め頃に生徒集会で話があったことと関係ある?」

秀明は、ひと月ほど前に開催された集会のことを思い出しながら問い掛ける。

すると、亜莉寿は、「どうして、わかったの?」という表情をしたあと、

「あの集会は、学期制度の変更の話をされるのかと思っていたら、急に受験に向けた来年度の単位取得の話になって……。『自分は、そんな目的で、この高校に入学したんじゃないのに』って思ったら、何だか、このまま今の学校に居るべきなのかな、って思い始めて……」

一気に自分の想いを語った亜莉寿の言葉に、秀明は胸を打たれた。

「その気持ち、何となく、わかるわ。ひと月前のあの集会の時に、オレも同じように感じたから」

試験の成績が毎回の様に赤点ギリギリに近い自分とは違い、大学受験を優先する場合、学年内でもトップクラスの成績を誇っている亜莉寿なら、今より大学進学に有利な高校への受験も考えられたはずで、その悔しさは自分とは比べものにならないだろうと、秀明は思った。

「あの集会で話を聞かされた時に、『入学前に聞いてた話と違うやん!』って思ったからなぁ……」

と、秀明はため息をつく。

同意を得たことに安心したのか、亜莉寿の表情も落ち着いた様で、

「有間クンもそうだったんだ……。私も、『何のために、この高校に入ったんだろう?』って、思っちゃったんだ」

と、ポツリとつぶやいた。

「でも、良かった……。みんな大人しく話しを聞いてたし、その後も、話題になることなんてなかったから、こんなことを気にしてるのは、私だけなんじゃないかと思ってたから。私たちって似てるのかな?」

と続けて話した亜莉寿は、秀明を見て少し微笑んだ。

彼女の笑顔に、一瞬で鼓動が早くなるのを感じた秀明は、照れ隠しに

「う~ん、周りの評価には、だいぶ開きがある様に思うけど……」

と苦笑いをしながら言いつつ、

「でも、好みの映画や小説が似ているからか、嬉しいと感じることとか、逆に悲しかったり、イヤだなって思うことのツボは、お互いに似てるかも知らんね」

と付け加えた。

学業は低調気味で、教師たちの評価も高くはない秀明と異なり、成績優秀で素行や言動にも問題のない優等生と評価されているであろう亜莉寿だが、何かを強制されたり、自由度の少ない空気には反発する『芯の強さ』というか『我の強さ』の様なモノを持っている。

 

(ああ、自分は彼女のそんな部分にも惹かれていたのか……)

 

と、あらためて考えると、また動悸が激しくなるのが感じられ、彼女の顔を直視できなくなってしまう。

彼らのテーブルには、しばしの間、沈黙が訪れた。

目の前の彼女の顔を見ることが出来ず、うつむきがちになりながらも、秀明は考えた。

 

───そう言えば、亜莉寿は、具体的な転校先などは考えているのだろうか?

まずは、彼女の考えていることを聞いてみよう───。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~②

沈黙を破る様に、秀明は亜莉寿にたずねた。

「あの、もし考えていることがあるなら聞きたいんやけど……。具体的に転校する学校とか決めてるの?亜莉寿のことやから、何か自分なりの考えがあってのことだとは思うけど」

秀明の問いに、亜莉寿は、落ち着いた声で話し出した。

「うん……。いま、資料を取り寄せているところなんたけど、アメリカの高校に編入できないかなって、考えてるんだ。来年、ウチの母が仕事の関係で、あっちに赴任することになりそうで、一緒に着いていけたらなって」

彼女の発言に、「えっ!?」と言葉を失いそうになり、また、海外とは思い切ったことを……、と感じた秀明だが、

 

(いや、しかし……)

 

と思い直す。

夏休みに、亜莉寿が語った彼女自身の将来の夢とは何だったか?

ハリウッド映画の世界で脚本家を目指し、自身が映像化を熱望する企画を持っているならば、進学先や就職先の目標を国内に限定する必要はない。

むしろ、アメリカの大学ならば、国内の大学と違い、シナリオライティングや映画の企画化などについて、本格的に学べる講義があるのかも知れない。

高校三年時にアメリカの大学の入学試験を受けて渡米するよりも、状況が許すならば、高校時に編入をしていた方が大学受験時の負担もはるかに少ないだろう。

ましてや、彼女が映像化を目標としているのは、アメリカ合衆国のSF作家をテーマにしたものだ。

「それなら、転校先がアメリカの高校になるか……」

秀明が、一人言のようにつぶやくと、

「うん、やっぱり、家族が一緒にいると安心かなって、思うし……」

と亜莉寿が答える。

それを聞いた秀明は、

「あ、いや、そうじゃなくてさ……」

と、返答し、今しがた自分が考えていた、彼女の夢と、その目標にたどり着くために相応しい進学先や就職先、現時点で可能なことと近い将来に向けて何をしておけば有利なのか、ティプトリーがアメリカの作家である以上、日本国内に留まるより、彼女の母国であったアメリカを目指すのは当然だ、ということが納得できたということを亜莉寿に伝えた。

そして、こう付け加える。

「合理的に考えることが出来ていて、亜莉寿らしいな、って思った」

秀明が、そう口にすると、亜莉寿は目を丸くして、

「すごい……。どうして、私が考えていたことがわかったの?それに───、私が、頭の中で色々と考えてグチャグチャになっていたことを、シンプルで、わかりやすくまとめてくれてる!」

感心した、と言わんばかりの口調で秀明に語る。

彼女の言葉を聞いた秀明は、

「いや、夏休みくらいから、亜莉寿の話しは、良く聞かせてもらってたし」

と笑いながら話し、

「それに、一見、複雑な内容のことも簡潔にわかりやすくまとめるのは、亜莉寿の方が得意やと思うけど……。さっき『ロッキー・ホラー・ショー』を解説してくれた時も思ったけど」

と付け加えた。

亜莉寿の言葉からは、先ほど、秀明が『ロッキー・ホラー・ショー』とタイガースファンとの共通性を語った時の様に《畏敬の念》とも取れる想いを感じることが出来たが、先刻とは異なり、それを嬉しいと感じることはなかった。

自分は、この夏以降、断片的に語られた彼女の話しを思い出し、その点と点を、線としてつないだだけだ。

 

(そんなに誉められることでもないと思うけど……)

 

校内放送で映画について語る時や、秀明に小説の魅力について語る時などは、理路整然と饒舌に話す亜莉寿だが、自分自身のことを考えたり、他者に伝えたりする場合には、そのスキルは、あまり発揮されない様だ。

秀明が、そんなふうに思いを巡らせていると、亜莉寿は、唐突にこんなことを言い出した。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~③

「ねぇ、有間クン。私は、自分の考えとか思っていることを話して他のヒトを説得することが得意じゃないから……。もし、良かったら、両親や周りのヒトに、このことを話す時に協力してもらえないかな?」

 

「えっ……!?」

 

と、秀明は、この日、三度目の絶句をしそうになるが、

 

「それは、まだ話していない転校したいということをご両親に話すときに、一緒に居てくれないか、ということ?」

 

落ち着いて、亜莉寿に聞き返す。

すると、彼女は、

 

「うん、有間クンが迷惑じゃなければ、だけど……」

 

とつぶやく様な声で、返答する。

 

「迷惑とかではないけど……。あ~、今から言うことは、もし、お説教に聞こえたらゴメン。オレが亜莉寿に協力することは構わないけど、やっぱり、迷惑を掛けるかも知れなかったり、お世話になるご両親には、亜莉寿自身がきっちりと向きあって話した方が良いんじゃないかな?」

 

自分は、他人に、まして吉野亜莉寿の様な優等生に、意見したり、忠告したりできるほど立派な人間ではないが───。

それでも、自分が決めた進路のことは、自身の口で両親に伝えることが、子供なりの誠意ではないか、と秀明は考えた。

秀明の言葉を聞いた亜莉寿は、

 

「やっぱり、そうだよね……。ゴメンね、変なことお願いして」

 

と、うつむきながら謝罪の言葉を口にする。

その様子を見た秀明は、慌ててフォローする。

 

「いや、謝らんといて!それに、亜莉寿に協力したいって気持ちは、ホンマやから。もし、お父さんやお母さんと話し合って、それでも、説得できなかったり、話し合いが長引く様なら、遠慮なく、オレを呼んでくれて良いから!安請け合いじゃなく、絶対に、その場に行かせてもらうからさ!」

 

その言葉を聞いた亜莉寿は、

 

「ありがとう!そう言ってもらえるだけで嬉しいな」

 

と言い、少し笑顔を取り戻す。

秀明も、つられる様に笑顔になり、自らの想いを伝える。

 

「うん、せっかく亜莉寿が話してくれたことやし……。今は、不安に思う気持ちもあると思うけど、亜莉寿が思い切って決めた、その想いを応援したいな、って思うから」

 

彼は同時に、こんなことを考えていた。

自分の様な映画やスポーツの観客、小説やコミックの読者、音楽の聴衆である《受け手》側の人間は、自分がファンになった映画監督や俳優、スポーツ選手、作家、ミュージシャンなどが、より大きな舞台に挑もうとするならば、その挑戦を応援したくなる。

 

しかも、身近にいて、日頃から、創作物に対する知識や見識の深さに対してリスペクトに近い感情を抱いていた、吉野亜莉寿の挑戦ならば───。

誰よりも応援してあげたくなる───。

その純粋な想いに、偽りは無いつもりなのだが───。

 

ここまで、亜莉寿の突然の発言に対して、理性的に思考し、会話を行っていた脳内に、ようやく、感情が追いついて来たのか、不意に涙が、こぼれそうになる。

 

その突如として押し寄せた自らの感情を振り払うかの様に、

 

「うん、とにかく亜莉寿なら、ご両親と話すのも大丈夫やと思うから。オレのことは、もしもの時のための保険くらいに思ってて……」

 

秀明は、そう言って、「ゴメン、またちょっと席を外すわ」と言い放って、再び男性用化粧室に向かった。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~④

化粧室に駆け込み、洗面台の前に立って、鏡に映る自分の顔を確認すると、目は赤くなり、頬には涙が……、のみならず、鼻からも垂れているモノがある。

 

(ホンマ、なんちゅうヒドい顔してんねん)

 

あらためて、鏡を見ると、自分の姿の情けさに、笑いすらこみ上げて来る。

洗面台の蛇口をひねって、水を流しながら顔を洗う。

一度、水を止めてから、台に設置していたペーパーで鼻をぬぐってゴミ箱に捨てる。

もう一度、水を流して、顔を洗ったところで、ようやく、秀明の感情は落ち着きを取り戻し始めた。

 

映画を観るために心斎橋に赴き、商業施設の前にたむろするコスプレ集団に面喰らって以降、今夜は、感情の振れ幅が大きくなる出来事に巻き込まれすぎて、なかなか冷静に物事を考えることができない。

なにしろ、応援上映に熱狂し、亜莉寿の言動に一喜一憂させられ、自らの恋愛感情に向き合ったと思ったら、数十分後には、彼女と離れ離れになるかも知れないという失恋に近いショックを味わうことになったのだ。

 

(イベント盛りだくさん過ぎて頭がついていかへん)

 

秀明は、率直に、自分のおかれた現状を認識するとともに、今後の自分が取るべき行動を考え始める。

正田舞に釘をさされた様に、自分の恋愛感情と向き合うことは出来たが、現段階で、この感情を亜莉寿にぶつけるべきでないだろう、ということは、いくら恋愛経験に乏しい自分と言えども理解できる。

何より、彼女には、これから自らの進路について両親と話し合うという課題があり、それを乗り越えたとしても、海外の高校に通うための準備で忙しくなるはずだ。

不安や心配事の尽きない、その時期の彼女に、自分の感情を押し付けて良いはずはないだろう。

ならば、自分にできることはなんだろうか?

 

(結局のところ、亜莉寿が不安に思っていることを聞いてあげるくらいしか、自分にできることはないか……)

 

一瞬、先ほど彼女が言った「両親や周りのヒトを説得するのを協力してくれないか?」という言葉が頭に浮かんだが、秀明は、すぐにそれを否定する。

理路整然と自分の考えを伝えることのできる吉野亜莉寿に限って、彼女の将来の話しについて語るとき、自分の出る幕はないだろう、と秀明は考えた。

 

それが、自分の得意なフィールドである映画や小説の話しにおいて、いつも自分より優れた見解を示しているという評価に基づくものなのか、彼自身の恋愛感情に基づくものなのか、あるいは、いつも会話の中で、イジられ、からかわれ、やり込められているという実体験に基づくものなのかは定かでないが、有間秀明は、吉野亜莉寿を過大に評価している面があった。

 

かたや、自分には何も誇れるモノがない───。

 

夏休み前に校内放送で語った『耳をすませば』の月島雫なら、海外で夢を叶えようとする天沢聖司に見劣らない様に、と小説を書き始めるところだろうが、自分には、そうした創作の才能や意欲すら、ある様には思えなかった。

このところ、彼女との会話を楽しむ機会が増え、少しずつ彼女の内面にも触れることができているのではないかと感じていただけに、先ほどの彼女の話しは、圧倒的とも思える差を付けられた様に感じさせられて、悔しさや悲しさの感情がこみ上げて来ることを抑えられない。

 

とはいえ、その想いを亜莉寿に悟られることは、何よりも避けたかった。

 

(とりあえず、早く席に戻らないと)

 

最後に、もう一度、洗面台で顔を洗い直した後、秀明は、ようやく化粧室を後にした。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~⑤

席に戻ると、またも亜莉寿が、心配そうに

 

「大丈夫だった?」

 

とたずねる。

 

「ゴメン!何回も席を外して……。今日は、普段とは違う特別上映に参加したからか、ちょっと感情が高ぶりやすくなってるかも。こういうのを情緒不安定っていうんかな?」

 

彼女に心配させないために、何より、彼女に自分が感じた想いを悟られないために───。

秀明は、わざとらしいくらいに明るく、おどけた口調で、そう語った。

 

「もしかして、夜更かしで、変なテンションになっちゃったとか?」

 

亜莉寿は、怪訝な表情で秀明に問い掛ける。

 

「確かに、それもあるかも。けど、自宅で映画観たり、ラジオを聞いて夜更かししても、こんな風にはならないんやけどねぇ……」

 

と、秀明は作り笑いで答えた。

 

「ふ~ん。でも、私も今日は気分が上がったり下がったりして、落ち着かない感じかな」

 

と亜莉寿。

 

「そっか……。まあ、それだけ『ロッキー・ホラー・ショー特別上映』の体験が強烈だったってことかな?」

 

秀明は、会話の流れが、なるべく自分の感情を刺激しない方向に向く様に話していた。

 

「そうなのかな~。でも、ホントに貴重な体験だったな、って思うよ」

 

亜莉寿は、秀明の意見に同調しつつ、言葉を続ける。

 

「ねぇ、もう一つ聞いて欲しいことがあるんだけど、イイかな?」

 

秀明も、快く

 

「うん!何でも聞かせてもらうよ!」

 

と応じた。

 

「ありがとう!あのね、実はいま、短いけど小説を書き始めてるんだ。それで───、良かったら、有間クンに最初の読者になってほしいと思ってるんだけど……」

 

亜莉寿は、またも唐突な告白をする。

今日は、何度、自分を驚かせれば、《運命の神様》は気が済むのだろう?

秀明は、そう思いながら、

 

「これまた、いきなり───。って、訳でもないか……。脚本家を目指すなら、自分の中で描きたい物語とかもあるだろうな、って思うし」

 

と笑いながら返答し、

 

「でも、最初の読者が、オレなんかで良いの?小説とか物語の添削なんて、できへんよ?」

 

遠慮がちに疑問を投げかけた。

 

「うん!有間クンは、ティプトリーの『接続された女』を面白いって言ってたし!それに、もう一つ有間クンから貸してもらった『くるぐる使い』に掲載されてる短編の『のの子の復讐ジグジグ』が、個人的に、とても面白いなって感じて……。この二つのお話しを読んでる有間クンなら、きちんとストーリーを把握して楽しんでもらえるんじゃないかなって思ったから」

 

先ほどの転校の話しをしていた時とは異なり、嬉しそうに語る亜莉寿の様子を見ていた秀明の心の中では、またも様々な感情が交錯する。

 

自分の夢を叶えるために海外へ飛び立とうと決意した様子は、まるで天沢聖司の様だ───。

そして、自分の中から湧き出る創作意欲を形にしようとしている姿は、月島雫の様だ───。

お互いに相手を想いながら、自分自身を高めようとした『耳をすませばの』聖司と雫の二人分の覚悟を背負おうとしている様に、秀明には思えた。

だから、あの映画を観ていた時に彼女は───。

 

いったい、亜莉寿は、どこまで自分との差を拡げれば気が済むのか?

 

そんなことを考えていると、再び秀明の心に、自己嫌悪と言う名の『黒いマント』が覆い被さって来る。

 

(これは、ダメだ……)

 

彼女の前でだけは、ネガティブな自分をさらしたくない。

とはいえ、もう、化粧室に逃げ込むこともできない。

秀明は、何とかポジティブな思考を巡らせる。

亜莉寿は、何と言ったのか?

 

自分に最初の読者になってほしいと言ってくれた───!

自分が薦めた小説に感銘を受け、作品を執筆していると言ってくれた───!

 

そして、何よりも、自分自身が吉野亜莉寿の作る物語を読んでみたいと思った。

ようやく、秀明は考えをまとめ、返答をする。

 

「ありがとう。スゴく楽しみやわ。でも、その二つの短編って、共通点とかあったっけ?」

 

彼が、亜莉寿にたずねると、今度は彼女が意外そうな表情で、

 

「えっ!?ストーリー構成とかは、かなり似てると思ったんだけどな……」

 

と、秀明の問いに答える。

亜莉寿の返答に、秀明は夏休みに読んだ『接続された女』と、一年ほど前に読んだ『のの子の復讐ジグジグ』のストーリーを思い返してみる。

両者はともに、不幸な境遇の少女が世をはかなんで自殺を図り、一命を取り戻した後に、かたやアイドル歌手の様な存在として、一方は宗教家として、カリスマ的な存在となっていく。

前者の作品は、サイバーパンクの元祖的な存在として知られ、後者の作品は、死後の世界を科学的な側面から描いたモノでジャンルとしては異なるものの、亜莉寿の言う様に、ストーリーには共通するところも多かった。

 

「あっ、確かにそうやね!この二つは、ちょっとジャンルが違う作品だと思ってたから、気付かなかった」

 

と、秀明は納得した様子で答える。

 

亜莉寿は、「わかってくれたか」と穏やかな表情で、

 

「それで、どうかな?読んでくれる?私の小説……」

 

と、あらためて質問を重ねる。

 

「もちろん!オレで良ければ、喜んで読ませてもらいたいな。楽しみにして待ってる!」

 

秀明も、あらためて快諾の意思を示した。

その後は、秀明が、亜莉寿に小説を書こうと思った動機を質問したり、お互いの好きな小説や映画のストーリー分析など、いつもの様な会話を楽しんだ。

 

気が付くと、時刻はすでに午前五時近くになっている。

ファミリーレストランの窓から見える空は、まだ暗いままだが、この店舗に近い、なんば駅発の始発電車が出る時間も近づいている。

 

「もうすぐ、始発が出る時間やね。そろそろ行こうか」

 

秀明が、うながすと、

 

「そうね!ずいぶん、長居をさせてもらったし」

 

と、亜莉寿もうなづく。

ここで、秀明は映画を観終わってから気になっていたことをたずねた。

 

「そう言えば、昨日の夜は帰らないことをご両親に伝えていたみたいだけど……。何て言って許可をもらって来たん?」

 

彼の疑問に、亜莉寿は、

 

「うん、友だちの家に泊まらせてもらうって、言って来たんだ。それで、正田さんにも協力を頼んだんだけど……」

 

と、少し申し訳なさそうな表情で答える。

 

「そうなんや……。ちなみに、オレと映画を観に行くってことは、ショウさんに伝えてる?」

 

と、秀明は確認する。

 

「ううん。特に、訳を話さなくても正田さんは、協力してくれるって、言ってくれたから」

 

亜莉寿の答えに、「そっか」と秀明は答え、

 

(自分自身のことじゃないけど、またショウさんには、『借り』ができたな)

 

と、考える。

 

日付が変わる前に入店してから、何度もおそってくる感情の波に翻弄され、他の機会で徹夜をした時よりも、遥かに心身の負担は大きかった。

白み始めた空から感じる空気は心地よいが、秀明の心には、喜びと楽しみ、悔しさと寂しさなど、様々な感情が渦巻き、まだ気持ちの整理が付かない部分も大きい。

 

それでも───、

 

(この日の夜のことは、一生忘れられない思い出になるだろう)

 

そんな予感を覚えながら、秀明は、亜莉寿とともに、ファミレスを後にした。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~⑥

午前6時過ぎに帰宅した秀明は、シャワーを浴び、グッタリとベッドに横になると、そのまま眠りに落ちた。

目覚ましによって、午後三時に目覚めた彼は、前日の夕方まで、あれほど楽しみにしていたナリタブライアンの復帰戦を寝起きの冴えない感覚のまま視聴した。

この日のレースで、ナリタブライアンは、春までの圧倒的な強さは見る影もなく、デビュー後はじめてとなる十二着の惨敗を喫した。

 

 

亜莉寿と一夜をともにした(?)日から一週間が経った土曜日、秀明は、昭聞とともに、私立大学の学園祭に参加していた。

この日は、彼ら二人が毎週聞いているラジオ番組の出演者が、映画研究会主催のアニメ上映会とトークを兼ねたイベントのゲストとして招かれていたのだ。

阪急千里線の駅に向かう帰り道、イベントを堪能した二人は、感想を語り合う。

 

「上映会の『パトレイバー2』も良かったし、平野先生とボンちゃんのトークも面白かったし、最高のイベントやったな!」

 

と昭聞が興奮気味に語ると、

 

「そうやな~。『攻殻機動隊』の公開を控えた時期に、春の地下鉄テロ事件を受けて『パト2』を上映したのは最高のタイミングやと思うわ。イベントを企画したヒト、センスあるな~」

 

と秀明も手放しで褒め称える。

 

「こういう学園祭の雰囲気を見ると、早く大学生になって、『面白いことしたい!』って感じになってくるな」

 

日頃は醒めた性格に見える昭聞が、いつになく、ハイテンションで話す様子を見た秀明は、

 

「ブンちゃんは、やっぱり、今日みたいな大学の雰囲気に憧れる?って言うか、もう志望校とか進路とか決めてんの?」

 

と、普段なら、あまり昭聞には聞かないことを聞いてみた。

今日は機嫌が良いのか、昭聞も素直に答えてくれる。

 

「そうやなぁ、前にも話したかも知らんけど、メディア業界の仕事に就きたいって考えてるから、その業界の就職に有利になる大学が中心になるかな?」

「そっか……。みんな、将来のこと、ちゃんと考えてて、エライな」

 

それから先のことを口にこそ出さなかったが、秀明は、校内放送でともに出演している、亜莉寿と昭聞が、すでに確固たる目標を持っていることに対する引け目を感じざるを得なかった。

どこか寂しげにつぶやく秀明の様子を見て、昭聞も、いぶかしげな表情になる。

駅から電車に乗り込み、眺めた車窓には十一月の美しい夕焼け空が広がっていた。

───だが、秀明は心の中に、またも自己嫌悪の黒いマントが広がってくるのを感じた。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~⑦

秋の終わりからは、一気に季節が進み、『シネマハウスにようこそ』の活動や二学期の中間試験と期末試験などの日程が、瞬く間に過ぎて行った。

十月末の夜の出来事以降、自分自身と、それ以上に亜莉寿の進路のことが頭から離れなかった秀明は、ただ過ぎていく日々に身を任せるのみで、年末が迫っている実感のないまま、二学期の終業式の日を迎えていた。

 

大講堂での全校集会を終えた生徒は、各々のクラスに戻り、各クラスでのホームルームに備えて待機する。

その待ち時間の間、教室内は、冬休みとクリスマス前の高揚感からか、いつも以上の喧騒に包まれていた。

秀明は、梅原が登校時にコンビニで購入してきたスポーツ新聞を中心にして、クラス内で、すっかり定着した名称・ボンクラーズの面々とともに、週末に行われる中央競馬の総決算・有馬記念の検討会を開催中である。

 

第四十回有馬記念 一九九五年十二月二十四日

中山競馬場 芝二五〇〇メートル

 

一枠一番  サクラチトセオー

二枠二番  タイキブリザード

三枠三番  ゴーゴーゼット

四枠四番  ロイスアンドロイス

五枠五番  ナイスネイチャ

五枠六番  ジェニュイン

六枠七番  ヒシアマゾン

六枠八番  ナリタブライアン

七枠九番  イブキタモンヤグラ

七枠十番  マヤノトップガン

八枠十一番 アイルトンシンボリ

八枠十二番 アイリッシュダンス

 

♤「梅ちゃん、資料提供ありがとう!今年も、一番楽しみな季節がやってきたな!」

◆「どういたしまして!やっぱり、有馬記念は、みんなで検討会しないとな」

♧「しかし、今年は難解やな~。一番人気は、やっぱりヒシアマゾンか?」

◇「ナリタブライアンとヒシアマゾンくらいしか名前を知らん自分には、サッパリわからへんわ」

♤「まあ、伊藤の知ってる、その二頭が人気の中心になるのは間違いないと思うけど、今年は四歳馬も古馬も戦績がパッとしないというか……」

◆「ヒシアマゾンも、押し出された一番人気って感じやしな~」

♧「ホンマ、去年はナリタブライアンから、どの馬に流すかだけ考えれば良かったのに……」

◇「去年は、ブライアンとヒシアマゾンで決まったんやろ?今年も、その二頭ってことはないん?」

♤「個人的には、ブライアンの復活に期待したいけど……。どうやろ、梅ちゃん?」

◆「いや、あの馬は、もう終わってるやろ。秋天十二着、ジャパンカップ六着でも二番人気とか有り得へんわ~。結局、ブライアンって、早熟やったんちゃう?」

♧「かと言って、ヒシアマゾンが勝ちきるかというと疑問やなぁ。あと、有馬記念は、連覇自体が少ないしな」

♤「ブライアンの血統的に早熟ってことはないと思うけど……。有馬連覇は、十年前のシンボリルドルフ以来、達成ナシか……。今のブライアンにルドルフの強さを求めるのは酷やなぁ」

◇「ヒシアマゾンは、牝馬やのに、名前が可愛くないのが、気にいらへんのやけど、それはオレだけ?」

♧「名前としては、男勝りで相応しいんちゃう(笑)?」

♤「やっぱり、ヒシアマゾンの前走ジャパンカップ二着は評価すべきかな?でも、ジャパンカップと有馬記念を連続して好走するのって、相当チカラが抜けてないと難しいよな?」

♧「それも、ルドルフ以来、例が無いんちゃう?」

♤「八十八年のオグリキャップとタマモクロス以来かな?どちらにしても、前例は少ないな」

◆「う~ん、やっぱり、今年は全くワカラン!」

♧「じゃあ、今年の世相から占って見るか?スポーツ界の話題と言えば、野茂のメジャーリーグでの活躍とオリックスの優勝やけど……」

♤「野茂の背番号は、十六!パ・リーグのMVPは、イチロー!馬連一・六の一点勝負!」

◆「サクラチトセオーとジェニュインか~。秋天の一・二着馬やし、有り得るかも?でも、二頭とも距離にカベがある気がするな~」

♧「ブライアンが伸びず、アマゾンの末脚が不発に終わって、ジェニュインが粘れる展開の中、チトセオーだけ追い込んで来るとか、ちょっと、都合が良すぎちゃうか?」

♤「もう、こうなったら、馬名から考えよう!今年の有馬記念は、クリスマス・イブ開催やし、イブ来たモン櫓=イブキタモンヤグラで、どうでしょう?」

♧◆◇「「「大喜利予想か!?」」」

♤「いや、皐月賞の時は、梅ちゃんも推してたやん、イブキタモンヤグラ」

 

などと、クリスマス前の季節になっても、春先から全く進歩のない会話を続けていると、秀明たちの周りに、柑橘系とローズの交じった甘い香りが漂った。



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第10章~Smells Like Teen Spirit~⑧

「なになに、何の話しで盛り上がってるん?」

 

声の主は、各学年の代表に連絡された文化委員会での伝言を正田舞に伝えに来た朝日奈愛理沙だ。

スポーツ新聞の紙面を目にした彼女は、露骨にあきれた顔をして、

 

「クリスマスと冬休み前の一番楽しい時期に、競馬の話しするって、どうなん?」

 

と、ボンクラーズの面々を見渡す。

 

♡「有間以外の三人は、やる気があれば、クリスマスに縁がない訳でもなさそうやのに、もったいない」

♤「ちょっと待って!ナチュラルにオレだけ省かれてる?他の三人も、話してる内容は同じなのに?」

♡「そら、校内放送で、『ときめきナントカ』っていう恋愛ゲームを買いに行くとか宣言するオトコは、論外やん(笑)」

♤「いや、あのゲームの世界でなら、オレも大富豪キャラの伊集院家のクリスマス・パーティに参加したりしてるんですけど?」

♡「…………。なあ、有間は放っといて他の三人に聞くけど、アンタら、いつも、どんな話してるん?」

♧「アニメの話し……」

◇「ゲームの話し……」

◆「声優の話し……」

♤「先進国が行う核実験の是非について、かな?」

♡♧◇◆「「「「……」」」」

♡「ただでさえ寒い教室を凍りつかせたオトコは無視して続けるけど、ウチのクラスのオタク組の男子が、わざわざ昼休みに毎日B組に移動してる理由がわかったわ。でも、一部の女子がキャーキャー言ってる理由は、わからへん」

♤「無視されてるところに割り込んで悪いけど、それ、A組の女子は、オレらが話してる内容を聞いてないからちゃう?前にも話したけど、男子同士でイチャついてる様に見えるんやろ、一部の女子には」

♧「えっ、オレらって他の組の女子から、そんな風に見られてるんか?」

◇「まあ、オレは、知ってたけどね」

♤「いや、ドヤ顔で語る様な内容じゃないやろ!?それを受け入れてるお前の神経が、オレには、わからへんわ!」

♡「ハハハ。アンタら話してる話題はキモいけど、話してる内容は、面白いな」

♤「朝日奈さん、誉めてくれるのは嬉しいけど、一言多いわ」

♡「私は、事実を言っただけやけど(笑)それで、アンタらの予想では、どの馬が勝ちそうなん?」

♤「う~ん、今年は難しいな~、って話しをしてたところ。牝馬、メスの馬が一番人気になりそうやしね」

♡「その言い方やと、やっぱり、メス馬はオス馬に勝たれへんってこと?何か面白くないな~」

♤「いや、必ずしもそういう訳ではないんやけど……。有馬記念は、追い込みタイプのヒシアマゾン向きのレースでは無い感じなんよな~」

◆「中山競馬場は、直線が短いしね。今年は、ペースが早くなりそうもないし」

♡「他の馬は?この《マヤノトップガン》って馬とか、名前が女子っぽくない?」

♤「あ~、それは女の子の名前の麻耶じゃなくて、摩耶山が由来みたいやで。馬主さんが、神戸のお医者さんらしいから」

♡「そうなんや~。でも、今年は神戸の年やったし、その馬もアリなんちゃう?」

♧「あと、警察庁のトップがガンで狙撃された事件もあったしな!」

♤「ブンちゃん、無理やり大喜利予想に持っていかんでもイイから!自分なら、『トップガン』が映画のタイトルから取ってることくらいわかってるやろ?」

◆「あ~、でもトップガン良いかも知らんな~。人気馬はジェニュイン以外、みんな差し・追い込み脚質やし。ペースが早くならなかったら、先行できるのは有利かも」

♡「ふ~ん、良くわからへんけど、予想が当たったら、何かおごってな」

♤「いやいや、朝日奈さん!競馬法では、『学生・生徒または、未成年者は勝馬投票券を購入することはできません』って決まってるから、オレらは、馬券は買ってないよ」

♡「まあ、そういうことにしといてあげるわ(笑)あと、言い忘れてたけど、正田さんに一月からの文化委員の活動について、伝言してるから、有間も聞いておいてな!じゃあ、私は、そろそろ教室に戻るわ」

♤「ありがとう、朝日奈さん!良いお年を!!」

 

秀明が言うと、愛理沙は「ほ~い」と言いながら去って行った。

再び四人の会話に戻ると、すぐに昭聞が秀明にたずねる。

 

「お前、いつの間に朝日奈さんと仲良くなったん?」

「あ~、文化委員の会合の時に、正田さんと朝日奈さんと三人で少しだけ話し込んだ時があって、その時からかな?」

 

と秀明は答えた。

 

「それにしても、朝日奈さんのコミュニケーション能力は、スゴいな」

 

と、今度は梅原が感想を述べる。

 

「前々から、ボンクラーズのことが、A組でも話題になってたから、オレらがどんな話しをしてるのか、気になってたらしいけど……。オレらの会話に割って入って来る女子って、ショウさんくらいやったもんな。いや、会話の流れに加わってるって意味では、朝日奈さんの方が、さらに上手か……」

 

秀明が同意すると、

 

「けど、オレは、ああいうグイグイ来るタイプの女子は、ちょっと苦手やわ」

 

と伊藤が口を挟む。

それを聞いた秀明は、

 

「まあ、伊藤はA組の大人しいタイプの女子のアイドルやってる方が向いてるやろうし。伊藤とブンちゃんが、夢みる女子の幻想を壊さないことを祈ろう」

 

と締めくくった。

 

ボンクラーズ+朝日奈愛理沙という希少な組み合わせの会話を終えた後、秀明の意識は、別のクラスメートに向いていた。

吉野亜莉寿は、両親に転校の話しをできたのだろうか───?

