INSANIA (オンドゥル大使)
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ようこそ、カナズミシティへ
プロローグ


 原初の記憶を呼び覚ますように、雨音が間断なく響いていた。

 

 冷たい、という感覚はほとんど失せ、麻痺した感覚器が伝えるのは降りしきる雨の振動。雨粒が弾ける音色である。

 

 雨とは凝固した水分、水の球、どうとでも言い換えられるが、視界を埋め尽くす灰色の景色は雨という存在そのものの群れと言ったほうが正しい。その群れの中に、一人、ぽつんと取り残されるように自分の存在を自覚する。

 

 はて、とそこで思い至る。

 

 自分は何故、このような場所にいるのか。

 

 視線を投じれば、高層ビルの屋上であり、その断崖絶壁の縁に足をかけていた。自殺でもするつもりだろうか。存外に冷静な自分を俯瞰する精神に驚く。

 

 自殺する、気分ではない。そっと足を縁から離し、その場を立ち去ろうとした瞬間、旋風が巻き起こった。鳥ポケモンが投光機を鉤爪で掴んで数体、自分に向けて威嚇する。彼は重々しい音と共に投光機の光が自分へと投げられた事に狼狽した。

 

「何……」

 

 声を発して、自分の喉は声を震わせる事が出来たのかと驚く。自分というものが空っぽの存在であったかのように思われたのだが、その事で少なくとも「人間」である事は理解出来た。

 

 投光機の光から逃れるようによろめく。すると、下階から上がってくる幾多の足音が雨音を掻き消した。黒い装甲服に身を固めた人々がアサルトライフルの銃口を突き出して自分を注視する。

 

「被疑者を発見。下は?」

 

 その声に無線機から声が返ってくる。

 

『ビルの真下に死体を発見。こりゃ、損壊が酷い……。即死の模様』

 

 ――死体?

 

 彼はその言葉に眉をひそめる。どうして死体などあるのか。動き出そうとした自分を制するように銃口が突きつけられる。

 

「動くな! 発砲許可は与えられている!」

 

 その言葉に彼は身体が硬直していくのを感じ取った。装甲服の男達は彼へと命ずる。

 

「両手を頭の上に上げて、投降しろ! 無理やりふんじばられたくなければな」

 

 彼は素直にその要求に応じた。両手を頭の上に置き、その場に膝を落とす。雨が止め処なく降りしきる。その音に混じって砂を食むような無線機の声が木霊する。

 

「被疑者を確保。連続殺人事件の人相と一致」

 

『了解。これより本部へと護送せよ』

 

「立て」と脇を固められる。彼は声を発していた。

 

「あの、俺が何をしたって言うんですか? それよりも、俺は……」

 

 彼は致命的な欠陥を自分の中に感じ取った。ハッとして声にする。

 

「俺は、何なんだ。何者なんだ……」

 

 自分が誰なのか、彼には全く分からなかったのだ。言葉は喋れるし、知識も経験もある。だが、自分が何者なのかだけが抜け落ちている。

 

「あの、俺は一体――」

 

「四の五の言わずに来い! 殺人犯が!」

 

 殺人? と彼は疑問符を浮かべる。自分がいつ、殺人を犯したというのか。

 

「何か、重大な誤解を受けている気がします。俺は何もしていません」

 

「黙っていろよ」

 

 アサルトライフルの銃身で後頭部を殴りつけられる。彼の意識は闇の中へと昏倒していった。

 



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第一話「ようこそ、カナズミシティへ」

 

 送られてきた妹からのメッセージを読み上げる事が、今日の初任務だった。

 

 正確に言えば任務でも労働でもないが、妹の言葉は自分に深く突き刺さる時がある。だから心して読む事にしているのだ。

 

 端末上にメールが一件、添付ファイルと共に送られてきている。ため息と共にそれを開いて読み上げた。

 

「サキちゃんへ。お誕生日おめでとう、って……、ああ、そっか」

 

 自分の誕生日すら失念していた。サキは目元を覆ってその続きを読み上げる。

 

「一昨日、サキちゃんの好きなガールズバンドのボーカルさんと握手してきました。サインももらったので後で宅配便を使って送ります。で、これがツーショット写真、と」

 

 添付ファイルを開くと茶色のショートカットの少女が明らかにパンクロックを意識した派手な色彩の髪色の少女達と共に映っていた。真ん中にいる当の妹本人はまるで肉食獣の中に放り込まれた草食動物だ。

 

「やれやれ。無茶しないでいいのに」

 

 サキはデスクトップパソコンから視線を外し、部屋を見渡した。片付けの行き届いている部屋には生活臭が存在しない。いつも食事をするテーブルにぽつんと箱が異物のように存在している。サキは歩み寄ってその箱に添えられた伝票を手に取る。

 

「速くなるのはいつだって技術とか人の思いよりも、宅配ピザとか、そういう部分だな」

 

 こぼしながら箱を開くと中にはピンク色のリボンで装飾され、ラミネート加工された色紙があった。ガールズバンドグループのサインと自分の名前が添えられている。「ヒグチ・サキさんへ」と。

 

「そりゃ、確かに好きだけれどさ。私だって暇じゃないんだし。ライブに行けないのは仕方がないよ」

 

 色紙を机の棚に飾り、サキは陰鬱な息を漏らした。この稼業はそうでなくとも忙しい。休みを取ってライブに行って発散したいのは山々であるが、それを許さないのが自分の職務だ。デスクトップパソコンの前に座り、メールメッセージに返信を打つ。

 

「マコへ。色紙ありがとう。学生であるうちにせめて色々と楽しめよ、っと。これじゃ嫌味か……」

 

 だが事実なのでそのまま送信する。サキは頬杖をついて、「学生ならなぁ」とセミロングの青い髪をかき上げた。その時、携行端末であるポケナビが鳴った。即座に仕事モードの声に変えて、「はい、こちらヒグチ」と応ずる。

 

『ヒグチ警部。連続殺人事件の犯人と思われる男を逮捕したとの報告が挙がっております』

 

 聞こえてきたのはシステム音声だ。予め仕込んでおいた時間に職務のスケジュールを自分に報告するようになっている。サキは、「警備ナンバー01384」とそのメッセージを受け取った事を示す番号をため息混じりに読み上げる。

 

「ヒグチ・サキの権限でそちらの担当官に繋いで欲しい」

 

 するとシステム音声からガイド音声に切り替わった。間もなく担当官との音声通話になるだろう。サキは、「何でこんな……」と呟いた。

 

「面倒なシステムを組んだものだな」

 

 ぼやいていると、『こちら担当官』と声音が人間のものに変わった。

 

『ヒグチ・サキ警部ですね。何か不都合でも?』

 

「不都合も何も、このメッセージはどういう事? 私にこれからそっちへ向かえとの矢の催促?」

 

『詳細は追って伝えます。留置所まで来てもらえますか?』

 

 担当官の声は素っ気ない。所詮は繋ぎの職務だと考えているのだろう。サキは苛立たしげに頭を掻きながら、「分かってる」と返した。

 

「どうせ私が行かなければ状況は全く動かないんだろう」

 

『助かります』と全く感情の篭っていない返答と共に続けられたのはメッセージ受諾を示す警備ナンバーだった。

 

『ヒグチ・サキ警部。0734にこのメッセージを受諾した事を同意してもらいたい』

 

「同意しました。はい、これでいいんでしょう?」

 

 その言葉を潮にして通話は切れた。サキはキーボードを叩いて、「追記」と呟く。

 

「またしばらく帰れそうにない。お父さんによろしく言っておいて。姉より」

 

 エンターキーを押して送信する。サキは大きく伸びをしてからデスクトップパソコンの電源を切り、ようやく寝巻きから着替える事にした。野暮ったい黒のパンツルックに身を包みネクタイを締めてようやく頭を切り替える。

 

 申し訳程度の化粧をしてから、自分の職務には欠かせない警察手帳を懐に仕舞った。ポケナビの時計機能を見やる。七時五十分。スクーターを飛ばせばそう時間のかかる距離でもない。サキは出かけ様に、「行ってきます」と口にした。一人暮らしを始めても抜けない習慣の一つだった。駐車場に停めてあるスクーターのキーを通し、サキはヘルメットを被る。

 

 すっかり秋めいてきた新鮮な空気を肺に取り込んで、サキはスクーターを発進させた。

 

「SH」のイニシャルデカールが貼られたスクーターがゆっくりと始動し、道路を走り込む頃にはサキの身に染み付いた鬱屈と苛立ちは少しばかり晴れていた。やはり走ると少しだけ気が紛れる。もっとも、これから向かう場所ではより深い気分の浮き沈みに晒される事になるだろうからこれは一時的なものだろうが。サキは流れる街並みに視線を向ける。のろのろと開店準備を始める顔見知りの定食屋がサキに気づいて手を振った。

 

「よう、ヒグチさん。これから仕事?」

 

「まぁね。そっちもお仕事頑張ってね」

 

 少しだけ速度を緩めて返事をする。定食屋の主人は笑顔を作って、「毎度ご贔屓に」と声にした。サキはその言葉を背中に受けながら仕事場へと向かう。仕事場は白亜の建築物だが、その実、内部の環境に関してはさほど快適でない事は嫌になるほど分かっている。サキは駐輪場にスクーターを停めて裏門から入る。

 

「おはようございます、ヒグチ警部」と守衛が挨拶をした。

 

「おはよう。出勤時間、きっちり計算しておいて」

 

「ヒグチ警部は定時で上がられますからね」

 

 守衛は人のよさそうな笑みを浮かべてサキの出勤を記録した。リノリウムの廊下を歩いていくと自分の職場である捜査一課のガラス張りの部屋が目に入ってくる。まずは上司に面通しをしなければ。その後で諸々の職務は片付ける。歩いているとつんと鼻をつく甘ったるい匂いが漂ってきた。

 

「またか」と落胆と共にサキは捜査一課のデスクに入る。

 

「おはようございます」と挨拶もそこそこにサキは元凶に歩み寄った。デスクの上でアルコールランプを使ってコーヒーを作っているツインテールの女性はサキが背後に歩み寄っていたせいか目を丸くした。

 

「ああ、サキちゃん。おはよう。……どったの? その顔」

 

「アマミさん。アルコールランプでコーヒーの抽出はしないでください、って言いましたよね? その匂い、甘ったるくって取れないんですから」

 

「ええ? そうかなぁ」

 

 アマミと呼ばれた女性はデスクの半分以上を占めているコーヒー関連の商品を見やる。ここまでコーヒー依存症だと逆に感心さえするが、それはまともなコーヒーならば、の話だ。彼女の作るコーヒーは砂糖の塊なのではないかと疑うほどに甘ったるい。サキにとっては苦手な飲み物の一つだった。

 

「ヒグチ警部。おはよう」

 

 返礼したのは端末から視線も外さない男だった。黙々とキーを打っている。サキは、「シマさん、また徹夜ですか?」とデスクに置かれている炭酸飲料の缶を眺めて返した。

 

「ああ、報告書がなかなか挙がってこなくってね。もう自分で作ったほうが早いや」

 

 シマ、と呼ばれた男は目の下の隈を擦って無心に報告書作りに没頭している。この男は年中そうなのだ。下の仕事が遅ければ何でも引き受ける。お陰で、自分の仕事、というものをしているのを見た事がない。

 

「おはよう、ヒグチ君。捜査資料には目を通したと先ほど担当官から報告が上がったが」

 

 声にしたのは執務机に構えた眼鏡の女性だった。書類に目を通しながらサキを見やってくる。ハヤミ一課長だった。担当官はこういう時だけ仕事が速い。サキは苦々しいものを感じつつ、「今朝、上がってきたばかりですよ」と答える。

 

「連続殺人事件の犯人なんですって?」

 

「被疑者って言っていましたよぉ」とアマミが口を挟む。舌足らずなその口調に苛立ちを覚えながらもサキは上司へと確認した。

 

「担当官からはそう聞きましたが」

 

「まぁ、慌てる必要はない。まだ被疑者というだけの話だ。それに彼がやったという物証はない」

 

「彼?」

 

 男だったのか。その事に疑問を挟む前にハヤミが書類を一枚、山積しているものから取り出した。受け取ってその不自然さに眉をひそめる。

 

「課長、これって被疑者の個人情報ですよね?」

 

「そうだが」

 

「なのに、何で名前の部分と年齢の部分が空欄なんですか?」

 

 写真に写っているのは一人の男だ。銀色の髪に赤い眼がどこかビビッドで眩しい。だがその面持ちには混乱が見て取れた。

 

「分からない、のだそうだ」

 

「分からない?」

 

 そのまま繰り返すとハヤミは手を組んで、「その青年の名前は目下のところ不明。いわゆる記憶喪失らしい」と告げた。記憶喪失、と言われてサキは改めて写真を見やる。この困惑顔はそのせいなのだろうか。

 

「記憶喪失、って言ったって、今の世の中個人情報がまるでない人間なんてありえないでしょう。何か彼の経歴を証明するものがあるはずです」

 

「それがないんだよ」

 

 声を発したのはシマだった。意外だったのでサキは目を見開く。

 

「僕も証言は少しだけ見させてもらったが、彼がどこから来て、このホウエンの地を踏んだのか、まるで分からない。辿ろうとしてもぷつんと途切れているんだ。まるで意図的に経歴を抹消されたみたいに」

 

「経歴を、抹消……」

 

 そのような事がこの情報化社会にあり得るとは思えない。ハヤミは、「経歴を辿ろうとしたが、全てシャットアウトされた」と続ける。

 

「分かるのは彼が二十代前後である事。それにポケモントレーナーである事だ」

 

「トレーナー、なんですか」

 

 サキは書類の男がトレーナーである、という事実がどうにも脳内で結びつかなかった。

 

「でも今回の殺人、ポケモンなしじゃ無理なんでしょう?」

 

 アマミがマグカップにコーヒーを注ぎながら口にする。ハヤミは、「そうだな」と一枚の書類を手にした。そこに書かれているのは「第二百六号連続殺人事件」の概要だろう。

 

「だからこそ、現場にいた彼を特殊部隊の捜査官数名が押さえた。だが、彼は黙秘どころか、全くの記憶喪失。それで一課にお鉢が回ってきたというわけだ」

 

「元々は特殊部隊、っていうか公安が持って行った事案でしょう? あまりに危険だからって。それなのに我々に返すのは筋が通っていませんよ」

 

「大方、面倒だったのだろうさ。記憶のない被疑者を追い詰めるのは」

 

 ハヤミの推測にさもありなん、とサキは書類の男の面持ちを眺めた。このどこか困ったような顔で、今も留置所にいるのだろうか。

 

「じゃあ、今回のヤマ、公安が引き続き、っていう事ですか」

 

「そうだな。その被疑者から事情を引き出すのは面倒だから、取調べくらいは任せてもらえるそうだが」

 

「それって任せるんじゃなくって、丸投げって言うんだなぁ」

 

 アマミがぼやく。サキも同じ気持ちだったが黙っておいた。

 

「で、どうしてだか私がその被疑者の取調べを担当する事になった、と」

 

 ここに来てようやく自分が朝早くから召集を受けた意味が分かった。ハヤミは、「あまり現場に負担をかけたくないのが私の主張だが」と前置きする。

 

「上からのお達しならば是非もない」

 

「上? 何で私なんです?」

 

「それが分かればきちんと報告書の形で提出しているさ。どうにも急な話になってしまったのは事情がありそうだが、内々を勘繰ったところで仕方がないだろう」

 

 それもそうだった。上からの命令ならば下は拒む権限はない。サキは頭を掻いて、「……もしかしなくても面倒事、ですよね」と口にする。

 

「だな。私も善処するが、ヒグチ君にまずは彼と会ってもらいたいとの事だ」

 

「私、記憶喪失の専門家じゃないですよ。それにセラピストでもない」

 

「だが、君の父親はポケモンの権威だ」

 

 返ってきた言葉にサキは眉をひそめる。

 

「父は、ポケモン群生学の権威です。殺人事件のエキスパートでは」

 

 抗弁を遮るように、「いないんだよ、適任者が」とシマが口を挟んだ。

 

「ポケモンの専門家を呼ぼうにも被疑者にこうも謎があれば内々で収めたい気持ちは分かるだろう? それにこの殺人事件、まだ公にするにはショッキング過ぎる」

 

 この事件はまだメディアには出回っていない。それは殺害方法の特殊さと関係があった。

 

「……被疑者、と言うからには、何か事情があるんですよね? たまたまその場に居合わせた、とかじゃなくって」

 

「六人目の被害者の落下したビルの屋上にいたらしい。公安はその現場を押さえた。他に被害者近辺の人物はなし。ならば、その人間を重要参考人として逮捕するのは当然といえば当然」

 

 その程度の事情なのか、とサキは額に手をやった。

 

「じゃあ、なおさら私達には関係なくないですか? 近くにいただけでしょう? 任意聴取レベルでいいんじゃ」

 

「ところが、だ。その男が所持しているポケモンが特殊な殺害方法を可能にしている。資料は?」

 

「いりませんよ。どうせ、公安が持っていったんでしょう?」

 

「賢明だな」

 

 ハヤミの声にサキはため息をつく。シマが、「その男がこの下の豚箱にいるってわけなんだ」と説明した。

 

「だから、何で私が」

 

「今手が開いているのはヒグチ君だけだからかもしれない」

 

 ハヤミの声にサキは糾弾するように、「アマミさんだって手が開いているじゃないですか」と指差す。

 

「酷いな、サキちゃん。あたしはこれでも大忙し」

 

「どこが。甘ったるいコーヒー作りにですか?」

 

 皮肉たっぷりに言ってやるとアマミは書類を一枚取り出し、「こっちのヤマも片付けなきゃ」と口にする。それは殺人事件と並行して起きている連続誘拐事件だった。

 

「こっちも全然手がかりがないんだよねぇ。誘拐されるの、男二人、女三人ってバラバラだし」

 

 サキはそこで苦言を飲み込んだ。誘拐事件も充分に世間を騒がせている。自分一人だけがわがままを言うわけにはいかなかった。

 

「……分かりましたよ。で? 地下何階なんです? 収監場所」

 

「地下三階。カードキーを渡しておくよ」

 

 ハヤミの手からカードキーを受け取り、サキは捜査一課を後にする。後頭部を掻きながらもう一度資料に目を通した。

 

「メチャクチャだな。この資料を作った奴の気が知れない」

 



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第二話「事件担当官ヒグチ・サキ」

 

 経歴を辿れない人間などいるはずがないのだ。

 

 サキはエレベーターに乗り込もうとする。すると、「悪いね」と一人の男が駆け込んできた。サキは開閉ボタンを押して男を通してから、「何の用です」と口を開いた。

 

「何の用って、これから事情聴取。オレ達の仕事ってそうじゃないか」

 

「私には何度もそうやって接触してくる理由が分からないんですけれど。監査官殿」

 

「冷たいな。リョウでいいって。幼馴染だろ」

 

 サキは自分の苦言も風と受け流す男へと目を向けた。精悍な顔つきの中に幼馴染の気安さを含んだ笑みがある。

 

「じゃあ、リョウ。私はこれでも忙しいんだ。手間をかけさせないでもらいたい」

 

「冷たいってのはそこだよ。敬語じゃなくなったら、今度は無礼極まれりなその口調、直したほうがいいぞ?」

 

 幼馴染の指摘にサキは額を押さえて、「余計なお世話だ」と返す。

 

「余計って事はないだろう。旧知の仲なのに相手が降格するかもしれないとなると世話を焼きたくなるのが人情だ」

 

「私との付き合いは家の間柄の付き合いだし、大体、ホウエンの名家、ツワブキ家の男が警察関係者なんてそれこそ笑えない冗談だ」

 

「家の事は言わないでくれよ」

 

 リョウは微笑んでサキを見やる。サキはわざと目を逸らした。

 

「ヒグチ博士、最近どうしてる? マコちゃんは?」

 

「妹は一昨日ライブに行ったと。今朝方その荷物が送られてきた」

 

「あのさぁ、そう邪険にするもんじゃないと思うぜ? 妹さんだろ?」

 

「邪険にしていない」

 

 もっとも、これは自分の口調が災いしている事だ。そうでなくとも厳しい声音なのに、堅苦しい形式ばった言葉遣いは余計なトラブルを招くだろう。

 

「そっちは? 何の用事? 地下三階って留置所じゃないか」

 

 階層表示を見やったリョウの言葉にサキは、「野暮用だよ」と返す。

 

「余計な事件のお鉢が回ってきた」

 

「ああ、例の記憶喪失の男か」

 

 公安に勤めているリョウからしてみれば周知の事実なのだろう。サキはこの際なので嫌味を込めて口にする。

 

「どうして公安のヤマが今さらこっちに回ってくる? 面倒事は下に押し付けるのが流儀だったか?」

 

 サキの言葉があまりに棘を帯びていたせいだろう。リョウは、「そう構えるなよ」といさめた。

 

「こっちも分からん事が多くってな。だから出来るだけ分散させているわけだ」

 

「その分からん事のツケをこっちに回すなと言っている。大体、公安が追っかけたヤマだろう。ケツくらい自分で拭け」

 

「女性の台詞じゃないな」

 

 リョウが朗らかに笑う。サキは余計に苛立たしげに髪を掻いた。

 

「あのな、こっちだって暇じゃないんだ。記憶喪失なんてあり得ない」

 

「どうかな? 会ってみると意外に思うかもしれないぜ? それこそ、あり得ないなんて決めつけてかかったのは後悔するかもしれない」

 

「大体、資料に書き漏らしが多過ぎる。これじゃ、何も調べていないのと同じだ」

 

 名前と年齢の欄は空欄で、その他にも経歴の欄も何一つ書かれていない。サキがそれを申し立てると、「恥ずかしながら、ね」とリョウは真面目な声音になった。

 

「何も分からなかったもので資料に書きようがなかった」

 

 リョウの声音には嘘が混じっている空気はない。本当にこの男の経歴は不明だと言うのか。サキは、「馬鹿な」と口にする。

 

「デボンの情報統制が行き届いている。それこそ家の恥だろう?」

 

「だから家の事は言うなって。オレはデボンの社長じゃないし、親父が何を考えているのかなんてまるで分からん」

 

「警察に出奔した親不孝者なんて知るよしもない、か」

 

 サキの皮肉が効いたのだろう。リョウは、「親不孝は重々承知さ」と肩を竦める。

 

「でも、デボンの悪口言ったって仕方ないだろ。今のポケモン産業にネットワークを敷いた基本体制はデボンのものだ。その悪口を言うって事は今の世の中に不満があるって事なんだが」

 

 その言葉にサキは唇をへの字にする。ホウエンでデボンの恩恵に与っている以上、そうそう悪口は言えないのが実情であった。

 

「まぁ、デボンのやり方を圧力だっていう政治団体は多いけれど、お前はその手の人間じゃないだろ」

 

「独占イコール支配なんておめでたい頭に育った覚えはないな。そういう連中こそ、デボンの恩恵を知らず知らずの内に受けているって知らないもんさ」

 

 地下三階に到着する。サキがエレベーターから出ようとするとリョウが呼び止めた。

 

「ヒグチ博士、おじさんによろしくな」

 

 サキは振り返りもせずに手を振ってそれに応ずる。サキは資料を片手に留置所である地下三階の守衛に声をかけた。

 

「お疲れ様です」

 

「捜査一課所属、ヒグチ・サキです。面会を用意してもらいたい」

 

 警察手帳とICカードを取り出し認証を済ますと守衛が、「例の記憶喪失ですか」と口にする。どうやら有名なようだ。

 

「ええ、まぁ」

 

「公安も手を焼いていたみたいですし、難しいと思いますよ」

 

「資料にはポケモントレーナーとありましたが、手持ちは?」

 

「別に預けられていますが、そっちの資料に書いてありませんか?」

 

 サキは資料を手で繰りながら、「ああ確かに」と応じた。

 

「しかしあの男が犯人なんですかね。この〝天使殺人〟の」

 

 サキが咳払いすると守衛は、「失礼」と頭を下げた。その事件名は半ばタブー視されている。あまりに軽率な名前だからだ。だが警察関係者内ではその呼び名が定着しつつある事もまた事実だった。

 

「カードキーは持っています?」

 

 守衛の言葉にカードキーを差し出し、「受け取りますね」と守衛に渡す。サキは、「でも今まで有力容疑者もいなかったですからね」と少しだけ雑談に付き合う気になった。

 

「あ、そうでしょう? その点で言えば、この被疑者はとても犯人に近いんですが、何分記憶喪失なんて、ファンタジーですよ」

 

 守衛は笑いながらカードキーを通し扉の鍵を開けた。内部へと声を吹き込む。

 

「これから380番の容疑者に事情聴取。出来るか?」

 

『了解』と声が返り守衛は、「数分後には可能でしょう」とサキに目を向けた。

 

「それにしたって、何で公安は諦めたんでしょうね。記憶喪失って言ったって、辿りようはあるでしょうに」

 

「やっぱり、そう思いますか?」

 

 サキの疑問と同じだ。守衛は、「それこそ、逆に辿りやすいんじゃないかなぁ」と首をひねった。

 

「だってこの社会において誰とも繋がっていない人間なんて珍しいでしょう。そっちの線で当ればいいんじゃ……。あっ、この話はこれで」

 

 守衛が口の前でバツを作る。オフレコで、との事だろう。サキも言い回る趣味はない。

 

「公安の悪口なんていくらでも言えますからね。何で、書類にこうも不備があるのか、とか。そもそも記憶喪失って精神鑑定でもしたのか、ってのとか。この資料、穴だらけですよ」

 

 空欄だらけの資料でも守衛に見せるわけにはいかなかったが、「ご苦労、察しますよ」と守衛は微笑んだ。

 

「どうしてだか毎日、ひっきりなしにやってくるんですが、どうにもみんな煮え切らない顔をして帰っていくんですよ。その度に愚痴も聞かされればわたしも覚えてしまうもんでしてね。記憶喪失の容疑者って」

 

「実際、どうなんです? 精神鑑定とかで医者が訪れたりとかは?」

 

 サキの質問に守衛は、「そういうのはないですな」と顎をさすりながら答える。

 

「医者らしき人が来たっていうのは。大体、今はポケナビのアプリで事足りるじゃないですか。公安が自分で組んだ嘘発見器のほうが人間の診断よりも当てになるんじゃないですか?」

 

 分からない話でもない。サキは発展めざましいデボンの技術の結晶であるポケナビに視線を落とした。

 

「でも実際に見ないと分からない事もあるでしょう? 言動とか、おかしなところは?」

 

 守衛は首を横に振り、「その辺は公安が一手に担っていたので」と答える。どうやら余計なお喋りは慎まれているらしい。その辺のマナーがまだ存在しただけでも僥倖だった。

 

「記憶喪失、って事は喋れないんですかね」

 

「分からないですが、公安の方々が何で頭を悩ませて捜査一課に持ち込んだのか、わたしにはてんで」

 

 守衛の無線に、『どうぞ』と声が返ってくる。守衛が、「どうぞ」と促した。サキは扉を潜って面会室へと進む。面会室の前ではまだ歳若い担当者が、「面会は三十分までです」と告げた。存外に無機質な声に、職業じみたものが宿っている。何回も言っており、最早、飽きたのかもしれない。

 

「ご苦労様」

 

 そう労う事だけが、自分に出来る唯一であった。担当者に連れられて面会室に入る。ガラスで隔てられた向こう側に、簡素な衣服を身に纏った男が座り込んでいた。ガラスの向こう側にも武装した担当官がおり、彼はさながら小屋に閉じ込められた猛獣のように肩を縮こまらせている。

 

 存外に大人しいのだな。サキが抱いた第一印象はそれだった。連続殺人事件、〝天使事件〟の犯人像は凶暴な人物を想定していただけに意外である。サキはガラスを隔てて彼と向き合った。写真通り、銀色の髪に赤い眼をしている。身体つきはどちらかと言えば貧相に相当するだろう。ガタイがいいほうではない。

 

「あの、刑事さんですか……」

 

 だからなのだろうか、その身体から漏れ出た声音はまさしく声帯を一生懸命震わせた声に聞こえた。怯えすら感じさせる。

 

「ああ、そうだが」

 

 敬語をあえて排したのはこの人物が極悪非道の殺人鬼の場合もあるからだ。サキはそれなりに人徳があるほうだと自負してはいるが、犯罪者と一般人を分けるくらいの感情は持ち合わせている。

 

 彼はその口調にすっかり怯え切った様子で、「刑事さん、ですよね……」と繰り返す。

 

「私はあまり時間をかけたくない。三十分の面会だし、それに公安の手のものでもない。出来るだけ手短に、お前から言葉を聞き出したいのだが」

 

 サキは資料を捲りながら彼の動向を眺める。挙動不審に視線を彷徨わせていた。今まで女の刑事を見た事がないのか。あるいは何度も交わされた面会に何を話せばいいのか分からないのか。

 

「名前を教えてもらえるか」

 

「……分かりません」

 

 憔悴し切った返事はそれこそ擦り切れるまで繰り返されたのだろう。疲れが滲んでいた。だが、だからと言って自分だけ何の情報も持ち帰らずにすごすごと退散するわけにはいかない。

 

「分かりませんじゃないんだ。名前、あるだろう?」

 

「だから、刑事さん達にも何度も言いましたし、俺にも分からないんです。俺が何者なのか」

 

 サキはため息を漏らし懐から一本のペンを取り出した。

 

「これが何だか、分かるか?」

 

 その言葉に彼は眉をひそめる。

 

「えっと、ペンですよね。黒の」

 

「これはペンですか、か。こういう形でしか使わない例文だな。記憶がないのにペンは理解出来るのか?」

 

「ペンだけじゃないです。名前は分かるんです。その意味も。俺は収監されていて、ここは警察施設の地下ですよね? 容疑は分かりませんけれど、刑事さん達の口調から殺人、だと思います……」

 

 続けられた言葉に現状認識はしっかりしているのか、と把握する。記憶喪失とは、そのように都合よく、名前と経歴だけが分からなくなるものなのだろうか。

 

「名前と意味が結びついているにもかかわらず、自分に関する事は全く分からない。これは本当なのか?」

 

「本当です。嘘なんてつきようがない。俺は、本当に自分が誰なのか、何者なのかだけが分からないんです」

 

 サキは鼻息を漏らす。もしかすると記憶喪失を騙っているだけかもしれない。後々、自分に都合のいいように虚偽を並べ立てている可能性もある。サキは踏み込んだ質問をする。

 

「ポケモントレーナーなんだってな」

 

「はい、手持ちは、今はいないですけれど」

 

「トレーナーであった頃の記憶は? どこでその手持ちを受け取ったのか、そういう記録だよ。トレーナーカードの所持が義務付けられているだろう?」

 

 ホウエンに限らずトレーナーならばトレーナー専用のICカードが発布されているはずだ。そこから経歴を辿ろうとしたのだが彼は頭を振った。

 

「それが、ないらしいんです。俺の手持ちに合致する記録が。これは刑事さん方のほうが詳しいと思いますけれど」

 

 サキは資料に目を落として、「確かに珍しい個体だが」と続ける。

 

「ない、というのは信用出来ない。トレーナーカードの携帯は義務だ。それを所持していなかった時点で、いくつかの法律に違反している事になるが」

 

 サキは相手の出方を試す。だが、彼は、「本当に分からないんです」と続けるばかりだった。

 

「俺も出来れば知りたい。どうして、俺はあの場にいたのか。あの場で何が起こったのか」

 

 それすらも理解していなかったのか。サキはこの人物が本当に連続殺人事件の被疑者なのかすら確証が持てなくなってしまう。

 

「一般には言われていないが、ここいら、特にカナズミシティ近辺で殺人事件が頻発している。お前はその実行犯だと目されて逮捕された。傍に他殺体があったそうだが」

 

 資料に目を通しながら彼の反応を見る。

 

「俺がビルの屋上にいた時ですか? その時、何があったんです?」

 

 どうやら彼は知りたがっているらしい。というよりも、これすら教えずに尋問をしてきた公安の連中の気が知れなかった。事件を公にしたくない気持ちは分かるが、これでは出る証拠も出ないだろう。

 

「他殺体だ。ビルの屋上から突き落とされ死亡している」

 

 だがそれだけではない。この〝天使事件〟を象徴するある事柄は伏せてある。これはあえて手札を隠した形だ。彼がどう乗ってくるのか、サキには見極める必要があった。しかし、彼は、「他殺体……」と目を丸くしている。

 

「じゃあ、俺が突き落としたって言うんですか?」

 

「他に有力者がいない」

 

「でも、俺にはそんな記憶はないです」

 

 サキが黙りこくる。それは資料と彼の証言がある意味では合致していたからだ。他殺体はあった。連続殺人の傾向も見られた。だが、彼が突き落としたという証拠だけはどう探しても見つからなかった、とある。

 

「……本当に、記憶がないのか?」

 

 この段に至るとサキも少しばかり信じるほかない。彼は、「だからそう言っています」とため息をつく。

 

「俺が何をしたのか、知りたいんです」

 

「自分はやっていない、ではなく、何をしたのか、か。殺人なんて絶対やっていない、とは言わないんだな」

 

 サキの言葉に彼は言葉を詰まらせ、「だって、それすら分からないんですから……」と呟いた。

 

「俺がどういう人格で、どういう奴で、どういう環境で育ったのか、自分でも分かれば、殺人なんてしていないと言えます。でも、それすら分からない今に、殺人なんて絶対していないなんて言えないでしょう? 自分に確証が持てないのに、殺人って言う大きな事柄を否定する気にはなれません」

 

 サキはその言葉にこそ驚いていた。無実の証明を訴えるわけでもない。ただ自分が何者なのか知りたい。彼を衝き動かしているのはそれだけだ。普通ならば無実の罪で収監されている事に不満を持つだろうに。

 

「何者か、本当に誰も調べようとしなかったのか?」

 

 彼に問いかけると、「俺の知る限りでは」と答えた。

 

「歯の治療痕を照合するとか、手術歴を調べるとか、そういう事も言われていません」

 

 サキは後頭部を掻いた。これでは丸っきり調べていないのと同義ではないか。

 

「オーケー、分かった。お前が置かれている状況は理解したよ。逼迫しているのは罪があるかないかではなく、そもそも自分は誰なのか、か」

 

 彼の中の優先順位を確認してからサキは、「私が責任を持って調べよう」と応じた。

 

「本当ですか」と彼が腰を浮かしかける。それを後ろの担当官が肩に手をやって制した。

 

「助かります。これで何者なのか分かるんですよね」

 

「……残念だが絶対ではないぞ。だが、少しばかり努力しようと言ったんだ」

 

 含める言い方をすると彼は、「それでも、充分ですよ」と肩から力を抜いた。どうやら公安の連中は今まで罪の自白ばかりを強要してきて彼が何者か、という部分にはノータッチであったらしい。

 

「あの、お名前を教えていただけますか?」

 

 彼が顔を上げて口にする。サキはぶっきらぼうに返す。

 

「サキだ。ヒグチ・サキ。捜査一課所属警部」

 

「サキさん。ありがとうございます」

 

 彼が頬を綻ばせる。その安堵した表情からは人殺しの気配など微塵にも感じられなかった。

 



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第三話「憤りの行方」

 

「でもだからって犯人じゃないとは限らないんだよねぇ」

 

 話を聞いたアマミがそう口を挟む。捜査一課のデスクに戻り、彼の状態を課長に報告していると次第に自分の感情論になっていたようだ。サキは、「私だって、信用しきったわけじゃないですよ」と抗弁を垂れる。

 

「ただ、公安がどうしてだか彼の身辺に対して鈍感だというか、杜撰が過ぎるかと」

 

「公安に関してはわたしから話を通しておくとして」

 

 ハヤミがサキへと視線を戻し、「釈放は難しそうだが」と懸念事項を告げる。現状、彼は重要参考人だ。だから留置所に入れておくのが正解である。だが、サキはただ闇雲に閉じ込めておくだけがいい事だとは思えなかった。

 

「彼の経歴を洗いましょう。そのためには一度施設を移動しなければ。地下留置所ではろくな検査も出来ませんよ」

 

 サキの提案にハヤミも同意のようだった。書類にサインしながら、「それに関しては同じ気持ちだ」と返される。

 

「公安がそこまでして彼を犯人に仕立て上げたかった理由も気になるところではあるが、藪を突いて蛇を出しかねない。そのあたりは充分に留意するように」

 

 暗に踏み込み過ぎるな、という警告だったがサキは、「こっちにはこっちでコネがあるんで」と口にする。

 

「うまくやってみせますよ」

 

「公安の目からどうやって彼を連れ出す気だい? あんまり動きが活発だと目をつけられる恐れがあるよ」

 

 シマの警告にサキは、「連れ出すも何も」と答えた。

 

「正当な身体検査ですよ。歯の治療痕ですら精査していないところを見ると公安も随分と迂闊です。名前も素性も分からない人間を犯人に仕立て上げたら、それこそ警察の面子が丸潰れでしょう」

 

「でもさぁ、サキちゃん。この事件を解決出来ない事も、面子丸潰れには変わりないんだよねぇ」

 

 アマミの声にサキが睨みを利かせる。アマミは肩を竦めて板チョコを頬張った。

 

 その事は重々理解している。この事件を解決する糸口が少しでも欲しいのだろう。だが、それは無実の人間を追い詰める事に繋がってはならない。

 

「ヒグチ君。君の正義感で動いてもらってもわたしとしては構わないのだが、それは実績が挙げられたら、の話。彼を別施設に移送する手はずくらいは君が整えてくれるのだろうね?」

 

 ハヤミの言葉にサキは、「やってみせます」と応じた。こうなれば彼の素性を知らぬまま過ごせというほうが無理な話である。彼は何者なのか、どこから来たのか、知る必要性に駆られていた。

 

「しかし、君の印象では彼は殺人を犯すようなメンタリティには思えなかったのだろう? それをどうして公安はこうもしつこく彼を拘束する事にこだわったのか」

 

 ハヤミの謎は同時にサキの謎でもあった。彼でなくとも有力な人物の一人や二人はいなかったのか。全く手がかりのない状態で彼が見つかったのならばそれもあり得るがそうなってくると公安の手際の悪さが目立つ。

 

「準備もまるでなく、ただ踏み込んだ先に彼がいた、ではあまりに理不尽というか、あり得ていいのか、って気がします」

 

 サキの印象に、「僕もそれは賛成だな」とシマが声を上げた。相変わらず端末に目を向けたまま視線を振り向けもしないがその言葉にはきちんと熱がある。

 

「公安だって色々と念入りに調べて張ったはずだよ。だって言うのに、彼がいました、じゃあ逮捕、ってのは何ていうか、出来過ぎているんだよね」

 

 公安が作ったシナリオ、という線も捨て切れない。そうなれば警察本部が丸ごとでっち上げた犯人という事になる。

 

「陰謀論ですかぁ? 今時、流行りませんよ」

 

 アマミの言葉は無視してサキはハヤミにもう一度要求した。

 

「彼を検査可能な施設へと移送する許可を取り付けてみせます」

 

「期待はしているが、無理ならば無理と言ってくれよ。わたしとしても優秀な部下が無理難題に悩まされているのを見るのは辛い」

 

 ハヤミの心配を他所にサキは、「やり遂げてみせます」と踵を返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、オレを呼んだわけだ」

 

 事の次第を説明してから、サキは慣れていない高級レストランの内観を見渡す。暖色で固められた照明に白亜の壁が眩しい。運ばれてくる料理はどれも一級品でサキは手をつける事すら憚られたが対面に座る相手は遠慮がない。

 

「食えよ。オレのおごりだ」

 

 サキは佇まいを正し、「リョウ、私は話をしたいと言ったんだ」と目的を呼び戻した。

 

「誰が高級料理店に連れて行ってくれと頼んだ?」

 

「まぁまぁ、いいじゃないか。ここもデボンの系列店、オレの顔は利く」

 

 得意そうに口元を緩めた幼馴染に、「そうではなくって」とサキは話題を戻す。

 

「私は、容疑者である彼を移送する許可を取り付けて欲しい、と言った。食事のオーケーまではしたが、こんな場所である必要はない」

 

「いいじゃないか。どうせろくなものを食べていないんだろう?」

 

 リョウの指摘にサキは言葉を詰まらせる。連日インスタント食品では身体によくないと医者に指摘されたばかりだった。

 

「たまには羽を伸ばしてさ。ぱあっとやらなきゃ人生つまらないぜ?」

 

「……そのしわ寄せがこっちに来ているんだ」

 

 サキはテーブルマナーも何のその、運ばれてきた前菜を切り分けて頬張った。

 

「ふぁいたい、こうふぁんはなにをやって――」

 

「飯食いながら喋らない」

 

 その言葉にサキは一度飲み込んでから言葉を続けた。

 

「大体、公安は何をやっているんだ。彼の素性を調べもせずに犯人扱いだと? 歯の治療痕の照合もしないとか正気か?」

 

「それが上のお達しだったんだ。オレ達は従うしかないよ」

 

「何のつもりで彼を全く調べなかったのかは知らないが、これは怠慢だぞ」

 

 サキの厳しい口調に、「そう言うなって」とリョウは顔をしかめる。

 

「せっかくのうまい料理が台無しだぞ」

 

「私はな、飯を食いに来たんじゃないんだ。移送許可を、明日か明後日中に取り付けて欲しいと頼みに来たんだよ」

 

「じゃあ、飯を食ってから落ち着いて話そうぜ。何でそんなに焦っているのか分からないけれど」

 

 サキは運ばれてきたメインディッシュに視線を落とし、「私は憤っているんだ」と告げた。

 

「全く素性の分からない人間を犯人に仕立て上げようとしている。こんな事、納得が出来るか!」

 

 サキが拳をテーブルに打ちつけるとその音で何人かが視線を向けた。リョウが手を払い、「馬鹿、食事の席だぞ」といさめる。サキはばつが悪そうに顔を伏せた。

 

「……そりゃあな。納得が出来ないのも無理ないさ。でも、オレだっておかしいな、とは思っている。いくらなんでも強硬過ぎだ。現場にいたってだけで例の記憶喪失の彼はほとんど有罪扱い。調書が穴だらけだっただろ? あれ、わざとなんだ」

 

 その言葉にサキは怪訝そうに眉根を寄せる。

 

「わざと、だって?」

 

「そう。本当は架空の名前と経歴を組み込んであのまま書類を通す気だったらしいんだが、オレが気づいて分からないところを穴ぼこだらけにした」

 

 声を潜めた様子にこれは極秘事項なのだろうと察したサキはこちらも口元を手で覆って話す。

 

「何のために?」

 

「そりゃ、お上しか分からない事だが、調書に関してはお前みたいなのが気づいてくれるためだよ。穴だらけの書類が通ろうとしていたら誰かが止めに入るだろう? まさかそれがお前だとは思わなかったけれど」

 

 サキはリョウの台詞に、「私は偶然巻き込まれたわけか」と嘆息を漏らす。リョウはメインディッシュを口に運びながら、「悪いとは思っているさ」と答えた。

 

「まさか幼馴染にお鉢が回るなんて思わなかったからさ」

 

「お陰で妹に会う予定も狂ってしまったよ」

 

 サキはメインディッシュを口に運ぶがほとんど味は感じられなかった。

 

「そう、マコちゃん。最近どうしてるって?」

 

「言っただろ。私がファンのバンドのライブに行って、色紙をもらったって」

 

「今、学生だっけ?」

 

「カナズミシティの大学に通っている。実家から近くて都合がいいそうだ」

 

「ああ、学園都市であるカナズミは何でも揃うからな」

 

 リョウの言葉に、「随分と帰っていないからな」とぼやいた。この事件でより一層、帰りづらくなるのかもしれない。それを察したのか、リョウは、「大学生ってのはいい」と口にする。

 

「学生のうちにやれる事やっておかないとな。後悔する」

 

「そうだな。妹にはそう言っているが、あいつが当てにするかどうか」

 

 自分と違って性格が温厚な妹の事である。何かに流されるように過ごす事になるかもしれない。そう思うと気苦労が絶えなかったが、「ポケモンは持っているんだっけ?」とリョウが尋ねた事でそれは霧散した。

 

「ああ。確かドラゴンタイプの」

 

 その言葉にリョウが感嘆した。

 

「へぇ、ドラゴンタイプって言えば大器晩成型の奴が多いもんだが、おじさん、ヒグチ博士はよく許したな」

 

「小さい頃から飼っていた奴だよ。私が一人暮らしする頃にはもう一段階進化していたが」

 

 しかし思い返せば小さい頃から目をかけていても自分には懐かなかったな、とサキは感じる。マコが優先して世話をしていたからかもしれないが、それだけでもないだろう。

 

「サキは持たないのか? ポケモン」

 

 考えていた事を読まれたようでサキは少しばかり狼狽したが落ち着いて答えられた。

 

「持たないよ。自分の事で手一杯だ」

 

「もったいないよなぁ。センスはあるっておじさんから言われたんだろ?」

 

「昔の話だよ。それこそ、トレーナーズスクールに通っていた頃の話」

 

「オレは持っているけれどさ、潤いがあるぜ? 手持ちがいるのといないのとじゃ大違いだ。もしもの時には護身用にもなる」

 

 サキはリョウの手持ちは聞いていなかったがホルスターにモンスターボールを留めている事だけは知っていた。

 

「手持ちって世話がかかるだろう? 私は自分以外の事は考えたくない」

 

「出たよ、お前お得意の自分本意なところ。よくないと思うぞ? 自分以外に気配りが出来て初めて一流の警察官だろ?」

 

「……穴だらけの書類を送ってきたお前に言われたくない」

 

 サキの返す言葉にリョウは微笑んだ。サキも少しだけ頬を緩める。だが忘れられぬ事がしこりのように残っていた。

 

「彼の移送を明日か明後日には頼みたい」

 

「分かったよ。受ける。だが上がすぐにオーケー出すかどうかまでは保障出来ない」

 

「充分だよ。公安は、そうでなくとも何を考えているのか分からない」

 

「それはオレの事も含めて?」

 

 リョウの試すような物言いにサキは鼻を鳴らす。

 

「お前は相変わらず分かりやすい。だからこそ、公安でも会ってやっているんだろ」

 

「会ってやっているって、そりゃこっちの台詞だよ」

 

 売り言葉に買い言葉を返してサキは脇にあるワインに口をつけた。リョウが口を差し挟む。

 

「あのさぁ、ワインってのは味わうもんだ。そうやってその他の飲み物みたいに飲んじまうのはもったいないぞ」

 

「さっきからもったいないもったいないって、うるさいぞ。私にとっちゃ、どれも似たようなもんだ」

 

 呂律の回らない口調になったのを察してリョウがさっとワイングラスを取り上げた。

 

「バカ。そうやってすぐ酔うくせに。言っておくが帰りは保障しないからな。自分の足で帰れよ」

 

「分かってるよ」

 

 サキは応じてメインディッシュにフォークを突き刺した。

 



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第四話「接触」

 

 頭痛を伴って出勤するとすぐさま一報が入った。公安は今日のうちに動いてくれるのだという。リョウが働きかけてくれたのか、あまりの迅速さにこちらが目を瞠る番だった。

 

「早いな」

 

 ハヤミも驚いている。サキは捜査一課に顔を出してから護送車に自分も同乗する事を提言した。思いのほか、サキの提言はすんなりと受け容れられた。

 

「公安も自分達の不手際を隠すのに必死なのか」

 

 シマの推理に、「そうでもないんじゃないですかぁ」と甘ったるいコーヒーを飲みながらアマミが返す。

 

「今まで適当に済ましていたところを、サキちゃんが突っかかっただけで」

 

「それって、私が余計な事をしたって言っています?」

 

 思わず声が出るとアマミは、「そうは言ってないよ」と手をひらひらと振った。

 

「サキちゃんはでも、そんなに真剣になる事? だって、名前も素性も分からない人間のために」

 

「でも無実の罪ならば検査くらいは受けるべきです」

 

 サキはそう言い置いて護送車へと取り次ぎを果たした。捜査一課の人間が介入する事は疎んじがられるかと思ったが、意外にも一回の連絡で事足りた。

 

「検査ねぇ。歯の治療痕の照合? それとも手術痕とか?」

 

 シマの声に、「どれもですよ」と応じてからサキは捜査一課を後にした。護送車は全部黒塗りで物々しい空気を醸し出している。三台あり、どれに彼が乗っているのかは分からない様子だった。

 

「警察関係者でも用心しているってわけか」

 

 サキはそのうち一台に乗り込む。すると、間もなく護送車が動き出した。カナズミシティの街並みは舗装されているためにほとんど振動はない。車に揺られていても外の景色に目を留めるような余裕さえある。

 

 運転手は真っ直ぐに車を走らせていたが、バックミラーを眺めていたサキには後ろの一台が別ルートに入ったのに気がついた。

 

「あの、後ろのが」

 

「ああ、あれは別クチに行くみたいですよ」

 

「別クチって……」

 

「詳しくは聞かされていないですが、別ルートで向かうみたいです。なにせ稀代の殺人事件ですし、あんまり施設なんかも明らかにしたくないんじゃないですか?」

 

 そう言われればそう納得するしかない。サキは頬杖をついて施設までの道を眺めていた。施設に着くと一台の護送車が先に到着していた。サキが声をかける。

 

「彼は?」

 

「ヒグチさん、でしたっけ。ここから先はご遠慮願いたい」

 

 その言葉の意味が分からずにサキは首を傾げる。

 

「どういう意味ですか」

 

「検査施設が誰かの口から漏れればマスコミにリークされる可能性があります。彼はまだ被疑者レベルなんですから」

 

 それにしては今までの扱いは何だ、と問い質したかったが、ここで論戦を繰り広げても仕方がないのだろう。サキは髪をかき上げて、「で私はどうすれば?」と訊いた。

 

「検査結果を受け取ってもらって、後はご自由に」

 

 公安の手先であろう人物の口調は素っ気ない。サキは、「そうさせてもらう」と施設外苑のベンチに座り込んだ。施設内に入って待ってもよかったがどうせ彼とは会わせてくれないのだろう。ならばどこで待とうと同じだ、と感じたのだったが、不意に誰かが隣に座ってきた。このような狭い敷地で何が悲しくって相席せねばならないのだ。立ち上がろうとすると、「待ちなよ」と声がかけられた。振り返ろうとすると、「私のほうを見なくてもいい」と鋭い声がかけられる。サキは瞬時に、警戒の神経を走らせた。後ろに座っている人物は一体何者なのか。

 

「何だ?」

 

「私のほうを見ずに、話を続けてもらいたい。これは要求ではなく、決定事項だ」

 

「私の職務を知っていて言っているのか?」

 

「だからこそだ。ここで脳しょうぶちまけたくないだろう?」

 

 サキは相手の言葉に息を呑む。背後の人物の声音から男か女かを判断しようとしたが、変声機でも使っているのか読めない声だ。

 

「……お前は誰だ?」

 

「彼を助けたいのだろう」

 

 彼、という言葉が即座に銀色の髪を持つ彼と結びつきサキは動悸が早まるのを感じ取った。

 

「何故……」

 

「このままでは秘密裏に始末される」

 

「何を言って――」

 

 振り返ろうとすると、「振り返らずに聞いて欲しい」と声が返ってきた。サキは必死に衝動を押し留めて口にする。

 

「秘密裏に始末、ってのは誰がだ? 公安か?」

 

「もっと大きな流れだ。もっとも、あれはこの事には気づいていないが。護送車が一台、到着していないだろう?」

 

 その言葉に駐車場の護送車二台を見やる。

 

「あんたは撒かれたのさ。彼は極秘施設にて処刑を受ける」

 

 処刑という言葉がサキの潜在的な意識をささくれさせる。

 

「何で、彼が何をしたって……」

 

「それは我々にも余計な事は言えないが、公安があちらの要求を呑んで大人しく内々に事を済ませようとしたのを突いたのはあんたのほうだと、言っておこう」

 

 サキはその口調から相手が自分の経歴、もっと言えば動きを熟知しているのだと感知する。

 

「趣味が悪いな。覗き見か」

 

「覗くまでもない。あんたの行動は小さなものだが、その小さな、些事に過ぎない事でもあちらはそうは思わない。死にたくなければ今すぐにでも家に帰って彼に関する情報を削除する事をお勧めする」

 

「……脅迫、か」

 

 ホルスターに留めておいたモンスターボールに手を添える仕草をすると、「やめなよ。ブランクなんだろう?」と声が発せられた。心臓を鷲掴みにされた気分に陥る。モンスターボールがブランクである事を知っているのは限られた人間だけだ。警察関係者? と憶測を呼び出していると、「私の存在を勘繰ったところでお互いに益はない」と見透かされた声が発せられる。

 

「……私はどうすれば」

 

「何も。もう起こってしまった事だ。彼が生きて帰ってくれば、あんたに一任したい。ただそれだけの、お願いのために訪れたまでだよ」

 

「……お願い」

 

 その一事にしては妙に気を張っている辺り、相手にも何かしら思うところがあるのかもしれない。だが、どうして彼なのか。その疑問がついて回った。

 

「彼が何をした? この事件と関係があるのか?」

 

「私の口から言えるのはここまでだ。だが、ヒグチ・サキ警部。彼はいずれ必要となる時が来るだろう。それはあんたにとっても、であって欲しいね」

 

「どういう意味だ」

 

「もう行こう。彼の無事を祈るしか、我々にはもう出来ないよ」

 

 気配が消えた、それを感じ取って振り返る。ベンチには誰もおらず、誰かが歩み出した形跡もなかった。何か痕跡を探そうとしたがそれを残していくような間抜けではないだろう。

 

「……何だって言うんだ。私の事を知っていて、あえて接触してきた。彼の事を、処刑されるだと?」

 

 護送車が一台遅れているのは見れば明らかである。だが処刑施設に寄っているなど考えられるだろうか。サキは額に手をやって考えを巡らせようとするが、それは無為だというかのようにポケナビが鳴った。通話モードになったポケナビの相手はハヤミだった。

 

「はい、こちらヒグチ」

 

『ヒグチ君。今しがたこちらに彼の検査結果が届いた。迅速な対応に大変助かっている』

 

 その言葉に違和感を覚えた。検査施設に入っていたとしてもまだ数分、そんな短時間で検査結果が導き出せるわけがない。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、課長。私が来て、まだ数分ですよ?」

 

『それはおかしいな。検査結果は三十分前に記録された事が確認済みだ。送信されているが』

 

 ハヤミの言葉にサキは先刻の謎の人物の言葉を思い返した。彼は秘密裏に処刑される――。

 

「あの、送信先って分かります?」

 

『送信先?』

 

 ハヤミが胡乱そうな声を出す。サキは、「受信したのなら、送信してきた相手ってのが分かるはずですよね」と被せた。

 

「誰が送ってきたのか……」

 

『妙だな』

 

 ハヤミは何かしらに気づいたらしい。サキが追求する。

 

「妙、とは?」

 

『一度公安を経由して送信されている。そこからさらにアマミ君に辿ってもらったが、どうしてだか海外のサーバーを転々としていた』

 

 サキは確信に変わったのを感じた。彼の身柄。それを容易く外に出してはならなかったのだ。彼を狙っているのが何者かは分からないが、警察組織を相手取れるほどの大規模である事は疑いようのない。

 

「海外を経由したって事は、それは出所不明と同義じゃないですか」

 

『そうなのだが、きちんと上のサインも入っている。出所不明の書類を上が認可した、という事だな』

 

 サキは周囲を見渡した。先ほどの人物にうまく当てがあれば。そうでなくとも、護送車がどこへ行ったのかを追跡出来れば、と。

 

「この件、予想以上にまずいですね」

 

『何ならこの書類はわたしが上の動きを制するために持っておく事も出来るが』

 

「お願いします。それと追跡の許可を」

 

『追跡? 何をかね?』

 

 サキは息を吐き出して告げた。

 

「彼の行方を」

 



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第五話「処刑空間」

 床が冷たいと体温というものが余計に感知される。

 

 それは留置所にいた時もそうだったが、自分はどうやら冷たい床でなければ寝られないらしい。温かい布団の上で寝ようとしても落ち着かないのだ。身体の一部分が冷たいとなおよかった。

 

 だが、頬から伝わってくる低い音程は装置のそれだ。床ではないのか、と瞼を上げて身を起こす。すると一面が白い部屋に入れられているのが分かった。天井も滅菌されたように白い、と感じていると滅菌どころか照明となっており、全方向から光が漏れていた。

 

 ごきり、と首を鳴らしてから、ここはどこなのだろうか、と考える。確か、留置所から出られたところまでは覚えている。護送車に入れられ、検査に向かうのだ、と告げられた。ならばここが検査所だろうか。それにしては随分と質素だな、と彼は思う。質素どころか、部屋は角張っており眺めていると空間が立方体である事が理解出来た。

 

「あのさぁ」

 

 その声に振り返ると、二人の女と二人の男が寝そべっていた。そのうち一人の、角刈りの男が声を発したのだ。彼は身を起こし、「さっきから待っていたんだ」と告げた。

 

「待っていた? 何を」

 

「全員が起きるのを、だよ。オレが最初に起きて、でも揺すっても誰も起きないから事態を静観していたんだ。で、お前が起きた」

 

 指差されて彼は、「俺がぁ?」と首を傾げる。他の三人に視線を移すと、「眠っているよ」と先んじて言われた。

 

「どうやら強力な睡眠薬か何かで眠らせられているらしい。お前もそうだった。なぁ、お前、名前は?」

 

 問われて彼ははたと思い留まる。名前はないのだ。何度刑事に問い詰められても出なかったものがこの異空間で出るとは思えなかった。口ごもっていると、「もしかして覚えていない?」と察せられた。彼は頷く。

 

「驚いた。マジに記憶ないのか?」

 

「そういうあんたは、あるのか?」

 

「ああ、オレの名前はニシノ」

 

「苗字じゃ……」

 

「充分だろ」

 

 ニシノと名乗った男は歩み寄り、彼へと手を差し出す。きょとんと見つめていると、「とりあえず握手だよ」とニシノは口にした。

 

「この妙な空間で、まず起きたのがオレとお前だった、っていうね」

 

「あの、俺、記憶ないんですけれど……」

 

「安心しろ。オレも眠る前の記憶は曖昧だ」

 

 ニシノは快活に笑って、彼と握手を交わす。「さて」とニシノは他の人々を見渡した。

 

「こいつら起きてるのか寝てるのか分からないからな。迂闊に触れないと思って声かけて揺すってみたんだが、反応はない。どれ、お前、こいつら起こしてみてくれないか?」

 

「俺が?」

 

 彼が怪訝そうに眉をひそめると、「頼むよ」とニシノは肩に手を置いた。

 

「オレの呼びかけ方が悪かっただけかもしれない。お前なら起こせる」

 

 謎の確証に彼は戸惑いながらまずは目についたもう一人の男の肩を揺すった。すると、男は寝返りを打つ。どうやら死んでいるわけではないらしい。彼がもう一度強めに肩を揺すると、「あ? どうしたんだ、私は……」と男が身を起こした。三七で分けた髪が真面目そうな印象を受けさせる。

 

「あの、眠っていたみたいなんですけれど」

 

「ああ、うん? うまく思い出せないな」

 

 その反応にニシノへと目配せする。「オレと同じだ」とニシノは腕を組んで首肯した。

 

 もう二人の女性へと彼は歩み寄った。軽めに肩を叩くと二人とも額を押さえて起き上がった。思っていたよりも素早い動きに最初から起きていたのではないかと思わせられた。

 

「こりゃ狸寝入りだったのかな」とニシノも軽口を叩く。

 

「うん? あたし、何で」

 

「私も、どうして……」

 

「二人とも、前後の記憶は?」

 

 問いかけると二人の女性は狼狽したが合わせて首を横に振った。

 

「やっぱり、オレだけじゃないってわけか」

 

「あの、説明してもらえるかな? この部屋は何なんだ?」

 

 起きた男の問いかけにニシノへと視線を配ると、「オレにも分からないが」と口火を切った。

 

「全員が、何らかの理由で攫われた、と見るべきだろうな。ここにいるのは無関係な五人だ」

 

「攫われたって……! 嫌だ、マジで」

 

 女性の一人が肩を抱く。何かされたのだと思い込んだのだろう。ニシノは、「何かされたってのは分からないが」と続ける。

 

「全員、外への通信手段は?」

 

 女性二人が携帯端末を持っていたが圏外だった。男は、「ポケナビを携行していたはずなんだが」と左手を見やるがもちろんない。

 

「つまり外へと呼びかける事は不可能、か」

 

「あの、一応、この部屋についても調べるべきだと思うんですよ」

 

 彼が口にすると、「もっともだな」とニシノは頷いた。

 

「この部屋は、立方体だ。四方に隣の部屋へと続く廊下があり、床から廊下までの高さは二十センチ。段差レベルだな。だが天井までの高さは二メートル近くある」

 

「よくそこまで……」と男が感心する。ニシノは、「伊達に早く起きたわけじゃないからな」とウインクする。

 

「調べようとして隣の部屋に行きかけたが、オレ一人で進むのも不安なので全員が起きるのを待っていた。で、こいつが二番目に起きた」

 

 指差され彼はうろたえ気味に、「閉じ込められた、とかだと思います」と告げた。

 

「はぁ? 閉じ込めたって、マジ意味分からないんだけれど」

 

 先ほどと同じ女性が糾弾する。意味が分からないのはこちらも同じだ。返そうとすると、「でも、そこいらにドアはないですよね」ともう一人の女性が呟く。

 

「目をつけるとすればそこだな。ドアのない、密室だよ」

 

 ニシノの言葉に全員が慄いた。彼は、「でも全く出入り口がないなんて考えられない」と抗弁を発する。

 

「俺達を入れてきたのならば、その入り口があるはず。そこを探しましょう」

 

「となると、隣の部屋、行くかぁ?」

 

 ニシノの声音にはどこか興味本位すら感じさせる。彼は全員に目配せする。男が立ち上がり、「私は動かないほうがいいと思う」と意見した。

 

「動かないほうがって、でも周りは廊下しかないだろうが」

 

「どこかから観ているんですよ、この密室に入れてきた人間は。そいつを見つけ出すのが先でしょう」

 

 男の言葉にも一理ある。だがニシノは、「監視カメラならばないと思うぜ」と首筋を掻いた。

 

「どうして言い切れる?」

 

「一応、最初に起きたもんで。そこいら調べたけれどそれらしいものはなかった」

 

「埋め込まれているかもしれないじゃないか」

 

「だとすれば余計に気にする意味分からんだろ。オレはこの場から行く事に賛成」

 

 ニシノの視線に彼も首肯する。

 

「俺も、賛成です」

 

 女性陣に視線を移すと、「あたしも。ここ何もないし」と片方の女性が言って歩き出した。もう片方の女性は、「私も」と連れられる形で歩き出す。男だけが、「正気か?」と動かなかった。

 

「そうだ、あれは何だ?」

 

 男が指差したのは天井に開いている穴だった。人が一人分入ればいいほうの穴で、どこへと続いているのかは分からない。

 

「多分、空調でしょ? 期待しないほうがいいと思うけれど」

 

「あそこから落とされたかもしれないじゃないか」

 

「いや、あり得ないでしょ。天井から床まで相当距離あるし、叩きつけられたら怪我くらいするでしょ。無傷なのが、あの穴が何の役にも立たない証」

 

「やってみなければ分からないじゃないか」

 

 男は頑なに動こうとしない。終いにはニシノが折れた。

 

「行こうぜ。この人、ここから動きたくないみたいだ」

 

 女性陣を連れ立ってニシノが廊下へと踏み出す。彼は呼びかけた。

 

「あの、出来るのならば固まって動いたほうがいいと思うんです」

 

「うるさい! 私の事は放っておいてくれ!」

 

 極度のパニックからか、男は意固地になっている。彼はしかし、それでも構わないか、と考えていた。後々、心細くなれば合流するだろう。そう感じて身を翻した、その時である。

 

「み、見ろ! 身体がふわふわと浮いて……」

 

 その声に全員が振り返った。男の身体が吸い寄せられるように宙へと浮いている。その光景が全員、信じられなかった。

 

「おいおい、マジかよ」

 

「何で人が浮くわけ?」

 

 全員の視線が男に集まる中、男は両手を広げた。

 

「やはり動かない事が賢明だったんだ! これで脱出出来る!」

 

 その言葉が紡がれた直後、男の身体が穴へと吸い込まれた。だが期待していたものとは程遠い結末が待っていた。穴へと吸い込まれたかと思うと、気味の悪い破砕音が響き渡る。骨や肉が砕けた音が連鎖した後、血が滴った。穴からである。女性二人が、「何……」と後ずさる。彼は咄嗟に、「さっきの携帯端末を」と女性に手を差し出す。女性は事態が飲み込めていないのか彼と先ほどの部屋とを見比べた。

 

「早く!」

 

 その言葉に携帯端末を手渡す。彼はそれを思い切り放り投げた。先ほどの部屋に入った瞬間、携帯端末は浮き上がり天井へと張り付いた。

 

「おい、どういう事だ、これは」

 

 彼はその現象を見やり、一つ呟く。

 

「分からない。分からないが、さっきの人は、決して脱出出来たわけではない。それだけは確かみたいです」

 

「死んだって事……?」

 

 小柄なほうの女性が尋ねる。携帯端末を差し出したほうの女性は、「そんな事って!」と声を荒らげた。

 

「でも携帯端末が天井に吸い寄せられている。磁力か? でも磁力じゃ人は浮かない……」

 

「ポケモンじゃないの、かな」

 

 その言葉に全員が目を向けた。小柄な女性はそれだけで竦み上がりそうになりながら言葉を紡ぐ。

 

「その、ポケモンならば、可能じゃないかな、って」

 

「なるほど。念力とか使うポケモンならば考えられない話じゃないな」

 

 ニシノの推理に彼は疑問を挟んだ。

 

「でも、妙だ。さっき、あの人の周りにはそれらしき痕跡がなかった。念力ならば青い光ぐらいは纏いつくはず」

 

 その段になってどうして自分はポケモンの事を知っているのか、と疑問が浮かぶ。自分の名前に関しては何一つ分からないのに。

 

「ポケモンの仕業か。だとすれば、誰が何のために」

 

「どちらにせよ、部屋を戻るのは得策じゃないです。携帯端末が天井に張り付いたって事はまだ有効射程だろうし」

 

 彼の言葉に全員が納得したわけではなかったがニシノは承諾した様子だった。

 

「次の部屋に行こうぜ。でないと始まらない」

 

 その提案には全員が乗った。ここで置いていかれれば何が起こるか分からないからだろう。先ほど死んだ男の次は追いたくなかった。

 



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第六話「五番」

「なぁ、お前、トレーナーなのか?」

 

 ニシノの問いかけに彼は顎に手を添えて考え込む。

 

「分からない……、ってのが正直なところです」

 

「でも、腰にはモンスターボールつけているよな」

 

 そう指摘されて彼は自分の腰に赤と白を基調としたモンスターボールがある事に気がついた。

 

「いつの間に……」

 

「寝ていた時からあったけれど? お前のもんじゃないの?」

 

 自分は留置所ではポケモンを剥奪されていた。どうして今、手元にあるのか。だが留置所の事を話せばまた厄介が生じる。彼は意識して黙っておいた。

 

「分かりません」

 

「分かりませんばっかりだな。名前も分からないんだっけ?」

 

 ニシノの言葉に、「ウソ、マジで?」と後ろの女性が反応する。ニシノは気安い笑みを振り向けて、「マジマジ」と告げた。

 

「君らは? まさかこいつみたいに記憶喪失?」

 

「いや、あたしはレナ」

 

「私はミナミ」

 

 お互いに名前の記憶はあるらしい。だが攫われた前後の記憶は曖昧なようだった。

 

「じゃあお前だけが記憶ないってわけだ。不便だよな、名前でもないけれど呼び名ぐらいはつけなきゃ」

 

「いいですよ。俺は別に困らないし」

 

「でも……、あっ、肩に痣があるぜ?」

 

 痣、と言われて彼は肩を押さえる。ニシノが指差したのは半袖に隠れるか隠れないかの合間だった。

 

「えっと、D015? 何だこれ。刺青か?」

 

 彼は身をひねってようやくその痣を見やる。確かにニシノの言う通り「D015」と読めなくもない。

 

「じゃあ〈五番〉。お前、今から〈五番〉な」

 

「それ、名前じゃないじゃん」

 

 レナが指摘するがニシノは、「いいんだって」となだめる。

 

「呼び名があるほうが分かりやすいし、脱出したら本当の名前を教えてくれよ、〈五番〉」

 

 彼は嫌な気分はしなかった。〈五番〉として振舞う事にいささかのためらいもない。

 

「はぁ、じゃあ〈五番〉でいいですけれど」

 

 気のない返事をすると次の部屋が目に入ってきた。

 

「次の部屋は二方向か」

 

 先ほどの部屋は四方向に通じる立方体だった。だが、今度は二つしか道がない。右に折れるか左に折れるかだ。

 

「ちょっとやだ、それ何よ」

 

 レナが指差した方向にはギロチンが埋め込まれていた。だが、床に埋め込まれているだけであり、相当気を抜いていなければ躓きようもない。

 

「こけおどしかな。もしくはこれに引っかかるような間抜けを想定しているか?」

 

 ニシノが面白がって歩み寄る。「やめなさいよ」とレナが止めようとするがニシノはギロチンの上で手を振った。

 

「本物の刃っぽいな。でもこんなの転ばない限り脅威でも何でもないぜ。とりあえず右に進むか左に進むかを――」

 

 身を翻した瞬間だった。ギロチンが空気を切る音を立てて瞬時に浮かび上がった。

 

「危ない!」と〈五番〉がニシノを引き寄せなければもしかしたらニシノはその刃にかかっていたかもしれない。ギロチンは天井に吸い込まれて突き刺さった。ニシノが荒い息をつく。

 

「……おい、何だよ、これ」

 

〈五番〉は先ほどまでギロチンが埋め込まれていた床へと歩み寄る。「危ないよ」とミナミが言うが調べなければならなかった。

 

「ギロチンは、確かに埋め込まれていた。だけれど刃が固定されていたわけじゃない」

 

「念動力か何かで刃を浮かしたって言うのか?」

 

「それにしちゃ、今の刃の動きは速過ぎた。まるで、最初からギロチンが標的を見つければ動くみたいな」

 

「ちょっとやめてよ」

 

 レナが耳を塞ぐ。その理論で行けば誰かが犠牲になっていたかもしれないのだ。ニシノは息をついて、「とにかくサンキュ。もしかしたら死んでいたかもしれなかった」と礼を言った。

 

「いや、俺は反射的に……」

 

「反射的でも助かったって言っているんだ」

 

 ニシノの声音には今しがた死が歩み寄っていたという不安がない交ぜになっていた。言葉にする事で冷静になりたいのだろう。〈五番〉は素直に受け止める事にした。

 

「にしても、トラップルームってわけか。こりゃ迂闊に進めないか?」

 

「いや、進んだほうがいいでしょう。あのギロチンが狙ってこないとも限らない」

 

「とりあえず女性陣を守るようにオレらで囲うしかないな」

 

 ニシノは前を歩き、〈五番〉は後ろを歩く事となった。ギロチンの動向を見やるが、ギロチンからは既に攻撃の意思は取り去られたように思える。結局、左側へと進み、廊下を歩く最中ニシノが話しかけてきた。

 

「廊下は何にもないみたいだな」

 

「だからと言って歩みを止めるのは」

 

「分かっているよ。何にもないって事は脱出の手段もないって事だし」

 

 ニシノは存外に理解がいいらしい。先ほど死にかけたというのに立ち直っている様子に窺えた。

 

「……脱出ルート、ありますかね」

 

「なければ困るって話だな。今にして思うと、最初に死んだと思ったあの人は、逆に逃げ出したのかもしれん」

 

「と、言うと?」

 

 ニシノは、「根拠のない話は好きじゃないが」と前置きした。

 

「あの部屋の空間をおかしくさせて、自分は血糊で死んだとでも思わせればあの部屋には誰も戻らない。もしかしたら、あの部屋が唯一の脱出口だったのかもしれないのに」

 

 そう考えれば辻褄もある。だが〈五番〉からしてみればそれは考えたくない可能性だった。

 

「裏切られた、って事ですよね」

 

「悔しいけれどそうなるわな。でも死んだと考えるよりかは後腐れない気がするが」

 

 破砕音は明らかに常態のものではなかった。空調に挟まれて死んだ、と思い込んだだけかもしれないが、前を行くレナとミナミには伝えないほうがいいだろう。無用な心配を生むだけだ。

 

「なぁ、本当に記憶がないわけなのか?」

 

 ニシノの声に〈五番〉は答えた。

 

「言ったじゃないですか。この痣だって、意味分からないですし」

 

「でもポケモンに関する知識は、オレらの中で一番あるようだが」

 

 モンスターボールを指差されて、「でも、こんな極限状態、想定していませんよ」と応ずる。「そりゃあな」とニシノも理解を示した。

 

「わけの分からない部屋の中でトラップに怯えながら進むなんて悪夢だよ」

 

 開けた場所に出そうになってレナとミナミが足を止めた。トラップの可能性にニシノと〈五番〉が歩み出る。今度は三つに道が分かれており、先ほどまでの部屋よりも幾分か小さかった。

 

「罠らしい罠は、なさそうだが……」

 

 空調設備が行き届いているのか涼しい風が運ばれてくる。

 

「空調があるって事は、やっぱり外と何かしらで繋がっていると見るべきだろうな」

 

「ですね」

 

 だが最悪の形を想定する。空調設備以外は外との繋がりが全くないという可能性。

 

「ねぇ、何だか暑くない?」

 

 レナの声にニシノが、「おかしな事言うなって」といさめる。

 

「空調が効いているんだぞ。なのに熱いだなんて」

 

「……いえ、気のせいじゃないみたいです」

 

〈五番〉も蒸すような暑さを感じ取っていた。おかしい、つい先ほど空調は万全だと感じたはずなのに。

 

「汗が……」

 

 ミナミは額を拭う。ニシノも感じ始めたのか、「何だって言うんだよ……」と苛立たしげに呟いた。

 

「この部屋で長居をさせてくれない、という事でしょうね。それにしても、暖房に切り替わった様子はないのに」

 

 選択を迫られている、という事だろう。〈五番〉は、「真正面の廊下を行きましょう」と提案した。

 

「こんな風に、当てずっぽうでどうにかなるの?」

 

 レナの疑問はもっともだったが今は進むしかない事もまた分かっているはずだった。

 

「オレは〈五番〉に賛成。とりあえず進まなきゃどうにもならん」

 

 レナとミナミは渋々と言った様子でついてくる。廊下に入ると暑さは失せた。

 

「やっぱり今の部屋だけが暑かったんだ……」

 

〈五番〉が振り返って眺めていると景色がたわんだ。何が起こったのかと確かめようとすると、床の一部から煙が生じているのである。照明設備に引火したらしい。

 

「おいおい。熱しすぎて照明がいかれちまうぞ!」

 

 ニシノの声に先ほどの部屋が明滅したかと思うとすぐさま真っ暗になった。もし少しでも長く留まっていたら、と考えると全員に怖気が走った。

 

「早く、進まないと」

 

 そう口にしたのはレナだ。急くように駆け出す。ニシノと〈五番〉が制する声を出した。

 

「おい、危ないって!」

 

「先行は危険です!」

 

 その言葉も聞こえていない様子だった。次の部屋へといち早くレナは飛び出す。その瞬間、レナの身体が浮き上がった。

 

「いや! どうなっているの?」

 

 追いついた〈五番〉は床についた血糊でハッとする。

 

「元の場所に戻ってきてしまったんだ……」

 

 浮き上がったレナを止める術はない。レナの身体が穴へと吸い込まれようとする。叫び声がけたたましく響き、ミナミが目を覆う。その身体が空調の隙間に挟まれかけたその時であった。

 

「いけ!」

 

 無意識にホルスターからモンスターボールを引き抜き、緊急射出ボタンを押し込む。光を取り払って射出された物体がレナの身体を空中で捕まえた。

 

「あれは……?」

 

 レナが身をよじろうとする。〈五番〉は、「戻って来い」と告げる。すると水色のポケモンに掴まれたレナは無事に廊下へと帰投を果たした。ミナミが、「よかった!」と抱きつく。レナは涙を流して震えていた。

 

「お前、それは……」

 

 ニシノの声に〈五番〉は唇の前で指を立てる。

 

「しーっ。ダンバル」

 

 その名前に水色のポケモンが鳴き声を上げる。赤い眼球があり、それを中心として鉤爪のような形状の胴体が引っ付いている。ダンバルと呼ばれたポケモンはレナから離れると〈五番〉の傍に寄り沿った。

 



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第七話「クリアボディ」

「ダンバル、こいつの特性はクリアボディ。どのような状況であろうと、現象の影響を受けない。つまり相手が能力変化の技を使っていようとも、ダンバルにはその変化はまるでかからないというわけだ」

 

 ダンバルが赤い単眼を突き出し、そのまま部屋を突っ切った。ダンバルにはこの部屋を支配する何らかの力の影響はない。そのままダンバルを次の部屋へ、次の部屋へと通していく。踏み込む事で作動するタイプのトラップならばこの攻撃が有効なはずだった。

 

「何しているの……」

 

 ミナミの声に、「試しているんですよ」と〈五番〉は答えた。

 

「ギロチンの時、ニシノが上に来た瞬間、発動した。この部屋の重力変化も同じように。さらに言えば、空調の変化も部屋に入った瞬間だった。つまり、全てのトラップを発動させる条件はその範囲内に入った瞬間。ならばダンバルで全ての部屋を回ればいい」

 

「と、トラップを発動させてどうするって言うの?」

 

「トラップは一度発動すれば、二度目はない、と考えられます。ならば、全ての部屋のトラップを発動させれば、脅かされる心配もない。もし、この部屋のように重力変化のトラップでも、一人ずつならばダンバルで運べる。そうすれば、安全に――」

 

 そこから先の言葉は不意に突き刺してきた衝撃に遮られた。〈五番〉は脇腹を見やる。青い光の思念の刃が脇腹に突き立っている。

 

「何だ……」

 

 レナが金切り声を上げる。その悲鳴に、「うるさいぞ」と声が聞こえた。

 

「お前も、こうなりたいのか?」

 

 ひねられた思念の光に激痛が増す。〈五番〉は眼前の敵を見据えた。

 

「ニシノ……、お前……」

 

「トラップを全て発動させてこれらの部屋を順繰りに攻略する。そんな事をされれば困るんだよ。あーあ、せっかくいい人を演じてきたのに、台無しだぜ」

 

 ニシノの興醒めだと言わんばかりの声にレナが逃げ出そうとする。「逃げんな」とニシノが指を立てると薄い皮膜を持つポケモンが穴から現れた。上部が三角巾のようになっており、下部には小さな顔らしきものがある。触手が伸びており、ゆらゆらと揺らめいていた。その触手の一本が光を放ち、レナの髪を引っ張る。すると、レナの身体から重力が消えた。レナの身体が、廊下だというのに浮き上がっていく。

 

「何で……」

 

「オレのマーイーカは全ての事象を〝引っくり返す〟。冷たければ冷たいほど熱く、重力があるならばそれを正反対に」

 

「ギロチンも、計算に入れていたのか」

 

 自分が跨ぐタイミングでわざとギロチンを発動させ、自分への疑いがないようにした。ニシノは鼻を鳴らす。

 

「お前が余計なもん持っていなければ、仲良くお陀仏出来たんだよ。この女共は死に、お前はオレが最後まで味方だと信じ込んだままトラップで死ぬ。そうすれば、全てが丸く収まった。ハッピーエンドだったのさ」

 

 レナが廊下の天井へと張り付く。だが、すぐにその背骨を重力が圧迫した。

 

「反重力状態。こいつは圧死する」

 

「させない! ダンバル!」

 

 戻ってきたダンバルがマーイーカと呼ばれるポケモンへと突進する。マーイーカは避ける事叶わずそのまま押し出された。ニシノが舌打ちをする。

 

「ポケモンの使い方、覚えていたとはな。記憶はないってのに」

 

「記憶……。お前は、俺の記憶が、俺が誰なのか知っているのか?」

 

 その問いかけにニシノは答えない。「マーイーカ!」と名を呼び、落下したレナを思念の刃で突き刺そうとする。

 

「ダンバル、防御姿勢を!」

 

 ダンバルがレナを拾い上げ、その身を盾とする。ダンバルはそれなりに強靭だ。そう易々と倒される事はない。ニシノは、「そうやって、善人気取りか?」と挑発する。

 

「言っておくが、こいつら助けたって何にもいい事ないぜ? レナとかいう女はパニック状態で人を殺した事もある。このミナミって女も、大人しそうだが毒を盛った疑いがあって本来ならば刑に問われるところだった。生かして外に出しても、こいつらを、いや、お前らを待っているのは刑罰だ」

 

「俺の事を言っているのか?」

 

 ダンバルを呼び戻して構えを取る。身に染み付いた所作に疑問を覚えるよりも早く、「人殺しの性ってのはよぉ、簡単に消えるもんじゃねぇんだ」とニシノが口にする。

 

「人殺し……。俺が、か?」

 

「他に誰がいるっていうんだよ」

 

 ニシノと睨み合う。ダンバルの攻撃ならば、マーイーカを下す事は可能だ。だがダンバルは直線攻撃しか出来ない。それを見破られれば敗因を導くのは必至だ。

 

「ここで技の打ち合いをしてもいいが、それよか面白い余興があるぜ」

 

「余興?」

 

 怪訝そうにしていると、「マーイーカ、催眠術!」とニシノが口にする。マーイーカから波紋が放たれ、咄嗟に〈五番〉はダンバルで防御した。だが、催眠術が狙ったのは〈五番〉ではない。レナとミナミだ。二人はマーイーカに操られ、そのまま重力の反転した部屋に駆け出そうとする。〈五番〉はダンバルに命令を飛ばした。

 

「ダンバル、二人を止めろ!」

 

 ダンバルが回転してミナミの足を引っ掛ける。レナが抜け出そうとしたが、それを〈五番〉が身を挺して止める。だが、レナは爪を突き立て、腕に噛み付いた。既に正気は失っている。ニシノは、「守ったってよぉ、どうしようもないぜ」と余裕を持って告げた。

 

「そいつらに暗示をかけたんだからな。マーイーカはポケモンの中でも随一の催眠使い。衝撃とかで催眠を解かせられるとか、思わないほうがいいぜ」

 

 ダンバルがミナミの顔に突進する。ミナミはそれをあろう事か手で受け止めた。あまりの事に〈五番〉は瞠目する。

 

「人間の潜在能力ってのははかり知れないんだ。非力な女でさえ、片手で六十キロのバーベルを持ち上げられるほどの実際の能力があるが、それは常に脳がリミッターをかけているために顕在する事はない。だが、一度リミッターを外してやればよぉ」

 

 ミナミが人間とは思えない挙動で踊り上がり、ダンバルを拳で打ち据えた。ダンバルのほうがよろめく。

 

「その能力はポケモンを超える。だが、当然代償は大きい」

 

 ミナミの手から血が滴っている。限界を超える力で殴りつけたせいだろう。骨もボロボロになっている事が窺えた。

 

「こいつらどうせ先なんてねぇんだ。駒のように使わせてもらうぜ」

 

 レナが無理やり〈五番〉を押し切ろうとする。〈五番〉は必至に呼びかけた。

 

「レナさん! 操られているんだ! どうにか正気を取り戻してくれ!」

 

 レナが〈五番〉の腕に噛み付き、そのまま引き千切ろうとする。ミナミがダンバルを蹴りつけ、天井にぶつけさせた。ダンバルがそのまま天井に突き刺さって沈黙する。

 

「人間相手じゃ、ダンバルでも攻撃出来ねぇよな。さぁて、人形共の供宴は最高潮を迎える事になる」

 

 ニシノがタクトを振るうように腕を上げる。すると、レナとミナミが纏めて〈五番〉へと突進してきた。〈五番〉がよろめき、重力反転の部屋に足を踏み出しかける。

 

「やめろ、このままじゃ……」

 

「このままじゃ三人仲良くお陀仏だよなぁ! これでオレだけが生き残り、報酬を受け取るってわけだ! 生き残る、ってのは心苦しいぜ!」

 

 ニシノの哄笑に〈五番〉は、「そうだな」と呟いた。その瞬間、ダンバルが赤い単眼をぎらつかせ、ニシノの背面に立っていた。それにニシノが気づいた直後、ダンバルの突進がニシノの背中から突き上げた。鉤爪状になっている部分から推進剤を焚き、ダンバルがニシノの身体を自分達よりも早く、重力反転の部屋に押し出す。

 

「生き残るってのは、確かに心苦しいな」

 

 ニシノの身体が宙に浮き必死に空を掻こうとする。

 

「ま、マーイーカ! オレは!」

 

「自分だけこの〝引っくり返す〟状況から脱するか? だが、そんな器用な真似が出来ればとっくにやっているよな? 俺が推測するに、〝引っくり返す〟に味方も敵も区別がない。その範囲内ならば全ての現象を〝引っくり返す〟。さぁ、どうする? 俺もお前もお陀仏だが、死なない方法を、お前は知っているはずだよな?」

 

 ニシノは必死に呼びかけた。

 

「マーイーカ! 引っくり返す、を解け!」

 

 マーイーカが身体を翻す。その一動作だけで「ひっくりかえす」の技が解かれたようだった。ニシノは自分よりも天井近くまで昇っていたせいか身体を床にしこたま打ちつける。逆に〈五番〉はもつれ合うように落下したお陰で個々の損傷は酷くなかった。

 

「一手、勝ったのは……」

 

〈五番〉が立ち上がる。ニシノも立ち上がろうとするが足の骨を折ったらしくうまく立ち上がれないようだった。

 

「俺のほうだったみたいだな。人形遊びにうつつを抜かした、罰だと思え」

 

 レナとミナミは気を失っている。今や、対峙するのは自分とニシノ二人きりだった。呻き声を漏らすニシノへと歩み寄り、〈五番〉は襟首を掴み上げる。

 

「言え! さっき報酬がどうのこうのと言っていたな? 誰の依頼だ? 俺は何のために記憶喪失にされている?」

 

 ニシノはしかし、半笑いのような表情を浮かべて、「そんなの知って……」と呟く。〈五番〉はダンバルを呼びつけ、ニシノの顔に突進させた。ニシノの顔の骨がひしゃげる音が響き渡る。

 

「今さらだけどな、俺のダンバルは突進しか覚えていないんだ。だからこれしか拷問の方法がない。悪いな」

 

〈五番〉の雄叫びと共にダンバルが無数の軌道を描いてニシノの顔に突き刺さる。幾重の突進攻撃によってニシノの顔は原型が分からなくなっていた。

 

「言うんだ。俺は誰なんだ?」

 

 ニシノは唇の端から血の泡を噴き出させ、ぷっと笑った。

 

「……どうせ、お前には、そんな道はないんだ。殺せよ」

 

「殺さない。お前は俺が誰なのか知っているはずだ。だから、こんな罠を造り上げた」

 

 聞き出すまでは殺すものか。〈五番〉の意志の強さを理解したのか、ニシノは諦めの笑みを浮かべた。

 

「……罠を作ったのはオレじゃない。罠とマーイーカは用意されていた。オレは処刑人として、お前ら四人を殺す任務を帯びていたんだ」

 

「処刑人? お前は、何者なんだ?」

 

 ニシノは顎でしゃくる。すると、マーイーカが手帳を取り落とした。突き飛ばしてから手帳を拾い上げる。そこに書かれている事実に〈五番〉は震え上がった。眼を戦慄かせ、「何だこれは……」と聞き返す。

 

「ニシノ! お前は何なんだ!」

 

「……そこに書かれている通りさ。お前ら大罪人を処刑する役目を拝命した」

 

〈五番〉は手帳を震える指先でポケットに入れ、「俺の質問に答えろ!」と改めてニシノへと詰問する。

 

「この、手帳に書かれている事が事実だとして、じゃあお前は、何で……」

 

「殺せよ……。そうすりゃ、シナリオ通りだ」

 

 ニシノはもう答える気がないらしい。先ほどマーイーカが取り落とした手帳が全てなのだろう。

 

「……出来ない。俺は、人殺しなんて」

 

 その言葉にニシノはせせら笑った。

 

「今さらだろう? お前らは大罪人だと言ったな。レナとか言うのとミナミとか言うのは人殺しだ。最初の男だって連続婦女暴行事件の犯人だった。それと同じだよ。お前は、生き永らえているそれそのものが、深い罪なのだからな」

 

〈五番〉はキッとニシノを睨みつける。しかし、ニシノはくいっと顎をひねっただけだった。

 

「マーイーカ。仕上げだ」

 

 その声に〈五番〉は警戒の神経を走らせるが、マーイーカの思念がひねったのは〈五番〉の身体ではなく、ニシノの身体だった。その首が枯れ枝のように容易く折られ、呻き声も一瞬、ニシノから生きている者の気配が消えた。

 

「ニシノ……?」

 

 尋ねる声を出すがニシノは答えない。〈五番〉はニシノの襟首を掴んで立たせようとしたが、だらんと身体がだらしなく弛緩するだけだった。ニシノは既に事切れていた。

 

「何なんだ……。ニシノ、お前は一体……。俺は、何を信じれば……」

 

 その問いかけは虚しく霧散していくばかりだ。主人を失ったマーイーカは天井の穴へと吸い込まれていく。マーイーカの軟体の身体ならば空調の隙間から逃れられるのだろう。

 

 唯一の手がかりを失った〈五番〉はレナとミナミを抱え上げた。トラップは全て作動した後だ。ダンバルを引き連れ、〈五番〉はゆっくりと立方体の迷宮を潜り抜けていく。最後に一本道に繋がっている部屋を抜けると、陽光が眩しく切り込んできた。覚えず手でひさしを作る。岩盤をくりぬいて作られた小さな穴だった。そこから白い立方体の地獄へと繋がっていたのだ。

 

「どうすればいいんだ、俺は。誰に助けを求めれば……」

 

 レナとミナミを見やり、〈五番〉は絶望的に呟く。すると、パトランプの放つ赤い光が遠くに望めた。蜃気楼か、と思っているとそれはすぐに近づいてきて大写しになる。何台かのパトカーが自分を囲い込み、その中から知っている人影が顔を出した。

 

「ヒグチ・サキ……」

 

 昨日出会ったばかりの相貌が自分を見つめている。彼女は自分へと歩み寄り、「その女性達は?」と尋ねた。〈五番〉には説明出来ない事柄が多過ぎた。咄嗟に、ニシノから取り上げた手帳を穴の中へと放り投げる。そこに書かれていた事実は自分のみが知る事となるだろう。

 

〈五番〉は警察官達に確保されながら二人を見やる。「軽症です」と警察官の一人が言ったのでホッと安堵した。だが一つだけ、脳裏にこびりついて離れないのはニシノの死に際の言葉と、手帳に書かれていたニシノの経歴だった。その言葉を彼は呼び起こす。

 

 公安六課所属、ニシノ・シンジ。相手はサキと同じく警察組織だ。だが、ニシノはそれだけで動いていた様子ではなかった。報酬を受け取ると言っていた事から鑑みてさらに大きな存在が動いていると仮定するべきだろう。当然、自分は容易に口に出す事など出来ない。サキを巻き込んでいいものか。それよりもサキも敵の手の内の一つではないと誰も言い切れない。

 

 ――今は、自分の胸の中に留めておくしかない。

 

 そう考えて彼はパトカーに乗り込んだ。

 



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第八話「ツワブキ・ダイゴという名前」

 彼の確保は無事出来た。

 

 それもハヤミのお陰だったが、追跡の結果、彼はカナズミシティからそれほど離れていない場所で発見された。これはある事実を暗に示している。

 

 最初から彼は人知れず抹殺されるために運び出された。そう考えなければ不自然な場所での発見を説明出来なかった。さらに二名の同行者を確認したが、二人とも刑事罰を待つ犯罪者でサキはどうしてこのような人間達と共にいたのか探りを入れようと考えていた。

 

 だが、誰に? その疑問に後頭部を掻いているとコツンと窓が叩かれた。窓を開けるとリョウが顔を覗かせる。

 

「例の彼、見つかったみたいだな」

 

「ああ。だが、不明な点が多い。彼は何であんな場所にいたのか」

 

「公安で探った結果、あの場所は個人所有の秘密基地だったらしい。だが所有者は不明。それに入り組んでいて一朝一夕じゃどうにも全貌は分からない」

 

「言っていいのか? 秘密裏に公安は調べているんじゃ?」

 

 サキの言葉にリョウは肩を竦める。

 

「どうせ隠し立てしたって、お前はこれくらいまでは探るだろうよ」

 

 リョウは自分にだけ言っているのだ。幼馴染の温情か。だが、この言葉の裏にはサキが調べようとしてもその程度しか分からない、という意思も見え透いている。サキは青い髪をかき上げ、「彼の処遇、どうにかならないのか?」と問いかけた。

 

「そう言われてもな。今のところ、あの記憶喪失の男は重要参考人。拉致されたとはいえ、自作自演の可能性も無きにしも非ずなんだ」

 

 公安は彼を疑っているのか。それはナンセンスだというのに。サキは自分に接触してきた人物の事を話そうかと思ったが、それはリョウにさえも打ち明けられなかった。彼の抹殺計画、それが公安レベルで進んでいたかもしれないなど。

 

「彼はどこに留置される?」

 

「同じく地下三階かな。出すのは危険だと判断した」

 

「それは早計だ。私の権限で、彼を護送し、検査施設に送り届ける。そうすれば問題あるまい」

 

「だがよ、今回、信用出来る護送車の一台が裏切ったんだ。運転手も、乗り付けていた公安の職員も行方不明。確か、ニシノ・シンジとか言ったか」

 

 彼に対して探りを入れれば入れるほど墓穴を掘る、と考えているのだろう。サキは鼻を鳴らし、「私ならば護送中に襲われるなんて間抜けはしない」と言ってのける。リョウは言い含めるように諭した。

 

「お前だって危ないんだ。あんまり薮蛇な事をやるなよ。それに、今回、奇妙な事に彼の手にポケモンが渡っている。彼の手持ちであったらしいが」

 

「確か、手持ちとは留置所で離した、と言っていたな」

 

 記憶を手繰るとリョウは頷いた。

 

「脱獄に繋がりかねないからな。だが、どうしてだか、彼は手持ちを持っていた。そしてさらに奇妙な事に、彼は自分から手持ちをまた手離した。今は我々の管理下にある」

 

 その言葉の持つ意味にサキは気づいていた。

 

「力を得れば、それでどうにでも出来るかもしれないのに抵抗もしない……」

 

「何かあった、としか思えないな」

 

 サキの言葉尻を引き継いだリョウにサキは目配せした。

 

「公安の、どのレベルまで彼の事を知っているんだ?」

 

「噂にはなっているよ。ただ、管轄上は公安六課と七課の掛け持ちだな。オレの所属する七課は六課から流れてくる資料の写し読み。ほとんど六課だ」

 

「六課……。行方不明になった公安職員は?」

 

「その六課、だな」

 

 リョウも自分も考えている事は同じだろう。サキは顎に手を添えた。

 

 ――公安六課がきな臭い。

 

 だが言葉にすれば自分達の身が危うい。ここは暗黙の了承程度に留めておくべきだろう。

 

「しかし、秘密基地で何かあったとして、彼はどうして何もせずに戻ってきたのか」

 

「もしくは何かあった、か」

 

 何か事が動いた上で彼が沈黙を守っているのだとすればそれはそれで奇妙に他ならない。自分の罪状が重くなるような事でも仕出かしたのか。あるいは行方不明になった公安職員が関係しているのか。サキは額に手をやって、「どっちにせよ」と口を開く。

 

「一朝一夕ではどうにもならない」

 

「彼をエスコートするんなら道はあるが」

 

 リョウの提案にサキは眉根を寄せた。

 

「どうするって言うんだ? 彼の身柄は依然、警察にある」

 

「ホウエンで力を持っているのは、何も警察だけじゃない」

 

 リョウの言い分が透けてきてサキはため息を漏らした。

 

「……おいおい。家の力は借りないんじゃなかったのか?」

 

「そうは言ってもいられないだろう。彼の身体検査ですら、護送車レベルでの裏切りがある。一番に安全な場所は警察よりも外部組織、つまりは企業だ」

 

 リョウはデボンコーポレーションならばそれが出来る、と言っているのだ。サキはパトカーのハンドルを掴んで、「保釈金はどうにかなるだろう」とその後の展開を予想する。

 

「天下のデボンだからな。だが、その後はどうする? 戸籍も何もない、身元不明の人間を引き取るって言うのか?」

 

「うちの家族の了見はさほど狭くないと思うがな」

 

 それに、とリョウは耳打ちする。

 

「ツワブキ家ならばヒグチ家との間柄もいい。もしかしたら警察として張っているよりも彼の身柄を自由に出来るかもしれない」

 

 リョウの言い分は裏口のようだが実のところ目的には一番近い。彼が何者なのか。どうして殺されなければならないのかを自分は知らねば。

 

「リョウ、何日いる?」

 

「二日あれば保釈金と書類はどうにか出来る。家族への説明はオレが引き受けよう」

 

「おじさんは納得するか?」

 

「親父ならするだろうよ。問題なのは他の家族だが、まぁ、オレがよく言ってみせるよ。社会貢献はデボンのお家芸だからな」

 

 自分の家系ですら皮肉ってみせるリョウの姿勢は嫌いではなかったが、今回ばかりは悪い気がした。

 

「ツワブキ家で預かっている間に、私が接触してどうにか身体検査にこぎつける。その後、身元調査、か」

 

「時間はかかりそうだな」

 

「それだけじゃないだろう。家族として迎え入れるならば、名前が必要だ。どうする?」

 

「その点は決めてある。彼、肩口に痣があってな。ちょうどD015って読めるんだ」

 

「D、015?」

 

 何をどうすればそのような痣がつくのだろう。サキは気になったが追及してもリョウにも分からないだろう。リョウは手帳にその文字を書きつける。

 

「その0と1を崩して合わせて読んでみると、こうやって読んでやれなくもないか?」

 

 リョウが差し出した手帳には0と1が合わさりちょうどアルファベットの「a」の文字と「i」の文字となっていた。

 

「ダイゴ。こいつの名前だ」

 

「ダイゴ、って、それはお前、ツワブキ家の当主の名前じゃないか」

 

 有名な話だ。四十年前のカントーで開催された第一回ポケモンリーグで優秀成績を収め、玉座に輝いた男。その名前がツワブキ・ダイゴであると。

 

「玉座は二回目の防衛で獲られちまったけれどな。デボンはそのお陰でポケモン関連の商品のシェアを独占している。それにこの名前なら、自然と好感が持てる」

 

「好感って……、犬や猫に名前をつけるんじゃないんだぞ」

 

 サキの呆れ顔を他所にリョウはその名前が気に入ったらしい。

 

「親父達にも教えてやろう。きっと分かってくれる」

 

「そこまでおじさん達、柔軟な物の考え方出来るか? いくらなんでもツワブキ・ダイゴは趣味が悪いとしか」

 

「いや、提案してみるよ。オレは書類を作るから、じゃあまたな」

 

 リョウは自分で話を打ち切ってサキに手を振る。サキはパトカーの中で一人考えに耽った。

 

 ――彼の抹殺を目論む何者か。そこから守るには警察組織では危うい。デボンほどの大企業の家の中のほうがまだ安全かもしれない。自分でさえも安全を保障出来ないのだからリョウに任せるのも得策に思える。

 

「……一体、彼は何者なんだ」

 

 口にしても、答えは出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思いのほか、留置所で過ごす期間は短かった。彼はトラップ小屋での事件の取調べをろくにされずに釈放となった。その事の意外さに彼自身、驚いていた。

 

「あの、刑事さん。俺を尋問しないでいいんですか?」

 

「同行していた二人の女性から、お前が犯人から守ったと聞いている。犯人は未だに分からないが、二人の人命を救ったのは疑いようがない。それに、お前のほうが傷だらけだったからな」

 

 彼はニシノの事を口にしようとはしなかった。ニシノの所属、それに暗躍していた何者かは自分で探るしかない。下手に口を滑らせればまた誰かが犠牲になるかもしれない。

 

 留置所を出るのを手伝ったのは見知った人影だった。

 

「三回目、ですよね」

 

 彼が挨拶をすると相手は、「かしこまる必要はない」と答えた。

 

「身元引受人は私ではないのだから」

 

「えっと、じゃあ誰なんです? 俺、多分知り合いは多くないと思います」

 

「そうだな。お前の事をいたく気に入っている奴がいる。そいつが一方的に取り付けた。私は案内役を頼まれただけだ」

 

 パトカーの後部座席に乗せられ、彼は小首を傾げる。自分に興味がある人間などいるのか。

 

「あの、でも一応、俺は重要参考人ですよね。勝手に出歩かせるわけにはいかないんじゃないですか?」

 

「相手も警察関係者だ。それに、お前の一件は、あまり警察内部で動かさないほうがいいとの判断でな」

 

 警察関係者、という言葉に無条件にニシノの顔が思い浮かぶ。ニシノは誰に命令されていたのか。どうして自分を殺そうとしたのか。未だに謎だった。

 

「あの、警察関係者ってのは……」

 

「すぐに分かるさ。ああ、その先左折」

 

 運転手に指示を出し、サキは口にする。訪れたのは豪奢な家屋だった。ビルの群れが乱立する都市部から少しだけ離れた高級住宅街で、その中でも異彩を放っている。石を切り崩した現在彫刻のような貫禄のある家だった。

 

「ここは……」

 

「お前を引き取りたいんだと。物好きだよ」

 

 その言葉に彼は身じろぎした。

 

「あの、俺を引き取るって……」

 

「言葉通り。今のままじゃ、名前も戸籍もないんだ。何も出来ないし、何もしようがない。だから名前と家だけは与えてやろうって言う、まぁ、金持ちの気紛れだよ」

 

 後半は本音が入り混じっているような気がした。その金持ちとやらは自分をどうするつもりなのだろう。曲がりなりにも殺人の被疑者だ。社会にいい顔で迎えられるとは思っていない。

 

「お前は少しばかり社会性を学ぶ必要がある。記憶喪失の上、トラブルに巻き込まれているんじゃ、危なっかしい。この家で学んでくれだとさ」

 

 門前から入り、停車した前庭は広く、彼には初めての光景だった。

 

「これ、枯山水、って言うんですか? 本物は初めて見たな」

 

 庭を指差すと、「枯山水は知っているのか」とサキは意外そうに呟いた。そういえば、どうして一般常識は頭に入っているのだろう。自分に関する記憶は全くないのに。

 

「とにかくここにいる変わり者がな。お前の身元引受人になってもいいんだと」

 

「変わり者で悪かったな」

 

 家から出てきたのは背の高い好青年だった。赤いジャケットがよく似合っている。

 

「よぉ。会うのは初めてだったか?」

 

 差し出された手をどうするべきか決めあぐねて挨拶を先にする。

 

「えっと、はじめまして……」

 

「こいつが私の幼馴染。で、お前を引き取りたいって言い出した張本人」

 

「人を悪く言うもんじゃないぜ。それに、今日からは家族なんだからな、ダイゴ」

 

 聞き覚えのない名前が自分にかけられ彼は周囲を見渡した。

 

「お前だよ。お前に言ったんだ」

 

 指差され、「俺?」と聞き返す。

 

「そう。名前が与えられて、お前は今日からツワブキ・ダイゴだ。よろしくな。オレはツワブキ・リョウ」

 

 リョウと名乗った青年の手を握り返し、彼は自分に与えられた名前を咀嚼する。

 

 ツワブキ・ダイゴ。

 

 どういう経緯で名付けられたのかは知らないが、自然とニシノに呼ばれていた〈五番〉に近いものを感じた。サキへと視線を配ると彼女は首肯する。

 

「お前はツワブキ・ダイゴだよ」

 

 どうやら彼女の意見よりもリョウの意見で決まったらしい。好青年らしい微笑みを浮かべるリョウに、彼――ダイゴは苦笑いを返した。

 

 

 

 

 

 

第一章 了



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二つの家
第九話「ヒグチ家」


 

 戸籍がない、というのは透明人間であるのと同義だ。

 

 特に情報化が著しい社会において情報が存在しない人間はそこにいる事を許されていない。監視とは違う、情報化されていない個人というものの儚さ、脆さというものをサキは実感している。

 

 目の前の彼――ダイゴがそうだ。ツワブキ家に招き入れられなければ情報のない個人、つまりは透明人間として振る舞うしかない。

 

 だが、透明人間の存在を世の中が保証してくれるはずもなく、死ねば身元不明でそれまで。だがツワブキ家が預かると言った手前、その心配はなくなったと思っていいだろう。リョウによってツワブキ家を案内されているダイゴにサキは安堵するよりもうまくやっていけるのだろうかという懸念が先についた。ダイゴはまだ自分に関する情報を全く開示していない。何があったのか、何を潜めているのか、まるで分からないのだ。だが、逆にそれは白紙の状態であり、経歴をいくらでも書き換えられる事を意味してもいる。

 

「オレが案内しようと思うんだが、サキ、どうする?」

 

 リョウに尋ねられサキは首をひねった。

 

「どうする、とは?」

 

 リョウはサキの肩に手をやって囁きかける。

 

「今ならば、おじさん、ヒグチ博士に調べてもらう事だって出来る。どうだろう、うちで本格的に身柄を預かる前に、お前の家で一泊、というのは」

 

 リョウの提案にサキは渋い顔をする。

 

「家って、実家の事だろう? 生憎、そんな急に言われてもお父さんも妹も準備は出来ないし……」

 

「ノープロブレム。既に連絡は取り付けてある」

 

 リョウは白い歯を見せながら微笑んだ。ポケナビで既に連絡済とは念の入った事だ。

 

「私の意見は無視か」

 

「もちろん、サキも実家に帰るといい。たまには顔見せろって、おじさんは言っているんだろ?」

 

 そういえば実家には随分と帰れていない。マコにはつい先日のライブの一件もある。リョウの意見も無視出来ない。

 

「だが、私が言えば彼は付いて来るだろうか?」

 

 ダイゴの意思を無視して決めている。その口調にリョウは、「おい、ダイゴ」と呼びかけた。ダイゴはツワブキ邸の中央にある巨岩を物珍しげに眺めていた。

 

「はい」と駆け寄ってくる。リョウは、「悪いがオレにも少し事情があってな。書類を通すなり何なりあるんだ」とダイゴの肩を叩く。

 

「今日はサキの家に泊まってもらえるか? なに、外泊許可ぐらいなら取ってやるから」

 

 リョウの言葉にダイゴはサキを見やる。こちらの意見を聞こうというのだろう。サキは腕を組んで、「仕方あるまい」と応ずる。

 

「リョウの家が駄目ならば、行く当てはないからな。せっかく、釈放になったのに泊まる家もないのは悲しいものがある。私の実家でよければ案内しよう」

 

「素直じゃねぇな」とリョウが口を挟む。サキはダイゴへと視線を振り向けた。

 

「それに、お前の事を話せば、父も興味を示すだろう」

 

「サキさんの、お父さんですか……」

 

 ダイゴはその響きがどこか不可思議だというかのように口にする。刑事の父親がどうして自分の身柄の証明になるのかは疑問だろう。

 

「お父さんはポケモン群生学の権威なんだ。お前の手持ちからもしかしたら経歴を洗えるかもしれない」

 

 なるほど、とダイゴは納得する。どうやら考えなしに生きているわけではないらしい。リョウが手を振る。

 

「じゃあな、ダイゴ。少しばかりお別れだ。まぁ家では長く見てやる約束だから、ちょっとしたお泊りだと思え。サキの家は妹もいるからな。眼福にはなるだろう」

 

「余計な事を言うな、リョウ」

 

 睨みを利かせるとリョウが肩を竦めた。ダイゴは、「あの、無理ならばいいですよ」と遠慮の声を出す。

 

「いい。どっちにせよ、調べは進めるつもりだった。それが早まっただけの話だ。来い、車で行こう」

 

 サキが身を翻すとダイゴがおずおずとついてくる。リョウが、「何かあったら報告しろよー」と背中に声を投げた。サキは鼻を鳴らす。

 

「いきなり面倒事を押し付けてくる。名前だけつけて放し飼いとは、あいつも変わっていないな」

 

 昔のまま、飽きっぽい性格である。ダイゴが追いついて、「あの……」と口を開く。

 

「サキさんの家に、ご連絡は」

 

「もうしたらしい。全く、変なところで用意周到なんだから」

 

 サキは前髪をかき上げる。その様子が苛立たしげに映ったのかダイゴが、「本当に、無理ならばいいんです」と口にする。

 

「お邪魔になるなら、別に留置所でも」

 

「せっかく出たのに、そんな事を言うな。リョウが取り計らったんだ。お前が留置所に戻れば、それこそ無駄骨だろう」

 

 サキが運転席に乗り込みダイゴを顎でしゃくる。ダイゴは助手席に乗り込んだ。

 

「そうだったんですか……。俺の罪状って、じゃあまだ消えていないんですよね」

 

「そうだな。依然、事件の最重要参考人、という立場は消えていない。だが、新たな事件が起こったとなればそちらに人員を回すしかないだろう。簡潔に言うと、お前をいつまでも拘留するのにも金がいる、というわけだ。ならば金のかからない場所で見張っておく、という理論でリョウが提案した」

 

 下手に隠し立てする必要もないだろう。サキの言葉にダイゴは、「よかったです」と口にする。サキはハンドルを握りながら、「よかった?」と聞き返した。

 

「俺も、俺自身が何者なのか知りたい。もし、咎人ならば相応の罰は受けるべきですから」

 

 思わぬ言葉に一瞬だけ硬直する。ダイゴも自分が何者なのか分からぬ不安と戦っているのだ。自分達ばかりが便宜を取り計らったわけでもない。どこかで妥協点を見つけるしか、この青年の正体を見極める方法はない。公安も分かっていてリョウの意見を了承したのだろう。

 

「……出すぞ」

 

 エンジンをかけてアクセルを踏む。車は静かにツワブキ家の前庭から走り出した。

 

「最初に言っておくが、実家には父と妹がいる。お前の事は、妹には事件の事情で一時的に預かる事になった被害者、と伝えておく。ただ父には事の次第をきちんと伝えるからそのつもりでな」

 

 サキの言葉にダイゴは異論を挟む事もない。「それが正しいと思います」と首肯した。

 

「もう一つ、妹は大変に大馬鹿者だ。だから変にちょっかいを出すかもしれないが、気にしないで欲しい」

 

 自分の妹の事をそう形容するサキの姿が珍しかったのだろう。ダイゴは、「言い過ぎじゃ」と呟いた。

 

「言い過ぎじゃないから困っているんだよ。一泊しか預かれないからお前をどうこう出来ない。ただ父の言う事は守ってもらう」

 

 サキの押し付けがましい要求にもダイゴは言い返さない。大人しい青年だと改めて感じる。本当にこの青年が〝天使事件〟の犯人なのか。サキは、だが彼以外に怪しい人間もいない事を頭の中で再確認する。犯人ではなくとも限りなく真実に近い何者か。ならばその真実を自分で引き寄せるために彼というカードは必要不可欠なのだろうと考える。

 

 さほど走る事もなく、サキは実家に辿り着いた。ツワブキ家とは家族交えての関係だ。それなりに近距離である。ダイゴは、「早いですね」と驚いていたが、「カナズミで二台富裕層といえばな」とサキはエンジンを切って言った。

 

「大体、ツワブキ家とヒグチ家の事だ。まぁ、私も裕福な家に生まれたと思っているよ」

 

 視線の先にあるのはツワブキ家に負けるとも劣らない豪華な前庭を誇っている白い邸宅だ。ツワブキ家と違うのは、家屋の後部が張り出したように巨大な三階層の無骨な建物になっている事だろう。

 

「研究所を兼ねていてな。後ろから入ればヒグチ研究所。前から入ればヒグチ家だ」

 

 サキは車の扉を閉める。あとで警察署に返しに行かねばならない。ダイゴは歩み出て、「すごいですね」と感想を漏らした。

 

「じゃあ、サキさんのお父さんって有名なんですか?」

 

「ヒグチ博士と言えば名が通る。ポケモン群生学と言って、ポケモンの分布を調べる学問の第一人者だ。私や妹は普通に暮らしていたが、父の学術研究は業界では有名らしい。何人も部下がいるし、私も顔を合わせる事がある」

 

 ただし、ほとんどの場合サキには父親の部下の顔も覚えられない。それは研究所と家が隔絶しているせいだろう。ヒグチ博士は仕事を家に持ち込まないタイプだ。研究所は研究所、家は家、という理念を昔から携えている。

 

 サキはインターホンを押すべきか悩んだ。もう半年ほどは帰っていない。やはり押すべきだろうと考えてインターホンに手を伸ばしたところで扉が開いた。現れたのは栗色の髪をしたショートカットの少女だ。丸っこい目を見開いて口元に手をやった。

 

「サキちゃん……」

 

「た、ただいま、マコ」

 

 随分とぎこちない挨拶になってしまった。マコは家の奥に取って返して、「お父さーん!」と叫んだ。サキは呆れ返る。

 

「お父さんは仕事だろう。この時間に呼んでも来ないだろうし」

 

 サキが玄関に入るとダイゴは少し戸惑っているようだった。無理もない。家人であるはずのサキでさえ久しぶりの実家には躊躇がある。どこか他人行儀になってしまうのは仕方がなかった。

 

「入るといい。どうせ、一晩だけだ」

 

 自分に言い含めるようにサキは靴を脱いだ。リョウから既に連絡が入っているとはいえ博士には自分の口から言わねば。そう思っていると、「サキちゃんじゃないか」とマコに連れてこられた数人の研究者がサキを認めて手を振った。

 

「サキちゃんが帰ってくるなんて珍しいなぁ」

 

「半年振りぐらいじゃないのか?」

 

 顔と名前が一致しない研究員達に返礼をしてサキはマコの脳天にチョップをかました。

 

「馬鹿。私が人の顔をろくに覚えられないのを知っていて研究員なんて連れてきたのか」

 

 マコの首根っこを引っ掴んで耳元で囁くと、「でもみんな嬉しがっているし……」と抗弁を垂れようとする。サキはため息をついた。

 

「相変わらずだな。脳みそがちっとも進歩していない。これで我が妹なのだから姉として恥ずかしいよ」

 

 サキの嘆きにマコは頬をむくれさせた。

 

「サキちゃんこそ、相変わらずの毒舌だよね。妹に対してこの仕打ち、酷いという他ないよ」

 

「酷いだと? 久しぶりの実家でただでさえ困惑しているのに、頭を悩ませる材料を連れてくるな。私が覚えていないと感じ悪いじゃないか」

 

 マコに説教をしていると、「あの……」と声が聞こえた。振り返るとダイゴが困惑の目を向けている。

 

「俺、どうすればいいですか?」

 

 すっかり忘れていた。マコを離し、「そうだ。お前もいたんだった」とサキは額に手をやった。マコが口を差し挟む。

 

「ねぇ、この人誰?」

 

「それが大学生の言葉遣いか。もっとしっかりとした言葉を選べ」

 

 サキの返答にマコは眉根を寄せる。

 

「もしかして、サキちゃんの彼氏さんですか?」

 

 マコの質問にサキは、「バっ」と声を荒らげようとする。だが、ここで下手に騒いでも仕方がない、と辛うじて冷静さを保った。咳払いをし、「実はな」と予め準備していた言葉を発する。

 

「事件の被害者でな。仕事場に今まで預けられていたんだが仕事の邪魔になると判断して私が一晩だけ預かる事にした。お父さんにはもう連絡が行っているはずだけれど」

 

「ええ? 知らないよ。みんな、知ってた?」

 

 マコが研究員達に問いかける。余計な事を、と思いながらもマコをすぐさまふんじばる気にはなれなかった。研究員達は顔を見合わせて、「そんなのあったか?」とお互いに確認する。

 

「ついさっき、リョウがポケナビで通話したらしいから、まだお父さんだけしか知らないのも無理はない」

 

 サキの説明にマコは、「じゃあ、お父さん呼んでくるね」と駆け出そうとする。サキはその首根っこを引っ掴んだ。急に制動をかけられたマコは、「むぎゅっ?」と小動物の悲鳴のような声を上げる。

 

「お前は馬鹿なのか? お父さんはただでさえ仕事で忙しいんだ。それなのに研究員の皆さんまで呼んで、さらにお父さんを呼んだら研究がはかどらんだろう? それくらい考えろ。大学生だろ」

 

「サキちゃん、酷いー。女の子の首根っこを掴むなんて」

 

「女子を名乗りたければそれなりの身なりをするんだな。何だ、その格好は」

 

 サキがマコの衣服を上から下へと眺める。上はだらしないほどによれよれのワイシャツで、下は半ズボンだった。

 

「家だからラフな格好でいいかな、って」

 

「ラフというよりかそれは最早恥さらしだ。よくそれで研究室に行ったな」

 

 サキの言葉にマコは唇を尖らせる。

 

「いいじゃん。私の勝手だし」

 

「一応、ヒグチ家の次女なんだ。それなりの身なりをしないと示しがつかん。せめて外見は馬鹿に見えないようにしろ」

 

「また馬鹿って言ったー!」

 

 じたばたするマコを他所にサキは家に入ってダイゴを手招く。どうやら博士は研究所らしい。仕事中に割って入るわけにもいくまい。サキは、「お父さんには後で伝えよう」とため息を漏らす。

 

「あれ? サキちゃん、お仕事終わったんじゃないの?」

 

 身を翻すサキにマコが声をかける。

 

「あのな、今は何時だ?」

 

「十時二十七分」

 

 マコがポケナビの時計機能を馬鹿正直に読み上げる。

 

「どこの世界に平日の朝十時に暇な刑事がいる。職務の一環だ。私は仕事場に車を返さねばならないし、今日の業務は終わっていない。仕事を終えてから帰ってくる」

 

「えー。帰ってくるんだよね? 晩御飯の都合があるんだよ」

 

 マコの言葉にサキは視線を振り向けて、「帰ってくる」と応じた。

 

「晩御飯は、サキちゃんの好きなのにするね」

 

 マコの言葉にサキは、「好きにしろ」としか言えなかった。ここまで平和ボケした人間も珍しい。マコならば逆にダイゴから経歴を聞き出す事も出来るかもしれない、と考える一方で妹を巻き込みたくないと考える自分もいた。

 

「こいつ、ツワブキ・ダイゴという。家を案内してやってくれ。一晩だけ泊まらせるのでな」

 

 ダイゴの肩を叩き、「少しだけの間だ」と言い含める。我慢しろ、という意味だったがダイゴはサキへと声を振り向けた。

 

「あの、俺なんかが、サキさんの実家にいていいんですかね」

 

 それは純粋な問いかけだろう。自分の経歴さえも分からない人間を好きにさせていいのか、と。サキは振り返らずに返す。

 

「安心しろ。研究員達もポケモンを持っているし、お前が思うほど馬鹿マコも馬鹿じゃない。それに……」

 

 サキは続けようとした。「お前だってそれほど危険とは思えない」と言おうとしたのだが、それは早計だと自分の中で片付けた。まだ何者なのかも分からない男だ。ダイゴが首をひねる。サキは、「何でもない」と誤魔化した。

 

「マコ、後は頼む」

 

 そう言い置いてサキは車へと取って返す。実家に得体の知れない男を置くのは不安ではある。だが、マコとてポケモントレーナーだ。いざという時の対処は自分よりも鋭いかもしれない。

 

「……どちらにせよ、私には業務が残っているし」

 

 久しぶりの実家を満喫する暇はなさそうだ。サキは運転席に乗り込んで嘆息を漏らした。

 



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第十話「えがおの家」

 

「ねぇ、ダイゴさんってサキちゃん、お姉ちゃんの何なんですか?」

 

 突然に栗毛の少女にそう尋ねられ、ダイゴは返事に窮した。何なのか、というのは自分でも分かっていない。そもそも名前でさえ先ほど与えられたばかりである。ただ分からない、不明のままにしておくには彼女の目は好奇心に満ち溢れていた。

 

「えっと……、サキさんが言っていたように、俺は被害者なんだ。だから、世話をしてもらっているわけで」

 

 事実をありのまま話せば被害者どころか被疑者なのだが、サキの意思を汲んでみるにそれを仕事外で話すのは好ましくないだろう。「怪しいなぁ」と少女は怪訝そうな目を向けた。

 

「あの、君は……」

 

「マコだよ。ヒグチ・マコ。十九歳です。よろしくね、ダイゴさん」

 

 マコと名乗った少女は手を差し出した。華奢な身体つきで、サキに比べると纏っている空気は幼いように映る。

 

「あの、よろしく……」

 

 ダイゴもその手を握り返すと、「もう、他人行儀なんだから!」とマコは強く握って振った。ダイゴは突然の行動に文字通り振り回される。

 

「サキちゃんもダイゴさんも、なーんか怪しいんだよね。一筋縄じゃないって言うか……。ねぇ、みんな」

 

 マコは研究員達に視線を振り向ける。研究員達は、「そりゃサキちゃんは刑事だからね」と理解を示した。

 

「言えない事のほうが多いんじゃないかなぁ」

 

 その言葉にマコは膨れっ面を返す。

 

「むぅ、私にも言えないってそれほどの事なの? だったら余計に怪しいじゃん。サキちゃん、やっぱり隠し事してるんだ」

 

 マコの言葉にダイゴは覚えず、「隠し事、とかじゃないと思う」と言っていた。

 

「多分、マコさんの事を大事に思っているから、仕事とプライベートは分けているんじゃないかな。サキさんはそんなに冷たい人じゃないだろうし」

 

 ダイゴの言葉にマコも研究員達も目を見開いた。何か変な事を言っただろうか、とうろたえていると、「意外……」とマコが口を開く。

 

「サキちゃんの事、第一印象で悪く言わない男の人って初めてだよね?」

 

 マコが研究員達に問いかける。彼らも一様に頷いた。

 

「ですね。サキちゃんは昔からきつい性格だから、あれで誤解されやすいし」

 

 どうやら自分の人物評はここにいる人々にとって異様に映ったようだ。言葉を改めようとすると、「でも、いいよね」とマコが口を挟む。

 

「サキちゃんの事悪く言わないってのは。うん、ダイゴさん、プラス十点」

 

 マコがウインクしてダイゴを指差す。困惑していると、「なかなかにないですよ」と研究員が声にした。

 

「マコちゃんのプラス十点はね。マコちゃん、愛想がいいように見えてこれで人を減点法で見ているからなぁ」

 

「人聞きの悪い事言わないでよ。私は、サキちゃんが思っている以上にオトナって事でしょ?」

 

 マコの口調に研究員達は、「参ったなー」と額に手をやって笑い合う。どうやらマコの茶目っ気はこの家では当たり前のようだ。

 

「でもダイゴさん、さっきツワブキって紹介されていたよね。ツワブキ家ってカナズミじゃリョウさんのところしかないけれど、親戚か何か?」

 

 その言葉にもダイゴは返答出来ない。ツワブキ家の一員になったのはついさっきだ。それまでは名前すらなかったとは言えない。

 

「あの、その……」

 

 言葉に詰まっていると、「困らせていますよ」と研究員が助け舟を出す。

 

「まぁ、あんまり詮索したって仕方ないか。サキちゃんが連れて来たんなら、信用に足る人だろうし」

 

 マコは自分の中で結論付けて家の中に入っていく。ダイゴはそれに続くべきか迷った。

 

「何してるの? 一晩泊まるんだったら中を案内するよ」

 

 マコはどうやら善意から言っているらしい。家の中に踏み出し、「お邪魔します」と声を出す。マコは笑った。

 

「やっぱり変な人だよね。さっきから家には入っているから今さらお邪魔しますもないのに」

 

 ダイゴは靴を脱いでヒグチ家の内観を視界に入れる。外側から見た通りの広さを誇っており、吹き抜けのリビングとダイニングキッチンには清潔感が漂っている。天井には回転する空調機が取り付けられていた。階段が壁に沿う形でコの字を描き、二階層へと続いている。家屋そのものは二階建てだが、それを感じさせない開放感に満ちていた。

 

「広いですね」

 

 感想を口にすると、「そう?」と前を行くマコが振り返る。

 

「ツワブキさん家のほうが大きいと思うけれどなぁ。我が家は研究所に間取り取られちゃっていて家自体はそんなにだよ」

 

「すいません」と研究員達が笑いながら謝る。マコは、「そんなつもりじゃないけれどね」と言いつつ笑った。どうやら笑顔が絶えない家らしい。

 

「研究所って、サキさんから聞いた話では、ポケモン群生学って……」

 

「おっ、その辺りも聞いたんだ? でも群生学って地味だよねー」

 

 研究者の娘とは思えない発言である。いや、研究者の娘だからこそ出る言葉でもあるのか。ダイゴが考えていると、「まぁ大層なものじゃないよ」とマコは手を振った。

 

「分布図とか、あとは生息域とか、進化するのかしないのかを調べる研究部門。ポケモン研究、って大別されている中でも割と小さな分類だけれど、でもこれがないとポケモントレーナーは困るんだよね。分布図がないなんて考えられないでしょ?」

 

 それはそうだ。マコはポケットから薄いカード型の端末を取り出した。その表面を撫でると画面が切り替わり、立体映像が投射される。

 

「あっ、確かホロキャスターっていう……」

 

「知っているんだ? 最近、一般向けにリソースされた技術だけれどね。大学じゃ皆持っているよ」

 

 立体映像――ホログラムを自在に投射出来る機械。それを最小限に、軽量化したものをホロキャスターと呼ぶ。自分に関する記憶はないのに、周辺の機械やそれに付随する使い方などは知識としてあった。

 

「ダイゴさん、端末持っているんならアドレス交換しない?」

 

 マコの提案にもダイゴは残念そうに肩を竦める。

 

「持っていなくって……」

 

「ああ、そうなんだ。今時端末もないなんて変わっているよね」

 

 端末も何もないから困っているのだ。その時、ダイゴはマコの腰につけてある赤と白の球体を視界に入れた。

 

「モンスターボール……」

 

「うん? ああ、これ? そうだよ、私もトレーナー」

 

 意外だった。確かサキはポケモンを所持していないはずである。

 

「サキさんは持っていなかったですよね」

 

「うん、サキちゃんはあんまりポケモンとか得意じゃないっぽいんだよね。でも私は昔から育てているのがいるよ。出てきて、フライゴン」

 

 マコが緊急射出ボタンを押し込むと緑色の体色をした龍が飛び出した。菱形の翅に、赤い複眼が特徴的である。フライゴンと呼ばれたそのポケモンは周囲を見渡し、ダイゴに威圧する。

 

「フライゴン、この人、今日だけうちの家族」

 

 マコがそう説明するとフライゴンの敵意が凪いでいった。どうやら主人の言う事は忠実に聞くらしい。ダイゴは会釈する。

 

「ど、どうも」

 

 その様子にマコは笑った。

 

「ポケモン相手に腰の低い人って初めて見るよ。やっぱり、ダイゴさん、面白いよね」

 

 ダイゴもポケモンを紹介するべきか悩んだがマコが指差した。

 

「ダイゴさんもトレーナーなんだ?」

 

「ええ、まぁ」

 

 曖昧に微笑むと、「フライゴンは頼りになるんだ」とマコは軽快に飛び回っているフライゴンを見やった。

 

「珍しいタイプ構成でね。地面・ドラゴンなの。いざという時には強いよ」

 

 マコの自信に、「マコさんはこれでポケモンバトルには明るいんですよね」と研究員達が囃し立てた。

 

「もう! これで、は余計」

 

 マコはフライゴンを呼びつけると頭を撫でてやった。フライゴンが赤い複眼の下にある瞳を細める。

 

「サキちゃんもお父さんもあんまりポケモン育てるのには興味がないからね。私だけが結果的にこうなっちゃっただけだよ。それに今やポケモンを持っているくらいは当然のステータスだし」

 

 そうなのか、とダイゴは驚いた。ポケモンがステータスだという印象はなかった。どちらかと言えば抜き身の刀の印象が強い。いざという時にポケモンから身を守れるのはポケモンのみだ。

 

「部屋を案内するよ。えっと、でもサキちゃんの部屋はまずいよね。どうしようかな」

 

 マコの言葉に、「俺は別にリビングでも」とダイゴは返すがマコは首を横に振った。

 

「駄目駄目、お客さんだし。お父さんに聞いてみるのが早いか」

 

 マコが歩み出す。ダイゴは先ほどのサキの言葉を思い出す。

 

「お父さん、ヒグチ博士は仕事中なんじゃ?」

 

「これだけ部下がこっち来てたら仕事なんてならないって。大丈夫、大丈夫」

 

 マコの大丈夫は大丈夫に聞こえない。鋼鉄製の扉が奥まった場所にあり、マコは華奢な手に比べて強い力で扉を押し開けた。そこから先の空間は家屋部とは一線を画していた。銀色のパイプが縦横無尽に通っており、天井が不釣合いなほどに高い。そこいらに書類が山積し、パソコンが机に置かれている。乱立する本棚には専門書籍が並んでいた。

 

「お父さーん! お客さん連れてきたよー!」

 

 明らかに自分でも分かるほどに大声を出してはいけない場所なのに、マコは遠慮がない。それどころかフライゴンも出しっ放しである。すると、奥で書類と睨めっこをしている男性の姿が目に入った。年の頃はまだ五十にも満たないだろうが、どこか老練したような印象を受ける男性だ。顔を振り向けると、難しい顔が一転、破顔一笑してマコを見つめた。

 

「おお、マコ。お客さん、ってのは?」

 

「この人、ツワブキ・ダイゴさん」

 

 マコの紹介にダイゴは頭を下げる。

 

「あの、はじめまして」

 

「ああ、先ほどリョウ君から連絡があったよ。そうか、君がダイゴ君ね。ちょっと待っていてくれ」

 

「博士、一時から会合の予定が入っております。出来るだけ迅速に」

 

 そう口にしたのは博士の隣で書類に目を通している聡明そうな女性だった。ダイゴを認めると少しだけ頬を緩めた。笑ったのだろうか、と考えている間に、「おお、そうか」と博士はメモをする。

 

「悪いが会合があってね。話をするのはその後でもいいかな?」

 

 博士の提案にダイゴは気後れ気味に頷く。

 

「ええ、まぁ」

 

「そう固くなる事はない。サキが連れて来たんだから誠実な男だろう」

 

 誠実、という部分では疑問を挟む。なにせ、自分でも自分が誠実なのか不誠実なのかは分からないからだ。

 

「よろしくな」とマコに言い置いて博士は研究室を出て行く。マコは、「お母さん」と同行する女性を呼び止めた。

 

「なに?」

 

「もうお腹も膨らんできているんだから、あんまり無茶しちゃ駄目だよ」

 

 マコの忠告に母親だと思しき女性は微笑んだ。

 

「大丈夫よ。あなた達が思っているほど私は抜けていないから」

 

「本当? お母さん、割とそういうところあるからなぁ」

 

「違いないですね」と研究員達が同意する。

 

「ヨシノさんには無理はしないでもらわないと」

 

 その声に、「おいおい」と博士が手を振るった。

 

「まるで私が無理強いしているみたいじゃないか」

 

 笑い声が木霊する研究室でマコが、「そうじゃない」と腰に手を当てる。

 

「秘書だからってあんまり無茶はさせちゃ駄目だよ」

 

 マコの言葉に、「肝に銘じておくよ」と博士は返す。ヨシノと呼ばれた女性は、「すぐに帰るから」とマコの頭を撫でた。

 

「子供じゃないよぅ」と反論するマコもまんざらではないようだ。博士とヨシノが裏口から出て行く。マコは後ろに手をやって、「もうすぐね」とダイゴに向き直った。

 

「弟が出来るんだ。私、お姉ちゃんになるの」

 

 マコの声音からは喜びの感情が溢れ出ている。こちらもぬくもりに触れたような気持ちになった。

 

「そう、なんですか。それはおめでたい事で」

 

「そう。だからサキちゃんにばっかりお姉ちゃんぶられているのが、今は不満かな」

 

 だがサキとマコは対等な関係に見える。姉妹というよりも友人のようだ。

 

「サキさんも、知っておられるんですか?」

 

「ううん。だから産まれた時にびっくりさせるの。私とお母さんの計画ね。言っちゃ駄目だよ」

 

 マコが指を一本立てて内緒にする事を示す。ダイゴも微笑んで、「いい計画ですね」と唇の前に指を当てた。

 

「サキさんには、内緒で」

 

「そう、ナイショ。そうじゃなくってもサキちゃんが偉ぶっているんだから、ここいらでドカンとビックリさせないと。そうしたら私の扱いもマシになるだろうし。でもそうなったら、弟にはきちんとマコお姉ちゃんのほうが偉いって教え込まないとさ。サキちゃんはどうせ放任主義だろうから、私が面倒見る事になるだろうけれどね」

 

 マコの計画は遠大である。弟が産まれる事がよほど待ち遠しいのだろう。微笑ましいな、とダイゴは感じた。それと同時に、そういう人間的な感情が自分の中に存在する事に驚く。どうやら自分は冷血動物ではないらしい。

 

「マコちゃんは変なところで抜けているから、またサキさんに出し抜かれるかもしれないですよ」

 

 研究員達の軽口にもマコは、「もう!」とむくれて笑う。よく笑う少女だな、とダイゴは観察していた。姉であるサキはほとんど笑わないのに、まるで対極だ。

 

「あ、言い忘れていたけれど、ここが研究所。お父さんがきちんと説明してくれればいいんだけれど、あの人もあの人で抜けているし、私が説明するよ」

 

 マコが研究機材を見やって手を掲げる。様々な種類のモンスターボールが居並んでいた。

 

「ポケモンっていうのは、同じ種類でも個体ごとに能力が異なる場合がある。もっと言えば特性が違う場合も、さらに色が違う事もある。お父さんのお仕事は統計学に近いかな。そのポケモンの分布図もそうだけれど、色違いや別の特性、能力の変動値の差、とかを調べるんだって」

 

 並んでいるモンスターボールを透かすと、それぞれに入っているのは同じポケモンだった。自分でも知識がある。ナゾノクサ、と呼ばれる草ポケモンだ。

 

「ナゾノクサの研究をしているんですか?」

 

「ああ、厳密には違って、ナゾノクサが広域分布するから、ナゾノクサから調べている、って言ったほうが正しいかな。最近ではこれなんかも調査対象みたい」

 

 モンスターボールをマコが手にする。中にいるポケモンは小さな野花に取り付いており、小型の妖精のように映った。

 

「これは?」

 

「フラベベ、って言うんだって。最近見つかったばかりのポケモンで、なんでも分布図的には今までにあり得ない狭い範囲で別個体が確認されているみたい。だから、群生学としてはこれを調べるのは当然ってわけ」

 

 マコが胸を反らして説明するがそれは博士の領分だろう、とダイゴが内心思っていると、「博士の受け売りじゃないですか」と研究員が笑った。

 

「もう! せっかく、いい気分だったのに!」

 

 マコが喚くと研究員達はそれぞれの仕事へと戻っていった。

 

「フラベベ……。タイプは?」

 

「フェアリーだよ。効果抜群になるのは毒と鋼だけっていう珍しいタイプだね」

 

「フェアリータイプ、ですか。そんなポケモンもいるんですね」

 

「ダイゴさん、聞いたところだとポケモンにも詳しそうだけれど、もしかして学者さんか何か?」

 

 問われてもダイゴは答えようがない。自分は学者だったのだろうか。だから一目でポケモンの種類が分かった。だが、そうだとしても腑に落ちない点が多い。

 

「いや、多分、そうじゃないと思います」

 

 ダイゴの要領を得ない返答を気にする素振りもなく、「そっか」とマコは流した。

 

「お父さんはすごいし、サキちゃんも警察で偉いし、私もいつか何かになるのかなぁ」

 

 何か。まだ大学生であるマコには漠然としたものだろう。ダイゴは自分が既に何かになっていたのか、と自問する。では一体何者で、どうしてこうなってしまったのか。答えは掴もうとして滑り落ちていく砂のようだった。

 

「ダイゴさん、他の部屋も見せてあげる」

 

 快活に笑うマコの笑顔が眩しい。このように打算も何もなく笑えるだけの環境が整っていたのだろう。ヒグチ家はいい家だ、とダイゴは再確認した。

 



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第十一話「裁かれるのは誰だ?」

 

「全く笑えませんね」

 

 サキは資料を手にしてハヤミへと口にする。並んでいる事実はダイゴが発見された秘密基地に関するものだったが、ほとんどが黒塗りで見当もつかない、と言った具合の資料である。これは報告書ではない、と突っ返したかった。

 

「そう言うな。それでも善処したほうだよ」

 

「これで善処って。じゃあ、本当に何も分からないって事じゃないですか」

 

 サキの突っかかる言い分にハヤミは、「悪いが、そうらしい」と目頭を揉んだ。

 

「公安から流れてきた資料はもっとわけが分からん。よければ原文を見せようか?」

 

「一応、ぼくとアマミさんが共同で洗い直したわけ。それでこれだよ」

 

 シマが全くこちらを見ずに言う。アマミは相変わらず甘ったるいコーヒーを沸かしている。

 

「じゃあ、公安はやる気がないんだ」

 

 サキの出した答えに、「その方面が無きにしも非ず、だな」とハヤミは応じた。

 

「公安は彼――ツワブキ・ダイゴだったか? に対して、何のアプローチも行うつもりがないらしい。むしろ、逆だ。彼を遠ざけようとしている」

 

「でも、捕まえたのは公安でしょう?」

 

 ダイゴを〝天使事件〟の当事者として捕縛したのは公安が最初だ。ならば調べを進ませてもおかしくはないのに、皆目見当がつかないとはどうかしている。

 

「その捕まえた公安が、どうしてだか動きづらそうにしている。被害者はこっちだと言わんばかりだ。正直、彼に関する資料も水増しされた可能性が高い」

 

「……つまり、仕組まれた逮捕劇だったと?」

 

「我々が勘繰っても仕方のない領域ではあるが、彼に関して言える事はこの資料の上だけだ」

 

 ハヤミが顎でしゃくる。サキは資料を眺め、「これコピーしても?」と尋ねる。

 

「元よりそのつもりだ。それに原本もないのだからあちら側に権利もない。解析の手間賃をいただきたいところだよ」

 

 サキはコピー機に向かう。アマミが声を振り向けた。

 

「でも、分からないところ多過ぎだよね。これってさ、いわゆる極秘事項って奴なんじゃない?」

 

 アマミの指摘に指が止まる。視線を振り向け、「じゃあ極秘で彼を犯人に仕立て上げる必要って何です?」と問い返した。

 

「知らないよ。サキちゃん、冗談通じないなぁ」

 

 冗談で言われれば堪ったものではない。サキはため息を漏らしてコピー機を動かす。

 

 頭の中で今明らかになっている事項を整理する。

 

 彼は何者かで、抹殺されなければならないほどの秘密を抱えている。

 

 彼の秘密は警察内部にも既に及んでおり、何者かの意思が介入している。

 

 その格好のタイミングで拾い上げたツワブキ家――。

 

 全てが繋がりそうで、繋がらない点の集約に思えた。まだ線を結ぶにはそれぞれの因子が持つ意味合いが弱い。サキは前髪をかき上げた。

 

「何かあるはず、何か……」

 

「あんまり考え過ぎないほうがいいよ。薮蛇になりかねないし」

 

 アマミの声に、だとしても、と刑事の探究心が勝った。自分にだけ接触してきた何者か。あの人物は彼が抹殺されるべき人間だと断じていた。だが、同時に彼を救い出して欲しいという希望の声でもなかったのか。自分に告げ口する事は何らかの波紋を呼ぶと計算ずくの行動だったのか。それに、彼の手持ちが秘密基地内でどのように働いたのかも不明である。

 

「……分からない事だらけですね。少し、頭を冷やします」

 

「そのほうがいいって。サキちゃん、働き詰めなんだからさ。有給あるでしょ?」

 

「ありますけれど、あんまり現場を離れたくないんで」

 

「そう無理する必要もないよ」とはシマの声だ。

 

「捜査一課は一人くらいの欠員でもどうこうなるほど人手不足でもないし。それにいざという時動けなければ元も子もないでしょ」

 

 皆、自分を慮ってくれている。だが、この事件から少しでも目を離せば状況が動いてしまう予感がしていた。

 

「有給取るとしても、一日程度しか」

 

「そのぐらいでも休んだほうがいいよ。あたしから見てもサキちゃんの顔色悪いし」

 

「そうですか?」

 

 サキはコピー機の鏡面に映った自分の顔を見やる。化粧気がないのは元からだが、確かに憔悴の色が見て取れた。

 

「今日は昼過ぎに上がったら? 幸い、仕事も立て込んでないし」

 

 サキは遠慮の声を出す。

 

「そんな、悪いですよ」

 

「いや、休みたまえ、ヒグチ君。私からも提言する」

 

 課長であるハヤミに言われてしまえば二言もない。サキは、「じゃあ、今日だけは早めに」と口にした。コピーされた書類は相変わらず穴ぼこだらけだ。これでは何が新事実なのか、何が分かっていないのかさえも不明である。

 

「ちょっと纏めますね」

 

 サキは自分のデスクにつく。書類にある報告書の番号にアクセスし、これを書いた当人のデータベースと照合するつもりだった。だが、それが行われるよりも先にテキストエディタが画面の隅で開いた。起動させた覚えはないのに、と閉じようとすると文章が流れる。

 

『ヒグチ・サキ警部。我々はこのような形でしか接触出来ない無礼を許して欲しい』

 

 その文言にサキは反射的に施設で自分に接触してきた人物の事を思い返した。これは例の連中からか? それを判ずるよりも早く、『他の人物に漏らした時点で、あんたに情報は与えられない』と続けられる。その言い草にサキは確信した。この相手は自分と接触した人物に違いない。

 

 だが、どうして警察の、しかも捜査一課にある自分のパソコンを特定出来たのか。警察の端末は何重にもプロテクトが成されている。そう易々と侵入は出来まい。

 

 サキは周囲を気にしたが、アマミもシマも、もちろんハヤミも誰一人としてサキの行動に疑問を抱いている様子はない。サキは慎重にキーを打った。

 

『お前らは何者だ?』

 

 するとすぐに返事が返ってくる。

 

『それをあんたに開示するのはもう少し先になるだろう。しかし、我々の真意を汲んで彼を匿ってくれた事は感謝する』

 

 どうやら彼の護送も確認済みと来た。これはいよいよ近辺がきな臭い。

 

『公安か?』

 

 切り込んだ質問には応じず、『だが万全とも言えない』という答えに狼狽する。

 

『ツワブキ家に運び込んだのはミスだ』

 

 その言葉にサキは、『どういう意味か?』と問いかける。

 

『ツワブキ・リョウはあんたの幼馴染だったか? だが、あまり信用しないほうがいい。彼は、いずれ敵に回るぞ』

 

 リョウを知っている事にも驚きだったが、それよりも驚愕に値したのはその文言だ。リョウが敵に回る。それは考え辛いシナリオだった。なにせ、彼の自由を一番に望んでいるのはリョウだ。

 

『根拠を明示してもらおう』

 

 サキの提案に相手は一呼吸置いてから、『ツワブキ家は彼を抹殺するために動くはずだ』と告げられた。サキにはもちろん、わけが分からない。ツワブキ家が彼を抹殺するメリットがない。

 

『確かに、デボンの下は信用ならないがこちらの下に置いていても同じだろう。現に護送車の裏切りがあった』

 

『それを先導したのが、他ならぬツワブキ・リョウだとしたら?』

 

 その仮定に、あり得ない、と頭を振る。リョウが命じたのだとすればリスクが大きい。公安で、ただでさえ目につく。

 

『論拠が足りていない。リョウを悪者に仕立て上げたければもう少しマシな嘘をつけ』

 

 少し攻撃的な物言いになったか、とサキは気にしたが相手は意に介せずに続ける。

 

『我々は事実だけを述べているのだがね。ツワブキ・リョウが彼を、ツワブキ・ダイゴにしたい意味を、あんたは分かっているのか?』

 

 ダイゴにしたい意味? と頭の中で疑問符を浮かべる。それはただ単に思いつきと管理がしやすいからではないのか。

 

『ダイゴの名に、何かあるのか?』

 

『このデータを持ち帰れ』

 

 新たにウィンドウが開き、サキのパソコンへとデータを送信する。圧縮化がされているが文章データだ、とパソコンに入っているウイルス検知ソフトが警告する。

 

 ウイルスでこちらの情報が漏れる危険性をまず頭に入れたがそれよりもこの情報、今逃せば二度と手に入らないのではないか。先ほどコピーした穴ぼこだらけの資料を視界に入れる。彼に関する資料をこれ以上警察内部で調べようとしても限界が生ずるのは目に見えている。ならば、蛇の道と割り切ってでも新たに道を開拓するべきか。

 

 サキは即座に判断する。送られてきたデータを外部メモリに一度ダウンロードし、ネット環境のない端末で開く事に決めた。

 

『これは何だ?』

 

 まだ開いていないが、相手からしてみれば分からないだろう。こちらが手にした事だけが表示されるはずだ。相手が尻尾を出すのを期待したがそれほど馬鹿ではなかった。

 

『ファイル名を開示した上でこれからの情報のやり取りの如何は決める』

 

 引っかからないか、とサキは息をつく。どうやらこちらは必然的に後手に回る事になるらしい。だが警察内で開けば大事になる恐れもある。相手も理解しているのだろう、『開ければいつでもいい』と電話番号を送信してきた。

 

『この番号ならばいつでも出られる』

 

 サキは手元のメモに書き付ける。このログも恐らくは残らない。

 

『何がしたいんだ? 彼についてお前らは何を知っている?』

 

 サキが送った言葉に相手は返信する。

 

『恐らくは、あんたの欲しい情報だよ』

 

 それはまだ自分には明かせないものだと告げていた。全ては外部メモリにダウンロードした情報次第だろう。サキは、『ツワブキ家に関して何を知っている』と別アプローチをかけた。

 

『それは恐らく、あんたが知らなかった幼馴染の顔だ』

 

 リョウに関しては相手も情報をオープンにするつもりらしい。リョウを敵対するのならば当然だろう。

 

『リョウが何をした?』

 

『いいか。我々が言うのはこれだけだ。ツワブキ家を信用するな』

 

 リョウに関してもそれ以上は得られないだろう。サキは嘆息を漏らし、『では私については?』と質問を変えた。

 

『どうして私なんだ?』

 

 それは兼ねてより疑問だった。何故、他の誰でもなく、あの場所で、自分に接触してきたのか。サキの質問に、『適任だからだ』と返事があった。

 

『あんたには彼の事を知ってもらいたい。その上で、裁かれるのは誰だか決めて欲しいのだ』

 

 裁かれる、という言葉にサキは即座に事件との関連性を見出した。

 

『連続殺人事件に関係しているのか?』

 

 こちらとしてはカードを出し尽くした状態である。相手の返答に期待するほかなかった。十秒ばかし間を置いて、『一つだけ言っておこう』とあった。

 

『犯人を彼とするのは早計だ』

 

 それっきりテキストエディタは動かなかった。どうやらここまでらしいと感じたサキはデスクを立った。手には外部メモリがある。

 

「すいません。今日はここまででいいですか?」

 

 サキが働き者だと感じている一同は、「ああ、いいとも」と応じた。

 

「少しでも休みたまえ」

 

 ハヤミの声にサキは捜査一課を後にする。行くべき場所は一つだろう。

 



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第十二話「客人」

 

「もらい物だけれど」

 

 マコが取り出したのはロールケーキだ。冷蔵庫から取り出して切り分ける。ダイゴはリビングのテーブルについていた。マコに勧められ、もてなしを受ける事になったのだ。研究員達はいない。それぞれの仕事が忙しいのだろう。キッチンから芳しいコーヒーの香りが漂ってくる。鼻腔をくすぐる香ばしさに、「コーヒーですか?」と訊いていた。

 

「あっ、ゴメン。嫌いだった?」

 

「いえ、そんな事は」

 

 ダイゴが首を振るとマコは微笑んで切り分けたロールケーキとコーヒーをそれぞれ自分とダイゴの分をテーブルに置いた。マコは対面に座り、「さて、と」と切り出す。

 

「サキちゃんとは、どういう関係なの?」

 

 いきなりの言葉にダイゴは返答出来ない。先ほども訊いてきたが、どうやらマコは自分とサキが特別な関係だと思い込んでいるらしい。

 

「さっきも言いました。被害者だって」

 

「だから、あの時は研究員の皆もいたからあんまり引き伸ばすのも何だかな、って思ったけれど、やっぱり気になるじゃない」

 

 妹であるマコからしてみればそうだろう。ダイゴは、「俺って、変ですか?」と尋ねていた。マコは、「すっごい変」と正直に返答する。

 

「ポケモンの知識はあるみたいなのに、なんていうか中途半端って言うのかな。トレーナーほど熟練してもいないし、だからって何もない、ただの人っていうには不思議」

 

 勘繰り過ぎだ、とダイゴは感じたが黙っておく。マコの好奇心はもしかしたら自分の不明な部分を暴いてくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。

 

「ダイゴさんはさ、女の子に魅力を感じないの?」

 

 突然の質問に面食らう。マコは首を傾げた。

 

「魅力を感じない、ってのは……」

 

「まぁ率直に言うとさ、性欲みたいなのはないの、って話」

 

 どうしてそのような話になるのだろう。ダイゴは眉根を寄せた。

 

「何で、そんな話に?」

 

「だって、サキちゃんも言ってたけれど、私の格好、ラフというにはちょっと大胆って言うか、攻めてない?」

 

 改めてマコの衣服を見やる。ワイシャツをつっかけただけの上半身に、下半身は短パンを履いただけ。確かに肌の露出は多い。

 

「攻めてるんですかね」

 

 ダイゴの言葉にマコは、「うーん」と呻った。何を困っているのだろうか。

 

「あのさ、じゃあ質問変えるけれど、サキちゃんには魅力を感じる?」

 

 矛先が変わり、どう返答すればいいのか分からなくなった。サキは、確かに頼り甲斐があると感じている。自分からしてみれば見知っている人間の一人で、懇意にしてもらっていると思う。

 

「いい人じゃないんですか?」

 

 その返答はマコの狙いではなかったらしい。ため息をつかれた。

 

「……いい人、ね。オーケー、そういう面倒な質問を振られた時には百点の答えだと思う」

 

「面倒だなんて。俺はマコさんもいい人だと思っていますよ」

 

 笑顔が素敵な少女だと感じていた。マコはしかし渋い顔をする。

 

「サキちゃんと同じ土俵ってのはちょっとな……。何ていうか、ダイゴさんの人物評が分からないよ」

 

 マコからしてみればはぐらかしているようにも聞こえるのかもしれない。だが、自分にとっては今しがた発した言葉が全てだ。

 

「俺は、嘘は言っていませんけれど」

 

「それは分かるんだけれどさ。嘘じゃないってのが逆にショックかも」

 

 女性は分からないな、とダイゴは感じた。自分は正直に答えているに過ぎないのに、それ以上を求められている気がする。

 

「まぁ、そういうのはおいしいお菓子とコーヒーで忘れようか」

 

 マコが切り替えるように手を打つ。ダイゴはロールケーキを眺めた。

 

「食べなよ。おいしいからさ」

 

 既にマコは頬張っている。大げさなほどの身振りをつけ、「おいしいー」と言っていた。

 

「教授からもらったんだけれどやっぱりお金持ちは格が違うね。こんなおいしいものをもらったんだからお礼をしないと」

 

「俺からしてみれば、この家も大きいですけれど」

 

 ダイゴが天井を仰ぐ。マコは、「まだまだだって」と手を振った。

 

「ホウエンって技術先進国だからさ。結構、お金持ちってたくさんいるんだよね。うちなんて真ん中くらいだよ。ロケット事業に関わっている人達なんかってもう年収数億円の世界だよ」

 

「ロケット事業?」

 

 聞き覚えのない言葉にダイゴは問い返す。マコはコーヒーを口に含み、「うん」と首肯する。

 

「ロケット事業が昔からホウエンは盛んでさ。観測ロケットとか飛ばしたのは最初のほうこそまさにホウエンだけだったんだけれど、他の地方も遅れを取るもんかって追いついてきてね。でも、やっぱりホウエンの技術支援がないと他地方は劣るみたい」

 

 ダイゴは額を押さえていた。ロケット、という言葉がどうしてだか耳にこびりつく。まるで忘れてはならない一事のように。

 

「ロケットって、その、どの街で造られているのか、分かります?」

 

「トクサネシティかな。あそこに発射台があって。ここからだと大分遠いよ?」

 

 ダイゴの言葉に思うところがあったのだろう。マコの言い分は今から自分がそこに行くとでも言い出しかねない、と言った様子だった。ダイゴは、「まさか」と手を振る。

 

「さすがに遠出は出来ないですし」

 

「だよね。私もトクサネは一回や二回しか行った事ないや。ホウエンって割と広いけれど、街同士の交流って意外となくってさ。カナズミに住んでいれば大体の事は分かるし、大企業デボンコーポレーションがきちんと管理している学園都市。それなりに情報発信地でもあるから、ここに永住しても困らない」

 

 ダイゴはしかし、トクサネシティがやけに気になった。何が自分を惹き付けているのか。ロケット、あるいは開発、または技術か。どれもが近しいようで遠い出来事に思える。

 

「学園都市、って、このカナズミがですか?」

 

「そうだよ、有名じゃない。トレーナーズスクールはどこの地方でも作られるようになったけれど、街規模でってのは珍しいよ。カナズミシティはさらにデボンコーポレーションのお墨付き。治安もいいし、いい場所」

 

 どうやらマコは相当気に入っているらしい。ダイゴは頻出するデボンなる企業の事を尋ねた。

 

「その、デボンっていう会社は何なんです? そんなに偉いんですか?」

 

 その質問にマコが思わず、と言った様子でコーヒーを吹き出す。幸い、自分にはかからなかったがワイシャツが汚れた。

 

「あーあ、びしょびしょだよ」

 

 マコの不手際なのだがどうしてだか自分が悪いように感じられてしまう。「布巾を」と歩き出そうとしたダイゴをマコが制した。

 

「ああ、いいって。お客様にお手数かけさせるわけにはいかないし」

 

 マコはキッチンから布巾を取ってきてワイシャツの汚れを取ろうとするがコーヒーのしみはなかなか取れない。

 

「うぅむ、まぁいっか」

 

 それだけでマコはその汚れを意識から取り除いたようだ。随分と思い切りがいいな、とダイゴは感心してしまう。

 

「で、も! デボンを知らないなんて正気?」

 

 マコがテーブルを叩きつけてダイゴに詰問する。それほどにまずい質問だっただろうか。ダイゴはただ答えるほかない。

 

「……ええ、耳馴染みがないもので」

 

「デボンも知らずに、ホウエンにいるっていうのが……、ってかツワブキの苗字なのが分からない……」

 

 マコが椅子に座り、頭を掻いている。それほど有名なのだろうか。

 

「あのさ、ツワブキ・ダイゴさんだよね?」

 

 再三尋ねられダイゴは、「そうですけれど」と応じる。本当は違うのかもしれないが、今はツワブキ・ダイゴだ。

 

「だったら変じゃん。自分の家の仕事も知らないなんて」

 

 家の仕事、と聞いてダイゴはツワブキ家と符合させた。

 

「ツワブキ家が何か……」

 

 マコはため息をつき、「本当にツワブキ家の人?」と怪訝そうに眉根を寄せた。違うのだが、それは言えない約束である。

 

「大企業デボンコーポレーション、その代表取締役が代々、ツワブキ家の人間じゃない。リョウさんもツワブキの人間だけれど、あの人はお鉢が回ってくる前に警察に入ったから。ツワブキ家の人間にしては、ダイゴさん、変だよ」

 

 そうだったのか。デボンという企業名とツワブキ家がようやく結びつきダイゴは納得した。だからあれだけの豪邸を構えていたのか。

 

「そうだったんだ、じゃない、そうですね。ツワブキ家はそうです」

 

 ダイゴの語調がおかしかったのだろう。マコは、「頭でも打った?」とこめかみを指差した。

 

「やっぱり被害者ってそういうの? 誰かに襲われたとか? それで一命を取り留めたものの記憶の一部がショックにより欠落しているとか?」

 

 思わぬところで鋭いマコの言葉にダイゴは辟易する。記憶に関する事は秘密だろう。ツワブキ家とサキにだけだ、言っていいのは。

 

「そんなドラマチックなの。ないですよ」

 

 朗らかに笑い誤魔化そうとする。だが、マコは食らいついた。

 

「えー、ないの? やっぱりドラマや映画の観過ぎかな?」

 

 サキの妹だ。もしかしたら、動物的勘や嗅覚に優れているのかもしれない。しかしこちらからぼろを出さなければ巻き込む事もあるまい。ダイゴは頭の片隅で考える。秘密基地で襲いかかってきたニシノの事。ニシノの所属、公安。これは何らかの意味がある事だと考えていたがそれすら考え過ぎの範疇だろうか。だがダイゴは自分の判断でその秘密を胸に仕舞っている。あまり迂闊な事は言えない。ともすれば自分は巻き込む側かもしれないのだから。ニシノの言葉が思い返されダイゴが無言になる。その沈黙をどう判じたのか、「でもさー、ダイゴさん」とマコが後頭部で手を組んだ。

 

「やっぱり変だよ。デボンの事知らないなんて。ツワブキ家の人間っての、嘘じゃないの?」

 

 あながち間違っていないから困る。ダイゴは、「でもサキさんにきちんと自己紹介をしてもらったはずですけれど」とサキを引き合いに出した。するとマコは言葉を詰まらせる。

 

「うん、まぁ、確かにサキちゃんがそう言うのなら、そうなんだろうけれどさ。なーんか、引っかかるんだよね。ダイゴさん、サキちゃんと結託して私を騙しているんじゃない?」

 

「騙して、どうするんです?」

 

 口をついて出た質問にマコは、「分かんないけれど……」と言葉を彷徨わせる。

 

「何かしら、共謀してさ。出し抜こうってんじゃないかな、って」

 

 出し抜く、という言い草には何かしら奇妙なものを感じ取る。もしかして過去にそういう事があったのかもしれない。

 

「前にもこういう事が?」

 

 ダイゴの質問にマコは目線を逸らした。どうやら図星らしい。この少女はつくづく分かりやすい。

 

「……うん、まぁね。私に黙って、お父さんに研究データを渡して、それで調べを進めていた、ってのが一回だけあって。私、すごい嫌だった」

 

「何でです? サキさんは警察官ですし、そりゃ守秘義務ってもんが――」

 

「違うの! 何ていうか、騙されているみたいじゃん!」

 

 遮って放たれた大声にダイゴが目を見開く。その様子を見やってマコは声を潜めた。

 

「……そういう、秘密にされるっていうの? 好きじゃないなぁ……」

 

 マコも家族としてサキの無事くらいは確かめておきたいのか。いや、それよりも自分だけ蚊帳の外に置かれる、という状況が我慢ならないのだ。マコ自身、自分の無力さが嫌になるのだろう。姉は刑事で両親は研究者。自分だけが宙ぶらりん、という気分なのかもしれない。

 

「でも大学生って言うのは自由でいいでしょう」

 

 ダイゴの言葉にマコは、「それが自由じゃないんだよねぇ」と端末を操作した。こちらへと向けると通話アプリが入っており、マコが所属しているであろうグループ名が表示されていた。

 

「サークルとか、ゼミ歓とかさ! やっぱり、何ていうのかな、どこかにいないと寂しいから」

 

 言葉尻は少しばかり弱々しい。どこかにいなければ寂しい。それは記憶喪失の自分に突き刺さる。自分の居場所はどこなのだ。自分はどこを頼りにして、寄る辺にして、生きていけばいい? これからツワブキ家がそうなるのだろうか。だが、自分にはこのヒグチ家のほうが合っている気がした。

 

「俺は、マコさん、羨ましいですよ」

 

 その言葉が意外に聞こえたのだろう。マコは、「えっ」と声を詰まらせる。

 

「だって学校にもきちんと通われているし、家族はみんな誇れる人達ばかりだ。俺も正直、その輪に入りたいくらいですよ」

 

 マコがきょとんとしている。しまった、とダイゴは感じる。自分がツワブキ家の人間ではないと言ったようなものではないか。だがマコはぷっと吹き出して笑う。

 

「やっぱり、ダイゴさん、変だって。そりゃ、うちは代々陽気なだけが取り得な家柄だけれど、大富豪であるツワブキ家よりもうちがいいなんて。よっぽどの変わり者なんだね」

 

 どうやらマコにはそれ以上はばれていないようだ。ホッと安堵する。

 

「でも、なんの遠慮も要らないんだよ?」

 

 マコのてらいのない言葉にダイゴは顔を上げる。マコは、「うちの輪に入りたければ入ればいいじゃない」と告げる。

 

「でも、俺はヒグチ家の人じゃないし」

 

「どこの家だなんてあんまり関係ないんじゃない? 誰かと一緒にいたい、同じ時間を過ごしたいって思うのって人間ならば当たり前だよ。そういう、どこの家がいいだとか言うのはちょっと子供じみているけれどね」

 

 マコは微笑みを湛える。大人の笑みが見え隠れした。この少女も自分より年少のように見えて意外に世間を知っているのだ。ダイゴは勝手に自分の中でマコを弱々しい存在に置いていた事を反省した。

 

「それに、今日は多分、パーティーだよ。ダイゴさんみたいなお客さんが家に来ると、晩御飯も華やぐし」

 

「そんな。俺なんかがいたって」

 

「またそう言う」

 

 マコがむくれる。ダイゴは自分の浅はかさを恥じた。

 

「そうやってへりくだっていればいいってものでもないよ。自分を褒めてあげられるのは自分だけなんだから。いっその事、いっぱい褒めてあげようよ」

 

「お前は褒め過ぎだ、馬鹿マコ」

 

 突然割って入った声にマコが、「ひゃっ?」と悲鳴を上げる。ダイゴも釣られて肩を震わせた。視線の先には今しがた帰ってきたばかりなのだろう、サキが佇んでいた。

 

「サキちゃん? いつからいたの?」

 

「ついさっきから。勝手な事ばかり吹き込むな。大学生に説教されるいわれなんてないんだぞ」

 

 サキの言葉にマコは腕を組んで、「でも、私だって正論言えるし」と鼻息を漏らす。サキが、「ケツの青いガキが、何を」と返した。

 

「……サキちゃん、お客さんの前でお下品だよ」

 

「こっちとしては馬鹿な妹に任せた事のほうがよっぽど恥だな」

 

 売り言葉に買い言葉の体で両者、一歩も譲らない。その様子がおかしくなってダイゴは微笑んだ。すると姉妹揃ってダイゴを見つめた。

 

「えっ、何ですか?」

 

「いや、だってダイゴさん」

 

「今、笑ったような……」

 

 珍妙な生き物でも見るかのような目つきにダイゴは、「ええ、笑いましたけれど」と答える。マコが、「いいね」と手を叩いた。

 

「笑っているダイゴさんのほうがいいよ。そのほうが合ってる」

 

 マコの言葉にダイゴは頬が紅潮した。おかしかっただろうか、サキに目線をやると、「まぁ、仏頂面よりかは」と口にした。

 

「笑いがあるほうが人生、豊かではあるな」

 

「サキちゃん、そうやって誤魔化してー。今の笑顔、素敵だったね、ぐらい言いなよ」

 

 マコが調子に乗って肘で突くとその脳天に向けてサキがチョップした。

 

「痛いー」

 

「当たり前だ。痛くしたんだからな。馬鹿な事言っていないで、出かけるぞ」

 

「え? どこへ?」

 

 マコの質問にサキはため息をつく。

 

「客人だろう。一応、お前はな」

 

 サキが顎を突き出す。するとマコも理解したようで手を打った。随分と芝居がかった仕草だな、と思いつつダイゴは首を傾げる。

 

「何です?」

 

「じゃあ、今日はアレだね」

 

 心得たようなマコの声にダイゴはますます戸惑う。「つい先ほど、お父さんからメールももらった」とサキがホロキャスターを操作していた。

 

「だから、何です? アレって?」

 

 その質問に姉妹揃って不敵に笑みを浮かべた。

 

「きっと、驚くな」

 

「サキちゃんとやるの久しぶりだし、こりゃ盛り上がるね」

 

 ダイゴは二人の言葉に疑問符を数々浮かべるばかりだった。

 



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第十三話「乾杯の夜」

 

「って事で、カンパーイ!」

 

 ぐつぐつと煮えている鍋をダイゴは見つめる。帰ってきたヒグチ博士とその婦人、ヨシノは揃ってキッチンに立ち、料理の準備を進めていた。その一方で、マコが早めの乾杯の音頭を取る。

 

「おいおい、マコ。まだ早い」

 

 博士が朗らかに微笑み、野菜を切り分ける。ヨシノは吸い物を仕立てていた。

 

「これだから馬鹿マコは……。お父さん、手伝う事、ある?」

 

「ああ、いいってサキ。お前も客人みたいなものなんだから」

 

 博士の言葉に、「そうそうサキちゃん」とマコが上機嫌で口にする。

 

「このマコちゃんに任せて、今日はどーんと飲みたまえ!」

 

「……まぁ材料費は私持ちだから、この馬鹿に貸しを作った覚えはないが。ねぇ、お父さん、こいついつからこんなに馬鹿になった?」

 

 サキが無遠慮にマコを指差す。マコがサキへとスキンシップを取ろうとするがサキは手で頭を押さえ込んだ。

 

「うーん、大学入ってからかな、垢抜けたのは。ねぇ、母さん」

 

「そうね。マコは、それまで大人しかったのに」

 

 ヨシノが同調して声にする。いかにもおしどり夫婦な二人に対してサキとマコの姉妹は少しばかりかしましい。マコはまだ飲んですらいないのに出来上がっている様子だ。

 

「男でも出来たのか? 言っておくが馬鹿な男に引っかかるなよ。ただでさえ馬鹿なのに、累乗して大馬鹿になる」

 

「サキちゃん、ひどーい! 私馬鹿じゃないし」

 

「男が出来たのは否定しないのか?」

 

 マコがうっと声を詰まらせる。図星なのか、とダイゴも窺っていると、「わ、私、本当に違うから」とマコは大げさに否定した。

 

「男なんて、決して出来ておりません!」

 

「何で敬語なんだ。ますます怪しいぞ」

 

 ダイゴは目の前の鍋を眺めている。既に煮立っており、中には具が入っていた。

 

「あの……」

 

 言い辛そうにダイゴが口を開く。サキが、「何だ?」と訊いた。

 

「アレって、鍋の事ですか?」

 

「ああ、そう。鍋会。うちの恒例行事でね。祝い事や、客人が来ると決まって鍋をする。夏でも冬でもお構いなしだ」

 

「まぁ正直なところ、おかずに迷わなくって済むからね。うちではおじいさんの代からこうして鍋会がある」

 

 博士が朗らかに笑いながら鍋に具を投入した。ヨシノがそれぞれの吸い物を振る舞う。家族全員が席につき、ダイゴは特別席とでも言える全員の視線が集まる場所に居ついていた。少しばかりくすぐったい。

 

「研究員の皆も呼ぼう」と博士が言った事で広めに見えたリビングに白衣の研究員達とヒグチ家が団らんした。息苦しいくらいだが博士達は慣れているのだろう。全員がジョッキを手に、「それでは、乾杯!」と博士が掲げる。すると、「カンパーイ!」と全員の声が木霊した。

 

 ダイゴは縮こまって杯を掲げる。彼らの醸し出す熱気が自分とは正反対のものに思えた。殊につい先日まで留置所の闇の中にいた自分としては突然に太陽の下に引きずり出されたかのようだ。だが居心地の悪い太陽ではない。それぞれが燦々と光を照らし出している。ダイゴは一時でもこの空間にいられて幸せだと思う事にした。

 

「ダイゴさん、でしたね。ツワブキ家の親戚だと伺っているけれど」

 

 ヨシノの柔らかな声音にダイゴは首を引っ込めて、「ええ、まぁ」と返す。博士が、「そう緊張する事はないよ」と口にした。

 

「でもツワブキ家といえば、リョウ君は元気だったかい?」

 

「ああ。あいつは何でも勝手に進めたがる癖が相変わらず抜けていない」

 

 サキの言葉に博士は満足そうに頷く。

 

「でもリョウ君らしいね。それでこそ、彼だよ」

 

 どうやら博士はリョウの事をよく知っているようだ。ダイゴはためしに尋ねた。

 

「あの、リョウさんは……」

 

「うん? まぁ私の教え子の一人でね。昔のよしみだ。ツワブキ家とヒグチ家がお互いにカナズミではそこそこ顔が利くというのもあるのだが、家族ぐるみの付き合いでね」

 

「腐れ縁だよ」とサキはビールを呷る。

 

「サキちゃーん。私、大学入っても相変わらず全然でさー。どうすればサキちゃんみたいになれるわけ?」

 

 どうやらマコはもう出来上がったようだ。サキは冷淡極まりない声で、「馬鹿を直せばマシになる」と返す。マコは仰け反って、「ひどーい」とげらげら笑った。

 

「マコちゃん、相変わらず酒癖悪いね」

 

 研究員達の声に、「皆もでしょー」とマコは指差す。マコの手から逃れようと研究員達がステップを踏んだ。その喧騒の中でサキが呟く。

 

「手持ちを、この後預けられるか?」

 

 聞かれたのが最初自分だと分からずに、「お前だ、お前」と肘で突かれてようやく気づいた。

 

「どうだ? 手持ちは?」

 

「手持ち……、ああ、ダンバルですか」

 

「それ以外にあるまい」

 

 サキは酔っていないらしい。どうやらそれなりに節制しているようだ。ダイゴは出来るだけアルコールを取らないようにしながら、「でも何でです?」と尋ねる。

 

「俺の手持ちに何か……」

 

「探りを入れられるとすれば、それは人間よりもポケモンのほうだからだ。人間なんかよりもよっぽど情報に雁字搦めなのがポケモンだからな」

 

 そこから自分に至る答えを導き出そうと言うのだろう。サキはダイゴの過去を見通す手伝いを諦めたわけではない。

 

「それなら、俺も預けられます。安心して」

 

 サキに笑みを返そうとするとマコがサキへと飛び乗ってきた。突然の行動にサキが焦った声を出す。

 

「馬鹿マコめ! 酔った勢いでこれか!」

 

「サキちゃーん。よいではないかー」

 

 相好を崩したマコの額をサキが力いっぱい叩いた。マコが怯んだ隙に後ろへと回り込み、その首をひねり上げてエビ反りにさせる。

 

「ギブギブ……」

 

「何がギブだ! テンカウントまで数えるんだな!」

 

 サキの締め上げがきつくなる。大丈夫なのか、とダイゴが窺っていると、「おっ、恒例のサキちゃんによるプロレスの敢行だー!」と研究員達が囃し立てた。どうやら今に始まった事ではないらしい。

 

「マコ選手、例年の雪辱を晴らせるかー?」

 

 すっかり実況に回った研究員の声にマコが身体をひねってサキを逆に押し倒す。サキが起き上がる前にマコが手を差し出した。その手へと研究員が酒瓶を手渡す。

 

「これでも食らえー。お酒攻撃ぃ」

 

 なんと、マコはサキに無理やり酒を飲ませた。実況班が、「これはどう見ます?」とプロレスに興じている。

 

「そうですねぇ。なにせ、昨年、この攻撃は有効でした。サキさんは割と酒に弱い。これを利用した、ある意味特攻ですよ。神風特攻」

 

 研究員達が演じ分けて実況する中、サキはマコの首筋へと手刀を見舞い、形成を逆転させた。腕をひねり上げ、「マルナナニイマル時、現行犯逮捕」と時計を見やって告げる。

 

「な、何の罪ぃー?」

 

「アルハラだ。それに、相手に一気飲みを強行する行為は殺人未遂にも該当する。このまま留置所送りにしてやろうか、馬鹿マコ」

 

「うおっ、出ましたねー。サキさん必殺の留置所送り。これはきついですよー」

 

「ええ、何せ現職の警察官。威圧は半端ないですね」

 

 研究員達にもサキは睨みを利かせる。すると震えた研究員達が、「さて悪ふざけはこの辺にして」とすっかり酔いが醒めた様子だった。

 

「ちょっと! 誰か味方いないの?」

 

 マコの抗弁も虚しく、サキに腕をひねり上げられる。

 

「観念するんだな、馬鹿マコ。二十戦十九勝一敗の私の記録は保たれたようだ」

 

 サキの言葉にマコが力を抜く。無理やり立たされ、マコは席に座らされた。ダイゴがあたふたしていると、「いつもの事だ」とサキは落ち着き払って麦茶を飲んだ。

 

「まったく、大学生になってから酒を利用する手段を手にしやがったな」

 

 当の両親は何とも思っていないのか。ダイゴが目を向けると、「また負けたな、マコ」と博士はマコの頭を撫でてやっていた。

 

「マコは元気さだけで勝とうとするから」とヨシノもいさめる。そこは止めてやるべきではないのだろうか。

 

「お前が懸念するほどではない」

 

 サキの言葉にダイゴは身を引き締める。先ほどの身のこなしは刑事ならではだった。

 

「まぁ、鍋を囲おう。いつものプロレスは元気さの証だし、大目に見ようじゃないか」

 

 再び鍋を突き出すヒグチ家だったが、ダイゴはマコを気にした。マコの額を突き、「大丈夫ですか?」と声をかける。

 

「わ、私は酔ってりゃいー」とまるで駄目な様子だ。

 

「これだから馬鹿は治らないと言っているんだ。少しは相手との隔絶くらいは確かめろ」

 

 サキは酒を呷らされて平気なのだろうか。少し赤ら顔だったのでダイゴは聞いていた。

 

「あの、サキさんは……」

 

「私は酔わない」

 

 本当だろうか。断固として放たれた口調には他の言葉を許さないものがあったが、怪しいものである。サキは顔を背けた。

 

「お酒をたしなめるようになったのはいい事だよ」

 

 呑気な博士の声に眩暈がする。この家族は、と思っていると不思議と笑みがこぼれていた。自分でも意識しなかった笑みにダイゴは驚愕する。博士が指摘した。

 

「君は笑っているほうがいいね」

 

 マコと同意見である。ヨシノも、「笑顔の似合う男性のほうがいいわよ」とウインクする。マコがしつこく手を掲げ、「私は酔ってりゃいー」と呻いた。その光景さえも微笑ましい。

 

 ダイゴは何の打算もなく笑う事が出来た。記憶がないのに不思議と、それが自分に訪れた不意の安息のように思えた。

 



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第十四話「姿なき影」

 

 宴の席が終わるとサキが真っ先に告げたのは手持ちを渡せ、との事だった。

 

 約束を違えるつもりはない。ダイゴは正直に手渡したが博士とサキは耳打ちし、ダイゴに研究所に来るように告げる。シャワーを浴びてからダイゴは与えられた部屋を訪れ、その後、研究所に足を運んだ。すると既に解析を始めていたサキが、「遅いぞ」と腕を組んで佇んでいる。博士が窪みにモンスターボールを入れてパソコンで調査していた。

 

「何か分かります?」

 

 自分でもダンバルの基本命令以外は不明だ。だからこそ、素直に渡す気になれた。博士は顎に手を添えて、「これは非常に珍しい種類だね」と神妙に語る。先ほどまでの宴席での軽薄な態度は消え失せ、そこにはポケモンの権威が座っていた。

 

「ダンバル。目撃例が数少ない鋼タイプ。覚えている技は突進だけだ」

 

「他には?」とサキが促す。ダイゴが、「クリアボディです」と口を挟んだ。

 

「特性は」と付け加えると、「そうだね」と博士は首肯する。

 

「能力の下降上昇の影響を受けない特性。珍しいといえば珍しいが、ダンバルの個体においてはそれほど重要視しなくてもいいだろう。問題なのは、ここから君のトレーナー情報。つまりおやである君の情報源に辿り着けるかどうかだが」

 

 博士に自分の記憶喪失の事は話したのだろうか。サキへと目線を配ると、「ある程度は」と告げられた。

 

「自分の記憶がない、という部分は話した」

 

 つまりそれ以外の、咎人かもしれない部分は話していないのだろう。ダイゴは余計な事を言わないほうがいいと判断する。

 

「今行き当たった」

 

 博士の声にダイゴは覚えず心臓が収縮したのを感じ取る。サキが、「どうだって?」と端末の画面を覗き込んだ。博士は腕を組み、「これはちょっと意外だね」と呟いた。

 

 端末における「おや」の登録には「該当データなし」とあった。つまり、ダンバルのおやは自分ではない、という事になる。

 

「お父さん、これは」

 

「うん。私もそう睨んだが、やはりおかしい」

 

 何がだろうか。ダイゴには手がかりが途絶えたように映ったがこの二人には違うのか。

 

「普通、野生個体でもどこで出会ったか、という記録はされるんだ。交換したのならばその人物の名前、どこかでタマゴから生まれたのならばその場所。なのに、不明だなんて、逆におかしい。ダイゴ君。君は、どこで手に入れたのか、少しでも心当たりはないのかい?」

 

 つまり博士の言い分だとポケモンのおやの項目に「不明」はあり得ないのだろう。ダイゴは必死に思い出そうとしたが自分の中で雨の日に打たれていた以上の過去はなかった。空白の期間。自分は何をしていたのか、それ以前が全くないのだ。

 

「……すいません。俺には何も」

 

 その言葉は予想されうるものでもあったのだろう。「やはり、か」と博士は顔を拭う。サキも前髪をかき上げていた。

 

「だが、実際に奇妙な話だ。ポケモンの所持からある程度の出自が割れるのに。どこから現れたのか、その出身地ですら明らかでないとは」

 

 サキの言葉に博士が続ける。

 

「ポケモンリーグ以降、トレーナーのポケモンは余さずIDによって個体識別番号が振られ、トレーナー登録を済ませた人間はデボンに管理される時代。その時代に不明、だなんて、ダンバルと君は透明人間のようだね」

 

 ダイゴはその言葉に暫し沈黙する。透明人間。観測されなければここにいるのかさえも危うい、歪な存在。ダイゴの沈黙を読み取ったのだろう。「失礼……」と博士は訂正した。

 

「だがこの高度情報化社会で、どうして個人情報の網を潜り抜けられるのか……」

 

「俺には、何も……」

 

 戸惑いに博士は手を振る。

 

「いいよ、君の不安は分かる。我々こそ、いたずらに煽る真似をしてしまった。悪かったね」

 

 博士とサキが目配せし合う。サキも、「すまない」と頭を下げた。

 

「やめてください。俺のために、二人はやってくださったんですから」

 

「だが結果が得られなければそれは無駄だ」

 

「だろうね。……ダイゴ君、少しだけダンバルを預かっていいかな?」

 

 博士の声音にダイゴは疑問符を挟む。

 

「いいですけれど……」

 

「いや、必要ならば返す。ただ一時間程度ではこれが限界なんだ。きちんとした施設で調べよう」

 

「お前にもう一つ、やってもらう事がある」

 

 サキが何かを差し出す。それは爪楊枝だった。

 

「これで頬の内側の組織を取ってくれ。今すぐに」

 

 言われるがままにダイゴは爪楊枝で頬の組織を取り、サキに手渡す。

 

「もういいぞ」と言われダイゴは戸惑った。

 

「いいんですか?」

 

「これ以上は研究者の領域だ。なに、心配はしなくっていい。私も管理している」

 

 ダイゴは釈然としないものを感じながらも二人が嘘をつくはずがないと部屋に戻った。眠りは訪れないかと思われたが素直にベッドに入ると意識は闇に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダンバルの確保と、それにダイゴ君の遺伝子情報を調べる、か」

 

 博士はキーボードを打ちながらも感嘆の息を漏らす。

 

「我が娘ながら恐ろしいな」

 

「必要なんだから仕方がない。私だって、こんな真似はしたくないけれど」

 

 サキはそれ以上を濁す。ダイゴから力を奪ってさらに遺伝子情報を施設に回す。自分に出来る抵抗はこのくらいだ。明日にはダイゴはツワブキ家。手を出すのは難しくなってくる。

 

「リョウ君は? 彼は協力的じゃないのか?」

 

「リョウとて公安だし、あまり踏み入った話は出来ない。それに私も自由に動けるかというとそうでもないし」

 

 お互いに距離を置いたほうがちょうどいいのだがリョウのほうはどう思っているのかは知らない。だが心得ている幼馴染の胸中が予測出来ないわけでもなかった。

 

「リョウ君が引き取ると言い出したんだ。単なる気紛れとは思えないだろう」

 

 博士の見解は幼い頃からリョウを見てきたからこそ出る言葉だ。リョウは身勝手だが決して気紛れではない。ツワブキ家に招いたのも何かしらの突破口があると信じていたからのはずである。だがその突破口とやらがこちらのアプローチでは全く見えない。進まない現状に苛立ちすら募らせる。ただ一つ、進展した事といえば自分に接触してきた謎の人物。いや、あの言い分だと組織か。

 

「お父さん。ネットワークから完全に隔絶されていて、いざという時にはデータバックアップが即座に行える端末って余っている?」

 

「うん? 何でそんな事」

 

 博士からしてみれば疑問だろう。だがサキにはどうしても必要だった。スタンドアローンの端末でなければ二次災害は防げまい。

 

「ちょっと急を要していて。出来れば早めに貸して欲しいんだけれど」

 

「端末ならば揃っているけれど……」

 

 博士が棚を指差す。旧式の機材が揃っていた。これならば文書ファイルくらいは開けそうだ。

 

「しかし、何でだってネット回線のないものなんて今さら持ち出す? ほとんど骨董品といい替えてもいいけれど」

 

「骨董品にも使いようはあるし。私は少なくとも必要」

 

 ネットに繋がっていればぼろが出る。警戒しての行動だったが博士には怪しげに映ったらしい。「どうにも腑に落ちないな」と口にする。

 

「彼の事といい、ダンバルの事といい。それにサキもだ。警察の関係端末じゃ開示出来ない資料なのか?」

 

 さすがは父親と言うべきか。自分の脆い部分をきちんと理解してくれていた。サキは息をついて前髪をかき上げる。

 

「……ちょっと同僚や上司には話せない野暮用が出来てしまって。私個人で進めたいのは山々なんだけれどダンバルの事とかに関してはお父さんの力が必要になった。その点、私はまだまだだ。大人に成り切れていない」

 

 サキの悔恨を博士は、「大人なんてなっている人間のほうが少ないよ」と返す。

 

「研究者だって元を辿れば純粋な好奇心だ。どれだけ崇高な理念で着飾ろうとそれは変わらない。有史より人々は様々な、それこそ八方手を尽くして色々と解明しようとしたけれど、科学者が出来る事ってのは案外少ないものだからね」

 

 博士は窪みにはまったモンスターボールの表面を撫でる。中にいるダンバルが身じろぎして主の不在を主張しているようだった。

 

「このダンバルから、本当に何も辿れないの?」

 

 サキの疑問に、「本当に情報がないんだ」と博士は返す。

 

「どこから孵化されたダンバルなのか、そもそも彼が本当に持ち主なのかさえも分からない。それにこれは実験してみないと全くの不明だが、彼の言う事を聞くのかさえ、ね」

 

 ダンバルがダイゴの言う通りに動くところをまだサキも見ていない。このダンバルがブラフである可能性も捨てきれないのだ。

 

「つまり、手詰まりって事?」

 

「必ずしもそうではない。サキがやってくれた彼の遺伝子組成とダンバルとの関連性を見よう。もっとも、これは少し時間がかかるが」

 

 博士の言葉にサキは息をついた。

 

「ゴメン。帰ってきて早々、こんな事に」

 

 本来ならばもう少し親子として話し合いたい事もあるのだが今は彼の正体を追及するほうが優先された。彼について何かしら知っている連中の事も気になる。

 

「いや、いいんだ。それに、正直なところ少し嬉しくもある」

 

「嬉しい?」

 

 意外な言葉に疑問符を浮かべると、「あまりサキが私を頼ってくれる事はなかったからね」と博士は微笑んだ。

 

「そういう点で、まだ父親だと思ってくれているのが嬉しいんだ」

 

「お父さんはいつまで経っても私の父親だよ。それに、私だってまだまだだ」

 

 刑事としてまだ不充分な点がいくつもある。博士は、「それを補い合えて嬉しいんだよ」と言葉を継いだ。

 

「必要とされないんじゃないかって、たまに感じてしまう。サキは自慢の娘だから、何でも出来てしまうんじゃかってね」

 

 博士の杞憂にサキは、「そんな事……」と口にしようとするが自分に背負い過ぎている部分がある事は否めない。覚えず言葉を飲み込むと、「端末を持っていくといい」と博士は告げた。

 

「必要なんだろう?」

 

 サキは、「ありがとう」と礼を述べてから端末を手にした。博士はまだダンバルの解析の手を休めない。

 

「お父さんも、早めに休んでね」

 

「ああ、サキもね」

 

 お互いにこうして思い合える事こそが親子の証なのではないのだろうか。そこには特別な言葉などいらない。サキは端末を手に自室へと戻り、起動させて外部メモリを突き刺した。読み取っている間に部屋を見やる。部屋は、一人暮らしを決めたあの日からそのままで、時折掃除してある様子だった。

 

「お母さんかマコか」

 

 まめなのはあの二人のどちらかである。どちらにせよ、久方振りの我が家でもきちんとくつろげるのはありがたかった。

 

 起動した端末が外部メモリを読み取る。外部メモリの中にある圧縮されたファイルを解凍した。瞬時に解凍され、現れたのは二つの文書ファイルだ。サキは一つ目の「真実を乞う者へ」と書かれたファイルを開く。すると文書が開示された。

 

「親愛なる真実を乞う者よ。あなたがこの文書を目にする時、恐らくは彼はツワブキ・ダイゴという名前を与えられているだろう。だがダイゴの名前はいずれ重石となり、彼を押し潰す。彼の抹殺を企む一派について我々の知りうるところはまだ少ないが、開示される情報としては二つ……」

 

 そこまで読んで、サキはスクロールさせる。すると二つの文言があった。

 

 ――1、彼は〝天使事件〟に無関係ではない。

 

〝天使事件〟の名前が不用意に使われている事にサキは瞠目する。警察内部でしか知れ渡っていないはずの事件名。それを知っている時点で相手はただ者ではなかった。

 

「2、ツワブキ家は彼を引き取るために、全ての現象を利用しようとしている……。馬鹿な、オカルトだ」

 

 二つ目の項目はサキには信じがたいものだった。ツワブキ家がどうして彼を必要としているのか。彼は言うなれば被害者で、ツワブキ家とは何の接点もないようなのに。だが〝天使事件〟に無関係ではない、という言葉にはサキも引っかかった。

 

 やはり彼は関係者なのか。その上で記憶喪失を装っている、あるいは本当に記憶がないのか。記憶喪失を科学的に証明する手立てがない以上、この推論は無駄に終わるが。

 

「だが、どうしてツワブキ家がこだわる必要がある? ツワブキ・ダイゴの名前が無関係ではないというものこじつけに思えて仕方がないし……」

 

 サキはその下へと目線を向けたがそこから先には「もう一つのファイルへ飛べ」、と書かれているだけだった。サキはもう一つの文書ファイル「真実を追う者へ」を開く。この二つで一つの仕様なのだろう。

 

 ――こちら側を開いたという事はあなたが真実を追う者である事を意味している。彼を傍観し、ツワブキ家の魔の手から救おうとしている、あるいはこのまま事態を静観出来ない正義感の持ち主だという事だ。我々はあなたを一旦、信用し、いくつかの情報を与える。あなたがそれらについて調べるかどうかはあなた次第だ。真実を追う気があるのならば覚えておくといい。「メモリークローン」「D015」「初代ツワブキ・ダイゴ」この三つのキーワードからなる真実を、あなたは追うといい。言っておくが真正面から愚直にこれらを調べるとあなたに危害が及ぶ可能性がある。出来るだけ隠密に、家族や恋人にさえも知られてはならない。あなたは真実を追う権利を得た代わりに、孤独に戦わねばならないのだ。だが、彼が味方してくれるかもしれない。彼もまた、真実を追う者だからだ。

 

 その下へとスクロールした途端、一つの言葉が書かれていた。サキは読み上げる。

 

「真実は決して一つではない……」

 

 その言葉を目にした瞬間、小さな火花が散り、外部メモリが焼き切れた。同時に端末がブルーバックになり、すぐさま様々なプログラムの書き換えが行われた後、暗転した。

 

「やはりウイルスが仕込まれていたか。だが」

 

 サキは手元のメモ帳に書き付けていた。先ほどのキーワードを。

 

「メモリークローン、D015、初代ツワブキ・ダイゴ……。今のところ全く不明な単語の数々だな」

 

 サキはため息を漏らし前髪をかき上げる。だが手がかりは掴んだ。今の情報から明らかになる事は二つ。

 

 連中は〝天使事件〟の概要を知っている。加えてツワブキ家を敵視している。

 

「だが何でツワブキ家を……。確かにデボンは脅威だが」

 

 しかし民間企業だ。何を恐れる事があるのだろうか。サキは考えを巡らせたが堂々巡りになるのは目に見えていた。

 

 壊れてしまった端末は言い訳が聞かないな、とサキは考えベッドに潜り込んだ。連日の疲れからか、眠りはすぐに訪れた。

 



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第十五話「ツワブキ家の人々」

 

 迎えが寄越され、ダイゴはヒグチ家を後にする事になった。運転手はヒグチ家の家政婦なのだと言う。ハンドルを握る女性がサキではない事に、ダイゴはしこりのようなものを覚えた。

 

「あの、これからツワブキ家なんですよね」

 

 後部座席で傍らに座るリョウに尋ねる。リョウは、「そうだ」と応じた。

 

「うまくやっていけるのか、不安か?」

 

「ええ、少し」

 

 ヒグチ家のような出迎えがあるのだろうか。だがヒグチ家は特殊のような気がしていた。リョウは見透かしたように、「ヒグチ家は楽しかったろう?」と聞いてきた。

 

「いや、そんな」

 

「隠さなくたっていい。オレもヒグチ博士は好きだし、あの家に流れる独特のムードは大好きだ。だが、お前はツワブキ家の様式を知って欲しい。知った上で、慣れて欲しいんだ。ツワブキ家に」

 

 リョウの言葉には押し付けがましいものはなかったが、それでも圧迫感はあった。どうしてツワブキ家に自分は引き取られるのだろう。

 

「あの、俺って何でツワブキ・ダイゴなんですか?」

 

「いきなり難しい質問をするな、お前は」

 

 リョウが朗らかに笑む。ダイゴは悪い質問をしてしまったのか反省した。

 

「あ、俺、失礼な事を……」

 

「いいさ。これから家族になるんだ。気になるところではあるだろう。そうだな、言うなればお前に興味があるから、それに尽きる」

 

 答えになっていない、と感じながらもダイゴはそれ以上の追及をよしておいた。「そろそろです」とハンドルを握る家政婦が口にする。

 

「ツワブキ家は昨日も見てもらった通りこの一角でね。年代は四十年前に遡り、初代ツワブキ・ダイゴが興した企業が始めとされている。デボンの名はその時から有名になった」

 

「俺と、同じ名前ですか?」

 

 初代ツワブキ・ダイゴの名前に反応する。リョウは、「まぁね」と答えた。

 

「不思議な縁だろう?」

 

 不思議、というよりも奇妙だ。どうして縁もゆかりもない自分にそのような大人物と同じ名前がつけられたのか。

 

「ツワブキ・ダイゴは四十年前にあった第一回ポケモンリーグにおいて玉座に輝いた。防衛成績は二度。まぁ、張りぼての王と揶揄される事もあるが、その縁でカントーやその他の地域にポケモン産業の独占を約束している。今や、シェアは九割を超え、全世界でデボンの商品が使われているんだ」

 

「そんなにすごい家に、俺みたいなのが……」

 

 濁すと、「いいんだよ」とリョウは肩を叩いた。

 

「言ったろ? 興味があるって」

 

 それだけだろうか。それだけの理由で、自分のような正体不明の人間を家族として迎え入れられるものだろうか。ダイゴの疑問を他所に車は敷地内へと入っていく。停車すると、「我がツワブキ家は社会奉仕の信念を持っている」とリョウが口火を切った。

 

「だからお前のような危うい綱渡りの人間を見逃せないんだ。この社会に奉仕するためにね。ツワブキ家はあるべきだと思うし、これからも存続するべきだろう」

 

 ダイゴが降りると運転席にいた家政婦が服飾を用意していた。ツワブキ家に入るなり、それを手渡される。クリーニングの行き届いた服に、「これは?」と尋ねる。

 

「お前がツワブキ家の一員となる、ある意味では儀礼、というかいつまでもそんな粗末な服で出歩かせるのはオレとしてもあまりおススメ出来ない」

 

 リョウが自分を指差す。留置所で支給された服のままだった。これでは確かに街は歩けないだろう。リョウに案内されてまずは脱衣所へと向かう。

 

「他の家族の方に挨拶しないでいいんですか?」

 

「ああ、うちの家族はそれを着たお前に会いたいんだ。だからまずは着替えだな。そっちの服は処分しておくから」

 

 ダイゴは脱衣所に通される。バスルームがあるがまるで公衆浴場のような大きさだった。脱衣所も温泉宿のように趣がある。

 

「着替えたら連絡してくれ」

 

 リョウの声にダイゴは服を脱ぎ始めた。留置所の服で慣れていたので袖を通す服は新鮮である。ネクタイまであり、やはりそれなりの上流階級の家ではこれが普通なのだろうか、と考える。赤いネクタイを締め、黒いジャケットに身を包んだ。ほとんどスーツ姿と言っても差支えがない。だがダイゴには特に窮屈には思えなかった。着込んでから、「どうぞ」と声にする。リョウが入ってきて、「似合うじゃないか」と感嘆の声を漏らした。

 

「やっぱりな。お前にはそういうフォーマルな服が似合うと思っていたんだよ」

 

 リョウの声にダイゴは困惑の間を開ける。素人目に見ても高級なスーツである。リョウに連れられ、ダイゴは最初に訪れた時に目にした巨岩のあるリビングへと向かった。八人掛けのテーブルがあり、吹き抜け構造でガラスからは天然の光が透過してくる。巨岩は特別設えられた台座の上にあり、ダイゴの視線はそれに注がれていた。

 

「初代が石好きでね。その道楽の石が様々なところに置かれている」

 

 リョウの説明にダイゴが視線を投じると壁に石が埋め込まれているのを発見した。ロッククライミングのように配置された石だがそれぞれの近くにはネームプレートがあり名前が彫り込まれていた。

 

「リョウ。帰ってきていたのか」

 

 その声に視線を向ける。恰幅のいい中年男性が階段からちょうど降りてきたところだった。リョウは、「さっき連絡したろう、親父」と言う。どうやら父親らしい。

 

「ダイゴ。この人がツワブキ家現当主であり、デボンの社長であるツワブキ・イッシンだ」

 

 リョウの紹介にダイゴは改めて自己紹介する。

 

「はじめまして。あの、ダイゴです」

 

「息子がつけたんだってね。やれやれ、孫を見せてくれる前に君のような好青年に名前をつけるとは、息子も変わっていて申し訳ない」

 

 イッシンは人のよさそうな笑顔でダイゴに歩み寄り手を差し出す。握手を交わし、「こちらこそ、あの」とダイゴは口ごもる。

 

「立派な名前をもらってしまって……」

 

「いや、いいんだよ。わたしが受け取るのを拒否した名前だし、どうせ宙に浮くのならば君のような若い者に使ってもらったほうがいい」

 

 イッシンが快活に笑う。リョウが、「コノハさん、ダイゴの服は?」と尋ねる。コノハ、と呼ばれた家政婦は、「処分しておきます」と答えた。紫がちの虹彩で瞳が大きく、特徴的である。服装はメイド服であった。

 

「しかし記憶がないとは、難儀だね」

 

 イッシンの言葉にダイゴはリョウへと視線を向ける。リョウは、「それだけだよ」と答えた。

 

「前後の記憶がないだけだ。なに、すぐに思い出すだろう」

 

 リョウがどう説明したのかは知らないが、記憶がない事をツワブキ家では公表されているらしい。ヒグチ家では隠されていただけに意外だった。

 

「おい、クオン。またやっているのか」

 

 リョウが声をかけると、リビングでくつろいでいた少女が目に入る。少女はトランプをめくって神経衰弱をしているようだった。

 

「こいつは妹のツワブキ・クオン。ご覧の通り、一人遊びが好きでね」

 

 リョウの紹介にクオンと呼ばれた少女が顔を上げる。小柄でウェーブのかかった紅い髪をしていた。「らら?」とダイゴを見やる。

 

「あなたはだぁれ?」

 

「ダイゴだよ。新しく家族が増えると言っただろう」

 

 リョウの声に、「兄様。聞いてないわ」とクオンが答えた。リョウがため息をつく。

 

「やれやれ。この調子でね。マイペースな奴だよ」

 

 肩を竦めるリョウに、「はぁ」とダイゴは生返事を寄越す。当のクオンはもう神経衰弱の一人遊びに興じていた。

 

「あれ、リョウじゃん。今日は休み? 平日でしょ」

 

 二階から声をかけてきたのはポニーテールに髪を纏めた女性である。寝巻き姿でリョウが見咎めた。

 

「姉貴、まだそんな格好で……。オレは一応公務なんだよ」

 

「仕方ないでしょう。昨日も徹夜で動画編集していたんだから」

 

 降りてくる気配のない女性をリョウは紹介する。

 

「長女のツワブキ・レイカ。ミュージッククリップとかそういう動画編集? の仕事をしている」

 

「クリエイターって紹介してよ」

 

 レイカの声に、「うっせぇな」とリョウが呟く。

 

「で? 誰だっけ?」

 

「ダイゴだよ。昨日説明したろ?」

 

「覚えてないって。帰ってきたの遅かったし」

 

 レイカは部屋へと取って返した。リョウもイッシンも引き止める様子はない。

 

「……まぁ、あれはあれで忙しい身分らしいからな」

 

「リョウ、せっかくだし記念写真を撮らないか?」

 

 イッシンの提案に、「いいな」とリョウも同調する。ダイゴは戸惑っていたがリョウに腕を引っ張られた。

 

「来いよ。みんなで家族の記念を撮ろう」

 

 一人遊びのクオンを引っ張り、コノハを呼びつけた。コノハは最初、躊躇していたがリョウの呼びかけに応じて輪に入る。

 

「姉貴も来いって!」

 

 二階からとりあえず薄着を突っかけたレイカが降りてきた。イッシンがカメラを用意してスタンドを装着する。

 

「よーし、撮るぞー」

 

 ダイゴはクオンの隣、リョウの提案で中央だった。

 

「あの、俺、真ん中なんですけれど……」

 

「いいんだよ、お前の祝いなんだから」

 

 イッシンがタイマーをセットする。ダイゴはとりあえず笑顔を取り繕おうとしたが、その時レイカが見渡した。

 

「あれ、兄さんいないじゃん」

 

「なに?」

 

 イッシンが手を止める。

 

「コウヤはいないのか?」

 

「先ほどお出かけになられました」

 

 コノハの言葉にイッシンはカメラのタイマーを切った。

 

「じゃあ撮影は中止だな。長男がいないんじゃ」

 

 リョウも、「仕方がないよな」と口にする。ツワブキ家の人々はそれぞれの位置に戻った。ダイゴだけが取り残されたように立ち尽くす。

 

「親父、ダイゴに部屋をみせてやっていいか?」

 

 その提案に、「いいぞ」とイッシンが応じる。二階に上がる階段を上りながら、ダイゴは尋ねた。

 

「コウヤさん、ってのは……」

 

「ああ、うちの長男。オレは次男なんだ。まぁ、だから警察になれたんだけれどな」

 

「という事は、跡継ぎですか?」

 

「そうなるかな。兄貴がいないんじゃ、確かに格好つかないし」

 

 紹介されたのは連なっている部屋のうちの一つだった。ベッドと机があり、窓からはきちんと光が差し込む。生活に最低限必要なものは全て揃っていた。

 

「ここが部屋、ですか」

 

「元々は兄貴の部屋なんだが、兄貴が新しく部屋を作っちまってね。もう誰も使っていないから気兼ねなく使うといい」

 

 リョウの言葉にダイゴは首肯する。その肩をリョウが呼び止めた。

 

「なぁ、ダイゴ。一応言っておくけれどな。何でもかんでもタダってものはないんだ。どのようなものであれ、生じるものは金だ。それを誰が払うのか分かっているか?」

 

 ダイゴは一通り思案して、「ツワブキ家の方々ですよね……」と声にする。リョウは頷き、「だからこそだ」と言葉を続けた。

 

「ツワブキ家、オレ達家族の言う事は絶対だ。断らないでもらいたい」

 

 リョウの言葉は自然と強制力があった。ダイゴは、「返事は?」と促されて、「……はい」と答える。

 

「ではまず一つだ」とリョウは奥まった部屋を指差す。廊下の突き当たりにある他の扉とは装飾の違うものだった。

 

「基本的にツワブキ家は出入り自由、どこでも自由に使っていいが、あの部屋だけは入るなよ。それは厳しく禁じられているんだ」

 

「はぁ」と生返事を寄越す。それが気に入らなかったのかリョウは念を押した。

 

「入るな、と言葉で言っただけでも無駄かもしれないが、これはオレとの約束だ。家族との約束を違える奴は最悪だって事ぐらいは分かるよな?」

 

 ダイゴはリョウの言葉の凄味に覚えず首肯する。

 

「分かったのならばいい」

 

 リョウは今しがたの声音が嘘のように微笑んでダイゴの背中を叩いた。ダイゴは視界の中に禁じられた扉を見つつも出来るだけ気にしないようにした。

 

「それで早速なんだがな」とリョウは手招きする。二階から吹き抜けの下階を見やった。リョウが指差したのはリビングで神経衰弱を一人でするクオンだ。

 

「クオンは今年十七歳だが、まぁ有り体に言ってしまえば不登校、という奴でね。成績も悪くないし素行も決して悪くないんだが、どうしてだか学校に通おうとしない。いきなりで悪いんだが、ダイゴ、お前にはクオンの世話をお願いしたい」

 

「世話、ですか」

 

「難しく考えなくっていいさ。遊び相手、程度でいいよ」

 

 だがツワブキ家の末娘の相手にこのような正体不明の人物を選んでいいのだろうか。その不安を読み取ったように、「お前なら大丈夫さ」とリョウは肩に手を置いた。

 

「頼りにしている」

 

 リョウが歩み出す。その背中へと、「どこへ」と問いかける。

 

「一応、職場にな。届け出ぐらいはしないと。ダイゴ、お前の必要書類はオレが全部揃える。その辺りは万全だから心配するな」

 

 リョウの言葉に返す前に、彼は出て行ってしまった。ダイゴは部屋とリビングを交互に見やってから階段を降りる事にする。クオンが神経衰弱をずっと楽しんでいる。だが笑顔がないせいで本当に楽しいのかは分からない。

 

「あの……」

 

 ダイゴが口を開くとクオンは、「らら?」と顔を上げた。紅い前髪が額にかかる。

 

「あなたは、兄様の紹介にあった」

 

「ツワブキ・ダイゴ、という名前をもらったんです」

 

 その言葉にクオンは手を合わせた。

 

「ああ、ダイゴの名前。そういえば兄様はそのような事を言っていらっしゃったわ。新しい家族だって」

 

 先ほどは聞いていないと言っていたのに、クオンの胸中は読めない。マコの分かりやすさが今さらにありがたく思えてくる。

 

「その、俺が君の世話係をしろって、そのリョウさんが」

 

「世話係? 何をするの?」

 

 そう問われればダイゴとて分からない。だが不明確なりに答える必要があるだろう。

 

「多分、遊び相手とか」

 

 ダイゴがトランプを見やる。クオンはトランプを次々と捲った。すると驚くべき事に全て的中しているのである。ダイゴは素直に感嘆する。

 

「すごいですね。全部、当たっている」

 

「神経衰弱は得意なの」

 

「神経衰弱に得手不得手があるんですか?」

 

 運だとばかり思っていたのだが。クオンはダイゴの質問にも丁寧に答える。

 

「トランプの枚数とそれが並ぶパターンを捉えればそう難しくない。必要なのは見極める心。本質を見極める事にこそ、人間の純粋な強さがある」

 

 クオンの言葉には重みがあった。たかが神経衰弱に哲学を持ち出せるほどやり込んでいるのだろうか。ダイゴが尋ねようとすると、「兄様は」とクオンが先に口を開いた。

 

「多分、あたしの事が心配なのね。学校に行かない、って聞いたのでしょう」

 

 ダイゴは一瞬だけ返事に窮したが隠し立てする事でもあるまいと答えた。

 

「はい。どうして行かないんですか?」

 

「つまらないから」

 

 至極当然のように紡がれた言葉にダイゴは辟易する。

 

「つまらないって……」

 

「誰も、あたしのパターンから抜け出せていない。予想外の動きをする人間が誰一人いない環境ってつまらないと思わない?」

 

「でも、そんなのは家族だって同じじゃ……」

 

「ツワブキ家はそうじゃないわ。みんな、あたしの想像よりも高く跳んでみせる。それが出来る人達ばかりだから、あたしは家にいる」

 

 ダイゴはクオンの言葉の意味が捉えられなかった。どこか掴みどころのない話に思える。

 

「えっと、つまり、家族よりも優れた人達がいないって事?」

 

「簡単に言えばそう。ツワブキ家の人々を超える人達がいない」

 

「でもそれって、ツワブキ家がその、上流階級だから」

 

 ダイゴの言葉に、「関係がないわ」とクオンは首を振る。

 

「どのような生まれであれ。あたしが言いたいのは、人として、本質を見極められもしない人々が押し込められている学校という環境に問題があると感じている」

 

「本質……」

 

 クオンがトランプを捲る。全てのトランプが開き、クオンは纏めてシャッフルした。

 

「物事の本質を見極められない、という事は生きていてもそれは真実を見ていない、という事。たとえ答えが示されていてもそれを理解出来ない、分からないで済ませてしまう。あたしは人生を浪費していくつもりはない。人生は、もっと豊かなものであるはずでしょう?」

 

 クオンの言葉には一理ある。だが、そうだからと言って学校の人々を全否定するのはどうだろう。

 

「俺は、もう少し認めてもいいと思いますけれど。そりゃ、クオンさんがどのような境遇だったのかは分からないですし、俺に言える事なんて――」

 

 そこで言葉が途切れた。クオンはダイゴの唇に指先を当てていた。戸惑いを他所にクオンが告げる。

 

「敬語は不要。それにダイゴ。あなたはあたしの遊び相手になれと言われてきた。だったのならば、遊んで欲しいの」

 

 その時、ピンク色の光を放つ何かがクオンの背後から現れた。まるで姫君のような豪奢な姿が視界を流れていく。瞬時に消え失せたが、今のは、とダイゴが視線を巡らせようとするとクオンがトランプを取り落とした。そちらへと目を向ける。クオンが涙目でトランプを拾い集めていた。

 

「何を……、どうしたんですか……」

 

 今の物体が何かをしたのだろうか。ダイゴが怪訝そうに見守っているとクオンは涙を拭いて、「あのね」と口にした。

 

「あたしは敬語が不要だと言ったはず。だから、あなたは今、ルールを犯した」

 

 何の事を言っているのだろう。ダイゴが困惑していると眼前に降り立ってきた影があった。ピンク色のダイヤを頭部に据えた存在だった。姫君のように清楚な白い表皮とスカートの下には岩の身体があり、浮遊している。ダイゴがそれに目を奪われていた。

 

「何だ、これは……」

 

「らら。ダイゴ、あたしは敬語が不要だというルールを設け、あなたはそれに逆らった」

 

「何の事を――」

 

 遮ったのは目の前の存在が両手を伸ばして首を引っ掴んできたからだ。徐々に絞め付けられ呼吸が苦しくなってくる。

 

「このような事は、もうないわよね?」

 

 確認の声に、「だから何を」と声にしようとする。クオンは短く、「答えて」と要求した。

 

「あたしに従うか、それとも逆らうのか」

 

 ダイゴにはわけが分からない。だがこの状況、逆らえば命が危ういだろう。ダイゴは首肯する。

 

「従、う……」

 

「分かったわ」

 

 クオンの声に目の前の存在から力が抜け、舞い遊ぶように浮遊する。ダイゴは咽込みながら、「それは……」と視線を向けた。

 

「あたしのポケモン、ディアンシー。DI、AN、CIE。世界一美しいポケモンと言われている」

 

「ポケモン。君は、ポケモントレーナー?」

 

「そう。あなたも持っているのね、ポケモンを。でも今はどうしてだかモンスターボールがないようだけれど」

 

 クオンの声にダイゴは問い詰めた。

 

「何なんだ、君は。どうして俺を殺そうとした?」

 

「殺す? それはとんだ認識違い」

 

 ダイゴが戸惑う。今の行動は殺害衝動でなければ何なのか。クオンは息をついて、「今のはルールが犯されたから」と説明した。

 

「ルール?」

 

「そう。あたしが決めた本質を見極める人間かどうかを確かめるルール。あなたがもし、物事の本質を見極められないのならば生きていたところで仕方がないでしょう?」

 

 その言葉に怖気が走る。それだけで、今、自分は殺されかけたのか。唾を飲み下すと、「ルールは単純明快」とクオンが告げた。

 

「本質さえ分かればいい。そうでなければここで潰える」

 

 ディアンシーと呼ばれたポケモンが両手を突き出す。ダイゴは咄嗟に腰のホルスターに手をやろうとしてダンバルがいない事に気づいた。抵抗すら出来ない。クオンは舞い遊ぶように口にする。

 

「らら。ディアンシー、ダイヤストーム」

 

 直後、ディアンシーの両手から宝玉の群れが放出され、ダイゴの視界を覆い尽した。

 



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第十六話「学園都市の闇」

 

 人体を解析し、解剖する施設、というのは背徳的美しさを持っている。

 

 サキにはそう感じられた。どうしてだか青く仄暗い夜を連想させる廊下、霊安室の無機質さ。既に死した人体が収められているであろう個室の数々。サキにとってはあまり好ましくはない。だが美しい、という感情と好ましいと言う感情は分別されて考えられるべきである。

 

「こちらへ」

 

 目の前の小太りの医師がそう促す。サキは警察とは疎遠の研究施設を訪れていた。とはいっても大学病院を設えており、それなりの規模もある。違うのはその研究成果がほとんど国に還元されるのではなく、個人の利益としてもたらされる点だ。

 

 大企業デボンコーポレーションを抱く学園都市。その中にはもちろん、複数の大学が点在している。だが皆が皆デボンの支配を快く思っているわけではない。中にはデボンから離れたくても離れられない関係性の大学病院がありここもそうである。しかし、サキのような警察関係者が訪れ、個人的に解析して欲しいと頼めばそれは話が別だ。袖の下を渡し、別途報酬もきちんと提示してからサキは書類に拇印を押した。いわば裏取引。このような危険な矢面に立たせる事を博士や捜査一課が承諾するはずもなく、完全な独断専行だった。しかしどうしても知らねばならないのだ。彼――ツワブキ・ダイゴについて。

 

「遺伝子サンプルの解析結果はすぐに出ますよ」

 

 サキがダイゴに頼んで取っておいた口中の組織。それを解析し、分析にかけているのだという。サキはある仮説を立てていた。

 

「その、つかぬ事をお聞きしますが、既に死んだ人間の遺伝子と合致させる作業というのは出来ますか?」

 

「あなたの提案した、初代ツワブキ・ダイゴ、との遺伝子の結果ですよね」

 

 先んじて話した内容を医師は繰り返す。椅子に座り、医師はカルテを参照した。

 

「何分、四十年前の人間と今の人間を照合させるのは難しいですが、初代ツワブキ・ダイゴに関しては別です」

 

「何故?」

 

「彼の功績はこのホウエンでは素晴らしい。なので大学病院一つにつき一つ、彼の遺伝子サンプルとホルマリン漬けの身体の一部があります」

 

 それは初耳だった。サキが驚愕していると、「不思議ですか?」と医師が尋ねる。その表情にはどこか読めない笑みがあった。

 

「……ええ。自分でも駄目もとでしたから」

 

 四十年前に隆盛を誇り、正確には二十年前に死亡したカントーの王、初代ツワブキ・ダイゴ。彼の身体はならば細切れにされたと言うのか。その事実に怖気が走った。医師が、「うちの病院では彼の右腕が、綺麗な状態で保管されていますよ」と続ける。刑事とはいえ女性の前であまりいい趣味の男とは思えなかった。

 

「気分が悪いので?」

 

 医師が問いかける。わざとらしい言葉にサキは淡白に、「いえ、大丈夫です」と答えた。どうせこのような手合いは相手の反応を見るのが楽しいのだ。医師は、「そうですか」と少しばかり残念そうである。

 

「というわけであなたの提示した遺伝子サンプルと初代ツワブキ・ダイゴとの照会は多分、すぐに済むと思いますよ」

 

 医師が電子カルテに表示されている内容を見やった。すぐに分かるのはありがたいがもし、ダイゴの遺伝子が初代ツワブキ・ダイゴと何らかの関係があった場合、自分はどうするべきなのだろうか。

 

 自分だけの秘密に留めるにはあまりにも奇妙な符号である。それに彼をダイゴと名付けたリョウの真意すら疑ってしまう。まさか、知っていてつけたのだろうか。あり得ない、と思う反面、もしそうならば、彼はいよいよ何者なのだ、という疑念が先に立つ。

 

「刑事さん、ヒグチ・サキさんでしたか」

 

 医師の声にサキは、「ええ」と頷く。

 

「ヒグチ家、といえばヒグチ博士ですが、そのご子息で?」

 

「娘です」

 

 そう答えると医師は大げさな身振りで、「まさか本当だとは」と言った。わざとらしい演技である。ふざけているのだろうか、とサキが感じていると、「予感というものは当るものですね」と医師は告げた。

 

「どういう意味です?」

 

「いや、予感というかこれはプライベートな話なのですが、今朝方家の郵便受けに一通の手紙がありまして。そこに書かれていたんですよ。簡潔に。ヒグチ博士の娘が来るだろう、ってね」

 

 サキは連中に先回りされた、という恐怖を背筋に感じる。だがどうして、と考えを巡らせるが答えは簡単だ。警察も信用出来ず、博士にも頼めない自分が行く当ては大方絞れてくるだろう。サキはここで慌てふためく事が逆に相手を増徴させかねないと冷静を保った。

 

「偶然でしょう」

 

「ですかね。ですがそこにはこうも書かれていましたよ。初代ツワブキ・ダイゴの身体を、警護しろ、と」

 

 今度こそ、サキは肌が粟立ったのを感じる。初代ツワブキ・ダイゴの身体の警護。それは確実にサキの行動が読まれている証拠だった。

 

「ですが、断りましたよ」

 

 医師がせせら笑う。サキは、「どうしてです?」と訊いていた。

 

「だって死体の警護なんてしたって意味ないでしょうし。それにたかが右腕ですよ? 初代ツワブキ・ダイゴの身体は八の部位に分かれて保管されています。そのうちの一つを盗ったところでどうするっていうんです? こちらにはきちんと遺伝子サンプルがありますし、別に大学病院の体裁を整えるためのものなど。損壊するとでも言うんですかね? 警察に届けようと思いましたが、ああ、これは釈迦に説法でしたかな」

 

 サキが警察だと今さら思い出したかのような言い草だった。だが嫌な予感が這い登ってくる。もし、連中とその手紙の投函主が別の相手だったら? そして、連中が危惧していたダイゴ抹殺のために動いている相手こそが、その手紙の主だとすれば。初代ツワブキ・ダイゴの死体の警護はただの警告ではない。

 

「これは、犯罪予告……」

 

 覚えず呟いていた。だが、死体を盗ってどうする? それこそ先ほどの医師の言葉ではないか。サキは前髪をかき上げる。医師が、「気分でも?」と顔を覗き込んできた。それを不快に思うよりも先に動かねば、という刑事としての使命感がサキを立ち上がらせた。医師が驚愕していると、「局長!」と声が飛んだ。看護師が息を切らして診察室へと入ってきた。

 

「君、何だね、ノックもせずに」

 

 医師が咎めると、「遺伝子サンプルデータが消えました」と看護師が告げる。医師が瞠目するがサキは思いのほか冷静に対処する。

 

「それって、もしかして今解析してもらっている……」

 

 看護師が頷く。

 

「ツワブキ・ダイゴのものです」

 

 サキは医師の当惑を他所に看護師へと問いを重ねる。

 

「教えてもらいたい。それは初代ツワブキ・ダイゴの右腕から取ったサンプルデータだな」

 

 確認すると相手は首肯する。ならば、とサキはさらに尋ねていた。

 

「その初代の右腕は?」

 

「地下倉庫に安置されているはずですが……」

 

 皆まで聞かずサキは駆け出していた。焦燥が胸を焦がす。まさか、まさか、と。

 

「……ツワブキ・ダイゴの右腕。何に使うって言うんだ」

 

 自分で口にしても答えは出ない。だが、今は動かねば。係員に道を尋ね、サキは地下倉庫の前に立った。

 

「鍵は?」と厳しい声音で尋ねると既に用意していた看護師から引っ手繰った。無理やり錠を開き、サキは扉を押し開ける。すると、中には様々な動物の標本があった。湿った空気が滞留しておりサキはその中で最も厳重に保管されている金庫を発見する。

 

「この中身が?」

 

 目で問いかけると看護師は頷く。サキは開錠も確認せずに観音開きの扉を開ける。すると、中には何もなかった。ホルマリン漬けにされているはずの右腕など、どこにも。

 

「ここに右腕があったのは?」

 

「つい先ほど確認しました。だって遺伝子サンプルを取るには、物がなければ……」

 

 覚えず言葉を濁す看護師にサキは習い性の声をかける。

 

「広域に連絡を。盗難事件が発生したと」

 

 これで自分の極秘行動はおじゃんだ。だがそれよりも不気味なのは、何故、右腕が必要だったのか。

 

「……私の裏を掻くつもりで右腕を持ち去ったのか? だがそれならば彼の組織を取る事さえも阻止したかったはずだ。遺伝子サンプルは依然としてある。照合を止めるため? だがあれほどの偉人だ。どこに行っても、もしかすると遺伝子サンプルくらいならば用意している病院があってもおかしくはない。どうして右腕なんだ?」

 

 どこまで考えても答えは出てこなかった。

 

 追いついてきた医師が、「あの!」と声を張り上げる。

 

「一応、照合結果は直前に出ています」

 

 医師の持ってきた電子カルテをサキは引っ手繰って見やる。そこに書かれていたのは「検体Aと検体Bは九十九パーセント合致」という文字だった。

 



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第十七話「試練」

 

「何が……」

 

 起こったのか。ダイゴは確かめようもない。攻撃を放たれた、とばかり感じて身構えた身体が弛緩する。降り注いできたのは大量の鉱石だった。それもただの石ころではない。重量のあるダイヤが床に散りばめられている。

 

「何のつもりなんだ、君は……」

 

 ダイゴの戸惑いをクオンは断じる。

 

「あなたは本質を見極められる人なのかどうか、そのテストみたいなもの」

 

「本質? 何を言っているんだ」

 

 ダイゴの質問を無視してクオンはリビングを横切る。後ろから手持ちであるディアンシーが輝きを誇りながらついてくる。

 

「物事の本質を見極められないのならば、それは死人と大差ない。ダイゴ、あなたは家族になるのならば必要な儀礼」

 

「これが何だって言うんだ?」

 

 ダイゴはダイヤの一つを手に取る。クオンが目を細め、「当ててもらう」と答えた。

 

「当てる……?」

 

「あなたの視界の中に、今無数のダイヤモンドがあるでしょう。でも、本物は一つしかない。その一つを見つけ出して」

 

 クオンの放った無理難題にダイゴは狼狽する。視線を落とせば床一面にダイヤがあり、それらの輝きはほぼ均等である。

 

「……馬鹿な。無理だろう」

 

 自分にはダイヤの見極めなど出来る経験がない。いや、もしかすると記憶がないだけかもしれないが、今の自分にはその経験値はゼロである。

 

「無理だと断じるのは勝手。でも、このゲームに乗らないのならば、あたしはディアンシーであなたを攻撃する」

 

「どうして……」

 

 ダイゴの当惑にクオンは紅い髪を指でくるくると巻きつけて、「らら」と口にする。

 

「物事の本質を見極められない人間は家族にいらないから。あたしの家族、つまりツワブキ家はみんな、この試練を乗り越えてきた。あたしもそう。ディアンシーはだからあたしのポケモンになった」

 

 試練。

 

 その言葉にダイゴは身が強張るのを感じ取る。今提示されているのは超えなければならない試練だと言うのか。

 

「どういう意味だって言うんだ? ダイヤモンドの見極めが何の?」

 

「ダイヤモンドの見極めも出来ないようでは、らら、家族になろうなんてそれは無理」

 

 ディアンシーがダイヤを精製しクオンの手に握らせる。クオンは掌でダイヤを転がしながら、「あたしの世話係になったんでしょう?」と聞き返す。

 

「ならば、遊んでくれるのは当たり前のはず」

 

 ダイゴは今置かれている状況を俯瞰する。相手はポケモンを出している。下手には動けない。ダイゴは息を詰めて、「ルールは?」と訊いていた。

 

「ルールが分からなければ一方的だ」

 

「そうね。一方的なのはゲームとは言わない。ダイゴ、先にも言った通りあなたの視界の中にあるダイヤモンドの中に一つだけ、本物がある。でも誰かにそれを問うたり、あるいはこの場から逃げ出そうとしたりでもすれば、手痛い罰が待っている」

 

「罰、だって……」

 

 ダイゴの当惑にクオンが顎でしゃくる。すると、膝から先の力が抜けていった。不意打ち気味の何かにダイゴは驚きを隠せない。

 

「何を、した」

 

「何をした、とはとんだ言い草。罰だと言ったはず。ディアンシーは岩・フェアリータイプ。フェアリーとは妖精の事。人知の及ばぬ存在。人体の神経系統を切るくらいは動作もない」

 

 まさか、今の動作だけで膝から下の神経が切られたとでも言うのか。瞠目するダイゴへとクオンは囁きかける。

 

「一時的に、よ。ディアンシー」

 

 呼びかけるとディアンシーが片手を振るう。それだけで脱力感が消え去り、膝から下に力が戻ってきた。

 

「今のは、あたし達がどれだけ本気なのかを示すためにちょっとだけ試してやったに過ぎない。でも、もし本当に間違えたら今の現象が起こると考えてもらっていい」

 

 ダイゴはクオンの襟元を掴み上げた。クオンは眉一つ動かさず、「痛いわね」と口にする。

 

「どうして俺を倒そうとする? もしかして、君もニシノの言っていた奴らの一員なのか? ツワブキ家は何を企んでいるんだ?」

 

「らら。質問の意味が分からないけれど、でも答える義務もないわよね。だってあたしは公平にルールを語った。そのルール間でしかあたし達の関係性は成り立たない」

 

 ふざけたルールの上で自分の感覚器を切られるとでも言うのか。ダイゴは、「付き合いきれない」と踵を返そうとする。だがクオンの声が背中に投げられた。

 

「いいの? 勝負を投げて」

 

「端から勝負にならない。俺にダイヤモンドを見極めるスキルはない」

 

「そう、残念」

 

 その言葉で右腕の感覚が失せた。瞬間的に消え去ったためにそれを認識するのが遅れたほどだ。だらんと力なく垂れ下がった右腕をダイゴは戦慄く視野に入れる。

 

「俺の、右腕を……」

 

「言ったでしょう? 罰が待っているって」

 

 ダイゴは歯噛みした。この状況、クオンはツワブキ家の企みを知っていて、その一環として自分を潰そうとしている。それは明白だ。だからこそ、ポケモンありでの勝負を申し込んだ。

 

 ダンバルがいれば、と考えてしまう自分を叱咤する。どちらにせよ、ルール上の攻撃しか有効ではないのだろう。ディアンシーと呼ばれたポケモンにはそれなりの威厳がある。ダンバルの突進攻撃だけが通用する相手とも思えない。

 

「俺が、きちんと本物を見極めれば、このゲームも終わるんだな」

 

 問い質すとクオンは首肯する。

 

「そう。別にアンフェアなゲームじゃないでしょう? 視界の範囲にあるダイヤモンド、そのどれかが本物の一個なのだから」

 

 どれかが、とダイゴは床に散らばったダイヤを眺める。どれも同じ輝き、同じように切り取られたダイヤに映るがどれかが本物なのだと言う。ピンク色の光を内側から灯すダイヤは神秘的だが今は性質の悪い冗談にしか映らなかった。どれも本物、いやもしくはそれ以上の輝きを誇るダイヤだ。どれかが本物で偽物だなんて区別をつけられない。

 

「これか、これ……」

 

 手に取って硬さ、重さを比べてみるがどれも同じだ。特別に軽いわけでも、重いわけでもない。ダイゴは苦渋の選択を迫られていた。

 

「さぁ、どうするの? 今手に取っているダイヤが本物?」

 

 震える視界の中でダイゴは一つのダイヤを差し出す。違いは全く分からないがどれか基準を示さねば本物と偽物を見極める事など叶わないだろう。ダイゴの手にあるダイヤにクオンは少しだけ首を傾げてから、「残念」と呟いた。

 

 次の瞬間、膝から下の感覚が消え失せていた。覚えずその場に膝を落とす形となる。

 

「そんな……」と喉の奥から声が漏れる。

 

「本質を見極めなさい。そうでなければあたしには勝てない」

 

 本質、とダイゴは胸中に繰り返し、左手でダイヤを探る。硬さ、重さ、あるいは輝き、それらを比べてみるも全く違いは分からない。

 

「本質だって……? こんなイカサマ紛いで……」

 

「心外ね。イカサマなど一つもないわ。視界に入っているダイヤのうち、たった一つだけが本物。口にしたルールにはいささかの間違いもない」

 

 だが、だとすればこの中に本物を探さねばならない。ダイゴは床に散らばったダイヤを見比べる。しかし一人では活路を見出せそうにない。

 

 周囲に視線を配る。誰かいないものか。だが、ツワブキ家はクオンと自分以外留守だ。首を巡らせるうち、ダイゴはテーブルの上にあるものを見つけた。ポケナビである。誰かが置いていったのだろう。もし、あれがリョウのものならば、サキの番号が入っているはずだった。

 

 どうにかしてサキへと連絡を取らねば。それしか自分に出来る活路はない。この状況を覆すにはサキの力が不可欠だ。だがクオンは自分を見張っており、下手な行動は出来ないだろう。膝から下も自由ではない。動けてもクオンに察知されずにテーブルまで行けるだろうか。

 

 しかしクオンとて持久戦の腹積もりではないはずだ。誰かが帰ってくればこの状態自体が瓦解しかねない。短期決戦。それはお互いにそうである。クオンからツワブキ家の秘密を探り当てるのと、この勝負に勝つには誰かが帰ってくるまでのリミットがあるのだ。

 

「一つ、問いたい」

 

 ダイゴの声にクオンは超越者の余裕さえ漂わせながら、「何かしら?」と訊く。

 

「もし、このダイヤ、一つとして本物がないとすれば、この博打は最初から無効になる。それを証明出来るとすれば?」

 

 ダイゴの言葉に、「それこそあり得ないわね」とクオンは無感情に返す。

 

「だって本物があるのだもの。言ったでしょう。ルールは先の通りよ」

 

 視界の中に本物がある、か。ダイゴは反芻しながらも床に散らばったダイヤモンドの中に特別な輝きを見出す事は出来ない。

 

 一つを手にする。ダイゴの掴んだダイヤをクオンが窺う。

 

「それが本物?」

 

 ダイゴはクオンへと差し出そうとして、そのダイヤをクオンの遥か背後へと放り投げた。突然の行動にクオンが面食らい、ダイヤの方向を目で追おうとする。それが好機だった。ダイゴは上半身の力と残った下半身の力でテーブルへと這いずる。テーブルの上のポケナビを手に取り咄嗟にコールを押そうとした。その刹那、指先の神経が麻痺してポケナビを操作出来なくなる。クオンが、「はまったわね」と口にしていた。

 

「それはあえて置いておいた罠よ。あなたがそれにすがり付こうとすれば、問答無用で罰が発生する。それはだってルール違反だもの」

 

 クオンの言葉にダイゴは声を返そうとしたが舌がもつれて全く喋れなかった。感覚器、それも会話という機能を奪われた。ダイゴは喉を押さえて必死に声を出そうとするがどれも呼吸音となって消えていった。

 

「大変な事になったわね。もう喋れないなんて」

 

 ダイゴは恨めしげな眼をクオンに向ける。クオンはしかし風と受け流した。

 

「そんな眼をしても無駄。あたしを睨んだところで感覚器が戻ってくる事はないし、この勝負を続けるしかないのよ」

 

 クオンはダイゴの手からポケナビを取り上げ自分の左手首にはめた。

 

「勝ちたければ考える事ね。どうやって本質を見極めるのか」

 

 クオンが指を一本立てる。ダイゴはそれを見つめた。

 

「あと一度だけ、チャンスをあげるわ。今度の失敗であなたは視界を失う。つまり、最早見極める事など不可能になる。そうなればもう一生、あなたはツワブキ家の、いいえあたしの奴隷よ」

 

 ダイゴは強く念じる。

 

 ――勝たねば。そうでなければ自分は一生前に進めなくなる。

 

 ダイゴは左手でダイヤを掴もうとするが指先が麻痺しているせいで滑り落ちていく。ようやく掴んだダイヤも今までと大差ない。本当に、この中に存在しているのか。その問いかけさえも出来ない。かまをかける事も出来ないのならばこの勝負、もう決着はついているのではないか。ダイゴは絶望的な状況に立たされた。どうやって本物を見極めればいい? 本質とは、一体何なのか。

 

「それが本物?」

 

 ようやく掴んだダイヤを見やりクオンが尋ねる。ダイゴは頭を振って否定する。床一面のダイヤを手で探るがどれも代わり映えはしない。このゲームに追い込む事、それ自体が罠ではないのか。ダイゴはそのような深い懐疑さえも抱いてしまう。ニシノの時と同じく、既に相手の優位に立たされている可能性。しかしクオンにペナルティが課せられる空気はない。このゲームはまだフェアなのだ。しかし次で終わる。視界が奪われれば今度こそ終わりだ。ダイゴは視界の中のダイヤを薙ぎ払った。どれも同じで、特別な本物があるとは思えない。しかし選ばねばならない。ダイゴはそのうちの一つに手を伸ばす。

 

「それが本物?」

 

 ダイゴはクオンへと這いずって近づいた。ディアンシーが吟味するように手を伸ばす。その手が触れられ、ダイヤモンドが一瞬、本物かと映った。

 

 しかし、ディアンシーは首を横に振った。

 

「残念ね、ダイゴ」

 

 次の瞬間、ダイゴの視界は闇に閉ざされた。

 



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第十八話「彼女の向こう」

 

「やっぱり、駄目だったのね。あなたには本質を見極める力がなかった」

 

 クオンが残念そうに口にする。だがこれでダイゴは手に入った。最早、目的は果たした、も同然だ。クオンが身を翻そうとするとディアンシーが鳴き声を上げた。

 

「ディアンシー?」

 

 振り返ったクオンの視界に映ったのは、両手を伸ばし、ディアンシーの頭部を掴んでいるダイゴの姿だった。修行僧のように頭を垂れ、ダイゴはディアンシーの頭部をがっしりと指をかけている。

 

「――答えは」

 

 ダイゴの喉から言葉が戻る。その顔が上げられ、確かな輝きを伴った双眸が向けられた。

 

「最初から、視界の中にあった。君は言ったな。〝視界の中のダイヤモンドのどれか一つが本物だ〟と。そうだ、勘定に入れていなかった。視界の中、だと言うのならば、ディアンシーの額にあるこのダイヤモンドだって入っていたんだ」

 

 膝から下の感覚器が戻ったのだろう。ダイゴは立ち上がり、ディアンシーから手を離してクオンに歩み寄った。

 

「君に勝ったぞ」

 

 その言葉にクオンは正直に微笑む。

 

「まさか、見極めるとはね」

 

 やはり自分の目に狂いはなかった。ダイゴは本質を見極められる人間であった、という事だ。素直に敗北を認める他ない。

 

「で、負けたあたしはどうすればいいのかしら?」

 

「どうも」

 

 答えたダイゴの声に今度はクオンが瞠目する番だった。ダイゴは、「これは対等な勝負だったんだろう?」と聞き返す。

 

「ええ、それは」

 

「だったら、俺の言う事を一つだけ聞いて欲しい」

 

「何?」

 

 内心、鼓動が早鐘を打っていた。ダイゴが言うべき事、それは一体何なのか。もしかしたら自分の家族の根幹を揺るがしかねない言葉かもしれない。

 

 だが、放たれたのは意外そのものだった。

 

「学校に行くといい。俺が出来たんだ。君の友達にも、本質を見極められる人間がいるはずだよ」

 

 思わぬ言葉にぽかんとする。ダイゴはしかし、奇をてらったわけでも、裏を掻こうとするわけでもなくダイヤを一つ手に取る。

 

「本物か、偽物か。そういうのって結構紙一重だと思うんだ。俺が最後の最後に答えに辿り着いたように、君だって最後の最後まで希望を捨てるべきじゃないと考える。高を括っていないで、本質を見極められるかどうかは自分の目でしっかり確かめるといい。俺は少なくともそういう向き合い方、大事だと思う」

 

 ダイゴの要求はツワブキ家の秘密を暴けでもなく、自分に逆に奴隷になれでもない。ただ学校に行けという素朴なものだった。クオンは思わず聞き返す。

 

「そんなので、本当に……」

 

 いいのか。ダイゴ自身、「俺だって聞きたい事は山ほどあるさ」と答える。

 

「でも、俺がまず命じられたのは君への世話係だ。任された役目は果たすよ。それが、まず第一歩となるはずだから」

 

 その言葉にクオンは苦笑を漏らす。

 

「完敗ね。ダイゴ、あなたはあたしの予想以上だった。本質を見極め、相手の心も動かせる」

 

「学校に行ってくれる?」

 

「ええ、行くわ。最初から決めつけてかかるもんでもないって教えてもらったからね」

 

 クオンの言葉にダイゴは、「俺が上から言える身分でもないんだけれど」と後頭部を掻いた。

 

「君は充分に魅力的だし、多分、人気者になれると思う。本質を見極めるのは、誰か一人でも友達を作ってからでも遅くはないんじゃないかな」

 

 ダイゴの飾らぬ物言いにクオンは嘆息を漏らした。ここまで言われればもう敗北以外の何者でもないだろう。

 

「じゃあ、あなたが友達になって」

 

 クオンの要求は意外だったのかもしれない。ダイゴは目を見開き自分を指差す。

 

「でも、俺は家族として迎え入れられたわけだし」

 

「血の繋がりはないわ。一つ屋根の下で男の子と女の子がそれって、結構犯罪級じゃない? そういうのに憧れているのよ」

 

 背徳的な関係。クオンが求めているのはそれだった。まず友達よりもそれが欲しい。ダイゴは少しばかり首をひねって、「俺は君の事を女の子として見ている」と口にする。その言葉はクオンにとっては満足いくものであった。

 

「うん、それで?」

 

「女の子と恋人は別だ。だから君の望む関係にすぐにはなれない。それだけは申し訳ない」

 

 ダイゴは真正直だ。しかしクオンは嫌いではなかった。この男がいずれ自分を必要とする。その時こそ、背徳の喜びが身体から溢れてくるだろう。今は、ダイゴの言葉を額面どおりに受け取ればいい。いずれ自分しか見られなくなるほどの自信はある。

 

「いいわ。今は家族として、あなたを見ましょう」

 

「俺も家族、というものが増えてくれて嬉しい。……俺には、ああいうのは無縁だと思っていたから」

 

 ダイゴは何を思い出しているのだろう。顔を伏せて口にした声音には一種の哀愁すら漂っていた。

 

「ツワブキ家の人間は、家族じゃないの?」

 

「俺は迎え入れられた。でも、そう易々と家族になれたとは思えない。それに、秘密もある」

 

 ダイゴが指差す方向へとクオンも視線を向ける。そこで、ああ、と納得した。

 

「兄様が禁じたのね」

 

「何があるんだ? リョウさんがわざわざ俺に言い含めるほどだ。何かあると考えるしかない」

 

「意外。そういうのには無頓着かと思っていた」

 

 クオンがクスクスと笑うとダイゴは顎をさすりながら答えた。

 

「無頓着でいたい。だけれど、わざわざ禁を作るって事は、俺に知られたくない何かなのだろう」

 

 暗に知らねばならない、と自身を諭しているかのようだった。クオンはダイゴの望みを叶える事が、自分の野望の一歩目だと考える。

 

「いいわ。兄様には内緒だけれど、あの扉の向こうへと行きましょう」

 

 その言葉が予想出来なかったのかダイゴは視線を振り向ける。

 

「いいのか? 君まで疑われれば」

 

「心配してくれるの? でも、あたしは大丈夫。ずっと家にいるから、どこに行っても何も言われないわ。あなたがその証拠を残さないなら、ね」

 

 ダイゴは渋い顔をして、「さっきの約束は」と口にする。

 

「分かっている。これからは学校に通うわ。でも今すぐじゃないでしょう?」

 

 クオンの茶目っ気にダイゴも困惑しているようだったが目的を違えるつもりはないらしい。二階にある扉を目にして言葉を発する。

 

「俺は、俺の事を知らねばならない」

 



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第十九話「失敗作」+第二十話「偉人」

 

 闇が凝っている。

 

 真空か、または深海を思わせるほどの静謐の中に存在するのは一人の呼吸だった。魚でも、ポケモンでもなく、人間であるはずのその者の呼吸はしかし、生命力が限りなく小さい。ゼロに近い生命へと歩み寄る気配があった。呼吸を中断し、その者は問う。

 

「――何奴」

 

 その問いに答えるべく前に出た人影は外套を身に纏っていた。監視カメラ対策か、とその者は勘繰る。

 

「随分とやつれておられますな」

 

 その声音は男にも思えるが女とも思える。老人のようで若人の瑞々しさも存在した。年齢の読めない声にその者は問いを重ねる。

 

「俺を、殺しにきたのか?」

 

 問いかけに、「まさか」と外套の人影が肩を揺すった。

 

「今のあなたは動けもしないはずだ」

 

 その通りである。その者はベッドに横たわった自分を自覚する。もう幾星霜の時が過ぎただろうか。呼吸と声が大別され、心臓の鼓動もほとんど刻む事はなくなった。死者のそれに近い自分の身体を持て余し、今や迫る死の足音に怯えるわけでもなくただ淡々とその時を待ちわびるだけだ。せめて人間の尊厳を保った終わりを。

 

「もったいない、と感じませんか?」

 

 外套の人物の言葉にその者は、「何が」と応じていた。最早自分の命に頓着する事はない。命はいずれ終わりを告げる。ならば、自分が死ぬ事に何ら特別性を見出せない。

 

「あなたとてDシリーズのはずだ。だというのに、ただ失敗作として世を去るのは」

 

 その言葉に瞠目する。Dシリーズ。それを知っている者は数少ない。自分の出自を知るものはこの世にはいないはずである。

 

「何者ぞ?」

 

 質問に相手は答えず布で包められた筒状のものを取り出した。視線をそちらに向け、「それは?」と尋ねる。

 

「あなたに足りなかったものです。Dシリーズとして、あなたは生を受けたにもかかわらず失格者の烙印を押された。ですが、これであなたもDの一員だ」

 

 布が取り払われ、それが明るみになった。真空袋に入れられたそれは黄色い液体の中にある腕だった。人間の右腕だ。

 

「あなたにこれを移植します。そうする事であなたはDの一員として目覚める事が出来る」

 

「何が目的だ」

 

 今さら、自分に生きる事を促すなど。相手の酔狂な目的を知らねばならない。外套の人影は、「ただ一つ」と告げる。

 

「D015の抹殺を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚まし時計のベルが鳴り、ダイゴは身を起こした。

 

 夢を見ていたような気がするが滑り落ちていく砂のように儚く、記憶に留まらない。右腕へと視線を落とす。昨日、感覚器が奪われたが何の問題もなく機能している。何度か握ったり閉じたりを繰り返して感触を確かめ、ダイゴは用意されていた服飾に袖を通した。家政婦のコノハと言ったか、彼女が仕立てたのだろう。パリッと糊の利いたスーツは同じものだがクリーニングが行き届いており清潔だ。赤いネクタイを締め、ダイゴはリビングへと階段を降りた。途中、リョウが気づいて声をかける。

 

「おう、早いな。ダイゴ」

 

 気安いその言葉にダイゴは、「ええ」と答えた。

 

「ずっと朝早く起こされていましたから」

 

「何だよ、嫌味か?」

 

 留置所での生活の事だったので警察関係者であるリョウにはそう聞こえても仕方がない。ダイゴは、「いえ」と首を振る。

 

「お陰で規則正しい生活が身について助かっています」

 

「まぁ、オレ達だって暇じゃないからな。出来ればきちんと朝起きて、夜眠ってくれるのがありがたい」

 

 リョウはダイゴの肩に手を置いてぽんぽんと叩く。ダイゴは朝食の並べられているテーブルへと歩み寄った。

 

「ダイゴ!」

 

 そう呼びつけたのはクオンだったが服装が違う。黒いカーディガンを身に纏っており、髪の毛と同じ色の紅いスカートを履いていた。その姿に驚いたのはダイゴだけではないらしい。リョウと既に朝食を取っていたイッシンまでも目を見開く。

 

「クオン……、お前」

 

 その格好、と口にしようとした二人へとクオンは舞い遊ぶようにくるくると踊りながら、「変かしら?」と尋ねる。

 

「久しぶりの制服だから」

 

 二人して次の言葉を繰りあぐねていたがダイゴだけがきちんと頷いた。

 

「うん、似合っている」

 

「ありがとう」

 

 クオンは鼻歌を口ずさみながら朝食の席につく。リョウが、「おい、ダイゴ」と囁きかけた。

 

「何でしょうか?」

 

「何でしょうかって、これはどういう風の吹き回しだ? お前、クオンに変な事をしたわけじゃないだろうな? 妙なクスリを飲ませたり……」

 

「あら、失礼ね兄様。ダイゴはあたしに気づかせてくれたのよ。学校に行くのも大事だって」

 

 リョウが呆けたように口を開けている。イッシンが、「そ、そりゃそうだが……」と同じようにダイゴを見やった。二人分の疑念の眼差しにダイゴは答える。

 

「学生の本分は勉強です。俺は、クオンちゃんを説得しただけですよ」

 

「そんな馬鹿な! オレ達が何度言っても聞かなかった事を、お前が一日でやったなんて……!」

 

「兄様。ダイゴはとてもいい方よ。この家に連れてきてくれてありがとう」

 

 妹からの何のてらいもない感謝にリョウは戸惑いを隠せない様子だった。ダイゴは涼しい様子で席に座る。

 

「朝食、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 

 その問いにイッシンが気後れ気味に、「お、おお」と答えた。

 

「そりゃもちろん。家族だもんな。リョウ」

 

 視線を向けられたリョウがばつが悪そうに目を逸らす。

 

「まぁ、な……」

 

 信じられないのだろう。クオンの変わりようは確かに今までの彼女を知っていたのならば異常に映るかもしれない。だが、自分とて命を賭けた戦いの後にようやく彼女を説得出来たのだ。理解してくれ、とは言わないまでもそれなりの苦労はあったと思ってもらいたい。

 

 コノハがベーコントーストとスクランブルエッグを調理して持ってくる。ダイゴは、「ありがとう」とコノハの顔を見やった。コノハは無感情に会釈する。

 

「父様。あたし、今日から学校に行くわ」

 

「それならばきちんと定期代を持たせなければな。な? リョウ」

 

 この場で納得していないのはリョウだけだった。ダイゴを見やり、渋々と言った様子で承服する。

 

「……そうだな。ならば頼みがある。ダイゴ、二度目になるがクオンの通学路についていってくれないか?」

 

 クオンがトーストを頬張りながら、「あたしは一人でも大丈夫よ」と口にする。

 

「いや、久しぶりなんだ。それにダイゴだってこのカナズミシティをきちんと回っていない。クオンの通学を見守ってくれた後は好きにしてくれていい。今日の四時までに帰ってきてくれれば」

 

 リョウが、「それでいいだろ?」とイッシンに目配せする。イッシンは、「いいだろう」と首肯する。

 

「ダイゴもこの街の事を知らねばな」

 

 新聞を捲るイッシンにリョウは、「決まりだな」とダイゴに手を差し出す。

 

「妹をよろしくな」

 

 差し出された手をダイゴは握り返した。

 

「ええ。きちんとクオンちゃんを送り届けます」

 

 ダイゴはリョウの目を見返しながら昨日の事を思い返していた。その眼差しがつい昨日までとはまるで違う、何かを含んでいるように映って仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これから行う事は、もちろん、ツワブキ家の人達には内緒だ」

 

 クオンに言い含めると彼女は正直に頷き、口元をチャックする真似をする。

 

「もちろん。ダイゴ、あなたとあたしだけのね」

 

 真鍮製の取っ手は他の扉とは明らかに違う。何か、異様な気配を含んだ扉をダイゴは開いた。リョウが禁じていた部屋。何があるというのか。それこそ自分にまつわる秘密があってもおかしくはない。あるいはツワブキ家の本来の目的が。しかし、入るなりダイゴは拍子抜けした。その部屋は応接室だったからだ。

 

「何だ、この部屋……」

 

 テーブルを挟んでソファが二つある。艶のあるソファには掃除が行き届いているのがダイゴにも分かった。どうやら放置されているわけでもなく、定期的に清掃されているようだ。ダイゴはクオンが入ったのを確認し扉を閉める。鍵はかかる仕様ではないらしい。いざという時に閉じ込められる心配はないが、証拠が残らないだろうかとダイゴは懸念する。

 

「クオンさん。君のディアンシーで気配は探れる?」

 

 尋ねると、「ちゃん付けでいいわ」とクオンは応じた。

 

「年下だし。もう対等でしょう?」

 

 ダイゴはクオンの提案に頷き、「じゃあクオンちゃん」と呼んだ。

 

「この部屋、おかしなところは?」

 

「ないと思う。だって応接室だし。それ以外に聞いていない」

 

 壁一面には本棚がありいくつもの蔵書が並んでいる。

 

「本、か。虱潰しに調べるわけにはいかなさそうな量だな」

 

 足元から部屋の天井ギリギリまである。これらの本の中から重要な文書を見つけ出すのは困難だろう。

 

「リョウさん、君のお兄さんがよく読んでいる本とか分かる?」

 

 クオンは本棚を眺めて一冊の本を指差した。

 

「これとか、かな。ほら、他の本は埃を被っていたり、日に焼けたりしているのに、これだけが真新しい」

 

 言われてみればクオンの示した本だけは埃を被っていない。ダイゴはそれを手に取る。タイトルを声に出した。

 

「ツワブキ・ダイゴの半生?」

 

 自分と同じ名前が刻まれている本をダイゴは観察する。特別な装丁が成されており、ちょうど日記帳のように本の端はボタンで留められている。

 

「これ、そんな特別な本なのか?」

 

「あたしに言われてもなぁ。でも他の本に比べて、読んだ形跡があるのはそれじゃない?」

 

 クオンの観察眼が馬鹿にならない事はつい先ほどの戦闘で明らかだ。ダイゴはボタンに手を伸ばそうとして、「いや」と首を振る。

 

「クオンちゃん、君が取ってくれないか?」

 

 光沢のあるボタンに指紋が残れば不可思議だろう。クオンはそれを汲んだのか、「分かった」とボタンを外した。ダイゴは受け取ってようやく表紙を捲る。すると一枚の写真がひらりと落ちてきた。手に取ってダイゴは瞠目する。

 

「……何だこれは」

 

 クオンが覗き込んでくる。彼女も目を戦慄かせた。「これ……」とダイゴと写真を交互に見やる。

 

「ダイゴじゃない?」

 

 クオンの言う通りである。そこに写っていたのは玉座につく自分の似姿だった。傍らには秘書か側近か、一人の背の高い紳士が佇んでいる。玉座につく青年の髪型も、目つきも自分のそれだった。

 

「……何なんだ。この写真。これは誰だ?」

 

 写真を裏返す。すると日付が刻まれていた。

 

「四十年前の、二月十三日。戴冠式?」

 

 この写真の青年が誰なのかの記録はない。だが戴冠式、という言葉からやはり王なのだという確信は持てた。

 

「この写真は誰だ? ツワブキ家の人間なのか?」

 

 ダイゴは本のページを繰る。すると、最初のページに同じ顔の青年の写真があった。今の自分と同じような服装で、自分を見つめ返している写真の青年の下にはこう書かれている。「初代ツワブキ・ダイゴ」と。

 

「初代? 俺以外にもツワブキ・ダイゴが?」

 

「それ、きっとツワブキ家の最初の当主だと思う」

 

 クオンはダイゴの疑問に答える形で口を挟んだ。

 

「当主、って、じゃあ一番偉い人か?」

 

「うん。ツワブキ家は元々鉱石業で成功した家系なんだけれど、その中でも異端中の異端の、今のデボンコーポレーションの基礎を築いたのが、あたしのお爺様だって聞いた事がある。それがこの人なんじゃないかな」

 

 写真の青年、ツワブキ・ダイゴこそ、今のツワブキ家の祖先だと言うのか。しかし、ダイゴには疑問が多かった。

 

「どうして、俺と同じ顔をしている?」

 

 本に問いかけても答えは返ってこない。クオンが代わりに口にする。

 

「分からないけれど、ダイゴは、この家とは全くの無関係に預かられたわけじゃないって事なんだと思う。何の関連性もなく、その名前をつけられたわけじゃないのかも……」

 

 クオンの推理に、ならばこの名前をつけた人物は経歴を知っていた事になる。初代ツワブキ・ダイゴと自分との関連性を既知の上で、この名前を用いた張本人。それは――。

 

「ツワブキ・リョウ……」

 

 彼しかいない。彼は自分と初代ツワブキ・ダイゴが何らかの因果関係の中にある事を知っているはずだ。知っていて黙っていた。

 

「じゃあ、リョウさんは俺の事を予め知っていた? 俺が何者なのかを」

 

「あたしも勘繰れるわけじゃないけれど」

 

 クオンは独自に考えを巡らせる。

 

「兄様は秘密主義なところがある。あたしにまずダイゴをぶつけたのは、何の計算もなしだとは考えられない」

 

 つまりクオンによって無力化される事さえも考えのうちだったという事か。ダイゴは本のページを繰った。初代ツワブキ・ダイゴに関する様々な情報が書かれているが少しの時間で読み解ける内容ではない。

 

「これ、この一冊だけな事はないよな?」

 

 その段になってクオンも思いついたらしい。

 

「そうだよね。なにせ偉人だもん。これがオリジナルだとしても、何冊か世に出ているはず」

 

「ホウエン、特にカナズミのツワブキ家からしてみれば稀代の偉人。必ず。どこかに原本ではない、写本が残っているはず」

 

 クオンは頷き、「あたし、学校で調べてみる」と口にした。その提言にはダイゴも驚きだった。

 

「でも、危険が伴うし……」

 

「せっかく学校に行くんだもの。それぐらいの役には立ちたいわ」

 

 クオンが探りを入れれば自分を抹殺しようとする一派に狙われる可能性がある。ダイゴは出来るだけ他人を巻き込みたくなかったがここまで来ておいてそれも水臭いか、と感じた。

 

「……分かった。でも調べるのは、この本が流通しているのかどうか、それに留めて欲しい。あまり深入りしないように」

 

「分かってる。あたしだって怖いし」

 

 クオンは頭が悪いわけではない。きっと引き際くらいは心得ているだろう。

 

「俺が何者なのか、この本がきっかけになる」

 

 ダイゴは本棚に本を戻す。このきっかけをどう活かすかは自分次第だ。だが自分とクオンだけでは限界が生じるのは目に見えている。

 

 ダイゴは会わねばならない人間がいると感じた。自分の味方になってくれる、この世界で何よりも頼りになる人間に。

 

 



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第二十一話「導き人」

 

 クオンを送り届けるのにそれほど時間はかからなかった。

 

 なにせ学園都市だ。クオンの通う高校はすぐに見えてくる。肩を並べながらクオンが紅い髪を指に巻いて尋ねる。

 

「ねぇ、ダイゴ。兄様に全くかまをかけなかったのは、やっぱり考えがあっての事?」

 

 ダイゴはクオンを見やる。クオンが完全に味方だと断じる事は出来なかったが、自分のいう事はきちんと聞いてくれるだろう。当然、秘密も守ってくれるはずだ。

 

「俺にはリョウさんを叩いてもぼろが出るとは思えない」

 

 それはニシノの経歴も頭にあった。公安、それと同じ場所に所属しているリョウが何も知らないはずがない。ニシノの事はあえて他言しなかったが秘密基地で起きた凶行も目的の内だと考えるのが筋だった。

 

「そりゃあね。あたしも兄様がそう易々と話すとは思えない。でも一度でも聞いてみれば? もしかしたら思わぬ収穫があるかも」

 

 クオンの言葉は希望的観測だ。それは家族が自分に関わる事で重大な秘密を抱えているかもしれない、と考えるよりかは精神衛生上いいだろう。

 

 だが確固とした疑念がある。リョウは信用出来ない。クオンにさえも話す事は危ういと感じている。この状態で信頼出来る人物は少ない。

 

「クオンちゃん。ポケナビを持っているよね?」

 

 問いかけるとクオンは左手首に巻いたポケナビを掲げて首をひねった。

 

「持っているけれど、何?」

 

「かけて欲しいところがあるんだ」

 

「いいけれど、あたしの知らないところにかけないでよ。通話履歴から怪しまれるかも」

 

「大丈夫。君の知っているところだ」

 

 ダイゴの声にクオンはポケナビを操作して尋ねた。

 

「……いいけれど、どこにかけるの? 番号は?」

 

「通話先は、ヒグチ家だ」

 

 その言葉にクオンが硬直する。ダイゴの顔を見やり、「どうしてヒグチ家に?」と訊く。クオンからしてみれば疑問なのだろう。ダイゴは正直に話す事にする。

 

「君も知っての通り、俺のポケモン、ダンバルはヒグチ博士の手にある。君に全く抵抗出来なかったのは何もルールだけの話じゃない。ダンバルを取り戻さねばならない。それが俺の抵抗の第一段階」

 

 何よりもヒグチ博士が自分に関わるものを持っていれば危険が伴うだろう。それはサキにも言えた。自分の事を今も調べているに違いないサキに連絡を取る。それにはまずダンバルの確保と博士の協力が不可欠だ。

 

「第二段階は?」

 

 クオンの疑問にダイゴは、「君には教えたくない」と答える。当然、クオンは苦い顔をした。

 

「あたしには教えられないってどういう事?」

 

 問い詰められるだろう、と想定しての言葉だった。ダイゴはきちんと説明する。

 

「君は俺の味方になってくれているとはいえツワブキ家の人間。最後の最後に人質に取られればお終いだ。それに君にもしもの事があったら俺の心は耐えられないだろう」

 

 クオンは暫時呆気に取られていたが、少しだけ頬を紅潮させた。

 

「……あたしの事、心配してくれているの?」

 

「当然だろう。俺が何者か知るのに、これ以上危険を冒させたくない。これはあくまで俺の問題なんだ」

 

「でも、ヒグチ家は巻き込むんだ?」

 

 クオンが腕を組んでダイゴを窺う。「それに関しては言い訳出来ないな」とダイゴは返した。

 

「出来れば俺だって博士やサキさんを巻き込みたくない。でも、ダンバルを取り返すだけでももしかしたら相手は強攻策を取ってくるかもしれない」

 

「兄様が、そこまでするって言うの?」

 

 クオンからすれば実の兄だ。そこまでしてダイゴを排除したいとは考えたくないのだろう。しかしダイゴからすればリョウは最も脅威となる人物に映った。

 

「俺の経歴なんてないも同然、紙切れ一枚だ。リョウさんが全てを管理している以上、俺が即座にツワブキ家から排除される可能性もあるんだ。俺だけならばまだいい。でも、誰も巻き込みたくない」

 

 そのために力が必要だ。ダンバルさえあれば、という楽観主義ではない。しかし武器も持たずに突っ切るのは危険だ。

 

「……分かった。ダイゴはあくまでもダンバルを手に入れたい、っていう目的なら」

 

 クオンがヒグチ家をダイヤルする。ダイゴは素直に頭を下げていた。

 

「ありがとう」

 

「水臭いって。一蓮托生でしょう。もう、あたしだって覚悟決めているんだから」

 

 クオンの声に心強くなる。だが、クオンに求めているのは本が流通しているかどうかまで。それ以上をこの少女に課してはならない。この十字架は自分だけで完結させねば。

 

「あれ? ダイヤルしているけれど誰も出ない……」

 

 クオンの声にまさか、という思いが募る。既に手が回っているのか。網膜の裏で傷ついたヒグチ家の人々が映り、目を強く瞑った。その時である。

 

「あっ、出た。もしもし?」

 

 どうやらただ単に対応が遅かっただけらしい。ダイゴは安堵の息をつく。

 

『クオンちゃんかい? うちに電話なんて珍しい』

 

 博士の何も変わらぬ声だ。まだ自分を抹殺しようという一派の手が回っていないらしい。

 

「クオンちゃん。俺に代わって」

 

 ダイゴが自分を指差すとクオンが左手のポケナビをダイゴに近づけた。ダイゴは声を吹き込む。

 

「俺です。ツワブキ・ダイゴです」

 

 今となってはこれを名乗る事さえも滑稽だが、自分にはこれ以外に名乗る名前がないのだ。博士が怪訝そうな声になって、『ダイゴ君?』と尋ねた。

 

『どうしたんだ? 何かあったのか?』

 

「いえ、俺のほうには何も。それよりも博士、ダンバルはどうなりました?」

 

 すっかり忘れていたのか、博士は、『ああ、そうか』とようやく理解したようだ。

 

『君の手持ちだったね。あれから随分と色んな手段を講じたがやはり君の正体に繋がる物証は何も出なかったんだ』

 

「そう、ですか……」

 

 それは落胆する事実でもあったが、同時にヒグチ家が安全だと言う証明にもあった。自分に関する何かを掴んでいれば博士やマコにも危険が及びかねない。

 

「これからダンバルを受け取りにいきます。あの、サキさんは?」

 

 サキに本の事と初代ツワブキ・ダイゴの事を話せれば心強い。しかし、博士は、『ああ、サキなら昨日から帰っていないね』と答えた。

 

「帰っていない?」

 

『もう一人暮らしの部屋に戻ったって言っていたかな。実家に顔を出したのは一昨日だけだよ。もう巣立った娘の事だし、あんまり気にしないようにしていたんだが』

 

 サキに何か、と訊いてきた博士にダイゴは答える。

 

「いえ、何でも……」

 

 サキは博士に新たな情報を話していない。それは自分に関する事実が行き詰ったか、あるいは身内にすら話せない状況に立たされたかのどちらかだ。

 

『サキの連絡先、教えようか?』

 

 博士の言葉はありがたかったがこれはクオンのポケナビだ。どうするべきか、と考えあぐねているとクオンが鞄からメモ帳とペンを取り出した。無言で小突いてメモするように忠告する。唇だけでありがとうと礼を言ってダイゴはメモの準備をする。

 

「博士、じゃあ教えてもらえますか?」

 

 博士の口からサキの番号が口にされ、ダイゴはメモを控えた。これでもしもの時の備えは出来た。

 

「じゃあ今から伺います。俺が行っても大丈夫ですか?」

 

『ああ、問題ないよ。ダンバルを渡すだけならば五分もかからないだろう』

 

「では後ほど」

 

 クオンが電話を切り、ダイゴへと言葉をかける。

 

「あたしは学校に行って調べるけれど、ダイゴ、どうするの? ダンバルを受け取った後は」

 

 それは思案の内に入れておくべきだろう。のこのことツワブキ家に戻っていいものか。自分に出来る事をするべきではないのか。

 

「俺は、ダンバルを受け取った後、サキさんに出来れば会う」

 

 その決意にクオンが首を傾げる。

 

「何でサキさん? 警察に関わればまずいんじゃ?」

 

 それはリョウを警戒しての事だろう。しかし、サキは信じられる。この世で唯一、自分の身の上を任せられる存在に思えた。

 

「サキさんならば、俺を導いてくれる気がするんだ。だから任せる」

 

 ほとんど自分の勘に違いなかったがクオンは、「そっか」と頷いた。

 

「ダイゴがそこまで信頼を寄せるならサキさんは別かもね」

 

 引き際が意外でダイゴは声にする。

 

「……引き止めないんだ?」

 

「サキさんは、まぁあたしも一目置いているしなぁ。あの人、ディアンシーの試練を一発でクリアした稀な人だから」

 

「一発で?」

 

 ダイゴは瞠目する。クオンは事もなさげに、「そうなんだよねぇ」と腕を組んで渋い顔をする。

 

「ダイゴにしたみたいな、ペナルティなしのお試しみたいなものだったんだけれど、サキさんは一言だけ言ったの。『そこにあるでかいダイヤモンドは勘定に入れるのか?』って。もう負けだよね」

 

 クオンが肩を竦める。サキの審美眼が当てになる事がクオンを通して明らかになった。これでより、サキと合流する必要性があるだろう。

 

「じゃあ、俺はサキさんと会うから」

 

 クオンと別れ際に言葉を交わし合う。クオンは言い含めた。

 

「気をつけなよ。門限は四時。つまりそれまでに帰らなければ怪しまれる」

 

「分かっている。俺も、そうそうカナズミをほっつき歩いて回るほどの豪胆な人間でもないし」

 

 リョウとの約束通り、四時までに帰らねば。クオンが手を振って高校に向かう中、ダイゴはヒグチ家に向けて歩き出した。ヒグチ家に向かった時に見た街並みを参考にしてダイゴは歩みを進める。学園都市という話は伊達ではなく、そこらかしこに監視カメラや学生優待の店が軒を連ねている。

 

「おちおち逃げる事も出来ない、か」

 

 呟いてダイゴはヒグチ家を視界に入れた。さすが二大豪邸だ。ヒグチ家はすぐに見つかった。

 

「ダンバルをもらうだけだし、さっさと済ませよう」

 

 周囲は既に住宅街に入っているせいか少しだけ道が狭まっている。生け垣が左右にあり、立派な松の木が視界に入った。それを眺めていると松の木を手入れしている庭師と目が合った。

 

「あっ、どうも」

 

 自分から頭を下げると庭師は、「どうも」と返事を寄越す。ダイゴは変わったところがないか尋ねてみる事にした。

 

「あの、ヒグチさんの家ってあそこですよね」

 

「ああ、そうだよ」

 

 ダイゴが指差す方向を庭師は確認する。

 

「ここいらで変わった事ってありませんでした?」

 

 もしかしたら既に魔の手が伸びている可能性がある。だが庭師は首を横に振る。

 

「いんや。変わった事といえば一週間ちょっと前にあったけれどあれっきりだな」

 

 庭師の意外な発言にダイゴは聞き返す。

 

「変わった事、あったんですか?」

 

「ああ、雨が降ったのに庭の仕事をやらされていたからよく覚えている。ヒグチさんのところから真っ直ぐに、あっちの方向だったかな。パトカーが走っていったよ。何台もね」

 

 庭師の証言にダイゴは渋い顔を向ける。

 

「パトカー? どうして?」

 

「こっちが聞きたいよ。何だったんだろうね。後から聞いた話じゃ何でも事件だったらしいが」

 

「事件って、どういう?」

 

「飛び降りだって、小耳には挟んだけれど」

 

「飛び降り……」

 

 そこでダイゴはハッと思い至る。一週間ちょっと前と言えば、自分が拘留された時期と重なるではないか。

 

「飛び降り……、俺が捕まった時、何か事件があったのか?」

 

 呟いていると、「大丈夫か。あんた」と庭師が声をかけてきた。

 

「少し顔色悪いぞ」

 

「いえ、お構いなく」

 

 ダイゴは追及の視線から逃れるようにヒグチ家を目指す。自分の逮捕と同時期にこの周辺で起こっていた事件。その犯人だと自分は目されていたのかもしれない。だとすればどういう事件が起こっていたのか。知る必要がある、とダイゴは感じた。

 



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第二十二話「二体のポケモン」

 サキは手に入れた資料を二つ、重ね合わせるように眺める。デスクに並んだ二つの資料は全くの無関係の事柄でありながら、自分へと追随するように出現した事実でもある。

 

「彼と初代ツワブキ・ダイゴは九十パーセント以上の確率で同一人物。それに、遺伝子サンプルとして保管されていた右腕の消失。偶然とは思えない。それに」

 

 視線を移す。もう一方の資料に手書きでメモされた三つのキーワード。「メモリークローン」、「D015」、「初代ツワブキ・ダイゴ」。

 

「やはりツワブキ家は何かを隠しているんだ。だが、それが何なのかは皆目見当がつかない」

 

 しかし絞れるだけは絞れた。恐らくそれは初代ツワブキ・ダイゴに関する事に間違いはないのだ。だが頭の中でこんがらがってくるのは四十年前の偉人がどうして現在進行中の事件に関係があるのか。サキはペンを手にして事実を羅列する。

 

「いいか? 四十年前、正確には二十三年前に死んだツワブキ・ダイゴ。彼はカナズミを代表する偉人で、デボンコーポレーションを興した人間だ。四十年前に玉座についた彼は二度防衛し、三度目に敗れた。敗北した彼は素直に王の職務を引き継ぎ、ホウエンへと戻ってきて家族を作り、今のツワブキ家の礎を築いた人物だ。そんな彼の遺伝子情報と合致する人物が、件の彼」

 

 サキは「ツワブキ・ダイゴ?」とメモする。便宜上、彼をツワブキ・ダイゴと呼ぶ事は賛成だが、そうなってくるとよりややこしい。

 

「つまり、初代ツワブキ・ダイゴと同じ遺伝子組成、同じ人間が四十年の時を経て再び現われたって? そんな馬鹿な」

 

 サキは可能性を棄却しようとするが、それにしては気になる要素が多い。どうして、リョウは彼にツワブキ・ダイゴを名乗らせたのか。そもそもツワブキ家が彼を所有するメリットは何だ?

