グランダムの愚王 (ヒアデス)
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設定集

【次元世界ベルカ】

 

 ベルカは次元空間に浮かぶ世界の一つで、その内側に無数の国々を内包する次元世界である。

 かつては《ベルカ式魔法》の発祥地として優れた文明を持ち、各国はベルカにある本国のみならず、他の次元世界を『植民世界』として統治していた。

 しかし《多世界大戦》を経た現代では高度な文明は失われ、一部の国を除けば中世的な文明と武器、戦闘用の魔法が残されているのみである。そのためベルカでは大戦前のことを『先史時代』と呼んでいる。

 

 現代は大戦時の戦士が建てた国々が再びベルカの覇を競う群雄割拠の時代となっており、戦で使われた禁忌兵器(フェアレーター)の影響でベルカは常に暗雲に覆われ、作物の実りが悪くなるほど土地が荒れている。

 

 ベルカの陸地は本作の舞台となる『聖大陸』と、そこから海を経た先にある『外大陸』と無数の島々に分かれている。

 戦乱の影響で海全体が生き物の住めない死海と化しているため水産業と海洋技術は衰退しており、聖大陸と外大陸との間に交易はほとんどなく、飛行魔法が使える一団が行き来するのみ。

 

 

 

【各国の王族・貴族】

 

 ベルカ王族とは、その名の通りベルカに点在する各国を治める王とその一族であり、そのほとんどが《多世界大戦》中に遺伝子改造を施された魔導師や戦士の末裔で、左右の色が異なる虹彩異色の瞳を持ち、《固有技能》と呼ばれる特殊な技が使える。

 

 聖大陸の国々では、ほとんどの国で貴族や領主たちが封土を治める封建制が敷かれており、彼らが治める領地の運営に関しては国王といえども口出しすることができないが、いざ戦時となれば国王は貴族たち諸侯をまとめるほどの強い権限を発揮することができる。

 

 貴族たちは『公・侯・伯・子・男』の順に区分けされており、その下に一代限りの準男爵と騎士がいる。

 ベルカの騎士は《魔導騎士》とも呼ばれ、魔法を使う事ができる者が国王か領主に叙任されることで初めて騎士となる事ができる。騎士の位を持たず魔法が使える者も多いが、彼らは《魔導兵》、もしくは他の世界のように《魔導師》と呼ばれる。

 

 一部の国や自由都市、他大陸では封建制でなく、別の社会制度が敷かれているがここでは割愛する。

 

 

 

【宗教】

 

 ベルカではほとんどの地で《高次神ファルガイア》と、多世界大戦を終結させた英雄である《初代聖王ガブリエ・G・X・ゼーゲブレヒト》が信仰されており、植民世界としてベルカ各国に統治されていた次元世界でもファルガイアと初代聖王の信仰が残っているところは多い。

 

 聖大陸では教皇を頂点とする教会組織が作られ、上記の両柱に加え、初代聖王の末裔たる《聖王家》も重要視している。

 他大陸では教会の代わりに寺院が置かれ、聖大陸同様ファルガイアと初代聖王を信仰しているが、聖王家の事は特別視してはおらず戒律や様式も大きく異なるため、聖大陸の教会からは異教と見なされている。

 

 いずれの教会や寺院でも高位の聖職者たちの身分は貴族に匹敵し、直接民を指導している分貴族以上の影響力を持つ事もしばしばある。

 

 

 

【多世界大戦】

 

 数百年前に起きたベルカ全土と植民世界に渡る大戦。

 この戦によりベルカの魔法技術は戦争用に特化したものが多くなり、後の世で《ロストロギア》と呼ばれる兵器が誕生することになる。

 それらに加えて遺伝子改造技術も発達し、何人もの戦士が自らの遺伝子に改造を加え、強大な力と《固有技能》を獲得し、後に自ら王となって国を立ち上げる事になる。

 特に《聖王のゆりかご》に乗って他国や植民世界を制圧した《初代聖王》は現代ベルカの礎を築いたとされ、ファルガイアに次ぐ崇拝の対象となっている。

 

 

 

【固有技能】

 

