ハリエット・ポッターと夢想の旅 (永久@)
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ハリエット・ポッターと賢者の石
ハリエットという女の子


 

 

 

愛は目で見るものではなく、心で見るもの───ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリエット・ポッターの事を知る人間が、彼女を例える言葉はだいたい決まっている。

 弱虫。泣き虫。臆病者。その他にもいくつかあるが、だいたい似たような意味の言葉なので割愛しよう。兎にも角にも、ハリエットは酷く内向的な少女だった。

 写真でしか顔を知らない両親と彼女を引き取った叔母夫婦であるダーズリー家は、それはそれは折り合いが悪かったと聞いている。だというのに当時まだ一歳そこらだったハリエットを引き取らねばならなかった事は、彼らにとって純粋に苦痛だった筈だとハリエットは思う。

 何故なら、ハリエットは赤ん坊の時から不思議な現象をよく引き起こした。触れずに物を落としたり、壊したり、窓を開けていないのに風を起こしたり。妙な夢を見て夜泣きをした夜はより一層暴れた。ダーズリー家もハリエットも、生きた心地はしなかった。

 成長するにつれハリエットは、自分だけに引き起こるこの現象を誰よりも忌避するようになった。与えられた階段下の物置に何を言われずとも自ら引きこもり、自分をからかおうとする従兄弟のダドリーを泣きながら拒絶する。

 ハリエットは誰かを傷付けたいと思っている訳ではない。むしろ叔母夫婦が口酸っぱく言い募る“普通”を喉から手が出るほど望んでいる。それが無理なら、せめてこの力を制御できるようになりたい。

 一度、そんな事を叔母のペチュニアに訴えかけた事がある。その時の彼女は悲痛な表情を浮かべて、泣きじゃくるハリエットを見つめていた。

 

 

 そんな風に幼少期を過ごした人間が、人と関わる事を苦手に思うのは至極当然の末路と言える。

 だからと言って完全に俗世と関わらなくなったかと言うとそうでもない。規定の年齢となり、ハリエットはダドリーと同じようにプライマリースクールに通う事になった。大きく変わった事がなければ特に親しい人間ができた訳でもなかったが、どちらにしろ年齢は年齢なので行かなくては世間体がよろしくない。

 通い始めて最初の頃は「親無し」やら「弱虫」やら、まぁありきたりな単語を用いていじめられたが、以外にもダドリーがハリエットを庇ってくれた。どうやら知らぬうちにダドリーの中でハリエットは「放っておいたら死んでしまう弱い生き物」に認定されていたようで、ダドリーは何かとハリエットに構うようになった。

 これに困惑したのは当然ハリエットの方である。叔母夫婦は自分とダドリーが近付く事を嫌がっていたし、ハリエットの方も誰かと触れ合う事が恐ろしくてダドリーに近付く事は一切なかった。

 しかし不思議な事にスクール在学中は叔母夫婦がこの事を怒る様子が特になく、また例の不可思議な現象に襲われる事もなくなっていたハリエットは、戸惑いながらもダドリーと一緒にいる時間が増えていくようになった。

 その辺りからだろうか、ダーズリー家のハリエットに対する風当たりに変化が起き出したのは。ダドリーはハリエットをからかう事はなくなり、ハリエットに対するペチュニアとバーノンのあたりもマシなものに変わった。この変化に一番戦慄したのも当人であるハリエットだったが、それも致し方ない。幼少期から過ごしてきた環境が何か変わり出したら誰だってビビるものだ。

 まぁ、そんな環境の変化のおかげでハリエットの心は比較的穏やかなものになったのだから悪い事は何もない。そうして若干、本当に若干、ほんの少しだけ余裕を持ったハリエットはある事に興味を引くようになった。

 動物である。

 それも、殊更惹かれたのは爬虫類と猛禽類。女子はハムスターや猫などの可愛い動物が好きという認識を持っていたダドリーは「変な奴」と首を傾げたが、爬虫類はだいたい男の子が好きな生き物なので特に問題はなかった。むしろウェルカム。結果として、ダドリーやその取り巻きの少年達とハリエットが話す機会は多くなった。

 泣き虫で弱虫で臆病で内向的な所は変わらなかったが、それでもハリエットはそれなりに“普通”に進む事ができていた。悪夢に魘される日はまだまだあったし、両親の死について頑なに教えようとしない叔母達に対して思う所はあったけれど。それでも、まぁ良かったのに。

 

 けれど、そんな彼女をまた不安に陥れる自体が起きてしまう。

 

 

 

 

 それは、奇しくもダドリーの誕生日に起こってしまった。

 スクールに通う以前までなら近所のフィッグおばさんの所に預けられて一日を過ごしていただろうが、ここ数年はダドリーの意向でハリエットも参加する事があった。

 昼間のダドリーを楽しませる時間だけであって夕食の時間は同席できなかったが、ケーキをわけてもらえるようなっただけマシなものである。

 スクールの先生に教わって作った日本の“オリガミ”がハリエットからダドリーに贈る誕生日プレゼント。不格好なティラノサウルスだが、今のハリエットができる精一杯がこれだ。

 

「ハリー!起きてるか?」

「ダドリー、ハリエットはもうこっちにいるわよ」

 

 朝早くからペチュニアを手伝ってダイニングのセットをしていたハリエットは、飛び込んできた本日の主役を見ておずおずと口を開いた。

 

「お、お誕生日……おめで、とう」

「ありがとな、ハリー!」

 

 もうすっかりハリエットのお兄ちゃんをやっているダドリーである。

 さて、本日ダーズリー家はダドリーの為にその取り巻きを連れて動物園に向かう予定があった。勿論と言うべきか何故なのかと問うべきか、ハリエットも一緒に行く事になっている。ダドリーとハリエットの一番共通の話題は動物なので、ダドリーの中ではハリエットが行かない訳はなかった。

 

 朝食を終えて集まったダドリー軍団と共に動物園に向かう。その間、ハリエットはずっとダドリーのパーカーの裾を握っていた。お下がりであるキャップ帽をロングストレートの黒髪の上に深く被り、エメラルドグリーンの目ができるだけ誰かと合わないようにしているのだ。

 基本的にハリエットは感情の起伏が少ないが、そんな彼女が瞳を爛々と輝かせたのはやはり爬虫類館だった。

 ダドリー軍団は最初からそれを予想していたので、自分達よりゆっくり爬虫類を観察するであろうハリエットから少しだけ距離をとって先に歩いた。ちらちらハリエットを気にしているピアーズをダドリー達が小突いたりしているが、そんな事ハリエットは気にも留めていない。

 薄暗い爬虫類館の中を満喫していると、ふと、とぐろを巻いた一匹の蛇が目に留まった。

 

「綺麗、だなぁ」

 

 ハリエットはそんな事を呟いただけだった。蛇が顔を上げてハリエットの目を見つめる。黒い眼に釘付けになると、ハリエットの耳に声が聞こえた。

 

「やぁお嬢さん。今、綺麗と言ったのはもしかして俺の事かい?」

 

 目を見開いたハリエットが後ずさる。すると、蛇は成人男性の腕ぐらいの太さの体を滑らせて更に続けた。

 

「怖がらないでくれ。すまないね、まさか聞こえているとは」

「……貴方の、声?」

 

 ハリエットは問いかけた。蛇はシュルシュルと喉を鳴らして、やはり人と同じような言葉を紡ぐ。

 

「あぁ。こちらも驚いたよ、俺の言葉がわかる人間なんてはじめて会った」

「わ、私、ちょっと……変、だ、から」

「変?」

 

 小首を傾げるように蛇が呟く。

 妙な悪夢と不思議な現象に、ハリエットとダーズリー家は嫌というほど悩まされてきた。近頃はなかった筈だが、それは起きるきっかけがなかっただけなのだとハリエットは察する。途端に心が不安にかられ、ただでさえ肌寒い室温の中で血の気を引いていく。

 

「ハリー、どうした?」

 

 ダドリーの声にハリエットが横を見ると、取り巻きやペチュニア達から離れてダドリーがハリエットのすぐ隣に立っていた。

 すると、ダドリーの顔が少し歪む。ハリエットの顔色の悪さに気付いたのだ。

 蛇がハリエットを見上げている事に気付いたダドリーは蛇を睨み、ガラスケースを強く叩く。

 

「おい蛇!」

 

 ハリエットが止める間もなかった。バンバンバン。四度目の音が鳴る事はなく、ダドリーの体がガラスケースを通り抜ける。ひゅっとハリエットは喉を詰まらせるような音で息を止めた。

 手を伸ばそうにも体が硬直して動かない。消えたガラスケースの中に転落するダドリーと入れ違いに、蛇がガラスケースから抜け出した。蛇は顔を上げ、再びハリエットに囁いた。

 

「お嬢さん、本当に怖がらせるつもりはなかった。すまなかったね───それとありがとうよ、ブラジルへ俺は行く。じゃあね」

 

 そのままスルスルと去っていく蛇に呆然として、けれどその蛇の言葉に困惑して、ハリエットは呆然と立ち尽くした。

 あの蛇が言った言葉をリフレインする。ありがとう───ありがとう?あの会話のどこに感謝する事があった?会話をした事?きっと違う。

 それじゃあ何か。ハリエットが考えを巡らせていると、ペチュニアのヒステリックな悲鳴が響いた。はっとして、ようやく動いた腕を落ちたダドリーの方に伸ばす。けれどその手は、ガラスの板で塞がれた。

 ぞっと背筋に悪寒が駆け抜けた。ガラスケースの中にダドリーがいる。出ようとして、ガラスに邪魔されるダドリーと目が合う。ハリエットは、蛇の感謝の意味を理解した。

 このガラスケースを外したのは、きっと自分だ。

 

 

 

 

 家に戻ってくると、ハリエットは素早く自分から物置に引きこもった。自分を呼ぶダドリーの声は、枕と毛布を重ねて被ってやり過ごす。バーノンが「放っておけ」と言ってくれる事が今は何よりありがたかった。

 あの時の事を考える。もしもあの蛇が毒を持っていて、ガラスケースから抜け出さなかったら。突然中に飛び込んできたダドリーに噛み付いていたら───ありえたかもしれない可能性に、身体中が凍るような気さえした。

 ハリエットにとって何よりも恐ろしいのは、自分が傷付く事ではなく誰かを傷付ける事。とにかくそれが嫌で、怖くて、恐ろしくて、ハリエットはいつも怯えていた。

 今も、ハリエットは昔のように怯えている。

 



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学校案内のお手紙

 動物園の事件の後、ハリエットはしばらく体調を崩して寝込んだ。

 ペチュニアからもらった薬を飲んで休むとすぐに熱は引いたが、やはり心の不調のせいか気分は気だるいものだった。

 せっかくのダドリーの誕生日を台無しにした事を、ハリエットは申し訳なく思っていた。

 あの時自分が行かなければこうはならなかったのに、と自己完結した答えが胸を締め付ける。

 用意したオリガミの恐竜は、ペチュニアが渡してくれたらしい。もうそれだけで十分だった。

 しばらくスクールにも行けなかったハリエットをダドリーが心配した事もまた、ハリエットの心に負担をかけた。申し訳なさで目の前が見えなくなってしまいそうだ。

 どうしようもなく自分が悪いと考えてしまう、それがハリエット・ポッターの人間性だった。

 

 そんなある日の事。ハリエットは、ダドリーに連れ出されてダイニングにいた。

 本当は物置にこもっていたかったが、こうも心配させているのに無視し続ける事はハリエットにはできない。ダドリーなりにハリエットを元気づけようとしているから、バーノン達もダイニングにいるハリエットを叱りつけたりはしなかった。

 ハリエットとダドリーが恐竜の話で盛り上がっている時、玄関前からペチュニアの悲鳴が響いた。ダイニングにいた全員が驚いた顔をして、バーノンが誰よりも先に妻のもとへ急ぐ。

 ハリエットは無意識にダドリーのパーカーの裾を掴もうとして、直前でやめた。ダドリーの方はそれに気付かずにハリエットの腕を掴むと、その足で玄関に向かう。顔を覆って崩れ落ちるペチュニアと、そんな彼女を抱き締め慰めるバーノンの姿が目に入った。

 ハリエットとダドリーは、思わずお互いの顔を見合わせた。一体何があったのか本気でわからず、かと言って聞くには悲壮感が強すぎる。困惑していた子供達の耳にまず飛び込んだのは、ペチュニアのヒステリックな叫びだった。

 

「ハリエット、ハリエットに───あぁ!」

 

 ざぁっとハリエットの顔が青ざめた。また何かしてしまった、また迷惑をかけてしまった、そんな気持ちがハリエットの頭を支配した。しかし実際は、ハリエットの意思とは違って動いている。

 

「ハリエット!こっちに来なさいハリエット!」

 

 びくりと肩を震わせながらペチュニアの方に歩く。ダドリーの腕から抜け出して、胸の前でぎゅっと両手を握る。

 目の前までやってきて膝をついたハリエットの肩を掴んで、ペチュニアは問いただした。

 

「いいこと、ハリエット。お前はどこにも行かないのだからね、こんなデタラメな所には行かないのよ。言ってご覧なさい、お前は新学期からどこに行くの?」

「学校……」

「えぇそうね、そうよ。けれどお前が行くのは女学校よ。こんな……こんな所に、この子を行かせてやるものですか!」

 

 ヒステリックなペチュニアは、そうしてゆっくりと落ち着きを取り戻していった。

 何の事かわからず、バーノンに目だけで助けを求める。バーノンもハリエットの切実な視線に気付いただろうが、何も言う事はなかった。

 

 

 それからしばらくは穏やかな日々が続いた。あまりの穏やかさにハリエットは日に日に不思議な緊張感を募らせていく。ペチュニアは毎日ハリエットが部屋にいる事を確認するようになり、郵便物の確認はバーノンの仕事になった。

 けれどある日、いつものように目を覚ましたハリエットはドアの隙間に挟まっている便箋を見つけた。見つけてしまった。

 ダドリーか、もしくはダドリー軍団の誰かからか。ごく稀に届く手紙の事を思い出し、ハリエットは便箋を開き、宛名を見た。ハリエット・ポッターの名前がある。

 

『ホグワーツ魔法魔術学校

校長 アルバス・ダンブルドア

マーリン勲章、勲一等、大魔法使い、魔法戦士隊長、最上級独立魔法使い、国際魔法使い連盟会員

 

親愛なるポッター殿

このたびホグワーツ魔法魔術学校にめでたく入学を許可されましたこと、心よりお喜び申し上げます。教科書並びに必要な教材のリストを同封致します。

新学期は九月一日に始まります。七月三十一日必着でフクロウ便にてのお返事をお待ちしております。

敬具

副校長ミネルバ・マクゴナガル』

 

「……ホグワーツ?」

 

 はて、聞いた事があっただろうか。ミネルバ・マクゴナガルという人物にも心当たりは特にない。イタズラかと思ったが、それにしては完成度が高すぎる気がした。

 困り果てた末に叔母に相談しようかと思ったが、最近ずっと困らせ続けている。これ以上迷惑をかけるのは罪悪感が耐えられない気がした。

 色々考えて手紙を毛布の下に隠そうとしたその時、ペチュニアの絶叫が聞こえた。近頃こればかりだと、ハリエットの気分は下がりに下がる。

 ハリエットはベッドに腰掛けて、ダドリーがお下がりにくれた動物図鑑を手に取った。青い付箋を貼った場所を開けば、ページいっぱいに写真と説明を載せたふくろう達。下がっていた気分が少しだけ緩やかに浮上した気がしたが、それもバタバタと騒ぐ廊下の音で掻き消えた。

 ペチュニアが自分の名前を叫んだ気がして、ハリエットは咄嗟に図鑑から視線を上げた。元の場所に図鑑を戻して物置から身を乗り出し、ペチュニアの姿を探す。玄関に後ろ姿を見つけて立ち上がり、小さな声で呼びかける。

 

「おばさん?」

 

 そう呟いた瞬間、ペチュニアは勢いよく振り返ってハリエットに声を荒らげた。

 

「部屋にいなさい、ハリエット!」

 

 ペチュニアがそう言った直後、その脇を抜けて大きな男性がハリエットに近付いた。たまらず後ろに後ずさりながら、ハリエットはその男性を見上げる。

 全身黒ずくめの男性は、酷く顔色が悪かった。ついでに言うと人相も悪い。神経質そうな目をしかめた彼に、ハリエットはまるで蛇に睨まれたカエルのように縮こまった。

 

「ミス・ハリエット・ポッターかね」

 

 それは確かに自分の名前だ。けれどそれを肯定して良いのか悩んで、結局ハリエットはしばらくの時間を置いてから無言で頷いた。ペチュニアの声が更に続く。

 

「セブルス、ハリエットは連れていかせないわ!」

「無駄な事を言うのはやめたまえ、ペチュニア。彼女が魔法使いである事は事実なのだ」

「ふざけてるわよそんなの!」

 

 大人達の会話が続く中、ハリエットは困惑が収まらない。ちょうど外に出ていたバーノンとダドリーが帰って来た事で余計に騒がしさが増す。 混乱しっぱなしのハリエットを見下ろして、男性は口を開いた。

 

「ハリエット・ポッター。君は幼少期から不思議な事が起きた筈だ。心当たりはあるだろう?」

 

 ハリエットは言葉を詰まらせた。心当たりがある所の話ではない。つい最近、そんな事に巻き込まれたばかりなのだ。

 血の気を引いた顔をするハリエットに眉をしかめてから、男性はもう一度、声を荒らげ続けるペチュニアの方を向いた。

 

「この子はホグワーツに入学するのだ、この子の母リリーがそうであったように」

「そうやってまた死ぬかもしれない世界に連れて行かせろって言うの!?そんなのもうたくさんよ!」

「ペチュニア!」

 

 バーノンが声を荒らげ、しまったと言いたげにペチュニアが口もとを手で覆う。けれど既に遅かった。ハリエットにはしっかりと聞こえてしまっていた。

 

「……お母さん?」

「さよう。ミス・ハリエット、君の両親は魔法使いだったのだ。ある闇の魔法使いと争い、君を守護して死んだ」

「でも……でも、事故で、死んだって」

 

 眉を下げて呟いたハリエットに、男性は目尻をつり上げてペチュニアを睨んだ。負けじとペチュニアも彼を睨み返す。

 

「……言える訳ないでしょう、本当の事なんて。この子はとても臆病で内向的ななのよ。友達だってほとんどいやしないわ。学校はダドリーがいてようやく成り立つくらい。そんな子をあんな所に行かせて、過ごさせて、一体どうなると思う!?」

「何をどう言おうと入学は覆らん。知り合いがおらぬのは他の生徒も大抵は同じだ」

 

 そこまで言って、男性はもう一度ハリエットの方を見た。

 

「ハリエットよ。君は何故そうも内向的になった?生来の性か?それとも、環境がそうしたのか?」

 

 その言葉に、今まで起きた不思議な現象が頭の中に思い浮かぶ。全てが嫌になるほどに、全てが恐ろしく感じるほどに、簡単に誰かを傷付けてしまいそうな不思議な何か。

 

「その力を恐ろしく思うなら、尚の事ホグワーツに来ると良い。我輩はそこで教師をしている。将来、魔法使いや魔女になる者達の学び舎だ」

 

 ハリエットが瞠目する。恐ろしく思う?当たり前だ、こんな力があったからいつも恐ろしかったのだから!

 

「……あ、の。聞いても、いいです、か?」

 

 ハリエット!とペチュニアとバーノンが自分を呼ぶが、ハリエットはこの時、はじめて二人の声を無視した。

 男性が肩を竦めて「構わん」と呟いたので、そのまま問いを投げかける。

 

「わ、私……これ、ま、魔法?は……こ、コントロール、できるように、なるんです、か?」

「なるとも。その為の学び舎だ」

「そう、したら……だ、れも……傷、付けなくて、いいですか……?」

 

 男性が片眉を上げてハリエットを見下ろした。しばらくしてから、男性が「あぁ」と短い肯定の言葉を示す。途端にハリエットの表情は喜色めいた。

 この十一年間、どんな事よりもハリエットを苦しめたのは誰かを傷付けるかもしれない恐怖だ。もしもこの力を抑え込む事ができるなら、やっとその恐怖から解放される───けれど、叔母夫婦がそれを決して許そうとしていない事は、ハリエットもわかっていた。ハリエットの潜在意識において、叔母夫婦の存在は絶対だ。

 

「……あと一歩を留めるは叔母の存在か?なるほど、元より有していた臆病な気質が、この家で更に大きくなった……そんな所かね」

 

 そして、男性はまるでハリエットの思考を読み取るかのようにそう言って、ペチュニアとバーノンを睨みつけた。

 

「なんと愚かな事だ、ペチュニア。貴様の行いはオブスキュラスを産みかねない」

「何を言ったって構わないわ!そのなんとかっていうのも、魔法が使えない私に関係ないでしょう!だからハリエットも関係ないの!」

「ペチュニア・ダーズリー!」

 

 そこで、はじめて男性は大声を上げた。ビリビリと轟く声にペチュニア達は怯えたようになったが、ハリエットは呆然とそれを見つめるだけだった。

 男性は何かを言いたげな顔をしながらも言葉を閉ざし、そしてハリエットに手を伸ばした。

 

「我輩に掴まりたまえ、ハリエット」

「ダメよ!」

「このような所にいて何になる?君は果たして幸福か?ハリエット・ポッター!」

「黙れ!ハリエット騙されるな、こんな奴の言う事を信用しちゃならん!」

 

 肌を突き刺すような男の声。ペチュニアとバーノンの悲鳴と泣き声を混ぜたような声。相反する二つの声音のどちらを、ハリエットは選べばいいのかわからない。

 本音を言うと、ハリエットの心はきっとこの男性について行きたいと思っている。彼はハリエットが望み続けた事を言ったのだ。誰も傷付けないように力を制御できるようになる。

 けれど、ダーズリー家にはこんな自分を育ててくれた恩がある。選ぶべき方が、捨てるべき選択肢がハリエットにはわからない。

 そんな板挟みになったハリエットに助け舟を出したのは、意外や意外、ずっと会話に参加していなかったダドリーだ。

 

「行ってこいよ、ハリエット」

 

 ペチュニアとバーノンは絶句してダドリーを見た。流石にこれは予想外だったのか、男性も眉をしかめてダドリーを振り返る。

 

「よくわかんないけど、ちゃんと帰ってくるんだろ?じゃあ大丈夫だよ」

「何を言うの、ダメよ!絶対にダメ!」

「でもママ。ハリエットの奴、この前の動物園の事でずっと辛気臭いんだ。そんな事しなくなったら、もうそんな顔しなくなるだろ?」

 

 至極真っ当な意見だったが、ペチュニアは涙目になってそれを否定した。

 

「違う、違うのよ。そんな事じゃないの。私はあそこを知らないけれど、そんな甘い所じゃない事はわかるのよ」

 

 そう言いながら、ペチュニアは顔を地面につけるように蹲った。彼女のこうも弱々しい姿は今まで見た事がない。呆然とそれを見ているしかできないハリエットに、男性はついに舌を打って無理矢理にその手を取った。

 

「ペチュニア、何があっても無意味なものは無意味だ。この子はリリーが守った───リリーの愛の魔法がある。貴様の心配するような事は何もない」

 

 何の話をしているのかわからなかったが、それを聞く前に視界がぎゅるりと歪んだ。目を見開く隙もない。空間がハリエットごと巻き込んで渦になる。ペチュニアがこちらを見て「ハリー!」と叫ぶ。

 ペチュニアに愛称で呼ばれたのははじめてだと、ハリエットは少しだけ驚いた。

 

 

 

 

 瞬きしたその刹那、ハリエットは知らない廃屋にいた。

 ぽかんとするハリエットの手を引いて、男性はハリエットを部屋に案内する。廃屋の中でもその部屋は綺麗に掃除されていて、ベッドの上には明るい包みが数個並んでいた。

 

「あれは君へのプレゼントだ、ミス・ポッター」

「……ぷれぜんと」

 

 はじめて聞いたような感覚がして、ハリエットは小さな声で繰り返した。そっと触れると、シンプルなカードがリボンの下に挟んであるのを見つける。後ろから「それは服だ。マダム・マクゴナガルから君への誕生日プレゼントと入学祝いを兼ねて」と言われてはっとした。

 そうだ、今日は自分の十一歳の誕生日だった。

 ハリエットに誕生日を祝う習慣はなかった。気の良いお兄ちゃんをしていたダドリーでさえ、ハリエットの誕生日を意識はしていないだろう。そもそもハリエットが生まれた日を覚えているかすら怪しいものだ。

 

「少ししたら下に降りてきたまえ。君の学用品を買いに行く」

 

 お下がりではない、自分の為だけの学用品を。なんだかむず痒い気持ちになりながら、ハリエットはバースデーカードを引き抜く。自分宛のバースデーカードなんてはじめて見た。

 

「あ、の」

 

 カードを持ったまま振り返る。動きを止めた彼に、ハリエットはおずおずと問いかけた。

 

「あ、貴方の……名前。なん、ですか?」

 

 名前というものは、人と人が最低限に共有すべき情報だ。彼はハリエットの名前を知っているようだが、ハリエットは彼の名前を知らない。

 先程は叔母達との猛烈な言い争いに口も挟めなかったし、呆然として途中に口を出す事もできなかった。

 

「……セブルス・スネイプだ。ホグワーツでは君に教鞭を執る立場なのだから、我輩の事はスネイプ先生と呼ぶように」

「はい。スネイプ、先生」

 

 セブルス・スネイプ。何度もその名前を頭の中で復唱する。忘れないように、しっかり頭に刻み込む。

 ハリエットは知らない。ずっとしかめっ面のスネイプが、自分のエメラルドの瞳を見つめる時、少しだけ優しげな顔をする事に。



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ダイアゴン横丁

 スネイプと共に、ハリエットは魔法の世界に足を踏み入れた。

 魔女と魔法使いが扱う魔法道具を売るダイアゴン横丁───お世辞にも綺麗とは呼べないパブの向こう側に、これだけ大きな市場があるなんて、魔法を知らなければ永遠にわかり得ない事だろう。

 

「ついてきなさい」

 

 ハリエットははぐれないように、懸命にスネイプの後ろをついた。人の波を細く小さな体で捌くのは疲れるが、スネイプの真後ろにつけばまだマシに動く事ができた。

 まずグリンゴッツ銀行という魔法使いの銀行に向かい、父母が遺していたという遺産と鍵をスネイプからもらう。「失くせば二度と入れない」と率直なお言葉を頂いたので、顔色を青くさせながらポケットの底に沈めた。

 次に向かったのは杖を売っているオリバンダーの店。その間、スネイプは教科書などを揃えていてくれると言う。店の前まで見送られ、ハリエットは緊張しながら扉を開けた。

 

「いらっしゃいませ。杖をお買い求めで?」

 

 ハリエットを出迎えたのは、しゃがれたひょろひょろの老人だった。

 

「あの、はい、杖……その、ここで、買うように、と」

「ホグワーツの新入生ですかな?」

「あ、あっ、はい」

「それはそれは。儂は店主のオリバンダー……失礼、お顔を見せていただいてもよろしいですかな?」

「え、あの……は、はい」

 

 よくわからないが了承すると、白く痩せこけた指がハリエットの頬に触れる。オリバンダーの表情に笑みが浮かび、懐かしいものを見るように目を細めた。

 

「おぉ、やはりそうじゃ。まもなくお目にかかれると思っておりましたよ、ハリエット・ポッターさん。───あぁ、お母様と同じ瞳じゃな」

「母、ですか」

 

 最近よく聞く単語───ハリエットは母との記憶がまるでないが、どうやらセブルスの言う通り、彼女は有名な魔法使いであるらしい。オリバンダーはハリエットの前髪を上げて、薄らと残る傷跡をなぞるように撫でた。

 

「この傷をつけた杖も儂の店のものじゃった……さて、ミス・ポッター。老体の昔話はこれぐらいにして、貴方の杖の話に戻りましょう。杖腕はどちらかね?」

「えっと……利き腕、ですか?それなら、右……です」

「ふむふむ。貴方なら、きっと良い杖に選ばれる事でしょう」

 

 オリバンダーの言葉に、ハリエットはきょとりと目を丸くした。

 