 

「普通に考えればお荷物に他ならないツワブキ・ダイゴ。だが、ツワブキ家はどうしてだか彼を所有しようとした。……もしかして初代の身体を奪ったのもツワブキ家の手のものか?」

 

 そこまで考えて首を横に振る。ツワブキ家がどうして死んでホルマリン漬けになった過去の偉人の身体を、わざわざ危険を侵して回収する? それはあまりに不自然だ。

 

「初代の身体を狙っている人間と、彼を抹殺しようとしている一派、逆に彼を保護しようとしている組織、そしてツワブキ家、これらは別々の人々なのか? だとすれば、どうして大学病院から今の今まで初代の身体を奪わなかった? どうして保管させていた?」

 

 初代の身体が目的ならば早々に、それこそ捜査の手が及ぶ前に事を済ませればいい。だが、事態はサキが手を伸ばしたギリギリのところで行われた。つまり、それまでは初代の身体に価値などなかったと言える。

 

「何らかの原因が生じて、初代の身体、そのパーツを集めねばならなくなった。直近の原因と考えられるのはやはり……」

 

 先ほど書いた「ツワブキ・ダイゴ?」のメモに視線を落とす。彼の存在だ。彼が出現したから、連中は急がねばならなくなった。

 

「抹殺を講じている連中は、どうしてだか彼を恐れている。いや、敵視しているレベルか。だが何故だ? この理論だと彼がつい最近までは取るに足らない存在で、このホウエン、もしくはどこかの地方にいた事になる」

 

 抹殺対象を警察の手に落とすのはどう考えても不自然。それならば彼の移動中、それこそホウエンに来るまでを狙えばいい。あるいはあの日、あの雨の降る夜以前に彼の身柄を拘束すればよかった。

 

「……それが出来なかった? だとすれば彼は降って湧いたような災難という事になるが、そんな都合のいい話……」

 

 彼は恐らく見た目から二十歳前後と推定される。ならば生まれてから今までどうして殺されずに済んだのか。どうして今になって彼が抹殺されなければならないほどの脅威と化したのか。考えれば考えるほどどつぼにはまるような気がした。

 

「駄目だな。今の状況では情報が足りん」

 

 そう結論付けるほかない。サキはペンを指先で弄びながらこれをどう上に報告するべきかという考えを巡らせる。捜査一課、ハヤミ課長にどう言えばいいものか。

 

 そもそもハヤミ達を当てに出来る案件なのかの判断をせねばならない。場合によっては単独で、誰一人当てに出来ない戦いが始まる事になる。

 

「もちろん、リョウも、か」

 

 彼に関して一番知っていそうな人間だが、易々と情報提供というわけにもいくまい。抹殺する動きがある事も、彼を保護しようという動きがある事も伏せながら幼馴染と顔を合わせる事になるだろう。

 

「皮肉だな。引き合わせた本人が、一番厄介だとは」

 

 あるいはこれすらリョウは見越していたのか。サキは今の状況を打開するためにも彼の情報を少しでも多く集めねばと感じる。恐らくここから先は出たとこ勝負。彼に関する事を抹殺する一派か、自分か、あるいは保護する一派か。

 

 一手間違えれば待っているのは死だ。その渦中に飛び込む度胸があるのか。サキは目を瞑って深呼吸を二度して肺の空気を入れ替える。

 

「どちらにせよ、家族だけは」

 

 家族だけは犠牲にしてはならない。その意思が先に立ちポケナビを通話モードにした。博士へと電話をかけねば。サキがコールすると、『もしもし?』とすぐに出た。とりあえず手が回っていない事にホッとする。

 

「お父さん。早速だけれど聞いて。彼、ツワブキ・ダイゴの手持ちを私の管轄に回して欲しい」

 

 そうすれば必然的にダイゴは自分と接触を取る事になる。多くの事を聞き出さねばこの盤面は押し負ける。だが返ってきたのは意外そのものの声だった。

 

『うん? サキが言ったわけではなかったのか。ついさっき、彼が家に来ていたよ』

 

 その言葉にサキは思わず大声になる。

 

「どうして? 何が!」

 

 辟易したように博士は気後れした声を出した。

 

『……何がって。えっ、サキが忠告したわけじゃないのかい? 彼、手持ちがなければ危ないみたいな事を言っていたよ。てっきり、サキが彼に手を回してダンバルを引き取らせるように仕組んだのかと』

 

「私にそんな権限はないし……」

 

 サキは前髪をかき上げて部屋の中を歩き回る。誰が、彼にそのような行動を吹き込んだ? 思案を巡らせる間に、『ダンバルを調べていて分かった事が一つだけある』と博士は告げた。サキは足を止める。

 

「分かった事?」

 

『うん。彼には言っていないんだが、あのダンバルの血液検査をしたんだ。鉱物系統のポケモンの血液ってのは特殊でね。大体、構成物質が人間とは根本から異なるから当然血管も大きくなったり小さくなったりと様々。ダンバルは血管が大きかったから手持ちのキットでも検査出来たんだ。それで分かったんだが……』

 

 博士は何を言わんとしているのだろう。少しばかり声に迷いが受け取れる。

 

「何が分かったの?」

 

『その、な。ちょっと言いにくいんだが、ダンバルには磁力のある血液が流れていて、それは当然、人間の遺伝子組成とは根本から異なるはずなんだ。つまり、人間に見られる血液に必要な要素は、逆にポケモンには見られないわけ。だから、これはとても奇妙な事なんだが……』

 

「濁さないで言って。ダンバルの血に、何が?」

 

 博士は意を決したように咳払いする。

 

『ダンバルの血中に、僅かだが人間の血液中の成分が混ざっていた』

 

 それがどれほどの意味を持つのか、サキには咄嗟には理解出来ない。思わず、「えっ」と聞き返す。

 

『いや、これはあり得ない、というよりもあってなならないんだが……。明らかに血の入れ替えが行われた形跡がある。多分、人間の血とポケモンの血を、ごっそりと、入れ替えたんだろうね。で、当然ポケモンの身体であるダンバルはそれに耐えられないから自分の脳、ダンバルならば単眼に当たる部分だが、そこが指令を出す。ポケモンの血を造れ、ってね。だから今ダンバルに流れているのはポケモンの血が九割だが、一割程度、ほんの少しだが、人間の血があったんだ』

 

 サキはその事実の突き当たる帰結にハッとする。それはまさか――。

 

「ダンバルの体内に流れていた血が、人間のそれだって?」

 

『断定は出来ないよ。もしかしたら私の考えなんて的外れで……、いや、外れていて欲しいね。だって人間の血液とポケモンの血液をごっそり入れ替えるなんて、正気の沙汰じゃない』

 

 博士は電話越しでも頭を抱えているのが分かった。憔悴の声にサキは返す言葉もない。恐らくそれが分かった時点から、博士は隠し通していたのだろう。サキは確認の声を重ねる。

 

「ねぇ、お父さん。それって返り血とか、そういう不確定要素はあり得ないの?」

 

『そう思いたいが、あり得ないんだ。それこそダンバルが割れていたか、解剖でもされていたところに、人間の血が混ざり込まなければ。……これ以上はあまり考えたくないね』

 

 新たに分かった事実。ダンバルに人間の血が少しでも流れている。それは同時にとある事を想起させた。

 

「お父さん。彼、ツワブキ・ダイゴの血液検査を――」

 

『したよ。私もそれは考えた。だから、嫌な気分なんだよ。私の考え通りに、彼はポケモンの血が混ざっている』

 

 愕然としたサキは思わず机の上のキーワードを呟いた。

 

「……メモリークローン、D015、初代ツワブキ・ダイゴ」

 

『うん? 何だい? それ』

 

 怪訝そうな博士へと、「何でもない」と咄嗟に返す事が出来たのは我ながら僥倖だろう。ともすれば全て話してしまいかねなかった。

 

「お父さん、私、ツワブキ・ダイゴに、彼に会わなくっちゃ。今すぐにでも」

 

 サキはジャケットに袖を通す。スクーターのキーを手に博士へと問いかける。

 

「どこへ行ったの?」

 

 サキの質問に博士は、『だからサキの忠告だと思ったんだが……』と濁す。

 

『彼は、カナズミシティを回る、と言っていた。あと、時間があれば図書館に行く、とも』

 

「図書館……」

 

 それはまずい。サキは即座に感じ取る。彼が一人になれば、抹殺の派閥か、あるいは保護の派閥か、どちらかが動き出すに違いない。あるいは両方か。最悪のシナリオにサキは慌てて部屋を出てスクーターに飛び乗った。

 

「お父さん、彼が出て、何分経った?」

 

『お、おお、ちょうど三十分ほどかな』

 

 こちらの焦燥を引き移したような博士の声にサキは歯噛みする。

 

「間に合わない……!」

 

 アクセルを開くと同時にポケナビの通話を打ち切り、サキはカナズミシティを駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや?」

 

 先ほど見かけた庭師がいなかった。松の木はきちんと剪定されているので既に仕事は終わったのだろうか。ダイゴは博士からダンバルを受け取る事には成功したが、博士がずっと自分へと奇妙な目線を送っていた事を思い出す。そして何故だか血液を採取された事も。もしかしたら自分の出自に関わる事なのか、と博士に問い詰めたものの、「一応だから」と先延ばしにされた形だ。

 

「どっちにせよ、ダンバルは帰ってきたし」

 

 ダイゴは腰のホルスターに留めたボールを撫でる。ダンバルはどうしてだか手離したくない。普通のポケモンとトレーナーという関係以上に、まるで自分の身を引き裂かれるような感情がある。その感情の発生点は不明だが、恐らくは力を持たない事の恐怖だろうとダイゴは判じていた。

 

「もう庭木の剪定が終わるなんて、仕事が速いんだな」

 

 生け垣から内部を覗き見る。ヒグチ家やツワブキ家ほどではないが豪邸だ。恐らくはこうした上流階級は自然と軒を連ねるのだろう。ダイゴの視線の先には庭師の姿があった。庭師はどうしてだか家の内側を向いたまま、じっと身じろぎ一つしない。会話が弾んでいるのだろうか、と感じたがダイゴの耳には談笑の声は聞こえなかった。

 

「何も話していないのか。まぁ、庭師とお客の間柄ってそんなもんかな」

 

 そう感じていると不意に庭師の身体がこちらに向いた。ダイゴは目を見開く。庭師は何かに羽交い絞めにされ、今にも絞め殺されそうだった。ダイゴに気づいたのか庭師が手を伸ばす。

 

「助けて……」

 

 その声にダイゴは表から慌てて庭に入った。

 

「あんた……!」

 

 庭師だけではない。この家にいる人々は揃いも揃って同じような青い光に絡め取られている。今にも意識が落ちる寸前で固められており、生殺し状態だった。

 

「何をやっているんだ! ふざけているのか?」

 

 そのようなはずもなく、彼らの口から呼吸音と大差ない呻きが漏れる。ダイゴは咄嗟にホルスターからボールを抜き放った。

 

「誰かの、攻撃……!」

 

 自分に向けてのものだろうか、あるいはこの家の人間に向けての? ダイゴはかけられていた表札を見やる。プラターヌ、とあった。

 

「プラターヌ家……?」

 

 聞き覚えのない名前にダイゴが首を傾げる前に、青い光が鎌首をもたげダイゴを捕捉する。

 

「来るならば、来い。俺が目的ならこの人達を巻き込む事はないはずだ」

 

 ダイゴは緊急射出ボタンに指をかける。腕を交差させ、押し込んだ。

 

「行け、ダンバル!」

 

 モンスターボールから飛び出したダンバルが標的を睨み据える。青い光のうねりがダイゴとダンバルを視認したようにくねって突撃する。

 

「ダンバル!」

 

 ダイゴの声にダンバルが壁となった。鋼の表皮を念力が打ち据えるが微塵にも効果はない。

 

「エスパーの技か」

 

 この場にいる全員を一挙に締め上げるほどの念動力。それは並大抵のポケモンではないだろう。ダイゴは呼びかけた。

 

「出て来い。ポケモンか、トレーナーか」

 

 出てきたほうを始末する。戦闘態勢に自身を磨き上げたダイゴへと飛び出してきた影があった。跳躍した痩躯が屋根を突き破る。緑色の腕を鋭角的に折り曲げ、身を翻したそのポケモンは人型であった。身体の中央を赤い三角形が射抜いている。

 

 宙返りを決めて降り立ったそのポケモンへと青い光が重圧を伴って降りかかった。ダイゴは地面を抉り取る青い光の瀑布をその目に認める。どうやら緑色のポケモンは逃げているらしい。だが、どこへ、という疑問はある。

 

「あれが、敵じゃないのか……」

 

 青い光を操っているのは緑色のポケモンとは別個体のように思えた。しかし何と戦っているのか。緑色のポケモンは騎士のように直角的な肘を振り翳し、そこから紫色の波動を生じさせていた。

 

 ブゥン、と二重像を結んだ途端、その空間が切り裂かれる。どうやら緑色のポケモンは近接戦闘型のようだ。対して青い光は容赦なく緑色のポケモンを攻め立てる。緑色のポケモンは「テレポート」と高速移動を併用し、一時として同じ場所にいない。まるで一度でも捕捉されれば終わりだとでも言うように。ダイゴはその戦闘に割って入った。

 

「ダンバル!」

 

 ダンバルが青い光に向けて突進する。すると青い光が攻撃をやめ、ダイゴとダンバルへと首を巡らせた。

 

 その瞬間、緑色のポケモンが跳ね、ダイゴへと肘を突き出す。ダイゴは驚愕と共にダンバルを呼び戻した。自分と緑色のポケモンとの間に生じた斬激をダンバルが受け止める。

 

 辛うじて耐えたか、とダイゴが感じた瞬間、緑色のポケモンのすぐ傍の地面が陥没する。それだけに留まらない。陥没した地面から赤い顎が飛び出した。巨人の顎と見紛うほどの剥き出しの歯茎ががっとくわえ込む。何が行われたのか、ダイゴには一切分からない。ただその赤い顎は一撃必殺の鋭さを伴って先ほどまでダイゴのいた空間を噛み砕いた。もし緑色のポケモンが押し出してくれなければ自分の身体は今頃引き裂けていただろう。

 

「……助けてくれた? でも何で……」

 

 ダイゴが緑色のポケモンを見やる。騎士の威容を持つポケモンはダイゴを見下ろしていたが、何かの気配を察知したように天を仰ぐ。

 

 その視線の先にいたのは白色の小型ポケモンだった。黄色い頭部を有しており、とてもではないが戦闘用のポケモンには見えなかった。そのポケモンがその場を後にしようとする。ぐっと緑色のポケモンが歯噛みしたのが伝わった。白色のポケモンが消え去る。恐らく「テレポート」だろう。ダイゴは家の中を窺う。青い光はいつの間にか消え去っている。

 

「助かった、のか……」

 

 安堵に身体を休ませようとした瞬間、目と鼻の先を念動力を纏った肘が行き過ぎた。ダイゴが瞠目する。緑色のポケモンは自分に向けて攻撃を放っていた。その眼には先ほどまではなかった殺意がある。ダイゴは、「何で……」と戦慄く視線を向けた。緑色のポケモンは既に戦闘姿勢を取っている。このまま逃げ帰るわけにもいかないらしい。ダイゴは立ち上がり呼びかけた。

 

「お前、俺の敵なのか?」

 

 問いかけも虚しく踏み締められた一歩目で既に肉迫される。ダイゴは咄嗟に、「ダンバル!」と呼びつける。自分の思考と同期したダンバルが壁になって攻撃を防いだ。

 

「そうかよ……。だったら、俺が何者なのか、そっちが吐くまでやってやる!」

 

 誰が敵であろうと構うものか。ダイゴは鋭い光を相貌に湛えた。

 

 

 

第二章 了

 



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紛い物達よ
第二十三話「十五番目」


 

 剣戟が跳ね上がる。

 

 地面を抉り、土くれが舞い上がった。ダイゴは咄嗟に飛び退る。ダンバルが盾になってその追撃を防ごうとするがダンバルを押し切る形で緑色のポケモンが躍り上がった。宙返りを決め様に振るわれた肘からの波動。その思念の刃が突き刺さりかける。ダイゴは風圧に煽られながらも緑色のポケモンを観察する。

 

 右目に傷があり、そちら側の視力があるのか怪しかった。もしかしたら右から攻撃すれば通るかもしれない。ダイゴはダンバルを呼びつける。しかし愚直に攻撃を振るえばいいというわけではない。

 

「ダンバル、突進! 地面にだ!」

 

 ダンバルが推進剤を焚きながら地面に向けて直進する。土煙が舞い、相手のポケモンの視界を奪った。

 

「今だ! 右側から攻撃!」

 

 見えていないのならばこの攻撃は予期出来ないはず。ダイゴの確信に砂煙を引き裂いて突進したダンバルはしかし、受け止められていた。右手が振り上げられダンバルの攻撃を防いでいる。策は失敗したかに思われた。だが、ダイゴの目的は相手のポケモンの死角を狙う事だけではない。

 

「この距離で見切ったという事は、トレーナー本体がいるはずだ」

 

 近くにいなければ正確な動作の命令は不可能。ダイゴは周囲に首を巡らせる。家屋の中、あるいは道のどこか。ダイゴの視界には入らない。一体、どこから遠隔操作をしているのか。

 

「そう遠くないはず。思念で命令を飛ばすにせよ、俺を狙っているという事は、見える範囲でなければならない」

 

 視界の中のダンバルが突き飛ばされる。ダンバルの突進攻撃だけでは限界が近い。このままでは消耗戦を続けるばかりだ。何かきっかけがなければ。そうでなければこの戦い、決着をつける事すら出来ない。

 

「何とかして、エルレイドの攻撃を見切って懐に入らなければ……」

 

 その言葉にダイゴは疑問を発する。

 

 ――エルレイド?

 

 何故、自分はこのポケモンの名前を知っているのか。記憶を手繰るが初めて見るポケモンのはずだ。しかし、自分の中の何かがこのポケモンの名前を呼び覚ました。緑色のポケモンが肘を振るい上げてダイゴへと襲いかかる。ダイゴは思い切って口にしていた。

 

「やめろ、エルレイド!」

 

 その言葉に相手のポケモンの反応が鈍る。明らかに名前を呼ばれて狼狽している様子だった。エルレイド。このポケモンの名前はそれに間違いない。

 

「だとしたら、何故、俺はこいつを知っている?」

 

 自分の記憶に関係があるのか。ダイゴはエルレイドと向き合う。エルレイドは攻撃動作の途中で手を止めていた。攻撃するべきか否か、それを決めあぐねている様子だ。もう一度、名前を呼ぶ。

 

「エルレイド。俺はお前を知っている。それと同じように、お前も俺を知っているのか?」

 

 隻眼のポケモン、エルレイド。このポケモンが自分の過去に関係があるのか。歩み寄ろうとするとエルレイドが突然に自分へと飛び込んできた。突き飛ばされ、ダイゴは尻餅をつく。

 

 呻き声を漏らすとその視界の中に映ったのは赤い顎であった。またしても地面から出現したそれはエルレイドの身体を拘束しようとしている。エルレイドはテレポートで逃げようとするが追撃の青い光がエルレイドを突き飛ばした。赤い顎が噛み合わされる。ダイゴは先ほど消えたかに思われていた白いポケモンの攻撃であると判じていた。

 

「何で、諦めたんじゃ……」

 

 白いポケモンを視界の中に探そうとする。今の攻撃はエルレイドを狙っていたものではない。自分を狙っていたのだ。

 

「この場所に、自分を狙うポケモントレーナーが最低二人はいる。そしてどちらか一方は明らかに俺の敵だ」

 

 エルレイドが青い光を紫色の残像を引く刃で切り裂く。どうやら思念の刃は白いポケモンの放つ念力よりも上の攻撃らしい。容易く切り裂くが、すぐさま追従する攻撃がある。

 

 恐ろしく状況判断の早い敵だ。ダイゴはどうするべきか、考えを巡らせる。どちらに味方するのが正しいのか? どちらも自分をつけ狙っているように感じる。だが、どちらかに明確な殺意がある。ダイゴは咄嗟にダンバルを空間に走らせた。ダンバルが盾となったのは、エルレイドのほうだ。エルレイドを念力の網から守ったダンバルは鋼の身体を振るう。

 

「……少なくとも、俺の過去にエルレイドは関係がある。恐らくはそのトレーナーも。だから、生きて聞き出す。そのために俺はエルレイドを守ろう」

 

 ダイゴの言葉にエルレイドが掻き消える。どこへ、と首を巡らせようとするとダイゴの背後に立ち現れた。すぐさま肘を振るい落とし、ダイゴの背面へと肉迫していた青い念力の蛇を切り落とす。

 

「エルレイド……」

 

 ダイゴの声にエルレイドは主君を見つけたかのように傅いた。もしかしたら以前の自分と何らかの関係があったのかもしれない。だが聞き出すのは後だ。

 

「今は、この正体の見えない敵に対処しなければ」

 

 ダイゴは周辺に注意を配る。白いポケモンの姿は相変わらず見えない。意図して姿を消しているのか。あるいは射程外からの攻撃か。ダイゴの迷いを読み取ったようにエルレイドが駆け出す。青い念力を掴んだかと思うとそのまま引っ張り込んだ。念力の網が引き出され空間から白いポケモンが出現する。

 

「今だ!」

 

 ダイゴはダンバルへと突進攻撃を促す。ダンバルが空気を引き裂きながら弾丸のように白いポケモンへと突っ込んだ。白いポケモンの小さな身体が軋む。このまま押し切る。ダイゴの思惟を受け取ってダンバルが何度も間断のない攻撃を打ち込んだ。これで戦闘継続は不可能になる。ダイゴはそう確信したが視界に入ったのはダンバルの攻撃を全て紅葉のような掌で受け止めている白いポケモンの姿だった。小柄なその姿には膂力は全く期待出来ない。だというのに、ダンバルの捨て身にも等しい突進の猛攻を受け切った。ダイゴは瞠目する。

 

「何なんだ、あれは」

 

 白いポケモンがダンバルに手を添える。その瞬間、青い光が拡散しダンバルを突き飛ばした。ダンバルは推進剤を焚いて制動をかける。だがそれも虚しく追撃の思念で地面に叩きつけられた。

 

「ダンバル!」

 

 ダイゴの声にダンバルが身体を持ち上げようとするも抗い難い思念の重圧が相乗して降りかかった。トレーナーであるダイゴにまでその攻撃範囲が及び思わず膝を落とす。

 

「この、攻撃は……」

 

 恐らく重力を操っているのだろう。動きの鈍ったダンバルへとふわりと浮き上がった白いポケモンが攻撃を仕掛けようとする。ダイゴは手を振るった。

 

「ダンバル、どうにかして回避を。このままじゃなぶり殺しだ」

 

 しかしダンバルは全く身動き取れない様子である。白いポケモンが重力の範囲内に近づいてくる。直接攻撃を仕掛けるつもりだ、とダイゴが身構えた瞬間だった。エルレイドが駆け出して白いポケモンへと攻撃を浴びせる。

 

 肘から発生させた思念をまるで推進剤のように焚き、加速したエルレイドが両腕を扇のように振るって攻撃する。白いポケモンは咄嗟に防御壁を張るが、エルレイドはさらに接近して防御壁の内側へと入った。懐に潜り込んだエルレイドが全身をばねにして白いポケモンを打ち据える。ダイゴにはその技の名前がどうしてだか分かった。

 

「インファイト……、防御を捨てた捨て身の攻撃」

 

 何故、エルレイドのデータが分かるのか。ダイゴにはその正体不明の感覚よりもエルレイドが味方である事の安心感が勝った。エルレイドが白いポケモンを射程外へと引き剥がそうとする。ダイゴは手を薙いだ。

 

「ダンバル、重力は少し弱まったか?」

 

 ダンバルが浮き上がる。だが、どうする? 突進攻撃をしゃにむに続けてもあの白いポケモンには意味がない。恐らくはタイプ相性で不利なのだ。ならば、とダイゴは白いポケモンを見据える。突進攻撃をただ続けても意味がないのならば、別の策を練る。

 

「ダンバル、行けるか?」

 

 確認の声にダンバルが甲高い鳴き声を上げる。ダイゴは手を振るった。

 

「ダンバル、突進!」

 

 ダイゴの声にダンバルが推進剤を焚いて白いポケモンへと肉迫する。白いポケモンがすぐさま反応し、片手を翳した。ダイゴはその段階でさらに声にする。

 

「突進の対象は、そのポケモンの直下、地面だ!」

 

 ダンバルが偏向し、地面へと全身をかけてぶつかる。土煙が舞い上がり、白いポケモンの視野を遮った。今だ、とダイゴは声にする。

 

「エルレイド、今なら!」

 

 最初からダンバルの攻撃を期待したわけではない。エルレイドの必殺の一撃を打ち込ませるための隙を生じさせたのだ。白いポケモンには周囲の様子が分からない事だろう。エルレイドが土煙を掻っ切って紫色の残像を帯びる。肘を振り翳し、必殺の一撃が叩き込まれるかに思われた。だが、それを中断したのはトレーナーの声である。

 

「ジラーチ。不利だ、飛び退け」

 

 その声に白いポケモンが一気に後退する。瞬間移動を使ってその場に転移したのだろう。エルレイドの攻撃は空を切った。ダイゴはその声の主を認める。家屋の陰から現れたその姿に瞠目した。

 

「……何だ?」

 

 その姿はよく知っている。なにせ、その身なり。銀色の髪に黒いジャケットは自分の似姿に他ならなかったからだ。ただ一つ、瞳の色だけが違う。黄色い虹彩が自分を射るように眺めている。

 

「誰なんだ、お前は」

 

 ダイゴの声に相手は応じる。

 

「それを口にするのはお門違い、というものだが、どうやらお前がD015らしいな。十五番目の個体か。そして成功例でもある」

 

 



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第二十四話「一矢報いる」

 

 相手の声すら自分の声とほとんど同じだ。ダイゴは混乱してくる頭を抱えた。

 

「俺は、お前なんて知らない……。知らないはずだ」

 

 だというのに相手は自分を知っている。この奇妙な感覚にダイゴは戸惑った。相手は顎に手を添える。どうしてだか右手はギプスで固定していた。左手でダイゴを指差し、「知らないはずがないだろうが」と口を開く。

 

「しかし、ああ、そうか。お前は、今記憶がないのだったか。だがD015、いや、今はツワブキ・ダイゴか。ダイゴ、お前の記憶は決して戻る事はないだろうが、危険な芽を摘んでおくに越した事はない」

 

 ダイゴは狼狽する。相手は何者なのか、未だに答えは出ていないが敵であるという事は明らかだ。

 

「お前は、何者なんだ」

 

「D008、と答えてもお前には何の事だか分からないだろう。そうだな、簡潔に言うのならば、俺もまたツワブキ・ダイゴである事に違いはないのだから」

 

「惑わすような事を!」

 

 ダイゴがダンバルを操り相手へと突進攻撃を仕掛けようとする。それを遮ったのは白いポケモンだった。

 

「ジラーチ。サイコキネシスと重力を併用」

 

 青い光がジラーチと呼ばれたポケモンに纏い付き、ダンバルを絡め取ったかと思うと再び重力の洗礼が浴びせかけられた。ダンバルが身動きを取れなくなる。

 

「ダンバル!」

 

「悪い冗談のようだな。ツワブキ・ダイゴ。お前がダンバルを使っているなんて。D計画はまだ進んでいるのか。俺に接触した奴も、右腕だけ置いて情報を漏らさなかったが、お前が成功例だとすれば、もうD計画を進めずに済むのか?」

 

 ダイゴは歯噛みする。相手の意図が分からない。だが殺すつもりである事は明らかである。どうにかして逃げ出す算段をつけねば。

 

「お前の言葉は分からないが、俺を殺そうとしているのだけは分かった。何のつもりだか知らないが、俺はお前には殺されない」

 

 ダイゴの言葉に相手は鼻を鳴らす。

 

「口ではどうとでも言えるな。だが俺のジラーチを前に、ダンバルはまるで無力。これではお前の言葉のほうが妄言だぞ」

 

「妄言? それは……」

 

 地面が揺れる。その振動を感知したのか相手がジラーチの足元に目を向ける。ジラーチが遅れてその異変を察知する。

 

「どっちがかな? ダンバル、地面を破砕しろ!」

 

 地面から出現したのはダンバルだ。相手は、「どうして……」と呆気に取られている。

 

「重力とサイコキネシスでダンバルを絡め取ったつもりだろうが、ダンバルはそれを逆利用させた。地面に潜り込めば、お前らでも感知出来ないだろう。そして射程内だ」

 

 ダンバルが突進攻撃をジラーチに向ける。ジラーチは掌を掲げそれを防御しようとしたが、その前にダンバルが突進に回転を加え身体についた土を散弾の速度で弾き出した。ジラーチはその攻撃に狼狽した様子だ。土の弾丸が打ち込まれると明らかに今までとは違う反応を示した。

 

「地面が弱点……、それが分かればいい。エルレイド!」

 

 呼びかけられたエルレイドが駆けてきて肘を振るい上げる。今度の思念の刃はただ振るうのではなく地面にわざと抉り込ませ、土を混ざらせた。思念で土を付着させた刃はまさしく岩石の一撃に相当する。

 

「サイコカッターに土をつけて、即席の地面攻撃だと……!」

 

 相手が瞠目する。その身体へとダンバルの突進が叩き込まれた。ジラーチがダンバルの攻撃を受け止めるがエルレイドのサイコカッターが入る。その衝撃波で相手がよろめいた。

 

「そのまま掻っ切れ!」

 

 ダイゴの声に相手が舌打ちを漏らす。右腕のギプスを引き裂き、あろう事かその腕を膝で破砕した。

 

「ここまで追い込んだ事は褒めてやろう。だからこそ、俺も右腕を使う」

 

 ダイゴにはその行動の意図が分からなかった。露になった右腕はくすんでおり、無理やり縫合されたのか痛々しい縫い痕が刻み込まれている。右腕にはナンバリングが施されており、何らかの文字に映ったがそれを確認する前にジラーチの攻撃が放たれた。

 

「ジラーチ、破滅の願い」

 

 ジラーチが手を振るう。その瞬間、ダイゴの足元に赤い円が光を伴って刻まれた。咄嗟に飛び退く。すると、出現した赤い顎がダイゴのいた空間を噛み砕いた。怖気が走る。先ほどまでエルレイドがその攻撃の危険性を訴えるように突き飛ばしてくれなかったら反応が遅れていただろう。

 

「気づくか。だがこの至近距離、当てるのは難しくない」

 

 相手が右腕を突き出す。するとそれと同期したように青い光がのたうちダイゴの腕へと噛みついた。思念の蛇が具現化しダイゴへと襲いかかる。

 

「これは……!」

 

「思惟で動かすのは、まぁ出来て五分か。この腕がまだ俺に馴染んでいないのもあるが」

 

 相手が腕を振るうとそれとジラーチのコントロールがほとんどコンマ何秒の世界で働きかける。ダイゴは噛み付かれた箇所から払われる結果になった。身体が煽られ、地面に打ちのめされそうになる。

 

 ここまでか、と諦めたダイゴを救ったのは咄嗟に滑り込んできたエルレイドだ。エルレイドはダイゴの着地を助けると返す刀でジラーチを追撃しようとする。だがジラーチは先ほどまでとは一線を画す速度で対応した。「サイコキネシス」でエルレイドの振るった「サイコカッター」を相殺する。その動きは素早く、まるで最初からエルレイドの動きを予見しているかのようだ。

 

「ジラーチ、少しばかり脳細胞が加速する感覚を味わわせる事になるが、許せよ」

 

 相手が腕を振るうと重力が倍増しエルレイドを押し潰そうとする。エルレイドが膝をついた。ダイゴも対応しようとするが効果の増した「じゅうりょく」を無効化する事が出来ない。ダイゴまでも「じゅうりょく」の虜になってしまう。相手が哄笑を発する。

 

「ここまでだな、D015! やはりお前には相応しくないらしい!」

 

 ダイゴは腕を振るう。ダンバルが視界の隅でジラーチに突進しようとするが、「無駄だ!」と振るわれた思念で容易く突き飛ばされた。頭から地面に突き刺さり、ダンバルが停止する。

 

「……長くは持ちそうにないが、ツワブキ・ダイゴ。ここで死ぬのはお前だ!」

 

 発せられた声にダイゴは、「違うな」と声にする。

 

「俺の攻撃は、もう終了している」

 

「減らず口を! 重力で骨の髄まで引き潰してくれる!」

 

 相手の声にダイゴは静かに、「ダンバル」と呼んだ。またしても動くと思ったのだろう。相手が眼を向けるがダンバルは静止している。その姿に高笑いを上げた。

 

「足掻き以前の問題だな。地面に頭を突っ込んだままで、どうやって俺を攻撃する? その状態で俺を倒す事など不可能だ」

 

 相手の言葉にダイゴは落ち着いて返す。

 

「そう見えるって言うんなら、お前からはそうなんだろうさ。だが、俺には結構、勝ち筋に見えるんだがな」

 

 ダイゴの余裕を見せ掛けだと断じたのだろう。右腕を振るい、「サイコキネシスでもう一度、地面に墜落させる」と宣言する。

 

「お前がそうだったようにな。墜落死こそ、相応しい」

 

 指差されてダイゴは首を横に振る。

 

「もう攻撃の準備は出来ている。俺には、あまり言葉を弄す事の意味がないと感じるな」

 

 その言葉に初めて相手はダンバルを一瞥した。変化があると感じたのか。だが目に見えての変化はない。

 

「ハッタリだ! 食らえ――」

 

 それを遮ったのは地面から迸った思念の攻撃だった。弾丸のような一撃が軌道を描いて相手の身体を打ち据える。醜い小動物のような呻きが相手から漏れた。

 

「これ、は……」

 

「ダンバルの攻撃だ」

 

 その言葉に相手が目を見開く。

 

「ダンバルは、突進しか覚えないはずじゃ……」

 

「そうだな。俺もそうだと感じていた。だが、ダンバルは突進の応用攻撃を覚える事が出来る。さっきまで使わなかったのは、これは面と向かって使ってもあまり効果がないと感じていたからだ。思うにジラーチはエスパーを持っている。真正面から愚直にこの攻撃を使っても効果はいまひとつ。さっきまでと同じ、突進を止められるのと同じだと考えていた。だが好条件の位置にお前らがダンバルを転がしてくれた。その位置からならば撃ち込める。この技の名前は――」

 

 地面には這いずるかのようにダンバルと同じ形状の思念が相手を見据えていた。赤い単眼が一斉に標的を捉え、飛び出した。

 

「思念の頭突き!」

 

 相手の身体へと「しねんのずつき」が叩き込まれる。吸い込まれるようにして相手の全身の骨を打ち砕いた攻撃にダイゴは確信した。攻撃の命中、相手の再起不能を。

 



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第二十五話「協力者」

 

 ダンバルが浮き上がる。

 

 ジラーチには傷はほとんどないが相手がもう行動不能だろう。エルレイドが肘を突き出して攻撃の構えを取る。トレーナーが戦えなければもうジラーチとて無理なはずだ。ダイゴは、「退け」と言っていた。

 

「今ので確信を得た。思念の頭突きはお前へときっちり命中している。もうジラーチを動かすだけの体力も残っていないはずだ」

 

 ダイゴは立ち上がる。「じゅうりょく」の束縛が解けている。ダンバルがいつでも攻撃を打ち込めるように浮遊する。ダイゴは相手へと歩み寄った。見れば見るほどに自分との類似点が目立つ。この者は一体、何者なのだ。何のつもりで自分に接触してきたのか。解き明かす必要がある。

 

「言え」

 

 ダイゴは襟首を掴み上げる。ほとんど力の入っていない相手は呻き声を漏らした。

 

「俺は誰だ? お前は、何かを知っている風だったが」

 

 答えを間違えればいつでもダンバルで攻撃出来る。ジラーチはほとんど無力化したも同然だ。ダイゴが睨んでいると相手はフッと口元を緩めた。

 

「思念の頭突きは読めなかったな。この右腕でも、やはり限界はある、という事か……」

 

 その瞬間である。いきなり相手の顔立ちが老け込んだ。一気に十歳か、あるいはそれ以上歳を取ったのである。皺が刻み込まれた相手の顔に思わずダイゴは手を緩めた。

 

「何だ……、お前。一体何なんだ」

 

「右腕の力で老化を抑えていたが限界らしい。俺はここで死ぬのか? なに、悪くはないな。一度でもツワブキ・ダイゴとして戦えたのだから。失敗品の烙印を押さえた俺がな」

 

「失敗品? お前はさっきも成功例がどうだとか言っていたな? 俺は何なんだ?」

 

 ダイゴの焦燥を感じ取ったのだろう。相手は卑屈な笑みを浮かべる。

 

「知ってどうする? お前は、どうせ誰かの操り人形になるだけだ」

 

「それでも! 俺は知らねばならないんだ。俺が何者なのかを」

 

 相手は視線を逸らし、指を一本立てた。

 

「一つ、聞いておきたい。人間の血と、ポケモンの血が丸ごと入れ換えられたら、それはもう人間なのか? それともポケモンなのか?」

 

 何を言っているのか。ダイゴは返事に窮する。それを見越したように相手はせせら笑った。

 

「誰にも答えられまいよ。それが人間なのか、ポケモンなのかを。あるいは境界の侵犯者か? 人間とポケモンという壁を超えようとした、禁忌の人物か」

 

「何を言おうとしている? お前は、何なんだ?」

 

「答えの一端はダンバルが握っている」

 

 その声が明瞭に耳朶を打つ。ダイゴは戸惑い気味にダンバルへと振り返る。赤い単眼の手持ちは、ダイゴの顔を見返すばかりだった。

 

「お前がそれを手持ちに加えている事は、何の偶然でもないんだ。それは忌避すべき毒でもあるのだから」

 

「どういう……」

 

 それを問い質す前に相手から力が急速に抜けていった。ダイゴは呼びかける。

 

「おい! 何の事なんだ? お前が知っている事を話せ!」

 

 その呼びかけに応じる声はなかった。相手は自分の手の中で息絶えていた。ダイゴは思わず手を離す。最初から命など灯っていなかったように相手は崩れ落ちた。ダイゴは意図せずして人殺しをしたという感覚に手が震える。

 

「俺が、殺したのか……」

 

 這い登ってくる恐怖にダイゴが頭を抱えていると、「違うわ」と声が響き渡った。そちらへと振り返る。見覚えのある人影が佇んでいた。ダイゴは息を呑む。

 

「あんた……」

 

「ツワブキ・ダイゴ。あなたは誰も殺してはいない」

 

 そう口にしたのは他でもない。ツワブキ家の家政婦であった。確かコノハという名前だったか。紫がちの虹彩が自分を見据えている。その瞳に何か、特別なものを感じ取った。

 

「何で、あんたがここにいる?」

 

「エルレイド」

 

 その呼びかけにエルレイドがコノハを守るように侍る。コノハのポケモンなのだ、とダイゴは理解した。それと同時に、何故、と疑問が突き立つ。

 

「何で、俺を殺そうとしていた?」

 

「完全な誤解よ。私はあなたを殺す気はなかったし、ただ単にプラターヌ家を襲撃しようとしていた連中と対峙し、あなたはそれに巻き込まれたに過ぎない」

 

「つまり、偶然だと?」

 

 信じられない、という声音を含んでいたせいだろう。コノハは目を伏せた後、「まぁ信じてもらおうとは思っていないわ」と答えた。エルレイドと共に先ほどまで争っていた相手へと歩み寄る。その胸に去来するものは何なのだろうか。ダイゴが考えているとコノハは、「エルレイド」と命じた。

 

 するとエルレイドが肘から思念の刃を発生させ、死者の身体を細切れにする。ダイゴは瞠目した。コノハの行動に、「何を……!」と声にしていた。

 

「殺さなければ、また利用される可能性がある。Dシリーズの初期ロットならばいくらでも再利用が可能でしょう。それに、何よりもこの右腕」

 

 エルレイドが放った攻撃は右腕以外を完全に切り刻んでいた。右腕が血溜まりの中に浮かんでいる。コノハは臆す事なくそれを持ち上げた。右腕には黒い文字でナンバリングが施されている。

 

「やっぱり、オリジナルのものね。誰が持ち出したのかまでは割り出せそうにないけれど、オリジナルの右腕を持ち出すって事は他の部位もと考えるのが道理でしょう」

 

 ダイゴは落ち着き払ったコノハへと駆け寄り、その襟元を掴み上げていた。コノハは表情を変える事はない。ただ一言、「痛いわ」と他人事のように告げた。ダイゴは肩を震わせる。涙が頬を伝った。

 

「泣いているの?」

 

 その声にダイゴは頭を振って目元を拭う。コノハは冷たく断じた。

 

「殺そうとしていた連中よ。あなたが泣いてやる道理もないんじゃない?」

 

「それでも、殺す必要はなかった」

 

「ほとんど死んでいたも同然よ。右腕に食い潰されて、結局、命を縮めていたでしょう」

 

 コノハが手にした右腕に視線を落とす。ダイゴは奥歯を噛み締めた。

 

「何なんだ! あんたらは! 人の命を、何とも思っていないのか?」

 

「何とか思っていれば救いがあるのかしら? 私はそこまでこの世界が甘いとは感じていない」

 

 その言葉にダイゴは隔絶を感じていた。彼女は何なのだ。どうしてそこまで冷たくなれる? ダイゴはコノハの襟元から手を離した。身を翻し呟く。

 

「……結局、俺は何なんだ。周りの人が傷ついていくばかりで、何も出来ずに……」

 

 拳をぎゅっと握り締める。無力感に苛まれていると、「一つだけ」とコノハが口にした。

 

「一つだけ、ハッキリした事があるわ」

 

 その言葉にダイゴは視線を振り向ける。コノハは真剣な面持ちでダイゴを見返した。

 

「エルレイド、この子をあなたは知っている。記憶がなくてもどこかで覚えていた。それはやっぱり、あなたの本体の記憶なんでしょう」

 

「本体……?」

 

 問いかける。コノハはモンスターボールを出してエルレイドを引っ込めた。エルレイドを封じたボールにはサインがされていた。「F」の文字が。

 

「ツワブキ・ダイゴ。私はあなたの事を、最初敵だと思っていた。ツワブキ家の手先だとね。でもエルレイドが本能的に守った事で確信したわ。やっぱり、あなたの本体の記憶までは消えていないのだと」

 

「ちょっと待て。俺の本体? 俺が何者なのか、あんたは知っているのか?」

 

 コノハは一呼吸置き、「やっぱり、あなたには記憶がないのね」と残念そうに告げた。

 

「……俺には確かに記憶はない。だが、俺を知っている人がいるのならば話は別だ。俺は誰なんだ?」

 

 知る必要がある。コノハはその一端でも握っているのならば。コノハはプラターヌ邸を見やり、庭師や家の人々が気絶しているのを確認してから、「あなたはこの家の人間なのよ」と口にした。その言葉の意味が分からずにダイゴは聞き返す。

 

「何だって? 俺がこの家の……」

 

「あなたの身体、肉体はこの家の人間。フラン・プラターヌのもので間違いない。彼の手持ちであったエルレイドがそれを感知している」

 

 ダイゴは硬直していた。自分が偶然立ち寄った家の人間であるなどにわかには信じられない。

 

「じゃあ、俺はそのフランとか言う奴なのか。俺の正体は……」

 

「それも違う。フランはそんな顔立ちじゃないし、声も違う。性格も、話し振りも」

 

 だとすれば疑問が浮かぶ。どうしてコノハは自分の事をフラン・プラターヌだと感じたのか。エルレイドの証言だけではそれは確立出来ないはずだ。コノハはホロキャスターを取り出す。それを手渡し一枚の写真を見せた。そこには金髪の青年が映っていた。どこか優男風な青年を指して、「それがフランの顔写真よ」とコノハは告げた。ダイゴは自分の顔をさする。どう考えてもフランの顔写真と自分は一致しない。

 

「どういう事なんだ? これは俺じゃない。そんなの、誰だって分かる」

 

「そう、誰だってね。私だって分かる。あなたはフランじゃない。でも、一度は愛し合った関係だからか、運命という呪縛は、あなたがフランであると告げている。それは理性よりも本能の部分で」

 

「本能って……」

 

 ダイゴはホロキャスターを翳して全方位からフランとか言う青年の顔立ちを眺めるが、どう考えても自分のそれではない。骨格も、微笑み方さえも。

 

「でも、これは俺じゃない。どうしたって、俺がこのプラターヌ家の人間である証明にはならない」

 

「そう、普通なら、ね。でも私はツワブキ家に潜入し、それがあながち不可能でもない事を発見した」

 

 その言葉にダイゴは眉根を寄せる。どうしてコノハはツワブキ家に家政婦として潜り込んでいるのか。それを知らねばならない。

 

「あんた、言ったよな? ツワブキ家の手先かと思った、と。ツワブキ家は裏で何をしている? 何のために俺は引き取られた?」

 

 それだけがどうしても疑問だ。リョウの口裏から自分がただの社会奉仕の精神だけで引き取られたのではない事は分かる。だが、それ以上は全くもって不明。あの応接室にあった自分の似姿の写真も、初代ツワブキ・ダイゴの事も。誰一人として語ろうとしない自分の過去も。ダイゴはその扉がコノハとして開かれているように思えた。手にするのは今しかない。この機会を逃してはならない。

 

「……あなた自身も、不思議に思っているのね。どうしてツワブキ家はあなたなんかを引き取ったのか。多分、ツワブキ・リョウの意思だと思うけれど、その本質までは私も分からないわ。でも言える事は、ツワブキ家はあなたにツワブキ・ダイゴの名前をつけた事も、引き取った事も偶然ではないという事」

 

「それだよ」

 

 ダイゴは指差した。コノハが小首を傾げる。

 

「それ、とは」

 

「偶然じゃないとすれば何なんだ? プラターヌ家に訪れた事も、ツワブキ家と関わりを持った事も偶然じゃないんなら……」

 

「誰かが仕組んでいたのか、運命か」

 

 言葉尻を引き継いだコノハにダイゴは首肯する。コノハは、「運命なんて、随分とセンチメンタリズムな事を言うのね」と口元だけを笑みの形にした。

 

「俺だってそんなセンチな事を言っている場合じゃないと思っている。だからこれは仕組まれた事だ。誰かが俺を誘導している」

 

「ここに来る事も、あなたが自分の正体を私を通じて知り得る事も、全て仕組まれていた、と」

 

「運命に任せるよりかはまだ理解出来るさ」

 

 ダイゴの声にコノハは相手から奪い取った右腕に視線を落とす。ダイゴもナンバリングが施された右腕が気にかかっていた。

 

「何なんだ? その右腕……、さっきの奴の、生まれた時からついている腕じゃないみたいだけれど」

 

 どうにかして相手の証言を食い合わせようとするが、そうすると自分はツワブキ・ダイゴではない、という事になってしまう。今はたとえ偽りでも名前にすがっていたかった。

 

「さっきの、D008って名乗っていたわね。恐らくはDシリーズの初期ロット」

 

「そのDシリーズってのも分からない。俺も、Dシリーズなのか?」

 

「肩口をご覧なさい。刻印がされていれば、あなたもDシリーズよ」

 

 ダイゴは秘密基地での襲撃を思い出す。あの時、ニシノから指摘された。服を捲り上げ、その箇所をさすった。「D015」の刻印が成されている。

 

「やはりね……」

 

 どこか諦観気味にコノハが呟く。

 

「俺も、そのDシリーズとやらなのか?」

 

「成功例よ。さっきの奴が言っていた通りに。私の知り得る限りでは、成功した例は一つや二つのはず。だからこそ、あなたがフランだと感じていた」

 

 ダイゴはその二つの事柄の結びつきがいまいち理解出来なかった。どうしてDシリーズの成功例とフラン・プラターヌが関係しているのか。ダイゴの困惑を読み取ったのだろう、コノハは、「いいわ」と口にする。

 

「出来るだけ目立たないように、ツワブキ家の敷地に来て欲しい。そこに私の社宅もあるから、話しましょう」

 

 コノハの言葉にダイゴは歩み出しかけて、「ちょっと待って」と声にした。

 

「何? 言っておくけれど、あまり時間はないわ」

 

「それは俺も同じだ。四時が門限なんだから」

 

 ダイゴは手を差し出す。それを怪訝そうにコノハは眺めた。

 

「一応、助けてもらったんだし感謝はしておこうと思って。エルレイドがいなければ俺の命は危うかった」

 

 ダイゴの態度にコノハは、「殊勝なのはいいけれど」と手に視線を落とす。

 

「一回の命のやり取りくらいで相手を信用しないほうがいいわ。これから先、何度裏切られるのか分からないんだから」

 

 コノハは何度も裏切られてきたのだろうか。その言葉には不思議と重みが宿っている。しかし、ダイゴは手を取り下げなかった。

 

「でも、休戦協定のつもりでさ。握手だけでも」

 

 ようやく自分の事を少しでも知っている人間に出会えたのだ。それだけでも分かち合いたい。コノハはため息を漏らし、「おめでたいわね」と呟く。

 

「生きているだけでも儲け者なのに、信頼関係なんて」

 

「駄目かな?」

 

 コノハは、「まるで話にならない。だけれど」と振り返った。

 

「嫌いじゃない」

 

 その手をコノハは握り返した。確かな人の温もりのある手だった。

 



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第二十六話「最後の糸」

 

 知らない番号だ、とサキはスクーターを走らせながらかかってきた通話に視線を落とす。ドライブマナーに設定しようとして確認するべきだ、という自分の声に従った。一度駐車場に立ち寄って、「もしもし」と出る。すると通話からは見知った声が聞こえてきた。

 

『サキさん、ですか?』

 

「お前……、大丈夫だったのか?」

 

 思わず出てしまった本音をダイゴは意に介する事はなく、『ヒグチ博士にはお世話になったので』と番号を知った手順を伝えてきた。どうやら博士がお節介をしたらしい。だがそのお節介が結果的にダイゴの無事を確かめる手段となった。

 

「よかった。生きているんだな?」

 

 確認の声に、『当たり前じゃないですか』とダイゴは笑い声を返す。

 

「そうだな、当たり前だ」

 

 自分は危機に敏感になり過ぎていたのかもしれない。ここ最近、気を遣う事が多いせいもあったのか。ダイゴの声に自然と緊張が解けた。

 

「しかし、お前は……」

 

 そこまで言いかけてダイゴに自分の知った事実を知らせるべきか悩んだ。人の血とポケモンの血が混ざり合っている。そのような事を口にされて戸惑わない人間などいないだろう。自分の存在如何を疑いかねない。今のダイゴにそれだけの事実を受け止める精神力はないだろう。ただでさえ記憶喪失で不安を煽られているはずだ。

 

「いや、何でもない。とにかく無事でよかった」

 

『ええ。サキさんこそ、無事で』

 

「私は何でもない。刑事だからな」

 

『どこから出るんですか、その自信』とダイゴが笑う。どうやら本当に無事のようだ。サキはお節介が過ぎたのは自分も同じか、と自嘲する。

 

「笑えればいいだろう。私からは経過観察程度を見ればいいと言われているからな。あとはツワブキ家に従ってくれ」

 

 リョウならばうまく回してくれるはずだ、と思う反面、その幼馴染が信じられるかどうかは宙ぶらりんになっている、という事実も噛み締めた。

 

『ええ。リョウさんにはよくしてもらっていますから』

 

「問題を起こしてくれるなよ。私の責任問題になるからな」

 

『はい。ではまた。マコさんや博士によろしく言っておいてください』

 

「父はともかくマコにまで言ってやる義理はないぞ? あいつはつけ上がるからな」

 

 ダイゴは笑い声を交えて、『とにかく頼みます』と言って通話を切った。サキはダイゴの無事が分かって一安心しかけたが、はて、と思い留まる。

 

「あいつ、どこからかけてきたんだ?」

 

 端末の番号は同じポケナビからかけられた事を示していた。ダイゴにポケナビの所持が認められたのか。確かにダンバルを持っているのならばポケナビを所持していても不思議ではないがその疑問にサキはかけ直した。しかし、今度は無機質なコールの後に、『おかけになった電話番号は電波が入っていないか……』というお決まりの文句に繋がっただけだ。

 

 何かがおかしい、とサキは感じた。ダイゴが直接かけたにしては何かしらの制限がかかっていたように先ほどの会話の節々に違和感がある。まるで誰かに監視されながらの会話であったかのように。

 

「まさか、既に事態はのっぴきならない方向に行っているんじゃないだろうな?」

 

 通話の逆探知をしようにも手持ちのポケナビと他の端末だけでは不可能だ。一度捜査一課に顔を出さねば。だが捜査一課に出れば今回の一件の進捗状況に際して聞かれる事が多々あるだろう。サキはまだうまく嘘をつける自信がなかった。

 

「お父さんに……、いや駄目だ。家族にこれ以上深く踏み込ませる事は出来ない」

 

 ダイゴの血液検査をしただけでも危ういはずだ。サキはどうにかして今の状況を打開せねばならないと感じながらも、その策は思い浮かばなかった。ダイゴの手助けをしたいが、その手助けは一歩間違えれば奈落への落とし穴だ。しかし知らぬ存ぜぬを通せるほど自分は器用でない事も知っている。

 

「……結局のところ、私が個人的に調べるほかないのか」

 

 捜査一課に提出すれば公安の手が伸びる可能性がある。かといって個人で出来る範囲には限界が生じるはず。サキはそこに至って自分に接触してきた連中の連絡先を思い返した。

 

 ジャケットからくしゃくしゃになったメモ書きを取り出し舌打ちする。頼ってはならないと自分の本能的な部分が告げていたが、今のサキにはすがるべき場所がない。あるいは、相手はこれさえも見越して自分に連絡先を寄越したのか。

 

「……これしか、彼のために出来る事がないのならば」

 

 最後の糸だ、とサキは通話ボタンをコレクトした。すると数回のコール音の後に、『もしもし』と音声が繋がった。しかし、相手の声は変声機を使っているのか男なのか女なのかさえも分からない。サキは、「ヒグチ・サキだ」とぶっきらぼうに告げる。すると相手は心得ていたように応じた。

 

『ようこそ、ヒグチ・サキ様。ご所望でしたよね、真実の入り口を』

 

 サキは内心歯噛みする。この手は最後まで使うつもりはなかったのに、これでは相手の思い通りだ。

 

「能書きはいい。私に必要なのは何だ?」

 

 無遠慮な声にも相手は憤る事もない。それどころか愉悦の笑みさえも予想される声音で返された。

 

『まずはスクーターから降りて、きちんとした場所でお話しましょう』

 

 その時点で相手が自分を見張っていた事が確定した。サキはこのポケナビの情報も盗まれている可能性があると考えたが、それを上書きするように相手の声が被さる。

 

『あんたが求めているものがあるはず』

 

「私が求めているもの? そんなに容易く分かるものか」

 

『分かるさ。真実だろう?』

 

 サキはスクーターから降りずに応じる。

 

「どこで会えばいい?」

 

『そうだね、場所は――』

 



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第二十七話「罪の象徴」

 

 ツワブキ家の裏手には巨大な社宅がある。

 

 これは今しがた知った事実だ。ダイゴもツワブキ家の外観にすっかり気圧されてその裏手にまで頭が回らなかった。

 

「デボンコーポレーションの社員は、ここで衣食住を済ませるわ」

 

 コノハはデボンの社員証を入り口で通し、ダイゴを招き入れる。当然、デボンのお膝元となればダイゴも警戒したが、「大丈夫よ」とコノハは告げた。

 

「私の身辺も明らかになっていないって事は、デボンは身内を疑うほど余裕はないって事だから」

 

 コノハの声にダイゴは豪勢な社宅へと足を踏み入れる。マンションの体裁を取っているが、まず入ったところのワンフロアがぶち抜きで高い天井があり、暖色系で塗り固められた明かりはマンションというよりも一流ホテルの装いだ。覚えず気後れするものを感じたが、「私の部屋は何でもない普通の部屋よ」とコノハが口にした事で少しだけ気持ちを持ち直す。

 

「あんた、さっきどうしてサキさんに連絡する事を許した?」

 

 つい先刻、コノハがまず言ったのは「自分への接触の可能性がある人間には先んじて連絡を取り付けておけ」との事だった。コノハは何でもない事のように、「そんな事」と口にする。

 

「逆探知対策よ。ここがばれればいくら今まで及び腰気味だったツワブキ家でも調べを進めるわ」

 

 どうやらコノハは場数を踏んでいる様子である。ダイゴはそれほどの研鑽の日々に彼女が置かれなければならない理由を探ろうとした。

 

「どうして、そこまでする? 危険を冒すくらいならば、俺なんて放置すればいいのに」

 

 もしくはエルレイドで殺せばよかったのに。ダイゴの思案を他所にコノハは、「必要がないのならば」と口を開く。

 

「殺す必要はないわ。足がつけば面倒だし。まぁ、この街はそうでなくても物騒なんだけれど」

 

「この街って、カナズミの事か」

 

「つい先刻の秘密基地での事件、あれは災難だったわね」

 

 コノハの口から秘密基地での事件が口にされてダイゴは狼狽する。あれは関係者以外には極秘のはずだ。

 

「どうして……」

 

「デボンの記録にあったから。警察の記録を手繰るよりもデボンのログを漁ったほうが少しばかりマシな成果が得られるわよ」

 

 ダイゴは彼女がどれほどの修羅場を潜ってきたのか一気に分からなくなった。ただ口にするのも憚られるほどの荒波があった事だけは確かだ。

 

「エレベーターに入るわ。あなたは南西の方角から顔が見られないようにだけしておいて」

 

 コノハの忠告にダイゴは訝しげに返す。

 

「何が?」

 

「監視カメラ。この社宅で他のは無視していいけれど、あれだけは直接見られている。ダミーの中に本物を一個だけ紛らせておくのは定石よ」

 

 コノハの言葉にダイゴは舌を巻いた。それほどまでにデボンの腹の内を熟知しているというのか。ダイゴは指示された方角に顔が映らないように俯いて歩いた。コノハがエレベーターから手を伸ばし引っ張る。

 

「これで、私が誰かを連れ込んだのはばれたかもしれないけれど、あなただって事はばれていないでしょう」

 

 ダイゴは額の汗を拭いながら、「何なんだ?」と尋ねた。

 

「デボンは、いやツワブキ家は何のつもりなんだ? 俺に何か恨みでもあるのか?」

 

「当らずとも遠からずね。部屋のある階層につくわ」

 

 コノハが口にすると間もなく扉が開いた。ダイゴはコノハに追従する形で部屋まで向かう。コノハの部屋は奥まった角部屋だった。

 

「どう? 都合がいいでしょう?」

 

 コノハの言葉にダイゴは首を傾げる。

 

「何の都合がいいって?」

 

 コノハは顎をしゃくり手すりの向こう側を見やった。

 

「不都合があればすぐに飛び降りて自分の命ごとなかった事に出来るわ」

 

 怖気の走る言葉にダイゴはおっかなびっくりに手すりの向こうを眺める。地上十階建て程度とはいえ、落下すれば死だ。

 

「冗談よ」

 

 全く冗談には聞こえなかったがダイゴは手招かれるまま部屋に訪れた。コノハの部屋は生活感がしない。モノトーンで主張を抑えられた家具達が適度な距離を取って居座っている。まるで人間の距離感だ。

 

「そこに座って。今、お茶を入れるわ」

 

 コノハの声に、「いえ、お構いなく」とダイゴは言っていたが、コノハの顔には哀愁が漂っていた。

 

「フランは、いつもストレートティーだったけれど、あなたはどうかしら」

 

 存外にその言葉は重い。自分の恋人が肉体だと言われてもダイゴに特別な感情があるわけではない。むしろつい今しがたコノハの名前と顔が一致したくらいだ。その上でコノハの言葉の裏面まで理解しろというのはどだい無理な話だろう。

 

 ダイゴは座布団に座った。傍にはこの部屋で唯一の嗜好品と思えるポケモンのぬいぐるみがある。泡立ったクリームのような身体に顔がついているポケモンを象っていた。舌を出しており、愛玩動物のように振る舞っているポケモンだ。

 

「ペロッパフのぬいぐるみよ。それが気になる?」

 

 ダイゴの視線を読み取ったのか、コノハが二つのマグカップを持って尋ねる。ダイゴは、「いや……」と座り直したがコノハは対面に座ってマグカップを差し出した。全てお見通しだとでも言うようにその紫色の虹彩が細められる。

 

「懐かしいわね」

 

「懐かしい?」

 

「フランがくれたものだから。私が女らしくないって最初のほうにね。その時はあまりいい印象はなかったんだけれど」

 

 コノハの声音はどこか柔らかだ。自分に向けられているものではない。それはもういない恋人へと手向けられているのだろう。

 

「俺は、あんたが知っている事を聞きに来た」

 

 ここに来た目的を問い質すと、「そうね」とコノハは告げて手を差し出した。

 

「飲んでみたら?」

 

 突然の勧めにダイゴが戸惑っていると、「大丈夫よ」と続けられる。

 

「毒なんて入っていないから」

 

 一連の流れから考えてみて毒が入っていても何ら不思議はないがダイゴは信じて紅茶を口に含んだ。その途端、芳しい香りが鼻腔で弾ける。舌の上でほのかな甘みがダンスの調べを奏でた。

 

「おいしい……」

 

「そう。フランもそれが好きだったわ。カロスから取り寄せた茶葉でホウエンにはあまり出回っていないんだけれど」

 

 ダイゴは少しだけ喉を潤してから、「そのフランってのは」と口火を切った。

 

「やっぱり、俺なのか?」

 

「自分が誰か別の、他人なのかもしれない、という問いは自己矛盾の始まりになるからあまりおススメはしないけれど」

 

 コノハはそう言いつつ紅茶を一口だけ含み首肯する。

 

「エルレイドの感じ方からして、多分間違いない。あなたの肉体はフランのもの」

 

「どういう事なんだ。肉体は、ってのが俺には分からない」

 

「魂、いえ、この場合適切なのは人格かしら。人格があの人のものじゃない」

 

 人格。ダイゴは今まで自覚していなかった事柄に直面する。自分の性格が、生来育てられたものではないというのか。

 

「俺は、どうして今の人格を手に入れたんだ?」

 

「そこにこそ、私はつけ入る隙があると感じている」

 

 コノハの言葉にダイゴは疑問を挟んだ。

 

「フランの肉体を取り戻す?」

 

「……ほとんど諦めているけれどね。でも、フランはまだ死んでいないって信じたいだけなのかもしれない」

 

 コノハは自分でも分かっていないのかもしれない。どこまでそのフランという青年に心を許していたのかを。フランの事を語る彼女からは普段の鉄面皮からは想像出来ない、柔らかな空気が漂っていた。

 

「俺は何者なんだ?」

 

「私の結論では、あなたはDシリーズ。その成功例」

 

「そのDシリーズってのが分からない。その……」

 

 ダイゴが言い辛そうにするとコノハはここまで持ってきた右腕を出した。スーパーの袋に包んだだけのものでよく気づかれなかったと安堵する。

 

「みんな、大根か何かだと思ったんでしょう」

 

「本当に、人の腕なのか?」

 

 ダイゴの質問にコノハは何でもない事のように袋から取り出した右腕を眺める。ダイゴはそれだけで吐き気がした。先ほどまで、確かに生きている人間の腕についていたものをよくしげしげと観察出来るものだ。

 

 口元を押さえているとコノハは、「何でもないわ」と言い放つ。

 

「だってこれ、ついさっき死んだ奴の腕じゃないもの」

 

「言っていたな。オリジナルだって。確かに俺の、素人目でもそれが他人のものだって事は分かるよ。でも何かの事故で移植された腕かもしれないじゃないか」

 

「あり得ないわ」

 

 コノハは確信を持って口にする。ダイゴにはその自信が疑問だった。

 

「どうして言い切れる?」

 

「あれがツワブキ・ダイゴの姿形をしていたからよ」

 

 あれ、と形容したのは自分の似姿の事だろう。D008と名乗った相手は何のつもりで自分を攻撃してきたのか。コノハは知っているのだろうか。

 

「何者なんだ? あいつも俺と同じ顔をしていた」

 

「Dシリーズ。ツワブキ・ダイゴの再生計画のために利用される肉体のスペア。その初期ロット。一桁だって事は、あれの身体は安定していないはずよ。極端な老化現象や、あるいは短命などが上げられるわ」

 

 ダイゴは掴みかかった瞬間に相手が老化したのを思い出す。口をついて出たのは、「俺と、関係があるのか?」という質問だった。

 

「質問ばかりね」

 

「仕方がないだろう。俺は、何一つ知らないんだから」

 

「何一つ、ね。私の知っている事ならば話しましょう。Dシリーズとは初代ツワブキ・ダイゴを再生するためにデボンが画策している計画に使われる個体の事を指す」

 

「計画?」

 

「D計画って研究者は呼んでいるわ。そのために遺伝子操作した人間とポケモンを使い、デボンは初代ツワブキ・ダイゴを再生しようとしている。四十年後の今に、ね」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話がついていけない」

 

 初代ツワブキ・ダイゴを何故、デボンが再生せねばならないのか。ダイゴはその疑問に突き当たった。コノハはそれを予想したのか、用意されたような語り口で続ける。

 

「そうね。何で、初代が必要なのか。そこから紐解きましょう」

 

 コノハはホロキャスターを操作して画像を読み込む。そこには初代ツワブキ・ダイゴの玉座の写真があった。ダイゴが本の中から見つけ出したのと同じだ。

 

「初代ツワブキ・ダイゴはデボンコーポレーションの創始者にして御曹司。さらにカントーの玉座に立つなど類稀なる才能に恵まれた人物。でも、その子孫が、全くその血を受け継いでいないとしたら、あなたはどう思う?」

 

「どうって、そりゃ気の毒だとしか……」

 

「そう、気の毒。本来はそれで済ましてしまうような事柄だけれど、デボンはそうではなかった。ツワブキ家はね、今没落の最中にあるのよ」

 

 コノハの言葉はにわかには信じられない。ダイゴは怪訝そうに眉をひそめて首を振った。

 

「没落って……、あれだけ豪勢な家に住んでおいて?」

 

「あれはほとんど初代の功績なの。今のデボンは初代の持っている資本と特許で食い繋いでいる老人みたいなものよ」

 

 コノハの言い分にダイゴは閉口した。自分の仕えている家を指して老人とは。

 

「……でも、カナズミでは一二を争う名家だって」

 

「そりゃ名家には違いないわ。でも、才能が受け継がれなければいつか家は枯れる。血が絶たれる、という事の恐怖をツワブキ家ほど重んじている家はないわ。ツワブキ家の家系は才能ある人間を招き入れる事で存続してきた。でも、才能と野望は表裏一体。当然、そういう輩はデボンを切り取りにかかる」

 

「どうしたって言うんだ?」

 

「殺したのよ」

 

 ダイゴは思わず息を詰まらせた。コノハはその続きを語る。

 

「殺して、その遺伝子情報と才能、頭脳だけを奪った。そういう事がデボンには出来た」

 

「何で? だって遺伝子工学なんてデボンの専売特許じゃないだろう?」

 

「そう。そのために狙われた家系があった。プラターヌ家よ」

 

 思わぬところでプラターヌ家の名前が出てダイゴは戸惑う。コノハは、「プラターヌ家は遺伝子工学の第一分野の家系」と告げる。

 

「だからその血が必要だった。ツワブキ家はずっと狙っていたの」

 

「ちょっと待て。じゃあDシリーズとやらはプラターヌ家の一人、あんたの言うフランを殺して、そのノウハウを乗っ取ったってわけなのか?」

 

「そんな生易しいものじゃないわ」

 

 コノハは首を横に振る。

 

「遺伝子工学にはツワブキ家は明るくなかったけれど、それよりも進歩した技術、そうね、人格転移技術とかには随分と精を出していたみたいよ」

 

「人格転移……?」

 

「私が今言った、才能を自分のものにする技術、それの事だと思ってくれて結構」

 

 才能を自分のものにする。文面だけでも恐ろしいが、ツワブキ家はそれを実行するために何を行ってきたというのか。息を詰めていると、「突然だけれど、交配実験、って知っているかしら?」とコノハは問うた。

 

「交配実験、って、あれだろう。この種とこの種を足して、そのつがいから出来た子供がどれだけ親の形質を受け継いでいるのか、とかいう実験じゃないのか?」

 

「そう。最初、ツワブキ家はそれを行っていた」

 

 ダイゴは自分の言った事は所詮動物実験レベルだったためにコノハの弁に戸惑う。もちろん、動物で行っていたわけではないだろう。ポケモンでもあるまい。

 

「じゃあ……」

 

「ええ。自分の家の人間を差し出して行っていた」

 

 ダイゴはその言葉の行きつくおぞましさに身震いする。人間が、同じ人間をまるで実験動物のように扱っていたというのか。それも自分の家の人間を。

 

「でも、これはすぐに無駄だと悟る。だって人間同士だって、その才能が花開くかどうかを見るまでに二十年程度はかかる。ツワブキ家はその時間を惜しんだ。だから遺伝子、禁忌の部分に手を出した。その結果、テロメアの極端に短い個体や、突然老化したり、知能に問題のある個体が出てきた。それがDシリーズ初期ロット。自分の家の子供達を差し出した最果ての事実」

 

 では先ほど倒した相手は正真正銘ツワブキ・ダイゴだったのだろうか。ダイゴにはそれを確かめる手段はない。コノハが切り刻んでしまったからだ。ダイゴは慎重に言葉を発する。

 

「じゃあ、最初のほうのDシリーズは決して血の繋がっていない他人とかじゃなかった。自分の家の被害も顧みず、ツワブキ家はそんな事をしたって?」

 

 コノハは首肯する。そんな馬鹿な事があろうか。ツワブキ家はそこまで狂気に手を染めていたというのか。慄くダイゴにコノハは冷徹に告げる。

 

「ツワブキ家はそうしてまでも初代ツワブキ・ダイゴという稀代のギフトが欲しかった。いつまでも持ち続けたかったのでしょう」

 

「でもツワブキ・ダイゴは死んだ。二十三年前だったか」

 

 ダイゴの言葉にコノハは、「そうね」と頷く。本から読み取れた数少ない事実だ。

 

「何でそんな、生きていたとしても六十代前半かそこいらの高齢だ。人は誰しも死ぬし、その現象からは絶対に逃れられない」

 

 禁忌の術を使わなければ。口にしなかった部分までコノハは読み取り、「普通ならば、ね」と含んだ声音を漏らした。

 

「死んだ人間は蘇らないし、天寿を全うした人間にもう一度墓から出てくださいなんて口が裂けても言えないでしょう。でもツワブキ家は傲慢にもそれを行おうとした」

 

「それが、初期ロットのDシリーズ……」 

 

 そこまで結論付けて、ならば自分は? と疑問に感じる。自分には極端な老化現象は見られない。何が彼らと違うのだろうか。

 

「俺は、じゃあ最初期のDシリーズじゃないんだな」

 

「それが、あなたをフランだと確信するもう一つの理由」

 

「じゃあ何で俺の容姿はツワブキ・ダイゴのそれなんだ? フランであった頃の面影も何もないじゃないか」

 

「ない、のが問題なのよ」

 

 コノハの口調にダイゴは疑問を差し挟む。ない、のが問題、とはどういう事か。コノハはホロキャスターを操作してフランの顔写真を読み込む。

 

「あなたは骨格上も、人相も、何もかもフランとは異なっている。でも、肉体はフランであるはずなの」

 

「だから、それを確信する理由って何だよ。確かにツワブキ家はプラターヌ家の血筋を狙っていたのかもしれない。でもそれだって、招き入れるって形だろう? そうだとすれば友好的関係を築かないわけがない」

 

「そう。だからツワブキ家とプラターヌ家はそれなりの関係性がある。今でもプラターヌ家からデボンの社員が出るくらいだからね。私が言いたいのは、そういう表面上の事ではなく、例えばツワブキ家がどうしてもプラターヌ家の人間が欲しい場合、どうすると思う?」

 

 問いかけにダイゴは指折りながら案を列挙する。

 

「えっと……、普通の方法じゃないんなら、報奨金を出したり、あとは婿養子にするとかして待遇をよくする」

 

「それでも、プラターヌ家が警戒して来ないとすれば?」

 

 コノハの質問にダイゴは、「それでも、って……」とうろたえた。

 

「それでも来ないなら縁を切るしかないだろう。後は、まともじゃない手段といえば……」

 

 そこに至ってダイゴはハッとする。コノハも気づいた事を見越したようだ。

 

「……誘拐」

 

「そう。フランは、ツワブキ家に誘拐されたのよ。つい半年前にね」

 



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第二十八話「まばゆいもの」

 

 コノハの告げた真実は重く、ダイゴの中に沈殿していった。

 

 コノハの想い人がツワブキ家に誘拐されていた? だが、どうしてそんな事が分かるのだ?

 

「言いがかりかもしれない。今の推測だってあんたの妄想じゃないって証拠はない」

 

「証拠はないけれど、こういう記録はある」

 

 ホロキャスターを操作しコノハが見せつけてきたのは行方不明者の数だった。ホウエン地方における行方不明者、あるいは死者の数が示されている。「ここを見て」とコノハが指差したのはカナズミシティの数値だ。ダイゴは瞠目する。その部分、行方不明者の数が他とは倍近く違った。

 

「行方不明者……、つまりそういうのを使って、Dシリーズを造っていたと?」

 

 コノハの証言を統合するのならばそうなる。コノハはホロキャスターを仕舞い、「これはここ数年、ずっとよ」と続けた。

 

「カナズミシティでは行方不明になる人間が特別に多い。それも男女問わず」

 

「それを、公表しているのか?」

 

「警察のデータベースに行けば誰でも閲覧出来る。でも、警察は本腰を上げて捜査しようとはしない。過ぎればデボンの逆鱗に触れる事を知っているから」

 

 コノハの妄言とも限らない。だが、行方不明者のデータ照合くらいは誰でも出来るだろう。ここで嘘をつく理由はない。

 

「だからってデボンの陰謀だって決め付けるのは早計じゃ……」

 

「デボンコーポレーションが、どれほどの地位を持っているのかあなたは知っていないからそう言えるのよ。ポケモン産業は言うに及ばず、数々の電子機器や生活必需品など、ホウエンの、いいえ、もっと言えば世界の人々にとってデボンは絶対に倒れてはならない屋台柱なのよ」

 

 以前もデボンの巨大さについて語られた事があったがダイゴにはその辺りがピンと来ない。デボンが必要悪とも取れる企業だとしても、それを支えるために初代の功労者を蘇らせようなどという馬鹿げた計画を立てるだろか。

 

「それほどまでに、デボンは斜陽なのか?」

 

「表では盛況を装っているけれど、私が調べた限りでは初代が亡くなった後、株価は大幅に下落。毎日のようにストップ安が見られた。さらにポケモン産業一つとってしてみても革新的な技術は全くない。全て既存の技術のマイナーチェンジ。当然、特許で食い繋いでいるしかないのだけれど、その特許期間だって切れる寸前。更新するにはそれなりの成果を出さねばならない。企業としての面子も関わってくる」

 

「今のデボン、いやツワブキ家にはそれほどの逸材はいないと?」

 

 コノハは頷き、「私が見た限りでは、ね」と前置いた。

 

「ただ、ツワブキ・イッシンとツワブキ・コウヤ。この二人に関しては読めない部分があるけれど」

 

 ツワブキ家現当主と長男か。ダイゴはその二人がどれほどのものなのかまだ分かっていないために顔を思い浮かべるのが必死だった。

 

「リョウさんは?」

 

「彼は警察内部から圧力をかける役割を持っている。でもそれ以上は何も」

 

 悔しげに唇を噛み締めるコノハにダイゴは嘆息をついた。

 

「つまり、あんただって推測で言っている部分が多いって事じゃないか」

 

 どこまで本当なのか分かったものではない。コノハは、「信じて欲しい、とは言わないわ」と突き放した。

 

「私が調べた事実を並べ立てているだけだもの。私だってどれが本当なのか、どれが嘘なのかは見当がつかない」

 

「真実が聞いて呆れるよ」

 

 ダイゴは立ち上がりかけて、「それでもあなたが知らない事実ばかりだったでしょう」と口にされた。動きを止めていると、コノハが続け様に声を発する。

 

「Dシリーズ、それにフランの事、私の事、知らないままならばあなたは人知れず抹殺されていた可能性すらあった」

 

 ダイゴはニシノの言葉を思い出す。自分を抹殺しようとしている派閥がいる事を。コノハにそれを伝えるべきか、と逡巡する。だが、とダイゴは否とした。コノハはまだ信用に足る存在かは分からない。フランどうこうの話も嘘っぱちである事だってあり得る。

 

「Dシリーズ、俺は初期ロットじゃない。という事は人造人間じゃないって思えばいいのか?」

 

「だから言っているでしょう? 肉体はフランだけれど、何らかの技術であなたはツワブキ・ダイゴになっているのだと」

 

「技術って、人格転移とか言う? 冗談」

 

 だとすれば自分の人格を疑わねばならない。ダイゴはそこまで自分を追い詰めたくなかった。Dシリーズの真実だけでも今受け止めるには重い。

 

「俺は、俺だと信じる」

 

「それも結構だけれど、あなたが記憶喪失なのは何の間違いもないでしょう?」

 

 それを言われればぐうの音も出ない。自分に関する記憶がないのも、人格転移技術とやらの後遺症だとすれば頷ける。しかし、それを認めてしまえば自分の身体は他人のものだという事実の裏づけにもなってしまうのだ。

 

「俺は一体誰なんだ? 何の目的でツワブキ家に引き取られたのか」

 

「それを明らかにするのにはまだ足りていないピースが多いわね」

 

 ダイゴはそれを知るには畢竟、ツワブキ家に居るほかないのだと実感する。デボンから離れれば、自分はただの一個人。出来る事は少ない。だがツワブキ家にいる間は、デボンの上層部に近い連中と会話を交わす事だって出来る。

 

「あんたの目的、ツワブキ家をどうする気なんだ?」

 

「私の目的は最初から一つだけ」

 

 コノハはエルレイドの入ったモンスターボールに手を添える。

 

「フランを取り戻す」

 

 それ以外は見えていないような眼差しだった。ダイゴは忠告する。

 

「それだって、勝手に信じ込んでいるだけかもしれないじゃないか」

 

「私は自分の勘を信じている。エルレイドが反応したのも私を後押ししてくれている」

 

 コノハはどうやら盲目的にフランを取り戻す事を掲げているようだ。ダイゴからしてみれば途方もない目的のようだがその最終目標は目の前にいるかもしれないのだ。焦りもするだろう。

 

「俺はフラン・プラターヌじゃない」

 

「私だって重ねるような真似はしないわ。フランならば私の事を応援してくれるはずだもの」

 

 あくまでツワブキ家では記憶喪失のツワブキ・ダイゴとして振る舞う。そのスタンスに変わりはなかった。

 

「俺は俺のやり方で自分が何者なのかを知る」

 

「帰る時、気をつけてよね。一階の監視カメラは依然有効だから」

 

 暗に自分を巻き込むなという意味か、それともコノハなりの忠言か。ダイゴは後者として受け取る事にした。

 

「あんたが言ってくれた事、感謝はしている」

 

 その言葉にコノハは、「意外ね」と口にしていた。

 

「意外?」

 

「自分の記憶がないのに他人に感謝出来るってのが。自分が天涯孤独ならば、他人にありがとうという事すらも思い浮かばなさそうだし」

 

 そういうものなのだろうか。自分は決して孤独だと思った事はない。記憶がない事は闇の中で手を伸ばしているのと同義だが、闇の中から救い出そうとしてくれる光も感じられる。

 

「俺は、光が眩しいから、そっちに行きたいんだと思う」

 

 ヒグチ家を思い出す。マコの笑顔、博士の声やヨシノの声、サキの呆れ顔もつい二日ほど前の話なのに随分と懐かしく思える。あの場所にずっといたかったが、それはわがままだろう。

 

「光、ね。私も光に手を伸ばしている。それこそしゃにむに」

 

 コノハがぎゅっと拳を握り締める。ダイゴはその言葉に応えられない自分が歯がゆかった。もしかしたら、自分がフランだと一言言ってやれば、彼女は救われるのかもしれない。だが、そのような事は言えない。自分が何者なのか、まだ分からない。だというのに一時の感情で誰かに自分を規定されれば、もう枠組みからは外れられないような気がしていた。何よりも、まだ何一つ好転していないのだ。

 

「ツワブキ家では、お互いに干渉しないでおこう」

 

「そうね。私とあなたがグルだった、なんて知れたらどんな惨い最期を遂げるか分からないもの」

 

 その言葉を潮にダイゴは部屋を出た。コノハは期待しているのか? 自分がフランである事を。だが、フランではないと言えない代わりに感謝だけは置いてきた。今は、それが精一杯だった。

 



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第二十九話「死の先の真実」

 

 接触に夜の公園を選んできた辺り、相手はこのカナズミシティが巨大な学園都市であるのと同時に実験都市である事を熟知しているのかもしれない。

 

 サキは携行用の拳銃を持ち合わせていたが、相手が強力なポケモンを有していた場合、完全に無力だ。その場合は殺されるか、こっちの情報を吐くまで拷問されるかだろう。それでもサキはこの場所に訪れなければならなかった。周囲に視線を配る。

 

「背後のビル、好位置ね。あと北方のスクールの屋上も」

 

 そう呟いてサキが確認したのは狙撃手がいると仮定しての位置関係だ。公園にも監視カメラが数台存在する。相手が姿を見せるとは思えない。サキは相手が行動するとして自分の無力化とその後の制圧だと感じていた。その場合、直接手を下して痕跡を残すよりも狙撃手に足でも撃たせて動けなくしてから代理人にでも運ばせればいい。腐っても捜査一課だ。闇に紛れる相手の手口は分かっているつもりである。

 

 その時、ポケナビにコール音が響いた。サキは通話に出る。

 

「はい」

 

『公園にいるな』

 

 通話越しの声はまたしても男性か女性かさえも分からない。雑音が入っていない事からして室内か、と感じていると羽ばたきの音が耳朶を打った。目線を向けると鳥ポケモンでも止まったのか木が微かに揺れている。

 

「そっちで私の位置を捕捉しているのか?」

 

『いや、目の届く範囲から見ている』

 

 サキはそれこそ狙撃手の存在を疑ったが、予め当たりをつけておいた場所には反射光も何もない。狙撃手はいないのか、と考えたがポケモンを狙撃手に置いている場合もある。その場合、反射などしないだろう。

 

「つくづく信じ難いが、お前らは彼……ツワブキ・ダイゴについて何かを知っているのだな」

 

『あんたも底が読めない。知っていると確信したからこそ、我々に接触したのでは』

 

 サキは鼻を鳴らす。ここで自分の手持ちの情報が読まれれば終わりだ。出来るだけカードは明かさずに相手から情報だけを引き出したい。だが、そう都合よくもいかないであろうというのは重々承知している。

 

「単刀直入に聞く。彼は何者だ?」

 

 その問いに笑い声が返ってきた。潜めたような嫌な笑いだ。

 

『いきなりだね。しかしあんたの置かれている状況は充分に察知出来る。手がかりがない。いや、さらに深い闇に落とされたか。だから狼狽しているのだろう?』

 

 ポケモンと人間の血が入れ換えられたという新事実。それは彼の存在そのものを揺るがしかねない。さらに言えば〝天使事件〟とも無関係ではない。だが事件名を無関係な人間に教えるわけにはいかない。

 

「言っておくが、お前らが規定しているほど私は無能ではない。闇に落とされた、と言ったな? それどころか私には光明が差している」

 

 サキの言葉が意外だったのか、相手が初めて言葉をなくす。

 

『……気になるね。どこに光明があるというのか』

 

「この公園、監視カメラの位置、それらを全て熟知しているとは思えない」

 

 警察関係者ですら、それらの位置関係を常に知る事は出来ない。何故ならば位置関係は一月ごとに更新され、さらに言えば管理会社のIDを持っていなければその位置を視認する事すら不可能なはずだ。

 

『なるほど。網に捉えた、というわけか』

 

 相手の理解は早い。サキは続け様に声を発する。

 

「今から逃げようなんて思うなよ。それよりも早く、お前を見つけ出す」

 

『見つけ出して、どうするね? 私は何もしていない』

 

「彼を抹殺しようとする派閥か、保護しようとする派閥かを聞き出すくらいは出来るさ。お前はどっちだ?」

 

『最初から言っているだろう』と相手は告げた。

 

『我々は彼の保護を最優先にしているし、何よりも、一度目に言ったはずだな? 振り返れば死ぬと』

 

 サキは息を詰めた。近づいてくる人の気配はない。あるとすれば狙撃手。だがもう一つの可能性にサキは至っていた。

 

「振り返れば、か。だが、こうも言えるな。振り返れば、死の先の真実が見える、とも」

 

 サキは振り返り様に拳銃を引き抜いた。標的は一つ。公園の中央にある止まり木だ。そこへと銃撃を見舞う。すると一つの黒い影が飛び出した。銃弾は命中しなかったようだが威嚇には成功したらしい。相手は、「よもや……」と口を開いた。いや、正確には嘴を開いて声を発した。

 

「見破るとは……」

 

「何だ……?」

 

 撃ち落としたサキですら戸惑う。落ちてきた相手は、人ではない。音符の形状の頭部をした鳥ポケモンであった。極彩色の羽を持っており、まだ飛べるようだがベンチの角に羽を休める。

 

「あんたがそこまで有能だとは思っていなかった。まさか、接近を察知されるなんて」

 

「お前らが何度も遠隔で私を見守っているはずもないからな。今回か、あるいは次かは分からなかったが、物理接触があるとは感じていたよ。……だが、ポケモン越しとは思わなかったな」

 

「ポケモン越し? 何を言っている?」

 

 逆に問いかけられた形にサキは眉根を寄せる。どう考えてもポケモンを通して会話をしているようにしか見えない。

 

「私は私だ。このポケモンだ」

 

 その言葉に、「ふざけるのも大概にしろ」とサキは厳しい声を浴びせる。

 

「ポケモンが喋るものか」

 

 決めつけてかかった声に相手のポケモンは鳥ポケモンのその他大勢がそうするように嘴を振るって喉の奥から声を出した。

 

「不勉強だぞ、ヒグチ・サキ警部。喋るポケモンは例外的に存在する。私がそうなのだ」

 

 サキは相手が惑わすつもりで声を発しているのだと感じた。銃口を向けたまま、「喋るポケモンは撃てないと?」と挑発する。

 

「まぁ待て。そう慌てて答えを出すな。あんたの事だ。予め会話を録音しておいてそれに応じて言葉を喋らせている、とでも当たりをつけているのだろう」

 

「違うのか?」

 

 鳥ポケモンは頭を振って、「本来はそういうポケモンだがね」と答えた。

 

「私は例外なのだよ。組織の中でも、特殊な地位にいる」

 

「組織? お前らはポケモンの組織だとでも」

 

 サキは吐き捨てる口調で、「馬鹿な」と続ける。

 

「ポケモンが組織立って行動などするものか」

 

「だからポケモンだけではないのだという……。思っていた以上に慌てているのだな。ヒグチ・サキ警部殿」

 

 慌てるのも当然だろう。どうしてポケモンが喋るのか。しかも、答えは予想以上に早く正確だ。録音ではないのか、とサキが疑い始めていると、「紹介が遅れたね」と鳥ポケモンは自らを翼で示し、会釈する。

 

「この身体はペラップというポケモンのものだが、私の名前は種族名ではない。そうだね、Fとでも名乗ろうか」

 

 Fと名乗ったペラップというポケモンの声にサキは怪訝そうな眼差しを注いだ。

 

「そのような妄言を私が信じるとでも?」

 

「信じざるを得ないさ。だってあんたがすがるべきは我が組織なのだから」

 

 Fの言葉にサキは息を詰める。本当に、ポケモンが喋っているというのか。

 

「何の技術だ?」

 

「……疑い深いな。まぁ技術でも何でもなく、このペラップというポケモンに宿った人格だと思ってくれれば」

 

「人格? それこそ失笑の類だな。ポケモンに人の魂が宿るなど、都市伝説か」

 

 サキの切り捨てる言葉にFは、「どうやら存外にご両親の教育がよかったご様子」と皮肉を込める。

 

「簡単に他人を信じるな。格言じみたものだが、あんたにはぴったりだな」

 

「他人というよりも他種族だな、これでは」

 

 サキはそれでも銃口を外さない。それを見かねたのかFが呆れ声を出す。

 

「銃を取り下げてくれないか? 緊張して仕方がない」

 

「緊張? 緊張すると何だ? 嘴の裏にでも仕込んだテープレコーダーが丸見えになるのか?」

 

 その言葉にFはため息を漏らした。

 

「……私が知能を持ったポケモン、だという事は認めてもらえそうにないな」

 

 そのような世迷言を信じるわけがない。未だにサキはここを俯瞰している第三者に注意を払っていた。しかしFは言葉を続ける。

 

「ここを見張っている第三者を警戒するのならば、無駄な事に注意を割くなと言いたい。何故なら、そのような事にいくら気を張り詰めても、無駄だしどうしようもないって事だからだ」

 

「狙撃に適任のビルが二ヶ所ある」

 

 サキの言葉に、「本当に強情だな」とFは翼を広げる。

 

「本当に、何もないよ。あんたに接触しているのはこの小さな鳥ポケモン一体だ」

 

 サキは左右に視線を投げてから銃口をようやく下ろした。Fが、「そうそう。それでいい」と口にする。

 

「私は交渉をしに来たんだ。命のやり取りじゃない」

 

「振り向けば死ぬと言ったのは誰だ?」

 

「交渉のカードさ。振り向くまで、私がポケモンだとは思わなかっただろう?」

 

 施設での第一回の接触を思い返す。あの時、ベンチに立たれた気がしたが、足跡も何も痕跡がなかったのは鳥ポケモンだったからか。

 

「今でも信じていない。喋るポケモンを矢面に立たせるなど」

 

「まぁ、私とて末端だ。その言い分は全面的に正しくないとは言い難い」

 

 サキは前髪をかき上げ、「本当に」と口にする。

 

「録音でも何でもないんだな?」

 

「しつこいな。Fという私は実在する。ただ、今はポケモンでの対話形式を取っているに過ぎない」

 

 その口ぶりではFとペラップは別個体のようだったが今は言及しなかった。何よりも話が立て込んでいるのは目に見えている。

 

「どういう訓練を受けた? 何故、ポケモンが人間紛いの事をする?」

 

「人間より知能があるとは認めない辺りが、あんたらしいと言えばらしいが、置いておこう。そうだな、確かに交渉にポケモンを立たせる、というのは失礼に値するだろうが、失礼は承知の上だ。ヒグチ・サキ警部。彼について話をしようか」

 

 サキは周囲を警戒する。Fは、「ならばこうしよう」と提案した。

 

「歩きながら、だ。それならば公園に誰か来るという心配もあるまい」

 

 Fは飛び上がった。サキは歩いて公園を抜ける。一人暮らしの部屋からはそう遠くない位置だ。歩いてこいとの要望だったので歩いてきたのだがまさか深夜にポケモンと肩を並べて歩く事になろうとは。サキは改めて傍を飛ぶペラップというポケモンを観察する。足にはポケナビが巻かれており、非合法のものなのはつけられた機器から明らかだった。先ほどまでペラップはそれで声を変えていたのだろう。

 

「ポケナビはあくまで通信用だよ。声自体は、こうして変える」

 

 そう言ったFの言葉の後半から急に女性のトーンになった。どうやらペラップというポケモンの能力らしい。

 

「人の心の中を読むのも能力か?」

 

 参ったな、とFは翼をはためかせる。

 

「こうも疑われては」

 

「喋るポケモン自体が前代未聞だ。それにポケモンにはエスパーとか言うタイプもあると聞く。そういうのは他人の心を読むのだろう」

 

「意外だな、ヒグチ・サキ警部。ポケモンの知識には疎いようだ。エスパータイプには、確かに大多数の思い込み通り、他人の心を読む者もいるが、それは極めて少数だよ。例えば、だ。戦いの只中で相手の心を悠長に読めると思うか? 相手だって常に動いている。その場合、読むのは心ではなく――」

 

「相手の予備動作。次の行動に移るまでの癖や肉体の反射による逃れようのない動き」

 

 サキの言葉に、「正解」とFは満足そうに返す。鼻を鳴らして、「ポケモン如きに褒められるのは癪だな」と言った。

 

「如きとは失礼だが、あんたの認識では随分とポケモンは下位のようだ。それでもポケモン群生学の権威、ヒグチ博士の娘かね?」

 

「父と私は関係がない。勝手に関連付けるな」

 

 取り付く島もないサキの言葉にFは、「そこまで強情だと逆に尊敬さえするよ」と口にした。

 

「ポケモンに畏敬の念は抱かないのか?」

 

「ないな。私は元々、そういうのには疎い。手持ちも持たないのはそのせいだ」

 

 遠く、シンオウではポケモンが世界を創ったとさえされているがそれも定かではないと感じている。天地創造をポケモンに任せていたのでは、人間の神は随分と暇だろう。

 

「事前の調査である程度の人格は分かっていたが、ここまで頑なだとは。組織の構成表を練り直す必要があるな」

 

「その組織とやら」

 

 サキは立ち止まる。Fがはばたいて滞空している。

 

「聞かせてもらう。どこまで彼の事を知っているのか?」

 

 鋭い質問にたじろいだようにFは声を詰まらせた。

 

「……これまた意外なのは、あんたは相手が喋るポケモンであろうが何であろうが、聞き出せると知っているのならばそれを聞き出す。喋ったとかいう驚きは微塵にもない」

 

「研究は机の上でやるものだ。しかし私は刑事。捜査は机の上だけでやるものではない」

 

 サキの信念に、「ほとほと感服したよ」とペラップは頭を振った。

 

「そこまで情熱的な刑事魂を持っているとはね。だが、先にも述べた通り私とて末端だ。情報はあまり期待しないでくれ」

 

「彼は何だ?」

 

 切り込んでくる質問にFは、「ツワブキ・ダイゴだ」と答える。

 

「それ以外の答えがお望みか?」

 

「当たり前だろう。その名前は、リョウが勝手につけた過ぎない。彼の本名と経歴を教えろ」

 

 全く臆する様子のないサキの声音にFは、「そうだな」と思案の間を置いた。

 

「ツワブキ・ダイゴ、という答えが不服ならばこう答えようか。彼の人格はツワブキ・ダイゴをベースにしたものだが、今はそうであってそうでもない、と」

 

「謎かけは嫌いだが」

 

 サキが再び銃のグリップに手をかける。Fは、「謎かけのつもりはないよ」と否定する。

 

「これは事実のみだ。彼、現状ツワブキ・ダイゴは、自分の正体に微塵にも気づいていないだろう。ひょっとしたら、自分がただの人間ではない事ぐらいは、分かっているかもしれないが」

 

「どうして彼は抹殺されねばならない?」

 

「今しがた言ったろう? ただの人間ではないからだよ」

 

「何だって言うんだ。公安のデータベースが直接判断を下す存在。それに、情報は穴だらけで追えば追うほど不可思議な闇に落ちていく。どこまでが真実で、どこからが虚飾だ?」

 

 サキは前髪をかき上げて本音を吐露していた。自分が追っているどの事象が本物なのか、どれが嘘なのか。その判断をつけねば間違う。その予感だけはある。Fは、「歩きながら話そう」と改めて進み始める。サキはその後に追従した。

 

「初代ツワブキ・ダイゴが、稀代の偉人であった事は、既に知っているな?」

 

「リョウの爺さんだろう? 話で聞いた事ぐらいは。ホウエンの人間ならば知らない人間はいないだろう」

 

 誰でも習う事だ。ホウエンで最も偉いのはデボンを栄えさせたツワブキ・ダイゴだと。実際、玉座に立った人間だ。ホウエンの人間はそれを誉れとしている。

 

「その初代が死んだのは二十三年前。ちょうどあんたが生まれたかそうでないくらいか」

 

 サキとて初代ツワブキ・ダイゴの顔は見た事がない。公の資料には初代の顔写真は恐れ多いという理由で出回っていない。

 

「その時代を生きていないからな。私も、初代の事は話くらいでしか知らない」

 

「まぁ生きていても高齢だ。若かりし頃の面影はなかっただろう。その初代と、彼、ツワブキ・ダイゴが全くの無関係でないとしたら?」

 

 Fの言葉にサキは眉根を寄せる。

 

「陰謀論か? 流行らないぞ」

 

「そうかもしれない。だがそうでないかもしれないのは既に感じている事だろう?」

 

 鳥ポケモン風情が彼の抹殺か保護かに関わっている事実から鑑みても彼を取り巻く環境が異常だとしか言いようがない。一体、彼は何者なのか。

 

「いくつかキーワードはもらっている。メモリークローン、D015、初代ツワブキ・ダイゴ。私の推理では、初代と関係があると感じているが、それだけではなさそうだ」

 

 まだ彼の血液がポケモンとそっくりそのまま入れ換えられたものだという事実は口にしていない。これを相手は知っているのか。サキの探りを入れる声音にFは、「ふむ」と一呼吸置いた。

 

「どうやらそれなりに疑ってかかっているようだ。メモリークローンというキーワードをあんたはどう分析する?」

 

 試されているのか。サキは独自の解釈を口にする。

 

「名前からして、記憶に関係しているとは思っているが、何分突飛な話だ。彼が記憶喪失な事とは無関係ではないだろうが、その記憶を呼び覚ます鍵だろうな」

 

 あえて本筋とは離れた持論を展開する。これは相手から情報を引き出すためだ。間違っているとも、正解だともどちらでもいい。相手の情報力を逆に試してやる。サキの心意気を読んだのか、「一部分では正しい」とFは返答した。否定も肯定もしない辺り、容易に情報は引き出せそうにない。

 

「記憶喪失の彼、ツワブキ・ダイゴが何故記憶を奪われなければならなかったのか。彼がこの事件に関わっているとしてではどういう風に? まだ分からない事のほうが多いだろう」

 

 どうやらFはそう易々と情報提供する腹積もりではないらしい。サキがどこまで推理出来る人間か、一つずつ解き明かしている。どうやら自分のカードを少しばかりは提示する必要がありそうだ。サキは、「彼の血液を調べた」と口を開いた。

 

「ほう、それで?」

 

「人間の血液とポケモンの血液が混じっていた。本来ならばこれはあり得ないらしい。彼の保持するダンバルもそうだ。人間の血が混じっている。誰かが故意に血を入れ換えでもしない限り起こり得ない事象だ」

 

 つまり第三者が関係している。彼の記憶喪失は仕組まれたものだ、という推論。Fは、「血液に着目したのはいい」と応じる。

 

「だが、まだ不充分だな。もっと深く、遺伝子にまで遡るべきだった」

 

「遺伝子?」

 

 ここで初めて不確定要素が顔を出した。遺伝子組成、そういえば自分が持っていた彼の遺伝子サンプルと初代の遺伝子は九割以上の確率で一致していた。その事も話すべきか、と感じたが黙っておく。

 

「彼の遺伝子には重大な秘密が隠されている。それこそが抹殺要因なのだから」

 

「D015……、彼の肩口に刻まれているナンバリングだ。何の意味がある?」

 

 リョウはこの文字列からダイゴの名前を導き出した。だが元からツワブキ・ダイゴの名前が与えられるべくして与えられたのだとしたら。Dとは何か。015とは何か。

 

「あんたが言いたいのはこうだろう? ツワブキ・ダイゴは初代とどういう関わりがあるのか? それを教えろ、と」

 

「知っているのならばな」

 

 Fは、「初代を再生させる事、それに意味がある」と返す。サキが疑問符を浮かべいるとFは止まり木に鉤爪を引っ掛けて止まる。

 

「遺伝子サンプルはまだ手にあるのだろう?」

 

 サキは厳重に保管している彼の遺伝子サンプルを思い出す。

 

「いい事を教えよう。ホウエンでの遺伝子研究での権威、プラターヌ博士、という人物がいる」

 

 プラターヌ、という名前は初耳だった。サキの思案を他所に、「その人物に会うといい」とFは告げた。

 

「あんたの知りたい真実に一歩近づけるだろう」

 

「お前は、教えないのか?」

 

 Fは頭を振り、「これでも自由の利かない身でね」と応ずる。

 

「ただ一つだけ言っておくのならば、抹殺派の動きは速い。あんたにこれを教えたと知れば向こうも必死だ。右腕を奪った時のようにあんたの目の前で、というわけではないかもしれない」

 

 右腕の事を知っている。サキは問い詰めた。

 

「どこまで知っているんだ?」

 

「少なくともあんたよりかは、ね」

 

 Fが飛び立つ。サキが声を張り上げる。

 

「逃げるのか!」

 

「馬鹿言うんじゃない。今教えられる事は全て教えた。今日はもう撤退させてもらうよ。本当ならばポケモンである事さえも知られるわけにはいかなかったのだが、それを知ったのはあんたの実力だ。素直に褒め称えよう」

 

 サキが舌打ち混じりに銃を取り出す。だが既にペラップは夜の闇に紛れており正確な狙いをつけるのは困難だった。何よりもこれは対人用の拳銃、ポケモン用には出来ていない。

 

「遺伝子の権威、プラターヌ博士……」

 

 また道が示された。サキはその名前を心に留めて拳銃をホルスターに仕舞った。

 



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第三十話「どこまでもまっすぐに」

 

 部屋を抜け出してダイゴは待ち合わせていた場所に赴く。ツワブキ邸内で会う事は極力避けるべきだろうという判断でダイゴは裏口に回っていた。裏口ではクオンが既に紅い髪を巻きながら佇んでいる。

 

「ゴメン、待たせたかな」

 

「いいえ、大した事ではないわ」

 

 クオンが学校に行ってまで調べた事があるはずだ。ダイゴは早速聞き出す。

 

「あの本については……」

 

「分かった事がいくつか。一つ目はやっぱり学校の図書館にはあった。二つ目はその内容、今ちょうどここにある」

 

 クオンが鞄から本を取り出す。借りて来たのだろう。ダイゴは、「君には悪い事をしたかな」と口にした。クオンが首を傾げる。

 

「何で?」

 

「久しぶりの学校で、友達と関わるわけでもなく俺の調査に時間を割かせてしまって……」

 

「別にいいわ」とクオンは本を捲る。

 

「友達、っていうものを作るのはまだ先になりそうだから」

 

 クオンの事だ。不器用ながらも自分の言いつけを守ろうとしているのだろう。それに一朝一夕で友人関係は出来るものではない。ダイゴは温かく見守る事にした。

 

「本は?」

 

「内容自体は、まだ半分ほどだけれど、何て事はない自伝よ。ただこれ、初代が書いたってわけじゃないみたい」

 

「書いたわけじゃない? 自伝なのに?」

 

 ダイゴの問いに、「共著者って言うか、編集した人間がいる」とクオンは告げた。

 

「その編集した人間って言うのは?」

 

「私もよく知らないんだけれど、奥付にはプラターヌって書かれているわね」

 

 その名前にダイゴは心臓が収縮したのを感じた。プラターヌの名前。コノハが言っていた通りならば自分の正体はフラン・プラターヌ。その家系の人間だ。これは偶然なのだろうか。ダイゴは都合のいい偶然というよりも因縁めいたものを感じた。

 

「……何か知っているの?」

 

 クオンは目ざとく察知する。ダイゴはまだこの事実は言うべきではないと判じた。

 

「いや、何でもないよ。共著者なんていたのか……」

 

「ええ、そうみたい。だからこの本は初代の証言を基にした、言うなればインタビュー形式のもの。自伝って言っても半自伝ね。初代に関する情報はその功績だとか、戦闘スタイルだったり四十年前の第一回ポケモンリーグに関するものであったりする。プラターヌ、という人物は対等な友人であったと考えられるわ」

 

「対等な、友人」

 

 プラターヌ家が選ばれたのは何も偶然ではない。初代から続く関係性があった。コノハはその家系であるフランを取り戻そうとしているがこの事も知っているのだろうか。

 

「あたし、プラターヌって人について調べてみた。その結果、その子孫がカナズミに住んでいる事が分かったわ。でも、長男って言うか、一番手近な子孫は行方不明。その家族も実は養子縁組とかで、実際に血が繋がっているのは一人だけだって分かった」

 

「一人?」

 

 ではフランは直系ではないのか。ダイゴの疑問にクオンは答える。

 

「ええ、遺伝子工学の権威とされている人物、プラターヌ博士。カナズミの病院にいるらしいって事までは分かったけれど、接触の機会までは得られなかったわ」

 

「そうか。……ありがとう」

 

「何でお礼を?」

 

 クオンが首をひねる。ダイゴは、「当然だろう」と言葉を発する。

 

「ここまでしてもらったんだから。クオンちゃんは俺のために危険を被る事はないのに」

 

「危険だって思っていないから。それに一番の危険は多分、あなたよ。ここまで知ってしまった以上、もう知らなかった頃には戻れない」

 

「重々承知だよ」

 

 ここから先は出たとこ勝負だ。一手間違えた側が敗北する。クオンが嘆息をつき、「その病院だけれど」と続けた。

 

「どうやらカナズミの総合病院みたい。そこから先は守秘義務ですって教えられなかった」

 

 ダイゴは顎に手を添えて思案する。

 

「職員、とかじゃないのか?」

 

「だとしてもプライバシーの観点からでしょうね。それ以上肉迫するには情報が足りない」

 

「こちらから動くしかない、か」

 

 ダイゴはそう結論付けて首肯する。クオンは、「もう少しで読み終わるわ」と本を掲げた。

 

「読み終わったら全体を纏めて話す。それまで待っていて」

 

「ああ、それはいいんだけれど、クオンちゃん、そんなに読めるの?」

 

「心外ね」とクオンは頬をむくれさせた。

 

「あたしは本を読むのは速いほうよ」

 

「あ、いやそうじゃなくって、学校との兼ね合いとか」

 

「心配はいらない。勉強にはついていけているから」

 

「そうか。よかった」

 

 安堵するダイゴへと、「あなたが安心してどうするの?」とクオンが尋ねる。

 

「あたしの問題なのに」

 

「だって、俺は君の世話を頼まれたから」

 

 単純な理由にクオンが目を見開いた。それほど意外な事を言った覚えはないのだが。

 

「……世話係って兄様が勝手に決めたものでしょう? ダイゴは自分のほうが大変なのに」

 

「それでも、だよ。俺はこの家で役割を与えられた。それを全うしなければならない」

 

「真面目ね」とクオンが評する。ダイゴは自分がそれほど真面目だとは思っていないために、「そうかな」と疑問だった。

 

「一応、どのような企みがあるとはいえ身元を預かってもらっているんだ。それなりの恩義は感じている」

 

「たとえ、陰謀の渦中にあっても、か」

 

 クオンは鞄に本を戻し、「いいわ」と答える。ダイゴが、「何が?」と逆に質問する。

 

「あなたの味方になってあげる、って言っているの。本質を見極めたあなたなら、もしかしたらその先にある真実も掴めるかもしれない」

 

「その先にある、真実……」

 

 ダイゴは掌に視線を落とす。自分がフランという人間かもしれないという恐怖。自分が何者なのか分からない困惑。さらに言えば、初代ツワブキ・ダイゴとの関係。どれも闇の中の出来事のようだが、どれかに手を伸ばさねば掴めない真実でもある。

 

「暗中模索だけれど、何かやらなきゃ駄目だってのは分かった」

 

「だから、あたしはその味方になる。やれる事はやるわ」

 

 クオンの声に心強いものを感じた。自分の味方が出来るというのはこれほど心に安息をもたらすのか。

 

「すまない。でも、一つだけ、約束して欲しい。危ない事には首を突っ込まないで欲しいと」

 

 ダイゴの条件が意外だったのだろう。クオンは、「安全圏から見守れって?」と不服そうだった。

 

「そうじゃない。でも、君が危険に晒されるほうが、俺の心が痛む」

 

 ダイゴの真正直な言葉にクオンは腰に手をやって、「呆れた!」と声にした。

 

「そこまで馬鹿正直なんて」

 

「でも、嘘をついてまで自分が何者なのか知るつもりはない。俺は出来るだけ本当の事だけを綴っていきたいんだ」

 

「本当の事だけ、ね。それが出来ればどれほど楽なのか分からないけれど」

 

 クオンが目を向ける。ダイゴは気圧されたように後ずさった。

 

「何を犠牲にしてでも、自分を知りたい、とかじゃないんだ?」

 

「俺はそこまで強くないよ」

 

 ダイゴは頭を振った。自分のためとはいえ、サキやクオンが傷つくのは嫌だ。それならば自ら炎の中に身を投げ打とう。

 

「あんまし無茶しないでよ。……あなたが思っているほど、みんな薄情でもないんだから」

 

 後半は本音だったのかもしれない。ダイゴは頷いた。

 

「俺が何者なのか、知るためには俺自身が強くならなきゃいけないんだ」

 



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第三十一話「落し物の小道Ⅰ」

 

 朝食の席でダイゴはコノハと顔を合わせた。

 

 だが彼女は何も感じていないかのように淡々と雑務をこなす。テーブルには既にイッシンが新聞紙を片手にパンを頬張っている。リョウはダイゴよりも後に起きてきた。

 

「おはよう、ダイゴ、よく眠れたか?」

 

 肩をポンポンと叩いてくる。ダイゴは、「ええ」と応じたがリョウを心の奥底では信じられないと感じ始めている。ツワブキ家の人間は少なくとも全員がトレーナーだと判断している。いざという時に自分を止められるほどの強さは誇っているはずだ。

 

「そりゃよかった」

 

 リョウがテーブルにつく。すると、レイカが降りてきた。ティーシャツを突っかけただけのラフな格好だ。

 

「姉貴、もう少し身だしなみをさ」

 

 リョウのたしなめる声にレイカは、「いいじゃん、家族の前だし」と返す。

 

「ダイゴは慣れていないだろう?」

 

「そんな事ないでしょ? 慣れたよね、ダイゴ」

 

 馴れ馴れしいレイカの声にもダイゴは、「まぁ」と曖昧に応じる。

 

「そういう態度、よくないぜ? 押し付けがましいって言うかさぁ」

 

「別にいいじゃんね? 迷惑かけているわけじゃないし」

 

「それが迷惑だって言っているんだよな、ダイゴ?」

 

 二人して問い詰められダイゴは戸惑う。曖昧に微笑んでお茶を濁した。

 

「まぁ、いいじゃないの。私、ベーコンエッグね」

 

 コノハにレイカは注文する。コノハは何も言葉を挟まずにベーコンエッグの準備をし始めた。昨日の出来事がまるで嘘のようだ。コノハはツワブキ家に逆らう気配もなければ、その素性を調べている様子もない。どこからどう見ても立派な家政婦だった。

 

「らら、ダイゴ。よく眠れた?」

 

 現れたのはクオンだ。目を擦りながら歩み寄ってくる。リョウが、「何だ、寝不足か?」と訊いた。

 

「ちょっと本を読んでいたの」

 

 昨日の本だ、とダイゴは感じたがリョウは無関心らしい。「まぁ、本はいいよな」程度だった。

 

「寝不足はよくないよ、クオン。きちんとしなきゃ」

 

 レイカの忠告に、「姉様こそ薄着過ぎるわ」とクオンが返す。

 

「いいんだよ、大人はこういうので」

 

「姉貴、クオンに間違った大人を教えないでくれ」

 

 リョウの声にレイカが突っかかる。これも一つの家族の形だろう、とダイゴは理解する。ヒグチ家ばかりをいいものだと感じていたが、ツワブキ家もそれなりに平和だ。しかし、見え隠れするのは陰謀である。彼ら彼女らは決して自分の過去に無関係ではない。その事実が目の前の光景を純粋に仲がいい家族で括るのに無理が生じていた。

 

 コノハが、「頂き物ですが」と生キャラメルの箱を取り出す。イッシンが、「おっ、好きなんだ」と数個包装を剥がして口に放り込んだ。

 

「親父、その癖、下品だぜ」

 

「いいんじゃないか、別に。ほれ、みんなの分もあるぞ」

 

 ダイゴもキャラメルのおこぼれをもらう。家族全員、キャラメルを口直しにか頬張っていた。

 

「あの、イッシンさん」

 

 ダイゴが声をかけるとイッシンが新聞紙から顔を上げる。

 

「何だ、どうした、ダイゴ?」

 

「俺にも、そのポケナビが欲しいんだけれど」

 

 見渡せば家族全員ポケナビをしている。ポケモンを持っているのならば所持は奨励されているはずだ。リョウが、「どうする、親父」と問う。戸籍のない人間がポケナビを持てるのか、という意味合いだろう。

 

「難しいかもしれないが、リョウ、ポケナビの会社を回ってくれないか。確か今日は非番だろう?」

 

 イッシンの声に、「オレが?」とリョウは指差す。ダイゴは、「あの、無理ならばいいので」と遠慮を声にした。

 

「かわいそうじゃん。リョウ、回ってやりなよ」

 

 レイカの声に、「姉貴は無関係装えるからいいんだよ」と後頭部を掻いた。

 

「オレ、これでも忙しいんだよね」

 

「じゃあ、あたしが行くわ」

 

 突然に割って入ったクオンの声に全員が瞠目する。レイカが、「クオンだってやるって言ってるんだよ?」と暗にリョウを責め立てた。

 

「……分かったよ。ダイゴ、飯食い終わったらポケナビの系列店回るぞ。どの企業がお前にいいのか分からないからな」

 

 リョウの声に感謝を返す。

 

「ありがとうございます」

 

「いいんだよ、礼なんて。まぁ、そう遠くないと思っていたからな。ポケナビの所持くらいは許してやってもいいだろう」

 

 イッシンが、「ポケナビと言えばどこ製がいいんだ、今は」と尋ねる。レイカが、「やっぱりイッシュ製じゃない?」と自分のポケナビを操作した。

 

「イッシュって産業が潤っているイメージだし」

 

「そんな事言い出せば、ホウエン製の信頼度には及ばないだろ」

 

 リョウの言い分に、「国産が一番安心って言っている間はガキよ」とレイカがせせら笑う。

 

「客観的に見れば工業製品はイッシュの技術が大きいし、カロスなんかのホロキャスターも随分と進んでいる。ホウエンは最近、マルチナビがようやくついたばかりじゃん」

 

「進歩しているんだよ。ホロキャスターは軽いし性能もいいけれどオレ的には邪道だね。やっぱりさ、液晶ってものから外れるべきじゃないよ」

 

「クオンはどこ製だったか?」

 

 イッシンが目を向けると、「あたしのはカントー製」とクオンが答える。

 

「カントージョウトのポケギアに近い性能よね。まぁクオンはまだ仕事もしていないからその程度でもいいんだろうけれど」

 

「結局、どこがいいんだよ。分からねぇな」

 

 ダイゴはテーブルについた。すると朝食が運ばれてくる。どこの家庭とも変わらない、朝食の風景だったが、彼らは何かを知っている。その確信にダイゴはパンを頬張った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リョウも社会人だ。自分でいいものを選ぶセンスくらいあるだろう」

 

 イッシンはそう結論付けてダイゴの面倒をリョウに任せた。リョウは、「まぁ、そういうわけだ」とダイゴの肩を叩く。

 

「どこ製がいいとかあるか?」

 

 歩きながらリョウは尋ねる。リョウと二人きりになるのは初めてなので緊張した。ともすれば一番自分の真実に近いかもしれない人物だ。

 

「……いえ、その辺も疎くって」

 

「だよな。記憶喪失っていうんじゃ」

 

 リョウは会話を切って息をつく。ダイゴはどうにかして会話の糸口を探ろうとしていた。

 

「あの……」

 

「サキとはうまくやっているのか?」

 

 思わぬ問いかけにダイゴが聞き返す。

 

「サキさんと、ですか?」

 

「いや、一応お前の身柄を引き受けたとも言ったが、お前の事を一番心配しているのはサキだ。もしかして今回、ポケナビを使おうというのもサキを安心させるためか?」

 

 ダイゴはそこまで考えていなかったが頷いておいた。リョウは満足そうに、「お前がそういう奴で嬉しいよ」と口にする。

 

「嬉しい、って」

 

「いや、自分の事で手一杯なはずなのにそうやって他人を気にかけられる事とかな。クオンの事に関しても礼を言わなきゃならない。オレ達がどれだけ言ってもクオンは聞かなかったんだから」

 

 ダイゴは謙遜気味に、「いえ、俺なんて」と言葉を発する。リョウは首を横に振った。

 

「あまり遠慮が過ぎると無欲な奴だと思われるぞ。まぁ、今回のポケナビはオレ達からのご褒美って側面もあるかな」

 

「ご褒美、ですか……」

 

「クオンをそれなりに社会復帰させてくれた礼だよ。まだ分からないが、お前がやってくれた事に間違いはないからな」

 

 ダイゴはここまで言う人間が敵だとは思えなかった。敵だとするのならばくさ過ぎる。そこまで敵に謝辞を送れるものなのか。

 

「あの、リョウさん」

 

「ん? 別に呼び捨てでもいいぞ」

 

「そういうわけにはいきませんよ。俺にとっては恩人ですし」

 

「恩人か……。ダイゴ、恩人ついでにこれから買うポケナビってものを教えてやろう」

 

 リョウが自分のポケナビを掲げる。ダイゴは、「基本操作は理解していますけれど……」と言った。

 

「そうじゃないよ。オレが教えるのはこれがどういう経緯を経て世に出るようになったか、という歴史だ。まぁ半分身内褒めになるんだがな」

 

 ダイゴが首を傾げていると、「まず歴史だが」とリョウは語り出す。

 

「四十年前、ソネザキ・マサキという研究者が作った無線端末、それが始まりだ。当時、第一回ポケモンリーグ開催に当ってポイント交換の技術が必要になってな。そのために個人識別機能と併せて世に出た技術だよ。ちなみに個人識別番号とIDはデボンの技術だ。その時点で既にデボンは先を行っていたんだが、ライバル企業があった。シルフカンパニーって言ってな」

 

 聞き覚えのない企業名にダイゴは、「そんなものが?」と尋ねる。今やデボンがポケモン産業を牛耳っているためにライバル企業という存在が考えられなかった。

 

「だがシルフ本社は壊滅、さらに言えば地下組織との癒着疑惑も出てきてポケモンリーグ終了と同時に理事会が発足。シルフは解体され、その全権がデボンへと委譲された。デボンの今日の成功はそれも起因している」

 

 その歴史は知らなかった。ダイゴが素直に感嘆していると、「まぁ、半分教訓話さ」とリョウは微笑んだ。

 

「そうやって出る杭は打たれるってな。シルフはあまりにもその企業名が有名であったための経済的損失ははかり知れなかった。だが、デボンという存在があったために、損害は最小限に抑えられた、と言うべきかな。もしデボンが出資企業に名を連ねていなかったらカントーは未だに経済損失から立ち直れていないだろう。デボンが遠く離れたカントーも支援しているのさ」

 

 その話とポケナビがどう結びつくのだろう。ダイゴが怪訝そうにしていると、「ポケギア、ってものが最初に作られて、って言ったよな」とリョウは続ける。

 

「そのポケギアの技術を母体として、シンオウ、イッシュ、カロスなどの地方がこぞって技術促進を競い合った。その過程で生まれたのがポケッチとかそういう派生機器さ。最新技術ではホロキャスターやマルチナビとかあるけれどその根底に流れるのはポケギアの技術概念だ。オレが言いたいのはな、そういう先行技術者や先行者を貶めるような真似だけはしてはいけない、という事だ。敬意を払わない技術者は破滅の道を辿る。技術には常に敬意を払うべし、ってデボンの理念にもある。歴史ってのを軽んじていると痛い目に遭うぞ、っていう警告でもあるんだ」

 

 リョウの話しぶりはつまり歴史を知らなければ最新機器を扱う資格もない、という事なのだろう。ダイゴは、「勉強になります」と返していた。

 

「馬鹿でも出来るようになったからって偉人の栄光が消えるわけじゃない。偉人をきちんと偉いと認識出来るようになるのには、だ。それなりの敬意の念を抱かねばならないんだ」

 

 それはツワブキ・ダイゴの事も含んでいるのだろうか。コノハの弁にあった初代の再生計画。その根底理念をリョウは話しているのではないか。そう考えるとあながち聞き流していい話とも思えなかった。

 

「偉人、ですか。そういえばリョウさん。俺の名前って、初代と同じ名前なんですってね」

 

 リョウが足を止める。もしかすると当たりを引いたか、とダイゴが感じていると、「そうなんだよ」とリョウは振り返って笑みを返す。

 

「よく気づいたな。サキ辺りがばらしたか? お前の名前も誇っていい名前なんだ。偉人と同じ名前だぞ。だからお前に話していたんだよ。ツワブキ・ダイゴの名前ってのは軽んじていいものじゃないぞ、ってな」

 

 その程度だろうか、とダイゴは窺う。もし再生計画を先導しているのがリョウならば、この話も詭弁という事になる。自分の肉体がフラン・プラターヌのものだと知っていながらこうも明るく話せるとすればとんだ狸だ。

 

「じゃあ俺は、ツワブキ・ダイゴを名乗っていいんですかね?」

 

「名乗っていいもなにも、大歓迎だよ。その名前に誇りを持って欲しい」

 

 言葉の表面ではいくらでも言える。だが、リョウの底抜けの明るさはそれだけではない気がする。もしや本当に一部分では何も知らないのか。知っていたとすればこの台詞は天然で言っているのか。自分に、呪われるべき名前を名乗っていいなど。

 

「安心しました。ツワブキ・ダイゴって名前の由来が気になっちゃって。サキさんに聞いたんですよ」

 

「そうか、そうか。まぁ、サキならば知っていてもおかしくないし、博士辺りなんか偉人として教え込まれただろうからな。そういう事を喋っても問題ない」

 

「リョウさんはどういう由来なんですか? お名前」

 

「オレ? オレの由来は特にないんだけれどな。確か親父がイッシュ地方に遠征していた際に世話になった旅行会社の社員か誰かの名前がリョウだったとか聞いたな。まぁ親父も酔っていた話だから当てにならないけれど」

 

 リョウは笑いながらダイゴの肩を叩く。

 

「だからお前の由来が羨ましくもある。まぁ、オレがつけたんだがな」

 

「ありがたいと思っています」

 

 お互いに本音か建前か分からない言葉を交わし合う。リョウが暗躍しているとすれば、自分も細心の注意を払わねばならない。リョウは上機嫌に、「どんなポケナビがいい?」と訊いてくる。ダイゴは、「どんなって……」と言葉を彷徨わせた。

 

「ポケナビ、って言ってもな、色々種類があるんだ。機能性とサービス面を考慮すればもちろんデボン製をおススメするが、他の会社もそう悪いものじゃない」

 

 ダイゴはデボン製に盗聴の可能性があると考えた。みすみす自分の行動を監視させるわけにはいかない。

 

「あの、俺マコさんに見せてもらったんですけれど、ホロキャスターってのがあるって」

 

「ああ、あるな。なかなかに使いづらいが使いこなせば一級品だ。今の若者の間での流行りでもある。ホロキャスターを専門に扱う店にでも入るか?」

 

 リョウの質問にダイゴは頷く。道を折れようとしたところで、「ああ、あの道通らなきゃならないのか」とリョウはぼやいた。その視線の先には何の変哲もない通路がある。

 

「何かあるんですか?」

 

「いや、あの道って悪い連中の集まりみたいなものでさ。自然とそういう奴らが赴く場所って言うか……」

 

 リョウは言いづらそうにしていた。窺ってみるが治安が特別悪そうには見えない。子供も遊んでおり、親子も目立つ。

 

「見た感じ、そういうのじゃなさそうですけれど」

 

「あの道はなぁ……、見た感じはそうでもないんだよ。でも、実際行ってみると分かる。ポケナビを買う前に少しだけ度胸試しでもしてみるか?」

 



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第三十二話「落し物の小道Ⅱ」

 

「度胸試し?」

 

 聞き返すとリョウは顎でしゃくる。

 

「あの道を何の被害にも遭わずに通り過ぎれるか、という賭けだよ。あの道はたった百メートルぽっちの道路に過ぎないが、カナズミに住んでいる奴ならみんな知っている。百メートルの間にいくつかものを落とす。別名、落し物の小道って言われている」

 

「落し物の小道……」

 

 ダイゴがおうむ返しにして道を眺める。道路の脇に自動車が停まっており、行き交う人々は落し物をしているようには見えない。

 

「いわゆる目に見えない落し物、ってのがあの通りにはたくさんあるんだ。ダウジングマシンって知っているか?」

 

 ダイゴはその情報を頭の中に呼び出した。人差し指を出して、「こうやって探る奴ですか?」と聞く。

 

「そう、それだ。まぁ、今は高性能で身体に身につけるタイプもあるみたいだが、ダウジングマシンでしか感知出来ないレベルの落し物があの場所にたくさん転がっているらしい」

 

「警察に届けたりとかは……」

 

 ダイゴの言葉にリョウは首を横に振った。

 

「駄目だよ。あの場所で落し物をしたら、それは落とした奴が悪いんだ。それに警察の人間だって例外じゃない。あの通りを行くと何かを落とす。もし、それが拳銃や重要書類であってみろ。厳罰レベルじゃ済まない事もある」

 

「つまり、警察ですらあんまり感知しない場所って事ですか?」

 

 リョウの話を統合すると、「出来れば通りたくないんだよなぁ」と額に手をやってぼやく。

 

「他の道は?」

 

「あるけど、ちょっと遠回りだぜ? それに、あの落し物の小道は運が良ければ誰かが落とした高価な代物を自分が拾う事も出来るんだ。ともすれば金を出さなくともホロキャスターレベルなら落ちているかも」

 

 リョウの意味するところが分かってきた。ダイゴにわざわざ金を払ってやるのも惜しいのだろう。落し物の小道で棚からぼた餅を狙っているのだ。

 

「あの、そういうのよくないと思うんですけれど」

 

「ダイゴ、でもな、この街で住む以上は絶対に、一度は通らなきゃならないんだ。なに、運試しだよ、運試し。お前、落とすとまずいもの持ってる?」

 

「手持ちとか……」

 

「モンスターボールなんて相当ぼうっとしていないと落とさないだろ。まぁ、オレだって他人から聞き及んでいるだけで実際にあの通りで落し物をした事はない。酷い目に遭うっていう都市伝説かもしれない」

 

 リョウも半信半疑なのか。しかし、なおの事通りたくなかった。リョウからしてみれば運試し、度胸試しの領域だろうが、今手持ちを失うわけにはいかない。

 

「遠回りしましょうよ」

 

「何だよ、ビビッているのか? クオンを手なずけたあの度胸はどこへ行ったんだよ」

 

 手なずけたわけではない、と言い返したかったが、リョウはどうあっても落し物の小道を通りたいらしい。自分の運試しも兼ねているのだろう。ダイゴはため息をつく。

 

「……じゃあ、行きましょうか」

 

「乗ったな? まぁ、どうせ落としやしないって。その前に持ち物を確認。オレは財布に三万円持っている。それとモンスターボール、警察手帳、ポケナビ、あとは、おっとポケットに千円札紙幣見っけ。もうけたな。あと胸ポケットに煙草が入っている。それぐらいかな」

 

 大雑把に持ち物を確認するリョウに倣ってダイゴも持ち物を確認する。手持ちのダンバルぐらいしか持ち物はない。懐を探ると、朝食の席に出ていたキャラメルが何個か入っていた。

 

「落とさないって。大丈夫、大丈夫」

 

 リョウが先行する。ダイゴは後からついて行った。道幅は二車線分、両端の歩道が横に人間三人分ほどの幅だ。充分な広さを誇るこの道で落し物など本当にするのだろうか。ダイゴは視線を巡らせたが、何かを落としそうな気配はなかった。茫々の雑草が生えており、そこいらがしきりに揺れているぐらいだ。

 

「何も変わりはなさそうですけれど」

 

「まぁ、見てなって。分からないもんだから」

 

 リョウは自分の持ち物は絶対に奪われないと思い込んでいるのだろう。ダイゴは一応、注意を張り巡らせたが、物を落としそうな気配はなかった。

 

「本当に、落し物なんてするんですか?」

 

「何だよ、疑っているのか?」

 

 リョウが足を止めて振り返る。いや、と返そうとしたその瞬間、何かが雑草から飛び出してリョウの懐に潜り込んだ。あっと声を上げる前に、その何かは素早く反対側の歩道へと隠れていく。目で追う事すら出来なかった。

 

「……何だよ、じっと見て」

 

 リョウは気づいていないのか。今、リョウの懐から何かが掏られた。ダイゴが指摘しようとすると、「あの……」と声がかけられた。二人して振り返ると子連れの女性が姿勢を低くして口元を押さえる。

 

「つかぬ事をお聞きしますが、私の娘のおもちゃ、あなた拾いませんでした?」

 

「おもちゃ?」

 

 二人して顔を見合わせる。そのようなものを持っているはずがない。しかし、リョウは一応確認する素振りを見せた。懐に手を入れる。その時、リョウの動きが硬直した。

 

「何でだ……」

 

 取り出されたのは小さなポケモンのおもちゃだった。水色のポケモンで、雲のような両翼を持っている。

 

「あたしのチルットのおもちゃ!」

 

 子供が声を上げる。リョウは、「あり得ないんだ……」とうろたえた。ダイゴにもわけが分からない。何が起こってリョウがおもちゃを懐に持っているのか。

 

「やっぱり! 勝手におもちゃを取らないでくださる?」

 

「いや、誤解です。オレは、おもちゃを盗ってなんて……」

 

「場合によっては、訴えてもいいんですよ! 子供のおもちゃを盗るなんて!」

 

 母親の剣幕にリョウはすっかり気圧された様子で手元のおもちゃを眺める。

 

「……間違いなく、オレは持っていなかったはずだ。なぁ、ダイゴ。オレ、こんなもの持っていなかったよな?」

 

 確認の声にダイゴは頷く。しかし、目の前で起こっている現象こそ全てなのだ。

 

「あなた! いつまでおもちゃを持っているんですか! うちの子のおもちゃをいい大人が取り上げて恥ずかしくないの?」

 

 リョウは慌てて、「すいません……」と母親におもちゃを返そうとする。母親は、「もちろん、ただではないですよね?」と手渡される前に声にした。

 

「いや、何かの間違いで……」

 

「盗人猛々しいとはまさにこの事! あなたがおもちゃを盗った事は間違いないんですよ!」

 

 リョウは財布から何枚かの紙幣を取り出し、「あの、こんな額でよろしければ」と母親に差し出した。母親が引っ手繰り、「娘の気持ちを踏み躙ったんですから」と当然という顔で紙幣をポケットに収めた。

 

 歩き去っていくその背中を眺めながら、「何なんだよ」とリョウがポケットをひっくり返す。

 

「オレ、持っていなかったよな? 何であの子のおもちゃが懐なんかに入っているんだよ?」

 

 問われてもダイゴにも答えようがない。何かが潜り込んできてリョウの内ポケットにおもちゃを忍ばせた、というのか。馬鹿な。

 

「リョウさん、つかぬ事をお聞きしますけれど、何か落し物をしていません?」

 

 ダイゴの声に、「落し物?」とリョウは懐を探る。すると、顔面が一瞬にして蒼白になった。

 

「嘘だろ、おい!」とリョウがスーツを脱いでポケットを裏返す。そこにあったはずの警察手帳がなくなっていた。

 

「オレの手帳がない……」

 

 やはり先ほどの何かだ、とダイゴは感じる。何かがリョウの持ち物を奪って、代わりに子供のおもちゃを置いていった。

 

 ――いつの間に? 

 

 その疑問を氷解させようとダイゴは周囲に視線を巡らせる。どこかに何かがいるはずなのだ。だというのに、その何かは見えない。

 

「のう、あんたら」

 

 その声にダイゴとリョウが振り向く。籐椅子に座った老人が手を伸ばしていた。

 

「困っているのか?」

 

 その問いに、「どうやら落し物をしたみたいで……」とダイゴが答える。

 

「そりゃ、難儀だなぁ。でも、ワシはもっと困っている」

 

 老人の言葉にダイゴは首を傾げる。老人は財布を取り出し、「ここにあったはずのワシの保険証」と言葉にした。

 

「ないんじゃよ。あるはずなのになぁ」

 

「そりゃ、ご愁傷様で」

 

 リョウが相手にするべきではないと感じたのか立ち去ろうとする。ダイゴも軽く会釈して去ろうとしたが老人は、「待てよ」と強く呼び止めた。

 

「そこの、銀色の髪の兄ちゃんのほうだ。ポケットを裏返してみろ」

 

 ダイゴは、「俺?」と聞き返す。老人が顎をしゃくった。

 

「そのポケットに何もなければ、見逃してやる」

 

 何を言っているのだ、という思いが突き立つ。何かが入っているはずがないだろう。ダイゴはポケットに手を入れた。

 

 その瞬間、総毛立つ。ポケットの中にカードのようなものが入っていた。指先が探り当て、それを取り出す。老人の保険証だった。

 

「お前、盗んだな」

 

 老人の目が細められる。ダイゴは困惑した。

 

「ち、違う……」

 

「違うも何もなかろう。そのポケットにワシの保険証があった。それが真実」

 

 ダイゴは改めて保険証を見やる。自分のものではないのは明白だったがどうして、いつの間にポケットに入ってしまったのか。

 

「何かの間違いで……」

 

「間違いで済めば警察はいらんじゃろう! 老人の保険証を掏った人間がのほほんと住めるほどカナズミシティは懐が深くないんじゃよ。お前の事を警察に突き出すぞ。この街に住めなくなってもいいのか? うん?」

 

 ダイゴはどうすればいいのか分からなかった。保険証を返すべきだ、と感じて歩み寄った瞬間、耳打ちされた。

 

「ただで、なわけがなかろう?」

 

 ダイゴは、「でも俺には金が……」と戸惑う。老人はリョウへと視線を据えた。

 

「じゃあ、そこの兄ちゃんだな。こいつが慰謝料の一つも払えないと言う。家族だとしたら、恥だよな?」

 

 リョウは、「……すいません」と紙幣を差し出す。老人は引っ手繰って、「分かればいいじゃよ」と口にした。

 

「だが、老人の保険証を盗むなんて事が知れれば大変じゃろうな」

 

 どうやらこの老人はここで終わらせる気がないらしい。二人から搾り取れるだけ搾り取るつもりだ。

 

「でも、オレ達はただ、道を通りすがっただけで……」

 

「あのな、ここは落し物の小道。落とした奴は落とした自分が悪いし、拾った奴には特に非はないが、それが拾ったのではなく盗んだのならば事は重大。盗人猛々しいぞ。耳をそろえて十万で手を打とうじゃないか」

 

 老人の言葉にリョウは目を見開く。

 

「それは恐喝じゃ……」

 

「だが盗んだのは事実。どうする?」

 

 リョウはダイゴの保護者としての責任がある。不始末はきちんと決着をつけねばならない。リョウは、「じゃあ、その、検証させてください」と声にする。

 

「検証?」

 

 怪訝そうな老人へと、「ダイゴ」と呼びかける。

 

「ポケナビの動画機能でお前を十分ほど映そう。何かが起こっているはずなんだ」

 

 リョウがポケナビのカメラを向ける。ダイゴは一歩も動かずにいた。自分から取るものなど何もないはずだ。老人が、「そんな事をしても無駄じゃて」と口にする。

 

「ワシは年季が入っているんだよ。カナズミのこの道の事は誰よりもよく知っている。落とした奴が悪いし、拾ったとしても咎められない。ただし盗んだのならば別だ、と。分かるか? 落とした奴が悪で、拾った奴が正義。盗むのは論外なんだって事が」

 

 ダイゴがそれを聞きながら立ち竦んでいると、「おいおい!」と荒々しい声がかけられた。振り返ると数人の若者達がたむろしている。

 

「さっきまであったオレの小包がねぇ!」

 

 その声にダイゴはもしや、と感じる。リョウはずっと撮影を続けているはずだ。だとすれば、自分が誰かの物を盗るなどあり得ない事が証明されるはずである。そっと懐に手を入れる。指先があり得ないものを引き当てた。

 

「……馬鹿な。そんな」

 

 ダイゴが懐から取り出したのは掌サイズの小包だ。若者達が、「お前!」と声を荒らげる。

 

「そんな事をしてただで済むと思っているのかよ!」

 

「いや、誤解だ」

 

 ダイゴの抗弁を聞こうともしない若者達は、「誤解だってよ」とお互いに笑い合う。

 

「だったら、てめぇの持っているそれは何だよ!」

 

「だから誤解だと言っている。実はさっきからカメラを回しているんだ」

 

 リョウへと目配せする。リョウはポケナビの動画機能を読み込んだ。

 

「これで映っているはずだ……」

 

 動画が再生される。ちょうど老人との会話が切れてからダイゴはじっとしていたが、次の瞬間、ダイゴの懐へと何かが潜り込んできた。ほとんど質量を感じさせない速度で何かが通り過ぎる。ダイゴは、「あっ!」と声にする。

 

「今のは?」

 

「何か、だな。スロー再生してみるか」

 

 スローで再生されるも何かの影は掴めない。動画の画素が粗くなるだけだ。

 

「おい! 無視決めてんじゃねぇぞ!」

 

 若者達の大声にダイゴはびくりと肩を震わせた。リョウも警察手帳がないためにこの場で彼らをいさめる方法がない。何よりも、ダイゴの手に小包がある事は疑いようのない事実だからだ。

 

「何か、がいるはずなんだ」

 

「何かって何だよ! ぼんくらが!」

 

「失礼に対して何の謝罪も出来ないのかよ!」

 

 若者達の声にダイゴは肩を縮こまらせる事しか出来ない。

 

「……どうすればいい?」

 

「そうだな」

 

 若者の一人が顎をしゃくる。すると、トートバックが手渡された。

 

「これは?」

 

「中身見るんじゃねぇぞ。それと小包を、だ」

 

 視線で示された方向には煙管を吹かす女性がいる。カタギでないのは風体を見れば分かった。

 

「あの女に渡せ。手招かれれば地面に置いて、それだけでいい」

 

 それだけ、のはずがあるまい。ダイゴは周囲を見渡した。路肩に停車しているセダンには二人の男性が乗り込んでいる。じっとこちらを観察していた。ダイゴは、「何か、やばい事なんじゃないだろうな?」と聞き返す。

 

「やばかろうが何だろうが、オトシマエぐらいはつけろよ! オレの小包を盗っておいてよ! 盗人猛々しいとはこの事だぜ!」

 

 何も言い返せない。この落し物の小道のトリックが見抜けなければ、この状況を打開する事も出来ないだろう。

 

「……ダイゴ」

 

 リョウが囁く。ダイゴは耳をそばだてた。

 

「ここは言う事を聞くふりをしよう。そうじゃないとここから離れる事すら出来ない」

 

「でも、このトートバックの中身は、明らかにやばいものですよ。持った感じ、ちょっと重いくらいですけれど、俺が察するとこの中身は――」

 

「ブツブツ言ってんじゃねぇ!」

 

「さっさとやれ! オラッ!」

 

 若者達の声にダイゴは言葉を飲み込んだ。これ以上、リョウと示し合わせる事も出来ないだろう。

 

「もし捕まっても、オレの顔が利く部署ならば何とかする」

 

 リョウの言葉に、「信じていますよ」とダイゴは女へと歩み寄った。煙管を吹かしていた女が顔を上げて手招く。ダイゴはトートバックを地面に置いた。その瞬間、ホルスターからモンスターボールを引き抜く。ダンバルが飛び出し、周囲へと攻撃を放った。セダンの扉が開き、二人組の男が自分を掴み上げる。

 

「確保!」の声が響いた。

 

「1025。不正麻薬取引の現場を拘束!」

 

 時計を読み上げる男の声にダイゴは抵抗出来ない。男のうち片方が、「貴様! 手荷物検査をする!」と無理やり引っ掴んだ。視界の隅でリョウが逃げ出していくのが目に入る。ダイゴは完全に見捨てられた形となった。雑草が揺れる。根元から小さな影が出現した。

 

 ダイゴはそれを目にして、やはりと確信する。

 

 電気袋を頬に備えた黄色と茶色の混じったねずみポケモンだ。極めて小柄で二十センチあるかないかだろう。あれが素早く動いて自分達から物を盗っていったのだ。

 



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第三十三話「落し物の小道Ⅲ」

 

 撮影した時、既に気づいていた。

 

 小さな影、あれはポケモンのものだと。だとすればそれを捕捉出来なければ意味がない。

 

 リョウはダイゴが捕まるのを利用した。あのトートバックの中身は恐らく現金。小包は違法薬物か何かだろう。

 

 ダイゴはその引き渡し人にされてしまったようだ。だが自分の権限で逃げ出せるといっても手帳がなければその効力はないも同然。リョウはダイゴが捕まった時を見計らって逃げる事にした。もちろん、ただでは逃げない。この現象を最大限まで利用する。何かが自分達に接触する瞬間は目に映らない。だが、それが最大の盲点でもある。目に映らない何かに物を盗られた時、自分でも分からないのならば相手にしたって同じ事だ。

 

 リョウは地面に置いたトートバックを何かが奪う時にも相手にしたところでその瞬間は見えないのだと感じた。だからこそ、わざと物を落として何かを誘導し、自分の側へと有効に使った。リョウはポケナビを外し、わざと地面に落とす。それとダイゴがトートバックを置いたのは同時だ。

 

 もし、この現象を引き起こしているポケモンが一体ならば、一度に出来る事は物を盗る事と入れ替える事のみ。恐らく若者達は現象を一方だけ利用して警察の目を掻い潜り、交換を果たそうとしたのだろうが、自分が物を落とした以上、現金と交換されたのは自分の側だ。リョウはそれを手にした感触もないままに駆け出していた。自分の側に現金が呼び込まれたのならばこの場に留まっているのは危険である。

 

 駆け出したリョウに声を投げたのは若者の一人だった。

 

「お前!」

 

「あいつ、この現象を知ってやがるのか」

 

 忌々しげに放たれた声ももう遠い。角を曲がればこの落し物の小道ともおさらばだ。ダイゴに罪をなすりつけるようで悪いが、ここは撤退させてもらう。

 

 角を曲がる直前、何かが自分と並走しているのに気づいた。足元へと潜り込み、何かが地面を駆けている。何だ、と目を凝らす前に、「させねぇ!」と角から別の若者が飛び出した。ポケナビが手にあり、連絡を取り合っていた事が分かった。リョウがしまったと足を止めた時にはその若者に角へと引っ張り込まれた。

 

「出し抜こうってわけだったんだろうが、残念だったな」

 

 若者がリョウへとナイフを押し当てる。

 

「悲鳴を上げれば刺す。何か言っても刺す。この現象を理解したつもりだろうが、甘いんだよ」

 

 脅しをかける若者にリョウはフッと口元を緩めた。

 

「甘い、か」

 

 その声に若者は怪訝そうに眉をひそめた。

 

「何がおかしい」

 

「いや、お前が言っただろう? この現象を理解しているのならば、と」

 

 その時、若者の背後で影が屹立した。振り返った若者の目に映ったのは丸い巨体だ。未発達な両腕を伸ばす銀色の球体めいたポケモンの姿に若者が戦慄する。点字の意匠を取り込んだ眼が光り輝いた。

 

「レジスチル。この現象を理解しているのならば、最大限に利用する。オレがモンスターボールに手を伸ばしてダイゴにこの手持ちを見せるわけにはいかないからな。このねずみポケモンを利用させてもらった」

 

 リョウの視界の隅でモンスターボールを抱えて草陰から顔を出す小さなねずみポケモンがあった。アンテナのような髭を掻いている。

 

「見た事がある。デデンネだ。こいつの特性は物拾いだろう。ただここに住んでいるデデンネは物を拾うだけじゃなく、相手に物をなすり付ける能力もあるようだが」

 

 見たところ活動しているのは三体未満。ならば、このポケモンが動く可能性に賭けた。若者が悲鳴を上げようとする。それを制するようにレジスチルの手が若者の口を塞いだ。

 

「押し潰せ。派手な音は立てるなよ」

 

 レジスチルの鋼の腕が若者の頭部を圧迫する。若者は悲鳴を上げる前に圧死した。リョウはデデンネからボールを奪い、レジスチルを戻す。

 

「さて。デデンネがきちんと活動しているのならば現金もオレの物になったはず」

 

 落し物の小道を抜け、近場の公園で懐を探る。しかし、取り出されたのは意外なものだった。

 

「何だ、これ」

 

 現金があると期待していたリョウの手にあったのはキャラメル数個だ。どうしてだか、それが懐に忍ばされていた。

 

「ない! ないぞ!」

 

 今さらにうろたえたリョウが声にする。

 

「現金がない!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「検めさせてもらう!」

 

 声を張り上げた警察官はダイゴの懐からこぼれ落ちたものを視界に入れる。それは黒塗りの手帳だった。

 

「警察、手帳?」

 

 ダイゴはそれを拾い上げ、「お勤めご苦労様」と口を開く。

 

「君達がもし、ここで違法薬物の取引を張っていたのならば、さっきの女を追うべきだ。俺は職務をこなさねばならない」

 

 ダイゴの声に警官の二人組が唖然とする。

 

「な、何者だ、貴様!」

 

 ダイゴは警察手帳を掲げた。

 

「公安の者だ。ツワブキ・リョウで名が通る」

 

 ダイゴの声に二人組が声を詰まらせる。ダイゴの懐にはさらに現金も入っていた。袋に入れられた現金の束に、「そ、それは」と警官が注意しようとする。

 

「君達も知っての通り、この場所は落し物の小道。落とした奴が悪くって、拾った奴には非がない。詮索はしない事をおススメする」

 

 ダイゴは先ほどのダンバルの行動を思い出す。リョウがこの現象を解しているのは半ば賭けだったが、もし、リョウがこの現象を逆利用するのならば、縄張りにしている小型ポケモンの特性を知り得ているはず。ダンバルが発したのは「しねんのずつき」。二割の確率で相手を怯ませる。ダイゴは怯んだポケモンを狙って物を奪った。

 

 物を落とせば、それが奪われる代わりに誰かの手に渡る、という法則。

 

 怯んだポケモンのうち、リョウの警察手帳を奪ったポケモンを覚えていた。そのポケモンから手帳を奪い、代わりにトートバックの中身の現金を掴ませた。リョウが奪おうとしたのは現金だ。

 

 だから、ダイゴはそのポケモンと自分の持ち物を交換した。キャラメル数個をわざと落とし、現金と交換する。順番が一つでも間違えれば成立しない交換条件だったが、リョウが落としたのは二つであったため成功した。

 

 一番目にダンバルの攻撃によって怯んだポケモンから手帳を奪う。トートバックの中身を奪ったポケモンはリョウのポケナビを奪い、交換が成立する。この時点で現金はポケモンの物であり、優先順位はリョウのほうだ。

 

 それだけならば現金はダイゴの物にならない。しかしリョウはもう一回、交換を発生させた。何を落としたのかは知らないが、交換が成立し、何かと現金が再び交換させられる。リョウは手順として現金を得るはずだったが、その間にダイゴがキャラメルを落とした事で交換が発生し、現金とキャラメルが交換条件に挙がった。結果としてダイゴは手帳と現金を得る事が出来た。もちろん、リョウが余計な手出しをしなければ現金までは手に入らなかっただろう。

 

「その、失礼な事を……」

 

 言葉を濁す警官二人に、「いい。ただし、書類はこちらで通すから報告はしないで欲しい」とダイゴは声にした。留置所で何度も耳にした刑事特有の喋り方だ。

 

 身を翻すと囁き声が耳を掠めた。

 

「……なぁ、本当に公安の人間なのか?」

 

「手帳見ただろう? 一般人に警察手帳が持てるかよ」

 

 ダイゴは振り返る。「疑っているようだが」と口を開いた。

 

「ここは落し物の小道。落とした奴が悪で、拾った奴が正義、盗んだ奴は論外。そういう事だよ」

 

 ダイゴの声に二人とも何も返そうとはしなかった。呆然とする二人を置いて、ダイゴは警察手帳を捲る。リョウが公安であった事、それに立場を最大限に利用出来る事が勝算だった。だが警察署内で今のような誤魔化しが通用するとまで楽観主義ではない。ダイゴはリョウの警察手帳からあらゆる事を読み取ろうとしていた。リョウの階級、それに今の事件の進捗状況。もしかしたら、警察手帳に何か手がかりがあるかもしれない。だが目に入ってきたのは驚くべき記載だった。

 

「公安七課所属……、ツワブキ・リョウ。この部署と、階級って……」

 

 公安。それはニシノが所属していたはずの組織ではないのか。だとすれば、ダイゴを保護した時、リョウは既に知っているはずなのだ。自分の部署の人間がダイゴを殺そうとした事を。それに失敗しダイゴを取り逃がした事まで。だというのに、リョウは今日まで何も言ってこなかった。それは裏切りよりも深い業である。

 

「リョウさん、あなたは一体……」

 

 何者なのだ。その問いは風の中に霧散した。

 



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第三十四話「不老の研究者」

 

 面会時間は十分、との事だった。

 

 サキは控え室の椅子に座って待機する。相手がガラスで隔てられた向こう側からのっそりと顔を出した。点滴チューブを垂らしており、付き人が従っている。サキは少なからず驚いていた。初代と関係がある、という事はそれなりの高齢である事が予想される。だが、目の前に現れた男はほとんど年老いている気配がなかった。四十代手前か、三十代後半で年齢が止まっている。その印象を胸にサキは声を出す。自分でも存外に緊張している。

 

「プラターヌ博士、ですね?」

 

 問いかけるとプラターヌは、「ああ」と首肯する。どうやら本人に間違いないらしい。サキは付き人の視線を感じながらも率直に問いかけた。

 

「あなたは遺伝子研究の権威と聞きました」

 

「そんな事もあったかな」

 

 読めない声色にサキは話を切り出す。

 

「メガストーン、それにメガシンカ、それに関わる十の論文。全て、目を通しておきました」

 

 サキは鞄の中から論文資料を出す。するとプラターヌは少しだけ戸惑った様子だった。

 

「わたしの資料を読んだのかい?」

 

「はい。あなたが論争を招く要因になった矛盾する論文に関しても」

 

 その言葉にプラターヌは苦い顔をする。矛盾する論文。それはサキもプラターヌに関する情報を得る過程で偶然得た産物だった。

 

「カロス地方でのみ、メガシンカは発動する。メガシンカにはキーストーンとメガストーンが必要になり、トレーナーとポケモンとの絆によって発動する。……興味深いのはあなたが拠点を構えていたカロス地方で最初に発見された、という点ですが、既にホウエンなどでは見られていた現象であった、という事です」

 

 サキの口調にプラターヌは答えない。答える気がないのか、と勘繰っていると、「お恥ずかしい話でね」と口元を緩めた。

 

「わたしももうろくしていたんだ。もう十年以上前の論文だが、カロスのみでメガシンカは発動すると考えていた。カロスには不思議な石の伝説が数多く残っていたし、それにまつわる継承者なんていう特別な地位もあった。メガシンカは、カロスのみの事象であると。……だが後にそれは間違いであった事が発覚した。ホウエンでは既にメガシンカは確認済みである事、さらに言えば第一人者を自称していたわたしが、実のところで言えば三番煎じもいいところの論文を書き上げた事かな」

 

 メガシンカに関する情報はしかし、プラターヌが発表した事によって公に広まった事は間違いない。その功績は素直に称えられるべきだ。しかし、今、彼がこの身分に甘んじているのには理由があるのだろう。サキは問いを重ねた。

 

「院長に聞きました。プラターヌ博士、あなたの体細胞は老化しないのだと」

 

 あり得ない話だったがそれこそが彼の身柄をホウエンの大病院が確保している理由であった。曰く、ちょうど十年前より彼の身体は老化しなくなったという。それを調べるために各地方の名医が呼ばれたが、原因は究明出来なかった。今、ホウエンの院長との縁でこの病院に留まっているが、プラターヌ自身、自分の身体がどうなったのか調べ上げるためだという。嘘か真か分からない話だったがプラターヌは特に隠し立てする事もなく、「よく調べたね」と微笑んだ。その笑みはやはり齢五十を超えるとは思えない。

 

「何があなたに起こったのですか?」

 

「色んなジャーナリストとか、色んなテレビで証言したよ。でも、聞き入れられなかった。カットされたり、信じるか信じないかはあなた次第、とかアオリつけられたりね。都市伝説の一つに過ぎないとも言える老いない研究者にわざわざ警察からお呼びがかかるとは思わなかったよ」

 

 自嘲気味の声に、今までまともに取り合った人間がいなかったのだろうと予測する。

 

「確かに、信じられない事ですし、私自身、戸惑っています。あなたが若々しいままでいる事が」

 

「それで何かな? 矛盾する論文とわたしが老いない理由を問い質して、警察官に何の得がある? まさかこんな老いぼれを嗤いに来たか?」

 

 プラターヌの言葉にサキは首を横に振った。

 

「最終兵器、というものをご存知ですよね」

 

 その言葉に今まで一点を見つめていなかったプラターヌの視線がサキへと注がれた。一瞬だけ張り詰めたような静寂が降り立つ。だがすぐにプラターヌ自身が肩を竦めて掻き消した。

 

「何だい? それ。新手のSFかな?」

 

「最終兵器。それはカロス地方をかつて滅ぼしたとされる異端の兵器。一度発動すれば人間とポケモンの見境なく、全てを灰燼に帰すと言われている。十年前、カロス地方でこの最終兵器の模造品が発動しましたね?」

 

「デタラメだ」

 

 一笑に付すプラターヌを無視してサキは続ける。

 

「フラダリという怪人物の犯行だとされてきた。そのフラダリも、ホロキャスターの開発者でありあなたとは何度も肩を並べた友人である事に私は驚きました。最終兵器発動時、いいえ、正確には発動しなかったそうですが、あなたはその最終兵器の光を最も強く浴びる場所にいた。ヒャッコクシティに、日時計と呼ばれる巨大な鉱石がある事をご存知ですよね?」

 

 プラターヌは、「あるにはあるが」と言葉を濁す。

 

「それが何だと?」

 

「ヒャッコクの日時計には最終兵器の光を増幅する機能があった。あなたはそれを浴びて、不老の人間となった」

 

 サキの推理にプラターヌは、「面白い作り話だ」と拍手を打つ。

 

「きっと、週刊誌とかには高く売りつけられるだろう」

 

 プラターヌはこの段になっても認めようとしない。サキはもう一つの手を打つ事にする。

 

「ツワブキ・ダイゴ、という人物をご存知ですよね」

 

 その名前にプラターヌは今までの善人の能面を捨て、初めて驚愕を露にした。だがすぐさま微笑みの中に隠そうとする。

 

「ツワブキ・ダイゴ……? ああ、確かカントーの王だったね。二度の防衛成績を持つ、ホウエンからしてみれば英雄じゃないか」

 

「あなたはツワブキ・ダイゴと交友関係にあった」

 

「出来すぎだよ。そこまでわたしは――」

 

「交友関係にあっただけではない。ツワブキ・ダイゴとあなた、何か秘密を共有したんじゃないですか? だから隠し立てする必要がある」

 

 遮って放った声にプラターヌは片方の眉を上げてから付き人に声をかける。

 

「あと何分だい?」

 

「あと三分ですね」

 

 付き人が時計を見て告げる。サキはついつい急く口調になっていた。

 

「あなたの不老の身体とツワブキ・ダイゴは無関係ではない!」

 

「勝手な妄想だよ。どうしてわたしとツワブキ・ダイゴが関係あるというのだね。顔を合わせた事なんてないよ」

 

「しかし、メガシンカの権威としてあなたはツワブキ・ダイゴと一度は会っているはずです。その時、あなたは恐らく不老の身体を説明した」

 

「言いがかりはよしたまえ」と付き人にさえいさめられる。プラターヌは、「どうやらわたしの出る幕ではないらしい」と腰を浮かしかけていた。

 

「オカルトなど」

 

「オカルトだと断じないでもらいたい」

 

「では確たる証拠と、それに基づく理由と、さらに言えばそのツワブキ・ダイゴを連れてきたまえ」

 

 プラターヌの言葉にサキは歯噛みする。

 

「……ツワブキ・ダイゴは、もういません」

 

「だろう? 二十三年前に死んだ。これは周知の事実だよ。だからもうその事に関して話す事は何もないし、彼についてわたしが知っている事もない」

 

 プラターヌが踵を返そうとする。サキは切り札を差し出す事にした。

 

「その彼が! 生きているかもしれないとなればどうします?」

 

 プラターヌの身体が硬直する。付き人が、「行きましょう、博士」と促す中でプラターヌが振り返った。

 

「どういう意味だ?」

 

 サキは口調を整えて言い直す。

 

「ツワブキ・ダイゴ。確かに初代は死んだかもしれません。ですが、極めて彼に近い、いえ、ともすれば彼そのものと言える存在が現れたとしたら?」

 

 サキは調べ上げた資料を鞄からちらつかせる真似をする。だがその資料は実のところ白紙だ。ダイゴに関して分かった事などほとんどない。初代との関連性も、またメモリークローンや彼自身の事も。だが無関係ではない、と感じていた。ポケモンの血と人間の血がそっくりそのまま入れ換えられた個人。記憶喪失の謎。それを解き明かすにはこの不老の研究者の力添えが必要だ。

 

 ある意味では賭けだった。これにプラターヌが乗らなければ、こちらの負けは確定である。しかし、プラターヌは再び椅子に座り込んだ。付き人が告げる。

 

「十分経ちましたが」

 

「いい。続けよう」

 

 プラターヌは付き人を下がらせる。会釈をして離れていく付き人に対し、プラターヌはいやに冷静に、サキを見据えていた。

 

「今の話、興味深いな。二十三年前に死んだ王が、生きていると?」

 

 来た、とサキは手応えを感じ取る。

 

「同一人物ではないかもしれませんが、ツワブキ・ダイゴの名を冠する個人が保護されました。彼には一切の自分に関する記憶がない」

 

 引き付けなければ、とサキは情報を小出しにする。この研究者の興味を切らしてしまえば終わりだ。プラターヌは、「謎だね」と真面目な顔になる。

 

「さらに言えば、彼にはもう一つ、ある特徴がある」

 

「何かな?」

 

 プラターヌの顔立ちは最早、もうろくした研究者の顔でも、あるいは不老の怪人の顔でもない。真実を探求する研究者、第一線を走る人間のそれだった。

 

「血液です。ポケモンにしか含まれない血中の成分が彼の血には含まれている。さらに言えば、彼の手持ち、ダンバルもポケモンには本来含まれていないはずの成分の血が流れている。それはヒトの血です」

 

 ここまで出してしまえば、あとの手はほとんどない。乗るか、とサキは唾を飲み下す。プラターヌは顎に手を添えて口を開いた。

 

「つまり、血がそっくりそのまま、入れ換えられている」

 

 どうやら興味を示したらしい。サキは、「不自然ですよね」と声にする。プラターヌが腕を組んだ。

 

「ポケモンの血と人間の血っていうのは全く組成が違うそうです。共通する塩基とか、そういうものが全くない。つまり拒絶反応が起こるはずなんです。ですが、彼はいたって健康。問題があるのは」

 

「記憶喪失、だけか」

 

 プラターヌが言葉尻を引き継ぎ、顎をさすった。どうやら考え込んでいるらしい。自分もひたすら考えた。この研究者はその鍵を持っているはずなのだ。

 

「その彼、初代とは別個体だというのは」

 

「確認済みです。ホウエンの各病院に初代ツワブキ・ダイゴの遺体はある」

 

「確か、バラバラになっているはずだな。もちろん、初代との関連性を疑うのならば遺伝子組成の一致は」

 

「行いました。その結果、九割以上の確率で彼と初代は同一人物」

 

 知り得たほぼ全ての情報。どう出るかとサキが睨んでいるとプラターヌは出し抜けに微笑んだ。

 

「なるほど。それはきな臭い、というよりも怪しいとしか思えないね。二十三年前に死んだはずの王と同じ体組織の人間が出現したとなれば、一大事だろう」

 

「この事は極秘です。限られた人間にしか情報は渡っていません」

 

「もちろん、上司や部下には」

 

「言っていません」

 

 サキの応答にプラターヌは満足したように息をついた。

 

「まぁ、言えないね。それをさらに言えば一個人に過ぎない君のような若い刑事が探っているなど。……だが、これは奇妙だ」

 

 プラターヌが目を向ける。その眼差しが予想外に鋭く、サキは心を見透かされたような気がした。

 

「これだけ気になる要素が並んでおいて、誰も調べていないはずがない。しかも、ツワブキの名はそう易々と名乗れない。わたしが考えるに噛んでいるのは最低でも二つ以上の組織。確実なのはツワブキ家。彼の身元引受人だね。そしてもう一つ、この情報を家だけで留めるはずがないだろう。どこかの機関に委託なり何なりして彼の素性をどうしてでも調べ上げたいはずだ。その組織が一つ」

 

 プラターヌが指を立てる。意外なのはツワブキ家を含んでいない点だった。

 

「もう一つは?」

 

「敵対組織だ。人間とポケモンの垣根を文字通り侵した人間だよ? それを解剖でも何でもしたいのが一つ目だとして、もう一つはそんな存在を真っ向から否定する組織。つまり、あっちゃいけない存在をなかった事にしたい相手だ」

 

 それが抹殺派か、とサキは結論付ける。彼の存在そのものがポケモンと人間に関しては罪悪なのだとする団体。そう考えれば敵対組織の行動動機も頷ける。

 

「もし、そうならば、彼は今も狙われている」

 

 サキの言葉に、「いや、さほど焦る事はないだろう」とプラターヌは返した。思わず疑問符を浮かべる。

 

「何でですか?」

 

「ツワブキ家がわざわざそいつを引き取ったって事は、さ。死なせたくないんだろう。何かを期待しているようにも映る」

 

「何か……」

 

 全てはリョウの独断ではなかったのか。ツワブキ家の総意だったとすれば、それはそれでツワブキ家全員が真っ黒だ。

 

「これ以上は推測になるが」とプラターヌは前置いた。

 

「血を入れ換えられても拒絶反応一つ起こさない身体。耐え得るメンタリティ。ただ単にツワブキ・ダイゴの名前を、ちょっとつけてやろうっていう意図じゃないような気がするね。少なくともポケモンにニックネームつけるような気軽さじゃないだろう。彼の写真はあるのか?」

 

 サキは懐からFの用意した彼の写真を差し出す。プラターヌは一言、「似てるな」と添えた。それが初代に、という意味なのかを解する前に、「やるべき事がある」とプラターヌは立ち上がった。

 

 まさかこの段になって話を打ち切る気なのだろうか、と勘繰っているとプラターヌは付き人を呼んだ。「何でしょう」と扉を潜ってきた付き人へと、プラターヌは蹴りを放った。警戒していなかった付き人からしてみれば突然の強襲だ。身体にまともに受け止めた衝撃と、さらにプラターヌは首筋へと手刀を見舞う。付き人が昏倒して倒れた。サキは思わず立ち上がり、「何を!」と声を張り上げる。

 

 プラターヌは唇の前で指を立てる。

 

「静かに。出来るだけ穏便に出たいだろう」

 

 点滴を無理やり引き千切り、プラターヌは周囲を警戒する。サキは、「何のつもりなんですか」と尋ねた。

 

「何のつもり、ってそこまで聞いて、はいそうですか、って病院の中に居残る必要もあるまい?」

 

 プラターヌは思わぬ言葉を投げた。

 

「ここを出よう。久しぶりに楽しめそうだ」

 

「何を言って――」

 

「職員が来るぞ。わたしは勘付かれずにここを出る方法ぐらいは心得ている。どうするね?」

 

 サキは決断を迫られていた。早鐘を打つ鼓動が、今は逆に嘘くさいほどだった。

 

 

 

 

 

 第三章 了

 



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因縁の刻印
第三十五話「愛の信奉」


 まずはマルボロだ。

 

 プラターヌの要求はそれだった。サキは逃亡の手助けをした事を悔いているわけではない。だが、ようやく追っ手から逃れ、自身の部屋に上がりこんできた男の言動にしては奇妙なものだと感じたのだ。

 

 プラターヌ博士。

 

 遺伝子工学の権威であり、ポケモンのメガシンカの分野においては先駆者とも言える存在。その彼が、どうして病院に入れられていたのか、聞き出すより先に彼との逃亡を自分は行っていた。サキは後悔するわけではなかったが、プラターヌが何を考えているのか全くもって理解不能である。ダイゴの症例を挙げてプラターヌを上手く誘い込む事には成功したもののまさか病院からの脱出だとは考えもしなかった。項垂れるサキへとプラターヌは告げる。

 

「まずはマルボロだ」と。

 

 どういう意味なのか、サキは最初理解していなかった。病院にいた人間の吐く言葉だとは思えなかった。

 

「どういう意味なんです?」

 

 サキの問い返しにプラターヌは人差し指と中指をくいっと曲げ、「要求はそれ以上はない」と口にする。

 

「君の理解が早いか、わたしの理解が早いか、だ。わたしはマルボロを要求しているだけだし、君はそれに応じればいい」

 

 プラターヌの言葉にサキは額に手をやる。どうにも飼い慣らしづらい。

 

「あの……、私はあなたの付き人じゃないんですけれど」

 

「だが逃亡を許した。あの場所にわたしを括りつけておく事をよしとしないのだろう? 全ては、そのツワブキ・ダイゴ君の謎を解明するために」

 

 その鍵は自分しか持っていない、とでも言いたげな風だ。サキは机の周辺を見やる。デスクトップパソコンのほかには何もない。サキ自身喫煙はしないためにもちろんライターもマルボロもなかった。

 

「私は持っていない」

 

「だったら買ってくるといい。マルボロならばどこ産でもわたしは構わない」

 

 既に煙草を弄ぶ形になっている指を見やってサキはため息をつく。

 

「マルボロで、いいんですね?」

 

「ああ。上等なほうが好みだが別に何でもいいさ」

 

 サキは部屋を出る。その際、鍵をかけておくべきか悩んだがプラターヌはせっかく病院から出たのだ。まさか外を出歩くわけがないだろう、と鍵はかけないでおいた。

 

「何で私が小間使いのような真似を……」

 

 ぼやきながらサキはスクーターにキーを差す。近くにタバコ屋はあったか、と考えてコンビニで済ませればよかろうと結論付けた。

 

「マルボロ……、知らない種類だな。お父さんも煙草は吸わないし。まぁいいや。何でもいいとの事だから」

 

 一つだけ、プラターヌの脱走を聞きつけた誰かが自分の部屋に押し入る事があるかもしれないと感じたが、その時はその時だろう。プラターヌも特別、自分を守れといっているわけではない。

 

「とりあえずスクーターで出ればいいか……」

 

「どこへ行くつもりかな?」

 

 不意に聞こえてきた言葉にサキは振り返る。近くの止まり木にペラップが止まっていた。

 

「Fか……」

 

 思わず口調に緊張が走る。Fはそれを見透かしたように笑い声を上げた。ポケモンが人間のように笑うのは奇妙に映る。

 

「プラターヌ博士をきちんと押さえた辺り、さすがだと感じる」

 

「何を馬鹿な事を。お前らは、それを見越して私に情報を与えたのだろう」

 

 そうでなければプラターヌの身柄などに気づく事はなかった。Fはふふん、と鼻を鳴らす。

 

「伊達ではないね。まぁ一両日中にプラターヌを手にするとは思わなかった。これは素直な感想だよ」

 

「あれは何を知っている?」

 

 サキの詰めた声にFは首を傾げた。

 

「何を今さら。ツワブキ・ダイゴの事だろう」

 

「あれは初代ツワブキ・ダイゴの事を知っている風だった。今の彼じゃない」

 

「それでも、それが糸口になる、と感じたから、あんたはプラターヌを危険を押して身柄を掴んだ。優秀だよ。評価に値する」

 

 サキはFのわざとらしい賞賛に鼻を鳴らす。

 

「お前らの組織、ツワブキ・ダイゴ――彼の保護が目的なのか? それにしては彼への干渉は最低限に思えるが」

 

 サキの言葉にFは、「そうかもしれない」と答える。

 

「だが過ぎれば毒だよ。過剰な愛情もね」

 

「愛情だと?」

 

 嫌悪の表情を浮かべたサキへとFは冷たく返す。

 

「そうだとも。不満かね?」

 

「愛なんて気持ち悪いものを信奉している暇があれば、早々にプラターヌ博士を確保すればよかったじゃないか。博士は彼の症例を知るなり、飛びついてきたぞ。博士の事を存じているのならば何故仕掛けなかった?」

 

 それだけが疑問だ。Fは首を振った。考える仕草のつもりなのだろうか。

 

「我々の陳腐な仕掛けにはまってくれるほど、博士は馬鹿ではなくってね。それに我々とて情報が漏れれば事だ。静かに、誰にも気づかれないように行動する必要があった」

 

「抹殺派の動きか?」

 

「驚いたな。そこまで調べ上げているとは」

 

 Fが無駄に言葉を弄しているのが分かる。サキの事を馬鹿にしているのだ。

 

「お前ら保護派はどうしていざという時に動かない? 妙な時には仕掛けるくせに」

 

「命の惜しさだよ。全てはね。抹殺派がどう動くか分からない以上、我々に無駄な動きは許されない」

 

 それこそ詭弁ではないか、とサキは感じる。F達は自分の命は惜しいくせにサキのような駒を使おうとしてくるのだ。

 

「私の命はどうなってもいいと?」

 

「そうは言っていないよ。ただ、あんたが私の存在に気づく事さえも驚きだった。想定外だ。だからこそ、一つ一つの行動は慎重を期さねばならない」

 

 自分からしてみればプラターヌにそそのかされて病院を脱出した事でケツに火がついている。警察側としてはまずい事態に陥っているのは間違いない。

 

「私を扱ってお前らに危害は及ばない、と考えているのだろう? そうでなくては私にここまでの権限を許さない」

 

「言ったはずだ。協力関係だと。協力する以上、対等な立場でなくては」

 

 舌打ちをする。何が対等なものか。情報を小出しにしてこちらの好奇心を煽り、好きなだけ利用して捨てるだけだろう。

 

 サキは身を翻した。これ以上、Fの言葉に惑わされている時間はない。

 

「信じられないな。私は、真実が知りたいだけだ」

 

「真実の喉元に、あんたは近づいていると思うがね」

 

 背中にかかるFの声にサキは鼻を鳴らした。

 

「真実だと? お前らの術中にはまれば、逆だろう。真実から遠ざけられてしまう」

 

「意外だな。保護派である我々と袂を別つか?」

 

「いいや。せいぜい利用して、利用されるまでだ。どちらがステージの上に最後まで立っているかは、運次第だろう」

 

 共倒れだけは御免だ、と言外に告げたつもりだったが、Fはせせら笑う。

 

「どうかな。運命共同体かもしれないぞ」

 

「願い下げだな」

 

 エンジンをかける。サキはスクーターを始動させた。「後悔しないように」という声を残してFは飛び立った。

 



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第三十六話「裏の歴史」

 

「マルボロではないが」

 

 帰宅するなりコンビニ袋を投げると早速取り出したプラターヌが文句を垂れる。サキは椅子に座り、「我慢してください」と告げた。

 

「私がこうしてあなたを匿っただけでも危ないんですから」

 

「最近の警察官は冒険心が足りないな。もっと事件の中枢に辿り着きたかったら自分の身を投げ出す事だ」

 

「落っこちるのは御免ですから」

 

 サキの冷たい言葉にプラターヌは目的ではなかった煙草を取り出し、百円ライターで火を点けた。紫煙をくゆらせながらプラターヌが首を傾げる。

 

「さて、どこまで知っているんだったか」

 

 ダイゴの事だろう。サキは正直に答える。

 

「病院で話した事が全てですが……」

 

「そんなわけがないだろう。彼の手持ちについても、または彼が実際に存在するのかについての実証データがない」

 

 サキは食えない男だと感じた。こちらが隠し立てしようとしても無駄だろう。パソコンを起動させ、博士の解析したデータを呼び出す。

 

「ヒトとポケモンの血が入れ換えられている実証データです。それと彼の手持ち、ダンバルについて」

 

 プラターヌはパソコンを食い入るように眺めてから一つ言葉を発した。

 

「ダンバルなのか」

 

「ええ、彼の手持ちは。何かおかしな事でも?」

 

「いいや、四十年前の初代の手持ちも、ダンバル系列の進化であった事を思い出してね」

 

 それならば有名だろう。初代ツワブキ・ダイゴの相棒ポケモン、メタグロス。一時期テレビなどでももてはやされた。高レベルで進化する大器晩成型のポケモンであり、育てにくい事で知られた。

 

 だがそれ以上に、今の発言が意味するところを感じる。

 

 ――やはりこの研究者は初代と会っている。

 

 確信に近いものを得た気分だったがプラターヌはそれ以上にぼろを出す事はない。それどころか実証データについて尋ねてきた。

 

「この実証データ、取ったのは研究者か」

 

「ええ、私の父親のヒグチ博士が」

 

 その名前にプラターヌは瞠目する。

 

「ヒグチ……、そうか君はヒグチ博士のご息女か」

 

 サキが頷くと、「でも分からないな」とプラターヌは顎に手を添えた。

 

「どうして一介の研究者の娘が刑事に?」

 

 何度も尋ねられた事だがプラターヌからしてみれば疑問だろう。サキは何度目か分からない答えを発する。

 

「父が頼りないもので。私は幼少時から正義の味方に憧れていまして」

 

「就職面接のような解答だな」

 

 プラターヌの言葉を無視して声を継ぐ。

 

「刑事になったのは私の夢を叶えるため。他意はありません」

 

「だがその刑事が、今は裏事情を探っている、か。分からないものだな」

 

 プラターヌは実証データを漁りながら指を一本立てた。

 

「一つだけ、分かった事がある」

 

「何ですか?」

 

 プラターヌは五十歳を超えているとは思えない相貌をサキに向ける。

 

「ポケモンと血を入れ換えた、の事だがそのポケモンが生物の枠組みから外れたに等しい鋼タイプである事が意外だった」

 

 鋼タイプ。初代ツワブキ・ダイゴが発見に尽力したと言う当初説明されていたタイプから追加されたポケモンのタイプだ。

 

「鋼である事が、それほどまでに?」

 

「意外だよ。君には分からないかもしれないが」

 

 煙草の煙をディスプレイに吹きつける。サキは煙たそうに眉をひそめた。

 

「鋼っていうのはね、無機物系とも呼ばれている。言うなれば、生物的なポケモンとは一線を画す存在。その血と入れ換えられている事が意外に他ならない。人間は、分かっているとは思うが鋼の生物ではないのだから」

 

 その程度の事は説明されるまでもないと感じたがサキはあえて黙っていた。

 

「彼の血は、ダンバルの血である、という事だね?」

 

「正確にはダンバルの血が僅かに検出された程度ですが……」

 

「充分だ」

 

 プラターヌはキーを打って次々にウィンドウを呼び出す。サキは何をしているのか問い質した。

 

「何を……」

 

「数々の情報機関にアクセスしてヒトとポケモンの融合例がないか確かめている」

 

 息を呑んだ。それはまかり間違えればこちらが特定される。思わずその手首を掴んだ。研究者の手首は思っていたよりも細い。

 

「……何をする?」

 

「一つでも手順を間違えればこちらが見つかります。そうすればまずい」

 

「何がまずいというのだね? 今さら、君はわたしを匿った事を後悔しているのか?」

 

「少しだけ」とサキは答える。プラターヌはため息をつく。

 

「いいかい? 今どうしようとしなかろうと、もう転がり出した石だ。彼の存在に関して抹殺と保護を敢行している団体が存在している。この時点で、このホウエンがきな臭いと感じるべきだ。それに刑事と言っただろう? ならば、正義には敏感ではないのか?」

 

「同時に言いましょう。悪にも敏感だと」

 

 サキの言葉にプラターヌは口元を綻ばせた。

 

「……なるほど。それは正義の味方のメンタリティだな」

 

「こちらからの無用な干渉はやめていただきたい」

 

「だが、ここに篭っているだけでは何も出来ない。ヒグチ・サキ警部。君が真に真実を追い求めるのならば、躊躇など無用だという事が分かるはずだ。汚い場所や闇に入り込む事さえも厭わない精神が必要だと」

 

 プラターヌの言葉に思わず声を詰まらせる。「心配ない」とプラターヌは手を振った。

 

「逆探知されるようなヘマはしないさ。これでも研究者なものでね。こうやって相手先につけ入るのは得意だし、色んな機関のパスワードだって知っている。戦力になると思うが」

 

 サキはそれに言い返す口を持たなかった。プラターヌが戦力になると感じたから脱出を助けた。手首を掴んでいた手を離し、「分かりました」と告げる。

 

「本当に、逆探知されるような事は……」

 

「ない。心配ないさ」

 

 プラターヌが再びキーを打ち始める。サキはその行動を見守っていた。ウィンドウが忙しく表示と明滅を繰り返している。パソコンにさほど明るくない自分からしてみれば故障かと疑うような動きだった。だがいくつかのフェイズを実行し、プラターヌが行き着いたのは一つの研究機関のホームページだ。

 

「これだ」

 

 プラターヌが何の問題もなくその団体の極秘研究のパスワードを入力し、本来、局員しか知りえない場所へと踏み込む。サキはその団体の名称を口にした。

 

「ネオロケット団?」

 

 聞き覚えのない団体だった。サキの疑問にプラターヌは研究成果というページを開く。その瞬間、サキは息を呑んだ。表示されたのは遺伝子研究に関する極秘データだ。それも、ヒトとポケモンに関する研究だった。

 

「出たな」

 

「これ、どういう事なんですか?」

 

「ネオロケット団。四十年前に駆逐された組織、ロケット団の後発組織だろう」

 

 サキは首を横に振る。そのような団体名など聞いた事がない。

 

「ロケット団というのは何です? そんな組織なんて……」

 

「知らなくとも当然だが、四十年前のポケモンリーグ。介入していた組織の一つだ。出資していた企業であるシルフカンパニーの裏に潜んでいたとされる。関係者はほとんど口を閉ざすか既に死んでいるために都市伝説程度に語られるものだったが」

 

 表示されている事実はそのロケット団なる組織が継続している事を示していた。

 

「……駆逐されたって、どこにです?」

 

 プラターヌは煙草を机の角で磨り潰した。自分の机なのに、と一瞬だけ感じたがそのような事を思っている余裕さえない。

 

「歴史の表舞台には出てこないが、ヘキサ、という超法規的組織と、ネメシスなる組織が敵対していたとされる。ヘキサはロケット団を壊滅するべく動き、実際に壊滅させた。だがヘキサはその後解散。現在は上層部のポストについている政治家がそのOBだったとされるが定かではない。これも都市伝説だ」

 

「ネメシス、って言うのは?」

 

 プラターヌが二本目の煙草に火を点けながら答える。

 

「詳しくは分からないが、歴史を裏舞台から操作していた組織だとされる。一種の宗教団体かな。ヘキサツールという歴史の預言書が存在し、それに沿って歴史を動かしてきたと。だが、それによれば四十年後、つまり今、歴史の終点に差し掛かっているはずなんだが、まだ世界が滅びていない辺り、それも眉唾だな」

 

 サキはその二つの組織についても初耳だったが、それ以上に気になるのはプラターヌの知識だった。

 

「どこから、仕入れたんですか?」

 

 答えの如何によれば警察さえも知り得ていない情報を一研究者が知っていた事になる。プラターヌは、「研究仲間がね」と後頭部に手をやった。

 

「教えてくれたんだ。二十年ほど前の話になるか。もちろん、最初は信じなかったが、その人物の話す内容があまりにも克明だったので頭の隅に留めておいた。で、個人的にそれを調べ上げると不思議な事に合致する事象がたくさんあった。わたしとて全てを信じているわけではないが、こうも明確な物証を見せ付けられると、疑っても仕方がない気がしていてね」

 

「その、研究者というのは?」

 

「君もよく知っているよ。オーキド博士だ」

 

 その言葉は少なからず衝撃があった。ポケモンの第一人者。ポケモン図鑑を作り上げ、今日のポケモン研究の草分け的存在だった人物だ。

 

「オーキド博士が?」

 

「あの人はお酒が入ると饒舌でね。たまにこういう話を聞かされた。わたしとて馬鹿じゃないから、お酒の席の冗談だと思っていたが、それにまつわる話がいくつも存在して、あるんじゃないかと思い始めた」

 

「でも、空想の可能性も……」

 

「無きにしも非ずだが、わたしはオーキド博士が世間で言われているよりもしっかりしていると思っているよ」

 

 世間でのオーキド博士の評価は真っ二つだ。それによると、初期のポケモン図鑑のバグや構成データがあまりにも欠陥だらけだったのと、学会で発表された「ポケモンは全部で百五十種類」という発言に関するものだ。実際にはポケモンは百五十種類をゆうに超え、現在では七百種類もかくやと言われている。だがポケモン図鑑設計の功績は素晴らしく、偉人の一人として名を連ねている人物であるのは間違いない。

 

「オーキド博士が、そんな裏に通じていたなんて」

 

「いや、あの人は自分の経験からしか話さない。だから多分、経験したんだろうと思う」

 

「オーキド博士がですか?」

 

「馬鹿にしちゃいけないよ。四十年前のポケモンリーグ。ちょうどオーキド博士は全盛期だ。何が起こっていても不思議ではない」

 

 確かに計算してみればそうなる。しかしプラターヌはそれを鵜呑みしたと言うのか。

 

「嘘だとは思わないんですか?」

 

「嘘だと思いたいのは山々だが、こうも条件が揃うとね。しかもネオロケット団と来たか」

 

 プラターヌは煙草を挟んだ指で指し示す。ネオロケット団。その事実がオーキド博士の発言が全くの夢物語ではない事を示している。

 

「その……ロケット団っていうのは一体何をしたんです? シルフを裏から操っていただけなら」

 

「そう、別に当時の財閥なら珍しくない。企業を裏から操るってのはね。だが、博士の弁によれば、この歴史始まって以来の、明確な敵であり、秘密結社であるという」

 

「敵って……」

 

 どうして一個人が敵だと断じられるのだろう。プラターヌは、「やっぱり経験だろうね」と結論付けた。

 

「オーキド博士本人が敵だと感じた組織なんだろう」

 

「敵ってのは、その、リーグの妨害とかですかね」

 

「いや、多分全くの逆だ」

 

 プラターヌの言葉にサキは混乱する。リーグの妨害以外でオーキド博士が敵だと感じた理由が分からない。

 

「逆ってのは……」

 

「リーグの裏で色んな人物を集めていたらしい。その目的はまだよく分かっていないんだが、博士によればそれは特異点である自分の擁立にあったそうだ」

 

「特異点?」

 

 聞き馴染みのない言葉に問い返す。

 

「分からないかな? 君はSFを嗜む?」

 

 サキは首を横に振る。小説は所詮、フィクションの世界だ。日々絶え間ない現実に晒されている自分からしてみればフィクションの賜物はあまり好みではない。

 

「そうか。SFを知らないか。まぁ、分かりやすくいえば、歴史の中にある重要な人物だとでも言うのかな。つまるところ、偉人に分類される人間だ。それをロケット団は特異点と呼んでいた」

 

「オーキド博士が歴史上の偉人なのは間違いないですけれど、どうしてロケット団がそんな事を?」

 

「言ったろう? ネメシスって組織がある事を。ヘキサツールと呼ばれる預言書には書いてあるんだ。オーキド博士が何かを成すという事が。ロケット団は歴史通りに進めようとした。それを阻んだのがヘキサだ」

 

 サキの頭の中ではこんがらがっていた。どうして歴史通りに進めてはいけないのだろうか? そもそもヘキサ、ネメシス、ロケット団の関係が分からない。

 

「……よく分からないんですが、ヘキサが歴史に仇なす存在だったんですか?」

 

「まぁ、結果論から言えばね。だがヘキサツールには四十年後の滅亡が記されていた。そのための因子がオーキド博士だとも」

 

 その段になってようやく結びついた。

 

「つまり、オーキド博士が生きていれば世界が滅びるって?」

 

「簡単に言えばそうなる」

 

 馬鹿馬鹿しいにも程があった。たった一人の人間の生存が世界を滅ぼすなど。呆れているサキの様子を察したのか、「ありえない、って思っているね」とプラターヌが先読みした。

 

「……あり得ないって言うか、そんな事ってどうしてみんな信じ込むんです? だってただの預言書でしょう?」

 

「その預言書に記されている事が次々に的中すれば、そりゃ怖くなる人間もいるだろう」

 

 しかしサキはまだ納得できない。

 

「分からないですね。四十年前の人間は相当ロートルだったんですか?」

 

 その言葉にプラターヌが大笑いした。突然、弾かれたように笑われたものだからサキは赤面する。

 

「何がおかしいんです?」

 

 笑いを鎮めながら、「悪い悪い」とプラターヌは謝った。

 

「ロートルと来たか。まぁ、オカルトを信じ込んだ馬鹿な先人達、って思うのも分からなくもない。でも、ヒグチ・サキ警部。オカルトって言うのは人類にとっては重要だ。オカルト一つで世界が滅ぶと思う人間もいるし、オカルト一つでそのポケモンの存在が災厄の前触れだと信じ込まれる場合もある」

 

 プラターヌの言葉にサキは首をひねる。どうして四十年前の人々はそう躍起になったのか。現在文明に囲まれている自分としては理解出来ない。

 

「隕石が衝突するとか、予言に記されていればそうなんだって色んな人間に迷惑をかける人間だっているんだ。たった一つの預言書だって馬鹿に出来たものじゃないよ」

 

「ロケット団は、それを支持したんですよね?」

 

「まぁね。そう容易いものじゃないかもしれないが、対立構造としては歴史を曲げようとするヘキサ対歴史を信じようとするロケット団、ネメシスだろう」

 

「結果的に誰が勝ったんです?」

 

 サキの質問にプラターヌは、「現在文明が発展している事から考えてみなよ」と逆質問した。サキは少しだけ頭を働かせる。歴史通りに滅亡していない事から考えると、一つの結論に達した。

 

「ヘキサが勝ったんですか?」

 

「まぁ、辛勝って奴かな。双方、痛み分けに近い状態だったみたいだけれど。歴史通りよりも、未来の可能性を信じた人間の勝利だってわけだ」

 



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第三十七話「いにしえの物語」

 

 プラターヌの結論に、そう簡単な事だったのだろうか、とサキは思いを巡らせる。きっと、何人もが命を散らし、何人もがその信念を曲げる結果になったのだろう。未来の自分からしてみれば推し量る事しか出来ないが、そこには痛みが伴ったはずだ。

 

「未来を、信じた……」

 

「だが未来ってのは残酷でね。ネオロケット団と来たか。この未来は誰にも想像出来なかっただろう。オーキド博士にも、当事者達にはこういうのはね」

 

「ネオロケット団、どういう組織なんですか?」

 

 プラターヌはキーを打って組織概要を調べる。

 

「遺伝子研究の分野で成功を収めているみたいだ。なるほど、ポケモンの一種であるポリゴンの発見と、人工的にポケモンを造り出す技術があるらしい。その成果がこれだね」

 

 エンターキーが押されると3Dモデルのポケモンの姿が形成された。人型に近いが大きな尻尾を有しており、指先の作りが人間とは異なっていた。丸みを帯びた三本指だ。

 

「これは……?」

 

「遺伝子ポケモンミュウツー。ミュウの遺伝子から造られたとされている人造のポケモンのようだね」

 

「こんな研究を……」

 

 それは禁忌に触れるものではないのか。サキの言葉尻を感じ取ったプラターヌは言う。

 

「でも実現していない」

 

「実現していない?」

 

 おうむ返しにするとプラターヌは3Dモデルの下方を指差す。そこには「仮想シミュレータ」と記されていた。

 

「つまるところ、レシピ通りに造ればこいつが出来上がりますよ、という話だ。なに、別段珍しい話でもない、企業が自分の力の誇示に使う空想モデルって奴だね」

 

 仮想、だというのか。サキは改めてミュウツーを眺める。仮想にしては出来上がっている気がした。

 

「まぁ、わたしが危惧しているのは遺伝子ポケモンじゃない。言っただろう? 最初からオーダーはヒトとポケモンの血を入れ換えたモデルケースだと」

 

 プラターヌが画面を移すとそこには「ヒトとポケモンの血液について」と書かれた論文データがあった。

 

「こいつをダウンロードしよう」

 

「防壁は」

 

「言うまでもないよ。既に張ってある」

 

 ダウンロードが問題なく成された。それでいてこちらの位置は割れていないらしい。まるで魔法だな、とサキは思う。

 

「……なるほど。ヒトとポケモンの血液に着目したのは何も目新しい話じゃないんだ。古くから、血液ってのは神聖視されてきた。だから、種族の領分や領域を侵すのに、血液ほど適任はいないんだ。ポケモンの血液と人間の血を入れ換えるなんておったまげた事かと思っていたが、そうではない。彼らは既に、それに着手していた」

 

 映し出される映像やデータがそれを証明している。ネオロケット団。否、ロケット団の頃より、それが行われてきたと。しかしサキには信じられなかった。ダイゴの例を見ただけでも吐き気を催す代物が、こうも易々と闇の中で行われてきたなど。

 

「ネオロケット団は、何のために……」

 

「何のため? それこそ聞くも野暮というものだよ、君。何のためなんて大儀はない。ただ単に面白そうだったからだろう」

 

 プラターヌの言葉にサキは思わず言い返した。

 

「面白そうだった? そんな興味で、人間の命を――」

 

「他に何があるんだい? いつだって、新天地や新分野を切り拓くのは興味と好奇心。それがたまたま我々人間にとってイカれた代物だっただけの話。ポケモン図鑑だってポケモンからしてみればおぞましい代物だろう。自分達のデータが形態化され、形式化され、実験とデータの羅列に成り下がっていく事が。おぞましくないはずがない。人間が標本にされてこいつはこういう精神だ、こういう肉体を持っているっていうデータと何ら、何ら変わるまい。ポケモン図鑑は人間にとっては恩恵だが、ポケモンにとっては地獄の門だ」

 

 そのような見地は初めてだった。ポケモン図鑑があるから、人間はポケモンに対してアドバンテージを取れている。だが、それがポケモンの側からならば? 悪魔の所業に等しいポケモン図鑑。分布も生態系も、その進化先さえも網羅した悪魔の本。

 

「……驚きましたね。博士は、そういうのは気にしないものだとばかり思っていました」

 

「何でかな?」

 

「研究者ですし、割り切っているものかと」

 

「割り切っているさ。ただ、研究者のわたしと、人間のわたしは生憎違うんでね。感情論としてそういう側面を考えなくもない。ただ単に便利を便利として受け止めるには、少しばかり勘繰ってしまう性質なんだ」

 

 プラターヌは指先で煙草を弄ぶ。サキには自分の父親に言えるのか、と考えた。研究者、ポケモン群生額の権威であるヒグチ博士。父親に、あなたは悪魔の研究をしていると自覚しているのか、など。

 

 言えるはずがない。サキは早々に頭を振って否定した。

 

「私は父には……」

 

「研究者の娘さんが考える事ほど残酷な事はないだろう。どうか聞いてやらないでくれないか? 博士も、直視したくないだろうから」

 

 サキの思考を見透かしたようなプラターヌの口ぶりに敵わない、という認識を新たにした。この男は自分などという小さな枠組みでは図れない人間だ。

 

「……にしても、ネオロケット団。どうやって資本を集めたのか?」

 

 博士の疑問にサキは応じる。

 

「パトロンがいるんでは?」

 

「それはそうだが、言っただろう。ロケット団の資金源はシルフカンパニーだった。だが四十年前に壊滅した。だからこそ、不自然なんだ。どうしてネオロケット団として存続出来たのか」

 

 それは確かに疑問だろう。シルフカンパニーとデボンぐらいしかポケモン産業を独占した企業は後にも先にも知らない。そこまで考えてハッとする。

 

「……デボン?」

 

「わたしもそう考えていた。デボンが資金源なんじゃないかと」

 

「でも、だとしたら」

 

「そうだ。君の言う、初代に限りなく似ているツワブキ・ダイゴ君は危ない事になる。敵の渦中だ」

 

 サキは踵を返した。その背中に声がかかる。

 

「どこへ行く?」

 

「彼を、ダイゴを助けなければ」

 

「焦る事はない、と病院でも言ったはずだが」

 

 ため息混じりのプラターヌへとサキは振り返る。

 

「黙って見ていろというのですか?」

 

「そうじゃないよ、ヒグチ・サキ警部。ただ急く事はないと言っているんだ。ツワブキ家、言ってしまえばデボンがもし抹殺派の、その手綱を完全に握っているのだとすれば君の証言はおかしいんだよ。どうして、そんな少し背中を押してやれば落ちてしまうような危ない奴を、わざわざ匿ったりするのか? 警察内部にコネがあると考えるが、だとすれば余計に分からないのは、彼をちょっとの書類だけで一生塀の外に出さない生活だって出来たはずなんだ。だというのに、ツワブキ家で預かる意味と、彼にダイゴという名前を与えたのが分からない」

 

「それは、一つの冗談のようなものなんじゃ」

 

「冗談? 冗談で、似ている人間に、それそのものの名前をつけらられるものか」

 

 プラターヌの口調にサキは疑問を浮かべる。

 

「プラターヌ博士。病院でも呟いていましたよね。似ている、と。彼は、ツワブキ・ダイゴは何者なのか、あなたはご存知なんじゃないですか?」

 

 それが今までプラターヌを見てきた感想だった。プラターヌは決定的な何かを知っている。だからこそ、病院に囚われていた。保護派がこの男の名前を出してきた。

 

「わたしに期待するなよ」

 

 紫煙をくゆらせながらプラターヌが呟く。サキはしかし食い下がった。

 

「ここで期待しなければ、何に期待すればいいのです」

 

 プラターヌは煙い吐息を漏らし首をこきりと鳴らす。

 

「わたしが言ったのは、だ。彼、ツワブキ・ダイゴ君が初代に極めて似ているという、ただの感想だよ」

 

「似ている、というのは外見ですよね。やっぱり、会っていたんですね」

 

 プラターヌは眉間に指を当てて答えた。

 

「ああ、会っている。下手な隠し立てをしたところで仕方がないだろう。メガシンカについて、ホウエンで過去から観測されている伝説と併せた論を交し合った。わたしも駆け出しでね。彼の意見は大変参考になったし、そのお陰で論文を発表出来たものもあるんだ。……まぁ、後に矛盾する論文と叩かれたわけだが」

 

 少しの自嘲を交えたプラターヌの声音にサキは何十年もの重みが宿っているのを感じた。

 

「それだけですか?」

 

 無論、メガシンカ関連だけではあるまい。プラターヌは何かを聞き出したのだ。かつてのカントーの王から。

 

「鋭いね」とプラターヌは息を吐き出す。

 

「そうだよ。メガシンカだけじゃない。ツワブキ・ダイゴには先があった。メガシンカの伝説を見据えたさらに先が」

 

「伝説とは何です?」

 

 プラターヌが眉を上げる。

 

「あれ? 知らないのか?」

 

 サキが首を横に振る。プラターヌは、「まぁ出回っていないんだろうな」と結論付ける。

 

「何なんです?」

 

「グラードンとカイオーガ、っていうのは知っているかな?」

 

 それならば知っている。ホウエンの人間ならば知らない者はいないだろう。

 

「確か、陸を司る伝説のポケモン、グラードンとカイオーガが争って今のホウエンが出来たって話でしたっけ」

 

「そう、だが不完全だね。この伝説にはレックウザという空を司るポケモンも不可欠なんだが、まぁいいだろう。この伝説くらいならば誰でも知っている。問題は、この伝説が本当なのか、という話」

 

「空想でしょう。実際にはグラードンとカイオーガは争っていない事が最近の研究で明らかになりましたし。地質変動を昔の人が結論付けるためにそういう作り話をしたって」

 

「そう。現象をなぞらえるのが伝説、そして神話なんだ。だが、それは表向きに過ぎない」

 

「表向き?」

 

 サキが首を傾げるとプラターヌは顎をさすった。

 

「実際に、グラードン、カイオーガは存在する。それは既に四十年前に明らかになっていた」

 

 サキは目を瞠った。そんな事などあり得ないからだ。

 

「だ、だって、そんなの無理ですよ。今現在だって、グラードン、カイオーガの実在を証明する手立てなんてないんですから」

 

「あるんだよ。ルネシティ、という場所を知っているかな」

 

「……確か、東方の街ですよね。ダイビングと航空機以外を拒む、岩の壁が邪魔をしている」

 

 サキは必死にルネシティの全景を思い出していた。ルネシティは四方八方を巨大な岩の壁に囲まれた特異な地形のせいでつい最近まで技術も入っていなかった未開の地だ。

 

「そうだ。その場所、ルネシティに地下洞窟がある。そこに眠っているんだよ。グラードンかカイオーガがね」

 

 サキはプラターヌの確信めいた言葉が信じられない。どうしてそのような結論に至れるのか。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 博士はカロスの出身ですよね? 何でホウエンの、しかもルネシティなんて場所の事を……」

 

「だから聞いたんだ。四十年前、いや正確には二十年ほど前だが、ツワブキ・ダイゴ本人に」

 

 全く話の流れが見えない。プラターヌはサキの疑問を感じ取って、「分かった」と指を立てる。

 

「分かりやすく噛み砕こう。わたしは研究者としてまだ駆け出しの頃、初代に会った。謁見の機会が得られたのは今思っても幸運だった。遺伝子研究に、初代は大変興味を示した。わたしは遺伝子研究の成果の見返りに、メガシンカについて尋ねた。すると初代はこう言った。メガシンカはホウエンで古くより観測されており、それには伝説のポケモンが深く関わっている、と」

 

「初代が、ですか?」

 

「初代ツワブキ・ダイゴのネットワークを嘗めちゃいけない。腐っても王だ。それにホウエンでは名のある御曹司。彼が何もしなくても情報は入ってくる。確か、ルネシティの長老と知り合いだったという。世襲制で、長男の名前が代々、ミクリという名前らしいが」

 

「そのミクリって人と初代が知り合いだった」

 

 プラターヌは指鉄砲を作り、「正解」と声にする。

 

「だが少し違う。知り合い、どころじゃない。親友だった」

 

 プラターヌは頬杖をつき、思い出しているようだった。もう二十年ほど前。サキが生まれているかいないか分からないくらいの時だろう。

 

「その、親友がどうして……」

 

「ルネの長老の家系は代々語り継ぎ、守っている伝統がある。それが伝説のポケモン、グラードンとカイオーガについてなんだが、その逸話の中にね、他の地方じゃあまり聞かない単語を見つけた」

 

「何です?」

 

 焦らすプラターヌにサキは急かした。プラターヌは指を一本立てる。

 

「ゲンシカイキ」

 

「原始……、何かの技ですか?」

 

「ゲンシカイキで一つの単語だよ。数千年前の、それこそ原始の時代の姿に、グラードン、カイオーガは戻れたという。その力を蓄えている途中だと、彼は言っていた。来る日に恐らくその封印は破られ、原始の力が発生すると」

 

 サキには馴染みのない言葉だらけで困惑する。そもそもポケモンに明るくないのだ。

 

「……すごいのか、よく分からないですね」

 

「ポケモンはね、今の姿でそのまま発生したわけじゃないって言う学説がある。永い年月の中で環境に適応するために、その力を退化させた存在もいる。いや、ほとんどのポケモンは原始では強靭な肉体を持っており、今はいわゆる退化の時期で、本来の力の十分の一、いや百分の一もないという説だ」

 

「荒唐無稽ですよ」

 

 感想をそのまま口にすると、「だろうね」とプラターヌも納得した。

 

「あまりポケモンを知らない人間からしてみれば、わけが分からないのも無理はない。だが覚えておくといい。今のポケモンが絶対ではないと。だからこそ、メガシンカがあるのだからね」

 

「それですよ。メガシンカ。ゲンシカイキはその説明になっていない」

 

 指摘するとプラターヌは頷く。

 

「いいね。きちんと発言を覚えてくれるのは。いい生徒だよ、君は」

 

「茶化さないでください。結局、今の伝説とメガシンカは何の関連性もない」

 

「いや、あるんだ。原始の力を開放したグラードンとカイオーガ、その二つが全力で争そえばどうなると思う?」

 

 質問にサキはたどたどしく答える。

 

「……多分、ホウエンはただじゃ済まない……」

 

「ホウエンどころじゃない。原始の力はまだ未計測だが、恐らくは全地方規模のもののはずだ。そんなものが巻き起こってみろ。この世の終わりだよ」

 

 だが滅びていないではないか。サキの無言の主張が伝わったのか、「だが滅びてはいない」とプラターヌは口にする。

 

「何故か?」

 

 また質問か。サキは辟易しつつ推論を口にする。

 

「……ポケモンの能力はたかが知れているから」

 

「ノン。それでは現象の説明には一切ならない」

 

 及第点はあげられないね、とプラターヌは首を振る。すっかり教鞭を執っている教師と生徒の構図だ。

 

「じゃあ、思っていたよりも人間の生命力が高いから」

 

「それもノン。人間の生命力など、それこそ知れている。ポケモンに比べれば大自然の力を一面でも借りられない人間など、愚の骨頂だ」

 

「じゃあ、何だって言うんですか」

 

 他に結論が見当たらない。プラターヌは指を一本だけ立てて、声を潜めた。

 

「一つだけ、物事の一面だけを捉えるのは駄目だよ、人間の悪い癖だ。考えてもみるといい。何で、強力な、現在兵器に等しい威力を誇るポケモンが古代から存在していながら、人間は滅びずにいられたのか」

 

 それは分からない、というのが本音だった。どうしてポケモンは人間を滅ぼさないのか。そもそも何故共存関係がまかり通っているのか。サキは首をひねる。

 

「分かりません……。これって不正解でしょうか」

 

「今までの結論よりかは随分と考えた結果だと思うね。ヒントを出そう。シンオウの民俗伝承に、こうある。人間もポケモンも昔は同じだった。ポケモンと結婚する人間もいた。つまり、シンオウにおいてポケモンは極めてヒトに近しい存在としてあった事が窺える。もしかすると、勝手に壁を設けて、小さな球体に捕獲するようになった今のほうが退化しているんじゃないかとね」

 

「……つまり、ポケモンが人間を許したって言うんですか?」

 

 プラターヌの言葉を統合するとポケモンのほうが優れた知性体であるのかのようだ。しかしプラターヌは頭を振った。

 

「今までも言ったろう? 早々に結論を出すのは人間の悪い癖だと。ポケモンだけでも、人間だけでもない、この世界が存在する理由、それは両者がお互いに許し合っているからだ。そうとしか考えられない」

 

 サキは頭痛を感じた。知恵熱かもしれない。普段使わない部分をフルに使っているせいでサキの脳の容量はパンク寸前だった。

 

「……お互いに許し合っているって、その根拠って何です?」

 

「ホウエンの伝承、ルネシティの長老に課せられた役目。それは伝説を語り継ぐ事。わたしの聞いた伝説は原始のグラードン、カイオーガがいる事だけではない。先にも言った通り、ゲンシカイキしたポケモンが暴れ回ればこの地球なんて跡形もないんだ。それが発動前に制された」

 

 そこまで言われるとサキにも思い当たる節があった。

 

「何かが、止めたって事ですか……」

 

「その通り。何か、表の伝承ではレックウザが止めた事になっているが、無論、ゲンシカイキした二体を止められるほどレックウザ本来の能力は高くない。レックウザの特性、エアロックが二体の天候制御能力を奪ったとも取れるが、それでは不充分だ。第一、天候制御能力を奪ったところで、まだ有り余る戦力を保有している」

 

 つまり、二体の天気を操る能力を無力化出来ても本体の無力化とはイコールではない、という事だろう。

 

「じゃあレックウザって何なんです? どうやって止めたんですか?」

 

「そこだよ。ヒグチ・サキ警部。そここそが、人間とポケモンが共存している理由なんだ」

 

 指差されてサキは戸惑う。そこ、とは何なのか。怪訝そうに眉をひそめた。

 

「わけが分からないですね。レックウザがどうかしたんですか?」

 

「ゲンシカイキを超えるエネルギーが必要だったんだ。ポケモンの大自然を操る底なしのエネルギーを。この地球の地殻さえも変えてしまうほどの大規模エネルギーを相殺するには、それなりのエネルギー量が必要だった。だが、わたしの調べと初代の弁によれば、レックウザはそれほどのエネルギーを保有していないらしい」

 

 疑問に次ぐ疑問にサキは髪をかき上げる。

 

「……じゃあ、レックウザは無理なんじゃ」

 

「ところが、だ。ポケモンに本来の能力以上の能力を保持させる方法を、我々は知っているではないか」

 

 プラターヌの発言に、「まさか」と声を詰まらせる。ようやく物事が頭の中で繋がった。

 

「メガシンカ……」

 

「そうだとも。メガシンカエネルギーをレックウザの能力に相乗すれば、二体のゲンシカイキエネルギーを超過するエネルギーが得られたはずだ。それこそ、惑星規模のエネルギーをね」

 



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第三十八話「種の根源」

 

 しかし、とサキはまだ疑問が尽きない。どうして現在の我々がそれを推し量る事が出来るというのか。所詮、伝承だ。

 

「気づいたようだね」とプラターヌは先回りしたように告げた。

 

「エネルギー量をどうして現在の我々が知る事が出来るのか。答えは一つ」

 

「メガシンカしたレックウザのエネルギーを測れる、そういう器具がある……?」

 

「惜しいな。測るのはその通りだが、そのような便利な器具は存在しない」

 

「じゃあどうやって……」

 

「メガシンカについて、初代とわたしは話したと言ったね。つまり、メガシンカエネルギーを客観視出来る機会があった」

 

 そこでサキは結論に至った。

 

「初代がメガシンカの使い手だった?」

 

 プラターヌが指を鳴らす。

 

「グッド! 君は答えに至った」

 

「でもそんな、四十年前にメガシンカなんて……」

 

「ないという証明は出来ないはずだ。この世で難しいのはあるという証明よりも、ない、という証明なのだから」

 

 それは、と口ごもる。確かに、存在しない事を証明するほうが随分と難しい。

 

「メガシンカが四十年前になかったわけではない。今のようにネットワークが不充分だったため、ある一定の人間は知っていたが、大衆は知り得るはずもなかった。それもそのはず、メガシンカはある一線、ポケモンと人間の境界線を冒した人間にのみ、可能な極みであったからだ」

 

「極み……」

 

 おうむ返しにする。ポケモンと人間の領域の侵犯者。

 

「四十年前にはそれを同調現象と呼んでいたが、今の学会でもまかり通るか怪しい分野だ。同調はマユツバ。それが学会のスタンスでね」

 

 サキも初耳だった。同調、とは何なのか。眉根を寄せていたせいだろう。尋ねる前にプラターヌが説明を始める。

 

「同調、とはポケモンと意識的に一体化し、意識圏の拡大、反応速度の向上、また命令なしの技の指示などを可能にする、いわば超越者の領域」

 

「そんなの」

 

「不可能だ、などと言わないはずだね? 君は、これまでのわたしの講義を聞いているのだから」

 

 それは確かにその通りだ。プラターヌの発言を真に受けるのならば同調、という分野に着目しないわけにはいかない。

 

「でもそんな、そんな事が可能だなんて」

 

「だがそれが、メガシンカを説明する最も効率のいい話だった。四十年前でも、今でもそうだろう。メガシンカには絆、と呼ばれるものが必要だとするが、それこそちゃんちゃらおかしい。どぶに捨ててしまえ。絆、などの謳い文句が一番怪しい事ぐらいは分かるだろう?」

 

「そりゃ、私はポケモンと人間の絆なんて信じている性質じゃないですけれど……」

 

「だがメガシンカにはその絆、とやらが必要になる、と世間一般では言われている。だがね、そのような目に見えないまやかしを信じるよりも、ダメージフィードバックや意識をポケモン側に持っていかれる可能性のあるリスキーな同調のほうが、まだ信じられないか?」

 

 サキは無言で頷く。返す言葉もない。

 

「でも、おかしいじゃないですか。メガシンカしたレックウザが二体を止めたとして、じゃあ誰がメガシンカを?」

 

 サキの質問にプラターヌは重大な見落としてあるかのように指差す。

 

「それこそが、認識の差というものだ。今現在、我々はメガシンカが個人のトレーナーに適応されるものだと信じ込んでいる。メガシンカ可能なのは手持ちのうち、一体のみ。何でだか分かるか?」

 

 今までならば大会の制限やら、ポケモントレーナーの総本山が決めている、とでも答えただろう。だが今までのプラターヌの発言から鑑みて、そのような安易な答えを求めているわけがない。

 

「その、メガシンカに必要なエネルギーを注ぎ込むのに、一体分しか不可能だから?」

 

「正解だ」とプラターヌは拍手する。サキはくすぐったいやら屈辱的やらで複雑な心境だた。

 

「その通り。メガシンカがどうして一体しか出来ないのかは、メガシンカというものに注ぎ込む集中力、人間のエネルギーの総量が決まっているからだ。キーストーンを触媒にしてメガストーンに人間の……我々は精神エネルギーと呼んでいるが、それをきちんと注ぎ込み、制御するのに鍛錬がいる。そうでなければ制御盤が剥き出しになったポケモンはエネルギーの総量を制御出来ずに暴走してしまう」

 

「その、精神のエネルギーが強力なわけですか」

 

 サキの言葉にプラターヌはチッチッと指を振る。

 

「甘いな。逆だよ。言っただろう? 今のポケモンは太古の頃に比べれば十分の一、いや百分の一の力しか持たないと。メガシンカはポケモンを、本来の、リミッターが外れた状態にする。その手助けに人間の精神エネルギーが必要なだけだ。ポケモンからしてみれば、メガシンカという形態変化を行うための道具だよ、人間はね」

 

 道具、と言われてしまえばサキには言葉がなかった。プラターヌは過度のポケモン原理主義なのか。あるいはオカルトの教えを信じ込んでいるのか。

 

「じゃあ、誰がメガシンカさせたんです? どちらにせよ、人間のエネルギーが必要不可欠なわけじゃないですか」

 

「そこが見落としだと言っている。メガシンカに必要なのは一人の人間だとは限らない。精神エネルギーを鍵にしてポケモン本来の力を呼び起こそうとしても、たとえばだ。百入る器に三しか注がれなければ、器はどうなる?」

 

 馬鹿にしているのか、とサキは憤る。

 

「……何ともならないでしょう」

 

「そうとも。何ともならない。通常のポケモンからしてみればそうだな、三の器に普段は一のエネルギーしかないとする。それがメガシンカによる精神エネルギーの注入により器に四、注がれる。すると決壊した器からのエネルギーがメガシンカエネルギーに転化し、ポケモンはメガシンカを果たす」

 

 プラターヌの言わんとしている事が何となく理解出来てきた。サキは試しに口を開く。

 

「つまり、レックウザという巨大な器に、一人分の精神エネルギーじゃ不足、というわけですか」

 

 プラターヌが指を鳴らす。

 

「その通り。レックウザほどのポケモンをメガシンカさせるのには、たった一人の精神エネルギーでは何も出来ない。ここで、初代と話した内容を打ち明けよう。初代は、ルネシティの番人、ミクリからこう聞いていた。レックウザをメガシンカさせるのには百の祈り、否、千の祈りに相当する、と。つまり、人類という種、そのものが、破滅を回避するために祈りのエネルギー、わたしの言う精神エネルギーを放出した。その結果としてオゾン層に棲むレックウザの身体に変化をもたらし、人類の救世主として降臨させた」

 

 プラターヌはそこまで言ってから煙草を机の端で揉み消す。サキはプラターヌの論法を頭の中で組み上げた。

 

「……つまり、人類という種そのものがメガシンカの媒体……」

 

 馬鹿な、と思う反面、伝説級のポケモンのメガシンカにはそれほどのエネルギーを必要としても何ら不思議はない、という気分がある。

 

「レックウザは人類の代弁者。だが、別にレックウザに限った話ではない。数々の伝承には、人類という種とポケモンという種が交信し、そして新たな道を切り拓いた例が数多とある」

 

「それが、先ほどのポケモンと人間、両者が許し合っている、という言葉の根拠ですか」

 

「長い話になったね」とプラターヌは新たな煙草を吹かした。

 

「その当時の人々はレックウザに神を見たはずだ。だが時代が下り、レックウザは所詮、オゾン層に棲むポケモンの一種にカテゴリーされた。所詮、ポケモン。この論法に何人もの研究者が躓いた事か。侮ってはならない。同時に、ポケモンも人間を侮っていない。だから草むらから出現する。だから我々の認知の範囲内に存在する」

 

 お互いに共存関係にある、という事か。サキは一旦息をついて話を打ち切った。

 

「疲れたね」とプラターヌも襟元から風を入れている。同意したサキはキッチンへと歩んでいった。

 

「コーヒーでも注ぎましょう」

 

「わたしは砂糖三本で頼む。ミルクはなしで」

 

「角砂糖ですよ」

 

 サキは応じながらコーヒーの瓶を取り出した。それを目にしたプラターヌがぎょっとする。

 

「おいおい、まさかインスタントかい?」

 

「いけませんか?」

 

 返した言葉にプラターヌは苦い顔をした。

 

「コーヒーはドリップに限る。研究者の間じゃ常識だ。君は、本当に研究者の娘かね」

 

「生憎ですが、うちの父はそのような面倒な性格をしていないので」

 

 マグカップに目分量で注ぐ。それを見てプラターヌは慄いた。

 

「ちょ、ちょっと待ちたまえよ。スプーンを使わないのか? そんな、適当に入れたんじゃ苦さも均等にならないだろう」

 

 思わず、と言った様子で立ち上がったプラターヌをサキは冷たく見つめる。

 

「嫌ならいいんですよ。今からきちんとしたコーヒーを入れてくれる部下の下に戻れば」

 

 サキの言葉にプラターヌは喉の奥で呻って、「それは困る」と首を横に振った。

 

「ようやくわたしの興味を実現出来る機会が得られたんだ。どうしてあんな、狭苦しい病院なんかに。病人のふりはもうたくさんだ」

 

「じゃあ、コーヒーの一杯ぐらいは我慢してください。それが我慢出来ないのならば聞く事はないです」

 

 取り付く島もないサキの口調にプラターヌはとりあえず手を打った。

 

「……いいだろう。インスタントコーヒーの一杯で帳消しに出来るのならば安いものだ」

 



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第三十九話「偉人説」+第四十話「時のいや果て」

 

 小道の脇に、銅像が立っていた。

 

 近くの木々から木の葉が舞い散り、銅像の頭にかかっている。ダイゴは小道を抜けた先にあった銅像の前で足を止めた。下の台座には文字が刻印されている。

 

「デボンコーポレーション社長、ツワブキ・ダイゴの立像……」

 

 呟いていると、「気になるのかね」と声がかけられる。振り向くと先ほどの老人が佇んでいた。思わず緊張を走らせる。だが老人に敵意はない。手を振って、「害そうって言うんじゃない」と歩み寄った。

 

「もう手付金はもらったからね」

 

 懐をポンポンと叩く。先ほどの落し物の小道でダイゴは現金とリョウの警察手帳を手に入れていた。どうすればいいのか決めあぐねていたが、これ以上老人の介入を防ぐために口止め料を払ったのだ。老人のためにも、それが一番いいだろう。

 

「ツワブキ・ダイゴ……。カナズミの名士ですよね」

 

 ダイゴの声に、「おっ」と老人は声を上げる。

 

「君ぃ、落し物の小道ではすっかり術中にはまったのに、ツワブキ・ダイゴは知っているんだな」

 

 自分がそのダイゴと同じ名前だとは言えない。もちろん、初代の再生計画も。

 

「小耳に、挟みましたから」

 

「じゃあ、ツワブキ・ダイゴが何で二十三年前に死んだのか、その逸話も知っているんじゃないのかね?」

 

「逸話?」

 

 思わず聞き返す。初代ツワブキ・ダイゴは天寿を全うしたのではないのか。

 

「あ、知らないか? カナズミじゃ、割と有名な話なんじゃが」

 

「聞かせてください。初代は、何で死んだんですか?」

 

 明確な部分は何も分かっていない。どうして一部の人間が初代を再生しようとしているのか。その理由もそこにあるはずなのだ。老人は遠くを見る眼差しになって呟く。

 

「二十三年前。まだ玉座を離れてからそう間もない事じゃった」

 

 老人は語り出す。二十三年前の、ホウエンでの出来事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、ホウエンは荒れていた。

 

 ツワブキ・ダイゴが王になったにも関わらず、ホウエンにもたらされる利益は限りなく少なかったからだ。カントーが利権を貪り、ほとんどの権利関係はカントーに帰属した。

 

 ダイゴはそれをどうにかしようとしていたというのが一般の見解である。そのために他地方の研究者と話したり、ホウエンの伝承を売り込んだりした。だがことごとく失敗し、ホウエンは暗黒時代を迎える事になる。デボンの技術の利権があると言っても、所詮はポケモントレーナー。研究職ではないし、ダイゴにはトレーナーである事を除けば何一つ価値はなかった。だからこそ、焦っていたと言える。ホウエンで何か、後世に残せる事をせねば。だが、後世に残せるものと言ってもたかが知れている。自分がデボンの御曹司で、王で、社長だとしても、自分の名が永遠になるわけではない。

 

 ダイゴはある一つの計画を立てた。その計画はデボンの社内でも極秘として扱われ、社外秘であったがメガシンカにまつわる話であった事はハッキリしている。プラターヌ博士を交え、ポケモンと人間の間に発生するメガシンカエネルギー、通称精神エネルギーと呼ばれるものを研究していた。人の精神がポケモンに真の能力を引き出すきっかけになる。そう信じて何日も研究室に篭り、結果を待った。だが、人間から精神エネルギーを取り出す実験は最悪の結果をもたらす事になる。

 

 被験者の何人かが心神喪失、あるいは廃人と化した。その研究は悪魔の研究と罵られ、ダイゴは居場所を失いかけた。デボン社内でもダイゴ排斥の動きが強まりダイゴはその地位を奪われる事、また自分の血族であるツワブキの血が途絶える事を恐れた。

 

 決断が迫られていた。研究に身を投げるか、あるいはきちんと社長職を全うするか。だが、デボンは他人のものになるかもしれない。自分がいくら足掻いたとて無駄に終わる可能性がある。

 

 運命の日が近づいていた。ダイゴは決断する。

 

 研究を成功させる。そして家族も守る。

 

 ダイゴは主任研究員にこう告げた。

 

「しばらく出かけるよ」

 

 その言葉に対して主任研究員はこう答えたそうだ。

 

「旅行ですか?」

 

「ああ、時のいや果てまで、ぼくは行こうと思う」

 

 もちろん冗談の類だと考えられた。ダイゴはほとんど冗談を言う事はなかったが、疲れているのだろうと主任研究員は結論付けた。それが第一の間違いであった。

 

「研究室にぼくは行くよ」

 

 それを止めなかったのが第二の間違い。ツワブキ・ダイゴは戻ってこなかった。

 

 ダイゴは精神エネルギーを取り出す機械を自らに装着し、被験者となったのだ。その結果としてメガシンカの最初期の分野が切り拓かれた。ダイゴの精神エネルギーの放出によって今まで無反応だったメガストーンに火が灯り、メガシンカを初めて研究として発現させられたのだ。デボンコーポレーションは数々の利権と共にメガシンカの第一人者として名を馳せ今日に至っている。メガシンカは後発の研究者に影響を与え、なおかつカントーから発言力を取り戻すきっかけになった。ダイゴの遺体はその血縁者のみが知り得る方法で保管されているらしい。一説によれば、全身を分解され、今でもどこかの大学病院に安置されているそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それが、ツワブキ・ダイゴの逸話。死の真相じゃよ」

 

 老人の言葉にダイゴは黙りこくっていた。メガシンカのために、いや、デボンコーポレーションと家族のために命を賭した男が初代ツワブキ・ダイゴだというのか。

 

「その、どうしてその話を……」

 

「簡単な事じゃよ。その主任研究員というのが、ワシだっただけの話」

 

 ダイゴは少なからず衝撃を受けた。初代と最後に話した男が目の前の老人なのだ。

 

「じゃあ、あなたが」

 

「まぁ、もうデボンは定年退職したが、今でも思い出す。その時の初代の横顔をな。君は、どうしてだか、初めて会った気がしないがどこかで会っていたかな?」

 

 老人の言葉にダイゴは気後れ気味に、「いや……」と首を横に振る。

 

「そうじゃよなぁ……。初代の生き写しに見えて……。いやはや歳を取るとこれだから」

 

 首筋をさする老人には決して言えない。自分が初代を再生するために準備された人間である事など。だが、どうして、という疑問もあった。

 

「その、初代は精神エネルギーを放出したんですよね? その結果としてメガシンカが発生した」

 

「おう、そうじゃが」

 

「じゃあ、初代はショック死のようなもので?」

 

「そこがよ、逸話なんじゃよ」

 

 老人は声を潜める。ここからが本題、という事なのだろう。

 

「精神エネルギーを飛ばす機械じゃが、遠隔操作出来る代物じゃないんだよな、これが。つまるところ、絶対に被験者ともう一人、必要だったわけだ」

 

 そこまで聞いてダイゴは肌が粟立った。

 

「……じゃあ、その場には」

 

「ああ、もう一人いたはず。だが、研究員が駆けつけた時、そこには誰もいなかった。初代の骸だけが転がっていたという」

 

 第三者の存在。それが初代の死に深く関わっている。

 

「誰かが、いた……」

 

「だが、誰もその誰かを見つけられなかった。社内、社外を引っくり返して探したよ。初代の死を解き明かすための唯一の証人だ。だが名乗り出るはずもなく、その事件から二十三年が経った」

 

 その時にいた誰か。その人物こそが、初代ツワブキ・ダイゴの最期を知っている。だが、その人物は名乗り出ない。それこそがキーだ。その人物は重大な秘密を握っている。

 

「その、誰だったかの、目星ぐらいは」

 

「そうじゃなぁ。あの場所に出入り出来るのは限られていて、簡潔に言うと三種類」

 

 老人が指を三本立てる。

 

「主任研究員、つまりワシ以上の権限を持つ人間。これは二人いた。一人はメガシンカエネルギーを研究していた先生、確かプラターヌとか言ったか。それともう一人なんじゃが、どうしてだがデータに存在しない。後から考えてみてもそのもう一人がいる、という情報しか知らなかった」

 

「あと一人は?」

 

 唾を飲み下す。老人は口角を吊り上げて嗤った。

 

「ツワブキ家ならば生体認証で入れた。つまりツワブキ家の誰か。疑いたくないが、初代の妻か、あるいは先代社長、ツワブキ・ムクゲ。または、……あり得ないだろうがその息子、ツワブキ・イッシン」

 

 ダイゴは愕然とした。初代が死んだその場にいたかもしれない人物がツワブキ家に今もいる事を。

 

「あくまで仮定じゃよ」と老人は手を振るがダイゴにはイッシンの存在が恐るべきものに感じられた。初代の死に関わっている人間が何も知らないまま自分を――ツワブキ・ダイゴを招き入れるはずがない。裏があるはずだった。

 

「その、プラターヌって言うのは……」

 

 それだけではない。プラターヌの名前。それは自分の肉体の持ち主であるフラン・プラターヌと無関係ではないだろう。

 

「カロスからの研究者だったが、今はどうしているのか。ぱったり見なくなったな」

 

 その人物も可能性はある。初代を殺せたかもしれない人物は三人。だが老人は引いていいだろう。わざわざ自分が殺せたなどと話す必要性がない。二人、あるいは複数。

 

 プラターヌ博士か、あるいはツワブキ家の誰か。

 

 二十三年前の初代の死が仕組まれていたものであるという可能性がダイゴの中で膨らんでいく。

 

「その……、それってカナズミの人は誰でも?」

 

「初代の死が不可解なのは知っておるじゃろう。だが、その細部まで知っているのはこのワシだけかな」

 

 あるいは当事者か、と老人は付け加える。当事者とも言えるツワブキ家に匿われている意味。そしてリョウの真意。探れば探るほど分からない迷宮だった。

 

「どうして俺に話すんです? 道を通りかかっただけだ」

 

 ダイゴの疑問に老人は首をひねった。

 

「どうしてだろうか。ワシにも分からん。だが、君には話してもいいとワシの中の何かが告げたんじゃよ。どうしてかな。初対面とも思えんし、他人とも思えんのだ」

 

 これ以上関わればぼろを出すか。ダイゴはそこで引き上げる事にした。

 

「俺、ポケギアを買いに行くんだった」

 

 リョウも見失ったため最早その意味はないに等しかったが。

 

「最後に一つだけ」

 

 老人の声が背中にかかり目線を振り向ける。

 

「初代の精神エネルギーはどこへ飛んだのか」

 

 歩みを止め、ダイゴは向き直った。

 

「それは……オカルトなんじゃ?」

 

「いや、必ずしもそうとは言えん。初代の精神は確かにメガシンカを感応させた。メガシンカには生きた人間のエネルギーが必要なんじゃよ。だから初代が精神エネルギーを送ってメガシンカを達成したという事は、初代はメガシンカ時までは生きていた」

 

 その推論が可能ならば、初代は精神エネルギーを飛ばしたショック死ではない、という事だ。

 

「……じゃあ、どうして」

 

「だからこそ、ミステリーになり得る。初代は自然死じゃない。殺害されたんだと」

 

 ダイゴにはそれを解き明かす鍵が、まだ自分にはないような気がした。ただコノハから聞かされた初代の再生計画。自分を殺そうとする一派。自分そっくりの顔をした何者か。刻印が成された右腕――。それらの事柄は決して繋がっていないわけではない。

 

「初代が殺害された、とすれば犯人は……」

 

「分からん。警察も見つけていないし、そもそも初代の死を殺害だとも思っておらんじゃろう。ただ、奇妙な事は知っておる」

 

「奇妙な事?」

 

 聞き返すと老人は顎に手をやって目を細めた。

 

「あれは……何て言うんだろうか、内側から食い破られたようじゃった」

 

 その言葉にダイゴが疑問符を浮かべる。

 

「何の事を言っているんです?」

 

「だから、初代の死に様じゃよ。言っておらんかったか? 初代の死体は綺麗なものじゃなかった」

 

 ダイゴは瞠目する。てっきりショック死に近い状態かと思い込んでいた。

 

「……何なんです?」

 

「あれは、背中から血が噴き出したのか、あるいは肩が弾け飛んだのか、初代の身体から血飛沫が研究室に散っておってな。今でも思い出すと吐き気がするよ……。あれは、そう、まるで羽のようじゃったな」

 

「羽?」

 

「言うなれば、そう。天使の羽じゃよ。肩甲骨の辺りから血が噴き出して、警察によればそれが致命傷ではないとの事なんじゃが、どうしても引っかかった。初代は、肩から血を噴き出した形で死んでいた」

 

「じゃあ、変死……?」

 

「分からん。警察発表では病死という事にされておった。それほどまでにセンセーショナルだったんじゃよ。初代の死には色々と噂が付き纏っていてな。メガシンカしたポケモンは結局、メガシンカから戻れたのか。そもそもメガシンカしたポケモンがどこから運び出されてきたのか、全てが謎だ。しかし初代はそれを押してでも、メガシンカの成果を挙げたかったに違いない。結果としてホウエンが抜きん出る形となったわけだからそれは功を奏したと言うわけだが」

 

 老人の煮え切らない言葉にダイゴは質問を被せる。

 

「初代ツワブキ・ダイゴは精神エネルギーを放出した上に、誰かに変死を遂げさせられた?」

 

「そう考えるほかないじゃろうて。その誰か、に一番近いのが研究室にいた、その時機械を操作した何者か……」

 

 何者かはまだ生きている。そのような含みを感じさせた。

 

「この街で、その何者かは生きて、再びツワブキ・ダイゴを殺そうとしている……」

 

 ダイゴの声に老人が首を傾げる。

 

「再びって……、もう初代はおらんよ。ボケてはおらんぞ」

 

 老人の抗弁にダイゴは苦笑を寄越した。

 



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第四十一話「求めうる可能性」

 

 コーヒーを飲んだ後、プラターヌが口火を切ったのは初代の死に様についてだ。初代ツワブキ・ダイゴは先ほど述べた、メガシンカさせる要因である精神エネルギーを放出し、死んだと。それは初耳であった。

 

「そんな事、当時の警察が放っておくわけが……」

 

「だから黙認したはずだ。警察のデータには残っていないし、目撃者や関係者も限られている。わたしは、その数少ない関係者だったというわけだ」

 

 サキは怪訝そうに尋ねる。

 

「博士、あなたは何の……」

 

「初代の研究室にいた、人間の一人だよ」

 

 それを聞けばサキとて黙ってはいられなかった。今までの話し振りからプラターヌは必要以上の事を知っている。それは初代の死の真相とて例外ではないだろう。

 

「プラターヌ博士、あなたが初代を?」

 

「殺しているはずがない。わたしは無実だ」

 

 無論、額面通り受け止められるはずもない。

 

「無実だと言われて、はいそうですか、といかない事ぐらいは」

 

「重々承知だよ。だが当時の警察関係者はわたしを追求しようとはしなかった。むしろ、遠ざけようとしていたくらいだ」

 

「遠ざける……?」

 

 それはおかしいだろう。警察がまず疑うのは同じ研究室にいたプラターヌだ。

 

「警察には、この事件を解決する気がないのだとわたしでも分かったよ」

 

「そんな馬鹿な……。解決していないって言うんですか? 初代の変死が迷宮入りなんて」

 

「その通りだ。事件は迷宮入りをした」

 

 プラターヌの口調に嘘は感じられない。本当に、初代の変死は迷宮入りとなったのだろう。

 

「でも、そんな事、一言も聞いた事がない……」

 

「秘中の秘である事はわたしでも容易に想像がつく。君がツワブキ・ダイゴの事を知っているという事はツワブキ家に親しいか、あるいは彼を匿える機会があったと想像するが、それでも君がそこまで知り得ていないのは意外だな」

 

 リョウからは何も聞いていない。ツワブキ家の人間だ。知らないはずがないだろう。

 

 ――意図的に隠されていた?

 

 そうとしか考えられなかった。ツワブキ家との親交はあると考えていたが、実のところ隠し通されてきた事実があるのかもしれない。

 

「でもそんな、ここはカナズミシティですよ? そんなに大きな街じゃない。誰かが知っていたとしてもおかしくはない」

 

「そう、おかしくはないが、誰からも聞かないところを見ると、やはり死に方が奇妙だったからだろう。誰もが口を閉ざすのさ」

 

 死に方。精神エネルギー放出の結果ではないのか。

 

「……どうだって言うんです」

 

「初代の死は決して安らかなものではなく、肩口から血が噴き出していた。大量に、それこそ地獄絵図のような格好でね」

 

 肩口からの出血。その言葉がサキにある事件を想起させた。

 

「〝天使事件〟……」

 

 当然、プラターヌは疑問符を浮かべた。

 

「何だ? 天使事件って。新種の流行りか」

 

 病院の中で幽閉されていたプラターヌが知るはずもない。そうでなくとも極秘になっている事件だ。サキは何度か逡巡の間を浮かべたがこの研究者に隠し通したところで意味はないだろう。ぽつり、と話し始めた。

 

「ここ三ヶ月程度から、カナズミシティで起こっている事件です。肩口からの大量出血で死亡する事件の警察内の俗称。死因は目下のところ不明で、しかもその出血が直接原因ではない事だけは分かっている」

 

 プラターヌはその事件の内容を咀嚼するように頷いた。

 

「似ているね」

 

 初代の死と、だろう。サキも首肯する。

 

「似ていて、ビックリしているんです。こんな事件、過去になかったと思っていたんですから」

 

「なるほど。思わぬところで事件の糸口を掴んだ事になるのか」

 

 プラターヌの冷静な分析にサキは舌を巻いた。

 

「驚かないんですね」

 

「何がだ? 初代の死と似ている事がか? わたしはこの二十三年で冷静になってしまってね。その結果が病院での幽閉に繋がったとも言えなくない」

 

「自分の事を客観視出来るようになったと?」

 

「そう思わなければやっていけなくなった、とも言える」

 

 プラターヌが煙草に火を点ける。最早サキは止めようとも思わなかった。

 

「しかし、初代の死と似たような事件がカナズミで、か。これはくさいな」

 

「私も、そう感じています」

 

 それに加えて唯一の被疑者であるのが彼であり、ツワブキ・ダイゴ――。出来すぎていると言えなくもない。

 

「君は、その事件を捜査していた。その延長線上で彼と出会った」

 

「理解が早くて助かります」

 

 プラターヌは鼻頭を擦る。

 

「出来すぎているな」

 

「私も、そう思いますね」

 

「君の話を統合するに、彼を巡って抹殺する派閥と保護する派閥が動いている。そして彼の身柄を握っているのがツワブキ家。初代と同じ、ツワブキ・ダイゴの名前。ここまで揃って何もありませんでした、ではなかろう」

 

 サキはリョウの事を伏せていたがこれも話さねばならないだろうと感じた。

 

「名付けたのは、私の幼馴染です」

 

「ツワブキ家の人間、しかも君に話せるとなれば警察組織を疑うべきだろう」

 

 プラターヌは一瞬でリョウの職業でさえも看破した。「でも分からないな」と続ける。

 

「分からない?」

 

「わたしがその幼馴染だとして、君のように勘の鋭い人間には事件の一端でも掴ませたくないね。勝手に調べるのが丸分かりだ。君を遠ざけようとさえするだろう」

 

 そういえば、リョウにその気がない事に驚く。むしろヒグチ家で一晩でも預かれといったところがおかしい。

 

「私では対応出来ないと感じている」

 

「それはないだろう。話してみると分かる。君ならばたとえ八方塞でも、何か手を尽くそうとするだろう。わたしに辿り着くのは時間の問題に過ぎない」

 

 過ぎた賞賛だったがそれを喜ぶ暇もない。サキはリョウの考えを読み取ろうとする。どうしてツワブキ・ダイゴの名前を与えたのか。また、どうして自分に少しでも興味を持たせようとしたのか。

 

「……もしかしたら、ツワブキ家も彼、ツワブキ・ダイゴの事を持て余しているのかもしれない」

 

 一つの可能性に過ぎなかったがプラターヌは頷く。

 

「大いにあり得る話だ。彼が何者なのか、その手がかりはないに等しい。猫の手でも借りたいというのが本音かな」

 

「彼の正体を暴くために、私の事も利用した……」

 

 リョウがそこまで考えられる人間かどうかは疑問だったが、自分への干渉はそうと考えれば腑に落ちる。

 

「つまりツワブキ家でも、彼の存在はイレギュラーだった。いや、この場合、デボンでも、と言ったほうが正しいか」

 

 先ほどの話ではデボンの研究室で初代は亡くなったのだ。だとすれば企業レベルで話が通っていてもおかしくはない。

 

「でも、おかしいと私は思います。だって、彼の外見は初代そのものだ」

 

「わたしも写真を見せてもらって思ったよ。まるで生き写しだ。初代と変わっているところは身に纏っている空気と、眼の色か」

 

「眼、ですか……」

 

「初代は銀色の眼だ。だが彼の眼は赤い」

 

 それはあまりに気にしていなかったが初代との相違点と考えればそうなのだろう。

 

「彼の正体の可能性の一端も掴めないんじゃ、これ以上の捜査は薮蛇でしょうか」

 

「いや、既に何個かの仮説は出来ている」

 

 プラターヌの言葉にサキは驚く。

 

「今までの話で、ですか?」

 

「当たり前だろう。ずっと病院にいたんだ。今まで聞いた話から結論を導き出すしかない」

 

 彼の正体が分かるのならば手段を選んでいる場合ではない。恥も外聞も捨てるしかない。

 

「……お願いします。彼の正体が分かるのなら」

 

 サキは頭を下げていた。それを見てプラターヌが手を振る。

 

「やめてくれ。君のお陰でわたしも抜け出せたんだ。それに君の情報がなければ分からなかった事。共犯者程度に考えてくれればいい」

 

「共犯者、ですか」

 

「そう、共犯者。わたしの逃亡を許したのだから、今さら罪のない一般人を気取るわけではないだろう」

 

 もう、戻れない場所まで来ている。サキはその実感に唾を飲み下す。

 

「可能性は?」

 

「三つほどある」

 

 プラターヌが指を立て、「まず一つ」と告げる。

 

「彼の正体が、二十三年前の初代の死に繋がっている人物。そうなってくると一つ目の可能性は、そのツワブキ・ダイゴが初代の隠し子。つまりツワブキ家の人間」

 

 あり得ない話ではない。それならば初代に外見が似ているのも頷ける。

 

「だが、これはないな」とプラターヌはすぐさま棄却する。サキはうろたえた。

 

「な、何でですか? 一番ありそうなのに」

 

 サキの様子を見てプラターヌはため息を漏らす。

 

「……勘が鋭いと言ったのは撤回しようか? 彼がツワブキ家の隠し子ならば、何で天使事件の関係者なんてなる? それは面倒になるに決まっているじゃないか。もし、隠し子でツワブキ家の秘密だとすれば、わたしならば一歩も外には出さない。彼の秘密は一生保たれるだろう」

 

 つまり天使事件に関わった事そのものが不可解、だと言っているのだ。サキは可能性を口にする。

 

「彼が、拘束を破ったとか」

 

「あり得ない話じゃないがね、だとすれば何故、二十三年という月日が必要だったのか。それに彼を見たところ、まだ二十歳になるかならないか、という感じだ。とても二十三歳以上とは思えない」

 

 プラターヌが写真を見たのは一瞬の事に過ぎないはずだがそれでも覚えている事が驚きだった。だが、サキとしても気になったところではある。もし、初代の隠し子、あるいはツワブキの血縁だとしたら、どうして二十三年間秘匿されねばならなかったのか。それにツワブキ家の人間を一時でも警察の手に渡す事は大きなマイナスになるはずだった。自分で上げておきながらこの可能性は薄いとも考えていた。

 

「ツワブキ家の周到さから、彼の監視を解いたとは思えない……」

 

「それに、彼の血液を調べたんなら、ツワブキ家の血縁関係も明らかになる事になる。大きなアドバンテージを君は持っているのだよ。それに気がついていないようだが」

 

 そこまで聞かされればリョウが一晩でも自分の家に預けた事があり得ないのだ。血縁者ならば調べられる事すらも危険である。

 

「血液の結果……。それにDNAも持っています」

 

 初代との遺伝子照合の結果が九割以上の確率で同一人物である事は言ったほうがいいだろうか。だがプラターヌはそこには言及しなかった。

 

「血液とDNAを持っているのならば、いや持たせる事が出来るのならば、彼の血縁自体に大した意味はないのかもしれない。ツワブキ家転覆、というのには結びつかないか」

 

 リョウとて自分に隠し事をしているはずだ。ダイゴという名前の意味。ツワブキ家で預かる事が簡単に通った理由もあるはずだ。

 

「私は、彼の存在をどうしてもツワブキ家が引き取りたかった理由があると感じています」

 

「だったら、余計に今の仮説はナンセンスだな。一度手離して、もう一度、というのは」

 

 サキは仮説を取り下げて次の可能性を口にする。

 

「もう一つは?」

 

「彼がツワブキ家とは全く関係のない、いわば他人の空似である可能性。彼らはただ単に彼の容姿が初代に似ていたから引き取っただけに過ぎない。まぁ一番楽観的な可能性だ」

 

 サキはその可能性に異議を唱える。

 

「いや、それはないですよ。天下のデボン、ツワブキ家とはいえ何で似ているだけの人間を引き取るんですか。面倒ですし、そもそも勘繰られる事が嫌いなツワブキ家の行動原理じゃない」

 

「分かっているじゃないか」

 

 サキの返答を予期していたのだろう。プラターヌは頷く。

 

「その通り、ツワブキ家がどうして彼の面倒など看ねばならない。ただ似ているだけという理由で。それはあり得ないんだ。ツワブキ家側としてもね」

 

「そうなってくると」とサキは腕を組む。

 

「その可能性は却下ですか……」

 

「なに、別に可能性を潰す事に何一つおかしな事はない。可能性はない、という話し合いもまた有益だよ」

 

 だとすれば三つ目だ。サキは尋ねた。

 

「三つ目の可能性は?」

 

「三つ目は……」

 

 プラターヌは机の端に煙草を押し付ける。ジュッ、と音がした。

 

「彼から引き出せる情報があるという事。つまりツワブキ家にとって有益に働く存在、だがツワブキ家の血縁者ではない。という、出来過ぎにも程がある仮説だ」

 

 サキは首をひねった。

 

「……二つの論法から消去法でそうなるのは分かりますけれど、あまりにも出来過ぎでしょう? 彼がツワブキ家にとって有益だけれど、でも血縁者じゃないなんて」

 

「だが彼を預かるメリットを考えた場合、ツワブキ家としてはそれぐらいの利点がなければおかしい。血縁者ではないが初代に関わる秘密を持っている。しかし血縁者、初代とそっくり、という」

 

 サキは手を振った。

 

「ないですよ。ないない。そんなの、人工的に作り出さなければ――」

 

 そこまで言ってハッとする。初代とDNAは九割以上の確率で同じ、さらに言えば、メモリークローンという謎めいた言葉。

 

 ――まさか、クローン? 

