方舟の主と◯◯たち (山田澆季溷濁)
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序章 積む者
まだ休んじゃだめですよ?


Wちゃんガチャ見事に外れました。対戦ありがとうございました。


「まだ休んじゃだめですよ?」

 

 本日の業務ノルマを終え、無駄に長い連絡橋を歩いていると、背後から声が聞こえた。無慈悲なまでの残業宣告である。

 振り返ると目の前にはウサギの耳。私の胸のあたりまでしかない背丈の少女は、私が所属する組織のトップである。

 年端もいかないというのに本当に立派な子だ。

 

「アーミヤか……。今日の仕事は処理したはずだが?」

「あれ? 新しいお仕事の話クルースさんからきいていませんか?」

「初耳だな。教えてくれないか?」

「はい……。ドクターも執務に慣れてきた頃ですので、空いた時間にオペレーターの皆さんのメンタルケアをしていただきたいのですが……。その……。ロドスの中には私よりもドクターのことを信頼している方もいますので……」

「なるほど。断る理由が無いな。承諾しよう」

「本当ですか!? ありがとうございますドクター!」

 

 てっきりバニラが飼育しているオリジムシの世話とかだと思っていたが、楽そうで安心した。

 コミュニケーションを取るだけで残業代が発生するとは最高じゃないか! 

 

「ちなみに残業代は出ませんからね?」

「えっ……」

 

 長い廊下を2人で歩いていると、前から来たオペレーター達が道を空ける。

 一般職員の驚いている様子を見る限り、アーミヤと私は歩いているだけで周囲に畏怖感を与えてしまうようだ。

 中には、私に対して恐怖の念を抱いているような目をしている人もいる。

 過去の私はどれだけヤバい人物だったんだ? 

 

「昔のドクターは少し怖い人でしたからね……。ケルシー先生もそれでよく頭を悩ませていたんですよ?」

「それほどだったのか……。付き合いにくい人だと思われていたんだな」

「皆さんは今のドクターの方が好きって言ってますよ?」

「それは嬉しいことだ……」

 

 ナチュラルに思考を読まれた気がするが、もうすぐ目的地に着くから触れないでおこう。

 

「思考を読むアーツがあれば便利だと思いませんか? ドクター」

 

 アーミヤ、今思考を読んだだろ。怖いからやめてくれないか。

 

「読んでませんよ。ところで、目的地ってどこなんですか?」

 

 いや、思考盗聴しt「女の勘ですよ? ドクター」

 

 おんなのここわい

 

 そんなこんなでふざけあっていると、前方から凄い速さで突っ込んでくる少女が1人。

 仕事終わりにコーヒーを飲もうと約束していたオペレーターである。

 

「こんにちはドクター! 待ちきれなくて迎えに来ちゃった!」

 

 彼女の名前はアンジェリーナ。鉱石病に蝕まれながらも周囲に弱みを見せない強くて健気な少女だ。

 そして、最近スキンシップが多くて困っている。

 困っているだけで嫌いだとは言っていない。むしろ好き。

 

「アーミヤちゃんも一緒にいるの? 荷物あったら全部ちょーだいね! まとめて浮かして運ぶから!」

「アンジェリーナさん……。その、通路でアーツを使うのは危険なので……」

 

 彼女ほどのトランスポーターならミスなどありえないが、アーミヤも大変だなと思った。

 

「大丈夫大丈夫! いざとなったらドクターに助けてもらうから! こんなふうに!」ムギュ! 

「ア、アンジェリーナさん!?」

 

 突如として抱き着かれた私は、ただ彼女の温もりと柔らかな匂いを受け止めることしかできなかった。

 申し訳ありません。ミッドナイトさん私にはあなたの教えの通りに抱き返すことができませんでした。

 

「アーミヤちゃんも抱き着いてみる? ドクターいい匂いするよ!」

「ア、アンジェリーナさん、周りに人がいるのでそのようなことはお控えになって……うぅ……」

 

 そのアーミヤの発言にアンジェリーナが敵を見つけたWのように笑う

 

「へぇ~。周りに人がいなければいいんだ~。これからドクターは私の部屋ティータイムだもんね! もちろん2人っきりで!」

「ッ!? ドクター? そのような話聞いていませんよ??」

 

 修羅場! 本能が理性に訴えている! ここにとどまるのはマズイ! 

 人が集まりだした頃に私が出した結論は

 

「まぁ、騒がしくするのもいけないからとりあえずアンジェリーナの部屋に集まらないか? ティータイムの埋め合わせは今度一緒に考えよう。アーミヤも黙っていてすまなかった。とにかくクッキーでも食べながらゆっくりお話ししようじゃないか。それで問題ないか?」

 

 自分でも驚くほど上手い切り抜け方だ。ミッドナイトのモテ男講座を受講しておいてよかったよ。もしかして才能があるのではないだろうか? 

 

「……うん! ドクターと一緒ならどこでもいいよ! でも埋め合わせは覚悟してね!」

「……まぁ、私こそ感情的になってしまって申し訳ございません……。あと、クッキーにはジャムをつけてくださいね?」

 

 完璧だ。危機等級18を突破したに等しいレベルの達成感が体を突き抜ける。

 周囲に群がっていた人たちも感嘆の声を漏らしていた。

 特にバイソンからは人一倍熱い視線を送られた。

 

 

 その後、アンジェリーナの自室にて、アーミヤが強がってブラックコーヒーを飲んで凄い顔をしているのを2人で笑った。

 それから私の私生活の話になると、2人は意気投合し、「内緒の話をするから」といってアンジェリーナのアーツで部屋の外まで吹っ飛ばされてしまった。

 何の話か気になるので、聴力が優れているスカジやヴァーミルあたりのサバイバルできる組に問いかけてみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ごめ~ん、ドクタ~。アーミヤちゃんからのお願い伝えるの忘れて寝ちゃってた~。ゆるして~?」

 

 クルースの謝罪を聞いたのは、翌日の執務終了後だった。

 

「……クルース。オリジムシの飼育や世話に興味はないか?」

 

「…………ふぇ??」

 

 

 その後、バニラがペット友達が増えたと上機嫌で歩く姿が目撃された。

 

 

 

 

 

 

 

 




誤字・脱字があったら教えてください。
次回から行動予備隊などのロドス組とのコミュニケーションを開始していく予定です。


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剣聖の拠り所(メランサ)

汎用的なオペレーターは書きやすくて助かります。


 オペレーターのメンタルケアをしろと言われても、専門的な知識を持っているわけではない。

 アーミヤ曰く、普段通りに接すれば問題ないとの事だが、そう上手くいくものだろうか。

 シルバーアッシュとプラマニクスの関係といった様な地雷を踏みぬいた際は責任を取ってくれるのだろうか。

 不安要素が胸を締め付けるのを確かに感じながら、今朝届いたメンタルケアのスケジュールを確認する。

 送り主がワルファリンの微かに血液の匂いがするA4用紙には、【行動予備隊A4】と雑に書かれていた。

 

 誰にもアポイントメントを取っていないため、自力でアドナキエル達を探さなければならない。

 それに、行動予備隊A4は休暇中ではないか。

 

 

 「困ったな・・・。」

 「・・・何を悩んでいる。力になろう。」

 「うおッ!?」

 

 思わず情けない声が出る。なぜレッドといいラップランドといいループスは気配を消すのがこれほど上手なのか。

 

 「不意打ちするつもりはなかった。だがな、ドクターにそこまで驚かれるとだな、その・・・傷つく。」

 「すまない。周囲をよく見ていなかったものでな。」

 

 見るからにしょんぼりしているペンギン急便職員の彼女はうちのお得意様である。

 最初の頃こそ無口だったが、いまではすっかり心を開いてくれている。別にチョコレートで口説き落としたわけではない。

 

 「困っているようだな。力になろう・・・!」

 

 感情表現下手なのか?とにかく助けてくれるようだからお言葉に甘えよう。

 

 「たいしたことではないんだが、行動予備隊A4の居場所を知りたくてな。」

 「それならスチュワードとアドナキエルはレクリエーションルームでダーツをしている。アンセルは自室で音楽を聴いていて、カーディーはドーベルマン教官に叱られている。メランサだけは居場所を特定できなかった。すまない・・・。」

 「あ、あぁ・・・。ありがとう。凄く助かるよ。はは・・・。」

 

 いきなり畳みかけてくるものだから少し引いてしまった。

 

 「フッ・・・。」

 

 めっちゃドヤ顔。エクシアにも見せてやりたいものだ。

 

 「ところで、なぜ居場所を知っているのか聞きたいのだが。」

 「・・・ワルファリンからの手紙を届けたのはわたしだ。」

 「盗み見たのか・・・。顧客の情報を・・・。」

 「見られて困るような文通はしないことだ。ドクター。」

 

 その通りである。非の打ちどころのない完璧な論破。

 

 「名残惜しいが、次の配達があるのでここで失礼する。・・・また届けに来る。」

 「勘弁だね。次からはエクシアに頼むようにするよ

 

 瞬きする間にペンギン急便職員は行ってしまった。

 テキサスが特定できない。つまり関係者権限が必要な場所で、メランサが好む場所。

 現在地から最も近いところから攻めていくことにした。

 

 

 【資料室】

 

 

 「やはりここにいたか。メランサ。」

 「ドクター・・・?なぜここに・・・?」

 「いや、特に何もないのだが、少しメランサとお話しがしたくてな。」

 「わ、わたしとですか・・・!?」

 

 このロドスにいる人の大半は特殊な経歴を持っている。

 中でもメランサはかなり珍しい部類にはいるだろう。

 ざっくり言うと、彼女は私とは隣を歩くことすら許されない程の上流階級のお嬢様。

 教育にも力を入れていたようで、彼女は何でもできるのだ。

 ピアノも、ヴァイオリンも、美術も、執筆も、剣術も。

 

 「何の資料を読んでいたんだ?」

 「カップラーメンの作法について調べていました・・・。その、いつかカップラーメン型のレユニオンが現れた時に、美味しく食べられるように・・・。・・・フフッ。」

 

 ユーモアセンスはイマイチみたいだ。

 

 「・・・カップラーメンを食べたことがないのか?」

 「はい・・・。体に悪いと言われて・・・。」

 「あー。話の腰を折るようで申し訳ないが、行動予備隊とは仲良くしているか?」

 

 最悪な話の切り出し方だ、スワイヤーから交渉術を学んでおいた方がよかったか?

 

 「・・・A4のみなさんはいい人ばかりです。何も知らなかったわたしがドクターのために闘えるのは、間違いなくA4のみなさんのおかげです。本当にみなさんには感謝してもしきれません・・・。」

 

 彼女は真面目なんだろう。それも人一倍。カップラーメンの作法なんて無いも同然なのに、わざわざ調べようとするほどに。

 自分を箱入り娘から剣聖と称賛されるまでに成長させてくれた仲間たちに、少しでも恩返しできるようになろうとしている。

 

 「確かに、メランサ。君を主軸とした作戦の時のA4は特に優秀な戦績を収めている。行動予備隊A4のリーダーであることをもっと誇りに思ってもいいほどだ。」

 「・・・そうなのですか?・・・知りませんでした。なんだか・・・嬉しいですね・・・。」

 「そうだ。メランサ。君にとって行動予備隊A4が大切でかけがえのない存在であるのと同じように、アドナキエルも、カーディーも、スチュワードも、アンセルも、君のことを行動予備隊A4の大切でかけがえのない存在だと認識しているよ。だからメランサ。もっと自分に自信を持ってみてはどうだろうか。」

 

 

 「ドクターは・・・褒め上手なんですね・・・。」

 

 そういって顔を背けた彼女の顔は赤く染まっていた。

 彼女は間違いなく強いが、あくまでもそれは戦場での話。

 鬼神が如き強さを誇るスカジが、実は寂しがり屋だというのと同様に、メランサにも欠点がある。

 それは自己評価の低さ、自信の無さ、失敗してはいけないと思い込んでいる強迫観念。

 それらを乗り越えた時、彼女は、いや、行動予備隊A4は更に成長するだろう。

 今回はメンタルケアを含めたアドバイスを兼ねて意見してしまったが、私ができるのは見守ることだけだ。

 まぁ、悪い方向に転ぶことはないだろう。

 

 

 

 

 『メランサの居場所が特定できた。』

 「えぇ・・・。」

 

 珍しくペンギン急便からの内線だから緊急事態かと思ったが・・・。

 なんと配達が終わってからずっと探していたそうだ。

 しかしメランサの居場所は4時間前に判明しているのだ。

 

 「テキサス。おまえ『も』焦ると周りが見えなくなるんだな。」

 

 

 『・・・なんだと?』

 

ガチャ! ツー・・・ツー・・・

 「・・・切られてしまった。」

 「アハハ!テキサス!ドクターにフられちゃったんじゃない!?アハハハ!!!」

 「・・・それは・・ありえない・・はず・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「・・・全員揃ってこその行動予備隊A4なんです。」

 「じゃあ・・・誰かが永遠に帰ってこない日が来たら?」

 「強くなればなるほど、その日が近くなっていく気がするんです・・・。」

 「・・・もし、その日が来た時・・わたしはどうすればいいのですか・・・。」

 

 

 

 

 「その日なんて来ない。私の下で任務を行なう以上、誰一人として欠かせはしない。

これは私と(メランサ)との、いや、私と君たち(行動予備隊A4)との約束だ。」

 

 

 

 

 

 




テキサスさんはオチのためだけに無理矢理登場させました。

カップラーメンのくだりは、「ガンスリンガーガール」という漫画から引用しました。よかったら探してみてください。


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なかよし予備隊A1(行動予備隊A1)

クルースちゃんには低コストという理由でいつもお世話になっております。


 「ドクター、終わっていない仕事が・・・」

 

 「過去の知識を学んでみるのも・・・」

 

 「ドクター。テキサスを見なかったかい?」

 

 「インテリアの配置にこだわりを・・・」

 

 「顔が潰れる~~。」

 

 「バーベキューしようぜ!!」

 

 「アップルパイ!!」

 

 「まだ休んじゃだめですよ?」

 

 

 非常に疲れた。通常業務に加えて大規模作戦の立案、さらにちょっかいをかけてくる奴らもいる中で仕事を終わらせなければならない。

 執務室は遊び場所ではないのだぞ!

 今すぐ叫びたい気分だが、そんなことをしたらファントムとグラベルが飛んでくるからやめておこう。

 とにかく、脳に糖分を補給しなければ・・・。

 

 

 【食堂】

 

 

 「あっ!ドクター!グムの料理食べに来てくれたの?」

 「あぁ。ちょっと甘いものが食べたくなってな。何か作ってくれないか?」

 「オッケー!すぐ作るからそこに座って待っててね!」

 

 昼時を過ぎ、閑散とした食堂でもグムはお腹を空かせた人のために待ち続けている。

 それは料理が好きだからという理由だけではない。

 自分が飢えという感情を知っているからである。

 

 『なーにしんみりした顔してんだよ。』

 

 虚空から話しかけられる。

 初めの頃こそは河童や天狗の仕業かと考えたが、そこに「居るのに見えない」という芸当ができるのは1人しかいない。

 

 「・・・イーサン。またつまみ食いしに来たのか?」

 『おいおい、後から来たのはドクターの方だぜ?正しくはつまみ食いしているのか?って聞くのが正解だな。』

 「なんでもいいが、人を泣かせるようなことはしないでくれよ。」

 『限度は弁えてるつもりだぜ?特にカランド貿易の兄ちゃんから教えて頂いたからな?』

 

 カランド貿易・・・。マッターホルンのことか。

 グムは食堂でイーサンがつまみ食いを働いていることを知らないみたいだが、なるほど。

 恐らく、運悪くプラマニクスの料理をつまみ食いしてしまったついでに、シルバーアッシュ家の地雷を踏んでしまったってところか・・・。

 

 『ん?誰か来たみたいだから俺は隠れてるぜー。』

 

 結局一度も姿を見せることなく行ってしまった・・・。

 あいつ友達いるのか?

 

 

 「あ゛ー・・・つ゛がれ゛だーー。」

 「ラヴァちゃん!女の子がそんな声出したらだめですよ!」

 「ビーグルちゃんは元気だねぇ~・・・。尊敬するよぉ~・・・」

 「疲れたみなさんのために!このハイビスカスが元気が出るものを作ってあげましょう!」

 

 「「「また今度で」」」

 

 誰かと思えば行動予備隊A1の子たちじゃないか。

 様子を見る限り訓練終わりのようだが、フェンの姿が見当たらないな。

 

 「あっ!ドクター!いたんですね!?聞いてくださいよ!皆がわたしの栄養食を食べたくないっていうんですよ~!」

 「食べたくないとは言ってないよぉ~・・・。」

 

 その発言はマズイというような顔をラヴァとビーグルがしている。

 事実、クルースのその発言は墓穴をマントルまで到達させるものだった。

 

 「じゃあクルースちゃんは食べてくれますよね?食べてくれますよね?」

 「う゛・・・。ドクター助けて~・・・?」

 

 私に矛先を向けないでくれ。

 ビーグルとラヴァが苦笑いをしている。

 体に良いもの全てぶち込んだものは健康食ではないということを誰か彼女に教えてやってくれ。

 

 「・・・フェンが食べたいって言っていたぞ。」

 「ホントですか!フェンちゃんったら素直じゃないんだから~!」

 「ドクター・・・。後でどうなっても知らないからな・・・。」

 

 ここにいないフェンを生贄に捧げることで危機を脱した私だが、フェンには後で菓子折りに行こう。

 ラヴァよ。心配してくれるなら君も健康食〈即死〉を食べてみるか?

 

 「フェンの姿が見当たらないが、どこに行っているんだ?」

 「フェンちゃんならドーベルマン教官のところで居残り勉強していますよ?」

 

 なんとか話題を変えることに成功したが、掘り返されると面倒だ。

 少々大人げないが、財力でご機嫌になってもらおう。

 

 「訓練終わりなら甘味が欲しいだろう。代金は私が持つから、好きなものを食べていいぞ。」

 「やったぁ~・・・。わたし何にしよっかなぁ~。」

 「まぁ、おごってくれるなら食べるけどな・・・。」

 「ラヴァちゃん!まずお礼言わないとだめですよ!」

 「わたし!フェンちゃんのためのドリンク作ってきます!」

 

 なんとも賑やかな子たちだ。

 このロドスにやってきた頃が嘘みたいだ。

 

 「えへへぇ~。パフェにしちゃおっかな~・・・?」

 

 クルースはフェンとビーグルを連れてロドスにやってきた。

 普段こそのんびりしているが、彼女がいなければ2人がここを訪れることはなかっただろう。

 もしかしたら、彼女がいなければ2人はレユニオンと合流していたかもしれない。

 

 「うーん・・・。どうしましょう・・・。もうちょっと選んでもいいですか?」

 

 ビーグルはまだまだ新米だが、目指すべき目標が定まっている。

 それはフェンも同じことだが、ビーグルは自身のポテンシャルを充分発揮できていない。

 そこまで深刻な問題ではないため、きっと時間が解決してくれるだろう。

 

 「わたしは軽いものにしとくよ。ドーベルマン教官に見つかったら怖いからな。」

 

 ラヴァは態度こそぶっきらぼうだが、誰よりも人のことを思える心を持っている。

 本当に素直ではないだけなのだ。クルースと訓練をサボるのはいけないことだがな。

 鉱石病さえなければ、彼女たちは年相応の振る舞いができたはずだ。

 しかし、鉱石病があったからこそ、彼女たちはこうして出会い、共に笑いあっている。

 

 「・・・因果だな。」

 

 「ドクターもいるんですね。みんながご迷惑をおかけしませんでしたか?」

 

 フェンが到着したようだ。

 仲良しサークルのような行動予備隊A1がまとまっているのは彼女のおかげだ。

 戦闘経験は短いが、それでも一人前になろうと努力を惜しまない。

 私の足のサイズピッタリの靴をプレゼントしてくれたことから、気遣いもできる優秀な子なのだ。

 

 「・・・眼鏡は外していた方が可愛いぞ。」

 「え、ええぇ!!いきなりどうしたんですか!?」

 

 ビーグルが口を開けて驚いている。

 クルースとラヴァはこれからの出来事を予想できたのか、ニヤニヤしながらこの場から離れていく。

 

 「フェン。君がロドスに来て約1年だが、その期間で君は驚くべきスピードで成長している・・・。」

 「ドクター!?熱でもあるんですか!?」

 「君には本当に感謝しているよ・・・。」

 「うぅ・・・。わたしなんてまだまだですので・・・。」

 「いいや、ここにいる皆。君に感謝しているよ。」

 

 さて、そろそろここを離れないとな。

 グムの様子を見に行くとするか。

 

 「なんだか、ちょっと恥ずかしいですね・・・。」///

 「フェンちゃん!来てたんですね~!今完成したので丁度よかったです!」

 「え?ハイビス?今完成したって?・・・え?」

 「またまた~!もちろん、ハイビス特性!健康栄養ドリンクですよ?」

 

 

 「た べ て く れ ま す よ ね ?」

 

 

 「・・・ドクター?わたしのこと可愛いって言ってくれましたよね・・・。」

 「本当に感謝しているよ・・・許してくれ。」

 

 本当にすまない。憎むならハイビスの料理センスを憎んでくれ。

 フェンの回収はLancet-2に任せるか。

 

 

 「はい!あーん!」

 「・・・誰か・・・助けて・・・。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 行動予備隊A4は不安定な部分が多く見られたが、フェン率いる行動予備隊A1は大丈夫なようだ。

 具体的にどう大丈夫なのかは説明に困るが、きっと彼女たちは失う覚悟ができているのだろう。

 かつて全てを失ったからこそ、次は失うまいと努力している。

 ドーベルマンはその部分を最も理解しているからこそ、彼女らに対して厳しいのだろう。

 

 ケルシーなら、ハイビスの料理を顔色ひとつ変えずに完食できるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「フェンちゃん!好き嫌いはダメですよ!」

 「もうちょっと待って!その・・・心の準備が。」

 「今回は全部綺麗に溶けましたから!飲むだけで疲れが飛びますよ!」

 「(疲れじゃなくて意識が飛ぶのですが・・・!)」

 「あれ?特性ドリンクが無くなってる・・・。フェンちゃん飲んでくれたんですね!?」

 「え・・・?あぁ・・・はい。・・・さっき飲みました・・・。」

 

 「やったー!元気でましたか!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『うえぇ・・・。ひでぇ味だぜ・・・。』

 「・・・・・。」

 『げぇ・・・。マッターホルン・・・。』

 「・・・今回のつまみ食いは不問にしておきましょう。」

 『・・・俺もたまには良い事するだろ・・・?』

 「そうですね。とにかく、胃薬をここに置いておきますので。」

 

 『・・・助かるぜ。』




登場人物が多くて誰が誰だか分からなくなってしまったら申し訳ありません。
グムちゃんの料理が出てこなかったのは、ハイビスカスの料理のにおいでやられたということにしておいて下さい。


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魔王はチェンソーと踊る夢を見る(ミッドナイト)

当ロドスにはブレイズさんがいらっしゃらないので、ポプカルちゃんに頑張ってもらっています。


 トラブルメーカーという存在をご存じだろうか。

 本人に悪気はなくても、無意識の内に問題を起こしてしまうような人のことである。

 特に、オーキッド率いる行動予備隊A6は、そのような一癖も二癖もある人達を集めた部隊だろう。

 

 

 「わお。ドクターじゃないか。ちょっとだけミッドナイトさんと遊ばないかい?」

 

 

 今日も馬鹿みたいに長い通路を歩いていると、仲の良いオペレーターに話しかけられる。

 彼の名はミッドナイト。行動予備隊A6に最後に配属されたハイパー色男だ。

 

 

 「久しぶりだな、ミッドナイト。シエスタに男を磨きに行って以来か?」

 

 

 「ああ!覚えてくれてて嬉しいよ。・・・どうだ。次の祝祭日に龍門にでも繰り出してみないか?」

 

 

 私とミッドナイトが街に遊びに行く。それすなわち、女の子を口説きに行くということである。

 普段であればエリジウムもメンバーに加わるのだが、今回は私だけのご指名らしい。

 もちろん断る理由が無い。シャマレやアズリウスに見つかったらマズイが、虎穴に入らずんば何とやらだ。

 

 

 「ぜひとも同行しよう。明日は休みだから、午前から出発しようか。」

 

 

 「流石はドクターだ!ノリが良くて助かるよ!じゃっ、また連絡するから、くれぐれもオーキッド達にバレないようにしてくれよな?」

 

 

 ・・・彼のフットワークの軽さには私も見習わなければならないな。

 ご機嫌な足取りで食堂に向かう彼の足音を聞きながら、私はオーキッドが管理するガチャガチャを回すために宿舎に向かった。

 とにかく、アーミヤやアンジェリーナと言った勘の鋭い女性に出会わないようにしなければ・・・。

 

 

 【宿舎】

 

 

 アホみたいに長い通路を渡り終え、やっとの思いで宿舎に到着するが、ガチャガチャの中身は空だった。

 残念な気持ちを抑えながら周囲を見渡すと、見慣れた人物がいたため、話しかけてみる。

 

 

 「すまない。ガチャガチャの中身を補充してほしいのだが・・・。」

 

 

 「・・・あぁ。ドクターか。今さっきうるさいのが2人来てな、全部中身を持って行ってしまったよ。」

 

 

 

 宿舎の隅でマンガを読んでいたスポットは気だるげにそう答えた。

 おそらく、ポプカルとカタパルトのことだろう。

 不満は無い。元々ガチャガチャを運営しているのは行動予備隊A6の皆なのだ。

 オーキッドが管理し、スポットが補充。ポプカルとカタパルトがガチャガチャを回し、ミッドナイトが資金を出す。

 娯楽設備が充実しているロドスでも、特に人気が高いため、たまにしかガチャることができないが・・・。

 

 

 「この漫画を読み終わったら中身を作るから、そうだな。明日には補充できてるだろうな。」

 

 

 「そうか。私はこのガチャガチャのファンだからな。非常に助かるよ。」

 

 

 「・・・・・・どうも。」

 

 

 初対面の人は彼を冷たい男のように感じるかも知れないが、実際の彼は誰よりも情熱に熱い男なのである。

 近くに彼がいる状態で困っていたら、まず助けてと言ってみよう。

 そうすれば彼が盾を持って飛んでくるから。

 

 

 「そうだ。ポプカルがドクターと話がしたいって言っていたぞ。」

 

 

 「ポプカルが?そうか。久しく会っていないからな・・・。」

 

 

 「特にデートがしたいらしい。モテモテで羨ましいな。」

 

 

 メランサに彼のユーモアや皮肉を参考にするよう言ってみるか・・・。(2話参照)

 ガチャガチャが引けなかった私は微妙な気持ちのまま、自室に向かった。

 次回の殲滅作戦の計画を練るためなのだが、頭の中は明日の龍門のことで一杯だった。

 

 ・・・何か自室から音がする。恐らく2、3人の話し声。

 またシラユキとグラベルがベッド下を巡って争っているのか。

 それならファントムが仲裁してくれているはずなのだが・・・。

 

 

 「・・・誰かいるのか?」

 

 おそるおそる扉を開くと、そこにはうるさいのが2人。

 

 「あら~ドクターおかえりなさいませ~。お部屋借りてるね!」

 

 

 「カタパルトお姉さん・・・!やっぱり帰ろうよ・・・。ドクターに怒られちゃうよ?」

 

 

 「だいじょぶだいじょぶ!わたしたちが居ても天下のドクター様ならぜ~んぜん問題ないよね!」

 

 今日はA6のメンバーに縁があるようだ。

 困ったぞ。これでは明日の準備ができない。

 申し訳ないが、お二人には早急にお引き取り願わなければならない。

 

 

 「別に構わないが・・・。何をしているんだ?」

 

 

 「うーんと・・・カタパルトお姉さんとガチャガチャしてきてね。それでね、いっぱいしたからオーキッドお姉さんに怒られるかもって、それでドクターのお部屋に来たの・・・。」

 

 

 「ちなみに提案はわたしがしました!」

 

 まぁ、普通に遊びに来た感じなら問題ないか。

 中に居たのがWとエンカクとかだったら人生の終わりを覚悟していたところだったからな。

 

 

 「せっかくだし、ドクターもガチャガチャ開ける?」

 

 

 「カタパルトお姉さん!ドクターはいそがしんだよ・・・?」

 

 前言撤回。私も楽しませてもらおう。

 ミッドナイトには悪いが、明日の準備は明日する。これは決定事項だ。

 

 

 「・・・どうした?早く開けないのか?」

 

 

 「やっぱドクターは話が分かるねぇ~!」

 

 

 「・・・ほんとにいいの?ドクターはやさしいね・・・。」

 

 大量にあるガチャガチャの景品を予定を無視して3人で開封していく。

 今の状態をアーミヤがみたら怒髪天を衝くだろうが、その心配はポプカルとカタパルトの笑い声が消し飛ばす。

 

 

 「あはは!見てコレ!スポットの2頭身フィギュアだ!」

 

 

 「スペシャルレアだって!よかったねカタパルトお姉さん!」

 

 

 「こっちはテンニンカのリンゴが出てきたぞ。」

 

 貴重な時間を無駄にする背徳感。

 

 

 「・・・このゴミの山はどうするんだ?」

 

 

 「え?もちろんドクターが片付けるんでしょ?」

 

 

 「カタパルトお姉さん・・・。」

 

 

 「じょ、冗談だって!ポプカルちゃん!あは、あはは~・・・。」

 

 不治の病に肉体が蝕まれても、笑いあうことができる。

 ・・・アーミヤも立場が違えば、ポプカルのように笑うことができたのだろうか。

 これ以上考えるのはやめておこう。

 

 

 「あのね・・・ドクター。おはなしがあるんだけどね・・・?」

 

 

 「ん?どうかしたのか?」

 

 ポプカルが珍しく真剣な面持ちになった。

 カタパルトが妙にニヤニヤしているのを見る限り、特に緊急なことではないと理解できた。

 

 

 「その・・・ポプカル・・・今度ドクターと遊びに行きたいな~って思ってて、それでね・・・うぅ・・・。」

 

 

 「それで?ドクター。女の子からのデートのお誘いなんだよ?どうするの!」

 

 非常に驚いた。かつてこれほどまでポプカルが積極的になったことがあっただろうか。

 嬉しさと同時に、デートを予定をどう組み込もうかと迷った。

 

 

 「あぁ。全然大丈夫だよ。どこに行くかはまた決めようか。」

 

 

 「ほんとに・・・!ドクター、ありがとう・・・・・・ありがとね!」

 

 

 「・・・いやぁ~よかったねポプカルちゃん!これでめでたしめでたしだね!じゃあわたし達は目的達成したので撤退します!」

 

 

 「えぇ~・・・、待ってよカタパルトお姉さん~。あっ!楽しみにしてるからねドクター!」

 

 嵐のように去っていった2人だったが、私の心には楽しさという温かみが残っていた。

 そして、部屋にはガチャガチャのゴミとハズレの景品だけが残っていた。

 

 

 「・・・ファントム。」

 

 

 「・・・ここに居る。」

 

 呼べば背後に現れる暗殺者にももう慣れてしまった。

 

 「申し訳ないが、片づけを手伝ってくれないか?」

 

 

 「構わない。だが、景品を少し頂いていこう。」

 

 結局の所、私が眠ることができたのは、日付を越えてからだった。

 私のベッドにミス・クリスティーンが入り込んできたために、ファントムが少し微妙な顔をしていたことは誰にも言わず、心に留めておくことにした。

 

 

 

【翌日】

 

 

 「すまない。少し遅れてしまった。」

 

 

 「いいや?時間ピッタリだドクター。」

 

 一応15分前に到着するように出発したが、既にミッドナイトは着いていたようだ。

 これがモテる男なのか。

 

 

 「見た感じ、普段より気合いが入っているようだが?」

 

 

 「何言っているんだい?俺はいつだって本気だぜ?」

 

 そういった彼の声は微かに震えていた。緊張しているのだろうか。

 彼ほどの色男が?

 

 「実はな、ドクター。今回エリジウムを誘わなかったワケなんだが・・・。」

 

 私も少し気になっていた。

 ミッドナイトとは何度も遊びに行っているが、今回は不自然な点が多い。

 

 「ちょいと前から気になってる人がいるんだよ。ほら、あるじゃないか、見た瞬間ビビッて来た!みたいな感じ?」

 

 

 「あー、あれか。つまり一目惚れの人と知り合いになりたいが、ツレには知られたくないみたいな感じか。」

 

 

 「そうだよ!大正解だ!」

 

 

 「一目惚れしたことは知られたくないが、1人で行くのは恥ずかしいと・・・。」

 

 

 「う゛っ・・・。」

 

 貸し1つだと言いたいところだが、『魔王』と呼ばれた男が惚れた相手というのをを見てみたくなったため、無償で付き合ってやることにした。

 

 

 

 【龍門市街】

 

 「・・・ほら、あそこにいる女性だよ。なんか空気が違うだろ?」

 

 2人で訪れたのは洒落た喫茶店。

 確かにミッドナイトの言う通り、例の女性の周りだけ雰囲気が違っていた。

 

 

 「あぁ~緊張してきたぜ。やっぱエリジウムも連れてきた方が良かったか?」

 

 

 「まぁ、無理に急ぐ必要もない。気持ちが落ち着いたら行けばいいさ。」

 

 マスクに重ね着の私が言えたことではないが、昼間の喫茶店でホスト風貌の男が隠れながら女性を見ている。

 明らかに事案である。誰かに通報されなければいいのだが・・・。

 

 「・・・よし。行くぜ。」

 

 オーキッドも言っていたが、黙っていると本当にイケメンなんだがな・・・。

 遠くの方でミッドナイトが女性に話しかけている。

 緊張からか、挙動が不審者そのものだが、逆に女性慣れしていなくて新鮮に見える。

 今回の私はあくまで付き添いのため、別のテーブルでショートケーキを注文する。

 

 

 

 「・・・すみませんレディ。この席、よろしいですか?」

 

 

 『・・・ん?別に構わな・・・構いませんが・・・。』

 

 

 「ふぅ。いやぁ良かった。好きなんですよ。窓の景色を見ながら、コーヒーを飲むのが。」

 

 

 『はぁ・・・。そうですか・・・。』

 

 

 「・・・・・・。」

 

 

 『・・・・・・。』

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 くそっ!席の関係から何の話をしているのか聞き取ることができない!

 何か私がミッドナイトの力になることは出来ないのか!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 『・・・・・・あの』

 

 

 「・・・?どうかされましたか?」

 

 

 『わたし、仕事が立て込んでいて、少しうるさくなるかもしれませんが、よろしいでしょうか?』

 

 

 「えぇ。全然大丈夫ですよ。お気遣いなく。」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 どうしたんだミッドナイト!連絡先の1つや2つ早く聞かないか!凄くもどかしい!

 あまり使いたくなかったが、これも友のため。誰も卑怯とは言うまいな!

 

 「・・・シラユキ。」

 

 

 「・・・ここに。」シュン!!

 

 

 「あの席の女性にこのケーキを渡してきてくれないか?」

 

 

 「しかし、あの女性はミッドナイト様が・・・」

 

 

 「頼むシラユキ。君しかいないんだ。」

 

 

 「・・・ッ!!・・・御心のままに。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 「失礼します。ご注文の品です。」

 

 

 『・・・?私は注文していませんが・・・。』

 

 

 「(あの店員、どこかで?・・・ドクターの護衛のシラユキか!俺の惨状を見て助け舟を出してくれたんだな!つまりこれはチャンスだ!)」

 

 

 「私からのプレゼントです。あなたの仕事を手伝うことは出来ませんが、せめてこれだけでもと思いましてね? 店員さん、彼女にケーキをお願いします。」

 

 

 『そんな、嬉しいです・・・。本当によろしいのですか?』

 

 

 「・・・では、ご注文の品はこちらに置いておきますので、傷まない内にィッ!?」

 

 

 『店員さん?どうかされましたか?』

 

 

 「い、いえ。どうぞ、ごゆっくり・・・。」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「助かったよシラユキ。これでアイツもやりやすくなっただろう。」

 

 

 「・・・・・・。」

 

 

 「シラユキ?」

 

 

 「・・・これも全てドクターの計算の内ですか?」

 

 

 「ん?あぁ。まぁ、そんなところだ。」

 

 

 「・・・・・・わたしはドクターの味方ですから・・・。」シュン!!

 

 意味深な言葉を残して去ってしまったシラユキは、何かを恐れていたようだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 『このショートケーキ。凄くおいしいです・・・。』

 

 

 「人のお金で食べるからじゃあないですか?」

 

 

 『・・・フフッ。その通りですね。』

 

 

 「もちろん、タダではありませんよ。」

 

 

 『・・・えっ?』

 

 

 「連絡先、交換してくれませんか?」

 

 

 『フフッ・・・・・・ズルい人。』

 

 その後、ミッドナイトは女性と連絡先を無事交換することができ、2人はショッピングに行くことになったようだ。

 もちろん私は2人を尾行する形で見守り続けるのであった。

 

 『・・・すみません。こんなにも多くの服を買って頂いて・・・。』

 

 

 「いえいえ、こちらこそ楽しませて頂きましたし、お相子ですよ。」

 

 

 『あの、またお会いすることって・・・』

 

 

 「・・・えぇ。また今度、あの喫茶店の席でお会いしましょうか。」

 

 

 『は、はい!』

 

 

 「では、私はこの辺りで失礼いたします。お仕事、無理してはいけませんよ?」

 

 

 『は、はいぃ・・・』

 

 ・・・凄いな。初対面の女性にも一切の躊躇なく金を使う。これがモテる男の違いなのか。

 2人も解散したようだし、私も準備をするとしよう。

 ポプカルとのデート先も決めたしな。

 

 「あ゛ぁ~!緊張したぁ~!!」

 

 

 「やったじゃないかミッドナイト!これほど上手くいくとは思っていなかったぞ!」

 

 

 「何言ってるんだ!あの時ドクターがケーキ持って来させてなかったら、あの時点で終わってたよ!」

 

 

 「「ハッハッハッハッハ!!」」

 

 

 

 

 

 

 『・・・おい、待て。今、ドクターと言ったか・・・?』

 

 

 「「へ??」」

 

 

 『聞き覚えのある声がして、嫌な予感がしたから戻ってみたら・・・!!!』

 

 

 「なんの話だ?ドクター。まさかお前の元カノだったか!?」

 

 

 「いや!ありえない!彼女のような女性は知らない!!」

 

 

 『祝祭日だからと珍しく本気で化粧をしてみたが・・・!!』

 

 

 「・・・あ!ああ!!あああ゛あ゛!!!」

 

 

 「どうしたドクター!!気をしっかり持て!!」

 

 

 「なぜシラユキがケーキを渡すとき狼狽えていたのか!!なぜ意味深な言葉を残して去ったのかが理解できたああああ!!」

 

 

 『ほう・・・?シラユキも貴様らに加担しているのか・・・。』

 

 

 『わたしの純情を弄びおって!!どうせ騙されるわたしを見て笑っていたんだろう!!!』

 

 

 「ドクター!!彼女は一体何者なんだ!!」

 

 

 『黙れ!滅びろ悪党どもめ!!二度と恋などするものか!!!』

 

 

 「こいつは龍門近衛局特別督察隊隊長のチェンだあああああ!!!」

 

 

 「なにィィィィィィィ!!!???」

 

 

 『  赤 霄 ・ 絶 影 ! ! 』

 

 

 「「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!!!!」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

       ドオオオオオオン・・・・・!!!!

 

 

 

 

 

 後日、この話はロドス中に広められ、ミッドナイトは龍門近衛局の重鎮をオトしたとして男たちから称賛を浴びた。

 一方で、ドクターはミッドナイトやエリジウムらと女漁りをしていたことが明るみになり、しばらくの間女性陣から冷ややかな視線を送られることになる。

 

 なお、この話を聞いた行動予備隊A6は全員大笑いし、特にオーキッドは笑いすぎて過呼吸を起こし、医務室に搬送された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『はぁ・・・。』

 

 

 「・・・?どうかされましたか?」

 

 

 『いいや、なんでもない・・・。』

 

 

 「チェン隊長、息抜きにコーヒーでも飲みに行きませんか?雰囲気のある良い喫茶店を見つけたんですよ。」

 

 

 『・・・ホシグマ。その喫茶店の窓際席には座らない方がいいぞ。』

 

 

 「・・・?どうしてでしょうか。」

 

 

 『・・・・・・その席は私の席だからだ。』

 

 

 「なるほど、そういうことでしたか。」

 

 

 『・・・・・・待ってるわたしが馬鹿みたいじゃないか・・・。』

 

 

 「・・・??」




 本当はチェンソーじゃなくてチェーンソーっていうみたいですね。
         ・・・
 でも話の内容的にチェンソーの方が合ってますね。


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愛と戦争と知恵比べ(ケルシー)

編成枠が余ったらテキサスを入れることをお勧めします。
もっとも、地上戦は真銀斬が全て解決してくれるんですけどね。



『信じるもの。信条とでもいうのだろうか。

 我々はその信条の下で、今日を生きている。

 この×××には、それを見つけた者も居れば、失った者も、壊したものも、捨てた者もいる。

 

 わたしは取り戻したのだ。彼らとは違う。必ず自分の物にしてみせる』

 

 

「……なんだこのメモは?」

 

 かつての自分の手がかりを探すべく、資料室に足を踏み入れた私だが、目的の物は見当たらず途方に暮れていた。

 その代わり、資料の間に目を引く1枚の紙切れを発見した。

 

「日記か? ならばなぜこんな場所に……」

 

 多少の成果はあっただろうか。

 私はメモをポケットにしまい、資料室を後にする。

 大規模作戦が無事終了し、忙しい日々も気付けば懐かしいものとなっていた。

 

 

【連絡通路】

 

「…………君は、彼をどうするつもりだ」

「言えば貴様も答えるのか」

「…………」

「ならば聞こう。あなたは彼女をどうする」

「…………」

「……人を待たせている。先に失礼する」

 

 果てしなく長い通路で喋っていたのは、ケルシー医師とへラグ将軍だった。

 風景に似合わないその体躯と面持ちは、そこにいるだけでプレッシャーを与えている。

 しかし、現在の将軍のその眼差しは悲哀に満ちていた。

 

「……将軍」

 

 返事はない。

 

「……へラグ将軍」

 

 返事はない.

 

「へラグ将軍!」

「あぁ。……ドクターか。考え事をしていてな」

 

 子供でも分かる嘘だ。将軍と呼ばれる彼の背中が驚くほど小さく見えた。

 

「ケルシーと何があったか、聞いてもよろしいでしょうか?」

「フッ……見られてしまったか。なんてことはない。老骨として、ケルシー医師に説教してやろうと思ったが、逆に言い負かされてしまっただけのことだ」

 

 彼の惨状を見る限り、かなり手酷くやられたようだが、ケルシーがそこまでするとは。

 将軍は問答の中で彼女を彼女たらしめているもの。つまり核心に近づいたのだろう。

 

「私は少しばかり留守にする。なに、別にロドスから退艦する訳ではない。安心してくれたまえ」

 

 待ってください。とは言えなかった。いいや、声が出なかったのだ。

 彼は、私が考える以上の過去がある。安易に踏み込むべきではないと感じたのだ。

 

 

 

【アーミヤの自室】

 

「それは、正しい選択をしたと思います」

 

 うさ耳の少女。もしかしたらロバかも知れない耳をへたり込ませながら少女は答える。

 

「わたしは、かつてへラグさんの過去を聞いたことがあります……」

「それは、凄いな……」

「いえ、深い意味はありませんでした。ただの興味本位だったと言いますか……」

 

 ……何を私は焦っているんだ。

 別に将軍が裏切った訳でもないのに、ただ知りたいという気持ちが先行している。

 知った先に何があるかを考えずに、彼が闘う理由に、生きる理由に踏み込もうとしてしまっている。

 

「わたしの口から話すことは出来ませんが、もしドクターが気になるというなら、ケルシー先生に聞くといいかも知れません。最近2人が一緒にいるところをよく見ますし、それに、ケルシー先生は何でも知っていますから……」

 

 何でもか。私の過去のことも当然知っているだろうな。

 教えてくれないということは知られたくない何かがあるんだろう。

 ……彼女に聞いたところで教えてくれるわけないに決まっている。

 結局のところ、手がかりは自分の手で見つける以外ない

 

 しかし、世界には知らなくてもいいことの方が遥かに多いのだ。

 

 

 

【資料室】

 

「……ん? レッドじゃないか。何を探している」

「……ダメ。喋ってはいけないって言われている」

「誰に言われたんだ?」

「ケルシーに言われた。……あっ」

 

 まぁ、S.W.E.E.P.のレッドが調べ物というだけで若干の予想はついていたが。

 もう少し踏み込んでみるか。

 

「ケルシーから何を探すように言われたんだ?」

「ダメ。それこそ、ホントに喋ってはいけない」

「……まぁ、君たちの探し物は私が既に回収したんだがな」

「……ッ!! 日記、どこにあった……!!」

「そうか。ケルシーは日記をご所望なのか。感謝するよ。君のおかげで私は初めて彼女を出し抜くことができる」

 

 カマをかけてみるものだな。へラグ将軍が留守にしてから3日でここまで情報が集まるとは自分でも驚きだ。

 

「ドクター、日記を渡して……!」

 

 少々面倒なことになってきたが、私の過去につながるかも知れないのでな、今回ばかりは本気で抵抗しよう。

 

「……ファントム!!」

 

 一瞬黒い影が横切る。

 

「ドクター。日記はどこ……!」

「君の相手は私だ……」

 

 瞬間的に空気が凍りついた。

 レッドは謎の声が自分の背後から聞こえたことに酷く動揺し、珍しく汗をかいている。

 ループスとしての本能が、謎の声の持ち主を『ヤバい存在』だと訴えているのだろうか。

 

「ファントム。任せたぞ」

「……任された。片付き次第すぐに向かう……」

「レッド。今日は、手加減できない……!」

 

 

 物が壊れる音が資料室から聞こえてくる。

 ファントムとレッド。どちらに軍配が上がるかは分からないが、敗北した方が後片付けをすればいいだろう。

 もう少しで、ケルシーの鼻を明かすことができる。

 私はその事実に興奮を隠しきれるほど大人ではなかった。つまり油断していたのである。

 

 

「……問題は日記が誰の物だということだ。ケルシーが求めるもの。これは間違いなく私の過去に関連するものだ」

 

 足早に執務室に向かう。密かに隠しておいた日記を回収するためだ。

 

 

もう少しで自分が何者なのかが判明する。

 

 

 

【執務室】

 

 ……扉のロックが解錠されている。

 その気になれば無理やり突破することも可能なのだが、鍵を開けるということは、ソレ(解錠)が普通にできる者。

 管理者権限を持っている者だ。

 ……まさか、ファントムが居ない状況を作り出すために、わざとレッドを私にぶつけてきたのか! 

 

 扉を開ける。嫌な予感ほど当たるのはなぜなのだろうか。

 

「……ひどい顔だな。ドクター」

「スカベンジャー……!」

 

 よりにもよってS.W.E.E.P.の構成員の一人であるスカベンジャーとは、日記を発見したことで運を使い果たしたか? 

 

「ドクター、伝言を預かっている」

「……なんだ」

『この件は忘れろ』

 

 間違いなくケルシーだ。伝言を聞いた瞬間に確信した。

 そして、彼女に敗北したのだ。日記は肌に離さず持っているべきだったのだ。

 

「……これは独り言なのだが、ケルシーは日記の内容にはこだわっていなかった……。まるで、日記の所在にだけ注視しているようだった……」

「……スカベンジャー?」

「…………独り言だ」

 

 

【連絡通路】

 

 内容ではなく、所在が問題か……。

 木を隠すなら森の中。紙を隠すなら本の中。ケルシーが隠したい事実。

 私のこと以外の……。へラグ将軍と2人……。彼をどうする……。

 なんだか嫌な気分になってきたぞ……。

 

 

「ドクター!!!」

「なんだ!! 急いでいるんだ!!」

 

 そこには私とケルシーの過去を知る数少ない人物が立っていた。

 

「……ケルシーから聞いたんだ。日記が欲しいってホントなの……?」

「サベージ。私は本気だ。隠すというなら暴くまでだ」

「そっか……。ドクター、すごく残念だよ……」

「妾は素直にならんケルシーにも問題があると思うのだが……」

 

 どこからともなく声がした。特徴的な血液のにおい。ロドスの最古参。治療系アーツのエキスパート。

 

「ワルファリン……。お前もなのか?」

「おぉ、古参のよしみじゃ。悪く思うなよ」

 

 ……どうする。何を隠そう私はアーツ回路がボロボロなのだ。常識的に考えて突破は不可能。

 ファントムの帰還までの時間も稼げない。万事休すか……! 

 

「困難を受け入れる事も立派な成長だ。どのような状況においても味方は多い方が有利に物事は進む。あの時、君は私に同情してくれたが、さて、今回は敵の私の為に同情してくれるか。ドクター」

 

 ……最悪だ。まさかへラグ将軍までケルシー陣営に就いているとは思わなかった。

 2人の関係は険悪そうに見えたが、嘘だったのか? というか帰還していたことを忘れていた……! 

 

 そんなことはどうでもいい。今はこの詰み寸前の状況をどう打開するかだ……。

 ……考えろ。……考えろ。

 

 

 無理そうだ。

 源石を心臓に埋め込まない限り、完全武装のサベージ、ワルファリン、へラグを相手することは不可能だ。

 ケルシーも本気らしい。ここまで来たのに、終わってしまうのか……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「困っているようだな。……力になろう」

 

 その声は、

 

「ドクター! 困ったらいつでも呼んでって言ってるでしょ!!」

 

 絶体絶命の危機に、

 

「……執務室では遅れを取ったが、ここで挽回する」

 

 差し込む光……!! 

 

「ドクターったらぁわたしがずっとそばにいるのにファントムさんとシラユキちゃんばっかり頼って~」

 

 しかも4筋の光……!! 

 

「アンジェリーナ! シラユキ! グラベル! それにテキサスまで!!」

 

「……ここは我々に任せて先へ……」

「分かっていると思うが、それほど長くは持たない」

「わたしのアーツでケルシー先生のところまで飛ばすから、口閉じててね!」

「時間稼ぎはわたし慣れてるからぁ~」

 

 

 連絡通路でオペレーター同士が一触即発。それもお互いロドスの最高幹部の名の下に戦おうとしている。

 さらにテキサスがこちらにいるおかげで、ペンギン急便との契約もヤバいことになるだろう。

 減給処分では済まないだろうが、全ては記憶のためだ。

 

「アンジェリーナ! 飛ばしてくれ!!」

「オッケー! 舌嚙まないでね!!」

 

 物凄い風圧で息ができない。全身に反重力のアーツを纏っているため、内臓の圧迫から吐き気がする。

 

「ッ!! ケルシーの所に行かせるな! サベージ!!」

「あぁっ! キャッチできない!! へラグさん!!」

「……峰打ちにしておこう……」

 

「……剣雨」

 

 凄まじい爆風と共にテキサスのアーツがへラグ達を拘束する。

 

「……無視しないで頂きたい」

「相手が相手だから本気で行こうかしらぁ~」

 

 

 突破した! あの立ちふさがった堅牢なる高壁を突破したぞ! 

 突破したはいいが、どうやって静止するんだ? 

 

 ケルシーの私室が見えた。構造上は私の部屋と同じなはず。

 ならば、ぶち破るまでよ! 

 

 

 

【ケルシーの私室】

 

 

「うおおおお!!」

 

 ドガアアアアン!!! 

 

「……随分と派手な登場だな。意外とそういうのが好きなのか?」

 

 余裕綽綽というような態度のケルシーとは裏腹に、私の状態は満身創痍である。

 しかし、後は日記を取り返すだけなのだ。

 

「…………わたしは忘れろと伝えたはずだが」

「あからさまに怪しいのでね、さて、日記を返して頂こう」

「…………断る。といったら?」

 

 ケルシーの様子がおかしい。放つ言葉に普段の漲るような自信が見られない。

 間違いない。私は今、彼女を追い詰めている。

 

「断る理由を教えろ」

「…………嫌だ」

 

 連絡通路で、ケルシー陣営とドクター陣営に分かれてマジバトルしていることが艦内に広まり、ロドス中の人が集まっている。

 それに伴い、私たちが居るこの部屋にも大勢の人だかりができ始めていた。

 

「ならば無理やり奪って見せる! 悪く思うな!」

「…………馬鹿なのか」ヴオン!! 

 

 日記を掴もうとした瞬間、ケルシーの手が発光した。

 アーツ特有の光。そういえばケルシーはアーツの操作も1流だった……。

 

 ドゴオオオオン!!! 

 

「Mon3trを出すまでも無かったか……」

 

 壁に叩きつけられる。臓器が揺れているのか、酸素が上手く取り込めない。

 最高幹部であるケルシーが、指揮官の私にアーツを放った。その事実が一般職員にはどう映っただろうか。

 興奮する者。泣き叫ぶ者。状況を推理する者。賭けを行う者も居たが、その時の私は笑いを堪えるので必死だった。

 

「……ケルシー。連絡通路に、サベージ達を配置してくれて助かったよ」

「…………どういうことだ?」

「戦いを見ようとギャラリーが集まってくれたおかげで、ようやく君に牙が届いたのだから!」

「……? …………ッ!?」

 

「君の相手は私だ……」

 

 瞬間的に空気が凍りついた。

 ケルシーは背後から聞こえた謎の声に動揺したが、すぐに平静を取り戻し、謎の声の持ち主の方に体を向けた。

 

「なるほど。クロージャから聞いたことがある。影のような男がいるとな……」

「ミス・クリスティーンは君の事が嫌いだそうだ。ギャラリーのおかげでへラグ達を無視することが出来たよ」

 

 ギャラリーが歓声を上げた。しかし、すぐにかき消されてしまった。

 影のような男よりもヤバい存在が近づいて来たからである。

 

「ドクター。ケルシー先生。これはどういうことですか?」ド ド ド ド ド ド ド

「「ア、アーミヤ……」」

 

 

 

【連絡通路】

 

 アーミヤによって通路に引きずり出された私たちは、多くの観衆が見守る中、今まさに説教されんとしていた。

 ケルシーが冷や汗をかいている。私も初めて見るアーミヤのマジギレに委縮し、顔を直視できずにいた。

 

「……まずこれはどういうことかを説明してください」

 

 私とケルシーのどちらに聞いているんだ? 

 長い沈黙は不信感を与えてしまう。早く切り出さなければ。

 

「「……これは……」」

 

 ……最悪だ。なぜこういう時に限って息ピッタリなんだ! 

 

「ケルシー先生から説明してください」

「…………ドクターが日記を見ようとした」

 

 まさか、自分の都合のいいように説明するつもりじゃないのか? 

 そうなるとかなりマズいぞ。過程はアレだが、今回の私は日記を女性から強奪しようとしたのだから。

 

「ケルシー先生、念の為聞きますが、それは誰の日記ですか?」

「…………わたしの日記だ」

 

 無傷のへラグが微妙な顔をしている。あのメンツと対峙して埃すら付いていないとは。

 ……待て、『わたしの日記』と言ったか? 

 

「ドクターに聞きます。なぜケルシー先生の日記を欲しがっているんですか?」

「……資料室で発見した時、私の過去に繋がる手がかりだと感じたからだ」

 

 絶妙に話が食い違っている気がする。

 

「ケルシー先生。日記をドクターに渡して下さい」

「…………断る」

「見られてはいけないものがあるんですね?」

 

 見られて困るような文通はしないことだ。テキサスの言葉を思い出す。

 当の彼女はボロボロなのだが。

 

「ケルシー先生! 日記を渡して下さい!」

「…………いやだ」

「……グラベル!」

 

 一瞬の隙を見てグラベルに日記を盗らせる。

 ケルシーも、私がアーミヤの前で実力行使に出るとは思っていなかったようだ。

 ケルシーが絶望的な顔をしている。

 さて、日記の全文を読ませて頂こう。

 

 

『……ドクターの救出に成功した。この一歩のために多くの犠牲を払った。見知った顔が少なくなっていく。ドクターを失わなくて本当に良かった……』

 

「ドクター。日記の内容に不審な点がありましたら、言ってください」

 

 今のところただの日記のようだ。特に見られて困るような内容ではないような気がするが……。

 

 

『……ドクターが記憶を失ってしまっている。……好都合だ。生まれて間もない赤子のようなドクター。わたしだけのドクターが作れる……』

 

『……最後にわたしの隣にいてくれればいいのだ。焦る必要などない……』

 

 ……ん? 何かいけない流れになっていないか? 

 

『ドクターとアンジェリーナが急速に接近している。わたしのドクターが汚れてしまう。定期健診の際にドクターを消毒しなければならない。……昔も今も、彼に触れていいのはわたしだけなのだ』

 

『へラグ将軍に執務室の盗聴器が発見された。彼は話が分かるからサベージとワルファリンのように、うまくいけば引き込めるかもしれない』

 

『日記が破れていた。ドクターにアレが見つかったら失望されてしまう。彼は聡明で博識なわたしが好きなのだ。弱みを見せたら嫌われるに決まっている。……絶対に回収しなければならない』

 

 これは、私が勘違いしていただけなのか? 

 私はこの日記の持ち主が、過去の私、もしくは関連する誰かのもので、ケルシーは私の過去について隠したい物があるからここまで抵抗したのだと思っていたのだが。

 まさかリアルに見られたくない電波日記だったとは。

 

「……満足したか? ドクター」

「ケルシー先生……。何で正直に言わなかったのですか?」

 

 周囲の人がその理由を聞こうと固唾を飲む。

 あの完全無欠のケルシーがどうしても隠したかった理由。

 それはロドスが機能し始めてから、彼女が初めて見せる弱点。

 

「こんな日記を見られたら…………ドクターに嫌われるじゃないか……」

 

 

 

 

 

 

 ロドスの最高幹部2人による危機は、アーミヤによって対処され、ドクターとケルシー、またそれに協力した9名のオペレーターには、それ相応の処罰が下された。

 

 具体的には、ドクターには、3か月の減給処分。始末書の提出。危機契約委員会への説明などその他が挙げられた。

 ケルシーには、施設設備の復旧と回復。さらに日記の全文公開という最も重い処分が下された。

 

 現在もクロージャに頼めばケルシーの生き恥をいつでも閲覧することができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ケルシー。もしよかったらなんだが、今度どこかに出かけてみないか?」

 

 

「………………今から行こう」




ケルシー先生とアーミヤはヤンデレの才能があると思います。


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喧騒の先導者(テキサス)

この話は「愛と戦争と知恵比べ」と間接的に繋がっている部分があります。
見ていなくても特に問題はありません。



【ペンギン急便】

 

「…………」

 

 彼女は右腕の傷を眺めていた。ロドス艦内において、オペレーターと交戦した際に負った傷である。(5話参照)

 それは、一人の男を目的の場所に向かわせるために負った、名誉の負傷。

 

「……ふふっ」

「なーにニヤニヤしてるの!?」

 

 現在、荷物を持つことが出来ないため、適当にくつろいでいたテキサスに突っ込んできたのは、同業者にして現相棒のエクシアだった。

 上から被さった状態のエクシアを引っぺがしながら、テキサスは答える。

 

「何でもない。エクシアこそ何をしている」

「あたしは休憩! 今日の配達終わっちゃたんだよねー」

「だからって遊び相手にはならないぞ」

 

 何度も繰り返したやりとり。テキサスはこうしてエクシアがじゃれてくることに日常を感じるのであった。

 喧騒とは程遠い生活。

 しかし、テキサスはこうした平穏の後には必ず事件が起きると理解していた。

 

「ヤホー、龍門アイドルのソラちゃんでえええす! ただいま帰還しました!」

「おかえり! ソラもこっち来なよ! テキサスもいるよ?」

「ホント!? 行く行く!!」

 

 時間帯的に業務を終えた職員たちが続々と集まってくる。

 クロワッサンはテキサスの分の業務が追加されているため、帰還がかなり遅れるようだ。

 

「あ、テキサスさん知ってますか? アレの話!」

 

 ソラが身を乗り出し、鼻先が触れ合う寸前で止まる。

 龍門アイドルのテンションが高いのは普段のことだが、本日の勢いは当社比2倍増しに感じられた。

 

「……何の話だ?」

「テキサスさん知らないんですか? ロドスが仲間割れして壊滅寸前みたいらしいんですよ」

「え~~? それってガセネタなんじゃないの?」

 

 ロドス内で闘争があったのは事実だが、風の噂に流されて話が誇張されているらしい。

 テキサスは黙っていた。

 自分がその問題に深く関わっていた事を隠す理由も特にないのだが、黙っていた方が面白そうだと思ったからである。

 

「それがホントなの! ケルシーとドクターが仲間割れして派閥に分かれて戦ったんだって!!」

「えぇ~? あの2人が~? なんかますます噓っぽいんだけど!」

 

 紆余曲折した情報を真実のように話すソラと、まったく信じず話半分に笑いながら聞くエクシア。

 ここにクロワッサンがいたらもっと騒がしくなっているだろうか。

 

「だからホントだってば! 午後からそれのお話でドクターとアーミヤが来るって言ってたもん!」

「ドクターが来るのか?」

 

 ずっと黙っていたテキサスが急に口を開いたため、ソラが驚いた顔をしている。

 一方、エクシアはドクターという言葉を聞いた瞬間、微妙な顔をした。

 

「え? あ、はい! 協定とかなんとかで皇帝と話すってモスティマさんが言ってましたから!」

「……そうか。ドクターが来るのか。……そうか」

 

 そう呟いたテキサスは露骨に自分の前髪を気にしだした。

 エクシアは落ち着かない様子で辺りをキョロキョロしている。

 

「え、えぇ? どうしたのみんな? ソラがいるのに悲しい顔しちゃダメだよ!」

「いやぁ~疲れた疲れた! エクシア? アップルパイある?」

 

 テキサスの分の業務を終了させたクロワッサンがアジトに戻ってきた。

 しかし、アジトの雰囲気は……。

 

「もぉ~! ソラの歌聞いて元気出して!」

「「…………」」

「……何この雰囲気」

 

 ムードメーカーのエクシアが機能しないだけでこれほど雰囲気が地獄になるとは。

 

「わたしは自分の部屋に戻らせてもらう」

 

 テキサスは身だしなみを整えるために、自身の宿舎に向かう。

 なぜ自分が身だしなみを整えようとしているのかは理解できなかったが、とにかく、ドクターが来るならそうするべきだと体が動いていた。

 

「……あはは~、おかえりクロワッサン! アップルパイ焼いてあげよっか!」

 

 強がり。だが、クロワッサンとソラはそれを指摘するほど子供ではなかった。

 

 

 

【ロドス】

 

 

「ドクター、本日はペンギン急便との契約確認で21:00から龍門に向かいますので、くれぐれも忘れないようにしてください」

 

 ロドスでの騒動もほとぼりが冷め、各オペレーターの間にも落ち着きが戻ってきた。

 もっとも、それはオペレーターの間だけであり、私は後始末に追われ、依然として多忙を極めていた。

 

「アーミヤ、この後はライン生命と会合があってな……」

「……ドクター。わたしは後始末を手伝っているのに、サイレンスさんの所に行くんですか?」

 

 例の騒動以来、私に対しての当たりが強くなっている気がする。

 まぁ、当然と言えば当然なのだが……。

 

「いや、何でもない……」

「はい。それでいいんです」

 

 ペンギン急便との契約確認。皇帝と会うのか……。

 少し神経を使うから面倒だ。それにエクシアと会うのは気まずいのだが……。

 

「……ドクター。テキサスさんへの謝罪を忘れないで下さいね」

「……はい」

 

 ロドスの施設設備のほとんどは復旧したが、ケルシーは研究室に引きこもっているらしい。

 龍門に行くまで時間があるから様子を見に行くか。

 

 

【連絡通路】

 

 アホみたいに長い通路を歩く。

 ある程度は元通りになったが、それでも各所には生々しい傷跡が見られ、かつての争いの激しさを物語っている。

 

「ひ~~ん、何でそんなに速くできるの~??」

「…………手先の器用さには自信がある」

 

 通路の修復が終わっていない場所にはアンジェリーナとシラユキがいた。

 どうやら、作業が終わっていないアンジェリーナの手伝いをしているようだ。

 

「……アンジェリーナ、大丈夫か?」

「えっ!? ドクター!? なんでここにいるの!?」

 

 いきなり話しかけたものだから驚かせてしまった。

 見たところ、こういう精密な作業はあまり得意ではないらしい。

 

「この先に用事があってな、その……すまない。私が巻き込んでしまったばかりに……」

「なーにいってるの! わたし達はドクターを信じて自分から行動したんだよ?」

「……我々は各々の意思で行動した。たとえ御身に止められたとしても、我々は動いていた」

「シラユキちゃんの言う通りだよ! みんな後悔なんてしてないよ!」

 

 彼女らは本当に良い子たちだ。

 将来、乙女心を理解できない男に騙されなければいいのだが……。

 

「……ありがとう。落ち着いたらこの恩を返させてほしい」

「ん~? じゃあ今度お部屋行くから! キレイにしといてね!」

「御身の財布で寿司が食べたい……」

 

 ある程度アンジェリーナの手伝いを済ませた後、私は2人に別れを告げ、研究室に向かう。

 ケルシーがいつまでも引きこもりのままだと困る人もいるのでな。

 

 

 

【ケルシーの私室兼研究室】

 

 

 ケルシーの私室兼研究室に向かうと、見知った顔が現れた。

 赤いフードにグレーの髪。装備したナイフは見る者に狼の牙を連想させた。

 

「ドクター、ケルシーは誰にも会いたくないって言ってる」

「そうか。私はケルシーだけに会いたいんだがね」

 

 部屋の中から物音が聞こえる。急いで片づけでもしているのだろう。

 よほど爛れた生活を送っていたようだ。

 そんなことを考えていると、レッドから話しかけられる。

 

「ドクター、その、日記の件、申し訳なく思っている」

「……? なぜレッドが謝るんだ? アレは私とケルシーが起こした問題だから謝罪するのは私の方なのだが」

「レッド、日記の内容、知っていた。あの時教えていたら、こんなことにはならなかった」

 

 どこも反省する部分は無いと思うが、今まで命令に従うだけだったレッドにも、何か変化があったのか。

 私は今回の騒動の悪い点ばかり見ていたが、このような点もあったとは。

 怪我の功名とはよく言ったものだ。

 

 しょぼくれているレッドの頭を手のひらでぐしゃぐしゃにする。

 

「うっ。レッド、撫でるなら、もっと優しく」

 

 私は黙って手を動かす。

 ループス族は信頼している人に頭を撫でられるとご機嫌になり、次第に蕩けていくのだ。(ラップランドとテキサスで調査済み)

 

「んぁっ……。ドクター、ケルシーより上手」

 

 目を半開きにし、口をだらしなく空けて体を震わせているレッドを尻目に、私は後方の扉のロックが解錠されるのを確認した。

 

「すまないレッド。ケルシーがお呼びのようだ。先を急がせてもらうよ」

「あっ……。なら、レッド、宿舎に戻る。また、来て」

 

 ふらふらのレッドに手を振り、姿が見えなくなったタイミングで扉を開ける。

 そこには、かろうじて歩くスペースが確保されたような酷い惨状の部屋が出現した。

 

「…………人の部屋の前で逢引か。まさかそこまでだったとはな」

「ケルシー……。ッ!? ケルシーなのか!?」

 

 出迎えてくれたのは髪がボサボサで、深淵のような隈を持つナニカだった。

 散らかり放題の部屋を見る限り若干の覚悟はしていたが、まさかここまでとは……。

 あと目のハイライトが消えてて本物(ヤンデレ)みたいなんだが。

 

「……ドクター。私を笑いに来たのか……。しかし、もう日記は焼却したぞ……」

「い、いや。精神的に参っていると聞いたのでな……。無事かどうかを確認しに来たんだ」

 

 日記の全文公開がかなり効いたのだろうか。

 ロドスの牙である彼女は子犬にまで成り下がってしまったようだ。

 

「…………優しいのだな。だが、その優しさはわたしだけに向けたものではないのだろう? 昔の君はわたしだけを心配してくれたのだが、現在はどうだろうか。誰彼構わず接触し、思わせぶりな態度を取ったと思えば他の娘の所に向かいの繰り返し……。誰にでも平等に接するというのは確かに君の長所だ。感染者が多く集まるこのロドスにおいて評価するべき素晴らしいことなのだがね? それでも……女性というのは大切な人からの寵愛を一身に受けたいと思う生物なのだ……。遊び人の君からしたら面倒極まりないことを発言している事は自覚している。しかし、しかしだね。仕方がないことではないか。わたしも完全な生物ではないのだから……。それともアレか? 君はわたしのことを女性として認識していないのかね? Wのように、君もわたしのことを怪物だと思っているのかね? 最終的にはケルシーが何とかしてくれるだろうなんて思っているんじゃないか? わたしは君に頼られるなら何だって構わないが、それならわたしは誰に頼ればいい? このロドスの切り札として温存されているわたしは誰に助けを求めればいいのだ……。君だけが、わたしのよすがだった。暗く、寒く、痛みが押し寄せる闇の中でも、君の声を聴くだけで救われたのだ……。そういえば、君は昔からWとすれ違う時にいつも胸を見ているな。やはり君も好きなんだな。大きい方が。なに、別に恥じることではない。むしろ君も男性なんだと安心したところだ。生憎わたしの肉体はお世辞にも魅力的とは言えないが、手術に関しては自信があるのでね、君の望む姿になってみせよう。…………必要ない? それでもわたしは、前のように君にとっての唯一無二の存在に戻りたいんだ……。皆、君にとっての大切な存在なろうとしている。ならば、わたしにだって少しはいいじゃないか。…………幻滅したか? わたしも必死なんだ。日を追うごとに君が遠くに行ってしまう。どんな時でもわたしの隣にいた人が、遠いところでわたしを忘れて笑っている。その事実がどれほどわたしを苦しめたか……。狂わなかったのは、あの日記がわたしの逃げ場だったからだ。……それも皆にバレてしまった。皆は笑っていたか? 憐れんでいたか? 蔑んでいたか? その全てを受け入れよう。…………所詮わたしはロドスという大志の裏で、かつての恋を忘れられなかったがために、狂ってしまった醜い女なのだよ……。

 …………もう楽になりたい。これからはわたしの事はいないものとして扱ってくれ。作戦立案にも口を出さない。用があればレッドを介して伝えてくれ。…………頼む、これが最後の我儘だ…………」

 

 

 

 …………彼女をここまで追い込んだのは私の責任である。

 これが、彼女が日記を隠そうとした本当の理由。

 今回ばかりは真面目にならなければならない。つまり覚悟を決めよう。

 彼女の思いを受け止める覚悟を。

 

「…………近づくな」

 

 言葉は無粋。

 

「……やめろ」

 

 抱きしめるだけでいい。

 

「……やめてくれ」

 

 彼女が一番求めていることをすればいいのだ。

 

「…………もう夜に泣きたくないんだ」

「ならば、共に眠ればいいじゃないか」

 

 彼女は、ひとりで頑張りすぎたのだ。

 

「…………おまえは卑怯だ」

 

 分かっている。

 

「……そんなことを言われたら」

「…………許してしまうじゃないか」

 

 彼女は、私の胸で叫んだが、涙は出ていなかった。

 出せなかったのである。

 今日、私に抱きしめられるまでに、とうに涙は枯らしてしまったようだ。

 

 やがて、眠りに落ちていった……。

 

 

 

「ドクター、わたしにとって、ケルシー先生は母親のような存在なんです。本人の前では恥ずかしくて言えませんが……。ペンギン急便にはわたしとグレースロートさんで向かいますので、ドクターはケルシー先生の傍にいてくださいね?」

「……ありがとう。アーミヤ」

「でもペンギン急便には後日行ってくださいね?」

「…………」

 

 

 

【ペンギン急便客間】

 

「……ロドスのドクターが来るって聞いていたんだが?」

「ドクターは緊急の要件で来ることが難しくなりました」

「代役のグレースロートです。本日はよろしくお願いいたします」

 

 ペンギン急便のアジトの客間。

 客間と言っても形式的な名前が付いているだけであり、その実態は壁にはポスター。テーブルには落書き。菓子の代わりにアップルパイといったような、とんでもないものであった。

 

「それで、テキサスさんの怪我の件なのですが……」

「ヤメだヤメ! ドクターが来ねぇなら面白くならねぇ。契約は続行で構わねえよ」

「…………え?」

 

 そう言って話題を一刀両断したサングラスのペンギンは、アップルパイを豪快に齧り、ため息をついた。

 

「そもそもだ。人が誰かの為に命燃やしたってのに、あんたらは何だ? 契約だ? 説明責任だ? くだらねぇ! 名誉の負傷を罪にしようだなんて、そんなのHIPHOPじゃないだろ? だからこの話は終わりだ」

「……それで決めていいんですか?」

「あぁ。男に二言はねぇし、吐いた唾も飲み込まねぇ。そしておもてなしも忘れねぇ。良いレストランとホテルを予約してある。龍門を満喫してから帰るがいいさ」

 

 男とかそれ以前にペンギンだろとグレースロートがツッコミを入れようとしたが、アーミヤに静止された。

 

「安心してくれ、エントランスで『皇帝の紹介で来た』って言えば全部タダになるぜ。最高級の飯とベッド。存分に龍門を楽しんでくれ!」

「あ、あの……!」

 

 そう言い放ったペンギンはアップルパイを口に放り込み、部屋を飛び出したかと思うと2度と戻ってくることはなかった。

 あまりの展開にアーミヤとグレースロートは口を空けることしか出来なかった。

 

 

 

【ペンギン急便アジト】

 

 1人のループスがせわしなく部屋を回っている。

 

「…………遅い」

 

 時間になっても現れないロドスからの使者を気にしているようだ。

 そこに、1匹の、いや、1人のペンギンが現れる。

 

「ダメだテキサス。ドクターはロドスでお留守番みてぇだ。まったくバイブス上げて損したぜ」

「そうか。それなら仕方がないな」

 

 あくまでも冷静に。動揺を見せたら皇帝に悟られてしまう。

 そうテキサスは考えながら、化粧を落とすために宿舎に向かう。

 

「テキサス? なんでそんな顔をしているんだい?」

「……ラップランドか」

 

 テキサスはラップランドの事が苦手だ。

 特に今日のような日に絡まれると面倒を越えて怒りの感情が渦巻くのであった。

 

「別にどうということはない」

「噓だね! 僕が当ててあげよっか!」

「……不要だ」

 

 皇帝はアジト内での戦闘を特に規制していないが、現在のテキサスは得物を持っていなかった。

 

「ドクターに会えなくてガッカリしてるんでしょ? 僕には分かるよ。だって僕も君みたいな顔するからね!」

 

「黙れ」

 

「その右腕の傷、治療してないみたいだけど痕になっちゃうよ? それとも……」

 

「黙れ」

 

「彼のために戦った傷を残したいのかな?」

 

「黙れ!!」

「アッハハハ!? 正解だったかな? テキサス、君はドクターが関係すると途端に分かりやすくなるねぇ」

 

 もうすぐで宿舎に到着する。得物さえあればこんなループス、歯牙にも欠けぬというのに。

 

「テキサスが知らないこと教えてあげよっか。君はね?」

「やめろ」

「ドクターに恋してるんだよ?」

 

 ほんの小さな一突き。しかし、テキサスに致命傷を与えるには充分すぎた。

 

「違う!! わたしはただ、ドクターが……!!」

「ドクターが…………なに?」

「彼のことなんて、どうも思っていない……」

 

 大いなる隙。狼の前で寝るものはいない。

 なぜなら喰われると知っているから。

 しかし、この時のテキサスには正常な判断が出来ていなかった。

 

「そーなんだ……。テキサスはドクターのこと好きじゃないんだ。じゃあこれで僕は安心してドクターと同衾することができるね! 丁度対抗馬が1人消えたんだからね!!」

「ッ!! 貴様!!」

「え? テキサスには関係ないでしょ? 僕は本気なんだから」

 

 とっくの前に宿舎には到着している。

 しかし、今ここでラップランドを切ったところで、一体何が残るというのだ。

 

「……ドクターには近づくな」

 

 

「……へぇ? 理由、聞いてもいいかい?」

 

 

「言葉など無意味。どうしてもだ」

 

 

「僕は本気だから。君と違ってね? ……もしそれでもドクターと結ばれようっていうなら」

「もっと上手にやらなきゃだめだよ?」

 

 それは彼女が最も理解している。

 急ぎすぎて失敗した者を知っているから。

 

 

「わたしは……エクシアとは違う……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ロドス 23:00】

 

 ケルシーの生き恥はロドスのデータベースから完全に消去された。

 次の殲滅作戦の頃には、内容を憶えている者もみな忘れるだろう。

 

 

「……ケルシー、もう少し離れて寝ないか?」

 

 

「…………断る」

 

 

 




最初の10行ぐらいまではテキサスさんを中心にするつもりでした。
テキサスさんとラップランドさん、どちらが好きかと聞かれたら、

モスティマさんが好きです(天下無敵)


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取扱説明書(前衛オペレーター)

前回がアレでしたので、今回は軽い感じにします。


 【ロドス】

 

 ドクターが1人でペンギン急便に行った後日。

 執務室にはドクターと、1人のオペレーターが向かい合っていた。

 

 「ドクターの論文を色々調べていたんですけど、やっぱりスゴイですね・・・。」

 

 そう言った少女の名はエイヤフィヤトラ。

 ドクターとは違う分野の学者だが、各方面の知識を意欲的に修得しようとする天才の卵である。

 

 「ん?あぁ、まぁ、時間さえあればいくらでもできるさ。」

 

 この男、記憶を失ったくせに博士としての能力は失っていなかったのである。

 

 「もしよかったらなんですけど、わたしにご教授お願いしてもよろしいでしょうか?」

 

 

 「あぁ。断る理由もない。ぜひ協力させてくれ。」

 

 そう言って快諾したドクターの口元はニヤリと歪んでいた。

 

 「・・・そうだ。エイヤにだけ秘密の研究を見せてあげよう。」

 

 

 「えぇ!?いいのですか?」

 

 驚いているエイヤフィヤトラを放置し、ドクターは引き出しからディスクを取り出す。

 

 

 

 

 【メランサ族について】

 

 

 

 

 こんにちは、ドクターです。

 本日は皆様に集まっていただき、本当にありがとうございます。

 今回は、このロドスに生息しているメランサ族について、解説をしていきたいと思います。

 

 

 

 「・・・ドクター?なにをしてるんですか?・・・」

 

 彼女はメランサ、今となっては非常に珍しいメランサ族の原種です。

 特にこれといって象徴すべき特徴はありませんが、特徴が無いからこそどんな所にも対応できるオールラウンド性を発揮してくれます。

 

 「あの、そんなにカメラを向けられると、恥ずかしいです・・・。」

 

 メランサ亜種には見られない、原種特有の習性もあります。

 それは、戦闘の面では非常に強力な力を発揮してくれますが、日常の面では自己主張が控えめというポイントです。

 くれぐれも、自分に懐いていないと勘違いしないように気を付けてください。

 

 それでは、メランサと触れ合ってみましょう。

 

 「・・・ドクター?どうしたんですか?」

 

 

 「うぅっ・・・。急に撫でないでください・・・。」

 

 口では抵抗していても、耳が垂れ込んでいる場合は悪く思っていない証拠なので、続行して頭を撫でましょう。

 毛を逆立て、睨みつける仕草を取った場合は、まだ懐き度が足りていないので、撫でることを中止し、餌付けから始めてみましょう。

 

 「これ・・・。わたしにくれるんですか?・・・ありがとうございます。」

 

 

 「おいしいですね。このクッキー・・・。」

 

 

 「えっ・・・。オリジムシクッキー・・・?」

 

 メランサ原種の多くは食べ盛り、育ち盛りなので、ジャンクフードの大量摂取は控えるようお願いします。

 でないと、健康な食品に手を付けず、ジャンクフードばかり食べるようになり、ヤンキーメランサに成長してしまうかも知れないからです。

 

 「今度A4のみなさんと出かけるんですけど、ドクターも・・・どうですか?」

 

 さらなる戦闘特化メランサを育てたいのなら、行動予備隊A4と一緒に育成するといいでしょう。

 基本的な事は何でもできる素質を持っていますが、かなり執着する性格を持つ個体が多いので、気に入ったものは奪わないように気を付けましょう。

 

 また、メランサを可愛がり過ぎると、自分は特別な存在だと思い込み、他のメランサ族を敵視するようになるので、そこの線引きも重要になります。

 

 

 

 

 次に紹介するのは、オオカミメランサ。通称ラップランドです。

 

 彼女はメランサとよく比較対象にされます。大きな違いはやはり攻撃範囲と特性でしょう。

 ラップランドは、オオカミとしての能力を備えているため、戦闘において、敵の能力を無力化することができます。

 敵を殲滅する姿は恐怖そのものですが、彼女も女性ですので、仕事を終えた後はたくさん褒めてあげましょう。

 それでは、ラップランドと触れ合ってみます。

 

 「やあ、ドクター。また会ったね。12分と34秒ぶりかな?」

 

 

 「珍しいね、ドクターがカメラを持ってるなんて。ちょっと貸してよ!」

 

 ラップランドは破天荒な部分があるので行動に振り回されないように気を付けましょう。

 

 「・・・ちょっと、いきなり撫でるのは紳士じゃないよ。髪が崩れるじゃないか。」

 

 

 「ちょっと、ちょ、ちょ、・・・・・・うっ、上手だね。ドクターは。」

 

 

 「そうやってテキサスも虜にしてるのかい?」

 

 

 「ドクター?聞いてるのかい?ドク、ちょ、待っ・・・んぁ・・・。」

 

 

 「・・・・・・ドクター、人がいないとこ。行こっか・・・。」

 

 やりすぎると発情するので引き際を弁えましょう。

 また、ラップランドは他の個体と協調的な関係を築くことが判明しており、誰とでも友好な関係を構築することができます。

 

 しかし、テキサスと同じ空間に2人きりにすることはオススメできません。

 なぜならラップランドはテキサスの事が大好きだからです。

 また、損害賠償請求が恐ろしいのなら、ラップランドとレッドを近づけないようにしましょう。

 ここに、ラップランドとテキサスの仲睦まじい様子を捉えた記録があります。

 試しに見てみましょう。

 

 

 『ラップランド。ドクターに何をした。』

 

 

 『何ってもちろん。ナニに決まってるじゃん!アハハハハ!?』

 

 

 『斬る!!』

 

 

 『アハハ!!冗談だよ冗談!・・・今のところはね!!』

 

 

ガギイイイイン・・!!! ガアン!!

