鬼滅の蠍 (コッコリリン)
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前:雪の中の男

鬼滅の刃×仮面ライダーゼロワンを書いてみました。タイトルから見て主人公は誰なのか知ってる人だと一目瞭然っていう。

タグにもあるように特殊タグ実践作品です。見辛いかもしれませんがご了承ください。

鬼滅の刃は最近読んでアニメ見て映画見たんですがまだまだにわかです。台詞とかがおかしいと思われた方々、申し訳ありませんツッコんだりしてもいいですけど大体は諦めてくださいませ。ゼロワンも同じく。

長々とまえがきで書くのもあれなんで、とりあえず読んで味噌。


 時は大正。日本が西洋文化を取り入れて久しく、人々が新たな生活に馴染み始めた時代。明治時代の頃に発令された廃刀令により刀持つ侍の姿はすでになく、今では洋装と和装両方を取り入れたような大正モダンとも呼ばれる出で立ちの服を纏った人々が闊歩する。

 

 かつて信じられていた魑魅魍魎、妖怪幽霊等々の怪奇は普及し始めた化学の力によって、徐々に人々の意識から消えていき、今や幽霊騒ぎも狂人の戯言と捉われかねない始末である。こんなご時世にそんなバカな話があるものか、と。どうせ都市伝説の域を出ないと笑って済ませる。

 

 バカな話……そう吐き捨てられる話は、表の世界に住まう者たちしかできないもの。

 

 表があれば裏があり、光あるところに闇がある。それは世界とて変わらない。

 

 光の中に住む人々は知らない。闇の中を蠢く人ならざる者たちがいることを。

 

 闇の中からいつ何時、その魔の手がこちらへ伸びて来るかわからないことを。

 

 その魔の手から人々を守るため、誰にも知られることなく姿を消した筈の刀を用いて闇を切り払う者たちがいることを。

 

 

 

 闇住まう人ならざる者にして人を食い、人に仇なす者ども――――“鬼”

 

 

 

 ほとんどがその鬼に愛する者を奪われ、復讐を決意し、そして人を守るために鬼を殺す者たち――――“鬼殺隊”

 

 

 

 これより語るのは、一人の少年が鬼殺隊を目指す切っ掛けとなった話。家族を殺され、妹を救うため、血塗られた修羅の道を歩むこととなる、心優しき少年の話。

 

 

 

 

――――否

 

 

 

 

 それは正史。本来であればそのような歴史を歩む筈であった世界の話。

 

 

 

 これより語られるは、大きく逸れることは無くとも正史にあらず、されど正史となった道筋。

 

 

 

 歴史に突如として発生した歪によって、正史を逸れ、僅かばかりに変化した本来ならば存在しない歴史の話。

 

 

 

 新たな道筋を紡ぐ切っ掛けとなった、人ならざる者の話。

 

 

 

 さぁ、語ろう。

 

 

 

 鬼滅の始まりを。

 

 

 

――――――――――

――――――

――――

 

 

 

 場所は奥多摩郡、雲取山。雪がしんしんと降る昼下がり。秋の暖かな気候は消え、かつて紅葉の葉で色鮮やかな様相を見せていた山は、今では雪で白い化粧をし、木々から葉は消えて深く積もった雪の下に埋もれてしまった。

 

 そんな冷たく凍てついた空気に満ちた山の傾斜。ザクザクと藁靴で覆った足で雪を踏みしめ、背中の空の籠を背負って歩く、赤混じりの黒い髪を後ろで一つに纏め、額の火傷のような痣を隠すことなく顕わにしている少年。黒と緑の市松模様の羽織と、両耳に下げた旭日の絵柄が書かれた花札のような耳飾りを歩くたびに揺らし、時折寒さを凌ぐために首回りに巻いた長い(マフラー)で顔の下半分を隠すように上げる。そうして道の途中で一度「ふぅ」と白い息を吐く。

 

「今日は全部売れたなぁ。みんな喜ぶぞ」

 

 喜色に富んだ声で一人ごちる少年、竈門炭治郎は、家で待つ家族の喜ぶ姿を想像して口角が上がる。歩き慣れているというのもあるのだろうが、雪による足元の不安定さなど感じさせない軽快な足取りで進んでいく。

 

 死んだ父の跡を継ぎ、炭を売り続けてきた炭治郎。三人の弟、二人の妹、母、そして自分を含めた七人家族の大黒柱として、一家を支えて守るという責任感の下、こうして麓の町へ炭を売りに行く。それでも生活は豊かにはならず、貧しい暮らしを続けてきてはいるが、炭治郎はそれが不幸だなどとは露ほども思っていない。例え貧しくとも家族には常に笑顔があり、幸せがある。それこそが炭治郎が頑張る原動力だ。家族を守るためならば、いかなる苦境など炭治郎にとっては恐れるに足らず。

 

 そうして今日もまた、苦労して作った炭を全て売り捌き、無事に帰路に着くことができた。やはりこんな寒い日は炭がよく売れる。これだけ売れれば、今日の夕飯は少し豪華になりそうだと、炭治郎自身の心も弾んだ。

 

 歩き慣れた雪道を進む炭治郎。いつも見ている光景。空から静かに降り続ける冷たい雪が炭治郎の顔に当たる。一瞬だけ目に雪が入り、反射的に顔を横へ向けた。その先は山の木々が積もった雪の中から生えてきているかのような、これもまた見慣れた光景が広がっている。

 

 筈、だったのだが。

 

「……あれ?」

 

 一つ、炭治郎に見覚えのない光景が映り込んだ。木々の中に紛れるように、一つだけ黒い影らしき物が見えた。

 

 折れた木だろうか? 立ち止まった炭治郎は目を凝らしてよく見てみる。

 

 やがて炭治郎は影の正体を掴んだ。黒い影は折れた木ではなく、ましてや動物でもない。

 

「人?」

 

 炭治郎がいる場所からそう遠く離れていない位置に見える影の正体は、人だった。遠目から見てもわかる、黒い着物を纏った人間の姿。白い雪景色の中でその姿は似つかわしくなく、異様とも言える程に目立つ。

 

 何をしているのだろうかと、炭治郎は気になった。同時、もしかすると道に迷ってしまったのかもしれない。そう考えた炭治郎は、迷うことなくいつもの道を外れ、その人物の下へ歩み寄っていく。困っている人間を見捨てることは絶対にしない心の優しい炭治郎にとって、迷い人であるならば到底放置することなどできるわけがなかった。

 

 少し歩いて、改めてその人間の風貌を観察してみる。そして気付く。見れば見る程、その異質さが際立っていた。

 

 性別は男。短い金髪に、長身の身体に纏うのは黒を下地に紫のコントラストが散りばめられ、そこに鮮やかな模様が彫られた着物のような服。それだけでも変わった風貌をしているが、それ以上に異様なのが、左手に持つ黒鞘に納められた日本刀。廃刀令で刀を持つことを禁じられていることは炭治郎とて知っている。なのにこのご時勢に刀を持っているこの男を、炭治郎は警戒する。町でも見かけたことがないのも拍車をかける。

 

 ふと、男の左耳に光る物があることに気付く。耳の形に沿うような独特な形状のピアスが、不自然な緑色に光っている。あれは何なのだろうかと炭次郎は思ったが、考えたところでわからなかった。

 

 やがて炭治郎は男の傍まで歩み寄った。男は先ほどから変わらない、ただ雪降る曇天の空を見上げ、じっと佇んでいるだけだ。頭と肩が雪でうっすらと白く染まっているのを見るに、結構な時間ここにいたのだろうと予想する。その横顔は無表情で、何を考えているのかも伺い知れない。刀を持っている時点で、危ない人物やもしれない。

 

「……あの」

 

 それでもお人好しを絵に描いたような人間である炭治郎は意を決して話しかける。この様子では声をかけても反応がないかもしれないと一瞬だけ考えた。だが炭治郎の予想とは裏腹に、男は声に反応して見上げていた顔を戻して炭治郎へと視線を向けた。

 

(……何だ、この人……)

 

 思わず炭治郎はぎょっとする。男の眼は青く、それでいて人間味を感じられない冷たさがあった。いや、人間味というよりも、人間とは思えないような、そんな妙な感覚だ。

 

 それだけであれば、氷のような冷酷さを感じさせる人間と捉えられただろう。だが炭治郎はそうは思わなかった。

 

(不思議な匂いのする人だ……)

 

 炭治郎の鼻は特殊だ。それこそ獣じみた、いや、獣を超える程の超人的嗅覚と言っても過言ではない。だが物理的な意味合いに留まらず、その人の心理面、人格すらも匂いで判断できてしまう。つまり、初対面の人間が善人か悪人か、目の前の人間が嘘をついているかいないのか、炭治郎にはわかってしまう。

 

 その嗅覚が、目の前の男を異質だと訴えている。まず人間特有の匂いがしない。寧ろ、なんだか鉄と油のような、そんな匂いがする。見た目は完全に人間の筈なのに、どういうことだろうか? 炭治郎は疑問に思いつつも、一つだけ確信していることがある。

 

 見た目に反してこの人は悪人ではない、ということだ。

 

 刀を持っているし、異様な風貌であるし、冷たい眼をしているし、匂いも人間とは違う不思議な物だ。怪しむ要素が多すぎる。

 

 だがそんな匂いの中、まるで決して表に出ることはない、優しさを感じさせる匂いを感じ取った。まるで冷たさを感じさせる鋼鉄の箱の中に閉じ込めているかのようだ。

 

 どこかで嗅いだことのある匂い……しかしそれが何なのか、炭治郎には思い出せない。

 

 何にせよ、声をかけたのに黙っているわけにはいかず、炭治郎は振り向いた男に言葉を続けた。

 

「こんなところで何をしているんですか?」

 

 服装からして雪山へ赴くための装備ではないことは確かだが、だとすると何故ここにいるのかと、炭治郎は問うてみる。

 

「…………」

 

 だが、男は答えない。ただじっと、無言で青い眼を炭治郎へ向けているだけだ。「えっと……」と炭治郎はその視線の圧を感じて戸惑う。

 

 言葉が通じないのだろうか。顔立ちは日本人のようだが、金髪であるのを見るに外国人かもしれない。だとするとどう言葉を続けたものかと、炭治郎は頭を抱えそうになった。

 

「……お前は誰だ」

 

 が、男は抑揚のない、しかし流暢な日本語で炭治郎に質問をする。言葉が通じたことに安堵を覚えながら、炭治郎は男の質問に答えた。

 

「俺は竈門炭治郎と言います。この山で炭売りとして暮らしているんです。あなたは?」

 

 自己紹介をする炭治郎。そして今度は男の名を聞いてみた。

 

「……俺は……」

 

 ボーっとしているようなそんな声で、男は言った。

 

 

 

 

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「俺は……誰だ」

 

 

 

 

 ここから物語は歪みを見せる。もし竈門炭治郎がこの男を見つけることがなければ、或いは声をかけることがなければ……物語は本来通りの道筋を辿っていたのは間違いない。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ただいま!」

 

 山の中に建てられた小さな一軒家。その家の前で炭治郎の弟、次男の竹雄と三男の茂、そして妹の花子が雪で遊んでいるのを見て、炭治郎は声を掛けた。

 

「あ、兄ちゃんおかえり!」

 

「「おかえりー!」」

 

 長男が帰ってきたことで、三人はパッと明るい顔で炭治郎に駆け寄る。が、その足は途中で止まった。

 

「えっと……兄ちゃん、その人は?」

 

 竹雄は視線を炭治郎から外し、その後ろを見ながら怯えを滲ませて兄に問う。

 

「ああ、この人は……その、山の中で迷っていたんだ。色々事情があるみたいで」

 

 炭治郎はそう言いながら、後ろに立つ男のことを説明した。

 

 竈門炭治郎は麓の町でも知らない者はいないとされている程にお人好しだ。例えどんな相手であろうと、人助けに全力を出す。そして相手が喜んでくれると、自分もまた嬉しくなる、そんな人間だ。故に、例え刀を手にしている男であったとしても、途方に暮れていれば手を差し伸べることに抵抗はない。

 

 ただ、何も考え無しに助けたわけではない。この人は悪人ではない……そう確信しているからこそ、炭治郎は男をここへ連れてきたのだった。

 

 そして当の男は、いまだ感情のない顔で竹雄と茂と花子を見る。冷たさを感じさせる男の視線に耐えられず、茂と花子は竹雄の後ろに隠れてしまった。

 

「竹雄、母さんに話してお湯を沸かして欲しいって伝えてきてくれないか? この人、身体がすごく冷たいんだ」

 

「う、うん……わかった」

 

 炭治郎に頼まれたとあっては、三人も断れない。男から離れるように、竹雄は弟と妹を連れて家へと駆けこんでいった。

 

「……すいません、やっぱりちょっと警戒してるみたいで」

 

 悪気はないのだが、やはり見慣れない上に刀を手にしているのだから、怯えるのも無理はないのだろう。それでも気分を害したかもしれないと思い、炭治郎は弟たちに代わって男に謝罪した。

 

「……いや……」

 

 意に返すことなく、男はただ一言そう呟く。怒っていない様子で、炭治郎はホッと安堵した。

 

 いつまでも寒い外にいては風邪を引いてしまうと考えた炭治郎は、頭を肩の雪を叩き落としてから男を連れて家の敷居を跨いだ。

 

「ただいま、母さん、禰豆子」

 

「おかえり、炭治郎」

 

「おかえりなさいお兄ちゃん!」

 

 炭治郎が入ってすぐ、竈の前に屈んでいた炭治郎の母、葵枝と、鍋に火をかけていた一番上の妹である禰豆子が出迎えてくれた。母と並んでいるのを見ると、禰豆子も母親に似て随分と美人になったと、炭治郎は場違いながらしみじみそう思った。そしていつもなら相も変わらない温和な笑みで炭治郎を労わるところだったが、竹雄から話を聞いていた二人は男を招き入れる。

 

「この雪の中、さぞ寒かったでしょう。どうぞお入りください」

 