「選ばれる、ですか?」

「えぇ、ポッターさん。杖には忠義がある。杖が相応しいと思った魔法使いを選ぶのです。そうして何人もの魔法使いが杖を握ってきた───さぁ、さぁ。まずはこれなどいかがかな。クマシデの木にユニコーンのたてがみ、二十二センチ。しなりにくい」

 

 手渡された杖を握ると、オリバンダーは穏やかな声でハリエットに振ってみるよう言った。言われるがままに一振りすると、バサバサと近くの物を強風が押し上げる。

 

「ふむ、違う───ではこちらは?ギンヨウボダイジュにドラゴンの心臓の琴線、十九センチ。弾力はあるが曲がらない。さぁ」

 

 次に手渡された杖は、なんとなく手に馴染まないのがハリエットにもわかった。一振りすればピシャッとまるで雷のような音がして、思わず杖を落としかけたのをオリバンダーが寸での所でキャッチする。

 

「ご、ごめんなさい」

「いえいえ。しかし、ふーむ……」

 

 店の奥に向かったオリバンダーが何やらゴソゴソしながら長考した末、ある一本の杖を持ってきた。

 

「こちらを……ヒイラギに不死鳥の羽、二十八センチ。良質でしなやか」

 

 ようやく新たに手渡された杖は、ハリエットの手にしっかりと馴染んだ。バチバチと杖先から小さな火花が弾けて、ほっと息をつく。

 オリバンダーも納得したように頷いて───しかし、どうしてなのか、その表情はわずかに不服そうだった。

 

「……うぅむ、不思議じゃ───わしは売った杖は全て覚えている。それは珍しい兄弟杖、君を傷付けた杖と同じ不死鳥の羽を使ったもの。いや、それにしても───」

 

 しかし、オリバンダーの不満はそれに関してではないらしい。

 お題を払おうとしたハリエットを遮って、オリバンダーは再び奥に向かい、新たに杖をハリエットに差し出した。

 他の杖と違って箱ではなく、質の良い黒いストールのような布に包まれており、その布もどこか長い月日を感じるようだった。

 

「ポッターさん、この杖も振ってみてはくれませんか」

「え……?で、でも……杖は、一本、じゃ」

「えぇ、しかしどうしても振ってみて欲しい。お願いです」

 

 どこか熱っぽい目をして興奮気味にそう言われては、拒否する事などハリエットにはできない。再び杖に触れる───不思議な事に、子供の手のひらにはまだ大きいだろうその杖は、先程の杖以上に握り心地が良かった。

 

「サクラの木、サンダーバードの羽、三十センチ。細く程良いしなり……さぁ、振ってみてくだされ。それで、儂の思い違いでない事がよくわかる」

 

 困惑しながらも頷いて杖を振る。杖先を追うように青い光が弧を描いて、残された光が霧のように緩やかに四散した。小さな結晶のような光がちらついて、神秘的な美しさを作り上げる。

 

「素晴らしい!」

 

 今度こそ、オリバンダーは心の底から納得して───いや、それ以上に恍惚とした顔をして、ハリエットの持つ杖を褒め称えた。

 

「ミス・ハリエット・ポッター、きっと貴方は素晴らしい魔女となる。素晴らしい!あぁ、なんと良い日か!」

「あ、あの、代金を……」

「それは必要ありません!素晴らしいものを見せていただいたお礼です、お譲りしよう!あぁ、これほど興奮したのはいつぶりか!」

 

 嬉々とした様子のオリバンダーの圧に押されて、次に紡ぐべき言葉がわからなくなる。二本の杖を手にハリエットが立ち尽くすしかできない中、背後の扉が音を立てた。

 

「こんにちは。あの、ここで魔法の杖を買えるって聞いたのだけれど───わぁ、何ここ。凄い所ね」

 

 やって来たのは、栗色のふわふわした髪の少女と、帽子を深く被った女性。一見した年齢は老婆のようだが、しなやかな躯体はまるで衰えを感じさせない。

 ハリエットに気付いた老婆は眉をつり上げると、おろおろしているハリエットに膝を曲げて視線を合わせた。

 

「おやおや、ミス・ポッターではありませんこと。お一人ですか?貴方にはスネイプ先生がついていた筈ですが」

「あ、あの……杖、を、買っていて……けれど、その……あの……」

「えぇ、えぇ、言わずともなんとなくですがわかります。ミスター・オリバンダーに困っているのでしょう。あぁ、私はミネルバ・マクゴナガルです。プレゼントは見てくださいましたか?気に入っていただけたなら嬉しいのですが」

 

 その名前をハリエットは覚えていた。例の手紙と、あの服のプレゼントを贈ってくれた人の名前だ。ハリエットが覚えていると控えめにだがお礼を述べると、マクゴナガルはハリエットに優しく微笑み、それから興奮冷めやらぬ様子のオリバンダーを冷ややかに見やった。

 

「ミスター・オリバンダー、我が校の新入生を困らせないでくださいな。貴方なら根気よく彼女に合う杖を探せる筈でしょう───」

「ん?あぁ、マクゴナガルさん。いえいえ、ミス・ポッターの杖はもう選ばれましたよ」

 

 オリバンダーの言葉にマクゴナガルが首を傾げると、ハリエットがマクゴナガルに言った。

 

「あ、あの……杖を、二本もらってしまったんです。それで、あの、代金を払おうとしたら、い、いらないと、言われて……」

「まぁ。いけませんよオリバンダーさん、そんな事になって、後で何かあったらどうなさるのです」

「いやぁ、素晴らしいものを見ました。マクゴナガルさん、彼女は逸材ですぞ───」

「それはそうとして、今の話は代金の事で───」

 

 何やら口論し出した二人の光景が、ハリエットにはデジャヴに感じられる。叔母とセブルスの言い争う様を思い出してハリエットが俯くと、トントンとその肩を叩く者がいた。マクゴナガルと一緒に入店してきた栗色の髪の少女だ。

 

「ねぇ、貴方もホグワーツに入るの?」

「え……う、うん」

「そう。私、ハーマイオニー・グレンジャー。貴方は?」

「ハリ、エット」

「そう、よろしくねハリエット。ねぇ、貴方は魔法族?私の家族は誰も魔法族じゃないの。だから手紙が来た時、本当にビックリしたのよ。勿論、嬉しかったわ。でも不安もあって当然でしょ?はじめての事ばかりだし。まぁ、それでも学校にはワクワクしてるわ!」

 

 とにかく早口でまくし立てるハーマイオニーに、内向的なハリエットには口を挟む隙すらなく、黙って話を聞くしかない。

 あっちこっちと会話が弾んでしばらくしてから、ハーマイオニーも自分が少し喋りすぎた事に気付いたらしい。ピタリと口を止めて、そしてさっきまでよりずっとゆっくりとした声で話し出した。

 

「ごめんなさい。私、ちょっと舞い上がっちゃって……よくこうなるの。気分が上がると、早口になったりして」

「う、ううん……ちょっと、ビックリしただけ、だよ」

 

 ダーズリー家でもハリエットを気にせずまくし立てられる事は多かった。それにしてもハーマイオニーが人並みより饒舌であった事は事実だが、誰かと話す事が苦手なハリエットにはそれが一番合うかもしれない。

 

「……あの、私も魔法は、よくわからなく、て。両親が、そうだったらしい、けれど。もう、その……死んでしまっていて」

「そうだったの?ごめんなさい、こんな事言わせて……」

「ううん。それで、あの……ずっと、おばさんの家にいたの。だから……」

「お話の途中で申し訳ありませんが、少しよろしいですか?」

 

 マクゴナガルに遮られて、ハリエットは言葉を閉ざした。話は終わったのか、オリバンダーがやけにぶすりとした顔でそっぽを向いている。拗ねている、とも言うだろうか。

 

「ミス・ポッター。話し合いの結果、代金は片方、ヒイラギの方だけ頂くとの事です。サクラの木の方は、芯がほとんどこの店で使わないものだそうで───全くサンダーバードの羽なんてどこで手に入れたのか───とにかく、今回だけは特別に『譲った』形とします」

 

 マクゴナガルの言葉にほっとして、ハリエットは七ガリオンをオリバンダーに支払った。つまらなさそうにするオリバンダーだったが、二本の杖をそれぞれ仕舞い直した箱と布を見てまた笑顔になった。

 

「ミス・ポッター、その杖達を是非とも大事にしてくだされ」

「……わかりました」

 

 自分に言えるのはそれくらいだ。助けてくれたマクゴナガルは微笑み、ハーマイオニーは「また学校でね」と手を振ってくれた。それがなんだか新鮮で、ハリエットもはにかみながら手を振り返した。

 扉を閉めて少し待つと、スネイプがやってきた。彼はハリエットを越えた店の向こうを見ると、眉間に皺を寄せてハリエットを呼んだ。

 マクゴナガルもしくはオリバンダーが苦手なのだろうか、と思いながらハリエットはそれに従った。しばらく見知らぬ道具やたくさんのフクロウに目を奪われながら歩いていると、突然スネイプが止まる。

 ばふんと背中のローブに当たってしまい、咄嗟に顔を上げて謝罪を口にするが、スネイプはそれを聞いているのかいないのかわからない顔で、ハリエットを後ろ手に背後へ隠した。

 

「ど、ど、どうも、スネイプ先生。ほ、本日は、ど、どうして、ここに?」

「……生徒の学用品購入の付き添いだ。貴殿も経験はありましょう、クィレル教授」

 

 スネイプのローブで相手の姿は見えないが、やけに怯えた声をしている。口ごもる事もハリエットは経験があるので、なんとなく既視感を覚えた。

 

「そ、そ、そうです、か。え、ええと、そ、その子が?」

「……ミス・ポッター」

 

 心底鬱陶しげな声で呼ばれて思わず裏返った声で返事をしてしまったが、スネイプは特にそれを言及する事はなかった。

 

「こちらは闇の魔術に対する防衛術を担当なさるクィレル教授だ。ご挨拶したまえ」

「は、い」

 

 頭にターバンを巻いたクィレルは、神経質そうにハリエットへ手を差し出した。

 

「よ、よろしく。お、お会いできて、こ、光栄です、ミス・ポッター」

 

 その時、何故かピシ、と亀裂が入るような頭痛を覚えた。そこまで重くはなかったので少し目を細めたりして、目の前のクィレルの手を握り返す。

 

「よろしく、お願いします」

 

 クィレルから手を離すと、頭痛もすぐに収まった。スネイプに手を引かれて彼と別れた後にやってきたのは洋装店。藤色の服の女性が朗らかな笑顔で現れると、スネイプは彼女にハリエットを任せて店の前で待っていると言う。

 先程もそうだが、どうして彼は一緒にいてはくれないのだろうか。そうは思っても、そんな事を聞く度胸は残念ながらハリエットは持ち合わせていない。

 

「お嬢ちゃん、こんにちは。こちらにいらっしゃい、採寸をします」

 

 素早い手ほどきでマダム・マルキンと助手らしき魔女によって採寸が行われていく。特に話しかけられる事がないのは随分と楽な事だ。

 その静けさを、扉のベルがチリンチリンと鳴らして破る。マダム・マルキンと少しの会話をしてからさっさと台の上に乗った少年は青白い肌とブロンドの髪をしていた。

 一瞬だけ目が合うも、ハリエットが俯いて視線を逸らす。どうしてだか彼に話しかける勇気は湧かなかった。幸い、あちらから話しかける事もなかったので、再び静寂が店の中を支配する。

 

「はい、終わりましたよ」

「あ、ありがとうございます」

 

 代金を払って店を出ると、スネイプは長髪のブロンドをした男性と何やら睨み合っていた。その髪色と青白い肌から察するに、先程の彼の保護者であるのがわかる。

 

「スネイプ先生、あの」

「終わったかね?」

 

 頷くと、スネイプはブロンドの男性に短く何かを言ってからハリエットの手を引いてそそくさと離れた。

 ふん、とお互いに鼻を鳴らす姿を見て、ハリエットは「スネイプ先生は友達が少ないのかなぁ」と、とても失礼な事を考えた。

 

 

 

 

 廃屋に戻ってくると、スネイプは部屋に戻ろうとしたハリエットを止める。そして別の部屋に向かうと、そこから白フクロウが入った鳥かごを持ってきた。

 思わず駆け寄ったハリエットにスネイプはできるだけそっと鳥かごを手渡した。

 

「これはホグワーツの森番から君への贈り物だ。あのベッドの上のプレゼントと同じ意味合いのな」

 

 誕生日と入学祝い。信じ難いような気分だった。珍しく夢心地な気分で、ほーっと鳴くシロフクロウをうっとりと見つめていると、スネイプが声をかけた。

 

「そのフクロウにはまだ名前がない。君がつけてやるようにと、森番からの言伝だ」

「いいんですか?」

「そう言っている」

 

 たちまちハリエットの表情はスネイプが見た事がないほどに輝いた。はにかんだ少女が鳥かごのフクロウに目を細め、語りかけ、その姿を静かに見つめる。

 

 まっすぐ伸びた黒髪の後ろ姿は、スネイプがかつて恋焦がれた少女に似ている気がした。



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ホグワーツ

 九月一日。一晩かけてヘドウィグと名付けたシロフクロウとたくさんの荷物を抱えて、ハリエットはキングス・クロス駅にいた。

 あの後、ハリエットは衣服などの用意の為に、一旦ダーズリー家に戻ってきた。

 ダドリーは「思ってたより早く帰ってきたんだな」と目を丸くし、大人達は夜に改めて話し合い、その末に叔母夫婦はハリエットの入学を許可した。キングス・クロス駅までハリエットを送ったのもダーズリー家だ。

 

「じゃあなハリー。いじめられたら本の角で殴れよ、辞書ぐらい固くて分厚いやつで」

 

 あっけらかんと物騒な護身用のアドバイスをするダドリーと、しかめっ面でヘドウィグと睨めっこをするバーノン。そして複雑な表情を浮かべるペチュニアに見送られて、ハリエットは改札を抜けた。

 

 スネイプから渡されたチケットに書いてあるのは九と四分の三番線。スネイプ曰く、九番線と十番線の間にある煉瓦の壁を通り抜けて辿り着けるらしい。

 疑いながら意を決して通り抜けると、見た事のないホームが目の前に広がっていた。最近は知らないものばかり見ている気がする。

 既にたくさんの人がホームと車内の両方にいる。ハリエットと同じくホグワーツに向かう生徒と、その家族達と言った所だろう。

 和気あいあいと別れを惜しむ彼らの姿に、ハリエットはダーズリー家の事を思い出して少し寂しい気持ちが湧いた。入口から離れた誰もいないコンパートメントを見つけ、窓のカーテンも閉ざす。こういう時、予習という形で教科書を読むのは気が紛れるから良いものだ。

 やがてホグワーツ特急が動き出し、車内が子供達の賑やかな声で溢れ出した。

 

「ねぇ、ここ空いてる?」

 

 列車が動き出してほんの少し、コンパートメントの扉が開いて赤毛の少年が顔を覗かせた。ハリエットは教科書から顔を上げて少年を見上げ、飛び跳ねる心臓を落ち着かせる為に手のひらに爪をくい込ませる。

 

「あ、えと……うん、空いてる、よ」

「じゃあ座らせてもらってもいい?他はどこもいっぱいなんだ」

 

 断る理由もないので頷くと、少年がぱっと笑った。ハリエットの向かい側に座り、ヘドウィグを見て少年は身を乗り出した。

 

「凄いなぁ、フクロウだ。この子が君のペット?」

「!そう、そうだよ。えっと、名前はヘドウィグ。シロフクロウっていう種類なの」

 

 こと猛禽類と爬虫類の話なら、ハリエットはいつも以上に饒舌になる自信がある。ありがたい事に少年はそんなハリエットの話をうんうんと楽しげに聞いていた。

 

「シロフクロウって、オスとメスは、模様が少し違って。この子はメスで、でも、他の子より真っ白。普通、シロフクロウのメスは、縞模様があったりするから」

「詳しいね。ペットを買うから勉強したの?」

「え、っと。元々、猛禽類と爬虫類が好きなの。それで、知っていたの」

「へぇ。僕のペットはネズミ。スキャバーズって言うんだ───あ、僕はロナルド・ウィーズリー。ロンって呼んで」

「私は、ハリエット」

 

 ハリエットの口からこぼれた名前を聞くと、ロンの瞳はきらきらと輝いた。

 

「ハリエットって、もしかしてハリエット・ポッター!?わぁ、凄いや!じゃあ、あの……もしかして、傷もあるの?」

 

 声のトーンを抑えめにしておずおずとロンは問う。ハリエットは瞠目しながらも、ロンが望む額の傷を前髪をあげて晒してみせた。

 

「うわー……凄い、本物だ……でも前髪で隠れてたし、パッと見ただけじゃあ君がハリエットなんてわからないや」

 

 感心するように傷を眺め、そんな事を呟くロン。

 ハリエット・ポッターという名前が魔法界では随分と有名である事を本人が知ったのは、スネイプが用意した学用品の中身をあらためていた時の事だ。

 ぱらぱらと通し読みした『近代魔法史』の本で自分の名前を見つけた時は目を丸めた。そしてそこにあった両親の死因を見て、叔母夫婦が自分の事を避けていた理由もようやくわかった気がする。

 両親は闇の帝王と呼ばれた黒い魔法使いに殺されていて、自分はその中で生き残って闇の帝王を倒した英雄扱い。一歳になったばかりの赤ん坊がどうやったと言うのか。赤ん坊専用の魔法でもあったのかな、と色々考えたが、そのどれもが現実逃避にしかなりえなかった。

 

「ハリエットはどこの寮に入りたい?僕の家はみんなグリフィンドールなんだ。うちには兄貴が五人いて、ビルとチャーリーは卒業しててパーシーとジョージとフレッドがいる。パーシーは監督生をやってて、ジョージとフレッドは双子なんだ」

「寮……?」

「そうそう。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。僕はグリフィンドールがいいし、他の寮になったとしてもスリザリンは嫌だなぁ……ここだけの話、今まで名を馳せた闇の魔法使いはみんなスリザリン出身なんだ」

 

 至極真剣な顔で、ロンはハリエットに呟いた。

 

「『名前を呼んではいけない例のあの人』とかね」

 

 ぎゅっと手のひらを握り込む。

 それが近代魔法史で書かれていた、両親を殺した魔法使いの通称である事を、ハリエットは知っていた。

 

 

 その後、時々ハリエットが口ごもって静寂が訪れる事もあったが、そういう時はロンが無理矢理話を進めて、二人の会話はそれなりに弾んでいた。

 途中でやってきた車内販売ではハリエットがロンの分も多めのお菓子を購入して、ダンブルドアのカードを当てたりと、充実した時間が確かに流れた。

 そんな時、コンパートメントの扉が開いて、上半身だけを覗かせた栗色の髪の少女は、ハリエットを見つけるとあっと呟いた。同時に、ハリエットも口を開く。

 

「───ハーマイオニー?」

「ハリエット!何だ、こんな所にいたのね。貴方を探したけれどいなかったから別のコンパートメントにいたのよ。そう言えば貴方が本に乗っていて、私凄く驚いたわ!貴方のご両親って本当に有名な人だったのね。あ、ヒキガエルを見なかった?ネビルのが逃げちゃったみたいで」

 

 相変わらずハキハキと早口でまくし立てるが、ハリエットはそれが逆にほっとした。自分が有名───らしい───と言って、態度を変えるような人でなかった事は素直に嬉しい事だ。

 

「ごめん、ハーマイオニー……ヒキガエルは、見てない。ずっとここに、いたから」

「あら、そうなの。じゃあ他を当たってみるわ───それと、もうすぐホグワーツにつくだろうってパトロール中の上級生が言っていたから、貴方達も着替えておいた方がいいわよ」

 

 それだけ言って、ハーマイオニーはオリバンダーの店の時と同じようにハリエットへ手を振って、コンパートメントを後にした。

 

「知り合いだったの?」

 

 ロンに聞かれて、ハリエットはハーマイオニーに振り返した手を照れくさそうに握る。

 

「杖を、買った時に。お店で少し、話したの」

「ふーん……まぁいいや。それよりハリエット、先に制服に着替えなよ。僕は廊下にいるから、君が着替え終わったら交代ね」

 

 ロンの提案に頷いて、ハリエットはおろしたてのローブに手を伸ばした。

 

 

 

 

「おう、よっく来たな!イッチ年生はこっちだ!」

 

 列車を降りると、もじゃもじゃの長い髭と髪を持った大男が出迎えた。手に持ったランタンで照らしながらぐるりと生徒達を見渡していると、ハリエットを見つけた途端ににぱっと笑顔を浮かばせた。

 

「お前さんがハリエットだな?俺はハグリッドちゅうもんで、ホグワーツで森番をやっとる。あー、俺のプレゼントは気に入ってくれたか?」

 

 ハグリッドの質問に、ハリエットはきょとりと目を丸くしたが、少し考えてからスネイプとの会話を思い出してはっとした。

 ヘドウィグを手渡された時、スネイプは「ホグワーツの森番から」だと言っていた。つまりヘドウィグは彼からの贈り物という事になる。ハリエットは慌ててハグリッドにお礼を言った。

 

「あ、あの……あ、ありがとう、ございました。凄く、嬉しかったです」

「そりゃ良かった!名前は決めてやったか?」

「えっと、ヘ、ヘドウィグ……」

「そうかそうか。ええ名前をつけたなぁ」

 

 ハグリッドはうんうんと頷くと、ランタンを持たない方の手でハリエットの頭を覆うと、そのままわしわしと撫で回した。頭の上でぴょこぴょこと髪の毛が跳ね飛んでいる。

 

「おおっといけねぇ、そろそろ行かにゃならん。ハリエット、続きはまた今度話そうな」

 

 手を離してそう言ったハグリッドに、ハリエットは跳ねた髪を抑えながら頷いた。

 

 

 

 列車の後はボートだった。ハリエットのボートにはロンと、ハーマイオニー、そしてハーマイオニーと同じコンパートメントにいたネビル・ロングボトムが一緒に乗った。

 自動的にボートが動き、中世の城のように豪壮な校舎に生徒達を導く。新入生のほとんどが、ホグワーツの城を見上げて息を飲んだ。

 ボートを降りて校舎の中に入ると、ミネルバ・マクゴナガルが階段の上で生徒達を待っていた。

 

「ホグワーツ入学おめでとう。新入生の歓迎会がまもなく始まりますが、大広間の席につく前に皆さんが入る寮を決めなくてはなりません。学校にいる間は、寮が貴方達の家です」

 

 彼女は玄関前に集めた生徒達の耳に、よく通る声を響かせる。

 

「寮は全部で四つ。グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー、スリザリン。どれも輝かしい歴史があり、偉大な魔女や魔法使いを輩出しました」

「確か、マクゴナガル先生はグリフィンドールの寮監だった筈よ」

 

 ひっそりとハーマイオニーがハリエットに耳打ちした。マクゴナガルが更に寮杯の存在を生徒達に告げてから立ち去ると、再び生徒達の間にざわめきが走る。

 

「「ねぇ、ハリエット」」

 

 ハリエットの両隣にいたロンとハーマイオニー、二人が同時に声を上げた。ハリエットは硬直して、ロンとハーマイオニーもお互いを見て口をつぐんでいる。

 

「失礼するよ」

 

 その声に、ハーマイオニーとロンが前を向き直した。ブロンドに青白い肌の少年と、彼より大柄な二人、計三人が黙り込んでいたハリエット達を見下ろすように前に立つ。

 

「君───あぁ、何だ、君だったのか。マダム・マルキンの店で遭遇した事、覚えているかい?ミス・ポッター」

「あ……」

 

 そういえば採寸に行った時、ハーマイオニーのように話はしなかったが、同年代ほどの少年が隣に立った事をハリエットは思い出し、小さな吐息に近い呟きをこぼした。その表情と声からハリエットが思い出した事を理解したらしい少年は、満足げに口角を上げて微笑んでいる。

 

「これならあの時、話しかければ良かったね。僕はドラコ・マルフォイ、後ろのこいつらはクラッブとゴイルだよ」

 

 その姿に、ダドリー軍団の存在がハリエットの脳裏を過ぎった。金髪で取り巻きを連れている、たったそれだけの共通点だが、ハリエットの視点で考えれば誰もが納得するだろう。

 ドラコ自身が知れば「肥満体質のマグルと一緒にするな」と激怒するかもしれないが、生憎と彼にハリエットの思考を読む事はできない。

 

「ハリエット・ポッター……です」

「うん、だろうね」

 

 実に愉快げな笑みをしたドラコは、ハリエットの両隣に立つロンとハーマイオニーを見て唇を曲げてみせた。

 

「ミス・ポッター。君は知らないのだろうが、魔法使いとは血筋と家柄で優劣が決まるものなんだ」

 

 そう言って、ドラコの視線がハーマイオニーと、特にロンの方をじっとりと睨めつける。

 

「マグルと……赤毛にお下がりのローブ、ウィーズリー家の子か。最初からこんなのに絡まれるなんて、君も運がないね」

「どういう事だよ!」

 

 ロンが口調を尖らせて突っかかると、ドラコは冷たい色を浮かべた瞳で彼を見返す。後ろでクラッブとゴイルもロンを見てにやついている。

 

「自分の家の事を思い出してみたらどうだい、ウィーズリー。血を裏切る者、恥さらしのウィーズリー家───ミス・ポッター。もし良ければ、僕が友達の選び方というものを教えてあげるよ」

 

 そっと差し出されたドラコの手に、ハリエットは困り果てた。隣に目を向けるとロンは顔を真っ赤に怒っていて、ハーマイオニーはドラコの態度に絶句している。どうやらドラコは、ダドリーよりずっとタチが悪いようだ。

 ここで握手をしないのはドラコに悪いだろうし、かと言ってしてしまえばロンが更に怒り狂う事は察するに余りある。

 とにかく何かを言わなければならない。けれど、表し方のわからない恐怖が喉に蓋をして話せなかった。

 結局ハリエットがドラコの手を取らないまま、マクゴナガルが戻ってきた。ドラコはすました顔で手を引いて「またね、ミス・ポッター」と告げて戻っていく。その仕草は実に優雅なものだが、ロンは憎らしそうな顔でドラコを睨んでいた。

 

 

 

 ホグワーツの講堂は広く、そして幻想的な空間だった。

 何千と燃ゆる蝋燭、本物の星空のように美しい魔法のプラネタリウムの天井、新入生を迎える四つのロングテーブルに腰掛ける上級生達と、講堂の一番前のテーブルに座す教職員達による絶え間ない拍手のハーモニーが響き渡る。

 新入生達は上級生と教職員のテーブルの間で止められ、マクゴナガルが彼らの前に椅子と古ぼけた三角帽子を用意する。

 

 誰かが耳もとで囁いた───あれは組み分け帽子だ、と。

 

 

『私はきれいじゃないけれど

私を凌ぐ賢い帽子

あるなら私は身を引こう

山高帽子は真っ黒だ

シルクハットはすらりと高い

私は彼らの上を行く

私はホグワーツ組分け帽子

かぶれば君に教えよう

君が行くべき寮の名を

 

 

グリフィンドールに入るなら

勇気ある者が住まう寮

勇猛果敢な騎士道で

ほかとは違うグリフィンドール

 

ハッフルパフに入るなら

君は正しく忠実で

忍耐強く真実で

苦労を苦労と思わない

 

古き賢きレインブンクロー

君に意欲があるならば

機知と学びの友人を

必ずここで得るだろう

 

スリザリンではもしかして

君はまことの友を得る

どんな手段を使っても

目的遂げる狡猾さ

 

かぶってごらん恐れずに

君を私の手にゆだね(私に手なんかないけれど)

だって私は考える帽子』

 

 

 歌が終わると拍手が響き、それも鳴り止むと長い羊皮紙を持ったマクゴナガルが帽子の傍に立つ。ついに組み分けが始まる事が、何もわからない生徒達にも伝わった。

 

「アボット・ハンナ!」

 

 まず最初に少女が呼ばれた。駆け寄って椅子に腰掛けた少女の頭に組み分け帽子が乗る。少々唸って、帽子が叫んだ。

 

「ハッフルパフ!」

 

 ハッフルパフのテーブルから拍手喝采が沸き起こり、歓声と拍手が講堂を轟かせる───瞬間、何故かぶわりと鳥肌が立って、ハリエットは思わず自分の腕を撫でさすった。

 他の生徒達の組み分けも順調に行われていく。ハリエットよりドラコとハーマイオニーが先に呼ばれて、ドラコはスリザリン、ハーマイオニーはグリフィンドール。

 ドラコがスリザリンに選ばれた時、ロンは少し上機嫌にになって「やっぱり」と呟いていた。

 