ドガアアアアン・・・!!! アハハハハハ!!!

 

 

 ね?仲良しでしょ?

 

 

 

 

 続いて紹介するのは、デンノコメランサ。正式名称はスペクターです。

 黒の修道服に身を包んだ彼女を戦場に配置したら、まず敵の返り血が服に付くことの心配をすることが大切です。 

 そして、彼女の個体はかなりの確率で宇宙の電波を受信しているので、彼女の話す秘密を聞いてしまうと発狂してしまう可能性があります。

 存分に気を付けましょう。

 

 デンノコメランサの最大の特徴は、やはりその武器でしょう。

 戦場にて、彼女の前に立った者は何人で来ようとまとめて3枚におろされてしまいます。

 あまりにも惨いものを見たくないのなら、エリートメランサ(ブレイズ)や、脳筋メランサ(スカジ)を代わりに編成に組み込むことをオススメします。

 

 また、デンノコメランサをデートに誘う際は、海や地底、空に関係する場所は提案しないようにしましょう。

 なぜなら、宇宙は空にあるからです。たしかに秘密は甘いものですが、墓暴きは感心されないことがほとんどだからです。

 それでも宇宙を彼女と共に見たいというのなら、獣の病を克服する必要があるので、メランサ亜種初心者の方には難しい個体でしょう。

 

 

 

 

 次に紹介するのは、最も人気がある真銀斬メランサ。またの名をシルバーアッシュ。

 彼はオオカミメランサ、ラップランドと比較されることがありますが、最も評価されるべき点はやはり真銀斬を発射することができる点です。

 困ったら彼に頼るといいでしょう。目視できる範囲の敵を瞬く間に真っ二つにしてくれます。

 

 しかし、そんなメランサの上位個体にも弱点があります。

 それは、幼き頃に仲互いした妹の存在です。

 なので、彼と行動を共にする際は、彼の妹と出会わないように気を付ける必要があります。

 ここで、彼とその妹が通路ですれ違った際の様子を見てみましょう。

 

 「やはり、今回の作戦は術師オペレーターの人数を増やすべきだ。狙撃オペレーターの負担が大きすぎる。」

 

 

 「しかしだな、シルバーアッシュ。それでは危機契約の編成条件に引っかかってしまうぞ。」

 

 

 「だが、ドクター。作戦失敗では元も子も・・・・・・。」

 

 

 「どうした?シルバーアッシュ。・・・あっ・・・。」

 

 

 『・・・ごきげんよう。ドクターに、祝福を。』

 

 

 「あぁ・・・。ごきげんよう・・・。」

 

 

 「・・・・・・。」

 

 

 『・・・・・・フン。』

 

 

 このようになります。

 

 

 

 

 最後に紹介するのは、ツチノコメランサ。インドラです。

 当ロドスで最後に確認されたのは、11カ月前。その生態は謎に包まれており、ヴァルカンと共に希少種と呼ばれています。

 インドラの所在を調査するべく、我々はアマゾンの奥地に足を踏み入れました。

 しかし、手に入れたものは、シージと仲が良いということだけでした。

 

 当ロドスではインドラ、ヴァルカンの情報に懸賞金をかけることに決定しました。

 なお、懸賞金はミッドナイトの財布から出されます。

 

 

 

 

 今回紹介したのはほんの一握りのメランサですが、世界には151匹のメランサが生息していると言われています。

 みなさんも、自分だけの相棒を連れてメランサ図鑑を完成させる旅に出てみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 【執務室】

 

 メランサの生態について調査したビデオをエイヤが必死になって見ている。

 深夜テンションで制作したジョークビデオなのに、メモまで記入しながら見られると、ネタ晴らしの時が怖くなってくる。

 

 「・・・どうだ。エイヤ。これが私の秘密の研究だ。」

 

 

 「スゴイですドクター!!メランサさんにこんな秘密があるなんて知りませんでした!」

 

 何とか騙せたようだ・・・。もしこのビデオがメランサにでもバレたら疑似真銀斬をかまされてしまう。

 エイヤが真面目ちゃん。もといアホの子で助かった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なんて思う訳ないじゃないですか!バカなんですか!?」

 

 ダメだったか・・・。

 

 「メランサさんに失礼だと思わなかったんですか!?シルバーアッシュさんの部分は何も文句ありませんけど!!」

 

 メランサにチクられて、アーミヤの耳に入ったらまた怒られてしまう!

 ようやく落ち着いた日々が送れると思ったのに!

 

 

 「・・・メランサさんにチクられたくないですか?」

 

 

 「・・・え?アッハイ。」

 

 

 

 

 

 「じゃあ、わたしの言うこと・・・なんでも聞いてくださいね??」

 

 

 エイヤフィヤトラも、アーミヤと同じタイプだったか・・・。

 

 

 

 




もう2回ぐらいふざけます。ご容赦ください。


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暗号化(フィリオプシス)

フィリオプシスさんとサイレンスさんのどちらを選びますか?と聞かれたら

私はシャイニングさんを選びます。


 いつからだろうか。

 日常のなかで視線を感じることは多々あったが、それが日に日に増している気がする。

 たとえそれが事実であったとしても、自惚れていると思われたくないが為に他人に相談することが出来なかった。

 

 

 【ドクターの私室】

 

 「・・・・・・。」

 

 自分しかいない空間なのに不思議と居心地が悪い。

 それに悪寒もする。

 風邪でも引いたか?しかし、風邪特有の息苦しさは感じられない。

 

 「・・・疲れているのか。」

 

 そう結論付けた私は、とりあえず体に良い物を摂取した後に寝てしまおうと考えた。

 アーミヤにどやされたらベットに引きずり込んで風邪を移してやろう。

 

 「とにかく、食堂に向かわなければ・・・」

 

 体に異常がある時はビタミンを取り込めば何とかなると古事記にも書いてあるのだ。

 それとも、グムにここまで持ってきてもらうか?

 いや、そんなパシリのような真似をしてズィマーにでもバレたら大変なことになる。

 

 

 

 【食堂】

 

 「ドクター!グムの料理、食べに来てくれたんだね!」

 

 食堂に到着した途端に元気よく話しかけられる。

 この少女はどんな時でも明るいのだ。

 

 「あぁ・・・。とりあえず、美味しいものを作ってくれ・・・。」

 

 グムの笑顔は疲労困憊の私にとっては、少し眩しかった。

 

 「うん!ちょっと待っててね!すぐに持ってくるから!」

 

 毎度のように席に座る。そうすると、どこからかオペレーターがやってきて、私に話しかけるのだ。

 何度も何度も食堂に通っていると分かるようになってくるのだ。

 さて、今回は誰が来るのか・・・。

 

 「こんにちは、ドクター。この時間に食堂にいるなんて珍しいね。」

 

 

 「あぁ・・・。こんにちは、サイレンス。ちょいと風邪気味なんだ。」

 

 これは珍しい。てっきり訓練を終えた行動予備隊のメンツが来ると思っていたが、まさかライン生命とは。

 ・・・風邪気味だなんて言わない方が良かったか?

 

 「そう?元気そうに見えるけど・・・。心配なら検査しようか?」

 

 

 「いや、食べて寝れば、明日には楽になってるさ。なにも心配することじゃあない。」

 

 普段から研究に勤しんでいるサイレンスにとって、暇な時間というのは大切な休息に使うべきだ。

 ただでさえ、彼女はイフリータの相手もしなければならないというのに。

 

 「そうか。それなら問題ないか・・・。」

 

 

 「あぁ、心配かけてすまないな。」

 

 サイレンスの視線がせわしなく動いている。

 この後の展開も予想できる。

 サイレンスは言葉に詰まると焦点が迷子になるのだ。ちなみにイフリータが教えてくれた。

 

 「・・・やっぱり、検査・・・するべきじゃない?」

 

 

 「いや、今日は遠慮しておくよ。サイレンスに風邪を移す訳にもいかんからな。」

 

 事実として、彼女は普段から多忙を極めている。

 だからこそ、私が彼女の手を焼かせるなんてことはあってはならないのだ。

 

 「もしかしたら・・・鉱石病の予兆かもしれない。だったら早く検査しないと。」

 「いや、そんな話は聞いたことないが・・・。」

 「いや、だって、ホラ。・・・ね?」

 

 かなり厳しいゴリ押しだ。

 彼女がここまで押してくるなんて、何か理由があるのか?

 

 「そうか。そこまで言うのなら、ライン生命の厄介になろうかな。」

 「そっか。・・・ありがとね、ドクター。」

 

 挨拶がてらイフリータにでもちょっかいをかけに行ってもいいかもしれない。

 ・・・サリアとサイレンスの関係はまだ複雑だが。

 

 「おまたせドクター!グム特性、ベーコンエッグだよ!サイレンスさんの分もあるからね!」

 「あ、あぁ。ありがとう・・・。」

 「あっ!お金はドクターが払うんだよ?分かった?」

 

 まぁ、分かっていたが・・・。

 やはり食堂に来ると出費が多くなってしまうな。少し、来る回数も考えなければ。

 

 「サイレンス。私の奢りだ。ゆっくり食べてくれ。」

 「ドクター、最近優しくなった気がする・・・。」

 

 そんなこんなでサイレンスと話しながらグムの笑顔を見てご飯を食べる。

 両手に花とはまさにこのことである。

 

 

 

 【研究棟 ライン生命】

 

 サイレンスの勧めでライン生命の研究室を訪れる。

 隠しきれない薬品のにおいが鼻をくすぐる。

 これは・・・アロマか?

 

 「まぁ、適当にくつろいでて。」

 「あぁ、ここに座らせてもらうよ。」

 

 サイレンスから出された水。

 何の変哲もないただの水なのだが、ライン生命の研究室で出されたというだけで怪しく感じる。

 

 「・・・・・・。」

 「・・・なぁ、サイレンス。私の顔に何か付いてるか?」

 

 どうやらサイレンスは研究室を自宅のように扱ってほしいようだ。

 招かれた側の私がなぜ気を使わなければならないのか・・・。

 

 「別に、しんどかったら横になってもいいから。」

 「横にって、ここにか?」

 

 そう言われて提示されたのは手術台。

 流石に怪しすぎるぞサイレンス。

 

 「もしかしてだがサイレンス。私を解剖しようとしているのか?」

 「そんなまさか。疲れ切っている苦労者同士、仲良くしようって思っただけだから。」

 

 このロドスには不器用なオペレーターが多すぎる。

 特に彼女は人付き合いが苦手なようだ。

 ・・・研究者は皆そんなものだと思うが。

 

 「ドクターには、いつもお世話になってるから。・・・イフリータが。」

 「遊んでるだけだがな。私の方こそライン生命の仕事ぶりには感謝している。」

 

 事実として、元ライン生命のメンバーはロドスの作戦任務において、ただならぬ存在感を放っている。

 イフリータを筆頭として、サイレンス、メイヤー、マゼラン。そしてフィリオプシス。

 このオペレーター達ならレユニオンの幹部にも対等に渡り合えるはずだ。

 

 「さ、テレビでも見ながらお菓子でも食べようか。」

 

 サイレンスが医療ドローンを設置し、私の隣に座る。

 妙に近い気もするが、悪い気はしない。

 

 「・・・この菓子、おいしいな。」

 「当然。わたしたちが作ったんだから。」

 

 テレビに映る龍門アイドルを見ながら、ペンギンの形のクッキーを齧る。

 形が不細工で塩辛いクッキーはイフリータが焼いたものだろうか。

 

 決しておいしいとは言えない物が多いが、食べていると心が温かくなる。

 

 「マゼランとイフリータはクッキーを焼くのが初めてだったんだ。フィリオプシスは生地を作る時に寝てしまうし、メイヤーはベタベタの手で機械整備をしようとするし、本当に大変だったよ。」

 「それは、災難だったな・・・。」

 「・・・うん。みんな作るの初めてなのに自分が一番多く作るって言って聞かなくてね。ホントに大変だったよ。」

 

 そう言ったサイレンスの口元は綻んでいた。

 もしそこにサリアが居たのなら、彼女の顔ももっと穏やかになっていただろうか。

 

 「サイレンスは、優しいんだな・・・。」

 「わたしは、失いたくないだけかな。傷つきたくないから、傷つけないようにしてるのかも。」

 

 サイレンスの顔は微笑を浮かべていたが、その瞳は悲哀に満ちていた。

 自虐しているのである。

 

 「私はどんな理由があろうとも、君が悲しむ顔は見たくないがね?」

 「・・・ホントに、そういうところだよ。ドクター。」

 

 クスクスと笑うサイレンス。歌って踊る龍門アイドル。

 2人の立場に大きな違いがあれども、その笑顔の形だけは変わらなかった。

 

 願わくば、彼女の笑顔が一時的なものでないことを祈る。

 しかし、残酷にもその願いはすぐに破られてしまった。

 

 「おーい!サイレンス!メシ食いにいこーぜ!」

 「・・・室内からドクターの生命反応を感知。サイレンスに説明を求めます。」

 

 サイレンスの顔が一瞬にして歪む。

 イフリータがニヤニヤしながらサイレンスに擦り寄る。

 

 「なぁ~サイレンス?コイツと何しゃべってたんだ?ん?」

 「警告。ドクターに対して、現状の説明を求めます。5秒以内に回答しないならフィリオプシス、自爆します。」

 「・・・はぁ。」

 

 静謐な空間が一気に騒がしくなる。

 サイレンスは何かを言おうとしていたようだが、イフリータたちによって遮られてしまう。

 

 「・・・イフリータ、ちょっと話をしようか。フィリオプシス。」

 「・・・!!サイレンスの言葉を伴わない圧力を感知。ドクターを連れて退室します。」

 

 背筋を伸ばしたフィリオプシスに連れ出されて、私は半ば強制的に退室させられる。

 ライン生命の問題に口出しするつもりはないため、大人しく従う。

 私はイフリータとは違うからな。

 

 

 

 【連絡通路】

 

 

 アホみたいに長い通路を歩く。

 フィリオプシスは依然として沈黙を保ったままである。

 

 「・・・フィリオプシス。私たちはどこに向かっているんだ?」

 「無論。フィリオプシスの部屋ですが。」

 

 即答。ここまでハッキリされるとむしろ気持ちが良い。

 サイレンスのおかげである程度体調は回復したが、それでも疲労感は誤魔化せない。

 

 「もしかしたら、サイレンスさんから聞いたかも知れませんが、フィリオプシスからも伝えたい事があります。」

 「そうか。それならゆっくり話した方がいいな。」

 

 どこだって良いような気もするが、大人しく付いていこう。

 フィリオプシスだって暇ではないはずだ。

 ・・・私が暇つぶし相手にでもなれたらいいのだが。

 

 「・・・ドクターの口数の減少を確認。体調が悪化しましたか?」

 「いや、そんなことはないが・・・。心配かけてすまない。」

 

 医療オペレーターの宿舎に到着する。

 毎度思うことだが、この一帯の雰囲気は病院を歩いている気分になる。

 

 「あら。フィリオプシスちゃん?ドクターくんもいるなんて珍しいわね。」

 「こんにちは。ドクターを自室に招きます。騒がしくする予定なので、クレームはサイレンスさんにお願いします。」

 

 廊下に植木鉢を出していたパフューマーに話しかけられる。

 フィリオプシスとは部屋が隣同士のため、仲が良いのだろうか。

 

 フィリオプシスが冗談を言い、パフューマーが相槌を打つ。

 オリジ二ウムによる生活障害を感じさせない暮らしぶりをしていて私は感動しているぞ。

 ・・・ギャグセンスはイマイチだがな。

 

 「フフフ?フィリオプシスちゃんも意外とやるのね。」

 「当然。フィリオプシスはデキる子なので。」

 

 不自然な笑顔を浮かべるパフューマーに手を振られながら、フィリオプシスに部屋に押し込まれる。

 パフューマーとは逆に、フィリオプシスは鬼気迫る表情をしていた。

 

 「・・・適当に座っていてください。今、お茶を入れてきます。」

 

 少女らしさを感じられない部屋だった。

 雑多に積まれたノートブック。何語で書かれているか分からない本が並んでいる。

 研究者ですと言わんばかりの内装。インテリアなどは見られない。

 

 綺麗にまとめられているように見えるが、生活感が感じられない。

 

 「ドクター。フィリオプシスの日記が気に入りますか?」

 「いや、すまない。女性の部屋をジロジロ見るなんてデリカシーに欠けていたよ。」

 「フィリオプシスの日記には、見られても困る内容は記入されていません。・・・ケルシーさんと違って。」

 

 ケルシーとサイレンスが喧嘩したからか、ライン生命の皆様はケルシーの事をあまり快く思っていないようだ。

 というか、ケルシーは色んな方面にケンカ売り過ぎなんだよ。

 

 「ドクター。他の女性の事を考えていませんか?」

 「・・・申し訳ない。しかし、話というのは一体何なんだ?」

 

 露骨に話を変えて本題に入る。

 ライン生命とロドスの関係の話ならサイレンスも交えて話すのが当然だろうが、フィリオプシスとだけの話となると、個人的な話なのだろう。

 

 「単刀直入に言います。ドクター。フィリオプシス達の研究グループに加わりませんか?」

 「・・・ほう?」

 

 予想外だった。まさかのヘッドハンティングとは。

 しかし、私はその勧誘を快諾できるほど弱い立場ではない。

 それに正確に言うと私は医者(ドクター)ではなく、博士(ドクター)なのだ。

 

 「悪い話ではないと思います。きっと、サイレンスさんも喜びます。」

 「確かに悪い話ではないのだが・・・。博士家業に専念する以前に、私は指揮官なのでね。落ち着いたら検討させてもらうよ。」

 「・・・なぜですか?」

 

 フィリオプシスが瞳を開けて質問する。

 彼女は脳のキャパシティーをオーバーする事態が発生した時、瞳孔を開ける癖がある。

 

 正確には癖というよりも、オリジ二ウムの影響なのだが。

 

 「なぜと言われても、非常に魅力的な勧誘だということは理解しているよ。だからこそ、考える時間をくれないか?」

 「・・・承諾。フィリオプシスはドクターの快い返答を期待しています。」

 

 失礼な言い方なのは承知だが・・・。フィリオプシスは時々何を考えているのか分からない時がある。

 今回がその例だ。

 私を元ライン生命のハイパーインテリ集団に加えた所で何かが変わるとは思えないんだが・・・。

 

 「フィリオプシス。無粋な質問をしてもいいか?」」

 「構いません。ハラスメントと判断できる質問には答えかねますが。」

 「私を勧誘した理由はなんだ?」

 

 常識的に考えて私を研究グループに入れるメリットが見当たらない。

 イフリータの取り扱いなら誰にも負けない自信があるんだがな!

 

 「・・・さぁ。なぜでしょう。フィリオプシスにも分かりません。」

 「ただ、我々にはドクターが必要不可欠だと感じたからだと思います。」

 

 私はロドスの指揮官だ。多くのオペレーターの命と、感染者の期待を背負っている。

 それと同時に私を必要とする組織も多く存在している。

 だからこそ、彼女だけの願いを聞く訳にもいかない。

 

 「そうか。それは嬉しいことだな。充分に検討させてもらうよ。」

 「・・・フィリオプシスはいつでもドクターの席を準備しています。」

 

 穏便に話を終わらせる。

 ライン生命から勧誘を受けたなんて事がケルシーにでもバレたら、どうなるかなんて分かりきっている。

 私は体調は回復したものの、依然として疲れ切った肉体を休めるために自室へ戻った。

 

 「・・・・・・ケオべを撫でてから寝るか。」

 

 

 

 【研究棟 ライン生命】

 

 

 

 2人の研究者が、手術台に腰掛けてテレビを見ている。

 正しくは1人の研究者と、その被検体だった『物』なのだが。

 

 「なぁサイレンス。アイツオレサマのクッキーうまいって言ってたか?」

 「うん。イフリータのしょっぱいクッキーも美味しいって言ってた。」

 「ああ!?しょっぱくなんかないだろ!!サイレンスのは甘すぎなんだよ!」

 

 研究棟の一室で笑いあう2人。

 言葉にトゲのある少女は白衣の研究者を慕っているようだ。

 しかし、その研究者の少女を見る瞳は、どうも悲しげな雰囲気を醸していた。

 

 「ところでよ、なんでフィリ姉はドクターを部屋に連れ込んだんだ?廊下で話した方がよかったんじゃねぇのか?」

 「まぁ、フィリオプシスにも聞かれたくないことがあるんじゃない。・・・よく分からないけど。」

 

 少女はその言葉を聞いて顔を曇らせた。

 言葉こそ荒いが、この白衣の研究者のことは仲間以上に大切に思っているらしい。

 

 「・・・サイレンスは、それ、大丈夫なのか?」

 「大丈夫って、()()()の話?」

 「いやよぉ・・・。ホラ、もしだぜ?フィリ姉とドクターが、その、そういう感じになったら、サイレンスは、

 「心配するようなことじゃない。ケルシーのことも、ドクターのことも。」

 

 少女が言い終わる前に研究者は言葉を入れる。

 心配なのか、動揺なのか。少なくとも快活ではない少女の声とは裏腹に、研究者の声は自信に満ちていた。

 

 「でもよ、フィリ姉が部屋に人を入れるなんて初めてだぜ・・・?なんかあるに決まってるって・・・。」

 「もしそういう感じになったとしても、あのポンコツ女タラシの事だし、別に何も起こらないと思う。」

 「・・・納得したぜ。サイレンスが言うならオレサマは何でもいいけどよぉ。」

 

 少女は多少の不満を残しながらも、研究者の『大人の考え』というものの前に折れた。

 しばらくして、2人がいる研究室の扉が開く。

 

 「フィリオプシス。ただいま帰還しました。」

 「おぉ!丁度フィリ姉の話してたんだよ!」

 

 研究室に3人目の研究者が戻る。

 サイレンスと呼ばれる研究者は、特に何も思わない様子で話しかける。

 

 「ドクターを連れ出してくれてありがとう。」

 「構いません。フィリオプシスもドクターに用事がありましたので。」

 「フィリ姉ぇ~。用事って何なんだ?」

 

 イフリータの質問にフィリオプシスが沈黙する。

 聞かれたくないことだったのか、返答に迷っているのか。

 研究室が静寂に包まれるほど、イフリータの好奇心は増していく。

 

 「・・・ドクターを研究グループに勧誘しました。」

 

 サイレンスが顔を上げる。

 

 「・・・フィリオプシス?詳しく聞かせてほしい。」

 

 イフリータが空気を読んで静かになる。

 

 「承諾。今ドクターという人材を手放してしまったら、きっと後悔すると思ったからです。」

 「でも、ドクターは鉱石病の博士だ。私たちのような医療チームとの科学反応は期待できない。」

 「ですが、サイレンスさんはドクターが周囲5Ⅿにいる場合、作業効率が20パーセント上昇する傾向にあります。」

 

 フィリオプシスの返答にサイレンスが顔を歪ませる。

 イフリータは研究室を渦巻く不穏な流れにオドオドしている。

 

 「結論から申し上げると、ご検討していただけるとの事です。」

 「・・・うやむやにされたんだ。」

 

 もし、ドクターを自分の陣営に引き込むことが出来れば、今後も大きな牽制になるだろう。

 ライン生命だけでなく、ペンギン急便も、カランド貿易だって、皆ドクターを求めている。

 

 その均衡が必要なのだ。

 ペンギン急便はエクシアがそれで玉砕したみたいだが、ライン生命の場合はフィリオプシスだったようだ。

 

 「サイレンス!もういいだろ!フィリ姉、遊びに行こうぜ!」

 「・・・フィリオプシスは構いませんが、サイレンスさん。よろしいでしょうか?」

 「・・・あまり無理させないでね。」

 

 

 

 

 【連絡通路】

 

 

 

 「この廊下ホント長ぇよな~。どうにかなんねぇーのか?」

 「同意。イフリータは足が短いので、余計長く感じるかも知れませんね。」

 「ンだと!?」

 

 長い廊下を2人が歩く。

 うす暗い道には白衣がよく映える。

 

 「・・・んでよ。フィリ姉、ドクターのことどう思ってんだ?」

 「質問の真意がよく理解できませんが、少なくとも悪くは思っていませんよ。」

 

 返答の後に沈黙が流れる。

 フィリオプシスの答えにイフリータは納得できないようだ。

 

 「それだけじゃないだろ?何年一緒にいると思ってるんだ?」

 「・・・分かりません。」

 「・・・あ?」

 

 普段と違う様子のフィリオプシスの姿は、奇妙を超えて異常だった。

 この問題には必ずドクターが関係している。

 そうイフリータは確信していた。

 

 「オレサマが当ててやろうか?ドクターの事が気になってんだろ?」

 

 フィリオプシスが数秒立ち止まり、また足を進める。

 

 「・・・異性として意識している訳ではありません。ですが、親密な関係になりたいと思ったことはあります。」

 「親密な関係って、答え出てんじゃんか・・・。」

 「フィリオプシスの記憶は不安定です。この気持ちが確定したという確証はありません。」

 

 サイレンスやサリアなどと比べると、イフリータの知力というのは小さなものかもしれないが、その言葉は時としてどんな刃物よりも鋭利な武器となる。

 

 「サイレンスにはバレてんだからな!フィリ姉がドクターを勧誘したホントの理由を!」

 「・・・感情のアップデートが完了していません。」

 

 顔色一つ変えないフィリオプシス。

 しかし、その声と動作は激しく動揺していた。

 

 「オレサマは賢いからあんま言わねぇけどよ・・・。とにかく、サイレンスたちとはケンカすんなよ!」

 「了解しました。」

 「あと、サイレンスもドクターの事狙ってんだからな!」

 

 「・・・了解しました。」

 

 長い廊下を渡り切った2人は、そのままの足で食堂に向かう。

 途中、フィリオプシスは執務室に向かおうとしていたが、イフリータに制止された。

 きっと、それも無意識下の行動だったのだろう。

 

 

 

 【研究棟 ライン生命】

 

 

 研究室の一室に、誰かが置き忘れた日誌がある。

 

 「・・・・・・誰のだろ?」

 

 サイレンスがノートに手を伸ばす。

 盗み見るなど、研究者以前に人としてマズイ行動なのだが、その時は好奇心を抑えきれなかった。

 

 

 

 『日誌 ◯月×日 天候くもり △時□分

 

 本日は、次回の殲滅作戦の下準備のため、わたしの生まれ故郷でもあるクルビエに向かいました。

 前回は、後方支援オペレーターの方々たちと向かいましたが、今回はドクターとカランド貿易の皆様に同行して頂きました。

やはりシルバーアッシュ家の面々がいらっしゃると、現場に緊張が走ります。わたしも、行動に不備がないように、充分気を付けて行動していました。

 そうすると、ドクターから、

「気を張り過ぎだ。アーミヤが居ないんだから気楽に行こうじゃないか。」

と声をかけて頂きました。

 その言葉に困惑する人もいましたが、カランド貿易の皆様は笑っていました。かく言うわたしも、ドクターの言葉で気持ちが和らぎました。

本日は、ドクターと行動することは出来ませんでしたが、いつか、クルビエを案内できるようになればいいなと感じました。

 

 記入者 フィリオプシス』

 

 

 「・・・フィリオプシスの日誌か。」

 

 フィリオプシスはオリジ二ウムの影響で神経信号の伝達に齟齬が出ている。

 日誌の記入は記憶分布の忘却を阻止する一環として組み込んでいる趣味の一つだった。

 

 

 

 『日誌 ◯月◇日 天候はれ ×時△分

 

 ロドスとの合同研究会に出席しました。我々元ライン生命の研究グループからは、サイレンスさんが代表してくれましたので、わたしは特に何も準備をせずに済みました。

 研究会に参加した具体的な感想はというと、正直よくわかりませんでした。

 元々わたしはデータアナリストですので、ライン生命の代表の立場に選出されなくて本当に良かったと感じます。サイレンスさんには申し訳ありませんが。

 

 会議室から研究棟に戻る途中、ドクターとケルシー医師が会話しているのを目撃しました。2人の間に問題があったことはわたしも存じていますが、あれほどの騒動があった後も、あのように仲睦まじく会話ができるというのは少し羨ましく感じました。

 

 

 わたしも、ケルシー医師のように、ドクターと

 

 記入者 フィリオプシス』

 

 

 「・・・・・・。」

 

 サイレンスは黙って日誌を見る。

 

 

 

 『日誌 ×月×日 天候はれ ◯時□分

 

 本日は研究棟の改修工事のため、臨時休暇となりました。

 昼に差し掛かった頃に起床し、マゼランと共に昼食を取りました。

 サイレンスさんは、レポートの作成が忙しいと言って、食事を疎かにしがちなので心配です。というよりもわたしよりイフリータが心配するので気を付けてほしいと常々感じています。

 

 食堂でドクターとグムさんがお話をしていました。わたしも料理が出来たら、ドクターと上手に会話ができるでしょうか。

 

 連絡通路でドクターとアンジェリーナさんがお話をしていました。わたしも笑顔が綺麗なら、ドクターにもっと喜んで頂けるでしょうか。

 

 執務室でドクターとファントムさんがお話をしていました。わたしも行動に迷いが無かったら、ドクターにもっと必要とされるでしょうか。

 

 龍門でドクターとエクシアさんがお話をしていました。わたしにも大胆さがあったなら、ドクターがわたしの事を考えてくれるでしょうか。

 

 研究棟でドクターとサイレンスさんがお話をしていました。わたしに鉱石病の症状が無かったら、ドクターがわたしたちのチームに・わたしたちのチームに・わたしたちのチームに・わたしたち・わたし・わたしたち・わたしだけの・わ・わ・わわわわ・・・・・・・

 

 

 ▼言語中枢に深刻なエラーを確認しました。

 ▼緊急プロトコルを発動。バックアップの製作を中止します。

 ▼【警告】これ以上の活動におけるパフォーマンスは期待値を大幅に下回ります。

 ▼12時間以上の休眠を推奨。

 ▼パッケージの処理のため、データを一部削除します。』

 

 

 

 「・・・これは。」

 

 サイレンスは思わず声を漏らす。

 しかし、それ以上の反応は見せず、日誌を元の場所に戻す。

 

 「わたしは何も見なかった・・・と。」

 

 そう自分に言い聞かせ、サイレンスは自身の髪を梳くのであった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 【執務室】

 

 3人の男がテーブルを囲む。

 ロドスの指揮官にカランド貿易の社長、そしてアザゼルの管理人。

 錚々たる顔ぶれだが、その顔色は不安なものだった。

 

 「これが今回ファントムが発見したものだ・・・。」

 「盟友よ。ただの延長コードのように見えるが?」

 「まぁ、いわゆる盗聴器とかいう物らしい。最近気配を感じると思ったら・・・。」

 

 頭を抱える指揮官。驚くシルバーアッシュ。眉間にシワを寄せるへラグ。

 誰が、何の目的で設置したのかを巡り、3人は談合していた。

 

 「こういうのはアーミヤかケルシーに相談した方がいいのか・・・。」

 「しかしだな、その2人が設置した可能性も否定できんぞ?」

 「その出所についてはカランド貿易で調査しよう。」

 

 ロドスの中に内通者がいるかも知れない。

 その可能性を考えると、かなり切迫した問題である。

 

 そんなことを3人が考えていると、執務室の扉が熔解される。

 

 「お~す。ドクター。働いてるか~?」

 「イフリータか・・・。」

 

 3人がいきなりの出来事に席を立ち、得物を抜く。

 

 「ちょっと延長コード貸してくれねぇか?なんか困ってるみたいなんだよ。」

 「・・・・・・お嬢さん。ちなみに、誰が困ってるのかを教えてはくれまいか。」

 

 このタイミングで盗聴器を回収に来させるとは、不用心にも程がある。

 イフリータに指示を出した者こそが真犯人だろう。

 

 

 

 「誰って・・・。フィリねぇ、あっ、フィリオプシスだけど・・・。」

 

 

 

 アーツで空気を澱ませていたシルバーアッシュが剣を収める。

 ドクターが安堵した表情で口を開ける。

 

 「フィリオプシスなら、問題ないか・・・。」

 「・・・?なんのはなししてんだ?」

 

 この男、盗聴器の持ち主が解明したという事実よりも、設置したのがケルシーやアズリウスじゃなくて良かったという思いの方が強かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ▼言語中枢の機能回復を確認。

 ▼新規データをシステムからダウンロードします。

 

 【ダウンロード 0%】

 

 ▽「フィリオプシス。あくまで冷静に、そして強欲に、自分の気持ちに正直に。それがわたしたち科学者というものでしょ?」

 

 【ダウンロード 100%】

 

 ▼サイレンスからのデータのダウンロードに成功。エクストラクトします。

 ▼新規ファイルを作成。ドクターに対する認識を確定。

 ▼データ保護とバックアップ作成のため、データを暗号化します。

 ▽【ヘルプ】データの解読には、バイナリーコードを16進数に変換後、ASCIIを用いて英語に変換してください。

 ▼全てのデータ処理が完了しました。

 ▼起動しますか?

 

 【 Y/N 】

 

 ▼NO

 ▼入力を確認しました。フィリオプシス。二度寝します。




イフリータちゃんにはいつまでも笑顔でいてほしいなと思っています。


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ユキヒョウ・コーヒー・ビデオテープ(プラマニクス)

プラマニクスちゃんが好きです。
でも、シルバーアッシュさんの事はもっと好きです。


 「・・・スキップだ。」

 「むぅ・・・?またですか。これで3回目ですよ。」

 

 とある宿舎の一室にて、2人の男女が玩具で遊ぶ。

 積み上げられた木製のブロックを、少女は細やかな指で難なく抜き取る。

 

 「はい、ドクターの番ですよ。降参するなら今のうちに。」

 「まだだ・・・。活路を見出すのだけは得意なんだ・・・。」

 

 手袋越しにでも分かるゴツゴツした指。

 それは積まれたブロックの一つを取るには余りにも太すぎた。

 

 

   ガシャン!ガラガラガラ・・・。

 

 音を立てて崩れる積み木の塔。

 それに伴いドクターの膝も崩れるが、反面、少女の顔は勝利の喜びに満ち溢れていた。

 

 「またわたしの勝ちですね。これで何回目でしたっけ?」

 「4連敗だ・・・。」

 「フフ。ドクターが敵わない程の強さを手に入れてしまいました。このままだとわたしが指揮官になってしまうかも知れませんね。」

 「・・・じゃあ誰がカランドの巫女をやるって言うんだ?」

 

 とてもご機嫌な様子な少女。

 可愛らしく吊り上がった口角と同時に、まだら模様の尻尾が左右に揺れる。

 

 「むぅ・・・。ドクターがすればいいでしょう?」

 「プラマニクスの服でも着ろと?」

 「えぇ。祝福を~と言えばいいのですから。ほら、一緒に。せ~の」

 

 感情の起伏が少ない顔で軽快に手を叩く。

 カランドの巫女として堅苦しい印象を周囲に与える彼女は、実際には元気活発な少女なのである。

 

 「 祝福を~ 」

 「・・・ドクターって意外とノリ悪いんですね。非常に残念です。」

 

 頬を膨らまし、コテンッと床に転がるプラマニクス。

 そっぽを向いてはいるものの、依然として尻尾をバタつかせている。

 今のプラマニクスには威厳も圧力も感じられず、ドクターはその部分に彼女と兄の違いを発見した。

 

 「プラマニクス?大丈夫か?」

 

 「『大丈夫か?』と聞かれたら『大丈夫です。』としか答えられませんよ。」

 「乙女が傷心の時は、『無理そう?』と心配してあげることが大事なんです。」

 

 「・・・それは勉強になったよ。」

 「フフッ。授業料は後日請求します・・・。」

 

 プラマニクスは身を起こし、乱れた髪をある程度整えた後に、テーブルの下に隠しているのであろう別の玩具を取り出した。

 あれやこれやと物を選り好みしているのを伏し目に、ドクターはコソコソと退室の準備をしていた。

 

 「プラマニクス。申し訳ないが、そろそろお暇させてもらうよ。」

 「むぅ・・・?少し早すぎませんか?」

 「もう4時間もいるんだ。これから会議があるんでね。丁度いい頃合いじゃないか?」

 

 実際の所はもっと長い時間を共に過ごしている。

 プラマニクスは休みなのに対して、指揮官は本日も多忙を極めていた。

 しかし、同時にプラマニクスも暇を極めていたのであった。

 

 「・・・もう少しだけどうでしょうか?」

 「プラマニクス・・・。時間には余裕を持つべきだと思わないか?」

 「思いません。次はこれで遊びましょう。」

 

 そう言って取り出されたのは謎のカード群。開封されていない点を見る限り、プラマニクス自身もよく把握していないのだろう。

 速攻でカタをつければ会議にも間に合うだろうと考えたドクターは、その勝負の提案に乗るのであった。

 

 「・・・負けても泣くなよ。」

 「どんなときにも全力を尽くします。わたしは最強ですので。」

 

 

 

 【20分後】

 

 

 「うおお!もう一回だ!」

 「フフン。何度やっても結果は変わりませんよ?」

 

 

 【40分後】

 

 

 「なぜ勝てない!!細工しているのか!?」

 「神の祝福・・・ですかね。まぁ、日頃の行いが関係していると思いますが。」

 

 

 【1時間後】

 

 

 「ドクター?これで4連敗ですよ。泣いても抱きしめてあげませんからね。」

 「・・・イカサマを疑うぞ。こんなのゲームではない・・・。もはや蹂躙ではないか・・・。」

 「わたしの完勝ですね。そう、完全なる勝利。今の気分はいかがでしょうか?」

 

 完膚なきまで叩きのめされたロドスの指揮官は、頭を抱えてうずくまる。

 プラマニクスはその隙を見逃さんと言わんばかりに煽り散らかす。

 

 そのような微笑ましい2人のじゃれあいも、すぐに引き裂かれることになる。

 

 

 〚緊急連絡です。ドクターは今すぐ第二会議室に来てください。今すぐですからね!〛

 

 

 「ん?今のはアーミヤの声か?よく聞き取れなかったのだが・・・。」

 「・・・・・・時間が関係していると思われますが?」

 

 ふと時計に目を向けると、切り上げる予定だった時刻を大幅にオーバーしていた。

 プラマニクスは微妙な顔をしながらドクターの顔を覗き込む。やはり、発端は彼女であるため、申し訳なさを感じているのだろうか。

 

 しかし、そんな彼女の気持ちとは裏腹に、この遅刻男は謎の余裕を浮かべていた。

 

 「・・・コーヒーでも飲みに行かないか?」

 「・・・むぅ?正気ですか?気をしっかり持ってください。」

 

 あまりにも唐突な提案にプラマニクスは驚きを隠せないでいた。それも狂ったと思う程に。

 対するドクターはどこか悟りを開いた様な、諦めた様な顔で言葉を紡ぐ。

 

 「今更行ったところで、アーミヤの怒髪天を抑えることなんて出来んだろうよ。こういう時は自分の気持ちを落ち着かせる事が大事なんだ。そう思わないか?」

 

 今にも途切れそうな細い声でプラマニクスに問いかける。

 少女は『?』を頭の上に浮かべ、数秒固まった後に口を開けた。

 

 

 「いえ、思いませんけど。」

 「えぇ・・・。急に真面目にならないでくれよ・・・。」

 「ですが、ティータイムには興味がありますね。」

 

 プラマニクスはそう言うと、部屋の片隅に設置されているポッドに手を伸ばす。

 どうやら食堂に行くつもりはないらしい。

 

 「・・・特別にわたしが淹れてさしあげましょう。ドクターは白湯でいいですか?」

 「・・・・・・コーヒー。ブラックで頼む。」

 「カッコつけなくても大丈夫ですよ?甘党の男性というのも魅力的だと思ってますから。」

 

 ミルクココアに熱湯を注ぎ、更に砂糖を投入する。

 作っているのを見るだけで胃がムカムカする様な飲み物を手慣れた手つきでカップに淹れる。

 反面、ドクターが要求したコーヒーを煎れる作業には手間を取っているみたいだ。

 普段は1人で飲んでいるからだろうか。

 

 「・・・手伝おうか?」

 「結構、です。ちゃんと出来ますから。・・・多分。あっ・・・。」

 

 慣れない行動をした為に、服にコーヒーをぶちまけた所でドクターと選手交代した。

 プラマニクスはしかめっ面をしながら替えの服を用意しに行った。

 

 「・・・絶対に覗かないでくださいね。絶対ですよ。」

 「分かってるよ。」

 「絶対にダメですよ。絶対ですからね?」

 

 ドクターはプラマニクスのこの発言がフリなのかどうかに悩みに悩んだが、結局覗かなかった。

 覗いた後が怖かったからである。

 

 「ちなみに覗いたらどうなるんだ?」

 「・・・そうですね。・・・鶴になって羽ばたいていきましょうか。」

 「まず恩返しすらされていないんだがね。」

 

 数分経過した後にプラマニクスが姿を現す。

 洗いたてなのか、女性特有の良い匂いがする服を着て戻ってくる。

 

 「どうでしょうか。最高に可愛らしいと思いませんか?」

 

 自慢げにそう言い放った彼女はその場でクルッと一回転して見せた。

 中世ヨーロッパを彷彿させる黒の装束は、プラマニクスの髪と瞳の麗しさを際立てさせていた。

 決して狭くはない部屋の真ん中を、スーパーモデルのように歩く。

 

 「あぁ。毎日コーヒーをこぼした方がいいかも知れんな。」

 「むぅ。ならば毎日わたしの部屋に来てもらわないといけませんね。」

 

 少女はそう言うと、服装を見せるのも飽きたのか再び横に寝転んだ。

 せっかく宗教画から出てきたような雰囲気を出していたというのに全く残念である。

 

 「「・・・・・・。」」

 

 室内が静寂に包まれる。

 会話は交わさないが、2人の目線は合ったままだ。

 プラマニクスの瞳は、見れば見るほど吸い込まれそうな、何か人間離れした妖艶さと魅力を持っていた。

 

 「・・・また髪が乱れるぞ。」

 「・・・もう乱れています。ナニがとは言いませんが。」

 

 さきほどクルクル回転していたためか、プラマニクスの頬は僅かに紅潮しているように見えた。

 

 「はぁ。なんだか熱くなってきました・・・。」

 

 わざとらしくドクターに横目を流し、手のひらで顔を扇ぐプラマニクス。

 その振る舞いはいささか官能的なものだった。

 

 「プラマニクス氏。様子がおかしいように見えますが?」

 「誰のおかげでしょうか? ・・・責任を取ってもらわないと。」

 

 ジリジリと距離を詰めるプラマニクス。

 床に高貴な衣装を擦りつけ、尻もちをつきながら後退するドクターを追い詰める様子は、さながら獲物を狙うヒョウのようだった。

 

 「プラマニクス?それ以上は駄目だぞ。何が駄目なのかは分からないが、とにかく駄目だ!」

 「フフ・・・。大丈夫ですよ。天井のシミを数えてる内に終わりますから。」

 

 「それは男が言うセリフだ!あっ、本当にヤバい!」

 

 壁際に追いやられ、逃げ場が無くなった据え膳すらまともに食えないヘタレは、とにかく時間を稼ぐことに脳の容量を割いた。

 

 「待てプラマニクス。話し合おう。」

 「むぅ・・・。なんでしょうか?」

 

 間違いなく正気ではないプラマニクスを冷静に戻す方法。

 それは外道といえる手段。

 

 「こんな一時の気の迷いで関係を持った所で、君の周りの人は喜ぶのか?」

 

 「周りの人とは・・・

 

 ほんの少しだけプラマニクスが動きを止めた。

 ドクターは彼女が次の言葉を発するよりも先に発言した。

 

 「シルバーアッシュ。君のお兄様は喜ぶか?」

 

 みぐるみを剝がされている最中で、ドクターはプラマニクスの最も痛い部分を突いた。

 

 「・・・・・・。」

 

 流石にプラマニクスの動きが止まる。

 無理もない。状況はアレだが、ドクターがシルバーアッシュ家の事情に踏み込んできたのはコレが初めてだったからだ。

 

 ドクターは十数秒考え込んでいるプラマニクスを確認すると、危機は去ったと安堵した。

 そしてプラマニクスが重い口を開く。

 

 「・・・お兄様ですか。」

 

 先程とは打って変わって、室内はシリアスな雰囲気に包まれる。

 

 

 「お兄様はドクターを盟友と評価していましたね・・・。」

 「・・・あぁ。おかげ様でカランド貿易とは良い関係でいさせてもらっているよ。」

 

 事実としてロドスとカラ貿はズブズブの関係なのである。

 

 「そんな盟友は、かつて袂を分かった妹になすすべなく襲われんとしている・・・。」

 「蟲毒を生き抜いたお兄様が身を捧げるという親友が、不倶戴天が如き視線を送る妹に奪われんとしている・・・。」

 

 ニタリと口を歪ませボソボソと喋る彼女の姿には、もはや静謐さの欠片も見えず、ただ天使の似姿をした悪魔のように見えた。

 

 「プラマニクス? ・・・プラマニクス?」

 

 「・・・・・・ドクター。」

 

 「・・・何でしょうか。」

 

 

 

 

 

 「・・・『えぬてぃあぁる』って、どう思われます?」

 

 「・・・・・・タスケテ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ドクター!?ここにいるのは分かっているんですよ!大人しく観念してください!」

 

 突如としてノックされる扉。

 緊迫した声の持ち主はアーミヤだろうか。

 

 

 バタン!!

 

 

 「ドクター! ・・・ドクター!?」

 「むぅ。時間切れですか。もう少しでしたのに。」

 

 アーミヤは、ドクターに馬乗りになった状態のプラマニクスと目が合うと、見る見るうちに顔色が青くなっていった。

 

 「なにを・・・してるんですか・・・。」

 「いえ?遊んでいただけですが?それとも、してはいけないことでもあるのですか?」

 

 例えるなら風神と雷神。2人は視線を外さないまま硬直状態に陥った。

 謎の空気が室内を満たし、息苦しさを与えている。つまるところ修羅場。

 もっとも、現在の流れにおいて一番被害を被っているのはドクターなのだが。

 

 「アーミヤ。とりあえず、外に出させてくれ。この部屋は私には苦しすぎる。」

 「ドクターは黙ってて下さい。今助けてあげますからね。」

 「アーミヤさん?一体何の話をしているのですか??」

 

 どこで間違えてしまったのかと聞かれれば、最初から間違えてしまっていたのかもしれない。

 バチバチのバトルを繰り広げられんとしている中で、ドクターはただ宿舎の被害が最小限になることを祈るしかなかった。

 

 

 「・・・・・・祝福を。」

 

 




プラマニクスちゃんは意外とでかいので好きです。
どこがでかいのかは内緒です。


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誰が為に銃声は鳴る(エクシア)

エクシアさんは初昇進2の人なので、個人的なおもひでがいっぱいです。

でも初特化3はテンニンカちゃんです。ごめんねエクシアさん。


 当たり前だが、自分で生き方を選ぶことは限りなく難しい。

 永遠に孤独を貫くのであれば話は別だが、如何せん我々は社会で生きる生物なのである。

 よって、他人の生き方を知り、影響を受けていくことで人格が形成されていく。

 

 その経験が乏しい者は、生まれたてのヒヨコとなんら変わらない。

 それを大前提として、そのヒヨコたちの物語など、結末が良いものであるはずがない。

 

 

 【ペンギン急便 アジト】

 

 「はぁ~なんか面白い事ないんかなー。」

 「・・・外の騒ぎにでも巻き込まれて来ると良い。」

 

 オンボロのソファーに寝転がるクロワッサン。

 そのソファーの後ろに立ち、ソフトドリンクを飲むテキサス。

 

 通常業務を終え、次の指令が来るまでの待ち時間を気ままに過ごす。

 良く言えば時間に余裕がある。

 悪く言えば暇を持て余している。

 

 「なぁテキサスはん?ちょいと早いけど・・・飲まへん?」

 「本気で言っているのか?」

 

 クロワッサンは片手でグラスを口に運ぶジェスチャーを取り、テキサスを少しばかり早い酒席に誘う。

 

 「ええやんええやん!ウチらも頑張っとるんやし、ボスもワインの一本二本許してくれるやろ!」

 「はぁ・・・。ソラが到着してからだ。」

 

 そんなことを話していると、ある一人の招かれざる客が姿を現す。

 

 「あれぇ?テキサスにクロワッサン。エクシアが居ないのは珍しいね。」

 「ラップランド・・・!!」

 

 ペンギン急便のアジトは不測の事態を備えて厳重に施錠されているのだが、ラップランドには難なく突破されてしまっているのが現実である。

 テキサスは今すぐにでも彼女を追い出したい気分だったが、それは直ちに実行するにはかなり難しいことだった。

 

 「おおお!?ラップランド氏やんけ!暇ならウチらと遊ばへん?」

 「え?いいのかい?嬉しいね!お言葉に甘えさせてもらうよ。」

 

 ラップランドはこう見えても人付き合いが上手いタイプの人間なのだ。

 だからクロワッサンともエクシアともバイソンとも仲が良い。

 

 テキサスはラップランドのそういう所も含めて苦手なのだ。

 

 「・・・ラップランド。何をしに来た。」

 「何って、特に何もないけど?強いて言うなら面白そうだったからかな。」

 

 テキサスは白銀色のループスを睨みつける。

 対するラップランドは不敵な笑みを浮かべているのであった。

 

 「コラ!テキサス!お客さんにそんな態度取ったらアカンやろ!?」

 「ぐっ・・・!」

 

 クロワッサンは、テキサスがラップランドに対して良い印象を持っていないことを理解していないようだ。

 

 「ちょいと待っとってな!今アメちゃん持ってくるわ!」

 「待て。クロワッサン!」

 

 苦手な相手と同じ空間に2人きりという状況を回避するために、クロワッサンを呼び止めるが、その願い虚しく叶うことはなかった。

 結果として、テキサスが考える最悪のシチュエーションが成立してしまった。

 

 「ふ〜ん。テキサスはそんなにボクのことがキライなんだね。」

 「・・・いきなり剣先を向けてくる奴は誰であろうと嫌いだ。」

 「アハハ!キミだって昔はボクより派手だったじゃないか。」

 

 ラップランドが挑発を続ける。テキサスが鞘を抜くのを誘導しているようだ。

 対するテキサスは、ただ目の前のループスを睨みつけるだけで、特にこれといったアクションは起こさなかった。

 

 「前々から思っていたことだが。」

 

 しかし、やられっぱなしというのは彼女の自尊心が許さなかった。

 

 「ん?なんだい。なんでも言っておくれよ。」

 「お前は異常者の素質があるな。尊敬するよ。」

 

 つい先程までニコニコしていたラップランドの顔から笑いが消える。

 彼女も言葉を用いた反撃をしてくるとは考えていなかったようだ。

 

 「・・・それは一体、どういうことだい?説明してくれるかな。」

 

 「言っての通りだ。外面が良く、本心を隠し、嘘が上手い。興味のないものには無関心。しかし、自分を看破する者には敵対する。

 お前は破綻者なんかじゃない。ただ自分が大好きなヒトリオオカミだ。」

 

冷たい視線で鋭い言葉を発するテキサス。

 罵詈雑言を絶えず吐かれてきたラップランドには、対した威力にもならない言葉の暴力であったが、それでも動揺を与えるには十分だった。

 

 「・・・へぇ。言ってくれるじゃんテキサス。ならばキミはどうなんだい?

 無愛想を拗らせて自分にすら正直になれず、変化を望まないでいるのは誰?

 同業者の失敗を見て見ぬフリをして、自分はそうはなるまいと考えている卑怯者は誰?」

 

 「それで反撃のつもりか?滑稽だぞ。」

 「フーン。・・・少しは賢くなったんだね。昔ならすぐに斬りかかってたのに。一体誰に影響されたのかな?」

 

 冷ややかな目線で言い放つラップランド。

 クロワッサンが居た頃の笑顔はすでに剥がれ、臨戦状態の面持ちをしていた。

 

 対するテキサスは、一矢報いてやったと言わんばかりの表情で対面している。

 しかし、ラップランド自身もテキサス同様に、やられたらやり返さないと気が済まないタイプなのであった。

 

 「さっきも言ったけど、かなり丸くなったよね。ボクは昔のテキサスに方が好きなんだけど?」

 「・・・お前に嫌われるというのならいくらでも(かど)を取るさ。」

 「アハハ!でも大胆さも消えて無くなったよね?」

 

 ラップランドは眉間のシワをなくしたと思うと、今度はニヤリと口角を歪ませた。

 何か反撃してくるだろうと予想していたテキサスは、特に驚きもせず質問の意図を聞く。

 

 「回りくどいぞ。何が言いたい。」

 「ん?いつまで静観してるつもりだってこと。そんなにエクシアみたいになるのがイヤ?」

 

 ラップランドはテキサスと対峙する際によくエクシアの名を出す。

 それはかつての自身の想いに苦しんだエクシアの状況と、現在のテキサスの状況が酷似していることに起因する。

 

 そして、同業者にして相棒である彼女をダシにした罵倒は、テキサスに信じられない程よく効いた。

 

 「お前がエクシアを語るな・・・!」

 「キミもさ~?いい歳なんだからいい加減大人になりなよ?思春期の乙女じゃあないんだし。それとも・・・」

 

 奥の方からクロワッサンが暴れる音が聞こえる。

 酒やらワインやらお菓子やら、多くの物をいっぺんに運ぶという運送屋として致命的な悪癖を持っている彼女は、物を運ぶ時は必ずと言っていいほど大きな物音を立てるのだ。

 

 「・・・言ってみろ。その細い首をねじ切ってやろう。」

 「アハハ!もしかしてエクシアに例の話してなかったりする?」

 

 

プツン

 

 

 室内にじんわりと感じられるアーツの奔流。

 先の問答とは打って変わって沈黙が続く。

 しかし、テキサスの脳内では決定的なナニカが切れる音がした。

 

 かなりの間ストレスが溜まるやり取りを繰り返した2人だったが、最終的には龍門スタイルの解決法に落ちつくことになる。

 

 「*龍門スラング*」

 「アハハ!?やっぱりそう来なくちゃね!」

 

 獲物を狩る凶器を振り回す2人は障害物など気にする素振りも見せず、ただ相手の喉元をめがけて武器をかちあわせていた。

 途中、ソラがアジトに帰還するも、2人はそれに気づくことは無かった。

 ソファーをひっくり返し、テーブルをアーツの剣でズタズタに引き裂く。

 床に生々しい傷跡を残しながら、それでも2人は闘うのを止めなかった。単純、これはただの勝ち負けではなく、プライドを賭けた闘争なのであった。

 

 

 「ちょーッ!!なにやってんねん2人とも!ついにイカレてもーたんか!?」

 「ひぃぃーー!誰か助けてー!!」

 

 余りにも凄まじい物音を聞き、持ち物を捨てて飛んできたクロワッサン。

 テキサスとラップランドによって深くえぐれた床を見て生命の危機を感じ、食器棚の引き出しに身を隠したソラは必死に助けを求めていた。

 

 しかし、ソラのその願い叶わず2人は剣を収めることはなかった。

 結局、2人が動きを止めたのは服に染みた汗が気持ち悪いという理由だった。

 

 「はぁ。どうすんねん、この惨状・・・。絶対怒られるやろ・・・。」

 「ひぃぃ・・・。腰が、腰が動かない・・・。」

 

 廃墟となんら大差ない一室を見たクロワッサンは自分のデコを叩く。

 楽観的な彼女といえど、流石に後始末に困っているらしい。

 食器棚からモゾモゾと這い出てきたソラは、およそアイドルとは言い難い顔色をしていた。

 

 「とにかくボスが戻ってくるまでに誤魔化さんとアカンか・・・。はぁ、なんでこないな事なったんや・・・。」

 

 まともに座れないどころか、原型すら留めていないソファーに無理やり腰掛けていると、廊下から静かな足音が聞こえてくる。

 

 「あぁ~。よく寝たよく寝たっと。ってナニコレ・・・。」

 「なんやエクシアか・・・。ナニコレってそんなんあたしが聞きたいわ!」

 

 あれほどの騒ぎがあってなお惰眠にふけっていたというエクシアの胆力に、ソラは驚きを超えて呆れていた。

 

 「まぁ~、どうせテキサスとラップランドでしょ?あの2人もよくやるよね~。飽きないのかしらってね!」

 「何が『ってね!』じゃ!なんもおもろないわ!もうええわ!今日は吞ませてもらうで!」

 

 ケラケラと笑うエクシアと対照的に、クロワッサンはドスドスと足音を立てて破壊し尽された床を歩いていく。

 ソラは天井に突き刺さったテーブルの死骸を見てドン引きした。

 

 「ギャアッ!!」

 

 隠そうとしない怒りに震えていたクロワッサンだが、裂かれた床板につまずき転び、はずみで鼻を強打した。

 

 「なんでウチばっか損な役回りせなアカンねん!」

 

 その様子を見ていたエクシアとソラは流石に苦笑いすることしか出来なかった。

 

 

 

 【ペンギン急便 待合室】

 

 アジトの中で一番広い部屋が破壊されてしまったので、ソラは渋々待合室で休憩することにした。

 

 「うう~。なんか寒い~。暖房つけよっと。」

 「・・・気が利かなくてすまないな。」

 

 背後から聞こえたテキサスの声に飛び跳ねた。

 

 「ふええ!?なんでこんな所にいるんですか!?」

 「なんでと言われてもな、ここはわたし達の拠点じゃないか。」

 

 当たり前の返答をされてソラはしまったと考え込む。

 願ってもない憧れの人と同じ空間に二人っきりの状況。

 これはチャンスだと認識したソラは自分の商品価値をアピールするために積極的に話しかけた。

 

 「いやぁ~。そうですよね~。アハハわたしったらうっかりしてました~。・・・アハハ。」

 

 アイドルとは思えないトークスキル。

 熟練のコミュ障のようなその喋りは、対面しているテキサスを不安がらせる結果に終わった。

 

 「・・・その、騒いですまない。損害は全て弁償する。そして、なによりソラに怖い思いをさせてしまった。・・・本当にすまない。」

 「・・・え?」

 

 普段のテキサスの威風堂々としたオーラからは予想できない弱々しい声。

 義理深いループス族は責任や絆を重んじる。そしてループス族の中でも並外れた力を持つテキサスは人一倍それを気にする傾向にあった。

 

 ソラはまさか謝罪されるとは思っていなかったため、口から意図せず情けない声が出る。

 

 「い、いえいえ!全然大丈夫です!むしろテキサスさんの戦い方が近くで見れて嬉しかったです!ハイ!」

 「そ、そうか。・・・迷惑をかけた。」

 

 テキサスはそう言うと胸ポケットからチョコレートを取り出すと、おもむろにソラの前に突き出した。

 

 「食べるか。甘いぞ。」

 

 唐突な誘いに混乱した様子を見せるソラ。

 長い沈黙は無礼だということを理解している彼女は迅速な返答を試みた。

 

 「食べますうううう!!」

 

 人生という長い物差しで測ると、この待合室での談笑はほんの短いものなのかも知れないが、ソラにとっては何よりも幸福な時間であった。

 テキサスは、先の大戦争においてラップランドにしてやられたらしく、痛めた手首を押さえていた。

 

 「テキサスさん。それ、大丈夫ですか?」

 「ん?あぁ。唾でもつけていれば治る。」

 

 2人はこの時間の間でかなり親密な関係を築くことが出来たようだ。

 今までも会話することは多々あったが、ここまで話すことは無かった。

 まったく、ラップランドに感謝である。

 

 「そういえばなんですけど、ラップランドとエクシアが何とかって言ってませんでした?」

 「エクシアも常に明るいという訳ではない。最近の様子を見れば分かることかも知れないが。」

 

 憂うような眼で喋るテキサス。

 その眼は目の前にいるソラを見ているのではなく、どことも知れない遥か彼方を見ているように思えた。

 

 「やっぱり、最近のエクシアのこと・・・ですか?」

 「なぜそう思う? あっ、いや、別に尋問しようとしている訳じゃない。単純な質問だ。」

 

 テキサスがチョコレートの包み紙で作った玉をこねくり回す作業を止める。

 それと同時に待合室の空気が澱む。強者特有のアーツの奔流。

 

 「は、はい。え~と、何というか、その、最近皆元気ないな~って思ったりしちゃったりして~・・・。アハハ・・・。」

 「・・・元気がない、か。」

 

 ソラの額に冷や汗が染みわたる。

 眼前のループスの表情には一切の変化も見られないが、代わりにプレッシャーを感じられるような雰囲気になっていった。

 

 「だって、その、ホントに変なんです!テキサスさんもエクシアもラップランドも!今まで目立つとこで戦うなんてことも無かったじゃないですか!」

 「・・・やはり分かってしまうものなのか。」

 

 ソラが泣きそうになりながらテキサスに理由を話す。

 詰まることろ、ソラはエクシアの急変により皆の動きが変わっている。

 ペンギン急便というチームの輪が乱れているということを言っているのだ。

 

 テキサスは額を抑え、数秒沈黙する。

 

 「確かに皆おかしくなっているかも知れない。そして発端はエクシアだ。わたしも関係しているんだがな・・・。」

 「・・・その理由とか、聞いても良い感じですか?」

 

 目を薄め、どこか悲しげな表情をするテキサス。

 弱々しい雰囲気も、彼女がすればミステリアスなものに変わる。

 

 「・・・それはできない。それを語れるほど、わたしは強い人間ではない。」

 「テキサスさんにも、あるんですね?誰にも言えないヒミツが・・・。」

 「一度きりの人生なんだ。 ・・・後悔や秘密の一つ二つなんて、誰にだってあるさ。」

 

 申し訳なさそうな顔をする2人。

 以前からエクシアが上の空でいる事をよく見たソラは、元凶が発覚した時点であまり驚きはしなかった。

 

 エクシアが本調子に戻らない理由も気になるが、直接聞くという無作法なことは出来ない。

 ならば、エクシアをよく知る人物に探りを入れれば良いとソラは考えた。

 ソラはこのような事態に『わたしが解決しないと!』という責任感に駆り出されていたのである。

 

 そもそも、テキサスですら解決の糸口を見つけられず、それでいてモスティマが沈黙を続けているエクシアの悩みなど、一筋縄ではいかないことなど予想できただろうに。

 ソラはこの若さ故の過ちによって、人の心の底に潜む暗黒を垣間見ることとなる。

 

 「それでも知りたいのなら、ロドスを訪ねろ。あそこなら、いや、あるいは・・・。」

 

 そこまで言ってテキサスは口をつぐんだ。

 ソラは多少不審がったが、次の行き先を提示されたことの方を優先した。

 それは、もはや問題究明の正義心よりも、好奇心という感情の方が上回っていた。

 

 

 

 【ロドス本艦 搭乗ゲート】

 

 「むむむ・・・。よし、誰もいない。」

 

 コソコソと動く小さな物体。

 大きさの合っていないサングラスに、ちんちくりんのトレンチコート。

 加えてマスクに帽子と来たものだから、その姿は変装したアイドルというよりも最早不審者のソレであった。

 

 「ん?おい、あれソラちゃんじゃね?」

 「あ?スーパーアイドルのソラちゃんがあんなダセェ恰好してるわけねぇだろが。」

 

 大事を取って身分証明書を持ってきて為、なんの障害もなくゲートを突破することが出来た。

 そもそもソラはロドスのオペレーターなのだから隠れる必要などないのだが。

 

 「うぅ~・・・。なんかバカにされた気がするんだけど!」

 

 先の見えない廊下の端っこを前かがみで前進していく。

 気分はさながら探偵だろうか。

 堂々と歩いていれば好奇な視線も向けられることもないのだが、ソラにとっては自身の風体よりも、ペンギン急便内の問題を解決する鍵を探す方が大切なものとなっていた。

 

 「はぁ。モスティマがいればもっと楽になるんだろうけどなぁ~。」

 「・・・何やってんだよお前。」

 

 廊下の中間地点に設置されたベンチに腰掛け、テキサスがロドスに向かえと言った意味について考えていると、気づかぬ間に立っていた男に話しかけられる。

 

 「うわっ・・・。ドクターですか。お疲れ様でええす・・・。」

 「うわってなんだ。これでも私は上司なんだぞ?減給するぞ?」

 

 どうやらドクターは見るからに不審者なソラを怪しく思い、職務質問を試みたらしい。

 もっとも、見た目の不審者具合ならドクターも負けず劣らずといった感じだった。

 

 「ん~。じゃあ、執務室の引き出し2段目の奥底の薄い本。ケルシー先生に言いましょっかな~?」

 「ソラ。欲しい物はないか?甘いのは好きか?ライブチケットの余りなら全て買い取るぞ。」

 

 ソラはこいつアホだと内心思いながらも、なぜ皆がこのアホに執着しているのかが理解できた気がした。

 作戦指揮はバリバリに出来ても、日常がポンコツというギャップに惹かれていったんだろう。

 

 ソラはそんなアホを密かに軽蔑するのであった。

 

 

 

 【ロドス 事務スペース】

 

 手っ取り早く事を終わらせるのならケルシー医師に尋ねるのが一番なのだが、ソラは躊躇していた。

 単純な話、ソラはケルシーのことを恐怖の対象として見ていたからである。

 

 記憶を失う前のドクターはケルシーよりも冷徹だったと聞くが、その噂の真偽がどうであれ、ソラは何を考えているのか分からない人のことが苦手なのであった。

 

 「あれ?ソラじゃん!ってかナニその恰好!」

 「えええ!?エクシア!?なんでいるの!!」

 

 思わぬ邂逅に声を上げるソラ。

 その声に驚いた様子のエクシアは、ただ理由もなくフラフラと彷徨っていたという。

 

 「いやぁ~、アジトがああもぶっ壊されてちゃね?怒られるのもイヤだしってこと!」

 

 事の発端であるエクシアを前にして、ソラは思わず動きを止める。

 内心は彼女を客観的に見た時の異常さの理由を知りたくて仕方がなかった。

 

 それがプライベートの領域を越えるものであるということは、聞く側も十分理解していた。

 しかし、その好奇心と使命感を理性で抑えるには、ソラは幼過ぎた。

 何よりも、経験が足りなかったのだ。

 

 「・・・・・・。」

 「ん?どうかした?もしかして気分悪い?」

 

 言いたい言葉が喉まで出てきてつっかえる。

 知りたいという気持ちが先行して、肉体の準備が追い付いていないのである。

 陸に打ち上げられた魚のような息遣いで発言する。

 

 「あ、あぇ、え、えっと!あの!」

 「!?どうしたの!なんか眼がヤバいよ!」

 

 目を真っ赤に充血させてエクシアに問う。

 

 「エクシア最近変じゃない!?」

 「・・・・・・はい?」

 

 

 

 【ロドス 甲板】

 

 風に吹かれ、艶めいた赤髪がたなびく。

 一見乱雑にカットされたと思うような髪も、目を凝らすと細部までよく手入れがされている。

 

 ・・・伸ばせばそれこそ天使のような輝きを放つだろうに。

 

 「あ~・・・。なるほどね~。あたしの事心配してくれてたんだ~。」

 「うぅ・・・。言葉足らずで申し訳ありませんでした・・・。」

 

 ここ最近の違和感について。テキサスとラップランドの会話について。そしてテキサスと話したことについて。

 全てをエクシアに吐露したが、当の本人は気にする素振りを一切見せなかった。

 

 「えーと、ソラは何が知りたい感じ?」

 

 ソラの心配は杞憂に終わった。

 それは素晴らしいことなのだが、新たなる問題も同時に発生してしまった。

 

 「何って、え、大丈夫なの?かなりプライベートな質問になるんだけど。」

 「うん。知ってるよ?それで・・・どれが聞きたい?」

 

 何とも言えない重圧感。

 普段穏やかな人がキレるのが一番厄介というように、いつもニコニコしているエクシアのマジトーンには謎の威圧があった。

 

 「ひぃっ・・・。単純に、最近元気ないなぁ~って思ったり・・・ね?」

 「ん~?ホントに何にもないよ!ソラは優しいから考えすぎちゃうんだよ!」

 

 エクシアの口は確かに笑っていた。眩しいぐらいの、見る者に元気を与える笑顔。

 しかし、風にたなびく髪に覆い隠された眼はきっと笑っていなかった。

 ソラは隣に座るエクシアの方を見ることがついに出来なかった。

 

 「いやぁ~。最近暑くなってきたね~。ねぇ、今度みんなでイェラグの方寄ってみない?絶対楽しいと思うんだ!」

 「・・・まだ話、終わってないよ。」

 

 エクシアが口を閉じる。

 戦闘中、どんな状況においても軽口を言い放つ彼女が黙るということは、それだけで異常事態であった。

 

 「・・・う~ん。そんなに気になる?」

 「だって!・・・わたしは、みんなが笑顔でいてほしいし・・・。」

 

 お世辞にも穏やかとは言い難い風が吹く。

 俯いたソラの顔が黄金の髪に隠れる。

 

 「・・・もぉ~!しょうがないなぁ~。言うから!言ってあげるから!ホラ、顔上げて!」

 「ふぇぇ・・・?」

 

 ソラの眼から大粒の涙がこぼれる。対するエクシアは、先程とは打って変わって満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 「・・・フラれちゃったんだ。絶対イケる! って思ってたんだけどね。見事逝っちゃったワケ!」

 

 

 「え?そ、それで最近元気なかったの?」

 

 当たり前だ。エクシアとて女の子なのだ。

 ただ少し銃の扱いが長けていて、ビルの柱を容易く崩す魔弾を放ち、殴り合いでも軽く無双できる腕っぷしを持っているだけの普通の女の子なのだ。

 

 「うん。誰にも言わないでね?ソラも蜂の巣になりたくないでしょ?」

 「誰にも言わないよ!信用してよ!」

 「じゃっ!あたしは一足先にアジトに戻ります!クロワッサンも心配だしね!」

 

 問題は解決し、ソラの心を蝕んでいた好奇心も消え去ろうとしていた。

 しかし、新たな疑問が浮上する。

 

 

 (あれ・・・?テキサスさんはエクシアの玉砕を知っていたの?)

 

 『確かに皆おかしくなっているかも知れない。そして発端はエクシアだ。わたしも関係しているんだがな・・・。』

 

 (でも、テキサスさんも関係してるって・・・。ん?どういうこと?)

 

 

 「あたしはね。結構しつこい女なんだ。急ぎ過ぎた結果の失敗だなんて微塵も思ってないから。」

 

 艦内に続くゲートの前で立ち止まる。

 ソラは向かい合うことなく、背面した状態で話を聞く。

 

 「つまり何が言いたいかっていうとね?まだ諦めてないってこと。義人はわたしだけのものなんだ。」

 「テキサスにも伝えといて。」

 

 

 

 これ以上は踏み込んでは行けない。そう少ない人生経験が警鐘を鳴らしている。

 『・・・後悔や秘密の一つ二つ誰にでもあるだろう。』

 

 テキサスの言葉を思い出す。

 この問題は自分なんかが手を出してはいけない程深刻な物なんだ。

 ソラはようやくその事実に気が付くことが出来た。

 

 ソラはテキサスとエクシアの弱点を図らずとも握ってしまったと同時に、ペンギン急便を渦巻く不穏な澱みをひたひたと感じ取った。

 そして、ある男に対して尋常ならざる怨嗟を募らせるのであった・・・。

 




長ェ!
そしてもう少し続きます。


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誰が為に銃声は鳴る 破戒(エクシア)

タイトル通り、前回の続きです。
続きといっても過去編なんですけどね。


 【ロドス ドクター記憶喪失後】

 

 【要人警護任務作戦中】

 

ダダダダダ!!! ジャキイイン・・・!! ガギイン!

ドゴオオオン!!!

バキイ!!ミシミシミシ!! アップルパイ!!!

 「うおおおお!!どうしてこうなるんだ!!」

 「ひええええ!!作戦は完璧だって言ってたじゃないですか!」

 

 獣道を突き進む4台の軍用車。それを追う違法改造車の軍勢。

 今にもなぎ倒されんとする車の中には、華麗なる()復活を遂げたロドスのドクターが同乗していた。

 

 「都市郊外の山間部にゲリラが居るなんて思わないだろ!」

 「と、とにかく、リスカムさんたちに救難要請を・・・!!」

 

       バギイイイ!! ビイイイイイン・・・・・・。

 

 ジェシカが死にかけになりながら発信機に手を伸ばした瞬間、改造車の荷台から射出された槍が防弾ガラスを貫き、ジェシカの股間下に突き刺さった。

 もう少し動くのが速かったら、腰で2つに分離する所だった。

 

 「は、は、はうわぁぁぁぁ・・・!!」

 「なんだアイツら!私たちを殺すつもりだぞ!!」

 

 ぬかるんだ地面にタイヤを持っていかれないように一列になって走行する。

 当然速度も落ちるため、殿を務めていたBSWの装甲車両はズタボロにされていた。

 

 「うわあああ!!このままじゃジリ貧ですよ!どうすればいいですか!」

 「くそっ!最悪巻き込んで自爆するしかねぇ!遺書でも書くんだ!!」

 

 最後尾で踏ん張っているドクターとジェシカとは裏腹に、先頭車両の内部は比較的穏やかであった。

 

 「う~ん。これどうすんの?かなりヤバい状況だと思うんだけど・・・。」

 「見れば分かる。相手の運転席だけ撃ち抜くことは出来ないのか?」

 「足場が安定してないからムリ!なんとかして後ろ(リーダー)と交代できないの?」

 

 スコープ越しに後方を警戒するサンクタのペンギン急便職員。

 ハンドルを力強く握り、隣から聞こえるボヤキに受け流すループス。

 彼女は申し訳程度に整備された山道から外れないように運転することが精一杯だった。

 

 「厳しいな。ドクターの車両と連絡が繋がらない。エクシア、お前だけでも行ってやれ。」

 「よ~し!いっちょ暴れてやりますか!」

 

 そう言うとエクシアは仰々しい銃火器を担ぎ、腕を捲りながらドアを開ける。

 瞬間、敵の放ったアーツが頬を掠める。

 

 「・・・うわっ。ちょっと怖いかも・・・。テキサス?運転席代わるから行ってきてよ。」

 「はぁ・・・。速く行かないと手遅れになるぞ。」

 

 

 一方、車列後方ではドクターとジェシカ達が必死に耐えていた。

 

 「もう弾丸が尽きそうです!次追突されたら車ごと終わりますよ!」

 

 「お困りかい?悩める少年少女たち!」

 

 

 ボンネットから聞こえる声。この状況ならどんな人にでも助力を乞うところだが、これ以上にない助っ人だった。

 

 「エクシアさん!中に入ってください!あぁ、助かりました・・・。」

 「ん~。とりあえず、アイツらぶっ飛ばしてから話そっか!リーダー!作戦は?」

 「車両が限界だ!山道を抜け次第車列から離脱し白兵戦を仕掛ける!我々の命より要人の命を優先しろ!!」

 

 車内のオペレーターたちが覚悟を決めたように息を整える。

 ジェシカが座席下に落下した弾丸を拾おうとした時、敵車両から不穏な声が聞こえた。

 

 『おい!めっちゃしぶといじゃねぇか!話と違うぞ!』

 『もういい!ランチャー持って来い!道ごと消し飛ばしてやる!!』

 

 みるみるうちに蒼白になっていくジェシカの顔。

 車内に危機を伝える時には既に遅かった。

 

 

  ドオオオオオオン!!!

 

 「うおおおおお!?なんだぁ!?」

 

 突如としてひっくり返る車両。

 天地が逆になった衝撃で思わず外に吹き飛ばされる。

 

 「かなりマズいな・・・。さて、どうするか・・・。」

 

 テキサスはエクシアが乗り込んだ車両が爆破されたのを見て、任務を優先するか、仲間を優先するかで対応に困っていた。

 奥歯を軋ませ、ハンドルを放せない状況を恨めしく思うと、後部座席の補助オペレーターから声をかけられる。

 

 『テキサスさん。敵性対象はドクターの車両を追跡していきました。このまま脱出しましょう。』

 「・・・本気で言っているのか?」

 

 味方の指揮官を見捨てるとも言える提案に耳を疑う。

 

 『はい。今回の任務は護衛対象の安否が最重要とされています。イレギュラーな事態が発生したとは言え、プラン通りに行動して頂ければロドスとしても助かります。』

 「・・・なら貴様が運転しろ。規則に従って仲間を失い続けるがいい。」

 

 そう言い放つとテキサスはドアを開け、ヒラリと身を投げ、地面を切りつけて衝撃を殺し、華麗に着地する。

 

 「さて、わたしも向かうか・・・。」

 

 

 

 

 坂道を転がり落ちながらドクターたちは車内でミキサーになり、落ち着いた時には既にグロッキーになっていた。

 

 「・・・おい、全員無事か・・・。」

 「うぷっ・・・。大丈夫です・・・。」

 「ちょっと・・・。これはヤバいかもね・・・。」

 

 周囲を見渡すと、敵の集団に囲まれていた。

 こちらの戦力は数名の戦闘オペレーターと1人の足手まとい。

 

 対する相手は3台の改造車に約10数名の武装集団。

 控えめに言ってかなり危機である。

 

 「・・・見逃してくれたら助かるんだが。いくら欲しい?」

 『てめえらの命で十分だ。女以外は殺してやるから安心しとけよ?』

 

 敵が武器を抜く。

 しゃがんでいたエクシアとジェシカが前に飛び出し、ドクターが負傷した運転手を抱え、遮蔽物に身を隠す。

 

 「アップルパイッ!!」

 「射撃開始します!!」

 

 静まり返った木々の中で銃声が鳴り響く。

 

 『クソッ!こいつら強えぞ!』

 「ジェシカ!敵の装備を撃ち抜け!殺害しても構わん!全滅だけは避けるんだ!」

 

 ドクターが手榴弾を投げる。

 エクシアがその意図を察してか、弾丸で一発。そのグレネードを狙撃した。

 

  バアアアン!!