 

 あり得ない、と今までならば否定出来たが、ここまでプラターヌと話していれば何が起こっても不思議ではない。

 

「どうした?」

 

 胡乱そうに尋ねるプラターヌにサキは慎重に言葉を紡ぐ。

 

「あの……現時点の科学技術で、人間のクローンっていうのは可能なんでしょうか?」

 

「可能だ」

 

 即座に答えてみせたプラターヌにサキは追及する。

 

「じゃあ、何でそういうのが公然と行われないんです?」

 

「倫理的な問題が強い。たとえば、だ。ある一人の男がいるとする。その男は交通事故に遭って死亡する」

 

「唐突ですね」

 

 サキの感想を無視してプラターヌは続ける。

 

「その男は死ぬが、肉体のスペアが残っていたとしよう。それがクローンだ。電気的な信号か、あるいは定期的な記憶のバックアップにより、男はスペアの肉体に移り変わって今までと何ら変わらぬ生活を送る……。これが許されるか、どうか。分かるかね?」

 

「そんなの……」

 

 言いかけて返事に窮する。男の命と周囲の人間に関して言えばプラスだが、生命倫理の観点からしてみればスペアの命、というのは適切ではないだろう。さらに、命のスペアがまかり通ればその男は何だって出来る。人間の倫理観を無視した行動でさえも。

 

「気づいたようだね。その通り、人間は、いや人間に限らず全ての生命体が、だが、一回しか人生がないから尊く生きるのだし、さらに言えば必死になれる。もし、スペアの命があれば、人間の生き方は随分と変わってくるだろう。今の自分が消えてもやり直しが利く、という意味でね」

 

「そんなの、人生じゃ……」

 

「ないよ。その通りだ。だからこそ、クローン問題は倫理観に抵触する。もっと言えば、そうだな。人類規模の飢餓が起こったとする。食糧供給は完全に途絶え、控えてあるたんぱく質は自分のスペアの肉体のみ。この場合、人間はどうするのか」

 

 サキはその向こうにあるおぞましき可能性に口元に手をやった。プラターヌは頷く。

 

「人間は、自分の肉体でさえも生存継続の条件に出来る……」

 

「君が今感じたとおり、それはおぞましき事だ。人間が自分と寸分変わらぬ肉体を食料に出来る、というのは。精神の歯止めが利いたとしても騙せるのは精神だけ。肉体ではない。いくら誤魔化したとて人間をやめる決断に至れるほどわたしは人間に絶望していない」

 

 それは意外だった。プラターヌならば全てを絶望の淵に置いていてもおかしくはないと思っていたからだ。

 

「そう、なんですか」

 

「ああ、だから彼がクローンだというのも、わたしはいまひとつ納得出来ない。どうして初代と似たような人間を造る必要があったのか? おぞましき可能性の一つとして、ツワブキ家が初代の肉体をスペアとして使おうとしていたとしても、どうして今なんだ? 初代が死んで二十三年。そんなに時が経っていれば初代と瓜二つな人間など異分子でしかないだろう」

 



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第四十二話「真実へ至る道標」

 

 プラターヌの言う通りだ。

 

 初代の権威を利用するのならばもっと早く着手すべきである。それが何故、二十三年の月日を要したのか。やはり年月の問題は氷解しない。

 

「それ、やっぱり博士は、彼がクローンだとは思えない、って話ですよね」

 

「そうだが、何だ、何かクローン説を補強する話でもあるのかね」

 

 サキは迷ったが言うべきだと感じた。自分だけの秘密にしておいても進展しないのならば意見は仰ぐべきだと。

 

「メモリークローン、という言葉をご存知ですか?」

 

 プラターヌは指でこめかみを突く。

 

「聞いた事ないな」

 

「ですよね……。私も、全くこの言葉の意味が分からない」

 

「どういう事だ? 意味の分からない言葉をちょっと言ってみただけ、ってのはないだろう」

 

 サキは状況を説明した。保護派と思しき連中から渡された情報。「D015」、「メモリークローン」、「初代ツワブキ・ダイゴ」。この三つのキーワードが真実を知る鍵になる、と。博士は呻っていたが、やがて結論を出した。

 

「つまり、それらの情報さえあれば、白紙からでも彼を追う手立てがあるという事だ」

 

「前向きに考えれば、そうでしょうか」

 

「D015、とは? シリアルナンバーか?」

 

 サキにも詳しい事は分からない。ただそれを元にダイゴの名前がつけられたとは話した。

 

「D……、ダイゴのDね。他にも意味がありそうだが、分からないな。だがメモリークローンという言葉は意味ありげだ」

 

「私にも全く分かりません。博士が先ほど言っていた、記憶の話でしょうか?」

 

 顎に手をやってプラターヌは考え込む。

 

「記憶、ねぇ。だがそうだとしても、彼の情報源にはならないだろう。だって彼は記憶喪失なんだ。つまり、彼に誰の記憶がどうだとか言っても、全く分からないわけなんだろう?」

 

「はい」とサキは頷く。現状、全く情報がないのと同義。

 

「どうしたものかな。こちらから動こうにも手数が足りない。どうしたものか。動かせる駒があれば違うんだろうが」

 

 同僚にも話せない。サキとプラターヌだけで真実に辿り着けない。思わずため息をこぼすと、「お困りのようだね」と声が響いた。二人してそちらへと振り返る。窓辺に止まっているのはペラップだ。羽ばたきながらサキ達を見据える。

 

「やぁや。先ほど振りだ。やはり行き詰っているのだろう?」

 

「ペラップか」

 

 存外に落ち着いたプラターヌの言葉に反応する前にサキは険しい声を向けた。

 

「何の用だ?」

 

「何の用だ、とは随分だな。そろそろカードが出尽くした頃だろうと思ってわざわざ赴いてあげたのに」

 

「頼んでいない」

 

 サキの口調から推測したのか、プラターヌが尋ねる。

 

「もしかして、保護派の面子か?」

 

 鋭い指摘にペラップ――Fは感嘆した。

 

「さすが、プラターヌ博士。物分りが早い」

 

「面白いな。ポケモンが特使なのか?」

 

 プラターヌが窓辺に歩み寄り、窓を開ける。Fが部屋の中に入ってきた。

 

「羽を撒き散らすな」

 

「おかしい事を言うね、ヒグチ・サキ警部。私はポケモンだぞ?」

 

「ポケモンがポケモンであると認識して動くものか。何を企んでいる」

 

「企んでいる? 企んでいるとは随分と嫌われたものだ」

 

 Fの嘴から漏れる笑い声に眉をひそめる。対照的にプラターヌは興味深そうだった。

 

「ペラップが、トレーナーに教え込まれた事以外を喋るのか。これは珍しい個体だな」

 

「プラターヌ博士、私の名前はF。ペラップは所詮、種族名です」

 

「ああ、そうだな。これからはそう呼ぼう、F」

 

 親しげな二人にサキは割って入る声を出す。

 

「何で仲がいいんですか」

 

「仲がいいって、彼は特使だぞ。保護派から情報を全部巻き上げたわけではあるまい。少しでも友好的な関係を築くのは交渉の基本だろう」

 

「もっともだ。ヒグチ・サキ警部。あんたは少し迂闊だな。ここは情報を得る千載一遇のチャンスと考える」

 

 二人して責められサキは首を引っ込めた。

 

「……じゃあ、さっさと情報を渡してもらおうか」

 

 急く声に、「まぁ、待つんだ」とプラターヌが間に入った。

 

「どうしてペラップが人間の言葉に応じて返事が出来るのか気になる。検証したいね」

 

 研究心から出る言葉にサキは閉口する。

 

「そんな場合じゃ……」

 

「いや、私も言っておこう。博士、私が返答出来るからくりはあなた方が持っているであろう情報に依存している。メモリークローン、聞いただろう?」

 

 そこでプラターヌは真剣な口調になる。

 

「……人格が移植されているのか」

 

「さすが博士。早々に理解してくれる」

 

 サキは状況を飲み込めずに声を発した。

 

「何なんです? Fが何だって――」

 

「いや、ヒグチ・サキ警部。君は踏み込まないほうがいい。また生命倫理の話で躓くぞ」

 

 制される声にサキは言葉を飲み込む。どうやらサキの頭では理解出来ないと思われているようだ。

 

「馬鹿にしないでもらえますか? これでもきちんと大学は出ているんですから」

 

「だがポケモンに関して君は素人だ。わたしがその点に関してはフォローする。あまり自分で出来ない事を認めないのも悪い傾向だぞ」

 

 プラターヌの言葉にぐうの音も出ない。サキはそれでも抗弁を発した。

 

「というよりも、F。どうして今、この瞬間に接触しようと? 博士を確保したと先ほど伝えたはず」

 

「ああ、あんたにある程度の事情を知っておいて欲しくてね。あえて博士に説明を頼んだ」

 

 それは彼に関する事だろうか。確かに自分は知らないことのほうが多かった。

 

「でも、だからって博士と話しても進展した事と言えば……」

 

「そうだな。結局、彼が何者なのか、という核心には至っていない。だがF、君ならばある程度察しはついているのだろう」

 

 プラターヌの言葉にFは笑い声を上げる。

 

「さすが、遺伝子工学の権威であり、東西随一の頭脳と呼ばれているだけはある。私の正体もそうだが、博士、やはり衰えてはいないな」

 

 サキには何が何だか分からない。しかしプラターヌとFの間に無言の了承が成り立っているのが分かった。

 

「F、いや保護派か。この段に至るまでわたしとの接触をしてこなかったのは、ひとえにヒグチ・サキ警部を巻き込む腹積もりがあったからだろう? 要するに、君らは自分達から戦力を補充するのは惜しいくせに、外部戦力でなおかつ信頼出来る人間が欲しかったわけだ」

 

 Fは喉の奥でくっくっと笑う。

 

「そこまで理解されているとは、話が早い」

 

「わたし達に何を求めているのだね?」

 

「そうですね。先ほどまでの仮定の話、我々でも少し掴んでいる部分がある。そこから話しましょう」

 

 Fはフローリングの床に降り立った。ここまでなればもうどうにでもなれだ。サキは前髪をかき上げ、「ああ、もう!」と喚く。

 

「つまるところ、私を巻き込む気は最初からあった、というわけじゃないか」

 

 サキの言葉にFが首肯する。

 

「分かっているじゃないか」

 

「なに、わたしを連れ出すように扇動したのもこのFと保護派なのだろう。しかし、解せないのはどうして外部戦力に頼る? 君達の組織はそれほどまでに内側が脆弱なのかね?」

 

 プラターヌの疑問にFは向き直って答えた。

 

「我が組織は少しばかり出来て日が浅い。抹殺派には勝てない、というのが客観的な考察です」

 

 日の浅い組織。それはFから聞き及んでいなかった部分だ。抹殺派と対峙するのならばそれなりの年月を要しているかと思っていたが。

 

「抹殺派か。乱暴な言い回しだが正しい。まさしく、彼――現ツワブキ・ダイゴを抹殺しようと言うのだから。だが、おかしな事がある」

 

 プラターヌが指を立てる。「何かな?」とFが聞き返した。

 

「どうして組織立って彼を殺そうとする? 逆も然り、何故組織立って彼を守ろうとする? それほどまでに彼は重要な人間なのか?」

 

 サキもFへと目線を振り向ける。ここでの無言はお呼びではない。明確な答えを二人とも求めていた。Fが嘆息のようなものをつく。諦めたのだろうか。

 

「……隠し立てしても、あまり有益ではないな」

 

「当たり前だろう。私だって博士の身柄の保護までさせられて、危うい綱渡りをしているんだ」

 

「その苦労に見合うだけの対価は寄越すつもりだよ」

 

 Fが丸い眼をくりくりとさせる。プラターヌは、「聞こう」と口を開いた。

 

「彼から得られる情報は不可欠だ。今の我々にとってはね」

 

 サキは渋々納得して座り込む。Fが咳払いした。

 

「さて、君達が辿り着いた結論は、端的に言えば、ツワブキ家の暗躍をはっきりと感じながらも手が出せない。そしてツワブキ・ダイゴが何者なのか、という議論については彼がツワブキ家に関する重要人物であるが血縁者である可能性は薄い、というところだろう」

 

「聞いていたのか?」

 

 盗聴の類を疑ったがFは嘴を持ち上げる。

 

「これくらい推測の範囲だよ」

 

 頬を引きつらせながらサキは言う。

 

「じゃあ、その先をお前らは言ってくれるんだろうな」

 

「もちろんだ。ここから先は、逆に言えばあんた達の協力がなければ出来ない部分であるのだから」

 

 サキはその言葉に疑問を発する。自分達の協力が不可欠? 組織にはこれくらいの情報を持っている人間はいくらでもいるような口調でありながら、どうして真実の一端にも掴み取れていない自分達を選ぶのか。Fの真意は何だ? どうして自分とプラターヌと言う人材が必要なのだ?

 

 だがその疑問を突き詰める前にプラターヌの言葉にサキは戦慄した。

 

「恐らく保護派にとって最も忌まわしいのはツワブキ家。襲撃でも行うか?」

 

「生き急ぎすぎだよ、プラターヌ博士」

 

 サキが声を詰まらせたのを読み取ったようにFは声にする。

 

「だが、君はこう言ったはずだ。わたしとヒグチ・サキ警部の協力が不可欠だと。警部の役職と言動からツワブキ家とは親しいと感じるし、わたしと彼女ならばツワブキ家の廷内に毒ガスを撒くぐらいは出来よう」

 

 サキは思わず立ち上がって、「そんなの!」と声にする。Fとプラターヌが目を向けた。

 

「許される事じゃないでしょう! ここは法治国家なんですよ。しっかりと証拠を見つけて、その上で動かなければテロリストや犯罪組織と何ら変わらない。私は!」

 

 サキは胸元に手をやって自身の仕事を誇示する。

 

「あくまでも刑事! いくら真実を求めるためとはいえ、人道にもとる行為に手を染めるわけにはいかない! それは止めねばならない邪悪だ!」

 

 肩を荒立たせて発した声に、ぷっ、とプラターヌが吹き出した。呆然としているとFも翼を揺らして笑い出す。何がおかしいというのか、サキは改めて怒りを露にしようとしてプラターヌが手を掲げた。

 

「いや、悪い悪い。君がそこまで正義を尊重しているとは思わなかったものだから。しかし、今時……、なぁ?」

 

 声をかけるとFも同意する。

 

「そうだな。まさか、私も意外だったよ。もっとドライな人間だと思い込んでいた」

 

 二人して潜めて笑うのでサキは顔を真っ赤にして抗議する。

 

「な、何がおかしいんですか!」

 

 その行動を見て再び二人は、「なぁ?」、「ええ」と声を交わす。馬鹿にされているのは明らかだった。

 

「……もういいです。私は協力しません」

 

「ああ、分かった。分かったから。なぁ、F。彼女はへそを曲げてしまったらしい」

 

「ですね。私からもお願いしよう。もう笑わない。あんたの正義はとても身に沁みた」

 

 Fが頭を垂れる。サキは鼻を鳴らした。

 

「ポケモン風情の頭の一つや二つで……」

 

「いや、わたしも謝ろう。君の正義を笑うつもりはなかったんだ」

 

 プラターヌも頭を下げる。サキはそっぽを向いて、「……いいですよ」と手を振る。

 

「別に、怒っていませんから」

 

「本当に?」

 

「本当です。さっさと話を進めましょう」

 

 自分の急いた行動を恥じながらサキは話を戻す。

 

「そうだな。博士、生憎だがツワブキ家を直接襲撃、というのはうまみのある話じゃない。我々の調べでは、ツワブキ家にもこの事件に関与していない人間がいる。それに、当のツワブキ・ダイゴを殺してしまっては元も子もないだろう?」

 

「そうだな。その通りだ」

 

 三文役者のように二人が頷き合う。サキはふざけているのか、と思った。

 

「して、どうする? 保護派はどう動くつもりなんだ? ツワブキ家が大元の悪だとは言えないにせよ、明らかに関与は認められるんだ。誰かをふんじばって事情を聞き出すか?」

 

「乱暴ですよ、博士。私が提案したいのは、もう一つのプランです」

 

「もう一つ?」

 

 サキが尋ねるとFが目線を振り向ける。

 

「そう。彼の遺伝子が初代と九割がた同じだという事は、既に?」

 

 サキとプラターヌが頷く。「結構」とFは続けた。

 

「ならばどうやって彼の容姿と遺伝子を初代と同じに出来たというのか。そのおぞましさがどこからやってくるのか」

 

 そこまで言われてサキもハッとする。

 

「どこかに研究所か、それに伴う何かがある……」

 

「その通り」とFは首肯する。

 

「だが、カナズミでそのような研究機関は知られていないはずだ。そのような大それた場所があるのならば警察である彼女が気づかないはずがない」

 

 その通りだが、最初の秘密基地に関しても自分達は全く感知していなかった。警察だと言われてもさほど役立たない。

 

「そうだが、あんた達は知っているかな? このカナズミで行方不明者が毎年、五十人を超えるという事を」

 

 初耳だった。サキはプラターヌへと視線を向ける。プラターヌが首を横に振った。

 

「知らないな」

 

「博士はそうかもしれない。だがヒグチ・サキ警部、あんたは?」

 

「私も、そんな事は知らない……」

 

 恥ずかしい限りだが、知らないものは知らなかった。Fは一呼吸置いてから、「統計を調べないとなかなかね」とフォローする。

 

「だが行方不明者が出ているのは確かなんだ。そして今年に入ってから巻き起こっている猟奇殺人事件」

 

「〝天使事件〟か」

 

 プラターヌの声にFは、「知っているのだね」と口にする。

 

「先ほど聞いた。まさかわたしが病院にいる間にそんなものが起こっているとはね」

 

「しかも初代の死に様と同様……、出来過ぎたシナリオにせよ、あんた達はこう思うはずだ」

 

「何故、今」

 

 サキが口に出すとFとプラターヌは深く頷く。

 

「二十三年経った今、何故、この事件は起こるのか。初代の死に様なんて一部の人間しか知らない。それになぞらえた事件を起こしてもメッセージ性も皆無に等しい。だが、知った以上こう思わずにはいられないはずだ。どうしてカナズミで、どうして今なのか」

 

 Fの疑問はそのまま自分の疑問だった。

 

「どうしてなんだ?」

 

「……私も決定的な事は何一つ言えないが、少しばかりの資料は持ち合わせている」

 

 Fが足を前に出す。足首に外部メモリが紐で括りつけられていた。

 

「この情報は、吉と出るか凶と出るかは不明だが、あんた達にはこれを有効利用して欲しい」

 

「何だ、君はここまで来たくせに何も知らないと言うわけか?」

 

 プラターヌの声にFは頭を振る。

 

「お恥ずかしい事だが私も末端でね。あんた達を見張る事ぐらいしか分かっていないんだ。その先に至るかどうかは……」

 

 サキは足首に巻きつけられた外部メモリを受け取る。

 

「私達次第、というわけか」

 

「丸投げするようで悪いが」

 

 Fの謝罪に声に、「別に構わない」とサキは応ずる。

 

「元より、私が解決せねばと感じていた事件だ。それと彼の身元が重なるのならば、それに越した事はない」

 

「私はここまでだな」

 

 Fは飛び立つ。サキは声をかけていた。

 

「一つ、聞く。既に当てはあるんだろうな?」

 

 研究所の事だったがFは、「さてね」と答える。

 

「全ての道標は、あんた達にこそ拓かれる。私はあくまで傍観者を貫くよ」

 

 Fが窓から羽ばたいて飛んでいく。サキはその後姿をじっと眺めていた。

 

 Fが、保護派が与えるのはあくまで情報と道標。それを進むか否かを決めるのは他でもない己自身。

 

「あくまでも傍観者、か。なんていう無責任」

 

 そう言いつつもサキは、自分の道は決して他人任せには出来ない事を感じている。Fはあくまで道を示すだけ。保護派もそうだ。決めるのは己自身なのだから。

 

「無責任だし、しかも病院を出たばかりの私と、ほとんど情報も、上回る手も持たない君と、か。これはどう転がるかな」

 

「必ず、正答を見つけ出しますよ」

 

 サキは外部メモリを握り締める。己の胸に宿った意志は硬い。

 

 ――真実へ至る道標。そこに歩み出すのは自分自身。

 

 プラターヌは額に手でひさしを作って、「困難な道だな、しかし」と呟く。サキは応じていた。

 

「困難くらいがちょうどいいですよ。私にとっては」

 



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第四十三話「疑念の晩餐」

 

「まったく、どこ行っていたんだよ、お前は」

 

 リョウに呼び止められ、ダイゴは身体に緊張を走らせる。慌てて服の上から手帳を確かめ、鼓動を鎮めた。

 

「いや、かなり混乱していましたから」

 

 ダイゴの言葉に、「そりゃあな」とリョウは後にした小道を顧みる。

 

「とんでもない場所だった。もう金輪際、あの小道には行かない」

 

「あのポケナビですけれど」

 

「ああ、どうする? 結構無駄足食ったし、今日はやめておくか?」

 

「ええ、俺もそういう気分じゃないですし」

 

 ダイゴは愚痴をこぼすリョウの横顔を窺う。

 

 ――先ほど拾った手帳に書かれていたリョウの役職。それはニシノと同じ部署であった。

 

 それだけでも警戒の対象だが、もう一つ。初代ツワブキ・ダイゴの隠された死の真相。そこに関わっていたのは精神のエネルギー。仮定に過ぎないが、もし、その精神エネルギーが行き場をなくしたのだとしたら。それはどこに注がれたというのか。記憶喪失という自分の来歴に何か鍵があるのではないのか。

 

「なに難しい顔しているんだ? 落し物の小道は悪かったよ。運試しなんかするもんじゃないな」

 

 リョウの言葉にダイゴは話半分で頷いた。本心では、この男は何か重大な事を隠しているのではないか、という疑いと共に。

 

 誰に話すべきなのだろう。ダイゴは自室で思案を巡らせていた。

 

 クオンか、と感じたがあの娘は無害だ。恐らくツワブキ家の呪いに関しては全く、正反対の位置にいるのだろう。巻き込むのは出来るだけ避けたい。もう一人、思い浮かぶ。

 

 コノハ。自分の身体がフラン・プラターヌのものだと主張し、ツワブキ家の秘密を探るために家政婦を買って出ている人間。彼女に言うか? と一瞬考えたが却下した。彼女がもしこれを知り得て感情論で動けば、それこそ危うい。ツワブキ家全員の戦力を知っているわけではないが、全員がポケモントレーナーだと見て間違いないだろう。

 

「……でも、どうなっているんだ。俺の身体がフランっていう人間だとして、じゃあ俺は誰だ? それにコノハが殺したあいつは……」

 

 自分と瓜二つだったあの男は何者なのか。右腕だけ持ち去ったコノハの真意は? 考えれば考えるほど迷宮に入るようだった。

 

「ダイゴー。晩御飯」

 

 扉の向こうからノックと共にクオンが呼びかける。応じて扉を開けるとクオンが首を傾げた。

 

「らら? どうかしたの?」

 

 彼女には出来れば明かしたくない。ダイゴは平静を装った。

 

「何でもないよ。ポケナビ買う予定が消えて、ちょっと残念だっただけ」

 

「ああ、兄様が悪い遊びをけしかけたんですって? 悪い癖だわ。兄様、すぐに遊びたがるのよ。ダイゴがあまりにも無防備だからからかってやろうって気持ちだったんじゃないかしら?」

 

「俺、無防備かな?」

 

 自分を指差して尋ねるとクオンは呻った。

 

「すっごい、無防備。それでツワブキ家の謎を探っているんだから見ていて危なっかしいわ」

 

 クオンから見てもそうなのだから他人から見ればもっとなのだろう。ダイゴは夕飯の席についた。コノハがグラタンを作って全員分揃えている。ツワブキ家転覆ぐらいならばコノハの立場からでも出来そうだが、彼女の目的はあくまで自分の肉体、フラン・プラターヌの奪取。無益な戦いは避けたいのだろう。

 

「おっ、今日は洋風だな。グラタンにピザか。こりゃあ、太るなぁ」

 

 快活に笑ったのはツワブキ家の頭首であるイッシンだ。老人から聞いた話を思い出す。イッシンは、当時の初代を知る唯一の肉親。ダイゴは一番怪しいと踏んでいたが本人は早速ピザを頬張っていた。

 

「あー! いけませんわ、父様。つまみ食いは」

 

 クオンが声を上げると、「かたい事言うなよ」と次のピザへと手を伸ばしている。

 

「もう! 父様は下品なんだから!」

 

 クオンが席につき、食卓を見渡す。

 

「姉様と兄様は?」

 

「レイカは仕事で今日も遅いらしい。コノハさん、悪いが娘の分をお願い出来るかな?」

 

「承知しました」と従順に従うコノハ。その様子は内情を知っている分、滑稽に映る。

 

「リョウは、いたんだがなぁ。ダイゴ、知っているか?」

 

 ダイゴは、「いえ……」と首を振る。イッシンは後頭部を掻いた。

 

「困った奴だな……。また仕事で呼び出されでもしたのか?」

 

「夕食は家族全員が揃ってからと決めているものね」

 

「レイカとコウヤは仕方がないとしても、リョウめ、私に何の断りもなしに夕食を留守にするとは」

 

 イッシンはまたしてもピザへと手を伸ばす。その手を叩いたのはクオンだった。

 

「駄目よ、兄様は帰ってくるかもしれないんだから。それにダイゴの分も」

 

「分かっているよ……。ダイゴは食うか?」

 

 ピザの皿を差し出されダイゴはおずおずと一切れを手にして頬張った。

 

「うまいか?」

 

 イッシンがどうして聞いてくるのだろう。作ったのはコノハなのにと思いながらも答える。

 

「おいしいです」

 

「そりゃあよかった。ツワブキ家ではうまいものはうまいと言う。そういう時に正直になれないひねくれ者はいけない」

 

「父様は少しばかり軽率よ。ダイゴだってまだ来て日が浅いんだから」

 

 クオンの忠告にイッシンは、「悪かったよぉ」とまたピザを口に運ぶ。クオンは注意するのも疲れたのかコノハを呼びつけた。

 

「すいません、このままじゃピザなくなっちゃう」

 

「ご用意しております」

 

 コノハは既に二枚目を焼いていた。

 

「おっ、さすがコノハさん。分かっているねぇ」

 

「父様はもう駄目よ。あとは姉様と兄様に残しておかないと」

 

 すっかり大人びたクオンの口調にイッシンは、「細かくなったなぁ」と口にする。

 

「すっかりお前の母親そっくりだな」

 

「母様なら、父様の耳をひねり上げていたでしょうね」

 

 今まで話に出なかった母親の話題が出てダイゴは身を強張らせる。そういえば母親はいないのだろうか。思い切って尋ねてみた。

 

「あの、クオンさんのお母さんは……」

 

 その言葉にイッシンとクオンの笑いが凍る。やはりまずい事を言ってしまったかという悔恨が胸を支配する前にクオンが口にした。

 

「……母様はね、あたしが小さい時に亡くなったの。でも寂しくないわ。母様はきっと、天国に行っているはずだから」

 

「そうだ。あいつは今でも私達の事を天国から見守ってくれているだろう」

 

 イッシンが笑みを取り戻す。クオンも一瞬だけ見せた翳りを消し去っていた。

 

「そう、なんですか……。すいません、割り込むみたいに」

 

「いいんだよ。いずれは話す事だ。それにしてもリョウは連絡も寄越さないな。一応、かけてみるか」

 

 イッシンがポケナビで電話をかける。するとすぐさまリョウの声が聞こえてきた。

 

「おい、どこへ行っているんだ、リョウ。もう晩飯だぞ」

 

『悪い、親父。ちょっと急な用事が入っちゃってさ。今日は多分、零時過ぎると思う』

 

「お前……、ダイゴに悪い遊びを教えたんだってな。クオンから聞いたぞ」

 

『悪い遊びって……、まぁ落し物の小道はオレも悪いと思っているよ。でも結局被害はなかったんだから大丈夫だろ』

 

「……まったく、大事なものを落としても知らないぞ。好奇心だけで動くなといつも言っているだろう」

 

 大事なもの、という言葉にダイゴは懐に仕舞ってあるリョウの警察手帳を思い起こす。リョウが急用だと言ったのは恐らくそれの再発行手続きだ。

 

『悪い、悪いって親父。今日ばかりは許してくれよ。代わりと言っちゃ何だが、ダイゴに変わってくれるか?』

 

「うん? まぁ、いいが」

 

 ポケナビをダイゴは受け取る。

 

「あの、変わりましたけれど……」

 

『おお、ダイゴ。悪いな、今日は危ない遊びをさせてしまって。怖い目に遭っただろう。どうかな。こっちで許可は取り付けておくから、明日はクオンと一緒に学校見学っていうのは』

 

 リョウの提案にダイゴはうろたえる。クオンへと目線をやって、「そういう話は、オレの一存じゃ」と答える。

 

『あ、そうか、そうだな。クオンに変わってくれ』

 

 クオンへとポケナビを手渡す。

 

「兄様。ダイゴに危ない遊びをさせたんですってね」

 

 厳しい声音のクオンにリョウは、『悪かったって』と口にする。

 

『その代わりなんだけれど、お前、学校にダイゴを案内してやってくれ』

 

「……どういう風の吹き回しかしら? それにダイゴはあたしより年上じゃなくって?」

 

『深く考えるなって。まぁ、今の状態じゃ戸籍もないし学歴もない。ツワブキ家で預かるに当たって、まぁ学力ぐらいは見ておこうって話。もう明日で約束取り付けちゃっているしさ』

 

 クオンはため息を漏らす。

 

「兄様、相変わらずそういうのの根回しだけは早いのね」

 

『クオン、いいよな』

 

「……分かったわ。ダイゴと一緒に学校に行けばいいのよね」

 

『おお、助かる。ダイゴに変わってくれ』

 

 クオンは渋い顔をしてポケナビを手渡した。受け取ってダイゴは声を吹き込む。

 

「あの、リョウさん?」

 

『うん? 何だ』

 

「俺なんかがクオンさんの学校に行ってもいいんですか?」

 

『まぁ、問題ないだろう。保護者って名目で入れるだろうし、オレが信頼する教師にお前の世話は任せてある』

 

 リョウの信頼する教師、とは誰なのだろう。それを問い質す前にリョウは話を区切ろうとする。

 

『まぁそういうわけだ。今日は多分帰れないが頑張ってくれ。じゃあな』

 

 その声で通話が切られる。ポケナビをイッシンに手渡すと、「相変わらず身勝手だな」と苦言を漏らした。

 

「ダイゴを預かる時もそうだったが、勝手に話を進めるんだから困ったものだ。……ああ、ダイゴ、お前の事を悪く言っているわけじゃ」

 

「あ、はい。分かっています。せっかく名前をもらったんですから、俺は別に」

 

「そうか。そう言ってくれると助かる」

 

 コノハが食卓につきイッシンは声にした。

 

「よし、今日は四人だけだが夕食にしよう」

 



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第四十四話「記憶遥か」

 

「……で、俺は君につき従えばいいのかな」

 

 通学路でクオンに尋ねる。クオンは紅い髪を指先で弄びながら、「そうね」と答えた。

 

「まさか二度もダイゴに世話になるとは思っていなかったけれど」

 

「世話って言うんなら俺のほうが世話になりっ放しだ。リョウさんもそうだけれどクオンちゃん、君にも」

 

 だがリョウは何かを隠している。その上で自分に学校に行けと言っているのだろう。一体学校に何があるのか。先日のように自分の似姿の襲撃を受けないとも限らない。その場合、クオンを巻き込む事だけは避けたい。

 

「……何か考えているの?」

 

「いや、何も」

 

 条件反射的に答えた言葉にクオンは、「嘘」と言って回り込む。

 

「隠しているでしょう」

 

 眼前で問い詰めるクオンにダイゴは、「何もないって」と声にする。

 

「本当?」

 

 クオンは頬をむくれさせて尋ねる。

 

「俺だって分からない事だらけなんだしさ。隠し事、っていうか考え事? ぐらいはあるよ」

 

「まぁ、確かに兄様がどうして学校に行けなんて言うのかは分からないわね」

 

「クオンちゃんでも、その、リョウさんの真意みたいなのは分からない?」

 

「分からないわ。そもそもあの人、あたしに関心ないもの」

 

 クオンは背中を向けて歩き出す。その突き放すような物言いに疑問を感じた。

 

「関心がないって、家族だろう?」

 

「家族でも、関心がないのよ。あたしが学校に行くって言い出さなかったら、ツワブキ家の鼻つまみ者だったでしょうね」

 

「……そりゃ、不登校は困るだろうけれどさ。関心がないってのは、嘘だよ」

 

 ダイゴの言葉にクオンは視線を振り向ける。

 

「意外ね。あなたは兄様の事、何か疑っているんだと思った」

 

「俺は、別に……」

 

「あのね、ダイゴ。最初に言ったでしょう。本質を見極めるのに余計な事をしないでって。隠し事をしているのぐらい、あたしだって分かるわ」

 

 隠し切れないな、とダイゴは降参した。

 

「……ちょっと、リョウさんの言動に疑問を感じている」

 

「疑問? 確かに兄様はちょっと想定外の方向に動くところはあるけれど」

 

「そういうんじゃないんだ、きっと。多分、リョウさんの厚意を厚意だと素直に受け止めきれない、俺の猜疑心だと思う」

 

「難しい事を言うのね」

 

 クオンは首を傾げる。

 

「かもしれないね」

 

「でも嬉しいわ」

 

 思わぬ言葉にダイゴは聞き返す。

 

「嬉しい?」

 

「あたしに言ってくれた事が。ダイゴの事だから隠し通すかと思った」

 

 核心を言っていないだけだ。クオンを心の底では巻き込めないと感じている。実際、リョウが何のつもりで自分に初代の名前をつけたのか、初代の死に様と自分に因果関係はあるのか、イッシンの真意は、など氷解していない疑問は多々ある。

 

「俺は、嘘が下手なんだよ、多分」

 

「あたしは正直な人が好きよ」

 

 クオンの偽りない言葉にダイゴは微笑む。

 

「俺も、出来れば正直者が好きだ」

 

 脳裏にサキの姿がちらついた。サキは今頃どうしているだろうか。マコは、ヒグチ家はどうしているだろうか。正直者、という単語で真っ先にあの姉妹が浮かんだ。サキは偽ろうとしても優しさが出てしまうタイプだ。マコは隠す事が本質的に苦手なのだろう。

 

「あたしは学校まで案内する事しか出来ないけれど、ダイゴどうする?」

 

「まぁ、行くっきゃないだろう。リョウさんが何のつもりで言ったのか気になるし」

 

 この期に及んで今さら逃げ帰る事など出来るか。クオンは呟く。

 

「……でも、ダイゴ記憶はまだ全然戻っていないのよね? それで兄様の言いなりになるのは不安じゃない?」

 

「そりゃ、不安はあるよ。でもさ、動き出さなきゃ始まらないだろう」

 

 ダイゴの言葉にクオンはダイゴの腕に自分の腕を絡めた。不意打ち気味の行動にダイゴは面食らう。

 

「なっ、クオンちゃん……」

 

「ダイゴ、そういうところが好きよ。でも抱え込まないでね。あたしがいるから」

 

 ダイゴはハッとする。ここにも分かり合える人がいるのだ。仲間は信頼し合えればどこにでもいる。

 

「……そうだな。俺も出来るだけ打ち明けながらいきたいと思う」

 

 それでもリョウの所属や初代については言えなかった。自分の存在そのものを揺るがされる気がしてどうしても口に出来なかったのだ。

 

「あれよ、ダイゴ」

 

 クオンが指差したのは茶色の建築物だった。三階建てで、小山ほどの大きさだった。敷地面積は推し量っても相当なものでダイゴは目の前の場所だけでカナズミシティの半分はこの敷地が占めているのではないかと思わされる。豪奢な造りの庭内の中央には噴水が設えてあった。学校、というよりも自然公園の趣が強い。

 

「これが、クオンちゃんの通ってる学校か」

 

「そういえばダイゴは来るの初めてだっけ?」

 

「まぁ、カナズミの建物は俺も知らないのが多いし……」

 

「だからってカナズミの高校を知らないなんて変わっているわね。一応学園都市なのよ」

 

 カナズミシティのコンセプトを改めて実感し、ダイゴは敷地内に歩みを進める。クオンは慣れた様子で入っていった。すると黄色い声が上がる。

 

「あっ、ツワブキさん」

 

 駆け寄ってきたのはピンクのリボンで黒髪をツインテールにした少女であった。額を出しており、活発な印象を受ける。

 

「ツツジ、ご機嫌麗しゅう」

 

 クオンの家では見ない挨拶にダイゴは身体を強張らせる。ツツジは同じように頭を下げて挨拶した。

 

「ああ、そうよね。ご機嫌麗しゅう」

 

 どうやら相当なお嬢様学校らしいとダイゴは認識する。ツツジ、と呼ばれた少女はダイゴを一瞥するなりクオンに囁きかける。

 

「あの、誰ですか、この人は」

 

「あら、ツツジ、知らなくて? あたしの家族よ。兄に当たる人だって言わなかったっけ?」

 

 クオンのデタラメにツツジは、「えっ」とダイゴに視線を振り向ける。ダイゴは会釈した。

 

「どうも……」

 

「どうも……、お兄様だったんですね。私ったら失礼を」

 

 ツツジはツインテールをかき上げてからもう一度改めて挨拶をする。

 

「ここ、カナズミシティでジムリーダーをやっているカナズミ・ツツジ、と申します」

 

 カナズミ、という姓にダイゴはクオンへと尋ねていた。

 

「カナズミ……? それってつまり」

 

「カナズミシティの市長の娘よ。ジムリーダーも兼任している」

 

「お父さんとか、家族の人が?」

 

 その言葉にツツジは頭を振る。

 

「いいえ、私自身がジムリーダーですの」

 

 ダイゴは目を瞠った。クオンと同い年くらいの少女にしか見えない。「本当よ」とクオンが口にする。

 

「若干十五歳にしてジムリーダーの才が認められた、岩タイプ使いのジムリーダー」

 

 ダイゴは改めてツツジを眺める。ツツジは、「証明になるか分かりませんが」とトレーナーカードを差し出した。そこには確かに「カナズミシティジムリーダー」と役職が書かれている。

 

「ジムリーダーって現役高校生でもなれるんだ?」

 

「ツツジは特例よ。でも若い人がジムリーダーをやるのは今では珍しくないわね。資格さえあれば出来る。まぁ、それにはジム運営委員会の厳しい審査と、年に三度もある査問会での防衛成績の維持とさらに言えば専門タイプに関する発展論文の発表が義務付けられているわ。だからツツジはそれなりの努力をしているってわけ」

 

「いやだ、照れるわ、ツワブキさん」

 

 顔を赤らめたツツジを改めてまじまじと見やる。それほどの実力者が何故、高校に通っているのか。

 

「一応、ジムリーダーである以上は義務教育期間と、それに名のある高校や大学を出る事が義務付けられているの。でも、他に専門的な事業をやっているのならば免除される場合もあるのだけれどね」

 

「私は学校のレポートと査問会に出す成果発表でてんてこ舞い。だからそれ以上の事業に手を出そうとは思わないけれど」

 

 ツツジは額に手をやって首を横に振る。ダイゴはジムリーダーという職種の厳しさを思い知った。

 

「防衛成績を落とすわけにはいかないから。常にトレーニングだし。ツワブキさんをいつも誘っているんですけれどね」

 

「誘っている? 何に?」

 

「ジムトレーナーによ。あたしのディアンシーは岩タイプだからジムトレーナーの資格はあるって言うんだけれど、残念ね、規格上、ディアンシーは挑戦者には使えないって何度も言っているんだけれど」

 

「ディアンシーほどのポケモンがいきなり出れば私がいちいち防衛に出張る必要もないし、楽じゃないですか」

 

「ツツジ、あなたは実力者なんだから楽さに流されちゃ駄目よ。どちらにせよ、ディアンシーを出すつもりはないのだけれど」

 

 ツツジは、「ケチだなぁ」とむくれる。どうやらクオンとは対等の友人らしい。

 

「意外だな」

 

 呟いた声にクオンが反応する。

 

「何が?」

 

「いや、リョウさんからは不登校だって聞いていたから」

 

 友達もないのだと思い込んでいた。クオンは、「腐れ縁よ」と答える。

 

「幼馴染だし、別に学校に行く事が全て、友情を証明する手段じゃないでしょう?」

 

 それはそうだが、とダイゴが口ごもっているとツツジが怪訝そうな目を向けてきた。

 

「ツワブキさんの、お兄さん、みたいなものなんですよね? 何でリョウさんの事を他人みたいに?」

 

 疑問に思われたのだろう。誤魔化す言葉を探していると、「親類でも変わり者なのよ」とクオンが代わりに答える。

 

「自分の年齢以上の人はみんな、さん付け。そういうのっているでしょう?」

 

 クオンの言葉にツツジは納得したようだ。

 

「なるほど。いますよね、変わり者」

 

 勝手に変わり者認定されて不本意ではあるが疑問を払拭出来て何よりである。

 

「でも何で学校に? 今日は保護者会じゃないでしょう?」

 

「学校の、先生方に用があってね。付き添いってわけ」

 

「ああ、なるほど……。でも珍しいですね。ここの先生方に用なんて」

 

「……それは何で?」

 

 ダイゴが尋ねるとツツジは振り返る。

 

「だって先生方に用って言ってもアポもなしに用事が取り付けられるとは思えませんから」

 

「アポはあるわ。兄様が取り付けてくれたみたいよ」

 

「ああ、リョウさんですか。とんと見なくなりましたね」

 

「忙しいのよ。昨日も帰ってこなかったし」

 

 リョウの事が話題に出てダイゴは警戒する。ツツジはどこまでリョウの事を知っているのか。場合によってはこの少女にも聞かねばならない事がある。

 

「でも、ツワブキさんも変わっていますね。お兄さんとはいえ、こんなに堂々と」

 

 ダイゴが後に続いている事がそれほどおかしいのだろうか。クオンが口にする。

 

「まぁ、女生徒が八割の学校ですからね。自然と男子は目に入るものだし」

 

 どうやらほとんど女子校と言っても差し支えないようだ。だからか、先ほどから好奇の眼差しを感じ取っていた。

 

「あの、お名前は?」

 

 ツツジに訊かれ、ダイゴは答えようとする。その時、視界の隅に書類を抱えた茶髪の女性が映った。教師だろうか。赤いカチューシャで髪を留めている。クオンとツツジが立ち止まって頭を下げた。

 

「あ、ハルカ先生、ご機嫌麗しゅう」

 

 ハルカと呼ばれた女性は立ち止まって会釈しようとしてダイゴの存在に気づいた。

 

 その瞬間、ハルカはわなわなと目を震わせた。まるで幽霊にでも行き会ったかのように。

 

「あなたは……」

 

 震える声にクオンが説明する。

 

「あの、兄様が多分アポイントを取り付けたと思っているんですけれど、彼の事、ご存知で?」

 

「いえ、その……、何でもないわ」

 

 ハンカチを取り出して汗を拭いつつハルカは持ち直した様子だった。ダイゴをじっと見つめ、「まさかね……」と呟く。

 

「ツワブキ・リョウさんから話は聞いています。あとは応接室で話を聞いたほうがよさそうね」

 

 ハルカが手招く。クオンはツツジに言い置いてついてきた。

 

「あなただけでは心配だから」

 

 クオンがぎゅっと腕を掴む。

 

「でも、俺の用事だし……」

 

「あなたの用事はあたしの用事でもあるの。何があるか分からないんだから」

 

 それを言うのならば、生徒である以上ここはクオンの庭のようなものではないのか。それでも信用出来ないのだろうか。ダイゴはハルカから距離を取って声を潜める。

 

「あの……ハルカ先生って俺の事知っているのか?」

 

「あたしだって分からないわ。何で先生があんな反応を見せたのか。何か理由がある事だと思うんだけれど……」

 

 クオンでも分からないらしい。ダイゴは聞いていた。

 

「俺の話をした事は?」

 

「ないに決まっているじゃない。まだ登校し始めて数日よ」

 

 当然である。いきなり来訪者の事を話題に出すほどクオンは軽率ではない。ハルカに連れられ訪れたのは落ち着いた色調の応接室だった。机を挟む形でソファがあり、奥には執務机がある。あちらこちらに賞状やトロフィー、それに歴代の校長だろうか、額縁があった。

 

「どうぞ」とハルカがソファに手を差し出す。既に先ほどの動揺は消え去っているようだったが、ダイゴは訝しげにソファに座った。クオンも隣に座る。

 

「あの、授業に戻ったほうが……」

 

「家族の一大事よ。授業なんて」

 

 ぷい、とそっぽを向いてしまうクオンにダイゴは舌を巻いていた。給仕係が紅茶を持ってきてダイゴとハルカの前に一個ずつ置く。ダイゴが対応をしかねているとハルカは口を開いた。

 

「あなたの名前、聞かせてもらえますか?」

 

 先ほどの動揺が消え去った、と思い込んでいたがそれは間違いであったらしい。未だ、ハルカは迷いの只中にいるようだ。ダイゴは素直に答える。

 

「ツワブキ・ダイゴです」

 

 その名前を聞いてハルカは口元に手をやった。その目が驚愕に見開かれる。

 

「あの、先生。何か、ダイゴの事を知っているのでしょうか?」

 

 クオンが切り込んだ質問をする。ダイゴは覚えず心臓が収縮したのを感じた。

 

「そうね……」

 

 ハルカは紅茶のカップを手に取って幾度かの逡巡を浮かべた。

 

「私が話す事を、あなた達は信じられないかもしれない」

 



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第四十五話「彼の岸の人」

 

「話してください。ダイゴには特殊な事情があるんです」

 

「特殊な事情? そういえば、あなたのお兄さんであるリョウさんもそう言い置いていましたが、何なのです」

 

 クオンはさすがに自分から言うのは憚られたのだろう。ダイゴが口にする。

 

「記憶喪失なんです」

 

 その言葉にハルカは聞き返す。

 

「記憶喪失、って、あの……?」

 

「そうです。俺……いや、自分はつい十日前に保護された以前の記憶が全くないんです」

 

 思わず一人称を言い直したがそのような事をハルカは気にしているわけではないらしい。無理もない。記憶喪失だと言われて、はいそうですか、ではないだろう。

 

「先生、これは本当です。警察でも何度も調べられたのよ」

 

 クオンが助け舟を出すがハルカは頭を振った。

 

「いえ、違うわ……。そういう事で、別に差別したり、驚いたりしているわけじゃないのよ。ただ、あなたがあまりにも、あの人に似ているから」

 

 あの人。その言葉に意味される人物を二人とも一人だけ知っている。

 

「それって、ツワブキ・ダイゴ、初代の事じゃないですか?」

 

 クオンの声にハルカは驚愕の眼差しを向ける。

 

「驚いたわ。初代は、だってあなたが生まれる前に……」

 

「はい、亡くなっています。本来、あたしが知るはずのない情報ですが、ダイゴの記憶の当てを調べるうちに知ったんです。初代もツワブキ・ダイゴという名前だったという事を」

 

 クオンは自分が思っている以上にしっかりとしていた。ダイゴの事を慮っての事だろうか。自分の状況を客観的に口にする事が出来るとは。素直に感心しているとハルカは、「そうね」と紅茶で喉を潤した。

 

「あなた達は、それを了承の上で、話を聞きに来たの?」

 

「兄様はダイゴに、それを知らせたいんだと思います。だから、初代の事を知っている先生にアポを取った」

 

 クオンの的確な言葉にハルカは笑みを浮かべた。

 

「考えている通りよ。私は、初代ツワブキ・ダイゴを知っている。それに、彼がとても似ている、という事も」

 

「教えてください」

 

 ダイゴは思わず身を乗り出していた。自分の事、ツワブキ・ダイゴという名前の事を、ルーツを知らねばならない。そうでなければ自分は永遠に進めない。

 

「ツワブキ・ダイゴという、男の事を」

 

 ダイゴのその言葉が嚆矢になったかのように、ハルカは決意の双眸を向けた。

 

「……誤魔化しても、あなた達ならば調べ上げそうね。私の知る、嘘偽りのない情報を与えましょう。ただし、条件がいくつかあります」

 

「条件?」

 

 クオンは聞き返す。ハルカは二本、指を立てた。

 

「まず一つ、私があなた達にこれを話す事を、誰かに語ってはならないし、教えてもらっては困ります」

 

 ダイゴは怪訝そうにする。リョウが既にアポイントメントを取っている事から公然の秘密のようなものではないのだろうか。だがハルカはそれにこだわった。

 

「……分かりました。あたし達の口からハルカ先生の名前は決して出しません」

 

 クオンが目配せする。ダイゴも頷かざるを得なかった。

 

「ではもう一つ。この話は主観の混じった話です。だから信じるに足るかどうかを判断するのはあなた達。私自身は決して、この話の信憑性に関わるものはないと言っておきます」

 

 奇妙、とも言えた。自分の話が主観だと断るのはまだ分かる。だがその信憑性さえも相手に委ねる、というのは。

 

「分かりました」

 

 クオンが頷くのでダイゴも了承する。

 

「話してください。初代の事が少しでも分かるのならば」

 

 ハルカはカップを持ち上げて紅茶を口に含む。優雅にカップを下げ、口を開いた。

 

「初代ツワブキ・ダイゴに私はトレーナーとしての教えを乞いました。当時、まだ四天王制度も各地方のチャンピオン制度も儘ならない時、帰国した初代は隠居していたそうです。カナズミではない、トクサネシティで」

 

「それは聞き及んでいますけれど……」

 

 クオンの戸惑いにハルカは応ずる。

 

「どこで出会ったのか、ですよね。私が彼と最初に出会ったのはムロタウンの石の洞窟。彼は壁画をじっと見つめていました。その姿に心打たれたのが、最初」

 

 ハルカの目がダイゴを一瞥する。特別な感情を抱いた、と宣言しているのだ。ダイゴは自分ではないのものの緊張するのを感じた。

 

「ムロの、洞窟にいたんですか? 何で?」

 

 クオンの疑問が分からずにダイゴは耳打ちする。

 

「ムロタウンだと、不都合が?」

 

「ムロタウンなんて、今でも何もない田舎よ。そんな場所に、一時でもカントーの玉座に収まった人間が何の用で、って言う話」

 

「確かに、おかしいでしょうね」

 

 ハルカの声にダイゴは顔を向け直す。ハルカは静かな語り口でその当時を回顧しているようだった。

 

「でも、石の洞窟には彼の趣味で潜っていたところがあるみたいでしたね。ご存知? 初代がとても石好きだった事を」

 

「家にある石の種類から、ある程度は」

 

 クオンの返答にハルカは首を傾げる。

 

「あなたのお父様は初代の息子でしょう? そういう話はなさらないのね」

 

 そういえば、イッシンは初代を殺した可能性のある人間だ。だから初代の話を避けるのだろうか、と考えたがクオンの返事は違った。

 

「父は、初代の、お爺様の事を、あまり快く思っていないようですから」

 

 初耳の言葉にダイゴも驚く。ハルカは、「まぁ」とわざとらしく目を見開いた。

 

「どうして?」

 

「父は初代と違って商才もなければトレーナーとしての才覚にも恵まれていませんから。その劣等感があるんでしょう。一度、酔った拍子に聞いた事があります」

 

 イッシンの普段の柔らかな物腰とは正反対な事実だった。ハルカは、「そういうものなのね」と納得する。

 

「確かに初代はずば抜けていた。トレーナーとしての才覚も、あるいは社長としての器、王の資格もあった」

 

「あまりに恵まれていた初代は、恨みもよく買ったと思いますが」

 

 クオンの切り込んだ質問にハルカは、「いいえ」と首を横に振る。

 

「あの人は、他人の恨みを買うような人間じゃなかった」

 

 ハルカの断言する口調にダイゴは眉根を寄せる。

 

「何で、そう言えるんです?」

 

 ハルカはダイゴを見つめてから、「そうね」と濁す。

 

「カリスマがあった、っていうのでは納得出来ない?」

 

「納得出来ません」

 

 即座に返したクオンの声にダイゴのほうが肝を冷やす。ハルカとクオンは全く正反対のスタンスを取っているようだった。

 

「……お爺様にいい思い出がないのかしら」

 

「初代……お爺様は生まれる前に亡くなってしまいましたから。だから思い出も、何もかも父による後付です。先ほども言った通り、父は初代を快く思っていませんでしたから、いい話は耳にしていません」

 

「そう」とハルカは口にする。少しだけ、残念そうな声音だった。

 

「あの、ハルカ先生は初代と話したりしたんですか?」

 

 クオンとハルカの会話に割り込むようにダイゴが口にする。ハルカは、「もちろん」と頷く。

 

「いっぱい、お話をしたわ。あの人は一介の新人トレーナーである私に、とてもよくしてくださった。王だった、なんて嘘みたいに。あの人のお陰で、この地方のチャンピオンになれたんだもの」

 

 その言葉にダイゴは聞き違いかと問い返す。

 

「えっと……、チャンピオン?」

 

「言ってなかったっけ。ハルカ先生はホウエンのチャンピオンに一度なっている。だからトレーナーとしての臨時講師をしているのよ」

 

 クオンの紹介にダイゴはあんぐりと口を開けた。まさかそれほどの大人物だとは思いもしなかった。覚えず佇まいを正す。

 

「あの、俺……いや、自分、そんな人とは露知らずに……」

 

「いいのよ。むしろ、こういうしがらみを知らないで接してくれる人のほうがありがたいくらい。それにチャンピオンって言ったって、一度の防衛成績もないんだもの」

 

 しかしトレーナーとしては雲の上の人である。ダイゴは素直に感嘆した。

 

「それほど、って事は、初代はそれを見込んで?」

 

 その質問にハルカは首を横に振る。

 

「多分、そんな事はなかったんだと思うの。ただ純粋に、冒険心を持って欲しいと思ってあの人は語りかけてくれたんだと思うわ。行く先々で会ったけれど、不思議な人だった。石の事しか考えていないのかと思えば、一地方の事、その未来さえも視野に入れている。これが王の器かと私は圧倒されたわ」

 

 初めて聞く、初代の冒険譚。今まで自分の名前にまつわる話はろくに聞いた事がなかった。ハルカの話には躍動感と瑞々しさが感じられた。

 

「あの人は、鋼タイプがとても好きで、だからとても強く手強い人だった。チャンピオンの間で戦った緊張感は今でも忘れられないわ」

 

「あの」とクオンが口を挟む。ハルカが目を向けた。

 

「何かしら?」

 

「あたし達は初代に関する話を聞きたいとは言いましたけれど、あまり思い出話ばかりだと困るので。出来れば要所要所、きちんとどういう人間だったかを言ってもらえれば」

 

 失礼な物言いには違いなかったがハルカは応じた。

 

「そうね。あまりおばさんの話に付き合わせても申し訳ないわ。初代ツワブキ・ダイゴがどのような人物か」

 

 ハルカの目が再びダイゴへと注がれた。

 

「似ているわ」

 

 その言葉に込められた感情はいかほどのものだったのだろう。まるで久しく会っていない恋人に出会ったかのような憂いさえも感じさせた。

 

「初代に、ですか?」

 

「もちろん。あなた瓜二つよ。違うのは眼が赤い事くらい」

 

 こうまで初代と同じだと言う証言が揃えば自分は初代の生き写しなのかもしれないという実感も湧いてくる。だがそれでも分からない。何故ならばコノハによれば自分はフラン・プラターヌなのだ。それに顔もまるで違う――はずらしい。

 

「あの、どうして初代と同じような顔立ちなんでしょう?」

 

 思わず口にした疑問にハルカは困惑したようだ。

 

「どうしてって……私が分かるはずないわ」

 

 その通りだ。ハルカは自分の姿を見て涙しそうになったぐらいなのだ。少なくともツワブキ・ダイゴだという事を知っているはずがない。

 

「あの、先生。ここから先に話す内容を先生にも秘密にしてもらいたいんですけれど」

 

 クオンの前置きにハルカは首を傾げた。

 

「何かしら?」

 

「先生の話を聞いた交換条件という事で」

 

「構わないわ。何でも言って」

 

「では」とクオンは一呼吸置いてから核心を口にする。

 

「ここにいるダイゴは自分の事を知ろうとしている。その事を、父や兄、いいえツワブキ家には明かさないで欲しい」

 

 クオンの申し出が意外だったせいかダイゴは、「どうして……」と口にしていた。

 

「それは、構わないけれど、でもお父様やお兄様に頼らずに、彼の記憶喪失を解決するというのは……」

 

「分かっています。現実的なプランじゃないし、そもそも手がかりもない。でも、他の家族には言わないで欲しいんです」

 

「そりゃ、秘密は守るけれど……」

 

 ハルカはダイゴを窺う。クオンの後押しをするようにダイゴも頼み込んだ。

 

「お願いします」

 

 二人の言葉を受け、ハルカはようやく了承した。

 

「……分かったわ。でも、警察に所属されているお兄様の情報は当てになるんじゃ?」

 

「いいえ。兄には出来れば動きを悟られたくない」

 

 頑ななまでのクオンの言葉に何かあると感じ取ったのだろう。ハルカは、「分かったけれど」と返す。

 

「無茶はしないでね。あなただって大事な生徒なんだから」

 

 クオンが頭を下げる。

 

「ありがとうございます」

 

「感謝されるほどの事じゃないわ。私だって昔話を明かして欲しくないって言ったんだもの」

 

 ハルカの謙遜にダイゴは、「でも」と口を開く。

 

「ありがとうございます。俺みたいな、わけの分からない相手の話を聞いてくれて。やっぱり、あなたはいい人だ」

 

 ハルカは悪戯な笑みと共にダイゴを指差す。

 

「駄目よ、おばさんをからかっちゃ。昔焦がれた人と同じ容姿の人にそんな事を言われたら、私だって参っちゃう」

 

 ダイゴは困惑したがクオンが肘で突いた。

 

「あの、じゃあこれで……」

 

 立ち上がろうとしたクオンをダイゴは制する。

 

「もう少し、話を聞こう」

 

 その申し出が意外だったのだろう。クオンは目を見開く。

 

「ダイゴ。でも時間が」

 

「いいでしょう? ハルカ先生」

 

 ダイゴが目を向けるとハルカは、「今日だけなんだからね」と応ずる。

 

「クオンさんの出席は何とでも取り付けましょう」

 

「あの、俺、もっと初代の話を聞きたいんです。初代がどういう人だったのかを」

 

 あなたの言葉でいいので、と付け加える。ハルカは、「長くなっちゃうわよ」と笑った。ダイゴは頷く。

 

「長くなっても、俺は知りたい」

 

 クオンがソファに座る。再び、昔話が始まった。

 



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第四十六話「約束はいらない」

 

「呆れたわ、ダイゴ」

 

 クオンの苦言を受け止めながらダイゴはその後に続く。

 

「ハルカ先生ったら、話し始めると止まらないんだから。聞いていて思っていたでしょう? 何で焚き付けるような物言いをしたのよ」

 

「俺は、初代について知らなきゃいけなかったし、クオンちゃんだってそうだろ?」

 

 クオンはため息を漏らして紅い髪を指で巻く。

 

「必要最低限でいいのよ。昔話をいちいち聞いていたらきりがないわ」

 

「でも色々知れた」

 

 ダイゴは思い返す。ハルカの話によれば初代は各地を転々としていた事。ホウエンのチャンピオンの席に収まったのは短期間で、あとはルネシティの一族であり親友でもあるミクリにその座を明け渡した事。ダイゴはミクリという単語がハルカから聞き出せたのが大きいと感じていた。老人の話だけではミクリという人物がどのような人柄であったのかを推し量る事が難しかったからだ。

 

「ミクリ、ルネの民、ね。ルネシティなんて未だに田舎町で全然風土も違うって聞くけれど」

 

「ルネシティには行けなくっても、ミクリっていう人に会う手段はないかな」

 

「正気? ルネシティの長老の一族よ。そう易々と会えるとは思えないけれど」

 

 しかしダイゴには聞かねばならない事がある。初代の死、それに関わっていたかもしれない親友。

 

「こういう時、リョウさんを頼らないって先に断じたのは痛いね」

 

 リョウならば警察の伝手でミクリとのコネクションもあったかもしれない。あるいは連れ出してくれる事も。だがリョウを信用出来ないと感じてしまった以上、もう頼るのは無理だろう。ダイゴの弱音をクオンが撥ね退ける。

 

「何を言っているの。兄様や父様に気取られれば一番危ないのはダイゴでしょう? だっていうのに、もうそんな弱気なんて」

 

 クオンの言葉にダイゴは閉口していた。どうやらクオンはダイゴに関わると決めた以上、もう弱音を吐かないつもりらしい。自分が初日に見た弱々しげな令嬢の姿よりも気高い少女の相貌が見て取れた。

 

 ダイゴはそれに微笑む。

 

「なに笑っているの? ダイゴの事なのよ」

 

 真剣な声音のクオンに思わず物怖じしてしまう。

 

「いや、俺は別に……」

 

「でも、少しは警戒したほうがいいかもね。だって兄様がアポイントを取った教師ってのがハルカ先生なら、ある程度ダイゴには情報が渡ってもいいと考えているのかもしれない」

 

 それはダイゴも思い至った事だ。どうしてリョウはダイゴの情報源を潰すでもなく、わざと生かしたのだろう。それだけが分からない。

 

「まぁ、俺は貴重な話を聞けてよかったけれど」

 

 ダイゴと共に戦った話など心躍るほどだ。ハルカは相当ダイゴとの日々が輝いていた様子で語る度に若返っていくようだった。

 

「貴重と言えば貴重だけれど、でも重要な部分は全然見えなかったわね」

 

「重要な部分って?」

 

「結局、ハルカ先生は初代が好きだったのか、という話よ」

 

 その言葉にダイゴは疑問符を浮かべる。そのような事問い質すまでもないのではないだろうか。

 

「いや、好きだったんじゃないかな」

 

「でも、本当のところは分からないし」

 

 クオンは決定的な言葉を探そうとしているのだろう。だがダイゴには分かった。ハルカにとって初代との日々はかけがえのないもの。好意などわざわざ聞くのは野暮というものだ。

 

「……なに、ダイゴ。自分だけ知った風な顔をして」

 

「えっ、俺そんな顔してた?」

 

「していたわよ。ダイゴ、あたしが恋愛下手とでも思っている?」

 

 核心を突かれダイゴは言葉をなくした。クオンが手を振るって、「呆れた!」と声にする。

 

「もうダイゴなんて知らない!」

 

 ずんずんと歩んでいくクオンの後姿についていこうとすると名を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返るとハルカが息せき切って駆け寄ってきていた。

 

「ハルカ先生? どうしたんです?」

 

「あの、クオンさんは……」

 

「行っちゃいました。怒らせたみたいで……」

 

 後頭部を掻いているとハルカが不意に笑った。ダイゴは小首を傾げる。

 

「どうしたんです?」

 

「あっ、いや、確か初代もそうやって女の子の気持ちには鈍感だったな、なんて」

 

 ダイゴは怪訝そうにする。自分は気持ちに鈍感な覚えなどない。

 

「俺は、そんな……」

 

「でも初代も戦いの時は何よりも私を守ってくれました。戦いになると人が変わったみたいになるんですよ」

 

 思わぬ初代の情報にダイゴが面食らっているとハルカはハッとした。

 

「ごめんなさい! 私、また初代の話で勝手に……」

 

 乙女のように恥じ入るハルカにダイゴはふっと微笑んだ。するとハルカが呆然とした顔で見つめてくる。

 

「な、何です?」

 

 身を引いて尋ねるとハルカは手を振った。

 

「いや、その、笑った顔も初代そっくりなんだな、って」

 

 それほど似ているのだろうか。写真は何度か目にしたがやはり自分の顔や所作となると分からなくなるものだ。

 

「……で、あの、何です? クオンが行ってしまうので」

 

 切り出すとハルカはまた顔を覆って恥じ入った。

 

「ごめんなさい! ついつい、ずっと話していたいなんて……。あの、初代に渡せなかったものがあるんです」

 

「渡せなかったもの?」

 

 ハルカは上着のポケットに留めていた万年筆を差し出す。ダイゴはそれを眺めた。

 

「これは?」

 

「初代は石が大好きな人でした。珍しい石をいつも探していて。私が骨董市で見つけた石です。もう万年筆に加工されていたけれど、きっと初代は好きだろうと思って」

 

 好きだろうと思って、彼女はずっと持っていたというのか。もう初代が死んで二十三年も経つというのに。その思いの凄まじさに圧倒されていると、「……やっぱりいいです!」と万年筆を取って返した。

 

「私、何やっているんだろ……。あなたは名前が一緒なだけで、初代とは何の関係もないはずなんですよね。だって言うのに、勝手に重ねちゃって」

 

 万年筆を懐に仕舞おうとした腕をダイゴは思わず掴んだ。ほとんど意識しての行動ではなかったが、ハルカとダイゴは見つめ合う形となった。よくよく見れば、黒曜石のような瞳は冒険者のお転婆さも少し携えている。その奥には秘めた思いが募っているのが分かった。

 

 ――たった一人の人を、この人はずっと想い続けていたんだ。

 

 ダイゴはその感傷に声を震わせた。

 

「俺が、持ってちゃ駄目ですか?」

 

 ハルカが困惑の目を向ける。ダイゴはもう一度、言い聞かせるように口にする。

 

「俺が持っていちゃ、駄目ですか?」

 

 ハルカは顔を紅潮させてすっかり少女の相貌だった。

 

「何を言って……」

 

「不躾なのは分かっています。あなたが待っていたのは俺じゃなくって、初代ツワブキ・ダイゴですから。掻っ攫うような真似だというのも分かっている。でも、俺が持っていちゃ、駄目ですか?」

 

 三度目の言葉。ハルカの腕から力が抜けた。ダイゴが一瞬だけ気を抜いた瞬間、ハルカは力を入れて引き寄せる。その唇が、頬に触れた。

 

「……駄目ですよ。女の子に、掻っ攫うなんて言葉を吐いちゃ……。攫われたくなります」

 

 その言葉が消えるか消えないかの瞬間にハルカは教師としての言葉に切り替えた。

 

「この万年筆を持っていてくれると、私は嬉しい」

 

 垣間見えた少女は消え、そこにいるのは大人の女になったハルカだった。ダイゴは微笑み、頷く。

 

「大事にします」

 

 ハルカから万年筆を受け取って上着のポケットに差す。ボタン部分に虹色の石が設えられている。

 

「変わった万年筆ですよね……。何か由来でも?」

 

「いいえ、私もただ直感的に買っただけで。でもとても似合っている」

 

 ハルカからしてみれば二十三年前に焦がれた恋の再燃だろう。ダイゴは胸ポケットに手をやって会釈する。

 

「もう行かなくっちゃ」

 

 クオンはもう遠く離れている。駆け出そうとしたダイゴにハルカが声にした。

 

「また会えますか?」

 

 返事は言えなかった。自分はいつ殺されてもおかしくない身分。加えて、自分の記憶を早く取り戻さなくっては。そのためには戦う覚悟が必要だ。

 

 胸に宿った火が戦闘意識を研ぎ澄ます。約束はいらなかった。

 



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第四十七話「魔窟へ」

 

「与えられた情報は一欠けらのパンと地図と羅針盤かい?」

 

 背後から振りかけられた声にサキはハッとする。野暮ったい白衣を纏ったプラターヌがコーヒーをマグカップに注いでいた。

 

「冗談だよ」

 

 彼はマグカップを呷る。サキは手を差し出した。プラターヌはわざとらしく手を置く。嫌悪の表情を浮かべて払った。

 

「何のつもりですか」

 

「何のつもりって……、あれだよ、猿回し」

 

「馬鹿にしているんですか?」

 

「馬鹿になど。そのようなわけがない。少なくとも尊敬はしている。保護派のプログラムを解読するために半日以上パソコンに張り付いていられる君がね」

 

 暗に自分の半日は無駄だった、と言われているようなものだった。Fから受け取った外部メモリに記されていたのは複雑なプログラムマップだ。その構築過程にどうやらいくつかのメッセージを紛れ込ませているらしい。サキは今まで四つのメッセージに行き会った。

 

「皆目ですね……。半日張り付いても四つしか情報を引き出せない」

 

「上等なほうだろう。わたしが見るに、それは研究者向けのプログラムだ。よく解読出来るな」

 

 新たにコーヒーを入れるプラターヌを見ずにサキは吐き捨てる。

 

「研究者の娘だって言ったでしょう。昔から、父親の研究成果を見て育っていますから。遊び相手もそれだったわけです」

 

「おや、それはいけない子だな」

 

 わざとらしい声にサキは振り返ろうとして目と鼻の先にマグカップを突きつけられた。

 

「……何です?」

 

「見て分からんほど馬鹿になったのかな? コーヒーだよ」

 

 目を凝らせば自分のマグカップである事が分かる。まさかプラターヌが入れてくれたのだろうか。

 

「半日分の労いはするさ」

 

 マグカップを受け取ったサキは怪訝そうに口にする。

 

「……何ですか。何か裏でもあるんですか」

 

「心外だな。わたしは褒めているのだと、言っているだろう。研究者向けのプログラムを一警察官が解読、大したものだ」

 

「それにしちゃ、褒めている感じじゃないですけれど」

 

 サキの糾弾にプラターヌは無精髭を撫でる。

 

「まぁ、何ていうか、人を褒める器官が麻痺しているんだよ、わたしは。何年も病院で軟禁、分かるだろう?」

 

「要するに、対人恐怖症じみたものってわけですか」

 

 サキの結論にプラターヌは息を漏らす。

 

「……君はもう少し敵対心や攻撃心を露にしないほうがいい。そんなのでは嫌われるぞ」

 

「別に、嫌われても……」

 

 脳裏にリョウや一係の同僚達の顔が浮かぶ。その中で不意にダイゴの顔が過ぎった。どうして、今――。

 

「何て事はないですから」

 

「嫌われる事が職業の義務かい? 君にしては随分と消極的というか、後ろ向きというか」

 

「私は前向きじゃないと思いますけれど」

 

「違うんだな、表層の性格じゃない。君は、ある一点では弱者を見捨てられない傾向にある」

 

 プラターヌの人物解析にサキは抗弁を漏らす。

 

「……病院に軟禁されていたんじゃ?」

 

「錆び付いた理論だろうと、君には必要だ。メンタルヘルス」

 

「必要ないですけれど」

 

 目元を拭うサキにプラターヌは嘆息をついた。

 

「女性の顔立ちじゃないな」

 

「放っておいてくださいよ」

 

 そっぽを向いたサキへとプラターヌは声を振りかける。

 

「シャワーでも浴びて、ついでに風呂にも入るといい。わたしを保護してからろくに休みも取っていないのだろう」

 

「だから、放っておいてくださいって」

 

「休息を含めて作業効率は上がる。君が休んでいる間にわたしが仕事をすればいいだろう」

 

 その言葉にサキは胡乱そうな目を向ける。

 

「仕事って、博士は何もしない事が仕事なんですよ」

 

「つくづく病院でも言われたものさ。〝博士は何もしないでください〟と。もう聞き飽きたんだよ。」

 

 サキを退けてプラターヌはパソコンの前に座る。サキは肩のこわばりが酷く、もう長時間モニターを見つめられなかった。

 

「あとは私が請け負う、と言っているんだ」

 

「……私がいない間にパソコンをいじったりは」

 

「しないよ。このプログラムの迷宮を解くために動くだけだ」

 

 半信半疑なサキはなかなかその場を離れられなかった。プラターヌは顎をさすって疑問を発する。

 

「……分からないな。ここまで優秀で、なおかつ安易に他人を信じない君が、どうして身元不明の彼を引き取り、なおかつ深淵に歩を進めようとしているのか」

 

 サキは自分の中に答えを探ったが全く見つからなかった。どうしてなのだろう。ダイゴを放っておけないと告げるこの気持ちは。

 

「保護派も抹殺派も、わたしから言わせれば行き過ぎのタカ派に見えてしまう。ツワブキ・ダイゴそっくりの人間など別に放っておけばいい。特に害がないのならば」

 

 害があるからその二つの派閥が生まれたのだろうか。サキはぼそりと口にする。

 

「……博士は、何で彼が殺されるとか生かされるとかの話になっているんだと思いますか?」

 

 サキの質問にプラターヌは間を置いた。考えているのだろうか、と思っていると、「そのような質問」とプラターヌはキーを打ち始める。

 

「ナンセンスだろう。彼は現在にツワブキ・ダイゴがいてはならないから、消されそうになっている」

 

「でも、全く別人かもしれない」

 

「その可能性は君が消したはずだが違うかな?」

 

 違いない。サキが示した遺伝子情報によって彼は初代と全く繋がりのない人間じゃない事が分かっている。

 

「でも、血縁者じゃないって言うんですよね?」

 

「おかしな事が?」

 

「多過ぎですよ。遺伝子情報が九割一致なのに血縁者じゃないなんて」

 

 プラターヌはキーを打つ手を止めて振り返った。サキを指差す。

 

「……何ですか?」

 

「君は、たとえば父親や母親と全く同じ人間か?」

 

 意味するところが分からずにサキは、「はぁ?」と聞き返す。

 

「もし兄弟がいるとするのならば、その彼や彼女と全く同じ外見で全く同じ遺伝子か、という事だ」

 

「そんなわけないじゃないですか。私は私だけです」

 

「……何だ、答えを持っているじゃないか。つまり、そういう事だよ」

 

 プラターヌの言葉にサキは疑問を浮かべているとディスプレイを睨んだまま声がかけられる。

 

「血縁者だって全く同じ遺伝子なんてあり得ないんだ。それが逆に血縁者じゃないって事を補強しているだろう」

 

 その段になってようやくプラターヌの言わんとしている事が分かった。血縁者じゃない、という結論に至ったのはその理由なのだ。血縁者ならば二十三年前に死んだ初代と同じ遺伝子のはずがない。同じなのが逆に奇妙だと。

 

「……意地悪く言わないで、すぐに教えてくれればいいのに」

 

「君は与えられた結果のみをよしとするのか? その過程にこそ重きを置いている人間だと思っていたが」

 

 プラターヌはサキのプロファイリングを終えているようだ。サキが苛立つ言葉ばかりをぶつけてくる。

 

「でもですね、結局彼が初代と同じ人間だけれど、血縁者じゃないってのは私達の希望的観測も入っているんじゃないですか?」

 

「入っていない、と言えば嘘になる。だが可能性を絞らなければ真実は見えない。この場合、わたし達に都合のいい解釈、というのも充分に考察のうちに入る。なに、一つ一つ、可能性を潰していって最後に残ったものを探求すればいい」

 

「……でも、それが望んだ結末かどうかは限らないですよね?」

 

 サキの言葉にプラターヌは安易な返事を返さなかった。その代わり、「読み取ったメッセージ」と話題を変える。

 

「今まではこの四つか」

 

 ディスプレイに表示されたのは四つのキーワードだ。サキは読み上げる。

 

「カナズミシティ、Dシリーズ、ツワブキ・ダイゴ、デボンコーポレーションの四つ……。正直、もう分かっている事を言われただけのような気がして……」

 

「決して無駄ではないさ。保護派、と君が呼んでいる一派がこれらのキーワードをきちんと踏まえている、というのはね。つまるところ、彼らにとってもこの言葉が重要だという事なんだよ」

 

 再確認の場を与えられた、と前向きに考えるべきだろうか。しかしサキは踏み止まっている感覚に歯噛みする。

 

「何とか、一つや二つは進めないものですかね」

 

「結果をすぐに求めても出ないよ。結果と言うのは然るべき過程を経た人間にのみ開かれるご褒美だ。このように」

 

 エンターキーが押されると瞬時に五つのウィンドウが開いた。サキが目を凝らすと、それは新たなメッセージであった。

 

「どうやって……」

 

「君がやっていた事をやっただけだ。云十倍の速度で」

 

 サキは頬をむくれさせる。

 

「……最初から、云十倍の速度でやれるならそう言ってくれれば」

 

「言っただろう。君は与えられるがままの人間ではないと。一度、この鍵がいかに大変かを知っているから、どれだけ困難なのかが分かっている。物事はそれの積み重ねだよ。いかなる技術も考えも、それを組み立てる苦労を知らなければ瓦解、あるいは消失する。苦労を知るのは人間にとって必要な機能なんだ」

 

 プラターヌの物言いに、サキは唇を尖らせる。

 

「でも、しなくていい苦労もあるんじゃないですか?」

 

「そんなに不満かね? まぁ元々研究者用のプログラムだ。君よりわたしのほうがその分野で優れていただけ。そういうものさ」

 

 サキは釈然としなかったが新たなメッセージを読み取った。

 

「カナズミシティ、に設営されている工場の情報……、住所と稼動しているかどうかの情報なんて、何に使うって」

 

「クローンの製造工場かな」

 

 プラターヌの言葉にサキは息を呑む。まさか、と思い工場を調べると有害物質の除去実験を行っている工場の情報だった。

 

「ほら、そんな簡単にクローンの製造工場なんて出るはずがないでしょう」

 

「いや、今のは出たも同然なんじゃないか?」

 

 その指摘にサキは表示されている内容を見つめる。だが有害物質の除去作業の画像しかない。

 

「これのどこが……」

 

「有害物質の除去って事は、少しばかりの騒ぎじゃ壊れもしないだろう。なにせ、そういう風に設計されているだから。さらに言えばセキュリティも最高レベル。当然だろう。有害物質がばら撒かれた、なんて事にならないように、だ。もっと言えば廃棄されるものも極秘で通る。クローンの製造にはもってこいじゃないか。さらに、これを見るといい。地図上の、百メートル圏内」

 

 プラターヌが指差したのは俯瞰図に記された廃工場だった。サキが怪訝そうな顔をしていると、「人間を押し詰める場所の確保」と付け加えられた。

 

「つまり、廃工場なんてものを所有しているのは攫ってきた人間を閉じ込めておくため」

 

「待ってください。早計過ぎますよ」

 

「早計なもんか。これでも充分、確証がある」

 

「私にはないです。これだけじゃ、まだ充分とは……」

 

「しかし、これだけ分かっている、という事は、だ。保護派の連中が動き出すかもしれないね。それこそ、今夜辺りでも」

 

 サキは時計を見やる。午後七時を回っていた。保護派が動く、という確証もない。だがプラターヌの予感は馬鹿には出来なかった。

 

 サキは立ち上がってコートを突っかける。

 

「行きましょう」

 

「おや、わたしの言い分を信用してくれたのかな」

 

「信用はします。でもどう使うかは私次第。今夜の確信はないですが、張っておく価値ぐらいはありそうです。下見に行きましょう」

 

 拳銃と道具を確認し、サキは出かける準備をする。

 

「んじゃ、わたしは他のメッセージを読み解くとしましょうか」

 

「何を言っているんです? 博士も来るんですよ」

 

 その言葉にプラターヌは目を瞠った。

 

「わたしが?」

 

「メッセージを読み解いている間にも状況は動く。それに博士がいたほうが保護派の連中ともうまく話が通せる」

 

「酷いな。人を交渉道具みたいに」

 

「実際に博士は私をそう使っているでしょう。今度は私が博士を使う番です」

 

 苦言が漏れるかと思ったがプラターヌは大人しく従った。

 

「分かった。行こうじゃないか。敵の魔窟へと」

 

 白衣を突っかけたプラターヌは襟元を正した。

 



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第四十八話「決意の引き金」

 

 双眼鏡で窺うと工場周囲を警備している人間が数人確認された。やはり工場はまだ生きているのか。サキは呼び出された情報と端末をリンクさせる。

 

「工場は閉鎖、されているはずなんですよね?」

 

「先刻見た情報に間違いがなければそうに違いあるまい。だが」

 

 プラターヌがサキから双眼鏡を引っ手繰る。その口元が微かに緩んだ。

 

「……なるほど、これでは閉鎖、の二文字は信用出来ないな」

 

「だから」とサキは双眼鏡を取り戻す。

 

「どうするべきか……」

 

「まさか応援を呼ぼうかなどと考えているのか?」

 

 サキの心中を見透かした声に思わず硬直する。プラターヌは手を振って、「馬鹿馬鹿しい」と一蹴する。

 

「仮に応援が呼べたとして、何と報告する? ツワブキ家の暗躍を探っていたら異端の研究者を連れて? それで閉鎖されているはずの有害物質除去工場に侵入するために力を貸せ、と?」

 

 プラターヌの目にサキは拗ねたような声を出す。

 

「……他にどう説明すれば」

 

「誰がそれを正常だと思うかね? 明らかに君は異常だとして警察の職は取り消されるだろうな」

 

 サキとて事実をそのままに説明するわけにもいかない事は重々承知している。だが現実離れした事ばかりが立て続けに起きて感覚が麻痺してしまっているのだ。この際、現実に引き戻してもらう手前、同僚に支援を乞う事は出来ないだろうか。

 

「君はこう考えている。どうにかして、自分の精神が正常であると証明しながら、なおかつこの異常な事態に直面する手段を」

 

 プラターヌは鼻を鳴らした。

 

「馬鹿な。もう正常、異常の範疇ではない。わたしも君も、そしてツワブキ家も保護派も抹殺派も、全員狂っているのだ」

 

 サキはその言葉を受けながら双眼鏡から工場の様子を窺う。

 

「何とかして、警備の隙間を縫う事が出来ないでしょうか?」

 

「難しいだろうな。君がポケモントレーナーならば何とかする手段はあろうが、ポケモンの一体もなく――」

 

 その言葉が途切れサキが疑問を発する前に状況が動いた。警備員が一人、また一人と昏倒して倒れていく。サキは思わず飛び出していた。プラターヌがその後についてくる。

 

「何が起こって……」

 

 サキの視界に映ったのは羽ばたく極彩色の鳥だった。音符型の首をひねってそれが声を発する。

 

「やぁ、思っていたよりも早かったな」

 

「F……!」

 

 サキは目にした相手――ペラップのFを見据えた。Fは翼を払い、「そう怖い顔をする事はないだろう」と言った。

 

「何せ、あんた達と私は目的が同じなのだから」

 

「保護派の尖兵か」

 

 プラターヌの声にFが応じる。

 

「改めまして、博士。夜分に何の御用かな?」

 

「それはこちらの質問だな。この工場を張っていたな? しかも我々が辿り着く事を予期して。保護派は何のつもりだ? ここに何があるか、知っているから行動するのか?」

 

 切り込んだ声にFは、「問答は後にしましょう」と返す。

 

「中に入らねばならぬはず。違いますか?」

 

 Fの行動に不穏なものを感じながらもサキは首肯して歩み出た。

 

「通せ」

 

「意外だな、ヒグチ・サキ警部。警察のお仲間は呼ばないのか?」

 

「呼んでも無駄な事は知っているし、何よりも、その問答は終わった」

 

 サキの言葉に満足したのかFは飛び上がって翼を翻した。その瞬間、空気が圧縮され、弾丸のように打ち出される。放たれた空気は即座に刃の形状を成し、扉を切り裂いた。

 

「行きましょう」

 

 Fが先導する。サキとプラターヌはそれに倣った。工場の敷地は意外と手狭だ。学園都市であるカナズミシティではあまり用途として重宝されていないのが分かる。

 

「周囲には無人の工場がいくつか点在しています。それらの情報は」

 

「恐らくは誘拐した人間の収容施設だろう。当てはついている」

 

 プラターヌの返答に、「さすが」とFは口にする。

 

「やはり研究の第一線を行っていた博士には簡単過ぎましたかな?」

 

「なに、病院の中では飼い殺し状態でね。いい頭の体操になった」

 

 こきり、と首を鳴らすプラターヌを横目にサキは周囲へと注意を配る。

 

「あまり張り詰めても仕方ない。なにせここは敵陣のど真ん中だからな」

 

 Fの声に、「分かっていて」とサキは返す。

 

「ここを案内したのか」

 

「安全な道だけが真実に辿り着けるわけではないだろう。こういう危険な道にこそ、重要な何かがあるものだと私は思うが?」

 

 とんだ食わせ物だ。最初から自分達を死地に追いやる事を計算しているのだろう。

 

「Fとやら、彼女と話すのはいいんだが少しばかり迂闊じゃないか? 飛んで侵入するなんて」

 

 プラターヌの言う通りだ。ほとんどFは丸腰同然である。飛んでいる的のようなものだ。

 

「ご心配なく」とFは翼を翻した。銀色の風圧の刃が顕現する。

 

「身を守る術くらいは」

 

「身体はポケモンだからな。私としては保護対象が何個も増えるよりかは助かる」

 

「わたしは保護対象かね?」

 

 肩を竦めてみせたプラターヌにサキは言い置いた。

 

「言っておきますけれど、勝手な行動して死なれても知りませんから」

 

「勝手な行動? 笑わせる。外に出ている時点で、わたしに勝手な行動を既に許しているではないか」

 

 言外に、病院から出した事を口にしているようだった。サキは無視する。

 

「ここから先は、相手の懐に入ったも同然……。何が待っているのか」

 

 視界の中に肩幅ほどのコンテナが点在して積まれているのが目に入る。中に入っているのは液体燃料だろうか。

 

「止まれ」

 

 その声に一同はハッとする。どこから聞こえてくるのかまるで分からないからだ。不恰好に周囲を見渡したサキへと不意打ち気味の声が放たれた。

 

「危ない!」

 

 Fが前に出て翼を翻す。銀色の風圧が何かを弾いた。弾かれた物体が高速回転しながらFとの距離を取る。サキはようやく闇討ちされた事に気づいた。

 

「誰だ?」

 

「その質問はこちらのものだろう。何者だ?」

 

 声の方向へとサキは目を向ける。工場の屋根に一人の小柄な少年が佇んでいる。銀色の髪が月光を浴びてなびいた。思わず息を呑む。

 

「ツワブキ・ダイゴ……?」

 

 その姿があまりにも彼――ツワブキ・ダイゴに似ていたからだ。しかし、彼と違うのは射竦めるかのような眼光と背格好だった。少年はぴっちりとした黒いスーツに身を包んでおり、眼は金色だった。

 

「驚いたな。そこまで知っていて、この場所に訪れたというのは」

 

 少年が飛び上がる。今度はサキが悲鳴を上げそうになった。なにせ、工場の屋根から地上までは十メートルほどはある。無事に着地するにはあまりにも無謀だ。だが、少年の着地を助けた存在があった。先ほどFが弾いたものが身じろぎし、少年へと回転しながら絡みつく。

 

 少年はそれに飛び乗って着地を補助させた。緩やかに回転が収まる。少年の足元にあったのはポケモンだ。ぎらぎらとした硬質的な表皮がまるで木の実のように丸まっている。円筒状の突起が何本か中央部から発達しており、そこから蒸気が漏れた。その瞬間、カシャン、と鋼鉄の木の実が開く。内部には一対の眼球があった。それより先は窺えない。

 

「フォレトス」

 

 少年の声にそのポケモンが戦闘姿勢を取る。どうやらフォレトスという名前らしい。

 

「この場に立ち入る者はボクが始末する事になっている。だから悪く思うな」

 

 鋭い声音にサキは訊いていた。

 

「名前は?」

 

「名前?」

 

 少年は初めてその言葉を聞いたような口調になる。その様子が彼と酷似していた。だが少年はすぐさま答える。

 

「ボクは、D200、そうだね、個人的にズーって呼ばれている」

 

 やはりDシリーズ。サキが警戒心を露にすると少年は、「いい顔になってきたよ」と微笑む。

 

「だけれど、無用心と言うか奇怪と言うか、喋るポケモンが手持ちとはね」

 

「私は手持ちではないが」

 

 答えるFにズーと名乗った少年は拍手を送る。

 

「よく躾けられた手持ちだ。トレーナーを即時に守る事も出来る。だけれど、飛行タイプって言うんじゃ、ボクのフォレトスの敵じゃないね」

 

 ズーが手を薙ぎ払うとフォレトスが静かに回転を始める。身構えたサキにFが声を発する。

 

「来るぞ」

 

「フォレトス、高速スピン」

 

 空気を切る速度に達したフォレトスが回転しながらFへと特攻する。Fは即座に翼で払った。だが回転はやまず、まるでボールのようにバウンドしたフォレトスが再びFを襲った。

 

「間断のない攻撃……、これは」

 

「そう! ジャイロボールだ!」

 

 フォレトスが中央の眼窩を仕舞い込み、さらなる高速の高みへと達したかと思うとその身体が銀色に輝いた。まさしく弾丸の勢いを伴ってフォレトスがFへと突進する。Fは空中でよろめいたものの立て直した。

 

「F!」

 

「大丈夫だ。ヒグチ・サキ警部。こちらの状況は何とか。だが、やり辛いな」

 

 羽ばたくFは反動でズーの元へと帰っていくフォレトスを睨む。

 

「だろうね。鋼・虫タイプのフォレトスに飛行は等倍だが、決め手に欠ける。じりじりと持久戦になるだろう。普通ならば」

 

「何を」と踏み込もうとしたサキへとFが怒声を放った。

 

「やめろ! 踏み込むんじゃない!」

 

 思わぬ声にサキは踏み止まる。すると足元で何かが月光を受けて輝いた。三本の針で持ち上がった凶器は黒く照り返しを帯びている。

 

「毒びしだ。これでは、あんた達はこの工場に近づく事さえ出来ない」

 

 口惜しそうなFの声にズーは答える。

 

「物分りのいい奴は嫌いじゃない。つまりどういう事か、トレーナーに教えてやりなよ」

 

 サキが戸惑っていると、「毒びしとは」とプラターヌが口を開いた。

 

「毒の追加効果を持つ技の一つ。毒の属性を持ったまきびしをばら撒いて相手の行動を牽制する。毒タイプや鋼にはその効果は通らないが、他のタイプならば重大なダメージとなりうる。だがFは飛行タイプ、これを無視出来る。しかし我々人間はそうではない」

 

 その言葉にサキはハッとする。

 

「私達の行動をここで食い止めるのが狙い」

 

 ズーは、「いいね」と手を叩いた。

 

「そこのおじさんは少しばかり詳しいみたいだ。だったら分かるはず。もうこの工場には近付けないし、絶対にボクやフォレトスを倒す事も出来ないって事が」

 

「やってみなければ」と啖呵を切りそうになったサキをプラターヌが制する。

 

「いや、やらなくっても分かる。考えてみたまえ。相手は工場を守るだけでいい。しかし我々は? 工場に入って真実を確かめない限り、応援も、ましてや何一つ確証も得られない」

 

 畢竟、自分達が詰んだ、と言いたいのだろう。プラターヌは沈痛に顔を歪めている。ズーは、「物分りがいい」と口にする。

 

「ペラップの攻撃射程範囲は限られている。ボクのフォレトスならば全て防ぐ事だって可能だし、もっと言えば交戦して、接近戦をすればするほどに、毒びしの撒ける範囲は広がる」

 

 先ほどFとフォレトスがぶつかり合った場所から毒びしは発生している。つまりいたずらにフォレトスへと攻撃を加えても逆効果。この場合、逃げるほかないのだという事が突きつけられていた。

 

「ヒグチ・サキ警部。出直そう。一旦立て直すんだ。そうしなければ逆に消耗戦ではこちらがやられかねない。これではミイラ取りがミイラに、だな。朝まで耐久するだけの手持ちがこちらにはないし、朝まで待っているだけの時間もなさそうだ」

 

 警備員の事を気にしているのだろう。進むにはズーが、退くには警備員がいる。ここで立ち止まるほかないのか。あるいは逃げるか、しか。

 

「……この門番はやりにくいな。ヒグチ・サキ警部。今回ばかりは」

 

「いや、行こう」

 

 行かなければ、という思いがサキの胸を満たしていた。思わぬ言葉だったのだろう、Fもプラターヌも驚愕している。

 

「だが、毒びしを食らえば死は免れないぞ」

 

 プラターヌの忠告にサキはズーを見据えた。ツワブキ・ダイゴの似姿の少年は不敵に笑う。

 

「何が出来るのか知らないけれどさ。見せてみなよ。やりようによっては、ボクとフォレトスを退かせられるかもしれない」

 

「策はあるのか?」

 

 振り返ったFへとサキは頷き腰のホルスターに手をかけた。次の瞬間、抜き放っていたのは拳銃である。それにはズーでさえも参ったように額に手をやって哄笑を上げる。

 

「こりゃあ、参ったね。まさか今さら拳銃? 言っておくけれど、フォレトスは鋼タイプ。そうでなくっても銃なんか通らないのに、まさかここに来て手持ち以外を使ってくるとは」

 

 ほとほと度し難いと付け加えられる。Fとプラターヌも声を上げた。

 

「血迷ったか? 警部」

 

「わたしも同感だ。拳銃程度ではポケモンの表皮に穴さえも開けられないぞ!」

 

 ポケモンの権威の言葉だ。それは真実なのだろう。だが、サキはズーへと銃口を向けた。

 

「察するに、お前は警察なんだよね? いいの? 一般人に銃を向けて」

 

「私には目的がある」

 

 ツワブキ・ダイゴの事を、彼の事を知らねばならない。そのためには手段は選べない。

 

「驚いた」とズーは手を叩いて高笑いを上げた。

 

「目的のためには人でも殺す? でも無駄だね。フォレトスの反応速度以上で銃弾はボクには当たらない。この距離なら確実に防御出来る」

 

「その通りだ。トレーナー相手に銃など……」

 

 Fも声を詰まらせている。サキの行動があまりに突拍子に見えたせいだろう。プラターヌは、「逃げるべきだ」と提案する。

 

「今退けば、立て直せる時間がある。警備員も起きないだろう。今しかないんだ、分かっているのか?」

 

「分かっています。でも、今しかないのはこちらも同じでしょう」

 

 今退けば、この工場に相手がいつまでも居を構えているとは思えない。すぐに場所を移すはずだ。その前に真実を。サキにはその思いがあった。

 

 引き金に指をかける。

 

「駄目だ、よせ」

 

 Fが制する声を出したがサキは、「もう決めている」と答える。

 

「標的は」

 

「いいね、そういうの。迷わないのは嫌いじゃない。でも、後悔する事になるよ。フォレトスが銃弾を弾けば、そうだな、お前の胸にそのまま撃ち返す事だって出来る。それくらいボクのフォレトスは器用だ。だって言うのに、撃つ?」

 

「ハッタリではないぞ。ポケモンにはそれくらいは出来るんだ。今は退け」

 

 プラターヌの再三の通告にもサキは応じない。遂には怒声に変わった。

 

「聞いているのか、ヒグチ・サキ!」

 

「……聞いていますよ。でも、私は決めたんだ。だから、撃つ」

 



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第四十九話「闇の中の真実」

 

 引き金を引く。その瞬間、フォレトスが躍り上がった。

 

「馬鹿な奴だね! フォレトス、ジャイロボールで撃ち返――」

 

 そこで言葉が途切れた。何故ならば、銃弾の行き先はフォレトスでもズーでもない。

 

 銃弾がめり込んだのは、後ろにうず高く積まれていたコンテナだった。コンテナの装甲を問題なく破砕し、銃弾は、全てサキの思った通りの軌道を描く。

 

 コンテナから液体燃料が勢いよく飛び出す。全員が固唾を呑んで見守っていた。サキは迷わず片手を伸ばす。プラターヌが呆気に取られている。

 

「博士、火を」

 

 咄嗟に頭が回らなかったのだろう。何秒か要してから、「あっ、火か」と熱に浮かされたようにポケットからライターを取り出した。サキは手元で火を点けてから一拍呼吸を整える。

 

 ズーはそれが瞬時に予想されたのだろう。「まさか!」と声を出した瞬間、サキはライターを放り投げていた。孤を描いてライターが気化した燃料に誘爆し、一瞬にして炎が燃え盛った。ズーは自分のすぐ後ろで熱が爆発的に膨張したのを感じ取って咄嗟にフォレトスを走らせる。だが、それこそがサキの狙いだった。フォレトスの銀色の表皮が炎に触れて融解する。

 

「そうか! フォレトスは鋼・虫。炎の攻撃はその堅牢な表皮を貫通する」

 

 しかしズー自身に守る術はないはずだ。風に煽られて炎が勢いを増す。ズーは強がった。

 

「な、何だって言うんだ! ボクの退路を封じたつもりか? どちらにせよ、お前らに対して逃げるつもりは」

 

「逃げる? 何を言っているんだ、お前は」

 

 サキの遮った声の冷たさにズーは息を詰まらせた様子だった。

 

「この状態こそが、私の望んだ戦略だよ。私達が逃げる必要は、もうなくなった」

 

 ズーがその言葉を受けてようやくこの状況を把握した。

 

「くそっ! くそっ!」

 

 悪態をつきながらズーはフォレトスで火を消そうともがく。Fは、なるほど、と納得した。

 

「相手は門番。本懐であるお家が燃えてしまっては話にならない。何としてもあれは炎を消さねばならないという事か」

 

「しかも、一般人に目につく前に。さぁ、ここからは交渉だ。それも対等な交渉。ズーって言ったな」

 

 サキの言葉にズーは振り返る。サキは超越者の眼差しで言い放つ。

 

「このまま本拠地が燃えてしまっては意味がない。私達としてもな。だから取引きだ。飛行タイプ、ペラップならば風で火を消せるはず。どうする? ペラップで火を消させる代わりに降参して中を見せるか。それとも、このまま燃えるのをよしとするか」

 

 ズーは苦渋を滲ませる。サキは既にこの勝負の行く末を見据えていた。

 

「悪党め!」

 

「そりゃどうも。悪党上等」

 

 サキの言い草があまりにもおかしかったのか、Fが潜めた笑いを漏らす。

 

「ヒグチ・サキ警部。まさかそこまで考えているとは」

 

「笑い話は後でいい。F、約束は違えるな」

 

「はいはい」とFは羽ばたいて炎を鎮火させていく。ズーは唇を噛み締めていた。敵からの塩に悔しさが滲まないはずがない。

 

「ボクを嘗めているのか? あるいは極度のお人好しか? ボクは殺そうとしたんだぞ。お前達を」

 

「門番だから当然だろう。私の感想は、よく出来た門番だという事だよ」

 

 意外だったのかプラターヌが口を挟む。

 

「……正義の味方が聞いて呆れるな」

 

「近頃の正義は複雑なものでして」

 

 口元を緩めたサキの言葉に、「敵わないな」とプラターヌは癖のかかった頭を掻く。

 

「そこの、ズーとか言ったか? もう分が悪いとかそういう話じゃない。屈服させられたんだ、君は。それでも向かってくるのならば、それこそ立場を分かっていない、分の悪い勝負だと言わざるを得ないが」

 

 ズーは嘆息を漏らし、「もう、そこまで物分りが悪くない」と答える。

 

「敗北した門番は素直に通す。それが礼儀だ」

 

「よく出来ました」

 

 プラターヌが拍手を送る。サキは歩み出た。既に火は収まっており、工場の扉の表層が焼けただけで支障はない。

 

「ボクも焼きが回ったな。まさか、侵入者を通すなんて」

 

 壁の一角に備え付けられたパネルに暗証番号を打ち込む。サキは、「礼儀の通った、いい門番だと思う」と素直に感想を漏らした。ズーは苦笑する。

 

「礼儀って奴が、ボクにもきちんとインストールされていた事が驚きだよ」

 

 シャッターがゆっくりと開いていく。サキは開き切る前にそれを潜った。ズーも既に戦う気はないのかフォレトスをモンスターボールに仕舞う。

 

「だが、ここから先はちょっとしたショックをお前達に与えるだろう。それでも進むかい?」

 

「生憎だが、私達は真実を追い求めるためにここに来た。ショックくらいで後ずさるならば、それはその資格がないって言うんだ」

 

 サキの言葉に満足したのかズーは前を行く。サキ達は素直に後ろに続いた。工場の中は暗く、明かりの一つすら差し込んでいない。

 

「明かりをつけよう。ちょっと待ってくれ」

 

 ズーが離れる。Fが耳打ちした。

 

「彼が裏切るとは?」

 

「思っていない。ああいう手合いは自分の領分、っていうものを分かっている。門番としての自分が失格ならば、もう立つ瀬はないだろう」

 

 刑事としての勘でもあった。Fはそれを笑わず、「大したものだ」と褒める。

 

「おべっかはいい」

 

「素直に、だよ。感心している。なかなかね、そうも思えないものだ。敵は敵、殺さねばならぬ、と思い切ってしまえば、そこまでだからな」

 

「私は刑事だ。人殺しで物事が前に進むとは思っていない」

 

「プライド、かね?」

 

 その質問には答えない。分かり切っているからだ。

 

「照明がつく。少し眩いかもしれない」

 

 ズーの言葉が消えるか消えないかの刹那、ガンと重い音が響き渡り、一瞬だけ目が眩んだ。だが、次にサキの視野が捉えたのは信じられない代物だった。

 

 眼前にあったのは、頭がくり抜かれた人体だった。培養液に浮かぶ人体の脳には直接電極が埋め込まれている。思わず後ずさった。

 

「何だ……」

 

「これがネオロケット団の研究施設だ、という事だよ」

 

 答えたズーの声には少しばかり吐き捨てる響きがあった。自分もこの実験の犠牲者、という事なのだろう。

 

「これは、何をやっているんだ?」

 

 質問を真っ先にしたのはプラターヌだ。研究者だからか、彼は冷静に事態を俯瞰している。

 

「人格のインストール。その実験の成れの果てさ」

 

 ズーは歩み出す。サキは吐き気を堪えながら目の前の光景を直視する。額から切り込まれ、脳を剥き出しにした人体はどうやら死に絶えている様子だった。隣に備え付けられている心音グラフには心拍が0の値を示している。しかし、どうした事だろうか。脳波は全くの別物だった。

 

「脳波が、動いている?」

 

 サキは信じられないものを目にした声音を震わせる。心臓が止まっても脳は動くものなのか? 否、そのようなはずがない。それは人間の道理を超えている。

 

「彼らはポケモンで言う瀕死状態に近い。つまり、完全に息絶えているわけではない」

 

 ズーの説明にサキは、「どこまで知っている?」と尋ねていた。ズーは皮肉の笑みを浮かべてみせる。

 

「門番のボクに聞く事かな?」

 

 つまり分からない、という意味だろうか。しかしプラターヌが切り込んだ。

 

「何を守っているかくらいは想像がついているのだろう?」

 

 ズーは呆れ声で、「参ったな、どうも」と唇をさする。

 

「そこのおじさん、勘はいいみたいで」

 

「何を守っている?」

 

 サキの質問にズーは答える。

 

「ネオロケット団、その研究成果物であった者達だ」

 

「あった?」

 

 Fが食いついた。サキもそこを追及する。

 

「あった、とは?」

 

「もうあまり意味がないのでね。こうして生きているとも死んでいるとも言えない状態にしてある。何せ、人間っていうものは殺すと死体になるし、あまりむやみやたらと捨てるわけもいかない。だからこうする」

 

 カプセルの一つにズーが手をつく。するとカプセル内の人体に変化が訪れた。激しく泡立ったかと思うと人体が見る見るうちに消滅していく。サキは思わず銃を突きつけた。

 

「何を!」

 

「喚くなよ。これは循環構造になっているんだ」

 

「循環構造?」

 

 サキの疑問に人体が消滅したカプセルから伸びたパイプが重い音を響かせながら稼動し、別のカプセルへと供給した。するとそのカプセルに入った人体の脳波が微弱だが増幅する。

 

「なるほど。死にそうになった個体をただ殺すのではなく、養分として最大限に利用しているのか」

 

 プラターヌの納得にズーは拍手を送った。

 

「ご明察」

 

 サキはズーへと銃口を突きつけたまま叫ぶ。

 

「狂っている! 人の命を何だと思っているんだ!」

 

「それを言うならば、死んじゃって何の意味もないゴミになってしまう事のほうが無駄じゃないか。ゴミになると捨てるしかないけれど、こうして死にそうになれば循環構造が発動してきちんと命が繋がる。ボクらが他者の命を啜って生きているのと何が違う?」

 

 サキは言葉に詰まった。人間が生きるのと何が違うというのか。その言葉に答えは出せない。

 

「……だが、間違っている。あってはならない構造だ」

 

 それだけは断言出来た。このような構図、あってはならない。ズーは反論を出すかと思われたが返ってきたのは意外な声だった。

 

「だね。ボクもそう思う」

 

「何だと?」

 

 この状況を平然と見ていられる人間が何を言っているのか。しかしズーは取り乱した様子もない。

 

「ボクも、この構造は要らないと思うね。どうせ、ボク以上はもう無駄だと思われている個体だし」

 

「どういう意味だ?」

 

 サキはその言葉にこそズーが彼と同じ容姿をしている答えがあるのではないかと感じた。どうして、初代と同じ、どうして彼と同じ顔なのか。

 

「気になるな。君達は、何人いるんだ?」

 

 プラターヌの言葉にズーはにやりと口角を吊り上げた。

 

「核心を突く質問をしてくるね、おじさん」

 

 どういう意味なのか。サキがプラターヌへと振り返る。プラターヌは言葉を継いだ。

 

「彼……現ツワブキ・ダイゴの秘密を暴くのに、この場所こそ適性地であると感じる。どうして君達は同じ容姿をしている? 何故、初代を模倣する必要があった?」

 

「ボクらがDシリーズだからさ」

 

 ズーが襟元をずらして首筋を晒した。サキは息を呑む。

 

 そこには「D200」の番号が刻まれていた。

 

「D……、200?」

 

 彼と同じ、どうしてだかナンバリングされている刻印。Dの番号。

 

「〝ズー〟ってのは同じ容姿の連中ばかりだから文字遊びが好きな研究員がつけた名前だ。本当の名前は、ボクももう分からない」

 

「200をZOOと読ませたのか」

 

 察したプラターヌの声にズーはフッと笑みを浮かべる。

 

「本当に、嫌な事ばかり的中させるな、そこのおじさんは」

 

「どういう事なんだ。Dシリーズってのは何だ? お前達は、どうして同じ容姿をしている?」

 

 サキは狼狽する。ここに来て戸惑ってはならない、とずっと感じていたがどうしても動揺を隠せなかった。何が彼らに起こり、何が彼らを変えさせえたのか。ズーは目を伏せる。

 

「長い話になる」

 



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第五十話「魂よ、還れ」

 あるところに、偉大な人間がいました。

 

 その人物は本当にたくさんの業績を挙げ、稀人として人々に持て囃されてきました。彼の存在、それそのものが「奇跡」だと。人々は彼からもたらされる様々なギフトを得、彼は何十年もその生涯に影響を与え続けると思われていました。

 

 ですが、誰一人として気づいていなかったのです。当たり前の事を。彼も一人の「人間」でありいつかは死ぬのだという事を。そのような、子供でも分かる当たり前の理屈が、どうしてだか人々には通じませんでした。彼の人物は決して死なず、常に明るい光を人々に投げ続けるのだと信じて疑わない報道と熱狂。彼はその人々からの期待に心底参っていました。

 

 何故ならば、彼は紛れもなくただの「人間」だったからです。彼は、奇跡でもなければ神からの贈り物でもない、ただの、本当に凡夫と言っても過言ではない「人間」でした。

 

 自分の代わりはいくらでもいる。ですが、彼がそう訴えても、人々は聞き入れようとしません。彼はもっとすごいはずだ。もっと自分達に見せてくれるはずだ。奇跡を。輝かしい業績を。

 

 ですが彼には見えていました。自分の天井が。自分にはどこまでが出来てどこまでが出来ないのか。誰にでも当たり前に見える天井に彼は苦しみました。自分の事を稀代の天才だと人々は信じて疑わない。だが自分はいつか死ぬ。血が繋いでも自分は老いる。自分は衰える。それを自分自身が一番よく分かっているのに誰も止めない。誰も、歓喜の声が止まないと思っている。

 

 プレッシャーに彼は押し潰されそうになりました。そんな時です。ポケモンのさらなる可能性、メガシンカの被験者に自分がなろうと決心したのは。今まで数多の犠牲を出しながらも全く世間に報告しなかった禁忌の実験。この実験で死ねば自分は英雄になれる。もう誰からの期待も背負わなくってもいい。

 

 彼は進んで実験に参加し、そして人為的な実験の場で初めてメガシンカを成功させました。しかしその対価として彼は精神エネルギーを全て放出してしまったのです。

 

 後に残ったのは彼の抜け殻だけでした。彼の最も満足する死が選べたのです。

 

 めでたしめでたし……で終われば、この物語は何の変哲もない英雄譚だったのでしょう。ですが、運命は彼に安息の死を与える事を許しませんでした。

 

 彼を復活させねば。周囲の人々は彼からもたらされる幸福、ギフトを永遠に得られないのは耐え難い事でした。彼の魂の再生実験。それが可能だと、ある人物が言いました。

 

「彼は精神エネルギーを放出して死んだ。つまり魂が抜けただけだ。その魂を呼び戻せばいい」

 

 その理論はおぞましきものでした。

 

 彼と全く同じ遺伝子と記憶を配置すれば、魂は戻ってくるに違いない。つまり抜け殻になった彼を再現すれば、まだ彷徨っているであろう彼の魂はきちんと入れ物に入るはずだ。

 

 躍起になって再現実験が開始され、数多の人々が犠牲になりました。生贄として捧げられた人間の数は積み重なり、幾多の死と、人間の尊厳を踏み潰した実験によってようやく再現出来た彼の入れ物はしかし、魂を呼び寄せる器にはなり得ませんでした。

 

 どれもこれも失敗作。彼の遺伝子を無理やり打ち込まれた哀れな実験体達は、短命、あるいは人格異常、あるいはどこか身体に欠陥を持つ人間になってしまいました。

 

 実験を主導した者は告げました。「失敗作に慈悲など必要ない」

 

 彼らは暗い倉庫に仕舞われ、悪魔の実験は継続しました。そして、彼が死んで二十三年経った現在、再現された入れ物の数は200となり、そこで実験は打ち切られました。

 

「これ以上の実験は無意味だ」と判断されたのです。

 

 200の入れ物達は行き場を失くしました。彼らには元の記憶がないか、あるいは曖昧でどこに戻ればいいのかも分かりません。

 

 彼らは主導者に代わり、この実験を、悪魔の所業を告白しようとしました。

 

 ですが彼らは一様に失敗作であった事に変わりはなかったのです。

 

 行った仲間は初代と同じ死に様で息絶えて、路傍に転がる始末。うち何体かの失敗作達は徒党を組んで主導者に反旗を翻そうとしましたが彼らの力が及ぶはずもありません。そのうち何体かは従うのが賢明だと判断しました。

 

 こうして哀れな哀れな実験体達は二つに別れました。

 

 一つはこの悪魔の実験を告発しようとする一派。

 

 もう一つは下僕のように従い、今も続くこの実験を管理する一派。

 

 彼らは自分達の抵抗力が最早失せ、ただ使役されるだけの肉になっている事に気づきながらも、反抗出来ずに今日に至るのです。

 



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第五十一話「裏切りのツバサ」

 

「これでお終い」

 

 パンパンとズーが手を叩く。その話はにわかには信じられなかった。

 

「……じゃあ、Dシリーズって言うのは」

 

「初代ツワブキ・ダイゴの魂の入れ物を造るための大いなる実験。その被害者達か」

 

 プラターヌは存外に落ち着いている。それは話し終えたズーもそうだった。

 

「その通り。ボク達は元々、こんな顔でもなければこんな忌々しい刻印をつけられているわけでもない」

 

 ズーは刻印をさする。サキは呆気に取られていたがFは冷静な声を返した。

 

「あんた達は、孤児か?」

 

「それだけならばいいさ。ボクも協力した事があるから分かる。ボク達は、名前も出生地も何もかも別々の人間だ。ただカナズミの地を踏んだ、という共通点があるだけで、誘拐された不運な人々さ。孤児とか言うわけでもなく、ただただ不運だっただけの話」

 

 諦観を漂わせたズーの声にサキは返す言葉もない。それほどの狂気の所業が行われているとは思わなかった。自分の生まれ育ったこのカナズミシティで、二十三年の月日をかけて達成されようとしていた再現実験。あまりの忌々しさにサキは悔しくなった。自分が、どうして止められなかったのか。どうして今の今まで尻尾も掴めなかったのか。自分の弱さに拳を握り締める。

 

「お姉さん、どうして泣いているの?」

 

 だからか、その問いにサキは自分が涙を流している事に初めて気づいた。話の中で泣いてしまったのか、いつの間にか頬を熱いものが伝っている。目を擦りながら、「泣いていない」と抗弁を発した。しかし、自分の涙を彼らは笑わない。

 

「……ボクらみたいなののために、泣いてくれる人がいるなんて思いもしなかったな」

 

 その言葉一つに、重々しさが窺えた。彼は何年、いや何十年この職務を全うしているのか。自分達警察が無能さゆえに気づけなかったこの大事件を。

 

「私は、告発しなければ」

 

 この事実を一人でも多くの人に伝えなければ。しかしサキの正義感にFとプラターヌは現実的だった。

 

「いや、無理だろう。ここから出てしまえば、一両日中にこの実験の証拠も、跡形もなく消えてしまうだろう」

 

「我々は追えはしない。結局、いたちごっこだ」

 

「それでも!」

 

 サキは声を張り上げる。何とか手はないのか。ズーが立ち上がり、「けど分からないな」と言った。

 

「分からない、とは?」

 

「ボクらは今説明した通り、短命でね。だから実験から逃れた者達は多分、みんな死んでいるはずなんだ」

 

「初代と同じ死、か」

 

 思わぬところで〝天使事件〟との接点があった。だが分からないのはそれだ。

 

「どうして、天使事件の被害者達は同じ顔ではなかった」

 

「その頃には、もう偽装が解けているせいだと思う。所詮、逃げたのは初期ロットナンバー。初期ロットにはその遺伝子を定着させるものが足りなかった。だから死んだら元の顔に戻ったんだと思う。……ボクからしてみれば少し羨ましいな」

 

 以前の自分を忘れ、ツワブキ・ダイゴの顔と容姿で生きるしかない人間の悲痛な叫びだろう。サキはその段になって彼の番号を思い出した。

 

「Dシリーズは、全部初代の再現技術が施されているって事?」

 

「まぁ、ほぼ全てだね。初代ツワブキ・ダイゴの入れ物だから、その辺は抜かりないと思うけれど」

 

「じゃあ、D015である彼はやっぱり……」

 

 その言葉にズーは首を傾げた。

 

「変な事を言うなぁ。D015? そんな番号はないよ」

 

 ズーの指摘にサキは疑問符を浮かべる。

 

「どうして? だってDシリーズはみんなそうなんでしょう? 初代と、同じ遺伝子で」

 

「いや、それでも違うんだ。だってDシリーズの001から050までは全部ロストナンバーだよ」

 

 言わんとしている事が分からずサキが怪訝そうに眉をひそめる。

 

「ロストナンバーって」

 

「その番号は既に廃棄されているって事。失敗作の中でもさらに失敗の中心。彼らは自分単体では動く事すら儘ならないと判断されたはずだよ」

 

 その言葉に戦慄する。じゃあ彼は何者なのか。サキは首を振る。

 

「そんなはずはない。彼は確かにD015の刻印がされていた。Dシリーズのはずだ」

 

「どこかで間違っているはずだよ。だってボクはきちんと知っている。五十番までの番号は使い物にならないはずだ」

 

 では彼は何だ? 疑問を氷解しに来たつもりがさらなる疑問にぶち当たる。サキが難しい顔をしているとズーは尋ねた。

 

「その、今ツワブキ・ダイゴを名乗っている人? 彼の特徴を教えてよ。もしかしたらデータ上に心当たりがあるかもしれない」

 

 サキはプラターヌとFに目線を向ける。二人とも頷いた。ズーは信用出来ると判断したのだろう。

 

「眼は赤くって、容姿は初代と同じ。遺伝子も同じで……、でもポケモンの血が流れていて」

 

「ポケモンの血?」

 

 思わぬところでズーが反応する。サキも確証を得られていない部分だ。

 

「ポケモンの血が僅かに血中に検出されて……」

 

 ズーは唇を指でさする。何か重大な考え事をしているようだ。

 

「まさか……、いやあり得ない。でもそれならば短命の謎は解けるか?」

 

「あの、どうかしたのか?」

 

 サキがうろたえているとズーは目線をサキに振り向けた。

 

「もしかすると、彼は重大な何かとして仕組まれているのかもしれない。だっておかしいんだ。実験はボクの番号で打ち止めだ。200以降の番号は存在しないし、五十までの番号は欠陥中の欠陥だ。だから彼が、生きているとは思えない……」

 

「で、でも彼は健康体そのものだ。記憶がない以外は……」

 

「記憶がない?」

 

 ズーはその点を追及する。

 

「どういう事? 記憶がないって」

 

 ズーの疑問が分からない。自分が話したのではないか。

 

「言った通り、記憶喪失って事なんだけれど。でも、別におかしな事じゃないみたいだろう? Dシリーズには元の記憶がないって」

 

 自分で言っていたではないか。しかしズーは頭を振った。

 

「いや、あり得ないのはそれもだ。確かに元の人間だった頃の記憶はない。でも代わりに埋め込まれるのがツワブキ・ダイゴとしての記憶だ」

 

「ツワブキ・ダイゴとしての?」

 

 サキが聞き返すとズーはこめかみを突いた。

 

「この脳髄にはね、ツワブキ・ダイゴ、つまり初代の記憶がメモリーバンクとして登録されている。元はと言えば再生計画だ。初代の魂が入り易いようにいじられている。初代の魂が定着すれば、簡単に動かせるような調整がしてあるんだ。つまり、これがボク達、Dシリーズの宿命でありメモリークローンと呼称される所以」

 

 メモリークローン。思わぬところの合致にサキは息を呑んだ。

 

「そのメモリークローンって言うのはDシリーズ全部に?」

 

 その質問にズーは首を横に振った。

 

「いや、百番台からのはず。だからそのツワブキ・ダイゴがD015だと、本当にそうなのだとすればあり得ない。その処置を受けていないはずなんだ」

 

 ならば彼は何者なのだ。メモリークローンの処置がないとは。

 

「じゃあ、何だって言うんだ? 彼女は今のツワブキ・ダイゴに会っているしきちんとデータも取っている。嘘偽りはない」

 

「で、でもあり得ない」

 

 うろたえた様子でズーは後ずさる。ズーの言葉が真実ならば彼の存在は否定される。だが彼は現実に存在する。ツワブキ家がわざわざ引き取ったのだ。必ず何かあるはず。

 

「D015は失敗作のはずなんだ。それにポケモンの血が入っているだって? そんな処置、聞いた覚えがない」

 

「いい加減な事を言うなよ。だったら彼女が嘘をついているとでも?」

 

 プラターヌが詰め寄るがズーは否定する。

 

「あり得ない。その個体は何かの間違いだ」

 

「でも彼はいるし、彼を巡って抹殺派と保護派が動いているのも事実。それが確かな事はFが……」

 

 後を濁す。当のFは、と言えば先ほどから何も言わない。何なのだろうか、とサキは口にしていた。

 

「保護派であるお前が何も言わなければ、事はややこしくなるばかりだぞ!」

 

 サキの言葉にようやくFは気づいたようだった。

 

「私、か?」

 

 何を言っているのだ。わざとらしいにも程がある。

 

「聞いてなかったわけではあるまい? それにどうして彼を保護するのか、聞いていなかったからな」

 

 ズーとサキ、二人分の視線を受け止めFは嘆息をつく。

 

「彼を殺すなんて事は人道にもとる、という理由だけでは」

 

 二人の視線の圧力を感じたのだろう。Fは訂正した。

 

「納得出来ない、か」

 

「今さら人命なんて事を重視しているわけではないだろう。どうしてお前達は彼を保護する? 他のDシリーズは見殺しにしたくせに」

 

 ズーの語る真実ならば今まで何人ものDシリーズが死んだ事になる。それを保護せずにどうして彼だけを保護しようとするのか。保護派の動きが読めない。

 

「やれやれ。どうしてこうも理由を求めようとするのか」

 

「理由のない動きはあり得ない。特にそれが組織ならば」

 

 プラターヌも口を挟む。Fはようやく観念したように首を振った。

 

「……分かったよ。だが私とて末端だ。彼の保護、それを最重要課題として置かれている。組織の真意までは読めない」

 

「つまり、お前はただ言いなりだっただけだと?」

 

「信じられないかね?」

 

 サキは首肯する。

 

「信じ難い。Dシリーズの事を知っている風だった」

 

「装っていただけだ」

 

「それこそ信じられない」

 

 交わす言葉は平行線だ。どちらかが諦めるまでこの問答は続くだろう。ズーが口を開く。

 

「何で、ボクらを見殺しにした? それに、お前らの組織の動き、まるでボクらの作った第三勢力に敵対しているみたいじゃないか」

 

 それはサキも思っていたところだ。ズーの言った通りに勢力が分岐したのならばFの言う抹殺派こそがDシリーズだという事になる。

 

「答えろ。私は今までとんだ思い違いをしていたのかもしれない」

 

 Fは沈黙を貫く。サキはここに導いたのもFである事を思い出す。

 

「何も知らない、では済まされないぞ。既に何人もが犠牲になっている」

 

 Fはプラターヌへと視線を流すがプラターヌもそこは譲れない様子だった。

 

「わたしの事を知っていて彼女に密告したのだろう? 何か意図があるはずだ。あるいは、そうだな、ここに導いた、それそのものが意図か?」

 

 プラターヌの追及の声にFは一言だけ呟いた。

 

「……敵わないな」

 

「白状するか?」

 

「ヒグチ・サキ警部。それにプラターヌ博士。残念だよ」

 

「何がだ。ここで話さざるを得ない事か?」

 

「いや。君達とはここまでという事がさ」

 

 その言葉を解する前に声が弾けた。

 

「危ない!」

 

 ズーが前に出て身を乗り出す。その肩口に氷の弾が突き刺さった。サキが瞠目する。プラターヌも腰を浮かしていた。

 

「あれは……」

 

 Fが羽ばたいて影のほうへと向かう。それを阻む前にさらに氷の弾丸が放たれた。ズーが咄嗟にモンスターボールを繰り出す。

 

「いけ、フォレトス!」

 

 飛び出したフォレトスが氷の攻撃を受け止める。すると物陰から感嘆の声が上がった。

 

「驚いた。動けないように肩を狙ってやったのに。きちんと繰り出す辺りさすがDシリーズか」

 

 その声の主にサキが目を向ける。

 

「お前は……。こんなところに何で」

 

「飼い主がいてはいけない道理はないでしょう?」

 

 物陰から出てきた長身の女性の名をサキは口にする。

 

「――ツワブキ・レイカ」

 

「幼馴染とはいえ、礼儀がなっていないわね。ヒグチ・サキ」

 

 返された言葉にサキは、やはり、と確信を込めた。

 

「ツワブキ家は……」

 

「怪しいって言うぐらいは別に分かっていたでしょう。でも、まさかDシリーズの飼い主で、さらに言えば保護派と絡んでいたのは意外だったかしら?」

 

 レイカの肩にFが止まる。思わず歯噛みした。

 

「裏切っていたのか、F」

 

「裏切りも何も。私の目的は変わらないよ」

 

 それは今までやってきた事も含めて裏切りはないとでも言うのか。よろめいたズーが荒々しく息をつく。

 

「……レイカ様。ボクは何も間違っていません。ただ職務を全う出来なかっただけで」

 

「お黙りなさい。お留守番も出来ない番犬は要らないわ」

 

 切って捨てた声にサキは拳を握り締めた。

 

「お前、人の命を何だと思って……!」

 

「命? そうね、そういえば命ね。でも私はツワブキ家の血族。対して彼らは? 模造品に人権があるとでものたまうのかしら」

 

 サキはホルスターから拳銃を抜き放つ。引き金を即座に引いたが放たれた弾丸は空中で縫い止められた。

 

「弾丸は静止する。私に命中する前に」

 

 傍に侍っていたポケモンが前に出る。角ばったポケモンで氷の身体を持っていた。目元には複数の目のような意匠がある。

 

「レジアイス。分からせてやりましょう。ここで私に挑む事がどれほどに愚かなのかという事を」

 

 レジアイスと呼ばれたポケモンが甲高い鳴き声を上げ両手を振り回した。その直後、凍結した空気がサキ達へと吹き荒ぶ。先ほどと同じく冷気の弾丸が降り注いだ。

 

「氷のつぶて」

 

 サキは避ける事も敵わない。命中した、と目をきつく瞑ったが痛みは訪れなかった。そっと目を開けるとズーが全ての攻撃を受け止めていた。思わず声を上げる。

 

「ズー! お前は」

 

「行くんだ。お前達は、真実に辿り着きたいんだろう?」

 

 フォレトスが跳ね上がる。回転が閾値を越え、鋼の輝きを帯びた。

 

「ジャイロ、ボール!」

 

 放たれた一撃にレイカは軽く顎をしゃくった。

 

「レジアイス、雷」

 

 突然に空気が変動し、フォレトスの頭上に雷雲を形成する。次の瞬間、地面と天井を縫い止める雷撃がフォレトスの身体を貫いた。フォレトスの内側に生成されていたエネルギーが霧散する。

 

「危ないわね。Dシリーズには初代の再現、という性質上、鋼タイプを持たせるのは分かるけれど私のレジアイスに傷がつけられるのは勘弁願うわ」

 

「Dシリーズ……! やはりレイカ、お前は分かっていて彼を招き入れたのか」

 

 ツワブキ家に彼が招かれたのは何も偶然ではない。しかしレイカはその点に関しては否定した。

 

「心外ね。弟の勝手にやった事を私のせいみたいに言われるのは。あのツワブキ・ダイゴが許されているのは全くの想定外。私にもどうしてあれだけが存在しているのかは分からない。でも間違いはないわ。初代の再現に適した個体である事はね」

 

「初代ツワブキ・ダイゴをこの世に生み出してどうする? 何が目的だ!」

 

 サキのいきり立った声にレイカは対照的にため息をついた。

 

「どこまで話したところであなたには理解出来ないでしょう。それに話したって死ぬんだから、やっぱり意味がないわよね」

 

 レイカが手を薙ぎ払う。すると再び「こおりのつぶて」が精製され、こちらへと撃ち出された。

 

「フォレトス! 高速スピン!」

 

 フォレトスが回転して氷の弾丸を払う。レイカが舌打ちをした。

 

「何のつもりなの。Dシリーズでもあなたは特別にこの区画の管理を任せたのに。飼い主に噛み付くなんて駄犬ね」

 

「駄犬でもいいさ。彼らと話していて分かった。ボクらは、生きてちゃいけないんだって事を。そして生きるべき人は誰なのかという事を。初代の再現なんて、あっちゃいけないんだ」

 

「紛い物の意見は聞いてないわね」

 

 レイカが指を折り曲げる。すると地面から冷気が迸りズーの身体を突き刺した。

 

「地を伝って冷凍ビームを打ち込んだ。さて、飼い主に何だって?」

 

 冷凍ビームが身体を貫通している。最早ズーにはあと僅かの命しかなかった。しかしズーの目は死んでいない。冷凍ビームを掴んでキッとレイカを睨んだ。

 

「罰が下る! 絶対に! お前らには」

 

「罰? そんなものが怖くって、初代の再生実験なんて出来ないわよ」

 

 レジアイスが浮遊して接近する。ズーはサキへと振り返った。血の滴る唇をやっとの事で開かせる。

 

「ボクは、ここまでみたいだ。でも、やれる事を託したい。フォレトス!」

 

 フォレトスが跳ね上がりサキ達を突き飛ばした。後ろに身体を引かれる。ちょうど後部にはダストシューターがあった。サキはズーへと手を伸ばす。

 

「ズー! お前は」

 

「ボクはあっちゃいけない、悪魔の研究成果だ。出来るだけここで食い止める。だから、お前達は会うんだ。彼と同じく、外に出て行った仲間と合流するんだ。その者の呼称は――」

 

 そこでズーへと四方八方からの冷凍ビームが放たれた。ズーの身体が引き裂かれる。サキは無辺の闇へと落ちていく感覚を味わいながら声を張り上げる。

 

「ズー!」

 

 サキの声が吸い込まれていく。その闇の向こうまで声は届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

第四章 了

 



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ヒグチ・マコの冒険
第五十二話「ヒグチ・マコの憂鬱」


 

 ヒグチ・マコは最近とても憂鬱で、それがどうやって解消されるのかの目星もつかない事がさらに加速させていた。

 

 自分は普段、楽しそうに振る舞っている人間だと思う。きっと状況を一番楽しめる立場につくのがうまいのだと、自負している部分もあるし、客観的に見ても自分は恵まれているだろう。

 

 だから恵まれていないといった悲観や、かわいそうぶりたいわけでもない自分にとってしてみれば、大学生活はフィットしていて安定の日々だった。高校までのような授業の時間的な制約も少なくそもそもマコの通っている大学自体がカナズミシティのお膝元。それほど悪い待遇でもなく、かといってマコは特待生になれるほどの優秀な成績を収めるわけでもなく、ただ消費されていくのは日々と時間。

 

 寝転がった視界に入ったのは片耳分のイヤホンだった。安っぽいイヤホンから漏れ聞こえてくるのはマコの応援しているガールズバンドグループ「ギルティギア」の楽曲だった。

 

 ボーカルのディズィーの張り上げるような声音が響くハイトーンの曲が終わり、今度は対照的な囁くような声音から始まる。ディズィーは業界では七色の声を持っていると評価されており、マコもご多聞に漏れずディズィーと「ギルティギア」のファンだった。サキもそうなのだが一緒にライブに行ったことは数えるほどしかない。

 

 日めくりカレンダーを捲って、もう今月も半ばに入った頃に、思い出したようにマコはいつも電話をする。長電話になる事の多いので専用のアプリを使ってマコは電話を繋ぐのだが案の定相手は出なかった。ため息を漏らしてマコは自身のホロキャスターを閉じる。

 

「……連絡くらい、くれたっていいのになぁ、サキちゃん」

 

 サキが電話に出ないのはさほど珍しくはない。むしろ出ないほうが多くマコはいつもメールに現状を添付して送るのだがその反応も一昨日からなかった。怪しい、とマコの第六感が囁く。先刻のツワブキ・ダイゴにしてもそうだ。結局ぼかされてしまったがダイゴはサキにとって何かしらの存在なのだろう。男の子を家に連れて来たのはリョウ以外では初めてである。マコはホロキャスターをポケットに仕舞って研究室に歩いていった。研究室は家と繋がっており実質的に我が家だ。

 

 研究員達も泊り込みで働く事が多く、実際ハンモックやら毛布やらが研究所にあるのは少し滑稽でもあった。研究員達は今日も渋面をつき合わせて研究に没頭している。マコは、「あのさー」とひょっこり顔を出す。するとマコの気配に全く気付いていなかった研究員達が大げさに驚いた。それほど驚かれると困る、とマコはむくれる。

 

「な、何ですか? マコちゃん」

 

「なんかさー、サキちゃんと連絡つかないんだよね。みんな知ってる?」

 

 当然の事ながら刑事であるサキの職務について詳しく知っている研究員はいるはずもない。皆、顔を見合わせてどうだ、と探り合いだ。

 

「あの、マコちゃんに連絡がないなら我々が知っているはずもないのですけれど……」

 

 それもそうだ。マコはしかしこのまま引き下がるのも癪でごろごろと寝転がって研究を妨害した。

 

「サキちゃんがいないと暇だよぉー」

 

「また始まった……。悪いお酒を飲んでいますね?」

 

 目ざとい研究員の声にマコは慌てて首を横に振る。一応は未成年であるので飲酒は出来ない。

 

「飲んでない、飲んでないよ」

 

「知っているんですよ。マコちゃんはヒグチ博士の晩酌のホウエン酒にちょっとずつ手をつけている事を」

 

 マコは慌てて唇の前で指を立てて、「しーっ!」と言った。

 

「お父さんにばれたら洒落にならないじゃない」

 

「ヒグチ博士も何でかなぁ、と言う辺り天然ですけれど、マコちゃん、お酒はほどほどにね」

 

 言いくるめられてマコはしゅんとする。サキがいないだけでも寂しいのにこれでは寂しさが倍増だ。

 

「でもでも! お酒に逃げなきゃやっていられないんだよ」

 

「サキさんは全く飲まないですけれどね。逆に姉妹でここまで対比があると珍しい」

 

 男の研究員の視線が自分の身体つきに行ったのを感知してマコは指差して糾弾した。

 

「セクハラだよ! そりゃ、私はサキちゃんほどナイスバディじゃないけれど、需要はあるもん」

 

「セクハラは駄目ですよ」と女性研究員達もいさめる。男の研究員は舌を出して、「てへ」と誤魔化した。全くかわいくない。

 

「サキさんはお忙しいですから。今のうちにマコちゃんも青春を謳歌するといいよ」

 

「何それ。大人の警句みたいな」

 

 マコはそういった大人だから、という自負が最も苦手だ。自分が大人だと持ち上げている人間に限ってろくな奴がいないものである。大人なんて言葉は、せいぜい冷やかし程度の文句に使うべきなのだ。

 

「大体、マコちゃんがサキさんの仕事にいちいち文句つける人間でもないでしょう。姉妹なんだから分かってあげないと」

 

「そりゃ、サキちゃんはお忙しいでしょう。私は暇に見える? でも、私だってレポートとか、色々あるんだよ?」

 

「それは若者の特権ですよ」

 

 笑いながらマコの言葉を宥めるのは先ほどのセクハラ発言の研究員だった。若者の特権。そう言われてしまえば、もう立つ瀬がないのである。年長者のある意味では嫌がらせのような言葉に聞こえた。

 

「サキさんも刑事になって随分と経つから。もう独り立ちなさっているんでしょう」

 

 子供の頃からサキとマコの世話をよく見てくれた女性の研究員が目を細める。この研究員はよく自分とサキのわがままに付き合ってくれたものだ。

 

「独り暮らしだから偉いっての?」

 

 突っかかると、「そうじゃありませんよ」とその研究員は笑ってかわした。

 

「サキさんは自分を客観視出来ますから。だからお強い、という話です」

 

 何だそれは。まるで自分が自分の事しか頭にない子供のような言い草ではないか。マコは頬をむくれさせて、「いいもん!」と踵を返した。

 

「私は今はお父さんに用があって来たんだから。お父さんはどこ?」

 

「あちらの個人研究室に閉じこもっていらっしゃいます。今回の研究がなかなかの難敵でしてね」

 

「難敵? お父さんでも分からない事ってあるの?」

 

「そりゃヒグチ博士だっていつまででも研究者ですから未知のフィールドはありますよ」

 

 マコにとってしてみれば人生そのものが未知のフィールドなのにそこにさらに迷路を作るなど理解に苦しんだ。

 

「分かんないなぁ。何でみんな研究職なんてついたの?」

 

 素朴な疑問であったが研究員達はめいめいに首を傾げる。

 

「何でって、昔から分からない事を知るのが好きだったから、ですかね」

 

「私は理科の授業で褒められたから」

 

「ポケモンでいつか誰も知らない領域に挑戦してみたい、って憧れですかね」

 

 十人十色の答えにマコはむぅと呻った。自分にはそれほどまでに熱中出来る事もなければ、冒険心もないからだ。

 

「何だかみんな、一応真剣に考えてここに来ているんだね」

 

「当然ですよ。情熱がなければ研究職なんて出来ません」

 

「情熱のほかに、自分が何に向いているのか、というのもよりますけれどね」

 

 何に向いているのか。マコには依然として靄のようになって見えない部分だった。自分が将来何になるのか。何を目指しているのか全く分からない。ポケモンの実力一つでリーグ、というガラでもなく、かといってポケモンが嫌いかと言えばそうでもない。ただ真剣に戦う場所に自分の手持ちを晒すのはどこか気後れがあった。

 

「……私、全然駄目だなぁ」

 

 気落ちしたマコに研究員達が励ましの言葉を送る。

 

「なに、マコちゃんならば立派な人間になりますよ」

 

「サキさんの妹さんだもの。マコちゃんにもいずれ分かる時が来るわ」

 

 そうなのだろうか。本当に、目の前の靄がぱあっと晴れて、視界がクリアになるのだろうか。マコにはその自信がなかった。

 

「サキちゃんはさ、いつ頃から刑事になりたいって思ったんだろう」

 

「ジュンサーさんに憧れている感じでしたっけ?」

 

「違う違う、サキさんは刑事ドラマが好きで刑事になったって言ってなかったでしたっけ?」

 

「そんな簡素な理由で刑事なんてなれるわけないでしょう。きっとサキさんなりにきちんとした理由があるはずよ」

 

 堂々巡りを繰り返す研究員の会話にマコはため息を漏らす。ホロキャスターをふと見やったがサキからの着信もメールもない。

 

「サキちゃん、あれだけ一日一回はメールチェックしてね、って言っているのに」

 

「忙しいんじゃないですか?」

 

「そういえばこの間来たツワブキ・ダイゴとかいう人の事もありますからね」

 

 ダイゴの名前が出てマコはふと尋ねてみた。

 

「ダイゴさんって、やっぱりツワブキ家の人なのかなぁ」

 

「その辺、詳しく聞きそびれましたね」

 

 研究員は頬を掻く。マコも額に手をやって、「楽しむだけ楽しんだけれど」とぼやいた。

 

「結局、サキちゃんは何にも教えてくれなかったなぁ」

 

「事件の重要参考人とかじゃないんですか?」

 

「そんな重要人物だったらなおの事おかしくないか? だってツワブキ、だなんて」

 

 この街でツワブキ、と言えばデボンコーポレーションを管理しているツワブキ家をおいて他にない。マコは腕を組んで考え込む。

 

「じゃあやっぱりツワブキ・ダイゴさんは、デボンの御曹司?」

 

「でも、そうだとすると奇妙な符合があるんですよねぇ」

 

 女研究員の言葉にマコを含め全員が尋ね返した。

 

「奇妙?」

 

「何です?」

 

「いや、私も聞いた話なんだけれど、確か第一回ポケモンリーグを制した初代ツワブキ家の頭首の名前が、ツワブキ・ダイゴだったって」

 

 そういえばそのような事を学校で習った気がする。しかし研究員達はまともに取り合わなかった。

 

「いや同姓同名でしょう」

 

「いくらなんでも赤の他人に偉人の名前はつけませんって」

 

「そうよねぇ」と研究員達は納得する。だがマコにはそれがどうにも引っかかった。ツワブキ家でないとすればダイゴは何者なのか。そもそもどうして刑事であるサキがツワブキ家に介入出来る? ダイゴがツワブキ家に関係ないとすれば逆にツワブキ家を名乗るメリットがない。それこそ逆効果だ。この街ではツワブキ、と言えば全員デボンが浮かぶくらいには浸透しているのだから。

 

「アドレス聞いておくんだったなぁ」

 

 遅い後悔に研究員が目ざとく察知する。

 

「誰の?」

 

「ダイゴ、って人のかい? でも知らない人だろう?」

 

「何だか他人事とも思えなくって……」

 

 マコの声音に、ははーん、と察した顔立ちになった研究員がいた。胡乱そうにマコは声を出す。

 

「……何?」

 

「いや、やっぱりマコちゃんもお年頃だな、って」

 

 その言葉に感化されたのかもう一人も、「だねぇ」と意味深な顔立ちになった。女性研究員だけが、「からかいもほどほどにしなさい」と注意する。

 

「何なの?」

 

「いや、男の子が気になるって事はさ。マコちゃん、実のところ恋愛とかしちゃったりする年齢になったのかな、って」

 

「恋愛……」

 

 呟いてみてマコはその言葉の滑稽さに可笑しくなる。まるで自分にフィットしない言葉で肌の表面を滑り落ちていくようだ。

 

「ないない、ないですよ」

 

「いや分からないよ。一目惚れ、って奴かもね」

 

 目を細めた研究員に、「ないです」とマコは呆れた。

 

「一目惚れだったら、私だって戸惑う乙女心を持て余すじゃない」

 

 乙女心、という言葉に男の研究員二人が背中を掻く真似をした。「かゆい、かゆい」、「さぶいぼがー」とおどける二人に女の研究員はため息をつく。

 

「いい加減、マコちゃんで遊ぶのも大概にしなさいな」

 

 二人の研究員は、「すいませんでした」と頭を下げる。マコはそっぽを向いてやった。

 

「知らない。お父さんに言って給料減らしてやろーっと」

 

「ああ! それだけは!」

 

「ただでさえ困窮してるんだからさ!」

 

 マコが研究員で遊んでいると不意に奥の研究室の扉が開いた。中から現れたのは目の下のクマを随分と深くさせたヒグチ博士である。駆け寄るとその疲労が色濃く見えた。

 

「大丈夫? お父さん」

 

「いや、大丈夫かどうかは、その、見た目で判断してくれないか?」

 

 つまりは察しろという事だ。マコは、「悩みなら聞くよ」と応じる。博士は頭を振り、「いや」と意気込んだ。

 

「マコに心配はかけさせるものか。私だって意地があるからね」

 

「そもそも何の研究なの? 最近は閉じこもって研究するなんて少なかったのに」

 

 マコの疑問に博士はうっと声を詰まらせる。慌てて平静を取り繕って、「いやいや」と手を振った。

 

「大した事じゃない、ただちょっと連絡が前後して疲れているだけなんだ」

 

 マコは経験則で知っている。博士が戸惑う時には十中八九やましい事がある時だ。

 

「連絡が前後? それだけじゃないでしょう?」

 

 博士は後頭部を掻いて、「参ったな……」と困惑している。娘にも話せない事なのだろうか。

 

「今回ばっかりは、その、個人的な研究で、あんまり皆を巻き込みたくないんだ」

 

 そういうところはサキに似ている。頑固で、自分の一線を引いてしまうのだ。マコは娘ならではの攻め口で切り込んだ。

 

「でもお父さんが心配だから。私達で出来ることがあれば、ね?」

 

 研究員達に目配せすると全員が首肯する。

 

「水くさいですよ、博士。困った時はお互い様でしょう?」

 

 セクハラを発した研究員がよく言う、とマコは内心呆れていた。女性研究員も、「大分お詰めになっているようですし」とコーヒーを注いでいた。もちろんマコの分もある。

 

「私、砂糖三つね!」

 

 手を上げて口にしたマコに、「はいはい」と全員のコーヒーが運ばれてくる。博士には特別甘い、砂糖七つ分だ。本当ならば医者から止められているのだが博士は徹夜明けやどうしても研究が混迷を極めた時にはいつも砂糖七つを飲む。全員が各々の濃さでコーヒーを口にして、ぷはーっ、と息をつく。

 

「これだよねー!」

 

「うん、これだ」

 

「これですね」

 

 各々の反応は違ったが少しだけ博士は心を開く気になったらしい。ぽつりぽつりと話し始める。

 

「あのさ、ポケモンの血って、人間に入れると拒絶反応が起きるよね?」

 

 何を当たり前の事を、とマコを含め研究員達は顔を見合わせた。

 

「そんなの、二十年程前には分かっている事じゃないですか」

 

「遺伝子分野での工学はプラターヌ一家が引き継いだでしょう? 我々は群生学ですよ?」

 

「うん、そうなんだけれど……」

 

 煮え切らない博士の声音にマコは、ひょっとして、と思い至った。

 

「何か、最近そういうのがあったの?」

 

 博士がコーヒーを盛大に吹く。どうやら図星のようで咳き込む博士を研究員達が補助する。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ、申し訳ない……」

 

「お父さん、そういうケースがあったの?」

 

 尋ねていたマコの興味を消せないと感じたのか博士は目を見ずに口火を切った。

 

「とあるサンプルがあってね。それを照合するのにちょっと時間がかかっている。今も、そういう前例がなかったのかを洗い出しているところだ。研究機関、施設、医療などなど。調べても埃さえも出ないのが一番きついところではあるんだけれどね」

 

 そう言ってコーヒーを呷る。マコは顎に手を添えて考え込んだ。

 

「サンプルがあるのに、前例がないっておかしくない? 矛盾しているよ」

 

「まぁ、だから秘密にしていたんだが……」

 

 公には出来ない研究、というわけか。無言の了承が降り立ち研究員達は、「博士のやるべき事なんですよね?」と確認する。どうやらそれだけは聞いておきたいらしい。

 

「ああ、私でないと、どうしようも出来ないだろう。今の状況も、分からないのだが」

 

 研究員達が肩を組み、「じゃあ我々もです」と答えた。その答えには博士も目を見開く。

 

「いやだってこれは私の個人的な……」

 

「博士じゃないと出来ないんなら、我々だってチームですよ。のけ者にしないでください」

 

 博士も思うところがあったのかその言葉に感じ入るように目を伏せた。「一人で背負うべきではない、か」と呟く。

 

「よし、ならば出来る限りのバックアップを頼む。ただ正規の研究ではないからくれぐれもこれでね」

 

 博士は唇の前に指を立てる。全員が同じような仕草をした。

 

「極秘研究ですね。わくわくします」

 

「こら、そういうのが駄目だって言ってるんじゃない」

 

 いさめる女性研究員の声に若い研究員達は、「へいへい」と適当にいなした。

 

「博士、本当に駄目な時には」

 

「ああ、分かっている。手は借りるから心配しないで」

 

 女性研究員も去っていき、椅子に項垂れた博士と自分だけになった。マコはふと言葉を発する。

 

「あのさ、お父さん」

 

「うん? 何?」

 

「サキちゃんが連絡取れないんだよね」

 

 いつもならば平静でいなす父親だが、今一瞬の事でありながら顔面が蒼白になった。それを関知する前に博士は顔を背け、「そうか」と声に出す。

 

「お父さん、知っていたの?」

 

「いや、何も。サキももう大人だし刑事だ。連絡の取れない日の一日や二日くらいはあるだろう」

 

 そう言って自分を言いくるめているのが分かる。マコは切り込んだ。

 

「あのさ、ひょっとしてツワブキ・ダイゴさん。あの人が関係あったりしないよね?」

 

 こういう時の自分の感覚は当たる。博士は、「何でそれを」と言いかけて口を噤んだ。やっぱり、という確信にマコは眉根を寄せる。

 

「隠してたんだ?」

 

「いや、そういうんじゃない。サキからは、極秘裏にと頼まれていて――」

 

「それが隠していたって言うんでしょ。お父さんもサキちゃんも、仕事を言い訳にしないで」 

 

 遮って放った言葉にぐうの音も出ないのか、博士は項垂れる。マコもこの時ばかりは言い過ぎたと感じて謝った。

 

「……ゴメン」

 

「いや、いいんだ。マコが蚊帳の外にやられていると思うのも分かる」

 

「でも教えられないんでしょ」

 

 博士は苦しそうに呻って頷いた。

 

「出来れば巻き込みたくないからね。そりゃ家族だって教えられない事もある」

 

「でもサキちゃんには教えたんでしょう?」

 

 博士は声を詰まらせた。マコはわざとらしく欠伸をする。

 

「いいなぁ。サキちゃんは教えてもらったのに私だけ教えられないなんて相当な事なんだろうなぁ」

 

 マコの言い草に博士は早々に折れた。サキを引き合いに出すと博士は弱い。

 

「分かったよ。サキにだけ教えてマコに教えないのは確かにルール違反だった。でも母さんにも教えてないんだけれど」

 

「お母さんは、あの人は興味ないって言うじゃん」

 

 ヨシノは博士の世話をする事が生きがいなのだ。わざわざ首を突っ込むような野暮な真似はしない。

 

「ヤマトナデシコだからねぇ」

 

「……お母さんの事褒め過ぎ。これだからいつまで経っても新婚気分って研究員の人達に言われるんだよ」

 

「……言われているの?」

 

 博士は信じられない、という目つきになる。どうやら自覚はないらしい。

 

「そんな事はさておき、私にも教えてくれるんだよね?」

 

 博士は鼻筋を掻いて、「まぁ、でも」と濁した。

 

「マコにだけ教えないのも確かに悪い。分かった」

 

 膝を叩いて博士が立ち上がる。

 

「教えるけれど、気分が悪くなるかもしれない」

 

 博士はいつだって前提条件を突き出す。マコは臆す事なく、「うん」と頷いて目を輝かせる。博士はその様子に気後れしたようだった。

 

「……全然、いいもんじゃないよ」

 

 前置きされてもマコはサキにだけ教えられて自分にはひた隠しにされている状態のほうが我慢ならない。

 

「いいよ。私、ホラーもへっちゃら」

 

 胸を張って自慢するが博士は顔を拭った。

 

「ホラーとか、実際に立ち会うと気分がいいもんじゃないって話。来なさい、マコ」

 

 個別の研究室に博士は歩んでいく。マコは胸が弾んでいたが、その期待はすぐさま裏切られる事になるとは思いもしなかった。

 



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第五十三話「ヒグチ・マコの混乱」

 

「これ、全部? 全部ダイゴさんの関連って事?」

 

 部屋に入るなり書類の山が目に入った。博士は、「これでも整理したんだ」と話す。

 

「必要ない資料はすぐさまシュレッダーにかけて、で、履歴も全部消して足がつかないようにしたんだが、これが結構難しくってね。サキにご教授してもらったほうがよかったかな。こういう時、パソコンが上手く使えないと難儀だよね」

 

 博士の言葉尻には苦労が滲んでいる。マコは書類の一束を手に取った。そこには「人とポケモンの遺伝子組成の違い」と銘打たれている論文があった。

 

「遺伝子組成なんて、違って当たり前じゃないの?」

 

「〝人と結婚したポケモンもいた。大昔にはポケモンも人も同じであった〟」

 

 そらんじた言葉にマコは疑問を挟む。

 

「何それ」

 

「習わないのか、今は。シンオウ昔話だよ。そこには異種婚礼もある。正直、人とポケモンの混血は不可能じゃないんだ」

 

 その言葉にマコは瞠目する。

 

「嘘でしょ?」

 

「本当」

 

 椅子に座った博士はキーを叩きディスプレイにその資料を呼び出す。

 

「混血児の報告は正式にはないが、歴史の裏には多く隠されているものさ。存外、成果を挙げてきた優秀なトレーナーは祖先を辿るとポケモンと人間の混血の話があった、というのもそう聞かない話じゃない」

 

「私は、初めて聞いた」

 

「研究分野では、の話だからね。一般には流布していない。危険な思想でもある」

 

「何で?」

 

 小首を傾げるマコに博士は一つ一つ解きほぐした。

 

「まず一個。混血なんて真っ先に差別を受けるはずだ。なにせこの星には混血種よりも純血種のほうが多いんだからね。人間の」

 

 それは、その通りではないのか。混血種のほうが多いなど聞いた事もない。

 

「当たり前じゃないの?」

 

「当たり前を疑え。昔、私が師である研究者に言われた言葉でもある。当たり前ってのは、実のところこの世には案外ないって話。皆が当たり前だと思っているところにこそ、真実があるってね」

 

 マコには分からない事だらけだがその混血種がダイゴと密接に関わっている事だけは分かった。

 

「ダイゴさんが、その混血種だって?」

 

「可能性の一つとしての考慮だよ。だが、恐らくこれはないね」

 

 博士は自分で上げた可能性を早々に取り下げた。マコはそれこそ分からない。

 

「自分で言ったのに」

 

「自分で言ったから取り下げられるんだよ。他人の理論をすぐに否定したんじゃ研究者はやっていられない」

 

 博士は手元にあった資料を手繰って、「こういう資料もある」と口にする。

 

「人工的に、ポケモンと人間の混血種を造り上げようとした、という話。遺伝子研究が全く盛んでなかった四十年前の資料だ。私自身、こんなものが見つかるなんて思いもしなかった」

 

 髪をかき上げた博士は手に取った資料を睨みつけていた。まるで忌むべき産物のように。

 

「それって、やっぱり違法……」

 

「違法というよりも外法だ。あっちゃいけない研究だよ」

 

 言い放った博士の声は父親の優しい声音というよりも研究者の厳しさをはらんでいる。それほどまでに異端なのだ、とマコは思い知った。

 

「四十年前、って何があったっけ?」

 

「符合する事柄としては一つだけ」

 

 博士はマウスで選択しキーを押す。すると新聞記事が浮かび上がった。そこには「第一回ポケモンリーグ開幕」とある。そこでマコは大学で教えられている事を結び付けられた。

 

「あっ! ポケモンリーグ」

 

「そう。カントーの第一回だ。それがちょうど四十年前。この資料と一致する。でも、実際にその被験者が存在するかと言えば、答えはノーだろう」

 

 頭を振る博士にマコは疑問符を浮かべた。

 

「でもいるから資料はあるんでしょ?」

 

「いてもいるって言い出さないだろう、普通は」

 

 顔を拭った博士の声にマコはハッとする。もしかしたら隣人がポケモンと人間の混血種かもしれない、となれば再現されるのは疑心暗鬼と魔女狩りである。

 

「でも可能性はあるんだよね……」

 

「ない、と言い切れない。こんな資料が見つかれば嫌でもあると思わなくては」

 

 博士は資料を捲りつつ綴られている事柄を口にする。

 

「当初よりクローンの人体実験は盛んに行われていたが、秘中の秘とされたその技術そのものは今でも開示されていない。一時、カントー政府がその利権を握っているとされたが真偽は不明。そもそも、では誰が、どうやって、という話になるのだが、その当時最もそういう領域に近かった研究者も相次いで失踪している。あるいは行方不明」

 

 怖気が走った。博士の語っているのは歴史の裏側だ。

 

「研究者って、たとえばどんな?」

 

「フジ博士、っていう最年少で博士号を取った人物がいた。彼の残した研究成果には明らかに遺伝子操作と人造ポケモンの生成技術が記されていたのだが、実際の彼は第一回のポケモンリーグ中に行方不明となった。タマムシ大学とカントー政府が目を皿にして探したが、結局は見つからなかったという」

 

 奇妙な話だ。天才の失踪劇とは。マコは今までの自分の記憶を総動員してフジ博士とやらの記録がないか探したがやはり見当たらなかった。

 

「表沙汰じゃないって事なの?」

 

「まぁね。表になっていない事件なんて私達が知らないだけでたくさんあるんだ。それこそ星の数ほどに」

 

 博士はフジ博士について書かれた資料を置いて次の資料を手に取った。

 

「ただまぁ、そういう事を知らない人間ばかりでもないって事が、私の調べでは分かってきた」

 

 資料の文頭には署名がしてある。「オーキド・ユキナリ」と読めた。

 

「オーキド博士?」

 

「あの人も第一回ポケモンリーグの参加者だったからもしかしたら、と思ってメールで聞いてみた。するとね、あの人はこう返してきたんだ。知らないほうがいい事もある、って。恐らくオーキド博士は何かを知っている。でも語ろうとしない。研究者の間では割と有名な話でね。オーキド博士のホラ話ってのが」

 

「ホラ? 嘘って事だよね」

 

「一般的には信じられない事、と言い換えてもいい」

 

 博士は書類の束に視線を落として呟く。

 

「オーキド博士は本当に嘘を言っているのか。それとも真実を言っているのかは誰にも分からない。お酒が入ると饒舌な人だったから、本当なのか嘘なのか分からない話を聞かされたっていう研究者は多いんだ。まぁ皆、お酒の席での話なんて嘘か真かなんて気にしないもんだけれど」

 

 しかしもし、オーキド博士が本当の事しか言っていなければどうなるのだろう。マコは好奇心に負けて尋ねていた。

 

「どういう事を、オーキド博士は喋るの?」

 

 博士は後頭部を掻いて、「参ったな」とこぼす。

 

「娘に聞かせるような話じゃなかったかもしれない」

 

「答えて」

 

 強い口調に博士は嘆息を漏らす。

 

「そういうところ、サキと同じ眼だ。まぁ姉妹だから当然か。オーキド博士は、ポケモンと完全同調出来た人間だと言われた事があったね」

 

「完全同調……」

 

 聞き慣れない言葉に戸惑っていると、「そりゃそうか」と博士は納得した。

 

「同調そのものが眉唾だからね」

 

「同調って、ポケモンと意識とかがシンクロするっていう、あの?」

 

 大学で都市伝説の講義を受けた時に聞いた事がある。博士は、「うん、その同調」と首肯した。だが、それは机上の空論のはずだ。

 

「そんなのないはずじゃないの? だって同調自体」

 

「そう、眉唾。だから学会とかで大っぴらに言うと笑われる。オーキド博士もその辺りは心得ているみたいで学会とかじゃ言わないがお酒の席では言う事もあったんだ。自分とオノノクスは完全同調だったって」

 

「オノノクスっての、イッシュのポケモンだよね。つい最近、オノンドの生態系が分かってきてその進化系として提唱されたって言う」

 

「おや、マコも結構勉強しているじゃないか」

 

 博士の言葉にマコはむくれる。

 

「そりゃあね。カナズミ大学はコネや伊達じゃ入れないから」

 

 散々サキに馬鹿にされているものの勉学では人一倍努力はしているつもりである。博士は、「いい事だ」と感心する。

 

「オノノクス、って名付けたの、オーキド博士らしい」

 

「それもお酒の席の」

 

 博士は頷き、「あの人は普段無口だから」と付け加えた。オーキド博士には直接会った事はないが何度か教鞭を振るう様子をテレビ中継された事ならばある。端正な顔立ちの初老の紳士、という印象だった。

 

「あの人がポケモン図鑑を開発、拡充させなければ今の私達の研究はないからね。ポケモンの父、とも呼ばれている」

 

「でも、それと今回、ダイゴさんの事と何の関係が?」

 

 混血種の話から随分と逸れてしまったように感じる。博士は、「混血種を語るには」と書類を手にする。

 

「まずは基本からってね。基本に忠実でなければ、これは全く成立しない。簡潔に、今までの事を言おう。同調は存在するかどうか分からない、だが混血種は存在するかもしれない。ポケモン遺伝子工学の権威は行方不明、だから混血種の存在を全肯定も出来ない」

 

 つまり否定も出来ないが肯定も出来ない。そのスタンスにマコは、「何それ」と唇を尖らせる。

 

「結局、何も分からないって事じゃ」

 

「客観的証拠に欠ける話ではある。しかし主観的な意見と物的証拠ならば存在する。これを」

 

 マコに手渡されたのは血液サンプルの比率だった。自分が見てもちんぷんかんぷんだったが博士が補足する。

 

「本来、あり得るはずの成分表に合致するものはあるのだが、ないはずのものもある。一番下のほうにある数値を見て欲しい」

 

 博士に促されてマコは文末の成分表を見やる。しかし何の事やら、という感覚だ。

 

「この成分が何か?」

 

「それ、ポケモンの血液に含まれる成分なんだ」

 

 マコは驚愕した。もう一度、その数値を凝視する。数値は50パーセントとあった。どういう意味なのか、問い質す前に博士が口にする。

 

「ツワブキ・ダイゴ。彼は五十パーセント、半分ポケモンの血が残っている。でも拒絶反応、その他諸々のおかしな挙動は一切ない。強いて言えば記憶のない事くらい」

 

「記憶、ないって」

 

 博士はその段になってあっと口を噤む。記憶がない、など聞いていなかった。

 

「サキからの依頼で調べたんだが、そうだった、マコには言っていなかったか」

 

「記憶がないの?」

 

 隠し立て出来ないと悟ったのだろう。博士は素直に頷いた。

 

「うん、そうみたいだ。でも生活に困るような記憶の欠落じゃない。ただ単に自分が何者なのか思い出せない事と、自分の周辺で起こる事柄に全く関連性が見出せない、とある。サキも彼に関する事で独自に調べているみたいだけれどね」

 

 独自に調べている。マコはその言葉と連絡がつかない事を繋ぎ合せた。

 

「じゃあ、サキちゃんの連絡がつかないのって」

 

「いや、そこまで深刻に考える事はないと思う。サキだって大人なんだから。連絡のつかない日の一つや二つは」

 

 マコはホロキャスターを確認する。博士の目の前でサキへと繋げたがやはり電波のないところにいるか電源を切っているか、というアナウンスだった。

 

「警察署内なら電波のないところってのもあるかもね」

 

「……ダイゴさんについて隠していたのもそうだけれど、サキちゃん、そこまで抱え込んでいたって言うの?」

 

「言えないんだよ。守秘義務だろう。それにマコを巻き込みたくもなかったんだ」

 

「勝手だよ! 私だけ、蚊帳の外にして……」

 

 発せられた言葉に博士が肩をびくつかせる。マコは目の端に浮かんだ涙を乱暴に拭った。隠されていた事も悔しいが、それ以上に自分の鈍感さに腹が立つ。サキはもしかすると自分にだけは教えてくれてもよかったのではないだろうか。それだけ馬鹿に見られているという事もマコの怒りに拍車をかけた。

 

「落ち着くんだ、マコ。サキは警察官なんだ。言えない事のほうが多いのは当たり前だし、私だって研究者。言えない事のほうが多い」

 

「……私が馬鹿だから、だから言えないっていうの?」

 

「そうじゃないさ。母さんにも言っていないし、研究員の皆にもだ。私は、これはあまり公にするべきではないと感じている」

 

「それはダイゴさんがツワブキ家の人間だから?」

 

「それもあるけれど」と博士は濁した。きっと何かしら言えない事情があるのだろう。マコとて混血の存在やクローンの存在を示唆されれば及び腰になる。

 

「サキは事件を追う当事者として、この疑問からは逃れられない。だからこそ、家族である私達には最小限の協力でいいと感じている節もある。正直なところ、あんまり首を突っ込むのもいいとは言えない」

 

 マコも内心、これ以上は駄目だ、と感じていた。一線を引いていたのだ。これ以上踏み込めば、それこそ取り返しがつかない、と。

 

「あの、お父さん……」

 

「うん、何?」

 

「私、お父さんともよく喋る」

 

「そうだね」

 

「普通、女の子ってお父さんとは喋らないのに、それでも私達って結構理想的な親子関係だと思う」

 

「私も時折そうだと思うよ」

 

「でも、何でもかんでも言えるわけじゃないんだよね。私も、お父さんも」

 

 当たり前の事だ。誰だって秘密がある。その秘密に勝手に分け入っていい道理はない。

 

「それさえ分かれば、マコはとても物分りがいいと思う」

 

 博士は微笑んだ。マコは勝手気ままに分け入った事を謝ろうと思ったが、喉から謝罪の言葉は出なかった。

 



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第五十四話「冒険の始まり」

 

 部屋には大量のポケモンのぬいぐるみがある。

 

 マコはマリルのぬいぐるみを引き寄せて寝転がっていた。博士から聞いた事、それは誰かに容易に話せるものではない。もしかすると自分まで秘密を抱え込んでしまったのではないか、という疑念が過ぎる。自分から知りたいとわがままを言ったのにこれでは身勝手にもほどがあった。どうして自分は他人の気持ちにこうも鈍感なのだろう。

 

「……私が駄目なのかな。それとも私に力がないから、どうこうも出来ないのかな?」

 

 天井の照明へと手を伸ばす。血脈が浮いて出ていた。血筋、ポケモンと人間の混血。あるいはポケモンの値が半分の人間。博士は率直な言葉を避けていたが恐らくそれはあってはならない存在。まさかダイゴがそのような存在だとは思わなかった。喋っても普通に会話をしていた。どこにもおかしなところはなかった。

 

 あるいはおかしいのは自分か? マコは自問する。どうしてこうも自分には相手の気持ちを慮る部分が欠けているのだろう。

 

「サキちゃんに……」

 

 覚えずホロキャスターに手をかけそうになっていてマコは慌ててそれを制した。またサキにすがろうとしている。サキとて大変なのだろうに、自分だけ誰かに頼る事を前提に考えている。マコはマリルのぬいぐるみに顔を埋めてどうしよう、と呟いた。

 

「このままじゃ、サキちゃんもお父さんも、遠いところに行っちゃう気がして……」

 

 こんな時に相談出来る友人は多いつもりだ。だが本当のところで繋がり合える友人はいなかった。大学で作った友人にも相談出来ない。マコはそれこそ絶対の孤独に近いものを味わった。どうして自分には資格がないのだろう。マコの悩みを察知したようにその時、ホロキャスターに着信があった。手に取って画面を眺める。

 

「サキちゃん?」

 

 その期待は脆く消え去る。画面に表示されたのは「非通知」の文字だった。普段は非通知着信など取らない。だが今は藁にもすがる思いで電話を取った。

 

「もしもし……」

 

『ヒグチ・サキさんの妹さん、ですね?』 

 

 相手は変声器でも使っているのか声が男とも女ともどっちともつかない。

 

「そう、ですけれど……」

 

『このままではあなたのお姉さん、ヒグチ・サキさんに危険が迫っている』

 

 どういう事なのか。マコはホロキャスターを耳に当てて問い質した。

 

「サキちゃんが危険って、どういう意味? それに何で私の番号……」

 

『今はそのような些事にかかずらっている場合ではなく、ヒグチ・サキさんの命がかかっているのです』

 

 そう言われてしまえばマコは素直に信じ込んでしまった。サキの命。それだけは絶対に守らなければならない。

 

「どういう意味ですか? サキちゃんはどこに?」

 

『ヒグチ・サキさんの家と職場を調べなさい。きっと、あなたの望むものが出てくる』

 

 それっきり通話は切られた。かけ直したが繋がらない。奇妙な電話には違いなかったがこの示し合わせたようなタイミングにはマコも運命を感じた。もしかするとサキはとんでもない陰謀に巻き込まれたのではないだろうか、と。ホロキャスターをぐっと握り締める。

 

 自分がやるしかないのだと、マコは胸に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サキの家を直接訪れる機会は実のところ全くと言っていいほどなかった。それはサキに迷惑がかかるから、というのもある。しかしそれ以上に同じ女性としてプライバシーの一つや二つくらいは守りたいだろうという理解があったからだ。だが昨日の電話がマコに強引な手段を取らせた。

 

「ヒグチさんの、妹さん?」

 

 マコは学生証を見せて大家に尋ねる。

 

「私の姉、ヒグチ・サキは帰っていますか?」

 

 大家の中年女性は怪訝そうな顔になって、「分からないねぇ」と口にする。

 

「さすがに住んでいる人間のプライバシーまでは」

 

「じゃあ鍵をもらえますか? その、姉に頼まれまして」

 

 咄嗟の嘘でもマコは自分の心が磨り減るのを感じた。嘘がつけない性質なのだ。出来るだけ大家の目は見ないようにする。

 

「ああ、鍵? いいけれど、きちんと返しておくれよ」

 

 存外に簡単に部屋の鍵が手に入る。マコは鍵を手に部屋の扉の前に立った。深呼吸を二度ほどして、自分の中で覚悟を整える。サキが居るならばそれに越した事はない。マコはノックをしてから鍵を開けた。すると部屋は真っ暗で電気もついていなかった。マコは電気をつけてから、「サキちゃん」と呼びかける。返事はない。

 

「サキちゃん、やっぱりいないの? いないならいないって――」

 

 返事を、と言おうとしたマコの目に入ったのは灰皿と煙草である。それを手に取ってマコは瞠目する。サキは煙草を吸わない。なのでこれは必然的に別人のものだ。

 

「一体誰の……、まさか彼氏?」

 

 あり得ない話ではない。マコの知らないうちにサキが男を連れ込んでいようとも。決定的証拠ではないがマコはその煙草をポシェットに入れた。次いで目に入ったのはパソコンだ。いつもホロキャスターのメールはパソコンとサキのポケナビ両方に通知が来るようになっているはずだ。

 

 パソコンを立ち上げたが当然の如くパスワードの壁がある。マコはしばらく考えた後、思い切って自分の生年月日を入れてみた。すると「ようこそ」の画面に入る。マコはまさか自分の生年月日がパスワードだとは思っていなかったので驚いていた。

 

 デスクトップ画面は初期のものであり、フォルダ分けされて整理された画面は見やすい。そのお陰か、サキが最近まで触っていたフォルダはすぐに見つかった。

 

「ツワブキ・ダイゴに関する捜査資料と天使事件……?」

 

 初耳の事件名だった。マコはUSBメモリを差し込んでそのフォルダをコピーする。履歴からサキが今まで見ていたであろうサイトにも遡ったが仕事関連のものばかりだった。その中で一際異彩を放っていたのが、遺伝子研究分野のサイトである。

 

「研究機関のサイト、えっとパスワード?」

 

 パスワード入力が要求された。マコは直前までサキが触れていたのならばブラウザに記憶させていたかと思ったが当然の事ながら抜かりはなく消去されている。

 

「でもここ十件くらい、サキちゃんらしくないサイトばっかりなんだよねぇ」

 

 あるいは別人物が操作していたか。マコはそのサイトもコピーしてUSBメモリに入れる。部屋を出て行く際、マコは自分の証拠を消そうとしたがどうしても方法が見当たらず仕方なく掃除機を使って部屋掃除を始めた。その時、部屋に落ちている髪の毛を手に取る。黒髪の時点で、マコはそれがサキのものでないのだと悟った。

 

「やっぱり彼氏を連れ込んでいるのかなぁ?」

 

 覚えずベッドに視線が行ってマコは赤面する。掃除を終えて大家に鍵を返す際、尋ねられた。

 

「ヒグチさんは模範のように部屋を使ってくれているからこちらも助かっているよ」

 

 普段のサキの行いがいいお陰だろう。マコはそれとなく訊いていた。

 

「その、姉に、男友達とかいる感じでしたか?」

 

「男友達? さぁ、見ないねぇ」

 

 ホッと胸を撫で下ろそうとすると大家は、「ああ、でも」と思い出した。

 

「ちょっと前に白衣の男の人を連れ込んだのは見た。あれがヒグチさんの家だったのかまでは定かじゃないけれど」

 

 白衣の男性。それこそがサキの彼氏なのだろうか。マコはそこまでを聞くに留めておいた。

 

「すいません、突然に来て」

 

「いえ、いいですけれど、ヒグチさんの妹さん」

 

 マコは怪訝そうに小首を傾げる。

 

「あんた目つきがお姉さんと正反対だね。お姉さんは釣り目でいかにも気が強そうなのに、あんたは真逆だ」

 

 マコは微笑んでその話題を誤魔化した。

 



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第五十五話「ヒグチ・マコの生活」

 

 警察署に訪れて普通に情報が得られるかと言えばそうではないのはマコでも分かっている。だがあるとすれば警察署なのだ。マコは面会の約束を取り付けていた。ブースで待っていると制服を着込んだ刑事が手を振って訪れた。

 

「どうも。アマミさん」

 

 マコが立ち上がって頭を下げる。アマミ、と呼ばれた女性警官は、「いやぁ、いいよいいよ」と手を振った。

 

 アマミは何度かヒグチ家に訪れている。サキの先輩警官であり、どこか気の抜けた部分を漂わせる人間だ。だからこそマコは彼女を指定した。

 

「それにしてもマコちゃん、大きくなったねぇ」

 

 おばさんのような口調にマコは微笑んでいなす。

 

「アマミさんもお変わりないようで」

 

「いやいや、あたしなんかはもう成長著しいですよ。コーヒーの研究にね」

 

 アマミはコーヒー中毒者だ。今でさえも缶コーヒーを手に取っている。マコにも勧めてきた。

 

「マコちゃんコーヒー飲む? あんまし一階の受付ってコーヒーおいしくないんだけれどね」

 

「いえ、私は別に……」

 

 マコは周囲に視線を配る。アマミ以外の人物はとりあえず近くにいない。早速話を切り出す事にした。

 

「その、姉の事で少々」

 

「えっ、サキちゃん? 何で?」

 

 アマミは自分以上に鈍感なのではないかと思わせられる。職場に来ていないのか、と問おうとしたのだ。

 

「職場にも来ていないみたいなので」

 

「ああ、そういえば一昨日から見てないね。でもサキちゃんは結構来なくってもそんな不安はないなぁ。自力で捜査しているんだろうし」

 

「その、捜査の途中で何かあったとかは」

 

「やだなぁ、マコちゃん、心配し過ぎ」

 

 アマミは手を振って、ないないと否定する。だがマコは部屋にもいなかったサキが職場にも来ていない事が既に異常事態だった。

 

「姉がこうして、職場を長く不在だってのは」

 

「ああー、そういえばないねぇ。何だかんだで毎日来ている真面目な子だったし」

 

 アマミは缶コーヒーのプルタブを開けている。マコは問い詰めた。

 

「アマミさんでも、知らないですか?」

 

「あたしはサキちゃんの捜査には関与していないから。そもそも捜査一課そのものがワンマンな部分もあるし。……って、これはこれだから」

 

 アマミが口の前でバツを作る。もちろん誰かに話すつもりはない。

 

「分かっていますよ。アマミさんがうちに来た時に酔っ払って酷く絡んだ事も言ってないじゃないですか」

 

「ちょっと! 今言ってるじゃん!」

 

 どうやらアマミは相変わらずの能天気のようだ。もしかすると同僚がこの事件に関与しているかもしれない、というマコの疑念はとりあえず払拭出来た。

 

「姉は、どこに行っているとか、そういう外出記録みたいなのは出ています?」

 

「そういえば病院に行くって言っていたっけ?」

 

「病院?」

 

 記憶の限りではサキに病歴はないはずだが。アマミは、「何か、今回の被疑者関連みたいだよ?」とコーヒーに口をつけながら答える。

 

「あっ、でも事件とかは一切言えないし」

 

 マコは脳内で天使事件と呼ばれている事件ではなかろうかと推測する。

 

「病院って、どこの病院だか分かります?」

 

「確かカナズミの大学病院だったはずだけれど? 少なくとも開業医とかじゃないと思うよ」

 

 大学病院。カナズミ大学のそれならばすぐ近くだ。マコは他にも質問しようと考えていた。

 

「その、これ結構個人的な話なんですけれど……」

 

「なになに? 何でも言って」

 

 アマミはこういう事になると首を突っ込みたがる。マコは声を潜めていた。

 

「姉に、職場で恋人とかは……」

 

 その言葉にアマミが吹き出した。こちらとしては真面目に聞いているので眉根を寄せる。

 

「アマミさん。私は真面目ですよ?」

 

「ああ、うん。大真面目な話? それ? サキちゃんみたいな仕事人間に恋人? ないんじゃないの?」

 

 自分でも分かっていた事だがここまで姉をこき下ろされるともやもやする。しかし職場に恋人の影はなさそうだった。ホッと安堵している自分を発見する。

 

「そうですか」

 

「そもそも男っ気がないじゃない。サキちゃんは何でも出来るから男の人からしてみればつけ入りにくいんじゃないかな」

 

 その意見には概ね同意だった。サキは完璧超人なのだ。

 

「うちの研究員の人達も似たような事言ってましたけれど」

 

「でしょー。あっ、でも反対にマコちゃんは男の子に捕まりそう。それも悪い系の」

 

 心外な意見にマコはむっとする。

 

「私はこれでもガード堅いんで」

 

「そうかなぁ。ガード堅い女の子の割には、色々知らないところで誘惑してそうだけれど」

 

 そのような印象があるのだろうか。マコは頭を振る。

 

「いや、ないですよ。誤解を生むような事も言わないですし」

 

「そうじゃなくって。何ていうか、やっぱりさ。マコちゃんってサキちゃんとは正反対なんだよね。良くも悪くも」

 

 またしても指摘された。大家に言われたばかりである。

 

「そんなに、姉と似ていませんか?」

 

「うん、似ていないのはいい事なんだけれど、真逆ってのはちょっと気になるかな」

 

 マコは自分の中でその言葉を咀嚼する。正反対、と言われる事の苦々しさがあった。

 

「あの、ありがとうごさいました。私、行かなきゃいけないところがあるので。貴重なお時間をどうも」

 

「ああ、いいって。マコちゃんの事、あたし気に入っているから。捜査一課に遊びにおいでとは言えないけれど、こうして会うのは楽しいよね」

 

「楽しい、ですか?」

 

「うん。サキちゃんとはまた別のからかい甲斐のある女の子だからね」

 

 苦笑を浮かべながらマコは警察署を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カナズミ大学はこの学園都市の中枢とも言える大規模な大学でキャンバスには常に大勢の人々が詰めている。

 

 大学病院は平日しか開いていないものの研究室では日夜新たな病理検査や抗体などが開発されているホウエンでも指折りの検査機関だ。カナズミシティは元々デボンの資本で成り上がった節があるので資金源の潤沢なカナズミ大学病院は常に第一線を走り続けている。数年前に輩出した学徒が今や研究者として道を切り拓いている、とうのも少なくはない。マコとしてみれば、正直あまり馴染みのない場所である。

 

 マコは文学部であり、医学部とは学ぶ部分がまるで違う。いくら同じ大学であろうとも学部が違えば顔を合わせる事もない。しかしマコはサークルに所属していたので医学部の同回生と顔を合わせる事もあった。まずはサークル棟に寄ってみて医学部の学生と顔を合わせられる機会を探そうと歩き出す。道路を挟んで大学のサークル棟があり、その前の道では軽音楽部が演奏をしていた。弾き語りでありながらも多数の学部生が聴いている。バラード調で男性のボーカルが声を出していた。

 

 サークル棟は灰色の鉄筋コンクリートの建物で一番整備のされていない場所である。学生の自主性を高めるためあえて簡素な建物にしてあるらしいが、冬は寒く夏は暑くて正直快適とは言いづらいので各々のサークルが部屋を改造し、サークルによっては講義室以上に快適である。

 

「えっと……、鍵、鍵っと」

 

 マコはサークル部屋の鍵を取り出そうとしたが既に鍵が開いている事に気がついてドアノブをひねった。中にいたのは眼鏡をかけた女生徒である。二つに結った黒髪で、顔は自分よりも童顔だ。

 

「おっ、ヒグチじゃん。おいーっす」

 

 手を掲げられマコも同期する。

 

「おーっす、カヤノン」

 

 カヤノン、と呼ばれた女生徒はパソコンに向き合っている。サークル部屋は中央に四つの机の組まれたデスクがありその周囲には各々が座るようにパイプ椅子が置かれていた。

 

「今月の会誌どうする? ヒグチは出すの?」

 

 カヤノンの問いかけにマコは、「いや、私は遠慮するよ」と答える。マコの所属しているのはカナズミマスコミサークルであり、カナマスと略称されていた。毎月三日に会誌を出し、そこに寄稿するかどうかを聞かれたのだ。

 

「あたしゃ、今その会誌の真っ最中なんだが、今月のテーマぱっとしないねぇ。噂の怪死事件を追え、ってのがB級臭くってあたしゃ向かんよ」

 

 怪死事件、というのは少し前から取り沙汰されているカナズミシティで起こっているらしい事件だ。らしい、というのはまだ警察が正式発表しておらず殺され方も不明なため、殺人とも言い切れないからだ。怪死、という響きがいかにも学生サークルっぽい素朴さを出している。

 

「そうかな。私は割と好きだけれど」

 

「ヒグチはB級映画好きだもんね。ポケウッドもぱっとしないこのご時勢にホウエン産の映画で満足しているのあんたぐらいじゃないの?」

 

 ポケウッドはイッシュ地方の映画配給会社で世界を席巻しているとも言える映画を毎年作っている。まさしく一流映画会社だ。だがマコはそれよりもホウエンで撮られた素人臭い演技の素人臭い映画のほうが好きだった。

 

「B級って言うか、私はちょっと地味なほうが共感出来るし」

 

「これだから若人はなぁー。いいものを観て、いいものを感じろって先人は言っているのに」

 

 嘆かわしいとでもいうような声音にマコは言い返す。

 

「カヤノンだって、若者じゃん」

 

「あたしゃ、もうちょっとヒグチよかマシだと思っている。こうして会誌も毎月書いているし、そういう点であんたは不真面目だよ。ヒグチ博士の娘でしょう?」

 

 そう言われれば立つ瀬がないのでマコは押し黙る。

 

「……お父さんの事は関係ないじゃん」

 

「どーだか。お姉さんは刑事で父親は研究職。こうしてカナズミで一番の大学に通い、当たり前のように青春を謳歌している。ある意味じゃ珍しくもないが、ある意味じゃ一番特殊でもある」

 

「どっかからの引用?」

 

「オリジナルだっての。あたしゃ、引用とか嫌いでね」

 

 キーボードを打つカヤノンへとマコは話しかけた。

 

「カヤノンってさ、医学部だよね?」

 

「だから? 言っておくけれど治療費を安くしろとか無料で看てくれとかは無理だから」

 

「そうじゃなくってさ。医学部って事はカナズミ大学病院に詰めたりもするわけだよね?」

 

 その段になってカヤノンは不審がってマコを見据えた。

 

「……何? 今から医学部のお偉いさんの玉の輿とか狙っているわけ? ちょっと信じられないなそりゃ」

 

「違うって。私もちょっと知りたい事があって」

 

「ヒグチがあたしに話しかけるのも珍しいが、知りたい事となると余計に珍しい。あんた、そのなりでお酒も煙草もやらない健全な子だと思っていたけれど、遂に裏口を叩いてみる気になったか」

 

「いや、うん、そういうわけじゃないんだけれどね」

 

 頬を掻きながらどう切り出すべきか迷う。正直に聞いてしまう事が一番なのだがカヤノンとはさほど仲がいいわけでもない。

 

「じゃあ何? こうしてあたしの作業の邪魔をしつつ、医学部の動向を探ろうっていうのがよく分からん」

 

 カヤノンは毒舌家だが決して自分を卑下しているわけでも誰かを見下しているわけでもない。それは分かっているのだがこうして大事な話となるとどこから言うべきかはやはり慎重になる。

 

「カナズミ大学病院のほうってさ、最近、ゴタゴタがなかった?」

 

 キーを打つ手が止まる。カヤノンはディスプレイから視線を外してマコを見やった。マコはその視線にきょどきょどする。

 

「いや、あったのかなぁ、なんて……」

 

「ヒグチにしちゃ、軽率っていうか、そういう噂話みたいなの、信じていないと思っていたけれど」

 

 カヤノンは一度ワードソフトを閉じてからマコに話し始めた。

 

「……あんまし外部の人間に言うなって言われているだけれど、ヒグチの事だ、確信のあって言っている事だと思う。刑事のお姉さんが口を滑らせた?」

 

 サキが口を滑らせる事などあり得ないのだがマコはひとまず頷いておいた。カヤノンは腕を組んで呻る。

 

「でも喋るなって言われているんだよなぁ」

 

「問題はあったんだ? やっぱり」

 

「うん……。問題って言うか、手違いというか、入院患者がね、一人脱走しちゃって」

 

 マコは面食らう。それは大ニュースではないのか。

 

「……そんなの、公になっていないよ」

 

「当たり前でしょ。だってこれ、公になったらカナズミ大学病院のピンチじゃん。でも医学部の学生の間でももう随分と噂になっているからそろそろ三面記事辺りが嗅ぎつけるのも時間の問題じゃないかなぁ」

 

 マコは詳細を聞く事にした。

 

「その脱走した入院患者って、男の人?」

 

 確信があったわけではない。ただ今までの符合する出来事を総括してみると導き出される答えの一つだった。カヤノンは、「まぁね」と首肯する。

 

「男の人って言うか、オジサン。プラターヌ博士って言うんだけれど」

 

 その名前にマコは心臓を鷲掴みにされた気分に陥った。プラターヌ博士。その名前は父親の口から出たものではなかったか。

 

「プラターヌ……。遺伝子研究の権威だよね?」

 

「あれ? 知ってんじゃん。まぁ、一部では有名か。メガシンカに関する論文とかあの人のもんだし。今となっちゃメガシンカ研究の基礎を築いた人物だ。それなりに偉人ではあるものの、ちょっとおかしな事になっていてね」

 

「おかしな事って?」

 

「まぁオカルトだけれど」とカヤノンは前置きする。

 

「歳をとらないんだ」

 

 一瞬、意味が分からずにマコは首を傾げた。カヤノンも適切な言葉を探そうとしている様子だった。

 

「老化しないって事?」

 

「いや、老化はしているはずなんだけれど、見た目が全く年老いていないって言うか、その辺りが一番オカルトめいているんだけれど……」

 

 濁すカヤノンにマコは問い詰めた。

 

「オカルトでも何でもいいから、そのプラターヌ博士について教えてもらえる?」

 

 カヤノンは渋ったがサークル部屋にマコしかいない事で秘密は守られると感じたのだろう。何より彼女自身少し喋りたかったのもあるかもしれない。

 

「プラターヌ博士はね、本来ならば結構な年齢なはずなんだけれど、見た目三十代前半。これにはいくつか憶測があって、あの人が遺伝子研究の権威だから、自分の遺伝子を変異させただとか、あるいは自分でさえも実験台にしただとか色々とある。でも、どれも信用ならない、噂の域を出ていないよ」

 

 マコはそれらの話を聞きながら一つ、疑問が浮かんだ。

 

「何で大学病院に? それって病気じゃないよね?」

 

 カヤノンは声を潜めて、「絶対に不用意に喋るなよ」と言いつけた。マコは何度も頷く。

 

「半分モルモットの意味もあったんだよね。どうして彼は歳をとらないのか。それにとある事件の重要参考人でもあった。でも彼を拘留するには至らず緊急措置として入院という形式を取ってホウエンが確保したかったのもあるみたい」

 

「何でホウエンが?」

 

「プラターヌ博士やその家系はカロスの名家だったんだけれど、カロスまではさすがのホウエンでも届かない。だから手元に置きたかったって噂。噂だよ? 絶対に言うんじゃないからね」

 

 マコはふんふんと頷きつつもそれは陰謀ではないのかと感じていた。ホウエン政府がカロスの研究者を擁立するための言いわけにプラターヌ博士は巻き込まれた、という事なのだろうか。

 

「何でカロスの研究者がホウエンに確保されなきゃいけなかったんだろうね」

 

「デボンの実験に関与したからってのがもっぱらの噂。その実験も秘中の秘で、口外はされていないけれどね」

 

 カヤノンが鞄から煙草を取り出す。百円ライターで火を点けてマコにも勧めた。マコは遠慮する。紫煙をくゆらせながらカヤノンは話の穂を継ぐ。

 

「デボンの研究に必要だったから、カロスから呼ばれたってのは間違いないみたいだけれど、プラターヌ博士自身、何も語りたがらないから分からない。それがもう十年近く続いていたんだけれど、ちょっと前、ちょうど一週間くらい前かな? 忽然と彼は消えた。大学病院から」

 

 その話し振りにマコは戦慄する。消えた研究者。歳を取る事のない男はどこへ向かったというのか。

 

「何だか、一つ特番が出来そう……」

 

「特番どころじゃないよ。お陰様で大学病院は引っくり返したような忙しさ。医学部の学生にも手を借りるって言うまさしく猫の手も借りたい状態。あたしもちょっとばかし現場に連れて行ってもらって実習したんだけれど、まぁ上へ下へと大忙し。一番てんやわんやしているのは上層部だけれどね」

 

 上層部。大学病院の実質的な権力者。窺い知る事の出来ない極地にカヤノンは触れたのだろうか。マコは尋ねていた。

 

「上層部に知り合いは?」

 

 するとマコの額にデコピンが当てられる。

 

「知るわけないでしょう、このお馬鹿さん。あたしだってねぇ、踏み込み過ぎれば危険な場所くらい心得てるっての」

 

 マコはデコピンの当てられた箇所をさすりながら考える。叩けば埃の出ない場所ではない、という事に繋がる。しかし一学生に過ぎない自分がどうやって上層部を強請れるというのだろう。そればかりは不可能だ。

 

「じゃあプラターヌ博士は、どこに行ったんだろう?」

 

「分かってりゃ苦労しないっての。それこそ警察の出番じゃないの?」

 

 サキからは何も聞いていない。カヤノンは少しばかり期待していたようで、「お姉さんの反応はなし、か」と自嘲した。

 

「よくヒグチの話に出てくるお姉さん、結局何している人なの?」

 

 サキの話はよくするものの、実際に何をしているのかはマコですら知らない。

 

「私だって知りたいよ」

 

「家族にすら明かせない職業ってわけ。なかなかに辛いものがあるよね」

 

 サキは辛いのだろうか。一度として弱音を聞いた事がない。マコを信用していないからか、あるいは家族に不安も翳りも見せられないからか。

 

「サキちゃんは秘密主義だから」

 

「秘密主義って言うか、警察なんだから守秘義務って奴だと思うけれど」

 

 そもそもアマミ以外の同僚も知らないのだ。アマミとの連絡を取り付けられたのも奇跡的に過ぎない。

 

「ヒグチの言う、サキお姉さんはどういう人なのか、いまいち読めないよねぇ。家族を信頼してないって事はないだろうけれど」

 

「私はサキちゃんは今もどこかで戦っているんだと思うけれど……」

 

 濁したのはサキからの連絡が一切ないからだ。アマミにも所在が分からず、警察署にも戻っていないらしい。ならば今もどこかで、というのは希望的観測も混じっている。

 

「家族にも一切連絡を入れずにどこかに、ってのはいくら警察でも信じられないものがあるけれど」

 

 マコはサキの仕事に関しては何も言えない。サキは昔から自分の事は自分で解決するために余人が窺い知れないのだ。

 

「私は、サキちゃんを信じているけれど」

 

 ただ消えたプラターヌ博士と同時期に自分の姉と連絡がつかなくなったのは奇妙な符号には違いない。しかもプラターヌは遺伝子研究の権威。ちょうど父親が遺伝子研究について調べており、ツワブキ・ダイゴがポケモンの血が僅かに見られる混血種の可能性があるなど、最近になって出て来たにしては出来過ぎた事象が多かった。

 

 カヤノンは灰皿に煙草を押し付けてため息を漏らす。

 

「まぁ、ヒグチの事だ。そのうちふらっと戻ってくるんじゃない? お姉さんの性格はあたしゃ、一二回会ったくらいでしか分からないけれどしっかりしていたと思うよ」

 

 ホームパーティに招いた時、カヤノンは言葉少なだったがサキが気を遣ってよく話しかけていたのを思い出した。カヤノンはその後、少しだけサキの事が気になると言っていた。

 

「しっかりはしているはずなんだけれど、どうにも」

 

 マコの声音にカヤノンが苦言を漏らす。

 

「あのさぁ、そうやって陰鬱な気持ちを撒き散らされても困るんだが。あたしゃこれでも忙しくって、って言ったじゃん。だから愚痴なら別のところに行きな」

 

「イケズー」

 

 マコは言い返しながらも当初の目的は果たせた事を感じる。プラターヌ博士の失踪とサキの失踪がイコールで結び付けられる事はないが、無関係とも思えなかった。

 

「私は会誌も書かないし、そろそろ講義に出ようかな」

 

「おう出て来い。会誌はあたしの独壇場だぁ」

 

 カヤノンが再び作業に没頭する。マコはポシェットを手にサークル部屋を後にしようとする。その背中へと声がかけられた。

 

「何?」

 

「ヒグチ、お姉さんによろしくね」

 

 カヤノンなりにサキを慕っているようだ。マコは、「カヤノンが恋愛対象としてみてる、って伝えとく」と応じる。すると、「バーカ」と声が飛んだ。

 

「そんなんじゃないって」

 

 笑いながらマコはサークル棟から立ち去った。

 



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第五十六話「ヒグチ・マコの不安」

 講義に出る、と言ったが今日の講義日程は別に出席の必要はなくマコはホロキャスターを開いて地図を呼び出していた。カナズミシティの複雑怪奇な道路が表示される。マコは試しに声紋で検索をかける。

 

「プラターヌ」

 

 すると表示された住所があった。驚くべき事にプラターヌ家の邸宅はマコのヒグチ家のすぐ近く道すがらであった。

 

 今まで交流のなかったのが不自然に思える近さにマコは大学から直通で出ているバスに揺られ、目的地に到着する。プラターヌ邸は庭の生け垣が作り込まれておりつい最近まで人の出入りがあった事が窺える。マコはおっかなびっくりに邸内に入る。わざわざ、「お邪魔しまーす」と声にしたが誰の返答もない。インターフォンを押したもののやはり反応がなくマコは玄関を開けた。鍵がかかっていない。無用心な、と思いつつ上がり込んだ。邸宅の外に比べて中は少しばかり埃っぽい。

 

 マコはハンカチを取り出して口元を押さえつつゆっくり進んでいった。入ってすぐの脇には応接室がある。ソファも埃を被っていた。応接室は見て回っただけで奥に行く廊下の途上に座敷があり突き当たりには居間があった。今時珍しい平屋建てで座敷の横に不自然ながら机があった。

 

 本がうず高く積み上げられておりもしかすると書斎スペースを確保していたのでは、と推測させられる。マコは積まれている本のうち一番上の本を手に取った。「遺伝子工学の初歩」、「ポケモンと人間」、「ホウエン地方の歩き方」など、専門書からただの趣味本まで様々であった。机には引き出しが一つある。引き出しを引くと一冊の本が入っていた。表紙が分厚い本でマコは手に取ってみる。ずしりと重く捲るとしおりが落ちてきた。拾い上げる。しおりはルーズリーフであり文字が複数書かれていた。

 

「何これ……? 文字列?」

 

 マコはホロキャスターの写真機能でそれを撮影する。しおりを本に戻そうとするとその段になって本が日記である事に気付いた。マコは最初のページを見やる。どうやら育児日記のようで日時は掠れて読めないが内容は読み取れた。

 

「長男をわたしは、フラン・プラターヌと名付けた。プラターヌ家の次期後継者として育て上げるのに相応しい名前である……。自画自賛じゃん」

 

 親ばかも甚だしいと思いつつページを捲っていると不意に途切れていた。どうやら一年に三回つける習慣であったらしく五十ページ前後で止まっているという事はこの日記に書かれているフランという長男は十九歳辺りまで書かれていたという事だ。自分と同い年、という部分にマコは惹かれた。

 

「でも、それ以降の記述はなし。結局、親ばかの記録かな?」

 

 しおり以外に目ぼしいものもなかった。ふと視線を感じて振り返ると姿身があった。自分の全身が映っている。マコは急に自分が泥棒をしているような感覚になり慌てて邸宅を飛び出した。落ち着いていた呼吸は自然と荒くなっていた。何かを盗んだわけではない。だが立派な空き巣だ。罪悪感が胸を締め付けた。

 

 ホロキャスターを起動させマコは撮影したしおりの文字列を見やる。アルファベットと数字で構成されている。どれも法則らしいものはないが何故数列に渡って並んでいるのかは分からない。

 

「何だかすごい、悪い事しちゃった気分……。何の文字列なんだろう?」

 

 マコはそのまま家に帰る。研究員達に出迎えられマコは部屋に篭った。ふとパソコンが目に入り起動させる。サキの部屋で目にした研究機関のパスワード。もしかして、とマコは文字列を打ち込んだ。するとパスワードが入力認証されウィンドウがいくつも開く。焦ったマコは慌てて消そうとするがその前に表示された文字に釘付けになった。

 

「人造生命体の研究進捗について……。何、どういう事?」

 

 研究機関のページから複数のサイトを巡って辿り着いたらしいそのページには人造生命体についてのレポートが表示されていた。マコはスクロールさせる。様々な国の研究機関が人造生命体を成立させようと躍起になっている情報が溢れる中、一つの団体が出資している事に気付いた。

 

「ネオ、ロケット団?」

 

 試しにリンクをクリックしてみる。すると赤色に塗り固められた画面が表示された。ホウエンの地図が表示され、次いで明確な像を伴って映し出されたのは間違いなくカナズミシティであり、マコのいるヒグチ家であった。

 

「嘘、今ので特定された?」

 

 そんなはずはない、と感じたがずっと赤色画面のままのパソコンは何をしてもうんともすんとも言わない。博士に相談するべきか、と考えてマコは自分が身勝手に情報を取得しようとした事を知られたくなかった。叱責の声が恐ろしいのではなく、博士に不安の種を芽生えさせるのが怖い。マコはケーブルを抜いて電源を切った。そうする事で画面が暗転したが気持ちは移り変わらない。心臓が早鐘を打っている。このままではいずれまずい事になるのは自明の理であった。

 

「どうしよう……」

 

 サキの行方を案じてのことだったが結果的にこちらの不利に回るような事になっている。あくせくするマコの不安につけ入るようにホロキャスターが鳴った。着信音にマコはびくつく。非通知着信、それだけでも怪しいがこのタイミングである。マコは慎重に電話を取った。

 

「はい……」

 

『困った事をしてくれましたね』

 

 第一声が責め立てる声だったのでマコは言い返す。

 

「あなた達が、私にやれと言ったんじゃ」

 

『確かに動け、とは言いましたが、不用意過ぎる。これでは相手に察知してくれと言っているようなものです』

 

 不用意、という言葉にマコは硬直する。今の画面で何が分かったというのか。マコは問い質した。

 

「今、何が起こったんですか?」

 

『どこで知ったのか知りませんがあなたは相手の突かれたくない脇腹を突く手段を持ち合わせてしまった。その第一回目の警告でしょう。警告は無視すれば大変な事となる。我々としてもあなたに助力したい気持ちはある』

 

「サキちゃんは、サキちゃんはどこ?」

 

 身も世もなくマコは訊いていた。サキならば自分を助け出してくれるような気がしたのだ。だがその予感は淡く打ち砕かれる。

 

『いつまで、姉に頼っているつもりです? 今はお姉さん、ヒグチ・サキさんのほうが危ない。だというのに、あなたは薮蛇を突いてしまった。このままではあなたの周囲に危害が及ぶ』

 

「どうにかしないと……」

 

 急く心に対して相手は冷静に声を放った。

 

『落ち着きなさい。今は、単に警告です。ですがあなたに危険の及ぶようになってからでは遅いのです。ある人を頼りなさい。その人ならばあなたを救ってくれる』

 

「誰だって言うの?」

 

『よく知っているはずですよ』

 

 相手の発した名前にマコはポシェットを手に取り家を飛び出した。一刻も早く向かわなければ、という思いに時間も関係なかった。家を出る際に研究員と鉢合わせしたがマコは、「ちょっとコンビニ」とだけ言って誤魔化す。場所はすぐそこだ。駆け足のマコは息を切らしてその場所へと訪れる。

 

 白亜の建築物と広めに取られた屋敷に圧倒されるがマコは進み入った。インターフォンを押すと相手の声が聞こえる。

 

『はい?』

 

「あの、ヒグチです」

 

 その声音に尋常ではないものを感じ取ったのか相手は、『ちょっと待ってね』と言ってから家から出てきた。その姿にマコは安堵する。

 

「よかった……。まだ手が回っていないみたいで」

 

「どういう事なの? 説明して」

 

「あ、そうですよね……」

 

 マコは一つずつ説明しようと考えた。目の前の相手――ツワブキ・レイカに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お茶を入れたから。落ち着けると思う。ハーブティ」

 

 出されたお茶の香りにマコは早鐘を打つ心臓を鎮めようとしたがやはり急いた気持ちは変わらない。ぎゅっとポシェットを握り締めてマコは、「その……」と声にした。レイカは、「うん?」と小首を傾げる。

 

「今日はリョウさんや、クオンちゃんは……」

 

「ああ、リョウは忙しいみたいで。クオンはもう寝たんじゃないかな? 私も帰ってきたばっかりだし」

 

「すいません……」

 

 謝るマコにレイカは明るく返す。

 

「なに、いつものマコちゃんらしくない。ウチに来る時はいつも明るいじゃん」

 

「その、こんな時間に来てしまったのはちょっとまずかったかな、って」

 

 時刻は二十一時を回っている。マコの困惑を他所にレイカは、「いつでも歓迎だけれどね」と応じていた。

 

「晩御飯は早いから、一緒に晩御飯は取れないけれど」

 

「いえ、そんな」

 

 図々しいように映っているのだろうか、とマコは感じる。だがあの電話が来てから心が休まらなかった。自分しか出来ない、と思うと同時にとんでもない事に首を突っ込んでしまったのではないかと感じる。

 

「マコちゃんらしくないね。何かあった?」

 

 目ざといレイカの声にマコはサキの事を言うべきか迷ったが言わないでおいた。

 

「あの、ダイゴさんはいらっしゃいますか?」

 

 ダイゴに会えれば少しばかりはこの孤独感が癒えるかもしれない。しかしレイカは、「さぁ」と言っただけだった。

 

「ダイゴの事は私にはよく分からないから」

 

「そう、ですよね……」

 

 ツワブキ家からしてみてもダイゴの存在は異質なのだ。それを容易く受け容れられるはずもない。レイカはソファに座り込んで尋ねる。

 

「テレビ、観ていい?」

 

「あっ、どうぞ」

 

 レイカがテレビをつける。すると中継が繋がっており一昨日に出火の見られた工場地帯への立ち入りが規制されている事が報じられていた。

 

「物騒ね」

 

「ですね。工場地帯なんてあんまり行かないですけれど」

 

 一体何があったのだろうか。ニュースによれば小火らしいがそれでも出火原因の特定を急いでいるらしい。

 

「何でこんな時間に?」

 

 レイカはテレビをじっと観たまま訊いていた。なので最初、自分に問われたのか分からなかったくらいだ。「へっ?」と不格好な声が出る。

 

「いつも昼間だしさ。こんな時間に来るって事は理由があるのかな、って思って」

 

 マコはどうするべきかまごついた。言えない。プラターヌの事、サキの事、アクセスしたサイトの事も非通知着信の事も。

 

「……最近、ちょっと調子が悪くって」

 

「調子が悪いからって幼馴染の家には来ないでしょ」

 

 違いない。マコは言葉を間違えたのだと感じて赤面する。

 

「姉が行方知れずで。電話にも出てくれないし」

 

「サキちゃんが? 何で?」

 

 マコは頭を振る。分からないから怖いのだ。今までこのような事はなかった。

 

「分かりません。何でなのか。私にも……」

 

 悲痛に顔を歪ませたマコへとレイカはそっと肩に触れてきた。マコの恐怖を包み込むように優しい手つきだ。

 

「何だかよく分からない事に巻き込まれたみたいね。すごく怖がっているのは分かった」

 

 マコはその手に自分の手を重ねる。自分の手は思っていたよりもずっと冷たかった。他人のぬくもりがここまでありがたいとは思わなかった。

 

「マコちゃん。私でよければ力になるけれど」

 

 思わず甘そうになる。マコはぐっと堪えた。ここで素直に話せてしまえばどれほど楽か。しかし自分にはそれ相応のものが待っているはずなのだ。

 

「いえ、私は、その……。まだ何も言えなくって」

 

「怖いのね?」

 

 それだけは認めた。何が迫っているのか。あるいは何がこの先待っているのかが怖い。震える指先をレイカが握り締めた。

 

「大丈夫よ。サキちゃんの事も私達に任せてくれれば」

 

「はい。あの……」

 

「どうかした?」

 

 眩暈がする。マコは額を押さえて目をしばたたいた。

 

「何だかすごく眠くって……」

 

 そう口にした直後、マコの意識は闇に没した。

 



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第五十七話「策謀の因果」

 

「今眠ったわ。で、この子どうするの?」

 

 レイカはポケナビを通して連絡する。ソファの上では静かに寝息を立てているマコがいた。マコの処遇は全てツワブキ家が引き取るという形でいいのだろうか。

 

『我々からしてみればなかなかに逸材と言える。こうも早くネオロケット団に辿り着くとは』

 

「抹殺派の動きが気になるけれど、彼女を駆り立てたのはあんた達よね?」

 

『姉妹揃って薮蛇を突いて欲しくないからね』

 

 穏健派の上層部はサキが既に死んだと思い込んでいるのだろう。レイカも殺したと思っていたが最後の瞬間にDシリーズの妨害に遭った事はまだ伝えていない。失態になるからだ。それは組織に属している以上、自分から切り出すべきではない。

 

「薮蛇、ね。ヒグチ・サキは運がなかったのよ。もちろん、その妹であるマコにも」

 

 この先待ち受けるであろうマコの運命にレイカでさえも同情を禁じえない。何せ、理不尽にその生涯を終えるのだから。

 

『全て彼女達が招いた事だ。我々はただただ迫る危機に対して防衛したに過ぎない』

 

 組織の言葉は自分の全てだ。だからレイカには言い返す言葉はない。ただ一つだけ、気になった事だけはあった。

 

「姉妹揃って消えたらさすがに表立った捜索願くらい出そうだけれど」

 

『抜かりないよ、ツワブキ・レイカ。既に警察関係者が動いている』

 

 そもそもリョウでさえも警察関係者だ。抱き込んでいるのは今さらである。

 

「ヒグチ・サキの動きの厄介だったのは彼女自身の持つ能力と迅速な行動力だったけれど、ヒグチ・マコに関して言えば愚鈍としか思えない」

 

 ハーブティに仕込んだ睡眠薬にも気付かないとは。電話先の相手は、『姉妹揃って優秀だと困るからね』と苦笑したようだ。

 

「こっちで処分してもいいけれど」

 

『足がつく。一度泳がせておいて彼女には事故、という形でこの世を去ってもらう』

 

 事故。だが必ず命を落とすというおまけつきだ。レイカは同情を禁じえなかった。さすがに家柄同士付き合いのある人間を突き落とすというのは。

 

「事故、って派手なのはやらないわよね?」

 

『当然。地味に死んでもらうとしよう。こちらから構成員を何人か仕向ける』

 

 レイカの沈黙を悟ったのか相手は、『心配ご無用』と言った。

 

『下賎な輩じゃない。死の間際に苦しませるような趣味の奴らじゃないから安心して欲しい』

 

 レイカ自身、マコには少しばかりかわいそうだと思っているのだ。巻き込まれた側が悪いとある種断じていても、やはりまだ二十歳にもなっていない少女を殺すというのは気分のいい話ではなかった。

 

「いい? 一瞬で殺してちょうだい。苦しませずに、よ」

 

 念を入れて口にすると相手は笑ったようだ。

 

『心得ておくよ。しかし、ヒグチ・マコ。惜しいね。彼女自身これからなのに』

 

 もう既に組織の内部では殺したも同然なのだろう。レイカもサキを殺した。だから責められるものではない。

 

「悪い芽は早めに摘まなければ。ヒグチ・サキのように小賢しい小娘になってしまう前に」

 

『それには同意だ。あそこまで真実の喉元に辿り着けた事は素直に賞賛するが、彼女は優秀過ぎた。穏健派である我々の逆鱗に触れたのだから』

 

 穏健派、抹殺派の括りも所詮は名前だけでいえばの話だ。実際、過激な行動に出ているのはこちらである。

 

「言っておくけれど、私はあんた達の言う再生計画に賛同しているだけだし、異議もないから協力しているに過ぎない」

 

『承知している。君が裏切る時があれば、全力で消さねばならないからこちらも骨が折れるよ』

 

 自分にレジアイスを与えたのは穏健派の組織だ。自分だけではない。リョウのポケモンも、自分の兄であるコウヤのポケモンも調整したのは組織である。

 

「裏切るつもりはないわ。少なくとも、初代再生計画が第三フェイズに移行するまでは」

 

 現在の初代再生計画は第一フェイズ。この状態ではまだDシリーズの運用とツワブキ・ダイゴの誘導にかまける事しかできない。記憶喪失のダイゴをツワブキ家で隔離した時点で第一フェイズは中盤だ。しかしダイゴ自身、どこか読めない動きがある。クオンを更正させた事やリョウの監視下から少しばかり離れた事も予想の範疇を超えていた。

 

「私は仕事柄、いつでもダイゴを見張れるわけじゃない。だから管理と監視はあんた達に一任しているつもりだったけれど」

 

『そう言われても。我々とて暇ではないのでね。ヒグチ・サキへの情報操作や抹殺派への対応など急務である事には違いなかった』

 

 レイカはマコを肩越しに一瞥し、「使えると判断したから」と言葉を継ぐ。

 

「ヒグチ・サキを生かしておいたのよね?」

 

『ああ。だが踏み込み過ぎたな。姉の死に、妹であるヒグチ・マコまでとなれば不穏だと思う人間が出てもおかしくはない。君の懸念はそれだろう』

 

「一番に厄介なのは」

 

『D015、いいや、もうツワブキ・ダイゴか』

 

 お互いの共通認識にレイカは首肯する。

 

「ダイゴが本気で捜査を始めればそれこそこちらの手に負えない。なにせ、彼は器として、未完成なのに殺すわけには……」

 

『そこから先は、容易に口にしない事だ、ツワブキ・レイカ。お互いの首を絞める事になる。壁に耳あり、だよ』

 

 どこから情報が漏れている分からないのだ。遮られた声音にレイカは応じた。

 

「重々、承知しているわ。翌朝、ヒグチ・マコを帰す。その途中で」

 

『彼女は不運な事故に遭う。その筋書きに間違いはない』

 

 レイカはポケナビの通話を切った。全ては組織の筋書き通りなのだ。寝息を立てているマコを見やりレイカは呟く。

 

「ごめんなさいね。でもあなたもサキも、優秀が過ぎたのよ。そんなところまで似ないでよかったのに」

 

 苦渋を噛み締めるようにレイカはマコを見つめていた。

 



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第五十八話「ヒグチ・マコの邂逅」

 

 いつの間に眠っていたのかまるで分からなかった。起き上がるといつものベッドではない事に気づき、次いでシャワーの一つも浴びていない事に気付いてマコは飛び起きた。時刻は午前五時を回ったところだ。こんな時間に普段は起きない。しかし周囲の状況が自分の部屋でない事が分かるとマコの覚醒は早かった。

 

「えっ? 何、どこ?」

 

 間抜けな声に、「気がついた?」と声がかかる。レイカがトーストを焼いていた。マコは寝ぼけ眼を擦ってここが自分の家でない事を再確認した。

 

「あっ、私、寝ちゃったんだ」

 

「疲れていたみたいよ。すぐに寝ちゃったから起こすのも悪いかなって」

 

 そういえばサキの行方を探してほとんど休息もしていない。自ずと疲れは溜まっていたのだろう。マコは背筋を伸ばした。レイカがトーストを皿に乗せて、「お手伝いのコノハさんはまだ寝ていてね」と口にする。

 

「私じゃ普段キッチンに立たないからこういうのしか作れないけれど」

 

 それでも使われているパン生地が普段自分が食しているものよりも高価なのが分かった。マコは慌てて首を振る。

 

「そんな、悪いです……。一日お邪魔した挙句に朝食なんて」

 

「いいのよ。ただし、マコちゃんを泊めたのはコノハさんまでで留めてあるから悪いんだけれど早目に家を出て行ってもらうしかないの」

 

 残念そうに肩を落とすレイカにマコはそれも仕方がない、と感じていた。勝手に押し入ってダイゴならばこの状況を打破出来るなど自分勝手だ。ダイゴにはまた違う機会に会う事にしよう。マコはそう決めてトーストを手に取った。

 

「あの、ここで食べても……」

 

 ソファの上である。レイカは食べるように促した。

 

「いいって。コノハさんが掃除してくれるし。マコちゃんのいた形跡が残るような事はしないから」

 

「助かります」とマコはトーストを頬張った。口の中で広がる芳醇な香りはやはり一味違う。これほどまでに味覚と嗅覚に語りかけてくるトーストは初めてだ。ツワブキ家の人間は毎朝このようなものを食べているのかと思うと少し恨めしかった。

 

「あの、おいしいです……」

 

 たかがトーストの感想をいうのも何だか貧乏性だな、と感じたが素直に口にする。レイカは笑顔になった。

 

「そう、よかった」

 

 マコはさっさとトーストを平らげて出かける準備をする。すぐに家にも帰らなければ。ホロキャスターを見やると博士からの着信が五件もあった。

 

「お父さん、心配してるみたいですから、その……」

 

 ろくに挨拶も出来ずに黙って帰る事を許して欲しい、という旨を言おうとしたがレイカは全てを察してマコを玄関まで案内してくれた。

 

「また改めてね」

 

 手を振るレイカに手を振り返してマコはツワブキ家を後にする。すぐに帰らねば、と前を向いて走り出そうとすると真正面から駆け込んできた人物と激突した。「ふぎゃっ?」と小動物のような呻き声と共にマコは仰け反る。相手も、「うん?」と何かが当たった事を関知したようだ。マコはすぐさま平謝りする。

 

「す、すいません! 急いでいて」

 

「いや、いいけれど」

 

 爽やかにそう返す人影にマコは見覚えがあった。ランニング用のジャージを着込んでいるが一つに結った赤い髪は見間違えようがなかった。

 

「あっ! もしかしてディズィーさんですか?」

 

 マコの声に相手の女性は眉を上げた。

 

「あれ? 分かっちゃうもんかなぁ。今まで分からないと思い込んでいたんだけれど……」

 

「ディズィーさんですよね! この間、ライブでサインをいただいた……」

 

 マコはホロキャスターに保存しておいたライブ映像と記念写真を見せ付けた。すると相手の女性は、「うぅむ」と頷く。

 

「こりゃ間違いなく、オイラだね」

 

 その独特な口調からもディズィーである事が窺えた。ディズィーは一人称がオイラで通っており、芸能界ひいては音楽界でも異端の女性ボーカルだ。あまりに本人のイメージからはなれた口調のせいで逆に非難される事も少なくはないが彼女自身、それをものともしないメンタリティだと雑誌のインタビューで書いてあった。

 

「あの私、ファンなんです」

 

 しかし今はろくな色紙もない。マコが困惑しているとディズィーは、「いいって」とマコの腕を捲り上げた。するとマコの取り出したマジックペンを使ってサインする。

 

「DIZZY」のサインにマコは有頂天だった。

 

「ホラホラ。お揃いじゃん」

 

 ディズィーの右の二の腕にも同じような刺青がある。マコは一瞬で浮かれてしまった。

 

「何でこんな早朝に……。いやすごい幸運ですけれど……」

 

「オイラ、出来るだけ人と会いたくないからこうして早朝ランニングしているんだよね。大体カナズミシティ全部回るよ」

 

「全部! すごっ……」

 

 カナズミシティはそれなりに広い。学園都市であるカナズミ全域を走り回るとなれば二時間ほどはかかる。

 

「オチが家だから帰ってすぐシャワー浴びて、その後お仕事、ってわけ。で、夜は」

 

「十時には眠る、でしたね!」

 

 インタビュー記事に書いてあった通りの事をマコは口にする。ディズィーは、「照れるな」と後頭部を掻いた。

 

「そこまで熱心なファンとなると、オイラも名前を覚えたくなっちゃったな」

 

「えっ、私のですか? あの、その……」

 

 まごついているとディズィーの目つきが急に鋭くなった。何かまずい事を言っただろうか、と考えているとディズィーが低い声を出す。

 

「おい、そこの。隠れていないで出て来いよ」

 

 ディズィーが振り返って見据えた先には黒服の男が三人ほど立っていた。いつの間にか自分達との距離を詰めている。

 

「何か用? そんな殺気丸出しでオイラに近づくって事は、何かい? 熱心なファン二号かな」

 

 茶化すがディズィーの目は笑っていない。黒服達は目配せした。

 

「どうする?」、「次いでだ。消せばいいだろう」

 

 結論をつけた黒服達はホルスターからモンスターボールを抜き放った。マコはその威容に怯える。何でこの黒服達が殺意を剥き出しにしてこちらに近づくのかさっぱり分からない。

 

「そこで止まれ、黒服ちゃんよ」

 

 ディズィーが踏み込んで声を出す。だが黒服達は止まらない。ディズィーが一瞬だけため息を漏らした後、マコに言いつけた。

 

「ちょっと荒事になる。見たくなければ見なくっていい」

 

 そう告げた刹那、ディズィーの姿が掻き消えていた。どこに、と探したのはマコも黒服達も同時にだった。ディズィーは跳躍して黒服達の真上を取っていた。放たれた手刀が黒服二人を昏倒させる。手慣れた技術にマコは空いた口が塞がらなかった。相手も同様のようでディズィーの動きに気圧されている。だが対応は出来たようだ。緊急射出ボタンを押し込んでポケモンを繰り出す。

 

「いけ! グラエナ!」

 

 飛び出したのは漆黒の獣であった。四足で毛並みには艶がある。頭部には鶏冠のような装飾があった。グラエナが吼えてディズィーに飛びかかる。当然、ポケモンと人間の膂力が同じのはずはなく、ディズィーは押し倒された形となった。黒服が荒い呼吸を次ぐ。

 

「くそっ、邪魔をしてくれたな、小娘」

 

 邪魔、という言葉にマコはどういう事なのか、と感じる。黒服は振り返るなり懐から拳銃を取り出した。マコは目を戦慄かせる。

 

「一人始末するだけだって言うから三人体制で万全にしたってのに、これじゃ台無しだ」

 

 始末。マコの視界には銃口が映っている。視線を逸らす事も逃げる事も出来ない。足が竦んで言う事を聞かない。引き金を指が引こうとする。その瞬間、グラエナに食いかかられているはずのディズィーから何かが飛び出した。マコも黒服もその姿を認める。

 

 黄色い袴のような形状の表皮をした小型のポケモンであった。頭部は黒く小ぶりな顔立ちでそれ自体は無害を装っている。だが真に特徴的なのは後頭部より生えている長大な角だった。ポニーテールを思わせる形状の角をそのポケモンは突き出す。直後、角が割れて口腔が視界いっぱいに広がった。角はただの飾りではない。それそのものが攻撃器官であった。乱杭歯の並んだ角が黒服の腕を食い千切る。拳銃ごと黒服は腕を持っていかれた形となった。血飛沫が舞い、黒服が地に突っ伏す。代わりに立ち上がったのはディズィーであった。ボロボロになったジャージをさすりながら、「女の子相手にさぁ」と声にする。

 

「いきなり飛びかかるっての、紳士じゃないよね」

 

 長大な顎型の角を持つポケモンは黒服の足も食いかかった。黒服が悲鳴を上げて涙と鼻水にまみれた顔でばたつく。

 

「クチート。ちょっと分からせてやろうか。いきなり飛びかかられてどういう風に怖いかって事を」

 

 クチートと呼ばれたポケモンは黒服の足首に噛み付いたかと思うとそのままぺっと吐き出してしまった。黒服が地面を転がる。ディズィーが高笑いを上げてクチートの頭を撫でてやった。

 

「ああ、まずかったんだ。そりゃ悪い、クチート。オッサンの足なんて不味いもんだし」

 

 黒服は足を引きずりながら逃げ去ろうとする。ディズィーはその逃げ腰に追い討ちをかけるように睨んだ。

 

「待ちなよ、オッサン」

 

 ディズィーの凶悪な視線に黒服はたじろいだ。マコも圧倒されている。当のグラエナは地面に突っ伏しまま動かない。昏倒させられているのだ。ディズィーのクチートが一撃の下に始末したのが分かった。

 

「オイラはさぁ、一応有名人で通っているから殺人はしないよ。でも正当防衛ってもんがある。殺されそうになれば、同じくらいの痛みを背負うよね、普通」

 

 ディズィーは黒服の胸元をねじり上げて口にした。

 

「今ならば、この程度で逃がしてあげよう。でも、今度オイラと彼女を害そうとしたら、痛いどころじゃ済まないよ」

 

 囁きかけたディズィーの声音に黒服は慄いてもう二人を起こそうとする。しかしディズィーの手刀を受けた二人の仲間はそう容易く起きそうになかった。ディズィーがマコの肩を叩き、モンスターボールを突き出す。

 

「戻れ、クチート」

 

 クチートを戻してからもう一度ディズィーは肩を叩いた。それでマコはようやく正気に返った。

 

「走るよ」

 



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第五十九話「パンクロッカーの家に遊びに行こうⅠ」

 

 そう告げられ一も二もなくマコは駆け出した。

 

 正確にはディズィーに号令させられて走らされた、が正しいが。どこまで駆けたのか分からない。どの道を通ったのかさえも判然としなかったがディズィーが立ち止まったところでマコは息をついた。肩を荒立たせて額の汗を拭う。ディズィーはまだ体力に余裕があるようで、「撒いたかな?」と後ろを気にしている。

 

「あの、ディズィーさん……。何で、こんな……」

 

「それを聞きたいのはオイラのほうだよ。何で君はいきなり殺されそうになったわけ?」

 

 殺されそうに、という言葉にマコは当然戸惑った。殺されるいわれはない。ディズィーもマコの表情から読み取ったのか、「手がかりなし?」と聞き返す。マコは呼吸を整えてから言葉にした。

 

「……はい。ないと思います」

 

「本当? じゃあ何で黒服三人に追われるかなぁ」

 

 マコはようやく落ち着きを取り戻して背後を見やった。先ほどの黒服の姿はない。どうやらカナズミシティ北方に向けて走っていたらしくすぐ傍には自然公園があった。自然公園を抜けると緑地が広がっており、ポケモンの出る草むらと洞窟があった。

 

「私、追われていたんですか?」

 

「ってか、あれは最初からつけられていたね。尾行されるような悪い事した?」

 

 マコは首を横に振る。そのような真似はした覚えがない。ディズィーは顎に手を添えて考え込む。

 

「じゃあ、やっぱり偶然? でも出来過ぎているんだよねぇ。何にもしないで三人の黒服が現れました! ってゲームかよ、っていう」

 

 しかし心当たりはないのだ。マコは、「何かした覚えはないですよ」と答える。

 

「でも明らかカタギじゃないじゃん。白昼堂々……いや、まだ早朝だけれど、街中でポケモン出したらさすがに目立つよ? グラエナなんて暗殺向きでもないし、手段は問わないから殺せ、っていう命令だと踏んだね」

 

 それこそ分からない。マコには誰かに恨みを買うような記憶もない。

 

「その、本当に分からないんですけれど」

 

「まぁ痛めつけたし、もう同じ連中は追ってこないでしょ」

 

 痛めつけた。その言葉にマコは先ほどディズィーの繰り出したポケモンを思い出す。

 

「クチート、でしたっけ?」

 

「そうそう。あれ? ファンにはお馴染みじゃない?」

 

「いや、確かどこかのインタビューでポケモントレーナーもやっている、とは聞きましたけれど……」

 

 クチートというポケモンだとは聞いていないはずだ。ディズィーはモンスターボールをホルスターから抜いた。

 

「頼れる相棒だよ。グラエナに襲われる直前に出して一撃で倒した」

 

 それほどの能力なのだろうか。マコには小柄なあのポケモンから窺い知れたのは凶暴さと可憐さの二面性だった。

 

「強い、んですかね」

 

「強いって言われるとどうかなぁ。まぁ趣味で使う人は多いもね。かわいいし」

 

 かわいい、という言葉も先ほどの凶暴性を目にしてしまえば霞んでしまう。後頭部から生えたあの暴力器官はまさしく凶悪であった。

 

「君はポケモン、持っていないの?」

 

 マコはそう言われて自分の手持ちを思い出した。

 

「あっ、持っていました……」

 

「出してくれりゃ、ちょっとは手間が省けたかもねぇ」

 

 言葉もない。マコは項垂れる。ディズィーは、「何てポケモン?」と尋ねた。

 

「フライゴンです。その、ドラゴン・地面の」

 

「ドラゴンタイプ? 強いじゃん」

 

 確かにドラゴンと聞けば強い印象があるだろう。しかしマコは幼少期から育てているために強くしたつもりはなかった。むしろ家族の一員で戦いには向いていないと感じる。

 

「私、あんまりポケモンで戦うってのは得意じゃなくって」

 

「ああ。じゃあブリーダーとか、コンテスト志望? まぁそっち方面に力が入っているのもホウエンだし」

 

 一気に喋る事が増えてマコは戸惑っていた。何から語るべきなのか、と思っているとディズィーはベンチを指差す。

 

「ちょっと休憩。君の事も知りたいし」

 

 ベンチへと駆け寄っていくディズィーの体力は本当に底なしだと思えた。マコは半ば呆れつつベンチに座る。憧れのロックバンドのボーカルがすぐ隣にいるというのに、マコの気持ちは有頂天とは正反対だった。どうして自分が狙われたのか。その一事に気を取られている。ディズィーは足を投げ出して、「なーんかさぁ」と呟いた。

 

「早朝ランニングがとんでもない方向に転がったもんだね」

 

 前向きな発言にマコは感心するべきかそれとも失笑するべきか迷った。ディズィーが指先で節をつけて鼻歌を歌い出す。その曲名をマコは口にした。

 

「四枚目のシングルに入っていた、惑星迷宮ですよね」

 

「おっ、さすがファンだね。オイラの鼻歌でも再現出来てたか」

 

「再現って、歌っている本人でしょう」

 

「そりゃ確かにおかしいや」

 

 ディズィーは爽やかに笑う。先ほどまで威圧していた人間と同一人物だとは思えなかった。マコはディズィーのサインが書き込まれた右腕を見やる。書いてくれたといっても洗えば消えてしまうだろう。それが少しだけ惜しかった。

 

「ディズィーさん、その……」

 

 だからなのだろうか。ディズィーをただの憧れで終わらせたくなかった。ここで手離してしまえば全てが途切れてしまいそうで、マコは勇気を振り絞る。

 

「何? ファン一号」

 

 鷹揚なディズィーの態度には驕りも何もない。ただ純粋に自分のファンでいてくれて嬉しいという声音であった。

 

「私、もしかしたら追われるような事、しているかもしれません」

 

 ずるいのだろう。こんな事でディズィーを引き留めるなど。しかしディズィーは嫌な顔一つしなかった。

 

「だろうね。カタギじゃない連中に追われるのに理由がないってのもおかしい」

 

「でも、ディズィーさんを巻き込むみたいな形になっちゃうのが怖くって、その……」

 

 まごついているとディズィーが質問してきた。

 

「君、名前は?」

 

「へっ? ヒグチ・マコですけれど……」

 

「よっし。マコっちと呼ぼう」

 

 ディズィーは膝を叩いてマコの顔を真正面から窺ってきた。突然の行動に気圧されてしまう。

 

「マコっち。君はオイラのファンで、大切な一部分だ。だから無関係じゃないし、巻き込むなんて悪い、とかそういう事を思うんじゃないよ。むしろガンガン巻き込んじゃってよ。マコっちの力になりたいしさ」

 

 その言葉にはマコも瞠目してしまう。どうしてディズィーは他人の人生まで受け止められるのだろう。自分の人生だけでもマコは精一杯なのに。

 

「ディズィーさんは、どうしてそこまでいい人なんですか?」

 

 その質問にディズィーは笑って答えた。

 

「オイラ、正義の味方なんだ」

 

 きょとんとしてしまう。ディズィーはてらうでもなく何でもない事のように言い放つ。

 

「普段は歌手やっているけれど、本当の顔はカナズミシティを悪の手から守る、ヒーローなんだ」

 

 マコは思わず吹き出していた。ディズィーは、「おかしい?」と聞き返す。

 

「だってそんな。正義の味方だなんて」

 

 子供じみた言い草に思わず笑ってしまった。そんなマコの顔をディズィーは両手で包み込む。手のぬくもりが頬から伝わってきた。

 

「ほら、笑った。人一人救って、誰かを笑顔にする。歌でも何でも。これで正義の味方じゃないんなら、何がヒーローなのさ」

 

 ディズィーは冗談でも何でもない。本気で正義の味方だと言いたいのだ。マコもその信念には圧倒されるものがあった。彼女は歌手でありながら、同時にヒーローでもあるのだと。

 

「あっ、だからさっきみたいな大立ち回り?」

 

 ようやく察したマコの声に、「気付くの遅いってマコっち」とディズィーは唇を尖らせた。

 

「普段から鍛えているんだ。こういう時のためにね」

 

 ディズィーは構えを取って拳で空を切る。シャドーボクシングも様になっていた。

 

「プロ歌手からプロレスリングに転向するんですか?」

 

「いいかもね、それ」

 

 マコとディズィーは思わず笑みを交し合う。ディズィーは思っていたよりもずっと気安い。憧れの存在がぐっと近くなったのを感じられた。

 

「ディズィーさんって思っていたよりも……」

 

「思っていたよりも、何?」

 

「子供っぽい」

 

「よく言われるよ」

 

 



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第六十話「パンクロッカーの家に遊びに行こうⅡ」

 

 ディズィーはウインクしてマコの隣に座った。巻き込んでしまう事になるかもしれない。相手は有名人だ。だから出来れば自分の私情など組み込まずに接したい。それに話してもどうしようもないかもしれなかった。

 

「その……私の姉が行方不明でして」

 

「行方不明? それって何、さらわれたとか?」

 

「いや、大人だからそういう事はないと思うんですけれど……」

 

 どこまで話すべきだろうか。マコの視線が気に障ったのだろう。ディズィーは胸元を叩いた。

 

「オイラ、これでも口は堅い! 絶対に秘密は守るよ!」

 

 その言葉に勇気付けられマコは口にしていた。

 

「あの、刑事なんです、私の姉」

 

「何と、刑事さん。えっと……刑事さんをさらうってのは相当な闇だね」

 

 ディズィーはどう解釈したものか迷っているのだろう。マコは自分の考えている事をいくつか憶測を交えながら話した。サキは恐らく何らかの巨悪の陰謀に巻き込まれたのだという事。それと同期するようにいくつかの出来事があった事。マコの確証に足らない言葉の数々をディズィーは真剣な面持ちで聞いていた。全て聞き終わった後、ディズィーは腕を組んで口にする。

 

「つまり、お姉さんが突き当たった悪党と、今回、マコっちを殺そうとした連中って同じじゃないか、と考えているわけだ」

 

「まぁ、そうなりますかね……」

 

 自信はない。だが総括すれば自分に用があるという事はそうなのかもしれない。ディズィーは、「なりほどー」と声にする。

 

「こりゃマコっちあれだね。君は巨悪の陰謀に巻き込まれた無垢な少女! そしてオイラはその巨悪に君と共に立ち向かう正義のヒーローってわけだ」

 

 ディズィーの口調にマコは困惑する。

 

「いえ、そのディズィーさんを巻き込むわけには」

 

「もう巻き込まれてるよ。それにいいじゃん。いい感じじゃん。オイラも歌手業はちょっとお休みして正義のヒーローやってみるかなぁ」

 

 マコの頭を撫でてディズィーが真剣に考え始める。マコは、「でも」と口にしようとした。その前にディズィーの指先がマコの唇に触れていた。

 

「でも、じゃない。マコっちを一人で帰すわけにはいかないよ。ファンと助けを求める女の子にはヒーローは優しいんだ」

 

 マコの唇から指を離し、ディズィーは背筋を伸ばす。

 

「よっし! まずはマコっち! 一つ任務を与える!」

 

「に、任務ですと?」

 

 思わず口調がかしこまったものになってしまう。しかしディズィーは気安い笑みで言い放った。

 

「まずはオイラの家に寄り、シャワーで全身を洗うのだ! それがファーストミッションである!」

 

 ディズィーの発言にマコは完全に面食らっていた。初任務、と言われていたから緊張していたのもある。

 

「あの、任務って、それ?」

 

「そう、それ。なに、簡単な話、マコっち汗まみれじゃん。シャワー浴びてないでしょ」

 

 それはその通りなのだ。昨日も知らぬ間に眠ってしまっていた。マコはおずおずと尋ねる。

 

「やっぱり、においますかね?」

 

 自分をくんくんと嗅ぐ。ディズィーは腕を組んで、「まぁ、それほどじゃないけれど」と付け加えた。

 

「女の子が何日も着の身着のままでいるもんじゃないでしょ」

 

 もっともな意見にマコは納得しながらも尻込みする。

 

「でも、ディズィーさん、有名人ですし……」

 

「いいんだって。メンバーは来ないし、オイラは朝方には仕事入れないんだ。それに大事なファンが危ないってのに仕事を入れられないよ」

 

 ディズィーの厚意は素直にありがたかったもののマコはやはり迷惑をかけているのではないかという疑念にかられた。

 

「でも、その、私なんかが」

 

「自分なんかが、なんて卑下するもんじゃないって。マコっちはオイラみたいな門外漢に相談してくれた。もうオイラの一部みたいなもんさ」

 

 さっぱりとした言い草はディズィーの人格を表しているかのようだ。マコはベンチから立ち上がって困惑する。

 

「その、ディズィーさん、家ってカナズミなんですか?」

 

「カナズミじゃなければどこだって言うのさ。ちょっと郊外に部屋を間借りしてる。そう遠くもないから来なよ」

 

 ディズィーは歩き出す。マコはその背中に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十分ほど歩いたところにあるアパートであった。売れっ子バンドのボーカルの住んでいる部屋とは思えない。思わずマコは周囲の家を見比べる。住宅街であり、目立った一軒家はない。だとすれば本当にアパート暮らしなのだろうか。

 

「本当に、ここで?」

 

「何気に失礼だな。オイラは質素な暮らしが好きなもんで」

 

 マコは申し訳なさを味わいながらディズィーに通されて部屋に入る。驚いたのは部屋が散らかっている事だ。サキの部屋が簡素でほとんど散らかっていないのを目にしてからでは雑多なものが入り混じっている部屋には違和感がある。

 

「……たくさん物があるんですね」

 

「散らかっている、でいいよ。メンバーもそう言っている」

 

 マコの申しわけ程度の礼儀を風と受け流しディズィーは早速ジャージを脱ぎ始める。思わぬ動作にマコは目元を覆って、「ちょ、ちょっと!」と声に出した。

 

「何?」

 

「いや、だってディズィーさん、急に脱ぐから」

 

「女の子同士だしいいじゃん」

 

 そう言われてみればディズィーも女性であった。オイラの一人称のせいで男と女の中間のような印象を受けている。

 

「いや、でもいきなり脱がないでしょう」

 

「うそ、オイラ、部屋についたらまず脱ぐよ? えっ? じゃあ何で部屋がいるのさ。気を遣うのならメンバーの相部屋に住むって」

 

 ディズィーはジャージを脱ぎ散らかし桃色の下着姿になった。流麗な身体つきにマコは思わず自分の脇腹の肉をつねる。

 

「あっ、メンバーは相部屋なんですか?」

 

 下着一着のディズィーが頷く。下着姿でもモンスターボールは手にしていた。

 

「クチートも洗ってあげるんですか?」

 

「まぁね。相棒だし」

 

 クチートをモンスターボールから出す。クチートの顎状の角には血糊がこびりついていた。先ほどの凄惨な戦いを思い出しマコは唾を飲み下す。

 

「ああ、警戒しなくたって大丈夫。クチートは大人しいよ」

 

 全く説得力がなかったがマコはとりあえず落ち着く事にした。

 

「えっと、私も脱がなきゃ駄目ですか?」

 

「服の上からシャワー浴びるんじゃなきゃね」

 

 マコはいそいそと服を脱ぎ始める。ディズィーに促されてバスルームに連れて来られた。バスルームも普段自分の使っている浴場の半分ほどだ。今さらながら恵まれた境遇である事が分かってしまう。狭苦しい脱衣所には大きめの洗濯機が置いてあった。どうして洗濯機だけ最新鋭なのだろうか。尋ねると、「衣装とか洗うし」と至極真っ当な意見が返ってきた。

 

「衣装っていちいちテレビ局とかが用意してくれるんじゃないですか?」

 

「ロケとかは自分の衣装の時もあるからね。それに屋外ライブとかの衣装って存外、自分で管理しろって言われたりするんだ」

 

 初めて聞く物事の数々にマコは改めてディズィーがプロの歌手なのだという事を思い知る。その憧れのプロがどうしてだか下着一枚で自分の隣にいるのが酷く不自然であった。マコも下着一着になる。水色の下着は同性でも見られると恥ずかしい。

 

「ほほう、マコっち、存外に脱ぐとすごいですな」

 

 品定めするような目つきになるディズィーにマコは身体を手で覆い隠した。

 

「あの、あんまし見ないでもらえますか」

 

「どうせ洗いっこするんだから今さらだと思うけれど」

 

 マコはホックを取ってブラのワイヤーを緩める。それならばディズィーのほうが、とマコは感じていた。均整の取れた身体つきで、出るところはきっちり出ている。自分の出るところは、とマコは脇腹をまたしてもつねった。自己嫌悪に陥りそうだ。

 

「じゃあ洗いますか」

 

 シャワーから出てきたのは最初水であった。マコは、「冷たっ!」と過剰反応する。クチートは慣れているのか水のシャワーを浴びて角の汚れを洗い流した。

 

「おや、マコっち。さては意外とお嬢だな。水のシャワーも慣れていないのかい?」

 

「いや、慣れるも何も、普通お湯が出るもんなんじゃ……」

 

 ガタガタ震えながら口にするとディズィーは根元をひねった。

 

「こうしないとお湯は出ないって。マコっち、もしかしてどこかの小国のお姫様? お連れがいつも洗ってくれているの?」

 

 むっとしたがいつもお湯を沸かすのは研究員達の役目で自分はろくに家事をした事がなかった。言い返せないでいると、「うっそマジか」とディズィーが大げさに驚く。

 

「姫様拾っちゃったよ」

 

「姫様とかじゃないですからっ!」

 

 マコは赤くなった顔でシャワーのヘッドを手に取りごしごしと洗う。それを目にしてディズィーが止めに入った。

 

「駄目だって、そんな風に洗ったら傷がついちゃうよ。女の子の柔肌は優しく洗わないと」

 

 ディズィーが石鹸を取り出して泡立たせマコの身体を優しく洗う。他人に身体を洗われるのは何だかこそばゆかったがディズィーは慣れている手つきだった。

 

「洗い慣れているんですね……」

 

 まさかそっちの気があるのか、と警戒した。ディズィーは、「クチートをね」と笑い飛ばす。

 

「洗ってあげているのさ。マコっちはポケモンを洗ってあげないの?」

 

「私のフライゴンは地面がついていますから。そう容易く水をかけられないんです」

 

 ディズィーはマコの頭を洗いつつ、「なるほど」と納得する。ディズィーはいくつか質問を重ねた。

 

「フライゴンとは長いの?」

 

「私が幼稚園の頃にもらった初めてのポケモンですから。その時はまだナックラーでしたけれど」

 

「ドラゴンって大器晩成型のイメージあるからやっぱりそれくらいかかっちゃうもんなのかな」

 

「……いえ、私、トレーナーとしてはあんまし才能なくって」

 

 本来ならばフライゴンはまだドラゴンタイプの中では育てやすいほうだ。それをここまで時間がかかってしまったのは己の未熟さに他ならない。

 

「やっぱブリーダーとか?」

 

 泡をディズィーは洗い流す。マコは目を瞑りながら首を横に振る。

 

「いえ、そうでもなくって」

 

「じゃあマコっちは何になりたいの? 大学生でしょ?」

 

 その言葉に硬直する。自分が何になりたいのか。漠然とした未来ばかりが広がっており何一つ決定的なものはなかった。

 

「……まだ分からなくって」

 

「まぁ、今はまだそれでもいいかもね。でもいつかは決めなければならない」

 

 マコの濡れた髪をディズィーは整える。

 

「綺麗な髪だね」

 

 その褒め言葉も今は耳に入らなかった。いつかは何かにならなければならない。それが重石のようにマコの心に沈殿する。

 

「今度はオイラを洗ってよ。マコっち、いやらしい事はしないでね」

 

 マコに代わってディズィーが椅子に座る。マコはどうしたものか、と迷っていたが子供の頃サキと一緒に風呂に入っていた事を思い出した。サキは昔から長い髪だったのでちょうどディズィーと同じくらいだ。毛先を整えてマコはシャンプーをつけてやる。

 

「ディズィーさんのほうが髪の毛綺麗ですよ」

 

「そりゃ人前に出るし、当然っしょ」

 

 さばさばとしたディズィーの言葉と共にマコはサキの安否が胸を締め付けた。今頃どうしているのだろう。もしかしたら何日も風呂に入っていないかもしれない。シャワーも浴びず、それこそ泥を啜る勢いで真実に向けて走っているのかもしれない。それに比して自分は何をしているのか。勝手に調べて勝手に墓穴を掘っている。ディズィーがいなければ今頃血の海に沈んでいるだろう。途端に恐ろしくなってマコは指先が震え出すのを感じた。

 

「大丈夫だよ」

 

 だからディズィーの声に驚く。マコの不安を関知したようにディズィーの声は穏やかであった。

 

「マコっちはオイラが守るから」

 

 勇気と自信に満ちた声にマコは尋ねずにはいられなかった。

 

「どうしてですか……」

 

「だってオイラ、ヒーローだし」

 

「そうじゃなくって!」

 

 手を止める。ディズィーは鏡越しにマコを見つめている。

 

「……何で、私なんて価値のない人間のために、ディズィーさんみたいな人がそこまで出来るんですか」

 

 自業自得なのだ。自分でこのような結末になるように動いていたのにいざ危機が迫ると怖くて仕方がない。ダイゴに助けを求めたりディズィーに助けを求めたり、自分は卑怯だ。戦いもしない。悲痛に顔を歪めているとディズィーはマコの手を取った。何をするのかと思っているとそのまま手をひねり風呂釜へとマコの身体を押し込む。突然の事にマコは身体をばたつかせた。

 

「ちょっ……、何をするんです!」

 

「マコっちさぁ。自分を低く見るもんじゃないよ」

 

 ディズィーはシャワーで髪の毛についた泡を洗い流しマコへと視線を振り向けた。碧かったはずの瞳の片方が赤く染まっている。その真紅の瞳にマコは射竦められたかのように動けなくなった。

 

「誰だって価値はあるんだ。価値のない人間なんていない。誰かのために命を張って、それが価値のある事、っていう風に美化されがちだけれどさ。オイラ、別に人間は誰のために生きているわけでもないんだと思う。最初から、それこそ生まれた時から、自分を一番に愛せる権利を持っているのって、自分だけなんだ」

 

「自分を、愛せる……」

 

「そっ。そうじゃなきゃ他人なんて愛せるわけがない」

 

 ディズィーも風呂釜に入ってくる。二人分の体重を受けて湯船が大きく傾いだ。溢れ出したお湯を頓着せずディズィーはいつの間に取り出したのかタオルを頭に乗せて、「極楽極楽」と口ずさむ。

 

 マコはしどろもどろになって呟いた。

 

「私、やっぱり守ってもらうなんて」

 

「オイラがそうしたいからしているだけさ。マコっちはいつか誰かを愛せるといいね。自分を愛してあげた分、誰かを愛せると」

 

 ディズィーの声音はまるで自分にはその権利がないかのようだ。マコは返そうとしたが言葉にならない。そんな事はない。ディズィーも守られていいのだと。代わりのように口から出たのは眼の事だった。

 

「ディズィーさん、オッドアイなんですか?」

 

「ああ、外れてた? これ、コンタクトなんだよね。青い奴」

 

「じゃあ元が赤い眼で?」

 

「うん。画面映えするのはこっちだけれど普段は眼が悪いからさ。コンタクトつけているわけ」

 

 どこで落としたかなぁ、とディズィーは探し始める。マコはこのように二人して湯船に浸かっている状況が世界のどこよりも平和に思えた。

 

「何だか切り離されている気分……」

 

 サキの事も、謎の団体の事も、脅迫電話も遠い異国の出来事のようだ。しかし昨日今日降り注いだ現実でありマコはその当事者である事は隠しようもない事実。

 

「切り離されているように思えて、実のところどこにも繋がっていない人間もいないってね。どこかに繋がれている。オイラも、多分」

 

 ここまで自由人のように振る舞っているディズィーが繋がれているものとは何なのだろうか。気になったが聞くのは無粋に思えた。クチートが風呂釜に飛び込んでくる。

 

「こいつめー」とディズィーが相手にしている間、マコはどうするべきか思案した。それも泡沫の一つだというように石鹸水の泡が弾けた。

 



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第六十一話「キミのヒーロー」

 

 ドライヤーで乾かし、ディズィーは赤い服飾に袖を通す。レザージャケットはディズィーによく似合っていた。

 

「あっ、それこの間のライブで着ていた……」

 

「いいでしょー。もらっちった」

 

 ディズィーの喜びにクチートが応ずるように跳ねる。マコはクチートの後頭部で揺れる角の動きが気になって気が気でない。

 

「おおっ、クチートも元気でよろしい」

 

 クチートの頭を平然と撫でられるディズィーに辟易しながらマコはちょこんと部屋の一角に座っていた。この後どうするのか。決断しない事には進めもしないだろう。ディズィーは些事のように呟く。

 

「で、マコっちよ。オイラ、君を守る事にしたけれど、どうする? このまま部屋から一歩も出ないってのもある意味では一番の防衛手段ではある」

 

 ここに来た事が知られていないのならば、であろう。しかしマコはそれほど相手が手ぬるいとは思えなかった。

 

「……多分、もう特定されています。私の電話、ホロキャスターの位置を調べればすぐですし」

 

「だったら、マコっち。どうする? 寝こみを襲われるのを黙って待つか。それとも」

 

 それとも、マコは顔を伏せる。戦うのか。だが戦うといっても自分にはまるでノウハウがない。フライゴンでの戦法は当てになるとは思えなかった。

 

「私、サキちゃん……、姉の安否だけでも知りたいんです」

 

 それだけは譲れない。サキが危うい闇の中に首を突っ込んでいるのならばそれを静観出来るほど自分は大人ではない。

 

「じゃあ選択肢は大きく二つだね。泣き寝入りか、徹底抗戦か」

 

 ディズィーはどちらを選んだとしてもマコの意思を尊重するであろう。マコはここまで来ておいて逃げられるとは思っていなかった。

 

「後者しか、ないでしょうね」

 

「よっし! マコっち。今日からオイラと君はバディだ」

 

「バディ……?」と聞き返す。ディズィーは肩を引き寄せて、「相棒って事さ」と口にした。

 

「でもディズィーさんは有名人ですし、私なんか一般人で……」

 

「一緒の風呂に入っておいてそりゃあないよ。マコっちがどう思おうとオイラはマコっちの味方であり続ける。絶対に裏切らない」

 

 どうしてそこまで貫けるのか。その生き方に一種の羨望すら覚える。マコの視線にディズィーは茶目っ気たっぷりにウインクした。

 

「何でかって? オイラは君のヒーローだからさ」

 

 それで言葉は充分だというように。ディズィーは身支度を整えて、「さぁ、行くよ」とマコの手を引いた。思わずうろたえる。

 

「えっ、どこにです?」

 

「鈍いなぁ。どこにって、相手とやり合うんならこっちの手の内は知っておかなきゃ。武器は装備しないと使えませんよ、ってゲームでも教わらなかった?」

 

 武器、とマコは咄嗟に思いつくものを判じる。ホロキャスターを取り出し収集した情報を整理する。ディズィーはそれを見つめてふんふんと頷く。

 

「なるほど。こういう情報の武器があるじゃん」

 

「でも意味が分からなくって……」

 

 マコはこの文字列を入力したら知らない研究機関にアクセス出来た事を説明する。どこでどのように手に入れたのかは省いたがディズィーは顎に手を添えて考え込んだ。

 

「ネオロケット団……」

 

「知っているんですか?」

 

「いや、全く」

 

 ディズィーは部屋の中央に陣取っているベッドの脇に置かれていたノートパソコンを起動させた。素早くキーを打ってマコの指定したURLへと飛ぶ。

 

「このサイトか。研究機関、それもホウエンだけじゃないね」

 

「全く分からなくって。でもここから先に進もうとすると」

 

「パスワードが必要になってくる。そのうち一つがこれなわけか」

 

 何とディズィーは臆する事もなくパスワードを打ち込んだ。マコが遅れてうろたえる。

 

「で、ディズィーさん? これ、打ち込むとこっちの位置が――」

 

「大丈夫だって。割れるようなヘマはしないから」

 

 ディズィーは研究内容を目にした途端、今までと目つきが変わった。鋭い目つきはまるで敵を見つけたかのようだ。

 

「あの、ディズィーさん?」

 

「うん? 何?」

 

 マコへと向き直ったディズィーは読めない笑みを浮かべる。マコは、「憶測ですけれど」と前置きする。

 

「このサイトにアクセスしたのって、多分私達が最初じゃないと思うんです」

 

「だろうね。パスワードがあるって事は、その構成員の情報が漏洩していたって事で、マコっちのお姉さんは限りなくこの組織に近づいたって事だ」

 

 ディズィーの推理にマコは最悪の事態を想定する。もしかしたらサキの命はもうないかもしれない。

 

「私、怖くって……」

 

 目の端から涙が溢れ出す。堰を切ったかのように熱が頬を伝った。もしサキがこの世にいないのならばもう自分の行動など。ディズィーはマコの涙を指ですくい取った。真正面にディズィーの顔がある。整った憧れのロックスターの顔が。

 

「マコっちが信じなくって誰がお姉さんの生存を信じるのさ。怖いのは分かる。でも目を背けてばかりじゃ、真実さえも逃してしまう」

 

「真実……」とマコは繰り返す。本当に真実などあるのだろうか。自分が立ち入ってはならない場所に入ってしまっただけで、この手に真実など。

 

 その時、ディズィーは異変を感じたように、「うん?」と首を傾げる。

 

「このサイト、変じゃない?」

 

 その意見にマコは画面を注視する。変なところなど数え始めればきりがない。どこの研究機関なのか明示されていないのもおかしければネオロケット団など聞いた事もない名称だ。

 

「そりゃ、変っちゃ変ですけれど……」

 

「見た目とかじゃなくって、内容が、だよ。だってさ、論文とかたくさん並んでいるけれど、誰が書いたものなのかどこにも明記されていない」

 

 そう言われてみれば、とマコは目を凝らす。どこにも代表者名もなければ論文にも具体名は避けられている様子だ。

 

「誰が書いたのか、意図的に分からなくしている?」

 

「そう考えるのが妥当だろうね。でも、今の時代にはこういうものがある」

 

 開いたのは検索エンジンだ。ディズィーは論文の一箇所をコピーしそのまま検索窓に引っ付ける。検索すると十件だけ該当した。

 

「来た」

 

 ディズィーは確信に唇を舐める。マコは表示された内容に困惑顔を浮かべた。

 

「でもこれ、全部外国語で……」

 

 読めない、と言おうとするとディズィーは流暢な外国語で内容を話し始めた。

 

「なるほどね、こういう内容ってわけだ」

 

 マコには一切が読み取れていない。その様子を察したのか、「マコっち外国語駄目なの?」と尋ねられる。現役大学生としては恥ずかしいが門外漢もいいところだった。

 

「ごめんなさい。全然で……」

 

「いいよ、これ相当なマイナー地方の言葉だし、分からなくっても無理はない。簡単に要約すると、書いた人間は公式ではいない事になっている」

 

 その意味するところが分からずマコは聞き返す。

 

「いない、ってそんなはずは」

 

「ないって? でもこれ、あり得ないって言うかこの時代には存在しないものなんだよねぇ」

 

 ディズィーの声音には嘘は混じっていない。ただ単に事実のみを語っているようだった。マコは狼狽する。

 

「この時代って、どういう事ですか?」

 

「現時点では、って言うかこれ仮説だ、全部。だからあるかもしれない、って話が並べ立てられているわけ」

 

 それでも疑問符を浮かべているとディズィーが簡潔に纏める。

 

「つまり、全部例えば、の話で、実際の技術としてはあり得ないっていう机上の空論だね。有り体に言えばもし宇宙人と遭遇したら、みたいな話ばっかり並べられている」

 

 そう言われればマコでも理解出来た。荒唐無稽、という事なのだろう。

 

「そんなあり得ない話が」

 

「何で極秘文書なんだろう、って? オイラもそう思って別窓で調べていたんだが……」

 

 その時、画面が赤色に塗り固められた。自分の時と同じだ。マコは慌てて言葉を発する。

 

「察知されたんじゃ……」

 

「みたいだけれど、そう簡単に場所までキャッチ出来るわけがない。これは警告だ。だからもう一段階ぐらいは先に進めるかな」

 

 ディズィーは問題ないとでも言うようにさらに作業を進める。すると警告のブザーが鳴り響いた。マコは不安に駆られる。

 

「ハッキングされているんじゃ……」

 

「マコっちスパイ映画の観過ぎだよ。そう簡単に個人のスペースをハッキングなんて出来ない。マコっちの場合は恐らく既に当てがあったんだ。だからそういう芸当が出来たって話で、最初からどこにいるのかも分からない相手をIPアドレスだけで即座に特定なんて難しいし相当な機関が精通していないといけない」

 

「でも……」

 

 裏付けたのは別窓に表示されている地図である。ホウエンの縮尺の地図が正確にカナズミシティを映し出していた。

 

「もうここまで」

 

 急いたマコの声にもディズィーは掻き乱されない。

 

「大丈夫。ギリで正確な位置を弾き出す前にこっちから偽の位置を送ってやる」

 

 ディズィーはマコには目で追うのすら困難なキーさばきで相手を翻弄する。するとカナズミシティの正確な縮尺図が僅かに逸れてデボンコーポレーションの上を行き来する。マコは心臓が止まりそうだった。デボンは目と鼻の先だ。ここが特定されない保証はない。

 

「このままじゃ……」

 

「大丈夫、っと。送信!」

 

 ディズィーがエンターキーを押すと全ての赤色窓が閉じて代わりに地図が弾き出したのはデボン系列の子会社だった。その前庭を赤く塗り潰したところで止まっている。ディズィーは息をついた。

 

「危ない危ない。ちょっと遅れていたら特定されていたかもね」

 

「そんな! 危ない橋を渡っているのならそうと」

 

「そう言ったら、マコっち止めるじゃん?」

 

 うっと声を詰まらせる。ディズィーは余裕のある笑みを浮かべた。

 

「大丈夫だって。連中は子会社の前庭にオイラ達がいるんだと思い込んだ。大方、この辺りを捜索するはずさ。見当違いだ。だってオイラの部屋はその場所から三キロは離れている。子会社に狙いを定めている間はここが割れる事はない」

 

 ディズィーは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し一気飲みした。もしかするとディズィーからしてみても危険な行為だったのかもしれない。

 

「じゃあ、私達は……」

 

「うん。仕掛けない限りは大丈夫」

 

 マコはホッと胸を撫で下ろす。ディズィーの家が焼き討ちされるような事があれば最悪の事態だった。

 

「つまり最悪は回避されたって事ですよね」

 

「まぁね」

 

 ディズィーはホルスターにクチートの入ったモンスターボールを留める。マコは言動と行動の不一致に疑問を発した。

 

「どこへ行くんですか?」

 

「連中をこの辺りに集めたって事は、だ。連中のしかも上役が顔を出すに違いない」

 

 それは、その通りであろう。探ってくるネズミを燻り出したつもりなのだろうから。

 

「ええ、だからここは大丈夫だって――」

 

「連中の顔を見てこなくっちゃ」

 

 だからディズィーの言葉はマコにとっては完全に想定外だった。連中の顔を見てくる? 何故そんな危険な真似を? 顔に出ていたのだろう。ディズィーは即座に読み取った。

 

「逃げ腰じゃいつか追い込まれる。こっちが追い詰めるんだ。そのためには連中が何の目的で、どうしてマコっちを襲おうとしたのか。お姉さんがどうなったのかを知るきっかけになる」

 

 ディズィーの眼差しは真剣で嘘を言っている風ではない。マコはそれこそ困惑する。

 

「せっかく危険な種を回避出来たのに?」

 

「マコっち。オイラはヒーローなんだ。ヒーローは相手のアジトが分かったらどうする? じゃあそこには近づかないでおきましょう、ってなるかい?」

 

 しかしディズィーがそこまで背負う理由も不明だった。元はと言えば自分の踏み込み過ぎが原因の事件だ。彼女にそこまでやってもらう義理はない。

 

「危険なんですよ?」

 

「百も承知さ。大丈夫、とは言い難いが、ここで動かなくってどうする? マコっち、正直これは好機でもあるんだ」

 

「好機、ですか……」

 

 自分には分からない。相手の懐に飛び込む行為が。ディズィーは諭すように口にした。

 

「ここで相手の出方、やり方をこっちで把握しなければ立ち回りが上なのはどっちになるのかは言うまでもないよね? 相手がどれほどの規模で、どれほどの人員を割くのかを知るための策でもあるんだ」

 

 意外であった。ディズィーの行動は行き当たりばったりのようで計算されている。マコは素直に感嘆した。

 

「でも危ないですよね?」

 

「危ないよ。でも危なくない道って同時に安全とも限らないんだよね」

 

 危険な策を取ってでも、これからのためにディズィーは必要だと判じたのだ。ここで決断せずしてどうする。マコは立ち上がっていた。

 

「あの、私も行きます……」

 

「自信がないとか、怖いとかならこの部屋でじっとしているといい。そのほうが何倍か安全だ」

 

 ディズィーの言葉にマコは、「怖い、ですけれど」と言い返していた。

 

「ここで逃げるのは、もっと怖いからです」

 

 震え出す指先。恐れに唾を飲み下す。しかしディズィーはその言葉を待っていたとでも言うように微笑んだ。

 

「いいよ。マコっち。行こう。戦う事を選んだんだ。君も戦士だよ」

 

 差し出されたその手をマコは取った。

 



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第六十二話「守りたいから」

 

 ディズィーの指定した場所はデボンの子会社と言っていたが既に倒産した会社のテナントであり他人とすれ違う心配がない。

 

 だからこの場所を選択したのだろうか。マコにはそこまで考えが及ばなかったがディズィーならば何をしても不思議ではなかった。

 

 建物の陰に隠れながら二人はその場所に現れるであろう人物を見張っていた。ディズィーの推測ではこの場所に訪れるのは相手の本丸か、そうでないにせよ戦闘員だという。マコは早朝の黒服ではないのか、と聞き返していた。

 

「あれは末端の末端さ。多分、マコっちを襲え以外の命令なんて聞いていないよ。だから情報を引き出すのはこれから現れる奴のほうが相応しい」

 

 固唾を呑んで見守っていると一台の黒塗りの高級車が停車した。それだけでも異質であったがマコはある事に気づいた。高級車の外観に描かれているマークだ。水色の社章はホウエンに住んでいるのならば見ない日はなかった。

 

「あれ、デボンの……」

 

「社章だね。こりゃ結構面倒な事に首を突っ込んだ結果になったかな」

 