「ポッター・ハリエット!」

 

 そうして、ついにハリエットの番がやってきた。ざわついたようで静まり返ったようでもある講堂に不安をかられながら、マクゴナガルのもとに向かう。

 緊張するハリエットにマクゴナガルが目もとを緩め、大丈夫ですよと呟いてから帽子を被せる。

 

「これは───ふぅむ、おぉ……なかなかどうして」

 

 帽子は何かに感心しているようだった。ハリエットが首を傾げれば、被さっている帽子も一緒に揺れる。

 

「うーむ、また難しい生徒が来たものだ、はっはっは」

 

 そう言う帽子は楽しげに笑っている。迷惑をかけているのかいないのか、ハリエットには判断がつけられない。

 

「おや、迷惑ではないよ。私はこの仕事が好きなのだ」

 

 そして心を読まれて、ハリエットは目を見開いた。組み分け帽子の力は最初の四人に与えられたもの。思考を読み取る事など朝飯前なのだ。

 

「さてと。どうにも君は感情やら気持ちやらが色々と表に出にくい気質のようだが、それはそれで良し。だが……そうだなぁ、どうしようかなぁ」

 

 帽子はうんうんと唸っているが、やはり楽しそうなのは変わらない。

 

「素晴らしい才能がある。頭は悪くない、心優しく、誰かの為に立ち向かう勇気がある───どの寮に行っても、きっと君の未来は切り開かれる。しかし───ハリエット、特に君は───あぁいや、これ以上は野暮になるかね」

 

 才能なんて、よくわからないというのがハリエットの本音。けれども帽子は、そんな事お構いなしとでも言いたげだった。

 くつくつ笑いながらまたしばらく一人で考え込んで。そうしてようやく、ハリエットの“組み分け”の瞬間がやってきた。

 

「うん、うん、そうだ、そうしよう。さぁハリエット───ハリー───その行く末に、輝かしい可能性がある事を信じているよ」

 

 慈悲に満ちた優しげな声で囁いて、組み分け帽子は新たな生徒の道を照らした。

 

「───グリフィンドール!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 グリフィンドールに入るなら

 勇気ある者が住まう寮

 勇猛果敢な騎士道で

 ほかとは違うグリフィンドール

 

 

 

 

 ほかとは違う、グリフィンドール



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魔法の授業

 深紅と金、ライオン、心に宿すは勇気と騎士道。

 それこそが、ゴドリック・グリフィンドールが創設したこの寮の象徴である。

 

 

 ハリエットが組み分けされた瞬間の、グリフィンドール生達の歓喜と言ったらない。同じ顔をした赤毛の男子生徒二人にわしゃわしゃと頭を撫でられたり、ハーマイオニーが満開の笑みでハリエットを迎えたり。その全てが、ハリエット・ポッターには新鮮な感覚だった。

 最後に残ったロンはグリフィンドールに組み分けされた。希望に沿った寮に入れて大層ご満悦の様子だ。

 組み分け後はアルバス・ダンブルドア校長の挨拶、歓迎パーティー───各寮を代表するゴースト達からの歓迎。グリフィンドールはほとんど首なしニックと言う、首をぐちゃりと外してしまうゴーストには心臓が止まりかけた。

 ゴーストの存在に慣れそうになくて、ひとまず豪勢な食事に意識を逸らしてありつく。ダーズリー家で残り物を食べていた身には過ぎるほどの輝かしさを放つテーブルの食卓に、普段の食が細いハリエットでもたまらぬ食欲を引き立てられた。

 誰の手も触れていないナイフが切り分けたステーキをフォークで拾い刺した時、不死鳥を模した台に校長のアルバス・ダンブルドアが立ち、生徒達へ向けた注意を口にする。

 敷地内の森に入ってはならない。廊下で魔法を使ってはならない。二年生以降に対するクィディッチ?の呼び掛けは内容がよく理解できなかった。そして最後に一つ。

 

「死にたくなければ四階右側の廊下に入らぬ事じゃ」

 

 との事である。

 ひそひそと生徒達が囁きあった。その廊下に何があるのか気になるのだろう。ハリエットも興味がないとは言わないが、確認したいとは思わない。

 ダンブルドアの話の途中、不意に傷に痛みを感じたものの、すぐに治まったので特に気にする事はなかった。

 

 

 ホグワーツの生徒が寮で過ごすにあたって、かかせないものがある。同じ寮に属する同室の友人だ。

 ハリエットの同室になったのはハーマイオニーと、ラベンダー・ブラウン、パーバティ・パチルの三名だった。パーバティにはパドマという双子の姉妹がいて、彼女はレイブンクローに組み分けされたらしい。

 ハリエットにとって幸運だったのは、三人が“ハリエット・ポッター”に強く興奮しなかった事。否、ハーマイオニーは多少興奮気味になってはいたが、それは見知った人が有名人であった事への驚愕故だろう。

 パーバティとラベンダーは魔法族出身でハリエットの事をハーマイオニー以上に理解していた様子だが、それだけ。こうしてみると、ロンやドラコはの反応は過剰なように思えた。

 

「わぁ、ハリエットの髪ってばすっごいサラサラ!指がするする通るよ」

「ホント。でもハリエット、これだけ綺麗なのに、毛先が少しバラバラよ。整えた方がいいわ。明日の朝にでも私がやってあげる、パドマとやった事があるから」

「いい、の?」

「勿論!変わりって言う訳じゃあないんだけれど、貴方の事ハリーって愛称で呼んでもいいかしら?」

「え、ずるい!私もハリーって呼ぶわ!ねぇハリー、いいでしょ?」

「なら私もよ!ハリエット、いいえハリー。これからよろしくね!」

 

 その一室は間違いなく、未来ある少女達の暖かい花園だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げたい。

 嫌というほど突き刺さる視線に、ハリエットは心の底からそう願った。深く俯いたハリエットの手を取って、ハーマイオニーがずんずん進む。

 生徒達はすれ違うたびに密やかな声をこぼし、スリザリン生徒に至ってはハリエットを小馬鹿にするようにせせら笑う者までいる始末。

 ハリエットといるせいでそれら全てを共に受けながら、しかしそんなもの知ったこっちゃないと言わんばかりの態度を取るハーマイオニーには感謝の念が耐えない。

 ロンとドラコの反応が過剰でなかったのだと理解すればするほど、周囲の態度に気が重くなる。パーバティとラベンダーは仲良くしてくれるが、それでもハーマイオニーほどではない。本当にハーマイオニーが頼りになりすぎて、ハリエットは泣きそうになった。

 

 城の中を迷いながらなんとか辿り着いた教室で受けたのは、マクゴナガルが担当する変身術の授業。ノートに延々と書き取りをしてから、最後の数十分は実際に魔法を実践する。

 

「このマッチ棒を小指程の長さの針に変えてもらいます。より先端を鋭く、より明るい光沢がつけられた生徒には成績を加点しましょう」

 

 与えられたマッチ棒に生徒達が杖を振るう。一足先にハーマイオニーがマッチ棒を変え、十秒ほど遅れてハリエットのマッチ棒も形を変えた。

 ハリエットの針は少しヒビが入っており、ハーマイオニーのものほど完璧な針ではない。けれどもクラス全体で針に変えられたのがハリエット達だけだった事もあってマクゴナガルは二人を褒め、ハーマイオニーはそれによって得点も与えられた。

 魔法史の授業はある意味で酷かった。静かに教科書を読み上げるゴーストのビンズ卿の声音は睡魔を誘う。事実ほとんどの生徒が抗えぬ睡眠欲に従って沈黙していた。

 これだけはハリエットも然りで、後日最後まで起きていた猛者ハーマイオニーのノートを借りる事にした。

 

 

 事件は魔法薬学の時間に起きた。その日も当然のようにハーマイオニーと行動していたハリエットは、これから行う授業がスリザリンとグリフィンドールの合同である事に少しの不安を抱いていた。

 入学してまだ短期間、けれどもその間にグリフィンドールとスリザリンの不仲を知るのは実に容易い事だった。

 事ある事にいがみ合う上級生達、そしてハリエットを見る時のスリザリン生の瞳を見れば、彼らの抱く感情の意味がおのずとわかる。まして、これから行う魔法薬学を担当しているスネイプはスリザリンの寮監なのだ。

 地下の教室に足を踏み入れる。まるで品定めをするように不躾な視線がハーマイオニーを超えてハリエットを貫いた。

 

「ハリー、端の方に行きましょう」

 

 小声でそう言って、ハーマイオニーは返答を待たずハリエットの腕を引く。くすくすと誰かが笑っている声が聞こえて気分はいたたまれない。ちらりと目を傾けると、ドラコがジッとこちらを見ていたのですぐに目を逸らした。

 しばらく経って遅刻ギリギリにやってきたロンが空いていた席に座ったその直後、スネイプが現れた。漆黒のローブを翻した彼が生徒達を見回す。

 ハリエットも顔を上げてスネイプを見やった。授業中も俯いている訳にはいかない。

 

「この授業では杖を振ったり、馬鹿げた呪文を唱えたりしない」

 

 呪文を馬鹿げてるとは、とても魔法使いとは思えない。呪文学担当のフリットウィックが聞けば怒り狂いそうだ。

 

「……ハリエット・ポッター」

 

 低く這うような声でハリエットの名が呼ばれ、何故か本人より他のグリフィンドール寮生の方が体を強ばらせている。

 

「アスフォデルの球根の粉末にニガヨモギを煎じたものを加えると何になる?」

 

 光を映さない瞳が、静かにこちらを見据えている。その瞳は、ダーズリー家へハリエットを迎えに来た時よりも濁りを淀ませているように感じられた。教科書を読んだ時の記憶を手繰り寄せて、なんとか質問の答えを見つける。

 

「眠り薬、です」

「ではその眠り薬の名称は?」

「……わかりません」

 

 覚えていなかったのでハリエットは正直にそう答えた。顔を下に向けてしまおうとすれば、新たに二つ目の質問が飛んでくる。

 

「べアゾール石を見つけてこいと言われたなら、どこを探すかね?」

「……ヤギの、胃の中?」

 

 疑問形になってしまったが、正解だったようだ。スネイプの口から三つ目の質問が投げられる。

 

「モンクスフードとウルフスベーンの違いは?」

「……?」

 

 質問の意味がわからず、ハリエットは眉を下げて小首を傾げてスネイプを見返した。スネイプは極めて真面目な顔で聞いてくるが、ハリエットにはやはりわからない。

 

「……わかりません。同じ、植物だと……思います」

「さよう。どちらも毒性の強いトリカブトの別名である」

 

 要するに、今のは引っ掛け問題という事だ。グリフィンドール寮生が冷ややかな目をしてスネイプを見やり、それによって視線が散らばった事で緊張が解れたハリエットが深い息を吐き出す。

 質問の答えを懇切丁寧に説明してから、実に嫌味ったらしく「諸君、何故我輩が今言った事をノートに書き取らんのかね?」などと言うスネイプ。慌てて生徒達がノートにペンを走らせる姿を見て、彼は声をこぼさず鼻で笑っていた。

 その後は実際におできを治す魔法薬を作ってみる事になり、ハリエットはやはりと言うべきかハーマイオニーと組んだ。教科書の一番最初は当然読んでいたハーマイオニーが率先して、使用する大鍋を相手取る。

 途中ドラコがスネイプに出来がよろしいと褒められ加点もされていたが、ハリエット達は自分の大鍋に意識を取られて聞いていなかった。

 

「ハリー、そろそろ鍋をおろすから針を入れてくれる?」

「うん」

 

 マイペースに、けれどテキパキと二人は動く。おろした鍋の中に山嵐の針を入れ、底からすくうようにかき混ぜる。工程は完璧だ。ドラコの時のようにスネイプが褒める事はなかったが、教室の端の方にいるので仕方ないと二人は思う事にした。

 とりあえず薬を冷まして、スネイプがこちらの方に回ってくるのを待つ。ふと他の生徒達を見た時にシェーマスとネビルのペアが視界に入り───火に炙られた大鍋の中へ、ネビルの手から山嵐の針が滑り落ちた。

 

「───!」

 

 声もなく立ち上がったハリエットは、まっすぐネビルのもとへ走った。数人の生徒の後ろを抜けて、丸くした目をこちらに向けるネビルの胸に止まった腕を強く押す。

 次の瞬間、シューシューという音を鳴らして大鍋が暴れた。緑色の煙を吹き出して大鍋は捻れ、その反動で飛び散った液体がハリエットに降り注ぐ。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーの絶叫を耳にしながらその場に崩れ落ちる。呆然とするネビルに向かってスネイプが怒声を上げ、杖を一振りして床に満ちた液体を消し去った。

 

「山嵐の針は鍋をおろしてから入れると教科書に書いてある!グリフィンドール十点減点!」

 

 すすり泣くネビルを怒鳴りつけたスネイプがハリエットを覗き込む。液体はギリギリの所でローブが防いでいたようで、ハリエットの顔には傷一つない。

 強いて言うなら長い黒髪の毛先が液体を被って、焼いたように傷んでしまっている。

 

「諸君、我輩が戻るまで何もせず待機していたまえ」

 

 眉間に深い皺を刻み込んだスネイプは、ハリエットの体を横抱きにしてすくい上げると呆然とした様子の生徒達にそう言った。

 

 

 

 

 

 

「何故あのような行動に出た?」

 

 液体に濡れたローブを動かす訳にもいかず、ハリエットの顔はスネイプから隠れている。

 

「口で告げれば良いものを、あれはただの無謀だ。グリフィンドールがよく間違っている事だが───勇敢と無謀は全く異なるものだという事を忘れるな」

 

 心配されているのかはわからないが、スネイプの声が不機嫌そうな事はわかった。

 けれどハリエットは、先程の行動を勇敢な行為だとは思っていない。ただ教科書に書いていた注意書きを思い出して、あのままではネビルが危ないと感じたのだ。

 ならばスネイプの言う通り声に出して注意すれば良かったのはわかる。それでも、あの場はそうした方が良いと思った。

 

「……すみません、でした」

 

 ハリエットの謝罪の声は、まるで水に広がる波紋のように揺らいでいた。

 



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飛行シーカー

 傷んだ毛先はマダム・ポンフリーによって整えられ、腰下まであったロングストレートは胸の少し下に切り揃えられた。

 それでもまだまだ長い方であるから気にはしなかったが、同室の彼女達が切り揃えると言ってくれた事を思い出し、ほんの少しだけ落ち込んだ。

 ネビルには物凄い勢いで謝り倒されたが、そもそも許す許さないの発想がなかったハリエットは困り果てた。とりあえず平気だと言えば泣きながら更に謝られて、どう答えれば正解なのかわからない。

 ただいつも大量に浴びる視線がその日から倍増した事に関しては、謝られても許してやりたくないな、とは思った。

 

 

「今日の飛行訓練、またスリザリンと合同なんですって」

 

 そう言って、ハーマイオニーが朝食のブラックプディングを一思いに頬張った。近くでシェーマスが水をラム酒に変えようとして髪を爆発させている。とても見慣れた朝の風景だ。

 

「単なるイメージだと思っていたけど、グリフィンドールとスリザリンって本当に仲が悪いじゃない。合同授業なんてしても関係が悪化するだけだわ」

 

 最初はそこまでスリザリンを嫌ってはいなかったハーマイオニーでも、マグルであるという理由で馬鹿にされ続ければ憤るのも仕方ない。

 おかげで、よく突っかかってくるパンジー・パーキンソンやミリセント・ブルストロードの顔と名前をすっかり覚えてしまった。課題の他に予習復習を手がけるハーマイオニーとハリエットにとって、顔を合わせれば必ず絡んでくる二人は暇人であるとしか言いようがない。

 今日もまた、スリザリン席では毎朝のフクロウ便で両親から贈られてくる箱いっぱいのお菓子を、ドラコが取り巻きやスリザリン寮生達に自慢している。

 そのたびに何故かこちらに流れ弾のようにやってくる視線に、ハリエットはどうしても慣れなかった。当然それは隣に座るハーマイオニーにも伝わってくる。

 

「毎日毎日、ほんっと飽きないのね。人を馬鹿にするのはそんなに楽しいのかしら」

「あ、あはは……」

 

 もはや諦めの境地に達しかけている二人は、お互い目配せをして残った朝食を詰め込んで立ち上がった。わざわざスリザリンの見世物になってやるつもりは毛頭ない。

 紅茶と一緒に皿上のそれらを喉奥に流し込んで席を経つ。その時、ネビルが手に持っている手のひらサイズのガラス玉が目に入って、ハーマイオニーが足を止めた。ハリエットも止まって、そのガラス玉を覗き込む。

 

「それって思い出し玉じゃない?本で読んだわ。中の煙が赤く染まると、何か忘れているって事なんでしょう?」

「でも何を忘れたのか、それも思い出せないんだ」

 

 ハーマイオニーにそう返したネビルは、首を傾げながらズボンのポケットに思い出し玉をしまいこんだ。

 

 

 

 

「こんにちは皆さん。待ちに待った方もいるでしょう、いよいよ飛行訓練です」

 

 マダム・フーチは、尖った灰色の短髪と鷹のように鋭い目をした老齢の魔女であった。女性にしては多少男勝りにも思える仕草に、猛禽類が威嚇するような甲高い声とハキハキとした喋り方は、多少の気高さを感じさせる。

 

「さぁ、ぼーっとしてないで全員、箒の左側に立ちなさい。右手を箒の上に出して、こう言いなさい。上がれ!」

 

 フーチの言葉はハリエットの鼓膜を強く刺激した。言葉通りに従って「上がれ」と言えば、箒はハリエットの小さな手に引き寄せられるように収まる。しかし同じように一度でできている者はほとんどいない。

 ハーマイオニーやディーンの箒は動きこそするものの起き上がる気配を見せず、ロンは勢い余って箒が額をぶつけていた。ネビルに至ってはぴくりともせず、泣きそうに顔を歪めている。

 結局、最初の一度で成功したのはハリエットとドラコだけで、他の生徒は繰り返し続けてようやく成功したか、もしくはネビルのように手で拾わざるを得ない者かの二者に別れた。

 

「では箒を手に掴んだら、跨りなさい。柄をしっかり握って。落ちないように」

 

 言われるがままに跨る姿は、当然だがマグルの子供が大人に読み聞かせられる童話の魔女の姿と同じものだった。

 ディーンが「ちょっと恥ずかしいかも」と小声で口にすれば、ハーマイオニーやハリエットを含めた他のマグル出身者の生徒も苦笑いで頷いた。魔法族にとって見慣れたもののほとんどは、マグル出身者にとっておとぎ話の産物でしかなかったのだから。

 

「笛で合図したら、皆一斉に地面を強く蹴る事。箒は常にまっすぐ、しばらく浮いてから前かがみで降りてきます。いいですね?」

 

 いち、に、とカウントダウンが刻まれ、さんの代わりに笛が鳴った。ハリエットが地面から離れようとしたその時、ネビルの悲鳴が聞こえて声の方向を振り返る。

 

「うわぁぁっ、うわーっ!た、助けてぇ!」

 

 なんとも男らしくない情けない声で箒にしがみつくネビル。フーチが少し強い口調で落ち着くようなだめても、箒はネビルを乗せてどんどん上昇し、弄び翻弄するように上下左右の至る方向に動き回る。スリザリンの群衆から笑い声が聞こえるが、必死な当人にはそれすら聞こえていないだろう。

 

「うっ、」

 

 最後にそんな声だけを落として、ネビルは勢いよく落下した。ひゅっと息を呑んで箒を握り込む。ただ落ちたにしては妙な音もしていたので、どこかの骨が折れてしまったに違いない。

 

「皆どいて!ミスター・ロングボトム!……なんとまぁ、骨が折れている」

 

 予想は的中したらしい。生徒をかきわけてネビルに駆け寄ったフーチは彼の手首を見て呆れたように呟くと、嘲笑の笑みを浮かべるスリザリン生をひと睨みしながら口を開いた。

 

「全員、地面に足をつけて待っていなさい。この子を医務室に連れていきます。いいですね?箒一本でも飛ばしたら、クィディッチのクの字を言う前に!ホグワーツから出て行ってもらいますからね!」

 

 ぐずるネビルを支えながらフーチはそう告げて去り、訓練場にはざわつく生徒達だけが残された。

 

「見たかあの顔?この思い出し玉を握れば、尻もちのつき方を思い出したろうに」

 

 いやに楽しげな笑みでそう言うドラコの手に握られているのは、今朝ネビルが持っていた思い出し玉だった。今はネビルの時のように赤い煙は現れず、反対側も見えるほどに透き通っている。

 

「返せよ、マルフォイ!」

「嫌だね。ロングボトム自身に見つけさせる」

 

 食ってかかったロンを一蹴すると、ドラコは箒に足をかけてふわりと飛び上がった。箒の経験が元々あったのだろう、軽やかな身のこなしで箒に跨ると、嘲笑するようにグリフィンドールの面々を見下ろす。

 

「どうしたウィーズリー、ついてこられないのか?あぁそれとも、君に箒はまだ難しいかな?」

「ふざけるなよ!」

 

 激昂したロンが箒に跨り地面を蹴飛ばす。しかし箒は前のめりに半回転して、乗り手であるロンの頭を地面に強く打ちつけるだけに終わった。

 どっとスリザリンの生徒達から軽快な笑いが湧き上がり、サーカスの見世物を楽しんでいるような視線の多くがグリフィンドールを見据えている。その目は暗に、自分達こそ上位者であると語っていた。

 

「あら、ポッターは見ているだけなのかしら?」

「英雄なんて名ばかりみたいね」

 

 不意に、誰かがハリエットに向かってそんな事を言葉にした。声のした方ではパンジー・パーキンソンが周囲のスリザリン生と共にハリエットを横目に笑っている。

 たまらず顔を地面に向けたその時、あっと口を開いたロンがぱちぱちと目を瞬かせ、そしてこう言ったのだ。

 

「ハリー、君なら飛べるんじゃないか!?さっき箒を一発で上がらせたのはマルフォイだけじゃない、君もだ!」

 

 どうやら、パンジーの言葉はロンにとってヒントの役割を果たしたらしい。

 名案と言わんばかりに瞳を輝かせたロンがハリエットを見上げ、つられるように他の生徒達も、そして上空にいるドラコもハリエットと彼女の持つ箒を見つめる。確かに、とシェーマスが呟いたその瞬間、声を荒らげたのはスリザリン生でもハリエットでもなくハーマイオニーだった。

 

「ちょっと、ハリーを巻き込まないでよ!それに、フーチ先生が箒を飛ばさないようにって言ったでしょう!」

 

 ハリエットを背中に庇って、ハーマイオニーはロンに対して正論で吼えた。ハーマイオニーが理と知の人である事をハリエットは知っている。けれどハリエットほどハーマイオニーの事を理解できていないロンは、ハーマイオニーの言葉にむっと眉をしかめた。

 

「君は黙っててくれ、僕はハリーに話しかけてるんだ!」

「貴方の言う事が馬鹿みたいだから私も口を挟んでるのよ!彼はどうせ後からフーチ先生に罰則を受けるんだから、放っておけばいいじゃない!思い出し玉だって、後でフーチ先生に取ってもらえばいいんだから!」

 

 全くもってその通り。医務室に戻ってきたフーチに生徒が証言すれば、ドラコはきっと罰則を受けるに決まっている。監督する寮を持たないフーチがスネイプのようにスリザリンを贔屓する事はきっとない。

 しかし、そこまで言ってもロンは納得していなかった。ハーマイオニーを無視してその背後にいるハリエットの名前を叫び、そして彼は言う。

 

「お願いだよハリー、ネビルの思い出し玉を取り返して!」

 

 真摯でまっすぐなロンの瞳に、ぐっと箒を握る手のひらに力がこもった。ハーマイオニーがロンを責め立てる声が聞こえ、刺すような視線が周囲から降り注ぐ。どんな行動を取れば正解になるのかがわからず、ハリエットはぐらぐらと揺れるように混乱する頭を必死になって正し、考えた。

 ───飛べる。

 ピン、と曲がっていた糸をまっすぐ伸ばしたような感覚と共に、たった一言の単語───勘に近い感覚が───ハリエットの頭の片隅に過ぎった。

 ───飛べる。

 また聞こえた。揺れ動いていた思考がまっさらになって、泥と鎖が綺麗さっぱりに消え失せたような気がする。それはほんの一瞬限りの幻惑でしかなかったが、けれども確かにハリエットの背中を押した。

 

「ちょっと、ハリー!?」

 

 ───気付けば、ハリエットは箒に跨って飛んでいた。ふわりと浮上した体はすぐにドラコの隣に並び、まっすぐに安定する。グリフィンドールの歓声と、それに混じったハーマイオニーの唖然とした叫びがBGMにして、ハリエットとドラコさ互いを見据え合った。

 

「やぁポッター。怖かったらすぐ降りてもいいんだよ、僕は馬鹿にしたりしないから」

 

 ドラコは、ロンの時とは違って紳士的な微笑みを浮かべてハリエットにそう言った。けれどハリエットはドラコの言葉に首を横に振って、切願するように言葉を紡ぐ。

 

「それを、返して」

 

 指差す先にあるのは思い出し玉。ハリエットから見ると、透明なそれはドラコが着ているローブのグリーンカラーが映っている。怯えているだろうに毅然としたハリエットの態度に、ドラコはつまらなさそうに目をひそめた。

 

「じゃあ、取ってきてご覧よ!」

 

 次の瞬間、ドラコは下から腕を振り上げて思い出し玉を放り投げた。白い指先から離れたガラス玉が弧を描いて空を横切る。息を呑むと同時、ハリエットは箒をきつく握り締めて思い出し玉を追いかけた。

 低い姿勢でドラコの顔横を飛び去り、真正面から風圧を肌身に受ける。しかし抵抗感は少しもない。箒を操る術を頭は知らないが、体は知っている───そんな奇妙な感覚が、ハリエットの体中を渦巻いていた。

 勢いを失った思い出し玉が、ゆっくりと重力に従って高さをなくしていく。ハリエットはそれを目にして、箒のスピードを早めながら思いきり体を捻った。自転車のドリフト同様に捻った体が勢いをつけて回り、校舎にぶつかる寸前で箒が止まって───ぼすん、と。ローブのへその辺りに思い出し玉が落ちた。

 

「………………とれ、た?」

 

 たっぷり間を作って、ハリエットは呟いた。箒は行きよりもずっとスピードを落として、元いた訓練場までハリエットを運ぶ。

 左手で箒を握り、右手の前腕でお腹を抑える。ほんの少し腕を傾けてちらりと覗き込むと、確かにガラス玉がそこにはあった。

 ハリエットは呆然としながら、とにかく思い出し玉を落とさぬよう握り締めて訓練場まで戻ってきた。迎えたのはグリフィンドール生からの歓喜の声で、地面に足をつけたハリエットを全員揃って囲い込む。

 

「ほらやっぱり!君ならできるって思ってたんだ!」

 

 ロンはそう言うと、ハリエットのローブからひったくるように思い出し玉に手を伸ばした。空へ掲げて眺めてみるが、傷らしいものはどこにも見当たらない。胴上げでもしそうな勢いで幼い獅子達は大いに盛り上がったが、一つの高らかな声がその場に響いた途端、その喜々とした空気は瞬時に凍りついた。

 

「ハリエット・ポッター!」

 

 マクゴナガルの声がハリエットの名前を呼んだ時、ピシリという音が全員の耳に聞こえたのは、きっと幻聴ではない。いや間違いなく幻聴なのだが、彼ら全員の耳に聞こえたそれはもはや幻聴という言葉の意味を成していなかった。

 マクゴナガルはグリフィンドール寮生にもみくちゃにされているハリエットを見つけると、目を瞬かせながらも「きなさい」と呟いて呼び寄せる。ハリエットが箒をすぐ傍にいた生徒に任せてマクゴナガルに駆け寄る後ろ姿を見送る生徒達の中で、ハーマイオニーは忌々しげにロンを睨みつけ、そして恨み言のように吐き捨てた。

 

「ハリーが退学になったら貴方のせいよ、ロン!」

「うっ……」

 

 今度こそ反論の余地なんてどこにもなくて、ロンはハリエットが減点だけで済まされる事を祈るしかなかった。

 

 