 ベルカ王族と一部の貴族が持つ技能。

 多世界大戦からの遺伝子改造によるもので、虹彩異色とともに先祖代々受け継がれ、王位や爵位の継承でも重要視される。

 ほとんどが戦闘のための技能だが、使用者の資質と嚙み合わず上手く働かない例も多い。また聖王など一部の王は遺伝子のみならず、体に埋め込まれている魔力コアの力で技能を行使している。

 

 なお王族同士や上位の貴族との子でなければ保護(プロテクト)がかかるようになっているため、庶子や王族から離れた遠縁には虹彩異色と固有技能が引き継がれない。

 だが、ごく稀に保護(プロテクト)が働かないまま生まれる者もいるらしい。

 

 

 

禁忌兵器(フェアレーター)

 

 大地を汚染するほどの猛毒が塗りこまれた弾薬や森を腐らせる腐敗兵器など、環境に大きな影響を及ぼす兵器。時の聖王の一声によって締結された『ベルカ条約』によって使用を禁じられた、その名の通りの禁忌兵器。

 

 

 

【国々(本作に登場する国に限る)】

 

・グランダム王国

 大陸中東部にある小国で、本作の主な舞台となる国。主人公『ケント・α(アルファ)・F・プリムス』はこの国の第一王子で、現王にとって唯一の嫡子にあたる。

 西に帝国、北に連合加盟国のシュトゥラ、東にガレアといった列強に囲まれており、ベルカでは最も危険な位置に存在するため、軍事力の確保と維持に余念がない。

 

 

・聖王連合

 『聖王国』を中心とする、聖王家の血を引く各国の王家――『中枢王家』が作り上げた連合国。

 大陸北東を中心に広がり、シュトゥラなど聖王からは縁遠い国をも取り込みながら、聖王への恭順による聖大陸――ひいてはベルカ統一を目指している。

 連合の盟主たる聖王は、中枢王家の中から《聖王のゆりかご》を動かすことのできる者を選ぶことになっているが、連合成立から代々例外なく、初代聖王の直系《ゼーゲブレヒト家》の当主が聖王に就いている。

 

 

・シュトゥラ王国

 聖王連合に加盟している国の一つで、武力だけなら帝国とも渡り合える北の大国。

 現王の意向で設置された『シュトゥラ学術院』は高い教育水準を誇り、各国から王侯貴族が留学に訪れている。

 南は一面に渡る大森林が広がっており、そこには《魔女》と呼ばれる、猫の特徴を残す亜人が住んでいる。彼らがどこからきたのかは不明で、先史時代以前に異世界から移住してきたという説もある。

 

 

・ダールグリュン帝国

 大陸西部から広がり、近隣国への武力侵攻と属国化によって拡大した、聖王連合に匹敵する大帝国。

 国名と同じ姓を持つ《雷帝》が代々帝位に就いている。帝国内には皇族から派生した分家がいくつもおり、彼らの力は一国の王を凌ぐと言われている。

 

 

・ディーノ王国

 ダールグリュン帝国本土とグランダム王国の間にある国で、帝国の属国の一つ。

 互いの領土をめぐって長年グランダムと対立しており、帝国に従ったのも自国を守るほかにグランダムに攻め込むためではないかと言われている。

 グランダムと国力はほぼ同等。

 

 

・ガレア王国

 大陸東部に位置し、聖王国に並ぶ歴史を持つ国。

 連合にも帝国にも属しない小国家群《独立国》の一つだが、近隣国への侵略も積極的に行っている。

 ガレアに侵略された国は小村にいたるまで徹底的に破壊され、住民も人っ子一人残らないため、危険度は帝国よりも上。

 さらに侵略や戦には未知の生物兵器が使われているとされ、聖王国同様先史時代の技術を隠し持っているのではないかと言われている。

 

 

・コントゥア王国

 グランダムの東に隣接する小国で、連合にも帝国にも属さない独立国。今は亡きグランダム王妃(ケントの母親)もこの国から嫁いできた王女だった。

 東にはガレアに征服された地があり、かの国からの防備のためにグランダムと同盟を結んでいたが……。

 

 