あの夜から二ヶ月近くが経過した年末の時期になっても、彼女からは、転校話しの進展について、何の報告もなかった。

もしかして、あの夜の発言は、『一時の気の迷い』で、二年生以降も、変わらず、稲野高校に通うのだろうか?

 

(亜莉寿のそばに居られるのなら、嬉しいけれど……)

 

彼女自身の本心がわからないままでは、自分の心にもモヤモヤした感情が残るままだ。

 

(学校では話しづらいだろうし、冬休みに入ったら、亜莉寿に連絡してみるか)

 

秀明は、そんなことを考えながら、二学期の最後の登校日を過ごした。

 

 

十二月二十四日───。

 

クリスマス・イブのこの日に行われた第四十回有馬記念のゴール板を最初に駆け抜けたのは、菊花賞を制しながら、六番人気と評価が低かったマヤノトップガンだった。

秀明が密かに復活の期待を寄せていたナリタブライアンは、最終コーナーで前年の走りを彷彿とさせる追い上げを見せたものの、今回も直線で伸びを欠き、四着に終わっていた。

テレビ中継を観ていた秀明が、

 

(今年は、『神戸の年』って、そんなことを朝日奈さんも言ってたな)

 

などと感慨にひたっていると、リビングの電話が鳴った。

キッチンで夕食用のサラダを作っていた母親は、

 

「秀明、手が離されへんから、電話に出て!」

 

と声を張り上げる。

クリスマス・イブの日は、毎年デリバリーのピザと大手チェーン店のフライドチキンがテーブルに並ぶのが、有間家の習わしだった。

この日は、午後七時に宅配ピザの予約をしており、その時間に合わせて父親も、チキンを買って帰って来る予定だ。

母親の声に、「ハイハイ」と返事をして、テレビの音量をミュートにした後、秀明は受話器を取る。

 

「はい、有間です」

 

電話に出た秀明の声に続いて、受話器の向こうから聞こえてきた声は、予想もしない人物のものだった。

 

「有間クン……。両親に転校の話しをしたんだけど、ダメだった───。私、どうしたらいいの───?」

 

今にも、泣き出しそうな吉野亜莉寿の声に、秀明は、胸を締め付けられる様な感覚を味わった。



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第11章~いつかのメリークリスマス~①

一年で最も注目を集める中央競馬の大レースの余韻に浸りつつ、クリスマス・イブの夕刻を穏やかに過ごしていた秀明の元に飛び込んできた、突然の連絡。

 

「と、とりあえず落ち着こう!」

 

秀明は、受話器の向こうの亜莉寿に声を掛ける。

それは、彼女に対してだけでなく、自分自身も平静を保つためのものであったが……。

秀明の一言で、涙ぐんでいた亜莉寿の声も少し落ち着いて、冷静さを取り戻した様だ。

 

「気持ちが落ち着いてからで良いから、何があったか聞かせて」

 

努めて優しい声で語り掛ける秀明に、亜莉寿は、この日の午後に吉野家で起こった出来事を語った。

二ヶ月前に、アメリカの高校への編入に関する資料を集め始めた、と秀明に説明した亜莉寿だが、両親には、そのことを全く伝えていなかったらしい。

願書の受付期限が年明けに迫る中、亜莉寿は、二学期の成績報告とともに、唐突に来年度からのアメリカの高校に編入したい旨を伝えた。

亜莉寿としては、願書の受付期限間近に話すことで、なし崩し的に、両親に渡米を認めてもらおうと考えていた様だが───。

 

しかし、突然に話しを切り出された両親に、来年からの進路に対する自分の希望を聞き入れてもらえなかった彼女は、自宅を飛び出したそうだ。

 

亜莉寿の落ち着いた口調を聞ききながら、自身も冷静さを取り戻した秀明は、受話器を片手に思わず頭を抱えた。

 

(説明も交渉も、下手くそ過ぎ……)

 

亜莉寿から聞かせてもらった話は、彼女の主観に基づく点も多いだろうが、それをふまえても注意すべき点やツッコミどころが多数である。

しかし、ショックを受けている今の彼女に、客観的にそのことを伝えても、あまり意味はないだろう。

 

ならば、自分の出来ることは───。

 

「話しづらいことを、キチンと伝えてくれてありがとう。あと、二ヶ月前の約束通り、連絡をくれたことも───。ところで、自宅から出てるみたいやけど、今どこに居てるの?」

 

秀明の問いに帯する彼女の答えは、叔父の経営するレンタルビデオショップということだった。

 

「やっぱり、ビデオ・アーカイブスか……。了解!今から三十分くらいで、お店に行かせてもらうから、そこで待っててくれる?」

 

亜莉寿の了承をとりつけて電話を切った秀明は、キッチンの母親に向かって、

 

「ゴメン!ちょっと、クラスの友達のところに行って来るわ。なるべく、七時までには帰って来ようと思うけど、遅くなる様なら、連絡するから!」

 

と言い残して、自室に戻ってコートを羽織ると、自転車にまたがり、一路、仁川駅前のレンタルビデオショップを目指した。



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第11章~いつかのメリークリスマス~②

時刻は、午後四時になろうとしている。

日の入りの早い季節らしく、西日は、すでに山の端に近づこうとしている。

全速力で自転車をこぎながら、頭もフル回転させて秀明は考える───。

よもや、今日に至るまで、亜莉寿が両親に進路のことを話していないとは思ってもみなかったが……。

 

十月のあの夜、

 

「もし、良かったら、両親に進路のことを話す時に協力してもらえないかな?」

 

と頼んできた亜莉寿の気持ちを、もう少し真剣に汲んでおくべきだったと感じる。

あの時、

 

「ご両親には、亜莉寿自身がきっちりと向きあって話した方が良いんじゃないか?」

 

と伝えた一言が間違っていたとは思えないが、あくまでも、それは一般論としての範疇のことである。

自分が容易にこなせることを、「吉野亜莉寿に出来ないハズがない」と思い込んでいたが、自分自身の将来の夢や進路について、誰もが簡単に相談できる訳ではない。

また、この問題には、親子関係など複雑な事情もからむため、他人から見ると容易なことでも、当人にとっては、大きな心理的負担になることもあり得る。

こんなにも長く引きずる問題になるとは予想できなかったが、

 

(あの時は、ちょっと突き放した言い方になってしまったかも……。亜莉寿には、悪いことをしたな)

 

と、秀明は感じていた。

 

それでも───。

 

吉野亜莉寿は、自分を頼ってくれた。

その期待、その想いには応えたいと思う。

宝塚市内に向かう河川敷のサイクリングロードを走りながら、秀明は、愛車と自分自身を叱咤する様に、さらに速度を上げる。

同時に脳内の思考回路もギアを一段階アップさせた。

 

亜莉寿と両親との話し合いに欠けていたものは、何か?

亜莉寿の進路について、両親を説得できる材料は、何か?

亜莉寿自身が話すべきこと、自分がフォローできることは、何か?

 

これまでの吉野亜莉寿との会話で知り得たこと、自身の経験から予想される相手の反応などを考慮しながら、亜莉寿のリベンジ・マッチを有利に導くシナリオを練る。

十二月下旬の冷えた外気のおかげで冴えた頭の中では、おおよそのプロットが完成しつつあった。

あとは、亜莉寿と直接話して状況を確認した後、彼女に自分の提案を伝えて、合意できれば───。

考えがまとまると同時に、秀明は脳内をクールダウンさせる様に「ふぅ~」と息をつき、自転車をこぐスピードを少し緩めた。

亜莉寿と会う前に諸々の状況を整理し、自分の考えをまとめることが出来た安心感からか、他のことを考える余裕も出てきた。

 

(そう言えば、亜莉寿が掛けて来たのほ、彼女の自宅の電話じゃなかったのに、良くウチの家の電話番号が、わかったな……)

 

そんなことを考えながら、河川敷から一般道に上がり、住宅街の緩やかな坂道を登り始める。

目指すビデオショップは、目前に迫っていた。

 



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第11章~いつかのメリークリスマス~③

自宅を出発して、ちょうど三十分後。

ビデオアーカイブス仁川店に到着した秀明は、自転車を店舗の前に止めて、店内に入る。

カウンターには、亜莉寿の叔父である、この店の店長・吉野裕之が立っていた。

 

「お久しぶりです」

 

と、秀明は店長に一声掛けてから、続けてたずねる。

 

「あの、亜莉寿……さんは、来てますか?」

「おお!有間クン来てくれたか!?アーちゃんは、奥で待ってるわ」

 

裕之店長は、入店してきた人物が秀明だと認識すると、すぐにカウンターに招き入れ、バックヤードに通してくれた。

カウンタースペースの数倍ほどの面積ではあるものの、さほど広くはないバックヤードで、吉野亜莉寿は、さらに小さく身を潜めるかのごとく、オフィス用チェアに腰掛けていた。

ドアを開けた秀明が、入室してくるのを目にした亜莉寿は、今にも抱きつこうかという勢いで立ち上がり、はにかみと申し訳なさが入り交じった様な表情で、

 

「有間クン……。来てくれて、ありがとう」

 

と、感謝の言葉を口にする。

 

「あの日の夜に、約束したからね」

 

と秀明は、落ち着いた口調の笑顔で返し、

 

「少し気持ちは落ち着いた?」

 

と、亜莉寿にたずねた。

 

「うん……。家を飛び出して、このお店に来た時は、パニックになっていてどうしようかと思ったけど、有間クンの声を聞いて、私の話しを聞いてもらったら、少し落ち着いたかな……」

 

彼女は、そう答える。

 

「そっか、それは良かった」

 

亜莉寿の表情と声色に、少しずつ生気が戻って来ている様子であることに安心した秀明は、さらに質問する。

 

「まだ、夕方の時間やけど、今日もう一回ご両親と話してみようという気持ちはある?」

 

彼の問いに、亜莉寿は一瞬、逡巡したあと、

 

「うん……。もし、有間クンが、そばに居てくれるなら……」

 

と、再び申し訳なさそうな感じで、ポツリとつぶやく様に答えた。

 

「そっか」

 

秀明は、返事をしたあと、ニコリと笑い、

 

「まあ、そのために来させてもらったからね!ただ、吉野家のご両親が、同席することを許可してくれたら、やけど……」

 

そう彼が告げると、同時に、コンコンと閉じていたドアがノックされた。

 

「あ~、立ち聞きしてしまった様で申し訳ないけど、そう言うことなら、アニキの携帯に電話して、オレの方から聞いてみようか?」

 

声の主は、店長の裕之だった。

どうやら、亜莉寿と秀明の会話は、薄いドアの向こうに筒抜けだった様だ。

二人は、少し気恥ずかしい様な気持ちを味わいながらも、彼の提案に甘えることにする。

 

「叔父さん、ありがとう!お願い」

 

亜莉寿は、パチンと両手を合わせて、叔父の好意にすがった。

 

「わかった!すぐに家には戻れそうか?」

 

二人にたずねる裕之に、

 

「少し、ご両親との話し合いに対する作戦を練りたいので、十五分だけ時間をもらえないでしょうか?」

 

秀明が答えた。

 

「わかった!じゃあ、三十分くらいで家に戻ると伝えておくわ」

 

裕之が応答すると、

 

「ありがとう!」

「ありがとうございます!」

 

二人も感謝の言葉を述べる

「ほな、しっかり作戦を練りや」

 

と、言って裕之はドアを閉めた。

亜莉寿と秀明は、顔を見合わせ、

 

「ちょっと小さい声で話そうか」

 

と申し合わせながら、バックヤード内に二つ置かれたオフィス用チェアに座り、ドアから離れた位置に移動する。

バックヤードの入口から、十分に距離を取ったことを確認して、秀明は切り出す。

 

「あらためて確認しておきたいんやけど、亜莉寿は、ご両親に、自分の将来の夢について話したことある?」

 

フルフルと、首を横に振り亜莉寿は、

 

「ちゃんと話したことは、ない」

 

と答える。

 

「今日、それを自分の口で、ご両親に伝えることは出来そう?」

 

秀明がたずねると、

 

「うん……。頑張ってみる」

 

亜莉寿は、決心した様に答えた。

 

「うん!それなら大丈夫。あと、亜莉寿が、どうして、その夢を持ったのか、ご両親に話すことが出来たら、もっと良いと思う」

 

秀明が言うと、亜莉寿も納得した様に、小さくうなずいた。

亜莉寿が、秀明の最初の提案に同意したことで、二人の話し合いはスムーズに進む。

まだ、時おり緊張している様子はうかがえるものの、彼女の表情にも、少しずつ明るい笑顔も見られる様になってきた。

 

話しを聞いてもらうために必要なこと───。

亜莉寿自身が話すべきこと───。

秀明がフォローできること───。

最後は、どのように締めくくるか───。

 

これらの内容を総合した、亜莉寿の両親との話し合いに関するシナリオは、ほぼ秀明が考えていた内容で組まれることになった。

秀明は、今回の交渉の相手である亜莉寿の両親の人となりを知らないことに、一抹の不安を感じていたものの、こればかりは、心配しても仕方ないと、自分に言い聞かせる。

 

(それに、彼女の両親なら、きっと……)

 

これまでの亜莉寿の言動や彼女の部屋で読ませてもらった本などから、察せられる彼女の両親の性格は、頑ななものではない。

あとは、二人が、いかに落ち着いて話しが出来るかにかかっている、と秀明は考える。

 

「じゃあ、頑張ろう!」

 

と言って、秀明が拳を突き出すと、亜莉寿も意味を理解したのか、握った拳を秀明の拳にぶつけた。

準備は整った───。

 

二人は、あらためてリベンジ・マッチに向かう決意を固めた。

 



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第11章~いつかのメリークリスマス~④

ビデオショップから、亜莉寿の住むマンションに徒歩で向かう中、緊張のためか二人の言葉数は少ない。

その緊張感を破ろうと、秀明は気になっていたことをたずねた。

 

「さっき、電話を掛けてきてくれたのは、自宅からじゃなかったと思うけど……。ウチの電話番号覚えてたん?」

「う~ん……。何かあったら、有間クンに連絡しようと思っていたから───。お家の電話番号をメモしておいたんだ。ゴメンね。迷惑を掛けて」

 

亜莉寿は、申し訳なさそうに答えた。

彼女の言葉に、

 

「いや、迷惑とかじゃないから!亜莉寿に頼ってもらえるなら、嬉しいと思うよ」

 

秀明は、慌てて返答する。

亜莉寿に頼ってもらえるなら───。

それは、確かに彼の本心だった。

 

(そこまで思ってもらえているなら……)

 

亜莉寿の両親との対面を前にして、緊張感とともに、どこからかチカラが湧いて来るのを感じた。

それでも、気合いが空回りしないために、あえて、こんなことを口にする。

 

「でもさ、自分の進路のことで、両親と対峙するって……。この状況って、ちょっとジョン・ヒューズの映画っぽくない?いや、こんなこと考えてしまうのは、亜莉寿に失礼だったかな?」

 

秀明の言葉に、亜莉寿は少し沈黙したあと、

 

「……うん。確かに、客観的に見たら、そんな風に言えるかも。一人で悩んでた時は気づかなかったな」

 

固い表情を崩して答えた。

 

「少しは、緊張がほぐれた?」

 

秀明が聞くと、

 

「どうだろう?でも、少し気が楽になったかな?」

 

亜莉寿は、そう答えて微笑んだ。

そんな会話を交わしながら歩き、二人は亜莉寿の住むマンションに到着する。

 

(夏休みにここに来て、帰宅した時と大して時刻は変わらないのに、あの時とは雰囲気が全然違うな……)

 

秀明が感じた様に、西日は、とうに山の稜線の向こうに沈み、あたりは暗くなっていた。

先ほどの会話で少し気がまぎれたのか、二人は、程よい緊張感でマンションの敷地に入り、エントランスを抜け吉野家のドアの前に立つ。

亜莉寿は、ドアホンを一度鳴らしてから、玄関のドアを開けた。

 

「ただいま」

 

帰宅を告げる亜莉寿と秀明が玄関に入ると、ドアホンの音を聞いたのか、リビングに続く廊下の向こうから亜莉寿の父・明博が歩いてきた。

亜莉寿の叔父である裕之よりも少し背が高く、体型もいくぶんスリムに見えるが、顔立ちや雰囲気などは、弟と似ている部分もあった。

秀明は、その姿を見て、すぐに

「はじめまして!亜莉寿さんと同じクラスの有間です」

と、直立不動で、あいさつをする。

その様子を見た明博は、

 

「あぁ、玄関先で、そんなにかしこまらないで。寒かっただろう?さあ、中に入って」

 

と笑顔で出迎えてくれた。

亜莉寿の父の柔和な表情に、秀明は緊張がほぐれるのを感じた。

廊下の途中にある洗面所で手を洗わせてもらい、博明と亜莉寿に続いて秀明もリビング・ルームに移動する。

二十畳近くはあろうかという広いリビングは、暖房が効いていて、室外との気温差で汗ばむほどの温かさに感じられた。

広い室内のキッチンのそばには、ダイニングテーブル、その奥のテラス側にはソファーとセットのテーブルが配置されている。

亜莉寿と秀明は、長いソファーに隣り合って座り、母親の真莉は亜莉寿の向かいの一人掛け用ソファーに、父親の博明は亜莉寿と真理に挟まれた斜めの位置のソファーに腰掛ける。

テーブルの上には、温かい紅茶が用意されていた。

 

「あの……。ご家族の大切なお話しにお邪魔して、すいません」

 

秀明が、あらためて博明に向かって謝罪の言葉を口にすると、

 

「いやいや!どうやら、お友達が居てくれた方が亜莉寿も話しやすいみたいだからね。こちらこそ、わざわざ休日に付き合ってもらって申し訳ない」

 

と、亜莉寿の父は、気さくな感じで応対してくれる。

博明の言葉に緊張を解きかけたが───。

 

一方の母親・真莉をうかがうと、表情は固く、無言を貫いたままだ。彼女の様子を見て、秀明は、あらためて背筋を伸ばした。

室内が緊張感に包まれそうになるタイミングを見計らったのか、博明は穏やかな口調で切り出した。

 

「それで、落ち着いて話しは出来る様になったかい?亜莉寿」

 

父の言葉に、「うん……」と、うなずくと、亜莉寿は静かに語りだした。



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第11章~いつかのメリークリスマス~⑤

「自分の話しをする前に……。まず、今日のことを謝ります。急にウチを飛び出してしまって、ごめんなさい。二人には心配を掛けてしまったと思うし、裕之オジさんにも、お店にも迷惑を掛けてしまって……」

 

彼女の言葉を聞いた博明は、

 

「そうだね。裕之のところには、また明日にでも、謝りに行こう」

 

再び父の言葉にうなずいた亜莉寿は、さらに続ける。

 

「もう一つ。アメリカの高校に行きたいと考えていたことを、今まで話せていなかったことも───。急にこんなことを言い出して、二人を驚かせちゃったと思うから───。今から、私が考えていることを話そうと思うので、聞いてもらえると嬉しいな」

 

今度は、娘の言葉に父が「わかった」と、うなずき、彼の左前方に座っている亜莉寿の母親に

 

「真莉さんも良いかな?」

 

と確認を行う。

 

「ええ、聞かせてもらいましょう。話してちょうだい、亜莉寿」

 

父親とは異なり、母親は冷静さを失わない口調で話している様に感じられ、秀明は自身のことの様に、身構えている自分に気付き、同時に

(がんばれ、亜莉寿)

と、心の中でつぶやく。

亜莉寿は、一呼吸おいて語り出した。

 

「二人には、まだ話したことがなかったけど───。私ね、将来は映画のシナリオライターになりたいって考えてるんだ。そして……」

 

ここで、彼女は、また一呼吸したあと、

 

「まだ、ハリウッドでも実現していない『たった一つの冴えたやり方』とティプトリー・ジュニアの人生を映画化したいっていうのが、私の究極の目標なの」

 

と、語り終えると、「ふぅ~」と息を吐く。

亜莉寿を見守りつつ、彼女の両親の様子を観察していた秀明には、二人が、特に母親の真莉が大きく目を見開くのが見てとれた。

吉野家のリビング・ルームに沈黙が流れる。

それまで親子三人の会話を黙って聞いていた秀明は、亜莉寿が語った彼女の想いを無駄にしない様、慎重に様子をうかがいながら切り出した。

 

「あの、僕の方からも良いでしょうか?」

 

秀明の言葉に博明が反応する。

 

「ん?なんだい、有間クン?」

「はい、亜莉寿さんが、僕をこの場に呼んでくれたこととも関係あるかも知れないのですが……」

 

落ち着いた口調になる様に努力しながら、秀明は語り出した。

 

「夏休みに亜莉寿さんのお母さんと初めてお会いした日のことなんですけど───。あの日は、亜莉寿さんに借りていたティプトリーの小説を彼女に返して、僕が小説を読んで感じた感想を聞いてもらっていたんです。そして、僕がティプトリーの幼少期に興味を持っていると伝えると、亜莉寿さんが、『ジャングルの国のアリス』を読んでみないか、と誘ってくれたんです」

 

秀明の言葉を黙って聞いていた真莉が

 

「そうだったの……」

 

ポツリと、つぶやく。

秀明は、さらに語り続ける。



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第11章~いつかのメリークリスマス~⑥

「『ジャングルの国のアリス』を読ませてもらって、亜莉寿さんが、この本をとても大切にしていることと、その理由がわかりました。そのことを伝えると、いま、彼女がご両親に語った彼女自身の将来の夢を僕に話してくれたんです」

 

そこまで話し終えると、秀明は、緊張からか喉の渇きを感じ、目の前の紅茶で、喉を潤す。

そして、自分を見つめる亜莉寿に向かって、首を縦に振って合図をうながすと、

 

「がんばって」

 

と小声でささやく。

秀明のアクションを目にした亜莉寿は、小さくうなずき、再び語り出した。

 

「アメリカの映画の世界で脚本家を目指すなら、進学先や就職先を国内に限定することはないなって考えたの。アメリカの大学なら、日本の大学と違ってシナリオの書き方や映画の企画化とかも本格的に学べる講義があるから───。それに、アメリカの大学を目指すなら、高校三年生になってから入学試験を受けるためにアメリカに渡るより、出来るなら、アメリカの高校に編入して、向こうの大学受験に備える方が、色々な負担も少ないのかなって……」

 

そこまで一気に語ったあと、彼女は一息ついて、

 

「あと、ママと一緒に居られる方が心強いから……」

と、つぶやいた。

 

秀明は、亜莉寿が、母親のことをそう呼ぶのを初めて聞いた。

室内の緊張が、ゆるやかに、ほぐれていく───。

亜莉寿が語り終えたことを確認すると、秀明は、再び三人の様子を観察しながら、タイミングを見計らって口を開く。

 

「亜莉寿さんから、転校したいと考えている、と聞かされたのは、秋になってからのことなんですけど。いま、彼女が話してくれた様なことを聞いた時に、自分の夢や目標にたどり着くための進学先を考えて、現時点で可能なことや近い将来に向けて何をすれば有利なのか───。そうしたことを合理的に考えることができていて、亜莉寿さんらしいな、と感じました」

 

ここで、一呼吸ついて、あらためて紅茶を一口すすると、

 

「そんな風に将来の夢を語れる亜莉寿さんを見て、自分は、羨ましいと思いましたし、何より、純粋に彼女の夢を応援したいな、と感じました。よその家の人間が、ご家族の問題に口を出すのは、とても失礼なことだとは思うんですけど……。彼女の夢の実現性を高めるために、アメリカに行くことを考えてあげてもらえないでしょうか?」

 

そう言ってから、秀明は頭を下げた。

亜莉寿のクラスメートの行動に驚いたのか、少しの間、彼女の両親は声が出なかったが、真莉が秀明に、

 

「頭を上げなさい、有間くん。それはアナタがするべきことじゃないわ」

 

と告げる。

すぐに頭を上げた秀明と亜莉寿に向かって、母親は、さらに続ける。

 

「確認しておくけれど───。今の学校の方針に嫌気が差したとか、後ろ向きな理由ではないのね?」

 

秀明は、一瞬ドキリとしたが、亜莉寿は、力強く首を縦に振り、

 

「うん!」

 

と答えた。

父親の博明は、優しくたずねる。

 

「話したいことは、すべて話せたかい?」

「うん」

 

亜莉寿は、再びうなずく。

彼女の返答を待って、博明は続ける。

 

「そうか───。亜莉寿にとっても、父さんと母さんにとっても、重要な問題だから、今すぐに結論を出せる問題ではないのは、わかってほしい。もう少し三人で話し合って考えよう」

 

父の話しを聞き終わると、

 

「わかった。ありがとうパパ」

 

そう言って、亜莉寿は微笑んだ。

結論が出た訳ではないが、亜莉寿の想いは伝わった様だ。安心して、身体のチカラが抜けて行くのを感じていた秀明の様子を見て、博明が語り掛ける。

 

「有間クンも、お付き合いありがとう。こんな時間になって申し訳ない」

 

「いえいえ。こちらこそ、急にお邪魔して申し訳ありませんでした」

 

秀明は、そう答えた後、リビングの時計に目をやると、時計の針は、午後六時を回っていた。

 

「あっ、ウチに電話しとかないと」

と、無意識のうちにつぶやく。

 

それを聞いた博明は、

 

「なら、携帯電話で、ご自宅に連絡するかい?あと、有間クンとは少し話しをしたいんだけど、時間は大丈夫かな?」

 

と秀明に、たずねた。

唐突な申し出に、秀明は驚き、

(何を言われるんやろう?)