 

 目の前で人間が破裂する。固まっていた敵集団を巻き込み、甚大なダメージを与えた。

 他の一般オペレーターたちが体勢を崩した敵に覆いかぶさり制圧していく。

 

 「ナイスリーダー!今の良かったよ!」

 「エクシアさんッ!前!!」

 「・・・へ?」

 

 脇見をしたエクシアの頭上に大きな影が出現する。

 煙の中からハンマーが出現し、鼻先を掠めた。

 

 ドガアアアアン!!!

 

 「うわあっ!・・・びっくりした~。」

 『仲間が殺されたんじゃあ手加減できねえなぁ!?オイ!!』

 

 一際大柄な男が現れる。手に持ったハンマーはレユニオンのボンバークラッシャーを彷彿させた。

 

 「退けエクシア!撤退する!」

 「ちょ、ちょ、あたしヤバいかも!!」

 

 武芸の欠片も感じられないハンマーの大振りがエクシアを横から突き上げる。

 

 「ぐッッ・・・!!ゲホッ!あたし死ぬかも!!」

 「援護します!!」

 「行くな!戻れジェシカ!!」

 

 ドクターが発煙弾を投げた後、エクシアを救出し、森に撤退する。

 

 「ううう・・・。ウッ! げえええ・・・・・・。」

 

 エクシアが耐え切れず吐血する。骨のみならず内臓までダメージが入っているのだろう。

 医療オペレーターが対応に追われているが、それでも完全回復は難しいはずだ。

 

 「ドクター。このままじゃあ皆アイツに潰されてしまいます・・・。」

 「ドクター。どうすれば・・・。」

 

 「ドクター!」 「ドクター・・・。」 「ドクター?」

 

 最大戦力のエクシアを失ったことで、かなり戦況が悪くなった。

 状況の悪化は皆を更に不安がらせ、神の采配に縋る声が大きくなる。

 

 (エクシアが戦闘不能になった今、無傷で逃走は難しいな・・・。)

 

 (戦えるオペレーターは、狙撃と術師1人。前衛が2人か。いざとなれば私も肉壁くらいにはなれるか?)

 

 「・・・あのハンマー野郎を打倒する。死にたくない奴はエクシアの傍にいろ。」

 

 死にたい人間なんていない。誰だってそんなものだ。

 しかし、ここに居る全員は仲間を生存させるために死なんとすることを選んだ。

 

 

 『はぁ・・・。コソコソ隠れやがって。森ごと焼いちまえばいいんだよ!!』

 『そんなことしたらウォルモンドの憲兵が飛んでくんだろが・・・。』

 

 殺した者達から奪ったであろう装備をギラつかせ、木々をかき分けながら進むゲリラ兵。

 完全に油断しきっているタイミングで、草木の間から男が飛び出した。

 

 「うおおおおおおッッ!!!」

 『なんだコイツ!!』

 

   ガギイイイン!!

 

 決死の攻撃も軽く受け止められる。

 

 『コイツ足震えてやがる!素人以下の一般人だぜ!!』

 「俺なんかが勝負決められるわけねぇだろ・・・!後ろ見てみろダボハゼが!!」

 

 ハンマーの男が後ろ振り向く。

 そこには自分に付いて来ていたはずの子分たちが倒れていた。

 

 『あ˝あ˝!?てめぇ何しやがった!!』

 「後ろ見ろって言っただろが!!」

 

 倒れていた1人の子分(?)が立ち上がり、練り上げたアーツをハンマー男に向けて射出する。

 その者が身に着けていた装備はグレネードによって四散した男の装備だった。

 

 『いってぇ!!片目が潰れたぞ!!』

 「油断してんじゃねえよ!上見てみるんだな!!」

 

 ハンマー男は新人オペレーターの言う通りに上空を見上げる。

 しかし・・・

 

 『あ?なんもねぇじゃねぇか・・・。』

 「敵の言うことを素直に聞く奴がいるかよバーカ。」

 

 

 新人オペレーターの後ろの茂みから別の声が聞こえる。

 そう気づいた瞬間に、草木の間から拳銃を持った厚着の男が飛び出す。

 

 『なッ・・・!!』

 「ゼロ距離射撃だ!ありがたく頂戴しやがれ!!」

 ドクターは新人オペレーターの肩を踏み台にし、ハンマー男の片目に銃口を突き付けた。

 

 

 

 パアアン・・・!

 

 

 再び辺りが静寂に包まれる。

 ハンマー男は脳幹を撃ち抜かれて仰向けに倒れ、そのまま2度と立ち上がることはなかった。

 

 「は、ハハ。生き残ったのか・・・。」

 「あぁ。私たちの作戦勝ちだ。相手がバカで良かったよ・・・。」

 

 新人オペレーターたちが安堵し、地面に崩れ落ちる。

 

 「いやぁ~。正面から突っ込めって言われた時はドクターを殺して自分も死のうって思いました~。」

 「わたしだって!敵の装備つけて渾身の一撃を打ち込むまでじっとしてろって言われたんですよ!?なんか装備の内側に肉が付いてるし・・・。」

 

 すぐ側の樹木からヨジヨジとジェシカが降りてくる。

 

 「まぁ、失敗しても上から脳天撃ち抜ける場所にいましたから・・・。その時はハンマーに一番近かった人が死んじゃいますけど・・・。」

 「だから私が飛び出したんだ。まさかコイツ(ハンマー男)も指揮官が切り札とは思うまいよ。」

 

 結局、増援のテキサスが到着したのは決着がついてから数十分経過した時であった。

 

 

 

 【ロドス 医療棟】

 

 「ドクター!?戦闘に参加したと聞きましたよ!あなたはもっと指揮官ということを自覚して下さい!」

 

 可愛らしくも力強い声がロドスに響き渡る。

 

 「すまないなアーミヤ。でもホントに死ぬかと思ったんだぞ?」

 「でももだってもありません! 本当に心配したんですからね!!」

 

 先の戦闘での負傷者は運転を担当していたオペレーターとエクシアの2名だけであった。

 少ない負傷者で賊を壊滅させたという功績は、ドクターの指揮能力の高さをアピールするには十分だった。

 

 特に、新人オペレーターの中ではドクターに対する信頼度は大きく上昇したことだろう。

 しかし、過去のドクターを知る人物からすれば、ようやく救出したドクターを再び失いかけたという事実は大きな衝撃を与えた。

 

 「作戦の内容は評価しかねるものだが、その身を犠牲にしてまでも部下を救おうとする姿勢は高く評価しよう。」

 「あっ、ケルシー先生・・・。」

 

 アーミヤが耳を垂らし、困ったような顔になる。

 如何せんドクターとケルシーの仲は決して良いものとは言えなかったからである。この時は。

 

 「・・・素直に褒められないのか?」

 「フン。目立った外傷も無し。不測の事態に臨機応変に対応できる。本当に記憶を失っているのか?」

 

 ドクターの診断報告書に目を通しながら話を進める。

 どうやら彼女は記憶が戻ったかどうかの確認をしに来ただけのようだ。

 

 「・・・本当に怪我は無いんだな?」

 「え?あ、あぁ。」

 

 そう答えるとケルシーは踵を返して退室していく。

 

 「あの、ケルシー先生は素直じゃないので・・・。心の中では心配してるんだと思いますよ・・・?」

 

 アーミヤに励まされ、多少の元気がでる。

 年端もいかぬ少女に慰められるなど、あっていいのだろうか。

 

 

 

 【ロドス カフェテリア】

 

 要人の警護任務は無事完遂されたと聞き、安心したドクターはコーヒーをチビチビと飲むのであった。

 

 「よっす!元気にしてた~?」

 

 ガタンと隣の椅子が雑に動かされる。

 カウンター席だから結構距離が近い。女性特有の良い匂いを感じながらも、ドクターはそれをコーヒーでかき消す。

 

 「エクシアか・・・。体はどうなんだ?」

 「え?もしかしてセクハラ?」

 「違う。その様子なら大丈夫そうだな・・・。」

 

 血反吐を吐き散らかしていたのに、ものの数時間で回復したらしい。

 種族としての強さもあるだろうが、きっと当たり所が悪くならないように調整したのだろう。

 

 「いやぁ~。実はあたし全部見ちゃったんだよね~。」

 「・・・何が。」

 

 グイっと身を寄せてくるエクシア。

 からかうような顔つきはどこぞの健康優良不良少年を連想させた。

 

 「『ゼロ距離射撃だ!ありがたく頂戴しやがれ!!』」

 「く~!痺れたね!!」

 

 「やめてくれないか・・・。アドレナリン放出しまくってたんだよ。」

 

 勢いに乗っていた時のテンションをコスられるほど屈辱なことはない。

 当のエクシアに悪気が無いというのだから余計に恥ずかしい。

 

 「ねぇ。リーダーって銃撃ったことあるの?」

 「いや、人を撃ったのは初めてだ。一応訓練とかには参加してたんだがな、的に当たらんものだからすぐに飽きてしまったよ。」

 「あははは!じゃあさ、今度あたしの銃使ってみる?」

 

 サンクタにとって銃というのは自身をサンクタたらしめる象徴のようなものである。

 意外と信心深いエクシアが他人に銃を触らせるということは、それだけ信頼しているということなのだ。

 

 「いや、遠慮しておくよ。間違えて破壊してしまったら敵わないからな。」

 「え~!しょぼいピストルかなんかだと思ってない?一発当たれば死ぬ弾が一秒で13発出るんだよ!」

 

 かなり積極的に押してくるものだからドクターも断るのも申し訳ないと思い、誘いに乗ってしまう。

 断る理由も普通に射撃が下手くそというだけだったのだが。

 

 「じゃっ!また連絡するから!あたしの電話はワンコールで出てね!」

 「・・・はいはい。」

 

 

 エクシアが退店したのを確認すると、静かにため息をつく。

 

 「『なんか面倒なのに気に入られちゃったな~』って思ってない?」

 「モスティマ。何で隠れてたんだ?」

 

 隅の方でケーキを食べていたモスティマが近寄ってくる。

 エクシアとは違う落ち着いた立ち振る舞いは自然と大人な雰囲気を出していた。

 

 「ふふ、一生懸命な子は応援しちゃうものでしょ?」

 「エクシアはいつも君を探しているんだぞ。可哀そうとは思わないのか?」

 

 「嘘。わたしに気づかずに君の隣に座ったんだ。初めから君を探してたんじゃないかな?」

 「ふふ、それが何を意味してどう捉えるかはドクター次第だけどね。」

 

 ニヤリと笑うモスティマ。

 彼女はいつも全てを知ったような口振りで物を語る。

 

 「・・・何のことやら。」

 「言っておくけど、人生は一回きりだよ。選ぶってことは、それ以外の物は捨てるってことだからね。」

 

 彼女はドクターよりも世界を知っている。

 年齢的な意味ではない。人生経験的な意味でだ。

 きっと彼女にしか理解できない境地があるのだろう。

 

 「知っているさ・・・。」

 「知ってるだけでしょ?卑怯者。わたしのことは何も選ばず捨てたくせに。」

 

 彼女はそう言うと姿を消す。時間でも止めたのだろうか。

 そしてドクターは自分の胸ポケットにケーキの領収書が突っ込まれていることに気がついた。

 

 

 

 

 【ロドス 訓練場】

 

 「ん~・・・。もうちょい上かも。ほら脇締めて!足は肩幅!スコープじゃなくて的を見る!」

 

 訓練場に珍しい2人が来たものだから、その分ギャラリーも多くなる。

 指揮官が銃の撃ち方に苦戦している姿のソレは、周りから見ると実に滑稽に写っていることだろう。

 

 「エクシアはどうやって撃ってるんだ?」

 「あたしたちは体の一部みたいなものだからね。なんなら片手でも撃てるよ!」

 

 センスとかそれ以前の問題だった。

 ドクターは銃の扱いについてスパルタ指導を受けたが、結局的を貫いたのは1マガジンで2発であった。

 

 「あはは・・・。ここまで下手だとむしろ才能だね・・・。」

 「・・・カリスマは然るべくして射撃が下手なんだよ。少佐もそうだったからな。」

 

 

 

 

 【ペンギン急便 応接室(笑)】

 

 「それでケルシーが言ったんだよ。『殺されるまで黙っている生物なんて存在しない。』ってよ。」

 「ほぉ・・・?それで何てアンサーしたんだ?」

 

 汚すぎる応接室で皇帝とドクターが世間話をする。

 いざという時になると本領を発揮する者同士、リスペクトできる部分があるのだろうか。

 

 「それで言ってやったんだよ。『殺されてから喋る生物はいるのか?』ってな。」

 「ハハハハハ!!クリティカルじゃねぇか!最高だなオイ!」

 

 廊下まで響く声に聴き耳を立て、アップルパイを作るエクシア。

 どこに笑う要素があるのかと思いながらも、男はそんなもんなんだと勝手に結論付け、焼いたパイを応接室まで運ぶ。

 

 「相当入れ込んでいるようだな。」

 「ん?・・・テキサス。」

 

 廊下に続く扉の横に相棒が立つ。

 その様子は普段のものではなく、警告を促すようなものであった。

 

 「あの男は信用するな。奴はわたしたちを駒としか認識していない。」

 「それは・・・過去のドクターの話じゃないの?」

 「人の本質は簡単には変わらない。」

 

 テキサスはドクターの事を快く思っていないようだ。

 それは本能的な意味ではない、対象を理解していない故に発生する自己防衛の感情。

 

 そして、初対面での警戒心が強い人ほど依存しやすいということをエクシアは知っていた。

 

 「あの人は違う。何でかは分からないけど。この人のために強くなりたい!って思う時がテキサスにもいつか来るよ。」

 「アイツがエクシアたちが言う『義人』って奴なのか?」

 「どうだろ。もしかしたらそうかも知れない。あれもこれもDeo volente(神の御心のままに)だよ。」

 

 テキサスはエクシアを睨みつける。

 育った環境が違うからか、テキサスは他人を簡単に信じることが出来ない。

 

 「・・・また宗教か。救われないことなど一番理解しているだろ。」

 「さぁ?テキサスこそ、足元掬われないように気をつけてね!」

 

 

 

 【ロドス 執務室】

 

 「最近エクシアさんと仲良しみたいですね・・・。」

 

 アーミヤがポツリと言葉を放つ。

 悪態とまではいかないが、特に上手でもない皮肉を言うあたり、かなりご立腹なのだろう。

 

 「そうか?あまり感じなかったが・・・。」

 「いけない事ではないんですが、その、ベタベタしてるなって思っただけです。」

 

 ドクターとエクシアはよく行動を共にすることが多かった。

 しかし、それはアーミヤが想像しているような甘い付き合いではなく、気の合う友達としてだった。

 

 少なくとも、ドクターはそう認識していた。

 

 「エクシアだけじゃないぞ?皆と仲良くしてるからな。」

 「むっ・・・。わたしとは付き合いが悪いように感じられますが・・・。」

 

 アーミヤの苦言に乾いた笑いを発する。

 確かに特定の人物ばかりとの接触を続けるのもよろしくない気がした。

 

 「身近な存在の大切さは失わないと気が付かないものなんだよ。」

 「本当にドクターは口が達者ですね・・・。」

 

 わざと聞こえる大きさのため息を出すアーミヤ。

 身の振る舞い方には気をつけなければならないと、ドクターは改めて実感した。

 

 

 

 

 

 【龍門市街 大型デパート】

 

 「いよっ!今日は遅かったね。もしかして忙しかった?」

 

 普段のペンギン急便の制服ではない完全プライベートの服装。

 といっても華美なものではなく、いつでも走り出せるような軽装であった。

 

 エクシアの人間性を表しているのだろうか、綺麗さや可愛らしさを重視せず、活発さをアピールしたようなものだった。

 

 「いや、少し渋滞に引っかかってしまっただけだ。待たせてしまってすまない。」

 「いいよいいよ!あたしもさっき着いたばっかだから!」

 

 ロドスやペンギン急便アジトで会話することは多々あったが、こうして市街に繰り出すというのは初めてであった。

 ドクターは相変わらず普段の厚着だったが。

 

 ・・・・・

 

 「見てコレ!あたしに似合うと思わない?」

 

 洋服屋にてエクシアが気に入った服を持って見せびらかす。

 女性用の服装しか売っていないような小洒落た店なので、慣れないドクターは居心地の悪さを感じていた。

 

 「あー。その服はアグタリス向けの服だからオススメできないな。」

 

 ガヴィルたちが着る服は巨大な尻尾を通すための穴が開けられていることが多い。

 エクシアは何もなかったといわんばかりに手に持ったソレを元の場所に戻す。

 

 「・・・そういうのはもっと早く言ってくれると助かるんだけどな~?」

 

 頬を微かに赤らめながら答えた彼女は、元々キープしていた服を持ってレジに向かう。

 そんな時、ドクターは柄にもなく男を見せるのだった。

 

 「全部よこせ。まとめて会計してくるから。」

 「えぇっ!?そんなの悪いよ!これはあたしの買い物なんだから!」

 

 気を遣って譲らないエクシア。カッコつけようと断固として譲らないドクター。

 最後に折れたのはエクシアの方だった。

 

 「もう、しょうがないなぁ。ご飯はあたしに払わせてよね!」

 

 2、3着の服が詰め込まれた袋をプレゼントする。

 受け取ったエクシアはホクホク顔で足を進める。

 

 「ありがとね。リーダー!」

 

 やはり彼女の顔は血に濡れているよりも、爽やかな笑いが似合っている。

 

 

 ・・・・・

 

 「ホントにこんな所に入っていいのか・・・?」

 

 眼前にそびえ立つ豪奢なビル。

 龍門の繁栄を象徴するその建設物は、闇夜においても光り輝いていた。

 

 「びっくりしたでしょ?あたしもそうだったもん。ごめんね!お城みたいな休憩所じゃなくて!」

 「はぇ~。高すぎて頂点が見えないぞ・・・。」

 

 エクシアのジョークも聞く余裕がないドクターは、田舎者丸出しと言わんばかりの行動を取っていた。

 

 「ほらリーダー!早く行くよ!ただでさえリーダーの恰好は目立つんだから!」

 

 上を見上げたまま動かないドクターは、強引に腕を組まれてビルの中に誘導される。

 

 「よ~し、ここのレストランってもう開いてるっけ?」

 『は、はい。開店しておりますが、お客様。ご予約の方は・・・?』

 「あっ。ごめんね。皇帝(ボス)がよろしくって言ってたよ!」

 『・・・!!これは申し訳ございませんでした。ⅤⅠPルームをご用意いたします。』

 

 ドクターは、目の前のやり取りを見てコネの重要さの理由を垣間見たような気がした。

 ・・・なんてことを考えながら、エクシアに連れられエレベーターの乗る。

 

 「ここ何階まであるんだ?大裂溝でも起きたらただじゃ済まんだろ・・・。」

 「・・・もしかして高所恐怖症だったりする?」

 

 先程の破天荒さとは打って変わって急に心配な面持ちになる。

 この面倒見の良さと、フットワークの軽さが彼女の最大の魅力なのだろう。

 

 「・・・いいや、いつもカップラーメンだからこういう所は慣れてないんだよ。」

 「あはは!リーダー絶対早死にするよ!」

 

 目的地に到着し、エレベーターの扉が開く。

 

 「うぉ・・・。何だココ・・・。」

 

 微かに聞こえる細かな皿の音。誰一人として喋らない空間。

 薄暗い照明と鮮やかな夜景が店内をロマンチックに彩っていた。

 

 「・・・リーダー。ついて来て・・・。」

 

 エクシアが小さく耳打ちする。

 ドクターは、この空間の息苦しさに耐えかねて、足早にエクシアの隣を歩く。

 

 辿り着いたVIPルームとやらは完全個室のようだった。

 

 「あ˝あ˝~・・・。私には少し早すぎる場所だったみたいだ・・・。」

 「ホント・・・。あたしもここの雰囲気には慣れないよ。」

 

 向かい合わせに着席した瞬間、2人は瓦礫のように崩れ落ちる。

 そして、テーブルクロスがコットンで作られた高級品だということに気がつくと、2人は飛び起きて姿勢を正すのであった。

 

 「とりあえず、食べよっか!あたしの奢りなんだから目一杯召し上がれ!」

 「・・・破産しても知らんからな。」

 

 しばらくすると前菜が運ばれてくる。

 エクシアは慣れた手つきで口に運んでいく。

 普段の立ち振る舞いからは考えられないような上品な食べ方。それは美しさすらも感じるものだった。

 

 「・・・ん?マナーとか気にしなくていいんだよ?」

 「育ちの悪さがバレてしまうな・・・。」

 「だいじょーぶだいじょーぶ。ここにはあたしとリーダーしかいないから・・・。」

 

 一瞬ニヤリと不敵に笑う顔が見えた気がした。

 なにか企んでいるな。と考えたが、心配するほどの事では無いと自己完結した。

 それほどエクシアのことを信頼していたのだ。無論、逆もまた然り。

 

 「これ、美味しいな・・・。」

 「そう?よかった!バカ舌になってんじゃないかって思ってたから安心した!」

 

 そうして運ばれてくる魚料理やローストを食す。

 エクシアの食事作法を見よう見まねでするものだから、お世辞にもドクターの食べ方は行儀の良いものとは言えなかった。

 

 「・・・うん?あっ、そういうことか。難しいな・・・。」

 「・・・・・・ふふっ。」

 

 スムーズに事が進まず、苦戦しているドクターの様子を見て、エクシアは微笑んでいるのであった。

 

 「エクシア。今モスティマと同じ顔をしているぞ。」

 「ゑ?嬉しいような悔しいような・・・。あっ、バカにした笑いじゃないからね。」

 

 運ばれてくるフルコースも終わりに差し掛かり、デザートの甘味が提供される。

 

 「ふぅ。結構お腹いっぱいになるね・・・。」

 

 ショートケーキを半分口にして、エクシアは夜景を見る。

 

 「デザートはアップルパイが良かったんだけどな・・・。」

 「・・・なーに言ってんの!」

 

 彼女の横顔は夜景の光に照らされ、静謐な雰囲気を放っていた。

 龍門の光がライトだとしたら、彼女は舞台女優だろうか。

 

 「・・・綺麗だな。」

 「そう?もっと褒めてもいいんだよ。」

 

 エクシアではなく夜景のことを言ったつもりだったのだが、今更言うことも出来なくなった。

 食器が片付けられ、室内が静寂に包まれる。

 

 ドクターは慣れない空間に終始キョドリまくっていたが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。

 エクシアに背中を預けても良いと思えるようになっていたからだろうか。

 

 「・・・ねぇリーダー?」

 「おん?何だ?」

 

 ドクターが満腹感から情けない声を発する。

 一方、エクシアは普段とは違うシリアスな表情をしていた。

 

 「あたしたちさ、結構一緒にいるじゃん。それでさ・・・。」

 

 彼はこの空気の感じを知っていた。

 彼とて伊達に大人になっていないのだ。経験に基づく予測が脳内を駆け巡る。

 

 「まぁ、なんというかさ。ちょっと待って。緊張してきた・・・。」

 

 途絶え途絶えの呼吸を整え、顔を手のひらで扇ぐエクシア。

 ドクターは途端に申し訳なく感じ、今すぐにでも土下座したい後悔に陥った。

 

 「あのさ、あたしと・・・・・・」

 

 上の立場に立つ者として気を付けなければならないことは、人に対応の区別をつけないことだ。

 故に1人の仲間を恋愛対象として見るなど、

 

 

 「付き合ってみない?」

 

 

 

 【ペンギン急便アジト 未明】

 

 月も沈み、陽も出ていない深夜。

 草木も寝静まり、日々の喧騒の元凶であるギャング達も肝臓を休めている頃だろう。

 

 だが、ペンギン急便のアジトでは微かな灯りが廊下に漏れていた。

 

 「・・・おや、これまた珍しい。」

 

 久方ぶりにアジトに帰還したモスティマ。

 といっても、陽が昇る頃にはまたここを出発するのだろうが。

 

 「・・・モスティマ。帰ってきてたんだ。」

 「ふふ、酷い顔。もしや寝てないんじゃない?」

 

 真新しいテーブルに突っ伏していたエクシア。その目元は赤く染まっていた。

 

 「キミが泣くなんてわたしが故郷を離れた時以来かな?ほら、鼻水拭いて。」

 「うっ・・・。あたしはもうダメだ。全部なくしちゃった・・・。」

 

 かなり参っている様子のエクシアを慰めながら、モスティマは話を聞く。

 話を聞くといっても、ある程度の予想はついているようだった。

 

 エクシアはモスティマに最近の出来事を全て話す。

 護衛任務の時に男らしさを見たことを、以来なんとかしてコミュニケーションを取ってきたこと。

 そしてついに2人で出かけるまで漕ぎついたこと。

 

 「完璧な計画だと思ってたのに・・・。連絡先だって交換してたのに!!」

 「はぁ・・・。そんなに飲んじゃって、どうなっても知らないよ?」

 

 ウジウジ言いながら秘密の隠し酒を一気に流し込む。

 呆れ顔のモスティマは、エクシアの放った言葉の一欠片に一抹の違和感を感じた。

 

 「・・・ねぇ。ケータイ見せてくれない?」

 「え?別にいいけど・・・。面白い物なんかないよ?」

 

 何かを疑う目でエクシアのケータイを開く。

 スムーズに連絡先一覧を開くと、そこにはペンギン急便のメンバーとドクターのアドレスしか記載されていなかった。

 

 「ねぇ、これって仕事用のケータイ?」

 「いや?個人的に使ってるやつ・・・。」

 

 酔いが回ってきたのか、泣き疲れたのか、どちらにせよ眠そうな声を響かせながら答える。

 

 「エクシアのことだからもっと遊んでるかと思った・・・。」

 「今回は頑張ったみたいだけど、キミ彼氏作ったことないでしょ。」

 

 「うぐぅ・・・。言わない約束でしょソレは・・・。」

 

 再びエクシアがテーブルに伏す。

 

 彼女は急ぎ過ぎたのだ。焦らなくても良い競争だったのに、先を越されたくないが為に必死になってしまった。

 

 「初めての恋だったんだろう?でも相手が悪かったね。ドクターは女の敵だから、どちらにせよだったかもね。」

 

 モスティマはエクシアに一件を諦めるように促す。

 かつて彼女がそうしたように。また、そうされたように。

 

 「・・・わたしのリーダーを悪く言わないで。」

 「・・・ん?エクシア?」

 

 酔い潰れ寸前の人間とは思えないほどの覇気。

 あまりにも強大な威圧感にモスティマが一歩退く。

 

 「試されてるんだ・・・。義人を導くのがわたしたちの使命なんだから・・・。」

 

 「エクシア!気をしっかり持て!落ち着くんだ!」

 

 彼女は信心深かった。他の誰よりも神の御心に従い、生活を律し続けた。

 反面、その超次元的思考は、やがて彼女の精神すらも蝕んでいった。

 

 「くっ!エクシア、今ドクターに連絡をするから待っていて・・・!」

 

 対処するには最早アーツを使わなければならないといった局面で、モスティマは元凶であるドクターに回線を繋ぐのであった。

 

 「・・・ねぇ。なんでモスティマが彼の電話番号知ってるの?」

 

 「あっ、いや、これは・・・。」

 

 エクシアが席を立つ。

 千鳥足もいいとこだが、それ以上に焦点の定まっていない眼球が異常さを増加させていた。

 

 「早く答えろ!背徳者が!!」

 

   ジャキイイイン・・・!!

 

 臨戦態勢。我々はその状態のことを『オーバーロード』と呼称している。

 いくらモスティマといえど、正面からかち合えば無事では済まないだろう。

 

 「ちょ、普通に連絡先くらい知ってるでしょ?」

 

 「・・・・・・・・・えっ?」

 

 2人が硬直する。

 

 「えっ、だって連絡先交換するのは心に決めた人だけって・・・。」

 「・・・誰が言ったのそんなこと。」

 

 エクシアが武装を解除する。

 酔い、または狂気から醒めた姿は、まるで抜け殻のようだった。

 

 「・・・お姉ちゃんだけど。」

 「・・・・・・ハァ。」

 

 

 

 

 

 【ロドス カフェテリア】

 

 「・・・・・・。」

 

 男は、いや、厚着仮面の不審者は、一人静かにブラックコーヒーを啜っていた。

 

 「・・・苦すぎ。」

 「隣、失礼するぞ?」

 

 隣以外にも席は空いているはずなのに女性はドクターの隣に座る。

 

 「ギターノか・・・。どうしたんだ?」

 「何、浮かない顔をしていたのでな、いや、言わんでも分かる。人間関係じゃろ。それもかなり酷いことをした。違うか?」

 

 横目でチラリと見られただけで殆ど当てられてしまった。

 こうも的中させられては占いも馬鹿には出来ない。

 

 「・・・それも占いってやつか?」

 「恋人(ラバーズ)の逆位置。ロドスの誰よりもハッキリと出ておる。タロットの場所は言わんがの?」

 

 苦いコーヒーを一気に流し込む。

 口から喉。喉から胸へと黒い濁流が流れていく。

 ギターノに物申したいことも、まとめて流し込む。

 

 「意中の者がおらんから、ハッキリとした答えが出せんのじゃろ。

 今回の一件だって、『一人の女性ではなく、共に戦う親友として認識していた。』とさえ言えば赤髪のペンギンも泣かずに済んだものを。」

 

 過去を覗いたかのように喋り続けるギターノに対して、ドクターは沈黙を続けていた。

 

 「あの青髪のペンギン、なんといったか。モスティマじゃったか?おぬしがあの娘にしたことが赤髪のペンギンに知られた時、死神(DEATH)の正位置が実現する。闘いが終わっても、もうおぬしはまともな死に方は出来んということを努々忘れるな。これは忠告ではない。警告じゃ。分かったな。」

 

 ギターノは言うだけ言うとそそくさとカフェから出ていく。

 本当に警告だけしに来たようだ。

 

 そして、ドクターは自分の胸ポケットにギターノの伝票が入っていることに気がついた。

 

 

 

 「おっと、すまんの。ケガはない・・・か?」

 

 曲がり角で何者かとぶつかる。

 瞬間、鋭い刃物を腹に当てられ、その場で静止する。

 

 「今から言う質問に答えろ。これは脅迫だ。」

 「これはこれは、ペンギン急便の・・・赤髪のパートナーか。」

 

 ギターノは押し付けられたナイフがただの脅しであり、本気で刺すつもりは無いということを理解した。

 

 「貴様、エクシアのことをどこで聞いた。そして何をどこまで知っている。」

 「ふん、ただの占いじゃ。どれ、今ここでその精密性を試してみてもいいんじゃぞ・・・?」

 

 ギターノが落としたカードが突如として意思を持ったように跳ね回り、テキサスが持つナイフを弾き飛ばす。

 

 「ん?ほうほう。なるほどなぁ。しかし、これまた(こく)な因果じゃな・・・。」

 「・・・何が言いたい。」

 

 飛び回るカードで陣を組み、テキサスを牽制するギターノ。

 ピリついた空気なのだが、ギターノは不敵な笑みを浮かべる。

 

 「テキサスじゃったか。おぬしの行く末は寸分の狂いも無い恋人(ラバーズ)の正位置。おぬしの恋は成就するぞ?」

 「・・・わたしには関係無い。」

 「ちなみに位置は『未来』。まぁ、急がんでも大丈夫じゃ。『おぬしの場合』はな。」

 

 痛いところを突かれたのか、ギターノが言い終わる前にテキサスは姿を消す。

 

 「しかし、世界(THE WORLD)は誰なんじゃろな・・・。」

 

 

 

 

 

 「ドクター?今日はエクシアさんはいらっしゃらないんですか?」

 

 「えっ?もう来ない?・・・ごめんなさい。そんなつもりはなかったんです・・・。」

 

 「でも、ドクターこそ悲しい顔していますよ??」

 

 「もしケンカしたんだったら、わたしも謝りに行きますから。元気出してくださいね?」

 

 

 「でもお仕事は頑張ってくださいね?」

 




お目汚し失礼いたしました。
モスティマさんって170㎝もあるんですね。びっくりしました。


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死に至る神経毒(アズリウス)

何を隠そう私の秘書はアズリウスちゃんなのです。

もちろん昇進Ⅱです。
ちなみに特化はしてません。
編成にも組み込んでません。
でも信頼度は200です。



 生まれながらの体質のせいで、損ばかりしてきました。

 

 【ロドス 研究棟】

 

 「・・・では、また明日。同じ時間にここで集合だ。」

 

 「はい。了解しましたケルシー先生。では、さようなら。」

 

 わたしはケルシー先生の私室兼研究室から退室し、彼女の耳に入らない程度の大きさでため息をつきました。

 

 このロドスに自身の居場所を見つけてからも、その境遇に変化は無く、人の温もりすら知らない日々を送ってきました。

 

 「・・・相変わらず、本当に長い廊下ね。」

 

 ただ一つ変わったことがあるとするのならば、ケルシー先生に検診と称した人体実験を行われているということでしょうか。

 最初の頃こそ抵抗がありましたが、やはり慣れというのは怖いですわね。あっという間に何も感じなくなってしまいました。

 

 そうして、お礼として毎回渡される食券を握り、わたしは今日も食堂に向かうのでありました・・・。

 

 今日も、ひとりで。

 

 

 【ロドス 食堂】

 

 「あの、ここ、空いてますでしょうか?」

 

 『あ、いや、もうちょっとで人が来るから・・・。ハハ・・・。』

 

 「・・・・・・。」

 

 

 「もし?こちらの席はどなたか座られますの?」

 

 『あー・・・。座る感じ・・・?』

 

 「・・・いえ、確認しただけです。」

 

 まぁ、別に慣れてますし・・・。

 そんなに傷つきませんけど、むしろ変に気を遣われる方が傷つくといいますか・・・。

 言葉に表そうとすると難しいですわね。

 

 「結局、いつもの席ですか・・・。」

 

 わたしは独り言をポツリポツリとつぶやきました。

 元々独りでいることが殆どでしたが、このような人が集まる場所ですと、孤独感が増長されて意図せず独り言が出てしまうのです。

 誰にも聞かれていないといいのですが・・・。

 

 「アズリウスさん!いつも窓際にいるけど、何か見えたりするの?」

 

 「えっ、あっ、いえ、特に意味はありませんが・・・。」

 

 いきなり声をかけられたので、どもってしまいました。

 気持ち悪いと思われたりしないでしょうか。

 

 「ふ~ん?そうなんだ~。今日のご飯担当はマッターホルンおじさんだから、シチューがオススメだよ!」

 

 「シチューですか。いいかもしれませんね。」

 

 厨房担当のグムさんがオススメするのなら間違いないでしょう。

 決して、久しぶりに人と会話ができて舞い上がっていた訳ではありませんので。

 

 そうしてわたしは、運ばれてきたシチューを静かに食べるのでありました。

 

 「アズリウスさんは静かに食べる方が好きなの?」

 

 「いえ、そのようなことはありませんが・・・普段から一人で食べているものですので。」

 

 わたしは自虐交じりに答えました。

 

 「ええ~!?そんなのもったいないよ!ご飯はみんなで食べた方が美味しいんだよ!?」

 

 「そ、そうなのですか?知りませんでした・・・。」

 

 わたしはスプーンを口に運ぶ途中で手を止め、情けの無い恰好でグムさんの話を聞いていました。

 

 「そうだよ!次からアズリウスさんもグム達と一緒に食べようね!!」

 

 うっ・・・。笑顔が眩しい・・・。

 

 「その、『達』というのは、一体どちら様なのでしょうか・・・?」

 

 「ん?いろんな人がいるよ?だってロドスのみんなは仲間だもん!」

 

 あぁ、涙が出てきそうですわ・・・。

 ですが、『今度皆で遊びに行こうね!』等の企画は実現しないことの方が多いということをわたしは知っているのです。

 

 まぁ、雑誌の情報ですけども。

 

 「あっ。イースチナちゃんに呼ばれてたんだった・・・。今から間に合うかな・・・。」

 

 途端に彼女の表情がしおれていってしまいました。

 身近な人物の表情が曇っていくのを見るというのは、気分が良いものではありませんね。

 

 ですので、わたしは彼女のためにひと肌脱ぐことにしました。

 

 「これを使いますか?注射するだけで走力が4倍になりますわよ。」

 

 「ひぇっ・・・。それって大丈夫なやつなの・・・?」

 

 「治験は済ませておりますわ。肉体が耐え切れるかどうかは使用者次第ですが。」

 

 「あ、あはは・・・。じゃあ、グムはそろそろ行かなくちゃいけないから・・・。」

 

 そう言い残すと彼女は足早に出て行ってしまいました。

 なぜわたしの薬品は不人気なのでしょうか・・・。

 

 やはり色彩でしょうか?

 

 

 【ロドス 宿舎】

 

 自慢ではありませんが、わたしが歩くと皆が通路を空けてくれますのよ。

 ですので、歩く場所は常に真ん中。

 

 ここに来たばかりの時はわたしの体臭の問題なのかと思いましたが、全然そんなことではなくて安心しました。

 

 「ただいま戻りました・・・。」

 

 わたしの部屋。

 もちろん未だ誰も入れたことのない部屋。

 今後も入れる予定はございませんので、雑多な物が積みあがっています。

 

 「なーんて、返事もないのにバカみたいですわ。」

 

 わたしは前々から取り掛かっていた研究の論文の製作に力を入れることにしました。

 これといった任務もない日は、友人などと遊びにでも行きたいところですが、その願いも叶うのはしばらく後になりそうです。

 山のように積まれた書類を少し動かすと、下の方から封筒が出てきました。

 

 「これは・・・?」

 

 記憶に無い封筒。

 そもそもわたしに届く郵便物事態多い訳ではないので、存在を忘れてしまう等の事はまず無いと思っていましたが、丁度疲労していた時に届いたのでしょうか。

 

 そのような不可解な現象も、特に深く考えず封をピリピリと破りました。

 

 『アズリウスへ。

 残念ながらドクターです。

 医学薬学の分野について、あなたの知見をご教授いただければ幸いです。

 お時間に余裕が出来ましたら、返信または私の執務室までよろしくお願いいたします。

 

 追記、わたしが連絡を寄越したことはケルシーには内密に。

 

 

 読んだら溶かせ。』

 

 わたしは非常に驚きました。

 思い返してみると、封筒に送り主の氏名が記入されていない時点で考えるべきでした。

 

 わたしはドクターの指示通りに紙面を毒で溶き焦がし、執務室があるエリアへ駆けました。

 普段から活発に運動する性分ではないので、その時のわたしはきっと凄い表情をしていたのだと思います。

 

 厚かましい身分ではございますが、焦りと同時に、ドクターがわたしの力を必要としているということに喜びを感じていました。

 

 「はぁ、もっと持久力が必要のようですね・・・。」

 

 歩幅を遅らせて胸で呼吸し、なんとかして体力を回復させようとしました。

 今日という日が良い事ばかり起きる日なのは確かだったのですが、その反面、悪い事も起きる日だったようだったみたいです。

 

 「アズリウス。通路を走るのは感心しないな。」

 

 「これはケルシー先生。もしかして検診のお時間ですの?」

 

 ケルシー先生はこの艦内において一、二を争うほどの切れ者ですので、正直なことを言うとあまり会いたくありませんでした。

 

 「何かあったみたいだな。よければ聞かせてもらえないだろうか?」

 

 「あら?質問の答えは聞かせてもらえませんの?それとも、わたしの冗談は返す価値も無いと?」

 

 わたしは先を急がなければなりませんでした。

 かと言って、ドクターのようにケルシー先生のような人物と敵対するような度胸ある行動は取れませんでした。

 ですので、穏便に、それでいて素早くこの状況を切り抜ける方法を模索する以外ありませんでした。

 

 「君は放つ言葉にも毒があるようだな。執務室に用があるのなら同行しよう。」

 

 どうも都合の悪いですこと。

 ですがわたしは賢い女ですので、冷静かつ沈着に対応しました。

 

 ドクターがわたしを呼んだ理由が判明していない以上、争っても仕方ありません故。

 

 「そうですの。奇遇ですわね。では、共に参りましょうか。」

 

 「・・・・・・あぁ。」

 

 ケルシー先生はわたしがここで牙を向くと思っていたのでしょうか。

 予想外のことでさぞ驚いたでしょうね。

 

 「アズリウスは何の要件で執務室に向かう?」

 

 「特にこれと言って理由はないのですが、強いて言うのならばドクターに会いにでしょうか。」

 

 わたしの前を歩いていたケルシー先生の足が少し止まりました。

 本人に自覚はないのでしょうか、彼女はドクターが関係する問題になるとピリつくのです。

 

 「ケルシー先生は何の要件ですの?」

 

 「単純に仕事だ。誰かが記憶を落としたせいで激務に追われている。」

 

 彼女は顔色一つ変えず、再び足を進めて行きました。

 トラブルは無い方が過ごしやすいということを知っていますので、そのまま執務室に向かうことにしました。

 

 わたしは彼女の背中を見つめながら後についていきます。

 その気になれば、背後から一撃。わたしの毒でそのまま深い眠りに誘うことだって出来ました。

 

 「・・・変な気は起こさない方がいいぞ。今後のお互いの為にもな。」

 

 「あらあら。一体何の話をされてまして?」

 

 まぁ、恐ろしい。

 前言撤回。わたしは服の裏地に隠した麻酔銃から手を放し、大人しく歩くことにしました。

 

 

 

 【ロドス 執務室】

 

 思えば、わたしがここを訪れるのはいつぶりでしょうか。

 彼が毎日忙しいというのは誰でも予想できることなので、当然遊びに行くなんてこともできませんでした。

 

 「鍵がかかっているな。小癪なマネを・・・。」

 

 ケルシー先生はボソッと言い放つと、白衣の中から名状しがたい機械の触手が生えてきました。

 

 「Mon3tr。解錠しろ。」

 

 『もんすたー』と呼ばれた機械は、素早い動作で扉のロックをハックしていきました。

 あの時、背中に銃を向けていたら、わたしもあの機械生命体の錆になっていたのでしょうか。

 

 「空いたぞ。先に入って要件を伝えるといい。」

 

 ケルシー先生は意地悪に笑うと、扉を開けながらわたしの方を見ました。

 

 「・・・えぇ。ありがとうございます。」

 

 非常にマズイですわね。

 ドクターからケルシー先生には内密にと釘を刺されているものですので、目の前で来た要件と封筒の件を話す訳にはいきません。

 

 上手に話を作る必要がありました。

 

 「どうした?行かないのか?」

 

 「いえ、ただいま行きます・・・。」

 

 わたしの心拍は異常なまでに脈動していました。

 単純にドクターと顔を合わすというのもあるのですが、それ以上にわたしの失敗次第でドクターがケルシー先生にシバかれてしまうからです。

 

 「えっ・・・。何、怖い。」

 

 ドクターは乱暴な音を立てて開かれたドアに酷く驚いていたようでした。

 怖いという気持ちはわたしも同じですので。

 

 「ごきげんよう。ドクター。」

 

 「・・・ごきげんよう。アズリウス。」

 

 挨拶をしたのはいいのですが、その後の会話の内容が思いつきません。

 変な奴と思われなければいいのですが・・・。

 

 とにかく、2人で会話をするためにもケルシー先生の存在は少々厄介でした。

 

 「まぁ、なんだ。何か飲むか?」

 

 緊張しているわたしを察してか、ドクターは席に座るように言いました。

 断る理由もありませんので、それに従いました。

 

 「思えば、私はアズリウスが好きな食べ物すら把握していなかったな。教えてくれないか。」

 

 「甘い物なら何でも好きですわ。でも、人と食べるご飯はもっと好きかも・・・。」

 

 わたしはグムさんとシチューを食べた出来事を思い出しながら答えました。

 もし、彼と二人きりで食事でも出来たらどんなに幸せでしょうか。

 

 「たしかに、一人で食べる料理は寂しいからな。」

 

 「あら。カップラーメンは料理に入りませんわよ?」

 

 ケルシー先生は未だ部屋の外で待機しているようでした。

 口頭で伝えることができないので、文面で伝えることも考えましたが、あの機械生命体の性能が分からない以上具体的な話に持っていくことが出来ずにいました。

 

 「はは、間違いないな。」

 

 ドクターはそう言いながら、一枚の紙片をわたしに見せました。

 

 『ケルシーに聞かれているんだろ?話は2人でしよう。話を合わせてくれ。』

 

 普通に考えれば、執務室のドアを解錠する権限を持っているのは、ドクターとアーミヤさんだけ。

 強引にこじ開ける芸当が出来るのはケルシー先生かクロージャさんしかいません。

 

 彼の推理に頷きながら、わたしは返答を紙片に書き込みました。

 

 『もんすたーとやらは大丈夫なのでしょうか。あと、かなり秘密の事なのですか?』

 

 『Mon3trの視覚はケルシーとリンクしている。できることは盗聴しかない。数週間以内に部屋に向かう。その時に話す。』

 

 かなり焦っているご様子でしたので、これ以上の詮索は無粋だと感じ、紙片を静かに溶かしました。

 

 「・・・では、そろそろ失礼しますわ。」

 

 「あぁ。では、また今度。」

 

 わたしはそそくさと退室しました。

 ドアを静かに閉めると、そこで待っていたケルシー先生に呼び止められます。

 

 「随分と早い用事だったな。」

 

 「えぇ。話す内容を忘れてしまいましたが故に。」

 

 「・・・何を話した。」

 

 冷たい瞳でこちらを見つめるケルシー先生。

 あぁ、こわい。体の芯まで凍てついてしまいそう。

 

     ・・・・

 「さぁ?おはなしなんてしていませんもの。」

 

 

 嘘はついていません。

 わたしはいつかドクターが来られる日に備えて、私室の掃除に向かいました。

 




アズリウスちゃんはこれからも少しづつ登場させます。
かわいいからね。しょうがないね。


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限りなく透明に近い漆黒(ロサ)

二次創作ということを前提に、軽い気持ちで閲覧のほどよろしくお願いいたします。


『魚は頭から腐る』

 組織は上層部から腐敗していくという例え。

 ウルサスのことわざ。

 

 

【ロドス 事務スペース】

 

 本日は祝祭日のため、多くのオペレーター達が昼まで寝ることだろう。

 しかし、ロドス本艦は絶えず前方へ進む。

 自分が働かなくてもよいという反面、逆に働かなければならない人もいるということを忘れてはならない。

 

『お嬢さん? これ全部片づけといてくんね?』

「あっ、はい。分かりました……」

 

 

 

『ロサさーん。来週の担当変わってくれない? ちょっと用事できてさ~』

「えぇ。問題ありませんが……」

 

 

 

「あの、コレ置いておきますので……」

『…………』

「……大丈夫ですか?」

『…………聞こえてるって』

「あっ、失礼いたしました……」

 

 

 

「(疲れた……。あれ?)」

 

『チッ。貴族だったからって調子乗りやがって! どうせ俺たちのこと見下してんだろが!』

『おいおい、やめとけって。ⅭEOに聞かれたら大目玉じゃすまねぇぞ』

 

「(…………)」

 

 

【ロドス 第3会議室】

 

 ロドスには多くの人物が搭乗しているため、それに伴い施設設備も随時増設されていく。

 突発的に作ったはいいが、肝心の使用回数が1回だけという場所も少なくない。

 

 特にこの第3会議室はその象徴ともいえる存在だった。

 しかし、彼女からしてみれば、昼食を食べるには非常に都合の良い場所であった。

 

「ふぅ……。やはりここは落ち着きますわ……」

 

 彼女は小さな弁当箱と水筒を片手間に、日付が昨日の新聞を読むのであった。

 

「あら、運勢が五つ星ですって! なにか良いことが起きるに違いありませんわ!」

 

 お気に入りのクマのキーホルダーに話しかける。

 もちろん返事が帰って来るはずもなく、無駄に広く作られた会議室に声が反響する。

 

「はぁ……」

 

 そうして彼女は今日も一人で宿舎に戻るのであった。

 

 

 道中、見知った顔の人物を見つけると、彼女は勇気を出して声をかけようとした。

 

「ねぇ、イースチナ……」

 

「まったく、2分の遅刻です。なぜあなた達はそこまで時間をルーズにできるのですか?」

「グムは早く行こうって言ったんだよ? でもズィマーちゃんがまだ大丈夫だって聞かなかったんだよ?」

「今日って皆休みなンだろ? こんな早くに並ぶ必要ねぇって……」

「違いますよズィマー君。休みだからこそ並ぶのです。スイーツは待ってくれませんので」

「まぁ、イースチナが言うならそれでいいけど。なぁ、ロサ?」

 

「えっ、えぇ。そうね。その通りだと思うわ!」

 

 会話に入るタイミングを見失い、直立していたところで話を振られる。

 あまりにも唐突な出来事であったため、ロサも対応が遅れてしまったらしい。

 

「はン。なんも聞いてなかった癖によく言うぜ」

「そんなことないわ……」

「おい! 早く行こうぜ。その『すいーつ』って奴をシメによ!」

 

 グループの首魁であるズィマーの号令を合図に、ウルサス学生自治団は歩を進めて行く。

 別れ際、グムとイースチナは申し訳なさそうな表情でお辞儀をしたため、ロサも3人をお辞儀で見送った。

 

 残された彼女に訪れたのは、たった一つの虚無感であった。

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

「ロサ、ただいま戻りました」

 

 クマのぬいぐるみに話しかける。

 

「あなたはいつになったら喋るようになるのでしょうね……」

 

 しかし、いきなりぬいぐるみが喋ったら、それはそれで気味が悪いので、出来れば喋らないでいてほしいと思うのであった。

 

 

「ズィマー、スイーツの事を人だと思ってましたわね……」

 

「あっ、頼まれた仕事を終わらせないと……」

(そんなの必要ねぇよ!)

「…………え?」

(そもそも、それってアンタの仕事じゃねぇだろが! 無理してまでお願い聞く必要なんてねぇんだよ!)

「ですが、もう受け取ってしまったので……」

(そんなの撃ち抜け! 破れ! 燃やしちまえ! 言っておくがな、アンタにしか出来ない仕事なんてこの世にねぇんだよ!)

 

 

「う、うああああああ!!」

 

 ロサは机に身を任せ、うつ伏せの状態での睡眠から覚醒した。

 隠しきれない疲労感が悪夢を見せたのだろうか、とにかく彼女にとっては最悪の目覚めであった。

 

「はぁ、はぁ、気持ちが悪いわ……」

 

 彼女は気を紛らわす意味を込めて水を飲み干す。

 叩けば折れてしまいそうな色白の腕には、かつての自傷行為の痕が生々しく残っていた。

 

 

 

「あの、これ、昨日渡された物です」

『あっ、サンキュー。めんどかったやつだから助かったよ』

 

 

『来週の当番の話なんだけどさ~? 今週も変わってくんない?』

「えっ、今週もですか……?」

『えっ? 無理なの? ロサって仕事終わるの早いんでしょ?』

「まぁ、それなりにはですが……」

『だったら今週も大丈夫だよね。よろしくね?』

「…………」

 

 

『…………なぁ。あの荷物どこやった』

「それなら確かに昨日ここに置いておきましたが……」

『は? どこにもねぇだろが。おい。聞いてんのかよ!!』

「ひぃっ! ご、ごめんなさい!」

『ほんと使えねえな……』

 

 クスクス……クスクス……

 

「(…………)」

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

「ロサ、ただいま戻りました……」

 

 誰もいないロサの部屋。当然「おかえり」の声が聞こえるはずもない。

 

「はぁ、お弁当洗わなくちゃ……」

 

(オマエばっかり不公平だな? ここに来た時はワクワクだったっていうのに)

「あなたは何者なの……?」

(痛いだろ? 辛いだろ? 苦しいだろ? なのにアイツらは今日も酒飲んでベッドでお楽しみだぜ?)

「彼らの生活風俗なんて、わたしには関係ないわ……」

(はぁ~? いい加減自覚しろよ? この世界じゃアンタに幸せになる権利なんてねぇんだよ!)

「!! なんて酷いことを!」

 

(酷いだと? なら学園でやったことを思い出せ!!)

 

 

 

「ああああああああああ!!!」

 

「あ! あ! あぁ、あぁ、はぁ……はぁ……」

 

 その日、彼女は初めて仕事を休んだ。

 

 

 

『ねぇ~。昨日なんで休んだの~? アンタのおかげで大変だったんだけど?』

「あの、体調不良と記載しましたが……」

『は? そんなの知ってんだけど!! アンタのせいで仕事が多かったんだよ!! 謝れよ!!」

「ひっ……。申し訳ありませんでした……」

 

 

 

「あれ、わたしのデスクは……?」

『あぁ、それなら倉庫に移動させといたよ。宿舎に近いから便利だろ?』

「……なぜそのようなことを」

『あ? アンタのためにやったんだろが。言うことあるだろ?』

 

「ッ! ありがとう、ございます……」

 

 

 

【ロドス 事務スペース 倉庫】

 

 薄暗く、ジメジメと湿気が立ち込む倉庫。

 部屋の隅の各所には、カビか汚れかも分からないような物体が積もっていた。

 

「はぁ、捨てられてないだけマシですわ……」

 

 彼女はいつものように、行動隊の哨戒任務の精算をする。

 現在の彼女の状況とは裏腹に、手にした書類には輝かしい戦績の類が事細かに記載されていた。

 

 

 [作戦記録③ ◯月×日 任務遂行済]

 

 ・作戦立案者 ドクター、ケルシー、ドーベルマン及び後方支援担当班代表1名

 

 ・責任者 ドクター

 

 ・作戦参加者

 隊長 ズィマー、副隊長 イースチナ、グム、アブサント、シャイニング、シラユキ、グラベル、ヴィグナ以上8名

 

 ・後方支援担当班班長 オーキッド及び行動予備隊A6 、カシャ、ビーハンター。

 

 ・物資支援 カランド貿易

 

 ・作戦概要 今回の作戦は△月□日に実行された作戦任務②に続く殲滅作戦です。

 龍門旧市街において、拠点を築いていたレユニオンの基地を破壊する目的で立案されました。

 なお、龍門近衛局の許可を得た上での作戦となっているため、民間への被害、損害補償は全てロドス・アイランド製薬が担うことになっています。

 

 今回の作戦において、ただならぬ活躍をし、作戦任務並びに組織へ多大なる貢献を収めたとして、前衛オペレーターのズィマー氏に特別勲章を授与します。

 

 

 ◯月◇日 記入者 エイヤフィヤトラ

 

 情報室 確認 済

 執務室 確認 済

 総合事務室 確認

 

 

 

 ロサは紙面に記載された情報に目を通し、内容を確認した後に済の押印をした。

 そして、かつて共に地獄を味わった同郷の友が、素晴らしい成果を残したということに喜びを感じた。

 

「まぁ! ズィマーったら、向こうでも頑張ってるみたいで良かったわ!」

 

 彼女は薄汚れた倉庫の中で事務作業をこなす。

 

「……どうしてわたしばっかり」

 

 ロサが配属された職場は決して良いものではなかった。

 しかし、かつて虐げる立場にいた人間でもあったため、その苦しみを誰にも打ち明けることが出来なかった。

 

「うぅ……。うっ、ぐっ、なんで、わたしだって、こんなに頑張ってるのに……」

 

 彼女は嗚咽に喘ぎながら、人知れず静かに泣くのであった……。

 

 

【ロドス 宿舎】

 

「ロサ、ただいま戻りました……」

 

 クマのぬいぐるみが返事をする。

 

(ひひ、苦しいよな? 切ないよな? そうして大切な時間を失っていくんだよ)

「わたしはどこで間違えたのでしょうか……」

(最初からだよ! 奪い続けたクセに、奪われる番になったら泣き虫か!?)

「うぅ……。ごめんなさい、ごめんなさい……」

(謝って許されたら裁判所はいらねえんだよ!)

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!!」

 

 彼女はナイフを自らの手首に押し当てる。

 

 耐え難い現実からの、残酷な逃避の一筋。

 彼女が真に憎むものは環境ではなく、自分自身であった。

 

 真白のカーペットに、深紅の数滴が滴り落ちる。

 

 

 

【ロドス 第3会議室】

 

 今日も彼女は一人静かにご飯を食べる。

 一人で食べるのにも慣れてしまったが、やはり誰かと共に居たいと心が叫んでいる。

 

「Вот мчится тройка почтовая~」

 

「綺麗な声じゃないか」

 

 不意に声をかけられ、彼女は驚きと同時に席から立ち上がる。

 

「すみません……。ここには誰も来ないので、つい……」

「いや、謝ることじゃないさ。悲しい歌が聞こえたものでな」

 

 不躾に侵入してきた男は、ロサの向かい側に座り、持参していたパンを食べ始めた。

 

「普段からここで昼食を取っているのか?」

「あっ、はい……。申し訳ございません」

「一人は寂しくないのか?」

「もう、何も感じなくなりましたので……」

 

 ロサの言葉に男は違和感を感じたようだった。

 

「嘘だな。じゃないとそんな目は赤くならんだろ」

「……えっ?」

 

 自覚していなかった点を指摘され、思わず困惑する。

 きっと正常な判断が出来ていなかったのだろうか、ロサは動揺を表情に表す。

 

「まぁ、なんだっていいんだが、実はこの会議室は解体することになってな。今日は下見に来たんだ」

「えっ、ここがですか……?」

「あぁ。私は反対したんだぞ? サボり場が消えるってな」

「そんな……」

 

 ロサはこれからどこで昼食を取ればいいか考えた。

 ロドスでは最大限の自由が保障されているため、医療棟以外での食事は当たり前であった。

 しかし、一人だけの空間というものは少なかったのだ。

 

「よかったら執務室に来るか?」

「執務室って、あなたは前線オペレーターの方なのでしょうか?」

 

「オペレーターも何も、執務室は私の部屋なんだがね」

 

 ドクターと名乗った男は、ポケットから名刺を取り出し、ロサに差し出す。

 そこには確かにドクターと書かれていた。

 

 そして、ロサはドクターに連れられ、執務室があるロドス中枢に向かうのであった。

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

「自由にくつろいでくれ。何か淹れてくる」

「あの……。お邪魔します……」

 

 扉の先に2対の机と椅子、その先にはデスクスペースがあり、積み上げられた書類の束が日々の激務の様を物語っていた。

 ロサは控えめに椅子に座ると、どこからともなく猫の鳴き声が聞こえた。

 

 ニャーン……。

 

「あら? 猫の声……」

「猫ではない。ミス・クリスティーンだ」

 

 確かに部屋にはロサとドクターしかいないはずなのに、3人目の声が聞こえた。

 

「ひぃっ!」

「失礼。ミス・クリスティーンはご機嫌のようだ。珍しくな」

 

「おーい、ファントム? 。お客人が驚きだぞ」

 

 ドクターやケルシー医師には直属の諜報部隊が存在しているということをロサは耳にしたことがあった。

 きっと、ファントムと呼ばれた彼がその一員なのだろう。

 

「紅茶の方が好きだろう。ファントムも飲むか?」

「あっ、ありがとうございます……」

「……いただこう」

 

 ロサがカップに口に運んだ瞬間、猫が膝の上に飛び乗って来た。

 

「まぁ! 可愛らしい猫ちゃんですこと!」

「猫ちゃんではない。ミス・クリスティーンだ」

 

「クリスティーンに懐かれるなんてロサは幸運だな」

「? どうしてわたしの名前を……?」

 

 ファントムと呼ばれる男が、紅茶の匂いを味わいながら答える。

 

「ドクターは全員の氏名を把握している。知っていてあたりmニャーン! 

 

 何故か自慢げに話すファントムが言い終わる前に、ミス・クリスティーンが口を挟む。

 メンツが潰れたファントムは微妙な表情をしていた。

 

「ははは。今日は上手く決まらないな」

 

 そう言ったドクターはワインを片手に笑うのであった。

 

「待てドクター。そのワインには毒が入っているかも知れない。わたしが毒見しよう」

「ダメだ。アーミヤもケルシーもいないんだ。昼から飲んだっていいだろう」

「健康には気を遣え。よってわたしが没収しよう」

 

 

 一本のボトルを取り合い、いい歳した大人がくんずほぐれつしている。

 先程まで孤独を極めていたロサにとっては、誠に信じられない光景であった。

 

「フフッ、フフフッ」

 

 気づけば意図せぬ笑いが出ていた。

 2人と1匹が不思議な表情でロサを見る。

 

「アハハ……。ごめんなさい、あまりにもおかしかったので……フフフッ」

 

 彼女自身も感情に困惑しながら、目に浮かべた涙を拭った。

 涙? 

 

「あれ、涙が、ごめんなさい、そんなつもりじゃないのに……」

「今日は存分に泣くといい。ご所望なら特別に歌を歌おう」

 

 ファントムはそう言うとドクターから奪い取ったワインをグラスに注ぐのであった。

 そして、ロサは泣き疲れたのか、やがて眠ってしまった。

 

 

 

 数時間後、ドクターはロサの様子を見るために彼女を寝かせたソファーに近づいた。

 

「おーい、大丈夫か? 事務室には連絡しておいたぞ」

 

「…………ロサ?」

 

 ドクターは彼女の手首を握り、その表面を確認した。

 なぜそうしたかは彼自身も分からないが、しかしそうするべきだと感じたからである。

 

「これは……。穏やかじゃないな……」

 

 ドクターは彼女の腕と首に刻まれた線状の傷痕を確認すると、ケルシーの内線に連絡を入れるのであった。

 

「事務室を調べる。知恵を貸せ」

 

 

 

【ロドス 数日後】

 

 危機契約の期限が近づいているのか、戦闘オペレーターたちは慌ただしく通路を駆けていく。

 だからといって、一般職員であるロサの何かが変わったわけでも無く、普段通りの日常を送っていた。

 

「倉庫での仕事も案外悪くないものね……。陰口が聞こえませんもの」

 

 皮肉交じりに独り言を言い、書類に手を伸ばす。

 どうでもいいような物の中に一際目立つものがあった。

 

 

 

 [危機契約 25等級 報告書] 

 

 ・総作戦指揮 ドクター、ケルシー

 

 ・編成(随時変更アリ)隊長 テンニンカ、副隊長 シルバーアッシュ、サリア、アンジェリーナ、バグパイプ、ケオべ、フィリオプシス、ファントム、シャイニング、エイヤフィヤトラ、ブレイズ、シージ以上12名

 

 ・後方支援担当 危機契約委員会

 

 ・物資支援 危機契約委員会、カランド貿易

 

 ・作戦概要 今回の作戦は危機契約委員会が提示した条件の下、任務を完遂しなければならないものです。故に、人材及び物資に多大なるダメージが出ることでしょう。ですので、後方支援部は本作戦において発生した損害は、全て危機契約委員会に連絡してください。

 

 また、本作戦につきまして、目標期限内に等級18を超える条件のもと、任務を無事完遂いたしましたので、ロドスに特別名誉勲章並びに特別報酬が授与されます。

 

 

 追記 これ以上等級を増やして限界を超えようとするのは止めるよう、誰かドクターに言ってください。

 

 ◯月○日 記入者 スズラン

 

 情報室 確認 済

 執務室 確認 要検討

 総合事務室 確認

 

 

「まぁ! すごいわ! ドクターの指揮のおかげね! 後でいっぱい褒めてあげなくちゃ!」

 

 ロサはドクター及び上級オペレーターたちの活躍をまるで自分のことのように喜んだ。

 というのもつかの間、背後から不穏な影が迫っていた……。

 

 

 

『なに一人で喋ってんのよ気持ち悪い。コレ、全部やっといて』

「えっ、これ全部ですか……?」

『当たり前でしょ! 今日中に終わらせといて。わたしも暇じゃないの』

 

 薄汚れた床に置かれた段ボールの箱。

 もちろん中は書類の類である。

 

「自分の仕事は自分で始末するべきだと……」

『は? なんなの?』

「……いえ、何もございません」

 

 ロサは俯いたまま、無造作に置かれた段ボールを見つめていた。

 仕事を置いていき、軽やかに倉庫から出ていく一般職員。

 

「いやいや、そりゃあ流石にダメっしょ~」

 

 どこからともなく声が響き、一般職員が立ち止まる。

 

『ちょっと! アンタなにか言った!?』

「いえっ、何も言ってません……!」

 

「ここだよ、ここ。違うそっちじゃない。そう、ここ」

 

 ジワリと空間が歪み、小柄な男性が姿を現す。

 そして、倉庫の扉が乱暴に開かれた。

 

「まったく、嫌な予感というのは何故こうも的中するのか……」

 

「お手柄だな、ドクター。しかし、この状況は言い逃れ出来んぞ」

 

 ドクターとケルシーが入室する。

 それと同時に一般職員の顔色がみるみるうちに青くなっていく。

 

『違うんです! これは、わたしの物じゃなくて!』

「まぁ、私の専門は作戦指揮で、ケルシーは医療分野なのでね。そういう業務上のトラブルは彼女に言ってくれ」

 

 ドクターとケルシーの後方から、少女が姿を見せる。

 

「……言い訳は聞きたくありません。あなた達はロサさんに謝罪する義務があります。それを受け入れるか退艦するかを選んで下さい……!」

 

 怒髪天を衝くと言えば適切だろうか、とにかくアーミヤは未だかつてないほど激怒していた。

 

「変な事言わない方がいいぞ。イーサンがカメラで撮ってたんだからな」

 

 ロサは目の前で起きた激動の瞬間をにわかに受け入れられなかった。

 




今回も2部構成です。もうちょっとだけ続きます。

試作として行間の空白をいじってみました。
今回と前回、どっちが見やすいのですかね?


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限りなく透明に近い漆黒 暁闇(ロサ)

タイトル通り、前回の続きです。
2つに分けたのは長すぎると読むのが疲れるからです。


【ロドス アーミヤの私室】

 

「それで、ケルシー先生。ロサさんの容体はいかがでしょうか……?」

「特に心配するほどの物ではない。今は疲れて眠っているだけだ」

 

 神妙な面持ちのアーミヤは、ドアの付近にて立つケルシーに訪ねる。

 話を聞いていたドクターはたまらず会話に入り込む。

 

「自傷行為が見られるというのに心配するほどではないだと? 正気を疑うぞ」

「わたしは職業柄多くの患者を診ることがあるが、リストカットよりも酷い者を見たことがある」

「確かにアンタは医療科学の権威だがな、これだけは譲れない。ロサの状態は普通じゃあない」

 

 アーミヤを挟み、2人はピりついた雰囲気を出す。

 作戦立案の場合もそうなのだが、ドクターとケルシーは方向性や性格の違いから衝突することが多かった。

 

「もう! 今はそんなことでケンカしてる場合ではありません!」

 

 3人が集まった理由は、総合事務室にて発生したハラスメント問題である。

 長きに渡り、とある一般職員がイジメに該当する嫌がらせを受け続けていたという事件だ。

 

 何より、最大の問題はドクターが偶然その職員と接触していなければ、発覚することはなかったという点である。

 

「事務室の方たちの処罰も決定しましたし……。問題はスポンサーへの説明と、ロサさんのメンタルケアです……」

「……説明責任ならわたしが果たそう。ドクターは彼女の傍に居ろ」

 

 ケルシーが眉間にシワを寄せながら答える。ケルシーにしては珍しい指示であった。

 

「心的外傷後ストレス障害。ドクターの行動次第で彼女は生まれ変わるか、羽化せず死ぬか。失敗は許されないぞ」

「私は構わんが、ケルシーはそれでいいのか?」

 

 アーミヤが文書作成の準備に取り掛かる。

 人差し指でタイピングをする少女の背中は、不思議と体格以上の小ささを感じられた。

 

「……今回だけだ。あくまで、今回だけだからな。分かったな」

 

 ケルシーは恨めしそうな表情でポツリと呟いた。

 

 

「あの、ケルシー先生。パスワードってなんでしたっけ……?」

 

 

 

【?????? ????】

 

「あれ、わたしは……? ここって、学校?」

 

 そこは彼女の脳裏に焼き付いた記憶の欠片。

 一生忘れることが出来ない後悔の証。

 

『アハハ! 本日も大漁ですわ! 食料に人材。数カ月は籠城できる!』

「なにを、やってるの……」

『まだまだ足りませんわ。交渉材料として使用する分も確保しないと……』

 

 気づけば学園のホールらしき場所に立っていた。

 山のように積まれた物資を前に、上流階級と思われる学生たちが歓喜の声をあげている。

 

「違う! こんなのは間違ってるわ!」

『静粛に! 新たな指示を出します!』

 

 潤沢な食糧を眺めていた学生たちの視線がロサに集まる。

 

『次は体育館へ。その次は特別棟へ……!』

「こ、こんなことはやめましょう? 少ない物資だからこそ、皆で分けるべきよ……」

 

 ホールが静寂に包まれる。

 ロサはかつての自分が、ここで間違った選択をしたことを鮮明に覚えていた。

 これが夢幻であろうが何であろうが、同じ過ちは繰り返さんとする想いのために、彼女は必死に静止を試みる。

 

『聞いたか! 次は体育館だ! 自治団の拠点を潰すぞ!!』

 

『『『『おおおおおおお!!!!!』』』』

 

 ある学生の言葉を発端に、少年少女が似合わない武器を持ち、ホールの外へ進撃していく。

 

「あぁ! 待って! 違うわ! そんなこと許されないわ! お願い! 戻って!!」

『進め! 奪え! 薙ぎ払え! 覇権は我々の手の中に!!』

 

 号令をかけた学生が隊列の前に出る。

 それに感化され、他の学生たちの戦意も高揚する。

 

『『『『然り! 然り! 我々こそが貴族なり!! ナターリア様に続け!!』』』』

 

『『『『然り! 然り! 我々こそが貴族なり!! ナターリア様に続け!!』』』』

 

『『『『然り! 然り! 我々こそが貴族なり!! ナターリア様に続け!!』』』』

 

「やめて! 止まって! その先には、ズィマーたちが居るの!!」

『進め! 奪え! 薙ぎ払え! 覇権は我々の手の中に!!』

 

『『『『然り! 然り! 我々こそが貴族なり!! ナターリア様に続け!!』』』』

 

『『『『然り! 然り! 我々こそが貴族なり!! ナターリア様に続け!!』』』』

 

 

 

 

「あああああああああああああああ!!!!」

 {お、落ち着いて下さい! もう大丈夫ですから……。}

「あぁ! あぁ! あぁ、あぁ、はぁ……。はぁ……」

 

 1人の、否、一体の医療用ロボットが忙しなくロサの周りを駆け回る。

 

「ここは、学校は……? ズィマーたちは……?」

「ここは医療棟だ。飲み物は飲めるか?」

 

 すぐ近くにはドクターが座っていた。

 Lancet—2と刻印された医療用ロボットは、様々な飲み物をロサに差し出した。

 

「随分とうなされていたが、その様子じゃあ満足に寝られてないだろ」

「お見苦しいところをお見せしてしまいました……」

 

 落ち着く暇もなく再び仕事に戻ろうとする彼女を静止し、ドクターは一つ提案をするのであった。

 

「ロサ、少し出かけないか?」

 

 ロサが汗で濡れた服を着替える間、当然ながらドクターは外にでる。

 暇を弄ぶことになり、年代物の腕時計を確認していると、あるオペレーターに話しかけられる。

 

「よぉ、オマエがここに居るってことは、中にいるんだろ?」

「……ズィマーか」

 

 ドクターは、チェルノボーグで発生した凄惨な事件のことを把握している。

 もちろん、ズィマー率いる『ウルサス学生自治団』とロサがどのような関係であり、2人に何が起こったかも把握している。

 

「単刀直入に言わせてもらうが、ロサを助けてやってくれ」

「これは驚いた。不倶戴天が如く憎んでいると思っていたが……」

「……何ヘラヘラしてンだよ」

 

 ズィマーが戦闘オペレーターを志望したのは、その方が性に合っているからだとか。

 事実として、彼女の戦いぶりを見ると事務作業は似合わないと感じられるはずだ。

 

 しかし、戦闘技術に関してならば、ロサも引けを取らない適性を持っていた。

 彼女が後方支援部を志望した理由は、かつて多くの血を流させた贖罪のためであった。

 

「とにかく、ロサは気張りすぎてンだよ。責任は全部の自分のものだと思ってやがる」

「アタシたちじゃあ余計アイツに負担をかけちまう。こんなこと頼めるのはオマエしかいないんだ」

 

キミたち(学生自治団)は、彼女にどうなってほしいんだ?」

 

 ズィマーは立ち振る舞いこそチンピラのそれなのだが、仲間には熱い一面を持っていた。

 それが彼女の強みであり、人間性を表していることは言わずもがなであった。

 

「救ってやってくれ。殺してやりたいぐらい憎んでいたが、死んでほしいわけじゃない」

「……ロサ次第だな。結果は保障できんぞ」

「構わん。背負うのは()()()()()だけでいいんだ」

 

 話すことを一通り終えたズィマーは、それ以上は何も言わず歩き去っていった。

 やがて、ロサが医務室から出てくる。

 

 

「すみません……。遅くなりました……」

「もっと長くなるかと思っていたよ。さて、歩きながらでも喋ろうか」

 

「ここに来た時の服は着ないのか?」

「あの服は少々華美すぎるので……」

 

「そういえば、危機契約? でしたっけ。あの、お疲れ様でした……」

「おぉ。知っていたのか? 今回は25等級が限界らしい。如何せんオペレーターのクレームが多いんでね」

「はい、皆さんの活躍は全てわたしが精算していましたので……」

 

 服装や食事の話をしながらロドス中枢に歩いていく。

 ロサはあまり訪れたことが無いのか、物珍しそうな表情をしていた。

 

 

【ロドス 制御中枢】

 

 あまりにもメカメカしい機械の類が壁面を埋め尽くす。

 直射日光が当たらないように、必要最低限の照明が辺りを照らす。

 

「……すごい。こんな場所があったなんて」

 

「滅多に人が入らん場所なんだ。だから私はよくここでサボってる」

「ロサも見つかりたくない物があればここに隠すといいさ」

 

 そういったドクターは巨大なサーバーにもたれかかり、ペットボトルを飲み干す。

 

「飲食厳禁って書いてありますわよ?」

「飲んで食べるのはアウトって意味だぞ。飲むだけはセーフだ」

 

 ロサは少し小さなコンピューターに腰掛ける。

 そして、ドクターがペットボトルの容量を減らす姿をまじまじと見ていたのであった。

 

「……今回の一件でロドス内の汚点を一掃することになってな。具体的に言うと、各部署の人員が再配備される」

「はぁ……」

 

 いまいちピンときていない様子のロサ。

 ドクターは気にせず話を進める。

 

「つまり何が言いたいかというと、ロサが居る部署は解体されるかも知れん」

 

 ロサ自身も予想していなかった訳ではなかった。

 自分が被害者とは言え、あのような問題が明るみとなったのだ。

 企業としては、腫瘍は早急に切除しなければならないと判断するのが妥当である。

 

「わたしは、これからどうすれば……」

 

「そこでだ、ロサ。戦闘オペレーターになって私の下で働かないか?」

 

 一度は自ら蹴った道。

 ただ、前回と違う点があるとすれば、今回は人に必要とされているという点である。

 

 過酷な道だということは百も承知だが、ロサは首を縦に振った。

 過去を乗り越え、袂を分かった旧友と合流するために。

 

 

 

【ロドス 研究棟】

 

 2人の人物が通路を歩く。

 

「わたしの方はなんとかなりそうだ。流石に今回は骨が折れたがね」

 

 ケルシーが前方を見ながら喋る。

 彼女は露呈した問題の事後処理に追われていたようだ。

 

「……こちらはまだなんとも言えない感じだな」

「方法は任せる。くれぐれも組織から自殺者を出すな」

 

 言う側はどんな時も簡単で楽なのだ。

 事は考えるよりも遥かに複雑だというのに。

 

 

 

 元来、ロサの戦術適性は天賦の才とも言えるものであった。

 ドクターはその点を踏まえ、彼女を戦闘オペレーターに推薦した。

 

 といっても、ズィマーやガヴィルのような生まれながらの戦闘狂ではないため、前線で活動するには何よりも経験を積む必要があった。

 

「戦術立案に、アーツ適性。狙撃の技術についても調べる必要があるな……」

 

 会議室にて今後の方針を相談しあう2人。

 ロサは背中に大きな荷物を背負っていた。

 

「あの、可能ならばコレを使いたいのですが……」

 

 そう言って麻袋を開き、中から物騒な重火器を取り出した。

 

「これは……?」

「チェルノボーグを脱出する際に拾得した物です。初めて手にした凶器なので、今度はこれで救いたいんです……」

 

 所々に錆びが見える重火器は、もはや武器というよりも攻城兵器のソレであった。

 まともに使えるのか不安ではあったが、本人の意志ならばそれを尊重するだけである。

 

 ドクターはロサの私物である重火器を修理するべく、彼女から譲り受ける。

 

「(おっも……)」

 

 腰の危機を感じたドクターは、大人しく台車を用意するのであった。

 

 

 

「アーツ適性は普通だが、戦術立案が大きく評価されている。戦場機動も申し分ないな。これなら難なく異動できるんじゃないか?」

「そう! ドクターが言うなら信用できるわ! もしかしたら適性がないんじゃないかって思ってましたもの……」

 

 ここ最近、ロサはドクターと行動を共にすることが多かった。

 1つの目標に対してひたむきに努力することができる彼女は、ドクターが予想したポテンシャルを軽く超える能力を持っていた。

 

「修理に出した例の武器なんだが、あれを使用するとなると必然的に狙撃オペレーターとして登録されるが、それで問題ないか?」

「えぇ。何の問題もありませんわ。っていうか、あの武器って本当に動く物なのですね」

 

 武器というよりも兵器という表現の方が適切かも知れない。

 完全に修理してくれたヴァルカンと二ェンに感謝をしなければならない。

 

 ドクターはそのようなことを考えながら、ロサと共に射撃訓練場に向かうのであった。

 

 

【ロドス 射撃訓練場】

 

 暇を持て余したオペレーターや、単純に技術を磨きに来たオペレーターもいた。

 ロサは後者であったが、当のドクターは多くのオペレーターに絡まれることになる。

 

「ごきげんよう、ドクター。ここに来るなんて珍しいわね」

 

 小型のボウガンを片手に持ち、上品に挨拶をする女性。

 ドクターの隣に居たロサも、彼女に敬意を払い挨拶をする。

 

「あら、こちらのお嬢様は?」

「ロサと申します。総合事務室から異動して参りました」

 

 女性は総合事務室と聞いて「なるほど」というような表情になった。

 

「アズリウスと申しますわ。お話は把握しておりますので、あなたと共に戦える日を楽しみにしていますわ」

「あー、アズリウス。ちょいと射撃ブース貸してくれないか? 出来ればロサの射撃をみてやってほしいんだが……」

 

 元々訓練場を出る予定であったアズリウスは、断る理由もないと言って頷いた。

 

 ロサが使う武器は規格外の破壊力を誇るものの、的に当たらなければ意味がない。

 アズリウスの指導の下、まずは目標に命中させることに精を出していた。

 

「……もう少し足を開けた方がいいかも知れませんね。武器の構造上、目線の高さと発射位置が違いますので、やはり百発百中は時間が必要かもしれません」

「分かりましたわ。せめて一発当ててみたいものですわね……」

 

 ロサは前向きに技術を習得しようと休まず得物を構える。

 狙撃手としての最低限のスキルを教えたアズリウスは、後方にてロサを見守るドクターの横に立った。

 

「……彼女はどうなんだ?」

「彼女は初心者ですわよ。でも、センスは目を見張るものがありますわね。彼女、将来伸びますわよ」

 

 ドクターはロサの今後に期待しながら、アズリウスに小さく耳打ちをした。

 

「アレの進捗はどうだ?」

「……そんなすぐには出来ませんわ。何せ精神作用を促す物ですもの。臨床試験もしないと……」

「完成したら言ってくれ。アズリウスにしか頼めないことなんだ。変な気は起こさないでくれよ?」

「…………わたしはドクターをお慕いしておりますので」

 

 そう呟いたアズリウスは、再びロサの下に戻っていった。

 

「あっ! やったわ! 命中したわ! ……うーんと、コホン、感覚が掴めてきたみたい」

「偶然やも知れなくてよ? まだまだ精進が必要ですわね」

 

 そうして幾ばくかの日が流れる。

 

【遊撃戦演習】

 

「緊張しているのか?」

「誰だって初めてのことは何でも緊張するものですわ」

 

 ロサの初陣は突如として現れた奇襲部隊を殲滅するというものであった。

 それほど過酷な任務ではなく、適当に上級オペレーターを配置しておけば楽々完遂できるというものなのだが、せっかくならば空いた編成枠にロサを入れてみたという感じである。

 

「これは訓練じゃないからな。ミスったら死ぬかも知れないということを気に留めておけ」

「なーにカッコつけちゃってんのー?」

 

 移動用の装甲車の上から声が聞こえる。

 そして、ロサが座る座席の窓にニュッと顔が映る。

 

「作戦があーだのこーだの言って! 全部火力で押せば何とかなるでしょ!」

「ブレイズゥ! それが出来るのはオマエしか居ないから作戦を立てるんだろ!」

 

 精鋭たちを乗せた車が目標地点に到着する。

 各々が配置につき、敵勢力を迎え討つ準備を整える。

 

 防衛ラインを定め、こちらの被害が出る可能性を潰していく。

 

「ブレイズが最前線に居るなら、ロサたちの仕事はないかも知れないな」

「えぇ……。戦う人は少ない程良いのですけど……」

 

 遥か向こうの方で大きな金属音がする。

 チェーンソーのような物が骨肉を断つ音。

 雄々しい叫び声が響いた後、発砲音が数発して、それ以降声が聞こえることはなかった。

 

『ドクター? 聞こえてる? こっちは制圧完了。根性ない奴ばっかだったね』

 

 通信機から状況報告が聞こえる。

 

『あー、今へんなのがそっち行ったから気をつけて?』

「……なんだって?」

 

 ドクターが聞き返した瞬間、奥の岩影から大きな猟犬が出現する。

 感染生物であることは確かだったが、そんなことよりも防衛ライン寸前まで来ているということが問題だった。

 

「ロサ、卒業試験だ。あの犬コロを撃ち抜いてみろ。……ロサ?」

 

「怖いか? 心配か? 逃げたいか? それとも、オマエの代わりにやってやろうか?」

「あら、あなたと違ってわたしはアズリウスさんに特訓して頂いたの。あなたなんて歯牙にも欠けないわ」

「はーん? オマエそういう顔できるんだ~……」

「羨ましいかしら? 今度はあなたが泣く羽目になるかもしれませんわね」

 

「ロサ……? どうした?」

 

 一人でブツブツと言葉を放つロサ。

 心ここにあらずといった様子であったが、ロサの瞳は確かに炎に揺られていた。

 

「……あなたの言う通り、わたしにしか出来ない仕事はありません。ですが、今のわたしは一人ではありません!」

 

 決心したような、覚悟を決めたような表情で、彼女はトリガーに指を掛ける。

 

「発射!!」

 

 ガチン!! 