・自由都市リヴォルタ

 グランダムのすぐ南にある、特定の国に属さない自治都市。

 五つの街区からなる巨大都市で、聖王国や帝国の都を凌ぐ規模を誇る。両都ですら見られないものも多く、他世界からの来訪者も聖王都に次いで多い。

 かつてはある国の都市だったが、領主の戦死や国の滅亡を経て、住民たちが自治を行う現在の形となった。

 リヴォルタで作られる品々は他国の物と一線を画しており、ガレア同様先史時代の技術が使われていると噂される。

 禁忌兵器(フェアレーター)もこの都市で作られているのではないかと言われているが……。

 

 

・反連合

 特定の国ではなく、聖王連合と敵対している国をひとくくりに呼んだもの。

 それぞれの国はグランダム以上に小さく、連合や帝国にとっては小粒程度だが、民間人の犠牲をいとわないテロまがいの襲撃、そして禁忌兵器(フェアレーター)を使う事で、各国にとって無視できない勢力となっている。

 

 

 

【フロニャルド】

 

 ベルカとは異なる世界に在る大陸。そこで生まれた人々は例外なく動物についているものと同じ耳と尾を持つ。

 古くから《魔物》と呼ばれる生物が跋扈する地で、人々は魔物から自分たちの身を守るために集落や国を作って生活していた。そのためベルカと違い、国や集落同士の戦いが起きたことはない。

 

 各国にはそれぞれ二本の《宝剣》があり、そのうえパスティヤージュ王国には現代文明を超える技術で作られた《伝承神器》があるが、それらの成り立ち、先史ベルカとの関係はいずれも不明。

 

 

・ガレット獅子団領国

 フロニャルド大陸中央に位置する国。この国の住民は皆、猫の耳と尾を持つ。

 海岸都市『ヴァンネット』と周囲にある町村を束ねてできた新興国だが、現領主が自ら指揮する《ガレット獅子団》の力は精強で、自国を脅かそうとした数々の魔物を退けてきた。

 

 

・パスティヤージュ王国

 フロニャルド大陸西方にある国で、住民はリスの耳と尾を持つ。

 この国に召喚された《勇者》とその一行に退治された魔物は数知れず、『救世主が降りた地』として注目を集めている。



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第1章 王子から王へ
プロローグ ケント・α・F・プリムス


 戦乱の時代、ベルカの地に愚王あり。

 グランダム王国を治める、好色かつ傲慢にして残虐非道な暴君。

 自身が生まれ育った国だけでは飽き足らず、己が欲望を満たす場所を求めて、呪われし魔書の力を盾に領土を広げ、ベルカ全土、そして他の次元世界にまで侵略の手を伸ばそうとし、ベルカの平和のために立った聖王陛下にその刃を向けた痴れ者。

 その名を……。


 

 

 

 

 

 勉学を終え自室を抜け出し長い通路を通ってきた俺は、宮殿の敷地中心に造られた中庭に来ていた。

 そこにはグランダム中のあらゆる品種の花が植えられ、庭の中心には樹が生えており見るものの目と心を癒す。

 俺は勉学と魔法の修練を終えると、必ずここに来るようにしている。

 視力低下を防ぐにはこんな自然を遠目で見るようにするといい、って何かの本に書いてあった。まだ視力が悪くなったことはないので効果があるのかはわからないが、この城には他に暇潰しもなかった。

 父や他の家臣に「暇だ。何かないか?」などと言えば、勉学と修練を続けろと言われるに決まってる。だから数少ない暇潰しの一つをここで過ごすと一人で決めた。

 

――あっ! 蝶だ。

 

 中庭に設置されているベンチに座り、しばらくの間生けられている花や樹を眺めていると、花と花の間を飛んでいる蝶に気が付く。

 そんな些細なことが楽しい……そう思い込む。

 そう自分に言い聞かせていると、廊下の方からぶしつけな足音が響いてくる。

 

「殿下、探しましたよ!」

 

 足音の後に聞き覚えのある声がしてくる。後ろに向かって振り向くと、チョビ髭の文官が深刻そうな表情で俺を見ていた。

 ふむ、サボっていると思われたかな? まあノートを見せて、それから文官が出してきた問題を十問くらい答えて見せれば課題を終えたと納得してくれるだろう。

 

「課題なら終わったよ。叱るなら確認してからにしてくれ。君がそれを確認するのは勝手だが、俺はもう少しここにいてもいいかな? まだ目の疲れが取れた気がしない」

「いけません! すぐ私について来てください!」

 

 ……はっ?