と不安な想いが、一瞬、顔に出る。

しかし、博明は、

 

「ああ、ちょっとお礼を言いたいだけだから、緊張しないで」

 

と、穏やかな笑みで答えた。

 

「わかりました。時間も、まだ大丈夫です」

 

秀明が、安心して返答すると、

 

「じゃあ、ちょっと書斎の方に移動しようか?亜莉寿は、母さんと夕飯の準備をしてくれないか?」

 

博明は、サッと立ち上がって移動を促す。

秀明も、連れて立ち上がると、先に書斎へと向かう博明の後について行くことにした。



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第11章~いつかのメリークリスマス~⑦

亜莉寿と両親との話し合いが終了し、暖かいリビングルームから移動すると、暖房の効いていない書斎は、肌寒く感じられた。

 

吉野家の夫妻は、この部屋を共同で利用することもあるためか、室内には、書斎用のアームチェアが、二脚おかれている。

椅子を勧められた秀明は、遠慮がちに腰かけ、亜莉寿の父に、どんな話しをされるのか、少し身構えた。

その様子を見た博明は、

 

「わざわざ、部屋を移動してもらって申し訳ないね。さっきも言ったけど、そんなに緊張しなくても大丈夫だから」

 

と、穏やかな笑顔で語りかける。

 

「有間クンには、娘の相談にのってくれたお礼とウチの家族のことを話しておきたくてね。少し時間をもらって話しても大丈夫かな?」

 

博明にたずねられた秀明は、

 

「帰る前に、家に連絡しておけば大丈夫です」

と返答する。

 

「じゃあ、少しだけ話しをさせてもらおう」

 

そう言って、博明は大きな本棚に収納しているアルバムから、一枚の写真を取り出して秀明に手渡した。

写真には、広々とした草原を背景に、子供の像を挟んで少女と母親らしき女性が立っている。

少女の顔は、秀明が良く知っている顔に、面影が残っている。

女性の顔もまた、つい先ほどまで秀明が良く観察していたものだ。

 

「これは───。亜莉寿さんとお母さんですか?」

 

秀明がたずねると、

 

「そう。僕が商社の仕事の関係で、アフリカに赴任していた時に撮ったものなんだ」

 

博明は、懐かしそうに語りだした。

 

「亜莉寿が五歳くらいの頃だったかな。ティプトリー・ジュニア……、いや、この頃の名前は、アリス・ブラッドリーか?彼女が、『ジャングルの国のアリス』の主人公として描かれたのと同じ年頃だったから、僕も妻も妙にはしゃいでしまってね」

 

思い手にひたる様に話す博明に、秀明はたずねる。

 

「あの……。お父さんもお母さんも、ティプトリー・ジュニアの小説がお好きなんですか?」

「そうだね。娘に亜莉寿と名付けたのも───。と、これは、あのコから聞いてるかな?」

 

博明からの質問に、

 

「はい!夏休みに、こちらにお邪魔して、『ジャングルの国のアリス』の翻訳本を読ませてもらった時に、彼女から聞かせてもらいました」

 

秀明は答える。

 

「そうか───。僕がティプトリーの小説を読み始めたのは、妻の影響なんだ。彼女は学生時代から英語が堪能だったから、海外の小説を原書で読んでいたりしてね。僕も妻に薦められて、ティプトリーの作品が、邦訳される前にいくつか読んでいたんだ。ティプトリー=アリス・シェルドンの様に、聡明で感受性豊かな人間に育って欲しい……。そう願って、名付けたんだけど───」

 

秀明の答えにうなづきながら、博明は思い出話しを語るように、話し続ける。

 

「次の赴任先の北米に住んでいた時に、あのニュースが飛び込んできたんだ……」

 

それまで、淡々と語っていた博明の声のトーンが、沈むように暗いものになった。

 

「『あのニュース』っていうのは、ティプトリーの……?」

 

秀明は、そうたずねる。その先の言葉を語るのは、はばかられる様な気がした。

 

「そう、彼女の人生最後の衝撃的な出来事だ。僕たち夫婦もショックを受けてね。それまでは、娘に良くティプトリーの話しをしていたんだけれど……。あの日以来、娘には、彼女の名前の由来やティプトリーに関することを積極的に話すことをしなくなってしまったんだ」

 

亜莉寿の幼少期ことを回想しながら語る父は、「あの娘には、申し訳ないことをしたと思っているんだけど……」と付け加える。

 

その言葉に、秀明は吉野家の両親の気持ちを想像し、

 

「───そんなことがあったんですね」

 

としか答えられなかった。

 

「ただ───」

 

秀明の返答のあとに、博明は続け、

 

「亜莉寿が、SFやミステリーの海外小説を熱心に読んでいることは、ボクも妻も、何となく気付いていたから、いつか、あの娘が、ティプトリーの話しを私達に聞いてくるんじゃないかということは考えていたんだけどね……」

 

と、表情をゆるめて語った。

亜莉寿の父の言葉に、秀明は黙ったまま、うなずく。

 

「私達、両親にも話していないことを語るなんて、有間クンは、よほど亜莉寿の信頼が篤い様だね?」

 

今度は、ニヤリと微笑みながら言う博明に、

 

「いやいやいや!トンデモないです!!」

 

と、秀明は大きく頭を振った。

その様子を見た博明は、

 

「そんなに大げさに否定しなくてもイイよ───」

 

と、さらに可笑しそうに笑いつつ、今度は少し真剣な顔つきで話し続ける。

 

「個人的には、もう一つ、娘には済まないことをしたと思うことがあるんだ。さっきも言った様に、亜莉寿が幼かった頃は、商社勤めの僕の仕事の関係で、数年ごとに居住する国が変わっていてね。腰を落ち着けて一つの場所に留まるということが少なかったから、あの娘も、話の合う同世代の友だちを作ることが難しかったと思うんだ」

 

博明の言葉に、秀明は亜莉寿の幼い頃を想像しながら、

 

「そうだったんですね」

 

と返す。

 

「うん。現地で遇うのは、どうしても僕の同僚や取引先の人たちになりがちで、大人に囲まれることが多かったからね。幸い、周りの人たちに可愛いがってもらうことは多かったんだけど───。特別に自己主張をしなくても、気を使ってくれる大人が周りに居たから、自分の思う通りに出来ることが多かったんじゃないかと思うんだ」

 

そう語る博明に、

 

「なるほど───。それで……」

 

と、秀明はつぶやいた。

 

亜莉寿から海外での生活が長かったと聞いて、一般的な日本人より『自分の意見を主張することは得意なんだろう』と勝手に思い込んでいたが、今回の一件にしても、それは彼の思い違い、もしくは亜莉寿に対する過大評価だった様だ。

納得した様な表情の秀明を見て、博明は、さらに語り続ける。

 

「困った時も悩んでいる時も、いや怒っている時でも、ニコニコと笑っていたら、周りの大人が気を配って、あの娘に『どうしたい?』『こうすればイイかい?』と聞いていたから、衝突することはなかったんだけど……。いま、思えば、それは彼女にとって必ずしも良いコトばかりではなかった───」

 

しかし、その言葉を聞いた、秀明の表情がサーっと青ざめるのを確認して、

 

「もしかして、有間クンにも覚えがあるのか?それは、済まないことをした。自分たち親の責任もあるから、娘に代わって謝っておくよ。本当に申し訳ない」

 

博明は、謝罪する。

亜莉寿の父の思い掛けない言葉に恐縮した秀明は、

 

「いえいえいえ!僕の方にも原因はありますから!亜莉寿さんとは、高校入学前から知り合っていたにも関わらず、同じクラスなのに、なかなか気付けなかったので……」

 

と、自身の過去の失態を語った。

それを聞いた博明は、「ああ!」と声をあげる。

 

「半年くらい前に、あの娘が『たんぽぽ娘』の話しをしてきたことがあったんだけど───。『たんぽぽ娘』を読んだ友達が、主人公に《普通、最初に『たんぽぽ娘』の正体に気付くだろ?》《マークさん、ちょっと鈍いんとちゃう?》とか言うの!でも、その友達は去年の夏休みに会っていた私のことに、最近まで気付いてなかったんだ!同じクラスに居るのに!!なんて、可笑しそうに話すんだ。アレは───」

 

これまでより、声のボリュームを上げて話す博明に、

 

「はい、ご想像の通りです」

 

と、秀明はうなだれながら答えた。

 

「そうか、そうか!あの友達が有間クンだったのか。友達と言うから、勝手に女の子のことかと思っていたけど───」

 

そう言いながら、何故か博明の表情は嬉しそうなのだが、秀明には、その様子を観察する余裕はなかった。

 

「『たんぽぽ娘』は、ご両親の思い出の小説で、自分が生まれた時に買ってもらった大切な本だと、亜莉寿さんから聞いていたので、イイお話しだなと思いながら、読んだ感想を聞いてもらったんですけど───。見事に彼女に《してやられた》って感じでした」

 

自嘲気味に笑いながら話す秀明の様子を見て、

 

「そんな事まで君に話していたのか?確かに、あの小説は、僕と真莉さん、いや妻にとっても大事なモノだし、あの娘にも、そう思ってもらえるのは、親として嬉しいことだけど───。う~ん、そうか。有間クンに……。やっぱり、親子の考えは似るものなのかな?」

 

博明は、最初は意外に思いながらも、最後は納得したのか独り言の様につぶやく。

彼のつぶやきを不思議そうに眺めながら秀明は、

 

「亜莉寿さんから聞かせてもらったんですけど、『たんぽぽ娘』は、お父さんとお母さんにとっても、大切な思い出になってるんですか?」

 

とたずねる。

 

「そうだね!僕たち二人の学生時代の話しなんだけど……。ただ、これは語り出すと長い話しになるかも知れないから、また、有間クンと話す機会があれば、その時にさせてくれないか?」

 

博明の言葉に、秀明も「わかりました」と、うなずく。

快活に答えた秀明に、博明は語る。

 

「少し話しが長くなってしまったけど……。有間クン、今日は本当にありがとう」

 

礼を述べる亜莉寿の父親に対し、

 

「いえ!自分は、お礼を言ってもらえる様なことは、なにも───。それに、ご家庭の事情もあるのに、勝手に自分の思うこと言ってしまって……」

 

そう言って、謝ろうとする秀明に、博明は、

 

「いや、本当にキミには、感謝してるんだよ!僕たち家族の大切な《思い出》を思い出させてくれたし、何よりキミは、亜莉寿のためを思って、今日ここに来てくれたんだろう?自分の子供のことを大切に思ってくれるクラスメートが居てくれるということは、親にとって、とても嬉しいことだ。あらためて、礼を言わせてくれないか?ありがとう、有間クン」

 

そう言って、握手を求め、少し頭を下げる亜莉寿の父の様子に、秀明は、照れくさい様な、面映ゆい様な、くすぐったい気持ちになりながら、

 

「こちらこそ、突然お邪魔しさせてもらった上に、色々とお話しを聞かせていただいて、ありがとうございました」

 

と、自分が感じている感謝の気持ちを伝えた。

その後、博明は話しが長くなったことをあらためて詫びながら、携帯電話を取り出し、使い方を教えながら、秀明に渡してくれた。

秀明は、さらに恐縮しながら、携帯電話を使用して、自宅に、これから帰宅する旨の連絡を入れる。

連絡を終えると、博明とともにダイニングキッチンに顔を出した秀明は、亜莉寿と母親の真莉に別れを告げて、吉野家をあとにした。



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第11章~いつかのメリークリスマス~⑧

吉野家の父・博明と書斎での会話を終えた秀明は、キッチンでディナーの準備をしていた亜莉寿と真莉に別れの挨拶を告げたあと、再びビデオ・アーカイブスの店舗へと向かった。

吉野家には、ビデオ・アーカイブスの店舗から徒歩で移動したため、秀明は自宅から乗ってきた自転車を、店先に置かせてもらっていた。

吉野家のマンションから、自転車を置かせてもらっているビデオ店に向かう道すがら、秀明の胸には、様々な想いが浮かぶ。

 

時刻は、午後六時半を過ぎ、空はすっかり暗くなっている。

仁川駅へと続く川沿いの緩やかな下り坂は、視界が開けていて、近隣の住宅街とともに、遠く市街地の街の灯りまで見渡せた。

 

(そう言えば、今日はクリスマス・イブだったんだな……)

 

夕方からの一件で、自宅での夜の食事のことなど、すっかり頭から離れてしまっていたが、亜莉寿の父との会話で、そのことを再認識させられた。

秀明が自宅に帰り着く頃には、両親が宅配ピザとフライドチキンを前にしながら、自分の帰りを待っているだろう。

 

あらためて、街の灯を眺めると、不意にオルゴールの音色で始まるイントロが印象的なクリスマス・ソングの歌詞が頭に浮かんだ。

 

♪ゆっくりと十二月のあかりが灯り始め

♪慌ただしく踊る街を誰もが好きになる

 

(我ながら、ベタベタな発想やなぁ……)

 

日頃は、ヒットチャートや邦楽のメジャーなアーティストにはあまり関心を示さない自分にしては、意外なことだと自嘲する。

 

そんなことを考えながら、レンタルショップに戻り、自転車を置かせてもらった礼をカウンターで店番をしていた店長に述べて、秀明は、家路を急いだ。

 

自分の様な、大して取り柄のない人間でも、吉野家の人たち、中でも亜莉寿に喜んでもらえることが出来たのなら、それでヨシとしようじゃないか───。

油断すると、押し寄せる《もう一つの感情》を圧し殺して、秀明は、そう考えることにする。

 

亜莉寿の父・博明には、感謝の言葉を伝えられたが、自分は、正しいことをできたのだろうか───?

私鉄の線路沿いを離れ、河川敷のサイクリングロードに出ると、街灯も少なく、ほの暗い道に、自分のこぐ自転車の灯すヘッドライトだけが照らされ、わびしさが増す。

彼の頭に、また先ほどのクリスマス・ソングの歌詞が浮かぶ。

この歌の2コーラス目のサビの歌詞は、何だったか───?

 

♪君がいなくなることを初めてこわいと思った

♪人を愛するということに

♪気がついたいつかのメリークリスマス

 

その歌詞を思い出し、涙が頬を伝っていることに気付いた。



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第12章~(ハル)~①

秀明が、自宅に帰り着くと、時刻は、午後七時を十五分ほど過ぎていた。

帰宅後の手洗い時に、涙が伝った顔も洗い流した秀明だったが、リビングに入り、

 

「ただいま。遅くなってゴメン」

 

と声を掛けられた母・千明の返答は、

 

「おかえり。まあ!目も顔も真っ赤にして!!外は寒かったやろ?」

 

というものだった。

 

「ああ、寒くて顔がヒリヒリしてたわ」

 

そう返す秀明に、母はさらにたずねる。

 

「大丈夫やった?電話の時の声も、何かこもって聞こえてたけど……」

「あ~、友達のお父さんに携帯電話を借りて電話させてもらったからかな?」

 

秀明が答えると、

 

「まあ、えらいハイカラなモノを借りて!ちゃんと、お礼は言うた?」

 

と、母は、いつもの調子で返してきた。

すでに社会人などに普及し始めていた携帯電話を『ハイカラなモノ』と称する母親に思わず笑みがこぼれる。

 

「使い方も教えてもらったから、ちゃんとお礼を言ってきたで」

 

答える秀明に、

 

「ん、そしたら、チャッチャッと座り!ピザもチキンも、もう温まるから」

 

母は着席を促す。

ダイニングテーブルには、夕方に母親が作っていたトマトサラダとフライドポテトが並んでいる。

秀明が席に着くと、父親の秀幸が

 

「友達のところに行ってたんか?」

 

と声を掛けてきた。

 

「ああ、遅くなってゴメン。ちょっと、進路のことで、ご両親と話し合いが必要になったみたいで……。その子の相談に乗ってたから、自分も、その場に参加させてもらった」

 

答える秀明に、

 

「友達は、上手く話し出来たんか?」

 

と再びたずねる父・秀幸。

 

「まあ、何とか自分の考えは伝えられたって感じなんかな?今日は、これから家族会議やって」

 

秀明が返答すると、キッチンから母が現れて、

 

「はい、お待たせ!ピザもチキンも温かくなったで」

 

と、今夜のメインディッシュを運んできてくれた。

 

「そしたら、いただこうか」

 

と言う父の声に、秀明も、

「いただきます!」

 

と手を合わせてから、ピザに手を伸ばす。

有間家のクリスマス・イブの団らんが始まったところで、秀明は、両親にたずねてみた。

 

「今日、家に行かせてもらった友達の話しを聞いてて思ったんやけど……。今すぐじゃなくても、もし高校を卒業して、オレが『海外に行きたい』って言ったら、二人はどう思う?」

 

母・千明は、

 

「あんた、英語しゃべれるん?まずは、ちゃんとコミュニケーションを取れる様にしてから考えたら?」

 

あっけらかんと言い放つ。

一方、父・秀幸は、

 

「何か海外で、やりたい事があるんか?」

 

と少し真面目な表情で聞き直してきた。

 

「いや、例え話やから具体的に何かやりたい事があるとかじゃないんやけど……。二人は、どんな風に思うかな、って聞いてみたかっただけ」

 

秀明が、そう返答すると、

 

「そうか……。真剣に何かやりたい事があって、それが海外でしか出来ない事なら、反対せんけどな。友達に影響されてとか、目的も無いまま、外国に行きたいと言うだけなら、賛成は出来へんな」

 

父が言うと、母は続けて

 

「そうそう。日本で出来ることも、たくさんあるやろう?野茂さんみたいに、メジャーリーグに入るなら、ともかく……。あっ、でも秀明がメジャーリーグに入ったら、年俸はたくさんもらえるか?そしたら、ウチの家計も助かるわ」

 

と笑いながら答える。

 

「なんで、野球部にも入ってない息子が、メジャーを目指す話しになるねん!」

 

秀明も、即座にツッコミを入れた。

しかも、やや天然キャラの母親は、『メジャーリーグ』をアメリカの野球機構ではなく、チーム名だと思っている様だ。

母と息子のやり取りを見ながら、父は

 

「まあ、将来やりたい事があるなら、いつでも話しは聞くから。気持ちが固まったら、早めに相談に来い」

 

と付け加える。

仁川からの帰り道、寂しさと悲しさで胸が締め付けられる様な想いを経験した秀明だったが、父の言葉と母の明るさに少し救われた気持ちになった。



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第12章~(ハル)~②

その翌日───。

 

吉野亜莉寿は、自室の寒さで目を覚ました。

前夜、秀明が帰宅し、クリスマス・イブのディナーを家族三人で囲んだあと、彼女の進路についての家族会議は、日付が変わる直前まで行われた。

家族会議───とは言っても、両親は、おおむね彼女の意志を尊重し、アメリカの高校の編入試験を受験することを認めてくれた上で、学校の選定と今後のスケジュールに関する話し合いが主なものだった。

父も母も、親身になって彼ら自身の考える助言を与えてくれた。

亜莉寿自身もまた、これまでになく、自分自身の考えを率直に、両親に伝えることが出来た。

カーテン越しに室内に射し込む光は鈍く、空模様は曇天であることがわかったが、今朝は、最高に清々しい気分だ。

寒さに震えながら、窓に近寄りカーテンを少し開くと、視界には真っ白な色が飛び込んできた。

思わず目を見張り、嬉しくなって、靴下を履き、防寒用のコートを羽織って、玄関に向かう。

靴を履いて、玄関から飛び出すと、エントランスを抜けて、左手に曲がり、私大の正門前から伸びる『学園花通り』と名付けられた通りに出て、私鉄沿線の駅へと通じる通学路の光景を目に焼き付ける。

一面が雪景色に覆われた街並みは、とても幻想的で、まるで明るい未来への展望が開けたばかりの自分を祝福してくれている様だ。

 

「ホワイトクリスマス……」

 

無意識につぶやいた亜莉寿は、足もとに冷気を感じて我にかえる。

コートを羽織っているとは言え、雪が残る路面は、容赦なく足の先から熱を奪って行く。

寒さに震えながらも、気持ち良くこの日の朝を迎えることが出来たことに、あらためて喜びを感じた。

この朝の光景と両親が進路について前向きに検討してくれたという事実は、自分にとって、最高のクリスマスプレゼントだ───。

そんなことを感じながら、亜莉寿は、自宅へと戻った。

 

 

前夜から、いつも以上に冷え込んでいるな、と感じながら目を覚ました秀明が、窓から外を確認すると、彼の自宅の周りにも、一面の銀世界が広がっていた。

 

「この地方でホワイトクリスマスの光景が見られるなんて奇跡的確率やな……」

 

独り言をつぶやきながら、共働きの父と母が不在の中、ブランチとは名ばかりの遅い朝食兼昼食を食べ終える。

 

(この天気じゃ外出するのも億劫になるなぁ……。今年は、よみうりテレビの『アニメだいすき』の枠も無くなったみたいやし、さて、午後をどう過ごしたものか?)

 

などと考えていると、自宅の電話が鳴った。

電話の声は、二十時間前と同じ相手のものだったが───。前日の午後と違い、今日の声は弾んでいる様に聞こえる。

亜莉寿は秀明に、両親がアメリカの高校への転校を認めてくれたこと、昨夜は三人で翌年の現地での新学期までのスケジュールの検討をしたこと、両親が秀明に感謝していることを嬉しそうに話した。

 

「それは、良かった───。キチンとご両親と話し合った甲斐があったね」

 

秀明が、穏やかにそう伝えると、

 

「それも、有間クンのおかげだから……。昨日は、本当にありがとう。有間クンには、最初にお礼を言わなきゃいけなかったのに───。遅くなってしまってゴメンね」

 

亜莉寿は、あらためて感謝と謝罪の言葉を口にする。

 

「いや、自分はホンマ何もしてないから!ご両親にも生意気なことを言って申し訳ありませんでした、って伝えておいて」

 

秀明は、恐縮しながら答えつつ、

 

「あと、正式にスケジュールとかが決まったら、高梨先輩とブンちゃんには伝えておかないとアカンね」

 

今後の『シネマハウスにようこそ』の放送に思いを巡らせながら、亜莉寿に自分の考えを語る。

彼女も同じ意見だった様で、年明けの新学期に、亜莉寿が三月いっぱいで学校を去る可能性があることを放送部に伝えようと、二人の見解は一致した。

しかし、秀明が、「亜莉寿がいないなら、三月で放送も終了かな?」と話すと、彼女は、強い口調で「自分としては放送を続けてほしいし、続けるべきだ」と主張した。

 

彼女の意向を汲むことに同意しつつも、吉野家の家族会議が前向きな内容で終わったことに対する喜びと、亜莉寿と離れることになることが現実的になったことに対する寂しさの矛盾した気持ちを抱えながら、秀明は受話器を置く。

 

亜莉寿の弾む様な声が聞けたことは、秀明自身も嬉しく思う。

また、彼女が望むなら、『シネマハウスへようこそ!』の放送も継続しようとは思うが、これまでの様なモチベーションを維持して、放送を続けられるのか、自信があるとは言えなかった。



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第12章~(ハル)~③

年が明けた新学期初日の放課後、放送部の『シネマハウスにようこそ』に関わるメンバーに集まってもらい、亜莉寿は、来年度以降の進路について、自ら語った。

 

「せっかく、番組を任せてもらったのに、申し訳ありません」

 

そんな風に謝る彼女に、校内放送における責任者である高梨翼は、驚いた様子ではあったものの、

 

「吉野さんがいなくなるのは、寂しいし、残念やけど~。吉野さんが決めたことやったら応援したいから~。これから大変なんじゃないかと思うけど、頑張って~」

 

と、エールを送り、さらに、

 

「海外で暮らすなら、準備とかで忙しくなるんじゃない~?もし、『シネマハウスにようこそ』に出演するのに不都合があったら、いつでも言うてね~」

 

と責任者らしい気遣いを見せる。

亜莉寿も、翼の心遣いに感謝しながら、

 

「ありがとうございます!向こうに発つのは、三月下旬の予定で、それまではこちらに居られると思うので、放送の出演には、影響ないと思います」

 

そう返答する。

 

「良かった~!じゃあ、四月からのことは、またこれから考えて、話し合っていこう~」

 

翼も、胸を撫で下ろした様に言う。

その様子を見ていた昭聞は、小声で秀明にたずねてきた。

 

「なあ、秀明……。吉野さんの転校のこと、以前から知ってたんか?」

「あ~。実は、秋の終わりくらいには、吉野さんから海外に転校したいと考えてるってことは、聞かせてもらってたんやけど───。彼女のプライベートなことやから、ブンちゃん達にも話されへんかった。ゴメンな」

 

秀明が、そう言って謝罪の言葉を口にすると、

 

「いや、オレらのことは、別にイイんやけどな……。おまえの方は―――。いや、まあ、ココで話すことでもないから、また機会を作って話そう」

 

昭聞は、含みを持たせた言い方で会話を打ち切る。

 

(ブンちゃんにも、何か言いたいことがあったんかな?)

 

秀明は、友人の言葉が気になった。

ともあれ、この日の放送部の会合で、秀明・亜莉寿・昭聞の三人のメンバーで、『シネマハウスへようこそ』を放送できるのは、残すところあと九回となることが決定した。

さらに、

 

「今のメンバーでの思い出を残しておきたいな~。今週の収録から、カメラを用意しようか~」

 

との、番組プロデューサーの提案で、レンズ付きフィルム(商品名:写○ンです)を用意して、収録の様子をスナップ写真として記録することも……。

こうして、新学期の一回目となる放送用収録は、予定通り木曜日に行われることになった。



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第12章~(ハル)~④

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「新年あけましておめでとうございます!『シネマハウスへようこそ』館長のアリマヒデアキです」

♢「ビデオショップ『レンタル・アーカイブス』店長のヨシノアリスです」

♤「三学期も無事に放送を迎えることが出来ました!年末年始に掛けて、劇場映画から、レンタルビデオ、テレビ放送の映画作品、と普段より映画を観てもらう機会も多かったのではないかと思うのですが……」

♢「みんな、どんな映画を観ていたんでしょうね?」

♤「十二月に、この番組で紹介した映画が少しでも参考になってると嬉しいんですけどね(笑)」

♢「去年の年末公開の映画は、シリーズものの大作から、ミニ・シアター系の作品まで、面白い映画が、たくさんあったから───」

♤「はい!そして、一九九六年も去年に負けないくらい年明けから、興味深い作品が、目白押しなんです!」

♢「個人的には、ディカプリオの『バスケットボール・ダイアリーズ』とブラッド・ピットの『セブン』は、絶対に外せないと思うので!!」

♤「あ~、アリス店長『バスケットボール・ダイアリーズ』とか好きそうやもんね(苦笑)」

♢「え !?何か問題でも(微笑)?」

♤「いえいえ、とんでもございません!あと、今回は番組の後半にアリス店長から重要なお知らせがあるので、今日も最後まで、お楽しみ下さい!」

 

BGM:デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

 

♢「IBC『シネマハウスへようこそ』は、映画の最新情報を放送室から、お送りしています!」

 

 

♢「ウィークリー・ニュー・シネマ!」

 

BGM:エリック・セラ『Let Them Try』

 

♤「新年一回目の作品は、去年の秋に宣言した『もう恋愛映画は、この番組では取り上げない!』という公約を破って、恋愛をテーマにした映画を紹介させていただきます」

 

BGM:映画『(ハル)』サウンドトラック『Overture』

 

♤「寒い冬に、心が暖まる様な音楽が流れて来ました。今回、取り上げたいのは、日本映画の『(ハル)』という作品です。またまた『地味な映画やね~』と、各方面から言われそうなんですが……(苦笑)」

♢「一月は、興味深い映画がたくさんあるって言ってたのに(笑)」

♤「しかも、三月公開予定と、かなり前倒しでの紹介になっちゃいます───。ただ、この映画は、新しい時代を予言して、ある意味で、これからの時代の象徴的な映画になるかも知れない!と思ったので、強引に新年第一弾の作品にさせてもらいました」

♢「今回も、思い入れが強そうね(笑)」

♤「そうですね(笑)去年は年末に、パソコンのOS・Windows95が発売されたり、その直前に公開された『攻殻機動隊』や近日公開予定の邦題もズバリの『ザ・インターネット』など、これまで一般的でなかったパソコン通信やインターネットの世界が、グッと身近になって来た感じがするんですけど―――。たまたま偶然かも知れませんが、この映画は本当にタイムリーな内容だな、と……」

♢「じゃあ、ストーリーを紹介しましょうか?」

♤「はい!内野聖陽さん演じる物語の主人公・速見昇は、学生時代にアメフトの選手として活躍していたんですが、腰の持病が悪化してからは、社会人選手としての選手生活を断念して、東京で平凡なサラリーマンとして夢を見失った様な生活を送っています」

♢「美人の彼女もいて、仕事も順調そうなのに、男のヒトって、それだけじゃ物足りないのかな?」

♤「あれは、スポーツで挫折した体育会系のヒトならではの悩みかも。自分は、体育会系の人間ではないから断言はできないけど(笑)ストーリーに話しを戻すと、主人公の速見は、ある日、パソコン通信の映画好きが集まる《映画フォーラム》にアクセスして、本名『ハヤミノボル』の最初と最後の文字を取って『(ハル)』というハンドルネームでフォーラムに参加します」

♢「あの映画フォーラムの集まりって、何だか面白いね!遠くにいるヒトとも、文字で映画の感想を伝えあったりできるし!」

♤「短文にはなってしまうけど、この番組で三人でワチャワチャ話してるのと、あまり変わらないノリって気もするんやけどね(笑)映画フォーラムで、(ほし)というハンドルネームのユーザーと意気投合した速見は、他のユーザーが加わるフォーラムでの会話を離れて、(ほし)と二人でのメールの交流を始めます」

♢「あのお互いに、一日一通だけ相手から送られてくるメールを楽しみにする感覚って、何かイイよね~」

♤「ちょっと古い例えやけど、交換日記をするのって、あんな感覚なんですかね?交換日記をしたことないから、わからないけど(笑)素顔を明かさないまま交流を続ける二人は、お互いに相手の誠実なメールの文面にひかれて、自分たちの悩みごとなども相談し合うようになります。しかし、(ハル)の相手をする(ほし)の正体は───」

♢「それまで自称していた男性じゃなくて、深津絵里さんが演じる藤間美津江という岩手の盛岡に住んでいる女性なんです!勿体ぶったアリマ館長のストーリー解説と違って、映画を観ているヒトには、(ほし)の正体は、すぐにわかるようになっているんですけどね(笑)」

♤「『勿体ぶった』って!ストーリーに興味を持ってもらおうと盛り上げてるのに(笑)映画に話しを戻しますよ。(ハル)だけでなく、(ほし)もまた、過去の体験から、心に傷を抱えて仕事を転々と変える日々を送っていたりします。(ほし)が男性と偽っていたと打ち明けたあとも、二人の信頼関係は崩れることなく、交流は続くのですが───。というのが、前半のストーリーの流れです」

♢「田舎暮らしの(ほし)が、『パソコン通信でのコミュニケーションの中に、居場所を見つけている』ってところが、また胸を打つ感じで……」

♤「公開時期まで期間があるので、もう少し内容にふみこむと、(ほし)は、過去に恋人と悲しい別れがあって、心に傷を負っているんですが、その後に彼女に近寄って来るオトコが、まあ、ロクでもない(笑)!竹下宏太郎さん演じる(ほし)に付きまとう戸部って男は、完全に、いま流行りの《ストーカー》ってヤツやからね!」

♢「《ストーカー》が流行ってたら、困るんだけど(苦笑)でも、偶然なのか、最近の映画やドラマでストーカー的なキャラクターが話題を集め出した、今の時期にタイムリーな役だなっていうのはあるかな。森田監督は脚本を執筆した段階から、こういう人間の異常性を描きたかったのかも知れないね」



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第12章~(ハル)~⑤

♤「うん!この映画の面白いところは、パソコン通信で知り合うヒトには、良いヒトが多くて、リアルな知り合いは、ちょっと困ったヒトが多いのよね(苦笑)」

♢「THE BOOMの宮沢和史さんが演じてる青年実業家とか(笑)?」

♤「そうそう!とにかく、(ほし)は周りにロクな男性が居なくて、男運が悪すぎなんですよ!!こうして、心に満たされないものを感じながら交流を続ける(ハル)と(ほし)は、どうなって行くのか!?」

♢「お約束なんだけど、パソコン通信では毎日の様にコミュニケーションを取っていても、実際にはなかなか逢えない二人にヤキモキしながら観てしまうよね!」

♤「この映画を観て思ったのは、コミュニケーションを取る道具(ツール)によって、そのツールを使うヒトの気持ちは、こんなにも変わっていくのか!?ということでした。相手の気持ちに寄り添いながら、メールを書くことで、自分の奥の方にある気持ちにも気付いて、少しずつ前向きになって行けるという過程が、とても丁寧に描かれている映画だと感じました」

♢「デジタルなモノを題材にしているのに、人間味あふれるというか、こんなにも穏やかな雰囲気のヒューマン・ドラマが観られるとは思ってなかったから、意外だったな~」

♤「もちろん、インターネットでのコミュニケーションが、こんなにポジティブなことばかりってことはないだろうし、アナログな世界でも、さっき話した交換日記とか、文通なんかでも、こういう心理描写は描けるんでしょうけどね……。それでも、新しい時代のコミュニケーションの形を示してくれたということで、個人的には、とても感銘を受けました!ぜひ、劇場で映画をご覧になっていただきたいです!!」

♧「今年も、初っぱなから熱く語ってるな~(笑)どうも、皆さんあけましておめでとうございます。ブンでございます」

♤「相変わらず、ツッコミのタイミングを見計らって入って来るね~、ブンちゃん!」

♧「いや、今回は事前にアリマ先生が、『この映画、面白そうやで!』って言うから、珍しくボクも試写会に参加させてもらったんですよ!」

♢「三人で試写会に行くのは久しぶりだったもんね。 『耳をすませば』以来かな?」

♧「そうやね~。───で、《パソコン通信で交流する男女の出会いの話し》っていうから、また、メグ・ライアンとトム・ハンクスの『めぐり逢えたら』の焼き直しみたいな映画なんちゃうん!?って、思ってたんですけどね……。今回、アリマ先生イチ推しの『(ハル)』イイんだ、この映画が!!」

♤「珍しく、三人の見解が一致したな~(笑)」

♧「最初は、深津絵里が演じる(ほし)は男のふりをしているから、一人称は、『ボク』なんですよ!(ほし)が送るメールのメッセージが、『1999年の夏休み』を彷彿とさせて、また、堪らんのよ、コレが!」

♤「あ~、そう言えば、『1999年の夏休み』に深津絵里も出演してたもんな~。けど、《ボクっ娘》好きとか、新年早々、自分の性癖を全面に押し出して語るのは、やめてやホンマ(笑)」

♢「坂野クンって、そういう趣味があるんだ(笑)?」

♧「ナニを言ってるんですか、先生!!今のボクのイチ推しキャラは、『新世紀エヴァンゲリオン』のファースト・チルドレン、綾波レイなんですけど(怒)!!」

♤「知らんがな!───いや、知ってるけど(笑)ホンマ、ブンちゃんは、ショートカットのキャラが好きやな」

♧「ああいう無口系のキャラクターって、九〇年代に入って、なかなか出て来なかったからな~。けど、先生も勘違いしたら、アカンで!パソコン通信とかインターネットに出会いを求めても、深津絵里みたいなヒトと知り合える訳ではないからな!」

♤「それな!ウチの実家でも、父親が年末にボーナスでパソコンをウィンドウズ・マシンに買い換えて、インターネットもするために、プロバイダっていうのと契約したんですよ。で、特別キャンペーンか何かでメールアドレスのアカウントが二件まで無料やったらしいから、ついでにボクの分まで、メールアドレスを作ってもらったんやけど……」