 ハリエットがマクゴナガルに連れられてやってきたのは、広大なホグワーツの中でまだハリエットが授業をした事がない教室だった。

 少し待つように言われたので大人しく待っていると、マクゴナガルは授業中にも関わらず一人の生徒をハリエットの前に連れ出した。グリフィンドールのローブを着た爽やかな短髪の男子生徒がハリエットを見て目を見張っている。

 

「ミス・ポッター、彼はオリバー・ウッド。グリフィンドールの五年生です」

 

 軽い紹介をしてから、マクゴナガルの視線はハリエットからウッドに切り替わった。

 

「ウッド、この子は優秀なシーカーになりますよ!」

「……シーカー?」

 

 ハリエットが小さく呟いてマクゴナガルを見やる。その口もとは、いつもの厳格な姿が薄らいで楽しげな笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハリエットが百年ぶりの一年生シーカーに選ばれた事は、瞬く間に寮を超えて学校中の生徒達に知れ渡った。

 グリフィンドールは特に大盛り上がりで、ハリエットは騒ぎ立てた寮生に談話室でそれはもうもみくちゃにされた。“生き残った女の子”と名高い期待の新入生がお高く止まった純血主義のスリザリン生の鼻を明かしたと、寮生───特に上級生達の中には、本人以上に興奮している者もいる。

 ハーマイオニーが「一緒に図書室に行く約束をしている」と上級生に嘘をついて、ハリエットはようやく彼らから解放された。何故かロンも兄に言われてついてきたが、とにかく談話室から抜け出したかったハリエットは気にしない事にした。

 ハリエットの手を握っているハーマイオニーが、ため息と共に口を開く。

 

「嫌ね、皆あんなに楽しんで。そりゃあ良い事だとは思うけど、目撃者がマクゴナガル先生じゃなかったら本当に退学になっていたかもしれないのに!」

 

 仮にもし目撃していたのがスネイプだったなら、ハリエットは間違いなく退学になっていたに決まっている。ドラコは少しもお咎めなしで、だ。

 

「でも最年少シーカーに選ばれたんだからいいじゃないか。結果オーライってね」

「だから言ったでしょ、『良い事だとは思う』って。それでもハリーが退学になるかもしれなかったのは事実よ」

 

 誰かさんのせいで、とハーマイオニーは小さく呟いた。ハリエットの耳には確かに聞こえたが、小声だったのでロンに聞こえたかどうかはわからない。それを確認する前に、ガタンッと三人の立っている階段が動いて体がよろけた。

 ホグワーツの階段は動くのだと説明を受けてからもう何日も経つが、突然動かれるとまともな体勢も保てない。

 

「きゃっ」

「あっ、ご、ごめんハーマイオニー……」

「別に大丈夫、平気。階段のせいよ」

「行こう。階段の気が変わらないうちにね」

 

 ロン曰く、『どこかしらの廊下に出れば広場ぐらいには辿り着けるから、迷ったらとにかく廊下に出る事』がホグワーツ迷路の攻略法だそう。ウィーズリーの兄達による経験談らしいので、ハリエットとハーマイオニーも特に異論なくその言に従った。

 階段を駆け上がった先の廊下に生徒はおらず、明かりもない。どことなく異様な雰囲気を感じ取ったハリエットは後ずさり、ふと思い至って自分達がやってきた階数を暗算してみた。

 

「……ここ、四階の廊下……?」

 

 導き出された計算に、歓迎会でダンブルドアが言っていた注意事項を思い出す。死にたくなけれ立ち入るなとまで言われた四階右側の廊下。

 寮に戻ろうと踵を返しかけたその時、にゃあ、と鈴のように軽やかな鳴き声が背後から耳に聞こえた。振り向くと、ふわふわな毛並みをした金の目の猫が、ハリエット達をじっと見つめている。

 

「ミセス・ノリス!管理人のフィルチの猫よ!」

「ちょ、僕らここにいたらダメなんじゃないのか!?」

「そうよ!」

 

 ハーマイオニーがそう言うと、三人は一目散に逃げ出した。生徒達の間では、フィルチの印象はあまりよろしくない。いつもしかめっ面で生徒を睨んで、口を開けば罵ってばかりだからだ。

 

「そこの扉!」

 

 ロンが指した場所には荒んだ扉があった。取っ手を握って引いてみるが開かない。ハーマイオニーが杖を取り出して振るった。

 

「“アロホモーラ(開け)”!」

 

 鍵穴の回る音がして、もう一度取っ手を引くと今度こそ扉が開く。慌てて駆け込んで身を寄せ合いながら扉を閉める。無言でいると猫の鳴き声は聞こえなくなったが、代わりにフィルチの声がした。

 

「ミセス・ノリス、誰かここにいたのか?」

 

 おいで、と囁く声音は扉越しでもわかるほど穏やかだった。 パタパタと足音が少しずつ遠ざかり、やがて完全に聞こえなくなってから、ほうっと胸を撫で下ろす。

 

「行った……」

「多分、この扉が閉まっていると思ったのね。実際に閉まってたんだし」

 

 ぽつ、と呟いたハリエットにハーマイオニーも言った。立ち入り禁止の廊下に生徒がやって来る事は基本的にありえない。ハリエット達だって故意に来たのではなく迷い込んでしまったようなものだ。

 それなら堂々と「迷いました」とフィルチに向かって言えばいいのかもしれないが、どんな嫌味を言われるのかわかったものではないし、何より吊るされるのは御免こうむる。フィルチはとにかく生徒からの信用がない男だった。

 

「……これがいるからだ」

 

 呟くロンの声は震えていた。視線の先を追いかける───牙を光らせる三つの頭が、ぎらりとハリエット達を見据えていた。

 ハリエットがひゅっと息を呑んだ。未知への驚愕か、それとも明らかな危険に対する恐怖か。その間にも、目の前の大きな獣は涎を垂らして獰猛な唸りを上げている。

 気付けば三人は逃げていた。ハリエットは悲鳴を轟かせた二人に腕を引かれ、談話室にたどり着いた時には、先程の記憶はまちまちどこかに飛んでしまっている。獣の三つの頭と牙だけがやけに鮮明だ。

 

「一体何考えてるんだよ!?学校にあんな化け物を閉じ込めておくなんて!」

「どこに目をつけてるのよ?あのケルベロスの足元を見なかった?」

「見てる暇なんてなかったよ!頭が三つ!ハリエットは見た!?」

「……目が、鋭かったね……」

「そうじゃなくて!仕掛け扉があったわ。多分、何かを守ってるのよ」

「何かって?」

「知らないわよ!」

 

 ハーマイオニーが声を荒らげ、ロンは恐怖を苛立ちに変換し、ハリエットはただ呆然とする。口論は騒ぎを聞きつけたパーシーが注意しにやって来るまで続き、ハリエットはハーマイオニーに引っ張られながら寝室に戻っていった。

 



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ハロウィンとトロール騒動

 あれ以来、元々衝突の多かったロンとハーマイオニーの仲は更に悪化した。

 当初ハリエットは板挟みになっていたが、クィディッチの事でロンと話す機会が多くなり、次第にハーマイオニーと距離ができるようになってしまった。

 授業は先に行くようになり、自室でもハリエットに対して素っ気ない態度を取り始めたハーマイオニーに純粋に悲しみを抱いたハリエットだが、最も近くでそれを見る事になったパーバティとラベンダーは怒った。

 

「どうしてハリーを避けるの!?貴方がロンと喧嘩しているからって、ハリーがロンと仲良くする事に怒る理由はないでしょ!」

「別にそんな事言ってないじゃない。関係ないんだから放っといてくれるかしら」

「関係なくても気になるわよ、ハリーが可哀想だわ!」

 

 それでもハーマイオニーが頑なでいると、パーバティとラベンダーはハリエットをハーマイオニーから遠ざけるようにした。ハーマイオニーは文句も言わないので、二人の間にできた距離は更に深く大きくなる。当事者であるのに何も言えない自分に、ハリエットはどうしようもない自己嫌悪に陥った。

 ハーマイオニーとは真逆に、ロンとの距離はより近くなった。ロンの兄であるフレッドとジョージがクィディッチチームのメンバーで、人懐っこいフレンドリーな性格である事が主な要因だ。

 

「やぁ、我らがグリフィンドールのニューヒーロー!」

「待て待て相棒、プリンセスの方がお好みかもしれないぜ!」

「ひゃぅ……」

 

 このように、歯の浮くようにプリンセスやらなんやらと言われて、内向的なハリエットが耐えられる訳がなく。また赤面しながら毎回リアクションしてくれる後輩を、この“悪戯仕掛け人”が見逃す筈もなかった。

 

「グリフィンドールの女子って、だいたい気が強い奴ばっかりだからなぁ」

「あんな可愛い反応されちゃ、悪戯仕掛け人として何もせずにはいられないね」

 

 ロンの密告によりマクゴナガルとパーシーに説教を食らった双子の言である。涙目で赤面するハリエットはマクゴナガルに慰められ、フレッドとジョージはパーシーにどつかれた。

 

 

 

 

「なるほどね。だからこの前、パーシーに双子から庇われてた訳だ」

 

 大きな箱を地面に起きながら、ウッドは納得したよと快活に笑った。

 既に日は落ちかけており、ウッドは黒いタートルネックにスラックス、ハリエットは紺色のセーターにジーンズと、お互いラフな格好をしている。

 

「まぁ、いつか慣れるさ。悪い奴らじゃないからね。それに二人はチームのビーターだから、慣れてもらわなきゃ困る」

 

 ハリエットが小さくビーター、と呟く。頷いたウッドは箱を開いて、中のボールをハリエットに見せた。

 

「クィディッチのボールは三種類あって、メンバーは一チーム七人。ポジションは歩きながら説明したよな?」

「チェイサーが三人、ビーターが二人、キーパーとシーカーが一人ずつ……」

「その通り。まずこれがクアッフル、チェイサーが使う」

 

 ウッドは一番大きなボールをハリエットに軽く投げると、競技場のゴールを指さした。

 

「あの三つの輪のどれかに投げるんだ。一回のゴールにつき十点、僕はキーパーだから輪の周りでゴールを守る。ここまで良いか?」

「多分……」

「なら次、ブラッジャー。ちょっと下がって」

 

 言われるがままハリエットが後ずさったのを確認して、鎖の紐が外される。ブラッジャーは勢いよく上空に飛び上がってから二人目掛けて落ちてきて、ウッドがそれを棍棒で打ち返した。

 

「今のが暴れ玉。選手を追いかけてくるから、今みたいにビーターが打ち返す」

 

 少し早口で説明して、ウッドは戻ってきたブラッジャーを受け止めて箱に戻した。短い息を吐いてハリエットを見上げながら、三つ目のボールを手に立ち上がってハリエットに手渡す。

 

「君はシーカーだから、心配するのはこの金のスニッチだけでいい。こいつはとにかく早くて見つかりゃしないが、それを捕まえるのが君の役目。相手のシーカーより先にね」

 

 手のひらに乗せた金色のスニッチは、鳥のような羽を大きく広げて飛び上がろうとした。刹那、ウッドがハリエットの手のひらごとそれを押さえつけると、羽は鈴のような音を鳴らしながら元の球体に戻っていく。

 咄嗟にハリエットが謝罪を口にしたが、ウッドは気にする事ないと爽やかに笑った。

 

「シーカーがスニッチを捕まえたら試合終了。スニッチ一つで百五十点が入るから、頑張ってくれよ」

「う、うん……」

 

 自信はほとんどなかったが、その思いを口にする勇気はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

「ハッピーハロウィン!ヒャハハ、可愛いガキ共に悪戯をプレゼントしちゃうぜー!」

 

 朝からピーブスに捕まってしまった生徒達に、ハリエットは朝食を食べながら心の中でそっと同情した。

 ハロウィンの食卓は甘い香りで溢れていて、ロンや男子生徒達が朝から勢いよくカボチャパイを食べている。

 

「何だポッター、それだけか?」

 

 突然の呼び掛けに振り返ると、見知らぬグリフィンドールの男子生徒がハリエットの皿を覗き込んでいた。硬いブロンドの髪をした彼はカボチャのプティングとパイ一切れのみのそれを見ると、うへぇとげんなりした表情を浮かべた。

 

「ただでさえ小さいんだから、もっと食えよ。ほら、これやる」

「え?」

 

 ぐっと手に押し付けられたのは、オレンジ色のリボンで包んだ緑色の包装紙だった。何やら中にふわりと硬い塊があるのがわかる。

 

「じゃ、俺行くから!」

「え、えっ」

「他の奴にあげたりしないでお前が食えよ!いいな!」

 

 そのまま走り去っていく男子生徒に、ハリエットはおろおろと困り果てた。ハリエットの右隣に座っていたラベンダーが男子生徒を凝視しており、左隣にいたパーバティは何かと包装紙を覗き込んでいる。

 首を傾げながらリボンを解くと、貝殻の形をしたマドレーヌが二つある。傍で誰かがきゃっと声を弾ませた。

 

「ね、ね。ハリー。せっかくもらったんだから、食べてみたら?」

 

 どこかそわそわした様子のラベンダーに言われて、マドレーヌを口に運ぶ。もそもそも食べているその姿をグリフィンドール生達が揃ってにんまりと見守っていると、不意にクィデッチチームのアンジェリーナが身を乗り出した。

 

「ハリー、私もあげるわ。今朝、実家から送られてきたの」

「んぐっ?」

「俺もやるよ。甘い物あんまり好きじゃなくてさ」

「僕からもあげる。マクラーゲンが言ってたみたいにちゃんと食べなきゃね。ハイ」

「んっ、えっ、ま、まって」

 

 慌ててマドレーヌを飲み込んで止めようとしたが、彼らは問答無用でハリエットのローブのポケットにお菓子を突っ込んでいく為、一分もしないうちにハリエットのポケットはパンパンになってしまった。

 

「ま、待って。こ、こんなに食べられない……」

「そう言うなよポッター。俺もあげる」

「私もあげるわね。砂糖いっぱいで甘くて美味しいわよ」

「えっ、えっ、まって、ほんとにまって」

 

 ついには面白がったハッフルパフやレイブンクローの上級生達もポケットにお菓子を詰め込み始めた。お菓子を与えた生徒達は慌てふためくハリエットを微笑ましそうに見てから、用は終わったとばかりに講堂を後にしていく。

 ふと、パーバティがにこにこ笑顔で呟いた。

 

「ハリーってば、ホントに人気ねぇ」

「み、見てないで、止めて……!」

 

 結局、大量に貢がれたお菓子はマドレーヌを含めた一部を除き、ロンやシェーマスといった男子生徒達に横流しされる事になった。

 

 

 

 

 その日、ハリエット達は呪文学の授業があった。

 

「ビューン、ヒョイ、ですよ。練習した手の動きを忘れないように、呪文を正確に。ウィンガーディアム・レヴィオーサです!」

 

 フリットウィックが見せるお手本の動きを真似ながら、生徒達はペアで羽を浮かせようと口々に呪文を唱えている。ハリエットはシェーマスと組んだが、何でもかんでも爆発させる彼に少し距離を取っていた。

 それよりも気になるのは、よりにもよって隣同士になってしまった目の前のハーマイオニーとロンのペアの事だった。さっきからブツブツと言い争っている二人に、喧嘩ばかりしている事を知るグリフィンドール生達の額に冷や汗が流れている。

 

「発音が間違ってるわ!いい?レヴィオーサよ。貴方のはレビオサー」

「そんなに言うなら自分でやってみろよ!ほらどうぞ?」

 

 ロンは小馬鹿にするような態度で言ったが、ハーマイオニーは有言実行で見事に羽を浮かべてみせた。フリットウィックが言った通りの正しい発音で、ロンのように杖を大きく振りかぶる事もしない。

 

「おぉ、よく出来ました!皆さん、ミス・グレンジャーがやりましたぞ。やぁ素晴らしい」

 

 すかさずフリットウィックからお褒めの言葉が飛び出し、グリフィンドールに加点もされた。

 

 

「『いい?レヴィオーサよ』だってさ……ほんっと嫌味な奴だよ」

 

 授業を終えて寮に戻る道中、ロンは苛立ちを隠す事なくぼやいていた。パーバティとラベンダーは質問があると言って教室に残った為、ハリエットはロンと歩いている。

 

「点をもらった時のあの顔!どうせ僕の事なんか馬鹿にしてんだよ。上から目線のヤな女」

「───ロン、それは……」

 

 その時、ドンッと肩に何かがぶつかった。前のめりになった瞬間に栗色の髪が目の前をちらつき、はっとハリエットが目を見開いた時には、その後ろ姿はさっさと走っていってしまった。

 

「ロ、ロン……」

 

 ちらりとロンを見てみると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。ハリエットは少し迷ってから、ハーマイオニーを追いかけた。けれどハーマイオニーは見つからず、夜のパーティーが始まっても、ハーマイオニーが講堂に現れる事はなかった。

 罪悪感を抱いたハリエットは食事が喉を通っておらず、ロンも朝の勢いが嘘のように肩を落としている。

 

「そういえばハーマイオニーは?」

「パーバティが言ってたけど、トイレにこもって出てこないんだって。そこで泣いてるみたいだよ」

 

 ディーンの疑問にネビルが答えると、ハリエットとロンはお互いの顔を見合わせた。けれど何かを言う訳ではなくて、気まずそうに目を逸らす。

 その時、突然講堂に甲高い叫び声が響いた。

 

「───トロールがァァァ!!地下室にトロールがァァ!!!」

 

 飛び込んできたクィレルに生徒達の視線が一気に集まる。常からおどろおどろしい青ざめた顔をしているが、いつも以上にガタガタと震えて血の気が引いていた。

 

「お知らせしま………」

 

 ガクン、と白目を向いて前のめりにクィレルがその場に倒れると、引き金のように生徒達が悲鳴を上げた。誰もが立ち上がって肩や背中を押し合いながら逃げ惑う中、突き抜けるようなダンブルドアが怒号を上げる事で少しの落ち着きが戻る。

 

「監督生は生徒達を連れて寮に。先生方はわしと地下室へ」

 

 冷静な指示に、監督生と教師陣はすぐに動いた。組み分けの時と同じように集められる。グリフィンドールはいつものようにパーシーが先頭に立ち、ハリエットとロンもそれをついていった。

 

「どうやって入ったのかな?トロールに自分で入り込む頭なんてないだろうし……もしかして、誰かが招き入れたのかも」

「あ……」

 

 ふと、ハリエットが足を止めた。気付いたロンが振り返ると、ハリエットは声を震わせながら呟いた。

 

「ハーマイオニー、トロールの事知らない………」

 

 ───次の瞬間、二人は考える間もなく走り出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お腹すいた」

 

 ぽつりと呟いて、ハーマイオニーはローブの裾で目尻をゴシゴシとこすった。長い時間泣いていたせいで鼻の奥がツンとする。廊下には少しの気配も感じない。きっと皆、ハロウィンパーティーを楽しんでいるのだろう。

 そこまで考えて、ハーマイオニーは思った。ハリエットやロンも、楽しんでいるのだろうか、と。

 

「………」

 

 昔からこうだった。大人からは好印象を持たれる事が多かったのに、同年代の子供にはやけに煙たがられる。教科書通りの何が悪いのか、ハーマイオニーにはわからない。

 ハリエットと仲良くなれた事は素直に嬉しかった。ハーマイオニーを鬱陶しがる事は一度もなかったし、予習復習に嫌な顔一つしない。ハーマイオニーが今まで知り合った子供の中で、ハリエットは誰よりも話が合う友達だった。

 けれど今、そのハリエットは隣にいない。自分から距離をとったせいだ。

 

「……ぐす」

 

 自業自得だとわかっている。自分勝手に意固地になった結果がこれだ。パーバティやラベンダーが怒っていた事も、ハリエットが寂しそうな目を向けてくる事も仕方がない。

 もう食欲も湧いてこなくて、寮に戻ってふて寝でもしようとトイレを出た。もしハリエットに鉢合わせたら謝った方が良いのだろうが、それができたら苦労しない。

 深く俯きながらとぼとぼ歩く。すると、緑色の太い足が見えて、ハーマイオニーは歩を止めた。

 

「……?───ぁ」

 

 ゆっくりと顔を上げると、ぶくぶくの腹を抱えた巨体が、大きな棍棒を持ってハーマイオニーを見下ろしていた───トロールだ。

 頭を真っ白にしながらとにかくトイレの中に逃げ込むが、しゃがみ込んだ瞬間に頭があった部分が棍棒によって木っ端微塵に壊された。

 

「きゃあぁぁぁぁー!!!」

 

 悲鳴を上げても、トロールは止まったりしなかった。どんよりした目で木の破片を払ったり、棍棒を振り上げて隣のトイレに振り下ろしたり。暗記した筈の教科書の呪文は、まるで頭に浮かんでこない。ぐるぐると恐怖が頭の中で渦巻く───その時。

 

 

「ハーマイオニー!!」

 

 

 いつも震えてばかりいる声が、大きな声でハーマイオニーの名前を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 醜悪な巨人の向こう側にハーマイオニーの姿を見つけて、ハリエットは咄嗟に杖を抜いた。

 ハリエットの大声に気付いていないのか、トロールの目はまだハーマイオニーに向いている。無防備な背中に杖を向けて、ハリエットは教科書の呪文を必死に頭に思い出した───ハーマイオニーと一緒に読んだ教科書を。

 

「ァ───“アグアメンティ(水よ)!”」

 

 溢れた水がトイレの床とトロールの背中を濡らす。違和感を感じたトロールが振り向こうとして、濡れた床に足を取られてずるりと滑った。どしん、と尻もちをついて臀部をさすり蹲るトロール目掛けて、ロンが近くの瓦礫をその頭に投げつける。

 

「こっちだノロマ!」

 

 声と頭の衝撃に振り向いたトロールが、杖を握り締める姿を見つけた。伸びてくるトロールの腕から逃れようとロンがハリエットのローブを掴んで後ずさる。ハーマイオニーの方を見ると、這いずりながら手洗い場の下に避難していた。

 

「ハリー、金縛り呪文よ!基本呪文集の、えーと、確か五十ページくらいの所!多分!」

「あっ───」

 

 ハーマイオニーの言葉に記憶を巡らせて、ハリエットはすぐさま呪文を口にした。

 

「“ペトリフィカス・トタルス(石になれ)!”」

 

 響いた言葉と共に青い閃光が大きな図体を包むように輝き、トロールの動きが文字通り硬直した。

 しかし、ハリエットは杖を下ろさない。『全身金縛り呪文』の効果は、相手を一時的に麻痺させる事ができる───つまり、永続的に相手の動きを止めておきたいなら───ましてこのような大きな魔法生物が相手なら───ひたすら杖を向けて意識を集中しなくてはならないのだ。

 

「ロ、ロン!何か、何かやって……!」

「えぇ!?何を!?」

「何でもいいから!は、早く!」

 

 肌を押し返すような感覚に耐えながらハリエットは叫んだ。切羽詰まった声にロンは慌てて杖を抜くと、トロールの全体を見通してからその足元に向かって杖を振り上げる。ハーマイオニーが声を張り上げた。

 

「ビューン、ヒョイよ!」

「“ウィンガーディアム・レヴィオーサ(浮遊せよ)”!」

 

 トロールの足元に転がった棍棒が、ロンの呪文に応えて確かに浮遊した。しかしそれはほんの数秒だったが───その数秒に、ロンは棍棒をトロールの頭上に移動させたのだ。

 ロンが杖を下ろすと、棍棒はすぐさま重力に従って真っ逆さまに落ちた。ごつん、と尻もちをついた時とは少し違う強ばった音がトイレの中に反響する。恐る恐るハリエットもまた杖を下ろすと───白目を向いたトロールが、ぐらりと前のめりになって倒れた。

 

「………たおれた」

 

 やっとの思いで絞り出したのは、掠れたような情けない声だった。しかし、心臓は大きな鼓動を鳴らして動いており、頭の中はやけに熱く感じる。

 

「……これ、死んだの?」

「き、気絶してるだけだよ。頭ぶつけたくらいでこんなデカブツが死ぬもんか」

 

 トロールを乗り越えてこちらにやってきたハーマイオニーに、ロンが返す。ハリエットはハーマイオニーの方を向くと、どっと肩の力が抜けた状態で彼女にふらふらと近付いた。

 ハーマイオニーは気まずそうに斜め下に視線をやりながら、体だけはハリエットに向けている。あの、と何か言い出そうとしたのを遮って、ハリエットの方が先に口を開いた。

 

「……怪我、してない?」

 

 掠れた声とは違った───その声は、泣きそうに震えていた。

 弾かれたようにハーマイオニーが顔を上げる。小さく首を縦に振った彼女に、ハリエットは思わず一歩を前に出して抱き着いた。

 

「よ、よか……よかったぁ」

 

 ───ハリエットは怖かった。恐ろしかった。誰かが傷付く事が、ハーマイオニーが傷付く事が。

 例え避けられても、ハーマイオニーがはじめての友達である事に変わりはなくて。だからトロール相手にだって、柄にもなく無我夢中になれたのだ。

 ぽろぽろとハリエットの目から涙が流れている事に気付いたハーマイオニーは、あわあわしながら震える背中に腕を回した。額を押し付けるハリエットと同じように肩に顎を乗せて「ごめんなさいハリー、ごめんね、本当にごめんなさい」と繰り返しながらきつく抱き締める。

 抱きすくめられる事なんて人生で数えるほどすらなかったハリエットは、少し呆然としながらその謝罪と抱擁を受け入れた。

 

「あ、あの……」

 

 完全に二人の空気になっていた所に、ロンは覚悟を決めた顔つきで口を開いた。

 

「その……ごめん。僕、ハーマイオニーに酷い事言った、よね……」

「……私も、変に頑なになっていたわ」

 

 ハーマイオニーはハリエットを抱き締めたままロンの謝罪を受け入れ、そして同じように繰り返した。ロンが、ほっと胸を撫で下ろした様子で「君のおかげで発音も完璧に言えた」とトロールを杖で指しながら言う───その時、ようやっと教師陣が揃って女子トイレに飛び込んできた。

 まず顔色を青くさせたマクゴナガル、それに続いてスネイプとクィレル───マクゴナガルは横たわるトロールとハーマイオニーにしがみつくハリエットを順番に目にすると、胸を抑えるようにしながら強い眼差しで三人を見据えた。

 

「一体これはどういう事なのですか。何故トロールが寝ているような場所で、貴方がたは寮に戻りもせず揃ってこんな所にいるのですか?説明なさい!」

 

 怒気を含んだ強い口調でマクゴナガルは言い募った。ロンは狼狽えて、ハリエットは顔を上げながらぐしぐしと目尻を何度もこすっている。ハーマイオニーが言った。

 

「私のせいなんです、先生!」

「なんですって?」

 

 信じられないとでも言わんばかりに目を見開いて、マクゴナガルがハーマイオニーに聞き返した。ロンとハリエットも呆然としてハーマイオニーを見つめている。

 

「トロールを探しに来たんです。本で読んだから倒せると思って───でも、ダメでした。ハリーとロンが来てくれなかったら、今頃は……」

 

 段々と語尾を小さくして俯いていくハーマイオニーを、マクゴナガルは声を震わせながら叱責した。

 

「なんと言う事でしょう───それはとても愚かな行為ですよ、ミス・グレンジャー!」

 

 そこで一旦言葉を区切り、目を赤くしたハリエットを横目にしながら更に続ける。

 

「友人を泣かせるほど心配をかけた自覚はおありですか?全く、もっとよく考えて行動して欲しいものです───グリフィンドールから五点減点します!」

 

 マクゴナガルにとって、そして説明を聞いていたその場の全員にとって、それは極めて妥当な判断と言えた。

 三人揃って身をすくめて視線を下げた時、スネイプの足もとがハリエットの目に入った。ふくらはぎ辺りの衣服が裂けていて、晒された肌の上を赤い血が流れている。

 思わず凝視すると、視線に気付いたスネイプがさっとマントで傷を隠した。顔を上げると数秒目が合ったが、どちらからともなくすぐ逸らす。

 

「貴方達二人も、無事だったのは運が良かったからですよ。一年生が野生のトロールを相手にして生きて帰れる事はそうないでしょう」

 

 今度はハーマイオニーからハリエットとロンに説教の相手が変わり、二人は更に縮こまった。ハーマイオニーが何か言おうとして、けれど言葉が出ないと言った様子でマクゴナガルを見つめている。