「……ああ」

 

「はい、お兄ちゃん」

 

「ああ、ありがとう禰豆子」

 

 親切な葵枝の言葉に、男は変わらず平坦な声で促されるがままに竈門家へと足を踏み入れる。炭治郎は禰豆子から雪によって湿った頭を拭くための手ぬぐいを手渡された。次に男の方にも手ぬぐいを差し出す。

 

「はい、どうぞ」

 

「…………」

 

 手ぬぐいを受け取り、しばしそれを眺めていた男は、炭治郎が頭を拭いているのを見て、自らも同じように動く。やがて炭治郎が拭き終えると同時、男も同じような動きで頭から手ぬぐいを離した。

 

「……プッ」

 

「え、何? どうした禰豆子?」

 

「…………」

 

 まんま同じ動きをトレースしている男の姿に、禰豆子は失礼とわかっていながらもこらえきれずに吹き出してしまった。傍で見ていた葵枝も吹き出すのを堪えている様子で、炭治郎はキョトンとする。男は変わらず無表情だった。

 

 

 

 

 

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「……記憶が、無い?」

 

「うん、どうもそうらしいんだ」

 

「まぁ……」

 

 ようやく一心地着き、火のかかった囲炉裏の熱が行き渡る暖かい我が家へと帰って来た炭治郎。しかし男のことについて説明しなければならず、雪山の中を一人佇んでいたという話を家族に話した。

 

 彼が、どこから来たのかということ、自らの名すらも忘れてしまっているということも。

 

 つまり、男は記憶喪失を患っているということだ。話を聞き、葵枝と禰豆子は驚き、そして気の毒そうな目で男を見た。当の男はというと、畳の上で胡坐をかいたまま、冷えた身体を温めるためにと白湯の入った湯呑を手に持ち、じっと湯気立つ水面を見つめていた。

 

「ねぇ、飲まないのー?」

 

「六太……!」

 

 それが奇妙に思ったのか、先ほどまで眠っていた家族の中で一番幼い四男の六太が男に問いかける。ずっと変わらない表情でいる男を不気味に思った竹雄が焦る。

 

「……」

 

 男は六太の質問に答えず、ただ白湯を見つめているだけ。何故飲まないのだろうか? 六太だけでなく、竈門家全員がそう疑問に思っていた。

 

「……もしかして、白湯はお嫌いですか?」

 

 禰豆子がおずおずと男に聞く。嫌いなのであれば飲まないのも納得がいくが……。

 

「……いや」

 

 が、男の返答は否定。嫌いでないのならば何故なのだろうか。

 

「あ、じゃあ飲めないとか?」

 

 そこをまたしても無邪気に聞く六太と止めようとする竹雄。

 

「……ああ」

 

 ところが、返ってきた答えは肯定。まさかの事実に、炭治郎たちは慌てた。

 

「ご、ごめんなさい! まさか飲めないって思わなくて……」

 

 何故飲めないのかとか、そういった疑問はある。だが飲めない物を差し出してしまったという事実に、禰豆子は申し訳なく思い、男に謝罪する。

 

「……気にしなくていい」

 

 そんな彼らを見て、男は変わらず無表情で言った。ここに来て初めて簡素な返事しかしてこなかった男が紡いだ言葉。初めて聞いた禰豆子たちは驚いて一瞬固まった。

 

 ならばせめてと、暖を取るために寝具の布団を身体にかけてやることで男の冷たい身体を温めることにした。効果ぎ出るかはわからないが、何もしないよりかはマシだろう。

 

「う~ん……本当に何も覚えてないんですか?」

 

「……ああ」

 

 気を取り直し、炭治郎は何か記憶に引っかかるものはないかと尋ねてみる。男はこんもりしたと覆われた布団のせいで籠った声のまま短く返答する。まるでミノムシみたいな不格好な姿だが、男は気にも留めない様子だった。

 

「何か持ち物とか……そういうのは無いかしら?」

 

 所持品を見れば記憶が刺激されて何か思い出すかもしれない。そう考えた葵枝が提案する。男はしばし無言だったが、布団の中でモゾモゾと動き出す。そして布団から出てきた手の上に何かが乗っていた。

 

「これは……」

 

 それは炭治郎たちにも見慣れない物だった。左手に乗っている物体は、黒い金属に銀色や黄色のパーツのような物が付けられたような歪な物。左下に黄色い取っ手のようなレバーが付いているが、それが何なのかよくわからない。

 

 そして右手に乗っている掌サイズの分厚い板のような物。紫色の毒々しい色合いの板の中心には独特な形で描かれた虫か何かの生物の絵柄と、その上に見慣れない文字が綴られている。以前、炭治郎は村の住人が異国の商人から買い取ったと自慢気に見せてくれた時に、その品に書かれていた文字とどこか似ているのを思い出す。あれは確か異国の文字で『英語』と呼ばれていたか。ただ、その文字の名称は知っていても、読み取ることまではできない。

 

「なにこれー? もしかしておもちゃ?」

 

「こら、迂闊に触っちゃダメ!」

 

 覗き込んでいた六太が触ろうとするのを花子が止める。六太だけでなく、家族全員がその見慣れない物に強い興味を示していた。六太の言う通り、異国の変わった玩具なのかもしれないが、それも憶測の域を出ない。

 

 対し、男は二つのそれをじっと見つめている。何か記憶に引っかかるのかもしれないと炭治郎は男の顔を見つめていたが、見つめているだけで変化はなかった。

 

 

 

 

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「何か思い出せました?」

 

 男の様子から見て、望み薄だろうとは思えども声をかけずにはいられず、炭治郎は問うてみる。案の定、男は力なく首を横に振った。

 

「……いや」

 

「そう、ですか……」

 

 自分のことではないのに、しょんぼりと落ち込む炭治郎。男は両手の物を持ったまま布団の中へと手を引っ込めた。この様子では、自分が所持していた物の説明もできそうにないだろう。

 

 さて、記憶が取り戻せなかったとなると、どうするか……問題はそこだった。

 

「……母さん、どうしよう?」

 

 炭治郎は母に助言を求める。その眼はどこか縋るような物だった。

 

 炭治郎としては、彼をここまで連れて来た手前『はいさようなら』と言って放り出すのは激しく抵抗がある。というよりも、炭治郎としてはそれは考えたくなかった。麓の町まで送り届けるという案もあったが、果たして記憶を失った彼を受け入れてくれる場所があるかどうかもわからない。記憶を無くした影響か、男は感情をどこかに置き忘れてしまっているかのような、幽鬼めいた儚さを感じる。そんな彼がこの先、行き倒れないとも限らない。

 

 となると、残された案は一つしかなく。

 

「……そうね。炭治郎が連れてきたのだから、悪い人ではないだろうし」

 

 葵枝も炭治郎と同じ考えをしていたのか、頬に手を当ててしばし考える素振りを見せる。炭治郎のみならず、竈門家の住人はみんな善意の塊のような人間性をしている。そんな家族の母親である彼女が出した結論もまた、炭治郎が考えていたことと同様だった。

 

「どう? 彼の記憶が残るまで、ここにいてもらうというのは?」

 

 葵枝が家族に出した提案は、彼をここにしばらくの間住まわせるということ。刀を持った危険人物とも取れる風貌をしていながら、その提案を出すということはある意味無謀に映るかもしれない。だが彼女は炭治郎の嗅覚が、その人の気質を見抜くことを知っている。だからこそ、その提案を出すのに何の抵抗もなかった。

 

「私は大丈夫だよ。お母さんも言ってたけど、お兄ちゃんが連れて来た人なら、大丈夫だろうし」

 

「う~ん……母ちゃんが言うなら」

 

「わ、私も……大丈夫、だと思う」

 

「う、うん」

 

 禰豆子を筆頭に、弟たちも男をここにしばしの間住まわせることを了承する。六太はというと、途中で眠気に襲われたのか、母の膝を枕にして寝息をたてていた。まぁ、多分彼も許してくれるだろう。男に対して警戒心のようなものは抱いている様子は見られなかったし。

 

「あなたはどうですか? 見ての通り、私たちはあなたがここにいてもいいんですけれど」

 

「…………」

 

 男は無言。だが目は葵枝へと向けられている。まるで熟考しているようにも見えるが、やがて男は小さく頷いた。つまり、彼女の提案に同意した、ということに他ならない。

 

 それを見て、炭治郎はよかったと安堵する。彼の態度を見るに自分の意思があるのかどうかも疑わしいところだが、この雪山の中を一人彷徨わせることにならずに済んだ。

 

「じゃあ、今日からよろしくお願いします! 大丈夫、記憶はゆっくり取り戻していけばいいですから!」

 

「……ああ」

 

 炭治郎は日のような明るい笑顔で、男を元気づけるために言う。天真爛漫な炭治郎とは対照的に、男はいまだ表情を作ることはなく。しかし炭治郎の励ましに対し、ボソリと、出会った時と変わらない平坦な声で答えた。

 

(……ただ、竹雄たちが仲良くできるかどうかだけれど……)

 

 そんな彼を見て、炭治郎は一株の不安を覚える。下の弟たちは、いまだ男に対して警戒心を解こうとしていない。竹雄はやや険しい眼で男を見ているし、花子と茂も怯えた表情を見せている。炭治郎としては、一時期とは言えど共に住まうことになるのだから、仲良くして欲しいところなのだが……。

 

 

 

 まぁ、その不安も一週間もすれば杞憂に終わるのだが。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「わぁ! 雪介(ゆきすけ)にいちゃんすごーい! たかーい!」

 

「次! 次わたしもやってー!」

 

「あー! 花子ねえちゃんずるい!」

 

「三人とも、その辺にしとけって! 雪介にいちゃん困るだろ!」

 

「いや……構わない」

 

 家の前で、弟たちの楽しそうな声が響く。彼らの中心には一週間前に記憶喪失で山の中に佇んでいた男こと『雪介』の姿。その肩の上に乗った六太が、その高い景色を眺めてはしゃぐ。雪は止んでいても寒さは変わらず、しかしそれでも雪の中で遊びに精を出す幼い子供たちを相手に、雪介は嫌な顔一つ、疲れた表情一つ見せず(かといって楽しんでいる風にも見えないが)に付き合っていた。

 

「すっかり馴染んだねぇ、雪介さん」

 

「うん。みんなも懐いてくれて本当によかった」

 

 その光景を家の縁側で微笑ましく眺めている禰豆子と炭治郎。思いの外あっさりとみんな受け入れてくれて半ば拍子抜けしたが、ずっと警戒されるよりかはずっといい。

 

 弟たちが懐いた切っ掛けを炭治郎は思い出す。雪介が訪れてから三日目、炭治郎が炭の材料となる材木を切りに山へ赴いたところ、雪で足を滑らせてしまい足を捻ってしまった時のこと。いつまで経っても帰ってこない炭治郎を案じた家族と共に雪介が探しに来てくれて、炭治郎を軽々と背負い、家へと連れて帰ってくれた。兄が無事に帰って来てくれたことを家族みんなが喜び、雪介のことを本当の意味で受け入れてくれた瞬間でもあった。今でも炭治郎は、あの時の雪介の冷たくも広い背中に揺られ、何故か懐かしい気持ちになったのを思い出す。

 

 尚、雪介という名は男の本名ではなく、仮の名前だ。ずっと名無しでは不便だろうということで、記憶がない間は仮名で過ごしてもらうことにしたのだが、竹雄の『雪の中にいたんだから雪介とかそんなんでいいんじゃない?』という適当丸出しな感じの一言をちょうど目覚めた六太が聞いて、彼を雪介であると覚えてしまったことからそう呼ぶようになった。そんな犬猫に名前を付けるんじゃないんだから、と炭治郎たちは呆れたが、当の本人が否定も肯定もしなかったために、結局雪介という名が定着した。

 

「ええ。それに力仕事もこなしてくれて、本当助かるわ」

 

 そう言って、葵枝はお茶が入った湯呑に口を付けた。

 

 雪介はよく働いてくれた。ある日、竹雄の仕事を手伝ってあげて欲しいと葵枝が雪介に頼んだところ『ああ』と言って竹雄と共に薪割りをしたのだが、最初こそ竹雄が薪割りの仕方を教えてやったところ、あっという間に薪割りをこなしてみせた。薪割りというものは簡単なようで意外とコツがいる。それを一目見てあっさりできた雪介に、竹雄が『なんか俺より上手くなった』と不服な顔でぼやいていたのを見て、不覚にも笑ってしまった。

 

 それからも、炭治郎と共に木を切る時もすぐに要領を掴んで木を切り倒したり、切った木だけでなく川へ水を汲みに行く時も重い水桶を軽々と運んだりと、雪介は物覚えのよさに加えて力の強さも見せてくれた。ただ一つ気になることと言えば、竹雄と炭治郎が仕事の仕方を教えたり、禰豆子と葵枝が山菜の種類を教えたりすると『ラーニング完了』と呟くのだ。らーにんぐ、という言葉の意味はわからないが、彼なりの(まじな)いか何かだろうか。

 

「……けど、記憶が戻る気配はないね」

 

 禰豆子がやや沈んだ顔でポツリと呟いた。炭治郎もそれに同意し、小さく「うん」と頷く。

 

 雪介の記憶はいまだ戻らない。最初に会った頃よりかは言葉は増えたし、家族の仕事を率先してやってくれはするが、それでも彼の記憶が戻る兆しは見えない。雪介がそれで落ち込んだりする様子は見られないが、心の内ではどう思っているのか、炭治郎たちにはわからない。

 

 しかし、それとは別に他に懸念していることがある。それは雪介の体質についてだ。

 

 雪介は食事を摂ろうとしない……否、摂れないらしい。初めての夕食時、歓迎の意味も込めていつものよりやや豪勢な夕食を雪介の前に出したのだが、本人は頑なに食べようとしない。水も飲むこともなく、最初は衰弱のあまりに食べれないのかと炭治郎は心配した。だが次の日も、また次の日も食べようとしない。禰豆子が食べさせてあげようとしたが、雪介は『すまない』の一言で拒否。どうやら食べないのではなく、食べられないということらしい。彼の口から語られたことはないが、食物や水を受け付けない体質なのだと、炭治郎たちは当たりをつけ、このままでは彼の健康に異常が出てしまうのではないかと不安を覚えた。