 ディズィーの言葉が消える前に高級車から出てきた人影に声を詰まらせる。

 

「レイカ、さん……」

 

 昨日自分を匿ってくれたツワブキ・レイカが凛と佇んでいる。周囲を見渡して何事かを口にしたが距離の関係で声までは分からない。

 

「何で、レイカさんが」

 

「知り合い? でもデボンの高級車から出てきたって事は、それなりの地位なわけだ」

 

 そのようなはずはない。レイカはデボンとは無関係のはずだ。確か映像関係の会社に勤めていると聞いた事がある。

 

「デボンの社員がぞろぞろお出ましだよ」

 

 高級車に次いで現れた車の中から白衣の研究員達が次々に現れた。レイカは手を振り翳し、何事か指示を与えているようだ。

 

「あの女の人がリーダーなのかな。こりゃちょっとやそっとじゃ解けない謎に直面したっぽいね」

 

 ディズィーの言葉を半端に聞きながらマコは研究員の乗っていた車から現れた影に瞠目する。

 

 銀色の髪でぴっちりとした黒いスーツに身を包んでいるがその姿は紛れもない――。

 

「ダイゴ、さん……?」

 

 ツワブキ・ダイゴそのものの姿をした青年が周囲を見渡しつつ左足をさすっている。研究員の中の一人が声を張り上げた。

 

「D036の試験運用データ、取っておけよ!」

 

 どういう事なのか。どうしてダイゴがデボンの社員と行動を共にしているのかまるで分からない。マコの脳内では事柄が混濁していた。

 

「あいつ……」

 

 ディズィーが小さく呟く。その声はマコの耳にさえも届かなかった。何を言ったのか、問い質す前にディズィーはホロキャスターを起動させた。どうするのかと思えばホロキャスターのカメラ機能を使い、連中を撮影しているのである。さすがにマコは戸惑った。

 

「ディズィーさん! そんな事したら」

 

「まずいって? でも連中、ここでドロンされたらオイラ達に打つ手はない。少しでも証拠を集めておかないと」

 

 言う通りなのではあるがディズィーは思い切りがよ過ぎてマコにはついていけない。撮影しているディズィーの横顔は真剣で茶々を挟む事も出来なかった。マコはせめてもと出来るだけ声を潜めるくらいしか出来る事はない。

 

「……ディズィーさん、どう動いています?」

 

「どうやら手探りで探しているみたいな……、あっ、でもちょっと待って。変な道具を取り出した」

 

「変な……」

 

 マコも研究員達へと視線を注ぐ。先端の尖ったU字磁石に似た道具であった。

 

「何あれ……。何に使うんだろ……」

 

「多分、ここ一体に人の気配がないかあれでサーチしている」

 

 思わず息を詰まらせた。ではここで撮影しているのもまずいのではないのだろうか。

 

「いいや、あの探り探りの感じ、ありゃ試作機だ。だから多分、十メートル圏内くらいしか探索出来ないよ」

 

 ディズィーは目ざとく読み取る。マコは今にもここにいるのがばれるのではないかと気が気ではない。

 

「あの、ディズィーさん、これってやっぱり……」

 

「まずい、とか今さらに感じても仕方がない。連中の中で誰かトップなのかだけでも当たりをつけないと。オイラの中じゃ、もうあの女幹部っぽい奴がトップだけれど」

 

 レイカは指示を飛ばしつつ研究員の機械を覗き込んでいる。何の試験を行っているのだろう。ダイゴに似た姿の青年はじっと黙している。左足をたまに気にするようにさすっているがほとんど動かない。

 

 そのうち、研究員達が撤収を始めた。ここにはいない事を把握したのか。次々に研究員達は車に戻っていく。最後にレイカがダイゴに何やら言い残し高級車に乗り込んだ。ダイゴだけが取り残された形でデボンの人々が去っていく。どうしてダイゴだけこの場にいるのだろう、とマコが疑問を浮かべていると不意にダイゴがこちらを向いた。心臓が収縮する思いだった。ダイゴの赤い眼がこちらを見据える。

 

「いるんだろう」

 

 静かながら確かな声音だった。マコはそれでも出て行けばダイゴを直視出来る気がしなかった。それに鎌をかけているのかもしれない。どこかでレイカが張っていないという保障はなかったのだが、ディズィーは顔を出した。思わず、と言った様子でマコも飛び出す。ダイゴに似た青年は二人を認めて、「やっぱりか」と呟いた。

 

「あの、ダイゴさん、ですよね?」

 

「ツワブキ・ダイゴ? そうであると言えるし、違うとも言える。僕はどちらでもあってどちらでもない。それでも答えを探したいのならば、僕はきっとツワブキ・ダイゴに限りなく近くってなおかつ最も遠い存在だろう」

 

 謎かけのような答えにマコが逡巡しているとディズィーは口火を切る。

 

「出て来るんだ。やっぱり、デボンは怪しいなぁ」

 

「君はえっと……、データベースにはないな。僕はヒグチ・マコがいれば消せ、とだけ命じられていたんだ。だから君は逃げてもいいよ」

 

「逃げる。馬鹿言え」

 

 ディズィーは鼻を鳴らして歩み出る。

 

「オイラがマコっちを助けないでどうするんだ」

 

 ディズィーはモンスターボールを掲げる。しかしそれは相手も同じであった。

 

「やる気なの? ツワブキ・ダイゴ君とやら」

 

「便宜上、僕の事はダイゴで構わないけれど実際は違うんだけれどね。まぁいいや。些事だよ、そのような事は」

 

 ダイゴがモンスターボールを放り投げる。球体を弾いて現れたのは四足の怪獣であった。鋼の表皮が月光を反射して鈍く輝く。額部分に穴が空いておりそこから蒸気が漏れ出した。内部骨格が強靭なのかそのポケモンが踏み出すだけで大地が震える。

 

「コドラ。一進化だよ」

 

 コドラと呼ばれたポケモンはディズィーに向けて闘志を剥き出しにする。ディズィーもモンスターボールを投擲した。

 

「見た目鋼だけれど、打ち破れそうかな。オイラのクチートなら」

 

 クチートが飛び出すなり後頭部を向けて凶悪な顎状の角を突き出した。威嚇の声音にコドラが僅かに怯む。

 

「特性、威嚇か。こっちの攻撃を下げる。常套手段だ、クチートならね」

 

「そこそこポケモンに精通しているみたいだけれど、それだけで勝てると思わないで欲しいな」

 

 ディズィーの強気な発言にダイゴは、「分かっているとも」と芝居がかった仕草で応じた。やはり自分の知るダイゴとは少し違う。人柄、というものが異なっている気がする。

 

「コドラ。相手が来るよ。分かっているね」

 

 コドラが応じる鳴き声を出す。クチートが先制を取った。飛び上がり角を突き出して相手へと殴りかかる。どう考えても攻撃の構えなのだが発せられた技名は珍妙だった。

 

「じゃれつきな、クチート」

 

 何とその攻撃そのものは「じゃれつく」に他ならない。しかし凶悪な顎を突き出し、さらに攻撃の姿勢を沈み込ませたクチートの一撃はただじゃれついているには見えない。それこそ徹底抗戦だ。クチートの角がコドラへと突き刺さる。かぶりついたかに思われたが鋼の表皮はびくともしない。

 

「コドラ、ちょっとひねってやれ」

 

 コドラが頭を振るとクチートは容易く弾かれてしまった。距離を取ったクチートが真正面を向いて相対する。

 

「どうやらちょっとやそっとではコドラの表皮は傷つけられないと悟ったらしい。主に比して、賢明なポケモンだ」

 

 どういう事なのか。マコはディズィーの顔を窺った。

 

「……クチートの一撃ってそれなりに効くもんなんだ。じゃれつく、は言葉に比してそれなりの攻撃力を誇るフェアリータイプの技。それを受けてもびくともしないって事は」

 

「フェアリーの苦手とする鋼タイプ!」

 

 言い放ったダイゴにコドラが呼応する。コドラの鋼の身体が振動を始めたかと思うと表皮が削れ荒々しい刃の岩石が浮遊し始めた。マコとディズィーが警戒する。周囲を舞う岩石はしかし、攻撃の気配はない。そのうち岩石は目に見えなくなった。マコが戸惑っていると、「ステルスロック」とディズィーが呟く。

 

「こっちの退路を塞ぐか」

 

 どうやら今の技はこちらが逃げられないようにするための布石であったらしい。ダイゴは、「逃がすな、とのご用命でね」と口にする。

 

「特にヒグチ・マコは消せ、と言われている」

 

 やはりダイゴにしては言動がおかしい。マコは思い切って声にした。

 

「あの、ダイゴさん、じゃないんですか?」

 

「ダイゴだよ。便宜上、そう呼ばれるのが相応しい」

 

 しかしこの飄々とした態度は自分の家で目にしたダイゴの謙虚さの欠片もなかった。

 

「でも、私の事……」

 

「データでしか知らないね。会ったのは初めてだ」

 

 やはりダイゴではないのか。マコの困惑を他所にディズィーは唇を舐めた。

 

「……ちょっとまずいかもね。正直、今回勝ちにこだわる必要はなかったんだ。そっちの手数さえ見れればよかったんだけれど、ステルスロック張られたんじゃ、易々と逃げられない」

 

 どうしてだろうか。マコには何も見えない。ディズィーは、「何も見えない、ようでいて」と近場の石を手にして指で弾いた。その瞬間、岩の刃が出現し石を切り取る。突然の岩の刃の出現にマコは狼狽するが視認する前に消え去った。

 

「こういう攻撃なんだ。バトルフィールド内の相手の行動を激しく制限する。これがステルスロック。あんまり気分のいい攻撃じゃない。なにせ、背後を常に狙われているみたいなものだ」

 

「分かっているじゃないか。僕とコドラからは逃げられないって事が」

 

 ダイゴの声にディズィーは言い返す。

 

「でもさ、勝てばいい話だよね」

 

 クチートが跳ね上がる。一気に肉迫したクチートが後頭部の角を振るってコドラの下腹に向けて攻撃を放った。

 

「アイアンヘッド!」

 

 鋼と鋼がぶつかり合い火花を散らす。だがコドラは怯みさえしない。対してクチートのほうが攻撃の反動を受けているようだった。クチートは悔しさを表情に滲ませて後退する。

 

「同じ鋼なのに……!」

 

「質が違うんだよ、質が。コドラは純粋培養の湧き水を吸って育つ。鋼は最早、達人の研鑽する刀剣の域だ。それらをぶつけ合って生存範囲を常に広げ続ける闘争生物のコドラと、ぬくぬくと育った容姿だけかわいいポケモンとじゃ、戦闘の質が!」

 

 ダイゴの声にコドラが呼応して身体を振動させる。すると今度は全身に空いた穴から蒸気が激しく噴き出された。コドラがまるで暴走特急のようにクチートへと真っ直ぐに突っ込んでくる。クチートが咄嗟に角を翳して防御の姿勢を取ろうとしたがその勢いを超える突進攻撃に成す術もなく吹き飛ばされた。想像を超えた攻撃力にマコもディズィーも目を見開く。クチートはこの宙域を見張っている見えない岩石に背中を打たれて留まった。やはり「ステルスロック」は常に張られているのだ。

 

「今の、でも反動ダメージを無視出来るような攻撃じゃ」

 

 明らかにコドラ側にもデメリットはある。そのような攻撃であったがコドラは全身の鋼を赤く染め、攻撃色を露にしている。鋼そのものにダメージはないように映った。

 

「何で? だって今の、明らかに捨て身の」

 

「諸刃の頭突き。本来ならば反動の生じる技だが、このコドラは!」

 

 ダイゴの声にコドラは全身から蒸気と熱を噴出する。反動ダメージを放出しているのだと分かった。

 

「……その特性、石頭か」

 

 口走ったディズィーにダイゴが指を鳴らす。

 

「ご明察。石頭特性は反動ダメージを消滅させる。つまり、コドラは自分のダメージを気にせずに何度でも諸刃の頭突きを撃てるわけさ」

 

 恐るべき事実にマコは戦慄する。だがそれ以上に脅威だと感じているのはディズィーだろう。クチートは明らかに耐久向きではない。長期戦は不利に決まっていた。

 

「驚いたね。石頭特性でフルアタック構成か。最初っからオイラ達を逃がそうなんて考えていないわけだ」

 

「まぁね。僕は殺せと命じられた。だからコドラでやるまでだ」

 

 ダイゴの声にはまるで迷いがない。マコは思わず問いかけていた。

 

「どうして! ダイゴさんは、優しい人だって思ったのに」

 

「優しい? 確かにあのツワブキ・ダイゴはそうかもね。いいや、まだ本当の自分を知らないだけだ。本質では、あのツワブキ・ダイゴですら、凶暴な本性を秘めているのかもしれない」

 

 その言葉に二の句が次げなくなる。所詮は自分の思い込みで他人をラベル付けしていたのか。マコの迷いの胸中にディズィーが声にする。

 

「駄目だよ、マコっち。相手の術中にはまっちゃ」

 

 強気な発言を繰り返すディズィーだがその実最も追い込まれている。このままではクチートは戦闘不能に陥る。

 

「一番焦っている奴が言うもんじゃないね。言っちゃいなよ。君を守る事なんて出来ない、って。正直にさぁ!」

 

 コドラが吼える。その瞬間、コドラの鋼の表皮が弾け飛んだ。内部の肌色の表皮が瞬く間に赤く染まり、コドラの姿が掻き消える。マコとディズィーは必死にその姿を視界に探そうとした。

 

「遅い! 既に射程だ!」

 

 コドラは決して小さなポケモンではない。だというのに瞬間移動と見紛う速度でクチートに肉迫していた。全く気付けなかった。マコの思考に切り込むようにダイゴの声が響く。

 

「ボディパージ! 素早いコドラを相手にどこまで立ち回れる?」

 

 コドラがクチートを突き上げる。クチートの身体が宙を舞った。コドラの猛攻撃は止まらない。さらに加速した鋼の身体が熱を持って着地しようとしたクチートを襲う。クチートは咄嗟の防御に成功したものの背骨を砕かんと突き刺さる不可視の岩石に打ちのめされた。クチートの防御が緩んだ隙を狙い、コドラが再び突進する。避け切れない。マコは叫んでいた。

 

「やめて!」

 

 その言葉も虚しくクチートが吹き飛ばされる。ディズィーも焦燥を滲ませている。このままでは、というのはマコだけではないらしい。

 

「降参する? 正義の味方さん?」

 

 相手の挑発にもディズィーは強気を貫いた。

 

「降参? 馬鹿言っちゃいけない」

 

 クチートが精一杯立ち上がろうとする。だが明らかに限界だ。ディズィーもそれを察知しているはずである。

 

「僕の目的はクチートの打倒ではない。正義の味方さん、間違えなければ手持ちを失わずに済むよ」

 

 それはマコを差し出せ、という事なのだろう。しかしディズィーは譲らなかった。

 

「冗談。正義の心を折るくらいならば、オイラは最初からやってない!」

 

 ディズィーの言葉にダイゴは口元を緩める。

 

「残念だなぁ。正義の味方よっ!」

 

 コドラが跳ね上がるように突進攻撃を仕掛けてくる。クチートと、今度はディズィー本体も狙っている。突進軌道上にいるトレーナーも葬るつもりだろう。ディズィーは舌打ちを漏らして懐からペンライトを取り出した。

 

「使うつもりはなかったけれど、今回ばかりはそうも言っていられないか。クチート、メガ――」

 

 その言葉が発せられる前に、一つの衝撃音が弾けた。ディズィーはきっと瞠目しただろう。真正面に現れたマコの姿に。

 

 マコは突進攻撃を満身に受けた。筋肉が軋みを上げる。肋骨が折れたのかもしれない。呼吸が危うく、今にも途切れそうだ。ようやく気付いたディズィーがマコへと駆け寄った。

 

「なんて無茶を! 戦うのはオイラの役目で!」

 

「……いいえ。ディズィーさん。与えられるだけじゃ、きっと駄目なんです」

 

 マコは立ち上がろうとする。足が竦んで言う事を聞かない。それでも無理やり火を通すために膝を思い切り叩いた。その威容にディズィーのみならずダイゴでさえも息を飲む。

 

「私は! サキちゃんを守りたくってここまで来た! だって言うのに、私自身が傷つく事を恐れてたんじゃ!」

 

 前に進めやしない。マコはモンスターボールを掲げる。

 

「戦う気かい? 言っておくが今のコドラはボディパージによって素早さは最高速。加えて攻撃は無類の強さを誇る。素人のお嬢さんが戦ってどうにか出来る相手じゃ」

 

「私は、戦うんだ!」

 

 叫びと共にマコはモンスターボールを投擲する。空中で二つに割れたボールから飛び出したのは新緑の翼を震わせる一体の龍だった。飛び出すや否やマコの指示を待たずにコドラへと飛びかかる。コドラとダイゴも予想だにしなかったのか、その攻撃にうろたえた。青い火花が散りコドラを押し出す。

 

「コドラを、押した……?」

 

「行こう、フライゴン」

 



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第六十三話「進むべき道」

 

 その声にマコの手持ちであるフライゴンが吼える。雄々しい声音にコドラとダイゴが震えた。

 

「サキちゃんを、私が助ける!」

 

 フライゴンの内部骨格が青白く煌き、内側から光を生じさせる。その細腕からは信じられないほどの膂力が発揮されコドラの巨躯を叩き落した。地面に伏してコドラがその衝撃に目を剥いたほどだ。

 

「この技、逆鱗か……!」

 

 追撃の拳をコドラは額から生じさせた蒸気の噴出で回避する。持ち直したコドラとダイゴは口元を緩めた。

 

「だが! 素人考えの戦法では粗が出る! ステルスロックよ! 全照準をフライゴンとヒグチ・マコへ!」

 

 見えない岩石が一斉にマコとフライゴンを狙い済ましたのが感覚で分かった。ディズィーが声を張り上げる。

 

「逃げるんだ! マコっち!」

 

 しかしマコも、フライゴンも退かなかった。ここで退くわけにはいかない。それは一生の敗北を意味するからだ。マコは自身を鼓舞するように胸に誓った声を放つ。

 

「素人考えかどうか、その身で確かめるといい! フライゴン!」

 

 フライゴンが翅を折り畳んで全身を一気に縮こまらせた。何をするのか、とディズィーもダイゴも目を凝らす。

 

「ステルスロック全機! 一斉射撃! 諸刃の頭突き!」

 

「爆音波!」

 

 一気に身体を広げたフライゴンから放たれたのは音響攻撃であった。音波が反響し、ダイゴとコドラを怯ませる。しかし狙ったのはそれだけではない。

 

「反響方向! まずは三時!」

 

 フライゴンの身体が弾け、その方向へと拳を見舞う。すると不可視の岩石が砕け散った。即座にマコは次の指示を飛ばす。

 

「十時の方向に三つ!」

 

 フライゴンが命令通りに攻撃を放つ。その段になってディズィーは理解したらしい。

 

「爆音波を、攻撃だけではない……、反響してくる音の効果を利用して見えない岩を関知した……」

 

 フライゴンと自分にしか出来ない戦法だ。マコとフライゴンは全ての「ステルスロック」を叩き落す。ダイゴが声を震わせる。

 

「即席じゃ、ない……」

 

「私は、身を削ってでも、戦うって決めた!」

 

 瞬時にフライゴンの姿が掻き消えコドラへと一撃を見舞おうとした。しかしコドラはそれを上回る速度でその場から跳躍する。

 

「嘗めるな! コドラとて、その域に達している!」

 

 だがマコの目的はコドラに拳を見舞う事ではない。フライゴンは天を仰ぎ、全身を広げる。コドラを絡め取ったのはフライゴンから伸びていた茶色の糸であった。一本一本がコドラの身体に纏いついている。

 

「これは……! いつの間に? というか、この攻撃……」

 

「虫食い」

 

 龍が発生させたとは思えないのだろう。ダイゴは目を戦慄かせていた。

 

「フライゴンのタマゴタイプは虫! 進化前のナックラーは虫食いを覚える! 決してデメリットばかりじゃない。こうやって、相手を絡め取って――」

 

 フライゴンは青白い燐光を棚引かせコドラの身体を地面に叩きつけた。

 

「押し切る!」

 

 マコの強い口調に呼応したように地面が鳴動する。ダイゴがハッとしてコドラへと命令した。

 

「いけない! これは地震だ! 跳躍しろ」

 

「させない」

 

「むしくい」の糸はきっちりコドラを捉えている。加えて「げきりん」のパワーでフライゴンはコドラを圧倒していた。いまや地面に縫い付けられたコドラへと間断のない攻撃の波が襲い掛かる。ダイゴは歯噛みして、「甘んじて、これは受けよう」と呟く。

 

「だが次の攻撃までは考えていまい! ボディパージ!」

 

 絡み付いていた装甲を弾き飛ばし、コドラはさらに軽量になった。即座に掻き消える。今のコドラの速度はフライゴンよりも数倍上手になっている。

 

「その辺りが即席だと言っているのだ。今、勝った、と思ったな? 油断は死を招く! 素人小娘が僕に……、僕とコドラに勝てるわけがないんだ!」

 

 しかしマコは冷静であった。先ほどまでのように取り乱す事はない。それどころかダイゴへと挑戦的な言葉を吐きつける。

 

「それで、どうするってわけ? ステルスロックは全て落とした。もう見えないところから諸刃の頭突きなんて出せない」

 

 一瞬、ダイゴがうろたえたが笑みの中にそれを隠す。

 

「見えないところから? 馬鹿を言え。見えていても対処し切れない速度で出すのみ!」

 

 確かにコドラの動きは目で追えない。下手に軌道を追ったところで相手の攻撃の隙をつく事など出来ないだろう。

 

「でも、私は負けない。コドラがどこから来るのか当ててみせる」

 

 フライゴンは尻尾を振るい上げる。三叉の槍に近い尻尾による刺突攻撃。それで決着をつけるつもりだった。

 

「当てるだって? 不可能だ! 諸刃の――」

 

「いけない! マコっち! フライゴンを……」

 

 ディズィーの声が耳に届く。しかしマコはそれ以上に集中していた。この戦いに。あるいはその音に。

 

「頭突き!」

 

 ダイゴの声が弾けコドラが目視不可能な速度で襲いかかる。マコは慌てず、取り乱さず、一言だけ言い添えた。

 

「七時の方向、斜め上、八十五度」

 

 正確に命令した声音にフライゴンは応じて尻尾を突き出す。その攻撃の先に、コドラの頭部が来ていた。コドラを指定して当てた、というよりもコドラが当たりに来た形である。ダイゴは空いた口が塞がらないようだった。

 

「何で……」

 

 分かった。その言葉が発せられる前にマコはフライゴンに命じる。

 

「叩き落して、拳を打ち込む!」

 

 フライゴンが尻尾で叩きのめし、腹部を晒したコドラへと正確無比な一撃を放った。青い燐光を棚引かせた拳はコドラを戦闘不能にするのには充分であった。フライゴンが手を払う。青白い「げきりん」の光が失せ、後に残ったのは動けくなったコドラだけだ。勝敗は既に決していた。

 

「馬鹿な……、どうして来る方向が分かった?」

 

「音だ」

 

 ディズィーの声にダイゴは目線を向ける。

 

「音、だと?」

 

「爆音波、あれはステルスロックを燻り出すためだけじゃない。コドラに枝をつけた。コドラの内部骨格へと音響攻撃は鋼の装甲を無視して伝わる。内部骨格の一部、肋骨でも何でもいい、折れているその骨の軋みを捉えて、フライゴンは攻撃を放った」

 

「だがそんな事、達人の域でもなければ……」

 

 濁された声にマコは睨み据える。音を聞き分ける耳ならば誰にも負けるつもりはなかった。その意味を察したのだろう。ダイゴはその場に膝を崩す。最早戦意がないのは明白であった。

 

「勝ったのは、マコっちのほうだった……」

 

 ダイゴが指を伸ばす。まだ抵抗の意思があるのかと思われたが彼はただコドラをモンスターボールに戻しただけだった。ポケモンを戻し本人も動く気配がない。マコの前に完全に降伏した証だった。

 

「まさか、抹殺対象にやられるなんて」

 

「マコっち、大丈夫だったの?」

 

 その段になってマコはようやく自分のやってのけた事にハッとした。

 

「私、サキちゃんみたいな事……」

 

「恐ろしいね」

 

 ディズィーは微笑んだ。

 

「君の言うお姉さんはどれだけなんだよ。今君がやったのは明らかに達人トレーナーの戦闘だよ?」

 

「私、耳だけはいいから……」

 

 謙遜するが今はそのような状態ではなかった。ディズィーは、「さて」とダイゴに目を配る。

 

「どうするかな、ツワブキ・ダイゴ」

 

 クチートが鋼の角を突きつける。王手であった。ダイゴはもう戦う気も抗う気もないらしい。

 

「殺したければ殺すといい。どうせ、帰っても僕に居場所はない」

 

 その言葉にマコは首を傾げる。

 

「どういう意味?」

 

「言葉通りさ。僕は所詮、尖兵なんだ。君を殺して来い。それだけの命令で、後はDシリーズの保管場所に過ぎない。オリジナルダイゴの左足のね」

 

 ダイゴが服を捲り上げる。マコは息を呑んだ。ほとんど壊死したような色合いの表皮にはシリアルナンバーが刻まれている。それで今まで直立出来ていたのが不思議なほどであった。

 

「その死んだみたいな足、どうして……」

 

「死んだみたいな、か。まさしく死んでいるからどうとも言えないが」

 

「おい、ツワブキ・ダイゴ。妙な事を言えば」

 

 ディズィーの脅迫にもダイゴは、「殺すって?」と鼻を鳴らす。

 

「生憎、僕に価値基準を置いていないお歴々からしてみれば、それもまた証拠抹消のいい機会なんだよね」

 

「ディズィーさん、この人を殺しちゃ駄目です」

 

 マコの言い草にディズィーが眉根を寄せる。

 

「でもこいつ、マコっちを殺そうと」

 

「もうしない。そうでしょう?」

 

 マコの声音にダイゴが自嘲気味に返す。

 

「つくづく、強気なお嬢さんだな」

 

「代わりに答えて欲しい。Dシリーズとは何か。それに、あなたはツワブキ・ダイゴと、あの家にいるはずのダイゴさんとは関係あるの?」

 

 ないと言って欲しかった。他人の空似、であるのならばどれほどこの事態が深刻ではないだろう。しかしダイゴは言ってのける。

 

「関係あるよ。それこそ、彼のために僕らがあるようなものだ」

 

「僕ら、と言ったね? 複数いるってわけ?」

 

「だからDシリーズだと……。ああ、でもこれはこれか」

 

 ダイゴが唇の前でバツを作る。クチートの顎の牙がダイゴの首筋を狙っていた。

 

「ふざけている場合なのかな?」

 

「ふざけていないさ。僕のコドラはもう戦えない。回復する暇なんてないし、それに回復して逃げ帰れ、なんて命令じゃない。僕はヒグチ・マコを殺し、証拠は全て抹消されて終わりだ」

 

「終わらせやしない」

 

 マコの強い語調にディズィーも振り返る。心の中にあるのは強い義憤の炎だ。絶対に、このままで終わらせてなるものか。サキの事も、ツワブキ家の事も、自分の事も、有耶無耶にはさせない。

 

「……強い眼だな、しかし」

 

「この場所にずっといるわけにもいかない。マコっち、どうする?」

 

「ディズィーさんの手を煩わせる事になるかもしれませんが、一つ提案していいですか?」

 

「いいよ。マコっちのやりたいようにやりな」

 

「このダイゴをこちらの手持ちに加えます」

 

 その言葉はさすがに予想外だったのかディズィーが瞠目した。

 

「いや、しかしでも……。こいつは敵で」

 

「もう、敵であるつもりはないし、そのメリットも一切ないのだと、彼は言っています」

 

 敵対する意味がない。この降伏はそれの表れだ。ディズィーはしかし怪訝そうにする。

 

「信用ならない」

 

「もし、本当に信用ならない場合は、私がやります」

 

 始末を買って出たマコにディズィーも戸惑っている。マコとてつい数分前まではそのつもりはなかった。だがサキに繋がる人間であり、なおかつディズィーを圧倒する実力者となれば自分がいないわけにもいくまい。

 

「……マコっち。そこまで強く出る必要はないよ。何ならオイラもやろう。一緒に泥でも何でも被ろうじゃないか」

 

 ディズィーの言葉は素直にありがたい。マコは微笑んで、「感謝します」と告げていた。

 

「問題なのは、だ。こいつの所在地が特定されればオイラ達、枷持ちになる」

 

 それだけが懸念事項だったがダイゴは、「その心配はないよ」と告げて首の裏へと手を回した。何をするのかと思えば首筋に張られていた金属板を引き剥がし、それを地面に叩きつける。

 

「これが僕らの首輪だ」

 

「二箇所ほどつけられている可能性がある」

 

「疑り深いね、そっちのクチート使いは。飼い犬相手にわざわざ何個も首輪をつける? そういう種類の割り当てなんだよ」

 

 つまりレイカはダイゴを子飼いしているようなものだという事か。驚愕する反面、あのレイカならば、と思う部分もあった。レイカはツワブキ家でとぼけているようで一番しっかりしている。これは幼少期から見てきた自分の率直な感想だ。

 

「これで、もう捜索されないって事?」

 

「半々かな。僕の死骸がないと、信用しないかもしれない。Dシリーズが勝手に逃げ出したのだと。まぁありえないんだけれど」

 

「どうして?」

 

「僕らDシリーズには一応ね、外科手術的な首輪のほかにも薬理的な首輪もあるんだ。ある一定の薬物を摂取しなければすぐに身体中が壊死してしまう」

 

 マコは目を見開く。それはほとんど人体実験ではないか。だがダイゴは嘘を言っている風ではない。

 

「壊死するとして、どれだけの期間?」

 

「一週間は持つがそれ以降は分からない。主治医は一週間ごとに僕らに処方するからそれが目安だと言われている」

 

 マコは顎に手を添えて考え込んだ。このままではいざという時に死なれる事になりかねない。しかしレイカの下に帰らせるわけにもいかない。

 

「どうする? マコっち。これじゃ厄介な病理を抱え込むようなもんじゃ……」

 

「いや、それを聞いてより、私は彼を囲う事に決めました」

 

「どうしてさ? 正真正銘、枷持ちだよ?」

 

「多分、ここから先は彼のような人間がいないとどうにもならない。ディズィーさんが危険だと判断するならば、やめますけれど」

 

「いや、オイラも賛成。この首輪を外した時点で、何かが起こっていないとおかしい。だって言うのに何も起こらない事が彼の安全性をある程度証明している」

 

 しかしマコにも不安な要素はある。薬理的な処置をどう施すか。それをディズィーが提言する。

 

「薬に関して言えば、デボンの研究員を盾にするなり出来る。今日の感じじゃ、また罠を張れば誰か一人でも引っかかるかもしれない」

 

 どうやらディズィーは自分の思っている以上に強かだ。マコは首肯した。

 

「そうですね。ここは彼の処遇だけを決めましょう」

 

「話し合いは終わった?」

 

 ダイゴの声音にマコは一つだけ言い含めた。

 

「あの、ダイゴさん、で呼び方はいいんですよね?」

 

「まぁ正真正銘のツワブキ・ダイゴじゃないけれど」

 

「じゃあ他の呼び名が?」

 

「D036って呼ばれているけれど」

 

 濁すダイゴにマコは思いついた。

 

「オサム、ってのどうです?」

 

「オサム?」

 

 二人して首を傾げられる。マコは必死に説明した。

 

「ホラ! 0、と3、と6、で当ててオサム、って。これならダイゴさんと混同しないし」

 

 その言葉に二人して吹き出す。マコは先ほどまでの戦闘が嘘のように羞恥に赤面する。

 

「やっぱり、なしの方向で……」

 

「いや、いいよ。オサム、オサムちゃんね。ありじゃん」

 

「呼ばれ慣れていない僕の心象は無視かな?」

 

「これからはオサムちゃんだよ、君は」

 

 彼――オサムは居心地の悪そうに肩を竦める。

 

「まぁいいけれど。元の名前なんて僕にも分からないし」

 

 ディズィーがすぐさま提案した。

 

「じゃあさっさとずらかろう。いつまでも帰ってこない子飼いじゃ不自然だ」

 

「ここで僕は死んだ、という事でいいのかな?」

 

「血糊の一つもないと不自然か。クチート」

 

 ディズィーの声にクチートは顎状の角から血を吐き出した。突然の奇行にマコは戸惑う。

 

「早朝の奴の血がまだ溜まっていたからね。誤魔化しは利きそうだな」

 

 今の今までクチートはあの黒服の血を飲んでいたのか。その事実にマコは気分が悪くなりそうだった。

 

「人一人分はありそうだ。これで僕が圧死したみたいには見えるかな」

 

 吐き出し続けるクチートを見るのも辛く、マコは早々に踵を返した。

 

「行きましょう」

 

 夜の幕が広がる向こう側へ。自分達はもう夜の一部だった。もう朝陽は拝めないのかもしれない。それでも、進むべき道は今までよりも明確に映った。

 



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第六十四話「ヒグチ・サキの決意」

 

「いつまで吐き出し続けているんだ、そのクチート」

 

 オサムと今しがた名付けられた彼が歩み出そうとするとディズィーと呼ばれた女性がいつまでも歩み出さない事に気付く。敵同士だったから警戒しているのか。オサムが歩み寄るとディズィーは突然振り返ってナイフを取り出した。小型のものだが首筋に当てられると息が詰まる。慣れた動作に悲鳴を上げる暇もない。

 

「声を出すな」

 

 押し殺した声音にオサムはマコに助けを求めようとする。しかしディズィーは冷酷に口にする。

 

「マコっちを抱き込もうとしたり、彼女を傷つけたりしてみろ。オイラ、お前を迷わず殺すからな」

 

 嘘偽りの気配はない。射竦められた形のオサムはディズィーの青いコンタクトレンズが月光の加減で赤く染まったのが目に入った。

 

「赤い眼……。それにディズィーだって……」

 

 オサムの眼差しはディズィーの捲り上げたジャケットの内側に行っていた。二の腕に「DIZZY」の刺青。

 

 ――違う。

 

 あれは刺青ではない。オサムは察知する。「DIZZY」ではなく、この文字の本当の呼び方は――。

 

「お前、Dシリーズ――」

 

「マコっちの前で、オイラの事をDの名で呼べば即座に殺す。マコっちがお前を信じていようといまいと」

 

 ディズィーの殺気に当てられてオサムは全身から汗がどっと噴き出したのを感じる。それと同時に先ほどの戦闘は全く本気ではなかったのも伝わった。血を大量に飲んだ状態のクチート。恐らく機動性が落ちていたはずだ。それなのにあそこまで立ち回った。

 

「……何が目的なんだ。お前とて、ツワブキ家に管理される、いや管理されていた側だろうに」

 

「目的? そんなのシンプルさ。オイラが正義の味方だって言うね」

 

 ナイフが外され、ようやく呼吸が出来る。ディズィーは短く言い放つ。

 

「忘れないようにね。その首、いつ掻っ切ってやってもいい」

 

 脅しでも何でもない。オサムは今落ちてもおかしくなかった首筋をさすり、クチートの吐き出す鮮血の量に戦慄した。

 

 望もうと望むまいと自分は彼女達に付き従うほかない。それが自分の役目なのだろうとオサムは左足をさすりつつ歩み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 役目を終えたはずだった。

 

 全てが闇に没し、もう助かるまいと、そこまで覚悟出来ていた。しかし覚醒の瞬間、自分の身体にまだ血脈のある事とどこからも出血していない事、そして何よりも鼓動がある事に驚愕していた。

 

「……生きている」

 

 生きているはずがないのに。胸元をさすった彼女は遠く天上を仰ぐ。小さなダストシュートから落下し、数十メートルの衝撃に襲われたはずだ。通常ならば転落死だろう。しかし、自分達の命を守ったのは今も展開され続けている泡だった。

 

「これは、真水の泡?」

 

 指先で突くと、「触らないほうがいい」と声が発せられた。暗闇の中に白衣の男性が浮き彫りになる。思わず息を呑んでいた。

 

「プラターヌ、博士……」

 

「とんだハードラックだ」

 

 彼は顔を拭って彼女を指差す。

 

「君も、強運だったわけさ。ヒグチ・サキ君」

 

 サキはようやくそれで生きている実感を取り戻せた。だがどうして、その思いが先行する。

 

「生きているはずがないのに」

 

「その原因はこいつだ」

 

 指差された先には小さな鳥型のポケモンがいた。群集で泡を吐き続けている。水色の体表にまだらの白色。小さな両翼と丸っこい身体は戦闘用とは思えない。

 

「このポケモンは?」

 

「ポッチャマ。水タイプのポケモンでシンオウでは初心者用のポケモンとして使われている」

 

 そんなポケモンがどうして群棲しているのか。サキの眼差しに気づいたのか、ポッチャマのうち一体が鳴き声を発する。

 

 すると連鎖的に泡が解除され、蜘蛛の子を散らしたようにポッチャマの集団が引いていく。サキは突然に自分を支えていた泡が消失したものだから姿勢を崩して転がった。プラターヌは抜かりなく着地する。

 

「……何でです?」

 

「習性だろう。見なよ」

 

 ポッチャマ達は流れ込んでいる水を啜り、それを泡として放出している。そのお陰か空気が澄んでいた。

 

「この場所を棲めるだけの場所にするために、あのポッチャマ達は下水を真水に変えるだけの化学反応を体内で起こした。まさしく生命の神秘だね」

 

「どうしてポケモンの集団なんて」

 

 身体についた水を叩き落す。泥水ではなくほとんど川の水と遜色ない。

 

「珍しい事じゃない。ポケモンの群れってのはカロスだとざらにある光景だ」

 

 プラターヌが煙草を取り出して火を点けようとすると水の弾丸が飛んできた。プラターヌの顔のすぐ脇を掠めた弾丸の威力は岩肌が削れただけでも想像がつく。

 

「……恐れ入ったよ。禁煙かい?」

 

 それもそうだろう。自分達でよくした環境を汚されるのが我慢ならないのは理解出来る。

 

「博士。このポケモン達は……」

 

「デボンとは無関係の野生だろう。大方大ブームに乗っかって大量輸入されてきたポッチャマが逃がされてきた末路ってわけかな。ポッチャマは初心者向けだが、同時にとてもプライドが高い。隷属というよりかは自分達がトレーナーを助けているという意識が強いんだ。だからペット感覚だと反感を買う」

 

 ポッチャマ達が歩き出す。何体かは翼を振るった。まるでついて来いとでも言うように。

 

「どうします?」

 

「行くっきゃなさそうだ。ダストシュートに落ちたのは見られていたかもしれないし」

 

 サキはズーが最後の瞬間まで自分達に希望を繋いでくれたのを確信する。そうでなければあの場でレイカに殺されていた。

 

「ツワブキ・レイカ……。何で穏健派の一人に」

 

「その議論は歩きながらしよう。今は、そうだな、ポッチャマ達の早足についていくまでさ」

 

 ポッチャマ達は身を寄せ合って足早に歩いていく。サキはその背中を追いかけている途中、不意にマコの事を思い出した。今頃どうしているだろう。自分が何日ほど家を空けているのかも分からなかった。あの妹は自分がいない時に無茶をする。妙な事に巻き込まれていなければいいのだが。

 

「どうかしたかい?」

 

 プラターヌの問いかけにサキは頭を振る。

 

「いいえ。何でも」

 

 今は一歩でも進む事だ。それが未来を掴む事になるのならば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第五章 了

 



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新たなる戦い
第六十五話「理解者」


 

 工業用水が流れ込んでいない。

 

 サキはそれだけでこの場所が浄化された場所なのだと思い知る。プラターヌが先に口火を切った。

 

「汚れていないって事は、ここにはポッチャマ達の天敵はいないって事だな」

 

 一応はポケモンの遺伝子工学の権威。発する言葉にサキは尋ねる。

 

「天敵、というと?」

 

「ベトベターやマタドガスなんかが居つくんだ、こういう場所には。まぁ人間の汚水や工業排水を好むポケモンだからやっぱり嫌われてはいるんだが、わたしからしてみればあながち嫌悪の対象というわけでもなくってね。彼らの生態も一つずつポケモンという存在を穴埋め出来る要因になるんだ。なにせ、ポケモンが先に存在するならば彼らはどうやって生態系を維持し続けたのか、って話になるから」

 

 遠く、シンオウではポケモンが神話の対象になっている。それこそ宇宙創造神話に繋がっているのだ。だからこそベトベターやマタドガスなどの存在が解せない部分もあるのだろう。サキは自分の持てる範囲だけの知識で返す。

 

「博士は、やっぱりそういう事を?」

 

「研究していたのか、って?」

 

 懐を探って煙草を取り出したがポッチャマ達の視線が飛ぶ。不服そうな顔をしてプラターヌは煙草を仕舞った。

 

「そりゃあ、わたしとて研究者だ。遺伝子研究だけじゃない。ポケモンについて日夜知りたい事はたくさんあった。でもまさか自分自身が都市伝説めいた存在になるとは、思っていなかったね」

 

 歳を取らない研究者。抹消された矛盾する論文。メガシンカ――。プラターヌ一人の人格を切り取ってもこれだけ秘密がある。そう考えれば誰しも秘密の一つや二つは持っていても不思議はないのだ。それがたとえ幼馴染であっても。

 

「ツワブキ・レイカ……」

 

 その名前を呟く。プラターヌは、「やはり、知り合いかね?」と聞いていた。

 

「はい。正確には幼馴染の姉なんですが……、よく入り浸っていたのでほとんど友人同然で」

 

「それがあの裏切りじゃ、解せない部分も多かろうね」

 

 プラターヌはいちいち言葉を選ぶ気はないようだ。サキとて刑事。人を裁く権利のある職務上、疑ってかかる事、裏切られる事に慣れていなければならない。だがレイカは本当に予想外であった。ツワブキ家にはきな臭いものがあるのは感じられていたが家族ぐるみの付き合いをしていた人間に関しては裏がないと思い込んでいたのだ。ある意味では一番おめでたい。

 

「……私、やっぱり駄目でしたね。一番非情になるべきところで非情になり切れていない」

 

 冷徹に成り切れれば、どれほどいいだろう。ダイゴも、リョウもレイカも、あるいはあの家族全員を疑ってかかれれば。しかし自分にはそこまで冷酷に物事を判断出来るほどの裁量はないのだ。拳をぎゅっと握り締めるとプラターヌが呟いた。

 

「心は、なくさないほうがいい」

 

 はたと立ち止まりプラターヌの横顔を見やる。彼はポッチャマ達の背中を見つめつつ口にしていた。

 

「心だけはなくしちゃ駄目だ。どれだけ酷な現実が待っていようとも、あるいはどれだけ世界が残酷さに満ちていようとも、心だけは捨ててはならない。自分を構築するのに、肉体は最悪不必要でも、心さえ失わなければ」

 

 研究者らしからぬ言葉だった。サキは、「意外ですね」と感想を漏らす。

 

「博士には、そういう感情論みたいなの似合わないと思っていましたが」

 

「わたしだって似合わない事くらい自負しているさ。だが、これは心をなくしかけた人間からのささやかなアドバイスだと思ってくれればいい」

 

「アドバイス、ですか……?」

 

「裏切りがあろう、人と人とも思わない人間がいるだろう、それでも自分が自分を曲げず心だけを手離さないのならばきっと最良の結果が得られるはずだ。望もうと望まなかろうと」

 

 サキは顔を伏せていた。どれだけ世界が残酷でも心だけは手離すな。プラターヌには似合わない諭し文句だ。

 

「昔ね、わたしにもそう言ってくれた人がいたんだ」

 

 そう言ってくれた人が、と紡いだプラターヌの顔はどこか寂しげだった。

 

「どのような方で?」

 

「一生を誓い合った、本当の理解者であった」

 

 プラターヌが結婚していた、というのはデータ上でしか知らない。それにこの男は年も取らないのだ。だから自然と独身だという思い込みがあった。だが彼の息子、フラン・プラターヌは行方不明となり、一家は離散した。彼だけがその全貌を知っている唯一の人間だろう。

 

「奥さん、ですよね」

 

 プラターヌは答えず、「本当に、理解者だったんだ」と継ぐ。

 

「わたしの研究がいくら叩かれようとも、わたし自身がおかしな領域に踏み込もうとしても、絶対にわたしだけを信じてくれた。だから彼女への贖罪のために、君と共にいるのもある」

 

 意想外の言葉にサキは目を見開く。

 

「贖罪のために?」

 

 振り返ったプラターヌは伊達男めいた微笑みを浮かべる。

 

「だってそうだろう? わたしは研究する側からされる側へと回っていた。あのまま朽ちてもおかしくなかったが、闇から助け出してくれたのは、君の手だ。だから恩義には報いる。それだけさ」

 

 本当に、それだけなのだろうか。プラターヌには未だサキにも明かしていない真の目的があるように思えた。離散した家族の行方。もしかしたら彼は知っているのではないだろうか。そのような考えが鎌首をもたげサキは慌てて振るい落とす。何を考えているのだ。他人の家庭の事まで踏み込むべきじゃない。

 

 ぴちゃり、と靴先が水を踏んだ。先ほどまでよりも浸水域が上がっている。

 

「まさか入水させる気じゃないだろうな? ポッチャマ達は」

 

 プラターヌの懸念にポッチャマ達は次々と踏み込んでいく。もしかしたら裏切る気かもしれない。だが分かっていても進まねばならない時もある。

 

「行きましょう。信じる気に、私はなれたんですから」

 

 サキの声にプラターヌは、「とことん、だな」と呟く。

 

「君はとことんだ。踏み込んだらブレーキを知らない。いずれ自滅する人間の動きだぞ、それは」

 

「でも、自滅するのにも何もしないで自滅するのと何か行動を起こして自滅する二種類があります。私は、何もせずに諦観の内に死ぬのは御免です」

 

 サキの強い語調にプラターヌは後頭部を掻く。

 

「……参ったな。地獄への道連れがここまで強情だと」

 

「博士こそ、まだ終わる気はないんでしょう?」

 

「当然」

 

 二人して下水道を進む。ポッチャマ達は導かれるように次から次へと排水管を渡っていった。サキら人間からしてみれば少し厳しいくらいの道筋である。しかしこの先に何かが待っている事だけは確定だろう。ポッチャマは自分を救った。何かをさせようという意図なのかもしれない。

 

「あのポッチャマ達、傷がありますね」 

 

 その時になってサキはいずれのポッチャマ達にも見られる小さな傷跡に気付く。プラターヌは、「縄張り争いだろう」と答えた。

 

「元来、ポッチャマは孤高を好む。プライドも高く、決して群れない。だが、今こうして群れを見られるという事は、だ。統率している何者かがいる」

 

「……敵でしょうか?」

 

「かもしれないね。いずれにせよ、何らかの意思があってわたし達を助けた。その意思を知るべきだ」

 

 プラターヌは構わず進んでいくがサキには鋭い傷跡が縄張り争いのような生易しいものであろうかと考えた。もっと別の、それこそ孤独を好むこのポケモンらしい経緯があるのではないだろうか。

 

「トレーナーでしょうか?」

 

「かもしれないし、そうではない可能性がある。汚水が綺麗になっているからポッチャマ達の行いには間違いないのだろうが、それが人間のためなのか、ポケモンのためなのかは彼らしか知らない」

 

 ポッチャマ達が隔壁に閉ざされた下水道の道に至る。行き止まりにしか見えないが先頭のポッチャマが鋭く鳴いた。するとそれに相乗するようにポッチャマが次々と規則正しく鳴き声を響かせる。隔壁の横のパネルが赤い電光表示から緑色のランプに変わった。まさか、とサキは息を飲む。

 

「今の、音声で電子ロックを解除した、って事なんですかね」

 

「だろうね。なに、不可能じゃない。音声を規則正しく、きっちりタイミングよく鳴らせられたら音声認証の擬似ロックならば解除出来る。なるほどな、ここが彼らの棲み処か」

 

 隔壁が開き視界に入った空間は天井の高い区域だった。恐らくは管理ブロックだろう。人が使っていたであろう工業用具が残っている。

 

「博士、やはり人が……」

 

「早計だ。見たまえ」

 

 プラターヌが指差したのは管理ブロックの奥に鎮座する影だった。人か、とサキは構えるが相手の背丈を確認してそれが杞憂であったと知る。

 

「ポケモン……」

 

 水色の両翼を有し、嘴を持っているのはポッチャマそっくりだがポッチャマに比べて目つきが鋭い。ポッチャマよりも攻撃に適した翼は長く、身構えたのは向こうも同じのようだ。ポッチャマのうち一体が歩み寄る。頭を垂れてそのポケモンに何やら報告しているようだが刹那、そのポケモンが鋭利な翼でポッチャマを引っ叩いた。その一撃だけでポッチャマの頬が切れて血が滴る。

 

 思わずサキは身を乗り出していた。

 

「何を!」

 

「落ち着け。これも群れでの通過儀礼だろう」

 

「通過儀礼?」

 

 サキが聞き返すと引っ叩かれたポッチャマは憤るでもなく静かに報告を続ける。怜悧なポケモンの瞳が細められサキ達を値踏みした。

 

「何を言ったのでしょう?」

 

「恐らくはどうして人間を連れて来たのか、だろうね。あのポケモンはポッタイシ。ポッチャマからの進化系だ」

 

 進化系。その言葉を聞いてポッチャマの延長線にあるその身体つきにも合点が行く。しかしならば何故、ポッチャマ達を従えているのか。

 

「ポッタイシは何よりもプライドが高く自分を一番偉いと感じているという調査報告がある。恐らくは群れの内ずば抜けて強い一体が進化し、こうして群れを統率するようになった」

 

「じゃあ、トレーナーがいるんじゃなく……」

 

「ああ。あのポッタイシが全てを導いていた」

 

 ポッタイシはポッチャマからの報告を聞き終えると今度は蹴りを見舞った。ポッチャマが転がりポッタイシを懇願の眼差しで見つめる。それを無為だというようにポッタイシは翼を掲げた。サキのような素人でも分かる。あの翼は鋭利な凶器だと。

 

「ポッタイシの翼は殺人級に鋭い。大木でも耐え切れぬほどの一撃を約束する」

 

 淡々としたプラターヌの口調にサキは我慢出来なくなって駆け出した。ポッタイシの横暴を止めなければ。それだけを考えての猪突をポッタイシは読んでいたのだろう。急に流れている水の勢いが変異し水そのものが散弾のように飛び散った。サキは瞠目する。避けようがない。

 

 その時になって悟った。ポッタイシの目的はあくまで人間である自分達の排除。この時を待っていたように水の散弾が降り注ぐ。しかし、それを阻んだのは無数のポッチャマによる「あわ」の攻撃であった。泡が皮膜のようにサキを保護し水の散弾の勢いを弱める。その行動の意味を解せないとでもいうようにポッタイシはポッチャマ達を睨んだ。

 

「きっと、ポッタイシからしてみればどういうつもりだ、だろうね。人間を招きいれただけでも許せないのに、さらに言えば人間を守るなんて」

 

 ポッタイシの言葉を代弁するプラターヌにサキは振り返ろうとして腰を砕けさせた。ポケモンの何のてらいもない真実の殺気にたじろいだのもある。今まで遭遇してきたのはあくまでトレーナーの使役するポケモン。野生のポケモンがこれほどまでに苛烈だとは思わなかった。

 

「ポッタイシは自分より弱い存在には決して心を許さない。さて、どう出る?」

 

 プラターヌは楽しんでいるようだったがサキからしてみれば堪ったものではない。振り返って叫ぶ。

 

「どうするんですか!」

 

「どうするもこうするも、こうなればボスと交渉するほかないだろう。ポッチャマ集団は何のつもりで、わたし達を招いたのか」

 

 ポッチャマの内一体が声を発する。まるでプラターヌの言葉を翻訳するように。ポッタイシがそれを聞き止めるなり鋭い眼差しで睨んだ。激しい声音が管理ブロックの高い天井に木霊する。

 

「……いきり立っているねぇ。だが、わたし達は敵じゃない。敵に追われてここに来たんだから」

 

 ポッチャマは自動的に通訳しているらしい。ポッタイシはしかし譲るつもりはないようだ。翼を振り上げるとその先端が銀色に輝いた。プラターヌは落ち着いて声にする。

 

「メタルクロー。そうだろうね、そう来るのが筋だ」

 

 瞬間、ポッタイシの姿が掻き消えたかと思うとプラターヌの首筋へと翼を突きつけていた。あまりの素早さにサキは目を見開く。ポッチャマ達が慌てたように声を相乗させるがポッタイシは一声で制した。

 

「わたしの首を切って見世物にするか? なるほど、それも一つの手段だろう。だが立場は違えど敵は同じなはずだ。わたしが知りたいのは、だよ。どうして北国での生活を望むポッチャマや君が、このような南国の、しかも下水道にいるのか、という話さ」

 

 サキはハッとする。孤高で群れを好まない性質のポッチャマ達が居ついた理由。それは人間に捨てられたからなのだとプラターヌは仮説を立てていた。ならば人間を恨むのが当たり前である。

 

 ポッタイシの突き出す鋼の爪がより鋭く輝く。殺意の現れにプラターヌは両手を振った。

 

「やめないか? わたし達は恐らく仇なした奴に報復したい、という点では同じなはずだよ。ポッチャマ達も突破口を見出そうとして、わたし達を連れて来た。あのダストシュートから捨てられてくるのは何も生きている人間だけじゃあるまい?」

 

 ズーが最期の瞬間、使用したダストシュートには何が普段捨てられてくるのか。想像に難くない事実にサキは震撼する。

 

「まさか……あそこからは死んだ人間が……」

 

「それもDシリーズの出来損ないが。恐らくは捨てられてくるはずだ。君達は泥水をすすっただけではない。忌むべき人間の生き血まですすって生き永らえてきたはずだ」

 

 ポッタイシが身体を宙に浮かせて回転し様に翼を薙ぎ払う。プラターヌの身体を吹き飛ばすかに思われた一撃を防いだのはポッチャマだった。ポッタイシが鋭く鳴きポッチャマを威嚇する。それだけでポッチャマの展開した水の盾は霧散した。どれほど強力なのか、ポッタイシはまるで絶対的な法のようである。

 

「人間を恨むのも憎むのもよく分かる。だが手を取り合って復讐するにも君達だけじゃいつまでも叶わない。それこそ忌むべき人間の協力がなければ」

 

 何をするつもりなのか。サキは問い詰めていた。

 

「博士! 何を……」

 

「我々が生き残り、君達も生き残りたくば手段は選んでいられないはずだ」

 

 ポッチャマが沈痛な面持ちで翻訳する。ポッタイシは鼻を鳴らして鋭利な翼の先端をプラターヌの鼻先に向けた。

 

「いつでもわたしを殺せる、と? だが残念ながら君の主人になるべきはわたしじゃない」

 

 まさか、とでも言うようにポッタイシが振り返る。腰が抜けた状態のサキをプラターヌとポッタイシが眺めた。

 

「わ、私にやれって?」

 

 無理である、と否定しようとしたが、「頼むよ」とプラターヌが手を掲げる。

 

「ここで飲まなきゃわたし達の生存どころか全滅な上に一生お天道様は拝めないだろう。殺されるよりかはマシな提案だ」

 

「でも私……、ポケモンを使った事なんて」

 

「ない? ならこれから覚えるといい。幸いにして君にはポケモンの権威がついている」

 

 呆気に取られたようにサキが口を開けているとポッタイシがポッチャマに向けて鳴き声を放った。ポッチャマはそれに従って鉄材で編まれた巣から一つの球体を取り出す。赤と白のカラーリングに彩られたモンスターボールを。

 

「……本気、なんですか?」

 

「本気も何も、ここで飲まない限り我々に明日はない」

 

 それはポッタイシにも言っているようだった。ポッタイシはポッチャマに命じてモンスターボールをサキの下へと転がしてくる。サキは手に取ってポッタイシを改めて見やった。全身傷だらけで、戦いのためだけにその生を投じてきたのが分かる。まるで自分のようだ、と思ったのはあながち間違いでもないのかもしれない。

 

「ぽ、ポッタイシ……」

 

 及び腰でサキが口にするとポッタイシが鋭い一瞥を投げる。それだけで身が竦み上がりそうだ。野性とはこれほどまでに気高く、また強靭なのか。

 

「心配いらない。わたしがついている。まずはモンスターボールのシステムから説明したいところではあるが、ここは簡易的に行こう。ボールを投げつけるんだ。ポッタイシに向けて」

 

 殺意の塊のようなポッタイシにモンスターボールなど意味を成すのだろうか。サキはおっかなびっくりにボールを振り上げた。するとポッタイシがプラターヌの首筋から翼を離し、一気にサキへと肉迫してきた。その速度に呑まれそうになる。プラターヌが声を張り上げた。

 

「投げるんだ! ヒグチ・サキ!」

 

 サキはほとんど目を瞑ったような状態でモンスターボールを投擲する。ポッタイシの額に当たったかと思うと赤い粒子となってポッタイシはボールに封じられた。何度かボールが揺れてからカチリと音がする。プラターヌが息をついた。

 

「危なかったね」

 

「あ、危ないも何も……」 

 

 自分がけしかけたくせに、と恨み言を言う前にポッタイシ達が次々と頭を垂れてきた。異様な光景にサキは戸惑う。

 

「次の主人を見つけたんだ。ポッタイシがリーダーであった。それを封じたヒグチ・サキ警部。君こそがリーダーだ」

 

 プラターヌの声にサキは困惑する。

 

「でも私には、そのこんなたくさんのポッチャマ達を」

 

「捕まえなくっていいさ。ただ、主君と共に彼らも出たいのだろう。この穴倉から」

 

 管理ブロックはそのまま上層への階段に繋がっておりサキは唾を飲み下した。

 

「何で? だって階段を上ればすぐなのに」

 

 どうして彼らは脱出しようとしなかった。その疑問にプラターヌが応じる。

 

「ただ脱出したところでよくてポケモントレーナーの手持ち、悪くて殺処分だ。これだけの群れ、もしかしたらニュースで大々的に報じられてそれこそ彼らの求めていないトレーナー達の争奪戦に巻き込まれるかもしれない」

 

 群れで動くとなると彼らは慎重にならざるを得なかった。だからこそついた傷跡なのだろう。

 

「ヒグチ・サキ警部。今は何時だ?」

 

 プラターヌの問いかけにサキは時計を見やる。

 

「午前か午後なのか分からないですが、八時ですね」

 

「結構。朝ならばまだ人々が動き出す前、夜ならばそれはそれで都合がいい。彼らと共に地上に戻る」

 

 思い切った声音にサキは、「でも」と濁す。

 

「戻ったところで私達の居場所は……」

 

 形式上、死んだ事にされているかもしれないのだ。それでもプラターヌは弱音を吐かなかった。

 

「君がわたしを誘拐した時点で、もう転がり出した石だ。なに、お互いにお天道様に顔向け出来るような行いにはもう戻れない、という事さ」

 

 サキは固唾を呑む。地上にはもう自分達の居場所などないかもしれない。

 

「それでも、やるんですよね……」

 

「それでもやるのが、君だろう?」 

 

 プラターヌの問いかけは最後の戸惑いをサキの中で解き放つ。立ち上がったサキは鋭い双眸を天井に向けた。

 

「行きましょう。ここを出て、外の世界に」

 

 たとえ戦いしかなくとも。サキはポッタイシの入ったモンスターボールを固く握り締めた。

 



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第六十六話「突き崩す者達」

 

「――と、いうわけさ」

 

 オサムの言葉を一部始終聞き、マコは顔面蒼白のまま問い返していた。

 

 オサムによれば既にサキの処分は行われた後であり、自分も処分項目に入っていたのだという。震撼すべき事実にマコが打ちひしがれているとディズィーは疑問を口にした。ディズィーの部屋には誰も来る気配はない。今は連絡を絶っているのだというディズィーをどこまで信じるべきかにも寄る。

 

「きな臭いのはツワブキ家だね。その話によると、ツワブキ家がどこまで支配しているのか、って具合になる」

 

 ディズィーの声にマコは一番に気になっていた事を紡ぎ出す。

 

「どうして、あの家にダイゴさん……、ツワブキ・ダイゴを招いたの?」

 

 オサムによればダイゴも自分とさして変わらぬ存在なのだという。Dシリーズと呼ばれる存在であり、量産された初代ツワブキ・ダイゴの模倣体。どうして初代の顔と身体を再生する必要があったのか。そこまではオサムも知らないとの事だ。

 

「なにせ、僕はD036。三十六番目の個体だ。ロストナンバー一歩手前だよ。廃棄されていてもおかしくなかったし実際、半分は廃棄状態だったけれどこの足を得て、僕に利用手段があると分かったらしい」

 

 オサムが捲り上げたズボンから妙に色の違う足が覗く。その足には刻印があった。オサムがさらにズボンを捲っていくと何と繋ぎ目が見られた。マコは吐き気を抑えるように口元に手をやる。

 

「それって……」

 

「元々の僕の身体じゃない。この足は、初代のものだ。カナズミの各病院に初代の肉体の一部が保管されているって事は?」

 

 マコは当然首を横に振る。ディズィーも、「聞くに堪えない」と吐き捨てた。

 

「だろうね。女の子達には刺激が強いかな?」

 

 しかしオサムはディズィーを見ずにマコにだけ挑発的な物言いをした。まるで意図的にディズィーの存在を排しているかのように。

 

「そんな事、許されるっていうの?」

 

「誰が許したわけでもないし、誰が裁くわけでもない。ツワブキ家の計画通りならば、何かが必要なはずなんだ。躯体だけではない、何かが……」

 

 つまり初代ツワブキ・ダイゴの再現、という計画に留まらない何かがあると言いたいのだろう。マコは顎に手を添えて考え込む。

 

「そもそも、何で偉人を再生したいのか、ってのが私、ピンと来ない。だってもう死んじゃった人でしょう? それをもう一度、ってのが」

 

「マコっちの言う事も正しい。死んだ人間に何を聞く? あるいは何を望む?」

 

「これは僕の憶測でしかないが」

 

 オサムは声を潜めた。思わずマコも前のめりになる。

 

「……自分を殺した人間を聞き出すんじゃないかってのがもっぱらの噂だね」

 

「誰から?」

 

 情報源をディズィーは正そうとする。オサムは、「ツワブキ家の保有する団体の構成員」と答えた。

 

「そいつらが言っていたんだ。僕を見て、おぞましげに。やっぱり殺した相手を見つけ出したいのだろうか、ってね」

 

 オサムの言葉を全面的に信じるか否か、マコは悩んでいたがディズィーは何かが繋がったように呟いていた。

 

「初代の殺人。その犯人を突き止めたい。それがツワブキ家の目的か。きな臭いというよりもこれは何というか、異常だね」

 

 それには首肯せざるを得ないがマコはもう一つ気になる要素を訊いていた。

 

「何でその、ダイゴさんだけあの家に招かれたの? だってDシリーズだって言うのならばオサム君だって」

 

 オサムをマコは「君」付けで呼ぶ事にした。それが何やら一番適切な感覚があったのだ。

 

「僕が? そうじゃなくっても百番台以下のDシリーズの動きは制限がかかっているっていうのに、僕に探れるわけないだろう。まぁでも、あのD015……通称ツワブキ・ダイゴには何かしらあるのは否めないが」

 

「ある、というのは?」

 

 ディズィーの問いかけにオサムは眉根を寄せる。

 

「感覚的なものだから何とも言い難いけれど、僕にはあのツワブキ・ダイゴが他のDシリーズとは違う、完成形に近い気がする」

 

「完成形、それは初代?」

 

 マコの質問にオサムは幾ばくかの逡巡を挟んで、「そうなるだろうね」と答えた。

 

「でも誰も初代なんて見た事ないんじゃないかな? その、本物は」

 

 マコも教本の挿絵で見る程度だ。実際に初代の生きていた時期とは自分の人生は被っていない。

 

「もうちょっと上の世代ならば初代をリアルで見たかもしれないけれど、私なんて完全に声も知らないもん。それなのに初代の再生計画とか言われてもピンと来ないし、それがどれだけ大それているのかも……」

 

 常軌を逸しているとは思う。だが重要かと言われれば答えはノーだ。レイカやツワブキ家が躍起になってまで初代をもう一度、というのが理解出来ない。

 

「そもそも初代はもう現役引退していた。トレーナーとしての初代が欲しい、というわけでもないし目的に対して手段がちぐはぐだ。オイラも、この目的にしてはやり方が横暴過ぎる気がする」

 

 ディズィーの同調を得てマコは余計に疑念が深まった。どうして初代でなければならないのか。ツワブキ家は今でも存続しているし巨万の富がある。相続に相応しくない人間ばかりかと言えばそうでもない。ツワブキ家の長男はしっかり稼業を継いだし、他の兄弟達も癖があるものの定職についている。

 

「僕もそれは分からない。使役される側だからね。ただツワブキ家からしてみれば初代再生計画は急務らしい。僕のようなロストナンバー寸前にも手を出した」

 

「そのロストナンバーってのもいまいち分からないんだけれど……」

 

 オサムの話を統合すれば初代に相応しいかどうか、というだけの価値基準。トレーナーとしての強さ、あるいは判断能力ではない。どうして百番台以下は切り捨てられたのだろう。

 

「勿体無いよねぇ……。だってせっかく造った初代の身体じゃん」

 

 人造人間だとしても造るのに時間も金もかかる。それを何百体も、というのが理解の範疇を超えているのだ。オサムは、「デボンの財力はよく知らないが」と前置きする。

 

「ただ単にツワブキ・ダイゴを真似ればいい、ってわけでもないらしい。それなら外見を突き詰めれば完成と言う事になるのだが、どうもそうではない事は数々の失敗が証明している」

 

 究極的な外見の模倣だけならばそう何度も失敗するとは考えづらい。マコは顎をさすりながら考え込んだがやはり自分では答えが出せそうになかった。

 

「ツワブキ家が何を考えているのか、なんて私達に分かるわけないよね……」

 

「でもそれ一つで君は殺されかけた? 違う?」

 

 オサムの鋭い指摘にマコはうろたえる。

 

「何で殺す対象なのか聞いた事は」

 

 ディズィーの探りにもオサムは首を横に振るばかりだ。

 

「知っていれば苦労はしないね」

 

 会話の主導権が握られている感覚がしてディズィーは気に入らないのだろう。しかしマコはこの真実に触っていそうで障っていない今の感覚が心地よかった。決して無知なわけではないがもしかしたら真実とは時に近づきすぎれば毒になるのではないだろうか、とも思っていたのだ。自分がたった一人でサキの行方を探しても限界が来たように。

 

「ディズィーさん。ここまでやってもらってあれだけれど、私、オサム君を問い詰めたところで意味がないような気もしている」

 

 マコの弱気な発言にディズィーは目を見開いて、「何を言っているんだ」と声にする。

 

「マコっちの命がかかっているんだよ? こいつを野放しにすればそれこそ危険だ。こいつの生存はマコっちのもしもの時の生存カードになり得る。だから生かさず殺さずで置いておくのがちょうどいい」

 

「酷い言い草だな」

 

 オサムの声にそれもそうだと感じつつディズィーは何よりも自分の安全を考えての行動だと思った。どうしてそこまでしてくれるのだろう。ただ単に行き会っただけの他人なのに。

 

「その、ディズィーさん、何でそこまで……」

 

「何で? オイラがヒーローだからに決まっているだろう? ヒーローは一度のピンチを潜り抜けたら、もう被害者を見離す? 違うね。ヒーローは本当の安全が確認されるまで決して目を離したり、あるいは逃げ出したりしない」

 

 マコにはそのヒーローごっこも無理をしているような気がしてならない。なにせ相手は天下のデボンである。ディズィーの身に危害が及んでからでは遅い。

 

「でもディズィーさん、私のために仕事を断って……」

 

「その事なら何も心配しなくっていい。他のメンバーとは合流つける事にしたし、新曲のデモテープは既にオイラが作っておいた」

 

 差し出されたデモテープにマコは瞠目する。いつの間に録音したのか。

 

「でもその、行動の妨げになるようなら……」

 

「マコっち。そういうのいけないな」

 

 ため息をついてディズィーは首を横に振る。マコは、「えっ」と声にした。

 

「何がでしょうか?」

 

「自分の安全を度外視し過ぎている。マコっちだって居なくなったら悲しいんだ。それをきっちり考えるべきだよ」

 

 マコは自分が居なくなって誰かが悲しむ様子を想像出来なかった。せいぜい大学生の身分だ。急にいなくなっても恋人が出来ただのなんだの邪推するほうが容易い。

 

「私は、どうせ大学生ですし。適当にふらついているんだと……」

 

 ディズィーは、「だったら」と顔を近付けてきた。憧れの女性ボーカルの顔が間近に迫りマコはどうしてだか気恥ずかしかった。

 

「何を……」

 

 マコの手を取りその手に握られていたホロキャスターの履歴を呼び出す。

 

「何でこんなに不在着信があるのさ。君はきっちり心配されているよ。それなのに勝手に自分をラベル付けして守られるべきじゃないって言うほうが不親切だ」

 

 ディズィーの言葉にマコは口ごもる。両親からの何度も不在着信。出たほうがいいのは分かっていたがこれがツワブキ家に繋がり結果としてディズィーが危険に晒されるのだけは避けなければならない。

 

「でもディズィーさんは困るんじゃ」

 

「オイラならいいよ。どこへでも行ける。でもマコっちはこの街から出た後の事でも考えられる? ホウエンを旅して、それで居場所を見つけるなんて旅がらす生活を君に強いるわけにはいかない」

 

 ディズィーはこの街に偶然留まっているだけで理由がなければ明日にでもどこかへ行けるのだ。自分はどうだ? この街から巣立ってどこかの街を転々としてそのうちに居場所なんて見つけられるのか?

 

「私は……」

 

「確かにツワブキ家が見張っているかもね。でもさ、オイラは親御さんに心配かけたまま放置ってのもいただけないと思う。だって独り暮らしの君のお姉さんはまだしも、君はまだまだ子供なんだ。その可愛い我が子が姉を追って行方不明、なんて親なら笑えないよ」

 

 マコは黙してホロキャスターを眺める。どうするべきなのか分からなかった。これからもツワブキ家を追い、ダイゴの身元を確かめる覚悟があるのならば不用意にかけるべきではない。だが自分がそのような孤独な戦いに身を投じるタイプでない事は何よりも自分が知っている。

 

「私、どうするべきなのかな……」

 

「かけなよ」

 

 そう口にしたのはまさかのオサムであった。その声にディズィーが苛立った。

 

「何適当な事を――」

 

「適当じゃない。僕は、実のところ帰る場所も何も持たない、それこそ先ほどの話にあった旅がらす同然だ。性質が悪いのは旅がらすは居所を選べるけれど僕は選べないという事。拘束され、ツワブキ家の命令に仕える事しか出来ない、機械以下の人間さ」

 

「そうまで分かっていてどういう気だ? マコっちを追い詰めるつもり?」 

 

 どこまでも疑ってかかるディズィーに、「というよりかは逆だね」と答える。

 

「逆?」

 

「マコちゃんには、僕も放っておけないというか幸せになって欲しいんだよ」

 

 思わぬ言葉に面食らっているとディズィーが睨みを利かせた。

 

「あのな、そうやって取り入ろうとしても」

 

「ああ、言い方が悪かったかもしれない。あなたに不幸は似合わない。それだけだ」

 

 キザな口調にディズィーは、「丸め込もうってのかい?」と反感を剥き出しにする。オサムは、「何をさ」と返した。

 

「もう僕はツワブキ家からしてみても不用品。だってのに、帰ってみろ。足だけ切り取られて廃棄されるに決まっている。それなら僕はあなた達の味方につく事にした」

 

「デボンを、裏切るの?」

 

「裏切るんじゃない。正当に生きるための冒険だ、僕からしてみれば。一つ、重要な事実を教えよう。Dシリーズは元々は普通の人間であった。一から人間を造ったわけじゃない。誘拐した人間に遺伝子操作を重ね、今のツワブキ・ダイゴの形に整える。それがDシリーズだ」

 

 ならばオサムとて別の誰かであったのか。思わぬ事実にたじろいでいると、「だからって」とディズィーが割り込んだ。

 

「今さら自由が欲しいって?」

 

「馬鹿げているかな?」

 

「というよりも不自然だ。今まで従ってきたのに何で、って感じさ」

 

 ディズィーの言葉にオサムは頭を振った。

 

「今までは首輪もあったし、それに従う以外のメリットもなかった。でも聞いてみればマコちゃんのお姉さんであるヒグチ・サキも踏み込んでいるというじゃないか。それに加えてツワブキ家に紛れ込んだダイゴという存在。もしかしたら、と僕は感じたんだ」

 

「……デボンを突き崩せると?」

 

「それというよりもデボンを隠れ蓑にしている組織を暴けるかも、ってね」

 

 デボンを隠れ蓑にしている組織。マコはネオロケット団という組織名が真っ先に浮かんだがそれだけでもないのかもしれない。

 

「で、マコちゃんはお姉さんを取り戻したい。僕は自由が欲しいし、マコちゃんに力になれると思う」

 

「もしもの時に動けないなんて事は?」

 

「ない、と思うよ。僕のコドラ強かっただろ?」

 

 コドラの強さは圧倒されていたディズィーならば身に沁みて分かっているはずだ。これほどの戦力もいまい。

 

「ディズィーさん、私、オサム君をある程度は信じていいと思います」

 

「正気? こいつ、いつ裏切るかなんて」

 

「でも、屈服させたのは私です。なら私の目の前では裏切らないでしょう」

 

 強い語調にディズィーでさえも言葉を仕舞った。自分が倒したのだ。ならば自分を出し抜くような真似はしまい。

 

「マコちゃんは話が分かって助かるなぁ」

 

「……調子に乗るんじゃない。オイラは正直、こいつから搾り出せるものはもうないと思っている。ここで捨てても特に被るものもない、と」

 

「でもオサム君も命なんだし……」

 

「正義の味方は、悪人の命の心配なんていちいちしないよ」

 

 その言葉が何よりも突き刺さった。やはりディズィーは自分を助けてくれている。それも過保護なほどに。しかしマコにはそれがディズィーの自由を奪っているようで気が引けた。

 

「そろそろレコーディングだ。マコっち、オサム、第三者をここに呼ぶけれど、構わない?」

 

 ディズィーの言葉にマコはオサムと顔を見合わせた。

 

「私達がいていいの?」

 

「目を離すと何を仕出かすか分からない奴と、マコっちみたいな危ない子を二人っきりにはさせられない。なに、ちょっと音合わせするだけ。レコーディングって言っても、後はその子の音があればいいんだ」

 

 マコは改めてディズィーが商業音楽の提供者である事を思い知った。ただただ感服するしかない。

 

「オサム君は、どう説明するの?」

 

「家出少女と彼氏、くらいでいいんじゃない? オイラとしちゃ癪だが一番理解はされる」

 

 家出少女は間違いないが彼氏か、とオサムを見やる。オサムは、「演じるから大丈夫だって」と答えた。

 

「演技は得意なんだ」

 

「この状況すらも欺いているかもしれない人物がよく言える」

 

 ディズィーはそう呟いてからポケッチを取り出した。通話機能を呼び出して連絡を取っている。どうやら相手は三十分後には着くらしい。マコは緊張した。誰が来るのだろう。

 

「緊張しなくっていいよ。音合わせだけだし」

 

 そう言われても誰が来るのかも分からないのでは肩が強張った。オサムが、「リラックスしなよ」と声にする。

 

「あんまり緊張していると勘繰られる」

 

 自然体でいろ、という事だろうか。マコは腹式呼吸をして何とか素に戻ろうとした。

 

「マコっち。やっぱりちょっと変だよね。浮いてる」

 

「えっ、浮いていますか?」

 

「天然ってよく言われるでしょ。大丈夫だって。普通の人だから」

 

 そう説明されるとマコは今から会うのが普通の人物だと思い描く。ディズィーの知り合いで普通の人物。誰だろう、とマコは首を傾げた。

 



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第六十七話「これがアイドル!」

 

「くるくるー。衝撃の出会い、ユアーマジシャン! ってところかな?」

 

 突然押しかけてきた地味な服装の少女にそう告げられマコはどうしたらいいのか分からなくなった。あまりにも浮世離れした声音に戸惑いを隠せない。ディズィーが歩み出て、「いつもの癖を出すんじゃないよ」といさめた。てへ、と少女は舌を出す。現実ではてへと言って舌を出す人間を初めて見たのでマコは驚きを隠せない。

 

「その、あの……」

 

 しどろもどろになっていると少女は歩み寄ってきてマコの顔を凝視した。あまりの遠慮のない視線にマコのほうが顔を背ける。

 

「おやおやー。やましい事でもあるのかなー?」

 

 一体何者なのだろう。黒縁の濃いサングラスに帽子を被っており、コートも着込んでいるために体格さえも定かではない。ディズィーがその頭にチョップする。

 

「やめなって。怖がっているじゃないか」

 

「怖がっていないってば。ディズィーちゃんのイケズー」

 

 抗弁に呆れた様子でディズィーが紹介する。

 

「その、マコっち。全く怖がる必要はないんだ。君も知っているはずだよ」

 

 マコにはしかしこのような面妖な少女との対面経験はない。首をふるふると横に振ると少女は、「あれあれー」とまたしても芝居がかった声を出した。

 

「おかしいなぁー。ディズィーちゃんから何も聞いていない?」

 

「……君が来ると直接言えばマコっちは緊張してしまう。それくらいの人だって自覚はあるだろう?」

 

「そりゃあ、おじ様はすごいけれど、ルチア自身はすごいとは思わないし、まだまだ修行中の身だよー」

 

 ルチア、という名前にマコはもしやと思って尋ねる。

 

「あの、あなたは……」

 

「紹介するねっ!」

 

 少女はいきなりコートを脱ぎ捨てると共にサングラスと帽子を外した。その姿さえ流麗でマコは見入ってしまう。脱ぎ捨てた服の下には水色のドレスを着込んでいる。髪型はそれと同じ色のポニーテールで雲のような形状の飾りがついていた。マコは目の前に現れた少女の真の姿に瞠目した。

 

「あなた、ルチアさん、ですよね?」

 

「あれれー。やっぱり知っているじゃない」

 

 当然である。ルチアはホウエンでは知らない者などいないほどの有名人であった。

 

「コンテストライブの新星、ルチア嬢と言えば有名ですよ……」

 

 マコは身体が震え出す。ディズィーとルチア、この二名が目の前にいること自体が感動そのものだった。ルチアは気後れ気味に髪を掻く。

 

「いやはやー。ルチアも有名になったもんだねー」

 

「何を言っているんだか。気にしないで。彼女は分かっていて言っているんだ。強かな野心家だよ」

 

 ディズィーの人物評にルチアは頬をむくれさせて抗議する。

 

「失礼だなー。ルチアはまだまだ未熟なのは本当だし、それにあんまりイメージ悪くしないでよ」

 

「分かっているって。ルチア嬢」

 

「その呼び方、ディズィーちゃんに言われると嫌だなー」

 

 ルチアは腕を組んでそっぽを向く。この二人がどのような関係なのかマコにはさっぱり分からない。

 

「あの、音合わせをするって言っていましたけれど……」

 

「それね!」

 

 ルチアが取り出したのは水色に輝くベースである。マコは少しだけ意外だった。ルチアはポケモンコンテスト、つまりポケモンの美しさや逞しさ、カッコよさなどを競うコンテストの常連であって音楽とは無縁だと考えていたからだ。

 

「彼女、これで現役女子高生兼コンテストスターでね。実は幼少時より音楽には造詣が深いんだ。だからオイラのグループ、ギルティギアのサブメンバーとして雇っている」

 

 初耳の情報にマコは、「そんな凄かったんですか……」と感嘆した。ルチアは、「いやぁ」とまんざらでもなさそうだ。

 

「でもディズィーちゃん、珍しいね。関係者以外を部屋に立ち入らせるなんて」

 

「ああ。彼女、家出中でね。彼氏と共に行き場をなくしたところを保護したわけ」

 

 まるで動物の言い草であったがルチアは即座に納得したらしい。

 

「なるほどっ。ディズィーちゃん正義の味方だもんね。困っている人は見過ごせない……、まさしくヒーロー!」

 

 褒め称えるルチアにディズィーは冷静である。

 

「褒めても何も出ないよ。さて、ルチア。デモテープを聴いてくれる?」

 

 デモテープを差し出しルチアは音楽プレイヤーを兼ねたホロキャスターに繋いだ。

 

「どれどれー?」

 

 ルチアはイヤホンをつけてそのリズムを足で刻む。マコはあまりに近い有名人に気後れしていた。ディズィーは読み取って声にする。

 

「気にする事はないよ。ルチアもお忍びで来ている。あんまりマコっちと状況は変わらないよ」

 

「何でです? ルチアさんは有名人じゃないですか」

 

「半年前から彼女のおじさんが行方不明でね。その行方を目下捜索中だというのが、警察の見解らしい」

 

 マコは目を見開く。

 

「初めて聞きましたよ、それ」

 

「言っていないからね。マコっちは知らない? ルチアのおじさん」

 

「いや、有名人の血縁関係なんて私……」

 

「ルネシティのミクリ」

 

 言いつけた声にマコは硬直する。まさか、という目線を向けるマコに対してディズィーは落ち着き払っていた。

 

「おじさんって……」

 

「そう。ルチアのおじさんはミクリ。このホウエンの王だ」

 

 あまりにも意外な関係性にマコは言葉もない。ミクリと言えばその若さと人気で女性ファンからの支持も厚い、今をときめくホウエンのチャンピオン。彼に勝つ事は大変難しいとされ、防衛成績も例年更新されているという。しかしそれほどまでのスキャンダルが報道されないのは何故だろう。マコの疑問にディズィーは、「あまりにもスキャンダルだから」と答えた。

 

「王の失踪なんて四十年前のカントーの第一回ポケモンリーグの再現になりかねない。ホウエンは事実を隠蔽し、今も王は次の防衛線のために調整中、だとしている」

 

「でも、隠し通せるんですか?」

 

「出来るだろうね。だって王は普段、顔も見せない」

 

「報道番組に出ているミクリさんは……」

 

「あんなの二年か三年前の映像さ。ここ数ヶ月での出来事だから対処のしようもない。あっ、これ、これだから」

 

 ディズィーが唇の前で指を立てる。マコとて言われずとも分かる。王の失踪など前代未聞だ。

 

「でも、ルチアさん、その割にはご機嫌ですよね……」

 

 マコの言葉にディズィーは、「虚勢だよ」と答える。

 

「自分が元気じゃないとおじさんが帰ってこないと思っているタイプの子でさ。誰よりも優しいが故に自分を傷つけてしまう」

 

 ディズィーの言葉には誰よりも近くでルチアを見てきただけの重みがあった。ルチアはイヤホンを外して息をつく。

 

「今回もなかなかの曲だね。名付けるとするならば!」

 

 ルチアが手を振り翳す。円弧を描いてルチアがアピールした。

 

「ときめき! 衝撃のヒット曲、だね!」

 

「そういうのいいからさっさと音合わせするよ」

 

 ディズィーはルチアのノリには乗らずに音合わせに入る。ディズィーも赤いギターを持っておりこれから音合わせに入るのだと思うとマコまで緊張した。

 

「音漏れとか……」

 

 マコの懸念にディズィーは軽く返す。

 

「音漏れなんてしないって。防音設備は完璧」

 

「そういう物件選んだんだもんね」

 

 ディズィーとルチアはまず基本の音を合わせてからリズムを刻む。

 

「ワン、ツー」

 

 ディズィーが歌い出した。ルチアもその歌声をよく聴いて落とし込んでいる。プロの演奏は圧巻であった。いつもライブで聴いているがそれ以上だ。自分の手の届く範囲で憧れのロックスターが歌っている。今回の曲は寂しげなバラード調であった。演奏中、まるでディズィーは別人だ。

 

 今までの軽い調子からは想像も出来ないほど苛烈に歌い上げる。彼女がいかに音楽にのめり込んでいるのかが分かった。いや、のめり込んでいるなどという生易しさではない。これは彼女が音楽を掴んでいるのだ。自分の音楽を見出し、自分だけの道を行く。いつでもギルティギアの音楽はそうであった。

 

「よっし。一曲終わり」

 

 ディズィーの額には汗の玉が浮かんでいる。それだけ必死なのだと思うとマコは感極まった。

 

「すごいね。ね」

 

 オサムへと同調を求める。オサムは、「僕には音楽を聴くような自由なんてなかった」と告げた。マコは改めてオサムが自分のような余人とは違う人生を送ったのだと知る。しかしオサムは立ち上がっていた。

 

「……そんな僕でも分かる。素晴らしい音楽だ」

 

 オサムのてらいのない賞賛にディズィーは、「当然」と返した。

 

「オイラの戦う場所はここだし」

 

 ディズィーにとっての譲れない戦場は音楽なのだ。マコは自分がディズィーの道を邪魔しているのではないかと気が気でなかったがそれが杞憂だとでも言うようにディズィーは歌い上げる。

 

 自由を手にする人々の曲。あるいは全てから見離された孤独な道を行く人の曲。世界の終わりでも希望があると告げる曲。あるいは愛されないと知っていても離さないで欲しいと願う曲――。

 

 丸々アルバム一曲分ほど歌ったディズィーは音楽を編集する。どうやら編曲も自分で行っているらしい。その多様な才能にマコはただただ感服するだけだ。

 

「ここ、ちょっと乱れているよね」

 

 素人には全く違いの分からない部分をディズィーとルチアは確認し合う。

 

「半音高い?」

 

「いや、これはオイラのほうだね。歌声で合わせよう」

 

 交わされる会話にマコは圧倒される。これがプロを志した人間の歩む道。茨の道でもただただ前を向いて歩み続ける。

 

 それに比べて自分は半端者であった。サキを一人で追うような勇気もなく、ディズィーに甘えるだけ甘えている。何だかとてもみすぼらしく思えてマコは顔を伏せた。

 



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第六十八話「作戦開始」

 

 ルチアによる曲の編成は三時間にも及び、ルチアは完成したデモテープを手に再び変装した。

 

「じゃあ会社に届けるけれど、ディズィーちゃんは来ないの?」

 

「ああ。他のメンバーにもよろしく言っておいて欲しいんだけれど、オイラしばらく休ませてもらうから」

 

 その言葉にルチアが、「何で?」と小首を傾げる。マコは自分のせいだという負い目があったので言い出せなかった。その代わりにディズィーはマコの肩を引き寄せる。

 

「ヒーローは、女の子を守らなきゃ。だろ?」

 

 その言葉だけで了承が取れたらしい。ルチアは首肯した。

 

「なるほどね。名付けるとすれば!」

 

「またか。もういいよ」

 

 呆れ返ったディズィーを尻目にルチアは決めポーズをつけて声にする。

 

「君とのゴールはフォーエバーラブ! だね!」

 

 マコは赤面してしまう。ディズィーが手を払った。

 

「いいから、行きなって。プロデューサーも怒るだろうし、それに君の監督を任されている担当からオイラがお叱りを受ける」

 

「そりゃ大変!」

 

 ルチアは駆け出しマコとオサムへと手を振った。

 

「お幸せに!」

 

 すぐさま車に飛び乗り嵐のようにルチアは過ぎ去っていった。

 

「……スゴイ人ですね」

 

「まぁ、ああいう慌しさもある意味じゃ珍しくもあるよ。この街でおじさんがいなくなったっていうのにそういうのおくびにも出さない」

 

 この街で、という部分にマコは疑問符を挟んだ。

 

「この街で、なんですか?」

 

「ん? ああ、これもこれね」

 

 唇の前でバツ印を作ってからディズィーは話し出す。

 

「カナズミシティではここ数ヶ月、いや数年か。謎の行方不明者が多数出ているらしい。その行方は一切不明で、警察でも抑えられないんだと。オイラも話を聞いた限りじゃ、行方不明者がもう一度見つかる確率は限りなくゼロで、その上犯人の目星もつかない」

 

 マコは消えてしまったサキの事が気がかりであった。その行方不明者に加わってしまったのではないかと。ディズィーはマコの頭を撫でる。

 

「大丈夫。お姉さんは見つかるよ。それにこの街で、って言ったけれど、おかしな点がたくさんある」

 

 ディズィーは部屋に入るなり鍵を閉めて扉に寄りかかった。

 

「ミクリさんほどの実力者が、どうして無抵抗に捕まるのか」

 

 それは確かに疑問点ではあった。ミクリはこのホウエンの王である。そのような人物が何の抵抗もせずに捕まるとは思えない。

 

「戦闘の形跡は?」

 

「あればもう少しマシなんだが……。どうやらないみたいだ。もしかすると今回、ツワブキ家がきな臭いと思っていたけれどそっちにも関係しているのかもしれない」

 

 もし、ミクリ誘拐にツワブキ家、引いてはデボンが関わっているのならば。それなら何らかの協定があって無抵抗に捕まった可能性が高い。そう考えるとマコはいてもたってもいられなくなる。

 

「……サキちゃんもツワブキ家に関わっていて、ミクリさんももしかするとデボンに拉致された?」

 

「かもしれない、だけさ。決め付けてかかるのは早計だよ」

 

 ディズィーは部屋の中央に座っているオサムへと目線を振り向ける。オサムは、「言いたい事は分かる」と告げた。

 

「僕がツワブキ家、デボンについて知っている事だろう? 生憎、ミクリとやらの行方は知らない。だが、言ったよね? 僕らDシリーズがただ単に造られた存在ではない事を。素体となる人間がいるんだ」

 

 まさか、とマコは総毛立つ。オサムは何でもない事のように言ってのけた。

 

「そのミクリっていう人も、もしかするとDシリーズの素材になった可能性がある」

 

 オサムの非情な宣告にマコは頭を振っていた。「いや……」と泣き出しそうになる。ディズィーが、「大丈夫」と慰めてくれた。

 

「心配ない。大体、一地方の王を成功するかどうか分からない実験に巻き込むもんか」

 

 ディズィーの言葉には一理あったがそれでも湧き出る感情は止め処なかった。

 

「でも、でもですよ……。あれだけ元気なルチアさんを見た後じゃ、私……」

 

 そこから先はすすり泣く声に阻まれた。ディズィーは自分の背中を撫でて少しずつ諭してくれる。

 

「大丈夫だって。オイラの言ったのも悪かった。君の気持ちを考えないで事実だけを言ったところで仕方のない事だ」

 

「マコちゃんが悲しむのも分かるよ」

 

 オサムの声にディズィーは敵意を滲ませる。

 

「お前が言うか」

 

「僕を恨んだところで、大元は正せない。マコちゃんの悲しみを癒せるのは、ただ一つ。お姉さんを見つけ出す事だ。だっていうのに、不安の種をばら撒く事はないだろう」

 

 ディズィーが反抗の声を出そうとする。しかしマコは制していた。これ以上、ディズィーにばかり甘えてもいられない。

 

「分かっているんです、私。サキちゃんにもディズィーさんに甘えていたって。だから本質が見抜けなかった」

 

「ツワブキ・レイカに関して言えば、何が本質かなんてまだ分からない。Dシリーズの事も、嘘八百の可能性もある」

 

「でもそうまでして、レイカさんは何かをひた隠しにしようとしている。何かがあるんです。私達がそれこそ窺い知れない、何かが」

 

 その確信に拳を握り締めていると、「マコちゃん」とオサムが呼びかける。微笑みを湛えた彼は情報を話した。

 

「僕が何度か干渉したんだが、ツワブキ家にいるD015に関して、彼を抹殺するかそれとも放置するか、という組織が存在する、と聞いた事がある」

 

「……何故、そんな事を教える?」

 

 警戒心を解かないディズィーに、「マコちゃんの力になりたいんだよ」とオサムは飄々として答える。

 

「D015。彼に関しても分からない事だらけだが、僕は鍵を持っているに等しい。同じDシリーズだからね。僕がむざむざ逃げ帰れば処分されるだろうが、同時に言えば、一般構成員程度ならば僕でも欺ける」

 

「つまり何が言いたいんだ」

 

「ツワブキ・レイカ。確かに強力だし、正面切って戦える相手ではない。組織としての力も確かだ。しかし末端構成員に関してはそうではないと考えている」

 

 オサムの言葉はわざと関心を集めているかのようであった。マコはその言葉の帰結する先を見据える。

 

「……末端構成員を、捕らえる?」

 

「まさか!」

 

 ディズィーが声を張り上げた。オサムはしかし落ち着き払っている。

 

「やるとすれば、僕の回収に来るであろう構成員を狙ったほうがいい。Dシリーズが解き放たれ、しかもシグナルが消失したとなれば事実関係の揉み消しに何人かは動員されるはずだ」

 

「そいつらから組織の情報を洗う」

 

 ディズィーが結ぶと、「不安かい?」とオサムが尋ねる。

 

「不安、というよりもベストなプランではない気がする。危うい綱渡りだ。末端構成員とはいえ弱いとも限らないし、お前を無力化する手段があれば真っ先に講じるだろう。正直言ってオイラ達が動いている事それそのものを秘匿したい。だってオイラは顔が割れているし、マコっちだってそうだ。お前だけだろう。この場合、裏切れば一番に利益が回ってくるのは」

 

「……随分と嫌われた様子だ」

 

 オサムの声にマコは一つの決断を迫られていた。このままディズィーとオサムだけでは話が平行線なのは違いない。どちらかに歩み寄らなければここから先に進む事も出来ない。マコは口を開いていた。

 

「……やりましょう」

 

「マコっち? でも危険だよ」

 

「危険でも承知でやるんです。後戻りの権利なんて、もう置いてきたんですから」

 

 サキを見つけ出す。そしてルチアのおじであるミクリも、絶対に助け出さなければならない。マコの言葉にディズィーは素直に承服出来ないようだった。

 

「だがオサムを追って相手が来るというのは不確定情報だ。それにオサムの位置も分からなければ……」

 

「位置は分からずとも昨晩の場所に何人かいるだろう。こっちから仕掛ける」

 

 強気なオサムの口調にディズィーは眉根を寄せる。

 

「それほど強気に出れるのが何だかあり得ないんだけれど」

 

「僕もちょっとは考える。これから先の身の振り方ってのをね。で、昨晩も話したけれど、僕らDシリーズのロストナンバーは細胞が不安定だ。研究者を襲わざるを得ない状況に立たされる」

 

「どちらにせよ、オサム君が生き永らえるにはこっちからやるっきゃないって事だね……」

 

 緊張を滲ませる。昨日の場所にもう一度赴くリスクは自分でも分かっていた。

 

「マコっち。同じ場所に二度も三度も行けばそれこそ足跡を残す。危ないよ」

 

「でも、ディズィーさんは引き受けてくれるんですよね」

 

 マコの言葉にディズィーは頭を掻いて、「参ったな」と呟く。

 

「マコっちの頼みなら断れないじゃないか」

 

 端末を取り出しディズィーは情報を打ち込む。すると昨日相手の情報を捕捉したのと同じ方法で今度は相手の情報に潜り込もうとしていた。

 

「何度も成功するのか?」

 

「枝をつけておいたから、相手のサイトの本拠地が移動してもこっちには分かるようになっている」

 

 ディズィーの言葉にオサムは感嘆する。

 

「そんじゃそこらの歌うたいのスキルじゃないね」

 

「オイラはヒーローだからね、っと!」

 

 エンターキーがー押されると相手の情報の詳細が覗き見られた。

 

「速攻でオサムを追うってのはないらしい。研究員や構成員を使って少しずつ、みたいだ。何でもDシリーズ初期ロットにはある程度楔があるからみたいだけれど」

 

「首輪が実際にあった。それに楔とは、多分一週間しか持たない呪いだ」

 

 Dシリーズが自分から逃げ出したとは考えないのだろうか。マコの疑問にディズィーが探りを入れる。

 

「逃げ出したDシリーズ自体はあったみたい。でも全部番号の上に排除済み、って書いてある。つまりDシリーズは逃げても対処のしようがあった」

 

「僕みたいに首輪を外したDシリーズは少なくなかったと思う。皆、多かれ少なかれポケモンによる戦闘技能もあるからね。でも多分、対処ってのは楔に他ならない。細胞が壊死する、と言われてきたけれどもっと酷い死に方なのかもしれないね」

 

 平然とそれを口にするオサムにマコは疑問を挟む。どうしてそこまで他人を貫けるのだろう。

 

「Dシリーズ同士で、知り合いだとかは」

 

 ディズィーの探りに、「いるわけない」とオサムは頭を振った。

 

「同じ顔の人間が会って、それで仲良しこよし? 普通に考えて不可能でしょ」

 

 それもそうだった。同じ顔の人間が顔をつき合わせたならばそこに待っているのは闘争だけだ。

 

「それにしたってデボンの一部部署なんだろうけれど管理はずさんだね。こんな一般端末で入れるんだから」

 

「罠かもしれないけれどね」

 

 オサムの声にマコは聞き返す。

 

「罠?」

 

「こうやって一つのサイトだけわざと入りやすくする。そこに隔離して情報を引き出すっていう罠」

 

 そう考えるとディズィーのやっている事がいかに命知らずなのかが分かってくる。マコは止めようとしたが、「今さら脅し?」とディズィーは強気だった。

 

「そんなのは最初に会った時に言うもんさ」

 

 ディズィーは迷わずどんどんと入り込んでいく。このままでは戻れないのではないか、というマコの懸念を無視してディズィーは一つの情報を探り当てた。

 

「こいつだ」

 

 画面に出たのは平凡な眼鏡の研究者である。名前に「ソライシ」とあった。

 

「こいつが今夜、昨日の戦闘場所に来る。こいつの担当班だからこいつに当たる」

 

「当たる、って真正面からってわけじゃあるまい」

 

「そうだね。オイラのクチートじゃ腕一本は持って行きかねない」

 

「僕のコドラでも殺しかねないな」

 

 物騒な会話にマコは割って入った。

 

「あの! 私なら」

 

 マコを二人して見やる。モンスターボールを掲げて口にした。

 

「私の、フライゴンなら……」

 



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第六十九話「デボンの闇」

 

 探知機を持ったか、というのが合図だった。

 

 デボンのバンに揺られソライシ班は昨日戦闘のあった場所へと赴いていた。ソライシ班班長、ソライシタカオ博士はこの任務に退屈すら感じていた。本社勤務での研究が許されるかと思えばこのような雑用係。本来ならば自分達があてがわれるはずもないのだが生憎の人手不足と内々で処理したいという本社の内情が関係していた。ソライシは他の研究員に呼びかける。

 

「さっさと終わらせて、Dシリーズも回収と行こう。残業は真っ平御免だ」

 

 そう言うと他の研究員も笑いかけた。

 

「全くですね。Dシリーズの管理だけでもいっぱいいっぱいですよ。D036の脱走あるいは死亡を細かく調査しろって言っても」

 

 付近に人影はない。あったとしても昼担当の調査班が人払いをしていた。

 

「Dシリーズ、呪われた血の末裔か。まったく本社は何を考えているのやら」

 

「命の薬も、何個か持って来ましたよ。D036の戦闘不能を考慮してね。でもこれ、あんまり他人に見られると」

 

 研究員の懸念をソライシは払いのけた。

 

「大丈夫だ。誰も見ちゃいないだろうし、それに命の薬を打たなければDシリーズの初期ロット運用に支障が出る」

 

 そもそもDシリーズについても最小限にしか情報を開示されていない。これではほとんど犬同然だ。

 

「足だけ残っているなんていうおぞましい事態になっていなければいいですが」

 

 探知機が反応する。やはり血溜りが広がっており乾燥しているもののD036の生存は絶望的になった。

 

「これを本社に報告……。死亡した、と――」

 

 その言葉を遮ったのは風に混じって何かが目に入ってきたからだ。ソライシは目を擦る。大粒の石が風に乗って運ばれてきていた。他の研究員も同様のようでいきなり目を押さえる。

 

「何だ? 視界が……」

 

 視界が瞬く間に茶色に染められていく。ソライシは周囲を見渡した。だが最早景色など目に入らない。全ては砂嵐の向こう側へと消え去っている。隔離されているのだ、と感じた瞬間、首筋に冷たい感触が当てられた。

 

「動かないでください」

 

 少女の声だ。ソライシは瞠目する。

 

「何のつもりだ……。産業スパイか?」

 

「大人しくしてくださったら危害は加えません。オサム君、ディズィーさん、そっちは」

 

「こっちは大丈夫」

 

「命の薬も確保した」

 

 続いた声にソライシは戸惑うほかない。何が起こっているのか。何に巻き込まれているのか。突きつけられていたのは青い輝きを放つドラゴンタイプの尻尾だった。槍の穂のような尻尾には攻撃性能が窺える。下手な事はしないほうがよさそうだった。

 

「何の目的で……。デボンを敵に回していい事なんてないぞ」

 

「こっちはもうとっくにいい事なんてないもんでね」

 

 背後から聞こえてきた声に振り返る前にソライシは昏倒させられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「上手くいったね」

 

 マコはフライゴンに命じる。自分達を追いすがろうという実力者はいなかった。ソライシ博士をコドラが背中に担いで走り抜けている。応急処置を施した程度だが昨日破砕したはずの鋼の表皮は復活しておりマコは並走するコドラを見やった。

 

「再生するんだ……」

 

「鋼タイプのポケモンは頑丈さがウリだからね。ちょっと表皮を打ち抜かれた程度ではすぐに再生出来る」

 

 オサムの声にマコは昏倒しているソライシへと視線を移す。

 

「何だかすごく悪い事をしている気分……」

 

「気分じゃなくって大企業の研究者の誘拐だから、割と重罪だよ」

 

 オサムの返しにマコは余計に口ごもってしまう。ディズィーがフォローした。

 

「マコっちとフライゴンの砂嵐がなければオイラ達だけなら強硬手段を取っていただろう。一人の死者も出さずに目的の遂行出来たのはマコっちのお陰だよ」

 

 ディズィーに褒められるのは悪い気がしない。マコが調子に乗って褒め言葉を受け取っているとフライゴンが鋭く鳴いた。何が起こったのかと振り返ろうとすると銃声が響き渡りフライゴンがそれを弾く。顔のすぐ傍で銃弾が掠めた。その事実に戦慄しているとオサムとディズィーが声を張り上げる。

 

「もう一回、砂嵐!」

 

「拳銃なんて当たる時は当たるし当たらない時は当たらないけれど、マコちゃんはどんくさいから当たりそうだ」

 

 オサムの声に反抗する気力も湧かないままマコはフライゴンに砂嵐の皮膜を張らせた。これで相手の銃弾は自分達に命中する事はないだろう。

 

「にしても、止まれとかなしに撃ってくるか」

 

 ディズィーの声にオサムは、「そういうもんさ」と段ボール箱を抱えながら走っている。

 

「こっちには重要な研究者と研究成果。それを明け渡すくらいなら、ってね。誰でも分かる理論だよ」

 

 それが殺人を許すメンタリティである事は震撼するほかないのだがマコはこの時ばかりは共感した。何とかしてソライシを運び出さなければならない。デボンに悟られずに、というのは不可能でも自分とオサムの生存はある意味では計画を乱すだろう。

 

「にしてもこの研究者、どこに運び込む? 当てはあるんだろうね」

 

 オサムの声にディズィーは応じていた。

 

「まぁね。防音や対電波には可能な限り対応している場所ならばある」

 

「どこですか?」

 

 マコの質問にディズィーは、「マコっちはよく来ている」と答えた。疑問を浮かべているとディズィーはウインクした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライブハウス……。確かに防音とそれに電波は」

 

 マコはホロキャスターの電波も通じていない事に気付く。ライブ中は基本的に携行端末を切っておくのがマナーだ。それでも対応出来ない時のために電波には耐性がある。

 

「なるほど、ここならば気取られずに済む、か」

 

 オサムは納得して周囲を見渡す。ライブハウスを初めて見るような眼差しだった。

 

「オサム君は、ライブとか来た事あるの?」

 

「あってもDシリーズに加わってからは全然。記憶ってものが欠落していてね」

 

 オサムがこめかみを突く。マコは悪い事を聞いたような気がして顔を伏せた。

 

「まぁ、オサムが来た事があろうがなかろうが、オイラ達が関わっている事がばれなければライブハウスを特定される事もない」

 

 実際、ライブハウスがあったのは喫茶店の地下でディズィーの懇意にしている店長が管理しているらしい。ディズィーは何度かギルティギアのライブをした事があるが最近はもっぱら大規模ライブが多く、このような小規模なライブスペースはもう使っていないのだという。

 

「最初のほうの、それこそ三回目くらいのライブだったかな。お客さんが満員でさ。結構困った」

 

 ディズィーは微笑む。マコもその回のライブには訪れていた。

 

「知っています。ディズィーさん達、汗まみれで」

 

「そうそう。それまでほとんど認知度なかったのにメンバーの一人が顔の利く奴だったから急にね。前宣伝なんてしたって集まらないぜ、って言っていたのに」

 

 懐かしい事を回顧するようにディズィーは目を細める。マコはそのディズィーの輝かしい経歴にこのような泥を塗ってしまった事が申し訳なかった。

 

「……私が無茶言わなければ、ディズィーさんがこんな事に巻き込まれる事なかったんですよね」

 

「でもマコっちの命は救えなかった。それじゃ意味ないよ」

 

 ヒーローを自認するディズィーからしてみればマコの命を救う事が第一だったのだろう。しかしマコは謙遜した。

 

「私の命なんて……」

 

「それ以上は、言っちゃ駄目だ」

 

 ディズィーはマコの唇に指を当てる。仰天しているとディズィーはその指で額にデコピンを食らわせた。

 

「マコっちは自分の思っている以上に愛されているんだから」

 

 デコピンされた額をさすり、マコは覚えず涙がこぼれ出しているのを感じた。ディズィーが慌てて取り成す。

 

「えっ、マコっち、痛かった……?」

 

「いえ、私……、サキちゃんがよくこうしてくれて……」

 

 デコピンは自分とサキが会う時の約束のようなものだった。今さらにサキの存在の大きさが窺えてマコは溢れ出す涙を止められなかった。

 

「……大事なお姉さんだったんだよね」

 

「サキちゃん、今頃どうしているんだろう。お腹空いていないかな」

 

 それどころか命があるのかどうかすら分からないのだ。マコは不安に駆られた。

 

「杞憂じゃないのかな。マコちゃんがいくら心配してもヒグチ・サキがどうにかなるわけじゃないし」

 

 オサムの冷たい声にディズィーが目くじらを立てる。

 

「そういうの、女の子の前でどうかとか思わないのか?」

 

「いちいち心配して感情移入するのもどうかって話だよ。マコちゃんはもう共犯だ。デボンに敵対する、って意味じゃ変わらないんだよ」

 

「だからって、マコっちの意思を尊重していないわけじゃない」

 

 ディズィーとオサムが対立する。マコは涙を拭って慌てて割って入った。

 

「ケンカしないでって! 私はホラ! 何ともないし」

 

 納得し切っていないディズィーがオサムを責めようとすると、「あの……」と声が漏れ聞こえた。全員が振り返る。

 

 椅子に縛り付けられたソライシが周囲を見渡して小さく声を発していた。

 

「ここは、どこなんだろうか……」

 

 誰が最初に口火を切るか、と思っていたが最初に対応したのはオサムであった。その顔に見覚えがあるのだろう。ソライシは僅かに緊張したようだ。

 

「Dシリーズ……」

 

「036、あんた達につけられた番号だ」

 

 オサムが肩口に刻印された番号を見せ付ける。ソライシは顔を伏せた。オサムの反逆にあった、とでも思っているのだろうか。

 

「えっと、ソライシ博士、でいいんだよね?」

 

 ディズィーの声にソライシは改めて異様な集団だと感じ取ったようだ。ディズィーを見、次いでマコへと視線を移しても解せなかったらしい。

 

「君達は……」

 

「デボンが気に入らない連中だよ」

 

 ディズィーが簡潔に言い放ち、ソライシに尋ねる。

 

「Dシリーズの初期ロットの細胞が不安定だって言うのは?」

 

 ソライシは少しの逡巡を挟んでから答える。

 

「本当、だが」

 

 マコは首肯して同時に確保した命の薬の箱に目線をやる。恐らく三か月分はあるだろう。一週間に一回でいいのならばオサムの命の危険は回避された。

 

「何で君達は、このような事を。私を捕らえても、デボンを脅迫なんて」

 

「そんなつもりは毛頭ない」

 

 答えた言葉に理解が及ばなかったのだろう。ソライシは小首を傾げる。

 

「……君達は、何で動いている?」

 

 その質問には答えるべきだとマコは感じた。ディズィーへと視線を送り彼女は説明を始める。

 

「まず、彼女、ヒグチ・マコがお宅らに狙われた事だが――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全てを聞き終えたソライシは沈黙していた。デボンコーポレーションの裏の顔、知らないはずもないだろう。しかしソライシは、「分からないのは」と口を開く。

 

「何でDシリーズを丸め込めたのか、という話だ。何か理由が?」

 

 オサムへとソライシは目線を向けるがオサムは答えを保留した。

 

「さてね。僕も自由の身が欲しかったのもある」

 

「どちらにせよ、Dシリーズは我が社の所有物だ。そう易々と君達がどうこう出来る代物じゃないぞ」

 

 ソライシの言葉には脅迫というよりも単純に制御の範囲ではないという警告の意味が強かった。確かにオサムをずっと管理しておくのは難しいかもしれない。

 

「でも、だったら何でツワブキ家はダイゴさんを家に?」

 

 マコの質問にソライシはきょとんとする。

 

「ダイゴ……? 初代が何で?」

 

 とぼけるつもりだろうか。マコは追及した。

 

「ツワブキ家に、ついこの間からツワブキ・ダイゴさんが居ついたでしょう? その事に関して何も知らないって言うんですか?」

 

 自然と責め立てる口調になっていた。だがソライシは寝耳に水だというように頭を振る。

 

「ツワブキ・ダイゴだって……。Dシリーズじゃないのか?」

 

 そう訊かれればこちらも対処に困る。マコの代わりにディズィーが応じた。

 

「Dシリーズかどうかはちょっと分からないが、D015のナンバリングが施されているらしい」

 

「D、015……」

 

 ソライシは驚愕に顔を塗り固める。何かまずい事でも言っただろうか。顔を伏せて、「……あり得ない可能性ではないが、しかし、そうなると……」とぶつぶつ呟く。

 

「知っているんだな?」

 

 ディズィーの詰問にソライシは咳払いして答えた。

 

「私の推測通りならば、その彼こそが計画の要なのだと思われる」

 

「計画?」

 

 話にあった初代の再生計画だろうか。マコ達の疑問を他所にソライシは、「末端だが」と付け加える。

 

「これだけは知っている。精神エネルギーの依り代だろう?」

 

 思わぬ言葉にマコは目を見開いた。依り代、というのが分からない。

 

「どういう意味なのか。精神エネルギーって何の?」

 

 ディズィーの言葉にソライシは、「私も詳しくは」と濁す。

 

「だがDシリーズは全て、初代再生計画というコンセプトに沿って造られたのは間違いない。そしてその再生、とは初代の外見に留まらないのだと」

 

「死んだ人間をどうやって再現するってのさ」

 

 ディズィーが告げるとソライシは、「分からない……」と頭を振った。

 

「分からない、がツワブキ家はそれを推進している。その計画を阻止しようとする一派の動きがあって、君達はその尖兵、ではないのか?」

 

 思わぬ疑問にこちらも戸惑う。計画を阻止しようとする一派がいるなど初耳であった。

 

「そうなのか?」

 

 ディズィーがオサムに訊く。オサムは、「分かるわけがないが」と肩を竦めた。

 

「そういうのがいてもおかしくはない。ただしほとんど業界の独占を行っているデボンに立ち向かうなんて大仰な真似を出来る輩がいるってのも信じがたいけれど」

 

 ただしそうなってくると一つだけ、疑問が残る。マコはあえて口にしなかったが、ディズィーはソライシに事の真相を突き詰めた。

 

「その一派がいるってのは確定情報?」

 

 ソライシは命が惜しいのか容易く答えた。

 

「ああ、確定だ。その一派に何度もDシリーズがやられている。Dシリーズ同士では情報互換がないから知りようがないだろうがどうにもそいつらはこっちのピースが揃うまでに全てを邪魔したいらしい」

 

 ソライシの声音には本気の色が浮かんでいた。ディズィーはため息をつく。

 

「……嘘八百、ってわけじゃなさそうだが」

 

 視線をオサムへと移すと、「先にもあった通りさ」と答える。

 

「Dシリーズ同士で互換はない。だから知っている情報と知らない情報があっても不思議はない」

 

 ディズィーは、どうするべきか、と後頭部を掻いた。マコは一つだけ、ソライシへと尋ねる。

 

「その、ヒグチ・サキ、について、デボンでの情報はありませんでしたか?」

 

 ソライシはその名を聞いて小首を傾げる。

 

「だから分からないんだ。どうして一刑事がデボンの脅威に挙がるのかって事が。デボンならば、その程度揉み消せるだろうに」

 

 違いない。ディズィーが歩み出て、「今はお姉さんよりも」と声にする。

 

「ツワブキ・ダイゴ。D015。彼は何者なのか」

 

 ソライシは、「知らないほうがいい情報だと思う」と警告した。

 

「我々も必要最低限であるし。ただツワブキ家が自ら囲うって事は、それなりの意味を見出すべきだ」

 

「意味、というのは依り代関連か?」

 

 ディズィーの詰めた声にソライシは、「末端構成員だから」と応ずる。

 

「私が知りえるのはここまでだよ」

 

 その言葉にディズィーは諦めたらしい。マコはディズィーへと歩み寄る。

 

「その、ディズィーさん?」

 

「本当にここまでだろう。彼は嘘を言っていないし、それに自社の事に関しても客観的だ」

 

「じゃあどうするんですか?」

 

「簡単な事」

 

 ディズィーはソライシを睨みつける。

 

「ソライシ博士。あなたにも我々に協力してもらう」

 

 その提案にソライシは異議を唱えるかに思われたが存外に承服が早かった。

 

「いいだろう。私も死にたくはない」

 

「……意外だね。抵抗しないのか?」

 

 オサムの質問にソライシは、「ここで抵抗してみっともなく死ぬのは」と答える。

 

「それこそ愚の骨頂だろう。もうデボン社内では私を死んだものとして扱いが成されているはずだよ。それに君達はデボンを全く恐れていない。何か秘策でもあるのかもしれないが、警告しておこう」

 

 ソライシは三人を視界に入れて口にする。

 

「デボンは君達の考えているほど甘くはないぞ」

 



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第七十話「家族」

 

 夕飯だぞ、と呼びかけられてベッドに寝転がっていたダイゴは返事をする。

 

 手にはハルカから渡された万年筆があった。インクは充分に入っており使用する事が出来るがそれよりも気になったのは組み込まれている石だ。虹色でカットがかかっている。

 

「何かの加工石か。でもハルカ先生が俺にわざわざ渡しに来たって事は初代は相当石好きだったんだな」

 

 初代ツワブキ・ダイゴ。自分と同じ名前を持つ存在。誰もが似ていると口を揃えるものの、自分は初代の事を人伝でしか知らない。もっと知る必要があるのだ。それこそ大胆な手を使ってでも。

 

 降りていくと既にクオンとイッシンが食卓を囲っていた。料理を準備するコノハを労っている。

 

「ダイゴ。今日はすごいぞ。ハンバーグだ」

 

「それも石焼きの。コノハさん、よくこんな手間のかかるものを作ってくださるわ」

 

 クオンへとダイゴは尋ねる。

 

「リョウさんは?」

 

「いないけれど。そういえば姉様も見ないわね」

 

 クオンがきょろきょろしているとイッシンが見咎めた。

 

「レディがあんまりきょろきょろするもんじゃないぞ」

 

「あら、失礼。でも兄様と姉様も意地悪だわ。何でダイゴと一緒に夕食を食べないのかしら?」

 

 クオンの疑問にイッシンは顎をさすった。

 

「さぁな。二人とも忙しいんだろう。私は飯が美味ければそれでいいが」

 

 イッシンの言葉にクオンは言葉に棘を滲ませる。

 

「もう! 父様もそういう言い方は駄目よ。兄様と姉様がいないのが当たり前なんて、家の沽券に関わるじゃない」

 

「クオンも口調がママに似てきたな」

 

 イッシンが快活に笑う。ダイゴはそういえばクオンの母親に関しては一切聞いていない事に気付いた。

 

「クオンちゃん、お母さんは?」

 

 その質問にクオンを含め全員が凍りついた。何か聞いてはならないことを聞いてしまったのだろうか。その答えに行き付く前に、「数年前にね」とイッシンが口にする。

 

「突然、亡くなってしまって」

 

「あっ、俺すいません……。何も知らずに」

 

「いや、いいんだ。ダイゴ。知らない事は何の罪でもないのだから」

 

 本当に、そうなのだろうか。ダイゴは逡巡する。知らない事は何の罪でもない。しかし自分は知らないまま生きていく事など出来なかった。

 

「さぁーて、食うぞ! いっただきまーす!」

 

 イッシンの声にクオンがいさめる。

 

「下品だわ、父様」

 

 リョウはコノハの視線を感じつつもハンバーグを口に含んだ。味よりもこの先、どのようにしてイッシンを追い詰めるべきか。そればかり考えていた。イッシンは初代の死に様を知っているはずである。それを知っていて、なおかつ自分を引き取ったのだ。理由がなければそのような事には打って出ない。

 

「いやぁ、コノハさんの料理は絶品だなぁ」

 

 そう感想を漏らすイッシンにも何か計算じみたものがあるようでダイゴは警戒していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終えるとクオンの部屋に招かれた。

 

 ダイゴはピンク色を基調としたクオンの部屋で居心地悪そうに声にする。

 

「何で呼んだんだ?」

 

「ハルカ先生から、あの後どうしたのか、聞いていなかったから」

 

「それは……クオンちゃんが怒って行っちゃうからだろ」

 

 不満を滲ませた声にクオンは、「ちょっとイライラしちゃって」と額に手をやった。

 

「だって、ダイゴ、あたし以外でも普通に話すんだもの」

 

「そりゃ、話すよ。邪険にする意味もないし」

 

 ダイゴの答えにクオンは納得していないようだった。

 

「……そういうのが無頓着だって言うんだけれど」

 

「無頓着って。俺は差別しないし、何かを契約したわけでもないし」

 

 クオンは頬をむくれさせて、「ダイゴってば、そういうのに気が回らないのね」と言い放った。責められるいわれはないと思うのだがダイゴからしてみれば不服である。

 

「あのさ、クオンちゃん」

 

「何? 言っておくけれど、謝ったって許さないんだから」

 

 すっかりへそを曲げたクオンへとダイゴは、「参ったな」と首筋を掻いた。

 

「出来ればクオンちゃんに教えて欲しいんだ。君しか、多分知らないだろうから」

 

 その言葉にクオンは僅かに反応する。

 

「いや、というよりも今は君しか頼れない」

 

「もう一回言って。誰しか頼れないって?」

 

 何で何回も言う必要があるのだろうと感じたがダイゴは言った。

 

「ツワブキ・クオン。俺は君以外頼れない」

 

 クオンは満足したように何度も頷いた。

 

「そうよね。らら、ちょっと嫉妬していたみたい。あなたがあたししか頼れないのは知っているもの」

 

「出来れば穏便に行きたいんだ。だから君に教えて欲しい」

 

「何? 言える事ならば何でも」

 

「君のお父さん、ツワブキ・イッシンについてだ」

 

 イッシンの名が出るとクオンは僅かに肩を強張らせた。

 

「……父様の?」

 

「ああ。俺はこれから君のお父さんに接触する」

 

 その言葉は意外だったようでクオンは口の前に手をやって大仰に驚いた。

 

「何ですって!」

 

「俺は、何とかして知らねばならない。自分の事を。君のお父さんはそれを知っているはずなんだ。俺を引き取ったのはリョウさんだが、家長である君のお父さんの許可がなければ下りなかった話だろう」

 

「そりゃ、そうでしょうけれど……」

 

「どうにかして知る事は出来ないだろうか? 君のお父さんに近づくために必要な事を」

 

 ダイゴの問いかけにクオンは顔を伏せて呻った。

 

「難しいわ。だって父様は、デボンコーポレーションの現社長、言えない事のほうが多いと思う」

 

「そうか、だったらやっぱり最初に考えついた方法しかないな」

 

 ダイゴは立ち上がる。クオンが慌てて制した。

 

「何をするの?」

 

「俺は君のお父さん、ツワブキ・イッシンと対決する」

 

 その宣言にはクオンも狼狽した。

 

「何でそんな……!」

 

「一番に相手から情報を得るのには、戦うしかないからだ。俺は正直なところ、君のお父さんに疑念を持っている。こんな状態のまま何日も何ヶ月もこの家に置いてもらうわけにはいかない」

 

「……つまり、父様から直接、あなたをどうしてこの家に引き取ったかを聞き出したいわけ?」

 

 ダイゴは首肯する。本当ならばもう一つ、初代が何故死んだのかも聞き出さなければならない。しかしクオンには黙っていよう。彼女に余計な事まで背負わせたくない。

 

「あたしが同席していたんじゃ」

 

「きっとイッシンさんは何も言わないだろう」

 

 はぐらかされる事は目に見えていた。クオンは息をついて、「仕方がないわね」と呟く。

 

「それが、ダイゴにとって一番に大事ならば」

 

「すまない……。それとさっきの食卓での失言は」

 

「お母様の事? それは仕方がないわ。あなたは知らないんだもの」

 

 ダイゴはそれでも先ほどの食卓での沈黙は異様だと感じていた。母親が既に死去していたとして、あの空気感は何だったのか。

 

「こんな事を訊けば、君を傷つけるかもしれない」

 

「知りたい事は何となく分かるわ」

 

 ダイゴは一呼吸置いてから、「お母さんの、死は……」と口にしていた。

 

「病死、だと聞かされている」

 

「聞かされている?」

 

 家族なのにまるで他人事のような口調だ。ダイゴの怪訝そうな様子を悟ってか、「分からないのよ」とクオンは答えた。

 

「分からないって、お見舞いとかは……」

 

「あたしも小さかったし。でもその病気はとても危険で、移るから駄目だって言われていた」

 

 危険な病気。ダイゴはその病気の真実こそ、ツワブキ家の秘密に関わっているのではないかと推測する。

 

「ゴメン、クオンちゃん。俺、行ってくるよ」

 

 部屋を出ようとするとクオンがその背に呼びかけた。

 

「でも一つだけ守って」

 

 立ち止まって肩越しに視線をやる。クオンは真剣な眼差しだった。

 

「家族なんだから、憎み合わないで欲しい」

 

 家族。ダイゴは自分の中で反芻する。果たして今のまま、何も知らないままの家族など家族と呼べるだろうか。それは仮面のまま生活しているに等しい。

 

「俺も、出来ればみんなと家族になりたい。だから」

 



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第七十一話「ツワブキ・イッシンという男」

 

 ドアノブを握って部屋を出る。イッシンの姿は一階にはなかった。コノハが後片付けをしている。ツワブキ家ではお互いに知らない振りを決め込んでいたがこの時だけは尋ねた。

 

「イッシンさんは?」

 

「外のガレージにおられます」

 

「ガレージ?」

 

 聞き返すとコノハは目も合わせずに答える。

 

「ガレージでの彫刻が、イッシン様のご趣味ですので」

 

 初めて聞いた。ダイゴは礼を言ってからガレージに向かう。明かりが点いておりイッシンがいるのが窺えた。シャッターが開いておりその中で椅子に腰かけたイッシンが材木を磨いている。声をかけるべきか憚られたがこちらの気配に気付いたイッシンは尋ねた。

 

「何の用だ? ダイゴ」

 

「いえ、その……」

 

 イッシンが作り上げているのは精密なポケモンの彫刻でありコイキングと裸体の女性が瑞々しく刻まれている。

 

「この趣味か? 私にはこれが唯一の楽しみでね。まぁ表向きデボンの社長なんてしているもんだから肩が凝る。でもって、こういう細かい趣味だから余計に肩凝りは持病みたいになってしまって」

 

 笑い話にするイッシンだがダイゴはここに来て世間話をするつもりはなかった。

 

「イッシンさん」

 

「何だ、いつになくマジな声を出して」

 

 ダイゴは一呼吸置いてから、「聞きたい事が」と口火を切った。イッシンが彫刻刀を止める。振り返り、ダイゴを見据えた。

 

「私にか?」

 

「ええ、あなたに」

 

 ここで戦闘になるかもしれない。ダイゴは周囲を見渡す。ガレージにはアウトドア用の品々と車が三台ほど。少し狭苦しいが戦えない地理条件ではない。

 

 イッシンがやおら立ち上がりダイゴに聞き返す。

 

「私が答えられる事ならば、何でも答えよう。何だ?」

 

 改めてイッシンを目にすると隙がなかった。さすがは家長と言ったところだろう。ダイゴは唾を飲み下す。

 

「俺は知らなきゃいけない事がたくさんある」

 

「うん? さっきの食卓の事ならば気にしなくっていい。知らない事が罪だとは思わない」

 

「いいえ、俺からしてみれば罪なんだ」

 

 ダイゴは決意を新たにしてイッシンを見据えた。

 

「俺は知らなければならない。でなければ前に進めない」

 

「そこまで思い詰める必要はないさ」

 

「例えば、俺が何者なのか」

 

 ぴくり、とイッシンの眉が跳ねる。ダイゴは続け様に言い放つ。

 

「俺の名前、ツワブキ・ダイゴは初代のポケモンリーグの王であった、そのダイゴと意味があるのか。どうして俺の顔つきと初代が似ているのか、あなたはそれを知っていて、俺を招いたのか」

 

「質問が多いな。一つにしてくれ」

 

 イッシンの要求にダイゴは頭の中で整理する。この状況で、イッシンに問い質さなければならないのは。最も重要な事は――。

 

「あなたはツワブキ・ダイゴを、自分の父親を殺したのか?」

 

 その言葉にイッシンも息を呑んだのが伝わった。ダイゴは畳み掛ける。

 

「あなたが、ツワブキ・ダイゴを殺したな? 落し物の小道で、俺は聞いたんだ。あの場に居合わせる事の出来たのは研究者とツワブキ家の人間のみであったと。だったらあなただってツワブキ家の、しかも跡継ぎだ。何か殺す理由があったんじゃないだろうか。あなたは――」

 

「おいおい、いきなりだな。だが、お前の言いたい事は分かった。それと置かれている状況も」

 

 イッシンはダイゴの混乱を制するように声にしてから、「一つだけ」と告げる。

 

「違う! 私は初代を、親父を殺していない」

 

 本当か、その真偽を疑う前にイッシンは繰り返した。

 

「私は初代を殺していない。それどころか、逆だ! 私はこの二十三年間、ずっと。ずっとだ! 毎日のように探している。親父を殺した、その張本人を!」

 

 思わぬ告白に今度はダイゴが面食らう番であった。殺していないどころかイッシンは犯人を捜しているのだという。にわかには信じ難い。

 

「……ダイゴ。お前が信じられない、という顔をするのも分かる。なるほど、私ならば、初代、つまり親父を殺す事に何の躊躇いもないのだと。そう判断した条件、いや情報源を聞き出したいところだが」

 

「俺は口を割りませんよ」

 

 イッシンは肩を竦め、「冗談だ」と言った。

 

「口封じなんてしないよ。私は、これでもデボンコーポレーションを真っ当な企業として育て上げたいと思っているんだ。だって言うのに、汚れ仕事など」

 

 イッシンの口調には心底そのような事を侮蔑している声音があった。しかし、ならばDシリーズや初代に関する様々な事と食い違う。

 

「あなたは、デボンが真っ当な企業だと思っているのか」

 

「社長である私がそう思わなくって誰が思うのかね? 存外、大企業は皆悪人、だっていう先入観は間違いだぞ」

 

 微笑みさえ浮かべてみせるイッシンは本当に一片たりとも思っていないようだった。まさかデボンのやり口を全く知らないのか。

 

「俺は、デボンが本当に、クリーンな企業だとは思っていない」

 

「陰謀論か? 流行らないぞ、ダイゴ」

 

「あたながそうやって普通に俺の名前を呼べる事も分からない」

 

 ダイゴの言葉にイッシンは怪訝そうな目を向ける。

 

「何でだ? 家族だろう」

 

「かつて家族であった者の名前を、何の感情もなく、あなたは別人に投げられるのか」

 

 恐らくは殺されたであろう父親の名前を、全くの他人に。ダイゴの感情が伝わったのかイッシンは深く息をつく。

 

「お前の気持ちは分かる。だが私は、二十三年、二十三年間だ。ずっと父親殺しの犯人を捜してきた。それこそデボンの力を使えば容易かったかもしれない。この街はデボンの庭も同義だからね。しかし、だからと言って私は企業が私物であってはいけないとも感じている。デボンには五百人を超える社員がいる。彼らの生活がある。それを私は守らなければならない、とも感じているんだ。だからデボンを勝手に見限る事も出来なければ、思うがままにデボンを扱う事さえも出来ない」

 

 ダイゴにとっては意外そのものだ。イッシンは最初から怪しいと踏んでいた。この人物ならば全ての意図の終着点を持っているのではないかと思われていた。しかし蓋を開けてみればこれほど善良な人間だとは。驚愕と共にダイゴはどこか気後れしていた。もしかすると当たる人間を間違えたのではないだろうか。

 

「その、俺は……」

 

「だが、お前が私を怪しいと思うのも、初代殺しの犯人だと思うのも分かる。それは警察からずっとそう思われて監視されてきた私ならば誰よりも理解出来るからだ」

 

 監視。ダイゴにとっての意外な事実が二つも出てきた。イッシンは監視を受けていたというのか。驚愕に目を見開くダイゴに、「一時だがね」とイッシンは答える。

 

「私は、警察に監視、いいや保護されていた」

 

「保護?」

 

「ツワブキ・ダイゴの死は明らかに殺人であった」

 

 改めてイッシンの口から言われると真実味が増す。イッシンは、だが、と濁す。

 

「その近親者が犯人だとは思われていなかった。何故ならば初代ツワブキ・ダイゴの遺産などまるで存在しなかったからだ」

 

 それは自分の聞いた情報と食い違う。ダイゴは言い返していた。

 

「でも、精神エネルギーの技術に貢献してメガシンカの地位を不動のものにしたって」

 

「詳しいな。だがね、それは初代しか知り得ない方法でのメガシンカであった。それが間違いその一だ」

 

 イッシンが指を立てる。ダイゴは、「それは、おかしい」と頭を振る。

 

「それならばデボンがこれほどまでの優位を築いている証拠にならない」

 

「だから、二代目の社長がその技術を不動のものとした。つまりツワブキ・ダイゴの死の真相を一番に知っているのは二代目社長であった。これが間違いその二、かな」

 

 二代目社長。ダイゴはイッシンを見据える。それはお前だろう、という目線にイッシンは嘆息をつく。

 

「それは私、だと言っているね、眼が。言い忘れていた。私は三代目社長だ。私の前に、もう一人社長がいた。彼女が全てを管理していた」

 

「彼女……?」

 

 ここでどうして女性らしきものが存在するのか。ダイゴの疑問にイッシンは視線を振り向ける。

 

「考えてもみるんだ。男一人でどうやって家庭を切り盛りする? 当時、私はまだ右も左も分からない青二才。それがいきなり社長になんてなれるか?」

 

 そこでダイゴもハッとする。当たり前だが見落としていた事実。

 

「初代の、配偶者……」

 

 イッシンは頷き、「彼女、というのは語弊だったかな」と口にする。

 

「私の母は、初代が死んだ後の数年間、社長をしていた。だから私が三代目だ。初代の死について最も知っているのは母だ。いや、母だった」

 

 含めたような言い回しにダイゴは慎重に尋ねる。

 

「お母様は……?」

 

「亡くなったよ。ちょうど三年ほど前かな」

 

 またしても聞いてはならないことを聞いてしまったのではないか、という後悔が胸を締め付ける。だが今は少しでも前に進む事が先決だった。

 

「お母様から、イッシンさんは何も……」

 

 聞いていないのか。それが重要である。

 

「何も、か。確かに母は何も話してくれなかった。どうして親父は死んだ、いいや殺されたのか。でも私なりに推論は多数立てた。警察に保護されている時何度か警察官の話も聞いた」

 

「その、保護ってのが分からない。何でですか?」

 

 イッシンは自分の彫った彫刻を見やり呟いた。

 

「あの事件が連続殺人になりかねなかった、からだろうね」

 

 まさかの言葉であった。連続殺人? どうして初代の死が連続殺人になる? ダイゴの疑問に答えるかのようにイッシンは、「そこまでは聞いていない、か」と納得した。

 

「そうだろう。社内の人間、それも高レベルのポストの人間でも、あれが連続殺人事件のきっかけであったかもしれない、などは知る由もない。かん口令が敷かれ、家族しか知らない事実だ」

 

 ダイゴは一つでも取りこぼせば重大な見落としになると言葉を選ぶ。

 

「初代の死。それに対して考えられた推理は?」

 

「外部犯、という可能性はまず却下され、内部犯であるとされた。しかしそれにしては家族全員にアリバイがあり、なおかつ高ポストの研究員には殺すほどの理由もありはしない。動機のない殺人。だがデボンの社長を殺すというのは動機なしではあり得ない。ホウエンが引っくり返る重大事件だ」

 

「それに、初代は王でもあった」

 

「調べたな」とイッシンが口元を緩めてダイゴを褒める。自分にとってしてみれば一つでも多くの情報が欲しかった。

 

「そう、ポケモンリーグの王。防衛成績がさほどだったとはいえ実力者だ。それを殺すなど並大抵ではない。当然、高レベルのトレーナーが参考人として挙げられた。しかし距離や動機の不在、あるいはポケモンの相性などの関係性でことごとく却下され、結果的に家族の線に戻ってきたわけだ」

 

「それが、何年前ですか?」

 

「二十年、いいやまだ十九年程度かな。リョウが産まれていたくらいだった気がするし」

 

 ツワブキ・リョウ。彼は初代の死に深く関わっていると思われたが事件の時まだ子供だ。実行犯はあるとすればイッシンだろうと判じていた自分にとって二転三転する事件の概要は困惑の種になった。

 

「家族の、誰かが殺したんですか?」

 

「過激な物言いをするな」

 

 イッシンは首を横に振る。

 

「いいや。家族でもないだろう。私は親父に恨みはなかったし母親も特別不満もなかった。デボンのような巨大企業を牛耳るため、だとか思われそうだがそもそもそのような巨大企業を動かすノウハウを私も母もほとんど知らないんだ。素人考えで遺産だとか、企業の利益だとかは言わないでもらいたい」

 

 つまりイッシンは初代が死んでから初めてデボンという巨大な歯車を動かす機会が得られた事になる。そのようなハイリスクを負うとも思えなかった。

 

「お母様は、その、企業に望むところだとかは……」

 

「なかった。これだけは断言出来る。母は親父を愛していたし、わざわざ巨大企業を選んで嫁いできたとも思えない。つまるところ、私にも母にも初代を殺すような動機は存在しない」

 

 ダイゴはイッシンの母親、というものに関してはまるで知らない事に気付く。これでは勝手な物言いに聞こえるだろう。

 

「お母様の、名前は?」

 

「サヤカ、だ。ツワブキ・サヤカ。子供である私から見てもとても大人しい人だった。それこそデボンという巨大企業の頭には相応しくないと思えるほどに」

 

 初めて出た名前だがダイゴにとっては重要な事の一つだ。初代の配偶者。当然、真っ先に非難の矢が飛んだ事だろう。

 

「お母様は、ポケモントレーナーだったんですか?」

 

「ああ、たしなむ程度にはね。だが取り立てて強かったわけでもない。元々、家柄同士の結婚、という意味合いが濃かったから血の繋がりを重視しての事だったのだろう」

 

「血筋……、失礼ですがお母様の旧姓は?」

 

「こう言うと勘繰られるから嫌なんだが」

 

 イッシンは前置きしてから述べた。

 

「旧姓はフジ、だ」

 

 フジ。その名前に聞き覚えがあるような気がしたがダイゴの記憶には該当する者がいなかった。

 

「どのような家柄で?」

 

「ああ、そうか。これは一時話題になったんだがお前は知らないか。カントーで遺伝子工学での天才だと持て囃されたフジ博士。その一族の末裔であった、とされている」

 

「されている?」

 

 妙な言い草だ。まるで不確定なような。

 

「実際、母はそれ以上語りたがらなかったし警察もお手上げ状態でそれ以上調べ上げられなかった。何せ、フジ家は没落した家系だからな」

 

「没落……、何でですか?」

 

「フジ家はシルフカンパニーで優遇されていたと聞く。シルフ、の名前は?」

 

「それは辛うじて」

 

 かつてカントーでポケモン企業のシェアを行おうとした企業。しかし四十年前の第一回ポケモンリーグで本社ビルが倒壊。それ以降デボンに吸収合併されたと聞く。

 

「シルフなんてほとんど意味を成さないも同義な経歴。その企業で優遇されていた一家の末娘、であったらしい。らしい、というのはその家の家長も、あるいは家族も何も存在せず、ただ母であるフジ・サヤカと、彼女を支持する人間がいた、というだけだからだ」

 

 不明瞭な流れではあった。没落した家柄とこの世の春を謳歌するデボンとの婚礼など。イッシンは、「推測だが」と告げる。

 

「母の家系は焦っていたのではないだろうか、と思う。だからデボンの御曹司である初代との結婚を取り付けた。元々そういうのに疎い人だったから結婚程度ポーズだとでも思っていたのかもしれない。誰でもよかった、というのは母に失礼ではあるがね」

 

 イッシンは客観的に事実を語っている。しかしなおさら分からないのは支持する人間という部分だ。

 

「シルフにそういう支持派がいた、という事なのでしょうか?」

 

「いいや。私にも全く不明だが、叔父、とでも呼べばいいのか。そういう人の出入りがあった事だけは確かだ。その叔父の家系がどうにかして母と初代を結婚させたかった、と一度か二度愚痴られた記憶がある」

 

「叔父、ですか」

 

 ここに来て出てきた新たな勢力。その叔父はどこへ行ったのか。聞き出さなければならない。

 

「叔父はどこに行ったのか、なんて聞くなよ」

 

 先回りした声にダイゴは身を強張らせる。

 

「ホウエンの警察機構が目を皿にしても探せなかった一族だ。私が知るはずもない」

 

 つまりホウエンの警察はその叔父が犯人である説も捨てなかったという事だ。ダイゴは、「叔父さんについて、知っている事は」と口にしていた。

 

「まるで尋問だな」

 

「すいません。でも俺にはこういうのしか出来ない」

 

「いいさ。何度も聞かれた事をそらんじる事くらい。私も叔父には何度か会っただけだ。母の死に際と、葬式の時くらいか。それと初代の死の時。もちろん、警察だって馬鹿じゃない。叔父を調べたはずだ。何も出なかったから叔父は無罪放免なのだろう」

 

「叔父さんの、名前って分かります?」

 

 イッシンは、「名前、か」と呟く。

 

「それを知っていれば私とてどれだけ楽な事か」

 

「知らなかったんですか?」

 

「ならば逆に聞くが、親戚一同全員の名前を言えるか? お前は」

 

 ダイゴは返事に窮する。記憶喪失の自分にそのような問いなど。イッシンもそれを感じ取ったのか、「悪い」と謝った。

 

「お前にとっては酷な質問だったな」

 

「いえ……。でも客観的に、それは難しいですね」

 

 親戚全員の名前が言えるのか、と問われれば答えはノーだろう。ただでさえツワブキ家は多いのだ。それを全員把握するだけでも難しい。

 

「そう、難しいんだ。私だって親戚一同が集まっても、この人は私より偉いおじさん、程度しか分からんよ」

 



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第七十二話「ギリー・ザ・ロック」

 

 イッシンはぼやいて椅子に座り直す。どうやらひとしきり喋り終えたようだ。

 

「一番に謎なのは、その叔父さんですけれど、消息は」

 

 イッシンは頭を振る。

 

「それが分かれば、ね。風来坊みたいな人だったから」

 

 一番の容疑者が不在。だがホウエンの警察は彼を無罪だと判断した。二十三年も前の事件とはいえそれなりの裏付け捜査はあったに違いない。

 

「俺が、何とか追えませんか?」

 

 買って出た願いにイッシンは渋い顔をする。

 

「無理だろう。私も何度かそれを警察に依頼したが、一度だって探し出せやしなかった」

 

 イッシンもその叔父とやらを疑う気持ちが一抹はあったというわけだ。ダイゴは傷を抉るような言葉だと分かりつつも尋ねる。

 

「お母様が亡くなられた時にも、いたんですよね?」

 

「ああ、いた。あの人は、まるで影みたいに」

 

 思い出したくない記憶だろう。ダイゴはそれでも聞かなければならない。誰が初代を殺したのか。何の目的で殺したのだろうか。

 

「言葉を交わしたりも?」

 

「連絡先も知らないさ。それに家計図を引っくり返しでもしない限り出てこない人間だ。表向き、フジ家とツワブキ家の婚礼であってその叔父さんには何の関係もないのだからね」

 

 だがフジ家とツワブキ家を取り計らった影があったのは事実。その人物が何も掴んでいないわけがない。

 

「怪しい、ですよね」

 

 ダイゴの声にイッシンは同調する。

 

「ああ、怪しいと言えば怪しいが、これはそもそも初代の死が怪死だったから、出てきた噂話であって初代の死が実験の純粋なる失敗であったのならば疑う余地もない。実際、親父は追い詰められていたとも聞く。家に帰らない日もよくあった」

 

 メガシンカ研究が実を結ばない事に苛立ちを募らせていた。その裏付けもある。だというのに肝心の初代殺しが誰かは分からない。

 

「そもそも、殺しじゃない可能性もある……」

 

「その通り。ダイゴ、お前がいくら嗅ぎ回っても実を結ばない事かもしれない。私は何度も言うが、厚意でお前を引き取った。他意はない。お前の名前がツワブキ・ダイゴに決まった、というのは後からリョウに聞いたものだ。反対したい気持ちがなかったでもないが、私は我が子の意見を握り潰すほど傲慢のつもりもないし、親父への冒涜だとか、そこまで考えてやるほど親父が好きだったわけでもない」

 

 思わぬ告白にダイゴは、「お父様が、嫌いだったんですか?」と聞いていた。

 

「……家庭を顧みない父親だったさ。だから私は出来れば家にいるようにしている。母親がいないだけでも年頃のクオンにしてみれば寂しいだろう。コノハさんに任せるだけじゃ親としては失格だと思ってね。もうレイカもリョウも大人ではあるが、それでも母親がいないというのは大きかったはずだ。私は、そういう父親にはなりたくない。家族だけは守りたいんだよ」

 

 意外であった。イッシンはもっと冷たく、冷酷にデボンの利益を追求するような人間だと思い込んでいた。それはコノハに言いくるめられたせいでもあるが、どこかに疑いがなかったわけではない。

 

「だからお前には感謝もあるんだ。クオンを学校に行かせてくれてありがとう。まだちゃんとお礼を言えていなかったな」

 

 イッシンが改めて自分に頭を下げる。ダイゴはそれこそ謙遜した。

 

「いや、俺は何も……」

 

「そのようなはずがない。クオンは、あれで強情だ。何か、お前には特別なものを感じる。人を惹き付ける魅力とでも言うのか」

 

 イッシンにそう言われてダイゴは嫌な気分はしなかった。というよりも複雑であった。自分は相手の鼻を明かすつもりでやってきたのに感謝されるなど。

 

「俺には、そんな資格なんて……」

 

「あるんだよ。お前には、ある。だから私もクオンを任せられる」

 

「リョウさんやみんながいい人だから……」

 

 そう言いかけてダイゴの脳裏にちらついたのは警察手帳の表記であった。ニシノと同じ部署。何も知らないはずがなかった。それなのに何故、自分を匿っている。

 

 その疑問に硬直しているとイッシンが顔を覗き込んできた。

 

「どうした? むつかしい顔をして」

 

「いや……、リョウさんが警察に入ったのは、いつです?」

 

「うん? 二年ほど前だが」

 

「イッシンさん、あなたの奥さんが亡くなったのは?」

 

「……二年ほど前だが?」

 

 何か不服そうにイッシンは答える。ダイゴは考えを巡らせた。どこまでが計算だ? ツワブキ・リョウは何かを企んでいる。それに間違いはない。しかし何を? 肝心のピースがはまらない。一体ツワブキ家は何のために存在するのか?

 

「ダイゴ。疑り深い奴だな。お前のほうがよっぽど警察に向いているぞ」

 

 イッシンの皮肉にダイゴは、「でも不自然ですよ」と答えていた。

 

「その、奥さん、つまりリョウさんやクオンちゃんのお母さんの名前は分かりますよね?」

 

「馬鹿にしているのか? 私の妻の名前だ」

 

「その名は?」

 

「ヒガナ、だよ。ツワブキ・ヒガナ。それが私の妻であった人の名前だよ」

 

 ヒガナ。ダイゴは額に手をやる。何かが繋がりかけては霧散している。もう少しなのだ。フジ家とツワブキ家の婚礼を後押しした何者かの存在。イッシンの妻、ツワブキ・ヒガナ。何かが足りていない。ツワブキ家の人々は、何を隠している?

 

 ダイゴが相当思い詰めたように見えたのか、「なぁおい」とイッシンは呆れ声だ。

 

「何でも陰謀があるみたいに考えても仕方がないだろう。私の妻は病気で死んだんだし、それは誰にも回避出来ない不幸だったんだ」

 

「病気って、何です?」

 

「そりゃお前、重病だよ。死に至る病だ」

 

「だから、病名は」

 

 そう口にしてイッシンははたと言葉を止めた。何かに気付いたのか首をひねる。

 

「知らないんですね?」

 

 確信めいたダイゴの声にイッシンは頭を振った。

 

「知らないはずがあるか! 私の妻の病気だぞ!」

 

「では病名を」

 

 急かすダイゴに比してイッシンは呻っていた。思い出せないのか、あるいは最初から教えられていないのか。

 

「……だが死んだんだ。それだけは確かなはずだ」

 

「死んだ、確かにそうですか?」

 

 これは惨たらしい話かもしれない。それでも確認しないわけにはいかなかった。

 

「……何が言いたい?」

 

「初代と同じです。その死が偽装だったとすれば? つまり死んだのではなく殺された」

 

 イッシンが近くにあったテーブルを拳で叩きつけた。怒りを滲ませた顔をダイゴは直視する。

 

「殺された、だと? どこまで、お前は侮辱するんだ?」

 

「大事なんです、これは。不審な点はなかったですか?」

 

「不審、なんて。だってヒガナは、私の前で……。いや、あれはあいつから聞かされただけだったか? 病気だと、実際に私に言ったのは、誰だった?」

 

 どうやらイッシンでさえも混乱しているらしい。ダイゴは、「大丈夫ですか?」と汗だくの顔を覗き込む。

 

「ああ、悪い夢のようだ……。ダイゴ、お前は死神か? 何でこんな酷い事を言う? 私は、思い出したくもないのに」

 

 涙ぐんでいるイッシンの横顔に感傷が掠めたがそれに頓着している場合ではなかった。ダイゴは畳み掛ける。

 

「あなたが殺したんじゃない。それは話を聞けば分かる。でも、誰かがあなたの一族を脅かしている。それも聞けば分かった。じゃあ誰が? 一体誰が、ツワブキ家を脅かしているというのか。デボンの陰の支配者は一体誰なのか」

 

「やめろぉ! そんな事、知りたくもない!」

 

 イッシンは恐らくそのような事とは無縁だった。だからこうして喚けるのだが彼も全くの無関係として片付けるには危険だと感じているに違いなかった。

 

「どういう事だ……。つまり、ダイゴ。お前はこう言いたいのか。初代の死も、あるいは私がこの世に生を受けたのも、今もツワブキ家がデボンを管理しているのも何者かによる力添えがあったお陰だと。そいつがツワブキ家を陰から操ろうとしている、と」

 

 言い切りたくはない。しかしその可能性が話していると濃くなった。

 

「まずはその叔父さんとやらがどこにいるのか。そこから始めないといけないみたいですね」

 

 フジ家とツワブキ家を結びつけた何者か。今も生きているであろうその人物こそ、自分の過去に、初代の死に関わっている重要な人物だ。ダイゴは質問を重ねる。

 

「叔父さんに繋がる、何か重要な写真とかは?」

 

「あ、ああ。それなら今はリョウが使っている部屋に――」

 

 その言葉が消えるか消えないかの刹那、シャッターを破って何かの破片が一斉に襲いかかった。ダイゴは瞬時に反応してイッシンを押し倒す。赤い破片が機銃掃射のようにガレージへと突き刺さった。いくつかはシャッターを破るほどの威力を見せたが何発かはシャッターに防がれる形となった。ダイゴは襲ってきたその破片を見やる。見た目は赤い鉱石で鋭く尖っていた。

 

「これは……」

 

「何が起こったんだ?」

 

 ほとんど寝ぼけた状態のイッシンが頭を振る。ダイゴは敵の到来に肌を粟立たせた。

 

「敵、です」

 

「敵、って、何の?」

 

「恐らく、俺がイッシンさんに接触したから。これ以上の情報を引き出させないための、敵」

 

 今の状況から鑑みてそうとしか思えない。しかしイッシンは周囲に突き刺さった破片を見やっても信じられないようだ。

 

「馬鹿な。本気で殺す勢いだったぞ」

 

「そういう連中なんです。恐らくは……」

 

 Dシリーズ。あるいは自分を抹殺しようとする連中の一派か。ダイゴが拳を握り締めているとイッシンがやおら立ち上がった。

 

「おい! どこにいる!」

 

 ダイゴは慌ててイッシンを宥める。この状態では的だ。

 

「イッシンさん! 落ち着いて!」

 

「落ち着けるか! ダイゴ、いいか? 私はな、これでもイラつきもしないし、家に仕事も持ち込まない、公私の別はきちんとつけるし、何よりも家ではニコニコいいお父さんで通っているつもりだ。だがな! 家族を傷つけようとする奴だけは、生かしておけない!」

 

 イッシンがモンスターボールを手に取る。まさか、と思う間にイッシンは緊急射出ボタンを押し込んだ。

 

「いけ、ギギギアル」

 

 出現したのは巨大な歯車のポケモンであった。まず一つ、小さな二つの歯車が噛み合い、それぞれ回転している。その背後には一回り大きな歯車があり、それも個別に回転していた。さらにその下部には赤いコアがあり、それを覆うように円弧を描く三つ目のギアがあった。

 

 歯車の怪物、とでも形容すればいいだろうか。一つは小さなものに過ぎないのに合わさって巨大な力へと変貌した成れの果てに思えた。

 

「この、ポケモンは……」

 

「私のギギギアルを盾にして敵とやらを追い詰めるぞ。ダイゴ、ポケモンは持っているな?」

 

 既にやると決めた眼差しを注ぐイッシンにダイゴは気後れしながらも頷く。

 

「ええ。ダンバル」

 

 自分もダンバルを繰り出して周囲の警戒に努めた。どこから撃ってきたのか、まるで分からなかった。ダイゴは、「先行は危険じゃ」と言いかける。

 

「いや、あれだけ大雑把な攻撃だ。当たればいい、程度だろう。見ろ」

 

 イッシンが示したのはシャッターに突き刺さっている赤い鉱石である。どうして突き破ったものとそうでないものがあるのか、ダイゴも疑問であった。

 

「これは恐らく距離だ」

 

「距離?」

 

「一定距離から放った攻撃とそうでない攻撃。つまり相手の射程を窺い知るいいきっかけになる。シャッターを破った第一射は、なるほど、射程内だろう。だが第二射は射程外、つまりその線ギリギリのところで相手は詰めている、と考えていい。射程ギリギリを間合いにしている奴ってのは接近戦は苦手のはず。さっきの散弾で私達の頭をあわよくば、って具合だったんだろう。ところがシャッターがあった」

 

 ダイゴもそれで合点がいく。シャッターを破れるか破れないかの威力の差。それはつまり――。

 

「連続攻撃。一回こっきりの攻撃じゃない」

 

 イッシンは、「スジはいいな」とダイゴの推論を肯定する。

 

「岩タイプの連続攻撃となればそれは限られてくる。ロックブラストか何かだろう。鋼タイプならばシャッターは全弾破っている。これはあくまで岩だ」

 

 イッシンはそう判断しギギギアルを先行させる。まるで巨大な浮遊要塞だ。それそのものが大きな的になるギギギアルは弱点でもあり、同時に攻め手でもあった。ギギギアルの移動にダイゴは問いかける。

 

「相手、やっぱり見える範囲にいるってのが」

 

「そう考えるべきだろう。敷地内にいるのは間違いないが、それが広域射程だとも限らない。岩タイプの技、ロックブラストで私達を殺し、その後は、まで考えていたのだろうか」

 

 自分を殺すのはまだ解せる。しかしイッシンまで殺してしまえば目立ってしまうだろう。

 

「イッシンさんを狙う必要性は、ないわけですよね?」

 

「次いで、かもしれないな。お前を殺して、私も死ねば秘密は保たれる」

 

 ダイゴは歩みを止めて尋ねていた。

 

「秘密、というのはやはり……」

 

「叔父に関する事と、私の妻と母についての事だろう。その血縁を相手はお前に聞かせたくはなかった。その秘密が露見したと感じて攻撃を仕掛けてきた、と見るのが筋だ」

 

 やはりイッシンの叔父が何らかの手綱を握っているのは間違いない。ダイゴはギギギアルを見やる。

 

「ギギギアルの、射程は?」

 

「ここまで来たら仕方がない。教えよう。ギギギアルの射程は極めて狭い。だが、相手を捕捉する術ならば存在する」

 

 イッシンが鉱石を拾い上げてギギギアルへと放る。ギギギアルの内部で歯車が噛み合い、岩を噛み砕いた。

 

「何を……」

 

「解析中だ。これで相手のタイプからどのようなポケモンかまで分かる。さらに言えば。射程圏内ならば自動追跡が可能だ」

 

 砕かれた破片は細かい砂流となりギギギアルが巻き上げる。ギギギアルの歯車についている目が点滅し解析完了を教えた。

 

「ギギギアル、ギアソーサー」

 

 ギギギアルの最も小さいギアが弾かれたように飛び出したかと思うとそのまま宙を浮遊して何かを探しているようだった。

 

「イッシンさん、あれは何をしているんですか?」

 

「ギギギアルはもう敵のタイプも特性も覚えた。岩タイプならば微量に含まれている炭素を自動追跡し、その基となっているポケモンを洗い出す」

 

 ギギギアルのギアが止まったかと思うと一気に降下し一つの岩場へと突っ込んだ。岩場から何かが横歩きで飛び出す。ダイゴとイッシンはそれを視界に入れた。

 

 青い岩そのものの身体が突き出しており目に当たる部分は落ち窪んでいた。身体からは放出したのと同じ赤い鉱石が付着している。岩場に紛れ込まれればまず分からないその姿にダイゴは息を呑んだ。

 

「これが、相手のポケモン」

 

「岩タイプなのは間違いない。ギアソーサーによる一撃は効果抜群のはずだ」

 

 ギアが相手のポケモンに食い込んでいる。ギアが生み出した回転エネルギーによって一部分が抉られていた。小さなギアがギギギアルの下へと帰ってくる。

 

「なに安心しているんだ? ここからだぞ!」

 

 帰ってくるなりもう一つ、ギアが弾き出された。ギアによる弾丸攻撃が岩のポケモンを貫く。

 

「ギアソーサーは連続攻撃。一撃が命中すればもう一撃が約束される。私はお前を許すつもりはない。徹底抗戦だ! ギギギアル、ギアチェンジ!」

 

 ギギギアルの歯車が唐突に止まり、直後逆回転をし始める。その回転エネルギーが黄金の輝きを帯びた。コアが明滅しエネルギーが充填される。

 

「ダイゴ。私はこの岩ポケモンを押さえる。お前はトレーナーを」

 

 ダイゴは周囲に首を巡らせる。トレーナーがいるはずであった。だがまるで気配も感じられない。適当に攻撃しようにも周囲には隠れられそうな草場も岩場もない。

 

「イッシンさん、もしこのポケモンだけが単独行動をしている、という可能性は?」

 

「無きにしも非ずだが、だとすればトレーナーである我々を真っ先に狙うのは考え辛い。やはり操っている奴がいるはずだ」

 

 ギギギアルが岩ポケモンを追い詰めようとする。間断のない「ギアソーサー」の攻撃で岩ポケモンはほとんど体表を抉り取られていた。

 

「主人を呼べ。そうでなければここで潰えるぞ」

 

 容赦のないイッシンの声にも岩ポケモンは応答しない。ダイゴは必死にトレーナーを捜した。

 

「一体どこに……」

 

 ギギギアルが岩ポケモンを仕留めようとする。完全に勝負が決した、かに思われたが土色の衝撃波が突然、ギギギアルの直下から襲い掛かった。当然、ギギギアルは回避出来ない。地面が隆起しギギギアルは傾いだ。イッシンも足場を揺らされて姿勢を崩す。

 

「……やれやれ。お膳立ては整ったってワケだ」

 

 不意に聞こえてきた声にダイゴは咄嗟に手を払って攻撃する。

 

「ダンバル!」

 

 突進攻撃が放たれるがそれを制したのは巨大な岩であった。岩礁のような塊が地面から出現し相手トレーナーを守る。思わぬ伏兵にダイゴも目を見開いた。

 

「お前は……」

 

「説明していなかったな。ガントル、よくやってくれた。ツワブキ・イッシンの注意を引きつけてくれて助かったぜ。お陰でオレはお前に肉迫出来る」

 

 先ほどまでイッシンと戦っていた個体が短く鳴く。ガントルと呼ばれたポケモンは身体を沈ませ赤い鉱石部分を突き出した。ハッとしたイッシンがギギギアルを前に出す。鋼の身体が弾いたのは岩の散弾であった。

 

「惜しい! ロックブラストが当たると思ったのに」

 

 男の声にイッシンとダイゴは警戒を強める。

 

「お前は、何だ?」

 

「オレか? オレはギリー。ギリー・ザ・ロック。そこのツワブキ・イッシンとは顔見知りでね」

 

 金髪の伊達男風の男は赤い帽子を取り出して被る。イッシンは苦々しい顔をしていた。

 

「お前、ギリーと言ったか?」

 

「知り合いで?」

 

 ダイゴの質問にイッシンは本宅を顎でしゃくる。

 

「このカナズミシティのほとんどの家の設計者だ。デボンで雇っている派遣社員でもある。確か、イッシュの出であったはずだな」

 

「覚えていただいて光栄だな」

 

 ギリーは帽子を取って会釈する。巨大な岩ポケモンがギリーの横に侍り威圧感を醸し出していた。

 

「オレの手持ちはガントルとその進化系、ギガイアス。こいつらは硬さがウリでね。まぁ簡単に言えば、あんたらのちょっとした攻撃じゃ傷一つつかないってワケさ」

 



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第七十三話「誰が敵か?」

 

「ギリー・ザ・ロック……、何故我々を狙う?」

 

 イッシンの問いかけにギリーは、「オレはね」と答える。

 

「元々とある家系を守るためにホウエンに渡ってきたんだ。あんたらはその家系を仇なすと考えられた。だからオレが来たってわけさ」

 

「とある家系……、ツワブキ家とフジ家を婚礼させた家系か?」

 

 イッシンの問いかけにギリーは、「答える義務、あるかい?」と応ずる。イッシンは歯噛みした。

 

「オレはね、ただの建築士だからさ。ここホウエンでは。とある家系を守るってのもまぁ言ってしまえば最重要ではない。ただオレに依頼するって辺りが、もう手段を選んでいないって事かな」

 

「ほざけ! ギアソーサー!」

 

 小さなギアがギガイアスに向けて飛んでいく。しかしギガイアスは身体を沈ませて地面を踏み鳴らす。ギガイアスはまるで要塞だ。頭部に当たる岩には黄色い眼窩に赤い眼差し。全身からはハリネズミのように赤い鉱石がところどころ生えている。前足があり、移動速度は遅そうだが先のガントルに比べれば恐らく脅威度は高い。

 

「地震で迎撃」

 

 地震の波長がギアの命中を鈍らせる。ギアは明後日の方向に突き刺さった。

 

「ギガイアスは単純な岩タイプ。だが硬さや攻撃力はそれなりだ。ちびギアを射出するギアソーサーはお勧めしないな。ギギギアルはその身を削る事となる」

 

 イッシンが慌ててギアを呼び戻す。ギアは元の場所に収まったがイッシンは攻め手を失ったようだった。ギガイアスの射程がギギギアルの射程と同義だからだろう。

 

「さて、ツワブキ・ダイゴ」

 

 ギリーが自分に声を振り向けてきてダイゴは身を強張らせた。

 

「俺、か……?」

 

「そうだ、あんただ。恨みはない。だが消すも止むなしと依頼主からは聞かされていてね」

 

 ダイゴは緊張を走らせる。自分を抹殺しようとする一派。手を払って攻撃を指示した。

 

「ダンバル! 思念の頭突き!」

 

 紫色の残像を帯びたダンバルが地面へと突進する。その余波がギガイアスの身体へと及ぼうとしたがギガイアスは足を踏み鳴らすだけで相殺した。

 

「おいおい、なんてぇ弱っちい技だ。こんなんじゃウォーミングアップにもならない」

 

「思念の頭突きが通じない……」

 

 絶望的に放たれた声にギリーは、「殺すのは少しばかり嫌な気分がしてきたぜ」と口にする。

 

「もっと強い奴だと思い込んでいたからな。抹殺対象、っていう割には、この程度ってのが」

 

「ダイゴ!」

 

 ギギギアルが前に出てギガイアスの放った散弾を受け止める。危うくダイゴは八つ裂きにされるところだった。

 

「ぼさっとするな! ギガイアスとガントルに、私達は挟まれているんだ!」

 

 まだガントルは健在である。ダイゴはその段になってガントルが囮であった事に気付いた。

 

「このままじゃ……」

 

「オレは強い奴が好きだ。だがあまりにも弱いな。こんな状態でどう足掻いたってオレのギガイアスを突き崩せるとは思えない」

 

 ギガイアスが身体を沈め、赤い鉱石を輝かせる。ギギギアルが鋼の身体でその攻撃を受け止める。だが背後にいるガントルの攻撃まで対応し切れない。ガントルもまた岩の散弾を撃とうとしていた。

 

「ダイゴ、せめてガントルを頼む!」

 

 ハッとしてダイゴは指示を飛ばす。

 

「ダンバル、突進!」

 

 ダンバルがガントルに向けて突進する。岩の散弾が放たれてダンバルの勢いを削いだ。突進攻撃は最後まで放たれる事はなくガントルの手前で収束する。

 

「ロックブラスト程度で勢いがなくなるってマジか? こんな奴が抹殺対象だってのが信じられないな」

 

 ダイゴは歯噛みした。このままでは自分もイッシンも防御しか出来ない。

 

「ダンバル、まだいけるか?」

 

 ダンバルは赤い単眼を動かしてガントルを見据えるがガントルにはまだ奥の手があるようだった。その証拠に全く動かないのだ。恐らく接近も想定してある。

 

「突進しか覚えないのか? だとすれば敵じゃないが、生憎こっちも仕事なんだ。ツワブキ・ダイゴ。死んでもらう」

 

 ガントルが身を沈める。ダイゴはダンバルに命じた。

 

「突進!」

 

「猪突攻撃だけでオレのガントルが破れるワケがない。言っておくが全て無駄だ、無駄。ガントルに命中したところで!」

 

 突進がガントルへと食い込む。その瞬間、ガントルを中心として同心円状に土色の波紋が広がった。「じしん」だと判じた時には既にダンバルは動けなくなっていた。ダンバルへと間断のない攻撃が放たれる。ほとんど耐性のないダンバルでは地面タイプの攻撃を受け流せない。亀裂が走り、地に蹲る。

 

「ダンバル!」

 

「弱い、弱過ぎるぜ、ツワブキ・ダイゴ。抹殺の手間がないだけオレにとっては楽な仕事だが、こうも戦い甲斐がないと少しばかり悪い気さえしてくる」

 

「どこを見ている! 私が相手だ」

 

 イッシンがギギギアルを前進させるもギガイアスがそれに応戦する。要塞同士の戦闘は衝撃波を発生させ地面攻撃と鋼の攻撃がお互いに干渉波を生じさせた。

 

「諦めは、いいほうが得策だ、ツワブキ・イッシン。オレはあんたを殺せとは言われていない。あんたは何も知らなくっていい。家系図の事も、血筋の事も、あんたには無関係だ」

 

「関係のないものか、私はこの家の主だぞ」

 

 返ってきた言葉にギリーは呆れたように首を横に振る。

 

「……傍観者気取れるって分からないのかな。ツワブキ・ダイゴの命さえ差し出せば、何も悪いようにはしないってのに」

 

 ギガイアスが再び姿勢を沈め攻撃態勢に入る。イッシンが呼びかけた。

 

「ダイゴ、避けろ!」

 

 散弾がギガイアス、ガントルの両方から射出されダイゴは片方をダンバルに防御させたものの肩口に破片が突き刺さった。血が滴り、その場に膝をつく。

 

「ダンバル……」

 

 ほとんどダンバルは限界だ。これ以上戦わせられない。

 

「ツワブキ・イッシン。あんたは無関係でいい。この場で何も言わず、何も抵抗せず、ただダイゴが殺されるのを見ていれば、それだけで」

 

 ギガイアスが足音を響かせながらダイゴへと再び攻撃を叩き込もうとする。今度はガントルも同時だ。この射程では逃れようのないだろう。滴った血がダンバルの身体にかかった。

 

「恨みはないんだぜ、ツワブキ・ダイゴ。恨むとすれば、自分の命と運のなさを恨みな」

 

 ギリーの言葉でギガイアスが発射姿勢に移る。ガントルがその身を沈ませる。

 

「ダイゴ! 避けるんだ、そうでなくっては――」

 

 死ぬ。イッシンの言葉を引き裂くようにガントルの放った岩の散弾がダイゴを貫こうとした。その時である。

 

 突然に持ち上がった鋼の躯体が岩の散弾を防いだ。ダンバルか、と感じたが違う。防御したのは一対の鋼の腕であった。

 

 持ち上がった水色の鋼の身体が両側から迫った散弾を打ち消した。ダイゴを含め、その場にいた全員が瞠目する。

 

「……何だ、それは」

 

 自分でも分からない。ダンバルが突然に持ち上がったかと思うと二体に分離し、合体した。その結果、出現した影は鋼の両腕を備えた浮遊体であった。赤い単眼がその肉体の内部で弾かれたように動き眼窩へと収まる。一対の赤い瞳がガントルを見据えた。

 

 その姿は既にダンバルのそれではない。僅かに面影を残すのはその腕の形状であった。ダンバルであった時の形状はそのままに片腕が振るい上げられる。三つの爪を有する鋼の腕がガントルへと向けられた瞬間、ガントルの身体に穴が開いた。貫いた攻撃にギリーが呆気に取られている。

 

「何をした……」

 

 ダンバルであったポケモンはガントルを下すと今度はギガイアスへと目線を振り向ける。慌ててギリーが命令する。

 

「ギガイアス、ロックブラスト!」

 

 岩の散弾が発射されるが宙に浮いた状態のそのポケモンは身体を回転させて腕を薙ぎ払っただけで「ロックブラスト」を無効化する。目を見開くギリーへとダイゴは肩口を押さえて言い放った。

 

「ダンバル、じゃない。もう、このポケモンは」

 

 ダイゴは脳裏に浮かぶ一つの単語を認識する。それがそのポケモンの名前なのだと。

 

「――メタング」

 

 名前を呼ばれメタングは両腕をギガイアスへと照準する。銃口のように穴の開いた両腕が構えられた途端、ギガイアスが防御の姿勢に入った。身体を縮こまらせたギガイアスへと間断のない攻撃が放たれる。先ほどガントルを下したものであった。少しでもタイミングが遅れていればギガイアスを貫通しギリーも殺していただろう。

 

「これは……、鋼の弾丸……」

 

 イッシンが呟く。メタングの発射したのは圧縮空気によって極限まで威力を増した鋼の弾丸であった。それそのものの殺傷力よりも速度が段違いである。ギガイアスに守られた形のギリーが声を震わせる。

 

「鋼の弾丸を、連続でオレのギガイアスに叩き込んだ……。それも回避も儘ならぬ速度で」

 

 ダイゴにはどうしてだかその攻撃の名称が理解出来た。それこそ最初にダンバルを操った時と同じように。

 

「――バレットパンチ」

 

 弾丸の名を冠する拳がギガイアスへと打ち込まれ、ギガイアスは僅かに自尊心を傷つけられたようにメタングを睨んだ。

 

「だが、ギガイアスを押し負けさせるほどじゃあるまい!」

 

 声を張り上げたギリーに呼応してギガイアスがダイゴを狙おうとする。ダイゴは手を振り翳した。

 

「接近して攻撃!」

 

「馬鹿め! それは既に読んでいる!」

 

 ギガイアスが前足に力を込める。重機のように地面を踏み砕きながらギガイアスの巨躯が突進してきた。

 

「攻撃射程に入ると同時に地震で攻撃! 見た目は鋼のままのはず! 弱点を食らい知れ!」

 

 ギガイアスが身体にエネルギーを充填させて「じしん」を放とうとする。ダイゴはメタングに命じた。

 

「射程まで待つ必要はない」

 

「バレットパンチか? だがその程度で臆するようなギガイアスでは――」

 

「思念の頭突き!」

 

 思わぬ命令だったのだろう。ギリーがその言葉を解する前に特攻してきたメタングがギガイアスの頭部とぶつかる。まさしく直撃。鋼のメタングの攻撃がそのままギガイアスの脳髄を揺らした。その一瞬の隙。ダイゴは続け様に指示する。

 

「メタルクロー!」

 

 鋼の爪がギガイアスの岩の表皮を切り裂く。ギガイアスが吼えた。その身体には爪痕が刻み込まれている。

 

「ギガイアス? まさか、まだ思念の頭突きを使ってくるとは……」

 

 全くの予想外だったのだろう。ギリーは舌打ちする。

 

「この距離で受ければアウトだな」

 

 その言葉に応ずるようにダイゴのメタングは片腕をギガイアスの頭部に向けていた。「バレットパンチ」を放てばこちらの勝利だ。

 

「その前に、聞きたい事がある」

 

「だろうな。オレが誰に雇われたのか、か」

 

 無言で首肯するとギリーはフッと口元に笑みを浮かべる。

 

「言うと思っているのか?」

 

「言わなければ、お前はポケモンを二体とも失う事になる」

 

 ダイゴの強い語調にギリーは、「怖い、怖いねぇ」とおどける。

 

「ガントルは残念だったよ。だがな、布石を打たないほどオレも馬鹿じゃないんだぜ?」

 

 その言葉を解する前にギギギアルがダイゴへと向けて飛んできた。突然の行動に狼狽する前にギギギアルの鋼の表皮を叩いたものがあった。目を向けると不可視の黒い岩がギギギアルに突き刺さっている。

 

「ステルスロックか!」

 

 イッシンの声にダイゴは一瞬だけ気を取られていた。その僅かな隙にギガイアスの全身から蒸気のような砂の渦が噴き出していた。その勢いに思わずダイゴも後ずさる。

 

「これは砂嵐だ。ポケモンには効果はないが、人間にはどうかな?」

 

 ギリーの声だけが聞こえてくる。恐らくは煙幕代わりに使おうというのだろう。ダイゴはメタングに命じる。

 

「メタルクローで引き裂け!」

 

 銀色の爪が砂嵐を蹴散らす。しかし既にギリーの姿はなかった。ギガイアスもいない。恐らく逃げおおせたのだろう。ダイゴは口惜しげに先ほどまでギリーのいた場所を睨む。イッシンが、「逃げた、か」と呟いた。

 

「ええ。逃がしました」

 

「それでいいだろう。こっちも満身創痍だ」

 

 ギギギアルには目立ったダメージはなさそうだったが蓄積しているものがあるに違いなかった。

 

「ギギギアルは?」

 

「鋼の単一タイプだから岩攻撃には強いさ。だがちょっとばかし休ませよう」

 

 イッシンはギギギアルをボールに戻す。ダイゴもメタングをボールに戻そうとした。

 

「進化、したんだよな?」

 

 イッシンの声にダイゴは改めてメタングを見やる。

 

「ええ、これはダンバルからの進化です」

 

「驚いたな。急に進化なんてするのか?」

 

 その事に関してはダイゴにも分からない。きっかけと言えば、とダイゴはメタングの身体についた自分の血痕を目にする。

 

「俺の血が、ポケモンに作用した?」

 

「人の血だろう? 何でポケモンの進化条件に当てはまる?」

 

 イッシンは知らないのだ。自分の血がどこかで呪われている事を。その呪いこそがダンバルを進化させるのに足りたのかもしれない。

 

「分からないですけれど、俺も何か知らなければならない事が依然としてあるのははっきりと」

 

「ギリー・ザ・ロック。私が依頼した時には、ただの建築家だと名乗っていた。だからあのように戦闘のプロだとは思いもしなかった」

 

 ガントルとギガイアスを使った岩タイプ使い。イッシンでさえも知らなかったのだ。

 

「俺を殺そうとした、と考えていいのでしょうか?」

 

「まさか敷地内でそのような物騒な事になるとは思いもしなかったが」

 

 イッシンの声にダイゴはメタングをボールに戻す。もう警戒は必要ないだろう。

 

「イッシンさん。あなたは自分の社内ですら知らない、何かが進行しているのだと聞いて素直に信じられますか?」

 

 D計画について、あるいはDシリーズについて尋ねておくべきだろうかと考えたのだ。しかしイッシンは、「私が知らない事となれば」と応ずる。

 

「それこそ命令無視だ。デボンの社内にそのような動きがあってはならない」

 

 そう、あってはならないはずなのだ。実際にそれがまかり通っているとしても。

 

「デボンコーポレーションを、あなたは信頼しているんですね」

 

「自分の会社だ。そりゃ立ち上げたのは私の祖父の代だが、それでも信用していないわけないだろう」

 

 何かが水面下で動いている事は確かなのだ。それはギリーという暗殺者が出てきた事で余計に真実味を帯びた。

 

「イッシンさん、社長であるあなたでさえも殺そうとする一派がいる」

 

「らしいな。まぁ私は素直に殺されるようなタマではないが」

 

 ギギギアルを見た感触からしても相当な実力者である事は窺える。だがそれだけではデボンの闇をどうこう出来るとは思えない。

 

「ギリーをせめて捕まえられていれば、情報を仕入れられたんですけれど」

 

「だな。だが私はギリーを逃がしてもある意味よかったと考えている」

 

「よかった?」 

 

 その意図が分からず聞き返す。

 

「泳がせておいて、依頼主を暴いたほうが得策だ。お前のメタングならば倒せる事も分かったし、これ以上暗殺めいた事をしてはこないだろう」

 

 希望的観測も混じっていたが、ダイゴは負ける気はしなかった。

 

「ギリーの仕事を辿っていけば、もしかしたら何か分かるかもしれない。私の部屋に来るといい」

 

 突然の言葉にダイゴは戸惑う。イッシンの部屋に自分が入っていいのだろうか。その逡巡を感じ取ったのかイッシンは微笑む。

 

「安心しろ。私はダイゴ、お前の味方だ」

 



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第七十四話「捨ててきたもの」

 

 イッシンの部屋はモノトーンの調度品で固められており、ところどころに彫刻の作品が見られた。ガラスケースに入った作品には「少女とミロカロス」と名付けられ美しい鱗を持つポケモンと少女が戯れている。

 

「私の趣味の一環だ。彫刻はいい。心を清らかにしてくれる」

 

 イッシンは部屋の奥まった場所にあるデスクにつき、端末を立ち上げた。

 

「私のパスコードさえあればデボンの社内のネットに立ち入る事が出来る。ギリーを雇った人間が社内にいるのならば、私から逃れる事は出来ない」

 

 ダイゴは最大の可能性をまだ言っていなかった。

 

 ――それはツワブキ家ではないのか、と。

 

 しかしイッシンは最初から家族の誰かを疑う気はないようだ。社内の人間と言っても家族は考えもしていないようである。

 

「ギリーの仕事だ。あいつは空間デザイナー兼一級建築士。様々な空間を手がけてきた」

 

 ギリーの仕事内容が表示される。ダイゴはそのうちの一つのサムネイルに目を留めた。

 

「これ、何です?」

 

 ダイゴが指差したものを拡大する。その時心臓を鷲掴みにされた感覚に陥った。

 

「……どうした?」

 

 イッシンが怪訝そうにする。ダイゴは、「いえ……」と平静を装う。ギリーの仕事。その中に秘密基地のデザインがあり、そのうちの一つはニシノに襲われた時のものであった。

 

 だとすればいつからだ? いつから、ギリーを含む一派は自分を狙っていた?

 

 深まる疑問にイッシンは、「色々仕事はしていたようだ」と観察する。

 

「この家の建築も任せた。初代、つまり親父が住んでいたのはもっと古めかしい民家でね。このような敷地面積もなくってカナズミ一の名家を名乗るには分不相応だったから建て替えたんだ。その時にギリーにも協力させた」

 

「何年前です?」

 

「五年は前だな。それまで住んでいたのはデボンの裏手にある社宅の近くで。あんまり敷地自体は変わらないんだが、余った面積は全部社宅に回してね。だから社員としては喜ばしいはずなんだが」

 

 つまり社員が怨恨の線で暗殺を依頼するのは不自然だと言いたいのだろう。しかしダイゴからしてみればその程度は動機にもならないのだと思われる。もっと別の何かが動機のはずだ。デボンの社長であるイッシンでさえも敵に回しても構わないとする何か。

 

「ギリーはここ数年で名を挙げた新進気鋭のデザイナーだから知らない人間のほうが多い。私も依頼するまでは知らなかったし、あの特徴的なファッションじゃなければ見逃していただろう」

 

 赤い帽子に赤い衣装。まさか岩タイプ使いだとは誰も思うまい。

 

「イッシュでの評判は?」

 

「悪くはないようだ。母国だからな。向こうのほうが有名らしい。だが暗殺者としての顔なんてどこにもないな」

 

 裏の顔がないのは当たり前と言えば当たり前。だが言ってしまえば暗殺者としては名うての人物ではないとも言える。

 

「ギリーとてもしかすると暗殺任務などに身をやつすタイプではないのかもしれない。今回、たまたま私とダイゴを付け狙ったか」

 

「でもあれは戦い慣れている人間のやり口でした」

 

 ガントルとギガイアスでの挟撃。通常のバトルで慣れている、ではない。あれは人殺しの戦法だ。ギリーはやはり脅威には違いないのだろう。

 

「確かに。私達を殺すのが初めてにしてはなかなかに出来る奴だった」

 

 イッシンがデボンのネットワークで探そうとするがそれは早々に無駄だと悟る。デボン社内だけでも五百人強の社員。彼ら全員の家族構成から最近の動きまで追えるはずがない。

 

「やはり、無理か」

 

 目頭を揉んだイッシンにダイゴは語りかける。

 

「そもそも社内にいる、という確信はないですし」

 

「まぁな。ギリーが誰に雇われたのか、最後まで白状しようとしなかったのは痛いが、私としてはツワブキ家を狙う一派がいる事と、叔父に繋がる人間がいる事だけでも充分だ」

 

 イッシンの言う叔父。ツワブキ家とフジ家を取り持った何者かの消息を辿るにはギリーだけでは足りないが、同時にギリーのような人間も知っているという事が発覚した。ツワブキ家の血縁、その血がどこへと繋がっているのか。

 

「ダイゴ。私は、お前が狙われた事もまた関係していると感じている」

 

 イッシンの言葉にダイゴは、「俺、ですか」と返す。

 

「そう、お前だ。全てのピースがお前に集約されている。現にツワブキ・ダイゴ、つまり初代の死に関してもお前という人間がいなければ追及の対象にはならなかった」

 

 自分がいるから無用な争いが起きているとでも言いたげだったが事実そうなのだ。

 

「ギリー・ザ・ロック。次は慎重を期してくるだろうな。なにせ私達に顔が割れているんだから」

 

「逆に言えばギリーさえ補足出来れば、俺達の優位に転がる、とも言えませんか?」

 

「雇い主か。だがそう簡単にぼろを出すとも思えんのだがな」

 

 それが分かれば苦労はしまい。イッシンはため息をついて、「今日はもういい」と手を払った。

 

「お互いに疲れたろう。今日は休もう」

 

 イッシンの声にダイゴは身を翻しかけて立ち止まる。

 

「ん? どうした、ダイゴ」

 

「イッシンさん。すいませんでした」

 

 急に頭を下げたものだからイッシンは狼狽している。ダイゴは理由を述べた。

 

「俺、あなたにとても惨い事を訊いてしまっていた」

 

 初代の事、それに加えて母親と妻であった人の事を。立ち入ってはならない話だったのかもしれない。イッシンは、「その事か」と微笑む。

 

「構わない。お前の言う通り、知らない事は罪だった。現にお前にとっては。私も秘密主義が過ぎたのもある。出来るだけ情報は開示していこう。私も、お前のために何かしてやりたいんだ。お前は家族なのだからな」

 

 家族。そのような言葉が自分に振りかけられるとは思っていなかったのでダイゴは戸惑う。

 

「俺、家族でいいんでしょうか? ツワブキ家の人間で……」

 

「何を言っている? 私は社会奉仕の精神でお前を引き取った。それに変わりはないし、何よりも行く当てのないお前に出て行けなんて非人道的な事を言えるものか。私は初代に関して勘繰られた事も、あるいは母や妻に関して言われて事も、怒っていない。お前は知らないが故に聞かざるを得なかったのだ。私もお前の立場ならば知らなければ前に進めないと感じるだろう」

 

 その通りだ。知らなければ前に進めない。自分はどこにも行けないのだ。

 

「俺が、どこから来てどこへ行くのか……」

 

「その答えも、お前は自分で見つけるべきなんだろう。私は最大限サポートはする。だが最終着地点を見出すのは、お前自身だ」

 

 ダイゴは改めてイッシンへと礼を言った。

 

「ありがとうございました。俺なんかを引き取ってもらって」

 

「親父そっくりの顔をした奴を無下には出来ないよ。その代わり、ちょっと明日付き合ってもらえるか?」

 

 その言葉にダイゴはきょとんとする。

 

「どこに、ですか?」

 

「私の作り出した、この街のシステムについてお前に言っておきたいんだ。カナズミシティの歩き方を知っているほうがいいだろう? ポケナビに関しては有耶無耶になった感もあるし」

 

 つまりリョウの不手際の尻拭いをさせて欲しい、と言う事なのだろう。ダイゴは了承した。

 

「あ、はい。俺もイッシンさんの事を知りたいですし」

 

「では、また明日な」

 

 イッシンが手を振ったのでダイゴも手を振って部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 息をつき、端末の通話アプリを起動させてイッシンは声を吹き込む。

 

「私だ」

 

『ああ、どうも、ツワブキさん。気分はいかがですか?』

 

「命を狙われた後ではあまりよくないな」

 

 イッシンは口元に笑みを浮かべる。相手は、『それもそうですね』と答える。

 

『オレも命を狙った後では少しばかりばつが悪い』

 

「ギリー。ダイゴには、お前を雇った奴は社内にいる、と思わせておいた」

 

 通話越しの相手――ギリーは、『それが賢明でしょう』と答える。

 

『オレがあんたと繋がっているって事がばれたらまずい』

 

「私を一発目で狙ってきたのは、あれは迫真だったよ」

 

 イッシンは背もたれに体重を預けて笑う。ギリーは、『すいませんね』と応じた。

 

『ヘタクソで。一発目でダイゴの頭をかち割るつもりだったんですが』

 

「いや、いい。まだ殺すのには惜しい。せいぜい状況を掻き乱してもらうとしよう。穏健派の動きはどうなっている?」

 

『どうにもこうにもきな臭いですよ。ヒグチ・サキ警部を抹消したかと思えば次はその家族を消しにかかっている』

 

「ヒグチ家を、か?」

 

 それは意外であった。むしろサキを消した時点で動き過ぎなのだ。これ以上目立つ行動をしても仕方がないだろうに。

 

『ヒグチ・マコを、ですよ。抹殺したかどうかは不明。Dシリーズを投入してくる辺り、焦っているんじゃないでしょうか』

 

「姉妹揃って消えれば怪しむ動きもあるだろう。穏健派と同席する機会は?」

 

『ない、と思ったほうがいいでしょうね。穏健派は我々とは違う思考で動いていますから』

 

 イッシンは声を潜める。

 

「再生計画の、どの段階まで相手は進んでいる?」

 

『初代の肉体自体は揃えるのに時間はかからないでしょう。問題なのは馴染ませる事ですよ。Dシリーズを何体か使う必要がある。オレの持っている情報じゃ、四肢に頭部、脊髄に胴体それに心臓の八つ。うち一つ、右腕が消失したようです。左足は対象Dシリーズが行方不明に。その行方を目下捜索中』

 

 八つの鍵のうち二つが行方不明となれば穏健派は焦っているはずだ。イッシンはそれこそがつけ入る隙だと考えた。

 

「相手よりも早く、パーツを揃えるかDシリーズを抹消するしかないな」

 

『あんなに手強いなんて聞いていませんでしたがね。いきなり進化なんて』

 

 先ほどの事を言っているのだろう。イッシンは、「イレギュラーだよ」と答える。

 

「進化するとは思っていなかった。しかも鋼の攻撃を使いこなしている。余計に、親父とダブるものがあった」

 

『初代が使っていたのも確かダンバルの進化系列でしたね』

 

 それと同じポケモンを有しているだけでも脅威なのに、ダイゴは見ず知らずの内にそれを制御している。イッシンは事を構えるに当たって方針を決めなければならなかった。

 

「ツワブキ・ダイゴ抹殺。それに変わりはない」

 

『しかしご子息は、それをちょっとばかし警戒しているようだ』

 

 リョウの事だろうか。イッシンは、「こっちの手駒がリョウの奴に気取られるのは面白くない」と口にする。

 

「ニシノに関するデータは消しておきたいんだが、生憎公安のデータベースまでは潜り込めない」

 

『天下のデボンでも無理ですか』

 

 公安は警察機構とは全く別の動きを見せていると考えてもいい。イッシンは、「一刻も早く」と前置く。

 

「見つけなければならないのだ。この呪われた血縁を作った大元を」

 

『穏健派は、何かを知っている、という認識でよろしいんで?』

 

「無論だ。穏健派は我らの血縁の基を知っていて隠している。Dシリーズも然り。悪魔の研究を許すわけにはいかない」

 

『了解。オレは変わらずツワブキ家と敵対、というスタンスでいいんですよね?』

 

「ああ、くれぐれも」

 

『あなたが雇い主だとは言いませんよ。では』

 

 通話が切れイッシンは苦々しい心地で天井を睨む。

 

「……やらなければならないのだ。そのために全てを投げ打ってきた」

 

 

 



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第七十五話「苦い出会い」

 

「えっ、父様とダイゴ、出かけるの?」

 

 朝食時にクオンに切り出すと彼女は意外そうな声を出した。

 

「そうなんだ。ちょっとダイゴを借りるぞ」

 

「ゴメン、クオンちゃん。イッシンさんと約束をしていて」

 

「別に、毎日のように学校について来てくれとは言わないけれど、言い出しっぺは兄様だしダイゴだって引き受けたじゃない」

 

「だからゴメンって。埋め合わせはするから」

 

 むくれたクオンを他所にイッシンがテレビを点けてニュースに変えた。

 

「そういえばこの間の工場地帯の火災はどうなったんだ? あれも犯人不明で?」

 

「みたいよ。それに加えて今度は通り魔ですって」

 

 クオンがニュースを見て嫌悪の表情を浮かべる。それもツワブキ家から近い場所だった。

 

「事件現場が近いな。余計な報道に巻き込まれないように裏から出るか」

 

「裏って、あるんですか?」

 

 ダイゴの問いかけにイッシンはふっふっふっと不敵に笑う。

 

「実はな、隠し通路があるんだよ」

 

「隠し通路?」

 

「まぁちょっとしたヒーロー気分を味わえる。後で案内しよう」

 

「父様はそういうのが昔から好きですものね。この家を設計させた時だってその隠し通路にやたらとこだわっていたし」

 

 クオンの苦言にイッシンは笑って誤魔化す。

 

「いやいや、男のロマンだぞ、隠し通路って奴は」

 

「ええ。どうせあたしは女だから分からないわ」

 

 すっかりへそを曲げてしまったクオンにダイゴは言いやる。

 

「ゴメンよ。絶対に埋め合わせはするから」

 

「いいわよ。今日は父様と楽しんでいらっしゃいな」

 

 イッシンに目線を向けると味噌汁を飲み終わったところだった。

 

「ごちそうさま! よし、ダイゴ、行くぞ」

 

 イッシンが先導して歩んでいく。ダイゴは今一度クオンに謝ってからコノハの視線を気にした。コノハはこの家でイッシンこそが怪しいのだと踏んでいたが昨日の出来事で完全にその疑念は払拭出来たと考えていいだろう。イッシンは人徳者だ。自分は信用出来る。

 

「ここだ、ここ」

 

 連れて来られたのは突き当たりの壁であった。吹き抜け構造ではあるがただの壁に見える。タイルが敷き詰められており色とりどりであった。

 

「これが何か?」

 

「いいか。三十四番目のタイルだ。こいつを押してやると」

 

 イッシンがタイルの一つを押すと壁がゆっくりを開いた。どうやら隠し扉だったらしい。

 

「こんなの……」

 

「なっ? ロマンだろ?」

 

 イッシンは楽しげに隠し扉を通り抜ける。コノハは知っているのだろうか。この通路さえ使えばツワブキ家はどのような暗躍でも出来る。

 

「この通路、知っているのは?」

 

「ああ、家族ならば誰でも知っているぞ」

 

 余計に疑念が増した結果になった。リョウや他の家族でも使えるという事は人知れず行動が可能だと言う事だ。

 

「通った人間を記録したりは」

 

「しないだろ。いちいち玄関を開けた人間を記録する装置なんて作るか?」

 

 ツワブキ家の人々からすればこちらも玄関なのだ。ただ公にされていないだけで。

 

「ダイゴ、ちょっと神経質になり過ぎだろ。確かに昨日今日だ。ギリーの事もある。家族を疑う気持ちも分からなくはない。だが私は家族を最後の最後まで信じているし、他の誰かが裏切っていっても家族だけは信じられる」 

 

 そこまで確固としたものを言われてしまえば自分に立場はない。なにせ自分はこの家の人間じゃないのだから。

 

「なるほど、家族を大事にするイッシンさんの気持ちは分かりました」

 

 隠し通路はそのまま昨日のガレージへと繋がっていた。ガレージだけではない。いくつも通路が折れ曲がっておりどこへでも出られそうだった。

 

「デボンの地下に出よう」

 

 イッシンの後ろに続いているとまたしてもタイルの敷き詰められた壁に遭遇した。今度も何番目か分からないタイルを押し込み、出現した隠し扉を潜った。出たのは地下通路である。スタッフルームに繋がっておりそこから出る事が出来た。ショッピングモール風に店が軒を連ねている。

 

「こんな場所が……」

 

「なっ。お前の知らない場所はカナズミでもまだまだあるんだ」

 

 イッシンに言われるがまま、ダイゴは店を回っていった。喫茶店や服飾店など多岐に渡っている。

 

「これらの店舗は全てデボンコーポレーションの資本でまかなわれている。いわば全てデボンの子会社だ」

 

 それだけでも驚嘆に値したがイッシンはさらに言いやる。

 

「そこに喫茶店があるだろう? 喫茶店では人間のほかにポケモンも出し入れ自由でね。ポケモン用のコーヒー豆もきっちり揃えている。憩いの空間として最適なんだ。どうしてあの場所に喫茶店があると思う?」

 

 突然の質問に面食らいつつもダイゴは答える。

 

「えっと、疲れを取るためでしょうか」

 

「半分正解だな。よし、試しに店の系列を見てみよう。CDショップ、紳士服店、婦人服店、子供服店とある。その中でも婦人服と子供服の店舗があるこの場所に喫茶店を構える、という事はファミリー層をターゲットにしている、という事なんだ」

 

 紳士服店は少し離れたところにあり、CDショップは地下店舗の隅っこである。

 

「ショッピングと言っても人の流れ、物流の流れがある。私はそれを熟知した上でこのショッピングモールを開設し、設計させた。私の考えた資本の流れなんだよ」

 

「……なるほど、勉強になります。イッシンさんはそういう経済学みたいなのを学ばれたんで?」

 

「いいや、私の学んだのは帝王学でね。そういう経済学みたいなのは社長に就任してから趣味で学び始めたんだ。このカナズミシティは学園都市の趣が強いだろう? だったら自然と客層は学生かあるいはその家族に絞られる。アウトローなお店が繁盛するわけがない。私はアットホームな温かみのある店舗こそがこの学園都市で流行るのではないか、と考えた」

 

 その結果が地下のショッピングモール。ダイゴは見渡しながら感想を漏らす。

 

「意外ですね。ポケモン関連の店がない」

 

「おっ、気付いたな」

 

 それを待っていましたと言わんばかりにイッシンはマップを指差した。マップにはもう一階層下がったところにポケモンの関連商品が売られていた。

 

「不思議だろう? ポケモンのトレーナーズスクールがあり、学園都市という誉れ高いこの街でどうして地下二階層に店を絞ったのか」

 

「ええ、気になりますね」

 

「元々カナズミってのはそっちの趣が強かったんだ。ポケモントレーナーだけのお店、そのための資本や店舗だけは揃っていた。だけれどある日、気付いた。そこに生活する人々の事を考えるのならばバトルやポケモンの事だけを考えたのは逆効果ではないのか、と。そこに息づく人々の生活を鑑みた場合、ただ単にポケモンを強くするだけの店や、技マシンを仕入れたりするのは間違いで、まずは生活の拡充だと感じたんだ。究極的にいえばポケモントレーナーは趣味人だからね。例えば、だ。学園都市が同じようにあったとして、では学徒のために本屋や若者向けのショップばっかり揃えたとしよう。なるほど、受けはいいかもしれないがそれは一時的なものだ。誰だって歳は取るし、それに扶養家族のいない学生のほうが少ない。私は家族ぐるみ、という流通基準を生み出し、このショッピングモールの基本理念とした。もちろん、ポケモンの事も忘れちゃいない。ポケモンも家族だ。だからこのショッピングモールは他の資本店舗ではあまり見られないポケモンの連れ歩きが可能になっている。これも私が考えたシステムなんだよ」

 

「……なるほど、敬服します」

 

 イッシンは満足気に頷いて喫茶店を指差した。

 

「そしてショッピングを終えた家族は次に何を目指すか。ゆっくり出来る憩いの場だ。それが喫茶店や飲食店になる。それも私が作ったシステムなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでダイゴ。お前は喫茶店と言えば何が好きかな?」

 

 喫茶店に入るなりイッシンはギギギアルを出してやった。ダイゴもそれに倣ってメタングを出す。穏やかに流れるジャズの調べがゆったりとしたムードを作り出していた。

 

「何が、ですか。難しいですね。やっぱりコーヒーかな」

 

「いい回答だ。ではコーヒーと一緒に出てきて嬉しいのは何だ?」

 

 質問に次ぐ質問にダイゴは応じる。

 

「ケーキ、いやクッキーかな」

 

「どちらも正解だろう。甘味が欲しくなるんだ。苦いコーヒーに合うのはちょっと甘いスイーツ。私もね、よくこの喫茶店を利用する。考えが行き詰った時なんかはコーヒーでホッと一時を楽しむんだ」

 

 イッシンが手を挙げるとコーヒーが運ばれてくる。それと同じくチョコレートケーキも横に並べられた。

 

「頼んでいないですけれど……」

 

「いつものメニューなんだ。なに、ここは格安でね。ケーキとコーヒーのセットならば五百円以下だ。お財布に優しいだろう?」

 

 イッシンはコーヒーを口に含む。何度か頷き、「格別だな」と感想を漏らした。

 

「ここの豆はね、私がしっかりプロデュースしているんだ。現地に派遣した社員を使ってね。現地、というとイッシュ辺りになるんだがやはりイッシュ産はいい。コクがある」

 

「ホウエンでは同じコーヒーは作れないんですか?」

 

「味も質も、イッシュには劣るな。ホウエンにはトロピウスというポケモンがいる。知っているかな?」

 

 ダイゴが首を横に振ると、「とても甘い実をつけるポケモンだ」とイッシンは答えた。

 

「じゃあトロピウスでコーヒーは作れないんですか?」

 

 その疑問にイッシンは首を横に振る。

 

「トロピウスの果実はコーヒー向きじゃない。むしろこういうケーキに乗っている果実に向いているんだ。コーヒーを甘くするにしては、少し甘過ぎるくらいでね」

 

 イッシンは笑いながらケーキを切り分ける。ダイゴはコーヒーを口に運ぶ。少し苦いが酸味もあり味わい深い。

 

「おいしいですね」

 

「だろう? 疲労を取るにはこれだよ。ちょっと疲れた時にここのコーヒーを飲む。そうすると頭が冴え渡るんだ」

 

 なるほど、と相槌を打ちながら今度はケーキを食した。途端に弾けたのは芳醇な甘さだ。チョコレートのシックな香りと舌先で乱舞する甘さ。これがトロピウスの果実なのだろうか。甘さ、と言っても下品ではない。上質な甘さはコーヒーの苦さと手を取り合って味覚を刺激する。ダイゴは思わず口元に手を当てて、「おいしい……」と呟いていた。

 

「だろう? 思わず言ってしまう感じだろう?」

 

 満足気なイッシンの背後に誰かが立つ。ダイゴはそちらへと視線を向けた。

 

 痩身の男でイッシンを見据えている。見つめる眼差しは垂れ目でどこか哀愁さえも漂わせていた。ダイゴが声をかける前にその男はあろう事かイッシンの両目を背後から塞ぐ。

 

 まさか、敵かと身構えたダイゴへと肩透かしの声が発せられた。

 

「だーれだ?」

 

 子供がそうするような茶目っ気を漂わせた声音にダイゴは毒気を抜かれる。イッシンはにやりと口元を緩めた。

 

「その声は、お前だなー、コウヤ!」

 

 イッシンが振り返って男と揉み合う。男は笑顔を向けて歓迎させた。

 

「ただいま、父さん」

 

 その声にダイゴはこの男の正体を推測する。

 

「もしかして、この人は……」

 

「ああ、紹介が遅れた」

 

 イッシンは男を愛しげに見やる。

 

「長男のコウヤ。ダイゴとはそういえば会っていなかったか?」

 

 ダイゴは自然と身体が強張ったのを感じた。この男がツワブキ・コウヤ。ツワブキ家の長男であり、次期社長。コウヤは垂れ目でダイゴを見つめると、「ああ」と察したように首肯する。

 

「はじめまして、ダイゴです」

 

 あえてツワブキ家の名前を名乗らなかった。コウヤは顎に手を添えて、「はじめまして、かな」と呟く。

 

「ツワブキ・コウヤだ。よろしく」

 

 差し出された手をダイゴは取った。握手すると思いのほか体温が冷たい事に気付く。

 

「冷え性なんだ」とコウヤは笑った。

 

「お前、イッシュに派遣されたんじゃなかったのか? この間から留守だったじゃないか」

 

「今日帰ってきたんですよ。メールしたでしょう?」

 

 イッシンはポケナビを取り出し、「ああ、本当だ」と確認する。

 

「ダイゴを案内するので忙しくってな」

 

「もう、息子の帰りくらいしっかり把握しておいてくださいよ」

 

 コウヤの声にイッシンは照れたように笑う。ダイゴは立ったままそれを眺めていた。

 

「ダイゴ、確か記憶喪失とかだったな。今は」

 

「まだ何も分かっていないんだ」

 

 代わりに答えたイッシンにコウヤは、「そうか」と口にする。

 

「そうそう、父さん。今回もいいコーヒー豆を仕入れてきたんですが、それとはまた別に」

 

 取り出されたのは掌大の石だった。甲羅がめり込んだような石でくすんだ色をしている。

 

「おいおい、またか。お前もその趣味が過ぎるぞ」

 

 ダイゴにはわけが分からなかった。一体その石は何なのか。

 

「ほら、ダイゴも困っているだろう」

 

 イッシンの声にコウヤは微笑んで、「化石だよ」と言った。

 

「ポケモンの化石。おれの趣味なんだ」

 

 化石、と言われると確かにそのようだがどうして今取り出したのか謎だった。

 

「こいつの趣味でな。そこいらで珍しい化石を買ってくる。今回はいくらしたんだ?」

 

「それがですね。今回これはタダだったんです」

 

「他には?」

 

「まぁ二十万ほど使いましたけれど」

 

「だろぉー! お前いっつも無駄遣いするもんなー!」

 

 またしてもじゃれあっている二人を眺めつつダイゴはどうするべきか考えていた。

 

「ああ、ダイゴ。この化石はやるよ」

 

 コウヤの突然の言い草にダイゴは戸惑う。「えっ」と声にするとコウヤは無理やり握らせた。

 

「おれからのプレゼントだ。いいだろう?」

 

「……はい」

 

 有無を言わさぬ空気にダイゴは気圧される。それが不服そうに見えたのかコウヤは他のプレゼントも渡してきた。

 

「何だよぉ、つれないな! だったらこれ! 千ピースパズル! 千ピースパズルと下敷きもやろう!」

 

「コウヤ! プレゼント攻撃はやめろって。ダイゴも困っているだろう」

 

 甲羅の化石とその他のプレゼントを受け取りつつダイゴはその場に留まっていた。イッシンはコウヤと共に上機嫌で出て行く。会計も恐らくは経費で落ちるのだろう。ギギギアルも主人の身勝手に留まっていたがその中のちびギアが動き出した。何をするのかと思えば先ほどまでコウヤがいた足元にちびギアが寄り集まっている。ダイゴは目を凝らした。

 

「砂流?」

 

 小さな砂粒が落ちている。化石から落ちたのかあるいはコウヤから落ちたのかは判然としないが砂粒にギギギアルが反応しているようだった。

 

 そこでダイゴはハッとする。

 

 ――解析した。自動的に追尾する。

 

 昨日、ギギギアルはギリーのポケモンの攻撃を解析し、その攻撃を追尾するように設定されたはずだ。それと同じ反応であった。

 

 しかし何故? ダイゴは疑問に行き当たる。どうしてちびギアがギリーと同じものである、と反転したのか。とある推測にダイゴは思い当たった。

 

「ツワブキ・コウヤ。まさかギリーと何か関係があるのか……」

 

 イッシュから帰ってきたという男ならば面識があってもおかしくはない。ダイゴは遠ざかっていく背中を睨み据えた。

 

 もしかしたら自分に繋がる手がかりをあの男は持っているのかもしれない。その確証に鼓動が脈打つ。

 

 次の敵になるとすれば、それはツワブキ・コウヤだ。

 

 ダイゴはわざとコウヤを追尾するちびギアの痕跡を消してから喫茶店を出た。苦々しいコーヒーの味が今さらに思い出されて来る。

 

 きっと対面するべきはもっと苦いものとなるだろう。その予感に身震いした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第六章 了

 



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攻めろ! 化石バトル!
第七十六話「課せられた使命」


 

 久方振りの家族全員揃っての朝食を終えると、コウヤはすぐに部屋に取って返した。リョウに尋ねる。

 

「コウヤさんの、お仕事って……」

 

「まぁデボンの系列会社の管理とか、後は次期社長として学ぶべきところの勉強会だとかに出なきゃいけない。オレよりも忙しいだろうよ」

 

 リョウは久しぶりに帰ったのに父親であるイッシンに話しかけもしない。それはレイカも同じで何やら忙しく端末を眺めていた。それをイッシンはいさめる。

 

「おい、レイカ。飯の時に端末をいじるのはやめないか」

 

「私は仕事でやっているの。しょうがないじゃない、立て込んでいるんだから」

 

 仕事、と言われればイッシンとて立つ瀬がないらしく、「まぁ仕事なら」と濁す。

 

「それよりコウヤ兄さんに何も言わないのね、お父さんは」

 

 レイカの小言にイッシンは眉根を寄せた。

 

「コウヤはあれで長旅に疲れているんだ。何も言わないのが親心だろう」

 

「そういうもんかしら」

 

 どこか得心の行っていないレイカを尻目にダイゴはリョウを呼びかけた。

 

「リョウさん、お願いがあるんですが」

 

「うん、何だ? 言ってみろよ。端末をまた買いに行くか?」

 

「いいえ、もう端末はいいので、その新しいお願いなんですけれど」

 

「何だよ、ダイゴは欲しがりだな。言ってみろ。オレはサンタクロースにはなれないがそういう気質は持ち続けていたいと思っている」

 

 ダイゴは一呼吸置いてからリョウに言いやった。

 

「コウヤさんに預かったんですが」

 

 取り出したのは甲羅の化石だ。リョウが怪訝そうに見やる。

 

「ああ、兄貴の道楽だな。それがどうかしたか?」

 

「俺、これの使い方が分からないんで、コウヤさんに教わりたいんですけれど」

 

 そう言うとリョウは少しばかり渋い顔をする。

 

「兄貴に直接言えばいいだろ」

 

「会ったばかりで言い出しにくいんですよ。すぐに部屋に戻っちゃうし、忙しいのかなって」

 

 リョウはわざとらしく咳払いし、「オレだって忙しいんだぜ」と返す。

 

「分かっています。でもリョウさんは信頼出来ますから」

 

 そう言ってやると悪い気はしないのだろう。リョウは、「まぁダイゴがそう言うんなら」と手招いた。

 

「でも多分、兄貴は駄目だって言うと思う。帰って早々、お前の相手をするってのはさすがに疲れているだろうし。いくら化石好きでもな」

 

「コウヤさんは、化石が好きなんですか?」

 

「ありゃ病気レベルだぜ。まぁオーケーが出れば部屋に入らせてもらえる。そうすれば分かるさ」

 

 リョウが扉を叩きコウヤにかけ合う。

 

「あのさ、兄貴。ダイゴの奴が化石について聞きたいって言うんだけれど駄目だよな?」

 

「化石? ああ、構わないぞ。連れて来い」

 

「ああ、いいのか……。じゃあ」

 

 リョウが扉を開ける。視界に飛び込んできたのはケースに入った化石の数々だった。化石だけではない。珍しい石や光沢を放つ宝石などが散りばめられている。さながら石の博物館だ。部屋の中央には机を改造したステージがあり、人工岩で擬似的に再現された荒野であった。

 

「ダイゴ、狭苦しい部屋で申し訳ないな。おれは狭くないと駄目なんだ。落ち着かなくってな」

 

「いえ」とダイゴは周囲を観察する。水槽の中には茶色い魚のポケモンが泳いでいた。

 

「ジーランスって言うんだ。化石ポケモンじゃないがそいつも古代より姿を変えていないとされている」

 

 ダイゴは、「そうですか」と応じる。ダイゴの反応が淡白だったせいかリョウが肘でつついた。

 

「おいおい、お前が兄貴に取り付けろって言ったんだぜ? 何か用があるんだろ?」

 

 ダイゴは改めたように化石を差し出す。

 

「この化石ですけれど、俺には扱い方が分からなくって」

 

「ああ、そりゃ確かに。違いないな。化石をやってもどう扱えばいいなんて分からない、至極まともなご意見だ」

 

 コウヤの言葉にダイゴは、「壊してしまったら悪いですし」と突っ返そうとする。リョウが目を見開いてそれを止めた。

 

「さすがに土産物を返すのはどうかと思うぜ、ダイゴ」

 

「でも俺には扱い切れない」

 

「扱い切れない、か。ダイゴ。化石ってどう使うのか、って訊いたな?」

 

 奥の椅子から立ち上がってコウヤが飾り付けられている化石の数々を見やった。

 

「ええ、まぁ。だってただの石じゃないでしょう?」

 

「当たり前だろう」

 

 割って入ったリョウの声を無視してコウヤは、「分かっているじゃないか」と口にする。

 

「そうとも。化石ってのはただの石じゃない。大昔のポケモンの遺伝子が入ったそれこそタイムカプセルなんだ。そこにはロマンもあるし、何よりもそいつを復元すれば、もしかするとお宝が手に入るかもしれない」

 

「お宝、ですか……」

 

 いまいちピンと来ていないのが伝わったのだろう。コウヤは本が山積みにされた機械を取り出し、それを起動させた。

 

「使うのは久しぶりだな。なにせ、この家じゃ相手になる奴もいないもんだから」

 

 プリンターの形状に似ている機械であった。スキャンするための蓋があり、上部にはスタンドライトを思わせる意匠が施されている。

 

「それは?」

 

「復元機だよ。化石復元機。これ、ホウエンだとおれが持っているのとデボン本社にあるのしかないんだぜ」

 

 コウヤは誇らしげに言い放つ。ダイゴは、「復元機」と繰り返していた。

 

「それを使ってどうするんです?」

 

 ダイゴの反応にコウヤはいちいち面白げに口元を緩める。

 

「記憶喪失ってのを笑うつもりはないが、ここまで無知だとちょっと面白いな。いいや、失礼。記憶喪失ってのは深刻な問題だから笑う気は全くないんだ。馬鹿にする気も、もちろんない」

 

 コウヤの言葉にダイゴは、「いえ、俺も知らないだけですから」と手を振る。

 

「久しぶりだからな。クオンを昔、相手取った時以来かな。あいつはおれなんかみたいに熱中する事はなかったが。まぁ女の子だからな」

 

 復元機を眺めてリョウが口を開く。

 

「兄貴、もしかしてそれで……」

 

「そうだよ。せっかく化石をやったんだ。久しぶりにやろうかな、って話さ」

 

 リョウはダイゴに目線をやって、「不幸だな」と呟いた。

 

「兄貴の道楽に巻き込まれちまった」

 

「聞こえているぞ、リョウ。復元機は問題なく起動した。さて、ここからだが」

 

 コウヤはダイゴに視線を据えて尋ねる。

 

「これから行う事を少しだけレクチャーしたい。構わないか?」

 

「ええ」とダイゴは応ずる。

 

 ――全て、計画通りだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コウヤにもう一度会いたい、とダイゴが言い出すとクオンは渋い顔をした。

 

 どうして自分に言うのだ、という感情と困惑がない交ぜになっている。

 

「それこそ、コウヤ兄様に直接言えば」

 

「俺が直接言っても聞き入れられない可能性があるんだ」

 

 ダイゴの口調にクオンは疑問符を挟む。

 

「らら、何で?」

 

「イッシンさんと俺は先刻、暗殺者に狙われた」

 

 その言葉は意外だったのだろう。クオンは目を丸くしていた。

 

「そんな事、父様は……」

 

「言わないさ。あの人は人格者だ。だから家族に心配だけはかけさせない」

 

 イッシンは少なくとも信頼出来る。ダイゴは静かな語調で続ける。

 

「俺とイッシンさんはギリー・ザ・ロックという暗殺者に狙われたんだが、面識は?」

 

「あるはずがないわ。聞いたのも初めて」

 

 つまりクオンはギリーとは無関係。ダイゴはそれだけでも安心出来る材料だった。

 

「クオンちゃん。俺はコウヤさんに会わなくっちゃいけない。会って確かめなければいけないんだ。あの人がどこに行っていたのか。何の目的があるのか」

 

「コウヤ兄様は、イッシュに仕事で行っていたのではなくって?」

 

「コウヤさんの服飾から、いいや靴の裏だったのかもしれないが、ギリー・ザ・ロックの使っていたポケモンの痕跡と同じ痕跡が見られた」

 

 その事実にクオンは震撼する。

 

「と、いう事は……」

 

「コウヤさんとギリーはどこかで会っている可能性が高い。もしそうなら、俺はコウヤさんを追い詰めなければならない。追い詰めて、聞き出すんだ。俺が何者なのかを」

 

「何ですって!」

 

 驚愕の眼差しを送るクオンにダイゴは、「落ち着いて聞いて欲しい」と前置きする。

 

「追い詰める、と言っても、いきなり実力行使に出るわけにもいかない。相手の手持ちも分からないんだ。それに俺とて事を荒立てたくない。ギリーと会っているのか、いないのか、それだけを最低限知れればいい」

 

「父様と協力して聞き出せば」

 

「イッシンさんは、確かに人格者だし、俺も尊敬している。だが長男の仕事を調べ上げたり、あるいは疑ったりするタイプじゃない。もし、自分の息子と謎の血筋と、天秤にかけたら、俺は自分の息子を信じる。それこそ無意識の部分で、何の疑いも挟まないだろう」

 

 イッシンは家族を背負う家長として長男を追い詰めるような真似はしない。それは一緒に戦ってみて分かった。究極的に温厚な人物なのだ。

 

「謎の血筋、ってのは……」

 

 答えざるを得ないだろう。ダイゴは分かった事を纏めた。ツワブキ家とカントーのフジ家。その両家を股にかけた謎の第三者の存在。その人物こそが初代の死に深く関わっているかもしれない事を。行方不明のその人物を自分は追わなければならない。追うにはギリーの身元も正さなければ意味がない。

 

 全てを聞き終えてクオンはため息をつく。

 

「……そこまで分かっていて、どうしてちょっと立ち止まる事も出来ないの? あたしなら共に戦える人がいるだけでもありがたい」

 

「クオンちゃん。俺は、言っていなかったがやっぱりこの問題は俺が解決するべきだと思っている。初代と同じ顔と同じ名前を持つ俺こそが、解決するのに相応しいのだと」

 

「そこまで思い詰めなくっても……」

 

「いや、これは使命なんだ。俺の、俺に課せられた、最大の」

 

 自分が解決しなければこの問題は闇に葬られる。その予感があった。

 

「……約束して欲しい」

 

 熟考の末にクオンが口にしたのが分かった。ダイゴは、「君との約束は守る」と応ずる。

 

「コウヤ兄様の手持ちはあたしも知らない。でも家族が争い合うのは嫌」

 

「分かっている。俺もツワブキ家の人達を疑うのは嫌だし、出来れば戦いたくない。でも、やっぱりツワブキ家は全員、ポケモントレーナーなんだな?」

 

 クオンは首肯してから、「それだけは守って」と言いつける。

 

「約束する。争わない。俺は、相手が出してこない以上、自分の手持ちでコウヤさんを含む誰かを傷つけたりはしない」

 

 相手が出してこない以上、という条件付きだがクオンは呑んだようだ。おずおずと口を開く。

 

「家族が憎しみ合うなんて嫌だもの。だから、これは最も平和的な方法」

 

「交渉か、それとも条件でもあるのか?」

 

「コウヤ兄様が苦手なのは化石よ」

 

 最初、その言葉の意味が分からなかった。クオンは何と言ったのか。

 

「何だって?」

 

「コウヤ兄様は、一番にデボンの未来を背負わなければならなかった。長男だし、御曹司だし、あたし達とは育てられ方が違う。だからちょっとした嘘や誤魔化しなんてすぐに看破されてしまう。あたしとダイゴがいくら頭脳をつき合わせて共謀してもあの人の前では無意味でしょう」

 

「じゃあどうしろって……」

 

「化石、しかないのよ」

 

 クオンの言葉の意味が分からない。ダイゴは少しずつ紐解いた。

 

「化石、って、これか?」

 

 手離すのも何か不安でコウヤから手渡されたままずっと持っていた。甲羅の化石を指差してクオンは告げる。

 

「コウヤ兄様はね、あたし達の中で一番に大人にならなきゃいけなかった。その反動なのか、どうかは知らないけれど、これだけは子供にならざるを得ない。コウヤ兄様の弱点は化石なのよ」

 

「化石集めに躍起、って事か?」

 

 ダイゴの考えをクオンは首を振って否定する。

 

「化石集めは表層的なものに過ぎない。あの人が一番好きなのは化石を復元させて行うポケモンバトル。いわゆる化石バトルよ」

 

 初めて聞く単語にダイゴは困惑する。手に取った甲羅の化石を見やって、「復元……?」と聞き返す。

 

「どういう事なんだ。化石って復元出来るのか?」

 

「近年の研究で化石に含まれる遺伝子組成や復元モデルが確立されて、一地方に最高でも二台しか存在しない化石復元機ってのがあって、それで復元出来る」

 

「そんなの、カナズミに……」

 

「あるのよ。その二台が、このカナズミに」

 

 遮って放たれた声にダイゴは目をしばたたく。

 

「どこに? デボンとか?」

 

「デボン本社に一台。そしてもう一台を所有しているのが、コウヤ兄様」

 

 驚愕の事実だったがそれが何だというのか。高価な代物を持っている、だけではないのか。

 

「……復元機がすごいってのは俺でも想像出来るけれど、それを何で個人が所有しているんだ?」

 

「言ったでしょう? コウヤ兄様は、一番に大人にならなきゃいけなかった。だからその反動で、あらゆる享楽が駄目と言われる中、唯一許された遊びがそれ。化石を復元させてバトルする、代理のポケモンバトルみたいなものね」

 

「代理の、バトル……」

 

 いまいち分かっていないダイゴへとクオンはため息混じりに口にする。

 

「あたしもよく付き合わされたわ」

 

「クオンちゃんも?」

 

「コウヤ兄様は友達が少ないの」

 

 それはご愁傷様としか言いようがない。

 

「そうなんだ……」

 

「だから相手はもっぱら研究員とか社員とか、あたし達家族だけだった。あたしも右も左も分からないのに相手させられたわ。子供心に、あれは怖かった」

 

「怖い? ポケモンバトルじゃないのか?」

 

 クオンは一拍だけ沈黙を挟んでから、「ただのバトルならば」と言葉を発する。

 

「怖くはないわ。でもこの化石復元バトルにはある一定の決まりがあって」

 

 

 



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第七十七話「化石バトルをしようⅠ」

 

「化石を復元させてバトルするんだ。この機械でね」

 

 コウヤが復元機を起動させて一つの化石を内部に置く。内部の化石が細分化され、遺伝子が蘇らせられた。活性化した遺伝子を基にして投射機が左右に忙しく動き、骨格を復元させてからそこに肉付けしていく。お世辞にもいい光景だとは言えない。

 

「クオンなんかはこれ怖がるんだ。まぁ女の子にはきつい描写かな」

 

 当然だろう。臓器や脳髄、それに眼球などが次々に復元されるのだが生々しくってダイゴですら目を背けたかった。リョウはもう嫌なのか目を背けている。

 

「兄貴、終わったら言ってくれ」

 

「何だよ、リョウ。男の子だろう? これくらいのグロ耐性がなくってどうするんだ」

 

「兄貴は麻痺してるんだよ。これ、かなりえげつないんだから」

 

 復元されたのは頭頂部が丸まった青い体表のポケモンであった。頭蓋骨が異常発達しており逆に四肢や他の部位は少しばかり弱々しい印象である。

 

「ズガイトス。およそ一億年前に存在していたとされるポケモンだ」

 

 コウヤはズガイトスを臆する事なく触って部屋の中央にあるステージに配置する。もう一つの化石を復元し始めた。

 

「これからやる遊びはある意味考古学研究に役立っていてね。おれもこの機械を得るためにわざわざ考古学専攻で学んだりした。博士号以上の権限がないと触っちゃいけないんだ」

 

 言いながら復元されていくのは同じくズガイトスであった。やはり骨格に肉付けされていく過程は見ていていい気分ではない。

 

「さて、二体のズガイトスが出揃ったわけだが、こいつらに戦うだけの知能があると思うか?」

 

 突然の質問にダイゴは面食らったが、「ない、んじゃないでしょうか」と答えられた。

 

「何でだと思う?」

 

「復元されたばっかりだし、それに脳ってのはそんな簡単に解析されるもんじゃないと思います」

 

 ダイゴの回答にコウヤは手を打って拍手を送る。

 

「いいな、ダイゴ。お前、思っていたよりも頭がいいぞ。その通り、復元時に復元されるのは脳髄以外の部分だ。未だにこれだけ技術が発展しても脳を再生させるのは事実上不可能だと考えられている」

 

「ではどうするんですか? だって脳みそがなければ指示を送っても考えられないでしょうしバトルなんてなおさら」

 

「これだよ」

 

 コウヤが差し出したのは小さなチップだった。ダイゴは小首を傾げる。

 

「それは?」

 

「脳波チップだ。頭脳の代替品として注目されている。見ろ」

 

 コウヤがステージを指差す。ズガイトス二体は向かい合っているにも関わらず行動する様子はない。

 

「今のズガイトス二体は赤ん坊同然、いいや、赤ん坊よりももっと何もない、がらんどうだ。頭脳が空っぽなのさ。本能さえもないポケモンだから当然、バトルも出来ない。だが、こうしてチップを頭につけてやれば」

 

 コウヤがチップをつけると近くの二台の端末が反応した。それぞれに表示されたのは四つの技名である。

 

「本能的に、肉体から逆算されるレベルの技がこうして表示される。化石ポケモンは復元するのならば基本レベルは固定されているんだ。ただ何をチョイスするかは化石次第だが。リョウ、久しぶりにやるか」

 

 端末を差し出されたリョウはげんなりする。

 

「オレ、これあんまり得意じゃないんだよ」

 

「いいじゃないか。イベントマッチだよ」

 

 リョウはコウヤとは反対側に位置して座る。コウヤもステージを挟んで座り込み、ダイゴへとレクチャーする。

 

「復元した化石ポケモンに共通するものとして、復元後三時間は全く使い物にならない、というのがある。これをおれは復元酔いと名付けた。復元されたばっかりで右も左も分かっていない空っぽのポケモン達を使ってどうするか。ダイゴ、見てな」

 

 リョウは端末を操作してズガイトスに命令する。

 

「ズガイトス、頭突き」

 

 すると今まで中空を睨んでいたズガイトスの眼に光が入り、頭頂部を突き出して体当たりを仕掛けた。突然の行動にダイゴは狼狽する。コウヤは落ち着いた様子で「ずつき」を食らった自分のほうのズガイトスを眺めている。

 

「チップに直接命令する事によって未熟な脳細胞を刺激し、強制的に命令をさせる。これが化石バトルだ。ポケモンバトルと違うのは完全に能力が復元時に依存する事と、後はトレーナーの命令による判断が何よりも優先される分、場数なんかで左右されない事かな。完全にトレーナーの力量勝負。ズガイトス、突進」

 

 命令を受けたコウヤのほうのズガイトスが立ち上がり突進攻撃を浴びせる。リョウのズガイトスがたたらを踏んだ瞬間を狙い、コウヤは続け様に命じた。

 

「頭突きで姿勢を崩させろ」

 

 ズガイトスがよろめいたリョウのズガイトスに「ずつき」を食らわせ姿勢が崩れる。相手へとさらに追い討ちした。

 

「そのままステージ外へ押し出せ。突進」

 

 横たわったズガイトスをコウヤのズガイトスが押し出す。ステージ外に出たズガイトスは完全に気を失っていた。

 

「チップの効果が発揮される範囲は限られていてね。このステージ、つまり半径一メートル八十センチが関の山さ。それ以上を突破して化石ポケモンが暴走する事はない。安全で、何よりも洗練されたポケモンバトルだろう?」

 

 ダイゴは圧倒されていた。ここまでトレーナーのエゴが剥き出しにされたポケモンバトルがかつてあっただろうか。ポケモンは完全にトレーナーの道具。それ以上でも以下でもない。だが化石ポケモンからしてみればそのほうが幸福なのかもしれない。未熟なトレーナーに振り回されるよりかはこうして限られた場で勝負したほうが。

 

「なるほど、勉強になります……」

 

「そう言って軽蔑している感じだ。おれのやっているこのバトルが完全にポケモンの人格を無視しているように思われているかな」

 

 見透かされていたのでダイゴは何も言わない。

 

「逆だよ、ダイゴ。普段のポケモンバトルなんてポケモンを気遣うあまり、トレーナーの軟弱さが目立つ。ポケモン擁護団体の圧力のせいでポケモンの、本当の原始本能に根ざした戦闘なんて滅多に見られない。それこそ管理されたポケモンバトルの弊害だ。おれはこっちのほうがスリリングで、何よりもポケモン本来の姿に近い気がするが」

 

 コウヤの言葉を聞いている間にリョウは倒れたズガイトスを持ち上げる。

 

「兄貴、もうちょっと手加減してくれよ。オレ、苦手だって言っただろ」

 

「苦手でもやれよ。お前、警察官だろ」

 

「それとこれとは別だし、戦闘専門じゃないんだよ」

 

 コウヤはため息をついてダイゴを見やる。

 

「ダイゴ、今のでどう思った? やっぱり怖気づいたか。そりゃそうだ。最初のほうは誰だってそうさ。怖くなってぶるっちまう」

 

「いいえ――」

 

 ダイゴは返して先ほどまでリョウの座っていた椅子に腰かける。

 

「俺も、俄然やってみたくなりました。この化石バトル」

 

 ダイゴの言葉が意外だったのか、コウヤもリョウも目を見開いている。

 

「言っておくが簡単なもんじゃないぞ? 普段のポケモンはあらゆる点でトレーナーをアシストしているんだ。その補助が全くない、剥き出しの野生とトレーナーとしての純粋な技量勝負。正直、お前が勝てるとは……」

 

「いいや、リョウ。決め付けはよくないな」

 

 遮ったコウヤは手を組んで口角を吊り上げる。

 

「面白いな、ダイゴ。この家で、殊化石バトルにおいておれにそんな口を利ける奴はいないんだ。面白い。いいだろう。化石バトル、やろうじゃないか」

 

 リョウがうろたえる。

 

「ダイゴ、引き下がるなら今だ。化石バトルは生半可なものじゃないぞ」

 

「いいえ。とても面白く拝見させてもらいました。是非、手合わせ願いたい」

 

 自信満々な声音にリョウが戸惑う。比してコウヤは笑みを浮かべていた。

 

「おれと手合わせするってのか。最初はリョウとやらせるのがいいかな、と思っていたが、面白い。面白いぞ、ダイゴ。帰ってきて早々、いきなりこういう奴と出会うと、おれは楽しくって仕方がない。出張の疲れなんて全部吹き飛んじまう」

 

 コウヤは立ち上がり化石が飾られた棚を引き出した。

 

「ダイゴ、どれでもいいぞ。選べ。その中から化石バトルをしよう」

 

「いいえ。俺はせっかくもらったんで、こいつで」

 

 甲羅の化石を差し出す。コウヤはふふふっと笑った。

 

「おいおい、甲羅の化石でやるってのか? そこまで義理立てしなくてもいいんだぞ」

 

「いえ、俺はせっかくもらったんですから、こいつに華を持たせてやりたい」

 

 ダイゴの言い分にリョウが口を挟んだ。

 

「馬鹿。せっかくいい化石を見繕ってもらえるってのに、よりにもよって甲羅の化石なんて――」

 

「おい、リョウ! 公平な戦闘の前には、そういう余計な事は言っちゃいけない。そうだろう?」

 

 コウヤに指図されてリョウは身体を硬直させる。どうやら長男の威厳はあるらしい。

 

「その甲羅の化石を復元するが、本当にいいんだな?」

 

「ええ、俺はこいつで」

 

 復元機に甲羅の化石がかけられる。骨格が復元されるが先ほどのズガイトスのように四肢はない。それどころか背が丸まっており小さな爪を先端に有しているだけだった。眼球が奥まった部分にあり、甲羅の中に収まってしまう。出現したポケモンは戦闘向きではなさそうな小型のものだった。

 

「カブト。甲羅ポケモンだ。まぁさして珍しくもない化石ポケモンだな」

 

 コウヤの声に、「だから言ったのに」とリョウが口を挟む。

 

「それに比べておれは選り取り見取り。ダイゴ、お前が選んだって構わないんだぞ」

 

「いえ、コウヤさんが好きなもので」

 

 その余裕にリョウが思わずと言った様子で口にする。

 

「後悔するぞ、おい」

 

 コウヤはダイゴの強気な声に笑みを浮かべたまま化石を選ぶ。

 

「そういう奴は、おれは大好きだ。根拠のない自信。勝てるって言う眼をしている。本物の男の眼だ。そういう奴を負かすのは滅茶苦茶面白い」

 

 コウヤの選んだのは盾の化石であった。復元機にかけると頭蓋骨がやたらと縦長のポケモンが出現する。眼が下部にあり、身体そのものは四足でカブトとさして変わらぬ大きさだったがその中でも目を引くのはやはり頭部である。頭部の長さだけでカブトを凌駕していた。まるで中世の騎士が有する盾そのものがポケモンの形状を成したようだ。

 

「タテトプス。盾の化石から復元されるポケモンだ。こいつとカブトに先にも言ったようにチップを頭に埋め込んでやる。そうすると、出ただろう? 技名が」

 

 端末に技の名前が出る。当然、相手には明かさない。

 

「ステージに配置した二体は復元酔いで通常のポケモンのような状況判断能力がない。つまり純粋に言えばおれとダイゴ、お前のバトルだ」

 

 ダイゴはそれでも取り乱す事はない。端末を確認してから、「ルールですが」と確認する。

 

「ステージから落とされると負けですか?」

 

 素朴な疑問にコウヤは不敵に笑う。

 

「当たり前だが、もう二つルールがある。体力が尽きれば負け。そしてもう一つは――殺されれば負けだ。さぁやるか? 化石ポケモン同士のとんでもない本能のバトルを」

 



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第七十八話「化石バトルをしようⅡ」

 

 コウヤの挑戦的な声音にダイゴは応じた。ここで退いてはならない。絶対に戦わなくっては。

 

「殺すまで、ってのはちょっとおっかないですけれど、でもやってみたいですね」

 

「おっかないか。まぁそうだろうな」

 

 コウヤは不敵に笑いながらタテトプスを所定の位置に配置する。カブトはタテトプスを敵と認識してもいないようだ。お互いにまだ本能でさえも目覚めていない。

 

「そういや、ただ単に勝負するだけじゃつまらなくないですか?」

 

 ダイゴの発言にコウヤは眉をぴくりと跳ねさせた。

 

「ただ勝負するだけじゃ?」

 

「何か、例えばですけれど賭けたりとか」

 

 その言葉にリョウが差し挟む。

 

「おいおい、ダイゴ。賭けるったってお前に兄貴以上に賭けられる資財なんてないだろう。金もまともに持っていないし、賭けなんて成立するもんか」

 

 リョウの言う通りかもしれない。だがこれに乗るか乗らないかでここから先の対応が変わってくる。コウヤは、「賭け、か」と呟く。

 

「悪くないが、リョウの言う通りならばお前には賭けるだけのものがないらしい。どうするかな……」

 

「対等な条件のものといったら身体くらいしかないだろうに」

 

 その発言でコウヤはハッとした。

 

「身体か。いいな」

 

 えっ、とリョウが振り向く。コウヤは手を組んで提案した。

 

「髪の毛、なんてどうだ?」

 

「髪の毛、ですか?」

 

 コウヤは前髪を垂らしている。ダイゴは銀髪をさすった。

 

「おれが負けたら前髪を剃ろう。お前が負けても前髪を剃る。こうすると対等だ」

 

 コウヤの提案にリョウは言葉をなくしていたがダイゴは応じた。

 

「いいですよ。俺の前髪でよければ」

 

「交渉成立だな」

 

 コウヤは前髪を触りながら笑みを浮かべる。タテトプスとカブトが対面している。

 

「今の状態では、ただ見つめ合うだけで戦闘にはならない。おれ達がやれと言えば、こいつらは戦い出す」

 

「ええ、号令はやはり正確でないと」

 

「リョウ。お前、レフェリーやれ。公正な判断くらい下せるよな?」

 

 コウヤの声にリョウは少しばかりうろたえてから、「まぁ、判断くらいは」と答えた。

 

「化石ポケモン同士の戦闘は思っているよりもずっと苛烈だ。さぁ、始めようか」

 

 リョウが近場にあったゴングを持ってくる。「いいか?」と言ってからゴングを鳴らした。

 

「カブト、マッドショット!」

 

 ダイゴの命令の声にカブトの目に力が入り爪で地面を巻き上げた。身体から分泌される水分と混じり合って泥と化したそれをカブトは一気に口腔から噴き出す。「マッドショット」は地面タイプの技であった。当然、命中すれば効果は抜群だ。

 

「命中すれば、危ない攻撃ではある」

 

 落ち着き払ってコウヤが言ったのは「マッドショット」があさっての方向を撃ち抜いたからだ。目の前のタテトプスに照準が合わない。

 

「地面タイプの技を即座に選んでくるのは、お前にもポケモントレーナーとしての素質がある、という事か。だが素質だけではどうしようもない部分が存在する。マッドショットは中距離から遠距離攻撃。当然、復元酔いから醒めていないこいつらでは命中精度は低いだろうさ。通常命中率の半分以下だと思ったほうがいい」

 

 リョウが顔を振り向けて、「やっぱりカブトじゃあな」と呟く。ダイゴはタテトプスを見据えた。

 

「タテトプス、体当たりだ」

 

 タテトプスが駆け出しカブトへと身体をぶつける。カブトはよろめくが攻撃を耐えた。

 

「その距離なら、マッドショット!」

 

 再び放った攻撃だがやはりタテトプスは捉えられない。コウヤが笑みを浮かべる。

 

「おいおい、そう何度も下手な鉄砲数撃ちゃ当たるってわけじゃないだろうに。この距離だと、逆に中距離技なんて当たらないさ。カブトを押し出せ、タテトプス」

 

 タテトプスがコウヤの命令を受けてカブトをフィールド外に押し出そうとする。ダイゴはタテトプスの四肢の動きを観察する。

 

 四肢に篭っている力の加減そのものは大したものではない。加えて相手はこちら側の射程距離に入ってきた。ダイゴが見ていたのは先ほどカブトの巻き上げた泥の土地だった。水気を含んでいるために滑りやすくなっている。その場にタテトプスが侵入した瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いい? ダイゴ。コウヤ兄様相手ならば、そのカブトでも充分優位よ」

 

 クオンのアドバイスにダイゴは一から化石ポケモンについて学ぶ必要があった。勝利するためにはクオンから一つでも聞き出さなければならない。だがカブトというポケモンの情報は聞けば聞くほどに不利に思える。

 

「……近接は苦手で、君の言う復元酔いとやらに晒されるんなら、もっと力のあるポケモンのほうが有利そうだけれど」

 

「化石ポケモンは、絶対に岩タイプを持っている。どのような化石から復元されても絶対に。だから水タイプを複合しているカブトは優位に運べる」

 

「水鉄砲でも覚えるのかい?」

 

「水鉄砲は覚えないけれど」

 

 クオンは紅い髪をくるりと巻いて甲羅の化石を撫でた。

 

「マッドショット、砂かけ。この連携でともすれば相手を自滅させられる。マッドショットは地面タイプの特殊技。岩に優位に運べる上に僅かだけれどフィールドを濡らす事が出来る。そこに勝機があると思ったほうがいいわ」

 

 ダイゴはしかし懸念事項があった。

 

「復元酔いの状態じゃそれも狙えるかどうか」

 

「だから、あなたはイカサマをするしかないのよ」

 

 思わぬ発言にダイゴは目を見開く。クオンは落ち着き払って、「コウヤ兄様は、化石バトルになると子供」と口にする。

 

「イカサマなんて見抜けない。普段は冷徹で、なおかつ鋭い眼でも、化石バトルになると熱くなってしまう。それが唯一の弱点。いくらでもこっちが稼げる」

 

 クオンの言葉にダイゴは疑問だった。

 

「なら何故、君は自分で勝とうとしない?」

 

「あたし、復元の時の状態で二日くらいはご飯が食べられなくなってしまうから」

 

 復元にはいちいち骨格から肉付けされるのだという。苦手な人間はいるだろう。その様子だけでもう参ってしまうのがほとんどのようだ。

 

「だがイカサマを仕掛けるとなると、何が勝負の基点となる? この化石バトルの明暗を分けるのは何だ?」

 

「チップ、というものを埋め込んで擬似的に脳波の補助をする。つまり、チップ以上の命令権はないってわけ。でもあなたのダンバルならば、予めチップ以上の命令を化石に仕込めるかもしれない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カブトの目に光が入る。

 

 爪を立ててカブトがフィールドの砂をタテトプスの目に向かってかけた。タテトプスがよろめくとその拍子に泥の部分でつんのめってしまう。タテトプスは無様に地面を転がった。押し出そうとしていた勢いが逆に作用し、タテトプスはフィールドからはみ出して外に出る。

 

「えっ……」

 

 一瞬の事にリョウも呆気に取られていた。コウヤも信じられない様子だ。ダイゴだけがそれらの全てをコントロールしていた。

 

 ――予めカブトには作戦を仕込んでおいた。思念の頭突きでメタングの思考を入れておき、この作戦をスムーズに行えるように。

 

「コウヤさん。勝負は決しました。リョウさん、公平なジャッジを」

 

「あっ、えっ、でも……」

 

 うろたえるリョウにダイゴは言い放つ。

 

「どうやら勝ったのは、俺のほうみたいですね。カブトはフィールドに残っている!」

 

 コウヤは無言のままタテトプスを受け取り部屋の奥に引き返したかと思うとハサミで乱雑に前髪を切った。切られた前髪が床に落ちる。

 

「び、ビギナーズラックってあるもんだな。なぁ、兄貴?」

 

 場を和ませようとリョウが口にする。ダイゴはカブトを手に部屋から出ようとした。

 

「じゃあ俺はこれで。化石バトル、勉強になりました」

 

「待てよ。ダイゴ」

 

 その背中へとコウヤが呼びかける。ダイゴは振り返ってコウヤの面持ちを窺った。コウヤは前髪を切った分、目先が爽やかになっている。

 

「あ、兄貴。ただの幸運って奴だろ。怒る事……」

 

「怒る? おれが怒っているだと?」

 

 コウヤは手鏡を持ち出し自分の顔を眺める。不意に笑い出した。

 

「なぁ、傑作だろう? この顔だよ。まさかおれが前髪を切るはめになるとは。だが楽しくなってきた。大変に楽しくなってきた感じだ。久しぶりにおれと対等に戦える、ライバルの出現に燃えている瞳だ」

 

 コウヤは微笑んだままダイゴを顎でしゃくる。

 

「カブトに、どうやって勝っただとか、何か仕込んでいたかもしれないだとか、そういう事はどうでもいい。イカサマはばれなきゃイカサマじゃないし、それにビギナーズラックならばなおの事、もう一回確かめたくなるだろう?」

 

 コウヤの言葉にリョウは問い返す。

 

「もう一戦、やるってのか? 兄貴」

 

「おいおい、当たり前だろう。勝ち逃げなんて許さないぜ、ダイゴ。ここまで来たんだ。化石バトルは一回やっただけじゃまだ魅力が分からない。もう一戦、当たり前じゃないか?」

 

 ダイゴはコウヤを見据える。

 

 ――ああ、そうだとも。やってやる。あんたに降りられちゃ困る。

 

「……でも俺にはもう賭けられるものもないですし、それにカブトはちょっと傷ついている。フェアじゃない」

 

「それも違うなぁ」

 

 コウヤはカブトを指差す。

 

「今のでカブトには少なからず経験値が入った。つまり強くなったって事だ。化石ポケモンの真骨頂はそれなんだよ。復元後三時間以内は本能のままに強くなる。ポケモンバトルとは違う、原始本能剥き出しのバトルがさらに複雑に繰り広げられる、って思ったほうがいい」

 

 しかしダイゴはここで首肯しない。

 

「でも俺にはこれ以上原始本能とやらでカブトを傷つけるのは」

 

「傷薬くらいはあるさ。何だって言うんならPPリカバーも。なぁいいだろう? もう一戦」

 

 コウヤの言葉にこちらはあくまで渋った末の決断としておく。もう一戦こそが狙いだとは悟られてはならない。

 

「いい、ですけれど、もう俺には賭けられるものがない。また前髪を賭けようにも短くなるだけじゃつまらなくないですか?」

 

「おい、ダイゴ。口の利き方を――」

 

「いや、いい。リョウ。面白い、面白いな、ダイゴ」

 

 いさめようとしたリョウの声を遮ってまでコウヤは勝負にこだわりたいらしい。口元に笑みを浮かべたままダイゴを値踏みするように見つめている。

 

「この家で、化石バトルでおれにそんな口が利けるのはお前だけだ。ここ数年で本当にお前だけだろう。そういう奴を倒す事ほど価値があると感じている。困難を乗り越える、という事はトレーナーならば当たり前の事だからな」

 

 自信満々のコウヤにダイゴは尋ねた。

 

「ではどうします? 俺はこのカブトで行きますが」

 

「本当にいいのか? 言っておくがおれはわざわざもう一回タテトプスでやるほど温情があるわけじゃないぞ」

 

 化石のコレクションからコウヤが選び出す。ダイゴはあえてカブトを選択していた。

 

「さぁて、どれにしようかな」

 

 コウヤの選択にリョウが口を挟む。

 

「あのさ、兄貴。あんまりダイゴをいじめても仕方がないと思うんだ。今はその、勝っているから調子づいているだけで」

 

「いじめる? おれがいつ、いじめなんてした? 対等な勝負だよ。なぁ、ダイゴ」

 

 取り出されたのは巨大な化石だった。カブトの復元前よりもずっと巨大で下顎らしきものが突き出ている。

 

「これで行こう。顎の化石。さて、何が復元されるだろうか。実はこいつ、買ってきてまだ一度も復元していないんだ。だからおれにもこいつがどういうポケモンなのか分からない。実のところを言うとな、ダイゴ。さっきのタテトプス、確実に勝てるチョイスだったんだ」

 

 なんと自分から先ほどの勝負は対等ではなかったとコウヤは発言した。ダイゴは驚愕の眼差しを浮かべる。

 

「当たり前だよな。おれはいつでも化石が復元出来るのに、お前はド素人。これで対等なんてちゃんちゃらおかしい。おれは正直、お前が参るもんだと思ってタテトプスを使った。だがお前は参るどころかさらに自信がある様子だ。記憶はないくせに勝てる、という妙な自信がある。それがおれの闘争本能に火を点ける」

 

 復元機に顎の化石がかけられる。復元されていくのは二つの足で屹立するポケモンであった。短い両手がついており、それよりも目を引くのは巨大な顎を有する頭部である。目は上部についており獲物を捕捉するのに適していそうだ。茶色い表皮にオレンジ色の鱗があった。

 

「こいつは……、なるほどチゴラス、というらしい」

 

 本棚から化石図鑑を取り出したコウヤがチゴラスを見やって口にする。ダイゴは次の敵となるそのポケモンを見据える。明らかにカブトよりも攻撃力の高そうな見た目に臆しそうだったが弱みは見せまいと感じた。

 

「チゴラスがどれだけ凶暴なのか、と言っても復元後三時間は所詮がらんどうの脳みそ。だからチップをつける」

 

 チップが頭部につけられる。端末に技が表示されたらしくコウヤは頷いた。

 

「さて第二ラウンドだがまだ何を賭けるのか言っていなかったな。お前の欲しいものでいい。何でも言ってみろ」

 

「何でも、ですか。そう言われると迷っちゃうな」

 

「なに、難しく考える必要はない」

 

 コウヤの言葉にダイゴは熟考の末、と言った様子で指差した。

 

「あの机にあるノートパソコン。あれ、もらえますか?」

 



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第七十九話「化石バトルをしようⅢ」

 

「いい? 一回目は適当なものでいい。でも二回目はダイゴ、あなたは絶対にノートパソコンを賭けなさい」

 

 クオンの言葉にダイゴは懸念事項を口にする。

 

「ノートパソコン、確かに俺はコウヤさんの持つ情報が欲しいが、そう容易く手に入るだろうか?」

 

 相手とてどうしても死守したい一線があるはずである。クオンは、「もし駄目でも」と言葉を継ぐ。

 

「今度はUSBって妥協しなさい。そうすると熱している状態のコウヤ兄様なら絶対に乗ってくるわ。もしかしたらノートパソコンでもくれてやるって言いそうだけれど」

 

 自分は絶対にコウヤの人間関係とどこに行っていたのかを知らなければならない。それを相手がさらけ出すのかどうかが問題であったが賭けならば対等な手段で手に入れられる。

 

「化石バトル以外、ないのか?」

 

「化石バトルしかないし、化石バトル以外じゃ絶対にコウヤ兄様はあなたに物を渡したりはしない。コウヤ兄様のプライドを崩そうと思ったら化石バトルで勝つしかない」

 

 クオンがここまで言い切るのだ。それは絶対だろう。ダイゴは、「カブトで、二戦目もいけるか?」と訊いていた。

 

「そればっかりはあなたの裁量次第だけれど、カブトならば限りなく負けの確率を下げられる。引き分けはあっても負けはないと思っていい」

 

「それだけ強く言えるって事は、カブトは勝てる公算があると思っていいんだな?」

 

「コウヤ兄様は油断している。油断し切っている。ド素人のあなたが化石バトルを挑むだけでも随分と無茶だけれどもし、一回でも勝てればこちらのペースに巻き込めたと思っていい。ダイゴ、これしか方法はないの」

 

 クオンの言葉を聞きダイゴは立ち上がる。

 

「分かった。何とかして勝つ。それしか方法がないのならば」

 

「もしノートパソコンが手に入ったら、あたしが何とかするわ」

 

「いや、クオンちゃんだけを危ない目には遭わせられない。誰か、協力者がいれば……」

 

 脳裏に浮かんだのはサキだったがサキに連絡しようにも方法がない。

 

「サキさん、ね」

 

 そんなダイゴの思考を読んだようにクオンが口にする。思わず目を見開いた。

 

「何で分かった?」

 

「あなたが頼りにしているのはサキさんとあたしだけだもの。父様だって、本当に信頼しているわけじゃない」

 

 クオンにはお見通しと言うわけか。ダイゴはお手上げのポーズを取り、「頼めるか」と聞いていた。

 

「頼めるか、じゃなくって頼む、でいいわ。あたしだけじゃどうしても解析に不備が出るだろうし警察のサキさんならば絶対に不備なんてないだろうし」

 

 どうやらクオンは自分の出来る範囲を心得ているらしい。ダイゴは目配せし合った。

 

「ノートパソコンを手に入れてツワブキ・コウヤが一体何を知っているのかを探る」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クオンは早速通話を繋いでいた。サキに頼るのは自分の力不足のようで気が引けたが今はダイゴのためだ。そう感じて通話したものの電波が入っていない云々のメッセージが流れる。何度かけなおしても同じだった。これでは一刻一秒を争うダイゴのためにならない。

 

 クオンは悩んだ末にある連絡先にかけた。これが駄目ならば自分達の目論みは潰える。しばらくコール音の後、通話が繋がった。

 

『はい……』

 

「あの、もしもし、クオンです。ツワブキ・クオン」

 

『えっ、クオンちゃん?』

 

 通話先の相手は驚いている。自分もまさかこの相手に連絡するはめになるとは思っていなかった。だが少しでもダイゴのためを思えばサキに近しい人間を当たるのは妥当だ。

 

「マコさん、よね?」

 

 通話先の相手――ヒグチ・マコは少しの逡巡の後に、『うん』と答える。

 

「今、大丈夫?」

 

『大丈夫……だけれど』

 

 どこか煮え切らない返答だったがクオンは急ぐ必要性があった。ダイゴがもしコウヤの部屋からノートパソコンかそれに類する端末かを出してきた場合、予めリビングで受け取るように指示している。

 

「よく聞いて欲しい。本当はサキさんに連絡するのがベストだったんだけれど、あなたに引き受けて欲しい事があるの」

 

『……クオンちゃん? どういう事』

 

「ダイゴに関しての事。絶対に必要な事なのよ」

 

 その言葉に通話先でマコが息を呑んだのが伝わった。何だ、と探る前に、『ダイゴさんね……』と意味深な声音が返された。

 

『ちょうどよかった。私達も、どうにかしてダイゴさんに当たらなければならなかったから』

 

「ダイゴの頼みを引き受けて欲しい。今はそれだけでも」

 

 少しの沈黙が流れた。まさか断られるか、と身構えていたクオンは次に放たれた言葉に緊張を解いた。

 

『……分かった。私達にとってもダイゴさんの情報は必要なの。どこで落ち合えばいい?』

 

「ツワブキ家で。無理ならばどこが?」

 

『ここから近いのならばカナズミ北公園で落ち合いましょう。クオンちゃん、すぐに来られる?』

 

「出来るだけ急ぐわ。決着がつき次第、あたしが行く事になるだろうけれど間に合うかしら?」

 

『フライゴンに頼んでおくから。クオンちゃんはフライゴンに手渡してくれればいい』

 

 マコの手持ちがフライゴンであった事を思い出しそれが打ってつけだとクオンは感じた。

 

「分かった。どうしても誰かの協力が必要だったから」

 

 突然に連絡して申し訳ない旨を言おうとするとマコが、『ううん』と答える。

 

「私達としても絶対にツワブキ家に介入する手段が欲しかった。クオンちゃん、頼んだよ」

 

 通話を切ってからクオンは疑問に感じた。

 

「らら? 私〝達〟?」

 

 マコは一人で活動しているわけではないのか。その疑問を胸に抱く前にクオンは決着の行方を見逃さない事が先決だと思い直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ノートパソコンか……。あれはちょっとな」

 

「もちろん、お仕事に使うのならばいいですけれど……」

 

 ダイゴは一歩引いてみる。するとコウヤは思い切った発言をした。

 

「まぁバックアップはあるし、あれをやる時に初期化すればいいだけか」

 

 バックアップ。その言葉にダイゴはノートパソコンに取り付けられているUSBに注目する。最悪どちらかが手に入ればいい。初期化される前にどちらかが。

 

「いいだろう。このノートパソコンは十五万円だったが、くれてやるよ」

 

「その、やっぱりあげない、ってならないために……」

 

 約束手形が必要だと感じていた。コウヤが心得たように差し出したのはホロキャスターである。

 

「ノートパソコンのパスワードが入っているし、それだけでも遠隔操作が出来る。これで文句はないだろう?」

 

 ダイゴはホロキャスターをリョウに手渡した。

 

「リョウさん。それをお願いします」

 

「ああ、構わないが……。なぁ、本当にチゴラスとやるのか?」

 

 どれだけチゴラスが強いのか分からない。しかし勝たなければ何も得られないのは確かだ。

 

「もちろん、カブトも応急処置が出来ましたし、万全の姿勢です」

 

「それならいいんだが……。カブトじゃ限界があるって……」

 

「おい、リョウ。お前はな、レフェリーだろ? レフェリーがどちらかに肩入れしてどうする?」

 

 コウヤの注意にリョウは肩を強張らせた。ダイゴは固唾を呑む。チゴラスの威容は確かに脅威に映ったが顎の攻撃が命中しなければいいだけの話だ。こちらは先ほどの戦闘で既にメタングと同じように動かすだけの経験を得られた。泥を使っての戦法は二度も通じないかもしれないが攻め方はいくらでもある。

 

「俺が賭けるものが、まだ決まっていませんが?」

 

「そうだなぁ。よし、お前が負けたら一日おれの奴隷だ。それで手を打とう」

 

「奴隷、ですか……」

 

「そう難しく考えるなよ。一日だけおれの言う事を何でも聞いてくれればいい。それだけの話さ」

 

 ダイゴはその程度の賭けでノートパソコンが手に入るのならば容易いものだと感じていた。これでコウヤが自分の事をどれだけ知っているのか探る事が出来る。

 

「じゃあ勝負、スタート!」

 

 ゴングをリョウが鳴らすと先手を打ったのはカブトのほうだった。またしても地面に水気を含ませて泥を生成し口腔から噴き出す。「マッドショット」で確実にチゴラスの頭部へと命中させたかに思われた。

 

 だがその瞬間、チゴラスはまるで見えているかのように一直線の「マッドショット」を軽く回避する。ダイゴが違和感を覚える前にチゴラスは突進してきた。その動きに迷いは見られない。コウヤが命令している節もない。ダイゴはもう一度、と感じた。

 

「マッドショット!」

 

 泥の銃撃はチゴラスを捉える寸前で回避される。チゴラスは野生が蘇ったように咆哮した。口腔を開くと乱杭歯の並んだ威容に思わずたじろぐ。

 

「チゴラス、噛み付く」

 

 チゴラスが顎を突き出してカブトへと噛み付こうとする。ダイゴは咄嗟に判断した。

 

「カブト、砂かけ!」

 

「すなかけ」で命中率を下げる。その定石の攻撃にもチゴラスは動じた様子はない。それどころか的確にカブトを狙って噛み付いてきた。カブトの甲羅に亀裂が走る。リョウが喚いた。

 

「やばい! カブトの甲殻が砕けて中身が出るぞ!」

 

 完全に組み伏された形のカブトは足掻きようがない。ダイゴは四つの技を見やった。

 

「カブト、引っ掻く!」

 

 口の中を引っ掻いてやれば、というダイゴの目論みは淡く砕けた。

 

「おいおい、今の化石ポケモンには脳みそがないのをお忘れか? 当然、痛覚は遮断されている」

 

 チゴラスがさらにきつくカブトを噛み砕こうとする。リョウは目を覆いながら叫んだ。

 

「ぐ、グロいぞ! このままじゃカブトはボロボロだ!」

 

 ダイゴは他の手を講じるしかない。カブトのもう一つの技、ダイゴは命じていた。

 

「硬くなれ! 硬くなれば歯が立たないはずだ!」

 

 カブトが身を縮こまらせて「かたくなる」と使う。するとチゴラスは噛み付きの限界を感じたのかカブトを吐き出した。しかしその動きでさえも攻撃に転じさせている。吐き出し間際にカブトを放り投げたのだ。当然、カブトはフィールドの岩に叩きつけられる。そのダメージは推し量っても相当なものだ。

 

「惜しいな。カブトは硬くなる事で難を逃れたか」

 

 チゴラスが獲物を見据えて向かってくる。その動きに躊躇いがない。いや、もっと言えばないのが不自然だ。化石ポケモンには脳みそがないのではなかったのか。それにしてはチゴラスの動きは計算されつくしている。

 

 ――これが化石ポケモンの動きか? これは、まるで……。

 

 チゴラスがカブトをもう一度噛み付こうとするが今度はそうはいかなかった。

 

「カブト、地面を引っ掻いて煙幕を張れ!」

 

 カブトが高速で地面を引っ掻いて砂の即席煙幕を張った。その行動にコウヤは目を瞠る。

 

「やるじゃないか。砂かけよりもちょっとこれは厄介だな。しかし!」

 

 チゴラスが大きく後ろ足を上げたかと思うとフィールドを踏みつけた。その振動で砂が晴れる。

 

「一撃で……!」

 

「砂の煙幕なんて小賢しい真似をしている場合じゃないようだな」

 

 無論、ダイゴとてそれ以上の戦略を練ろうとしていた。砂の煙幕はあくまで一時的な手段に過ぎない。地面を引っ掻いてカブトは球体さながら回転しつつチゴラスの後ろに回っていた。

 

「今だ! マッドショット!」

 