♢「へ~、アリマ館長もメールデビューするんだ(笑)」

♤「そう思ったけど、そもそも知り合いにメールアドレスを持ってるヒトがいないから、メールを送る相手も居ないっていうね(笑)」

♧「そうそう!安易に出会いとか求めたらアカンわ。だいたい、この映画と違って、パソコン通信に集まるヒト達の九十九パーセントは、『エヴァンゲリオン』のフォーラムに集って、人類補完計画がどうとか、死海文書がこうとか言ってるだけに決まってんねんから!」

♤「エラい偏見やな!!ニフティのフォーラムのヒト達に怒られるで(笑)ブンちゃんの好きな『十二国記』シリーズの小野不由美先生とか、ボクの好きな水玉蛍之丞先生とか女性もパソコン通信してるらしいやん」

♧「それ、オタク女子の元祖みたいなヒト達やん」

♤「確かに……(笑)あと、『エヴァ』のフォーラムに集まってるヒト達も、やっぱり、綾波が良いかアスカが良いかの議論をしてたりするんかな?」

♧「してるやろうなぁ(笑)まあ、実際のところ、綾波とアスカの人気投票をしたら、ダブルスコアで綾波の圧勝やろうけど!」

♤「ハァ(怒)!?なんか、いま聞き捨てならんことが聞こえた気がするんやけど?アスカが、あんな根暗キャラに負ける訳ないやん?」

♧「ほう!?暴言を吐くだけのキャラクターを推すとは───。アリマ先生、隠しきれないM気質の表れですか(嘲笑)!?」

♤「はぁん!?アスカを暴言吐くだけのキャラと思ってるところが、綾波派の底の浅さというか(苦笑)アスカは、一見ツンツンしてる様に見えるけど、付き合いが深まれば、相手に対してデレデレになるねん!それが、ワカランとか、一体ナニを観てるんですかね?」

♢「ねぇ、ちょっとイイ?熱くなってるところ申し訳ないんだけど……。去年から二人が話題にしてる『エヴァンゲリオン』って、そんなに面白いの?」

♤♧「「メチャクチャ面白いで!!!!!!!」」

♢「……そ、そうなんだ(苦笑)」

♤「来月初めに第壱話と第弐話のLDとビデオが発売されるから、まだ観てないヒトには、観てほしいね」

♧「同じ日にレンタルも開始されるハズやから、そのタイミングで、『レンタル・アーカイブス』のコーナーで取り上げてみるか?」

♤「いや~、でも、あのコーナーは、あくまでアリス店長がメインやからな~」

♢「二人が、そんなに熱心に話すなら、私は別に構わないよ。二人で紹介してくれても(笑)」

♤「あ、ありがとう」

♧「ヨシ!じゃあ、二月の一週目の放送は、『エヴァ』祭りに決定やな!!」

♤「う~ん、原作の無いオリジナル作品やから、この先、どう展開するか不安な面もあるんやけどなぁ(苦笑)って、またまた『エヴァ』の話しに引きずられてる場合ではないねん!今日は、アリス店長から、《重要なお知らせ》があるんやから!」

♧「あっ、そうやったな」

♤「では、アリス店長よろしくお願いします」



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第12章~(ハル)~⑥

♢「はい、突然のお知らせになって申し訳ないんですけど……。私、吉野亜莉寿は、この三学期いっぱいで稲野高校から、海外の学校に転校することにななりました。アメリカで仕事をすることになった母親について行くのですが、転校自体は、私のワガママを聞いてもらった部分もあるので……。番組作りに関わってくれているヒト達や放送を楽しみにしてくれている皆さんには、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。それでも、三月の放送までは、これまで以上に精一杯がんばろうと思うので、引き続き、応援していただけると嬉しく思います」

♤「去年の六月の放送開始から、番組作りに協力してくれている放送部の皆さんとともに、一緒に放送してきたので、寂しい気持ちも、あるんですけど……。吉野さんの想いを尊重したいということは、番組関係者一同の総意であると思うので───。はい、制作ブースのプロデューサーさんもガラス越しにうなずいてくれています(笑)自分としては、アリス店長の映画とエンターテイメントの本場での活躍を応援したい、と思います」

♧「がんばってね、吉野さん」

♢「二人とも、ありがとう!」

♤「そして、番組から、もう一つお知らせがあります!アリス店長の転勤に伴い、番組に欠員が生じてしまうことになりました。来年度の四月以降も、番組は継続する予定ですので、あらためて『シネマハウスへようこそ!』の新メンバーを募集したいと思います。はい、放送部のブンちゃんからも、告知をお願いします」

♧「映画好きなヒトはもちろん、映画に詳しくないヒトでも結構です!ボク達と放送で話してみたいとか、どんな動機でも構わないので、興味のあるヒトは、放送部まで、ご連絡ください」

♤「これ、プロデューサーさんからの指示で、このお知らせの内容になってるけど、オレ達と話したいと思ってくれるヒトなんて、居てるんかな?」

♢「私は、二人の会話をそばで聞いてるのは、とっても楽しいけどな~」

♤「いや、それは貴女の個人的な趣味嗜好の話しであって……。まあ、別にイイけどね(笑)」

 

BGM:ヴァンゲリス『Love Theme』

 

♤「はい、エンディングのコーナーです!今日は、ちょっと寂しいお知らせもあったんですが、このメンバーでお送りする来週からの残り九回は、今まで以上に楽しんでもらえる様に放送したいと思いますので───。という訳で、今週のお相手は、アリマヒデアキと」

♢「ヨシノアリスと」

♧「ブンでした!」

♤「それでは、また来週!」



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第13章~今夜はトーク・ハード~①

一九九六年三月九日───。

有間秀明は、その日の午後、阪神競馬場ゴール板前のメインスタンドに立っていた。

未成年の彼が、この場所にいるのは、もちろん、勝馬投票券を購入するため、ではない。

九四年の年度代表馬ナリタブライアンと九五年の年度代表馬マヤノトップガン、二頭の対決を間近で観たいと、この場所に駆け付けたからだ。

 

(ブライアンとトップガンの対決が、生で見られる!)

 

前日の夜から、秀明は興奮して、なかなか寝付くことができなかった。

彼が、この日を楽しみにしていたのには、もう一つ理由がある。

同じ日の夕方、吉野家に訪問して、亜莉寿が書き上げたという小説を読ませてもらう約束をしていたからだ。

 

(亜莉寿は、どんな小説を書いたのだろう?)

 

そのことを考えると、また色々とストーリーを想像して、さらに眠気が飛んでいく気がした。

 

 

日付は少しさかのぼる───。

年明け最初の放送回で、亜莉寿が、この学校から去ることを告げたあと、一月と二月の日々は、瞬く間に過ぎていった。

三年生の卒業式と一年生・二年生の学年末テストが終了し、通常授業の時間割に戻って、三月最初の番組収録が終わったあと、秀明は亜莉寿に声を掛けられた。

 

「有間クン!ようやく小説を書き終えることができたんだけど、読んでもらえる時間はあるかな?」

 

それは、秀明にとって、亜莉寿が日本を発つことと同じくらい気掛かりであったことが、無事に完了したことの報告でもあった。

 

「執筆活動お疲れ様でした。ぜひ読ませてほしいな!今週末とかでも大丈夫?」

 

秀明が、創作の労をねぎらい、前向きな回答をすると、

 

「うん!学校もお休みだし、土曜日はどうかな?」

 

亜莉寿も、間をおかず日程を提案する。

 

「土曜日か───。ちょっと、お昼に行きたい場所があるから、午前中か夕方四時以降でも良いなら……」

 

秀明が、少し考えてから、答えると

 

「じゃあ、夕方に私の家に来てくれない?あと、来週の『シネマハウスへようこそ』で取り上げたい作品があるから、《ビデオ・アーカイブ》で、叔父さんに取り置きを頼んでおこうと思うんだけど───」

 

亜莉寿は、矢継ぎ早に話しを進めるが、秀明も彼女の会話のペースには慣れたもので、

 

「了解!じゃあ、《ビデオ・アーカイブ》でオススメ作品をレンタルをしてから、お家に行かせてもらおうかな」

 

と快諾した。

 

こうして、三月九日は、彼にとっては、重要なイベントが二つも重なる《スーパー・サタデー》となった。



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第13章~今夜はトーク・ハード~②

土曜日としては異例なことに、この日、阪神競馬場には、六万人以上の観衆が集っていた。

その観客の視線のほとんどが、おそらく秀明と同様、二頭に注がれているはずだ。

午前中に競馬場に到着した秀明は、春先の気温の低さも気にせず、自宅から持って来た少し多めの荷物で屋外のベンチ席を確保しながら、メインレースの発走時間を待っていた。

 

第四十四回阪神大賞典 一九九六年三月九日

阪神競馬場 芝三〇〇〇メートル

 

一枠一番  スティールキャスト

二枠二番  ナリタブライアン

三枠三番  トウカイパレス

四枠四番  ノーザンポラリス

五枠五番  チアズセンチュリー

六枠六番  アワパラゴン

七枠七番  ルイボスゴールド

七枠八番  ハギノリアルキング

八枠九番  サイレントトーキー

八枠十番  マヤノトップガン

 

午後三時四十五分───。

スターターが台に上がり、フラッグが振られると同時に、ファンファーレが鳴る。

競馬場内のアナウンスが実況放送に切り替わった。

屋外スタンド席の秀明も、固唾を飲んで、スタートの瞬間を見守る。

 

ナリタブライアンにとっては、正念場。

マヤノトップガン、ゲートイン終わって、スタート体勢が整いました。

さあ、ゲートが開いた。

おっと、ナリタブライアン好スタートを切って先頭へ行こうというところ。

さあ、ナリタブライアンは、ちょっと下げた感じ。

内からスティールキャスト、それからアワパラゴンであります。

そして、2番がナリタブライアンでありまして、体重はプラス8キロ。七五三の豪脚がよみがえるかどうか?

ナリタブライアン、その外にトウカイパレス。

内から4番のノーザンポラリスであります。

ピンクの帽子マヤノトップガンは、外、外を通っておりますが、2番のナリタブライアンは、ちょっと下がって中団に後退しました。これから外へ出て行こうというところ。

それから、9番がサイレントトーキー。

それから、チアズセンチュリー、ハギノリアルキング、7番のルイボスゴールド。

こんな体勢で第4コーナーに掛かって参ります。

10頭でありますが、ナリタブライアンは、外へ出して、10番のマヤノトップガンを見る様なかたちになっています。

先頭は、1番のスティールキャスト。

それから、アワパラゴン。そして、トウカイパレスが早めに行きました。

マヤノトップガンであります。マヤノトップガン頭巾を外しました。

それから、4番のノーザンポラリス。

そして、その外ナリタブライアン。シャドーロールが揺れています。おそらく、大歓声が挙がることでありましょう。

体重はプラス8キロ。現在、3、4、5、6番手。ナリタブライアン6番手であります。

現在、6番手で第1コーナー右にカーブを取りました。

阪神大賞典、ナリタブライアンにとっては、文字通り正念場のレースになりました。

ナリタブライアン6番手。

さあ、ナリタブライアン外に出して、前にはマヤノトップガンがいます。そして、後ろにはハギノリアルキング。

前にも後ろにも、こわい馬がいますが、ちょうど2番のナリタブライアンは、5番手から6番手といった位置であります。

さあ、10番がマヤノトップガン。3番がトウカイパレスであります。これを見るようにして、ナリタブライアン。

後ろからは、サイレントトーキーとハギノリアルキングが、じわっじわっと差を詰めてまいりました。

完全に平均ペースになりました。

さあ、動いた!マヤノトップガン行った!マヤノトップガン!

これと一緒にナリタブライアンも行った!

さあ、マヤノトップガン!有馬記念を制したマヤノトップガンが先頭に立った!昨年の年度代表馬。

そして、外から黒い帽子が、スーッと上がって来た!スーッとナリタブライアンがマヤノトップガンの外に行った!

マヤノトップガンの外に行ったナリタブライアン!

さあ、問題は直線!ナリタブライアン、問題は直線!

残りあと400メートルであります!

マヤノトップガンと外からナリタブライアン!

昨年の年度代表馬!

一昨年の年度代表馬!

大歓声が挙がる阪神競馬場!

大歓声が挙がる阪神競馬場!

さあ、ブライアン!

甦れ、ブライアン!

ブライアン、外!武の左ムチ!

内からマヤノトップガン!

ブライアン!ブライアン!

ブライアン出た!ブライアン出た!

1年ぶりの勝利か!?

内からマヤノトップガン差し返す!

さあ、どっちだ!?どっちだ!?どっちだ!?

内か外か!?

内か外か!?

わずかに外か!?



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第13章~今夜はトーク・ハード~③

わずかに外ナリタブライアンか!?

 

二頭がゴール板を駆け抜けた瞬間、期せずして、大きな拍手が沸き上がる。

 

とてつもない場面を目撃してしまった……。

両手と両脚の震えを抑えることが出来ない……。

 

二頭が馬体を併せてゴールした瞬間、いや正確に言えば、二頭が残り一〇〇〇メートルのハロン棒を通過した時点からゴールまでの五十八秒あまりの間、西日に照らされ、漆黒に光るナリタブライアンと黄金色に輝くマヤノトップガン、両馬の美しさと力強さに、秀明は、ずっと、鳥肌が立つのを感じていた。

スポーツに限らず、映画、音楽、その他のあらゆる創作物に触れる時でも、事前に想像し、期待していた以上の衝撃を覚えるシーンを目撃することは、人生の中で、数える程しかないだろう。

その一つが、この日、この瞬間、目の前で達成された。

感動で身体の震えが止まらないということは、秀明にとって、初めての経験だ。

実力馬二頭のマッチレースになったこともさることながら、前年の秋以降、ケガをする前の豪脚が鳴りをひそめ、レースに勝てなくなってしまったナリタブライアンが、復活の勝利を遂げたことに、言葉にできない程の喜びを感じる。

 

世の中には、こんなにも胸を熱くさせるシーンがあるものなのか───。

 

競馬場のスタンドに立ち尽くしながら、秀明は、目の前のウイナーズサークルで武豊騎手の勝利騎手インタビューが始まるまで、感動の余韻に浸っていた。

しかし、目の前で展開された三分五秒たらずのドラマに、胸を熱く、締め付けられる様な想いをさせられた、その本当の理由に気づくのは、もう少し先のことだった。

 

 

観客席から、多くの観衆とともに、ウイナーズサークルでの勝利騎手インタビューを観覧したため、秀明は、少し足早になりながら、ビデオ・アーカイブ仁川店に向かった。

競馬場から、ほんの数分の場所にある店舗に入店すると、

 

「いらっしゃいませ!おっ、有間クンか!?」

 

と、店長が迎えてくれた。

 

「ウチの店員オススメの映画を取り置きしてるよ」

 

そう言いながら、カウンターから一本のビデオテープと外箱を取り出す。

ビデオテープと外箱には、『今夜はトーク・ハード』とタイトルが書かれていた。

 

「クリスチャン・スレーターの主演映画ですか?初めて聞くタイトルです!」

 

秀明が、そう言うと

 

「有間クンは、学校で校内放送をしてるんやろう?それなら、この映画を観て、感じるところがあるんちゃうかな」

 

店長は、そんな風に話しながら、会員証の確認をして、レンタルの手続きを進めつつ、

 

「今日は、土曜日やのに駅前が、すごい人混みやったわ。競馬場で何かあったんかな?」

 

問わず語りに、つぶやく。

それを聞いた秀明は、

 

「今日は、阪神競馬場に有力な馬が二頭出走して来たんで、みんな、そのレースを観に来てたんだと思います。ちなみに、ボクもレース観戦帰りです」

 

と、説明する。

 

「ほぉ~、有間クンは競馬やるんか?」

 

関心を示す店長に、

 

「いや、馬券は買いませんよ。レースを観るだけです」

 

秀明は、あくまで法律の範囲内で楽しんでいることを強調する。

 

「ふ~ん、TVゲームの影響で、中高生も競馬を観ていると聞いたことがあるけど、キミもそうなんか?」

「そうですね。ボクもゲームから競馬に興味を持ちました」

 

秀明の答えに、

 

「そうか~。それじゃあ、買って儲かりそうな馬がおったら、また教えてな」

 

と軽口を交えながら、レンタルの手続きと会計を済ませてくれた。

さらに、やや大きめの紙袋を提げている秀明を見て、

 

「今日は、えらい大荷物やな?その袋の中身もVHSテープ?」

 

と、たずねる。

 

「あ、いま放送中のアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の録画テープなんですよ。亜莉寿さんにも観てもらおうと思って……」

 

秀明が答えると、

 

「そうか~!『エヴァンゲリオン』の人気もすごいもんな~。ウチでもレンタル始めたけど、ずっと貸出中になってるわ。やっぱり、若いコの流行も取り入れなアカンな~」

 

と、豪快に笑う。

 

「今日の映画も取り置きしてもらって、ありがとうございました。これから、吉野家に行って来ます」

 

と、秀明が告げると、

 

「いやいや!こちらこそ、いつもご利用ありがとう。気をつけて行って来てな」

 

店長は、快く店から送り出してくれた。



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第13章~今夜はトーク・ハード~④

仁川駅前のビデオ店から、十分ほど歩き、秀明は亜莉寿の住むマンションに到着した。

 

(そういえば、前に亜莉寿の家に来たのも、ブライアンとトップガンの出走したクリスマス・イブの有馬記念の日だったな……)

 

この二頭がレースに出走する日は、吉野家と縁があるのか───。

そう考えると、偶然の一致とは言え、何だか妙に可笑しくなり、不意に笑みがこぼれる。

エントランスでモニター付きのインターホンを鳴らして名前を告げると、亜莉寿が応答し、居住区へのドアを解錠してくれた。

吉野家のドアの前で再びインターホンを鳴らすと、「は~い」という声とともに、ドアが開き、亜莉寿が出迎えてくれる。

 

「ゴメン!ちょっと、用事が長引いて、遅くなってしまって」

 

秀明は謝罪の言葉を口にするが、

 

「ううん、気にしないで!さあ、上がって」

 

と、亜莉寿は気にする様子もなく、秀明を快く招き入れる。

玄関から、直接、亜莉寿の自室に通された秀明は、暖かく保たれた室温とともに、アプリコットとジャスミンの混ざった様な薫りを感じた。

この薫りを感じるたびに、秀明は、亜莉寿と最初に出会った時のことを思い出す。

(あの夏の日から、もう一年半以上も経つのか……)

そんな感傷に浸っていると、

 

「どうしたの?ボーっとして。さあ、座って」

 

亜莉寿は、不思議そうにたずねて、秀明に腰を下ろす様にうながす。

 

「あっ、ゴメン!ここに来る前にビデオ・アーカイブスに寄って来たから、亜莉寿と最初に会った時のことを思い出してて……」

 

秀明は、回想のきっかけになった理由をはぐらかしながら、そう答えた。

腰を下ろして、あらためて亜莉寿の部屋に目を配ると、アメリカへの引っ越しが近いためだろうか、前の年の夏休みの時と比べて少し様子が異なっていた。

しかし、秀明が気になったのは、部屋の真ん中に、脚を畳めるタイプの小型テーブルが置かれていることと、亜莉寿の学習机の上にノートパソコンが置かれていることだった。

小型テーブルの上には、束になったA4用紙が置かれている。

その束が、亜莉寿の書いた小説を印刷したものだろうと察した秀明は、

 

「今回の小説は、あのノートパソコンで書いたの?」

 

と、亜莉寿にたずねる。

 

「うん!クリスマスプレゼントにもらったウィンドウズ対応のマシンなんだ」

 

と答える亜莉寿。

その答えに、秀明は、

 

「へぇ~、良いプレゼントをもらったね」

 

感心しつつ、

 

(確か、ノートPCって三十万円くらいするよな……。吉野家のサンタクロースは、ずいぶん羽振りが良いな)

 

と苦笑した。

そして、A4用紙を指差し、

 

「あの束が、小説かな?読ませてもらって良い?」

 

と確認する。

亜莉寿は、緊張の面持ちで、

 

「うん、読んでみて……」

 

と返答した。

 

「わかった。あっ、今日は本を持って来てないんやけど───」

 

秀明が伝えようとすると、

 

「大丈夫!有間クンが読んでる間、ここで待たせてもらうから」

 

亜莉寿は、答える。

 

(いや、何もしないで、そばに居られると、読みにくいんやけど───。まあ、仕方ないか……)

 

秀明は、すぐに交渉を打ち切り、気持ちを切り替えて、印刷された用紙に向き合う。

A4用紙は、四十枚ほどの束になっていて、一枚目のページには、

『接続された少女の復讐(仮)』

とタイトルが記載されていた。

 

「じゃあ、読ませてもらうね」

 

そう告げて、用紙をめくった。



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑤

四十分ほどの時間を掛けて、秀明は亜莉寿の創造した世界を堪能し、物語を読み終えた。

彼女の創り出した物語に、世界に、キャラクターに触れて、純粋にストーリーを楽しむ気持ちと同時に、彼の胸には、創作活動を成し遂げた吉野亜莉寿に対する羨望や悔しさが、こみ上げる───。

秀明が黙々と自分の描き出した物語を読み進める間、ずっと、その様子を観察していたのだろうか、彼が最後のページを読み終わり、A4用紙の束をまとめようとすると、亜莉寿は、おずおずと

 

「その……。どうだった───?」

 

と、感想をたずねる。

自分の顔色をうかがいながら、不安気にたずねる亜莉寿の表情を感じつつ、秀明は、

 

「添削とか専門的な知識が必要なことはできないし、個人的な感想しか言えないけど───。ストーリーも、世界観も、キャラクターも、めっちゃ好みに合ってて……。すごい楽しく読ませてもらった。自分としては、『接続された少女(仮)』スゴく好きな物語やわ」

 

と、自身の中の肯定的な想いを、素直に感想として述べた。

 

「ホントに!!良かった……。大変だったけど、がんばって書き上げた甲斐があった───」

 

亜莉寿の喜ぶ声を聞きながら、秀明は

 

「お疲れ様でした。色々と大変な時期に、ちゃんと作品を完成させて、ホンマにスゴいと思うわ」

 

と、彼女をねぎらう。

 

「ありがとう……」

 

ポツリと、つぶやく亜莉寿。

一方、秀明は、あふれる想いに任せて言葉を続けると

 

「でも、ちょっと、羨ましいというか、悔しいというか、そういう想いもあるかな───。自分と同じように学校に通ってて、校内放送にも出演してて、進路のこととかで悩んでる時にもかかわらず、こんな物語が書けるなんて、吉野亜莉寿は、スゴいなぁ───。それに比べて、何も出来てない自分のことを考えると悔しいなぁ、って」

 

思わず、内心の本音が漏れた。

 

「あっ、ゴメン!こんな話しをするつもりじゃなかったのに……」

 

自身のネガティブな感情を彼女に話してしまったことを悔やみながら、謝る秀明に、

 

「ううん。私の方こそ、有間クンには、たくさん話しを聞いてもらったりして、迷惑を掛けたんじゃないかと思うし……。それに、『何も出来ていない』って言うけど、有間クンは、私の話しをちゃんと聞いてくれて、進路のことで両親と話し合う時も、協力してくれたじゃない?」

「いや、それは、そんなに大したことじゃないし……」

 

謙遜する様に、自分の行動を消極的に語ろうとする秀明に、亜莉寿は、なぜかムキになって反論しようとする。

 

「大したことじゃない!?私にとっては、とっても大事なことなのに!!」

 

彼女の剣幕に驚いた秀明が、

 

「あっ、ゴメン!そういう意味で言ったんじゃないんやけど……」

 

と、謝罪の言葉を口にすると、冷静さを取り戻した亜莉寿も、

 

「ご、ごめんなさい!本当なら、有間クンに感謝しないといけないのに……」

 

と、慌てて謝った。

お互いに非を認めるところがあったのか、しばし、気まずい沈黙が流れる───。

その沈黙を破ったのは、秀明だった。

 

「せっかく、亜莉寿の小説を初めて読ませてもらうことになったのに、ゴメン」

 

そう言葉を発すると、亜莉寿も、

 

「ううん。私の方こそ……」

 

と、つぶやく。

亜莉寿が、落ち着いた様子であると見てとった秀明は、少し話題を変えるべく、

 

「そういえば、気になったことがあるんやけど、ちょっと、聞いてイイかな?」

 

と、彼女にたずねる。

 

「えっ、なに!?」

 

唐突な質問に、少し驚いた様子の亜莉寿に、秀明は、

 

「さっきも言ったみたいに、学校の試験とか進路のこととか、色々と大変な時期に小説を書き上げて、スゴいなって思ったんやけど───。ティプトリー・ジュニアも、大学で博士号を取るための論文を書いている最中に、SF小説を書き始めたらしいし、創作活動するヒトって、切羽詰まってる時ほど、意欲が湧いてくるの?」

 

と、問い掛けた。

問われた亜莉寿は、

 

「ん~、他のヒトが、どうなのかはわからないけど───。私の場合は、学校とか進路のことで、色々と悩んだり、考え込んだりしている最中に、小説のストーリーとか世界観とかキャラクターを作って、自分の考え方を掘り下げることで、精神的なバランスを取っていたかも……」

 

そんな風に、自己分析する。そして、

 

「現実逃避をしているつもりはないんだけどね……」

 

と、言って少し悪戯っぽく笑った。

彼女の答えを聞いた秀明は、

 

「そっか。作家の創作の秘密に、ちょっと触れたみたいで、参考になったわ。でも、あんまり自分を追い込まない様に気をつけてね」

 

と、言葉を掛ける。

それを聞いた亜莉寿は、

 

「ご心配いただかなくても、次のお話しを創るのは、もっと余裕がある時にします!」

 

と言って、少し拗ねた様な表情を作った。

その様子を可愛いらしいと感じた秀明は、クスリと笑った。

亜莉寿の小説を読んだあとの二人の会話はほとんど途切れなかったため、気付かない間に、時刻は午後五時半を回ろうとしている。

部屋に射し込む夕陽の傾きを見て、秀明は、

 

「遅くならないうちに、そろそろ帰らせてもらおうかな」

 

と立ち上がりかけ、自分の持って来た荷物について、亜莉寿に話していなかったことに気付いた。

 

「そうそう。言い忘れてたけど、自宅で録画した『エヴァンゲリオン』のVHSテープを持って来させてもらったよ。時間があったら、観てみて!」

 

と、亜莉寿に薦めてみる。

 

「ありがとう!じゃあ、早速、今日から観てみようかな!有間クンと坂野クンが、あんなに熱心に語ってるアニメだしね」

 

と、言って亜莉寿は、フフッと笑う。

 

「SF作家の吉野亜莉寿先生のお眼鏡に叶うかどうか……。良かったら、また感想を聞かせて!」

 

秀明は、そう返答したあと、

 

「じゃあ、そろそろ行かせてもらうね」

 

と、言って、吉野家を後にすることにした。



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑥

吉野家を出たあと、三月の穏やかな夕陽が照らす下り坂を歩きながら秀明は、この日の午後のことを思い返す。

競馬場での胸を熱くする興奮から、亜莉寿の自室で過ごした時間まで、わずか数時間ほどであったが、とても、中身が濃く充実した時を過ごせた様に思う。

自分自身の内面のことなので、亜莉寿には語らなかったが、秀明は彼女との会話の中で気付いたことがあった。

叶えたい夢のために、海外に引っ越すこと、小説を書き始めていること、半年近く前に亜莉寿から、その話しを聞かされた時には、自分が置いていかれるかの様な焦燥感を感じた。

そのモヤモヤした感情を抱えながら、秋からの期間を過ごしてきたが、この日、競馬場で目撃した光景を思い出し、その感情の原因が、ようやくわかった気がする。

自分の夢に向かって、確実に歩き始めた亜莉寿に対して、『自分はナニをしてるんだろう?』───。

彼女に追い付ける様に、『なにかをしなくては!』───。

そう思うものの、『何をしたら良いのか』も、『将来、何をしたいのか』も、わかっていない。

それでも、『亜莉寿に追い付きたい!』という自身の感情の空回りぶりは、十二月の有馬記念で、第四コーナーからマヤノトップガンに並び掛ける様にレースを進めながら、最後の直線でもがく様に失速して行ったナリタブライアンのレースぶりを見ている様だった。

いや、十二月のレースに限らず、亜莉寿の打ち明け話しを聞かされた十月のあの日から、彼女との差を感じながらも、何をするべきかもわからない自分自身を、前年と異なり、レースに勝てずにもがくナリタブライアンの姿に重ねていたのかも知れない。

 

それが、この日のレースでは───。

 

有馬記念と同じくロングスパートで他馬を引き離しに掛かるマヤノトップガンに真っ向から挑む格好で馬体を併せに行ったナリタブライアン。

三~四コーナーを上がって行く二頭の姿に、多くの観客とともに胸を熱くさせられたのは、亜莉寿に追い付きたいという自分自身の願望を現実のものとして見ることが出来た様な気がしたからだ。

そして、今回は、十二月のレースとは異なり、ナリタブライアンは直線で失速することはなく、最後までマヤノトップガンと馬体を併せたまま、ゴール板に駆け込んだ!

その光景は、まるで秀明が、無意識のうちに理想として描いていたモノではなかったか?

 

もっとも、その一時間後に、完成した亜莉寿の小説を読んで、

 

(また、彼女に差をつけられた)

 

と、現実を突き付けられたものの……。

気持ちの整理がついた今では、気持ちが落ち込んだり、自分に存在価値がない様に感じる自己嫌悪に、感情が支配されることはなくなった───。

 

(あとは、これからの考え方と行動次第だ……) 

 

そう考えると、気持ちも楽になる。

 

(さて、それじゃ、自宅に帰って、アリス店長オススメの『今夜はトーク・ハード』を観てみますか!) 