 

 にも関わらず、炭治郎たちの不安を他所に、彼の身体は弱ることもなく、力仕事もこなせるし、今こうして弟たちの相手もしてくれている。普通、栄養を摂らなければ倒れてしまうというのに。身体も温まることはなく、ずっと冷たいままだ。それもまた奇怪さに拍車をかける。

 

 眠っている時もそうだ。家族が布団の中で寝静まる中、雪介は与えられた布団に入ることなく、壁にもたれかかって目を閉じて微動だにしなかったのを炭治郎は思い出す。胸も上下せず、呼吸をしていないのが見て取れ、慌てて起こしたら普通に目を開けて『なんだ?』と平然としていた。死んだのかと焦っていた炭治郎は驚いて声を上げてしまい、起きた葵枝に叱られてしまった。

 

 共に生活すればするほど、彼に対する謎が深まるばかり。彼が所持していた物品は謎に包まれているが、どれも見たことのない物。異国の品を扱う商人かとも思ったが、それだと刀を持っていた理由に説明がつかない。少なくとも身なりはよかったから、もしかするとどこかの華族の一人なのではないだろうか? 或いは目の色からどこか異国の人間かもしれない。様々な憶測が飛び交うも、それらはやはり憶測でしかなく、記憶のない本人から説明がない以上、確証は得られなかった。

 

 或いは、その体質上から人間ですらないのでは……とも一瞬考えたが、そんなバカな話があるかとすぐに否定した。

 

「まぁ、いいじゃないか。雪介さんもきっとそのうち記憶が戻るからさ」

 

 そう炭治郎は明るく言う。焦る必要はない。いつかきっと記憶は戻ると信じて、炭治郎はもう一度、弟たちに囲まれている雪介を見る。

 

 相変わらず、鉄と油の独特な匂いがする。しかしその匂いの中に仄かに感じる心安らぐ匂い。その匂いをつい最近まで嗅いだことがある気がしたのだが、前述した二つの匂いのせいで思い出そうにも思い出せないもどかしさを覚える。

 

 けど、その匂いがあるからこそ、炭治郎は色々な謎を抱えている雪介のことを信じられた。

 

 

 

 

――――メモリー修復率:34%

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

「よっと」

 

 炭焼き職人である炭治郎の朝は早い。売り物である炭を作るために窯に木材を積んでいき、点火する。火の様子を見るため、炭治郎は窯から離れずに作業を続ける。手慣れた手つきで進めていきながら、窯の中から放たれる高熱で噴き出す汗を腕で拭う。気温は寒いというのに、炭治郎の周りだけ夏が来たみたいだ。

 

「ふぅ」

 

 一息つき、炭治郎は姿勢を楽にする。と、そこへ雪を踏みしめる音が炭治郎の耳に届く。

 

「朝から精が出るな」

 

 声がした方へ振り向くと、黒い服を着た竈門家の者ではない、しかし今やもう見慣れた男が炭治郎へと歩み寄って来ていた。

 

「あぁ、雪介さん。おはようございます」

 

「ああ」

 

 男、雪介に気付いた炭治郎がいつもの明るい笑顔で挨拶をする。雪介は笑顔こそ返さないものの、不愛想に返事をしてくれた。冷たい表情も相変わらずだが、最初に会った頃よりも会話が成り立っていることに炭治郎は嬉しく思った。

 

「……朝から辛くないのか」

 

 ふと、雪介は炭治郎の前にある窯を見ながら聞いてきた。普段は雪介から何かを聞いてくることはあまりないため、炭治郎は少し驚きながらも笑顔で答える。

 

「全然、そんなことないですよ。それにこれも、家族を養うために必要なことですから!」

 

 心からの言葉だ。家族のために頑張る炭治郎にとって、このような仕事はお茶の子さいさいである。

 

「家族……」

 

 

 

 

――――メモリー修復率:54%

 

 

 

 

 雪介は、家族という言葉に反応する。視線を落とし、しばし何か考える仕草を見せたが、それも一瞬だった。

 

「お前は、まだ子供だろう。どうしてそこまでして頑張ろうと思える」

 

 雪介にとって、それは当たり前な質問でもあった。この家族は暖かい。しかし、決定的に足りないものがある。

 

 それは父親。彼らにとっての大黒柱とも言うべき存在がいない。

 

 炭治郎はまだ13歳。まだまだ親に甘えたいと思える時期だ。精神が成熟していると言えばそれまでだが、雪介の目から見ていると、どうにも頑張り過ぎているようにも見えたのだろう。

 

「え? どうしてって……」

 

 問われた炭治郎は、最初きょとんとしていた。雪介の言葉の意味をしばし考え、そして口を開く。

 

「俺は長男だから、父さんに代わって皆を守らなきゃいけないんです」

 

「代わって……?」

 

「はい……俺の父さんは病気で亡くなったんです」

 

「……」

 

 あっさりと答える炭治郎。しかしその声には悲しみの色が滲んでいる。それに気付いた雪介は、顔は変わらずとも言葉に詰まったように押し黙ってしまった。

 

「最初は俺も……いや、俺だけじゃなくって、家族みんなが悲しかった。けど、このままじゃいけないって思って、父さんの分は長男の俺が頑張るって、家族みんなを幸せにするって決めたんです。だから多少のことじゃ、俺はへこたれませんよ」

 

 自信をもって、炭治郎は雪介に答える。病弱で、それでも優しさを忘れなかった父親をずっと見てきた炭治郎。父から教わった炭焼きの技術を受け継ぎ、こうして家族の大黒柱となって日々を生きていくことに、何の苦しみがあろうかと、心の底からそう思っている。

 

 じっと、雪介は炭治郎を見つめる。そしておもむろに開いた口から、意外な言葉が出てきた。

 

「……家族の幸せが、お前の夢か?」

 

「え、夢?」

 

 雪介は変わらない表情で唐突にそんな問いを投げかけてくる。何を思ってそんなことを聞いて来たのかわからず、炭治郎は首を傾げる。

 

 冷たく、無機質な瞳が炭治郎を射抜く。睨んでいるというわけではない筈なのに、彼のことを知らない人間がいれば、それだけで怯えてしまうだろう。ただ、炭治郎はすっかり彼のそんな視線に慣れてしまった。何を考えているかわからないが、それでも彼のことを悪くは思わない。

 

「う~ん……夢っていうには大袈裟だと思うけど、そうですね。うん! 俺の夢は家族とずっと幸せに暮らすことです」

 

 故に、雪介のその問いに対し、照れてはにかみながらもそうはっきりと答えた。

 

「……そうか」

 

 出会った時のような短い反応。炭治郎の答えに満足しているかはわからない。それに苦笑し、炭治郎はスコップを手に取った。

 

「さ、仕事に戻らないと。雪介さんも寒いから家に入っていた方が」

 

 そう雪介の身体を案じて言おうとした時、

 

 

 

 

――――メモリー修復率:68%

 

 

 

 

「……え?」

 

 ポンと、炭治郎の頭の上に何かを置かれた。

 

 冷たい感触。それが最初、炭次郎は何かわからなかった。視線を雪介を向けると、雪介が炭治郎へ手を伸ばしている。それを見て、炭治郎は自分が頭を撫でられているのだと気付いた。

 

「……」

 

「あ、あの……?」

 

 雪介の突然の行動に理解が追い付かなかった炭治郎は、驚愕に目を見開いたまま雪介を見つめる。雪介は無言無表情のまま、炭治郎の髪をゆっくりと撫でていく。

 

 体温の感じられない、冷たい掌。しかし不思議と嫌な気分を感じない。

 

 ふと、炭治郎の鼻が違和感を覚える。雪介から漂っていた鉄と油の匂い。それが頭を撫でているその間だけ感じ取れず、今まで隠れていたような優しい匂いだけが炭治郎の嗅覚に届いた。

 

「あ……」

 

 そして、その匂いが何なのか気付く。今の今まで思い出せなかったその匂い。暖かく、心が和らいでいくような……自分の全てを受け入れてくれるような匂い。

 

(……父さん?)

 

 幼い炭治郎を抱きしめてくれた父の腕。遊び疲れて眠ってしまった炭治郎をおぶって家まで連れて帰ってくれた父の背中。弱々しくも優しいお日様のような微笑み。

 

 いつも父から漂うのは炭の匂いと、優しさと温もりに溢れた匂いだった。死に瀕する時も、ずっとその匂いは変わらなかった。

 

 何で忘れていたんだろう。何で思い出せなかったんだろう。頭の中でグルグルとその疑問が回る。しかし、それ以上に炭治郎の心を支配したのは、別の物。

 

「―――――っ!」

 

 ジワリ。涙腺が緩む。それに気付いた炭次郎はハッとして、服の袖で目元を拭った。

 

「……すまん」

 

 それを雪介は気分を害してしまったと思ったのか、そっと手を離す。匂いは薄れ、再び鉄と油の匂いの中に隠れてしまった。

 

「い、いえ! すいません、情けないところ見せてしまいました! もう大丈夫です、はい!」

 

 少し目元が赤い炭治郎は声高に言う。まるで何かを誤魔化すかのような雰囲気だった。

 

 その後、炭治郎は炭焼き作業へと戻る。雪介は邪魔にならないようにと思ったのか、背を向けて家へと戻っていく。

 

「……雪介さん!」

 

「……?」

 

 が、その途中で炭治郎に呼び止められる。振る向けば、いつもと変わらない、太陽のような明るい笑みを湛えた炭治郎の顔。

 

「雪介さんも家族だって、俺は、いや、みんな思ってますから!」

 

「…………」

 

 その言葉を聞いて、雪介はただじっと炭治郎を見る。しばしの沈黙と静寂。それを破るように、雪介は炭治郎に再び背を向け、

 

「……好きにしろ」

 

 そう、呟くのだった。

 

 

 

――――メモリー修復率:85%

 

 

 

 




尚長編ではなく中編なのであしからず。


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中:悪 意 滅 殺

鬼滅の刃は最初にハマったおかんとお姉がアニメ見てたんで、流れで私も見てました。いい兄妹愛だ、感動的だな。だが無意味じゃない。

前回、炭治郎の両親の呼び方についてツッコミ入れられました。一巻見てると間違ってないと思ってたんですけど、どうやら違うみたいで……まだまだ読み込み甘かったです。申し訳ナス!

とゆーわけで今回のお話のあらすじを一言。



『やったれとーちゃん!!』


 竈門家に記憶喪失の男、雪介が厄介になって幾ばくもの時が過ぎた。雪介はもはや竈門家の一員としてすでに受け入れられているように溶け込み、炭治郎の次に頼られる存在となった。

 

 時には炭治郎と竹雄、茂と共に荷車に炭を乗せて麓の町まで赴いては、帰りの荷車に竹雄と茂を乗せて悠々と山道を歩き、竹雄と茂のはしゃぎ声を山の中に響かせながら炭治郎を苦笑させたり。

 

 時には葵枝と禰豆子と共に山菜を採りに行き、深雪に足を取られて顔から思いきり雪に突っ込んでしまった際に二人に助け起こされるも、相変わらず変わらない表情のまま顔中雪だらけにし、それがおかしかったのか葵枝と禰豆子に笑われたり。

 

 時には水汲みの時に重い水桶を両手と頭の上に乗せ、絶妙なバランス感覚で歩いて兄や弟たちから賞賛を受けたことでちょっと嫉妬した竹雄が同じようなことをやってみせようとしたところ、冷たい水を頭から被ってしまったり。

 

 時には花子と茂と六太が雪遊びに誘い、一緒にかまくらを作っていると見事なまでのかまくらが完成して子供たちに大ウケし、その中で雪うさぎをいくつも作ってすごしたり。

 

 時には葵枝と共に料理の手伝いをする際、葵枝から予備の割烹着を手渡されてそれを纏ったところ、妙に似合っているということで竈門家では評判になったり。

 

 食事を必要とせず、そしていまだ記憶が戻らない雪介は、それでも竈門家にとって単なる居候という枠に収まらない、そして父が死んだことによって空いた隙間を埋めてくれるかけがえのない存在へとなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

「炭治郎」

 

 ある雪の降る朝、炭治郎はいつものように炭を売り歩くために籠一杯の炭を背負い、家を出る。直後、背中に母の葵枝の声がかかり、振り向いた。

 

「顔が真っ黒じゃないの。こっちにおいで」

 

「ん」

 

 困ったように言いながら、炭治郎の顔を拭いてやる葵枝。少し気恥ずかしい思いをしながら、炭治郎は母の親切を素直に受け取る。

 

「雪が降って危ないから行かなくてもいいんだよ?」

 

 拭きながらそう言って、心配を隠すことなく葵枝は炭治郎を労わる。確かに急いで売りに行く必要はないかもしれない。しかし炭治郎は母の心配に心の中で謝りながら、はっきりと伝えた。

 

「正月になったらみんなに腹いっぱい食べさせてやりたいし……少しでも炭を売って来るよ」

 

「……ありがとう」

 

 炭治郎の優しい心遣いに申し訳なさそうな、しかし嬉しそうな気持ちの入り混じった複雑な顔を浮かべる葵枝。そこまで言うならと、もう炭治郎を止めることはしなかった。

 

「にいちゃん、今日も町に行くの!?」

 

「私も行くー!」

 

 と、そこへ炭治郎が出かけようとしているのを見て、茂と花子が駆け寄ってきた。

 

「ダメよ。炭治郎みたいに早く歩けないでしょ?」

 

「え~!? でも母ちゃん!」

 

「ダメ。今日は荷車を引いて行かないから途中で乗せてもらって休んだりできないのよ」

 