 

 考えるそぶりも見せてくれず、即断で俺の願いを取り下げる文官に心の中で聞き返す。

 せめてもの頼みをやんわりと伝えただけで、駄々をこねたつもりはないんだが。

 

「……」

 

 無言で文官を睨んでしまうものの、相手は表情をピクリとも変えない。

 ……降参だ。相手が文官みたいな堅物でなければ、両手を上げてるところだ。

 

「わかりました。では戻りましょう。我が鳥籠へ」

 

 しかし、文官はそれにも「いいえ」と言ってきた。

 

「……」

 

 怪訝な表情になってきたのが自分でもわかる。

 彼の言うとおり部屋に戻ると言っているのに、こいつは何が不満なのか?

 

「陛下がお呼びです。殿下にはこれから私と共に謁見の間へ来ていただきます。それまでには気を引き締めていただきますよう……ケント第一王子」

 

 ……なるほど。それならこの庭にいる暇はないわけだ。

 俺が納得したのを見て文官は俺に背を向けて謁見の間の方へと向かっていき、俺はその後に続いた。

 あの父に早足で会いに行く趣味はない。このおじさんの後ろにゆっくりとついて行かせてもらうとしよう。

 

 その数日後、あるいはこの日から俺、ケント・α(アルファ)・F・プリムスの日々は大きく変わることになる。

 それは多忙だが楽しい日々の始まりであり、同時にこの国の終わりの予兆だった。



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第1話 闇の書

 『グランダム王国』

 ベルカという世界を治めんと乱立した国々の一つで、俺たちが住む祖国だ。

 俺はケント・α(アルファ)・F・プリムス。年は18。この国の第一王子として生を受けた。

 右眼は金、左眼は緑の虹彩異色(オッドアイ)

 この左右異なる瞳の色は、ベルカに点在する王族の証。王族以外にも偶然虹彩異色が顕れる者もごく稀にいるが、一般の人間は一代止まりなのに対して、王族は代々虹彩異色を受け継いでいる。ちなみに茶色の髪は瞳と違って特に意味はない。

 母は幼い頃に亡くなり兄弟姉妹は()()()()()()()()いないため、肉親は父だけだ。

 しかし、この国の王である父に妾や庶子がいるとの噂は俺も何度か耳にしている。もちろん、父に聞けるはずもないが。

 

 

 

 

 

 俺を先導してきた文官は俺に待つように目配せしてから、扉の前にいる衛兵に何事か告げて一足先に謁見の間へ入っていき、しばらくして別の文官が入ってくるように促した。

 無駄な形式だなと心中でこぼし、一呼吸いれて開かれたままの扉をくぐり抜ける。

 

 

 

 

 

 謁見の間には、入り口から玉座の手前の階段までの両脇に貴族が並んで俺を値踏みするような目で迎え、その奥に玉座とそこに座るこの国の王、俺の父がいた。

 貴族たちには目もくれずに歩を進め、玉座の手前で立ち止まり父に向かって顔を伏せて膝をついた。

 

「ケント・α・f・プリムス、御前に参りました」

「おもてを上げよ。我が息子よ」

 

 どうせ上げさせるのに無駄な作法を。

 

 そう思いながらも「はっ!」と言ってから、俺はその顔を上げ父の方に向けた。

 そこには髭をたっぷりたくわえ、俺と同じ金色の右眼と緑色の左眼で俺を見据える父がいた。

 父はニ・三ほど数える間俺を見てから口を開く。

 

「ケントよ、なぜこの場に呼ばれたか知っておるか?」

「存じません。よろしければご教示いただけないでしょうか?」

 

 言った通り全く心当たりがない。下手に思い返してやましいことがあると思われる方が後々障りが出ると考え、即答で聞き返すことにした。

 父は玉座の前に並ぶ貴族たちの中で最も座に近い場所に立っている宰相を見て、彼の名を呼び目を合わせてから大きく頷いた。

 宰相はニ三歩歩み寄り、一礼して告げてきた。

 

「つい昨日、我が国に隣接するディーノ王国から陛下の元へ宣戦布告の書状が届きました。これに先立ってディーノからは様々な条件を突き付けられましたがとても飲めるような内容でなく、陛下はこの国と民の安寧を守るため自ら軍を指揮し、侵略者たちを迎え討つことをご決断されました。聡明な殿下ならここまで申し上げればお分かりでしょう?」

 

 ――ついに来たか!