 

「……よって五点ずつ、二人に与える事にしましょう」

 

 しかし、マクゴナガルが告げたのは予想外の加点だった。

 ぽかんと目を丸くした三人を、マクゴナガルはどこか呆れたような微笑みで見やり、首を横に緩く振った。

 

「その幸運に対してです───さぁ、もう寮に戻りなさい。ミス・ポッターも涙を拭いて」

 

 名前を呼ばれたハリエットは、はっと目を瞬かせてマクゴナガルの言葉に頷いて、ハーマイオニーとロンと一緒に女子トイレを後にした。



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クィディッチスリザリン戦

 トロールの騒動を終えて、ハリエットの周囲は少し関係が和らいだように思えた。

 ハーマイオニーはロンだけでなくパーバティ達と仲直りしたようだし、ロンは「女の子を泣かせたるなんて、騎士道精神を重んじるグリフィンドールにあるまじき事だ」と、兄三人からきつくお叱りを受けたらしい。

 クィディッチの練習にも慣れてきた頃、ハリエットはマクゴナガルからニンバス2000をプレゼントされた。

 もらったハリエット以上に興奮したウッドが、更にえげつないしごきをするようになったが、ダーズリー家で培われた我慢と忍耐でどうにか耐えられていた。そもそも今は練習に文句を言える時期ではないのだ。

 

 そう、季節は十一月の冬場。

 クィディッチシーズンの到来だ。

 

 

 

 

 

 

 

「ハリー、今日はちゃんと食べなきゃダメよ」

 

 ハーマイオニーがトーストを示しながら優しく言うが、ハリエットは不安げな面立ちで首を横に振る。

 

「お腹、すいてない……」

「シーカーは真っ先に狙われるんだぜ。食べて力をつけた方がいいよ」

 

 ハリエットの前にあるソーセージの皿にロンがケチャップをしぼって差し出す。受け取りながら「でも」とくちごもるハリエットの表情は暗い。

 あと一時間もすればデビュー戦が始まる。そう思うと胃の中身を全て戻してしまいそうで、何も食べる気になれなかった。

 

「ちょっとだけ。ね?ハリー……」

「ミス・ポッター」

 

 突然、背後から這うような声に呼びかけられた。勢いよく後ろを振り向くと、スネイプが相変わらず鋭い目つきでハリエットを見下ろしていた。

 じろり、スネイプの視線が手をつけていないハリエットの食卓を目にする。

 

「……これはこれは。トロールと戦った自分なら、ろくに食べずともスリザリン相手ぐらい簡単に勝てるとお思いかね」

「生徒に嫌味言いに来たんですか、スネイプ先生」

 

 間髪入れずにロンが言う。冷えきった目が更に冷たさを増したが、ロンはまるでお構いなしと言った様子でスネイプを見上げていた。

 ここ数日の魔法薬学で、スネイプから減点を食らいまくっている二番目の生徒がロン・ウィーズリーだった。ちなみに一番はネビル・ロングボトム、どちらもグリフィンドールとか以前に薬作りの才能がまるでない。

 

「……何にせよ健闘を祈るとしよう。教師に対する態度がなっていないウィーズリーは五点減点」

「んなっ!?」

 

 あんぐりと口を開けたロンをひと睨みして告げてから、スネイプの視線がハリエットに向けられる。

 

「食事は取れ」

「……えっ?」

「君は食が細いのでよく見ておくようにと君の叔母から言付かっている。どれだけ少なくとも三食は絶対に取りたまえ」

 

 いつもより少し早口で言い切りながら踵を返すスネイプの背中を、ハリエット達は目を丸くさせて見送った。

 

 

 

 

 試合直前になると、観客席には既に多くの生徒達が詰めかけていた。双眼鏡や寮の旗を手に、今か今かと選手の入場を待っている。

 グリフィンドールのユニフォームは真紅のローブで、スリザリンのローブは緑色だ。ハリエットは真紅のローブを身に纏い、いつもおろしている髪をポニーテールに結い上げていた。

 

「怖いのか?ハリー」

 

 入場の直前、ありありと闘志を目に灯すウッドがハリエットに問いかけた。

 ミスター・クレイジークィディッチと名高いウッドだが、ハリエットと彼の関係はなかなかに良好だ。時間をかけてクィディッチのルールと魅力、そして歴史や豆知識まで教えてくれるウッドの事を、ハリエットは頼りになる良い先輩だと認識していた。

 控えめに頷くハリエットに、ウッドは笑った。

 

「練習の時も言ったみたいに、君はスニッチだけ気にしていればいい。試合が始まった直後は相手ビーターから離れてる事。スリザリンのフリントには気を付けろ、あいつはたまにラフプレーもどきの事をする。いいな?」

 

 ハリエットは何度も首を縦に振る。緊張で脚が震えそうになるのを抑えるだけで精一杯だった。

 グラウンドの中心で待っていたマダム・フーチが、両チームのキャプテンに握手するように指示する。ウッドとスリザリンのキャプテン、フリントが睨み合いながら握手をした。

 

『さぁ、皆さん!今シーズン初のクィディッチの試合が始まります!今日の試合はスリザリン対グリフィンドール!』

 

 聞き覚えのある声が選手や観客の鼓膜に轟く。ハリエットの二学年上の生徒で双子の仲間のリー・ジョーダンだ。実況の為に生徒の中で唯一、教師達の席に座っている。

 

「正々堂々と戦ってください!期待してますよ!」

 

 マダム・フーチが銀の笛をくわえながら叫ぶと、選手達は箒に跨った。チェイサーやビーターが輪になるように、ハリエットとスリザリンのシーカーであるテレンス・ヒッグスが輪の少し上空に浮かぶ。

 ふとグリフィンドールの観客席を見やると、グリフィンドールの同級生達がまるでサッカーチームの応援団のような大きな旗を掲げている。更にその傍に、一際大きな人物の姿が見える。ハグリッドだ。

 まずブラッジャーが飛び上がった。続いて金のスニッチが飛び去っていく。ほとんど間を置かず、マダム・フーチの手からクアッフルが放たれる。

 

『ホイッスルが鳴った───試合開始です!』

 

 まるで弾かれるように、選手達は動いた。赤と緑がお互いの間を縫うように混ざり合う───最初に真紅のローブがクアッフルを捕まえた。

 

『グリフィンドールのアンジェリーナ・ジョンソン選手がクアッフルを取りました!素晴らしい動きでアリシア・スピネットにパス。スピネット選手は去年はまだ補欠でした───ジョンソン選手にクアッフルが戻る───あぁ、スリザリンがクアッフルを奪った!キャプテンのマーカス・フリントがゴールに向かう。決めるか───いや、グリフィンドールのキーパー、オリバー・ウッドが難なく止めた!クアッフルはチェイサー、ケイティ・ベルに渡ります。急降下でスリザリンから逃れる───うわっ!?ブラッジャーがベル選手に直撃!再びクアッフルがスリザリンに───今度はグラハム・モンタギューの後頭部にブラッジャーがヒット!ウィーズリー兄弟、フレッドなのかジョージなのかわかりませんが見事な狙い撃ちです!モンタギュー選手の落としたクアッフルはジョンソン選手が取りました───スリザリンのビーター、ボール選手とデリックル選手が狙い撃つが素早く躱す───ゴール直前まで来たぞ!キーパーのマイルズ・ブレッチリーが飛びついた───が間に合わない!アンジェリーナ・ジョンソン決めた!グリフィンドール先取点です!』

 

 開始早々から怒涛の展開が繰り広げられた。グリフィンドールから歓喜の声援が上がり、スリザリンは肩を落として野次とため息をこぼす。

 ハリエットはスニッチを探しながらただ見つめるしかできなかったが、スリザリンのヒッグスはそれに加えて、クアッフルを奪う戦いにも参戦しているようだった。

 

『エイドリアン・ピュシー、双子とブラッジャーから急降下で逃げています。ケイティ・ベルが立ちはだかるがそれも凌ぐ───パスを受けたマーカス・フリント、近付いたアリシア・スピネットを蹴っ飛ばしてまでゴールに向かう───オリバー・ウッドがまた止めた!流石はミスター・クレイジークィディッチ!数年前に流行ったウッド選手の蔑称ですが、本人はこの呼び名を結構気に入っていると言っていました!』

 

 リーの解説に、ウッドがドヤ顔で肩をすくめた。フリントが歯を食いしばりながら睨んでいる所を見るに、その蔑称を言い出したのはフリントが最初なのかもしれない。

 

『ジョンソン選手がクアッフルを手に上昇、追いかけるフリントとピュシーをウィーズリー達がブラッジャーで阻止しています!敵が少なくなった所でジョンソン選手が急降下───いや、スリザリンのシーカー、テレンス・ヒッグスが飛んできてクアッフルを脇から奪った!すかさず戻ってきたフリント選手がキャッチします!スリザリンは常に攻撃の手を緩めません───良い意味でも悪い意味でも───』

 

 その時。

 きらりと、何か光が煌めいた。まるで閃光のようなそれを、ハリエットは覚えている。ウッドから見せてもらったクィディッチの花形、元々使用されていた絶滅危惧種の魔法生物スニジェットを模した金色のボール───スニッチだ。

 

『あっ、ハリエット・ポッターが飛び出した!グリフィンドールのシーカー、ハリエット・ポッターが飛び出しました!』

 

 リーが興奮気味になって叫び、観客達はざわつきながらハリエットを見た。ヒッグスもチェイサー達の傍を離れて、スニッチを追いかける。

 入場の時と違って、スニッチを追い求めるハリエットの顔色は良かった。もしかしたら、ウッドが口すっぱく「スニッチだけ気にしていればいい」と言った事に効果があったのかもしれない。ハリエットはスニッチを見つけた瞬間、頭の中を真っ白にして箒を飛ばしていた。

 

『ハリエット・ポッター、速い!ニンバス2000の性能が素晴らしいのはわかっていますが、だからと言ってこのスピードは一年生とはとても思えません!ヒッグス選手も懸命に箒を飛ばしているようですが、とにかくポッターが速い───いや本気で速いぞ凄いなあの子!?』

 

 双子にからかわれて赤面するハリエットを見る事が多いリーは、心底驚いた様子でそう言った。ロンやハーマイオニー達一年生を筆頭に、グリフィンドール席から猛烈なポッターコールが響いている。少しずつ距離が空いていく事にヒッグスが舌を打ったが、ハリエットはそれにも気付いていない。

 

『いやぁ本当に速いぞハリエット・ポッター……あ、皆が彼女に注目している間にフリントがゴールを決めました!スリザリン十点獲得です!』

 

 この得点をきっかけに、リーはハリエットからチェイサー達の実況に戻った。シーカーはスニッチを追いかけるだけで実況がやりにくいという本音があったが、わざわざそんな事は口にしなかった。

 ふとブラッジャーがハリエットの頭上スレスレを飛んだ時、突然ハリエットの体が浮遊感(・・・)に襲われた。

 

「ぅあっ!?」

 

 がくんっ、と強い力に箒が引っ張られる。踏ん張ればまた別の方向に、更にまた逆に。まるで重力が秒刻みで変わっているようだ。

 ずっとハリエットの後ろについていたヒッグスが追い抜いてしまう。ヒッグスの訝しげな視線と、ハリエットの混乱した目が一瞬だけ交差した。

 

 

 

 

「一体ハリーはどうしよったんだ?」

 

 双眼鏡越しにハリエットを見ていたハグリッドは、眉をしかめながらぶつりと言った。同じように双眼鏡を使っていたパーバティが頷き、箒に振り回されているハリエットを不安げに見つめている。普段のハリエットを知っているグリフィンドールの一年生達は、ハリエットの事が心配すぎてハリエットばかり気にしていた。

 チェイサー達の動きを追っていた観客達も、段々とハリエットの異変に気付き出している。荒々しく飛び跳ねる兎のような箒の飛び方が異常な事は誰から見ても明らかだった。

 全員が固唾を飲んで観客がハリエットを見守る中、ハーマイオニーは双眼鏡で食い入るように観客席を見渡した。そして教員席の所で目を止めると、双眼鏡を下ろして憎々しげな表情で同級生達に小声で語りかける。

 

「先生方の席を見て。スネイプが何か呟いてる、箒に呪文をかけているのよ」

「えっ!?」

「スネイプ先生が?」

 

 ハーマイオニーの発言にロン達は目を丸くした。しかし腑にも落ちる。スネイプのグリフィンドール差別とスリザリン贔屓は全校生徒周知の事実だからだ。

 パーバティが双眼鏡を覗くと、確かにスネイプの唇がぶつぶつと何かを口ずさんでいるのがわかる。

 

「ハーマイオニーの言う通りだわ。何か言ってるみたい」

「反則だ!レッドカードものだぞ!」

 

 マグル生まれのディーンはサッカーの退場を示すレッドカードを叫んだか、生憎とクィディッチに退場の概念はない。

 

「でもどうすりゃいいんだ?」

「私に任せて!」

 

 ハーマイオニーはそう言うと席を立ってどこかに走り去り、残されたロン達は再びハリエットに視線を向けた。

 ハリエットの箒は未だ荒々しく揺れ動いており、ジョージが自分の箒に乗り移らせようとして近付き、フレッドは落ちてきた時に備えてハリエットの下を浮遊している。

 ハーマイオニーは観客をかきわけて教員のスタンドまで辿りつくと、魔法で折り重なった木材の間を抜けながらスネイプの椅子の下に忍び込んだ。

 

「“ラカーナム・インフラマーレイ”」

 

 呪文を呟くと、ハーマイオニーが構えた杖の先から火の粉が飛び出し、スネイプのローブを燃やした。数十秒するとスネイプは炎に気が付いて立ち上がり、その拍子に後ろにいたクィレルが倒れ、小規模の人の雪崩が起き伏している。

 スネイプの目がハリエットから逸らされたのと同時に、ハーマイオニーは眉を下げてハリエットを見上げる───次の瞬間、ハリエットは思いきり急降下した。

 

「ハリー!」

 

 ハーマイオニーが叫ぶ。至る所から悲鳴が上がる。誰もがハリエットが落ちたのだと思った。しかし、そうではなかった───ハリエットは、ヒッグスを追っていた。

 

 

 

 

 不意に思った───飛べる、と。

 それは直感に近い感覚で、最初の飛行訓練で飛べると思い至った時と似ているようだった。

 落ちかけていた箒に落ち着いて乗り直す。今度こそおかしな方向に飛び跳ねる事はなく、ハリエットはぐるりとフィールドを見渡して急降下した。落ちそうになりながらも、スニッチを追いかけるヒッグスの事は気にしていた。

 びゅうびゅうと正面から風を受ける。隣までやってくると、ヒッグスの舌打ちがハリエットの耳にも聞こえた。しかしラフプレーのような行動は見られず、懸命に手をスニッチに伸ばしている。

 スニッチは目の前で縦に閃光を走らせた。ハリエットとヒッグスも反射的に急降下する。スニッチはフィールドの地面まで真っ逆さまに落ちていく。

 あと数メートルで地面につくという所で、ヒッグスはハリエットを見やった。視界にある筈の芝生がまるで見えていないように、エメラルドグリーンにスニッチだけを映している。ヒッグスが上体を起こす。ハリエットはまだ、スニッチと共に落ちていく。

 地面スレスレでスニッチがようやく軌道を変えようとした時、ハリエットは箒から腕を伸ばした。上体を上げながら支えをなくしてバランスが一気に崩れる。片手はスニッチに向けながら体勢を立て直そうとして───次の瞬間、がつん、と強い痛みが背中にぶつかった。

 声を上げる事もできず、ハリエットはそのまま箒から芝生の上に身を投げた。骨の軋むような痛みがズキズキと感じる。ふらつくような頭の中、双子の怒声が揃って聞こえてきた。スリザリンのビーター二人の名前を叫んでいる。

 背中を抑えながら身を起こそうとした時、ふと手のひらに冷たさを感じた。箒ではない何かを握っている。この状況で握り締める箒以外の心当たりは、一つだけあった。

 

「………」

 

 恐る恐る手のひらを開くと、輝く金色の球体が握られていた───スニッチだ。ハリエットの手の中にスニッチがある!

 

 

「ハリエットだ!」

「スニッチだ!」

 

「「ハリエットがスニッチを取ったぞ!」」

 

 

 双子がまた大声で、しかし今度は怒声ではない明るい声で叫んだ。マダム・フーチが笛を鳴らす。大混乱の中、グリフィンドール席から拍手と大歓声が轟いた。リー・ジョーダンが大喜びでマイクを握り締めた。

 

『ハリエット・ポッターがスニッチを取った!グリフィンドールの勝利です!グリフィンドールが勝ちました───!!!』



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ハグリッドとお茶

 見事にデビュー戦を輝かしい功績で飾ってみせたハリエットだったが、その日の夜は医務室の住人と成っていた。

 何しろブラッジャーを食らった所が、ちょうど人体の急所の中でも中枢神経に重要な役割を果たす脊髄部分だったのだ。クィディッチの時期になると怒りを通り越して呆れ果てるようになってしまったマダム・ポンフリーの厳命で、ハリエットは大事を見て一晩の入院をする事になった。

 たった一晩の入院だと言うのに、たくさんのグリフィンドール生達がハリエットにお見舞いと賞賛をしにやってきた。約半数は「医務室で騒がない!」というマダム・ポンフリーの言葉を無視した為に出禁になっていたが。

 

 

 

「スネイプ先生が、呪文を……?」

 

 出禁にならなかったハーマイオニー達にスネイプの事を聞いたハリエットは、思わずといった風に聞き返した。

 確かに箒のコントロールが当然なくなりはしたが、呪文をかけられているとは夢にも思っていなかった。それも教師にかけられていたというのだから、驚かない方がおかしいだろう。

 

「えぇ。瞬き一つせずハリーを見ながら、何かをぶつぶつ言っていたわ」

「本当よ。私も見たんだから」

 

 ハーマイオニーに続いてパーバティが言う。確かに二人の目撃者がいるのなら、一番怪しいのはスネイプの他にいないだろう。

 けれど、何故。ハリエットにはそれが不思議でならなかった。

 ロンはスリザリンを勝たせる為だろうと考えたが、正直スネイプがクィディッチの勝敗をそこまで気に留めるとは思えない。例えあの時スリザリンが勝利していたとしても、優勝が確定される訳でもないのに。

 

「それか、個人的な理由とか?知らないうちにスネイプから恨まれるような事しちゃったとかさ」

 

 シェーマスが冗談めかしながら呟く。ハリエットは考えてみたが、心当たりはあまりなかった。ペチュニアと知り合いのようだったから、それに関係しているのではないかとも思ったが、それならはじめて会った日からいびり散らかされている筈だ。

 

「見られたくない所を見られたとかは?ハリー、最近スネイプの変な所見なかった?」

 

 今度はディーンが言った。ハリエットは少し考え込むと、ハロウィンの日の事を思い出した。マクゴナガルとクィレルと共に駆けつけたスネイプの脚が、裂けるような怪我を負っていた事を。

 

「……怪我、してた」

「怪我?」

「ハロウィンの……トロールが入ってきた日。脚を、何だか切ったみたいだった」

 

 ハリエットの言葉に、全員が不思議そうに首を捻った。

 ロンとハーマイオニー以外の皆はトイレの事件を詳しくは知らないし、当事者である二人はマクゴナガルの言葉に意識を取られて、スネイプの事など気にしていなかったのだ。

 

「……怪我を見られたのが嫌だったって事?たかが怪我を?」

 

 パーバティの口にした疑問に、全員が思考を俯かせる。グリフィンドール生のほとんどがスネイプを嫌な奴だと認識しているが、それでも教師である事に変わりはない。怪我一つの為に生徒一人を危険に晒すだろうか。

 

「……怪我そのものが理由じゃないのかも」

 

 包み込むような静寂の中、ひっそりと囁き声がこぼれた。ハーマイオニーは七人から感じる視線を受けながら、できるだけ小声で言う。

 

「この前、ロンとハリーと四階右側の廊下に入っちゃったのよ」

「えっ!?君達、一体何して……」

「静かに、ネビル。不可抗力だったのよ……それでその時に私達、中に何がいるのか見ちゃったの」

 

 三つの頭を持つ番犬、その名もケルベロス。マグルの世界でもよく知られている怪物だ。そしてハーマイオニーが言いたいのは、その怪物が守っていた足元の仕掛け扉の事だった。

 

「きっと、ハロウィンの日にトロールを城へ入れたのはスネイプなのよ。それで先生方が地下室に向かっている間に、あのケルベロスを出し抜こうとしたんだわ。怪我は多分、ケルベロスにひっかかれて作ったんじゃないかしら」

 

 ハリエットは目を見張った。ロンが納得したように破綻した顔を浮かべているのが視界の端に見える。一見すると滅茶苦茶な考察だが、確かに辻褄は合っているように思えた。

 

「じゃあハリーを箒から落とそうとしたのは、怪我の理由がバレる事を恐れてたんだ!」

「ハーマイオニー、君って冴えてるや」

 

 男組は完全にハーマイオニーの考察を信じている。パーバティとラベンダーは釈然としない顔を見合せながら、それでも辻褄の合う話を聞いた事でそうかもしれないと思っているようだ。ハリエットはまだ信じきれていないが、やはり、それを言葉にして言う勇気は湧いてこなかった。

 

「どうする?先生達にこの事を言うかい?」

「信じてもらえないと思うけど。スネイプって先生からは信頼されてるみたいだし……先生“から”は、ね」

 

 ディーンの言い方は、まるで生徒からの信頼はほとんどないに等しいと言っているようだった。ひょっとするとスリザリンの生徒はまた違うのかもしれないが。

 

「……でも、結局その扉の下に何があるんだろう」

 

 ぽつりとネビルが呟いた。それは誰にもわからない。ハリエット達はケルベロスを見て逃げ出したから、その扉を調べようなんて気持ちはほんの少しも湧かなかった。

 

「あら、そんなの聞きに行けばいいじゃない」

 

 なんて事ないように告げるハーマイオニーを皆が見る。ハーマイオニーはにっこりと微笑んで立ち上がると、ハリエットに一枚の手紙を差し出した。

 

「ハリーの友達だって言ったら、渡すように頼まれたの」

 

 がさついた麻色の封筒を受け取り宛名を見ると、あまり綺麗とは言い難い文字で「ハグリッド」と書いている。

 封を開くと同じ色と手触りをした便箋が数枚、強く太そうな筆圧で無駄に幅を使って文字が綴られている。所々スペルが潰れていて読みにくい所もあるが、要約するとこんな内容だ。

 

『今度お茶を飲もう。ハリエットの親の話もしてぇ。いつでも待っとる。皆で遊びにおいで』

 

 手紙を読み終えた時には、ハリエットは胸はふわふわと熱くなるようだった。今までの人生でハリエットが遊びにおいでと言われた事はない。

 幼馴染みのピアーズがダドリーを誘いに来て、その時に二人についでに来いよと腕を引っ張られる事はあったが、ハリエット自身に向けられた招待状は、間違いなくこれがはじめてだ。

 

「ハグリッド?誰だい?」

「僕知ってるよ。禁じられた森の番人なんだ」

 

 ディーンの問いにロンが答え、ハーマイオニーも続く。

 

「そう、森番。つまり森の動物について、きっと詳しいわ。もしかしたら……あの部屋のケルベロスの事も知ってるかも」

 

 ハーマイオニーの言わんとする事を察したハリエットは、もう一度ハグリッドの手紙に視線を向けた。

 

 

 

 

 翌日、ハリエットは無事に医務室から退院した。

 談話室で医務室を出禁にされていたフレッドとジョージに胴上げされそうになったが、咄嗟にパーシーにしがみついてなんとか回避した。まだ進んで目立つ事には慣れていないのだ。

 クィディッチの次の試合はハッフルパフ対レイブンクロー、勝った方がグリフィンドールと戦う事になる。それまではまた練習三昧の毎日だ。

 一年生は上級生より授業数が少ないので、必然的に午後は空き時間が増える。ハリエットはその時間に、ハグリッドの所に行く事にした。

 最初は一年生全員で行こうとした。しかし、ネビルは魔法薬学、ディーンとラベンダーは飛行訓練で居残り。パーバティはパドマとの先約があり、シェーマスは変身術のレポートの提出期間を間違っていた為、死に物狂いで作成中だ。

 そんな訳で、ハグリッドの家に行くのはハリエットとロン、ハーマイオニーの三人だけになった。ハリエットはロンに居残りがない事に少し驚いていたが、流石に誰にも言わなかった。けれどおそらく、ハーマイオニーもハリエットと同じ事を思っているだろう。

 

 ハグリッドの家は禁じられた森のすぐ近くにある。ハリエットが知っている家よりとは異なり、まるで中世ヨーロッパの民家のような雰囲気だ。

 大きな扉を三度叩くと、ハグリッドはすぐに扉を開いてくれた。ずっと高い場所にある目がハリエットを見つけた時、その奥に嬉しそうな感情が灯るのが見えた。

 

「おぉ、ハリエット。後ろの二人もよう来たな」

 

 ハグリッドは心底ご機嫌そうな顔で三人を迎え入れてくれた。家の中は多少乱雑だが広々としたスペースがあり、暖炉の上には取っ手が錆び付いた大きなヤカンが火の上で温められている。

 

「うわぁっ!?」

 

 きょろきょろと落ち着きなく見渡していると、突然ロンが声を上げた。振り向いてみると、ソファの傍で寝転がっていた黒い大型犬がハリエット達の方に近付いてきた。

 

「そいつは俺の犬だ。名前はファングっちゅうて、噛み付いたりしねぇから安心しろ」

 

 そう言われても、ロンはまだ少しびくついているようだった。ファングがハリエットの手をすんすんと鼻を鳴らしながら嗅ぎだす。ハリエットは特に怖がりもせず、空いている手でファングの頭を撫でた。特別好む動物は猛禽類と爬虫類だが、犬や猫といった哺乳類だって嫌いじゃない。

 ハグリッドは三人に暖かい紅茶を煎れてくれた。両手を使わないと掴めないほど大きなマグカップが目の前に置かれる。包み込むように持つと、じわじわと熱に全身が暖まるような気がした。

 

「学校はどうだ?もう慣れたか?」

 

 頷くと、そうかそうかとハグリッドは頷いた。ハリエットが言葉を呟くたび、ハグリッドの笑みはより明るさを増していく。

 話をする時にこうも目に見えて楽しそうな顔をされる事が今までなかったハリエットは、少し気恥ずかしさを感じた。

 どうやらハグリッドは長い事ホグワーツで森番をしているらしい。ロンやハリエットの両親の事も知っていると懐かしむように言った。

 

「モリーとアーサーは普通の生徒と変わらんかったが、ジェームズはそりゃもう目立ってた。ウィーズリーの双子がおるだろ?あいつらと同じぐれぇ───いや、それ以上に悪戯ばっかりしとった。リリーは優等生だったから、そんなジェームズの事を最初はよく思っとらんくてな。あん時はまさか、あの二人が結婚するとは思ってもみんかった!」

 

 どうやら、ハグリッドはハリエットの両親ととても仲が良かったらしい。ただ顔を知っていただけにしてはエピソードの数が豊富だし、ハリエットの目を見ながら楽しそうに、時々寂しそうになって色々な事を話してくれた。

 

「お前さんがシーカーだと聞いた時は、そりゃあもう驚いたもんだ!ええか、ハリエット。ジェームズもな、グリフィンドールのシーカーだったんだぞ」

「───……そう、なんだ」

 

 それもまた、知らない事だ。ふとハリエットはマクゴナガルの事を思い出す。自分の寮に対しても、規律違反は厳しく取り締まってきた彼女が、ハリエットの箒の腕をまるで我が事のように喜んでいた。

 もしかすると、ただ凄腕のシーカーを見つけたという理由だけではなく、父親と同じ才能を見つけて懐かしい気持ちになったのかもしれない。そう思うと、なんだかハリエットは言いようのない気持ちになった。けれど悪い感情ではない、とも思う。

 

「お前さんとジェームズの同じとこなんざ髪の色だけかと思っとったが、箒の才能は間違いなく父親譲りだ。何、試合で箒をブン回すぐれぇ、きっとジェームズもやってたろ」

「あっ!」

 

 その時、ハーマイオニーが飛び跳ねるように声を上げてマグカップをテーブルに置いた。衝撃で残った紅茶が小さな波音を立てている。

 ハーマイオニーは眉をつり上げながら、ハグリッドを見上げて口を開いた。

 