 ロサの兵器が鈍い音を立てて静止する。

 彼女の先制攻撃に備えていた猟犬も、この展開には驚いたようで動きを止める。

 

「あれ、おかしいわ……。あの、ドクター? 矢が出ないんですけど……」

「…………」

「これって、故障だったりします……?」

 

 猟犬がこちらの隙を察知し、物凄い速さで駆けてくる。

 

「あわわ……。ど、どうしましょう!」

「慌てるなロサ! おちつ、おちおちおちおおお落ちつけ!!」

「ドクター! 無事!?」

 

 前線から戻って来たブレイズたちが応援にかけつける。

 と、その瞬間。

 

「あっ! 動きましたわ!」

 ガキイイイン!! ズドオオオオン!!! 

「ひぃッ……」

 

 突如として放たれたロサの矢は、猟犬を木端微塵にしてもなおその勢い止まらず、後方に居たブレイズの頬を掠めたのであった。

 そして、空から血の雨が降り注ぐ。

 

「ドクター! や、やったわ! わたし、上手くできたかしら!」

「……ぅん。合格だよ……」

 

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

 一人のオペレーターが通路を歩く。

 抱えているのは言語に統一性のない本。

 

「む……。ロサではありませんか。ズィマーのお寝坊さんはまだ夢の中ですよ」

「いえ、ズィマーに用はないの。ここがわたしの新しい部屋なのですから」

「ほう……。戦闘オペレーターに志願したのですか」

 

 旧友の間柄で、お互い優秀な学徒であったということもあり、2人は波長がよく合った。

 

「えぇ。本日が初陣でしたのよ?」

「なるほど。通りで、こころなしか表情が柔らかいような気がしますね……」

「? そうかしら? 自分では気づきませんでしたが……」

「フフ。同じ編成になれたらいいですね。このことはズィマーたちに言っても?」

「えぇ! もちろんよ!」

 

 ロサとイースチナは別れの挨拶を済まし、それぞれが自身の部屋に向かう。

 

「ロサ、ただいま戻りました!」

 

 誰もいない空間。寝るためだけのベッドとテーブルが置いてあるだけの、殺風景な部屋。

 小物の一つも置いていない部屋は、およそ年頃の少女の部屋だとは思えなかった。

 

 ロサは申し訳程度に置かれた椅子に座り、血に汚れた武器の手入れを行うのであった。

 クマのぬいぐるみが転がり落ちる。

 

(……ご機嫌じゃねぇか)

「もちろんよ。こんなに気分が良い日は初めて」

(……生き物を殺したからだろ)

「不正解。自分の意志で()()()()()殺したからよ」

(…………)

「あなたは元気がないみたい。わたしが泣いていないからかしら?」

(アイツらの、飢えて凍えて死んだアイツらの顔を忘れたか!!」

「忘れる訳ないわ。でもね、あなたのおかげで気づいたの。名前も知らない多くの人より、大切な1人に認められる方がいいって」

「オマエは許されないぞ……」

「それを決めるのは()()()じゃないわ。わたしの選んだ道に、あなたは邪魔よ」

 

 

「あら? いなくなってしまいましたわ?」

 

 ロサは1人で銃を磨くのであった。

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

「ドクター、次の作戦なのだけれど……」

「ん? どこかマズイ点でもあったか?」

 

 ロサは頭が良かった。とても抽象的な説明なのだが、事実として視野が広かった。

 だからドクターと肩を並べて作戦立案に参加することが多かった。

 

「偵察隊から、サルカズの傭兵が参加しているという報告があったわ。だから前衛オペレーター主体の編成は厳しいかも……」

「なるほどなぁ。術師がいるともっと楽になるか?」

 

「ねぇ、わたしの矢なら装甲ごと貫けるわ。……どうかしら?」

「確かに……。ロサ、頼めるか?」

「えぇ! 期待に添えられるよう努力するわ!」

 

 ロサの成長と活躍は凄まじいものであった。

 戦場において臨機応変に対応することが出来る思考力は、エリートオペレーターに負けず劣らずだった。

 単純な冷静さも関係しているのだろうが、最大の理由は修羅場を潜り抜けて来たからだろう。

 

 

 

 

「……それでは、次に今回の作戦において優秀な戦績を収めたオペレーターを表彰します」

 

 大規模作戦が無事終了し、アーミヤが代表して今年度の功労者を発表していく。

 これが各オペレーターのモチベーション向上に繋がることもあれば、逆に格差を生むこともあったが、それに関する話しはまたおいおい。

 

「狙撃部門優秀賞、エクシアさん」

 ザワザワ……ザワザワ……

 

 最優秀候補者の名前が出た事に、周囲はざわめきだす。

 

「あはは〜。自身あったんだけどな〜」

 ケラケラと快活に笑うエクシア。

 一方、ロサの心中は穏やかではなかった。自惚れているわけではないが、彼女は自身の活躍がエクシアに並ぶものであると自負していたからだ。

 

 周囲に緊張の空気が充満する。

 

 

「最優秀賞、ロサさん。お二人の活躍に大きな拍手をお願いします」

 パチパチパチ‼︎ ロサー! グムダヨー‼︎オメデトー‼︎

 ヤメロ! ハズカシイダロ‼︎

 

「あ、あはは……。信じられないわ……」

「おめでとう、ロサ。正直、ここまで成長するとは思っていなかったよ。君には驚かされてばかりだな」

「そんな……。違うわ、これも全てドクターのおかげよ! 本当に、本当にありがとう……!」

 

 響き渡る拍手喝采の雨あられ。

 ロドスの全員が、失い続けた者の華麗なる復活を祝福した。

 そして、ロサは泣きながらドクターに抱きつく。

 悲しみと絶望ではない、喜びの涙。

 

 

 

 エクシアは、その姿を遠くで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

【ロドス 食堂】

 

 アーミヤとケルシーが向かい合わせで食事をする。

 にわかに近寄り難いオーラを放つ2人の周囲には、不自然な円ができていた。

 

「…………解離性同一性障害、か」

「? どうかされましたか? ケルシー先生」

 

 ケルシーは静かに蕎麦を啜る。

 

「堪えられない状況や記憶、あるいは感情を切り離し、心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる疾患の事だ」

「へ〜。勉強になりました。でも、なぜ今それを?」

 

 アーミヤはモタモタとパスタを巻き取る。

 

「酷い症例になると、切り離した人格や感情が成長し、自我を持って表層に現れるという。それが、解離性同一性障害。

 彼女の場合は、自ら抑え込んだ欲望が自我を持っていたように思えたが……」

「……??」

「もし、分離した自我が再び一つに結合されたら、アーミヤ、どうなるか分かるか?」

「……抑圧されていた分が一気に放出されるんじゃないですか?」

 

 ケルシーはコップ一杯の水を飲み干す。

 

「まぁ、及第点だ」

 

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

 一人のオペレーターがあるドアの前で立ち止まる。

 

「……ロサ、アタシだ。ズィマーだ。その、今更だが、良かったな、皆喜んでいたぞ」

「まぁ、過去にあったことは拭えないが、オマエと再び肩を並べられる日が来て嬉しいぜ?」

 

 ドアの前で告白するズィマーとは裏腹に、ロサの居る部屋の中からは物音が聞こえなかった。

 不審に思ったズィマーは、たまらずノックをする。

 

「……ナターリア? 寝てるのか?」

 

 由緒ある家系に生まれた彼女が、こんな時間から惰眠にふけるとは考えられない。

 元々喧嘩っ早いズィマーは、確かな確認が取れる前にドアノブに手をかけた。

 

「おい! 大丈夫か! 開けるぞ!」

 

 ガチャ!! 

 

「……あら、ズィマー? ごめんなさい、気がつきませんでしたわ」

「おい……。ンだよコレ……」

 

 そこには整然と椅子に座り、武器を磨くロサがいた。

 部屋には生きるためだけのものしかなく、人の寝床がある部屋だとは到底思えなかった。

 

「? おかしなことを聞くのね。武器の手入れをしているのよ?」

「もしかして、ずっとしてるのか……?」

 

 恐る恐る質問するズィマー。

 腕力的な恐怖ではなく、精神的な恐怖。

 

「えぇ! 故障して撤退なんかしたら褒めてくれないもの!」

「だからって! オマエはそれでいいのかよ……!」

 

 ロサが不思議な面持ちで答える。

 

「もちろんよ。敵を殺せば褒めてくれるんですもの。だからこうやって武器を磨くのよ?」

「アタシたちは殺すために戦ってるんじゃねぇ!!」

 

 ズィマーが怒号を上げる。

 ロサの部屋には何もないため、大きな声はよく反響した。

 

「ならズィマーが戦う理由は何? 生きる理由は? 向かうべき到達点は?」

「そんなの……! 分かんねぇだろが……」

「ズィマーたちはロドスに助けられた。だから戦っているのでしょう? 恩を返すために」

「ロサだって同じだろが……」

「いえ、わたしは救われたの」

 

「わたしが生きる理由は彼に認めてもらうことよ。そのためなら誰だって殺すし、なんだってしてみせるわ」

「……狂っちまったのか」

「……ドクターのことを想いながら、ドクターのための武器を磨き、ドクターのために殺す。どこもおかしい所なんてないでしょう?」

 

 クマのぬいぐるみは喋らない。

 今も、これからも、二度と喋ることはないだろう。

 ロサは、呆然とするズィマーを気にも留めず、どこからか取り出した一枚の名刺を胸に抱くのであった。




お気に入り登録90件。感謝します。



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ハイパーバレンタイン危機一髪!

重い話ばかりなので、今回は息抜きです。

ペンギン急便の皆様からチョコをもらいたいだけの人生でした。


年始の騒ぎも時間とともに過ぎ去り、普段の日常が戻って来る。

いつだって、どんな時だって、基本的には時間が解決してくれるのだ。

 

日々の落ち着きが戻ってきたといっても、2月14日という数字にはソワソワする人もいるのではないだろうか。

そう、バレンタインデーである。

一年に一度しかない行事のため、人一倍気合いを入れるオペレーターも居るとか居ないとか・・・。

 

【ロドス 連絡通路】

 

「大将、今月のアレどうするんすか?結構気張らないとヤバいっすよ。」

「?アレってなんだ?殲滅作戦のことか?」

「は~・・・。アレっすよ。バレンタインすよ。お返しとか考えとかないと間に合いやせんよ?」

 

謎の機材たちが鎮座する通路を2人の男が歩く。

1人は厚着で仮面をした不審者。もう一人はほのかに魚臭いギャング的風貌の男。

 

「あー、もうそんな時期か。つっても全部義理だろ?適当に買えばいいだろ。」

「女の子ってそういうの気にしますよ?マジで。」

「・・・マジ?」

 

ドクターは財布の薄い財布の中身を確認すると、隠した通帳の場所を思い出す。

隣を歩くジェイは、厨房が乙女たちに占領されることを憂いている様子だった。

 

「まぁ、買い出しとかなら付き合いやすよ?っても、龍門市街くらいしか案内出来ないんすけど。」

「何も起きないことを祈っていてくれ。」

 

2人の男はワクワクを極める世間とは違い、深いため息を放つのであった。

 

 

 

【CASEⅠアンジェリーナ】

 

「ん~、どんなの作ろっかな~。早めに決めないと間に合わなくなりそう・・・。」

 

少女は流行りの雑誌をめくりながら考える。

友達がたくさんいる彼女は、いわゆる友チョコを作るだけで大仕事だった。

 

「あ!これ可愛い!でもこっちもいいな~。」

 

あれよこれよと考えているうちに時間ばかりが過ぎていく。

何事も、計画を立てている時が一番楽しいのだ。

 

「まぁ、去年と同じが一番安定するかな~?」

 

大切なのは、質ではなく気持ちである。と結論付けたアンジェリーナは、保存していたレシピを見ておさらいするのであった。

 

 

 

【CASEⅡペンギン急便】

 

薄暗く、お世辞にもいい環境とは言えない場所。

龍門スラムと市街の狭間に居を構えるペンギン急便も、今月ばかりは世間の色に染まっていた。

 

「ねぇ、あたしへのバレンタインはクッキーがいいなぁ~?」

「・・・ねだるものじゃないだろ。バレンタインって。」

「とにかく、テキサスがくれるのって毎年同じで変わり映えしないの!」

「うっ・・・。善処しよう。」

 

新調したソファーにひっくり返り、テキサスを逆さまで見上げるエクシア。

 

「エクシアこそ、今年もアップルパイじゃないの?」

 

すぐ側でケータイをいじっていたソラが問う。

痛いところを突かれたエクシアは苦笑いをした。

 

「あはは~・・・。あたしはホラ、その道のプロだからさ?」

「プロって言ってもいつも同じ味じゃんか。」

「うっ・・・。仕事が丁寧って言ってよ!」

「特別な日は量を増やせば問題ないとか考えてるだろ。」

「うぅっ・・・。今日は厳しいね・・・。」

 

テキサスとソラのダメ出しがエクシアを襲う。

 

「「正直飽きた。」」

「あー!もう聞きたくない!」

 

エクシアがソファーから飛び起き、テキサスに襲い掛かった瞬間、扉が大きな音を立てて開かれる。

3人の視線が扉に集中する。

 

「あ˝あ˝あ˝!!どいつもこいつも甘い空気だして!なんやねん!ホンマ腹立つわ!!」

 

クロワッサンが怒号を上げて入室する。

どうやら、世間の浮ついた雰囲気に嫌気が差しているようだ。

 

「どこ見てもチョコだの彼氏だのあーだのこーだの!龍門は硬派な都市ちゃうんか!!」

「まぁ、商戦なんだから仕方ないでしょ~」

「エクシアの言う通り。わたしたちも儲かるからいいじゃないか。」

 

「んんんん~~!そういう話ちゃうんよな~~!うおりゃあああ!!」

 

クロワッサンは2月と12月が近づくと世界を憎みだすのである。

そして、ペンギン急便の面々に八つ当たりをするのだ。

 

「ひゃあああ!!ちょっと!いきなり触らないでよ!」

「なにを~?エクシアも触らせる相手おらんのやろ~?よいではないかよいではないか~!」

 

クロワッサンがエクシアにのしかかり、くんずほぐれつしている。

 

「あれが男に縁がない者の末路だ。ソラはあんな感じになるなよ。」

「なんか・・・、百合ですね・・・。」

 

モゾモゾと蠢く2人を尻目に、テキサスは1人で菓子作りの本を読むのであった。

 

 

 

【CASEⅢ ライン生命】

 

「はい、手を消毒したらまずはバターを冷蔵庫から出します。」

 

「サイレンスー?マーガリンじゃ駄目なのか?」

「マーガリンは脂肪酸が大量に含まれているから危険なの。だから使っちゃダメ。」

「ねね、この冷蔵庫火力不足じゃない?ラボに持ってって改造するべきじゃない?」

「同意。涼しいのはマゼランが喜びます。」

 

ライン生命の連中がキッチンにて騒いでいる。

きたる2月14日のためのお菓子を試作しているようだが、如何せんスムーズに進行していないようだ。

なにせ一癖も二癖もある人物たちである。

一筋縄には行くわけがない。

 

「はい、バターが室温に戻る間に薄力粉を振るっておきましょう。」

 

「サイレンスー?小麦粉じゃ駄目なのか?」

「使う粉でお菓子の食感が変わるの。クッキーを作るのに安定するのは薄力粉ってだけで、最終的に美味しく出来ればなんでもいいよ。」

「ねね。凄いインスピレーション!薄力粉の代わりに抗生物質入れたら万能薬が完成するんじゃない?」

「エンジニアのメイヤーが医療科学に口出しですか??」

「・・・いや冗談じゃーん。そんな怒らないでよフィリオプシス?」

 

なんやかんや言って、真面目に話を聞いているのはイフリータだけであった。

 

「はい、バターを混ぜたら卵を溶いて砂糖を投入します。」

 

「サイレンスー?砂糖はどんくらい入れたらいいんだ?」

「好きなだけ入れたらいいんじゃない?直接甘さに繋がるわけじゃないしね。」

「サイレンスさん。砂糖を入れなくとも甘くなる方法を知っていますよ。」

 

メイヤーとじゃれていたフィリオプシスが口を開く。

サイレンスとイフリータは実に興味深いといったような表情で彼女を見る。

 

「ある手段を行うんです。それでは行きますよ。」

 

 

「・・・萌え萌えキュン。」

 

「「「・・・・・・。」」」

 

「・・・・・・失言でした。」

 

 

「はい、混ぜたら手で形を整えて1時間くらい冷蔵庫に寝かします。」

 

「サイレンスー?サイズはどれくらいなんだ?」

「食べる時の大きさは後で決めるから、大体でいいよ。大事なのは空気を抜くことかな。」

「フィリオプシス?世間一般は評価しないだろうけど、わたしはそういう所好きだよ?」

「体温の上昇を確認。排熱ができません。」

 

そうして騒ぎながらも楽しく、友情を深めるのであった。

 

 

 

【CASEⅣ ウルサス学生自治団】

 

悲惨なる道を辿り、今なおその残滓に囚われている彼女たちでも、内側は女子高生なのである。

もちろん、イベントなどに興味を示さないはずがなく・・・。

 

「いやぁー、アタシは遠慮しとくわ。」

「えぇ~??ズィマーお姉ちゃんも作ろうよ~。」

「アタシはバレンタインとか、そういうキャラじゃねぇだろ・・・。」

 

あまり乗り気ではないズィマーに説得を試みるグム。

いつまで経っても終わりが見えないやり取りに、イースチナが口を挟む。

 

「キャラとかではなくて、日頃お世話になっている人に贈るのですよ。それほど軽薄な人だとは思っていませんでした。」

「ぐッ・・・。まぁ、そこまで言うなら作ってやらん事もないけどよ・・・。」

「作るもなにも、誰に贈るかが大事なのですよ?」

「そうだよ!グムは全員にあげるけど、ズィマーお姉ちゃんは誰に贈るの?」

 

ズィマーがバツが悪そうな顔をして、小さな声で答える。

 

「・・・おまえらしかいねぇだろが。」

 

その言葉を聞いた2人はニンマリとするのであった。

 

 

 

「あなたはどうするんですか?」

「わたし?わたしも皆と変わらないわ。お世話になってる人に渡すだけよ。」

「かなり失礼なことを言いますが、本命に贈る物は普通な感じがよろしいかと・・・」

 

イースチナは、拭えぬ血が滲んだナイフを梱包するロサを見てそう言った。

 

 

 

【CASEⅤ ロドス】

 

「ケルシー先生は、チョコとか作らないんですか?」

 

うさ耳、もしくはロバの耳を動かしながら少女は質問する。

一方、ケルシー先生と呼ばれた女性の様子は不機嫌そのものであった。

 

「フン、実に下らない。そもそもキリスト教ではないわたしが何故作らねばならない。第一にチョコレートは脂質と砂糖の塊のような物だ。そんなものを送り付ける者なんて、相手の肉体のことを何も考えていないバカしかいないに決まっている。もしくは、企業の競争に利用されているということを自覚していない愚者そのものだ。」

 

眉間にシワを寄せ、早口でまくし立てる女性。

さながら拗らせてしまった人を見るような視線で、アーミヤは言葉を放つ。

 

「でも、ドクターはチョコが好きみたいですよ?」

 

「バレンタインという文化が根付いたのは商業的な理由なのだが、日頃から世話になっている人物に贈呈するというのは理に適っているな。確かに、チョコレートはお世辞にも体に良い食べ物ではないが、カカオにはオブロミンやカフェインが含まれているからな。コレステロール値や血圧を下げる効果も期待できる。

よし、アーミヤ。わたしは厨房に向かう。」

 

「あはは・・・。頑張り過ぎないようにしてくださいね・・・。」

 

 

 

 

 

【ロドス 14日 執務室】

 

暗がりの執務室にて、2人の男がテーブルを見つめる。

 

「まぁ、俺は毎年0個なんで別に羨ましいっていう感情は抱かないんすけど・・・。」

「義理でもちょっとコレは多いんじゃないっすかね~・・・。大将?」

「いや、仕分けしたから本来はもっと多い。」

「えっと・・・つまり全部本命?」

 

「・・・そういうことになる。」

「・・・流石っすね、大将。漢として尊敬するっす。」

 

ジェイだって男性なのだ。

一度くらい女の子に囲まれて寝てみたいと思ったことだってある。

しかし、いざそれが可能な男と出会うと、羨ましさよりも可哀そうという感情が優先したのであった。

 

「(・・・上手に生きてくださいね!大将!!)」

 

そう心の中で思ったジェイは、普段通りの魚に囲まれる日々に戻っていくのであった・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明日の下準備をしようと厨房に向かう途中、曲がり角にて顔馴染みとすれ違う。

 

「あっ、すいやせん。・・・なんだ、アンタだったか。」

「ぶつかりそうになったのに、『なんだ、アンタだったか』は無いんじゃないですか?」

「へいへい、すんませんでしたっと。」

 

「・・・はい、コレあげます。」

「何でぇ、余りもんのチョコですかい?」

「いいから、今ここで食べてください。」

 

ジェイは言われた通りに小さなチョコレートを口に放り込む。

 

「・・・おん。甘ぇ。美味しいじゃないの、コレ。」

「・・・そう、それなら安心しました。」

「っていうか、アンタってこういう行事に参加するタイプだったか?」

 

少女は決まりが悪そうな顔で答える。

 

「そもそもチョコを作るのも初めてです。」

「へぇ?でも何で俺なんだい。」

 

「・・・バーーーーーカ。」

 

ワイフーは舌を出して罵倒した。

 




一番時間がかかっているのはサブタイトル考える時です。

2話くらいからカッコつけたタイトルにしなきゃ良かったと後悔する日々です。


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そして、いつか再び相まみえる(スカジ)

最強の海洋生物ってシャチらしいですよ。


 とてもいい天気の朝でした。

 本日は休みということもあり、ドクターは日々の多忙を忘れ、昼まで寝ることにしました。

 

「ドクター、朝よ。ごはんを食べないと元気がでないわ。」

「…………スカジ? 早くない?」

「早起きは三文の徳よ。枕カバー変えるから起きて。」

「いや、今日は休みなんだけど……」

「はいはい、分かったわ。早く起きて」

 

 ドクターは言われた通りに布団を跳ね除け、温かなベッドから脱出する。

 時刻は07:00であった。

 折角の休みだと言うのに、とブツクサ呟きながら普段の制服に着替える。

 

「あっ、スマン。着替えるから外出ててくれると助かる」

「わたしは気にしないわ。脱いだら頂戴。洗濯に出すから。」

「私が気にするんだよなぁ」

「いいから、脱いだら頂戴。洗濯するから」

 

 服を脱ぐより脱がされるといったような形で普段の制服に着替える。

 そして脳がイマイチ覚醒していない状態で食堂に向かうのであった。

 

 

【ロドス 食堂】

 

「ふぁあ~、今日は何を頼もうかね…」

「あくびなんて情けないわよ。もっとシャキッとしなさい?」

「うす……。カツカレーにしようかな……」

「朝からカレーなんて不健康よ。わたしと同じサラダ定食にしなさい」

「うす……。分かりました……」

 

 日頃の不規則な生活のためか、未だにボケているドクター。

 そして、フラつく腕を抑えて列に並ぶスカジ。

 イチャつくというよりも介護の方が適切な表現だが、食堂をよく利用する人たちからすると実に見慣れた光景であった。

 

「……大地の味がする」

「好き嫌いしない。ただでさえ痩せ気味だというのに、他の人に襲われたらどうするつもり?」

「その時はスカジに守ってもらうよ……」

「はいはい、食べれたらジュース買ってあげるわ」

「子供扱いするなよ……」

 

 イフリータの気持ちがよく理解できたところで、ドレッシングに塗れたキャベツを口に入れる。

 何を隠そうこの男、かなりの偏食屋なのである。

 事実として、カップラーメンや糖源といった食べ物を好んで食すのであった。

 

 そして、背後から声をかけられる。

 作戦がない日だというのに重装備の女性。

 

「おい、その辺りにしておけよ。嫌がっているじゃないか」

「………なに? どちら様?」

「サリア。元ライン生命医科学研究所実験部門のサリアだ」

「…………」

 

 食堂が次第に静かになっていく。

 誰も上級オペレーター同士のいざこざに巻き込まれたくないからである。

 

「わたしたちは食事をしているのだけれど」

「そうか。ならばわたしがここに座っても構わんのだろう?」

「イヤよ。あなたが居ると空気が悪くなるもの」

 

「…………」

「…………」

 

「は?」

「あ?」

 

「(誰かたすけて!)」

 

 修羅場!! 

 ドクターは周囲の人たちに視線で助けを求めた。

 ▽ しかし だれも こなかった !! 

 

「キャベツに含まれる食物繊維など微々たるものだ。野菜の恥さらしといっても過言ではない」

「だからと言って好き嫌いしていい理由にはならないわ」

「野菜よりも肉を食べるべきだ。そう思うだろう? ドクター。」

 

 眼前で火花を散らす2人を見ながらサラダ定食を食べる。

 彼の周囲を取り巻く暗黒空間も、周りからしてみればいつものことであった。

 

「そんなことないわ。健康には最善の注意を払うべきよ」

「我々の体は肉で作られているんだぞ? ならば摂取するべきは肉か野菜か。言わずもがなじゃないか」

 

「ドクター。こんなカチカチ自称研究者の話なんか聞く必要ないわ」

「ドクター。こんな脳筋健康オタクの話なんぞに耳を貸すな」

 

「…………」

「…………」

 

「はぁ?」

「あン?」

 

 スカジが血管をヒクつかせながら答える。

 サリアも同様に、拳から鳴ってはいけない音を出させて返答する。

 

「まぁまぁ、朝ごはんも食べ終わったし、そろそろココ(食堂)から出ないか?」

 

 事態の緊急性を考えたドクターは、何よりもこの場から離れることを選択した。

 

「そうね。今日は休日だから部屋の掃除をしましょう? きっと埃が溜まってるに違いないわ」

「そうだな。休日ならわたしとスポーツでもしないか? どうせ体が凝り固まっているのだろう?」

 

「…………」

「…………」

 

「……なに」

「……貴様こそなんだ」

 

 見事に提案が割れる。

 お互い譲歩するという考えは浮かばないのか、とにかく言えることは2人は我が強いということだった。

 

「あ~、今日は1人でゆっくりしたい気分かな。はは……」

 

「そう。なら後で紅茶でも持っていくわ。きっと落ち着けるはずよ」

「そうか。ならば後で面白い本でも持っていこう。きっと気に入るはずだ」

 

「…………」

「…………」

 

「……殺るっていうの?」

「なに? 別にわたしは今ここで殺ってやってもいいんだぞ?」

 

「はぁ?」

「ん?」

「おン?」

「あぁ?」

 

 異様な雰囲気が立ち込める。

 生物としても本能なのか、脳が危険信号を発信している。

 それほど現在の状況は緊迫していた。

 

 そして、ドクターは変な争いを起こさせないために一芝居を打つのであった。

 

「……なんか、頭がいてぇ。」

 

「「!!」」

 

「ドクター。痛みを感じるのはどこの部位だ?」

「ドクター。やっぱり疲れが溜まっていたのね。無理する必要はないわ。ゆっくり部屋に戻りましょう?」

 

 どうやら上手い具合に引っかかってくれたらしい。

 このままベッドにフェードアウトすれば、後は時間が解決してくれる。

 

「あぁ、今日は早く寝させてもらうよ」

 

「待て。脳の血管を弛緩させるためには風呂に入るのが有効だ。多少無理してでも入浴する価値はあるはずだ」

「待って。偶発的な頭痛の場合は入浴するとよくなるわよ。試してみる価値はあるかも」

 

 なぜこういう時の意見は合致するんだ。

 なんてことを思いながら、半ば強制的に風呂場に投入される。

 

「えぇ……。なんで朝から風呂に入ってるんだ?」

 

 ドクターは自身が置かれた状況に困惑しながら、肩まで湯に浸かるのであった。

 そして、浴室の前にある脱衣所に不鮮明な人影が現れる。

 

「湯加減はどう? 熱くない? 言っておくけど、絶対に寝たらダメよ」

「うす……。気をつけます」

「そう。わたしは向こうにいるから何かあったら呼んでちょうだい」

 

 スカジの声が遠のいていき、今度こそ本当に1人になる。

 朝から胃腸に悪い出来事が続いたため、休日だというのにようやく安心できたのであった。

 

 

 脱衣所の出口にて、スカジはドクターが脱いだ服を抱えて部屋に戻る。

 道中、およそ仲がいいとは言えない相手と会敵する。

 

「……なぜ貴様がドクターの服を持っている?」

「今日はあなたと縁があるみたいね。わたしも運の尽きかしら」

「質問に答えろ。でなければわたしは貴様を売女か何かだと認識しなければならない」

 

「は?」

「なんだぁ?」

 

 顔を合わせる度に周りの空気を荒らしていく2人。

 スカジとサリアは似ている者同士だからか、お互いに嫌悪する何かがあるらしい。

 もっとも、それらを確かめる方法は彼女らにも分からないだろうが。

 

 今この瞬間において、2人に共通している点は、お互いその場に不相応な物を持っていたという点である。

 

「サリエルだった? なぜ入浴時の一式を持っているのかを教えてくれないかしら」

「サリアだ。二度と間違えるなよ脳筋が。記憶まで筋組織に侵されたか?」

「質問に答えなさい。でないとわたしはあなたのことを浴室に侵入しようとする売女か何かだと認識しないといけなくなるわ」

 

「は?」

「なに??」

 

 サリアはスカジを無視して通り抜けようとした。

 スカジは何か嫌な予感を感じ取ったのか、サリアの後を追って歩く。

 それに伴い、2人は自然と足早になっていく。向かう先は浴室。

 

 

「なんか騒がしいな……」

 

 湯船に浸かっている状態のドクターは外の騒々しさに違和感を感じた。

 基本的に希望的観測は外れて、嫌な予感というものは的中するようにできているのだ。

 

「ドクター。入るわよ」

「ドクター。入るぞ」

「ちょっ、はっ、ええっ!? マジィ!?」

 

 ピシャリと扉を開けて浴室に侵入してきた丸腰の2人。

 スカジは勢いに任せて行動してきたため、流石にバスタオルを巻いていたが、サリアの方は一糸纏わぬ姿であった。

 

 2人はある程度かけ湯をした後で、お世辞にも広いとは言い難い湯船に浸かる。

 

 目の前で揺れるたわわに実った双丘。

 性欲を持て余すところなのだが、サリアとスカジのギスギス具合を前にしては頑張るところも頑張らないようだ。

 

「サリエリ? 狭いわ。出てちょうだい」

「サリアだ。貴様の胸肉が一番体積を占めているんだから貴様が出ろ」

「イヤよ。あなたの体躯がデカすぎるのが悪いのよ。あなたが出て」

 

「…………」

「…………」

 

「するか?」

「しましょう」

 

 全裸の状態で勝負を決めるといったら殴り合い以外の方法はないはずだ。

 もっとも、スカジとサリアが殴り合えば5、6人の死者は覚悟しなければならない。

 ドクターは巻き添えになりたくないという思いから、とにかく2人を宥めようとした。

 

「まぁ落ち着けって……。お湯が溢れるでしょうが……」

 

「そうね。ここで始末したら湯船の表面積が減るものね」

「そうだな。異常なまでの心地悪さは感じるが、ドクターが言うのなら仕方がないな」

 

「…………」

「…………」

 

「は?」

「あ?」

 

 目と鼻の先の距離で一触即発、もしくは鎧袖一触。

 2人とも言葉に余計なトゲがあるせいで、一向に争いが終わらない。

 それどころか時が経過するにつれて事態が悪化しているまである。

 

「おい、出ろ。いい加減埋めるぞ」

「は? 身分を弁えなさい、三流オペレーター風情が」

「廉価版オペレーターは口が達者なのか。クールビューティー気取って何も面白くないぞ」

「マジで沈めるわよ。あなたこそウルサスのあの子とキャラが被ってるのよ」

 

 2人の真白の肌がほんのりと紅潮していく。決していやらしい意味ではない。

 むしろ危機的状況なのだ。

 ドクターは2人を刺激しないようにできるだけ気配を消していた。

 中途半端な発言をしてしまうと、それがきっかけで本格的に開戦してしまうかもしれないからだ。

 

「なんだと貴様!」

「命が惜しくないようね!」

 

 ザバンと音を立ててスカジとサリアが立ち上がる。

 胸を押し付けあいながら、双方が主張を押し通そうとする。

 

 それに見かねた、というよりもお湯の体積が減ったことに対して我慢できなくなったドクターが声をあげる。

 

「いい加減にしないか! 寒いわ!!」

 

「うぐっ……」

「あっ……」

 

 2人が途端に静かになる。

 さながら悪戯がバレてしまった子供のように、2人は黙りこくるのであった。

 そして、ドクターはそんな2人に対して思いの丈を畳みかけるのであった。

 

「そもそもだ! 本来休日なんだぞ! なんでお前たちの言いなりにならなくちゃいけないんだ!?」

「……すまない、反省する……」

「……ごめんなさい。本当に申し訳なく思ってるわ……」

 

 勢いに任せて言葉を吐き散らかしていく内に、次第に体温が上昇していく。

 それと同時に心拍も上昇していく。

 

「……ん? ……あっ」

「…………? あっ」

 

 サリアが何かに気づいたように顔を背ける。

 その様子にスカジが不審に思い、視線を下に移したタイミングで顔を紅くさせた。

 

「……どこみてんだよ」

 

 2人の視線が集まる自身の下腹部を見る。

 そこには血圧の上昇とともに膨張した邪悪剣があった。

 

「…………」

「…………」

「……その、すまん」

 

「…………」

「…………」

「いつまで見てんだよ!!」

 




ヤンデレネタが尽きてきました。
同じタイプの娘は1人で十分だと思ってるので、また勉強してきます。


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破章 負う者
まだまだ休んじゃダメですよ?


新章突入です。
だからといって何かが変わるわけではないんですけどね。


 記憶を失ってから数カ月、振り返ると様々なことがあった。

 

 行動予備隊の子たちとの接触。

 ケルシーとの一騎打ちの果て。

 テキサスの名誉ある負傷。

 ライン生命組への勧誘。

 プラマニクスに犯されかけた件。

 エクシアとの気まずい関係。

 アズリウスとの密約。

 バレンタインに貰ったチョコをジェイと共に食べきったこと。

 ロサが自身の居場所を見つけた話。

 

 そして、モスティマが再び姿を現すようになったこと。

 

 上記したことはほんの一部でしかなく、本来はもっと色んなことがあったはずだ。

 それも激動の日々を前にするとどうしても霞んでしまい、そして忘れていってしまう。

 私はデスクチェアーを軋ませ、思い出に耽る。

 

 本当に色んなことがあったな……。

 

「なにオジサンみたいなこと考えてるんですか?」

 アーミヤよ、男は25を超えたらオッサンなんだぞ。賞味期限が早いんだぞ。

「ドクターは添加物を沢山取っているので大丈夫ですよ」

 褒めているのか貶しているのか、アーミヤはそんなことを呟きながらドクターの分の仕事を淡々と整理していくのであった。

「そんなことするわけないじゃないですか……。下らないこと考えてないで早く仕事を終わらせてくださいね」

 …………。

 

 数時間かけてアーミヤと共に仕事を片付ける。

 途中、アーミヤが思い出したかのように私に問いかけた。

 

「そういえば、ドクターは秘書や補佐官は配属しないんですか?」

 ん? 秘書ってなんだ? 

「えぇ……。今まで本当に一人で執務に勤しんでいたんですか……?」

 

 懐疑的というよりも若干引いてる感じのアーミヤ。

 本当に知らなかったんだよ! 

 

「まぁ、無理にとは言いませんが、より効率的に仕事を行うなら配属させることをオススメしますよ?」

 

 ちなみにアーミヤはサベージを、ケルシーはレッドに役を与えているようだ。

 何にせよ早く仕事を切り上げられる手段があるのなら使うしかない。

 

 もっとも、募集をかけたところで私の執務を手伝いたいなんて言う物好きはいないと思うのだが。

 

「……倍率凄くなりそうですね」

 気長に待てばいいだろ……。

 

 そうして私は連絡室にいるエイヤフィヤトラに求人票を申し込むのであった。

 

 

【ロドス 執務室 数日後】

 

「ドクター、例の求人の期限が来ましたよ。きっと驚きますよ?」

 あー、そんなのあったな。すっかり忘れていたよ。

「もう! 自分で企画したことくらい覚えておいてください!」

 

 そう言うとアーミヤは奥の方から巨大なダンボールを抱えてくる。

 まさかアレ全部そうなの? なんて考えている最中に、確かに送り主が情報室になっていることが確認できた。

 

「わたしは大体予想できたましたが、まさかここまで集まるとは思ってませんでした……」

 この中から1人選ぶっていうのは少々残酷なんじゃないか? 

「まぁ、確かにそうですけど……。だからと言って誰も雇用しないというのは失礼だと思いませんか?」

 

 アーミヤの言う通りで、求人を出した癖に『やっぱ選べませんでしたw』というのは虫が良すぎる話であった。

 私は微妙な顔をしながら、ロサからもらったナイフでダンボールに切り込みを入れる。

 

 しかし、まさかここまで集まるとは思わなかったな……。

「まったく、ドクターは自分の立場が強大なものだということを自覚してくださいね」

 その割には扱いが雑な気がしなくもないんだが? 

「あっ、ちなみに求人を出しておいて誰も雇用しないというのは社会人以前に人間として最低ですからね?」

 

 大量に積み重なる書類に一通り目を通す。

 どれも見知った顔ぶれが続く中、お世辞にも暇を持て余しているような感じではないオペレーターの名前もあった。

 それほど秘書という役職に価値があるとは思えないのだが。

 

「『何をするか』よりも『誰とするか』で皆さん応募したんだと思いますよ?」

 しかし、自分のことを疎かにするほどのものでは無いがなぁ。

「まぁ、わたしも経営責任者じゃなかったらドクターの傍で働きたかったものですけど……」

 おいおい、そんなこと言ったらケルシーがすっ飛んでくるぞ。

「あはは……。確かに失言でしたね。どこで誰が聞き耳を立てているかも分かりませんし」

 

 書類のある程度の仕分けを終えた後、わたしとアーミヤは本格的な選考に取り掛かる。

 とは言っても、『最低条件が日常生活において支障がない程度の読み書きができること』というかなりルーズなものなので、そのフィルターを通しても書類の枚数に変化は訪れなかった。

 

「う~ん、ドクターは具体的にどういう人材が必要なんですか?」

 私の代わりに執務を全部やってくれる人……。

「………………」

 いや、冗談だ。何せ秘書というものについて理解が無いのでな。アーミヤはどんなことをさせてるんだ? 

「わたしはサベージさんにスケジュール調整をしてもらってますよ? 直接頼んだわけではありませんが、半ば強制的にっていう感じですけど……」

 食事管理とかされたらたまらんな。

 

「そこまで言うなら全員採用でいいんじゃないですか??」

 確かに、それでいいか。

「えっ?」

 えっ? 

 

 

【ロドス 食堂】

 

「なんてことがあったんですけど……」

 

 食堂の一区画にて、ケルシーとアーミヤが食事をする。

 向かい合わせに座っている2人の周囲には何とも言えない空気が充満しており、辺りのオペレーターや職員たちもにわかに近寄り難い雰囲気を出していた。

 

「……数週間たたん内に一人に戻るだろう。ドクターは誰かを特別扱いするということが苦手だからな」

「まぁ、方法はどうであれスピードが速くなるのならとやかく言うつもりはありませんが……」

 

 2人の心配は案の定的中し、ドクターは再び騒動の中に身を投げるのであった。

 

 

 

 

【本日の秘書 カランド貿易】

 

 執務室といったらデスクワークを行う場所である。

 もちろんそれ以上でもそれ以下でもない。よって、大したスペースもなく、人が6人入れば十分といったものであった。

 そんな部屋にカランド貿易のオペレーターたちが4名。当然何も起きないわけもなく……。

 

「盟友よ。こちらの守備は上々だ。このスペースで進めるなら午前中には全て片が付く」

「あぁ、助かるよ。次は作戦記録のデータを情報室に送って……」

「あっ、それなら僕がやっておきましたよ?」

 

 山積していた仕事がシルバーアッシュ、クーリエの手によって目にも止まらぬ速さで処理されていく。

 マッターホルンは食堂での仕事があるため、執務室には居なかったが、もし彼が居れば既に本日の業務は終わっていたことだろう。

 

「むっ……。記述に不備があるぞ」

「むぅ……。所々にミスがありますね」

 

 執務室の真ん中に座るドクターの両端から、ヒラリと2枚のプリントが差し出される。

 業務上のミスなど修正すれば何の問題もないのだが、問題は渡してきた人物だった。

 

「……盟友、腕が疲れる。早く取ってくれ」

「……ドクター? 腕が重たいので早く取ってくれます?」

 

 クーリエが微妙な表情をしながらこちらを見る。

 

「あ、ありがとう。シルバーアッシュ……」

「むぅ……?」

「ありがとう。プラマニクス……」

 

 バリバリとペンを動かすシルバーアッシュに対して、プラマニクスは執務室の片隅でクリフハートと共にオセロをしていた。

 それでも覗き見ただけで書類の不備を指摘できるというポイントは、彼女の有能さを表現させるには十分だった。

 

「プラマニクスとクリフハートは何でここに居るんだ?」

「ん~? わたしはプラマニクスに誘われたからなんだけどね!」

「……逆に来てはいけない理由があるのですか?」

 

 かなり返答に困る質問をされる。

 どうやらプラマニクスは質問に質問を返しても良いという教育を受けてきたらしい。

 

 やがてシルバーアッシュが苦言を呈する。

 

「……働かないのなら外に出ていろ。集中できん」

「むぅ……? 仕方ありませんね」

 

 プラマニクスが埃一つ付着していない豪奢な服を翻し、クーリエの代わりに椅子に座る。

 容赦なく袖を捲った彼女は、青白く細やかな指でペンを握る。

 

 そして、ようやく作業を開始したかと思うと、みるみるうちにデスクの上の物が無くなっていった。

 普段からそれくらいやる気を出してくれたらカランド貿易の連中も動きやすくなるというのに。

 

「ふぅ、ざっとこんな感じですかね。何か文句でも?」

 

 プラマニクスは冷徹な視線を兄であるシルバーアッシュに向ける。

 極度のサボり魔という本性を知らなければ、その姿はさながら冬の女王といった雰囲気であった。

 

「…………」

 

 饒舌な妹君に対し、兄君は何も語らない。

 自分よりも仕事が出来る妹という存在は、それだけでプライドを傷つけるには十分だった。

 そして、それに追い打ちをかけるというように、プラマニクスは発言する。

 

「むぅ?? むむむ??? お兄様の机にはまだお仕事が残っているように見えますが???」

「…………」

 

 シルバーアッシュはプラマニクスの煽りにうんともすんとも言わず、対抗するようにペンを握ったかと思うと、やはり目にも止まらぬ速さで最後の仕上げに取り掛かるのであった。

 

「全て終わったぞ。確認してみろ」

「もう終わったのか……」

 

 普段であれば数時間かかるものが、わずか数十分で片付いてしまう。

 単純に人数の違いもあるが、それ以上に助っ人の能力が強大すぎた。

 

「あれ、プラマニクス? ちょいと間違えている部分があるのだが……」

「むぅ……。やはり慣れないことはするものではありませんね」

 

 決まりが悪そうな表情をしながらプラマニクスは答える。

 クリフハートはクーリエとオセロをする。軍配はクーリエにあるようで、クリフハートは頭を抱えていた。

 

 珍しいプラマニクスの失態にシルバーアッシュはすかさず小言を入れる。

 

「やはり、仕事が早ければ良いというわけないな。精密性が欠けていたら話も始まらないからな」

「…………」

 

 ギロリと睨みあう2人。間に挟まれたドクターの心境はいかなものだったか。

 そもそもこの2人が同じ部屋に居るという状況自体が異常事態なのだ。クーリエは始終ニコニコしていたが、やはり心境は複雑なのだろうか。

 とにかくドクターは、これ機に2人の関係が改善されることを祈るばかりであった。

 

 

「いやぁ~、お二人のギスり具合はドクターが関係してると思うんですけどね~」

「ん? クーリエ、何か言ったか?」

「いいえ? 何も言ってませんよ?」

 

 

 

 

 

【本日の秘書 セイロン】

 

「意地悪な商人がわたし達に『この機械は市場の未来が見える力を持っている。金を預けておくだけで勝手に倍になるんだ』と言いましたの」

「ほう? それはなんとも怪しい提案だな」

「それでケルシー先生が言いましたの。『わたしは市場を破壊できる資産を持っている。その機械の総資産は何兆円だ?』ってね」

「ハハハ! ケルシーは負けず嫌いなんだなぁ!」

 

 執務室にてドクターとセイロンが談笑する。

 長いソファーに座る彼女たち。ならば誰だ執務作業をしているかというと…………。

 

「お嬢様、こちらの書類は片付きました。3時間後に視察の要件でロドスを発ちますので、それまでごゆっくりと」

「えぇ、ありがとうシュヴァルツ。あなたは何でもできるのね」

「視察に行くのは私なのだが……」

 

 なぜか付属してきたシュヴァルツが全てやってくれた。

 どんな状況においても、仕事を行う人物は多い方が何かと便利なのだが、シュヴァルツはセイロンにペンを握らせないといった様子で執務に励んでいた。

 そのため、ドクターは次々と置かれていく書類にハンコを押すだけの作業をこなしていた。

 

「それにしても、一人で全てやるなんてやっぱり大変じゃない?」

「いえ、単純作業なら得意分野ですので。()()()()()()()()など1時間もかかりません」

 

 シュヴァルツが放つ言葉には随所に鋭いトゲが見られた。

 戦闘能力が高いオペレーターは事務作業が得意という決まりでもあったりするのだろうか。

 ドクターがそんな下らないことを考えている内に、セイロンは全員分の飲み物を用意しに行った。

 

 部屋にはシュヴァルツとドクターの二人だけが残された。

 

「…………」

「…………」

「(気まずっ……!!)」

 

 シュヴァルツはいついかなる時でもセイロンの傍に居た。

 したがって、ドクターと二人きりになるというのはお互いにとっても初めての経験であった。

 もちろん会話など弾まない。それどころか喋りかける話題すら思いつかなかった。

 

「その、悪いな。全部やってくれて……」

「……気にする必要はありません。わたしはセイロンお嬢様の手伝いですので」

「そうなのか。あー、申し訳ないが、朱肉だけ取らせてもらえるか?」

 

 掠れ気味になったハンコを元に戻すため、ドクターは朱肉が保管してある引き出しに近づく。

 ドクターが一歩踏み出した瞬間、シュヴァルツが物凄い形相で席を立つ。

 

「……ッ!!」

「? どうかしたか?」

「それ以上近づかないで下さい……!!」

 

 唐突なご意見にドクターは足を止める。

 お堅い信条を持つシュヴァルツからすれば、ドクターの楽観的な思考回路はいささか理解し難いものだということは、ドクター自身も理解していた。

 しかし、まさかここまで拒否されるとは彼も思っていなかったようだ。

 

「そ、そうか。それはすまなかったな……」

 

 シュヴァルツが鋭い眼光で睨みを効かせながら言葉を放つ。

 

「汚らわしい……! どうせセイロン様が居ない状況を狙ってわたしを襲うつもりなんでしょう……!!」

「……はい?」

「そもそもセイロンお嬢様を秘書にしたのも、弱みを握ってあわよくば3人であんなことやこんなことをするつもりだったからでしょう……!」

「いや、考えすぎだぞ」

「『ヒッヒッヒ! お嬢さんの前でこんな姿になるとは屈辱でゲスなぁ~w』みたいなことするつもりに決まっている……!」

 

 まるで地べたに這いつくばる砂虫を見たかのような眼でドクターを見る。

 軽蔑の意味合いの視線を向けられると同時に、好奇な眼差しを向けられていることに気づいた。

 

「ヒッヒッヒ!セイロンが飲み物を取りに行ってくれてかなり楽になったでゲスよww」

「くっ……! 殺せ!!」

「んなわけねぇだろ! バカか!!」

 

 両手を広げたシュヴァルツの脳天に拳骨を打ち込む。

 非戦闘員のドクターの拳など、大したダメージにはならないのだが、その場の空気を破壊をするには十分だった。

 

「さぁ、来い!むしろ来て!さぁ、さぁ!」

「行かねぇよ!!」

 

 そんなこんなやってる内に、セイロンが執務室に戻って来る。

 飲み物が並々注がれたコップを手にしていたため、シュヴァルツがコップをもらいに足を進める。

 先程の乱心がなかったかのように。

 

「あら? 二人とも変な恰好してどうされましたの?」

「いえ、何でもございません。お帰りが遅かったので心配していました」

「(なんだこいつヤベぇ!!)」

 

 シュヴァルツの変わり身の速さに驚きながら、ドクターはコップの水をチビチビと飲む。

 やがて、セイロンが再びソファーに腰をかけると話を再開させた。

 

「シュヴァルツも座りましょ?」

「いえ、わたしはここで十分ですので、どうぞお構いなく」

 

 セイロンは話が終わる前に飲み物を取りに行ってしまったため、途中までの内容を思い出すために手のひらを頬に当てた。

 かわいい。

 シュヴァルツに睨まれたドクターは、すかさずセイロンから視線を外すのであった。

 

「どこまで喋りましたっけ……?」

「あー、あれだ。ジェシカが金銭に縛られて生きてるって話か?」

 

「……縛られる?」

 

 

 

「そうそう! それで弾の補充が出来なくて訓練で置いてかれてるそうですよ?」

「BSWは自分の装備品は自腹だからなぁ。ブラック企業もいい所だな」

「ふふ。ロドスがそんなこと言っていいのかしら?」

 

「……置いてかれる?」

「さっきから何考えてんだよ……」

「いえ、なにも?」

 

 言葉の随所で何やら教育に悪そうなことを想像するシュヴァルツを無視し、本日の業務を終了した。

 

「シュヴァルツ……。おまえアホの一族だろ……」

「言葉責めのセンスがありませんね。やり直しです」

「そういうところだぞ……」

 

 

 

 

【本日の秘書 ケルシー、アーミヤ】

 

「いや、何でだよ!」

「口より手を動かせ。文句なら後で聞こう」

「まぁまぁ、わたしたちも一回くらい秘書になってもいいと思いませんか? ドクター」

 

 色んなオペレーターたちを秘書として採用したりしなかったりしたが、どれも共通した点は、皆自分のデスクで作業をしていたという点だ。

 しかし、今回の状況は少し変わっていた。座っているのはドクターだけで、他の二人はその後ろで彼のことを見守っていた。

 

「おい、スケジュールが重なっているぞ。予定を立てる前に優先順位をつけろ」

「ケルシー先生。最近お酒ばっかり飲んでますよ。注意してあげてくださいね」

「手が止まってるぞ。そろそろ休むか?」

 

 かれこれ数時間ぶっ通しでペンを握っていたため、もとより長くないドクターの集中力も限界に近づいていた。

 これまでの経験で、大勢で執務を行うほど時間が短縮できるということが証明されている。無論、一人で作業をすることの大変さも証明されている。

 

「アーミヤ、そろそろ疲れたんだが……」

「そうですか、疲れてしまいましたか」

「あぁ、監視されると普段より神経使うんだよ……」

「それって甘えですよね? 馬車馬のように働いてください」

 

 アーミヤは時間内に業務が終わらなければ露骨に態度が悪くなるのだ。

 そこまで残業代を払いたくないのか。

 

 ドクターは二人に聞こえないように小さなため息を吐くと、再びペンを握るのであった。

 というよりもペンを握らせられたのであった。

 アーミヤから非情な言葉を浴びせられていると、思わぬ助け舟を出される。

 

「……あまり虐めてやるなよ」

 

「大丈夫ですよケルシー先生。ドクターもこのお仕事の重要性を理解していますもんね?」

「理解していますもんね?」

「そうですよね? ドクター。ドクター? 返事は?」

 

「…………はい」

「アーミヤ…………」

 

 我が娘子のように可愛がってきた少女が、これほどの経営マシンになってしまうとは誰が予想できたであろうか。

 企業としては誠にありがたいことなのだが、手塩にかけた子が想い人を責める姿というのは見ていて気持ちの良いものではなかったであろう。

 実際にケルシーは微妙な顔をしながらドクターとアーミヤの姿を見ていた。

 

「わたしも少しくらいなら手伝おう……」

 

「ダメですよ。ケルシー先生はドクターの私生活を改善させるためのスケジュールを組んでください」

「決してドクターのことを虐めているわけではありませんよ?」

「これはドクターのためなんですから。ドクターのためっていうことは、即ちケルシー先生のためでもあるんですよ?」

「食生活についてはわたしが何とかしますので、どうかよろしくお願いしますね。ケルシー先生?」

 

 急に畳みかけられたかのような発言に、一瞬ケルシーがたじろぐ。

 

「…………分かった。よく分からんが、とりあえず分かった」

「はい。わたしはアズリウスさんのところに行ってくるので、くれぐれもサボっちゃダメですからね?」

「…………分かった。よく分かったし、とりあえず理解できた」

 

 アーミヤに圧倒され、呆然とする二人。その姿には、やはり長い期間共に居た者同士だから発せられる雰囲気があった。

 そして、ケルシーはポツリと呟く。

 

 

「イヤイヤ期なのだろうか……」

「いや、反抗期でしょ……」

 

 そう返答したドクターは、ケルシーと共に残りの執務作業に取り掛かるのであった。

 

「(結局、変な事考えずに今まで通りでやるのが一番なんだな…)」

 




感想、批評、こうした方がいいよのアドバイス、何でもお待ちしております。


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欲に頂無し(メイヤー)

補助オペレーターは使いどころが難しいですよね。


最初は見るだけで満足だった。

その想いが自分の心の中で次第に強くなっていくのが理解できた。

だからといってその感情の増大が理解できたところで、日常生活というのは何一つ変わらず過ぎていく。

 

そして、やがてこう考えるようになっていった。

「ホンモノが欲しい」

 

 

 

【ロドス 研究棟 ライン生命】

 

『オレはオマエのことを忘れない!だからオマエもオレのことを忘れるな!』

 

少年が叫ぶ。

ひゅんっ、と音を立てて少年が剣を振るう。巻き上げられた砂埃が少年たちを覆い隠す。

薄茶色の煙幕の中で、少年たちの武器から発せられる火花だけが目視できた。

 

『小僧!殺し合いの最中にモノを語るなよ!』

『うおおおお!!』

 

オレンジ色の空が荒野で果たしあう二人を照らす。

瞬間、風が吹きあがり、二人の間のその向こうに一人の影が見えた。

 

『お、おまえは・・・!!』

『ふん、見てられないから助けに

 

 

ガー・・・・・・キュイイイイン・・・・・・

 

「あれ?処理落ちかな」

「はあああああ!?今いいとこだっただろうがよぉ!!」

 

映像を出力していた機械が不審な音を立てて停止する。どうやら、激しい戦闘シーンなどは負荷がかかってしまい、そのまま処理落ちしてしまうようだ。

長いソファーに座ってアニメを見ていた4人の中で、最も熱中していたイフリータが手足をジタバタさせて文句を言う。

 

「まぁ、いつかこうなるかもっていうのは予想できてたけどね」

「続きが気になります。ラボに居るメイヤーを呼びましょうか?」

「・・・それはそれで面倒だからやめて」

 

気だるげにソファーから立ち上がるサイレンス。

フィリオプシスがそれに付属して後をついていく。

ソファーの正面にある小机の上の映写機。小人の通り道でも覗くように映写機の不具合を考えるサイレンス。

生体医学の権威の彼女らでも、流石に機械の修理は難しいようだ。

 

結局、彼女らが行った処置は、息を吹きかけてから手のひらで横から叩くという雑なものだった。

 

 

 

【ロドス エンジニアルーム】

 

研究棟の丁度真下に位置する技術者の工房。

よほどの徘徊癖が無ければここに立ち入る者なんていないだろう。それほどこの場所には異質な空気が充満していた。

好きなことにはとことん熱中する。そんなメカニックバカたちの楽園でもあった。

 

ごちゃごちゃした謎の部品が部屋から溢れ出ている。どこの工房もそんな感じだ。

綺麗に整頓されている場所なんてここには存在しない。食事だって、完成間際の作品の上に座って食べるのだ。

もちろん、それは彼女にも言えたことだった。

 

「ん~。やっぱ変に改造しない方がよかったかな?」

「メイヤー、もう夕方だぞ。そろそろ休んだ方がいいんじゃないか?」

「そうだね、じゃあ今日はここまで!ありがとねドクター」

「いいや、構わんよ。私も座っていただけだからな」

 

ライン生命の制服と艶光る腕章を煌めかせ、メイヤーと呼ばれた女性は元気よく振り向く。

ドクターは目の前に鎮座する二足歩行が可能となった冷蔵庫にそっと触れる。

 

「あっ、壊れるかもだからあまり激しくしないでね!」

「赤いボタンだけは絶対に押しちゃダメなんだろ?」

「そうそう、丁重に扱ってよね!」

 

大げさにアピールされた赤いボタンには、これでもかと言わんばかりに『自爆スイッチ』と書かれていた。

二人は少し遅めの昼食を取る。メイヤーはサンドイッチを、ドクターは暖かな液体を飲む。

メイヤーはサンドイッチを齧る片手間でメカをいじくる。

 

「流石に補給しているときくらい手を休めたらどうなんだ?」

「いやいや、時間は有限、機械は無限だよ。今苦労した分わたしたちは楽になれるんだから!」

「まぁ、肉体は有限だから壊さんようにな・・・」

「あはは!人体のメンテナンスはサイレンスにお願いするから!」

 

足をバタつかせながら笑うメイヤー。

その足元ではカワウソ型のメカがせわしなく走り回っていた。

 

もちろん、そのカワウソ型のメカにも赤いボタンがついていた。

メイヤーとドクターは食事をしながら談笑する。

 

「毎回言ってることなんだけどね、人間にも燃料が必要なんだよね」

「・・・それは、空腹とかそういう感じの話か?」

メイヤーが首を横に振る。

「生きるための目標みたいな感じかな。何をするにしても到達点を立てなきゃやってられないでしょ?」

「ならメイヤーにとっての到達点は何なんだ?」

「わたしは、プログラミングしなくてもいいメカを発明することかな。例えば、考えただけで全部やってくれる機械なんて素晴らしいと思わない?」

ドクターがうつむいて

「私は・・・・・・」

 

しばらくの間沈黙が続く。

雑多に積まれた機械部品の山を踏みながら、メイヤーが静止したドクターに近づいてその腕を小突く。

 

「・・・・・・」

「あれ?ドクター?ありゃりゃ、眠っちゃったのか」

 

研究棟の真下に位置する技術者の工房。

そこをアジトにする者たちは他の者のことなど眼中にない。皆自分の理想のことしか考えていないのだ。

隣の工房の住人がどのようなことをしているのかなど、気にする者などここにはいない。

 

つまるところ、このロドスには珍しくやりたい放題が可能な場所であったのだ。

 

 

「おーい、メイヤー?今大丈夫か~?」

 

薄汚れたドアの向こうから声が聞こえる。

工房にお客さんが来るのは実に数週間ぶりであった。彼女自身ロドスではなく自身が管理するラボに身を置いていることが多いため、そうなることは必然でもあった。

メイヤーはある程度室内を片付けると、ドアに向かい、訪問者を招き入れる。

 

「ほいほい、イフリータ?どうかしたの?」

「いやな?コレ(映写機)の調子が悪くてよ。『修理できるから』って言ってサイレンスがトドメ刺したんだよ!」

 

イフリータが息をしていない映写機を抱えて地団駄を踏む。

メイヤーは彼女から映写機を受け取ると、山積みになった謎のパーツをどかし、工具箱を手にする。

 

「ん~、特にこれといった問題はないと思うけど・・・もしかして強い衝撃加えたりした?」

イフリータが頷く。

「フィリオプシスが振ってサイレンスが叩いたんだ!ほら、バスケットボールみたいによ!こうやって!」

 

メイヤーの作品兼兵器であるミーボが激しく揺らされる。

感情というものがプログラムされていない(ミーボ)は、イフリータになすがままにされる。

メイヤーもミーボに苦痛という感情が無いことを充分理解しているため、その様子を見て微笑んでいた。

 

「まぁ、完全に壊れてるわけじゃないから、5分くらいで起こせるかな」

「マジか!?へへっ、ありがとなメイヤー!」

 

隣の工房から二ェンとヴァルカンの口論が聞こえる。

明らかに何かが破壊される音が響く中で、イフリータは何事かと火炎放射器に指をかける。

 

「そんな気にすることじゃないよ。いつものことだからさ」

「でもよ・・・。アレ怪我すんじゃねぇか?」

「大丈夫大丈夫!方向性の違いとかいうやつだからさ」

「ほーん・・・。モノ作るやつは大変なんだな・・・」

 

廊下まで響き渡る隣室の叫び声を無視して、メイヤーは映写機の修理を行う。

イフリータは最初こそはその様子をじっと見ていたが、もともと我慢できる体質ではないので、次第に自身の髪先を弄ぶようになった。

そして、メイヤーの宣言通りの数分後。

 

「よし、これで多分起こせたかな。もし一生眠ったままだったら新しいの買って!」

「サンキューメイヤー!やっぱサイレンスとは一味違うな!」

 

イフリータが座っていた状態から飛び起きる。

修復されたついでに赤いボタンが追加された映写機を抱える。ただでさえ、仕事の邪魔をして修理してもらったのだ。これ以上メイヤーの業務を阻害してはいけないと思ったイフリータは、お礼をするとそそくさと研究棟に戻っていく。

 

道中、二ェンに敗れたのだろうか。ヴァルカンがひっくり返った姿で倒れていた。

油汚れに塗れていても、一応は婦女なのだ。イフリータは彼女を安全な場所(二ェンがいない場所)まで引きずろうとしたが、筋力が足らず途中で断念した。

代わりにドクターが着ているようなコートが落ちていたため、毛布の代わりにそれを被せておいたのであった。

 

 

場面は再び研究棟のライン生命のグループに戻る。

 

【ロドス 研究棟 ライン生命】

エンジニアルームから戻ってきたイフリータは、ドタドタと足音を立てて廊下を進む。

メイヤーたちが居た場所は、どちらかといえば騒がしい雰囲気であったが、研究棟は静かであったため、イフリータがドアをノックせずに開けた音もよく反響した。

 

「おい!直してもらったぜ!サイレンス、やっぱ初めからメイヤーに頼むべきだったんだよ」

「イフリータの言う通りです。それでは早速続きを見ましょうか」

 

イフリータとフィリオプシスがピカピカの映写機を囲み、小躍りしながら喜んでいる。

その姿はまるで、小動物を見つけた子供たちのようだった。

 

「へぇ、メイヤーが直してくれたんだ」

寝転がったマゼランが本を読みながら答える。

「・・・そんな珍しいことなの?」

体の向きだけをサイレンスの方に向ける。

「うん。また変な物作ってるみたい。ほら、最近顔だしてないでしょ?」

「あぁ~、確かにそうかも~。わたしも久しぶりにメイヤーちゃんのところに行こっかな~」

 

フィリオプシスたちは自力で映写機から映像を出力させようとしていたが、勝手が分からず混乱していた。

折角修理してもらったというのに、再び壊されてはたまったものではないので、サイレンスとマゼランは渋々映写機を作動させるのであった。

 

「あっ!映った、映ったぞ!おい、サイレンス!映ったぞ!」

「はいはい、見れば分かるって・・・」

 

ジャンプして歓喜するイフリータ。その姿は年相応のかわいらしさで溢れていた。

 

「映りました。映りましたよ、マゼランさん。見てください、映りましたよ」

「はいはい、見たら分かりますよ~っと」

 

ジャンプしないかわりに、リーベリ特有の頭部の羽をパタパタと動かす。

喜んでいるのだろうか、しかし鉱石病の症状がなければ彼女もきっとジャンプしていたであろう。

 

4人は再び長いソファーに腰をかける。

中央にサイレンスとイフリータ。その脇にマゼランとフィリオプシス。

組織に属する同業者というよりは、家族といった方が適切なのではないだろうか。それほど、彼女らの仲は睦まじいものだった。

 

この空間に彼女がいれば、サイレンスもきっと歯を見せて笑っていただろう。

 

 

 

 

 

「・・・えいっきし!」

「サリア?風邪か?」

「いいや、何でもない。ドクターの方こそ・・・・・・ぇえいっくし!」

「はっはっは。誰かに噂でもされてるんじゃないか?」

「まさか・・・。とりあえず服を着ないと・・・」

 

 

【ロドス エンジニアルーム】

 

時刻は丑三つ時に差し掛かっていた。多くのオペレーターや職員たちは、今頃熟睡していることであろう。

しかし、それは()()()オペレーターや職員の話であった。

エンジニアルームを根城とする者たちからすれば、虫も静まる深夜というのはインスピレーションが爆発する魔法の時間なのだ。

 

当然、メイヤーも例外ではない。

 

「はぁ、もうこんな時間か。ここがロドスだってこと忘れてたよ」

ここで活躍する者たちの為に、クロージャはエンジニアルームに消灯時刻というものを設けていなかった。

「こんな時間までよく頑張れるな・・・」

「だって寝たら忘れちゃうでしょ?待ち合わせに遅刻したくない時はどうする??」

メイヤーは意地悪そうに質問する。

「・・・ずっと起きてればいい」

ドクターの回答に満足そうな表情を浮かべる。

「120点!すばらしい!やっぱりドクターだね!朝起きれないなら寝なきゃいいだけだもんね!」

 

ふいっと顔を時計の方に視線を向ける。

少なくとも隣の工房ではない場所から、また別の叫び声が聞こえる。生命の危機を感じさせる声だったので、周辺の技術者たちが自慢のメカを引き連れて救助に行く。

どうやらマシンに服の袖を奪われてしまい、そのまま片腕を盗まれるところだったらしい。

 

 

その様子を見ていたメイヤーとドクター。

 

「・・・労災案件じゃないのか?」

「あはは!腕が無くなっても、わたしたちは()()ことが出来るからね。名高いエンジニアで五体満足の人の方が珍しいよ。特に源石加工の分野の人とかはね」

「・・・記憶しておこう」

 

二人に近づく人影。

 

「義手を独学で作るなんて、アンタみたいなやつにしかできねぇよ」

「あれ?まだ起きてたんだ・・・」

 

白を基調とした色の中に赤色がアクセントとして入っている。

健康的というか、艶やかというか、とにかく男性の目に優しい恰好をしている女性に話しかけられる。

 

「おぉ、夜通し麻雀するつもりだったんだけどよ。他の奴ら全員素っ裸にしちまったからお開きになったんだよ」

「二ェンは手加減を知らないからね~。ヴァルカンが発狂してたけど大丈夫なの?」

二ェンは腰に手を当ててケタケタと笑う。

「おん?安全な武器を作れって言うのがうるさくてな?気づいたら吹っ飛ばしちまってた」

 

それはもはや豪快というよりも暴君の方が近いのでは?とドクターは思ったが、それを口にすることはなかった。

機嫌を損ねてヴァルカンのように吹っ飛ばされては敵わないからだ。

 

「どうだドクター?ちょいと麻雀でもしないか?賭けでも脱衣でも何でもいいぞ?」

「も~、二ェンに勝てる人なんてドクターしかいないでしょ!」

 

二ェンが眉間にシワを寄せる。

「・・・・・・メイヤー、オマエ」

「・・・なぁに?」

メイヤーがニッコリと微笑みながら答える。

「いいや、また今度ドクターでも誘ってやってみるよ」

二ェンは踵を返したかと思うと、そのまま振り返ることはなかった。

メイヤーは、二ェンの派手な後ろ姿に話しかける。

「ねぇ、どこ行くの?」

 

「執務室。一人で行くから付いてくんなよな」

 

「メイヤー?そろそろ工房に戻らないか?」

メイヤーは静かに答える。

「・・・そうだね。課題点がたくさん見つかったからね」

 

「まずは・・・麻雀のルールをプログラムに組み込ませなきゃ・・・」

 

 

 

 

 

 

 

【ロドス ドクターの私室】

 

「ドクター?いるんだろー?入るぞー?」

 

開けるというよりもぶち破るという感じで、二ェンが部屋に侵入する。

これでも厳重なロックが掛けられているのだが、最近はその仕事っぷりを発揮できずにいた。

 

「なんだぁ!?っていうか扉の使い方を知らんのかキミたちはぁ!?」

ドクターがベッドから飛び起きる。

「うえっ・・・。なんか生臭いぞこの部屋。ケルシーに見つかる前に換気しとけよな」

「まさかこんな時間に来るなんて考えないだろ・・・」

 

ドクターが居るということを確認できた二ェンはドアを拾い上げてそのまま帰っていく。

 

「それじゃ、このドアは弁償するよ。あー、誰だっけライン生命の・・・思い出した、サリアか。続けていいぞ?」

「・・・早く行け」

ドクターのベッドの中から声がした。

「ははは!今度みんなで麻雀でもしようか。とりあえず深夜の予定は空けとけよ~?」

ニタニタと笑みを浮かべて二ェンが退室する。

災害を具現化したような彼女に二人はため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

二ェンは自身の工房に帰る途中、独り言をポツリと呟く。

 

「あぁ、わたしとドクターとケルシーだともう一人足んねぇなぁ・・・」

 

「赤いボタンのドクターも誘ってみるか?」

消灯時刻はとうに過ぎ、暗闇が支配する通路を二ェンは歩く。

「って、長生きすると独り言が多くなってダメだな。なーんか老婆みたいだ」

 

一人静かに歩く二ェンの後ろ姿を、カワウソ型のメカがそれを見ていた。




メイヤーちゃんは天才なんです。作れないものなんてないんです。


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狂犬の軛(ヴァ―ミル)

みなさんは☆4オペレーターを育成してますか?
☆6オペレーターのパワーに甘えていませんか?


 優秀戦績者発表。それがどのような物なのかというと、漢字を読んで想像して頂いた通りのものである。

 だが、敢えて説明しよう。それは、年に数回あるかないか分からない大規模作戦の際や殲滅作戦、合同訓練の際に収めた戦績をポイントとして換算し、その上位数名を部門別で年末に表彰するというものなのだ。

 表彰されたことで賃金がどうこうするという訳ではないのだが、表彰されたものは今後の作戦の編成に組み込まれやすいというメリットがあった。

 それと同時に、ドクターに自身の実力をアピールできる利点もあったため、殆どのオペレーターたちが表彰を受けようと尽力するのであった。

 

 

【特殊演習 チェルノボーグ郊外】

 

 飛び交う弾丸やボウガンの矢が、速さのあまり線となり宙を裂く。

 敵も味方も、どちらの陣営も射線が切れる遮蔽物に身を隠す。少しでも前に出れば、瞬く間に蜂の巣になってしまうことだろう。

 

 多くのオペレーターが崩壊した瓦礫の山に背中を預ける。

 すぐその向こう側には彼らと同じように敵の小隊が潜伏していた。

 

『おい、なんか投げ物ねぇのか』

『ダメだ。ここまでの迎撃で殆ど使っちまった。塹壕を掘るしかねぇぞ』

 

 あるオペレーターの一人が、落ちたバッグを拾おうとして瓦礫から手を出す。

 その瞬間、ヒュンッと音が聞こえたかと思うと、その伸ばした手の甲をボウガンの矢が貫いた。

 

『……ッッィイッテェ!!』

『なんだ!? おい、どうした!!』

『アイツらァ! ピンポイントで狙って撃ち抜きやがった!!』

 

 苦悶の表情で突き刺さった矢を抜く。急いで止血しようと医療オペレーターが走り寄る。

 そして、それすら狙い通りだったと言わんばかりに、彼らの真上に手榴弾が投擲される。

 

『ヤベぇ! 伏せろ!!』

 

 放り投げられた手榴弾の軌道に、その場に居た全員が死を覚悟した時、

 

 ドオオン!! 

 

 地面で起こるはずだった爆発が上空で起こる。熱い爆風と巻き上げられた砂埃がオペレーターたちの視界を塞ぐ。

 そして、立ち込める煙の中から数名のオペレーターで構成された部隊が現れる。

 

「……なにこんな所でダラダラしてるんだよ」

『ヴァ―ミルの部隊だ! ドクターが増援を寄越してくれたんだ!』

「そういうのは後にしやがれ。まずは状況を打開するぞ」

 

 危機的な状況を救いに、ヴァ―ミルたちが救援に来たのだ。残りの物資が残り僅かという中で塹壕戦に移行しようとしていた者たちは歓喜した。

 遮蔽物の向こうから次々と投げ込まれる投擲物の数々。大きめの石ころから始まれば火炎瓶や、投げ槍もあった。

 

 ヴァ―ミル率いる射撃部隊は危険物のみをボウガンで撃ち抜いていく。

 

『ス、スゲェ……』

「なにボーっとしてるんだ!? 負傷したやつは下がってろ!」

 

 敵と思われる小隊の一人がたまらず遮蔽物から出てくる。

 残念ながら、ヴァ―ミルはその一瞬の隙を見逃すほど甘くはなかった。

 

「……そこッ!」

 

 ギャア! イッテエ!! 

 

「ふん、あいつら素人の傭兵だな。おまえらが苦戦してるって聞いたからサルカズの連中でも居やがるって思ったんだが、これじゃ拍子抜けだな」

『悪ィ……。アイツら小隊単位で待ち伏せしてやがって、まんまと向こうの罠にかかっちまったんだ……』

「まぁ、そういうことはドクターに言ってくれ。オレたちはアイツらをコームインに差し出すだけでいいんだからよ」

 

「しっかし、遮蔽物が邪魔だな。建物ごと爆破できるのないのか? ダイナマイトみたいな」

『あったらこんなとこにいねぇよ!』

「ほーん……。めんどいなぁ。チマチマやってくか……」

 

 露骨に嫌そうな表情をし、ため息をついたヴァ―ミルは、自身の部下である隊員たちに指示を出す。

 

「よーし、ドクターの部隊に支援要請を送った。ちょっとしたら火薬が到着するからそれまで我慢比べだ。耐え切れなくなった多動症のバカから死んでくからな」

『た、隊長。なんか暗くないっすか……?』

「……おん?」

 

 ヴァ―ミルが自身の足元を見る。確かに隊員の言ったとおり、微かに周辺が暗くなっていた。

 不思議に思ったヴァ―ミルたちであったが、すぐにそれがドクターが寄越した救援部隊が乗る飛空艇の仕業だということに気がついた。

 

「……なんだありゃ」

『バッドガイ号なら墜落するんじゃないのか?』

 

 遮蔽物を挟んだ敵も味方も、上空に突如として現れた飛空艇を見つめる。

 そして、思い出したかのように敵の小隊が飛空艇を墜落させようと集中砲火を開始した。

 

 飛空艇の装甲が地上から放たれたものをはじく。

 しばらくすると、飛空艇から謎の物体が落下していく。

 

 その瞬間。

 

 ドガアアアアアアン!!! 