 

秀明は、気分を切り替え、スッキリとした晴れやかな気持ちで、駅に向かって歩いて行った。



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑦

♤「IBC!」

♢「『シネマハウスへようこそ!』」

 

BGM:ロバート・パーマー『Addicted to Love』

 

♤「みなさん、こんにちは!『シネマハウスへようこそ』館長のアリマヒデアキです」

♢「ビデオショップ『レンタル・アーカイブス』店長のヨシノアリスです」

♤「学年末テストも終了して、三月も半ばになり、いよいよ、このメンバーでお送りする放送も、今回が最後になってしまいます」

♢「去年の六月に番組が始まってから、本当にあっと言う間の十ヵ月という感じでしたね!」

♤「特に、アリス店長は、秋から色々とあったからね(笑)」

♢「その節は、有間クンにも、皆さんにも、ご迷惑をお掛けしました」

♤「いえいえ、お気になさらず。最後も、なるべく湿っぽくならずに行きましょう!それでは、番組スタートです!」

 

BGM:デヴィッド・デクスターD『Oh la la Tequila』

 

♢「IBC『シネマハウスへようこそ』は、映画の最新情報を放送室から、お送りしています!」

 

 

♢「レンタル・アーカイブス!」

 

BGM:スティーブン・ライト『And now Little Green Bag』

 

♤「今学期最後の放送は、レンタル・ビデオの紹介です。さあ、アリス店長は、どんな作品を取り上げてくれるんでしょう?」

 

BGM:レナード・コーエン『Everybody Knows』

 

♢「今回オススメしたいのは、ずっと前から、私が、この番組に出演する最後の機会に取り上げさせてもらおうと考えていた『今夜は、トーク・ハード』という作品です」

♤「偶然というか、タイミングの良いことに、この放送の翌日三月十六日から劇場公開される、ジョン・ウー監督の最新作『ブロークン・アロー』でも主人公を演じるクリスチャン・スレーターが主演を務めてるんですよね!」

♢「そうそう!そうなんです!!そのクリスチャン・スレーターがハリウッドに認められる出世作となったとも言えるのが、この『今夜は、トーク・ハード』なんですよ!」

♤「映画自体は、一九九〇年公開なので、今から五~六年前の作品になるのかな?ボクも、今回アリス店長に薦められて、初めて観たんですけど───。じゃあ、ストーリーを解説してもらいましょうか?」

♢「はい!映画の舞台となるのは、アメリカ・アリゾナ郊外のハンフリー高校。この学校の生徒たちは、夜中の十時にラジオから流れてくる海賊放送を楽しみにしています。《ハッピー・ハリー・ハード・オン》と名乗る、その放送の語り手は、どうやらハンフリー高校の生徒であるらしい。彼のトークは、高校生活に納得はいかないが、抵抗する術を持たない生徒たちの気持ちを代弁するものでした。そして、彼は、独自に入手した情報で教師の不正を暴露し、ハンフリー高校の生徒たちのカリスマになっていきます」

♤「学園のヒロイン的なお嬢様が楽しみにしていたり、ラジオを録音したテープが校内で出回って、部活のために、夜更かしできない体育会系の連中まで聞いてたりするのが、面白い!」

♢「そして、このカリスマDJを支持する学生たちも、批判の矛先となって敵視する学校側も、《ハッピー・ハリー》の正体探しを始めるんだけど……」

♤「映画を観てる側には、すぐに正体がわかる流れにはなってるんよね(笑)……って、このトークの流れ、一月に紹介した『(ハル)』の時と同じやん!」

♢「そう言えば、そうだね(笑)もちろん、カリスマDJ《ハッピー・ハリー・ハード・オン》の正体は、クリスチャン・スレーター演じるマーク・ハンター。彼は、都会からの転校生で、郊外特有の閉塞感と《SAT》と呼ばれるアメリカの大学進学適性試験の平均点を下げないために成績が悪い生徒を無理やりに退学させる高校に怒りをぶつけるべく、自宅の地下室から番組を放送してるんです」

♤「ラジオ放送の時は、過激でイケイケな感じだけど、高校では、物凄く大人しい生徒なんよね、マーク君は。『トゥルー・ロマンス』でも、冴えない映画オタクの役を演じていて、あんな二枚目の映画オタクなんかおらんわ!ってツッコミを入れてしまったけど、クリスチャン・スレーターは、超イケメンなのに、オタク寄りのキャラクターを演じることが多くて、個人的に好感が持てます(笑)。この映画を観て、いま一番好きなハリウッド俳優になったわ」

♢「相変わらず、アリマ館長は単純ね(笑)もし、クリスチャン・スレーターが気に入ったなら、同じく学園映画の傑作である『へザース/ベロニカの熱い一日』も観てみて下さい!さて、こうして、カリスマ的な人気を得る《ハッピー・ハリー》だけど、ある日、彼の番組宛に自殺予告の手紙が届き、マーク=ハッピー・ハリーは、番組内で手紙の送り主と話します。ジョークを交えて、送り主を励ますんだけど、電話は途中で切られてしまって───。翌日、学校でその生徒が自殺してしまったことが伝えられるんです。マークは、電波に乗せた言葉の重さと責任を痛感し、放送をやめる決意をします」

♤「そして、ついに彼の正体を突き止める生徒が、あらわれて……」

♢「《ハッピー・ハリー》の正体を見破ったのは、サマンサ・マシス演じる図書委員のノーラ。マークが、図書館でレニー・ブルースというコメディアンの本を借りているのを見て、《ハッピー・ハリー》のトークの内容が、レニー・ブルースの影響を受けているんじゃないかと感じていた彼女は、マークを尾行して、正体を突き止め、彼にラジオを続ける様に説得するの」

♤「学園内では、中心的な位置にいる訳じゃないけど、それ故に、共感し合える二人の関係性がイイ感じかんですよね~」

♢「有間クンは、このカップルがお気に入りなの(笑)?ちなみに、スレーターとサマンサ・マシスは、『ブロークン・アロー』でも、共演していて、またコンビを組んでいるみたいね」

♤「マジで!?それは、良いことを聞いたわ!『ブロークン・アロー』を観るのが、ますます楽しみになってきた!」

♢「正体を突き止めて、近付いてきたノーラを最初は拒絶するマークだけど、彼女に励まされて、もう一度、ラジオ放送に向き合おうと決意するの。ここで、マークがリスナーに向けて語るセリフが、とっても熱いんだけど───。これは、ぜひビデオをレンタルして、確認してほしいな、と思います。そして、このラジオ放送復帰の時に、《ハッピー・ハリー》が掛ける曲がコチラ!」

 



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑧

BGM:MC5『Kick Out The Jams』

 

♢「この曲を聞いて感化されたリスナーであるお嬢様が、ドライヤーを放り込んで自宅の電子レンジを爆発させたり、お調子者の生徒が教師を出し抜いて放送室を占拠したり、規模が大きいのか小さいのか良くわからない暴動が起きたりして……(笑)」

♤「まあ、日本人である自分たちには、この曲の歌詞がダイレクトに響くかというと微妙なところなので、尾崎豊の曲がラジオから流れてきて、影響を受けた学生が、夜の教室のガラスを割って回ったり、盗んだバイクで走り出したりする姿がコミカルに描かれることを想像してもらえると、少しは雰囲気が伝わるかな?いや、尾崎の歌をコミカルに描いたら、問題かも知らんけど(笑)」

♢「でも、この程度のことで、騒ぎが大きくなってしまって、当のハンフリー高校だけでなく、マスメディアや警察を巻きこんで、《ハリー》を追いかける展開に……。追い詰められた《ハリー》は、ノーラの運転するジープに放送用の機材を積み込んで同乗し、逃走しながら、ラジオの実況放送を続けるの」

♤「こういうところが、アメリカ文化とハリウッド映画のカッコいいところというか───。日本じゃ女子高生がクルマを運転して逃走の手助けをするなんて、実写映画では、現実的に描ききれないもんね(苦笑)」

♢「そうだね(笑)そして、ついに生徒たちがラジオを聞くために集まっている広場にたどり着いた《ハリー》は、みんなの前で正体を明かして、大演説!」

♤「ここの熱い熱いセリフも、『ビデオをレンタルして、確認!』ですか(笑)?」

♢「うん!私が話すよりも、きっと実際に観てもらう方が、映画のメッセージが、伝わると思うから……。海賊放送を行った罪で警察に逮捕されるハリーは《トーク・ハード!(懸命に語れ)》と絶叫して、それを見守る生徒たちも涙ぐみながら、『お前のことは忘れないぞ!!』と言って見送るの」

♤「そして、ラストは《ハッピー・ハリー》に共感した全米の十代たちが、一斉に海賊放送を始めて、革命が起きる予感を匂わせて、画面が暗転。この曲が掛かりながら、エンディングに突入する、と───」

 

BGM:スライ&ザ・ファミリー・ストーン『STAND』

 

♢「この『スタンド』という曲にも、この映画ならではのメッセージが込められていると思うから、ちょっと歌詞を紹介させてもらいます」

♤「では、アリス店長が和訳してくれた歌詞を代読させていただきます。

 

立ち上がれ

最後には結局、君は君なんだ

君がなろうとしてきた君なんだ

立ち上がれ

背負わければいけないものがある

どこかに向かっているときは

乗り越えなければいけないものがある

 

立ち上がれ

君にとって正しいことのために

本当の真実は世の中を揺るがす

立ち上がれ

君が求めるものはすべて本物

実現させるのは自分次第

 

立ち上がれ!

 

立ち上がれ

いつまで座っているんだ?

永遠のしわが正解と不正解の間にある

立ち上がれ

立派に立っている小人の横で

巨人は今にも倒れそうだ

 

立ち上がれ!

 

立ち上がれ

筋が通ったことをしていたって

這いつくばらなきゃいけないときもある

立ち上がれ

君は自由なんだ

少なくとも自分がそうだと信じていれば

君の精神は自由になる

みんな立ち上がれ!

 

──────いや、今回のアリス店長の熱い語りと歌詞の意味がリンクして、思わず、涙ぐみそうになりながら読んでしまいました」

♢「有間クン、ご協力ありがとう。学校の校内放送で、この映画を取り上げることに、迷いもあったんだけど、やっぱり紹介できて良かったな、と思います」

♤「今回は、珍しくストーリーのネタバレ全開!関西ラジオ界の大御所・浜村淳御大の方式で語ってくれましたね(笑)」

♢「ストーリーを全部話してしまってゴメンナサイ。でも、この映画が伝えようとするメッセージは、ぜひ、実際に作品を観て、受け取ってもらえたら嬉しいです。今年の初めに、アリマ館長が『(ハル)』を紹介した時に、パソコン通信やメールでのコミュニケーションが、利用するヒトを変えていく可能性がある、って言ってたじゃない?」

♤「あ~、そんな話をさせてもらったね」

♢「私は、メールの様な一対一のコミュニケーションだけじゃなくて、今よりもっとインターネットが一般的になったら、この映画の《ハッピー・ハリー》みたいに、音声や映像を使って、自分自身の意見や考え方を発信できる時代が来ると思うんだ」

♤「うん、確かに、パソコンのスペックアップと小型化が進んで、ネットワーク技術が進歩すれば、あと十年もたたずに音声や動画の発信もできる様になるかも!」

♢「そういう時代が来た時に、この映画のハリーの様に、誰かに流されるんじゃなくて、みんなが自分自身の意見を発信できる様になればイイな、って思うの。そして、いま、この放送を聞いてくれているヒトの中に、学校や部活動、それだけじゃなくて、将来の進路や家族との関係、その他のことで不満に思ったり、不安に感じていることがあるヒトがいたら、この映画を観て何か感じ取ったり、勇気をもらえたりするんじゃないかと思います」

♤「うん、ホントにそうやね……」

♢「私は、映画を観たり、小説を読んだりするのが、好きなんですが───。その理由の一つに、映画や小説のストーリーと色々な登場人物の言葉や行動を通じて、あり得るかも知れない人生のシュミレーションを行えるから、ということがあるんです。この放送を聞いてくれている皆さんが、何か人生で迷ったときや悩んだときに、これまで私たちが紹介した映画を思い出して、心の支えになることがあれば、本当に嬉しいな、と思います。そういう想いで、この十ヶ月間、『シネマハウスにようこそ!』に出演させていただきました。自分の想いばかりが先行して、拙い紹介になった部分もあると思いますが、今まで聞いていただいて、本当にありがとうございました」



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑨

♧「素晴らしいメッセージをありがとう!アリス店長お疲れ様でした。一週間ぶりの登場です。ブンでございます」

♢「坂野クン、ありがとう!こんなに大きな花束まで」

♤「え~、たったいま、放送部の皆さんから贈られた花束を持って、ブンちゃんが放送用ブースに入って来てくれました。現場からは以上です!」

♧「現地リポーターの真似とかは、いらんねん!いや、それにしても、今日の放送は二人の語りが熱すぎて、入るタイミングがなかったわ(笑)いま、日本中で、映像作品に対して、こんなに熱く語ってるのって、あとは、インターネットの『エヴァンゲリオン』フォーラムくらいちゃう?最終回の直前で、あんな新キャラとか出して来て、どないすんのホンマ?」

♤「また、『エヴァ』ネタか!?まあ、確かに、ネット上の『エヴァ』フィーバーは、大変なことになってそうやけど───。アリス店長にも、録画してたビデオを持って行ったけど、どうでした?『エヴァンゲリオン』を観た感想は?」

♢「面白すぎて、貸してもらった第壱話から第弐拾参話まで、この前の週末に、一気に観ちゃった!日曜日に先週までの放送分を観終わってから、昨日の水曜日の放送が待ち遠しくて、仕方なかったもん!」

♤♧「「めっちゃ、ハマッてるやん(笑)!!」」

♢「ストーリーは、謎が謎を呼ぶ展開だし、登場人物たちは、どんどん精神的に追い詰められるし……。二人が熱心に話していた理由も、よ~く、わかった(笑)」

♤「まあ、ストーリーの中の登場人物だけじゃなくて、観てる視聴者の精神も削られて行ってる気がするけど……。毎週、あんなに精神的にキツい想いをするTVアニメとか初めてやわ」

♧「もう、人類補完計画の謎とか、どうでも良いから、とりあえず、二次創作の作品で、綾波レイに対する我々の満たされない想いを《補完》するしかないという(笑)」

♤「いや、そこは、アスカやろう?また、二ヶ月前の話しに戻るけど、同居してるアスカとシンジ君が喧嘩したりしながらも、イチャイチャするのを眺めてる中盤あたりの展開を延々と観ることが出来たら満足やん?」

♧「いやいや、そこは、無口な綾波の心を開きつつ、シンジ君が癒されていくのが、王道の展開やろう?」

♢「……………………二人とも、何を言っているの(微笑)?」

♤♧「「はい?」」

♢「ちゃんと、昨日放送された第弐拾肆話は観たのかな(微苦笑)?」

♤「観たよ!《最後のシ者》渚カヲル君が登場して───」

♧「いかにも、女性ファンをターゲットにしたかの様なキャラクターやったけどな~。あと、残り二話しかないのに、今さら、あんなキャラクター出して、ちゃんとストーリーの風呂敷を畳めるんかな?」

♤「(ヤバい!ブンちゃんが地雷を踏んだ!!)」

♢「はい(黒笑)!?二人は、カヲル君が、ただの女性受けを狙ったキャラクターだと思ってるの(暗黒微笑)?」

♤「いや、それは……。とりあえず、握りしめてる花束が崩れそうやから、テーブルに置こう(汗)?」

♢「昨日の放送を観れば、シンジ君に相応しい相手が誰かは、一目瞭然でしょう?第弐拾肆話は、これまで『自分は他人に必要とされていない』と思い込んでいるシンジ君が、初めて『自分を必要としてくれる』他人に出会ったことを自覚する、これまでのストーリーの中でも、一番重要なエピソードだよ?」

♤♧「「は、はい。そうですね」」

♢「カヲル君は、一次的接触=スキンシップが苦手なシンジ君とふれあいながら、『君は何を話したいんだい?僕に聞いてほしいことがあるんだろう?』とシンジ君の心に寄り添いつつ、心を開いていって、彼への想いまで口にする『好意に値するよ───。好きってことさ』。これは、シンジ君に向けられた初めての肯定的な言葉と言っても良いと思うの。レイちゃんやアスカやミサトさんが、シンジ君に対して、こんな言葉を口にしたことがある?」

♤♧「「…………ない、ですね」」

♢「また、カヲル君は、こんなことも言ってる『ATフィールドは誰もが持っている心の壁だ』。エヴァのストーリーの中でも、重要な《ATフィールド》の正体に言及しているのは、このシーンが初めてじゃない?その、シンジ君の心の壁=ATフィールドをやすやすと突破していくカヲル君の想い。トドメは、『僕は君に会うために生まれてきたのかも知れない』の一言。ずっと、自分自身の存在意義に疑問を持っていたシンジ君に、自分は愛される価値のある人間なんだ!と実感させることのできる、彼を全肯定ともいえるセリフなの。これだけを見ても、シンジ君が想い合うべきなのが誰かは明白じゃない?二人のアスカやレイちゃんに対する想いは否定しないよ?それぞれ魅力的だとは思うし、何より男の子の理想を体現した様なキャラクターだもんね。でも、カヲル君とシンジ君の間に割って入って来られる存在だとは、到底、思えないな」

♧「……でも、カヲル君もシンジ君も男同士やし───」

♢「ハッ!?そこから話せないといけないの(微苦笑)?」

♤「いやいや!ほら、カヲル君の正体は使途やし、そこに性別の問題は持ち込まなくても、良いかな、と(汗)」

♢「わかってくれればイイの!二人とも、少女マンガや恋愛映画を見るのが好きなんだし、ちゃんと第弐拾肆話を見直せば、私の言ってることが、わかると思うよ(微笑)」

♤♧「「……はい、そうですね(なんで、先週『エヴァ』を見始めた人間に、ほぼリアルタイムで第壱話から見続けてるオレらが説教されなアカンねん!?)」」

♤「(……というか、アニメのキャラについて、こんなに論理的かつ熱心に語れるなら、自分の将来のことくらい、ちゃんと両親に話しておいてくれ)」

♢「何か、他に言いたいことはありますか?」

♤♧「「いえ、何もありません…………」」

♢「そう。二人に理解してもらえた様で良かった(笑)」

 

BGM:ヴァンゲリス『Love Theme』

 

♤「こんな話しをしてる間に、もう、エンディングの時間です(汗)今日は、この曲が流れてからも、ちょっと長く時間を取ってくれるらしいけど───。アリス店長から、他に話しておきたいことはない?」

♢「そうね~。他にも、カヲル君の正体がわかった時に、『僕を裏切ったな!』と言った時のシンジ君の気持ちとか、シンジ君に自分の運命を委ねながら、死の間際で、『ありがとう。君に会えて嬉しかったよ』と言ったカヲル君の心情とか、話したいことは、いっぱいあるよ?」

♤♧「「いや、もうカヲ×シンの話しはイイから!!」」

♢「そう?まだまだ、話し足りないことがあるのに……」

♤「とにかく、渚カヲル君が、たった一話でシンジ君と女性ファンの心を鷲掴みにして、去って行ったということだけは、良く理解できたわ(苦笑)」

♧「三人で放送する最後が、こんな内容でイイの?」

♤「いや、そもそも、ブンちゃんが『エヴァ』ネタを振ったのが原因やん(笑)まあ、湿っぽくなるよりは、自分たちのしたい話しを存分にする方が、このメンバーらしくてイイんちゃう?」

♢「皆さんへのご挨拶は、さっきもさせてもらったし───。あ、向こうに行っても、この番組のことは、応援してるから、二人とも、がんばってね!」

♤♧「「ありがとう!!」」

♧「そうそう!四月からの新規メンバーも引き続き募集しているので、興味のある方は、ぜひご連絡下さい」

♤「来月までに、メンバーが決まらなかったら、二人で放送することになるのかね?」

♢「私は、それでも良いと思うけどな……」

♤「いや、さすがにそれは、ちょっと(苦笑)ともあれ、アリス店長、十ヶ月間お疲れ様でした。夢を叶えられる様、ボクらも応援してるから」

♧「がんばってね、吉野さん!」

♢「二人とも、ありがとう!」

♤「という訳で、今年度のお付き合いありがとうございました。このメンバーで、お送りするのは、これが最後です。お相手は、アリマヒデアキと」

♢「ヨシノアリスと」

♧「ブンでした!」

♤「それでは、また新学期に!!春休み中に、新メンバーが決まると、イイなぁ……(笑)」



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑩

秀明・亜莉寿・昭聞の三人で行う最後の収録が終わった翌日、すなわち三人が揃って出演した最後の放送日の放課後、秀明と亜莉寿は、今年度の打ち上げと亜莉寿の送別会を兼ねた、ささやかな会合のため、放送室に招待された。

放送部を代表して、高梨翼から労いと感謝の言葉が吉野亜莉寿に贈られる。

 

「吉野さん、番組の出演お疲れ様でした。去年の一学期から今日まで、ホンマにありがとう~。吉野さんのおかげで、良い放送が出来て本当に良かったわ~。あと、海外での生活は大変なこともあると思うから、困ったことがあったら、いつでも日本に連絡してきて~。有間クンが助けてくれると思うから~」

 

放送部の実権を握る上級生は、冗談とも本気とも判断のつかない真顔で話す。

 

「いやいや、そこは、高梨センパイとか放送部が助けてくれるんじゃないですか?主語が間違ってません!?」

 

お約束の様に秀明がツッコミを入れると、

 

「う~ん……。有間クンは吉野さんが困ってる時に助けてあげへんの?そんな冷たいヒトやと思わへんかったわ~。吉野さんに何かあったら、真っ先に飛行機に乗ってアメリカに駆けつけるタイプやと思うんやけどな~、有間クンは」

 

掴みどころの無い性格の上級生は、顔色ひとつ変えずに、壮大な話しを振る。

 

「ボクは、国際救助隊か何かですか?大阪からサンダーバードで行けるのは、せいぜい金沢か富山くらいまでですよ!?」

 

秀明が再びツッコミを入れると、今度は昭聞が反応する。

 

「そんな西日本限定の鉄道ネタが女子に通じると思ってんのか!?『ボケる時は、客層を見ろ』って、いつも言ってるやろ!」

 

秀明も即座に切り返す。

 

「そんなこと、校内放送中に『御先祖様万々歳』とか、オレ以外に全校生徒でも観てる人間がいるかどうかもわからんアニメを例に出して、ドヤ顔でネタにしてくるブンちゃんにだけは言われたないわ!」

 

三人の掛け合いを眺めていた亜莉寿は、クスクスと楽しそうに笑いながら、

 

「ありがとうございます。何か困ったことがあったら、日本に連絡する様にします」

 

と答え、翼の耳元に近寄って

 

「有間クンが、どれだけ頼りになるかはわかりませんけど……」

 

と、囁く様に話す。

 

「ちょっと、小声で言ってるけど、聞こえてるで!」

 

秀明が、警告すると女子二人は、また可笑しそうにククク、と笑う。

そんな会話を続けるうちに、亜莉寿が、名残惜しそうに、

 

「でも、自分で決めたこととは言え、有間クンと坂野クンのトークや放送部の皆さんのお話しを聞けなくなるのは、やっぱり、ちょっと寂しいですね───。ワガママですけど……」

 

ポツリとつぶやいた。

その言葉を聞いた翼は、

 

「もし良かったら、四月からの『シネマハウスにようこそ』の放送内容を録音しておこうか~?パソコンで録音しておけば、電子メールやったけ?それで、録音した内容をアメリカに送れるんじゃないかな~?それが無理でもCDに音源をコピーして郵送する方法もあるし~。できるよね、あきクン?」

 

こんな提案をしつつ、昭聞にたずねる。

 

「はい!放送部のPCに放送した音源を録音しておけば、可能ですね」

 

昭聞も間髪入れずに答えを出す。

 

「ホントですか!?嬉しい!楽しみにします!!」

 

亜莉寿は、心の底から嬉しそうな声をあげた。

 

「じゃあ、電子メールか国際郵便の係は、有間クンにお任せするわ~」

 

今度は、楽しそうに笑いながら、上級生が新たな業務を秀明に与える。

 

「また、ボクですか!?」

 

すかさず反応する秀明に、

 

「だって、前にメールアドレス?っていうのを持ってるって言ってたし───。国際郵便にする必要がある時は、放送部の部費から郵便料金を出してあげるから~」

 

翼は、当然のことだという様に、文字通り放送部の部外者である秀明を亜莉寿への伝送係に指名した。

 

「お気遣い感謝します。しかし、相変わらず部外者でも容赦ないですね。高梨センパイ」

 

そう返す秀明に、亜莉寿が割って入り、

 

「ありがとう!お願いね、有間クン」

 

と、手のひらを合わせたポーズのまま、片目を閉じて、目配せをする。

その様子を見た秀明は、人差し指で、こめかみの辺りをかきながら

 

「まあ、そういうことなら、仕方ないな……」

 

と、つぶやく。

そして、亜莉寿と秀明の様子を眺めていた翼は、満足気な表情を浮かべつつ、

 

「そういえば、吉野さんのこれからのスケジュールは、どうなってるの~?」

 

と、亜莉寿の渡米前後の予定をたずねる。

 

「母親の仕事は、四月上旬から始まるらしいので、三月二十三日に、日本を発つ予定です。向こうの新学年は、九月に開始なんですけど、英会話になれるために、私も四月末か遅くとも五月には、大学で開催される語学研修に参加する予定になってます」

 

上級生の質問に、亜莉寿は、スラスラとスケジュールを答えた。

 

「そっか~。慣れないうちは、大変やと思うけど、がんばってね~」

 

と、翼は亜莉寿にエールを贈る。

そして、やや唐突に秀明に向き直り、

 

「そうそう!四月からの放送のことで、有間クンに話しておきたいことがあるんやけど、ちょっとイイ~?」

と、たずねる。

 

(あらたまって、何だろう?)

と、いぶかる秀明をよそに、

 

「ごめん、ちょっとだけ席を外すね~」

 

と言いながら、秀明にも放送室から廊下に出るよう、うながした。



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑪

「あらたまって、何ですか?」

 

廊下を出て間もなく、秀明が疑問を口にすると、

 

「うん、ちょっと四月からの『シネマハウスへようこそ』について、有間クンに確認しておきたいことがあってね~」

 

と、先ほどまでとは表情を一変させ、番組プロデューサーの顔付きで、翼は切り出した。

 

「今のところの予定では、四月以降も番組を続けるつもりやし、吉野さんにも、放送した音源を送る気で話してるけど、そもそも、有間クンは、四月から『シネマハウスへようこそ』に出演する気持ちはあるの?」

 

いつもの様な語尾を伸ばす、おっとりした口調はなりを潜め、真剣な表情で秀明に問い掛ける。

 

「そりゃ、まあ続けようとは思ってますけど……。亜莉寿───、いや、吉野さんも楽しみにしてくれてるみたいですし、彼女自身からも、この番組を続けてほしい、と言われたことがありますから……」

 

いつもと異なる上級生の様子に、やや気圧されながら秀明が答えると、

 

「『誰かに頼まれたから』じゃなくて、有間クン自身が、今までと同じ気持ちで番組に向き合う覚悟があるか、ってことを聞きたいんやけど?」

 

翼の鋭い問いに、

 

「……」

 

秀明は、しばし口を閉ざしてしまう。

 

「今までの『シネマハウスにようこそ』は、有間クンと吉野さんの二人のおかげで成立してたことは、放送部の人間としても、番組制作に携わる人間としても、感謝しきれないくらいやけど───。二人がいることで成立していた番組のパートナーが、いなくなることで、有間クンの気持ちに、寂しさや、やりきれなさは無いの?」

「それは……」

 

秀明は、答えようとするも、やはり、言葉が続かない。

 

「もし、有間クンが、そう思っていたとしても、私は責めへんよ?そう感じるのも当然やと思うし、今までと同じモチベーションが保てないなら、番組を降りてくれても構わへんし───」

「いや、番組をやめたいとまでは、思ってないですけど……」

 

秀明は、何とか言葉を口にするも、

 

「番組の責任者としては、吉野さんがいなくなった後に、これまでと同じ気持ちで番組に向き合えないなら、もう出演はしないでほしいなって考えてるんやけどね」

 

翼は、突き放した様に断言した。

 

「……」

「それでも、もし、有間クンが、『シネマハウスへようこそ』に出演し続けたいと言うなら、これから私が話す、ふたつのことを覚悟してほしい」

「───《ふたつのこと》ですか?」

 

秀明が、そう返すと、翼は、ゆっくりと、うなづいて語り出す。

 

「ひとつ目は、番組の放送内容のことと関係あるんやけど───。正直、今日の放送で流した内容は、学校批判をする部分が含まれてるし、職員室にいる先生方には、《受け》が良くないだろうな、って私は思ってる。その《受け》が良くない部分の多くは、吉野さんが語った内容にあるけど……。今後、番組が続くなら、それは有間クンが語ったこととして、とらえられる可能性が高いことを覚悟しておいてほしい」

「ボクが話したこととして、ですか?」

 

秀明が、不思議そうにたずねると、

 

「うん。吉野さんは、学校を去っていくから、みんなの記憶から薄れていくこともあるけど、有間クンが番組を続けるなら、みんなの記憶から消えることは無いからね。あと、吉野さんは、学業面でも優秀だったみたいやし、問題行動を起こすタイプにも見えなかったから、そんな生徒が、学校に対して批判的な言動をするなんて、考えにくいから……」

 

翼の言葉には、確かに説得力がある。そう感じた秀明は、

 

「確かに、そうですね」

 

と、微苦笑を交えて、返答した。

 

「先生たちだけじゃなくて、『何かの意見や主張をする人間』を快く思わない生徒からも、注目されるようになるけど、その覚悟は、ある?」

 

ここまで翼に口にされたことで、秀明は、あらためて自分自身に問い掛ける。

 

どうして、自分は、映画を紹介する校内放送に出演しようと思ったのか───?

昨日の番組収録時、亜莉寿の語る言葉に、大いに共感を覚えたのは、何故だったのか───?

この校内放送を通じて、自分が放送を聞く人たちに伝えようとしていることは、なんなのか───?