 

 ディーノ王国。

 このグランダムの西隣に位置する国で規模はこの国と変わらない。

 しかし、ディーノはどの勢力からも独立しているグランダムと違って『ダールグリュン帝国』に与し、その庇護を受けている。

 

「私もその戦列に加われと?」

 

 俺の返事に父はうむと首を縦に振った。

 

「このグランダムの寵児たるお前の晴れ舞台だ。この戦をもって、ベルカを平定するのはあの聖書に選ばれたお前のいる我がグランダムであることを全土に知らしめようではないか!」

 

 右手を握りしめながらそう息巻く父に対し、俺は一度目を伏せてから尋ねる。

 

「ディーノはどのぐらいの兵を我が国に向かわせてきているのでしょう?」

 

 戦の準備をしている最中とあって頭に入れているのか、宰相はよどみなく答えてくれた。

 

「三万ほどですね。布告を届けて帰国する使者殿を()()()()するのと同時に放った、斥候から報告を受けています。ディーノ王自ら指揮する軍が自国の領内を進行しており、数日後には我が国との国境に到達するものかと」

 

 動員できる兵をほとんど向けられている状態か。確かに帝国を敵に回す危険を冒してまでその構成国を攻撃しようとする国など、帝国と敵対している()()()()()以外にはおらず、あの国々も帝国と戦う準備が整ったとは聞いていない。だから今の小康状態が続いていたのだ。

 

「恐れながら陛下、私から陛下に申し上げたき議がございます」

「申してみよ」

 

 この戦に際しての意気込みを聞かせてくれるものと思い、父は笑みすら浮かべて俺を促してくる。……余計言い辛いな。

 

「敵国ディーノは自国の守りを宗主国ダールグリュン帝国に任せ、兵のすべてを侵攻に回している状態。それに対し、我がグランダムは他の国々からの守りを固めるため、多くの兵を自国に残さざるを得ません。敵国と我が国の規模は同等、どうしても我が国の方が兵力は少なくなります」

「……何が言いたい?」

 

 俺が言おうとすることを察したのだろう、父は笑みを消していく。この時点で俺にはこの話が辿る流れが最後まで読めてきた。

 しかし、今更引くわけにもいかない。

 

「陛下、ここはディーノの軍勢と戦うのではなく、敵軍を止める手を打つべきだと思います。我が国が『聖王連合』か『ダールグリュン帝国』、このうちどちらかの傘下につくことを表明するのです! 聖王のもとにつけばディーノを圧倒する援軍が、皇帝ならばディーノへ侵攻停止の勅命が届くでしょう。一刻も早く飛行魔法を習得している使者を、聖王か皇帝のどちらかに――」

馬鹿者!!

 

 俺が提案を告げた瞬間、父は玉座から立ち上がり怒鳴り声をかぶせてきた。

 おもわず身をすくめた俺に対し、父は玉座に座り直し一転諭すように言ってきた。

 

「これしきのことで今さらそんな真似ができるものか! ケントよ、連合と帝国がしのぎを削る中、我が国がどうして今まで独立を続けてきたと思う? それはお前が()()()()()に選ばれたからだ。生まれたばかりのお前のもとに現れたあの書が、完成した暁には神に準ずる力を主に与えるという――あの“闇の書”がお前のもとにあるから」

 

 

 

 《闇の書》

 それは太古のベルカで作られた、あらゆる魔導を収集し、666ものすべての頁を埋めた時には主に絶大な力をもたらす魔導書。

 その反面、その書は独自の意志を持って動いており、自ら主と定めた者のところへ現れ、その側を離れることはないという。伝説上の書であり実在すると思う者はほとんどいない。

 しかし、その実在しないと思われていた闇の書は俺の手元にある。

 