 チゴラスの完全な死角からの攻撃である。これを回避出来るはずがない。だがチゴラスはまるで読んでいたかのように飛び退いた。その動きにダイゴは目を見開く。チゴラスが跳ね上がって攻撃を回避した。その動きはまさしく予見されたかのようだ。

 

「マッドショットが……」

 

「外れた……」

 

 リョウの呟きを引き継ぐ。コウヤは口元に余裕を浮かべた。

 

「おいおい、後ろからってのはなかなかにハードな事をやってくれるじゃないか。でもチゴラスの反応速度のほうが上だったようだな」

 

 反応速度? ダイゴは胸中で否定する。反応速度など化石ポケモンにあるはずがないのだ。それは先刻コウヤ自身が言っていた。化石ポケモンには脳髄が未発達でまともに戦える状態ではないと。確かにチゴラスが復元された時、他の化石ポケモンと大差ないように映った。どこからだ、とダイゴは探り出す。

 

 どこからチゴラスは他の化石ポケモンと違うようになった? それを看破しなければ自分はこの化石バトルで敗北する。ダイゴはチゴラスの強靭な顎にカブトがくわえ込まれないように必死に指示を飛ばす。

 

「カブト、地面を引っ掻いて円弧を描きつつ動け! チゴラスの真正面には決して入るな」

 

 それが精一杯だ。いくら「しねんのずつき」で通常よりも反応速度を向上させているとはいえ、これ以上出過ぎた真似をすればイカサマが露見する。そうなってしまえば今まで積み上げてきた戦闘そのものが意味を成さない。

 

 カブトは腹部にある爪で地面を掻いて回転しつつチゴラスの後ろに回ろうとする。しかしそれを阻んだのはチゴラスの放った尻尾による攻撃であった。

 

「チゴラスだって目が見えていないわけじゃないんだぜ。これでよろめいたな」

 

 カブトが硬直する。先ほどの顎による攻撃が効いているのか、カブトの動きが少しばかり鈍かった。

 

「さて、ゆっくりと。出来るだけカブトに不意をつかれないように行こうじゃないか」

 

 チゴラスが再びフィールドを踏みつけると振動でカブトの動きが阻害される。カブトはお得意の砂の煙幕による逃げの戦法を使う事さえも出来ない。

 

 ――確実に、チゴラスは先ほどの戦闘とは違う。

 

 ダイゴの中にそれは確信としてあったものの何が違うのかまでは分からない。タテトプスはコウヤの側に既に状態を知っているからというアドバンテージがあった。チゴラスは初めてだと聞いたが違うのか。それとも、自分が見落としている何かがあると言うのか。

 

「カブト、地面に水気を含ませて泥を生成しろ! 足場崩しを」

 

「させない」

 

 遮って放たれた声にチゴラスが踏み付けを行う。四股を踏んだようなその勢いにカブトが気圧される。カブトは少しずつ近づくチゴラスの脅威に怯えているようだった。圧倒されている。ダイゴは慌てて命令を飛ばした。

 

「マッドショットで敵を近付けさせるな!」

 

 カブトが泥の銃弾を放つがチゴラスは頭蓋を突き出してそれを防御する。命中しているのだが一撃では沈む様子はない。

 

「チゴラスの防御を嘗めているな。真正面からぶつかり合えば、マッドショット程度なら霧散出来るんだぜ」

 

 確かに「マッドショット」は時間稼ぎであった。ダイゴの本懐は相手がこちらの射程に入る事だ。泥でぬかるんだフィールドに足を取られて区域外に出る。それを狙っていたのだがチゴラスは次の瞬間、何と跳躍した。

 

 その動きは全く予想出来なかった。化石ポケモンが跳躍するなど誰が信じられようか。

 

「フィールド内だ。これは反則じゃない」

 

 チゴラスが顎を下方に真っ逆さまに降りてくる。ダイゴはその攻撃射程がカブトを巻き込むものであるのだと悟った。

 

「カブト! 直進だ! 直進してチゴラスの攻撃を避けろ!」

 

 複雑な指示は出せない。ダイゴの命令にカブトはぬかるんだ地面を基点として真っ直ぐに滑る。直後、チゴラスがフィールドの岩を噛み砕いた。まさしく渾身の一撃。食らっていれば即死だっただろう。

 

「惜しいな」

 

 チゴラスが地面の砂流を噛み砕いてカブトへと目を向ける。やはりその獰猛な眼は復元したばかりの化石ポケモンとは思えない。何か仕掛けがあるはずだった。ダイゴは目線を走らせる。

 

 どこかにコウヤは自分のポケモンを出している。それで操っているとしか思えない。だがどこだ? どこにポケモンがいると言うのか。先ほどから見えているのは岩のフィールドだけだ。円形のフィールドのどこに隠れられる? それほどまでに微細ならば先ほどのチゴラスの跳躍攻撃で飛び散ってもおかしくはない。

 

「ダイゴ、チゴラスにやられるカブトが見たくないんなら、降参してもいいんだぞ」

 

 コウヤの声にダイゴは歯噛みする。コウヤには余裕がある。絶対に見抜けないであろうと考えているのだ。ダイゴはコウヤの周りに注意を向ける。不自然に空間が歪曲している事もなければ不可視のポケモンがいる様子もない。何らかの思念の力があれば自分でも感じられるはずだった。

 

 エスパータイプのポケモンでもない。では何が操っていると言うのか。

 

 答えが保留のままチゴラスがフィールドを駆け抜ける。ダイゴはカブトに再三逃げるようにしか言えない。

 

「逃げてばっかりでは、敵は墜とせないぞ!」

 

 コウヤの挑発にもダイゴは応じずただ考えを巡らせる。どこに潜ませればチゴラスをここまで操れるのか。カブトが泥で回転しつつチゴラスへと「マッドショット」を見舞おうとする。しかしチゴラスはまたしても見えているかのようにステップで避けた。

 

 コウヤの側にいるチゴラスはカブトを見つけるなり顎を開いて威嚇する。カブトが気圧された様子で動きを鈍らせた。

 

「カブト! 追い詰められるぞ!」

 

 リョウの声にダイゴは、「分かっていますって!」と答える。こちらも必死だ。一体どうやって、チゴラスを操って――。

 

 そこまで考えてはたと気づいた。

 

 何故、チゴラスを操る必要がある? 戦いを優位に進めたいのならばカブトの動きを制限すればいい。それが出来ず、何故チゴラスなのか。ダイゴは先ほどまでの立ち回りを思い返す。

 

 チゴラスは常にこちらからの攻撃のカウンターを行っていた。改めてフィールドを見やる。

 

 半径一メートル八十センチのフィールドの内、チゴラスの攻撃時に占めている割合は半分以下だ。そもそもそれほど大きくチゴラスは動こうとしない。ダイゴは試してみる事にした。

 

「カブト、マッドショット!」

 

 カブトの攻撃をチゴラスは難なく回避する。しかしダイゴが狙ったのは真にはチゴラスではない。埋め込まれている岩場に「マッドショット」が突き刺さる。すると僅かだが岩が動いた気がした。この予感を確信に変えるには相手の懐に飛び込む必要がある。ダイゴは思い切った決断をする。

 

「カブト、相手へと向けて直進しろ」

 

 思わぬ命令だと感じたのだろう。リョウが声を張り上げた。

 

「バカ! チゴラスは近距離射程が何よりも得意なんだぞ! だって言うのに飛び込めだなんて」

 

「リョウさん。これは俺とコウヤさんの勝負です」

 

 そう言って次の言葉を制してダイゴはカブトへの命令を実行させる。カブトはチゴラスの射程へと向かっていく。チゴラスが大口を開けてその顎にカブトの矮躯を捉えようとした。瞬間、ダイゴは命じる。

 

「股下にマッドショット!」

 

 狙ったのはチゴラスの足元である。カブトに仕込んでおいた思念で正確無比な射撃が約束されていた。「マッドショット」はそのままチゴラスの足を射抜く。その瞬間、チゴラスの眼から戦闘本能の光が一瞬だけ消えた。

 

 化石ポケモンらしい眼になったのはコンマ数秒ほどだ。すぐに持ち直したチゴラスには戦闘本能が滾っている。だが、その一瞬だけでも充分だった。ダイゴにはやはりチゴラスが何らかの補助を受けているという確信があった。

 

「コウヤさん、例えば、ですが」

 

 この状態で口を開くとは思っていなかったのだろう。コウヤが眉を跳ね上げる。

 

「何だ、この状態で降参とか言うなよ」

 

「いえ、イカサマの話です。ばれなければイカサマじゃないんですよね?」

 

 コウヤは心外だとでも言わんばかりの顔つきで応じる。

 

「ああ、ばれなければ、な。ただしおれはフェアプレイの精神で行こうと思っている。こちら側に落ち度があればお前は圧倒的に不利だからな」

 

 ダイゴはカブトの周囲に展開する岩場を見据えて言い放つ。

 

「もし、イカサマがあったとすれば、どうします?」

 

 その言葉にもコウヤは冷静であった。

 

「イカサマがあれば、素直に認めるか、あるいはイカサマをせいぜいばれないように取り繕うか」

 

 コウヤの心中を察する。ここでイカサマの話をした事でその自信は少なからず揺らいでいるはずだ。どこかで綻びが生まれる。

 

 チゴラスがカブトへと飛びかかる。ダイゴはカブトに命じた。

 

「逃げに徹しろ。そのまま直進」

 

 しかし直進コースには岩場がある。コウヤが口角を吊り上げる。

 

「フィールドアウトに繋がるが、それは」

 

「計算の内です」

 

 言い放ったダイゴは即座に別の命令を与えた。

 

「岩場を崩せ。引っ掻く」

 

 カブトが岩場にこびりついてその表層を引っ掻いた。その瞬間、僅かだったが岩場が持ち上がった。その岩場だけではない。半径一メートル八十センチ以内の岩場全てが同時に浮遊したのだ。しかしそれは注意深く見ていなければ発見出来ないほどの綻びであった。現にリョウは気づいていない。リョウの関心はカブトの次の動きとチゴラスの動きにあるからだ。ダイゴだけが岩場の動きに注視していた。

 

 ――岩場が動いた。という事は、推論が役に立つ。

 

 チゴラスが岩場に張りついたカブトへと食いかかろうとする。しかしその攻撃は止められるだろうとダイゴは判断していた。

 

「く、食われるぞ!」

 

 リョウの言葉を他所に、チゴラスはその瞬間、動きを止めた。顎を開いたまま不自然な間が空く。カブトはその間にチゴラスの射程から逃れた。チゴラスは何もない空へと噛み付く。

 

「う、運のいい奴だな……。今の、もしチゴラスが攻撃をやめなかったらやられていたぞ」

 

 運じゃない。ダイゴは確信する。この岩場、いやもっと言えばこのフィールドそのものがコウヤのポケモンなのだ。コウヤは最初から負けなど考えていない。たとえ初めて使う化石ポケモンだろうがいつも使っている化石ポケモンだろうがこのフィールドでは負けなしだと考えている。その理由はフィールドの半分を占める謎の岩石のポケモンである。

 

 恐らくはメタングと同じように思念を飛ばし、チゴラスを操っている。チゴラスが先ほど攻撃を躊躇したのは当然操っている主への攻撃などあり得ないから。

 

「コウヤさん。俺、ちょっとずつですけれど、分かってきました。化石バトルってのが」

 

 コウヤはイカサマを見破られた自覚はあるのだろうか。その表情を観察するがコウヤには何も臆した様子はない。

 

「そうか。化石バトルの面白味を分かってくれる奴が増えて、おれも嬉しいよ」

 

 これは希望的観測も混じっているが、コウヤはこちらが岩場のイカサマに気付いた事を悟っていない。ならば、とダイゴはカブトに命令する。

 

「カブト。そのまま岩を背にしてチゴラスと対面しろ」

 

 その命令にはリョウが目を見開いた。

 

「おいおい、兄貴の側に背中を見せるのかよ、カブトが。それじゃ戦法割れるんじゃ……」

 

 逆だ。カブトが岩場に近ければ近いほどにコウヤは戦いにくくなるはずだった。チゴラスが間違って攻撃してしまえばそれだけで命令が阻害される。コウヤは絶対にこの条件で攻撃は出来ない。あとは「マッドショット」でじわじわと攻撃していけば。そう感じていたダイゴの予感をコウヤは一声で断じた。

 

「何か、勘付いた様子ではあるが、ダイゴ。あまり賢い選択だとは言えないな。自分の側から離し過ぎるのは」

 

 その言葉を解する前にチゴラスが飛びかかる。ダイゴはすぐさま命令した。

 

「引っ掻いて砂の煙幕を!」

 

 しかしカブトは動かない。何故、と感じていたがすぐにそれが分かった。端末に表示されているアンテナマークが弱まっている。

 

「何のために半径一メートル八十センチもおれが取っていると思っている。相手の陣地に陣取るなんて賢くないからさ」

 

 電波障害か、と感じたが違う。この状況で電波障害はあり得ない。コウヤのポケモンだ。岩のポケモンが何らかの力で通信アンテナを妨害しているのだ。相手の側に陣取るのは確かに愚策であった。

 

「ち、チゴラスが突っ込むぞ!」

 

 リョウの声が弾けカブトの姿がチゴラスの口腔に消える。カブトは完全に制御不能だった。チゴラスが顎に力を込め、カブトの装甲を食い破ろうとする。

 

「ぐ、グロい! カブトの体液が飛び散るぞ!」

 

 カブトの甲羅に亀裂が走る。緑色の体液がそこいらから飛び出した。チゴラスが最期の一撃だとでも言うように頭部を振るい上げそのまま地面へと突っ込む。瞬間、カブトの甲羅部分であった茶色の破片が飛び散った。緑色の体液が地面を濡らす。

 

 リョウは思わず、と言った様子で口元に手をやっていた。ダイゴも固唾を呑む。コウヤはにやりと笑みを浮かべていた。

 

「勝った! チゴラスの勝ちだ!」

 

 コウヤの勝利宣言にリョウは荒くしていた呼吸を整える。チゴラスがゆっくりと顎を開いた。

 

 ――しかし、そこにはカブトの死骸がなかった。

 

 それにいち早く気づいたのはリョウだ。

 

「カブトの、死体がない?」

 

「食っちまったか? チゴラス」

 

 コウヤが身を乗り出すとダイゴは声を張り上げた。

 

「待つんだ! ツワブキ・コウヤ!」

 

 思わぬ語調に全員が硬直する。ダイゴだけが落ち着いて状況を俯瞰していた。

 

「勝負がついてもいないのに、フィールドに手をやる事は許されてない。そうでしょう?」

 

「勝負が、ついていない……?」

 

 コウヤの疑問にフィールド上を滑り抜ける影があった。リョウとコウヤが目を見開く。

 

「そんなはずは……。カブトは、噛み砕かれたはずなのに!」

 

 先ほどまでとは一線を画す速度でフィールド上を滑っているのは薄皮だけになってしまったカブトだった。しかし肉体は噛み砕かれておらず、内臓も無事である。

 

「どうしてだ……」

 

 呆然とするコウヤに、「俺はいくつか言っていませんでした」とダイゴが答える。

 

「カブトの特性について」

 

「特性、だと」

 

 その段に至ってコウヤもハッとしたようだ。カブトの動きの迅速さに目を瞠る。

 

「まさか、砕ける鎧の特性……」

 

「兄貴、砕ける鎧、ってのは……?」

 

 コウヤは苦々しげに発する。

 

「物理攻撃を受けると防御が下がる代わりに素早さが上がる。つまりカブトは装甲を捨ててわざとチゴラスに一撃を食らわせられた……」

 

「加えて先ほど経験値をいただきましたよね? タテトプスとの戦闘で。その時、レベルが上がったので技を少しだけ変更させてもらいました」

 

「チゴラスの一撃を、堪えた、というわけか」

 

「こらえる」という技はその一撃を受けても致命傷にはならない技だ。カブトは最後の一線ではあるが装甲を捨てて身軽になり、なおかつまだ戦える。

 

「カブト、マッドショット! 連続攻撃だ!」

 

 棒立ち状態のチゴラスへとカブトの放った「マッドショット」の掃射が突き刺さる。まず両足を砕かれ、身動き出来ないチゴラスへとカブトの目にも留まらぬ速度からの追撃が放たれる。既に勝負は決していた。チゴラスは動けない。泥の攻撃を受けた箇所には弾痕が空いている。

 

「チゴラスが、負けた……」

 

 信じられないとでも言うようにコウヤが呟く。ダイゴはコウヤのホロキャスターを手に取りそれを掲げた。

 

「元より、負けるつもりはなかった。ですがこの勝負、一時の気の緩みが命取りになりましたね」

 

 コウヤのノートパソコンをダイゴは手に取りそのまま部屋を出ようとする。

 

「これは貰い受けます!」

 

 その背へと、「待て!」と声がかかった。ダイゴは扉を半開きにしたまま立ち止まる。

 

「動くなよ、ダイゴ……。お前、何の目的でおれに接触した? どうしてノートパソコンなんて急に欲しがった?」

 

 疑われている。ダイゴは硬直するのを感じながらも使命を忠実にこなした。USBとホロキャスターを引き抜き、廊下に蹴って出す。これでクオンが回収出来るはずだ。

 

「何がですか。俺はただノートパソコンがちょっと欲しいなってだけで」

 

「ちょっと欲しいな、だと? そんな理由で持っていくにしちゃ、用意周到が過ぎるじゃないか」

 

 コウヤが歩み寄ってくる。ダイゴはノートパソコンを返した。

 

「……先ほどの勝負に不服があるのならば一度お返しします。それかもう一度勝負を」

 

「違うぞ! ダイゴ。化石バトルの事は、もういい。今聞きたいのは、お前がおれに何の目的で接触してきたのか、という事だ」

 

 化石バトル以外ではツワブキ・コウヤは隙のない人間になる。クオンの言った通り、今のコウヤからは一歩たりとも逃げ出せない気迫があった。

 

「バトルの結果は謙虚に受け止めよう。だがな、おれは見ず知らずのお前に、恨みを買った覚えもないのに自分の身辺を探られるのは気分が悪いと言っているんだ」

 

「あ、兄貴。いくら負けたからって、それは……」

 

「リョウ! お前も黙っていろ! 今おれはダイゴと喋っている」

 

 コウヤの声にリョウは身体を強張らせた。それだけで長兄の威厳がある。コウヤは値踏みする視線でダイゴを上から下へと眺める。

 

「お前、何の目的でこの家に来た? どうしてノートパソコンなんて賭けのレートに出したんだ?」

 

「家に来たのは、イッシンさんのご厚意です。俺は何も」

 

「かもしれないな。だが、厚意以上の何かを、お前は探り出そうとしたんじゃないのか? 例えばツワブキ家の秘密」

 

 心臓が鷲掴みにされた気分だった。コウヤはどこまで知っているのか。ダイゴが僅かに目を逸らしたのをコウヤは見逃さなかった。

 

「今、ちょっとだけ目を逸らしたな。何かやましい事でも?」

 

 観察の目を注がれている今は全く動けない。クオンの応援を期待しようにもこの部屋に閉じ込められている限り不可能であった。

 

「俺は、ただ化石の使い方を知りたくって」

 

「それだよ。誰におれが化石バトルにはまっていると聞いた? そいつもおれをはめようとしたな?」

 

 このままではクオンにも危害が加わる結果になってしまう。ダイゴは声を張り上げた。

 

「俺の独断です! 何も指示なんて聞いていない!」

 

「嘘をこけ! お前は化石バトルならばおれと対等に渡り合えると確信していた。そうじゃなければ説明がつかない」

 

 コウヤは戦闘不能になったチゴラスをフィールドから放り投げる。ただの化石ポケモンになったチゴラスは鈍く手足を動かすだけだった。

 

「なぁ、ダイゴ。試しに、このフィールドに頭を突っ伏してみろよ」

 

 コウヤの声にダイゴは鼓動が早鐘を打つのを感じ取った。コウヤは分かっているのだ。自分が途中からこのフィールドに潜むポケモンを察知した事を。

 

 うろたえているダイゴへとコウヤは言いやる。

 

「どうした? なに、土下座しろとか言っているんじゃない。フィールドに頭を近付けるだけでいいんだ」

 

「俺は勝ちました」

 

「だから何だ?」

 

「勝ったのに頭を下げるなんて」

 

 ダイゴの言い分にコウヤは何度か頷く。

 

「なるほど、それも言えなくもない。じゃあ手だ。手をフィールドに置いてみろ」

 

 ダイゴの身体に緊張が走る。予測通りならば手を置いただけでも何らかの攻撃が発生する。それこそ手が二度と使い物にならないような技が。

 

「お前は手をちょっとこのフィールドに置く事も出来ないのか?」

 

 コウヤの言葉にダイゴは額に汗をびっしょりと掻いていた。このままでは追い込まれる。ダイゴは試しに言い返す。

 

「コウヤさんとリョウさんが、何もないと言うのならば」

 

 その言葉にコウヤがリョウを呼ぶ。

 

「リョウ。試しに手を置け」

 

「えっ、でもカブトの体液が飛び散っていて気持ち悪いし――」

 

「いいから、置けと言っているんだ!」

 

 びくりと肩を震わせたリョウは躊躇いもせずにフィールドに手を置いた。当然、何も起きない。

 

「な、何なんだよ、兄貴。脅かしっこなしだぜ」

 

「そうだな、脅かしっこなしだ。何の脅威でもない。おれも置こう」

 

 コウヤもフィールドに手を置く。当然、何も起きない。

 

「これでもお前は手を置きたくないと、そう言うのか?」

 

 このままでは自分はコウヤに追い詰められる。いやそれだけならばいい。自分の目的がコウヤの裏の顔を暴く事だと知れれば、クオンにも影響が及ぶ。

 

「どうして手も置けないのか。なぁ! ダイゴ!」

 

 コウヤがダイゴの手を引っ掴む。慌てて抵抗するがコウヤの力のほうが強かった。

 

「置くだけだろ? なぁ。置けもしないってのは何かやましい事があるからなんだよな?」

 

 コウヤに引っ張られそのまま倒れ込むようにフィールドに手を置きかけた、刹那。

 

 破砕音が響き渡り全員がそちらに目を向けていた。コウヤの部屋の窓が砕け散りガラスが屋内に飛び散っていた。

 

「地震か?」

 

 コウヤの力が緩んだ一瞬の隙をつき、ダイゴは逃げ出した。ノートパソコンを持って逃げるような余裕はない。ただただ、コウヤに追いつかれないようにと駆けた。

 



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第八十話「追跡者」

 

「危ないよ、兄貴」

 

 飛び散ったガラスを目にしてリョウが忠告する。コウヤは幾分か熱した頭を冷やすだけの時間を得た。化石バトルでの敗北からの疑念。しかし自分の勘は間違った事がない。

 

 ツワブキ・ダイゴ。何らかの目的があって自分に接触してきた男。

 

 本来ならば歯牙にもかけないのだがその名前が因縁めいている事と、あまりにも用意周到な動きから警戒していた。

 

「……なぁ、リョウ。あのダイゴってのは何日くらいこの家にいる?」

 

「えっ、兄貴が出張に行ってからずっとだけれど」

 

「十日前後か。根回しするにはちょうどいいくらいだが、誰を味方につけたのか。それを知らなければならないな」

 

 コウヤがガラス片へと手を伸ばす。リョウが慌てて制した。

 

「危ないって。尖っている」

 

 しかしコウヤはリョウの言葉など気にかけず、ハンカチを取り出してガラス片を摘んだ。

 

「おい、これを見て何とも思わないのか、リョウ」

 

 察しが悪いのかリョウは小首を傾げるばかりだ。

 

「何とも、って……」

 

「お前刑事だろう! これくらい分かれ! このガラス片の飛び散った方向と、それに割れ方。自然に割れた感じじゃない」

 

 その言葉にようやくリョウは本腰を上げてガラス片を観察し始めた。すると気付いたようだ。

 

「この部分とこの部分、全然割れ方が違う……」

 

「気付いたか。下に行くほど細かく、上に行くほど粗い。こんな割れ方は地震なんかじゃ起きない割れ方だ」

 

「でも何で? オレが知る限りじゃ、こんな割れ方、音響攻撃でもしない限り」

 

 そこでハッとしたのだろう。コウヤも頷く。

 

「音響攻撃でもしない限り出来ない。つまり音響攻撃が、おれの部屋の真下か、あるいは外から放たれた」

 

 コウヤは窓を無理やり開けて直下を見やる。すると気付いた点があった。

 

「リョウ、あれ見ろよ。植え込みの辺り」

 

 リョウも首を出してコウヤの目線と合わせる。

 

「植え込みの辺りに、足跡?」

 

「だな」

 

 ちょうど芝生と植物の植え込みがある辺りに真新しい足跡が見受けられた。コウヤは早速取って返して部屋の外に出る。やはりと言うべきか、ダイゴの姿はもうなかった。

 

「リョウ。推論だ。ツワブキ・ダイゴはどうしておれに化石バトルを挑んだか?」

 

 その命題にリョウは顎に手を添えて考え込む。一応は現役の刑事だ。その推理は当てになる。

 

「何かから目を逸らすため、かな」

 

「ではその何かとは。おれからノートパソコンを奪って何が手に入る?」

 

「兄貴の個人情報、あるいは仕事に関しての情報」

 

「そうだ。ダイゴはそれを狙っていた。化石バトルはそれを手に入れるための方便だった」

 

「でも何で? 兄貴は昨日帰ってきたばかりでダイゴとは面識もない」

 

 そのはずであった。ダイゴとは出張前にもほとんど会っていない。だから因縁をつけられるいわれはないのだが。

 

「あっちはおれの事を調べ上げていたのかもしれないな。何らかの理由で」

 

 コウヤは扉に寄りかかりながらリョウの推理を待つ。リョウは、「まさか」と心当たりがあるようだった。

 

「何かあるんだな、リョウ」

 

 幾ばくかの逡巡の後、リョウは口を開いた。

 

「兄貴。再生計画については」

 

「存じている。しかしそれはお前とレイカに任せたはずだ。おれはあくまで善良なサラリーマンで、なおかつ次期社長だと。だからそのプロジェクトにおれは関係していない」

 

「じゃあ……」とリョウが次の可能性を試算しようとする。コウヤも考えていた。自分とダイゴに関連する人物などそう多くないはずだ。

 

「リョウ。再生計画が誰かの口から漏れた、なんて事はないよな?」

 

「ないはずだよ。だってこれも極秘だ。知っているのはデボンでも上層だけだし、オレだって普段は公安だよ」

 

 公安勤務のリョウが再生計画云々の根回し以外に事を割くとも思えない。だとすればレイカか、と感じたがレイカから漏れるとは考え辛い。あれは一番ダイゴと距離を取っているはずだ。

 

「再生計画絡み、だというのは間違いない線だとおれは思う。しかしダイゴがそれを知っていて、おれに化石バトルで情報を得ようとしたのならば、逆に間抜けだ。メンバーを特定するようなものだし、何よりも自分が余計な事を知っているのだと勘繰られるのは面白くないはず」

 

「そうは言ってもいられない状態になった、とか?」

 

 リョウの推理にコウヤは指差す。

 

「では、その状態、とは。どうしてダイゴは焦っている?」

 

 考え込むリョウだが何となくコウヤには見えていた。ダイゴが焦っている理由。それは差し迫った脅威から来る焦燥に違いない。命を狙われるような事があったのだ。コウヤはゆっくりと口を開く。

 

「抹殺派が動いた可能性がある」

 

 その言葉にはリョウも瞠目する。

 

「抹殺派が動けば、オレ達だって黙っちゃいないのに」

 

「そのはずだ。再生計画を進めている我々と抹殺派は常に平行線であるが、抹殺派がダイゴ暗殺に乗り上げたのだとすれば、あいつ自身の焦りも分かる」

 

「でもおかしくないか、兄貴。こっちだって逐一モニターしているんだ。抹殺派の誰かが動けばDシリーズが」

 

「それ以上は、この家では言わないほうがいいだろうな」

 

 コウヤの制する声にリョウは口元を覆う。Dシリーズ関連は兄弟間で分かっていても話題に出さないようにしているのだ。

 

「親父に、勘繰られるから、なのか?」

 

 かねてよりの疑問だったのだろう。リョウの質問にコウヤは、「それもあるが」と廊下に出る。

 

「次期社長はおれだ。だから父さんだって別に怖いもんじゃないさ。たとえあの人が会長職だとかそういう役職について実質的にデボンを牛耳ろうとか思っていても、おれのほうが味方は多い。いくらでも誤魔化しは利く」

 

「じゃあ親父の目を気にしてとかじゃないってのか」

 

「父さんは、ずっとおじいちゃんの死に方を疑問視している人だ。内密に調べ上げていてもおかしくはない。まぁそうなってくるとおれやお前みたいなのが叩けば埃の出る人間になってくるんだが父さんは気づいた様子もない。あの人は嘘をつくのが下手だから家族ならばすぐ分かる。だから父さんが再生計画の事を知っても、おれ達のほうが手数は多いんだ。向こうは手駒が少ないし何より勝算がないだろう」

 

 もしもイッシンが敵となっても勝てる自信はある。だがダイゴというイレギュラーは全くの別問題であった。招き入れたのはリョウだが、それも考えのあっての事だ。

 

「リョウ。まさか何の考えもなしにダイゴをこの家に招いたわけじゃあるまいな」

 

「そんなわけがないって。ダイゴは、D015はちょっとした特別なんだ」

 

「特別?」

 

 出張に出ていた自分にはDシリーズと計画がどこまで進んでいるのかは判然としない。だからリョウの口から聞く必要があった。

 

「特別って、何の事だ」

 

「……ここで話すのは」

 

「ああ、そうか。そうだったな」

 

 自分で戒めておいて言うのは馬鹿馬鹿しい。コウヤは廊下を抜けて一階に降り植え込みへと足を向けた。

 

「上から見た感じだとこの辺りに人がいたはずだ。だが、やっぱりもういない」

 

 コウヤは周囲を見渡す。逃げられそうな場所はいくらでもあるが音響攻撃を行ってから逃げたのならばまだ敷地内の可能性がある。

 

「兄貴、その、裏切り者を探すとかそういう心地ならばやめたほうがいいと思う。そりゃダイゴがあまりにも運に恵まれ過ぎている感はあるけれど」

 

「運? まさか。あのツワブキ・ダイゴは運なんて不確定なものを信じて行動するタイプじゃない。カブトの動きがよかったのも、化石バトルでノートパソコンを手にしたかったのも全て計算済みだろう」

 

 戦ってみれば分かる。ダイゴは運なんてものを信じてはいないのだと。恐らくは協力者がいた。その協力者による仕業にしては少しばかりずさんと言うだけの話だ。

 

 屈んでコウヤは足跡を観察する。

 

「見ろよ。足跡は四つだ。踏ん張ってポケモンを出したんだとすれば、そいつの足跡を含めても四つはおかしい」

 

「手持ちの足跡なのかも」

 

「それにしちゃ変なんだよ。おれは、復元機を持っているからポケモンの重量だとか足跡のつき方とかは随分と分かっているつもりだ。にしては、この足跡は小さいし軽過ぎる。ポケモンが技を放つ瞬間に発生するエネルギーを加味すれば周囲の」

 

 コウヤが目線を振り向ける。鬱蒼と茂る草むらの葉っぱの先端が真っ直ぐに天へと伸びていた。

 

「草むらに何もエネルギーが加えられていない事がおかしいんだ。ポケモンは大なり小なり、技を放つ時には力むからな。その影響が周囲に出ないのはそのポケモンが羽根を持っている場合だけだ」

 

「飛行ポケモンだって言うのか?」

 

「あるいは、逆に言おうか。飛行ポケモンだから、ダイゴのあのタイミングで音響攻撃を放てた、と」

 

 人間ならば間に合っていないタイミングだったが、ポケモンだったから間に合った。コウヤの推察にリョウは、「おかしくないか?」と肩を竦める。

 

「だったら四つの足跡の説明にはならないじゃないか」

 

「そう、四つの足跡。これは人間のものだ。間違いない。しかもこの踏み込み方からして、女だな」

 

「女? それこそ分からないぜ、兄貴。ダイゴの奴を助ける女なんて」

 

「心当たりは?」

 

 コウヤが尋ねるとリョウは、「知るはずもない」と答える。

 

「おい、ちゃんと鎖もつけておかなかったのか? 記憶喪失とはいえ一級監視対象だろう?」

 

「監視は続けていたって。クオンとも一緒に行動させたし、あいつだけで行動したなんて時間は多分、十日全部合わせても三時間もないよ」

 

 その三時間もない限られた時間で、ダイゴは仲間を作ったはずだ。コウヤは考えの中に一つ、可能性を浮かべた。

 

「クオンと一緒に、って言ったな? 何でクオンがあいつに?」

 

「……不登校を直してくれたんだよ。ダイゴが一日目に」

 

「クオンのか? あいつはおれやお前が言っても全然だっただろう?」

 

 全く直る気配のなかった不登校をダイゴが一人で直したと言うのか。にわかには信じられない話だがリョウが嘘をつく意味がない。

 

「クオンは、翌日から普通に登校を」

 

 それを聞いて余計に疑念が深まる。コウヤは考えたくはないが可能性の一つとして考慮せずにはいられなかった。

 

「クオンが、一枚噛んでいるかもしれない、というのは?」

 

 その言葉にリョウは首を横に振る。

 

「兄貴だって知っているだろう。クオンの手持ちは」

 

「ディアンシー、だったな。格好だけでバトルには向かない」

 

 それに音響攻撃も出来ないはず。そうなってくるとコウヤにはいよいよ分からなくなっていた。

 

「……仕方がない。最終手段に入る」

 

 コウヤの言葉にリョウは目を戦慄かせる。

 

「まさか、兄貴」

 

「家族の前では手持ちを見せない、のは暗黙のルールだがこの際四の五の言ってはいられないのでね。来い! レジロック!」

 

 窓を破って出現したのは岩の塊だった。いくつもの岩が重なり合い人型の形状を成す。大昔に封印されたと言われているポケモンが細やかな目でコウヤを見据えた。

 

「レジロック。追跡を行う。つい先ほどまでここにいた人物の、足だけでいい。再現しろ」

 

 レジロックの形状が崩れその場に転がったかと思うと小さな石粒が寄り集まって足型の精巧な図を作り出す。あまりの早業にリョウが呆けたように口を開けていた。

 

「この足跡は、その後、どこへ行った?」

 

 レジロックの再現する足跡がその後向かったのは邸宅のほうだった。どうやら草むらのほうには足がつくと考えたのか向かっていないらしい。

 

 足首の辺りまで再現された二つの足は微妙に異なっていた。

 

「どっちも女のものだが、片方は背が高いな。もう片方は、それこそ背が低くって小柄だ。少しばかり、クオンの足跡に似ているかもしれない」

 

「兄貴、身内を疑うのは」

 

「分かっている。クオンだと思うよりかは、クオンと同年代の女だと思ったほうがいい」

 

 そう言いつつもコウヤの浮かべる可能性の中には依然としてクオンが裏切ったというものもあった。クオンを最初に手駒に加えているのならば、ダイゴの行動も依りスムーズなはずだ。しかしだからこそ、もう一つの足跡の正体が解けない。クオンはつい最近まで不登校だった。そんな人間がいきなり友人を作れるはずがない。

 

「クオンの知り合いに二人も三人も友達がいたと思うか?」

 

「正直なところ、ないとオレは思っている」

 

 コウヤの質問にリョウは気後れ気味に応じる。リョウの目から見てもクオンは奥手で気難しい側面があるのだろう。自分の分析と大して変わりはない。

 

「だな。おれもそう思う。しかしこの行動は二人や三人程度の協力が不可欠だ。まず一つ。誰かが植え込みにいた。この二名」

 

 コウヤが指を立てる。片方がクオンであるという事はあえて言わなかったがリョウも分かっている様子だった。

 

「だがこの二名以外に、もう一人いたと思われる。そいつがポケモンを使い音響攻撃を仕掛けた。つまり少なくとも三名必要だ」

 

 コウヤの推測にリョウは口を挟まない。同意見なのだろう。

 

「三人の裏切り者か……、あるいは離反者か」

 

「あるいはおれ達とは全く関係のない三人でただ単にダイゴの目的を後押しするため、だとも考えられる」

 

「だったらダイゴが友人を作った事になる。記憶喪失がそう簡単に信頼を築けるかな?」

 

 コウヤも顎に手を添えて考え込む。記憶喪失だとはいえあのかんばせは間違いなく初代ツワブキ・ダイゴのそれだ。無意識的に味方になっている人間がいてもおかしくはない。

 

「そこは、おれにも分からないが、ダイゴはおれ達が思っているよりもずっと強かだと考えたほうがいい」

 

 そうでなければ化石バトルの時からの仕込みなど出来るはずがないのだから。リョウはしかし納得がいっていない事がいくつかあるらしい。難しい顔をして俯いていた。

 

「どうした? 何か考えでもあるのか?」

 

「いや……兄貴、多分レジロックの追跡にはかからないだろうけれど、一応警告として。サキ、ヒグチ・サキを知っているよな?」

 

「ああ、サキか。よく家に来ていたな」

 

 リョウと同世代である。彼女がどうかしたのか、とコウヤは尋ねていた。

 

「どうやら音信普通みたいでさ。オレがかけても出ないし、それに職場にも何も言わずに無断欠勤しているらしい。こんな事は今までなかった」

 

 その言葉にコウヤははたと立ち止まる。

 

「……つまり、こう言いたいのか? ヒグチ・サキがある程度ダイゴの味方になるように働きかけて今しがた起こったのはそいつのせいだと」

 

「思いたくはないが、女だって兄貴は言ったよな? そうなってくるとダイゴを無条件で信じるのってサキくらいしか浮かばないんだよ」

 

 レジロックの追跡は依然有効だ。射程内に本人がいればレジロックの岩の身体が散弾のように襲いかかる事だろう。

 

「しかしお前は、そのヒグチ・サキが行方不明だとも言った。矛盾しているぞ」

 

「だからさ。考えたくない事だけれどサキは、もしかしたらダイゴの味方につくためにわざと行方をくらませているんじゃないかって」

 

 リョウとて幼馴染を疑いたくはないはずだ。しかし可能性として出るのならばそれも考慮に入れなければならない。

 

「ヒグチ・サキはそのような尻軽女か?」

 

「まさか! サキは慎重に決断を下す奴だ。決して感情論だけで動く奴じゃない」

 

「それはお前がよく知っているだろう。下手な事を持ち出すな。余計な心配まで背負う事になる」

 

 リョウは黙りこくる。しかしヒグチ・サキの失踪はコウヤからしてみても大きい。一刑事がいなくなるという事は何らかの動きがあったと思ってもいいはずだ。

 

 レジロックの追跡が途絶えた。岩が霧散しコウヤの背後に身体を構築させる。コウヤはハイパーボールのボタンを押してレジロックを戻した。

 

「敷地内にはいないのか……」

 

 リョウの声にコウヤは頭を振る。

 

「いいや、そう遠くまで逃げ切れまい。ポケモンのほうは逃がせても人間のほうは二人も三人も背負えないはずだ。おれなら羽根のついているポケモンはいざという時に重宝する。可能な限り足で逃げたと考えれば、後は人間の目で追ったほうがいいかもしれないな」

 



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第八十一話「D122Y」

 

 息を切らしてクオンは部屋に逃げ込んでいた。久しぶりに走ったので肺が痛む。鼓動が爆発寸前であった。それは秘密裏にダイゴを援護した事と、目の前の人物の出現によるものだ。

 

「あの、あなたは……」

 

 クオンが顔を上げる。すると赤い長髪を結った女性が、「参ったね、どうも」と声にする。

 

「オイラ、ツワブキ家に潜入しちまった」

 

 独特な口調にクオンは戸惑う。てっきりマコが来ると思い込んでいただけに彼女の登場は全くの予想外であった。

 

「どちら様、ですか……」

 

「どちら様かも分からないオイラの指示によく従ったね、君も」

 

 相手の不躾な言葉にクオンは思わず眉根を寄せる。

 

「あの、あたし、ツワブキ・クオンですけれど」

 

「知っているって。マコっちから聞いたもん」

 

 マコの名前が出てクオンは目を丸くする。

 

「何で? 本当に誰なんですか?」

 

「いや、うーん、知らないかぁ。まぁあんまりテレビ出演はしないしなぁ」

 

 有名人なのだろうか。相手の反応にクオンは参っていた。

 

「一刻を争うんですよ。だって言うのに、マコさんは来ないし」

 

「マコっちはどんくさいからねぇ。オイラが来たほうがいいって進言したんだ。フライゴンに指示を飛ばす方法だけ聞いておけば、マコっちは疑われない。これ、ナイスアイデアじゃない? だってもしさ、君の端末が逆探知されていてもマコっちは動いていないからモニターしようがないよね」

 

 そこまでは考えていなかった。ただダイゴの役に立ちたい一心だったのだ。マコに危険が及ぶ可能性は確かにあった。

 

「おや、その顔。マコっちがどうなろうと知ったこっちゃないって顔だ」

 

 見透かされてクオンはますます不愉快になってしまう。自分にここまで踏み入った事を言える人間は少なかった。

 

「あなた、誰なんですか?」

 

「ディズィー、って名前で歌うたってる。年齢はヒミツ」

 

「茶化さないで。ダイゴが危ないんですよ」

 

 ふざけたような語調にクオンは思わず声音が荒くなる。ディズィーと名乗った相手は口笛を吹いた。

 

「オイラ、ヒーローのつもりで来たのに随分な言い草だ。まぁ頼んで助けてもらったわけじゃない、ってのはヒーローものでよくある台詞だけれどね」

 

「ヒーロー? マコさんは何であなたなんて適当な人を……」

 

「適当かどうかは、ツワブキ家に潜入したオイラの手腕を見てから言ってもらおうか」

 

 ディズィーが立ち上がる。クオンはその手にあるホロキャスターとUSBメモリに視線を落とした。

 

「これさえあれば、ダイゴは……」

 

「ダイゴ、とかいう子は、今一番危ない目に遭っているだろうねぇ」

 

 救われる、と言おうとしたのを遮って放たれた声にクオンは反感の目を向ける。

 

「あの! あたしとダイゴの仲のほうがいいのに、分かった風な口を」

 

「ああ、ゴメンゴメン。でもオイラ、ダイゴとかいう子は絶対に危ない目に遭っていると思う。だからあそこで音響攻撃に踏み込んだ」

 

 ディズィーがフライゴンに「ばくおんぱ」を命じたのはどういう確信があったからだろう。あのタイミングでクオンはコウヤの部屋の直下の裏庭にディズィーと共にいたのだ。マコが来ると思ってタイミングを見計らっていた。もしもの時はUSBとホロキャスターを回収するためのディアンシーでも仕方がないと思っていたのだがその手間は省けた。ディズィーの登場によってクオンは部屋にとって返す結果になった。

 

「どうするんですか……。だって、あたしの部屋には何も」

 

「そうなんだよねぇ。一番逃げ込んじゃまずかったかな。相手の策としてまず足跡から追跡してくると思うし」

 

 追跡攻撃。コウヤの手持ちポケモンは自分には分からないがそれくらいは出来るはずだ。

 

「足跡なんて、消せばよかったんじゃ」

 

「ダメダメ。なかったらなかったで別の痕跡があるはず。オイラはあえて足跡を残した。そのほうが他の痕跡に気付かれないからさ」

 

「何で、そこまで……」

 

「言い切れるのかって? まぁ百戦錬磨だしなぁ、オイラ」

 

 ディズィーの謎の自信に裏付けはないらしい。クオンはため息をついて、「どうするんです」と追及する。

 

「出て行こうにも、あなたは目立ちますよ」

 

「だなぁ……。もっと地味な髪色ならよかったかも」

 

「髪の毛だとかそういう問題じゃなくって!」

 

 思わずクオンは声を張り上げていた。あまりにもマイペースなディズィーの言葉が煩わしかったのもある。

 

「どうするんですか。ここはツワブキ家の邸内ですよ?」

 

「別にうろたえる必要はないと思うんだよね」

 

「だからその自信はどこから――」

 

「だって君、ツワブキ・クオンだって言うんでしょ? 君が疑われる事はまずないわけだ」

 

 指差されてクオンは眉をひそめた。

 

「……そんなの、分からないじゃないですか」

 

「いーや、分かるね。だって疑われる心配があったらマコっちに助けを求めないよ。いや正確には元々マコっちのお姉さんであるサキさんとやらに助けを求めるつもりだったか」

 

 そこまで見透かされている事にクオンは素直に驚愕する。ディズィーは余裕の笑みを崩さない。

 

「だったら一番デンジャーで一番安全なのって、実はこの部屋なんじゃないかな、ってオイラは思っている」

 

「……矛盾していませんか?」

 

「だっていちいちプライベートスペースを確認するほどツワブキ家は干渉が過ぎないでしょう? 君以外にこの部屋に入る可能性の人っている?」

 

 そう言われてみればクオンは自分の部屋に人を通さない。

 

「だからって騒げば」

 

「気付かれるだろうね。でも逆に言えば相当騒ぎでもしない限りこの部屋に第三者がいるって可能性には至らないと思うんだよね」

 

 ディズィーの声にクオンは扉に耳を当てる。廊下を歩く足音は幸運にも聞こえてこない。

 

「防音性くらいあるでしょ。女の子の部屋ならなおさらね」

 

「だからって、どうするんです……」

 

 クオンはディズィーと付き合ってすっかり疲れていた。この女性は何が目的なのだ。

 

「オイラはね、マコっちやオサムと組んでツワブキ家の悪事を暴こうってよりかは君みたいなのを抱き込んだほうが速いんじゃないかって思っている」

 

 悪事、という言葉には辟易せざるを得ない。

 

「うちは悪い事で成り上がった会社じゃありませんが」

 

「えっ、そう? まぁ君が箱入りなだけかもしれないけれど、世間じゃデボンには黒い噂が絶えないよ。でもいいや。君がそう思いたくないんなら、オイラは別に君を諭すつもりもないし、そそのかすつもりもない」

 

 ならばどういうつもりだというのか。クオンは問い返していた。

 

「じゃあ何で、マコさんの代わりに来たんですか?」

 

「簡単な話さ」

 

 ディズィーが屈み込んでクオンの鼻先を指差した。これほどまでの接近を他人に許した事のないクオンからしてみればそれだけでどぎまぎする。

 

「マコっちに危ない橋は渡らせたくないし、オサムじゃこっちの戦力としては不足だ。でもツワブキ・クオン。君を味方にすれば案外簡単にいけるんじゃないかってオイラが独自に判断した」

 

 クオンは拳を握り締めて言い返す。

 

「……随分と、軽く見られたものですね」

 

「軽く見ちゃいない。だって悪くすればオイラは一瞬で消されるよ? ツワブキ家の廷内だ。何が起こっても不思議じゃないし、誰が殺しに来てもまぁ理解出来る」

 

「それほどまでの危険を押してまで、何で」

 

 難問をディズィーは容易く答える。

 

「君やマコっちが危なっかしいからね。オイラ正義の味方なんだ」

 

 それが答えだというように彼女は手を振った。当然、クオンは理解出来ない。

 

「正義の味方だとか、そんな子供騙しの理論で……」

 

「あれ? 通じない? 君とは初対面だし、そりゃ信じられないのも無理はないけれどオイラと協力したほうが身のためだと思うなぁ」

 

 ディズィーの言葉にクオンは、「何故です」と返す。

 

「だってもう、君は足がついているよ。足跡で兄弟ならある程度分かっちゃうんじゃないかなぁ。オイラの足跡から割れる事はないにしても、君はちょっとばかし監視の目が注がれる事だろう」

 

 クオンは目を見開いていた。コウヤが自分を疑う? あり得ないと言い返したかったが化石バトル以外では全て冷徹に物事を俯瞰出来るコウヤならばやりかねない。

 

「……あたしが疑われる?」

 

「もう疑われていると思うよ。だってこの家、女の人って三人しかいないんでしょ? その中で背丈とか体重とかで簡単に導き出されるし、植え込みに行くのが可能だった人物、っていえばもっとだ」

 

 その段になってクオンは植え込みで待機していろという命令がこのディズィーのものであった事を悟った。

 

「……はめたわね」

 

「ばれたか。そうだよ、わざと君を足跡なんて残る植え込みに待機させたのはオイラの判断だ」

 

 クオンは思わず掴みかかっていた。これではせっかく得た情報も台無しだ。

 

「どういうつもり? あたしが疑われているんじゃ、ダイゴの自由も!」

 

「落ち着いて、落ち着いてってば! 声が漏れるよ」

 

 クオンは口元を慌てて覆う。ディズィーは佇まいを正して、「だからこそ取引が成り立つ」と口にする。

 

「取引?」

 

「オイラと一蓮托生で、ちょっくらツワブキ家が何考えているのか暴いてみない?」

 

 差し出された手にクオンはきょとんとしていた。言っている意味が分からない。

 

「どういう事なの……」

 

「分かんないかな? 頭の回転が鈍いほうじゃないと思ったんだけれど」

 

「何で、あなたなんかと」

 

 侮蔑の眼差しを向けるとディズィーは、「毛嫌いしないで欲しいな」と肩を竦めた。

 

「だってオイラに頼るしか、君がこの家で疑いを避ける方法ってないもん」

 

「ダイゴがいるわ」

 

「そのツワブキ・ダイゴだって、もう充分に疑われている。監視の目が君達二人に注がれる事だろう。ダイゴに関して追放はないにしても、コウヤとか言う奴から疎ましげに思われるのは違いない」

 

「だからって、あなたと組む意味が」

 

 クオンの語調にディズィーは小首を傾げる。

 

「どうしてこうも君がオイラを拒むのかは分からないけれど、オイラの意思はマコっちの意思でもある。言っちゃえばオイラ、マコっちの代理だ」

 

「代理って……」

 

 ここまでずかずかと踏み込んでおいて代理を名乗る神経が信じられない。そのような目を向けていたせいだろう。ディズィーは後頭部を掻いた。

 

「ここまで信じてもらえないのも新鮮だなぁ。オイラ、人が悪そうには見えない顔だと思うけれど」

 

 ディズィーが勝手に鏡台で自分の顔を確認する。それだけでも我慢ならないのに彼女は協力しろと言っているのだ。

 

「無理よ。生理的に無理」

 

「……それは同性に言っちゃ駄目じゃないのかなぁ」

 

 クオンは後ずさり扉に背を預ける。

 

「そのくらいなら、ダイゴに任せたほうが」

 

「物分りの悪いお嬢さんだね。頭は賢そうなのに。ダイゴは、しばらく身動きなんて取れないよ。仕掛けたんだ。それなりの覚悟はしておくべきさ」

 

 クオンはディズィーを睨み据える。当の相手はにこやかに応じていた。

 

「ダイゴは通信手段もなければこの家の中での自由もない。そんな彼にこれ以上何を任せる? オイラ達は、これを預けてもらっただけでも儲けもんじゃないかな?」

 

 ディズィーが手にホロキャスターとUSBを握っていた。いつの間に、とクオンは手を開く。

 

「こういうマジック得意なんだよね」

 

「返しなさい! さもないと」

 

 クオンの警句にもディズィーは臆した様子はない。

 

「さもないと、何? 誰に言う? 誰を味方につける? 君が信じられるのはダイゴだけだ。でも彼には監視がついている。数日は会えないと思って諦めなよ」

 

「数日……。何を根拠に」

 

「そんなの、ちょっと考えれば分かるだろ。ツワブキ・ダイゴには元々監視がついているってのに噛み付いたんだ。余計に監視がつく。その相手に、むざむざ近づいて? それでこれを渡したら苦労が水の泡って奴」

 

 ホロキャスターとUSBメモリをディズィーが振る。クオンは歯噛みしていた。

 

「……どうしろって言うの」

 

「オイラの言う通りにすれば、元の生活に戻れるよ」

 

 信じられなかった。だがコウヤは自分を疑っている可能性も否定出来ない。

 

「コウヤ兄様が隙のない性格だって言うのはあたしがよく知っている」

 

「じゃあ好都合じゃん」

 

「でもあたしが外部との接点を完全に絶つのもまた不自然だわ」

 

「不登校だったんでしょ。またすればいいじゃん。不登校」

 

 何と容易く言ってのけるのだろう。クオンは呆れて物も言えなかった。

 

「……そんなの」

 

「出来なくはないよね。どうせこれの解析に回るんだ。昼夜問わず、家にいたほうが都合がいいよ。そうしておけば妹の部屋に勝手に入るなんて兄弟でもしないでしょ」

 

 呆れた。ディズィーはこの部屋に居座る腹積もりらしい。それだけでもふてぶてしいという他ない。

 

「本当に、あなたなんかにダイゴが……」

 

「間違えちゃいけないよ、君、クオンって言ったっけ? オイラはあくまでマコっちが最大限に活かせる場を作る事が大前提。見た事もないツワブキ・ダイゴのために命を張るような無様な真似はしない」

 

 その言葉にはクオンも言い返す。ダイゴを侮辱されている気分だったからだ。

 

「ダイゴは、一身にその使命を背負っているのよ」

 

「使命、ね。それがどれほどの重荷なのかも知らぬまま、背負おうとしている。何が行われているのか、クオンちゃん、いやクオっちは知っていてダイゴに協力している?」

 

 謎の愛称を譲り受けたがクオンは心を許すつもりはない。

 

「知っていてって……。ダイゴは包み隠さず話してくれるわ。だからあたしはダイゴを応援する事に決めた」

 

「真っ当だけれどどこか歪んでもいるよね。記憶喪失でなおかつDシリーズの中でもロストナンバーに近い人間だって言うのに」

 

「ロストナンバー?」

 

 知らぬ単語に反応するとディズィーはわざとらしく首を傾げる。

 

「あれ? クオっちとダイゴには知らない情報なんてないんじゃなかったっけ?」

 

 自分とダイゴの関係を土足で踏み入ってくる声にクオンは眉をひそめた。

 

「……ダイゴでさえも知らないのかもしれない」

 

「そうかな? それは楽観的過ぎやしないだろうか」

 

 ディズィーは何なのだ。自分を試しているのか。クオンは堪りかねて口にする。

 

「あなたは、第三者でしょう?」

 

「そう、第三者。言ってしまえばそうだけれど、だからこそ誰よりも客観的に事態を俯瞰しているつもり」

 

 第三者だからこそ出来るポジションと言うわけか。しかし自分からしてみればいざと言う時逃げ切れる立場などずる賢いだけに思える。

 

「それが一番都合のいいから、でしょう?」

 

「そうだよ。やっぱりばれるか」

 

 あっさり認めた事もそうだがディズィーはどこか自分を小ばかにしている節がある。クオンが苛立ったのは何よりもそれだった。

 

「あなた……あたしはツワブキ・クオンなのよ」

 

 こういう風に自分の立場を誇示したくはないがディズィーは何もかも見下しているようで気に食わない。クオンの声にディズィーは一拍空けてから、「君に話しておくか」と首肯した。

 

「ツワブキ・ダイゴの肩口に刻印のある事は知っている?」

 

 凝視した事はないが上着から垣間見えた事ならば何度かあった。

 

「ええ。D015っていう痣が」

 

 ディズィーが腕を捲り上げる。クオンは息を呑んだ。そこにあったのは「DIZZY」という刺青であったからだ。しかし先にダイゴの話を持ち出していたお陰か、それがただの刺青でない事が分かった。

 

「刺青じゃ、ない……」

 

「これ、何て読む?」

 

 やはり馬鹿にしているのか。クオンは頬をむくれさせて不本意ながら答える。

 

「D、I、ZZ、Y、でディズィーでしょう?」

 

「じゃあこうすると?」

 

 ディズィーが刺青の一部を隠す。指で隠されるとよくよく見れば文字同士の大きさが異なっている事に気付く。つまり、アルファベットではない文字が最初のD以降並んでいた。

 

「D、122、Y……?」

 

「そう。オイラ、Dシリーズで唯一の女性個体。シリアルナンバーD122Yの個体だよ」

 



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第八十二話「第二の故郷」

 

 ディズィーがコンタクトレンズを外す。碧かった虹彩は実のところ赤く、髪も明らかに染めたものだというのが分かった。

 

「ダイゴと、同じだって言うの……」

 

 驚愕の事実にクオンは言葉もない。そもそもDシリーズとは何なのか。ダイゴのような人間が他にもいると言うのか。ディズィーは捲っていた長袖を戻し、「オイラみたいなのは珍しいよ」と答える。

 

「実際、ほとんどのDシリーズは管理されている。ロストナンバーである百番台以下は生命維持さえも難しく、そこいらの研究室で死を待っている状態だ。ただ単にツワブキ・ダイゴの入れ物として造られたにしちゃ不遇にも過ぎる処置だよ」

 

「ダイゴの、入れ物?」

 

 クオンがあまりに無知だったせいだろう。ディズィーは顎に手を添えて考え込む。

 

「どこからレクチャーすればいいものか。あっ、でも君はツワブキ家。だからツワブキ・レイカとは血の繋がりがある」

 

「だからって何? 姉様とは――」

 

「ツワブキ・レイカは何らかの秘密を持っている」

 

 遮って放たれた声にクオンは心臓を鷲掴みにされた気分だった。レイカが何かを知っている? そのような素振りなど家で見せた事がないのに。

 

「ない、ないわ。だって、リョウ兄様ならともかく姉様はただの動画編集が仕事の職員で、どこにも怪しいところなんて……」

 

「本当にないって言い切れる?」

 

 ディズィーにそう詰め寄られればクオンも返事に窮する。レイカの一挙一動をみて回っているわけではない。

 

「ツワブキ・レイカはマコっちの命を狙った」

 

 だからその言葉で本当に心臓が口から飛び出したかと思ったほどだ。レイカがマコを狙う? それはあまりにも突拍子のない出来事の羅列に思えた。

 

「ない、それこそ。レイカ姉様に限ってそんな。人の命を狙うなんて」

 

「その時に使われたのが黒服の集団と、Dシリーズ。つまりツワブキ・ダイゴと見た目が全く同じ個体」

 

 そこまで確信めいた声音だとクオンも思わず信じてしまいそうになる。だが完全に信じ込むにはまだ足りない。

 

「じゃあ、何であなたはダイゴと同じ顔じゃないわけ? その説明がついていない」

 

 Dシリーズ云々を説明するのならばまず自分の証明からだ。クオンの声にディズィーは、「参ったなぁ」と呟いたがやがて覚悟を決めたようだ。髪の毛を一本だけ抜いて見せ付ける。目を凝らすと赤いと思われた髪は銀色の下地が窺えた。

 

「銀髪に赤い眼。これがDシリーズの特徴なんだけれど、オイラ女性型だから。ちょっと男性型のDシリーズとは身体のつくりが違う。まぁ多分、オリジナルの意匠が強いんだと思う。あっ、オリジナルってのは初代の事じゃなくって、オイラの素体だった可哀想な女性の事ね」

 

 オリジナル、初代、素体、今の会話だけでも分からぬ事が山積した。クオンは頭痛を覚えながらも紐解く。

 

「どういう経緯でダイゴと同じ顔の人間が必要になったのか、それも聞かせてもらえるのよね?」

 

 ディズィーは、「それが分かればねー」と口笛を吹いた。馬鹿にしているのだろうか。

 

「苦労しないって言う。最終目的だけは分かるんだけれど、誰が敵で誰が味方なのか、ちょっと判然としないんだよね」

 

 そうだというのに自分に話したのは愚の骨頂ではないのか。クオンの眼がそう告げていたのかディズィーは首を横に振る。

 

「君に言ったのはマイナスじゃないよ? だってさ、住まわせてもらうんだもん。分からない事があると面倒でしょ?」

 

 最初から住まう事は前提らしい。クオンはますます頭痛が酷くなるのを感じた。

 

「こうなっちゃうと、あたしも巻き込まれるのよね?」

 

「ツワブキ・ダイゴに関わった以上はね。君だって過ぎた事をしているんじゃないの?」

 

 分かっている。ダイゴの記憶が戻る事を支援する事はリョウや他の人間からしてみればマイナスかもしれない事を。それでもダイゴを、自分を立ち直らせてくれた人を応援したいのは至極当然ではないのか。

 

「ダイゴには、返し切れない恩義があるから」

 

「恩義ねぇ。今時の女子高生がそんなヤクザ映画みたいな事言うんだ?」

 

 ディズィーの感想を無視してクオンは言葉を継ぐ。

 

「ダイゴを害する気ならば、あたしは協力しない」

 

「そうなると植え込みの足跡が誤魔化せないわけだけれど」

 

 こう着状態だ。お互いに一歩も譲れない。どちらも両方に共通する弱みを握られている。

 

「ダイゴを引き合いに出しても解決しそうにないわね」

 

「だから言ったじゃん。最初っから、オイラはクオっちを守るために来たんだって。それとマコっちを危険に晒さないためにね。まぁマコっちも強いし、オサムの補助があれば負けないでしょ。オイラがこうして訪れたのは、一番に危険が迫るのはダイゴに協力したクオっちだと判断したからだよ」

 

 指差されてクオンは怪訝そうにする。

 

「その割には、先ほどから態度が随分と横柄だけれど」

 

「横柄に見えるのは、クオっちが今まで上から押さえつけられる物言いをされて来なかったからだよ。オイラは最大限にクオっちの人格を評価しているし、もしオイラの秘密をばらすって言っても、こっちにだって隠し玉はあるし」

 

 最終手段を明かすほどお互いに馬鹿ではないつもりであったがクオンにはもしもの時の保険が少ない。ツワブキ家に完全な忠誠を誓う、という手もあったがそれではダイゴを裏切る事になる。一番身動きが取れないのは意想外だが自分であった。

 

「ディズィーさん……。急に来て、あたしを助けるって言っても、今はダイゴの事を一つでも知りたい。どうかしら? お互いに質問と答えを一つずつ交換し合う、というのは」

 

 これならばどちらかの秘密が枯渇しない限り優位に立てる。ディズィーは、いいね、と膝を叩いた。

 

「よっし! どんと来い!」

 

 胡坐を掻いたディズィーにクオンは確認事項をぶつける。

 

「Dシリーズは何のためにいるの?」

 

「初代ツワブキ・ダイゴの入れ物だよ」

 

 あまりにも要領を得ない答えだ。これでは弾数の無駄である。

 

「何で初代ツワブキ・ダイゴに入れ物なんて必要なの?」

 

「何でって……、当たり前じゃん。今もその辺りにいるかもしれない初代の魂を救おうってのが、そもそもの始まりだよ?」

 

 その辺り、と指されてクオンは気味が悪くなった。体感温度が下がった気がする。

 

「オカルトなんて……」

 

「オカルトじゃない。いいかい? 初代ツワブキ・ダイゴはね、いるんだよ。いないって証明も出来ないし、もちろん完全に消滅したと考える事も出来なくはないけれど、それよりかはいると判断したほうが可能性は高い」

 

「どういう可能性? 初代ツワブキ・ダイゴの幽霊、なんてカナズミシティには流行らないわ」

 

 ディズィーはそこで中空を睨んで呻った。何を考え込んでいるのだろう。しばらくして、やっと搾り出した答えがあった。

 

「あのさ、ちょっと誤解している。君の思っているDシリーズってのは初代ツワブキ・ダイゴの幽霊を呼び出す、シャーマンみたいなのだと思っていると考えていい?」

 

「いいも何も、そういう媒介なんじゃ?」

 

 ディズィーは膝を打ち、「大きく違う」と断じた。その声音にはクオンも動じる。

 

「媒介じゃない。いや、ある種では媒介だが、依り代、と言ったほうが正しいんだよね」

 

「依り代……?」

 

 クオンの疑問にディズィーは心得たように紐解く。

 

「Dシリーズで最終的に何がしたいのか。それを先に言っておくと分かりやすいかもしれない。何だと思う?」

 

 今度は謎かけか。クオンは脳裏に浮かんだ考えを述べる。

 

「そういう技術的な発展の誇示でしょう? それ以外に何が」

 

「技術的な発展……、まぁ頷けない部分はない。でもね、そんなまともな思考回路でじゃあさ、ほぼ毎年五十人以上が行方不明になる街が出来上がると思う?」

 

 ディズィーの声音はどこか恐れを帯びている。クオンは問い質していた。

 

「どういう事?」

 

「カナズミって街はさ、統計上、一番行方不明者が多いんだ。しかも年間、ここ三年はピーク。だっていうのに誰も警察も本腰を上げない。最近では〝天使事件〟ってのが発生するようになった」

 

「〝天使事件〟?」

 

 どこかミステリアスな響きに圧倒されているとディズィーは頭を振る。

 

「君の考えているようなオメデタイ事件じゃない。肩口からの大量出血で死ぬ、惨たらしい事件だ」

 

 あまりにも自分の理想と離れていたのでクオンは狼狽する。ディズィーは無機質に告げた。

 

「その死に様が、どうしてだか初代の死に方と酷似しているってのも、一般には流布されていない情報かな?」

 

 そこでクオンは瞠目した。初代の死がまさかそのような生産を極めるものであったなど聞いた事がない。

 

「お爺様が、そんな死に方を……?」

 

「ああ、そうか。初代の死って二十三年前だ。クオっちは生まれていないね。教えてあげると、デボンの研究室で、メガシンカ試験中に亡くなった。その時、研究室に入れたのは限られた人物だけだった。研究員監督者、プラターヌ博士。ツワブキ家の誰か。あるいは――ツワブキ・イッシン」

 

 その言葉にはさしものクオンとて激昂の一歩手前であった。自分の父親が祖父を殺したなど、冗談にしても性質が悪い。クオンは咳払いしてその可能性を棄却する。

 

「……ふざけているの?」

 

「ふざけてなんていないって。でもこれは現状の、最も考え出される可能性の一つだよ。ツワブキ家しか入れないデボンの研究棟だって言うんなら、それを怪しいと思うのは何ら不適切じゃないはず」

 

「不適切も何も……」

 

 やはり怒りは収まらなかった。自分の父親の侮辱にクオンは我が事のように声を張り上げる。

 

「父様を、そんな風に言うのはやめて!」

 

「分かった、分かったって、クオっち。君がどれほどお父さんを大事にしているのかはよぉーく分かっている」

 

 宥めるように放たれた声にクオンはまだ納得出来ずにいる。どうして自分の怒りのほうが不当のように言われなければならないのだ。

 

「あなたに、何が分かるって言うの」

 

「分からないよ。なぁーんにもね。だからこそ、とても中立な立場だと思っている。オイラはDシリーズだけれども、ツワブキ家に復讐したいだとかあるいは忠義を示したいってのは一切ない。これだけは断言出来る。オイラはツワブキ家にも自分を造ったデボンにも、何にも感じていないよ」

 

 それはにわかには信じられなかった。デボンが彼女の人生を歪めた。ならば復讐くらいは考えてもおかしくはない。

 

「どうかしら。あなたが潔癖だって事を証明してみせて」

 

「そりゃ無理難題って奴だよ。嘘発見器でも持ち出す?」

 

 おどけた様子のディズィーにクオンははらわたが煮えくり返る思いだ。

 

「あたしが叫べば、誰かが来るわ」

 

「だね。でもそうなると君は家族を裏切った人間になる」

 

 奥歯を噛み締める。ディズィーの言う事に従うしかないのか。それしかダイゴを救えないのか。それどころか自分の行ったのはダイゴの支援、つまりは家族への背信行為だ。家族を恨む人々ではないし、そもそも自分が反抗したところで何ら問題のない家庭である事は知っている。だが一度でも反逆した人間を二度と家族は信用すまい。

 

「……手詰まり、って言いたいの?」

 

「まぁ、誰も詰みを宣言したつもりはないけれど自然にね。こりゃ墓穴って奴だ」

 

 墓穴を自分で掘ってしまった、というわけなのか。皮肉な事実にクオンはただただ打ちひしがれるしかない。どうすればこの状況を打開出来た? ダイゴもコウヤも裏切らず、自分だけが無関心でいるには二人に入れ込んでいる。ダイゴには特に、だ。彼に恩義は返さねばならない。

 

「ダイゴは、あたしにここだけが居場所じゃないって言ってくれたの」

 

「ふぅん。で?」

 

 全くこちらの感情など無視したディズィーの声に腹立たしさはあったが今は頓着しない。

 

「だからダイゴは、あたしの第二の家族であり、第二の故郷なのよ」

 

「個人を故郷にしちゃうのはいささか問題ではありそうだけれどね」

 

 クオンはキッと睨みつける。ディズィーは臆する様子もない。

 

「だからダイゴを裏切るのは駄目。でも家族も裏切りたくない」

 

「オイラのプランが理想的だと思うなぁ」

 



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第八十三話「出来損ない」

 クオンはいくつも思うところはあった。罵声も浴びせたかったし、出来る事ならば出て行けと言いたかった。しかしもう無理なのだ。自分は踏み込んでしまったのだから。

 

「……呑みましょう。あなたの条件を」

 

「条件って言うほど大層じゃないって。オイラと行動をともにしないか、っていう提案」

 

 それは戻れない道である事は重々承知だ。それを知っていて彼女は何でもない、軽い火傷のように言ってのける。クオンはそれほど自分が馬鹿ではないと思っていたし、ここで乗るのもまた一つの火傷を抱え込む事になるのだというのも理解しているつもりだ。

 

「それでも、あなたがやってきたという事はそれも一つの答え、だと思ったほうがいいのかしら?」

 

「殊勝だね、って話。オイラに無理やり答えなんて探さなくっていいよ。オイラもさ、出来るだけキリングゾーンには入りたくないし、出来れば傍観者ポジが一番いいっちゃいい。でもね、マコっちを応援していると自然と自分の首を絞める方向性に走っちゃう。だったらマコっちと縁を切ればいいんだけれど、それには彼女が危ないし、もう気に入っちゃったから。ほら正義の味方はそう簡単に被害者を見過ごさないじゃん」

 

 ディズィーが正義の味方かはともかくそう容易く裏切らない、と言っているのだ。そこは信用すべきだろう。

 

「あたしのためにも、鞍替えをよくするような人間とは組みたくないし話したくもない」

 

「賢明だ。ご両親の育て方がよかったんだね」

 

 どうとでも取れるお世辞を吐くディズィーに、クオンは渋面を作るのも馬鹿馬鹿しく言葉を投げた。

 

「さっき父様を疑った口で言わないで」

 

「ああ、悪かったよ。そうだね、君からしてみればツワブキ・イッシンは父親だ」

 

 さして悪びれてもいない口調に辟易しながらもクオンは尋ねる。

 

「それで、初代ツワブキ・ダイゴが何でそんな死に方をしたって知っていて?」

 

「ああ。まぁちょっと落ち着いて話そうか」

 

 ディズィーがぽんぽんと床を叩く。クオンは唇をへの字にする。

 

「近づけって言うの?」

 

「この距離間で話すのには向かないお話だからね」

 

 今、ディズィーと自分は三人分ほど離れた位置にいる。自分の手はいつでも出られるようにドアノブにかかっているためフェアではないと思われるのかもしれない。

 

「……分かったわよ」

 

 クオンは扉から離れてディズィーへと歩み寄る。ディズィーが床をしきりに叩くのでクオンは仕方なしに座った。ただしディズィーのように胡坐を掻く事はない。正座をして佇まいを正す。

 

「それで、話は……」

 

 口にしようとして打ち切られたのはディズィーの手が伸びてクオンの巻き毛に触れたからだ。思わず後ずさる。ディズィーは、「綺麗だと思って」とその手をゆらゆらとさせた。

 

「綺麗でって……、あなただって赤い髪でしょう」

 

「君みたいな純の髪色じゃないよ。知っているでしょ」

 

 話通りならばディズィーの髪の毛は銀髪のはずだ。それを無理やり染めているのである。

 

「綺麗な紅色だね。そういう血縁だったのかな?」

 

「……お爺様の奥方、つまりあたしのお婆様がそういう髪色だったって聞いているわ」

 

「聞いている、って事は見た事ないんだ?」

 

 クオンは少しだけ顔を伏せて答えた。

 

「お爺様よりも前に亡くなったらしいから」

 

「君からしてみれば、そのお爺様、初代ツワブキ・ダイゴでさえも過去の人か」

 

 頬杖をつきながらディズィーがこぼす。クオンは言い返してやった。

 

「あなただって、偉人であるお爺様しか知らないくせに、あたしと何も変わらないわ」

 

 ツワブキ・ダイゴ、という偉人としてしか記録にない。ディズィーとて年齢はさほど変わらないはずで、その全盛期を知るはずもない。

 

「そうだね。オイラもツワブキ・ダイゴがどのような人物であったか、探ろうとした。だって自分の基になった人間だ。どうしてデボンとツワブキ家はそれを再現しようとしたのか。その偉業にこそ、意味があるんじゃないかって思ったんだよね」

 

 ディズィーは今の身体になってからそれを調べたのだろうか。自分の基、と形容したからにはそういう事だろう。

 

「以前の、記憶は……?」

 

 慎重に訊くとディズィーは手を開く。

 

「ないんだ。一切」

 

 その言葉には瞠目せざるを得なかった。記憶がない。それはまるで――。

 

「ダイゴみたいに……」

 

「そうだよ。まぁ肉体の記憶を引き継いでいる人間もいるけれど、オイラはなかった。D122Yには人格が必要ないと判断されたのか、あるいは何らかの不都合だったのかは分からないけれど、オイラ、つまりディズィーにはこの身体になってからの記憶しかない」

 

「だって言うのに、戸惑いもせず」

 

「戸惑ったって。それこそ一生分」

 

 ディズィーは笑い話にしようとするがそれがどれほどの苦痛だったのかは想像に難くない。自分が何者なのかも分からぬ恐怖と、別の肉体に作りかえられたという事実。その二つを背負って悲観的にならない人間などいるのか。

 

「言っておくけれどさ。オイラはツワブキ・ダイゴとは違うよ」

 

 それを見透かしたようにディズィーは中空を目線に据える。

 

「確かに、そりゃ怖い事だけれども。オイラ、チャンスだと思う事にした」

 

「チャンス?」

 

 おおよそ、その悲劇とは一致しない言葉だ。ディズィーは身振り手振りをつけて、「やり直せるって事かな」と自分の中の感情を分析する。

 

「もし、さ。オイラが今まで誰かを傷つけたり、あるいは傷つけられたりしても、D122Yになったからにはその関係性やら何やらを全てリセットして、もう一度人生をやり直せるって事じゃん。これってさ、よく大人の言う、人生はやり直しの利かない、とかいう格言とは真逆で、オイラそういう意味では貧乏くじを引いたとは思っていないよ」

 

 意外、というよりも常人の思考回路ではないだろう。人生は積み重ねのうちに成り立つもので、今までの関係性が全てリセットされるのが怖いと感じている自分と違って、ディズィーの考え方はそよ風のように吹き込んでくる。

 

「誰も、恨まないって事……?」

 

「そりゃ、デボンもこんな身体にしたツワブキ家にも一家言はある。でもそんなんでウジウジ悩んでいる暇があったら、それこそ進めない。オイラ、もうディズィーとして生きる事に決めたから、もうディズィーでいいんだ」

 

 それは眩しく思えるほどの決意で。それでもどこか歪とも言えなくもない。自分が何者なのかを探求し続けるダイゴとは全く違う。正反対だ。彼女は「ディズィー」になったからもう「ディズィー」として生きるしかない、ではなく「ディズィー」という選択肢を与えられたのだと思っている。

 

 どこまでも前向きでなければ考えられない事だった。

 

「ポジティブなのね」

 

「馬鹿にしてる? まぁいいけれど。オイラも散々煽ったからね。お返しだと思おう」

 

 クオンは咳払いをして空気を変える。

 

「それで、事実関係の整理だけれど」

 

「ああ。オイラの知っている事は全て話そう。ただ注意して欲しいのは、これを話してしまった以上、君は当事者だ。もう傍観者は決め込めない」

 

 そのような決意、もうとっくに済ませている。

 

「あたしはダイゴの味方になると誓った。とっくに家族で、当事者よ」

 

「それはある種の離反である、けれどね」

 

 ディズィーの呟きを受け止めつつクオンは先を促した。

 

「聞かせて。ダイゴを巡って何が起こったの? 何が、起ころうとしているの?」

 

 ディズィーは、ふむ、と顎に手を添えて考えを巡らせているようだ。そう容易く纏められるものでもないのかもしれない。

 

「君は、逆にツワブキ・ダイゴに関して、どこまで?」

 

「リョウ兄様が連れて来た新しい家族で、初代と同じ名前で同じ顔。秘密を抱えているようだってのは分かるけれど、自分に関する記憶が一切ない。もっと言えば警戒心も薄くてあたしでもつけ入れそう」

 

 正直にダイゴの人物評を並べる。ディズィーは全部聞いてから、「じゃあ周囲」と続けた。

 

「周囲は、どう見ていると思う? ツワブキ・ダイゴの事」

 

「家族から、でいいのよね?」

 

 確認するとディズィーは頷いた。

 

「父様は、何となく信頼している様子。疑ってはいない。姉様は、他人行儀。どうでもいいと思っているみたい。リョウ兄様は、自分が率先してダイゴを導くべきだと思っている。でも隠し事をしていると思う。多分、ダイゴにとって重要な何かを。コウヤ兄様は、何か知っているようだけれど、でも直接的な事は何も言わない」

 

 それが家族のダイゴに関する見方だろう。クオンの主観が混じっているがそれでいいとディズィーは言ったのだ。

 

「全部で六人家族?」

 

「ああ、コノハさんを入れるのを忘れていたわ。七人ね」

 

「コノハ?」

 

 初めて聞いたのだろう。疑問の声にクオンが答える。

 

「家政婦さん。うちにずっとじゃないけれど朝から晩までいてくれる。掃除とか洗濯とか、食事とか、そういう面倒事は全部コノハさんが」

 

 ディズィーはコノハの名前を聞くなり難しい顔になって呻り始めた。何かあったのだろうか。

 

「もしかして、知り合い?」

 

「いんや。多分知らないけれど、他人を招いているってのはちょっと奇妙だね」

 

「どうして? だって皆仕事を持っているし、家に誰もいない事もよくあるから」

 

「そうじゃなくってさ。ここまで排他的なツワブキ家が、どうしてその家政婦さんだけ許すんだろうね」

 

 そう言われてみれば、とクオンは思い至る。どうしてコノハはこの家に雇われているのだろう。

 

「父様の、デボンの知り合いかもしれないわ」

 

「それにしたって、今クオっちがわざとじゃなく、自然に忘れていたんだとすれば、それはそれで恐ろしいよね。秘密をここまで抱え込むツワブキ家に、影も形も残さずに侵入出来ているんだから」

 

 その言葉にはクオンも渋い顔をする。

 

「コノハさんは家族よ。ただちょっと存在感が薄いだけで」

 

「それがさ、すごいって言うんだよね。ダイゴなんて明らかに異物だって言うのに、このコノハって家政婦はどことも繋がっていない。それなのに普通にこの家に居られるのは、何で?」

 

 何で、と問われてもクオンには答える術はない。変わりのようにコノハの入ってきた時期を答える。

 

「……あたしが不登校になってから来た人だから、もしかしたらそういう母親みたいなのを補足しようとしたのかもしれないわ。父様の考える事はいつでも家族のためだもの」

 

「なるほど。いい意味での起爆剤になると思っていたわけか」

 

 それでディズィーも納得したらしい。クオンは話を進める。

 

「まぁコノハさんが来たからと言ってあたしは行かなかったけれど。で、家族から見たダイゴなんて知ってどうするの?」

 

「ツワブキ家の人間は皆、何らかの思惑があってツワブキ・ダイゴを家に入れた、と思うべきだ。だってさ、自分の祖父と同じ名前の人間が家にいておかしいとか思うはずだよね?」

 

 普通の感覚ならばそうなのだろうがツワブキ家の人間は普通とは思えない。

 

「きっと慈善事業のつもりで」

 

「それにしたってだよ。ツワブキ・ダイゴの名前は悪趣味としか言いようがない。誰もそれに関しては突っ込まなかったの?」

 

 そういえば、とクオンは思い返す。ダイゴを引き取った日、誰一人として祖父の話題に触れる事はなかった。

 

「リョウ兄様が勝手に決めたらしい名前だけれど、反対の声もなかったわ」

 

「普通は反対するか、そんな身元も知れない奴に親族の名前はつけないよ。やっぱり意味があるんだ。ツワブキ・ダイゴと言う名前には」

 

「深読みし過ぎじゃない?」

 

 それこそリョウの独断で決まった名前だから誰も文句を言わないだけかもしれない。しかしディズィーは異を唱えた。

 

「いや、君達兄弟はギリギリありかもしれないが、問題なのはやっぱりツワブキ・イッシンだ。だって自分の父親と同じ名前だよ? 反対、そうじゃなくっても何らかの反感は持っていると思うべきだろう」

 

 イッシンの口からダイゴを否定するような言葉は聞いた事がない。イッシンは認めているのではないだろうか。

 

「亡くなったから、その名前が浮いちゃったし……」

 

「例えば、だよ。ツワブキ・イッシンが死んだとしよう」

 

 縁起でもない言葉にクオンは頭を振った。

 

「何て事を言うの」

 

「物の例えさ。で、その後生まれた子供に名付けるとして、じゃあツワブキ・イッシンの名前を使うか、という話」

 

 クオンは渋面を作って、「そんなのするわけないじゃない」と答える。

 

「それと同じ事がまかり通っているわけだけれど」

 

「お爺様の名前は偉人だから別って考えているんじゃないの?」

 

「いや、だとすれば相当懐の深い人物という事になるが、それでもだよ。二十三年経ったとはいえ、長兄、コウヤなんかは初代ツワブキ・ダイゴを知っているはずだ。その心象を無視して、名前を一方的につけるかな?」

 

 節々に疑問点は出てくる。ダイゴも自分の名前が偉人の名前だと知って驚いていた。

 

「そりゃ叩けば出る埃って奴で、でも叩かなければ何も出ない」

 

「ツワブキ家ではそのツワブキ・ダイゴに関する取り決めでもあったのかな? そんな事を聞いたりは?」

 

 クオンは首を横に振る。

 

「知らない。あたしは、何も。ただ新しい家族が来るだけしか」

 

「それも変だ。君がいくら不登校だったとはいえ……。ああ、言い方を変えよう」

 

 クオンがその言葉に反応したからだろう。ディズィーはやわらかい言い回しに変えた。

 

「ちょっと事情を抱えていたとはいえ、新しい家族? それがツワブキ・ダイゴ? ちょっとどころかかなり変な話だよ、これは。家族である君の了解もなしに、ツワブキ・リョウは何を焦っていた? あるいは、何を考えてこの名前にした?」

 

 クオンは考えを巡らせる。今までダイゴがダイゴである事など当たり前だと思っていただけになかなか妙案が出なかった。

 

「オイラは、これ、一つ推測出来る」

 

 ディズィーが指を立てる。クオンは、「何?」と尋ねた。

 

「最初っから、今回のDシリーズと計画を見越しての命名だった。ツワブキ・ダイゴは初代の入れ物として、ツワブキ家に教育されるつもりで入れられた」

 

「教育って……」 

 

 あまりに過激な言葉にクオンが呆気に取られているとディズィーは指を振った。

 

「お嬢さんには過激な話だった?」

 

「そんな証拠どこにもないもの」

 

「そうかな? 例えば、オイラの存在。それだけでもDシリーズがこの街に何名かいる事だけは証明出来る」

 

 右腕の「D122Y」のシリアルコード。クオンは視線を這わせながら尋ねていた。

 

「何でDにこだわっているの?」

 

「諸説ある。DはデザイナーズチルドレンのD、あるいはDEPUTY、代理、のD。でも一番に言われていたのは」

 

 ディズィーは一拍置いてからその言葉を口にする。

 

「Dは、出来損ない、のDだとも」

 



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第八十四話「魂の冒涜」

 

 その言葉に震撼しているとディズィーは肩を竦める。

 

「どれも憶測の域を出ていない。素直にダイゴのDかもしれないし。まぁDにこだわるのはやめようよ」

 

 そのほうが話の筋道としてもよさそうだ。クオンも出来損ない、などという可能性を考えたくなかった。

 

「ダイゴは、でも教育とかそういう事を受けさせられるためにツワブキ家の一員にさせられたって言うのは」

 

「信じられない? でもね、案外あると思うんだ。最初、君は彼にどう接した?」

 

「どうって、ディアンシーの試験をやってみたわ」

 

 ディズィーが眉根を寄せる。クオンは誰にでも行っているディアンシーの試験内容を話した。自分にとって有益か無益かを判断するために自然と行うようになったと。しかし聞いていくにつれてディズィーは難しい顔をする。

 

「どうかした?」

 

「いや、なるほどね。最初から仕掛けられていたわけだ」

 

 とんでもない言い草にクオンは抗弁を発する。

 

「仕掛けていたなんて。あたしは何も」

 

「違う。ツワブキ・リョウの思惑通りに、君ははまっていた。君にとっての当たり前の試験でいきなりツワブキ・ダイゴを無力化する。これって、一番効率的だ。だって自分は関係していないから、言及される事はない。もし、君の試験に落ちていて、全ての感覚器を奪われていたとすれば、ツワブキ・ダイゴはどうなっていただろうね」

 

 その言葉で気付く。無意識のうちに排他的になっていたのは自分も同じだ。ディアンシーの試験を通れない者は意味がないと感じていた。

 

「じゃあ、あたし……」

 

「うん。ツワブキ家に、言ってしまえば毒されていた」

 

 おぞましき答えをディズィーは口にする。自分でも知らないうちに洗脳紛いの事をされていたのか。そう思うと怖気が走った。

 

「父様も、兄様も何も言わなかったから」

 

「当たり前だと思っていた? なるほどね、クオっちの試練でいきなりツワブキ・ダイゴを何も出来ないようにする。これって結構有効な手だ」

 

「でも誰も何も言わなかったのよ!」

 

 間違っているだなんて。クオンの張り上げた声にディズィーは指を立てる。

 

「静かに」

 

 その言葉にクオンは口元を押さえた。ディズィーは諭すように言い含める。

 

「そりゃ言わないさ。だって君がどこにも行かないのならば、それは間違いじゃないし、何よりもツワブキ家にとって都合の悪い人間を消すのにはちょうどいいもん」

 

 自分が今まで試験にかけてきた人間は、そもそもツワブキ家の秘密を探るように出来ていなかった。最初から感覚器を奪うつもりで、家族は自分を利用してきたというのか。馬鹿な。

 

「……嘘よ」

 

「嘘って思いたいのも分かる。自分が門番だったなんて知りたくもないだろうよ」

 

「嘘って言って!」

 

 懇願にもディズィーは冷徹に返す。

 

「嘘じゃないし、君はツワブキ・ダイゴとのその戦いでおかしいと自覚出来た。まだ戻れたんだ」

 

 そちらのほうがまだ救いがある、とでも言うように。クオンは震え出す肩を抱く。

 

「誰が……、ねぇあなた、誰があたしに、こんなおぞましき事をやれと言ったの?」

 

「それは君じゃないと分からない。誰が最初に言い出した?」

 

 記憶を探る。しかし思い出せなかった。物心ついた時にはもう行っていた気がする。

 

「ディアンシーをくれたのも、親戚とか言う叔父さんだったし」

 

「叔父さん? それって誰?」

 

 クオンは頭を振った。

 

「ツワブキ家の祝賀会でもらったから、デボンの関係者だとは思うけれど、それ以外は何も。でも、兄様も姉様も、その人からポケモンをもらったって」

 

 ディズィーは眉間に皺を寄せて考え込む。何かおかしなところでもあっただろうか。

 

「ツワブキ・コウヤのポケモンは?」

 

「分からない。そういう話はしないから」

 

「じゃあリョウや、レイカも」

 

 クオンは力なく頷く。ディズィーは身体を伸ばして呻った。

 

「その叔父さんっての、特定出来ないかな?」

 

 どうしてディズィーは見ず知らずの他人を気にするのだろう。クオンはトレーナーズカードと同期している端末を差し出した。

 

「おや、として登録されているかも」

 

 ディズィーも覗き込む。しかしディアンシーの「おや」はクオンであった。

 

「そこから辿るのは無理そうだね」

 

 ディズィーはクオンの顔を覗き込んで再三尋ねた。

 

「本当に、知らないおじさんだった?」

 

「あ、うん。叔父さん、って父様が呼んでいたから、父様の知り合いかもしれないけれど」

 

「だったらやっぱり当たるべきはツワブキ・イッシン」

 

 イッシンの疑いがより濃くなった事を感じてクオンは遮った。

 

「でも! 父様は何も」

 

「ああ、分かっているって。初代を殺しただとか、そういう話は一旦仕舞おう。今は、ツワブキ家の内部構成を整理する時だ」

 

 それでも、一旦、と言っている辺り、まだ疑っているのだろう。クオンは時計を見やる。いつまでディズィーは居座る気なのか。

 

「しかしどう考えても怪しいのはツワブキ・イッシンなんだ。ツワブキ家の手持ちを、もちろん管理を?」

 

「ううん。父様はそんな事しない」

 

「でも渡した時に知っているはずだよね?」

 

 ディアンシーを渡された時は自分も素直に喜んで家族に見せびらかした。しかし兄や姉はそうしていないのかもしれない。

 

「見せびらかしていなかったら知っているのは渡された側とおじさんだけね」

 

「きな臭いなぁ、そのおじさんっての」

 

 ディズィーは考えを詰めるようにこめかみを突いた。それほどまでに気になる材料だろうか。

 

「デボンの社員なら、何もおかしなところは」

 

「ない、っちゃない。でもツワブキ家にポケモンを渡せるような社員が、平社員のはずがない」

 

 それはその通りかもしれない。だとすればディズィーは何を疑っているのか。

 

「幹部とか、そういう事?」

 

「あるいはオイラの事も知っているかもしれないね」

 

 Dシリーズの管理も任されているというのか。クオンはさすがに飛躍し過ぎだといさめた。

 

「Dシリーズってのはあるとしても、その管理がデボンだとは確定していないんでしょう?」

 

「でもデボンの目を掻い潜ってDシリーズなんて量産出来る会社は、このホウエンにはない」

 

 ディズィーの言葉も一理ある。それでも自分の家族がもしかしたら人道にもとる道を歩んでいるなど容易く認められるか。

 

「ホウエン地方でないんなら」

 

「だったら今度怪しくなるのはツワブキ・コウヤだ。出張していた目的は?」

 

 どうやらディズィーは徹底的に洗い出したいらしい。クオンはダイゴにもそれを聞かれた事を思い出す。暗殺者に狙われたため、その痕跡があるコウヤを追い詰めなければならないと。

 

「そういえば、ホロキャスターとUSBメモリ……」

 

 言い争いばかりで本当の目的を見失っていた。ディズィーはその手にあるホロキャスターを起動させた。

 

「名義はやはり、ツワブキ・コウヤか。これなら足跡を残さずにコウヤのPCに入れるんだよね?」

 

 クオンは首肯して起動したホロキャスターの投射画面を見やる。PCへの直通経路があり、恐らく持ち主であるコウヤでもこれを奪われれば察知出来ないはず。

 

「ツワブキ・コウヤのPCには、やっぱりというべきか外出先の履歴が残っている。でも、どこに立ち寄ったのかを事細かに書くタイプじゃないみたいだ。点在的に居場所が表示されただけ。これは更新システムが働いた場所を記録しているんだろう。読み上げると、イッシュのヒウンシティに主に立ち寄っていた事が分かる。ヒウンシティといえばイッシュでも都会で有名だ」

 

 ヒウンシティには確かデボンの系列会社があったはずである。コウヤはそこで仕事をしていた。体面上はそうであるはずだ。

 

「ヒウンシティから出た記録はほとんどない。その後、商業都市であるライモンシティに何日か滞在。リゾートデザートに立ち寄った記録もあるけれどこれは」

 

「多分、趣味だと思うわ。化石が好きだから」

 

「なるほど。砂漠地帯ならば化石が取れる、と」

 

 その証拠にリゾートデザートに立ち寄ったのは最終日だ。旅の思い出に、と買っていったのだろう。

 

「ヒウンとライモンでの記録ばかりで重要な場所に立ち寄った形跡がない。でも何かあるから、ツワブキ・ダイゴはこの端末を欲しがったんだよね?」

 

 必要な痕跡はギリー・ザ・ロックとどこで接触したのか、という記録だが、ギリーと接触したのが街中ならば詳しい経路を辿れそうもない。

 

「怪しいところは……」

 

「ない、ね。今のところ。そのままホウエンに帰ってきている。どこでどうなったのかまるで分からない。これじゃ苦労の無駄だ」

 

 化石バトルで勝ち取ったものだというのにディズィーに馬鹿にされるのは腹立たしかったが、実際怪しいところもないのでは話にならない。

 

「どこかで、例えば地下組織との癒着とか」

 

「あっても消しているでしょ。そんな公的な場所に残る記録につける意味がないし」

 

 デボンの管轄する巨大なクラウドに管理された位置情報程度しか分からないのならば話にならない。クオンは、「ヒウンとライモンには」と口にしていた。

 

「何か、あるとか知らない?」

 

「ヒウンシティは都会、ライモンシティは商業が盛ん、この程度かな。イッシュはハイリンクと呼ばれるエネルギーの集積地点があって、それを中心に八つの街が構築された、という話くらいしか」

 

 コウヤはハイリンクにも訪れていない。当然の事ながら仕事であって旅行ではないからだろう。クオンは紅い髪を巻いて思案する。

 

「何か、一つでもいい。ダイゴに繋がる何かを」

 

「ツワブキ・コウヤを攻めるよりもツワブキ・レイカが明らかに怪しいんだからさ。そっちを攻めたほうがよくないかい?」

 

 しかしクオンの中ではまだレイカは無実だ。レイカは家族の前では動画編集が仕事のOLである。それ以上でも以下でもなく、クオンはレイカが怪しい、とは直接的に考えられない。

 

「動画編集が仕事の姉様がDシリーズの管理なんて行っているってのがまず眉唾よ」

 

「事実は小説よりも奇なりって言うけれど、クオっちにはまだ得心が行かないって事か」

 

 ディズィーの言葉を文字通り無条件に信じ込む気にはなれない。例えマコが巻き込まれていてもそれはディズィー伝手に聞いた話であってマコが現われでもしない限り信用はならない。

 

「Dシリーズにダイゴの事だって姉様が知っていたって言うんでしょう? あまりにも突飛だわ」

 

「でも、ま。ある種突飛な事がまかり通るのが現実だけれど」

 

 せめてダイゴと会えれば、とクオンは感じる。ダイゴがディズィーと話をすり合わせたほうが実りのあるのではないだろうか。

 

「ディズィーさん。あなた、ダイゴと会う気は……」

 

「今のところない。ゼロパーセント」

 

 言い切った声音にクオンは疑問視する。

 

「どうして? だってダイゴはあなたと同じくDシリーズで、境遇も似ていて」

 

「じゃあツワブキ・ダイゴに君の回りは敵しかいないって忠告するかい? それは彼にとってプラスにならない。オイラ的には、ツワブキ・ダイゴは泳がせておく。〝天使事件〟の事も、Dシリーズの事も何も知らないツワブキ・ダイゴが行動すれば、自ずとその周辺事情も変わってくる。そこにつけ入るのがオイラ達のやり方さ」

 

 あまりにも卑怯ではないだろうか。それではダイゴは放任で、自分達だけが真実に到達するという筋書きである。

 

「……何だかダイゴを利用しているみたいだわ」

 

「みたい、じゃなくって利用しているんだけれどね。全ての事象はツワブキ・ダイゴを中心にしている。ならばその軸から出来るだけ離れたところで観察したほうがいい。台風の経路や規模を観察するのにわざわざ台風の暴風圏に入らなければならない道理がないように、オイラ達はあくまで観察する側を貫く。暴風圏で振り回されちゃ堪ったもんじゃないし」

 

 レイカに詰め寄るでもなく、コウヤを下すでもなく、あくまでその結果を利用するだけ。ディズィーのスタンスを間違っていると糾弾するのは勝手だが、それは自分が安全圏にいるから言える事でもあった。

 

「ツワブキ家を遠巻きに見つめる事が正しいとは思えないけれど」

 

「まぁ、クオっちは渦中の人物ではあるが、だからと言ってこの騒動に一番近しいわけでもない。体のいい利用対象だったのは君も同じさ」

 

 今までのディアンシーの試験は全て不都合な人間を揉み消すため。その一部になっていた自分とて加害者の一人だ。

 

「でもコウヤ兄様の足跡を辿る事は無理、って事なの?」

 

「ホロキャスターとUSBで出来る事は限られている。パソコンはある?」

 

 クオンはピンク色のノートパソコンを差し出す。起動させてディズィーはUSBを刺そうとしたが寸前で戸惑った。

 

「何を?」

 

「いや、もしかしたら、だけれど刺すだけでパスワードが要求される場合がある。それに答えられなければ、このUSBのデータそのものを抹消するプログラムが組まれている場合も」

 

「考え過ぎじゃない?」

 

「いや、あり得るんだ。どうしてツワブキ・コウヤは見ず知らずのツワブキ・ダイゴにそこまで賭けられたか? ただ単にバトルに躍起になっていたからとも思えない。どこかで保険を取っている可能性がある」

 

「じゃあ、どうするの?」

 

 ディズィーはしばらく迷ってから、「クオっち」と呼びかける。

 

「このパソコン、もし駄目にしちゃっても大丈夫な奴?」

 

 先刻の言葉通りならばパソコンそのものを壊しかねない。クオンは逡巡の間を置いてから頷いた。

 

「それしかないんでしょう?」

 

「助かる。あと出来れば、ツワブキ・コウヤに関連する事を何個か教えてもらえるとね。パスワードは決まっていたとか」

 

「分からないわ」

 

 お手上げのポーズをするとディズィーは、「やってみるか」とUSBを刺した。すると認証画面が開き予想通りパスワード入力を迫られた。

 

「次期社長だし、こっちにパスワードを控えている、なんて馬鹿じゃないだろうね」

 

 こっち、と示したのはホロキャスターだ。そちら側にメモをするほどコウヤは間抜けではあるまい。

 

「さて、この状況でパスワードを入力するのは賢いか愚かか」

 

 ディズィーの言葉にクオンも困惑する。

 

「コウヤ兄様は、少なくとも仕事上の事をあたし達に表立って喋ったりはしない」

 

「つまり手がかりなし。こりゃ困った話だ」

 

 ディズィーも打つ手がないという事は保留するしかないのだろうか。そう考えているとパスワードを打ち始めた。

 

「考えがあるの?」

 

「いんや。でもま、一発で処分食らうようなプログラムじゃないでしょ。よくあるパスワードとして、生年月日の末尾と自分の名前のイニシャルがある。ツワブキ・コウヤは何月何日生まれ?」

 

「八月九日だけれど……」

 

「KT89と試しに打ってみようか」

 

 入力するがやはり弾かれてしまった。ディズィーは後頭部を掻く。

 

「やっぱりそう容易くないよねぇ」

 

「せめてメモみたいなものがあれば……」

 

「家族には仕事の話をしないんでしょ? だったらメモみたいなのが残っていると考えるのもおかしい。パスワードはツワブキ・コウヤの頭の中か」

 

 そうだとすればギリーとの繋がりを決定付ける事柄は何もない。諦めるほかないのか、と考えていると耳朶を打った声があった。

 

『そのような事はない。君達は既に追跡を終えている』

 

 電子音声にクオンとディズィーは顔を見合わせる。

 

「今の、ディズィーさんの?」

 

「いんや。このパソコンからだ」

 

 パスワード入力画面が消え、現れたのは意味不明な文字列だった。それが入力されたかと思うと、『驚かせてしまったかな』と声が続いた。

 

「逆探知だ。この端末……!」

 

 ディズィーがパソコンからUSBを抜こうとする。それよりも先に声が弾けた。

 

『待て、ツワブキ家の企みを阻止するにはワタシ達の力が不可欠だ。恐るべき魂の冒涜行為をこれ以上好きにはさせないためにも』

 

 

 



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第八十五話「最大の敵」

 魂の冒涜行為。その言葉にDシリーズと初代の再生計画という話が結びついた。

 

「この通話先、あたしのPCを既に張っていたって事?」

 

「張られていたんだ。このパソコンはもう使えない」

 

『早計だ。君達はもう、初代再生計画の阻止に向かっている事は分かっている。だからこそ、問いたい。ツワブキ・コウヤのデータベースにアクセスするという事はその危険性は承知の上か?』

 

 どうやら相手はコウヤのデータベースも管理していたらしい。ゆっくりとディズィーが応じる。パソコンに備え付けられていたマイクとカメラは既に相手の手中だ。

 

「危険も何も、オイラは被害者なもんでね」

 

『ツワブキ・コウヤは次期社長だ。しかしDシリーズの管理とこの計画を率先していたのは、別の団体である事はご存知かな?』

 

 試すような物言いが癇に障ったのかディズィーは負けじと応じる。

 

「ネオロケット団、だっけ?」

 

『そこまで知っていれば上出来だ。しかしながら大きな間違いがある。それはDシリーズを管理する団体とは敵対する行動を取っていた側の組織名。つまり、我々の側であるという事だ』

 

 クオンとディズィーは同時に瞠目した。相手が自分からネオロケット団だと名乗ったのだ。それは驚愕に値する。

 

「……今さらだけれど名前は?」

 

『ワタシか? ワタシは、既に老齢に達している。だからこれを伝えられるのは若い者達だけなのだ』

 

「ネオロケット団の、総帥と考えていいのか?」

 

 ディズィーの問いに相手は、『そのような大層な役職ではないが』と前置きする。

 

『邪悪を止めるために立ち上がった組織。連中は抹殺派の総統と呼んでいる』

 

「抹殺……」

 

 胡乱な響きにクオンが声にすると、『隠し立てする事もないな』とネオロケット団総統は応じた。

 

『我らの最終目的は初代ツワブキ・ダイゴ再生計画の阻止。つまり全てのDシリーズの殲滅だ』

 

 発せられた言葉に肌を粟立たせる。つい先ほどディズィーもDシリーズだと伝えられただけにその言葉は衝撃的だった。

 

「……Dシリーズを全滅させて、あんた達はどうしたい?」

 

 ディズィーは自分の事を加味せずに純粋に目的を問うた。

 

『初代ツワブキ・ダイゴは偉人であった。その業績も、何もかも得がたいギフトだ。だが現在に蘇らせるために多くの犠牲を払うやり方を我々は容認出来ない。初代再生計画は逼塞を感じたツワブキ家が立ち上げた愚行であると言わざるを得ない』

 

 ばっさりと切り捨てる声音だ。ツワブキ家は敵、だと。クオンは唾を飲み下す。この連中からしてみれば自分も敵性対象なのか。

 

「かもね。でも、その犠牲が増え続ける事と、犠牲になった人間はもう死んでもいい、って言い方は少しばかり乱暴だと思うけれど」

 

 ディズィーは自分の怒りは押し殺しているのだ。完全に客観的なポジションを貫いている。本当ならばそのような感情を切り離す事など出来ない立ち位置なのに。

 

『……言い方が悪かったようだな。敵対するDシリーズは倒す。逆に言えば、Dシリーズはツワブキ家の愚行の犠牲者。もちろん、殺す事だけがその問題の解決に結びつくとは思っていない。場合によっては抹殺という強硬手段を取るのは間違いでもある』

 

 それでも抹殺のスタンスを崩す事はない。あくまでもそれは最終手段、だと言い換えただけだ。

 

「それで? Dシリーズを残さず抹殺したいあんた達は何様? 初代ツワブキ・ダイゴの知り合い、だなんて言わないよね?」

 

『こう言ってしまえば疑念を残すかもしれないが、ワタシ個人は初代を知っている。その人格を最も理解していた人間だと言ってもいい。彼の友人であった』

 

 思わぬ言葉である。初代の友人などホウエンの地にいるのか。

 

「対等な立場、って事かな?」

 

『その通りだ。初代とは対等であり、なおかつ彼が晩年に進めていたメガシンカ研究の事も熟知している』

 

「……味方、なんじゃ?」

 

 慎重にディズィーに言いやった。「その根拠」とディズィーはすかさず返す。

 

「メガシンカ研究なんて家族でも知らなかったし、それを明かすって事は相手は味方だと考えるべきじゃない?」

 

「言ったよね。メガシンカ研究の研究室で亡くなっていた、いや、殺されていたって。相手がメガシンカ研究の対等な理解者だって言うんなら、今度はそれを疑うべきだ。こいつは初代を殺した張本人じゃないのかって」

 

 思わぬ言葉にクオンは肩を強張らせた。初代を殺した張本人。それが通信越しではあるが、存在しているかもしれない。

 

「ならば逆にあんたが信頼に足る人間である、という証拠を」

 

 ディズィーの問いかけに相手は熟考の末、『これでどうだろう?』と差し出してきたデータがあった。もちろん、簡単に開けない。

 

「何のデータだ?」

 

『ツワブキ・コウヤの管理プロセス。つまりパスワードだ』

 

 ディズィーはさすがに目を見開く。それがこのような形で手に入るとは思ってもみない。

 

「何者なんだ? パスワードを持っていても今まで使わなかった、って事は、だ。他人が動くのを観察して、おいしいところだけ掻っ攫う連中だって言っているようなものだ」

 

 ディズィーの言い分ならばパスワードを使わないのは理解出来ないらしい。クオンもそこまで分かっていてツワブキ家に仕掛けないのは相手が手駒を用意する時間を要していたためだと考えていた。

 

『理解出来ないかもしれないが、ワタシはどうしても守りたいものがある。そのためにどれだけ悪に染まろうとも構わない。ただこれだけは言いたいのは、ワタシは傍観者を貫くつもりはない。待っていたんだ。君達のようにツワブキ家に立ち向かう存在を』

 

「容認出来ない」

 

 ディズィーの判断に、『それも一つの答えだろう』と理解を示した。

 

『だがワタシが用意出来るのはこの程度だ。情報網で僅かにツワブキ家を上回れた。それもここ数ヶ月の話。少しだけこちらが優位に立てたのはある存在の手助けのお陰であった』

 

「ある存在?」

 

 その疑問に相手は答える。

 

『彼はとても優秀で、ツワブキ家の内情を暴くために全てを投げ打ったのだ。自分の恋人も、家族も、全てを犠牲にしてでも彼はデボンの闇を暴こうとした。その結果、彼は造りかえられ、もう帰ってこない存在になってしまった』

 

「――ツワブキ・ダイゴの事か」

 

 ディズィーの中で何かが繋がったのだろう。ハッとした様子の彼女に対してまだ自分はぼんやりとしか分かっていない。

 

『その名で呼ばないでやって欲しい。彼の本当の名前は、フラン・プラターヌだ』

 

 プラターヌの家系。クオンは話だけならば聞いた事があった。

 

「カナズミの名家の一つ……。でも潰えたって」

 

「プラターヌ家に詳しいって事は、あんたは本当に彼の事を知っていて、なおかつ彼が造りかえられる事も理解して、駒として放ったって事になるが」

 

 何を言っているのだ。クオンは理解出来ない事だらけだった。思わずディズィーを問い詰める。

 

「どういう事なの? あなたとこの通話先の相手は何を話しているの?」

 

 ディズィーはクオンの顔を見やり、「落ち着いて、聞いて欲しい」と前置いた。

 

「あたしは落ち着いているわ」

 

 その胸中を慮ったようにディズィーは口にする。

 

「まかり間違えれば君は、最大の敵になってしまう」

 

 自分が敵対する? そのビジョンが見えない。しかしディズィーの声音は確信に満ちている。

 

「……分かった事を教えて。それがあたしとの協力のはずでしょう」

 

 呼吸を整えて口にするとディズィーは、「喋っても?」と相手に確認する。

 

『彼女は、ツワブキ・クオンだね。教えればそれこそ我らの手の内を明かすようなものだが』

 

「彼女はもう味方だ。抹殺云々はオイラ含めてまだ容認出来ていないが、真実を知る権利はある」

 

 ディズィーの説得に相手は応じたようだ。『いいだろう』と声が返ってくる。

 

『混乱すると思うがね』

 

「混乱はするだろう。クオっち。本当に、落ち着いているよね?」

 

「くどいわ。あたしは何を言われても動じない。それくらいの腹積もりでいる」

 

 ディズィーはクオンに向き直り言葉を紡ぐ。

 

「信じ難いことかもしれないが、ツワブキ・ダイゴ、D015の素体は相手の言うフラン・プラターヌだ。それが指し示す答えは一つ。元々ダイゴは、抹殺派の人間だった」

 

 何を言われたのか一瞬分からなかった。ダイゴがDシリーズを消す側? クオンの混乱を悟ってディズィーが補足する。

 

「ツワブキ・ダイゴは、何よりもツワブキ家の敵だった。これが真実だ」



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第八十六話「キャプテン」

 

 思わぬ言葉、というものを受け止めると人は無口になるのだ。

 

 クオンは自分の感覚でそれを認識したし、何も言えなくなる、というのはこれほどまでに苦痛なのかと感じさせられた。

 

 額の汗を拭い、クオンは震える唇で告げる。

 

「……何を言っているの?」

 

 自分への背信行為だ。何を言われても動じない、と言ったくせに。ディズィーは、「もう一度、言おう」と繰り返す。

 

「ツワブキ・ダイゴの本性は、ツワブキ家に敵対する組織の構成員だった。それが相手との通話で分かった事だ」

 

 取り乱す事もない。ただその場に膝を崩した。身体から脱力し、立っている事も出来ない。

 

「……何で」

 

 呼吸困難に陥ったように、同じ言葉だけを繰り返す。思考回路が追いつかなかった。

 

「だったら、何でツワブキ家に」

 

 ようやく発せられた言葉にディズィーは、「それこそが」とパソコンへと向き直る。

 

「あんた達の計画だった。そうだろう?」

 

『そこまで分かっていただけているという事は理解者だと考えていいのだろうか?』

 

 計画? Dシリーズ云々の話ではないのか。

 

「クオっち。こいつは、はらわたの煮えくり返る話ではあるが、ネオロケット団に与していたフラン・プラターヌはDシリーズの事、あるいは初代再生計画の事を知り、ある決断をした。その決断とは相手の懐に自ら飛び込み真実を自分の身を挺して受け止める事。彼は恋人も、家族も、今までの信頼も、記憶も、人格も捨ててとある人物になる事によってそれを達成した。もうフラン・プラターヌはいない。彼はD015、ツワブキ・ダイゴになってしまった」

 

 クオンは、「いや」と呟いて耳を塞いでいた。あまりにもおぞましい真実に心が耐えられない。

 

「そこまで出来る人間が、思い切れる人間がこの世に何人いるだろう。何パーセント、あるいはコンマ何パーセントの領域だ。一人の男は自分の構成要素を全て捨ててでも、組織に忠義を尽くした。これが全容かな?」

 

 相手へと確認すると、『概ねは』と返事が来た。つまり間違っていないのだ。

 

「ダイゴが、フラン・プラターヌとかいう他人だったって事?」

 

 発した言葉に、「大まかに言えばそうだ」とディズィーは首肯する。

 

「しかも彼はツワブキ家を滅するために、自らを火の中に飛び込ませた。記憶喪失になってでも、あるいはもうフランであったときの事を思い出せなくなってでも、そうするほどの決意があった」

 

 あまりに惨い。

 

 クオンは、「そんな人間がいるとは思えない」と正直に口にしていた。ディズィーも、「だろうね」と答える。

 

「オイラだって正義の味方のつもりだけれどそこまで出来ない。あるいは組織が彼の背中を押したか? ネオロケット団の総統さんよ」

 

 滲んだ声音には明らかな敵意があった。そのような事を組織が後押ししたのならば今すぐにでも交渉は破棄する、という強い意思の表れだった。

 

 しかし相手は認めずに、『彼の意思だった』と言葉にする。

 

『我々ネオロケット団は確かにツワブキ家とデボンに関して打つ手を失っていた部分はある。抹殺と言ってもDシリーズは全員、初代のメモリークローン。初代の戦闘技術を詰め込まれた精鋭だ』

 

 その精鋭の一人が、今通話先にいるとは考えないのだろうか。あるいはそれすらも勘定に入れて相手は口にしているのか。

 

「戦闘技術で敵わない、と分かっていた」

 

『だから、我々はもうこの計画から撤退するしかないと感じていた。その最中での彼の英断だった。ワタシは正直、そのような形で彼に消えて欲しくなかったよ。彼は優秀だったし、何よりもこれからの未来があった。それを全て捨てるなんて事を他人が命じてもいいわけがない』

 

 それを理解していながら了承したこの相手への憎悪が募ってくる。その決断を止められる立場にいたはずだ。

 

「……分かっていて、それを止めなかったのか」

 

 ディズィーも同じ気持ちであったらしい。いささかの薄らぎもないその声音に通話先の相手は答えた。

 

『ワタシが止められていれば、もしかしたら悲劇は起きなかったかもしれない。プラターヌ家はそもそもとても不安定な家庭で、名家とはいえ、没落寸前にあった。それを彼は一代でどうにかしようとしたのだ。それこそ彼の憎むツワブキ・ダイゴのように、たった一代で』

 

 皮肉としか言いようがない。彼は最も忌むべきものとしたツワブキ・ダイゴの姿にさせられるとは思ってもみなかっただろう。

 

「じゃあ、何でそんな事が言える。Dシリーズの殲滅だと言うのならば、彼だって例外じゃないはずだ」

 

 既に彼はD015になっている。クオンとてツワブキ・ダイゴとして招いたのだ。今さらダイゴを放逐するような真似は出来ない。

 

『どれだけ言葉を弄しても君達は納得しまい。だからこそ、ワタシは揺るがぬ理念として彼の犠牲一つで計画は曲げなかった。彼がDシリーズの一員になってしまったから、と言って、ネオロケット団は既に転がり出した石だ。彼の意思を侮辱しないためにも、彼諸共ツワブキ家とデボンの野望を砕く』

 

 ダイゴがフランであってもそれは関係がない。相手の言い草は身勝手とも取れるが、意志を曲げないのは相当な決意がいる事だろう。一組織を束ねるに当たって、一人の犠牲程度で足を止めるのは逆に彼らへの侮辱に他ならないと。

 

「立派な志だ、とは言わない。犠牲なんて何とも思っていない、鬼畜の所業だ」

 

 ディズィーの言葉はどこまでも冷たい。決して許しはしないだろう。この二人は恐らく平行線だ。

 

『君の名前までは存じ上げないが、Dシリーズに入れ込んでいる様子だ。そのような君を、我々は傷つける行為を実行するかもしれない』

 

「やりなよ。オイラが止めてやる」

 

 強気な返答に相手は通話越しにフッと微笑んだのが伝わった。

 

『……君達ほどに意志の強い人間ならば、我々の計画とその実行に何の躊躇いもないだろう』

 

「もったいぶらない事だね。早くその計画とやらを明かす事だ」

 

 ディズィーは自分がDシリーズである事は明かさずに話を進めるつもりだろうか。確かにディズィーの見た目ではDシリーズである事は露見しないだろう。

 

『構わないが、ツワブキ・クオン。君はワタシに賛同してくれるのか?』

 

 クオンの返答がまだであった。ディズィーは、「とんでもないところまで巻き込んじゃったね」と少しだけ申しわけなさそうだ。

 

「本来なら、こいつとオイラだけで話を進めたいところだが、もう張られていたものは仕方がない。全て忘れて、オイラを突き出してもいいし、こいつの計画をばらすのも、君ならば許せる。たった一つでいい。扉を開けて、オイラ達をツワブキ家に突き出せばもうオーケーだ」

 

 彼らは明らかにツワブキ家を敵視している。その上反逆の芽を育てるのをよしとしていいものか。家族を守りたい。絶対に傷つけさせるわけにはいかない。ここで自分が叫べばいい。そうすれば全てが終わる。口を開きかけて、クオンの脳裏に閃いた声があった。

 

 ――俺は自分が何者か知らねばならない。 

 

 ダイゴはずっと自分が何者か分からない不安と戦っていたのだ。暗中模索の中で全てが敵に見えてもおかしくない世界を歩いていた。彼の意思こそ輝くべきものなのだ。その中でも一つ一つ、信じられるものを築き上げてきたのはフラン・プラターヌではない。ツワブキ・ダイゴという人間だった。

 

「……あたしはダイゴの味方」

 

 クオンはようやく立ち上がった。ダイゴを今まで近くで見てきた。彼のためならば何でも出来る。それだけの心がある。

 

「家族が争うのは嫌。でもあたしは、ダイゴを裏切るのはもっと嫌。あたしを変えてくれた人を、言葉の表面でも裏切りたくない。それは自分の道を否定する事に繋がる」

 

 これで相克は決定的だろう。家族のためではない。ダイゴのために自分は動く。そのためならばもしネオロケット団がダイゴを殺そうとすれば戦う、という意思の表れだった。クオンの返答にディズィーは満足行ったように頷く。

 

「だってさ。ネオロケット団の総統さん。どう出る? あんたからしてみれば、彼女の選択はまた組織の中立性を歪める要因だ。それでも取り込もうとするかい?」

 

 ディズィーの迫った答えにも相手は動じない。

 

『構わない。いや、むしろそれが聞けてよかった。ツワブキ・クオン。君には悪意がない事がハッキリと分かる』

 

 相手の声にディズィーは鼻を鳴らす。

 

「あくまでそういう上から目線スタンスなんだ」

 

『我々は協力を仰いでいる、と言っても、君達に固執する必要性もない。ただ、君達が手詰まりなのには違いないはずだ』

 

 自分達に頼らざるを得ない、とネオロケット団は冷静に分析している。これ以上ツワブキ家の闇を暴くには個人ではあまりにも脆弱。

 

「じゃあネオロケット団、総統さん。オイラ達は、どうすればいい? 敵の巣窟に乗り込んで、今まさしくピンチなんだが」

 

『まだ相当な窮地に追い込まれているわけでもあるまい。ツワブキ家は君の存在を知らないのだろう?』

 

「まぁね。オイラはヒーローだから」

 

 ディズィーの言葉を風と受け流し、相手はクオンへと交渉を試みる。

 

『ツワブキ・クオン。彼女を逃がす方法はあるか?』

 

 クオンは冷静に考えようとする。現時点で一番理想的なのはディズィーを逃がし、なおかつ自分と外で会える機会を作る事。さらに言えば、ダイゴを巻き込まない事であるが、それら全てが同時に達成されるほど甘くはない事くらい熟知している。まずディズィーを逃がす、というのが難しい。この家で、コウヤやリョウの目から逃れる事はまず不可能だ。

 

「どうにかして、そちら側の特殊な手段でも使ってもらわない限り」

 

『難しい、というわけか』

 

 言葉尻を引き継いだ相手は逡巡を浮かべるまでもなく、『よかろう』と応ずる。

 

『ツワブキ家の、少なくともコウヤを留守にさせる事は出来る。問題なのはレイカ、だが、そちらも対応可能な処置が既に講じてある』

 

「恐れ入るね」

 

 ディズィーの上辺だけの賞賛を聞き流し相手は方法を口にした。

 

『デボンに仕掛ければ、コウヤとイッシン、それに上手く行けばレイカも引っ張り出せる。問題はリョウだが、こいつは公安だ。下手に手出しすれば危ない事ぐらいは分かっているはず』

 

 クオンは驚愕と共に改めて相手の組織能力に恐れを抱く。自分の家族構成など全て割れているのだ。

 

「デボンに仕掛けるって、テロでもやってのけるつもりか?」

 

 ディズィーの声に相手は、『そこまでではないが』と言葉を継いだ。

 

『ツワブキ家からしてみればイレギュラーを起こす。その一事でいい』

 

「イレギュラー。教えてもらえないのかな」

 

 クオンとて知りたい。ツワブキ家、デボンのアキレス腱とは何なのか。

 

『簡潔に言えば、こちらの手持ちにしている初代の必要パーツを交渉の矢面に出す。君達が知っているかは知らないが、初代ツワブキ・ダイゴの肉体は八つに分けられて保存されている』

 

「オイラは知っているけれど」

 

 クオンへとディズィーが視線を流す。聞いた事くらいはある。

 

「初代は偉人だから今でも大学病院で肉体を保存しているって」

 

『その肉体を条件として出す』 

 

 あまりに突飛な言葉に二人して目を見開く。「肉体って」とディズィーは最初から胡乱そうだ。

 

「どうしてそっちが持っているって言うんだ?」

 

『つい先刻だが、Dシリーズに移植されていない初代の肉体の保持に成功した。こちら側にあるのは左足、脊髄、頭部、左腕の四つだ。既に所在が不明なのは右足、右腕、胸部。確定としてデボン本社が保持しているのは心臓部である。心臓部以外ならば、こちら側でも用意出来る。ワタシはそれを返す、と言えばいい。そうすればデボンは上から下へと引っくり返したような騒動になる。その隙をつけ』

 

 なかなかに大胆な作戦だ。自分達が予め保持していたという事は必要な部位ではないのか。

 

「初代を再生するために必要不可欠なんじゃ?」

 

 ディズィーも持っていた同じ疑問に相手は、『所詮は初代の肉体に過ぎない』と答えた。

 

『オリジナルの肉体は、これは最後の方法なのだ。Dシリーズ全てが発動不可能に陥った場合に初代の肉体が必要になる。本来ならば生きている人間が望ましいのだからね』

 

 交わされる言葉一つ一つが、何と恐ろしいのだろう。クオンはせり上がってくる熱を必死に堪えた。

 

「じゃあDシリーズが使えない時の、究極的な保険が初代のオリジナルパーツ」

 

『それを交渉に出すと言えば、確実に表に出るのはイッシンとコウヤ。いや、ともすればレイカか。どちらにせよ手薄になる瞬間があるはずだ』

 

「その隙に、か。何というか、こっちの苦労はまるで無視って奴だね」

 

 ディズィーの皮肉に、『承知してはいるが』と相手も苦渋の選択のようだった。

 

『君達はとうに超えてはならないボーダーを越えているんだ。無傷で行きたければ、慎重を期す必要はあるが、時に大胆な判断も必要になる』

 

「及び腰じゃ、何も得られない、ってわけか」

 

 ディズィーは得心したらしいがクオンにはまだ納得が行かない。

 

「最後に二つほど、いいかしら?」

 

『ああ、構わない』

 

「ダイゴを、抹殺する気は、今のところないのよね?」

 

 それだけは自分が確認せねば。相手は、『無論だ』と答える。

 

『彼の肉体はフラン・プラターヌのもの。既にDシリーズとはいえ還元する方法があるのならばそれを取るべきだ』

 

 どうやらネオロケット団側としてはフランの生存にこだわっているらしい。つまりダイゴではない、という事。

 

「生存を優先に。それだけは約束して」

 

 強い語調のクオンに相手は少しだけ沈黙を置いてから応ずる。

 

『……いいだろう。ツワブキ・ダイゴ、D015に我々は手を下さない。今のところ彼もまだ自分がどれほどの逆境に置かれているのか理解もしていないだろう。騙し討ちは、卑怯者の方法論だ』

 

 そう言いつつもこの相手は卑怯者の方法論をすぐにでも採択しそうであった。

 

「もう一つ、あなたを何と呼べばいいのか」

 

「ネオロケット団総統。確かに長いっちゃ長い」

 

 ディズィーの声に相手は考えの間を浮かべてから、『役職名でばれては元も子もない』と口にする。

 

『ワタシの事はキャプテンと呼んでもらおう』

 



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第八十七話「敵の牙城」

 

 決行は三日後、とキャプテンは断じた。

 

 初代のパーツを餌にしてツワブキ家を空にする。その時を狙って外に出ろ、と。同時に抹殺派に加われとも言われた。クオンはもちろん複雑な胸中だったがディズィーに迷いはないらしい。

 

「いいよ。ただ、ちょっとばかしこっちにも込み入った事情がある。二人が納得するかどうかを確認させて欲しい」

 

 ディズィーが通話を繋いだのはマコだった。マコにディズィーは大筋を説明する。ダイゴがフランであった事は伏せ、Dシリーズの抹殺派、つまりデボンに敵対する組織への勧誘があった事だけを説明した。マコは、『その、ディズィーさん』と返す。

 

『その組織、信用なるんですか? だって私が一時的でも、捕捉されそうになった組織名で』

 

「ありゃブラフだろう。実際に抹殺派はこうして接触をはかってきた。恐らくはデボンからしてみても監視対象なのが抹殺派なんだ。Dシリーズ保持を目指すデボンとは敵対関係。まぁ当たり前の帰結と言えばそう」

 

 窺い知る事しか出来ないがマコにも何かが起こったらしい。そうでなければDシリーズの一員であるディズィーと仲間になる事もないだろう。

 

『そこに、クオンちゃん、います?』

 

 マコの声にディズィーはクオンに換わった。

 

「はい……」

 

『クオンちゃん、声に元気ないよ。大丈夫?』

 

 正直な事を言えば、全く大丈夫ではない。なにせダイゴが敵であったと告げられ、さらに言えば最終目的はツワブキ家の崩壊だとも言われた。これで平静を装えるほうがどうかしている。

 

「あたしは、何とか……」

 

 それでもすがろうとしなかったのは自分なりのケジメがあったからか。マコにすがってしまえれば簡単だったが彼女も被害者だ。

 

「それよりも、この事にマコさんも関わっているとは思わなかったわ」

 

『私も、ね。サキちゃんの事で色々あって』

 

 その挙句がディズィーと組むはめになったという事なのだろう。貧乏くじとも言えなくはない。

 

「サキさんは?」

 

 そういえばサキの安否は聞いていなかった。クオンの疑問にマコは、『まだ、分かんないや』と答える。彼女としても不安が拭えていないのは声音で分かった。

 

『でも、サキちゃんはきっと、私の行動を許してくれる。だから、私はサキちゃんに再会した時、胸を張れるようにしておきたい』

 

 それもケジメのうちか。クオンは、「頑張ってね」と口にする。少しでも自分の負担を軽くしたくってクオンは心配要らないように装う。

 

『ディズィーさんなら、きっとよくしてくれるから』

 

 マコの言葉を潮にして通話は切れた。クオンはディズィーに視線を投げる。大丈夫だとは思えないがディズィーは微笑んでいる。

 

「マコさんとの通話も、ある意味ではやばいんじゃ?」

 

「だね。だから最低限の会話でいい。マコっちを安心させて、オイラも何とか君を安全圏に置きたい」

 

「もう、危険域なのよね……」

 

 呟いても事態が好転するわけでもない。ディズィーは言い放つ。

 

「それでも、君の判断は間違えていないと思うよ。それに勇気もある」

 

「感情が馬鹿になっちゃっているんだと思うわ。きっと、一番平静でいられるのは今だけ。事態が転がりだした時のほうが、怖くなるかもしれない」

 

 もう抱えた膝が笑っている。ディズィーは、「楽観的な事は何一つ言えない」と付け加える。

 

「マコっちに協力を仰げば大丈夫って保証もないし、オイラだって結構ヤバイ位置にいる。ケツに火がついているってわけだ」

 

「それでも、ビジョンはあるんでしょう?」

 

 クオンの問いかけにディズィーは、「当たり前じゃん」と応じた。

 

「未来に展望を持てなければ、オイラ達はお終いだよ」

 

 そのお終いの領域に既に来ている。クオンはため息をついた。だからと言ってそう容易く憂鬱は消えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少しだけ、憂鬱な気分になっていたのは暗いトンネルをずっと歩んできたせいかもしれない。地上に出られるのはいつだろう。サキは階段を上った先にあったのが、またしてもトンネルで嫌気が差していた。しかし肩を並べるプラターヌは不満な顔一つしない。

 

「よく、平静でいられますね」

 

「取り乱してどうする?」

 

 違いないが、この方向で合っているのだろうか。とんでもない大回りをしていてとっくにカナズミから出ている可能性もある。

 

「あの、私達、カナズミからは出ていませんよね?」

 

「さぁ。だってわたしは配水管の管理なんてした事ないから」

 

 彼に聞いたのが馬鹿だった。サキは額に浮いた汗を拭う。何日経っているのかも分からない。水は確保出来たが問題なのは食料。空腹も一日過ぎればほとんど感じないがそれは逆にまずい状況だというのは経験則で知っていた。

 

「私、何日も飲まず食わずの時がありました。張り込みで」

 

「今時の刑事もやるのか」

 

 サキは首肯してから足を引きずる。どれだけ歩いたのか、水に足を取られているせいで余計に疲労が増す。

 

「で、一週間後かその後くらいに、ご飯食べたんですけれど、胃が受け付けなくって。結局、元通りおいしく食べられるようになったのはそのまた二週間後でした」

 

「そりゃ職業病だな」

 

 今もその状況に限りなく近い。ストレスが極限まで膨れ上がり、サキは前が見えなくなりそうだった。

 

 その時、ポッチャマの一匹が鳴いた。何なのだろうか、と思っていると鳴き声が連鎖する。その音程が一定のものである事をプラターヌは見抜いた。

 

「またも音声ロックか」

 

「今度もポッタイシですか?」

 

 うんざりである。しかしその予感は裏切られた。開いたのは前でも後ろでもなく、真上の扉であったからだ。トンネルの上部に続く梯子があり、音声ロックが成された巨大な扉があった。

 

「えっ、ちょっ、あれって与圧とか水圧を合わせるための扉じゃ……」

 

 だとすれば生き埋めである。しかしサキの懸念は裏切られた。扉が開くが予想したような水の圧力や空気の圧力はなかった。

 

「ただの耐熱扉なのかな」

 

 プラターヌは観察の目線を注いだまま天井を仰ぐ。どうやら扉のうち、開いたのは小さなスペースで本当に水圧や与圧を合わせるための巨大な扉は開かなかった。

 

「はしごが続いていますね……」

 

「上るか」

 

 当然、プラターヌが上である。上り始めるとポッチャマ達も続いた。指先に当たるものはないのに器用に上ってくる。

 

「存外、ポケモンって器用なんですね」

 

「君が思っているよりかはね」

 

 扉を抜けると、新規ブロックがあり今度はトンネルではなく緑色のライトで縁取られたエレベーターであった。

 

「どこに続くんでしょう?」

 

「上だろうね」 

 

 にべもない台詞を受け取ってサキはエレベーターに乗ろうとする。しかし昇降用のボタンがない。

 

「どうするのでしょうか」

 

「これじゃないかい?」

 

 示されたのはカードキーの差込口だ。ここに来て手詰まり。サキは思わず腰をついた。

 

「ここまで来て……」

 

 カードキーなど自分もプラターヌも持っていない。これでは進みようがない、と思っていると一匹のポッチャマが翼を回転させながら一閃した。その一撃でカードキーの差込口に電気的作用が走る。エレベーターがゆっくりと開いた。サキは瞠目する。

 

「器用、っていうレベルですか? これってポケモンじゃないと開けないんじゃ」

 

「まぁ人間でもカードキーさえあれば。ただこの下に行こうって言う奴はそうそういないだろうし、やはりここが最下層だと思ったほうがいいかな」

 

 エレベーターが開く。業務用エレベーターは二人とポッチャマ数体は乗せられそうだった。

 

「どこへ行くんでしょう?」

 

 乗り込むなりエレベーターがガタンと動き出す。プラターヌは、「流れに任せるだけさ」と答えていた。サキはむくれる。

 

「あのですね、私達は生き死にの領域で動いているんですよ?」

 

「逆に言えばもう死んでいる我々がどう動こうと連中は感知しない。ダストシュートに落とされて死んだと思っていてくれれば幸いだね」

 

 もう死人なのか。サキは身体の節々から脱力するのを覚えた。ため息を漏らしているとエレベーターが到着音を響かせる。

 

 目に飛び込んできたのは連絡通路であった。トンネルではないが地下の階層だろう。

 

「また穴倉か……」

 

 ぼやくとプラターヌが肩を突く。

 

「しかし、今度は悲観する必要もなさそうだ」

 

 顎でしゃくられた先に目をやる。その文字にサキは驚愕を露にした。

 

「これって……!」

 

「恐れ入ったよ。どうやらこのポッチャマ達、喧嘩を売れと言っているらしい」

 

 その証明は他でもない、プレートに刻まれた文字であった。

 

 そこには「デボンコーポレーション地下通路B11」とある。サキは天井を仰いで呟いた。

 

「この上が……」

 

「敵の牙城。デボンコーポレーション本部だ」

 

 引き継いだプラターヌも若干緊張しているらしい。サキは拳を握り締めた。

 

 今度は自分達自身の意思で戦う番だ。

 

 懐に留めておいたモンスターボールの中にいるポッタイシがその予感に動いた、気がした。

 

 

 

 

 

 

第七章 了

 



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世界の向こう側
第八十八話「そのココロ」


 

 ディズィーを隠し通すのはこの家では難しい話ではなかった。

 

 クオンが部屋に菓子や飲食物を持ち込んでも誰も疑わない。コウヤに関して言えば、追跡を行ったはずなので自分かマコは対象に上がっているはずなのに何も言ってこない。

 

 安堵すると同時にこのままでは身動き出来なくなるのは自明の理だ、とクオンは感じ取る。ディズィーを擁したまま、いつまでも隠し通すのは現実的ではない。というよりも、誰にもばれずにもう一人の同居人を部屋で保護する事なんて、つい先日までは不登校だったクオンにしてみれば気の遣う事ばかりであった。まず部屋にいればディズィーがくつろいでいるのが苦痛である。クオンは頼まれていた通りのものを手配していた。

 

「……何しているんですか?」

 

 ディズィーはふんふんとリズムを取りながらパソコンを操作している。明らかに異様な光景にクオンは立ち竦むほかない。

 

「ああ、クオっち。あのさ、実は次の楽曲のレコーディングの締め切りが迫っていて、君のパソコンに勝手にアプリ入れて作っているところなんだよ」

 

「人のパソコンを開いて何をしているのかと思えば、楽曲? そんなもの、後に回せないんですか?」

 

「駄目駄目、だってオイラ一応歌手だし」

 

 歌手ならばより一層このような隠密行動を取るべきではないのではないか。クオンは進言しようとしたが無駄に終わる事は分かっていた。ディズィーはどこ吹く風で作曲アプリを入力している。

 

「そういうのって、楽器とかなくっても出来るもんなんですか?」

 

 ディズィーへと手渡したのは高級な茶菓子だ。ディズィー曰く甘いものがないと考え事が出来ない、との事らしいのでくすねてきた。

 

「おう、カロスの茶菓子じゃん。このガレット食べるのまだ二回目だよ」

 

 早速ガレットを頬張りつつディズィーは作曲に没頭する。クオンは、「そんな暇、あるんですか」と単刀直入に言ってやった。

 

「何で?」

 

「何でって、だってあたし達、ネオロケット団と手を結んだ関係で」

 

「クオっち、なっていないなぁ」

 

 マナーも礼儀も知らない人間になっていない呼ばわりされる筋合いがない。クオンは改めて聞いてやる。

 

「何がですか? 礼儀作法の事なら」

 

「違うよ。ネオロケット団と手を結んだから、じゃあ今日からむつかしい顔をして、しょっちゅうストレス溜めたまま行動しろって? それが違うって言うんだよ。いいかい? 裏組織と手を組んだのならばなおさらに日常を疎かにしてはいけない」

 

 ディズィーの言い分はつまりその程度でいちいち反応するな、という事だろう。クオンはため息をつく。

 

「でも、同居人を一人増やしているんですよ」

 

「気苦労が絶えないね」

 

 何故、ディズィーの側が言うのだろう。クオンはガレットに口をつけながら、「誰の事だか」と毒づいた。

 

「ねぇ、紅茶はないの? ガレットにはやっぱり紅茶だよね」

 

 あつかましいディズィーの態度にクオンはすっぱりと言い切る。

 

「紅茶なんて、二つも淹れてくればそれこそ怪しいでしょうに」

 

「そこは時間差で」

 

 クオンは、「我慢してください」と言いやった。ディズィーが不服そうにむくれる。

 

「まぁ、クオっちがどれだけお兄さんやお姉さんを欺いているのかと思うと、ちょっと心苦しいね」

 

 本当にそう感じているのだろうか。クオンは小さな口でガレットを食べつつ、食卓の雰囲気を思い返す。

 

 ダイゴの化石バトルで怪しいところを見つけたはずなのに言及してこないコウヤ。同じくリョウも怪しいところを見せず、ただ箸を進めるばかり。レイカは帰ってきたものの相変わらずどこに連絡しているのかも分からない端末を弄っており、それをイッシンがいさめる始末。

 

 いつも通りの食卓のはずなのに違和感しかなかった。どうしてこの人達は何事もなかったかのようにお互いに決め込めるのだろう。クオンは今さらにツワブキ家が仮面の家庭である事を自覚する。自分も、その仮面を被ってダイゴに接していたのだ。ダイゴはそれこそ絶対の孤独を味わったに違いない。

 

「正直なところ、あそこまで何も言わないと異様だった。何で、誰も、話題にさえしないのだろうって」

 

「追跡してきたコウヤからしてみれば、ガラスを割った不届き者がいる、とでも言えるのにね。それも言わずにダイゴを夕飯に招いた?」

 

 ディズィーの言う通りだ。コウヤはダイゴに弁償も何も命じなかった。ただそこにいるのが当たり前だというように接していただけだ。ダイゴもダイゴで若干の戸惑いはあったらしい。自分がコウヤの弱みを握っている役割のはずなのに何も言ってこないのも一因としてあったのだろう。

 

「あたし、ダイゴに言い出せなかった」

 

「それはオイラの事? ネオロケット団?」

 

「どっちもですよ。キャプテンとか言うリーダーの事も。それに言ってしまえば、ダイゴを付け狙っている連中ってのがそいつらだって事も」

 

 今までダイゴは全てが敵に見える状況下で戦っていたのだ。その中で力になれればと思っていたが、自分は微々たるものにもなれなかった事は自分でよく分かっている。ダイゴは結局のところ独りで戦い続けてきたのだ。その背中を、自分はただ遠巻きに眺めるだけで。

 

「なんか、あたし、ずるいですよね……。ダイゴの味方になる、最後までダイゴを守り通す、って誓ったかと思えば、今度は言い出せない秘密を抱え込んでいる」

 

「いいんじゃない? 女の子はミステリアスなくらいで」

 

「茶化しているんですか?」

 

 少しばかりむっとして言い返す。ディズィーは、「そのスタンスで悪くないと思うけれど」と作曲から視線を逸らさずに続ける。

 

「何て言うかさ。ツワブキ・ダイゴに深入りしないほうがいいよ、クオっち」

 

 その言葉はあまりにも意外で、なおかつそれはダイゴの味方はやめろと言われているようでクオンは反感を持った。

 

「……それは、もうダイゴを信頼しないほうがいいって事ですか」

 

「まぁそれもあるっちゃあるけれど、クオっちさぁ、ちょっと尽くし過ぎだよ。そこまでしても君からしてみれば失うものの少ない戦いだ。これって何よりもずる賢いスタンスで、それでいて正しい立ち居ちなんだよ」

 

「馬鹿にしているんですか?」 

 

 あるいは侮辱しているか。クオンの言葉に篭った棘に反応したのか、「んな事は」とディズィーは頭を振る。

 

「クオっちを馬鹿にしているつもりもなければ、これまでの行動が間違っているというつもりもない。ただ、危うい綱渡りに見えるやり方を、何よりも安全な方法で実行しているクオっちのあり方に、ちょっとばかし疑問があったって事かな」

 

 クオンは立ち上がる。そのような言い分をされて平気なわけもなかった。

 

「あたしは……ダイゴのために必死で……」

 

「侮辱してないし、立つ必要もないよ。だからさぁ、君は究極的に馬鹿真面目なんだよ。ツワブキ・ダイゴに恩義を感じている部分だとか、もしかしたら異性として好きな部分もあるのかもしれない。でもさ、それとこれとは別じゃん。君がそうまでしてツワブキ・ダイゴに尽くす理由がないって言ってんの」

 

「理由なら。あたしは道を正してくれたダイゴを裏切らないわ」

 

 それだけの理由だったがディズィーは作曲しながらもクオンに異を唱える。

 

「どこから来たかも分からない、その個人情報でさえも存在しない、透明人間紛いのツワブキ・ダイゴに、どうしてそこまで肩入れするかなぁ。オイラ、マコっちのお姉さんを助けたい、っていう、それはよく分かった。だって肉親だもん、共感は出来るよ。たとえ造られたDシリーズでもね。でもさ、無償の愛って言うものを注げるのは同時に肉親以外にあり得ないんだよね。他人には注げないんだ。いくら気持ちでは尽くしていても、どれだけ愛していたとしても、やっぱりね、言葉の表面だけ。それ以上は無償の愛って言わない。暴走って言うんだよ、世の中ではね」

 

 暴走。自分はダイゴに対して暴走しているとでも言うのか。ディズィーの言い草には神経が逆撫でされた。

 

「つまり、あたしは暴走していて、正しい判断が出来ていないと?」

 

「いないんじゃない? 出来ているつもりだった?」

 

 それにはさすがに苛立ちを覚えた。ディズィーは自分がダイゴに関しての事を冷静でないと言いたいのか。

 

「ダイゴは、彼に関してはあたし、悪い方向に行ったつもりはないわ」

 

 強い語調にディズィーが肩越しに視線を振り向けて手をひらひらと振る。

 

「ああ、分かっているって。クオっち的にはそれが間違いじゃないし、オイラも間違っているだとか糾弾する気はないよ。たださぁ、フラットな視線を持たなくっちゃ。だってツワブキ・ダイゴは他人であって家族じゃない」

 

「家族よ。もう、あたしのかけがえのない人」

 

「突然やってきて? それでお爺さんの名前を使って家族です、って? それを信じられないから、君はディアンシーの試験を試したんでしょ?」

 

 痛いところをつかれてクオンは押し黙る。ディアンシーの試験は確かに信用ならないから行っていた節はある。だがそれを正してくれたのもダイゴだ。

 

「あたしがあまりにも分からず屋だったから」

 

「今もそうだけれどね。にしても意外というか一途というか、君はあのツワブキ・ダイゴが空っぽの偽物で、本来はフラン・プラターヌという名前だったって告げられても揺るがないんだ?」

 

 揺るがない、と言えば嘘になる。本当の名前をキャプテンから知らされた時、ではダイゴはその目的さえ果たしてしまえば自分の前から消えてなくなってしまうのではないか、という危惧があった。ダイゴにとってしてみればツワブキ家は敵であり、自分をDシリーズにしてしまった憎悪の対象であると。ならば最悪のケースとしてダイゴが敵になる。それを想像するだけで、息が詰まってしまいそうだった。

 

「……あたし、ダイゴとは戦いたくない」

 

「それは負けるかも、って意味で」

 

「違うわ。家族で合い争うのは間違っているって言っているの」

 

 現にダイゴがコウヤから情報を引き出すのにも自分は反対だった。化石バトルという代理とはいえ、どこかで家族を欺くのだけはいけない、と思っている。

 

「いい子ちゃんだねぇ、君は。そのいい子ちゃんなところにつけ込まれなければいいけれど」

 

「誰がつけ込むっていうんですか?」

 

 ディズィーは肩を竦めて、「ナンセンスじゃない?」と疑問を放った。

 

「オイラもつけ込んでいるし、ネオロケット団も、もっといえばツワブキ・ダイゴも、だ。彼は絶対に君に隠し事をしているよ。だから君をある一線までは信用しているけれどある一線を越えれば裏切る。これは絶対にある話だ」

 

 どうしてそこまで言い切れるのか。クオンはディズィーに尋ねる。

 

「呆れたわ……。どこまで他人を信用出来ないの?」

 

「君は信じているし、マコっちも信用の対象だ。案外、オイラ、他人に心を許すタイプ」

 

「嘘。だってディズィーさん、あたしに何個も隠し事をしている」

 

「そりゃ人間だもの。隠し事もするさ」

 

 煙に巻くようなディズィーの口調にクオンは話題の矛先を変える事にした。

 

「ネオロケット団、信用はなるんですか?」

 

「ならないだろうね。だってそいつら、オイラを追跡してきた連中と一致する」

 

 クオンが瞠目していると彼女は説明を始めた。

 

「マコっちがね、ちょっと飛び越えちゃいけない一線を越えちゃって、それで連中に関わった。どこまでがデボンでどこからがネオロケット団だったか、っていう線引きは実はどうでもよくって、そいつらのやっている綱引きに巻き込まれちゃったのが一番にまずい事かな」

 

「綱引き?」

 

「そう。デボン、っていう巨大勢力を基盤にした綱引きだよ。一瞬でも気が緩めばどちらかが歴史に揉み消される」

 

 その言い方は大げさだとしても、クオンはとうに巻き込まれている自己を感じる。元よりツワブキ家の人間。デボン側の事情に詳しいはずだったのだが、まだ高校生であるのが幸か不幸かこの立場を許してくれている。

 

「どっちが勝ったらいい綱引きなんですかね?」

 

「オイラ的にはどっちも蹴躓いて総崩れ、がおいしいかな。だってどっちの組織も本来、あっちゃいけないんだ。デボンのような巨大資本も、あるいはネオロケット団のようなアングラな組織も。どっちもないのが一番にクリーンなんだけれど、それを許しちゃくれないのが二十三年前の事件なんだよね」

 

 二十三年前。初代ツワブキ・ダイゴの殺害。誰かが犯人であったはずなのだ。その犯人探しをしているという点では両陣営共に一致だった。

 

「ディズィーさん、犯人の目星はついてるんですか?」

 

「そう容易くついたら、デボンは目を皿にしてホウエン中を探さないだろうし、何よりもDシリーズなんて歪んだ計画はなかったろうね。この計画は、言ってしまえばこうだ。殺された本人に聞こう、っていう、まぁ三流の推理ものにでもありそうな筋書きだよ」

 

 Dシリーズ生産の目的が初代の魂の依り代。その点に関してクオンは懐疑的だった。それにしては犠牲が出てしまっている。消すには難しいほどの犠牲が。足跡を真に残すまいとするのならば、それこそ秘密結社を立ち上げて、隠密に活動するべきだ。少なくともディズィーのような例外を一人として許してはならない。

 

「本当に、Dシリーズは初代の死の真相を知るための道具なんでしょうか?」

 

「オイラもね、それにしちゃやり過ぎだって思っているけれど、今のところそれ以外に活用方法もなさそうなんだよね。まぁデボンが大っぴらにこの技術を兵器転用します、とか言い出したら分からないけれど」

 

 冗談にもならない言葉が飛び出してクオンは、「やめてくださいよ」と言ってしまった。

 

「そんなの。企業が兵力を持つなんて」

 

 正気の沙汰ではない。その響きをディズィーは受け止める。

 

「だね。本来、あっちゃいけない事ベストスリーの二位くらいだ」

 

「第一位じゃないんですか?」

 

「一位は、このDシリーズが散らばって全世界に行く事。つまり、初代再生計画が世界規模に及ぶ事、かな」

 

 クオンは疑問符を浮かべる。Dシリーズにせよ、初代再生計画にせよ、それはツワブキ家の判定内で成されなければならないはずだ。だというのに世界に渡るなど。

 

「それって本末転倒って奴じゃないですか」

 

「そうだよ。本来、このカナズミシティで内々に収めなければならない事だ。それが国際社会にばれてでも見るといい。ホウエンの糾弾は免れないし、デボンは失墜する。それだけならばいいんだけれど、もし、その弱みに付け込まれて支配社会なんてものになったら? ホウエンは絶望的な社会へと突入する」

 

「怖い事言わないでくださいよ」

 

 考えるだに恐ろしい。ホウエンそのものが最悪の場所に転がり落ちていくなど。ディズィーは、「今のところあり得ないけれどね」と口にする。

 

「それは何で?」

 

「デボンがホウエンをリードしているし、ロケット産業もある。国際社会がホウエンを切るとすれば、ロケットの技術も、デボンの利権も丸ごと押さえた上での話。だから、これはあまり現実的じゃないかな」

 

「その割には、一位に掲げているんですね」

 

「当たり前じゃん。だって起こったら困るランキングだよ? 一番に最悪な事を想定しないでどうするのさ」

 

 クオンは考えた事もない。自分の住んでいる場所が狂っていくなど。いや、もう既に狂っているのかもしれない。この社会はDシリーズというひずみを許してしまっている。

 

「二位、がデボンの兵力増強なんですよね? でも無理じゃないですか? だって企業が兵力を持ったらそれこそ」

 

「PMCだね。ポケモン産業を主眼に置くにしてはあまりいい印象を持たれない副業だ。だからこれは第二位なんだよ。起こったら困るでしょ? デボンが兵力を持つなんて」

 

 困るといえば困るが、逆にクオンは自分からは最も遠い事象に思えた。デボンが兵力を持っても自分は――言ってしまえばツワブキ家の日常は、変わるところは何もない。

 

 その様子を悟ったのか、「まぁ君にとっては関係がないか」とディズィーは棄却する。

 

「関係がないわけじゃないですよ。ただ、イメージし辛いというか」

 

「その時点で想像力不足。考えてもみなよ。Dシリーズだって全員が揃えば充分に兵力だ。オイラみたいなのが、あと百八十人前後いるって考えてみな」

 

 ディズィーほど強かな人間があと百八十人。そう考えるとクオンにもそれが脅威なのが分かった。充分に軍隊と渡り合える。

 

「オイラの手持ち、見せてなかったね」

 

 ディズィーがモンスターボールを転がす。これは見てもいいの合図なのだろうか。クオンは拾い上げて明かりに翳した。

 

「クチート、ですよね……」

 

「知っているんだ?」

 

 ディズィーは作曲に没頭している。クオンはボールを手の中で転がした。モンスターボールは構造上、どのように転がしても常に内部は平均だ。そうでなければポケモンが投擲の時のバランスで酔ってしまう。

 

「クチートは女子高生の中でも人気ですから。見た目可愛いですし」

 

「オイラもそいつを引き連れてロックフェスに出たりするし、その影響かもね」

 

 今の今まで忘れていたがディズィーは有名人なのだ。学生の間で熱烈なファンを持つロックバンド「ギルティギア」のボーカル。マコが熱を入れあげていたのを思い出す。一度か二度ほどライブDVDを見た事があった。

 

「ディズィーさん、本当に有名人なんですか?」

 

「疑うとは酷いね」

 

「いや、なんかあまりにも……」

 

 ぼさぼさの赤い髪に、青いコンタクトレンズを入れた眼。服装は野暮ったいジャージなのでそこいらの勘違い学生だと言われればそう思ってしまいそうだ。

 

「……勘違いサブカル女っぽい?」

 

 クオンの目線がそう告げていたのか、ディズィーは察する。慌てて取り消そうとするが、「別にいいけれどね」とディズィーは伸びをする。

 

「だってある意味、それで正解だし。この格好の意味としちゃ納得」

 

 逆に、有名人っぽく目立ってしまえばツワブキ家の敷地内に入った時点でばれていただろう。ディズィーはわざと野暮ったさを演出しているのだ。そう考えると言葉もない。

 

「まぁオイラ、格好とか気にしないんだけれどさ。メンバーに着せ替え人形好きの子がいて、その子にいつも衣装任せているし。オイラ、実は早朝にカナズミシティランニングしているんだよ? 知ってる?」

 

 もちろんクオンは首を横に振る。知るはずもない。

 

「毎日やっているから顔見知りのおっちゃんとかいるけれど、まぁツワブキ家にいる間は我慢するしかないよね」

 

「当たり前じゃないですか」

 

 ランニングに出して露見したのでは話にならない。ディズィーは、「でもなぁ」と呟く。

 

「作曲作業ばかりだと息が詰まっちゃうよ。出来たデータをマネージャーに送れば完了なんだけれど、これって地味に面倒くさいんだよね」

 

「その、マネージャーさんは……」

 

「ん? ああ、もちろん、オイラのギルティギア以外での活動にはノータッチ。ツワブキ家にいる事も、ついでに言えばマコっちとも関わった事も知らない」

 

 それほどの秘密主義でよく成り立つものだと感心する。ディズィーの人望がそうさせるのか、あるいは他のメンバーが取り成しているのか。どちらとも取れた。

 

「でも面倒なんだよなぁ。作曲。嫌いじゃないけれどさ」

 

「作曲が嫌いだったら歌手なんてやっていないでしょう」

 

「オイラ、正義の味方になりたいから割とバンドいつやめてもいいんだけれど、他のメンバーがそうさせてくれない」

 

 呆れたものだ。先ほどの考えを訂正し、他のメンバーが出来ているだけなのだと判断する。

 

「ギルティギア、人気なんでしょう?」

 

 クオンの問いに、「みたいだねぇ」と曖昧にディズィーは返した。

 

「当の本人がみたいって」

 

「いや、渦中の人ってのは意外に疎いもんだって。君やネオロケット団、それにデボンが管理したがっているツワブキ・ダイゴだって、これほどの思惑が交錯しているとは思わないでしょ」

 

 ダイゴは実のところ、自分の記憶を取り戻したい一心なのだ。だから、陰謀に目を向けているタイプではない。

 

「ダイゴは、ずっと言っています。記憶を取り戻したいって」

 

「でもそうなると、フラン・プラターヌは果たして彼なのかどうなのかって話になる」

 

「ダイゴとフランとかいう人は、別人って事ですか? 同じ身体なのに」

 

 ディズィーは頬を掻いて、「そう物事は簡単じゃないんだよ、お嬢さん」と言いつけた。馬鹿にしているのだろうか。

 

「心ってものはさ、やっぱり身体性じゃないんだって。多分、環境だ。環境がその人をその人たらしめる。だから、環境が違う場所で育ったツワブキ・ダイゴとフラン・プラターヌは別人だ。いくら肉体が同じでも、精神が違うよ」

 



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第八十九話「生きる意味」

 

「精神……」

 

 Dシリーズの果てにあるとされる初代再生計画はその精神を復活させようというものなのだろうか。初代ツワブキ・ダイゴの精神。それがどれほどのものなのかは推し量るほかない。

 

「精神だけで物事を語るのはよくないかもだけれど、オイラはさ。一度それを捨てているから、余計そう思うわけ」

 

 ディズィーは元々彼女という人格だったわけではない。別人の肉体にディズィー、つまり「D122Y」の人格が入った事で彼女となった。今の彼女と肉体そのものは断絶しているのだ。

 

「肉体の断絶と精神の断絶……。ディズィーさん。ダイゴは、じゃあ記憶を取り戻す事が幸福とは限らないって事ですよね」

 

「まぁ有り体に言えばね。考え方によっちゃ、もう少し前向きになれそうなものだけれど、今の彼を取り巻く状況が楽観視させてくれない。Dシリーズの殲滅を目的とするネオロケット団からしてみれば、怨敵であり、身を投げ打った英雄でもある。デボンからしてみれば何か意味のある実験体。だから重要視すべきではあるけれど、ある一点では捨て駒でもある。なかなかにツワブキ・ダイゴという一人物を取ってしてみても簡単に物事は見えてくれない」

 

 クオンはベッドに寝そべって息をつく。今すぐにダイゴに伝えてしまいたい。あなたはツワブキ・ダイゴではなくフラン・プラターヌ。ネオロケット団に命を狙われていると同時に英雄でもあり、あなたが覚悟してネオロケット団に投降すれば、もしかしたら記憶が取り戻せて、命も助かるかもしれない?

 

 クオンは頭を振って否定する。とんだ夢物語だ。今考えただけでもそう容易くはない。

 

「ダイゴは、でも記憶を取り戻そうとしますよ。そのために、コウヤ兄様と戦ったんですもの」

 

「覚悟は買うよ。でも無鉄砲なところもある。ツワブキ家はそうでなくっても危険だし、まぁポケモンバトルも強いと考えたほうがいい。正面切って戦うのは危ないなぁ」

 

 ディズィーでもそう判断するのだから臨戦したダイゴはもっとだろう。クオンは天井を見据えながら呟いた。

 

「……でも、あたしを頼ってくれた」

 

「見方によっちゃ、君しか頼れなかった。ツワブキ家以外で彼の行くところはないよ。彼を管理していたのはツワブキ・リョウだし、Dシリーズに関しちゃツワブキ・レイカの独壇場だ。ツワブキ・イッシンもなかなかに曲者な気がする」

 

「家族を疑わないで」

 

 クオンは起き上がってディズィーに言い含める。ディズィーは肩を竦めた。

 

「疑わないで生きていけるならどれほどいいか。作曲と同じだよ。このコードが間違いだって言ってくれる人間なんてどこにもいないんだ。だって作るのはこれからだし、答えは誰も知らないんだから。オイラ、作曲作業は嫌いなほうだけれど、作曲って行動そのものは尊敬する。何もないところから何かを作るってのはさ、難しいんだよ。作るってのは同時に、あらゆる人々に公開可能なステータスとして存在する事にもなる。オイラの作った曲がギルティギアの人気云々になるわけだ。なかなかに気が重い」

 

 そう言いつつもディズィーは口元に笑みを浮かべていた。本心ではきっと作曲が楽しいのだろう。新しいものを作り出すことも、きっと楽しいに違いない。

 

 では、既存のものから置き換えられたダイゴは? 生きていて楽しいのだろうか。クオンは疑問の胸中に陥る。

 

「ねぇ、ディズィーさん。ダイゴって、生きていて楽しいのかな。こんなに、周りに管理されて、妨害されて、取り戻したくっても取り戻せないものがあって」

 

 自分ならばきっと膝を折る。許しを乞う。しかしダイゴはそのような無様な真似はしない。自分から勝ち取りに行く。

 

「分からないなぁ。オイラは楽しいけれど、ツワブキ・ダイゴくらいになると、もう何も感じていないのかもしれない。それこそ、人格の命じるままに、ただ生きているだけなのかもね」

 

 ただ生きているだけ。それは生存とは呼ばない。機械のように決まった動きだけならば、それは人間でなくとも出来る。

 

「ダイゴは、自分の生きている目的が知りたいのかもしれない。だから記憶を求めている」

 

「記憶が失った半身か。まぁ生きる目的が欲しいってのは同意。だって、なかったらそもそもオイラだって生きちゃいないよ」

 

 Dシリーズの刻印があっても、ディズィーは既に別人としての道を歩んでいる。ダイゴにはそれがない。ツワブキ・ダイゴという名前を与えられ、ツワブキ家での立ち居地を与えられ。与えられてばかりだ。しかしダイゴは作り出そうともがいている。その中で自分は衝き動かされた。ダイゴの行動に。その勇気に。

 

「きっと、人は与えられるばかりじゃないのね」

 

「何を当たり前の事を。与えられているばかりじゃ何も成せない。誰かに与えられて初めて、その生には意味があるんだ」

 

 ディズィーが珍しくもっともらしい事を言う。クオンは、「意外ですね」と口にした。

 

「そんな、教科書みたいな言葉がディズィーさんの口から聞けるなんて」

 

「オイラ、教科書って大嫌いだけれどさ、まぁ載っている事はそれなりに納得出来る部分もあるんだわ。ああいうのから与えられた人間は、きっと与えたいって自然に思えるんだろうね」

 

 与える側、とクオンは胸中に問いかける。自分は与えられたのだろうか。ダイゴに何かしてあげられたのだろうか。

 

「最悪なのは、だ。教科書を斜め読みする人間だと思うなぁ。だってさ、教科書くらい普通に読めっての。確かに載っているのは当たり障りのない人間関係の築き方のアーキタイプだったり、あるいは格言だったりするもんだけれど。馬鹿にするもんじゃないよ、教科書ってのは。オイラ、嫌いなものでも認めるべきところは認めるもんだと思っている。もちろん、それが上か下かは関係がない」

 

 きっとそうやって生きてきたのだろう。ディズィーの人生の一端に触れた気がした。

 

「ディズィーさん、じゃああんまり、その、挫折とかって」

 

「いや、あるよ。挫折しまくり。今の作曲作業も挫折だし」

 

 クオンはモニターを覗き込む。しかしディズィーが迷っている様子も、あるいは打ち損じているようでもない。どこに挫折があるのか、と問おうとしていると、「作曲ってさ」と口が開かれた。

 

「自分の理想とのギャップに苦しんだりするわけ。産みの苦しみだよね。この場面のリズムは出来れば弾きたくないとかあるんだよ。でも弾かなくっちゃ前には進めない。案外ね、オイラも挫折組なのさ。他人からしてみれば何の迷いも悩みもないように見えるかもしれないけれどね」

 

 その通りだったのでクオンはそれ以上言葉を重ねられなかった。ディズィーはそれこそ、全て自分の自信の上に成り立たせているような気がしてくる。

 

「ま、クオっちにも分かるよ」

 

 ディズィーが手を振る。この話は打ち切り、という事なのだろう。クオンは菓子の包み紙をくずかごに捨てて思案する。

 

 ダイゴは何を望むのが正しいのか。自分は与えられてばかりだ。何か出来る事はないのだろうか、と。

 



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第九十話「強硬策」

 結論から言えば、意外という他ない。

 

 コウヤに挑戦した事で最早、ツワブキ家での居場所はないものだと覚悟していたダイゴからしてみれば、夕飯の静けさは異様としか思えなかった。誰も化石バトルに言及せず、もっと言えば、ダイゴの真の目的に対してコウヤは何も言ってこない。不可思議と言えば不可思議だが、それで片付けるにはツワブキ家の人々は自然体であった。

 

 自然体で、ダイゴの問題を全て棚上げして扱っている。ダイゴはいっその事自分から言ってしまおうかとも考えたが墓穴を掘るようなものだと口を噤んだ。

 

 USBにホロキャスターはクオンが所持しているはずである。自分はクオンに会わなくては。会って解き明かすのだ。自分の謎を。ギリーという暗殺者とコウヤがどこで出会ったのかを。しかしクオンもどこか他人行儀で食事の後、すぐに菓子を持って部屋に取って返してしまった。

 

 ダイゴはこの場合、誰を信じればいいのか分からなくなってしまった。だが、クオンとの協力関係が切れたわけではないだろう。機会を待つ事だ、と自分に言い聞かせる。今日中に成果が出るとは自分も思っていない。さらに言えばコウヤという存在が増えた事によって監視の眼が厳しくなったと思うべきなのだ。敷地内で密かに会おうとしても難しくなった。ダイゴはクオンにメッセージを送る方法をいくつか考えたが、どれも現実的ではなく、このような時、自由に出来るホロキャスターやポケナビレベルならば持っているべきだったと後悔する。

 

 コウヤやリョウに勘付かれずにツワブキ家で自由行動するのはまず不可能に近い。ならば、とイッシンを頼ろうにもやはり息子が暗殺者と会っていた、という事は打ち明けるべきではないだろう。この状況で味方してくれる存在は一つしかいなかった。

 

 ダイゴは、「ちょっと出かけてきます」と言い置いてツワブキ邸を出る。デボンコーポレーションの裏手にある社宅で待つ事数分、彼女は目立たない格好で現れた。

 

「言ったはずよね? 私は出来るだけあなたとは会わない、と」

 

 怜悧な声にダイゴは言い返す。

 

「それでも、この状況で頼れるのは、あなただけだった」

 

 視線の先にはコノハが佇んでいた。普段の給仕服とは違い、薄手のカーディガンを着込んでいる。給仕服一つで印象は変わるものだ。コノハは恐らく街角ですれ違っても振り向く事はないであろう服飾だった。

 

「出来れば、フランを取り戻す目星がつくまであなたとは接触を禁じるべきなのよ。もちろん、内でも外でもね。だって言うのに、こんな目立つ真似を」

 

 コノハが手にしていたのはメモ帳の切れ端だ。そこに自分の筆跡で「九時半に社宅で」とある。ダイゴはこの状況で頼れるのはコノハだけだと判じていた。自由行動が許されるのは彼女しかいない。

 

「恐らく、あなたはマークされていない。だから俺は適切だと判断した」

 

「マークされないように、必死で略歴を隠しているのよ。いいわ。こうまでして会いたいという事は何か進展があったんでしょう。部屋に来て」

 

 ため息を漏らしてコノハが社宅へと入る。社宅で気をつけるべきは一つの監視カメラだけなのでそれを潜り抜けてダイゴはコノハの部屋へと案内された。前訪れた時とほとんど変わるところはない。コノハも落ち着き払った様子で紅茶を入れていた。

 

「話があるのね」

 

 見透かした様子のコノハへとダイゴは早速口火を切った。

 

「ツワブキ・コウヤに関する事だ。あなたは、彼の出張先を?」

 

「もちろん、知らないわ。ただの家政婦だもの」

 

 家政婦に出張先を話すような間抜けではない、か。ダイゴはそれを確認してから疑問を発する。

 

「知らないのに、出かけたって?」

 

「よくある事だから。ツワブキ・コウヤはあれで次期社長。頻繁に出入りはあった」

 

「デボンに関して、以前よりも調べは?」

 

「ここに」

 

 コノハは澱みなく書類を差し出す。恐らくこの書類はダイゴが見ても当たり障りのない内容、つまり本当の真実は知らされていないという可能性がある。それでもダイゴは目を通した。その結果、デボンの中でもDシリーズに関する事は少しだけ進展があったようだ。

 

「この、D036の失踪ってのは?」

 

「とある重要人物を抹殺するために、Dシリーズを使ったみたい。重要人物自体は記されていないけれど、その作戦遂行中にDシリーズの一つ、D036が行方不明に。さらに追跡調査をしていた科学者の一人、ソライシ・タカオ博士が行方不明に相次いでいる」

 

 ダイゴはソライシ博士に関するプロフィールを読む。エネルギー調査部門に在籍しているようだがどうしてDシリーズの追跡調査に回されたのだろうか。

 

「エネルギー部門とあるが」

 

「デボンは今、社運をかけて一つの大プロジェクトを表向きに実行している。それが∞エナジーのエネルギー転用」

 

「∞エナジー?」

 

 ダイゴが首を傾げているとコノハはそれに関する書類を手渡した。

 

「ロケットを大気圏突破させるために必要とされるエネルギーよ。本来はロケット事業部のものなんだけれど、そのエネルギーを他の事に使えないかっていう研究。表向きは、ね」

 

「裏があるって事か?」

 

「デボンは今まで裏しかないわ。Dシリーズ、初代再生計画、ツワブキ家。どれを取ってしてみても、裏しかない。この状況で、他人にばらされても痛くも痒くもないのが∞エナジーの研究」

 

 ダイゴは書類に記されている∞エナジーの項目を見やる。曰く「これからの時代を率先する夢のエネルギー」、「世紀の大事業」と。

 

「それにしちゃ、イッシンさんもコウヤさんもその話はしないな」

 

「ツワブキ家は絶対に仕事の話を家庭に持ち込まない。これは私が長年見てきて、もう自明の理になった事よ」

 

 つまりツワブキ家内でデボンが何をしているのかを探る事は難しい、という事だ。

 

「じゃあやっぱり、強攻策しかないわけか」

 

「あなた、何かしたのね?」

 

 この段階になってコノハが訝しげな視線を向けてくる。ダイゴは正直に説明する。自分とイッシンを狙った暗殺者、ギリー・ザ・ロックに関して。そのポケモンの痕跡が僅かながらコウヤにあった事。全てを聞き終えるとコノハはまず嘆息をついた。

 

「呆れたわ。それだけ証拠が揃っているのならば直談判も出来るでしょうに」

 

「イッシンさんは人格者だ。でも自分の息子を疑えるような、そういう人じゃない」

 

「あなたの人物評が確かかどうかは知らないけれど、でもツワブキ・イッシンが他人を疑えないのは本当ね。それも自分の息子ならば、なおさら」

 

 やはりこの場合、コウヤを攻めるほかなかった。化石バトルでコウヤのPCに入れるホロキャスターとUSBを手に入れた事を明かすとコノハは目を見開いた。

 

「よくもそこまで……。動き過ぎればどつぼにはまるわよ」

 

「でも俺にはそれしかなかった。俺が動いても、所詮俺は記憶喪失の人間だ。だから注意は逸らせられる」

 

「それを所有しているのが、ツワブキ家のツワブキ・クオン……。随分と危うい綱渡りをさせたみたいね」

 

 自分とて分かっている。クオンに無理をさせた事くらいは。しかし誰かの協力なくしてこの攻勢は覆らなかった。

 

「クオンちゃんとも話を統合させたいんだけれど、彼女はどうやら俺を避けているらしい」

 

「当たり前と言えば当たり前ね。ツワブキ・コウヤに喧嘩を吹っかけた奴と仲良くしていれば自分も怪しまれる」

 

 ダイゴは書類を置いて、「意見を聞きたい」と仰いだ。

 

「何? 言っておくけれど、私の知る限りでは、ギリーという暗殺者はリストにも挙がっていない」

 

「コウヤは、どういう奴なのか」

 

 その質問があまりにも突飛だったからだろう。コノハは、「返答に困る質問ね」と評した。

 

「ツワブキ・コウヤが悪人だと言えば、あなたはそう信じるのかしら?」

 

「悪人なら、俺は自分の身を挺してでもクオンちゃんを守らなくてはならない。彼女に危険が及ぶならば」

 

「よく言うわ」とコノハは紅茶に口をつけて厳しい口調になる。

 

「あなたが、そうさせたんでしょう? ダイゴ、あなたが吹き込まなければツワブキ・クオンは究極的に無関係でいられた」

 

 痛いところをつかれる。その通りなのだ。クオンを巻き込まなければ、彼女を守る、などという筋違いの事を言う必要もない。

 

「……俺には頼れる誰かが必要だった」

 

「まぁあの家であなたが協力を仰げるのは確かにツワブキ・クオンだけでしょう。でも彼女は何の力もない高校生よ。それに高望みし過ぎなんじゃない?」

 

 デボンの次期社長の秘密。それを引き出せるなど一高校生にはどだい無理な話だろうか。しかしダイゴは言い返す。

 

「クオンちゃんだけなら、な。でも俺は協力するつもりだった。泥を被ってでも、俺は自分の事を知りたいし、暗殺者の影があるのならば守りたい。自分の身は、最終的には自分でしか守れない」

 

 それを痛感したのはギリーの明らかに殺意の感じられる戦い方からしてもだ。今のままでは自分は飼い殺しだ。この状況から脱するには、自分から動くほかなかった。コノハは、「行動力、大いに結構」と頷く。

 

「でも、あなたは自分のエゴで、ツワブキ・クオンを巻き込んだ。それだけは自覚せねばならないわ」

 

「……分かっているさ。でも俺は、そうしてでも知りたい。俺が何者なのかを」

 

 コノハからしてみればこの問いは無為なのかもしれない。彼女が自分の正体はフラン・プラターヌだと言ったのだから。

 

「失われた記憶、ね。その鍵を持つ者は、ツワブキ家ではコウヤが一番怪しいってのは分かる」

 

「コウヤはポケモントレーナーだ」

 

 明らかになった事実を告げる。コノハはさして驚くでもない。「でしょうね」と返された。

 

「何らかのポケモントレーナーでなければ状況を動かせないだろうし。それに何よりもその手持ちは? 明らかになったの?」

 

 言葉に詰まる。結局、何らかのパワーを持つ岩ポケモンである事以外は不明だ。ダイゴの無言にコノハは察したらしい。

 

「……存外に犠牲を払った割には、分かった事は少ないのね」

 

「だからこそ、聞きたいし意見が欲しい。ここからどう動くべきだろうか」

 

 コノハならば何かを掴んでいてもおかしくはない。そう思っての対応だったがコノハも渋い顔をする。

 

「難しい攻勢ね。ツワブキ・コウヤは叩けば埃が出るでしょうけれど、深追いは禁物。リョウは公安だし、レイカもその実態は分かっていない」

 

「動画を作るOLなんじゃ」

 

「隠れ蓑よ、それは」

 

 すかさず返されてダイゴは言葉を失った。レイカでさえも敵である可能性があるというのか。

 

「確証は?」

 

「食事中によく、端末を弄っているでしょう?」

 

 イッシンに見咎められるあれか。ダイゴの了承にコノハは口にした。

 

「あの通信履歴を追おうとするとデボンのセキュリティに阻まれる。普通のOLは、こんなセキュリティ対策はしていない」

 

 レイカも何らかのポケモントレーナーなのだろうか。その問いにはコノハも顔を伏せて首を振った。

 

「分からないわ。ツワブキ・レイカはちょっとやそっとの闇じゃない。呑み込まれればこっちがやられる。だから付かず離れずの距離間を取るしかない」

 

 深追いすれば危険なのはツワブキ家の全員に言えそうだ。その中でもクオンはやはり無害に思えた。

 

「ツワブキ・クオンに着目したのは悪くない、と思う。でも彼女が出来るのはせいぜい手伝いレベル。あなたの記憶をどうこうするだとか、デボンの秘密を知るには若過ぎる」

 

 クオンを選んだ人選ミスをなじられるようだった。ダイゴは、「手がない」と返す。

 

「俺だけじゃどこにも入れないし、何も出来ない。自分の無力さは、悔しいけれど一番よく知っている」

 

 拳をぎゅっと握り締める。自分一人で出来るならば既にやっている。だが記憶喪失の一個人が動くにはこの社会はもう複雑なのだ。

 

「賢明ね。自分の力量を弁えている」

 

「だからこそ、問いたい。俺に何が出来る? 何ならば、役に立てる?」

 

 コノハは長年ツワブキ家に潜伏している。ならばどこかしら隙を窺っていてもおかしくはないのだ。ダイゴの考えにコノハは書類の一つに視線を落として、「そうね」と呟く。

 

「実は今回、静観するつもりだったんだけれど、あなたの考えで気が変わったわ。ちょっと仕掛けてみるのも悪くないかもしれない」

 

 何の事なのだ。ダイゴは目線で問いかける。

 

「ツワブキ家、いいえ、デボンコーポレーション幹部総会。それが明日に開かれる。その時に、もしかするとデボンの秘密を解き明かす鍵があるかもしれないと思っていたからハッキングして少しでも情報を仕入れようとか小賢しい事を考えていたのだけれど、ちょっと攻めに転じてみるのも悪くないわね」

 

「どういう意味だ?」

 

「あなたが、その幹部総会に殴り込みをすればいい」

 



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第九十一話「くちづけ」

 指差されてダイゴは返答に窮した。これは冗談なのだろうか。

 

「冗談とかじゃないのよ」

 

 見透かしたようにコノハが口にする。

 

「殴り込みって……。そんな事をすれば、俺の居場所がなくなる」

 

「もう結構な崖っぷちに立っていると思うけれど。ツワブキ・コウヤに怪しまれれば近いうちにあなたを排除する動きがあってもおかしくはない。記憶喪失のDシリーズなんて消すのに難しい事はないわ」

 

 ダイゴは思案する。コウヤは何も言ってこなかった。それこそが逆にこちらの状態の危うさを示している。

 

「コウヤさんは、もう俺の正体を知っている?」

 

「どのレベルまで、初代再生計画が知れ渡っているかは謎だけれど、次期社長と目されるコウヤが全くのノータッチ、ではないと思うわ」

 

 ダイゴは顎に手を添える。だとすれば、リョウか、あるいはレイカか。どちらかが敵になる。

 

「その感じだと、コウヤさん自身が俺を問い質すってのはなさそうだな」

 

「次期社長のポストを危険に晒すとも思えない。ツワブキ・コウヤは傍観者のポジションが一番似合っている」

 

 攻めてくるとすれば今まで通りのDシリーズ。あるいはギリーのような暗殺者。

 

「Dシリーズが襲ってくる」

 

「それも試算の内に入れておいたけれど、手数のDシリーズの所有数がちょっとおかしな事になっている」

 

「おかしな事?」

 

 コノハは書類の一部の文面を指差した。

 

「D200は廃棄、D008は所在不明、D036は行方不明、とある。D008は私がこの間殺したDシリーズよ。右腕の所有者だった」

 

 初代のオリジナルパーツ。ダイゴはそれも気にかけていた。

 

「初代のパーツをDシリーズに移植するメリットは?」

 

「耐久時間か、あるいは何らかのポケモンを操る際に生じる効果があると考えられるけれど詳しくは不明よ。ただこのD036、こいつにもオリジナルパーツが移植されていたようなの」

 

「どの部位なんだ?」

 

 コノハは、「左脚ね」と答える。

 

「初代の部位は八つ。心臓はデボンが絶対に所有するだろうから、それ以外、頭部ってのも無理そうだから実質六部位。で、そのうち一つ、右腕が私の所有している。だから残り五部位」

 

「全部揃えると、何かがある、ってわけじゃないだろうな」

 

「分からないけれど、躍起になっていないところを見るともしかすると初代のオリジナルパーツには大して意味はないのかもしれないわ」

 

 もし初代再生計画に必要ならば既に動き出しているはずである。その動きがないところを見るとパーツには頓着していないのか。

 

「でも、奇妙なのはそれをDシリーズに組み込む事。それを草として放っておいて片や所在不明に行方不明。これではDシリーズを運用するのに支障が来たすと考えられる」

 

「つまり……もう不用意に出せない、って事か」

 

「パーツを所有するDシリーズはね」とコノハが付け加えた。

 

「所有していない奴なら動かせるって?」

 

「それでも、あなたという人間がいる前で容易く動かすとも思えない。それにDシリーズの百番台以前はほぼ欠陥商品。実質使えるのは限られてくる」

 

 ダイゴは自分の肩口に刻印された「D015」の表記を見やる。

 

「俺は、十五番目、ってなるんだよな?」

 

「表記を信じるならね」

 

「じゃあ、なんで俺は普通に生きていられるんだ?」

 

 初代のパーツを仕込まれた覚えはない。そもそも記憶喪失なのだが。

 

「それが分からないのよね」

 

 コノハは腕を組んで呻った。コノハでも分からないのか。

 

「正直なところ、あなたも他のDシリーズと大差ないと考えていた。だからこそ、潮時みたいなものがあると思っていたんだけれど、誰が管理しているのかも分からないDシリーズの消耗期限なんてどこを探っても存在しない。それに、これは調べてみて驚いたんだけれど、デボンにあなたの番号、つまりD015はないのよ」

 

 語られた事実にダイゴは思わず肩口に触れる。

 

「この番号が……ない?」

 

 では自分はDシリーズではないのか、という問いは無駄だ。実際、自分と寸分変わらぬ似姿に出くわしている。

 

「014、016はあるのよ。そこまでは探れた。でもどうしてだか015、つまりあなたの番号はいくら探しても存在しない」

 

 ダイゴはその事実に戦慄する。どうしてだか存在しない番号。それは自分が透明人間としてこの社会に存在しているような感覚だった。

 

「食い違い、とかじゃないよな……」

 

「食い違っているにしては作為的なものを感じるのよね。何者かの意思、とでも言うべきか。どちらにせよ、あなたは他のDシリーズとは違う管理がされている、というのは一つの事実」

 

 では誰が? とダイゴはツワブキ家の面々を思い浮かべる。誰が、自分を「ツワブキ・ダイゴ」にした? リョウが名付けたとの事だが、その裏にはあの秘密基地で死んだニシノと、あれ以降出会っていないサキの事が思い出された。

 

 サキに会いたい。会えれば、何かしら状況が動き出すような気がする。

 

「ツワブキ家に関するきな臭い事実は以上ね。それで、あなた、明日の幹部総会に喧嘩を売る?」

 

 この作戦が失敗してもコノハに失うものはない。逆に自分の立場がなくなるだけだ。

 

「……どうやってデボンを相手取ればいい?」

 

「あら、存外にやる気なのね」

 

「俺は、自分の事が知りたい。そのために必要な事ならば、何でもやろう」

 

 ダイゴに言えるのはそれだけだ。幹部総会がどれだけ危ない場所だろうと、そうする事で拓ける道があるのならば。

 

「泥を被る、覚悟はあるって事か。そうね、あなたが考えているほど、デボン本社のセキュリティは甘くないわ。社員証を出して潜り込むって手もあるけれど、その外見じゃあね。真っ先に怪しまれる」

 

 自分の姿は初代と同じ。当然、デボンで怪しまれないわけもない。

 

「変装でもするか?」

 

「実際に変装して潜り込むなんて、そんなのフィクションよ。変装して一企業の上層部まで行けるわけがない」

 

 冷静なコノハの言葉に、ではどうすれば、とダイゴは歯噛みする。自分に出来る事はないのか。

 

「じゃあどうすればいい? 俺は、チャンスがあれば逃したくない。その幹部総会で、俺の事を知っている人が一人でもいれば」

 

 その時、コノハは、「知っている人……」と呟いた。何か当てがあるのだろうか。

 

「何かあるのか?」

 

「知っている人ってのとは違うかもしれないけれど、話が分かる相手ならば少しは当てがあるわ。明日の幹部総会に、彼が出ていれば、だけれど」

 

 コノハはポケナビを操作して電話をかける。この時間帯だ、起きていても動けないのでは、と考えたが相手先は電話に出た。

 

『もしもし?』

 

 女の声だ。コノハは、「私よ」と短く返答する。

 

『コノハ? 何でこっちに電話かけてくるの?』

 

「あなたの協力が必要になってきたのよ。ちょっと明日の幹部総会に一人だけ招き入れたい人物がいる。彼の手助けを行えないかしら?」

 

 無茶な言い分だが相手は、『その彼、ってのは』と聞く調子だった。コノハは少し思案した後、「ツワブキ家で匿われている」と説明を始めた。

 

「ツワブキ・ダイゴ、という名前の青年」

 

『ふざけているの?』

 

 当たり前の返答だったがコノハは真剣な声音でダイゴの身の上を語った。すると相手の調子も変わってきたようだ。

 

『その彼、とは今は?』

 

「目の前にいるわ。替わる?」

 

『お願い』

 

 ポケナビが手渡される。ダイゴが面食らっているとコノハが囁いた。

 

「大丈夫、味方よ」

 

 ダイゴはポケナビを受け取って声を吹き込む。

 

「あの、もしもし?」

 

『あなたがツワブキ・ダイゴ君?』

 

 その問いにダイゴは気後れ気味に答える。

 

「ええ、一応、そうなっています」

 

『一応、ね。アタシはイズミ。デボンに勤めている社員よ』

 

 ダイゴはコノハへと目線を向ける。大丈夫なのか、という意味の眼差しにコノハは首肯した。

 

「あの……デボンの人って事は、この通信まずいんじゃ」

 

『大丈夫よ。アタシの研究部門は内偵だから。情報が漏れるなんて事は一番にあっちゃいけない』

 

 どうしてデボンの内偵部門とコノハが繋がっているのかは謎だったがダイゴは話を進めた。

 

「その、幹部総会に、俺が入って行く事は」

 

『通常は不可能ね。あなた、自分の姿、容姿までもが初代と同じなんでしょう?』

 

 これに関してはどうしようもないのではないか。ダイゴの懸念にイズミは、『まぁ背格好レベルならば』と応ずる。

 

『一時的に監視カメラを逸らして、警備員とかも出払う時間を指定するわ。その時間にあなたが入ってくれば、問題ないでしょう』

 

「そんな時間があるんですか?」

 

『ないわよ、もちろん。今からアタシが作るの』

 

 コノハが、「彼女は錬金術師みたいなものよ」と口にする。

 

「時間やデボンの隙を作れる、ね」

 

『あまり頼られても、黄金は積めないわよ』とイズミも答える。

 

「どういう意味なんですか?」

 

「産業スパイなのよ、彼女は」

 

 思わぬ返しにダイゴは唖然とする。イズミは、『実際に言われちゃうと現実味ないでしょうけれど』と笑った。

 

「産業スパイ……。どの企業なんですか?」

 

『それこそ言えないなぁ。だってこの後もお仕事あるし。あなたがもし失敗してもアタシはノーダメージでいきたい』

 

 絶対の秘密、というわけだ。同時にコノハのような一個人がツワブキ家に入り込めた理由も得心がいった。

 

「イズミさん。俺が入れる隙を作ってもらえるんですか?」

 

『今からタイムスケジュールを組むわ。五分後には返答出来ると思うから、ちょっと待っていてね』

 

 通話が途切れる。ダイゴは狐につままれたような気持ちだった。

 

「産業スパイなんて、本当にいるんですね……」

 

 そのような言葉が漏れてしまう。コノハは、「いるわよ、たくさん」とポケナビを受け取った。

 

「あなたが知らないだけの世界ね。デボンが一社だけの寡占状態だから、この状態をどうにかしたい、って思う企業は山ほどある。カロスやイッシュ、あるいはシンオウでもホウエンの技術は欲しいって思っているものよ」

 

 それだけ敵の多い企業だというのか。ダイゴは改めてそのような企業を相手取れるのか不安になった。

 

「デボンを敵に回すってのはね、こういう事なの。誰も信じられない。殊にカナズミではデボンの支配は絶対だから」

 

 反逆を企てればそれは死に直結する。唾を飲み下すとポケナビが鳴った。コノハが通話に出る。

 

「早いわね」

 

『早いに越した事はないでしょう? タイムスケジュールを組んだ。お昼の一時に入ってきたら、ちょうど手薄よ。でもどうする気? 入ったとして、幹部の横っ面を引っ叩く?』

 

「それもいいかもね」とコノハは鉄面皮を崩さずに応じる。自分としては穏やかではなかった。

 

『あともう一つ特ダネ。アタシにタイムスケジュール作れって依頼してきた人間がいる。裏稼業ではアタシの存在を知っている時点で、もう随分と怪しいわね』

 

「何者?」

 

 コノハの質問にイズミは、『これだけでも一つの秘密になり得る』と答える。ダイゴはその意味を察した。

 

「イズミさん、コノハさんを信じていないんですか?」

 

 ダイゴの声にコノハのほうが瞠目する番だ。しかし慣れているのだろう、イズミへと問いかける声音は静かなものだった。

 

「そうなのかしら?」

 

『まぁ、優位に運べるというだけ。アタシだってほら、商売なわけだし』

 

 コノハは迷わずカードを切る。

 

「十倍払うわ」

 

『オーケー、引き受けた』

 

 それだけで鞍替え出来てしまうイズミもイズミならば、気前よく報酬を払えるコノハもそうだ。彼女達は自分の及びもつかない次元で話しているのではないかと思わせられる。

 

『名前はメアリー・マッケンジー。でもこれは偽名ね。すぐに潜れば分かった。本名は不明だけれど通称ならば』

 

「教えて」

 

『ギリー・ザ・ロック』

 

 その名前にダイゴは息を呑む。まさかここでギリーとかち合うとは思ってもみない。

 

『依頼人も、これは……、もう一声欲しいな』

 

「二十倍」

 

『依頼者はツワブキ家の誰か。これ以上はアタシの身が危ういので言えない』

 

 なんとギリーを雇った人物はツワブキ家の誰かなのだという。ダイゴは静かに思考を巡らせる。誰だ? 誰ならばイッシンを暗殺しようとする? 真っ先に浮かんだ人物をコノハが言い当てた。

 

「ツワブキ・コウヤ?」

 

『言えないって。アタシ、死にたくないし』

 

 イズミは笑い話にしようとする。しかしダイゴとコノハからしてみれば真剣だった。

 

「分かったわ、イズミ。情報ありがとう。それに抜け道も」

 

『ああ、いいって。持ちつ持たれつ、でしょ。それにしても、あんたも相当ね。そこにいるダイゴ君、例の彼でしょう?』

 

 例の彼。どのようにコノハが紹介したのかは分からないが記憶喪失である事くらいは露見していそうだ。

 

「ええ、そうよ」

 

 コノハは鉄面皮を崩さない。全くの無表情のまま、イズミへと返す。鉄の女、という響きを連想させた。

 

『なるほどね。今の声の感じで、彼に関してどういう風に関わっているかがよく分かった』 

 

 ダイゴには一切分からなかった。しかし今の一言でイズミは感じる事が出来たのだろう。コノハの隠された心情を。彼女は否定しない。

 

「どちらにせよ、隙を見つけてくれた事は感謝する」

 

『いいって、だから。そうね、彼に替わってみて』

 

 イズミの提言にコノハは、「必要ある?」と問い返す。イズミは、『取り消すよ?』と脅しをかけた。ポケナビが再び自分のほうに回ってくる。ダイゴは両手で受け止めて、「もしもし?」と声を吹き込む。

 

『あー、ダイゴ君? 大変ねぇ、あなたも。ギリー・ザ・ロックは名の通った暗殺者よ? 彼と敵対するかもしれない時間帯にしか穴開けられなくってゴメンね』

 

 まず謝罪の言葉が出た事が意外だったが、彼女からしてみればこれも仕事だ。仕事ならば、まず謝罪するのは当然と言えよう。

 

「いえ……俺の危険はいいんです。ただ、その場合、コノハさんは」

 

『大丈夫。コノハは強いから、それなりの距離感は絶対保つ。あなたに近づき過ぎたり、遠ざかったりもしない』

 

 言い切った声音にダイゴはどれだけイズミの中でコノハが信頼に足る存在だと思われているのかを実感した。

 

「俺は、手持ちが強いわけじゃない」

 

『データでは、ダンバルだって聞いたけれど』

 

「メタングに、進化しました」

 

 それは初耳だったのだろう。コノハも、「進化を?」と訊いていた。

 

「ああ、そういえばコノハさんにも言っていなかった」

 

 迂闊な言葉にイズミは笑った。

 

『なるほどねぇ、あなた分かりやすいわ。どちらかと言えば好みのタイプよ』

 

「茶化さないでくださいよ」

 

 ダイゴは困惑する。コノハはどのような気持ちなのだろう。かつての恋人の身体を乗っ取った形の男が友人らしき女性にタイプだと言われるのは。その複雑な胸中は慮る事さえも出来ない。

 

『今のも、彼女のためを思ったのよね』

 

 だからか、イズミの言葉は意想外だった。まさかダイゴのたった一言で見透かされるとは思ってもみなかったのだ。「だから言ったでしょう」とコノハが呟く。

 

「彼女は産業スパイ。誰も信じていないし、同時に何人もの信用を置く事の出来る存在。彼女は信じるものは少ないけれど、彼女を信じる者は多い」

 

『言いえて妙、と言ったところかしら』

 

 ダイゴは感想を述べていた。

 

「宗教みたいだ」

 

『違いない。アタシは連中の間じゃ神様。その代わり、この業界じゃ他の宗教への鞍替えも、何でもござれの世界』

 

 不用意な一言で消されるかもしれない自分以上に危うい綱渡り。ダイゴは改めてとてつもない相手と話しているのだと自覚する。

 

「その、俺なんかを顧客にしても」

 

『記憶喪失から取れるものはない? そうね、あなたからは取れないかもね』

 

 暗にコノハからならばいくらでも強請れる、と言った声音だ。ダイゴは思わず語気を強くした。

 

「そういう意味じゃない」

 

 ダイゴの声の調子が変わったのを感じ取ったのか電話先のイズミが黙り込む。

 

「――コノハさんに、指一本でも触れさせない。俺の前では」

 

 思わぬ言葉だったのだろう。コノハでさえも固まっていた。当のイズミと言えば、僅かな沈黙の後、なんと笑い転げた。その笑い声は秘密やら機密なんてものとはまるで縁のない、ただ真実に可笑しいという調子だ。

 

『いや、悪い悪い。まさかそこまでマジになるなんて思っていなかったから。なるほど、こりゃイカレているわ』

 

 笑いを鎮めつつイズミは声にする。

 

『分かったわよ、ツワブキ・ダイゴ君。あなたの前では淑女を気取りましょう』

 

「ふざけているんじゃ……」

 

『ふざけていないわ。大マジよ。アタシを笑い転げさせられるの、あなたくらいだわ』

 

 ダイゴはどうしたものかと迷っていた。コノハが手を差し出すのでそちらにポケナビを手渡す。

 

「イズミ、随分と楽しそうね」

 

『そうね、楽しい。マジになる客ってのはこうも面白いものかしら』

 

 まだ喉の奥でくっくっと笑っている。コノハは言いつけた。

 

「あまり遊び調子で世渡りしていると痛い目見るわよ」

 

『肝に銘じておく。じゃあね。そろそろ業務外だし』

 

 イズミの声にもう十時に近い事を自覚する。ダイゴは少しだけ慌てた。

 

「帰らなくっても」

 

「ツワブキ家じゃ怪しまれるかもね。そろそろ帰る準備をしたほうがいいわ」

 

『何よ、泊まるんじゃないの?』

 

 イズミの余計な一声にコノハは、「そういう気分じゃない」と言い返した。

 

『そりゃあね。彼とそういう気分になれないのは承知しているわ』

 

「切るわよ、イズミ」

 

『またご贔屓に』

 

 その言葉を潮にして通話が切られた。ダイゴは腰を浮かせる。

 

「あの、俺、帰りますんで」

 

「送っていくわ」

 

 意外だった。コノハは自分との接点はなるべく持たないようにしていると思ったのだ。

 

「でも危ないですよ」

 

「危ないのはどっちだか。メタングに進化したと言うのならば、脅威度が上げられている可能性がある。闇討ちの危険があると言っているのよ」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もなく、ダイゴは従った。たった一つの監視カメラを潜り抜けてコノハと共に夜のカナズミの空気を吸う。そういえば、夜半に出歩くのは初めてではないのか。しかも異性と。

 

「明日の幹部総会で、何が動くかまでは分からない」

 

 コノハの言葉にダイゴは、「ですね」と答える。

 

「もしかするとこれからのデボンの将来を左右する何かなのかもしれない。ギリーの依頼人がイズミを使って道を切り拓いているという事は、明日誰かが死んで、誰かが覇権を握る可能性がある」

 

 誰かが死ぬ。ダイゴの脳裏に撃ち抜かれたイッシンの姿が浮かんだ。その像を振り払う。イッシンは容易く死ぬはずがない。それと同時に家族で合い争うなどあって堪るか、と感じる。コウヤがどれだけ次期社長のポストを狙っているのかは知らない。イッシンとの間に確執があるのかもしれないが、自分には窺い知れない事だ。

 

「一つ、忠告をしておくわ」

 

 前を行くコノハの声にダイゴは顔を上げた。振り向いた彼女は言い放つ。

 

「私に頼らない事、私もあなたを頼らないし、最悪の場合は無関係を装えるようにしておく事。イズミの事だから私との接点は切っているはずだけれど、どこから情報が漏れるか分からない。その辺は隠密に行きたい」

 

 ダイゴは首肯する。コノハを裏切るはずがない。ここまで自分を導いてくれた。

 

「俺は、逆にありがたいと思っています」

 

「ありがたい?」

 

 胡乱そうな眼を向けるコノハにダイゴは言い繕う。

 

「俺、コノハさんの役に立てているのかな、と思うと」

 

 コノハは一瞬呆気に撮られた様子だったが、すぐに持ち直した。

 

「勘違いしないで。私はあなたとの協定関係にメリットが見出せただけ。それにフランの肉体も諦めたわけじゃない。あなたはフラン・プラターヌである事はどうしても拭いようのない事なのよ」

 

「それでいいんです、きっとそれで……」

 

 ダイゴの沈黙の意味をはかりかねたのだろう。コノハは腕を組んで、「言いたいことがあるのならば」と唇を尖らせた。

 

「言いなさい。明日以降は言えなくなるかもしれないのだから」

 

 どこまでも毅然としたコノハにダイゴは一つだけ言葉にする。

 

「ありがとうございます。俺、コノハさんからしてみれば恋人の身体を不当占拠しているとんでもない輩だ。だって言うのに、ここまでしてくれる。本当に、ありがたい事だと――」

 

 そこから先を発する前に唇が塞がれた。気がつくとコノハが歩み寄り、ダイゴの唇に自分の唇を重ねていた。

 

 言葉が消える。

 

 僅かな瞬間だったがまるで永遠のように感じられた。

 

 ダイゴが感じたのは、女性の唇の柔らかさと、彼女の体温だけだった。それだけで、ああ、この人は冷徹な人間ではないのだ、と言う事が今さらに再確認された。

 

 肩に手を回そうとすると、今しがたの出来事が嘘のようにコノハが離れる。

 

 永遠は一瞬のものとして儚く消え去った。

 

「……一つ、嬉しかった事があるから、そのお礼よ」

 

 コノハは顔を伏せたまま呟く。ダイゴは言葉を継ごうとしたが気の利いた台詞は出なかった。

 

「さっき、イズミに言い返してくれた時、嬉しかった。今でもフランは、私を守ってくれているんだって」

 

 ああ、やはり……。ダイゴは眩暈のような感覚を覚える。

 

 彼女を守ったあの一言はやはり「ツワブキ・ダイゴ」の台詞ではなく「フラン・プラターヌ」のものであると感じられたのだろう。当然の事だ。自分は「ツワブキ・ダイゴ」の名を与えられただけの、偽物に過ぎない。コノハからしてみれば、フランの奪還こそが本物であり真実なのだ。

 

 だから彼女は嬉しかったのだろう。フランの肉体を持つ自分が、彼女を守るような発言をした事が。ダイゴは先ほど自分を衝き動かしたイズミへの反感がどこから生まれたものなのか決めあぐねた。

 

「ツワブキ・ダイゴ」の意思か、それとも「フラン・プラターヌ」の意思か。どちらがコノハを守ろうとしたのかはもう分からなくなってしまっていた。自分がダイゴである事は間違いのないのに、コノハを前にして守りたいと思った事は、やはり元の身体の持ち主の感情なのだろうか。自分には誰かを守りたいなど過ぎたる感情だと言うのか。

 

「俺は、その……」

 

 しどろもどろになってしまう。先ほどの口づけでさえも、あれは永遠にしたいと思ったのはフランの側なのではないかと勘繰ってしまう。自分の中にもう一人いる。誰かが囁いている。

 

 ただこの女性を守りたいと思っただけなのに、その感情の行方さえも誰の所有物か分からない。半端者だ、とダイゴは自身を叱責した。声を上げて彼女を守る、と言い切る事さえも出来ない。自分は何者で、何のために生まれ、何のために生かされているのか。

 

 それを明確にしない限り、誰も守れないし誰も救えない。自分の意思さえもない、がらんどうを持て余すだけだ。ダイゴは拳をぎゅっと握り締めた。与えられてばかりでは何も出来ない。何にもなれはしない。

 

「俺、コノハさんを守る側になりたいんです」

 

 だから、この言葉さえも借り物に過ぎないのだとしても、あるいはこの感情でさえも、紛い物であったとしても、ダイゴは言っておきたかった。あなたに、与えたいのだと。

 

 しかしコノハは、「フランが戻ってくれば」と返す。

 

「自然とそうなるでしょう」

 

 つまり自分では、ツワブキ・ダイゴには守らせてくれないのだ、この女性は。それだけコノハの意思が堅い事と、フランへの気持ちが勝っている事を物語っている。

 

「俺じゃ、駄目ですか……」

 

 だから今の言葉は本当に、負け犬の遠吠えめいていてダイゴは自分で発してから気付いた。こんな、卑怯な言い草……。

 

「ダイゴ、あなたは何も背負う必要はない。本来ならば、ツワブキ家で飼い殺しにされ、その記憶がどのようなものであったのか、そもそもフランであったのかさえも明らかにならなかったかもしれない。でもあなたは知りたがった。自分のルーツを。自分が何者であるのかを」

 

 エゴなのかもしれない、とダイゴは感じていた。自分が何者なのか、誰も分からずに明日へと疾走しているのに、自分だけ指針が欲しいなど。

 

「俺、やっぱり駄目なんでしょうか」

 

「駄目とは言っていないわ。ただ、あなたが求める真実は、あなたが思い描いているよりももっとどす黒く、そして汚らわしい代物である、それだけは確かよ」

 

 どす黒い真実。自分の追い求めているものは理想とはかけ離れている事を改めて認識する。ダイゴは、「それでも」と口にしていた。

 

「俺は、俺が何者なのか、自分の事だ、自分で知らなければならない」

 

 たとえコノハからしてみればフランであったとしても、自分が何者なのかを知るのは自分自身以外あり得ない。コノハは嘆息を漏らす。

 

「別に、強制しているわけでもなければ、あなたに背負い込ませているわけでもない。今の口づけは忘れて。単なる気紛れだから」

 

 気紛れのキスは淡く、ほろ苦く、ダイゴの記憶に残るものとなってしまった。コノハが身を翻す。もう先ほどのキスなど悠久の時の向こう側に置き去りにしてしまったかのような立ち振る舞い。女性は、男ほど湿っぽく感じていないものなのかもしれなかった。

 



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第九十二話「一人前の男」

 

「えっ、明日?」

 

 ディズィーの部屋でマコは連絡を受け取る。ホロキャスターからディズィーの朗らかな声が聞こえてきた。

 

『そう、明日。明日動くから、マコっち、支援頼む』

 

「でも私、何も出来ていませんよ」

 

『充分だよ、音波攻撃でこっちはきちっとブツは入手出来たし、そっちの塩梅だけ聞こうと思って』

 

「塩梅、ですか……」

 

 マコは視線を移す。端末を仕入れてきたソライシがオサムに見張られながらデボンのネットワークに侵入していた。ソライシは、「クビじゃ済まないな」とため息をつく。

 

「デボンのネットワークIDなんて秘中の秘。それが何者かに知られたとなれば当然の事ながら、連中は鶏冠に来るだろう」

 

「いいから、大人しくやりなよ」

 

 コドラを出しているせいでディズィーの部屋は余計に手狭だ。男二人に女一人の状況は危うさよりもただ単に狭いという認識があった。

 

「オサム君、ディズィーさん、作戦決行の時に落ち合うって」

 

 マイク部分を覆ってオサムに言いやると彼は肩を竦める。

 

「まぁ現地集合が無難だろうね。何せ、僕らは天下のデボンを敵に回そうとしているわけだ」

 

「でもどうするんです? デボンネットワークに介入しても、入れるのはソライシ博士くらいでしょう? ディズィーさんを含めて私まで入るのは不可能じゃ」

 

「そういう事もない。だろ?」

 

 オサムの声にソライシが呻る。

 

「まぁ、君達の言う事だ。大体要求内容は頭に入っている。わたしとD036」

 

「オサムだ、オサム」

 

 遮ってオサムが注意するとソライシは咳払いする。

 

「オサム君と君……ヒグチ・マコ君が入れるくらいの事は造作もない」

 

「本当ですか?」

 

 マコの声にソライシは、「何年勤めていると思っているのだね」と襟元を正した。

 

「本来なら∞エナジーの研究に充てられてもおかしくない頭脳だって言うのに、今やっているのはハッキングだ」

 

 ソライシが肩を落とす。マコは申し訳なさを感じたがオサムは、「自業自得さ」と声にする。

 

「僕らを顎で使ってきた、罰だと思えばね」

 

 ソライシが口惜しそうな目線を向ける。使う側が使われる側に転じたとなればそれは不満があるだろう。

 

「わたしは何も悪い事はしていないのに」

 

「それがもう麻痺しているって言うんだよ」

 

 オサムとソライシのやり取りを眺めているとディズィーが声を吹き込んできた。

 

『大丈夫、っぽい?』

 

「ああ、はい。こちらは。でもディズィーさんの入館証までは用意出来そうにないです」

 

『ああ、いいって。こっちにはこっちのルートがあるってね』

 

 どっちのルートなのだろう、とマコが疑問を浮かべていると耳朶を打った声があった。

 

『ディズィーさん食べこぼし酷いですよ』

 

 その声は紛れもない、ツワブキ・クオンのものであったからだ。マコは驚愕する。

 

「クオンちゃんがいるんですか?」

 

『うん、そう。もうマブダチ』

 

『そんなわけないでしょう』

 

 クオンの冷たい声音にマコは声を上ずらせる。

 

「私だよ! クオンちゃん! マコ!」

 

『ああ、マコさん。大学はいいんですか?』

 

 思わぬところからの攻撃にマコはたじろいだ。何せ、彼女はツワブキ家の問題児で有名であったからだ。

 

「クオンちゃんこそ、学校、行っているの?」

 

『行っていますが?』

 

 その言葉も思いもよらない。クオンは不登校だと聞いたのに。

 

「あれ? 行っていないんじゃ……」

 

『失礼な方だとは思っていましたが、らら、ここまでだとは』

 

 歯に衣着せぬ物言いにマコは閉口する。どうやら本当に学校には行っているようだ。

 

「何で?」

 

『ダイゴに、説得されたからです』

 

 思わぬところで出てきた名前にマコは唖然とする。ツワブキ・ダイゴ。どうしてだか事象は彼を中心軸にして回っていた。

 

「ダイゴさんと、会っているの?」

 

 この質問は野暮だ。ダイゴはツワブキ家なのだから。

 

『家族ですから、当たり前でしょう』

 

「でも、ダイゴさんは……」

 

 オサムへと視線を向ける。オサムは知らない、というジェスチャーのためかバッテンを作った。

 

「その、色々と込み入った事情があると思うけれど」

 

 結果的に濁したマコへとクオンが口にする。

 

『Dシリーズがどうとかいう話ですか?』

 

 自分の震撼した話がクオンの口から出てマコはどう返せばいいのか分からなくなった。クオンは構わず続ける。

 

『知っていますよ。って言うか、知らずにこの作戦を強行しようとは思わないでしょう』

 

「えっ、クオンちゃんも?」

 

 思わぬ返答にマコは戸惑う。クオンは全くの無関係のはずだ。

 

『無関係を決め込みたかったですが、家に来たのがトラブルの元凶だったみたいで』

 

 暗にマコ自身が来なかった事を責めているようだ。クオンは昔から言葉の節々にマコを馬鹿にしている感じがある。

 

「その、ゴメン……」

 

『謝る事ないって、マコっち。君はよくやってくれている。今もきっちりソライシ博士から情報を得て、オサムも飼い慣らしている。充分だよ』

 

 飼い慣らしている、という言葉にオサムが反応するかと思ったが彼は思いのほか冷静であった。

 

「私、その……。そんなにすごい事をしているとは」

 

『もちろん、気負う事はないよ。軽くやってしまえばいい』

 

 軽く、にしては深入りしてしまっている。マコは不安げな声を滲ませた。

 

「ディズィーさん、その、私達のやっている事は本当に正しいのでしょうか?」

 

 オサムの拉致とソライシ博士の奪取。それにディズィーはツワブキ家へと不法侵入。ここ数日で起こった事が全て現実離れしていた。

 

『正しいかどうか? どこに仰ぐ? お天道様? マコっち、正しい間違ってイルの判断は後からついてくる。今は、行動する事だと思うな。だってこのままじゃオイラ達消されちゃうし』

 

 それだけは間違いないのだ。オサムを追ってくる連中か、あるいは自分の生存だけでも危うい綱渡りである。

 

「消されないように、頑張るしかないんですかね……」

 

『マコっちにしては弱気だなぁ。オサムを最後にやっつけたのはマコっちでしょ?』

 

 それはその通りだが、あれは相性がよかったからだ。そう言いかけて、これも結果論だと口を閉ざす。

 

「自信を持っても、いいんでしょうか?」

 

『オサムはオイラよりもマコっちを信頼しているだろうし、マコっちは思いのほか強かだよ。お姉さんの血筋、きっちり流れているのかもね』

 

 サキに似ているとは今まで数えるほどしか言われたことがなかったのでその人物評は意外でしかない。

 

「ディズィーさん、会った事もないのに」

 

『分かるよ。マコっちがどれほどお姉さんを大事にしているのかも、その影響もね。あの時、オサムをやっつけたマコっちには確かに、熟練のトレーナーの戦闘意識と、それと同時に臆する事のない図太さがあった』

 

 図太い、とは褒められているのか分からない評価だ。

 

「それ、褒めて」

 

『もちろん、褒めているって。図太いってのは世渡りに大事さ。時に自分の意見を押し通す場合にはね』

 

 それだけの強さが自分にあるのかは全くの不明であったが、ディズィーに言われるとあるような気がしてくるから意外だ。

 

「ディズィーさん、無茶はしないでくださいね」

 

『あいよ。マコっちも無茶しないでね。もう君はただのファンじゃない。オイラの見定めた同志だよ』

 

 それを潮にして通話は切られた。マコは同志、という言葉に胸が熱くなっているのを感じた。

 

「同志、かぁ」

 

「単純だね、マコちゃんは」

 

 オサムが後頭部で手を組んでそうこぼす。単純は言われなれているので違和感はない。

 

「かもね。楽観主義かも」

 

「僕的に言わせてもらえば、こうだ。ディズィーを過信するな」

 

 それはオサムもディズィーを信じていない事に直結するのか。マコは問い返していた。

 

「どうして? オサム君だって、ディズィーさんに命を拾われたようなものじゃ」

 

「僕の命を繋いでいるのは、これとこれだ」

 

 示したのは命の薬と左足だった。マコは気になっていたので尋ねてみる。

 

「何で、オリジナルの初代の部位が、あなた達に移植されているの?」

 

 オサムは、「言い辛い人物がいるなぁ」とソライシに目線をやった。ソライシは鼻を鳴らす。

 

「いいんじゃないか? もう、わたしだってデボンに戻れるとは思っていない。機密だろうが何だろうが」

 

 どこかやけっぱちのソライシの声にオサムは左足を指差す。

 

「オリジナルのパーツにはね、精神エネルギーが宿っているとされている」

 

「精神エネルギー?」

 

 それこそ初代再生計画に必要なものなのだろうか。マコは、「再生計画の?」と訊いていた。

 

「それもあるけれど、こう言えばいいかな。偉人の死体、あるいは伝説の存在の死骸ってさ、昔からある種の神格を持っていたんだ。伝説の死骸で有名なのは、ドラゴンタイプとかかな」

 

 マコも民俗学の講義で聞いた事がある。伝説のポケモンの死骸にはある種の霊的な要素が宿っているのだと。その要素を数値化する事は出来ないが、数々の事象がそれを物語っている。ゴシップのような話だ。

 

「噂でしょ?」

 

「噂なら、何で移植手術なんてやるのさ。それに、実際このパーツがあるから、僕はコドラを上手く扱えている」

 

「何でコドラなの?」

 

 マコの質問にオサムは少し考えてから、「説明、しなきゃいけないか」と呟く。

 

「初代ツワブキ・ダイゴが好んで使っていたのは鉱石系、つまり岩や鋼タイプのポケモンだった。それだけじゃない。鋼タイプ、という新タイプの発見に貢献した人物だ。鋼への造詣が深い。だから鋼タイプとは不思議な縁があるとでも言うのかな」

 

「不思議な縁」

 

 繰り返してみてもそれがどうしてコドラを使う、という風に結びつくのかが分からない。オサムは眉根を寄せた。

 

「……マコちゃん、分かっていないでしょ?」

 

 言い当てられて不服ながらマコは首肯する。

 

「だってそれは初代の話であって、今のオサム君の話じゃないじゃん」

 

「それが僕らはDシリーズで、なおかつ初代のパーツを割り振られている意味なんだって。この初代のパーツには先に言った通り、精神感応波とでも呼ぶべきか、手足のように鋼タイプを動かせる特権みたいなのが付いている」

 

「何でそんな?」

 

「知らないよ。こいつに聞くといい」

 

 オサムが指差すのはソライシであった。ソライシは今もハッキング作業中だがマコの視線を感じ取って声に出す。

 

「……ポケモンと人間の垣根を超える存在。ポケモン側に意識を引っ張られる事を同調現象と呼ぶ。大学やどこかで聞いた事は?」

 

「あります、けれど……、それって眉唾じゃ」

 

「実際のところ、我々研究者の間ではまことしやかに囁かれている現象で、その第一人者が初代ツワブキ・ダイゴだとされている」

 

 ここで繋がってくるダイゴの名前にマコは目をしばたたいた。

 

「だから、何で? 初代がそうだったって言うの?」

 

「確証はないが、その可能性があった。現に初代が成し遂げた偉業は第一回ポケモンリーグ優勝、玉座の一度の防衛、さらに鋼タイプ発見の貢献にデボンコーポレーションの今日までの繁栄に、何よりも、メガシンカの確定」

 

「そこが分からないんですけれど、メガシンカがどうしてそんなにすごい事だと思われているのかってのが」

 

 ソライシはオサムと目線を交し合う。何を確認しているのだろう。

 

「……失礼ながら、名前をヒグチ・マコと聞いた。という事はヒグチ博士のご息女で?」

 

「うん、まぁ」

 

 後頭部を掻いて照れたように笑うとソライシは真剣な面持ちになって、「ならばどうして」と口にする。オサムも差し迫ったような表情だ。

 

「研究者の娘さんなのに?」

 

 二人の重苦しい沈黙を受けてマコは思わず喚いてしまう。

 

「もう! 何だって言うの?」

 

 失礼な話である。女子大生の前で男二人が渋面をつき合わせるなど。ソライシは思い切ったように口にする。

 

「ヒグチ博士は、その部門の研究者ではないはず」

 

「その部門って、メガシンカ? そりゃポケモン群生学って言う地味部門研究者ですけれど」

 

「地味だとしても、ポケモンに携わっている以上、メガシンカ云々の業績を知らないはずがない」

 

 遮って放たれた声はマコの存在それそのものが奇矯だというような調子だった。マコは思わず言い返す。

 

「私が興味ないって言ったから」

 

「そうだとしても、一言もなしに? だってポケモンを持っているはず」

 

「うん、フライゴン」

 

 ソライシはますます難しい顔になり、オサムは、「ちょっと信じられないんだけれど」と手を挙げた。

 

「研究者なのにツワブキ・ダイゴに関して何の疑問も挟まなかった、っていうのが」

 

 そういえばダイゴが一度だけ自宅を訪れた。あの時、サキが何かしら秘密を抱えていたのは明白である。それが後に聞くDシリーズの話だったとするのならば、父親と結託していないほうがおかしい。この段になってマコは気付いた。あの時点で状況が動いていたのだ。

 

「……もしかして、サキちゃん、もうあの時からダイゴさんが怪しいって分かっていて」

 

「何らかの調べを済ませた可能性はある」

 

 ソライシの言葉にマコは今すぐにでも父親に連絡するべきか迷った。しかし自分の危険を誰かに悟らせるわけにはいかない。それが親類ならば余計だった。

 

「……駄目。今の状態じゃ、お父さんと話せないよ」

 

 母親も弟の出産を控えている。この状態で心労をかけさせるわけにいかなかった。

 

「まぁ、順当な判断だ」とオサムは評価する。

 

「ヒグチ博士が重要な秘密を知っていたとして、今のマコちゃんに教えるかどうかは五分五分だし、それにその秘密が重要であればあるほどに、ヒグチ博士自身に危険が及ぶ」

 

 マコは呼吸を整える。暴れ出した動悸を鎮ませようとした。

 

「きっと、お父さんは大丈夫だよね?」

 

 オサムもソライシも確定した事は答えない。しかしマコは大丈夫だと信じたい。そのような危険は自分の家族にはないのだと。

 

「どちらにせよ、それを知ったヒグチ・サキの行動のほうが、ヒグチ博士よりも目立ってしまった、というのが本音だろう」

 

 ソライシの評にマコは胸が締め付けられそうだった。

 

「マコちゃん。ここまで踏み込んだんだ。もう大丈夫とか、そういう適当な慰めは吐けないよ。でも僕は、悔しいけれどディズィーに命じられた。マコちゃんを守れって。まぁもし命じられなくっても同じ事をしたろうけれど」

 

 オサムの声にマコは疑問符を挟んだ。

 

「オサム君が私を守る義理はないんじゃ……」

 

「あるよ、男だからね」

 

 オサムの言葉にマコは耳まで赤くなって狼狽する。

 

「お、男って、私はいつ、オサム君と男と女の関係に――!」

 

「誤解生むような事言わないでって。僕はただ、ディズィーもマコちゃんも女の子なのに、男が前に出ないのはかっこ悪いって言っただけの話」

 

「あ、そういう話……」

 

 拍子抜けすると同時にマコはそれほどまでにオサムが自分達を守る事は、やはりないのではないかと感じた。

 

「でも、オサム君、デボンの側だよね?」

 

「もうどっちの側だとか言っていられない。一度裏切ったし、もう帰れないだろう。僕の帰る場所を守るために僕自身が戦うまでだ」

 

 ぷっとマコは吹き出す。

 

「なんか一人前の男の人みたいだね」

 

 オサムは唇を尖らせて、「それこそ心外だな」と言った。

 

「僕は一人前の男のつもりだよ」

 

「私に負けたのに?」

 

 ぐうの音も出ないらしくそこから先は咳払いで誤魔化した。

 

「とにかく、戦力は多いに越した事はない。僕とマコちゃんが前に出る。ソライシ博士、バックアップは頼めるね?」

 

「どうせデボンに忠誠を誓っても、このタイミングでは不利にしか働かないからね」

 

「このタイミング?」

 

 マコが聞き返すとオサムはまたしても怪訝そうにする。

 

「まさかマコちゃん、何の考えもなしに明日決行にするって思ってる?」

 

 うろたえ気味にマコが頷くとオサムはため息を漏らした。

 

「何よ。私だって色々と考えて」

 

「明日は幹部総会がある」

 

 ソライシが口を挟み、眼鏡のブリッジを上げた。

 

「幹部総会、つまり社長であるツワブキ・イッシンがデボン本社に来る。それに併せて幹部連も顔を合わせる事だろう。その時に攻撃する事によってデボンに致命的なダメージを与える事が出来る」

 

「まさか、社長を誘拐とか?」

 

「そんな映画みたいな真似はしないよ」

 

 オサムはゆっくりと首を横に振った。

 

「僕らがやるのはかき回しだ。ディズィーが恐らく本丸を押さえる。そのための準備をしている事だろう。僕とマコちゃんはせいぜい場を掻き乱す。ただこの場合、恐れるべきなのは後から追われる事態を防ぐ事」

 

 そうだ、監視カメラもあれば警備員もいる。どれだけポケモンの腕が立っても物量で攻められれば勝ちようがない。情報戦も向こうが上ならば負け戦だ。

 

「そのためのわたしだろう? 情報網で君達の顔を意図的に消して、なおかつ足跡さえも残さない。我ながら地味で、なおかつ一番に危うい場所に立ったものだ」

 

 ソライシが必死にやっているのは事後処理の事もあったのだ。そう考えるとマコは自然と物腰が下になっていた。

 

「その、すいません……」

 

「謝る事ないよ、マコちゃん。こいつら、非人道的な実験に手を染めた悪逆非道の輩だ。人間的思考なんて」

 

 オサムが鼻を鳴らす。ソライシは、「理解してもらおうとは思っていないよ」と応じるだけだった。

 

「でも、その、私達が戦うための準備をしてくれているんだから。オサム君、ありがとうって言おう!」

 

 マコの提案にオサムは苦虫を噛み潰したような顔になった。

 

「何だって? こんな奴に頭下げたって」

 

「何言っているの! 一応さ、助けてもらえる立場なんだから、ありがとうって言わなきゃ」

 

 この場において恐らくおかしいのは自分のほうだ。普通の価値観を持ち出して、尋常ではない場所に入り込もうとしている。オサムやソライシ、それにディズィーの思考回路が正解だが、それに順応したくなかった。頭のどこか隅っこで、同調しては駄目だと感じていた。

 

「……分かったよ。何でそこまでなれるのか分からないけれど」

 

「ソライシ博士、ありがとうございます。それに、明日の事、よろしく頼みますね」

 

 マコの笑顔にソライシは頬を引きつらせて、「なるほどね」と呟く。

 

「あのディズィーとか言うのがわたしの監視を君のような女子大生に任せた意味が分かったよ。君の笑顔に、何故か逆らえない」

 

 自分はそのような打算に満ちた顔をしていただろうか。マコが頬に手を当てていると、「逆だよ、逆」とオサムが手を振る。

 

「打算も何もなくって、逆らえないんだ」

 

 その意味はさすがに分からなかった。マコは真剣に考えようとしたが難しい顔をするマコを尻目に今度は逆に二人が笑い始めた。わけが分からない。

 

「もう! 何なんです!」

 

 堪え切れずに憤慨するとオサムは、「いやゴメン」と顔を背ける。

 

「真剣に考えるところじゃないって」

 

「まったく。純朴というのか、純粋というのか。ヒグチ博士は娘さんの育て方を分かっていたようだ」

 



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第九十三話「罪深き」

 

 ほとんど眠れなかった。

 

 ダイゴはカーテンの隙間から陽が差し込むのを黙って見つめていた。朝になってしまう。もう、この日が訪れてしまった。イズミから事前の打ち合わせはあったものの自分がデボンに踏み込むなどやはり尋常な出来事ではない気がしていた。

 

 部屋を出て吹き抜けの二階からリビングに視線をやると支度をしているコウヤと出くわした。朝食を準備しているのはコノハである。昨日の口づけも、話も全て忘れてしまったかのような無表情だった。

 

「コウヤさん、どこかに出かけるんですか?」 

 

 ダイゴが声をかけるとコウヤは振り返って、「まぁな」と応じる。化石バトル後の事に触れようともしない。

 

「どこへ……」

 

「トクサネだ。∞エナジーの実用実験のために打ち合わせが迫っている。もう出ないと。コノハさん、後片付けよろしく」

 

 コウヤは一時すら惜しいとでも言うように立ち上がってしまう。ダイゴは背中に声をかけた。

 

「っていう事は出張で?」

 

「ああ、また三泊くらいは泊まりかな。悪いな、ダイゴ。出たり入ったりの忙しい家庭で」

 

「いえ、別に……」

 

 コウヤは何とも思っていないのだろうか。ダイゴの化石バトルでの意義も、何もかも。許した、というよりはもう覚えていない、というような振る舞いだ。

 

 コウヤが出て行ってからコノハへと振り返るがコノハは一言だって余計な事を言わなかった。ツワブキ家では常に敵の根城にいるようなものなのだろう。

 

「俺も、朝食をもらおうかな」

 

 椅子に腰かけようとすると起き出してきたイッシンの姿が目に入る。イッシンはスーツに身を包んでいた。

 

「どこか、出かけるんですか?」

 

「ん、ああ、幹部総会で今日は早出だ。夜も遅くなるかな」

 

 腕時計を確かめつつイッシンは口にする。幹部総会。そこに自分が踏み込もうと考えているなど露にも感じていないだろう。イッシンはいつも通り、朝食を取った。続いてリョウが欠伸を掻きながら洗面所に向かい、レイカがフォーマルな格好で二階の自室から出てきた。レイカがこの時間帯に合わせるのは珍しい。

 

 朝食の席につくとレイカはいつもの通り端末を弄り出した。それをイッシンがいさめる。いつも通りの光景だが違うのは自分の心境だ。この後、この家族を出し抜く真似をする。そう考えるだけで飯が喉を通らなかった。

 

「レイカ、今日は早いんだな」

 

「ええ、まぁね。たまには早く起きるわ」

 

「コノハさん、オレの飯も用意してくださいよ」

 

 まだ寝巻き姿のリョウが声にする。イッシンは、「非番か?」と尋ねた。

 

「非番だけれど、疲れを引きずっていて眠れなかった。まぁ、せいぜい留守番中に寝るとするよ」

 

「ごちそうさまでした」

 

 半分ほどしか食べられなかったが箸を置く。イッシンが、「食べないのか?」と尋ねた。

 

「食欲が」

 

「朝御飯くらい食べろよ。力出ないぞ、ダイゴ」

 

 リョウは、化石バトル後に絶対コウヤと結託したはずなのだ。それをおくびにも出さないのは何らかの作戦が遂行されていると考えるべきだろう。

 

「俺も今日は寝ようかな。眠れなかったし」

 

 部屋に取って返そうとするとちょうどクオンと出くわした。クオンは目を見開いて自分を眺める。どうしてだかその一瞬、クオンの呼吸が止まったような気がした。

 

「おはよう、クオンちゃん」

 

「おはよう、ダイゴ……」

 

 その声もどこかか細い。ダイゴは思い切って尋ねてみる。

 

「何か、俺に用?」

 

「そんな事。あたしは何も」

 

 何か含んでいる様子だったがダイゴにそれを解する勇気はない。昨日のコウヤから取り上げたホロキャスターやUSBの情報端末について聞こうにも人の目があった。

 

「クオンは、今日は登校日だったか」

 

「ええ、父様。何かご用事?」

 

 観察しているとどこかクオンの表情は硬い。イッシンは、「仕事だよ」とだけ答える。

 

「クオンは学校へ行くのか。いいよなぁ。学校でぐーすか寝られるし」

 

 リョウが身体を伸ばす。レイカが、「あんただけでしょ」と口を挟んだ。ダイゴは考えてしまう。

 

 もし、今日デボンに押し入る用事がなければ、あるいはそのような賢しい真似を考えなければ、この人達と家族でいられたのだろうか。益のない思考だと分かっていても考えてしまう。ツワブキ家は一切無害な家系ではない。全員が腹に一物抱えている。しかし、そのような家庭がないとは言い切れない。全員が全員に秘密がある。それでも成立するのが家族ではないのだろうか。自分は短い間とはいえ、ツワブキ家の家族だった。欺く事はあったし、秘密はあったものの家族であった事実は消えないのだ。

 

「どうした、ダイゴ? ぼぉーっとして」

 

 イッシンが声にする。ダイゴは、「いえ」と顔を背けた。

 

「俺みたいなのでも、その、朝御飯は食べられるんだな、って」

 

「分からん事を言う奴だな。お前はツワブキ・ダイゴだろう?」

 

「そうだぜ、ダイゴ。別に朝飯代くらい、どうって事ないさ。何も気に病む事はない」

 

 ダイゴは、少なくともツワブキ家のほとんどが敵だと思っていた。その考えは変わらないし、その判断に間違いがあったとも思えない。しかし紛い物でも家族でいられた、この時間を果たして壊していいものか。胸中には迷いがあった。

 

 偽りでも、この人達は受け容れてくれた。

 

 何もなくても、例えば自分がD015でなくとも、あるいはフラン・プラターヌの姿であっても、この人達はこの関係を築いてくれただろうか。

 

 きっと無理であった。この空っぽの「ツワブキ・ダイゴ」でなければ訪れなかった心の平穏。家族であった、という証。

 

「俺、戻ります。寝不足で、考えが纏らなくって」

 

 半分は本音だった。イッシンは満足そうに笑う。

 

「寝不足はいかんな。クオンの送り迎えだけはしてやってくれよ」

 

「ダイゴ、何も気負う事はないんだ。クオンにも定期を持たせればいいだけの話だし」

 

「いえ、何もする事がないのは嫌なので。その頃には起きますんで」

 

 ダイゴは自室へと向かった。扉を閉めて、部屋の中で嗚咽を漏らす。耐えられなかった。この人達と何も知らぬまま、家族でいられればどれほど楽か。

 

 いっその事、無知な「ツワブキ・ダイゴ」のままでいいではないか。

 

 何かを知ろうとはせずに、ただただ毎日を過ぎ去っていれば、自分には誰しもにある平和がある。

 

 ツワブキ家で面倒は看てもらえるだろう。クオンの送り迎えをする、家事をする、あるいは相談相手になる、それだけでもいい。自分はそれだけの価値でもいいではないか。どうしてそれ以上を望む必要があるのだ。

 

 昨夜のコノハとのキスが思い出される。あれはもう戻れない、という署名だった。きっとあれを受け入れるまでは自分はツワブキ家でいられたのだ。

 

「俺は……、俺自身の事が知りたい。何よりも自分の手で自分の記憶は探すべきだ。だっていうのに、今さら何も知らない頃に戻りたいだなんて……」

 

 身勝手もいいところ。自分は結局、どの立ち居地にもいたくないのだ。コノハの恋人になりたくもない。クオンのよき相談相手になりたくもない。リョウの温情を受けたくもない。イッシンと対等の立場にならなくっていい。レイカとはこの距離間でいいし、コウヤにも包み隠す事はない。

 

 コノハとは……。ただの家政婦とその雇い主の家系でいい。それだけでいいではないか。何を高望みする必要がある? 

 

 だが自分には、戻れるだけのチケットがない。逆方向だ。もう片道切符しか残されていなかった。「ツワブキ・ダイゴ」でいられなくなるか、それとも「ツワブキ・ダイゴ」で居続けるかどうかだけの。

 

「俺は……」

 

 蹲りダイゴは涙を拭う。恐れを捨てる事も出来ないし非情になる事も出来ない。きっと、中途半端のまま、自分はその時を迎えてしまう。

 

 時は無情にも、ダイゴの意思とは無関係に進んでいった。

 



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第九十四話「永遠の命題」

 

 部屋に戻るとどこから仕入れたのか、ディズィーは朝食のパンを頬張っていた。

 

「うまっ。いいパン食べてるんだね」

 

 昨夜から作曲ソフトを立ち上げっ放しである。クオンは尋ねていた。

 

「そんなに時間が?」

 

「いんや、足りているんだけれどストック作ってるんだよ」

 

「何のために?」

 

「デボンコーポレーションの事故の後から、ギルティギアの新曲出なくなったねー、ってしないため」

 

 事故。ディズィーはあくまで事故にしようとしている。これから起こる事は謀反と大差ない。自分の父親を騙し、デボンの秘密を明け渡そうとしている。

 

「ディズィーさんは、何を信じているんです? ホウエンの未来で何でもなく、あなたは何か違う事を信じている気がするわ」

 

「そうだよ。オイラにとっちゃ、デボンが何に成り代わろうが知ったこっちゃない。でも、当事者たる君や、他の人達は変わるだろうね」

 

 振り返ったディズィーが自分を指差す。クオンはベッドに腰かけた。

 

「あたしに、父様をどうしろって言うの?」

 

「それはキャプテンに聞きなよ。ネオロケット団はどこまでデボンを追い詰める気なんですか、って」

 

 電話番号は預かっている。もしもの時はかけてくれと言われているが、もちろん勇気が湧かなかった。

 

「出来れば、誰も争わない道はなかったのかしら?」

 

「それが欲しければ、まず初代ツワブキ・ダイゴの存在だろうね。彼が発端だ」

 

 フラン、という青年がデボンの闇に踏み込まなければ。Dシリーズに改造されなければ起こらなかった悲劇。クオンは固く瞼を瞑る。これほどの犠牲も、何も必要がなかったのに。誰しも初代の亡霊に衝き動かされて、狂気に身を落としていく。

 

「初代は何がしたかったのかしら? あたし達を逃れえぬ運命に縛り付けて、その本人の魂は今もその辺りを彷徨っている、って言うんでしょう?」

 

「ツワブキ家の考え方ならね」

 

 クオンは祈る。お爺様、あなたはもうこの現世に関わらないで欲しい。もう、誰も悲しませないで欲しい。それが無理な願いだと分かっていても。自分達、現世の人間こそがあの世の初代の影にすがっている張本人だと知っていても。

 

「初代に言わせても迷惑かもね。あるいは誰がこんな間違った事をやり出したのかって話になるけど水掛け論だ。誰が泥を被っても解決しない、喉元まで来てしまっている」

 

 ツワブキ家の全員が当事者。その咎人の一人が自分なのだ。ならば終わらせるのも自分の役目。

 

「レイカ姉様が関わっているのならば、間違っているとあたしは言うわ。リョウ兄様がやっている事なら、それは駄目だって。コウヤ兄様も、きっと怒るだろうけれど、あたしが説得する。……父様が関わっている事なら」

 

 そこから先が容易には言えなかった。父親さえも否定して、この狂った計画を終わらせられるのか。クオン一人には重かった。

 

「オイラもいるよ」

 

 不意にディズィーが口にする。彼女は作曲しながら、「オイラもいる」と繰り返す。

 

「クオっちだけ背負わなくっていいって。オイラやダイゴにじゃんじゃん背負わせなよ。どうせ一蓮托生なんだからさ」 

 

 クオンは今にも折れそうな心を持て余しながら、「でも……」と口にする。

 

「でもじゃないよ。ヒーローに守られるのはヒロインの特権だ」

 

 自分は守られる側なのか。改めて己の弱さを自覚すると共に、どうすれば、という思いが強くなる。どうすれば、皆を救う事が出来る? どうすれば、ダイゴを本当の意味で解き放てるのか。

 

 永遠の命題のように果てしないように思える。

 

 元よりこの名前を引き継いだせいでダイゴは負わなくてもいいものまで背負っている。彼個人の究極の望みは何よりも記憶を取り戻す事なのだ。それがいかに危険で、そのために何人が犠牲になったかなどダイゴには聞かせたくない。彼には記憶を取り戻して欲しい。だが記憶を取り戻した時、もう自分の知るダイゴはいないかもしれない。ダイゴは掴もうとして消えていく砂のように儚い。

 

「どうすれば、ダイゴを楽に出来るんだろう?」

 

「クオっちの考える事かな? それこそキャプテンやら他の人達に任せれば」

 

 キャプテン。

 

 ネオロケット団を率い、なおかつ初代と顔見知りであったという。この街でも何人か初代の関係者はいた。

 

 教師であるハルカは初代の思い出話を語ったし、初代がどれほど愛されているのかも分かった。しかし、クオンは今のダイゴが何よりも愛おしいのだ。どうして記憶を取り戻さなければならないのだろう。どうして今ではない自分になる必要があるのだろう。

 

「あたし、言わなきゃ」

 

 立ち上がったクオンを胡乱そうにディズィーが見やる。

 

「どうするってのさ」

 

「ダイゴに、彼に聞きたい」

 

 扉を開けようとしてその背へと声がかかった。

 

「待ちなって」

 

「止めないで。あたしは」

 

「止めやしないよ」

 

 意想外の言葉にクオンは振り返る。ディズィーは胡坐を掻いて、「一蓮托生だって、言っただろう?」と笑みを浮かべる。

 

「現ツワブキ・ダイゴ。連れて来なよ」

 



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第九十五話「守る事と戦う事」

 

 どういう事なのかまるで分からなかった。

 

 クオンの部屋に呼ばれたかと思えば誰とも知らぬ人間が部屋の主を主張するように真ん中で居座っている。目線で問いかけると、「ディズィーさん」とクオンが答える。

 

「歌手、らしい」

 

「らしいじゃなくってそうさ。よろしく、現ツワブキ・ダイゴ」

 

 現、という言い方にダイゴは直感的に感じ取った。

 

「俺の事を、初代の事まで知っている?」

 

 差し出された手にダイゴは後ずさる。ディズィーは、「君が思っている以上に君は有名だよ」とダイゴを指差す。

 

「ねぇ、現ツワブキ・ダイゴ。君はクオっちを守りたいと思っている? 本当に、守れると思っている?」

 

 唐突な質問だったがダイゴは答える。クオンは家族だ。それに自分の中では大切な人である。

 

「俺は、俺の力の及ぶ限りならばクオンちゃんを守りたい」

 

「そっか。ならさ」

 

 ディズィーと名乗った女性は手を離す。先ほどまで握られていたそれが落下する。

 

「オイラを倒してから言うんだね」

 

 瞬間、床に落ちて開いたモンスターボールから解き放たれた光がダイゴ目指して飛びかかる。ダイゴは咄嗟に緊急射出ボタンを押した。

 

「メタング!」

 

 飛び出したメタングの鋼の腕がそれを阻む。黒い顎を突き出した矮躯だった。

 

「ポケモン……。ポケモントレーナーか」

 

 敵意を剥き出しにしたダイゴへとクオンが取り成すように声にする。

 

「ディズィーさん? 何で、ダイゴに攻撃を」

 

「ここでオイラに負けるようならさ。クオっち一人の女の子守るなんて出来ないって言っているんだよ」

 

 挑戦的なディズィーの言葉にダイゴは反感を覚えた。この女性は何を言っているのだ、

 

「俺を、どうするって言いたい?」

 

「どうも。出来れば、殺さずにこの戦いを終わらせたい」

 

 顎を突き出したポケモンがメタングに弾かれて跳躍する。着地したその姿は小柄であったが、背部の器官が発達しておりそれが猛獣の顎のようになっているのだ。

 

「クチート。オイラはさ、正義の味方だから。現ツワブキ・ダイゴ。君がそれに相応しくないのならば、ここで潰す」

 

 クチートと呼ばれたポケモンが跳ね上がる。素早さは高いようだがこちらには先制を約束した一撃があった。

 

「バレットパンチ!」

 

 メタングが弾丸のように腕を振るう。クチートへと叩き込まれた一撃には確かな手応えあったがクチートが後退する様子はなかった。それどころかメタングの拳をいなし、弾き返す。

 

「堅い……」

 

 小柄のポケモンの持つ防御力ではない。ディズィーが手を振り払う。

 

「飛びかかれ、クチート!」

 

 クチートの動きは細やかでメタングで追うには素早さが違う。ダイゴはメタングに次の技を命じた。

 

「思念の頭突き!」

 

 メタングが床へと思い切り頭突きをかます。すると思念が床を走り、背後を取ろうとしたクチートへと絡みついた。クチートが身をよじる。

 

「動けないはずですよ。思念の頭突きは、そう容易く破れるものじゃない」

 

「そうか。容易く、は破れないかもね」

 

 その余裕に疑問を呈する前にディズィーはペンライトを取り出す。点灯させるとそれを斜に振るった。

 

「クチート、メガシンカ」

 

 その言葉に呼応してクチートの周囲の空気が変動する。たちまちクチートへと展開されたのは紫色のエネルギーの外殻だ。その殻が「しねんのずつき」のエネルギーを弾き、完全に無効化する。ダイゴがその様子を眺めている間にもクチートに纏わり付いた殻が収束し、やがて弾き飛ばされた。

 

 そこにいるのは最早クチートではない。発達した顎のような器官を左右一対持ち、身体の形状も袴を思わせる井出達になっている。ほとんど別のポケモンと言っても差し支えなかった。

 

「この、ポケモンは……」

 

「メガクチート。オイラの切り札さ」

 

 クオンさえも知らなかったのだろう。驚愕に塗り固められた表情で、「メガシンカ……」と呟く。

 

「そう、クチートはメガシンカの可能な個体。その鈍重そうなメタングで、どこまでやれるのか――」

 

 メガクチートが身を沈ませる。来る、と分かっていながらもダイゴには対抗手段が思い浮かばなかった。どう動くのかまるで読めない。

 

「確かめてみなよ!」

 

 メガクチートが跳ね上がる。想像以上の動きであった。アクロバティックにメタングを追い詰めようとする。ダイゴは思わず声を発していた。

 

「メタング、バレットパンチ!」

 

「遅い!」

 

 一喝した声にメガクチートは小さな細腕で「バレットパンチ」を弾いてみせる。ほとんど触れたか触れていないか分からないような動きであったが指先だけでいなしたのだと分かった瞬間、ダイゴは震撼した。

 

「そんな……、こんな小さなポケモンのパワーじゃ」

 

「ポケモンの体格の差が、戦力の決定的差になるわけではないと、教えてやる!」

 

 懐へと潜り込んできたメガクチートがメタングへと思い切りヘッドバットをかます。メタングが傾ぎ、その鋼の身体に残響した。

 

「このダメージ……」

 

「アイアンヘッド! 効果はいまひとつだろうけれどパワーは分かったはずだよね」

 

 小柄なポケモンのパワーではない。ダイゴはメタングが分からぬ程度の脳震とうを起こしている事に気付いた。トレーナーである自分とて、深く観察していなければ分からないほどの。それだけメガクチートの攻撃が正確でなおかつ威力が高いのだ。ダイゴは特性に恐らく秘密があるのだと看破した。

 

「特性、か」

 

「分かる? 特性、力持ち。物理技の威力を問答無用で倍にする。これ、あんまり馬鹿に出来ないのはトレーナーなら理解が出来る」

 

 問答無用で倍。それがどれほどの脅威なのかはすぐさま判断出来る。たとえ効果がいまひとつでも倍にすれば通常ダメージだ。効果抜群を通せば四倍のダメージ。ダイゴは恐れるべき相手と戦っている事を実感する。

 

「メガクチート、手加減とか出来る相手じゃなさそうだ」

 

「分かってきたじゃないか。そうだよ、オイラは勝つつもりで出しているんだから」

 

 メガクチートの背面にある一対の角から蜃気楼が巻き起こる。ダイゴは炎タイプの技の予感に身を震わせた。

 

「炎の牙。これ、鋼対策に入れているんだ」

 

「いいんですか? 先に言ってしまって」

 

「構わないよ。どうせ、メタングには」

 

 指揮棒を振るうようにディズィーは言い放つ。

 

「これを防ぐ術はない。行け! メガクチート!」

 

 メガクチートが駆け抜ける。立体的に攻めてくるせいでメタングの「バレットパンチ」が通常のように通るとは思っては駄目だろう。しかも手応えからして相手のタイプは鋼にとって性質が悪い。この状況でメタングの勝つ確率は万に一つもない。

 

「……でもだからと言って、俺は諦めない」

 

 メタングが腕を振るい上げる。「ほのおのキバ」を使用したメガクチートの一撃が食い込んだ。鋼の表皮を容易く融かし、その深層へと至ろうとする。

 

「勝負を捨てたか!」

 

「俺は、自分の記憶を取り戻す。そのために必要ならば」

 

 ダイゴの赤い眼差しがメタングのそれと同期する。メタングが腕を振るい落とした。メガクチートはしかし強く噛み付いており離れない。

 

「――俺は、悪にだってなる!」

 

 瞬間、先ほどまでメガクチートの噛み付いていた腕がメタングから分離した。その動きにディズィーが狼狽する。メタングは自ら腕を射出し、攻撃から逃れたのだ。

 

「ダンバルであった頃の習性……。メタングの腕を切り離した……」

 

「それだけじゃない!」

 

 分離したメタングの腕が輝きを放つ。ディズィーは慌てて指示を出した。

 

「まずい、メガクチート離脱……」

 

「爆ぜろ! コメットパンチ!」

 

 射出された腕が次の瞬間、起爆する。メガクチートはまともにその攻撃を受けた。メガクチートが転がり落ち、メタングが片腕だけで浮遊する。

 

「まさしく、肉を切らせて骨を絶つ戦法か。メタング、片腕だとまずいんじゃないの?」

 

 ディズィーの挑発にもダイゴは、「そうかな」と返す。

 

「そっちだって、今の攻撃、全く防御姿勢を取れなかった。メガクチートだって追い込まれている」

 

 メガクチートがよろよろと立ち上がる。ダメージは明らかだった。ディズィーはしかし攻撃姿勢を取らせる。一対の角を突き出してメガクチートが威嚇した。

 

「メガクチートの属性はフェアリー・鋼。鋼タイプはさほど痛手ではない。今の攻撃、まずったのはどっちか」

 

 緊張の間が流れる。しかしダイゴは徹底抗戦の構えを崩すつもりはなかった。たとえ両腕を取られても、頭突き攻撃で対応のしようはある。

 

 ダイゴの眼差しを見据えてディズィーはしばし戦闘姿勢を取っていたが、やがてフッと口元を緩めた。

 

「やめたやめた。やっぱり、それなりの覚悟は持っているか」

 

 ペンライトを逆に振るうとメガシンカが解除される。クチートは長大な角を撫でてもう戦闘意識がない事を示した。

 

「何のつもりだったんだ?」

 

「別に。大した事じゃないよ。たださ、クオっちを守るって言っているんならそれなりの覚悟が欲しかっただけ」

 

 ディズィーはモンスターボールにクチートを戻す。ダイゴは目線でクオンに問いかけた。

 

「ゴメン、ダイゴ。あたし、止められなくって」

 

「いや、それはいいんだ。ただ、結局あなたは誰なんです?」

 

 ダイゴの質問にクオンは言い辛そうにする。ディズィーは、「全くの無関係じゃない間柄かな」と告げた。

 

「無関係じゃない……。俺の失う前の記憶に関係しているのか?」

 

「そこまでは判別つけようがないけれど、一つだけ」

 

 ディズィーは手を差し出す。ダイゴは気後れ気味に、「何です?」と口にした。

 

「鈍いなぁ。健闘を称えた握手だよ。やっぱり、君は本物だ」

 

 ダイゴはクオンに確認してからその手を握り返す。

 

「敵じゃない、って思っていいんですか?」

 

「まぁ何よりもこれから先の行動は一致している」

 

 鼓動が跳ねた。誰にも幹部総会を襲う事は言っていない。

 

「デボンを突く。準備はいいね?」

 

 覚えずクオンを見やる。クオンは頭を振った。

 

「実は、ダイゴの事を知っている人達と、あたしはアクセス出来たの」

 

 意外な事実に目を見開く。いつの間にクオンはそこまで至ったのだろう。化石バトルの後に何があったのか。推測するしかなかった。

 

「連中の名前はネオロケット団。その総帥が、君の事をよく知っていた」

 

 自分の事を知っている人間。このホウエンではコノハを含むごく少数しかないのだと思っていた。それが組織単位でいるなど信じられない。

 

「本当に、俺の事なのか?」

 

「嘘じゃないと思うけれど。詳しかったからね、クオっち」

 

 クオンも気後れ気味に頷いた。クオンが認めるのならば確かなのだろう。

 

「でもだとすれば、どうして俺本人に接触してこない?」

 

「危険があると分かっているからさ。このツワブキ家には容易に介入出来ないと」

 

 それでも、自分の事を知っているのならばダイゴは望みを繋ぐ事が出来た。自分が何者なのか。本当にフランという名前だったのか。どういう人間だったのかを知りたい。

 

「その人達と話している時間は?」

 

「今はもうないよ。デボンに攻め込むには一番いい時間帯がある」

 

 このディズィーという人物は何者なのだ。自分の全てを掌握されているような気がした。

 

「……誰にも言っていないのに、何で?」

 

「機密も、ある一定の場所にあればもうそれは閲覧可能な人間がいるって事だよ。そこから攻め込むのは得策じゃないから突かないけれどね」

 

 イズミが漏らしたか。あり得ない話ではない。

 

「オイラ達はネオロケット団の力添えで侵入出来そうだけれど、現ツワブキ・ダイゴ。君のほうは?」

 

「俺にも伝手がありますから。そっちの話で」

 

「じゃあ攻め込む時間帯は一致しているはずだ」

 

 部屋を出るとツワブキ家はもぬけの殻である事に気づく。だからこそディズィーは戦闘をしてきたのだろうか。

 

「行こう。現ツワブキ・ダイゴ」

 

 再三のディズィーの言葉にダイゴは苦言を呈す。

 

「あの、現っての、やめてもらえます?」

 

 何だか自分が自分でないような感覚だ。ディズィーは悪びれるわけでもない。

 

「失礼。初代を基点として考えちゃうとどうしてもね」

 

 初代ツワブキ・ダイゴ。全ての糸が繋がる中心人物。ダイゴはツワブキ家を後にする。

 

 もしかすると、何もしなければ、何も知ろうと思わなければ家族のままでいられたかもしれない場所を捨てるのだ。それなりの感傷が掠めたがダイゴは自分の意思を貫き通した。

 

「俺は、俺が何者であるのかを知りたい」

 



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第九十六話「岩石の罠」

 

 トクサネシティは人工島である。

 

 元々、海抜の高い山であったのを切り崩して島としての体裁を整えた。しかし島になった当初は何も名物がなく、経済状況は悪化。

 

 一時期は本土の偽物の調度品で食い繋いできた歴史を持つ少しばかりの手垢に塗れた街。そこに介入したのがデボンのロケット事業である。∞エナジーの研究も人工島ならば本土に被害を及ぼさずに済む。

 

 何よりも地理関係が理想的だった。本土より離れ過ぎているわけでもない。かといって、少し行けばルネシティやミナモシティのアクセスの便もよく、決して不自由とは言えない。

 

 ロケット開発事業はデボンが主軸に据えている事業の一つで、ホウエンでの多額の出資者や、豊かな自然環境を活かした事業である。元来、ホウエンは土地だけには恵まれており、ロケット開発など本来は環境破壊だ、地域の越権行為だと喧しいところだが、余った自然と効率的に活かしてくれると最初から歓迎ムードであった。

 

 トクサネシティは物流も盛んであり、ペリッパーを使っての空輸も簡単に行える。資材を集める事はさほど難しくなく、この事業そのものは初代ツワブキ・ダイゴの父親、ツワブキ・ムクゲからプロジェクトとして組み込んでいたものだ。その事業を今や次期社長のポストが約束されたコウヤが引き継いでいる。ツワブキ家からしてみれば永遠の夢であり、またデボンからしてみればこの事業に賭けるものも大きく、事業の成功如何によって株価が大きく変動するのだ。まさしく社運をかけた一事業。コウヤはメイン宇宙センターに足を運んだ際、トクサネの技術者は優秀だと褒めそやした。

 

 軽んじていたわけでも、ましてやその力を過信していたわけでもない。ただただ圧倒された。カナズミシティがいかに箱庭なのかを思い知らされる。だからこそ、旅は尊い、とコウヤは考えている。イッシュに渡った時もその圧倒的な集団の力にコウヤは閉口したほどだ。イッシュとは様々な種族が集まった事を示す名前。デルパワーの集積地点を基軸として、建国された太平の国は今や一軍事産業も視野に入れて拡大を続けている。ホウエンと並ぶ豊かな資材に恵まれた国。コウヤは出張先で出会った男の名を思い出す。

 

 太陽の鬣を持つ初老の紳士、アデク。イッシュの王であり、なおかつ第一回ポケモンリーグにおいては自分の祖先と鎬を削った間柄だ。アデクにコウヤはいくつか質問をした。

 

 初代ツワブキ・ダイゴは強かったか? あるいはあなたの前では些事だったか。それとも強者として立ち塞がったか?