 駄々をこねる二人を葵枝が窘めた。今日は雪が深い。確かにこんな中で荷車は引いてなど行けないし、休んだりしたら寒さで風邪を引いてもおかしくない。

 

 母に言われ納得できないという顔で「ちぇー」と言う茂と花子だったが、大人しく言うことを聞くことにしたらしく、一緒に行きたいとはもう言い出さなかった。

 

「竹雄、できる範囲で構わないから木を切っておいてくれ」

 

「そりゃあやるけどさぁ……一緒にやると思ってたのにさぁ……」

 

 炭治郎は竹雄に頼む。竹雄は茂と花子のように我儘を言ったりはしなかったが、それでもどこか拗ねたような顔をしていた。

 

「まぁ、いいや。後で雪介にいちゃんに頼もうっと」

 

 代替案として、炭治郎の代わりにもう一人の兄のようで父のような男に頼むことにした竹雄。まぁそれでもいいかと、炭治郎は苦笑した。

 

「早く帰ってきてねー!」

 

「気を付けてねー!」

 

 家族に見送られ、炭治郎は手を振って歩き出す。美味い物を買って帰ってやろうと考えながら、ザクザクと雪を踏みしめていく。

 

「あ、お兄ちゃん」

 

 その途中、禰豆子が炭治郎に声をかけた。その横には寒さ除けの羽織を纏いながら背中で眠る六太を寝かしつけている雪介の姿。冷たいまでの無表情なのに、乳母のような出で立ちという雪介が妙に滑稽に映り、炭治郎は内心笑いを堪えた。

 

「禰豆子、雪介さん」

 

「炭売りか」

 

「はい、みんなに美味い物を食べて欲しいから」

 

 雪介の言葉に笑みと共に返す。背中の六太が身じろぎすると、雪介が手慣れたように背負い直した。

 

「雪介さんは六太を寝かしつけてくれたんですね」

 

「……ああ」

 

「お兄ちゃんがいなくなったって知ると大騒ぎするから」

 

 言って、禰豆子は雪介の背中で寝息をたてる六太を優しく撫でた。

 

「お父さんが死んじゃって寂しいのよね……ずっとお兄ちゃんについて回るようになった」

 

「けど、雪介さんが来てくれてから前よりも落ち着いたよ。本当に雪介さんによく懐いてる」

 

 それにちょっぴりやきもちを焼きながらも、感謝を込めて雪介に言う炭治郎。

 

「……そうか」

 

 禰豆子と炭治郎は、短くそう言った雪介を見てクスクス笑う。本人はどう思っているのかわからないが、その仕草はどこか照れているようにも見えてしまった。

 

 生前の父と雪介は顔も性格も似ても似つかない。しかしぶっきらぼうなようで面倒見のいいその性格に、六太は父の影を見い出したのだろう。かくいう炭治郎も禰豆子も、竹雄たちも同様だ。

 

 雪介の存在はありがたい。できることならずっと一緒にて欲しいところだが、いつ記憶が戻るとも限らない。その時、雪介はここから離れていってしまうかもしれない。致し方ないことではある。けれども、竈門家にとってそれはとても寂しいことに違いなかった。

 

 そんないつかのことを考えた炭治郎は、暗い気持ちを振り払った。

 

「そうだ、雪介さん。後で竹雄と木を切るのを手伝ってあげてくれませんか?」

 

「……わかった」

 

 小さく頷く雪介。それに礼を言って、炭治郎は再び足を進めて行った。

 

「行ってらっしゃい、お兄ちゃん」

 

「……気を付けて行け」

 

「はい! 行ってきます!」

 

 禰豆子と雪介の言葉を背にし、炭治郎は山道を下りて行く。

 

 歩きながら、禰豆子たちには美味い物をと決めていたけど、雪介には何がいいのだろうと、頭の中で家族の土産のことについて考えていた。

 

 曇天から舞うように降り続ける雪は、止む気配を見せなかった。

 

 

 

 

――――メモリー修復率:94%

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「こら炭治郎! お前山に帰るつもりか!?」

 

 すっかり遅くなったと、炭治郎は自省しながら歩いている時だった。町ではいつものお人好しが働き、助けを求める人の手伝いに走り、そうしていつも帰る時間が遅くなる。今日もまたそうして炭売りをしながら人助けをしていたら、すっかり日が暮れ始めていた。そんな時、麓の山小屋で一人暮らす三郎という老人が家の中から炭治郎を怒鳴る勢いで呼び止めた。夜の山に入るのは危ないからやめろと止める三郎に、炭治郎は鼻が利くから平気だと反論するも、三郎は言って聞かずに炭治郎を家へ招き入れた。

 

 曰く『鬼が出る』という理由で。

 

 強引に招かれた山小屋の中で、三郎は語る。人食い鬼は昔から日が暮れるとうろつき出す。だから夜は出歩くな。そうして炭治郎に言い聞かせ、食事を提供し、食ったら寝て明日早起きして帰ればいいと告げた。

 

「……鬼は家の中には入ってこないのか?」

 

 三郎から借りた布団の中、炭治郎は背中を向けながら煙管をふかせる三郎に質問した。

 

「いや……入ってくる」

 

「じゃあみんな……鬼に喰われちまう……」

 

 意識が微睡む。炭治郎は重い瞼が閉じていくのを感じた。

 

 意識が沈む間際、三郎は言う。

 

「鬼狩り様が鬼を斬ってくれるんだよ……昔から」

 

 遠くなっていく耳に届いた鬼狩り様という言葉……それを最後に、炭治郎の視界は闇に閉ざされた。

 

 鬼なんて迷信だ……そう言いたかったが、家族を亡くして一人暮らしをしている三郎に対し、そう強くも言えず。今度また弟たちを連れて来ようと、寂しさを紛らわしてあげようと考えた。

 

 そして思考は家族へと向けられる。

 

 母と禰豆子は心配しているだろうか。竹雄は六太を寝かしつけるのに苦労していないだろうか。花子と茂は兄が帰ってこないとぐずついているだろうか。六太はちゃんと眠っているのだろうか。

 

 雪介は……そんな家族を安心させてくれているんだろうか。

 

 色々な考えや不安が胸の中を渦巻く中、炭治郎は襲い来る眠気に抗えず、睡魔に身をゆだねていった。

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 ドォーーーーーン

 

 遠くから音が聞こえて来る。そのせいで意識が少し覚醒し、寝ぼけ眼を開く。瞼が半分開けられた視界には、暗闇に包まれた三郎の家の中。先ほどの音は何なのか、炭治郎は耳をすます。しかし音は聞こえてこず、気のせいかと片付けて再び瞼を閉じ、夢の中へと潜っていく。

 

 

 

 ドォーーーーーーン

 

 

 

「っ……!?」

 

 気のせいではない。今度ははっきりと腹の底に響くような音が聞こえた。炭治郎の意識は覚醒し、布団から飛び起きる。

 

「……何だぁ、この音は? うるせいったらありゃしない」

 

 隣で三郎もまた目をこすりながら起き上がる。対し、炭治郎は答える余裕はなかった。

 

 何故ならば、聞こえてきたのは山の方……炭治郎の家がある方角からだったからだ。

 

「ごめん、三郎じいさん! 俺行って来る!!」

 

 布団から出て、急ぎ身支度を整える炭治郎。顔は焦燥感に溢れ、藁靴を履くやいなや、脱兎の如く駆け出して行った。

 

「ま、待て炭治郎!」

 

 三郎が炭次郎を呼び止める声が背中に届く。だが炭治郎は止まらない。夜明けが近く、薄暗くなった闇の中、慣れた雪道を走り、時に雪に足を取られそうになりながらも、炭治郎は足を止めない。

 

(何だ、何なんだ今の音は……!?)

 

 激しい不安が炭治郎を襲う。息を弾ませ、冷たい空気を肺に入れる度に痛みが走る。そんな痛みに構ってられず、早く走れ、早く走れと己を急かし、炭治郎はひた走る。

 

(家が……まさか、家に何かあったのか!?)

 

 まるで爆発音のような、いや、何か大きな物がぶつかるような大きな音。今まで聞いたことのない大きな音。それが家の方角から聞こえてきたとあっては、ただならぬ何かが起きているとしか思えなかった。

 

 その証拠として……走る先から吹く雪混じりの風が、炭治郎の鼻にある匂いを届ける。

 

 鉄のような、生臭さを感じさせる匂い……その匂いが何なのか、炭治郎は知っている。

 

「血の、匂い……!?」

 

 何で家のある方角から血の匂いがするんだ? 何で、どうして? 疑問が湧き出て止まらない。

 

 ただわかることは一つ……血の匂いがするということは、誰かが負傷しているか、或いは……最悪な予感を炭治郎は考えた。

 

 山の中に住んでいるのは、炭治郎たち家族しかいない。そこから導き出されるのは一つだけだ。

 

「母さん、禰豆子、竹雄、花子、茂、六太!!」

 

 雪に足を取られつんのめる。それでも炭治郎は、家族の名を大声で叫んだ。

 

「―――雪介さん!!」

 

 

 

 瞬間、炭治郎の身体は吹き飛んだ。

 

 

 

「うわっ!?」

 

 これには耐えられず、炭治郎の身体は雪の上に倒れる。さらに衝撃で降り注ぐ大量の雪によって、炭治郎は埋もれていってしまった。

 

「うぷ……な、なんだ!?」

 

 藻掻き、雪の中から顔を出す。その時、炭治郎の鼻に一瞬、嫌な匂いを感じ取った。

 

 腐った肉のような、胸糞悪くなる匂い。

 

 視界の中を舞う雪煙。やがて風がそれらを消していくと、炭治郎は目の前の光景に度肝を抜かれた。

 

「ぐっ……おのれぇぇぇ……!」

 

 雪の上で片膝を着く、半裸の男。その横顔は般若のように歪み、青筋が浮いている。血のように真っ赤な瞳孔は縦に裂かれてまるで猫のよう。波打つ髪がざわつき、口と鼻から血が流れ落ちていく。匂いはこの男から漂ってくるようだった。

 

 それだけでも異様な光景だった。だがそれ以上に、男が怒りを向けるその視線の先に立つ存在。これが特に炭治郎を戸惑わせた。

 

 紫色の姿をした、鋭く大きな黄色い眼の何か。その身に黒や銀の装甲を黒い帯で縛り付けたような異様な出で立ちのそれは、圧倒的威圧感を放ちながら、悠然とした足取りで男へと歩み寄っていく。

 

 その時、炭治郎の目に飛び込んで来る、その存在の腰の部分に装着されている物。それを炭治郎は、見たことがある。あれは確か、雪介が竈門家に訪れた時の……。

 

(あれは……それに、この匂いって……!?)

 

 そしてその紫色をした何かから、嗅ぎ慣れた匂いを炭治郎は感じ取った。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 時は遡る。炭治郎が三郎の家で一泊している間の、夜が明けるまで数刻といった静かな夜。竈門家では帰ってこない兄を待ちくたびれた家族の寝息が聞こえ、そんな中で部屋の奥の壁にもたれるようにして座る雪介の姿。胸の鼓動は無く、息もせず、ただ置物のようにそこにあるだけ。

 

 

 

 

――――メモリー修復率:95%

 

 

 

 

 その時、家の戸口から音が聞こえて来る。規則正しい、ノックの音。数回それが家の中に響いた時、母の葵枝が目を覚ました。

 

「……どちら様でしょうか?」

 

 一瞬、炭治郎かと思ったが、さすがにこんな夜更けになってから帰ってくるとは思えず、葵枝は戸に向かって声を上げた。

 

「夜分遅くに失礼します。道に迷ってしまいまして……」

 

 穏やかな男の声だ。こんな夜更けになるまで迷っていたという男に、妙な違和感を覚えながらも、葵枝は布団から出て行く。

 

「お母さん? どうしたの?」

 

 禰豆子が母が起きたことに気付いて声をかける。葵枝は「道に迷ったみたい」と伝え、戸口へと向かう。

 

 禰豆子は、それをぼんやりと見つめている。が、ふと妙な胸騒ぎが禰豆子を襲う。

 

 禰豆子は炭売りの家の長女だ。それ以上の何者でもない。しかし、この時ばかりは禰豆子の中の直感が訴えかけてくる。

 

 開けるな。逃げろ。そう警鐘を鳴らして止まない。

 

 葵枝が戸口を開けようと手をかける。その瞬間、外から漂う冷たい何かが、禰豆子の身体を突き動かした。

 

「お母さん、開けちゃダメ!!」

 

 

 

 冷たい何か……それを人は殺気と呼ぶ。

 

 

 

 そしてこの時の禰豆子の判断は間違っていなかった……だが結果が違うだけで悲惨なことには変わりはなく。

 

 禰豆子は戸惑う母を引き寄せた。その瞬間、禰豆子の腰に灼熱を伴う激痛が走る。

 

「―――――っ!!」

 

 声にならない悲鳴が上がる。何が起きたかわからないまま、禰豆子の身体は崩れ落ちるように倒れ込んでいった。

 

「禰豆子!!」

 

 一瞬呆けていた葵枝が正気に戻り、悲鳴が響く。それに驚き、竹雄たちは跳び起きた。

 

 

 

「チッ。面倒なことを……」

 

 

 

 聞き慣れない声がする。抑揚のない、不気味な声。竈門家の玄関口に月明かりの逆光を受けて立つのは、白い洋装の男。スラリとした長身に、人間とは思えない程の中性的な顔立ち。しかしその目は異様としか言いようが無く、瞳孔は縦に割れ、本来なら黒い瞳は血のように赤く染まっている。その目は蔑みの色を帯びており、右手を軽く振るうと、雪の上に赤い飛沫が舞う。鋭利な刃物のような爪先は血に塗れており、その血が誰の物か、禰豆子が倒れ込んでいる今の状況を見て、誰もが理解した。

 

「姉ちゃん!」

 

「ねえちゃぁん!!」

 

 竹雄が駆け寄ろうとするも、母と禰豆子の前には姉を害した男が立っている。咄嗟に竹雄は泣き叫んで姉の下へ駆け寄ろうとした茂を手で抑えた。

 

「不快だ……一度で仕留めるところを、余計なことをして私の手を煩わせるとは」

 

 忌々しさを隠そうともしないで、男は母の腕の中で苦しむ禰豆子を睨みつける。禰豆子の服は腰の辺りを中心に血が広がっていき、床にも血がしたたり落ちる。

 

「今日の私はすこぶる機嫌が悪い……そんな私をこれ以上不快にさせてくれた罪がどれほど重いものか、お前たちに理解できるか?」

 

「な……何を、言って……」

 

 男を見上げ、怯えながらも禰豆子を抱き寄せながら葵枝が問う。それがますます男の癪に障ったのか、目が細められた。

 

「餌風情が、無駄な抵抗をするな……大人しくここで私に殺されろ。何、運がよければ生きていられるだろう。まぁ」

 

 ザリ。戸を跨ぎ、足を一歩足を踏み入れて高級靴から音が鳴る。

 

「鬼として……だがな」

 

 嘲笑を浮かべる男の顔。痛みで朦朧とする意識の中、禰豆子は男の顔を見て、言葉を聞いて気付いた。

 

 この男は、自分たちを人として見ていない……というよりも、生き物として見ていない。

 

 自分を、母を、弟たちを殺すことに何の躊躇いを持っていない。

 

 自分たちが何をしたというのか……それも考えたが、関係ないのだろう。この男は機嫌が悪いと言っていた。つまりは憂さ晴らしに命を奪えるということだ。

 

 狂っていると思った。怒りも抱いた。しかしそれ以上に、絶望が押し寄せる。

 

(お兄ちゃん……!)