 

放送部の企画する映画情報番組に出演しようと思ったのは、昭聞に誘われたから、というのが直接的な理由ではあるが、自分自身の中に、校内放送を通じて、聞くヒトに、より多くの映画と接する機会を増やしてほしいと想う気持ちがあったからだ。

また、昨日の収録で取り上げた『今夜はトーク・ハード』を語る亜莉寿の言葉に共感したのは、「誰かに流されるんじゃなくて、みんなが自分の意見を発信できる様になればイイな」と言った彼女に、十ヶ月の間、番組を続けてきた秀明自身が励ませれた様にも感じたからだ。

そして、自分が放送を聞いてくれているヒト達に伝えたいと思っていることは───。

このことについて、漠然とした想いはあるものの、まだ秀明の中では曖昧模糊としていて、言葉にすることが出来ないでいる。

それを具体的な言葉として語った亜莉寿に対して、「先を越された……」という悔しい想いがあったのも事実だった。

『シネマハウスにようこそ』を通じて、自分が伝えたい想い───。

それを自分の口から語ることができる様になるまで、番組を降りたくはない。

 

放送部の大切な企画に、誘ってくれた昭聞の気持ちに報いるために───。

出演する最後の機会に、熱いメッセージを残してくれた亜莉寿の想いに応えるために───。

何よりも、自らの心の中にある想いを具体的な言葉として伝えたいと感じる自分自身のために───。

 

《トーク・ハード!》

 

「そういうことか……」

 

秀明はつぶやき、目の前の上級生に告げる。

 

「高梨センパイのお話しを聞いて、覚悟が決まりました!『シネマハウスへようこそ』の番組の看板、ボクが背負わせてもらいます!」

 

秀明の唐突な宣言に、不意を突かれたのか、翼は、一瞬目を丸くした後、プッと吹き出して、クククと笑い、

「いきなり、何を言い出すかと思ったら……。まあ、有間クンが覚悟を決めてくれたんなら、それでイイわ!」

と意図が伝わったことを喜びような表情で言葉を返す。

そして、

 

「あと、もう一つ───」

 

さらに言葉を続ける。

 

「これは、プライバシーに関わるお節介やけど、有間クンが吉野さんに対して想うことがあるなら、そのことについても、決着をつけておいた方が良いと思うよ?吉野さんがアメリカに行くまで、もう、あんまり時間もないみたいやけど……」

 

プライベートな問題に斬り込んできた上級生に、たじろぎながら、

 

「そ、それは、ボク自身の彼女に対する気持ちをごまかすな、ということですか?」

 

秀明は、問い返す。

 

「まあ、端的に言えば、そういうことになるかな~。この期に及んでも、否定したり、ごまかしたりするかと思ったけど、意外にモノわかりがイイね~、有間クン」

 

緊張状態を解いたのか、翼の口調は、いつもと同じ様なモノに変わってきた。

 

「あ~、半年くらい前にも、クラスメートに同じようなことを言われましたからね」

 

秀明が答えると、

 

「そっか~!良いアドバイスをくれる女子の友だちがいて、良かったね~。まあ、どう行動するかは有間クン次第やけど───。四月から番組を続けた時、気持ちを切り替えてもらっていないと困るからね~。新メンバーがいないまま、『シネマハウスへようこそ』が、有間クンの一人語りの番組になるにしても、新しいパートナーが決まるにしても───。ファーストネームで呼ぶくらい仲の良い、最愛の……パートナーがいないことを引きずられると、周りのヒトに迷惑が掛かるよ~」

 

いつも以上に饒舌に話しながら、自分の恋愛感情にまで踏み込んでくる上級生に閉口しつつ、秀明は、半年ほど前に、信頼するクラスメートから言われた言葉を思い出していた。

 

もし、有間が自分の想いに気付けなかったら───。

自分の気持ちにケリを付けられなかったら───。

どういう結果になるにしても、誰も幸せにならへんと思う。

 

彼女は、確か、そんなことを言っていた様に記憶している。

あの時は、「誰も幸せにならない」という言葉の意味が、いまひとつ理解できなかったが、翼の話しを聞いた今なら、わかる気がする。

 

「色々と言いたいことはありますけど、センパイの言うことにも一理ある気はするので、胸に刻んでおきます」

 

秀明が、そう告げると、

 

「がんばって~。結果は保証できへんけど~」

 

と、気の抜けた様な感じで、上級生は返答する。

その脱力ぶりに、ガクッと、全身のチカラが抜けるのを感じつつ、

 

「まあ、やれるだけのことは、やってみます」

 

秀明は、自分自身に言い聞かせるように語った。



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑫

「私の方から、言いたいことは、これだけやけど~。有間クンの方から、何か言っておきたいことはない~?」

 

自ら伝えたいことは語り終えた、と翼が秀明に話しを振ると、

 

「う~ん、特にないですけど……。あ、言っておきたいって程のことではないですが、せっかく、吉野さんが、熱く語ってくれたメッセージも、聞いてるヒトの記憶に、彼女の言葉として残らないのは、ちょっと寂しいですね」

 

秀明は、そんな感想を漏らした。

すると、番組プロデューサーは、こんなことを語り出した。

 

「まあ、情報の受け手の記憶って、曖昧やからね~。聞く側は、責任も問われないし、仕方ないよ~。情報を発信する側は、それもわかった上で、伝えないとアカンから、そもそも公平じゃないし~」

 

そこまで言ったあと、

 

「でも、一度、情報を発信する側、伝える側になったら、辞められへんやろ~?」

 

と、言葉を続けて、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「《選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり》ですか?」

 

秀明が応じると、

 

「有間クンに、太宰治を読む教養があるとは思わなかったわ~」

 

と、翼は冗談まじりに軽口をたたきながら、

 

「ホンマは、《撰ばれてあることの恍惚と不安 二つわれにあり》やけどね~。太宰の『晩年』を読み返してみた方がエエよ~」

 

と付け加えた。

その言葉を聞いた秀明は、目を丸くして、

 

「高梨センパイが、文学少女だとは思いませんでした」

と、上級生に対して、遠慮なしの言葉をぶつける。

「有間クン、そういう失礼なところが、自分の首を絞めることを自覚しておいた方がエエよ~」

 

と、翼は、こめかみと口角を少しだけひきつらせながら応じて、

 

「さあ、話しは終わったし、放送室に戻ろう~」

 

と、送別会に戻るよう、うながした。

 

 

放送室の室内に戻ると、亜莉寿と昭聞が、なにやら熱心に話し込んでいた。

翼と秀明が戻ってきたことを確認すると、すぐに昭聞は、秀明に声を掛ける。

 

「吉野さんが、カヲル君とシンジ君について、熱く語ってたから、映画やマンガのオススメ作品をお互いに出しあってるところやねん」

 

続けて、亜莉寿も

 

「私は、『太陽がいっぱい』と『ベニスに死す』を挙げて、坂野クンは『バナナ・フィッシュ』を薦めてくれたんだ!」

 

と、二人の会話を解説する。

 

「なるほど……。じゃあ、次に挙がる作品は、映画なら『インタビュー・ウィズ・バンパイア』、マンガなら『トーマの心臓』あたりなん?」

 

と、秀明が会話に加わると、二人とも言いたいことが伝わったとばかりに、フッと表情を崩した。

 

「確かに、『バナナ・フィッシュ』は、良いかもな~。アメリカが舞台やし、主人公のアッシュはリバー・フェニックスがモデルになってるって、ウワサやし。『ギルバート・グレイブ』とか『バスケットボール・ダイアリーズ』を観た『バナナ・フィッシュ』のファンは、ディカプリオ主演で実写化してほしい!って思ってるみたいやけど」

 

と、秀明が言葉を続けると、

 

「それは、より興味が湧くね!日本での公開は、まだ先になるみたいだけど、ディカプリオといえば、『太陽と月に背いて』も見逃せないし!」

 

亜莉寿も、嬉しそうに反応する。

昭聞も続けて、

 

「『太陽と月に背いて』って、ランボーとヴェルレーヌの話しやったっけ?ホンマ、そういう作品が好きなんやね、吉野さん」

 

と、微苦笑まじりに語る。

さらに、三人の会話を聞いていた上級生は、

 

「へ~、ヴェルレーヌを描いた映画があるの~?それは、私も興味あるな~。顔に似合わず、《撰ばれてあるものの恍惚と不安 二つわれにあり》って、ヴェルレーヌの言葉を引用する有間クンには、ぜひ『シネマハウスにようこそ』で紹介してもらいたいわ~」

 

と、彼らの輪の中に入ってきた。

 

(顔に似合わず、って……。「文学少女とは思わなかった」って言ったことの仕返しッスか!?)



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第13章~今夜はトーク・ハード~⑬

秀明が、チラリと翼の顔を見ると、彼女は、さらに続けて、

 

「はい、みんな注目~」

 

と言って、パンパンと手を叩く。

 

「四月以降の校内放送についてですが、有間クンと協議の結果、『シネマハウスにようこそ』の存続が正式に決まりました~。ビッグマウスの有間クンは、《番組の看板は、ボクが背負わせてもらいます!》と恥ずかしいセリフで出演を引き受けてくれましたよ~。有間クンの熱い決意に拍手~」

 

番組プロデューサーにして、放送部の最高権力者の言葉に、室内の一同は、「オオ~!!」と声を挙げて盛大に手を叩く。

 

「ちょ……。恥ずかしいセリフって───」

 

秀明のツッコミが終わらないうちに、上級生は、さらに場を進行する。

 

「では、四月からもメインを張ってくれる有間クンから、一言お願いします~」

「はっ!?ちょっと、そんなん聞いてないんですけど」

 

抵抗する秀明に、

 

「プロデューサーさんからのご指名やぞ!」

 

昭聞が檄をとばし、

 

「アリマ館長、がんばって!」

亜莉寿も笑いながら、無責任な声援を贈る。

 

「はぁ、仕方ないなぁ……」

 

と、ため息をついてから、秀明は語り出す。

 

「プロデューサーさんから、ご指名いただいた有間です。番組の中心であったアリス店長が抜けるということで、今後の放送について不安に感じることもあると思いますが……。この企画に誘ってくれたブンちゃんと、今日の放送で熱い想いを語ってくれたアリス店長の気持ちに応えるために、四月からの番組についても、これまでと変わらず全力で放送に挑もうと考えているので、引き続き、ご支援いただけると嬉しいです。来月からも、よろしくお願いします!───以上です」

 

室内の一同から拍手が鳴る。

その拍手がやむと、番組プロデューサーは、

 

「はい、有間クン、ありがとう~。来月からとヨロシクね~」

 

と進行を続け、次にあいさつする人物を指名した。

 

「じゃあ、吉野さんからも、最後に一言お願いできるかな~?」

 

再びの急な指名に、亜莉寿は、「えっ!?私ですか?」と驚いたように、つぶやいたあと、一呼吸おいて、

 

「ご指名いただきました吉野亜莉寿です。今日の放送でも話しをした様に、私は、『シネマハウスへようこそ』の番組を聞いてくれている皆さんが、何か人生で迷ったときや悩んだときに、これまで私たちが紹介する映画を思い出して、《心の支えにしてくれることがあれば、嬉しいな》という想いで、番組に出演させてもらっていました……。一学期に番組が始まったとき、校内放送について、何もわかっていなかった拙い私を、十カ月間、支えていただいて、本当にありがとうございました。向こうに行っても、この番組と放送部の活動を応援したいと思うので、四月からの放送も、がんばって下さい!そして、番組に出演者として残る二人を───。特に、私がフォローできなくなってしまう有間クンを、皆さんのチカラで支えてくれたらな、と思います。私もアメリカで環境に負けない様にがんばるので、皆さんも引き続き、良い番組ができる様にがんばって下さい!今までのお付き合い、本当に……本当に……、ありがとうございました」

 

そう言って、亜莉寿は、深々と頭を下げた。

この日、一番の盛大な拍手が、亜莉寿に贈られる。

最後の方の言葉は、涙ぐんだ声がまじっている様に聞こえた。

 

「こちらこそ、今までありがとう~!」

 

そう言って、翼が亜莉寿に駆け寄り、二人は抱き合った。

拍手を続けながら、秀明も目に水分が溜まって来ていることに気付く。

昭聞の方に目をやると、彼もまた、目を潤ませ、瞬きを繰り返していた。

 

「じゃあ、最後は、みんなで集まって写真撮るよ~」

 

翼の一言で、番組出演者と放送部の面々が集い、一月最初の収録から用意されたレンズ付きフィルムで、集合写真が撮られる。

しばし、別れの余韻に浸ったあと、翼から、放送室の一同に解散が告げられ、三々五々、放送部のメンバーが、亜莉寿に別れの言葉を告げて帰宅していく。

同じ路線で下校する昭聞と翼とともに最後まで残っていた秀明に、亜莉寿が声を掛けてきた。

 

「ねぇ、有間クンに借りている『エヴァンゲリオン』のビデオテープを返しておきたいんだけど───。日本を発つ前に、もう一度、会えないかな?」

 

亜莉寿の提案に、秀明は即座に反応する。

 

「うん、大丈夫!コッチは、何日でもイイよ!」

「じゃあ、一週間後の二十二日は、どうかな?」

 

亜莉寿は、秀明の答えに、これまた即座に提案した。

 

「了解!また、時間と場所の確認のために、前日にでも連絡させてもらうわ」

 

秀明は、提案を快諾し、二人は亜莉寿の出発前日に落ち合うことになった。

その様子を見た翼は、ニンマリと笑みをこぼし、昭聞は、不思議そうに放送部の先輩の表情を眺めていた。

こうして、吉野亜莉寿は、放送部の外部協力者としての十カ月間の活動を終えた。



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第14章~Basket Case~①

亜莉寿が日本を発つ前日、秀明は彼女と会うために、西宮北口駅近くの《珈琲屋・ドリーム》に向かっていた。

彼女と電話で話し合った際に、一番落ち着いて会話ができる場所を二人で検討した結果、最初に『シネマハウスへようこそ』の打ち合わせを行った、この喫茶店で会おう、ということになったのだ。

貸出中のビデオテープを返してもらう他に、秀明には、放送部で撮られたスナップ写真と番組宛に届いたという投書を亜莉寿に手渡すという使命が託されていた。

三学期の最終登校日となった三月十九日に、放送部に呼び出された秀明は、

 

「これまでも、何通か番組への御意見とか感想はいただいてたんやけどね~。この前の吉野さん最後の出演回の後は、投書が特に多かったから~。有間クン、吉野さんに渡してあげて~」

 

と、いつものようにのんびりした口調ながら有無を言わせぬ態度の翼に、投書されたという何通かのレターセット、そして、放送部有志が書き込んだ寄せ書きの色紙を渡された。

 

(写真も投書も高梨センパイから直接、亜莉寿に渡せば良いのに……)

 

と感じたものの、上級生なりに、自分たちに気を使って、亜莉寿と会う約束をしていた秀明に託してくれたのかも知れない。

喫茶店に到着した秀明は、そう考えなおして、店内に入る。

店舗の一番奥の四人掛け用の席には、すでに吉野亜莉寿が座っていた。

 

「ゴメン!待たせてしまったかな?」

 

と問う秀明に、

 

「ううん。私も、いま来たところだよ」

 

亜莉寿は、にこやかに笑って返答する。

 

「そっか、良かった。じゃあ、注文をしようか」

 

そう言って、二人は、いつものように、アイスエスプレッソマイルドのコーヒーを注文した。

ウェイターが席を離れると、亜莉寿は秀明が貸し出したビデオテープの入った紙袋を差し出し、

 

「ありがとう!すごく楽しめたよ。後半は、何だかトンデモない展開になって来てるけど……」

 

と、感想を添えてくれた。

秀明は、その感想を喜ばしく思いつつ、

 

「そう言ってもらえて、良かった。───けど、水曜日の第弐拾伍話を観ると、来週まともな最終回を迎えられるとは、思われへんなぁ」

 

と、苦笑しながら答えた。

 

「私は、その最終回を観られないんだよねぇ」

 

亜莉寿も連れて笑う。

 

「もし良かったら、弐拾伍話と最終回の録画分を亜莉寿の引っ越し先に送ろうか?『シネマハウスにようこそ』の新学期からの収録音声と一緒に───」

 

秀明の提案に、

 

「そこまでしてもらわなくてイイよ」

 

と、亜莉寿は、その申し出を断る。

 

「そっか……」

 

自分の勇み足ぶりを実感した秀明は、話題を変えることにした。

 

「最終回といえば、亜莉寿が出演した『シネマハウスへようこそ』の最後の放送は、反響が大きかったらしくて、投書箱に入ってたっていう御意見・ご感想の手紙を高梨センパイから預かってきたよ」

「ホントに!じゃあ、あとで読ませてもらおうかな?」

 

亜莉寿が、そう言うと同時に、注文したコーヒーが運ばれきた。

丁寧にコーヒーを配置してくれたウェイターが立ち去ると、亜莉寿は、秀明にこんなことを語った。

 

「ねぇ、有間クン。今日は借りていたビデオのお礼も言おうと思っていたんだけど───。それ以上に、今まで色々と私の話しを聞いてくれたり、相談に乗ってくれたりしたことへのお礼を言わせてもらおうと思ってるんだ」

 

 

秀明が、亜莉寿の言葉に、

「いや、自分はそんなに大したことをしてないから───」

 

苦笑しつつ、遠慮がちに答えると

 

「もう、またそうやって否定する!私にとっては、大事なことなの!今まで、私の話しは、たくさん聞いてもらったから───。今度は、有間クンが悩んでいることとか、話しておきたいことがあったら、聞かせてほしいな、って思うの」

 

亜莉寿は、より具体的なかたちで、自分の想いを提案してきた。

 

「う~ん……」

 

と秀明は、熟考した末に、

 

「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか───。いま、悩んでることは、置いといて、亜莉寿に……、と言うか、亜莉寿と話しておきたいことはあるかな?ちょっと長い話しになるかも知らんけど、大丈夫?」

 

と、問い返す。

亜莉寿は、

 

「私も、たくさんお話しを聞いてもらったからね!イイよ、有間クンが考えていることを聞かせて!」

 

そう言って快諾した。

そして、亜莉寿に了承を得た秀明は、静かに語りだした。



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第14章~Basket Case~②

「亜莉寿と話しておきたいことっていうのは、二人が出会った時からの思い出話しみたいなものなんやけど───。こうして、二人で話せる機会は、もしかすると、もうないかも知れないから……」

 

彼が、慎重に切り出すと、

 

「そう、ね───。それに、私たち二人のことなら、私にしか話せないこともあると思うし……」

 

亜莉寿も、彼女なりに思うところがあるのか、秀明に同意する。

それを聞いた秀明は、嬉しそうな笑顔で

 

「ありがとう!亜莉寿は、最初に二人が会った時のこと覚えてる?」

 

亜莉寿にたずねる。

 

「もちろん!一昨年の夏休みに、叔父さんのお店《ビデオ・アーカイブ》で、私が店番をしてた時だったよね」

「うん!ジョン・ヒューズ関連作品の『恋しくて』を探していたら、店員のお姉さんに声を掛けられて───」

「確か、夕立か何か、大雨が降ってたよね」

「そうそう!それで、雨宿りをさせてもらいながら、ジョン・ヒューズの映画について話し合ってさ」

「うん!『ブレックファスト・クラブ』のあのセリフ……」

 

「「『大人になると心が死ぬもの』」!!」

 

「二人の声が重なった時は、何だか可笑しくなって、笑っちゃった」

 

亜莉寿は、そう言って、その時のことを思い出したのか、またクスクス笑い出した。

彼女の楽しそうな様子を眺めながら、秀明は、

 

「あのセリフをハモったからかも知らんけど、すごく店員のお姉さんに親近感が湧いてさ……。その後も、亜莉寿のジョン・ヒューズ作品の映画評を聞かせてもらいながら、『このヒトは、将来、映画評論家になれるな~』って思ってた」

 

と、当時を振り返りながら話す。

 

「そうだったんだ───。何だか、ちょっと照れるな~」

 

亜莉寿は、面映ゆいといった様子で、長い髪の毛先をクルクルと触る。

 

「自分としては、あの後も、『もう一度お姉さんに会いたいな~』って思ってたことをブンちゃんに暴露されてしまったけど……」

 

照れくさそうに目尻を掻きながら秀明は、つぶやいた。

 

「そうだったね!坂野クンが、そのことを教えてくれた時の有間クンの表情は、今でも思い出せるよ」

 

表情を一変させて、今度はニヤニヤと微笑む亜莉寿。

 

「それは、もう忘れてほしいわ───。オレが話したんやから、亜莉寿も、あの夏の日、映画について語り合った相手に対して、どう思ってたか聞かせて」

 

秀明が要求すると、

 

「まあ、有間クン程じゃないかも知れないけど、《ビデオ・アーカイブ》のお姉さんとしても、また、この男の子と映画について、話せたら楽しいだろうな、って思ってたよ───」

 

亜莉寿は、そう答えた後に一拍おいて、

 

「だから、四月の最初のホームルームで、同じクラスの男子が自己紹介をして、あの夏の日の男の子と同じ名前を名乗った時は、本当にビックリしたもの……」

 

と、当時の心境を語る。そして、さらに一拍おいて、

 

「まあ、その後、私も自己紹介で映画が好きなことをアピールしたのに、誰かさんには、一ヶ月半も放置されたんですけどね───(微笑)」

 

久々に自分に向けられた《ダークネス・アリス・スマイリング(吉野亜莉寿の暗黒微笑)レベル1》に、秀明は、

 

「……」

 

しばし硬直する。そして、

 

「あらためて、その節は、本当に申し訳ございませんでした」

 

土下座をせんばかりの勢いで、謝罪した。

その様子を見た、亜莉寿はクスクスと可笑しそうに笑いながら、

 

「あの時は、『どうして、私に気付かないの!』って、ホントに腹が立ってたんだけど───。良く考えたら、会員カードで名前を知ってた私と違って、有間クンは、私の名前を知り様がなかったもんね」

 

そう言って、フォローしてくれる彼女に、秀明は

 

「それもあるけど……。お店で働いているのが、中学生とは思わなかったし───。あと、自分は中学生なりに映画の知識や見方に対して自信を持っていたけど、自分より遥かに映画に詳しくて、深い見方ができるヒトが、同じ中学生だとは考えられなかったっていうのが、大きいかな、と思う」

 

懐かしそうに、当時の想いを語った。

 

「そんな風に思ってたんだ……」

 

と、秀明の言葉を聞いた亜莉寿は、反応し、

 

「やっぱり、もっと早く私が声を掛けておけば良かったのかな?」

 

と、独り言の様にポツリとつぶやいた。

 

「いや、それは、自分の周りの環境を考えると、難しかったやろうなぁ。クラスで話してる時のオレとブンちゃん達の周りの雰囲気って、独特やろ?」

 

苦笑いしながら、秀明は亜莉寿をフォローし、

 

「あの空気に割って入って来れる女子は、元々の知り合いのショウさんか、あとは───、ケタ外れのコミュニケーション能力を持ってるA組の朝日奈さんくらいやわ」

 

おどけた様な表情で締めくくった。



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第14章~Basket Case~③

その表情に、プッと吹き出した亜莉寿は、

 

「そうだね。そういうところでは、男子の輪に入っていける正田さんが、羨ましい、って思ってたなぁ」

 

と、入学直後の頃を振り返る。

 

「ショウさんには、高校に入ってからも、あの頃からお世話になってる気がするなぁ」

 

と、秀明は、クラスメートに感謝しつつ、

 

「それで、神戸の新開地で二本立て映画を観に行った日に───」

 

前年の五月のことを回想すると、亜莉寿も、

 

「タランティーノ映画の二本立てだったよね?あの映画館のロビーに有間クンが座っていて……」

 

と、その日のことを懐かしむ。

 

「いや、亜莉寿に声を掛けられたときは、ビックリしたな~。まさか、クラスの女子が、下町の映画館に来るとは思ってなかったから」

 

秀明も懐かしそうに語ると、

 

「でも、ニブいニブい有間クンが、本当に驚いたのは、その後でしょう?」

 

クククと、楽しそうに笑いながら亜莉寿は問い掛ける。

亜莉寿の問いに応じた秀明は、

 

「えぇ、そうですよ!《ビデオ・アーカイブ》のお姉さんが、目の前にいたんですからね!」

 

と観念した様に事実を認めた。

 

「その後、哀れな少年は、お姉さんに、チクチクとイジメられるし───」

 

と、拗ねた様な表情で、つぶやく。

そんな秀明の表情を見ながら、亜莉寿が

 

「イジメたなんて言われるのは、心外だな。私は、一ヶ月以上も放置されていたことに対する説明を求めただけだから」

 

持論を展開すると、秀明は表情を崩して

 

「その言い方、亜莉寿らしいな」

 

そう言って微笑み、

 

「───で、その後、夏休み以来になる映画の話をして……」

 

と、続ける。

 

すると、亜莉寿は、

 

「うん!私にとっては、一ヶ月以上も待たされてからのことだったからね」

 

言って笑いながら、

 

「ようやく、話せる様になった!と思って、たくさん、おしゃべりしちゃった」

 

懐かしげに話す。

秀明も、

 

「あの時、亜莉寿と話せたのは、本当に幸運だったと思うな~。ブンちゃんから『シネマハウスへようこそ』の企画に誘われたばかりだったし───」

 

と振り返りながら、

 

「そういえば、初めての番組に備えた打ち合わせで、話し合いをしたのも、この喫茶店で……」

 

感慨深げに言った。

 

「『ショーシャンクの空に』について、話したんだっけ?」

 

亜莉寿が思い返して言うと、

 

「そうそう!ブンちゃんから、招待状をもらって、二人で試写会に行って───。初見の映画の感想を話し合ったのは、あの日が最初だったかも!同じ様に観ていても、亜莉寿は、深く映画を観てるな~、って感心してた」

 

秀明も、当時のことを振り返りながら、その時、感じていたことを口にした。そして、

 

「いま、思えばやけど───。あの頃から、亜莉寿は、小説とか脚本のアイデアを練ってたの?」

 

と、疑問に思っていたことを彼女に質問する。

 

「ん~、どうだったかな?ただ、有間クンと映画や小説の話しをし始めてから、具体的に将来の夢とか、小説を書いてみよう、と考え始めたのは確かかな」

 

亜莉寿も、その頃を思い出しながら、答えてくれた。

 

「そっか───。あと、『たんぽぽ娘』を薦めてくれたのも、あの頃だったんじゃないかな、確か」

「そうだね!それまで、映画の話しは良くしていたけど、SF小説の話しは、その時が初めてだったかな?私にとっては、大切な本だったから、有間クンの感想を聞くまでは、ドキドキだったけど……」

 

亜莉寿は、そんな風に振り返る。

しかし、秀明が

 

「そう言う割りには、オレが感想を話した時、見事にワナに嵌めてくれた感じがしたけど?」

 

と、皮肉っぽく言うと、亜莉寿は

 

「あの時は、ゴメンナサイ」

 

珍しくしおらしく謝罪した。

彼女のその様子を意外に感じたのか、

 

「いや、別に怒ってないから、謝らんといて!亜莉寿に、そんな風に言われると調子が狂うわ」

 

秀明は笑いながら言って、さらに、

 

「それに、亜莉寿だけじゃなくて、吉野家のご両親にとっても、大切な思い出になっているみたいやし───。そういう作品を薦めてもらって嬉しいな、って思ってるよ」

 

と、続けた。

 

「そう───。それなら良かった。そう言ってもらえて、私も嬉しいな……。ありがとう」

 

亜莉寿は、照れた様に、つぶやいた。

彼女の様子を見ながら、秀明は話題を次に移す。



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第14章~Basket Case~④

「うん───。あと、一学期のことで印象に残ってるは、『耳をすませば』を観に行った時と、その放送回かな?」

「私も、あの放送の時は、良く覚えてる!あの頃から、何となく収録で話していて、楽しく話せてるな、って手応えみたいなモノを感じることができた気がするから───」

 

亜莉寿も、秀明に同意する。

 

「そうやね。あと、『耳をすませば』で思い返すのは───。亜莉寿は、あの映画の月島雫と天沢聖司の二人に共感していたのかな、って……」

 

秀明が、ためらいがちに話すと、

 

「良く覚えてるね、有間クン。確かに、あの映画では、雫ちゃんと聖司クンに感情移入しながら観ていたな~。でも、私が映画を観て泣いていた、なんてことまで、映画紹介の時に言う必要はないんじゃない(微笑)?」

 

彼女の例の微笑みに、秀明は即座に謝罪しつつ、

 

「いや、ホントあの時は、申し訳なかったです。確かに、個人的なことは校内放送で言うべきではないよね───。ただ、あの後、オレもアリス店長に、ラブコメ映画ばかり借りている、って個人情報を暴露されるというカウンターパンチを喰らったけど……」

 

と、自らも無傷ではなかったことをアピールする。

一方の亜莉寿は、あくまで自分に非はないとの主張を曲げない。

 

「それは、有間クンの自業自得ね。余計なことを言わなければ、私だって有間クンの趣味を曝すつもりはなかったもの」

 

彼女の言動に、秀明は苦笑しつつ、

 

「それでこそ、亜莉寿らしいわ。まあ、自分が番組の中でイジられるという流れが確立されたし、高梨センパイからも内容に、お墨付きをもらえたから、ケガの功名としておこうか」

 

と振り返る。

 

「私らしい……、って有間クンの中での吉野亜莉寿は、どういう評価なの?」

 

笑いながら問い掛ける彼女の質問はスルーして、秀明は話題を次に移す。

 

「夏休みのことは覚えてる?亜莉寿に、《課題図書》を渡されたけど?」

 

秀明の急な振りに、

 

「うん!ティプトリー・ジュニアの文庫本を一気に読んでもらったよね!」

 

亜莉寿は、戸惑うことなく反応する。

 

「そうそう!内容が難解な話しもあったから、読んだ短編のすべての物語を理解できたとは言い切れないけど───。亜莉寿に感想を聞いてもらった何編かについては、自分の人生の中でも、思い出に残る物語になると思うな」

 

そう語る秀明の言葉に、亜莉寿は、

 

「───あらためて、そう言ってもらえると嬉しいな。私の中では、『たんぽぽ娘』と同じか、それ以上に大切にしたいと思ってる本だから……」

 

ポツリと言う。

秀明も、将来の夢に関わる作品であるという彼女の想いを理解しつつ、

 

「それだけ大切に思ってる作品を薦めてくれて、オレも嬉しいと思うよ───。しかも、自分の好みに合う物語だったから、余計にね。それに、何と言っても、作者のティプトリー・ジュニア本人に興味をひかれたから……。作家個人に、あんなに魅力を感じて、興味を持つことは、もう今後の人生でもないと思うわ」

 

自らの想いを語った。

亜莉寿は、秀明の言葉に苦笑しつつ、

 

「相変わらず、大げさに語るなぁ、有間クンは……。でも、そんなに想ってもらえるなら、ホントに読んでもらえて良かったな、って思う。色々と熱心にティプトリーのことを調べてたみたいだしね。それが、きっかけで、我が家にも来てもらうことになったし───」

 

彼女の言葉を聞きながら、秀明は、意を決した様に告げた。

 

「その、亜莉寿の家に初めて行かせてもらった時のことなんやけどさ───。オレが、あの時、どんなことを考えていたか、ちょっと、話しをさせてもらって良いかな?」

 

秀明の思いがけない言葉に、意表をつかれた亜莉寿は、少し戸惑いながらも、

 

「……うん。それは、構わないけど───」

と、応じる。

 

「ありがとう!───と、その前に、かなり話しも長くなってしまってるし、コーヒーのおかわりを頼もうか?」

 

そう言って、秀明は、店内のウェイターに声を掛けた。

おかわりの注文に応じたウェイターは、すぐに二人分のアイスコーヒーを配膳してくれた。

コーヒーを受け取った秀明は、仕切り直しができたといった感じで、亜莉寿に向き直り、再び語り出す。

 

「亜莉寿に、家に来ないか、って誘われた時、行かせてもらって良いのか、実は、かなり迷ってたんよ」

「どうして?私の方から提案したことなんだから、別に問題ないと思うんだけど───」

 

亜莉寿のしごく当然の疑問に、秀明は答える。

 

「うん。普通に考えれば、そうなんやけど───。ここからは、一方的な自分語りになってしまうかも知れないけど、勘弁してな」

 

やや困惑しながらも、首をたてに振った亜莉寿の様子を肯定、と捉えて秀明は、自分の過去の経験について語り出した。



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第14章~Basket Case~⑤

「小学生の時、クラスに好きになった女の子がいてさ……。その子を好きになった理由は、席替えの時に席が隣になって、良く話す様になった、っていう他愛もないことなんやけど───。クラスで、その子と話すのが、あまりにも楽しかったから、『もっと、この子のことを知りたい』『放課後も会って話せたら楽しいだろうな』って思ったんよ。───で、小学生の時のオレは、放課後、自分の家から、そう遠く離れてなかった彼女の家の近くを巡るようになってしまって……」

 

亜莉寿は、秀明の話しを黙って聞いている。

 

「偶然を装って彼女に会えたら、って考えてたんやろうな、あのときの自分は───。それでも、二日くらいした後に、我にかえって、『自分は、何を気持ち悪いことをしてるんやろう』って思い直したら、自分自身の性格とか行動が怖くなってしまって……。考えたら、当たり前やわな。クラスメートで知り合いとは言え、自分が、他のヒトにそんなことされたら、怖くて学校に行けなくなってしまうかも知れない。それからは、彼女に何か申し訳なくなって、積極的に話せなくなってしまった。そのうち、その子に対する自分の中の恋愛感情みたいなモノも消えてしまって───。それ以来、女の子のことを好きになったりとか、恋愛的な話しは、自分には無縁なんやろうと思うようになったんよ」

 

秀明が、そこまで語り終えると、亜莉寿は、

 

「そんなことがあったんだ……」

 

消え入りそうな声で、つぶやいた。

 

「うん……。ちょっと話しは最近に飛ぶけど、そういう理由で、映画の『(ハル)』は観ていて結構、ヒヤリとしたというか───。映画の中で、深津絵里が演じてた(ほし)につきまとうストーカー男の戸部みたいな人間になってしまう可能性もあったのかな、って思うと、少し怖かったし、観ててツラかったな~。こういうのを共感性羞恥、っていうんやったっけ?」

 

秀明が、そう言うと、

 

「そっか……」

 

と、亜莉寿は返答する。

 

「『耳をすませば』の理想に燃える若い二人に共感してる亜莉寿に比べて、自分は、何て器が小さい人間なんだ、って思うわ」

 

秀明が、自分を卑下した様な微笑で、自己評価を下し、亜莉寿を持ち上げる発言をすると、

 

「それは───。そんなことはないと思うけど……」

 

そう言うと、彼女は、そんな悲しいことは言わないでほしい、といった表情で秀明を見つめた。

その表情を見ながら、

 