 

 アデクは、「今さらに四十年も前の話をほじくり返そうとは思わん」とどこまでも快活な男であった。

 

「ワシも相当に老いた。第一線を語るには少しばかり歳を取りすぎたものよ」

 

 それでもアデクが王である事に違いはないではないか、とコウヤが切り返すとアデクは微笑んだ。

 

「今次のポケモンリーグで王権を渡す手はずが整っている。もう次の王の時代よ」

 

 アデクは寂しげに語ったのだ。自分の王の時代はもう終わりを告げると。コウヤは意外であったが、その継承者の名前を聞いて納得した。

 

 イッシュにおける龍の一族、ソウリュウシティの守り手の末裔である少女であった。

 

 名をアイリス。

 

 八番目のジムバッジの守り手として防衛成績はトップの少女である。彼女になら、と四天王も納得の上らしい。それでも形式上、王位継承のための四天王戦が待っており、アイリスはそのためにイッシュ東部のブラックシティで修行の最中らしい。ブラックシティには宿泊施設も数多い。コウヤも幾度か訪れたが、あの街は全体規模でトレーナーの育成を行っている。修行にはもってこいだろう。

 

「しかし、イッシュの四天王と言えば、エスパーの使い手でありかつてはフロンティアブレーンとして確固たる地位を築き上げたカトレア、ゴーストの使い手であり小説家としても名高い、シキミ。盟友カントーの四天王シバの血筋である、レンブ、悪タイプの第一人者として学会に呼ばれることも多い、ギーマと名だたる精鋭達ではないですか。彼らの防衛成績も決して悪くはない。ドラゴン一辺倒のトレーナーが玉座、というのは考えられますか?」 

 

 コウヤの質問をナンセンスだというようにアデクは笑い飛ばす。

 

「そちらの王とて鋼の使い手じゃったろうに」

 

 一本取られた、という風にお互いに笑ったものだ。コウヤはあれほどさばさばとした人格の人間ならば王になるのもさもありなんと考えていた。

 

「ツワブキ顧問、現在の∞エナジーの稼働率です」

 

 そう言われてようやくコウヤは思案から現実に引き戻された。イッシュでの出来事は楽しい思い出として刻まれた事だろう。

 

 ディスプレイに表示された∞エナジーの稼働率にコウヤは顎に手を添えて考え込む。

 

「稼働率は六を切っているな。もう少し安定稼動にはならないのか?」

 

「これでも随分と調整したんですが、やはり安定稼動にはエネルギーの絶対量が足りませんよ」

 

 ∞エナジー。

 

 ロケットを成層圏まで飛ばし、さらにはあらゆる物流、及びエネルギーの代替案としてデボンが進めている夢の媒体。デボンはこの先、このエネルギーを主軸にして社運をかけてロケット開発とエネルギー部門に力を注がねばならない。自分はそのために次期社長を任されているのだ。決してコネや世襲制という古い因習だけで社長のポストを狙えるわけではない。

 

「頼むよ、これからのエネルギーは君達にかかっている」

 

「言われなくとも」

 

 エンジニア達は即座に他のプログラムを組み上げる。コウヤが舌を巻いたのはガラパゴス的に進化した技術者達の行動である。動きも先鋭化され、最早自分の挟む口などほとんどなかった。彼らに任せていれば∞エナジーはきっといいほうに向かう。コウヤはそう信じて疑わなかった。

 

「しかし、ツワブキ顧問も大変ですね。イッシュからとんぼ返りしてきてそこからトクサネとなれば苦労はお察しします」

 

 研究員の声にコウヤは、「疲れなんて吹っ飛ぶさ」と腕を振るい上げた。

 

「これだけ頑張っている社員の姿を見るとね」

 

 コウヤの声にコンソールに向き合っている研究員達がめいめいに声を上げた。

 

「ツワブキ顧問の実地データ、とても役に立っていますよ。イッシュのデータと、カロスのデータは特に」

 

 自分が出張している間に、他国の技術者から得たデータはもう流入させている。それを一朝一夕でやってのけるのがトクサネのエンジニア達だ。

 

「君達の実力に比べれば。おれなんてただ飛び回っているだけだよ」

 

「いや、ただ飛び回っているだけにしちゃ、毎回手際がいいじゃないですか」

 

「こら、軽率だぞ」と他の職員がいさめる。コウヤは朗らかに、「いいって」と肯定する。

 

「まぁ、昔から纏めるのだけは上手いんだ。この技術が今後、役に立てれば――」

 

「そいつはちょっと無理がかさむな」

 

 割って入った声に全員が目線を振り向ける。トクサネ宇宙センターのメインフレームの扉に寄りかかった男の姿があった。赤い帽子に野性味溢れる無精ひげを生やしている。全身が赤で装飾されており、男の姿はそれだけで記憶に残った。

 

「お前は……」

 

 コウヤが思わず発した声に相手は歩み寄ってエンジニアの仕事を窺い見る。

 

「ちょっと野暮用があってね。あんたらの仕事場にお邪魔させてもらった」

 

 男の声にエンジニア達は反感の声を上げる。

 

「何だ、お前は!」

 

 そのエンジニアへと岩の散弾が突き刺さる。男の放ったモンスターボールから出てきたのは要塞と見紛うほどの岩石ポケモンであった。赤い鉱石が光り輝いている。

 

「ギガイアス。エンジニア一人の命を奪うくらい、造作もない」

 

 恐慌状態に陥らなかった研究員達をコウヤは優秀だと判じた。仲間が一人やられても誰もパニックにならない。いや、ただ単に事実を呑み込めていないだけか。

 

「お前……イッシュで襲ってきた……」

 

 覚えがあった。自分がアデクと行動を共にしている時、襲い掛かってきた岩タイプ使い。その時には全く相手の姿が見えなかったのだが、ギガイアスの威容には見覚えがあった。

 

「ご周知いただけて光栄だね」

 

「暗殺者風情か。ここに何をしに来た?」

 

「改めまして。オレの名はギリー・ザ・ロック。雇われの殺し屋だよ。殺し損ねた命、貰い受けに来た」

 

 全員の目線がコウヤへと集まる。コウヤは鼻を鳴らした。

 

「イッシュでの借りを返そうって言うのか」 

 

 あの時、アデクの援護によって事なきを得た。しかし暗殺の脅威が去ったわけではない。

 

「まぁね。オレもあんたも大変だ。イッシュとホウエンを行ったり来たり。それもこれも、アリバイ作りに他ならないんだが、あんたは違ったかな?」

 

 ギリーの試すような物言いに全員が次の対応を決めかねている。コウヤは声を張り上げた。

 

「全員、退避ブロックへ! おれが、こいつをやる」

 

 コウヤはモンスターボールを手にギリーへと歩み寄る。ギリーは肩を竦めた。

 

「おいおい、間違えんなよ、デボンの御曹司。オレと一対一でやり合えるとでも?」

 

「そちらこそ、おれの事を過小評価しているようだが言っておく。イッシュでの襲撃時、おれは逃げたんじゃない。誰の目にもおれの手持ちを晒したくなかったんだ。こいつは特別な一体だからな」

 

 エンジニア達がエレベーターへと雪崩れ込む。それを視野に入れてからコウヤはギリーを睨み据えた。

 

「エンジニア、部下にも見せないか。徹底しているじゃないか。それほどまでに秘密の手持ちとやり合える事、光栄と思うべきかねぇ」

 

「光栄?」

 

 コウヤは笑い声を上げる。ギリーが眉根を寄せた。

 

「……何が可笑しい?」

 

「光栄も何も――そんな事を考える前に、お前は死に絶える。行け」

 

 コウヤがボールを放る。そこから飛び出してきたのは無数の岩だった。あるものはコンソールへとそのまま落下し、あるものはギリーの背面に落下した。ギリーが、「おいおい」と笑い飛ばす。

 

「ジョークにも程があるぜ? まさかモンスターボールに岩入れているなんて。これが奥の手? ちょっと笑わせるなよ、御曹司」

 

 ギリーの対応にもコウヤは鉄面皮を崩さない。それが本気だと分かった時、ギリーの態度が変わった。

 

「……嘗めてんのか? オレは一流の暗殺者なんだぜ? もう射程に捉えている獲物を逃すほど、間抜けじゃねぇ」

 

 ギガイアスが頭部を沈める。額を割る形に構成された一枚岩が光り輝いた、その時である。

 

 紫色の思念がギガイアスの首に引っかかった。ギガイアスの照準がぶれ、発射された岩の弾丸はコウヤに命中しなかった。

 

「たまたまだ! ギガイアス!」

 

 再度、照準を合わせるギガイアスだったが今度は後ろに引っ張り込まれその頭部が地面を穿った結果となる。ギリーは二度も照準のブレが起こるはずもない、とようやく察知したらしい。

 

「何をしやがった……!」

 

「おれはね、自分好みのフィールドに仕立て上げるのが好きなんだ。相手との戦闘において真っ先に思い浮かべなければならないのはそれさ。自分の領域に踏み込ませる。もうお前は、おれの距離に至っている」

 

 コウヤが歩み出る。ギガイアスは確かに照準しているというのに、その弾丸が一度として命中しなかった。ある時は弾丸そのものが多いに攻撃精度を落とし他のコンソールへと突っ込む形となる。ギリーは慄いた眼を向ける。

 

「ただの、岩じゃねぇのか……」

 

「ただの岩だと思ったか?」

 

 コウヤが指を鳴らすとギガイアスが全身から砂を噴き出した。それが岩タイプにとっては血潮そのものなのだとギリーは理解しているようだ。突然ギガイアスが流血した。その現象にギリーが戦慄する。

 

「馬鹿な……。どこから攻撃を」

 

「全方位、と言ったほうが正しいか」

 

 ギリーは即座に命令する。

 

「ギガイアス! そこいらの岩を破砕しろ!」

 

 ギガイアスがそちらへと攻撃を向けようとするも岩はまるで足でも生えているかのように移動した。ギガイアスの岩の弾丸を一発だって食らう事はない。

 

「ちょこまかと……。てめぇ! 戦う気があるのか!」

 

 張り上げられた声にコウヤは首を傾げた。

 

「はて、戦う気、だと? 何か勘違いしているな、一流の暗殺者。おれを相手取りたかったら、本当に暗殺手段を用いるべきだった。こんな、真正面から愚直に向かわずに、おれの寝首を掻くべきだったのだ。まぁどうせ、おれの隙をつく、なんて事は不可能なんだが」

 

 岩が浮き上がる。それぞれに紫色の思念を棚引かせた岩の浮遊現象はギリーにとって不気味に映ったに違いない。手を振り翳し、「んなこけおどし!」と自身を鼓舞する。

 

「オレのギガイアスの敵じゃない! ギガイアス、御曹司に攻撃を――」

 

「それは果たされないな」

 

 ギガイアスの前足が突如として砕け散り、その姿勢を崩す。バランスを崩したギガイアスは攻撃の手を緩めた。

 

「だからどこから……。オレのギガイアスを遠隔攻撃なんて」

 

「遠隔? またしても勘違いだ、暗殺者ギリーよ。おれはずっとお前を真正面から打ち砕いている。それこそが誉れ高い暗殺者にとってしてみれば最大の苦痛だろう」

 

 ギリーは周囲を見渡す。どこから自分の手持ちが攻撃しているのか未だに分からないに違いない。

 

「ええい! ならこれでどうだ! 全体攻撃! ロックブラスト!」

 

 ギガイアスの全身にある鉱石が光り輝き、全方位に向けて岩の散弾が撃ち出される。当然、姿を消している類のポケモンでも逃れようのない攻撃の網であった。コウヤは一つだけ命じる。

 

「こちらへと飛んでくる三発だけ落とせ」

 

 その声にコウヤに命中するかに思われた「ロックブラスト」の弾丸が三発だけ霧散した。ギリーは目を見開いて、「何でだ……」と呟く。

 

「この攻撃で、捕捉出来ないはずがねぇ! エスパーがどれだけ姿を消していても、あるいはフェアリーがどのような幻術を使っていても、この攻撃の前には姿を晒すしかないってのに……!」

 

「だから、何度も言わせるな」

 

 コウヤはすっと指を持ち上げる。ギリーを指差し、言葉を添えた。

 

「既に姿は見せていると」

 

 またしてもギガイアスが破砕された。今度はもう一方の前足である。下段からの攻撃にギガイアスとギリーは透明なポケモンの存在を疑ったのだろう。至近距離で振動攻撃を放つ。

 

「地震! そこだ!」

 

「外れだ、間抜け」

 

 今度の攻撃はトレーナーそのものを狙ったものだった。ギリーが後ろから不意に叩きつけられ不格好に床を転がる。

 

「さて、一流の暗殺者、だったか? おれのポケモンがどこから来るのかも分からず、なおかつここまで防戦一方だとそのラベルは返上せざるを得ないな」

 

 ギリーは赤い帽子を握り締めて歯噛みする。恐らくはどこから攻撃しているのか、どうやって攻撃しているのかも分かるまい。一生かかってもこの俗物には自分のポケモンを捕捉出来ないだろう。

 

「さて、先ほどの攻撃で一発で脳天を分からなかった意味が分かるか?」

 

 コウヤの質問にギリーは恐れ戦く。

 

「雇い主を吐かせるためだ。誰に、おれの暗殺なんて依頼された?」

 

 ギリーはギガイアスへと再三命じる。

 

「御曹司を貫け!」

 

「腕一本」

 

 指を鳴らすとギリーの左腕が吹き飛んだ。血潮を撒き散らしギリーが悲鳴を上げる。

 

「今ので分からなければ度し難いとしか言いようがないが……。雇い主を吐け」

 

「……腐っても暗殺者だ。誰が言うかよ」

 

「そうか。期待通りの答えだ、ギリー・ザ・ロック。その身体、よほど要らないと見える」

 

 今度は右脚が後部からの一撃で吹き飛ぶ。しかしギリーはその犠牲を無駄にしなかった。即座にギガイアスへと命令する。

 

「オレの後ろだ! ギガイアス、全身全霊で攻撃!」

 

 ギガイアスが照準を向けて背面へと攻撃する。さすがにその攻撃を事前に予期する事は出来なかった。岩の弾丸を受け止めたそれが浮遊する。ギリーは目を瞠った。

 

「そうか……、最初っから、見えていた……」

 

 コウヤは舌打ちする。このような三下に自分の手持ちを見せるつもりはなかったのに。

 

「こうまで来ると仕方あるまい。寄り集まれ」

 

 コウヤの傍に岩が集合し人型を形作る。それぞれの岩は種別も大きさも違うがきっちりと人型を形成した。人間ならマッシブな筋肉を連想させる岩の荒々しさに中央に据えられた細やかな眼光がギガイアスとギリーを睨む。

 

「こんな……。岩だけのポケモンなんて……」

 

「おや、おれの見間違いか? お前のギガイアスだって岩だけだろう」

 

 もっとも、純粋に岩だけのポケモンはこの一体しかいない。目も口もなく、ましてや同じ種類の岩石で出来上がっているわけでもない、パッチワークのようなポケモン――。

 

「レジロック。おれの手持ちだ」

 



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第九十七話「暗殺者ギリー・ザ・ロックの最期」

 

 その声に集合した岩の人型は吼えた。レジロックは先ほどから全面に展開した自分の一部から攻撃していたのだ。ギリーとギガイアスにしてみれば不可視のポケモンと判断してもおかしくはない。

 

「……だが、種が割れたぜ、御曹司。その一体だけなんだな、てめぇのは」

 

 まるで勝ちを確信したような言い草だ。コウヤは改めて問うてみる。

 

「おや、おれがこの一体だと言えば、じゃあどうする?」

 

 ギリーは涙目になりながらも殺意の照準をコウヤに向けた。

 

「てめぇ一体なら倒す手段なんていくらでもあるんだよ! ギガイアス、地震をぶち込め!」

 

 地面が揺れ動く。狙い澄ました「じしん」。岩タイプには効果抜群の技だが、コウヤは慌てる事もない。

 

「打ち消せ」

 

 その一言で衝撃波を伴った「じしん」は霧散した。ギリーは思わず唖然としている。

 

「言い忘れた事がいくつかあった。タイプ一致の攻撃であろうと何であろうとも、岩・地面レベルならば、このレジロックの上を行く攻撃などあり得ない。放ったのは地震だったか? なら、同じようなものを出して相殺させた」

 

 コウヤの声にギリーは狼狽する。

 

「馬鹿な! そんな簡単に――」

 

「出来るから、おれは攻撃を一度だって受けていないんだよ」

 

 コウヤが次に気にしたのは監視カメラだ。出来れば証拠に当たるものは残したくない。自分の手持ちは謎のままにしておきたい。

 

「レジロック。監視カメラを」

 

 その声にレジロックが岩石で丸まった腕を掲げる。その一動作だけで監視カメラが破砕された。一つ、二つと目に見えない攻撃が放たれる。

 

「どうやって……」

 

「どうやって? 勘違いも甚だしい。敵にどうやって攻撃しているか、なんてわざわざ明かすか? もっとも、相手が敵として機能する場合のみの話だが」

 

 ギリーは侮辱を受けたと感じたのだろう。奥歯を噛み締めて耐え忍んでいる。

 

「さて、依頼主を吐きもしない相手に、これ以上戦闘的価値を求められるか、否か、という部分になってくるが」

 

 コウヤの絶対者を思わせる立ち振る舞いにギリーは言い返す。

 

「いい気になってるんじゃないぞ。オレのギガイアスはまだ負けたわけじゃねぇ」

 

「そうだったな。まだ再起不能にしてはちょっとばかし薄い。レジロック、差を見せ付けてやれ」

 

 直後、レジロックの持ち上げた腕に連動してギガイアスの巨躯が浮き上がる。その光景にはさすがのギリーも絶句した。

 

「何キロあると思っているんだ……」

 

「岩・地面を司るレジロックにしてみれば、重さなど関係はない。その属性が付与されているポケモンを問答無用で支配下に置くくらい出来なければな」

 

 レジロックが腕を振るうとギガイアスの一部が剥離した。じわじわとなぶり殺しにしようとしているのを感じ取ったのか、ギリーが悲鳴を上げる。

 

「やめろ! こんなやり方……、卑怯じゃねぇか!」

 

「卑怯? 殺し屋が道理を語るか。ならば卑怯にならないように、依頼主を吐け。そうすれば尊厳を少しばかり残した殺し方にしてやる」

 

 ギリーが反感の眼差しを向ける。コウヤは前髪を引っ掴んで無理やり顔を上げさせた。

 

「何だ、その眼は。お前が向かってきたんだ。どうして文句を垂れる必要がある。恨むのならば、この実力差を理解出来なかった依頼主を恨めよ」

 

 頭部を引っ掴んでそのまま引きずる。

 

「レジロック、どうやら主と共に死ぬのがお望みらしい。そのポケモン、このまま落下させて粉砕しろ」

 

 レジロックが腕をひねるとギガイアスが身体をねじらせる。コウヤは勝ちを確信した。

 

「……一つだけ、間違っているぜ、御曹司。オレはな、負け戦なんてしに来たわけじゃない」

 

「それはそうだ。殺しに来た相手に殺し返される。これほどの屈辱はあるまい」

 

 ギリーはこの状況下で、まさかの口角を吊り上げた。

 

「分かってねぇのはお互い様だぜ……。てめぇ、この射程に入ったな」

 

 その言葉に疑問符を浮かべる前にギガイアスが身体を押し広げた。途端、空間を引き裂いて出現したのは黒い岩石だ。どこから、とコウヤが目を見開いた瞬間、刃のような岩石が飛び込んできた。

 

「ストーンエッジ! 既に布石は打っておいたぜ!」

 

 どうやら空間に隠し持ってコウヤが近づく機会を窺っていたらしい。それに関しては自分の落ち度だ。

 

「なるほど、窮鼠猫を噛む、か。最後の足掻きには、注意せねばならないな」

 

 しかし岩の刃がコウヤに届く事はない。レジロックが飛ばした岩石の一部が「ストーンエッジ」の刃先を止めているのである。しかもその岩石は小さな、掌に収まるレベルだった。

 

「馬鹿な……、そんな小石で……」

 

「レジロックの体内に入った石は思うがままだ。散弾のように飛ばす事も、あるいはGPSによる高精度のミサイル攻撃のように使う事も出来る。防御はこうして堅牢であるし、何も心配する事はない。おれは、何の懸念もなくトレーナーに肉迫出来る」

 

 ギリーが歯噛みして叫ぶ。

 

「ストーンエッジ一発ならそうだろう! だがこれならばどうだ!」

 

 ギガイアスが空中で変形する。岩の足を仕舞い込み、重戦車のようであったその形がある形状を取った。

 

「大剣、か」

 

 岩の大剣と化したギガイアスは自身に攻撃を放ち発破をかける。飛び込んでくるギガイアスそのものを武器とした「ストーンエッジ」の迫力には目を瞠るものがあった。

 

「その覚悟、捨て身の攻撃、全て本物だ。確かに、嘗めてかかったのはお互い様のようだな」

 

 コウヤが手を払う。その動作だけでギガイアスの射線がずれ、床へと陥没した。あまりの出来事にギリーも頭がついていっていないらしい。確実に命中したと信じて疑っていない瞳であった。

 

「命中……」

 

「しない。言ったはずだ。おれとレジロックの前に、岩の攻撃は無意味だと」

 

 レジロックの放ったのは先ほどよりも少しばかり大きい岩石であった。それが弾丸の勢いを伴ってギガイアスを打ったのだ。その一撃でギガイアスの射線はずれた。

 

「これほどまでの使い手ならばなおさら……。何でリストアップされない」

 

「いい事を教えてやろう、暗殺者。ブラックリストに載りたくなかったら、ブラックリストを作る側になればいいと」

 

 コウヤはギリーを無理やり立たせる。片脚のないせいでほとんど自分の持ち上げている形となった。

 

「言え。誰に雇われた?」

 

「……思い当たるのを言っていけよ」

 

「心当たりがあり過ぎてね。言葉にするのも難しい」

 

 コウヤの返答にギリーは笑いを浮かべた。

 

「その慢心が、てめぇを破滅させる」

 

「ほう、破滅、と来たか。このツワブキ家の長兄に、破滅、とは。では改めて聞こう、ギリー・ザ・ロック。今の戦闘を経験しておれを破滅させられる奴なんて思い浮かんだか?」

 

 ギリーは押し黙る。今の戦闘で力の差が歴然である事も分からない男ではあるまい。しかしギリーは笑みを浮かべる。

 

「……一人だけ、思い浮かんだぜ」

 

 その一人が誰なのか、コウヤも察しがついていた。

 

「……ダイゴか」

 

「知っているんじゃねぇか。そうだよ、鋼タイプを操るツワブキ・ダイゴは天敵だろうに」

 

「確かにあいつの持っている手持ち、まだおれも知らないが鋼である事は確定だな。Dシリーズだって言うんなら」

 

「破滅に追い込まれるべくして、てめぇは追い込まれる。自分達で揃えた兵士がいつ牙を剥くかなんて分からないだろう」

 

 ギリーの言葉にコウヤは冷たい目線を振り向ける。

 

「安い挑発だな。そのような事を真っ先に考えないツワブキ家であると思うのか?」

 

「少なくとも、ここにいるぜ」

 

 ギリーの懐から何かがこぼれ落ちる。コウヤはそれを拾い上げて目を見開いた。どこかに今までの状況を連絡している。非通知だったが自分の手持ちが割れたのは疑いようがない。

 

「言っただろ? 破滅だって」

 

「確かに、喋り過ぎたか」

 

 コウヤが手を払うとレジロックが岩石の拳を掲げる。その拳が確実にギリーを抹殺するだろう。しかしギリーは恐れた様子もない。

 

「もう目的は果たした。役目はここまでだ。ギガイアス」

 

 床に陥没したギガイアスが全身から光を発する。これまでの攻撃ではない。ハッとしてコウヤは命じた。

 

「大爆発」

 

 直後、メインルームに爆発の光が焼け付いた。

 



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第九十八話「暗黒地帯」

 

 激震した衝撃波は外まで伝わり、退避していたエンジニア達はめいめいに声を上げた。

 

「ツワブキ顧問……コウヤさんは無事だろうか?」

 

「そもそも、暗殺者って……。何であんなのが出てくるんだ?」

 

 エンジニア達の不安に応ずるようにメインルームから火の手が上がる。まさかの火災に誰もが戸惑った。

 

「おい、∞エナジーに引火したら……。いやそうでなくってもロケットエンジンなんかに……」

 

 誰もが転がっている状況をどうにかせねばと感じていたが具体的には何も出来ない。直後、巨大な岩が中空に現れたかと思うと火の手を塞いだ。たった一つの岩石によって火災は免れたのである。

 

「た、助かった、のか」

 

 しかし誰が? その疑問は解けないまま、研究員達は静観するしかなかった。

 

「捨て身の攻撃に最悪の場合自爆、か。肝の据わった奴であった事は疑いようがない」

 

 コウヤはスプリンクラーの発生したメインルームで一人、レジロックの展開する岩のフィールドに守られていた。火災はレジロックの攻撃で防いだが、先ほどまで戦っていた暗殺者はギガイアスと共に死した。何も得られなかったのか、と言えばそうでもない。

 

 今際の際にコウヤは相手に繋がるものを手に入れていた。ギリーの使っていた端末である。着信履歴は全て暗号化されており、もちろんどこにかけていたかなど分かるはずもない。だが、コウヤには自分を敵視する人間がデボンにいる事だけは明らかだった。恐らくはこの機を使ってデボンに大打撃を加えようというのだろう。コウヤは端末を手に、「無駄な事を」と呟く。

 

「デボンの支配は磐石だ。もし攻めてくるとしても、それは次のステージに行くために必要な事に過ぎない。犠牲が出ても、それはあるべくして起こった死だ。おれの感知するところではないな」

 

 コウヤはスーツの襟元を整えてレジロックをボールに仕舞う。救助用のヘリコプターが接近していた。コウヤは無害を装い、手を振った。間もなくはしごが下りてくる。救護班が、「大丈夫ですか?」とコウヤの状態を問い質す。傍から見れば爆発に巻き込まれた一般人。コウヤは少しばかり耳が遠いのを演じてみせた。

 

「爆発の余韻で、よく聞こえなくって……」

 

 半分は本当だが半分は嘘だ。それでも救護班は信じ込んだらしい。コウヤの肩を叩いて、「落ち着いてください」と言いやった。

 

「保護したのは一名。お名前は言えますか?」

 

「ツワブキ・コウヤです……」

 

 コウヤはまさにテロに巻き込まれた渦中の人物のように身を竦み上げる。救護班に連れられ、コウヤはヘリへと誘導された。

 

「にしても酷い爆発だ……。ポケモンの大爆発でも使ったのか?」

 

「操っていたトレーナーは無事じゃ済まないだろうな」

 

 救護班の言葉を聞き流しながらコウヤは考える。自分を狙ってくる依頼主は結局聞きだせずじまいだったが、見当はついている。死体さえも残らなかったギリーに嘲笑を向けてコウヤは呟く。

 

「血筋殺しはやはり血の宿命に入っているみたいだな。――親父」

 

 その皮肉はヘリの羽音に掻き消されて誰にも聞きとめられる事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 机の下の端末に表示されたのはギリーのバイタルサインがゼロになった事を示す数値だった。

 

 依頼は遂行されたか、あるいはギリーは失敗を悟って自爆したか。そうならば暗殺対象は生き残っている可能性があった。どうしても、殺す必要があったのに自分には結局何も出来なかったか。胸中に一人ごちて、イッシンはさてと頭を切り替える。

 

 ギリーという駒が使えなくなったならば次の駒を用意するべきだ。しかし、ギリー相当の暗殺者はそう容易く出てこないだろう。ギリーとて大枚をつぎ込んでようやく依頼を遂行する気になったのだ。いくらでもデボンから搾り出そうという輩はいるだろう。あるいはこれそのものを大きなスキャンダルとして利用しようという浅はかさも。

 

 ここから先は慎重にならざるを得ない。殺しの一件が明るみに出ればそれこそ身の破滅だ。端末から視線を外し議題に向き合う。

 

「それで、どこまで話は進んだだろうか」

 

 声にすると幹部達が渋面をつき揃え、「∞エナジーに関する事ですが」とこの議会を切り盛りする進行役が返答する。

 

「やはりツワブキ顧問一人に任せるのは危険が伴うかと。バックアップを用意しておくべきです」

 

 この議会でもコウヤ一人の権限は持たせるべきではない、という結論に達しようとしていた。重々しく口を開く。

 

「やはり∞エナジーは我が社の要。一人に権限が寄り過ぎるのはよくないな」

 

「ご子息とはいえ、その点では不満が?」

 

 一人の幹部の声にイッシンは応ずる。

 

「不満ではないが、不安はある。もし、コウヤの身に何かがあれば∞エナジーの研究そのものが頓挫しかねない」

 

 その糸を引いているのは自分なのだが、と心中に付け加えた。ギリーによるコウヤの抹殺。これは必要事項であった。何故ならば、コウヤこそが恐らくはおぞましい研究の第一人者だからに違いないからだ。

 

 デボンの暗部――D計画。

 

 それを先導しているのが息子達の誰かまでは特定出来ない。しかし長兄であるコウヤは何かしら関わっているのは間違いなかった。たとえリョウが先導していようが、レイカが実質的な権利を握っていようが兄弟の死はそれだけのダメージになり得る。

 

 血筋殺し、と自分の中で呟いた。

 

 ダイゴにあなたが初代を殺したのか、と問い詰められた時、肝が冷えたのは事実だ。初代、父親は殺していない。逆だ。殺した犯人を見つけ出したいと思っている。しかし、その気持ちとは裏腹に自分は血筋殺しを冷徹に命令していた。

 

 初代ツワブキ・ダイゴを殺したのは誰なのか。

 

 内偵を既に命じてある人物はいるし、そちらに任せればいいだろう。問題なのは子供達が進めているD計画。自分は何も教えたつもりはないのに、彼らは自分達で初代の力が必要だと判断した。

 

 その結果、おぞましき事に何人もの人間が犠牲になった。イッシンの心情からしてみれば、自分の息子達の過ちは自分が拭わなければならない。そういう風に思い詰めていた。だから兄弟のうち、誰がやったのか、という話ではない。少しでも過ちを自負するだけの人格でないのならば、もうデボンから排斥するべきだ、とイッシンは強く感じていた。そのための腕利きの暗殺者、ギリー・ザ・ロック。

 

 だがギリーは恐らく倒され、コウヤは血筋殺しの因縁を胸に抱えたまま帰ってくるだろう。その場合、自分の身が一番に危うかったが、イッシンは逃げるつもりはない。コウヤが殺しに来るのならば、立ち向かうしかない。

 

 自分の中の正義は、初代の再生計画という世迷言を実行する存在への嫌悪と憎悪であった。魂の再生など、あってはならないし、そのために流される血もあってはならないのだ。イッシンは少なくともその正義だけは胸に抱えていた。ただ、一つだけ気がかりでもあったのはダイゴの発した血筋……。

 

 フジ家とツワブキ家を取り持った第三者の存在。

 

 それだけはギリーに命じられなかった事だったので後悔があった。内偵の任を命じているほうに振るべきか迷ったが、この事実はしばらく胸に置いておく事が適切だろう。イッシンはそれを考えるだけで恐ろしく心苦しくなる。

 

 自分の父親、初代の死とこの血筋をコントロールしようとする何者か。怒りよりもあるのは何故、という疑問だ。

 

 カントーから流れてきた没落家系、フジ家。ホウエンの名家、ツワブキ家。その両方をどうしてだか存続させようとした何者かには畏怖の念を感じる。一体どういうつもりだったのか。もしくは、このような結末を辿る事さえも感知して、その第三者は行動したのか。初代が存命の頃に何度か会っただけだ。叔父さん、と呼ぶほかなかったが、その叔父さんという人物の顔さえも思い出せない自分が今は恨めしい。

 

「それで、∞エナジーを誰に担当させるかですが」

 

 司会進行が全員の意見を伺う。幹部の一人が、「しかし、ツワブキ顧問に勝る人材はいますかね」と疑問を呈す。

 

「今までほぼワンマンのプロジェクトだったんです。どうですか、社長? ご子息か、あるいは任せられる人材の候補は?」

 

 レイカもリョウも駄目だ。この二人はもう再生計画の虜だと思っていい。だからと言ってクオンは、とイッシンは渋る。クオンには、血の宿命も、デボンの家柄の重さも感じさせずに生活させたい。きっと、いつかいい出会いに恵まれ、彼女は巣立つはずだ。クオンを溺愛する気持ちに嘘はないし、何よりも間違っていない自負があった。

 

「いや、わたしのほうでは。誰か、頼めるような役柄はいるか?」

 

「∞エナジーに関する事ならば、キンセツシティのテッセン殿は? あの方は敏腕だと聞く」

 

 テッセン。キンセツシティジムリーダーであり、敏腕経営者としても知られる。デボンに続く子会社の設立。それを維持させるために人工島であるシーキンセツの建造、それに海底ケーブルの設置など活躍は耳に届いている。

 

「しかしキンセツとなると少しばかり距離がありますな」

 

「テッセン殿を技術顧問として雇う、というのはどうですか?」

 

「そうなってくると正式な書類が必要になってくる。∞エナジーを任せるには、テッセン殿の理解の程も知らねば」

 

「やはり、会合を設けるべきですか」

 

 首をひねる幹部達を尻目にイッシンは次の手を講じていた。何とかして、自分の息子達を抹殺出来る人材はいないものか。暗殺者を探すのは骨が折れる。今回とてイッシュの僻地まで手を伸ばす必要があった。

 

「社長、何かご提案は?」

 

 話を振られてもイッシンは動じない。社長というポスト柄か、一度に数人の会話ぐらいは聞けるようになっている。

 

「テッセン殿は保留、という形で行こう。適任者を探すのは、今は急がなくってもいいのではないか?」

 

「確かに。シーキンセツの経営維持の失敗など、テッセン殿も一枚岩とは言えない部分がある。過酷な労働条件による死者が数人出たらしいが、揉み消しただとか」

 

「ならば技術一課から人材を募るべきですな。リストアップしたものがございますのでそれぞれの端末に送っておきます」

 

 幹部達の声を聞きつつイッシンはとある人物の存在に行き当たっていた。暗殺者ではないが、敏腕の経営者として名高い。

 

「マツブサ、という人物がいる」

 

 その言葉に幹部達が僅かに色めき立つ。

 

「マツブサ……。確かベンチャー企業の社長でしたか」

 

「宗教法人の立ち上げも行っていましたな。確か、マグマ団とかいう」

 

 陸地を増やすべき、と主張する宗教団体だ。その陰に隠れてマツブサという人間の手腕はあまり表沙汰にはならないが彼の経営方針には見習う部分がある。

 

「マツブサ殿にアポイントを取れれば、一度会合の席を設けよう。わたしと彼は旧知の友人でね。彼も嫌な顔はしないはずだ」

 

 それは事実であった。マツブサは学生時代、イッシンとは友人関係であったがその後疎遠になってしまった。しかし今や社長とは。偉くなったものである。

 

「それは初耳でしたな。ではマツブサ殿に一度連絡を取りましょう。その線で∞エナジーに関しては。次の議題ですが……」

 

 議題が移りイッシンは息をつく。ペットボトルの水を飲んで喉を潤し、視線を据えた。しかし議題に集中しているのではなく、イッシンの考える事は、間違った血筋を絶やす事だけだった。

 



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第九十九話「孤高の戦士」

 

「本当に、デボン本社がこの上に?」

 

 尋ねた声に応じたのはプラターヌだ。エレベーターの前で半日は過ごしている。その間にプラターヌはポッチャマ達に命じた。元々、ポケモンの権威であるだけはあって、ポケモンの扱いには長けている様子だ。

 

「間違いない。ポッチャマ達が教えてくれた」

 

「ポケモンの声なんて分からないでしょう」

 

 サキの言い分にプラターヌは一枚の紙片を差し出す。怪訝そうな顔をするサキに、「上で書類をくすねて来い、と言ってきた」と驚くべき事を言ってのけた。

 

「そんな……。危ない事を」

 

「なに、どこかの隔離ブロックから野性が逃げた、とでも思うだろう。デボンはモンスターボールの開発も行っている。ポケモンが逃げ出すとかいうのも日常茶飯事だろうさ」

 

 くすねてきた紙片は本当に書類の端っこだったが、きっちりとデボンの社章が刻み込まれている。ポッチャマ達は思っているよりも知能が高いのかもしれない。

 

「デボン本社なのは間違いないでしょうけれど、何で私達は動かないんですか。ポッタイシなら」

 

「ろくに使えもしないポケモンで殴り込みかい? それは賢いとは言えないね」

 

 痛いところをつかれてサキはたじろぐ。「それに」とプラターヌは付け加えた。

 

「どうにもおかしいのは、だ。君の言うツワブキ・レイカが追跡してこない」

 

 それはダストシュートに入って死んだとでも思っているのではないか。サキの楽観視に、「そんな甘っちょろい女かね」とプラターヌは頬杖をつく。

 

「わたしの見た限り、あれは鉄の女だ。自分の部下を迷いなく殺したんだ。手慣れている、と思うべきさ。それが、追い討ちを仕掛けてこないのはどうにも不自然に映ってね」

 

「何か事情があるとでも?」

 

「事情はないにせよあるにせよ、彼女は恐らく自由に動ける身分じゃない。あの夜だって出来ればわたし達の前に顔だって出したくなかったはずだ。だけれども、ズー君が味方になってくれたお陰で、彼女は矢面に立つ結果となった」

 

 ズー。その名前にサキは顔を伏せる。恐らくは死んだであろう、Dシリーズの一人。その死に気負う部分がないわけではない。

 

「彼らはいずれ殺処分だろう。彼の行動は称える事はあっても、我々が気に病むところではないよ」

 

 プラターヌの言葉に少しばかり救われている自分がいた。ダイゴと同じ姿をした彼が死ぬのを目の当たりにしたのだ。当然、ダイゴに関しても気がかりなのはある。

 

「君が心配するのは、ツワブキ・ダイゴとやらか。実際、彼は何者なのか。様々に憶測を巡らせてみたが、君の意見をあまり聞いていなかったね。Fも連中に寝返った、いいや最初から穏健派の派閥だった事を鑑みるに、不自然な事実は隠されている、と考えたほうがいいだろう。そこで、だ」

 

 プラターヌは膝を打つ。

 

「逆転の発想でね。今まで明らかになっていない彼の情報を挙げてみよう」

 

「そんな事を、やっている場合なのですか?」

 

 デボンの本社の真下だ。いつでも仕掛けられる。サキの喧嘩っ早さに、プラターヌはいさめる笑みを浮かべた。

 

「おいおい、そう事を焦るなよ。デボンのセキュリティはホウエン一だ。それは疑うまでもあるまい」

 

「そうだから、真下にいるチャンスを逃すべきでは――」

 

「焦るなと言っている。わたしはね、真下にいる今だからこそ、これを考えるに値すると感じているんだ」

 

 どうしてなのだろうか。いつでも攻撃が出来るから、機会を窺えとでも?

 

「君は、最初に出会った時からそうだが、結果を求め過ぎだ。そこまで行く過程にこそ、重きを置くべきだろう。結果を求めるが故に、わたしにツワブキ・ダイゴという餌を与え、病院から逃がした。もしわたしが君の立場ならば、もっと慎重を期する。病院のカメラに映っていればそれまでなんだぞ」

 

 そう言われてしまえば自分の行動が軽率であったとサキでも自覚する。しかしあの時はそれ以上思いつかなかったのだ。

 

「行動力もあるし、勇気もある。根性も体力もね。だからこそ、温存しておけ、と言っているんだ。マラソンランナーは中盤で飛ばすかい?」

 

「この局面でまだ中盤だとでも?」

 

 サキの疑問にプラターヌは、「このまま出て行って」と声にする。

 

「デボンの警備に捕まりました、はいお終い、じゃ何の意味もない」

 

「そのためのポッタイシでは?」

 

「怒っているよ」

 

 指されてモンスターボールの中でポッタイシが暴れているのが分かった。困惑の眼差しを向けていると、「まずは考え方だな」とプラターヌは口にする。

 

「そんな粗暴だから、ツワブキ家に足元をすくわれる」

 

「粗暴なのは分かっていますよ」

 

 分かっているがどうしても真実を追い求めたい。その一心だった。プラターヌは息をつき、「気持ちはよく分かる」と言う。

 

「だがね、気持ちだけ先行しても、何の結果にも結びつかない。君は結果を追い求めるあまり死に急いでいると言っても過言じゃない。そうでなければ、ネオロケット団を調べ上げ、わたしの所在を確認するや面談し、Fの言う事を真に受けてこのような憂き目に遭う事もなかった」

 

「……全部、私のせいみたいな言い草ですが」

 

「無論、君が優秀であったからこそ、ここまで来られたんだ。何も馬鹿にしているわけじゃない」

 

 そうだろうか。プラターヌはもしかするともっと上手いやり方があったのではないか、と責めているようにも感じられた。

 

「私のやり方は愚策でしたか?」

 

 思わず問いかけたサキに、「いんや」と首を横に振る。

 

「愚策どころか、よくやったさ。普通、ここまで入れ込まない。どうして、君はツワブキ・ダイゴを助けるためだけに、ここまで巻き込まれるだけの覚悟があった? 何が君をそうさせた?」

 

 そう言われてしまうと返事に窮する。逡巡の間を浮かべてから、「……多分」と口火を切る。

 

「どこにも属さない彼を、憐れむ気持ちもあったんだと思うんです。どこの誰かも分からない上に、偉人の名前を押し付けられて、その生き方を強制される。正直、普通の精神じゃ耐えられない」

 

「憐憫の情だけかい?」

 

 プラターヌの言葉の導きにサキは、「いえ」と答えていた。

 

「どこか、彼の在り方が自分に似ていたのもあるのかもしれません。彼はどこにも行く場所がない。どこの誰かも分からなければ、自分が何者であるのかも分からない」

 

「君は違う。ヒグチ家の長女だ」

 

「ですけれど、私も、いいえ、この社会に生きるほとんどの人間がそうだと思うんです。――繋がっていない感覚、って分かります?」

 

 プラターヌは、「その感覚って言うのは?」と問うていた。

 

「私には家族がいます。ちょっと抜けている父と、温厚な母と、父以上に抜けていて、母以上に温厚過ぎる妹。それに研究員の人達。みんな、私を知っています。だから私はいられるんだと思う反面、もしこの繋がりが一部でも切れたら、ってたまに考えるんですよ。そう思うと、堪らなく怖くなる。両親のどちらかがいなくなる事も想像出来ませんし、妹がいなくなるのも想像出来ません。独りで過ごしている時間が長いと、余計な事ばっかり考えてしまう。もし、この場所で死んでしまったら。もし、家族がバラバラになったら? 私からしてみれば、孤独って多分、常に傍にあるんだと思うんですよ。誰もが見ないようにしているだけで、孤独ってのは誰にでも訪れうる、天災のようなものなんじゃないかと」

 

「それが、君がツワブキ・ダイゴに入れ込む理由かい?」

 

 サキは首肯していた。きっと、本当に誰とも接点のないダイゴに、いずれの自分を見ていたのかもしれない。この社会で独りぼっち。本当の孤独。それでもダイゴは諦めた様子がなかった。常に自分が何者なのかを模索していた。

 

「彼はとても前向きなんです。もし彼の立場に自分が落とされたら、多分、何も出来ない。与えられた役柄を演じるか、何も与えられなかったら何も出来ないかもしれない。とても勇気があるんです、彼は」

 

「眩しく、感じているのかな?」

 

 いつの間にかプラターヌに自分の寂しさを話している格好になっていた。サキは久しく他の人物と話していなかったからか、すがるように話し続けた。

 

「眩しい……。そうですね、きっと、そうなんです。どうしてこうも強くあれるのか、私には全く分からない。彼は、この社会に挑戦しようとしているようにも映る」

 

「情報が網のように敷かれたこの現在で、独り戦い続ける戦士か。彼は、きっと何者も敵に見えているに違いないよ」

 

「でも同時に、彼は誰かを敵だと判じるまではとことん信じ抜く。そういう事が出来る人間って、多分少ないと思うんです。とことん信じて、馬鹿を見たとしても、その時は立ち向かえる。それって、きっと……」

 

 言葉を濁す。プラターヌがその先を言い当てた。

 

「強さ、か」

 

 ダイゴは強い。それを彼自身も自覚していないが、恐らく他の人々からは彼の孤高でありながらもどこか柔らかな空気に惹かれているはずだ。自分がそうであったように。

 

「強さと優しさを兼ね備えた、まさしくヒーローだな、彼は」

 

 プラターヌは一度もダイゴと会っていないはずなのに、どうしてだかダイゴの事を悪く言う事は一度もない。

 

「博士は、どうしてツワブキ・ダイゴの事を悪く言わないんですか?」

 

 それが不思議だった。プラターヌは、「まぁわたし自身、ワケありだし」と言って茶化してから、本音を言った。

 

「何でだろうか……。何かを感じるんだ。その、ツワブキ・ダイゴ君に。久しく忘れていた何かを。わたしにも判断しようがない。とてもあたたかなものだという事以外は、何も分からない」

 

 プラターヌはダイゴに期待しているのだろうか。自分の言い回しが期待を持たせる結果になったのかもしれない。

 

「私の言う事が絶対じゃないですよ?」

 

「承知しているよ。ただ……やっぱり悪く言う気にはなれないね。何でだろう?」

 

 不可思議なその感触をプラターヌ自身、持て余しているようだった。サキは、「彼に関して、分かった事、分かっていない事を」と話を切り出す。

 

「整理しましょう。私達は、そのためにまだ生きているんだと思うんです」

 

「大げさだが、笑う気になれないのは実際、彼の秘密を追ってここまで来てしまったからだな」

 

 プラターヌが煙草を取り出そうとするとポッチャマ達が猛抗議した。不服そうに煙草を仕舞う。

 

「吸いながらじゃないとやっていられない話だが」

 

「まず一つ。彼は、D計画の一員だった」

 

 多数用意された初代ツワブキ・ダイゴのメモリークローン達。初代の容姿を真似、初代と同じ戦闘スタイルを取っている。

 

「どうしてそこまで初代にこだわるのか、は」

 

「再生計画、魂の再生を一番に望んでいる人物の動機に繋がるだろうね」

 

 それこそ誰がこの狂った計画を始めたのか、という話になる。サキは候補を上げた。

 

「ツワブキ家」

 

「正解であって不正解でもある。範囲が広いよ。例えば初代の息子、今の社長のレベルから端を発しているのか、あるいはその息子達か。それだけでも意味が違ってくる」

 

 レイカの事を思い出しサキは推論を述べる。

 

「何となくですけれど、現社長であるツワブキ・イッシンは無関係な気が」

 

「それはツワブキ・レイカが攻めてきたからだな」

 

 首肯するとプラターヌは、「では疑問だ」と指を立てる。

 

「ツワブキ・レイカ一人の力でこの計画は達成可能か?」

 

「それは不可能でしょうね」

 

 即答する。少なくとも企業ぐるみでなければこのような大規模な計画は不可能だ。

 

「そう、だからツワブキ・イッシンが本当に無関係でも、この場合、社長を敵に回してでも推進したい計画だという事になる。となると、疑問がもう一つ」

 

「社員全員、企業そのものがクーデターを起こす可能性」

 

 プラターヌは、「正直、これが一番恐ろしい」と呟く。

 

「企業が体制を変えようとしている。しかもポケモン産業を独占する企業が、そっくりそのまま企業の姿勢を。恐ろしいのは、だ。Dシリーズがそのための尖兵だとすれば? つまりDシリーズの量産はそれを見据えての事だった」

 

 プラターヌの言わんとしている事がサキにも伝わった。

 

「企業が、兵力を持つ……」

 

「あっちゃいけない事だが、Dシリーズ全員に仮面でも被らせてPMCでも気取らせるか? 実際、ポケモンを使ったPMCって存在しないんだ。愛護団体とかが圧力をかけていてね」

 

「存在しなくっても、デボンほどの発言力があれば」

 

「事実上、存在を許す事は出来る」

 

 どこからか震えが立ち上る。そのような事があってはならないがDシリーズの有効活用法としては他にないほどだ。

 

「でも、だったら余計に分からないのがどうして危ない遺伝子改良を重ねてまで、初代の姿にこだわったのか、ですよね……」

 

 プラターヌもそれを説明する手段はないらしく、「そこが壁になってくる」と告げた。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ。その魂を再生したいっていうのは正直、メリットがないんだよ。だってもう死んだ人間だ。いくら業績が並外れていても、蘇らせてどうする? 自分を殺した犯人でも聞き出す? あるいは次のデボンのリーダーに据える? どちらも現実的とは言えない。犯人を聞いたところで今さら。デボンの社長か何かに据えてもいつまでも生き永らえるわけでもない。肉体はいずれ朽ちる」

 

 永続的なデボンのリーダーとして初代が欲しいわけではあるまい。恐らく、何かを成すために初代の魂とそれに見合う肉体が必要なのだ。だが何を起こすつもりかは皆目見当がつかない。

 

「あの、博士を訪ねる前なんですが、初代の、オリジナルのパーツはカナズミの各研究機関で保存されている事は」

 

「知っているよ。それを進言したのはわたしだからね」

 

 思わぬところでの一致にサキは目を見開く。しかしプラターヌはさほど驚くでもない。

 

「別に不思議はないだろう。初代とは会った事もあるし、その肉体を保存しておきたい、っていうのは科学者ならば進言したところで」

 

 サキは話すべきか迷ったがやはり切り出す事にした。

 

「博士、その肉体が盗まれて、Dシリーズに移植された、と考えるとしっくり来るんです」

 

「その結論だと、Dシリーズに移植するのは全体じゃあるまい」

 

 考え得る限りでは、移植出来るのは腕や足レベルだろう。しかしサキには一つの考えがあった。

 

「ズーは、彼は言っていましたよね? 頭が、もう初代の魂は入りやすいようにしてあるんだと」

 

「言っていたが魂の存在を証明する手立てがない以上、何らかの細胞が移植された、というのは筋違いだ」

 

 言葉にしようとした事を先読みされてサキは、「ですよね……」と濁した。しかし、何かがおかしいのだ。存在するはずのないD015の番号。初代と同じ姿で、なおかつ鋼タイプの使い手。天使事件の関係者。さらに言えば「ツワブキ・ダイゴ」の名前を継ぐ者――。

 

「博士。Dシリーズの中で、彼が異色だったんじゃなくって、逆に考えませんか?」

 

「逆、とは?」

 

 これは憶測だ。だからあまり信用してはならないのだが。

 

「彼こそがDシリーズの完成形であった」

 



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第百話「真なる者」

 

 プラターヌは、「面白い推論だが」と異を唱える。

 

「そうなってくるとデボンは二百人近くの失敗作を成功だと思い続けてきた事になる」

 

「でもそうならば、彼が普通に生活できている事に説明がつくんです」

 

「デボンほどの企業が失敗を二百人近く分からないまま続けるか? それにズーが言っていただろう。百番台以下は全て失敗だと」

 

「彼の弁を疑うわけじゃありません。しかし、Dシリーズ、言ってしまえば被造物に全権が与えられていた、と考えるのもおかしい」

 

「わざと、嘘の情報が与えられていた、とでも?」

 

 サキは唾を飲み下す。そうなってくると、ズーの死は偽りに糊塗されていたという話だ。

 

「確かに研究成果に全部の情報を与えるのは危険だし、その線もあながち間違いじゃないのかもしれない。だが、おかしい点が何個か」

 

 プラターヌの言葉にサキは問題の間違いを訂正されている気分だった。

 

「一つ、では何故D015でなければならなかったのか。その番号以外では君の言うこじつけも当てにならない。ツワブキ・リョウがどうしてダイゴと名付けたのか、その意味に繋がらない」

 

 やはりそこか。サキは予想していたもののその部分を補強する言葉はなかった。

 

「もう一つ。百番台以下は失敗だとズーが言っていたのは、恐らく目の当たりにしたからだ。だというのに、我々は百番台以下のケースを彼しか知らない。早合点が過ぎる」

 

「ですがこの推論だと、彼を特別視する意味が分かる」

 

「しかしその推論だと、他の二百人が失敗になる。この食い違いをどうするか」

 

 プラターヌでさえも決めあぐねている。サキはどうにかしてこの食い違いを補正するミッシングリンクがないかと考えていたがやはり思い浮かばない。

 

「せめて、もう少し情報があれば、ですよね」

 

「わたしとしては、本人に会えていれば、もう少し違っただろうと思う。ツワブキ・ダイゴに会っていないのが、一番痛い」

 

 プラターヌは自分達から見聞きした内容からしかダイゴの様子を想像出来ていない。その状態ではどれほどの頭脳とて使い物にならないだろう。サキはふとこぼした。

 

「……実際、ツワブキ・ダイゴに関して、どれほどの価値があるのかって分からない部分が多いですよね」

 

「だからこそ、今君と明らかにしようとしている」

 

「でも、私は博士みたいに優秀じゃないですし」

 

「ヒグチ博士のご息女だろう? ポケモンに関して疎くとも血筋は引いているものだ。どこかに聡い部分があるんじゃないかな」

 

 聡い、と言われても実際自分がどこまで出来るのか一切が不明だ。警察に所属している間は、まだ警察官としての職務が与えられており、その中でならば有能を演じられた。だが、何もない真っ只中に放り出されるとここまで無力なのかと思い知らされる。

 

「私には、何も……」

 

「悲観的になるなよ。わたしは君を買っている。だからこそ、病院から逃げる気になった」

 

 サキはプラターヌの容姿を眺めて今まで保留にしていた一事を呼び戻す。

 

「博士の、本当の罪を、まだ私は聞いていませんでしたね」

 

 歳を取らない研究者。メガシンカに関する矛盾する論文。どうしてこのようになってしまったのか、その経緯をまだ聞いていない。プラターヌは一つ息をつき、「長くなるが」と前置きする。サキは頷いた。

 

「今まで、それを聞かずにおいたのは、そういう状況下じゃなかったからです。でも、今ならば」

 

「君も自分の事情を話した。フェア、と言える」

 

 プラターヌは咳払いをしてから、「全くの偶然だと言える」と口火を切る。

 

「偶然、ですか」

 

「そう。わたしが歳を取らなくなったのは偶然なんだ。薬剤の調合を誤ったから、こうなってしまった、というのが一つ」

 

 サキは眉根を寄せる。当然の事ながら、そのような漫画チックな話が信用出来るはずもなかった。

 

「真剣になってください」

 

「真剣だよ。薬剤の調合、というとアレかもしれないが、実際そうなんだから。メガシンカの研究のための実験中だった」

 

 プラターヌは中空に視線を投げる。回顧する瞳には自分の事のようで自分の事ではない、というような色が浮かんでいた。

 

「あの時、わたしはメガシンカの研究に躍起になっていてね。まだカロスで第一線を張っていた頃だ。メガシンカ研究はこれから躍進する、という段でだよ。ホウエンからの第一報が届いた。既にその研究は十三年前に確立されている、と」

 

 十三年前。サキが計算しようとすると、「この話自体は今から十年前だ」と補足された。

 

「だから初代の死から十三年経っていて、初代の死によってホウエンのメガシンカ研究は一歩先を行っていたんだ。それに気付かないわたしの研究は、従来科学、だと言われたよ」

 

「従来科学、というと、ありふれている、って言われたんですか?」

 

「悔しい事にね」

 

 プラターヌは素直に認めた。メガシンカ研究の第一人者といえどももう先行研究があったのならば、それは第一人者ではない。

 

「カロスでの地位は追われなかった。だってカロスではまだまだの分野だ。いくらでも研究の改良は出来るし、カロスでのメガシンカ研究と言う名目ではわたしはまだ前進していた。……だが、プライドが許さなかった」

 

 プラターヌの瞳が暗い色を湛える。その一事だけで間違えてしまったかのように。

 

「わたしは、ホウエンを出し抜く、初代の研究より先に行く、そればかり考えてしまってね。息子や、妻の事なんてなおざりだった。終いには二人してホウエンに移るなんて言い出した。冗談ではなかった。ホウエンは、わたしの研究を小ばかにした連中の集まりだ。きっとわたしは従来科学という縛りに負けて屈服するに違いないと、その時点で分かっていた。だから、研究分野を急いだんだが、分かっている通り急いだからと言って結果はついてこない。メガシンカなんて未知の分野は余計に。わたしは結果を焦った。とにかく、メガシンカを安定的な効率で観測するにはどうすればいいか。一つの推測としてあったのは、わたし自身の経験だ。わたしは、トレーナーとポケモン間にある、絆こそがメガシンカの鍵だと思っていたのだが、絆は数値化出来ない。数値化出来ないものは研究とは呼ばないんだ。だから様々な臨床試験を試みた。絆の数値化。言ってしまえばその時点で狂っていたのかもしれない。絆を観測し、モニターし、実際に模倣するなど。だから罰が下った」

 

 プラターヌは襟を払う。サキは言わんとしている事を察して声にする。

 

「その罰こそが」

 

「この身体だろう。わたしはね、その時、使ったのは一番安定しているリザードンだったと思う。リザードンにはメガシンカが二形態存在してね。メガリザードンXとY。そう名づけたのはわたしなんだが、どうしてもその二形態になる、という立証が存在しなかった。結果論としてメガストーンの中にある塩基配列の変化にあった、というのが正しいのだが、メガストーンさえも解析に数のない状態。わたしは憶測の上に憶測を塗り重ねるほかなかった。塩基配列の変化、という部分ではなく、トレーナー側でメガリザードンをXとYで二形態、同時観測出来ないか、という試みだ」

 

「出来たんですか?」

 

 サキの言葉にプラターヌはゆっくりと頭を振る。

 

「出来ない、あり得ないんだ。メガシンカは、一人のトレーナーにつき一回のみ。それも手持ちの中で一体だけ。ホウエンの技術者達はこの理由に関して、精神エネルギーが注ぎ込まれる許容量が一体分しか満たせないのだと主張してきた。わたしは真っ向対立したよ。トレーナーの精神エネルギーの枠組みを増やせば、もしかするとメガシンカは二つ以上可能なんじゃないかって」

 

「具体的には……?」

 

「精神の拡張実験として、同調の部分に踏み込んだ」

 

 ポケモン学会でも眉唾と言われている同調現象。それを人為的に、というのが引っかかる。

 

「あれは、極限状態のトレーナーとポケモンが作り出す、一種の神経の興奮状態なんじゃ」

 

「そうとも言われている。だがわたしはそれくらいしか思い浮かばなかった。同調現象を人為的に引き起こし、精神エネルギーの値をコントロールすればメガシンカに必要な最小限だけのエネルギーでメガシンカさせ、もう片方にそれを注げば同時のメガシンカは可能なのだと」

 

「実際には……?」

 

「不可能だった。わたしが実験しろと命じた職員はもう廃人になっている」

 

 衝撃的な事実にサキは目を瞠る。プラターヌは自嘲気味に、「悪魔の研究者に、見えたかい?」と尋ねてみせる。

 

「……ええ、少し」

 

「わたしも、その時の精神状態がどうかしていた。メガリザードンへのメガシンカが可能でもなく、精神エネルギーだけを取り出され、その職員は廃人状態。当然、その家族から訴訟沙汰に持ち込まれたがわたしは諦めなかった。メガシンカは可能なのだ。二体以上可能ならば、従来科学の域を出る事が出来る。わたしの生み出した初めての研究になり得る。わたしは、今度は自分を被験者とした。部下には任せておけない。わたしはその結果、一時的な錯乱状態に陥っていたらしい」

 

「らしい、というのはご自身では」

 

「自覚はなかった」

 

 プラターヌは顔を伏せる。

 

「それどころか、この先もあるのだろうとメガシンカを強行し、逆流してきた精神エネルギーの余波でわたしは一時、言葉すら喋れなかったという」

 

「それと、歳を取らない肉体の関係は……」

 

 プラターヌが懐から煙草を取り出そうとしてまたしてもポッチャマ達にいさめられる。

 

「おぞましき事かもしれないが、わたしは人間の肉体の脆弱性こそが克服すべきだと考えていた。人間が脆いから、メガシンカに耐えられない。わたしはわたし自身を研究材料にして、最終段階の研究に入った。人間の肉体の強化。そのために必要なのは何なのか。ポケモンの身体能力の強化に使われる薬剤を片っ端から試したが、あれらは人間には効果がないように細工されている。わたしは、その材料である木の実に着目し、素材を混ぜて新たな原料を作り出し、それを打ち込んだ。……言っただろう? 調合をミスった、と。その結果、この身体になった」

 

 サキは改めて、この研究者が封印されていた経緯を知り戦慄する。自分でさえも研究材料にするなど正気の沙汰ではない。

 

「木の実、なんかでそんな風になるんですか」

 

「それだけじゃない。わたしは、木の実だけでは弱いと感じていた。どうしてかというとツボツボというポケモンは自らの体内で木の実の成分をろ過し木の実ジュースと言う無害な飲料を作り出す。木の実ともう一つ使ったのは、血液だ」

 

「血液?」

 

 プラターヌは、「そう、血液だった」と繰り返す。

 

「何の血液です?」

 

「同調のために必要なのは精神的結びつきもそうだが、わたしはそれ以外に、凡人がその域に至るために人工的措置として、手っ取り早いものを探していた。そのためにわたしが追い求めたのはポケモンとより一体になれる証明だ」

 

 そこまで至ってサキは血液が何のものなのか悟った。それと同時に、とてつもなく恐ろしい事に。

 

「ポケモンの、血液……」

 

「そう。ポケモンの血液を自分に移植する。それによって擬似的な同調現象を得る。それこそが目的だったが、失敗に終わった。同調が出来ずに、ただ歳を見た目的に取らなくなっただけさ」

 

 プラターヌは笑い話にしようとするがサキからしてみればそれは笑い事ではない。

 

 ダイゴの血液にもポケモンと入れ換えられた形跡があった。もしかすると、とプラターヌを窺う。この悪魔の研究者はもしや、と。プラターヌは、「わたしじゃない」と答える。

 

「君が思い出したのは件のダイゴがポケモンの血液と人間の血液を入れ換えられていた、という話だろう。わたしは、ポケモンの血液を移植しただけだし、そもそもそのような大手術、人間が耐えられるとは思えない」

 

 プラターヌではない。その事実に安堵している自分がいた。もしプラターヌであったら、自分は刑事として裁かなければならなかった。

 

「じゃあ誰だって言うんです? 誰が彼をあんな目に」

 

「彼は、自分の血がポケモンのそれと入れ換えられていた事を」

 

 知る由もないだろう。ヒグチ博士が喋っているとも思えずサキは首を横に振る。「そうなると」とプラターヌが思案した。

 

「やはり出来そうなのはデボンになってくるが、デボンに対抗する謎の組織の線も捨てきれない」

 

「抹殺派、ですか……」

 

「通信は使えるか?」

 

「駄目ですよ。真下だってのに圏外です」

 

 通信不可能な端末を見せてサキは項垂れる。プラターヌは天上を仰いだ。

 

「真下でも、か。逆に言えば、君の端末からの逆探知は不可能だ。穏健派、つまりデボンの連中には気取られていないはず」

 

「それが唯一の救いですね」

 

 デボン側がサキの生存を知れば抹殺を急ぐのは当たり前だろう。プラターヌの確保にもこだわるかもしれない。

 

「穴倉だが、まだ望みはある」

 

「でも博士、本当にそのような実験は不可能なんでしょうか?」

 

 サキの疑問にプラターヌは、「血の入れ換え、か」と呟く。

 

「不可能だって言う立証は難しい。なにせ人体実験だ。一つのケースでも可能ならば、それは可能となる」

 

「だったら、なおさら可能かどうかの話になってくるんじゃないですか? D015、彼は成功のモデルケースだった」

 

「……つまり君は、初代の再生計画に彼が抜擢された理由は、その実験の事もある、と言いたいのか?」

 

 プラターヌは腕を組んで難しそうな顔をする。サキは、「考えたくないですけれど」と付け足した。

 

「そんな、非人道的な」

 

「Dシリーズそのものが非人道的と言えばそこまでだが、まぁ非道に非道を塗り重ねるような真似だとわたしは思う。そこまで人間をやめられるものなのか。初代の再生、そのためだけに人間の命を、そこまで軽んじられるなど」

 

 しかし初代の業績がプラターヌの研究に爪痕を残し結果的に一人の人生を歪めてしまった。初代はやはりそれだけの影響力があるのだ。

 

「問題なのは、だよ。初代を再生して、じゃあ何をしたいのか。やはりこれに尽きる。初代は再生したとしても、六十を回る高齢だった。単純に六十歳の偉人の魂が欲しいのか。そもそも魂は老化しないのか、という疑念もあるが」

 

 そこまでは分からない。誰も、自分が死んだ後どうなるのか分からないように。

 

「初代を再生して、何の得があるんのか、ですか……。振り出しですね」

 

「何度思考しても、やはりその疑問点に突き当たる。誰かが、初代を試しに再生してくれれば、それこそ儲け者なんだが」

 

 その言葉にはさすがに眉をひそめた。誰かが再生してくれれば、など不謹慎極まりない。

 

「失敬。君の顔立ちから何を想像したのかは分かる。わたしはそこまで非道ではないつもりだ」

 

「ダイゴ、彼の存在でさえも、ある種の謎をはらんでいる。ツワブキ家やデボンは彼で初代を再生するつもりなのか、そこまではっきりとした事は何も分かっていないんですから」

 

「だがDシリーズがそのために必要なものであった事に変わりはない。ズーの言うには、最初は普通の一般人であったらしいから同情もあるが」

 

 選ばれてその立場にあるわけではない。ダイゴはどこまで知っているのか。本当に彼が記憶喪失であったのかを実証する手立ては何一つなかった。警察でも、公安でも、結局デボンの陰謀の一端すら掴めなかったのだ。無能のそしりを受けてもおかしくはない。

 

「一体、これから先、どれだけの血が流されるんでしょう。私達だけなら」

 

「まだマシ、かな。だが、それは今日を乗り切らなければ分からない事だ」

 

 その時、ポッチャマが一体、ゆっくりと降り立ってきた。ポッチャマの翼には飛翔能力はないが短い浮遊程度ならば出来るらしい。降り立ったポッチャマにプラターヌは頷きを返し、「行こうか」と立ち上がる。

 

「行くって、どこにです?」

 

 プラターヌは天上を仰ぎ、指差した。

 

「デボンの本丸へと」

 



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第百一話「その心は迷いなき……」

 

 何故、今、という感覚があった。

 

 しかしダイゴからしてみれば、それは関係がないとでも言うようにディズィーは告げる。

 

「君はDシリーズの中でも最初期のテストベッドだ」

 

 肩口の「D015」の刻印を指差され、ダイゴはうろたえた。この女性は何者だ。どうして自分の事をこれほどまでに知っている? ダイゴの疑問に応じるのはクオンだった。

 

「ごめんなさい、ダイゴ。ある程度は、あたしも聞いたわ……」

 

「クオンちゃんも? でもだとして、ネオロケット団というのは」

 

 どこまで関与しているのか。そもそも自分を抹殺しようとした派閥が、今は彼女達の味方をしているというのは奇妙だった。

 

「俺を殺すために、手ぐすね引いているわけじゃ」

 

「ない、とは言い切れないね。この動きも、まぁ手順通りだって言うのなら」

 

 ディズィーが頤を突き出す。その先にはデボン本社があった。昨日イズミの指定した通りの時間にもう一人、先客があったと聞いたが、それはギリーではなかったのか。

ディズィーは、「オイラ達も噛ませてもらった」と笑みを浮かべる。

 

「ネオロケット団のコネでね」

 

 抹殺派は今のところ、自分の知り得る限りではニシノと、プラターヌ邸でコノハに殺されたDシリーズのみ。抹殺派の動きは分からないがディズィーは、「信用出来る」と判じた。

 

「それを先ほどから知りたい。何故なのか、と」

 

 何故、今ネオロケット団はこちら側を支援している。その疑問が氷解しない限りは、彼女達についていく事さえも罠だと思える。ディズィーは碧眼を向けて、「もしかして、罠、だとか思っている?」と見透かした声を出した。

 

「罠だったら、もっと上手くやるよ。少なくとも、オイラ、一応は有名人なもんで」

 

 その辺りには明るくなかったがクオンが口を挟まないという事は事実からそう離れているとも思えない。

 

「有名人が何で、デボン襲撃なんかに付き合うんだ?」

 

「まぁ、ちょっと君の事が気になっているってのはある。初代と同じ姿をした、Dシリーズの初期ロット。おかしいなぁ、廃棄されたはずなのに」

 

 廃棄、という言葉に肌が粟立つ。ディズィー自身が何者なのか、全く語る様子はないがデボンに因縁があるのは確かなようだ。

 

「……犯罪者と著名人は紙一重か」

 

「そーいう事にしておいて。押し入るよ」

 

 デボンの社内のコンピュータやセキュリティは沈黙している。入ってすぐに受付もいない。イズミの指定した通りの時間帯には人っ子一人いなかった。

 

「気味の悪いくらいの、静けさだね」

 

 ディズィーがクオンに目線をやる。クオンもうろたえているようだ。

 

「あたしは、本社にはあまり来ないから」

 

 所在なさげなのはそのためか。ダイゴは乗り込むと決めたからには毅然とする事を掲げる。

 

「俺は、俺が誰であるかを知りたい。そのためならば、ここで悪人になる事も辞さない」

 

 デボン本社で、何らかの変化があるはずなのだ。そうでなければコウヤから奪った情報の意味もない。

 

「そういえば、クオンちゃん。コウヤさんからの情報は?」

 

 それを頼りにデボンに乗り込んだのだと思っていたがクオンは首を横に振る。

 

「まだ、解析出来ていないみたい」

 

 みたい、とはまるで他人任せのようなニュアンスだな、と思っているとディズィーが言葉を挟む。

 

「ネオロケット団に解析は頼んである。果報は寝て待てって事」

 

 自分の抹殺を命じている団体にそのような重要情報の解析を頼んで大丈夫なのか。そもそもコウヤの情報がどのようなものかも分からずに自分達は反逆しようとしているのがおかしかった。

 

「ディズィーさんって言いましたね?」

 

「敬語はいいよ」

 

「……では、ディズィーさん。どうしてクオンちゃんを巻き込んだ?」

 

 返答如何によってはここで対立する事も、と構えたダイゴにディズィーは返す。

 

「そりゃあ、筋違いだ。君のほうが先に彼女を抱き込んだ」

 

 言い返せない。その件に関しては完全に自分の落ち度であった。コウヤの反撃も、ましてや追跡など考えられもしなかった。

 

「クオっちは追跡の危険性は承知していた。考えの足りないのは、そっちのほうじゃないかな」

 

 ぐうの音も出ない。ディズィーは、「でもいいと思うよ」と呟く。ダイゴは面を上げてその言葉を受け止めた。

 

「いいって、俺は、俺のせいで」

 

「そう湿っぽくなるもんじゃないさ。なに、男だろ? どしっと構えなよ」

 

 女性であるディズィーにそう言われてしまえば男としての面子も立っていないようなものだが、ダイゴは受け容れようと思った。それも含めて、自分の罪なのだ。

 

 三人が固まってフロントを駆け抜ける。イズミの作った「空き時間」はほんの三十分ほど。それを超えれば鉄の警備が自分達の道を塞ぐ。

 

「しっかし、分からないなぁ。ダイゴ、君もどこまで知っていながら黙っていたんだい?」

 

 ディズィーの声にダイゴは正直に答える。隠しても意味がないような気がしたからだ。

 

「初代の事は、結構知っていたけれど。でも初代を再生させる計画に関して、そこまでの被害が出ているなんて」

 

 フランもその被害者のうちだった。加えて頻発している〝天使事件〟と呼称される殺人事件と酷似している初代の死に様。関連して考えないほうがどうかしている。

 

「まぁ、推測を並べ立てるようだけれど、死んでいったのは逃げたDシリーズの末端だろう。殺人事件のようにしか見えない時限爆弾が仕込まれているのはオサムで証明済みだし、彼らも限りある者だと分かっていながら逃げようとしたんだよ」

 

 己の宿命から。そう考えると、ダイゴは自分だけ罪を免れているようで心苦しかった。

 

「何人、Dシリーズがいるだとか、この本社にも配置されているだとか、そういうのは知らないけれど、今は」

 

「幹部総会を押さえる」

 

 きっとその中に答えを持っている人間がいるに違いない。ダイゴが足を進めるとエレベーターが不意に開いた。直後、岩の散弾が視界いっぱいに広がる。ダイゴは瞬時に跳び退る。クオンを引っ掴んでディズィーも射程から逃げた。

 

「この、攻撃は……!」 

 

 ダイゴの予感を裏付けるように相手が手を掲げる。赤い帽子を被った伊達男がエレベーターから歩み出てきた。傍には重戦車のような岩石のポケモンが侍っている。

 

 ギガイアス。岩タイプの、あの時襲ってきたものと同じポケモンであった。

 

「ギリー・ザ・ロック……」

 

 ダイゴの忌々しげな声に、「そう嫌な顔するなよ」とギリーは帽子に手をやる。

 

「オレだってなかなかに骨が折れるんだぜ? なにせ、さっき死んだばっかりだからな」

 

 何を言っているのだ。ダイゴにはわけが分からなかったがディズィーが端末を手に、「なるほど……」と苦い顔を作る。

 

「そういう事……、そういうカラクリだったわけだ。だよねぇ、そうじゃなくっちゃ、イッシュとホウエンに同時存在出来るわけがない」

 

 ディズィーも何を納得しているのか。分からない事だらけの中、明確なのはギリーが敵である事だ。

 

「ギリー・ザ・ロック! お前は、穏健派の、デボンの暗殺者なのか?」

 

 ダイゴの声にギリーは、「ま、そういう事にしておくか」と返す。ふざけているのか。

 

「質問に答えろ!」

 

 緊急射出ボタンを押し込み、ダイゴは柱の陰から飛び出す。自分に追従してくる銀色の浮遊体が両腕を構えた。

 

「メタング……。煮え湯を飲まされたよなぁ」

 

 先刻の戦闘の事を言っているのだろう。やはり相手はギリーなのだ。ダイゴはメタングで押し切ろうとした。

 

「メタング、バレットパンチ!」

 

 弾丸の鋭さを伴った打撃がギガイアスへと突き進む。ギガイアスに命中するかに思われた一撃は空間で縫い止められたかのように中断された。ダイゴが瞠目する。ギリーは指を立てて、「ノンノン」と振った。

 

「そう容易く何度も突破されちゃ敵わないぜ。ギガイアス、ステルスロック」

 

 不可視の岩石がギガイアスとギリーを囲っている。盾のようにメタングの攻撃を防いだのだ。

 

 ダイゴは舌打ちして後退を命じる。先ほどまでメタングのいた空間を引き裂いたのは岩の刃達だった。

 

「鋭いねぇ。さすがは、ツワブキ・ダイゴか」

 

 ギリーが拍手を送る。岩の刃は一つ一つが独立したものだ。「ステルスロック」に使用した岩から切り出された細かい岩が刃状に襲いかかった。

 

「岩の、刃」

 

「ストーンエッジ。まぁ、メタングの表皮をやるにはちと弱いか」

 

 しかしいくつかは床に食い込んでいる。ギリーは続け様に命令する。

 

「ストーンエッジを触媒にして射程を延ばす。ステルスロック」

 

 岩の刃が寄り集まり、今度は不可視の岩石の盾と化した。こうやって地道に自分の攻撃領域を伸ばす気なのだろう。

 

「消耗戦になる……」

 

 メタングはまだ使い慣れていない。この状態で戦っても三十分のリミットを越してしまう。ダイゴの懸念につけ込むように、「攻めて来いよ」とギリーは挑発する。

 

「なにせ、上ではまだ殺さなきゃならない連中が待っているんだからな」

 

 イッシンの事か。まだ殺させるわけにはいかなかった。

 

「メタング、攻撃を――」

 

 それを制したのは小柄なポケモンの奇襲だった。どこから伝ってきたのか、クチートがその小さな身体を活かしてギリーの懐に潜り込む。ギリーもその接近には気付けなかったらしい。肩口にクチートが噛み付いた。

 

「何だ、こいつは!」

 

 自分との勝負で気づいていなかったのか。それとも勘定に入れていなかったのか。ギリーはディズィーの放ったクチートの前に無力だった。

 

「ギガイアス!」

 

 ギガイアスが前足を踏み締め「ステルスロック」の岩を密集させてクチートの攻撃を防がせる。クチートは弾かれたと見るやすぐにディズィーの下へと戻ってきた。

 

「女ァ……。どうやら暗殺対象が増えたようだな」

 

「暗殺? 暗殺ってのは気取られずにやるものだ。こうなった以上、ただの戦争だよ」

 

 落ち着き払ったディズィーが気に食わないのかギリーは歯噛みする。

 

「てめぇ、さっきオレの種が割れたみたいな言い草だったが、本当に理解しているのか?」

 

「理解も何も、それこそが初代再生計画のプロトタイプとしての処置だったなんてね」

 

 ディズィーの言葉の意味が分からない。しかしギリーはそれを脅威だと感じている様子だ。

 

「いいのかよ? ダイゴにそれを伝えなくって」

 

「いいよ。そういうものがあるとしても、不思議じゃないし、それこそがDシリーズの本懐だなんて、ここで言っても仕方がない」

 

 ディズィーは議論する気はないらしい。殺意の波が押し寄せた。

 

「ここはオイラが押し通る」

 

 ペンライトを翳し、ディズィーは宣言する。

 

「メガシンカ!」

 

 その声に応え、クチートの周囲へと紫色の甲殻が寄り集まってくる。クチートがそれを砕いた瞬間、その身体が変化していた。

 

「メガシンカ……。ただの使い手じゃねぇな」

 

「答える義務はないね。メガクチート、攻撃」

 

 メガクチートが跳ね上がり、ギガイアスと鍔迫り合いを繰り広げる。ギガイアスの岩の刃をメガクチートは背面の角を翳して受け止めた。攻撃力では互角以上を行っている。

 

「厄介な」

 

 ギリーの噛み締めた声にダイゴは好機だと感じた。一気にエレベーターから上昇し、本丸へと向かう。ダイゴの目論見は、しかし、直前に発せられた声で阻まれた。

 

「レジスチル。破壊光線」

 

 プレッシャーの波が肌を粟立たせ、ダイゴは思わず飛び退る。エレベーターに直撃したのはオレンジ色の光条であった。エレベーターが落とされ、デボン本社へと向かうための道が閉ざされる。

 

「そんな……、何で……」

 

 しかしダイゴが驚いたのはそれそのものではない。発せられた声の主に、だ。吹き抜けの階層から顔を出したのは見知った影だった。

 

「何であなたが! リョウさん!」

 

 その声にツワブキ・リョウは普段の面持ちはそのままに、「なに、護衛対象だっただけだ」と軽く応じる。

 

「今日はデボン本社が危ういってな」

 

 リョウの傍にいるのは胴体が風船のように膨らんだポケモンだった。風船と違うのはその身体が堅牢な鎧を思わせる点だ。未発達気味な腕が生えており、中央に細かい目のようなものがあった。

 

「そのポケモンは……」

 

「レジスチル。言ってなかったか? オレの相棒だよ」

 

 リョウもポケモントレーナーである事は予測していたまさかいきなり自分を狙ってくるとは思わなかった。ダイゴは想定外の事にただ言葉をなくす。

 

「誤解しないで欲しい。お前を、殺す気はないんだ」

 

 リョウは気さくな笑みを浮かべて片手を上げる。いつものように、ダイゴのためを思って行動する気軽さがありながら、その傍らには武装を思わせるポケモンの姿。

 

「ただ、な。お前が全ての真実を知るってのは都合が悪いんだよ」

 

 都合。そのために消された人間がいる。ダイゴは自分がフラン・プラターヌだと信じたわけではなかったが、コノハの想いは本物だと感じていた。

 

「……都合、ですか。リョウさん、俺、そういう都合のために、人の意思が消されていいものじゃないと思います」

 

 歩み出たダイゴにリョウは耳を傾ける。

 

「何だって? おい、ダイゴ。言ったよな。ツワブキ家の命令は絶対だって」

 

「ええ。でも俺はもう、ぬるま湯の関係なんて嫌なんだ」

 

 自分から捨てた。仮面の関係性を続けるくらいならば、もう、自分には退路なんてなくってもいい。リョウが眉をひそめる。

 

「それがお前、って事か」

 

「ええ。それが俺なんです」

 

 リョウは何度か頷いた後、鋭い一瞥を投げた。

 

「なら、死んでもらうか、あるいは戦闘不能に陥ってもらうのが筋だな」

 

「俺は負けない」

 

「そうかな」

 

 レジスチルと呼ばれたポケモンが片手を突き出す。そこから発射されたオレンジ色の光線がダイゴへと向かっていく。

 

「この射程だ。避け切れまい」

 

 リョウの言葉にダイゴは頭を振る。

 

「避ける? とんでもない」

 

 メタングが前に出たかと思うと両腕を交差させた。

 

「――全て、受け切る」

 

 メタングへと光線が直撃する。しかし煙を少しの間棚引かせただけで、メタング本体にほとんどダメージは見られなかった。

 

「初代が使っていたのと同じ、鋼・エスパーのポケモン、メタング」

 

「俺は、その初代とやらは知ったこっちゃありません」

 

 ダイゴはリョウを見据え言い放つ。

 

「俺は、ツワブキ・ダイゴです。でも、初代と同じつもりはない」

 

 もう迷うまい。この偽りの名前と共に、自分はツワブキ家の野望を砕く。ダイゴの気迫にリョウは鼻を鳴らす。

 

「なかなかに言うな。だが、忘れたのか? その名前を与えたのがオレだという事を」

 

 レジスチルが再度動き出す前にダイゴはメタングに命ずる。

 

「バレットパンチ!」

 

 弾丸の速さを誇る連打がレジスチルとリョウの足場を打ち据える。リョウとレジスチルは直前に飛び移ったがその動きが鈍い事は察知していた。

 

「破壊光線。そう何度も撃てる技じゃないでしょうし、それに反動もある」

 

 レジスチルが反撃してこない事がその証だ。リョウは飛び移った足場で笑みを浮かべる。

 

「トレーナーとしての才覚も。惜しいくらいだよ、ダイゴ。初代の魂の入れ物にしておくにはな」

 

「その悪魔の計画を、俺が止める!」

 

 ダイゴの意思を感じ取ったようにメタングが素早く動きレジスチルへと打撃を見舞う。レジスチルは硬直が解けたのか、その打撃と同じくらいの突きを放った。鋼のポケモン同士が鋼鉄の肉体をぶつかり合わせる。火花が散り、それぞれのトレーナーの意思の輝きを帯びた。

 

「生半可な覚悟で、裏切ったわけじゃないらしい」

 

「まだだ! 俺とメタングは、さらに上を行く!」

 

 メタングが両腕を振りかぶりレジスチルの胴体へと爪を立てた。だがレジスチルの鋼鉄の肉体には傷一つつかない。

 

「一説には、レジスチルはそのあまりの堅さゆえに、地球上の物質ではないと言われている。見たところ速さは互角。ならば、堅さ比べとなるが、果たしてその軟い身体で何発持つかな?」

 

 レジスチルの放った拳がメタングの身体に残響する。今度はメタングの拳が叩き込まれるがメタングの拳が命中した箇所がコォーンと空洞の音を立てた。ほとんどダメージになっていないばかりか、攻撃の反動を霧散されているのだ。

 

「なんて、堅さ……」

 

「それだけじゃないぜ。十万ボルト!」

 

 レジスチルの腕から青い電流が立ち上ったかと思うとメタングの身体へと電撃が見舞われた。もちろん、メタングは弱点タイプに電気はない。だがその攻撃力は相当なものだ。

 

「このように、器用な奴でもある。どんな立ち回りだって出来るぜ」

 

 思っていたよりもレジスチルは厄介な相手らしい。ダイゴは時間が、と一瞬だけ注意を逸らす。その一瞬でレジスチルがメタングの懐に入っていた。

 

「アーム、ハンマー!」

 

 レジスチルの鋼鉄の膂力がメタングを打ち据える。その攻撃力の前にメタングが宙に浮いたまま目を回した。

 

「メタング!」

 

「戦いの最中に、余所見か? 言っておこう、ダイゴ。オレのレジスチルは公安でも切り込み隊長役だ。こいつがまず分け入って相手の攻撃をいなし、他の連中が後に続く」

 

 ダイゴは公安という言葉にニシノの事を思い返した。

 

「……リョウさん。ニシノを、知っていましたね?」

 

 確信を持って放った言葉に、「半年前に辞めた奴にそんなのがいたな」と口にする。顔見知りレベルだったのか。しかし話が出来過ぎている。

 

「ニシノを使って、俺を殺す気だった。でも出来なかったから、ツワブキ家で引き取った」

 

「待てよ。おかしいだろ。オレはお前に死んで欲しくないんだ。なのになんで殺そうと? 話が見えないが」

 

 リョウが僅かに視線を戦っているギリーとディズィーに向ける。そうやってから、なるほどと呟いた。

 

「一枚岩ではないようだ。何か刷り込まれたな?」

 

「俺は、俺の意志で立っているんです」

 

「そう思っているだけだろう。ダイゴ、言っておくが、お前の意思なんて関係ないんだ。D015はロストナンバーだったが、その一点のみでは役に立つと判断された。Dシリーズ二百体近くの内、唯一の成功例なんだ。無駄にするなよ」

 

「その二百人近くの命を、あなたは弄んだ!」

 

 糾弾の声にリョウは舌打ちする。

 

「……言うだけ無駄か。思い込んじまっている。どれだけ自分の存在が奇跡なのか、知りもせずに」

 

「俺の意志は、俺の物だ!」

 

 突き上げた声と共にメタングの拳がレジスチルへと向かう。リョウは、「無駄だ」と発する。

 

「レジスチルの堅牢な表皮を、一枚でも破る事なんて――」

 

 その言葉尻を引き裂いたのはダイヤモンドの嵐だった。突然に巻き起こったダイヤモンドの突風がレジスチルの視野を遮る。リョウが狼狽して周囲を見渡した。

 

「何だ? この技」

 

「叩け!」

 

 メタングの拳がレジスチルを打ち据え、一瞬だけその注意が削がれる。ダイゴはこの攻撃の主を知っていた。だからこそ、即座に行動に移れた。リョウとレジスチルの攻撃射程から逃れ、ダイゴは非常階段へと駆け抜ける。

 

「逃がすか!」

 

 リョウが手を振りかざしレジスチルに攻撃を命じようとするがその動作は鈍い。既に射程外に逃げたメタングを追う事は出来ないようだった。ダイゴは視線をやる。

 

「クオンちゃん……。ありがとう」

 

 クオンが柱の陰から身を乗り出してディアンシーを出していた。ディアンシーは両手からダイヤモンドを発生させ、それを突風にしてリョウとレジスチルを阻んだのだ。

 

「クオン……。何で、奴の味方を……」

 

「兄様。あたしは確かにツワブキ家。でもそれ以上に、ダイゴの理解者であるつもりよ」

 

 その言葉を背中に受けながらダイゴは非常階段を駆け上がった。

 



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第百二話「語れ! 涙!」

 

「理解者……? クオン、誤解している」

 

 リョウは妹をあやす必要があった。この一事の感情に身を任せた過ちを懇々と聞かせるために。

 

「ツワブキ・ダイゴ。あいつは始めからそんな名前なんかじゃないのさ。D015。実験体なんだ。初代を降臨させるために必要な依り代さ」

 

「兄様は何でそんな事をするつもりなの? ダイゴを、命をなんだと思っているの!」

 

 ヒステリックになったクオンをリョウは優しい言葉でいなす。

 

「おいおい、クオン。落ち着けよ。命、とお前は言ったが、元々D015、Dシリーズの初期ロットには寿命なんてないも同然なんだ。製造されたその時から、もう死ぬ運命さ。だったら有効利用したほうがいいに決まっている」

 

 クオンは歩み出る。まるで自分が自由の体現者とでもいうように。

 

「兄様は、間違っている!」

 

「クオン。落ち着け。家族だろう? 話せば分かるさ。クオンにはちょっと早いだけの話。だが、決して理解出来ない話でもないんだ。まずは落ち着いてオレの意見を……」

 

「兄様は、ダイゴを家族だと思っていないのね」

 

 その指摘にリョウは声を詰まらせる。家族だ、とのたまったのは自分だ。クオンは心から失望の目線を向けてきた。

 

「そんな人だとは思わなかった!」

 

 妹からの侮蔑にリョウは頬を引きつらせる。

 

「……言葉に気をつけろよ、クオン。オレは兄だぞ?」

 

「もう、兄弟だなんて思いたくないわ!」

 

 心の断絶が、何よりも遠い距離になった事を思い知らされる。クオンは何も知らない。だからこんな勝手な事が言える。まだ「そちら側」でいられるのだ。

 

「クオン……。ツワブキ家の、一族の繁栄のためには初代の魂は絶対なんだ。再生されたその時、どれだけ恵まれているのかがハッキリする。逆に、永遠に再生の機会を失えば、今度こそツワブキ家は終わりだ。種としての存続意義をなくすんだ。そんな未来を託せるか? 十年後、二十年後、絶対に必要なんだよ。初代のような魂の持ち主が」

 

「死んだ人間にすがるなんて、どこまでも浅ましい考え方よ!」

 

 リョウはため息をついて頭を振った。

 

「ここまで馬鹿だとは思わなかった。お前は、手のかかる妹ではあったが、可愛いと思っていた。だからクオン、お前だけはこのやり方に巻き込むのは、恩恵を得てからでいいと思っていた。初代ツワブキ・ダイゴがどれほどのギフトであったのかを、お前は知らないから、爺さんに会った事がないから言えるんだよ」

 

 初代は復活せねばならない。それこそが約束の日に繋がるはずなのだ。しかしクオンは是と言わなかった。

 

「そんな事が正しいはずがない」

 

「既存の物差しは捨てるんだ、クオン。お前は、ダイゴにそそのかされて、少しばかり心が俗物に成り下がっているだけだ。今に分かる。心が俗世間に塗れれば、どれほど価値を失うか。ツワブキ家は特別な家系なんだ。存続し、未来に繋ぐ。そうする事の価値がある、それほどの家庭に生まれて、お前は……」

 

 ダイヤモンドの風が頬を切る。一瞬走ったダイヤモンドがリョウの頬に傷をつけていた。触れると僅かに出血している。クオンは涙を目に浮かべて言葉を発する。

 

「兄様は、本当に最低よ」

 

 それが完全な断絶を意味していた。リョウは拳を握り締める。教育の必要がありそうだった。

 

「クオン、オレは、今までいい兄を演じてきたしこれからもそのつもりだった。オレが、お前に手を上げた事なんて一度もなかったろう? 裏切るんだな? クオン」

 

 リョウの静かな怒りが思惟となってレジスチルに伝わる。レジスチルが跳ね上がり、クオンへと向かっていった。

 

「いいさ。最低でも、矯正してやる」

 

 レジスチルの放った拳を受け止めたのはディアンシーだ。しかし、すぐにダイヤモンドの盾に亀裂が走る。

 

「岩タイプじゃ、鋼には勝てない!」

 

 その声と同期して突き上げられた拳がディアンシーに食い込んだ。ディアンシーがダイヤモンドの盾を展開して衝撃を減衰しようとするが効果抜群なのは疑いようがない。

 

「ディアンシー!」

 

 クオンの目の前にレジスチルが立つ。その迫力に息を呑んでいるのが伝わった。

 

「今ならば間に合う」

 

 リョウの言葉にクオンは目を瞑った。涙が頬を流れている。

 

「ツワブキ家の一員になるんだ、クオン。それこそが最も賢い選択である事は疑いようのないだろう? さぁ、こちらへ」

 

 手を伸ばしたリョウの指先をクオンは手で払った。目を見開いていたリョウであったが、その結論の意味を察して声にする。

 

「よぉく、分かった。クオン、お前は賢くない道を選んでしまったな」

 

 レジスチルがその手を振り上げる。ディアンシーの防御を砕いた腕が生身のクオンを屠ろうとした。

 

「させない!」

 

 差し込んできた声と共に突進してきたのは銀色のポケモンである。猪突気味の攻撃にレジスチルが防御姿勢を取り、床を滑った。

 

「何者だ……」

 

 視界に入ってきたのはダイゴと寸分変わらぬ容姿をした少年であった。彼は口角を吊り上げる。

 

「よく分かっているだろう? ツワブキ家」

 

「Dシリーズ……」

 

「シリアルナンバーは036。オサム、と名乗らせてもらっている」

 

 オサムと名乗ったDシリーズの後ろから飛び上がってきたのは赤い複眼を持つ緑色の龍だ。細かい砂塵を放ち、フィールドを砂嵐に染めていく。

 

「クオンちゃん! ゴメン、遅くなって! ディズィーさんは?」

 

 リョウは息を呑む。現れた影は、おおよそこの場に似つかわしくなかった。

 

「マコ、ちゃん……?」

 

 相手も自分に気づいたらしい。マコは言葉を詰まらせる。

 

「リョウ、さん……」

 

 お互いに、どうして、という言葉が浮かんだが察したのは同じタイミングであった。相手がこの場における敵だと言う事を。

 

「驚いたな。サキが来るのは、まぁ百歩譲っても分かるが、マコちゃん、君が来るとは」

 

「私も……、誰かが関わっているとは思っていたけれど、リョウさんだなんて」

 

 互いに牽制の構えを取る。緊張が走った。オサムがクオンの手を取って引き入れる。突っ込んできた四足のポケモンは咆哮して威嚇する。

 

「コドラ、か。鋼タイプ。なるほど、Dシリーズの一体が行方不明だとは聞いていたが、お前がそれか」

 

「僕も意外だな。デボンに突っ込んだらいきなり本丸と鉢合わせなんて」

 

「何が目的だ? まさか今さら自由だとは言うまい」

 

 オサムは、「そうだね」とコドラに視線をやる。

 

「言ってしまえば、お前らの支配が気に入らない、ってところかな」

 

「もっともらしい理由だが、Dシリーズが宿主を前にして生きていけると思っているのか?」

 

 リョウがレジスチルに命令しようとする。それを阻むように緑色の龍が攻撃射程に入ってきた。砂嵐を展開しつつ確実に視界を奪っていく。

 

「フライゴン、マコちゃんのポケモンか」

 

「リョウさん、出来れば穏便にいきたいんです」

 

 こちらとしても重々承知だ。しかし許されない事がある。

 

「クオンは、ツワブキ家で処理する。それを邪魔する権利は、君とてない」

 

 クオンの手をオサムがぎゅっと握り締める。先ほどまでいたダイゴの生き写しにクオンを握られているのは素直に憤りがある。

 

「残念だが、僕らとてただやられに来たわけじゃない」

 

「コドラ程度で。レジスチル!」

 

 跳ね上がったレジスチルが電流を纏った腕を振るい上げコドラへと放つ。しかしコドラは平然としていた。その理由は周囲の砂嵐だ。地面タイプであるフライゴンが電流を無効化しているのである。

 

「電気は通じない。それにそのパワーも。この砂嵐の状況下では有効に振るう事は出来ないだろう」

 

 フライゴンのサポートにコドラの突破力。相手の戦術は早々に割れたが自分一人で戦うには少々分が悪かった。

 

「パワーが発揮出来ない、と言ったな?」

 

 リョウの言葉にオサムは眉をひそめる。

 

「それが?」

 

「――間違いだ。砂嵐程度ならば、破る事が可能。レジスチル、破壊光線を掃射しろ」

 

 レジスチルが腕を突き上げるとその指先から拡散された「はかいこうせん」が掃射される。まさかこのような攻撃に及ぶとは思っていなかったのかオサムとマコ、クオンは即座に飛び退った。砂嵐が消え、フライゴンとコドラが視界に映る。

 

「見えてしまえば」

 

 レジスチルが動く。鈍重で、なおかつ反動があったが先の「はかいこうせん」にたじろいでいるポケモンを捉える事は出来た。

 

「どうという事はない!」

 

 電流を纏い付かせた拳がコドラの腹腔に突き刺さる。コドラが呻いた。

 

「コドラを……! マコちゃん!」

 

「フライゴン! 地震で沈ませる!」

 

 フライゴンが翅を震わせてレジスチルに肉迫しようとする。その直上から、レジスチルは拳を打ち下ろした。電気は効かないだろうがただ単に打撃攻撃ならば届く。フライゴンが地面に突っ伏した。

 

「育て足りないな、マコちゃん。戦闘用のポケモンに比すれば、これほどの実力差がある」

 

 フライゴンは明らかに愛玩用レベル。コドラは戦闘用だがそれでも一進化ポケモンならば立ち回りようがあった。

 

「さてコドラだが、じっくりといたぶる時間もない。こちらには、家族の教育があるんでね」

 

 クオンが慄く眼差しを向ける。恐れられても、最低でももう構わない。初代再生計画を納得出来ない家族は要らない。

 

「きっと分かるさ、クオン。初代の再生が、どれほどに重要なのか」

 

 歩み寄ろうとするとオサムが阻んだ。仮初めの存在でありながら造物主に敵意を向けているのが許せない。

 

「邪魔をするな、三下。お前なんて、十秒あれば殺せる」

 

「だったら、試してみるか?」

 

 分を弁えない雑魚はこれだから困る。リョウはほとほと呆れ返った。

 

「忘れたか? お前らが全て所詮は造られた人生しか歩めない事を。Dシリーズの完成形はダイゴだが、奴は特別製。殺すのは少しばかり惜しいが、お前らDの失敗作に関しては、何の躊躇いもない。殺すぞ」

 

 凄味を利かせたがオサムは恐れもしない。

 

「この場で、僕だけが男だ。引き下がれないね」

 

「力量の分からないプライドは、後悔の種になるぞ」

 

 レジスチルがコドラの身体を押し潰そうとする。足で踏みつけ、そのまま破砕しようとした。オサムはコドラに命ずる。

 

「させない! 地震で迎撃!」

 

「鋼相手ならば地面で攻撃。定石であるが、何も用意していない相手だと思ったか?」

 

 技を発生させる前にこちらの攻撃でコドラの頭部が消し飛ぶ。光を充填させた腕がコドラの頭部を羽交い絞めにした。

 

「ゼロ距離での破壊光線。当然の事ながら、コドラの防御力では耐え切れない」

 

 絶望を突きつけたはずだった。しかしオサムの目は死んでいない。

 

「言ったろう。ここでやらなきゃ、男が廃ると! 僕の使える、全ての力を持って戦おう!」

 

 赤い双眸が煌き、その眼差しに呼応したようにコドラが吼えた。光が纏いつき、見る見るうちに巨大化していく。コドラが鋼の表皮を破って今成長の時を迎えているのだ。リョウは舌打ちを漏らした。

 

「Dシリーズの特権、思惟を飛ばして仮初めの同調を……! 進化させると思っているのか!」

 

 光線が飛ぼうとする。その光を全身で弾き飛ばしたのは最早四足のコドラではない。二つの丸太のような足で立ち上がり、重戦車を思わせる容貌のポケモンが腕を開く。頭頂部には王冠か鶏冠のような角が二本、屹立していた。

 

 まさしく全身で鋼を体現したかのような黒と銀で構成された怪獣のポケモン――。

 

「ボスゴドラだ」

 

 ボスゴドラが吼え、確実に死を迎えさせるはずだった光線を反射する。生半可な特殊攻撃は通用しなかった。

 

「ボスゴドラになったとて!」

 

 光を充填させた拳を放つ。ボスゴドラがそれに対応して拳を撃った。鋼同士の攻撃が火花を散らせ、内部のエネルギーを削ぎ落とす。

 

「この攻撃は……」

 

「発揮しろ、ボスゴドラ! 馬鹿力!」

 

 ボスゴドラの二の腕が膨れ上がり、レジスチルの肉体を打ち据える。鋼の防御力を誇るレジスチルが後退した。それほどの一撃である。リョウは歯噛みする。

 

「鋼単一のレジスチルに、格闘の技は」

 

「効果抜群のはず。それに、今までの攻撃も返す。メタルバースト」

 

 ボスゴドラの肉体を駆け巡っていた「はかいこうせん」の余波が口腔に集中したかと思うと、そこから放射熱線が噴き出された。畳み掛けられる形でレジスチルが攻撃を受ける。

 

「メタルバースト」は受けていた攻撃を威力の底上げをして返す技だ。当然の事ながら今までの攻撃は全力であったためレジスチルは相応のダメージを負った。

 

「こんな……、こんな事が……」

 

「ツワブキ・リョウ。ここまでみたいだね」

 

 ボスゴドラが圧倒するように睥睨する。リョウはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「そうだな。普通ならば、ここまでだろう」

 

「普通ならば? 秘策でもあるって言うのか?」

 

「お前とて忘れているぞ。どうしてツワブキ家にのみ、このような高等なポケモンの操作が許されているのか。それは扱えるのだと証明されてきたからだ。その血の宿命に、刻まれてきたからに他ならない。レジスチル、破壊光線は――」

 

 充填された光線の輝きにボスゴドラが身構える。しかしその行く先は相手ではない。

 

「自分に撃つ!」

 

 なんとレジスチルは自分自身に「はかいこうせん」を放ったのだ。エネルギーの瀑布が押し広がり、光が周囲に展開される。眩い輝きに全員が目を閉ざした。

 

「圧倒的防御を誇るレジスチルにしか出来ない芸当だ。自分に撃ち、それを拡散した光とする。この光と爆音の中、動けるのはトレーナーであるオレしかいない」

 

 リョウは身を翻した。硬直しているオサムとマコ、クオンを殺すのには絶好の機会だが、今はまだ足りていない。

 

「……借りは返す。敗北の屈辱は必ずな」

 

 リョウはその場から光が霧散する前に立ち去っていた。

 



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第百三話「地図にない未来」

 

 非常階段を駆け上っていると何度か振動を感じられた。下階で、クオンやディズィーが戦っているのだろう。

 

「無事ならば、いいんだけれど」

 

 この状況で無事を願うのは筋違いかもしれない。しかし、彼女らには被害が及んで欲しくなかった。

 

「出来れば、俺だけで……」

 

 その言葉を遮ったのは不意に立ち上った殺気の渦だ。メタングを前に出し、ダイゴは防御する。放たれたのは氷柱の針だった。

 

「氷柱を、散弾みたいに」

 

「鋼タイプ。確かに、厄介には違いない」

 

 立ち現れた影に、やはり、という思いと、来たか、という思いが混在した。

 

「あなたも、一枚噛んでいたんですね。ツワブキ・レイカさん」

 

 レイカが非常階段を上り切った先に待ち構えていた。既にリョウから連絡を受け取ったのだろう。敵意しかその眼にはなかった。

 

「困るのよね。勝手にプランを変えられちゃ」

 

 レイカの傍にいるのは角ばった氷のポケモンだ。レジスチルに似て中央部に細かい目のような意匠がある。どうやら同系統のポケモンらしい。

 

「レイカさん、あまりあなたの事は知りませんが、俺は押し通ります」

 

 メタングが跳ね上がり銀色の拳を放った。

 

「バレットパンチ!」

 

 弾丸の速度を伴った拳をレイカは無感情に見下ろして命令する。

 

「レジアイス。攻撃」

 

「遅い! 確実にメタングの拳が打ち込まれる!」

 

 そう確信した。しかしメタングの拳はレジスチルに叩き込まれる寸前で静止する。何が起こったのか分からなかった。ダイゴが怪訝そうにしているとレイカは呟く。

 

「何が起こったのか、理解出来ていないでしょう。人間の活動に際し、最低限必要な体温は三十四度と言われている」

 

 レイカが歩み出る。なんとその手でメタングに触れた。しかしメタングは反撃さえもしない。何かがメタングの体内で起こっているに違いなかった。

 

「ではポケモンの活動に際し、最低限の体温とは? 種類によって異なるものの、人間より遥かに高い体温を必要最低限とするものから、人間と同程度か、あるいはさらに下を最低限にするものもいる。レジアイスにはその程度が分かる。それを操っている私にもね」

 

 まさか、とダイゴは巻き起こった事態を理解した。

 

「メタングの、鋼タイプの最低体温を奪った、っていうのか……」

 

「メタングは、鋼タイプは無機質系だから活動最低限の体温は低めに設定されている。零度を下回っても、鋼タイプは動ける。元々耐性があるからね。でも、的確に、関節だけを狙って、例えばマイナス三十度まで操れるとすれば? そうなればいくら弾丸の勢いを誇る拳としても、硬直するに違いない」

 

 ダイゴは理解する。レジアイスは周囲の温度だけではない。ポケモンの体温を自在に奪えるだけの正確無比な攻撃が出来るという事を。

 

「メタング! 動けないのか?」

 

「聴覚神経を麻痺させた。凍結した脳波があなたの声をメタングに伝える事はない。つまり、メタングは今、何も聞こえないし、感じられない状態だと言う事」

 

 きっと視神経もやられているのだろう。レイカが隣を通過するのにもメタングは気付いていないようだ。

 

「ツワブキ・ダイゴ、いいえD015。どうして我々の邪魔をする? あなたは理想的な初代の依り代として、これから準備を行おうとしていた矢先に。こんな大っぴらな事なんてしなくていい。家族ごっこも少しくらいなら付き合ってやれたのに」

 

「もうそんな、偽りは御免だって言っているんだ」

 

 ダイゴの強気な声にレイカがぴくりと眉を上げる。

 

「そう言う事を、造物主に言っていいと思っているのかしら?」

 

「その傲慢さが、お前らを破滅させる」

 

 その言葉に表情の変化に乏しかったレイカは笑い始める。度し難い、とでもいうように頭を振った。

 

「まさか、ここまで理解していないとはね。あなたの行動はどちらにせよ、ツワブキ家に、デボンに恩恵をもたらす形となる。望もうと望むまいと。そういう風に、もう出来ている。システムを突き崩す事なんて、出来っこないのに」

 

「俺は、やってみせる」

 

「では、メタングの爪の一つでも動かしてご覧なさい。それも出来ずして、デボンの企みを阻止しようなど片腹痛い」

 

 ダイゴはメタングを動かそうとするがメタングの感覚器官が確実に死んでいるのが分かった。レジアイスの射程を逃れない限り、元の状態には戻れないだろう。

 

「頼む……」

 

「頼んで感覚器官が戻ってくるはずもない。さぁ、ダイゴ。あなたにはまだ役目が残っている。それを捨てて、ただ闇雲にこんな愚行を繰り返すのは、我々穏健派としても制したいところ」

 

「穏健派……。ニシノの管轄とは、違うのか」

 

「元々、そのニシノとかいう人間の目的とツワブキ家、つまりデボンの目的は違う。私達は、あなたを殺そうだとか、そういう野蛮な考えは持っていない。欲しいのは初代を降ろせる肉体と、その素体となる人格データ」

 

「人格……?」

 

 ダイゴは頭を押さえる。先ほどからくらくらと眩暈がして足元がおぼつかなかった。

 

「ようやく、レジアイスの凍結領域が効いてきたようね」

 

 レジアイスが下げられるのはポケモンの体温だけではない。人間の体温などポケモンのそれより容易いに違いなかった。

 

 膝をついたダイゴにレイカが言い放つ。

 

「D015のパッケージを確保し、このまま初代を降ろすため、沈黙してもらう。なに、特別な事は望まないわ。何もしなければ、それでいい」

 

 レジアイスが迫る。どうする事も出来ないのか。ダイゴの思考が闇に消えかけたその時、エレベーターの到着音が耳に届いた。

 

「この状況で誰が――」

 

 その声を遮ったのは甲高い声と鋭い爪による攻撃であった。鳥型のポケモンがレジアイスへと背後から切りかかる。その一撃は感知出来なかったのか、レジアイスの凍結攻撃が緩んだ。その一瞬の隙を見逃さない。

 

「バレットパンチ!」

 

 鋼鉄の拳がレジアイスの額を打ち据える。後退したレジアイスのお陰でダイゴは階段を上り切る事が出来た。その先に待っていたのは、意外な人物であった。

 

 どれだけ、会える事を切望していただろう。相手も意外そうに目を見開いている。

 

「サキ、さん……」

 

「ダイゴ、か……」

 

 お互いにどうして、という思いがあった。硬直している二人へと差し込むように冷気の網が走る。先行していた鳥型のポケモンとメタングが防御した。吹き抜けた冷気にサキが声を振り絞る。

 

「ダイゴ! 行け!」

 

 サキは理解しているのか。その眼差しには迷いがなかった。

 

「お前の記憶のために! お前自身のために!」

 

 その声に背中を押された気分だった。ダイゴは、「いつか、また」と言い置く。話したい事、話しておかねばならぬ事がたくさんある。自分が何を思って戦ってきたのか。サキが何を思ってここまで来てくれたのか。

 

 だが今は、問い質している場合ではない。

 

 自分は前へと進まなければならない。

 

 非常階段に足をかけ、ダイゴは上層を目指した。

 



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第百四話「鋼の精神」

 

「ヒグチ・サキ……」

 

 忌々しげに発した声音はあの時と寸分変わらない。サキは先行したポッタイシをいさめる前にレイカと対峙する事となった。プラターヌが、「再現だな」と呟く。

 

「まさかこれほど早く見えるとは思っていなかっただろう? ツワブキ・レイカ」

 

 どこか余裕を感じさせる声音にレイカは、「そうね」と落ち着きを取り戻そうとしている。

 

「生きていたとは」

 

「ツワブキ・レイカ。何を目的に彼を襲う? 彼の、何を知っているというんだ、お前は」

 

 サキの急いた声にレイカは、「何を、ね」と自嘲する。

 

「全てを、と言えばいいかしら?」

 

 ふざけているのか。内に湧いた憤慨を感じ取ったようにポッタイシが跳ね上がる。喧嘩っ早さは自分よりも上だ。ポッタイシが命令してもいないのに羽根の内側にある鋼の爪でレジアイスに立ち向かう。

 

「メタルクロー、ね。なるほど、このポッタイシ、分かっていて攻撃しているわけか」

 

 ポッタイシは甲高く叫ぶばかりで理性も何もあったものではない。ほとんど野生に等しかった。

 

「博士……、ポッタイシは」

 

「憎しみでいっぱいだろう。今まで自分達を見下してきた連中の大元だ。人間がそうでなくとも憎いのさ」

 

 ポッタイシの連撃にさしものレジアイスとて防戦一方に思われた。レジアイスはさばくだけで精一杯のようだ。

 

「この勝負、勝てる……」

 

 サキの確信に冷や水を浴びせるようにレイカが声にする。

 

「何を勘違いしているのかしら? ポッタイシとて、その集中力がいつまでも続くわけないでしょう」

 

 ポッタイシが一瞬だけ攻撃の手を緩める。何度も撃てるわけではない。その一瞬だけでポッタイシが突然に動きを止めた。身体を沈めさせ、荒く呼吸をついている。

 

「ポッタイシ。水タイプね。水タイプは変温だから、人間や鋼とかとは逆に考えればいい。体温の上昇を止めなければ、いずれ脳細胞まで沸騰する」

 

 レジアイスはポッタイシの体内を操り、熱暴走させようというのか。しかしポッタイシは憎悪に染まった眼差しを背ける事はない。

 

「……主人に似て、なんとも忌々しい目をしていること。でもヒグチ・サキ。あなたが真実に辿りつけないように、このポケモンも志半ばで倒れる。それは決定事項よ」

 

「そんな事はない。大体、お前らは何を企んでいる。初代を再生させて、何をしたい?」

 

 レイカは口元だけで微笑んで、「いいでしょう」と答える。

 

「初代の再生計画。その先に待っているのは何なのか。ちょっとだけ教えてあげるわ。どうせあなた達も自分なりの答えに至っているでしょうし」

 

「初代をダイゴに降ろす。そうする事によって何かが起こるんだな?」

 

 レイカは、「彼を、まだダイゴと呼ぶのね」と挑発する。サキは睨み据えたがそう容易く挑発には乗らなかった。

 

「あれは入れ物よ。初代を入れるに相応しい、入れ物に仕立て上げた」

 

「ポケモンの血を入れたのは、お前のアイデアか?」

 

「そこまで調べ上げているのには恐れ入るわ」

 

 レイカは少しも悪びれる様子もない。この計画に、全く迷いもないのだろう。

 

「どうかしている。人間とポケモンの血を入れ換えるなんて」

 

 吐き捨てる声音だったがレイカは恐ろしく冷静に返した。

 

「あら? でもそれがとてもいい方法だったのはそこにいるあの肉体の基を知っている博士がご存知でしょう?」

 

 プラターヌへと視線を向ける。彼はダイゴの肉体の基を知っている?

 

「本当なんですか、博士」

 

「……いや、憶測の世界だがね。何となく彼が他人とは思えなかったのは、やはりそういう理由か。ツワブキ家は、なんとおぞましい」

 

「はっきり言ってください! 知っているんですか!」

 

 取り乱したサキの声にプラターヌは調子を乱さずに答える。

 

「ツワブキ・レイカ。あれはわたしの業だった。だから、血の宿命があったとはいえ、息子を巻き込んでくれたのは正直、怒りを覚えるよ」

 

「……息子?」

 

 わけが分からない。サキの狼狽にレイカは口元に笑みを刻む。

 

「やはり、分かっていたのね。何となくでも、あのD015の素体が自分の息子、フラン・プラターヌであった事を」

 

 フラン・プラターヌ。聞いた事のない名前だったがプラターヌという部分の符号は偶然ではないだろう。サキはプラターヌに問い質す。

 

「博士、では、ダイゴは……」

 

「そう。わたしの息子だ」

 

 思わぬ返答にサキは眩暈を覚える。では、ダイゴの本当の人格は? そもそも、ダイゴの記憶は? 迷宮に入ろうとしたサキの思考に差し込むように、「記憶喪失じゃない」とレイカは答える。

 

「本当は、記憶なんて基から存在しないのよ。だってフラン・プラターヌとは違う、ただの擬似人格なんだもの。あの躯体を動かしているのは、初代の降臨に必要なプログラムの素。つまり何だってよかった。あれがツワブキ・ダイゴでも、別の名前でも。まぁリョウの趣向でツワブキ・ダイゴっていう悪趣味な名前に落ち着いたけれど、あれが記憶を追い求めたところで何も解決の糸口なんてないのよ。だってないんだもの。答えなんて」

 

 それはあまりにも残酷だ。ダイゴが追い求めたものが幻想だなんて。プラターヌは、「皮肉なものだ」とこぼす。

 

「彼を構成する最も重要な部分はそれだったというのに。自分が誰なのか知りたい。自分の記憶は自分だけのものだと。だが、彼には自分が誰であったかなんて最初からなかった。彼は誰でもなかった」

 

 そんな事があるだろうか。この社会で、あるいは世界での絶対的な孤独など。

 

「彼は何者でもない。本当に、何者にもなれない。でも、初代を降ろすにはぴったりの、入れ物なだけ」

 

 レイカの言葉に怒りを覚える。サキははらわたの煮えくり返るような憤怒のまま命じた。

 

「ポッタイシ!」

 

 ポッタイシがサキの命令を受け鋼の爪を繰り出す。しかしポッタイシは一歩進んだだけで倒れこんでしまった。

 

「馬鹿ね。今のポッタイシは集中の糸が一本切れただけで死んでしまうのに。もうすぐ脳細胞が沸騰して死に体になるのは目に見えている。もう降伏する事ね。どちらにせよ、あのツワブキ・ダイゴには最も残酷な運命が待っているのだから」

 

 自分が何者でもないと知るよりも残酷な運命などあるのか。サキは叫んでいた。

 

「お前らが! 何もかもを奪ったから!」

 

「それが違うわ。何もかもがなかったところに意味を与えた。褒められどすれ、貶められるなんて」

 

 ではダイゴの生きる意味は? こうして今も必死に自分の過去を探している彼の、本当の意味とは。

 

「そんなの、悲し過ぎる……」

 

「悲しい、ね。それでも彼は現実と向き合わなければならない。自分が初代を降ろすのに相応しい入れ物だという事と、もう一つ。彼本来の人格を狙っている人物と」

 

 本来の人格。その言葉にサキは顔を上げる。

 

「初代再生だけが、目的じゃないというのか」

 

「確かに初代の再生がツワブキ家の悲願。でも協力者である彼は自分がただ死んでいくのを目にしていくわけがないでしょう」

 

 彼。新しく出てきたその言葉にサキは戸惑う。

 

「誰がいるっていうんだ。ツワブキ家以外に、彼の身柄を狙うっていうのか」

 

「抹殺派に彼の肉体が殺される前に、取り戻したいのね。――F」

 

 F。自分達を導き、裏切った張本人のペラップ。あれはどうして人語を解していた? プラターヌはあれを見た瞬間、プログラム人格と言っていた。その答えは……。

 

「まさか、博士は最初から知っていたんですか?」

 

 サキの問いかけに、「半分は」とプラターヌは答える。

 

「まさか自分の息子の人格がポケモンに宿っているなんて、知りたくもなかったが」

 

 だとすれば、ツワブキ・ダイゴを狙っている勢力は二つある。抹殺派とF個人。今ここにFがいないのは何故か。サキの視線を感じ取りレイカが答える。

 

「Fの狙いは究極的にあの肉体の所有権。いずれあの肉体を所有するためだけに、ポケモンに転移し、今までこちらの勢力に与していた。でもあの肉体を所有したのならば簡単に裏切るでしょうね」

 

 どうするというのだ。レイカでさえもそれは邪魔するべきではないと感じているようだった。

 

「Fは充分に役に立ったし、無論彼に肉体を返す事はやぶさかではないわ。でも、最終目的は初代の降臨。いくら自分の昔の肉体を彼が追い求めたところで、届かないものは届かないのだと、思い知らせる必要がある。だから泳がせた。Fは今最上階へと上っているダイゴを、必死に追いすがっている。それこそが、私達の仕組んだ自滅プログラムだと知らずに」

 

「自滅、だと……」

 

 思わぬ言葉にサキは困惑する。レイカは、「隠しておく必要もないか」と口にした。

 

「Fにダイゴの、D015の肉体を返すわけがないでしょう。あれは最後のピースになる。あれを破壊する事で、この計画は完遂する」

 

「ダイゴ、彼を依り代にして初代を降ろそうとしている君らからしてみれば、彼の人格を奪うFは敵同然か」

 

 プラターヌの落ち着き払った声音にレイカは鼻を鳴らす。

 

「息子が危ういのに随分と落ち着いていられるのね」

 

「フランは、何一つ親らしい事をしてやれなかった。今さら親子だなんて言える立場じゃないよ」

 

 思いのほかドライなプラターヌの意見にレイカは頬を引きつらせる。

 

「そう……。親子でも、やはりそういうものなのね」

 

 まるで何か、自分に重ねたような言い草だ。サキは、急ぐべきだと駆け出しかけてレイカの声に制せられる。

 

「ここから動いたところで! 状況は好転しない!」

 

 その通りかもしれない。ダイゴは、Fに取り込まれるか、それとも初代の肉体にされるのか、どちらかしかないのかもしれない。しかし、とサキは歯噛みする。

 

「あいつは、彼は、まだ何も知っちゃいないんだ。この世界の美しさも、この世界の醜さも、何一つ。だって言うのに、何も知らせないままに奪うって言うのか? それが正しい事なのか?」

 

 美醜の分け目も知らず、この世界でただ消費されていくためだけに生きていくなんて許されるのだろうか。レイカが、「何を今さら」と嘲笑する。

 

「現人類なんて消費されるために生きているようなものじゃない。初代のような人間が一人いるだけで違うのよ。そうなら、そちら側に賭けたいと思うのが人情じゃないの」

 

 初代一人にすがり、今もまた、初代という妄執に取り憑かれている。レイカも、ツワブキの人々もまた、愚かしい。誰かが止めなければならない。狂った夢はどこかで終わらせなければ。

 

「私は」

 

 サキが歩み出る。ポッタイシもサキの闘志を感じ取ったように羽根を払った。空間がビィンと震える。ポッタイシの鋼の爪は、まだ折れちゃいない。

 

「私は! 絶対に諦めない! 彼の記憶がないと言われても、彼なんて最初からいなかったと言われても! この世に生まれ落ちた以上、その生は意味がなくっちゃいけないんだ!」

 

 ツワブキ・ダイゴが最初から初代降臨のための肉体だと言われようとも、あるいはフランという人物の後釜に過ぎないと言われても。それでも、自分は、ツワブキ・ダイゴという彼が居た証明を忘れない。忘れてはいけない。

 

「綺麗事ね。ツワブキ・ダイゴはたった一人のみ。その事象を誰も覆せない。もう転がり出した石よ。Fを止める事も、ましてや初代の意志を止める事なんて出来やしない」

 

「止めてみせる! 私が、彼を認めたのならば、彼も私を認めてくれるはずだから」

 

 レイカが眉をひそめ、レジアイスに命令する。

 

「彼に、人格も、人権もない。あれはツワブキ・ダイゴの入れ物なのよ」

 

「そんな理屈、私が切り裂く!」

 

 ポッタイシが鋼鉄の爪を払う。レジアイスは僅かに後退した。怯えているわけでもない。ましてや先ほどまで全く通用しなかった「メタルクロー」一つに。レジアイスが竦み上がっているのは意思の光だ。自分とポッタイシの作り出した闘志に怯んでいるのである。

 

「……そこまで出来るのが分からない。他人なのよ」

 

「もう、他人じゃないって言っているんだ。私は、ダイゴの人生を、彼を捨て去ってまで必要なのが初代だとは到底思えない」

 

 その言葉が癇に障ったのか、ぴくりと眉を跳ねさせる。

 

「……言葉に気をつけなさい、死に損ないのヒグチ家。私達は選ばれて、その上で存続しているのよ。ホウエンのどの家とも違う。どの血縁とも違う。ツワブキ家と並べるのは同じツワブキ家だけだと思いなさい」

 

「その傲慢を、私とポッタイシが断ち切る!」

 

 ポッタイシが足に力を込めて跳ね上がった。一刹那に込めた最大膂力。ポッタイシが螺旋を描き、身体ごとレジアイスへと特攻する。レジアイスとレイカの反応が一拍遅れた。

 

「潜り込んで……」

 

「そこでメタルクロー!」

 

 螺旋を描き、レジアイスの表皮を削ったポッタイシが鋼の爪を立ててレジアイスの腹部を引き裂く。氷の皮膚が焼け落ちた。ポッタイシの鋼の爪痕が熱を持っているのである。

 

「レジアイスの氷に、傷跡を……」

 

「嘗めてかかったツケだ。ポッタイシ、攻撃を――」

 

 その言葉はそこで途切れた。何故ならば、レジアイスの放った凍結の息吹が瞬時にポッタイシの羽根を凍らせたからである。この場で誰も対応出来なかった。戦っている最中のポッタイシでさも反応が追いついていない。

 

「どうして、攻撃中にレジアイスが何を……」

 

「瞬間凍結、レベル1」

 

 放たれた声音にサキは慄然とする。今の攻撃は、ポケモンの放つ技ではない。

 



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第百五話「牙」

 

「ジョウトでトレーナー修行を受けた時、私だけどうしてだかスパルタ教育を受けたのよ。その時、ヤナギ、とかいうジムリーダーに教えを乞うた。私達、兄弟は多かれ少なかれ、トレーナーとしての素質が見込まれ、それぞれの専門分野を極めている。そして、これが、氷の極点」

 

 レイカが指揮棒のように手を振るう。ここにいてはまずい。それが直感的に分かったが既に遅かった。自分に出来たのは咄嗟にポッタイシをモンスターボールに戻すだけだ。自分の足までは気が回らなかった。足が凍り付き、サキは倒れ込む。ほとんど神経が通っていないのか、瞬時に奪い取られたのを感じた。痛みすらない。

 

「……わ、私を」

 

「ポッタイシを狙ったついでで、あなたを狙ったのだけれど、浅かったわね」

 

 レイカが指を鳴らす。自分のような人間を始末するのに数秒とかからないだろう。サキは目をきつく瞑った。ここまでなのか。それとも、ここまで来られた事が善戦なのだろうか。そのような思案を他所に歩み出たのはレイカではない。

 

「……博士?」 

 

 プラターヌがどうしてだかサキの前に立っている。その理由が分からず尋ねていた。

 

「何やっているんです、博士。あなたは、こんなところにいる場合じゃ……」

 

「それを言うのならば君とて、だ。大体、もう勝負は決した。もういいだろう、ツワブキ・レイカ」

 

 プラターヌはこの期に及んで懐から煙草を取り出し、火を点ける。一服してから言葉を継いだ。

 

「急くようで悪いが、わたしはね、君らの戦いとて、二次戦とでも言うべきか、本来の意図から離れようとする戦闘のような気がしてならない。問い質そう、ツワブキ・レイカ。本当にここで、ヒグチ・サキ刑事と戦っている場合か? あるいは、もう何もかもが決していて、これが消化試合だと分かっていて、やっているのか?」

 

 何を言っているのだ。サキはレイカを見据える。ここでレイカを止める事こそ、自分に出来る唯一の、ダイゴへの手向けのつもりだった。

 

 しかしレイカは否定もしない。それどころか口角を吊り上げてプラターヌを目にする。

 

「……本当に、食えない男ね」

 

「それほどでも」

 

 プラターヌのちぐはぐな返答にレイカが手を払う。凍結範囲が広がってプラターヌを覆い尽くそうとしたが、その手はプラターヌのくわえた煙草を落とすに留まった。

 

「嫌煙家なの、私」

 

 プラターヌが意外そうに目を見開いてから、「すまなかったね」と腰を下ろす。するとレイカも同じように腰を下ろした。先ほどまで敵対していた事など何もかも忘れたように。

 

「な、何をやっているんですか! そんな事、している場合じゃ」

 

 今も命を狙おうとしている輩を前にして。しかし、プラターヌは冷静だった。

 

「いや、今しか出来ないだろう。ヒグチ・サキ刑事。君は、彼女と戦う事でこの事象が止められると感じていたようだが、実のところわたしの考えは全く違ってね。ポッタイシを怒らせるようなものだから、黙ってたんだが」

 

 何が言いたいのだ。サキは眉根を寄せるがレイカはある程度の理解を持っているらしい。プラターヌを見据え、「面白い判断をするのね」と評した。

 

「それは彼女を裏切らないため?」

 

「裏切る、裏切らないで言えば、わたしの立ち居地ってのは相当にアンフェアでね。例えば、君が何も言わなければ、ここにいた事さえも嘘になるのだろう?」

 

 サキがハッとする。プラターヌの身柄を押さえたのは自分の独断。比して、レイカからすれば自分が調子に乗り過ぎた、という一事なのだ。

 

「博士! 最初から、そのつもりで」

 

「そのつもりもどのつもりもないよ。結局のところ、ツワブキ・レイカ。彼女だって傍観者のポジションだ。ここから動くのはお互いに賢くないって分かっているのだろう?」

 

 サキの視線にレイカは笑みを浮かべる。

 

「どこまでも、読めない人ね、プラターヌ博士。それはもう歳を取らないから? それとも、超越者としての意見なのかしら?」

 

「どちらでもないよ。わたしは、歳を取らないと言っても見た目だけだ。細胞は劣化するし、老化する。それはきっと、避けられない事だ。だからこそ、フラットに、このイカレた研究を見据えている。永遠を手にしようとして失敗した男と、永遠になろうとは思わなかった男の末路まで、わたしならば見届けられる」

 

「なり損ないはどちらか、という議論でもなさそうね。いいでしょう。プラターヌ博士。今ならば、今のあなたの理解ならば、この計画を許容出来るはず。どうします? いつまでもヒグチ・サキにつきますか?」

 

 最後通告のようだった。これで分の悪い賭けには負けたな、とサキは面を伏せる。しかし、プラターヌはくいっと自分の顎に手を添えたかと思うと、静かにその唇を重ねた。

 

 一瞬の出来事。

 

 自分でも何が起こったのか分からなかったし、レイカも唖然としている。唯一冷静なのはプラターヌだけだった。

 

「君は死ぬべきじゃない」 

 

 唇の隙間から煙い吐息が漏れる。まるで春の日の木漏れ日のように、その一瞬は優しかった。

 

「それが、答えだと思っていいのかしら? プラターヌ博士」

 

 レイカの声音にプラターヌは頭を振る。

 

「嫉妬は見苦しいよ」

 

「あなたほどの頭脳ならば賢い選択をするのだと、思い込んでいた節があったわね。男って本当に、馬鹿ばかり」

 

 レイカが手を払う。凍結攻撃を受けてプラターヌはよろめいた。思わず叫ぶ。

 

「博士!」

 

「……唇を奪った色男の名前を、まだ呼んでくれるとはね」

 

 プラターヌは口調に精一杯の余裕を窺わせてみせるが、この状況。好転するとは思えなかった。

 

「博士! 今ならば逃げられます、早く!」

 

「おいおい、逃げるだって? それは男が廃るってもんだ」

 

 プラターヌはレイカを真正面に捉えている。その背中は戦う男のそれだ。

 

「逃げないって言うんですか。それはおかしいでしょう! 私達は、真実のために」

 

「その真実のために、今まで犠牲にしてきたもの。見ないようにしてきたもの、それらを全て、わたしが背負おう。なに、この身は既に穢れている。君のような人間が感知するべき事でもないよ」

 

 プラターヌの言葉にサキは頭を振って叫んでいた。

 

「博士が、ここまで私を導いてくれたから!」

 

 ここまで来られた。だというのに、ここで降りると言うのか。その事実を突きつけると、「ズルイねぇ」とプラターヌは微笑む。

 

「わたしに、逃げられないように、男の立場を尽くさせてくれるんじゃないのか。それ以外の道もあるって言うのか」

 

「いいえ、プラターヌ博士。真実に辿り着きたいと真に願うならば、あなたの立場でさえも遠い」

 

 レイカは手招いてみせる。

 

「こちらなら、もっと上手くあなたの要求に添えますが」

 

 何とこの状況でレイカはプラターヌを抱き込む事を考え出した。

 

「とても魅力的な提案だな。だが」

 

 肩越しに振り返ったプラターヌの双眸には最早迷いなどない。自分と最後まで共にあるという光が眩いまでだ。

 

「悪いが命を賭ける女性は少ないほうがいいと人生経験で知っている」

 

「後悔しますよ」

 

 レイカが指を鳴らすと瞬間冷却の波がプラターヌへと押し寄せる。プラターヌは膝をつきそうになったが笑い声を上げてそれを制した。

 

「とてつもない使い手じゃないか。ここまで猫を被れたのもさすがだよ、ツワブキ・レイカ」

 

「そちらこそ、ここまで酔狂な真似をしておいて今さら鞍替え、という輩でもないようですね、博士。言っておきますが、今が分水嶺ですよ」

 

 ここでイエスと言わなければ二度とチャンスは訪れない。そう言いたげのレイカへとプラターヌは言いやる。

 

「分かっていないな、ツワブキ・レイカ。君は人心掌握の術は心得ているはずだろう。だったらこの世で最も尊いもの、誰にも奪えないものを知っているはずだ」

 

 レイカはプラターヌの目を見据えて舌打ちする。

 

「欲望……独占欲」

 

「言い方が悪いな。愛情、だよ」

 

 レイカが手を払う。プラターヌの半身が凍て付き、その身体が遂に膝をつく。

 

「博士! もういいです! 私なんて、守る価値なんて……」

 

 そこから先は言葉にならない。プラターヌのような純粋な研究者はもっと守るべきものと時を弁えているはずなのだ。だというのに、何故。戦えない自分なんて足手纏い以外の何者でもないのに。

 

 プラターヌは肩で息をしながら、「煙草を」と口元に指を持ってくる。

 

「吸わせてくれないか。一服だけでいいんだ」

 

「禁煙よ、プラターヌ博士」

 

 レイカがもう一度手を払う。プラターヌの顔面に氷が纏いつき、その目を凍傷が襲い掛かった。思わず、と言った様子でプラターヌが仰け反る。しかしそれ以上は後ずさる事もない。

 

「何故です? ここで我々の側に下るほうが、遥かに賢く、なおかつあなたの知的好奇心を満たせます。デボンはあなたを切ったわけではありません。それに、Fと初代の調整には、あなたこそが相応しい」

 

「息子を弄び、その上に侮辱と恥辱を塗り重ねるような真似を、是とすると思うか?」

 

 レイカは眉根を寄せる。プラターヌの意見が心底理解できないというように。

 

「あなたは、本当のところを知りたいのではないのですか? 初代再生計画の向こう側、それに自分の息子がどこに行ったのかを。そこまで知っても、なおかつあなたならば正気を保てる。研究者としてどこまでも実直に、それでこそプラターヌ博士! あなたに相応しい名誉ではないですか」

 

「名誉? ヒグチ・サキ刑事。彼女は名誉と言ったか?」

 

 聞き返されてサキは狼狽する。プラターヌは鼻を鳴らした。

 

「血を呪うような所業を名誉と、君は言ったのか? いいか、名誉とは。真に名誉ある事とは! 自分の正義に忠実である事さ! わたしはわたしの正義に殉ずるまでの事。そこに介在するのはわたしの価値観だ。君達の価値観じゃない」

 

 邪魔をするな。自分の道だ。そう語る背中にサキは涙ぐむ。プラターヌはここで命を落としたとしても惜しくはないと考えている。それでこそ正義に殉ずる行動なのだから。

 

「……博士。研究者にとって一番に無縁な価値観はなんだと思います? 正義ですよ、あなたの語るそれです。それこそ、研究においては最も邪魔で、なおかつ一番に障害となる分野なのです。あなたの語る正義に振り回されて、私達は歩みを止めている場合ではないのですよ。一刻も早く、初代を再生させる」

 

「そして知るというのかい? 初代の遺志を。彼が最後に何を感じたのかを」

 

 プラターヌの言葉には自然と重みがあった。彼は初代を知る数少ない人間。初代の肉声を聞き取った人間なのだ。

 

「それが何か不都合でも?」

 

「彼が最後に何を感じたのか、か。それこそ、知るも無粋ではないのかな? なにせ、彼が最後に望んだ事はもしかすると家族の事なのかもしれない。遺していく我が子の事なのかもしれないし一族の事だったのかもしれない。ほんの些細な事だろう。わたしには分かる。人間、死ぬ瞬間に何も高尚な事を考えているもんじゃないと」

 

「何の根拠に――」

 

「わたしこそが、根拠そのものだが? 今、君の手によって死のうとしているわたしが自身の体験から発している言葉だ。とても裏打ちされていて充分じゃないか」

 

 レイカは舌打ちを漏らしてプラターヌに言葉を浴びせる。

 

「いいですか? 初代は、そんな凡俗な考えを持った人間じゃありません! それこそ、ツワブキ家の将来に関して絶対に必要な事を知っているはずなんです。この先、どうするべきなのか。ツワブキ家は、デボンはどうあるべきなのかを」

 

「それこそ、遺族の身勝手な押し付けだ。偉人が必ずしも考え方までもが偉人だったわけではないよ。今際の際に、わざわざ予言めいた事なんて考えるかね。それこそ、もっと単純な事だ。人を愛する事、そういう、もっと分かりやすくってもっと単純な事を、初代は考えていたんじゃないかな」

 

「黙れ!」

 

 凍結の息吹がプラターヌの身体をなぶる。サキはそれ以上見ていられなかった。ポッタイシを繰り出そうとするがもう戦闘不能なのは分かっている。これ以上、何をするというのだ。

 

「お前に、何が分かるって言うんだ! 私達の未来を、初代は考えていてくれたはずなんだ!」

 

「いい加減、一人の人間にそこまで背負わせるのは止めるんだな。魂がたとえ二十三年間、このカナズミを彷徨っていたとしても君達のような愚行を見つめたまま、初代はツワブキ家の先の事なんて考えられただろうか。もしかしたら今すぐにでも成仏したい心地だったのではないか」

 

「黙れ、黙れ、黙れ!」

 

 再三打ち付ける凍結範囲の手がプラターヌの身体を貫通する。何度も白衣を凍結の風に晒されながらプラターヌはそれでもレイカを睨み続ける。

 

「いいかい? 何度も言わせるな。初代は、そこまで大それた事を望んじゃいないよ」

 

 プラターヌの諭すような口調にレイカは怒りの沸点を超えたような形相で喚く。

 

「お前らなんかに、何が!」

 

 レジアイスの放つ凍結の切っ先が凝結してプラターヌの左胸を貫く。ふとした事のように、プラターヌは自分の胸に突き刺さったそれを見下ろした。

 

「心臓を貫通させた」

 

 レイカの声にようやく身体感覚が追いついてきたのか、プラターヌが倒れ込む。サキはその身体を抱えた。

 

「博士! 博士!」

 

「……喚くんじゃない、ヒグチ・サキ刑事。君は、職務を全うするんだ」

 

 いつものように落ち着き払った口調でプラターヌは道を示す。

 

「まずはマルボロだ。そこからストーリーは始まる。わたしはね、それ以上も以下もないと考えている。わたしと君のストーリーを始めるのに、それ以上の言葉があるだろうか?」

 

 サキは震える手で手渡された箱に視線を落とす。プラターヌから差し出された安物の煙草の箱を手で抱え込んだ。

 

「大事にします……」

 

「そんな、後生じゃないんだ。好きな時に吸って、好きな時に一服つけばいい」

 

「吸えないの、分かっていて……」

 

 プラターヌは少年のように笑う。朗らかに。何の打算もなく。

 

「そうだったかな。そうだった。君は、いつだってそうだった。わたしの言う事を聞かないんだ。だから、そこまで歩んでいって、だからここまで歩んで来れて……。だからそんな先に、行っちゃいけないよ、フラン……」

 

 ここにはいない息子を幻視したプラターヌはそこで一切の生命活動を停止した。呼吸もなく脈拍もない。レイカは息を荒立たせている。

 

「そっちが悪いんだ……。私の言う事を否定する、そっちが……」

 

 サキはぎゅっと煙草を握り締め懐に仕舞った。反撃が来ると感じたのだろう。レイカが警戒する。

 

「今の私では、ツワブキ・レイカ。お前を倒す事は出来ない」

 

 レイカがひっと短い悲鳴を上げる。サキは鋭くレイカを見据えた。

 

「いつか、きっと。貴様を追い詰める。それまで私と、私達がどこまで来れるのか、せいぜい上で見ている事だ。その余裕がいつか仇になる事を、肌で感じているといい」

 

 サキは身を翻す。この場で自分に出来る事はない。プラターヌを弔う事も、今の状態では出来ないだろう。

 

「警察にタレこむつもり?」

 

「無駄だな。私の立場では、どう考えてもツワブキ家を抑える事なんて出来ないし、ホウエンの警察はもう当てにならないだろう」

 

「だったら、どうすると言うの? どこかに隠居でもして、反逆の牙を研ぐとでも?」

 

「敵に何故、そこまで教える必要がある?」

 

 サキの眼差しには既に敵としてのツワブキ・レイカしか映っていなかった。自分ではどう足掻いても届かない高みに彼女はいる。しかし届かないのは今だけだ。今を超える力を自分が持っているのだと、プラターヌが教えてくれた。

 

「だから、ここでの勝負はお預けだ。私達はきっと、お前に追いつく。お前らの闇をいつか引っぺがすその時まで、覚悟しておくんだな」

 

 サキの言葉にレイカは何も返さなかった。サキは天井を見やる。涙がつうと頬を流れるのを止められなかった。今は、少しでも止められるように、上を向いて歩くしか出来なかった。

 



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第百六話「独り」+第百七話「魂の争奪者」

 

「な、何を……。強がりなんて」

 

 レイカは口角を吊り上げるがそれがまやかしの笑みであるのは何よりも自分が分かっていた。今の一瞬、ヒグチ・サキに恐怖した。今まで自分達ツワブキ家を脅かすものなんて存在しなかったというのに、サキがいつか自分達ツワブキ家を、ひいては自分を追い詰める事をどうしてだか予感出来たのだ。その予感は一度這い登ってくると怖気となって背筋を突き抜ける。

 

 自分達はとてつもない間違いを犯したのではないか。ここでサキを殺しておけば、という考えも浮かんだがもうサキの背中を追えなかった。視線が覚えず下に移る。ここで死んでいったプラターヌという男の死を乗り越えて、彼女はきっと強くなる。強くなって自分を殺しに来るだろう。

 

 とてつもなく恐ろしく、心臓が爆発しそうだった。冷や汗が伝い落ちる。ここまでの恐怖は父であるイッシンや兄であるコウヤにも与えられた事はない。誰にも脅かされた事のなかった部分が危機感を伝えている。

 

 ――ヒグチ・サキはいずれ最大の敵として自分を殺しに来る。

 

 その予感を打ち消すようにレイカは拳を握り締めた。

 

「何を恐れているの、ツワブキ・レイカ。私はツワブキ家でもポケモンの扱いに長けた人間。それに今まで何人ものDシリーズの死に何の躊躇いも覚えなかったじゃない。どうして、あんな小娘一人に……」

 

 しかし慄然とした思いは膨れ上がる。目の前のプラターヌの死体がいけないのか。レイカは咆哮する。その瞬間に巻き起こった凍結の暴風がプラターヌの身体を吹き飛ばした。微塵の欠片も残らない。死体はまさしく灰になって消滅した。しかしそれでも消えない恐れの波にレイカは周囲を見やる。

 

「誰か……。誰か私を……。お父さん? リョウ? コウヤ兄さん? クオン? ……お母さん?」

 

 誰にもすがりつけない孤独が圧し掛かりレイカはその場で慟哭した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かの声を聞いたような気がした。

 

 しかし空耳だったのだろう。聞くとすればそれは敵の声に相違ないからだ。ダイゴは階段を駆け上り目標の場所を捉える。

 

「幹部総会は、この先の会議室か」

 

 しかし駆けながら、どうする、という思いが去来する。イッシンを問い詰めて、初代再生計画を止めるか。あるいはこのデボンでのスキャンダルを公表するか。自分だけではない。ディズィーも、クオンも、サキだっている。自分一人ではないのだ。その事実が勇気を奮い立たせる。

 

「俺は、一人じゃない」

 

 家族を裏切った感覚があった。しかし今は、それと同時に満たされている気持ちもあるのだ、ようやく隠し事をしないで済む。自分が何者なのか分かれば、後はツワブキ家とデボンの企みを止めればいい。もう迷いはしない。自分の身体が初代再生の要だというのならばそれさえも乗り越えよう。絶対に初代にこの身体を明け渡さない。その気持ちさえ揺らがなければ自分が傷つく事など何も怖くない。

 

「どこへ行くのかね」

 

 不意にかかった声にダイゴが足を止めようとするとポケモンの殺気が膨れ上がった。咄嗟にメタングで受け止める。影から躍り出た極彩色の鳥ポケモンが爪を立てて舌打ちをした。

 

「何だ、お前は……」

 

「私の名前はF。その身体の、本来の持ち主、フラン・プラターヌの人格データを移植された、ポケモンだよ」

 

 フラン・プラターヌ。その名前にダイゴは硬直する。目の前の鳥ポケモンがフランだというのか。

 

「馬鹿な。証拠でも」

 

「証拠は、お前が全て知っているはずだ。もうここまで来たんだ。仕上がっているはずだろう? 初代の依り代として」

 

「何を言っているのか、分からない、なっ!」

 

 呼気一閃。メタングの放った拳が鳥ポケモンを取り押さえた。この鳥ポケモンはさほど強靭なわけでもない。いなせる、という確信を得た直後だった。

 

「いいのかな? 私を殺せば、コノハが悲しむぞ」

 

 昨夜の口づけが思い出される。この鳥ポケモンは本当にF……フラン・プラターヌだというのか。うろたえたダイゴの隙をついて鳥ポケモンが離脱する。

 

「分かってきたようだな。お前はワタシの前に服従以外の道がない事を」

 

「……コノハさんの事を言えば、俺が動けなくなるとでも」

 

「なるさ。コノハは私の……いいや、ボクの恋人だからね!」

 

 鳥ポケモンの声音にダイゴは硬直する。

 

 本当にフランなのか? だとすれば、自分には何も出来ない。コノハは自分のためにこの道を切り拓いてくれたが、それは何よりもこの身体の持ち主であるフランのためだ。その想いには勝てない。どう足掻いたとしても。自分の身体がフランのものだから、コノハはある程度受け容れてくれている。フランでなければ、もう価値はないのだ。

 

「俺、は……」

 

「さぁ! 一つになる時だ! D015! ボクの肉体!」

 

 ペラップの放った風圧でダイゴは倒れ込む。一瞬の交錯。ペラップの瞳に映る自分が大写しになった。初代の顔。それ以上に、フラン・プラターヌという個人の顔。

 

「俺は、都合のいい道具じゃない!」

 

 Fが嘴を開いて息を吐き出した。弱々しく床を転がる。ダイゴは荒い息をつきながらFを睨んだ。

 

「俺は、ツワブキ・ダイゴだ!」

 

 ダイゴの声にFが哄笑を上げる。

 

「ボクの身体で、初代の精神体の入りやすい被造物だぞ? その権利が、何者でもない、所詮は流されるだけのお前にあると思っているのか?」

 

「俺は、自分の意思でここまで来た」

 

 立ち上がり、Fへと言葉を浴びせる。Fも持ち直して翼の刃を研いだ。

 

「だから、俺は進まなきゃいけないんだ! 俺自身のために、俺が何者なのか!」

 

「だから、ボクの肉体だと――」

 

 Fが羽根の内側に空気の膜を溜める。ダイゴは咄嗟にメタングに防御させた。

 

「言っている!」

 

 空気の刃をメタングの鋼の肉体が防御するが、ペラップがそれを嚆矢としたように飛び上がる。飛行する敵は思っているよりもやりづらい。

 

「メタング……、鋼・エスパーか。確かにこの肉体、飛行タイプのペラップでは効果抜群を狙いにくいだろう。しかし、お前を主軸に狙えばどうかな? D015!」

 

 Fが翼を払う。メタングが腕を突き出して弾くも突然に背後から襲い掛かってきた風圧にダイゴは瞠目する。いつの間に仕掛けたのか、遠隔操作で放たれる風圧の刃が迫っていた。

 

「挟み込むような攻撃を……」

 

「この身体にも随分と慣れてね。お陰でエアスラッシュやその他の混合技をポケモン以上のパフォーマンスで撃てるようになった。今のボクをただのペラップだと思わない事だ。言ってしまえば同調の域。ポケモンと人間が同じレベルで存在しているのだと思いたまえ」

 

 つまりFとやり合うのは得策ではない。ダイゴは背後から迫った空気の刃をメタングの弾丸の勢いを持つ腕で相殺する。

 

「知っているよ。バレットパンチだな。その速さならば、なるほど、ボクの放った攻撃くらい相殺出来るだろう。しかし分かっていないのかね? それこそが仕上がった証だと」

 

「仕上がった?」

 

 他に風圧の刃が迫ってこないか。ダイゴは緊張を走らせながらFの言葉を聞く。

 

「ダンバルからの進化、メタングが手足のように使えるまで、結構時間はかからなかっただろう? だがね、メタング、いいやダンバルの進化系列は育てるのが大変に難しいんだ。それこそがツワブキ家、デボンがお前に仕込んだ罠。試金石と言い換えてもいい。もし、ダンバルが進化し、メタングを手足のように使えるのならば、もう時は迫っているのだと」

 

 ダイゴはメタングへと命じる。Fを叩き落そうとしたがFは軽やかに回避して言葉を継ぐ。

 

「ボクの言葉が耳障りかな? しかしお前は聞かなければならない。これこそが真実に他ならないのだと」

 

「真実かどうかは、俺が見極める。自分の目と耳で」

 

「……度し難いな。ボクはそこまで馬鹿ではなかったはずだけれど」

 

「メタング、バレットパンチ」

 

 迷いなく放った言葉にメタングの腕が推進剤の勢いを帯びてFへと突き刺さろうとする。しかしFは身体を軽やかに挙動させて回避した。

 

「バレットパンチを……」

 

「避けたのがそんなにおかしいかね? 言っておこう。ボクはダンバルからメタング、それに至るまでそのポケモンのデータを全て知っている。だからこそ、お前の前に立っているのだと」

 

 偶然だ、とダイゴは再度命じる。しかし結果は同じだった。放たれた拳は掠りもしない。

 

「ボクが、トレーナーとして優れているわけでもなければ、このペラップの躯体が飛び切り飛行タイプとして優れているわけでもないよ。言っただろう? 同調だと」

 

 まさか敵はその域に達しているというのか。ダイゴの焦燥を見透かしたようにペラップが笑い声を発する。

 

「怖いかな?」

 

「怖い? 怖いのは、ここで歩みを止めてしまう事だ。せっかくここまで来た。色んな人達が、俺と同じように真実を探している。その真実を探す人達の目を曇らせてはいけない」

 

 ダイゴの言葉に、「立派だな」と形だけの賞賛が送られる。

 

「だがそれは、自分を死地に追い込む事と何が違う? いいか? ボクらはもう一心同体になれるんだ。こっちとしては仕上がっているお前の身体が一刻も早く欲しい。そうでなければ、お前の身体は初代に取られる」

 

「……分からないな。お前達の目的は俺の身体に初代の魂を通す事じゃないのか?」

 

「そうだよ。そうだとも。だから、だよ。仕上がってきたという事は、その肉体が精神を透過しやすいという事なんだ。ボクの精神を先に入れてやれば、もうぶれているその肉体の所有権が揺れ動く事もない。なぁ、ボクに返せよ! その身体!」

 

 Fが真っ直ぐに飛んでくる。ダイゴは迎撃すべきだとメタングに命じようとしたが今までの攻撃ではどうせ間一髪避けられるだけだ。ならば、太く短く――。

 

 ダイゴが指示しない事を好機と見たのかFの動きは直線的だ。メタングを飛び越えて自分の頭部を引っ掴むつもりか、あるいは引き裂くつもりか。

 

「ボクの身体だ!」

 

 その声音にダイゴは言い返す。

 

「違うな。俺の身体だ」

 

 そう発した瞬間、メタングが打ち込む。Fが攻撃の気配を悟って天井に逃げようとする。

 

「メタングの射程は所詮、超近距離! 上に逃げれば、なんて事――」

 

「それこそが、狙い通りだった」

 

 Fが瞠目する。メタングの放った「バレットパンチ」の射線はFに、ではなく、床へだった。床へと超高密度の弾丸の拳が同時に放たれる。それは結果的にメタングの身体を急速に浮上させた。その勢いは鈍いメタングの動きでも飛行タイプのFに追いつけるほどだ。

 

 目線が合い、Fが息を呑んだのが伝わる。

 

「ぼ、ボクの身体だぞォ!」

 

 うろたえたFへとダイゴは言い放つ。

 

「いつまでも未練タラタラはみっともないって、分かる事だな」

 

 放たれた拳がFの肉体を捉える。Fが短い悲鳴を発する。即座にもう一撃、Fの腹腔へと打ち込まれた。Fがよろめき、嘴から血を流す。

 

「馬鹿な……。ボクのなのに……」

 

「所有権を主張したいんなら名前でも書いておくんだったな」

 

 Fが力なく床に突っ伏す。これで決着はついただろう。ダイゴが歩み出そうとすると、「いいのか?」と声が発せられた。

 

「ボクこそが、フラン・プラターヌの帰還こそが、コノハの待ち望んでいる事なんだ。お前は、自分の願いのために誰かの幸せを潰せるのか? コノハとはもう会っているだろう? 余計に情も湧いているはずだ。ボクが死ねばコノハは悲しむ。お前への復讐も考えるかもしれない。そういう子だった。ここでボクを殺したっていい事なんて何もないぞ」

 

 行き場所を失うだけだ。帰る場所も、もしかしたらなくなるかもしれない。そのような予感が一瞬だけダイゴの身体を硬直させたが、ダイゴはそれらの懸念を振り払った。

 

「……確かに、俺にはもう帰る場所も、帰りを待ってくれている人もいないのかもしれない。偽りの家族関係は崩れたし、俺の事を望んでくれる人も」

 

「そうだろう。ならば」

 

「でもだからって、俺はやっぱり、俺が誰なのか知りたい。俺が何者で、何の意味があってこの世界にいるのか。それを知りたいだけなんだ。きっと、それだけの、ほんのちょっとした事がきっと、何者にも替えられない俺の価値なんだと思う」

 

 自分が本当にこの世界にとって意味があるのかを問い質したい。それだけなのだ。それ以外は何もいらない。たとえ帰る場所がなくとも、この世界が自分を結果として拒んだとしても、自分が誰なのかを知る事はいけない事なのだろうか。

 

「自分の価値……。そんなもの、お前は初代再生のために与えられている。本来ならばその初代再生だって、副次的な産物だ。ボクは、ボクの肉体を投げ打ってまでこの日を待った! お前の肉体がボクの精神に耐えられるその日を! だからこんな臭いポケモンの肉体でずっと待っていたんだ! その執念を、誰にも邪魔させるか!」

 

 Fの言葉もある一面では真理。だからこそ、自分は立ち向かう。乗り越えなければならば、戦うしかない。

 

「俺が俺であるために戦う必要があるのならば」

 

 Fはもう虫の息だ。

 

 あと一撃で勝負が決まる。ただし、それは自分とて同じ。ポケモンの技を生身で受ければ、自分も危うい。Fが最後の力を振り絞って立ち上がろうとする。

 

 飛び上がった次の瞬間が勝負。ダイゴが身構える。今度こそ、この肉体を巡っての戦いが終息する。メタングに思惟を注ぎ、次の一撃を待ち構えた。Fが飛び上がろうとする。

 

 来る! と身構えた神経を遮るように声が放たれた。

 

「――雑魚同士で喰い合いとは、恐ろしく醜い光景だ」

 



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第百八話「王の顕現」

 

 誰の声だ? ダイゴもFも反応出来なかった。

 

 この場にいるのは自分達だけだと思い込んでいた。しかし、いつの間に接近していたのか、背後から赤い光線が発射される。それがFに絡み付いて拘束した。赤い光線はモンスターボールの光だ。

 

「な、何をする? ボクは、その身体を、手に入れなければならないんだァ!」

 

「いつまでもそういう感情で動かれていたら目障りだって言っているんだよ。いいかい? だから、ぼくみたいなのが必要になってくる」

 

 Fが粒子となって赤い光に吸い込まれる。Fを引っ込めた相手に対してダイゴは振り返れなかった。振り返った瞬間、肉体を削ぎ落とされるような恐怖があった。汗がじわりと滲む。鼓動が早鐘を打つ。どうしてだか、振り返れば死のビジョンしか見えない。

 

 そのような心境を察したのか、背後の相手は柔らかく笑った。

 

「そこまで緊張するって言うのが、よく分からないな。だってはじめまして、じゃないだろう?」

 

 はじめましてじゃない? 相手は自分の知っている人間なのか。声音からしてまだ年若いのが分かるが自分の知っている相手にこんな声の持ち主はいたか? と考える。

 

 聞いた事がある。とても耳馴染みのいい声だ。しかしどこで聞いた? どこで、この男の声を聞いたのかがどうしても思い出せない。

 

「振り返ってみなよ。その時、勝負が決するとは思うけれど」

 

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。メタングはいつでも攻撃可能な状態だ。思惟も飛ばし、最速での「バレットパンチ」が打ち込める。比して相手はFを取り込んだ事から恐らく丸腰か、それともポケモンを出すロスが生じる。その期を狙えばいい。簡単な事だ。

 

 相手のほうが遅いのは明白である。明白であるのに、どうしても振り返れない。

 

 全身が凍り付いてしまったかのようだ。まさかレイカ? と感じたがレイカの声ではない。つい先ほどまで聞いた事のある声だった。男の声で、今まで何度も聞いた自分のよく知っている声。

 

「振り返れないのならば、ぼくがそちらに行こうか?」

 

 この相手に一歩たりとも歩ませてはならない。ダイゴの防御本能が走り、決断をさせた。

 

「メタング、バレットパンチ!」

 

 振り返ると同時に攻撃。これは避けられまい。それほどの域に達した弾丸の拳が相手を捉えようとする。その瞬間に、ダイゴは振り返っていた。

 

「――ぼくを見たな?」

 

 その声にダイゴは全身が雁字搦めになったように硬直していくのを感じられた。その声の主、その声を発している人間の姿。

 

 銀色の髪に、銀色の瞳。その姿は、まるで――。

 

「やはりぼくの劣化コピーでは、ぼくを見た瞬間に反応が違うな。殺せなくなったろう?」

 

 相手の言葉にダイゴはメタングの拳が届く寸前で止まっているのを発見する。メタングがどうしてだか動かない。内側に落ち窪んだ赤い瞳も困惑に震えていた。

 

「ぼくを殺すにしては、このポケモンでは駄目だ。躊躇うだろう? 鋼タイプではね」

 

 相手はメタングの拳を指先でなぞる。それだけでこちらの戦意が凪いでいった。メタングが機能不全を起こしたように両腕を下ろす。ダイゴはようやく相手の名前を口にしていた。

 

「……ツワブキ・ダイゴ」

 

「初代が抜けているよ、三下君」

 

 目の前に立っているのは初代ツワブキ・ダイゴであった。どうして、という思いよりも湧き上がったのは恐怖だ。自分の似姿が目の前にいる。しかも以前見たようなDシリーズの感覚とは違う。これは純粋な畏れであった。

 

 自分のオリジナルを前にした、先天的な恐怖。

 

「さて、十五番目のぼく。君とは話をしたかったんだが、そうも言っていられないらしい。君の目的がこの先の会議室にあるというのならね」

 

 そうだ、自分は幹部総会を押さえ、そこで自分の出自を明らかにせねばならないのだ。萎えかけた思考に熱を通すようにダイゴは眉間に力を込める。すると硬直していたメタングがにわかに動き出した。

 

「やるね。ぼくを前にして敵愾心を出せる鋼タイプってそういないんだ。君は、どこかでぼくに立ち向かおうとしている。いいね、とてもいい。それが人間としての美しさを出している。でも同時に、君が劣化コピーであるという証でもある。悲しいね」

 

 初代らしき男はそう告げる。ダイゴはこの男を何としても倒さなければならないと感じた。そうしなければ自分が食われかねない。

 

「撃て! バレットパンチ!」

 

 メタングが打撃を放つ。初代は軽くステップを踏んで回避した。まるで攻撃の方向が事前に分かっているかのように。

 

「メタングか。懐かしいポケモンを使うんだね」

 

 初代が右腕を差し出す。その時に気付いた。初代の右腕は生身ではない。機械で作られた義手だった。掌に当たる部分が落ち窪んでおり、内奥が緑色に光っている。先ほどのモンスターボールはそこから出したらしい。Fの入っているであろうモンスターボールが瞬時に消え、別のモンスターボールが出現する。

 

「さて、誰で戦おうか? ぼくのボックスにいて君と同じくらいの奴がちょうどいいかな」

 

 モンスターボールが次々とシャッフルされ、その度に入れ替わっていく。ダイゴは掌の装置が転送能力を有しているのだと確信する。

 

「何なんだ、お前は……」

 

「言ったろう。初代ツワブキ・ダイゴだと」

 

 鋼の右腕を差し出して相手が口にする。しかしその名前は自分に降りてくるはずだったものだ。容易に信じられるものか。

 

「……言っておく。初代の名前にこだわってきたデボンとツワブキ家が唐突にその場しのぎのDシリーズを用意するはずがない。その相手がツワブキ・ダイゴを名乗るなんてもっとだ。だからお前は、初代じゃないな」

 

 相手は度し難いとでも言うように頭を振った。

 

「理解は出来ない、か。まぁそうだろうね。本来ならば、君の身体に降りるはずだった魂だ。しかし、いささかトラブルが多かった」

 

 踏み出した相手にダイゴは警戒する。

 

「トラブル?」

 

「ぼくの魂を容認するのには、君の人格が強くなり過ぎた。ツワブキ・ダイゴでもフラン・プラターヌでも何者でもない、名無しの魂がその身体に馴染み過ぎたんだよ。だからその身体に入る危険性を考慮して、ぼくに仮初めの肉体が与えられた。少しだけ醜いから見せるのは憚られるが」

 

 相手が顔を拭う。するとその部分の表皮が裂けた。否、裂けたのではない。表皮を構成する小さな分子が飛び散り、内部を露出させる。ダイゴは息を呑む。

 

 そこにあったのはほとんど枯れてしまった肉体だった。遺骸、と言い換えてもいい。死に絶えているはずの肉体がゾンビのように動いている。それを隠しているのは最新鋭のホログラムだった。上辺から保護しているのだ。

 

「ホロを被って……、初代の真似事を……」

 

「真似事じゃない。ぼくは初代ツワブキ・ダイゴだと言っている」

 

 あくまでも初代として譲らない相手にダイゴは、「だったなら」と語気を強める。

 

「初代だって言うんなら、全てを終わらせる!」

 

 初代ツワブキ・ダイゴさえいなければ、あるいは変死しなければ起こらなかった悲劇だ。初代を倒せば、この悲劇も収束する。そう信じていたダイゴへと初代の声が割り入った。

 

「誤解しちゃっているなぁ。ぼくの死の真相を知るためにツワブキ家もデボンも相当苦労したんだろう? まぁ、今のぼくにその返答は出来ないわけだが」

 

「出来ない? 初代じゃないのか?」

 

 初代はこめかみを突く。

 

「急に降霊されたものでね。まだ脳細胞が本調子じゃないんだ」

 

「デタラメを……」

 

 メタングが攻撃姿勢を取る。一瞬の揺らぎはあったものの最早この初代と自分達への冒涜としか思えない相手に手心は一切加える気はない。

 

「本気、の眼と見た。ならば、こいつで行こう」

 

 右手の転送装置からモンスターボールが出現し緊急射出ボタンに指がかけられた。

 

「いけ、メタング」

 

 繰り出された姿にダイゴはまさか、と目を瞠った。自分のメタングと同じ、いいや、より純正に近い銀色の表皮はこちらのほうが本物だと主張しているようだった。爪は金色でありまさしく王の威容だ。

 

「色違いのメタング。ぼくの相棒でもあったポケモンだ」

 

 初代が手を振り翳す。ダイゴは咄嗟に声を張った。

 

「防御を!」

 

「バレットパンチ」

 

 放たれた弾丸の拳がメタングの表皮を叩く。その衝撃にメタングの鋼の肉体が軋んだ。まるでレベルの違う攻撃だ。

 

「ぼくは鋼タイプがとても好きでね。それはやはりこのタイプ発見に貢献出来たのが一番大きいんだと思うけれど、石が昔から好きだったんだ。だから石に似通った性質を持つ彼らが愛おしくって堪らない」

 

 初代がメタングの鋼の腕に拳を当てるとコォーンと空洞の音が響き渡った。

 

「うん、いい音だ」

 

 間違いない。今対峙している相手は初代ツワブキ・ダイゴなのだと、その時になってようやく実感が湧いてきた。どういうつもりかは知らないが自分と初代を戦わせてデボンは何らかの事を企んでいる。それだけは確実であった。

 

「君のメタング、育てはいい筋しているが、やっぱり一線が足りていない。もうちょっとその鋼を磨いてやりなよ」

 

「黙れ!」

 

 メタングが攻撃する。放たれた「バレットパンチ」が色違いのメタングを叩き伏せるかに思われたが、初代の放った言葉は短かった。

 

「いなせ、メタング」

 

 それだけだ。たったそれだけでメタングの両腕が動き弾丸の速度を誇る拳を同速の拳が叩き据えた。まさか、とダイゴは戦慄する。

 

「同じ、速度……」

 

「相殺したというわけさ。なに、そう難しい話じゃないよ」

 

 初代の声にはまだまだ余裕があった。ダイゴは歯噛みする。これほどまでの差があるというのか。自分と初代との間に、これほどの隔絶が。

 

「諦めるにはまだ早い。もっと打ち込んでくるといい。そうすると、こっちも本調子に、戻れそうだ」

 

 まだ本気を出していないと、相手は言っているのだ。嘗められている、と思うと同時に、この初代から比すれば今のトレーナーなど赤子なのではないかと思われた。腐っても第一回ポケモンリーグの玉座に輝いた男。最初の王だ。

 

「どうした? 打ち込んでこないのかい?」

 

 打ち込むにはあまりにも自分は無策だった。どうやって攻撃の隙を見つければいいのか分からない。相手の色違いメタングは自分のメタングと同じか、それ以上の性能を誇っている。ここで影響してくるのはトレーナーとしての技量に他ならず、初代に勝つには自分が圧倒的に足りない事は自明の理だ。

 

「打ち込まないのならば、こちらからいかせてもらう」

 

 初代がすっと手を掲げる。するとメタングが一撃を見舞ってきた。即座に防御姿勢を取るが、畳み掛けるようにラッシュが押し寄せる。ダイゴはメタングに命じていた。

 

「同速度か、それ以上のバレットパンチで迎撃!」

 

「遅い、遅いよ! こんなんじゃ、それはバレットパンチって言わない。弾丸って言うののは、こんな感じで」

 

 急に拳の速度が変わった。くの字を描き折れ曲がった拳の軌道を追い切る前にその拳がメタングの下腹部に突き刺さる。

 

「ちょうど、相手の不意をつくレベルじゃないと、言わないんだよ」

 

 メタングの鋼の身体に亀裂が走る。馬鹿な、と思う反面、この程度では勝てないと冷静に分析する自分もいた。メタングの身体が吹っ飛ぶ。色違いのメタングの嵐のようなラッシュの猛攻にダイゴでさえも吹き飛ばされたように倒れる。

 

「こんな……。ここまでの技量の差なんて……」

 

「残念だが、君とてぼくを降ろすには不充分だったようだ。もしぼくが君の肉体を使っていたとしても、最大限に鋼タイプを動かすには至らないだろう」

 

 ダイゴは初代を睨む。全盛期のホログラムを纏った初代はまさしく圧倒的な存在であった。王の威圧にダイゴは恐れ戦く。

 

「同じタイプで同じ技構成のポケモンを使ってもここまで差が開く。これが君とぼくとを隔てるものだ。D015、この時代のツワブキ・ダイゴ君。素質は素晴らしいと思う。プラターヌ家の血筋に焦点を当てたのも流石だし、実際、君は結構仕上がっていたと思う。フラン・プラターヌの躯体には勿体無いレベルのトレーナーになっていた。だが、ぼくに勝つのはやっぱり無理だし無茶だ。――結局、ぼくが一番強くてすごいんだよね」

 

 色違いのメタングが腕を掲げる。次の拳で勝負が決まる。その予感にダイゴはどうするべきかと考える。ここで逃げても同じだ。初代の降り立ったこの肉体を機軸にしてデボンとツワブキ家は計画を進めるだろう。計画を阻止し、自分の存在意義を示すにはここで戦うしかない。戦って、勝つしかないのだ。

 

 ダイゴは萎えそうな自分に喝を入れるべく膝を叩いた。立ち上がり、メタングを呼びつける。

 

「メタング! 俺達は、まだ!」

 

 メタングの眼窩に赤い光が宿り、ふわりと浮き上がった。初代は乾いた拍手を送る。

 

「立派な志だ。自分のオリジナルに行き遭って、こうも闘志を燃やせるとは。羨ましいと言い換えてもいい。……ただ、勝てない相手に勝負を挑むのは、それはおめでたいとも言う」

 

「言ってろ。メタング、俺達は!」

 

 メタングの表皮が光に包まれる。亀裂の入った部位から出現したのは新たなる鋼の腕であった。二つの腕が生え揃い、四本の脚部を構築する。初代は感嘆の吐息を漏らす。

 

「同調、いいや、これはそう単純なものじゃないね。四十年前を思い出すな。あの時のポケモンリーグはちょうど君のような超ど級の猛者揃いだった」

 

「メタング、いいや、この姿は!」

 

 メタングの顔面にXの亀裂が走ったかと思うと光を拡散させる。そこにあったのはメタングの面影を残していながらさらに凶暴に進化した重戦車の鋼ポケモンだった。

 

 四本の脚部はそれぞれ独立した腕であり、尖った爪が攻撃的である。特徴的なのは額を走るXの文様。それこそがこのポケモンのポテンシャルが未知である事を示している。

 

「――メタグロス」

 

 初代がその名前を紡ぐ。ダイゴはその姿を睨み据える。

 

「行くぞ、初代ツワブキ・ダイゴ。言っておくが、今までの攻撃とは格が違う」

 

 初代は慌てるでもない。フッと口元に笑みを刻んだ。

 

「そうでなくっては。戦い甲斐がないというもの」

 



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第百九話「王と凡俗」

 

 ダイゴの発した雄叫びに呼応しメタグロスが腕を突き上げる。

 

「バレットパンチ」であったが今までの比ではない速度だった。弾丸が光を帯び、メタングへと叩き込まれる。メタングは防御しようとしたがその防御を突き抜けた。鋼の肉体へと容易くダメージが至る。

 

「強いな」

 

 初代はしかし、メタグロスの性能に慌てふためく事も、ましてや脅威を抱く事もなかった。

 

「その余裕が命取りになる」

 

 ダイゴの言葉に初代は、「命取り」と言って笑い出した。

 

「面白いね。ミイラ取りがミイラに、か。だったら、ぼくをせいぜい、死人に戻すレベルで戦ってきなよ。まだまだ足りていないんだから」

 

 手招く初代へとダイゴはメタグロスにラッシュを命じる。叩き込まれたメタングは暴風のような拳の応酬に耐え切れず壁を突き抜けてしまった。初代が、「あーあ」と呟く。

 

「やっぱり、進化前ではちょっと難しいか」

 

「後悔しても遅いぞ」

 

「後悔?」

 

 初代がくいと顎をしゃくるとメタングが再び舞い戻ってくる。

 

「ぼくと君とで、後悔の値が多分、大きく違うと思うけれど、まぁ今は、そうだな、君を見くびり過ぎた、それだけは言っておこう」

 

「表面だけの賞賛なんて……!」

 

 ダイゴの声に弾かれたようにメタグロスが相手の色違いメタングを圧倒する。初代は口笛を吹いた。

 

「さっすがー。ポケモンの血が入っているから同調の値が高いね。これは、オーキド・ユキナリ氏の完全同調に近いんじゃないか?」

 

 戦っている最中だというのに初代は余裕しゃくしゃくで観察している。その行動が癇に障った。

 

「俺達を、嘗めるな」

 

 視界はほぼメタグロスと同期している。鼓動も、感覚器も、だ。メタグロスの感じ取る空気の流れ、相手の隙、どこに打ち込めば効果的なのかが全て分かる。

 

「あれ? ハイになっちゃってる? もしかしてぼくに勝てる、とでも?」

 

「今ならば勝てそうだ」

 

 その確信がある。メタグロスになった事もそうだが、ダイゴの戦意は昂揚していた。今の初代は隙だらけだ。どこに打ち込んでも倒せる。

 

「だったら、実際にぼくに打ち込んできなよ。さっきから君の攻撃はメタングにばかりでまどろっこしい。ぼくを殺したいんだろ?」

 

 初代の言葉にダイゴは瞠目したがそれもその通りだ。短期決戦に持ち込みたいのならばトレーナーを襲えばいい。

 

「その覚悟があるのなら」

 

「覚悟? ぼくは君より二十年ほど生きている、いや生きていた先輩だ。その人間に覚悟とは、片腹痛い」

 

 メタグロスの放った攻撃が初代へと殺到する。通常なら臆するか逃げるだろう。その選択肢が取られるのだと当然。ダイゴも思っていた。しかし初代が選択したのはどちらでもない。

 

「メタング。もういい。彼のレベルには合わせるな。こっちのやり方で行こう」

 

 その言葉が放たれた直後であった。

 

 今まで打ち込まれるばかりだったメタングがメタグロスの全ての攻撃を防御したのだ。ダイゴは当然、何が起こったのか分からない。完全に隙をついた攻撃だった。メタングの防御力で耐え切れるはずがないのに。

 

「何で……」

 

「答えは、王と凡俗の差で説明がつく。メタング」

 

 メタングのボロボロの表皮に亀裂が走り直後、卵の殻が割れるように外側へと弾き出される。

 

「――進化、メタグロス」

 

 ダイゴは呆然としていた。自分と手持ちポケモンが最大の同調と昂揚をもってして訪れた進化の境地に、初代とその手持ちはまるで当たり前のように至ったからだ。

 

 X字の眼窩から覗く赤い眼が射る光を灯す。ダイゴは思わずうろたえる。

 

「進化、したなんて……」

 

「驚くかい? ぼくはさっき、一切驚かなかったが」

 

 まさかこれが自分と初代の差だというのか。ダイゴがメタグロスに命令する前に色違いの、金色を纏ったメタグロスの拳が放たれた。呼気を放つまでもなく、まるで指を動かすかのごとき自然さでの一撃。そのたった一撃に、メタグロスが遅れを取った。今までの優勢が嘘のように吹っ飛ばされたメタグロスが壁にめり込む。ダイゴは声を上げた。

 

「メタグロス? どうやって……、何を!」

 

「何を? バレットパンチを撃っただけだが?」

 

 しかし視認も出来ないなんて。ダイゴの動揺につけ込むように初代は続ける。

 

「まさか、見えなかったかい?」

 

 見えなかった。しかしそれを言えば完全な敗北となる。ダイゴは腹腔に力を込めて、「メタグロス!」と呼んだ。主人の声に従ってメタグロスが砂礫を振り払う。

 

「徹底抗戦だ!」

 

 メタグロスの構えに初代は少しだけ首を傾げた。

 

「徹底抗戦。おかしな事を言う。どうせ、勝ったほうがツワブキ・ダイゴだ。負けたほうは名前も、何もかもを失う。まさか分かっていなかったとでも?」

 

 ダイゴは雄叫びを上げて突っ込んだ。

 



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第百十話「覆る世界」

「どこまで、戦況が進んだかな?」

 

 ディズィーの声にギリーが歯噛みする。

 

「さぁな。少なくとも、オレは面倒な相手と行き遭っちまったと思っている」

 

 ギガイアスには複数の切れ込みがあり、メガクチートの動きについて来られていないのは明白だった。

 

「ツワブキ・リョウは逃げ帰った。レイカはどうしてだか降りてこない。もしかしたらこの勝負、既に決したのかもね」

 

 ディズィーの言葉に、「そうは信じたくねぇな」とギリーは返す。

 

「だとしたら、オレとあんたの戦いが意味ねぇって事になっちまう」

 

「オイラは光栄だけれど? だってそっちからしてみれば不都合だが、オイラ達の作戦は成功した事になるんだ」

 

 あのダイゴが幹部総会を押さえ、デボンとツワブキ家の策謀を明らかにする。彼にこそ相応しい役目だった。初代と同じ容貌をしている彼ならば。

 

「まったく、笑えねぇ話だぜ。こちとら用意周到にスペアの肉体まで用意して、メモリークローンをきっちりこっちに回しておいたって言うのに」

 

 ギリーの言い草にディズィーは、「そのカラクリ、さ」とメガクチートの攻撃を一度止めて尋ねる。

 

「詳らかにしてみようか。メモリークローン。これ、何回も裏で交わされているけれど、この内容は死んだ時に、その外部記憶に残った最後の記憶を頼りに動かせる遠隔操作型の肉体、って結論に行き着いた」

 

 ディズィーの声にギリーも一度矛を収める。

 

「すげぇな。ビンゴだよ。まったく、科学の力ってスゲーな。肉体までもう替えが出来るようになった」

 

「だが当然の事ながら認可は下りていない」

 

「当たり前だろ。誰しも当たり前に肉体のスペアなんて持てたら、それこそディストピアだよ。デボンは自分の関連する企業や個人向けに売り出そうとはしているが、下々が手にしようと思えばあと五十年は要るかねぇ」

 

「その技術を、さ。何でギリー・ザ・ロック。お前みたいな暗殺者が持っているわけ?」

 

「まぁ、オレも、な。いざという時のスペアは欲しかったわけさ。まだ完全に死にたくねぇし。それに今回の役回り、オレ結構損なんだぜ? オリジナルのオレはトクサネまで出向いてデボンの陰謀に肩入れしているわけだしよ」

 

 トクサネ。その言葉にディズィーは、「なるほど」と呟く。

 

「お前は片一方の勢力だけに媚を売っているわけじゃないってわけか」

 

「当たり前だろ。どっちが滅びるのか分からねぇし。ま、どっちにせよオレみたいな日陰者にゃ、お似合いの役回りだな」

 

「暗殺者が堂々と公の場を歩けるようになったら、それこそ終わりだね」

 

 その意見にはギリーも同意のようだ。帽子を傾け、「違いない」と答える。

 

「だがよ、てめぇも結構くせ者だぜ。一度死んじまうと、こう、鼻が利くとでも言うのか? てめぇ、ただの厄介者ってわけじゃねぇな」

 

 ギリーの言葉に、「分かっちゃうか」とディズィーはおどけた。

 

「まったく、食えねぇ。メガシンカポケモン使っている時点でそうだが、なんつーか、てめぇ、Dシリーズとやらと同じにおいがするな」

 

 一度死ぬとその感覚が鋭くなるのか。ディズィーはこれからの事も考えてギリーを生かしておくわけにはいかないと感じた。

 

「だとすればなおさら。オイラはお前に勝つ」

 

「勝つって、殺すって事だろ? お仲間にそんな姿見られてもいいのかい?」

 

「オイラ、充分残虐だし」

 

 ディズィーが指差すとメガクチートが一直線にギリーへと向かう。ギリーが、「ギガイアス!」と叫んだ。

 

「ステルスロックとロックブラストで迎撃!」

 

「鋼のメガクチートの前じゃ!」

 

 メガクチートの発達した両方の角が「ロックブラスト」の散弾を軽くいなす。ギリーが舌打ちをした。

 

「ホントに食えねぇ奴だ! ギガイアス、地震で防御!」

 

「射程に入ると思った?」

 

 ギガイアスが前足を踏み鳴らして波紋を作るが、メガクチートはその波紋が行きつく前に発達した顎状の角で鉄骨をくわえ込んだ。「じしん」の波が下方を滑っていく。

 

「地震は地に面していないと出せない。こうやって鉄骨にぶら下がっている敵が見えていても、攻撃は有効じゃないって事さ」

 

「ああ、クソ。ホントーにクソだな、こりゃ。女子供に負けるってのか。この暗殺者、ギリー・ザ・ロックが」

 

 帽子を傾けたギリーには死の予感があったのだろう。ディズィーはやるのならば一瞬で、という思いがあった。いくら不可抗力でもマコの前で人殺しは見せたくない。

 

「メガクチート! その首を取れ!」

 

 メガクチートの身体が跳ねる。ギリーへとかかろうとした刃であったが、それを阻んだのは社内を揺らす振動であった。

 

「何だ?」

 

 ディズィーも首を巡らせる。ギリーも全くの予想外とでもいうように目を見開いていた。

 

「んだよ、こりゃあ……」

 

 ディズィーにも感じられた。一瞬だったが、肌を突き刺すような悪寒。そして殺気の渦を。この場で硬直しているのはメモリークローンであるギリーと、自分、そして距離を置いたところにいるオサムであった。

 

「何かが、来る?」

 

 不明瞭な予感を裏付けたのは吹き抜け構造の社内を真っ逆さまに落下してくる影だ。誰かが落ちてくる。ディズィーもオサムも、ギリーでさえもその判断が遅れた。

 

「誰が……」

 

 それを一番に感知したのはマコであった。

 

「ダイゴ、さん……?」

 

 まさか、という思いに目を凝らす。銀色の髪に黒いスーツの姿は見間違えようのない。ツワブキ・ダイゴであった。

 

 しかし真に驚愕に値したのは、次の瞬間、壁を破砕して襲来した影だ。

 

「銀と、金色のポケモン……」

 

 身体は純正の銀に近く、装飾部が金色のポケモンだった。ダイゴの使っていたメタングに意匠としては連想させたが、四つの脚部がそれぞれ展開され、X字に額を貫かれたその姿は最早別物に映る。

 

「何が起こったんだ……」

 

 ギリーの呻きに、ダイゴらしき影が手を振るう。

 

「メタグロス!」

 

 反響した声に応じたのは反対側の壁を破砕して現れた同じ姿のポケモンである。こちらのほうがダイゴのメタングに近い。色はそのままで、X字に貫かれた額に四つの脚部を展開して同じ姿のポケモンと対峙する。

 

 ダイゴの身体を掴み、メタグロスと呼ばれたポケモンが落下しかけたその身を保持する。しかしそれは生き写しのような相手のポケモンからしてみれば格好の的だった。放たれた弾丸の勢いを感じさせる拳の前にメタグロスとダイゴが吹っ飛ばされる。吹き抜けの反対側のフロアで粉塵が舞い散った。

 

「何が起こっているって? あれは……」

 

 その視界に映ったのは吹っ飛ばした側のメタグロスの頭部に佇んでいる影であった。超越者のように俯瞰している。

 

「騒がしいと思えば、お祭り騒ぎかい?」

 

 聞き覚えのある声だった。しかし、どこで? ディズィーの疑問に答えたのはマコであった。

 

「ダイゴ、さん……。もう一人……」

 

 徐々に降りてくるその姿は紛れもない、ツワブキ・ダイゴのものであった。しかしディズィーを含め、この場にいる人々は思い知っている。その姿の意味するところを。

 

「新しいDシリーズ?」

 

 構えを取ったディズィーとオサムにその人物はせせら笑う。

 

「Dシリーズ? まぁ間違いではないね。君達の、基と言えば分かりやすい」

 

 今、この男は何と言った? 自分達の基、だと。

 

「ディズィー! こいつ、ただ者じゃない!」

 

 オサムの喚きにディズィーが応じる。

 

「分かっている! だけれど、飛び込むなよ! 相手の射程はまだ……」

 

 それを阻んで攻撃を撃ち込んで来たのはギリーであった。「ロックブラスト」の猛攻を咄嗟に降り立ったメガクチートが防ぐ。

 

「隙あり、なーんてな」

 

 ギリーが正体不明の相手へと駆け寄る。どうしてだか相手も攻撃してこようとしなかった。次の瞬間、展開されたのは奇妙な光景だ。

 

 ギリーが傅き、帽子を取ってその場で頭を垂れた。理由が分からないディズィー達は戸惑うばかりだった。しかし相手は理解しているようだ。

 

「君は、ぼくが誰だか分かったみたいだね」

 

「この作戦の何パターンかの分かれ目は心得ておりますよ。しかし、貴方が現れるとは大番狂わせだ。ツワブキ・レイカが動けない状態に陥り、ツワブキ・リョウも交戦不能に。ツワブキ家の誰も動けなくなる最悪の事態を想定して、貴方は用意されていたのに、まさかその事態になるなんて」

 

「仕方ないよ。彼らが思いのほか強かった。それだけさ」

 

 メタグロスの上に乗っていた男は鉄骨の一つを足場にした。ギリーが声を差し挟む。

 

「貴方ほどの方が、そんな場所で」

 

「いいんだ。ギリギリの一線に立っているのには違いないし」

 

 まるでその様子を楽しんでいるようにも映る。

 

 ディズィーは正体不明の敵に硬直していた。見た目はDシリーズのそれだが、纏っている空気が違う。オサムのような三下ではなく、ダイゴのような特別さでもない。それら全てを超越した存在に映った。

 

 視界の隅でオサムが動く。まるであまりに恐怖に衝き動かされたように、声を荒らげた。

 

「ボスゴドラ! こいつは危険だ! ここで倒す!」

 

 恐らくは本能に刻まれたものが作用したのだろう。オサムの行動に相手は眉一つ動かさない。小さな声で手持ちの名前を呼ぶ。

 

「メタグロス、バレットパンチ」

 

 放たれた弾丸の拳をボスゴドラの巨躯が受け止める。ボスゴドラはその腕を折り曲げようと力を込めた。

 

「その腕もらった!」

 

「もらった? 違うな。もらったのは、そっちのほうだ」

 

 直後、メタグロスの腕の継ぎ目から推進剤の青い光が焚かれた。腕が分離しボスゴドラを突き放す。一気に距離を取った形のメタグロスへとボスゴドラが追いすがろうとするがその瞬間に腕が爆発した。ディズィーはその技を知っている。腕そのものを強力な起爆剤として使用する拳「コメットパンチ」だ。

 

「君は……、Dシリーズだね? そして、においから察するにぼくの左足の持ち主だ」

 

 その時になってディズィーもオサムも、全員が察知する。その相手には右腕と左足がない事を。鋼の義手と義足で補っている。義手の掌の部分は落ち窪んでおり、緑色の光を湛えていた。

 

「ボスゴドラ、か。確かいたな。えっと、ボックス14の……」

 

「遅い!」

 

 攻撃を受けてもボスゴドラは軽傷だ。逆に爆発はボスゴドラの闘争心に火をつけたらしい。真っ直ぐに向かっていく巨体を前にして彼は冷静であった。

 

「いたいた。ボックス14から転送」

 

 緑色の光が広がったかと思うと掌に先ほどまでなかったモンスターボールがあった。それの緊急射出ボタンに指をかける。

 

「いけ、ボスゴドラ」

 

 繰り出されたその姿に全員が息を呑んだ。操っているオサムは信じがたいものを目にしたように呟く。

 

「ボス、ゴドラ……だと」

 

 現れたのは黒い体表の部分が明るい銀色に光っているボスゴドラであった。丸太のような腕を用い、オサムのボスゴドラの行動を制する。ディズィーは悟った。あれは色違いのボスゴドラであり、オサムのボスゴドラを凌駕する性能を持っているのだと。

 

 色違いボスゴドラがオサムのボスゴドラの頭部を引っ掴み、そのまま引きずり倒す。あまりの戦闘力の差にオサムも言葉が出ないようだ。

 

「進化したのに……」

 

「進化? そうか、この弱さ。ついさっき進化したばかりか。通りで、あまりに脆弱なはずだ。ぼくのボスゴドラを前にして、手も足も出ないとは」

 

 オサムはキッと睨み据える。初代は左手を払った。

 

「ボスゴドラ、分からせてやろう。地震」

 

 攻撃の波紋が浮かび上がりボスゴドラへと至った瞬間、その鋼の身体に亀裂を走らせた。たった一撃の「じしん」だったが、その威力は推し量るのが難しいほどだ。

 

「脆いね。ボスゴドラの性能の、三割も出せていない」

 

 

 



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第百十一話「借り物の存在価値」

 オサムは咄嗟にボスゴドラをボールに戻す。これ以上の戦闘は不可能だと判じたのだろう。初代についているギリーが、「どう致しますか?」と声にする。

 

「連中を全員、戦闘不能に?」

 

「いや、それほどの事を行わなくとも今の戦闘で分かったんじゃないかな? ぼくとその他大勢の差って奴を」

 

 ディズィーとて理解出来た。この初代ツワブキ・ダイゴは格が違う。ただ闇雲に攻めて対抗出来る敵ではない。退去、を命じようとしたが跳ね上がったのはマコのフライゴンだ。

 

「まだっ! フライゴン! 砂嵐で視界を奪う!」

 

 フライゴンが緑色の翅を振動させて砂嵐のフィールドを形成する。初代は慌てるわけでもない。

 

「砂嵐、か。鋼ならば痛くも痒くもないが逃げられるのは面白くない。居たかな? ボックス9にアクセス」

 

 初代の鋼の右手の上でボールが目まぐるしくシャッフルされる。ディズィーは気付いた。あれは初代の持っている預かりシステムに直結されているのだ。初代の所持していたポケモンが自動的に呼び出される。一つのモンスターボールが選択され、初代が放り投げる。

 

「いけ、フライゴン」

 

 飛び出してきたフライゴンの姿はマコの所持するフライゴンよりも随分と明るい色調であった。パステルカラーを想起させる色違いフライゴンが翅を震わせて爆音を掻き鳴らす。

 

「爆音波」

 

 初代の命じた声に従って放たれたその攻撃で砂嵐の幕が晴れた。露になったフライゴンへと色違いフライゴンが追撃する。マコのフライゴンはあまり戦闘に慣れていない。そのせいか一挙に近づいてきた色違いフライゴンの格闘戦術の前にすぐさま無力化されてしまった。首根っこを押さえつけられ、フライゴンが手を伸ばす。

 

「愛玩用かい? あまりに育てが足りないね。ぼくと戦うって言うんなら、それなりのものを用意してくるんだと思っていたけれど」

 

「フライゴン! 負けないで!」

 

「根性論で戦況は曲がらないよ」

 

 マコの悲鳴も虚しくフライゴンの首が締め付けられていく。マコが顔を覆った瞬間、初代は口にした。

 

「後ろか」

 

 メタグロスの腕が伸びて不意打ちの攻撃を制する。放ったのはメガクチートの攻撃であった。初代は面持ちを崩さず、「騙まし討ちってのはまだマシだね」とディズィーに視線をやった。

 

「ただ、勝てないと判じた相手にわざわざ攻撃するって事は、それほど大事なのかな? 彼女が」

 

 ディズィーはフライゴン同士の戦闘にメガクチートを割って入らせる。メガクチートの発達した角が色違いフライゴンを叩き落した。

 

「マコっち! 戻して!」

 

 マコが慌ててフライゴンをボールに戻す。この場で、初代と戦えるのは自分だけだった。クオンもディアンシーを所持しているがこれ以上、犠牲者を出すわけにはいかない。

 

「賢明な判断だ。君は……。なるほど、そういう事か」

 

「勝手に分かった風な口を利くんじゃない」

 

 ディズィーは強気に返すが、この状況は決してよくない事は理解出来ている。メガクチートの不意打ちレベルの攻撃で対処出来たもののメタグロスは確実に動いてくる。そうなってしまえば不利なのは違いない。

 

「分からないな……。ぼくと戦うのはあまり利益にはならないと思う。それこそ逃げたほうがいい。クチート、か。居たかな?」

 

 初代の右手が緑色に光り、新たにボールを繰り出そうとする。恐らく初代は岩、地面、鋼タイプのポケモンならばほぼ全部揃えている。クチートが出てきた場合、どうする? とディズィーが息を詰めた、その時であった。

 

 突如として壁の一面が破砕される。あまりの唐突さに誰もが言葉をなくした。先ほどダイゴが飛ばされた壁が崩落し、そこからミサイルのように一条の推進剤を焚いて彗星の拳が突っ込んでいく。

 

「ボスゴドラ!」

 

 初代がその名を呼び、ボスゴドラに防御させる。ボスゴドラに着弾した瞬間、鋼の腕が爆発し、ボスゴドラがよろめいた。

 

「まさか……」

 

 ディズィーが振り返った瞬間、もう一発、二発、と同じようにこちらを目指して分離した拳が放たれる。初代が息をついた。

 

「遠距離の攻撃ならば、こっちに勝るとでも? フライゴン」

 

 フライゴンが前に出て翅を掻き鳴らし、着弾する前に拳を破壊する。もう一発の攻撃にはメタグロスが応じた。

 

「バレットパンチで撃ち落とせ」

 

 放たれた弾丸の速度を誇る拳が最後の一撃を打ち破る。爆発の余韻が広がり、初代が佇まいを正した。

 

 その瞬間である。

 

 初代の真後ろの壁が叩き壊され、出現した影に誰もが息を呑んだ。初代でさえもそれは感知出来なかったのだろう。振り返ったその瞳に映った姿に戦慄する。

 

「いつの間に……」

 

「俺は、まだ負けたわけじゃない!」

 

 メタグロスを伴ったダイゴが雄叫びを上げる。初代が舌打ちし、「メタグロス!」と呼びつけた。

 

 双方、同時に放たれた拳の応酬。ほとんど同じ速度の拳が駆け抜け、ダイゴのメタグロスが至近の距離に至る。

 

「貫け! コメットパンチ!」

 

 ゼロ距離で放たれた「コメットパンチ」が色違いメタグロスの身体を突き抜ける。その衝撃波にさしもの初代も歯噛みする。

 

「……余裕こいて、あまり見なかったせいかな。ちょっとばかし本気を出さなければならないようだ」

 

「来い!」

 

 ダイゴの声に呼応し色違いメタグロスが浮かび上がる。浮遊したメタグロスに飛び乗った初代とダイゴが空中で対峙した。

 

「さっきのあれで死んだと思っていたが」

 

「生憎だったな。俺はそう簡単には死ねるように出来ていないらしい」

 

 ダイゴの声に初代は、「ああそうだった」と返す。

 

「半分ポケモンで、半分は人間だったか。あまりぼくと変わらない化け物の直系だ」

 

「何とでも」

 

 メタグロスが初代へと肉迫する。初代と色違いメタグロスはそれをいなし、ダイゴのメタグロスを叩き落そうとする。その拳を受け止めたダイゴのメタグロスの関節から蒸気が迸った。

 

「何だ?」

 

「関節部が悲鳴を上げているんだよ。鋼タイプの弱点は! その強固な肉体にある!」

 

 返す刀で放たれた拳によってダイゴとメタグロスが弾き飛ばされる。ディズィーは咄嗟にダイゴの着地を助けた。メガクチートが駆け抜けダイゴを受け止める。

 

「ダイゴ! なんて無茶を……」

 

「無茶でも、やらなきゃいけないんだ……。このままむざむざと敗北してあの初代が支配する世の中になる事こそ、真の邪悪なのだと!」

 

 よろめいてダイゴは初代を睨む。メタグロスの上に乗った初代は鼻を鳴らした。

 

「そこまでしてよくやるよ。言い忘れていたね。鋼ってのはさ、とても強固な身体を持っている。ただ、あまりに攻撃を叩き込み過ぎると熱暴走が起きるんだ。熱暴走になった場合、その熱を一時的にでも逃がさなければならない。逃がす場所のない熱はどうなるか。鋼タイプの最も重要な場所である脳を焼き、いつの間にか戦闘不能になる。そのメタグロス、もう間際だ。退くべき時は心得ているとトレーナーとしては正しい」

 

 初代の声にダイゴは頭を振る。

 

「残念ながら、俺はまだ負けたつもりはない」

 

「嘘をつくなよ。さっき、壁にしこたま身体を打ちつけて、もう立っているのもやっとだろう? それにメタグロスだって使い物にならないはずだ。どうやってぼくを倒す? その熱暴走したメタグロスで、ぼくの、最強のメタグロスに敵うとでも?」

 

 初代の挑発にダイゴはフッと口元に笑みを浮かべる。

 

「やってみなければ分からない」

 

「いいや、分かっているよ。この場にいる誰もが、自明の理だ。D015、十五番目のぼくであり、フラン・プラターヌの肉体の持ち主。君はもうこの世界に生きているべきじゃない」

 

 ダイゴは手を振り翳す。

 

「メタグロス! バレットパンチ!」

 

 飛び上がったメタグロスが再び弾丸の拳を見舞うがその速度は先ほどよりも随分と遅い。見切った色違いメタグロスがカウンターを突き込んできた。メタグロスがその身体を揺さぶられ、全身から蒸気が発せられる。

 

「限界点だ。もう、このメタグロスでは戦えない。諦めは、いいほうが賢いと思うが」

 

「まだ、まだだっ!」

 

 ダイゴの声にメタグロスが萎えそうな戦意に火を灯し、色違いメタグロスの表皮に爪を立てる。初代が嘆息をついた。

 

「完全敗北、って奴を、分からせたほうがいいな」

 

 右手のボールがシャッフルされ、新たなモンスターボールが出現する。

 

「いけ、ルカリオ」

 

 放たれたボールから出現したのは痩躯のポケモンだった。拳から棘が突き出ており、格闘戦に特化しているのが窺える。獣の頭部を持ち、気高く吼えた。跳躍し、メタグロスの直上を容易く取ったかと思うとメタグロスへと格闘戦術を打ち込んでくる。その攻撃力にメタグロスの身体が煽られた。

 

「ルカリオならば、もっと分かりやすくメタグロスを追い詰める事が出来る。ボーンラッシュ」

 

 ルカリオと呼ばれたポケモンが両腕に骨の剣を構築し保持する。叩き込まれた一撃にメタグロスの堅牢な表皮に亀裂が走った。「バレットパンチ」で応戦しようとするもそれよりも素早くルカリオが背後を取り、メタグロスへと間断のない攻撃を叩き込む。

 

「メタグロス! このままじゃ……」

 

「王と民草の大きな違いは」

 

 初代がメタグロスに乗って声にする。絶対者の威容を漂わせた声音に誰もが無条件に押し黙った。

 

「支配するかされるかだ。D015、君に支配者の素質はない。君はどう足掻いても支配される側だ。ここで立ち消えるのが最も相応しい」

 

 メタグロスが何度も初代へと照準しようとするがその度にルカリオの激しい攻撃に揉まれ、銀色の体表がバラバラと砕けていく。

 

「支配者になんて……なろうと思ったことはない」

 

「では何になる? D015、君にないのはそれだ。目的とそれに伴う動きがちぐはぐなんだ。記憶を取り戻したい? あるいは本当の自分を見つけたい? もう分かっているんだろう? 君に、基となる記憶は存在せず、基になる人格はフラン・プラターヌのそれであると。人格も、身体も借り物だ。借り物の精神で君は今まで生きてきた。名前も借り物。そろそろ返却期限だよ」

 

 ルカリオの放った青い光の渦を凝固した一撃がメタグロスを叩きのめす。メタグロスはもうほとんど動けなかった。ボロボロで、戦闘続行可能とは思えない。

 

「俺は……」

 

「守るべきものも、その矜持も存在しない。君に何が出来る? D015、足掻くのは勝手だがそれはあまりにも見苦しいと、見るに堪えない、と呼ぶんだよ」

 

 ダイゴが咆哮しメタグロスが呼応して腕を構える。最後の足掻きだ。「コメットパンチ」が放たれるかに思われたがその腕を走り込んできたルカリオが切断する。

 

「チェックメイトだ。D015。君の事は嫌いじゃなかったが、もう不必要だよ」

 

 



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第百十二話「闇の番人」

 切り裂かれた腕が爆発し、メタグロスが完全に沈黙する。ダイゴは必死に呼びかけた。

 

「メタグロス、お願いだ。もう一度だけ。メタグロス、俺は……」

 

「瀕死状態。それ以上戦わせるならばトレーナー失格だ」

 

 ルカリオがダイゴへと骨の剣の切っ先を突きつける。まさしく王手。ダイゴは悔しさを滲ませる。

 

「俺は、初代ツワブキ・ダイゴ。お前を止めなければならなかった」

 

「それは残念だな。ぼくに並ぶには熟練も、強さも、そして何より、能力が足りていない」

 

 ルカリオが骨の剣を振るい上げる。切り裂かれるかに思われた。ディズィーもこれほどまでの凄惨な戦場で全く動けなかった。一体どうすればいいのか。

 

「さて、さよならだよ。君を殺し、ぼくは次のステージに行こう」

 

 振るい落とされた、と誰もが確信した。

 

 しかしその攻撃を中断させたのはデボンの正面玄関を叩き割った旋律である。ダイゴも、ディズィーも、マコも、クオンも、オサムも、当事者たる初代も、全員が瞠目していた。

 

 正面玄関を破砕したのは草の暴風であった。ガラスが軒並み粉砕され、降り立ったのは二頭身ほどの茶色のポケモンである。両腕には木の葉を思わせる十字の意匠の腕があり、鼻が突き出ていた。白い体毛は歌舞伎役者のようだ。

 

「ギリギリ、ってところだな」

 

 そのポケモンを伴って現れたのはフルフェイスヘルメットを被った男だった。バイクで横滑りをして突っ込んできており、ガラスや入り口があろうがなかろうが関係がない、とでも言うようだ。

 

「何者だ?」

 

 初代の声に、「名乗るほどのもんじゃねぇって」と男は答え、バイクから降りる。

 

「通りすがりの悪の味方、って言うべきかな」

 

 その威容に誰もが言葉をなくしていたが初代だけは笑った。

 

「なるほど。じゃあぼくは正義かな?」

 

「どっちでもいい。連中を回収しろっていうお達しだ。てめぇら、撤収命令が出ているぜ。キャプテンから、と言えば分かりやすいか」

 

 キャプテン。つまりこの男もネオロケット団の手の者、という事なのだろう。ディズィーは、「しかしどうやって」と声にする。

 

「逃げ切るなんて出来るっての?」

 

「その通り。逃がすと思っているのかい?」

 

 メタグロスが起動し、さらにフライゴン、ボスゴドラ、ルカリオが殺気立つ。フルフェイスの男は、「参ったなぁ」と首を傾げた。

 

「キャプテンからはあまり戦力を出さずにやれ、って言われていたんだが、奴さん、ガチもんじゃねぇか。おいおい、あるとすればこいつに降ろすって言われていたのに、肉体のスペアでもあったのか?」

 

 フルフェイスがダイゴを指差す。ダイゴが呆気に取られているとフルフェイスの男はダイゴの頬を殴りつけた。突然の事に全員が黙り込む。

 

「何、を……」

 

 昏倒したダイゴを背負い、メタグロスをモンスターボールに戻す。

 

「やり過ぎだっての。ここまで被害出したんじゃ、カバー出来ないぜ」

 

 ダイゴを担いだ男にディズィーは声を投げる。

 

「待ってよ! この状況で全員が逃げ切れるのは無理だ。どうやって」

 

「どうやって? 例えばこういう方法があるぜ」

 

 男が指を鳴らすとデボンの入り口へと殺到してくる嵐があった。黒い一陣の旋風。それはバイク集団であった。全員フルフェイスヘルメットでバイクに跨っている。入り口が瞬く間にバイク集団で押し合いへし合いの状態になった。

 

「乗れよ。全員仲間だ」

 

 男の声にディズィーは戸惑う。これほどまでの戦力を整えられる勢力などあるのか。

 

「でも……」

 

「でも、じゃねぇ。あんただって、勝てねぇってのはよく分かっているだろうに」

 

 確かに自分では初代に遠く及ばないだろう。ディズィーは拳をぎゅっと握り締める。

 

「安心しな。今は敗走じゃねぇ。勝つために今は逃げるんだ」

 

 男は振り返り、初代を指差す。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ、だったな。てめぇより今はこいつは弱いだろう。それはもう分かり切っている」

 

 ダイゴを顎でしゃくる。初代は、「だろうね」と応じた。

 

「しかしどうするって言うんだ。瀕死の状態のD015とメタグロス。勝つ算段でも?」

 

「半年後だ」

 

 男の放った言葉に意味が分からないのか初代は首を傾げる。

 

「半年後、てめぇをこいつは実力で倒す。その日を心待ちにしてな」

 

 初代を指差した男の声に初代は嘲りを浮かべる。

 

「半年? まさか半年で王であるぼくに追いつけるとでも?」

 

「追いつくさ。こいつは、追いつく。そのために、今は背中を見せるんだよ」

 

 男が踵を返す。マコやクオンは既にバイクの後部に乗っていた。

 

「初代、あいつ隙だらけです」

 

 ギリーが進言する。初代は、「だね」と答える。

 

「今ならば殺れます」

 

 ギリーが駆け出し、ギガイアスが頭頂部を向ける。

 

「ロックブラスト! 背中を見せたのが命取りだなぁ!」

 

 放たれた岩の散弾が男に突き刺さるかに見えた。しかし、男はため息を一つつく。

 

「度し難いってのは、こういうこった。てめぇと相手の実力差も分からねぇ、三下が」

 

 岩の散弾を防いだのは先ほどエントランスに割り込んできたポケモンである。十字の手裏剣のような腕を突き出して新緑の壁を形成し、主人を守った。ギリーが目を瞠る。その首筋へとそのポケモンが手を振りかぶる。

 

「ダーテング。峰打ち」

 

 ダーテングと呼ばれたポケモンの一撃がギリーの首筋を捉えた。ギリーが膝から崩れ落ち昏倒する。

 

「殺しちゃいねぇ。実力差が分からない奴を殺したところで、てめぇへの牽制にもならないからな」

 

 男の声に初代は、「面白いな、君は」と口にする。

 

「気が変わったよ。何としてでも逃がしたくなくなった」

 

 ルカリオとボスゴドラ、それにフライゴンが戦闘姿勢に入る。男は、「ったく」と首を振る。

 

「戦闘狂かよ。オレの言えた義理じゃねぇけれどな。てめぇほどの強者相手に、オレ一人だと思ったのか?」

 

「何だと?」

 

 その声に初代が何かを感知したように咄嗟に手を振り翳す。

 

「メタグロス! 防御しろ!」

 

 メタグロスの腕が降りかかってきた水色の光条を受け止める。たちまち凍りついたその威力にディズィーは言葉をなくしていた。

 

「オレ達は一人じゃねぇんだ。そこんとこ、ヨロシク」

 

「冷凍ビームか。この威力」

 

 初代が顔を振り向けた方向に浮かんでいたのは鬼の首のようなポケモンである。半透明の表皮に黒い角が突き出ていた。シャッター型の口から「れいとうビーム」が発射されたのだ。

 

「オニゴーリ……。使い手が限られてくるが」

 

「おっと、そこまでだぜ。これ以上手の内を見せるのは面白くねぇだろ? お互いにな」

 

 男の放った言葉に初代は納得する。

 

「……いいだろう。見逃してあげよう。ただ一つだけ疑問が。本当に、半年で? その頃にはデボンは兵力を固め、きっと手の打ち所のないレベルになっているだろう。ぼくの提案する無限の兵力をデボンが受け容れれば、きっと君達のような小童では太刀打ちできないが」

 

「その心配は無用だぜ、初代。言ったろ? オレ達は悪の味方であって、別に平和を手に入れようだとか、そんな崇高な目的はねぇんだ。デボンの支配構図があるってんなら、それを覆してみたいだけさ」

 

 男はその言葉を潮にしてバイクに跨る。ディズィーは尋ねていた。

 

「当てがあるってのか?」

 

「まぁな。キャプテンは、今回の事を予想以上に重く見ている。オレが呼ばれたのもそのせいだよ」

 

 ディズィーはバイクの後部に跨った。男がアクセルを開き、「じゃあな! 初代」と声を上げる。

 

「次に会う時には殺す」

 

「お互い様だね」

 

 バイクがいななき声を上げ、デボンを後にする。ディズィーは今日、後戻り出来なくなるほどの巨大な事が起こった事だけは確かだと感じていた。 

 

 初代再生計画。それが一段階、いやもっと推し進められた。自分達は初代をダイゴに降ろすまいと戦ってきたがデボンはその予想を超える動きをしてきた、という事なのだろう。

 

「てめぇの事も聞いているぜ、ディズィー。確か、Dシリーズなんだって?」

 

 男の声に隠し立てする事もあるまいとディズィーは返す。

 

「そうだけれど、出来ればマコっちには教えないで欲しい」

 

「正直だな」と男は笑う。

 

「いいぜ。オレの胸の中だけに留めておいてやるよ」

 

 遠ざかるデボンを視界に入れ、ディズィーは呟く。

 

「闇の番人達。きっと、戻ってくる。戦うために」

 

 その言葉は胸の中に仕舞われた。



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断章前編「死の帝」

 

 瓦礫の一つを手にして初代は、「接続率」と声にする。すると右の義手に備え付けられた魂の適合率が示される。67パーセント、とあった。

 

「ぼくのオリジナルの素体を使ってもまだ六割だとは」

 

 初代は瓦礫を一つずつ集めている。何をやっているのか、と気付いたギリーが首を振って質問する。暗転した視界を持ち直し、今の自分の肉体に合わせた。

 

「あの、初代。何をやっておられるんで?」

 

「見て分からないのかい? 石ってのは素晴らしいんだ。それをちょっと拾っているんだよ。ぼくの生前の趣味が石集めだったって評判だろ」

 

 生前。今も生きて動いている初代を目にすれば、その言い方はおかしな物言いだ。

 

「瓦礫ですよ」

 

「瓦礫の石も石には違いない。しかしD015、あそこまでやるとは思わなかった」

 

 初代の声音にギリーは、「ですがあれが、Dシリーズの限界でしょう」と返す。

 

「あれ以上に強くなるなんて」

 

「馬鹿にしたもんじゃない。彼は、メタグロスとの半同調状態にあった。急激な成長だ。もしかするとあの躯体にぼくを降ろしたほうが適合率そのものは高かったかもしれない」

 

 しかし初代の魂が降臨したのは結局、その肉体そのものであった。初代の像がぶれる。纏っているホログラムが一瞬だけ薄らぎ、その下にある遺骸を窺わせた。

 

「何というか、死体に定着出来たんですね」

 

「正しくは、死体と呼ぶのかどうか。ぼくの生存を恒久的に約束するためにこの肉体が保存されていたんだ。それを寄り集めて、つなぎ合わせたパッチワークが今のぼくだ」

 

 初代は顔を上げ、「そうだろう?」と呼びかける。その視線の先には幹部総会を終えたイッシンの姿があった。

 

「大きくなったね、イッシン」

 

「……その肉体、やはり馴染みますか、初代」

 

 イッシンの声に初代は手を叩く。

 

「随分と他人行儀じゃないか。まぁ社内だし、仕方あるまい」

 

 初代の姿を視界に入れて幹部達が色めき立つ。

 

「どうして?」、「あの姿は?」

 

「おやおや、小うるさいのはいつの時代も変わらないね」

 

「彼は、我が社のこれからのシンボルとして役立ってもらう」

 

 イッシンの説明に幹部達が困惑する。

 

「まさか水面下で進められていた、初代再生計画とやらでは……」

 

 口を滑らせた幹部の一人にイッシンが笑って誤魔化した。

 

「そんな計画があったのは初耳だった。わたしにも是非ご教授いただいたいものですな」

 

 幹部は口を噤んでいる。あの幹部の命は長くないだろうな、とギリーは思った。

 

「イッシン。ぼくはこれから、どうすればいい?」

 

 鋼の右腕を掲げた初代の声に、「全てを」とイッシンは答える。

 

「全て? まさかぼくが支配しろ、と?」

 

 沈黙を是とする。当初の初代再生計画ではない。ツワブキ・イッシンの行おうとしている初代の利用法は恐らく他の息子達を出し抜くためのものだろう。そうでなければ自分のような日陰者を雇い、なおかつ息子達の計画をダシに使うはずがない。

 

 初代は嘲るように笑いながら、「いいだろう」と答える。

 

「二度目の社長人生か。それも悪くはない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一体、何がどうなっているの」

 

 レイカが吹き抜け構造の社内で壁にもたれかかって口にする。対面にはリョウが佇み、「分からない」と返答した。

 

「何だって言うんだ? 親父は、いつからあんなものを用意していた?」

 

「初代のオリジナルパーツを繋ぎ合わせて、足りない部分はデボンの技術力の粋を集めた義手と義足……。初代降臨には確かに、あれほどの逸材はないのだろうけれど……」

 

 濁したのは今までのDシリーズの量産計画をまるで無為とするようなイッシンの行動だ。確かにイッシンには探知されてはならなかった。だが、全く知らなかったわけではあるまい。ある程度の理解があるから、黙殺されてきたのだと自分達は思っていた。それがまさか結果的に出し抜かれるなど。

 

 レイカは拳を握り締める。先刻のサキとの戦闘による恥辱と、さらに上塗りするかのような父親の暴走。我慢出来るはずもない。

 

「姉貴。親父は本気で、デボンを初代に任せる気なのか?」

 

「形は違えど、私達のやろうとしてきた事とある意味では同じ。血は争えない、という事よ」

 

 そう判断しておいたほうが精神衛生上よさそうだった。イッシンの目的が違うとすればその軸の修正も加味して計画に込めなければ。

 

「Dシリーズの運用に関して、口を挟んでくるかもね。お父さん」

 

「やられたな。親父は初代を蘇らせるなんて駄目だって言うもんだと思っていたが」

 

 レイカの胸中とすれば今でもその考え方だという線が濃厚だった。自分達の行動を制するためにイッシンは闇ルートで初代の遺骸を集め、今回のような反逆行為に出た。

 

「現社長のやった事とはいえ、私達穏健派の派閥からは抜け出た行動。当然、反感はあるでしょうね」

 

 穏健派としてみれば、イッシンには関与して欲しくなかった事だったが、イッシンは関与、という形を捨て自ら乗り込んできたようだ。

 

「関わった、とかいう生易しいレベルじゃないな。親父、悪魔に魂を売り渡したのか?」

 

 こちらとは別口でのDシリーズの運用。レイカは弟のその言葉を是とする。

 

「そうね。だとすれば分かったのは、お父さんは初代を降ろす事を容認したと言う事実。つまり、私達と同じ穴のムジナになってまで、成し遂げたい何かがあった」

 

 イッシンのメンタリティならば初代再生計画を許すはずがないのだ。それを冒してでも成し遂げたい事と言えば一つしか思い浮かばない。

 

「もしかして、誰が爺さんを殺したのか、ばれたのか?」

 

 リョウの声に、「言葉を慎みなさい」とレイカはいさめる。

 

「ばれれば困る腹なんて持ち合わせていない、というはずなんだから」

 

 初代殺し。それはツワブキ家が沈黙の内に成り立っているタブーの一つだ。誰もそれについて言及しない代わりに誰もがアクセスする権限を持っている。

 

「お父さんは感情的な人だから、初代殺しに関して少しでも進めさせられる情報や駒があったのなら迷いなく進めるでしょうね」

 

 その段になってレイカは自分をいずれ殺しに来ると宣言したサキの事を思い返す。今でも思い出すだけで震えが止まらない。

 

 落ち着け。あれはただの小娘だ。何が出来るというのだ。そう言い聞かせていると、「姉貴」とリョウが声をかける。

 

「何?」

 

「姉貴、何か隠していないか? らしくないぜ、何だかいつもの平静さがない」

 

 リョウにはサキの事は隠し通さなければならない。サキとは幼馴染であり、同僚でもある。サキを害したといえば、この弟は黙っていまい。

 

「何も……。勘繰り過ぎよ」

 

「かなぁ。オレに力になれることがあるなら言ってくれよ。公安の力を使えってのはちょっと難しいけれど、まぁ抹殺派の人間を炙り出すくらいなら」

 

 実際、そのお陰でニシノという過激派の人間を早期に抹殺する事が出来た。ダイゴはあの出会いさえも仕組まれていたとは考えていないだろう。いや、考えた上で知らぬ存ぜぬを通していたのだとすれば、ツワブキ家はとんだ仮面家族だ。

 

「抹殺派、ネオロケット団の情報とネットワークにはきっちり網を張ってあるわ。あれに関与しようとした人間には死んでもらっているし」

 

 そこでレイカはマコの事も足枷になっているのに気づいた。姉妹揃って、自分の足を取るとは。口惜しさにレイカは思わず苦い顔をする。

 

「ネオロケット団か。関わらないほうが無難って言葉を知らないのかね」

 

 リョウは醒めた様子で肩を竦めるが、その一端に幼馴染が触れているとなれば冷静さを失う。この弟はそういう風に出来ている。

 

「ツワブキ家に帰るか、あるいはこのまま何食わぬ顔でお父さんに会う?」

 

 レイカの提案に、「オレはともかく」とリョウは眉をひそめた。

 

「姉貴が会うのはまずいんじゃ? 一応、動画編集のOLってなっているんだからさ」

 

「副業として片棒を担いでいた、くらいでいいわよ。どっちにせよ、あんた一人でやっていたのならばそっちのほうが危ない綱渡りだし」

 

 実際にはレイカが率先し、火消しにリョウを使っていた程度だ。コウヤはこの計画に乗り気ではないが全容は知っている。

 

「そういえば、クオンは? あの子はこれからどうするつもり? あんな、ダイゴと瓜二つのDシリーズなんて怪しむわよ」

 

 鈍い子供だがもうそろそろ気付いてもおかしくない頃合だ。しかしリョウは沈痛に顔を伏せた。

 

「……何かあったの?」

 

 推し量るのは兄弟ならば難しくなかった。リョウはぽつりぽつりと語り出す。

 

「……クオンは、あいつを選んだよ」

 

 その一言でレイカは悟った。クオンは自分達の感知しない間にダイゴに寝返っていた。もうクオンが帰ってこないという声音にレイカは、「そう」と返す。

 

「あの子は、家族の中でも変わり者だったけれど、やっぱりそういう道を行くのね」

 

「敵対する可能性がある。姉貴、頼みってのはそれなんだ。出来れば」

 

「殺さないで欲しい、でしょ。あんたからしてみればクオンは自分の下にいる妹だもの」

 

 可愛いに違いない。しかし、レイカはその言葉とは裏腹にクオンを始末せねばと考えていた。クオンの実力はさほど脅威ではないものの一族からの離反者を静観するほど余裕はない。

 

 裏切り者には死を。それが掟だ。

 

「お父さんと会ってくるわ。リョウ、あんたはどうする?」

 

「オレも会う。一応、今日のデボンの警備を任せられている手前もあるし」

 

 レイカはレジアイスを伴って瓦礫の転がるメインフロアに降り立つ。リョウもレジスチルを出していた。初代と同じ姿のDシリーズは悠長に瓦礫を拾い集めている。

 

 今ならば殺せる、と殺しに慣れた神経が告げた。

 

「やぁ。誰かと思えばぼくの可愛い孫達じゃないか」

 

 振り返らずに発せられた言葉にレイカは息を呑む。このDシリーズはなんと言った? 孫、と言ったのか?

 

「Dシリーズに親類はいないつもりだけれど」

 

「酷い言い草だな。元々はその親類の血筋を真似て造っていたんだろう? だが、そのような模倣はもう、必要がない、というわけだ」

 

 振り返ったDシリーズの佇まいはまさしく初代のそれであった。レイカは小さい頃に数度かしか初代と会った事がない。それでもこの立ち振る舞いは見紛う事のない、初代だった。

 

「……お爺様?」

 

「久しぶり、のようだね、レイカ。おじいちゃんだよ」

 

 若々しい姿のDシリーズが気安い笑みを浮かべて片手を上げる。しかし、まさか。まだレイカの中では整理がつかない。

 

「初代の魂を降臨させても、まだ記憶が戻るまでは時間がかかるはず」

 

「そうとイッシンから聞いたよ。それにぼくの肉体も完全じゃない」

 

 石を拾っていた初代の右手は機械のそれだ。左足もである。

 

「オリジナルツワブキ・ダイゴの肉体は随分と弄ばれたらしい。右手と左足の欠損だけで、まさかこれほどまでに本調子が出ないとは」

 

 本調子。まさかこの状態でも初代は万全ではないというのか。硬直するレイカに、「気負うな」と声がかけられた。吹き抜け構造の二階からイッシンが見下ろして声を投げてきたのだ。

 

「お父さん? 本当に、初代を……」

 

 自分達もやろうとしていた事を父親が平然と行った事に震撼する。棚に上げた言い草には違いなかったが、イッシンは咎めもしない。

 

「そうだ。彼がわたしの父親であり、お前らのおじいさんだ」

 

「会えるのならば来世で、と諦めていたところだよ」

 

 初代の言葉にレイカは改めて感じ取る。イッシンは何をしたのだ? 自分達が相当手間取った初代の降臨をこうも容易く済ませた。カラクリがあるに違いない。

 

「親父、この初代の、じいさんの魂って本当に、この肉体に?」

 

 定着しているのか、という意味だろう。イッシンは、「これから向かう」とモンスターボールから手持ちを繰り出す。ギギギアルに飛び乗ってイッシンが降りてきた。幹部達が戸惑って顔を見合わせている。

 

「あれは何だ?」、「初代、にしか見えないが……」、「馬鹿な。若過ぎる……」

 

 それぞれのざわめきを気にも留めず、イッシンは初代を紹介する。

 

「皆様、混乱しているとは思われますが、彼こそが初代ツワブキ・ダイゴその人なのです」

 

 鶴の一声に誰もが狼狽する。当然だ。死んだはずの初代が目の前で手を振っているなど。

 

「悪い夢だ……」

 

 その呻きも当然であった。

 

「夢ではございません。初代ツワブキ・ダイゴは得難いギフト。わたしとその一族はこの初代を枢軸に据えた社内計画を推進していくために、今日まで準備をして参りました」

 

 レイカは自分の所業さえも社内計画の一言に片付けたイッシンの言葉に正気を疑う。まさか知っていたのか。それよりも、一族が、と銘打ったのか? 

 

 ツワブキ家の悲願がこの形だと?

 

 レイカが改めて初代を見やると初代は首筋をなぞってみせた。

 

 指先が触れた箇所のホログラムが剥げ落ち、その下にあるものを見せる。レイカは息を呑んだ。

 

 シリアルナンバー「D000」。オリジナルナンバーがそこには刻まれていた。

 

 しかしどうして? レイカの中で疑問は膨らむ。

 

 初代の遺骸にシリアルナンバーが振られているはずがない。振る必要がないのだから。しかし目の前の初代は恐らくはオリジナルの遺骸から作られたもの。レイカが感じ取ったのはその違和感だ。

 

 この初代は本当に初代ツワブキ・ダイゴなのか。

 

 その疑念を吹き飛ばすように初代が割って入った。

 

「やぁ、諸君。久しぶり、の顔もちらほらいるね。ぼくは改めて、このデボンコーポレーションの全権を引き継ぐ事になった。死に際に至らないところを見せたが、今度はそうはいかないつもりだ。イッシンから全ては聞かされている。ぼくは初代ツワブキ・ダイゴとして、恒久的にデボンという企業を全世界に発信する。それこそがぼくの使命だ!」

 

 放たれた声に一同は唖然としていたが一人が拍手を始めた。その拍手の波が伝播し、瞬く間に幹部達が熱に浮かされたように拍手を浴びせる。初代は、「ありがとう」とにこやかに手を振る。

 

「しかし、だ。今の惨状を見れば分かるだろう。デボンに敵対する組織がある。その組織を闇から引っぺがさなければ、真の平和は訪れないだろう」

 

「組織?」と幹部達が色めき立つ。そこまでは知らされていないのか。

 

「組織の名はネオロケット団。前時代の闇に消えたと思われていた組織だったが、今芽を吹き返したらしい。ぼくは四十年前、第一回ポケモンリーグでその片鱗を見た。その時より存在する闇に、今こそ立ち向かう」

 

 初代が鋼の右腕を掲げる。力強くその手を天に突き上げた。

 

「ぼくが倒す! このツワブキ・ダイゴが自らの手で」

 

 初代のカリスマに中てられたように全員が今度は静まり返っていた。まさかデボンという巨大組織を害する存在などイメージ出来ていないのだろう。

 

「初代、それに関してはわたしが後から」

 

 イッシンの声に初代は、「そうだね。頼むよ、イッシン」と肩を叩いた。

 

「今の社長は君なんだから」

 

 この違和感は何だ。レイカは必死に考えを巡らせる。初代である証明は数多いが、この初代は自分達の理想としてきたものとは、まるで……。

 

「約束しよう。ホウエンの恒久平和を」

 

 



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断章後編「現世の王」

 バイクは散り散りになり、アジトの居場所を探知出来ないようになっている。様々なルートから辿り着いた場所はまさかの海底ルートを通るトンネルであった。

 

 半透明で頭上をマンタインなどの海洋ポケモンが行き来する。

 

「こんなルートがあるなんて……」

 

「キャプテンはそれを見越してルートを作ってきたんだよ。絶対に辿れないルートってのは難しいが、まぁ距離的に連中からは隠れ蓑になる」

 

 運転するフルフェイスの男の声にディズィーは尋ねていた。

 

「ねぇ、あの初代だけれど、オイラには」

 

「本物に見えねぇ。だろ?」

 

 言い当てられてディズィーは目を見開く。男は、「見た瞬間にな」と口にした。

 

「あれは何かおかしい。何かを補完している。別の何かで。そうでなきゃ、あれがホウエンの英雄だってのは納得がいかねぇんだよ」

 

 意外にも自分の感じた事のほぼそのままでディズィーは驚愕していた。

 

「そうだよ……。あれは何なんだ。あれのために多数の人間が犠牲になったにしては何かが決定的におかしいんだ」

 

 しかしその何かを明言出来ない。男は、「こいつには出来るかもな」と昏倒しているダイゴへと顎をしゃくる。

 

「あの化け物と打ち合ったこいつには」

 

 彼はダイゴに何を見ているのだろう。ディズィーは、「彼の事は」と訊いていた。

 

「話には。うちの組織にいたフランっていう野郎の肉体で、でもポケモンの血と人間の血を入れ換えられて、その上にDシリーズの書き換えだろ? もう、人間とは呼べねぇのかもしれないな」

 

 あまりの事実にディズィーは閉口する。「だけれどよ」と男は言葉を継いだ。

 

「こいつには信念があるぜ。なにせ天下のデボンに正面からかち合おうとした奴だ。キャプテンが買ったのも分かる。あの人は強者が好きだからな」

 

 走っていると海底トンネルも徐々に深海に至っているのが分かった。広大な空間が広がっており、無数の動力パイプが行き来している。

 

「元々の本土とのエネルギー供給問題を解決するための海底ケーブルの路線に一枚噛んでいるんだよ。それでこの横穴が造られた」

 

「でもそんなの。相当な発言力を持つ人間じゃなければ」

 

「ああ、有用化は出来ないな」

 

 暗に発言力がある事を認めるのか。政治家、辺りをディズィーは想像した。

 

「着いたぜ」

 

 男がバイクを止め、大型のエレベーターに入る。既にマコやクオンも立ち入っていた。フルフェイスヘルメットを脱がない徹底ぶりにディズィーでさえも感嘆する。

 

「君らのアジトじゃないのか?」

 

「ここまでは、まだ立ち入れるさ。ただここ以上は流石にオレもヘルメットを脱がなきゃ、な」

 

 フルフェイスヘルメットを取った男の顔にディズィーは目を見開く。その姿は紛れもない、このホウエンで知らぬ人間はいない存在だった。

 

 スキンヘッドに巻き髪のような前髪。威風堂々とした顔立ちをしており、目つきには険があった。

 

「四天王……悪タイプ使いの」

 

「カゲツ、だ。よろしくな」

 

 後を引き継いだ声にディズィーは言葉をなくす。四天王クラスがどうしてデボンに反逆するのか。

 

「どうしてデボンに反抗を? 四天王なんて、だって」

 

「そう、国防の矢面に立つ存在。あるいは一地方の治安を守る最も優れた精鋭であり、王の側近でもある」

 

 カゲツの口から説明された四天王の概要は間違っていない。ただ、その当事者がここにいる事が不自然なのだ。

 

「だから、四天王なんてどうして」

 

「ちょっとばかし、不自然には思わなかったか? ネオロケット団。全容が見えないとはいえ、デボンに、様々な地方の中枢に値する企業に喧嘩を売るなんて普通の神経じゃ出来ない。それだけの神経を持つ組織は、それこそ一国家単位でなければならない」

 

 つまりデボンに喧嘩を売ったのは紛れもなく……。

 

「このホウエンの、護りを司る者達……」

 

「そういうこった。となれば、キャプテンの素性だってそろそろ分かってくるんじゃねぇの?」

 

 エレベーターが最上階まで辿り着く。ガラス張りの一面の部屋があり、天井は高めに取られていた。奥まった場所に四つの椅子があり、カゲツはそちらへと進んでいく。既に二つの席が埋まっており、その席についている人影が立ち上がった。

 

「カゲツさん、お帰りなさいー!」

 

 立ち上がった褐色の肌の少女が頭につけた花飾りを揺らす。明朗活発な印象であったが、彼女が何のタイプの使い手なのかを知っていれば警戒が自然と訪れた。

 

「ゴースト使いの、フヨウ……」

 

 ディズィーの声が聞こえたのか、「あっれー?」とフヨウが手でひさしを作る。

 

「大所帯だねぇ」

 

「こいつらも反乱に加わってくれるんだとよ。っと、まだキャプテンの許可は得ていないか」

 

 カゲツの声に、「反乱とは」と椅子に座ったままの影が応じた。

 

「穏やかではない響きですね」

 

 金髪の女性で、落ち着いた紫色の色調の服を纏っている。穏やかな碧眼がディズィーを捉えた。

 

「オニゴーリでの援護助かったぜ、プリム」

 

「あの程度で援護には成り得ないでしょう」

 

 デボンで初代に攻撃したオニゴーリの使い手、プリム。彼女はどこか諦観めいた声を続ける。

 

「しかし、初代再生計画、恐ろしき事ですね」

 

「まぁな。だが我らがキャプテンはその恐るべき計画を止めようって腹積もりさ」

 

 カゲツも椅子に座る。フヨウがやたらと辺りを見渡した。マコとクオンを目に留め微笑んでいる。二人とも対応に困っていた。

 

 部屋の中央にダイゴが寝かされていた。昏倒したままで起きる気配がない。まさか死んでしまったのか、とディズィーは訝しげにする。あれほどの戦いの後だ。後遺症が残ってもおかしくはない。

 

「ダイゴを、起こさないのかい?」

 

「それはキャプテンが決める」

 

 カゲツの声にフヨウが返す。

 

「キャプテン、遅いねー」

 

「あの方にはあの方のお考えがあるのですよ」

 

 三者三様の声にディズィーは参っていた。

 

「四天王、国防における最強の矛が揃い踏みで、それがネオロケット団?」

 

 額を抱えて尋ねると、「その通りだ」と重々しい声が響いた。

 

 全員が佇まいを正し、左胸に手を当てて背筋を伸ばす。ディズィーはその声の主へと振り返ろうとしたがあまりの気迫にたじろいだ。問答無用の殺気が渦巻き、ディズィーの行動を制限する。

 

 後ろにいるのは分かっているのに振り返れない。

 

 静かな靴音が響き、「驚いた事だろうな」と声が発せられる。

 

「まさかこのホウエンそのものが、デボンに異を唱えている、というのは」

 

 何者なのかは分かっている。しかし声も出せない。団員と人々の間を歩き抜けるその影の威圧に唾を飲み下した。

 

「しかし、ワタシは、いいや、ワシはこう言い続ける。正しい事を成すには正しい心が必要であると。そのためには、今のホウエンそのものを引っくり返すだけの度量と、器量が必要。そのためにネオロケット団、かつての汚名も喜んで被ろうではないか」

 

 黒いマントのようなボロボロのコートを纏い、海賊帽を目深に被った老人であった。しかしその眼はこの場にいる誰よりも鋭く、猛禽を思わせる。振り返った彼は名乗りを上げた。

 

「自己紹介が遅れたな。ワシこそがキャプテンであり、ネオロケット団を束ねる者。四天王の長、ゲンジ」

 

 予感はしていた。だがまさかその口から発せられるとは思ってもみなかった。

 

 四天王を束ねる最古参、ゲンジ。四十年前より四天王という存在の有用性を説き、国防の矢面に自ら立つ事を志願した根っからの軍人気質。その男が、老いてもなお健在の殺気を滾らせ、目の前に佇んでいる。

 

「キャプテン、座りなよ」

 

 カゲツの声に、「いい。今は」と片手で制する。

 

「問題なのはこいつだな」

 

 ゲンジが意識を失ったままのダイゴを蹴りつける。あまりの横暴にクオンとマコが思わず声にした。

 

「何を!」

 

「なんて事!」

 

 二人の声にゲンジは一睨みで応ずる。彼女達は獣の逆鱗に触れたように大人しくなった。

 

「ツワブキ・ダイゴ。いいや、この肉体はフラン・プラターヌのものだが、もう初代は別の肉体に降臨し、その結果、お前は倒された」

 

 もう一度、ゲンジはダイゴを蹴りつける。ダイゴが呻きながら目を開いた。

 

「俺、は……」

 

「立て。痴れ者」

 

 唐突な事に頭がついて行っていないであろうダイゴへとゲンジは声を振りかける。ダイゴは、「何が」と続ける前にゲンジに横腹を踏みつけられた。

 

「お前は、あってはならない存在なのだ。本来、その姿でこちら側に帰還する事はなかった。だが、集めた情報によればフランの人格は既に向こうのものであり、フラン自身、その肉体への帰還は絶望的であろう。ツワブキ・ダイゴ。お前は、この先どうするのか、選ぶ必要性がある」

 

「選ぶ……」

 

 ダイゴが睨み返そうとするがあまりのゲンジの迫力に気圧されている様子だ。

 

「そう、選べ。死ぬか、戦うか」

 

 ゲンジが懐から取り出したモンスターボールを爪で弾く。出現した水色の表皮を持つ龍のポケモンが赤い翼をギロチンのようにダイゴの首にかけた。

 

「死ぬか、戦うかだって……」

 

「もうお前にはそれしかあるまい。初代と戦い敗北したお前には存在価値はほとんどないと言ってもいい。己の存在を賭けて戦うのならば、全力でやれ。そうでなければ今この場で介錯を手伝ってやろう」

 

 突きつけられた二択にダイゴは息を詰まらせる。誰も彼の生き方に口出しは出来なかった。ダイゴがここで何を選ぶのか。それは彼にしか分からない。

 

「……俺は、自分が誰だか知りたい。たとえ名前のない一個人でも、フランっていう人間だったとしても、それでも俺には、この世界で何者であるのかだけの証明があれば、それでいい」

 

 ダイゴが立ち上がり、龍のポケモンの羽根を掴む。掌から血が滴った。

 

「殺すならば殺しに来い。俺は、そんなものには負けない」

 

 確固たる精神が形となった。ゲンジが口元に笑みを浮かべ、「その覚悟」と声にする。

 

「しかと受け取った。なれば問う。ツワブキ・ダイゴ。強くなりたいか?」

 

 ダイゴはよろめきながらもゲンジに視線を合わせる。老人とは思えない鋭い双眸に、ダイゴは逃げずに睨み返した。

 

「強くなりたい、じゃない」

 

 ダイゴは一呼吸置いて言葉を続ける。

 

「――強くなるんだ」

 

 ダイゴの宣言にゲンジはポケモンを戻し、「よかろう!」と応じる。

 

「半年だ、ツワブキ・ダイゴ。半年で、貴様が初代ツワブキ・ダイゴを倒し、デボンを打倒するために必要な強さを与える。言っておくが荒療治になるぞ」

 

 ダイゴは拳を握り締めて応じた。

 

「……上等」

 

 カゲツがフッと笑みを浮かべ、プリムが穏やかに微笑み、フヨウが活発に笑った。それぞれの強者が集い、ダイゴの覚悟を試しているかのようだ。

 

 ゲンジは手を振り翳して高らかに声を張り上げる。

 

「ネオロケット団、改めホウエン四天王は! ツワブキ・ダイゴ、貴様に地獄を見せるであろう!」

 

 その声はガラス張りの部屋を突き抜け、新たなる時代への宣誓にも取れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

第八章 了




物語は後半、さらなる「狂気」へと――


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原罪の灯
第百十三話「死体兵団」


 

 世界は終わりを告げようとしている。

 

 口を開かれたその言葉に民衆はざわめき、次に紡がれる詩に思いを馳せた。

 

 朗々と響き渡る歌声に誰もがうっとりと時間を忘れている。この世界にあまねく全てのものへと捧げられた歌。その声が何を告げるのか。ギターがかき鳴らされ、ドラムが腹腔に響き渡る重低音を生じさせる。

 

 ベースの音程、歌声の音律、調停される音色の輝きが可視化されるようだ。

 

 その歌声を人々は聴き入っている。世界を終わらせる歌にもかかわらず、人々はその声から生まれる世界を享受し、今を生きる事に懐疑など抱かない。誰が終わらせるというのだ。

 

 この世界は終わりようのない地獄の連鎖と、支配と抑圧の向こう側にある。

 

 それを誰もがこの半年で知り得ていた。

 

 サイリウムを振り上げ、彼らは叫ぶ。

 

「ギルティギア!」

 

 その声にボーカルの赤い髪の少女が歌声で応じる。女神のようにその喉から放たれる声が反響し、若者達の心を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『現在、対象は三十二地区を目指して北上中。恐らくはゲリラライブから目を逸らすための』

 

「陽動、だな」

 

 入ってきた通信に断じる声を出したのは、ここ数ヶ月の煮え湯を飲まされた経験からくるものだった。対象の逃走経路を遮断したところで、もう一方では作戦行動は行われている。この場合、どちらを切ってどちらを潰すべきか。即断即決が望まれた。

 

『ツワブキ・リョウ主任の判断を』

 

 無線に入ってくる声にリョウは嘆息を漏らす。

 

「ゲリラライブのほうに送り狼を放ってやれ。対象Bのフタマルに関してはこちらの車両で追う。コープスコーズの出撃準備を」

 

 ガタンと車両が揺れる。重機械を思わせる灰色の大型車両はカナズミシティの街並みを横切っていた。次々と車両が停車し道を譲っていく。パトランプは鳴っていないし点いていないが、この車両には譲らなければならないという不文律が既に出来上がっていた。

 

「実際、どうなんですかね」

 

 部下が声を出す。公安の頃からの部下で今はコンソールに視線を落としている。

 

「何が?」

 

 次々と移り変わるモニターを眺めながらリョウは憮然として返した。

 

「コープスコーズの実力ですよ。こっちの、公安よりも優れた動きって。そりゃ認めたくない部分はありますよ? だってデボンが治安牛耳って半年で、こんなにも様変わりしちゃうなんて」

 

 リョウは唇の前に指を持ってくる。その仕草の意味を悟って部下は口を噤んだ。どこに耳があるか分かったものではない。

 

「……でも、聞かせてやればいいじゃないですか。公安の仕事がこんな、デボンの下請けみたいなものだなんて」

 

 部下の不満はもっともで、実際に公安という組織が一企業の傘下に入るなど半年前までは考えられなかった事だ。しかもその目的がデボンに反旗を翻す人員の確保など。

 

「監視社会ですよ」

 

「聞こえてんぞ。それに、オレもまたデボンの人間だって忘れているんじゃないだろうな?」

 

「リョウさんは、デボンの人間である以上に警察官でしょう?」

 

 この部下は高望みでもしているのだろうか。この社会においては警察に所属する人員であっても、最早意味を成さないというのに。

 

「警察官だからって誇りとかプライドとか矜持とか、そういうのに縛られるよりも長いものに巻かれろってね。実際コープスコーズのやる作戦ってオレらにゃ極秘。そりゃ勘繰りたくもなるのは分かるさ。こっちの情報は筒抜けで、あっちの情報は分からない。命令系統がぐちゃぐちゃだ」

 

 それでも存続しているという事は、このシステムに穴がないと思っても大丈夫なのだろうか。リョウの思案を他所に部下の一人が声を出す。

 

「コープスコーズ収容車両より。出ます」

 

 別働部隊――通称コープスコーズの放ったポケモンが宙を舞う。カナズミの夜を引き裂くその紫色のポケモンは飛行形態に移行しており、爪を仕舞って赤い眼をぎらつかせていた。威容だけ見れば、小型の無人機さながらの無骨さ。ポケモンというよりも兵器のそれ。

 

「ゲノセクト。あれも鋼タイプのポケモンだって言うんだから驚きだ」

 

 半年前まではあのようなポケモンを運用するなど考えもしなかった。ゲノセクトの編隊が一斉に向かっていったのは反政府団体が所有していると思しきライブハウスだ。そこで密談が行われているというのである。

 

 もちろん、事前の下準備は欠かさなかった。そこに人が居るのは明らかであるし、公安であった頃の鼻は今でも利く。しかし公安の機能がきっちりと動いていた頃に比べれば随分とぬるま湯のような位置に自分はいるのだ。

 

 別働隊の補助と情報の分析。そのための情報蓄積車両。箱型の車両にパラポラアンテナを設えた自分の乗っている車がカナズミには常時十台は存在している。それぞれが情報を同期し、別働隊に送っているのだ。

 

 否、正しくはこれらの情報を統治し、分析する最大の地点。

 

 デボンコーポレーション分析室に一度送られ、情報は選別された後に別働隊の司令部へと送られる。実質的にリョウの乗っている車両は情報を中継するための一種の中継地点であり、本丸とは程遠い位置だ。

 

 戦闘に割く人員はなく、なおかつこの車両から「動かなくてもいい」という任務。

 

 飽き飽きしている、といえばそれが本音で、実際もう公安である必要性もないのではないかと感じていた。これではデボンの狗だ。

 

「……家に使役される存在だけには、なりたくなかったのにな」

 

 ぼやくとコープスコーズの放ったゲノセクトに装着されたカメラからのリアルタイム映像が流れ込んでくる。空中を自在に飛び回るゲノセクトの機動力をもってすれば敵陣への潜入など容易いらしい。瞬く間に敵地と判断した場所へと入り込んでいく。

 

 それを阻止したのは放たれた業火であった。甲羅から蒸気を噴き出すポケモンが先んじて張っており、そのポケモンの放つ噴煙攻撃にゲノセクトは晒されているのである。

 

 鋼・虫のゲノセクトでは分が悪い。

 

 このまま退くか、と思われたが先を行ったゲノセクトの犠牲を無駄にしないためにか、後続部隊のゲノセクトは接地し、変形を試みた。

 

 ゲノセクトの視界が一瞬、上下反転し回転しながらその形状が変化する。

 

 左右に隠し持っていた爪を展開し、あばら骨を想起させる細さの身体が拡張し脚部が地面を踏みつけた。

 

 ゲノセクトの地上戦闘形態だ。ゲノセクト部隊は姿勢を沈める。背部から生えているのはどこからどう見ても人造物そのものの砲台であった。

 

 その砲台から色とりどりの光線が放たれる。甲羅に入っていた敵ポケモンが咆哮し、熱線を放射する。いくつかのゲノセクトが倒れたがその代わり、いくつかの敵ポケモンもダメージは免れなかった。

 

 ゲノセクトは装着する「カセット」と呼ばれる拡張機器によって属性を変えられる武器を持つ。カセットの相性は最初に決められており、それによって複眼の色が違った。

 

 水色の眼を持つゲノセクトが先行し、甲羅のポケモンへと光条を浴びせる。

 

「テクノバスター」と呼ばれるゲノセクト専用兵装は甲羅のポケモンを射抜き、その堅牢な防御に亀裂を走らせた。

 

 水タイプのカセット。それを持っているゲノセクトの放った攻撃は水タイプになる。

 

 どうやら相手の甲羅ポケモンは炎タイプのようで水のゲノセクトの前に次々と無力化させられていく。

 

「こりゃ、消耗試合かな」

 

 リョウがそう呟くと、一体のポケモンが甲羅のポケモンの合間を縫って躍り出てきた。

 

 手裏剣のような形状の腕を持ち、天狗を思わせる鼻が尖っている。リョウは即座に叫んでいた。

 

「奴、だ! 各員、情報収集に当たれ! 近くにトレーナーがいるぞ!」

 

 全員がゴーグルをつけ、情報処理に割いた。リョウも送られてくるリアルタイムの動画を凝視する。

 

「こいつ、たった一体で他のポケモンを使役しているのか。ポケモンがポケモンを使うなど……」

 

 恐らく「おや」は同一トレーナーなのだろうが、一体のポケモンを司令塔に置き、他の多数のポケモンを操る術は一線を画している。どう考えても通常のトレーナーのそれではない。

 

「一体、何者なんだ……。ダーテング使い……」

 

 忌々しげにリョウはそのポケモンの名前を呼ぶ。ダーテングと呼称されたポケモンは吼えて甲羅のポケモン達を鼓舞した。

 

 緩慢な動作ながら首を巡らせた甲羅のポケモン達が全身から蒸気を噴き立たせそれそのものを結界とする。

 

「噴煙の膜! これじゃ炎に弱いゲノセクトは近付けないって寸法か!」

 

 いくらゲノセクトが水の属性攻撃を纏おうとその根本は鋼・虫タイプ。不利には違いない。それも考えての行動だろうがコープスコーズはこの程度で歩みは止めないはずだ。

 

 その証拠にゲノセクトの後続部隊は即座に空中機動形態へと変形し、甲羅のポケモンとの戦闘継続を諦めた。それよりもライブハウスに巣食う悪の芽を摘む事を優先したのだ。

 

 毎度の事ながら恐れ入るのはその状況判断の速さ。それにはやはり「あの男」が一枚噛んでいるに違いなかった。

 

 彼がいるから、コープスコーズは自分達が使ってきたような失態は犯さない。

 

 苦々しい思いを噛み締めているとゲノセクトを撃墜しようとダーテングが舞い上がってきたのがカメラに大写しになった。

 

 思わずリョウはうろたえる。ゲノセクトが水の「テクノバスター」を放つ前にダーテングがその刃を想起させる手でゲノセクトを切り裂いた。

 

 切り裂かれたゲノセクトを踏み台にしてもう一体のゲノセクトへとダーテングが肉迫する。リョウは叫んでいた。

 

「まだか? まだ敵トレーナーの位置は割れないのか?」

 

 甲羅のポケモン達は確実にダーテングの指示で動いている。だから動きがワンパターンだ。しかしダーテング本体はトレーナーの指示で動いているはずなのだ。そうでなければあまりにも迅速なその動きの説明がつかない。

 

「周りの人々が多過ぎて……。把握出来ません!」

 

「絞るんだよ。ポケモントレーナーだっていうんなら、目立つ挙動の一つや二つ……」

 

「ゲノセクト部隊! 残存戦力五割を切りました!」

 

 甲羅のポケモンによるしつこいくらいのワンパターン戦法はゲノセクトに効いている。相性からして悪い相手に立ち向かうのは難しかった。さらにいえばワンパターンの隙を突かせないダーテングの活躍。これではゲノセクトはいくら健闘したところで実地では役立たずである。

 

「……仕方がない! 中継車両を全速力で走らせて、現場に急行出来るか?」

 

 リョウの言葉に部下達がうろたえた。

 

「リョウさん? そのような命令は本部からは出ていませんが……」

 

「出ていなくってもここで出なきゃゲノセクトは全滅だろうが。不本意だが手を貸さないとな」

 

 リョウはホルスターからモンスターボールを引き抜く。中継車両がブレーキをかけ、すぐに現場へと走り出した。

 

「何分で着く?」

 

「二十分は必要かと」

 

「じゃあ別の質問だ。何分で射程に入る?」

 

 部下達は演算機器を操作して射程に入る距離と時間を弾き出す。

 

「射程には五分で!」

 

「充分だ」

 

 リョウは天井のシャッターを開き、車両の上に出た。風圧がスーツをなぶり、重なったテールランプが血潮のように視野に映る。

 

「行くぞ。レジスチル!」

 

 緊急射出ボタンを押し込み、リョウが繰り出す。出現したのは風船のような膨れ上がった身体を持つポケモンである。胴体から直接手足が生えており、細やかなオレンジ色の目が闇夜を見据えた。金属の光沢がライトを反射する。

 

「レジスチル、射程に入ったら破壊光線を撃て。連中の命令系統を掻き乱す」

 

 レジスチルが両腕を掲げる。オレンジ色のエネルギーの瀑布が広がり、リョウは小さく映ったライブハウスを睨んだ。

 

 今もゲノセクトとダーテングの戦闘が行われているのだろう。渦中にある戦闘区域には様々な野次馬とマスコミの人々が押し合いへしあいだ。リョウは舌打ちした。

 

「巻き添え食らっても知らないぞ。愚鈍な奴らめ」

 

 光線のエネルギー球が凝縮する。リョウは声を放っていた。

 

「撃て」

 

 直後、エネルギーの奔流が戦闘区域を掻っ切る。ゲノセクトを巻き込みかねない勢いだったが、ゲノセクト部隊は操っている連中が悟ったのか、直前に退いていた。

 

 それに比して甲羅のポケモンやダーテングはまともに攻撃を受ける。

 

 爆発の光が広がり、炎のポケモンから放たれた爆炎が渦巻いた。当然、狂乱の渦に巻き込まれた人々が騒ぎ、声を上げる。警察官達がそれを制そうとするが、割り込むようにリョウの乗る中継車がねじ込んでいった。

 

 黒煙が棚引き、咳き込んでいると中継車と並走する何かを発見する。

 

 ゲノセクト部隊の生き残りだ。ほとんど地面すれすれを飛翔し、ゲノセクト達が砲塔をライブハウスに向けている。

 

「……手を貸したつもりはないからな」

 

 リョウの声が聞こえているのかいないのか、ゲノセクト達は意に介さず防衛ラインを抜けてライブハウスに直行する。

 

 レジスチルをボールに戻し、リョウは息をつく。

 

「主任のポケモン、さすがの一言ですね」

 

 半年前まではこのレジスチルでさえも秘密の内であったが、もう隠し立てするようなものでもない。何よりも戦力を秘匿するほうが不利に転がるのならば出来るだけ有利なほうを選ぶまでだ。

 

「破壊光線で何体倒せた?」

 

「破壊光線の余波で倒したほうが大きいですね。甲羅のポケモン――コータスは元々防御力重視のポケモン。防衛ラインとしての意味合いが強かったんだと思います」

 

「じゃあ、やっぱりダーテングはやれていないか」

 

 手応えがなかった。

 

 リョウは先の攻撃でダーテングは倒せていないのだと確信する。しかし、相手トレーナーに相当な脅威は与えられたはずだ。今はそれでいい。

 

「野次馬の中に混じっているんだとすれば、もう追う手立てないですよ」

 

「馬鹿。トレーナーを追うんじゃない。ダーテングだ。奴を追ったほうがトレーナーを追うのに繋がるんだよ」

 

 その言葉にハッとして部下達がダーテングをサーチするも、やはり追跡不能だろうな、とリョウは達観していた。

 

 その程度で尻尾を掴ませてくれるのならば半年もいたちごっこを繰り返してはいまい。

 

「どこにいるのかねぇ。本体とやらは」

 

 ぼやくと同時にリョウはゲノセクト部隊のカメラに視線をやっていた。

 

 ゲノセクトが光線を撃ってライブハウスに雪崩れ込む。中には観客達がサイリウムを振っており、全員が現れたゲノセクトに驚愕していた。音声は拾えないが恐らくは悲鳴のるつぼだ。

 

 ゲノセクトのうち一体が舞台へと光線を放つ。何の事前宣告もない攻撃だったが、その必要はなかったようだった。

 

 何故ならば、舞台には映像を投射するホロキャスター数台だけが置かれており、そこには誰もいなかったからだ。まさしく狐につままれた心地を味わいながらリョウは嘆息を漏らす。

 

 毎回の事ながらやはり今回も外れか。

 

 落胆を隠せなかったがゲノセクト部隊を大いに混乱させた相手の術中には恐れ入る。

 

「どこまでやるのかね……。ネオロケット団さんよ」

 

 呟くとまだ煙の棚引く舞台でノイズを走らせるホロキャスターが何台か生きていた。中継車がゲノセクト部隊の到着より数分を遅れて辿り着く。リョウは舞台に上がり、ホロキャスターを検分する。やはりホロキャスターの型番から割れる物証はなし。どのホロキャスターもただ「動画を中継する」ためだけに使われている無記名のタイプだ。

 

「今回も、この手口ってわけか」

 

 リョウはホロキャスターを踏み潰す。ノイズを走らせていた動画が掻き消えた。一瞬だけ網膜の裏に居残った残像には、赤い髪の女の像が垣間見えた。

 



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第百十四話「天獄」

 

 部門は違えど一度警察が実況検分に立ち会わなければならない。

 

 一課のエリート達が現場に急行し、調べ始めたのが事の収束した一時間後なのだから、及び腰にも程がある。

 

「うまい具合に先行部隊に揉み消されちゃっていますよぉ」

 

 その声に、「みたいだね」と中年の男性が応じる。

 

「シマさん、やっぱりデスクワークをしたほうがいいんじゃ? 今回みたいな、その……」

 

 女性警察官が咳払いする。

 

「まぁ血なまぐさい事件ではある。これがほぼ毎週なのだから、カナズミも変わったな、と言わざる得ない」

 

 シマと呼ばれた刑事は歩きながら物的証拠を集めていた。その一つがホロキャスターの部品だ。

 

「ちまちました事が好きですねぇ。あたし、そういうの苦手なんで」

 

 その時、パトカーから一人の女性が歩み出た。威厳のある姿に女性刑事とシマが敬礼する。

 

「アマミ君、ホシは見えてきたかね?」

 

 アマミと呼ばれた女性刑事は、「全然ですよぉ」と間延びした声を返した。

 

「やっぱりデボンに先を取られちゃうってのが痛いですね。残っているのは何の変哲もないガラクタばかり」

 

「だがそのガラクタから真実を見出すのが我々の役目だ」

 

「後始末って言ったほうが早いんじゃ」

 

 アマミの声にシマが苦笑する。

 

「そう言わないで。何事も地道に、だよ」

 

 アマミが不服そうに頬をむくれさせながら捜査に戻る。シマは耳打ちしていた。

 

「実際、デボンが出張るようになってから全く事件の概要が見えません。課長、ここは一度デボンと実際に話し合うべきでは」

 

「このカナズミでは、もうデボンコーポレーションが法だ。半年前からな。学園都市だ、便利だと浮かれていたら、まさかの実権を奪われる始末。正直、警察としては面子の丸潰れだろう。だから、我々を後始末に寄越す。一応は捜査をしている、という名目付けにな」

 

「ですが、これでは本当に後始末、というよりも残飯処理と言ったほうが早いですよ。何の価値もない」

 

 シマの声に課長は額に手をやる。

 

「全く笑えん事態だ。連中の掻っ攫った後を我々が捜査、という名目の後始末。これではいくら必要経費があっても足りん。さらに言えば、全く見えないのはデボンだけではない」

 

「敵対組織の名前すら明かせないなんて、これじゃ管理社会と何ら変わりありませんよ」

 

 デボンから降りて来ないのは一連の騒動を引き起こしている組織の名前でさえも、だ。デボンは「統治の限界」に達しているとあらゆるメディアで言われている。そもそもデボンは巨大企業ではあったが統治組織ではなかった。

 

「デボンの統治を金で買ったものでも何でもなく、ただ今の社長のスタンスとしてカナズミの管理の全面見直し。及び組織立ったテロへの対抗。……公安はそれに全面協力。これではどこの軍隊だか、と呆れざるを得ない」

 

「実際、軍隊レベルのポケモンによる支配が行われているとのリークが」

 

「ゲノセクトか」

 

 シマが懐から取り出した写真を課長は受け取る。カナズミの空を飛翔する紫色のポケモン。カナズミ市民はもう見慣れたのかもしれないがこれは支配の象徴以外の何者でもない。

 

「他に情報は?」

 

「デボン内部にこのポケモン専用の部署が存在し、PMCなんて目じゃないレベルでの行動が許されているとか」

 

「噂、だな」

 

 潜めた声でありながらも、シマは確実な情報を持って来る。それは一課では当然の事だった。

 

「しかしゲノセクト。人造のポケモンをこうも大っぴらに使われるとなると、我々の面目も丸潰れだ。戦争紛いの事を毎週のようにやってのけられれば、カナズミとて持たんぞ」

 

「街のそこいらが工事中ですってぇ。みんな言っていますよぉ。不便になったな、って」

 

 どこから聞いていたのか、アマミが口を挟む。課長は噴煙を上げるライブハウスに放水を続ける消防隊を目にした。

 

 いざこざも、全てデボンが処理する。警察が動くのは全て事後処理。これでは治安機構が麻痺していると言われても何ら不思議ではない。

 

「他地方からの監査が入ってもおかしくないが」

 

「その噂はあります。カントー辺りが監査官を送り込んでいるとか」

 

 火花の舞い散る中で胡乱な話が続く。カントーほどの大国がホウエンに睨みを利かせる。あり得ない話ではない。

 

「ロケットの技術大国だ。ロケット技術が欲しければ干渉するな、というだけで落ちそうだが」

 

「あるいは大陸弾道ミサイルの計画案ですか」

 

「調べたのか?」

 

「ええ」

 

 大陸弾道ミサイル。デボンが半年前からちらつかせている大計画であった。今まで平和利用に使っていた技術を急に兵器転用も視野に入れると言い出したのだ。当然、反感の声が上がったが、今の社長のスタンスだと黙認されている部分でもある。

 

「デモ隊は、最近めっきり見なくなったが」

 

「諦めでしょうね。一切顔を出さないデボンの社長。それに比して、反比例的に強くなっていく情報統制。もうホウエンはカナズミの時代が終わったと思っているんじゃないでしょうか」

 

「終わらせて堪るものか。ここを無法地帯にするとでも?」

 

 それだけは警察の面子にかけて絶対に阻止せねばならない。しかし懸念事項がついて回った。

 

「しかしデボンの統治に異を唱えるものは要らないと、こうも言われてしまえば……」

 

 シマの言葉に、「かたなしですよぉ」とアマミも答える。

 

「警察だとか、そういうのってもう要らないって言われているみたいでぇ」

 

 必要のないはずがないのだ。しかしここまでデボンという企業が大きくなってしまった手前、言い出せる事がほとんどない。

 

「カナズミではもう、デボンの介する通信技術以外では外界に情報を発信する術もない。どうやってそのテロ団体が、通話しているのかさえもある種の謎」

 

「逆に言えば、テロ団体のやっている事の裏返しだな。デボンは、民衆に分からせようとしているのさ。自分達にすがる以外に、この支配と呪縛から逃れる方法などない事を」

 

 投光機を握り締めた鳥ポケモンが宵闇を裂く。光は瓦礫の中に吸い込まれていく。今夜も何人、犠牲になったか分からない。

 

「消防隊と警察がどれだけ駆けずり回っても犠牲者は増える一方。正直なところ、デボンにしろテロ団体にしろ、いい加減にして欲しいってのが民衆の意見なんじゃないですか?」

 

「お祭り騒ぎはやめて、手を取り合え、か。それもまた、一つの見方ではあるな」

 

 または、と課長は考える。このお祭り騒ぎでさえも、ある種の陽動なのではないだろうかと。もしかしたらもっと重大な事から、自分達は目を逸らされているのではないか。しかもその重大な事を何一つ知らないままに。

 

「目を閉ざし、耳を塞いで安寧を貪るか。あるいは目を開いて地獄を見るか。人々の悲鳴を聞くか」

 

「極端ですよ」

 

「この世界は極端なものさ」

 

 課長は投光機の光が目に入って手を翳す。アマミが、「眩しいってー」と声を上げた。

 

「この地獄を、君も見ているのか? ヒグチ・サキ警部」

 

 半年前に行方不明になった部下の名前を呼び、課長は踵を返した。

 



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第百十五話「命の所有者」

 

 情報の集積所はいつもごった返している。

 

 それは集積所の名の通り、集まってくる情報が多過ぎてさばけないからだ。だからほとんど垂れ流しの情報を予め組んでおいたアプリで組み換え、移動し、最適化する。

 

 そうする事で初めて見えてくる真実もあるのだと、何度目かの覚醒とまどろみの間で感知した。

 

 ハードディスクが点滅しているのでまたしても容量限界か、とUSBの接続を解除する。熱の籠ったハードディスクからは熱気が溢れ出ていた。空調のリモコンを手に取り、肌に張り付いたワイシャツの感覚を確かめてから声にする。

 

「今壊れたので何台目だ?」

 

 予め組んでおいたアプリが発声する。

 

『二十五台目です』

 

 今時、OSに組み込んだロボットアプリなんて珍しくはない。このアプリが他と違うところがあるとすれば、それはデボンの認可を降りていない事くらいだろう。液晶を撫でて、伸び切った髪をかき上げる。

 

「デボンはどう動いた?」

 

『やはり、現状ではゲノセクトを擁する部隊による排除がメインのようです。そういえば、ご主人様のご友人が動いたという報告がありますが』

 

「ツワブキ・リョウ、か。奴もほとんどデボンの小間使いだな」

 

 乾いた笑いを浮かべるとロボットアプリは声を荒らげた。

 

『笑い事ではございませんよ。カナズミの都市機能はほとんど麻痺しているって言うのに、デボンだけは力を蓄えている。これじゃ監視社会じゃないですか』

 

 まるで半年前の自分のような口ぶりのアプリに呼びかける。

 

「ルイ。お前の判断だと、デボンはどこまで掌握している?」

 

 呼びかけられてアプリ「RUI」は答える。人間のように逡巡を浮かべ、『確定は出来ませんが』と前置きする。

 

『カナズミは恐らく全部。でもそれだとネオロケット団の一味が逃げられる説明がつかないんですよね』

 

「どこかに秘密の抜け穴くらいは持っているだろうな。だとすれば、こちらからの接触は難しい、か」

 

『ですが、サキ様。こっちには数百台のマシンスペックを誇るボクと、それにあなたがいるではありませんか』

 

 ルイの言葉にサキは嘆息を漏らす。

 

「よくそんなに自信が持てるな。こんな状況で。作った奴そっくりだ」

 

『何を仰います。ボクを創造されたプラターヌ博士は、そんな泣き言を聞きたくないと思いますよ』

 

 サキはルイの声音にプラターヌの死に顔を思い返す。苦々しい思いが湧き上がってきて煙草の箱を取り出した。いつの間にか身についた慣れた所作で箱の底を叩き、煙草をくわえて火を点ける。一連の動作にルイが煙たそうにした。

 

『駄目ですよ。喫煙はあなたの健康と寿命に関わってくる……』

 

「パッケージみたいな事を言うな」

 

 紫煙を吐き出し、サキは考えを纏める。リョウが先導するデボン御用達の戦闘部隊。ゲノセクトが空を舞う光景に最早カナズミの人々は慣れたのか。あるいは慣れた振りでもしているのか。サキはゲノセクトのデータを呼び出した。

 

『ほとんど生体兵器ですよ。化石から復元したポケモンに重装備をさせたもので、人造のポケモンと言っても差し支えありません』

 

「問題なのは、デボンがこれらをどう操っているのか、だ。ゲノセクトの頭数を揃えたところで実際に使える人員がいなければ話にならない」

 

『Dシリーズですかね』

 

 ルイは既にDシリーズについてある程度調べを進めている。しかし分からない事が幾つかあった。

 

「Dシリーズだとして、私の遭遇したDシリーズの言葉と矛盾する。200体しかいないと聞いていたし、何よりもそれ以上の量産態勢は無意味だと判断されていた」

 

『新しく造られたDシリーズ、と判断したほうがよろしいでしょうか』

 

 よろしいでしょうか、とは面白い言い方をする。OSなのに、どこか人間じみた言葉遣いをするのがルイの特徴だった。

 

「そうだな。新しく作られた新設の部隊、と考えたほうがまだ辻褄が合う。だがそうだとすれば」

 

『デボンは特殊組織を擁しており、その戦力は軍隊並みだと』

 

 ルイの結論にサキは、「仮定だよ」と付け加えた。

 

「あくまでも仮定だ。ただ、その可能性がかなり高いと私は踏んでいるが」

 

『やはり現社長の方針でしょうか』

 

 デボンコーポレーション現社長。半年前にツワブキ・イッシンが代表取締役を辞任。その後、彼の息子であるツワブキ・コウヤに全権が回るかと思われたが、実際には別の人間が任命された。しかし表向きはコウヤによる指示だとされている。

 

「摂政と関白か。動かしているのは別人で、コウヤは隠れ蓑」

 

『表舞台に出てくるのはツワブキ・コウヤですが、それにしては奇妙なんですよね。公式発言が全くない』

 

 コウヤを社長するのならば、コウヤから発進される情報があってもいいものだ。しかしコウヤの発言はあくまでもデボンの発言とイコールで結ばれず、コウヤは実質今まで通り、次期社長ポジションに落ち着いている事になる。

 

「ツワブキ・コウヤはもしもの時のスケープゴート。実際に動かしているのは……」

 

 そこまで口にしてサキは思い返す。半年前にデボン本社で巻き起こったテロ事件。その最中、確かに目にしたのだ。初代ツワブキ・ダイゴを。

 

 しかし今にして思えば、あれは昂った神経のまやかしであったのかもしれないし、そもそも初代の復活計画を阻止するために動いていたのに、これでは失敗を示す。

 

『その辺に関してはあやふやですが情報があります。こちらの画像をご覧ください』

 

 ルイが示したのはゴーグルをつけた黒スーツの集団だった。装甲車に乗せられており、巨大なパラポラアンテナが上部に備え付けられている。

 

「これは?」

 

『ボクの擁する情報網から手に入れました。とは言っても、これを手に入れた直後、感染したウイルスとスパイウェアの数は四十を軽く超えます。もちろん、ボクは感染前に全てを切り離し、排除しましたが』

 

 今さらにルイの手腕を疑ってはいまい。その排除の結果が先ほどのハードディスクの故障なのだろう。

 

「能書きはいい。その画像が何なのか教えろ」

 

 サキの言葉にルイは不服そうにする。

 

『ご主人様……、さしものボクでもあまりに身勝手が過ぎるかと。せめて労いの言葉くらいは欲しいものです』

 

 システムが労いを要求するか。サキは目頭を揉みながら、「ああ、よくやった」と適当に応じた。しかしそれではルイが納得しない。

 

『もっと心を込めて。ご主人様はその辺りががさつ過ぎます』

 

 システムに人格について文句を言われるとは思っていなかった。この辺りがプラターヌの作ったシステムらしい。サキは後頭部を掻いて、「分かったよ」と応じる。

 

「なかなかの働きだ。よくやった」

 

『……まだ心がこもっていない気がしますが、まぁいいでしょう。この画像は解析するに、ゲノセクト部隊を動かしている中継車両だと思われます』

 

 ゲノセクト部隊。デボン内部では別の呼び名があったな、とサキは思い返す。

 

「コープスコーズ、か」

 

『そうですね。この画像に映っている人間が、そのコープスコーズの一員だと』

 

 しかし「死体兵団」とは、とサキは口にした言葉に苦々しさを感じる。デボンは何をもってその名をつけたのだろう。

 

「ヘッドセットを被っている事からしてみて、思惟で動かすタイプか?」

 

『鋭いですね。このパラポラアンテナもその思惟を増幅させる機能があると推測されます』

 

 やはりゲノセクト部隊は思惟で動かしている。そう考えると得心の行く事が多い。どうしてゲノセクトは自律稼動しているのか。そもそも一度に数体のゲノセクトを動かす事が可能なのか。それらの疑問は一言に集約される。

 

「同調、か」

 

『これはもっと恐ろしいものだと思われます。通常の同調ならばダメージフィードバックなどの不都合が発生しますが、これはそれらのデメリットを排除した、もっと人工的な同調現象でしょう』

 

 つまりダメージが返ってこない。ゴーグルはそのための措置か。サキは、「便利になったものだな」と感想を述べる。

 

「何人ほど乗っている?」

 

『それが……、確認出来ただけでも四人なんですよね。それが少し』

 

「奇妙だと」

 

 ルイはサキの意見を認める。その理由は明白だった。

 

「ゲノセクト部隊は数十体のゲノセクトからなる編隊。だっていうのに四人では」

 

『動かせるはずがない、んですか……』

 

「他の情報は? ルイ」

 

 手近にあったキーボードを引き寄せ、サキは手動で情報を集める。ルイがシステム面での補助をしながら、『生憎と』と応じた。

 

『この情報以外では厳しい面があります。デボンはコープスコーズの存在自体をいつでも切り離せるようにしているとしか思えないですから』

 

「主要部隊ですら使い捨てか」

 

 反吐が出る。

 

 サキの声音に、『別の情報ならば』とルイが集積していた情報の一つを呼び出した。

 

「……ネオロケット団か」

 

 ライブハウス前で張っていた甲羅のポケモン、コータスによるバリケードとダーテングによる強襲攻撃。ここ数回で続いているのと同じ手口だ。

 

「コータスを使っているのは、ゲノセクト対策だろうな。だがこのダーテングだけは別だ。他のトレーナーがスタンドアローンで動かしている」

 

『やはり、そう解釈されますか』

 

「ダーテングの使い手か。検索」

 

『かけましたが多過ぎて……。ホウエンだけでもダーテングを登録している人間は五百人です』

 

「実力者だけをピックアップ」

 

『そうなると今度はフィルターがかかってきますよ。実力者には手持ちを秘匿する権限がありますから』

 

 エリートトレーナー以上は手持ちポケモンを開示しなくてもよいという条件がある。ホウエンのトレーナーはエリートトレーナーが多い。

 

「ある一点になると、どうしてもエリートトレーナーの情報網に入ってしまうので解析が困難になる。全く、誰が仕出かした不具合なんだか」

 

『旧態依然としたセキュリティがまかり通っている部分でもありますからね。手持ちを開示しないのは何もエリートトレーナーに限りませんし。トレーナー登録を怠れば手持ちを秘匿する事も簡単です』

 

「だがそうなればデボンの管理によってボールスイッチに信号が送られ、開閉不可になる。……そうなってしまえば困るのは連中のはずなんだが」

 

『だから裏口があるんでしょう。デボンに情報が送られている、というダミーを送れば、この網は掻い潜れます』

 

 デボンに情報を送った、というダミー。一件矛盾しているようだが、それが可能である事はサキ自身思い知っている。行方不明、あるいは生死不明と送れば、デボンの加護を受けながらポケモンの所持が可能なのだ。その場合、一度でもデボンの情報網に引っかかればアウトだが、サキはルイによってその条件を満たしていた。この社会において透明人間になる事が可能だという事が証明された。

 

「実際、あいつもこうやって掻い潜っていたのかも知れないな」

 

 あいつ、と口にするとその姿、声も思い出されるが今は生きているのかどうかも分からない。

 

『ツワブキ・ダイゴ氏ですか』

 

 ルイが察知して声にする。

 

 ダイゴはあの時、上層に向かって駆けていった。誰も、その後姿を止める術はなかった。あの時、ダイゴは自分が何者なのか知ったはずなのだ。

 

 だがダイゴの生存は不明となり、今日のデボンの繁栄と支配があの日から磐石となった。

 

「一体あの日、何が起こったんだ」

 

 自分はプラターヌの死から奮い立とうと一課に戻ろうとして後から送られてきたメールに気付いた。そこに記されていたのは今も利用している隠れ家の地図と、高機能システムAI「RUI」のパスコードだった。

 

 プラターヌがいつの間にこのような高度なAIを開発していたのかは謎だったが、元々研究者なのだ。秘密の研究所の一つや二つは持っていてもおかしくはない。

 

『あの日のカナズミの新聞記事にはデボンに向けての企業テロが行われた、とありますが』

 

 当然ダミーだろう。何か、決定的な事を見逃している気がした。

 

「ダイゴはどこかへと消え、さらに言えばデボン内部で何かが起こった。不都合な何かが」

 

 誰にとってなのかはまだ分からない。しかし、デボンが変わったのはあの日を境にしてなのだ。

 

『デボンのシステムキャッシュは全て削除されています。あの日に何が起こったのかを正確に知るのは難しいでしょう』

 

 分かっていたがやはり自分一人ではデボンの闇を引っぺがすには至らない。サキは灰皿に煙草を押し付け呟いた。

 

「何か、デボンに潜り込む術があればいいのだが」

 

『セキュリティレベルは常に4、つまり最高セキュリティです。あの時のように地下を使って潜り込む事さえも出来ないでしょうね』

 

 まさしく蟻の入り込む隙もない、というわけか。サキは手強いと感じると同時に疑問視視する。

 

 どうしてそこまで堅牢な帝国を築かなければならない? 