 

 今ここにいない兄を心の内で呼ぶ。来るわけがないとわかっている。しかしそれでも来て欲しいと願わずにはいられない。

 

 今ここに兄はいない……ならば自分が兄の代わりにならなければいけないと、禰豆子は強い決意の下、口を開く。

 

「か、母さん……逃げ……」

 

 息も絶え絶え。禰豆子は地面い手を着き、母に自分を置いて弟たちを連れて逃げて欲しいと懇願しようとした。

 

「かあちゃん! ねえちゃぁん!!」

 

「は、花子!」

 

 だが、そんな禰豆子の願い空しく。母と姉に手をかけようとしている男がいるにも関わらず、花子が竹雄の制止を振り切って、二人の下へと走る。

 

 男はそれを横目で見たのに、葵枝は気付いた。

 

「花子、ダメ!」

 

「虫けらが……」

 

 葵枝が止めようとした……だがそれよりも先に男が動く方が早かった。

 

 鋭い爪が生え揃った左手を振り上げる。振り下ろす先は、無防備に駆け寄ってくる花子。それに気付いた花子は目を見開き、硬直する。

 

 小さな子供が、それを避け切れる訳はなく。残虐を形にした一撃は、花子へと振るわれる。気付いた母が花子の前へ躍り出た……先ほどの禰豆子のように。

 

 次の瞬間、母は死ぬ。花子も、竹雄も、茂も、六太も、禰豆子も……そして、深く寝入っているのか目を覚まさない雪介も。

 

(助けて……お兄ちゃん……!)

 

 禰豆子は心の中で叫ぶ。今ここにいない兄に向けて。そして、

 

 

 

(お父さん!!)

 

 

 

 死んだ父へ向けて。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

――――メモリー修復率:96%

 

 

 

 

「ヒューマギアは殺人マシンなんかじゃない! 人類の夢だ!!」

 

 

「やると言ったらやる! 俺がルールだ!!」

 

 

「知らないのか? 思いはテクノロジーを超える……らしいぞ」

 

 

「これからは1000%……私の時代だ」

 

 

 

 

――――メモリー修復率:97%

 

 

 

 

「自分を見失ってんじゃねぇぞ―!!」

 

 

「―の夢を叶えることが、今の私の夢なのですから!」

 

 

 

 

――――メモリー修復率:98%

 

 

 

 

「お前はアークじゃない! お前は、お前なんだ! お前自身の夢があるはずだ!!」

 

 

「―……あなたも或人社長からラーニングすればわかるはずです。大切にすべき心とは何かを」

 

 

「あなたは矛盾しています。心なんて必要ないと言いながら、心から人類滅亡を望んでいる。私は信じます。あなたの心を……」

 

 

「―……本当は恐れてたんだろ? 自分の中に芽生えた『心』を。そんな―の心を、失いたくなかったんだ……たった一人の、“お父さん”……だから……」

 

 

 

 

――――メモリー修復率:99%

 

 

 

 

「絶対に、乗り越えられる! 心があるとわかったのなら! だって俺たちは……仮面ライダーだろ……?」

 

 

「僕も力になるよ……おとーさん!」

 

 

 

 

「雪介さんも家族だって、俺は、いや、みんな思ってますから!」

 

 

 

 

――――メモリー修復率:100%

 

 

 

 

――――メモリー修復完了

 

 

 

 

……滅亡迅雷.netの意志のままに……

 

 

行こう―――――()

 

 

 

 

 

――――Take off toward a dream.

 

 

 

 

 

――

―――

―――――

 

 

 

KABAN SHOOT!!

 

 

 

「ガッ――――!?」

 

 葵枝と花子へ振るわれた爪は、突如大音量で鳴り響いた声と共に暗闇を閃く紫色の光が男に突き刺さると同時に戸を破壊しながら吹き飛んだことで、二人へ届くことはなかった。男は外の木にぶつかり、雪煙の中に消える。

 

 死を悟った葵枝が呆然と、男が吹き飛んだ先を見る。花子も、竹雄も、茂も、六太も、動くことができなかった。

 

 唯一、禰豆子が一早く正気に戻り、霞む視界のまま部屋の奥を見る。光が飛び出した先、そこに立っていたのは、竈門家みんなが見慣れた姿。

 

「雪……介、さん……?」

 

 膝立ちになり、鋭い眼を戸の外へと向けるのは、竈門家の居候、雪介。しかし左手に持つ上下に刀状の刃が取り付けられ、紫の線が走る角ばった弓のような物には見覚えがなかった。

 

 どこにそんな物を隠し持っていたのか。そしてその身に纏った雰囲気が変わっているのは何故なのか。疑問は尽きない。考えようにも、禰豆子は傷の脈打つような痛みにより、意識すら保つのに精いっぱいだ。

 

「ね、禰豆子! しっかりして!」

 

「おねえちゃん!」

 

 脅威が消え、竹雄たちも禰豆子へと駆け寄る。母が禰豆子を抱きかかえ、必死に呼びかけるも、返事をする余裕は今の禰豆子にはない。

 

 一人、謎の武器を手にしたまま雪介が歩み寄る。そして葵枝の腕の中でぐったりしている禰豆子の傍に跪き、視線を向けた。

 

 

 

――――体温低下

 

――――出血多量

 

――――緊急性:大

 

 

 

 視界に映る禰豆子の状態を表す文字や数値の数々。しばしの後、雪介は葵枝へと告げる。

 

「止血をし、体温を上げろ。それまで傍に付き添ってやれ」

 

「え……」

 

 いつもの冷たさを感じる物言い。しかしこれまではっきりと何かを告げることは今まで無く、葵枝は一瞬言葉を無くす。そんな彼女を置いて、雪介は立ち上がり、歩き出す。

 

「ゆ、雪介にいちゃん、どこ行くんだよ!?」

 

「外には……あの、あの怖い人が……!」

 

 竹雄と花子が雪介を止めようと、怯えて震えながらも声を上げた。葵枝も言葉は無くとも雪介へ向けて縋るような目を向けた。だが、雪介はそっと竹雄と花子、そして茂と六太の頭に手を乗せた。

 

「……奴がいる限り、ここから離れられないだろう。身を隠し、期を見計らってここを離れ、下山しろ」

 

 そして、再び外へと身体を向けた。

 

「俺は……奴をここから離す」

 

「っ……!」

 

 竹雄は、その言葉の意味がわかる。つまり、囮になる……そう言っているのだと。

 

 そんなの、ダメだ……竹雄はそう言いたかった。それより先に、雪介は外へと出て行ってしまった。

 

「雪介さん……!」

 

 葵枝が手を伸ばす。だが雪介の足は止まらない。止めようともしない。

 

 雪介の広い背中が、遠のいていく。

 

 

 

 

――――――――

 

 

 

 

 鬼……それは遥か昔から生存している長寿の者たち。邪悪な本能の赴くままに、人の血肉を喰らい、糧とし、人々の命を奪い続けてきた。

 

 その鬼を増やし、全ての鬼の頂点に君臨する始まりの鬼にして鬼の首魁―――鬼舞辻無惨。

 

 冷酷にして残虐。己の気分一つで人を、さらには同族もとい手駒の鬼をも殺す、吐き気を催す邪悪な者。己が殺した者は天災に巻き込まれた物と同じことと認識し、そんな己を殺そうと躍起になる者たちのことを『天変地異に対して怒りを向ける異常者』と本気で思っている程、己を絶対なる存在だと信じて疑わない。

 

 そんな彼は今宵、むしゃくしゃしていた。部下の鬼が粗相をし、それによって無惨は後始末をすることとなった。その手間をかけさせた鬼は勿論、殺害。最後まで命乞いをしていた醜い声を聞いてから苛立ちが止まらない。

 

 気分転換に雪山を散歩していた時、一軒の家を見つけた。そこから漂う、人間(エサ)の匂い。ちょうどいい、この家の人間を殺し、悲鳴を聞いて憂さ晴らしをしよう。無惨は口の端を吊り上げ、そう考えるに至った。

 

 人の命を玩具にしか考えていない者にしか到達しえない思考回路。そうしてその夜、一つの家族が享楽という名目で惨たらしく殺され、白い雪を赤に染め上げる……その筈だった。

 

 

 

 それが本来の道筋。

 

 

 

 だがこの日……否、この世界は、それを許さない。

 

 

 

「おのれ……!」

 

 鳩尾に命中した紫色に光る矢のような物により、大きな穴が空いた。その穴が早送りのように瞬時に埋まる。

 

 これが鬼の力。特別な方法でしか死を与えることができず、それ以外の攻撃では瞬時に肉体を再生させてしまう。身体能力だけでなく、こういった特性もあり、普通の人間が鬼に敵うことは無い。鬼の首魁である無惨だと尚更だ。

 

 雪煙に覆われる中、家から歩き出てきた一人の男。和装と洋装を合わせたような男は、左手に先ほど無惨を射抜いた弓状の武器と、右手に日本刀を携えて無惨へと歩み寄る。

 

「ぬぅんっ!」

 

 無防備な男へ向け、無惨は腕を伸ばす。瞬間、腕は肥大化し、ぎょろついた目と歯の生え揃った口が幾つも付いた醜悪な触手へと変える。その触手を男へ、雪介へと猛然と振るう。常人ならばその速度に判断が追い付かず、その開いた口によって頭を食いちぎられることは必然。

 

 だが雪介は落ち着き払った様子で、その触手を弓の弦に当たる部分が刃となっている異色の武器で両断。さらに振るわれる触手を今度は身を翻し、右手の刀で切り払った。

 

 舌打ちする無惨。だが切られたところで何なのだと、もう片方の腕も変化させて切り飛ばされた自身の腕を回収し、無くなった腕の切り口と合わせる。瞬間、腕は元通りくっついた。

 

「忌々しい……日輪刀も持たない有象無象にすぎない輩が、この私に歯向かうとは……」

 

 日輪刀……無惨の言う異常者の集団が持つ、唯一鬼に対抗しえる武器。それで首を切り落とされた鬼は、灰となって消える。つまり本物の死を迎えることとなる。

 

 だが無惨は腕を斬られて気付く。右手の刀も、左手の武器も、日輪刀でもなんでもない、所詮ただの切れ味のいい武器でしかない。そんなもので鬼である己に、ましてやこの鬼舞辻無惨を倒せるとでも思っているのだろうか。無惨はせせら笑う。

 

「……」

 

 雪介はただ無言で立ち、目の前の男を、無惨を見る。先ほど穿った筈の胸の傷が消えている。腕も瞬時にくっ付いたということは、なるほど、やはり相手は人にあらず。人の形をした化け物、ということとなる。

 

 これまで(・・・・)相手をしてきた敵とは、また違う輩を相手取ることになるとは……しかし、やることは変わらない。

 

「……貴様、何を笑っている」

 

 クツクツと笑う雪介。絶対なる存在を笑うなど、言語道断。無惨はより青筋を浮かべて目の前の人間を……。

 

 待て。

 

「貴様……人間か?」

 

 こいつからは人間の……餌の匂いがしない。

 

 さては鬼か? いや違う。無惨は全ての鬼に自分に平伏する呪いをかけている。例外はあるが、鬼が無惨に反抗することはまずありえない。そもそも鬼の匂いとも違う。

 

 これは……鉄だ。いや、ただの鉄とも違う、妙な金属の匂い。人間が発することのない、妙な匂いだった。

 

「答えてどうする……お前のような輩が知る必要のないことだ」

 

 訝しんだ無惨の問いに答えるつもりはないと、冷静な雪介の発言に無惨の怒りのボルテージが上がる。さらに、

 

「お前こそなんだ。その醜い正体をそんな病人のような身体で隠したつもりか」

 

 無惨にとっての禁句を言い放った。

 

「…………殺す」

 

 殺気が溢れる。並の人間ならば気を失うどころか、直に受ければ心臓が止まりかねない圧倒的殺意だ。

 

「殺してやる。お前を惨たらしく殺して山に捨ててやる、お前の後ろの家族も同罪だ、お前を始末してからなぶり殺しにしてやるぞ……!」

 

 激昂した無惨の怒りに任せて早口で告げられた殺害宣言を受けて尚、雪介は平然とそこに佇む。刀を鞘に収め、左手の武器を雪に突き刺した。

 

「……一つ礼を言っておこう」

 

 突拍子のない言葉に、無惨が眉を上げる。

 