「ハグリッド、あの箒はハリーのせいじゃないのよ。スネイプのせいなの」

「何だって?」

 

 ハグリッドが聞き返した直後、ロンも会話に参戦した。

 

「本当だよ、ハグリッド。パーバティも見たって言ってた。ハリーの箒にぶつぶつ言いながら呪いをかけてたんだ」

「んなバカな。何でスネイプがそんな事する必要があるんだ?」

 

 首を傾げるハグリッドに、ハーマイオニーは続きを話す。

 

「ハロウィンの日に、ホグワーツにいるケルベロスが守っているものを盗もうとして怪我したのよ。それで、その怪我をハリーに見られて……」

「何でお前さんらがフラッフィーを知っとるんだ?」

「───フラッフィー?」

 

 ハリエットは思わず聞き返した。会話の内容からして間違いなく何かの名前だろうか。予想通り、ハグリッドはそれをあの犬の名前だと言った。

 

「去年、パブで会った奴から買った。今はダンブルドアに貸してる。守る為に……」

「守る?何を?」

 

 三人が無意識に身を乗り出すと、逆にハグリッドが巨体をできる限り逸らして後ろに下がった。

 

「ダメだ、聞かんでくれ。重大な秘密なんだ」

「でもハグリッド、そいつが守ってるものをスネイプが狙ってるんだぜ?盗もうとしてるんだ」

 

 ロンが再び言葉を告げると、ハグリッドはまた首を横に振った。

 

「バカ言うんじゃねぇ。スネイプはホグワーツの教師だぞ」

「でも、本当に呪文を使っていたわ。本で読んだ、瞬き一つしちゃいけないって。スネイプは一心不乱にハリーを見てた」

 

 ハーマイオニーの真剣な言葉に、ハグリッドは嘘がないと察したようだった。しかしそれでも、スネイプが生徒を殺そうとする訳がないと譲らなかった。

 

「いいか、三人共。お前さんらは関わっちゃいかん事に関わっとる。悪い事は言わねぇからやめとけ。あれはダンブルドアとニコラス・フラメルの───」

「ニコラス・フラメル?」

 

 また何かの名前だ。今度はおそらく人の名前。ハグリッドは口を閉じ、それからやってしまったと言わんばかりに頭を抱えた。どうやら彼は今、かなり重要なワードを口走ってしまったらしい。

 それからしばらく、ハグリッドは自分が口を滑らさないように、さっきまでの笑顔が嘘のようにぶっきらぼうな会話しかしなくなってしまった。



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メリークリスマス透明マント

 ホグワーツの教職員側からの証言という貴重な情報を得たハリエット達は、その謎の人物“ニコラス・フラメル”について調べる事にした。

 一応、その事は話の結果を待っていた一年生達に告げたのだが、それを聞いたラベンダーは「怖い」と言って、スネイプの目的を追求する事をやめてしまった。パーバティも双子のパドマに相談してみた結果、首を突っ込むのはやめた方がいいと言われて、それに従う事にしたようだ。

 スネイプ犯人説をすっかり信じきっているロンはぶすりと不貞腐れていたが、ハリエットとハーマイオニーは別に構わなかった。そもそも教師を疑うような状況になっている時点でおかしな話だし、その教師が生徒に呪文を呟いていたと確信がある以上、恐怖を感じてしまう事も仕方ない。

 ネビルはプライベートまで調べ物に気を回すほどの余裕が勉強面にないらしく、今回は断念。ディーンとシェーマスは乗り気だったものの、双子の悪戯に興味本位で乗ったせいで共に一ヶ月の罰則を食らってしまい、おかげで課題が追いつかないという惨事が起きた。シェーマスはちょっと泣いていた。

 そういった経緯で、ニコラス・フラメルの事を調べるのはハリエット、ハーマイオニー、ロンの三人の仕事になった。

 

 

 なお結論として、ニコラス・フラメルの事は探せど探せど見つからなかった。

 図書室にある何百という数の本を三人で協力して読みふけっても、それらしい人物の名前は見当たらない。本音を言うと閲覧禁止の棚も調べたかったが、あそこは教員の許可がないと入室さえできない。

 もしかしたらサー・ニコラスと呼ばれている首無しニックがそうかもしれないと思ったが、本人に聞いた所、彼の名前は「ニコラス・ド・ミムジー・ポーピントン」だった。ニコラス以外かすりやしない。

 そうこうしているうちにクリスマス休暇の時期が訪れ、ハリエットはスネイプが持ってきたペチュニアからの手紙を読んで、ホグワーツに残る事に決めた。

 手紙の内容は「クリスマスはそちらで過ごしたらいい」との事。遠回しに帰ってくるなと言いたいのだろう。わかっていた事ではあるが、やはり少しだけ寂しくもあった。ハーマイオニー達同室の女子達は実家に帰る事になっていたので、大きな四人部屋が冬の間、ハリエットだけの部屋になる事も寂しかった。

 なので、ロン達が残る事になったのは、ハリエットにとって嬉しい出来事だった。双子とはクィディッチを通して以前より苦手意識は薄れていたし、パーシーはハリエットを何かと気にかけてくれる。

 ニコラス・フラメルの事を探し出そうとやる気に満ちたロンと違い、双子はルーマニアに遊びに行けない事を残念がっていた。パーシーはどうかと言うと、休暇中に双子がハリエットを本格的に泣かせやしないかとヒヤヒヤしているようだ。

 なんとも兄からの信用が薄い双子である。当人達はまるで気にしていないようだが。

 休暇の間はロンと一緒にニコラス・フラメルの事を探しつつ、普段は上級生が使う談話室でチェスをする事に明け暮れた。駒が意志を持つというやりにくい魔法使いのチェスだが、なんとか数をこなせば雰囲気は掴めてくる。

 駒は休暇で帰宅している間はシェーマスが貸してくれたし、対戦はウィーズリー兄弟が交代で相手をしてくれるので永遠に困らない。至れり尽くせりだ。

 休暇の直前、何故かドラコ・マルフォイ含めた数人のスリザリン生に挨拶されたりもしたが、特に問題が起きる事もなくクリスマス休暇に突入した。

 

 

 

 

 そうして、世界中の誰もが待ちわびるクリスマスの朝がやってきた。

 ホグワーツは真っ白な雪に覆われて、吹雪は優しく外を振り積もっていた。まるで絵に描いたような冬景色だ。

 談話室からは早くも溌剌とした笑い声が聞こえる。きっとウィーズリー兄弟がクリスマス・プレゼントの開封を楽しんでいるのだろう。ダドリーも毎年贈られるプレゼントを楽しみにしていたから。ハリエットにとってはプレゼントなんて、随分と縁遠い事であるけれど。

 

「……おはよう。メリークリスマス、ヘドウィグ」

 

 ほー、と雪と同じ色の彼女が鳴く。それだけでハリエットの頬は柔らかいパンのように綻んだ。朝一番にメリークリスマスと伝えられる事。それがこんなに嬉しいなんて思ってもみていなかった。

 軽く髪を梳かしてカーディガンを羽織ってから談話室に行くと、案の定というべきかウィーズリー兄弟がプレゼントの開封に精を出している所だった。全員がパジャマを着ているが、どうせハリエットと彼らしかいないのだから気にする事でもないと思ったのだろう。和気藹々とした兄弟達の中で、まずハリエットに気付いたのはパーシーだった。

 

「やぁ、ハリエット。メリークリスマス」

「メ、メリークリスマス……パーシー」

 

 ヘドウィグにしたのと同じ挨拶なのに、こうして人を相手にすると何故か変に緊張した。ロンと双子もハリエットの方を振り返る。さっきまで寝起きだっただろう顔はすっかり目が覚めていて、にんまりとした笑顔を浮かべていた。

 

「「やぁ、メリークリスマスだな。グリフィンドールのお姫様」」

「……メ、メリー、クリスマス……」

 

 最初の頃に比べればその呼び方にもだいぶ慣れたが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。顔が熱くなるのを感じながらロンの方にいく。ロンは栗色のセーターから目を離して、ハリエットを見上げていた。

 

「メリー、クリスマス。ロン」

「メリークリスマス、ハリー!見て、君にもプレゼントが来てるよ!」

「……え?」

 

 ほら、とロンが指さした方を見てみると、ロン達ほどではないが積み重なったプレゼントの包みがある。それはスネイプとはじめて出会った日、ベッドの上に並べられていた誕生日プレゼントを想起させた。

 ハリエットは戸惑いながら包みを一つ手に取った。分厚い茶色の包みに走り書いたような「ハリエットへ、ハグリッドより」というメッセージカードが添えられている。中にあったのは木でできたオカリナだった。荒削りだが吹いてみると、まるでフクロウの鳴き声のような音がした。

 二つ目はマクゴナガルからで、青い包みに添えられたメッセージカードの中で雪だるまが手を振っていた。中には赤い宝石に金色の装飾が施されたペンデュラムが入っており、繋がったチェーンがネックレスとして首にかけられるようになっている。

 三つ目はハーマイオニーからだ。大きなカエルチョコレートと綿あめ羽根ペンのセット、それから色んなメーカーのビスケットとマカロンなど、お菓子が大量に詰め合わせで包まれている。

 四つ目の包みは最初の二つに比べると大きく、中には「H」と大きく編み込まれた手編みのセーターがあった。あれ、と思ってロンの方を見ると、ロンのセーターも「R」と編み込んで似ているデザインのものだった。

 

「これ、うちのママから。こういうのが好きでさ」

「俺達もあるぜ」

「パースだってある」

 

 ロンの苦笑にフレッド、そしてジョージと言葉が続く。二人を見てからパーシーの方を見ると困ったようにはにかんで、やっぱり似ている手編みのセーターを見せてくれた。

 しばし呆然としてから、ハリエットはセーターをそっと畳んで最初のプレゼントの隣に並べた。何だか特別な宝物のような気がして、迂闊に触れないと思ってしまったのだ。

 ぶつくさ何か文句を言っているロンの声は聞こえない。ハリエットの為だけに編まれた、ハリエットの為だけのセーター。まるで夢の中にいるような衝撃だ。しかし、次のプレゼントは更にその衝撃を上乗せするものだった。

 意識を落ち着かせたくて手を伸ばした黄色い包みのメッセージカードには、小さく「ダーズリーより」と書いていた。慌てて包みを開くと、シンプルなヘアピンと赤い花のブローチ、それからピンク色のボールペンと五十ペンス硬貨が入っていた。ヘアピンとブローチは同じビニールに入っていて、きっと市販で買ったまま包んだのだろうとわかる。それにしたってプレゼントの量が多い気もするが、それよりダーズリー家からクリスマスプレゼントをもらった事こそが何よりもの衝撃だった。

 ぼんやりしたまま残りのプレゼントに目をやると、残りの三つには差出人の名前がどこにもなかった。深い赤の包みは軽く、黒い包みと淡い緑色の包みは少し重い。

 まず赤い包みを開くと、銀ねず色の何かがするりと地面に折り重なった。手に取ってみるとどうやらそれはマントのようだ。メッセージカードには細い綺麗な字が綴られている。

 

『君のお父さんが亡くなる前に私にこれを預けた。君に返す時が来たようだ。大切に使いなさい。メリークリスマス』

 

 ハリエットは目を見開くと、メッセージカードを包みの上に放ってマントを広げた。一見すると寂れたマントにしか見えないが、これが本当に父の遺したものだと言うのだろうか。

 

「ハリー……?」

 

 一人で考え込んでいると、ロンが震えた声でハリエットを読んだ。一度マントを下ろしてロンを見てみると、信じられないものを見たように大きく眼孔が開いている。

 

「ロン?」

 

 何があったのだろう。もしかして何かしてしまったのだろうか。段々とハリエットの心が不安に支配されていくが、ロンはふるふると指先を震わせてハリエットの持つマントを指した。

 

「ちょ、ちょっとそれ着てみて」

「……?う、うん」

 

 首を傾げながら言われた通り羽織ってみる。次の瞬間には、ウィーズリー兄弟達が唖然とした顔でハリエットを見ていた。

 

「ハリー、君……透けてるよ」

「え……?」

 

 ロンの言っている事が理解できず、ハリエットはマントを見た───しかし、ハリエットの目には何も映らなかった。ハリエットの体も、銀ねず色のマントも何もない。

 驚いて咄嗟にマントから手を離すと、銀ねず色はまた床の上に折り重なって姿を見せた。ハリエットが茫然としていると、ロンが前のめりになって告げる。

 

「ハリー、僕知ってるよ。きっとそれ“透明マント”だ」

「透明マント?」

 

 ハリエットが繰り返したのと同時に、フレッドとジョージが跪いて透明マントを拾い上げ、自分の体を覆い隠した。すると、双子の姿は先程のハリエットと同じく影も形もなくなる。しばらくして、お互いの赤毛をひっつかせた双子の顔だけが現れた。

 

「すっげぇな、これマジで透明マントじゃないか!」

「ダイアゴン横丁とホグズミードをどれだけ探し回っても、全然見つからなかったのに!」

 

 まるで宝物を見つけたみたいに、二人の目はきらきらと輝いていた。ロンも立ち上がって透明マントを試そうと、見えない布の出入口を手探りで探している。ハリエットが未だ動けずにいると、見兼ねたようにパーシーが口を開いた。

 

「フレッド、ジョージ、とりあえずそれをハリーに返すんだ。それはハリーに贈られたプレゼントなんだぞ」

「そんな顔で言われなくてもわかってるって」

「真面目パースめ、ちょっと興奮しただけじゃないか」

 

 わざとらしく頬を膨らませて、双子がハリエットの手にマントを握らせる。その目はほんの少しだけ名残惜しそうで、ハリエットは二人が透明マントを探し回っていたのは本当なのだと思った。

 

「これ、そんなに凄いもの?」

 

 ハリエットが彼らを見回しながら聞くと、全員が神妙な顔をして頷いた。

 

「とても貴重で珍しいものだよ。昔話にも名前が出てくるぐらいには」

 

 パーシーは静かに話してくれたが、ハリエットにはどこかそわそわしているように見えた。話を聞く限り、どうやらこれはそう簡単にお目にかかれる代物ではないらしい。ハリエットはもう一度さっきの手紙に目を通した。

 

「……おとうさん」

 

 ホグワーツに来てからというもの、ハリエットの周りはわからない事と知らない事で溢れている。そしてそのほとんどが、少しずつだけれど確実に「わからなかった事」や「知らなかった事」に変わっていく。それを良い事としてとらえるべきなのか、ハリエットにはよくわからない。

 ただ、もしも本当に手紙の通り、この透明マントが父親の物だったとしたら。それは話した事も触れ合った事もなく、声も知らない父親のたった一つの遺品という事になる。

 そう思うと、不安や疑問は一気に違う感情へと変貌した。ハリエットの心の中はまるで踊っているようで、心臓のあたりが強く熱を帯びている気がする。未開封のプレゼントはあと二つ残っているが、開封しようとする気は起きなかった。

 銀ねず色のさらさらした透明マントを手に取る。水のようにさらりとした布を綺麗にたたむのは、ほんの少し難しかった。




原作よりプレゼントの数が増えているのはハリエットがハリエットだからです(哲学)。
差出人のない残りの二つはまた後日。


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名無しのギフト

 朝食を終えると、ハリエットとロンはいつものように図書室へ足を運んだ。どうせ見つからないとは思うものの、すっかり日課のようになっているし、スネイプの悪行を黙って見過ごす事はできない───と、ロンは言う。

 司書のマダム・ピンスに聞けばすぐにわかるかもしれないが、万が一スネイプの耳に入った事を考えて、自分達だけの手で調べるようにしてきた。スネイプの事を抜きにしても、ハリエットの頭は例のプレゼントの事でいっぱいになっていたので、調べ物をするのは気が紛れて良かった。

 まぁ予想通り、この日もニコラス・フラメルの詳細は何一つわからなかったのだけれど。

 

「もうやだ、疲れたよ」

 

 あれだけ見つけてみせると意気込んでいたロンの熱意も、今では、見る影もない。けれどそれを咎めるなんてハリエットはしなかった。むしろここまで探して見つからなければ、やる気が失せるのも仕方のない事だ。

 結局その日は、一時間と経たずに図書室を後にした。寮に帰る途中で、雪で髭が真っ白になったハグリッドと遭遇し、二人はケルベロスやニコラス・フラメルの事を詳しく聞いてみようとした。

 けれど、失敗を重ねた事でハグリッドも学んだらしく、ハリエット達が「ニコラス」と名前を呟いただけで、ぎゅっと口を閉ざしてしまい、そのまま背を向けてずんずんと雪の中を歩いて行ってしまった。

 

「ちえっ。口の軽さこそがハグリッドの取り柄の一つだってジョージが言ってたのに、あんな風に黙られちゃったら意味ないじゃん」

 

 とんでもなく失礼極まりない事を口走ったロンだったが、丁度ピッタリ通りかかったマクゴナガルから静かに五点減点を言い渡された。

 そのついでと言わんばかりに、その話をロンに吹き込んだらしいジョージにも五点の減点が言い渡された。グリフィンドール、クリスマス当日に計十点の減点である。

 

 談話室には誰の気配もなかった。ロンが兄達の部屋を覗いてみると双子は見つかったが、パーシーの姿はどこにもない。

 どこかで勉強でもしているのだろうか、けれど図書室にはいなかったのに、と疑問に思っていると、知らぬ間に減点されている事を知らないジョージがひょっこりと顔を出して二人に声をかけた。

 

「パーシーならどっかの監督生の所に行ってるんだよ。監督生同士で勉強してるのさ」

 

 肩をすくめながら話すジョージは呆れているようだった。

 曰く、パーシーは普段から兄弟の自分達よりも、監督生と行動する方が多いそうだ。それを聞いたハリエットは、ジョージは構ってもらえない事に拗ねているのだろうか、と思いながら、ロンの誘いでチェスに興じる事にした。

 

 

 

 

 白熱したチェスを楽しんだ後は、たくさんのご馳走がハリエット達を待っていた。

 クリスマスツリーはロウソクだけで飾り付けたものや、眩しいほど輝かしいものまで様々で、テーブルの上にはダーズリー家で“見た”事さえない豪勢な食事がずらりと並んでいる。

 丸々太った七面鳥のこんがりロースト、大きく盛り上がったポテトの山、バターの味が染み込んだ煮豆や大皿の上のソーセージにこってりした味の肉汁とクランベリーソース。パイやタルトにケーキまで、溢れそうなぐらいにたくさんの料理が揃っている。思わず手を取る事を躊躇っていると、ウィーズリーの兄達が甲斐甲斐しく料理を取り分けてくれた。

 双子に手渡された魔法のクラッカーを鳴らしてみると、大砲のように大きな音が大広間に響き渡り、テーブルの上ではプレゼントに紛れ込んだハツカネズミが逃げ回っていた。こんなに大騒ぎするクリスマスは生まれて初めてで、ハリエットはドキドキしながら、どんちゃん騒ぎのクリスマスパーティーを楽しんだ。

 

 

 

 

 そこは、埃臭い、おそらくは使われていないと思われる教室だった。それでも見つかって罰を受けるよりはマシだと思い、後ろ手に扉を閉めながら部屋を見渡す。埃の膜を張った窓から差し込んだ薄い月明かりに、その“鏡”は照らされていた。

 恐る恐る近付いてみる。自分の身長よりずっと大きな鏡には凝った装飾が施されていて、所謂アンティーク品だと感じられた。ふと枠組みに文字が刻まれているのに気付く。

 

『すつうを みぞの のろここ のたなあ くなはで おか のたなあ はしたわ』

 

 訝しむように目を細め、そろりと文字の羅列から下に視線を落とす。はっと目を見開いて後ろを振り返っても何もない。暗い部屋の中に立っているのは間違いなく自分一人。それなのに。

 

 再び視線を鏡へ向ける。鏡の中には、確かに誰かが立っていた。

 

 

 

「……ん……」

 

 ふと、ハリエットは目を覚ました。

 目をこすりながら毛布から起き上がる。外はもう真っ暗闇に染まっていて、時々、白い粉雪がちらちらと窓にぶつかって、音もなく溶けて水に姿を変えている。

 パーティーの後、ハリエットはウィーズリー兄弟達と揃って寮に戻り、そのまま軽くシャワーを浴びて早々にベッドに潜り込んだ。あんなにたくさん騒いだクリスマスは生まれて初めてで疲れてしまったのだ。

 ハリエットはぼんやりしながら、しばらくジッと窓を見つめた。黒くなった窓に薄く自分の姿が映っている。そう言えば、目覚める直前に夢を見ていたような気がする。うぅんと首を傾げてみるが、思い出す事は特になかった。

 ぼんやりしたまま、ハリエットはヘドウィグの方に視線を変えた。暗い中でもヘドウィグの純白はよく目立っている。傍にはまだ包装を破っていないクリスマスプレゼントが積んである。

 

 ハリエットは一人と一羽しかいない部屋で、残りのクリスマスプレゼントを開けてみる事にした。

 残っているのは淡い緑の包みと黒い包みで、どちらも差出人の名前はない。父親の透明マントに気を取られて、今朝は後回しにしてしまった。

 ジッと包みを見つめて数秒、ハリエットは覚悟を決めた。まず黒い包みを開いてみると、魔法薬学の参考書が数冊積まれていた。相変わらずメッセージカードの一つも見当たらないが、透明マントに比べればずっと平凡で当たり障りのないもので、なんとなくホッとする。

 最後に開いた淡い緑の包みは、手のひらサイズのシックなネイビーブルーのボックスだった。一見すれば宝石箱のようなそれは、アンティーク調の細やかなデザインが施され、至る所に薄い光を放つ小粒の宝石が散りばめられている。

 呆然としたハリエットは思わずヘドウィグの方を向き、それから再びボックスへと視線を戻した。おそらくハリエットに届いたクリスマスプレゼントの中で、このボックスは透明マントの次に高価なものに違いない。

 もしかするとこれも父の遺品なのでは、と一人で静かに狼狽えるハリエットは、混乱したままそのボックスを開ける事にした。

 かすかに早まった鼓動を感じながら、ハリエットが意を決して蓋を開いた、その瞬間。

 

 

 ハリエットの瞳に、輝きが映り込んだ。

 

 ボックスの奥から溢れた光が、暗い部屋の中を照らす。

 意思を持つように空中を泳ぐ煌めきが、キラキラと部屋全体の天井を目指して弾け合った。

 頭上を見上げ、ハリエットは息を呑む───暗くなった部屋を、宝石のように美しい満天の星空が照らしていた。

 

 

 言葉をなくしたその瞬間、どこからともなく穏やかなヴァイオリンの深い音色が流れ出す。

 そして、最後に美しい星のオルゴールから溢れた光の粒が、ハリエットの目の前をゆらゆらと泳いだ。

 

 

Merry Christmas, My Dear. (良いクリスマスを 我が親愛なるあなた)

 

 

「……すごい」

 

 小さな声で、ハリエットはそう呟いた。

 

 魔法の星がヴァイオリンの音色と共に部屋の中で揺らいでおり、緑色の瞳の中に小さな宇宙が輝いていた。




クリスマスプレゼント一覧
・ハグリッド:オカリナ
原作は横笛。まぁ誤差の範囲。
・マクゴナガル
魔女っぽいと思った。魔女コーデ。
・ハーマイオニー:お菓子の詰め合わせ
原作もお菓子。意訳:たくさん食べなさい(静かな圧)
・モリーおばさん:セーター
原作もセーター。色は違うけど。
・ダーズリー:五十ペンス硬貨、ヘアピン、ブローチ、ボールペン
原作は五十ペンス硬貨のみ。どれが誰からでしょう。
・赤い包み:透明マント
差出人は原作通り。
・黒い包み:魔法薬学の参考書
ヒェ〜〜〜!!!(裏声)(恐怖)
・淡い緑の包み:魔法のオルゴール(プラネタリウム付き)
絶対誰にも差出人わからない(断言)


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みぞの鏡に映るもの

前回の投稿がほぼ丸々1年前でわろてるんや。ごめんな!!!!!


「そう言えば、お前ら透明マントは使ったのか?」

 

 相も変わらずチェスに興じる弟とその友人に、そんな一言を投げかけたのはジョージだった。隣には相変わらずフレッドがいて、二人はひとりでに動く謎のスライムで遊んでいた手を止めてハリエット達を見た。

 あと二週間もすれば冬休みも終わりを迎え、再び授業の毎日がやってくる。しかし、大人しくその瞬間を迎えようという気はジョージにはなかったのだ。片割れのフレッド然り。

 

「別に、なーんにも。使う事ないんだもん」

 

 答えたのはハリエットではなくロンだった。ハリエットの黒いルークをクイーンで壊し、今度はそのクイーンが白いナイトに打ち砕かれる。

 

「ないって事はない筈だぜ。お前の発想が乏しいだけ」

「そうだぞロン。ハリエットもだ。頭を凝らしてよーく考えてみろ」

「使わないのは宝の持ち腐れ」

「使ってやらなきゃ透明マントも泣いてるぜ!」

 

 けらけらと、談話室に響く高らかな笑い声。発想が乏しい、だなんて言われたロンは拗ねてしまい、頬杖をつきながら何やらぶつくさ言っている。ハリエットは困ったように苦笑いを浮かべながら、双子の言葉にほんの少しだけ考え込んだ。

 

 透明マント。父親の、唯一と言って良いかもしれない形見の品。クリスマスの日に軽く羽織った日を最後に、ハリエットは透明マントには触れてすらいなかった。

 誰かもわからぬ送り主の手紙にも『大切に使いなさい』と書かれていた。そう思えば、確かにこのまま使わないのは、まさしく双子の言う通り宝の持ち腐れになってしまう。

 しかし、使い道がないという事もまた真実だ。ウィーズリー家の皆が口を揃えて「特別だ」「とても貴重な物だ」と持て囃した物を、容易く普段使いにできるほどハリエットの肝は太くはない。かろうじて思いついた使用方法は膝かけぐらいであるが、特別な品をそんな風に使って良いのかと気が引けた。

 

「使わないならさ、ハリー。透明マント、少しだけ俺達に貸してくれないか?」

「そいつは名案だな、相棒!」

「……二人共、最初からそれが狙いだったんじゃないの?」

 

 じとりと兄達を見据えるロン。双子は弟に軽く肩をすくめると、ハリエットが座る椅子の隣にそれぞれ膝をつき、まるで騎士のような格好でハリエットの顔を見上げた。

 

「なぁいいだろ、ハリー。絶対に没収されないようにするって」

「そうそう、約束する。フィルチなんかに絶対奪わせないって」

 

 つまりフィルチを怒らせて没収されかねない事に使うつもりなのだろうか、と双子を見つめながらハリエットは思う。まぁ、怒らせているのはいつもの事だが。

 あの猫をこよなく愛する管理人は生徒の大半を嫌っているが、きっとこの双子はその比ではないのだろう。

 

「……使って、良いよ」

 

 ハリエットが呟くと、双子はガッツポーズと共に天高く飛び上がった。

 「よっしゃあぁぁぁぁ!!」と、狂喜乱舞の歓声が談話室ひいてはグリフィンドール寮全体に響き渡る。「ついにこの日がやってきた!」「待ってろよフィルチにスネイプ、今日こそケリつけてやる」「去年の恨みは忘れてないからなあの童貞ロン毛薬学教授」「お前らの罪を数えろ」「どっちも童貞のクセにえらそうにしやがって」「わかる童貞のクセに。キスした事あんのかな」「ある訳ないだろ童貞だぞ」興奮冷めやらぬ双子の教育に悪い会話は、大声に驚いて咄嗟に耳を塞ぐというファインプレーにより、ハリエットとロンの耳には届かなかった。

 足音と共にパーシーが自室から降りてきて興奮状態の双子に叫ぶ。

 

「お前ら何やってるんだ!?」

「「何もしてないぜパーシー!!」」

 

 嘘つけ!! と、パーシーの怒声が談話室に轟いた。

 

 

 結論から言うと、二人の復讐は見事に大成功を遂げた。

 フィルチの部屋では魔法で出来たカエルの花火があちこちを飛び回って壁を破壊し、スネイプの部屋ではネバネバと一度手に張り付くと全く取れない謎のスライムが家具を全て覆い尽くした。更に、二人の部屋にはオナラの匂いがする香水がしこまたふりまくられ、結果として彼らの身体は現在とんでもなく臭いのである。