 

 厄介ごとの種であった敵の小隊が、凄まじい爆発と共に建造物ごとはじけ飛ぶ。

 天まで届くかのようなキノコ雲が発生し、周囲のオペレーターの鼓膜と飛空艇を激しく揺らす。

 手榴弾の爆風とは比べ物にならない風圧がヴァ―ミルの髪を巻き上げる。

 

『なんだ!? なにが起こったんだ!?』

「お、落ち着け! 味方だ! たぶん……」

 

 飛空艇からロープが数本垂れ下がり、医療班のオペレーターたちが降下してくる。

 どうやら、ヴァ―ミルたちを救出しにきたようだ。

 しかし、風圧と熱波をモロに受けたヴァ―ミルとその隊員たちの心境はそれどころではなかった。

 

 〔大丈夫ですか? 重症の方から順に運びますので! 〕

『あぁ助かった! Lancetちゃんも来てくれたぞ……』

 

 ヴァ―ミルは崩壊し、瓦礫の山と化した遮蔽物(だったもの)に近づく。

 もくもくと上がる黒い煙の中に、一人の人物と思われる影があった。

 

「……これ、アンタがやったのか?」

 

 朧月のような人影は静かにヴァ―ミルの方に振り向いた。それでいて、とても味方とは思えない冷徹な声で答える。

 

「そうよ。だったら何? 助けてあげたんだから少しぐらい感謝したら?」

「オマエがやらなくてもオレがやってたさ……!」

「そう? 言っとくけど、そういうことはやってから答えるべきだから」

 

 ヴァ―ミルが眉間にシワを寄せる。

 遥か後方に居たオペレーターたちはみんな撤退の準備に取り掛かっていた。

 

「『結果よりも過程が大事』とかおバカさんはよく言うけどね、そもそも結果を出せなきゃ過程なんて注目されないのよ」

「定期試験で最下位の人の勉強方法なんて誰が参考にするっていうの? みんな主席の勉強方法を参考にするわ」

 

「…………何の話をしてるんだ?」

「与えられた任務すらまともにできない犬はいらないってこと」

「なんだと!」

 

 ヴァ―ミルが煙の中のサルカズに掴みかかる。

 しかし、確かに胸倉を掴んだのだが、そのサルカズはするりとヴァ―ミルの拘束から抜け出した。

 

「まぁ、こわいこわい。バカだから頭に血が昇りやすいのね。かわいそうな子犬」

「……フッ!!」

 

 挑発に乗ったヴァ―ミルが、目の前にいるサルカズの女性に向けて蹴りを入れる。

 狙った部位は顎。シュンッと風を切る音が静かに鳴る。

 

「ふ~ん……? 意外とケンカ慣れしてるのね。でも、戦う相手くらい選んだら?」

「……避けるなぁ!!」

 

 煙の中で二人の影が交差しあう。

 ヴァ―ミルが放つ拳や蹴りは標的のサルカズには一切届かず、それどころか所々に反撃を食らっていた。

 

「はぁ……はぁ……。くそッ……」

「……もう終わっていい? 単調すぎて飽きちゃったんだけど」

 汗を拭い、ギロリと前方を睨みつける。

「まだだ! まだオレは死んでない!!」

 サルカズの女性がため息をつく。

「じゃあもうアンタの勝ちでいいわよ。これ以上すると怒られちゃうし」

 

 後方からヴァ―ミルを探す声が聞こえる。

 どうやら部隊の仲間たちが彼女を探しているようだ。

 それは、撤退準備が終了し、ロドスに帰還するということを意味する合図でもあった。

 

「アンタ……名前は……?」

「アハハ! 雑魚に名乗る名前なんか持ってないわ? どうしても知りたいなら殺してネームプレートでも奪えばいいじゃない」

「オレはオマエのことが嫌いかもしれない……」

 サルカズの女性の影がうっすらと消えていく。

「そろそろ戻ったら? 大好きな指揮官サマに褒めてもらいにね。わたしは先に戻ってるから」

 

 ビュンッと風が吹き、辺りに立ち込めていた煙を散らす。

 その場所にはヴァ―ミル以外の姿はなかった。あるとすれば、至近距離で爆発が起こったかのような焼け焦げた腕が瓦礫の隙間から生えていただけであった。

 

 ヴァ―ミルは反撃を食らった頬をさすりながら、踵を返して部隊に戻るのであった…………。

 

 

 

【ロドス 搭乗ゲート】

 

 薄暗い空間を眩しい照明が無理やり明るくしている。

 普段ならばここで働く整備員たちは暇を弄んでいるのだが、作戦がある日は別であった。

 帰還した飛空艇や車両から物資を運び、メンテナンスが必要な箇所があれば迅速にエンジニアに連絡を入れる。

 忙しい事この上なしなのだが、それを言うなら事務室だって負けていなかった。

 

 こんなところにいたら光量で頭が痛くなると思ったヴァ―ミルは、そそくさと執務室へ報告をしに行くのであった。

 

「くっそ…………。いてぇ」

 後ろを付いて来ていた隊員たちが口を挟む

『どうしたんですか? 虫歯っすか?』

『ははは! 隊長は甘いモンばっか食ってっからなぁ!』

 体の節々が痛む。戦闘慣れしている者特有の、後から響いてくるタイプの攻撃。

「……こども扱いすんなよ」

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

「とりあえず、お疲れさま。相手の方が少々上手だったみたいだがな」

「う……。すまん……」

 ドクターの言葉にヴァ―ミルが首をすぼめる。

「私は援軍は必要ないと思ったんだが、念には念をとアーミヤがな……」

「物資さえ揃ってればオレの部隊だけで余裕だったんだぞ!」

 ドクターが作戦記録に確認の押印をする。

「はは。ヴァ―ミルの言う通りだな。次の作戦もよろしく頼むよ」

 

 ヴァ―ミルは平らな胸を叩いて返事をする。

 次こそは自分だけで。そう心の底で思いながら、彼女は執務室を出た。

 

 



 う~ん、今回は難しいな……。そうだ、ヴァ―ミルに頼んでみるか。

 

 スゴイじゃないか! 今年の狙撃部門はもしかしたらヴァ―ミルかもな。

 

「へへっ、身長が低いからってあんまこども扱いすんなよな!」

 

 よし、今回も期待してるぞ。くれぐれもジェシカと仲良くな。

 

「分かってるって! オレさえいれば大丈夫なんだから、ドクターはどんと構えとけよ!」



 

 ヴァ―ミルと入れ違いでアーミヤが執務室に入室する。

「ドクター。次回の作戦の話なんですが、どうも物騒な装備をしている者たちが多いらしくて……」

 ドクターが額に手をあてる

「う~ん、ならば術師中心の編成になるな。最近ロサの才能が開花し始めたらしいし、大事をとって彼女も組み込むか」

「そうですね。今回もヴァ―ミルさんたちに周辺の哨戒をして頂いてから、本隊を向かわせましょうか」

 

 

【ロドス 宿舎】

 

 自身の部屋にて、細々と置かれた盾を見ていた。

 盾といっても、重装オペレーターが使用する盾のことではない。勲章として贈呈されるものだ。

 狩人として活動していたヴァ―ミルの部屋には、武器の類が所狭しと置かれていた。

 

「なんか、これも汚くなっちまったな……」

 

 何年か前の話である。

 まだロドスにカランド貿易やライン生命のような戦力がいなかった頃。ドクターとアーミヤは限られた人材と物資でどうにかやり繰りをしていた。

 これはその時に手にした栄光。

 時には満足な結果を出せず、ケルシーに小言を言われる日もあった。しかし、そんな日々すらヴァ―ミルは懐かしく感じていた。

 

「たまには磨いてやらなくちゃな……」

 

 その盾に刻まれた日は、もはや薄汚れ、ヴァ―ミル自身も思い出せずにいた。

 小棚にはその盾しか置かれていなかった。

 

 過去の栄光に縋るなど、もはや障害にしかならぬというのに。

 

 

 



 

「おい! 撤退するぞ! 殿(しんがり)はオレがする!!」

 

 た、隊長! 見てください! アレ!! 

 ペンギン急便だ! エクシアさんとテキサスさんだ! 助けに来てくれたんだ!! 

 ヴァ―ミル隊長! ドクターが救援部隊を寄越してくれたんだ! 

 

「ドクターが……?」

 

 スゲェ! あんなに硬かった装甲が溶けてくぞ!! 

 こりゃあ今年の最優秀賞はアイツらかもな! 

 

「…………」

 



 

 

「みなさん、今年も一年お疲れ様でした。今年は昨年のこの日と比べて、多くの人が~~~~~~」

 

 アーミヤが壇上に立ち、長いスピーチ原稿を読む。

 ロドス中のオペレーターや職員が、この広間に集合していた。その多くの者たちはアーミヤの話す内容などどうでもいいと思っているようだった。

 彼ら彼女らがここに居る目的はたった一つ。

 今年度の優秀戦績者の発表を聞くためであった。

 

 もちろん、その場所にはヴァ―ミルの姿もあった。

 

「化粧くせぇな……。早く発表されねぇかな」

「アンタこういうの嫌いなタイプだと思ってた」

 横から聞こえて来た声にヴァ―ミルは驚く。

「……いつからそこに居たんだよ」

 いつぞやのサルカズの女性は答える。

「そんなのどうだっていいでしょ? アンタここが戦場なら3回くらい殺されてるわよ」

 

 二人がいるのは二階のため、歓喜に騒ぐ皆の様子がよく見えた。

 そして、ヴァ―ミルとサルカズの女性を含む狙撃オペレーターの優秀戦績者が発表される。

 

「狙撃部門優秀賞、エクシアさん。最優秀賞、ロサさん。

 受賞されたお二人に、多大な拍手をお願いします」

 

 パチパチパチパチ!! 

 ロサー! グムダヨー!! オメデトー!!

 ヤメロ! ハズカシイダロ!! 

 

 

「……茶番ね。わたしが辞退しなかったら、順位が一つ下がることも知らないで」

 

 サルカズが白い髪の毛先を遊ばせる。

 隣からの反応が無いことを不審に思った彼女は、ヴァ―ミルの顔を覗き込む。

 

「自分の名前が呼ばれなくて残念ね。あっ、毎年そうだったか」

「…………どいつもこいつも」

 サルカズの女性が半歩後ろに下がる。

「……ふ~ん? そういうこと……」

 

 



 

 それでは、今作戦の編成を発表します。

 隊長、ヴァ―ミルさん。副隊長、ヴィグナさん。

 ・ハイビスカスさん。

 ・サベージさん。

 ・ヤトウさん。

 ・アーミヤ

 以上の6名です。

 

 今回ミスったらケルシーに殺されるんだ……。ヴァ―ミル! 頼んだぞ! 

「おう! 全部全部ぜーんぶオレに任せとけ!!」

 

 

 それでは、今作戦の編成を発表します。

 隊長、グレースロートさん。副隊長、ヴァ―ミルさん

 ・ラップランドさん。

 ・ジュナ―さん。

 ・クーリエさん。

 ・リスカムさん。

 ・ススーロさん。

 ・アーミヤ

 以上の8名です。

 

 グレースロート。今回が鬼門だ。今後の私の食生活が天秤にかかっているんだ。頼んだぞ! 

『料理ぐらいなら全部わたしがやってあげるっていうのに……』

 

 ヴァ―ミルも、グレースロートの指示通り頑張ってくれ。主に私の賃金的な意味で頑張ってくれ! 

「……おう! オレは副隊長だからな。面倒なことは片付けてやるよ!」

 

 

 それでは、今作戦の編成を発表します。

 隊長、エクシアさん。副隊長、テキサスさん。

 ・アンジェリーナさん。

 ・ラップランドさん。

 ・スカイフレアさん

 ・テンニンカさん。

 ・ヴァ―ミルさん。

 ・ススーロさん。

 ・クーリエさん。

 ・グムさん。

 以上の10名です。

 

 エクシアからしたら少しヌルい任務かもな? 

『リーダー! そんな褒めて何にも出てこないよ?』

 

 テキサスも、あまり暴れすぎるなよ。お前は加減が効かないんだから。

『…………善処する』

 

 

「…………オレだって、できるんだぞ……!」

 

 

 それでは、今作戦の編成を発表します。

 隊長、エクシアさん。副隊長、シルバーアッシュさん。

 ・エイヤフィヤトラさん。

 ・アンジェリーナさん。

 ・ラップランドさん。

 ・シャイニングさん。

 ・テンニンカさん。

 ・ファントムさん。

 ・クーリエさん。

 ・サリアさん

 ・ロサさん

 ・Wさん

 以上の12名です。

 

 それにしても、錚々たるメンバーだな……。

『全員リーダーの人脈のおかげだよ! 隊長を務めさせてくれてありがとね!』

()()()()()()()()として、胸を張れるよ!』

 

 

 

「…………」

 



 

 ロドスの大広間にて、アーミヤの締めの挨拶を無視して人々は騒ぐ。

 その収拾がつかない事態にアーミヤとクロージャは呆れ顔で幕を下げるのであった。

 

 その二階では二人の人物がピりついた雰囲気を発生させていた。

 

「どいつもこいつも、狩りを殺人と混同してるミーハー野郎ばかりだ……!」

「大切なのは『誰のために戦うか』だろうが……!」

 

「負け犬の言葉なんて、誰も聞きゃしないわ」

 

「……試してみるか?」

 サルカズが笑いを堪える。

「はぁ? また痛めつけられたいの??」

 

「…………フッ!」

 瞬間、ヴァ―ミルの足が動く。いや、動くというよりは揺れるといった表現が正しいだろうか。

 少なくとも、サルカズの女性の目にはそう見えた。

 

 そして鼻から数滴、赤く迸る鮮血が落ちる。

 

 鼻を手で押さえながら質問する。

「…………はぁ? アンタいま何したの?」

 

 ヴァ―ミルが下の階層を見て、

「……オマエらがいなかったら、オレが最優秀賞をもらってたんだ」

「オマエみたいなやつが来なかったら、ドクターの一番はずっとオレだったんだ……!!」

「昔みたいに、どんなときもオレを頼ってくれたんだ……!!!」

 

「オマエらさえいなければ! オマエらさえ…………」

 

 ヴァ―ミルの背後に音もなく忍び寄る人影。

 それは、サルカズの女性がこの地で会いたくない人物の一人であった。

 

「ぐあっ…………」

「…………」

 

 その人影が照明に届く範囲に来た時、ヴァ―ミルのうなじに手刀を入れる。

 ヴァ―ミルは濡れた雑巾のように脱力し、そのまま気絶してしまった。

 

「ケルシー…………!」

「おや、Wか。こういう行事には顔を出さないと思っていたのだが……」

 W。そう呼ばれたサルカズの女性は歯を軋ませる。

「そいつをどうするつもり……?」

 

「ほう? 他人に関心を持つとは珍しいな。そうか、彼女(ヴァ―ミル)に傷をつけられたからか。

 百戦錬磨のWも大したことないんだな」

 ケルシーが不敵に笑う。

 とても安い挑発だった。それに乗っかる傭兵などきっといないだろう。

 

「どうするのかという質問に答えよう。彼女のメンタルは不安定なのでな、事件が起こる前に()()()する。

 そうだな、アズリウスがそんなことを言っていたな。まぁ、わたしも詳しくは知らんがな」

 

 騒がしい一階とは対称に、Wたちが居る二階には何やら不穏な空気が立ち込めていた。

 

 

「そうだ。ヴァ―ミルの代わりにわたしが相手になろうか?」

「イヤよ。アンタみたいなバケモノと戦いたくないもの」

「…………ん?」

「…遠慮しとくわ」

「……ん?」

「………見逃してください」

「ん?」

「許してください…………」




頑張ってるのに認められないというのは辛いことですよね。
まぁ、それも『過程』よりも『結果』なんですけどね。


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月影の審問者(ラップランド)

透明文字って字数に換算されるんですね。


 意外かもしれないんだけどね、ボクは多趣味なんだ。

 まぁ、スポーツみたいな体を動かすのは一回見たら出来るようになっちゃうから、そんな長くは続かなかったんだけどね。

 あっ、でも野球とホッケーは楽しかったかな。長物の扱いは得意だからね。

 ドクターも今度野球やろうよ。二人だけでさ。

 アハハ! 冗談だよ、冗談。

 

 なんだってできたから、次第にできないことを探すようになったんだ。

 ホラ、経験は大事って言うでしょ? 

 だからアルバイトもたくさんしたんだ。誇りを汚されるようなもの以外は全部やったね! 

 世渡りが上手い人って呼ばれたくてさ! 今思うと恥ずかしい限りだよ! 

 

 でも、知識が欲しかっただけであって、年上の人に愛でられたかったわけじゃない。

 賢く生きる方法を知りたかっただけで、授業を受けたかったわけじゃない。

 ボクが学校に少ししか通っていなかったのはそのためだよ。

 

 どう? 美味しい? 

 ドクターは変わった食べ物が好きって聞いたからね、いっぱい工夫したんだ。

 そう? ホントかい!? 

 

 あ~、安心したよ……。実は人に料理を食べてもらうのは初めてだったんだ。

 そう、ボクの初めてはドクターなんだよ? 

 

 アッハッハ! そんな咳き込まないでよ! ホラ、水飲んで落ち着いて? 

 ナニか変なこと想像しちゃったのかな? 

 それとも……、

 

 隠してることと何か関係があるのかな? 

 まぁ、ドクターとモスティマとの間に何があったかなんて、ボクには関係ないしね。

 

 フフ……。そんな顔しないでおくれよ。ちょっと傷つくからさ……。

 どこまで知ってるかだって? 

 ボクはドクターのことなら何でも知ってるよ。比喩じゃない。何でもね。

 

 そもそも知られたらマズいようなことは考えないことだよ? 

 ほら、いま企んでることを教えてごらんよ。ボクはどんな時でもドクターの味方だからね……? 

 

 チェッ! 流石に教えてくれないか。もう少し押せばいけると思ったんだけどね。

 何でも知っているっていうのは嘘だよ。でも、ドクターの味方っていうのは本当。

 ドクターがボクの味方でいる限り、ボクはドクターの味方だよ。

 

 昔から思ってたんだけど、そういうことに関してはガードが固いよね。

 薬漬けにしないと言うこと聞いてくれないんじゃないかな? 

 アハハ! ご飯食べてる時に喋る内容じゃないよね! 

 

 それで、どこまで話したっけ……? あぁ、はい。おかわりだよ。たくさんあるからいっぱい食べてね。

 そうだ。思い出した。趣味の話だったね。

 

 長く続いてるって感じなら、テキサスをいじるのは趣味になるのかな? 

 慣れたのかどうか分かんないけど挑発に乗ってくれなくなったし、退屈してるんだよね。

 そうだ、最近はゲームに熱を入れてるんだ。あぁ、テキサスじゃないよ? ボクのことさ。

 3人1組で一番を決めるゲーム。

 どうだい? ドクターもやってみない? テキサスも誘ってさ! 

 

 アハハ! 確かに! 仲間割れしてゲームどころじゃなくなるかもね! 

 意外とテキサスってハマると周りが見えなくなるタイプだから向いてないかもね。

 その分ドクターは適性があると思うよ? 戦場で指示を出すことでお金もらってるんだから。

 どう? ボクと世界を狙ってみないかい? 

 

 アッハッハ! あ~あ、フラれちゃったか。残念だよ。

 

 お手洗い? そうか、じゃあ行こうか。

 …………。

 え!? 付いていっちゃダメなの!? なんで!? 

 あぁ、うん。じゃあ、ご飯が冷める前に戻ってきてよ? 逃げたら地の果てまで追いかけるからね。

 

 …………。

 

 …………。

 

 …………。

 

 ……遅いな。

 

 …………。

 

 …………。

 

 あっ、おかえり。いいや? 全然待ってないよ。

 男の人のお手洗いは早くて羨ましいね。

 

 スープが冷めちゃったじゃないか。え? いやいや、怒ってないよ。

 むしろ拗ねてるのさ。

 説明させるなんてキミも鬼畜なんだね。それとももしかしてそういうのが好きな感じかな? 

 

 まぁ、いいや。こんな話をしたところでどうにかなるわけじゃないしね。

 さ、ご飯の続きといこうか。まだまだあるんだから、遠慮せずに食べてね。

 ん? ……ありがとう! 丁度喉が渇いていたんだ! 

 

 え? もう食べられない? 

 う~ん、流石に多く作りすぎちゃったかな。まぁいいや。冷蔵庫に入れておくからまた今度温めてたべようか。

 そうだ! 今度はエクシアとモスティマを誘って鍋でもしようか! 

 アッハッハ! ドクターの胃が死んじゃうか! 

 

 ……? どうしたんだい? エクシアのことが心配? 

 大丈夫だよ。もし何かあってもボクが守ってあげるから。何があってもね。

 

 だって、ボクはキミを愛してるから。

 冗談じゃないよ。そんなつまらない冗談は吐かないさ。

 

 アッハッハ! 困ったみたいな顔をしているね! 

 まぁ、エクシアみたいにその場で答えを出せとは言わないよ。

 正直なところ、一番目とかそんなのには興味ないからね。最終的にドクターの大切な人の一員になれればいいなって思ってるだけだけど。

 

(でも、ドクターが精神異常の温床だって気づくのに時間がかかり過ぎたみたいだね……。気持ちが悪い……。頭が痛い……。脳が、どす黒いものに浸食されていくような……)

 

 でも、どんな結末であれ、もはやキミが穏やかに死ぬことは不可能さ。

 フフ……? いつか分かるよ。少なくとも今じゃない、もう少し後。

 そうだね。うん。これ以上は不安を煽るだけだからやめておこうか。

 

 でもね、ここだけの話だよ。

 もしキミが信頼している人に裏切られて、世界を憎むようになったとき、ボクはキミに付いていくよ。どこまでもね。

 何言ってるのか分からないみたいな顔してるけど、それもいつか分かるさ。

 

 え? もう食べられない? 

 ダメだよ。そんなの許すわけないでしょ? 

 ほら、食べて。

 

 食べて!!! 

 

 うん、それでいいんだよ。

 一日三食食べないと元気が出ないからね。

 

(うぅ……。意識がある……? 精神異常に耐性がついてきたのか?)

 

 ここから出たい? 

 ダメだよ。キミは危険な存在なんだから。

 ボクの言葉と行動は意地悪なんかじゃないよ。全てキミのことを思った上での行動なんだ。

 キミは自分の理解者は自分しかいないと思っているみたいだけど、そんなことはない。

 

 ボクだから理解できるんだ。他の奴には理解できないさ。

 ケルシーがぼやいていたよ。

『ドクターが目覚めてからおかしくなってしまった』

 周囲の子たちの異常に、まさか気づいていないわけないよね? 

 

 ……まぁ、無理もないか。ボクも自身の変化に気づいたのは最近なんだしね。

 全て、責任を取るべきなんだ。

 

 ……さっき言ったはずだよね。

 仕事はボクがやっておいたって。ボクを信用してないのかい? それとも、ボクのことをアズリウスと同じだと思ってるのかい? 

 ……それなら心外だね! ボクはキミのことを信頼しているのに! 

 

 キミはボクの言う通りに行動すればいいんだ!! 

 他でもない! キミを幸せにできるのはもうボクしかいないんだよ!? 

 だからキミはボクのことだけを考えていればいいんだ!! 

 それなのにいつもいつもいつもいつも!!! 

 ボクのシナリオ通りに皆が生きれば全員幸せになれるのに!! 

 

(そんなシナリオなんてまともなはずがない! 主人格を取り戻してドクターを開放しないと!)

 

 ……はい、デザート。

 コーヒーゼリーなんだけど食べれるかな。ドクターはコーヒーが好きなんだよね。

 その、食べてくれたら嬉しいな……。美味しい? そう。よかった……。

 

(ぐッ……!! 少ししか奪取できない! その短時間でドクターの状況を説明したところで、失敗したら終わりになってしまう……!)

 

 ……無駄だよ。

 その椅子は破壊できない。

 ただでさえキミは源石を使用してもアーツが使えない特異体質なんだ。

 腕力だけで脱出を試みようなんて、そんなのバカがやることだよ。

 

 ……ねぇ、いつまでやってるの? 

 

 いつまでやってるのって聞いてるんだよ!! 

 キミはそんな意味がないことはしない! キミは強くて、冷静で豪胆で瀟洒で冷酷であるべきなんだ!! 

 ボクがそこに座ってって言ったらそこに座るの!! それ以外は何もしないで!! 

 料理だって! 洗濯だって! 風呂だって!! 全部ボクがやるんだ!! 

 キミは黙ってボクだけを見ていればいいんだよ!!! 

 

 ハァ、ハァ、ハァ……。分かった? 

 これ以上ボクをがっかりさせないで……。

 

 キミはここに居れば安全なんだ。

 多少の自由は制限されてしまうけど、それもこれも仕方がないことだよね。

 キミが望んだ通りの生活を送ることができるんだ。面倒な執務も、大変な早起きも、神経を使う作戦指揮もやらなくていいんだ。

 ボクが毎日おいしいご飯を作ってあげる。毎日ふわふわのベッドで寝させてあげる。

 まぁ、その、うん。夜の相手は、ね? 毎日は難しいけど、頑張るから。

 

 だから、キミも、ボクを…………

 

 ドサツ……。

 

 

 ラップランドが足をふらつかせて倒れる。

 椅子に縛られていたドクターは、袖の隙間からナイフを取り出して拘束具を強引に破壊する。

「…………まったく、何か嫌な予感がしてたんだよ」

 テーブルに置かれたコップを見る。

「飲み物に睡眠薬を混入させておいて正解だったな……」

「なぜ私を誘拐したことはコーヒーゼリーに免じて不問にしよう」

 ラップランドに毛布を被せると、いそいそと出口の方に向かった。

「それにしても食わせ過ぎだ。一生分の野菜を食ったみたいだ。……うっ吐きそう」

 




ラップランドちゃんが豹変したポイントを見つけてみてください。


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星が泣く夜(モスティマ)

モスティマさんのお話です。


 彼女はこのひっくり返った世界で多くのものを見て来た。美しいものも、穢れたものも。

 閉鎖空間で生活を送る者からすれば、まさしく彼女こそが世界であった。

 

 極彩色に輝く満天の夜空。

 今や遥か遠くに行ってしまった、生態系の覇者の亡骸。

 秘匿された時計台。

 宝石の砂浜と光る海岸線。

 

 彼女は多くの話を聞かせてくれた。

 彼女の口から紡がれる物語を聞くと、この世界もまだまだ捨てたものではないと思えた。

 

 

 ロドス本艦、搭乗ゲート。

 前進するたびに謎の機械がおどろおどろしい音を立てる。鉄板が金切り声を上げる度に整備の職員が走り回る。

 慌ただしい物音が絶えず響く中で、その場に似合わない2人が会話をする。

 

「ほーんと、キミはわたしのお話が大好きだね」

ここ(ロドス)で自由に行動できるのは君しかいないからな」

「ふ~ん? ロドスの人ってもっと固い人ばかりだと思ってた」

 

 灯りが無ければ廃トンネルのような雰囲気のこの場所にて、少女はランタンを手元に引き寄せる。

 板金の狭間から差し込む冷たい隙間風が、彼女の透き通った青い髪を巻き上げる。

 遥か遠くに見える景色を眺めながら、彼女は静かに呟く。

 

「あそこの村、もう誰も住んでいないんだ。この前遊びに行ったら皆干乾びちゃってたんだよね」

「…………天災か?」

「ううん、ただの飢餓。キミたちは鉱石病と闘ってるみたいだけど、この世界にある問題はそれだけじゃないんだ」

「難しい話だな。一つの課題をクリアすると、別の問題が二つ出てくる」

「……綺麗な景色だけ考えるなら、この世界は素晴らしいんだけどね」

 

 どこからか侵入したネズミの類が、彼女の服の袖を噛む。

 男は立ち上がり、ネズミを足で払うと少女に問いかけた。

 

「次は、そこにいくのか」

「うん。まだ埋葬できてないしね。村人の中には善良とは言えない人もいたけど、それでも自然の慰みにはさせたくないんだ」

「ロドスなら、もっと丁重に埋葬できる」

「……遠慮しとくよ。あのお医者さんに知られたら面倒だしね」

 

 男は頷く。

 彼女が何を見たのか。それを聞く理由などもはや意味をなさず、ただ割れたガラス細工のような瞳をする姿を見れば、自然と想像することが出来た。

 

「私も同行しよう」

「いいの? きっと村長も喜ぶと思うよ。ってもういないんだけどね」

「……乾いた笑いで迎えてくれるだろうな」

 

 不謹慎すぎるジョークに、少女は失笑する。

 冷たい風に震える姿に、男は丁度いいサイズの毛布を彼女に被せた。

 それから彼女は強い口調になって男に問う。

 

「そういえばさ、わたしまだキミの名前も知らないんだけど、教えてくれると嬉しいな~ってね」

「あぁ、皆からは『ドクター』と呼ばれているよ」

「わたしはモスティマ。ペンギン急便のモスティマ。よろしくねドクター」

 

 薄暗く、機械油の臭いが充満する灰色の空間にて、2人は静かに握手をした。

 

「あっ、連絡先。交換しとこっか」

 

 〔【ロドス 過去 春】〕

 

 

 とある一室にて、2人の人物がチェスに興じる。

 

「……守備はどうだ」

「上々だ。今回は失敗は許されないからな、念には念をってやつだ」

「期限が迫っている。迅速に行動しろ」

 

 ボードゲームで遊ぶには少々広すぎる部屋にて、駒を動かす音だけが鳴り響く。

 盤面だけを見るなら戦況は拮抗していた。

 

「どうしても時間がかかるならわたしの方で準備するが……」

「いや、適任が見つかった。きっと上手くいくはずだ」

「…………」

 

 男は敵陣のクイーンを弾き飛ばす。

 どこからともなく現れた赤色のループスが、落下した駒を拾い上げる。

 

「私の勝ちだな、ケルシー。準備が整い次第報告する」

 

 漆黒の外套を身に纏う男と、艶めかしい振る舞いをする騎士を引き連れて部屋から退室する。

 やがて、クイーンを拾い上げたループスも、赤色のコートを翻して男の後をついていった。

 

 

 

 

「わたしが昔いた土地でね、こんな話があるんだ。

 天に挑んだ人たちが作った塔が、神様の雷で破壊されるお話。聞きたい?」

「故郷の話をするなんて珍しいじゃないか」

 

 ロドスが耳をつんざくような汽笛を放つ。

 モスティマは片目を閉じ、首をすぼめて音が止むのを待った。

 

「ここじゃあわたしとお話してくれるのは整備の人とドクターしかいないからね」

「アジトには戻らないのか?」

「今は静かな所に居たい気分かな」

 

 搭乗ゲートは静かな場所とは言えない場所であった。

 よって、モスティマが言う『静かな場所に居たい』というのは方便だということがすぐに理解できた。

 ドクターは、それを指摘せず彼女の話す言葉に耳を貸すのであった。

 

「他にもいっぱいあるんだ。

 神様を怒らせちゃって洪水が起きてね、全生物のつがいだけが船に乗せられるって話」

「私も似たような話を聞いたことがある。どこの地域にもそんな伝承があるのかもな」

「ふふっ。元は同じ話だったのかもね? その場所その場所の文化によって神様の定義が異なるからかな?」

 

 ケラケラと笑いながら答えるモスティマ。

 年若い職員たちが笑顔で座るモスティマとドクターを見て溜め息をつく。

 

 

 

 

 

 

 とある一室にて、2人の人物がティーカップを持つ。

 

「……準備はいかがでしょうか?」

「順調、だと思いたいな。少し時間がかかり過ぎか?」

「はい。ドクターのお気持ちも分かりますが、ケルシー先生の我慢も限界ですので……」

 

 ドクターの対面に座る少女は、厳しい表情で紅茶を飲む。

 

「騙すというのは気分が悪いな……」

「そうですね。ですが、ドクターならきっと上手くできるはずですよ」

「アーミヤこそ、準備の段階でしくじるなよ」

 

 ドクターは紅茶を少し飲むと、廊下に居たラテラーノからの使者と共に作戦会議室に向かうのであった。

 

 

 

 ロドス、搭乗ゲート。

 砂漠地帯での作戦を終え、戦闘に駆り出されていたオペレーターたちが帰還する。

 モスティマはその光景を歩いては止まり、歩いては止まりを繰り返し、かなり落ち着かない様子で眺めていた。

 

『おい! もっと丁寧に運べ!』

『最悪……。服の中まで砂入ってるんですけど……』

 

 作戦ポイントから運ばれてきた物資が砂埃を放出する。

 モスティマは両足を子供のようにバタつかせていた。

 やがて、大勢の人に囲まれながらお目当ての人物が現れる。

 

「おぉ、またこんな所に居たのか」

「たまたまだよ、たまたま。とりあえずお疲れ様ドクター」

 

 モスティマはドクターの姿が見えるや否や、パッと身を起こし、ドクターの傍へ歩み寄った。

 

「今回の作戦は骨が折れたな。あまりよろしくない表現だが、正直面倒だった」

「ふふっ、でも上手くいったんでしょ?」

 

 青色の髪を揺らし、興味深そうにドクターの顔を覗き見る。

 帰還したオペレーターたちは皆笑っていた。中には感情の起伏が少ない者も居たが、それは心が無いからではなく、熱く燃える何かを隠しているからであった。

 ドクターは、大勢の人々が笑いあう姿を見る度に、頑張って良かったと思うのであった。

 

 そして、モスティマはそのような彼の微笑みを見るのが好きだった。

 

「ねぇ、そういえばわたしたち(ペンギン急便)を編成に組み込まないのは理由がある感じかな?」

「まぁ、得意分野が何なのかをまだ把握できていないからな。正直もう少し後になりそうな感じだな」

 

 モスティマはドクターと鼻が触れ合うほどの距離に身を寄せると、ある提案をした。

 

「今度の作戦かどこかでわたしも戦ってみたいな。予想以上の結果をプレゼントするよ」

「そうか……。そうだな、少し山間部に向かう作戦があるんだ。道中の案内兼護衛を頼めるか?」

 

 その話を聞いたモスティマは、快活な返事をするのであった。

 

 

 

 

 

 とある一室にて、3人の人物が円卓を囲む。

 

「準備が整った。いつでも出発できる」

「かなり時間がかかったな。催促の報が届いているぞ」

「まあまあ、そういうお話は任務が終わってからしませんか?」

 

 赤い絨毯が敷き詰められた部屋にて、微かに差し込んだ光が筋となり3人の顔を照らす。

 廊下には連日、3人の関係者がせわしなく詰めていた。暗部のオペレーターや護衛、企業提携者や政治家、そして使者などが。

 どちらにせよ、状況が穏やかなものではないということは確かであった。

 

「決行はいつにする」

「来週」

「ならば来週だ」

「分かっているだろうが、

「「失敗は許されない」」

「だろ?」

 

「分かっているならいい」

 

 3人は席を立ち、部屋には静寂だけが取り残された。

 微かに差し込んでいた光は、いまやカーテンに遮られ室内を暗く灯していた。

 

 

 

【????? バッドガイ号】

 

「ねぇドクター、この作戦ってまさか戦わない感じかな」

「鋭いな、今回は下見みたいな感じだ。ついでに観光にでも行こうか?」

 

 正規の契約を結んでいないとは言え、モスティマにとってはこれが初陣であった。

 初めて乗る空挺で、初めてロドスのオペレーターとして戦闘する。集団行動が苦手な彼女であったが、流石に今回ばかりは記念にしたい作戦であった。

 当然、同乗しているオペレーターたちの誰よりも装備に気合いが入っている。

 

「下見か~。まぁ全然いいけどね。通りでオペレーターの人数が少ないと思ったんだ」

「私はバチバチの戦闘はしないからな。今回は秘密の作戦なんだから」

 

 アーミヤやケルシーには内緒という話だろうか。確かにバッドガイ号に乗って、武器の手入れをしているオペレーターたちは普段見ない顔ぶれが殆どだった。

 モスティマは多少の違和感を感じたが、それ以上考えることを止めた。

 

「それで、わたしは何をすればいいのかな。ただの座ってればいいってわけじゃないでしょ?」

「……モスティマには道案内をお願いしようかな。今回はモスティマがキーマンなんだ」

 

 快晴。今にも落ちてきそうな青空をバッドガイ号は進む。

 道中、同乗していたオペレーターたちが一瞬の内に荷物を手に取る。

 

「ドクター見える? あそこの村のシチューは凄くおいしいんだ。村長が天気をあやつ

 

 シュウウウウウ…………

 

 モスティマが言い終わる前に、バッドガイ号の両翼から煙が揚がる。

 そして、飛空艇は綺麗な円を描きながら地上に近づいていく。

 

「ちょ、ちょっと! ドクター!?」

「とりあえず何かに掴まれ! 着地するぞ!!」

 

 バッドガイ号は白い煙を吐き出しながら、山の斜面の木々を薙ぎ倒して不時着する。

 飛空艇の内部では、オペレーターや物資がもみくちゃになり、さながらミキサーされた後のようだった。

 

「イテテ……。生きてることが奇跡だね……」

「……大丈夫? すぐに、助ける、少し、揺れるかも……」

 

 飛散し、半壊した船内の部品が強引にどかされ、モスティマは腕を引っ張られ救出される。

 あれほどの衝撃があってなお負傷者がいないというのは奇跡と言っても過言ではなかった。

 

「レッド、怪我、治せない。もし怪我してたら、マンティコアかドクターに言って……」

「あー、うん。わたしは大丈夫だよ。それよりも飛空艇の状態がマズいかもね」

 

 ドクターはバッドガイ号から最低限の物資や、通信設備を取り出し、落ち着いた様子でロドスに信号を入れていた。

 

「飛散した部品を回収するべきだ。プラン通りに行動しろ。ネジ一本残してはならない」

「ファントムさん~? 結構向こうの方まで飛んでっちゃったのがあるんだけど……」

「ならばシラユキとグラベルで回収に行け。必ず2人以上で行動しろ」

「…………貴公に命令されるのは癪だが、隊長が貴公ならば仕方あるまい」

 

 同乗していたオペレーターたちがいそいそと行動する。

 自分だけ何もしないというのは流石にマズイと感じたモスティマは、申し訳程度に地面に散乱したパーツを集めるのであった。

 ロドスに連絡を入れていたドクターがおもむろに立ち上がり号令をかける。

 

「電波が悪い! どこか雨風をしのげる場所で仮拠点を作る!」

 

 ドクターの話を聞いたオペレーターたちは、緊急事態であるにも関わらず迅速な行動で荷物の準備に取り掛かった。

 幸いにも、晴れが続く日であったため移動も困難ではなかった。

 道中、モスティマは過去に訪れたことのある山村が存在を思い出した。

 

「この道を少し左に行ったら村があるんだ。避難するにはうってつけじゃないかい?」

「…………」

 

 ドクターが後方に居るオペレーターたちに合図を送る。

 オペレーターたちは頷く。

 

「よし、日が暮れる前そこに移動しよう。モスティマ、スカベンジャー、村人に事情の説明をするから同行してくれ」

「構わない。交渉はモスティマとドクターに任せる」

 

 

【????? ????村】

 

 そこは天災の影響が少ないのか、今の時代にしては珍しい肥沃な土地であった。

 電気や水道などの最低限度のインフラは整っているようだが、随所に垣間見える独自の宗教色は、閉鎖空間で構築されていったであろう不気味な文化を匂わせていた。

 

 モスティマは過去に1人でこの地を踏んだことがあるということもあり、現地民とのコミュニケーションもスムーズに進んでいった。

 一方で、ドクターとスカベンジャーはよそ者という好奇な視線を浴びることとなり、会話に盛り上がるモスティマとは裏腹に心地悪さを感じるのであった。

 

 

「いやぁ~、みんな元気そうで良かったよ。この時代に死因が寿命だけっていうのは羨ましいね」

「……それで、どうだった」

「離れにある廃屋なら使ってもいいって。ホントご厚意に感謝だね」

 

 スカベンジャーがドクターの腕を小突く。

 ドクターは手持ちの無線機で離れた所で待っているファントムたちに連絡を入れる。

 

『私だ。許可が下りた。通信機を設置してロドスと連絡を入れろ』

 ザザー……ピー……ガガツ

『こちらファントム。通信状況は安定。既に全員待機中、プラン通りに行動を開始する』

 

「よし、私たちも廃屋に行くぞ」

 

 モスティマとスカベンジャーはドクターの後に付いていく。

 道路というよりも獣道という表現の方が適切な道を3人は歩く。

 ドクターの瞳は、奈落の底のような深みを帯びていた。

 

 

【????? ????村 夜間】

 

 荒れ果てた廃屋を無理やり補修し、通信環境を整える。

 そうすると、ただでさえ狭かった廃屋は2、3人中に入れるかどうかというような感じになってしまった。

 

 遠くで獣が鳴く声が聞こえる。

 枯れ木のざわめきだろうか、やせ細った木の枝の凍てついたような茶色の葉が1枚、ドクターたちの上に飛来した。

 

『ロドスに信号を送った。私はいつでも大丈夫だ』

 ザザー……ピー……

『こちらファントム。全員無事だ。いつでも行動できる』

 

「わたしたちだけ申し訳ないね。廃屋とはいえ、屋根がある場所で眠れるなんてさ」

「ファントムたちは部品の回収に行っているらしい。完全に日が沈むまでには戻って来るさ」

「…………」

「…………」

 

 ちいさな小屋の真ん中に、粗末な毛布を敷いてそこに座るモスティマとドクター。

 突貫で作った避難所のため、暇つぶしの玩具の一つもない。あるとするならば傷一つない機械の山と、寂しげな炎を揺らめかせる暖炉のみであった。

 もちろん、暇を持て余す。

 

「なんか暇だね……」

「仕方ないさ。今更外に出てもすることないしな……」

「そうだ、わたしの仲間のお話でもしてあげようか?」

「ペンギン急便の連中か? 濃いメンツだから退屈しなさそうだな」

 

 少し寒い山間部の村の、そのまた遠くのボロ屋の真ん中にて、村の様子など知らずに2人はお喋りに興じていた。

 決して大笑いできるような話はなかったが、それでも暇を潰すには十分すぎる物であった。

 モスティマが話し、ドクターがそれに関係する話題を提供する。それが終われば今度はドクターが話し、モスティマがそれに関係する話題を提供する。

 

「あはは、絶対気に入ると思うよ」

「私にはそういう高いレストランは似合わんよ。息がしづらくなる」

「じゃあ今度一緒に行ってみようよ。龍門でも、クルビアでも、シエスタでも、どこにでも連れてってあげよう」

 

 消えかけになり、なんとか命を繋いでいる暖炉の炎に薪を放り込む。

 しかし、若干湿気っているのか、大した燃料にすらならなかった。

 ドクターは薪の残りを確認しようとしたが、見た所で薪の残りが増える訳でもない。ならば確認しない方が気持ちが楽になるだろうと考え、それ以上後方を向くことはなかった。

 

「私は極東出身でな、地元では最強の剣士と畏れられていたんだ……」

「あはは! それってホント? 言っておくけどわたしってそういうの信じるタイプなんだよ?」

「いや、嘘だ。だが最強っていうのは本当だ」

 

 寒さの感情が大きくなっていく中で、しかし確かな温かみを胸に抱いた。

 荒療治により何とか機能するようになった廃屋の、粗末な壁から漏れ通る夜風が体を突き刺す。

 

「ドクターって絶対にエクシアと仲良くなれると思うんだよね」

「エクシア……。あぁ、ペンギン急便のあの娘か」

「もしかして喋ったことない感じかな? 凄い元気な子だよ」

 

 ドクターはインスタントコーヒーを口に入れる。

 モスティマには温かなココアを振舞った。

 味はどうであれ、寒さに震える夜であれば、どんな物でも無いよりマシであろう。

 

「ちなみに彼氏ナシ。優良物件だよ」

「グフゥッ!!」

 

 喉を通り過ぎたコーヒーが、肉体が求める動きに反して口内に戻って来る。

 

 

 ガガガツ……ピー、ザザツ……

『ドクター、ファントムだ。少々面倒なことになった。しかshmcbwryc……

 ピー、ガガ……

『何? ファントム? おい、どうした。何があった!』

 ザーーー…………。プツン。

 

「……通信が途絶えた。ファントムだけじゃない。レッドも、マンティコアの通信機にも繋がらない」

 

 どこか遠くで、村の方角からだろうか。馬の鳴き声が寒空に響き渡る。

 不意な思い付きで、モスティマが曇った窓ガラスを袖で磨いて外を覗く。

 

「ねぇ、雪が降ってる……」

「……何?」

「しかも凄い勢い、豪雪だよ。見て、もうここまで積もってる」

 

 気温の変化が激しい故に、天候が安定しない山間部とはいえ、ここまで唐突な豪雪は異常気象そのものであった。

 ロドスに居る状況であれば、雪合戦を期待して眠る所だが、現在いる場所は山である。

 そのような場所で、しかも耐寒も十分ではない小屋で寝るなど自殺行為に等しい。

 

「流石に寒いね……」

「あぁ、想定外だ。相手を甘く見ていたよ」

「もっと温かい服着てくれば良かったね……」

 

 モスティマは後ろを振り返り、薪の残りを確認する。

 そこにあったのは数えるほどしかない薪の生き残り。しかも、雪の影響で湿気って使い物にならなくなる物だって出るだろう。

 かなり絶望的な状況に、モスティマは振り返らない方が良かったと思うのであった。

 

「はぁー……。見て、息が白い……」

「……モスティマ。鼻水。ホラ拭け」

「んっ。ありがと……」

 

 徐々に失われていく体温。

 通信が途絶えている状況で、助けを求めるという行動は焦りを助長させるだけである。今の状況でするべきことはなるべく体力を消耗しないようにすることだった。

 

 

「あぁ、凄い。髪の毛が凍っちゃった……」

「指だけは暖めておけ。取り返しのつかないことになる」

「……ごめんね。ドクターの服、貸してもらって」

「帰ったらモスティマの服を貸してもらうよ……」

「ふふ……。そりゃあ名案だね……」

 

 

 ドクターは何を思ったのか、おもむろに立ち上がると、扉を押し開こうとした。

 

「(……! ……ッ!! 開けられん! 雪が積もってこの廃屋を埋めているのか!)」

「……? どうかしたのドクター。傍にいた方が温かいよ」

「……いいや、何でもない。ファントムたちの心配をしていただけだ」

 

 雪が積もり始めて数時間。あくまで体感上での推測のため、本来は数十分なのかもしれない。

 もっとも、それを確かめる方法などあったところで何の意味を持たないのだが。

 最初は軽口を飛ばしあっていた2人も、次第に生気を失っていき、今では身を寄せ合ってお互いの体温で暖を取っていた。

 

「あぁ、床が暖かい……」

 

 凍てついた木の床よりも体温の方が低くなってしまったようだ。

 事実として、確かに床が暖かかった。

 

「おい、寝るな。死にたいのか」

「一人じゃ死にたくないなぁ……」

「バカなこと言うな。私はベッドで生涯を終えたいんだ……」

 

 豪雪吹きすさぶ山間部。

 外の音など一切聞こえず、その逆もまた然り。外から室内の音も一切聞こえなかった。

 それどころか、雪に埋もれた廃屋を雪景色の中から発見すること自体が困難を極めるものであった。

 

 モスティマとドクターが、凍てつく体を抱き寄せ横になる。

 そこに恋愛的な男女の意味合いなど一切なく、ただ生物としての本能を甘んじて受け入れる2匹の動物のみが存在していた。

 

「人の体はあったかいね……」

「統計では女性の方が平均体温が高いらしい……」

「……そうなんだ」

 

 

 モスティマがドクターの手を握り、自身の服の内側に滑りこませる。

 男は、彼女の行動を拒まず、ただその空気の流れに身を任せていた。

 

「いいよ。触っても」

「…………」

「んっ……」

「……モスティマは暖かいな」

 

 

「ねぇ」

「……なんだ」

「やっぱり、死にたくない」

「……泣いているのか」

「うん。死にたくないんだ」

 

 

 

「モスティマ」

「……なに?」

「どこにいる」

「ここにいるよ」

 

 

 

「ドクター」

「……なんだ?」

「もう、わたしダメみたいだからさ、お願い聞いてもらっていいかな」

「どうせ最期なんだ。なんでも言ってみろ」

 

 

 

 

 

 

 

「処女のまま、死にたくない」

「誰にでも言うわけじゃないよ。ドクターだから言ってるんだ」

「お願いだから、今日だけでいいから、わたしが死んだら忘れていいから、せめて、今だけ、最期だけ……」

 

 

 

 

 

「わたしを愛して」

 

 

 

 

 

 もはや雪は止み、白銀の月光が廃屋を照らす。

 その日の星空は、きっと輝いていた。

 こんなゴミみたいな、吹き溜まりのような世界でも、ほのかに光る恒星が確かにあった。

 しかし憶えているだろうか、星は崩れる瞬間が最も光を放つということを。

 

 

 

 

 

【????? ????村 早朝】

 

 小鳥のさえずりが耳を貫き、脳の覚醒を促す。

 昨晩の寒さを消し飛ばすような暖かな陽気が、生まれたままの姿の2人の体を包み込む。

 

「……ここは? やはり死んだのか?」

「うぅ、眩しい……。もしかして天国?」

 

 2人は同時に目覚めると同時に、謎の分厚い毛布が下半身にかけられているということを発見した。

 その瞬間、2人の顔色がみるみるうちに青くなっていった。

 

 数分後、最低限度の身だしなみを整えたモスティマとドクターは、物凄い剣幕で廃屋から脱出した。

 

「ようやくお目覚めか。昨晩はお楽しみだったようだな」

「ファントム……」

「謝罪は不要だ。状況は理解している。想定外のことが続きすぎたのでな、救出が遅れた我々の落ち度だ。非常に申し訳なく思う」

「ちなみに、作戦は……?」

「完遂した。後は速やかに帰還するだけだ」

 

 ホッと胸を撫でおろしたドクターとは裏腹に、ヒョコヒョコと歩くモスティマは女性陣に取り囲まれるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

【ロドス アーミヤの私室】

 

 アーミヤの私室にて、2人の女性が話をする。

 

「……全て上手くいったか」

「はい。想定よりも大幅に苦労したそうですが、評議会の皆様も満足される結果だということです」

「通信が途絶えた時はわたしも向かおうと思っていたが、杞憂だったか……」

「あはは……。ケルシー先生が同行するとドクターがイヤな顔しますので……」

「…………」

「……失言でした。ごめんなさい……」

 

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

 山間部での一件から数週間。

 バッドガイ号に同乗していたオペレーターたちの表情にも落ち着きが見られるようになり、それはもちろんドクターとモスティマにも言えることだった。

 

「(勢いに任せて来たはいいけど、何も話すことないんだよね……)」

「(まぁいいや。何とかなるでしょ)」

 

「やぁドクター。お仕事頑張ってる?」

 

 モスティマは無理やり元気いっぱいの声を捻り出した。

 しかし、執務室の主人であるドクターの声は聞こえず、代わりに彼の静かな寝息が聞こえるのであった。

 

「……なんだ、お疲れだったのか」

「ふふ、せっかくだからベッドで寝かせてあげよう」

 

 モスティマがドクターをベッドに運ぶためにデスクに近づくと、なぜか目を引く1枚の書類を発見した。

 本来は取るべきではない、見るべきではない紙。しかし、その時のモスティマは、常識よりも(ドクター)のことをもっと知りたいという興味の方が強かった。

 

 


 〔機密〕

 〔特殊作戦記録 ×月◯日 完遂報告書〕

 作戦立案 ドクターケルシーアーミヤ

 責任者 ドクター

 作戦指揮 ドクター

 

 編成 隊長 ファントム、副隊長 スカベンジャーレッドグラベルマンティコアシラユキ。追記 モスティマ

 物資支援 ラテラーノ評議会

 

 作戦概要 本作戦はラテラーノ中枢都市から約◯◯◯km離れた山間部に位置する────―村(以下対象Aと表記)を標的とする特殊作戦です。

 

 対象Aは人肉を食する風習が深く根付いており、老若男女問わず日常的にそれを食していたと推測されます。特に、□□歳を超える高齢者のグループや、□□歳から□□歳までの女性を筆頭にプリオン病の症状が確認されました。(資料①削除済)

 

ペンギン急便の調査によると、この風習は約×××年前から続いているとされ、対象Aに訪れたトランスポーターや難民、師団などを襲い、食糧として保管していたことが判明しています。(資料②削除済)

 

 人道に基づく最低規範に遵守していないこと、現代社会においての文化とは逸脱した風習であること、周辺地域及びその他に対する物質的被害を含めた計18項目がラテラーノ最高法に違反するとして、対象Aの破壊がラテラーノ評議会(以下評議会と略)により決定され、ロドス・アイランド製薬に対象Aの破壊を指名しました。その報酬として、評議会は、ロドス・アイランド製薬に対する貿易協定の締結を代表とする20個の契約を提示しました。

 

 

 〔注意〕評議会からロドス・アイランド製薬へ。(資料③)

 

 ・作戦におけるラテラーノ領へのアクセスには、ラテラーノ人と判断できる人物を1名以上同行させること。

 ・対象Aが×××年に渡って行っていた食人文化が判明しなかった理由は、周辺地域を取り巻く天候が関係している。存分に注意されたし。

 ・絶対に対象Aで提供された物資を口にしてはならない。

 ・今作戦及び対象Aの存在は外部に漏れてはならない。

 

 ・我々は対象Aの完全なる消滅を望んでいる。

 ・失敗は許されない。

 

 資料作成者 アーミヤ

ケルシー確認済

ドクター確認

アーミヤ確認済


 

 

「なに……これ……」

「…………ん、モスティマか?」

 

 ドクターが低い声を出し、静かに目を開ける。

 途端に小鳥たちの歌声は幻のように遠のいていった。

 モスティマは、固いデスクにひれ伏したドクターの顔を覗き込んだ。

 

「ねぇ、これ……なに?」

「……見ての通りの物だ」

「あはは……。これって本当の話なの……?」

 

 瞳孔を揺らつかせるモスティマ。対するドクターは酷薄そうな瞳を細めて彼女の動向を窺っていた。

 

「……もちろんだ。書類の偽造は犯罪なのでね、書かれていることは全て真実だ」

「待って、ちょっと何も考えられない。言ってる意味が分からない!」

「残酷な話だが、我々が村を消した。跡形も無くな」

 

 おもしろい冗談を聞いたというように、モスティマがのけぞって笑った。

 暖かな春の風が、2人の狭間を冷ややかに通り過ぎる。

 モスティマは打ち砕かれた希望を何とか拾い集め、元の形に修復しようと試みた。

 

「は、はは。冗談でしょ? だって、そんな暇なかったし、だって! ドクターはわたしと一緒に居たじゃないか!」

「……作戦条件をクリアするためにモスティマを同行させた。具体的な理由は、山村とコネクションがあるという事だ」

「なにそれ……。最初から利用するためにわたしに近づいたってこと」

「…………」

 

「うわあああああ!!!」

 ガアアン!! 

 

 モスティマがドクターの首を掴み、そのままの勢いで壁に押しつける。

 瞬間、姿が見えない幽霊のような影たちがモスティマを取り囲む。

 ドクターは今にも途絶えそうな声を絞り出した。

 

「ぐッ……! 退け、シラユキ! ファントム……!」

「あの村には子供だって居たんだ! お前は外道だ!」

「ガハッ……! 許せ、より多くの命を救うためだ……!」

 

 モスティマがドクターの首を締めあげ、ドクターがモスティマの腕を掴む。

 2人は2匹の獣のようにパッと動いては止まりを繰り返していた。

 モスティマの背後にて武器を構える者たちの肉体には、生々しい傷痕があり、山村での戦闘の凄まじさを物語っていた。

 しかし、低く唸りを上げるモスティマの方が傷はひどく見えた。

 

「お前は最低だ……! 自分のことを正義の執行者だと思っている悪党だ……!」

「がッ……! ぁ! ぁあ……! 息が……!!」

 

 モスティマが手を放す。

 ドクターは急に襲いかかる脱力感に耐えきれず、重力に身を任せて絨毯に崩れ落ちた。

 モスティマは息を荒くし、胸で呼吸を整えていた。

 

「……情報を秘匿しようとしたのは知らない方が良い深淵があるからだ……。キミ(モスティマ)には私を憎む権利がある……」

「村人の中にも風習に懐疑的な者だって居たはずだ! これがロドスのやり方だっていうのか!? 外側だけを見て、内側を理解したつもりになって! 感染者の権利だの何だの言っておいて、やってることは虐殺じゃないか!?」

あれ(食人)はもはや文化ではない! 禁忌だ! この作戦はただの好き嫌いの問題ではない! ラテラーノの権力闘争も関係しているんだ!」

「だからと言って人を殺していい理由にはならない! 現にわたしたちは凍死しかけたじゃないか! それもアレか? 『尊い犠牲』とかいうやつか!?」

 

 両者は一歩も譲らず。

 ドクターの黒い瞳が鈍く光る。デスクの横でレッドが低く唸った。それは獣が月夜に啼いた時の音に似ていた。

 モスティマの肩がピクッと震える。本能的な恐怖であったが、それでも彼女は発言を止めなかった。

 

「ねぇ、ドクターは誰の味方なの? ロドス? わたしたち? それとも自分?」

「…………」

「あはは……。そうだよね、答えられないよね」

 

 モスティマから滲み出る、焼けるような殺意が消えたからか、ドクターの護衛たちは武器を収める。

 全身から力を抜いたモスティマは、まるで抜け殻のような弱々しいオーラを放つ。

 

「私は……」

「ううん、もう大丈夫。ごめんね? わたし、少し勘違いしちゃってたみたい。本当に馬鹿みたい……」

 

 モスティマがゆっくりとドアに向かう。

 赤い絨毯には彼女の足跡が確と残っていた。

 とても、ゆっくりとした足取りで彼女はドアへと向かった。

 

 幾筋もの輝く線が頬を伝い、整った顎先で溜まり、そのまま床に滴り落ちてゆく。

 

「ドクター」

「……なんだ」

「わたしはドクターを許さないから。わたしが流した涙の意味を、一生背負って生き続けて」

「…………分かった」

「その言葉は、信じていいのかな」

「…………あぁ」

 

「じゃあ、弔いに行こうよ……」

「明後日のこの時間に、わたしたちが出会った場所で待ってるから」

 

 モスティマが去った後の執務室。

 小鳥たちが再びさえずりをし始める。春の暖かな陽気が、ドクターたちの血に汚れた手を乾かしていった。

 

 

 

 〔【ロドス 搭乗ゲート】〕

 

 モスティマはフードを被っていた。特にこれといった理由はないのだが、秘匿された地に向かうのであれば身を隠せる服装の方が何かと楽だったからだ。

 彼女が待ち続けて数時間。灰色の壁面は変わらず無表情のままであった。

 

 

「……うそつき」

 

 

 しかし自身の想いを捨てきれず、ただハッキリとしない心持ちの中で、彼女は再びロドスを発つのであった。

 

 前に進む。当然、周囲からは顔は見えない。

 重い荷物を持った整備員たちが道を譲る。その内の一人、年若き整備員がモスティマに声をかける。

 

『あの、荷物も持たずにどこに行かれるのですか!!』

 

 呼び止められて当然である。

 その時のモスティマは、死ぬために生きているというような感じであった。

 

「…………」

 

『あの、ずっと見てたんです! あなたがドクター様とお話をする姿を……!』

『もし、その、良からぬことを考えているなら、どうかこちらに戻ってきてください……!』

 

 モスティマがフードを外し、ゆっくりと振り返る。

「……キミもラテラーノの関係者かな」

『は、はい……。少しの間、留学した経験がありまして……』

 モスティマが、冷徹な瞳で言葉を放つ。

「ふーん。そこで神様とやらのお勉強したんだ。大変だったね」

『そ、そんなことございません! わたしは、学園の教えで生まれ変わったようなものです!』

 

「へぇ~。……教えで生まれ変わったねぇ」

 

 モスティマが口角を歪ませ、不敵に嗤う。

 そして、再び足を前に踏み出す。確かに違う部分があるとすれば、その歩き方であろうか。

 モスティマが前進するその姿は、まさに威風堂々。一切の迷いなどない優雅なものであった。

 

 後方で、名前も知らぬ整備員たちがモスティマの名前を叫ぶ。

 彼女を引き留めようとしているのだ。しかし、彼女の腕を掴もうとする者はいなかった。

 頭上の光輪の輝きとは対称に、その後ろ姿は邪悪と表現するのが相応しいものだったからだ。

 

『どこに、向かうんですか!!』

 

 作業の隙間に見えた、彼女とドクターの笑い声。

 彼女の話を楽しみに働いていた者だっていた。モスティマの存在は、もはや他人とは言い難いものとなっていたのだ。

 残酷で、冷徹で、まともじゃない別れに皆涙を堪える。

 もう、笑顔の彼女は帰ってこないのではないかと……。

 

「とても、良いことを思いついたんだ」

『……え?』

 

 モスティマは振り返り、両手を広げて高らかに宣言する。

 

Godless(神は死んだ!)! わたしたちだけの世界へ!!」

 




所々にモスティマさんでも作戦の概要に気づけるような違和感を残しておいたつもりです。


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魚心あれば水心(テキサス)

【ペンギン急便 アジト】

 

 中華料理の匂いが際立つ夕暮れ時。路地裏に潜むオリジムシたちの蠢きが活発になる時間帯。

 龍門のどこかにあるというペンギン急便のアジトにも、その賑わいが伝播していた。

 

「な~、ソラちゃん。外に食べに行かへん? 何かお腹空いてきたんやけど!」

「え~? 今日のご飯担当がクロワッサンだからでしょ~? 作るのめんどくさいからっていい加減にしちゃダメだよ!」

 

 かつてピカピカだったソファーも今やボロボロになっており、バネは飛び出ていないものの綿があちこちから顔を覗かせていた。

 

「ほ~ん……。自称アイドルは意識から違うなぁ~……」

「自称じゃなくて本物なの! あとアイドルじゃなくてスーパーアイドルなんだから!」

「経歴詐称しとる癖に何言ってんねん!」

「ちょ~!? それはタブーでしょ!? 言わないって約束だったじゃん!」

 

 ひっくり返ったカメのようにジタバタするソラを見ながら手を叩いて笑うクロワッサン。

 普段ならばここにはエクシアとテキサスも居て、たまにバイソンが雑用をさせられている。訪れる。

 ごく稀にモスティマが出現し、クロワッサンは彼女をレアキャラと言ってからかっていたが、ここ最近はめっきり姿を現さなくなっていた。

 

「はぁ~……。やっぱあの二人がおらんと静かやな~……」

「いつもはうるさくて敵わないとか言ってる癖に……」

「そりゃアレやん? 居ないより居た方がマシみたいな?」

 

 ラップランドもこの頃姿を見せなくなった。

 元々飽きっぽい性格なので、ついにテキサスで遊ばなくなったかと考えたが、どうやら連絡すら繋がらないらしい。

 テキサスも自室にこもりがちになったため、皆で集合していた部屋にはソラとクロワッサンしか居ないことが多かった。

 

「エクシアはどこ行っとるん。最近見ぃへんけど」

「さぁ? なんかロドスに行ってるみたいですよ? アーツの勉強だとか」

 クロワッサンがソファーに飛び込み、反動でソラは投げ飛ばされる。

「ほ~ん? アーツなんて源石握りしめば誰でも使えるもんちゃうん? 知らんけど」

 ソラが地べたでうつ伏せになって

「いったぁ……。確かにそうだけどさぁ……」

 

 普段ならエクシアが夕飯の催促をしに私室から飛び出してくる時間だった。

 彼女のバタバタとした足音とは対照的な足音がゆっくりと近づいてくる。

 

「……また変なことをしているのか」

「テキサスさぁん!!」

 轢かれたカエルのように転がっていたソラが跳ね起きる。

「あ~ん! テキサスさぁん! クロワッサンと二人きりで大変だったよ~!」

「なに言ってんねん! ソラだって暇や暇や言うとったやろ! むしろ相手したったことを感謝せい!」

 

 クロワッサンはソラのこめかみを拳で押しつぶす。

 ソラはアイドルとは思えないような形相で必死に抵抗する。

 

「(アイドルというよりタレントみたいだな……)」

 テキサスは冷蔵庫を物色しながら思うのであった。

 そしてある発見をする。

「おい、なんでこんなに食材が少ないんだ?」

「あ、昨日夜食を作って食べちゃって……」

 クロワッサンが誤魔化すような笑顔を浮かべた。

 

 中身が消失した冷蔵庫を閉め、テキサスが振り返る。

 二人の間で謎の緊張感が発生した。

 互いに視線を外さない強情っぷり。それはまるで野生動物の縄張り争いのようだった。

 ソラはジンジンと痛むこめかみを押さえながら、こっそりと部屋の外に避難するのであった。

 

「……はぁ。外に食べに行くぞ」

「ホンマに!? 今日は外食!?」

 不自然な笑顔から本気の笑顔に変わる。

「あぁ、だが財布はクロワッサンだ」

「えぇ……」

 

 

【龍門市街 歓楽街】

 

 目を閉じれば祭囃子でも聞こえてきそうな程の賑わい。初めて龍門を訪れた人は必ず驚くだろう。

 しかし、これが市街の日常なのだ。甲殻類や魚介の匂いが鼻腔をくすぐる。少し路地裏を歩けば享楽渦巻く世界が存在する。

 テキサス率いる3人のペンギン急便職員は、堂々と大路の中央を進むのであった。

 

「しっかし、いつまでたってもここ(歓楽街)はうるさいなぁ」

「元気な人だけ外に出るからでしょ~? 静かだったら悲しむくせに……」

「おっ、珍しく詩的なこと言うやんけ! 芸能人でも目指してるん?」

 

 目指してるじゃなくて芸能人なの! という声が響く。しかし、ソラが放った渾身の叫びも歓楽街の喧騒が飲み込む。

 ジタバタと暴れる少女が画面を彩るアイドルだなんて、ここに居る者たちは想像もしなかっただろう

 いや、そもそも自分以外の人に興味が無いだけなのかもしれない。

 

「……どこで食べる」

「う~ん……。テキサスさんにお任せします!」

「はいはい! うち、久しぶりに体に悪い物が食べたいです!」

 

 寿司とかではなく、ラーメンなどの油っこい食べ物の提案をするクロワッサン。

 断る理由もないので、テキサスとソラの二人は屋台か何かを探しに歩くのであった。

 

「この三人で外食するのは久方ぶりじゃないか?」

「そうですね! いつもはエクシアさんと配達に行ってますもんねぇ!」

「……ラップランドが居ないだけでここまで静かになるんだな」

 

 鬱陶しく感じていた存在も、いざ居なくなれば寂しく感じるものだった。

 連絡が途絶えたとは言え、あのラップランドのことなのだ。どこかでよろしくやっていて、またフラッと戻って来るだろう。

 そう思ったテキサスは、不思議と軽やかな足取りでソラたちを先導した。

 

「…………なんか、最近のテキサスご機嫌やない?」

 クロワッサンがソラの耳元で呟く。

「それが、最近電話してるらしいんだよ…………」

「でんわぁ??」

 テキサスに聞こえない程度の声量で、クロワッサンは顔を歪ませて質問する。

「うん。毎晩テキサスさんの部屋を覗いてるから……」

「うわ、それ世界で一番いらん情報やん。……ほんで、誰と電話なんかしとるん? ラップランドかいな」

 

「ロドスのドクターと」

 

「ほ〜ん……。ノロケか! おもんな!」

 

 クロワッサンは足元に転がる石ころを蹴飛ばした。

 2回か3回バウンドして静止した石ころは、通りかかった車のタイヤに踏み砕かれ、その破片が四方に飛び散った。

 その破片の一つが、テキサスの頬を掠める。

 

「……ッ! なんだ……?」

「(アレ? テキサスさん、石ころに気づかなかったのかな?)」

「テキサス? 武器はどうしたんや? 今日はピストルの気分なん?」

 テキサスは空っぽの腰の辺りを確認して

「……忘れてきた」

 二人が言葉を失う。

「「マジィ!?」」

 

 ペンギン急便の本職は配達だということを忘れてはならない。

 いくら職員の戦闘力が並外れたものだとしても、決して彼女たちが所属する会社は軍事派遣会社ではないのだ。

 なので、食事をしに行く時に武装する必要などないのだが……。

 

「忘れたってアンタ、え? 初めてちゃうの?」

「どうしましょう……。取りに戻りましょうか?」

 常日頃から帯刀していた物が無いという違和感から、テキサスはあからさまにソワソワし始めた。

「いや、わざわざ戻るというのもアレだからな……」

「どこに置いてきたかは憶えとるん?」

 クロワッサンがタクシーを止める。

「…………憶えていない」

 二人は絶句する。

「「……マジィ?」」

 

 調子が戻らないテキサスは、腰の得物が無いという状況を受け入れ、そのまま何もなかったかのような振る舞いでラーメン屋を探す。

 ソラとクロワッサンの二人は、普段とは違った様子のテキサスに違和感を感じながら付いていくのであった。

 

「やっぱりテキサスさん、何かあったのかな? その、ラップランドと色々あったりして……」

「う〜ん。アレちゃう? 月の週なんちゃう? うちも調子出んこと多いし」

 二人はテキサスの後方にてヒソヒソと会話をする。

「いや、今月はもう終わってるはずだよ。絶対なにかあるって!」

「……なんでソラが把握してんねん」

 

 ソラはゴシップネタが大好きだった。

 自分はメディアにすっぱ抜かれることを忌避していたが、他人のそういう情報を知るのは大好物であった。

 その一方で、少し考えすぎてしまうという短所もあった。

 

「……聞こえているぞ」

「あ、あはは。ごめんなさーい……」

 

 手頃な店を見つけ、三人は入店する。

 時間も時間のため、席が空くのを待つかと覚悟していたが、予想していたより早く席に着くことができた。

 

 適当に注文したラーメンをすすりながら談笑する。

 ソラはレンゲの中で小さなラーメンを作ってそれをチビチビと食べていく。

 クロワッサンは豪快に麺を啜る。

 

「テキサスどないしたん、さっきから箸が進んでへんで?」

「ん? あぁ、そうか。少し考え事をしていた」

「テキサスさんが上の空になるなんて珍しいですね」

 

 ソラがテキサスの顔を覗き込む。

 その表情に曇った様子や憂いの感情は見られなかったが、それでも普段の様子とは違うことが感じられた。

 そもそも、テキサスが武器の置き場所を忘れるということ自体がおかしいのだ。

 

「え? あぁ、そうだな……」

 クロワッサンが箸を置く。

「……今のソラの話聞いてへんだやろ」

「いや、聞いていた」

 テキサスが視線を合わさず答える。

「じゃあソラがさっき言ったこと言うてみ? 大体でええで」

 

 テキサスは喋らなかった。

 先程ついた嘘が早くもバレてしまったことできまりが悪そうな表情を浮かべる。

 ソラはレンゲを持ったまま固まっていた。

 

「すまない、忘れてしまった」

「嘘言うたらアカンで。なんか考えとったんやろ?」

「そうですよ! 悩み事があるなら話してくださいよ!」

 

 テキサスの対面に座るソラとクロワッサン。

 この場にエクシアが居ればもっとスムーズにテキサスの話が聞けるというのに。

 

「……自分でもよく分からない。その、心に穴を穿たれたような感じが止まない」

「むむ……! もっと詳しく教えてください」

 

 店内が騒がしくなってきた。誰かが放った声と声がぶつかり合い、壊れた楽器のような音になる。

 遠くの方から騒がしいケンカの音が聞こえる。

 賑わいが深まる世間の片隅で二人はテキサスに尋問をしていた。

 

「ここ最近、毎晩のようにドクターと電話をして連絡を取っているのだが……」

「(なんや、コイツいきなりノロケよったぞ)」

「(ダメだよクロワッサン! 落ち着いて!)」

 

「その、回線を切る時に胸が苦しくなる……」

「……ちなみにテキサスさん。それってどんな感じです?」

「こう、心臓の横が、キュッってなるような。締め付けられるような……」

 

 テキサスが伸びた麺を静かに啜る。

 彼女の言葉を聞いた二人はなぜかニヤついていた。

 まるで、新たな玩具を見つけた子供のように。

 

「ほ~ん? なるほどな~? 天下のテキサスさんもそういう時期ですか~……」

「うふふ~? テキサスさんって意外と奥手なんですね~」

 

「なんだ、気持ち悪いぞ……」

 

 クロワッサンはテキサスやモスティマたちと長い年月を共にしてきた。(ソラは業務提携組なので例外)

 そのため、最近のエクシアの様子がおかしいことも把握していた。

 把握していたところでどうなるかと言われれば、別にどうにもならないのだが、テキサスにはエクシアのような兆候は感じられなかった。

 

「そこまで不安ならドクターに会いに行けばええやん。うちら最近暇なんやし」

「突然行っても話す話題がない」

 

「じゃあ今度ご飯でも誘えばいいんじゃないですか? ドクターって食生活崩壊してますし」

「彼の好みが分からないから何処に誘えばいいか分からない」

 

「服とか買いに行けばええんちゃう? エクシアみたいに」

「服を買いに行くための服がない」

 

「執務を手伝ってあげればいいんですよ! ドクター仕事遅いし!」

「……迷惑がられないだろうか」

 

「あ˝ー! もう部屋に連れ込めばええやんけ! うちら外で遊んどるから!」

「そんなはしたないことはできない。順序を踏まないと……」

 

 クロワッサンが立ち上がる。

 

「いや、めんどくさっ! 思春期か!!」

「クロワッサン! 落ち着いてー!」

 

 ここにラップランドがいないことが悔やまれる。

 彼女が居れば、状況は更に混沌となるだろうが、いっそ吹っ切らせた方がテキサス的にもやりやすくなるのではないだろうか。

 モヤモヤする気持ちのままラーメンを食べ終えた三人は重い足取りでアジトに戻るのであった。

 

 

【龍門 ペンギン急便アジト】

 

 アジトに帰って来た三人は、それぞれ思い思いの行動を取る。

 クロワッサンはソファーに飛び込み、ソラは歯を磨く。

 テキサスはいそいそと私室に戻っていった。

 

「じゃあ、わたし明日早いんでもう寝ますね~」

「食ってすぐ寝るんかいな。太るで?」

「うぐぅ……。それはそれでこれはこれじゃん……」

 

 露骨に嫌そうな表情をしながら私室に戻るソラの背中を見ながら、クロワッサンはケータイをいじる。

 

「(暇やなぁ……。別に一人で居ることがイヤって訳やないけど、こうも静かやとなんか調子狂うな……)」

「(エクシアもおらんし、モスティマはいつも通りって言ったらアレやけども)」

 

「うちも歯磨いて寝たろっかな。ほんで明日遠くの方に出かけたろっと」

 

 クロワッサンは歯を磨きに洗面所に向かう。

 鏡の前に置いてある歯ブラシは5本。その中でよく使用された形跡があったのは食事に行った三人のだけであった。

 

 それに関しては特に何も感じなかった。仕事が多くなる年末年始などはアジトに戻ってこない日が何日も続くからだ。

 きっとそれはソラも同じ認識であっただろう。

 しかし、何もない日でもアジトに顔を見せない日が続くというのは非常に悲しいものであった。

 

 クロワッサンは自身の私室に戻る途中、暗い廊下を照らす灯りがあることに気が付いた。

 

「……テキサス? ドア開いとんで?」

「ん? あぁ、すまない。気づかなかった」

 

 テキサスはうつ伏せの体勢で答える。

 頭だけを起こした状態で、うんともすんとも言わないケータイを睨みつけていた。

 

「そんな近くで見とると目悪なるで?」

「あぁ……。気を付ける……」

 

 小突けば倒れてしまいそうな声で答えるテキサス。

 やっぱ具合でも悪いんか? と質問したクロワッサンにテキサスは、

 

「回線が繋がらない。……こんなことは初めてだ」

「まぁ、ドクターも忙しいんちゃうん? そんな気になるんならペンギン急便の外線使ってもええで?」

「ドクターが約束を忘れるとは思えないが……。明日またかけることにする。心配させてすまなかったな」

 

 テキサスは夜風に当たると言って、クロワッサンの横を通り過ぎていった。

 テキサスもエクシアのようになってしまうのではないかという心配は杞憂に終わった。

 

 クロワッサンは、少し早い眠りにつくのであった。

 

 

 お世辞にも綺麗とは言えない空気と風がテキサスの髪を揺らす。

 雑居ビルの屋上にて、彼女は静かに感慨に耽る。

 

「(電話のかけすぎか……? 鬱陶しく思われてしまったのか?)」

「(勝手が分からないな……。男性との付き合い方なんて学校では教えてくれなかったからな…)」

 

「通話料金が無視できん額になっているな……」

「大人しくロドスに向かうか……」

 

 夕方の騒ぎはもはや消失し、出店の主人たちは明日の仕込み作業に取り掛かっていた。

 テキサスは体が冷える前に、再び私室に戻るのであった。

 



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秋のカエルは笛に寄る(アズリウス)

 トロッコ問題とは、ある人を助けるために、他の人を犠牲にすることは許されることなのか? ということを問う思考実験のことである。

 回答次第でその人の価値観や人間性が露呈してしまうという二次災害もあるのだが、もしその選択権が自分に委ねられたら、果たしてプラン通りの行動をすることができるだろうか。

 

 ましてやそのトロッコが電動ではなく、坂道から降下させる手押しのトロッコであれば……。

 

 

 

 

 

「アズリウス、少し外に出ないか」

「えっ……?」

 

 わたしはいきなりの提案に驚きを隠せませんでした。

 ドクターとはよく話す間柄ではありましたが、こうして共に歩くということは初めてでしたので……。

 

「聞いてもらいたいことがある」

 

 普段とは違った面持ち。難しいことを考える時の表情。

 何かあったのではないかと思い、わたしは彼の後ろを付いていきました。

 

 ケルシー医師には内密にしなければならないことは未だ聞かされず、その件についての話だと思いました。

 

「その、どこに向かわれるのですか……?」

「…………」

「……ドクター?」

 

 彼はどこか緊張しているような感じがしました。

 わたしは彼の様子に違和感を感じましたが、殿方を疑うというのは不躾だと思いましたので、それ以上考えることは止めました。

 

 長い通路を歩いていると、周囲のオペレーターたちから奇怪な視線を送られていることに気づきました。

 そこまで不快ではありませんでした。

 むしろ、ドクターの隣を歩いているのは自分だということに優越感を感じていました。

 

「……分かるか。周りの視線が。私たちを見る視線が」

 

 ドクターは歩きながら喋りました。

 わたしとドクターの身長差はかなり離れているので、わたしは聞き取ることで精一杯でした。

 

「えぇ、もちろん。しかしそれがどうされましたの?」

「…………」

 

 ドクターは皆から向けられる視線があまり好きではないように思えました。

 わたしが振り返ると、後方にいたオペレーターたちは敵でも見たかのような目で睨みつけてきました。

 しかし、ドクターが振り返ると、何事もなかったかのような目で微笑むのです。

 

 わたしは気味の悪さを感じながら、ドクターの袖を握りました。

 

 そして訪れたのはロドス制御中枢。

 もしここで爆発でも起きれば、ロドス本艦はたちまち塵芥と化してしまうでしょう。

 そのため、ここに入ることができるのはアーミヤさんかクロージャさんなどの権限を持った方だけでした。ですので、密会などを行うにはうってつけの場所でした。

 

「……ここ最近、皆の様子がおかしい」

「……抽象的過ぎていまいち想像できませんわ」

 

「具体的に言うと、アーミヤに頼まれて各オペレーターのメンタルケアを行い始めた頃からか……。中には私に対して異常なまでの執着心を見せる者も居る」

 

 ドクターはソワソワした様子で言葉を紡いでいきました。

 わたしには彼の言っていることが実感出来ずにいましたが、ドクターが言うならそうなのだろうと納得しました。

 

「今までは直接的な被害が無かったから無視してきたが、ここ最近から動きが見られるようになった。直近の出来事だとサリアとスカジが衝突しかけた」

「それは、ドクターも苦労されているのですね……」

 

 わたしはドクターの悩みよりも、スカジさんとサリアさんが彼と接触したということしか考えていませんでした。

 わたしも、彼の言うようにおかしくなってしまったのでしょうか。

 

「このままでは作戦指揮に支障が出てしまう。というか現在進行形で出ている。戦績を求めるあまり連携を無視した行動を皆が取るようになっている」

 

 ドクターの表情を見る限り、かなり深刻な悩みのようでした。

 それもそのはずです。彼は指揮系統を管轄することで賃金を得ているのですから。

 

 

「大前提として、異常がみられた者は全員私と接触を行っている。遠方に居るマゼランやスズランに異常が見られないのはそれが理由だと推測した」

 嫌な予感に手から力が抜けていきました。

「そして、対象者からは謎のアーツ反応が検出された。デバフ状態とでも表現しようか」

 握りこぶしすらまともに作れなくなりました。

 

 わたしはドクターの話を信じられないというような気持ちで聞いていました。

 そして不審に切り込みを入れました。

 

「ですが! ドクターはアーツを使用できないのではありませんか!?」

「あぁ、だから私はこの問題を第三者からの攻撃だと考えている」

 

「そこで、私は足りない脳ミソで必死に考えた。皆の状態を元に戻す方法を。非常に前衛的で効果的な手段だ」

 

 

「全員の異常に私が関わっているのなら、私に対する想いを初期化させてしまえばいい」

 

 

 とんでもない提案でした。狂っている。

 認識の改変など行えば、何らかの記憶障害が起きても不思議ではありません。

 わたしはドクターの提案の前に立ち尽くしました。

 

 そして、次第に体の芯が凍りついていくのが実感できました。

 もしかしたら、わたしの想いも消されてしまうのではないかと……。

 

「わ、わたしにはその影響が出ていませんわ……!」

「それはアズリウス自身が毒だからだ。他のアーツの影響を軽減する特徴がある。他には、ラップランドとジェイが軽減化できるそうだ」

「そんな……」

 

「アズリウス」

 足が震えました。

「な、なんでしょう……?」

 自身の膝が笑っているのが分かりました。

 

「薬を作れ」

 

 ドクターがわたしの肩を掴み、壁に押し当てました。

 唇が触れ合うような距離で

「ケルシーでも、サイレンスでもない。頼めるのはアズリウスしかいない」

 

 わたしは既におかしくなっていたんだと思います。

 ケルシー医師も、サイレンスさんも、みんな大切な仲間だというのに、想い人に唯一無二の存在として扱われることに愉悦感を感じてしまっていたのです。

 それが、自分以外の人の想いを奈落に突き落とす結果になるということなど考えられませんでした。

 

 漆黒のヘドロのようなものが脳を支配していく中で、わたしのこころは自ら深淵に足を踏み入れました。

 わたしの毒はわたしには効かないからです。

 

「……仰せの通りに」

 

 

 少し前に、過去のドクターについての話をケルシー医師から聞きました。

『過去のドクターには情なんて無かった。機械のような男だったよ。目的の為なら手段を選ばない。もしかしたら、本質は変わっていないのかもな』

 わたしの脳裏には、なぜかそれが思い浮かびました。

 

 

 

 

 

 

 

【ロドス 宿舎】

 

 ドクターとの密約から数カ月。

 

 雑多に積み上げられたプリントや、洗濯し損ねた白衣たちが散乱する。

 足の踏み場さえ分からないような部屋の中に、もぞもぞと蠢く物体が一つ……。

 

「う、うぅ……。朝ですの……?」

 

 彼女の目元にはクマが出来ていた。

 若さを象徴する柔肌も、心なしか青白かった。

 詰まるところ不健康な生活を送っていたのだ。

 

「……朝食に向かわないと」

 

 フラフラの足で洗面台に向かう。長く拭かれていないのか、彼女の整った輪郭を映すはずの鏡には曇りが出来ていた。

 

「……ひどい顔。こんな顔を見られたらきっと心配させてしまいますわ」

 

 アズリウスは自身の私室兼研究室を出る。

 向かう先は食堂。時間は繁忙期を過ぎていたため、恐らくゆっくりと食事をすることが出来るだろう。

 

 一食程度なら抜いても問題ないということは既に承知済みであったが、ケルシーの診察があるため、大人しく食べることにした。

 とやかく言われるのは好きではないから。

 

「(気分が悪い……。任務が無くて良かった……)」

 

 彼女の体質は、一般の人からすれば珍妙かつ不気味なものであった。

 歩けば自然と道が空いた。

 列に並ぶと皆が順を譲ってくれた。

 生まれ持った特徴と反して、不思議と苦労することは少なかった。

 

 しかし、親密と呼べる人もいなかった。

 彼女がドクターに依存するようになっていったのは、もはや必然であった。

 

 

【ロドス 食堂】

 

 調理担当のオペレーターがいない時間は自分で料理を行う必要があった。

 面倒と言われれば返す言葉もないのだが、それでもハイビスカスの料理()を食すよりかは遥かにマシであった。

 

「(いただきます……)」

 

 周囲に人がいなかったため、心の中で最低限に済ませる。

 静かな食堂の片隅では、淡々とした食器の音と微かな咀嚼音しか聞こえなかった。

 もっとも、彼女以外の人が居た所で、彼女の周りで食事を行う物好きは少ないだろうが。

 

「(味がしませんわ……)」

 

 薄い味付けだとか、そういう問題ではない。

 舌がバカになってしまっていた。それほど神経が衰弱していたのだ。

 

「(本当に良かったのでしょうか……。誰にも相談することが出来ませんし、わたしがこうして迷っている間もドクターの身には危険が迫っていますし)」

 

「……ごちそうさまでした」

 

 アズリウスは食器を片付けると、ゆっくりとした足で執務室に向かった。

 ポケットに忍ばせた小瓶を届けるために。

 ドクターの願いを叶えるために。

 

 

 食堂から執務室はかなり距離があった。

 次第に通路には職員やオペレーターたちの姿が出て来た。

 

「(この方たちの想いも裏切ってしまうのでしょうか……)」

「(しかし、それだとドクターの気持ちは……)」

 

 葛藤。

 自分以外の人を消すか、想い人の気持ちを無視するか。

 アズリウスはその決断が下せないまま、執務室の前に到着した。

 

「(この扉を開くだけで、わたしは悪魔になってしまいますわ……)」

「(ドクターの苦悩はこんなものではないはず……)」

 

「どうかされましたか? アズリウスさん」

 

 偶然だろうか、狙ったのだろうか。あまりにも丁度いいタイミングでアーミヤが執務室から出現する。

 扉の向こう側からドクターとケルシーの声が聞こえてきた。

 

 アズリウスは柄にもなくケルシーに嫉妬の感情を抱いた。

 

「いえ、その、ドクターに会いにと思いまして……」

「ドクターは執務でヒィヒィ言ってますよ? 用事なら伝えておきますが……」

 

 執務室で受け渡しをするのではなく、人が来ない制御中枢で渡すべきだったと後悔した。

 

「いえ、また今度訪ねますわ。アーミヤさんもあまり気を張りすぎないようにしてくださいね」

「あっ、はい! アズリウスさんも頑張ってくださいね! 特に薬品のお届けには!」

 

「…………えっ?」

 

 全身に鳥肌が立った。

 凍てつくほどの恐ろしさが足元から伝わってくる。

 なぜ、アーミヤが薬品のことを知っているのだろうか。

 

「……? どうかされましたか?」

 

 もしかしたら、アーミヤもドクターの計画の賛同者なのかも知れない。

 でも、もし違ったら? 