「でも、だからこそというか、あの夏休みの日に、亜莉寿から吉野家に誘ってもらえたことは、本当に感謝してる。おまけに、亜莉寿にとって、大切な本まで読ませてもらって……」

 

秀明は、さらに言葉を続けて、

 

「自分は、好きになったこととか、興味を持ったことに対しては、『知りたい』という欲求が強く出すぎてしまって───。ティプトリー・ジュニアについて、色々と調べたくなったのも、その表れかな?自分の想いの向かう先が、映画とか小説に限られている場合は、問題ないんやろうけど……」

 

自嘲的な苦笑いをして語る。

 

「そんな風に考えていたんだ───」

 

亜莉寿は、ようやく、それだけを言葉にした。

 

「ゴメンな……。こんな話しをしてしまって」

 

秀明が、再び謝罪の言葉を口にすると、

 

「ううん───。私の方こそ、あの日は、自分のことで頭がいっぱいで……。有間クンが、そんな風に悩んでいたなんて知らずに、自分の話しばかり聞いてもらって申し訳ないな、って」

 

自責の念にかられたのか、亜莉寿も秀明に謝ろうとする。

そんな彼女を制して、秀明は、

 

「いやいや、これはオレの方の問題やから、亜莉寿が謝ることじゃないよ!それに、あの日、亜莉寿に色々な話しを聞かせてもらって、少しは自分も信頼してもらえる人間になれたかな、って思うことが出来たから……。自分の過去の経験を克服するきっかけになった部分は大きいと思う。その意味でも、亜莉寿に感謝しないとね。本当にありがとう」

 

と、感謝の言葉を口にした。

亜莉寿は、自分の名前を秀明に呼んでもらうように提案した時のことを思いだしながら、

 

「そんな───。私は、自分の話しを聞いてもらっただけだから……」

 

それだけ言うと、次の言葉が見つからず、再び口を閉ざす。

その様子に、自分語りのせいで、彼女に気まずい想いをさせてしまった、と反省した秀明は、話題を変えるべく、努めて明るい口調で、

 

「いや、ホンマ、こんな話しの流れになって申し訳ない。夏休みが明けてから、印象に残ってることはある?」

 

亜莉寿にたずねた。

秀明の急な質問に、一瞬、戸惑った亜莉寿だが、

 

「えっと……。そういえば、二学期が始まった頃、正田さんに呼ばれて、その時の近況を話したことがあったな~」

 

と、秋が始まったばかりの頃を思い出しながら語る。

 

「あ!それって、『シネマハウスへようこそ!』で『恋人までの距離(ディスタンス)』を紹介した頃のことじゃない?」

 

秀明も、その頃のことを思い出したのか、亜莉寿に同調した。



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第14章~Basket Case~⑥

「そうだったかも!高梨先輩と有間クンが、番組の内容について、駆け引きめいたことをしていて……。私の話す内容のことも色々と考えてくれているんだな、って思ったことを正田さんに話した気がする」

 

亜莉寿は、振り返りながら語る。

 

「そっか~。自分も、ショウさんに、助言というか、アドバイスをもらったのは、同じ時期やったと思う。番組の内容が認知されてきて、亜莉寿やブンちゃんに注目が集まりだした頃やったね」

 

秀明の言葉に、亜莉寿も、

 

「そうそう!」

 

と、同意する。

そんな、彼女の答えに、秀明は、

 

「ブンちゃんは、不特定多数の女子から好奇の目で見られるのを迷惑がってるところがあったけど───。亜莉寿は、あの頃、イヤな想いをすることとか無かったの?」

 

と、気になっていたことを聞いてみた。

彼の問いに、亜莉寿は、

 

「う~ん───。秋の初めの頃に、男子の視線が気になったことが少しあったけど、それもすぐに収まったかな?その月の終わりくらいの放送で、有間クンが、身を呈して《注意喚起》をしてくれたから」

 

と、最後はクスクス笑いながら、返答する。

秀明が、すぐに反応し、

 

「あ~、高梨センパイの考えたアレな!『一方的なお願い』では、反発を受けるかも知れないし、ドコかで自分たちの側にも笑えるネタにできる部分があることをアピールする必要があるのも、わかるけど───。ホンマに酷いことを考えるよな、あのヒトは……。オレのことをナンやと思ってんねん!」

 

盛大に愚痴をこぼすと、亜莉寿は、アハハとさらに可笑しそうに笑ったあと、

 

「でも、そのおかげで、私と坂野クンは、イヤな想いをすることはなくなったから、有間クンには感謝だよ!あの頃、進路について考え始めた頃だったから、他の悩みをアッサリ解決してもらえて、私としては、ホントに助かったんだ」

 

と、亜莉寿は言った。

そんな、彼女の言葉を噛み締めつつ、秀明は、

 

「それなら、少しは役に立てて良かったかな?あと、生徒集会で気が滅入る話しをされたのも、この時期だった気がするなぁ」

 

と、回想する。

亜莉寿も、「そうだね」と答え、

 

「有間クンに、大事な話しがある、と言って聞いてもらったのも、このしばらく後だったし───」

 

慎重に言葉を選びながら、そう語った。

 

「あ!亜莉寿に、『ロッキー・ホラー・ショー特別上映』に誘ってもらった時のことかな?」

 

秀明が亜莉寿の言葉の続きをたずねると、

 

「うん……。あの夜のことは、私の中で特別なことだから───」

 

彼女は、答えた。

そして、

 

「ずっと前から自分が考えていた将来の夢と、その時の自分の状況が、あまりにもかけ離れている気がしたから、どうして良いのかわからなくて、気持ちだけが焦ってしまって───。今の学校の方針に不満を持ったことも、海外の高校に編入したいと考えたことも、結局は現状から逃げてるだけじゃないのか、って自分でも思っていて───。誰かに自分の想いを聞いてほしかったけど、こんなことは、誰にもわかってもらえないと思っていたから……。だから、有間クンが、自分の感じたことや考えていたことに共感してくれたのは、ホントに嬉しかったんだ」

 

溢れだした感情を抑えられない、といった感じで、亜莉寿は、一気に自分の想いを語る。

そんな彼女の様子を黙って聞いていた秀明は、

 

「そうなんや……。そんな風に思ってもらえていたのなら、嬉しいな」

 

と、照れた様に、つぶやいた。

亜莉寿は、さらに続けて語る。

 

「それに、有間クンはアメリカで自分の夢を叶えたい、って言った私のことを『応援したい』って言ってくれたでしょう?あの言葉には、ホントに勇気づけられた。自分の味方になってくれるヒトがいるんだ、って……。その上で、有間クンは、私が海外に出て勉強したい、と思った理由とメリットを簡潔にまとめてくれて───。あの時は、ホントに有間クンが頼もしく見えたよ。あの時にしてくれたお話しを聞けていなかったら、ウチの両親と話す時も、もっと大変だったと思う───」

 

吐露する様に語られる彼女の想いに、秀明は、耳を傾けつつ、

 

「それは、亜莉寿の話しを聞いていたら、出来ないことではないから───」

 

と、言って微笑を返す。

その言葉に、亜莉寿は、フルフルと首を振って、

 

「ううん───。両親との話し合いは、ちゃんと自分でがんばらないといけないことだったのに、二ヶ月も話しを先伸ばしにしてしまった上に、また、有間クンに頼ることになってしまって……」

 

彼女が、そう言うと、秀明は、

 

「そのことなら、そんなに気にしなくてもイイよ───。それに、秋に亜莉寿の話しを聞かせてもらった時も、『ご両親に話しをする時は、チカラを貸してほしい』って言われてたからね。オレの方こそ、あの時、亜莉寿があんなに不安そうだった理由を、もう少し真剣に聞いていれば良かったな、って考えてたのよ」

 

苦笑しながら、そう答えた。

しかし、秀明の答えには納得できない、といったかんじで、再び首を横に振り、亜莉寿も自分の想いをぶつける。

 

「でも、私はあの時のことについて、まだ、きちんとお礼を言えていないし───。自分に出来ることがあれば、有間クンに恩返しをしたいな、って考えているんだ」

 

彼女が、そこまで一気に語り、続けて「だから、私は───」と言葉を発しようとした瞬間、秀明が遮るように

 

「いや、オレは、そこまでしてもらえる程、偉い人間ではないから───」

 

と、割って入ってきた。

その言葉に驚いた亜莉寿が、口を開けられないでいると、秀明は、珍しく彼女の反応を気にすることなく、一方的にたずねる。

 

「また、少し話しが長くなるかも知らんけど、聞いてもらってもイイ?」

 

その勢いに呑まれた亜莉寿が、思わずうなずくと、彼は、これまでの自分の想いを振り返るように語りだした。



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第14章~Basket Case~⑦

「九月頃───。亜莉寿が、ショウさんに呼ばれて夏休みのことを聞かれた日、オレも放課後にショウさんと会っていて、彼女からアドバイスというか、助言みたいなことを言われたんよ。『校内放送が注目されだすと吉野さんは、他のクラスや学年の男子からも注目を浴びると思うけど、有間はどう考えてるの?』『以前の苦い経験があったとしても、有間自身が、吉野さんのことをどう想っているのか、自分の気持ちには向きあうべき』って、こんな感じのことやったかな」

 

黙って話しを聞いている亜莉寿に、秀明は、さらに語り続ける。

 

「実は、さっき亜莉寿に話したオレの小学生時代のことは、何年か前にショウさんだけに話していたことがあって、それで、心配してくれていたのかな、って思うんやけど───」

 

秀明の言葉に、亜莉寿は、

 

「そうなんだ……」

 

と、つぶやく。

 

「うん……。それで、自分でも考えてみたんやけど、オレは、亜莉寿が、他の男子にあまり多く注目を集めたり、仲良く話しをしたりすることを想像すると、『何かイヤだな……』って感じてしまったんよ」

 

秀明が、そう言うと、亜莉寿は、意外そうな表情で、一言

 

「そうなの?」

 

と、たずねる。

 

「うん───。他にも、ブンちゃんが女子に注目されて、明らかに迷惑がってると感じてたから、という理由もあるけど、色々と思うところがあって、高梨センパイに相談させてもらった、っていうのが実際の自分の気持ち。もちろん、亜莉寿に、ブンちゃんの様なイヤな想いをしてほしくなかった、ということも建前ではないと言いたいけど……。亜莉寿が、他の男子と仲良くなったら、イヤだな、ってエゴイスティックな気持ちがあったことも事実やねん」

 

亜莉寿は、再び秀明の言葉を黙って聞き入る。

 

「まあ、高梨センパイが考えたあの方法も、エゴイスティックな自分への罰なのかな、って思ったりもしたわ」

 

秀明は、そう言って自嘲気味に笑い、さらに語り続ける。

 

「それで、次に自分の中の気持ちに気付いた決定的な出来事は、やっぱり、『ロッキー・ホラー・ショー』特別上映を観に行ったあの日のこと───。亜莉寿に、レイトショーの映画に誘ってもらったこと自体が、めっちゃ嬉しかったし、当日の映画の《体験》も刺激的で、今まで劇場に行った中でも一番楽しく思えたし───」

 

秀明が、その日を振り返りながら、楽しそうに語る様子に、亜莉寿の表情も、少しほころんだ。

 

「その上映のあと、亜莉寿に、『今日は、帰りたくない気分なんだ』って言われた時、めちゃくちゃドキドキしてしまってさ……」

 

笑いながら語る秀明に、一転して亜莉寿は、

 

「ゴメンナサイ!そんな───、有間クンを振り回すつもりで言ったんじゃなかったんだけど……」

 

申し訳なさそうに謝る。

秀明は、笑顔で

 

「いやいや!勝手に勘違いしたオレが悪いんやから、亜莉寿のせいじゃないよ!」

 

と、彼女を擁護し、さらに続けて、

 

「あの後、亜莉寿に『ロッキー・ホラー・ショー』の見解を聞かせてもらって、やっぱり、亜莉寿の話しを聞くのは面白いな、って思って───。そして、自分が感じたことを話したら、亜莉寿に少し誉めてもらえて───。自分は、世界中で、誰よりも亜莉寿に認めてもらえることを嬉しく感じるんだな、って思って───」

 

そこまで語ると、一呼吸をおき、

 

「……。その時に、初めて、『あぁ、自分は目の前のこのヒトのことが好きなんだ』って実感することが出来た」

 

そう言って、溜め込んだ想いとともに、秀明は、息を吐き出した。

 

亜莉寿は、しばらくの間、秀明の口から放たれた言葉の意味を認識できなかったが、その内容が頭の中で整理され始めると、

 

 

「えっ!?えっ!?有間クンが、私を!?なんで!?どうして!?」

 

 

口に出してしまうくらい、混乱し始めた。

その様子を見た秀明は、あわてて

 

「こんなタイミングで、こういう話しをしてしまって、ホンマにゴメン!ただ、あの日、あの時の自分の気持ちが、どう動いていたのかを聞いてもらいたかったから───」

 

と、亜莉寿に謝罪して、さらに言葉を続ける。

 

「もう少し、話しをさせてもらうと、あの夜、いま言った自分の《想い》に気付いた、そのすぐ後に、亜莉寿から、『海外の学校に転校したい』ということと、今の学校について感じてる不満を聞かせてもらったから───。その時、『自分の想いは、いま話すべきことではないな』って感じたんよ」

 

秀明のその言葉に、少し冷静さを取り戻した亜莉寿は、

「そ、そうだったんだ……」

 

と、ようやく、それだけ返答する。

亜莉寿の言葉に秀明も反応し、

 

「うん……。あの後、亜莉寿は、ご両親と学校のこととか将来のこととか話さないといけないだろうし、海外に行くことが決まったら、忙しくなるんだろうな、って思ったから───。あと、亜莉寿は、あの夜、オレがファミレスで何回も席を外したの覚えてる?」

 

自分が、その夜に考えていたことを話した後に、彼女に質問をすると、

 

「そういえば───、そうだったかな?」

 

亜莉寿も、記憶をたどりながら答える。

秀明は、彼女の返答に対して首を縦に振り、

 

「あの時は、亜莉寿に対する想いとか、亜莉寿と離れることになるかも知れない寂しさとか、自分の中で色々な感情が押し寄せてきて……。冷静な気持ちでいられなかったから、その度ごとに、席を立ってしまって───。亜莉寿が、真剣に悩んでる時なのに、申し訳ないことをしてしまった」

 

彼の言葉に、亜莉寿は首を横に振り、

 

「ううん……。私の方こそ、自分のことだけで、精一杯で───。有間クンが、そんな想いをしているなんて、全く思ってなかったから───。さっきも言ったみたいに、有間クンの気持ちを知らないまま、二ヶ月後も協力してもらうことになって───。本当にゴメンナサイ」

 

と、秀明に謝意を表した。

そんな亜莉寿の言葉に、秀明は

 

「いや、亜莉寿に謝ってもらうことではないよ───」

 

と、優しく語りかける。

そして、続けて

 

「小学生の時は、好きになった女の子に対して、迷惑が掛かる様なことをしてしまったけど───。今度は、少しでも亜莉寿の役に立つことが出来て、喜んでもらえたのだとしたら、『あぁ、良かったな』って思えるからね」

 

と、言って微笑んだ。

一方の亜莉寿は、語るべき言葉が見つからないのか、黙ったまま、うつむいている。

その様子をうかがいながら、秀明は、

 

「ゴメン。急にこんな話しをしてしまって───。伝えたかったのは、場所は離れていても、亜莉寿のことを想って、応援している人間は居るから、亜莉寿には、自分の夢を精一杯追いかけてほしいな、って思ってるということ。亜莉寿が夢を叶えてくれたら、それが、自分の喜びにもなるかな、って思うから……」

 

落ち着いた口調で話し、自分の語るべきことは、すべて語り尽くした、という達成感に満ちた晴れやかな表情で、再び亜莉寿を見つめた。

彼の言葉を聞き終えた亜莉寿は、

 

「ありがとう」

 

と、感謝の言葉を伝える。

しかし、言葉とはうらはらに、彼女の顔は、ニコリともしない表情のままである。

そうして、彼女は秀明が予想もしていなかった言葉を口にした。



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第14章~Basket Case~⑧

「有間クンの気持ちは、とっても嬉しいけれど、私としては、納得できない部分もあるかな?『場所は離れても応援してくれる』って思ってくれるのはありがたいけれど、勝手に関係を終わらせる様なことは言わないでほしいな!」

 

そう語る亜莉寿の様子は、静かな怒りが湧いている、といった感じだ。

亜莉寿の表情から漂う雰囲気に、秀明の感情は達成感に満ちた穏やかなものから、一転する。

 

「えっ……、と。オレ、何か亜莉寿の気に障ることを言ったかな?」

 

疑問を口にする秀明に、亜莉寿は、反対に、

 

「有間クンの言い方だと、これからの私たちが、コミュニケーションを取る手段がなくて、もう二度と会えない、みたいに聞こえるけど、そうじゃないよね?」

 

詰問するように秀明を問い詰める。

 

「そりゃ、コミュニケーションを取る手段が、全くない訳じゃないけど、もう今までの様に、話せる訳ではないし……」

 

秀明が、そう答えると、亜莉寿は、何を鈍いことを言っているのか、といった表情で、ため息を一つつき、

 

「有間クン、有間クンが今年の最初に『シネマハウスへようこそ』で熱心に話した映画は、何だった?そして、その映画は、どんなテーマの作品だった?」

 

と、彼にたずねた。

亜莉寿の言葉に、秀明は、「あっ!」と声を挙げて、

 

「そうか───。『(ハル)』みたいに……」

 

と、つぶやく。

秀明の様子を眺めながら、亜莉寿は、ようやく気付いたか、といった感じで、

 

「メールでのコミュニケーションは、ただ文章を送り合うだけじゃないでしょう?少なくとも、私は、そう考えているんだけど───。有間クンは、違うの?」

 

あらためて、秀明にたずねる。

彼女の問いに、

 

「…………。いや!亜莉寿の言う通りやわ」

 

と、つぶやき、

 

「自分の考えが足りてなかった」

 

秀明が答えると、亜莉寿は、

 

「もう!なんのために、あんなに熱く『(ハル)』について語ったのよ?」

 

可笑しそうにクスクスと笑いながら言った。

亜莉寿の言葉に反応した秀明が、

 

「面目ないです」

 

と、小声でつぶやくと、彼女は

 

「ねぇ、有間クン。自分のメールアドレスって、覚えてる?」

 

と、秀明にたずねる。

 

「いや、まだ、ほとんどメールを使ってないから、覚えてないわ……。自宅に戻れば、すぐにわかると思うけど───」

 

秀明が、そう答えると、

 

「じゃあ、明日、私が出発するまでに、メールアドレスを教えてくれないかな?あと、もし予定が空いていれば、なんだけど───。ウチの父と一緒に、空港まで来てくれると嬉しいな、って思うんだ」

 

亜莉寿は、こんな提案をしてきた。

それを聞いた秀明は、

 

「アドレスの件は大丈夫やけど───。空港に行くっていうのは、亜莉寿とお母さんのお見送りをする、ってこと?オレが行っても良いの?」

 

と、亜莉寿に聞き返す。

亜莉寿は、すぐに返答する。

 

「うん!両親は、二人とも有間クンに会いたがっているから───」

 

翌日は、なるべく亜莉寿との別離という現実から離れたかった秀明は、映画を観に行こうと考えていたが、彼女の提案に心を動かされた。

 

「そっか───。ご両親に迷惑が掛からないなら、お言葉に甘えて、一緒に関空に行かせてもらおうかな」

 

照れくささと申し訳なさが混じった感情から、鼻の端のあたりを掻きながら、秀明は、そう答えた。

秀明の答えに、亜莉寿はすぐに応じて

 

「うん!じゃあ、ちょっと早い時間だけど、朝の八時半に仁川駅のロータリーのところで待っていてくれないかな?」

 

と待ち合わせ場所と時間を指定してきた。

 

「わかった!メールアドレスも、忘れずに控えておくわ」

 

秀明は、彼女の言葉にそう答えた後、

 

「あ、そうそう!高梨センパイから預かって来たモノを渡さないと───。放送部のヒト達と撮った写真と、こっちのレターセットには、放送を聞いてくれた人が感想を書いてくれてるらしいよ」

 

と言って、現像された写真入りの封筒とレターセットを手渡す。

亜莉寿は、嬉しそうに

 

「ありがとう!ねぇ、一緒に見てみない?」

 

と、秀明に提案する。

秀明も同意して、四脚ある椅子の亜莉寿の隣に移動し、スナップ写真の前にレターセットを開封した。



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第14章~Basket Case~⑨

薄い黄色の便箋には、丁寧な文字で綴られている。

 

『シネマハウスにようこそ』出演者のみなさんへ

初めて、お便りさせてもらいます。

毎週金曜日のお昼休みに楽しく聞かせてもらっていましたが、アリス店長が、今回の放送を最後に出演されなくなる、ということで、悲しい想いでいっぱいです。

特に、今週の放送では、私達が考えていてもなかなか言えなかった《想い》を、アリス店長が代わりに言ってくれた、と感じて、とても感動しました!

 

丁寧な筆致ながらも、熱のこもった文章の書き出しに、亜莉寿と同様、秀明も胸が熱くなるのを感じたのだが…………。

 

やっぱり、シンジ君に相応しい相手は、カヲル君ですよね!

『エヴァンゲリオン』は、男性のファンが多く、女子は意見しない方が良いか、と思っていましたが、アリス店長が男子相手にも物怖じせずに、カヲル君とシンジ君の関係について話しているのを聞いて、涙が出そうになるくらい嬉しくなったのと同時に、勇気をもらえた様な気がしました。

もっともっと、アリス店長のお話しを聞きたかったと思うのですが、転校先の学校でもアリス店長が変わらず、いろいろなお話しができる様に応援しています。

お疲れ様でした。

そして、楽しいお話しをありがとうございました。

 

追伸:

 

坂野クンと有間クンの二人の関係は、残った私達が責任をもって見守らせてもらうので、安心して下さい(^-^)/

 

文章の最後は、顔文字の様なマークで結ばれていた。

二人で、お互いに顔を見合わせあと、一瞬の間を置いて、「何やねんコレは……」と、つぶやいた秀明は頭を抱え、亜莉寿は楽しそうにクスクスと笑い始めた。

自分たちのトークの内容をどう受け取るかは聞き手に委ねるしかないが、それにしても───。

映画や小説を読み解くチカラだけでなく、

(アニメのキャラクターを語ることですら、亜莉寿には敵わないのか!?)

そんな風に考えると、秀明は、もはや苦笑するしかなかった。

 

「映画の『今夜はトーク・ハード』の方じゃなくて、個人的には残念やけど、アリス店長の想いが伝わって良かったね」

 

微苦笑をたたえたまま、秀明が、亜莉寿に話しかけると、

 

「そうだね!カヲル君とシンジ君の関係性だけじゃなくて、坂野クンと有間クンのことも伝わっていて、私としては嬉しいかな?」

 

そう言って、亜莉寿は、またクスクスと笑い出す。

 

「アニメの話しは、まあ、個々人で楽しんでくれたら良いけど、自分たちのことは、勘弁してほしいわ」

 

呆れた様に語る自身の隣で笑い続ける亜莉寿を横目に見ながら、

 

「オレはともかく、ブンちゃんはなぁ───」

 

と、秀明はつぶやく。

その声に反応して、笑いを堪えた亜莉寿が、

 

「坂野クンが、どうかしたの?」

 

と、たずねる。

秀明は、一瞬ためらった後、

 

「ブンちゃんのプライバシーに関わることやけど、亜莉寿は、もう日本を離れるし、本人の名誉のためにも伝えておいた方が良いと、判断したから言うけどさ───。ブンちゃんは───」

 

後に続く言葉を亜莉寿の耳許で、ささやく。

秀明の言葉に、亜莉寿は、

 

「そうなんだ!全然、わからなかった!!」

 

と、声を挙げて驚く。

 

「いや、多分、気付いてないのは、亜莉寿くらいやわ」

 

秀明は、少し呆れながら言い放つ。

そして、直接的に言及してきた高梨翼や、遠回しに気を配ってくれた昭聞と同様に、自分の彼女に対する想いについても、おそらくは他のヒトたちに───。

秀明が、そんなことを考えていると、スナップ写真が入れられた封筒を開いた亜莉寿が、何枚かの写真を眺めながら、

 

「そっか~。そんな話を聞かせてもらうと、『みんなの色んな想いが詰まってるんだな』って思えて、なんだか、この写真にも、より愛着が湧いて来るなあ」

 

と、ポツリとつぶやく。

 

「亜莉寿に、そう思ってもらえるのは、放送部の皆さんも嬉しく感じるんじゃないかな?」

 

秀明が言葉を添えると、

 

「そうだと嬉しいな!私としては、高梨センパイじゃなくて、坂野クンと有間クンが想いあってくれていると、もっと嬉しかったけど……」

 

そう言って、また悪戯っぽく笑った。

秀明は、その言葉に声を挙げ、

 

「もう、その話しは勘弁してや!あと、このお便りをくれたヒト、匿名やけど、多分、単位制の一年やんな?オレとブンちゃんの名前をわざわざ書いてるし───」

 

そう分析した後、続けて

 

「交流のない他学年とか、学年制の生徒ならまだしも、同じ授業を受けるかも知れない生徒やと思うと、微妙な気持ちになるわ。自分は、あんまり他人の視線とか気にしないタイプやけど、『好奇の目に晒される』ことの精神的キツさが、ようやくわかった気がするわ。まさか、アリス店長以外に、こんな妄想をしているヒトが居るとは……」

 

と、うんざりした表情で語った。

 

「それだけ、坂野クンと有間クンが仲良く見える、ってことだよ!」

 

と、亜莉寿は、秀明を励ます様に言った後、また可笑しそうに笑う。

 

「それ、何のフォローにもなってないねんケド……」

 

諦観した様に言う秀明の言葉を亜莉寿は、嬉しそうに聞いていた。



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第14章~Basket Case~⑩

翌日の集合時間と場所を確認して喫茶店で別れた後、亜莉寿は自宅に戻り、明日で離れることになる自室の雰囲気を名残惜しく感じながら、この日の秀明との会話を思い返していた。

彼女自身にも、秀明に話していない想いがあった───。

 

入学式の日、クラスメートの自己紹介で彼の名前を耳にした時、自分も同じクラスにいることを自分なりにアピールしようと考えて、自身の自己紹介でも精一杯がんばったつもりだが、その成果は、芳しくなかった。

その日から、亜莉寿は、秀明の様子を観察し、彼がいつ自分の元を訪ねて来てもいい様に心の準備をしていたが、その機会は一向にやってくる気配はなかった。

それどころか、彼自身は、早々と会話の趣味が合う仲間を見つけたらしく、男子同士で、他愛ない、本当にどうでもイイ様な下らない話しで盛り上がっている様子だ。

 

あの夏の日に映画の話しで盛り上がったのは何だったのか───?

話し相手が出来れば、自分が相手じゃなくても誰でも良いということなのか───?

 

そんな風に考えると、彼女の心の中には、イライラ、モヤモヤしたものが澱の様に溜まっていく。

そうして、その後も、しばらく秀明の様子をうかがっていると、彼の周りには、どんどん、人が増えていった。

 

クラスの中心人物になる様な存在でもなければ、誰もが楽しめる話題について話している訳でもなさそうなのに、有間秀明の周囲には、多くのヒトが集まってくるのは何故なのか?

 

四月の入学式から、しばらくの間、吉野亜莉寿は、そのことが気になっていた。

 

そんな自分の様子に気付いたのか、四月のある日、クラスメートの正田舞が、自分と秀明の関係性を聞いてきた。

なかなか自分に話し掛けて来ない秀明に、いい加減、うんざりし始めていた時期だったので、彼女には、前年の夏の出来事と自分が秀明に対して感じている苛立ちについて、あらいざらい話してしまった。

今にして思えば、冷静さを欠いた行動ではあったが、正田舞に話しを聞いてもらったおかげで、ずいぶんと気持ちが楽になった。

 

それから、一ヶ月が経過した頃のこと。

中学三年の《あの夏の日》に会話を交わした時の自分の感覚が間違っていなければ、その日、秀明が、神戸の名画座『パルシネマしんこうえん』に、タランティーノ作品の二本立てを観に行くだろう、という予感というか、確信に近い想いがあった。

そして、その直感の通り、秀明は映画館のロビーに座っていた。

これまた今にして思えば、自分の執着心の強さに驚くが、彼の姿を目にした時の感情は、これまで彼が自分に関心を示さなかったことへの怒りと、ようやく彼と話せるという楽しみが入り交じった複雑なもので、あらためて振り返ってみると、なかなか面白い。

感情を抑えながらも、一ヶ月以上も自分を放置していた腹立たしさから、つい彼を責める様な会話をしてしまった気もするのだが、なぜか、秀明は気分を害した様子もなく、自分を《ビデオ・アーカイブ》の店員だと認識してからは、あの夏の日からの空白を埋める様に、映画の話しに没頭することが出来た。



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第14章~Basket Case~⑪

そのことだけでも、当初の想いを十分に果たせたと感じていたが、秀明から、校内放送の企画を聞き、その番組に誘われたことは、予想外の出来事だった。

さらに、翌日、放送部に顔を出した際に、昭聞から聞かされた『秀明の打ち明け話』は、自分にとって想定外であり、何故か、とても嬉しく感じられた。

なんだ、彼も自分と同じくらい、必死だったんじゃないか───。

しかも、そんなに思い入れたっぷりに、《あの日》のことを友人に語るなんて───。

 

(あらあら、お可愛いこと───)

 

秀明に対する気持ちに余裕が出来たからか、その後、しばらくの間、彼には、からかいの対象になってもらったが、今にして思えば、自分ばかり楽しんで、申し訳ないことをしてしまった、と思ったりもする。

オススメの本として、『たんぽぽ娘』を読んでもらった時もそうだった。

ストーリーの流れから、彼が言いそうなことを想定し、思惑通り、仕掛けにハメることが出来たが、それでも秀明は、少し悪態をつく程度で、怒ったりせず、自分と両親にとって、大切にしたい作品である、という話しを落ち着いて聞いてくれた。

そして、なかば押し付ける様にして薦めたジェームズ・ティプトリー・ジュニアの作品群を、彼が読んだ時も───。

自分にとって、そして、家族にとって、とても大切な思い入れのある作家の作品だけに、理解してもらえなかったらどうしよう、それだけでなく、つまらなかったと言われたら───。

きっと、自分が否定された様な悲しい気持ちになっていただろう。

しかし、彼は自分が期待した通り、いや、それ以上に、ティプトリーの作品群と作家本人に興味を持ってくれた。

(あまりのハマり様に、雑誌のバックナンバーなどを買い求める姿勢には、少し冷静になる様に諭したい気持ちもあったが……)

それが、自分にとって、どれだけ嬉しいことだったのかを他人に説明するのは難しい。

 

こうして振り返ってみると、有間秀明という人間は、いつも吉野亜莉寿が期待し、想定した以上の結果をもたらしている。

だからこそ、当初は考えてもいなかった自分の過去の思い出や両親から付けてもらった名前の由来も話してみようと思ったのだ。

 

何より、レイト・ショーを観に行った、あの秋の夜も───。

自分が通う学校の方針に不満を持っていること、将来のために海外の学校に転校しようと考えていることなど、他人からすると、《甘え》や《逃げ》と言える考えを彼は否定せずに聞いてくれた。

それだけでなく、自分の頭の中の考えだけが先走り、整理できていなかったことまで、簡潔に順序だてて、理解しやすくまとめてくれた。

そのことが、どれだけ心強かったか、言葉では表現できない。

そんな秀明に、両親との対話に同席してほしいと考え、その後も、二ヶ月近くの間、一人では自身の想いを両親に伝えられなかった自分の不甲斐なさが、つくづくイヤになる。

そして、去年のクリスマス・イブの日、結局、秀明に頼ることになってしまったことに対する申し訳ない気持ちは、いまだに晴れることがない。

 

こうして、時系列を追って振り返ると、秀明が、《亜莉寿=レンタル店の店員》だと気付かずに過ごしていた春先の期間以外は、多くの期間、自分のワガママで彼を振り回していたのではないかと感じる。

秋以降に秀明に頼りきりになってしまったことを含めて、亜莉寿には、罪悪感に似た感情が芽生えていた。



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第14章~Basket Case~⑫

それなのに───。

 

聞き間違いでなければ、彼は、自分のことを「好きだ」と言っていた。

それは、一般的にいうところの恋愛感情というものなのだろうか?