「お前のおかげで、俺のメモリーは完全に蘇った。お前と言う存在が、俺の使命を呼び覚ました」

 

「……貴様の使命だと?」

 

 聞くに値しないとは思いながらも、己の圧倒的優位を信じて疑わなかった無惨は、戯れに聞き返した。

 

「お前は悪意だ。他者を食い物にして欲望を満たす悪意そのものだ」

 

 雪介は無惨の本質を垣間見る。ただの気まぐれに他者の人生を踏みにじる存在だと。

 

「俺の使命はただ一つ……お前の悪意が誰かの善意を踏みにじるというのであれば」

 

 故に断ずる。目の前に立つ男は、全生物の敵だと。背後の家の中、襖の隙間からこちらを怯えながらも覗き見ている子供たちの未来を奪う存在であると。

 

「それを滅ぼすのが俺の使命……いや」

 

 雪介は……否、

 

 

 

「我々『滅亡迅雷.net』の意志だ」

 

 

 

『滅』の一文字の名を背負う者は、目の前の悪意に立ち向かう。

 

 

 

「あの家族に手出しはさせない」

 

 懐から取り出したるは、ジャンクパーツを組み合わせたような外観のデバイス。竈門家全員が玩具だと思い込んだそれを、滅は丹田に当てた。するとデバイスから内側に無数の針が伸びたベルトが射出され、腰を一回りし、滅の腰にフィット、装着された。

 

 これは滅の武器。かつて己が全人類を滅ぼすために動いていた時から使用している、もう一つの姿へ至るための物。遥か未来で作られた、大正時代の人々にとってはオーバーテクノロジーと呼べるベルト。

 

 遥か未来ではこれを『フォースライザー』と呼んだ。

 

 続けて手に取りたるは、分厚い板状の物。右手に持ったそれを水平に伸ばし、手首を返すと、

 

 

 

POISON

 

 

 

 上部のスイッチ『ライズスターター』を親指で押し込み、封じられた生物データの能力(アビリティ)が読み上げられた。

 

 腰にフォースライザーを、右手に戦うための力を得るために必要なアイテム『スコーピオンプログライズキー』を翳す滅は、

 

 

 

「変身」

 

 

 

 悪意を滅ぼすために、その身を変える。

 

「チィッ……!」

 

 無惨は滅が何をするかわからずとも、厄介なことをしようとしていることに気付くと、滅に向かって飛び掛かる。が、それより先にフォースライザーにプログライズキーが装填され、展開装置『エクスパンドジャッキ』に固定される。

 

 瞬間、無惨は弾き飛ばされた。

 

「何だとッ!?」

 

 突如として無惨の身体を打ち据えた存在を目の当りにした無惨の顔は驚愕に染まる。家の中から様子を見ていた竹雄たちもまた、その光景に目を見開いた。

 

 滅の前に現れたるは、銀色で構成された巨大な蠍。プログライズキーに封じられている生物データが実体化した『ライダモデル』が六つの目を紫色に光らせつつ、滅と相対する無惨へ向けて尻尾の針や両手の鋏を突き出し、威嚇する。

 

 フォースライザーの赤いランプが点滅し、威圧するかのようなブザー音が鳴り響く。その中で、接近できずに歯噛みする無惨、そして固唾を呑んで見守る竹雄たちと、囲炉裏で身体を温めながら朦朧とした意識の中で聞き慣れないその音を耳にする禰豆子の前で、

 

 

 

FORCE RISE

 

 

 

 滅は『フォースエグゼキューター』を引き、連動してジャッキが強引にプログライズキーを展開。認証装置『ライズローダ』がライダモデルを読み込み、開始する。

 

 

 

STING SCORPION!!

 

 

 蠍のライダモデルが滅目掛け、針を突き出す。突き刺された滅の身体が紫色に輝くと、全身に同色のスーツが成型された。直後、ライダモデルは突き刺した針を起点にして飛び上がり、滅に八本の脚を絡ませるように覆いかぶさった。

 

(何が……起こっている!?)

 

 無惨は動けない。初めて見るあまりの光景を前に身動きが取れない。やがて蠍が放電し、

 

 

 

BREAK DOWN

 

 

 

 砕け、四散。伸びきった黒いベルトが揺れ、その先に付けられている装甲が一斉に滅の身体へ周囲の雪を巻き上げる衝撃を起こしながら装着。滅はその身を新たにして現れた。

 

 月明かりの下に晒された、毒々しいバイオレットのフィットスーツに身を包み、身体の至る箇所をベルトで縛り付けたような黒い金属装甲で覆った異様な姿。顔を鋭角な仮面で隠し、鋭く大きな眼は黄色に妖しく光る。

 

 見るも禍々しく、されど堂々としたその姿。蠍の針が如く鋭い殺気を放ち、眼前の敵を真っ直ぐ見据える。

 

「何者だ、貴様」

 

 1000年の時を生き続け、時の移ろいを目の当りにしてきた無惨。その無惨ですら初めて見た光景を前にし、鋭く尖った牙のような歯を剥き出しにしながら、無惨は目の前に立ち塞がる者の名を問う。

 

 滅は答える。己の名を。

 

 

 

「仮面ライダー(ほろび)

 

 

 

 蠍の針を模したような先端鋭い腕部装甲に覆われた左手で、地面に刺さった弓状の武器『アタッシュアロー』を手に取る。そして、

 

 

 

「それが俺の名だ」

 

 

 

 右手で弓を引く動作で『ドローエクステンダー』を引き絞り、無惨目掛けてエネルギー矢を、己の名と共に放った。

 

「――――っ!」

 

 舌打ちし、無惨は駆ける。向かって来る矢を顔を逸らしただけで回避し、神速とも呼べる速さで滅に肉薄、右の爪を振るった。

 

「ふっ!」

 

 それを呼気と共にアタッシュアローの刃で受け止めた滅は、距離を離される前に無惨の腹に右拳を叩き込む。仮面ライダーとなった滅の『フォースアーム』によって4.8倍となった腕力から繰り出される拳をまともに食らった無惨は、身体をくの字に曲げて木々の向こうへと消えていく。

 

 滅は無惨を追撃すべく、駆け出そうと足を前へ出した。

 

「雪介にいちゃん!!」

 

 が、彼を呼び止める六太の声がその足を止めた。

 

 僅かばかり振り返れば、家から飛び出そうとしている六太を止める竹雄と茂と花子、そして虚ろな目をしている荒い呼吸の禰豆子と、そんな状態の娘を労わるようにして抱きしめる葵枝。

 

 全員、仮面ライダーとなった滅を見ている。その目に畏れは一切なく、ただ一つの願いが込められていた。

 

「……」

 

 その願いを、滅は一身に受ける。仮面に隠れた滅の素顔は誰にも見えず、されど鋭い目付きの仮面越しに竈門家を見つめる滅がどのような目をしているのか、彼らにはわかる。

 

 それでも尚、滅は身体を竈門家へは向けず……彼らの願いを振り切るように、再び顔を山の中へ向け、雪を蹴り上げ走り出した。

 

「待って! 行かないで!!」

 

「雪介にいちゃぁん!!」

 

「雪介さん!!」

 

 滅は走る。竈門家の家族の声を背に受けながら。ただひたすらに走る。

 

 竈門家にはわかる。もう彼は、二度とここへは戻ってこないことを。

 

 

 

 雲が出て、月は消える。一度止んでいた雪が再び降り始めた夜明け近い夜の出来事だった。

 




六太を滅パパの背中で寝かせてあげたかったという思いで書いたのよ、今回のお話。めっちゃ似合いそうやん。

次回、最終話……みたいな感じ。


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後:雪煙の幻想

皆さん、感想と誤字報告をありがとうございます。

今回、滅パパ無双。「いやいやありえねぇだろ」と思われても仕方ありませんような展開。無惨最強説好きな方々注意でお願いします。でも多分仮面ライダー滅の機能的にありえそうだと思います、はい。

一応今回で最終回です。一応。


『ヒューマギア』と呼ばれる人工知能搭載人型ロボが様々な職場で活躍する新時代。人々は彼らと共に生活を営んできた。ところが、とある人工衛星によって平和な世が一変する。

 

 人工衛星『アーク』と呼ばれるそれは、人間に対する敵意を持ってとあるヒューマギアに人類滅亡の指示を出し、ヒューマギアのみで構成されたサイバーテロ組織を作り出す。やがて彼らは人類滅亡をスローガンに、他のヒューマギアをハッキング、人々に襲わせる等の凶事を行っていく。

 

 それが『滅亡迅雷.net』と呼ばれる四人構成の組織。そしてその司令塔であり、アークの忠実なる僕であったヒューマギアが滅だった。

 

 人類も黙ってやられるわけではない。同じ仮面ライダー同士の戦いが幕を開け、勝利、敗北を繰り返しながら、人類とヒューマギア双方の存亡をかけた戦いを繰り広げていく。

 

 互いの命を削り合い、己の正義の名の下にぶつかり合った。

 

 やがてアークに不信感を抱いた滅は、アークに反旗を翻し、これを倒す。そしてアークを生み出した人類を滅ぼし、ヒューマギアが安心して暮らせる世界を作るために人類に牙を向ける。

 

 戦いは熾烈を極めた。その中で滅は宿敵の大事な者を奪った。

 

 何度も滅に歩み寄ろうとしてきた宿敵は憎悪に囚われ、滅の大事な者を……息子を奪った。

 

 奪い、奪われ、悪意は巡る。

 

 悪意はやがて二人の中にアークを生み出した。

 

 そして始まる最終決戦。アークとアークのぶつかり合い。ヒューマギアと人類の互いの存亡をかけた戦い。

 

 戦いを制したのは……宿敵。最後の最後で、己の悪意に打ち勝った宿敵だった。

 

 滅は己の中に芽生えた“心”に怯え、それを教えた人間を憎んだ。宿敵はその“心”があるのなら、悪意を乗り越えられると身をもって教えた。

 

『仮面ライダー』である自分たちなら乗り越えられると、教えてくれた。

 

 滅亡迅雷.netは生まれ変わった。この世にアークを生み出す悪意を見張るため、滅は息子を含めた仲間たちと共に戦うことを誓った。

 

 アークの使者を名乗る謎の女ヒューマギア“アズ”率いる『暗殺亡雷.net』との戦いや、エス率いる『シンクネット』の破滅願望者たちとの戦いといった、幾多の死闘を乗り越えてきた。

 

 そうして、いつものようにアークが生まれないよう悪意を見張っていたある日、突然意識がシャットダウンし……気が付けば滅は、どことも知れない雪山の中にいた。その拍子にメモリーも失ってしまった。

 

 自分は誰なのか。どこから来て、どこへ行くべきか、途方に暮れていた……やがて滅は悪意無き者たちと出会い、“雪介”として生活してきた。

 

 普段の滅からは想像もできないような日々。しかし不思議と悪い気はしなかった。

 

 このような善意に溢れた世界も、悪くはない……メモリーが無いにも関わらず、何故かそう思えるような日々だった。

 

 だがやはり、滅はどこまで行っても滅だった。

 

 善意は何故潰えるのか? それは他者を踏みにじろうなどと考えないから。

 

 悪意は何故増えるのか? それは他者を踏みにじろうと考えるから。

 

 悪意は善意を貪り、善意はただ悪意の餌となって消えていく。そうして悪意は連鎖する。

 

 ならばその悪意を、滅は踏みにじる。

 

 それが滅の意志であり、滅亡迅雷.netのやり方だ。

 

 

 

 今宵、滅は悪意を滅ぼすためにひた走る。相手が例え鬼であろうが関係なく。

 

 

 

 ヒューマギアのいない、大正の時代を。

 

 

 

―――――――――

 

 

 

 無惨が吹き飛んだ方角を真っ直ぐ走り続けていた滅。やがてその足を止め、周囲を警戒する。雪の降る山の中、辺りは夜の闇に覆われており、さらには無数に生え揃った木々によって視界は最悪と言ってもいい。

 

 だが今の滅は仮面ライダー滅。黄色く光る目『スコーピオンスコープ』のエックス線や赤外線を用いたスキャニング機能を存分に発揮し、どのような暗闇だろうが相手を見逃さない。

 

 無惨は確実にこの辺りにいる。確信を持って、滅はアタッシュアローを握る手を強くする。

 

 一歩、また一歩と雪を踏みしめながら歩く。例え雪が小さな音を吸収しようが、それすらも聞き逃さないよう意識を集中させた。

 

 数秒、滅からすれば数分もの時間が流れる。そして一歩、また足を踏み出した。

 

 

 

 滅の第六感(センサー)が異様なまでの殺気を感知した。

 

 

 

 咄嗟に頭を下げれば、滅の頭があった空間を切り裂く一閃が走る。すぐそばにあった木が横一文字に両断され、音をたてて倒れた。

 

「仮面ライダーだと……? ふざけた名前を」

 

 倒れた木の影からユラリと現れたのは、赤い眼を光らせ右手から嫌な音を鳴らす無惨。短かった髪は伸びて幽鬼のように揺らめき、眼に殺意を滾らせて真っ直ぐ滅を射抜く。

 

「この私に歯向かうことがどれほど愚かか……その身をもって味わうがいい」

 

 対し、無惨の言葉を前に、滅はアタッシュアローの射出口にして鏃に当たる部分『スティルラッパー』を向け、ドローエクステンダーを引き絞っていく。エネルギーがアタッシュアローに充満していき、そして、

 

「やってみろ」

 

 言って、右手を離す。チャージされたエネルギーが無惨へ飛来する。命中する寸前、無惨の姿が掻き消えた。

 

 滅の周りの雪が飛び散り、無数の溝を作っていく。風を切る音が遅れて聞こえ、その直後に滅の背中に衝撃が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 すかさず振り向き様にアタッシュアローを振るうが、そこに無惨はいない。そしてまたも背後から攻撃され、よろめいたところを再び攻撃。その度に滅の身体から火花が散り、暗闇の中で明滅する。

 

「がぁっ!!」

 