 

 デボンは何がしたいのだ? 

 

 全てが幕の向こう側に覆い隠されているようだった。

 

「味方は少ない。今の状況で打開するのには足りない要素が多過ぎる」

 

 嘆息をつく。このままでは消耗戦を続けるだけだ。

 

『その事ですがご主人様。デボンの中で不透明な情報の動きがありました』

 

「不透明な情報?」

 

 ルイが様々な別窓を開き、それらをダミーにしながらデボン中枢へと潜っていく。サキは魔法を見せられているような気分に陥った。

 

『これです。この時刻の、この会話』

 

 通話ログを呼び出し、ルイはそれを再生する。恐らくは一回きりの再生だろう。サキは録音プログラムと音波解析プログラムを呼び出してヘッドセットを耳に当てた。

 

『……この通話もどこに聞かれているか分からないよ。あんた、もうやめたほうがいいって。いくら懇意にしているからってこんなに数回に渡って通話されたんじゃ、どこかに記録が残ってしまう』

 

 聞いた事のない女の声だった。その声に応対したのは淡白な、こちらも女の声だ。

 

『どうしても、彼の行方を知らなければならない』

 

 その声の主を自分は知っている気がする。しかし即座に思い出せなかった。

 

『そりゃ、彼に関する事は残念だったさ。でも半年も経つんだ。忘れなよ。アタシだって、もうデボンの中でそう易々と動ける地位じゃないんだ。目をつけられたみたいで、通話記録を残す事も出来ない』

 

『それでも、私にはあなたの情報網が必要なの。右腕はまだこちらにあるわ。交渉の手段は存在する』

 

「……右腕?」

 

 通話の中で出てきた名称にサキは疑問符を浮かべる。一体この二人は何を言っているのか。

 

『まだあれが完全体じゃないって? それはまた末恐ろしい事を言うね。アタシはこの一件からさっさと足を洗いたいんだ。あの化け物とのいざこざに巻き込まれるのは御免だし、あんたがいくら旧知の仲だって言っても、アタシには出来る事と出来ない事がある』

 

『そこをどうか。イズミ……』

 

『名前を呼ばないでよ。どこに耳があるか分からないんだから』

 

「イズミ、という名前なのか。もう一人は?」

 

 聞き覚えはあるのだが名前が出てこない。しばらく聞いているとイズミは堪りかねたように声にした。

 

『アタシに電話してこないで。もうこれ以上はデボンの中で探りを入れるのは無理。あんたが直々に右腕で交渉するって言うのならまだしも……。そもそもその右腕だって、本当にあの化け物にいるのかどうか分からないってのが』

 

『必要なはずよ。初代は、右腕と左足が不完全なまま再生された。だからまだ本当の力を得ていない』

 

 初代、という言葉にサキは硬直する。まさか初代ツワブキ・ダイゴの事を言っているのか。だとすれば右腕、とは――。

 

『でも義手と義足で事足りているみたいだし、そりゃ公の場に出るにはちょっと怪しい井出達だけれど、公の場にはツワブキ・コウヤが出ている。初代は後ろで指示を出しているだけだ』

 

 語られているのはデボンの現状だ。サキはルイへと目配せする。録音プログラムはきっちり起動していた。

 

『考えてもみて。どうして初代はこんなまどろっこしい真似をするの? 自分が支配すればいいのに、そんな事をせずツワブキ・コウヤに表向き社長の座を譲るなんて』

 

『世間はコウヤが次期社長だと思い込んでいたし、何よりも初代そっくりの……いいや本人が復活して全てを支配し始めるなんて狂っている』

 

『その狂った所業が、誰にも見咎められずに行われている。私にはそれが許せない』

 

『落ち着きなよ。そんな正義に駆られたってこの場合、仕方がないんだ。あんた、やっぱりあの時の、ツワブキ・ダイゴとか言う男の事を』

 

 ダイゴの名前が出てきてサキは瞠目する。そこで断ずるように冷たい声が放たれた。

 

『彼は関係がない。私が追い続けているのはずっとデボンの闇だけ』

 

『デボンがどれだけ悪行を重ねても、このホウエンじゃ少なくとも誰も神経に堪えるような人間はいないよ。デボンがやっている事なら、で思考停止さ。でもあんたは踏み込み過ぎだ。このままじゃ、突かれたくない横腹をやられる事になる』

 

『私にはもう、何もないもの。突かれて困るものなんて、何も』

 

 どこか寂しげな声音にイズミが口にする。

 

『……コノハ。あなたは一度ならず二度も愛しい人を失った。だからその気持ちは痛いほどに分かる』

 

 コノハ、という名前にサキはようやく思い至った。

 

「ツワブキ家の確か家政婦……。でも何で……」

 

 どうしてツワブキ家の家政婦がデボンの諜報員と通じている? その疑問が氷解する前に、『切るわ』と声が紡がれた。

 

『これ以上の議論は、もう無駄でしょう』

 

『アタシはさ、あんたの事が……!』

 

 そこで通話は途切れた。サキはほとんど放心状態でその通話の意味を考える。

 

「ツワブキ家の家政婦が、どうしてだか秘密の通話ログを使っている……。だけれどどうしてだ? いつから、こんな事が」

 

『解析しようにも毎回ログは消されていて、今回たまたま拾ったものを再生しただけです。前後の文脈から推測するしかなさそうですね』

 

 サキは腰かけてまず呟いた。

 

「右腕……。初代ツワブキ・ダイゴは死後八つの部位に分けられて大学病院などに保管されていた」

 

 半年前に自分がそれを追った際、その部位が盗まれたのだ。一体誰が、とその時は思ったものだが、すっかり頭から抜け落ちていた。

 

『初代の復活……。それがまだ不完全だとでも?』

 

 ルイの推測にサキは頭を振る。

 

「不完全な復活を許すはずがない。特にツワブキ家が……。ツワブキ・レイカもリョウも、不完全な初代の復活に賭けていたにはあまりにも用意周到だった。きっと完全復活を目指していたはずなんだ」

 

『ですが復活したのは不完全だった、というのは……』

 

「矛盾だな。そうなってくると、内部のいざこざを考えざる得ないんだが、その当の初代がどのような状態なのかが不透明では」

 

 初代の状態を知れる情報がないか。サキは早速アクセスをかけていた。ルイにシステムバックアップを任せ、キーボードを叩く。

 

「医療機関……、あるいは研究機関へのアクセス履歴。そういうのが見つかれば……」

 

 半ば強引な結びつけだったがサキはツワブキ家の一人がとある研究機関に申し出をしている記録を見つけた。早速開示してみると意外な人物であった。

 

「ツワブキ・イッシン……。前社長だと……」

 

 どうしてイッシンが研究機関に申し出をしているのか。サキはそこから調べ上げようとしたが個人情報と閉ざされた。

 

「ルイ。万能鍵を」

 

『了解です、ご主人様』

 

 ルイにはあらゆるパスコードを無効化する万能鍵が装備されている。ただし、足跡が残るためにあまり推奨されるやり方ではない。いつもならばデコイを使って慎重に取り出すところだがこの研究機関のセキュリティはずさんだった。意外と簡単に取り出せた履歴にサキは目を通す。

 

「遺体の処理に関して……? 誰の遺体だ?」

 

 次のページに進むと部位とその遺体の持ち主が示される。サキは思わず絶句した。

 

「これは……!」

 

『ご主人様! 接続キーが焼かれます!』

 

 ルイの警告にサキは慌てて別のハードディスクの電源を入れる。先ほどまで使っていたハードディスクが焼き切られ火花が散った。物理的に排除し、煙の棚引くそれを足で蹴る。

 

「これは、この情報は……」

 

 サキはこれこそがツワブキ家のアキレス腱である事を確信する。

 

 ディスプレイに表示されていたのは「心臓部。所有者、ツワブキ・イッシン」という文字であった。

 



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第百十六話「歪んだ玉座」

 

 ゲノセクトの解析データが送られてきたのでコウヤは別の端末に送り返すように命じた。

 

 元々自分の分野ではない。ゲノセクトとコープスコーズの管理はリョウとレイカに任せてある。

 

「社長、お荷物を」

 

 車から出る際に付き人が声にする。コウヤは、「いや」とそれを断って眼前にそびえ立つ威容を目にする。

 

 デボンコーポレーション本社ビル。半年前の傷跡は色濃く、未だに修復中の場所があるくらいだったが、自分の関わったものではないとコウヤは考えを打ち切った。

 

「二十三時より会合が。社長、対テロ法案を通すべきか、とホウエンの首脳が話し合いたいと」

 

「後にしてくれよ。おれはまだ疲れが残っているんだから」

 

「失礼」と付き人が応じてから次のスケジュールを読み上げる。

 

「では対テロ法案については明朝に回しておきますが、会長が社長に話をしたいと」

 

 来た、とコウヤは身構える。会長、という言葉が用いられるのはコウヤにとっては凶兆だった。

 

「またあの人か。おれと話してどうするって言うんだ」

 

「これも後に回しますか?」

 

「いいや、あの人はしつこい。後々忙しくなってから組み込まれると面倒だ。今行くと伝えろ」

 

 かしこまりました、と付き人がエレベーターの扉を開ける。直通エレベーターはほとんど振動もない。その中でコウヤはこれから会う人間の顔を思い返して苦々しい思いが湧き上がって来た。

 

 どうして自分があの男の下につかねばならない。どうしてあの男はこうしてたまに押さえつけをしてくるのだ。コウヤは嫌気が差していた。

 

 社長は自分だ。全てを支配したつもりだったが、実のところこれから会う人物に掌握されている。それが我慢ならない。

 

 エレベーターが到着し、コウヤは一室の扉の前に立つ。付き人がノックした。

 

「どうぞ」と声が返され、付き人が下がる。ここから先は、ツワブキ家しか謁見を許されていない。当然の事ながら付き人は来た道を戻っていく。悪魔に会うのに、一人では正直心細かったが、コウヤはおくびにも出さずに室内に入った。

 

 金色のシャンデリアが存在感を示す豪奢な室内の奥には執務机がある。

 

 その執務机に足を置いている男にコウヤは目に見えて嫌悪感を示した。

 

「ギリー・ザ・ロック。お前はいつから会長になった?」

 

 コウヤの厳しい声に赤い帽子を被った男は鍔を持ち上げる。

 

「悪いね、ツワブキ家のお坊ちゃん。会長はちょっと席を外している」

 

「その会長に呼ばれてきたんだ。おれに話があると」

 

 ギリーは口笛を吹かす。

 

「忙しいもんだ。さすがは天下のデボンかな」

 

「茶化すんじゃないぞ。あの時殺したお前が目の前に生きているだけでも、おれからしてみれば神経を逆撫でされている気分だ」

 

 半年前に自分はこの男を殺した。トクサネでレジロックによって殺したはずなのだ。しかし、カナズミに帰ってきてみればこの男は何食わぬ顔で生きていた。まずそれに驚愕したがこの男からしてみれば自分の命など替えの利く存在だと聞かされ納得せざる得なかった。

 

 メモリークローン。

 

 記憶を外部メモリに入力し、引き継ぎ、当たり前のようにもう一つの肉体で死んだはずの人間が活動を再開する。

 

 一種の人体実験だが成功例があるとは聞かされていなかった。メモリークローンは実証実験を行っている最中だと言われてきたからだ。さらに言えば倫理的な問題も発生する。

 

 それらをクリアしてメモリークローンがこのような、暗殺者程度の人間を生かすために存在しているなど看過出来ない事態であった。

 

「嫌だねぇ、ツワブキ家のお坊ちゃん。おれを見る目が殺人の目だぜ?」

 

 事実、殺したはずの人間がこうもぺらぺらと喋られては不愉快極まりないのだが、コウヤは我慢した。

 

「会長は?」

 

「だから席を外しているんだって」

 

「お前のような下賎な輩に執務机を譲ってまで、か?」

 

 一触即発の空気にギリーが顔を上げる。

 

「いいねぇ。あの時オレを殺したのと同じ目つきだ」

 

 コウヤはスーツの襟元を整えて、「言葉には気をつけろ」と告げる。

 

「貴様程度、いつでも殺せる」

 

「暗殺者のオレが言われたんじゃ形無しだな」

 

 ギリーは肩を揺らして笑ってみせる。この男は、とコウヤが憎悪の眼差しを向けようとした、その時である。

 

「悪いね、ちょっと留守を預かってもらっていたんだ」

 

 背後から聞こえてきた声にコウヤはハッとする。振り返る前に、その手が肩に置かれた。銀色の、機械で出来た右手だ。条件反射的に硬直する我が身を顧みて、コウヤは思う。

 

 ――この人間には気配がない。

 

 いやそもそも人間と定義していいのだろうか。

 

 肩から手を離されてようやく収縮していた心臓が元に戻る。目線を振り向けてきた人影にコウヤは一礼した。

 

「失礼しております、会長」

 

 すると相手は首を振った。

 

「やめてくれよ。コウヤ、ぼくと君の仲だ。もっとフレンドリィでいい。そうだな、お爺ちゃん、と昔みたいに呼んでみな」

 

 眼前の人物はしかし自分よりも年下にさえ映る。当然、そのような軽口が吐けるわけもない。

 

 実質そうであったとしても。

 

「傑作だな。孫よりも年下のジジィかよ」

 

 ギリーの下品な笑い声にふつふつと怒りが湧いてくる。どうしてこの男は高尚な一族であるはずのツワブキ家に口出し出来るのか。

 

「やめなよ、ギリー。君の仕事は社長職を茶化す事じゃない」

 

「用心棒、だろ。今時こういうのは流行らないと思うがな」

 

 ギリーは会長の用心棒という名目で雇われている。実際、この男がどれだけの防御機能を持つのかは疑問だがいざという時の弾除け程度にしか考えていないのかもしれない。

 

 それだけ相手の存在感が圧倒的だった。

 

「ツワブキ・ダイゴ会長。お話というのは」

 

「ああ。ギリーは席を外してくれ。ちょっとばかし重要な事なんだ」

 

 初代ツワブキ・ダイゴは何でもない事のようにギリーに命じる。ギリーは肩を竦めた。

 

「格好の殺し時じゃないか。そんな危ない状態を目にしてオレにいなくなれって?」

「頼むよ」と初代は微笑む。

 

 ギリーはその笑みに従って部屋を出ようとした。その途中、コウヤの肩に手を置く。

 

「せいぜい、お話しておくんだな。お爺ちゃんと」

 

 殺意をむき出しにしかけたが、「ギリー」といさめる初代の声で我に帰った。

 

「はいよ。余計な事も言えないんじゃつまらないぜ」

 

 ギリーが部屋を出たのを確認してからコウヤは口火を切る。

 

「何であのような、下賎なる者を」

 

「うん? 彼が失礼をしたかな? ならばぼくが謝ろう」

 

 初代は執務机を見やり、口元に笑みを刻んだ。

 

「こりゃ酷い。靴の痕がぴったりだ」

 

 泥のついた靴でこの執務机に居座っていたというのか。それだけでも許せなかったが初代は笑って済ました。

 

「まぁ彼のスタンスは尊重すべきだよ。ぼくは彼を雇っている身だからね。最大限、彼の魅力を引き出したい」

 

「魅力? 暗殺者なんですよ」

 

 ほとんど日陰者に等しい存在にここまで権限を与えてやる事はないと、コウヤは暗に言ってやったが初代は微笑むばかりだ。

 

「そんな彼でも役に立っていてね。ぼくに纏わりつく影を排除してくれている。それもこっちが気付く前なのだから仕事が早くって助かっている」

 

 コウヤは内心舌打ちする。初代の正体を追うために放った草も既に駆逐されているのだろう。初代は自分の目の前で自分のやっている事は無意味だと言ってのけているのだ。豪胆であり、なおかつ相当な自信がなければ言えない。

 

「……ネオロケット団に関する調査報告書は」

 

「目を通した。リョウも苦労しているみたいだね。現場主任なんて任せるべきじゃなかったかな?」

 

「リョウも公安です。これでは裏取引があったのだと勘繰られる恐れが」

 

「誰が勘繰るって言うんだ? このカナズミで」

 

 違いない。勘繰るとすれば、それは内側から、だ。外側から突かれる事など滅多になければ、突かれたところで痛い腹を晒す事もない。

 

「それはそうですが、治安当局もコープスコーズの戦果に賞賛よりも戸惑いを覚えています。どれだけゲノセクトを投入すれば気が済むのかと」

 

 金も資財も投入している。これ以上の消耗戦は無意味ではないか。そう言ったつもりだったが初代は違う風に捉えたらしい。

 

「ゲノセクト、なかなかに無敵だろう?」

 

 誇示するように、あるいは自慢げに初代は口にする。コウヤはゲノセクトのデータを呼び出した。ホロキャスターに表示されたゲノセクト部隊の損耗率とそれが及ぼした戦果を比較するグラフである。明らかにゲノセクトの量産体勢が整っておらず、困窮気味であった。

 

「ゲノセクトはもう限界です。他の手を打つべきだとおれは思いますが」

 

「ゲノセクト以外で取り回しの利くポケモンを? それは結構な無茶だ。ゲノセクトは育成期間と実地試験のデータが取れる期間のバランスがとてもいい。理想個体と言える。ぼくがボックスに持っていなかったら、デボンにもたらされなかった繁栄だろう?」

 

 実際、その通りなのだから言い返せない。

 

 初代の持つ百をゆうに超えるポケモン預かりボックス。そこにはあらゆる鋼、岩、地面の強力なポケモンが集められていた。ボックスの存在を知ったのは半年前にカナズミに帰ってからで、その説明は他ならぬ初代からされたのだ。

 

 ボックスにあるポケモンを使ってカナズミシティを攻略不可能な要塞にする。

 

 鋼タイプのエキスパートであった初代からしてみればそれは容易かった。誰よりも鋼タイプを熟知している。だからゲノセクトなるポケモンを見出したのも初代の貢献だ。本来ならばコープスコーズの運用以前に適したポケモンが見つからなかった事だろう。

 

「会長の言いたい事は分かります。それにどれだけデボンに貢献していただいているのかも」

 

「他人行儀だな。いいよ、もうギリーもいないし、孫と祖父の関係でも」

 

 自分より若々しい男を祖父と呼べるものか。コウヤは歯噛みし、「そうは参りません」と佇まいを正す。

 

「一応は、社内ですから」

 

「どこに耳があるか分からない? まぁぼくという存在ですら、デボンからしてみれば極秘だ」

 

 コウヤが次の言葉を継ぐ前に初代は手を振る。

 

「安心しなよ。その辺を出回ったりだとかうろついたりだとかそういう迂闊な事はしていないし、それにぼくだって研究分野に必死だ」

 

 初代の研究分野。それは二十三年前に潰えたメガシンカ研究であった。もうメガシンカのメカニズムは明らかになっているというのに、初代は何かに取りつかれたようにメガシンカ関連の情報を漁っている。

 

 何かが、初代を駆り立てているのだと知れたがそれ以上はコウヤでも関知出来ない。

 

「会長、お言葉ですがギリーのような、いつでも鞍替えするような人間を傍に置くのはやはり危険です。おれが、社長のお傍にいたほうが」

 

「だめだめ、駄目だって。そういう風にさ、一家が一企業を牛耳るってのを表沙汰にしちゃ。ギリーはいい具合に異分子だ。彼がいるからこの半年のデボンの繁栄は成った」

 

 ギリーは外せないというのか。この自分よりも。

 

 コウヤの中で怒りがふつふつと湧いてくる。自分達家族よりもこの男は、正体不明の暗殺者に心を許しているとでも。

 

「コウヤ? 眉間に皺を寄せて何を考えているんだい?」

 

 そのような心境を知ってか知らずか、初代が顔を覗き込んでくる。コウヤは慌てて取り繕った。

 

「ですが後ろ暗い人間に変わりはないでしょう。突かれては困るスキャンダルを抱えているんですよ」

 

「そうだね。もうちょっと自省するように、くらいは言っておくか」

 

 ふざけているのか。コウヤは注意の声を向けようとしたがこの男はどうせ聞くまいと諦めた。

 

「会長、前社長からお話があったと思いますが、あまり研究機関に寄り付かないでいただきたい。あなたそのものが、大きなスキャンダルです」

 

 初代を蘇らせたなど。他の研究者にばれればどうするのだ。しかし初代は、「そうだねぇ」と聞いているのだかいないのだか分からない声を出す。

 

「研究機関もぼくを縛って二十三年前と同一の人間か調べる、なんて事はしなさそうだけれど」

 

 笑い話にする初代にコウヤは厳しい声を向けた。

 

「その可能性もある、とおれは言っているんですよ」

 

 ネオロケット団が調べを進めるのならば同一個体かどうかを確かめる事もまた、初代を攻略するのに必要だろう。初代は眉を上げて、「そんなに心配?」と聞き返す。

 

「当たり前でしょう。あなたそのものがデボンの、ひいてはホウエンの遺産なんですよ」

 

「王の身体に王の記憶か。それにぼくの右手からは無限の兵力が出せる。それを危惧されちゃ確かにね」

 

 初代が義手を翳す。緑色の光が掌から上がり、いつでもモンスターボールを転送出来るのを示していた。初代の所有する百幾つかのボックスにはそれぞれ三十体前後の鋼、岩、地面ポケモンがいる。それぞれの最強個体から最弱個体、あるいは調整した個体など初代の遺産の一つとしては充分なほどだ。

 

 惜しむらくはそのアクセス権が初代にしかない事。それがコウヤにとっては何より歯がゆい。もしその力を自分も手に出来ているのならば支配構図が変わっているだろう。このような、初代だと思しき人間と喋っている事もないのだ。

 

 レジロックだけでも力の誇示にはなる。しかし初代の有する何百体のポケモンに敵うものか。それぞれが固有の能力を持つポケモンがそれぞれ王の側近に相応しく育て上げられているのだ。王の軍団、と評しても何ら過言ではない。

 

 その王の軍団から小分けにされたのがゲノセクト。

 

 ゲノセクトの孵化量産体勢はすぐに整い、今も孵化と育成が同時に行われている。ゲノセクトは個体ごとのばらつきが少なく、コープスコーズにやるには適しているのだという。

 

 ――そのコープスコーズとて。

 

 コウヤはコープスコーズの正体を思い出して苦々しい感情がこみ上げてくるのを感じた。どうしてあのような、デボンの恥部をこの男は部隊に据えたのだろう。

 

 全く読めない初代の横顔を注視していると不意にホロキャスターが鳴った。

 

「失礼」と通話を取る。

 

『社長。ネオロケット団に関する追加レポートが通過しました。チェックをお願いします』

 

「分かった。おれのパソコンに送っておいてくれ」

 

 そのやり取りに、「疲れないかい?」と初代が尋ねる。

 

「ぼくも二十三年前には随分と疲れたもんだ。社長の仕事ってのは誰かに任せられればいいのにね」

 

「生憎と仕事ですので」

 

 かわしながら、この男は、と忌々しさが募る。

 

 二十三年前とてメガシンカの研究で放浪していた男が今さら何を言えるのか。家族の事とて、この男は本心では省みていまい。二十三年前にやっておけばよかった事を繰り返すような愚鈍な人間ではなく圧倒的な「現実」としてこの男は屹立している。メガシンカ研究とて道楽に等しいのに、それを二十三年経った今、繰り返す意味。それを問い質すほど自分は向こう見ずでもなかった。

 

「会長、出来るだけ社員には見られないように。研究は極秘でお願いしますよ」

 

「分かっているって。ぼくの正体からデボンの偉業がばれたんじゃ話にならないからね」

 

 偉業? 秘密の間違いだ。この男を擁している以上は、デボンは言い逃れの出来ない秘密を抱え続ける事になる。逃れるにはこの男を殺すしかない。

 

 だが二十三年間の願望でもある。

 

 デボンが二十三年もの間に必要と判じたのは初代の魂とその再生。それを望んだのは他ならぬ子供達だ。ツワブキ家がそれを推進してきた。自分も一枚噛んでいるため、この行いをただ単に馬鹿げているとは言えない。

 

 しかし初代の再生、これは正しかったのか、という一抹の疑問はある。

 

 レイカとリョウに一度問い質した時、彼らはこう言ったのだ。

 

「あれは自分達の望んだ初代ではないのかもしれない」と。

 

 では初代の皮を被っているこの男の正体は何だ? 一体自分達は何を育て上げている? 言い知れぬ恐怖に襲われ、コウヤは踵を返した。

 

「失礼します。こちらも仕事があるので」

 

「お堅いねぇ。お爺ちゃんの話を聞いてあげるって言う優しさはない?」

 

 嘲るような口調にコウヤは仕事の声を振り向けた。

 

「まだ仕事が残っていますので」

 

 部屋を出る。その時、初代が声を上げた。

 

「コウヤ。ぼくの望みを叶えてくれてありがとう。ツワブキ家には感謝してもし切れない」

 

 初代の望み。それが復活だったのか。それとも自分達が再生計画に着手する事も、初代の計画通りだったのか。

 

 脳裏を過ぎった考えを打ち消すようにコウヤは口にしていた。

 

「いえ。我々は正しい事したまでです」

 

 



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第百十七話「造られたヒト」

 

 本当にそうなのかは、問いかけるほかない。コウヤは部屋を後にする。

 

 初代の顔を見る気にもなれない。あれは実際何なのか。コウヤは別のホロキャスターから通話する。

 

「おれだ。調査報告書、上がってきているんだろう?」

 

 通話口の相手は、『上がってはいるが』と濁す。極秘に雇った内偵のエージェントだ。確かホムラとか言っていたか。

 

「何か問題でも?」

 

『そちらのオーダー通りに、こっちでは調べ上げた。初代の遺伝子データや、人格そのものを疑って』

 

 そうだ、コウヤは初代の身体に巣食っているのが、初代ではない可能性に思い至っていた。あれは初代ではない何者かだと。

 

 しかしホムラは難しい声を出す。

 

『しかし肉体は初代のものだった。これはもう、間違いようのない。九十九パーセント以上、あの肉体は初代のものだ』

 

 最初のほうこそホログラムでの補助が必要な肉体だったが、半年を得てほとんど瑞々しさを取り戻した初代の肉体は部分的なホログラムが貼られているだけだ。繋ぎ目を見えなくしている程度である。

 

「だとすればゾンビだとでも?」

 

 笑い話にもならない。初代のゾンビならば敵だと断じられる分、永久に葬ってしまえばいいのだが。

 

『ゾンビって言うのは違う。恐らく、あんたの要求通りにツワブキ・ダイゴはあの肉体に定着したんだと思う。それこそ初代の肉体に、初代の魂が。でも何かが、決定的に何が、とは言えないがあれは初代ではない。それはこっちも感じているところだよ』

 

 ホムラには初代に関するデータを与えてある。それこそツワブキ家の内々でしか知られなかったデータでもさえも、だ。

 

「何かが違うが」

 

『何が違うのかは分からない。正直、それだな』

 

 自分の抱いている違和感と変わらない。あれが初代だと認めてしまえればいいものを、初代はあのような存在ではないとどこかで感じ取っている。

 

「何かが欠けている、とでも言うべきか……。あれが初代ツワブキ・ダイゴだとすれば、それこそ王の再現だ。だって言うのに、何か、俗っぽいとでも言うのか」

 

 もちろん初代がどのような人格だったのかを明確に知るのは自分達ではない。イッシンや当時から幹部だった人間だろう。孫である自分達には初代が本物か偽者かを判じる術はないのだ。

 

『疑い始めればきりがないが、ちょっとした面白い実験を行った。そのデータを転送しておくよ』

 

「苦労をかける」

 

『いいさ。金は払ってもらえればね』

 

 通話を切り、コウヤは本社ビルの前で待つ車に乗り込んだ。付き人が次のスケジュールを口にする。

 

「前社長が、一度お話したいとの事です」

 

「経営方針か? それともデボンの体制について?」

 

「詳しくは存じ上げませんが、明日の昼食をご一緒したいと。その時に、との事です」

 

 イッシンが、父親が何を考えているのかなど随分と前から分からない。しかし初代に関するかまをかけるにはちょうどよかった。レイカでもリョウでもなければ、あの初代を望んだのはイッシンに他ならないからだ。

 

「いいだろう。予定を合わせると親父に返答しておいてくれ」

 

「このままご自宅に?」

 

「別宅に向かって欲しい。そちらで書類を纏めなければならないんでね」

 

 かしこまりました、と付き人は運転手に別宅へと向かわせる。

 

 別宅は半年前まで住んでいた自宅から五キロは離れている。これは物理的な手段での介入を防ぐためだ。半年前に侵入者を許してしまった反省もある。

 

 セキュリティを抜け、コウヤは別宅の書斎に入った。そこから先には付き人もついてこない。一度椅子に腰かけてパソコンを起動させる。デボンの書類の他に内偵を命じていたホムラの報告書があった。そちらを先に閲覧する。

 

「人格判定テスト……。これか? 面白い実験とやらは」

 

 長期記憶、短期記憶、及び同一人物かを調べる四十ものリストが並んでいる。もちろん、初代に受けてくれと言って受けさせたわけではあるまい。あらゆる場所で別人がテストを行ったのだ。その統計がディスプレイにあるというだけの話。

 

「初代ツワブキ・ダイゴと現会長は九割の確率で同一人物である」

 

 文頭からしてこちらからしてみれば不都合な事実だった。しかしスクロールすると「懸念事項として」と書き添えられている。

 

「初代ツワブキ・ダイゴと現会長の違いとしてあるのは二十三年前の事件当時の記憶が曖昧な事である。二十三年前にはメガシンカの研究に心血を注いでいた初代が同じ行動を取るのは合理的ではない。自分のデータの反復ならばすぐさま出来るはずなのにそれを時間のかかる手段で行っているという事は初代と現会長の間に何かしらひずみがある、と考えるべきである」

 

 ひずみ。コウヤは頬杖をつく。

 

「つまり、初代と現会長はほぼ同一だが、何かしら引っかかる、と」

 

 さらにスクロールさせると「長期記憶について」と書かれていた。

 

「現会長は長期記憶の領域に障害があると考えられる。要因としてゲノセクト投入に関する点が挙げられる」

 

 ゲノセクト投入はほとんど初代の独断だ。コウヤは読み進める。

 

「コープスコーズに使われているのは高速演算メモリーチップと呼ばれる外部記憶野である。コープスコーズの統制にこれを用いているのだと思われていたが、何度かの調査の結果、これは初代そのものの記憶の補助に使われている事が判明した」

 

 そこでスクロールを止める。初代そのものの記憶の補助? コウヤは疑問を抱えながら報告書を読む。

 

「高速演算メモリーチップを使用するのに、リンク先を調べ上げたがそれら全てのリンクが統合され一度集約される箇所がある。それの位置と初代の所在地が一致している。つまり初代は何らかの外部記憶に頼って生活しているという事になる……。初代が、何か端末を持っていたか?」

 

 そこから先はホムラの私見であった。コウヤは慎重に続ける。

 

「ここからは私見だが、恐らくその集約地点は初代の脳内にあると思われる。魂の再現、とあったが、魂の存在を肯定するよりも簡単なのは既にデボンで行われてきたプログラム人格の補助活動である。つまり現時点で会長を演じているツワブキ・ダイゴは初代の魂が降り立ったものではなく、あらゆる情報を統合し、構築された一種のプログラム人格ではないのか、という考えに至った。……プログラム人格」

 

 そう考えると、レイカとリョウの望んだ人格でないのも頷けるがそれにしては自然体である。プログラム人格ならばどこかで齟齬が発生するはずだ。

 

「人間味のない部分がない、というのがこの論拠を否定しているな。もしプログラム人格ならば、もっと分かりやすくそれが出るはずだ。ジョークの一つも言えやしないだろう」

 

 それにしては「人間」過ぎるのだ。もっとロボットのようだったのならばこの仮説も肯定出来ただろう。しかし人間との会話に一秒の迷いもなく返答するプログラム人格など存在するまい。

 

「馬鹿馬鹿しい。それこそ、初代のプログラムがスパコン並みの処理能力を持っていなければ出来ない話だ」

 

 いつ、そのような人格を育て上げる時間があった。レイカもリョウも知らない方法で人格を育成するなど不可能だ。

 

「だが、着眼点は見事だな。今の会長職を追うには少しばかり足りないが」

 

 ホムラが究極的に他人だからこそ出来る芸当だろう。ツワブキ家のお家騒動に関わっているのならばこのような冷静な判断は出来まい。

 

「プログラム人格か。そういえば、あのツワブキ・ダイゴもそうだったな」

 

 半年前にネオロケット団にさらわれたというダイゴの事を思い出す。レイカの話ではネオロケット団の尖兵を洗脳し、ポケモンの血と入れ換えた上での実験だったらしいが、あのツワブキ・ダイゴは見事な代物だった。ほとんど別人と言ってもいい具合だ。

 

「別人格を作り上げるのは不可能ではない? だが、そうなってくると今度こそ浮かんでくるのは、誰が、何のために?」

 

 初代の別人を造り上げて誰が得するのか。その意図が分からなければ結局袋小路である。

 

 ダイゴが存在するのならば、初代の存在も容認出来ないだろうか? しかし、そのダイゴもネオロケット団に捕らえ直され、今はどうしているのか分からない。

 

 それと同時に頭に浮かんだのは逃走したネオロケット団に混じっていた身内の名前だった。

 

「クオン……。リョウは随分と神経を磨り減らしているぞ。誰も叱らないから、帰って来いよ」

 

 呟いても愛しい妹が戻って来る事はないだろう。コウヤはその点に関しては誰よりもドライだった。



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第百十八話「未完成」

 

 怪しまれていないか、という心配をせねばならないとは。

 

 初代はデボンの摩天楼から望める景色を視界に入れる。会長という職務は楽だ。実質何もしなくても構わない。居るだけでいい。だがそれ以上を望んでいる事を彼は察知していた。自分をわざわざこの世に呼び戻したのだ。理由もあるだろう。

 

「まだ、ぼくには右腕と左足、それに……」

 

 濁して胸元を握り締める。いくら名誉を得ようとも決して得られないものがある。地位があっても決して追いつけないものがある。

 

 自分が行き当たっているのはそれだ。人間ならば誰しも抱えているそれが欠落している。

 

 その欠落の理由が復活方法である事は周知だった。リョウやレイカが挙げていた復活計画ならば自分の復活は遅れていただろうが、このような懸念に至る事もなかったのだ。

 

 自分をこの世に呼び戻した相手が意図的に排除したとしか考えられない。

 

「イッシン……。息子でありながら、ぼくに何をした?」

 

 イッシンが息子である事は分かる。自分が二十三年もの間「死んで」いた事も知っている。自分が四十年前には王であった事も分かっている。

 

 だが欠落しているのはもっと重要な事だ。不完全の象徴とも言える義手を振るう。ガラス張りの壁に皹が入った。

 

「何をしたんだ……イッシン。ぼくは完全じゃない。それは自分が一番よく分かっている」

 

 試しに右腕を用い、ポケモンを一体繰り出す。出てきた色違いのメタグロスへと初代は手を開いて命じる。

 

「メタグロス、メガシンカ……」

 

 しかし何も成されない。メガシンカの兆候もなければ、その予感もない。メタグロスは浮遊するばかりだ。これが第一の自分の欠陥である。

 

「メガシンカに必要な精神エネルギーが、体内にない」

 

 メガストーンとキーストーンは揃えてある。しかしメガシンカ出来ないのだ。初代は歯噛みする。

 

「ぼくが死んだ時、あの時どうなったんだ?」

 

 何度も確認したデータを閲覧する。二十三年前に死んだ時、いいや殺された時、何が起こった? 報告書には「メガシンカを達成した」とある。

 

「あの時のぼくと今のぼくの、何が違う?」

 

 その見当がつかないのが欠陥その二だ。記憶の中に曖昧な部分が存在する。

 

 自分を殺した相手が誰なのか依然として分からないのだ。

 

 殺されたのは分かる。だが誰がやったのかは自分でも掴めていない。イッシンが教えてくれるかに思われたが、イッシンは逆にその事象から遠ざけたいようだ。

 

「メガシンカ出来ないんじゃ、完全体じゃない、というわけか」

 

 メタグロスを戻し、初代は呼び鈴を鳴らした。すぐにノックがされる。

 

「どうぞ」

 

 現れたのはギリーであった。席を外していたギリーは呼び戻された事に首を傾げる。

 

「オレの手助けが必要ですかい? 初代」

 

「ああ。残念ながら今のぼくは完全じゃない。少なくとも右手と右足は取り戻したいんだ」

 

「ですが、その行方が」

 

「分かっていない。左足はネオロケット団にいるDシリーズ。だが右腕がどこなのかはまだなんだろう?」

 

「コープスコーズにやった処理チップでハッキングしてやればいいんじゃないですかね」

 

 ギリーにはコープスコーズの真の目的も教えてある。何のための「死体兵団」なのかも。

 

「ハッキングするとしてどこに、って話だよ。デボン以上に堅牢なセキュリティなんてないんだ。当てがない」

 

「ネオロケット団は」

 

「羽虫だよ。弾いてやればいいだけの話。今は遊ばせてやっているんだ。本気を出せば、コープスコーズが追い詰められないわけがない。なにせ、彼らは……」

 

 そこまで口にして初代は話題を変えた。

 

「メンテナンスをきっちりとやっているはずなんだよね」

 

 鋼の右腕を掲げる。ギリーは、「そりゃもう」と応じた。

 

「義手とボックスのアクセス権は初代にしかないものでしょう?」

 

「そのはずだ。だがそれさえも疑ってかかっている」

 

 義手と通じているはずの自分の所有する百のボックス。それが全て開いていると仮定して動いているが……。

 

「不都合な点が多過ぎる。ギリー。仕事だ。外部からぼくのボックスの数を調べてくれ」

 

「そりゃ随分と手間のかかるお仕事で」

 

「都合はつけるし、金も人材も派遣する。君はぼくのボックスが記録通りで記憶通りである事をぼくに報告してくれればいい」

 

「初代の記憶では?」

 

「百と三。それだけボックスを所有していたはずだが、義手で咄嗟にアクセスするだけじゃ普段使いのボックスしか見ないからね。問題なのはどのボックスにどのポケモンを割り振ったのか。その確認だ」

 

「初代の権限で出来ないんで?」

 

「この辺りはぼくでも再アクセスすると怪しいと思われる。イッシンがぼくのために用意した最強の腕のはずだが、もしこれが、ぼくの一番の枷だったとすれば」

 

「枷は外しておきたいのが人情ですね」

 

 光に翳した鋼の右腕を初代は降ろしてギリーに再確認する。

 

「出来るか?」

 

「やりますよ。オレは所詮、飼われている身ですからね」

 

「メモリークローンの増設も約束しよう。死なない暗殺者だ。最強だな」

 

 笑みを浮かべるとギリーもフッと笑った。

 

「そいつはすげぇ。死なない暗殺者って世界広しといえオレぐらいじゃねぇですか?」

 

 最高のジョークだったが今の初代には笑い飛ばせるだけの胆力もなかった。どこまで事が及んでいるのか。どこまで自分が掌握されているのか。それを知らなければ道化を演じるはめになる。

 

「イッシンがどこまで企んでいるのか、という部分でもある」

 

「ツワブキ・イッシン。王は息子でさえも疑いますか?」

 

「疑うとも。そうでなければぼくは君に命令も出来ていない」

 

 自分を再生した人物は全員、疑惑の対象だ。何か自分に首輪でも付けている可能性はある。

 

「なるほど。初代を好きにさせておいて、実質の王者は自分、というわけですかい。そいつはこすい事で」

 

「ぼくとしてもね、王は一人でいいんだ。頂に登るのに、同行者が必要なほど落ちぶれてはいないつもりだよ」

 

 ギリーは口笛を鳴らし、「なかなか言うじゃないですか」と返す。

 

「さっすが、四十年前の過酷なポケモンリーグの生き証人でいらっしゃる」

 

「二十三年間は死んでいたんだ。生き証人、ってのはちょっと違うね」

 

 このように軽口が吐けるのも誰かのコントロールの下だとすれば。そう考えると悔しさが滲む。ここまで辿り着いたのは誰でもない、自分の実力のはずだ。だというのに今さらこびへつらう理由がない。

 

「ぼくを操っているかもしれない人間のリストアップ。出来るな?」

 

「初代ほどの人間を操るなんてそいつはとんだ大人物でさぁ。オレでも手間取るかもしれませんね」

 

 初代はモンスターボールを転送装置の上でシャッフルし、ギリーに投げつける。受け止めたギリーに、「これを使え」と告げた。

 

「ギガイアスよりも使い勝手がいい。とっておきだ」

 

「こいつは……。初代、本当にオレがこれを使っても?」

 

「使えるかどうかは君次第だが、なに、メモリークローンの素体に問題がなければ作用するさ」

 

「後で返せってのはなしでお願いしますよ」

 

 ギリーはホルスターにモンスターボールを留める。初代は鼻を鳴らした。

 

「そこまでけち臭くないつもりだよ」

 

「しっかし、分かりませんなぁ。そうまでして初代の反感を買ってどうするって言うんです? オレなら無条件に従いますよ」

 

 自分を怒らせて得をする人間がいるとも思えない。少なくともこのデボンにはいないはずだった。二十三年前にも、現在にも。だが居たのだ。居たから自分は死に、そして再生を遂げた。自分でさえも見抜けなかった悪の芽が育っていたのだ。

 

「ぼくの眼も全てを見通す万能の眼ってわけじゃない。過去も未来も見えていれば何の恐れもないのだが、生憎とこの眼は現在しか見えていなくってね」

 

 今しか見えないもうろくの眼。二十三年前にはそれこそ王者の目線だったのかもしれないが、その記憶さえも曖昧だ。

 

「初代、今しか見えないのは人間だからですよ。意外なもんで初代も人間らしい」

 

 ギリーの声に初代は口元を綻ばせる。

 

「ぼくは人間以上であろうというほど傲慢ではないつもりだよ」

 

 王者ではあった。しかし人間をやめると宣言したつもりはない。

 

 ギリーはわざとらしく頭を垂れる。

 

「お達しの通りに。初代をたばかっている連中、始末すりゃいいんでしょう」

 

「あんまり荒事にはしたくない。それこそ暗殺者としての手腕、期待している」

 

「了解。そのオーダーで行きますよ」

 

 ギリーが笑いながら身を翻す。初代は今一度、ボックスのアクセス権を確かめる。

 

 誰も、この所有ボックスに細工は出来ないはずだ。だが何かがおかしい。根本的に何が、とは言えないが、何かが。

 

 そうでなくてはこの支配は磐石であるはずなのだ。だというのに、その感触がない。支配している、というよりかはされている感覚。

 

「誰だ? ぼくが蘇る際に、何かしたのか?」

 

 呟いても答えは出ない。ボックスに干渉する術を持っている人間はそれこそエンジニア辺りに限られてくる。預かりボックスの創始者、マサキにかけあってみてもいいが向こうは自分が蘇った事を知るまい。きっと幽霊からの電話だとかけ合わないだろう。

 

 自分の知っている預かりボックスに関する管理者はおらず、ボックスそのものを疑う事は不可能だが初代はボックスの管理とメガシンカが出来ない事はイコールに近いものだと感じていた。

 

 メガシンカのエネルギーが自分の中に足りてない。あるいは存在しないのは意図的に奪われたからだ。

 

 誰が奪ったのか。それを明らかにして、と初代は鋼の拳を握り締める。

 

「始末する……。そうしなくてはぼくのものではない。このデボンも、この世界も」

 



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第百十九話「封印された神」

 

 カナズミシティに張り巡らされた地下道の内、一つへの通用経路がアクティブになっており、ギリーはそこへと続くロードチューブに入った。デボン地下通用口。コープスコーズに関する研究や表立った事は出来ない研究成果を秘匿しておく一種の金庫に等しい。

 

 立ち入ると警報が鳴った。小銃と監視カメラが向けられる。問答無用の措置にギリーは両手を上げる。

 

「死にに来たんじゃない。これ、見えるだろ?」

 

 取り出したのはIDカードだ。監視カメラがそれを読み取り、機械音声を上げる。

 

『地下階層へのアクセスを承認します』

 

「頼むぜ、本当」

 

 銃と監視カメラが排除され、ギリーが歩み出る。何重にも張られた隔壁が次々と開いていき、グリーンのランプが点いた。

 

 白色光に照らされた廊下をギリーは踏み込む。コープスコーズの研究が行われていた。

 

 ゴーグルをかけた銀色の髪の子供達が様々な色の配線に絡め取られるようにして椅子に座っている。情報処理の基礎段階を覚え込ませているのだ。コープスコーズはゲノセクトを手足のように動かせなければならない。

 

 ギリーが見入っていると、「気になるか?」と声がかけられた。

 

 目線を振り向ける。

 

 待ち人がギリーを見据えていた。

 

「気になるっていや気になりますなぁ。ここの技術主任に落ち着いたあんたの心境がね。ツワブキ・イッシン」

 

 相手の名前を呼ぶとイッシンは目線を逸らす。

 

「ここが、最も初代から遠いようで近いからだ。だからわたしはここにいる」

 

「反逆の牙でも研いでいるんですか?」

 

 イッシンは一瞬、その眼差しに注意を向けた。

 

「初代がかまでもかけたか?」

 

 ギリーは肩を竦める。

 

「まだあんたとの関係に気付いちゃいねぇが、ちょっとばかし気になっている部分はあるらしい。実際、自分が出来ない事があることにご立腹なようだ」

 

「メガシンカとボックスの完全管理。半年あれば気づくか」

 

 イッシンはコープスコーズの実験に視線を向けながらため息をつく。ギリーも目線を合わせて、「どうなんです?」と聞いていた。

 

「どう、とは?」

 

「メガシンカ云々はあれでしょう? 初代が切り拓いた分野だが、発達させたのは他の研究者だ。だから初代がメガシンカを使えない。それは二十三年前の初代殺しが関係している。ここまでは推測つきます」

 

「暗殺者にしては頭が回るな」

 

 イッシンの言葉を風と受け流し、「しかし、ここまでは、です」と言いやった。

 

「実際のボックスの管理だとか、そういうのを用意したのは誰なのか、ここからは完全にツワブキ・イッシン。あんたの領域だ。息子達の初代再生計画を阻止するために、あなたが仕向けた、不完全な初代の再生を」

 

 ギリーが声にするとイッシンは一瞥を向ける。

 

「喋り過ぎだな」

 

「どこに耳があるかは分かりませんが、最終的に敵になるとすれば、それは初代でしょうな」

 

 ギリーの言葉にイッシンは鼻を鳴らす。

 

「初代から力をもらっておいて、それを仇で返すか」

 

「オレはね、結局のところデボンがどっちに傾くかなんて割と興味ないんですよ。初代が統治してもおいしいし、あんたがやってもおいしい。またはツワブキ・コウヤ、こいつもなかなかに」

 

「どの立場でも損をしない稀有な役回りだな」

 

 イッシンの声にギリーは笑みを刻む。

 

「だからこそ、分からないってのはある。何であんたは初代に勘繰られる心配をされてまで、あれを封印したのか」

 

 あれ、と示された声音にイッシンがコープスコーズに向けていた視線を僅かに伏せる。

 

「……あれが使われれば、メガシンカポケモンどころではない。わたしは早急に手を打たなければならなかった。完全な記憶の完全な初代の再生。それだけは阻止しなければ。息子達の希望を潰えさせてでも」

 

「だからこその義手と義足。それにもう一つでしょう? 初代の記憶を縛るもう一つのパーツ」

 

 ギリーの声にイッシンは、「お前は物好きだな」と応じる。

 

「わたしにつくでもなく、初代につくでもないこのポジションを楽しんでいる」

 

「初代は気前がいい。ですがちょっとばかし不安定だ。あんたは慎重だが、そういう点では安定感がある」

 

「臆病者だと、揶揄されているようにも聞こえるな」

 

「臆病者? まさか。あんたが臆病者のはずがない。臆病な奴が初代に立ち向かう手段を考えているなんて、そんなはず」

 

「口を慎め、ギリー。一応はここもデボンだ」

 

 わざとらしく口元を覆ったギリーはイッシンに促す。

 

「コープスコーズの発足のアイデアは初代ですが、このシステム作りはあんたのものだ」

 

「死体兵団か。なかなかに洒落の利いた名前だ」

 

「死者の王が操る死体の兵隊、ですか。完全な初代の遺伝子培養によるもう一人の創造。メモリークローンの技術を使い、初代の劣化版を作成する」

 

 コープスコーズの一人がゴーグルを外す。

 

 その面持ちは初代と瓜二つであった。眼が赤い事以外はまさしく初代ツワブキ・ダイゴを子供にした背格好だ。

 

「Dシリーズの技術が活きましたね。奴らだって無駄じゃなかったわけだ」

 

「Dシリーズは素体となる人間が必要だったが、コープスコーズは初代から取り出した遺伝子を基にして造られる純粋な人造人間。彼らには知性はない。あるのはただ命令に忠実な脳みそだけだ」

 

「高速演算チップでしたっけ? 埋め込んだら生まれたばかりのコープスコーズでも一気に二十歳相当の知能になるんでしょう?」

 

 ギリーはこめかみを突いてみせる。メモリークローンであるこの身体にも使われている技術だ。魂が定着しても脳髄が幼いのならば何の意味もない。高速演算チップはその補助のためにある。

 

 だがコープスコーズに埋め込まれているのはまた別だ。

 

 コープスコーズのネットワークは初代の肉体と精神を支えるための二次的機能を有している。コープスコーズの存在によって初代はある程度肉体の劣化を抑えている部分があるのだ。

 

 それも当然と言えば当然だろう。あの肉体はもう死んでいるのだから。

 

「高速化したネットワークを用い、身体を動かすのに必要な神経伝達の速度を測っている。初代のために食い潰される死体兵団の子供達」

 

「悲哀でもありますか?」

 

「いいや。彼らは初代のために命を尽くすよ。それしかないのだから」

 

 イッシンが隠しているのはもっと別のものだ。コープスコーズの研究、秘匿などまだかわいいくらいである。

 

「分かりましたか? 二十三年前の真相は」

 

 誰が初代を殺したのか。初代が蘇ればまずそれが明らかになる予定だったが。

 

「……いいや、まだだ」

 

 苦々しげにイッシンは口走る。だからこそ、初代に枷をかけた。その時が来るまで初代を完全体にしてはならない。

 

「二十三年も経てば時効な気がしますけれどね」

 

「時効だとか、意味がないとか、そういう話ではないんだ。誰が初代を殺したのか。それが明らかにならなければツワブキの家系は、血は潰える」

 

 鋭くなったイッシンの眼光にまだ本当に分かっていないのだとギリーは悟る。初代でさえも自分を殺したのは誰なのか分かっていない。当事者が誰もいない状態からどうやって紐解くのか。ギリーからしてみれば対岸の火事だが、ツワブキ家は必死だろう。

 

「血が潰える、ですか。随分と古めかしい」

 

「そうでなければ初代再生など考えまいよ。ギリー、物理ボックスを見に来たのだろう?」

 

 ここに来た目的を悟られギリーは後頭部を掻いた。

 

「いや、あれの存在を告げ口なんてしませんよ?」

 

「当然だ。初代に知れればまずお前を殺す」

 

 メモリークローンがあっても魂までも殺しつくすつもりの声音だった。思わず背筋が凍り付く。ツワブキの家系はあまさず人殺しの素養でもあるのか。

 

 イッシンは白色の廊下を歩きながら、「そもそもお前を囲っているのは秘密なんだ」と口にした。

 

「息子達にも知られてはならない」

 

「ですが半年前、奴は知っていたかもしれませんよ」

 

 奴、その声音にイッシンが思い至ったようだ。

 

「ダイゴの事を、言っているのか?」

 

 ツワブキ・ダイゴ。D015の男。

 

 彼はもしかしたら自分とイッシンの関係に気づいていたかもしれない。気付いていたとすれば奴だ、とギリーは危惧していた。だがネオロケット団にさらわれたダイゴの行方はようとして知れない。

 

「聡いとすれば、恐らく外部の血の者だと」

 

「あいつには悪い事をした。初代再生の依り代に選ばれた事もそうだが、酷な運命を強いてしまった面もある」

 

 だが後悔はしていない。そのような口調であった。イッシンは自分の行動に恥だけは塗らないタイプだ。それは雇われてから何度も実感した部分である。

 

「ダイゴが、わたしとお前の関係性に気付いていたと? ないな。それはない」

 

「どうして言い切れます?」

 

「ダイゴならば、それを知ったらわたしと共闘などするはずがないからだ。あいつは、一度や二度しか真正面から顔を見てやれなかったが、それこそ正義に燃える瞳があった」

 

 自分からの疑いを晴らすための共闘だったとはいえ、イッシンはそこまで感じ取ったのだろう。確かにダイゴに関して、ギリーも侮っていた部分がある。

 

「戦闘中に進化……、あれも驚きでしたが」

 

「初代との戦闘においてはメタグロスまで進化したらしい。さらに言えば、同調に近い現象まで再現されたとか」

 

 だとすれば恐るべきはダイゴだ。ネオロケット団が何を目的しているとはいえ、真っ先に掲げるのはデボンの打倒。そのためにダイゴの力を使わないはずがない。

 

「だがな、ダイゴは優し過ぎる。わたし達のように非情にはなりきれていない。だから、我々を滅ぼすのはダイゴではなく、恐らくはもっと別の存在だろう」

 

 別の存在。ギリーが思い描いたのは自分と拮抗する実力を持った少女だ。幾度となく、コープスコーズの抹殺対象に上がっている。

 

 ギルティギアのボーカル、ディズィー。世間では彼女を権力に屈しないティーンエイジャーのカリスマとして持ち上げている節もある。

 

「あの邪魔なガールズバンドならば」

 

「ディズィーか。彼女でもないだろうな。あれはかく乱だ。我々の目を別の方向に向けている。もしかしたら本体は、既に嗅ぎ付けている頃かもしれない」

 

 デボンの真の目的を。そうなってくると自分とイッシンの行動も慎重になってくる。

 

「そうなってくるとまずいのでは」

 

「まずい? ギリー、貴様暗殺者だろう? 何を腑抜けた事を。わたしが守っている秘密の一端でも握っている人間ならば、もうまずいという一言でさえも許されない」

 

 イッシンが隔壁の前の認証を始める。網膜認証、静脈認証、カードキーで最終確認が取られ、青と赤の隔壁が開いていく。

 

 内部は青白い光が連なっていた。目的の場所はさらにここから五十メートルは歩かなくてはならない。

 

「この場所を特定出来ても、所定の手順を踏まなければこの管区そのものが爆砕するようになっている。初代どころかお前でもこのパスワードは知るまい」

 

 手元のホロキャスターでイッシンはパスワードを打ち込み認証させる。一個や二個ではない。少なくとも三つのパスワードを連携して用い、認証されたのは半球型の区画だった。

 

 ゴゥンゴゥンと低い音が間断なく響いている。パイプが繋がれており、活動状態にあるのが伝わってきた。入り口は小さく、少しばかり屈まなくては入れない。先んじてパスワードを打ち込んでいたお陰で入り口は自動で開いた。入るなり、照明が網膜を刺激する。

 

 内部では多数のパイルバンカーが四方六方に伸びており、その中心にはそれらを一身に背負った獣が鎮座していた。

 

 青白い血脈が宿っている。一見、四足の獣か、と見紛うたそれは後頭部が異常に発達しており、心臓部にはダイヤモンドの意匠が埋め込まれている。赤い眼光はそれだけで人間を根源から竦み上がらせる。青と銀の色を身に纏ったそのポケモンへとイッシンが歩み寄っていく。

 

「これこそが、初代ツワブキ・ダイゴの遺した最大の遺産。初代が、各地を点々として鋼タイプ集めに躍起になっていたのは有名だが、これを所持していたのは誰も知るまい。それほどまでに重要な、ある意味で国際問題にも発展しかねない力だ」

 

「鋼・ドラゴンのタイプを持つ、最強と謳われる鋼の獣……」

 

 さしものギリーもこのポケモンの前では軽口を叩けなかった。北方、シンオウの地では神と呼ばれているポケモン。時間を操り、このポケモンの鼓動そのものが時間と連動しているとされる創造神。

 

「――ディアルガ。それがこいつの名前だ」

 



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第百二十話「神殺し」

 

 ディアルガは二人を前にして何一つ生体運動を起こさない。ともすれば死んでいるのではないかと疑われたが生きている事をイッシンが証明しようとパイルバンカーの一つに触れる。

 

 その瞬間、火花が散った。青白い火花が生じ、イッシンの手を弾いたのだ。イッシンは退きどころを理解していたために軽症だったが今の攻撃でもやりようによっては手を焼け落とす事も容易いだろう。

 

 それほどの力を内包しているポケモンだった。イッシンが手をさすりながら、「このポケモンは」と口火を切る。

 

「四十年前からなのか、それとももっとなのか、初代が手に入れた中で最強だろう。時を操るポケモンだ。生涯で、鋼タイプの発見に貢献し続けた初代でもこいつだけは秘匿した」

 

「それが、どうしてあんたのものに?」

 

 その言葉にイッシンは笑みを浮かべる。

 

「ものに、じゃないさ。こいつのおやは依然として初代だ。わたしのものになっていない」

 

 イッシンの声に、では危ういのではないか、とギリーは感じたが、「大丈夫だ」と返される。

 

「初代がここを察知して現われでもしない限り、ディアルガから初代のほうへと向かう事はない」

 

 そのための義手であった。あの義手のアクセス権のあるボックスは百三だが、本当の所持数は百四である。その百四番目の、隠し通されたポケモンが目の前のディアルガであった。

 

「皮肉なものだ。データとして隠し通せないから物理的に隠すしか方法がないと。このような原始的な方法でしか封印出来ないのもそうだがな」

 

 機密ブロックのさらに奥の奥。

 

 原始的だが立ち入らなければ分かるまい。

 

「ディアルガは、生きているんですよね……」

 

 ギリーの声にイッシンは頷く。

 

「もちろんだ。こいつを殺すのはさすがに骨が折れるよ」

 

 一地方の神と呼ばれるポケモンだ。当然、凡人が殺せるほど弱いはずもない。

 

「だがその神は眠りについている」

 

「ああ。本来ならば赤い鎖と呼ばれる物体が相応しいようだが、生憎とそれは用意出来なかった。このパイルバンカーはデボンの技術力で再現した擬似的な赤い鎖だ。それでも、五、六本は要ったがな」

 

 全身に突き刺されており、心臓部まで至っているように見えるパイルバンカーだが、実のところディアルガの動きを封じているだけでダメージでさえも与えられていないという。その事実には最初慄いたものだ。デボンの技術でも全く攻撃不可能なポケモンがいるなど。

 

「ホウエンの神……。時間を操るディアルガ。初代はいつ、こんなのと出会ったのか」

 

「見当もつかないが」とイッシンは額の汗を拭う。プレッシャーの波に二人とも晒されていた。

 

「わたしが社長職を引き継ぐ際、正体不明のデータファイルがあり、それを辿っていくとこいつがいた。初代はパイルバンカーでの封印ではなく、普通にボックスに預けていたが、後々わたしがこの機密ブロックを造り、ここにディアルガを再封印した。初代の記憶にないのは当たり前なのだが、ギリー、初代はこいつの事を」

 

「触れてもいない」

 

 それが気がかりなのだ。初代が支配を磐石にしたいというのならばディアルガの所持は必要条件だろう。しかし何一つ、ディアルガに関して言ってこないのは……。

 

「やはり初代の記憶に細工したから、でしょう」

 

 イッシンは、「役に立ってくれたか」とディアルガの足元にあるカプセルへと目をやった。

 

 ギリーでさえもおぞましさを感じる。

 

 カプセルの中にあるのは心臓だった。人間の心臓だ。誰のものなのか、イッシンと自分だけが知っている。

 

「初代ツワブキ・ダイゴの最後のパーツ。その心臓部」

 

 唾を飲み下す。これがあるのとないのとだけの差で、初代は辛うじて人の身に収まっている。ひとたび、これが初代の手に渡れば。考えるだけで総毛立つ。

 

「心臓部がない事に初代は気付いているか?」

 

「いや、まだそこまでは。ただ失った右腕と左足は返してもらわないと、と言っていたが」

 

「やはり初代の補完は、全てのパーツが揃った時、成るか」

 

 ギリーは安易な事の収束方法を示す。

 

「心臓部を、破壊すれば」

 

「いいや、それは不可能だ。右腕にせよ、左足にせよ同じ。初代のパーツは、この次元にあってこの次元にないのだ。だから我々の物理干渉を一切受けない肉体だと思ったほうがいい」

 

 信じられない事だが、初代を滅するには今の人類では出来ないのだという。ではどうやって八個に分割したのか。その疑問が立ち上ってくる。

 

「八個に、どうやって分割を?」

 

「正確には、八個の部位に分割したのではなく、既に分割されていたのだという。死んだ時、初代は肩から血を噴き出した状態だった。それだけでもセンセーショナルな事件だが、解剖を行う際に誰もメスが通らない事を不審がっている間に、もう既に、八個のパーツになっていたのだという」

 

 怖気が走る。まさか、という思いに囚われた。

 

「偶然でしょう?」

 

「だと思いたいが、それだけ王の加護、というものがあったのかもしれない。我々が思っているよりも、カントーの四十年前の第一回ポケモンリーグの王というのはラベルでも何でもなく、初代を神の段階まで引き上げた可能性がある」

 

 イッシンの言葉は誇張でも何でもない。何よりも自分の父親がそのような常人離れしていたなど恐怖しかないはずだ。

 

「だとすれば、初代殺しの犯人は……」

 

「さしずめ、神殺しか」

 

 神殺しの犯人は今でも生きているのだろうか。生きて、この地上に存在するよりももう死んでいると仮定したほうがまだ納得出来る。

 

「しかし、心臓も破壊出来ない。その心臓を持っているとヤバイってのに。ディアルガを殺そうにも」

 

 それだけでディアルガの殺気が飛んでくるような気がした。

 

「無理だ」

 

「そう、不可能な事象が多い。だがわたしはこうも仮定している。もし、ディアルガと全ての部位が揃った初代を殺せる存在がいたとすれば、それはたった一人なのではないか、と」

 

「当てはあるんで?」

 

 イッシンの目が遠くに注がれる。思い浮かべていたのは同一人物だろう。

 

「……どちらにせよ、初代にだけはこの場所を知られてはならない。ギリー。右腕の所在地は分かったか?」 

 

 初代を封じるためには初代のパーツがどこにあるのかも先に掴まなければならない。ギリーは、「まだ、だが」と濁す。

 

「カナズミからは出ていない。初代がそう言っているんだ」

 

「カナズミに右腕の気配があると?」

 

「左足はネオロケット団の下にあるらしい。だから左足だけは奪還という形になりそうですが、右腕に関しちゃまだやりようはあると」

 

 イッシンは一度ディアルガを仰ぎ見てから、「やりよう、か」と呟く。

 

「心臓の破壊も出来ず、かといってあの朽ちた肉体でも繋ぎ合せれば初代の魂の依り代に成り得た。初代の再生計画をわたしは何としてでも封じなければならなかった。息子達が悪魔を蘇らせるのを黙って見ているわけにはいかなかったのだ」

 

 父親を悪魔と断ずるか。ギリーの中に生まれたのはこの男は父親を一生敵だと思わなければならない悲哀だった。イッシンからしてみれば、全ての元凶とも言える。

 

「ギリー。もう一つ、頼んでおいたな。初代殺しの犯人は」

 

「そちらも、割れていませんが……。ここで話すのはやめませんか?」

 

 ディアルガに見られている気がする。それだけではない。この空間が異様で、あまりにも自分達人間が浅ましく思える。

 

「そうだな。一度出るか」

 

 半球状の機密ブロックを抜けると空気が明らかに違った。ギリーは少しばかり解放感を覚える。

 

「初代殺し、継続して追っていますが、やはり尻尾も掴めないってのが現状で」

 

 イッシンは顎に手を添えて考え込む。遅々として進まない捜査に苛立っているのだろうか。

 

「あんた、やっぱり犯人を見つけたら殺す気なんですかい?」

 

 ギリーの質問にイッシンは、「いや」と首を振る。

 

「逆に問うてみたい。どうやって初代を殺したのか、と」

 

 冗談にもならない返答にギリーは話題を逸らす。

 

「しかし、奇妙なもんですなぁ。死体兵団と名付けられた子供達がカナズミの治安を守り、死体の王がデボンの玉座にいる」

 

「本当ならば、このような事態は避けなければならなかった」

 

 イッシンは疲れの滲んだ声音で後悔を漏らす。

 

「わたしが言えればよかったのだ。初代を蘇らせようなど、考えるな、と。そもそも誰が、息子達に初代再生なんて吹き込んだ? そいつも見つけ出して欲しいのだが」

 

「もちろん、継続捜査は行っています。コウヤ方面にも、色々と張って。しかしその人物ってのが、全然浮上してこないんですわ」

 

 ギリーからしてみてもここまで手応えのないのはおかしいと感じている。ここまで時間も金もかけたというのに、全く見えてこないというのが。

 

「初代を殺す方法も分からなければ心臓を破壊も出来ない。ディアルガもな。初代は今のところ無力化には成功している。あれでも大軍勢と戦えるだけの兵力があるが、ディアルガ一体を手にされるよりかはマシだ」

 

 神のポケモンを手にされればそれだけでこちらの敗北となる。ギリーは重々理解した。

 

「オレは今まで通り、初代とあんたの二重スパイってわけか」

 

「表向きは初代に味方しろ。あれで自分への敵意には敏感だ。わたしを殺せ、と言われればそう動け。でなければお前が殺されるぞ」

 

 忠告でもなく警告。息子であるイッシンは恐らく一番に初代の危険性が分かっている。

 

「分かっておりますよ。オレだってメモリークローンがあっても死にたくはないですし」

 

「メモリークローンか……。その管理は初代だな?」

 

「正しくは孫娘のレイカですが、それが何か?」

 

「いや、何でもない。一つ、予感が出てきたが杞憂だと思いたい」

 

 ギリーは追及せずに機密区画をイッシンと共に抜けてくる。白色の廊下に入ると軽口も叩けるようになってきた。

 

「しかし、末恐ろしいですな。何であんな男が王に」

 

「なるべくしてなったのだろう。四十年前のポケモンリーグに関しては謎が多い。その時、何が起こったのか。わたし達の祖先であるツワブキ家と没落貴族フジ家はどこで繋がったのか。初代にかまはかけてみたか?」

 

「怖くって出来ませんね」

 

 血縁に関しては初代にも聞けない。イッシンは深く悩んでいるようだ。

 

「そう、か。血縁に関して分かれば、もしかしたら初代殺しの犯人も割れるかと思ったが」

 

「まさか、フジ家とツワブキ家を取り持った人間こそが、初代殺しの犯人とでも?」

 

 あまりに出来過ぎているとギリーは否定したかったがイッシンの声は深刻だった。

 

「わたしはな、それが一番あり得ると思っている。その第三者の存在はダイゴを通じて知ったのだが、もしその第三者が全てを動かしているとなると辻褄が合うんだ。初代殺しと初代再生計画。この二つも、独自に存在するのではなく、セットとして最初から設定されているとすれば……」

 

「考え過ぎです! 考え過ぎ!」

 

 さしものイッシンでも参っているのが窺えた。このような飛躍した理論に行き着くなど。

 

「そうだな。考え過ぎ、か。だが全体を俯瞰するのに、それほど適したポジションもあるまい。その第三者の手引き、という形をわたしは最も危惧している。もし、仮定の話だが第三者が今も生きていて、今でも手ぐすねを引いているとすれば、我々のこの行動も踊らされている事になるのかもな」

 

 ツワブキ家を実質的に支配しているのは初代でもなく、さらに上を行く第三者。そうだとすれば驚異的だ。先見の明があったのか、あるいはそれが既に示されていたのか。

 

「……恐ろしい事に、オレは巻き込まれちまったみたいですね」

 

「ギリー・ザ・ロック。今さら逃げ帰るか?」

 

 イッシンの問いかけに、「まさか」とギリーは肩を竦める。

 

「ここまで踏み入っちまったら同じでしょう」

 

「協定関係は続く、と思っていていいのだろうか」

 

「思っていて、もなにももうデボンの支援がなきゃオレの肉体の維持さえも出来ないんでしょう?」

 

 メモリークローンへの細工だ。イッシンは懐から錠剤を取り出す。

 

「分を弁えている相手は嫌いじゃない」

 

 Dシリーズとメモリークローンに存在する縛り。それは命の薬を一定期間飲まなければ壊死してしまう事だ。自分の肉体にはそういう時限爆弾が仕掛けられている。デボンを裏切ればすぐさまこれが発動する事だろう。

 

「感謝しますよ」

 

 錠剤を受け取ってギリーは廊下を歩き出す。

 

 イッシンの懸念も、初代の野望も、全て踏み越えた場所にいる何者か。考えるだに恐ろしいが自分は中立点にいる。その考えがあるだけマシだろう。

 

「ご愁傷様なのは、本当に踏み込んじまっている奴だよ。地雷原を地雷原だと知らずに、踏み抜いちまっている奴だ」

 

 誰が、とは言わなかった。

 



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第百二十一話「戦場を、舞う」

 

「いけ! ヤミラミ!」

 

 青い衣を翻した少女が声を張り上げる。

 

 その手にはモンスターボールがあり、ハイビスカスの花飾りをつけた少女の快活な声に応じて飛び出したのは小柄なポケモンであった。猫背気味の黒い影のようなポケモンで、両目が宝石のような銀色である。

 

 それと対峙するのは二つの人影だった。

 

 赤い長髪を払い、ホルスターからモンスターボールを抜き放った少女は声にする。

 

「そんな小さいのでいいの? オイラ、本気で戦うよ?」

 

 その声には青い衣の少女も受けて立つとでもいうように拳を握り締めた。

 

「ヤミラミが小さいからって油断しちゃダメだかんね! アチキのゴーストタイプの強さ、四天王のフヨウ! 全力で戦う!」

 

 フヨウと名乗った少女の声に赤い髪の少女は、「じゃあ」と口を開く。

 

「二体一でも」

 

 その声に少女の後ろからもう一人、紅の巻き毛の少女が言葉を継いだ。

 

「文句は言わない、ですよね?」

 

 声にした少女――クオンはフヨウを見据える。自分一人ではこの戦い、恐らくは不利に転がる。だからこそ、条件としてはかなり優位になるが彼女――ディズィーと共に戦う事を決めたのだ。

 

 フヨウは、「まぁちっとばかし」と頬を掻く。

 

「面白い戦闘にはなりそうだよね」

 

 フヨウは負ける気はしていないらしい。こちらとて、及び腰になっていては倒せない相手だ。少しのハンディくらいはあっても当然と心得よう。

 

「行きますよ、ディズィーさん」

 

「はいよ、クオっち。オイラ達のコンビネーション!」

 

 ディズィーがモンスターボールを投擲する。中から現れたのは彼女のベストパートナー、クチートであった。クオンもボールから繰り出す。

 

 ディアンシーが攻撃の構えを取ってヤミラミ一体と対峙する。

 

「さぁ、どう出る?」

 

 どうやら相手はまだ奥の手を使う気はないようだ。その場合示し合わせていた通りにこちらは動くべきだろう。クオンはディズィーと目線を交し合った。

 

「じゃあこちらから行くよ」

 

 ディズィーが手を払う。クオンも右手をすっと掲げた。薬指に輝くのは虹色の宝石を設えた指輪である。左手を当てて一気に力を解放した。

 

 クオンとディアンシーの間でエネルギーが行き交い、紫色の殻が構築されていく。ディアンシーが殻の外側へと手を伸ばした。その瞬間、掌から一本の剣が引き出されていく。ディアンシーが自らを覆った殻をその剣で引き裂き、滾る力を解き放った。

 

 ディアンシーは今までの姿よりもより装飾華美な姿へと変貌を遂げていた。

 

 ピンク色のダイヤモンドはまさしくドレスのように纏われ、ディアンシーを象徴する頭部のダイヤも一回り大きくなっている。

 

「メガシンカ、メガディアンシー」

 

 クオンの声にメガディアンシーが剣を掲げる。姫でありながら武装した騎士の迫力だ。

 

 ディズィーが息を詰めて声にする。

 

「クチート、こっちもメガシンカ」

 

 クチートの周囲に紫色の甲殻が纏いつく。クチートは特徴的な後頭部の角で突き崩し、跳躍した。既にその姿はメガクチートへと変化している。

 

 メガシンカ直後は隙が多い。その法則を逆に利用したメガクチートの奇襲にフヨウはどう対応するかに思われたが存外に落ち着き払った声が放たれる。

 

「シャドーボール」

 

 ヤミラミが空気中の磁場を纏いつかせ、腕で空気を練ったかと思うと瞬時に黒い影の弾を数個、構築した。すぐさま弾き出された闇の砲弾をメガクチートがその細腕で払っていく。

 

「シャドーボールくらいで! クオっち!」

 

「分かって、います!」

 

 メガシンカはトレーナーにも無理を強いる。メガシンカ時、クオンにはメガディアンシーに合わせて身体的な変化が訪れていた。いつもよりも反応が遅い。少なくとも呼吸三つ分は遅れてしまう。

 

 メガディアンシーが煌く粒子を放出しながらヤミラミへと突き進んでいく。片手に備えた剣をそのままヤミラミに振るい落とした。

 

「ヤミラミ、防御!」

 

 ヤミラミが片手でメガディアンシーの剣を防御するが、その腕を輝く剣は容易く断ち切ってしまった。

 

「メガディアンシーは攻撃が上がっている! それにこれはダイヤモンドの剣! 何よりも硬い!」

 

 追撃の剣戟を放とうとするとヤミラミが片腕で影を練り上げ、防御幕として「シャドーボール」を連鎖させる。メガディアンシーは即座に切り捨てるが距離を取られてしまった。

 

 クオンは舌打ちする。ただでさえ呼吸三つ分ほどの指示と命令のロス。それにメガディアンシーは素早さが劣っている。距離を取られれば不利に違いない。

 

「でも! そのために二体一なんだから!」

 

 クオンの声にメガクチートがヤミラミの背後へと回り込んでいた。ディズィーが操り、「そうとも」と声にする。

 

 メガクチートが一対の角を突き出した。牙がヤミラミへと襲いかかる。

 

「これで、詰み!」

 

 ディズィーの声に、「かもね、フツーなら」とフヨウは髪を払った。その耳にはピアスがされており、虹色の宝玉が埋め込まれている。

 

 瞬間、ヤミラミの周囲の空間が歪んだ。紫色の甲殻の光がメガクチートの攻撃を阻害する。

 

「させない!」

 

 追撃するメガクチートの攻撃を防御したのは赤い宝石の盾だった。メガクチートの全力攻撃を容易く弾く。

 

「メガシンカ、メガヤミラミ」

 

 変貌を遂げたその姿は凶悪な代物だった。煌々と輝く赤い眼に、自分の身の丈よりも一回り大きい宝石の盾を前に構えている。

 

 あれがメガヤミラミ、とクオンは思わず息を詰まらせる。

 

「メガディアンシーと同じ、宝石を使うって言うの?」

 

「似ているけれどこの宝石はディアンシーよりも硬いよ」

 

 フヨウの声にクオンは、「だったら」と命令する。

 

「剣で切り落とすまで! メガディアンシー!」

 

 再び肉迫したメガディアンシーの剣が突き上げられるがメガヤミラミは掲げた宝石の盾で防御する。火花が散りそれなりの硬さである事が窺えた。

 

「でも、挟み撃ちなら!」

 

 後方から迫るメガクチートに反応出来まい。そう確信しての攻撃だったがメガヤミラミは背後へと手を回した。メガシンカ時に修復された腕から拡張された影の砲弾が発射される。

 

 ほとんど予備動作のない「シャドーボール」をメガクチートが受け止め仰け反った。驚くべき事に今、メガヤミラミはメガシンカしたポケモン二体を相手取っているのだ。

 

 しかしこちらが気持ち負けするわけにはいかない。クオンはよりディアンシーとの繋がりを意識する。

 

「メガディアンシー! 叩き切る!」

 

 剣を振り上げてメガディアンシーが盾の防御を破ろうとするもメガヤミラミの器用さが上回っている。盾を掲げたまま、メガヤミラミはもう一方の手でメガクチートの動きを牽制し続ける。

 

「クオっち。このままじゃ消耗戦だ。あのヤミラミ、戦い慣れている。クオっちの攻撃もさばかれるだろう」

 

 ディズィーの判断は間違っていない。先ほどから攻撃の通るイメージがないからだ。

 

 それに比して明らかにこちらの疲労の度合いが強い。クオンは額に弾粒の汗を浮かべていた。

 

「まだ……、まだやれます……!」

 

 声に張りを持たせようとしてもメガディアンシーの速力が落ちている事が明らかな証明だった。

 

 ――やはりまだメガシンカは……。

 

 その気持ちに差し込むようにメガヤミラミが攻撃に転じる。盾をホッケーのように突き出すとそのままメガディアンシーを押し出してしまった。

 

 剣で咄嗟に弾く事も叶わず、メガディアンシーが後退する。

 

 もう自分ではメガヤミラミを攻略出来まい。だが今ならば、とクオンは声を張り上げた。

 

「ディズィーさん! 今なら、ヤミラミの防御は!」

 

 その声を潮にしたようにディアンシーから光が消えていく。メガシンカの時間切れだ。だがディズィーのメガクチートはまだスタミナ切れを起こしていない。防御の盾を失ったメガヤミラミへとメガクチートが攻撃を仕掛ける。

 

「よし来た! クオっちの作ってくれた隙ィ!」

 

 メガクチートの一撃がメガヤミラミへと食い込む。突き上げられた拳にメガヤミラミが金色の歯を見せて息を吐き出す。

 

「もう一撃食い込めば!」

 

 メガクチートが角を用いて追撃を放とうとするがその時には呼び戻された赤い盾がメガクチートの横腹に突き刺さっていた。

 

「こんな自在に……!」

 

「メガヤミラミを、侮らないでっ!」

 

 メガクチートが吹き飛ばされる。

 

 それほどの速度を伴った一撃でもないはずだが完全に隙を突かれていたのだろう。メガクチートは角を振り回し、地面に突き刺して制動をかけた。だがその時には既にメガヤミラミの姿はない。

 

 どこへ、と視線を巡らせる前に中天に浮かぶ眩い照明から何かが舞い降りてくるのが視界に入った。

 

「まさか……、メガヤミラミは……」

 

 クオンの声が確信に変わる。

 

 メガヤミラミは盾をスケートボードのように用いて推進剤として躍り上がっていた。ディズィーでさえもその扱い方には驚愕したのだろう。メガクチートの反応が目に見えて遅れる。

 

 直下まで滑り降りてきたメガヤミラミが盾を構えた。盾の内側で黒い砲弾を連ねる。

 

「盾の中でシャドーボールを作っています! ディズィーさん! クチートを下がらせて!」

 

 クオンの声にディズィーは歯噛みする。

 

「下がらせたいのは山々なんだけれど……」

 

 目を凝らすとメガクチートの影が地面に縫いつけられていた。いつの間に、とクオンは息を呑む。

 

 メガヤミラミは自分が躍り上がるのと同時に「くろいまなざし」で逃げられないように布石を打っていたのだ。

 

「メガクチート! 攻撃を――」

 

「遅い! メガヤミラミ、シャドーボールを連撃!」

 

 蓄えられた「シャドーボール」の攻撃の波が逃げられないメガクチートへと遅いかかる。メガクチートの身体から光が失せ、元のクチートに戻っていた。メガヤミラミがその上で盾を振り上げて勝どきを上げる。

 

「負けちゃった、か……」

 

 ディズィーの声にクオンは謝る。

 

「すいません……。あたしの集中力が足りていれば」

 

「いいっていいって。メガシンカをあそこまで扱えれば上等だって」

 

 フォローしてくれるディズィーだが自分がもう少し切り込めていれば、戦局は違っていたかもしれない。その後悔はクオンの胸にあった。

 

「まぁ、メガシンカ戦は難しいからね。アチキも物にするまでに一年はかかったし」

 

 フヨウがメガヤミラミをボールに仕舞ってこちらへと歩み寄ってくる。クオンは唇を尖らせた。

 

「何だって、そんな強いんです?」

 

「そりゃアチキ四天王だから」

 

 そう言われてしまえば立つ瀬もない。四天王に二体一で挑んでも敵わないのだ。やはり実力不足を実感する。

 

「汗、すごいよ」

 

 フヨウが差し出したハンカチをクオンは受け取って汗を拭った。

 

 メガシンカにおける一種の同調現象が自分に過負荷をもたらしているのは明らかであった。

 

「ディアンシーがもうちょっと素早ければ」

 

「だからそういう話でもないんだって。オイラももうちょっとやれた。負けた戦いってのは後悔ばっかりはあるもんなんだ」

 

 クオンは腰を下ろしてディアンシーを見やる。主をディアンシーは不安そうな面持ちで眺めていた。

 

「大丈夫。あたしは、大丈夫だから」

 

 ディアンシーをボールに戻す。フヨウは腰に手を当てて口にする。

 

「何事も経験だよ! アチキはそのお陰でゴーストタイプと心を通わせられるようになったんだから!」

 

 フヨウの快活な声に勝負をしていた事など忘れてしまいそうだった。ディズィーが顎に手を添えて、「にしても負けるとはね」と呟く。

 

「今日はフヨウさんが初手だったですけれど、いつもは違いますからね……」

 

 クオンは呼吸を整えてようやくいつもの感覚に戻る。バトルフィールドの四方には蓮の華が咲き誇っており、フヨウのスピリチュアルなイメージを引き立たせている。

 

 ここは四天王の間なのだ。改めてそれを実感した。本当ならば全てのバッジを揃え、ようやく踏み込む事が許される聖域。その場所へと自分達は例外ながら踏み込み、戦いを挑んでいる。

 

 奇妙な光景には違いないが、もう半年も経てば日常だった。

 

「いつもはカゲツにも勝てないから当然っちゃ当然か」

 

 カゲツ、というのはホウエン四天王の先鋒を務める悪タイプ使いだ。半年前にデボンに踏み込み、自分達を連れてきてくれた人物でもある。

 

「四天王全員がメガシンカ使いで、なおかつ本気を出していないって言うんだから恐れ入るよ」

 

 ディズィーの評はそのまま自分の意見だった。

 

「まぁアチキ達だって、挑戦者を相手取らないと腕が鈍るし」

 

 フヨウの声にクオンは頭を振る。

 

「まだまだ、あたし達は弱い」

 

「強くなったと思うよ。少なくとも半年前よりかは」

 

 半年前まではディアンシーを切り込み隊長にするなど考えもしなかった。全ては環境が変わったからだ。

 

「ネオロケット団……。あたし達、その一部なんですよね……」

 

 ホウエン四天王が指揮を執る組織、ネオロケット団。デボンに敵対し、毎週のようにカナズミで熱戦を繰り広げている。

 

 主に戦うのはカゲツの役目で、自分達はそのバックアップだ。とはいっても矢面に立っているのはほとんどディズィーであるが。

 

「今回もライブハウスがやられたっぽいね」

 

 ディズィーは危険な役目を引き受けている。カナズミの若者向けに強行ライブを行い、デボンの支配に亀裂を走らせようと言うのだ。無論、ディズィー自身がカナズミに赴くわけではないがそれでも彼女の世間での印象を悪くする。

 

「いいんですか? このままギルティギアが悪者みたいになっても」

 

「まぁ、オイラその辺気にしないし。大体、公的機関で揉み消されているでしょ。デボンだって探られればまずいんだしさ」

 

 カナズミの映像を何度か見せられた事がある。鋼・虫タイプなのだというデボンの主戦力、ゲノセクト。それが空を舞い、砲撃を仕掛ける様はほとんど戦争だった。

 

 自分達の故郷でそのような事がまかり通っている事実がクオンには恐ろしかった。

 

「ゲノセクトとかコープスコーズですよね……。でもデボンなら何でも消せそうですけれど」

 

「その一族の人間の言葉とは思えないけれどね」

 

 ディズィーに痛いところを突かれてクオンは口ごもる。

 

「アチキも故郷が戦場になったら嫌だなぁ」

 

 フヨウの生まれ故郷は送り火山なのだという。そこでゴーストタイプと心を通わせる術を学んだ、と聞いた。

 

「四天王相当の強さがないと、今のカナズミに帰る事も出来ない」

 

 非情な現実が突きつけられる。自分はあの時、家族の手を払った。だからもう、敵としてしかカナズミに帰る事が出来ない。

 

 後悔がないわけではなかったがあの時、リョウの手を取っていればもしかしたら自分はこの異常を異常とも思わず、過ごしていたのかもしれない。

 

「そろそろ会合かな? 時間帯的に」

 

 フヨウが時間を気にし出す。彼女は今時珍しく携行端末を持っていなかった。それでも何となくで時間は分かるらしい。

 

「キャプテンや、他の四天王との顔合わせか。毎日のように飽きないね」

 

 ディズィーの皮肉にフヨウは、「四天王だから」と返す。

 

「他の雑務もあるし。ネオロケット団の活動だけやっていればいいんなら楽なんだけれどね」

 

「オイラ、正直君が羨ましいよ。それだけ強さがあってなおかつ地位もあるなんて」

 

「ディズィーちゃん、地位とか名誉とか要らないんじゃないの?」

 

 フヨウの声にディズィーは笑い返す。

 

「くれるなら要るよ?」

 

 意外だった。ディズィーはそういう事に頓着しないのだと思い込んでいた。

 

 フヨウが身を翻す。四天王の間は四つの階層に分けられており、階段を駆け上っていった。

 

「じゃあね! また戦おう!」

 

 フヨウの背中を見送ってからクオンは息をつく。

 

「よくもまぁ、メガシンカ使った後にあれだけ元気ですよね。フヨウさん」

 

「オイラ達とは地力が違うんだろうね。それこそ四天王の名に恥じないレベルだよ」

 

 ディズィーの声にクオンは改めて声にする。

 

「……あたし達、何で四天王と戦っているんでしょう」

 

「そりゃあっちの示してきたルールだからね。デボンに立ち向かうには四天王全員を倒せなくっちゃならない。メガシンカを扱い、その日のうちに全員を倒した者だけが精鋭に加えられる。厳しい条件だ」

 

 キャプテンの提言した最低限の条件でもある。それが出来なければまずデボンに立ち向かう事など無理だ、と。

 

「そこまでデボンが強大だとは思っていませんでしたよ。そりゃ大企業ですけれども」

 

「今やゲノセクト部隊との戦闘の日々だからね。カゲツは毎回前線に出ているみたいだし、このままじゃカナズミも安全な場所とは言えなくなったね」

 

 半年前まで安寧を貪っていた場所が今や戦場。クオンには正直、ついていけない気持ちのほうが大きい。

 

「……ネオロケット団が投降すれば、もしかしたら穏便には済むかもしれないですね」

 

 このようなぼやきは組織の中では危ないだろう。しかしディズィーもそれを受け入れた。

 

「かもねぇ。でも、それを許さないのはキャプテンは元より、彼も、だ」

 

 彼と呼ばれた人間は今、一階層上の四天王の間で戦っている。クオンはその名前を呟いた。

 

「ダイゴ……。あなたはどこまでやる気なの」

 



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第百二十二話「真の強者」

 

 放たれた氷の光条に息を呑む。

 

 少しでも逸れていればトレーナーである自分が凍結させられていた。凍てつく空気に改めて対面する相手の手持ちを見やる。

 

 浮遊する鬼の首を思わせるポケモンだった。黒い一対の角が生えており、表皮は薄氷である。シャッター状の口腔部から放たれる「れいとうビーム」は強力かつ、こちらの戦意を削ぐには充分だった。

 

「まだ、やりますか?」

 

 奥で佇む紫色の衣を纏った女性の凛とした声音。それがまだこの戦いを終わらせるのには不充分であると告げている。萎えかけた闘志に、火を灯した。

 

「まだです。俺は、まだ進むと決めた」

 

 声に宿った闘志はそのまま自分の手持ちへと伝播する。傍にいる四足の鋼ポケモンが咆哮した。

 

「――ツワブキ・ダイゴ。それにその手持ちメタグロス。確かに素晴らしく、素質はあると思います。ですがそれと勝てるかは別の話」

 

 非情なる宣告だった。それでもダイゴは受け入れざるを得ない。

 

 相手は氷タイプ使い。本来ならば鋼・エスパーのメタグロスの苦戦する相手ではない。だが絶対的な氷結に包まれた戦場を一度でも目にすれば、タイプ相性など所詮は一般論である事がよく分かる。

 

 鋼は氷に強い。それが分かっていても、メタグロスは相手のポケモン、オニゴーリに一撃すら見舞えていなかった。

 

「プリムさん。オニゴーリを、メガシンカさせないんですね」

 

 相手の名前を呼びダイゴはどうしてなのかと問う。プリムは、「単純な話です」と手を掲げた。

 

「今のままでも、貴方は私に勝てない」

 

 圧倒的な現実は相性上有利などという幻想を叩き壊す。メタグロスを自分はまだ、使いこなせていない。

 

「……嘗められている、って思ったほうがいいんでしょうか」

 

「そう思いたければどうとでも。ですが勝てないのは事実でしょう?」

 

 ダイゴは歯噛みしてメタグロスに攻撃を命じる。

 

「メタグロス! バレットパンチ!」

 

 メタグロスが弾丸の勢いを誇る拳をオニゴーリへと放つ。しかしオニゴーリに届く前にその動きに制限がかかった。関節が伸びないのだ。爪の先端に氷の粒が詰まり、一瞬でメタグロスの拳を硬直させる。

 

「オニゴーリは冷気を放っただけですよ。これは技ですらない」

 

 ダイゴは手を振り払い、再度命じた。

 

「もう一度、バレットパンチ!」

 

 もう片方の腕が持ち上げられ、メタグロスが拳を放つ。オニゴーリは冷気の網を放出した。その網がまるで巨大な釈迦の手のようにメタグロスの拳を止める。

 

「まだ、冷気の網さえも突破出来ないようですね」

 

 やはりこの状況を打開するにはあれしかない。ダイゴは決心して息を詰めた。

 

「メタグロス、やるぞ」

 

 その声にメタグロスが吼える。胸元に留めておいたペンへとダイゴは指を当てた。

 

 その瞬間、紫色の皮膜がメタグロスを包み込もうとする。エネルギーが昂り、その身へと纏いつきかけた。

 

「メガシンカ……」

 

 しかし次の言葉を放つ前に皮膜は霧散し、エネルギーは散り散りになる。それを目にしてプリムが息をついた。

 

「やめましょうか。メガシンカは、やはり不可能なようですし」

 

 プリムがオニゴーリを戻す。ダイゴは悔しさを滲ませていた。

 

「何で……。キーストーンもあるのに……」

 

 氷結のバトルフィールドが解け、靄が晴れてくる。プリムはゆっくりと歩み出て、「キャプテンの言う通りですね」と声にする。

 

「貴方は、何故だかメガシンカが使えない」

 

 ダイゴからしてみればそれは敗北よりもなお色濃い屈辱だった。半年前、自分は初代に負けた。負けただけならばまだよかった。気がついた時にはネオロケット団を名乗る組織に捕らえられており、彼らが言うには自分はこのまま死ぬか、それとも反逆するかのどちらかしかないのだと告げられた。

 

 話の中からダイゴはネオロケット団こそが自分の抹殺を表明していた側であり、フランの古巣である事が分かった。

 

 ネオロケット団は同時に四天王であり、この地方での頂点に立つ四人であった。

 

 悪タイプ使いのカゲツ、ゴーストタイプ使いのフヨウ、氷タイプ使いのプリム、そしてそれらを束ねる長でありキャプテンを名乗っていた最後の四天王。ドラゴン使いの――。

 

「俺は、どうしてメガシンカを使えないのでしょう?」

 

 悔しくてプリムに尋ねていた。プリムは落ち着いた物腰で、「要因は、数多く考えられますが」と前置きする。

 

「メガシンカは精神エネルギーをポケモン側に飛ばす行為。考えられるのは精神エネルギーの不足。あるいは同調に至っていない、トレーナー側の実力不足」

 

 同調現象。だが半年前、初代との戦闘時にそれに等しい領域には達したはずだ。

 

「同調は、経験しています」

 

「一度昂った神経が経験した事を、経験とは呼びません。それは偶然と言うのです。常に使えるようにしておく事、それこそが戦術であり、戦略」

 

 ぐうの音も出ないがダイゴはキーストーンの設えてあるペンに視線を落とす。ハルカから預かっていた初代への贈り物。それがまさかメガシンカを仲介するキーストーンだったとは思わなかった。しかし特別な感情が宿っているものだというのは受け取った時から感じていたのだ。

 

「メガシンカが扱えなければ、俺はいつまで経っても弱い」

 

「現状では、初代に拮抗するにはあまりにも脆弱。せめて私のポケモンにメガシンカなしでも勝てるようになさい」

 

 プリムの言葉は厳しいが現状を言い当てている。メガシンカも使えない状態で初代に立ち向かっても返り討ちに遭うだけだ。

 

「メガシンカさえ使えれば、俺は……」

 

「メガシンカだけが強さの極みだと思うな」

 

 振りかけられたその声にダイゴは視線を向ける。階段を降りてくる人影にプリムが声をかけた。

 

「キャプテン。そろそろ会合ですか?」

 

「ああ。それを言いに来たのだが、こっぴどく負けたようだな」

 

 眼光の鋭い老人であった。口髭を蓄えており、キャプテン帽を被っている。黒いコートのような服装をはためかせていた。絶対的な強者の雰囲気。それがその男の全てであった。

 

 この男こそ、ネオロケット団を束ねる人間。キャプテンとあだ名される四天王最強の存在。

 

「ゲンジさん。俺は、やっぱり弱いですか」

 

 その名前をダイゴは口にする。ゲンジはぎょろりとダイゴを睨んだ。一睨みだけでも他人を威圧する。この老人はそれだけの研鑽と強さを携えているのだ。

 

「ここではキャプテンと呼べ」

 

 その声にダイゴは応じる。

 

「厳しいんじゃないですか。一両日中に四天王全員を倒さなくては、デボンへの攻撃を一切禁止するなんて」

 

 条件であった。ネオロケット団で戦うには四天王を全員、その日のうちに下さなければならない。しかし腐ってもこの地方の頂点。そう易々と突破出来るはずもなく、ダイゴとクオン、それにディズィーは毎日のように挑戦していた。

 

「今まで一人でも勝てていたか? 言っておくが初代は王だ。それを倒そうと思えば、我々四天王を突破しなければ不可能だと思え」

 

 ゲンジの声は相変わらず冷酷だ。現実の非情さをどこまでも突き詰めている。

 

「でも、クオンちゃんや、ディズィーさんにまで強いるなんて」

 

 ダイゴからしてみれば、戦うのは自分一人でいいつもりだったが、彼女達から言い出したのだ。自分達も戦う、と。

 

「我々は最大限に戦力が欲しい。ツワブキ・ダイゴ。お前が強ければ、何の問題もないのだが、女子供のほうがメガシンカを扱える辺り、大した事がないな」

 

 挑発にダイゴは拳を握り締める。メガシンカに一度して成功していない自分に比すればクオン達のほうに可能性があるのだ。

 

「でも、俺は……!」

 

「ワシを倒せないのならば、初代に立ち向かうなど夢のまた夢だと思え。半年前の手痛い敗北を忘れたか?」

 

 メタグロスを全力で使っても初代にはまだ余裕があるように思われた。ゲンジの言う通り、まだ自分は弱い。

 

「会合に向かう。ポケモンの回復をしておけ」

 

 プリムと共にゲンジが部屋を後にする。ダイゴは階段をとぼとぼと降りた。二階層にいつもいるフヨウも会合だろう。今しがたまで戦闘していたと思しき痕跡がそこらかしこにあった。

 

「あっ、ダイゴじゃん」

 

 ディズィーの声にダイゴは顔を上げる。ディズィーとクオンが自分の手持ちを調整していた。この二人はメガシンカが使えるのだ。自分よりも強いのは明らかだった。

 

「四天王は全員、会合ですか?」

 

「みたいだね。オイラ達もさっきこっぴどくやられたところさ」

 

 メガシンカが使えるからと言って常勝が約束されているわけでもない。メガシンカがトレーナーに及ぼす影響も未知数なのだ。

 

「クオンちゃん、大丈夫?」

 

 ダイゴの声にクオンは腰を下ろしたまま首肯した。

 

「うん、あたしは別に。ディアンシーのほうが心配かな」

 

 メガシンカを得て今まで引っ込み思案だったクオンが切り込み隊長レベルの強さを得た。それは彼女自身の性格も少しばかり変えたらしい。活力のある瞳でクオンはディアンシーの調整をしている。半年前にはほとんど戦闘用に見えなかったディアンシーも磨き上げられているのが分かった。

 

「四天王強いよねー。こりゃなかなか突破は無理な話かな」

 

 ディズィーが後頭部を掻いて笑う。しかし事は一刻を争うのだ。

 

「少しでも早く、俺達は強さを得ないと」

 

 ダイゴの声にクオンが返す。

 

「でも強さは一朝一夕では身につかないよ」

 

 その通りなのだが、一人として四天王を倒せない現状は看過出来るものではない。

 

「俺のメタグロスが、もっと強ければ……」

 

 悔恨を噛み締めたダイゴの口調に、「まーだ本調子じゃねぇだろ」と声がかけられた。

 

 黒いフルフェイスヘルメットを被った男が二人、二階層に上がってきた。彼らはヘルメットを外し、頭を振るう。

 

「オサムに、カゲツさん」

 

「何で僕は呼び捨てなのさ」

 

 不機嫌そうにそう返したのは髪の毛をスポーツ刈りに刈り上げた少年であった。髪型以外はほぼ自分の生き写しである。彼もDシリーズの一人であった。D036。ディズィーからオサムと呼称されているのだと知り、ネオロケット団内でも彼の呼び名はオサムだった。

 

 ただそのままだとダイゴと区別がつかないため、彼は髪型を変えたのである。彼曰く、自分がもう一人いるのは気持ち悪いから、との事だった。

 

「オサムはコータスの管理を頼むぜ。ゲノセクトに有効打打てるの、やっぱり強いからよ」

 

 オサムはカゲツと共にカナズミシティでの前線に参加しているのだ。本当ならば自分もその戦列に加わるべきだったが、自分達にはまだ強さが足りていない。

 

「コータスも、そう何体もいるわけじゃない。ダーテングがもっと強ければ楽なんだけれどね」

 

「言うじゃねぇか」

 

 カゲツは口元を緩めて拳を突き出す。オサムは拳を当てて身を翻した。

 

「まだ勝てない?」

 

 オサムの声にディズィーが答える。

 

「皮肉なもんだよね。オサムの実力のほうがオイラ達より下なのに、何で前線に加わっているのさ」

 

「仕方ないだろう。僕はきっちり四天王を倒したんだから」

 

 その通り。オサムはこの四天王の試練を突破した。メガシンカが扱えるのかまでは不明だが、四天王を倒したのは大きい。

 

「何でオイラ達だけメガシンカ込みでの戦闘なんだろ。オサムはそれなしだったんでしょ」

 

「失敬だな」とオサムは眉をひそめる。

 

「なしだって言っても四天王は本気だったんだ。それを何とか、ボスゴドラでいなしただけで」

 

 オサムの使うのは鋼・岩タイプのボスゴドラというポケモンであったが、彼には別の適性もあり今はコータスというポケモンの管理を全面的に任されている。

 

「ゲノセクト、思っていたよりずっと厄介になっている。カナズミはほとんど戦場だよ。それもこれも、初代の支配の磐石さか」

 

 デボンコーポレーションは初代の傘下に下り、実質的には初代の命令通りに全てが進んでいるのだという。ダイゴは半年前に対峙した初代ツワブキ・ダイゴの実力を思い返した。

 

 思い出すだけで総毛立つ。どのようなポケモンを出しても対応してくる王の威容。あれほどの敗北感は今まで感じた事がない。

 

「俺は、一刻も早く強くなりたい」

 

「だから、カゲツさんの言う通りまだ本調子じゃないんだろ? メタグロスへの進化だって急だったらしいじゃないか。そのメタグロス、まだ本当にお前を信頼し切っていないんだよ」

 

 オサムの言葉にダイゴは何も言えない。メタグロスに進化したのは昂った精神の作用。だから操る操れないの前提にまだ立てていない気がするのだ。

 

「メガシンカさえ使えればと思っているのなら、とんだ思い違いだ。メガシンカなしでも立ち向かえなければ真の強さじゃない」

 

「オサム風情が、言うようになったねー」

 

 ディズィーの茶化しにオサムは、「これでも実戦経験はありだからね」と答える。

 

「生意気になっちゃって」

 

「どうとでも。僕はコータスの調整に戻る。四天王は会合らしいし、しばらく休むといい。ポケモンもトレーナーも、本調子じゃないと勝てる試合も勝てない」

 

 身を翻すオサムへとダイゴは一つだけ尋ねていた。

 

「オサム。一つ聞きたい。俺に、何が足りないと思う?」

 

 オサムは振り返らずに答える。

 

「努力だとか、情熱だとか、そういう話じゃないだろ。単純な話さ。お前はまだ弱い。それだけの、本当にシンプルな話」

 

 歩き出したオサムへとディズィーが、「嫌な奴」と陰口を叩く。ダイゴは考え込んでいた。

 

「本当の、強さ」

 

 掌を見つめても、答えは出なかった。

 



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第百二十三話「強者の砦」

 

 光の放射される机に向かい合って座ったのは四天王だけではない。

 

 ネオロケット団、この組織を束ねる幹部連だ。当然、組織なのだから戦闘員ばかりではなく非戦闘員も必要になってくる。

 

 議事録を纏める役目を任されている自分もそうだ、とマコは感じ取る。

 

 クオンやディズィー、それにオサム達と違って自分は早期より「戦闘には向かない」と判断されて非戦闘員に回された。不服はなかった。実際、戦闘には向いていないし、メガシンカとやらも扱える気がしなかった。

 

「さて、今回の戦闘結果だが」

 

 幹部の声にカゲツが指を鳴らす。机の上にゲノセクトとの戦闘データと動画が呼び出された。

 

「やはり今回も同じ。連中はDシリーズの発展形だと考えられる。呼称は」

 

 マコへと視線が流される。マコは情報処理部が弾き出した敵の戦闘部隊の名前を口にした。

 

「コープスコーズ。死体兵団です」

 

「何とも因果だねぇ。死体ってのは」

 

 カゲツの声に幹部の一人が声にした。

 

「勝てるのか?」

 

 シンプルで、なおかつこれからの情勢を左右する質問だった。カゲツは、「毎回証明していると思いますが」と答える。

 

「ゲノセクト部隊は一度としてオレ達に勝てていない」

 

「だが同時にそれはこちらも負けていないだけの話なのだ。勝利ではない」

 

 毎回引き分けの形でカナズミから撤退するカゲツ達には苦いものがこみ上げているに違いない。しかしカゲツは気分を害したわけでもなく、「ごもっとも」と言った。

 

「勝ててないんだから文句は言えない」

 

「でも、アチキは一回の完璧な勝利よりも、何回かかっても敵の解析を優先すべきだと思うなぁ」

 

 フヨウの意見に幹部連も一致した。

 

「それはその通りだろうが」

 

「相手もその意見で来ている、って言うんだろう? フヨウ、ちょっとばかし楽観が過ぎるぜ。そろそろこっちの手の内が割れていると考えるべきだ」

 

 現場で戦っているカゲツの言葉は重い。フヨウは、「ふぅん」と後頭部に手をやった。

 

「やっぱり、そういうもんなのかな」

 

「そういうもんさ。半年だ。半年間、オレ達は逃げの一手。だってのに、相手は攻めて来るんだ。こりゃ不利にも転がるさ」

 

 ゲノセクトを完全に無力化する方法はないのか、と議論が転がる。

 

「難しいんじゃないですかねぇ。ゲノセクトの量産体制は恐らく整っている。オレはゲノセクトをちまちま倒すよりも、どうやって、デボンの本丸にダメージを与えるべきか、ってのを優先すべきだと思いますけれど」

 

「だが、その方法論が出ない」

 

 幹部達が渋面をつき合わせる。

 

「一度、編成を変えてみるのも手では?」

 

「やめときましょう。今のところマークされているのはオレのダーテングだけです。逆にこっちの手が割れれば、四天王だって勘繰られちまう。そうなってくるとそこまでです。情報戦ではデボンに勝てない、くらいに思っときましょう」

 

 カゲツは自ら矢面に立ち、自分一人に標的をわざと絞らせているのだ。戦略を考え、その通りに行動する。さすがは四天王だと驚嘆せざる得ない。

 

「ネオロケット団というのも言ってしまえばブラフの組織。本当は四天王が噛んでいました、それがばれるのが一番ヤバイ」

 

 カゲツの意見にプリムが同調する。

 

「その通りですね。今のところ、コータスとダーテングでゲノセクトに対抗出来ている状態を拮抗状態とするのならば、ここから先、いかに負けないか、を考えるべきでしょう」

 

「消極的が過ぎないか?」

 

 幹部の声に、「それくらいがちょうどいいんすよ」とカゲツが返した。

 

「デボンに本気で攻め込むのは後にも先にも一回きりでいい。その時に初代を倒す。その目的さえ果たせればね」

 

 初代ツワブキ・ダイゴ。全ての元凶であり、デボンを牛耳る最大の敵。マコはその片鱗しか味わっていないが、それでも恐怖した。ダイゴがまるで敵わず、オサムでさえも児戯に等しいとあしらわれた。四天王のカゲツが出てやっと戦局が変わったレベルである。

 

「初代を倒すのは今の状態では難しいか? キャプテン」

 

 今度はゲンジへと話が振られる。ゲンジは鋭い眼光をそのままに、「難しいだろうな」と応じる。

 

「メガシンカが可能な戦力は四人。ツワブキ・ダイゴ。ツワブキ・クオン。ディズィー、オサム。この四人がどれだけ単体戦力として優れていても、メガシンカが完全に扱えなければ初代を倒すという本懐には辿り着けない」

 

 まだ四人ともその域には達していないのだ。マコはほとんど四人と顔を合わせる事はなかった。非戦闘員だ。当然、雑務や情報処理がメインになってくる。議事録を纏めて、次の会議へときっちり回さなければならない。自分の仕事もまた、戦いの一つであった。

 

「四人ともメガシンカは難しいと?」

 

「アチキが戦った感じだと、持たない、ってのが正しいかな。メガシンカ出来てもそれを維持出来ない」

 

 四天王と凡人を分けるのはその部分だ。持続するのかしないのか。四天王は全員、メガシンカを切り札に仕込んでいる。もちろん、持続時間もお墨付きだ。マコは四人のメガシンカ時のデータを提出する。

 

「ツワブキ・クオン、ディズィーに関しては持続時間を延ばす事。ダイゴに関してはまずメガシンカを発現させる事が第一に掲げられる事でしょう」

 

 オサムについて触れられないのは理由がある。マコもまさかオサムがこのような扱いを受けているとは思わなかった。彼は……。

 

「どっちにせよ、メガシンカ出来なければ、ここから先、戦っていくのは厳しいのではないのか」

 

 幹部の声に、「そりゃもっともですがね」とカゲツは返す。

 

「初代を闇討ちでも出来れば一番ってのは分かっている。でも初代が、そんな手に引っかかってくれる相手でもないってのは実情でしょ」

 

 そもそも初代がどの地位にいるのかも不明。システム部がどれだけ対処しても、初代のポストを割り出せなかった。もしかすると初代は実質支配のみで、全く見当違いのポストについているのかもしれないという見方が強い。

 

「せめて初代の動きを感知出来れば」

 

「そのための彼だ」

 

 ゲンジの声にマコは気後れしてしまう。そのためのダイゴ。ダイゴならば初代の位置が分かるかもしれない。そのような一縷の希望に賭けているのだ。

 

「だがツワブキ・ダイゴはメガシンカが出来ないのだろう?」

 

 苛立たしげに幹部が返す。メガシンカ出来なければ初代には勝てない。何度も言われている事だ。

 

「初代は恐らくメガシンカ以上の切り札を持っているのだと考えられる。だからこそ、メガシンカは最低条件である」

 

 厳しいゲンジの声音に、「その最低条件でさえも」と幹部が声にした。

 

「満たせていないのが実情か」

 

「メガシンカってのは元々トレーナーの極地。オレ達だって最初はうろたえたもんよ。だが、使えればこれほどまでに力の探求に限界がないのだと分かる。メガシンカをするもしないも自由、って本当は言いたいんだが今回に限った話で言えば、絶対して欲しいんだよなぁ」

 

「我々も、メガシンカの指導に全力を費やしています。ですが、方法はそれぞれ異なるもの。やはり強さで示してもらうしかない」

 

 プリムの言葉に幹部連は納得したようだ。絶対的な強さ。それこそが初代への牽制にもなり得る。

 

「いずれにせよ、抹殺対象であったツワブキ・ダイゴに意味を見出せたのは大きい。Dシリーズは全員殲滅せねばならなかったのだが、その負担が減って何よりだ」

 

 マコは怖気が走るのを感じる。このような議題が毎回のように交わされる。まるで人の命なんて頓着していない幹部達の声にその程度なのだ、とマコは思い知る。

 

 彼らにとってしてみればダイゴの命は「生かしてやっている」のであって殺そうと思えばいつでも出来た。それをしないのはダイゴを初代へのカウンターにする、という共通の目的があるからだ。

 

「ワシはツワブキ・ダイゴが、どこまでやるのかが楽しみでもある」

 

 だからこそ、キャプテンの言い草はある種異質でもあった。幹部達が眉をしかめる。

 

「キャプテン。それはどういう事か?」

 

「殺されるはずだった男が、どれほど足掻き、もがき、強者の頂へと登ってくるのか。かつて、ワシは四十年前のポケモンリーグで同じような生命の輝きを目にした。あれに似たものを、ツワブキ・ダイゴは携えている」

 

 ゲンジしか知らない、ネオロケット団創設の歴史。幹部達は一様に口を噤んだ。

 

 強者の頂。それはゲンジ流の強さの指標である。それを引き合いに出されれば、戦いもしない幹部達は黙るしかない。

 

「そいつは楽しみだ。オレも強え奴は大歓迎なんでな」

 

 カゲツも口元に笑みを刻む。この男もゲンジと同じ類の人間だった。

 

「私も、弱い人よりかは強い者に憧れますね」

 

 プリムの声に続きフヨウが声を弾けさせる。

 

「アチキも、強い子は大好き!」

 

 どうやら四天王のレベルでの強さについていけないらしい。幹部達は笑って誤魔化そうとする。

 

「まぁ、四天王のあなた方がそう言うのならば、そうなのだろう」

 

「邪魔をするな、とは言わない。ただネオロケット団のスタンスは今まで通りだ。デボンの破壊と初代の抹殺は急務である」

 

 幹部は今まで通り金を捻出しろ。ゲンジの一声によって今回の会合はお開きとなった。毎回ゲンジが人並み外れた判断を下す事で会議が終わるのは定例になっている。

 

「ヒグチさん、後で議事録を送ってください」

 

 プリムの声にマコは慌てて返答する。

 

「あ、はい」

 

「アチキはいいよー。議事録なんて読んだって仕方ないし」

 

「オレもいい。幹部連中と話した内容なんて後回しだ」

 

 マコはゲンジへと視線を向ける。ゲンジは腕を組んだまま憮然と言い放った。

 

「後で書面にて送って欲しい」

 

「わ、分かりました……」

 

 ゲンジを前にすると緊張する。やはり最後の四天王だけあって迫力が違った。幹部達が立ち去ってから新たな人物が部屋に入ってくる。

 

 ここからが真の会議だった。マコは再びタイピングする手に緊張を走らせる。

 

 



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第百二十四話「こころの強さ」

 ゲンジが視線を振り向け声にした。

 

「来たか」

 

「遅くなって申し訳ない。だがこの時間を指定してきたのは君達だろう?」

 

 相手の声にカゲツが微笑む。

 

「そりゃ、頭の固い役員連中よりかは、あんたと話していたほうが幾分かマシだぜ、ミクリ」

 

 名前を呼ばれた男性は涼しげな瞳を細め、マコへと目配せする。

 

「さて、会議。いいかな?」

 

 マコは暫時、呼吸を忘れていた。一つ一つの動作が雅で、美しい。

 

「マコちゃん?」

 

 カゲツの訝しげな声にマコは慌てて平静を取り繕う。

 

「だ、大丈夫です!」

 

「大丈夫には見えないなぁ」

 

 ミクリが微笑み、マコは顔が真っ赤になった。

 

 彼こそがルチアの叔父。カナズミで行方不明になったとディズィーから聞いていたが、彼は独自のルートからネオロケット団に辿り着き、保護を求めてきたのだと聞いた。つまり行方不明ではなく、ネオロケット団の一員として、彼もデボンに戦いを挑んでいたのだ。

 

 ただ姪であるルチアにはそれを明かせておらず、ルチアと関係のあるディズィーにも絶対に秘密であるのがマコには少し辛かった。

 

「ミクリよ。相手の情報はどこまで引き出せた?」

 

 カゲツの無遠慮な声にミクリは佇まいを正す。

 

「そうだね、ツワブキ家の、三人の兄弟についての報告だが」

 

 ミクリは独自のネットワークからツワブキ家の内情を暴く役割を担っていた。当然、危険地帯には違いないのだが、彼は率先してその役割を演じている。

 

「コウヤは父、イッシンのやり方に懐疑的のようだ。何度か別ルートでのアクセス履歴がある。恐らく父親を張っているのだろう。こっちと繋がりのあるホムラからの情報だ」

 

 デボンには二人の諜報員が張り込んでいた。ホムラとイズミ。この二人はネオロケット団の構成員であり、また情報戦のエキスパートだ。デボンがお互いの腹を探ろうと思えばこの二人のどちらかに接触しなければならない。ネオロケット団はそれを利用し、巧みに情報戦を制していた。

 

「コウヤは社長職になったんだろ? 何で父親を今さらほじくり返す?」

 

「どうにも社長職に満足いっていないみたいでね。その中間に初代がいる可能性がある」

 

 つまり張子の虎の社長を演じさせられている事にコウヤは嫌気が差している、という事なのか。マコは記録しながら初代とはどこまでデボンを、ひいてはツワブキ家を支配するつもりなのだろうと感じた。

 

「分からんもんだな。社長って言っても意味がねぇって話か」

 

「ああ。イズミからの報告では、ツワブキ・リョウも現状に満足していないとの事だ。コープスコーズの支援ってのがどうにも毎回、煮え湯を飲まされて気分が悪いのだと」

 

「オレの功績だな」とカゲツは笑みを浮かべる。

 

「レイカは動きが読めない。Dシリーズの量産体制を完全にコウヤとリョウに奪われた結果になるのだが、彼女自身が何かをする、という風ではない。ただ戦力としてこの三人は危険視するべき、というのは変わらないだろう」

 

「レジ系か」

 

 レジ系、と示されたのはこの三人の持つ手持ちのポケモンだ。それぞれレジロック、レジアイス、レジスチル。岩、氷、鋼のほとんど最強と言っても差し支えない。

 

「単体戦力としても恐れ入るレベルだ。レジ系を出してこないのは切り札としての意味合いが強い」

 

「表向きはゲノセクトで何とかやっているって事だろ。だが、ツワブキ・リョウに関して言えば確実にオレを敵視しているな。毎回ダーテング狙いだってのは一番分かってる」

 

 だからこそカゲツはそれ以外のポケモンを出して尻尾を掴ませる真似をしない。逆にダーテングでどこまでやれるのかを試しているようだった。

 

「リョウが苛立っているのはそれもだな。ダーテング使いを割れないか、とイズミに相談を持ちかけている」

 

「ボックスと手持ちの同期システムで割ろうって考えているのか?」

 

「それが定石だろうが、四天王のシステムは他の一般トレーナーと違う。エリートトレーナーと同じ区分だ。そのエリートトレーナーも何百人と登録されている。ダーテング使い一人を炙り出すのに二年はかかるだろう」

 

 カゲツの思惑はほとんど成功しているようだ。ミクリは別の話を振った。

 

「それよりも、メガシンカだが、連中はそれほど重要視していないらしい。レジ系とゲノセクトで充分だと」

 

「嘗められてるもんだな」

 

「実際、メガシンカポケモンを投入しての戦闘なんて想定していないだろう。一体観測されるだけでも珍しい事象なんだ」

 

 メガシンカはまだ研究分野の拓けていない部分。新しいメガシンカポケモン一体で議論が白熱する分野だ。

 

「四天王全員がメガシンカ使いだって知れたら、それこそ学会が引っくり返るな」

 

 カゲツの面白がった声音にフヨウが言葉を添える。

 

「でさ、実際四天王が関わっているって少しでも気取られているの?」

 

「いいや、気取られればそれこそこの場所に踏み入ってくるはずだ。ネオロケット団に関しては何も分かっていない、と考えてもいいだろう」

 

 ミクリの説明にマコは内心ホッとする。それと同時にカナズミに残してきた家族の事が思い返された。もう弟が産まれている頃合だ。そんな時に何も出来ない自分が歯がゆい。行方不明、という扱いだがもしデボンが少しでも自分の家族を害そうとしているのならば、こんなところで記録している場合でもない。

 

「あの……、出過ぎた事かもしれませんけれど」

 

 だからマコは口を挟まずにはいられなかった。ミクリが、「どうぞ」と促す。

 

「私の家族に、危害が加えられたりとかは……」

 

 それだけが気がかりだ。ミクリは、「継続的に観察している」と答えた。

 

「だがデボンが手を出す気配は今のところない。もちろん、ヒグチさんの家族を我々は全力で守る。安心して欲しい」

 

 ミクリの口から言われればマコは何とか安心する事が出来た。

 

「マコちゃんさぁ、こんな場所で記憶係してんだから、それなりに安心しろって。一番の機密に触れているんだぜ? だって言うのにオレ達が何もしないわけないじゃんかよ」

 

 カゲツの軽口にマコは愛想笑いを浮かべるしかない。

 

「ヒグチ女史の家族に関しては絶対に守り通せ。それだけだ」

 

 ゲンジの言葉がこの時ほど頼もしい事はなかった。短いながら本気の声音であったからだ。

 

「あっ、それと、何度か違法なルートからアクセスがあるらしい。デボンはそっちに気取られていて我々の動きに鈍感になっている部分もあるようだ」

 

「オレ達以外でデボンに探り入れている奴って事か?」

 

 カゲツの問いにミクリは首肯する。

 

「どういう趣向か知らないが、デボン相手に組織立った動きではなく、個人として立ち向かっているらしい」

 

「おいおい、とんだ義勇の徒じゃねぇか。心意気は気に入ったが、そいつ危なくないか?」

 

 自分達でさえ、組織の領分を冒してまでデボンに立ち向かおうなど思わない。個人でやってのけるなど常軌を逸している。

 

「そうなんだ。だから幾つか、糸がないかと逆探知してみた」

 

 糸、というのは言葉通りではなく、デボンに繋がったアクセス履歴の事を指す。マコはこの半年で普通の大学生の知るはずのない用語に詳しくなっていた。

 

「すると、どうなった?」

 

「驚くべき事にね。糸がないんだ」

 

「ない?」

 

 カゲツが顔をしかめる。ゲンジも重苦しい沈黙を挟んだ。プリムが質問する。

 

「糸がない、とはつまりアクセス履歴を改ざんした、という事?」

 

「いいや。これは何と言うか、難しいんだがアクセス履歴を残したまま、そちらへと繋がる証拠は全部消している」

 

 カゲツが明らかにむつかしい顔をして、「あるわけねぇ」と否定する。

 

「それがあるんだ。この書類を」

 

 ミクリがカゲツへとそのアクセス履歴とやらを手渡す。カゲツは書類を捲るなり眉間に皺を寄せた。

 

「何だこの、アクセスに使われたシステム。こんなアプリ、誰も使ってねぇぞ」

 

 カゲツが書類を叩く。ミクリは、「それが恐らく起因している」と返した。

 

「謎のアプリによるアクセスは足跡を自動的に消せるらしい。しかも、アクセスした、という証拠は残る」

 

「意味ないじゃねぇか」

 

「それがそうでもなくってね。デボンからしてみれば、泥棒の痕があるのは明らかなのに泥棒が入ったのはどこからなのか、そもそも泥棒は何を盗っていったのかがまるで分からない状況になっている」

 

「気味が悪いな」

 

「同感だ。デボンもそういう気持ちになっているんだろう」

 

 ミクリはカゲツの手にある書類を指差し、「そのOSを解析にかけてみたが」と声にする。

 

「やはり詳しい事は何も。ただ、RUIという反復する言葉だけが読み取れた」

 

「RUI? なんだそれ。暗号か何かか?」

 

「我々はこの事態を重く見て、そのRUIの持ち主を探す事も視野に入れている」

 

 ミクリの説明にマコは恐る恐る手を挙げる。

 

「その、RUIの人は、味方じゃないんですか?」

 

 お気楽な質問に聞こえたかもしれないがミクリは真面目な顔で応じる。

 

「生憎と、敵対組織に何度も出入りしている相手を、味方だとすぐに判じられなくってね。それはこちらの落ち度でもあるんだが」

 

「敵の敵は味方、って理論はちと暴論だって話だよ、マコちゃん」

 

 カゲツの言葉にそれでもマコは反論する。

 

「でも、このホウエンで私達以外に、誰がデボンの横腹なんて突くんですか?」

 

 既にデボンが法と言っても差し支えない世の中だ。だというのに誰が。

 

「知らないっての。どこぞの命知らずだろ。今はアプリのシステムが勝っているからいい塩梅を決め込めるだろうが、いつか逆転されるな、こりゃ」

 

「それはこちらも感じていてね。この謎の人物は、いつか逆転される事を、見越しているんじゃなかろうか、と」

 

 ミクリの言葉があまりにも突飛だったせいだろう。カゲツは食ってかかる。

 

「おいおい、逆転さえも計算に入れて掻き乱しているってのか?」

 

 カゲツの顔色にはいつの間にか喜色が宿っていた。この人物に興味があるに違いない。負けると知っていながら立ち向かう姿は自分達に重なるのだろう。

 

「調べておきましょうか?」

 

 マコの提言に、「頼めるか?」とカゲツから書類が手渡される。

 

「後で詳しいデータを送っておこう」

 

 ミクリの声にマコは議事録を纏める。

 

「しかし、どちらにせよ、この謎の輩は先が見えねぇな。デボンを引っくり返そう、っていう魂胆にしちゃ、入り過ぎだ」

 

 マコはアクセス履歴を目にするが、カゲツの言う通りであった。これほどの頻度で入っていれば怪しまれるどころではない。もう探知が始まっていると考えてもよさそうだ。

 

「逆探知に割り込んで、こっちが先んじて相手を押さえましょう」

 

「心強いね、マコちゃんは」

 

 カゲツの声に、「怒りますよ」とマコは言い返す。四天王の中でもカゲツとフヨウには軽口を叩けるようになっていた。

 

「その線で頼む。さて、別口のこのアクセスする人物は置いておくにせよ、デボンのやり口は苛烈を極めている。今回、ツワブキ・リョウの動いた形跡があった」

 

 ミクリの差し出したのは装甲車の上部から顔を出したリョウと、その手持ちレジスチルの攻撃の瞬間である。

 

「破壊光線……。野郎、カナズミのど真ん中でやりやがるぜ」

 

 その最中にいたカゲツからしてみれば肝の冷えた事だろう。しかしカゲツの役目は前線での掻き乱し。無論、このような危険には幾度となく晒されてきた。

 

「破壊光線も驚異的ながら、最も恐れるべきは、ツワブキ・リョウに、もう隠し立てする気はないという事だ」

 

 ミクリの放った言葉にプリムが顔を上げる。

 

「つまり、これまでよりもなお、戦闘は激化すると」

 

「そう考えたほうがいい。そうなった場合、コータスとダーテングだけでは限界が生じる」

 

 ミクリの提案したいのは一つだ。マコもそれを感じ取った。

 

「メガシンカのカードを、そろそろ切ったほうがいい」

 

 その言葉にカゲツが悪態をつく。

 

「切り札をもう使えって? そいつは出来ない相談だ」

 

「何故? もう充分に敵の戦力の分析は出来ている。これ以上、戦闘を続ければ一般市民に被害が出ないとも限らないんだ」

 

 マコの脳裏に家族の姿が過ぎる。カゲツは、「絶対、民間人には手を出させねぇ」と言い切った。

 

「オレ達が止める」

 

「だが、それにはメガシンカ相当の力を見せたほうが堅実だという話をしている」

 

 ミクリはポケモンバトルにも精通している。当然、戦術的な問題を考えての事だろう。何の考えもなしに会議室で議論を練っている人間ではない。

 

「メガシンカか。それを使うには早いって、オレは言っているんだ」

 

「君らの育てている四人の精鋭か。だが彼らが目覚めるのはいつか分からないんだろう?」

 

 ダイゴ達がメガシンカを物にし、それを実戦投入出来るまであと何日かかるのか。ミクリはその逆算から答えを導き出している。

 

「少なくとも、このままでは疲弊するばかりだ。メガシンカを、一度でもいい、奴らに見せ付けなければ。カナズミの街が焼け野原になるぞ」

 

 レジスチルの破壊光線レベルの攻撃が毎度交錯すれば、確かにこのままでは危うい。だがカゲツは言ってのける。

 

「誰も死なせねぇし、誰も殺させねぇ。それがオレの役目だ」

 

 前線を買って出た人間の言葉は重い。ミクリはそれも加味した上で、「志は立派だが」と言い返す。

 

「四天王であると、そろそろ言ったほうがいいかもしれない。無条件降伏を突きつけられる可能性が」

 

「ミクリさんよぉ。てめぇ、いつからそんな及び腰になった?」

 

 カゲツの声音にミクリは眉を跳ねさせる。

 

「……何だと?」

 

「デボンのやり方にゃ、腹が立つ。だが、無条件降伏だって? 四天王とホウエンそのものが、お前らに異を唱えている。だから降伏しろ? 冗談。それで話の通る輩なら、もう黙っていやがるはずさ。相手は黙るどころか、喚くし、がなる。つまり手に負えない奴だって事さ。そいつらに、今さら静かに手を取り合って平和に暮らしましょうってのは通じないと思うがな」

 

 戦闘の重み。これまでの前線経験から来る言葉にミクリがどう返すのか。マコが固唾を呑んで見守っていると、「メガシンカはさぁ」とフヨウが口を挟んだ。

 

「ミクリさんの考えているほど、簡単じゃないんだよね。だからアチキ達だって時間がかかっているわけだし。それに切り札の意味分かってる? 本当にどうしようもない時に使うのが切り札。まだ、アチキ達は戦えている」

 

 意外な時にフヨウの言葉が重なったものだからミクリは少しばかり戸惑っているようだった。それに被せるようにプリムも声にする。

 

「私も同意見です。切り札を晒すのは最後でいい。まだ、ツワブキ・ダイゴを始めとする彼らにも伸びしろはあります。その部分を伸ばすのが、私達の役目ではないでしょうか?」

 

 ミクリはメガシンカの投入による即時解決をはかろうとしていたのだろう。四天王達の言葉に返答出来ないようだった。

 

「……無駄な犠牲を出す事はない、と言っているんです。デボンとて馬鹿じゃない。ゲノセクト、コープスコーズは尖兵です。まだ、何かとっておきがあるはず」

 

「そのとっておきを出してくるまで、こっちもとっておきは封印だよ」

 

 カゲツはもう曲げるつもりはないらしい。ミクリは息をついて、「分かりました」と承知した。

 

「メガシンカを近日中に使う事はない、でいいんですね?」

 

「近日どころか一切見せないかもな」

 

 カゲツが手を振るいながら発した言葉にミクリは小さく言い返す。

 

「その驕りが、命取りになるかもしれませんよ」

 

 立ち上がったミクリはマコに、「後で」と言い置き、この場の責任者であるゲンジに深く頭を下げる。

 

「失礼」

 

 立ち去っていったミクリの背中を眺めつつ、カゲツは息を吐き出す。

 

「いい奴なんだよ、本当は。だからあんましオレとの言い合い、書かないでくれるか? マコちゃん」

 

 それはマコも承知している。ミクリとカゲツは決して犬猿の仲ではない。むしろ親しいからこそあれだけ言い合えるのだ。

 

「あ、分かっています。今も不要な情報は切り落としましたから」

 

「さすが。マコちゃんは分かっているねぇ」

 

 カゲツのおちゃらけた声に対して、重々しいゲンジの声が続く。

 

「議事録の提出は予定通りに頼む。ワシはこの後、鍛錬がある。その間は」

 

「一切、メール、電話の類を通さない。でしたね」

 

 心得たマコの声にゲンジは黙って部屋を出て行った。カゲツが腕を組んで呟く。

 

「あの爺さんも、なかなかに豪胆だねぇ」

 

「聞こえているよ、カゲツ」

 

 フヨウの声に、「聞こえているだろうなぁ」とカゲツは後頭部に手をやった。

 

「なにせあの爺さん、聡いのは耳や目だけじゃないからな」

 

「キャプテンとお呼びなさい。ここではそのルールでしょう」

 

 諭すプリムにカゲツは、「でもよ」と言い返す。

 

「あの爺さん、何歳か知ってるでしょう? 今年六十だぜ、六十。それで第一線張ってるのあの人くらいだって」

 

「最高齢の四天王はキクコでしょう」

 

「いや、あの人のほうが年上なんだが年誤魔化して四天王に居るってのもっぱらの噂じゃん。それにあの威風堂々とした立ち振る舞いっての? ありゃしばらくはくたばらねぇわ」

 

 カゲツは心底感心したとでも言うように口にする。マコは思わず口を挟んでいた。

 

「キャプテンのやり方に不満でも?」

 

「逆だって、逆。不満がねぇこの状況がすげぇって言うの」

 

 よく分からない。マコが首をひねっていると、「普通ならば」とプリムが声にした。

 

「あれほどの年長者で、しかも国防の矢面に幾度となく立ってきた人物。思想の違いや、年季などが出てくるはずなのよ」

 

「それを感じさせないっての、すげぇよな。あくまでオレ達のボスのポジションを貫く。オレ、六十なってもあんなん無理だろうと思うわ」

 

 褒めているのだか貶しているのだか。マコは議事録を記録した端末の電源を切りながら尋ねていた。

 

「鍛錬って、私、入った事ないんですけれど、キャプテンは何を?」

 

「瞑想、とかかな?」

 

「違うって。ドラゴン同士で戦闘訓練だろ?」

 

「いえ、確か様々な攻撃の耐性を試していたはず」

 

 めいめいに意見が出るものだからマコは混乱する。カゲツが、「まぁ」と纏めた。

 

「秘密主義なのは違いねぇよ。瞑想してても滝に打たれててもオレ達は驚かないけれどよ。あの人、どうやってあんなに強くなったんだろうな」

 

 やはり強いのには間違いないのだろうか。マコは未だにゲンジの本当の実力を知らない。それは誰一人として、メガシンカを使ってもゲンジに挑もうという人間がいないからだ。何となくでも分かる。

 

 あれだけの殺気。加えて凄味を引き立たせる眼光。本来ならば近づきたくもなかった。

 

 挑戦者が何十年もいないという噂は本当なのだろうか。その真偽を確かめるような勇気もない。

 

「でもキャプテン、どこまで強くなるつもりなんだろうな。あんまり強くなると本来の目的を見失いそうじゃね? オレ達四人に一両日中に勝てなければ、あいつら一生このままだぜ?」

 

 四天王を下さなければここから出ることさえも許されない。加えてメガシンカの習得も義務付けられている。もしかしたらダイゴはどう足掻いてもここを出られないのではないか。ダイゴの実力を知っているわけではないが、少しばかり懸念はあった。

 

「今のところ、分はありそうですか?」

 

 カゲツが二人と目配せし合うが、四天王三人は首を振るばかりだった。

 

「クオンちゃんとディズィーさんはメガシンカの維持時間かな、後は」

 

「ツワブキ・ダイゴに至ってはまるで駄目ですね。鋼タイプを持っていてもあれでは持ち腐れ。メガシンカも発現出来ていない」

 

 プリムの評にこのままでは厳しそうだという事は分かる。しかしいくら自分が三人を鼓舞したところで所詮は非戦闘員。言える事などたかが知れている。

 

「オサム君は、四天王突破したんですよね?」

 

「だから前線に組み込んでやっているんだよ」

 

 マコはぺこりとお辞儀してから会議室を後にする。廊下を歩いていると曲がり角で意外な人物とかち合った。

 

「オサム君……」

 

 今しがた話していたところのオサムがマコと出会うなり、気まずそうに顔を背ける。

 

「マコちゃん……。あの、カゲツさん達は」

 

「うん? まだ会議室だけれど?」

 

「全員、揃っている?」

 

「うん、三人だけだけれど」

 

「なら、ちょうどいいか」

 

 行ってきた道をオサムが進んでいく。マコはその背中を呼び止めた。

 

「オサム君、四天王に勝ったんだよね?」

 

 オサムが足を止め一瞥を投げた。どこか伏し目がちに、「そうだけれど」と答えられる。

 

「すごいなぁ。オサム君、才能あったんだ」

 

「才能、か……。マコちゃんは意外と残酷な事を言うね」

 

 その意味がマコには分からなかった。四天王に勝てたのはポケモンを操る才覚があるからだろう。

 

「何を謙遜してるの? だって普通にすごいじゃない」

 

 端末を胸に抱えたマコへとオサムは肩越しに問いかける。

 

「なぁ、僕はすごいのかな。本当に、この力は、僕の物なのかな」

 

 その疑問の意味が分からずマコは答える。

 

「何言ってるの。デボンでも私を助けてくれたし、オサム君は充分に強いよ」

 

「でも、僕はそれが与えられた強さが、納得出来ない」

 

 納得出来ない、とはどういう事なのか。マコは尋ねる。

 

「強いのに?」

 

「僕は、本当に強いのか? だって、この力は……」

 

 濁したオサムはそれ以降の言葉を紡ぐ事はなく、マコを振り払うように歩いていった。その背中を流石に呼び止めるのは憚られてマコは口にする。

 

「……強いのに。少なくとも、私より強いよ。オサム君は」

 



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第百二十五話「ナンクルナイサ」

 

 会議室を出ようとしたところで見知った顔に出くわした。

 

 カゲツは明らかに自分の顔を見るなり、硬直する。

 

「あっ、オサム君じゃん」

 

 フヨウの間の抜けたような声が今は少しばかりありがたい。場の緩衝材になる。自分とカゲツだけならば、きっと今にも掴みかかっていただろう。

 

「カゲツさん。話があります」

 

「んだよ、帰ってきて早々」

 

 悪態をつくカゲツにプリムが言い添える。

 

「聞いてあげなさい。貴方の部下でしょう?」

 

 微笑みを浮かべるプリムにオサムは返礼する。

 

「感謝します」

 

「頑張ってねー」

 

 フヨウが手を振って離れていく。二人が廊下の角を曲がってから、オサムは口火を切った。

 

「僕を、前線から外してください」

 

「それはてめぇが戦うのが怖くなったからか?」

 

「違います。僕なんかが、前で戦っていちゃいけないと思ったからです」

 

「理由言え。言えねぇなら帰りな」

 

 カゲツが肩で風を切って歩んでいく。オサムはその背中へと言葉を投げた。

 

「僕は、四天王に勝っていません」

 

「勝っただろ。四人とも一日で倒した」

 

「でもそれは! メガシンカありじゃなかったでしょう!」

 

 オサムの声にカゲツが足を止める。振り返ったカゲツは戦闘時のような緊張をはらんでいた。

 

「だから、何だって言うんだ?」

 

「僕に、最初からポケモンを操る才能がないからって、遠慮して戦って――」

 

 その言葉を発する前にカゲツが掴みかかってきた。ほとんどスキンヘッドのその顔には凄味がある。睨みつけられるとそれだけで足が竦み上がりそうだった。

 

「てめぇ! いいか? オレ達はいつだって全力だ! 全力でやって、てめぇに負けた。だから前線に出してやってるって分からないのか?」

 

「でも、それは他の三人が、まだ伸びしろがあるから……! 僕にはないからでしょう?」

 

 思いの丈をぶちまける。メガシンカなしで四天王を勝ち抜いてもそれが本当の実力じゃないような気がしていた。自分だけが特別に下に見られている気がして、オサムには我慢ならなかったのだ。だから頭を丸めて覚悟の表明にしたつもりだったが、それだけではまだ足りない。

 

 カゲツは突き放し、「んな事で、呼び止めんな」と声にする。

 

「強い弱いって。お前、本当にそんな事で悩んでいるのかよ」

 

「……悩みもしますよ。だって、メガシンカを使わないで」

 

「甘ったれんな。ここがどこだか、忘れたのか」

 

 遮って放たれた声にオサムはこの場所の名前を口にする。

 

「サイユウシティ。全ての、ホウエンのトレーナーならば誰もが憧れる夢の舞台」

 

「そう、ポケモンリーグだ。その頂点に立つ四人、四天王に勝っておいてそれでてめぇの実力じゃねぇ、だと? それが驕りだって言ってんだよ。いつだって手ェ抜いて戦っているつもりはねぇ。真っ向勝負に勝った自分を恥じないには、勝ったという自負くらい持ってろ」

 

 つまりあの勝負も全力勝負。今、ダイゴ達にやっているのと変わりないというのか。オサムは納得出来ない。

 

「……じゃあ何で、あいつらにはメガシンカを」

 

「適材適所って言葉がある。お前には、メガシンカなしでも充分に通用する力があるって判断したからメガシンカなしでやった。それだけだ」

 

「でも……。僕のポケモンを操る才覚は、この左足のものですよ」

 

 初代ツワブキ・ダイゴの左足。この能力が働いていないとは言えない。カゲツは、「それも含めて、てめぇの力だって言ってんだ」と応じた。

 

「左足が自分のもんじゃねぇから納得出来ないってか。じゃああのツワブキ・ダイゴはどうなる? あいつは、全身、借り物だぜ」

 

 ダイゴの正体は既に聞いていた。かつてネオロケット団の構成員だったフラン・プラターヌ。その血が入れ換えられ、Dシリーズとして組み込まれた。仕組まれた人生を持つ彼こそ、本当の悲劇だろう。

 

 しかし、自分とて納得が欲しい。

 

「今は、僕の話をしているんです」

 

 その言葉にここで呼び止めたのが伊達でも酔狂でもなく、直訴のためだとカゲツはようやく悟ったらしい。

 

「……何が言いたい?」

 

「前線から外すなら外してください。もう一度、僕はメガシンカありで、今度は四天王を下してみせます」

 

 強気な発言にカゲツは鼻息をついてから、「やめとけよ」と返す。

 

「一回取った勝ち星をふいにする事はねぇ」

 

「何でですか? ダイゴと同じ土俵じゃ、僕は話にならないとでも?」

 

 食ってかかるオサムにカゲツは後頭部を掻く。

 

「言ったろ。適材適所だって。ダイゴには、メガシンカが絶対に必要だ。でもお前には絶対じゃねぇ」

 

「それは、何でです」

 

 カゲツは少しばかり逡巡の間を置いたが、「まぁ、こいつにはいいか」と口にする。

 

「ツワブキ・ダイゴ。あいつには絶対に、初代を超えてもらわなきゃならねぇ。あいつが初代を倒すんだ」

 

 真正面から放たれた声に、本気なのだと知れた。

 

「あいつじゃないと、勝てないとでも?」

 

「そうだ」

 

 迷いなく返された言葉にオサムは歯噛みする。

 

「僕じゃ、勝てないとでも?」

 

「そうだ。お前じゃ分が悪い」

 

 思わず前に出ていた。拳を振るい上げるもカゲツがそれを受け止める。

 

「悔しいか? だがな、言ったろ? 適材適所だって」

 

「納得出来ない! 僕でも初代を倒す権利はある!」

 

 半年前に煮え湯を飲まされた。ボスゴドラを同じボスゴドラで敗退させられたのは自分のプライドを大きく傷つけられた。

 

「てめぇのは負けて悔しいって言う、ガキみてぇな駄々が入っている。だがな、あのツワブキ・ダイゴは違う」

 

「何が違うって言うんですか。あいつだってDシリーズだ」

 

「あいつは勝たなきゃならない。勝たなきゃ、自分には価値がないんだと思い知っている。もう後がないんだ。こっちだって慎重になる」

 

「僕にはまだ戻れるものがあるとでも?」

 

 こっちだって意地だ。オサムの問いにカゲツはため息をついて言い放つ。

 

「そうだ。てめぇは戻れる。まだ間に合うって言っている」

 

 カゲツがオサムの拳をひねり上げる。呻いたオサムにカゲツは口にした。

 

「マコちゃんだって、てめぇの理解者だろ。何で身近な大切なものを、守ろうと思えない?」

 

「マコちゃんは、僕なんて見ていない!」

 

 振り払ったオサムが後退する。カゲツはオサムを睨んだまま黙していた。

 

「見ていないんだ……。彼女が見ているのは、行方不明になったお姉さんと、ダイゴだけですよ……」

 

 マコの視界にさえも入れない。自分は所詮、造られた存在だから。

 

 カゲツが歩み寄ろうとする。それをオサムは制した。

 

「来ないでください! 今、甘やかされると……、もう一生、負け犬みたいで……」

 

 ダイゴほどの人間になれればよかった。だが自分は半端者だ。Dシリーズという、造られた存在には本当の人生を歩む資格さえもない。

 

「……お前が考えているほど、マコちゃんは冷徹じゃねぇと思うが」

 

「いいえ、マコちゃんは、僕なんか見ていませんよ。あの時、初代に負けたんだ……!」

 

 それを見られたのが何よりも恥だった。オリジナルのツワブキ・ダイゴ。それに自分は所詮、及ばない駒なのだと。

 

「勝てばいいだろうが。前線ならばいくらでも勝つ手段は見えてくる。今日まで、よくやってくれているさ。コータスの統率も、お前の能力があっての事だ。オレは評価しているよ。本当さ」

 

 きっとカゲツの言葉は本当なのだろう。だからこそ、答えられなかった。身に沁みて、自分が弱いのだと実感させられる。

 

「でも、僕には、どうしたらいいのか……」

 

 このままでは進む事も、戻る事も出来なくなりそうで。

 

 カゲツはその心中を察したように舌打ちを漏らした。恐らくこういう時、慰められるタイプではないのだろう。そのまま立ち去ってしまわれてもおかしくなかった。しかしカゲツは、オサムの肩を叩き、ふと呟く。

 

「ナンクルナイサ」

 

 初めて聞いた言葉だった。オサムが呆気に取られていると、「親から教わった言葉でな」とカゲツは肩を竦める。

 

「はぐれもののオレが教わった言葉の中でも、一番響いている。どうにかなるさ、って意味だそうだ。本来、ホウエンのごく限られた地域でだけ使われていた言葉らしい。もう、存在しないんだそうだ」

 

「何で、そんな……」

 

 オサムが目を見開いているとカゲツは独白を始めた。

 

「オレはよ、このサイユウの生まれなんだ」

 

 それは考えられない。サイユウシティはポケモンリーグのためだけにある街。その街での出身はいないはずだった。

 

「オレも、戸籍がねぇんだ。あのツワブキ・ダイゴと、言っちまえば同じさ。サイユウシティで、流れ流れて行き着いた夫婦の産んだ子供。それがオレらしい」

 

 カゲツはポケットに手を入れて口にする。思わぬ言葉にオサムは繰り返していた。

 

「らしい、って……」

 

「それ以上は分からんのだと。オレを拾った、キャプテン……いいや、ゲンジの爺さんが、そう言っていたってだけで」

 

 カゲツはホウエンの、他の街の人間ではないのか。オサムは問いかけていた。

 

「だって、他の四天王は、きっちり故郷があって」

 

「オレだけ故郷はここなんだそうだ。サイユウの街で生まれ、ここで育った。ゲンジの爺さんが育て親だ。本当の親の事は、どうしてだかあの人は教えてくれない。オレを拾ったのも、本当にここなのかどうか、詳しくは聞いてねぇんだ」

 

 カゲツの出生の秘密にオサムは口を噤む。まさか彼がそのような闇を抱えているとは思わなかった。自分にも、ましてや他人にもそのような重石を感じさせる事はない。

 

「そんなの……。カゲツさん、あなたは」

 

「なに、生まれ故郷がないくらい、なんて事はないさ。それよりも、オレには目指せる場所がないほうがしんどいと思うぜ」

 

「目指せる、場所……」

 

「ツワブキ・ダイゴは、あいつの眼を、きっちり見た事があるか?」

 

 自分とは違う、赤い眼。しかし眼の色の事ではないだろう。ダイゴの抱えている闇を、直視した事があるのか、と聞いているのだ。

 

「いいえ……。僕と、本質的には変わらないと思っていましたが」

 

「あいつは後には退けねぇ。もうどこにも行けないんだと思い込んでいる。勝つしか、もう手段がないんだ。それはあいつの肉体がフラン、つまりかつてのオレ達の仲間だった事に起因している。あいつはな、恐らく初代と刺し違える、なんてつもりはないんだ。勝って、その肉体を、フランに返す。そのつもりだろう」

 

 思わぬ言葉だった。ダイゴがその肉体を持ち主に返す? だがそれは……。

 

「それは……、ダイゴという人間の消滅を意味しているんじゃ」

 

「そうだよ。あいつは、それ相応の覚悟を負っている。勝っても、万々歳で済ますつもりはないんだ。初代を倒した後、自分の居場所なんてねぇって思い込んでいるのさ」

 

 それは苛烈な生き方だ。自分の生存目的が初代打倒にしかないなど。そこまで決め付けてかからなくってもいいのではないだろうか。

 

「ダイゴが、そう考えているのなら、僕は間違っていると思います」

 

「だな。だから、てめぇも気負うなって言ってんだよ」

 

 ハッとする。ダイゴの覚悟があまりにも壮絶で見失っていたが、自分も今、カゲツに似たような事を進言したのだ。それは自分を大切にしていない事に直結する。他人を引き合いに出されて初めて気づくなんて。

 

 オサムは恥じ入ったように顔を伏せた。

 

「僕、とても恥ずかしい事を……」

 

「いい。何も言うな。誰だって道に迷う時はあるさ。ただその時に道を示してやれる奴がいるかどうか。きっとそれだけなんだ」

 

 カゲツの言葉にオサムは佇まいを正す。

 

「申し訳ありません。過ぎた事を、言っていました」

 

 改めて、カゲツには謝らなければならないだろう。カゲツの傷口を抉ってまで、自分は自分を大切にしない事を言っていた。

 

「いいって事よ。それが分かったんならな。ただ、あのツワブキ・ダイゴは分からないだろうな。最初から自分には価値がないんだって思い込んでいる。その思い込みを矯正するには、ただ真正面からぶつかるだけじゃ足りねぇ。それこそあいつの生き方を揺さぶってしまえるだけの圧倒的力が必要だ」

 

 それがメガシンカ。オサムは納得と共に声にする。

 

「しかし、メガシンカありで四天王を破るってのは、やはり難しくないですか?」

 

 カゲツはその言葉に鼻を鳴らす。

 

「これでも充分にハンデだぜ? メガシンカを使っていいって言う、な。それにこっちもメガシンカポケモンは一体しか使えない。一対一だ。ハンデだろ」

 

 真っ向勝負を仕掛けるつもりなのだ。オサムはカゲツ達四天王の実力を知っている。自分のボスゴドラで体感した。

 

「ボスゴドラは、偶然、全員のタイプと相性がよかっただけです。僕のように一発で、は無理でしょうね」

 

「だろうな。そもそも、あいつらにもあまり時間がない。デボンがこちらを索敵する前にこっちがデボンを標的に据えなければ、やられるのはこっちだぜ」

 

 メガシンカを使用し、デボンに乗り込む。それにはまだ戦力がおぼつかない。

 

「ゲノセクト部隊、コープスコーズを倒していても、やっぱり相手の戦力を削った事には」

 

「ならないな。コープスコーズ自体、捨て駒の感がある。何かを、初代は待っているのかもしれないな」

 

「何か……」

 

 呟くがそれらしい記憶はない。Dシリーズの一員となってから、記憶も曖昧であった。この肉体が元々誰のものであっても、恐らくダイゴのように、返すために戦うなどという事は出来ないだろう。自分のためにしか、自分は戦えない。

 

 きっとそれが普通なのだろう。ダイゴは使命感に囚われている。

 

 彼しか初代は倒せない。それもさもありなん。自分を投げ打てる覚悟を持った人間しか、二十三年の月日を経て再生した王を倒す事は出来ないだろう。

 

「っと、無駄話しちまったな」

 

「いえ。……一つ、いいですか?」

 

 オサムは尋ねていた。これは禁に触れる質問かもしれない、と思いながら。

 

「何だ? 何でも言ってみろ」

 

「産みの親を、憎んでいないんですか?」

 

 カゲツが一瞬、呆気に取られたように沈黙する。逆鱗に触れたか、とオサムは身構えたがカゲツの言葉は静かだった。

 

「憎しみ、か……。存外、そういうのは感じた事ねぇんだ。ゲンジの爺さんが、育ての親をしっかりやってくれたお陰かな。それに、ナンクルナイサの言葉もある。むしろ、オレはこの言葉のお陰でいつでも両親を感じられる。オレをこの世に産み落としてくれた事に、意味があったんだと」

 

 カゲツは誇っているのだ。自分がこの世にいる事。産んでくれた親の事を。少しでもカゲツが憎しみを持っているかもしれない、と考えた自分が浅ましい。きっと彼は難しい問題でも、自分の試練として立ち向かう事の出来るタイプなのだ。

 

「でも、意外でした。ゲンジさんにも、そういう一面があったなんて」

 

 軽口めいた感覚でオサムは口にする。カゲツも口元を緩めた。

 

「だろ? 案外、あの人の心は広いぜ。ま、普段の顔が羅刹みたいなもんだからな。みんな警戒しちまうのは無理もない」

 

「確かに」とオサムも微笑んだ。

 



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第百二十六話「闇の一族」

 

 その部屋はどのシステムからも隔離されており、誰からのアクセスも封じられていた。

 

 電波遮断室として普段使われている場所を集合場所として指定しなければならなかった事に、少しばかりプライドが邪魔したがもうこの企業では自分が法ではないのだ。だから隠れて行動する必要があった。

 

 ガラスで遮られた向こう側に人影を感知する。緑色の照明が降り立った電波遮断室で三人の影がそれぞれガラスの向こうに集った。

 

「揃ったわね」

 

 その声に照明が上がり、それぞれの顔を照らす。久方振りに見る兄弟の顔立ちは全員、厳しいものだった。その中の一人であるレイカは口火を切る。

 

「私の提言に乗ってくれてありがとう」

 

「乗るも何も、いきなり無線も使わずにこれだ」

 

 リョウが折り畳まれた手紙を差し出す。アナログな手段に頼るしか、この場合デボンを出し抜けないと考えたからだ。

 

「で? 集まったからにはそれなりの話があるんだろうな」

 

 コウヤの声にレイカは髪をかき上げる。

 

「ここに来たという事は、今の会長、つまり初代のやり方に、疑問を持っている、と考えていいのよね」

 

 そう書面にて記した。初代の考えに異を唱えるならば電波遮断室に来い、と。リョウは、「そう大それたものでもないが」と前置きする。

 

「オレは、本当に初代があの肉体に宿っているのか、ちょっと分からない気がする」

 

 リョウの意見にコウヤが同調した。

 

「おれもだ。あれが初代だという、証拠というか、根拠がない」

 

「でも父さんは、あれが初代ツワブキ・ダイゴ、という前提で、私達の初代再生計画に歯止めをかけた」

 

 もしイッシンが先んじて初代を降ろさなかったら、自分達はD015、ツワブキ・ダイゴに初代を降ろしていただろう。

 

「その点、やられたよな。何で親父にはオレ達のやろうとした事が分かったのか」

 

「いや、分かっていないのかもしれない」

 

 コウヤの言葉にレイカは疑問を挟む。

 

「どういう意味?」

 

「つまり、親父は初代再生計画を止めるため。ただそれだけのために、リスキーだが初代の肉体を用意した、というのは?」

 

 リョウが息を呑む。レイカもその意見には驚きだった。自分達の再生計画を妨害する最も有効的な方法として初代を逆に再生してみせた。

 

「でも、それじゃ私達の思う壺だと思わなかったのかしら?」

 

「いいや、おれが内偵を進めている結果、そうでもない事が分かってきてね」

 

「それは、どういう事だよ、兄貴」

 

 コウヤは内偵を進めていたのか。レイカは改めて食えない兄だと感じ取る。

 

「初代は、完全な初代ではない可能性が出てきた」

 

「それは、どういう……」

 

「記憶と記録。どっちも切り離せないものだが、初代の記憶と記録が、予めあったものと食い違う。つまり矛盾しているんだ」

 

 レイカは初代の義手と義足を思い返す。顎に手を添えて考え込んだ。

 

「初代は、あえて不完全な状態で再生された。そうすれば、私達が諦めると思って?」

 

「じゃあ、親父はオレ達の再生計画を止めるためにわざと初代をああやって召喚したと?」

 

 リョウの言葉にコウヤは落ち着いて返す。

 

「そう考えれば、どこか腑に落ちる。親父からしてみれば、おれ達の再生計画は危うい代物だった、とすれば。自分にとって都合の悪いやり方だった」

 

「都合の悪い……。どういう事だよ?」

 

「二十三年前」

 

 レイカはコウヤの言葉に即座にその事件を思い出す。リョウは時間がかかったものの結び付けたようだ。

 

「まさか、初代の死……」

 

「そう、あの死に様がどうやって計画されていたのか。そもそも初代を誰が殺したのか。それが初代の口からばれる事を恐れていた」

 

「ちょっ! ちょっと待ってくれよ! 兄貴! だったら、初代殺しの犯人って……」

 

 そこから先はレイカも予想がついたがあまりにもおぞましく自分から言葉を継げなかった。コウヤはしかし、躊躇いながらも口にする。

 

「親父が、初代を殺した、か。あるいは露見すると不都合な事に首を突っ込んでいるか、だな」

 

「親父が殺したのはありえないぜ!」

 

 リョウは初代殺しが自分の父親によるものだと信じたくないようだ。しかしレイカは事のほか冷静に事態を分析していた。もし初代殺しが父親の、イッシンによるものならば初代を不完全に再生する事も、初代再生計画を邪魔する事も全て辻褄が合ってしまう。

 

「私は、特別飛躍した意見でもないと思う」

 

「おい、姉貴! あんたまで何を!」

 

「リョウ。いつまで父さんを裏切れない、善良な子供でいるつもりなの? 父さんは母さんの死に関してもずっと口を閉ざしているのよ」

 

 それを引き合いに出すとリョウも押し黙る。自分達の母親の死。それこそが初代再生計画の一端を握っている事象だった。

 

「お袋が死んだのは病気だった。完全な偶然だよ」

 

「母さんが死んだのは偶然? お前、本当にそう考えているのかよ」

 

 コウヤの挑発的な言葉にリョウは噛み付く。

 

「何だよ、兄貴。そうじゃないって言うのかよ」

 

「親父は、母さんの死に、何らかの形で関わっていた。だから、初代の死にも関わっている。この二つは決してイコールで結ばれるものじゃないが、母さんの死を隠していたような後ろ暗い人間が、初代の死に関わっていないはずがない。こういう論法ならばイコールになり得る」

 

「馬鹿馬鹿しい!」とリョウは頭を振る。

 

「オレはそうじゃなくってもコープスコーズのバックアップ、それに公安に根回しと忙しいんだ。もしかしたら、の話なら即刻打ち切って帰りたいくらいさ!」

 

 苛立っているリョウにレイカは宥める。

 

「落ち着きなさい。母さんの死が、何も歪められたものだとは限らないんだから」

 

「でもよ! 兄貴はそう考えているんだろ?」

 

 リョウの声音にコウヤは、「冷静に分析しての話だ」と口にする。

 

「母さんが死んだ時、親父は何て言っていた? 病死だって知ったのは随分と後じゃなかったか?」

 

 三人して押し黙る。イッシンがずっと言っていたのは「母親は出張で出かけている」という話だった。それがいつの間にか、病気で死んだ、にすり替わっていたのだ。その苦い経験をした三人の兄弟は、もうイッシンを疑ってかかっていた。

 

「何であの時、出張なんて言っていたんだ……。親父は何を隠したかった?」

 

「おれの私見を述べるなら、もしかしたらその出張中に、何かを仕込んだのかもな。毒、とか」

 

 リョウがガラスの仕切りを叩いて喚く。

 

「母さんの死を、侮辱するのかよ! いくら兄貴でも許さないぞ!」

 

「侮辱はしていない。ただ考えるに値するものだと」

 

「それが侮辱だって言ってんだよ!」

 

 平静さを失ったリョウへとレイカは声を振り向ける。

 

「落ち着きなさいって。私達はいがみ合うために集まったわけじゃないでしょうに」

 

 リョウは悪態をついて落ち着きなく歩き回る。昔からそうだ。リョウは一つの事にこだわるとそれが頭から離れない。

 

 きっと今思っているのは母親の事以上に、半年前にいなくなったクオンの事だろう。

 

 リョウはクオンを溺愛していた。表面上はそうと分からなくても家族のうちでの暗黙の了解だった。クオンのために何かしたいと思っていたのはリョウだけだ。他の家族は、もうクオンには関わらないようにしていた。

 

「また、親父はオレ達に隠して、何かしているってのかよ」

 

「まだそうと決まったわけじゃない。落ち着きなさいって」

 

 いくら言ったところでリョウは平時の落ち着きを取り戻さない。レイカはモンスターボールを取り出し、それをコツンとガラスに当てた。リョウとコウヤが同時に肩を揺らして反応する。

 

「落ち着きなさい、リョウ」

 

 命令の口調を伴って放った言葉にリョウが声を震わせた。

 

「おい、姉貴。ボールをこっちに向けないでくれ」

 

「私のレジアイスは。ボールの中からでも瞬間冷却を撃てる。精度は落ちるけれど今のあんたを凍らせるくらい造作もないわ」

 

 この場での主導権は自分に欲しい。レイカの思惑にリョウは明らかに頬を引きつらせて頷いた。

 

「分かった、分かったよ、姉貴。落ち着こう……」

 

「しかし、レイカ。今回、一番の痛手はお前じゃないのか? 初代再生に一番賭けていたのは、お前だろう」

 

 コウヤの声にレイカは、「そうかもしれないけれど」と応える。

 

「だから?」

 

「親父に一番恨みがあるのは、お前じゃないかって言っているんだ」

 

 暫時、沈黙を挟む。レイカは視線をリョウへと振り向ける。リョウもそれは聞きたがっているのだろう。目に見えて動揺していた。コウヤが言い過ぎて、この集会そのものがご破算になるのではないかと。

 

「初代を再生して、お前は一番に独占したかったはずだ。初代の技術でも、ましてや経験でも王としての素質でもない。男として、初代をお前は愛していた」

 

 自分の歪みを言い当てられてレイカは押し黙るしかない。リョウも分かっていながら言えない事なのだろう。コウヤを止めようと何度か口を開きかける。

 

「兄貴、そのくらいにしたほうが……」

 

「初代の血筋を取り込みたい、という歪んだ欲望を一番に持っていたのはお前だ。だから当然、再生した時に恩を売っておきたかったのもお前。そのために危険なDシリーズの管理を一任されていた。D015、いずれ自分の伴侶となる人間を見つめた気分はどうだった? あれに初代が降りれば完璧だったんじゃないのか?」

 

 コウヤは挑発したいわけではない。ただ自分はどのスタンスにいるのかを明確にしないレイカに怒りを覚えているだけだ。リョウとコウヤだけの矛盾を浮き彫りにする議論は正しくない。この場合、泥を被るのはお前も同じだと。

 

「……確かに、最終目的は初代の子を宿す、ではあったわ」

 

 初代再生計画。その一因をレイカは語り出す。

 

「今のままでは、ツワブキ家は遠からず滅びてしまう。それは兄さんも、リョウも分かっていたでしょう?」

 

 二人とも何も言わない。分かっていなければ初代再生計画を持ち上げる事もない。それを支持する事も、もちろんなかった。

 

「ツワブキ家の没落だけは避けなければならなかった。次期社長が、たとえ兄さんでも、その次もツワブキ家が主権を握れるとは限らない。カリスマの再生。それこそが急務だった」

 

 そのための初代。そのためのDシリーズ。だが、今やDシリーズの管理から外され、血筋としての価値が消えかけている。このままでは自分の計画は潰えるだろう。

 

「だからこそ、二人とも分かっていたから、今も集まってくれているんでしょう?」

 

 レイカの言葉にリョウは首肯する。

 

「そうだよ。姉貴の願いがどうであれ、オレ達の目的は一つだろう?」

 

「初代の再生。だがもうそれは成されてしまったぞ?」

 

 どうする、と問いかける声音。レイカはかねてより用意していた言葉を発した。

 

「私達が主権を取り戻す手段は一つだけ。現状の初代を、抹殺するしかない」

 

 イッシンの作り上げた初代を殺し、また再生計画をやり直す。それを提案するために二人に集まってもらったのだ。リョウは顎に手を添えて、「難しくないか」と声にする。

 

「だって、実力は知っているだろう? あの義手、初代の全てのボックスにアクセス権がある。今のオレ達の戦力を統合したところで、岩、氷、鋼だ。初代にアドバンテージを打てるタイプ構成じゃない」

 

 忌々しいのはボックスを管理しているあの義手であろう。義手のアクセス権を奪えればまだ勝算はあるに違いない。

 

「義手をどうにか出来れば……」

 

「その話だが、どうにも初代はあの義手を、何とかして取り外したいと思っているようだ」

 

 思わぬ言葉にリョウとレイカは二人して瞠目する。

 

「何で……。あれはすごい戦力だろ?」

 

「あれほどの力を手離したいなんて……」

 

「義手は言うなれば首輪のようなものだ。あの域に初代を拘束するための、親父が作った安全装置。恐らく親父ならば、無効化するパスコードを持っている」

 

「親父に協力を仰ぐのは無理だろ」

 

「だから、初代を味方につけるのさ。初代が右腕を欲しがっている、と言っただろ?」

 

 その言葉の赴く先をリョウは理解していないらしい。しかしレイカには分かった。

 

「右腕の交換時を狙って、初代を暗殺する……」

 

 呟いた言葉にリョウが視線を振り向ける。

 

「おいおい、無理だろ! そんなの、右腕の当てがなければ……」

 

「当ては、あるのよね? コウヤ兄さん」

 

 そうでなければ話に上げまい。コウヤは、「内偵を進めるうちに、な」と声にする。

 

「ネオロケット団が親父に先んじて奪ったのは右腕のみ。他は全て親父に押さえられていた。左足は今、奴らの手にあるがそれもDシリーズに接合された状態。いつでも取り戻せる。問題の右腕は、ネオロケット団の尖兵として再利用された廃棄Dシリーズに使わせたらしい」

 

「何のために?」

 

「ダイゴの抹殺のためだ。元々連中はダイゴにいい印象を持っていないはずだろう。元はフラン・プラターヌなんだからな」

 

「いつ、右腕が行方不明になったか」

 

 レイカは議論を急いだ。

 

「それなんだが、廃棄Dシリーズそのものはもう死んでいる。シグナルを追うにも苦労した。なにせバラバラに砕けさせられたらしいからな」

 

「誰が、という事に繋がるわけね」

 

 そのDシリーズを葬った人間こそ右腕の持ち主。コウヤは、「情報に対して対価は平等に与えられるべきだ」と話を持ち出す。

 

「分かっているわ。初代再生計画が気に食わないのならば兄さんが主導すればいい」

 

「物分りがいいじゃないか」

 

 半年前まで無欲の塊のような男だったくせに、ここ数日で一気に強欲になった。それにはきっと初代に一杯食わされている恨みがあるのだろう。

 

「この闘争で、最も無関係な人物を洗い出した」

 

 この闘争、とはもちろん自分達とネオロケット団の戦いだ。

 

「デボンでもなく、ましてやネオロケット団でもない。どちらにも与しない勢力を見つけ出そうとしたが」

 

「いたのか?」

 

 コウヤは首を横に振る。

 

「いんや。本当に無関係となると一般市民を疑わなければならない。それでも逆効果だ」

 

 コウヤの結論にリョウが毒づく。

 

「何だよ……。結局手がかりなしか」

 

「そうでもないわね」

 

 レイカの声にリョウは訝しげに眉をひそめた。

 

「何で? オレ達の闘争の中にいなければ完全に無関係な人間達だろ? そんなもん、一人一人取調べしていたらどれだけ時間がかかるか」

 

「そんな必要はないんだ、リョウ。おれ達家族にも非協力的で、なおかつおれ達の内情を知るのに一番に適したポジションがあった。……逆に、どうして今までおれ達は無関係を装って彼女と接してこれたのか、不思議なくらいだ」

 

 コウヤの言葉にリョウは、「もったいぶるなって」と急いた。

 

「誰なんだよ?」

 

「毎日のように会っている」

 

「毎日? 親父でもなければ、警察関係者でもなく? 言っておくがコープスコーズってのもなしだぜ」

 

「馬鹿。まだ気付かないのか。おれ達家族に何の気兼ねもなく、それこそ数年前から牙を研げるポジションは一つだけ、だ」

 

 レイカは愚鈍なリョウに答えを言ってやった。

 

「家族のように接してきたのにね」

 

 その言葉でリョウは勘付いたらしい。だがまさか、と目を戦慄かせる。

 

「まさか……。あの人なのか……」

 

「他に考えられない。何でこの状況でも、普通に在宅業務をしているのか、疑問に思わなかったのか?」

 

「いや……。あの人なりの気遣いで、家族が離散しないように、とか……」

 

「そんなやわな人間じゃないわよ、この人は」

 

 予感があった。この人物ならば、冷酷に、なおかつ的確に動く事が出来ると。

 

「素性を調べようとしたが、複数の部門でアクセス防壁があった。つまりこの人物の素性はデボンでも追えない、という事だ」

 

「それが、逆におかしい。カナズミで追えない人物はいない」

 

 リョウは歩み寄って放心したように声にする。

 

「でも……本当にあの人なのか……。あの、家政婦の……コノハさんが……」

 

 この場で浮かんでいる名前にようやくリョウが行き着く。レイカは一番に疑うべきであったのに、と後悔していた。

 

「そいつの経歴は?」

 

「内偵の人間に追わせているが難しい、という事はもう」

 

「逃げる準備はしている、と見ていいわね」

 

 レイカは身を翻す。コウヤもこの部屋から出て行こうとした。取り残されそうになってリョウが戸惑う。

 

「おい、どこへ」

 

「コノハなる人物を追う。……カナズミから出ていなければ」

 

「まだ追跡出来るかもな」

 

「で、でもよ! コノハさんが本当に右腕を持っているって決まったわけじゃ」

 

「持っていなければ逃がしてやればいい。持っているかどうかの確認も取れない、というよりも何者かも分からない人間をよく今まで家に置けたな」

 

 その不自然さにどうして気付けなかったのか。初代再生に眉一つ動かさない冷徹さ。それを逆に怪しむべきだった。

 

「もう、逃げているのかもね」

 

 レイカの声にリョウは渋っていた決断を迫られていた。

 

「コノハさんが、敵……」

 

 敵でないにせよ、味方ではない。それは確かだった。

 



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第百二十七話「地獄の兄弟達」

 

「もうちょっと、早くカナズミシティを出られませんか?」

 

 タクシーの運転手にコノハは尋ねていた。運転手は、「そう言われましても……」と濁す。

 

「どうしてだか混雑しているみたいで……。ナビでも二キロは渋滞だと」

 

 コノハは抱えている荷物をどうするべきか決めあぐねていた。

 

 そろそろツワブキ家の人間達は気付き出す頃合だとイズミに告げられてようやく、逃走経路を決定出来た。毎週のように業火に晒されるカナズミでは街から逃げるのを選択するほうが難しい。検問にかけられ、その場で身元が明らかにならないとなれば逆に怪しまれる。

 

 イズミの作った「逃げ道」は今日だけ有効だった。イズミも上へ下へとデボンの情報をさばくので一苦労らしい。この逃走経路を見出すまで一睡もしていないと言っていた。

 

 労ってやろうとコノハは思う。数少ない友人の一人だった。コノハが高校時代に得た友人で、こちらは忘れていたが向こうが覚えてくれていた。フランを失った自分を支えてくれた彼女の力添えを無駄に出来ない。本当ならばデボンがフランを殺したと分かった時に自殺するか、デボンに飛び込んで死んでやろうと思っていた。それを押し止め、自分に生きる意味を見出させてくれたのは彼女だ。

 

 イズミは、「いつか生きている意味を実感できる日が来る」と言っていた。ネオロケット団に関わるのを出来るだけ避けるように忠告し、それでもデボンの情報を逐一こちらに入れてくれたのは友人であったという情もあったはずだ。

 

 コノハはダイゴの事も思い返していた。半年前に急に舞い込んできた人物。フランの肉体だと分かった時、自分の胸中は揺れていた。彼にすがりたい。そう感じている弱い自分を切り捨て、あくまで冷徹に、事実だけを俯瞰して生きてきた。

 

 ダイゴから、自分の素性が割れては意味がない。最悪殺す事さえも考えていたが、彼が初代に挑み、ネオロケット団に誘拐されたと聞いた時、自分は涙した。彼との最後の夜に交わした口づけをなぞるように唇に手をやる。あの時、ただの女に戻れたのだ。だがそれでもなお戦いの日々を選んだのは彼が「フラン・プラターヌ」ではなくもう「ツワブキ・ダイゴ」であると認め始めていたからだろう。ダイゴは行くべき道を決めようとしている。その邪魔だけはしてはいけないのだと言い聞かせた。

 

 彼がフランであってもダイゴであっても関係がない。自分は寄り添い、見つめるだけだ。彼の邪魔者になってはいけない。道を塞いではいけない。女として喚いても駄目だった。

 

 もう、そうと決めた男の背中に呼びかけを続けるような惨めな女の役目を演じてはいけない。男には進むべき時がある。きっと、ダイゴはそれを満たした。だから自分の前から消えたのだと。

 

 淡い恋の感情を引きずっていれば、自分はいつまで経っても、フランの影を追っている。どこかで切り離さなければ、もう迷っている時間もない。

 

「お客さん、やはり今日カナズミを出るのは……」

 

 運転手の言葉を皆まで聞かずコノハは運賃を払っていた。

 

「ここまでで。歩いていきます」

 

 降りようとしたコノハを運転手は制する。

 

「ちょ、ちょっと、お客さん? 今のカナズミから歩いて出ようなんて無茶ですよ」

 

 無茶なのは百も承知だ。しかしカナズミから出ればまだ勝機はある。検問もエルレイドで突破すればいい。一瞬でも突破出来て逃げ切れば、こちらの勝ちだ。

 

 右腕をデボンの監視下に晒すよりかは、このまま永久に行方知れずのほうがいい。

 

「私は、そのために……」

 

 フランのため、という逃げ口上はもう使うまい。自分のために、初代の右腕を破壊する。

 

 検問のデボンの社員が顔を振り向ける。覗き込んで、「ちょっと失礼」と声をかけてきた。「夜分にどこへ?」

 

「今日中に何とかカナズミを出たいんですが……」

 

 コノハの声に検問所の職員は頭を振る。

 

「それは難しいですね。もう夜分です。カナズミから他の街への移動は日中にとデボンからお触れが出ているのは知っているでしょう?」

 

「でも、今日中に外の街に行かないと、この子が……」

 

 モンスターボールへと視線を移す。職員が尋ねた。

 

「ご病気で?」

 

 コノハはこくりと頷き、「外の街でしか治せないんです」と答えた。

 

「かかりつけ医が外の街の出身で……」

 

「ちょっと待ってください。デボンから呼びかければ、多分応じてくれるはずです」

 

 検問所へと職員が戻っていく。コノハは検問のゲートを見やる。薄い走行板の仕切りの向こう側はカナズミの外だ。

 

「ちょっとでも、カナズミの外の空気を吸わせてはもらえないでしょうか? この子も落ち着きますから」

 

 コノハのしおらしい声に職員は了承した。

 

「いいでしょう。ただし、あまり出歩かないでくださいね。今、局番に問い合わせて呼び出しますので。番号は」

 

 コノハはデタラメな番号を述べる。イズミから預かったかく乱のための番号でもあった。これにかければ何重にもたらい回しにされる仕組みだ。その間に逃げおおせる。

 

 決意した眼差しをゲートの向こうに据えたコノハは次の瞬間、ゲートへと殺到してくる装甲車を目にした。

 

 デボンの装甲車である。コノハは恥も外聞も捨ててモンスターボールの緊急射出ボタンを押そうとする。

 

「いけ――」

 

 その言葉が放たれる前に直上から光線が発射された。コノハの眼前の空間を焼き、思わず後ずさったコノハへと装甲車が後ろを取る。車から出てきたのはゴーグルをつけた子供達であった。全員銀髪で同じ顔であるのが窺える。

 

「コープスコーズ……」

 

 職員も思わず、と言った様子で呟いていた。有事の際以外は出撃しないデボンの直属部隊がどうして、という声音に装甲車から降りてきた人影が応じる。

 

「そこまでだ。……何でこんな事をするんです? コノハさん」

 

 ツワブキ・リョウがどこか納得行かない声音を向けていた。コノハはじりと後ずさろうとする。しかし上空に展開しているゲノセクトから逃げ出す手段が思い浮かばない。

 

 エルレイドを出そうと考えたが放たれた冷気が瞬時に指先を凍てつかせた。覚えず手を離す。指先からこぼれ落ちたボールを装甲車から降りてきたツワブキ・レイカが足で踏みつけた。

 

「ツワブキ・レイカ……」

 

 忌々しげに口にするとレイカは眉を上げる。

 

「いつから、主人に牙を剥くようになったのかしら?」

 

 最初からお前らなど主人ではない。そう言いたかったがこの場合、最も危惧するべき事はこちらの目的を勘付かれる事だ。コノハは演技を続ける事にした。

 

「手持ちが病気で……。どうしても、かかりつけ医の診断が要るんです」

 

「この期に及んでまだ、騙し続けるわけか。あなたは」

 

 装甲車から降りてきたもう一人にコノハは目を見開く。ツワブキ・コウヤ。デボンの現社長が口角を吊り上げて佇んでいる。本来、ここにいるはずのない人間の存在に慄いていると、「社長……」と職員が口にする。

 

「ここは検問です。社長や、そのご家族が、何の用で……」

 

「検問にかけるべき人間を逃がそうとした。この女は言うなれば刺客だよ」

 

「刺客って」と職員が言葉をなくす。レイカは人差し指を向けて警告した。

 

「動かない事ね。右腕を渡してもらうわ」

 

 やはり相手の目的は初代の右腕か。コノハは歯噛みする。いつから、連中は自分の事を怪しいと感じていた? いつからなど今さら関係がないとはいえ、どこまで疑念が深まっているのかを知る必要がある。右腕を、この場で知らぬ存ぜぬを通せるか。コノハは試してみる事にした。

 

「何の事だが。私は、本当に、手持ちが病気で、どうしようもなくって……」

 

「手持ちが病気、ねぇ……。コノハさん。その手持ち、本当に自分がおやなのかい?」

 

 コウヤの声にコノハは心臓が跳ね上がったのを感じた。

 

 おやがフランだとばれれば、すぐにでも自分の企みが露見する。

 

「もし……、これはほんの仮定の話に過ぎないのだが、おやがデボンに、ツワブキ家に反抗する人物だった場合、あなたが何も知らずにそのポケモンを使っていたとは、やはり考えられないんですよ。そうだとすれば愚鈍過ぎるし、逆に言えば、あなたはとても仮面を被るのがお上手だ。それが分かっていて暮らしていたのだとすれば、怨敵を前にしてよく、平静を装っていられた」

 

 もうばれている。コノハはそう確信した。

 

 自分が右腕を所有している事も、フランの遺志を継いだ事も。コノハは顔を上げて、「何のつもりです」と声にしていた。

 

「そこまで確信があるのならば、この場で私を殺せばいいでしょう?」

 

「残念ながら、そういうわけにはいかない。あなたの命と右腕の所在が引き換えなのは見るも明らかだからだ」

 

 職員達は自分とツワブキ家の会話の意図が分かっていないのだろう。この状況に困惑している。

 

「単刀直入に聞く。右腕はどこだ?」

 

 コノハは、先ほどまで抱えていた包みへと視線をやる。コウヤがゆっくりと、そちらへと歩み寄っていく。あと一歩で触れる、というところでふと思いついたように顔を上げた。

 

「そこの職員。ちょっとこの包みを持ってみてくれないか?」

 

 呼びかけられて職員は戸惑う。

 

「自分が、ですか?」

 

「そうだ。この包みを持ち上げてくれ。ただ、それだけでいい」

 

 職員がおっかなびっくりに包みへと歩み寄ってそっと手を触れる。

 

 緊張の一瞬、職員は難なく包みを持ち上げた。

 

「何でしょうか、これ……」

 

 それを見届けたコウヤが横合いから引っ手繰る。

 

「何でもない。重要物件だ。もう戻れ」

 

 コウヤが手にしたのを、コノハはその目でしっかりと確認した。

 

 その瞬間、コノハは手の中に隠し持っていたボタンを押し込む。直後、包みの中から無数の散弾が発射された。コウヤはまともにその攻撃を受ける。散弾が剥き出しの身体に何発かめり込んだが、それも数えるほどでしかなかった。

 

 本来ならばミンチになっていてもおかしくない散弾の嵐を、コウヤは先んじて出していた岩によって防いでいた。岩が蛇のようにコウヤの身体にのたうち、全身に襲いかかろうとしていた攻撃の牙を受け止めている。

 

「レジロック。出しておいて助かった、が……」

 

 コウヤが膝を折る。レジロックでも防ぎ切れなかった弾丸が左足を傷つけていた。出血したコウヤにリョウが声をかける。

 

「兄貴! 大丈夫かよ」

 

「大丈夫、だ。それよりもリョウ。……逃がすな!」

 

 コウヤの言葉が響いた時には、コノハは駆け出していた。リョウの顔面へと掌底を打ち込み仰け反らせる。コノハは素早く装甲車へと乗り込もうとした。今ならば一番の手薄だ。

 

 扉に手をかけたところで空気が凝結しコノハの指の動きを阻害する。

 

 レイカが手を広げてコノハを睨んでいた。

 

「やってくれるわね。ここまで手が込んでいるとは思わなかったわ」

 

 視線の先には右腕に見えるようにカモフラージュしたスイッチ式の武装があった。新聞紙に包んでそれが右腕だと錯覚させた。

 

「本来の右腕の所在は?」

 

「教えるわけないでしょう」

 

 コノハが睨み返すとレイカは、「そうよね」と顎をしゃくる。コープスコーズの子供達がそれぞれゲノセクトを操って包囲した。

 

「随分と趣味が悪い。少年兵だなんて」

 

「でも、効率はいいのよ。Dシリーズのような育成期間を経なくっても使える。それに替えも利くのは兵器としては充分な性能だわ」

 

 レイカの声にコノハは硬直するしかない。どこから撃っているのか分からないが凍結攻撃に晒されている。射程から逃げようにも隙がなかった。レイカの攻撃網とコープスコーズの射程。それに起き上がったリョウが怒りの声を滲ませる。

 

「……コノハさん。本当に、チクショウ、……本当に、裏切っていたなんて……」

 

「だから言ったでしょう? リョウ、もう手加減は無用よ」

 

「当たり前だぜ。チクショウ、鼻血が出てる。クソっ」

 

 鼻を押さえながらリョウがボールから手持ちを繰り出す。鋼の風船のようなポケモンであった。

 

「レジスチルの広域射程ならば私が取り逃しても最悪、破壊光線で消し炭に出来る」

 

 レイカの声にコノハは口角を吊り上げる。

 

「怖い話ね」

 

「それをさほど脅威だと思っていない辺り、死ぬのは怖くないのね」

 

 コノハはこの場で死んだほうが秘密は永遠に守られるのだと感じていた。むしろ生きたまま情報を搾取される危険のほうを考慮すべきだ。

 

「右腕は? 答え方で処刑の方法が決まる」

 

「処刑は取り止めにならないのね」

 

「だって、あなたは今日の今日まで私達を騙して生きてきた。よくもまぁ、のこのこと言えるものよ。あの家で、どれだけ調べ上げてきたのかしら?」

 

 コノハはレイカを見据えながら次の行動を探る。レイカはこの中で一番冷静だ。まずいのは右腕の所在を話してしまう事だが、それよりもまずいのは……。

 

「兄さん、立てる?」

 

「ああ、ちょっと無理かもな。左足に結構深く食い込んじまっている」

 

「野郎……、兄貴を」

 

 ここでまずいのは三兄弟の怒りを買って何もしないまま殺される事。それよりかはせめて一矢報いるべきだ。

 

 コノハはレイカの足元にあるボールへと一瞥を投げる。

 

 チャンスは一度きりだ。コノハは呼吸を止め、思念で命じる。

 

 ――エルレイド。

 

 その声に紫色の思念の残像が瞬時にレイカの背後に現れた。

 

 あまりの素早さにレイカとて対応が追いついていない。出現した事も気配で察知してやっとだろう。その時にはエルレイドは肘を突き出し攻撃に転じていた。

 

「サイコカッター!」

 

 ブゥン、と思念の刃が振るわれる。レイカは肩口へと指差す。

 

「瞬間冷却、レベル3!」

 

 命じられると凍結が瞬く間に壁を構築し、思念の攻撃を止めた。コノハが舌打ちする。エルレイドは蹴り上げた。レイカが転がり、一瞬気が逸れる。

 

「こ、コノハさん!」

 

 リョウの声にコノハは迷わずエルレイドに命じていた。

 

「来ないでください! 来ると、お姉さんが死にますよ」

 

 エルレイドの「サイコカッター」はいつでもレイカの首を落とせる位置にある。リョウは慎重に、声にする。

 

「お、落ち着いてください……コノハさん。オレは、反対したんだ。だって言うのに、兄貴と姉貴が、焦るから……」

 

「来ないで、と言っている!」

 

 張り上げた声にリョウがびくりと肩を震わせる。呼吸が荒い。このままレイカを人質に、何とかしてこの場を逃れる方法はないか、と首を巡らせる。

 

「逃げられないわよ……。どう足掻いても」

 

 レイカの声にコノハは、「そうかしら?」と言ってのけた。

 

「お優しい弟さんは、そうはいかないんじゃないの?」

 

 リョウがレイカの命を取るか、自分の捕獲を優先するかにかかっている。レイカはリョウを見やり舌打ちする。

 

「弟は私の命を見捨てるほど、賢くはなかったわね」

 

 それが分かっているのならばなおさらだ。コノハは命令する。

 

「ツワブキ家、あなた達は何をしようとしているの? 何のために、初代の肉体を集めているの?」

 

「その言葉に、答える義務、あるのかしら。だってこの逼迫した状況、どうあっても捕獲か死しかない。コノハさん、あなた手持ち、エルレイドなのね。ようやく結びついたわ。何であなたが反逆しようとしているのか。よぉく覚えているもの。私が血を入れ換えてやった、あの男のポケモンじゃない。血と記憶を初代のものに相応しく改良してやった、フラン・プラターヌの――」

 

「そこから先は! 言葉にするんじゃない!」

 

 フランを侮辱する事は許せなかった。エルレイドがコノハの怒りを受けてレイカの首を落とそうとする。しかしレイカは落ち着き払っていた。

 

「首が落ちるのはどっちかしら?」

 

 その言葉でコノハは肩口からパキリと音が聞こえる事に気付く。目線を向ける前に、空気が凍結し出現した氷柱が首筋に突き刺さった。

 

 激痛と出血にコノハの目が眩む。その一瞬で勝負は決まった。

 

 レイカがコノハを押し倒し、エルレイドが行動する前に凍結されてしまう。

 

「よくもやってくれたわね」

 

 蹴りつけられコノハは咳き込んだ。そのまま頭を踏みつけられる。

 

「私達三人とも、出していなかったらやられていたわ」

 

 装甲車の上に乗っているのは氷で構築されたポケモンであった。恐らくはレイカの手持ちだろう。既に出していたのか、と歯噛みする。

 

「レイカ、ちょっと歩けそうにない。傷口を塞いでくれ」

 

「手間のかかる事ね」

 

 レイカが手を弾くとコウヤの足の傷口に氷のかさぶたがつけられた。レイカは氷のポケモンを触媒に周囲の空気を凍結させるのだ。

 

「何て、恐ろしいポケモン」

 

「恐ろしい? それはこっちの台詞よ。命令なしで、モンスターボールから直接エルレイドを転送したわね? テレポートか、他の方法か。分からないけれど、一度きりみたいね、あのやり方は」

 

 やはり迷わず殺すべきだった。コノハの眼差しに殺意が宿ったのを感じたのかレイカが哄笑を上げる。

 

「本当なら殺すのはそっちだったかもしれない。でも勝ったのは私。装甲車に詰めて、尋問するとしようかしら。右腕の所在はどこなのか」

 

 教えてなるものか、とコノハは目を背ける。レイカは拳をぎゅっと握る。それに呼応して氷柱が首筋に食い込んだ。しかし傷口に瞬時に凍結が至るため致命的な出血にはならない。

 

「これが一番に効く、生き地獄だって知っているわ。氷柱が首筋に食い込む恐怖。でも死ねないって何よりも分かっている。この方法で尋問してもいいけれど。兄さん、立てる?」

 

「ああ、問題はなさそうだ」

 

 もうかさぶたが定着したのか。コウヤは自分の身体に沿って動く岩ポケモンを操っている。

 

「レジロックでの拷問は?」

 

「殺しちゃうんじゃない? レジアイスでやるわ」

 

「なぁ、兄貴も姉貴も、本当にコノハさんを尋問するのか?」

 

 リョウの声には恐れが宿っている。レイカが腰に手を当てて言い返した。

 

「何よ。文句があるの?」

 

「コノハさんはオレ達の……家族だぜ」

 

「残念ながらリョウ。裏切った人間を家族とは呼ばないんだ」

 

 それが致命的な欠点だと、コウヤは言いたげだった。リョウは兄からの声に言葉をなくす。

 

「装甲車の中でゆっくり聞きましょう。時間はあるわ。殺さず話を聞く手段は心得ているし」

 

 その時、包みが中空から引き出された。思わぬ光景に全員が瞠目する。

 

 コノハも、であった。それは不可視にした右腕を包んでいるものだったからだ。

 

「まさか! エルレイド!」

 

 エルレイドは抵抗する素振りもない。ただ自分が不可視にした右腕を空間から引き出している。地面に落ちた包みをリョウとコウヤは怪訝そうに眺めた。

 

「本物か?」

 

「本物かどうか確かめるのに、一度は拾わなくっては」

 

 レイカがリョウを顎でしゃくる。当然、リョウは当惑した。

 

「オレ? でも、オレは……」

 

「やりなさい。あなたが、一番にコノハさんを信じているんでしょう?」

 

 その文句には逆らえないのだろう。リョウはゆっくりと歩み寄り、包みを拾った。

 

 何も起こらない。「開けろ」とコウヤに促されリョウは包みを開いた。

 

 その目が見開かれる。手にあったのはしなびた右腕だった。

 

「これが、初代の……」

 

 思わず取り落としたリョウにコウヤが舌打ちする。コウヤの身体を流れていた岩ポケモンがそれを拾い上げて近付ける。

 

「なるほど、確かに初代のパーツだ」

 

「しかしどうして……」

 

「エルレイド、なかなかに男前なポケモンじゃない。主人の近親者であったあなたが拷問されるのを、見たくないみたいよ」

 

「そんな……。エルレイド」

 

 フランのポケモンならばそう行動するだろう。しかしこの状況で三人に初代の右腕が渡るのは致命的だった。

 

「これを餌に、初代を釣る」

 

 コウヤの声にコノハは目を見開く。

 

「あなた達、初代の手のものじゃ」

 

「初代は、間違って再生されてしまった。だから間違いを正さなければ」

 

 レイカは自分を装甲車へと押し込む。エルレイドへと拘束用のモンスターボールを投げた。エルレイドが封じられ、デボンを牛耳る三兄弟が装甲車に乗り込む。

 

「さて。死体の王は、再び死者に戻ってもらわなければ」

 



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第百二十八話「進むべきは」

 

「ぼくの右腕を、回収しただと?」

 

 一報が届いた時にはもう朝を迎えようとしていた。しかしこの肉体に休息は必要ない。初代はその持て余す時間を有効活用して自分の記憶と記録の齟齬を重ね合わせていた最中だった。繋いできたのはコウヤだ。

 

『ええ。初代の悲願でしょう?』

 

「それは、もちろんだが」

 

 このタイミングで自分の右腕が見つかるのは出来過ぎている。何か裏があるのだと勘繰るのは当然だった。

 

『ご不満でも?』

 

「……いいや。それで、右腕をどうする?」

 

『接合手術を設けましょう。随分と損傷していまして。すぐにでもオペしなければ』

 

 損傷。その言葉に初代は焦った。

 

「どのくらいだ?」

 

『目に見えるくらいには損傷具合が激しいですね』

 

 思わず舌打ちする。出来れば左足と右腕は無傷で接合したい。

 

「分かった。医者を呼んでおく。ぼくの言う通りに本社まで来てくれ」

 

 通話を切り、初代は歯噛みする。

 

「ぼくの与り知らぬところで、孫達は動いていたようだ」

 

 予期せぬ動きは時として危うい均衡を生み出す。初代は即座に会長権限で呼び出した。その人物はすぐさま現れる。

 

「何でしょうか? 初代」

 

 赤い帽子を傾けたギリーに言い放つ。

 

「仕事だ。ちょっと面倒な事になった」

 

「ネオロケット団ですかい?」

 

「そいつらなら蹴散らせばいいんだが、血縁というのはこういう時、厄介だね」

 

 初代の声音に尋常でない事を悟ったのか、ギリーは聞き返す。

 

「……何があったんで?」

 

「ぼくの右腕が見つかった」

 

 ギリーは大げさに驚き、「それはそれは」と言う。

 

「どこで」

 

「ぼくの優秀な孫達が情報を集めて炙り出してくれたらしい」

 

「よかったじゃないですか」

 

 よかった。本当に、そう思えればどれだけいい事か。だが孫達の厚意がただ単に忠誠によるものでない事くらいは分かる。

 

「……ギリー。ぼくが怖いか?」

 

「そりゃ、当然でしょう? 千の兵力を持つ初代は脅威ですよ」

 

 だがこの男の場合、いざとなれば殺しも厭わないだろう。初代は鼻を鳴らし、「形だけの賛辞は要らないよ」と返す。

 

「ぼくが恐怖に値するか、と聞いている」

 

 改めた声にギリーは、「まともな返事がお望みで?」と茶化した。

 

「ぼくがふざけているとでも?」

 

「まさか。初代は怖いですよ。敵に回したくない」

 

 ギリーの声に初代は何度も頷く。

 

「そのはずだ。ぼくの持つ鋼や岩、地面ポケモンに普通のポケモンで勝つ事は不可能。……だが、ツワブキ家ならば、ぼくのポケモンにカウンターを打てる可能性がある」

 

「初代のポケモンに? あれだけのタイプ構成に?」

 

「……ぼくの遺産がきっちり相続されているのならば、彼らに然るべきポケモンが渡されているはずだ」

 

 そう口にしてから、誰が、そのような手順を踏んだ? と疑問が浮かんだ。誰に、自分は頼んだのであったか。それが引っかかって出てこない。誰に、遺産の管理を任せたのであったか。

 

 それが重大な見落としのように感じられたがギリーの声で我に帰った。

 

「初代? どうなさいました?」

 

「……いや、何でもない。ぼくは、誰も頼っちゃいない。そのはずだ」

 

「えらく狭い考え方ですね。自分が死んだらどうするか、とか考えていらっしゃったんじゃ?」

 

 そのはずである。死んだ後、どうやって遺産配分をするのか。そもそも誰が――。

 

 疼痛が襲う。初代は額を押さえた。

 

「誰が、そうだ、誰に、ぼくは頼んだ?」

 

 ギリーが顔を覗き込んでくる。初代は手を払った。

 

「初代? 顔色が優れませんが」

 

「何でもない。忘れろ」

 

 この男は忘れろと言えば忘れる。初代の言葉にギリーは何も口を差し挟まなかった。ただ胸のうちに湧いた疑念を払拭するに至っていない。

 

 端末を一つ手にして声を吹き込む。

 

「ぼくだ。頼みがある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初代の右腕が発見された。

 

 その報告はギリーより暗号メールが届いた事でイッシンにも知れ渡る事となった。後は左足と心臓部。だが初代は心臓のない事を気づいていない。そのはずである。

 

 この場合、一番に守るべきなのはディアルガだろう。少しでも記憶が戻れば心臓がない事に気づくかもしれない。その場合、一番に手薄になるのはこの区画だ。イッシンは機密ブロックに向かい、報告を受け取った。

 

「ギリー。初代に付き従っているのか」

 

 それが正解だろう。自分ならばそうするように命じている。問題なのは誰が、右腕を発見したのかという事だ。三つの暗号をイッシンは用意しておいた。

 

 ツワブキ家のものならば「5」を。

 

 ネオロケット団のものならば「6」を。

 

 それ以外ならば「7」を末尾に送信するように指示していた。メールの末尾をイッシンはスクロールする。 

 

 そこで震撼した。

 

「5……、つまり我がツワブキ家の者……」

 

 答えは一つしかない。息子達が自分の計画に気付き、阻止するために動き出した。

 

「駄目だ。初代だけは、完全復活させてはならないのだ」

 

 イッシンは打てる手を打っておく必要に駆られた。まずはディアルガの完全封印だがそれは事実上不可能である。もしもの時にデボンごとこのブロックを爆砕する。そのためのスイッチが手にはあった。

 

「もう一つは、ギリーが初代の暗殺に成功する事だが……」

 

 息子達がその場に居合わせたならば封じられる可能性がある。イッシンは最後の手を打つ事にした。履歴不明の電話番号へとイッシンは電話をかける。このデボンにわざと足跡を残して侵入している人間がいた。その人物の行方は分からないものの明らかに自分とデボンに持ちかけているのが分かった。もしもの時の最後の手段を。

 

「……出てくれ」

 

 通話が繋がる。返ってきた声は意外な人物であった。

 

『……ようやく、ここに来たか。ツワブキ家』

 

 イッシンは自分の耳を疑う。しかしその声は幼い頃より慣れ親しんだ声の持ち主であった。

 

「まさか……! 君だったのか、ヒグチ・サキ……!」

 

 電話口の相手は動じる事もなく、イッシンの声に返答する。

 

『やっぱりルイのシステムは完璧だ。ここに至るまでリョウのおじさんは私の正体に全く掠りもしなかった』

 

『当然です』と誰かの声が重なる。まさかヒグチ・サキには協力者がいるのか。

 

「どうして君なんだ……。デボンに何を」

 

『それを語る前に、この番号にかけてきた、という事はのっぴきならない事態なんじゃ?』

 

 サキの言葉にイッシンはうろたえながらも口火を切る。

 

「リョウが、いいや息子達が、悪魔の計画に手を貸そうとしている。わたしだけでは止められない」

 

『だから、私達の力が必要だと』

 

「初代を止める手立てが見当たらない。右腕を手に入れれば、恐らく記憶の一部も戻るだろう。そうなった時、最後に残っている部位を発見されれば困るのだ」

 

『心臓部、ですよね』

 

 自分とギリー以外に知らないはずの心臓部の事を言い当てるサキにイッシンは舌を巻いていた。一体どこまで、サキは踏み込んでいるのか。

 

「……心臓部を手にされれば勝つ手段がない。心臓部の奪取はディアルガを手にされるのと同義だ」

 

『ルイ。構成防壁を張りつつ初代のボックス操作を阻止する事は?』

 

『難しいです。初代のボックス操作は他の権限とはまるで別なので』

 

『じゃあやっぱり、この手しかないみたいだ』

 

 誰と話しているのだ、と一身が訝しげにしていると、『おじさん』と声がかけられる。

 

『初代を倒す事に、協力しても構いません』

 

 ただし、と条件が付け加えられる。イッシンは何でも捧げる覚悟をした。

 

『ツワブキ・レイカだけは、私が倒します。他に手助けをしないようにしてもらえれば』

 

 レイカ。どうしてここでレイカの名前が出るのだ。しかしイッシンは認めざるを得ない。自分以外に初代を止められる手段はサキだけだ。

 

「……いいだろう。レイカと君の勝負には口出ししないよ」

 

『感謝します』

 

 一体、どのような因縁があるというのか。イッシンは怖くて聞けなかった。自分の娘と懇意にしていたヒグチ・サキがどのような確執を抱えているかなど知らないほうがいい。

 

『初代のオペを遅らせて、何とかして合流します』

 

「いや、わたしは地下から動けないんだ。心臓部をどうしても守り切らなければ」

 

 その間に初代が完全復活を遂げれば自分の落ち度でもある。サキは、『仕方がないとはいえ』と声にする。

 

『その場合、バックアップは期待出来ないと思ったほうがいいですか』

 

 自分はサキを支援出来ない。随分と一方的な交渉だとは思う。

 

「すまないね。わたしに出来る事は少なくて」

 

『いえ。僥倖なのはおじさんに気づかれていないという事は初代も気付いていないという事です。つけ入る隙はありますよ』

 

 いつから、彼女はこのように知略の巡る人間になったのだろう。それほどまでに苛烈な人生を歩ませたのは誰なのか、とイッシンは他人事でありながら割り切れない部分を感じた。

 

「君は、どうする気なんだ?」

 

『決まっています』

 

 サキは一呼吸置いてから答える。

 

『初代を抹殺し、ホウエンを救う』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルイがタイムラグなしで情報を掻き集める。サキは出かける準備をする事にしていた。コートを羽織ってルイに語りかける。

 

「ルイ。私がいない分、デボンの情報に目を光らせておいて」

 

『ご主人様のいない時なんて考えられませんよ』

 

 ルイの言葉にサキは口元を綻ばせる。

 

「でも、私はこれから死ににいくようなものだから」

 

 デボンに突入するという事はもう命がないようなものだ。煙草の箱の底を叩き、くわえて火を点ける。

 

『煙草は健康に害を及ぼす可能性が』

 

「パッケージみたいな事を言うな」

 

 このやり取りももう終わりだろう。サキは半年という短い間でありながら懐かしんだ。

 

「ルイ。お前、どうあって生まれたのか、まだ聞いていなかったな」

 

 プラターヌが作り上げた人工知能。一体どうやって生まれたのだろう。ルイは、『プラターヌ博士は最初から』とサキに言葉を振り向ける。

 

『自分の死を前提として、ボクを作ったみたいです』

 

「最初から、か。いつから、というのも愚問かな」

 

 最初からならば自分と出会った時、もうプラターヌは死を覚悟していたのだろう。そうでなければルイのような高度なシステムを作る時間がない。

 

「プラターヌ博士は、では病院にいた頃から?」

 

『はい。自分の人生の清算だ、とよく言っておられました』

 

 清算。恐らくは自分の人生に満足いっていなかった男の言葉だ。その納得を得るために、彼は外に出た。自分と出会わなければ、死なずに済んだかもしれないのに。

 

 いや、この考えも違うとサキは感じていた。きっと博士は緩やかな死さえも自分にとっては死なのだと感じていたのだろう。

 

「博士は、どういう気持ちで、お前を作ったんだろうな」

 

『博士には娘はいませんでした。だからその点以外は苦労しなかったんじゃないでしょうか。だって子育ての経験はあったわけですし』

 

 博士の息子、フラン・プラターヌ。それが同時にダイゴでもあった。皮肉な事実にサキは苦々しい思いを噛み締める。

 

「全ての発端はツワブキ家だ。だって言うのに、博士は……」

 

 自分の子供を奪われ、尊厳を奪われてもなお諦めなかった。その魂の輝きがルイという存在なのだろう。

 

『ご主人様、不審な動きの団体があります』

 

 ルイの報告にサキは応じた。

 

「ネオロケット団だろう。この状況で動くのは」

 

『いいえ。ネオロケット団ではありません。第三戦力と思しきアクセス履歴を発見しました』

 

 その言葉にサキは改めて座り直し、ルイのシステムに介入する。ルイが洗い出したシステムの閲覧履歴の中に今までにないコードが含まれていた。

 

「何だ、これは……。どこから……」

 

 逆探知して場所を洗い出す。ルイのシステムならばそれが可能だった。特定された意外な位置にサキは狼狽する。

 

「何てことだ……。という事はつまり、初代を殺したのは奴だった、というのは……」

 

『恐らく事実でしょうね。この事態にデボンを嗅ぎ回るのは初代殺しに関係している人間以外、あり得ませんから』

 

 しかし、とサキは信じられなかった。どうして初代を殺さなければならなかったのか。その疑問が氷解していない。

 

「どうして奴が、初代を殺した……?」

 

『状況証拠だけでは特定出来ませんね』

 

「ルイ。私はもうデボンに向かう。ツワブキ・レイカと決着をつけるために」

 

 ホルスターに留めたモンスターボールをルイに突き出す。ルイは、『お気をつけて』と見送ってくれた。

 

『ご主人様、ボクは出来る限り、初代殺しの犯人の情報を集めておきましょう。どうして殺さなければならなかったのか。一番に明らかにしなければいけないのはツワブキ家の人々のはずだからです』

 

 最悪の場合の交渉に使える、という判断だろう。ルイは自分を守る事を第一に掲げられたシステムだ。だから命を守る事を優先する。

 

「ありがとう、ルイ」

 

『らしくありませんよ、ご主人様。しっかりやっておけよ、くらい言ってください』

 

 減らず口にサキは微笑む。このシステムも随分と人間らしくなってきたものだ。

 

「ああ、行ってくる。戦って、勝つために」

 

 サキはコートを翻し、部屋を出て行った。

 



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第百二十九話「花よ舞え」

「戦って、勝たなきゃいけない」

 

 ディズィーの声に靴紐を結んでいたダイゴは顔を上げる。

 

 目の前には四天王が佇んでおり、倒さなければ先に進めない。隣にいるクオンが緊張の面持ちを浮かべている。彼女からしてみればメガシンカの継続時間の課題がまだ残っているのだ。ディズィーはその点、心配は要らないのだろう。

 

 問題なのは自分だ。まだ一度としてメガシンカに至っていない。そればかりか、四天王の突破もまだだ。

 

「三人同時に来いよ。それくらいでちょうどいいかもな」

 

 挑発するのは四天王の一角、カゲツ。彼は悪タイプの使い手だ。だからこの場合、自分は引き下がって二人に任せたほうがいい。

 

 だが、そう簡単に割り切れないのが自分だった。

 

「ディズィーさん、クオンちゃん。最初は、俺に任せてくれないか?」

 

 その提案にディズィーが反対する。

 

「悪タイプ相手に、鋼・エスパーのメタグロスじゃ効率的じゃない。フェアリーを持つオイラ達のほうが」

 

「それは分かっている。でも、有利な時だけ前に出るなんて、そんなのずるいじゃないか」 

 

 ダイゴはモンスターボールを掲げる。ディズィーは渋々了承した。

 

「……分かったよ。ただし、オイラはだけれどね。クオっちはどう思っている?」

 

「あたしは……、ダイゴに無駄な消耗をさせるべきじゃないと思っている」

 

 それが当然と言えば当然。しかしダイゴは言い返した。

 

「無駄な消耗かどうかは、俺の戦い次第だ。もう何十回と、この半年間戦ってきた。俺は、もう逃げ口上を使いたくない」

 

 その言葉にはさすがにクオンも押し黙る。カゲツが、「いいのかよ」と尋ねた。

 

「フェアリーが悪に有効だって事は実証済みなんだぜ? それに、ここから先、あと三人の四天王を勝ち進むのに、タイプ上有利を狙っていくべきだ。それくらい、トレーナーなら初歩の初歩だろ」

 

「ええ、ですが俺は、ここで勝てなければ、一生勝てない」

 

 ボールを翳したダイゴにカゲツは鼻を鳴らす。

 

「随分と強気に出られたみたいだが、オレだって負けられねぇよ。何せ、このホウエンの上に立つ、最強の四人の一人だからよ」

 

「いけ、メタグロス!」

 

 ダイゴがボールを投擲してメタグロスを繰り出す。まだメガシンカの兆候はない。カゲツは息を吐き出しつつ、「メタグロス、ね」と呟いた。

 

「そりゃ、弱いポケモンじゃねぇよ? 鋼・エスパーって実は結構、強い組み合わせだ。でもよ、お前は負けるぜ。オレの切り札相手にな」

 

 カゲツがボールを投擲し、口にする。

 

「いけ、アブソル」

 

 出現したのは白い体毛の獣であった。反った刃のような角を持っており、赤い眼光がメタグロスを睨み据える。

 

 純粋な悪タイプのポケモン、アブソル。立ち現れた姿にダイゴは速攻の命令を発する。

 

「先手必勝だ! バレットパンチ!」

 

 メタグロスの弾丸の勢いを誇る拳がアブソルへと打ち込まれようとする。しかしアブソルは軽くステップを踏んだだけで「バレットパンチ」を回避した。刃のような角を振るい上げ、メタグロスの腕へと風を纏い付かせた一撃を見舞う。

 

 ぎしり、と軋む音。ダイゴはその一撃が的確に関節を狙ったものである事を確信する。

 

「関節が、見えて」

 

「当たり前だろうが。鋼タイプの堅牢な表皮にただ攻撃するとでも? 言っておくが、関節を含め、脆い部分は全部見えているぜ」

 

 アブソルが下段へと回り込み、突き上げる一撃を放った。メタグロスが身体を振動させられ一瞬、挙動が怪しくなる。ダイゴは脳震とうを狙った的確な攻撃であると判じた。

 

「鋼を、脳震とうさせようなんて!」

 

 メタグロスの腕がアブソルを捉えようとするが、アブソルは華麗にかわし、今度は背後に回った。

 

「メタグロス! 後ろだ、推進剤で吹き飛ばす!」

 

 メタグロスの腕から発射された青白い炎がアブソルの視界を覆ったかに思われた。しかしアブソルは臆する事はない。それどころか推進剤に真っ直ぐに突っ込んできた。さしもの悪タイプとはいえ、推進剤の熱量の中、目を開けていられるとは思えない。

 

「推進剤の中に突っ込むなんて……」

 

「違う! よく見るんだ!」

 

 ディズィーの声にダイゴはアブソルの狙いを理解した。推進剤に突っ込んだと思われたアブソルは角で推進剤の熱量を切り裂き、無風状態の場所を進んでいるのだ。それ以外の箇所は推進剤の熱量で焼かれるが、アブソルの的確な攻撃は推進剤の薄い部分を網羅していた。

 

「そんな……。咄嗟の判断で出来るレベルじゃ」

 

「言ったろうが。オレ達はホウエンの上に立つ四天王。全てを上回り、全てを超えている」

 

 アブソルが躍り上がる。メタグロスは横合いから推進剤を焚かせて方向転換する。それでもアブソルの前足がメタグロスを蹴りつけた。よろめいたメタグロスへと空中のアブソルが攻撃を連続で浴びせる。

 

「辻切り!」

 

 黒い瘴気が浮かび上がり、拡張した闇の刃がメタグロスを押し込んだ。ダイゴはメタグロスへと命じる。

 

「相手も動けないだろう! コメットパンチで」

 

「遅ぇ!」

 

 返す刀で放たれた「つじぎり」による一閃が「コメットパンチ」を放つ前のメタグロスへと突き刺さる。メタグロスが後退した隙を狙い、アブソルは果敢に攻めた。

 

「鈍い、鈍いぜ! 判断力、速度、強靭さ、反応、そして何よりも!」

 

 アブソルが仰け反って拡張した刃を薙ぎ払う。バトルフィールドが捲れ上がり、その余波である攻撃の波がメタグロスを打ち据えた。

 

「確信的に、弱い!」

 

 声と共に浴びせられた刃の攻撃にメタグロスが怯んだ。ダイゴも拳を握り締める。

 

「俺が弱いだって……」

 

「そうだとも。てめぇ、オサムのほうが随分と骨があったぜ。メタグロスの強さの三割だって引き出せてねぇ」

 

 カゲツの言葉にダイゴは言い返す。

 

「そんな事!」

 

「ねぇってか? だが、これが圧倒的な現実って奴だ」

 

 鞭のようにしなった闇の刃がメタグロスの攻撃をぶれさせた。渾身の「コメットパンチ」はアブソルのすぐ傍の地面に突き刺さる。

 

「命中しねぇ上に、高威力の技を無駄撃ちか。これじゃ、メタグロスが可哀想になってくるな」

 

 四つの腕のうち一本を切り離してまで使った「コメットパンチ」は命中しなかった。その事実にディズィーが前に出る。

 

「ダイゴ! やっぱり、見ていられない。オイラが」

 

 それを制したのはクオンだった。思わぬ行動に、「クオっち?」とディズィーがうろたえる。

 

「このままじゃ四天王を打ち破るどころじゃないよ」

 

「分かっています。ですけれど、まだ、ディズィーさん。まだ、ダイゴの戦いです」

 

 その言葉の意味が分からないのか、ディズィーは言いやる。

 

「そのダイゴの戦いも、ここまで差があるんじゃ意味がないって言っているんだ。まさか最初の四天王とだけでもこれだけだとは。見ていられない。オイラ達のフェアリータイプならば――」

 

「ディズィーさん。まだ、勝負はついていない」

 

 クオンの声にディズィーは困惑する。カゲツが声を上げた。

 

「ざまぁねぇな。ダイゴ。女子供に心配されるとは、堕ちたもんだぜ」

 

 ダイゴはフィールドを見やる。アブソルは「コメットパンチ」の腕の傍におり、カゲツは奥に。自分とメタグロスの距離間は、三メートル前後。これならば、手はあった。

 

「カゲツさん。三割も引き出せていない、って言いましたね?」

 

 ダイゴの声にカゲツは胡乱そうに返す。

 

「言ったが?」

 

「だったら、その残り七割を、今、引き出しましょう」

 

 思わぬ言葉だったのだろう。カゲツは頬を引きつらせていた。

 

「おいおい、三割も引き出せない奴がいきなりもう七割引き出すって? 笑わせんな。それ以上に、四天王嘗めんな」

 

「嘗めているのは」

 

 ダイゴが指を鳴らす。

 

 次の瞬間、地面に突き刺さっていた腕から推進剤が噴き出した。突然の事にカゲツが狼狽する。噴き出した白い煙はたちまち視界を覆い尽くした。

 

「何だって言うんだ……」

 

「カゲツさん。あなたのポケモンは全部、素早さを重視している。だからメタグロスで、ただ単純に攻撃を当てようとしても当たらないし、逆に消耗する結果になるのは目に見えている。だからこそ、あえて、コメットパンチの腕を分離させた。今の状況じゃ、その素早さは殺されたも同然」

 

 カゲツがハッとして声を張り上げる。

 

「やべぇ、アブソル! そこから離脱――」

 

「遅い」

 

 アブソルが声に気付いて離脱する前に、メタグロスの拳がその身体にめり込んでいた。推進剤からの白煙のせいで接近するメタグロスが視認出来なかったのだ。

 

 アブソルが咄嗟に回避行動に移ろうとする。その前に叩き込んだ。

 

「アームハンマー」

 

 もう一方の腕がアブソルへと突き刺さり、間断のない拳の軌跡を打ち込ませる。ネオロケット団に訪れてから覚えさせた技「アームハンマー」は格闘タイプの技。悪であるアブソルには効果抜群であった。

 

 攻撃から逃れるようにアブソルが闇の刃を地面に突き刺す。上がった粉塵による一瞬のメタグロスの隙をつき、アブソルが後退する。しかし「アームハンマー」の威力は推し量るべきだった。アブソルが荒い呼吸のまま、メタグロスを睨み据えている。肋骨も何本か折れているに違いない。今にも膝をつきそうだった。

 

「呼び戻せ」

 

 ダイゴの声にメタグロスは発炎筒代わりに使っていた腕を呼び戻す。装着された腕がもし「アームハンマー」に使われていれば確実にアブソルを沈めただろう。カゲツもそれを分かっていたに違いない。

 

「……なるほどな。オレに油断をさせるために、わざと今まで抑えて戦っていたわけか。嘗められた……いいや、メタグロスの性能を活かす、最大限の戦い方ってわけか」

 

 カゲツはアブソルを呼びつける。アブソルは今にも危うかった。攻撃に転じられるほど体力が残っているとは思えない。

 

「俺の勝ちです」

 

 確信した声音にカゲツは、「だろうな」と答えた。

 

「普通なら、ここで勝敗は決している。だが、ダイゴ。今回はメガシンカありでの戦いだって事、忘れてんじゃねぇか?」

 

 カゲツが首から提げたネックレスを出す。虹色の石があしらわれたネックレスが光り輝き、カゲツが指を当てる。

 

 直後、空気が逆巻いた。エネルギーの甲殻がアブソルへと収束してゆき、全身を纏った瞬間、咆哮と共に甲殻が晴れる。そこにいたのは最早アブソルではない。

 

 翼のように白い体毛が発達し、片方の目を隠す形で伸びた前髪は一段階上のポケモンである事を示している。先ほどまでよりもより鋭敏化した刃のような角を振り翳す。攻撃力の上昇は見るも明らかだった。

 

「――メガシンカ、メガアブソル」

 



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第百三十話「月に吠えろ」

 メガシンカした。ダイゴは息を詰める。

 

「ディズィーさん、クオンちゃん。ここから先に行ってください」

 

 その決断に二人とも戸惑う。

 

「何で、メガシンカした相手なら余計に一人で戦うのは危険じゃ」

 

「だからこそ、です。俺一人じゃ、ここを突破出来るか分からない。俺達全員が、四天王を突破出来ればいいんですよね?」

 

 最悪の場合、自分はカゲツだけを道連れに出来れば。その考えにカゲツは鼻を鳴らす。

 

「まぁな。この戦いの間にフヨウとプリム、それにゲンジの爺さんがやられれば、お前らの勝ちだ。……もっとも、そんなにやわなのが四天王だとは思わないで欲しいがな」

 

「行ってくれ」

 

 ダイゴの声に慎重に慎重を重ねた上の決断だと察したのだろう。クオンが前に出た。

 

「負けないで」

 

「分かっている」

 

 ディズィーが遅れながらダイゴに声を振り向ける。

 

「言っておくけれど、ここで負けるんなら、最後まで行ったところで一緒に戦うのは願い下げだから」

 

「分かっています」

 

 クオンとディズィーが駆け出す。カゲツはその進路を邪魔する事もなく、二人を次の階層に通した。

 

「邪魔しないんですね」

 

「オレが、そんな偏狭な人間に見えるか?」

 

「いえ、とても真っ直ぐな人間だと」

 

 言葉を交わし合い、カゲツは笑みを浮かべる。

 

「てめぇも、読めねぇな。最初っからこのつもりなら、何で戦う様を見せた? あいつらを先に通したほうがいいじゃねぇか」

 

「俺の覚悟です。メタグロスでも大丈夫だって、彼女達には知って欲しかった」

 

「なるほどね。確かにさっきのは一杯食わされた。だがよ」

 

 メガアブソルが姿勢を沈めて構える。カゲツの次の声を待っていた。

 

「トレーナーの頂点に立つ四天王を、そう容易く突破出来ると思うな。メガアブソル、辻切り」

 

 掻き消えた、と言ったほうが正しい。先ほどまでその場所にいたメガアブソルの姿が気配も含めて消失したのだ。無論、ダイゴとて油断していたわけではない。集中していたし、メガアブソルの攻撃に備えていた。

 

 だが、まさか消えるとは思ってもみなかった。あまりの速度に困惑が勝ってしまう。

 

「どこへ……」

 

「阿呆、そんな暇があるか」

 

 直上から闇の刃が拡散し、メタグロスへと襲いかかる。上だ、とダイゴが判じた時にはもうその場所にはいない。メタグロスの拳が何もない空を穿った。

 

「何で、こんな速度を」

 

「実現出来るかって? 昨日今日メガシンカを習得したわけじゃねぇんだ。それは当たり前だろ。もうオレ達は使いこなしている」

 

 再び突き上げてきたのは下段からだ。いつの間に下段に回り込んだのかまるで視認出来なかった。遅れた攻撃が浴びせかけられるがその影すらも捉えられない。

 

「メタグロス! 全身から推進剤を放て!」

 

 メタグロスの隙間という隙間から白煙が噴き出した。思惑は一つ。空気の流れでメガアブソルを追跡する。白煙の中ならばどれだけ速かろうとメガアブソルの軌道が読めるはずだ。

 

「なるほどな。地面に一度でも足をつけばそこから洗い出すってわけか。即席の戦法にしちゃよくやる」

 

 しかしメガアブソルはどこにも着地した気配がない。急く胸の内に冷水を浴びせかけるようにカゲツの声が響く。

 

「しかし、メガシンカを過小評価してるみたいだな。まさか特性が変わらないとでも?」

 

 白煙の中を漂っている影を目にする。ダイゴは一気に畳みかけようとした。

 

「そこだ! メタグロス!」

 

 拳を打ち込む。しかし、手応えがなかった。煙が晴れていく。そこには何もない、メガアブソルの残滓すら狙えていなかった。

 

「何かいた気配があったのに……」

 

 ハッとダイゴとメタグロスが振り返る。直上から降り立ってきたメガアブソルが刃の角を突き出した。

 

「どこから……。気配もなく」

 

「メガアブソル。特性はマジックミラー。てめぇらの出した変化技をこっちのものとする。さっきの白煙、よくやったと思うが、あれは出した途端にもう、メガアブソルの攻撃になっていた。自分の攻撃を操れない馬鹿なんていねぇだろ」

 

 つまり気配と見えた空気の流れはメガアブソルにコントロールされていた。それを感じ取る前に闇の刃がメタグロスを切りかかる。鋼の腕を伸ばしてメガアブソルを捉えようとするもするりと抜けられてしまう。

 

「絡め手も通用しねぇ。真正面からじゃどう足掻いたってメタグロスではさばき切れないだろう。言っておくぜ。負けを認めるならば潔いほうがいい」

 

 負けるのか。ダイゴは歯噛みする。ここで負ければ自分は何のために二人を行かせた? 何のために、今まで血の滲む戦いを繰り広げてきた? 

 

 自分は勝つしかないのだ。ここで勝つしか、もう手段もない。

 

「俺は、もう戦って勝つしか、強くなるしかない。だから、メタグロス。まだ、負けるな。負けなんて吹き飛ばす」

 

 ダイゴの強い声音にメタグロスが啼いて応じる。カゲツは舌打ちを漏らす。

 

「……いつだって物分りのいい奴が正解ってわけでもないが、今回の場合、物分りが悪過ぎるぜ、ツワブキ・ダイゴ。変化技は返される。物理攻撃じゃメガアブソルに追いつけねぇ。この状況で、どうやって勝つ?」

 

「メタグロスのスペックを、俺が引き出せばいい」

 

 半年前に感じたのと同じ現象を使いこなせればあるいは。ダイゴはメタグロスの中に自分を落とし込むイメージを持つ。メタグロスを器と感じろ。器の中に自分を入れるのだ。

 

 自分という存在が限りなく透明になっていく感覚。メタグロスの、四つの腕に自分を溶け込ませ、それぞれを自律的に動かせるように反射神経を研ぎ澄ます。

 

「おい、寝てんのか!」

 

 メガアブソルが向かってくる。空気の流れ。メガアブソルの鼓動と血脈。足に力が込められてメガアブソルが跳躍する。何ていう跳躍力。筋肉が跳ねて爆発し、瞬時にメタグロスの上を取る。今までこの跳躍力を見ていなかったのか。

 

 跳ね上がったメガアブソルの攻撃姿勢。有する刃状の角に悪タイプ独特のエネルギーを集約させ、一気に放つ技。隙があるとすればどこだ? ダイゴは極大化した感知野の中で探す。メガアブソルが攻撃を放つ。

 

 闇の刃が凝縮されて拡散する瞬間。メガアブソルは攻撃を放った後、隙が出来る。その隙を可視化させないための拡散攻撃。ダイゴはメタグロスに思惟で命じる。メタグロスが腕のうち一本に力を込め、直上のメガアブソルを睨んだ。その目と同期したダイゴが攻撃を放った後のメガアブソルを観察する。翼のように広がった体毛がメガアブソルに一定時間の滑空を約束している。しかしそれは同時に、一定時間は空中に居続けなければいけない制約だ。ダイゴはそこを突いた。

 

 メタグロスの腕がメガアブソルを捉える。闇の刃の拡散攻撃が関節や表皮を打ち据えダイゴの戦闘意欲を萎えさせるもそれ以上に、メタグロスと同調した精神が昂り、鋼の一撃がメガアブソルの体表へと食い込んだ。

 

 メガアブソルの肉体を捉えた拳。爪が食い込み、逃がすものか、とダイゴが思惟を飛ばす。

 

「野郎……、辻切りで距離を取れ! メガアブソル!」

 

「させない。メタグロス、連続でバレットパンチ!」

 

 弾丸の勢いの拳が「つじぎり」を発動させようとしていたメガアブソルの顔面を殴りつける。メガアブソルの角に纏い付いていた闇の刃が霧散した。

 

「こんな、事が……」

 

「撃て! メタグロス!」

 

 銀色の軌跡を描きつつ「バレットパンチ」が高速で叩き込まれる。メガアブソルは攻撃を満身に受け止め仰け反って吹き飛ばされた。

 

「距離を取れば……。距離を取ればこちらの勝ちだ」

 

 カゲツにも僅かながらダメージが行っているのだろう。声音が震えている。しかしダイゴはここで逃がすつもりはない。

 

「腕を発射して掴め!」

 

 付け根からメタグロスの腕が発射され、距離を取ろうとしていたメガアブソルの胸倉を掴み上げる。磁石のように吸い寄せられたメタグロスの姿がメガアブソルへと肉迫した。

 

「思念の、頭突き!」

 

 紫色の思念を帯びた頭突きがメガアブソルへと突き刺さる。ダメージ効果はない。だがカゲツに、メタグロスからは離れられないと実感させるには充分な一撃だ。

 

「メガアブソル……、そいつを吹っ飛ばせ! カマイタチ!」

 

 空気が纏いついて刃状の角から放出される。全包囲へと強化された風の刃はメタグロスの関節へと叩き込まれようとしていた。

 

「関節をロックしろ。極めて短く射程を取るんだ」

 

 メタグロスの関節は相手との射程と距離間を考えて伸びている。それをブロックするように短く、関節をガードする姿勢に入った。つまり今のメタグロスは射程が最短である。

 

「そんな状態で! オレはより距離を取りやすくなる」

 

 風の刃が吹き終われば、メガアブソルは今まで通りの攻勢に出るだろう。それをさせないために、メタグロスは回転しながらメガアブソルの至近に入った。まさか回転攻撃が有効だとは思いもしなかったのだろう。カゲツが目を見開く。

 

「自ら射程に、入ってきた……」

 

 違う、とダイゴとカゲツは同時に感じ取る。射程に入ったのではない。メタグロスは自分の打撃攻撃を無効化する代わりにメガアブソルの超至近距離、つまり攻撃の無風地帯へと突入したのだ。それを感知したカゲツはすぐさま距離を取ろうとする。だが、メタグロスの爪がかっちりとメガアブソルの顔面に掴みかかっていた。

 

「逃がさない」

 

 カゲツは舌打ち混じりに声を張り上げる。

 

「もう逃げるなんて考えている暇はねぇ! メガアブソル、相手の攻撃が食い込む前に勝負を決めるぞ! 辻切り、連撃!」

 

「こっちもだ。メタグロス、バレットパンチ、連撃!」

 

 闇の刃が拡散しメタグロスの表皮を切り裂いていく。それと同期するようにメタグロスの放った銀色の拳が幾重にも輝き闇の刃を打ち砕く。

 

 どちらの攻撃が届くか、など最早考えていない。どちらの攻撃が最後の最後に有効か、も考えていなかった。

 

 どちらが最後に立っているか。それだけだ。

 

 最も単純な男の戦い。立っていたほうが勝者。

 

 メタグロスの攻撃が一瞬鈍る。攻撃するに当たって関節を伸ばさなければならない。伸び切った関節を「つじぎり」が傷つける。

 

 しかしメガアブソルにもダメージがあった。「バレットパンチ」は単純な打撃技だがその速さは折り紙つきだ。属性効果の薄い打撃だからこそこの場合、純粋なダメージとしてメガアブソルに蓄積する。

 

 その時、ダイゴが膝を折った。メタグロスからのダメージフィードバックが思いのほか厳しく、全身に切り傷を作っていた。

 

 カゲツは倒れない。メガアブソルも健在だった。

 

 勝負あった、かに思われたがメガアブソルの闇の刃が霧散する。その角に皹が入った。

 

 メタグロスの最後の一撃。弾丸の拳がめり込み、メガアブソルを吹き飛ばす。カゲツはフッと口元に笑みを浮かべた。

 

「何てぇ、硬さだ。まったくよ」

 

 メタグロスの放った拳にメガアブソルの周囲の空間がねじれ、エネルギーが空気中に溶け出していく。紫色の甲殻が剥がれ落ちたかと思うとメガアブソルは元のアブソルの姿に戻っていた。

 

 膝をついていたダイゴが荒い呼吸のまま拳を振るっていた。同調状態の強い結びつきが、メタグロスの臨界点と一致し、ダイゴの肉体を動かした。

 

「メガシンカなしで、メガシンカポケモンを破る、か。不可能だと思っていたが」

 

 カゲツは笑みを浮かべたままダイゴを見やる。

 

「ここに、それが出来ちまう馬鹿がいたか」

 

「俺の、……俺は……」

 

「てめぇの勝ちだ。ツワブキ・ダイゴ」

 

 カゲツがモンスターボールにアブソルを戻し、ダイゴへと人間用の傷薬を投げつけた。ダイゴはそれを吹きつけながら、「俺の……」と呟く。

 

「そうだよ。てめぇの勝ち。よくもまぁ、メガシンカポケモンとの打ち合いで耐え切ったもんだぜ。普通、根負けするだろ」

 

 放心状態のダイゴへとカゲツは肩を叩く。

 

「なんだよ。嬉しくねぇのか?」

 

「いえ……。嬉しいですけれど」

 

「安心しろ。メタグロスは回復させてから次の階層に向かえばいい。回復なしで四天王を抜けろだなんて、そこまで酷な事言わないぜ?」

 

 その言葉に力が抜けた。緊張し切っていた身体がようやく弛緩する。

 

「だが、忘れてもらったら困るのが、この先、あの二人が勝ち進んでいたとしても、一人や二人は、てめぇが戦わなきゃいけないって事さ」

 

 ディズィーやクオンがいくら優位でも、それは恐らく三人目まで。四人目、最強の四天王は、自分達三人がかりでも勝てるかどうか怪しい。

 

「俺は、負けません」

 

 それでも、弱音は吐けなかった。ディズィーやクオンが負けていても自分は勝利を手にする。それくらいの気概がなければ。

 

「いい目をしてやがる」

 

 カゲツが口笛を吹く。その時、カゲツの端末が鳴った。

 

「何だよ、勝負の余韻を楽しみたいのに。……オレだ」

 

『カゲツさん。とんでもない事になりました。情報部によると、右腕が初代の手に渡ったそうです』

 

「んだと……」

 

 その言葉はダイゴにも聞こえていた。右腕が初代の下に? それはつまり、コノハが捕まってしまった事を意味していた。

 

「何だって急に。初代はどういうつもりなんだ?」

 

『分かりませんが、デボン社内で緊急手術が行われるようです。このままでは』

 

「初代はまた一つ、完成品に近づくってわけか」

 

 それだけは阻止しなければ。ダイゴが立ち上がりかけるとカゲツが手で制する。

 

「分かった。オサム、オレとお前を主軸に据えた構築でデボンに乗り込むぞ」

 

 カゲツの決定にダイゴは異を唱える。

 

「何でです……。俺も行けます!」

 

 その言葉にカゲツは一瞥を向けてからオサムに詳細を伝えた。

 

「いいか? オレが行くまで逸るんじゃねぇぞ。コータス部隊も有効かどうかは分からないが、いつものゲノセクトが出てくると考えていい。徹底抗戦の構えを取る」

 

 通話を切ったカゲツへとダイゴは言いやる。

 

「俺も行きます。行かなければ」

 

 コノハが危ないのだ。それを黙って見過ごせない。しかしカゲツは振り返るなり拳を見舞った。頬を捉えた拳に痺れるような痛みが宿る。

 

「てめぇ……、今しがたオレに勝って、四天王突破の糸口を掴み始めたばっかだろうが。それをふいにしてまで、オレ達の戦いについてくる事はねぇ」

 

「でも! 俺の大切な人が! 危ないかもしれないんです!」

 

 必死の訴えにカゲツはダイゴの胸倉を掴み上げる。

 

「いいか? てめぇが真っ先に考えなきゃいけないのは、四天王を倒す事だ。その後ならいくらでもわがままは聞いてやる。メガシンカなしで、オレ達に勝てないような奴は、一戦闘単位としても役立たずだって言ってんだ」

 

 そうまで言われてしまえばダイゴも言い返せなかった。カゲツは突き放して口にする。

 

「……てめぇの守りたい人がいるって言うんなら後から追いついて来い。オレ達が最善を尽くす。初代の好きにはさせねぇ」

 

 カゲツが身を翻す。ダイゴはその背中に呼びかけていた。

 

「絶対ですよ! 絶対に、俺は追いついてみせる。俺が守るんだ!」

 

 分を弁えない言葉に聞こえたかもしれない。しかしカゲツは馬鹿にしなかった。

 

「いいぜ。追っかけて来い。てめぇの強さ、ここから先、まだまだ強くなるって言うんなら、見たくなってきちまったよ」

 

 肩越しの視線を振り向けたカゲツにダイゴは拳を突き出す。カゲツも対応するように拳を突き出して応じる。

 

「じゃあな。地獄で会おうぜ」

 

 カゲツがフィールドを後にする。今は少しでも回復し、次の四天王に備えるべきだ。預かった回復薬をメタグロスに用い、次への決意を固める。

 

「あと、三人……」

 



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第百三十一話「FLOW」

 

 赤い盾が直進してきてクオンは咄嗟に命じる。

 

「ディアンシー! 弾いて!」

 

 その声に応じてディアンシーがダイヤを精製し盾を弾くが赤い盾は回転して勢いを殺さずにブーメランのように持ち主へと帰っていく。その隙を逃すわけにはいかない。

 

「ディズィーさん!」

 

「分かってるっての!」

 

 ディズィーの操るメガクチートが重い一撃を携えて盾の持ち主であるメガヤミラミへと肉迫する。今、メガヤミラミの防御はないも同然。突き刺さりかけたメガクチートの重い一撃だったがメガヤミラミはその痩躯に似合った素早さで回避する。赤い盾がまた偏向し、メガヤミラミから遠ざかった。

 

「ディアンシー、ダイヤストーム!」

 

 ディアンシーが両手を合わせて放ったダイヤの嵐が赤い盾をさらに遠ざける。メガヤミラミを操るフヨウは、「なるほどね」と納得した。

 

「メガヤミラミの最たるものである攻撃手段であり防御手段でもある赤い盾を握らせないようにする。ディアンシーはメガシンカ時間に難があるから常にバックアップ。攻撃はメガクチートの専売特許。なかなかに考えたみたい」

 

 フヨウは手を掲げ、「だけれど」と声にする。

 

「四天王が、その程度の戦術、読んでいないと思った?」

 

 赤い盾が回転しながらメガヤミラミの元へと戻ってこようとする。また攻撃して遠ざければいい。そう考えていたクオンに冷水を浴びせるようにメガヤミラミが跳ね上がった。なんと攻撃を受け切るのではなく自ら攻撃を仕掛けてきたのだ。赤い盾のない状態ではメガヤミラミの攻撃力、防御力共に知れている。ディアンシーでさばける。そう判じたクオンが先行させようとしたその時であった。

 

「駄目だ、クオっち! メガヤミラミは!」

 

「遅い。メガヤミラミ、シャドークロー」

 

 影の爪が放射される。そう確信してディアンシーに防御姿勢を取らせるがメガヤミラミが爪を払う気配もない。一体何をしたのだ。クオンが訝しげに見つめているとディアンシーを襲ったのは意外な方向から放たれた「シャドークロー」だった。

 

 影の爪の放たれたのは今まさに回転しつつ帰ってこようとする赤い盾からだったのだ。当然、防御姿勢が間に合わず、ディアンシーはもろにダメージを受ける。その攻撃による怯みが起こった一瞬。メガヤミラミは赤い盾を受け止めた。

 

 むざむざ赤い盾を返したばかりか自分がダメージを負ってしまった。メガヤミラミへの対策が無駄になった悔しさよりも赤い盾に意識の行かなかった自分が愚かしい。

 

「クオっち。立て直そう。メガヤミラミは再び鉄壁の防御を得た。今度あれを引っぺがすには、やっぱり二人がかりじゃないと」

 

 ディズィーは冷静にメガヤミラミを無力化する方法を編み出そうとする。クオンは口惜しかった。もし、メガシンカの時間に難がなければ、自分とディズィーで一気に攻め切っているのに。それを読んでかフヨウが肩を竦める。

 

「もし、二人がかりで攻めてきたとして、アチキは負ける気はしないなぁ。だってメガヤミラミにまともなダメージを与えられていないでしょ」

 

 その通りであった。メガヤミラミは赤い盾を手離そうが手にしていようが構うまいといった様子だ。まだ自分達は弱い。それを噛み締める。

 

「ダイゴが来るかなぁ。でもカゲツさんも相当勝ちにこだわっているし、もしかすると負けているかもね」

 

「ダイゴは負けないわ」

 

 クオンの強い語調にフヨウは微笑んだ。

 

「だといいね。でも、勝負の世界ってアチキ達、女の子の思っているよりも残酷だよ?」

 

 全ては実力の世界。勝利も敗北も紙一重でありながら、その溝は埋めようのない事実。勝った人間が栄光を掴み、負ければ地を這い蹲る。勝敗というたった一事だけで人生の全てを賭けたような気分に陥る。それが勝負なのだとクオンはこの半年で学んだ。

 

「ここであたし達が勝てば、ダイゴはまた一歩進める」

 

 クオンの声にフヨウは意外そうだった。

 

「自分達の勝ち星じゃなくって、ダイゴのために勝つんだ?」

 

 ディアンシーでは限りなく勝てる手立てが薄い。しかし、ディズィーのメガクチートとのコンビネーションならばメガヤミラミを消耗させる事が出来る。

 

「まぁ、それも一つの勝負のあり方かな。自分のために戦うんじゃないってのも。でもさ、そういうのって限りある、と思うわけ」

 

「限りある?」

 

 クオンの疑問にフヨウは、「だってそうでしょう」と答える。

 

「人間って自分以外に出来る事って意外に限られているものなんだよ。自分以外のために、って誰しも聖人君主になれるわけじゃないし、それに自分以外って、自分のやりたい事とか、自分の価値観を殺しているみたいでアチキは嫌いかな」

 

 自分以外の価値観を殺している。考えてもみなかったが、クオンは知らず知らずのうちに、ダイゴに託している自分に酔っていたのかもしれない。それが正しい事なのだと言い聞かせて。

 

「ここで、二人がダイゴに繋げるためにアチキを弱らせるのは勝手だけれど、それって本当に二人の望んだ事? 本当に、それでいいと思ってる?」

 

 フヨウの繰り言にディズィーは断じる。

 

「戯れ言だ。聞いちゃ駄目だよ、クオっち」

 

「戯れ言かもしれないけれど、クオンちゃんは悩んでいるね」

 

 本当は、誰のために戦うべきなのか。誰のためが正しいのか。迷宮に陥りそうな思考に水を差すように、「でもさ」とフヨウが手を掲げる。

 

「迷っている相手にわざわざ道を説いてあげるほど、四天王って慈善事業じゃないわけ」

 

 メガヤミラミが飛びかかっていた。狙っているのはこちら側だ。クオンはハッとしてディアンシーに攻撃を命じる。

 

「ダイヤストーム!」

 

 ダイヤが出現し、その暴風の中へとメガヤミラミが突っ込んだ。しかしダイヤの風はメガヤミラミを傷つける事はない。赤い盾が完全防御を約束している。

 

「ダイヤストーム。でも、メガシンカなしじゃ!」

 

 メガヤミラミが赤い盾を放り投げる。ディアンシーに命中したかと思われた瞬間、赤い盾の四隅からそれぞれ影の爪が出現する。ディアンシーとクオンは即座に判断した。

 

「離れて! ダイヤストームで引き離す!」

 

 咄嗟に放った攻撃で赤い盾に内包されていた「シャドークロー」を回避する。まさしく紙一重。少しでも遅れていれば直撃だった。肩で息をするクオンへとまだ余裕のあるフヨウが言いやる。

 

「メガシンカが出来るのにしない。それってさ、馬鹿にされているような気もするんだよね。そりゃ四天王全員を相手取るに当たって、全員に本気で立ち向かうのは愚策かもしれない。でもさ、四天王はこのホウエンの名だたるトレーナーの頂点。その四人に、本気でもなく、メガシンカもせずに戦うってのが、ちょっとさ。嘗めているのかな、っていう」

 

「クオっち、挑発だ。乗ったら駄目だよ」

 

 分かっている。フヨウは自分にメガシンカを使わせ、これ以降の四天王戦まで持たないようにさせるつもりだ。安い挑発。メガシンカをさせれば、自分には時間制限と強い負荷が待っている。ここでメガシンカしてはならない。そう冷静に判じている自分と、本気を出さなくっていいのか? と疑問を浮かべている自分がいた。

 

 本気を出して、その上で負ければそれでいい。だが、本気を出さず、中途半端なまま四天王との戦闘を終える。それが最も情けないのだと、クオンは直感していた。

 

 メガヤミラミが赤い盾を携えて攻撃姿勢に移る。メガクチートが接近し、鋼鉄の頭部を振り翳して防御を破ろうとした。ディズィーは戦っている。自分は後ろでちまちま攻撃するだけ。

 

 それを本当の勝利と呼べるか? このような攻勢を戦いだと呼べるのか?

 

 クオンは歩み出ていた。

 

「クオっち?」

 

「ディズィーさん。あたし、メガシンカをします」

 

 思わぬ言葉だったのだろう。ディズィーは目を見開いていた。

 

「いや、それは不利に繋がる。メガシンカポケモン二体を使うよりも、一体ずつメガシンカをローテーションさせたほうが、この先――」

 

「先の事なんて考えて、本気を出さない事のほうが、四天王に対して不義理だと、あたしは思うんです」

 

 クオンの言葉にディズィーは迷っていた。ここでメガシンカさせる事は恐らくディズィーの戦略では芳しくない。しかしクオンの決意は固かった。

 

「メガディアンシーなら、一気に攻め込めばメガヤミラミを破れます。ディズィーさん!」

 

 ディズィーは頭を振ってから、「まったく」と呟く。

 

「お姫様はこれだから、やりにくいったらありゃしない。クオっち。いいよ。ただし、本気だ。後先考えなくっていい。本気で戦ってくれよ」

 

 クオンは指輪を掲げる。虹色の宝玉のあしらわれた指輪が輝き紫色のエネルギーの甲殻がディアンシーを包み込んだ。

 

 瞬時に咆哮と共に弾け飛んだエネルギーの核を宿し、ドレス姿のようなメガディアンシーが顕現する。

 

「メガディアンシー、一気に決める!」

 

 メガディアンシーの右腕からダイヤの剣が出現する。即座に掻き消えたメガディアンシーはその巨躯を全く感じさせない速度でメガヤミラミへと迫っていた。振り下ろした剣の一撃をメガヤミラミが防御する。

 

「メガシンカしたね! でも、勝つのはアチキ!」

 

「勝つのは、あたしです!」

 

 弾き返し、側面から切りかかる。メガヤミラミがそちら側へと盾を移動した。その隙を狙ってメガクチートが現れる。

 

「蹴りつけろ!」

 

 メガクチートの渾身の蹴りにメガヤミラミの身体が傾ぐ。メガディアンシーはその頭部へと、攻撃を見舞った。ダイヤの剣がメガヤミラミの頭を切り裂く。

 

 勝った、とクオンは確信した。しかし、メガヤミラミは頭を断ち切られたまま影を棚引かせている。何かがおかしい。そう感じた時には、赤い盾が分散し、四つに分かれて頭上からこちらを狙っていた。

 

「メガヤミラミ、身代わり。読み辛かったでしょ? だって赤い盾に二人とも気が散っているから、いつ身代わりを指示したかなんて見えなかったに違いないし」

 

 今しがた切ったのは「みがわり」のメガヤミラミだった。ならば本体は? 首を巡らせると四つの赤い盾の向こうにそれぞれメガヤミラミが存在した。

 

「分身? 四体なんて……」

 

「いいや。こいつもまやかしだ! メガクチート!」

 

 跳躍したメガクチートがそのうち一体を叩きつける。影が分散し、メガヤミラミの姿が掻き消えた。

 

「その通り。そのうち三体は身代わりで作った偽物。だけれど、本物を見抜く事が出来る? 今に三体が同時攻撃をするよ」

 

 赤い盾の内側で三体が「シャドーボール」を練る。どれが本物であるにせよ、このまま攻撃を受ければメガヤミラミの優位になる。

 

「クオっち! こうなればこっちも分散する! どれが本物であれ、三体しかいないんだ。残りの一体が本物でない事を祈って同時攻撃する!」

 

 ディズィーの意見は正しい。戦い慣れている。二体攻撃して、それが本物であれ偽物であれ、威力は極限まで殺ぐ事が出来る。

 

 だが、それでいいのか? 

 

 そのような逃げの戦い方で、これから先、勝っていけるのか?