 震えまくった「ウィーーーズリーーーーーーーッッッ!!!!!!」という二つの絶叫がホグワーツ中に反響した。

 

 二人が寮に戻ってきたのは、そんなえげつない暴挙の翌朝の事だった。談話室でいきなり姿を現した二人は、ハリエットの手に透明マントを押し付けながら話し出した。

 

「ハリー、これマジですげぇよ。フィルチもスネイプもマクゴナガルも、だーれも気付かねーの」

「だからあちこち行ってみてさ。これが楽しいのなんのって。夜の学校を散策するのって、まーじで楽しいんだよ」

 

 一方的にまくし立てる二人のなんと楽しそうな事か。その様子に圧倒されながら相槌を打っていたハリエットだが、不意に手の中にかさりと紙の感触がして視線を下げた。手の中には一枚の羊皮紙があった。双子が透明マントと一緒に、ハリエットの手に押し付けたのだろう。きょとんと目を丸くしたハリエットに、二人は悪戯っ子のような笑顔で語りかけた。

 

「さっき地図を描いておいたんだ。最高に興味深いブツがあったから、おすそ分け」

「透明マント貸してもらったし、最高の体験をさせてもらったから、そのお礼って事で」

「今は使ってない古ぼけた教室だ。生徒は普段ほとんど歩かない廊下の奥にある」

「入って良いのか微妙だから、行くなら透明マントを被って行けよ」

 

 何が、とハリエットは問おうとしたが、男子寮の方から聞こえる足音に、双子が過敏に反応した事で思わず口を噤んでしまった。男子寮から降りてきたのはパーシーで、まるで鬼の形相で双子の事を睨みつけている。

 

「フレッド、ジョージ! お前らどこに言ってたんだ!? 今度という今度はいい加減にしろよ!」

「顔真っ赤だぜパーシー」

「そう怒るなよパーシー」

「誰のせいで怒っていると思うんだ!」

「「俺達」」

「その通りだよこの馬鹿!!」

 

 怒り心頭のパーシーは怒鳴りながら弟達の首根っこを引っ掴み、短くハリエットに「やぁおはよう」とだけ告げると、そのまま二人の事をずるずると引きずっていった。男子寮からはしばらくパーシーの怒声が耐えない事だろう。

 一人取り残されたハリエットは、少ししてから女子寮の自分の部屋へと戻っていった。戻ってきた透明マントをベッドに置いてから、双子がくれた羊皮紙を開く。二人が言っていた通り、羊皮紙には地図が描かれており、簡易的だがわかり易く見やすいものだった。この地図を見た所、目的地の教室に一番近いのは図書室らしい。

 たっぷり数十秒かけて地図を凝視したハリエットは、ベッドの上の透明マントを見つめた。未だ使った事のない、自分一人では使う方法を見いだせずにいる父の遺品。今、それがようやく、ハリエットに使われる機会を得た。自由気ままな悪戯っ子のおかげで。自分ではない誰かのおかげで。

 羊皮紙を持つ指に少し力が入る。ふと、父はこのマントをどういう風に使っていたのだろう、と考えた。フレッドやジョージのように、夜の学校を探索したのだろうか。規則を破って、先生達を困らせた事があったのだろうか。

 ハリエットにはわからなかった。知る方法がわからないからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜、ハリエットは透明マントを被って寮を出た。わざわざ昼間ではなく夜中に決行した事に理由はない。ただ、そっちの方が誰にも邪魔されないと思ったのだ。

 ロンもハーマイオニーも傍にいない今、ハリエットははじめて一人で学校の規則を破っていた。ロンに話せば、きっとワクワクしながら一緒に来てくれた事だろう。けれど、はじめて透明マントを使う機会は、一人だけで使ってみたいと思ったのだ。どうしてそう思ったのかは、よくわからないけれど。

 双子の描いてくれた地図は正確だったようで、目的の教室にはすぐ辿り着く事ができた。双子が先に来ていたからか鍵はかかっておらず、扉はほんの数センチの隙間がある。ハリエットは音を立てないようにそっと扉を開き、また音を立てないようにそっと扉を閉めた。

 

 そこは、埃臭い、おそらくは使われていないと思われる教室だった。

 

 まるでずっと閉鎖されていたようなそこは、なるほど確かに入っていいのか判断がつかない。ハリエットは透明マントを取り外すと、真っ先にフレッドとジョージの言っていた“興味深い物”を見つけた。部屋を見渡すまでもなかった。

 

 埃の膜を張った窓から差し込んだ薄い月明かりに、その“鏡”は照らされていた。

 

 ハリエットはゆっくりと鏡に近付いた。金の装飾が施され、鉤爪のような脚が支えている。枠組みの上の方には文字が刻まれていた。

 

「……すつうを……みぞの、のろここ……」

 

 あ、とハリエットは言葉をこぼす。

 

「逆なんだ、これ……」

 

 

『わたしは あなたの かお ではなく あなたの こころの のぞみ をうつす』

 

 

 のぞみ。望み。希望(のぞみ)願望(のぞみ)羨望(のぞみ)。思い浮かぶ限りの近しい言葉を思い出す。何かを願う事。こうなればいいと理想を思う事。鏡文字のように逆さまになっていた字列から鏡へと視線を移す───そして、ハリエットは目を見開いた。

 

 今のハリエットは、カーディガンにズボンと、シンプルでラフな格好をしている。しかし、鏡に映るハリエットは制服姿で立っていた。それもホグワーツの物ではなく、当初ハリエットが入学する予定だったマグルの女学校の制服だ。採寸だけして、結局一度も袖を通さなかった紺色の制服は見覚えがあった。

 その隣にはスメルティングズ校の制服を着たダドリーがいた。ダドリーの後ろにはセレモニースーツを着たペチュニアとバーノンが、そしてハリエットの後ろには、同じくセレモニースーツに身を包んでいる()()()()()の姿があった。

 

「こんな夜更けに女の子が一人とは、感心せんのう」

 

 びくりと大袈裟なほどに肩を跳ね上がらせて、ハリエットは後ろを振り返った。

 

「校長先生……」

 

 そこにいたのは、白く長い髭を蓄えたホグワーツの校長アルバス・ダンブルドアだった。叱られる、とハリエットは身を縮めた。夜中に校内を歩き回って規則を破り、入って良いのかわからない場所に足を踏み入れたのだ、叱られたり罰則を受けても仕方がない。

 しかしダンブルドアがハリエットを叱りつける様子はなく、彼は好好爺らしい微笑みを浮かべてハリエットの隣に立った。

 

「そう怖がらんでおくれ。夜中に出歩くのはいかんが、何、先生の部屋にオナラの香水をふりまいたという訳でもなし。まぁ、あれはちとやりすぎじゃから、比較にはならんかもしれんがのう」

 

 双子の所業を言っているのだろう、口調は呆れたように話しているが、表情は相変わらず笑っているままだ。知っている人物の話が出てきた事でハリエットの気持ちは幾分か落ち着いたが、それでも緊張はまだ取れない。

 

「してハリエット。この鏡が何なのか、君はわかったかね?」

 

 ハリエットは少し顔を上げると、ダンブルドアと鏡を交互に見やった。鏡の中の自分は相変わらず笑っていて、時々ダドリーと目を合わせてクスクス笑いあっていたり、自分の肩に手を添えている二人を見上げては笑っている。

 

「……この、鏡は」

 

 鏡に刻まれていた文言を思い出す。そこから導き出される答えは一つしかない。

 

「私の望みを、叶えてくれるんですか?」

 

 黒茶の癖毛に丸いメガネ、綺麗な赤毛とグリーンアイ。

 鏡に映っている男女は間違いなく、写真でしか見た事のないハリエットの両親だった。

 

「そうとも、違うとも言える。叶えるのではなく見せるのじゃよ。心の一番奥深くの、一番強い望みを」

「……」

「その魅力故に、この鏡の虜となった者は何人もいる。真実から目を逸らさせる。実に恐ろしく、それでいて何よりも甘美な魔法なのじゃよ」

 

 そうだろう、とハリエットは思う。鏡の中の自分はとても嬉しそうに見えた。ダドリーも、叔母夫婦も、そして両親もだ。誰も現実のように悲しんだり、複雑そうな表情をしていない。現実ではないのだから当たり前だ。きっと、だからこそ危険なのだろう。

 

「明日にはこの鏡は別の場所に移すつもりじゃ。短い間に三人もの生徒に見つかってしまったからのう」

 

 フレッドとジョージは、この鏡でどんな望みを見たのだろうか。きっと楽しい夢だったのだろう。きっと、もっと楽しくて、それでいてスケールの大きな夢に違いない。少なくとも、今映し出されるものよりは、ずっとマシに決まっている。

 

「……先生には、何が見えますか?」

「魔法大臣になった教え子と会談しておる所じゃよ」

 

 きっと嘘だった。根拠なんて何一つないけれど、問いかけた時に見せた表情があまりに切なく見えて、そう思ってしまったのだ。

 ダンブルドアは優しくハリエットの質問に答えてくれたが、ハリエットに同じ問いはしなかった。それは優しさ故なのだろうか。ならば自分は、酷い質問をしてしまったに違いない。それでもダンブルドアは嫌な顔一つ浮かべなかった。

 

「さぁハリエット、もう寮に戻りなさい。くれぐれも言うておくが、決してこの鏡を探さぬようにな」

 

 ハリエットは言われるがままにその場を後にした。扉を閉めてから透明マントを被り、少し駆け足になって寮へと急ぐ。頭の中にはまだ鏡の事があったが、フレッドとジョージのように気持ちが昂ったりはしなかった。

 鏡が映し出した望みが何なのか、ハリエットにはなんとなくわかっていた。それが決して手に入らないものだという事も知っていた。だってあれは、物心ついた時から、ずっと望んでやまなかったものだから。

 

 

 両親が欲しかった。親無しとからかわれるのは嫌だった。

 自分の“力”が怖かった。だからいつも、無くなる事を望んでいた。

 

 

 ハリエットは『普通』が欲しかった。

 今でもずっと、ずっと。絶対に手に入らないものを、ハリエットは欲しがっている。



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発見ベイビーノーバード

 クリスマス休暇が終わって、ホグワーツは再び生徒達で溢れかえった。

 あんなに静かだったのが嘘のように、あちこちで人の話し声が聞こえてくる。特に談話室ではフレッドとジョージを中心に人だかりが出来ており、数日前に働いたフィルチとスネイプへの武勇伝を友人達に語っていた。ほとんどのグリフィンドール生は笑顔でその話を聞いているのが実に酷いが、彼らの日頃の行い(生徒いびりとスリザリン贔屓)を思えば致し方なくもあろう。

 

 ハリエットとロンはハーマイオニーと再会のハグを済ませると、すぐにニコラス・フラメルの話をした。成果なんてわかりきっているが。

 

「じゃあ、ニコラス・フラメルの事は結局何もわからないし、おまけにフレッドとジョージのせいでグリフィンドールの得点は今、最下位なの?」

 

 愕然とした様子のハーマイオニーに無言で頷く。ニコラス・フラメルについてわからなかった事よりも、グリフィンドールの得点が最下位になってしまった事の方に大きなショックを受けているようだった。

 

「………………まぁ、過ぎた事だもの。仕方ないわね。えぇ、仕方ない。切り替えましょう」

 

 そんな事を言う本人が一番切り替えに苦労しているのは明白だったが、二人は無言を貫いた。

 

 三人はまたニコラス・フラメル探しの為に図書室に通うようになったが、お目当ての名前は面白いぐらいに見つからなかった。当たり前というかなんというか、そもそも簡単に見つけられたら、今の今まで困り果てたりしていないのだ。おまけに新学期だからか課題の難易度も上がっているし、ハリエットにはクィディッチの練習もあった為、全員休暇前よりも時間がなかった。同じ条件で、他の一年生達に助けてもらう事もできない。ハッキリ言って、状況はとても悪かった。

 三人はほぼ諦めかけていたが、それでも完全には諦めていなかった。ハリエットとハーマイオニーが手分けしてまだ読んでいない本を手当り次第に読み漁り、ロンは適当に本を取って適当に目を通していく。ロンの方は流れ作業に近くなっており、既に確認した本をまた手に取る、という事が増えてきている。何度目かのその行為に、ついにハーマイオニーが口を開いた。

 

「ちょっと、その本さっきも読んでいたでしょ! 新しいのに目を通してちょうだい」

「……もうどうせ見つからないって」

「そんなのわからないじゃないの!」

「ずっと探してるのに見つからないんだから、もう無理だって!」

 

 どんなに探しても見つからないストレスに苛立っていたのだろう、ロンは声を荒らげてハーマイオニーを睨み付ける。しかしそのストレスはハーマイオニーも同じであり、負けじとロンをきつく見据えた。険悪な空気が漂う中、ハリエットはただ狼狽える事しか出来ない。

 

「こら、図書室で騒ぐな。マダム・ピンスに叱られるぞ」

 

 すると、突然パーシーが姿を現して、二人の間に割って入ってきた。右手に羊皮紙を持っているあたり、課題でもしていたのだろうか。いきなり現れた兄にロンは驚いて固まり、ハーマイオニーは監督生に注意されたショックでしょげてしまっている。

 

「何かあったのか? 勉強で困っているなら三人で揉める前に、上級生や先生に遠慮せず聞けばいい。例えばほら、監督生の僕とかね」

「別に、勉強とかじゃないし……フラメルを探してるだけで……」

 

 怒られているようで気まずいのだろう、ぼそぼそとロンが言い訳がましい事を呟いていると、弟の声をしっかり拾い上げたパーシーが「フラメル?」とこぼした。

 

「もうニコラス・フラメルの授業をしているのか? 僕の時は二年か三年の時に習ったと思うけど、おかしいなぁ……」

 

 しん、と、四人の間に静寂が流れる。

 ん? とパーシーが首を傾げる。三人は揃ってぽかんとすると、ゆっくりとお互いを見合った。

 

「「それだ!!」」

「うわっ!?」

「わっ」

「図書室で騒ぐのは誰ですか───グリフィンドール! 揃いも揃って貴方がたは!」

 

 興奮気味のロンとハーマイオニーの声も、驚いて思わず飛び出たハリエットとパーシーの声も、全てはマダム・ピンスの「グリフィンドールから二十点減点!」という掛け声に掻き消えた。

 

 

 

 

「あぁもう、なんで忘れてたのかしら。結構前に読んでたのに」

 

 減点を受けながらしっかり借りてきた分厚い本を抱えながら、ハーマイオニーはぶつぶつ独り言を呟いていた。軽い読み物だったのに、とこぼれた言葉に、ロンは信じられないと言いたげな表情で、同意を求めるようにハリエットの方を見る。しかし、幼い頃からの好きな本が動物図鑑だったハリエットはどちらかと言うとハーマイオニー側だったので、何を言うでもなくただ苦笑いを浮かべていた。

 

『ニコラス・フラメルはダンブルドア校長の知己で、賢者の石を作り出したたった一人の錬金術師なんだ。賢者の石についてはテストに出るから覚えておくといい。僕の時は出た』

 

 そう言ってパーシーは今ハーマイオニーが持っている分厚い書籍を三人に渡すと、そのまま友人らしき上級生と去っていった。拍子抜けするほどあっさりと手に入った情報に、三人はしばらく呆然と突っ立っているしかできなかった。あんなに血眼になって探した努力は何だったのか。というか、どうして上級生に尋ねるという発想が三人揃って浮かばなかったのだろう。

 何はともあれ、これでようやく次のステップに進む事ができる。ハリエット達は駆け足で中庭の人気の少ない場所に急ぐと、芝生の上に本を広げた。

 

「ニコラス・フラメル、賢者の石、ニコラス・フラメル、賢者の石……あったわ! ここよ!」

 

 ハーマイオニーの声は歓喜と興奮に溢れていた。ようやく探し求めた答えを見つけられた事が嬉しくて仕方ないのだろう。ハリエットも同じ気持ちだったからよくわかった。

 

「で、何て書いてるの?」

「えっと───『賢者の石は、いかなる金属をも黄金に変える力を持ち、また飲めば不老不死となれる《命の水》のみなもとでもある。現存する唯一の石は、著名な錬金術師のニコラス・フラメル氏が所有している』───ですって!」

 

 つらつらとページの文を読み上げたハーマイオニーは、爛々と目を輝かせて二人を見た。これこそ、三人が求めてやまなかった答えに違いない。

 

「ハグリッドはあの犬は何かを守ってるって言ってた。これよ。フラッフィーは賢者の石を守ってるんだわ」

「じゃあスネイプは、賢者の石を狙ってるって事か」

 

 ハーマイオニーの言葉に続けて、眉間に皺を寄せながらロンは言った。スネイプ犯人説の真偽がどうであれ、少なくともフラッフィーの守る“何か”は賢者の石でほぼ間違いないだろう。だからハグリッドはニコラス・フラメルの名前を出して、あんなにも焦ったのだ。

 ハリエットは考える。仮にスネイプが犯人だとして、どうして賢者の石を狙うのだろう。永遠の命に黄金は確かに誰もが欲する物かもしれないが、スネイプがそこまで俗物的な望みを抱く人物だとは、少なくともハリエットには思えない。しかしそれは、短期間とはいえ共に過ごした事のあるハリエットだからこそ思う感想であって、スリザリン贔屓でグリフィンドール嫌いの偏屈な一面しか知らないハーマイオニー達には到底わからない話だ。

 伝えるべきなのだろうか、スネイプが犯人とは思えないと。けれど、本当にスネイプが犯人である可能性だって捨てきれない。トロール騒動での脚の傷や、クィディッチの試合での呪文も、犯人であればこそ納得がいくものばかりだ。

 

「とりあえず、ダンブルドアに伝えなきゃ。スネイプが石を狙ってるって。盗まれたら一大事だぞ」

「……無理じゃないかしら。きっとお忙しいでしょうし、一年生の言う事なんて信じてもらえるかどうか」

 

 ハーマイオニーの懸念は正論で、ロンもそれをわかっているからか、それ以上強く言う事はなかった。ただやはり、二人の中ではスネイプが賢者の石を狙っているのはほぼ確定しているようようだった。

 三人は───ほとんどはロンとハーマイオニーの会話───は、しばらくその場で話し合っていたが、ウッドがハリエットをクィディッチの練習に呼んだ為、そのままお開きとなった。レイブンクロー対ハッフルパフが決し、次の対戦相手がハッフルパフとわかってから、ハリエットはウッドに引っ張られっぱなしだった。

 結局、ハリエットはスネイプに関する自分の考えを二人には伝えなかった。自分の意見より、ロンやハーマイオニーの意見の方がずっと正しいと思ったから───もっと言えば、二人に否定され、失望されるのが怖かったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日後、三人はハーマイオニーの提案でハグリッドを訪ねる事にした。

 新学期が始まってからまだ一度も遊びに行っていなかったし、賢者の石についても答え合わせをしておきたい。ハグリッドはきっと詳しく知っている筈だからだ。

 初めて来た時と同じように、大きな扉を三回叩くとハグリッドが素早く扉を開く。しかし以前と違ったのは、ハグリッドが驚いたように三人を見つめ返した事だ。

 

「お前さんら、何しに……悪いが今日は遊んでやれねぇんだ。また今度───」

「待って、ハグリッド! 賢者の石の事で話があるの!」

 

 ハーマイオニーの言葉にハグリッドは固まり、驚愕を隠しきれぬ様子で三人を見下ろした。

 

「何でそれを───あぁ、はよ入れ! はよ、そんで、扉も閉めて」

 

 三人が急いで家の中に入ると、なんだかやけに暑苦しかった。よくよくあたりを見渡せば、窓やカーテンが全て閉め切られており、屋内が完全な密室状態になっている。おまけに暖炉には鍋をかけてごうごうと火が燃えており、それも火力はかなり強い。額や手のひらに嫌でも汗が滲んでくる環境だ。

 

「ちょっとハグリッド。これ、何?」

「何って───ただこいつは───いや、何でもねぇ、何でも……そうだ、お前さんらは何しに来た?」

「賢者の石の事って言っただろ!」

 

 ハグリッドの額にはじっとりと汗が滲んでいた。狼狽えている姿からして、賢者の石について聞かれたくないのが目に見えてわかる。しかし、そんな空気を全く気にとめずロンは口を開いた。

 

「スネイプは賢者の石を盗もうとしてるんだ」

「まぁだ言っとるんか。そいつはこの前も話したろ」

「話したからって終わった訳じゃないわ。本当に怪しいのよ。ハリーの箒に呪文をかけたのも、フラッフィーに引っかかれて怪我をしたのも事実だもの」

「なぁ、何かの間違いだ。ええか、百歩譲って、お前さんらの言う通りだとして───スネイプはホグワーツの教師だ。ダンブルドアが信頼なさっている。そりゃ、ちょいと贔屓は過ぎるが、それはほれ、寮監だからな」

「でもハグリッド! スネイプは賢者の石を狙ってて───」

「そこだ、俺が気になるのは。スネイプはダンブルドア達と石を守ってる先生の一人だ。何だって守ってるもんを盗む?」

 

 ハグリッドの言葉に、ロンはぴたりと口を閉ざした。ぎゅっと眉をしかめてハグリッドの言葉にうーんと唸っている。ずっとスネイプを犯人だと信じて疑わなかったのだから当然だろう。それはハーマイオニーも同じだったが、ハグリッドの言葉を聞いて何やら考え込み始めた。多少なりとも思う所があったのだろうか。

 ハリエットは少しほっとしていた。スネイプをあまり疑えなかったハリエットには、ハグリッドの情報は朗報に思えたからだ。とはいえ、どちらの言葉が真実かは未だ明確とは言い難いが。

 全員が静まり返った時、突然、暖炉からシューという音が鳴り響いた。途端にハグリッドは分厚いミトンをつけて立ち上がると、沸騰する鍋から丸々と大きな黒い卵を取り出して、割れ物を扱うようにテーブルの上にそっと置いた。

 ハリエットとハーマイオニーが首を傾げる中、ロンだけは目をきらきらと輝かせてその卵を見つめている。

 

「ハグリッド、これどこで手に入れたの?」

「賭けで勝ったんだ。パブで会った知らん奴とトランプしてな。向こうはこいつを持て余してたようだったし」

 

 ほくほくとした笑顔を浮かべてハグリッドはそう言った。卵はピキ、と音を鳴らしながら亀裂をより深く刻んでいく。ハーマイオニーが小さな声で「何だか嫌な予感がするわ」と呟いたが、悲しいかな、誰の耳にも届いていない。

 次の瞬間、卵の殻が一斉にあちこちに爆発四散し───小さなドラゴンが、卵の中から姿を現した。

 

「わぁ………!」

 

 呆然と、感嘆するようにハリエットが息を吐く。黒く痩せた胴体にコウモリのような形の翼、オレンジ色の目が大きく印象的なほどにまん丸だ。鱗のような皮膚はまるで爬虫類の肌のようにすべらかに見える。

 

「おぉぉ、ついに孵ったぞ! どうだ、お前さん達。美しかろう?」

「すげぇ、ノルウェー・リッジバックだ! チャーリー兄さんがルーマニアで研究してる種類!」

「───ちょっと待って」

 

 きゃっきゃっと楽しそうな男性陣二人に対し、ハーマイオニーは震えた声で呟いた。できる限り平静を保とうとしているが、驚きが軽々とその上を行ってしまう。

 

「何だハーマイオニー、驚いたか?」

「驚くに決まってるでしょ! ねぇハグリッド、まさか飼う気なの? ドラゴンの飼育は法律で禁止されてるって知ってるでしょ?」

 

 魔法界では1709年に締結したワーロック法により、ドラゴンの飼育は全面的に禁じられていた。つまりハグリッドの行動は完全に違法行為という事になる。流石にハグリッドも知っているだろうが、どうやら法律より自身の好奇心と興味を優先する事にしたらしい。ハーマイオニーは目眩のような感覚と共にふらふらと膝から崩れ落ちた。

 

「嘘でしょう……ロンはともかく、ハリーもなんとか言ってちょうだいよ」

「凄い……可愛い……」

「ハリーまでそっち側なの?」

 

 助けを求めたハーマイオニーの呟きは見事に撃沈した。ハリエットは爬虫類や猛禽類が好きなのでさもありなん。ましてドラゴンと来れば、爬虫類好きには辛抱たまらん夢の生き物だ。法律なんて二の次になるのも致し方ない。

 

「触っていい?」

「あー……んー……まだ危ないかもな。躾が済んだら大丈夫だろうが」

 

 おやつを前にした仔犬のようにきらきらと明るく輝いていたハリエットの瞳が一転して、しゅん、と肩を落として暗くなる。正論とわかってはいてもガッカリしてしまう。

 小さなドラゴンは項垂れるハリエットに気付くと、こてんと首を傾げながら大きくつぶらな瞳で見上げた。きゃう? と甲高く愛らしい鳴き声付きで。

 四人の心をキューピッドの矢が貫いた。

 

「あぁ、おう、うん。お前は可愛い奴だなぁ、ノーバード」

「ノーバード? それってこのドラゴンの名前?」

「おうともよ。名前は必要だろう? ほれ、良い子だぞノーバード」

 

 小さなドラゴン───ノーバードの顎下を撫でながら、上機嫌でハグリッドは言った。目を細めながらくるくると喉を鳴らす姿に、唯一批判的だったハーマイオニーすら段々と籠絡されかけていく。

 現実逃避するように視線を逸らしたハーマイオニーの目が、ハグリッドの家の窓を見つけ、そして小さく悲鳴を上げた。

 

「マルフォイよ! 今、マルフォイが外に」

「なんじゃと?」

 

 ハグリッドが訝しげな声で答える。ハリエットが窓の方を見てみると、顔こそ見えなかったがローブを翻す一瞬をとらえる事ができた。そして、それはロンとハグリッドも同じだったようだ。外はいつの間にか暗くなっている。

 三人は数分間慌てた後、意を決してハグリッドの小屋を後にした。透明マントを寮に置いてきてしまった事が悔やまれる。ハリエットはノーバードの事が気になって仕方なかったが、そんな余裕はすぐに消えてしまった。

 

「あ」

「あっ……」

「…………」

 

 急ぎ足で寮へと走る三人に、マクゴナガルが無表情で立ちはだかったのだ。

 その後ろには、口角を上げながらしたり顔をしたドラコがいる。

 

「………来なさい」

 

 恐ろしいほど静かで冷ややかなマクゴナガルの一声に、三人は肩を縮こませながらそのあとをついて行った。




 グリフィンドールとんでもない勢いで減点されていくワロタ


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陰る星

「馬鹿ねぇ、貴方達」

 

 呆れたようにパーバティがそう言うと、ハリエットは萎縮するように肩を落とした。ぐ、とハーマイオニーも顔を強ばらせ、羊皮紙に羽根ペンを走らせていた手を止める。

 

「ニコラス・フラメルについてわかったのは良かったけれど、こんなにも減点されていたらどうしようもないじゃない。スネイプの犯行を裏付けるより先に、貴方達が規則破りで退学になるわよ」

「言われなくてもわかってるわよ……」

 

 ハーマイオニーが小さく呻いたが、やらかした自覚があるだけにその態度は大人しい。ハリエットは元々控えめな性格である為に一見するといつも通りだが、本当はそれなりに落ち込んでいた。

 

 あの後、ドラコの密告によって見つかったハリエット達は、マクゴナガル女史のたっぷりのお説教と、一人五十点の減点に罰則まで言い渡された。三人揃って規則を破ったのだから、至極当たり前の措置である。

 ついでに言うと、ハグリッドのノーバードについてもしっかりマクゴナガルにバレてしまったのだが、そちらはダンブルドアと魔法動物学の教授、更には世界的に有名な魔法動物学者までもが絡んできて「何とかする」らしい。

 要約すれば、子供は関わらず忘れなさいという事である。実際ハリエット達にはダンブルドア直々に箝口令が敷かれている為、目の前のパーバティやラベンダーもノーバードについて何一つ知らなかった。

 

「馬鹿と言えば、ドラコもそうよねぇ。グリフィンドールを貶めようとして、自分まで減点食らってちゃ世話ないわ」

 

 小馬鹿にするようにそう言って、ラベンダーが朗らかに笑った。女子特有の一切の遠慮がない言葉は実に鋭く、この場に男子生徒がいたらあまりの容赦のなさに背筋を凍らせた事だろう。

 