 アズリウスがここでアーミヤに薬を渡したとして、アーミヤがドクターを出し抜こうとしている『異常』側の人間だったら? 

 

 そもそも試しているだけなのでは? 

 考えれば考えるだけ、迷いは深まる一方だった。

 

「あっ、えっと、あ、え?」

「あはは、落ち着いてくださいね? アズリウスさん。少しお話をしませんか?」

 

 アズリウスはアーミヤに手を引かれ、不思議な空間に誘われた。

 

 

「わたしは今までドクターのことをたくさん見てきました。それはアズリウスさんにも言えることかも知れませんね」

「わたしはドクターのことが大好きなんです。でも、それ以上にロドスの皆さんのことも大好きなんです」

「独り占めすることも考えましたが、それだとフェアじゃありませんもんね」

「アズリウスさん。もしかして、わたしたちのことを踏み台にしようとしていませんか?」

「そのポケットの中の薬品はアズリウスさんの毒から精製されたものですよね?」

「だからアズリウスさんには効かない。わたしたちの好感度を初期化させて、自分だけはそのまま」

「そんなこと、決して許されませんよ?」

 

「もし、ドクターの言っていることがウソだったら?」

「みんなの責任から逃げ出したいだけの、ドクターのエゴだったら?」

「わたしの言っていることの確証はありませんが、ドクターの言っていることの確証もありませんよね?」

「とても良い提案をします。選択する権利があなたにはあります。『はい』か『いいえ』で答えてください」

 

「その薬をドクターに飲ませてください。わたしはいつでも飲ませられるような状況に立てましたが、気が変わりました」

「アズリウスさんが飲ませてください。誰でもない、あなた自身の手で」

 

「わたしたちを裏切ろうとしたドクターを、今後こそわたしたちの物にしましょうね」

「想像してみてください。その飲み薬があれば、ドクターはわたしたちの言う通りになるんですよ?」

「アズリウスさん。ドクターの指示に従ったところで、ドクターはあなたの言う通りにはならないんですよ?」

「むしろ用済みと言われて捨てられてしまうかも……」

「そんなのイヤですもんね? わたしだって捨てられるのはイヤです。誰だってそうです」

「でも、アズリウスさんはわたしたちを捨てようとしたんですよ?」

「これって、罪ですよね?」

 

「償うためにも、わたしの味方になってくれますよね?」

 

「『アーミヤさんの味方になる』と言いなさい」

 

「はい! わたしはアズリウスさんの味方です。一緒に頑張っていきましょうね」

「くれぐれもわたしを裏切らないでくださいね?」

 

「わたしは、いつでも見てますから」




俗に言う終盤とかいうやつです。


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特異点の発生(ケルシー)

 彼女は奇跡を求めなかった。科学という叡智を身に宿していたから。

 彼女は夢を見なかった。自分は見せる側だと理解していたから。

 彼女は笑わなかった。人情など枷にしかならなかったから。

 彼女は運命を信じなかった。そんなものがあったら、自らの運命を呪わざるを得なかったから。

 

 

 しかし、彼女は一人の男を愛した。そこには理由など無かった。

 その男の前では、彼女は笑い、奇跡を信じ、運命を愛し、そして抱擁の中で涙を流した。

 

 それが、彼女だけに向けられる愛ではないということを理解していても。

 

 

【ロドス 事務室】

 

 新人オペレーターの間で、奇妙な噂が流れていた。

 根拠のない噂話。あるいは都市伝説とでも言おうか。しかし、秘密というものは自然と人の関心を引き付けるものである。

 規制をするということは、その噂が事実であったと認めるようなものなので、情報室の職員はほとほと困り果てていた。

 

「ドーベルマン教官。こんな話を知っているか」

「……? 何の話でしょうか?」

「『ドーベルマンが鞭を扱うのは、個人的嗜好のため』」

「はは……。お戯れを、ケルシー医師」

 

 二人の人物がテーブルで対面する。

 その言葉遣いの差から、二人の立場や関係性を想像することは実に容易なことであった。

 

「あなた程の人物が、まさかそのような噂話を信じるとは思いませんでした」

「冗談だ。しかし、火のない所に煙は立たぬというものだ」

「はは……」

 

 二人はテーブルに置かれた書類の束に目を通す。

 多くのオペレーターたちの情報と、戦績記録の詳細が事細やかに記載されていた。

 戦う者を支援する者として、最大限の情報を収集することは当然のことだった。

 

「しかし、ここ最近の躍進は目を見張るものですね」

 ケルシーは頷き、

「そうだな。やはりドクターを奪還して正解だったか。多大なる犠牲を払ったが、我々は着実に前進している」

「順調に事が進めば、今年度中にレユニオンとの決着もつくだろう」

 ドーベルマンがテーブルに書類を置く。

「……そんなに上手く行くのでしょうかね」

「失敗を考えながら生きるより、成功を信じて生きる方が何かと楽なものだ」

 

 ケルシーは席を立ち、電気ポットの近くに置いてあるインスタントドリンクの山に手を伸ばす。

 ドーベルマンに「何か飲むか」と問うと、二つのティーカップを取り出した。

 

 ドーベルマンは彼女の動作一つ一つに美しさを感じた。

 まるで教会のステンドグラスから顕現したかのような、静謐で厳かな立ち振る舞い。感情の揺れ動きすら分からせない超然とした存在。

 

 ロドスの切り札は何だ。スカジか。ロスモンティスか。否、■■■■亡き今、一騎当千の芸当ができるのはケルシーだけだった。

 

「そういえば、こんな話を知っていますか?」

「……なんだ?」

 ドーベルマンがティーカップを置く。

「『ケルシー医師は不死身で、定期的に肉体を交換している』。何の根拠も無い噂話なんですけどね、不快なら緘口令を敷きますが」

 

「…噂ではなく事実なら、どうする?」

「ははは。………え?」

 

 今後の方針を定めた後、二人は別々の方向に歩み出す。

 一人は研究棟へ、もう一人は訓練室へ。お互いの専門分野は全くと言っていいほど別のものだったが、信条の根幹は同じだった。

 多少のズレはあったが……。

 

 

【ロドス 研究棟】

 

 汚れ一つない壁面がどこまでも続く通路。白衣に身を包んだ者たちが足早に通り過ぎていく。

 どの者も、消毒液のにおいを振りまいていた。

 

 通路の中央をケルシーとレッドが歩く。

 端の方に寄る職員たちの姿を見れば、この研究棟の首魁が誰であるかなど考えなくても理解できた。

 

 そして、二人が立ち止まったのはケルシーの私室兼研究室。

 ケルシーがロックを解除し、レッドがドアを開く。

 いかにも高額そうな器具たちが鎮座する空間の中に、明らかに不自然な人物が一名。

 

「随分と遅いお帰りじゃないか。部屋の場所を忘れたのか?」

「女性の部屋に許可なく入るというのは、あまり紳士的とは思えないな」

 男は椅子を軋ませながら振り向く。

「ケルシー、私は未だかつてない程機嫌がいいんだ。キミの機嫌はどうなんだ?」

「…………」

 ケルシーはアシッドムシを見るような目で男を見た。

 

 レッドが尻尾をバタつかせて男に擦り寄る。

「ドクター、ケルシーは忙しい。レッドとあそぼう」

「おぉ、レッドは花の匂いがするな。どこかの消毒液の臭いを放つお医者さんとは違うな」

 ケルシーは新たな椅子を用意すると、コーヒーとオレンジジュースの用意をし始めた。

「んっ。耳、触るときは優しく。レッド、割れ物だから、扱いは丁寧に……」

 

 ドクターが座った椅子がギーギーと悲鳴を上げる。

 彼が重いのではない。元の所有者が軽すぎるのだ。

 

「お˝お˝お˝……。揺らし過ぎ、脳が、あ˝あ˝あ˝あ˝あ˝」

 ドクターはレッドの頬を両手の手のひらで押さえつけると、そのままグリグリと動かした。

 その様子はまるで犬の相手をする飼い主の様だった。

「レッドの頬はやわらかいなぁ。ずっとモチモチしていたい気分だ」

「う……。ほっぺ伸ばさないで……。もっと、繊細に……」

 

 バンッ! と音を立ててコップが置かれる。

 元々聴覚が優れていたレッドは、全身の毛を逆立たせて驚いた。

 

「……わたしの部屋は()()()()()ではない」

 

 ぎろりとドクターを睨みつけたケルシーの下にレッドが歩み寄る。

 暗い仕事を任せられることが多いため、音もなく忍び寄ることは大の得意であった。

 

「……ケルシーもしてもらえばいい。きっと、気に入る」

「いや、わたしはいい。遠慮しておく。押すな!」

 背中を押されて、ドクターの前に出る。

「ほれ、ケルシー。しゃがめ。私とお前の仲なんだ。今更恥ずかしがることなんてないだろう?」

 レッドが部屋の隅でジュースを飲む。

 

「お˝お˝お˝お˝お˝……。貴様、慣れているな……。あ˝あ˝あ˝あ˝……」

 それはMon3trが背中を突き破って出てくるまで続けられた。

 ジュースを飲み干したレッドが、置いてあるコーヒーをつまみ飲みして噴き出す。

 唾液とコーヒーで濡れたドクターは、挨拶がわりにケルシーの耳(頭頂部の方)を爪弾いた。

 

「んあっ……」

 

「!? 今の可愛らしい声は誰のだ!?」

 

 当然ながらMon3trにボコボコにされた。

 濡れた服を拭きながら、ドクターはケルシーに訊ねる。

「最近、アーミヤの姿を見ないんだが、何かさせているのか?」

「ドクターも知らないのか。わたしはてっきりドクターの指示で暗躍しているのかと思っていたが」

 レッドが床に出来たコーヒーの水溜まりを拭く。

 四つん這いになり、せっせと行動するその姿には、もはやオオカミ殺しとしての覇気はないように思えた。

「いいや、三人で執務を行った時のことを憶えているか?」

 ケルシーが頷き、

「あぁ、憶えている。その時からか? あまり見なくなったのは」

「そうだな。まぁ、ケガがないなら良いんだが」

 

 ケルシーが何かを言いたそうに口元を動かしていた。

 ドクターはその様子を見て楽しんでいた。普段勝気な人がしおらしい姿を見せるというのは、どうも嗜虐心を煽情させるものであったからだ。

 

「もし都合が空いたら、三人でどこかに行かないか?」

 

 レッドが振り返る。

 しかし、その三人目が自分ではなくアーミヤのことを指していると気付いてからは、つまらなそうに髪先をいじるのであった。

 

「……飯でも食いに行こうってか」

「何でも構わない。落ち着いている間に外に出向こう」

 ドクターは目を合わせず、

「そうだな。今の問題が落ち着いたら、遠い所にでも行こうか」

 

 椅子ごとクルクルと回転していたレッドが大きなあくびをした。

 ケルシーはドクターの返答に頬を緩ませた。

 

 しばらくした後、研究室のドアがノックされる。

 小さな手の持ち主なのだろうか、そのノックはとても丁寧で細やかなものだった。

 

 レッドがドアを解錠する。

 

「こんにちは、ケルシー先生。近くに来たので寄っちゃいました」

「……今日は客人が多いな」

 ケルシーがコップをもう一つ用意する。

 ドクターが背中を向けるケルシーに、

「丁度いいタイミングなんじゃないか?」

 

「あれ? ドクターもいらしたのですね。えへへ、お久しぶりですね?」

「あぁ、元気そうで何よりだよ。忙しかったのか?」

 

 ケルシーが室内に居る四人に飲み物を追加で提供する。

 レッドがチビチビとジュースを飲む。

 

「女の子は大変なんですよ。ドクターみたいに暇じゃないんです!」

「ケルシー、女の子は大変らしいぞ?」

「…………」

 

 ドクターは脛を蹴られ、患部を押さえてうずくまる。

 

「あはは……。でも、こうして三人が集まるなんて珍しいですよね?」

「そうだな。誰かが執務をダラダラとやっていたり、婦女と遊んでいたりするからな」

「…………」

 

 ケルシーの脛を小突いてやろうと爪先を動かした瞬間、Mon3trに靴の先を削り取られてしまった。

 生命の危機を感じ取ったドクターは、それ以上ケルシーをからかうことはしなかった。

 

「あっ、コレ飲んでもいいですか?」

 アーミヤがコップを指差し、なぜかレッドが頷く。

「アーミヤ? それ私のコーヒーじゃないか?」

「ええ!? ごめんなさいドクター! よく見てませんでした!」

 アーミヤが口元を押さえて狼狽える。

 

「ケルシー、間接……あれは、いいの……?」

「……皆まで言うな。アーミヤが相手なら何とも思わん」

 

 ドクターはケルシーの慈悲をありがたく思うのだった。

 そして、アーミヤが口を付けたコーヒーを腹に流し込む。

 

「(うまい! もう一杯!!)」

 

 

【ロドス 連絡通路】

 

「(ちょっかいをかけに行くだけだったんだが、むしろ疲れてしまったな……)」

 

 心中の思いとは裏腹に、ドクターの足取りはどこか軽やかなものだった。

 道を歩けば、たくさんの人が挨拶をしてくる。

 

 

 曲がり角でサイレンスとぶつかった。

 どうやらイフリータを探しているらしい。

 ケルシーの匂いがすると言って、全身に消毒液を散布された。

 

 道中でアンジェリーナが飛び乗ってきた。

 重力を無視できる彼女の攻撃を予測するのは不可能に近かった。

 私が通るまで、ずっとここに居たらしい。

 

 食堂の前にて、シルバーアッシュとすれ違う。

 彼の隣にはプラマニクスが居た。復縁したのだろうか。

 しかし彼の表情は曇っていた。

 彼女は「これからもよろしく」と微笑んだ。

 

 連絡通路でエクシアと会った。

 社交辞令的な会話を済ませると、ドクターのふと自身のケータイを開いた。

 そこには不在着信が数百件。どれも昨日のエクシアからだった。

 

 エレベーターに乗るとスカジと遭遇した。

 彼女から多くのお菓子をプレゼントされた。

 チョコレートからは銀色の毛髪が飛び出ていた。

 

 自販機の前で二ェンと会った。

 彼女から原型を留めていないガラクタをもらった。曰く、何かに使えるとのこと。

 よく見ると、ガラクタの一部はドクターの顔のようにも見えた。

 

 事務室の裏でリスカムに呼び止められた。

 訓練が終わり、直近のBSW支部に戻るらしい。

 ポケットに小さく折りたたまれた紙を入れられた。リスカムとの専属契約書だった。

 

 

 

 執務室の前でアズリウスと会った。

 

「…………」

 彼女は喋らなかった。

「……完成したのか」

 アズリウスが頷き、

「えぇ、お望み通りの物を作製致しましたわ」

 ドクターが手を出す。

 アズリウスは小瓶を取り出して手の上に置いた。

 

「……質問がありますの」

「……なんだ」

「わたしは、あなたにとってどういう存在ですの?」

 ドクターは指で小瓶を挟むと、上下に振って薬品を揺らした。

 

「そうだな。少なくとも、大切な人だと思っているよ」

 

 アズリウスの表情は凍てついたままだった。

 

 

 

「どうですか? わたしの言った通りでしょう?」

この人(ドクター)はいつもそう。誰にでも同じことを言っています」

「アズリウスさん。ドクターは自分のことしか考えていませんよ?」

「そんなの、許せませんよね?」

 

「……アーミヤ?」

 

 後方から声が聞こえた。つい先程聞いたばかりの声。

 か細くも、どこか力強い声。

 ドクターが振り返る。

 

「はい。()()()()アーミヤです。先程ぶりですね。お元気にしていましたか?」

 ドクターが内ポケットに忍ばせた拳銃を握る。

「動かない方がいいですよ。アズリウスさんが渡したのはニトログリセリンです。いつ爆発しても不思議ではありませんので」

 アズリウスがドクターの背中にボウガンを突き付ける。

 共に爆死することを恐れていないのか。

 

「何がお望みだ……?」

 アーミヤの口元が吊り上がっていく。

「いえ? 何も望んでいませんよ? 言ったところでドクターは叶えてくれませんから」

 生唾が喉を通り抜ける音が響いた。

 

「まさかこんなに上手くいくなんて……。ふふ、ふふふふ? あははははは!」

「なにを、そんなに……」

 ドクターの呂律が回らなくなっていく。

「あははは! あぁ、あはは! はぁ、はぁ……。そろそろでしょうか?」

 アズリウスが頷く。

 アーミヤが足元がおぼつかない様子のドクターに抱き着いた。

 

「ファントムさんやグラベルさんを呼ばれたら困りますので……」

「ドクターにはケルシー先生の部屋で睡眠剤を飲んでいただきました!」

 

 アーミヤはコーヒーを間違えて飲んだのではない。

 あらかじめ口に含んでおいた睡眠剤を混入させるために、間違えたフリをしてコーヒーに口をつけたのだ。

 

「(意識が……! こんなところで……!)」

「そうですよね。こんな道半ばで倒れてしまうなんて残念ですよね。でも、ドクターがわたしたちを捨てようとしたのが悪いんですよ?」

 アズリウスが小瓶を回収する。

「ドクター、『人を呪わば穴二つ』ですからね」

 

 

 朦朧とする意識の中で、ドクターは二人に抱えられて執務室に運ばれた。

 椅子に座らせられると、アズリウスが小さなアタッシュケースを開く。そして、透明な液体が入った瓶を取り出した。

 

「これは委託された薬品とは別のものですの。記憶障害が起こるギリギリまで希釈させたものですわ」

「作用は、信頼度を上昇させるもの。言ってしまえば『好感度の限界突破』」

 

「これをあなた(ドクター)に飲ませます。そうでもしないと、わたしたちを愛してくれませんもの」

 

 アズリウスが椅子に座るドクターの、だらりと伸ばされた手を握る。

 強く握ると、ドクターが握り返してきたのが分かった。

 

「怖がることはありませんわ。安全性能は確認しておりますので」

 様子を見ていたアーミヤが呟く。

「アズリウスさん。気が変わりました。やっぱり注射してください」

「…………はい?」

 アズリウスが聞き返す。

 

「聞こえませんでしたか? 血中に直接入れてください」

「おっしゃる意味が分かりませんわ……。これは飲み薬なのですよ?」

「はい。承知の上です」

 

 ドクターは何も喋れなかった。

 もはや意識は失っており、逆らえぬ重力に身を委ねていた。

 

「そんな、危険ですわ。ドクターに何かあったらどうしますの?」

「アズリウスさん。ドクターに注射してください」

「ヴァ―ミルさんを初期化させた時ですら苦労しましたのに……」

 

「……念には念をですよ。ドクターのことですので、効いているフリをして逃げ出すかもしれません」

 

「……分かりました。遅効性のものですので、作用が現れるのは目を覚ました後かも知れませんわ」

「らしいですよ? それでは、ドクター。おやすみなさい」

 

 天使か悪魔か。魔術師か詐欺師か。それとも人か獣か。

 どちらとも取れる笑みを浮かべたアーミヤは高らかに嗤うのであった…。

 

 

 

【ロドス 研究棟】

 

 白衣の研究者が本を読んでいた。

 学術雑誌とはまた違う雑誌に付箋をつけていた。

 

「ケルシー、まだ読んでる……。休憩、しないの……?」

「あぁ、楽しい時間というものは苦痛とは正反対のものだからな」

 レッドが首をかしげる。

「さて、どうしようか……」

 

 ケルシーは観光雑誌をペラペラとめくりながら紅茶を飲む。

 本棚の端の端から取り出してきたであろうその雑誌たちは所々にキズがあり、虫食いも目立っていた。

 よく見ると、雑誌の発売日も遥か昔のものだった。

 

 ケルシーは年甲斐もなくはしゃいでいたのだ。

 

「龍門は長官殿に良い顔をされんから、残念ながら炎国は除外だな。ウルサスとエーギル地区は論外だな」

 レッドが毛並みを整えている。

「……レム・ビリトン、は……?」

「あそこは寒い。錆臭いしなによりアーミヤが嫌う場所だ。連れていくわけにはいかない」

 ケルシーは2冊目の雑誌を手に取った。

「……カズデルか。そうか、この時はまだ内戦が起きる前か……」

 何かを思い出したかのような表情をするケルシー。しかし、感慨に耽っていたのはほんの数秒だった。

「ケルシー、これ、見て。レッド、ここに行きたい」

 色が落ち、日焼けしたページが机に置かれる。

 

「……なんだ」

 


【特集2ページ】

 クルビアの西の西にある山脈の村に突撃! 

 

 感染者に対する差別意識が少ないこの地方は、多くの者が第二の人生を夢見る理想郷だろう! 

 しかし! 世界は持たざる者に対して容赦はしない! 

 足が動く内に死に場所を探せと世間はうるさいが、くたばる前にいい景色見ときたいよな! 

 

 もし、オマエが新生活を夢見るバカだっていうのなら、この村を訪ねるといい! 

 近年の高齢化によって、林業が停滞! とにかく働き手が必要という状況なのだ! 

 肥沃な土地で療養生活を送りたいのなら、ダチと共にいますぐ向かう以外ない! 

 

 なに? クルビアに向かうまでに石になっちまう? 

 そんなやつでも安心! 山脈の麓には感染者の権利を保障する機関が停泊しているんだ! 

 そこのお医者さんに診てもらえば完璧だろ? 

 

 しかも、カズデルの■■■■殿下がいらっしゃるって噂だぜ! 

 これは行くしかないな! 


 

「…………ふん、下らんな」

「……ケルシー?」

 

「この機関というのはバベルのことだ。まさかこんな物がまだ残っていたとはな」

 レッドが左右に体を揺らしながら、

「ばべる……? 難しいことば、きらい……。つまり、どういうこと?」

「この理想郷はもう存在しないということだ」

 レッドが耳と尻尾を垂らす。

「そう……。ざんねん、とても、ざんねん……」

 

 

「(クルビアかシエスタを提案するか……。ドクターもアーミヤも気に入ってくれれば良いのだが)」

「(まぁ、詳しい話は今度三人で決めるとしよう)」

 

「(それまで二人が元気でいてくれたらいいのだがな……)」

 

 決して表に出さない感情。

 氷が如く冷え切った女性だと思う者もいるだろう。

 

 しかし、それが彼女の正体ではない。

 長く苦楽を共にした者には分かるだろう。

 

 

 暗く、深い澱みの寵愛を一身に受けたアーミヤが、策謀の果てにドクターを蹂躙しているとも知らずに、彼女は三人で手を繋いで歩く日を夢見ていた。

 




▽ ラスボス が あらわれた !


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救章 逃う者
新生(アーミヤ)


今回のお話は『血』に関連する描写があります。
苦手な方はごめんなさい。


【ロドス ????】

 

「なんだ……。もう朝か?」

 男はベッドの布団を払う。

 時刻は06:00。朝日がカーテンの隙間から差し込む。

「……とてもいい朝じゃないか」

 

 男は顔を洗い、寝ぐせを直す。そして、ロドスの制服に腕章をつける。

「そうだ、アレはどこにやったかな?」

 引き出しの奥をまさぐる。

 取り出したのは身分証明書。

 そこには確かに『ドクター』と書かれていた。

 

 私室の扉を開ける。

 心地よい涼風が顔をすり抜ける。

 ドクターの丁度胸にあたる位置に、二人の頭が見えた。

 一つはウサギの耳を持つコータスの少女。もう一つは青いパーカーを着たアヌーラの女性。

 

 アーミヤとアズリウスであった。

 

「……おはようございます。ドクター」

「……ごきげんよう、ドクター」

 二人の挨拶に、

「おぉ、こんな早くから大変だな。おはよう、二人とも」

 少し膝を曲げて、目線を合わせてから挨拶した。

 そして、アーミヤとアズリウスの頭をクシャクシャと撫でるのであった。

 

「きゃっ! ドクター……?」

「あ……。い、いま、わたくしに触れてくださったのですか? ……も、もう一度。もう一度お願いできないかしら……?」

 

 ドクターはニッコリと笑って、

「また今度な! 朝飯でも食べてくるよ!」

 

 

 足早と歩き去っていくドクター。

 二人はその背中を追わず、静かにその場に立っていた。

 そして、ドクターの姿が見えなくなると、

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ?」

 

「あはははははははは! あはははははははは!」

「あはは!! やった! やりました! 見ましたか!? ドクターのあの笑顔を! 聞きましたか!? ドクターのあの声を!」

「わたしの頭を撫でるなんて今までありませんでした……! アズリウスさん! これは()()ですよ!」

「ドクターがわたしたちを愛してくれますよ!? あはははははははは!!」

 

 月の狂気にでも触れてしまったかのように歓喜するアーミヤ。

 アズリウスも、自身に触れてくれたことの驚きと喜びを隠せないでいた。

 

「あ、あぁ、満たされていく……。これが、安らぎでしょうか……。あぁ、涙が」

 

 それが偽物だったとしても、彼女たちには何の問題もなかった。

 そもそも、どちらが本物とかいう話ではなかった。

 どちらも本物なのだ。

 

 

【ロドス 食堂】

 

 食堂に集まっていた人たちはさぞ驚いたことだろう。

 こんな朝早くにドクターが来るなんて。

 不思議な視線を送られるドクターには、どこか普段とは異なる清潔感が見られた。

 

「……? どうかしたのか?」

 職員の一人に話しかける。

『い、いえ、朝食を食べに来られるとは珍しいですね……』

 ドクターは髪先をいじりながら、

「そうか? 皆が気張ってるのに、一人だけ寝ているわけにもいかないからな」

 

 厨房から運ばれてくる朝食を待つ。

 早朝から仕事が入っている職員たちがドクターを取り囲む。中には、ドクターと初めて喋ったと言う者もいた。

 

『あの、オレ! ドクターが指揮する部隊に助けられたんスよ! 今は整備の雑用やらされてんスけど、いつか行動隊に異動したいって思ってまス!』

『わたしも! 龍門のスラムで助けて頂いた者です!』

『姉貴の小隊には同行できなかったけど、おれぁアンタのおかげで長生きできるみてぇだ。ホント感謝してるよ』

 

 このロドスには様々な考えを持つ者が集まっていた。その根幹には『感染者の社会的地位を確立する』という共通認識があったが、個人的な想いからロドスに合流した者も少なくなかった。

 ドクターを取り囲む一般職員たちがそうだった。

 

 フロストノヴァ率いるスノーデビル小隊も、その中に入っていた。

 

「……朝からモテモテでいい気分だね!」

「あれ?」

 ドクターが囲みの者たちをかき分ける。

 そこには注文した串カツ定食を持ったグムが立っていた。

 

「はは……。見苦しい所を見せてしまったかな?」

「もう! 4:30起きのグムたちのことも考えてよね!」

 腰に手を当ててプンプンとするグム。

 厨房担当のオペレーターの中でも、特に美味しいと話題の料理を提供するグムは、それ故に朝が早かった。

「ごめんごめん! グムの料理が食べたくて早くから来たんだけどね、こんな囲まれるとは思ってなかったよ」

「むむむ……。そうやって褒めてうやむやにしようとする……」

 ドクターが箸を手に取る。

「いいや? 本心だよ。グムは何でも出来るからね。ズィマーにも見習ってほしいね」

 

 湯気が立ち上がる白米に味噌汁。

 カリカリに揚げられたカツは、グムの腕前を証明するには十分すぎるものであった。

 

「あはは……。ズィマーお姉ちゃんは飽きっぽいからね……」

 ドクターが音を立てて漬物をかじる。

 思えば、グムがドクターの素顔を見るのは初めてだった。

「あぁ、やっぱり美味しいな! グムの旦那になる男が羨ましいよ」

 

 いきなりな発言にグムが背筋を伸ばして固まる。

 目を白黒させた後に、何かに気づいたような顔をしてドクターに問う。

 

「ふ~ん? そんなこと言ってもお金は払ってもらうんだからね!」

「ははは! そんなつもりは無かったんだけどな!」

 ドクターの笑顔を見たグムがニッコリと笑う。

「でも、俺はグムが作ってくれたご飯が一番好きだな」

 

 長くドクターの料理を作ってきたが、そんなことを言われるのは初めてだった。

 恥ずかしさと嬉しさの狭間で少女は戸惑った。

 

「うぅ、今日のドクターは大胆なんだね……」

「ははは! グムは俺みたいな悪い男に騙されるなよ!」

 

 完食したドクターは軽快な足取りで食堂を出る。

 特に朝からすることも無いので、早めの内に執務を片付けてしまおうと考えたのだ。

 

 

 

【ロドス 研究棟】

 

 夜遅くまで論文の作製に勤しんでいた者たちのおかげで、研究棟は静寂に包まれていた。

 音を発生させていたのは、空気を循環させるための換気扇だけだった。

 そんな研究棟の通路を一人の女性が歩く。

 

「(数カ月に渡り張り込んでいたが、やはりこれは異常だ……)」

「(ドクターはアーツが使用できないと言っていたが、あやつの循環器系には確かに鉱石病の兆候が現れている……)」

 

 彼女の名はワルファリン。

 ロドスの古参組の一人にして、誇り高きのブラッドブルードの古強者。

 とはいっても、小柄な体格と普段のやらかしの数々が彼女の偉大さを帳消しにしていた。

 

「(ケルシーの日記の件もそうだった。ドクターが覚醒してから、間違いなく何かが歪んできている!)」

 額に白光る髪をへばりつかせ、ワルファリンは通路を駆ける。

 種族としての特徴から、彼女は悠久の時を過ごしてきた。その中で形成されていった知恵の泉が彼女に警鐘を鳴らしている。

 

 何かがおかしい、と。

 

「あれ? ワルファリンさん。どちらに行かれるのですか?」

「おぉ、アーミヤか! いま少し急いでいる! 後にしてくれ!」

 

「ロドスの異常ならドクターが温床ですよ」

 アーミヤがポツリと呟く。

 ワルファリンが立ち止まる。

「……アーミヤよ。話が早いというのは助かるな」

 アーミヤが首を傾げてニッコリと笑う。

「はい。少しお話しませんか……?」

 

 アーミヤとワルファリンは通路に設置された小さなベンチに腰掛ける。

 小柄な二人は、遠くから見れば精巧に作られた人形のようだった。

 

「妾が考えていたことは『ドクターのアーツ』についてだ。それについての説明は必要か?」

 アーミヤが表情筋を動かさず、

「いえ、見ていたので大丈夫です」

「妾たちがお主に叱られたことを憶えているか。ケルシー(アホ)ドクター(バカ)がマジバトルした時だ。その時から思索していた」

 ワルファリンが眉間にシワを寄せる。

 珍しく真面目な表情だった。

 

「ドクターに検診と偽って生体情報を収集するのは非常に骨が折れた。ケルシーにバレたらアウトだからな」

 アーミヤが耳を動かす。

 どうやら偽るという点に反応したようだ。

「ドクターの血がロドス全域に影響を与えているということに辿り着いたのは昨日の出来事だ」

「それなのに、なぜおぬし(アーミヤ)が妾と同じ考えをしている? いつ気づいた?」

 

 ワルファリンがアーミヤの瞳を覗き込む。

 紅く光る眼光は、突き刺すような、それでいて年長者としての冷徹さを秘めていた。

 アーミヤが答える。

「……気づいたのではなく、知っていました」

「………なに?」

 ワルファリンがアーミヤを睨みつける。

 研究者としてのプライドからではない、ロドスの状態を無視してきたとも取れる発言だったからだ。

 

「あはは……。わたしは昔から()()しちゃいますからね」

「アーミヤよ。ケルシーの弟子だからと可愛がってやってたが、おぬし、どこまで知っている?」

 アーミヤがワルファリンを睨みつける。

「まるで自分は全てを知っているみたいな口振りですね。本当は何も知らないくせに」

 

「いいですか? ワルファリンさん。あなたが長い時間を……。いえ、ブラッドブルードからすればほんの僅かな時間でしょうか?」

「まぁ、たくさん調べて気づいたみたいな素振りをしていますけど、そこが()()()()()()なんですからね?」

「ワルファリンさんはロドスを元の状態に戻したいみたいですけど、それだと少し困ってしまうんですよ」

 

 アーミヤがベンチから立ち、クルクルと回りながら踊る。

 窓から差し込む朝の光が、彼女の姿を煌々と照らしていた。

 まるで、正しく美しい世界が彼女の味方をしているかのように。

 

「アーミヤ! いい加減にせよ! ケルシーに言いつけるぞ!」

 たまらずワルファリンが立ち上がる。

 アーミヤはコートの裏から輸血パックを取り出した。

「……ッ! それは……!」

 

「あはは! ワルファリンさん、これが大好きですもんね?」

「なぜ、アーミヤがそれを持っている……!」

 ワルファリンが喉をかきむしる。砂漠で遭難した者が水を求めるかのように。

「紛れもない400ccの血液。純粋なドクターの血ですよ……?」

 

 アーミヤが輸血パックを上下に揺らす。

 餌を与える過程で遊ぶ飼い主が如く。

 そして、アーミヤは床に数滴の血液を垂らした。

 

「あ、あぁ! 血だ! 間違いない! ドクターの血液だぁあ!」

 ワルファリンが僅かな血液の水溜まりに寄る。

 その姿には角の無いサルカズとしての威厳は無く、ただ小さな手で血液をかき集めるのだった。

 

「あはは……。そんな必死にならなくても……って聞こえてますか?」

「ア、アーミヤがなぜドクターの血を持っている! ケルシーがそのような許可を出すわけがない!」

 アーミヤが輸血パックを左右に揺らす。

 ワルファリンはそれに釣られて顔を左右に揺らす。もはやアーミヤの目など見ていなかった。

 

「……ドクターから直接頂きました。これは昨日採取したものでしたっけ?」

 ワルファリンが手を伸ばす。

「昨日!? 昨日のドクターの血液だと!?」

 アーミヤがベンチの上に立ち、輸血パックを上に掲げる。

 その姿は二人の少女がおもちゃの取り合いをしているようにも見えた。

 

「わたしは知ってるんですよ? ワルファリンさんがドクターの血液サンプルを横領していること」

「診察と称して採血した物のにおいを嗅ぎながら、深夜にあんなことやこんなことをしていることも……」

 アーミヤがワルファリンの鼻先に輸血パックを当てる。

 その匂いを嗅いだワルファリンは、体をビクつかせながら膝から崩れ落ちた。

「でも、採血と言っても、精々20㎖ですよね? もっと欲しいと思いませんか?」

 

 悪魔の囁き。

 ケルシーの袖を握っていた少女の姿は、今や面影すら残っていなかった。

 

「欲しい! あっ! 違う! 欲しくない! 妾は科学者だ! ロドスの高潔なる医者なんだ!」

 

「昨日の血ですよ? 20㎖じゃすることもできませんよね?」

「息抜きも大切ですよ? 試しに……」

 

 アーミヤが血液を垂らす。

 数滴ではない。捻った蛇口のように鮮血が垂れる。

 

「あ! あぁ! もったいない! ンぐッ! ……ガブッ! ゲホッ! あぁ! こぼれてしまった!」

 ワルファリンが口を空けて迎え飲む。

 彼女の同胞がその光景を見たらどう思うか。

 

「あはは! 美味しいですよね? もっと欲しいですか?」

「欲しい! まだまだ足りん!」

 

「じゃあわたしの味方になってくれますか?」

「う、うううう! それはぁ…………!!」

 

「ケルシー先生は我慢しすぎて壊れてしまったということを憶えていますか?」

「うううううう!! ダメだあぁ……! 妾は誇り高きサルカズなんだぁ……!!」

 

「ヴィクトリアの10年もののワインにドクターの血を少々……。こんな贅沢ができるんですよ?」

「ううううう! う˝う˝う˝う˝う˝う˝う˝!!」

 

 喉をかきむしりながら葛藤する。

 アーミヤはその隙を見逃さなかった。

 

「じゃあ、特別にドクターの首に嚙みついてもいいですよ」

「ちょ、直接飲んでもいいと言うのか!?」

「はい! 抱き着きながらゴクゴクと……。二人だけの空間で! 誰も止めやしませんから!」

「なる! アーミヤの味方になる! 妾はアーミヤの味方になるぞ!!」

 

 ワルファリンの瞳には、ロドスの未来など写っていなかった。

 ただ欲望に溺れた、たまらぬ血に飲み込まれたブラッドブルードが一匹……。

 

「では、これ(輸血パック)は前金ということで」

 アーミヤが遠くに放り投げる。

 ワルファリンは落下点に飛び込み、その袋を我が子のように胸に抱いた。

 

「ケルシー先生はよろしくお願いしますね? ワルファリンさん」

 ワルファリンは返事をしなかった。聞こえていたかもどうか怪しかったが、アーミヤはニコリと笑うと、職員たちが起きてくる前にその場を後にした。

 

「あぁ、あたたかい……。妾の血だ……。妾のドクターの血だぁ……」

 

 アーミヤがメモ帳を取り出す。

 そして、ワルファリンの名前に線を引いた。

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

「ふぅ、こんなものかな。そろそろ休憩でもするか」

 

 ドクターは執務に精を出していた。

 以前なら数時間かかっていた事も、現在の彼には何の造作もなかった。

 ドクターは冷水を飲んで気持ちを引き締める。

 

 その姿を陰ながら見ていたアズリウスは、彼の行動の意味を問うた。

「コーヒーは飲まれませんの? お好きな銘柄を準備していますのに……」

「ははは! 朝からコーヒーなんて飲んでたら夜に眠れなくなってしまうよ」

 ドクターはアズリウスのデスクに腰掛ける。

「それとも、寝ない夜を俺と過ごすってのなら話は別だけどな?」

 

 ドクターはアズリウスの顎を人差し指で持ち上げた。

「そ、そのようなことは……!」

 からかうような表情で、

「? そういう話じゃないのか?」

「からかうのはよして下さいまし……」

 アズリウスは跳ねる心臓を抑えるのに必死だった。

 

「からかいじゃなくて本気だったら?」

「はぇ……?」

 

 ドクターがアズリウスの髪を撫でる。

 男性特有の太く角ばった指が、アズリウスの桃色の髪をすり抜ける。

 

「あ、えっと、髪、指、あ、あ、あ」

「ははは! この辺にしとくか! さて、残りの作業にでも戻りましょうかね?」

 

 アズリウスはひとしきりキョロキョロした後、ピタリと固まって動かなくなってしまった。

 

「……続きは夜にしような?」

「あうぅ……」

 

 アズリウスのペンを動かす速度が遅くなったのは仕方のないことだった。

 

 

 

【ロドス 事務室前】

 

 一人の男が歩いていた。

 ドクターの忠臣。自立する幻影。

 彼を自身をファントムと名乗った。

 

「…………」

 男が通路を歩いても、誰一人として反応しない。

 誰も彼の存在に気づいていないのだ。

 

 彼が信頼する者は二種類。

 ミス・クリスティーンと、ミス・クリスティーンが信頼する人間。

 もし、彼と親密な関係を築きたいのなら、ミス・クリスティーンに気に入られる必要がある。

 もっとも、気に入られる以前に彼を見つけること自体が困難を極めるものなのだが。

 

「こんにちは、ファントムさん」

「……これはこれは、呼び止められるのは慣れていないのでね」

 

 アーミヤは一つの籠を持っていた。

 多くの人が慌ただしく事務室に入っていく。

 その流れに逆らうかのように二人は向き合っていた。

 

「こうしてお話するのは初めてではないでしょうか」

「確かにその通り。私が指し示す方向に君は居ない。会話が無くて当然である」

 あまり好意的ではないファントムの返答にアーミヤは苦笑いをする。

 

「ところで、クリスティーンさんはどちらにいらっしゃるのですか?」

「……彼女は自由の体現者だ。彼女は気に入った場所に居る。それは私にも分からないことだ」

 

 アーミヤが籠を置く。上には布が被せられており、当然外からは中の様子が伺えなかった。

 

「ここに籠があります。中にはファントムさんの大切な物が入ってます」

「…………」

 アーミヤは言葉を続ける。

「シュレディンガーの猫ってご存知ですか?」

「……物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると説明するために用いた思考実験のことだ」

 

 アーミヤがニッコリと笑った。

 ファントムは籠の中身に気づいていないと言われれば、それは嘘だった。

 

「まぁ、実際にはありえない話なんですけどね? ですが、今の状況はそれに近いものなのかも知れません」

「籠の中には、クリスティーンさんがいらっしゃいます。そして、わたしは瞬きよりも早くクリスティーンさんを殺害することができます」

 

 ファントムが半歩下がる。

 籠の中にミス・クリスティーンがいるとは確定していなかったからだ。

 アーミヤの戯言かもしれない。

 あくまでも冷静に、暗殺者としての本懐を彼は忘れなかった。

 眉間にシワを寄せながら。

 

「やはりファントムさんは賢いですね。敵として対峙したらと思うと恐ろしいです」

「クリスティーンさんは籠の中にいないかも知れませんし、わたしはファントムさんのナイフより早く彼女を殺害することはできないかもしれません」

「そもそも、彼女が生きているかどうかも分かりませんね……」

 

「それでも、わたしと敵対しますか?」

 ファントムの額には、微かに汗が流れていた。

 そして、重い口が開かれた。

「何が目的だ? まさか、金銭などとは言うまいな?」

 アーミヤが一つの書簡を宙に投げる。

 ファントムの前で開かれたそれには、確かに『異動願』と書かれていた。

 

「そこにサインをしてください。ハンコは不要です」

 ドクターの護衛から、アーミヤの護衛への異動願。

 ドクターから引き離そうとする企みが見え見えであった。

「……断る。と、言ったら貴公はどうする」

「クリスティーンさんの身柄は保障できませんね。あっ、もしかしたら既に遺体かも……」

 

 ファントムが前傾姿勢になる。

 その瞬間、アーミヤの手から黒いアーツが発射され、籠の上部を掠めた。

「ふふ? 今のでどちらが早いか証明されましたね?」

「……これは脅迫だ。不当な扱いを請願する」

 

「では、こうしましょうか」

「わたしは猫を拾いました。その猫の保護者を名乗る人物が現れましたが、身元を確認できる物がありませんでした。ですので、丁度持っていたこの紙に氏名を記入しました。これでどうですか?」

 

 アーミヤが再びアーツを発生させる。

 黒く揺らめく炎のようなそれは、籠の中身に対して一直線になるように動いていた。

 

「……納得した。しかし、忠誠を誓ったわけではない。闇夜と背後に気をつけろ……」

 

 ファントムは書簡にサインした。

 裏切りではない。こうする以外に方法はなかったのだ。

 

「一つ質問する。私は何人目だ?」

「うーんと、サイレンスさんに、プラマニクスさんに、へラグさん。スカジさんとロサさんに……。全員合わせるとファントムさんで53人目ですね」

 ファントムが冷ややかな目で、

「玉座にでも座るつもりか……」

 アーミヤが口に手を当て、クスクスと笑う。

「まさか、不安要素を排除しているだけですよ」

 

 アーミヤはメモ帳を取り出し、ファントムの名前にペンで線を入れた。

 

 

 

【ロドス 執務室】

 

「そしたらアイツが言ったんだよ。『王も死んだらただの人になる。生存しなければ元も子もない』ってな」

「……それで、ドクターは何と返答されましたの?」

「それで俺が言ってやったんだ。『死んだら考える』ってな!」

 

 ドクターとアズリウスが談笑していた。

 決して執務をサボっていた訳ではない。むしろ本日の業務は既に終了していたのだ。

 よって暇を持て余した二人は執務室にて雑談に耽っていた。

 

 アズリウスからしてみれば、その時間は蜜のように甘い時間であった。

 何が嬉しかったかと言うと、自分が想いの丈を伝えると、ドクターも返事を返してくれるということだった。

 

「すまない、ちょいと外の空気を吸ってくるよ」

 ドクターが椅子から立つ。

「……一人で行けますか?」

「バカにすんなよ!」

 

 ドクターが執務室から出る。

 時刻は既に正午を回っていた。

 ドアを閉めた執務室の正面を一人の女性が陣取っていた。

 

「……久しいな」

「おぉ、テキサスか。ロドスで会うのは久しぶりじゃないか?」

 テキサスが頷く。

「最後に直接会ったのは、ケルシーたちと激突した時か」

「ははは、よく憶えているなぁ。それで、今日はどうしたんだ?」

 

 テキサスとドクターが通路を歩く。

 向かう先は。かつてエクシアの独白をソラが聞いた所だ。

 

 二人はゆっくりとした足取りで向かう。

 

「特に大事な話はないのだが、急に連絡が途絶えたからな」

「おぉ? もしかして心配して来てくれたのか?」

 テキサスが顔を逸らす。

 図星だったのだろうか、自身の感情に正直ではない彼女は、不器用ながらもそれを行動に表したのだ。

「ドクターだけではない。他の連中とも連絡がつかない。何か知っているか」

 

 ドクターがケータイを開き、履歴を確認する。

 確かにそこにはテキサスの言う通り、モスティマやラップランドの名前だけが消えていた。

 

「……不思議だな。モスティマならいざ知らず、ラップランドも失踪するなんて。まぁ、いざとなればロドスから連絡を入れるから大丈夫だとは思うが」

「……そうだな」

 

 テキサスはドクターのケータイを流し目で覗き見た。

 多くの名前が記載されている連絡欄には、一人一人にしっかりと返事を返した形跡があった。

 

 通路を通る度に、たくさんの職員やオペレーターたちがドクターに会釈をする。

 中には、テキサスを置いて会話をする者だっていた。

 ドクターはそんな者たちに嫌な顔ひとつせず対応していた。

 

 テキサスはそんなドクターの姿に一抹の不信感を抱いた。

 彼はここまでお人好しではない、と。

 

「いやぁ~、すまんすまん。少し話すつもりが長くなってしまったよ」

「待つのには慣れている」

 テキサスは自身が抱いた不信感を証明するために、彼に対してカマをかけることにした。

 

「想い人に待てと言われればいくらでも待てるさ」

「ははは! ならいつか迎えに行かなくちゃいけないな!」

 

 テキサスが胸に抱いた疑惑が確信に変わった。

 この男はドクターではない、別のナニカだと。

 

 

【ロドス 甲板】

 

 二人は甲板に座る。

「ほれ、吸うか?」

 ドクターがテキサスにタバコを突き付ける。

「……禁煙中だ。吸いたくなるから見せないでほしい」

 

 ドクターはケタケタと笑いながらタバコを片付けた。

 その代わりにチョコレートを一つ、テキサスに勧めた。

「これも制限中か?」

「いただこう」

 

 西から風が吹いていた。

 暖かなそよ風がテキサスの髪を揺らす。

 そして、彼女は自身の髪を落ち着けると、ドクターにある質問をした。

 

「……貴様は、誰だ」

 ドクターが首を傾げて、

「誰って……、俺はドクターだぞ? まさか違うのか?」

 

 ドクターがテキサスの目を見る。

 その黒い瞳孔は、間違いなくドクターのそれだった。

 しかし、テキサスが主張するのは外見的な意味ではなかった。

 

「……彼の一人称は『私』だ。今まで『俺』なんて一言も言わなかった」

 

「ドクターがケータイの返信を全員にするなんてあり得ないことだ。面倒だと思ったら既読無視をするからな。これはわたしがよく理解している」

 

「それに、ドクターがわたしたちの想いに答えるなんてありえない」

 

 酷い言われようだが、ドクターは静かに彼女の言葉を聞いていた。

 言い返せなかったからではない、ドクター自身、いまいち実感できない部分があったからだ。

 

「わたしはドクターのことを愛している。ドクターはわたしのことをどう思っている」

 ゆっくりと口を開く。

「俺も、テキサスのことを愛しているよ」

 

 テキサスがうつむく。

 ドラマや映画で言うなら、とても感動的なシーンなのだが、彼女の心中はそんな幻想的なものではなかった。

 

「確定だな……」

「本物のドクターならこう言う。

『少なくとも、私はキミを大切な存在だと思っているよ』

とな」

 

 ドクターが頭を抑えてうずくまる。

 まるで檻から解放されたい獣のように。

 苦悶の表情を浮かべた彼にテキサスは追い打ちをかける。

 

「わたしはドクターと毎日のように連絡を取っていた。しかし、ある日を境にその連絡が途絶えた」

 テキサスが腰に差した剣を抜く。

「今日ロドスに来たのは、ドクターの身に何かあったのではないかと考えたからだ」

「答えろ。わたしと電話をしなかった三日間、貴様の身に何があった!」

 

 ドクターが頭を抱える。

 いや、頭ではない。その中の脳を抑えているかのようにも見えた。

 テキサスは確信した。ドクターは何者かの手によって洗脳されていると。

 

 

「ダメだよ。そんな根性論じゃアーミヤを出し抜くことは出来ないね」

 テキサスの後方から声が聞こえた。

「モスティマ……! どこに行っていたんだ……!」

「ふふ、少し遠い所で準備してたんだよね」

 

 モスティマがテキサスの肩を触りながら、ドクターの傍に寄る。

 彼女の様子は、エクシアとトランプを楽しんでいた頃とは一線を画していた。

 つまるところ、モスティマもおかしくなっていたのだ。

 

「テキサスの疑問を採点してあげるよ。まぁ、ほぼ100点みたいなものだけどね」

 モスティマがドクターの頬を撫でる。

 

「……ドクターが別人になってしまったっていうのは本当。犯人はアーミヤとアズリウス」

「アーミヤはドクターを自分たちで独占しようとしている。だから、ドクターを薬漬けにしたんだ」

「そして完成したのが

『自分を愛する者を愛する男』」

 

 テキサスは絶句していた。

 事態が自分の思っていた以上に深刻だったからだ。

 そして、震える声でモスティマに問う。

 

「なぜ、モスティマがそれを把握しているんだ。止めるべきだとは思わないのか」

 モスティマの口角が上がっていく。

 

「テキサスには感謝してるよ。ドクターの異常を看破してくれたおかげで、一時的にだけどドクターの洗脳が緩くなったんだから」

「…………今、ドクターの脳内はとても不安定な状況なんだ」

 

「ここで、『ドクターの恋人はモスティマ』って吹き込んだらどうなるんだろうねぇ!」

 

 テキサスがモスティマに掴みかかる。

 剣の切っ先を向けなかったのは、仲間としての情けだろうか。

 しかし、モスティマの襟を掴んだ手はポトリと抜け落ちた。

 

「……なんだ? なにが起きた……?」

 テキサスは自身の身体が痺れ、地に崩れていくのが理解できた。

 

「……テキサスが居る場所は風下だからね。ホント、見えない兵器ってのは恐ろしくも便利だね」

「貴様も、薬か……」

 テキサスは混濁する意識の中で、ドクターに寄り添うモスティマの姿を見た。

 

 

 今まさに黒い影がロドスを支配せんとしていた。

 ある者は徒党を組み、男を独占しようとし、

 ある者は二人だけの世界を作ろうとし、

 ある者は男を救おうとした。

 

 様々な思惑が交差する中で、全員が幸せな結末を迎えるには、男の人生を彼女たちに捧げる以外方法はなかった。



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ラプラスの魔女たち

 {前回までのあらすじ}

 アーミヤはアズリウスと共謀し、ドクターを洗脳して独占することに成功する。

 

 しかし、生まれ変わったドクターに不信感を抱いたテキサスは、質疑応答の末に彼の洗脳を一時的に緩和させた。

 

 その時、行方をくらましていたモスティマが現れ、テキサスを昏倒させる。

 彼女はドクターの洗脳を上書きするタイミングを虎視眈々と狙っていたのだ。

 

 アーミヤは自分の陣営にオペレーターを引き込み、モスティマはドクターとの駆け落ちを企み、テキサスは夢幻に囚われたドクターを救出しようとしていた。

 

 ロドスはまさに混沌を極め、蟲毒と化していたのだ。

 


 

 

 

「頭が痛い……」

「ここはどこだ……?」

 

 テキサスは謎の空間で目を覚ました。

 ズキズキと痛む頭を押さえながら彼女は身を起こす。

 

「わたしは……。そうだ、モスティマに出し抜かれたのか……」

 

 薄暗い部屋の中。申し訳程度に設置された間接照明が壁面を照らす。

 どこかも分からないような場所で、不安感が彼女の身を支配していく。

 唯一助かったと思えることは、自身の記憶が鮮明に残っていることだった。

 

「扉は、鍵か……。窓は、そもそも存在していない……」

 

 テキサスは自身の武器がなくなっていることに気が付いた。

 おそらくモスティマが回収したのだろう。武器さえあれば、扉でも天井でもぶち抜いて脱出できるというのに。

 テキサスは自身の無力さに奥歯を噛み締めるのであった。

 

「通気用のダクトか……。しかし、腰が引っかかりそうだな」

「……う~ん、うるさいなぁ。ちょっと静かにしててくれないかな」

 

 天井のダクトを見上げるテキサス。

 その後ろでモゾモゾと(うごめ)く大量の毛布の山。

 所在不明の地にて、聞いたことのある声がした。それだけで喜ばしい事なのだが、その時のテキサスの顔は確かに歪んでいた。

 

「…………」

「……アレ? テキサス? なんでここに居るんだい?」

 

 毛布からラップランドが顔を出す。

 荒れ放題伸び放題の髪の野良犬のような風貌をしていたが、どうやらこの部屋で元気にしていたようだ。

 

「……貴様こそ何をしているんだ」

「アハハ! ちょっとカッコつけてドクターを助けようとしたんだけど、欲に負けちゃってね……?」

 長く体を動かしていなかったのか、ラップランドは立ち上がると背骨をパキパキと鳴らした。

「ぐぁぁ……! 人と話すのは久しぶりでさ……。あまり大きな声は出せないんだ……」

「……って聞いてる?」

 

 テキサスはモスティマを打倒することを第一に脱出を考えていたが、その状況が変わった。

 今のテキサスはラップランドと同じ空間に居たくないという一心で脱出を試みていた。

 

「壁のデザインから、ここはロドスなのか……。なら作りが頑丈だな。破壊は不可能か」

 ラップランドが口を挟む。

「ねぇ、ボクが好きでここに居るとか思ってないよね? 考えられること全部やった結果ココに居るんだよ?」

 

「……扉は、かなり分厚いな。しかも金属か」

「鉄と熾合金だね。削って穴でも空けてやろうかと思ったけど対策されてたよ」

 

「なのに風呂とトイレはあるのか……。いや、キッチンはないのか」

「ご飯は一日二食。缶詰が上から落ちてくる。ジュースは貴重なんだから、テキサスはトイレの水を飲んでね」

 テキサスが落ちていた飲みかけのペットボトルをぶつける。

「いったぁ! えっ? 普通に痛かったんだけど……」

 

 どうやらラップランドは監禁生活の中で反射神経も悪くなってしまったらしい。

 テキサスは「こうはなりたくないな」と思いながら脱出の糸口を探す。

 

「さて、どうしたものか……」

 

 しばらく室内を徘徊してたのだが、とても逃げられるような空間はなかった。

 ラップランドが缶詰を空け、微妙な顔をしながらスプーンを動かす。

 

「テキサスも食べなよ。美味しいとは言い難い味だけどね」

「……はぁ。いただこう……」

 

 彼女はむやみやたらに動くよりも、座って策を練ることを選んだ。

 静かな部屋にて、テキサスとラップランドの二人は話をする。

 

「テキサスはどうしてここに来たの?」

 テキサスが缶詰の封を開ける。保存食です。と主張する煎り豆を口に放り込む。

「ドクターを助けようとして、モスティマに気絶させられた。そして気づいたらここに居た。というよりここはどこだ」

 ラップランドが膝まで届くくらい伸びた髪をまとめる。

 毛髪を切断する物が無いというだけで、最低限度の生活は保障されているようだ。

 

「う~ん、ボクも気づいたらここに居たって感じだからね。多分ロドスの制御中枢かな」

「ここはドクターのサボり場だったのかもね。確かめる手段はないけど」

 

 ラップランドが掠れた声で質問する。

「モスティマが動いたってことは、アーミヤも色々と画策してる頃かな?」

 テキサスが頷き、

「あぁ、モスティマがそのようなことを言っていた。やはり何か知っているのか」

 

 自身の動きが制限されているということもあり、普段より気が立っているのだろうか。

 テキサスが語気を強めて聞き返す。

 ラップランドはそれに対して、「まぁまぁ」とサインを送った。

 

「ボクの話でも聞かないかい? きっと有益な情報だと思うよ?」

「……言ってみろ」

 

 ラップランドは毛布の山に飛び込む。

 そして、ゆっくりと落ち着いた様子で語り始めた。

 

「ボクがロドスの異常に気づいたのはかなり前だった。疑惑が確信に変わったのは、例の赤いループスがドクターに執着しているのを見てからだった」

「まぁ、個人的な理由もあったんだけど、しばらくドクターの周囲を見てたんだ」

 テキサスは静かに聞いていた。

「それで発見したことは二つ。『ドクターと直接会話をした者は彼のことを信頼するようになる』」

「……そんなことがありえるのか」

 ラップランドが再び身を起こす。

「落ち着いて聞きなよ。二つ目は『ドクターのアーツは精神を汚染させる』」

「この二つの発見は結びつくだろうね」

 

 テキサスは頭を押さえた。

 頭痛が酷くなっていく。にわかに信じられない話を堪える表情で聞き続けた。

 

「ボクがバクダンムシとかの特殊能力を無効化できるのは知っているよね? だからボクはドクターに接近できた」

「アーミヤたちがドクターを狙っていたってことも把握してたから、彼を救出しようとしたんだ。何かが起こる前にね」

 

 テキサスが口を挟む。

「彼はアーツを使用できないはずじゃないのか」

 ラップランドが虚空を見ながら答える。

「ボクもそう思ってたよ。源石を握ってもアーツが使えない人なんていないからね。実際彼もアーツ回路の異常だと思ってたらしいし」

「でもね、もし、彼がアーツを既に発動していたら?」

 

「これはボクの考察だよ。ドクターは目覚めた時に、自分の周囲に居る人物の好感度を無条件で上昇させるアーツを手に入れたんだ」

「最初にその影響を受けたのがケルシーなのは、ドクターの検査を誰よりも身近で行っていたから」

 

「人が使えるアーツは一種類だけなんだ。エイヤフィヤトラは氷のアーツを使えないし、フロストノヴァは炎のアーツを使えない。彼がアーツを使えなかったのは、ドクターのアーツは自動で発動するものだったから」

 

「ボクはドクターの精神汚染を軽減できたけど、アーツが自動発動のものだとは知らなかった」

「脳が黒い泥に犯されていくのを感じながら、ボクは彼のアーツに飲まれてしまったんだ」

 

「一番タチが悪いのは、ドクターが自身のアーツに気づいていないってことだね! これ以上彼を放置しておくとロドスがとんでもないことになるよ!」

 

 テキサスはラップランドの説明の不十分な点を指摘した。

「だが、わたしはその精神汚染とやらの影響を受けていないぞ」

 ラップランドが秒間空けずに返答する。

「それは電話で話していたからじゃないかな。きっとドクターのアーツにも射程範囲があるんだよ」

 

 テキサスが扉を蹴り飛ばす。

 びくともしないその扉は無情にもテキサスの足を傷つけるだけだった。

 

「事態を収拾させるにはドクターを隔離して研究するしかないね」

 テキサスがラップランドに背を向けて答える。

「……今のドクターはアーミヤたちに洗脳されている」

「…………え?」

 

「それ、ヤバいんじゃないの?」

「あぁ、だから出口を探しているんだ!」

 

 

 

【ロドス 搭乗ゲート」

 

 本日は作戦任務がないため、搭乗口で働く整備員たちの姿は見えなかった。

 その代わりに、二人の男女の姿がそこにはあった。

 

 光を反射しない漆黒の髪も持った男と、群青色の髪と瞳を持つサンクタの女性。

 ドクターとモスティマであった。

 

「あぁ……、吐き気がする……。頭が痛い……」

「大丈夫かい? 飲み物でも飲んで落ち着きなよ。あっ、あまり動かない方がいいと思うよ?」

 

 ドクターの顔色は優れていなかった。

 明らかに健康的ではないその表情に、モスティマが静かに語り掛ける。

 

「……ここで初めて会った時の事、憶えてる?」

 ドクターが頭を押さえながら、

「憶えているとも……! モスティマのことは一度も忘れたことはない……」

「そっか、そうなんだ。そういうことも他の子にも言ってるんじゃない?」

 モスティマが意地悪そうな顔でドクターの顔を覗き込む。

 

「そんなことはない……。テキサスにも言っていないさ……!」

「テキサス……? テキサスって誰だ……。そうだ、俺はテキサスと話をしていて、それで!」

 モスティマが立ち上がる。

 ドクターが彼女の腕を掴み、力強く問いかける。

「そうだ! 彼女は倒れたんだ! モスティマ! テキサスに何をしたんだ!」

 

 確かに腕を掴んだ。握り締めれば折れてしまいそうなほど細い腕。

 しかし、(まばた)きをすると、その陶器のような腕はそこにはなかった。

 

「あの時、こうしていればって後悔することはないかい?」

 ドクターの背後で声がした。

「その時に最適な行動をし続けることが出来たら、きっと人生はバラ色なんだろうね」

 ドクターが振り返る。

 そこにモスティマの姿はなかった。

「それが出来ないのは、人の思考能力が遅すぎるからさ」

「でも、私にはそれが出来る。コンマ一秒の時間で最適解を導くことが出来る」

 モスティマが姿を消す。しかし声だけは響いていた。

 彼女が二階に移動したことに気づいた時には、モスティマは既に背後に移動していた。

「時間を止められるからね」

 

「……そんな能力、人知の範疇を超えている」

「ふふ。ドクターが言えることかな? 私からしてみれば、ドクターのアーツの方がチートだと思うんだけどね」

 

 モスティマの姿が消える。

 かと思えば、次の瞬間には別の所に座っていた。

 まるで、彼女だけが一時停止のビデオの中を移動できるかのように。

 

「……時間を止めれるっていうことは、こういう事もできる」

「んグゥ! ~~~ゲホッ!」

 

 モスティマがドクターの唇を嚙み切った。

 恍惚とした表情を浮かべるその姿に、ドクターはひしひしと生命の危機を感じた。

 

「『何をするんだ!』って言いたそうだね」

「何をするんだ! ……なにィ?」

 モスティマがケタケタと笑った。

 その姿はエクシアの姿と酷似していた。それは二人が同郷の友だということの証明にもなった。

 

 ドクターは首筋に違和感を感じ、そろりと指を這わせる。

 自身の首には細い注射器が刺さっていた。

 

「あッ……! モスティマが、やったのか……?」

「動かないほうがいいよ。針が折れたら大変だからね」

 モスティマが瞬間移動し、注射器を抜き取る。

「ドクターに注入したのはね、ドクターがアズリウスに作らせた()()の薬」

「……好感度を初期化させる薬だよ」

 

 ドクターの目が充血していく。

 アーミヤがドクターに投与した薬品とモスティマが投与した薬品が、お互いを排除しようと体内で暴れているのだ。

 

「ふふ。ドクターはこれからわたしたちと世界を旅するんだ……」

「大丈夫だよ。ドクターは『ロドスのドクター』という事実を忘れて生きるんだよ」

「全て解決したら、ロドスのみんなにも薬品をばら撒くから。誰もわたしたちを追いかけないようになるだろうね」

 

 ドクターが喉をかきむしる。

 

「向こうでエクシアが待ってるんだ。落ち着いたら、すぐにここ(ロドス)を出ようか」

「山村での出来事を憶えているなら、言わなくても分かるよね?」

()()、取ってもらうから。ポイ捨てなんて許さないよ」

 

 モスティマはしばらくの間、苦悶の表情を浮かべるドクターを見ていた。

 時間が経過していくにつれて、どんどんと顔色が悪くなっていく。

 息も絶え絶えの姿を見かねたモスティマが声をかける。

 

「……私が言うのもアレなんだけど、大丈夫?」

 

「ぐぁぁ……! モスティマ、アズリウスに作らせた薬は()()()だ……!」

「アーミヤといい、モスティマといい……! 素直に飲ませることができないのか……!」

 

 ドクターはそう言葉を吐き捨てると、その場にパタリと倒れた。

 モスティマはぺしぺしと頰を叩いたが、返事は返ってこなかった。

 これを好機と捉えた彼女は、ドクターの体をずるずると引きずっていくのだった。

 

 

【ロドス ?????】

 一方、テキサスとラップランドはと言うと、

 

「…………」カリカリカリカリ……

「…………」カリカリカリカリ……

 カリカリカリカリカリカリカリカリ……

 

 研いだ缶詰の蓋で扉と壁の隙間をカリカリしていた。

 

「このままだと何日かかる」

「う〜ん、大体15年くらいかな?」

 テキサスがラップランドに蓋を投げつける。

「やってられるか!」

「仕方ないでしょ!? 他に方法がないんだから!」

 

 扉の前で二人が取っ組み合う。

 ラップランドの頭に当たって飛んでいったフタは、放物線を描き切る途中で天井に突き刺さった。

 

「……おい、上を見ろ。あそこだけ作りが弱いぞ」

「らしいね。よし、テキサス肩車をしよう。ボクが乗るからしゃがんで」

「私が上に乗る。貴様がしゃがめ」

 視線を合わせた両者は一歩も譲らない。

 脱出できるのは一人だけだったからだ

 

「……はぁ、分かったよ。ボクが下になるから」

「……いいのか」

 ラップランドはテキサスに背を向け、その場にしゃがみこむ。

「二度も言わせないで。一刻を争う事態なんだから」

「……恩に着る」

 

 テキサスはラップランドの肩に足を乗せた。

 ラップランドが立ち上がると同時にジャンプをし、そのまま天井を突き破るという算段だ。

 成功するかどうかは不確定であったが、やらないよりかはマシだろう。

 

「安定しないな。もっと踏ん張れないのか」

「うるさいなぁ。テキサスが重いのが悪いんだよ」

 

 フラフラする足場に乗り上げ、一気にジャンプする。

 天高く突き上げた拳は、刺さった缶詰のフタごと天井を貫いた。

 

 テキサスはそのままよじ登る。

 

「うっ……。やはり埃臭いな……」

 テキサスは天井裏から声を出した。

「手を伸ばせ。引き上げてやる」

 ラップランドが下で手を振る。

「ボクはいいよ。天井が抜けたら大変だからね」

「…………必ず戻る」

 

 ラップランドがケタケタと笑った。

「今生の別れみたいに言わないでよ。ボクよりドクターを助けてあげて」

 テキサスも笑った。

 二人が笑みを交わすというのは初めてのことだった。

 

「ボクはテキサスのことも大好きだよ。犬死になんか許さないからね」

 テキサスが口元を緩ませる。

「あぁ、また今度、何か食べに行こうか」

「アハハ! それは良い考えだね! もちろんテキサスの奢りでね!」

 

 テキサスが天井裏を這って進む。

 ラップランドはテキサスの姿が消えるまで見守り続けた。

「どうか上手くやってね。失敗したボクの代わりに……」

 

 

 ガチャン……。

 

 その時、固く閉ざされたはずの扉が開いた。

 そして現れたのは、先程感動的な別れをしたばかりのテキサスだった。

 

「…………その、出た所に鍵が落ちててな」

「…………」

 

「……まぁ、あれだ。久しぶりってやつだ」

「…………」

 

 二匹のループスが通路を駆ける。

 高原を走る獣のように、その姿は風そのものだった。

 

 不思議な所と言えば、そのループスたちは赤面したまま何も喋らなかったということだった。

 

 

 

【ロドス 搭乗ゲート】

 

 横になったドクターの頭を膝に乗せたモスティマは、どこかしらに連絡を入れるのだった。

 

「……うん。上手く行ってるよ。今は少し眠ってる。早く回収しに来てくれると助かるな。……うん。それじゃ、またねエクシア」

 モスティマの背後で声がした。

「とても楽しそうな話をしていますね。わたしにも聞かせてもらってもいいですか?」

「あぁ……。見つかっちゃったか……」

 

 最も見つかりたくない相手に見つかってしまった。

 モスティマはたまらず距離を取る。

 しかし、どれだけ時を止めて移動しても、その先で少女と必ず目が合うのであった。

 

 少女が、アーミヤがモスティマに問いかける。

「……『ラプラスの魔』ってご存じですか?」

 アーミヤの背後からオペレーターたちが姿を見せる。

「全ての力学的・物理的作用を把握できると、未来を含む森羅万象を確定的に知ることができるというものなんですけどね」

 モスティマが奥歯を軋ませる。

 

「自然は天災に支配されていますが、社会を支配しているのは『人間』なんですよ」

「そんな対人関係で最も重要なスキルは、相手の心情を理解すること」

「知りたいことだけを教え、欲しいものだけを与える。それだけで人は簡単に信頼してくれるんです」

 

 遠くの方で大きな音が聞こえた。

 

「でも、人付き合いって難しいですよね……? なぜだか分かりますか?」

「それは、誰もが心にバリアを張っているからですよ。当たり前ですよね。誰にだってバレたくない秘密はあるんですから」

「交渉では相手よりも早くそれを見抜かなければいけないんです」

 

「……もし、相手の心が読めたら、それは無敵と呼べる人間でしょうね」

「わたしは、それが出来るんですよ」

「言ってしまえば、わたしだけ攻略本を見ながらゲームができる」

「抜き打ちテストでわたしだけ教科書を見ながら回答できる」

「見るという行為だけで、その場の状況を理解できる。わたしの後ろに居るオペレーターのみなさんの考えを、わたしは聞かずに把握できる」

「見るだけで理解できるという事が、どれほど脅威なのか。賢いモスティマさんには分かりますよね?」

 

「モスティマさんも、自分以外の時間をゆっくりに出来るのですから」

「卑怯とは言いませんよね?」

 

 モスティマの額に汗が流れる。

 何度も逃走を試みたが、アーミヤが配置したオペレーターたちによって抑止された。

 計画していたエクシアとの合流地点も、きっとアーミヤには割れてしまっているのだろう。

 直接戦闘をすれば、アーミヤなど歯牙にもかけない相手だった。

 しかし、相手の弱みの握りあいという戦闘においては、彼女が自負するとおりアーミヤが最強であった。

 

「(……かなりマズいね。もう少し時間がかかりそうかな…)」

 

 モスティマの思考を読んだアーミヤが警戒する。

 その周囲にいたオペレーターたちがモスティマに襲い掛かった。

 

「とおおおおりゃあああああああ!!!」

 ズドオオオオン!!!! 

 ケオべが斧を振りかぶり、地面をたたき割る。

 亀裂を通じて伝播していった衝撃は、周囲に居た者の鼓膜と内臓を響かせた。

 直撃する寸前で回避したモスティマは、ケオべの肩を踏み台にして高く飛翔する。

 

「プラチナさん、左に2発! いえ、4発連続で撃ってください!」

 アーミヤが指示を出す。

「…………フッ!」

 キキキキン!! 

「うっ、くそッ! めんどくさいな!!」

 心が読めるアーミヤからしてみれば、モスティマの回避行動の予測も実に簡単なものだった。

 モスティマは射出された矢を全て撃ち落とすと、体勢を崩した状態のまま着地した。

 

「モスティマさんは足を痛めています! 全員で包囲してください!」

「……ズルすぎじゃない!? その能力!」

 

「……!! 時間を止めました! 二階です! シラユキさん!」

 ギイイイン!! 

「ぐッ……! このままじゃジリ貧だ……!」

 

 それはもはや戦いというよりも狩りであった。

 多くの船で魚を囲む追い込み漁のように、徐々に徐々にモスティマは疲弊していった。

 その間、アーミヤは一歩も動いていなかった。

 

「……なかなか手強いですわね」

 アズリウスがアーミヤに囁く。

「……まだですよ。モスティマさんはまだ何かを隠しています」

「(相手の切り札が分からない……。ドクターなら、こういう時どうするんでしょうか……?)」

 

 地面に膝をつき、激しく肩で呼吸するモスティマ。

 多勢に無勢。四面楚歌。いくらなんでも相手が悪かった。

 肉体に刻み込まれた咄嗟の行動も全て予測される。電脳相手に将棋をするようなものだった。

 

「アーミヤさん、あの、これ……」

 ふいに話しかけられたため、アーミヤが振り返る。

「……どうかされましたか?」

 帽子を深く被った女性が閃光弾を握っていた。

 彼女こそが、モスティマの切り札。

「あはは……。ごめんね! あたしはモスティマの味方なんだ!」

「エクシアさん!!!」

 

 エクシアは素早く遮光グラスを身に着ける。

 

「あっ……

 パシイイイン! キイイイイイイイイイン…………

 周辺を眩い光が包み込む。

 目と鼻の先で閃光を浴びたアーミヤは、たまらず地面にうずくまる。

 直撃は避けたとはいえ、しばらくの間は目を開けることができなかった。

 彼女の周囲に居たオペレーターたちも、アーミヤ同様に目頭を押さえていた。

 

 モスティマはその隙を見逃さなかった。

 

「…………ぉおおおお!!」

 

 疲弊した肉体に鞭を打ち、極限まで時間を止めて接近する。

 狙う先は、アーミヤの喉笛。彼女さえ人質に取れば形勢は逆転する。

 

 アーミヤが片目を開けて迎え撃つ。

 正真正銘の一騎打ちであった。

 

「ああああああああああああああああ!!!」

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 アーミヤが放った渾身のアーツは、わずかに狙いが逸れてモスティマの角を掠った。

 モスティマがアーミヤの喉を掴み、そのまま地面に組み伏せる。

 

 その瞬間、

 

 ドゴオオオオオオオオオン!!!!! 