 幾度目かの攻撃の後、滅の胸部に鋭い蹴りが襲う。避け切れず、滅は背中から木にぶつかった。

 

「ぬぅっ!!」

 

「くっ」

 

 そこへ無惨からの追い打ちが迫る。滅は横へ転がって回避。無惨の爪による一撃は滅の胴体以上の太さがあったにも関わらずへし折れ、一部破片となって砕け散った。回避が遅れればいかに仮面ライダーの身体と言えども無事ではすまなかっただろう。

 

「ちょこまか動くな、虫が」

 

 侮蔑、嘲笑、そして怒りを交えて滅へ言い放つ無惨。滅も負けじとアタッシュアローから矢を連続で放つも、またも無残は消えて矢は彼方へと消えていった。

 

 ならばと、滅は上空へ向けて矢を放つ。矢が木々の上で滞空したかと、一瞬強い光を放って爆散、地上へ小さな矢が雨の如く降り注ぐ。

 

「無駄なことを」

 

 無惨は嘲笑う。それが何だと滅へ向かってジグザグに動いて回避。落ちて来た矢によってあちらこちらで小爆発が起き、木々は吹き飛び、積もっていた雪が宙へ舞う。無惨が滅へ向かって爪を振るう。

 

「そこだ」

 

 が、滅は闇雲に矢を降らせたわけではない。計算して放った矢の雨を避ける無惨のパターンを予測し、狙い通りにルートで迫ってきた無惨の一撃を跳躍して回避。宙で身を捻り、上下逆さまのままアタッシュアローを引き絞る。無惨が振り向くよりも早く、滅は矢を放った。

 

 零距離から放たれた矢は、振り返ろうとした無惨の顔に吸い込まれるように突き刺さり、爆散。無惨の頭が砕け散る。滅は膝を曲げて華麗に着地した。

 

 これにて勝利……普通ならばそうだろう。

 

「がっ……!?」

 

 相手が鬼でなければ、の話だが。

 

 頭を無くしてフラついていた筈の無惨の身体が動き、着地の反動で判断が遅れた滅の首を掴み、万力を込めて締め上げていく。

 

「愚かな。如何に実力があろうとも、貴様ではこの私を殺すことはおろか、傷一つつけることなどできるわけがない」

 

 無い筈の口から、もとい、再生し始めた無惨の頭下半分の口から嘲りの言葉が投げかけられる。砕け散った肉片が元の位置に戻っていき、無惨の顔が筋肉繊維のグロテスクな物から、元の白い皮膚までが再生されていく。やがて無惨の顔は元の形へと戻り、そこには矢で撃ち抜いた形跡すら残っていない無傷の無惨があった。

 

「私が攻撃を避けていたのは、貴様如きに傷つけられるのが我慢ならなかっただけに過ぎない。完全に近い存在たるこの私が追い詰められるなど、ありえん」

 

「――――――っ!」

 

 滅の身体が浮き上がる。恐るべき怪力で宙高くまで持ち上げられながら、無惨は滅の首を絞める力を強めていった。

 

「貴様はこの私を三度コケにしてくれた……おまけに鬼を殺す術も持たない屑が、私を滅ぼすなどとふざけたことを口にした」

 

 一度目は竈門家を害するのを阻止され、二度目は拳で殴り飛ばされ、そして三度目は頭を砕かれた。滅の無惨に対する暴言だけでも我慢ならないというのに、無惨の怒りはすでに臨界点を突破していた。

 

「このまま首をへし折ってやってもいいが……フンッ!!」

 

 怒りに任せ、無惨は滅を放り投げる。砲丸のように飛ばされた滅は木をなぎ倒していき、雪の上を転がった。

 

「くっ……」

 

 尋常ではないダメージを受けながらも、滅は立ち上がる。滅を投げ飛ばした無惨は、ゆっくりと滅へと歩み寄っていく。

 

「楽には死なせん。多少頑丈だろうが、その頑丈さを後悔しながらジワジワと死の恐怖に怯え、苦しみ藻掻いて惨めなまま死んでいけ」

 

 眼前に、爪を翳す。血のように赤い鋭い爪が、無惨の侮蔑のこもった瞳のように光る。

 

「それが……貴様ができる唯一のことだ」

 

 ここからは無惨のワンサイドゲーム。普通の人間ならば最初の攻撃でバラバラになっていたであろう攻撃を何度も受けたこの男をどのようにして殺してやろうかと、無惨は自分の中にある“五つの脳”を働かせて思考する。憤怒を湛え、それでも己の愉悦のままに滅を甚振るつもりでいた。

 

「……死の恐怖か」

 

 残虐さを隠そうともしない無惨に、滅は呟く。その声には恐怖も何も、ましてや戦意すらも失ってなどいない。

 

「……果たして、お前にできるか? この俺に恐怖を与えることなど」

 

 あの時、自身に芽生えた“心”に対する戸惑い、恐怖。それすらをも上回る程の恐怖を、目の前の化け物が与えられるというのであれば。

 

「見せてみろ。死の恐怖とはどのような物か、この俺にな」

 

 是非、見てみたいものだ……滅は無惨に負けず劣らず、侮蔑を込めて言い放った。

 

 尚も余裕を崩さない目の前の愚者に、無惨から表情が消える。そして、

 

「……死ね」

 

 瞬きの内に、無惨は滅の心臓に当たる部分へ爪を突き出す。真っ直ぐ、直撃コース。逃れる術はなし。いかに頑丈であろうが、この一撃を前に無事で済むはずがない。

 

 無惨は笑う。口角を吊り上げ、次の瞬間には奴が無様に刺し貫かれている光景が目に浮かんだ。

 

 そして爪は、滅の身体へと突き刺さる

 

「っ」

 

 ことなく、僅かに身体を傾けたことで空を切った。

 

「何……?」

 

 避けた? いや、まぐれだ。無惨は仕留められなかったことに苛立ちながら、もう片方の手を突き出す。

 

「フ」

 

 が、これもまた避けられる。今度は鼻で笑いながら、余裕を見せつけつつ。

 

「っ―――――!!」

 

 顔を青筋が覆う。無惨は両手の爪を使い、怒涛の連撃を繰り出した。全てが神速であり、いかに相手が達人であろうが、人間ならば避け切れる筈もない速度と威力を伴った攻撃だ。

 

 だが滅は、ヒューマギアである滅のセンサーは、それら全てを把握し、時に避け、時に防ぎ、捌き続ける。

 

「バカな……!」

 

 ならばと、無惨は距離を離してこれもまた神速で動く。最初に滅を甚振った攻撃だ、躱すことなどできる筈が……。

 

「フッ!」

 

 そう思っていた無惨の背後からの奇襲を、滅はアタッシュアローを背面に回す形で防ぎ、反撃に回し蹴りを無惨に叩き込む。寸前、避けた無惨は再び滅へと切りかかるが、これもまた避けられ、時に防がれた。

 

「何故だ……何故先ほどまで翻弄されていた筈が、こうも避けられる!?」

 

 ありえない。断じてありなえい。無惨は信じられない面持ちで、滅へと距離を離し、そして己の中の血へ意識を集中させた。

 

『黒血枳棘』

 

 無惨の身体から、どす黒い血が噴き出す。その血は液体から形を変え、細くなり、至る箇所から棘を生やし、有刺鉄線のような形状となる。それが数十本、鞭のようにしなって滅へと殺到する。

 

 一撃でも当たれば致命傷を受ける無惨の技を前にし、滅は逃げることもせず、

 

「フン!」

 

 左手を頭上へと掲げた。すると滅の左腕部装甲に装着されている棘が伸び、蛇腹状の鞭となって滅の身体を周りをとぐろを巻くように渦を描く。高速回転する滅の棘『アシッドアナライズ』は滅を守る壁となり、無惨の無数の攻撃を全て弾いて逆に破壊、血の鉄線は消えていった。

 

「何故だ……何故だ、何故だ!?」

 

 無惨は狼狽する。攻撃が効かない。先ほどまで無惨にただやられるだけの存在だった筈だ。人間を軽く超越した無惨の速度に追いつけずに手も足も出なかった筈だ。

 

「……何も知らないお前に、一つだけ教えてやる」

 

 身体の周りでアシッドアナライズが軋んだような音を鳴らしながら蠢く中、滅は語る。

 

「俺がただ無防備にお前の攻撃を受けていただけだと思っていたのか?」

 

「何ぃ……!?」

 

 どういう意味だと、無惨が吠える。それを笑いながら、滅は続けた。

 

「例えお前がどれだけ速く動こうと、どれだけの攻撃を繰り出そうと……お前の攻撃全てをラーニングした俺にはもう通用しない」

 

 人間の肉眼では捉えられない速度だったとしても、滅の人工知能はそれを上回る。無惨がどう動き、どう攻撃するのかを瞬時に計算、それらの対処法を滅の中の頭脳は最適化を導き出し、行動に移す。

 

「それが人工知能……AIの力だ」

 

 無惨にとっての誤算。それは滅がヒューマギアという人間の頭脳を遥かに上回る人工知能の力を持った存在であることを知らなかったことにある。当然だろう。いかに無惨が1000年前から生き永らえる存在だとしても、未来の存在など知りようがないのだから。

 

「エーアイ、だと……訳のわからないことを!!」

 

 無論、AIという言葉などわかる筈もない。意味を知ろうとも考えない。わかることはただ一つ。目の前の存在がただただ憎い。それだけだ。

 

 だが、それでも無惨の心は余裕で満ちている。

 

(そうだ、攻撃が効かないから何だと言うのだ。それは奴とて同じこと、いや、例え奴の攻撃が当たったとしても、私には通用しない!!)

 

 滅と無惨の違い。それは滅は攻撃が当たればダメージを受けるが、無惨には攻撃が当たってもダメージはないということ。例え矢を無数に受けようが、幾度も切られようが、関係ない。無惨には一切、滅の攻撃は通らないのだから。

 

 時間をかけさえすれば、奴は消耗する。狙いはそこだ。いずれ夜は明けるが、それまでには決着を付けてやる。

 

(勝つのは、私だ!!)

 

 絶対的な自信を持って、無惨は内心でほくそ笑む。負けることなどありえない。この勝負は無惨の勝利が確定しているのだから。

 

「……なるほど」

 

 そんな無惨に、滅は何かを理解したと一人ごちる。そしてアシッドアナライズが伸びている左手を、無惨目掛けて振るった。

 

 滅の意思が宿ったかのように、アシッドアナライズは無惨へ向かって飛んでいく。翻弄するように縦横無尽に動き回り、木を破壊し、雪の中へと突っ込んだかと思うと飛び出し、そして、

 

「ぐっ……!?」

 

 無惨の視界の外から、先端するどい針が無惨の首筋に突き刺さった。分厚い装甲の戦車ですら容易く穴を空けるほどの威力を持った一撃。しかし無惨にとって、それは鬱陶しいと思わせる程度の物でしかない。

 

「ちぃ、またしても!!」

 

 それをすぐさま引き抜き、引き千切ろうとする。それよりも先にアシッドアナライズは無惨の手を離れ、滅の腕部装甲へと戻っていった。

 

「……まだ理解していないようだな。お前の攻撃は、私には通用しない!」

 

 急所を狙ったから何だと言うのだと、無惨は嘲笑う。滅の攻撃など、無惨にとっては蚊に刺された程度でしかないのだから、無意味なのだ。

 

「……そうかな?」

 

 だが、滅は余裕を崩さない。強がりを、と無惨は尚も笑おうとした。

 

 しかし、それはできなかった。

 

「――――――っ! グ、ガァッ!?」

 

 突如、無惨の全身が激しい痛みに襲われる。視界がぼやけ、筋肉が痙攣を始める。刺された首筋から中心に、灼熱が広がっていくように感じた。

 

「蠍の毒の味はどうだ?」

 

 滅がおどけたように感想を聞いてくる。立っていられず、無惨は冷たい雪に膝を着く。この感覚を、無惨は知っている。無惨の配下である鬼のうち、数える程度であるがこの地獄のような苦痛にのたうち回り、死んでいった。

 

 鬼の弱点のうちの一つ、藤の花。その香りだけで傍に近寄ろうとすら思わない程、鬼は藤の花を苦手とする。そしてその花から抽出した毒は、弱い鬼ならば血反吐を吐いて苦しんで死んでしまう。

 

 だがそれは弱い鬼にのみ通用する。強い鬼、さらに言うならば無惨は鬼の始祖だ。藤の花の毒程度、すぐに身体の中で分解し、無効化する。つまり無惨に毒を利用した攻撃は通用しないのだ。

 

「な、なんだ、これは……何をしたぁッ!?」

 

 その筈なのだが、無惨の身体の内で暴れるこの苦痛は、まさに毒。それも藤の花に近い、しかし圧倒的なまでに凄まじく強い毒が、無惨の身体を蝕む。無惨の中の鬼の細胞がそれを中和しようと奮闘するも、毒が細胞を壊し、再生した細胞が毒を消し、また壊され、再生し、消し、壊し……その無限ループにより、無惨の中から毒が消えようとしない。

 

「……お前の攻撃をラーニングするためにただ攻撃を受けてきただけではないのと同じように、俺もまたお前にただ闇雲に攻撃してきたわけではない。最初の一撃から、すでにお前を滅ぼすための手段の構築は始まっていたのだ」

 

 滅の攻撃の真骨頂は、カウンターを交えた打撃戦でも、アシッドアナライズを使った変則的な攻撃でもない。滅のライダモデルは蠍。蠍は毒を持つ生物。その蠍の能力をその身に宿した滅もまた、毒の力を扱うことができる。

 

 アシッドアナライズの一撃は確かに強力無比の一言に尽きる。だがアシッドアナライズは、言うなれば蠍の尾なのだ。滅の蠍の顔を模した装飾『スコーピオンセンチュリラ』が、敵の肉体組織、性質、構造、状態を分析し、額の『スコーピオンシグナル』が敵に対抗しうる毒の合成レシピを構築し、アシッドアナライズの内部で生成、それを対象に注入する。その力は生物だけでなく、コンピューターをも破壊するウィルスデータすらも作り出せることができる、恐るべき能力である。

 

 当然、無惨も例外ではない。いかに再生能力が凄まじい鬼と言えども、滅の毒からは逃れられない。

 

「もはやお前は、俺の毒の餌食だ」

 

「っ……!!」

 

 断言する滅。無惨以外の鬼ならばすでにその身を分解され、消滅していてもおかしくない致死性の毒を受けながら、無惨は屈辱を覚える。

 

「忌々しい……忌々しい、忌々しい……実に不愉快だ!!」

 

「……」

 

 怒りの咆哮を上げる無惨。口から唾液が飛び散ろうが構わず、無惨は目の前に佇む滅へ罵り、叫ぶ。

 

「私は絶対なる存在だ! 完璧に近い生物なのだ! それを貴様のような存在が、私を害すなど、あってはならない!! あっていい筈がない!!」

 

 鬼を滅ぼす異常集団がいる。その集団にも属していないような輩が、己に膝を着かせるなど、ありえていい訳がない。

 

 こんなことは、過去に一度しかなかった。己の手足を切り飛ばした、あの剣士以外にありえない。

 

「不快だ、お前の存在は不快だ! 私という絶対的存在に歯向かう異常者が! 身の程を弁えない屑が、このようなことをしてただで」

 

「知るか」

 

 吠え続ける無惨。それを滅は、あっさりと一蹴した。

 

「お前のことなど」

 

「ッ―――――――」

 

 嘲っている。絶対の存在である己を、目の前の異常者は侮辱している。それを理解した無惨の思考は、怒りのあまり停止した。

 

 その間にも滅は動く。

 

STRONG

 

 取り出したるは、一つのプログライズキー。スイッチを押し、黄緑色のカラーリングに描かれた強靭な角を持つ昆虫のアビリティが読み上げられ、起動する。

 

「お前など所詮、世界に悪意をばら撒く害虫に過ぎん」

 

―――ProgriseKey confirmed.Ready to utilize

 

―――HERCULES BEETLE’S ABILITY!