仮にその通りだとすると、春先の一時期をのぞけば、彼をからかったり、迷惑を掛けっぱなしだった自分に対して、好意を向ける理由がわからない。

秀明が、女性にモテないとしても、本人が好意を向けるだけなら、クラスにも他の女子がいるのに、何故よりによって自分なのか?

 

(どうして、私なの?ワケがわからないよ……)

 

それが、吉野亜莉寿の現在の偽らざる本音だった。

今日の会話の中でも、秀明は、何度か

「亜莉寿には、かなわない」

という意味の言葉を発していたが、亜莉寿からすると、自身の事情のことしか頭になかった自分の方こそ、秀明には、到底かなわないと思う。

もしも、逆の立場で、秀明が亜莉寿の元から去るという決断をしていたら、自分は、彼のチカラになってあげることが出来ただろうか?

曖昧に笑い、自分が寂しく想う気持ちを察してほしい、と思っていただけで、何も行動できなかったのではないか?

 

そう考えると、自分の気持ちを押し殺しながら、亜莉寿にとっての最善の方法を常に考えてくれた秀明に対しては、ますます頭が上がらない気がした。

少なくとも、自分には、彼に好意を持ってもらえるだけの理由がないと思うし、その資格も持ち合わせていない様に感じる。

 

(こんなのって、おかしいよ───)

 

亜莉寿は、また、自分には理解できないことだらけの思考のループに陥りかける。

 

ただ、そんな自分でも───。

ここまで考えて、わかったことがある。

一つは、一学期が始まってから秀明たちを観察していた際に芽生えた、彼の周りに多くの生徒が集まって来る理由だ。

彼の周りに集う生徒を見ると、一様にマニアックな趣味を持っていそうな面々が多い。

亜莉寿自身も例外ではないが、世間一般と比べて、マイナーなジャンルの趣味を持つ人間は、

 

「どうせ自分の話しは、他人には通じない」

 

というプライドを持ちながら、その反面どこかで、

 

「自分の話しを理解してほしい」

 

という想いを持っている。

秀明は、趣味の方面ではメジャーでないジャンルを好んでいる様だが、他人の話しを否定せずに寄り添いつつ、場を盛り上げる術に長けている。

自分が、秀明に色々と打ち明け話をしてしまったのも、そんな彼の性格の成せるわざなのだろう。

そして、もう一つ───。

自分は、これからも、秀明とたくさんコミュニケーションを取りたいのだ、という想いにも……。

 

「離ればなれになっても応援している」

 

と、秀明に言われた時、亜莉寿は、何故か彼に突き放された気がした。

今までの様に頻繁に会うことは出来ないだろうが、自分と秀明なら、電子メールの文章の往復だけでも、十分に楽しくコミュニケーションが取れる、と亜莉寿は確信していた。

秀明が、なぜ今生の別れの様なニュアンスの言葉を選んだのか───。

亜莉寿には理解できなかったが、もし、そうなってしまったら、と考えると、とても、悲しく、寂しい気持ちになった。

秀明が熱く語った、あの映画の様に─――。

電子メールでのコミュニケーションを取るという、自分の提案を受け入れ、彼が前向きに考えてくれた時は、ホッと安心することができた。

自分は、まだまだ秀明とたくさんのコミュニケーションを取る時間を必要としている───。

それだけは、ハッキリと確信を持って断言できる。

 

そのためには、自分に出来ること、もっと言えば、自分にしか出来ないことで、秀明から受けている《恩》を返していきたい───。

吉野亜莉寿は、そう強く想い、父と叔父に相談を持ち掛けようと決意した。

そして、今の気分を誰かに聞いてもらいたくなり、リビングに移動して、固定電話のボタンに指を伸ばした。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~①

翌日の土曜日、約束の時間通りに、阪急仁川駅のロータリーで待っていた秀明の元に、一台のミニバンが近づいてくる。

軽くクラクションが鳴らされ、運転席後部の二列目のシートからは、亜莉寿が手を振っているのが見えた。

秀明は、亜莉寿と彼女の両親に挨拶と礼を述べて、ミニバンに乗車する。

 

車内にて、「忘れないうちに───」と、秀明は、自宅のパソコンでプリントアウトしてきた自分のメールアドレスが印刷された用紙を亜莉寿に手渡す。

 

「ありがとう!向こうで、インターネットの環境が整って、メールが使えるようになったら、すぐに、このアドレスに連絡させてもらうね!」

 

亜莉寿は、喜んで用紙を受け取り、丁寧に折りたたんで、自分のカバンのポケットに仕舞いこんだ。

そして、再び、隣に座る秀明に話しかける。

 

「昨日は、家に帰ったあと、正田さんにもお別れの電話をさせてもらったんだ……」

「そっか……。ショウさんとは、メールのやり取りが出来ないかも知れないから、お互いに名残惜しかったんじゃないの?」

 

秀明が、そうたずねると、

 

「そうだね……。正田さんとは話しが尽きなくて、結局、夕食の時間まで話し込んじゃった」

 

と、亜莉寿は、舞との会話を思い出しながら、少し微笑んだ。

 

「おかげで、我が家の電話は、ずっとふさがったままだったよ」

 

と、後部座席の二人の会話を聞いていた亜莉寿の父・博明が苦笑しながら答えた。

 

「向こうでは、長電話は程々にしてね……」

 

ため息をつきながら、母親の真莉も、亜莉寿にクギをさす。

 

「は~い」

 

と、返事をした亜莉寿は、秀明を見て、また悪戯っぽく笑った。

 

 

仁川駅から関西国際空港へは、高速道路を利用して、一時間ほどの行程だ。  

四人が搭乗の時間まで待機する空港の四階、国際線出発フロアは、春休み中の週末ということもあって、多くの人で賑わっていた。

開港から一年半しか経過していない新空港に初めて来た秀明にとっては、周りの風景が、すべて新鮮なものに映る。

空港ビルの広大さとデザイン性に圧倒されながら、亜莉寿と言葉を交わしているうちに、「アテンションプリーズ!」と、空港内でおなじみのアナウンスが流れ、彼女たちの搭乗時間が迫っていることを告げた。

 

「じゃあ、そろそろ行くね……。有間クン、私のメールが届くまで、寂しがって泣かないようにね!」

 

亜莉寿は、冗談めかして秀明に語りかける。

 

「う~ん。亜莉寿からのメールが来るまで、寂しくて、毎日、枕が濡れてるかも」

 

秀明も、おどけた表情で答える。

 

「それだけ言えていれば、大丈夫そうだね!」

 

亜莉寿は、クスクスと楽しそうに笑いながら、秀明の返答を受け取った。

そんな二人の様子を見ながら、母親の真莉も秀明に声を掛ける。

 

「有間クン。娘のことを色々と気に掛けてくれて、本当にありがとう。時間があったら、遠慮なく私たちの所に遊びに来てちょうだい。あなたも、学校や受験をがんばってね」

 

穏やかな表情で話す真莉に、秀明は恐縮しつつ、

 

「はい!そう言ってもらえるだけで嬉しいです。ありがとうございます」

 

と、答える。

急に、かしこまった秀明の様子を楽しそうに眺めながら、

 

「それじゃ、有間クンのこと、お願いね!」

「ああ、わかったよ」

 

亜莉寿は、最後に父の博明と意味深長なアイコンタクトを交わした後、母と一緒に、秀明と父に手を振りながら、保安検査場に続く出発口に消えて行った。

 

 

亜莉寿と母の真莉の搭乗したロサンゼルスへの直行便を屋外のスカイデッキで見送ったあと、秀明は、博明に声を掛けられた。

 

「無事に飛行機も見送ることができたし、そろそろ戻ろうか。ところで、有間クン。今日は、この後、何か予定が入ったりはしてないかい?」

「いいえ、特には……。今日は週末なので、夜までに自宅に戻れたら問題ないです」

 

そう答える秀明に、博明は、意外な提案をしてきた。

 

「そうか!実は、亜莉寿に頼まれて、君を連れて行きたい場所があるんだ。夕方までには、すべて終わって帰ってもらえると思うんだけど、ちょっと、僕に付き合ってもらえないか?」

 

亜莉寿の父からの誘いということもあり、特に断る理由もなかった秀明は、

 

「わかりました!一緒に行かせてもらいます」

 

と、快諾する。

 

「ありがとう!娘からの依頼を果たせそうで、気が楽になったよ」

 

博明は、笑顔で答え、

 

「それじゃあ、目的地に着くまでの車内で、以前に会った時に約束した僕と亜莉寿の母親の昔話でも聞いてもらおうか?」

 

と言って、空港内の駐車場に向かった。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~②

秀明たちが、渡米する二人を見送っている頃、立花駅前のファーストフードには、正田舞の姿があった。

来店してから十五分ほどが経過し、二人掛けの席に座りながら、前日の吉野亜莉寿との通話の内容を思い返していると、彼女のもとに、同じ学校の生徒が姿を見せた。

 

「お待たせ〜。ゴメンね〜、舞ちゃん遅くなって〜」

「ツバ姉おそい!私との待ち合わせの時は、いっつも遅れて来るんやから!」

 

舞が、ツバ姉と呼ぶ生徒は、秀明たちが良く知る上級生であった。

 

「でも〜。今日は、舞ちゃんに会って来るって言ったら、お母さんが茉美さんに渡すモノがあるって引き止めてきたから〜」

 

高梨翼が、遅刻の理由を述べると、舞は呆れながら、

 

「はぁ〜。またなん?奈美さんから、色々してもらえるのはありがたいけど、その度に、ウチの母親が、『お姉ちゃん、こんな気をつかわんでもエエのに……』って、グチって来るねんで……」

 

と、ため息をついた。

気さくに語り合う二人の会話の内容からも想像できる様に、翼と舞は、お互いの母親同士が姉妹であり、彼女たちは、従姉妹同士の関係にあたる。

余談ながら、彼女たちが相手の親のことを名前で呼びあっているのは、二人の母親が各々の姪に、「叔母さん・伯母さん」と呼ばせない様に言いつけているからだ。

この日は、亜莉寿から受けた電話の内容について、翼の責任を追及しようと考えた舞が、従姉に招集を掛けていた。

 

「舞ちゃん、私も春休みからは、受験生やから〜。もう少し、気をつかってくれるとありがたいんやけど〜」

 

おっとりした口調ながら、呼び出されたことに苦言を呈する翼に、

 

「いや!私が、吉野さんとの会話に付き合ったのも、ツバ姉に原因があるんやから、私の話しにも付き合ってもらうで!」

 

と、舞は断言した。

 

「え〜。私は、何もしてないよ〜」

 

と、自らの関与を否定する翼に、

 

「ナニ言うてるん!?有間が、吉野さんにコクる様に仕向けたのは、ツバ姉やろう?」

 

舞は、食ってかかり、

 

「おかげで、吉野さんから電話が掛かってきて、三時間も話し相手になったんやから!」

 

と、前日の夕方、自らの身に火の粉が降りかかったことをアピールした。

翼は、話しをそらしつつも、

 

「あ〜、それで、ウチのお母さんが、正田家に電話しても話し中で繋がらない、って言ってたんや〜」

 

と、トボケてみたが、吉野亜莉寿の長時間に渡る電話回線の占拠は、高梨家にも実害をもたらしていた様である。

もっとも、舞からすると、娘の因果が親に報いた、ということになるのだが……。

舞の表情を見ながら、翼は

 

「私のせいにされても困る〜」

 

と、言いつつ

 

「それで~、有間クンは、吉野さんにキッパリ振られたの〜?」

 

と、ニヤニヤ笑いながら、従妹にたずねた。

しかし、舞は、少し困惑しながら、答える。

 

「う〜ん、それが、そうでもないみたいやねんなぁ……」

 

 

「!!!!!!!!ええっ!?どういうこと!?!?!?」

 

 

従妹の発した答えが、あまりにも予想外だったからなのか、いつものおっとりした口調も吹き飛び、

 

「いったい、二人に何があったン?」

 

翼は前のめりになって、たずねる。

 

「まあ、ツバ姉も、キャラ作りを忘れるくらい、ビックリするよなぁ」

 

舞が、そう言って苦笑すると、

 

「キャ、キャラなんか作ってないって、いつも言ってるやん~。舞ちゃんのイジワル~」

 

と、翼は、またいつもの口調に戻って、従妹に言い返す。

そんな従姉の様子を見つつ、

 

「まあ、今日は、その話しはイイとして、吉野さんが電話で話してくれたことを聞いてもらおうかな?」

 

と、前置きして、正田舞は、前日に吉野亜莉寿から受けた電話での報告を覚えている限り、仔細に渡って語り始めた。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~③

「そうなんや……」

 

三十分以上に渡って、たっぷりと舞の話しを聞かされた翼は、ぐったりしつつ、話題の中心となった下級生二人に対して、心底呆れた、といった感じの表情で、

 

「報告ありがとう~、舞ちゃん。吉野さんから、そんな話しを聞かされたら、誰かに話してしまわないと、身がもたへんよね~」

 

と、従妹に同情を示す。

 

「そもそもは、ツバ姉が蒔いた種なんやから、『責任を取ってもらう』って言った意味も、これでわかったやろ?」

 

昨夜の自分の心情を十分すぎる程に理解したであろう従姉の表情を見ながら、舞は、ニヤニヤと笑いながら答えた。

 

「それでも~。言い訳をさせてもらうけど~」

 

翼は、自らの言い分を主張する。

 

「有間クンが、そんなやり方で自分の気持ちを伝えるなんて思わへんかったし~。誤解せんといて欲しいけど、『サッサと吉野さんに振られて気持ちを切り替えて欲しい』って思ったのは、四月以降の放送ためだけじゃなくて、有間クン自身のためを思っていたっていうのは、ウソじゃないからね~」

 

そう本音を口にする従姉に対して、

 

「ツバ姉の思いやりは、わかりにくいから……。まあ、私たちが、いくら二人のためだと思ってしたことでも、必ずしも本人のためになるとは限らへんし───。それに、あの二人は、ちょっと変わってるから、一般人向けのアドバイスとかアシストをしても、効果が無いのかも知らんな~」

 

舞は、苦笑しながら答えた。

 

「ホンマそうやわ!」

 

従妹の答えに、翼は心の底から同意する。

さらに続けて、

 

「だいたい、有間クンに言いたいけど、自分たちの出会った頃のことから思い出話しみたいにして、想いを語り合うなんて、付き合ってるカップルとか、結婚してるヒト達がする事やろう~?付き合ってもいない吉野さんに、そんな話しをするなんて、私からしたら気持ち悪いだけやわ~」

 

嫌悪感を隠さない従姉に対して、

 

「まあ、そうなんやけど、有間には有間の想いっていうのもあるやろうし……。それに、少なくとも吉野さんは、嫌がってない感じやってんな~。《まるで、グリーン・デイの『バスケット・ケース』を聞かされたみたい》って冗談っぽく言って笑ってたけど……。どういう意味なんやろう?ツバ姉、わかったら教えてくれへん?」

 

舞は変わらずに苦笑しながら、音楽全般や文学に対する造詣の深さについて、昔から尊敬していた従姉にたずねる。

 

「あぁ、そういうこと~。グリーン・デイのバンド名には、《親元から独り立ちする日》って意味が込められてるらしいから、吉野さんには、思い入れがあるんかな~?それに、『バスケット・ケース』の歌詞の冒頭は、《オレの愚痴を聞いてくれないか?》って意味なんやけど~。その後も延々と続く、病んだ歌詞を考えると、有間クンの《想い》をダラダラ聞かされた吉野さんが、そう言いたくなる気持ちは、わかる~」

 

翼は、そう答えたあと、

 

「でも、笑いながら言うってことは、そんなにイヤじゃなかったん?性的欲求不満から出てくる愚痴を聞かされてるのに?あと、『バスケット・ケース』には、《手足を切断されて手も足も出ない》って意味もあるから、まさに吉野さんに対する有間クンの心情って気もするけど~」

 

そして、自分自身の性格の難儀さを脇に置いて、最後に

 

「もし、それをわかった上で言うてるんやったら、吉野さん性格ワルすぎやわ~」

 

と、吉野亜莉寿に対する見解を付け加えた。

その答えを聞いた舞は、子供の頃から、疑問に思ったことは、何でも答えてくれる従姉に敬意を示しつつ、

 

「さすが、ツバ姉!でも、吉野さんは『ちょっと、ミーハーだけど、私、この曲が大好きなんだ』って言ってたわ。『歌詞がカワイイ』とか何とか」

 

と、亜莉寿から聞かされた言葉を思い出しながら語る。

 

「あ~、前に舞ちゃんが、有間クンのことを話す時の吉野さんは、『仲の良い弟のことを話してるみたい』って言ってた理由が、ちょっとわかったわ~」

 

舞の言葉を聞いた翼は、同意し、続けて

 

「でもな~。それやと、ますます有間クンには、チャンスは無いと感じるな~。だいたい、吉野さんも吉野さんやわ~。恋愛感情を持てない相手なら、友達関係をキープするんじゃなくて、キッパリ振ってあげるのが、最低限の優しさやと、私は思うけどな~。まあ、所詮《恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム》ってことなんかな~」

 

と、自身の見解を披露した。

しかし、従姉の見解を黙って聞いていた舞は、呆れたといった感じで発言する。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~④

「ツバ姉が、それを言う?他人の好意を利用するだけ利用しておいて……。私が知ってるだけでも、吉野さんと坂野クンの周りにヒトが集まり始めて、放送で注意した時に、躊躇なく有間を犠牲にしてたし───。他にも、色々とあったと思うけど……。だいたい、ツバ姉は、自分を追いかけて高校に入学して来た坂野クンのことについて、どう思ってるん?」

 

従妹の思わぬ角度からの斬り込みに対しても、翼は動じる様子もなく、

 

「えぇ~。あきクンは、すごく優秀で放送部の役に立ってくれる後輩やと思うけど~。私は、あきクンに、直接ナニかを言われた訳じゃないから、答えようが無いよ~」

 

と、悪びれることなく語った。

一方の舞も想定の範囲内、といった感じで、

 

「そっか~。有間は、ツバ姉のことを警戒して油断ならない先輩と思ってるみたいやから、坂野クンは、《友人の評価はイマイチでも、シー・ソー・キュート》って、思ってるかも知らんなぁ?」

 

と、ニヤニヤしながら、カウンター・パンチを放つ。

一瞬、ムッとした表情で、

 

「こんなところで、ミスチルの歌詞を引用せんといて~」

 

反論する従姉に、

 

「先に、他人の恋愛事情について、『シーソーゲーム』を引用したのは、ツバ姉やろう?」

 

と、牽制しながら、

 

「まあ、コッチは今のところ何か進展があるわけでもなさそうやし、シラを切られても仕方ないか。それにしても、有間はともかく、坂野クンは、普通に女子に人気があるのに、イバラの道を進むなんて、ホンマ勿体ないなぁ~。ツバ姉も、そう思わへん?」

 

わざと、昭聞の名前を出し、従姉を煽ってみる。

従妹の挑発にも無表情で、

 

「私には関係ないことやから~」

 

と、受け流した翼に対して、舞は、続いて別件についての持論を展開した。

 

「それはイイとして、吉野さんのことで思ったことがあるんやけど───。これは、あくまで、私が話しを聞かせてもらった雰囲気から感じただけやけど、吉野さんは、有間と今の関係をキープしておきたい、というよりも、『このまま、有間に世話になりっぱなしなのは、悔しいから、恩を返すまでは関係を終わらせたくない』と思ってるみたいやねんな~」

 

全く別の方向に話題が変えられたため、

 

「舞ちゃ~ん、急に話題を変えんといて~」

 

翼が声を挙げると、舞はニヤニヤしながら、

 

「いや、どうせ坂野クンの話しを振っても、ツバ姉は、何も答えてくれへんやろう?それなら、有間と吉野さんのことについて、聞いてもらおうと思って!それとも、坂野クンのことについて、何か話したいことがある?」

 

と、従姉の感情を刺激する様に、たずねる。

気のおけない関係の従妹に煽られっぱなしの翼は、

 

「今日の舞ちゃん、イジワル~」

 

少しふてくされ気味に反抗し、続けて

 

「私の話しは、どうでも良いんやけど~。有間クンと吉野さんの関係については、わからないことが多すぎて、聞きたいことがあるかな~」

 

と、話題の変更に便乗した。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~⑤

「さっきの話しを聞いてて思ったんやけど~。『相手には敵わない』とか『おせわになりっぱなしは悔しい』とか言うけど、有間クンと吉野さんの二人は、いったいナニと戦ってるの~?」

 

不思議そうに、従妹にたずねる。

 

すると、舞は苦笑をうかべつつ、

 

「それな~。私にも、あの二人が何を張り合っているのか、言葉にして説明するのは難しいけど……。ただ、吉野さんの話しを聞くと、お互いに、相手に誉められること・認められることが、一番嬉しい、と思ってるみたいで、そこに答えがある気がするねんなぁ」

 

と、答える。

 

「ナニ、その《強敵》と書いて《トモ》と読むっていう少年マンガみたいなノリ!?私は、あんまりマンガを読まないから、知らんけど~」

 

高梨翼は、自分には理解できないといった表情で、話し続ける。

 

「だいたい、『惚れた方が負け』の考え方で言えば、有間クンは、吉野さんに完敗してるハズやろ~。吉野さんは、そこにつけこむだけで良いのに、何を遠回りしようとしてるんやろ~?」

 

呆れながら語る従姉の姿に、舞は、

 

「あ~、ツバ姉の恋愛観じゃ、二人の考え方は、理解できないやろうなぁ」

 

と、ため息まじりの苦笑で答えた。

 

「む~。舞ちゃん、上から目線で私に話してない~?なんか腹立つんやけど~。そう言う舞ちゃんは、吉野さんと有間クンの考えてることがわかってるの~?」

 

抗議の声をあげつつ、疑問を呈する翼に対して、

 

「う~ん、私も、あの二人の考えてることは良くワカランことが多いけど───。今回、二人の話したことや行動は、自分なりに理解しておきたい、って思って、その理由をアレコレ考えてるところ」

 

と、自ら想いを語った。

 

「なにそれ~。舞ちゃんの言ってることも良くわからへん~」

 

少し困惑した表情で、翼は語り、いつまでも、秀明と亜莉寿の関係性について語っている場合ではない、と感じたのか、

 

「それより~、舞ちゃんが言ってた校内放送に興味を持ってる、って言ってくれてる子についての話しを聞かせてくれへん~?」

 

自分たちの今後の活動に関わる話題へと、会話を誘導する。

 

「あぁ、隣のクラスに、有間と坂野クンたちの会話を面白がってる子が居て、『吉野さんが出演できなくなるし、校内放送に興味があるなら、春休み中に有間に連絡を取ってみたら?』って、連絡先を教えてあげたから、今日か明日くらいには、有間と連絡が取れるんちゃうかな?」

 

舞は、従姉のリクエストに応じて、文化委員のメンバーとして親しくなった同級生に、『シネマハウスへようこそ』関係者へのコンタクトを進めた経緯を語った。

 

「えぇ~、有間クンじゃなくて、あきクンか私に連絡してくれる様に言ってくれたら、話しが進むのも早かったのに~」

 

従妹の返答に、翼は抗議の声をあげる。

 

「それも考えたけど、その子は、有間と一番面識があるし、一緒に番組を担当するなら、先に有間に判断させる方が良いかな、と思って……」

 

番組制作者としての翼の体面も気にしないではなかったが、自分の案なら、従姉も気分を害することはないだろうと考え、舞は、そう答えた。

従妹の返答に、翼は、少し膨れっ面をしつつ、

 

「先に、私に話しを通して欲しかったけど~。でも、舞ちゃんの言うことも間違ってないし、今回は、有間クンからの連絡を待たせてもらうわ~」

 

従姉が進めた案を受け入れた。

 

「また、有間クン主導で話しが進むのは、面白くないけど~」

 

と、本音を吐くことも忘れなかったが───。



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~⑥

「じゃあ、他に話しておきたいことがなかったら、今日は、この辺で終わりにしようか~?」

 

従姉の提案に、

 

「そうやね」

 

と、舞も同意した。

こうして、仲の良い従姉妹同士の会合は終了し、「受験用の参考書を観に行ってから帰るわ~」と、先に店を出た翼を見送り、一人残った店内で、正田舞は考える。

 

昨日の吉野亜莉寿からの電話報告は、予想外の内容の連続ではあったが、自分にとっては、興味を引かれることばかりだった。

 

従姉の翼は、秀明が気持ちを引きずらない様に、亜莉寿への告白を促したが、秀明への返答に困るであろう亜莉寿の立場を配慮して、舞としては、その方針には賛成できなかった。

一般的に、恋愛における《愛の告白》というものは、《告白を行う者》にとっては、結果はともかくとして気持ちに区切りをつける効果があるだろうが、《告白をされる者》にとっては、一方的に投げつけられる相手の感情を丸ごと受け止めなければならず、これから、海外での生活を送らなければならない亜莉寿にとっては、今さら、自分への想いを語られても負担にしかならないと感じるだろう、舞は思っていた。

どの様な選択肢を取ろうと、想いが叶わない秀明には同情するが、舞としては、秀明が小学生時代の苦い経験を乗り越えて、自分の恋愛感情に向き合えた時点で、今回の経験は、「決して無駄にならないだろう」と、考えていたのだ。

 

しかし───。

 

延々と自分たち二人の思い出話しを語りながら、最後に自分の想いを告げるという、考え得る限り最悪のカタチで《告白》を行った秀明に対して、亜莉寿は、二人の関係の継続を望んだ。

他者に的確かつ、辛辣な目を向ける従姉の言う様に、考え方によっては、亜莉寿の選択もまた、《恋人未満》の関係性を継続させるという最悪のセレクトといえるが、亜莉寿自身から話しを聞いた舞の見解は、異なる答えを導き出していた。

先ほど、翼にも語ったが、亜莉寿は、自分のプライドに賭けても、秀明に《借り》を作ったまま、二人の関係を終わらせたくない、と考えているのだろう。

 

少なくとも、自分の納得の行くカタチで、秀明に感謝してもらえる様なことがない限り、彼女自身が、秀明に対して如何なる感情を抱いているのか、向き合うことは出来ないのではないか?

 

正田舞は、現在の吉野亜莉寿に対して、この様な評価を下していた。

 

有間秀明が、去年の秋に自分の想いに向き合いながら、答えを出した様に、今度は、恋愛関係の当事者となった吉野亜莉寿が、彼女自身の想いに向き合う番だ。

その時、彼女は、どんな答えを出すのだろう?

 

(有間に認められたい、と想ってる時点で、答えは出てる様なモノやけど……)

 

そう考えると、不思議と笑みがこぼれ、他人の関係性について、これほどまでに思い入れてしまっている自分に気付き、また、可笑しくなって笑ってしまう。

 

♪恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム

 

翼が引用した歌詞の通りだと、これまでの舞も考えていたが、秀明と亜莉寿、二人の関係性は、単なる《恋愛感情》や《男女の友情》といった言葉だけでは説明できない、ナニかがありそうだ。

 

二人は、お互いに『相手に認められたい』と感じながら、実際のところ、お互いに『相手に対して最も敬意を抱いている』間柄の様に見える。

 

万人の見解が一致するだろうが、有間秀明が吉野亜莉寿に対して、恋愛感情を抱くのは理解できる。

しかし、吉野亜莉寿が、有間秀明に、どのような感情を抱いているかは、まだまだ未知数で、そこに、一般的な男女の恋愛関係のルールが適用されるのかは、今も不明のままだ。

 

そして、このルール不明で興味の尽きないゲームの現状を、当の本人たち以上に把握しているのは、世界で正田舞一人だけだという《優越感》に似た想いも湧いてくる。

はたして、トランプなどのカードゲームの様に、最弱のカード有間秀明だからこそ、最強のカード吉野亜莉寿に勝るというシーンは、見られるのだろうか?



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エピローグ~シーソーゲーム・勇敢な恋の歌~⑦

亜莉寿が渡米したために、しばらく彼女とコンタクトを取れないことは少し残念だが、彼女が秀明との関係継続を願い、秀明もそれを受け入れたことは、舞にとっても、喜ばしいことだった。

 

これは、自分自身のエゴでしかないが、

 

「是非とも、秀明と亜莉寿の二人が出す《結果》を見せてもらいたい」

 

と、正田舞は感じていた。

 

「ホンマに、あの二人は、見ていて飽きへんなぁ」

 

独り言をつぶやくと、また微笑んでいる自分に気が付いた。

 

(半年前は、イバラの道やと思ったけど───。がんばったやん、有間秀明)

 

正田舞は、同じ中学出身の同級生に対して、そんな想いを心の中で、つぶやいて、ファーストフード店をあとにした。

 

 

有間秀明が、吉野亜莉寿の父・博明との《寄り道》を終えて、帰宅したのは、夕方が迫る時刻だった。

博明に連れられて立ち寄った先は、秀明自身にも、馴染みの場所であり、そこで、もたらされた提案は、彼にとって、魅力的なモノに思えた。

 

(お金を貯めたら、亜莉寿に会いに行けるかな?)

 

そんな想像をしながら、亜莉寿の父親からの提案の中身について、両親と相談する際に話すべき内容を思案する。

 

「ただいま~」

 

と帰宅を告げて、玄関からリビングに移動し、夕食の準備をしていた母親に、

 

「なあ、四月からのことで、ちょっと相談したいことがあるねんけど、あとで、話しを聞いてもらってイイかな?」

 

と、声を掛ける。

母は、すぐに

 

「ふ~ん。お父さんが帰って来てから、話しを聞くから、晩ご飯の時でイイ?」

 

と答え、その後、意外な報告をしてくれた。

 

「あっ、さっき朝日奈さんっていう女の子から、アンタに電話があったで」

「えっ!?朝日奈さんから?何の用やろう?」

 

予想外の人物からの連絡に、秀明が不思議そうにつぶやく様子をみて、

 

「朝日奈さんて、クラスの子なん?」

 

と、母はたずねる。

 

「いや、隣のクラスの女子なんやけど……。電話の時に、何か言ってなかった?」

 

そう返答する秀明に、

 

「秀明は、まだ帰ってないから、『帰って来たらお宅に掛けさせましょうか?』って聞いたら、『明日、また電話させてもらうから大丈夫です』って言ってはったわ」

 

母の返答に、「そっか、ありがとう」と返事をした時の秀明は、しばし思案し

 

(朝日奈さんからの電話が来た時に、また不在だったら申し訳ないし───。明日は家に居ておくか)

 

と、クリスチャン・スレイター主演&ジョン・ウー監督の新作映画『ブロークン・アロー』を観に行く予定を変更し、翌日の予定は、《自宅待機》とすることにした。

 

有間秀明が、これまで観賞した映画の本数は、この日の時点で、六〇〇本になっていた───。



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