 

 凄まじい轟音と共に、テキサスとラップランドが壁を破壊して登場した。

 その衝撃により、モスティマとアーミヤたちは対面の壁まで吹き飛ばされたのであった。

 

「テキサス! ドクターを回収したよ! 脱出しよう!」

 

 ラップランドがドクターを背負う。

 意識がない状態ではドクターのアーツは発動しないらしい。

 テキサスは頭を押さえるモスティマの姿を確認すると、別れを済ませたかのように走り去る。

 

 しかし、そんなことはアーミヤが許さなかった。

 

「……スカジさん!!」

 周囲を吹き飛ばすほどの風圧を発しながら、スカジがラップランドに迫る。

「悪く思わないで……」

 ズドン!! 

「ぐッ……! おおおおお!!」

 テキサスがラップランドとドクターを庇い、剣の鞘を身体で防ぐ。

 スカジはそんなこともお構いなしといったような感じで、テキサスごと鞘を上空にかち上げた。

 

「テキサス!! あぁ! ここまで来たのに!」

 スカジがラップランドに迫る。

 戦闘をこなよく愛する彼女と言えども、状況は撤退戦なのだ。

 ドクターを連れて搭乗ゲートから飛び降りるだけなのに、いくつもの障壁が彼女らの行く道を遮った。

 

 スカジが鞘を振り上げる。

「ここまでか!」とラップランドが目をつぶったその時、

 

 

『カランドの神よ! 聖なる鈴よ! 死にゆく彼女らに祝福を!!』

 

 スカジが振り下ろした鞘は、確かにラップランドの鎖骨に直撃した。

 本来ならば、鎖骨どころか半身が消し飛ばされても不思議ではないというのに、なぜか彼女は無傷だった。

 そして、外へと繋がるゲートの方角から、2本のワイヤーが飛んでくる。

 

「アレ? アレ!? 一体何が起こっているんだ!?」

 ラップランドとテキサスを縛り上げたワイヤーは、物凄い力で引っ張られていき、そのままロドスを脱出したのであった。

 

 ワイヤーに縛られた三人は、謎の車両の上に叩きつけられた。

「ぐっ……。何だ、なにが起こったんだ……」

 テキサスがスカジにえぐられた腹部を押さえながら問う。

 

「よ~し! 三人とも回収したよ! 無事とは言い難いけどね! 発進しちゃって!」

 車両の中から声がした。

「むぅ……。ブレーキペダルからアクセルペダルに踏みかえて、あっ動きました」

「エンヤ様! シートベルトをしてください!!」

 

 車両の横には、カランド貿易の刻印が入っていた。

 テキサスとラップランド。そしてドクターの三人を乗せた車両は、プラマニクスの下手くそな運転の下、魔窟ロドスから離れていくのであった。

 

 

 

「…………」

 アーミヤはその車両の様子を静かに見ていた。

「かなりマズい状況なのではないかしら? イェラグまで逃げ切られたらおしまいですわ」

 アズリウスが問いかける。

「……ロドス支部に検問をさせます。内容は新型感染症の検疫ということで」

 

「失敗してしまったわ……」

 スカジが謝罪する。

「まぁ、人には得意不得意がありますからね……。わたしはここ(搭乗ゲート)の惨状をケルシー先生に説明をしに行きます」

「狙撃オペレーターと特殊オペレーターの方々はドクターを乗せた車両の追跡をお願いします!」

「それ以外のオペレーターのみなさんは準備が完了次第ドクターの下へ向かってください!」

 

 アーミヤの指示を聞いたオペレーターたちが行動を再開する。

 ある者は武器を手に取り、ある者は車両の用意をした。

 

 その中に一人、アーミヤたちの行き先を遮る者が一人。

 

「『ドクターごっこ』というのはさぞ気持ちが良いことなのだろうな」

「……シルバーアッシュさん?」

 シルバーアッシュ。そう呼ばれた男は、静かに剣を鞘引いた。

 

「……我が盟友を救出した車両は、我々カランド貿易の所有物だ」

「汝らはドクターを奪取したい。私は汝らから盟友を保護したい」

「ならば話し合いなど無駄だ」

 

「私を打倒し、イェラグに到着するまでに車両を包囲できたら汝らの勝ちだ」

 

 しばらくして、アーミヤが口を開いた。

「……それは、わたしたちへの宣戦布告ということでよろしいですか?」

 その場に居たアーミヤ陣営のオペレーターたちが、二人の動向を窺っていた。

 

「言葉は無粋。押し通して見せよ」

「シルバーアッシュさんたちが裏切るなんて残念です」

 

「仲間になった憶えはない。無論、信頼したこともな」

「…………全員でシルバーアッシュさんを排除してください」

 

 

 

 テキサスとラップランドは、カランド貿易の助力によって、なんとかドクターの救出に成功した。

 しかし、ドクターの意識は戻らないままであった。

 

 ロドスでは、アーミヤ陣営のオペレーターたちと、カランド貿易の主宰が壮絶なる戦闘を繰り広げていた。

 

 アーミヤを打倒したモスティマであったが、テキサスたちの乱入により彼女の計画は灰燼に帰した。

 夢破れ、抜け殻となったモスティマは一人静かに研究棟へ向かった。

 

 

「モスティマか? その傷、一体何があった……」

「ふふ、ケルシー先生じゃないか……。少し、お話でもしない……?」

 



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逃亡者の目覚め(テキサス他)

タイトルの最後に各話のヒロインを記載しているのですが、今後はテキサス固定になります。


 彼は生まれながらにして将来が約束されていた。

 文学と芸術を愛し、主が何たるやを精神に刻み込まれてきた。

 両親に愛され、そして彼もまた二人の妹を愛した。

 

 事故が起きるまでは。

 

 その後の没落はあまりにも速かった。

 彼はカランドの古き神々よりも、現代科学の業を選んだ。

 

 復権のために、持てる全ての力を行使した。

 それが、愛した家族と袂を分かつことになろうとも。

 彼がドクターと波長が合うのは、その思考が似ているからであろうか。

 

 彼が三議会と衝突できるのは、貴族としての地位や企業の大きさが理由ではない。

 彼自身に、敵対しても蹂躙できる力があったからだ。

 

 ごく稀に、多対一でも戦場を制圧できる天才が現れる。

 彼もその一人であった。

 

【ロドス 搭乗ゲート】

 

 モスティマによって意識不明になったドクターは、テキサスとラップランドの手によって救出された。

 それを追わんとするアーミヤたちであったが、その行く手をカランド貿易のオペレーターたちが障害物として立ちはだかる。

 カランド貿易陣営はテキサスたちをイェラグまで護送しようと車両を走らせる。

 その間の時間稼ぎとして、シルバーアッシュは単騎でアーミヤたちの動きを食い止めていた。


 

「一つの場所に固まらないでください! 打尽にされます!」

 アーミヤが黒いアーツを射出しながら指示を出す。

 状況はシルバーアッシュが押しているようだ。

 

「自身の力に頼りすぎだ。いついかなるどんな状況においても臨機応変に対応して見せろ」

「(思考が読めない……! どうして!)」

 

 フロストリーフが前に飛び出る。

 シルバーアッシュとの一騎打ちを狙ったようだが、彼に斧が届く寸前で吹き飛ばされる。

「やはり近づけないか……!」

 シルバーアッシュは自身の足が地面と接着していることに気が付いた。

 フロストリーフが凍りつかせたのだ。

 

 瞬間的に彼の動きが止まる。

 その隙をオペレーターたちは見逃さなかった。

 スカジが瓦礫を打ち飛ばし、メイヤーがミーボを作動させる。

 誰もが勝利を確信したその時、

 

「……小癪な」

 銀色に輝く閃光が発生し、シルバーアッシュの半径5メートルを消し飛ばした。

「……アーミヤよ、私が今から何をするかが見えるか」

 アーミヤが叫ぶ。

「みなさん! 伏せてください!!」

 

「……真銀斬」

 

 

 ドオオオオオン……。

 

 遠くの方角。ロドスの方向から鋭い破壊音が轟いた。

 カランド貿易陣営に間一髪救出されたテキサスとラップランドは、車両の中で治療を受けていた。

「いやぁ~、すみませんね。僕たちに医療オペレーターがいなくて」

 テキサスがクーリエから添え木と包帯を受け取る。

 どうやらスカジからもらった一撃が鈍く痛覚を刺激するようだ。

 

「おぉ~、やってるやってる。やっぱり真銀斬は凄まじいね。アーミヤちゃんに同情しちゃうよ」

 クリフハートが双眼鏡を覗き、小さくなっていくロドスを見ていた。

「彼は、置いて来てもよかったのか……?」

 テキサスの質問に、クリフハートは笑いながら答える。

「大丈夫だよ。お兄ちゃんが残るって言ったんだ。三人で作戦を考えたんだよ? 昔みたいにね……」

 

 最初に異常に気付いたのはプラマニクスだった。

 しかし、一人ではどうすることもできないと察した彼女は、絶縁した兄に助力を求めた。

 その行為がどれほど彼女のプライドを傷つけたか。

 それでも兄に助力を求めたのは、他でもないドクターを助けたいという想いがあったからだ。

 

 一方、プラマニクスのバフによって致命傷を避けたラップランドはと言うと、

「うぅ……。吐きそう……。もうちょっと丁寧に運転できるかな……」

 車酔いで横になっていた。

 

 車両の上で警戒態勢を取っていたマッターホルンが、運転席に座るプラマニクスに話しかける。

「エンヤ様! 急ブレーキはお控えください! あとシートベルトをしてください!」

 クーリエが同調する。

「そうですよ! ホントに免許持ってるんですか!?」

「むぅ……。巫女になる前に勉強しましたのでご安心を」

 

「まぁ、筆記試験で落ちましたが……」

 

 車内に居た全員が絶句する。

 口笛を吹きながらハンドルを握るプラマニクスは、どこか楽し気な様子だった。

 

「このまま検問所を突破します。後始末はお兄様が何とかしてくれるでしょう」

「はぁ……。また変な出費が増えていく……」

 

 マッターホルンがため息をつく。

 その瞬間、車両の後方にバリスタ弾のような矢が撃ち込まれる。

 

 ガギイイイイン!! 

 

 車両が揺れる。

 クリフハートが大声で警戒を呼び掛ける。

「敵襲! ……ッ!! しゃがんで!!」

 

 クリフハートの声に、ラップランドが身を起こす。

 巨大な矢が車両の装甲を貫き、ラップランドの踵を掠めた。

 プラマニクスが豪快にハンドルを切る。

 ギリリリ!! とタイヤが煙を上げる。

 テキサスは車の上にパッと移動した。

 

「これは、ロサさんの矢ですよ! 被弾したら死にます!!」

「死ぬだと!? うおおっ!?」

 

 盾を構え、運転席を守っていたマッターホルンが矢の衝撃でのけぞる。

 堅牢な盾には亀裂が入っていた。

 

「ロサちゃんだけじゃない! 狙撃手たちが追いかけてくる! どうしよう!?」

 飛来する矢や弾丸をワイヤーで撃ち落としながら、クリフハートが問う。

「ガソリンタンクを抜かれたら全員爆死ですよ!? うわぁ!?」

 クーリエの横のガラスに、蜘蛛の巣のような模様が刻まれる。

 防弾ガラスでなかったらクーリエの頭は蜂の巣になっていたことだろう。

 

 テキサスはそろりと車の下を覗き見た。

 一台のバイクが車両に並走する。

 そのバイクの運転手は、羽でも生えているかのように飛翔すると、車両の上に飛び乗った。

 

「……やぁ、久しぶり! 元気にしてた?」

 テキサスが歯を軋ませる。

「エクシア……! なぜ……

 

 エクシアはテキサスが言葉を言い終える前に、背に隠していた銃を発砲する。

 マッターホルンがテキサスの前に出る。

「危険です! お下がりください!」

 盾に弾かれ、軌道が逸れた弾丸は車両の天井に穴を開けた。

 

「アレだよ。方向性の違いってやつかな? リーダーを返してくれたらあたしたちは撤退するよ?」

「断る!」

 テキサスが叫ぶ。

 何の前触れもなく、エクシアの下から剣の切っ先が現れる。ラップランドが下から突き刺したのだ。

「あっぶな! よ~し、お互い恨みっこなしだからね!」

 

 エクシアの光輪と羽が光り輝く。背中に背負っていた袋の中にあった銃火器が宙に躍り出る。

 守護銃を持っているサンクタだけが使用できる奥義。

 耳をつんざくような音を発生させながら、不安定な車両の上で狙いを定める。

 

「掴まって! 振り落とすよ!」

 ラップランドが、車両の天井に開いた小さな穴に金属の棒を強引に差し込む。

 テキサスとマッターホルンは、ラップランドの言った通りにその棒にしがみつく。

「かなり揺れますよ……」

 プラマニクスは、左に切ったハンドルを一気に右に回した。

 車内がミキサーのようにぐちゃぐちゃになる。

 

「うわあ!? ヤバいかも!!」

 エクシアは慣性に引っ張られ、そのまま車両の上から落下する。

 その途中、テキサスは彼女に手を伸ばした。「こちら側に来い」という意味を込めて。

 しかし、エクシアはテキサスの目を見つめたまま、伸ばされた手を払った。

「エクシア!」

 マッターホルンが呼びかける。

「テキサスさん! 上は危険です! 車内に退避しましょう!!」

 

 荒野を走るカランド貿易の車両の後方には、おびただしい数の装甲車やバイクの姿が見えた。

 シルバーアッシュの猛攻をすり抜けて来た者たちだった。

「アレ、全部そうなの……?」

「相手は複数。そして飛び道具持ち。アハハ! 最高だねぇ!?」

 テキサスは車の中で顔を抑えていた。

「(これほどの速度の車から落下したら、無事では済まないだろう……。エクシア……)」

 クーリエが窓の外を見る。そして、一台の車がこちらに接近しているのに気付いた。

 

 ガシャアアアアン!!! 

 

 ロドスの装甲車がカーチェイスを仕掛けてきたのだ。

「くっ……! 車の馬力が違い過ぎますね……!!」

 プラマニクスが苦悶の表情でハンドルを追突してきた車の方向に切る。

「ちょっと始末してきます! それまで耐えてください!!」

 クーリエが相手の装甲車に飛び移る。

 

 後方からもたくさんの弾丸が飛来していた。

 進む先は前方しか残っていなかった。

 

 装甲車の後部座席の窓が開き、恐ろしい攻城兵器の砲身が姿を見せた。

 ロサの銃であった。

 

「……避けてくださいね。あまり人は殺したくありませんの」

 ロサが銃の引き金を容赦なく引く。

 バギイイイイン!! ガキン!!! 

 銃口から射出された矢は、プラマニクスの束ねた髪の一房を消し飛ばし、ハンドルに突き刺さる。

「むぅ……! ハンドルが固定されました……! 直進しかできません!!」

 

「この! しつこい人はモテませんよ!!」

 クーリエが装甲車の荷台で戦闘を繰り広げる。

「……光あれ!」

 パッと広がった光がクーリエの視界を遮る。

 その隙に女性がクーリエの足を払った。

 体勢を崩したクーリエは、不安定な状態のまま倒れ込む。

「マズい……!」

 クーリエは自身の鼻先に女性の靴が迫っていることを確認した。

 戦闘不能を覚悟した時、

 

「おりゃあああああ!!!」

 バシュン!! カキン!! 

 クリフハートが装甲車のハンドルにワイヤーを引っかけたのだ。

 思うような操作を行うことができなくなった装甲車は、ドクターを護送する車同様フラついた動きを繰り返す。

 それにより、クーリエを仕留めようとしていた女性は体勢を崩し、彼と同じように倒れ込んだ。

 

 ラップランドが大声を上げる。

「もうすぐで道が狭くなる! あの装甲車を横転させれば追手は来れないはずだ!!」

 クリフハートがそれに呼応したように、

「みんな! ワイヤーを引っ張って! ここが正念場だよ!!」

 

 装甲車に乗車していたロサが、

「いけませんわ! 私たちを横転させて障害物にするつもりよ!」

 運転席に座っていたナイチンゲールが、

「こちらもロサさんの矢を引っ張りましょう。逆に横転させてしまえばいいのですよ」

 レッドがロサの矢にロープを引っかける。

「ナイチンゲール、車の運転、苦手なの……?」

「いえ、そもそも免許を所持していませんので」

 装甲車に乗車していた者たちはいつでも脱出できるように準備を整えるのであった。

 

 並走する車は、お互いのハンドルの主導権を握ろうと奮闘していた。

 プラマニクスとナイチンゲールはハンドルを抑え、その他の者たちは相手のハンドルを破壊しようとロープを引っ張っていた。

 

「オーエス!! オーエス!!」

 クリフハートが掛け声を出す。

「テキサス! サボってないかい!?」

「黙れ! 口を開くより手を動かせ!!」

 プラマニクスが再度苦悶の表情を浮かべる。

「むぐぐ……! これは長く持ちませんよ……!!」

 

 ドクターを巡る綱引きは、ロドス陣営の方に軍配が向いていた。

 

「ロサ、身長、高い……。レッド、前が見えない……」

「あら、申し訳ございません。レッドさんは前に出た方が良いかも知れませんね」

 ロサとレッドが場所を代わる。

 それは偶然にもテキサスとラップランドにレッドの姿を見せることとなり、意図せず二人のループスを弱体化させることに繋がった。

 

 クーリエが装甲車の荷台から帰還する。

 ワイヤーを最後尾で引っ張っていたマッターホルンが喋る。

「無事だったか! 早く加勢してくれ!!」

「向こうにニアールさんとナイチンゲールさんが居ます! バフをかけてるんですよ!!」

 

 それは単純な力比べでは勝てないということを意味する報告であった。

 相手は少女が三人。

 対するこちらには屈強な男が二人と、猛者が二人。

 

 勝負が拮抗しているのは相手に補助役が二人もいたからだった。

 

「エンヤ様! 聖鈴を鳴らしてください!!」

 プラマニクスが首を横に振り、

「ぐぎぎぎ……。今は、無理……」

 とても清廉なる巫女とは思えない表情で答えた。

 テキサスは自身の手が震えていることに気が付いた。

 ワイヤーを握りしめていたことによる筋肉疲労ではない。ループスの遺伝子に刻まれた本能の警告であった。

 

「ラップランド……」

「うん、分かってる。アイツ(レッド)がいるんでしょ? さっきから体の震えが止まらないよ!」

 テキサスが震える声で、

「その、すまない……。手の力が、入らない……」

 

 テキサス一人分の力を失ったことにより、ハンドルを抑えていたプラマニクスの負担が増加する。

 ミシミシと音を立ててプラマニクスの体勢が傾いていく。

 ハンドルを奪われてしまえば、たちまち車両は操作不能になり、そのまま横転してしまうことだろう。

 クーリエもマッターホルンも、車内にいた全員が作戦の失敗を覚悟した時、フラつくテキサスの体を一人の男が支えた。

 

「……握る手は利き手が前だ。プラマニクス、速さを調節して相手と並走しろ」

 後方からの攻撃を防いでいたクリフハートが叫ぶ。

「ドクター!! 無事なの!?」

「なんとかな……。二日酔いで遊園地に行った気分だ……」

「状況はよく分からんが、とりあえずこのワイヤーを引っ張ればいいんだろう!?」

 

 ドクターがテキサスの手の上からワイヤーを握る。

 その瞬間、マッターホルンたちは腹の底から漲るパワーが込み上げてくるのを実感した。

 テキサスとラップランドは、ドクターのアーツが周囲の人物の身体能力を向上させる特性があるということを理解した。

 

 余裕ができたプラマニクスが鈴を掲げる。

「カランドの古き神々よ! 汝らに力を! 知恵を! 祝福を!!」

 クリフハートが再び号令をかける。

「よ~し! 今から形勢逆転するよ! それぇ!!」

 一度引っ張るごとに、ロドスの装甲車がぐらりと揺れる。

 向こうのオペレーターたちの焦る声が聞こえた。

 

 

 ロープを引っ張っていたニアールが声を発する。

「なんだ!? 引っ張る力が強くなったぞ!」

「ロサ、タイヤを抜いて……! このままだと、逃げられる……!」

 ロサが物騒な矢を装填する。

 カランド陣営の車両に銃口を向けた瞬間、

 

「ロサああああ!! 誰に銃口向けてんだあああああ!!!」

「ひいいぃぃぃ!! ごめんなさいぃぃぃぃぃ!!」

 

「ロサ、はやく撃って……! このままだと、レッドたちが負ける……!」

「でも、ドクターに直撃したら……!!」

 

 プラマニクスが運転席から声を上げる。

「狭い道に入ります! この先の検問所を抜けたらイェラグの領域です!!」

 クリフハートが叫ぶ。

「いっけえええええ!!!」

 

「ロサ! 早く撃て!! ハンドルが運転席ごと持っていかれるぞ!!」

「ロサ……! 時間がない……!!」

「でも! でも! 向こうにはドクターがああああああ!!!!」

 

 バキイイイイイン!!! 

 パキパキ、ビシビシビシ!! ドガシャアアアアアア!!!!! 

 

 ナイチンゲールが押さえていたハンドルがメーターパネルごともぎ取れる。

 きれいな放物線を描いて地に落ちたソレは、瞬く間に後方の車両のタイヤに踏み砕かれた。

 

「やったああああああ!! 逃げ切れたよ! みんな!!」

 クリフハートが、ピョンピョンと飛び跳ねて歓喜する。

 プラマニクスはここぞとばかりにアクセルをべた踏みした。

 カランド貿易の車両は、他の車両との距離を一方的に離すのであった。

 

 そして、制御不能となったロドスの装甲車両は横転し、狭い道の入り口を閉ざす新たな検問所となった。

 その検問所を突破できたのは、その先を走っていたカランド貿易の車両だけだった。

 

 

【ロドス 搭乗ゲート】

 

 アーミヤが肩で呼吸をする。

 何を考えているかを理解できた所で、彼女自身の身体能力が相手を上回っていなければ意味がないのだ。

 モスティマ相手に余裕の表情を浮かべていたアーミヤの姿はなく、額から汗を垂らした少女の姿がそこにはあった。

 

 ならばシルバーアッシュの状態は余裕綽々かと言われれば、そういうわけでもなかった。

 一人戦闘不能にしたところで、更に次のオペレーターが現れ、的確に攻撃してくるわけだ。

 むしろ単純火力だけでアーミヤを追い詰めることができたという点が異常だったのだ。

 

「もうやめておいた方が身のためだ。これ以上は命の危機だ」

 シージが警告する。

「アーツ切れを宣告してしまったのが貴様の落ち度だな。こんな男がドクターの盟友を名乗るなど……」

 サリアが盾を下ろした。

 すなわち勝利を確信したのだ。

 

 しかしシルバーアッシュは依然として立ったままであった。

 膝をつくという行為は敗者にしか許されない動作だということを彼は理解していた。

 そして、静かに彼は口を開く。

 

「……アーミヤよ。未来ある少女の汝に、年長者である私から戦略というものを教えよう」

「自身の必殺技や、特殊能力を明かすことの利点は、相手に牽制をすることが出来るという点だ」

「しかし、生命の奪い合いにおいては牽制など何の意味も持たない」

 

 アーミヤたちは静かに彼の言葉を聞いていた。

 満身創痍の彼に、今更できることなど無いと思っていたからだ。

 

「……ならば、それが正しい情報である必要など、ない」

「まさか引っかかるとは思っていなかったが、まるで経験が足りないな」

「私のアーツが枯渇したというのは嘘だ。そもそも、私はアーツを使用していない」

 

 サリアがたまらず前に出る。

「貴様は真銀斬を放ったはずだ!」

 シルバーアッシュが不敵に笑う。

「あれは真銀斬ではない。ただの強撃だ」

 

 アーミヤたちが防御の体勢を取る。

 シルバーアッシュが剣を構え、

「私は今から真銀斬を放つ。横に一回、一度だけだ」

「受け止めきれる自信のない者は10メートル圏外にいろ」

「……警告はしたぞ。絶対に避けろ」

 

 サリアを含めた重装オペレーターたちが叫ぶ。

「伏せろおおおおお!!!」

 

「真銀斬!!」

 

 キイイイイイイイイイン…………。

 

 全ての光景がゆっくりに見えた。

 キラリと光る銀色の風が、サリアの堅牢なる盾に一筋の切れ込み線を走らせた。

 とてつもない風圧が発生し、しゃがんだ者たちの体を浮かせる。

 衝撃波の後に、遅れて轟音が響いた。

 アーミヤは、その剣筋を捉えることすら出来なかった。

 

「ぐッ……。予想はしていたが、まさかここまでとはな……」

 サリアが痺れる手を無理やり動かして盾を構える。

 と、その後方から一人の女性が現れた。

 

「いやぁ~、凄まじいな。こりゃあアーミヤが腰を抜かすのも仕方がねぇっての」

 シルバーアッシュが女性を睨む。

 真銀斬を盾受けして、それでいてあくびをする者など出会ったことがなかったからだ。

「あっ、私は二ェンって言うんだけどよ、よろしく頼むぜ」

「……本当に人間か?」

 シルバーアッシュが半歩下がる。

 そして、二ェンが盾を前に出して答えた。

 

「その質問にゃあ回答しかねるなぁ」

「とにかく、私はオメーに勝てる自身がある。ホレ、もう一発撃ってみろよ。真なんとかを」

 

 シルバーアッシュが挑発に乗る。

 強者特有の、自分より強い者と戦いたいという欲求故の行動であった。

「真銀斬!!」

 パキパキパキ……。ズドオオオオオ!!!! 

「へぇ! 大気を凍らして衝撃波を乗せてんのか! ぐッ……、重てぇなぁ!!」

 バシイイイン……!! 

 二ェンが真銀斬を弾き返した。

 シルバーアッシュが眉間にシワを寄せる。

 

「ソレ、真銀斬って言うのか? 良い『ねーみんぐせんす』してんじゃねぇか」

「やべぇみたいな顔してるな?」

「実はよ、私は盾で受けた攻撃を溜めて返すことができるんだよ」

「溜めてる間は敵をぶん殴れねぇから、ドクターからは不評だったんだけどよ……」

「オメーの首持ってけばドクターも喜んでくれるかなぁ!」

「あっ、言い忘れてたけど、私は3回まで攻撃無効化できるから、もう一回真銀斬撃ってもいいぜ?」

 

「まぁ、私がパクった真銀斬に耐えれたらだけどな!!」

「よいしょおおおおお!!!」

 ドゴオオオオオオオオオオオオ!!!!! 

 風情も矜持も感じられない、ただ真銀斬の威力だけをコピーした衝撃波。

 美しさの欠片もないその波動は、シルバーアッシュの体を押し潰さんとしていた。

 

「ぐッ……! うおおおおおおおおおおお!!」

 バシイイイイン!!! 

 シルバーアッシュは剣を犠牲に衝撃波を消し飛ばした。

 二ェンが関心したかのように拍手を送る。

 アーミヤたちは静かにその流れを見守ることしか出来なかった。

 

「へぇ~、アレを弾くなんてオメーも人間じゃねぇのか?そら、約束通り撃っていいぞ」

「おん? どうかしたのか?」

 

 シルバーアッシュは何も喋らなかった。

 彼は、ここではないどこか遠くで、心を預ける友が覚醒したのを確かに感じた。

 部下たちは、妹たちは成し遂げたのだと。

 時間稼ぎの意味も無くなった。緊張の張りがほどけたのか、疲労が蓄積していた彼は、そのまま意識を失った。

 カランドの主らしく、立ったままの姿で。

 

「ほ~ん、なかなかカッコイイ負け方すんだなぁ」

「年長者として教えてやるが、『先んずれば人を制す』ってのは、ありゃ嘘っぱちだからな」

 

 

【検問所付近 カランド陣営】

 

 狭い道に進入したことにより、アーミヤ陣営の追手の追跡を撒くことが出来た。

 車内では、壮絶なる戦闘を終えた者たちが横になって休んでいた。

 プラマニクスはクーリエと運転を代わり、ドクターにもたれかかっていた。

 

 テキサスが皆にドクターのアーツに関する仮説を提唱する。

「まぁ、単純に言ってしまえば、ドクターの付近に居る人は問答無用で信頼するようになる」

 マッターホルンが険しい表情で聞く。

「それは、何とも厄介なアーツですね……。治療法とかはないのでしょうか?」

「う~ん、用はアーツが使えなくなったら良いんでしょ?」

 ラップランドがクリフハートの疑問に答える。

「そういうことになるね! アーツを活性化させる機械があるなら、無効化させる機械もあるはずだよね?」

 目をつぶったプラマニクスが答える。

「……確かに存在していますね。民間用ではなく軍事用ですが」

「エンヤ様。つまらぬことをお聞きしますが、そのお値段は……?」

 

「1億龍門幣。ちなみにオークションでの最低落札金額です」

 車内にいた者たちが静まり返る。

 そして、全員がドクターの顔を見た。「買え」と言わんばかりの表情をして。

 

「無理だ……」

 テキサスがポツリと言葉を漏らす。

「12年分か……」

「言うな! ってか何で私の年収を把握してるんだよ!」

 

 車を運転していたクーリエが忠告をする。

「ドクター、いくらモテるからって女性からお金を集めるなんてことしちゃダメですよ?」

「そんなクズに見えるか!?」

 ドクターが周囲をキョロキョロと見回す。

 しかし、誰も視線を合わせようとしなかった。

「えっ……。見えるの……?」

 

 テキサスは、ドクターが元に戻ったという事実に笑顔になった。

 そして、こっそりとドクターの手に自身の手を重ねようとしたが……。

「テキサス? 何しようとしてるの?」

 ニヤニヤとした笑みを浮かべたラップランドに阻止された。

「……何のことを言っているんだ?」

「ふ~ん? ホントかなぁ~?」

 

 運転席から声がした。

 どうやら目的地に到着するらしい。

「みなさん、もうすぐ検問所ですよ? まぁ、エンヤ様とエンシア様がいらっしゃるので、止められることはないと思いますが……」

「アレ? 誰かいるよ? 止まった方がいいんじゃない?」

 クーリエの言葉の後に、クリフハートが何かを発見した。

 

 彼女の言葉の通り、検問所に続く一本道の途中に、一人静かに佇む男性の姿があった。

 それは、道に迷ったというにはあまりにも不自然すぎた。

 顔面が確認できる距離まで接近した時、突然ドクターが言葉を発する。

「……ッ! そのまま撥ねろ!!」

「ええ!? 本気ですか!?」

 直立していた男が、外套を翻して巨大な剣の姿を露わにした。

「あの男は、へラグ将軍だ!! 轢いたくらいで倒れる人間じゃない!!」

 

 クーリエは歯を食いしばり、アクセルを踏んだ。

 車はみるみるうちに加速していく。先程の戦闘でかなりのダメージを受けたため、車両のあちこちから変な音が聞こえてきた。

 タイヤが地面を擦りつける。

 

 マッターホルンが何かに気づいたのか、大きな声を出した。

「全員! 車の中央を空けろ!!」

『…………』

 

「!? アレっ!? いない!! 確かにへラグさんとぶつかりましたよ!?」

 クーリエが助手席を見る。しかし、そこには、あるはずの助手席がなくなっていた。

 その代わりに涼しい風が頬に当たるのであった。

「あっ、これは、かなりマズいかも知れませんね!!」

 次第に車が傾いていく。

 そして、数メートルも進まない内に、カランド貿易の車両は砂埃を立ち上げながら横転するのであった。

 

 へラグは車に轢かれる手前、振り上げた剣で一刀両断したのだ。

 そして、へラグに接触することなく縦に真っ二つになり、ドクターたちは強制的にへラグと対峙することとなった。

 

「うぅ……。みなさん! 無事ですか!? あっ……!」

 クーリエがズキズキと痛む頭を押さえて顔を上げる。

 しかし、目の前にあったのは後部座席に座っていたテキサスとラップランドの姿ではなく、へラグの剣だった。

「…………」

「……何か喋ったらどうですか!!」

 キイン!! 

 クーリエが腰から得物を抜き、へラグの剣を弾く。

 目にも止まらぬ速さで斬撃を繰り出すクーリエであったが、へラグは寸前で回避するだけで何の攻撃もしてこなかった。

「……少し動きが大雑把すぎるな」

「なにッ!?」

 パシ……

 へラグがクーリエの手を叩き、得物を地面に落とさせる。

 そして、上から足で踏むことによって、クーリエが回収できないようにした。

 

 クーリエが繰り出したパンチやハイキックも、ことごとく受け流されてしまう。

 戦闘経験の差もあるだろうが、それ以上に『タイマンでは無敵』という前衛オペレーターとしての特徴があった。

 ドクターとマッターホルンは、シルバーアッシュ家の令嬢たちを運び出す。

 そして、彼らはクーリエが時間を稼いでいる間にテキサスたちと合流するのであった。

 

「検問所には人が居ないらしい。へラグが最後の障壁というわけだ」

 プラマニクスが口を開く。

「ドクターは先に行ってください」

「……へラグ将軍と戦うつもりか?」

 マッターホルンが頷き、

「有事の際にはテキサスさんとラップランドさんに任せるという計画ですので……」

「…………」

 ラップランドが立ち上がり、剣を抜く。

「ボクはここに残るよ。文句は言わないでね」

「ラップランドさん! お気持ちだけで十分です! 検問所の先が安全という保証はできません! ドクターの護衛をお願いします!」

 テキサスも立ち上がり、

「我々だけで逃げるわけにはいかない。全員で戦うか、逃げるかのどちらかだ」

 

 しかし、テキサスの熱い視線とは裏腹に、ラップランドは冷たい目をしてテキサスを見た。

「ボクが残るって言ったのは将軍サマと戦いたいからだよ。テキサスは足手まといだから先に行ってて」

「……なんだと?」

「いいから、『ここは任せて先に行け!』ってやつさ……」

 

 クリフハートはテキサスに一本の剣を渡した。

 とても職人の業物とは言えない、大量生産品の武器。

 しかし、込められた皆の想いがその剣に付加価値を付けていた。

 

「……恩に着る」

「ボクたちは殺されないけど、検問所の先はロドスの管轄外だからね? 精々気を付けてね」

「フッ……。お互いの引導はお互いが渡すからな……」

「アハハ! その通りだね!」

 

 テキサスは検問所の先を目指した。

 ドクターはラップランドに会釈をすると、二度と振り返ることはなかった。

 その姿を見ていたプラマニクスは、

「……結構あっさりとした別れなのですね」

「アハハ! 別れを惜しむってことはね、二度と会わないって宣言するのと同じなのさ」

「むぅ……。青春ってやつですか……」

 

「ぐあああッ!!」

 プラマニクスの足元に、吹き飛ばされたクーリエが落ちてくる。

 問題の種であるへラグが、ゆっくりとした口調で話かけてきた。

「これ以上ドクターに遠くに行かれるとネオンに怒られてしまうのでね。先に行かせてほしいのだが……」

 

 それを拒否するように、ラップランドが前に出る。

「どこかで見たんだけどさ、将軍サマって戦闘技術が『卓越』なんだって?」

「実はボクも『卓越』なんだよね……」

 

「っていうことで、おじさん。ボクと楽しいこと……しない?」

 

 ラップランドの目が鋭く光った。

 カランド貿易のオペレーターたちは初めて見るであろう、ラップランドの本気。

 強者を自称する者が二人。どちらも引けを取らない天才であった。

 

 観客はたったの四人。

 しかし、その戦闘の凄まじさを語るには十分すぎる人数であった。

 

 

 

 検問所を抜け、イェラグの、古き神々の領域に踏み込んだテキサスとドクター。

 豆粒ほどの大きさになった検問所の向こう側から、ラップランドとへラグが戦う音が聞こえて来た。

「こんなに離れているのに聞こえるぞ……」

「……始まったのか。ラップランドは何でも力で捻じ伏せようとするからな」

 

 後方から大きな音を立ててバイクが近づいてきた。

 あまりにも堂々とした登場のため、二人は何の警戒もしていなかった。

 やがて、テキサスの前にバイクを停めると、その操縦者はイカしたデザインのヘルメットを外した。

 

「よっす! 久しぶり! 元気にしてたかい?」

「エクシア…………!」

 テキサスとドクターが身構える。

 しかし、エクシアは焦った素振りを見せると、背中のバッグから何かを取り出した。

「はいコレ。テキサスの物でしょ? 落ちてたから返却するね」

 そう言って渡されたのは、普段腰に携えていた源石剣であった。

「ドクターにはコレあげるね!」

 ドクターが渡されたのは小さなアップルパイが包まれた小包だった。

 

「いやぁ~、検問所の前でショーグンとラップランドがマジバトルしてるんだもん! 他の道探すの大変だったんだから!」

「それにしても、車の上から放り出された時は流石に終わったかと思ったね!」

「茂みに落下してなかったらヤバかったかもね……」

 

 そう言いながら何かゴソゴソと支度をするエクシア。

 最初の方は対して気にもならなかったのだが、機関銃を組み立て始めた頃からテキサスは戦闘体勢を取った。

 

「……何が目的だ」

 エクシアが振り返る。

「何が目的って……。ドクターを返してほしいだけなんだけどな~?」

「モスティマが待ってるんだ。実は住む場所なんかも決めてあったりするんだよね」

 

「ラップランドは『先に行け』って言ったみたいだけど、あたしは逆」

「この先には行かせられない。検問官はこのエクシアさんだよ」

「通行証は、あたしの返り血さ! 手加減しないからね!!」

 

 エクシアが臨戦態勢を取る。それも敵を殲滅する際の構え。

 いわゆる『オーバーロード』と呼ばれるものだった。

 

 それに呼応したかのように、テキサスが剣を抜く。

 自身の得物である源石剣と、皆の想いが込められた安物の剣。

 テキサスの瞳には、先への道のりしか写っていなかった。

 

 ドクターも第三勢力として参戦しようとするが、

「「ドクターは見ていて!! (いろ!!)」」

 という二人のハモりに黙ることしか出来なかった。

 

 

 最後に立っていた方が勝者。

 テキサスとエクシアは、古来より続くその理論の下で武力と武力をぶつけ合うのであった。

 決してその方法がアダクリス式だなんて、口が裂けても言ってはならないのだ。



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亡命者の旅路

 冷たい風が吹きすさぶ。

 遠くには銀雪を冠した山脈が見えた。

 

 人の姿が見えない道に、それぞれの理想の為に戦う者が二人。

 テキサスとエクシアだった。

 

「……そこッ!!」

 ダダダダダダダツ!!!! 

 エクシアが一切の躊躇なく引き金を引く。

 熱を帯びた薬莢が排出され、固い地面に落ちていく。

「遅い!」

 キキキキキキキキキン!!! 

 テキサスはエクシアの銃から放たれた弾丸を剣で撃ち落とす。

 目にも止まらぬその剣筋は、振るうごとに砂煙を巻き上げた。

 

「銃は剣よりも強いんだよッ!!」

 エクシアが背負っていた銃剣と入れ替える。

 

 煙幕のような砂塵から、テキサスがパッと姿を現す。

「絶対に来ると思った!!」

 ガアン!! 

 エクシアが銃剣を発砲する。

「…………ッ!!」

 テキサスは前傾姿勢で走り込み、寸での所で弾丸はテキサスの髪を撃ち抜いた。

 

「……フッ!!」

「あっぶなぁ!?」

 テキサスが縦に一撃、エクシアに剣を振り上げる。

 エクシアは銃剣の先端で受け止める。

 

 辺り一帯に金属音が響く。

 本職は狙撃手のエクシアであったが、それなりには近接武器も扱えるようだった。

 銃火器の強みは、遠距離から一方的に攻撃することが出来るという点だ。

 しかし、その距離も相手に詰められてしまえば、本領を発揮することなく淘汰されてしまう。

 

 音速を超える弾丸を斬ることができるテキサスは、エクシアにとってはかなり戦いづらい相手だった。

 

「まさか刃物が使えるとはな……」

「あたしだって、いっぱい勉強しているのさ!」

 エクシアがテキサスの足を踏む。

 次の攻撃に繋がる一歩が封じられたことにより、テキサスは後方によろめく。

「甘いよッ!」

 エクシアがテキサスの腹部を狙って銃剣を突きあげる。

 

「……甘いな」

 バキイイ!! 

「ぐええぇぇッ!?」

 テキサスがエクシアを殴り飛ばす。

 そのはずみで、テキサスの腹部に刺さった銃剣が引っこ抜ける。

 エクシアが理解できないというような表情で頬を押さえる。

 

「えっ!? 確かに刺さって、どういうこと!?」

 テキサスが服の下から添え木を取り出す。

「まさか応急処置がこれほど役に立つとはな……。クーリエに感謝しなければ」

 それは、スカジから受けた攻撃の治療に使用した添え木と包帯だった。

 添え木には一本の亀裂が入っており、地面に落下すると同時に真っ二つに割れた。

 

「いったぁ……。痕になったらどうするつもり?」

「もう一発殴れば元に戻るかも知れない」

 テキサスが剣を構えて走り寄る。

「……隙だらけだね!」

 パアン!! 

 エクシアはテキサスの両足が地面から離れたのを確認すると、腰のホルダーのピストルを発砲した。

「小癪な……!」

 パキイン!! 

 テキサスはそれすら予測済みと言わんばかりに、切っ先で弾丸を斬る。

 しかし、エクシアは不敵に笑うのであった。

 

「リーダー! 危ない!!」

 テキサスがドクターの方を向く。

「……!? どうかしたのか!?」

 問題のドクターはバイクの影に隠れていた。

 特に目立った危険は迫っていなかった。

「とりゃあああ!!」

「ぐぅッ!!」

 視界外からの攻撃に、テキサスは受け身を取ることが精一杯であった。

 エクシアが武器を捨て、テキサスの腰にタックルを仕掛けたのだ。

 

 銃の弱みは、敵に懐に入られたら何も出来なくなるという事なのだが、それは剣にも言える事だった。

 二人は武器を手から放し、ゴロゴロと転がりながら握り拳を交わし合った。

 

「ドクターを囮に使ったな……!」

「ごめんね! 絶対に引っかかるって思ったからさ!」

 テキサスがエクシアの上に乗り、鼻をパンチしようとする。

 しかし、直撃する瞬間にエクシアが首を曲げ、テキサスは地面を殴ることとなった。

「避けるなぁ!!」

「避けなきゃ痛いでしょ!?」

 

 今度はエクシアがテキサスの上に乗る。

 その様子は、ペンギン急便のアジトにてよく見られた光景であった。

 二人がソファーでじゃれ合い、ソラが乱入し、クロワッサンが夕食を作る。

 

 違う点があるとするならば、お互いが明確な敵対意識を持っていたという点だろうか。

 

「形勢逆転だね!」

「……殴ってみろ!」

 エクシアがテキサスの鼻をめがけて拳を振るう。

 ゴシャアア!! 

「いっだああああああ!!!」

 しかし、テキサスがエクシアの拳に頭突きを返した。

 明らかに人体から発してはいけない音が響く。

 

 エクシアが手を押さえてのたうち回る。

 その隙にテキサスは地面に落ちている自身の剣を拾いに走った。

 

「(武器さえあれば……!)」

「くっ……! させないよ!」

 パアン!! 

 剣に手を伸ばしたその時、エクシアが発砲し、テキサスの右腕を掠めた。

「ぐぅッ……! 本気か……!!」

 

 エクシアがあらぬ方向に曲がった指でテキサスを指す。

「私は本気だよ……! 自分だって殺してみせるさ……!」

「まさか痛めつければ引いてくれるだなんて思ってないだろうね……!!」

「私は覚悟を決めた上でここに立っているんだ!」

「片手の一つや二つ、いくらでもくれてやるさ!!」

 

 エクシアの光輪と羽が光り輝く。

 遠くに四散していた銃たちが宙に浮き、エクシアの後方に集合する。

 テキサスは察した。彼女はここで勝負を決するつもりだと。

 

「……テキサス、今までありがとね」

 キイイイイイン…………。

 ガガガガガガガガガ!!!!!! 

 

 模擬戦で使用するゴム弾ではない。一発当たれば致命傷の弾丸が数千発。

 どれもテキサスの正中線を狙って発射された。

「おおおおおおお!!!」

 キイイイイイン!!! 

 ズドドドドドドド!!! 

 テキサスはこの日、初めてアーツを使用した。

 数多の輝く剣が天から降り注ぐ。

 その剣は雨のように流れ、エクシアが放つ弾丸の雨と交差した。

 

『剣雨』と『オーバーロード』。

 どちらも二人の切り札であった。

 それ即ち、この攻防をしのいだ方が勝者ということだった。

 

 大地は削れ、草木は塵となり、蒸発した大気が周囲を包む。

 二人の体力は枯渇していた。

 一生分の覇気を出したような気分だった。テキサスとエクシアは前のめりに倒れる。

 結果は、両名の相打ちに思えた。

 しかし、

 

「ぐッ……! ぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」

「ぅらああああああああああああああああああ!!!」

 

 地面に膝がつく瞬間、二人は同時に足を前に出した。

 そして、殺気に満ちた表情で二人は走り寄るのであった。

 

「おおおおおおお!!」

 バキイイ! 

「ぐぁああ!」

 

「うらぁあああ!!」

 ゴキイ!! 

「ぐぅッ……!」

 

 素手で殴り合うテキサスとエクシア。

 その様子は戦闘と呼べるものではなかった。

 全身に砂埃を纏い、血を吐きながらお互いを掴みあう二人の姿に、ドクターがたまらず仲裁に入る。

 

「もうやめろ! 後遺症が残るぞ!」

 

 その言葉を聞いたエクシアとテキサスは、

「黙ってて!」

「黙っていろ!」

 バキイイイイ!!! 

「ぐおおおおおおお!?」

 過去一の強さでドクターを殴り飛ばしたのであった。

 

 意地と意地のぶつけ合い。

 友情の確かめ合いなどそこにはなく、ただ目の前の者を倒すことしか考えていなかった。

 

「エクシアあああ!!」

 テキサスがエクシアの襟を掴み、そのまま巴投げを仕掛ける。

「うわぁあああ!!」

 ドシャアア!! 

 腹を足で押し蹴られ、空中で回転しながら落下する。

 

「痛っつ……!」

 エクシアがへし折られた指を押さえる。

 その一秒にも満たない瞬間が、テキサスに大きな隙を与えた。

 手の痛みを堪えるあまり、接近するテキサスに気がつかなかったのだ。

 

「マズい……!」

「遅いッ!!」

 ドガアア! 

「ッ……!」

 テキサスをエクシアを蹴り飛ばす。

 顔面を蹴らなかったのは情けだろうか、手加減だろうか。

 

 砂煙を立ち上げながら転がるエクシア。

 すぐ側には追撃の予備動作を取るテキサスの姿が見えた。

「(ヤバい、意識が……!)」

 

 お互い傷だらけの姿。

 二人の足は既に震えており、どちらが先に倒れるかの競い合いであった。

 近接戦が得意なテキサスが優勢かと思われた。

 しかし、エクシアは自身の指先にキラリと光を反射する物が落ちていることに気が付いた。

 

「うらああああ!!」

「なんだッ!?」

 ビュンっと音を立て、エクシアが剣を振るう。

 その剣はテキサスの源石剣であった。

「それは私の物だぞッ!」

 テキサスは、エクシアが振り回す剣に近づくことが出来なかった。

 

 誇り高きサンクタのエクシアは、自身の銃の腕前にただならぬ自信を持っていた。

 商売道具だということもあるのだが、それを抜きにしても彼女は銃を肌身離さず持っていた。

 それが今、あろうことか彼女は銃ではなく剣を握っている。

 その姿は、子供も笑うような見るに堪えないお粗末な剣術であった。

 それでも彼女は剣を振るった。

 目の前の相棒を、打ち倒すために。

 

「戦場でもっ! 同じことがっ! 言えるの!?」

 むしろ剣に振られているといったような感じだった。

 それでも足元がおぼつかないテキサスには十分有効な攻撃になった。

「おりやあああ!!」

 ドゴオ! 

「がッ……!!」

 剣を振るうことにより発生した推進力を利用し、エクシアが強烈な蹴りを繰り出す。

 

 テキサスの体が宙に浮き、エクシアとは反対方向に飛ばされていく。

 追撃をしようとエクシアが駆け寄る。

「(ぐッ……! スカジからの攻撃が……!)」

 テキサスが腹部の傷を押さえる。

 この戦闘で治療したはずの痛みが再び活性化してきたのだ。

 

「テキサスうううう!!」

 エクシアがトドメを差そうと剣を地面に擦りつけて走る。

 テキサスは、自分の手の付近にエクシアの銃が落ちているのを発見した。

 彼女は迷わずそれを手に取った。

 そして、ズキズキと痛む腹部を押さえながら立ち上がる。

 

 ガンガンと距離を詰めてくるエクシア。

 テキサスは銃口を進撃してくるエクシアの方角に向けた。

 ガガガガガガガガガッッ!!! 

 乾いた空気を破裂させ、赤熱した薬莢が排出される。

 しかし、弾丸は標的に当たることはなく、どれも虚空を撃ち抜くのであった。

 サンクタの守護銃は、所有者にしか扱うことが出来ないからだ。

 

「おりゃあああああ!!!」

 エクシアが剣を振るう。

 それは斬るというよりも叩きつけるというような感じであった。

「……ッ!」

 テキサスが難なく回避する。

 そして至近距離で引き金を引いた。

 

 カシンッ……。

 

「……!? 何だッ!?」

「あはは……! 弾切れだね!」

 エクシアがテキサスの脳天に剣を振り下ろす。

 

「勝った! 私の勝ちだ!!」

「エクシアああああ!!」

 トンッ……。

 テキサスが一歩後ろにジャンプする。

 僅かに狙いが逸れた剣は、テキサスの上半身を切り裂いた。

 

「……ッ! 悪く思わないでね!」

 テキサスの返り血が、エクシアの頬に飛び散る。

 彼女は微かに後悔をしたような表情を見せた。

 それは、テキサスにしか発見できないことであった。

 

「……悪く思わないさ。だから、エクシアも私を恨むな」

 テキサスがエクシアの脇腹に銃口を突き付ける。

 それは、エクシアが腰のホルダーに差していたピストルだった。

「……あっ

 パアン……! 

 

 乾いた銃声が響いた。

 エクシアが後方によろめく。

 そして、淡い熱を持った脇腹を押さえた。

「あ、あはは……。いつ盗んだのかな……?」

 テキサスがピストルを捨てる。

「初めて当たった」

「……テキサスは、銃が下手くそだもんね」

 エクシアが膝をつく。

 服の裾から、紅い色が滲んで垂れて来た。

「でも、さっきのはわざと外したでしょ……」

「……なんのことだ」

 

 エクシアが倒れ込む。

 うつ伏せになった状態で、静かに何かを呟いた。

 その言葉はテキサスにも聞こえず、ただ自分自身に言い聞かせるような声であった。

 

「……分かってたんだ。この先は地獄だって」

「いつもそうなんだ……。私が追いかけたものは、いつも遠くに行ってしまう……」

「お姉ちゃんも、モスティマも、ドクターも……」

「みんなどこかに消えちゃうんだ……」

 

「だから、私は賭けてみたんだ……」

「今度は、掴んだものを、二度と離さないように……!」

「ゲホッ! 私は、まだ負けていない……!!」

 

 エクシアが立ち上がろうとする。

 苦痛の表情を浮かべながら、何とか上半身を起こした。

 テキサスはその行動を制止しようとした。

「大人しくしていろ……。もう、休め……」

 エクシアが手を伸ばす。

 遥か向こうで気絶していたドクターの方角へ。

 テキサスの頭突きによって、無残に砕かれた手のひらで……。

 

「私の、義人……! 私たちの、希望……!!」

 エクシアが体を引きずる。

「あぁ……。()()だ……。視界が暗くなっていく……」

「いつもそうだ……。私は、失敗ばっかり……」

「なんで、いつも上手く出来ないんだろう……」

 

「そうだ……。私は、一人じゃ何にも出来ないんだった……」

「もっと早く、気づけば良かった……」

 

 エクシアは千切れた花びらのようにその場に倒れ、そして動くことはなかった。

 血を失ったことにより、失神したのだ。

 テキサスは彼女を抱くと、破壊され尽くした大地を歩いた。

「…………盗み見とは感心しないな」

 テキサスの影が揺らめく。

「……私の存在を感知するとはな」

 

 突如として背後に現れたのはファントムであった。

 アーミヤが差し向けた刺客なのだが、その場で向き合っていた二人に戦う意志はなかった。

「今は失神している。……彼女を、エクシアをロドスに返してくれ」

 テキサスが喋る。

「……承った。ラップランドたちは敗北した。用心したまえよ」

 ファントムの幻影がエクシアを背負う。

 もしかしたら、彼は悪いやつでは無いのかも知れない。

 そのようなことを考えながら、テキサスは踵を返してエクシアが捨てたバイクの方向に向かった。

 

 

「……ん、顔面が痛ぇ……」

 バイクの後部に縛り付けられたドクターが目を覚ます。

 縛り付けられているといっても軟禁的な意味ではなく、地に落下しないようにしているだけだった。

「……起きたか。呑気というのは羨ましいな」

 テキサスが操縦するバイクは荒れ果てた大地を進んで行く。

 

 ラップランドやカランド貿易のオペレーターたちの助力もあり、無事ドクターを救出することが出来た。

 エクシアとの決戦もあったが、過去を振り返る時間は残っていなかった。

 次第に気温が寒くなって来る。

 ここはもうロドスの威光が届く場所ではない。イェラグの領域なのだ。

 夜が来る前に、何とか雨風を凌げる場所に辿り着かなければならなかった。

 

「……どこに向かうんだ?」

 ドクターが身を起こして質問する。

「……クルビアに向かう」

「クルビア? イェラグから何キロ離れているか分かってるのか?」

 テキサスは前を向いたまま答える。

「もうすぐウルサスの中枢都市が移動する。それに乗じて西に向かう」

「ウルサスを通り抜けるつもりか!? あの地獄を!?」

 バイクのエンジンを吹かす。

「……炎国とレム・ビリトンはロドスが封鎖しているはずだ」

「私たちは西に向かうしかない……」

 

 テキサスの表情は決して明るいとは言えなかった。

 ガソリンの残量も怪しかった。

 そもそも、イェラグを抜けるより先にバイクの寿命が先かもしれない。

 実際の所は、向かうべき目的地など定めていなかったのだ。

 そのような不安要素が心を蝕むが、それでも足を前に出さなければならなかった。

 

「この先に教会都市がある。プラマニクスが居ないから、市民の風当たりは冷たいものになるだろう。最低限の物資を補給するか、何とか宿を貸してもらうか」

 ドクターがテキサスに二択を迫る。

 テキサスはしばらく沈黙し、

「宿を借りよう。寒空の雪夜を疾走するのは賢い行動とは言えない」

「……とにかく眠れる場所を探そう」

 

 この先の道のりは誰も助けてくれない。

 ロドスを脱出する際は、仲間であるカランド貿易のオペレーターたちが力を貸してくれたが、今後は一切の助力を乞うことは出来ない。

 見知らぬ場所で、安息の地を求めて歩き続ける。

 多くの者たちが理想郷を求めて力尽きていった。

 彼女らが歩く道には、夢破れた者たちの屍が転がっていることだろう。

 

 しかし、恐れることはない。

 隣には彼が、彼女がいるのだ。

 それが厳しい道のりになろうとも、果てしない苦難の道になろうとも、共に同じ道を歩き続ける限りその旅路は暖かなものになるだろう。

 

 例え、道半ばで朽ちようとも、その旅路は幸せなものになるはずだ。

 




国家の位置関係は全て妄想です。
公式設定と乖離していても、脳内補完してください。


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神々の黄昏

 冷たい陽光が差し込む朝だった。

 見たこともない灰色の小鳥が、屋根から突出した氷柱を啄んでいた。

 外では、鈴の音が静かな都市を覚醒させようとしていた。

 目が覚めた男は、これが現実のものだとは到底思えなかった。

 

「……そういや、イェラグだったな」

 馬小屋の干し草の中で目を覚ます。

 あまり衛生的とは言えない寝床だった。

 それでも、厳寒極めるイェラグで一夜を過ごすにはこの方法しかなかったのだ。

 

「起きたか。凍死したかと思ったぞ」

 テキサスが水を汲んで運んでくる。

 薄氷が張った桶。気温は氷点下を下回っているようだ。

「教会で炊き出しがやっているらしい。体を拭いたらそこに向かおう」

 男が頷く。

 テキサスと視線が合う。

 それは、服を脱ぐから外に行っていろという合図だった。

 未だぼやける眼を擦りながら、男は外に出た。

 というよりも放り出された。

 

「……さっむ。作物すらまともに育たないんじゃないのか?」

 男は独り言を呟きながら道を歩く。

 普段から身に着けていた上着はテキサスに貸した。

 震える体に鞭打ち、何とか体温を上昇させようと体を動かした。

 

 教会から鈴を持った乙女たちの行列が出てくる。

 皆、プラマニクスのような恰好をしていた。

「……修道女か。ご苦労さまだな」

 閉鎖的な空間では、その地域特有の文化が形成されていく。

 イェラグは山脈に囲まれた土地ということもあり、近現代に至るまで外界との接触を拒んできた。その暗黙の了解を破ったのは他でもない、カランド貿易の主宰なのだが、いまだに国民の多くは外界との接触に寛容的ではなかった。

 

 テキサスと共に、この都市区画に入ることが許されたのは、男が専門的な知識を持っているという理由からだ。まさに特例中の特例。

 実際に道を歩くと、若年層からは会釈を返されたが、老年層からは微妙な態度を取られることが多かった。冷たいのは、気温だけではなかったのだ。

 

「働かなくてもいいってのは、本当に素晴らしいことだな……」

 男は背骨をコキコキと鳴らした。

 イェラグは広大で肥沃な土地とは言えなかった。

 限られた資源は貴族などの上流階級の人間たちが占有している。

 それでも民草が反乱を起こさないのは、イェラグが古き神々を信仰しているからであった。巫女としての、プラマニクスの存在が極寒の大地を国家として成り立たせていたのだ。

 

 子どもたちが男の横を通り抜ける。

 雪が宙に舞い、男のズボンの裾に降りかかる。

 しかし、子どもたちはそのような事に気づく素振りも見せず、そのまま道を駆けて行った。

 

「……誰もが友と呼べるものを持ち、そして道を走った」

 倒れた朽ち木の幹に、一人の女性が座っていた。

「貴様にもあのような時があったのだろうな……」

 男が立ち止まる。

「まるで自分にはなかったというような言い方だな」

 

 女性がスカートの裾を持ち上げ、朽ち木の端に移動する。

 しかし、男はそこに座らなかった。

 

 男が静かに喋る。

「……私はお前のことを知っている」

 女性が呟く。

「私も貴様のことを知っている」

 男と女性は短いながらもハキハキと質疑と応答を繰り返した。

「なぜここに居る」

「貴様こそ、なぜここに居る」

 

「自慢の駒はどうした?」

「駒ではない。お前こそ自慢の同胞はどうした」

 

「大将自ら始末しに来たのか」

「偶然だ。ご希望とあれば意向に沿うつもりだが」

 

 女性は指先から火をポッと出すと、しばらくその火を見つめたあとに周囲に放った。

 その火は蝶のように男の周囲を飛び回った。

 やがて、枯草の上に落ちると、その蝶は新たな火種となり、焚火が完成した。

 

「貴様はどこに向かう」

「ここではないどこかに向かう」

 

「…………」

「…………」

 

 パチパチと音を立てて枯草が燃える。

 赤く揺らめくその炎は、二人の瞳には眩しく映ったはずだ。

 理想は違えど、目的は同じであった二人は、誰にも察知されないような都市の片隅にて会話を交わす。

 

「火は好きか」

「お前よりかは好きだ」

 

「私のことは嫌いか」

「嫌いだね。不俱戴天の仇だよ」

 

「私は貴様のことが憎い」

「お互い様だ。意外と馬が合うかも知れんな」

 

 男は火に手をかざす。

 その姿を見た女性は、消えかけた炎に新たな火を注いだ。

 

「私たちは南に向かう」

「その言葉、私ではなくチェンに伝えろ」

 

「貴様はどこに向かう」

「訂正しろ。貴様()だ」

 

「ならば貴様らはどこに向かう」

「さっきも言ったはずだ。ここではないどこかに」

 

 女性は男の傍らに移動した。

 男は女性とは正反対の方に移動した。

 

「……空席がある。貴様のせいで空いた席だがな」

「お断りだね。他を当たってくれ」

 

 そう男が答えた時、すぐ後ろでパキッと枝が踏まれる音がした。

 男が振り返る。

 そこには、テキサスが立っていた。

 

「すまない、遅くなった」

 男が横を見る。

 しかし、女性の姿はそこにはなかった。

 男が種火を蹴り上げ、立ち上がる。

「……いや、待っていないさ」

 女性が座っていた付近だけ、雪と大地が溶けていた。

 

 テキサスが来ている服は質素な物に変わっていた。

 どうやら馬屋の夫妻が貸してくれたらしい。

 イェラグの民族衣装に身を包んだテキサスは、長いスカートに慣れない様子で男の隣を歩く。

 

「……馬子にも衣裳だな」

「そんなこと言うな。似合ってるぞ?」

 テキサスが自身の髪先を触る。

「ヒラヒラした服装はやはり慣れない」

 

 教会に到着した二人は、欠けたお椀に注がれたスープを飲む。

 薄い塩味のソレは、お世辞にも美味しいものとは言えなかった。

 男がテキサスにお椀を差し出す。

「鶏肉が入っていた。二人で分けよう」

「あぁ……。そうだな……」

 

 冷えた体に暖かなスープが染み渡る。

 男はロドスの食堂で朝食を作るグムやマッターホルンの後ろ姿を思い出した。お金さえあれば、美味い飯がいつでも食べられるという風に錯覚してしまっていた。

 不思議と腹は減っていなかった。だが、肉体が栄養を欲していた。この日、男は初めて飢えという感情を理解した。

 

 修道女たちが鈴を掲げ、唄を歌う。

 多くの住民たちがその唄を聞いていた。テキサスたちはその集団の後ろで座り、今後の予定を計画するのであった。

 

「距離的に考えて、イェラグを抜けるには最低4日かかる」

「補給地点が安定していないぞ」

 テキサスがボロボロの地図を出す。

 トランスポーターが使用する、流通経路が記載された秘密道具であった。

「道中に集落がある。交渉材料が無いから友好的に接してくれるとは思わないほうがいいだろう」

「いくら時間がかかっても構わない。だが、南にだけは行きたくない」

 テキサスがこめかみを押さえた。

「……西に向かおう」

 

 都市の入り口から何やら騒がしい音が聞こえてきた。

 男がテキサスの腕を掴み、住民の集団の中に入る。

 突然の行動に、テキサスが男に質問した。

 

「なんのマネだ!」

「シッ! 静かに! ロドスの連中だ……」

 車両から出て来た者たちは確かにロドスの制服を着ていた。

 見たことがない者が殆どであったのは、彼らがロドス本部の職員ではないからだろう。

「……どうする」

「状況が変わったな。物資が整い次第ここを出発しよう」

 テキサスが頷く。

 

 

【数日後】

 二人はイェラグの都市を発った。これ以上潜伏を続けて捕縛されるよりも、荒野を疾走する方が遥かに安全だったからだ。

 次の目的地はウルサス。チェルノボーグを避けるためにはかなりの距離を大回りする必要があった。

 アーミヤたちに先回りされていないことを祈りながら、男はエンジンを吹かす。

 

 テキサスは男の腰に手を回してバイクに乗っていた。俗にいう二人乗りとかいうやつである。

 そして、遥か後方に見えるカランド山脈を見て、静かに呟いた。

「私がアーミヤなら、シルバーアッシュの屋敷で待ち構える」

 男はフッと笑った。

「今も待ち構えているさ。そもそも、私ならシルバーアッシュ家に辿り着く前に凍死だろうな」

「……そうだな」

 テキサスは男の背中に顔を寄せた。

 

 上半身に刻まれた、未だ癒えぬ傷を隠すように。

 

 

 

 パチパチと乾いた枝が弾ける音でテキサスは目覚める。

 どうやら、移動の最中に眠ってしまっていたらしい。

 耳をピクピクと動かしながら辺りを見渡す。

 景色はすっかり暗くなっていた。

 

「もう少し眠っていても良かったんだぞ?」 

 男がテキサスに話しかける。

「……頭がボーっとする」

「ハハハ、水でも飲むか?」

 テキサスはゆっくりと立ち上がった。

 ここは洞窟の中らしい。話の内容を聞く限り、まだイェラグの領域だそうだ。

 

「このまま突っ切っても良かったんだが、お疲れかなと思ってな」

 男はそう言いながら焼き魚をテキサスに差し出した。

 

 ロドスの庇護下から抜け出して数日。

 およそ文化的とは程遠い逃亡生活だが、それでも困難を極めるものだとは思わなかった。

 次第にこの状況に慣れていく自分の適応力に驚きつつも、どことなく恐ろしさも募っていった。

 

 テキサスは男の隣に座ると、ちびちびと水を飲み始めた。

 そして、川魚に串を刺しながら男が話す。

「……クルビアに知人が居るんだ。財宝だか何だかを見つけて移住したらしい」

 

 クルビアは感染者からすれば、まさに楽園のような場所だった。

 テラの至る所からその楽園を求めて人々が旅をした。

 しかし、良い話というものには必ず裏があるのだ。

 クルビアという土地がいつまでも感染者の楽園と呼ばれているのは、その領域に踏み込めた感染者の数が少ないからであった。

 ウルサスの中枢を抜け、カズデルの傭兵団を回避しながらウォルモンドの大裂溝を渡る。その後、運が良ければイベリアに監禁され、悪ければエーギルで発狂する。

 天国に向かうまでの道が地獄。

 ワンチャンに賭けた世捨て人の間で、まことしやかに囁かれてきた伝説。

 今後、そこに向かおうというのだ。

 

「上手く行けば、2ヶ月後には到達できるはずだ」

「希望的観測は大体外れるものだ。そして嫌な予感ほどよく当たる」

 テキサスは焦げがついた魚を手に取る。

「……私は、どこにだって行ける」

 男がテキサスの魚と交換する。テキサスの手には綺麗に焼けた魚の姿があった。

 

「クルビアに拘る理由は何なんだ?」

「クルビアの西に、感染者を支援する機関があるらしい。そこなら、私たちは安全に暮らせるはずだ」

 男はテキサスの方を向いた。

「一緒に暮らすってか?」

 

 テキサスは答えなかった。

 魚の尾びれを口に放り込むと、そのままサッと横になった。

 それから男の方を向くことはなかった。

 うっかりと口を滑らしたオオカミは、不思議と微笑んだまま洞窟の岩壁を見つめるのであった。

 

 

 

【数週間後】

 次第に頬に当たる風が温かくなっていくことに気が付いた。イェラグから脱出したのだ。

 それからの数週間は走りっぱなしだった。道中、親切なキャラバンの前を通らなければ、そのまま干からびていたことだろう。

 奇跡が2、3度連続して起きた。野営しても獣に襲われることもなければ、劣悪な環境下に身を置いているというのに鉱石病を発症することもなかった。

 二人は神の存在をにわかに信じるのであった。我々は祝福されている、と。

 やがて、降り注ぐ日光は暖かなものへと完全に変化した。

 

 気が付けば二人はウルサス帝国の大門の前まで来ていた。

 既にボロボロとなったエクシアの忘れ形見を引っ張って検問を受ける。

 

『……次』

「…………」

「…………」

 

 二人は身分を証明できる物を提出した。

 厚いガラス窓の向こう側で、屈強な憲兵が二人の顔を交互に視る。

 もし、ロドスが二人に対して指定捜索願いを出していたら、この大門の前で旅路は終了してしまう。

 テキサスは俯いて黙っていた。

 

『……入国許可証』

「……必要なのか?」

 

 男が問う。

 近々、ウルサス帝国は天災を避けるために大規模な移動を行うらしい。毎年、そのどさくさに紛れて身元が怪しい者が潜伏しに来るようだ。そう、二人のような逃亡者が。

 

「去年来た時は必要なかったはずだが……?」

『……今年は違う』

 

 男は服の内側を探すフリをする。いくら探しても見つからないというのに。

 服の裏側を向けた時、テキサスは男が何かを言っていることに気が付いた。

 

「(逃げろ……! 私に無理やり同行させられていたと言え……!)」

 テキサスは首を横に振る。

「(そんなことは出来ない! 私が、私が何とかする……!)」

『……早急に』

 バンッ!! 

 

 テキサスがくしゃくしゃになった二枚の紙切れを叩きつける。

 トランスポーターが依頼品を輸送する際に使用する許可証。もちろん、男の分は偽造品だった。

 憲兵がガラス窓の下の隙間から紙切れを取る。

 ニセモノだとバレた瞬間、二人は外に放り出されることになる。いや、テキサスたちの場合は公文書偽造で牢獄に送られ、そこで下らない余生を過ごすことになるだろう。

 とにかく、憲兵が手の横にあるボタンを押さないことを祈ることしか出来なかった。

 

『……感染者か』

「ッ! ……違う」

 

『……輸送品は』

「え、あッ、これだ! このバイクだ……!」

 

『……期限が切れている』

「あ、そ、それは申請が遅れただけだ……」

 

『……確認を取る』

「……ペンギン、急便……」

 

 テキサスの顔は青白く、額からは脂汗が流れ、息も絶え絶えの状態であった。

 それでも憲兵は龍門のペンギン急便アジトに連絡を入れる。

 ソラとクロワッサンを引いたら死亡。モスティマを引いたら即死。皇帝を引いたら致命傷。

 テキサスは震える手で男の袖を握った。

 

 その時、すぐ隣の検問所からループスの男女が憲兵に縛られて連行されていった。叫ぶループスが二人。憲兵は無情にも二人を引き裂き、それぞれ別の車両に乗せて行った。

 二人は、その一連の様子を脳裏に焼き付けざるを得なかった。次は自分たちかもしれない。そのような不安が胸を締め付ける。

 

『……二人の関係は』

「……えっと、それは……」

 テキサスが言葉に詰まる。

 過呼吸を引き起こしながら、吐きそうな顔をして男を見た。

『……二人の関係は』

 男がテキサスの手を握る。

 そして、テキサスは目に涙を浮かべながら答えた。

「私たちは、仲間だ……! 同僚だ……!!」

 

 ガラス窓を挟み、しばらくの間沈黙が流れる。

 憲兵が仮入国許可証にハンコを押した。

 

『……行ってよし』

「……!! 本当か……!」

 

『……次』

 

 

 二人は検問所を抜け、大門を潜り抜けた。

 そこに広がっていたのは、帝国としての栄華を象徴する建造物の数々であった。

 全身の緊張が消えたからか、テキサスはペタリとその場に座り込んだ。

 男は彼女の脇の下に手を入れると、そのままヒョイと持ち上げて、バイクの運転席に乗せた。

 

 男とテキサスは、街道の片隅で気持ちを落ち着けるのであった。

「入国許可証を作りに行くぞ……」

「あぁ……」

 

 

【ウルサス帝国 検問所】

 厚いガラス窓の内側にて、屈強な憲兵が一人の女性と話をしていた。

『……人が悪いですよ』

「うちの者が迷惑をかけたな」

 その言葉遣いから、どちらの階級が上かは想像するに難しくなかった。

 

『……お望み通り、『友人』以上の関係を宣言したら追い返すつもりでした』

「あぁ、ご苦労だったな。これで彼女(テキサス)はアーツの影響を受けていないことが証明された」

 

『……満足ですか。ケルシー子爵』

「やめろ。私は医者だ」

 

 ケルシーはどこからともなく、二枚の入国許可証を取り出した。

「これを彼らに渡してやってくれ。誰からは伏せておくように」

『……了解しました』

 

 憲兵は仕事が増えたことに対して露骨に嫌な顔をした。

 他の憲兵たちは、ケルシーに絡まれるのが自分じゃなくて良かったと思うのであった。

 

 

 

 テキサスと男の二人は、都市部の銀行で下ろした貯金を使い、物資を整えた。

 ボロボロになったバイクの修理に、保存食の調達。情報の収集も欠かせなかった。

 一日中都市部を歩き回り、ヘトヘトにくたびれた二人は、安価な宿を借り、入室した瞬間にベッドに飛び込んだ。

 

「ぐぁぁ……! 流石に疲れた……」

「明日の予定はどうする……」

 テキサスがシーツに顔を埋めて質問した。

「明日の予定は明日決めよう。今日はもう休もう」

 

 テキサスの返事はなかった。どうやら男の返答を聞く前に眠ってしまったようだ。

 男は彼女の上半身に毛布をかけると、足場が軋むベランダに出てタバコを吸い始めた。

 夜空はどんよりと曇っていた。

 明日は雨が降るだろう。出発を延期することを視野に入れて、目的地までの距離や時間を再計算する。

 

「……予定よりかなり遅くなるな」

 男は、このままウルサスの地で暮らすのも悪くないと考えた。

 しかし、薄汚れたシーツの上で寝息を立てているテキサスの姿を見ると、男は先への道のりを急がなければならないと感じたのであった。自身が起こした不祥事に巻き込ませたという責任感が、当事者として何よりも強かったのだ。

 

 この先、上手く行くのかという不安感を胸の中に押し込む。

 一言でも口に出してしまったら、そのまま全てが崩れてしまうような気がしたからだ。きっと、眠っている女性も同じことを思っているだろう。

 これ以上考えても不毛だと結論づけた男は、吸い殻を靴の裏でグシグシと踏みつぶし、静かに室内へと戻っていった。

 そして、女性にベッドを譲り、男はソファーに横になった。女性とは反対方向を向き、しばらくした後に寝息を立て始めた。

 

 涼しげな風が入り込む窓際に、二枚の入国許可証が入った封筒が投げ込まれた。

 そんなことも知る由もなく、二人は死んだように眠るのであった。

 

 

 

【三日後】

 テキサスと男は、ウルサスのどこかのレストランで朝食を取っていた。

 傍から見たらただの観光客だろうか。新聞を広げたテキサスは、二人に関する記事が無いかを確認した。やがて、新聞を四つ折りにして、正面に座る男に対して首を横に振った。どうやら、どこにも逃亡者に関する情報は記載されていなかったようだ。

 

 ウェイトレスが注文した料理を運びに来た。

 もし、男が感染者だと知れたら、このウェイトレスは憲兵に通報し、労働局の人間が直ちに捕縛しに来るだろう。

 表面上はニコニコとしているウェイトレスの姿に、テキサスは嫌悪感を催したのであった。

 

「……この国はあまり好きじゃない」

 男がパンケーキの切れ端を口に運ぶ。

「なら早く出発しようか。輩に絡まれるのも面倒だからな」

「……あぁ。助かる」

 テキサスはフォークとナイフを握らなかった。

 ただ運ばれてきたオムレツを見るだけで、手を動かそうとしなかった。

 男が問いかける。

「……もう少し休んでから出発するか?」

 テキサスが胸を押さえて答える。

「いや、少し苦しくなっただけだ……」

 

 テキサスは水を飲むと、いつもと変わらない様子で朝食を食べ始めた。

 男は彼女の姿に心配しつつも、彼女の言葉を信頼し、予定通りの行動を取るのであった。

 

 男が車庫に置いておいたバイクを取りに行く。エクシアの所有物だったソレは、彼女に敬意を表して「アップルパイ号」と名付けられた。

 命名者はテキサス。男が「エクシアと愉快なペンギン号初号機」と名前を付けようとしたが、いい歳して流石に恥ずかしいということで却下した。

 

 その間、テキサスは一人静かに薬局に向かうのであった。

 探し物は包帯と消毒液。ついでに鎮痛剤なんかもあったら購入を検討していた。しかし、薬局の棚には、包帯どころか絆創膏の一つの置かれていなかった。

「一体どういう事だ」と首を傾げるテキサス。

 その姿を見た薬局の老主人が、曲がった腰で話しかける。

 

『観光客かい? 見ての通りだよ。奥の倉庫にも残ってないんだ』

「……それは残念だ」

 老主人は申し訳なさそうな表情をした。自国民以外の人間に対する意地悪ではないらしい。どうやら本当に品が枯渇しているようだ。

『あっちこっちにケンカ売るから、軍が生活資源を制限してるんだ……。特に医療品は差し押さえみてぇなもんさ』

「……」

 

 老主人は壁面に掛けられた写真を見た。それは遥か昔の戦争の物だった。茶色の焦げるようなたてがみをした青年が写っていた。

 希望に燃え、戦地に赴く青年の姿であった。

 それが今やどうだろうか。老主人の瞳に覇気はなく、帝国という国家制度に縛られた老人の姿がそこにはあった。

 奪う側から奪われる側へ。

 退役した彼が何を思い、なぜ薬局の主人をしているのかは聞けなかった。

 

 テキサスは唇を噛んだ。彼女が切り捨ててきた者たちにも夢があり、希望を抱き、家庭を持っていた者だって居たはずだ。

 アーミヤを出し抜き、ラップランドが囮となり、エクシアを打倒した後に立っている自分の姿をロドスに居るオペレーターたちはどう思うだろうか。

 行く先のない逃亡生活を悪くないと思い込んでいる自分が憎くなった。

 想い人と寝食を共に出来るという状況に、喜びを見出していた自分が憎くなった。

 戦場に希望を見出した青年と、皆を裏切り『ドクター』と共に逃亡する自分は何が違うというのだろうか。

 その先にて待つ絶望に背を向け続けている自分と、国家の繁栄の正体に気づいた老主人の姿は何が違うというのだろうか。

 

 今、自分の首を差し出せば、アーミヤはドクターを許してくれるのではないだろうか。

 ウルサスの検問所にてドクターが庇ってくれたように、今度は自身が庇うべきなのではないだろうか。

 

 まだ、間に合う。

 ドクターを騙してロドスに戻ることだって出来る。その後、自分は一人で行方をくらませばいいだけの話なのだ。モスティマのように、数年後にフラっと戻ればいいだけなのだ。

 しかし、テキサスはその一歩を踏み出すことが出来なかった。

 繋いだ手を離したら、二度と繋げなくなると感じたからだ。怨嗟と化した皆の想いを背負いきるほど、彼女は完成された人間ではなかった。

 

 

 

 

【ウルサス帝国領 ????】

 入国にはかなりの手間がかかったが、出国する際は全くと言っていい程順調に事が進んだ。

 ウルサス領は寒冷地帯であったが、イェラグ領を抜けて来た二人にとっては大した気にもならなかった。

 次第に木々がちらほらと見られるようになってきた。ウルサス帝国領を抜けんとしていたのだ。道中、サルカズの傭兵団の行軍を発見し、安全を確保するために身を隠した。

 

 やがて、サルカズの傭兵団は二人が通った道に向かって進軍して行った。

 一連の様子を見て、近域の安全が確認できた男は、なるべく静かに立ち上がった。

「……テキサス? どうかしたか?」

 しかし彼女は立ち上がらなかった。中途半端に揺れ動いた心は肉体を支配していき、そして彼女の足をその場に縛り付けた。

 

 男はテキサスに小さな袋を差し出した。

 可愛らしく梱包された、手のひらサイズの小さな袋。エクシアが男に渡した袋であった。

 男はその場にしゃがみ込み、テキサスの目線と自身の目線を合わせた。

「これは……。エクシアのアップルパイか……」

 とても懐かしい匂いが袋から放たれた。

 ペンギン急便のアジトで、飽きる程鼻腔を通過した匂いだった。

 大きな仕事を完遂した時、年末年始の多忙を落ち着かせた時、誰かの誕生日の時、新たな仲間が加わった時、珍しいお客さんが来た時、ソラが泣いて戻って来た時、ラップランドとテキサスがケンカをした時、クロワッサンが酔いつぶれて廊下で寝ていた時、皇帝がワインを開けた時、そして、モスティマが帰って来た時。

 エクシアは必ずアップルパイを作ってくれた。

 味も何も変わらない。ケーキ屋で買った方が100倍美味しいアップルパイ。

 一口噛むごとに、共に笑い合った思い出が脳裏をよぎる、魔法のアップルパイ。

 

 テキサスの瞳から、珠のような水滴が流れ落ちた。

 

 風が草木を揺らす。彼女は嗚咽を漏らしながら、ただひたすらにエクシアのアップルパイを口に入れた。

 そして、彼女は食べ切るタイミングで袋の底に小さな紙片があることに気がついた。

 袋を逆さまにして紙片を手のひらの上に落下させる。

 二つに折られた紙片。どうやら何かが書かれているらしい。

 男が呟いた。

「……見ないのか?」

 テキサスは、静かにその紙片を開いた。

 そこに書かれていたのは、

 

As easy as pie!! (アップルパイ!!)(楽勝だよ!!)