 

 クオンはメガディアンシーへと命じていた。

 

「メガディアンシー。攻撃準備」

 

「クオっち? まさか一体に絞るつもりじゃ……」

 

「ディズィーさん。確かにその戦法なら、こっちもダメージは最小限だし、外れてもさして痛くはないです。でも、そんなんじゃ、いつまで経ってもここを超えられない。四天王を超えるには、それ以上の覚悟が必要なんです」

 

 メガディアンシーが剣を構える。狙うのはたった一体のみ。その攻撃に全神経を傾ける。

 

「クオっち、でももし外したら」

 

「シャドーボールがあたし達を襲う。トレーナーが戦えないのならば、もう戦闘続行は不可能」

 

 分かっている。だが、分かっていても、ここで退けば勝ちはないと思っていた。

 

 分身したメガヤミラミが影の砲弾を作り上げる。もう発射寸前だった。クオンはメガディアンシーへと思惟を飛ばす。

 

 ――狙うのはたった一体。

 

 ディズィーが判断をつけかねている。クオンは叫んだ。

 

「メガディアンシー! 狙うのは、赤い盾に影の反射している奴。右側のメガヤミラミだ!」

 

 メガディアンシーが跳ね上がり、そのメガヤミラミを切り裂く。赤い盾に亀裂が走り、メガヤミラミの脇腹を掻っ切った。

 

 その瞬間、もう二体のメガヤミラミが霧散する。その一体がオリジナルだと判じたディズィーの動きは素早かった。

 

「メガクチート! とどめ!」

 

 跳躍したメガクチートが鋼鉄の角を振り回し、メガヤミラミを地面へと叩きつける。メガヤミラミが両手を掲げる。攻撃姿勢か、と身構えたが、赤い盾が分散し、メガシンカが解けた。

 

 フヨウが、「なるほどね」とモンスターボールを突き出す。ヤミラミがボールに戻されていった。

 

「負けちった」

 

 ちょっとしたいたずらのようにフヨウは舌を出す。ディズィーは放心していた。

 

「勝った、だって……」

 

 クオンもまだ認識出来ていない。しかしフヨウの言葉でようやく現実認識が追いついてきた。

 

「どうしてメガヤミラミの本体が分かったの?」

 

 クオンはその時感じていた事を口にする。

 

「赤い盾に反射しているかどうか、ってのもあったけれど、何よりもあたしが重要視したのは、ダイヤの剣」

 

 メガディアンシーがダイヤの剣を掲げる。その刀身にフヨウの姿が反射していた。

 

「あたしは思い出した。このディアンシーで本質を見抜くテストを行っていた事を。ならば、ダイヤに映るのは、その本質。つまり本体しかいないと」

 

 あの時、ダイヤの剣に映ったのは一体だけだった。賭けの部分も大きかったがそれがなければフヨウを出し抜けなかっただろう。

 

「なるほどなぁ。一枚上手だったわけか」

 

 フヨウは悔しがるでもない。負けてもこの少女は快活に笑っている。

 

「これで二階層は突破ですよね?」

 

「待ちなって。回復してからでも遅くはないでしょ」

 

 フヨウが回復の薬を投げる。ディズィーとクオンはメガシンカを解かせてからそれぞれの手持ちを回復した。

 

「にしても驚いたなぁ。勝っちゃうなんて」

 

 フヨウはメガヤミラミに相当な自信があったのだろうか。髪をかき上げてふんふん頷いている。

 

「執念でもぎ取った勝ち星。せっかくだから無駄にしないでよ。次の階層でプリムさんが待っている」

 

 プリム。三人目の四天王であり、氷タイプ使い。勝てるか、という目線をディズィーと交し合う。ディズィーは首肯した。

 

「こっちは鋼と岩が揃っている。弱点タイプは補強しているから」

 

 勝てる算段はある、という事なのだろう。しかしフヨウは腕を組んで、「どうかな」と声にした。

 

「タイプ相性だけなら、今だってフェアリーを持っているそっちのほうが圧倒的に有利だった。それでも二体一。あまりタイプ相性を過信しないほうがいいと思うよ」

 

 フヨウの言う通りでもある。二体一でようやく勝てた。彼女よりも強い人間が待っているのだ。

 

「それでも、あたし達は負けません」

 

 クオンの強い口調にフヨウは息をつく。

 

「まぁ、負けない気概を持つってのは大事だと思うよ。それが勝利に繋がるかは別として」

 

 クオンは歩み始めた。ディズィーも続く。

 

「生憎だけれど、オイラ達もう負けるわけにいかないんだ。勝たせてもらう」

 

 ディズィーの声にフヨウは肩を竦めた。

 

「もうアチキは負けちゃったからその言葉には何とも返せないけれど、気をつけなよ」

 

「それは心配してくれているんですか?」

 

 質問するとフヨウは返す。

 

「心配? いいや、これは警告だよ。四天王の三人目、プリム。氷タイプ使いである彼女が何故、温暖な気候であるホウエン地方にいるのか。その意味を理解するべきだって事」

 

「負けませんから」

 

 そう言い置いて階段を上っていく。三階層に入った瞬間、凍てつく空気の波を感じ取った。瞬時に体温を奪われたような感覚。クオンはまだ勝負の前だというのにディアンシーを繰り出していた。それはディズィーも同じのようでクチートをもう出している。

 

 それほどまでに、中央に佇むプリムは驚異的だった。椅子に腰かけているだけなのに、感じられる戦闘意欲。柔らかく凪いでいるようであるが、その本質は刺々しい攻撃の意思。

 

 ここでポケモンを出さなければまず戦意を削がれる。二人の防衛本能に瞼を上げたプリムが声にする。

 

「来たのですね。という事は、四天王も二人、やられたという事」

 

 プリムはまだポケモンを出さない。ゆったりとした声音で言葉を重ねる。

 

「恥、とは思いませんが、それほどの実力者なのか、あるいはビギナーズラックでここまで来たのか。それを見極めるのに、三人目というのはとても適しています。一人目は、まだ力押しでいける。二人目、も確率的に勝てる、かもしれない。でも三人目、となれば話が全く違う。ここから先は、真の実力者のみ、進む事の許された聖地。ホウエン四天王を、甘く見ない事ですね」

 

 



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第百三十二話「時よ凍れ」

 

 プリムはまだポケモンを出さない。それどころかモンスターボールを掴みもしない。ディズィーは声にしていた。

 

「そっちの理屈とか美学は勝手だけれどもさ。こっちはポケモン出しているんだ。もうそっちも出すべきじゃないのか?」

 

「分かっておりませんね。挑戦者が先にポケモンを出すのは分かります。ですが、それを迎え撃つ私が、後に出すのは別にマナー違反ではないでしょう?」

 

「なら……やられても文句は言えませんね?」

 

 指輪をつけた手を振り翳す。連続でのメガシンカは初めてだ。果たしてどれほど持つか。クオンの懸念を他所にプリムはゆったりと、ようやくモンスターボールを出した。

 

「メガシンカ、メガディアンシー」

 

 メガシンカを遂げた相棒のポケモンがダイヤの剣を掲げる。こちらは岩・フェアリー。相性上、有利を打てる。

 

「こっちもメガシンカさせる」

 

 ディズィーのクチートがメガシンカし、メガクチートが角を振り回す。

 

「さぁ、出しなよ」

 

 ディズィーの挑発にもまだ、プリムは出そうとしない。その行動がディズィーの逆鱗に触れた。

 

「……そうかい。あくまでも嘗めてかかっているんなら」

 

 メガクチートが空間を駆け抜ける。鋼の攻撃が生身のプリムを襲うかに思われた。

 

「怪我しても知らないよ!」

 

 その直後であった。

 

 全てが凍て付いた。

 

 時間も空間も、攻撃動作に移っていたメガクチートも、ディズィー本人も。その呪縛から逃れていたのはクオンだけだった。

 

 どうなっているのか分からない。ただ一つ言える事は、プリムの繰り出したポケモンが瞬時に全てを凍り付かせたという事実だけ。

 

「行きなさい、オニゴーリ。格の違いを見せてあげましょう」

 

 オニゴーリの凍結にプリムが言葉を添える。それだけで凍結が解除された。鋼の角を振るったメガクチートはその場に獲物がいない事にようやく気付く。

 

「どこへ行った?」

 

 ディズィーにも見えていないのか。プリムはただ三歩ほど、後ずさったに過ぎない。それだけだ。自分にはハッキリと見えていた。だというのに、何故ディズィーには見えなかった?

 

「今の凍結。わざとそちらの、ツワブキ・クオンさんには見えるようにしておきましたが、いかがですか? これでも私と、戦う気がありますか?」

 

 勝てる勝てないの次元ではない。相手が何をしたのかまるで分からない。恐れが這い登ってくる。一体、今、何が行われた?

 

「クオっち? 何かあったって言うのか?」

 

 ディズィーは先ほどの現象を理解していない。その事実が恐ろしい。メガシンカしていないポケモンの凍結攻撃のはずだ。しかし、ただの凍てつかせる技ではなかった。

 

「……ディズィーさん。あたし達じゃ、勝てないかもしれません」

 

 クオンの弱気な発言に、「何で」とディズィーは反抗する。

 

「クオっちらしくない。今はたまたまメガクチートの攻撃がぶれただけだろう。今度は当てる」

 

 違うのだ。たまたまぶれたなどという生易しいものでは断じてない。ハッキリしているのは、相手は時間さえも凍結させられる事だ。

 

「正攻法じゃ無理かもだけれど、メガクチート、相手は隙だらけだ!」 

 

 メガクチートが跳ねる。鋼の攻撃がオニゴーリに叩き込まれようとした。オニゴーリが緩慢な動作で攻撃の照準を合わせようとする。ディズィーは鼻を鳴らした。

 

「そんな遅さで!」

 

 次の瞬間、またしても凍結が巻き起こる。メガクチートが空間に縫い止められたように動けなくなっている。クオンは恐れのあまり立ち向かう事も出来なかった。

 

「あら? 動けませんか? 貴女には時間凍結を行っていないはずですが」

 

 時間凍結。

 

 そのような恐ろしい攻撃をこのトレーナーは見舞っているのか。オニゴーリがメガクチートに照準する。プリムが指を鳴らすと「れいとうビーム」が一直線にメガクチートを捉えた。効果は今一つだがメガクチートが攻撃範囲から押し出される。

 

「惜しい! もう少しだったのに」

 

 違うのだ。もう少しなどでは決してない。オニゴーリは時間を凍らせられる。言わなければ、とクオンは感じたがどう説明すればいいのだ。時間凍結をさせられれば自分とて一瞬後にはやられているかもしれない。

 

「……どうした、クオっち? 顔色が悪いよ」

 

 どうやって伝えればいい? クオンはもう自分が立ち向かうしかないのだと判断した。

 

 わざと自分に時間凍結を見せたのだ。ならば自分と真っ向勝負するもつもりだろう。クオンが攻撃の眼差しを向けたからだろう。プリムはようやく戦闘の気配を帯びさせた。

 

「そこのツワブキ・クオンとの一対一ならば、請け負いましょう」

 

「意外だね。二体一が怖いのかい?」

 

 そのような弱小さは決してない。二体一だろうが三体一だろうが関係がないだろう。時間凍結を打ち破り、何としてでも肉迫せねば。クオンはメガディアンシーに命じた。

 

「ダイヤの剣を主軸に、接近戦を!」

 

 跳ね上がったメガディアンシーが剣を突き出す。オニゴーリが光線を一射して視界を妨げようとするがメガディアンシーはするりと回避してオニゴーリの射程に入った。ここで時間凍結されればお終い。しかし二人ともに時間凍結を見せるわけがないと感じていた。自分にだけ見せたのは理由があるはずだ。

 

 メガディアンシーの剣がオニゴーリの薄氷の表皮へと食い込む。ダイヤの剣はそう簡単に砕けない。オニゴーリへと間断のない攻撃を刻み付ける。

 

 オニゴーリは感知網が薄いのか、判断が鈍かった。「れいとうビーム」での攻撃も慣れてしまえば避けられない範囲でもない。放たれた水色の光条を背にしてメガディアンシーの剣がオニゴーリの額へと突き刺さる。

 

 勝った、と感じると同時にこんなに容易く? という疑問があった。

 

「やった!」とディズィーが声にする。

 

 違う。こんなに簡単に勝てるならば、時間凍結など見せるものか。

 

「よくぞ、そこまで追い詰めてくださいましたね」

 

 プリムの声音にクオンは冷水を浴びせかけられたようにぞくりとする。プリムが手を差し出した。爪の一つが虹色に輝いている。爪にキーストーンを組み込んでいるのだ。輝きがオニゴーリを包み込み、紫色の甲殻がエネルギーを放出する。

 

「――メガシンカ、メガオニゴーリ」

 

 咄嗟に飛び退いたメガディアンシーとクオンにはメガオニゴーリの姿が大写しになった。

 

 顎が外れたようになっており、角も額から突き出て三つになっていた。禍々しささえ感じさせるメガオニゴーリがすっと地面に降り立つ。

 

 何をするつもりなのか、と勘繰っている間に茶色の波紋が浮かび上がった。ディズィーが即座に判じる。

 

「地震だ!」

 

 地面タイプの攻撃は効果抜群。それを受けるわけにはいかなかった。ディズィーとクオンはそれぞれ回避を命じる。その瞬間であった。

 

「時間凍結」

 

 メガディアンシーとメガクチートが動きを止める。ディズィーも同様に硬直していた。

 

「まさか……。そんな……」

 

「その通り。最初から貴女達の力をはかるためにわざとこういうやり方を取ってきました。地震を撃てば警戒される。ですが、時間凍結を警戒していた貴女からしてみれば、こちらは予想外だったかもしれませんね」

 

 地面を捲れ上がらせながら「じしん」がメガクチートとメガディアンシーに襲いかかる。その直後、時間凍結が解除された。

 

 地面を揺らす攻撃がメガクチートとメガディアンシーの装甲を打ち破り、内部骨格にダメージを与える。

 

 回避したはずの自分の手持ちが攻撃を受けていてさすがにディズィーもおかしいと感じたらしい。

 

「どうなっているんだ……」

 

「教えて差し上げればどうですか?」

 

 プリムの声にクオンは信じられないながらも口にしていた。

 

「ディズィーさん。相手は、時間を凍らせられるんです」

 

 意味が分からなかったのだろう。ディズィーは聞き返す。

 

「何だって? 時間……」

 

「恐らく凍結技の最たるものでしょう。時間を凍らせて、メガクチートとメガディアンシーから防御を奪った」

 

 その言葉にディズィーが声を張り上げる。

 

「そんな! そんなの無茶苦茶だ!」

 

「無茶苦茶? 本気でそう仰っているのですか?」

 

 プリムの落ち着きようにディズィーは神経を逆撫でされたらしい。

 

「だって、そんなのポケモンの範疇を超えている……!」

 

「いいえ。私がどうしてこのホウエンで四天王に上り詰めたのか、それを考えれば何らおかしくありません」

 

 どうしてホウエンで氷タイプを極めたのか。フヨウも言っていた。何故、ホウエンなのか。

 

「私は元々、寒冷地の出身。シンオウで育ちました。シンオウは冷気に満たされた土地であり、氷タイプを育てるには適しています。ですがその地域の特色に胡坐を掻き、私は一時期敗北に敗北を重ねました。シンオウでは勝てない、と感じたのもその時です。このまま地域の特色に頼っていては駄目だと。もうジムリーダー相当の実力と、そのポストが約束されていましたが、私はそれを蹴って単身、ホウエンに向かいました。ホウエンは温暖な地方。当然、氷タイプが活躍出来る土壌なんてなかった。でも、私はそれこそ血の滲む努力で氷タイプをこのホウエンで勝てるようにしました。その結果、編み出したのが氷の極地。時間を凍らせるこの技です」

 

 つまり最初から得ていたのではなく、努力の賜物。その説明にディズィーもクオンも押し黙っていた。それほどの強さを誇っている人間に「嘗めている」などと言っていたのか。

 

「時間凍結を破る術はありません。どうあっても、一度凍結の虜になれば、もう逃れられないのです」

 

「そうかな……。オイラ達は勝ちに来た。どれだけ時間を凍らせる術が凄かろうとも」

 

 その通りだ。勝つ。それ以外を考えてはいない。

 

「プリムさん。あなたの強さは分かりました。でもあたし達は、それを超えるために」

 

 メガディアンシーがダイヤの剣を構え直す。メガクチートが鋼の角を振るい上げた。

 

「そう、ですか。残念ですね。ここで潰えるとは」

 

「潰えるだなんて!」

 

「決まっちゃいない!」

 

 メガディアンシーとメガクチートが一斉に襲いかかる。相手はメガオニゴーリ一体。挟み込めば、と二手に分かれた。

 

「時間凍結っての、それは一点にのみ有効な戦術だと感じた。だからこうして、二手に分かれれば」

 

「どっちかしか防御出来ない」

 

 挟み撃ちが有効なはずだ。メガクチートが鋼の角を振り上げ、メガオニゴーリに肉迫する。しかしメガオニゴーリはその巨体に似合わぬ素早さでメガクチートの一撃を避けた。

 

「メガオニゴーリが遅いと、誰が言いましたか?」

 

 額の角が輝き「れいとうビーム」が放たれる。三つの角からそれぞれ放たれた光線をメガクチートが鋼の身体で防御した。

 

「クオっち!」

 

「分かって、ます!」

 

 躍り上がったメガディアンシーがダイヤの剣を振り上げる。振り返ろうとしたメガオニゴーリへとメガディアンシーが片手を開いた。

 

「ダイヤストーム!」

 

 放たれたダイヤの嵐がメガオニゴーリの視界を塞いだ。これで時間凍結しようとも即座には動けないはずだ。

 

「ディズィーさん!」

 

「あいよ!」

 

 角を振り上げてメガクチートが重い一撃を見舞おうとする。逃れてもメガディアンシーの剣が突き刺さる。

 

 今度こそ勝利を感じ取った。

 

 その瞬間、時間が止まった。時間凍結でメガクチートが空中で止まっている。メガディアンシーも攻撃の途中だった。

 

「何度も言いますが、私はホウエンの地で氷タイプを極める事を自身に課した。その決断は生半可なものでは決してない。時間凍結中は他の攻撃が出来ない。だから挟み撃ちだ、というのは、とてもいい線をいっていると思います。そうすぐに判断出来る戦術でもない。貴女方は強い。認めましょう。ですが、これだけは言っておきます」

 

 プリムが指を立てる。するとメガオニゴーリの三つの角がそれぞれ照準を定めるように蠢き、メガディアンシーとメガクチートを捉えた。

 

「――私のほうが、貴女方よりも強い」

 

 それぞれの角から放たれた氷結の光線がメガディアンシーとメガクチートに直撃する。クオンが声を上げた後にディズィーがようやく気付いてハッとする。

 

「オイラ……、全く見えなかった」

 

 時間凍結の効果があるのは少なくとも一人のトレーナーと二体分のポケモン。プリムが時間凍結を完全制御に置いているのならばそれ以上かもしれない。クオンは震撼した。四天王を完全に嘗め切っていた。

 

「どうします? このまま無為な戦闘を続けますか? それとも、退散しますか?」

 

「冗談……、クオっち! 今度も挟み撃ちで」

 

 ディズィーの声が止まる。クオンは目を戦慄かせた。ディズィーにのみ時間凍結が行われている。メガクチートとメガディアンシーはそれぞれ時間凍結の外だった。

 

「メガオニゴーリ、攻撃」

 

 手を開いたプリムが命令し、メガオニゴーリの「れいとうビーム」がディズィーへと直進する。クオンは叫んでいた。

 

「メガクチート! メガディアンシー! ディズィーさんを!」

 

 メガクチートが飛び跳ねて光条を遮る。メガディアンシーがディズィーの前に出て拡散した粒子を断ち切った。

 

 その段になってようやく、ディズィーは自身に起こった変化を認識する。

 

「あれ……オイラ……」

 

 覚えず歯噛みした。プリムはまだ時間凍結の奥の手を隠し持っている。トレーナーだけを狙って時間凍結が出来る。それはつまり、命令系統を無茶苦茶に出来るという事だ。

 

「これでもまだ、戦いますか?」

 

 これ以上の戦闘は無意味だと告げている。実際、今だって狙おうと思えば二人のトレーナーを狙えたのだろう。このままでは自分の手持ちに主人を守らせながら戦わせるという醜態を演じさせる事になる。

 

「あたしは……」

 

 ここで降参すればまだそのような泥仕合にならずに済む。クオンは諦めの声を発しようとした。自分のためにもディズィーのためにも、今はよくない。ここは一旦退くべきだ。

 

「クオっち! 何言ってるのさ! オイラが狙われた程度で」

 

「違うんです、ディズィーさん。プリムさんは、あたし達両方を相手取っても、まだ余裕があるんです。時間凍結を、行おうと思えばあたし達二人共にかけられる。そうなった場合、メガクチートにも、メガディアンシーにも誰も命令出来ません……」

 

 四天王はフェアプレーを望む、という一方的な押し付けは甘かった。これから先、戦うのは道理の通じないデボンという巨大企業。その中核たる初代は最強のトレーナー。それと肩を並べるのに、律儀にルールを守っていてどうする。

 

「あたし達は、不利なんですよ」

 

 言いたくはなかったが認めざる得ない。この状況、二体一を全く活かせていないばかりか、お互いの足を引っ張る事しか出来ない。ディズィーはすぐさま察知し、「でもさ……」と声にする。

 

「だからって、ここで終わるっての? ここまでだって言うのか」

 

 それはクオンとて悔しさはある。だが自分達の実力が伴っていないのだ。時間はない。今日にでも四天王を攻略しなければもう悠長に構えてもいられない。だが弱いのならば、強者に歯向かう事さえも出来ない。

 

「あたし達は、ここで棄権を――」

 

「それには及ばない」

 

 放たれた声にクオンは顔を上げる。

 

 直後、鋼の腕が推進剤を焚いて真っ直ぐにメガオニゴーリへと直進した。メガオニゴーリが空間を凍結させて防御しようとするもその勢いを殺せずに拳がめり込む。初めて、メガシンカ状態の相手が傾いだ。

 

「……来た、という事なのですね」

 

 振り返る。

 

 階段を一歩、また一歩と上ってくる影に見覚えがあった。銀色の髪、赤い双眸。今は戦闘の神経を研ぎ澄まし、鋭い眼光を滾らせている。

 

「ダイゴ……」

 

 ツワブキ・ダイゴが、四天王プリムの間に訪れていた。

 

「待たせてゴメン。ここからは、俺の戦いだ」

 



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第百三十三話「死狂い」

 

「俺の戦い、と聞こえたような気がしますが気のせいでしょうか」

 

 プリムの余裕のある態度にダイゴは何かを隠し持っていると感じ取る。そうでなければ実力者である二人がメガシンカありでここまで押されているはずがない。

 

「プリムさん。今までの俺との戦いで、見せていないものを二人に試しましたね?」

 

 確信めいた声音にプリムは微笑む。

 

「メガシンカを使える、という事は実力者。私が本気を出しても、構わないと判じたのです。しかし、ツワブキ・ダイゴ。見るにまだメタグロスのようですが」

 

 自分の手持ちはメガシンカしていない。メタグロスのままだ。ダイゴは強い語調で応じた。

 

「俺も、メガシンカなしでここまで来ました」

 

「なるほど。カゲツがやられたのですね」

 

 すぐさま察したプリムがメガオニゴーリを振り仰ぐ。今しがた直撃した「コメットパンチ」による打撃だったが、すぐさま氷の表皮が再生される。

 

「自己再生、じゃないですね。自然に治癒してしまう」

 

「そうですね。今程度の攻撃なら、氷の表皮の薄皮を剥いだだけ。パンチを撃つならもっと強く撃って来るのでしたね」

 

 挑発とも取れる発言だったがダイゴは冷静だった。

 

「ここは完全にあなたのものの氷のフィールド。メガシンカして、なおかつタイプ上も相性のいい二人がここまで苦戦する。何か、隠し玉がありますね」

 

 プリムは口を開こうとしない。クオンは少しの躊躇いの後に声にした。

 

「ダイゴ、時間を凍結出来るのよ」

 

 クオンのほうへと振り向き、どういう意味か問い返した。

 

「それは、クオンちゃん、どういう」

 

「言葉通りだよ。プリムは、時間まで凍らせられる。範囲は恐らく任意。このフィールド内ならどこでも。一回に凍らせられる時間範囲までは絞れていないけれど多分、五秒かそこら」

 

 ディズィーの顔には苦虫を噛み潰したような悔しさが滲んでいる。彼女はプリムにしてやられたのだろう。メガクチートも氷の攻撃を何度か受けたのが窺える。

 

「だとすれば、俺はその時間凍結とやらに気をつければいいんですかね」

 

「気をつける、つけないではありませんよ、ツワブキ・ダイゴ。もうそこに立っている時点で、時間凍結の虜です」

 

 メガオニゴーリが空間を歪め、凍結範囲を広げる。攻撃が来る、と身構えたダイゴは直後に大写しになった巨大な氷柱に瞠目した。

 

「いつの、間に……」

 

「それが時間凍結だ! 今、オイラ達には生成される氷柱が見えていた。でもダイゴには見えていなかった!」

 

「メタグロス!」

 

 メタグロスの腕が動き、氷柱を破砕する。今のはわざとメタグロスに破壊出来る程度の時間で、その程度の氷柱だった。しかし今のがもし反応出来ないタイミングで、なおかつ容易く破壊出来ない氷ならば……。

 

 怖気が走る。これがプリムの隠し技、時間凍結。

 

「味わいましたか? さて、今一度聞きます。私に、それでも立ち向かいますか?」

 

 恐らくは最後通告だろう。ダイゴは息を詰める。メタグロスは未だにメガシンカは出来ない。一縷の可能性に賭けるには不完全だ。

 

「ダイゴ。あたしは、降参したほうがいいと思う」

 

 クオンの思わぬ言葉にダイゴは振り返る。

 

「でも、ここまで来たんだ。俺は、諦めない」

 

「でも、時間を凍結させられる相手に、どうやって勝つって……」

 

 時間凍結。だが、代償も何もないはずがない。何か、相手にとって不都合な技でもあるはずだ。そうでなければ、時間凍結で攻撃出来る範囲は全て攻撃してしまえばいい。

 

 今、何が起こったのか。それを整理する。

 

 自分の時間が凍らせられた。メタグロスも咄嗟の反応だったところを見ると、自分とメタグロスに同時に、だろう。

 

 だがディズィーとクオンには見えていた。その証拠にディズィーが氷柱の生成は見えていたと言っている。

 

 範囲に限りがあるのか。あるいはタイミングか。オニゴーリが強力な氷技を持っているのは先に戦った自分は知っている。もっと素早い攻撃法法があるはずだ。冷凍ビームも、氷のつぶても、何故使わない?

 

 どうしてまどろっこしい攻撃ばかりで攻める? 

 

 ダイゴの脳裏にとある推測が浮かんだ。しかし実証する術がない。どうやって、と考えを巡らせる。この推理が当たらなければ、時間凍結を破る術は永遠に失われる。

 

「クオンちゃん。ディズィーさん。俺が殺されそうになったら、それでも守ろうとしないでください」

 

 思わぬ提案だっただろう。二人ともうろたえた。

 

「守ろうとしないでって、それってどういう事さ! 死ぬかもしれないってのに!」

 

「ダイゴ、それは無茶だわ! 一人で勝とうって言うの?」

 

「違う。それほどまでにうぬぼれちゃいない。俺のやる事に、一回きりでいい。黙って見ていて欲しい」

 

 この推測が当たらなければ時間凍結を破れないだろう。

 

「相談の時間は、終わりましたか?」

 

 ダイゴは攻撃的な眼差しを向ける。

 

「ええ。勝つ算段はつきました」

 

 プリムは雅に微笑む。

 

「おかしな事を言うのですね。勝つ、というのはこの状況で相応しくない」

 

「どうでしょうか。ひょっとすると、これが時間凍結の、唯一の弱点かもしれない」

 

「減らず口を。メガオニゴーリ、攻撃」

 

 メガオニゴーリの角が水色に輝き光線の発射を予感させる。ダイゴはメタグロスに命じていた。

 

「コメットパンチ! 標的は……」

 

 メタグロスが腕を掲げる。その攻撃の向かう先は――。

 

「トレーナー本体だ!」

 

 推進剤が焚かれ、拳が発射される。それとメガオニゴーリの攻撃は同時だった。プリムを狙った「コメットパンチ」にメガオニゴーリがどう反応するか。

 

 なんとダイゴへと狙いを定めていた「れいとうビーム」が偏向し、プリムの眼前に壁を作った。壁へと銀色の拳が突き刺さる。

 

「残念でしたね。無駄な攻撃を」

 

「いいえ。今ので確信した。時間凍結の代償は、プリムさん、あなた自身がその対象外である事」

 

 クオンが呆気に取られたように口を開いている。ディズィーも、「どういう事さ」と問い詰めた。

 

「時間凍結で止められる範囲にいなければならない存在はポケモンであるメガオニゴーリともう一つ、トレーナー自身。その時、トレーナーの時間認識も止まっている。その可能性に賭けたんです。つまり一番の弱点は、時間凍結中にトレーナーを攻撃される事。その時、何かしら不備が生じるはずです」

 

「不備、って……」

 

「ご明察、と言っておきましょう」

 

 プリムが指を鳴らすと氷の壁が拡張して銀色の腕を押し返した。ダイゴは大人しくそれに従う。プリムは左胸を押さえた。

 

「時間凍結中は、私の心臓の脈動が完全に静止します。つまり、私は無反応状態になるという事です。それを何度も続けてくれば、身体にも負荷がかかる」

 

 クオンとディズィーが息を呑む。つい先ほどまで、それほどの無理を強いて戦っていたとは思えなかったのだろう。

 

「そんな、そんな無茶をしてまで」

 

 どうして、という意味を含んだ問いかけにプリムはフッと笑う。

 

「戦いに、毎回命を賭けているからですよ。私は戦いの中ならば死んでもいいと思っている。それが正しく、なおかつ真剣勝負であればあるほどに、その中ならば私は死ねる。この命、惜しくはありません」

 

 あまりに苛烈な覚悟にディズィーとクオンは黙りこくっていた。しかし自分には分かる。戦いの中でしか意味を見出せない生も存在する事を。

 

「プリムさん、あなたは俺にそっくりだ」

 

「私も、貴方は私にそっくりですね」

 

 二人して笑みを浮かべる。その笑みにディズィーは呟いていた。

 

「イカれている……」

 

「イカレちゃ、いませんよ。これはただ単に、戦闘の中でのみ、己の生を実感出来る死狂いの人間の話」

 

「ああ、俺も、そうだった。だから分かる。プリムさん、決着は俺達でつけるのが正しい」

 

 ダイゴの声にプリムは高らかに宣言する。

 

「次の一撃は、角三つを使った全力の冷凍ビーム。それを貴方一人を殺すためだけに放ちます」

 

 そう宣言したからにはこっちも返す言葉は一つ。

 

「次の技はアームハンマー。冷凍ビームが命中する前に、メガオニゴーリを打ち砕く」

 

 メタグロスが四足を広げて浮遊し、メガオニゴーリの射程へと接近する。メガオニゴーリは全く邪魔をしなかった。射程に入ったところでプリムは声にする。

 

「時間凍結を行います。貴方は反応出来ない」

 

「俺は、確かに反応出来ないかもしれない。でもメタグロスの撃つ拳の連打のほうが速かった場合」

 

「メガオニゴーリは敗北する。いいですね、とてもいい」

 

 もう後には退けない。ここで負けるのは死をも意味する。だがどちらにせよここで勝てなければ自分に後はない。勝つ事でしか、自分の意義を問いかけられない。

 

「メタグロス! アームハンマー!」

 

 メタグロスが腕に力を込める。その拳が放たれる瞬間、プリムが手を振り翳す。

 

「時間凍結、次いで冷凍ビーム!」

 

 瞬間、ダイゴの中の時間が凍りついた。何も見えず、何も聞こえない。この状態で攻撃が撃たれれば確実に死ぬだろう。だが同時に確信している。メタグロスは負けない。攻撃は届いている、と。

 

 時間凍結が解除される。

 

 ダイゴは喉の奥から雄叫びを上げていた。

 

 その時には既に決着がついていた。

 

 眼前まで迫っていた冷凍ビームが霧散する。メガオニゴーリの全身に亀裂が走り、中から氷の粒が迸る。落下したメガオニゴーリからエネルギーの皮膜が弾け飛び、メガシンカが解除された。

 

 プリムが膝をつく。ダイゴは思わず駆け寄っていた。

 

「無茶をするから……」

 

 ダイゴの声にプリムは息も絶え絶えに口にする。

 

「真剣勝負ですから……。手を抜くわけにはいかないでしょう?」

 

 この勝負、ほとんど我慢比べであった。最後の最後に自分の手持ちを信じ切って全てを託したダイゴと、自分の能力と手持ちに自負のあったプリム。どっちの意地が勝つかだけの勝敗であった。

 

「プリムさんは……」

 

 クオンの不安げな声に、「大丈夫」とダイゴは返す。

 

「相当疲労が溜まっている様子だけれど、今どうこうなる状態じゃない」

 

 プリムは項垂れつつ呟く。

 

「また、鍛え直しですね。ツワブキ・ダイゴ。知っていますか? とてもおいしいちゃんぽんのお店が、ホウエンにある事を」

 

 この場には似つかわしくない言葉にダイゴが黙りこくっているとプリムは笑った。

 

「そこで今度は大食い勝負でもしましょう。熱いちゃんぽんがとてもおいしいんです。汗だくになって食べると、余計に……」

 

 プリムが瞼を閉じる。クオンとディズィーが声を上げた。

 

「プリムさん?」

 

「眠っただけだ。大丈夫だろう」

 

 ダイゴはその場に寝かせて次の階層へと続く階段を見据える。

 

「次に待っているのは四天王最強の男……」

 

「ネオロケット団のキャプテンであり、四十年前のポケモンリーグの生き証人でもある」

 

 続いたディズィーの言葉にダイゴは頭を掻いて、「すいません」と謝った。

 

「何で謝るのさ」

 

「だって割って入ったみたいなもんですし。後から来て勝ちを掻っ攫うなんて」

 

「そんな。ダイゴがいなかったらきっとあたし、諦めていたよ」

 

「まぁ結果オーライだね。戦いが終わったらみっちり恨み言は言わせてもらうよ」

 

 その言葉には苦笑いを返すほかない。

 

「さぁ、行こうか。最後の四天王だ」

 

 ディズィーの声にダイゴもクオンも気を引き締めた。

 



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第百三十四話「報われぬ想い」

 

 海底ケーブル内を駆け抜けるバイク部隊の中でオサムは通信を繋いだ。

 

『何だ? 今さら泣き言は聞かないからな』

 

 相変わらずのカゲツの声にオサムは、「違いますよ」と返す。

 

「僕、半年前まではバイクなんて乗れなかったのに」

 

 今では手足のように扱っている。バイク部隊の中で実質戦力は自分とカゲツだけ。他の人々はバックアップとデコイの設置だ。

 

『バイクに乗れたほうが便利だろ?』

 

「まぁそう言っちゃそうですけれど。でも、マコちゃんも置いて、僕も何やっているのかな」

 

『何だ、センチな感傷に浸るのは後にしろよ』

 

 今は、カナズミシティに合流し、デボンに喧嘩を吹っかける事だけを考えるべきだろう。

 

 トンネルを抜けると学園都市が見えてくる。ネオンライトと夜でも明るい街灯があの街が生きている事を証明していた。デボンという心臓を抱いた街。

 

「分散する。デコイ設置部隊とは後で合流」

 

『了解。ご武運を』

 

 その声を背に聞き、自分が武運を願われる立場になるとは、と自嘲する。

 

「カゲツさん。帰ったら教えてくれませんか?」

 

『何をだよ。オレが教える事なんざ、高が知れているぜ?』

 

「カゲツさんの生まれ育った環境ですよ。ナンクルナイサ、って言葉がどこの言葉なのか一緒に探しましょうよ」

 

 カゲツは押し黙る。少し踏み入った話だったか、と考えていると笑い声が通信を震わせた。

 

『いいじゃねぇか。オレも、な。そろそろ親離れしないといけないなって思っていたんだよ』

 

「親離れって。キャプテンが親じゃ不服なんですか?」

 

『あの爺さん、いつまでもオレの親のつもりだからな。ある意味では子離れでもある』

 

 自信満々に言い放つカゲツにオサムはおかしくなる。作戦が終わったあかつきにはゲンジも含めて喋るのもいいかもしれない。

 

「飲みましょう。ゲンジキャプテンも結構、いけるクチなんでしょう?」

 

『ああ、あの爺さんはうわばみだぜ』

 

 それは手強そうだ。苦笑しつつカナズミシティの領域に入った事がヘルメットの内側のヘッドアップディスプレイに表示される。

 

「ここからは出たとこ勝負」

 

 デボンへと突っ込むのは自分とカゲツの二人のみ。本来ならばデボンに入った時点でコープスコーズの追撃に遭う事を想定していたが思いのほか静かであった。

 

『おかしいな。静か過ぎる』

 

「公安もコープスコーズも、寝ているとか」

 

『だといいがな……。嫌な予感がビンビンするぜ』

 

 カゲツは別ルートへと入る。その際、ダーテングを繰り出し、オサムのバイクの後ろに乗っかった。自分はコータス部隊と共に掻き乱し要員だ。

 

「まずは包囲陣を掻き乱して、その間にデボンに入る腹積もりだったんだけれど」

 

 おかしい。ゲノセクト部隊が出てこない。いつもならばカナズミに入った時点で警報が鳴るはずだ。

 

『こりゃ異常事態かもな。初代が右腕を手に入れたっての、嘘じゃなかったのか』

 

「嘘だと思っていたんですか?」

 

『そう易々と見つかるなら半年もかからねぇだろ。何かあったに違いないんだ』

 

 その何か、がこちらの不利益でない事を祈るばかりだ。通信網に割り込んでくる声があった。

 

『誘導、こっちに任せてちょうだい』

 

 デボンに入っていたイズミという諜報員の声だった。オサムは問い返す。

 

「デボンで何があった?」

 

『詳細は省くけれど、右腕が確保された。このまま緊急オペに移行。初代は手術室よ。叩くなら今だわ』

 

 イズミの情報と統合するように今度はホムラの声が割り込んでくる。

 

『こちらホムラ。手術室周辺に警戒すべき対象はいないが、点在しているのが奇妙だ』

 

「点在? 誰が?」

 

『ツワブキ家の三兄弟だよ。何でだか手術室近くにはコウヤ、エントランスにリョウ。で、全くの別階層にレイカ、とばらけている。ついさっきの、右腕確保に関しては三人で共謀していたのに、これは変だ』

 

『襲撃を予期しての事かもな』

 

 カゲツの声に余計に気が引き締まった。

 

「だとすれば、こっちの動きが読まれてる事に」

 

『あーあ、こいつは厄介だぜ』

 

 カゲツの声にオサムは息を詰めた。

 

「デボンのエントランスにいるのはリョウ、って言いましたね?」

 

『ああ、ツワブキ・リョウである事は間違いない。だが、何だって入り口に』

 

「こっちの動きを警戒して、あえて入り口を選択したか。でも、今さら及び腰になるほど、ヘタレじゃない!」

 

 バイクの前輪がデボンの正面玄関を噛み砕く。粉砕したガラス片が舞い散り、横滑りにオサムはデボンへと正面から入った。

 

「おいおい、半年前もそうだが、礼儀を弁えろよ、侵入者」

 

 情報通り、ツワブキ・リョウがどこかのらりくらりと自分を見つめている。オサムは三つのモンスターボールを放り投げた。

 

「コータス。一気にいくぞ」

 

「後ろにダーテングがいるな。お前がダーテング使いか?」

 

「さてね。こっちも質問に答えてもらおう。初代ツワブキ・ダイゴはどういうつもりだ?」

 

「どういう、か。そりゃまた難しい質問だな」

 

「茶化すな。こちらとて急務である」

 

 初代が右腕の手術を成功させる前に阻止せねば。そのためにカゲツと別行動を取ったのだ。リョウは手を掲げて指を鳴らす。

 

「しかしまぁ、一人で突っ切ってくるってのは勇気もあるが無謀だな。こいつらがいると分かっていただろうに」

 

 吹き抜けの階層から飛び出してきたのはゲノセクトを伴ったコープスコーズだ。オサムは周辺警戒をしつつ、やはりかと歯噛みする。

 

「コープスコーズ……」

 

「毎回煮え湯を飲まされているこっちとしちゃ、この機会に是非ともお前らを倒したいってのが人情よ。確実な手を選ばせてもらったぜ」

 

「近くにいれば、倒せるとでも?」

 

「コープスコーズは一応、オレが育て上げた部隊だ。それなりの自負もある」

 

 ゲノセクトが砲門を向けて襲いかかってくる。オサムはコータス三体に命じた。

 

「噴煙!」

 

 コータスが甲羅から高熱の黒煙をもうもうと上げる。ゲノセクトの表皮が融解し、それぞれ下がっていく。炎タイプのコータスにゲノセクトは不利なはずだ。こうしてじりじりと攻めれば……。そう感じていたオサムの感知野に割り込むようにオレンジ色の光線が一射された。一撃がコータスを吹き飛ばす。

 

「言っただろ? 毎回煮え湯を飲まされているって。だからこの機会に分からせたいのさ。こっちとの差をな」

 

 いつの間に出していたのか、リョウは手持ちを携えていた。破壊光線を発射したのはリョウの手持ち、レジスチルだ。

 

「もう出してくるとは思わなかったな」

 

「そうかい? こっちはいつだって本気だぜ?」

 

 レジスチルはギリギリまで温存しておくつもりかと思っていたがどうやらエントランスの守りを任されているリョウは最初から本気らしい。オサムはコータス二体に命じる。

 

「火炎放射! 鋼ならば炎が痛いはず!」

 

 しかしそれはスペック上の話だ。レジスチルは放射された炎を片手に生じさせたエネルギーの塊でいとも容易く霧散させる。

 

「一般ポケモンがこのレジスチルに傷をつけられるとでも?」

 

 やはりコータスでは無理が生じるか。オサムはこの状態でボスゴドラを出すか迷っていた。ボスゴドラならば左足の加護もある。押し切れる自信があったがこの先、初代も相手取らなければならないかもしれない。戦力は温存しておきたかった。

 

「コータス、押し負けるな! 連続して火炎放射!」

 

「言っただろう。レジスチルを甘く見るなって」

 

 レジスチルはなんと炎の中を臆する事もなく進んでくる。何かが炎を遮っているのだ。その正体を看破する前にレジスチルの腕が振るわれる。地面を這っているコータスが吹き飛ばされた。その膂力は通常ではあり得ない。

 

「馬鹿力か」

 

「ご明察」

 

 格闘タイプの技「ばかぢから」を発揮したレジスチルはすぐさま射程へと進み、コータスの頭部を引っ掴んだ。そのままゼロ距離での破壊光線が放たれコータスが完全に無力化される。ここまでとは思わなかった。リョウは、所詮ポーズとしてレジスチルを持っているのだという見方がネオロケット団の見解だったからだ。

 

「腐ってもレジ系。甘く見過ぎたな」

 

「そういうこった。どうする? コータスだけじゃないだろ?」

 

「ああ、その通りだ!」

 

 ダーテングが跳ね上がり、手裏剣状の手でレジスチルへと切りかかった。しかしレジスチルの表皮を切り裂く事も出来ない。

 

「鋼タイプに、悪・草タイプじゃなぁ!」

 

 レジスチルが即座に攻撃に転じようとするがダーテングはそれを読んだように距離を取った。レジスチルが地面へと拳を振るい落とす。ダーテングの戦闘姿勢を崩すのが目的であった揺さぶりだが、ダーテングはその時は跳躍してレジスチルを蹴りつけた。軽いフットワークにリョウが苦々しい顔をする。

 

「何てぇ、速さだ! 攻撃がまるで当たらない!」

 

 それもそのはずだ。既に細工はしておいた。リョウはそれにようやく気付く。夜だというのに汗が滲み出していた。

 

「陽射しが、強い……?」

 

「ダーテングの特性は葉緑素。日差しが強い時……」

 

 コータスを出した時点で天候を制御しておいたのだ。その辺は抜かりなかった。カゲツと示し合わせた部分でもある。

 

「ダーテングの素早さは二倍だ!」

 

 オサムの声にダーテングが弾き上がり、レジスチルを蹴りつける。レジスチルが腕で払おうとするが素早さが明らかに足りていなかった。

 

「馬鹿力の代償か? そんなんでダーテングは捉えられない!」

 

 ダーテングがレジスチルの背後に回り、その手裏剣型の腕を振り翳す。その瞬間、新緑の膜が発生し、瞬く間に出現した刃の鋭さを誇る葉っぱの群れがレジスチルを覆い尽くした。

 

「野郎、リーフストームか……」

 

「そっちと違ってこっちは撃ち放題だ。食らえ!」

 

 視界を奪った新緑の暴風がレジスチルへと殺到する。リョウは手を払う。

 

「薙ぎ払え! 破壊光線を充填してそのエネルギー波で攻撃」

 

 レジスチルが両腕にオレンジ色のエネルギーの波動を溜め込む。それを放たずにそのまま膂力に任せて「リーフストーム」を払い除けた。なるほど、レジスチルほどのポケモンしか出来ない芸当だ。破壊光線のエネルギーを放出ではなく帯電のように用いるなど。

 

「だが、ダーテング。まだこっちの素早さに対応出来ていない相手を仕留めるのにはちょうどいい」

 

 ダーテングが何度目かの攻撃を放つ。手裏剣型の手がレジスチルの鋼の表皮を掻っ切った。しかし鈍い音がするばかりで破砕の気配はない。

 

「何度も言わせるな! レジスチルはそんなやわじゃねぇ!」

 

 破壊の光条を溜め込んだ腕が迫る。しかし特性を発揮したダーテングが捉えられる事はまずないだろう。

 

「どう出る? ツワブキ・リョウ。このままじゃ、何も出来ないまま、時間だけを取られるぞ」

 

 それはどちらにしても避けたいはずだ。リョウは、「レジスチル!」と叫ぶ。レジスチルがリョウの声を受けて両腕を外側に払った。それでも新緑の刃は防げない。またしても一撃、ダーテングが鋼の表皮に傷つける。

 

「ちょこまかと鬱陶しいんだよ! 何度も引っ掻いたって、ダメージなんざ……」

 

 その時、レジスチルの体表から鉛色の空気が噴き出した。その現象にリョウは瞠目する。

 

「何を、やったってんだ……? おい、レジスチル! 動けるよな?」

 

 その段階になってダーテングが無闇やたらに攻撃していたわけではない事を悟ったのだろう。リョウは怒りを滲ませる。

 

「何しやがった……」

 

「レジスチルは鋼の堅牢な表皮を持つ、一見、弱点のないポケモンに映る。だがその実は、レジスチルだって皮膚呼吸しているに違いないんだ。レジスチルの特性を調べ上げた。皮肉にもダイゴのメタグロスと同じ、クリアボディ。能力変化に対応しない肉体だ。でもこっちもメタグロスで事前にその抜け穴くらいは見つけ出している。鋼タイプとはいえ必須なのは皮膚呼吸する部分。個体ごとにばらつきがあるが、何度も相手取った甲斐があった。破壊光線を撃つ時のモニターだ」

 

 オサムが掲げたのはレジスチルが破壊光線を撃つ際、どこからエネルギーを得ているのか、またどのように衝撃を分散させているのかのデータだ。

 

「衝撃を分散する際、レジスチルは一定方向から蒸気を噴き出させる。それも、精密検査しなければ分からないレベルだが、その噴き出し口のある部分を何度も引っ掻いてやれば、破壊光線を使うレジスチルの肉体に変化が現れてもおかしくはない」

 

 オサムの説明にリョウが見る見る間に蒼白になっていく。自分の手持ちが潰された事にようやく理解が追いついたようだ。

 

「レジスチル! おい! 何にも出来ないってのか?」

 

「衝撃を減衰するっていう事は、その場所は精密機械並みのはず。そこを何度も荒々しく引っ掻けばどうなるかくらいは予想がつくだろう?」

 

 たとえ効果抜群の攻撃でなくとも、連続で命中すれば致命的となる。リョウは歯噛みしてオサムを睨みつけた。オサムは涼しい様子で佇んでいる。これでツワブキ・リョウの戦力は潰した。

 

「さて、ここからは交渉だ。今、初代はどうなっている? 右腕を手に入れた、という情報の真偽、教えてもらおうか?」

 

 この場での詰問の権利はこちらにある。オサムの声にリョウは、似つかわしくない笑みを浮かべた。追い詰められているはずなのに、口角を吊り上げ笑ったのだ。

 

「……何がおかしい?」

 

「いや、こりゃ僥倖だと思ってな。オレも困っていたんだよ。この状況を兄貴と姉貴に気取られず、どうにかして突破する方法というのが」

 

 どういう意味なのだ。オサムが探っているとリョウは提案してきた。

 

「なぁ、合い争うのは一旦やめにしないか? お互いに利害は初代の抹殺で一致しているはずだ」

 

 リョウの言葉はそれこそ意外だった。ツワブキ家は初代を擁立しているのではないのか。

 

「何でだ……。ツワブキ家にとって初代は必要なはず」

 

「そうさ、必要だった。いや、オレは結局のところ、必要だと思わされていた、という事かな。……大体、姉貴が悪いんだよ。初代復活と自分を使っての純血のツワブキ家の存続なんて、無茶で狂った計画を建てたのはツワブキ・レイカだぜ?」

 

 それは初耳だった。初代復活の意味はネオロケット団でも何度か審議されたが結局は不明。初代という力の誇示だと思い込んでいたオサムからしてみればその発想は全くの予想外だ。

 

「じゃあ、ツワブキ・レイカは自分の遺伝子でツワブキ家とデボンを牛耳るために、初代を復活させたと……?」

 

「そうだよ、物分りがいいじゃないか。元々姉貴の道楽みたいな部分だ。オレももちろん、賛同する面があったから参加してきたが、正直、姉貴も兄貴もおかしいんだ。狂っているとしか思えない。家族であった人を疑って、それでその人から全てを奪うなんて、絶対に間違っているんだ」

 

 リョウは何の話をしているのか。確実なのはリョウはツワブキ家のやり方に懐疑的であるという事だろう。

 

「組め、って言うんじゃない。むしろ逆だな。こっちがお願いしたいくらいだ。オレと休戦して、ツワブキ家の根本をやり直さないか? 初代さえ殺せば、姉貴も分かる。こんな計画はそもそも成立しないんだって」

 

「……つまりは、お前も初代を殺したい、と?」

 

「そうだよ。だが知っての通り、初代を守るポケモン達は最強のレベルまで仕上げられている。オレ一人じゃ心許ない」

 

「ネオロケット団に下るというのか?」

 

「結果的にはそれでもいいぜ? オレは正直なところ、家にも、会社にも無関心でいたい。一警察官でいいんだよ。オレの将来なんて公安だから安泰だし、下手な事に首突っ込むよりかは、ツワブキ家を離散させてでも、元の平穏な生活に戻りたいってのが本音だ」

 

 リョウの一意見だ。ツワブキ家の総意ではない。オサムは通信を繋ぎカゲツに真偽を問うた。

 

「こちらオサム。今の、聞いていましたよね?」

 

『ああ。大分きな臭くなってきやがったが、この場合こっちが交渉の優位に立っている。どんどんとリョウにとって不都合な条件をぶつけてやれ。それで真意が分かる』

 

 オサムも同意見だ。リョウにいくつか質問をする。

 

「初代を抹殺したい、と言ったな? ならば聞く。初代殺し、そもそもの大元の犯人は誰だ?」

 

 最も重大な問い。オサムの言葉にリョウは戸惑った。

 

「オレが知るわきゃないだろう。だって、そんなの、誰も分かっていないんだから」

 

「誰も分かっていない? 初代でさえもか?」

 

「……そのはずだろう。兄貴は、初代の記憶と記録に齟齬があるって言っていたけれど……」

 

 記憶と記録に齟齬。誰かが意図的に初代の完全復活を阻止した。この場合浮かぶのは一人だけだ。

 

「ツワブキ・イッシン……」

 

 彼が何らかの介入を行い初代復活計画に水を差した。それだけではない。初代に関わる重大な秘密を知っているはずだ。

 

「答えろ! イッシンは何で初代を完全復活させなかった? お前らの背後に動いているのは何だ?」

 

「背後って……。オレも知りたいくらいさ。兄貴と姉貴が何を考えて初代再生なんて無茶をやろうとしたのか、なんて。最初からオレは無理だと思っていたんだ。死んだ人間を復活させるなんざ」

 

「だが、ツワブキ・ダイゴの名付け親はお前だと聞いた」

 

「あれは悪趣味な冗談だっての。あいつの境遇を……言っちゃ悪いがからかったんだよ。他意はない」

 

 フラン・プラターヌである事を知っていたのは言うまでもないだろう。その上でツワブキ・ダイゴとして扱ってきた。この男も充分に重罪だ。

 

「お前のやり方とレイカのせいでいくつもの命が蹂躙されてきた」

 

 怒りの矛先を向けようとするとリョウは困惑する。

 

「待て、待てって。Dシリーズについてか? そりゃ悪かったと思っている。だが、事の発端は姉貴が……」

 

「姉貴姉貴って、お前は何だ! 責任逃れの言葉ばかり並べて!」

 

 オサムは怒りが爆発しそうだった。全ては初代再生のために。自分と同じ境遇で死んでいく人々を何人も見てきた。自分は運がいいだけ。たまたまディズィーとマコに出会い、その後を生き延びただけの話。他のDシリーズと同様、死の呪縛からは逃れられなかったかもしれないのだ。

 

「……悪かったよ。オレの命程度じゃ、慰めにもならないのは分かっている」

 

「では、どうする? 今すぐ破壊光線で初代を焼き殺すくらいはしてもらえるのか?」

 

「したいのは山々だが、破壊光線程度じゃオペ室まで届かねぇよ」

 

 事前に仕入れていた初代の手術。そこまで話したという事は、もうリョウは戦力としてはツワブキ家に数えられていないだろう。オサムはカゲツに問い返す。

 

「どうします? こう言ってはいますが……」

 

『オレは別口からそっちに合流する手はずを整えている。ダーテング使いはお前だと信じ込ませろ。そうするのが一番、リョウにとっては痛いはずだ。ツワブキ・コウヤを押さえる。コウヤは今、別棟にいる』

 

「別棟……? コウヤは何をしているんです?」

 

『分からん、が、こっちも初代の意に沿うている感じではないな。初代のオペを防衛しているのはレイカだけだぞ。今なら、初代に仕掛けられる。千載一遇のチャンスだ』

 

 メガシンカしてカゲツが仕掛ければ一撃で仕留められる。オサムは首肯し、「そっちは頼みます」と声にした。

 

「ツワブキ・リョウ。レジスチルに攻撃命令を出せば、すぐさま首をはねる」

 

「分かっているよぉ。オレはもう戦えねぇ」

 

 どちらにせよレジスチルを即時に回復するのは不可能だ。ダーテングがリョウの首筋に狙いを定める。リョウは目を戦慄かせた。

 

「ま、まだ殺すとか言わないよな?」

 

「ああ、まだ、な」

 

 だがこの男もいつ裏切るかは分からない。オサムは慎重を期す必要があると感じた。

 

「まずは初代のオペ室だ。お前が先導しろ」

 

 リョウはレジスチルを伴ったまま、エレベーターに乗ろうとする。当然、重量オーバーだ。

 

「レジスチルは仕舞え」

 

 オサムの指示にボールへとレジスチルが戻される。これで即時の対応は出来まい。

 

「オレ、このままじゃ姉貴に殺されちまう……」

 

 情けない声を上げるリョウを尻目にオサムは情報を統合していた。この状況下で、どうしてコウヤは別行動を取る? リョウはコープスコーズの指示、及びエントランスの防衛任務は分かる。だが本当にそれだけか? レイカに関しても初代を一番に必要としている点でハッキリしているものの、コウヤだけが不明だ。そして、この状況でも行方の知れないイッシンはもっと不気味だった。

 

「イッシンはどこにいる?」

 

「知らないって。親父はオレ達の前に出るのを嫌っている。おおかた暗殺を警戒しているんだろうが」

 

 暗殺。初代再生を歪めたのだからあり得ない話ではない。

 

「初代の右腕は、誰が所持していた?」

 

 それが白日の下に晒されたから、この三兄弟は動いたのだ。リョウは弱々しく口にする。

 

「うちの家政婦の、コノハさんだよ……。あの人が右腕の所有者だった。姉貴の話じゃ、ネオロケット団側のDシリーズを殺して奪ったそうだ。でもよ、オレには信じられない。コノハさんはいつだってツワブキ家の事を思って働いてくれていた。あんな人が、ただ単に復讐心のために動いていただなんて」

 

「復讐心? そのコノハとかいう人物が何で?」

 

 繋がらない事実に疑問を浮かべているとリョウは静かに語った。

 

「コノハさんは、フラン・プラターヌの恋人だった。フィアンセだったんだとよ。それをオレ達が奪った。だからその復讐のためだけにあの人は忠実な僕を演じていた、って。でも、そんなの信じられるか! コノハさんは、いい人だったんだぞ! だって言うのに、二人とも身勝手だ。あの人を人間とも思っちゃいない」

 

 二人とも、という言葉にコノハの正体を知ったのがコウヤとレイカである事を確信する。

 

「待て、二人とも、と言ったな? 今まで右腕を隠し持っていた人間を、デボンがただ単に逃がすとは思えない」

 

 リョウは一呼吸置いてから応じる。

 

「……兄貴が処理するって、言い出した。あの人は、いつだって……」

 

 一人離れているコウヤの目的が分かった。コウヤはコノハがネオロケット団に繋がっていると考えて拷問しているのだ。すぐさまカゲツに繋ぐ。

 

「コウヤの目的が分かりました。右腕所有者の拷問です」

 

 詳細を聞かせるとカゲツはすぐさま応じた。

 

『なるほどな。デボンらしいっちゃらしい。オレはコノハとかいう女を助ければいいんだな?』

 

「ええ、右腕の所有者です。見殺しはあまりにも……」

 

 今まで初代の完全復活を妨げてきた功労者だ。殺させるわけにはいかない。それにはカゲツの同意も得た。

 

『オサム。そのままツワブキ・リョウを見張れ。オレはこっからならコウヤのほうが近い』

 

「直接対決ですか? ですがあまりにも……」

 

 コウヤの戦力は読めていない。それでもカゲツの声音にはやると決めた男の潔さが滲み出ている。

 

『なに、ちょっくらヒーローになってくるぜ』

 

 それを潮にして通信が切られた。らしいといえばらしい。カゲツの行動を別の端末でモニターしつつオサムはリョウへと声を振り向けた。

 

「待っていろ。お前らの行動の報いが、必ず来る」

 



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第百三十五話「尊い存在」

 

 報われない思いというのはどうしてここまで焦がれられるのだろう。

 

 目の前のこの女がそうだ。

 

 一室で両腕を縛り上げられ、自分の尋問を受けても顔色一つ変えない。なるほど、何年も潜入して能面を貫けたのも頷ける。

 

 コウヤはまず口火を切った。

 

「コノハさん。あなたが裏切っていたのは意外だったし、おれも言われるまであなたが怪しいとは思いませんでしたよ」

 

 コノハは唇の端から血を流している。頬も腫れ上がっているが自分の折檻に音を上げる様子はない。まだ諦めていない人間の眼の光をしていた。

 

「だがツワブキ・ダイゴ。あいつを入れた瞬間、あなたは揺らいだはずだ。いや、外見は全く違うから揺らぎもしなかったかもしれない。それでも、あれの正体がフラン・プラターヌだと知っているから、非干渉を貫けたんでしょう? そうでなければあなたはとうに食いかかっていてもおかしくはない。デボンとツワブキ家に恨みあるなら、ね」

 

 コノハは項垂れたまま無言を貫く。コウヤは息をついた。

 

「そのまま黙っていても、状況は進みますよ? 今に初代が右腕を得て、さらに左足も来たと、リョウから報告がありました。初代は完全体となる」

 

 その宣告にもコノハは動じる気配はない。コウヤは上っ面の言葉を取り払う事に決めた。どうせ、この女に先はないのだ。

 

「……と、いうのがツワブキ家の長男の言い分としては真っ当かな?」

 

 突然コウヤの態度が変わったものだからコノハは戸惑っている。だがその表情をほとんど出さない。これだからこの女は長くツワブキ家に居られた。

 

「正直なところ、この配置にも不満がある。どうしておれが、レイカの、妹の言う通りに動かなければならないのだ。いっつもそうだ」

 

 コウヤは歩み出す。コノハなど見えていないように、自分の主張を続けた。

 

「おれはいっつも、いっつもだ! 貧乏くじを引かされる。親父に殺されかけた事も、その殺し屋がまだ生きている事も、おれはデコイ相手にむざむざ戦力を晒したという間抜けになってしまった。ふざけるな!」

 

 払った拳がコノハの頬を張る。コウヤは怒りに任せてコノハの背筋を蹴りつけた。

 

「おれが、おれが社長なんだ! 支配者なんだ! だって言うのに、誰も、誰もだ! おれを崇めようとも、ましてやその職務がいかに偉大かを分かっていない。レイカ、それにリョウ……。あのツワブキ・ダイゴもだ! あいつ、おれに半年前、恥を掻かせやがった。おれの領分である化石バトルで勝ちやがって! 空気も読まずに!」

 

 コノハを打ちのめす。呻いたコノハだがまだ失神するような重傷ではない事は理解していた。その顎を無理やり上げさせてコウヤが告げる。

 

「おれが支配者だ。それも分からない三下共が、喚き散らす。それが我慢ならない。正直ね、コノハさん。おれは初代を完成させたくないんだ。その点、レイカとは別だな」

 

 意外な言葉だったのだろう。コノハは目を見開いていた。初めて反応らしい反応が返ってきてコウヤは昂る。

 

「レイカは、どうして初代再生にこだわっているのか、知っていますか? コノハさん」

 

 コノハは押し黙っている。コウヤは思い切り殴りつけた。血が拳についたのでハンカチで拭う。

 

「……分からないのか、それとも言う気がないのか知らないが教えてやる。レイカはね、自分の肉体で初代との純血の子孫を残そうとしたんです。このデボンのために。ひいてはツワブキ家のために。レイカの調べによるとツワブキ家の優秀なDNAはあと三代もすれば完全に途絶えてしまう。つまり、王の眷属などまるで意味がなくなる時代が来るのです」

 

 コウヤはコノハの髪の毛を引っ掴み、顔を近付けて言い放つ。

 

「おれにはそれが、どうしても我慢ならない。優秀なDNAを持つ人間がいなくなるからって? だから初代を蘇らせて子孫を造る? 血縁を絶やさない? 全てが些事だ」

 

 手を離し、コウヤは俯くコノハに言葉を浴びせた。

 

「狂気に取り憑かれているのは妹のほうなのが明らかなんですよ。おかしいでしょう? そんな考え。……だがデボンはおれのプランではなく、レイカのプランを取った。だからこそ進められたDシリーズの量産。人材の確保。これまでの計画の円滑。全てレイカのお陰、レイカのせい、レイカの勝手! おれは、次期社長だったのに蚊帳の外だ! そのほうが手垢がつかないから、ある意味では便利だと思っていましたよ。もしレイカの計画が成功したとしても、おれが支配するならね! だが実際はどうだ? 初代が会長職に就き、おれは社長職、それも張りぼても甚だしいものだ。おれが支配するはずだったのに! 全て二十三年も眠っていた死人に取られてしまった、この気持ちが! あんたに分かるか?」

 

 コノハの頭を蹴りつける。軽い脳震とうでも起こしたのかふらふらと視線がおぼつかなかった。コウヤは口角を吊り上げて言いやる。

 

「安心してください。痛めつけるだけです。あなたの女性としての尊厳を奪うだとか、そういう気分はさらさらない。無名の家系の女になど興味はない。ツワブキ家はおれを基点に存続する。おれのやりたいように、おれの自由に! ……だから初代は邪魔なんだ。すぐにでも消したいが、兄弟同士でいがみ合っているところをネオロケット団に突かれれば面白くないのは分かっている。その辺、冷静な自分がある種嫌になりますよ。何もかもかなぐり捨てて、全てを投げ打ってレイカもリョウも殺し、親父も殺して全てをおれの物としたい! 初代なんておそるるに足るものか! あれは死人だ。いくらでも殺す手段はある。だが、問題なのはまだ生きているであろうツワブキ・ダイゴ。それにDシリーズとコープスコーズ。出来損ないを今すぐに抹消する手段を、あなたも一緒に考えてくれませんか? コノハさん」

 

「……ないじゃないわ」

 

 コノハが呟く。コウヤは耳を傾けた。

 

「何だって?」

 

「出来損ないじゃない。少なくとも、あのツワブキ・ダイゴは……」

 

「そう考えたいのは分かります。だってあなたの恋人の肉体ですからね」

 

「……そんなのは、関係がない」

 

 ぴくりと眉を跳ね上げさせる。コウヤは問い返していた。

 

「関係がない、とは?」

 

「あの人が誰であろうと関係がない。フランであろうと、その記憶も、記録もなかろうと、あの人は、ツワブキ・ダイゴは! あんた達なんかよりもよっぽど崇高だった! 人間だった!」

 

 喚かれた声にコウヤは眉をひそめる。

 

「人間? あの出来損ないが人間だと?」

 

「あんた達は一人では何も出来ないくせに、寄り集まる事を嫌う羽虫のよう。でもダイゴは違った。彼は、たった一人でも自分の記憶を取り戻そうとしていた。そこには信念があった。賭けるだけの価値があった。でもあんた達は、ただお互いの欲望を喚き合って、そのくせ譲歩も妥協もしない、最低の輩」

 

 コウヤの張り手が見舞われた。それでもコノハは続ける。

 

「あんた達よりも、ダイゴのほうが尊い!」

 

「黙れ!」

 

 コウヤはコノハの身体を蹴りつける。何度も何度も、繰り返し叫んだ。

 

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇ! 尊いのはこのツワブキ家だ! ホウエンで最も尊いのが我が家系だ! だというのに、レイカは、ああ、くそ、この左足」

 

 コノハに一杯食わされた結果、傷つけられた左足が今さらにじくじくと痛み出す。かさぶたが剥がれて血が滲み出した。

 

「ゴミ虫が! ゴミ虫の分際で、おれの足に! だから、レイカが言いやがった。兄さんはこの女の処理を頼むわ、って。いつもみたいに澄ました声で。……あのアマぁ! ふざけやがって! おれの仕事がこんな……、こんなゴミ虫の処理だと? おれは社長だぞ? ツワブキ家で一番の出世頭だ! だって言うのに、あいつも、親父も、レイカも、リョウもまるでおれを尊ぶ事がない。もっとおれを見ろ! おれの言葉に従え! それがあるべき姿だ!」

 

「あんたなんかの言葉に従うくらいなら、死んだほうがマシ」

 

 コノハの言葉はコウヤの神経を逆撫でするのには充分だった。コウヤは鞭を手に取る。本来、使うつもりはなかった。自分は高尚な存在なのだ。鞭など、原始的な拷問手段に打って出なくとも相手は圧倒されるだろうと信じ込んでいた。

 

 だが、その自負が跡形もなく吹き飛ばされた。目の前にいるのは、ゴミ虫以下でありながら自分を罵る女一人。

 

 コウヤは鞭を振るった。血が飛び散り、頬につく。それさえも気にせずに振るい続ける。

 

 この女を生かしておく価値はもうなかった。

 

「コノハさん。あなた、そんなに醜いのに、まだ生きていたいんですか?」

 

 膨れ上がった頬を見てコウヤは哄笑を上げる。しかし、コノハは変わらない声音で答えた。

 

「あんたなんかに生かされるくらいなら、死んだほうがマシ」

 

 その一言はコウヤに殺人を決意させた。鞭を振るい上げる。今度こそ、殺す勢いで。

 

「ちょーっと待った」

 

 だから、放たれた声に気づけなかった。肩に手が置かれてようやく背後に人がいる事に気付く。

 

 その人影が頬に拳を見舞った。重い一撃にコウヤはよろめく。

 

 スキンヘッドの男は怒りを湛えたまま、静かに告げた。

 

「なるほど、確かに。こいつに生かされるくらいなら、殺されたほうがマシだな」

 

 男の声にコウヤは手を掲げる。

 

「何だお前! ここはデボン社内だぞ!」

 

「知ってんよ、んな事。分かりきってる事説明すんな」

 

 自分の言葉に全く動じない目の前の男にコウヤは怒りを覚えた。

 

「そうか、お前も、ゴミ虫かぁ!」

 

 自分の身体に巻きつかせていた岩の蛇がのたうち、眼前に出て人型を形成する。

 

「レジロック、分からせてやれ、こいつらに! 何が尊いのかをな」

 

「何が尊い? 分かりきっている事ばっかり言うな、てめぇ。それでも社長か?」

 

「だ、黙れ! 貴様ァ!」

 

 レジロックが跳ね上がり、岩石の拳を振り上げる。勝った、とコウヤは確信した。レジロックは無敗。この一撃を避けられるはずがない。

 

「本当に、分かりきっている事を。てめぇじゃ勝てねぇよ。メガシンカ」

 

 紫色のエネルギーが渦を成し瞬時に何がか視界を横切った。その時にはレジロックが断ち切られていた。その何かは目にも留まらぬ速さでコウヤを足蹴にする。ようやく視界に映ったそれは白い体毛のポケモンであった。翼のように膨れ上がった威容と赤い眼光にコウヤは恐れを成す。

 

「な、何だこいつは?」

 

「メガアブソル。首を落とすか、久しぶりに」

 

 メガアブソルと呼ばれたポケモンが刃のような角をコウヤの首筋に当てる。殺意の籠った冷たさにコウヤは身も世もなく叫んでいた。

 

「レジロック! お前、こんな時に何も出来ないなんて! このクズが!」

 

 断ち切られたレジロックは再生速度が間に合っていない。今の一撃が決定的な断絶であったと告げている。

 

「出来ねぇ奴ほど、手持ちのせいにするのさ。さて、どうする?」

 

「お、おれを殺せば、デボンが黙っちゃないぞ!」

 

「だから、分かりきった事を言ってんじゃねぇってさっきから何べん言わすんだよ。今さらデボンが敵だとか味方だとか、んな事こだわっていねぇんだよ」

 

 その段になってコウヤは相手が何者なのか推測がついた。顔面から血の気が引いていく。

 

「まさか、ネオロケット団……」

 

「んで、どうするよ? 新社長さんよ」

 

「おれの権限なら! お前達の罪を免除出来る! ど、どうせなら全て帳消しにして、デボンで働くといい! そうすればみんなが」

 

「みんながハッピーで、めでたしめでたし、ってか?」

 

 男が笑みを浮かべてコウヤへと目線を向ける。コウヤは何度か頷いた。すると途端に男の眼差しが厳しくなる。

 

「ナマ言ってんじゃんねぇぞ。無抵抗の女をこんな風にする奴の下になんて誰がつくかよ。それにてめぇ、さっきから自分の事を棚に上げて、全部他人のせいだ。誰かのせい、誰かのせい、ってな。悪いがこっちから願い下げだね。メガアブソル、やっちまえ」

 

 メガアブソルが首を振るい上げる。コウヤは訪れるであろう激痛に、絶叫した。

 



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第百三十六話「擦り切れ」

 

「……とまぁ、普通は落とすが、こいつにはまだ役目がある」

 

 失神したコウヤの頭部を引っ掴み、カゲツはメガアブソルへと顎をしゃくった。命令されるよりも前にメガアブソルは拘束されていた女性を救い出していた。

 

「さすが、オレの切り札。男前だぜ」

 

 頭を撫でてやるとメガアブソルは目を細めてくすぐったそうにする。カゲツは歩み寄って尋ねた。

 

「コノハ、とかいう女だな?」

 

「……だったら、どうするって」

 

「あんたを助けに来た。立てるか?」

 

 カゲツの言い分が意外だったのだろう。目を瞠っている。

 

「……私は、もう死んでもいいと思っていた。何よりも大切なものも、守れないで……」

 

「こいつの持っている拘束用のモンスターボールに入ってるの、あんたのだな? 返すぜ」

 

 ロックを解いて差し出すとエルレイドが飛び出してコノハを庇った。ナイトの様相だ。

 

「いいねぇ。手持ちの鑑だな」

 

 エルレイドへとカゲツは敵意のない事を示す。

 

「安心しろ。てめぇの敵は、ここで伸び切っている間抜けだ」

 

 コウヤを見やる。起き上がる気配はない。その手持ちであるレジロックは断ち切られた断面を再生し、再び襲いかかろうとする。メガアブソルへと命令を下そうとするとそれよりも速く動いたのはエルレイドだ。紫色の思念の刃を突き出し、レジロックへと切りかかる。レジロックが抵抗し出すのをメガアブソルの攻撃が抑えた。

 

「なるほど、さすがはナイトだな。主人を痛めつけた野郎のポケモンなんて許せねぇってか。オレは好きだぜ、そういう奴」

 

 メガアブソルがレジロックの拳を弾き肉迫する。至近距離で闇の刃が拡張した。

 

「浴びせろ、辻切り」

 

 闇の刃の一閃の前にレジロックが崩れ去る。だがまだ再生する事が分かっていた。このポケモンは砂の一片になってでも抵抗するだろう。

 

「ある意味、主人とは真逆だな。まぁこういうポケモンのためにあるのがこれだ」

 

 先ほどまでエルレイドの入っていた拘束用のモンスターボールを放る。レジロックは吸い込まれ、ボールの中に入った。

 

「使われる側ってのは意外に気付かないもんだ。さて、コノハとか言ったか、あんた」

 

 コノハはエルレイドに肩を貸してもらい、立ち上がっていた。その眼差しがどこか決心したように映ったのは気のせいではないだろう。カゲツはその行動を悟った。

 

「……初代を、殺しに行くつもりか?」

 

「……私のせいで初代が完全体になってしまう。それだけは防がなければ。あの人……、フランにも、ダイゴにも顔向け出来ない」

 

「ツワブキ・ダイゴ、か。あいつも罪だねぇ。女にそういう眼をさせるってのは」

 

 コノハが睨みつける。カゲツはハンカチを差し出した。

 

「拭きなよ。血で汚れた顔のままじゃそこいらを歩かせられない」

 

 コノハは一瞬の警戒の後にそれを手にして唇の端を拭う。それでも彼女の顔は傷だらけだった。

 

「あんたも、初代を殺す気でいるなら、オレ達と協力しないか?」

 

 カゲツの提案にコノハは訝しげに応じる。

 

「協力? 私は今まで、協力なんて誰にも仰がなかった」

 

「そいつは立派な心がけだが、初代の残りパーツが左足だけならまずい。左足を揃えられた途端に強くなるってのは勘弁だぜ」

 

 コノハはカゲツを見据えながら、「左足……」と呟く。

 

「ツワブキ・コウヤはもう完全体だって」

 

「左足の持ち主はそう易々とやられる奴じゃねぇよ。オレが保障する。問題なのは、左足の持ち主がいくら強くっても人海戦術の前じゃ不利って話だ」

 

 コープスコーズを退けたオサムはリョウの自由を奪い、このまま初代抹殺へと向かうだろう。ただ、コープスコーズがこのまま終わるとはどうも思えない。

 

「死体兵団……。意味なくそんな名前にするはずがねぇんだ。あの趣味の悪い初代ならな。コープスコーズはまだ先がある。初代もそれを見通しての行動だろう」

 

「……どうするって言うの?」

 

「オレは仲間が応援に来るまでに初代にケリをつけるべきだと感じている」

 

 カゲツの言葉にコノハは、「無理よ」と答える。

 

「初代に隙はない」

 

「何年もツワブキ家にいたあんたがそう言うんじゃそうかもしれねぇが、今は千載一遇のチャンスだ。初代は右腕の接合手術。今は隙だらけってわけさ。代わりにレイカが張っているみたいだが、なに、ツワブキ家の誰にも負ける気はしねぇな」

 

「自信過剰は死をもたらすわ」

 

「メガシンカ使いが一人もいないってんじゃ相手の手数は限られてくるさ。いくら優秀なレジ系といえども、オレとオサムが同時にかかれば勝てる。その算段はあるさ」

 

 コノハは暫し口を閉ざした後に、「戦力差なんて」と呟いた。

 

「初代一人で一気に覆る。あの初代がどれだけポケモンを保持しているのか知っているの?」

 

「ボックスは百と三だって聞いた。だが一回に百と三のボックスをフルに使えるわけじゃねぇだろ。オレは勝ち筋があると考えている」

 

「希望的観測よ」

 

「それでも、あんた一人で初代に立ち向かうよりかは確率は上がると思うぜ?」

 

 カゲツの言い草にコノハは逡巡したように口を開きかけては閉ざした。迷っているのか、とカゲツが感じているとコノハは前に進む。

 

「……今が好機だってのは分かった」

 

「手は組まないのか?」

 

「私は誰も信用しない」

 

 コノハはあくまで自分だけの力で決着をつけようというのだ。カゲツは肩を竦める。

 

「涙ぐましいねぇ。だが、そういう女ってのは早死にするぜ」

 

 メガシンカを一旦解き、カゲツはコウヤをアブソルに背負わせて後を追う。

 

「行くか。初代をここで倒す」

 

「……手は組まないと」

 

「だから、利害の一致だよ。オレは初代を倒すし、あんたも目的は同じだ。ただ単に目的地が同じだから同じように歩いているだけ。手を組むって言ってはいない」

 

 その言葉にコノハは何か言おうとしたが諦めたらしい。

 

「……好きにしなさい」

 

「ああ、好きにするともさ」

 

 カゲツはオサムに通信を繋ぐ。

 

「オレだ。リョウはどういう感じだ?」

 

『押し黙っていて逆に不気味なくらいですよ。ただ初代を殺したいってのは本音みたいですが』

 

 ここに来てツワブキ家内部での分裂が露になった。初代という歯車を巡っての対立。元々初代は死人だ。それを蘇らせようとしたツケとも言える。

 

「そうかい。初代を殺すって言っても、何かプランがあるのか? まさかノープランで殺すって言うほど、ツワブキ・リョウは無計画じゃないだろ?」

 

『どうやら右腕を取り外した際を狙うようです。ボックスに干渉出来る右腕の義手が取り外された瞬間は』

 

「最も初代が無力化された瞬間でもある」

 

 合理的だが初代はそこまで考えなしであろうか。手術中であろうとも、初代は何か手を打っている可能性がある。

 

「オレは、もうちょっと熟考の上で仕掛ける。オサム、悪いがリョウのお供を頼むぜ」

 

『分かりました。こちらは真正面から仕掛けるつもりでいいんですよね?』

 

「ああ。せっかくだし、リョウのレジスチルを使って破壊光線で手術室を焼いてもらえ。それくらいしても死ななそうなのが初代ではあるがな」

 

 オサムは冗談だと判じたのか笑い声を返す。

 

『こっちとしてもツワブキ・リョウとコープスコーズの無力化にここまで成功するとは思っていませんでしたから』

 

「コープスコーズの無力化、か」

 

 呟きながら考えを巡らせる。コープスコーズ。死体兵団。Dシリーズの量産型。情報では内部高速演算チップにより処理能力の向上と全員の並列化が成されているとあった。最早人間というよりも一種のコンピュータ群だ。

 

「その死体兵団が、すぐに無力化、か……」

 

『何か気になりますか?』

 

「お前の手際のよさは理解しているつもりだし、こっちのプラン通りに進んでいる部分もあるだろう。だが、油断するな。どっかで初代は仕掛けをしているに違いねぇんだ」

 

 コープスコーズがただのDシリーズの量産型ならばツワブキ・ダイゴの姿を模す必要がない。Dシリーズのノウハウを使ったにせよ、それは意味がないスキャンダルを生む。

 

「何かあるはずだ。くれぐれも」

 

『分かっていますよ。ツワブキ・リョウが下手な動きに出ればすぐさま対応します』

 

「気をつけろよ。奴さん方、案外用意周到だからよ」

 

 通信を切ってコノハへと目を向けると彼女は通信の一部を聞いていたらしい。

 

「……いい趣味しているのね」

 

「オサムの事か? 意外だな。あんた知っているのか?」

 

「半年前のテロ事件に関しては情報統制が敷かれているとはいえ一部の人間には筒抜けよ。ダイゴ以外のDシリーズが居たって言うのもね」

 

「オサムはいい奴だよ。オレが保障する」

 

「あなたの保障は要らないわ。どう考えたって怪しいもの」

 

 コノハの評にカゲツはフッと笑みを浮かべた。

 

「あんたもまぁ、どこか歪んでるな」

 

「お互い様よ」

 



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第百三十七話「鋼鉄の意志」

 

 初代を守る盾になる。

 

 それは自分に課せられたたった一つの意味でもあった。

 

 右腕を得た初代はまた一つ完成に近づく。今入った情報によれば左足も来たという。これは運命だろうか。初代は今宵完成を見る。

 

「左足の奴はすぐに殺せる。Dシリーズの弱点は知り尽くしているもの。問題なのは恐らくD036を指揮している連中」

 

 ネオロケット団。Dシリーズ一人で乗り込ませるほど信用してはいまい。何か手を打っているはず。そう考えてこの配置を提案した。リョウは疑似餌だ。そちらに時間を取られれば儲けものレベルに考えている。問題なのはここまで上がられる事だ。

 

 デボンの医療チームが総力を挙げて右腕の再生治療を行っているが半年以上適した環境になかった右腕は再生に時間のかかる部位だ。当然手術時間は延びていた。

 

「このままではネオロケット団に寝首を掻かれてもおかしくはないわね」

 

 そうしないための自分だったが、半年前に邪魔をされてダイゴを通してしまった過去がある。ネオロケット団が総力戦を仕掛けてくるのならば自分一人では止められないかもしれない。

 

 こんな時、父親であるイッシンを頼れないのは痛い。イッシンは今どこにいるのかも分からなかった。コウヤを遠くに置いたのも完全体になった時に邪魔が入らないためだ。

 

 コウヤは、言葉にしないが初代を邪険にしている節がある。それは早期に見抜いていた。だからこそ、初代の近くの護衛には置けなかった。

 

「私だけが、初代を理解出来る。初代の思想と血筋を受け継いだ、新たな支配者を作れる」

 

 この身体をそのために捧げるのならば惜しくない。そう考えていた矢先であった。手にしていた情報端末にノイズが走る。

 

「ジャミング? まさかネオロケット団――」

 

「残念だったな。この距離まで気付かないとは、感覚が鈍ったか? ツワブキ・レイカ」

 

 その言葉にレイカは振り返る。階段を上がってくる足音が徐々に近づいてきていた。

 

「階段から、真正面に……?」

 

 あり得ない。そのような間抜けな輩がネオロケット団にいるなど。だが雑魚を狩るのにも容赦をするつもりはない。レイカは指揮棒を振るうように手を払っていた。

 

「瞬間冷却、レベル3」

 

 放たれた凍結の手が階段を上がってくる影を捉える。そのまま引きずり出した。だがそれは、人影ではない。

 

 ホロキャスターを使った立体映像である。ホロキャスターが凍結で破壊され、立体映像が潰えた瞬間、すぐ傍の壁に亀裂が走った。

 

 レイカは咄嗟の判断でレジアイスを繰り出して壁にする。レジアイスが壁を突き破って現れた質量を受け止めた。

 

 火花が散り、レジアイスが吼える。

 

 延びた凍結攻撃を回避したのは王冠のような嘴と意匠を携えたポケモンであった。黒と青の身体が高貴さを醸し出しており、両翼はただの表皮ではない、鋼鉄のように輝いていた。鳥ポケモンか、とレイカは一瞬判じたがそれだけではないのが明らかである。レジアイスが弾いた攻撃は確かに「ドリルくちばし」であったが飛行タイプだとするのは早計だった。

 

「何者……。黒い鳥ポケモン使いなんて……」

 

「ここまでの接近を許すとは。やはり衰えたか?」

 

 差し込まれた声にレイカはハッとする。砕けた壁から現れた人影に半年前の屈辱と恐れが蘇った。覚えず震え出す指先に忌々しげな声を放つ。

 

「お前は……ヒグチ・サキ……」

 

 サキは肩口にかかった粉塵を払い除け、「久しぶりだな」と告げる。相手の余裕がレイカには面白くなかった。こっちのほうがトレーナーとしての格は上のはずだ。

 

「……そうか、半年前の弱いポッタイシの進化系。それがその鳥ポケモンか」

 

「エンペルトだ。これは、お前に対する毒になると思ってな。しっかり育てておいた」

 

 サキは落ち着き払ってエンペルトを見やる。隙だらけの横顔にレイカは攻撃を放った。

 

「どこを見ている! 瞬間冷却、レベル1!」

 

 レジアイスから延びた瞬間冷却の網に対してサキは何か行動を起こす気配はない。ただ、口を開いた。

 

「エンペルト。メタルクロー」

 

 跳ね上がったエンペルトが両翼をプロペラのように回転させながら瞬間冷却の網へと突入する。凍りつくかに思われたがその翼が冷却網を破った。手応えにまさか、とレイカは歯噛みする。

 

「鋼タイプ……」

 

「そう。言っただろう。お前に対する毒だと。エンペルトは鋼・水タイプ。氷タイプのレジアイスには辛い相手だ」

 

 それを分かっていての余裕か。レイカは苦渋を滲ませる。鋼タイプを単純な攻撃力で上回るのは難しい。

 

「……だが、晒したな、タイプ構成を。ならば、つけ入る隙くらい!」

 

 レジアイスの氷の触媒が地面を這ってサキへと至ろうとする。エンペルトが踏み砕いて無効化するが今度はエンペルトの足に巻きついた。そのまま触手となり、エンペルトの身体を壁に叩きつけた。

 

「エンペルト!」

 

「私が、ただ単純に氷が使えるからってレジアイスを使っていると思ったのかしら? レジアイスの戦闘パターンはただの純正氷タイプのそれではない。それこそ、戦況によっては鋼をも凌駕する攻撃力を放つ事も可能」

 

 エンペルトが螺旋を描いて氷の触手を弾き飛ばす。鋼は確かに厄介ではある。だが、それは多数戦での話。一対一ならばトレーナーとしての技量で負けるつもりはない。

 

「……確かに、私は所詮、トレーナー初心者。幼少期からポケモンと共にあるお前らツワブキ家には勝てないかもしれないな」

 

「それが分かっていて立ち向かっているのは度し難いわね」

 

「分かってはいるさ。だからこういう戦い方をする」

 

 サキが取り出したのはホロキャスターである。先ほどのように疑似餌でも呼び出すのか、と思っているとただ一言、声を発しただけだった。

 

「ルイ。デボンのボール認証システムには」

 

『はい、ご主人様。たった今、ツワブキ・レイカのシステム情報を手に入れました』

 

 少女の声が放たれた瞬間、レイカはボールがカチリとロックされたのを感じた。見やるとボールの中が濁っている。何が、と感じているとサキが声を放った。

 

「ボールに戻せないようにした。もうお前は、ここで私と戦うか、それとも逃げるかの選択肢しかない」

 

 どういう事なのだ。レイカはボールのシステム情報を読み取った。その時、ボールの状態がアクティブになっており、外部からのハッキングでボールの情報を掻き乱された事を知る。

 

「私のボールを、外部から破壊した?」

 

「正確には破壊ではなく、ボールに何も出来ないようにした。お前らの持っている拘束用ボールも、私の支配下だ」

 

 読まれている、とレイカは背筋が凍った。最後の手段にと残している拘束用のボールでさえも、サキにはお見通し。だが、どうやって個人の持つボールの識別まで出来るようになった? 半年前のヒグチ・サキには少なくとも不可能であったはずだ。

 

「……どうだ? 自分の分からないうちに、システムを掌握される気分は」

 

 恐れが這い登ってくる。半年前に切り捨てたはずの恐怖が蘇り、レイカは声を振り絞った。

 

「な、何が! ここで私が勝てば同じ! 意味のない事よ!」

 

「そうだな。ここで私が負ければ意味がない。だが、お前は一つ、勘違いをしているよ、ツワブキ・レイカ」

 

 その言葉に神経が逆撫でされたのを感じ取る。一体何を、自分が勘違いしているというのか。

 

「勘違い? その言葉、そっくりのそのままお返しするわ。トレーナーの格でも! 実力でも! 私のほうが上なのは疑いのようのない事実!」

 

 しかしサキは動じない。それどころか冷静さを保ったまま告げる。

 

「そう、私ではお前に勝てない。それは分かっている。だから、様々な事象を利用させてもう事にしたよ。まずは、そう」

 

 サキが指を鳴らす。その瞬間、ホールを突き抜けたのはオレンジ色の光条であった。遠くから放たれた破壊光線の光がサキの真横を突き抜けレイカとレジアイスへと直進する。

 

「れ、レジアイス! 氷壁、レベル5!」

 

 瞬時に氷壁が構築されてレジアイスとレイカを守ったが消耗は果てしなかった。一体誰が破壊光線を、と見やったレイカは震撼する。

 

 エレベーターホールから放たれた破壊光線の主はあろう事か弟であるリョウのレジスチルのものであった。

 

「何で、リョウが……」

 

「姉貴……。何で、姉貴が……」

 

 向こうも不思議そうだ。目を凝らせばリョウは後ろについているDシリーズに脅されているのだと分かる。

 

「手を組んだ覚えはないが、全ての事象を私は利用してツワブキ・レイカ。お前に勝つ。ほうれ、上だぞ、今度は」

 

 サキの声にレイカは咄嗟に頭上を見やる。その瞬間、天井が崩れ、破砕した影にエルレイドと白い体毛を持つポケモンが襲い掛かってくるのを目にする。

 

「レジアイス!」

 

 レジアイスの氷の防御が放たれるがエルレイドの攻撃と闇の刃を滾らせたもう一体のポケモンの攻撃にたじろぐ。

 

「コノハさんと……何者?」

 

 振り仰いだ天井の向こう側には拘束したはずのコノハとスキンヘッドの男が佇んでいる。

 

「とんだ偶然だな。示し合わせたわけでもないのに」

 

 男の声にサキは、「いいや、私のプラン通り」と答える。

 

「ルイでお前らの時間をピッタリ合わせてやった。それくらい造作もないのが私の自慢のルイの性能だ」

 

 リョウもレイカも、この場にいる誰もがサキの言葉を理解出来ていなかったが上を行かれた事だけは確かであった。

 

「分からんが、あんた、ヒグチ・サキだな?」

 

 降りてきた男が尋ねる。サキは、「そうだが」と応じた。

 

「いつも妹さんにお世話になっているよ。ここまでの誘導も、妹さんのバックアップのお陰だ」

 

 サキは一瞬だけ呆気に取られた顔をするがすぐに理解したらしい。

 

「……ああそうか。私が操作していたネオロケット団のシステムがやたら見知った感じがしたと思ったら。……馬鹿マコめ」

 

 サキはこの戦場の土壇場においても落ち着き払い、懐から煙草を取り出す。レイカは手を払って冷気を放った。レジアイスの氷結範囲はしかし、男の白いポケモンに遮られる。

 

「あんた、妹さんと同じくらい豪胆だな。この場で喫煙とは」

 

「これが一番落ち着くんでね。馬鹿マコの構築した作戦なら、私程度に利用されるのも当然だな」

 

「辛辣だな」

 

 男が肩を竦める。サキは尋ねた。

 

「私だけ情報を握られているのは腹が立つ。お前はネオロケット団の幹部だな」

 

「正解。カゲツだ、よろしく」

 

 握手を求めたその手を取らずにサキは口にする。

 

「攻撃が来るぞ」

 

「知ってる」

 

 白い体毛のポケモンが先ほどからレイカの放つ氷結攻撃をことごとく防いでいた。お陰で二人は談笑する始末だ。

 

「どうして、どうしてどうしてどうして! 私のプランが通用しない? あなた達、何だって言うのよ! 殺し損ねたヒグチ・サキに、出来損ないの弟に、Dシリーズに!」

 

 レイカの声音に対してカゲツと名乗った男は闇の刃で応戦する自分の手持ちに命ずる。

 

「アブソル。対応攻撃は終わりだ。こっちから攻めよう」

 

 アブソル、と呼ばれたポケモンは闇の刃を拡張させて跳躍した。一気にこちらとの距離が縮まる。慌ててレイカは手を払う。

 

「瞬間冷却――」

 

「遅ぇ。辻切り」

 

 放たれた闇の刃の一撃にレジアイスがよろめく。予想外の威力であった。レイカは相手が相当な実力者である事を感じ取った。

 

「何者なの……。レジアイスをよろけさせるなんて」

 

「名乗るほどのもんでもないさ。じゃあな」

 

 立て続けに浴びせかけられる攻撃。防御の隙さえも与えない。

 

「なんて、速さ……。レジアイス! 瞬間冷却と氷壁を同時展開! 押されるな!」

 

「いいや、押すね」

 

 挟み込まれた声と共に一気に肉迫したのは手裏剣型の腕を持つポケモンだ。新緑の刃の幕を張り、防御と攻撃を一体化させてレジアイスの氷壁を覆い尽くす。

 

「半年前の、ダーテング……!」

 

 Dシリーズが操っているのか。髪の毛を刈り上げたDシリーズは手を払って命じる。

 

「ダーテング、暴風!」

 

 ダーテングを中心軸にして竜巻が発生する。すぐさま粉塵を巻き上げて強力な風の攻撃が発生した。飛行タイプの広域技「ぼうふう」の威力は推し量るべきだ。レジアイスの補助を受けてようやくその場に踏み止まったレイカへと差し挟まれた声があった。

 

「隙あり、って言ったほうがいいのか?」

 

 サキの声と共に突っ込んできたのはエンペルトである。鋼の嘴がレジアイスへと突き刺さり、その身体が押された。

 

「一対一では負けない自信があったのだろうが、多数対、となるとそうでもないらしいな。どちらにせよ、私とてお前と真っ向勝負、というのが現実的でない事くらい理解しているよ」

 

 レイカは歯噛みする。このままではこの連中を初代の下へと通してしまいかねない。

 

「……ふざけるな」

 

 押し殺した声と共にレイカは氷結攻撃を拡張させた。レジアイスの氷結範囲が延長して全員へと襲いかかる。ダーテングが真っ先に飛び退き、続いてアブソルとエンペルトが攻撃から逃れた。だがレジアイスとレイカの怒りを相乗させた攻撃は根を張り、完全に初代の下へと続く通路を氷で塞いだ。

 

「野郎……イカれてやがるぜ。通路を丸ごと塞ぎやがった」

 

 カゲツの声にレイカは哄笑を上げる。

 

「お前らがいくら策を弄そうと、これで私達の勝ちよ! 初代さえ復活すれば、私としては大成功なのだから!」

 

 レジアイスがやられてもそう簡単に氷の壁は崩れまい。レイカはここを死地と定めた。ここで守れないのならば、自分の価値など捨てていい。

 

「ツワブキ・レイカ。最終目的は初代との血縁を残す事だと聞いていたが」

 

 サキの声にレイカは鼻を鳴らす。

 

「残すわよ! あんた達を葬ってからね、レジアイス!」

 

 氷の暴風域が発生し、エンペルトとアブソルが距離を取る。危険だと分かっているのだろう。この領域にはたとえ鋼タイプでも容易に立ち入れないはずだ。

 

「氷のフィールドを張った! これでもう! 誰一人としてここには来れない!」

 

 無論、自分とて無事では済まない。体温が急激に奪われ、死の足音が近づいているのが分かった。

 

「姉貴! それでいいのかよ!」

 

 リョウが叫ぶ。何を言っているのだ。ネオロケット団にほだされた裏切り者め。

 

「初代なんかのために、死んだって……」

 

「初代、なんか、ですって? リョウ! 初代なくしてツワブキ家はないのよ。それも分からないあんたは、やっぱり三流ね」

 

 リョウは言葉をなくす。姉である自分と弟の差は初代のために命を捧げられるか否かだ。弟は捧げられなかった。ツワブキ家失格だ。

 

「あんたは結局、何者にもなれないのよ。私はなる。初代の血を残す偉大な母へと!」

 

 レイカが天井を振り仰いで笑い声を響かせる。カゲツは歯噛みして呟いた。

 

「オレの今の戦力じゃ、氷の領域には分け入れないな」

 

「ネオロケット団程度が、ここから先に行けるわけがないのよ。潰えなさい!」

 

 手を払うと最大まで引き上げられた氷結攻撃がカゲツへと襲いかかる。アブソルが弾いたがその角も凍てついている。

 

「悪タイプ使いのオレじゃ厳しそうだ」

 

 誰が来ようと関係がない。全員を押し潰せる自信があった。

 

「ここで行けるのは、お前だけだな」

 

 しかしこの場において唯一突き進もうとする人影があった。それはD036の刻印がされたDシリーズである。

 

「ええ。僕だけですね」

 

 そのDシリーズがボールを手にする。レイカは嘲った。

 

「それが何? どんなタイプが来ようとこの氷結のフィールドに――」

 

「嘗めるなよ、ツワブキ・レイカ。こいつのこのポケモンは、四天王を制した実力だ」

 

 四天王。その言葉に呆気に取られているとDシリーズがボールを投擲する。

 

「――行け、ボスゴドラ」

 

 放たれたポケモンは鋼の体表を持つ巨躯だった。黒と銀で彩られた丸太のような手足に、一対の銀色の角が攻撃的な意匠を見せている。鋼・岩タイプのポケモンであり半年前、初代の前に屈したポケモン――。

 

「今度は、僕が勝つ」

 

 ボスゴドラが咆哮し、こちらを圧倒するように立ちはだかる。しかしレイカは屈しなかった。鋼・岩タイプといえど所詮は通常ポケモンだ。

 

「レジ系に、敵うわけがない!」

 

 放たれた瞬間冷却の波に対してDシリーズは冷静に告げる。

 

「そうかな? あんたが一番に分かっているはずだ。Dシリーズのスペックを」

 

 ボスゴドラが腕を払う。それだけで冷気の網が消え失せた。まさか、ともう一度放つ。しかしボスゴドラが吼えるだけで掻き消えてしまう。

 

「僕は、自分の思っている以上にボスゴドラとの適性があったらしい。それが四天王との戦いで偏在化した。僕の中に眠っていたトレーナーとしての強さが、ボスゴドラをここまで成長させた。今の僕とボスゴドラならば、誰にも負ける気はしない」

 

「ふざけるな! お前のような出来損ないが!」

 

「ボスゴドラ! 真正面から立ち向かえ!」

 

 ボスゴドラが腕を交差させて冷却の中を突き進む。射程に達した途端、その腕が振るい上げられた。

 

「ストーンエッジ!」

 

 ボスゴドラの発生させた超振動が刃のような波長を伴ってレジアイスの身体を突き抜ける。レジアイスが初めて押された。

 

「何だ、その使い方は……」

 

 岩タイプの攻撃「ストーンエッジ」は岩石の刃で攻撃する技のはず。しかし今のボスゴドラの使用方法は超振動ナイフのように内側から破砕する攻撃方法だ。

 

「岩の刃ってのは何も分かりやすく外側からだけじゃない。内側から砕く。それもまた一つの王道。さらに!」

 

 突き上げられたレジアイスへと追撃が突き刺さる。

 

「馬鹿力!」

 

 格闘タイプの技を打ち込まれてレジアイスの表皮に亀裂が走る。このままではまずい、とレイカが判断を下そうとする前にボスゴドラはレジアイスを吹き飛ばし、その身へと跳躍しての攻撃を放った。

 

「ヘビー、ボンバー!」

 

 重さの分だけ攻撃力の増す技「ヘビーボンバー」。鋼タイプのそれがレジアイスの身体を打ち砕こうとする。その瞬間、構築されていた氷の壁が崩れた。

 

「そんな! 今だって言うのか!」

 

 今こそ、初代復活の時だというのに。それを左足を宿したDシリーズに邪魔されるなど。

 

 レイカは頬を引きつらせて、「痴れ者め!」と叫ぶ。

 

「出来損ないは出来損ないらしく!」

 

「僕は! Dシリーズの出来損ないじゃない! オサムという一個人だ!」

 

 相乗した声が弾けレジアイスを押さえつける。その隙を狙ってエンペルトと共にサキが駆け抜けた。懐から拳銃を取り出したのが窺い知れる。カゲツもそれに続いた。このままでは初代はやられる。レイカは手を振り乱す。

 

「させるか! 瞬間冷却!」

 

「瞬間冷却は、もう撃たせない!」

 

 レジアイスはボスゴドラに拘束され、瞬間冷却の冷気さえも撃てないようだった。レイカは振り返り、サキとカゲツの背に言葉を投げる。

 

「ふざけるな! 私が……私の初代を!」

 



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第百三十八話「天誅」

 

 サキは刑事であった頃の習い性がまだ生きている事に感謝する。

 

 すぐさま安全装置を外し、手術室の扉をエンペルトに破壊させた。手術室には数人の医師が囲っておりその中央に眠っている初代の姿が確認出来た。

 

「動くな! 動けば撃つ!」

 

 サキの言葉にカゲツと名乗った男が口笛を吹かす。

 

「さすが。元刑事だな」

 

「元は余計だ。まだ刑事のつもりだからな」

 

 銃口の向こう側にいる医師達が戸惑って後ずさる。サキは照準を初代の額に向けた。一撃で射抜く。そのつもりであった。今は麻酔で眠っているはず。一番の好機であった。

 

 右腕の義手は取り外されており、生身の右腕が取り付けられている。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ! 天誅である!」

 

 引き金を引こうとした、その瞬間であった。

 

「――なんだい、喧しい事だね」

 

 馬鹿な、とサキは思わず硬直する。手術中だったはずの初代は身を起こし、サキを見据えた。麻酔が効いていないのか、と感じたが医師達の狼狽を見るに麻酔が効いていてこの状態なのだろう。

 

「しょ、初代! 今動かれては!」

 

「右腕が落ちる、かい? 生憎とぼくだって、この時が一番の隙だって分かっているんだ。だからそんなに即座には動けないよ。ただまぁ、ボックス操作の右腕がないってのは不便だからさ」 

 

 初代が左足を持ち上げる。

 

 息を呑んだ。

 

 左足の義足が変形し、膝の部分に義手と同じく転送装置の緑色の光が灯る。

 

 まずい、と判じて身を翻そうとした瞬間だった。

 

「――行け」

 

 初代が膝から出現したモンスターボールを左手で弾き、ボールが回転しながらこちらへと向かってくる。エンペルトが前に出て咄嗟の防御姿勢を取った。

 

「プテラ」

 

 現れたのは灰色の両翼を持つ巨大な翼竜であった。化石から復元されるポケモン、プテラがエンペルトへと襲いかかる。エンペルトは鋼の翼で受け止めたがプテラの口腔内がオレンジ色の光に染まっていくのを目にしてサキは声を弾けさせた。

 

「エンペルト、避けろ!」

 

「破壊光線」

 

 放たれたオレンジ色の光条が手術室ごと、フロアを焼き尽くす。最大限まで育て上げられたプテラの破壊光線は今までのポケモンの比ではなかった。押し出された形のサキとカゲツが宙を舞う。このままでは死は免れなかったが、跳躍したエンペルトがサキを抱きかかえた。カゲツもダーテングが飛び出してきて受け止める。

 

 吹き抜けのデボン本社を抜けて一階層まで逆戻りさせられたサキは無事着地する。カゲツもダーテングを伴って着地した。

 

「危ねぇな。あれが初代のやり方かよ」

 

 どうやら幾度となくリョウに煮え湯を飲ませてきたダーテングの主人はカゲツらしい。そうでなければ咄嗟の判断などつくはずがなかった。

 

「あれが……、初代ツワブキ・ダイゴの力」

 

 プテラを伴い、初代がゆっくりと舞い降りてくる。こちらと戦闘するつもりなのは必至だった。

 

「孫達が随分と世話になったようだ」

 

 初代の声にカゲツとサキは戦闘本能を研ぎ澄ます。

 

 フロアに爪を立てながらボスゴドラと操っていたオサムというトレーナー。それにアブソルが降りてくる。アブソルを伴い、カゲツは初代を見据えた。

 

「ここで会ったが百年目、ってか。どっちにせよ、初代。てめぇは倒す」

 

「不可能だよ。ぼくに勝てるのは世界広しといえどもぼくだけだ」

 

「かもな。ヒグチ・サキ。あんた戦闘専門じゃないんだろ? 下がっていたほうがいいぜ」

 

 カゲツの声にサキは、「一撃だけ」と応じる。

 

「試させて欲しい」

 

 思わぬ言葉だったのだろう。自分でも半年前までならば発しなかった。

 

「エンペルト、ハイドロポンプ!」

 

 エンペルトが前に立ち、両翼で水の砲弾を練り上げたかと思うと一挙に放出した。「ハイドロポンプ」の一撃を初代はプテラに受け止めさせる。効果は抜群のはず。プテラはさすがに高レベルとはいえ少し弱ったようだ。初代は左手に携えた義手を見やる。

 

「物事は正しい判断で下されるべきだ。今の攻撃は正しい判断ではあった。ぼくの操るプテラでもタイプ相性からは逃れられない」

 

 初代は右腕の義手の掌部分のみ、展開させ今しがた繋がったばかりの右手に装着する。

 

 緑色の光の転送装置が瞬いた。

 

「すぐに使えるようにしておいて正解だった。さて、プテラではちょっと不利かな。……いや、試してみるか、こっちも」

 

 初代はプテラへと顎をしゃくり言い放つ。

 

「プテラ、メガシンカ」

 

 まさか、と全員が息を呑んだ。

 

 メガシンカされれば勝つ手段がない。しかし、予想に反してメガシンカは成されなかった。初代は呟く。

 

「やはり、まだ足りないか。あるいは、ぼくには」

 

 濁したそこから先を追及する前にボスゴドラが突進してくる。

 

「初代!」

 

 オサムの声が弾け、ボスゴドラの攻撃がプテラへと突き刺さった。プテラの片翼を引っ掴んでそのまま壁へと投げつける。さしものサキでもその強大さには呆気に取られた。ボスゴドラのトレーナー、オサム。一体どれほどの強さだというのか。

 

「このまま、お前を逃がすわけにはいかない!」

 

 初代は戦闘本能を剥き出しにしたボスゴドラに対して乾いた拍手を送った。

 

「よくなったじゃないか。少なくとも、見れるようにはなったよ、君のボスゴドラは」

 

「減らず口を……!」

 

 サキは通信を繋ぐ。このままでは初代との戦闘にもつれ込む。そうなった場合、勝てるかは五分五分だろう。そのために取っておいた手段を講じた。

 

「聞こえていますか。ヒグチ・サキです。初代に右腕が接合されました」

 



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第百三十九話「空白の王」

 

 サキの通信を受けてイッシンは面を上げる。

 

 視線の先には機密ブロックとディアルガが封印されている。もちろん初代の心臓も、だ。初代は心臓を得れば最早完璧となってしまう。それだけは阻止しなければならなかった。

 

「わたしが真正面から戦っても初代には敵うまい。右腕の接合が成されたのならば余計だ。わたしは、どう罵られようとも、初代だけは蘇らせてはならなかった。その責任を取る。息子達が愚かしくも初代再生を願い、娘は初代の血筋を残そうとした。我が一族の恥は、長であるわたしが拭い去る」

 

 手には機密ブロックをいつでも爆砕出来るボタンがあった。このままデボンの地下へと永久に葬り去るほかない。

 

「わたしは、初代を、父を殺さなければならない。皮肉なものだな。二十三年間、父を殺した存在を追っていたわたしが、最後の最後に父親を殺すはめになるとは」

 

 ボタンを押そうとした、その瞬間であった。

 

「――そうか。そこまでして、お前はぼくを封じたいんだね、イッシン」

 

 その声に振り返った刹那、発生した攻撃の爪にイッシンは咄嗟のモンスターボールを投げる。

 

「ギギギアル!」

 

 ギギギアルが出現して盾となった。爪が弾かれて相手の姿が露になる。

 

「赤い、ゲノセクト……」

 

 通常の色ではない、色違いの赤いゲノセクトがその場に佇んでいる。だがコープスコーズのデータにはこのような色のゲノセクトはいないはずだ。

 

「どうなって……」

 

 呟いている間にも色違いゲノセクトが攻撃してくる。細い脚を振るい上げ、ギギギアルに炎の回し蹴りを叩き込んだ。

 

「ブレイズキックだと?」

 

 ギギギアルが炎の前に怯む。直後、ゲノセクトが掻き消えた。ハッとして振り返ったイッシンの脇腹へとゲノセクトの爪が食い込む。イッシンは痛みに歯噛みした。

 

「神速……。普通のゲノセクトではない……、オリジナルゲノセクトか……」

 

 コープスコーズに配布されたのは初代のボックスにいたゲノセクトを基にして大量生産したものだ。この色違いゲノセクトは初代のものに違いなかった。

 

「誰が扱っているんだ? いくら初代のものとはいえ、自律稼動なんて出来るはずが……」

 

「ぼくを見くびってもらっては困る」

 

 歩み出てきたのはコープスコーズの一員であった。ゴーグルを外し、彼は髪をかき上げる。その眼差しは量産化された死体兵団のそれではない。意思を宿していた。

 

「……どういう事だ。コープスコーズは人格データのない量産型Dシリーズのはず」

 

「そうだよ。だからぼくが入るのにも事欠かなかった」

 

 その口調にイッシンはある推論が脳裏に浮かんだ。

 

「まさか……! 初代自身だというのか? そのためにコープスコーズに人格は存在しなかった」

 

 コープスコーズ――死体兵団の真の意味とは、初代が入れる器の確保であった。初代はいざという時に自分のコピー人格の入れる肉体を量産していたのだ。

 

「ずっと、イッシン、お前を見張っていた。彼らの眼からね。お前が僕の無力化をはかっていたのは最初から分かっていたさ。そうでなければ、オリジナルの肉体に魂を降ろすなんて事はやらない。記憶と記録の齟齬には一番に気付いていたからね」

 

 裏目に出た、という事か。イッシンはかっ血して初代の魂のコピーが入ったコープスコーズを睨みつける。

 

「そうまでして、デボンが欲しいのか?」

 

「デボン? いいや、小さいね、イッシン。我が子ながら。ぼくが欲しいのはこの世の全てだ。デボンは足がかりに過ぎない。言っただろう? 王はぼくだと」

 

 これ以上の邪悪を野に放つわけにはいかない。イッシンは命じる。

 

「ギギギアル! ギアソーサー!」

 

 放たれたギアがコープスコーズ本体へと襲いかかる。それを弾いたのは色違いのゲノセクトだ。

 

「こっちも特別なものを用意してある。神速持ちのゲノセクト。さて、教えてもらおうか、イッシン。この先に何がある?」

 

 機密ブロックの先を、コープスコーズが見やる。イッシンは手にしたボタンを押そうとしたが、それを爪の一閃が阻んだ。手首から先を切り取られ、イッシンは激痛に呻く。

 

「自爆ボタンかい? と、いう事は、そうまでして守りたいものがある、という事だ。行かせてもらうよ」

 

 そこでコープスコーズは立ち止まり、イッシンの身体を引っ掴む。

 

「どうせ、網膜認証くらいのセキュリティはあるんだろ? ぼくでもそうする」

 

 この場で舌を噛み切って死ぬしか、初代を止める術はないのか。だが自分が死ねばそれこそ初代の目論見通りだ。イッシンは必死に引き伸ばす。

 

「……そうまでして、何であんたは力を求める? デボンだけでも相当な力だ。だって言うのに、何故?」

 

「何故? 決まっているだろう。王に相応しい人間は永久に生き続けなければならない。正直、レイカのプランもぼくは反対なんだ。ぼくの血筋を残す。素晴らしいが、ぼくはぼくの子や孫に託すよりも、ぼく自身が生きているのが一番手っ取り早いんだと思う。つまり、永久に死なない王の存在」

 

「まやかしだ」

 

 イッシンは吐き捨てる。コープスコーズはその首根っこを押さえて、「そうかもね」と返した。

 

「永遠の命なんてまやかしかもしれない。でも、まやかしのために命をかけられるのが生きている人間だろう? ぼくは正直、ここまで頼んでいないよ? 死体兵団を揃えろとは言ったが、ここまで上質にやれとまでは言っていない。全て、お前達後年の人々がお膳立てしてくれたお陰だ。ぼくは永遠に生き続ける。それが可能になってしまった」

 

「わたしは正しいとは思わない」

 

 眉間に力を込める。コープスコーズは、「正しい、正しくないじゃない」と答えた。

 

「ぼくが気に入るか、気に入らないか、それだけだ。さぁイッシン。この機密ブロックを開けろ」

 

 機密ブロックに背中を打ちつけられる。それでも動かないイッシンをコープスコーズが蹴りつけた。

 

「あのね、イッシン。ぼくがやれと言ったらやるんだ。そうでないのならばいい選択とは言えないな」

 

「いい選択、か……」

 

 イッシンはコープスコーズを見据える。その眼光が衰えていない事に気付いたのか、うろたえた声を出した。

 

「な、何だ? そんな眼で見たって」

 

「わたしは、後悔しない生き方を送ってきたつもりだった。それを息子達にも分からせてやりたかった。後悔せずに生きるという事はどれだけ素晴らしいのか。だが、結果的にわたしは後悔だらけだ。あなたが死んだ二十三年前も、あなたを自らの手で復活させた半年前も、これでいいのか、という自問があった」

 

「やれと言っている! イッシン!」

 

 荒らげた声にイッシンはフッと笑みを浮かべた。

 

「余裕がないじゃないか、父さん。あなたらしくもない。何かを焦っている」

 

「ぼくが、焦っているだって?」

 

「そうだろう。あなたはいつだって何かに取り憑かれたみたいに焦っていた。二十三年前も今もそうだ。究極的に自分に自信がないのか? あるいは何かを成す時に、後悔するのが怖いのかもしれない。このわたしと同じように」

 

「凡俗がこの王に……!」

 

「凡俗? 王? 笑わせる。わたし達ツワブキ家は王の家系でも、ましてや凡俗でもない。それ以下だ。血を守るだとか、威厳だとか、そんなつまらないものに縛られた三流以下の家系だよ」

 

 ゲノセクトの爪が肩口へと食い込む。イッシンは呻いた。

 

「家の悪口は許さないぞ、イッシン」

 

「どうだかな。あなたは一代でデボンを盛り立てた。その自負があるのは分かる。だからって、あなたが全て支配していい事にはならない。世の中は、あなたを中心に回っているわけではない」

 

 今度はゲノセクトの爪が膝に突き刺さった。イッシンは痛みに耐えて言い放つ。

 

「あなたが守りたいのは、あなた自身だけだ。自分だけなんだ。王である自分だけを守りたい。わたしは、出来が悪くとも、息子達を守りたかった。間違った道に行って欲しくなかったんだ」

 

「だから、お前が率先して間違いを正そうとしたと? イッシン、勘違いも甚だしいな。孫達は、ぼくを尊敬していた。だから、再生計画を主導してきたんだ」

 

「ここにはいない誰かを崇拝するのは勝手だ。だが、そこには何もない。空白だ。虚しいだけなんだ。わたしはギリギリそれに気付けた。だからわたしはこれからの生を、間違いを正すためだけに生きる事にした。恥でも何でもいい。間違っていなければ、恥じてもいいと」

 

「無様な生き方だ、イッシン。死体兵団にも劣る」

 

「だが、わたしは……」

 

 イッシンが立ち上がる。必死に意識の糸を繋ぎ止め、ここでの戦いに全身全霊をかける事に決めた双眸を湛えさせる。

 

「わたしは、もう逃げない! 戦うと決めた、だから! ギギギアル!」

 

 先ほど弾かれたギアが戻ってきてゲノセクトを突き飛ばす。たちまちギアが多数出現し、ゲノセクトを壁に縫い止めた。

 

「親が間違っているのならば、正すのが子の役目だ!」

 

 ギアの一つが鋭く輝き、コープスコーズの頭を割る。仰向けに倒れたコープスコーズが声にした。

 

「……そのような、愚かな考えに……」

 

「愚かかどうかは、後の世が決める。あなたがいつまでも出しゃばっていていいものじゃない」

 

 切り落とされた手首を拾うべく、イッシンが歩み出そうとする。その時、足音が響き渡った。

 

 通路から数人のコープスコーズが現れる。手首を拾い上げ、「ぼくは一人じゃないからね」と声が発せられる。

 

 イッシンは口元を緩めた。

 

「いいや、あなたは、ずっと独りだ」

 



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第百四十話「奔る」

 

 炎が舞い落ちていく。

 

 燐光が迸り、一閃したかと思うと一瞬だった。

 

 ダイゴは膝を落としたまま顔を上げる。

 

 メガクチートとメガディアンシー、どちらもフェアリータイプであったはずだ。だというのに全く歯が立たなかった。目の前の水色の表皮を持つドラゴンはそれ以上の力で圧倒した。

 

「ツワブキ・ダイゴ。後はお前のメタグロスだけだ」

 

 発せられた声にダイゴは目を向ける。

 

 火の粉が舞い散る中、最強の四天王でありドラゴン使いであるゲンジが立ちはだかっている。戦闘が始まって数時間。メガクチートとメガディアンシーが最初のほうこそ優勢ではあった。だが、戦闘中に突然劣勢へと叩き込まれた。それは一瞬の事だ。

 

「時間だ」とゲンジが告げただけで、ボーマンダはその力を振るい、二体のポケモンを戦闘不能にした。ダイゴはメタグロスを後衛に置いていたから唯一助かっただけだ。

 

 ディズィーもクオンも言葉をなくしている。圧倒的な強さの前には言葉など無意味なだけだった。

 

「なんて、強さ……」

 

「これが、四天王だって言うの?」

 

 今までとは桁違いだ。ダイゴは迷っていた双眸をゲンジ打倒のために据える。もうここで戦うしかない。戦って、勝つしかないのだ。

 

「まだ、立ち向かう体力が残っているか?」

 

「俺は、勝ちに来たんです」

 

 ダイゴの声にゲンジは鼻を鳴らす。

 

「その程度の実力でか? 笑わせる。いいか? 勝利とは! 強者の頂に登る人間にのみ与えられた特権であり、それ以外は全て敗北の前に膝を落とすしかない!」

 

 強者のみが生き残れる。強者の理論に打ちのめされそうになるがダイゴは拳をぎゅっと握り締めた。

 

 強者になるのは自分だ、という感覚を研ぎ澄ます。これは戦いなのだ。

 

「俺は勝つ。勝つという事はあなた以上の強者になるという事」

 

「口だけは達者だな」

 

 ゲンジの声にダイゴは奮い立たせるために雄叫びを上げる。声が朗々と響き渡り、ダイゴの胸に情熱の炎を灯した。

 

「俺が、勝つ!」

 

「いい眼になってきたが、では圧倒的な強さ、というものを見せてやろう」

 

 ゲンジの手首にはバングルが巻かれていた。その中央には虹色の石があしらわれている。

 

「――メガシンカ」

 

 その言葉に呼応して周囲の空気が渦巻き、ボーマンダに寄り集まる。ボーマンダは咆哮と共にエネルギーの核を打ち砕いた。新たな姿は分かれていた翼が円弧を描くように一体化した姿だ。身体もより直進的になっており、前足は短くなっていた。

 

「メガボーマンダ」

 

 放たれた声にメガボーマンダが吼える。ダイゴはメタグロスに命じた。

 

「メタグロス! バレットパンチ!」

 

 弾丸の勢いの拳をメガボーマンダはするりと回避し、攻撃を浴びせかける。赤い燐光が発せられ内部骨格が光り輝いた。

 

「逆鱗」

 

 千を越える光の刃がメタグロスへと突き刺さる。力の瀑布にメタグロスが怯みそうになるがダイゴは負けじと叫んだ。その瞬間、胸に留めていたペンのキーストーンが僅かに輝く。ダイゴ自身、無意識下での輝きだった。

 

「その輝き! 遂に来るか! 強者の頂へ!」

 

「俺は、超える!」

 

 エネルギーの放射に周囲の空気が逆巻きかける。

 

 その時であった。

 

 ゲンジは通信を感知して声を投げる。

 

「ワシだ。何があった? ……なに? デボン本社で?」

 

 驚愕の色の混じったその声にダイゴは戦闘意識が凪いでいくのを感じた。ゲンジ自身もメガボーマンダにこれ以上戦闘をさせるつもりがないらしい。

 

「そうか……。すぐに向かおう」

 

「何があったんですか」

 

 メガシンカの兆候は失せ、ダイゴは問う。ゲンジは厳しい顔つきの中に今しがたの報告の混乱を混ぜた。

 

「嫌な報告だ。……初代が右腕を得た、と」

 

 ダイゴは息を詰まらせる。右腕の所有者はコノハのはず。まさかコノハが殺されたのか? ダイゴの驚愕を読み取ったゲンジが、「所有者は無事保護したようだが」と口にする。

 

「問題なのは、デボンでの戦闘が開始された、という事だ。カゲツはそのまま戦闘にもつれ込み、今宵で初代との因縁を終わらせるつもりだろう。諜報員として潜り込んでいたホムラとイズミの報告によれば、第三者、ヒグチ・サキの介入があったという」

 

「サキさんの?」

 

 思わぬところで名前が出てダイゴは困惑する。どうしてサキが? その疑問を問い質す前にゲンジは、「急務だ」と告げる。

 

「今宵、勝負が決するというのならば、ワシらも本気で向かわねばならん。これを」

 

 ゲンジの投げたのは回復の薬だった。

 

「ポケモンを回復しておけ。ネオロケット団全部隊に告ぐ。初代との因縁を終わらせる」

 

 緊急出動の声にプリムとフヨウが階段を駆け上がってくる。

 

「キャプテン。どうするのですか?」

 

「アチキ達、まだ準備が出来ていないよ?」

 

「いや、充分だろう。ポケモンを回復後、航空部隊と共にデボンに仕掛ける。コープスコーズについては抑えているとカゲツからの報告があった。今が最も手薄だと考えられる」

 

 ゲンジの言葉に二人とも自然と引き締まったようだ。既に襲撃をかける事は決定事項らしい。

 

「俺は、今、メガシンカが使えかけた……」

 

 ダイゴの言葉にゲンジは、「本当ならばもう少し時間が取りたかったが」と悔やむ。

 

「戦線に復帰してもらう。ツワブキ・ダイゴ。メガシンカの完全制御が出来ていないとはいえ一人でもその可能性は欲しい」

 

 使えなくとも戦う覚悟くらいはもう持ち合わせている。問題のは完全復活するであろう初代がどれほどの高みにいるのか。半年前には同じポケモンで全く敵わなかった事を思い返す。

 

「行くぞ! 総員、戦闘準備!」

 

 キャプテン帽を被り直したゲンジの号令に、全員が首肯で応じた。

 



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第百四十一話「王の力」

 

 リョウはレジスチルを出したまま、翻弄される状況に振り回されていた。

 

 初代が手術室から出たと思えば、今度はサキとオサム達を巻き込んでの大立ち回りだ。この状況についていけないのは自分達兄弟全員のようだった。連れて来られたコウヤは一階層で巻き起こっている戦闘を見下ろしたまま放心しており、レイカも立ち上がる気配さえもなかった。

 

「姉貴、それに兄貴……。オレ達、間違っていたのかな。初代再生なんて、本当はやっちゃいけなかったんじゃないのかな」

 

 今さらの弱音はいつもならば叱責の対象だったが、全員言葉少なだった。今しがた敗北したレイカと引きずり回されてきたコウヤには最早プライドの欠片もなかった。

 

「私が……私だけが、初代との血の結びつきになれる……。そう信じていたのに」

 

「おれが支配者なんだ……。おれが、全ての上に立つ……」

 

 この二人は傲慢の象徴だ。どこまでも利己主義で分かり合えない。リョウは自分もその中の一人、と感じていた。

 

 ダイゴを利用し、幼馴染でさえもあんなに遠くに行ってしまった。もう自分には何も残っていない。

 

「兄貴、それに姉貴も、オレ程度、過ぎた言葉かもしれないけれど」

 

 リョウは二人へと視線を振り向け言い放つ。

 

「間違っていたんだ、きっと。だけれど、間違いを正す戦いは、オレ達にだって出来るはずなんだ」

 

 レジスチルはまだ戦える。リョウがやろうとした事を見抜いたのかコウヤは自嘲気味に口にする。

 

「やめておけ、リョウ。ただでさえ間抜けなお前が、余計に間抜けに映るだけだ」

 

「リョウ、だから三流なのよ。悪人にも成り切れないなんて」

 

 自分は悪に染まったつもりだった。デボンという巨大企業の歯車を動かす、その要の三人に。だが実際のところ、自分の意思で動いた事など一度もないでくの坊だ。

 

「オレは……二人とも、オレは行くよ」

 

 一階層で激戦を繰り広げる三人と初代へとリョウは目線を向ける。レジスチルならば降りられる。

 

「リョウ。これ以上、生き恥を晒す気か? ツワブキ家はもうお終いなんだよ」

 

 コウヤの声にリョウは振り向かずに応じる。

 

「オレは、悪に成り切れない半端者。だけれど、悪を止める、正義の味方になれなくっても、いい奴、くらいにはなりたい。あいつらにとっての、いい奴に、オレは成りたい」

 

 初代は圧倒的だ。あまりにも強大なその力。だが三人は臆する事もない。幼馴染は半年前には考えられなかったほど成長を遂げて立ち向かっている。あとの二人も同様だ。負けるなどさらさら思っていない。勝つ事しか考えていないその真っ直ぐさが眩しく映る。

 

「やめときなさいよ。あんたなんて、何にもなれやしないんだから」

 

 レイカの諦観の声。レイカはもう半ば諦めているのだろう。初代が殺されるか、殺されないにせよ、もう自分は選ばれないのだと知っている。

 

「オレは、今まで兄貴と姉貴は正しいんだと思ってきた。でも、分からなくなってしまった。コノハさんはどうして、オレ達の寝首を掻く事はいつでも出来たはずなのにしなかったのだろう? あの人はオレ達を恨んでいたはずだ。殺してもいい資格を持っていた。なのに、どうして何もしなかったのか。二人は考えたか?」

 

「あの女の気紛れよ。それに、表立った行動を起こすのは現実的じゃない」

 

「レイカの言う通りだ。おれ達を殺したところで行く場所がない」

 

 そうだったのかもしれない。だが、それだけではない気がしていた。

 

 コノハでさえもいつの間にか、家族の情に触れていたのだとすれば。

 

「オレ達はツワブキ家という大きな呪縛に囚われた最悪の家族だった。王の血脈、王の子孫。でもそんなんじゃない。そんな崇高なものじゃ、決してなかったんだ!」

 

 リョウの言葉にコウヤが嘲る。

 

「もう戻れまい」

 

「戻るんじゃない。言っているだろう? オレは、進むだけだ!」

 

 リョウは吹き抜け構造のデボンのエントランスへと飛び降りる。レジスチルを呼びつけて壁を破砕しながら制動をかけた。

 

 思わぬ珍客だったのだろう。リョウが命令し、レジスチルが割って入った事に全員が驚いていた。

 

「リョウ……、お前、何で……」

 

「オレは、まだ、心を失いたくなかっただけさ」

 

 その言葉で意思の疎通が出来たのだろう。サキは口元に笑みを浮かべる。

 

「言っておくが馬鹿の所業だ」

 

「知っている」

 

 レジスチルの破壊光線のパワーを溜めた掌底が初代の繰り出す鋼タイプと拮抗する。初代が出していたのはドータクンという名の鋼・エスパーポケモンだった。釣鐘を思わせる形状で下部に小さな目がついている。その目が瞑られていた。あれは「めいそう」という技だ。

 

「瞑想中は、特殊防御、及び防御力が上がる。普通の攻撃じゃ、びくともしないはずだ」

 

 その言葉通り、アブソルによる連続攻撃も、ボスゴドラによる粉塵を巻き上げる膂力戦闘も、エンペルトの細やかな攻撃もことごとく防がれている。

 

「手があるって言うのか?」

 

 下がって尋ねてきたカゲツに、「なに、半年間」とリョウは笑みを浮かべる。

 

「煮え湯を飲まされ続けたのは伊達じゃないって事だ! コープスコーズ!」

 

 リョウの呼び声に待機していたコープスコーズがめいめいに顔を出して攻撃姿勢に移った。その数にサキが息を呑む。

 

「Dシリーズの量産型……。こんなにいたのか……」

 

 その数、三十五体。全員が所持しているのはゲノセクトだが、リョウはゲノセクトのカセットを二つの種類に分けておいた。

 

「赤いカセットのゲノセクトで前衛攻撃! テクノバスター!」

 

 半数のゲノセクトの砲門がドータクンへと向けられる。直撃したドータクンは僅かに表皮を削られていた。その反応にオサムが声を出す。

 

「効いている?」

 

「赤いカセットのテクノバスターは、炎タイプだ。初代、あんたにとってしてみれば、半数は炎使いのゲノセクトに、もう半数は水使いのゲノセクト。この状況下でかなりの脅威には映るはずだが?」

 

 初代は周囲を見渡し、「なるほど」と呟く。

 

「ぼくの使えるのは鋼以外では岩、地面だと知り尽くしたツワブキ家だからこそ出来る芸当だ。ゲノセクト……増やしたのが仇となったか」

 

「その通りだ! テクノバスターで焼き尽くす!」

 

 赤いカセットのゲノセクトが再度「テクノバスター」を撃とうとする瞬間だった。

 

「――だが、こうは考えなかったのかな、リョウ。自分より高次の命令権のある人間がいる、という事は」

 

 初代が指を鳴らした。その途端、ゲノセクト全機が動きを止める。思わぬ行動にリョウは面食らう。

 

「どういう事だ? コープスコーズ!」

 

 しかし誰一人として反応しない。初代は拍手を送った。

 

「この状況下で、確かにゲノセクトは脅威だ。半数、つまり十七体前後のゲノセクトによる一斉のテクノバスター。それはぼくがいかな鋼タイプを使おうとも勝てる自信に繋がるだろう。だが、コープスコーズの発案者はぼくだ。間違ってもらいたくないな」

 

 瞬間、ゲノセクト全機がこちらへと振り返った。砲門にエネルギーが充填される。リョウは目を見開いた。

 

「まさか……」

 

「全て、ぼくの指揮下だ。食らえ、テクノバスター」

 

 攻撃が発せられるかに思われた瞬間、声が弾ける。

 

「させねぇ! アブソル、行くぞ!」

 

 カゲツの声にリョウが視線を向けた瞬間、空気が逆巻き、エネルギーの核がアブソルを中心に渦巻いた。アブソルがそれを咆哮と共に弾き飛ばす。

 

「――メガアブソル。三十五体居るんだろ? 全ゲノセクトに一斉攻撃だ!」

 

 メガアブソルの角へと紫色の思念が纏いつく。しかしそれは今までの比ではない。「つじぎり」を放っていた時には不可視であったエネルギーが可視化され、鞭のようにしなった。瞬く間に視界に入るゲノセクトへと絡みつく。それぞれへと囲い込まれた思念の刃が突き刺さり、内側から爆発の光を弾けさせた。

 

「サイコカッター! この攻撃はゲノセクト全機を落とすには充分だったな」

 

 瞬く間に撃墜されたゲノセクトを前にコープスコーズへとリョウが命令を下す。

 

「眠れ。催眠電波を送った! コープスコーズを利用する事は、もう初代には出来ない!」

 

 一人、また一人とコープスコーズが倒れていく。初代は、といえば取り乱す様子もない。少しばかり手間が増えたと言わんばかりに襟元を整える。

 

「やれやれ。全く、ぼくの実力を分かっていない連中が多くって困る。コープスコーズを利用する? そりゃ、出来るならばそうするさ。ぼくだって労力を費やしたくない。それに……メガシンカが出来ないのは不便だ」

 

 メガアブソルを睨み据える初代の眼には敵意だけではない、何らかの感情が読み取れた。

 

「プテラがメガシンカ出来れば言う事はないのだが、ぼくはどうやら二十三年前にメガシンカに必要な何かを落としてしまったらしい」

 

「つまり初代は……」

 

「メガシンカが使えない」

 

 好機であった。メガシンカが使えるのならば初代を倒す術はないに等しかったが相手はただ単に強力なだけ。それならば、とカゲツと視線を交わし合う。

 

「皮肉なもんだ。半年間いがみ合っていた相手と」

 

「こういう時、一番役に立つと思えるなんてね。……レジスチル、行けるか?」

 

 両腕に破壊光線のエネルギーを吸着させたレジスチルが地面を踏み締めながら駆け出す。一撃でも与えられれば、という希望で放たれた攻撃は初代が新たなポケモンを右手から放った事で途絶えさせられた。

 

「行け、ヒードラン」

 

 出現したのは四足を持つポケモンだった。発達した顎から噴出したのは炎である。紅色の眼球がてらてらと輝き、鋼鉄の頭部を持っていた。

 

「まさか……」

 

「そのまさかだ。鋼・炎タイプ。さて、レジスチルはどこまで持つかな?」

 

 触れた途端、レジスチルの表皮が融解したのが分かった。だがここで退くわけにはいかない。レジスチルへとリョウは命じる。

 

「掌底で突き上げろ! 一秒でも時間を稼ぐんだ!」

 

「そうしている間に、ぼくへと直接攻撃、という寸法かい?」

 

 跳躍したメガアブソルは翼のような体毛の恩恵を受け、滑空している。その角を振るい上げた途端、思念の刃が初代の生身を囲った。

 

「勝った! 初代、これでてめぇはお終いだ!」

 

 カゲツの勝利宣言に初代は冷ややかな眼差しを向ける。

 

「そうだね。普通ならば勝利かな。だが、もう一つ、忘れているんじゃあるまいな?」

 

 初代が左足を前に出す。膝の部分から転送の光が放出されており、既にボールが繰り出された事を示していた。

 

「何だと!」

 

 その瞬間、空中を舞うメガアブソルへと攻撃が仕掛けられた。咄嗟に防御の姿勢を取ろうとするも、攻撃を完全に防ぐ事は出来なかった。

 

 空中に現れていたのは騎士の威容を持つポケモンだ。両腕が槍であり、巻貝のような身体であった。槍の両腕が交差しメガアブソルへと切りかかったのだ。メガアブソルは着地時に隙のないように駆け抜けたがその身体にはありありとダメージの痕があった。

 

「シュバルゴ。鋼・虫タイプ。決して素早いポケモンとは言えないが、その珍しい複合タイプと不意打ち程度ならば可能だよ。今、どんな攻撃を受けたのか、メガアブソルの主人である君ならば憶測が可能だろう?」 

 

 カゲツは歯噛みする。メガアブソルには効果抜群の攻撃の痕があった。

 

「シザークロス……」

 

「ご明察」と初代が指を鳴らす。シュバルゴが駆け抜けてメガアブソルへと槍の攻撃を仕掛けようとする。メガアブソルは逃げに徹するしかない。虫タイプの攻撃は効果抜群。ここに来て弱点タイプと戦うなど考慮に入れていなかったカゲツは明らかに苦戦していた。

 

「レジスチル! カゲツの応援に……」

 

「させると思っているのか?」

 

 噴き上がった炎の螺旋がレジスチルを取り囲む。一歩も動けない状況にリョウは汗が顎を伝い落ちるのを感じた。

 

「マグマストーム。攻撃性能はかなりのものだ。ちょっとでも触れればレジスチルとはいえ、勝てない」

 

 ここで勝利の可能性を捨ててでもカゲツを助けるか。それともこのまま黙ってやられるのを待っているか。リョウは悔しさが滲み出るのを感じた。

 

「エンペルト!」

 

 踏み出したエンペルトがヒードランへと突っ込む。水タイプのエンペルトならば、と感じたが初代の判断のほうが速い。

 

「撃ち込め。熱風」

 

 ヒードランが口腔から放った熱風がエンペルトを押し包みそのまま弾ける。

 

「エンペルトのタイプ構成は水・鋼だったね。炎は等倍、か。だったら、もっと有効な手段を取ってあげようか?」

 

 初代がドータクンを戻し、繰り出したのは最悪の展開であった。

 

「……エン、ペルト」

 

 出現したのは色違いのエンペルトだ。黒い部分が薄い青になっており、睥睨した瞳が同種を見据える。咄嗟の判断が遅れたのだろう。サキのエンペルトへと、色違いエンペルトが水を噴出しながら特攻する。

 

 その一撃でよろめいたエンペルトへと、色違いエンペルトが追撃を行った。翼での切り払いにはより強固な翼で対応し、嘴での特攻には鎧のような肉体で弾いた。エンペルトが諦めようとしても色違いのエンペルトはその翼で攻撃する。

 

 腹部から切り裂かれたエンペルトが仰向けに倒れる前に、色違いエンペルトが背後に回って倒れる事さえも許さなかった。

 

「やめろ……、やめるんだ!」

 

 レジスチルを「マグマストーム」の領域から出そうとする。この際、レジスチルに多少の傷がつくのは仕方がないと思っていた。しかし、逃げる事が出来ない。「マグマストーム」の螺旋は先ほどまでよりも間違いなくレジスチルを圧迫していた。

 

「言い忘れていたが、マグマストームを放たれている間は逃げられない」

 

 その事実に震撼していると声が弾ける。

 

「ぼさっとしてんじゃ、ねぇ!」

 

 直後、思念の刃が放たれマグマの螺旋を打ち砕いた。その刃は色違いエンペルトを弾き飛ばし、瞬時にしてサキのエンペルトを護衛する側に回る。

 

 カゲツは肩を荒立たせて手を払う。

 

「てめぇら、勝つんだろう? だったら、立ち止まってんじゃねぇよ」

 

「その通りだ」

 

 オサムのボスゴドラが吼えてヒードランへと突っ込む。ヒードランの肉体は高熱に包まれている。しかし、ボスゴドラは臆する事もなく腕を突き入れた。

 

「内部から、破壊させてもらう!」

 

 ボスゴドラの二の腕が膨れ上がり、ヒードランを持ち上げる。今もボスゴドラの表皮を焼いているに違いない何千度の炎を物ともせず、ボスゴドラはヒードランを直上に持ち上げて吼えた。その瞬間、ヒードランが内側から破裂する。

 

 恐らくは「ばかぢから」を使ったのであろうがなんという膂力か。ポケモンを内側から破壊するほどのパワーなど聞いた事がない。

 

「ツワブキ・リョウ! 今だ!」

 

 その声にリョウは至近の距離まで接近していた事を思い出し、レジスチルに命じる。

 

「その手で目を覚まさせろ! レジスチル!」

 

 破壊光線の光を帯びた鉄拳が初代に突き刺さるかに思われたが、それは瞬時に移動してきたエンペルトに阻まれた。

 

「ぼくも少しばかり、本気を出す必要に駆られているな」

 

 エンペルトの肉体を破壊光線の力のパワーで粉砕する。目の前で散っていったポケモンに対して初代は何の感慨も浮かべずに口にする。

 

「シュバルゴ。隙を見つけてメガアブソルを殺すには少しばかり状況を整理する必要がある。一度こちらへ」

 

 シュバルゴがメガアブソルからレジスチルへと標的を変える。

 

「そんな、直進的な虫ポケモンなんて!」

 

 レジスチルの敵ではない、と言おうとした矢先だった。シュバルゴの槍が高速回転し、レジスチルの腹部へと突き刺さった。

 

「……なに?」

 

「度し難い、とはこの事か。単一タイプだけの技のはずがないだろう。シュバルゴ、ドリルライナー」

 

「ドリルライナー」は、地面タイプの技である。鋼のレジスチルには効果抜群であった。

 

「レジスチル……」

 

 ほとんど攻撃意思の失せた目が点滅する。シュバルゴが槍を払った。レジスチルが倒れる。

 

「レジスチル!」

 

「馬鹿だな。直進的に向かわなければ、手持ちを失わずに済んだものを」

 

 自分の過信でレジスチルを失うのは嫌だった。リョウは頭を振る。

 

「い、嫌だ……。オレの、昔からの相棒なのに」

 

「だったら、もっと大切に扱うんだな。まぁ、もう関係がないか」

 

 初代の声にリョウは言い返す事も出来ない。その時、差し込んでくる殺気があった。思念の刃が瞬時に形成され、シュバルゴへと襲いかかる。シュバルゴが後退するが、その足場を崩すように地面が捲れ上がった。

 

 ボスゴドラの放った鉄拳が地面を伝って衝撃波をシュバルゴに伝える。シュバルゴの装甲に一瞬で亀裂が走る。その亀裂の合間を縫うように思念の刃が内側に突き刺さった。シュバルゴが弱々しく鳴いて倒れ伏す。

 

「……もっと大切に使え、だ? てめぇに言われる筋合いはねぇよ」

 

 怒りを滾らせたカゲツが初代を睨み据えていた。初代は、というとスタンスを崩すでもない。

 

「何だい? 怒ったのか? 随分と単細胞だね」

 

「怒るぜ。なにせ、さっきのエンペルトの扱いは何だ? ただ単にヒグチ・サキを惑わせるためだけにポケモンを使いやがって。そんなの、トレーナーの、ましてや王の使い方じゃねぇ」

 

 今にも噛み付きかねないカゲツの声音に初代は鼻を鳴らす。

 

「いいや、あれこそ王の使い方だよ。王に関して言えば、全てのポケモンは武器であり、使い捨てだ。今さら何を――」

 

 メガアブソルが地面を蹴りつけて肉迫する。カゲツの怒りを引き移したかのように赤い瞳には慈悲の欠片もなかった。今まさに角に纏いついた闇の刃で初代の首を刈ろうとする。

 

「迂闊だ。踏み込み過ぎだよ。ドータクン」

 

 再出現したドータクンが壁となり、初代とメガアブソルを隔てる。しかしメガアブソルにとってしてみればそれは関係がなかった。何度も何度も、闇の刃を鋼の身体へと打ちつける。その攻撃に比すれば、守りに徹している初代の脆さは明らかだ。ドータクンの身体に亀裂が走った。

 

「……もう限界か」

 

 右手から新たなモンスターボールを出現させ、初代が放り投げる。

 

「イワパレス。この分からず屋を少しでも黙らせるんだ。お前の堅牢さならば出来るだろう?」

 

 現れたのは長方形の岩をそのまま背負ったポケモンだった。黄色い眼窩が飛び出しており、小さいながら爪がある。イワパレスと呼ばれたポケモンはドータクンと共に初代を守った。カゲツが舌打ちを漏らす。

 

「硬いだけのポケモン並べやがって……! 愛情ってもんがねぇのか!」

 

「愛情? 最も不要な感情だ。ぼくの盾となり矛となるのが、彼らにとっては最も幸福なんだよ」

 

「ざけんな!」

 

 叫んだ声に相乗して放たれた思念の刃が闇の刃と重なり合い、ドータクンを叩き割った。

 

 まさかドータクンが砕かれるとは思っていなかったのだろう。初代も初めて驚愕を露にする。

 

「ドータクンを、力技で……」

 

「オレは四天王のカゲツ。言っておくが、てめぇみたいな外道には温情の欠片さえも感じねぇ。このまま首筋掻っ切ってやる!」

 

 奔った闇と思念の刃をイワパレスが辛うじて受け止めるが今にもその岩の殻が砕かれそうだった。初代は忌々しげに口走る。

 

「サイコカッターと、辻切りを同時使用……。確かに通常トレーナーの域を超えてはいる。だが、それは王に届くかと言えば、否だ」

 

「カゲツさん」 

 

 オサムがボスゴドラで割って入ろうとする。それを一喝したのはカゲツだ。

 

「来るんじゃねぇ! この野郎は、オレが殺す!」

 

 メガアブソルには主人の怒りが注ぎ込まれているのだろう。ほとんど前しか見えていないようだった。眼前の壁をどう砕くかしか考えていない。先ほどシュバルゴに加えられたダメージがよく見れば悪化している。それはカゲツも同じで、メガアブソルと同じ箇所を押さえていた。

 

「メガシンカ、それによるダメージフィードバック。普通、ここまで入れ込むなんて怖くて出来ないが」

 

「怖いだとか、んなもんはいいんだよ。てめぇを殺せるなら、どんな痛みだって甘んじて受けるぜ!」

 

 弾けた声にイワパレスの堅牢な防御が遂に突き崩された。初代に残っている壁はもうない。

 

「勝った! オレの勝ちだ! 初代ツワブキ・ダイゴ!」

 

 激しい声音に初代はしかし、口角を吊り上げた。

 

「そうだね。勝利は訪れた。ぼくの、だ」

 



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第百四十二話「鋼鉄のシンカ」

 

 横合いから突き刺さる。白い体毛が一瞬にして赤く染まった。

 

 カゲツがようやくそれを認める。

 

 先ほど倒したはずのシュバルゴがメガアブソルへと槍を突き刺していた。

 

「何、で……」

 

「ぼくはやられたらボールに戻すが、やられていないポケモンをボールに戻すような人間じゃない」

 

 シュバルゴは目に見えて瀕死だった。だが致命傷ではなかったのだ。現に鎧は完全に砕かれたわけではない。薄皮程度に破壊されたのだ。

 

「特性シェルアーマー。自分への攻撃は、急所に当たらない。ボスゴドラの衝撃波と思念と闇の刃も、シュバルゴの肉体に直接ダメージを与えたわけではなかった」

 

 死んだフリをしていたシュバルゴは確実に、メガアブソルの注意が削がれている間に肉迫していたのだ。メガアブソルに突き刺さった槍がひねり込まれる。カゲツが膝をついた。

 

「そうだよ。王の前には傅くのが一番だ」

 

「……ざけんな。てめぇなんて、王じゃ……」

 

「とどめ針」

 

 メガアブソルへと放たれた技は短いながらもその命を奪ったのは明白であった。「とどめばり」。その名の通り、相手の息の根を止めるためだけの攻撃である。そのダメージフィードバックはカゲツへと襲いかかった。唇の端から血を流し、カゲツが倒れ伏す。

 

 リョウは呆気に取られていた。サキもだ。先ほどの色違いエンペルトとの戦いで疲弊していた彼女も目を見開いた。

 

 だが、この場で一番に驚愕していたのはオサムである。ボスゴドラへの指示も忘れ、彼は駆け出していた。カゲツを抱え、必死に叫ぶ。

 

「カゲツさん! しっかりしてください! 僕にとっては、あなたは師なんだ。こんなところで死なれるわけには……」

 

 オサムの言葉をカゲツが手を上げて制する。まだ大丈夫だ、というように笑みを刻んだ。

 

「馬鹿野郎。まだ、死んでねぇよ」

 

 オサムは涙声になってカゲツの手を握り締める。

 

「しっかりしてください。まだ、メガシンカさえ解けば、命は――」

 

 首から提げたキーストーンを引っぺがそうとする。それをカゲツは押し止めた。

 

「何で……」

 

「もう手遅れだ。オレの身体にダメージフィードバックが訪れる。それを、相棒のアブソルだけに任せられっかよ……。オレも一緒に痛みを背負う。それが、トレーナーだろうが」

 

「でも……でも! カゲツさんは!」

 

「充分だ。もう充分に戦った。メガアブソル、ボールに戻れ」

 

 メガアブソルがボールに戻る。これでアブソルは助かるかもしれない。しかし直前にダメージを移転されたカゲツの肉体は……。

 

「カゲツさん……。僕はまだ、四天王を制していない」

 

「てめぇは制したさ。きっちりゲンジの爺さんも倒したじゃねぇか」

 

「メガシンカなしの! あなた達じゃ!」

 

 カゲツはもう言い返す気力もないのか、「……んっとーに、馬鹿だな」と呟く。

 

「オレ達の認めたトレーナーだ。もっと胸を張りやがれ。ああ、それと。ゲンジの爺さんに言っておきたいことがあったんだ」

 

「そうですよ。それを、カゲツさんの口から言ってあげてください。それが一番の」

 

「……いや、何でもないや。おかしいな。気の利いた台詞ってこういう時、出てくんねぇのか」

 

 カゲツが乾いた笑い声を上げる。オサムは項垂れて叫んだ。

 

「カゲツさんは! 僕にとって!」

 

「言うな。もう……。じゃあな、ゲンジの爺さん。先に行くぜ」

 

 カゲツが目を閉じる。オサムは声を殺してすすり泣いた。リョウも、目の前での壮絶な死に思考がついていかなかった。ただ半年間、自分達と鎬を削った相手が死んだ、という事実が胸の中にぽっかりと穴を開けていた。

 

「……茶番は、その程度でいいかい?」

 

 初代が歩み出てシュバルゴに命じる。

 

「シュバルゴ、あのDシリーズを殺せ」

 

 シュバルゴが駆け抜け、槍を突き出そうとする。その槍がオサムの頭蓋を割ろうとした。リョウも反応しようとするが間に合わない。

 

 誰もが新たな死を覚悟した。

 

 しかし、槍の先端はオサムの頭部を貫く前に、オサム自身の手によって止められていた。

 

 絶句する。

 

 あり得ない。

 

 ポケモンの技を人間が止めるなど。

 

 だが、オサムはただ人間の力だけで止めているわけではなかった。その手にキーストーンを埋め込んだネックレスがある。カゲツのものだろう。そこから光が漏れ出ているのだ。今はオサムを守っている保護膜が空気を逆巻かせた。

 

 ボスゴドラが跳躍し、シュバルゴを捉える。シュバルゴの身体が弾き飛ばされ、ボスゴドラが初代を睨んだ。

 

「ボスゴドラ……。僕は、許さない」

 

 面を上げる。キッと睨み据えた双眸には最早迷いなどなかった。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ。お前を殺す事に、いささかの躊躇いもない!」

 

 その声が弾けた瞬間、オサムを守っていたエネルギーの膜がボスゴドラへと纏いつく。ボスゴドラは全身に血脈のようにエネルギーを滾らせ、次の瞬間、咆哮と共に弾き飛ばした。

 

 まさか、とリョウも口にしていた。初代も計算外だったのだろう。サキが呟く。

 

「……メガシンカ、した」

 

 黒かった体表部分はほとんど落ち窪み、銀色の鋼の装甲がそのまま肉体となっていた。流線型を取った鋼の身体。両腕がさらに長く発達し、前傾姿勢となっている。頭頂部には一対の角に挟み込まれるように一本の角がそびえ立つ。全身これ武器、とでも言うような威容に初代が呻く。

 

「メガシンカ、だと……」

 

「メガシンカ、メガボスゴドラ」

 

 初代でさえも知らなかったのか。メガボスゴドラは誕生の鼓動と共に吼えた。空気が震え、初代を圧倒する。

 

「メガシンカしたところで、出来損ないのDシリーズが」

 

 初代は右手を広げてボールを射出する。放たれたのは茶色い肉体に銀色の爪を持つポケモンであった。赤いまだら模様が浮かび上がっており、ひさしのような角がある。

 

「シュバルゴ! ドリュウズ! ドリルライナーだ!」

 

 シュバルゴが槍を突き出し、ドリュウズと呼ばれたポケモンが爪を合わせドリルそのものの形状になってメガボスゴドラへと突進してくる。その攻撃にメガボスゴドラは回避さえもしなかった。ドリュウズのドリルが突き刺さる。遅れてシュバルゴのドリルがメガボスゴドラの表皮を削り取った。

 

「鋼タイプのはずだ、効果は抜群!」

 

 初代の哄笑にメガボスゴドラは面を伏せていたがオサムが声にする。

 

「――その程度か」

 

 その声に初代が驚愕を露にした。メガボスゴドラの爪がシュバルゴを押し潰し、ドリュウズのドリルをそのまま掴む。あろう事か堅牢な爪を押し広げて頭部の角で突き上げた。

 

「諸刃の頭突き」

 

 メガボスゴドラの攻撃が突き刺さり、ドリュウズが弾き飛ばされる。初代は言葉を失っていた。

 

「何故だ……。効果は……」

 

「そう、お前は四倍弱点を狙ったのだろうが、メガボスゴドラのタイプは、鋼単一だ。それに特性もある」

 

「特性……」

 

「特性、フィルター。弱点効果は減衰される。メガボスゴドラの体力の、十分の一も削っていない!」

 

 メガボスゴドラが全身に空いた穴から蒸気を噴出する。そのまま信じられない動きで跳躍し、ドリュウズへと腕を突き出した。仰向けになっていたドリュウズがまともに攻撃を受け止めて腹部を突き破られる。血が迸った。

 

「ヘビーボンバー。この体躯からの威力は推し量るべきだろう」

 

 今のメガボスゴドラは鋼の要塞だ。初代は慌てて右手からモンスターボールを矢継ぎ早に出す。

 

「行け、ハッサム!」

 

 飛び出した赤い痩躯が翅を振るわせて一挙にメガボスゴドラへと肉迫する。しかし、その攻撃はあまりにも軽い。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ。嘗めているのなら教えてやる。今の僕は、お前より、強い」

 

 メガボスゴドラが吼えてハッサムを突き飛ばす。初代は焦燥に駆られてボックスを操ろうとするがそれよりもメガボスゴドラの突進を止める術がなかった。

 

「ぼくが、負けるだって?」

 

 初代が歯噛みする。オサムは雄叫びを上げた。

 

「これが、僕の! いいや、カゲツさんと僕の、受け継いだ真の力だ!」

 

 メガボスゴドラが腕を突き出す。初代は顔面が要塞のようになっているポケモンを繰り出して一時的に防御するがすぐさまメガボスゴドラが弾き飛ばしてしまう。最早、鋼の要塞を止めるのには生半可なポケモンでは不可能だった。

 

「トリデプス……。くそっ、なら」

 

「もう選択させる隙を与えない」

 

 メガボスゴドラが腕を振るい上げる。初代を押し潰す。これで勝利だ。

 

「初代ツワブキ・ダイゴ! 僕らの、勝ち――」

 

「だ、って言いたいのは分かるがな」

 

 差し込んできた声にオサムが反応する前に飛び散ってきた何かが自分の姿勢を崩す。どうして自分が倒れそうになっているのか。ようやく理解出来たのは背後から攻撃された事と、左足を根元から切断された事だった。

 

「何が……」

 

「起こったかって? そりゃ分からないだろうな。分からないほうがいい」

 

 視界に入るのは赤い帽子を被った男の姿に、その隣に侍る薄緑色の怪獣型ポケモンだった。放たれた技は「ストーンエッジ」。岩の刃が的確に自分の左足を切り裂いていた。

 

 前のめりに倒れる。その瞬間、メガボスゴドラに隙が生まれた。

 

「行け、エアームド」

 

 繰り出されたのは銀色の翼を持つしなやかな鋼ポケモンであった。初代はそれの足に掴まり、メガボスゴドラの射程から逃れる。遅れてメガボスゴドラが先ほどまで初代のいた空間を引き裂いたが、初代は既に離脱していた。

 

「いや、危なかったよ。ギリー。いいところに来てくれる」

 

 ギリーと呼ばれた男は帽子を傾けて、「いやに追い詰められているじゃないですか」と声にした。

 

「せっかくもらったポケモンを使うチャンスだと思いましてね。バンギラス。なるほど、岩使いのオレには馴染む」

 

 バンギラスがたちまち砂のフィールドを形成する。砂嵐が巻き起こり、初代とギリーを守った。

 

「砂起こしの特性……。だが、メガボスゴドラなら、届く!」

 

 オサムは倒れ伏したままメガボスゴドラに命じようとする。しかしメガボスゴドラの身体からは紫色の粒子が棚引いていた。何かがおかしい。そう感じた時にはギリーが口にしていた。

 

「お前よぉ、メガシンカが使えるのもそうだが、自分のあまりにもポケモンを扱える能力の高さに疑問はなかったのか? 全ては初代の左足の補助があったから。だから、持っているもの以上の力が出せた。だが左足のないDシリーズなんざ、赤子の手をひねるようなもんよ」

 

 ギリーの言葉にオサムは歯噛みする。メガボスゴドラを呼ぶが反応は鈍い。

 

「……お願いだ、メガボスゴドラ。たった一度でいい。僕に立ち向かうだけの力を……」

 

「怪獣型ポケモン同士、戦うってのはいいかもな」

 

 ギリーはすっと手を掲げる。手首に巻かれていたバングルには虹色の石があしらわれていた。

 

「まさか……」

 

 息を呑む。ギリーは目の前でやってのけた。

 

「メガシンカだ」

 

 紫色の光が拡張し、十字を描いたかと思うとエネルギーの甲殻を引き裂き、そのポケモンが姿を現す。

 

 バンギラスであった頃よりも棚引くように身体が伸びており、落ち窪んだ穴から赤い光が見え隠れした。より怪獣の見た目を強くしたポケモンが吼える。

 

「――メガバンギラス」

 

 まさか相手もメガシンカが可能だとは思わなかった。メガバンギラスはメガボスゴドラを見据える。砂の空間が逆巻いた。先ほどまでより強力になった砂嵐がトレーナーであるギリーを守る。

 

「攻撃、けたぐり」

 

 一挙に近づいたメガバンギラスが下段からメガボスゴドラを突き上げる。そのまま押し込んだ。メガボスゴドラに生じた隙をつき、メガバンギラスは両腕に岩の刃を形成する。

 

「ストーンエッジ」

 

 連撃に、メガボスゴドラが怯む。徐々にエネルギーが失せ、その姿も元のボスゴドラへと戻りかけていた。

 

「頼む、メガボスゴドラ。一撃でいい。初代を、初代ツワブキ・ダイゴを、倒してくれ」

 

 メガバンギラスの爪が肩口に入る。ギリーが口角を緩めた。

 

「もうほとんどボスゴドラだ。メガシンカは解けている。悪い事は言わない。このままメガシンカを完全に解いたほうがいいぜ。過ぎた力だ」

 

「僕は、それでも僕は!」

 

 ボスゴドラの体表に光が奔る。ギリーでさえもその反応に驚愕した。集約した光は右腕に充填され、その一閃が放たれる。

 

「ラスター、カノン!」

 

 鋼の特殊攻撃「ラスターカノン」が弾け飛び、その光条が初代へと襲いかかる。

 

「初代!」

 

 メガバンギラスが反応しようとするが既に遅い。攻撃が初代に届いたかに思われた。

 

 だが、「ラスターカノン」は僅かに逸れたらしい。初代の頬を掠めただけで直撃はしなかった。

 

「よかった……」

 

 ギリーが声にする。しかし初代は口も開かなかった。

 

「初代?」

 

 オサムは初代を視野に入れて口にする。

 

「怖いんだろう? 僕と、ボスゴドラが」

 

 オサムの声にギリーの操るメガバンギラスがボスゴドラを拘束する。もう立ち向かう手段はない。だが、これで、とオサムは感じていた。一矢報いた、と。

 



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第百四十三話「王殺し」

 命中はしなかった。

 

 だが、何よりも自尊心を傷つけられていた。

 

 絶対に、出来損ないのDシリーズが届くはずがないと思っていたのだ。獣はただ、湖面に映った月を見て吼えるだけ。その爪が月に届く事がないように、Dシリーズが自分に比肩する事もない、と。

 

 だがメガシンカが果たされ、最後の一撃は直撃こそしなかったものの、自分の頬を掠めた。それは初代にとって屈辱そのものだ。

 

「……ふざけるな」 

 

 初代は歩み出てオサムを踏みつける。砂嵐のフィールドから出たからだろう。ギリーが慌てて声にする。

 

「危ないですぜ!」

 

「危ない? ぼくにとって、Dシリーズなんて道具なんだ。道具に、一撃でも与えられた気持ちが、君に分かるか? こんな屈辱は、生まれて初めてだよ、オサムとやら!」

 

 その頭部を蹴り上げる。肩を荒立たせて、新たなポケモンを繰り出そうとした。このDシリーズだけは許せない。目の前で血祭りに上げてやる。

 

「落ち着いてくだせぇ! 左足は手に入りました。これを接合すれば」

 

 ギリーの声に初代はようやく左足が手に入った事を認識した。ボスゴドラはギリーのメガバンギラスを前に完全に無力化されている。今しかない、と感じていた。

 

「……そうだね。完全体になるのは、今こそ相応しい」

 

 割って入った殺気に初代は右手からポケモンを繰り出す。ジバコイルがその攻撃を防御した。攻撃してきたのはエンペルトだ。この戦場で唯一、まだ致命的なダメージを受けていないポケモンであった。

 

「再生させるわけにはいかない」

 

「邪魔立てするか。ヒグチ・サキ。だが君にさえも頓着している暇はない。既に完全体への布石は打ってある」

 

 初代はジバコイルに命じる。ジバコイルの放った電撃が左足の義足を機能不全にする。自動的に切り外され、初代は膝をついてギリーに手を差し出す。

 

「さぁ、左足をぼくに。後は、ぼくがやる」

 

 これで完全体になれる。二十三年もの間「死んでいた」意味もようやく出てくるというもの。初代はその訪れに口元を綻ばせた。

 

 瞬間、背筋へと殺気の渦が突き刺さる。咄嗟にジバコイルを出させて防御した。岩の刃が自分に向けて降りかかっている。

 

「ギリー……。どういうつもりだ」

 

 攻撃してきたのはギリーのメガバンギラスだ。当のギリーは黙りこくっている。

 

「権力が欲しくなったか? それとも力に溺れたか? この場でぼくを殺そうなど」

 

「どっちも要りやしませんよ、初代。やっぱり、あんたに付くのは止めだ。少しばかりなら、完全体を見たいって言う、欲はありました。初代ツワブキ・ダイゴの完成を見たいっていう、ね。でもこの状態で、足も立たず、なおかつオレの手にあんたの全ての権限があるって言うんなら、そりゃあんたを引き摺り下ろしたほうがいいような気もしてくる」

 

「裏切るのか」

 

 その言葉にギリーは笑い声を上げた。

 

「おかしな事を言うんですな、初代。あんた、今まで幾度となく裏切ってきた人間でしょう? 今度はあんたが裏切られる番です」

 

 左足へとギリーが攻撃を加えようとするが左足はどのような物理攻撃も受けなかった。ギリーは口にする。

 

「やっぱり、心臓部位と同じか。物理法則に則っていない」

 

「……それが分かっていながら、貴様、裏切るのか」

 

 自分の肉体は破壊出来ない。しかしギリーは動じなかった。

 

「破壊出来ないから、八つに分けて封印したんでしょう? まぁ、あんたの天下はここまでです。左足一本でも封印しちまえば、あんたは絶対に完成しない」

 

 砂嵐が激しくなる。ギリーはその中に自分を隠して逃げ切るつもりなのだろう。初代としては逃がすわけにはいかなかった。

 

「逃がすか! ジバコイル!」

 

「電気は、地面・悪タイプのメガバンギラスには効きませんって。それでは、オレはここでお暇します。完全体に成り切れない初代なら、あんたでも倒せるだろう? ヒグチ・サキ」

 

 その言葉にエンペルトが砂嵐の中から出現する。いつの間に、と感じていたがエンペルトは水・鋼タイプ。砂嵐の干渉を受けないのだ。

 

「ああ。縫い止めてくれた事、感謝する」

 

 エンペルトが迫る。ジバコイルを前に出そうとするとメガバンギラスが引き寄せた。

 

「やらせはしませんぜ。ここであんたは死ぬんだ。二十三年間死んでいたんだから、死は慣れているでしょう?」

 

 エンペルトが螺旋を描き、攻撃を自分に突き刺そうとする。

 

「エンペルト! 一気に決めろ!」

 

 その声に初代は口元に笑みを浮かべた。ギリーが訝しげな声を投げる。

 

「何がおかしい?」

 

「いや、こういう事もあるものだと思ってね。一手、遅かったな。今、地下に潜ませていたコープスコーズがぼくの心臓部と、ディアルガを手に入れた」

 

 初代の声にエンペルトを操るサキに迷いが生じる。ギリーが声を張り上げる。

 

「ハッタリだ! ヒグチ・サキ、迷うな!」

 

「いいや、事実だよ。本当のところね。ぼくも無理だと思っていた。もう殺されるしかないんだと思っていたが――、ぼくの分身達はとてもよく働いてくれたよ。そして我が息子であり最大の反逆者、イッシン。ありがとう、ぼくの心臓とディアルガを守ってくれたのは他ならぬお前だった」

 

「何なんだ……。ディアルガとは何だ!」

 

 サキの狼狽する声にギリーが舌打ちする。

 

「メガバンギラス! とどめを!」

 

 岩の刃が打ち下ろされようとする。その瞬間、初代は右手を掲げた。そこには紫色のモンスターボールがあった。その形状にギリーは絶句する。

 

「マスター、ボール……」

 

「王のポケモンだ。百四番目のボックスが今! 開かれた! 行け!」

 

 射出されたマスターボールが開かれ、出現したポケモンは今までにない威容を伴っていた。銀と藍色で構成された身体。四足のポケモンであるが、胸に埋め込まれたダイヤモンドの意匠に、赤い瞳が戦場を睥睨する。その姿は尋常ではない。ポケモンの枠を外れていた。

 

「何だ、このポケモンは……」

 

 サキが困惑を露にする。ギリーはメガバンギラスを呼びつけた。

 

「メガバンギラス! 相手が攻撃行動に移る前に、カタをつける! 地震!」

 

 メガバンギラスを中心にして茶色の波紋が浮かび上がる。初代はディアルガと同時に運び込まれてきた心臓部のカプセルを手にしていた。

 

「これが、最後のパーツか」

 

 カプセルを叩き割ると、心臓部が初代の胸に埋め込まれていく。メガバンギラスの攻撃が至ったかに思われた瞬間、初代は告げた。

 

「ディアルガ、時間停止」

 

 その言葉が放たれた瞬間、全ての時間が静止する。「じしん」の波紋攻撃がディアルガを傷つけようとしていたが今、この場にある全ての時間が止まっている。等しくディアルガの支配範囲だった。

 

「時間停止は、出来て五秒か。まだ完全に馴染みきっていないからね。ジバコイル」

 

 呼びつけるとジバコイルだけ時間停止の枠から外れる。前に出して「じしん」をいなした。

 

「時間停止、終了」

 

 再び動き出した時に「じしん」がジバコイルを盾にして防がれる。

 

 ギリーが目を見開いていた。

 

「いつの間に……」

 

「ギリー・ザ・ロック。今ならばまだ間に合おう。ぼくに従え」

 

 左足のない状態では立ち上がる事も出来ない。しかし、超越者の声音を滲ませた。ギリーは歯噛みして、「冗談じゃねぇや」と応じる。

 

「悪魔を蘇らせるなら、このまま死んだほうが、ってね!」

 

「残念だよ。君も悪魔の下僕だったのに」

 

 メガバンギラスがディアルガへと接近しようとする。ディアルガはまだ万全ではない。しかし、単純な時間操作ならば可能だった。

 

「時間逆行」

 

 一瞬、時間が停止してから、メガバンギラスが逆戻しのように後ろへと下がっていく。ギリーも口をぱくぱくさせて声を発したようだった。

 

「冗談じゃねぇや。悪魔を蘇らせ――」

 

 そこでハッとしたのだろう。自分が同じ言葉を口走っている事に。

 

「ディアルガは、時間を司るポケモンだ。究極の鋼タイプでもある。ちょっと齧った程度のメガシンカでは、このポケモンを止める事など出来ない。大人しく左足を渡すんだ、さぁ」

 

「この、左足さえ砕けば、完全体には成れないって寸法だろう。オレは、裏家業の人間だが、分かる事は分かる。あんたを蘇らせる事を、ただ静観しちゃいけないってのはな!」

 

「……本当に、残念だ。もっとビジネスライクに、物事を見られると思っていたのに」

 

「オレもな。あんたが蘇ろうが、他の人間がどうなろうが知ったこっちゃないと思っていた。だがいざこの段になるとよ、どうして他の連中があんたの復活一つでてんやわんやしていたのかが分かったよ。左足をあのDシリーズから奪っておいて何だが、やっぱりこれは、あんたには渡せない」

 

「そうか、渡せない、か」

 

 初代はギリーを見やり、口にする。

 

「ならば無理やり手に入れるしかないな」

 

 再び時が止まる。時間停止は五秒間。ジバコイルとエアームドが初代を運び上げ、ギリーの眼前へと降り立った。

 

「ギリー・ザ・ロック。ぼくは時間を操れるんだ。もう、怖いものなんてない」

 

 左足をその手から奪い取った瞬間、時間が動き出した。

 

「何を……」

 

 無防備な身体へとエアームドの放った風の刃が突き刺さる。ギリーの左腕が付け根から断ち切られた。

 

「運がいいね。左腕だけで済んだ」

 

 初代は左足を断面へと接合する。ディアルガに命じた。

 

「ディアルガ。断面の時間を操るくらいは造作もないだろう? やってくれ」

 

 ディアルガの身体に青い血脈が宿り、たちまち初代の左足を縫い目すらつけずに接合する。ギリーは目を瞠っていた。

 

「そんな事が……」

 

「出来るから、ぼくは王になれた。さて」

 

 繋がった左足の感覚を確かめる。もうジバコイルやエアームドの補助もいらないだろう。両足で佇む初代にギリーはまだ抵抗の意思があるらしい。

 

「今のぼくに勝てるとでも?」

 

「……初代。オレはメモリークローンを約束されている。死なない暗殺者、それもいいかな、とちょっと思っていた。だが、ツワブキ・イッシンの考え方や、ツワブキ・リョウ。それにこいつらを見ているとね、やっぱり死者を蘇らせるなんてやってはならない事なんだと思っちまった。だからよ!」

 

 メガバンギラスが吼えて初代へと岩の爪を立てようとする。初代は嘆息と共に声にした。

 

「残念だ。そしてさよなら、ギリー・ザ・ロック。ディアルガ」

 

 ディアルガの全身を駆け巡った青い血脈が頭部に集中する。赤い眼光を滾らせ、ディアルガがその口腔を開く。

 

「――時の咆哮」

 

 青い磁場を持つ光条が放たれる。それがギリーとメガバンギラスを押し包んだ瞬間、奇妙な現象が巻き起こった。

 

 メガバンギラスが瞬時にメガシンカを解かれ、バンギラスに戻る。それだけではない。その進化前であるサナギラスへと姿が変じ、遂にはさらに進化前であるヨーギラスになった。それだけで退化は止まらない。ヨーギラスの状態からさらに小さくなり、身体も透けてくる。遂にはタマゴ以前の状態へと還元された。この世に存在する前の姿。細胞レベルの退化が巻き起こったのだ。

 

 それはポケモンだけではない。ギリーも最初は光の放射に身体が縮み上がったのだと思われたがそれは精神面だけではなく肉体面でもであった。瞬く間に子供になり、赤子を経て胎児になった末に細胞の一つになった。

 

 そこにメガバンギラスとギリーの証明は一つもない。二つの小さな卵細胞があるだけだ。初代は歩み出て、その二つの細胞を踏み潰した。

 

「ぼくの前に立つ人間は皆、この力の前に恐怖する他ない。時の咆哮は相手を無条件にこの世に生まれる前の姿にまで還元する。今のは四十年のブランクを経ての一撃だったから少し時間がかかったが、いずれこの攻撃で瞬時に相手を存在以前の姿へと戻す事が出来るだろう」

 

 初代は視線を振り向ける。この場においてポケモンが使えるのは最早サキだけだった。

 

「君に戦えるだけの力があるとは思えないが。ヒグチ・サキ」

 

 初代の言葉にサキは応じていた。

 

「やってみなければ分からない」

 

「嘘をつけ。膝が笑っているぞ。怖いのなら怖いと言えばいい。素直なほうがいい」

 

「お断りだな。悪の前に、素直になる道理はない」

 

 鼻を鳴らすがそれが虚勢ある事は何よりも明らかだ。初代はここに来て交渉を試みる事にした。

 

「そうだな。君はずっと追っていたんだったか。ぼくを殺したのは誰なのか。その謎を、今ならば答えられる」

 

 初代の言葉にサキとリョウが目を見開く。

 

「誰だって言うんだ……」

 

「そのような甘言で惑わそうなど」

 

「嘘じゃないよ。本当に、今なら分かるんだ。全てのパーツが揃ったお陰か。あの時の事も鮮明に思い出せる。ぼくを殺した犯人は――」

 

 そこでデボンの壁が叩き壊された。エントランスに広がったのは巨大な破壊の爪痕である。即座に殺気を感じ取り、初代は声にする。

 

「時間停止」

 

 止まった時間の中で赤い刃が降りかかってくるのが視界に入った。見やればデボンへと突っ込んできたのはメガシンカしたボーマンダだ。

 

「ボーマンダ。龍の使い手となれば限られてくるな。この攻撃、逆鱗か。ディアルガ、少し下がろう。あまり攻撃をもらうのも面白くない」

 

 ディアルガと初代が三歩下がる。時間停止が解除され、先ほどまで初代のいた空間を赤い刃が引き裂いた。粉塵が舞い上がり、一瞬だけ視界を遮る。

 

 その一瞬の間に展開していた二人のトレーナーがそれぞれ分散したのが感覚で分かった。

 

「当たろうと当たるまいと、咄嗟の攻撃手段に転じる、か。油断出来ない敵だな。ネオロケット団。いいや、ホウエン四天王」

 

 初代の影が伸びて縫い止められる。青い衣を身に纏った少女が小型のポケモンを携えて声にしていた。

 

「影踏み! 逃げられない!」

 

 反対側から飛び出してきたのは紫色の衣服を身に纏った金髪の貴婦人だ。彼女の操る鬼の首のようなポケモンが冷凍ビームを発射する。

 

「ドラゴンだから氷が有効だと? 甘いな」

 

 冷凍ビームが表皮で弾かれ、霧散した。

 

「鋼タイプ……!」

 

 彼女の声に初代が鼻を鳴らしているとデボンの壁に食い込んでいたメガボーマンダが動き出した。急降下してディアルガへと特攻しようとする。

 

「まったく、四十年前と何ら変わらないな。自分の身を捨ててでも戦うか。ドラゴン使いのゲンジ」

 

 再び時間停止が襲う。メガボーマンダの特攻をディアルガと初代は避けた。

 

 解除するとメガボーマンダが地面を強靭な顎で食いかかる。初代はその姿を見やっていた。

 

「無駄だよ、ぼくに勝とうなんて――」

 

 その声音を遮るように雄叫びが奔る。初代は咄嗟に手を掲げていた。

 

 飛びかかってきたのは全身をドレスのような服飾に身を包んだ淡いピンク色のポケモンだった。宝石の剣を突き出している。それと同時に先ほどメガボーマンダが降ろしたのだろう。クチートのメガシンカ形態が背後から襲いかかっていた。

 

「なるほど、二重の策か。それにフェアリータイプ。攻め方は悪くない」

 

 しかし、と時間停止を解除する。

 

 二体のフェアリータイプがちょうどかち合った。

 

「クオっち? 予定通りに前から攻めたんじゃ」

 

「ディズィーさんこそ、後ろから攻めるって……」

 

 二人のトレーナーが狼狽する。初代が笑みを浮かべていると明確な殺意が背後から襲いかかってきた。空間を割るような勢いと雄叫びに振り返った瞬間、その姿が大写しになる。

 

 自分と同じ、銀色の髪に赤い瞳を持っている似姿。ディアルガへと振るい落とされようとした爪の一撃に時間停止をかける。

 

「来ると思ったよ。十五番目のぼく!」

 

 視界の中に入っているツワブキ・ダイゴに対して初代はエアームドに命じる。エアームドが時間停止の中、ダイゴへと襲いかかった。風の刃が完全に不意をつくタイミングで放たれる。時間停止の解除。これで無効化した、と初代は感じたがダイゴは咄嗟の判断でメタグロスを回転させ、反対側の爪で弾き落とした。

 

「半年前と同じだと思うな」

 

 ダイゴの声にメタグロスがディアルガへと爪を突き出す。初代は舌打ちと共に口にしていた。

 

「時間逆行」

 

 逆行出来るのは僅か三秒程度だ。相手もすぐに時間が巻き戻された事に気付くだろう。初代はその間に呼吸を整える。ディアルガと、まだ本調子ではない自分の肉体。この状態からメガシンカを扱う連中六人との戦闘は客観的にも厳しい。

 

「だが、ここは逃げてはならない。乗り越えなければいずれ禍根を残す。ぼくは半年前に、十五番目のぼくを完全に制したつもりだったが、甘かったか」

 

 巻き戻ったメタグロスとダイゴが声にする。

 

「半年前と同じだと思うな」

 

 そこでハッとしたのだろう。周囲を見渡し、自分の攻撃が成されていない事に気付いたらしい。

 

「時間を……!」

 

「どうやらそうみたいだ。初代とディアルガは、時間を自在に操れる」

 

 ディズィーと名乗った女は、見た目は全く違うがあれもDシリーズだ。どこか感覚的に分かっている部分があるのだろう。

 

「時間を自在に操るって……」

 

 クオンが言葉を詰まらせる。

 

「それでも」

 

 青い衣の少女が指輪を掲げる。貴婦人も同じように虹色に輝く石を爪につけていた。

 

「オニゴーリ、メガシンカ!」

 

「ヤミラミ、メガシンカだよ!」

 

 オニゴーリとヤミラミがエネルギーの皮膜を身に纏い、瞬時に咆哮で叩き割った。

 

 メガシンカを遂げた二体のポケモン、この場ではダイゴ以外、全員がメガシンカしている。

 

「圧倒的不利、って奴かな」

 

 それでも初代は余裕を浮かべる。ディアルガを手にして、負ける気はしない。

 

「ダイゴ? お前、生きて……」

 

 サキがダイゴに気づいて声を上げる。ダイゴも意外そうだった。

 

「サキさん……。何でここに……」

 

「……聞きたい事は山ほどあるが」

 

 ダイゴもそれを悟ったらしい。

 

「ええ。ここは初代を倒す事。それしかなさそうですね」

 

 了承の目線を交し合った二人に初代は嘲笑を上げた。

 

「馬鹿馬鹿しい、とはこの事か」

 

「何がだ。この状況、お前の不利に違いないんだぞ」

 

「ヒグチ・サキ。君はぼくを殺した人間が誰なのか、興味があるはずだ。その点では十五番目のぼくも同じかな?」

 

 その言葉に二人とも目を瞠ったのが分かった。初代は口にする。

 

「この場にいるよ。ぼくを二十三年前に殺しておいて、今ものうのうと生きている人間が」

 

 全員が震撼したのが伝わった。一体誰が、とダイゴが視線を巡らせる。

 

「ここで証明してみせよう。二十三年前の王殺し。それは一体何者の考えによるものだったのか」

 

 その諸悪の根源が、今まさに語られようとしていた。

 

 

 

 

 

 第九章 了

 




次回、最終章。狂気の物語は終わりを迎える。


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青い栞
第百四十四話「青い栞」


 

 朝焼けがカーテンの向こう側から差し込んできて、ダイゴは眼を開けた。

 

 薄く瞼の向こうに広がっている風景が留置所のものでない事を認識して思い返す。

 

 そうだ、昨夜ヒグチ家に世話になったのだ。サキはダンバルから自分の出自が割れると思っていたようだが、ダンバルからは何も分からなかった。きっと落胆させたに違いない。ダイゴは身を起こして部屋から出た。客人用の部屋は広めに取られており、自分にはもったいないくらいだ。

 

 そのまま吹き抜けのキッチンまで出ると朝の陽射しを眺めている人影に行き会った。

 

 サキが、椅子に腰かけて本を読んでいる。文庫本で、彼女の傍らにはブラックのコーヒーが湯気を立てていた。こんなに朝早く、とダイゴは挨拶するべきか迷ったがサキは警察官なのだ。それなりに朝が早いのは頷けた。

 

「あの、サキさん……」

 

 遠慮がちな自分の声を聞き止めたサキは文庫本に落としていた視線を振り向ける。青い髪が揺れてサキが、「ああ」と声を出した。

 

「起きていたのか」

 

「留置所で毎朝早かったですから」

 

「それは申し訳ない事をしたな」

 

 皮肉に聞こえたのだろう。ダイゴは、「いえ」と手を振っていた。

 

「サキさんのせいじゃ……」

 

「そう言われると余計に私のせいみたいだな」

 

 どうにもサキを目の前にして本心が言えなかった。高圧的な態度だからではない。どこかサキのような存在に自分が影を落としていいものか迷いが生ずるのだ。

 

「俺、この家に一晩も居て、よかったんでしょうか?」

 

 その迷いがつい口からついて出る。サキは眉をひそめて、「遠慮する事はない」と応じる。

 

「それとも、私の実家は肩身が狭かったか? なに、全部馬鹿マコのせいだ」

 

「いえ! そんな。マコさんには、とてもよくしていただいて……」

 

「さんなんてつけるな。呼び捨てでいいだろう、あんな馬鹿」

 

 歯に衣着せぬサキの物言いにダイゴは思わず声を潜める。

 

「何で、マコ……ちゃんの事、馬鹿って?」

 

「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い。あいつは妹ながら、愚かしいほどに馬鹿だ。その点、恥ずかしいくらいだよ」

 

 馬鹿馬鹿と言っているが、どうやらその実はサキもその存在を疎ましく思っているわけではないらしい。愛情の裏返し、という事なのだろうか。

 

「……羨ましいな」

 

 その言葉にサキは眉根を寄せる。

 

「おい、お前、マゾだったのか?」

 

「いえ、そういう羨ましいじゃなくって……」

 

 思わず声が小さくなる。自分の陰の部分。誰にも見せない部分だった。

 

「俺、知っている人、一人もいなくって……。この後、リョウさんのところに引き取られるんですよね? ツワブキ家に」

 

「そうだが、不安か?」

 

「……正直言うと、そうです。うまくやっていけるのか自信がない」

 

「リョウだって何の考えもなくお前を引き取ったりしないだろう。あいつなりの考えがあるのさ」

 

 自信がないのはそれだけではない。ヒグチ家は笑顔の絶えない家だった。ツワブキ家がそうであるのかどうか分からない、という部分での不安だ。

 

「俺、この家が好きです」

 

 臆面もなく口にした言葉にサキが、「この家、か」と呟く。文庫本を置き、彼女も天井を仰いだ。

 

「私もこの家は好きだよ。帰ってくると落ち着くし、何よりも両親と、……馬鹿だが妹と、それにもうすぐ弟が出来る」

 

「あっ、マコちゃんから聞きました。おめでとうございます」

 

「年の離れた弟だよ」

 

 サキは自嘲する。ダイゴは、「それでも」と声にした。

 

「いいじゃないですか。弟さん」

 

「まぁな。家族が増えるのは悪くない」

 

 家族。自分はツワブキ家に行って、家族だと胸を張って言えるのか。あの場所に空虚しか感じないのではないか。その恐怖が今は勝っていた。

 

「……俺、自分がどこへ行けばいいのか、正直分かりません。留置所に入れられていた時のほうが、咎人だって分かってよかったのかもしれない」

 

 ニシノの言葉が思い出される。生きていてはいけない存在――。

 

「お前に罪はないのなら、留置所のほうがよかったなんて言うなよ。ツワブキ家は良家だ。なに、よくしてくれるさ」

 

「でも、俺……」

 

 言い出せなかった。これは完全なわがままだ。この家に憧れている。ヒグチ家のような笑顔の絶えない場所に、自分も居たい、など。

 

 自分は罪人かもしれない。さらに言えば何者かも分からない。そんな人間を一日だって置いておく事が出来ないのだろう。それくらい自分でも分かっている。

 

「すいません、変な事言って……」

 

 サキは手にしていた文庫本から一枚のしおりを取り出した。それをダイゴの手に握らせる。

 

「あの……、これは?」

 

「しおりだ、しおり」

 

「いや、それは分かるんですけれど……」

 

 何故自分に? という目線を向けると、「人生にはしおりがいるんだよ」とサキは答えた。

 

「それはどこかに居場所を求める、という意味でもある。お前がこの先、居ていいと思える場所を見つければ、その場所に腰を落ち着けて、そんな折に本でも読むといい。本は人生を豊かにする」

 

「人生、ですか……」

 

 自分の正体が分からなくとも、人生は豊かになるのだろうか。手にした青い花のしおりに問いかけても分からない。

 

「お前はな、考え過ぎなんだ」

 

 サキは文庫本をぺらぺらと捲る。

 

「今、お前に渡したから、どこまで読んだのか忘れてしまった」

 

 ダイゴは慌ててしおりを返そうとする。しかしサキは遮った。

 

「しおりが戻ってきたところで、どこまで読んだのかは思い出せない」

 

 ハッとしてダイゴは青い花のしおりに視線を落とした。

 

「多分、お前の人生も、私の人生もそういうものだ。居場所を見つけたからと言って、ではその場所で人生を終える、終の棲家を見つけられるわけでもあるまい。人生は、こうしてふとした瞬間に忘れたり思い出したりする文庫本のようなものなんじゃないかって、私は思っている」

 

「でも俺は、サキさんからこのしおりを預かった」

 

「お前が落ち着ける場所にそのしおりを置くといいだろう。そうするときっと、その場所が最後の、旅の最後の場所のはずだ。人生は長い旅路、とどこかの偉人は言っていたな」

 

 サキは気にせずに読書に戻った。ダイゴは青いしおりを手に、自分は見つけられるのだろうか、と感じる。

 

 いつか、ここで終わってもいいと思えるような場所を。大切な誰かの横顔を。

 



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第百四十五話「真犯人」

 

 初代の放った言葉に全員が硬直する。

 

 ダイゴもその一人だった。攻撃が命中しない。時間を操るとされるポケモン、ディアルガ。初代は全身のパーツが揃っており、義手義足は既に捨てたようだった。

 

「何だと……」

 

 サキの声に初代は鼻を鳴らす。この場において圧倒的不利にもかかわらず初代は慌てもしない。

 

「そうさ。ぼくを殺した張本人が、この場所にいる。ヒグチ・サキ。君も刑事ならばその真相、気になるんじゃないのか?」

 

 初代は全身のパーツを得て完全体となった。今の初代に戦い方を馴染ませる前に、決着をつけるのが正しい方向だ。

 

「キャプテン!」

 

 ダイゴの声にキャプテン――ゲンジは腕を組んで声にする。

 

「総員、初代を潰せ。一言も口を開かせるな」

 

「あいよ!」

 

 最初に飛びかかったのはディズィーだ。メガクチートが跳ね上がり、ディアルガへと肉迫する。

 

「時間逆行」

 

 次の瞬間、ディズィーは飛び出す前の格好になっていた。

 

「あいよ! ……えっ」

 

 声にしてからそれは先ほど放ったのと同じだと気付いたのだろう。先ほど自分にやられたのと同じだ。

 

「時間を、巻き戻した?」

 

「ディアルガは時を司る、神と呼んでも差し支えない。その力を最大限に振るえるのは、世界広しといえど、ぼくしかいない。鋼タイプを完全に使いこなせるのは、ツワブキの血だけだ」

 

 リョウがその言葉を聞いて声を震わせる。

 

「あんたが、初代ツワブキ・ダイゴが、その力を手にするのに相応しいって言うのかよ」

 

 初代は些事の一つとでも言うようにリョウへと顎をしゃくった。

 

「我が孫とはいえ、この認識では困るね。言い直そう。ぼくでなければ出来ない。ディアルガほどの、神話級の存在を何の道具もなく御するのは、ぼくしか出来ない」

 

「その驕りが……!」

 

 リョウが拳を握り締める。まだ彼のレジスチルは健在であった。

 

「いくつもの人生を歪めるんだ!」

 

 破壊光線を集約させた掌を掲げてレジスチルが駆け抜ける。しかし初代はそれこそ羽虫の出来事だと言わんばかりに手を払った。

 

「ディアルガ。一発でいい。流星群」

 

 ディアルガから青い光の球が一つだけ、放たれる。その球がレジスチルの鋼の肉体へと食い込んだ。直後、レジスチルの両手から力が失せていく。オレンジ色の光が霧散した。

 

「レジスチル……。もう、ここまでなのか……」

 

「そのようだ。体力の限界値に達していたのに使っていたお前も悪いが、手持ちも主人に似て、何と愚かしい事か。まだぼくと戦えると思っていたらしい。王の血族とはいえ、これは身内の恥だな」

 

 リョウが膝を折る。もう戦う気力など湧いてこないのだろう。その悔恨をどこにもぶつけられないようだった。

 

「チクショウ……。だったら、オレ達ツワブキ家は最初からなんだったんだよ……。何のために、初代の再生なんて進めて……」

 

「全てはぼくに繋がるためさ。なに、無駄じゃないよ。ぼくが支配すればいいだけの話だからね」

 

 横合いから割り込んできた殺気がディアルガへと突き進む。ディアルガの張った青い皮膜とぶつかり合ったのはダイヤモンドの剣を保持するメガディアンシーだった。

 

「兄様も、父様も、間違っていなんていない……」

 

 クオンが声にする。その言葉には力があった。今までの彼女を知っていればまず思い浮かべないほどの力強さ。生きる事への活力。

 

「あたし達は、何も間違った事はしていないわ!」

 

 ダイヤモンドの剣の一振りに青い皮膜が薄らぐ。しかしすぐさま再構築された壁に火花が散った。

 

「そうだね、クオン。何も間違っていないよ。君達は、ただただ、ぼくのためを思って尽力してくれた。全ては王に繋がる道だった」

 

「それが驕りだと、兄様は言った!」

 

 振り払ったダイヤモンドの剣の一閃をディアルガは弾く。ディアルガから青い磁場を引き移した光の球がまたしても放たれる。

 

「……度し難いってのはこういう事を言うのか? クオン、孫の中でも君は賢いと思っていたよ」

 

「馬鹿でも、それこそ愚かでも構わないわ! 正義を成すのなら!」

 

 ダイヤモンドの剣が光を帯びて、発射された青い球を切り裂いた。爆発が膨れ上がり、メガディアンシーが跳ね上がる。剣を真下に構え、ディアルガの脳天を突くつもりだ。

 

「ディアルガ! いくら強くたって、ドラゴンタイプなら!」

 

「フェアリーの攻撃が効く、かい? それは通常条件での話だね」

 

 青い皮膜がダイヤモンドの剣を弾き飛ばした。メガディアンシーの手から剣が離れる。

 

「まさか……!」

 

「ディアルガは神だ。凡俗が触れていい存在じゃない」

 

 初代が指を鳴らすとディアルガから放たれた波紋がメガディアンシーを突いた。メガディアンシーは無様に地面を滑る。

 

「敗北者には、這い蹲るのがお似合いだ」

 

 メガシンカが解け、ディアンシーは元の姿に戻ってしまった。

 

「時間切れ……。こんな時に!」

 

「クオン。君はまだ、メガシンカを使いこなせていない。それは何も、君が熟練不足だからだけではない。ツワブキ家の、血筋ではメガシンカの完全制御は出来ないんだ」

 

 どういう事なのか。クオンを含め、全員が震撼する。

 

「何を、言っているの……」

 

「何って、言ったろ? 二十三年前にぼくを殺した人間が何を企んで殺したのか、犯人が誰なのか、全て分かった、と」

 

「デタラメだ」

 

 サキの声に初代は余裕を返す。

 

「デタラメを、この極地で言うかな? 大体、戦局的には一応不利なんだ。戦いを長引かせておいしい事なんてないよ」

 

 押し黙る一同の中、一人だけ声を発していた。

 

「教えろ」

 

 自分だけだ。ダイゴだけが、初代へと質問を投げた。

 

「誰が、お前を殺した?」

 

 きっとそれが、自分の記憶の鍵に繋がるはずだ。ダイゴの目論見を感じ取ったのか、「君ならば余計に知りたいだろうね」と初代が返す。

 

「いいだろう。ぼくを殺した人間の名前を言おう。その前に、ぼくを殺して、何を得たかったのか、それをハッキリさせようかな」

 

「地位でも、名誉でもない。初代、お前が目指していたのはメガシンカの完全制御」

 

 サキの言葉に初代は肩を竦める。

 

「半分正解、だね。確かにメガシンカの完全制御はぼくの望んだところだった。しかし、結局のところ根本を間違えていた、いや履き違えていたんだな。ぼくは何を参考にメガシンカを成そうとしたのか。参考資料が何だったのかを知れば、自ずと答えが出てくる」

 

 時間稼ぎか、とダイゴが構えを取っているとサキがハッとする。

 

「……そうか、プラターヌ博士の矛盾する論文」

 

「その通り。彼の論文こそがぼくの手に入れたメガシンカのルーツだった。だから、実際のメガシンカと異なっていても何ら不思議ではない」

 

「何を、言っているんだ……」

 

 戦意を失ったリョウが声にする。サキは髪をかき上げて言い捨てた。

 

「初代が参考にしたプラターヌ博士の論文は穴だらけだった。実地研究の伴っていない、言うなれば机上の空論だった」

 

「実際に彼がメガシンカを観測した、というよりかは彼によるメガシンカの仮説だった。絆という不確かなものに依拠した間違った論文だった。当然、それを突き詰めても穴があるだけだ。ぼくはそれに死ぬ間際まで気付けなかった。そこを利用された」

 

 利用。つまり誰か……初代を殺した犯人は本当のメガシンカを知っていた、という事だ。

 

「ぼくの精神エネルギーを根こそぎ吸い取らせ、犯人は数個のメガストーンを生成した。メガストーン自体、そう何個も作れるわけじゃない。製造過程を明らかにすれば、メガストーンはトレーナーとポケモンの過度の同調と精神エネルギーを対価とする、諸刃の剣だった。やられたよ。ぼくは生贄にされたんだ。メガストーンを作るための。だからぼくの血族は、その影響を受けてメガシンカがまともに生成出来ない。あるいはその犯人の持つメガストーンにエネルギーを吸い取られてしまう」

 

 初代がメガストーンを作るための生贄など信じられなかったが、その死んだはずの初代自身が語っているのだ。自分の死の真相を。

 

「だからって、誰がメガストーン欲しさに殺すって言うんだい? そんなハイリスク、誰も欲しないだろう」

 

 ディズィーの意見はもっともだった。初代は、「理解が早いと助かるね」と声にする。

 

「そう。だがそこまでしてでも、ぼくを殺し、ディアルガも封印し、王を永遠に亡き者にする必要があった。そのためにぼくの肉体は八つに分けられ、その時に誕生したメガストーンと共鳴状態にある。ぼくの肉体がこの次元にあってこの次元にないのはそのせいだ。肉体の主導権をメガストーン八つに握られている」

 

 信じ難いが、メガストーンを八つ持っていたとして誰だと言うのだ。そこまでして初代から得られるギフトが必要であった人物など。

 

「組織を興すなら、それくらいの対価は必要かもしれないね。あるいは、国を真に守りたければ、ぼくの支配から脱却し、自ら国防の矢面に立つのには、メガシンカは打ってつけだ」

 

 その言い草に、まさか、とダイゴは息を呑んだ。

 

 全員の視線が一人の人物へと集約されていた。その人物は腕を組んだまま、動じる事もなく全員の視線を受け止めている。

 

「――そうだろう? 四天王、ゲンジ」

 



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第百四十六話「滅却」

 

 ゲンジは肯定も否定もしない。ただただ初代の言葉を受け止めているだけだ。

 

「そんな事!」と否定を発したのはフヨウだった。

 

「キャプテンがするわけない! キャプテンは、アチキ達を四天王として強くするためにメガストーンを」

 

「それがどこからもたらされたかも知らない小娘が。その対価は王の命とその血族の退廃だ。この地方のメガストーンは、ぼくの命と、ツワブキ家の血の力をもって発揮されている。ぼくを封印する最後の手段でもあり、なおかつツワブキ家を取り込む手立てでもあったのだろう?」

 

 ゲンジは黙したまま言葉にしない。プリムが視線を振り向ける。

 

「キャプテン。このままでは全員の不信を買います」

 

「キャプテン! アチキ達は、初代を倒すために戦っているんだよね? こんなのでまかせだよね?」

 

 プリムとフヨウの必死の呼びかけにゲンジは面を上げて声にした。

 

「……二十三年間。二十三年間だ。それだけの月日が、メガストーンの熟成には必要だった。同時に、二十三年も経てばもう、お前の権威など地に堕ちていると思い込んでいた。ワシの不手際だ」

 

 ゲンジの発した言葉にフヨウがへたり込む。プリムも顔を俯けさせた。

 

「残念です」

 

「嘘でしょ……。キャプテン……」

 

 誰もがその真実を受け止められなかった。全ての発端、初代殺しが、まさか信じていたゲンジの所業であったなど。

 

「幻滅するならばしても構わない。だが、ワシは悪魔を封じるための手段として、これしかなかったと感じている」

 

「詭弁だね。ゲンジ、実際のところ、君は面白くなかった。四天王の上にチャンピオンという席がある事が。当然と言えば当然か。君は、誰よりも危うい場所に行きたがる性格だ。第一回ポケモンリーグでも随分と無茶をしていたと聞くよ。国防の矢面に実際のところ居らず、挑戦者を倒すだけのポケモンリーグがつまらなかったんだろう?」

 

「今さら否定もすまい。ワシは、何よりもこの地方の平和を願った」

 

 初代がフッと笑みを浮かべる。

 

「相変わらずだ。あの時から、そう、ホウエンの四天王制度が敷かれ、ぼくが王になった時から、君の眼は同じだよ。反抗的で、何よりも力の探究心が強い。自分に比肩する存在なんていないって思っている」

 

 指差して嘲る初代にゲンジは堅牢な言葉で返す。

 

「笑いたければ笑え。誰よりも平和を願った末に泥を被るのは慣れている。ワシは、もう偽るつもりもない」

 

 ゲンジが黒いコートの内側から取り出したのはメガストーンであった。二つのメガストーンが掲げられた瞬間、初代の右腕がぴくりと跳ね上がる。

 

「これは……、そのメガストーン、ぼくの肉体に」

 

「対応している。最後の手段だと思っていた。お前を滅するのに、メガストーンを破壊する」

 

 思わぬ言葉に全員が声を詰まらせた。メガストーンの破壊。それで本当に初代は止まるのか。

 

「何をやっているのか、分かっているのか? この地方にばら撒かれたメガストーンのうち、二つを個人の判断で破壊するなど」

 

「罰当たりは百も承知。それに、既に力を持ってしまった人間から力を奪うような行為だという事も」

 

 ゲンジはフヨウとプリムに視線をやってから、既に息絶えているカゲツを見据えた。

 

「……カゲツ。すまない。親らしい事を何一つしてやれなかった。お前にもメガストーンの呪縛がある」

 

 輝いたのはボスゴドラの体内であった。カゲツから引き継がれたのだろう。オサムも倒れ伏している。銀髪だった髪が黒く染まっていた。左足をなくして出血している。

 

「全てのメガストーンを一つに揃え、初代ツワブキ・ダイゴ。お前を魂までも消滅させる。そのためならば犠牲も厭わない」

 

「本気か? 大自然の摂理に逆らう行為だ」

 

「お前が、それを言うか。死者の王よ」

 

 初代が歯噛みする。クオンのディアンシーからメガストーンが消え、今度はディズィーのメガクチートからメガストーンが強制的にゲンジの下へと飛んでいった。ゲンジの手には四つのメガストーンがある。

 

「カゲツ、すまない」

 

 その言葉と共にボスゴドラからメガストーンがゲンジの手に移る。五つのメガストーンを得たゲンジにプリムとフヨウが顔を伏せたまま声にする。

 

「……キャプテン、それは正しい事なんだよね? 初代を倒すための最後の手段なんだよね?」

 

「キャプテン、わたくしは迷いません。それが必要とあらば」

 

 プリムがオニゴーリからメガストーンをゲンジに移す。「感謝する」とゲンジは声にした。

 

「フヨウ。強制はしない。だが、初代を倒すには我々では力不足なのは先ほどの攻防で明らかだ。ワシに託してくれ。これならば確実に初代を倒せる」

 

「世迷言を! お前はただ、ぼくが気に入らないだけだろうに!」 

 

 初代が手を払う。ゲンジはそれさえも自分の中に受け止める。

 

「その業でさえも、ワシは受け止めよう! 己の罰としてな!」

 

「二十三年前にぼくを殺しておいてのうのうとよくも! 間違った救済なんて与えて、それで民草が救われると思っているのか! 王の存在こそが民の平和だ!」

 

「確かに王の不在は、民の間に不安をもたらした。だが、そのお陰で理解した民も居たはずだ。王などいなくとも、この世界は成り立っていけるのだと」

 

 その言葉にフヨウが顔を上げる。彼女の目には涙が溜まっていた。

 

「……アチキ、キャプテンの本当の目的だとか、そういうのは全然、今でも分からない。でも、王がいなくっても人は立っていける、歩いていけるってのはその通りだと思う。……おじいちゃんやおばあちゃんがそうだったから。キャプテンは自分の足で歩けって、教えてくれたから。だからアチキは、託すよ、託せる!」

 

 ヤミラミからメガストーンが消え、メガシンカが解ける。今、ゲンジの手の中には七つのメガストーンがあった。

 

「あとは、ワシのメガボーマンダのメガストーンのみ」

 

「ディアルガ! やらせるなよ、流星群!」

 

 ディアルガから今までの比ではない数の青い光の球が打ち出される。まるで爆撃だ。光の球一つ一つの攻撃性能ははかり知れない。しかしそれを受け流したのは他でもない、メガボーマンダだった。赤い翼を一閃させると巨大な光の刃が光弾を叩き割っていく。

 

「逆鱗……。そうだったな。お前の手持ちは!」

 

「ドラゴンにドラゴンとは、釈迦に説法もいいところだな、初代。メガボーマンダ、メガシンカ解除」

 

 メガボーマンダからエネルギーが霧散し、ゲンジのもう片方の手にメガストーンが握られる。今ここに、八つのメガストーンが揃った。

 

「初代の肉体部位と連動している! これを破壊すれば、初代は肉体どころか魂でさえも自由ではない!」

 

 ゲンジが地面へと思い切り叩きつけようとする。

 

 その瞬間、時間が静止した。

 



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第百四十七話「その名はツワブキ・ダイゴ」

 

 振りかぶった姿勢のまま、ゲンジが固まっている。

 

 初代はこの現実を前に歯噛みしていた。どうして二十三年前に、王を殺した人間を皆が庇う? どうして王の素晴らしさが分からない?

 

「我が孫、リョウ」

 

 リョウを時間停止の呪縛から解いてやる。リョウはハッとしてつんのめる。

 

「お前は、まだツワブキ家だ。何が正しくって何が間違っているかの判断くらいつくよね? こいつらは二十三年前の元凶を、全員で庇い立てした。裁かれるべきはどちらなのか、明らかのはずだ。リョウ。君にはどう映る? 彼らの所業が」

 

 リョウは全員を眺める。初代は言ってのけた。

 

「滑稽だ! 王の存在よりも重視するべき感情なんてない! 重んじるべきは一国を束ね、全てのトレーナーと民草の上に君臨する王という絶対存在だ。それを忘れ、凡俗の出でありながら王を殺した人間には裁きが必要、だろう?」

 

 初代の声にリョウは迷いを滲ませた声音で返す。

 

「でも、初代。オレにはよく分からなくなってしまいました。最初こそ、初代の再生は絶対だと思っていた。でも、これだけの人達が、王の不在でも生きていける、自分の道を模索出来ると言っている。初代、もう我々のやり方は、古いんじゃ――」

 

「黙れ! 王の偉大さを分からない凡俗か! 君も! いいだろう、しかと見るがいい。王に楯突くとはどういう事なのか。ディアルガ!」

 

 ディアルガが口腔を開き、青い粒子を吸い込んでいく。その攻撃の矛先はゲンジだった。今まさにメガストーンを叩き割ろうとしていたゲンジへとその攻撃が放たれる。

 

「さよならだ、ゲンジ。ディアルガ、時の咆哮!」

 

 ディアルガの声と共に放たれた青い瀑布がゲンジを飲み込む。その瞬間、時間停止が解けた。

 

「ときのほうこう」を受けたゲンジの身体が見る見る間に縮んでいく。ボーマンダが割って入ったが、その時には既に遅かった。ボーマンダも触れた箇所から退化していく。青い光線の勢いが収まった時にはゲンジは十歳前後まで時間を巻き戻されていた。ボーマンダも非力なタツベイに退化している。

 

「これは……、何が起こったのだ……」

 

 全員がゲンジの変化に戸惑っている。何が放たれたのか。この場で知っているのは初代とリョウ、それにサキしかいない。

 

「まさか、時の咆哮を……」

 

「時の咆哮?」

 

 ダイゴが聞き返す。ゲンジは、と言えば急に身体が縮んだ反動か、倒れ伏して動けなくなっていた。

 

「これは、ワシの、肉体が……」

 

「時の咆哮は、攻撃を浴びた対象の存在を限りなくゼロに還元してしまう技だ。つまり、存在する前の状態、なかった事になるというわけさ」

 

 歩み出た初代がゲンジを見下ろす。ゲンジは屈辱に歯噛みしていた。

 

「貴様、そのような強力な技を」

 

「使ってもいいんだよ。ぼくは王だからね」

 

 ゲンジの手にあったメガストーンを奪い取る。手を伸ばそうとするゲンジの頭を蹴り飛ばした。

 

「愚かしいな、ゲンジ。君はもう、戦う力は残されていない。十歳前後まで退行した君に、ポケモンを操る能力もなければ、ぼくに拮抗するなど夢のまた夢!」

 

 手を踏みつけ初代は口にする。その時、二つの気配が同時に動き出した。弾かれたように初代の射程に入ったのはヤミラミを操るフヨウとオニゴーリを操るプリムである。

 

「キャプテンを、やらせはしない!」

 

「汚い手を!」

 

 浴びせかけられた声に初代は肩を竦めた。

 

「汚い? この男の下で動いていた君達だけには言われたくないな」

 

「オニゴーリ、冷凍ビーム!」

 

「ヤミラミ、シャドーボール!」

 

 同時に放たれた攻撃に対してディアルガは対応する。

 

「防御しろ」

 

 青い皮膜が張り巡らされ、二つの攻撃が掻き消える。

 

「届きさえもしないなんて……」

 

「王のポケモンを前に、どうして凡俗の攻撃が届くと思い込んでいる? 流星群、二体に向けて同時に放て」

 

 青い光弾がディアルガから放たれ、ヤミラミとオニゴーリへと直撃した。オニゴーリは制御を失って転がり落ちる。ヤミラミは肩口から先を焼かれていた。

 

「一撃で……」

 

 フヨウが指輪を差し出して声にする。

 

「だったら! メガシンカ!」

 

 しかしメガシンカは成されない。初代はせせら笑った。

 

「メガストーンはぼくの手にある。いくら鍵となるキーストーンがそっちにあろうとも、メガストーンを失ったポケモンにメガシンカは不可能だ。それでこのメガストーンだが、どうするべきか」

 

 初代は掌の上でメガストーンを転がす。

 

「ぼくの肉体に対応しているのならば所有も危険だが、何よりも簡単な方法がある。メガストーンを身の内に押し込めば」

 

 メガストーンを胸に押し当てる。すると八つのメガストーンは体内へと吸い込まれていった。

 

「まさか、メガストーンを……」

 

「取り込んだ、だと……」

 

 リョウとサキが驚愕の声を振り向ける。初代は息をつく。

 

「晴れ晴れとした気分だ。もう、この肉体を縛る何かは存在しない。晴れて、王の身体は完全体となった」

 

「タツベイ! ドラゴンクロー!」

 

 タツベイが踊り上がり、初代へと爪を見舞おうとする。しかし初代は軽くステップするだけで龍の爪を回避する。

 

「分からないのか? 限りなくゼロに還元される、という事はレベルも下がっているという事なんだ。今のタツベイ、レベルは十もない」

 

 ゲンジが慄く眼差しを向ける。初代は愉悦に口元を綻ばせた。

 

「それで、勝ったつもりか」

 

「勝った? おかしな事を言う。もう負ける要素がない」

 

「……驕りだ。まだお前が無力化出来ていない存在がいる」

 

「どこに? メガシンカ可能な人間なんて――」

 

 そこから先を遮ったのは飛び込んできた鋼の爪の一撃だった。咄嗟に初代はディアルガを先行させる。ディアルガの放った青い皮膜の向こう側でメタグロスが爪を突き立てている。

 

「……そうか、まだ君がいたか。十五番目のぼく」

 

「ツワブキ・ダイゴだ」

 

「……何だって?」

 

「俺の名前は、ツワブキ・ダイゴだと、言っている!」

 

 その声に相乗したようにメタグロスの膂力が上がり、下段から突き上げた爪の一撃がディアルガ本体へと突き刺さった。

 



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第百四十八話「emeth」

 

「届いた……」

 

 クオンが放心状態で声にする。ダイゴも一撃でも届けば、と感じてメタグロスを走らせていた。青い皮膜を破った一撃に初代は目を瞠っている。

 

「ディアルガの防御膜を破る……」

 

「食らえ! アームハンマー!」

 

 メタグロスの強靭な爪の攻撃が次々とディアルガに突き刺さろうとする。ディアルガはしかし直後には離れていた。恐らく時間停止を使われたのだろう。

 

 肩を荒立たせて初代が声にする。

 

「驚いたよ。まぐれとはいえ、ディアルガに届くなんて」

 

 ダイゴはメタグロスと共に構える。初代は手を掲げた。

 

「まぁ待つんだ。よく考えてもみろ。もうぼくを倒したところで何の利益もないんだ。半年前ならば、ぼくを殺した人間は誰なのか、君は何者なのか、というお題目があっただろう。だがもう存在しない。君はフラン・プラターヌの肉体を持つD015の人格であるし、ぼくは初代ツワブキ・ダイゴだ。殺したのは君達を先導してきたゲンジ。もう明白じゃないか。裁かれるのはゲンジだ。これでも無駄な戦いをする必要は――」

 

「メタグロス、バレットパンチ」

 

 弾丸の勢いを誇る拳がディアルガへと突き刺さろうとする。ディアルガは青い皮膜を広げてその攻撃を受け止める。

 

「……分からず屋、って言えばいいのか? あるいは馬鹿なのか? もう決していると言っている。ゲンジは罰を受けたし、あとは殺すだけだ。ぼくがホウエンの、いいや、デボンが全てのポケモン産業を牛耳れば、世界の王にだってなれる。誰にも不幸なんて訪れない。この状態をどうして是としない? 君達が思っている以上に世界は均衡を保つだろうし、何よりも平和だ。平和を甘受しない人間は嫌われるよ」

 

「俺は、偽りの平和なんて要らない」

 

「偽りだと規定しているのは君だけだ。他の者達を見ろ。皆、もう戦う力なんて残っていない。メガシンカを奪われたんだ、当然さ。切り札のない戦いは意味がないって言っているんだよ」

 

「俺だってメガシンカは扱える!」

 

 ダイゴの張り上げた声にメタグロスが吼えた。しかしメガシンカは成されない。初代が哄笑を上げる。

 

「どこがさ? 言っておくがメガストーンは全てぼくの精神エネルギーを基にして作られた。だから既に取り込まれたぼくに勝つ方法はないし、そのエネルギーを取り出す術もない。負けは潔いほうがいいよ」

 

 メタグロスが跳ね上がり上段から爪を打ち下ろす。ディアルガは皮膜で弾いて青い光弾を浮かび上がらせた。

 

「流星群」

 

 突き刺さった青い光弾をメタグロスは弾き返す。

 

「鋼タイプを嘗めるな!」

 

「それはこっちの台詞だ!」

 

 弾き返された攻撃をディアルガは吸収する。相手も鋼・ドラゴン。鋼タイプのメタグロスでは決定打は打てない。唯一決定的な攻撃は「アームハンマー」だけだ。しかし「アームハンマー」の射程は限りなく短く、懐に潜り込まなければまず命中しない。

 

 恐れずにディアルガに立ち向かわなければ。しかし先ほどの攻撃「ときのほうこう」の威力がダイゴを怯ませる。もし、一撃でも「ときのほうこう」を受けてしまえばお終いだ。そう考えるとあと一歩が踏み込めない。

 

「どうした? 時の咆哮が怖くて決定的な攻撃を撃てないか?」

 

 読まれている。ダイゴは、「そんな事!」と声にする。振るわれた爪の攻撃をディアルガの体表面を跳ねる電流が弾いた。

 

「十万ボルト」

 

 電気の攻撃にメタグロスが後退する。まさか電気攻撃を組み込んでいるとは思わなかった。初代は余裕を浮かべて告げる。

 

「電気は意外だったか? ディアルガは特殊攻撃力がずば抜けている。特殊攻撃とはつまり直接触れない攻撃だ。ディアルガはメタグロスに一回も触れずに倒す事が出来る。比して、メタグロスは、限りなく至近距離に近づかなければ何一つ有効打を打てない。限りなく勝てる可能性は、ゼロだ」

 

 初代の言う通りだ。このまま持久戦を続けてもメタグロスでは勝てない。「ときのほうこう」が来るのを恐れている今では、懐にも潜り込めない。

 

「それでも、俺は……」

 

「いい加減分を弁えろって話だよ。勝てない勝負はするもんじゃない。どうかな? ぼくは君の一生を保障しよう。十五番目のぼく。君はもう何一つ戦う事はなく平和に一生を終える、というのは」

 

 何を言っているのだ。ダイゴが目を見開いていると初代は手を叩いた。

 

「悪い提案じゃないだろう? 君は今まで戸籍もなければ人生に何の保障もなかった。いつネオロケット団に裏切られるかも分からず、自分の人格も自分のものではないのだと疑ってきた。それよりも平和な道を選ぼうって言っているんだ。君にツワブキ・ダイゴの名は与えよう。そのまま一生を終えていい。ぼくとここで直接対決なんて馬鹿な真似をするよりかは、そっちのほうが有意義だと思うけれど」

 

「……軍門に下れと言っているのか」

 

「荒っぽい言い方だとそうかな。ぼくはただ、手を取り合わないか、という提案だと思っているのだが」

 

 戦わなくって済む。自分が何者なのか迷わなくってもいい。それは今までダイゴが困惑してきた出来事を全て初代が背負うと言っているのだ。もう自分の存在意義に悩む必要もない。戦わなくてもいい。

 

「俺は……」

 

「騙されるな、ダイゴ! 奴はお前をいいように扱うだけだ!」

 

 ゲンジの声にダイゴは振り返る。

 

「何を言っているんだ? 今の今までぼくを殺す方法としてたくさんの人間を利用してきたんだろう? 君は。メガシンカという力をちらつかせ、実力者達を配置してきた。それらは全て、ぼくを封じるため。たった一つの因果のために、人生を歪められた人々がいる。君が口を挟める義理はないね」

 

「ワシは、小さな出来事のために動いていたつもりはない」

 

「だが実際には、ぼくが気に入らない、それだけだったはずだ。さぁ、悩むなよ、ツワブキ・ダイゴ。裏切り者と王。従うべきはどちらか、分かっているはずだろう?」

 

 従うべきはどちらか。選ぶべきはどちらなのか。自分には何もない。記憶も、人としての尊厳も、何もかも借り物だ。だからこの選択権もきっと借り物でしかないのだろう。

 

 自分に選ぶ価値はあるのか? 果たしてこの戦いで得られるものがあるのか?

 

 メガシンカが封じられ、もうこれ以上の戦果は遮られた。自分が戦っても、何一つ、好転する事なんて。

 

 その時、咆哮が発せられた。

 

 真っ直ぐに向かってくるのはボスゴドラである。ディアルガへと突進攻撃を試みるが青い皮膜で防御される。それを操っていたのはもう髪の毛が黒くなってしまったオサムであった。

 

「紛い物が! まだぼくに立ち向かうか!」

 

「紛い物じゃ……ない。ダイゴ! 何を迷っている! そんな選択肢、端から選ぶ必要がない!」

 

 ボスゴドラが二の腕を膨れ上がらせ、ディアルガへと攻撃を見舞うがディアルガは完全に防御していた。

 

「Dシリーズの欠陥品がよく言う。左足があるから生きてこられただけの存在が。もう左足を失えば、お前にはDシリーズでさえもない。価値は崩れ落ちたんだ!」

 

「価値だって? そんなもの、自分で見出すものだ。カゲツさんが教えてくれた。自分に自信が持てなくっても、たとえ戦いに意味がなくとも、それでも自分を曲げない。それこそが、生きるという事なのだと」

 

「詭弁を!」

 

 ディアルガが青い皮膜に吸着させたエネルギーを放出する。ボスゴドラは一瞬だけ怯んだがすぐさまディアルガを全身で拘束する。

 

「今だ! ツワブキ・ダイゴ! ボスゴドラごとやれ!」

 

 オサムの声にダイゴは逡巡を浮かべる。初代が、「余計な真似を」と忌々しげに口にする。

 

「左足があるから生かしておいただけの命! ここで潰えろ! 流星群!」

 

 オサムへと青い光弾が照準を定める。ダイゴは声にしていた。

 

「オサム、逃げてくれ! 俺はお前の命まで背負って戦う価値なんて……!」

 

「何言っているんだ。ここまで来た男だろう? だったら、使命を果たせよ」

 

 ボスゴドラの拘束を剥がそうとするディアルガへとボスゴドラが腕を掲げる。その腕が瞬時に巨大化し鋼の色を帯びた。ボスゴドラがディアルガの顎へと一撃を加える。

 

「今のは、一瞬だけ、メガシンカした……?」

 

「ダイゴ! メガシンカは何も初代の魂だけで成り立っていたわけじゃない。心が! 人の心が成すべき事を成した時訪れる現象なんだ!」

 

「まやかしを語って道を阻むか。その肉体、吹き飛ばしてくれる! 時の咆哮!」

 

 ディアルガが青い粒子を口腔内に溜め込む。だがボスゴドラは臆す事もなく直接攻撃に打って出た。ディアルガの身体が傾ぐ。

 

「おかしいとは、思っていたんだ。ギリーを殺した時とキャプテンに攻撃を加えた時、同じ時の咆哮なのになんで威力が違うのか。思うに、時の咆哮は何度も撃てる技じゃない。フルチャージで撃てたのは最初だけ。キャプテンに撃った時点でもうその威力は何分の一までか落ちているはず。恐れるな、ダイゴ。もう初代には、お前を倒すだけの体力もない!」

 

 ボスゴドラがそれを証明するように近接戦闘に打って出る。初代は歯噛みして、「黙ってろよ」と口にする。

 

「黙っていれば長生き出来たものを。時の――」

 

 ディアルガがエネルギーを放出しようとする。ボスゴドラが腕を掲げた。

 

「させるか、メガシンカ! メガボスゴドラ!」

 

 紫色のエネルギーの光が腕に纏いつき、片腕を包み込んだ。銀色の巨大な腕をボスゴドラがそのままディアルガの射線に向ける。

 

「オサム!」

 

 ダイゴの声にオサムは微笑んだ。

 

「――ナンクルナイサ。ダイゴ、お前は自分の道を行け。Dシリーズの呪縛を解くのは、きっと」

 

「咆哮!」

 

 放出された青い瀑布の中にボスゴドラが包まれていく。瞬時にボスゴドラの半身が退化していた。だが半分だけだ。それも一進化前レベル。オサムの言葉は彼本人のポケモンによって証明された。

 

 初代が舌打ちする。

 

「余計な事を吹き込みやがって! もうぼくの姿でさえもない、欠陥品が!」

 

 倒れ伏しているオサムへと蹴りが放たれる。オサムが呻き、初代はその頭部を引っ掴んだ。先ほどの「りゅうせいぐん」が少し掠めたのか腹部が焼け爛れている。

 

「もう価値なんてない。ディアルガ、引き裂いて殺せ」

 

 ディアルガが動き出そうとする。ダイゴは声を張り上げた。

 

「待てよ! 初代ツワブキ・ダイゴ!」

 

 初代が振り返る。ダイゴはメタグロスと共に踏み出した。

 

「それ以上、友を侮辱する真似はやめてもらおう」

 

「友だって? この出来損ないが人間だと? 世迷言を言うなよ、ダイゴ。友人関係とは、対等以上でなければ成り立たない」

 

「そんな物言いだから、分かり合えない」

 

 ダイゴの言葉に初代はフッと笑みを浮かべる。

 

「その気はないよ!」

 

 ディアルガが振り返り、青い光弾を生成する。

 

「メタグロス!」

 

 推進剤を焚いてメタグロスが突進した。青い光弾が発射されるがメタグロスが爪で弾く。

 

「この出来損ないの言葉を信じて突き進むか。言っておくが愚行だぞ」

 

「愚行なんかじゃない、俺は、ようやく分かった。進む価値のない人間なんていない。前に道があるのならば、俺は歩む事になんら恐れない!」

 

 爪が打ち下ろされる。ディアルガが防御しようとするがその動作があまりにも緩慢だった。

 

「時の咆哮の反動か。その速度なら!」

 

 メタグロスの爪がディアルガの肉体へと食い込む。ディアルガが青い電流を跳ねさせた。

 

「十万ボルト!」

 

「耐えろ! この程度、四天王と渡り合ってきた俺達なら!」

 

 メタグロスは鋼の肉体を焼く電流を耐え凌ぎ、下段からもう一撃を加える。ディアルガが後退するのと初代が呻くのは同時だった。

 

「これは……、どういう事だ、身体が熱い」

 

 初代が胸元を捲り上げてハッとする。八つのメガストーンが心臓部に食い込んでおり、それらから煙が棚引いていた。

 

「強制同調……。まさか、ゲンジ、最初からお前は!」

 

「そうだ、最悪の事態を想定していた」

 

 子供の姿になってしまったゲンジはプリムに支えられて立ち上がる。

 

「メガストーンは同調状態を生み出す。それを逆手に取り、八つのメガストーンを肉体に組み込んだお前は今、ディアルガと強制的な同調状態にある。今までどのポケモンとも同調を切っていたお前は無敵だっただろうが、ディアルガの死がそのまま、お前に反射してくるぞ」

 

 初代が怒りを声に滲ませる。

 

「ゲンジ……、貴様、王への狼藉、生きて帰らせると思うな!」

 

「その王は敗北する。自身の似姿によって」

 

 ゲンジの声にダイゴはメタグロスへと声を奔らせる。

 

「コメットパンチ!」

 

 彗星の輝きを誇る拳が打ち込まれてディアルガが呻く。初代は身を焼く激痛に膝を折った。

 

「こんな……こんな事で……。だが、ならばぼくは逆に利用させてもらう。強制同調だというのならば!」

 

 ディアルガの瞳に光が宿り、先ほどまで圧倒していたメタグロスを突き飛ばす。メタグロスは爪で制動をかけたがその空間へと見越したように電流が放たれた。

 

「十万ボルト!」

 

 メタグロスの身を焼く電流にダイゴは困惑する。

 

「あまりに速い……、どういう事だ」

 

 ゲンジは舌打ちをした。

 

「……強制同調を逆手に取られたか。同調現象は本来、プラスの側面も強い。反射速度の向上、感知野によるポケモンとの意識圏の拡大。毒を食らわば皿まで、という事なのだろう。今のディアルガは、初代と完全同調レベルにある」

 

 メタグロスが逃げに徹しようとするがそれを遮るように青い光弾が放たれる。逃げ道を潰されたかに思われると今度はいつの間に発生していたのか電流の網がメタグロスを捉えた。

 

「ぼくは王だ! この程度、操れないわけがない! 同調現象があるというのならば、ツワブキ・ダイゴ。お前を殺し尽くす道具としよう!」

 

 メタグロスへと間断なく放たれる攻撃はさしもの高耐久でも辛いものがあった。このままでは負ける。浮かんだ考えにダイゴは頭を振った。

 

「……もう、負けたくない」

 

「敗北者が何を!」

 

 ダイゴは手を払った。これしかない。もう、道は残されていない。

 

 オサムが示したほんの小さな、針の穴ほどの活路。それに賭けるしかない。ダイゴはメタグロスを呼びつけ瞼を閉じた。

 

「愚かしいな、ツワブキ・ダイゴ。それがお前の、最後の選択か!」

 

 ディアルガが電流を発生させ、ダイゴへと直接攻撃を浴びせようとする。ダイゴは小さく口にしていた。

 

「メタグロス、前へ」

 

 その声にメタグロスが爪で電流を引き裂く。ダイゴは迷わず告げる。

 

「そのまま推進剤を焚いて接近。流星群は叩き落せ」

 

 青い光弾が放たれるがそれが発射体勢に移る前に爪の甲で叩き落した。

 

「まさか……、ツワブキ・ダイゴ」

 

 ゲンジの声にダイゴは目を開く。一撃ごとにメタグロスへの集中力が洗練されていく。戦闘本能が研ぎ澄まされ、メタグロスが必殺の一撃を携える。その視界は既にメタグロスと同期していた。

 

「あり得ない! メガストーンもなしに」

 

「違うな、初代。メガシンカは心の力、魂に感応する力だ。ダイゴには魂があった、心があった。あんたにはそれがなかったって事さ」

 

 オサムの声に初代が歯軋りする。

 

「出来損ないが!」

 

「俺は、もう出来損ないじゃない」

 

 振るわれた拳がディアルガの横っ面を捉える。ディアルガがよろめき、初代も頭を振った。

 

「貴様らが、貴様らが王を敬わないから! 王の血筋は偉大なんだ。それを知りもしない凡俗が何を!」

 

「俺は、超える!」

 

 ダイゴの胸元に留められたペンが輝き出す。そのペンを目にして初代が口走った。

 

「四十年前に、ハルカに渡されかけたキーストーンのペン……。何でお前が持っている?」

 

「託されたんだ。ハルカさんに、ツワブキ家の人々に、このホウエンに生きる全ての民に、未来を」

 

 ダイゴはペンを手にして掲げる。

 

「メタグロス、メガシンカ!」

 

 メタグロスの体表を紫色のエネルギーが覆っていく。空気が逆巻き甲殻を成した。びりびりと大気が震え、力の前に鳴動する。

 

「させると思っているのか! 不完全でも撃つ! 時の咆哮!」

 

 口腔内にエネルギーが凝縮され、青い光線をディアルガが放った。ダイゴは目を開き、手を払う。

 

「引き裂け!」

 

 エネルギーの甲殻を引き裂いて巨大な爪が露になる。その爪が「ときのほうこう」のエネルギー波を掻き消していった。左右に分かれた波が徐々に収まっていく。その中央に佇む姿は先ほどまでのメタグロスではない。

 

 身体を反転させ、四つの腕を全て前に突き出したまさしく攻撃形態と呼ぶに相応しいメタグロスの姿があった。X字の意匠が光り輝き、内奥にある赤い瞳が鼓動と共に瞬きする。

 

 メタグロスの更なる姿、その名は――。

 

「――メガメタグロス」

 



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第百四十九話「meth」

 

 メガメタグロスが咆哮する。圧倒的な力が全身から湧き上がり銀色のオーラを生み出した。

 

「メガメタグロス、だと……。ぼくでさえも至れなかったメガシンカの境地に、何故、お前が……」

 

 初代がわなわなと視界を震わせる。ダイゴは超越者の声音で応じる。

 

「信じたからだ。自分の力と、これまで色んな人達が俺に託してくれた力を。その全てが、このメガメタグロスを生んだ。お前の制御下にない、九つ目のメガストーンが」

 

 ゲンジが声にする。

 

「ダイゴよ! 九つ目のメガストーンはお前の心より生じた。だから初代には絶対に干渉出来ない!」

 

 ダイゴはすっと手を掲げる。メガメタグロスが同期して動き出す。

 

「攻撃……」

 

「させると思っているのか! 今の時の咆哮、確かに引き裂けたかもしれない。だがそれはチャージが不足していたからだ。完全な時の咆哮を防御出来る道理はない! それまで耐え凌げるものか。十万ボルト!」

 

 放たれた青い電流の蛇がメガメタグロスを襲うも四つの腕のうち一つを軽く払っただけで電流は消え失せた。初代はそれでも諦める様子はない。

 

「流星群!」

 

 青い光弾が今までにない数を放出する。十個や二十個ではない。無数の光弾が一挙にメガメタグロスを破壊しようとするが今度はダイゴが技の名前を紡いだ。

 

「バレットパンチ」

 

 四つの腕がそれぞれ弾丸の勢いを帯びる。無数の光弾はたった四本の腕の前に全て叩き落された。中にはそのまま弾かれ、ディアルガの表皮を傷つけたものもあった。初代は拳を震わせる。

 

「……あり得ない。ディアルガの、本気のドラゴンタイプの技を反射するなど」

 

「初代ツワブキ・ダイゴ。ここで、全てを終わらせる!」

 

 ダイゴが駆け出すのと共にメガメタグロスもディアルガに向けて弾かれたように動き出した。初代はキッとダイゴを睨み据えて駆け出す。

 

 メガメタグロスが腕を掲げる。ディアルガが全身から青い波長を漂わせた。

 

「コメットパンチ!」

 

「龍の波導!」

 

 同時に放たれた技がぶつかり合い、干渉のスパークを起こす。その只中でダイゴは拳を掲げる。初代へと打ち下ろした拳はいなされ、初代の拳が頬にめり込んだ。ダイゴはしかし、下段から拳を突き出す。腹部を捉えられ初代がよろめく。

 

 メガメタグロスがディアルガを捉えた。その爪がディアルガの鋼鉄の表皮に傷をつける。赤く焼け爛れた傷跡と同期して初代の顔面に傷が刻まれた。

 

 初代が呻いて傷口を押さえる。ダイゴは雄叫びと共に拳を振るう。

 

「これで!」

 

「終わらせるか!」

 

 同時に放たれた拳がお互いの胸元を叩く。ダイゴが後ずさった。ディアルガの攻撃がメガメタグロスの体表を焼いている。

 

「まだまだ、これでっ!」

 

「出来損ないの分際でっ!」

 

 メガメタグロスが腕を重ね合わせ、台風のように回転した。その勢いにディアルガが及び腰になった瞬間を突いて上部の二本の爪がディアルガに突き刺さる。格闘タイプの技「アームハンマー」であった。効果が抜群の技の前に鋼の表皮が抉られる。ディアルガも負けていなかった。

 

 接近したメガメタグロスへと間断のない「りゅうのはどう」でダメージを与え続ける。波導は肉体へと直接ダメージを及ぼす技だ。メガメタグロスの体内で筋肉の繊維が断ち切れ、今にも断線しそうな激痛がダイゴを襲う。それでもダイゴは意識を手離さなかった。ここまで来るのに一人では出来なかった。皆に支えられて自分は立っている。

 

 下段からの「アームハンマー」がディアルガの腹腔に突き刺さった。初代がかっ血し、「ふざけるな……」と声にする。

 

「ぼくが王だ! それ以外は全て羽虫の些事! ツワブキ家も、デボンも何もかも! ディアルガ、時間停止!」

 

 時間が止まる。しかしメガメタグロスと思惟を重ねたダイゴは止まった時間の中でも攻撃を続けた。初代がよろめき何故、と問いかける。

 

「何故、メガメタグロスが止まらない……」

 

「九つ目のメガストーンだ」

 

 胸に留めたペンのキーストーンとメタグロスに生じた新たなメガストーンが共鳴し、時間停止を打ち消していた。それだけではない。時間停止に重なるように放たれた技があった。

 

「時間凍結……。もしかすると、と思って撃ちましたが、当たりのようでしたね」

 

 オニゴーリから放たれた凍結が時間停止を相殺したのだ。初代は目を見開いて言い放つ。

 

「四天王風情がぁ! ここまでぼくをこけにした事、後悔させてやる! ディアルガ! 流星群を――」

 

「どこを見ている?」

 

 メガメタグロスの放った爪がディアルガの顔面を弾き飛ばす。ダイゴは同期した拳で初代を殴っていた。

 

「お前の相手は、この俺だ」

 

「出来損ないのDシリーズが、嘗めた真似をしてくれる! 肉体も! 精神も借り物の癖に!」

 

「そうだ、俺の肉体も精神も、全て借り物、虚栄の城だ。だからこそ、お前に届く。借り物の意地を嘗めるなよ」

 

 メガメタグロスがラッシュを放とうとする。「バレットパンチ」と「アームハンマー」を重ね合わせた攻撃にディアルガが全身から流血する。

 

「こんの! ガキが!」

 

 あと一撃、とメガメタグロスが大きく腕を振りかぶる。その瞬間、放たれた青い瀑布が腕を焼いた。瞬間的な事についていけなかった。メガメタグロスの腕が退化し、小さくなっている。

 

「これで! もうアームハンマーは撃てまい!」

 

 下段から、と指示を飛ばそうとするもディアルガは最早肉体への負荷を無視した「ときのほうこう」を連射していた。この戦闘の後、ディアルガは崩壊するだろう。それでも巻き添えにするつもりだ。下段の爪が退化し小さくなってしまう。残り一本の腕を振るい上げるも、突如として接近してきたディアルガがゼロ距離で波導攻撃を放った。最後の一本の腕の筋繊維が弾け飛び、ダイゴは呻いて左腕を押さえる。

 

「四本の腕を潰した! これでもう、お前の勝つ手段は――」

 

 嘲笑を上げる初代へとダイゴは頭突きをかましていた。最後の一撃、メガメタグロスもディアルガの頭部に向けて渾身の頭突きを見舞う。ディアルガの顔面が剥がれ落ちた。

 

「思念の頭突き……。これが、最後の一撃だ」

 

 ディアルガの肉体が負荷に耐え切れず崩壊していく。青い血脈が弾け飛び、そこらかしこから出血した。青い血が迸って初代本体も膝を折る。

 

「まさか、こんな技で……。こんな技で、ぼくが……」

 

「初代ツワブキ・ダイゴ。お前は、自分の事を王だと思っているようだから言っておく。民の信頼を得られない王なんて、張りぼてだ。それこそ、偽物の最たるものだよ」

 

 初代が吼えてダイゴへと殴りかかろうとする。ダイゴはその拳が届く前に最後の拳を初代へと振るった。初代が崩れ落ち、呟く。

 

「チクショウ……。ぼくの魂は、だが消滅しまい。魂まで殺す手段なんて、あるはずが」

 

「それがあるのだ、初代よ」

 

 ゲンジが支えられながら初代をキッと睨む。

 

「メガストーンは精神エネルギーの集合体。メガストーンの崩壊はお前の精神の崩壊を意味している。ディアルガと強制同調し、メガストーンにまで傷の入ったお前は、もうお終いだ。魂の世界なんて存在しない」

 

 初代が胸元に食い込んだメガストーンを見やる。亀裂が走っていた。初代は手を伸ばす。

 

「い、嫌だ。ぼくが存在した、意味さえも消し去られるなんて」

 

「罪人に魂の安息はない。裁きを受けろ、王よ」

 

 どろどろと初代の顔が崩れ始める。液状化していく身体で無理やり立ち上がり、喉の奥から怨嗟の声を漏らした。

 

「こんの……、凡俗が……! 王を害して、ただで済むと、思うなよ。ディアルガ、やれ! やるんだ! こいつらを殺せ! 早く! すぐに!」

 

 初代が手を払う度にその手の表皮が溶け出し、白い液体の点を地面に零した。

 

「もう、やめろ。初代ツワブキ・ダイゴ。ワシも、お前の時代も終わったのだ。時代を切り拓くのはいつだって若い世代だ。もう古いんだよ、ワシらは」

 

 初代がほとんど白骨化した手を見やりながら震える声を出す。

 

「嫌だ、死にたくない。二十三年も死んでいたんだ。ようやく復活出来た。だって言うのに、これが末路だって言うのか? 死人に殺されるなんて」

 

「死者の王の最期は自らを模した死人に殺される。お似合いだろう」

 

 ゲンジの言葉に初代が声を荒らげようとした瞬間、ダイゴは最後の一撃を放っていた。弱り切ったメガメタグロスのメガシンカを解除し、メタグロスの鉄拳が初代の心臓を射抜く。

 

「これ以上、現世にしがみつくのはみっともない。せめて、俺の手で。さよならだ、ツワブキ・ダイゴ。もう一人の、俺」

 

 メタグロスが心臓を抉り出す。その爪が心臓を握り潰した直後、初代の肉体が完全に形象崩壊した。あとに残ったのは白い液体の水溜りだけだ。

 

「……皮肉だな。こんな最期を、復活しなければ迎えなかっただろうに。それこそ人々の記憶の中で美化されたまま、彼は死ぬべきだった」

 

 ゲンジが支えられながら歩み寄ってくる。ダイゴは初代の死んだ跡を見つめながら尋ねていた。

 

「初代をどうして殺したんですか」

 

「ワシのエゴだよ。国防のために、メガシンカは四天王に必要だった。デボンが独占しているのではいつまでもホウエンのためにならない。だが王が死んだのは完全なイレギュラーだった。ワシはメガストーンさえ得られればそれでよかったのだが、その対価が王の死だった」

 

「では、没落したフジ家と縁を取り持ったのも」

 

 サキがゲンジへと問いかける。彼は首肯した。

 

「ツワブキの血を薄めるためだった。王の血を薄めれば、デボンの寡占状態が続く事はないだろうと踏んでいたが、まさか復活計画なんてものが持ち上がるとは思っていなかった」

 

 ゲンジもまた後悔の胸中にあった。ダイゴは口にする。

 

「……あなた方のした事は結局のところ、エゴに塗れていた。再生計画を先導したデボンとツワブキ家も、あなたの行ったメガストーンの入手も、全て良かれと思って行われた事だった。でもそれが、誰かの不幸になっていった」

 

「まったく、皆の幸福というものは得がたいのだと、ワシは思うよ」

 

 ディアルガもほとんど半死半生だ。主人が死んでもう力なく横たわるだけだった。

 

「ダイゴ、とどめは」

 

「俺がやります。俺がケリをつけなきゃいけないんだ」

 

 メタグロスが腕を引き、そのまま最後の拳をディアルガの頭部へと叩き込んだ。ディアルガの頭が潰れ完全に生命反応が消え去る。

 

「これもなんと惨たらしい結果か。神殺し。その再現をDシリーズであるお前がやるとは」

 

 ダイゴはメタグロスへと労う言葉をかけてモンスターボールに戻した。ゲンジが息をつく。

 

「終わったのだな。これで、ホウエンを覆っていた陰謀の影は消え去った」

 

「いいえ。まだ、終わっていません」

 

 ダイゴの声にゲンジは目を見開く。

 

「これ以上、何をやるって……」

 

「全て、元に戻すんですよ。そうしなければ採算が取れない」

 



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第百五十話「愛し君へ」

 

 ダイゴは初代の死んだ跡の水溜りに浮かぶ機械を手にする。右手に埋め込まれていた転送装置だ。

 

「ダイゴ、何をする気だ?」

 

「転送装置。電源は生きているようです」

 

 ダイゴは呼びつけた。初代の百四のボックスが開示され、その中にあるたった一体のポケモンを呼び出そうとする。

 

「ボックスの中にいるポケモンを一体、呼び出す。そのポケモンの名前は、ペラップ」

 

 サキとゲンジが同時に目を見開いた。それの意味するところを悟ったのだろう。

 

「ダイゴ! それはFを呼び戻す、という事なのか?」

 

 サキの声にダイゴは首肯する。

 

「全て、元に戻すんです。そのためにはFの人格データが必要でしょう」

 

「まさか、ダイゴ。お前、そこまで考えて……」

 

 ゲンジが口を差し挟む。ダイゴは、「分の悪い賭けですけれど」と口にした。

 

「元に戻れるならば。そうするのが一番自然な気がするから」

 

「そんな! お前が消えるぞ!」

 

 駆け寄ってきたサキにダイゴは微笑みかけた。

 

「いいんです。元々、この身体も、精神も借り物なんだから。借りたものは返さなくては」

 

 サキは頭を振ってダイゴの胸元を叩いた。彼女には珍しく涙ぐんでいる。

 

「ここまで戦ってきたのは! お前の意思だろう。何で、Fに返そうなんて思うんだ! Fはお前を利用して……」

 

「それでも、コノハさんの救済は、彼の帰還です。俺に出来る事があるのならば手伝いたい。それだけなんです」

 

 あの日の口づけに報いるためには、これしか方法がない。空っぽの自分に出来る精一杯の事だった。

 

「ダイゴ。Fを呼び戻したとしよう。人格の上塗りなんてすれば、お前は消える。それで、本当にいいと思っているのか?」

 

 ゲンジの問いかけにダイゴは晴れ晴れとした顔で答える。

 

「いいに決まっていますよ。俺は、何かの間違いでここに来てしまった。だから間違いを正すだけなんです」

 

「お前を待っている人がいても、か?」

 

 ゲンジの声はサキだけではない。ここにいる全員の代弁であった。ダイゴは静かに応じる。

 

「ツワブキ・ダイゴという人間は、幻のようなものだったと考えてください。本来、あってはいけなかったんです。一瞬の、陽炎のようなまやかしに、捉われた。そう感じてくだされば、俺は」

 

「ダイゴ! オレは、そんなつもりだったんじゃ……」 

 

 リョウが口を挟む。思えば彼が名付け親だ。ダイゴは、「ありがとう」と声にしていた。

 

「俺に名をつけてくれたのは、意味をくださったのはリョウさん、あなたです。そうでなければ、俺は名無しのまま、死んでいたかもしれない」

 

「他の方法はないのか? ここにいるのはネオロケット団の精鋭だろう? 何か、方法があるはずだ」

 

 サキの必死の訴えにも誰も言葉を返さない。非情ながら、この場において口を挟める人間は一人もいなかった。

 

「ありがとうございます、サキさん」

 

「私は! お前にそんな安らかに笑って欲しくないんだよ! 全て諦めたみたいに、何でお前は、いつも笑うんだ……」

 

 泣きじゃくるサキにダイゴは転送装置に声を投げた。

 

「ペラップを出してくれ。人格転移を行う」

 

 転送装置が一つのモンスターボールを出現させ、光と共にペラップが解放される。ペラップ――Fは何が何なのか分からないように首を巡らせた。

 

「何が起こっているんだ?」

 

「F! 俺はお前に、身体を返そう」

 

 ダイゴの言葉にFは呟く。

 

「何故……。あれから何が起こったんだ?」

 

「分からなくってもいい。F、いいや、フラン・プラターヌ。コノハさんを、泣かせるんじゃないぞ」

 

 ダイゴの声音が真に迫っていたからか、Fは余計な事は言わなかった。ダイゴと視線を合わせ、声にする。

 

「本当に、いいんだな?」

 

「分かっているさ」

 

「ダイゴ!」

 

 声の方向に振り返る。クオンとディズィーが傷だらけで立ち竦んでいる。

 

「またっ! また会いましょう!」

 

 きっと他に言いたい事があったはずだ。それでもクオンは前向きに「また会える日」を選んだ。ディズィーも手を振る。

 

「ここまでカッコつけられちゃ、正義の味方のオイラは形なしだなぁ」

 

「アチキも! ダイゴ、待っているから!」

 

「わたくしも、あなたが無事帰還できる事を」

 

 フヨウとプリムの声にダイゴは頷く。オサムが続けて言葉にした。

 

「ダイゴ。お前はツワブキ・ダイゴだ。それだけはもう間違えようがない。心がある」

 

 メガシンカのきっかけをくれたオサムには感謝してもし切れない。リョウは顔を伏せて涙を流していた。

 

「ゴメン。本当に、ゴメン……。オレは……」

 

 間違いに気付いてくれただけでもよかった。ゲンジが拳をダイゴの胸元に当てる。

 

「期せずして若返ってしまったからな。また戦おう。強者の頂で」

 

 ダイゴは約束して最後にサキへと声を振り向けた。

 

「サキさん。お別れです」

 

「こんな理不尽な事! お別れなんてすぐに出来るか!」

 

 涙声のサキへとダイゴは優しく諭す。

 

「きっと、俺は帰ってきますから。今度は本当の俺として。約束は果たします」

 

 サキは涙を拭いて鼻をすすり上げた。

 

「絶対、だぞ……」

 

「ええ。絶対です」

 

 別れの笑みを交わしてダイゴはFへと視線を据える。

 

「……愛されていたんだな。お前」

 

 Fの声は短いものでありながら幾ばくかの逡巡を滲ませていた。ダイゴは応ずる。

 

「お前だって愛されていた。さぁ、行こう。フラン・プラターヌの帰還を」

 

 Fが自分と目線を合わせ、瞬時に人格を転移させる。

 

 ダイゴは天上を仰いだ。幾つもの光が精神を洗い流していき「ツワブキ・ダイゴ」の人格は消失点の向こう側に消えた。

 



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第百五十一話「最高の、思い出を」+最終話「失われた時を求めて」

 一瞬だけ、ダイゴはよろめいたがすぐに持ち直す。

 

 その時にはもう銀髪は豊かな金髪へと変わっていた。眼の色も赤ではない。

 

「……コノハ」

 

 その声ももう見知ったダイゴのものではなかった。彼の視線の先にはツワブキ家の使用人であるコノハがいる。

 

「フラン……?」

 

 エルレイドがコノハを抱きかかえフランの下へと運ぶ。コノハは一目散に駆け出してフランに抱きついた。フランはコノハの顔をさすって、「ゴメンよ」と口にする。

 

「随分と、帰ってくるのが遅くなってしまった」

 

 コノハは目に涙を溜めて首を横に振る。

 

 これでよかったのだ、とサキは感じる。

 

 全て元の鞘に戻った。デボンの事、ツワブキ家の事。一筋縄ではいかない事もたくさんあるだろう。だが、それも時間が解決してくれるはずだ。サキが身を翻そうとすると、「ヒグチ・サキ、さん」とフランが呼び止めた。

 

「これ、ボクの記憶にはないものだから多分、ダイゴの物なんだと思う。ずっと、これを握り締めていたみたいだ。彼の最後の声を聞いた。これを、サキさんに渡して欲しい、と」

 

 フランの手にあったのは小さな青いしおりだった。挟まれている花が少しばかりくすんでいるが、色褪せてはいなかった。

 

「……あいつめ。この花の意味を分かって、私に返したのか」

 

 受け取ってサキが呟く。フランが尋ねていた。

 

「その花の、意味は?」

 

「ミヤコワスレだ。花言葉は〝また会う日まで〟……。忘れないよ、ツワブキ・ダイゴ」

 

 きっと一生、忘れはしないだろう。

 

 崩れ落ちた戦場の中でサキは静かに涙した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネオロケット団は解体され、四天王はデボンという組織の分割に協力した。

 

 デボンは大きな資本である親会社を子会社が買い取る形で収束した。社長は新たに就任し、ツワブキ家は完全に一線を退いた形となる。

 

 その後、デボンがどのような運命を辿ったのかは記すまでもないだろう。寡占状態は解かれ、その技術は様々な企業へとオープンになった。デボン、という名前が神のような絶対性を持っていた時代はとうに過ぎ去った。

 

 自分は実家に帰ったところ、酷く叱られた上に弟を紹介された。

 

 そういえば産まれたのだったか、と今さら感じると共に名前を聞いた。

 

 テクワ、という名前の弟はそっと温かな手で指を握ってくれた。

 

 一度だけプラターヌの墓参りに参加した事がある。彼はあの騒動の中、恐らく埋葬されなかった人間だ。フランとコノハは間もなく籍を入れ、ツワブキ家によって翻弄された人生から、また新たな人生のスタートを切った。

 

 フランとコノハは自分の親に当たるプラターヌの死に黙祷を捧げた。

 

「父さんがそんな事をしていたなんて思わなかった。ずっと、ボクの事も興味のない人だと思っていたから」

 

 サキは自分の知りうる限りのプラターヌの事を話し、せめて奇人で終わって欲しくないと息子であるフランに言い置いた。

 

「サキさん。あなたは、どうなさるんですか?」

 

 警察に戻る、という人間でもないだろう、と考えていたがその辺りはルイが手を回してくれたらしい。今回の事件の立役者として表彰状が送られた。

 

 久方振りに顔を出す仕事場は代わり映えしたところはなく、アマミは相変わらず甘ったるいコーヒーを作っていたし、シマは書類を書いていた。課長であるハヤミも同様に落ち着いていたが、この場所が自分の帰る場所だったのだとサキは実感し、少しこみ上げた。

 

「ヒグチ君。今回半年以上音沙汰がなかったんだ。その責務として定年まで働いてもらおう」

 

 ハヤミの声にサキは頷く。どうやら自分にはまだ帰る場所があったらしい。実家と、仕事場に。

 

 ……だがダイゴは。

 

 たまに考えてしまう。もし、ダイゴがフランに肉体を返さなかったらどうなっていたのだろう。彼には戸籍がない。透明人間のようなものだ。居ても居なくともこの世界は回るし、きっと彼の不在など世界は気にも留めまい。

 

 それでも自分の人生に一石を投じた人間であった事は間違いなかった。サキは立ち上がって報告書を手にする。

 

「課長、今回の事件ですが――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文庫本を捲る指先の感覚はざらざらとしていて懐かしい。

 

 何度この本を読んだ事だろう。

 

 その度に思い出が蘇り、目頭が熱くなる。それでも涙を流さなくなったのは強くなったからか。それともそういう感情に鈍くなったからか。

 

 妹の孫達が家を駆け回っている。そのうち一人が、「ばあちゃん!」と声にした。

 

「友達連れて来たんだ。いいかな?」

 

 静かに頷く。耳も随分と遠くなってしまった。

 

「こんにちは。本がお好きだと聞いたので、俺も興味があって」

 

 今時、電子書籍ではなく紙の本に興味がある若者は珍しい。文庫本から視線を上げずに若者の声を聞いていた。

 

「どういう本が好きなんだね?」

 

「あなたが読んでいる本も、昔、遠い昔に読んだ事があります。『失われた時を求めて』っていう本ですよね。その本を読んでいた人はこうも言っていました。〝人生にはしおりが必要だ〟って」

 

 ハッとして顔を上げる。

 

 銀髪が窓辺から流れてきた風に揺れ、赤い瞳が自分を映していた。もうすっかり年老いてしまった自分が反射して思わず嘆息をつく。

 

「……随分と長い時間が経ってしまったな」

 

「それでも、覚えていてくれたんですね」

 

 文庫本にしおりを挟む。ずっと使っているミヤコワスレの花のしおりだった。

 

「もうおばあちゃんだぞ、私は」

 

「それでも」

 

 すっと手を差し出される。安楽椅子から立ち上がり、その手を握った。温かな体温に、ああ、と感じる。

 

「本当に、帰ってこられたんだな」

 

「ずっと、言わなければいけないと思っていました。ようやく言える。借り物でなく、俺自身の言葉で」

 

 頬を熱いものが伝う。彼はそっと口にした。

 

「――あなたの事が好きです。サキさん」

 

 彼の腕に抱かれてサキは口にする。

 

「ようやく、分かり合う事が出来た」

 

 窓辺から吹き込んできた風に文庫本が捲られる。

 

 青いしおりが、失われた時に、光を与えた。

 

 

 

 

 

INSANIA ポケットモンスターHEXA5 完

 




あとがきにて完結します。ここまでありがとうございました


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あとがき+

 あとがき

 

 拙作『INSANIA』を読んでくださり、ありがとうございます。

 ヘキササーガ第五部となるこの作品がどうして始まり、そして終わったのか。それを紐解きつつ、こうして不時着できた事への喜びを伝えようと思います。

 そもそも前作『NEMESIS』でやった事がかなり大きかった、というのがありました。オーキド博士の若者時代の第一回ポケモンリーグと言っていたのに、実のところ蓋を開けてみれば別の次元での「オーキド・ユキナリ」の物語であり、なおかつゲームの原作世界とは少し違う話(第三部NOAHで何が起こったのかを知っている方には説明は不要ですがとりあえず説明するとして別次元の話)になってしまったのでそこから先に膨らませようがないのではないか。つまり行き詰ったのではないか、と感じていましたが別段、そんな事はありませんでした。

 別の次元の別のチャンピオンが決まった後の話なら、その後の時代を書けるのではないだろうか。その考えで「では破滅を免れた四十年後、王の血族はどうなっているのか? そもそも人類はどういう形で存続し、ポケモンと共存しているのか?」という命題を掲げた時、ホウエンの地での今回の物語が始まりを告げました。

 ホウエンは今まで取り扱ってこなかったのですがちょうどオメガルビー、アルファサファイアとRSEリメイクが出たタイミングでしたのでちょうどよく、カナズミシティがリメイクされてどうなったのかを確認しながらの執筆となりました。

 しかし意外に分かった事は少なく、ツワブキ家に関する事も公式はあまり言及してきませんでした。

 ならば好き勝手出来るじゃないか、と私はかねてよりやってみたかった「サイコサスペンス」のジャンルに着手しました。

 主人公は記憶喪失の青年、仮称ツワブキ・ダイゴ。肩口に奇妙な刻印「D015」を持っており、記憶がないにもかかわらず初代ツワブキ・ダイゴに瓜二つ……。しかもその背後には巨悪の影が蠢いていて……、と以前の第四部が戦闘パート重視だったので今回は動きのない話になりました。

 動きがない、と言っても戦闘は存在するのでそれなりに楽しめましたが今回、割と大変だったのが「動かないシーン」です。つまり推理シーン。サキがダイゴの正体を少しずつ突き詰めてゆくのは自分でもなかなか困りました。こういうのは読んだ事はあっても書いた事はなかったのです。思いのほか困ったのは途中辺りで、「ダイゴの秘密を知っているのは、こいつとこいつと、あとこいつだったっけ?」と混乱してきました。作者が混乱すれば登場人物も混乱してくるのでとりあえず今分かっている事をわざわざ登場人物の口から言わせる、という駄目っぷり……。とにかく完結したからよかったようなものの、完結しない可能性もありました。

 一番の貢献者は実のところヒグチ・マコとディズィーさんで、この人達は割と動かせたのは、中枢から遠かったからですかね。

 特にディズィーさんは何を知っていてもおかしくないのと、何を推理していても大丈夫なキャラとして成立させました。

 途中にクオンとディズィーの会話するシーンが長ったらしかったのは私が整理する必要があったので、わざと長回しの台詞と動きのないシーンにしました。

 それもこれも、その次の章で待ち受けているデボン突入戦への布石……と書くとカッコイイのですが、実はデボン突入を誰が、どうやって、どこまで、やるのかを全く考えていなかったので(私は大抵考えずに動かすのでその癖が悪く出た形になりました)、とりあえずダイゴに社長室に向かわせておいて例のあの人が出てくるのは、全くのイレギュラーでした。

 例のあの人……今回のキーパーソンであり、前作『NEMESIS』では超ヘタレに負け戦をやってしまった初代ツワブキ・ダイゴ。

 まさかの無限の手数を持つキャラクターになったのはびっくりしました。

 ギリギリに考えついた「預かりシステムに直結する義手義足」がまさかここまで膨れ上がるとは、正直思っていなかったのです。

 後半はちょっとばかし読みやすくなったのでは、と思います。

 というのも、私自身の考え方、書き方にちょっとしたパラダイムシフトが入ったのと、後半はとりあえず巨悪の象徴として初代が出たので分かりやすさに拍車がかかったのではないかと。

 その分、前半の読みにくさが際立ちましたけれどね……。まぁ、これも私の修行不足という事で。

 初代ツワブキ・ダイゴがここまで強キャラになったのはさすがにやり過ぎたか、と思いましたが結構大人数と戦わせたのでいいバランスになったのかもとも思います。

 最後にこの作品で最も被害を被ったキャラクター、ツワブキ・ダイゴ。

 彼は最初こそ記憶喪失のキャラクターとして何も考えず作りましたが、結局のところ第五部そのものが彼の苦悩の物語でした。

 彼は「自分の存在意義とは何なのか」、「そもそも自分は許されているのか」という疑問に板ばさみになるキャラクターで、悩みに悩み抜いての最後の結論だったのだと思います。

 本当の最後に、彼自身、この世界を愛していたのに、別れを告げなければならないのはちょっと書いていて辛かったです。

 生まれ落ちただけでも奇跡、というキャラクターは今までいなかったので今回は死した人々への黙祷よりも、彼が無事、サキの下へと帰れた事への祈りのほうが強いですね。

 人の魂はあるべき形に還れるのか、みたいなのが結局のところテーマだったような気がします。

 冒涜された人と、その存在そのものが奇跡の人。

 同じ名前を因縁として持つ二人の男が己の存在をかけて戦うのが、この第五部だったのだと思います。

 あとこぼれ話をすると、今回、前三部作で幸せになれなかった人達(サキとマコや、フランとコノハ)などが幸せになれるようにしたい、という願いがありました。一応は叶ったのでよしとしておきます。

 しかし、今回一番の収穫はディズィーというちょっと動かしやすいキャラクターではないか、と思っています。彼女のスピンオフ『ディズィーの素敵な冒険』も始まりますのでよろしくお願いします。

 さて、もう知っての通りかもしれませんが(某所ではフライングしたので)第六部が存在します。

 タイトルは『MEMORIA』。波導使いが主人公のお話となります。

 時代設定的にはこの第五部の決着がついてから二年後くらいなので最終的な結末は被らないかと。

 今度はダークヒーローなのでまた書き方がちょっと変わっていますがご容赦を。

 奇跡のような話は、奇跡のような結末を経て――。

「ツワブキ・ダイゴ」という稀人の物語は終わりました。

 

 

 2016年4月5日オンドゥル大使

 

あとがき+

 

 こちらハーメルン版でのあとがきとなります。

 第五部『INSANIA』、いかがだったでしょうか? 少し異色の話しであったとは思っています。

 そもそもポケモン二次と言っておきながらほとんどポケモンが出ず、出ても何らかの血なまぐさいバトルなので、競技バトルを期待している方々からしてみれば、ちょっと期待外れになったかもしれません。

 とはいえ、この作品は最初から「サスペンス」というジャンルで書くことを標榜していましたので特に間違ってはいなかったと思います。

 ですが、部分的に読みにくかったところ、あるいはよくわからなかったところもあるかもしれません。その点に関しては単純に力不足です。すいませんでした。

 そもそも、何でポケモンでサスペンスっぽい作品に挑戦しようと思ったかは、これの前の作品である『NEMESIS』がだいぶ競技バトルと、自分の好き勝手に書いたので、少しだけ枷付といいますか、制限ありきでどこまで描けるかみたいなところを試したかったのもあります。

 これまでやってこなかったジャンルで何ができるか、逆に何ができないのかを見極めるのに、この作品は最適だったのだと思っています。

 前にも書きましたが自分にとって二次創作な大きな実験場のようなものなので、やっていなかったジャンルややらなかった技法などを盛り込んで何か新しいことが生み出せないかと四苦八苦するのが常になってきました。

 これを書いていた頃は、ちょうどそういう自分の挑戦域への難題みたいなものを出すのにはまっていたのだと思います。

 とはいえ無事に完成しましたのでこれはこれでよかったのでしょう。

 作品内容に関しては前のあとがきでほぼほぼ触れたので、こういう自分を取りまく環境に関してのあとがきになってしまいましたが、それお一応ありなのかな、と思いつつ、早々に筆を置こうかと思います。

 最後に、ハーメルンでもちょっとばかし感想をいただけたのは意外でした。ピクシブでもちょっとだけコメントをもらえたりしたので、やはりわからないものだなぁ、と痛感するばかりです。

 ではこれで。

 次はHEXA七部でお会いしましょう。

 

2021年2月13日 オンドゥル大使より

 



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