 ラベンダーの言う通り、ハリエット達の事を密告したドラコもまた、同じようにマクゴナガルから減点と罰則を言い渡されていた。

 例え密告者だろうがなんだろうが、自分もまた夜になっても寮に戻らず、学校内をうろついていたのは紛れもない事実だ。ハリエット達に意識を取られてその事実を忘れるほど、まだまだマクゴナガルは耄碌していない。

 

「さて、そろそろ移動しなくちゃ。急がないと遅れちゃうわ」

「またあのニンニク臭い教室に行かなくちゃいけないのね……」

 

 ハーマイオニーがげんなりと肩を落としたのは、闇の魔術に対する防衛術の担当者である、クィレル教授に理由がある。

 結論から言えば───クィレルはとてもニンニク臭い。連なって吊るしたニンニクの飾りを教室に飾り、自室にも飾り、自分の身体にまで巻き付けている。魔除けの為だの、ヴァンパイアを恐れているだのと噂は流れてくるものの、それらが本当の事なのかはハリエット達にもわからない。

 わかるのは、ただひたすらに彼がニンニク臭いという事だけである。

 

「私、あの人のせいでニンニク嫌いになりそう」

 

 身を震わせながら呟くハーマイオニーに、ハリエットはいつもと変わらず、ただ苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて。

 

 罰則のお時間である。

 

 

「今夜の処罰はハグリッドと一緒に森の中だ。せいぜい怖がれ」

 

 悪党のように意地の悪い微笑みを浮かべるフィルチの言葉に、四人の背筋を一気に寒気が駆け抜けた。

 何しろこれから向かう“禁じられた森”は、本来なら生徒は立ち入り禁止の場所なのだ。理由は「危険だから」の一点故である。森番を務めるハグリッドがいるとはいえ、たいした力もない一年生の恐怖をかきたてるには充分だった。

 そうして玄関ホールを通って森の入口まで案内された四人は、ハグリッドとその傍に何故かいるスネイプ、そしてスネイプの傍にいるスリザリン生の存在に気が付いた。

 

「……ノット? お前、セオドール・ノットか?」

 

 目を凝らしたドラコが問いかけると、少年───セオドールは、ちらりと横目に彼らの方を向いた。最初にドラコに軽く返事をした後、ハリエットの目をジッと見つめ、かと思えばどこかへと視線を逸らす。

 

「彼は別件で、お前達と共に罰則を受ける事になった生徒だ……ノット」

「セオドール・ノットだ。適当にノットとでも呼べ」

 

 簡潔なスネイプの紹介に、セオドールは無愛想な態度でハリエット達を方を向いて軽い会釈と共にそう言った。同じ寮の仲間であるドラコに対しても素っ気ない態度なのを見るに、元より一匹狼のようなタチなのかもしれない。

 スネイプとフィルチが子供達を託して城に戻って行った後、ついにハグリッドが罰則の詳しい内容を説明し始めた。

 

「近頃、森でユニコーンが立て続けに殺される事件が起きとる。俺達は傷付いたユニコーンを探してやらにゃならん」

 

 ハグリッドがランプを掲げながら森の奥へと進んでいくと、草木をかきわけた地面に銀色の液体が輝いているのが見えた。月明かりに照らされたどこか神秘な雰囲気を感じさせたが、ユニコーンの血だと分かればそれもただ不気味なだけだ。暗闇の中、冷たい風が肌を撫でる感覚が痛いほど鮮明にわかる。

 

「……二手に別れるぞ。ハーマイオニーとハリーは俺と来い。男三人はファング連れて……」

「ちょっと待て」

 

 無愛想に黙っていたセオドールが、ここでようやく口を開いた。眉間に皺を寄せ、苛立ちげにロンを見やりながらため息混じりの言葉を吐く。

 

「マルフォイは構わないが、ウィーズリーと行動しろって? こいつはウィーズリー家の中でもより一層出来損ないと聞くぞ」

「なっ……!? 何だとお前、偉そうに!」

「事実だろう。お前の卒業した兄達は優秀に仕事をこなし、三男は監督生、双子は迷惑だが成績もクィディッチの腕も悪くない。それに比べてお前は頭は中の下で箒も底辺、杖を使う授業に関しては最悪らしいじゃないか。そんなお前とこの森の中を行動しろと?」

 

 死んでもごめんだな、とセオドールが吐き捨てると、ロンの顔が耳まで真っ赤に染まった。ぷっとドラコが噴き出したのをゴングに飛びついたロンを、ハグリッドが大きな手で制する。

 

「どうどう、落ち着けロン。セオドール! お前さんもそういう口を聞くんじゃねぇ、後で先生方に報告して罰則を増やしてもらうぞ」

「そうか、それは悪かった。だが俺は自分の命の心配をしただけだ。いざと言う時に杖の腕が最悪だと困る。他人を守りながら自分も守るほど俺は余裕を持てなくてな」

 

 ツンとそっぽを向くセオドールに、ハーマイオニーが小声で「まぁ、事実なのは本当だものね」とハリエットに耳打ちした。ロンのペーパーテストの出来があまり良くないのも、箒が上手じゃないのも、杖を使う術が全体的に酷いのも、何もかも悲しいくらいに真実である。流石にあそこまでハッキリ言う事はないんじゃないかとは思うが、それでも真実には変わりない。

 あぁ、正論はいつだって人を傷付ける。

 

「……とはいえ、二人だけで行かせるのもどうにもな。ハリエットかハーマイオニーのどっちかも行かせる事になるが……」

「ポッターにしてくれ。杖の腕的にその方が信用出来る」

 

 ハッキリとセオドールがそう言って、きょとんとハリエットは目を見開いた。即座にドラコも「そうだ、それが良い! ポッターなら安心だ!」と呼応する。困ったようにハグリッドがハリエットの方を見ながら、大丈夫か、とでも確認するように首を捻るので、少し間を置いてから頷いた。

 

「……よし、そんじゃあ決まりだ。もう文句は言うなよ」

 

 ハグリッドは盛大なため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「全く、父上が聞いたらなんて言うか。こんなのは召使いの仕事じゃないか」

「罰則だから召使いの仕事で丁度良いんじゃないか」

 

 ブツブツと文句を呟くドラコに、冷ややかな声でセオドールはそう言った。ぐっと押し黙るドラコを無視して、ランプを手にセオドールは先へと進んでいく。ハリエットはファングと並びながらその後を追いかけ、ドラコもその後を走る。

 セオドールはどうやら物静か───と言うより、必要以上の会話をしないたちらしい。問われたら答える程度で特に何かを話すでもなく、ただぐんぐんひたすら進んでいく。

 ふん、とどこか不機嫌そうな表情を浮かべながら、ドラコはセオドールに向かって問いかけた。

 

「そう言えば、何でお前は罰則を受けてるんだ?」

「スネイプ先生の私物を誤って壊した」

 

 予想外のセオドールの言葉に、ドラコとハリエットは揃って目を見張った。思わず足が止まり、お互いに顔を見合わせる。信じられないような物を見る目でその後ろ姿を見つめていると、二人が足を止めた事に気付いたセオドールも立ち止まって振り返った。

 

「何だ」

「……お前、よくもまぁそう堂々としていられるな」

「どうって事ないだろう。どうせ呪文で直るんだぞ」

 

 いや、それにしたって……とドラコとハリエットは思ったが、まるでなんて事ない、と言わんばかりのセオドールの態度を前に、何も言えなくなってしまった。私物を誤って破砕するなんて、どの教師が相手でも怖い。スネイプなんてトップクラスに怖すぎる。

 二人の間にセオドール・ノットの精神最強説が浮かび上がったその時、彼らの背後で鈍く、けれども大きな音が聞こえた。びくりと肩を跳ねさせたドラコやハリエットと違い、セオドールだけが落ち着いた様子で音のした方にランプを掲げる。草をかき分けて少し進めば、銀色に輝く液体───ユニコーンの血が、点々と足元に続いていた。

 即座にセオドールが杖を引き抜き、そして叫んだ。

 

「“ルーモス・マキシマ(強き光よ)”!」

 

 眩い光が森に放たれる。その瞬間、暗闇で隠れていた光景がハリエット達の前に現れる。

 白銀に近い純白の毛並みを持つユニコーンが、細くしなやかな脚をぐったりと投げ出して、力なく地面に倒れ伏していた。その傍らには、身体全体を黒いマントに包んだ得体の知れぬ何者かが蹲っており、セオドールが放った光に反応して、ゆらめくように顔を上げた。

 

「うぎゃあぁぁぁぁぁ!!!??」

 

 悲鳴を上げたドラコが大慌てで走り去り、悲鳴に驚いたのかファングも飛び跳ねて逃げ去っていく。ハリエットは心臓付近のローブをぎゅうっと握り締めてその場に硬直し、セオドールがチッ、と苛立たしげに舌を打つ。

 

「マルフォイの奴、想像以上の役立たずだな───“エイビス(鳥よ)”」

 

 セオドールの呪文に応じて、杖から光と共に鳥が姿を現した。鳥はセオドールが杖を一振りすると、黒い影へと一斉に向かっていく。囲い込むようについばむ攻撃を繰り返す鳥に、黒い影は目に見えて狼狽えている───が、消えはしない。鳥の渦を押しのけて、するすると滑るようにハリエット達へと向かってきた。

 

「ひ、」

「“フェルーラ(巻け)”」

 

 ハリエットを片手間に後ろへ庇いつつ、セオドールは地面目掛けて呪文を放った。呪文を受けた雑草が黒い影の足元に巻きつき、締め上げる。黒い影はびたりと足を止め、雑草を引きちぎろうと足場をもたつかせ───新たな影が突進した。

 地を叩く力強い蹄の音と共に現れたそれは、まっすぐ黒い影へとぶつかり、勢いよく黒い影を弾き飛ばした。弾き飛ばされた黒い影が、よろけてその場に倒れる。しかしその拍子に草の拘束がちぎれたようで、黒い影はそのまま這うように森の向こうへと姿を消した。

 

「無事ですか」

 

 声が、優しく語りかける。

 暗闇でもわかる明るい金髪に、胴はプラチナブロンド。けれど下半身は人ではなく、淡い金茶色の毛並みをしたパロミノだった───ケンタウロスだ。

 声をかけられていると言うのに、ハリエットもセオドールも答えようとはしなかった。けれどケンタウロスがそれを気にする様子はなく、月明かりに照らされて見える表情はとても静かで穏やかだ。かつ、とケンタウロスは蹄を鳴らしながらそっと二人の傍に近寄り、

 

 

「こんばんは、呪いの子」

 

 

 と、そう言った───セオドールの方を見て。

 

 

「フィレンツェ!」

 

 再びけたたましい蹄の音が鳴り響き、二頭のケンタウロスがハリエット達の前に姿を見せた。どちらも最初にフィレンツェ───ハリエット達を救ったケンタウロスと視線を交わし、それから間を置かずハリエットとセオドールを見下ろす。途端に黒い胴のケンタウロスが眉を寄せた。

 

「お前は呪いの子か」

「……さっきもそこのケンタウロスに同じような事を言われたぞ。どういう意味だ」

「白々しい。お前は理解している筈でしょう。そうでなくてはならない。()()()()()()()()()()()()()()()()

「ベイン」

 

 赤毛のケンタウロスがベインを諌めるが、ベインの表情は変わらず歪んでいる。ベインはそのまま視線を逸らし、セオドールの後ろにいるハリエットを睨めつけた。びく、と肩を跳ね上がらせたハリエットを見据えながら、ベインは目を細める。

 

「……なるほど。お前がハリエット・ポッター───生き残った女の子」

 

 恐る恐るハリエットが頷くと、ベインは仲間達へ視線を向けた。互いに目を合わせながら、ケンタウロス達は静かに頷き合う。ハリエット、とフィレンツェが名前を呼びながら前に出た。

 

「私はフィレンツェ。そちらの彼はベイン、もう一人の彼はロナンと言います。貴方達をハグリッドの所まで送りましょう。今、この森は安全ではないのだから」

「……禁断の森は端から安全じゃないだろう」

「今は事情が違う。この森に恐ろしいものが忍び寄っている」

「さっき俺達が相対していた奴か?」

「その通りです」

 

 隠し立てする様子なく、フィレンツェはセオドールの質問にハッキリと答えた。

 

「あれは恐ろしく、禍々しく、そして何より罪深い。ユニコーンの血は死にかけた者すらたちまち蘇らせられるが、その血が唇に触れた瞬間からその者は呪われる。そうなってしまえば救う手だてはどこにもない、生きながらの死だ」

「……あの、」

 

 ハリエットが小さく声をかけ、フィレンツェは首を傾げて彼女を見下ろした。

 

「その、ユニコーンは」

「もう死んだ」

 

 ユニコーンの傍にいたベインがそう呟く。ぎゅ、とハリエットの表情が悲痛に歪む。ロナンが覗き込むように上体を下げ、そっと語りかけた。

 

「貴方が気に病む事は何もない。惑星は始めからこの事を示していた。貴方がこの森にやってくる前から、ずっとです」

 

 さぁ、と背を押され、ハリエットはゆるゆると足を前に出した。セオドールとハリエットを囲むように、ロナンとフィレンツェがそれぞれの隣に立つ。ベインだけがユニコーンの傍に残り、ハリエット達の後ろ姿を静かに見送っていた。

 

 

 

 

 

「あれが、生き残った女の子」

 

 ハリエット達が立ち去った後。

 力尽きたユニコーンの傍らに立ちながら、残ったベインは夜空を見上げてぽつりと呟いた。

 

「運命に翻弄される少女……いや、違うな。彼女自身が運命か」

 

 ケンタウロスは(ほし)に従う生き物だ。

 惑星を読み、予言を(ほど)く。それだけが彼らの誇りであり、それ以外に関心は向けない。空に浮かぶ銀河は彼らの羅針盤であり、予言は彼らにとって唯一の秩序となる。

 

「穢れなく無垢で、清白。祝福され、愛され、護られている───なのに何故、こんなにも(かげ)る?」

 

 不可解そうにベインは紡ぐ。

 己が読み取ったそのままを。

 

「………」

 

 やがて地面を蹴り上げ、颯爽とベインはその場を後にする。

 ただ残るユニコーンの死骸は、森に差し込む白い月明かりに照らされて輝いていた。




今回は最終投稿から丸1年ではなく4ヶ月なのでセーフ


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試験が終わって

 罰則の後、ハリエット達は禁断の森で起きた出来事を特に話し合う事はしなかった。

 そもそも学期末試験という事もあって、三人には罰則の話をする暇がなかったのだ。ロンとハーマイオニーは、ハリエットとセオドールのように黒い影を目にしてはいなかったし、ケンタウロス達から奇妙な言葉を投げかけられた訳でもない。彼らはハリエット達と違って、ただ暗い森の中を適当に探索していただけだった。

 セオドールとドラコも変わらない。ドラコの方は純粋に試験の勉強で忙しいのだろうが、セオドールはよくわからなかった。そもそもドラコやパンジー・パーキンソンのようなハリエットに絡んでくるスリザリン生と違い、セオドールはハリエット達に見向きもしていなかった。グリフィンドールとスリザリンの対立にも興味を示さず、毅然とした態度で常に一人で過ごしている。仲間意識とグリフィンドールへの敵意が強いスリザリンの中では、確かに珍しい部類の存在かもしれない。

 

 兎にも角にも試験が始まり、そして終わった。最後の試験である魔法史のテストを終えた三人はそのままブラブラとあたりをぶらつき、湖の木陰に寝そべった。

 

「もう予習復習をしなくていいんだ」

「私とハリーは普段からやってるわよ」

 

 大の字になったロンの言葉にすかさずハーマイオニーが言い返した。はいはい、とロンは慣れた様子でそれを受け流す。そこから三人は適当に話をした。ジョージとフレッドが実技のテスト中に花火を投げただとか、試験中のスネイプの視線の怖さだとか。それが少しずつ発展して、しばらくして三人の会話は賢者の石の話になった。

 

「フラッフィーとダンブルドアがいれば、とりあえず賢者の石は大丈夫だよ。いくらスネイプだってあの犬を掻い潜れやしないんだから」

「ロン、スネイプは石を守っている先生の一人だって、ハグリッドが言ってたじゃない。もう忘れたの?」

「守ってるからって狙ってないとは限らないだろ。永遠の命が手に入るんだぜ?」

 

 どうやらロンはまだスネイプに疑いの目を向けているらしい。ハグリッドが確かに言っていたのに、とハーマイオニーが呆れたように呟くが、気にしていない様子でロンは更に言葉を続ける。

 

「だって永遠の命だぞ? 欲しくない訳ないじゃんか。闇の魔術に詳しいってパーシー達も言ってたし、ハグリッドは騙されてるのかもしれない」

「じゃあダンブルドアも騙されてると思うの?」

 

 ありえないわ、とハーマイオニーは笑った。

 

「私、マグル生まれだけどダンブルドアがどれだけ偉大な人かって言う事は知ってるわよ。だってどの本を読んでも彼の名前があるんだもの。賢者の石を作ったニコラス・フラメルと旧知の仲で、かつて“例のあの人”と同等に恐れられた闇の魔法使いを討ち倒した英雄。もしもスネイプが嘘をついていたら、ダンブルドアがそれに気付かない筈ない」

 

 ハーマイオニーの話を聞きながら、ハリエットは奇妙な感覚に包まれた。思い出すのはクリスマス、あの奇妙な鏡の前で話をしたダンブルドアの事。切なげな微笑みが何を考えているのか、結局ハリエットはわからなかった。わからなくて当然なのだけれど、何故だか今でも思い出すたび、不思議なくらいハリエットの気持ちも切なくなる。

 ハグリッドはいつもダンブルドアがどれだけ凄い人物なのかを話している。恩があるのだとヒゲと髪に覆われた顔を綻ばせて語る姿は、まるで大好きなヒーローの話をする無邪気な子供のようだった。実際ハグリッドの性格は無邪気と呼ぶに相応しい。ノーバートの件だって違法だってわかっていただろうし、詐欺だったかもしれないのにパブでそんなものを。

 

「あ」

 

 ぽつ、とハリエットが声をこぼす。ロンとハーマイオニーの視線が彼女に向けられるが、ハリエットはどんどん下を俯いて考え込む。

 

「ハリー?」

「……何で」

「え?」

「何で、ドラゴンの卵、あったんだろう」

 

 ドラゴンの飼育は違法だ。卵だってそう簡単に手に入るものではない。魔法薬学の材料として使われる事はあるが、当たり前のように高級品として扱われている。そうでなくてはおかしい代物なのだ。それなのに。

 

「ハグリッドは、魔法動物が好きだから、多分、ドラゴンも欲しかったと、思う。でも、普通は手に、はい、らない……よね」

「そりゃそうだよ。ドラゴン自体珍しいのに」

「で、でも、パブでハグリッドは、もらった」

 

 ハーマイオニーの表情が強張った。まだピンと来ていないロンが何かを言おうとしたのを遮るように、ハリエットがまた口を開く。

 

「お、おかしい、よね? だ、だって、ドラゴンを欲しがってるハグリッドの前に、卵を持った人が、現れるのって」

「タイミングが良すぎるわよね」

 

 ハーマイオニーが言った。

 

「ねぇロン、貴方のお兄さんってドラゴンの研究をしてるのよね?そういう人って卵を持ち歩くの?」

「そんな訳ないだろ!」

「そう。じゃあ、やっぱりおかしいのね。ハグリッドが会った相手は」

 

 更に言葉は続く。

 

「考えてみれば、ユニコーンの件だっておかしいのよ。血を飲めばたちまちどんな傷や病気も治ると言われているユニコーンの血、それから永遠の命を得られる賢者の石。そうよ、これってきっと同じ犯人だわ!」

「じゃあ、ユニコーンを殺すようなヤバい奴が、賢者の石を狙ってるって事?」

 

 ロンはそこまで言って、気まずそうな表情で更にこう続けた。

 

「それで、ハグリッドはそんな相手から、ドラゴンの卵をもらったの?」

 

 三人は無言で互いの顔を見合わせると、弾かれるように立ち上がって走り出した。まずい、と彼らの脳裏には危険信号が鳴り響いている。ハグリッドは良い奴で、善良な人間である事は間違いない。間違いないのだけれど、同じくらい彼は口が軽いのだ。あの手この手で賢者の石について聞き出そうとしたハリエット達にはよくわかる。

 一目散に彼らは走る。向かう先は、ハグリッドの家だ。

 

 

 

 

 

 

 

 ハグリッドは家の外にいた。肘掛け椅子に腰をおろして、クリスマスにハリエットに贈ってくれたオカリナのような、木の笛をぴょろぴょろと奏でている。

 

「何だ、お前さんら。試験終わったのか?」

 

 駆けつけた三人に気付いたハグリッドが、笛から唇を離して訝しそうに問いかけた。

 

「ハグリッド、あのね、聞きたい事があるの。ドラゴンの卵をくれた人の事よ。どんな人だった?」

「どんなって言われても、フードを被っとったからよくわからんかった。気前は良かったがな、次から次に酒を奢ってくれた」

「じゃあ、じゃあ、どんな話をしたの? 動物の話はした?」

「お、おぉ。確かにしたぞ」

 

 矢継早に尋ねるハーマイオニーに眉をしかめながらも、ハグリッドは頷いた。

 

「俺が森番をしとるって話をして、そんであっちが卵の話を持ちかけてきたんだ。向こうもあれを持て余しとったようで、だがちゃんと世話できねぇと渡さねぇと言うからな。フラッフィーに比べりゃドラゴンなんて可愛いもんだって言ってやったんだ」

「フラッフィーの話をしたのね?」

 

 ハーマイオニーがまた尋ねれば、ハグリッドもまた頷いた。

 

「もっとも、フラッフィーだってなだめ方をしっかりわかってれば何も問題ねぇけどな。音楽をきかせりゃすぐぐっすり寝ちまうんだ」

「その話、卵をくれた人にもしたの?」

「あー……多分。まずい、これ言っちゃいけねぇんだ、忘れてくれ」

「僕らに言っても意味ないだろぉ!」

 

 喚くようにロンが叫び、三人はまた走り出した。どこ行くんだ、と首を傾げたハグリッドの声は無視をした。

 

「すぐダンブルドアに伝えないと。フラッフィーの出し抜き方がバレてるって」

「でも校長室は合言葉を言わないと入れない」

「じゃあマクゴナガル先生の所に行きましょう!」

 

 ハーマイオニーがそう言って、三人はまたもや走り出した。やっと彼女のオフィスについた時には、三人揃って息も絶え絶えの状態で、マクゴナガルは目を見開いて三人を見やった。

 

「どうしたのです、そんなに息を切らして」

「あの、ダンブルドア先生はどちらですか? 伝えないといけない事があるんです」

「ダンブルドア先生ならお留守ですよ」

 

 「えっ!?」とロンが大きな声で叫んだ。

 

「お留守!? 何で!?」

「魔法省から緊急のふくろう便があって、急ぎロンドンに発たれました」

「でもあの、僕ら凄い重要な事で来たんです!」

「ウィーズリー、魔法省からの要請も重要な事です。残念ですがもう戻って……」

「賢者の石、」

 

 息を切らしたハリエットの言葉に、マクゴナガルの表情が驚愕で染まった。

 

「どこでそれを……」

「あの、ハグリッドが、えっと……石が、その、狙われてて」

「そうです、誰かが石を盗もうとしてるんです! それでハグリッドが、フラッフィーのなだめ方を、お酒の勢いで教えちゃったみたいで……」

 

 ハリエットの言葉に続けてハーマイオニーがそう言い、マクゴナガルは眉根を寄せながら指先で額を抑えた。酒の勢いで話してしまったという話も酷いが、それをハリエット達が知ってしまっている事自体も酷い話だ。マクゴナガルはしかめ面で深い息を吐き出すと、真剣な表情で三人を見た。

 

「どうして知ってしまったのかはわかりませんが、石の護りは万全です。安心なさい」

「でも先生……」

「ハグリッドが話していたのはフラッフィーの話だけですね?」

 

 ロンの言葉を遮るようにマクゴナガルは問いかけた。多分、とハリエットが頷けば、マクゴナガルもまた静かに頷く。

 

「もう一度言いますが、護りは万全です。ですから騒がずに、寮にお戻りなさい」

「先生、でもスネ……」

「ウィーズリー。これが最後です。今すぐ寮に戻るのです」

 

 ロンはスネイプの名前を出そうとしたが、力強いマクゴナガルの言葉に怖じけたのか、そのまま押し黙った。

 三人は静かにマクゴナガルの部屋を出ると、少し離れた人気のない廊下の先で顔を突き合わせた。

 

「どうする? ダンブルドアがいるから大丈夫だって話だったのに、いないなら話が変わって来るだろ」

「マクゴナガル先生は大丈夫だって言ってたわよ」

「本当に大丈夫かはわかんないだろ。魔法省からのふくろう便だってどうせ嘘に決まってる、スネイプがダンブルドアを追い出す為に偽物を用意したんだ……きっと今夜にでもやるつもりなんだよ」

 

 ロンの言う事はあながち間違いではないだろう。ハグリッドの事と言い、あまりにもタイミングが出来すぎている。

 スネイプが確実に犯人であるという証拠も結局は掴めなかったし、犯人ではないという証拠も見つからなかった。わからぬままの犯人像にむいて考えていると、ゆらりと彼らの背後に影が立った。

 

「こんな所で何をうろついている」

 

 ハリエット達が振り向いた先にはスネイプが立っていた。どこか小馬鹿にするような貼り付けた微笑み(とは言ってもハリエットはそれが本当に微笑みかどうか判断がつかないが)を浮かべて、品定めするかのような視線で三人を見下ろしている。

 

「グリフィンドールはもう減点される余裕はない筈だが、また何か企んでいるのですかな」

「そんな事……」

「黙れウィーズリー。兄のように遊び呆けて我輩を馬鹿にされては困る」

 

 厳しい声でロンの言葉を静止したスネイプは、そのまま流れるようにハリエットに視線を向けた。

 

「……どうかしたのかね、ポッター」

「え、あ……いえ、」

 

 ふるふるとハリエットは首を横に振った。スネイプはしばし無言の後、そうか、とだけ短く呟いた。

 

「友人を誰にするのも結構だが、妙な事を唆されぬように気をつけたまえ。次に夜の校内をうろつくような事があれば、我輩が直々に退校処分にして差し上げよう」

 

 スネイプはそう言うと、最後に三人をひと睨みしてから踵を返して立ち去った。残された三人はスネイプの姿が見えなくなるまで黙り込んで、黒い後ろ姿が曲がり角を曲がった際に深く大きな息を吐いた。

 

「……夜にうろつくな、だってさ。自分が出歩いてる所を見られたくないのかな」

 

 吐き捨てるようなロンの言葉に、ハリエットは悲しげに眉を下げた。ハリエットにはスネイプが犯人だとはやっぱり思えなかったが、ロンはそうではないようだ。

 とはいえ、これ以上は本当に何も出来る事がなく、三人はマクゴナガルの言う通り大人しく寮に戻る事にした。試験から開放された清々しさはもうどこかに消えてしまっていて、曖昧なままの不安だけが彼らの心に取り残されている。

 女子寮の自室にはラベンダーもパーバティもいなかった。最初のハリエット達と同じように、試験終了の解放感をどこかで堪能しているのかもしれない。脱いだローブを椅子にでもかけようとして、不意にハリエットは動きを止めた。あ、と小さな吐息のような声がこぼれる。

 椅子には既に透明マントがかかっていた。あの不思議な鏡を見に行くのに使ったのが最後で、あとはジョージやフレッドに望まれるがまま貸しているだけだった。

 ピン、とまるで蓋が開くような閃きだった。ハリエットは透明マントを手に取りながら、自分でも狼狽えた様子でハーマイオニーの方を見た。それに気付いたハーマイオニーが、きょとんとした表情で「どうしたの?」と問いかける。

 ハリエットは自分でも困惑していた。突然の閃きは、なるほど確かに現状の自分達にとって最善の策であるかもしれない。けれど間違いなくやって良い事ではなかった。それでも一度、思いついてしまった事を黙っているのも気が引けて、結局ハリエットはハーマイオニーに言ってしまった。

 

「こ、これで、抜け出せない、かな……夜の、寮」

 

 透明マントを見せてそう告げたハリエットに、ハーマイオニーはこれでもかと大きく目を見開いた。




ハリエットのキャラが作者の自分にすら掴めない気がしてむりぽよ_(:3」∠)_


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