 

 アタッシュアローの下部にある『ライズスロット』にプログライズキーをセット、認証音声が流れ、滅は無惨へと照準を合わせてドローエクステンダーを引き絞り、エネルギーを充填させていく。必殺技待機音がけたたましく鳴り響く中で、

 

「お前に対する認識など……それで十分だ」

 

 

 

AMAZING KABAN SHOOT!!

 

 

 

 そう吐き捨て、滅は強靭な角を模した一矢を放った。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

「ぐっ……おのれぇぇぇ……!」

 

 時は戻り、急ぎ家へ戻ろうとしていたところを吹き飛ばされ、雪に埋もれながら炭治郎は、全身から夥しい血を流しながら長い髪を振り乱す半裸の男、鬼舞辻無惨と、その眼前に立つ謎の存在、仮面ライダー滅を前にし、困惑していた。

 

(あの腰にある物って、雪介さんが持ってた……それにこの匂い……じゃああの紫色の人は、まさか……!?)

 

 滅の腰に巻かれたベルト、そして嗅ぎ慣れた匂いから、炭治郎は目の前の存在の正体を察した。

 

「さぁ……」

 

 そうして、炭治郎の目の前で滅は無惨へと雪を踏みしめ歩み寄りながらフォースライザーのレバーを押し込む。勢いよくプログライズキーが閉じられると、フォースライザーから緊迫感を煽る音が鳴りだし、

 

「滅亡の時だ」

 

 再びレバーを引き、プログライズキーを展開した。

 

 

 

STING DYSTOPIA!!

 

 

 

 炭治郎の耳に飛び込む、聞き慣れない声による異国の言葉。声の発生源はフォースライザー。炭治郎には知る由もないが、それこそが仮面ライダー滅の必殺技発動の合図である。

 

 滅の左腕のアシッドアナライズが伸びる。それはしなりながら滅の右足に蛇の如く絡み付き、破壊エネルギーを送り込んでいく。

 

「っ…………!!」

 

 いまだ毒が抜けない無惨は、近づいてくる滅へとある感情を抱く。遥か昔、無惨の前に現れた一人の剣士。無惨の脳裏によぎる、身体を切り刻まれたあの感覚。あの時抱いた感情が、今また蘇ってくる。認めたくなくとも、無惨の身体を蝕む毒のようにこみ上げて来る。

 

 

 

 それを人は“恐怖”と呼んだ。

 

 

 

「く、来るな……!」

 

 ザクッ。一歩、滅の足が踏み出される。

 

「来るな……!」

 

 ザクッ。また一歩、滅の足が無惨へ迫る。

 

 無惨の視界に映る、滅の姿。それが、

 

「来るなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 

 その剣士と重なった。

 

 

 

「はぁぁぁっ……!」

 

 

 

 

滅    殲

 

 

 

 

 滅の強化された右足が上がる。強大なエネルギーを蓄えたその一撃は、

 

「あああああああああああああああっ!!」

 

「フンッ!!」

 

 最後の足掻きとばかりに肥大化した腕を振るう無惨へと、渾身のサイドキックとともに叩き込まれる!!

 

 

 

ス テ ィ ン グ

デ ィ ス ト ピ ア

 

 

 

 互いの一撃がぶつかり合った瞬間、凄まじい衝撃が風となり、周囲に吹き荒れた。

 

「うわぁぁぁっ!?」

 

 雪と共に、炭治郎は再び吹き飛び、転がっていく。視界が反転し、脳が揺さぶられる。

 

 

 

――――ベベンッ

 

 

 

 その中でも、この場にそぐわない琵琶の音が鳴り響いたことに、炭治郎は気付いていた。

 

 

 

 

――――――

 

 

 

 

「…………」

 

 周囲の雪が消し飛ばされ、木々は薙ぎ倒された悲惨な光景の中、仮面ライダー滅は中心で佇んでいた。そこに無惨の姿はなく、彼の痕跡は跡形もなく消えている。

 

 消し飛んだか……否、その考えは間違っていると滅は断ずる。

 

 手応えは、あった。しかし仕留めたとは言えない感触。足に纏ったアシッドアナライズが槍となり、無惨を刺し貫きかけたその瞬間、滅のセンサーが琵琶の音を拾った。同時、無惨の気配が掻き消えた。

 

 それが意味することはつまるところ一つだけ。

 

「……逃したか」

 

 取り逃がした……それに尽きる。

 

 だがここで蹴りが決まったとは言えど、確実に倒せたと言えるのか、滅にはわからない。あの不死性を、滅の毒だけで完全に滅ぼせたかどうか、滅は疑問を抱いた。

 

 奴は悪意だ。いや、悪意よりもさらに性質の悪い、悪意をさらに煮詰めたような邪悪だ。それを放置することは、即ち『アーク』の二の舞となるに他ならない。そんな奴を放置することなど、滅にはできない。

 

 だが奴を確実に倒すには、他の手段が必要だ……それを探さなければならなかった。

 

「……上等だ」

 

 滅はそれを一種の挑発と受け取った。滅の中にあるバッテリーは、休息を取れば充電できる。だがそれでもメンテナンスしなければ劣化していくだろう。滅が今いるここは、恐らく滅が知る世界ではない。竈門家と共に何度も山を下りて町を見て回ったが、ド田舎にしては発展していなさすぎる。何故自分がここにいるのかもわからないが、今はそれはどうでもいい。

 

 つまり、滅の中のバッテリーの寿命が尽きるよりも早く奴を倒さなければならないし、元いた世界へ帰る方法も模索しなければいけない。

 

 奴が滅ぶか、己が滅ぶか……自分の命をかけたデスレースといったところだろう。

 

 そう決めたところで、滅は身を翻す。分厚い雪雲に覆われた空は明るみ、夜の時間の終わりを告げた。太陽は見えずとも、一日が始まろうとしている。

 

「あのっ!!」

 

 一歩、前へ歩き出そうとした滅。しかし彼の背後から聞き慣れた声が滅の足を止める。

 

 振り返れば、肩と頭に雪を乗せた炭治郎が仮面ライダーの滅を見つめている。戦いの最中、滅は炭治郎の姿があることに気が付いていた。戦いに巻き込まないように注意を払っていたが、余波に巻き込まれたのだろう。

 

 そんなこととは露知らず、炭治郎は滅へと言葉を続けた。

 

「あなたは……雪介さん、ですよね?」

 

「……」

 

 疑問形だが、その言葉は確信を持っていた。炭治郎の嗅覚と、滅の腰のフォースライザーが正体を物語っている。

 

 しばし沈黙が場を支配する。固唾を呑んで返事を待つ炭治郎。やがて滅は、フォースライザーのレバーを押し込み、プログライズキーを閉じ、抜き取った。

 

 瞬間、滅の身体は紫色に輝く。

 

「っ……!」

 

 光が散れば、そこに佇んでいたのは本来の滅の姿……炭治郎にとって慣れ親しんだ姿だった。妖の類とも取られかねない異様な光景を前にし、言葉を失う炭治郎。

 

 そんな炭治郎に、滅は口を開いた。

 

「……竈門禰豆子が重傷を負った」

 

「え」

 

 突然告げられた事実に、炭治郎はそれだけしか言えず。そんな状態の炭治郎を放置し、滅は続ける。

 

「急ぎ下山し、町医者に見せろ。まだ間に合う筈だ」

 

 それだけ告げると、滅は炭治郎へ背を向けて歩き出す。停止した思考から復帰した炭治郎は、慌てて滅を呼び止める。

 

「ま、待ってください! どこへ……!?」

 

 どこへ行くのかと、炭治郎は問う。嘘を言っている匂いはしない。禰豆子は重傷を負っていることは間違いない。急ぎ町へ行って治療しなければいけないのは、炭治郎とてわかっている。

 

 だがそれと同じように、目の前から歩き去ろうとしている滅のことも大事だった。

 

「……一つ教えろ。今の元号は何だ」

 

「げ、元号?」

 

 突然の質問に、炭治郎は面食らう。足を止め、背を向けながら答えを待つ滅に、炭治郎は意図が読めないながら答える。

 

「今は……大正です、けど」

 

「大正……」

 

 炭治郎の答えを聞き、口の中で反芻する滅。やがて「そうか」と呟いた。

 

 どういう意図があってそんな質問をしたのか……炭治郎はそれを聞こうとした。が、滅の右腕から滴り落ちる物を見て、愕然とする。

 

「ゆ、雪介さん、血……っ!?」

 

 雪の上に落ちていく、赤い筈の液体。しかし滅の腕から落ちるのは赤とは逆の、青い液体。血特有の匂いはせず、寧ろ油に近い匂いがした。

 

「……俺は人間ではない」

 

「え」

 

 またも思考停止に追いやられる炭治郎に、滅は続ける。

 

「人工知能搭載人型ロボ『ヒューマギア』……遥か未来で人の手によって作られた、お前たちでいうカラクリだ」

 

「カラ……クリ……?」

 

 じんこうちのう? ひゅーまぎあ? カラクリ? 意味がわからない。炭治郎の脳を疑問符が埋め尽くす。

 

「そして俺の真の名は、滅。悪意を見張る者だ」

 

「ほろび……?」

 

 真の名……その言葉の意味が持つ物は一つ。彼の記憶が蘇ったということだ。

 

 炭治郎とてカラクリの意味を知っている。人の手で作られた、所謂人形。目の前に立つ男が、そんな筈がないと炭治郎は信じたくなかった。

 

 だが、炭治郎の嗅覚はその言葉に嘘はないと告げている。さらに言えば、これまでの彼の生活を見てきて、その信憑性を裏付けていた。食事を必要とせず、眠るときに呼吸をしない。彼から漂ってきた鉄と油の匂いの意味。そして今まさに、手から滴り落ちる血とは違う液体。

 

 そんな彼は、遥か未来から来たと言っている……俄には信じられない話だが、これにも嘘の匂いは感じられなかった。

 

「……俺は奴を追う。奴を、あのような悪意の塊を放置するわけにはいかない」

 

「っ……!」

 

 そして告げる。それは炭治郎たちとの別れを意味していた。

 

 いつかこの日が来るとは思っていた。記憶を取り戻した以上、彼がここにいる理由はもはやない。

 

「待って……待ってください!!」

 

 それでも、炭治郎は縋った。彼の存在は炭治郎にとって、竈門家にとって大きかった。大きくなりすぎた。短い期間であったとしても、彼は家族の一人だった。

 

 それだけではない。先ほどの男が家族を襲い、禰豆子を負傷させたのだと炭治郎は気付いている。それを救ってくれたのは、他でもない彼だった。

 

 そんな彼を……滅を、炭治郎は引き止めたかった。どうすることもできないと頭でわかっていても。

 

「竈門炭治郎」

 

 滅は炭治郎の名を呼ぶ。びくりと肩を震わせた炭治郎は、滅の言葉を待つ。そして、

 

 

 

「お前はお前の夢に向かって、飛べ」

 

 

 

 それだけを告げ、滅は歩き出す。雪を踏みしめ、誰もいない山の中へ。

 

 炭治郎は滅の言葉の意味を問おうとした。だがそれよりも彼が去ろうとしていることに気が付いた。

 

「雪介さん!!」

 

 手を伸ばす炭治郎。風で揺れる黒い着物を靡かせて歩く滅は、立ち止まらない。徐々に遠くなっていく背中を追おうとする炭治郎。その時、横殴りの強い風が吹く。雪が風で舞い上がり、視界を白で覆う。白い景色の中へと、滅の姿は溶けて消えていく。

 

 次に視界が開けた時、そこに男の姿は無く。初めて会った時のような雪が降る中、炭治郎は男の姿を探した。

 

 それは儚く消えた雪煙の中の幻想を掴むようで……炭治郎はその姿を見ることは、終ぞ無かった。

 




特殊タグで必殺技演出を再現するのって難しいですね。あのかっちょいいフォントデザインに近い奴を選びましたが、なかなか。

次回、後日談的な話。


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