 

 男は泣きじゃくる彼女の姿を目に焼き付けていた。声をかけた所で、彼女自身の問題は彼女自身にしか解決できないからだ。

 比類なき強さを誇る者の涙。一体誰が邪魔できるというのだ。

 

 やがて、テキサスは前を向いた。

 そして、テキサスの眼を見つめる男の眼を見て、確かに宣言した。

「私は西に向かう! クルビアへ向かう! 誰に道を塞がれようとも、その道が存在しなくてもだ!! だから黙ってついてこい!!」

 

 その瞳に迷いはなかった。

 ロドスを脱出してからの彼女に感じられた、どことない不安定感は露に消えた。

 赤く充血したその眼は、自信と決意に満ち溢れていた。

 アーミヤが理想の為に危害を加えるのなら、自身も理想の為に足掻いてみせようと。

 男は、ドクターは彼女の宣言に答えた。

「何処までついていこう。死が我々を別つまで、共に安息の地を目指して歩こう」

 

 ドクターが手を差し出す。テキサスはその手を固く握った。

 離させないようにではなく、お互いが離さないように。

 どんよりと曇っていた空は、いつの間にか晴れていた。突き刺すような陽の光が、二人の歩いた道を照らす。迷いなき旅路へ。苦難の先へ。神が与えし試練など恐れるに足りず。

 

 ただ、上半身に刻まれた切創を隠して。

 

 

 

【ウルサス帝国 大門】

 多くの憲兵が数名の集団を見ていた。

 誇り高きボジョカスティ大尉を打倒したと言われる者たち。そこらの警備をしているお坊ちゃまの兵卒からすれば、彼女らはまさしく恐怖の化身であっただろう。自身より遥かに階級が上の人物が、彼女らに対してへりくだった態度をしていたということが余計ソレを助長させた。

 

「苦難陳述者……がモスティマの動向を探っているみたいです」

「フッ……。失礼。名前のセンスが良くてな……」

 カズデルの聴罪師の衣に身を包んだ女性が、ムッとした顔をして白衣の女性を睨み付ける。

「……真面目に聞いてください」

 すぐ側では、石棺のような物を浮遊させている少女が飛び回る蝶を追いかけていた。そして、その少女を追いかけるようにチェーンソーを背負った女性が一人。

 後方に座っていた巨乳のサルカズは暇そうに髪先をいじっていた。

 白衣の女性が聴罪師に問う。

 

「……時にシャイニングよ。敵の作戦が分からず、それでいて敵の正体も分からないという時はどうすればいい?」

「難しい質問ですね……。ケルシー医師、ご教授ください」

「圧倒的火力で待ち伏せする。脳死でゴリ押しとか言うやつだ」

 シャイニング。そう呼ばれた女性はそれでいいのかというような表情をした。

 

 白衣の女性の上空に飛空艇が出現する。

 周囲に居た憲兵たちが慌てて退散する。その飛空艇の装甲には龍門近衛局のシンボルが塗られていた。

 そして、その内部から声が聞こえた。

「お望み通りの飛空艇だ! どこに向かう!!」

 白衣の女性は答える。

「……クルビアに。バベルの跡地で迎え撃つ」

 

 彼女の言葉を聞いた集団は、一斉に立ち上がりそれぞれの武器を手に取った。

 ある者は剣を、ある者は爆弾を、そしてある者は電卓を。

 破壊のプロフェッショナルたちを集めたケルシー小隊は、テキサスたちが苦労して通った道をスルスルと抜けていくのであった。

 




今更なんですけど、ネタバレ注意です。
タグに増やしておきます。


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方舟の主と花嫁たち

結構長いです。
最終巻だけ異様に分厚いライトノベル特有のアレです。


 ウォルモンド。そこは学術者たちの古巣。多くの秀才たちを世界に送り込んだその都市は、建築様式、音楽、学術機構、どれにおいても屈指のものが揃っていた。

 そう、揃って()()

 突如として発生した大裂溝により、その居住区は4分の3にまで減少した。

「ウォルモンドの薄暮」とも呼ばれる事件は、ロドスの記録媒体にも保管される程凄まじいものであった。

 今や都市もかつての落ち着きを取り戻し初めたが、それでも天災による傷痕は生々しく残されていた。

 リターニアの威光が届かなくなったこの大地に、今更足を踏み入れようとする者など、ろくでもない者に決まっているのだ。

 

 テキサスとドクターは、イェラグを抜け、ウルサスの都市移動に便乗して西に移動した。向かうべき場所はクルビア。持たざる者の最後の楽園へ、逃亡者たちの安息の地へ。

 そのためには大裂溝を通り抜ける必要があった。スカジの故郷にお世話になって発狂するよりかは十分マシな選択であった。

 何十キロも離れているというのに、巨大な空洞に風が入り込んでいく音が聞こえた。

 バイクに乗って移動していた二人は、間違いなく目的地に近づいていることを感じるのであった。

 

 ドクターが提案する。

「降りた方がいいな。地盤が安定していないかも知れない」

「音が聞こえる……。これが大裂溝か……」

 テキサスが尻尾をピンッと立てて震えあがった。

 まだ現物を見ていないのにこのビクつきようである。ちょいと背中を押して落とすフリをしてやろうと思ったが、後が恐ろしいので断念した。

 

 ウルサスからウォルモンド近辺までの旅路は、暗い洞窟か大樹の根本で野営を敷くことが殆どだった。テキサスも久しぶりにベッドで眠りたい頃だろう。そう思ったドクターは、自身の後方を歩くテキサスに話しかけた。

「ここからウォルモンドまで遠くない。一旦補給して行かないか?」

 テキサスが頷く。

「金銭の余裕ならいくらでもある。休息してから先に向かおう」

 岩盤を裂く大裂溝の手前。ウォルモンドの中枢都市区画に進入する。

 

 この都市の地理に関してはスズランやフォリニックの方が詳しいだろう。

 街道に設置された案内板を参考にして二人は店舗を探す。ドクターは宿と食事が出来る場所を、テキサスは情報を仕入れる場所と薬局を。

 それぞれが別々の行動をする。「用が済み次第、この案内板に集合」そう言ってテキサスはドクターとは真逆の方向に向かって足を進めた。

 

 散らばった瓦礫やレンガが道の片隅に積みあがっていた。かつては美しい街並みだったのだろう。今や見る影もなく、天高くそびえ立つロマネスク様式の建造物からは、真珠色のオリジムシたちが顔を見せていた。

 テキサスは書店に寄った。しかし、書店の本棚には紙切れ一枚残っていなかった。どうやら、天災の二次被害を避けるため、ヴィクトリアの大聖堂に輸送されたらしい。

「どこもかしこも……」

 この都市では、開店する店よりも閉店する店の方が多いようだ。

 唯一助かったと思えたことは、薬局で包帯や消毒液を購入することが出来たことだろうか。テキサスは、それがドクターに見つからないように服の内側に隠して歩いた。

 

 破壊の後が色濃く残る街道を、ウォルモンドの官憲たちが慌ただしく駆けていく。

 彼らが向かう先は難民窟。鉱石病に身を蝕まれた者や、環境により深淵に身を堕とさざるを得なかった者たちの臨時居住区であった。

 テキサスは、その集団を走る一際体格の良い男とぶつかった。

 

「……失礼、先を急いでいる」

 テキサスは接触した肩を払った。

「……こちらこそ失礼」

 男が止まったことで、官憲の集団もその足を止める。テキサスはこの体格の良い男が官憲の長だということを理解した。

「ゲホッ! ゲホッ……! 失礼……。ここより東の地区には行かない方がいい」

 男は肺にあたる部分を押さえながら咳をした。タバコの吸い過ぎだろうか。テキサスは男の忠告を素直に受け取った。

「……どうも、お大事に」

 

 テキサスは官憲の行く先と反対の方向に向かった。恐らく、あの咳が酷い男と会う事は二度とないだろう。

 集合場所である案内板までの一本道をただ歩く。

「ドクターは行動が早いからな、寂しがっているかもしれない」

 不思議と足早になっていった。当の本人には気づきようの無いことであったが。

 

 道中、テキサスは何かを発見した。路地裏を抜けた先に見える立派な建物。テキサスはそこに吸い寄せられるように足を進めた。

 瓦礫やゴミが散乱した路地裏を抜けると、そこには荘厳な教会が建てられていた。

「ここは……、すごいな……」

 テキサスは思わず感嘆の声を漏らす。

 

 薄暮の際のデモ活動で焼き討ちにされた教会。それでも神聖な雰囲気を醸し出していたのは、元々の美しさが極まっていたからだろうか。

 破壊された長椅子、盗難されかけた女神像、割れたステンドグラス。それらを眺めながら中央の壇上に向かって歩いた。

 

「……」

 テキサスは自身が歩いて来た道を振り返った。

 四散したガラスの破片に、破れたカーペットがそのままにされている道を。

 

 もし、自身の生まれがクルビアの忘れられた一族でなく、ヴィクトリアの貴族であったのならば、今頃はこの道の真ん中を堂々と歩いていたのかも知れない。

 テキサスはボロボロになったカーテンを破り、そのまま自身の服の上に被せた。

「……」

 ひらひらと風になびいて揺れる純白のカーテンの端を持ち上げ、壇上でくるくると廻った。

 テキサスは不意に我に返ったように呟いた。

「フッ……。何をしているんだか……」

 

「はい、sorridi~!(チ~ズ!)

 パシャッ!! 

 

「ッ!?」

 テキサスが正面口の方を睨み、足音一つ立てずに近づいてきた人物に対して剣の切っ先を向けた。

 そのカメラを構えた人物はというと、

「ちょ、ちょっと待って! あたしだよ! 安心院アンジェリーナ!」

 どこかで見たことのある同業者の姿であった。

「貴様は、ロドスの者か……!」

「待ってって! あたしは追手じゃないから武器を下ろして!」

 アンジェリーナは手足をジタバタさせながら必死に弁明した。と言っても、重力に逆らいフワフワと浮いている状態での弁明だったので、賢明な努力虚しく必死感は伝わらなかった。

 テキサスが察知出来なかったのも無理はない。そもそも地に足をつけていなかったのだ。

 

「……ならば一体何の用だ」

 テキサスは未だに警戒していた。ロドスを脱出してから久しぶりに邂逅したオペレーターである。何を企んでいるのか分からない以上、武器を収めることは出来なかった。

 アンジェリーナは背中に背負った荷物を足元に置いてから両手を挙げた。いわゆる降伏のサインである。

「これ、輸送してくれって頼まれちゃっててさ。受け取ってくれないとお給料もらえないんだよね……」

 

 テキサスは恐る恐る荷物に近づいた。そして、剣の先で荷物をツンツンとつつくと、アンジェリーナに対して顎で「開けろ」とサインを送った。

 その姿は身代金を要求する銀行強盗のようだった。

 アンジェリーナが荷物のファスナーをガバッと開けた。

 パンパンに詰め込まれていたバッグから、衣類やら食糧の類が飛び出してきた。

 

「……なんだコレは」

「見ての通りだよ。送り主は誰か言えないんだけどね、ホラ、顧客の情報ってやつ?」

 

 テキサスはバッグから飛び出て来た物を物色する。梱包された物の安全が確認できると、ようやく剣を収めたのであった。

 アンジェリーナはそれと同時に両手を下ろす。安心したようなため息を吐くと、飛び出て来た荷物を再びバッグにしまい込んだ。

 

「それじゃぁ、確かにお届けしたよ! あたしはケルシー先生に報告しに行くから! また会おうね!」

 アンジェリーナは一枚のプロマイド写真をテキサスに渡した。ニコニコと笑顔を浮かべながら去って行った彼女の姿は、およそ感染者として迫害を受ける側の人間とは思えなかった。

 予期しない訪問客からの支援物資を背負い、ドクターの待つ案内板への道を急いだ。

 

 

「……おぉ、迎えに行こうかと思っていたぞ」

 ドクターと合流する。

「アンジェリーナから支援物資を受け取っていた。しばらくは資源には困らないだろう」

 テキサスが背負った荷物をドクターが回収する。ズシリと重いその荷物はどうも腰に響くようだ。

 ウォルモンドの最北端にある冬霊族の根城から、死を運ぶ冷たい風が流れて来た。二人は体を震わせた。そして、風邪を引かないように少し早いチェックインを済ませるのであった。

 

 ウォルモンドの上空を、一つの飛空艇が通過した。

 

 

【ウォルモンド 南東】

 

 テキサスは暖房が効いた一室でラジオを聞いていた。イェラグの馬小屋で一夜を明かしていた頃とは比べ物にならない程の生活水準の上昇。

 基本的な事なら何でもお金で解決できるのだと、二人は改めて実感した。

 幸いテキサスもドクターも、収入の割に物欲の強い人間ではなかった。地方の土地や戸建てくらいなら購入できるはずだ。テキサスはポケットに入っていた硬貨を鳴らしながら思うのであった。

 

「湯船を張っておいたぞ。シャワーは水しか出ないポンコツだから使わない方が良いと思う」

 ドクターが浴槽から出て来た。

「……冷めない内に入って来る」

 

 テキサスが椅子から立ち上がり、ドクターと交代するように浴室に入っていった。

 女性の入浴は長い。髪が長い分、手入れも大変なのだ。当然浴室に持っていく荷物も多くなる。

 そんなことは鈍いドクターも把握していたことだが、その時のテキサスが持って行った荷物の量は流石に多過ぎると感じた。

 だからと言って指摘するなどという失礼なことはしなかったのだが。

 

 カタカタと音が鳴る扉のポストに、大裂溝を渡る手段が記載されたメモが投函された。

 

 テキサスは浴槽の前にて、鏡に映された自身の虚像と向き合った。

 体に巻かれた包帯は赤黒く染まり、それでいてどこか黄色い膿のようなものも見られた。

 エクシアとの決戦の際に負った傷だ。医療オペレーターの手も借りず、自身の手で治療を施したつもりであったが、その処置も限界を迎える寸前だったようだ。

 生々しく抉られた傷痕に触れると、神経を針で突かれたかのような痛みが発生した。ほんのりと赤くなった胸部は確かに熱を帯びていた。

 医療機関の手にかかると、まず間違いなくロドスの捜査網に引っかかる。自力で治療させるしかなかったのだ。もし胸部に源石をぶつけられたら、たちまち鉱石病患者の仲間になってしまう。

 手遅れになる前に、目的地に辿り着かなければならなかったのだ。

 

「……まだ、大丈夫なはずだ」

 

 ドクターとテキサスの二人はラジオを囲むように座り、アンジェリーナが届けてくれたカップラーメンにお湯を入れた。

「もう食っていいぞ」

「まだ2分半だ。3分待てと書いてある」

 ドクターが指を左右に振った。

「分かってないな、律儀に3分待ってると底の麺が伸びるんだよ」

 テキサスは「なるほど」と言ってフタを開けた。

 放送が終了したラジオからは、俗にいうクラシックが流れていた。

 

「あったかい所に行きたいものだな」

 テキサスが頷く。

「寒冷地方ばかり歩んでいる。クルビアの次はサルゴンにでも行こうか」

「あの近辺は飛行機で飛んだら撃墜されるからな……」

 

 テキサスが不思議そうな表情で首を傾げた。ドクターは彼女にサルゴンで起きた話を聞かせた。

 ガヴィルの故郷の話、脳筋が集まる最強決定戦の話、トミミが尻をシバかれて泣いた話。同じ曲ばかり流れるラジオに比べたら、とても面白い話であったはずだ。

 二人は少し高級なベッドに横になり、男はその話をし続けた。やがて、テキサスはうつらうつらとし始め、そしてしばらくしない内に眠ってしまった。

 

 スヤスヤと穏やかな寝息を立てるテキサス。ドクターはピクピクと動いている獣耳に静かに触れた。

「……ん」

 虫の羽音のような声を発し、ゆっくりと片目を開けてドクターを見た彼女は、何事もなかったかのように再び眠りの淵に身を投じたのであった。

 毛布を巻き込み、丸くなって眠るその姿は、オオカミだというのにどこか猫のような可愛らしさを備えていた。

 

 

 早朝、朝日が山脈から顔を出す時間帯。

 テキサスは上半身の痛みで目覚めた。額には汗が流れ、どこか呼吸も苦しかった。戦場に身を置いていた経験から、抗生物質が必要だということを理解した。

 すぐ隣で寝息を立てているドクターを起こさないように、ベッドから静かに離脱する。

 アンジェリーナからの支援物資には、鎮痛剤が一瓶。「無いよりかはマシだ」と考えたテキサスは、震える喉に無理やり錠剤を流し込んだ。

 藁にも縋りたい状態であった。テキサスが溺れる者だとすれば、上半身の痛みは水底から足を掴む亡霊だろうか。

 

 顔を洗い、髪の毛を寝かしつけたテキサスはドクターを叩き起こすのであった。

「起きろ。朝だ」

 ドクターはテキサスが使用していた毛布を抱き寄せる。

「……アーミヤか……?」

 バキイ!! 

「いてえ!? 何だ! 敵襲か!?」

「敵襲ではない。テキサスだ」

 寝ぼけているドクターをグーパンチで覚醒させた。その後の落ち着き具合を見る限り、普段から殴り起こされていたのだろうか。

 

 

 二人はウォルモンドを出発し、先の大裂溝を抜けるための準備をした。

 不要な物は削ぎ落し、必要最低限の物資を背負う。唯一の不安要素と言えば、山脈が吹き下ろす寒波だろうか。

 テキサスとドクターは大裂溝に向かって足を進めた。

 

「アンジェリーナが同行してくれたら楽だったんだけどな……」

「地形を無視できるトランスポーターは貴重だ。仕事が立て込んでいるのだろう」

 テキサスは男の隣を歩いた。大地を引き裂く溝の付近は地盤が不安定なのだ。なにかの間違いでバイクごと奈落に落ちてしまえば笑い草である。二人は安全策を取って、次の観測基地までの道のりを歩くことにした。

 

「この先に天災トランスポーターの基地がある。次の日の出までには到着したい」

 テキサスはドクターの提案に同意した。

 夜の暗闇の中を歩くのは賢い選択とは言えない。ループス族は夜目が効く種族だったが、それでも一人の男を先導するには心細いものだった。

 ならば、大人しく観測基地にお邪魔した方がよっぽどマシという話だ。

 

 後方に見えるウォルモンドの尖塔を、灰色の雲が覆わんとしていた。山脈からやって来た雪害をもたらす暗雲。

 テキサスは立ち止まり、後ろの方角を見つめていた。ドクターも彼女の様子に気づいて立ち止まる。

「……何か忘れ物でもしたか?」

 テキサスは静かに呟いた。

「雪が降る……。天災に匹敵するほどの吹雪が来る……」

 野生の勘だろうか、それとも経験からの予測だろうか。しかし、素人目から見てもウォルモンドを覆う雲の巨大さは異常だと分かった。

 二人は大裂溝の淵から飛び出た源石に接触しないように、慎重に、そして出来るだけ速く歩を進めた。

 12月のイェラグか。もしくはそれ以上の寒波が来る。恐らくウォルモンドも移動を開始するだろう。

 

 今更戻ることはできない。観測地点に向かう以外生存する手段は残されていなかった。

 あっという間に窮地に追いやられた二人であったが、きっとロドスからの追手も窮地に立たされていることだろう。思考はなるべくポジティブに、思い通りにならなくても、絶対に態度に表してはならない。

 テキサスとドクターは、自身らに迫る危機をあえて口に出さず、観測基地までの道を進むのであった。

 

【ウォルモンド大裂溝 西部観測基地】

 

 徐々に天候が悪くなっていった。時刻は正午だというのに、周囲は夕暮れのように暗くなっていた。

 それでもテキサスとドクターの二人は歩き続けた。道中、薄い雪が降り始めた。アンジェリーナからの支援物資の中にあった防寒具が無ければ、既に身動きも取れない状態になっていたであろう。

 口から白い息が出た。気温は急速に冷えていき、瞬く間に寒さが体を支配するようになった。

 

「……いつも寒さで震えている気がする」

「恒温動物の辛いところだな……」

 テキサスが手を擦り合わせた。自慢の毛並みが整った尻尾は、体温を高めようとモコモコになっていた。

 レッドが見たら喜んで飛びつきそうな尻尾をしているテキサスが話しかける。

「まだ夕方だぞ……。日が沈めば更に冷える」

「……もうすぐ到着するはずだ」

 

 薄く降っていた雪は、気づけば分厚く重い雪となっており、地面を銀色に化粧させていた。

 さっぱりとしていないベタついた雪。雪だるまが作りやすい雪と表現すれば適切だろうか。とにかく、歩く度に体力を削られる厄介な環境へと変化していった。

 それからしばらく歩いた後、視界を遮る程の豪雪の隙間から、目的の観測基地が姿を現した。

 テキサスとドクターは安堵したような表情をして、観測基地に近づいた。

 しかし……

 

「何だ……? この形跡は……?」

「電源もない。襲撃されたんだ。金に換えられそうな物は全て奪われている」

 ドクターは、サルカズの傭兵団がウルサスに向かっていくのを思い出した。彼らが都市に入るのは換金目的か天災を避ける時だけだった。

 恐らく、大裂溝を予測したは良いが、器具を置いて避難せざるを得ず、そのまま放置されていた所を襲撃したのだろう。

 電源も無ければ、水も通っていない。なんなら壁にも穴が空いており、腐乱臭を撒き散らす獣の死骸まであった。一夜を過ごすとしても、外と何ら大差ない環境であった。

 

 それでも吹雪は吹き荒れる。

 ウォルモンドに戻るにしても、この場に留まるにしても、どちらも危険極まりないものだった。

 ドクターはテキサスが汗をかいていることに気が付いた。

 あまりにもこの場に合わない彼女の状態に、心配の念を込めて問いかける。

「テキサス? 顔色が悪いようだが……?」

 テキサスは後方にあった椅子にもたれかかる。

「……何でもない」

 その足取りはフラフラとしていた。彼女の容体が安定していないことは、聞くよりも見た方が明らかだった。

 

 ドクターがテキサスに触れる。

「あっつ! 風邪引いてるのか!」

「……まだ歩ける、無事だ」

 テキサスは壁に手をついて立ち上がった。しかし、平衡感覚を失った生き物のように、すぐに足元にへたり込んだ。

「なぜ黙っていたんだ! ウォルモンドで医者に診てもらえたというのに!」

「医療機関はロドスと繋がっている……。潜伏先が割れるのは危険だ……」

 

 ドクターがテキサスを起こそうと体を持ち上げる。

 その時、テキサスが大きな声を上げてのたうち回った。

「ッッ!! ……ぐッ! ああああああ!」

「どうした!? 大丈夫だ! 落ち着け!」

 

 テキサスは胸の辺りを押さえて苦しんだ。息も絶え絶えになっていき、瞳の焦点も定まっていなかった。

 ドクターは彼女の服に手をかけた。

「すまない、少し我慢してくれ!」

「見るな……!!」

 

 テキサスの服の下には包帯が巻かれ、鎖骨から臍部にかけて赤黒い裂け目が姿を見せていた。

 熱の原因は、傷が化膿したことによる炎症であった。

 ドクターは、苦しみながらもなお立ち上がろうとする彼女の姿を見て、現状を変えることができないという自分の無力さを痛感した。

 

「先に進むぞ……!」

「よせ! それ以上動くな!」

 

「ならばどうする……! 凍えて死ぬぞ……!」

「外は危険だ! 私が、ウォルモンドから医者を連れてくる……!」

 

 空いた壁から凍てつく風が入り込む。

 動いていないというのにテキサスは息を荒げていた。そして、ドクターの襟を掴むと、鼻先が触れ合う距離まで近づけて言葉を放った。

「私も連れていけ……!」

「気をしっかり持て! この吹雪の中だぞ!?」

 

「一人にするな……。私は、大丈夫だ……」

「ぐッ……!」

 ドクターは奥歯を噛み締めた。

 例え観測基地の通信設備が使え、ロドスに救難要請を発信した所でこの吹雪である。車両どころかまともな人員すら寄越してくれないだろう。

 テキサスの負傷が無くても、きっとこの観測基地で足止めさせられていた。

 自分たちに残された選択肢は二つ。

 ウォルモンドに戻る途中で死ぬか、観測基地で死ぬか。

 

 天文学的な確率に賭け、テキサスはウォルモンドに戻る道を選んだ。

 

「歩いて戻る余裕はない。少し揺れるが、『エクシアと愉快なペンギン号初号機』に乗って行くぞ」

「……『アップルパイ号』だ」

 

 ドクターはバイクのタイヤにチェーンをつける。滑り防止の目的なのだが、果たしてその効果を発揮するかは未知数だった。

 テキサスは防寒具を何枚も重ね着させられていた。モコモコのその姿はどことなくマドロックのようにも見えた。

 

 エンジンを何回か吹かした後に、苦労して辿り着いた観測基地を去る。次に訪れることはないだろう。

 辺りは闇に包まれていた。光を反射するはずの雪が積もっているというのに、ここまで暗いとは。

 バイクのすぐ正面を照らすライトのみが頼りだった。

 ドクターの体が震えていた。それと同時に、テキサスの視界は暗くなっていった。

 

「テキサス……?」

「……なんだ」

 タイヤは積もった雪をかき分けて進む。

 

「静かだからくたばったかと思ったぞ」

「……」

 テキサスの呼吸は次第に静かなものへと変化していった。

 

「くたばったかと思ったぞ!!」

「ん? ……あぁ、そうだな……」

 ドクターの腰に回した腕がほどけていく。

 やがて、2、3度左右に大きく揺れたと思ったら、テキサスの体はぐらりと地面に落下していった。

 

「テキサス!!」

 ドクターがバイクを停め、落下したテキサスの下に駆け寄る。積雪がクッションの役割を果たしたようだ。

 しかし、ドクターの大きな声に反してテキサスの返答は非常にか細いものであった。

 

「ドクター……。ここは、クルビアか……?」

「違う! もうすぐウォルモンドだ!」

 ドクターはテキサスの手を握る。

 

「そうか……。成し遂げたのか……。よかった……」

「おい! テキサス!! 聞いているのか!!」

「エクシアを、ラップランドを、モスティマを……。みんなを呼んで、ここで暮らそう……」

「そして……一族を……暖かな……家族を……」

 

 あぁ、何とも情けない。荒野を越え、雪夜を越えて幾星霜。痛みを誤魔化し、歩き続けて三千里。ついに力果ててしまうとは情けない。百戦錬磨の限りを尽くしたオオカミは、今まさに、道半ばで途絶えようとしているのだ。もはや天を仰ぐ余力すら残らず、叶わぬ夢を見ながら沈みゆくのだ。彼女の意志も、やがて理想郷に続く骸の一部になるのだ。

 

「くそッ! 意識が無い人ってのは重てぇなぁ!」

 ピシッ! 

 

 ドクターがテキサスを背負った瞬間、固いはずの地面がパキパキと音を立てて傾いていった。

 二人の体も、バイクも、地面の上にあるもの全てが傾いていく。

 まさかと思ったドクターは、寒さに震える手で積もった雪を払った。

 

「……なんだ、これは」

 

 地面に触れた手には土が付着しなかった。地面だと思っていた氷の床の下に底のない奈落が見えた。

 ドクターとテキサスは、大裂溝に張った氷の上をバイクで移動していたのだ。

 パキパキパキ…………

 

「やばい、やばいやばいやばいやばい!!!」

 バキバキバキバキバキッ!!!! 

 ドクターはテキサスを背負って走り出した。

 バイクが崩れた足場から落下していく。ドクターが踏み出した足も、次第に水平線から下がっていった。

 

「あッ! おッ!? おああああああああああああああ!!!!」

 自然の脅威に逆らえるはずもなく、ドクターとテキサスは大裂溝の奈落に飲み込まれていった。

 辺り一面の氷の床が剥げていく。そこには、都市区画を破壊した天災の一部が、何事もなかったかのように佇んでいた。

 

 

 



 

『おい! なにか落ちてきたぞぉ!!』

『人だ! 溝の淵に引っかかってる!!』

『アイツ知ってるぞ! テキサスだ! 開幕リスキルのエクシアの相棒だ!!』

『向こうに居るのはドクターの兄貴だ!!』

『姐さんに伝えろ!! ドクターの兄貴が落ちてきた!!』

 

『フロストノヴァの姐さんに伝えろぉ!!!』



 

【???? ?????】

 

『まさに不幸中の幸いってやつだな』

『オメェ難しいことばっか喋ってよぉ、女子メンからうざがられてンの知ってんのかぁ?」

『はぁ~!? オマエこそ姐さんに「酒臭い……」って言われて凹んでただろがよぉ!?」

 

 テキサスは意識の片隅で騒がしい声が耳を突くのを感じた。

 目を開けるのが怖かった。生存しているのが自分だけかも知れないという可能性が捨てきれなかったからだ。

 誰かが扉を開けて入って来た。聞いたことのない足音。少なくともドクターではない人物。

 テキサスは捕虜として捕らえられた可能性のことを考え、そのまま寝たフリを続けるのであった。

 

『姐さん! ヤバいっすよ! もうずっと寝たっきりで……』

「……」

 姐さんと呼ばれた人物が接近してきた。恐らく彼女がこの集団のボスなのだろう。

 テキサスは限界まで近づいてきた瞬間に飛び掛かり、ドクターの所在を尋問することにした。

「……フッ!」

『あッ! 姐さん!!』

 テキサスは近づいて来た足を掴むと、そのまま飛び掛かり、後ろから首を絞める体勢で問いかけた。

「ここはどこだ……。ドクターはどこだ……!」

 白いうさ耳を持ったコータスは、全くと言っていい程動じなかった。

「……」

 

 耳元でパキパキと何かが鳴る音が聞こえた。

 テキサスが不審に思った瞬間、自身の耳の中に冷たい物体が侵入してくるのを感じた。

「うぐぅッ! なんだ!? 耳の中にッ!!」

 ケモ耳を動かし、侵入してきた異物を外に取り出す。コロコロと床に転がり落ちたソレはとても小さな氷だった。

「……氷?」

 

 テキサスの意識が氷の方向に向いた瞬間、首を絞めていたはずのコータスが拘束をスルリと抜け、テキサスの尻尾を握りしめた。

「ぐああああ!! 貴様ああああ!!!」

「オオカミ狩りだ。あっけないな」

 

 テキサスが大振りの拳を振り下ろすが、相手のボスはその攻撃もスルリと回避した。

『スゲェ! 流石姐さんだぁ!!』

「酒臭い……」

 

 ドタバタと騒ぎ散らす者たちの空間に、静かに忍び寄る人物が一人。

「……エレーナ、いや、フロストノヴァ? あんま虐めてやるなよ」

 フロストノヴァと呼ばれた女性が振り返る。

 テキサスが扉の方に駆けていった。

「無事だったのか……! あぁ、よかった……」

 ドクターはテキサスの頭をぐしぐしと撫でまわした。

「何とかな。端っこの出っ張りに引っかかっていたらしい」

 

 フロストノヴァが部下と思われる連中を部屋の外に追いやる。室内に残されたのはドクター、テキサスそしてフロストノヴァだけだった。

 テキサスは現在の場所がどこなのかも分からなければ、氷の蝶をドクターに飛ばす女性のことも知らなかった。彼女は自身が置かれた状況の説明を求めた。

 

「あー、どこから説明しようか……」

 フロストノヴァが口を挟む。

「現在地はイベリアの東。我々はロドスに帰還する道中で大裂溝を通り抜けた。その際にドクターを回収した」

「……貴様は何者なんだ」

 テキサスがフロストノヴァを睨みつけた。

「……話せば長くなる。ただし、スノーデビル小隊はロドスの味方だ。それに関しては揺るがない事実だ」

「まぁ、龍門で色々あってな……。彼女の部隊はアーミヤも把握していない」

 

 テキサスはフロストノヴァのことを信頼していないような印象だった。しかし、彼女らからすれば、スノーデビル小隊は間違いなく命の恩人であった。

 整いつつも悪人のような面をしているフロストノヴァのことが好きになれそうになかった。目を合わせるとそのまま飲み込まれてしまいそうな瞳が好きではなかった。さっきからガンを飛ばしているのに、ドクターに向けて氷の蝶を飛ばし続けている彼女のことが好きになれそうになかった。冷たい表情をしている癖に、実際の所は誰よりも情熱に燃えているという部分が、どこか自分と似ていて好きになれそうになかった。そのくせドクターが彼女の方を見ると、サッと目を背ける辺りがどうにも好きになれそうになかった。

 その姿をニヤニヤと見つめているスノーデビル小隊のことも好きになれそうになかった。

 

 しかも、よく見ると彼女らの服にはレユニオンのマークが刺繍されているではないか。

 テキサスは露骨に嫌悪感を示すと、大きな足音を立てて一人外に向かうのであった。

 

 フロストノヴァは少し驚いたような顔をした。

「何か気に障ったのだろうか」

 スノーデビル小隊が駆け寄る。

『アレっすよ、姐さんの女子力にビビったんすよ!』

『まさに逃げ腰になるってやつだな』

 フロストノヴァはドクターの背に隠れた。

「酒臭い……」

 

 

 テキサスは窓辺に座って外の景色を眺めていた。

 木々の上に建てられた小さな小屋。どうやらスノーデビル小隊の中継基地として作られたものらしい。

 地面にはうっすらと芝のようなものが自生していた。

 

「私たちの小屋はここらしい」

 テキサスが振り返る。

 通路に続く扉には、共に大裂溝に落下したドクターが立っていた。

「……私たちは本当に生きているのか」

「生きているらしい。朝日を拝めば実感できるかもな」

 ドクターはテキサスと向かい側の窓辺に腰掛けた。

 

 やがて、テキサスは顔を背けたまま、ドクターに問いかけた。

「フロストノヴァは、何者なんだ……?」

「彼女は、元レユニオンの幹部だが、今は仲間だ。立場上はスノーデビル小隊の隊長は私ということになっている」

 テキサスは空を見上げた。月の欠け具合から、ウォルモンドを発ってから既に7日が経過していたようだ。

「ケルシーのS.W.E.E.Pみたいなものか。本当に暗躍が好きなんだな」

「元々は対ケルシー決戦兵器として運用しようとしていたんだが、小隊の奴らがとりあえず働きたいって言うもんでな」

 テキサスが少し伸びた髪先をいじり始めた。

「……それで、辺境の哨戒をさせていたという事か」

「そういうことだな。治療が必要な隊員はロドスで雑用をしてるんだがな?」

 

 テキサスは月を眺めていた。

 満月に吠える狼のように、ただじっと月夜の虚空を見つめていた。

「フロストノヴァたちがクルビアまでの道を護衛してくれるらしい。イベリアを抜けるのは容易ではないが、それでも安全は確保できるだろう」

 テキサスは上半身の傷が癒えていることに気が付いた。

「ちなみにケガの治療は私がやった」

「そんなことが出来たのか……?」

 ドクターはヘラヘラと笑った。安心している時に漏らす、彼が本心で笑った時の顔。

 テキサスとフロストノヴァは、そんな彼の笑った顔に惹かれていったのだ。

 

「物資と金さえあれば出来ん事などないのだよ!」

「フッ……、その通りだな。心より感謝する」

 テキサスがニコリと笑った。

 月光を反射する程の彼女の白い肌は、どこか幻想的な雰囲気を纏っていた。

 ドクターはつい顔を背けてしまった。

 

 静かな時間が経過していく。

 隣の小屋からスノーデビル小隊の皆が夕食を作る音が聞こえた。

 テキサスはこの時間が永遠に続けば良いのにと思った。

 しばらくした後、不意にドクターが語り掛けた。

「あー、その、なんだ。……うん、それでだな」

 あちらこちらを見回したと思ったら、今度は月を見て静かに言った。

「かなり空気が読めないということは自覚してるんだが、その、今しかないと思ってな……」

「……クルビアで、一緒に暮らさないか?」

 

 コトッと小さな箱が置かれた。かなり有名なウォルモンド発祥のブランド。

 クロワッサンとソラが騒ぎながら読んでいた雑誌に載っていたものだった。

 中には、たしか指輪が入っているはず。

 

 テキサスはしばらく硬直した後に、深呼吸3、4回繰り返した。

 そして、手で口を押さえながら答えた。

 

「……私には、縁の無い物だと思っていた。これは、そういうことか?」

 ドクターは恥ずかしそうに頬を掻いた。

「……そういうことだ」

 テキサスはドクターの顔を見た。

「私は、もしかしたら嵌めた指ごと地に落とすかも知れない。かなり嫉妬深い性格だということも自覚している」

「それでもだ。で、返事は……?」

 テキサスの頬はほのかに紅潮していた。

 

「……こちらこそ、頼む」

 細やかな指にリングが嵌められた。

 キラキラと光るソレは、この世界に存在するどんな宝石よりも輝いているように見えた。

 彼女は涙を流さなかった。その代わりに、自身が愛する笑顔をそっくりそのまま男に返すのであった……。

 

 

【イベリア スノーデビル小隊秘密基地】

 

『……』

『……』

『……』

『……』

 

 屈強な男たちがテーブルを囲んでいた。普段ならばトランプやら腕相撲やら酒盛りやら何やらに興じているのだが、なぜかこの日は何も置いていないテーブルを囲んでいた。よく見ると、スノーデビル小隊の全員がこの一室に集まっているようだった。

 まるで誰かを待っているかのように……。

 その静寂を打ち破るかのように、扉が音を立てて開かれた。

 

「む、全員集まっているとは珍しい。何かあったのか?」

 夕食を食べ終えたフロストノヴァだった。

 スノーデビル小隊はドクターたちの小屋に向かわせないように一斉に立ち上がった。

『いやぁ~、特に何もなかったんスけどねぇ~?』

『あ! あれだ! 今からゲームしようとしてたんだよ!』

『それか飲もうかなって思ってまして!』

 

 下手くそな嘘をつきながらフロストノヴァを取り囲む。

 謎の不信感が彼女の心に浮上したが、それを確かめるよりも、ドクターたちの様子を確かめに行くことを優先した。

「私はドクターの様子を見に行く。少し道を開けてほしい」

 フロストノヴァの言葉を聞いた者たちは、物凄い剣幕でそれを阻止しようとした。

『ドクターの兄貴はもう寝るって言ってましたぁ!! はい!!』

『姐さんが元気そうで良かったって言ってました!!』

『うおおおおおおお!!!』

 ブチイイイ!!! 

 一人の男が、ドクターたちが居る小屋に続く橋のロープを切断した。

『すいやせん! ちょっと手が滑っちゃって小屋に行けなくさせちまいやした!!』

 

 その時、皿を洗っていたと思われる隊員が集団に割り込む。

『あの~、兄貴とテキサスさんの分の食器が出てないんですけど~』

 フロストノヴァが振り返る。その視線の先には手の付けられていない料理が2つあった。ドクターとテキサスの分であった。

「夕食を食べていないのか。それは大変なことだ。私が届けてくる」

 スノーデビル小隊の面々が再び立ち塞がる。

『俺が運んできます! 兄貴にはお世話になってるんで!!』

『姐さんは横になってて下さい! お願いします!』

 

 その時、ドクターたちが居る小屋の方から、テキサスと思われる嬌声が聞こえた。

 

 フロストノヴァが集団をかき分けて、千切れた橋の向こうを覗き込む。

「……何も見えない。獣のような声が聞こえたが。心配だな、様子を確認してくる」

 再び隊員たちが道を遮る。

『違うんスよ! 獣のようなっていうか、もはや二人とも獣っていうか!!」

「獣か、野猿に襲われていたら大変だ。やはり救助に向かう」

『襲われているっていうか襲っているっていうか! 合意の上っていうか!!』

 

「……そこまで言うのなら任せるが、野猿だからと言って侮るな。私は眠る」

 あまりの勢いに押され始めたフロストノヴァは、隊員の言う通りに任せて自身の小屋に戻っていくのであった。

 その場に残された隊員たちは、再びドクターたちの邪魔をしないようにテーブルを囲むのであった。

 



「……クルビアの南に、私の故郷がある」

「それは初耳だな」

「もう戻らないと思っていた。だが、ドクターとなら戻ってもいいかもしれないと思った」

 男はタバコを差し出した。

「不要だ。母体に悪い」

「テキサス……。少し気が早いんじゃないか?」

「……テキサスというのは家の名前だ。もう誰も憶えていないだろうが、それなりに大きな家だった」

 女性は男の顔を撫でた。

「私の名は判明次第加筆します。二人きりの時はそう呼んでほしい」

「私の名前は、まだ思い出せない。このままドクターでいいのかもしれないな」

 女性は尻尾をぱたぱたと男の足にぶつけた。

「……子の名前と父の名前を考えなくてはな」

 男は月に手を伸ばした。

 今にも落ちてきそうな満月は、そのまま手の中に入ってしまいそうな気がした。

 男の悪運の強さが女性を救った。女性の惑わされることのない純粋な想いが男を救った。

 深き闇が二人を飲み込もうとも、その想いまでは飲み込めまい。

 二人は初めて、安息の地へ向かう切符を手にしたのだ。

 

 それが、片道切符ならどれほど良かったことか。



 

 眩しい程の光が差し込む朝だった。

 心の中で悪さをしていた虫はどこかに消えた。身体を蝕んでいた上半身の痛みも消えてなくなった。未だかつてないほどの絶好調であった。

「気分はどうだ?」という問いかけに、テキサスは何も語らずピースサインで答えるのであった。

 

 

【イベリア 最西端】

 出発は早かった。スノーデビル小隊は車両などを使用しない。使用したところで、戦闘の際はフロストノヴァが大地ごと凍らせてしまうからだ。

 クルビアまでは徒歩で向かう。ウォルモンドの寒波を奇跡的に乗り越えた二人には、特に苦しいことではなかった。

 

「黒うさぎは元気にしているか」

 フロストノヴァが話しかけた。ドクターではなく、テキサスに。

「黒うさぎだと。一体誰のことだ」

「アーミヤのことだ。決闘の末に敗北した」

 

 ドクターと隊員が口々に言う。

「あれは決闘と言えるものではなかったが……」

『多対一でしたもんね……。しかも時間切れで敗北ですから』

 

 テキサスは、フロストノヴァとアーミヤの間に何があったのかは聞かなかった。

 しかし、この凍て刺すほどの瞳を持つ白うさぎが、まさかアーミヤに敗走するとは到底思えなかった。

 

「我々はその黒うさぎから逃げている。ただのすれ違いだ」

「そうか。深くは聞くまい。クルビアに向かう者など皆そういう者だ」

 フロストノヴァは胸元のポケットから一枚の紙切れを差し出した。

 

【ビッグ・ボブの大農場 従業員募集 初心者歓迎 アットホームな職場です】

 

「到着したら向かうといい。働き手が不足していて土地を腐らせているそうだ」

「考えておく」

 

 テキサスは素っ気ない返事を繰り返した。

 心が冷え切った人間だからではない。元々用心深い人間なのだ。

 フロストノヴァは彼女と友好的な関係を築きたそうにしていたが、どうもテキサスは乗り気ではないように見えた。

 

 やがてイベリアの領域を通過する時、小隊は少し早い昼食を取ることにした。

 ドクターは小隊の皆に囲まれて食事を取っていた。テキサスとフロストノヴァを含めた女性陣は、汗臭い男衆から少し離れた場所で食事を取っていた。

 

「座らせてもらう」

 

 テキサスが座る朽ち木の横に、そっとフロストノヴァが座った。

 ロドスに居るフロストリーフは、触るとひんやりとしていて夏場は人気なのだが、彼女はそんな物の比ではなかった。彼女の周囲でパキパキと音が鳴っていた。急速に冷やされた大気が凍結していたのだ。

 スカルシュレッダーやクラウンスレイヤーといった者たちとは一線を画していた。生まれながらの強者。ループスとしての本能が、彼女は危険な存在だと警鐘を鳴らしていた。

 仲良くなれないことは確定していたが、敵対はしたくないといった感じであった。

 

「構わない」

 テキサスはサンドイッチを口に放り込んだ。冷気のコントロールが出来ないのだろうか、フロストノヴァは冷凍されたようなパンをお湯に浸して食べていた。

 咀嚼するたびにじゃりじゃりと音が聞こえた。「そうはならないだろ」と思いながらテキサスは横目で彼女を見ていた。

 

「私はみんなと食事をするのが好きだ」

 不意にフロストノヴァが喋った。

「……初めは4、5人の同胞しかいなかった。それでもパトリオットの背中を見て歩き続けた」

「やがて、居場所を求める者たちが集うようになった」

 

「楽しいことだけではなかった。年月が経つにつれて、同胞たちは消えていった」

「それでも私たちは歩き続けた。朝に起床し、昼に歩き、夜に干し肉をかじった」

「タルラの指示の下、理想のために塞がる者を薙ぎ払い続けた」

「そして、ロドスと対峙した。私もパトリオットも限界が近かった」

「死に場所を探していたとでも言おうか」

「パトリオットは戦士として死んだが、私は理想を忘れられなかった」

 

 フロストノヴァが手を伸ばした。

 陽の光を反射するその肌は、まことこの世のものとは思えなかった。

 

「伸ばした手を、ドクターが握ってくれた」

「私たちは、スノーデビル小隊は、初めて居場所というものを手に入れた」

「消えるはずの命を繋いでくれた。ドクターの理想が我々の理想だ」

「だから、私は貴様の味方だ。それだけは理解してほしい」

 

 テキサスは黙って聞いていた。

 パトリオットという人物のことは知らなかったが、彼女にとって大切な人物だということは理解できた。

 彼女は、理想を追い求め続け、そしてついに手に入れた人間なのだ。

 現在のテキサスとドクターと境遇が似ていた。彼女が接近してくるのは何かシナジーを感じたからだろうか。それとも単純に彼女が良い人だからだろうか。

 テキサスは、彼女のことを深く考えすぎていたと戒めるのであった。そして、友好の証として、ポケットからチョコレートを差し出した。

 

「甘い物は好きか」

 フロストノヴァはチョコレートを手に取った。

 そして、瞬く間に凍り付いたチョコレートをガリガリと嚙み砕いた。

「……甘いな」

「……」

 

 

『そろそろ出発しまっせ~』

 遠くで名前も知らない隊員が声を上げた。

 それを聞いた皆が立ち上がる。昼食の時間は終了したらしい。

 温かい光が差し込む木々の間を、小隊の者たちと歩き続ける。テキサスは子どもの時に戻ったかのような感覚に陥った。

 

「……ここの道を知っている」

 テキサスが独り言を喋る。

 その言葉を聞いたフロストノヴァが、静かに呟いた。

「ここはイベリアからクルビアに向かう唯一の道だ。それ以外の道は封鎖されている」

 小隊を先導していたドクターが振り返る。どうやら道が左右に分離しているらしい。

 隊員の一人が分かれ道の説明をした。

『左は南クルビアに向かう道です。右は確か旧市街に繋がってます』

 

 テキサスの故郷は左の道らしい。

 フロストノヴァは黙っていた。向かう先に同行するという、確かな意志が瞳から感じられた。

 ドクターがテキサスの眼を見る。「どちらに行くか」と問うような視線を送った。

 テキサスは、ゆっくりと、それでいて力強く声を発した。

 

「右へ、クルビアの中枢へ」

 

 その言葉を聞いたドクターが足を前に出す。親のアヒルに付いていく子のアヒルのように、スノーデビル小隊が付いていく。

 テキサスは後ろを振り返らなかった。二度と戻らないと決めていた故郷に、今度こそ完全なる決別を告げた。

 

 かつては綺麗に舗装されていた道も、今では見る影もなく荒れ果てていた。

 草木は伸び、樹木の枝葉がドクターたちに影をもたらしていた。

 やがて、不自然に切り開かれた地点を発見した。そこに広がっていたのは、

 

「……クルビアだ。辿り着いたのか……」

 何世代も前の文化が色濃く残る建物が姿を現した。BSWなどの企業は全てクルビア中枢の近代都市に集中している。

 鎖国主義的な思想を持つイベリアに隣接するこの地域は、まさに辺境の辺境。政府も管理が面倒なので、一帯の開拓は全て入植者に任せっきりであった。

 ビッグ・ボブが農場を築いたように、ここなら誰にも虐げられることなく生きることが出来るだろう。

 

「中央クルビアの摩天楼には近づかない方がいい。あそこだけは世界が違う」

 遠くの方にうっすらとビル群が見えた。ライン生命やBSWと会合を行うのは、いつもそのビル群であった。

 この地点から何百㎞も離れているとは到底思えなかった。

 

 テキサスは辺りの荒れ果てた家屋を見て回った。

 長い道のりであった。およそ3カ月、間違いなく走馬灯に映されるであろう旅路であった。

 自身の故郷とは余りにもかけ離れた環境に、確かに到達したのだという実感が湧いた。

 

「逃げ切ったのか……」

 テキサスが座り込む。

 覚悟は決まっていた。ここで生まれ変わると、新たな人生を営むと。

 それが、龍門での苛烈な日常や、ロドスでの多忙な毎日と異なるものであろうと、一切の文句も後悔もない。

 残念ながら、二人の達成に花束を投げる者はいなかったが、それでも心持ちは晴れやかなものであった。

 旅の終着の実感が得られないような二人を、フロストノヴァたちはただ静かに見ていた。

 

 どこか遠くの方角から、飛空艇の音が聞こえた。

 

 その時、フロストノヴァが何を思ったのか、突然その場にしゃがみ込んで地面に触れた。

 隊員の一人が質問する。

『……姐さん、なんかあるんすか?』

 この地の建築物を見る限り、人が入植した形跡は見られなかった。それどころか、かなりの年月の間放置されたような跡すら見られた。

「……離れていろ」

 ピシッ! パキパキパキパキパキッ!! 

『うぉあああ!? 姐さん!?』

 フロストノヴァが辺り一面の大地を凍りつかせる。

 ドクターたちが一斉に振り向く。

 砂埃すら起こさず、まるで彼女の周囲だけが氷河期になったかような環境になった。

「……まずいな」

 大地に張った氷が光を反射する。それは地面の状態を確認するにはもってこいの状態であった。

 何もなかったかのように見えた地面には、確かに隠蔽されたタイヤ痕が見られた。

 

 その瞬間、フロストノヴァの側頭部をめがけて、どこからかクロスボウの矢が放たれた。

 バキイイン!!! 

「……」

 しかし、矢は彼女に着弾する前に、凍結した大気によって弾き落とされてしまった。

 フロストノヴァは、何も喋らずに矢が発射された方向を睨みつけた。

 

「初弾、防がれました。ポイントAからCに移動します」

 フロストノヴァの方向を向いていたドクターの背後から、聞き慣れた声が聞こえた。

「いえ、大丈夫ですよシュヴァルツさん。状況が変わりました」

「お久しぶりですね、ドクター。それと…………テキサスさん?」

 

 黒を基調としたコートに青のラインがアクセントで装飾されていた。あまりにもドクターが着ていたロドスの制服と酷似していた。

 忘れるわけがない。ロドスの公表リーダー、最高執行責任者、方舟の代表、アーミヤであった。

 

「まぁ、大体予想通りですか……。待ちくたびれてしまいましたよ」

「あはは……、何故ここに? みたいな顔してますね」

「こちらのセリフですよ。なぜフロストノヴァさんがいらっしゃるのですか?」

 

 ドクターが前に出て弁明を試みる。

「アーミヤ……! フロストノヴァは仲間だ! ロドスのデータベースにも登録されている!」

 アーミヤは静かにドクターとの距離を詰めた。それは丁度ドクターの胸の辺りにアーミヤの頭が来るほどに。

 テキサスが抜刀する。フロストノヴァは大気を震わせて威嚇した。すぐにでも少女の首を撥ねれる体勢であった。

 

「それって、ケルシー先生にも言ってないことですよね……?」

「あっ、分かるので大丈夫です」

「途中で口を挟まれるのも面倒ですので……」

「隠してたってことは、私たちに嘘をついていたってことですよね?」

「私とケルシー先生は、いつもドクターのことを一番に考えているのに……!」

「なんでドクターは私たちのことを考えてくれないんですか!!」

 

 アーミヤがドクターの手を取り、関節を逆側に押し広げる。

 年端もいかない少女の握力など、成人男性からすれば微力もいいとこなのだが、ドクターはアーミヤの手を振り払うことが出来ず、そのまま膝をついた。

「ぐッ……、アーミヤ……!」

 

 フロストノヴァが黒い氷を発生させた。

 その動作を見たアーミヤは、片膝をついたドクターの体を回し、テキサスたちに顔が見えるようにさせた。そして、ゆっくりと背後から抱き着くような体勢をして問いかけるのであった。

 

「動かない方がいいですよ。いくらテキサスさんとフロストノヴァさんが強くても、小隊の皆さんは違いますから」

 ビシイイイ!! 

『うおおっ!! 狙われているぞ!!』

 スノーデビル小隊の股下に弾丸が撃ち込まれた。アーミヤは、「妙な事をすれば隊員の安全は保障しない」ということをアピールしていた。

 

 テキサスは歯を食いしばった。ドクターと隊員たちを人質に取られている以上、迂闊な行動は取れなかった。

 

「はい、そのまま武器を捨てて投降してくださいね」

「皇帝さんはテキサスさんに便宜を図ってくれたみたいですが、私はそんなことしませんので」

「では、ロドスに戻りましょうか」

 

 建造物の影や内部から、見知ったオペレーターたちが姿を現した。

 アーミヤの後方から軍用車が数台、どれもBSWのものだった。

 

「……あちこちに捜索網を張りましたが、まさかウルサスと大裂溝を抜けるとは思いませんでした」

「ですが、『整った顔立ちのループスはどこに行った』と聞いたら皆教えてくれましたよ」

「テキサスさん? あなたが薬局に寄らなかったら、私たちはここに辿り着くことは難しかったでしょうね」

「……テキサスさんが旅の終止符を打ったんですよ?」

 

「ドクターを苦しませて、仲間にも剣を向けて、その結果がコレですよ?」

「色んな方のお世話になって、それであなたが成し遂げたことは何ですか? ただ歩き回っただけですよね?」

「あの時、エクシアさんに敗北しておけば良かったんですよ」

 

「貴様あああああああああ!!!」

 テキサスが剣を発光させた。

 腕を掴んだフロストノヴァの制止を振り切り、凍てついた大地を駆ける。

 最後の一撃に賭けたモスティマのように、テキサスもまた立ち塞がる魔王に刃を向けた。

 

「……そういう所ですよ」

 ドクターの手をギリギリと握り締めたアーミヤが呟く。

 もう2、3歩で切っ先が届きそうといったところで、テキサスの上空に影が現れた。

 ドザアアアアア!! 

「ぐぁッ……! 卑怯だぞッ……!!」

 テキサスはアーミヤの足元で、何者かに押さえつけられ、そのまま身動きが取れなくなった。その直後に全身から力が抜けていくのが実感できた。

「制圧、完了……。始末、する?」

 

「いえ、そのままでお願いします」

「本当にそういう所ですよ。テキサスさん」

 

 アーミヤは眉間にシワを寄せて睨みつける。

 ドクターは理解していた。彼女が怒りを露わにするのは、個人の名誉や誇りが傷つけられたときだけだと。

 しかし、その時のアーミヤの周囲には、確かに禍々しいオーラが渦を巻いていた。

 

 レッドがテキサスの上半身を起こす。

 彼女は依然としてアーミヤの瞳を睨みつけていた。

 フロストノヴァたちの周囲をロドスのオペレーターたちが取り囲む。まず間違いなく無傷では突破できない状況であった。

 

「そうやって後先考えずに行動するから、何もかもうまく進行しないんですよ……!」

「『きっと大丈夫』という浅はかな思考が、結果として自らの首を絞めていたんですよ……!」

「何で黙っているんですか……」

「私とケルシー先生から! ロドスのみんなからドクターを奪っておいて! 何でそんな目で人を見ることが出来るんですか!!」

 

 アーミヤがテキサスの肩を蹴り上げた。

 力の丈を振り絞り、フルスイングで蹴りを入れたように見えたが、ペチッと弱弱しい音を立てるだけで大したダメージにもなっていないようだった。

 むしろアーミヤの足の方がダメージを負ったような具合であった。

 

「……フッ!!」

 ガギイ!! 

「いった……!」

 テキサスが一瞬の隙を突き、レッドの指を噛んで捕縛から脱した。

 まさかの行動にアーミヤが驚き、2、3歩後方に下がる。

 ドクターを握った手の力が緩まったその時、アーミヤの細やかな指を振りほどき、ドクターがアーミヤを押さえつけた。

「きゃっ!? ドクター!?」

「形成逆転だなぁ!! エレーナ! 暴れていいぞ!!」

 

 ドクターの言葉を聞いたフロストノヴァたちがニヤリと不敵に笑った。

 スノーデビル小隊を取り囲む者たちが、周辺の温度の低下に気づいた時には既に遅かった。

「悪く思うな。少し冷えるぞ」

 ビシッ!! ピシピシピシバキバキバキバキバキ!!!! 

 フロストノヴァを中心に、氷塊がオペレーターたちを飲み込んでいく。一瞬の隙を見出し、氷塊を回避した者たちを隊員たちが逃がさんと追撃に向かう。

「これくらいでいいだろう。やりすぎると生態系を破壊しかねん」

 

 思うような動きが取れなくなったアーミヤ。およそ少女がしていいような顔をしていなかった。

 地面に組み伏せられていた状態のまま、耳をすませば辛うじて聞こえるような声量で言葉を発した。

 

「何で、ドクターがテキサスさんの味方をするんですか……」

「ドクターは、私の味方じゃないんですか……?」

「私に嘘をついていたんですか!!」

 

 アーミヤから発せられていた黒いオーラが濃くなった。

 かつてのフロストノヴァのように、目的のためなら命すらも惜しまない者が放つ気迫を纏い、ドクターの腕を握り返した。

 

「ドクターは! 黙って! 私の言うことを! 聞いていればいいんです!!」

「私とケルシー先生のために生きればいいんですよ!!」

 アーミヤの指輪がカタカタと揺れた。

「……ドクターは何も考えなくて大丈夫ですよ?」

「今度こそ、私が、助けてあげますから……」

「だから、ロドスに帰ったら、いっぱい褒めてくださいね……?」

 

 フロストノヴァが歩み寄る。

「堕ちる所まで堕ちたな、黒うさぎ」

「出会い方さえ違えば、ゆっくりと話が出来ると思ったが、まさかここまでとはな」

「救ってやる。貴様らがパトリオットにそうしたように」

 

 テキサスがドクターに駆け寄る。

 彼の腕にはアーミヤのモミジのような手の跡が、内出血とともに所有権を主張していた。

 アーミヤが、テキサスの指にキラリと光るリングがあることに気がついた。

 

「……テキサスさん? そんな指輪してましたか?」

 テキサスが手を背に回す。アーミヤに見られないように。もっとも、既に手遅れだったようだが。

「いや、これは、深い意味はない……」

 アーミヤがニコリと笑った。

 心の内を読んだのだ。

「…………嘘つき」

 

「くッ……! 離れろ!」

 フロストノヴァが氷壁を発生させる。とても分厚い氷の壁。熔解させるには、それこそタルラのアーツが必要なほどの物だった。

 しかし、その氷の壁はみるみるうちに亀裂が走り、やがて数分も経たない内に破壊された。

 

 飛び散った氷が冷たい霧を生み出した。テキサスが必死に霧をかき分け、どこかに居るはずのドクターを探した。

 刹那、突如として霧の中から手が伸び、彼女の首を絞めた。

 

「がッ……、あ、ああ……。息が……」

「……その指ごと落としましょうか。5本ある指の1本なんです。なくなっても困りませんよね」

 視界の片隅で、スカジやサリアたちがフロストノヴァの足止めをしているのが見えた。スノーデビル小隊はへラグの手によって蹂躙されてしまったようだ。フロストノヴァの戦闘にへラグたちが合流したら、いくら彼女と言えども長くは持たないだろう。

 酸素が上手く取り込めず、徐々に暗くなっていく視界の中で、テキサスは自身の腹部を守った。

 アーミヤがテキサスを投げ飛ばす。

「……」

 アーミヤは何も言わず、テキサスの眼球に黒く濁ったアーツを打ち込もうとした。

「……なんで、伏せないんですか?」

「あと10㎝でテキサスさんの頭部は弾け飛ぶんですよ?」

「……それなのに、なんで頭じゃなくてお腹を守っているんですか?」

 

 テキサスは何も喋らなかった。ただ見逃して欲しいと首を横に振るのであった。

「……テキサスさん?」

 アーミヤが数歩引き下がる。

 テキサスの心の内側にある事実を直視したのだ。自身の能力を使ったことを初めて後悔した。堪えようの無い怒りが少女を支配していった。

 そして、声を震わせながら叫んだ。

 アーミヤの指輪にヒビが入った。

「テキサスさあああああああああああああああん!!!!!」

 

 目の前で突風が巻き起こる。冷たい霧が、アーミヤが発生させたアーツに収束していった。テキサスの体も同様に吸い寄せられていった。

 最後の抵抗として剣を握った。フロストノヴァの氷壁をいともたやすく破壊したアーミヤの前では、何の効力も持たなかっただろうが。

 アーミヤが充血した目でアーツを放つ、その瞬間、

 パキイイイン…………。

 

 アーミヤの手の上で渦巻いていたアーツがかき消される。

 突如として大きな風が吹きあがり、霧が晴れると同時に、アーミヤの何が起きたか理解できないような表情が見えた。

 

 はるか上空から飛来した人物がゆっくりと剣を抜き、そして静かに呟いた。

「……ただ、一瞬です」

 

「……シャイニングさん? ッ!?」

 ほんの一瞬、煌めく閃光が見えたと同時に周囲の物質すべてが宙に浮いた。

 フロストノヴァやへラグたちも戦闘を中止し、それぞれが着陸の体勢を整える。

 テキサスたちの上空には、一機の飛空艇が垂直飛行していた。シャイニングの他に、数名のオペレーターたちが飛び降りてくる。

 

「やれやれ、大裂溝に飲み込まれたと聞いた時は流石に肝を冷やしたが、何とか間に合ったか」

「まだまだ子どもだと思っていたが、今回ばかりはお痛が過ぎるようだな」

 アーミヤが表情を歪ませる。

「ケルシー先生……!」

 

 ケルシーだけではない、ブレイズもロスモンティスも居た。静かにアーミヤを見つめるシャイニングと、その後方にはカランド貿易の面々とラップランドの姿も見えた。

 一切の情け容赦の無い脳筋組。医療オペレーターがケルシーしか確認できない時点で、腕力だけで勝負する気満々のメンバーたちだった。

 

「久しいな、我が盟友。立てるか」

「お久しぶりですね、ドクター。立てますか」

 シルバーアッシュとプラマニクスがドクターを起こす。

 マッターホルンたちはスノーデビル小隊の救援に向かったようだ。

「あぁ、今日は滅茶苦茶だ……。怪獣大戦争みたいだ……」

 

 へラグが再び剣を握る。パトリオットが語ったフロストノヴァと決着をつけるために。

 しかし、その行く先を一人のループスが立ち塞がった。

「ごきげんよう、おじさん。元気そうで何よりだよ」

「……君は、ラップランドと言ったか」

 

 かつて、イェラグの検問所にて、テキサスとドクターを逃がすためにラップランドはへラグと対峙した。

 結果はラップランドが苦汁を飲まされる事となったが、今回は雪辱を晴らすために牙を研ぎ澄ませて来たようだ。

 俗に言う、完璧に仕上がった状態だった。

 

「おじさんのコートカッコいいね。ボクにくれないかな」

「血気盛んな若者に教育を施してやるとするか」

「アハッ! うっかり引導を渡しちゃっても怒らないでね!!」

 

 フロストノヴァはテキサスの下に駆け寄ろうとした。現状、最も死の危険が迫っていたのはテキサスだったからだ。

「パトリオットが死んだそうね」

 フロストノヴァが立ち止まる。

 へラグやドクターが語る言葉とは違う、明らかに嘲笑の意味を含めた言葉だった。

「……Wか。先を急いでいる」

「彼の最期は聞いたの? 石になりかけた肉体で、結果として何も成せずに死んでいったらしいんだって」

 フロストノヴァの足元に、黒い氷が広がった。

「ホント馬鹿みたいな男。確固たる()()を抱いて、それで()になって()()に診られず()()だけ残して逝くなんて」

「パトリオットに謝罪しろ……!!」

 Wはニヤニヤと嗤った。

 アーミヤといい、ドクターいいWといい、どうにもバベル出身のオペレーターは、人の心理を弄ぶのに長けているようだ。

 

 あちらこちらで戦闘が起こっていた。

 流れ弾をケルシーが首を傾けて回避する。

 

「……Wは味方じゃないのか?」

 ドクターの質問に、ケルシーが静かに答えた。

「……こんなつもりではなかった」

 遠くの方からブレイズとロスモンティスが暴れる音が聞こえた。アーミヤに駆け寄る増援の波を、宙に浮くアンジェリーナが食い止めていた。

 

 ケルシーがアーミヤに近づく。

 ドクターを人質に取っていた時の余裕の表情は既に失われており、ただ自身の保護者もとい師匠が放つ存在感に恐れおののく少女の姿がそこにはあった。

 ケルシーは珍しく怒っていた。

 

「……アーミヤ、なぜこんな事をしたんだ」

 アーミヤの脚は震えていた。

「わ、私は、ケルシー先生のためにと思って……」

「……私はそんなことを頼んだ憶えはない」

 

 ケルシーは静かにアーミヤを問い詰めていた。

 フロストノヴァの黒い氷が、Wの爆破で周囲に飛び散る。

 

「アーミヤ、今、私の心を読んだな?」

「……はぇ?」

 パシンッ! 

「!! ぇ!? え!?」

 ケルシーがアーミヤの頬を叩いた。

 それは親が子を叱るように。

「また読んだか。悪い癖だな」

 

「ケルシー先生!? なんでですか!? どうしてですか!?」

「なんで叩いたんですか!? みんなが幸せになれるようにしたのに!!」

 ケルシーはどこか悲しそうな目をしていた。

「私たちはそんなことを頼んだ憶えはないぞ」

 

「そんなことありません! 今だって、心が揺らいでるじゃないですか!!」

 パシンッ! 

「うわぁ!? なんでですか!?」

 

 アーミヤが今にも泣きそうな目でまくし立てる。

「ケルシー先生だって毎晩泣いていたじゃないですか!」

「私はドクターとケルシー先生が仲良くしているのを見るのが大好きなんです!!」

 

「でも、私もドクターのことが好きになってしまって!! 他の人と笑っている姿が憎くて憎くて憎くて憎くて!!!」

「ロドスの皆さんが泣いているのが辛くて辛くて仕方なくて!!」

 

「ドクターにもっと褒めてもらいたくて! もっと抱きしめて欲しくて!」

「でも! ドクターもケルシー先生も私を子ども扱いばっかりして!!」

「私だって! ケルシー先生の弟子だからやれば何でもできるのに!!」

「私とケルシー先生が居るのにドクターは他の人ばかりにお願いして!」

 

「ドクターの理解者は私たちだけでしょう!?」

「それでも私はロドスの仲間の事が大好きで!!!」

「だからだからだからだからだから!!!」

 

「ドクターを自分たちの物しようとしたんです」

「そうしたら皆さんが笑顔になりますよね」

「あはは……!」

 

 シャイニングが言葉を発する。

「どんな人間であろうと、命ある限り自由が保障されています。どんな理由があろうとも、それを侵すことは何人たりとも許されません」

 

「アーミヤ……」

 息も絶え絶えのアーミヤに、憂い気な表情を浮かべたケルシーが語り掛けた。

「すまなかった。私が不甲斐ないばかりに、アーミヤに心配をかけさせてしまった」

「本当にすまない……」

 

 ケルシーは深々と頭を下げた。龍門の長官にも屈しなかったあのケルシーが、アーミヤに頭を下げていた。

「……なんで、ケルシー先生が謝るんですか?」

「すまない……。気づかぬ内に追い詰めてしまっていたようだ……」

「やめてください……。頭を上げてください……」

 

 ケルシーは動揺するアーミヤに脇目も振らず、踵を返してドクターの下へ歩いた。

「ドクターにもだ。私はアーミヤの成長を甘くみていたようだ。彼女が大人になっていたということを理解していなかった。()()()()()()()()迷惑をかけたことを申し訳なく思う」

「違うんです……! やめてください……!」

 

 アーミヤがフラついた脚を動かし、何とかケルシーの後を追う。

「テキサス。アンジェリーナを通じて物資を送ったりしたが、やはり不十分だったようだな。私の不手際で要らぬ苦労をしたと思う。本当にすまなかった」

「ケルシー先生! お願いします! もうやめてください!」

 

 アーミヤの目尻には涙が浮かんでいた。

 敬愛している人物が自らの失態に頭を下げている。その事実は、アーミヤの誇りを傷つけるには十分すぎた。

「シルバーアッシュ。我々は友好的な関係を築いていたかと言われればそんなことは無いが、それでもドクターのために血を流してくれたことを誇りに思う。しかし、負傷したことは事実だ。アーミヤに代わって後日、正式に謝罪させてほしい」

「ごめんなさい! ケルシー先生! お願いします! もう謝らないでください!!」

 

 それでもケルシーはアーミヤを無視し続けた。アーミヤはケルシーの服の裾を引っ張って懇願した。

「フロストノヴァにもだな……。経歴不明の職員が数名居たから予想はついていたが、まさか本当に生存していたとはな。大裂溝の件ではドクターが世話になった。フロストノヴァたちが居なかったら、間違いなくドクターとテキサスは死んでいた。心からの感謝を送るのと同時に、スノーデビル小隊を正式にロドスの部隊として認めよう」

「ケルシー先生! ごめんなさい! ごめんなさい!! 私が謝りますから! もうやめてください!!」

「全部私が悪かったんです! ドクターもケルシー先生もテキサスさんも誰も悪くなくて! 全部私が悪かったんです!!」

「もう勝手に心も読みません! 薬も全部廃棄しますから!! だからもう頭を下げないでください!!」

 

 ケルシーがしゃがみ、アーミヤの涙を指で拭った。

 そして、少女の瞳を見つめながら、静かに抱きしめるのであった。

「アーミヤは強い子だからな……。誰よりも頑張りすぎる癖がある」

「私とドクターの悪い部分ばかり吸収して……。本当に困った子だ」

 

 アーミヤの目から、ポロポロと雫のような涙がこぼれ落ちた。

「アーミヤ、お前が皆のことが大好きなのと同じように、皆もアーミヤのことが大好きなんだ」

「ロドスに、我々の家に戻ったら、ドクターと3人で謝りに行こうか」

「そして、どこか遠いところに遊びに行こう。昔のようにな……」

 

 アーミヤは子どものように泣いた。

 ケルシーの胸に抱かれたその姿は、さながら親子のようなものだった。

 一人で溜めこみすぎるというケルシーの欠点を継承し、手段を選ばないという過去のドクターの思想に影響された少女は、まさに二人が生み出した汚点のようなものだった。

 やがて少女は抱かれたまま眠ってしまった。それは泣き疲れたからなのか、それとも解放されたからなのか。しかしそれは誰にも分からぬ事であった。

 

「……と、まぁこれくらいでいいだろう。情に弱いのは考え物だがな」

 聖母のような顔をしていたケルシーは、顔面の皮を剥がしたかのように豹変した。

 ドクターとテキサスは、「ずっとあのままでも良かったのに」と思うのであった。

 

「ふん、恐怖で統率が執れる訳がない。やがて瓦解する運命にあっただろうが、一体誰を参考にしたのやら……」

 ケルシーはジトリとドクターの方を見た。

 そして、彼とテキサスのお揃いの指輪を見て深いため息をつくのであった。

 

「あれぇ~? テキサス、なんだか大人っぽくなった?」

 ラップランドがテキサスの背後から顔を出した。

 ぶかぶかのコートを羽織っていた彼女は、意地悪そうにテキサスにちょっかいをかける。

 

「やめろ、何も変わった所はない」

 テキサスは左手をポケットの中に隠した。見つかれば絶対に面倒なことになるからだ。

「へラグ将軍に敗北してからはどうしたんだ」

「あ~、全員ショーグンに吹っ飛ばされちゃってね、そのままカランド貿易の皆と荒野を彷徨ってた所を回収されたってとこかな」

 ラップランドは遥か後方に停泊している飛空艇を指差した。

 飛空艇の側では、チェンとホシグマが帰りの分の燃料を手作業で給油していた。

「ねね、このコートカッコいいと思わないかい? ショーグンから剝ぎ取ったんだよね」

「……中二病」

 

 

「まぁ、このへんで勘弁しといてあげる。一応は味方みたいだし?」

「……認めない」

 フロストノヴァは片膝をついてWを見上げていた。

「なに、アンタってそういうこと言うキャラだったんだ。意外なんだけど」

「……」

 Wは髪の毛にこびりついた氷を触っていた。

 そして、Wは性格悪そうに敗者に向けて言い放つのであった。

()()()()()()としての経験値の差ね。敵で登場したら恐ろしく強いけど、味方になったら凄く弱いみたいな感じ?」

「ま、私もロドスに戻った時はそんな感じだったから、気にしない方が身のためよ」

 そう言ったWはフロストノヴァに対して手を差し伸べた。

「……ん」

「……そういうことをするキャラだったんだな」

 フロストノヴァはWの手を握ると、そのまま力を入れて立ち上がった。

「はっ、肉壁は多い方がありがたいでしょ?」

「……そうだな」

 フロストノヴァは握り締めたWの手をひっくり返し、そのまま彼女の体を地面に叩きつけた。

 程無くして第二ラウンドが始まるのであった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 飛空艇の中から一人、やけに軽い足取りの女性が姿を現した。

「いやぁ~、凄い良い話で終わりそうなんだけどね? 問題発生の根幹は解決してないんじゃない?」

 

 ドクターがハッとしたような表情で言葉を発する。

「そうだ! 元凶は私のアーツだったんだ! これ以上放置しておくとまたこんな事件が起きるぞ!」

 

 飛空艇から出て来た女性のニヤニヤしたその表情は、どうにも不安感を掻き立てられるものだった。

「唯一の対策法として、周囲のアーツを無効化するマシンがあるんだけどね?」

 

 いつかのプラマニクスが言っていた。

 アーツを無効化させる機械があるとか。しかし、そのお値段なんと1億龍門幣。

 

「実は! この可愛いクロージャが作っちゃいました!」

 

 集団から感嘆の声が上がる。

 アーミヤが激昂し、テキサスの頭部を吹き飛ばそうとしたアーツはそのマシンによって無効化されたのだろう。

 満面の笑みを浮かべながらマシンに近づくドクター。その感触を確かめようと、マシンに手を伸ばすが、

 

「あっ、まだお話は終わってないんだよね。っていうかここからが本題」

 クロージャは腰のポケットから電卓を取り出した。

 

「え~と、このマシンを設計するのに約3億龍門幣かかりました」

 

「事件の発端のドクターと、被害を拡大させたアーミヤちゃんは大戦犯ということで確定で、B級戦犯のアズリウスさんとモスティマさんとテキサスさんは三人で一組とカウントしまして~。あと古参の癖にガチ裏切りしたワルファリンも追加の合計3人で負担ということで!」

 

「ドクターとアーミヤちゃんはそれぞれ1億。それ以外は2500万龍門幣のお支払いお願いしま~す♡」

 

 ドクターとケルシーの顔が引きつっていく。

 

「まだあるんだけどね?」

「実はこのマシンは現在進行形のアーツしか無効化できなくてですね! 既に発動されているアーツの影響は無効化出来ないんですよ!」

「ドクター、責任取りますよね???」

 

 テキサスが謎の余裕を強調しながら答えた。

「私は一番でなくても構わない。英雄色を何とやらだからな……!」

 テキサスは腰に手を当てて胸を張り、鼻をふふんと鳴らした。

 どこか偉そうな態度だったのは気のせいだろうか。

 

 ドクターが答えを出す。

「……ありがとう。クズで外道もいいとこだが、それでも許されるなら全員の責任を取ろう」

 

 

「うん! それでね! 一個12万龍門幣の指輪を用意してまして~」

「……ん、おい、ちょっと待ってくれ」

 

「購入確定分が100人分! Lancet-2ちゃんのオーダーメイドリングが1個! 私とケルシーの分はタダにしといてあげる!」

「120,000×100+350,000=12,350,000龍門幣追加で~す!」

「1億1235万か……。副業探すか……」

 

「まだまだあるからね~」

「はぁ!? まだあんの!?」

 

「テキサスさ~ん、ヴィクトリアの聖堂教会で結婚式、ぶち上げてみたいと思いません?」

「まぁ、考えたこともなかったが……。教会か……。それは良いな……」

 

「ということで! 聖堂教会の貸し切り権と! ウエディング諸費用込みで!」

「1人500万龍門幣です」

「ちょっと待て、思っていたのと違う」

 

「5,000,000×102+Lancet-2ちゃん白無垢バージョン500,000=510,500,000龍門幣」

 

「合計金額、6億2285万龍門幣で~す♡」

「返済期限は一生。クロージャお姉さまが無利子で貸し出す善良金融屋で良かったな。泣いて感謝しやがれ女タラシが」

 

「思ってたんと違う!!」

 

 見かねたケルシーとテキサスがドクターの肩に手を置く。

「その、何だ。資産なら潤沢にあるから、肩代わりするが……」

 クロージャが奈落に垂らされた蜘蛛の糸を断ち切る。

「ダメだよ! ケルシーが支払ったらドクターが反省しないじゃん!」

 

「というわけで、ドクターはロドスに永久就職決定! 皆はお嫁さんになれてハッピー! 完璧だね!」

「ね? 何か文句ある? モスティマちゃん?」

「あるなら指輪はキャンセルということで~……」

 

「……それで良いと思う」

 

 

 

 ドクターとテキサス、カランド貿易にラップランド。そしてフロストノヴァの逃亡者組。

 アーミヤを首魁とするロドスオペレーター異常者組。

 モスティマとエクシアの誘拐組。

 ケルシーのバランスブレイカー☆6オペレーター脳筋組。

 

 4つの陣営が、それぞれの願望の為に凌ぎを削り合ったが、最終的にはクロージャの一人勝ちで幕を閉じた。

 全てはクロージャのマシンによって解決するように思えた。しかし、カンストを突破した信頼度は元には戻らないのだ。今後、ロドスに加入する者たちに影響は及ばないが、それでも苦労は続くだろう。

 ロドス全体を巻き込んだ一大事件は、これにてひとまず終幕を迎えた。

 

 

「そういえばさ、ドクターの素性を偽ってレユニオンとかに放り込んだら内側から崩壊させられるんじゃないの?」

「ほら、レユニオンの大将って女の人なんでしょ? ロドスでこれだけ荒れたんだから多分いい線イケると思うんだけどな~」

 

 エクシアが冗談交じりに呟いた言葉に、その場に居た全員が振り返った。

 

「「「「……それだ!!」」」」

 



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