 俺が生まれたばかりの頃、闇の書は赤ん坊だった俺のそばにいつの間にかあった。

 父はその書に興味を持ち自身の手元に置こうとしたが、その書は宙を浮いたり転移したりして、最後は必ず俺の元へ戻ってきた。

 その書は鍵穴がない錠から巻かれている鎖で封印されており、主だと思われる俺でさえ中を見ることはできない。

 父が強引に錠を破壊しようとしたこともあったらしいが、物理的手段でも本が破損する覚悟で放った魔法でも、錠にも本にも傷一つつけられなかったという。

 ここに至って、父や周りの重臣は錠に封印されている書物が伝説の闇の書だと確信した。

 それ以来俺は闇の書に選ばれた者と見なされ、書の主にふさわしい魔導師とするべく、ひたすら魔法の修練と勉学を施されてきた。

 

 

 

「闇の書の力があれば《ゆりかご》も恐るるに足りん。ベルカを平定するのは聖王を名乗るゼーゲブレヒトでも、己を雷帝などと呼ばせているダールグリュンでもない。書の主として生を受けたお前なのだ! お前と我らグランダムが戦乱を終わらせ、ベルカの世に平和と光をもたらすのだ。その手始めにこの戦で書の力を解き放ち、ベルカの覇者として名乗りを上げる! 

 お前はもうよい。部屋に戻り戦までに一つでも多くの魔法を習得せよ。後で武具と魔導鎧を持って行かせる。下がれ!」

 

 父に一喝され、俺は何事か告げてから謁見の間を後にした。

 

 

 

 馬鹿な! 中の頁を見ることもできない魔導書の力をどう解き放てというのか?

 そんな当てにならないものを国家存亡の危機に繰り出そうというのか!

 俺はこれまでの人生で最も強く父である王に憤った。

 そしてこれが、俺が父に対し強い感情を持った最後の瞬間となる。

 

 

 

 

 

 

 そして数日後、グランダムとディーノそれぞれの王が指揮する軍が、両国の国境線と定義づけられた森林を挟んで一時停止していた。

 ベルカの空はいつものように黒い雲に覆われ暗い。

 

 ディーノ軍三万に対しグランダム軍は一万近く。

 数に勝るディーノ軍は、森林の前に広がる平野であえて軍をとどめているのだろう。

 こちらが功を焦って森林を抜けたが最後、二万もの数の差を付けられたディーノ軍と、視界が広がる平野で野戦を繰り広げれば勝機はない。

 俺は軍勢の中で馬車ではなく馬に騎乗するよう言いつけられ、王都を抜けるときは前列に、その後から国境に着くまでは後方で馬を進めさせられた。未だ封印されたままの闇の書を持って。

 

 野戦だけは避けなければならない。しかし敵も自ら動いてくる愚は犯さない。

 敵が焦れて森林に踏み込ることがない限り、戦が始まることはないだろう。……この戦長くなるな。

 

 

 

 

 

 

 一方、グランダム軍とは森林を挟んで反対の自国領の平野に布陣するディーノ軍。

 

 その奥では数百以上の天幕が張られ、そこから戦場で敵軍を待つ兵士と、天幕で休息する兵士が出入りしていた。どの天幕も兵で埋まっており、どうしても入れない場合は外で寝ることを強いられている者もいる。

 貴族将校が居るいくつかの天幕を除いては。

 

 その一番奥の天幕にこの軍の総大将ディーノ王がいた。

 もっとも広いこの天幕には椅子に鎮座する王と、彼に戦況を報告するために出入りを許された伝令兵のみがいる。

 

「グランダム軍は国境沿いに到着しましたが動きません。このままだと数週間、あるいはひと月はかかるやもしれません。付近には村もありますが時間をかければ避難をすませてしまい、糧食を挑発することもできなくなるでしょう。如何いたします?」

 

 略奪するかと問うてくる兵に王は首を横に振った。

 

「好きにさせておけ。長期戦に備えて兵站は十分用意しておいた。国から輸送されてくる分も含めてふた月はしのげる。そんな()()()()()必要はない。……お前も知っているだろう。ダールグリュン皇帝が略奪を許さぬことは」

「……」

 

 皇帝の名を聞いて兵士は唾を飲み込む。

 

 

 

 帝国、そして帝国に服従する国々では有名な話だ。

 数年前、即位間もない皇帝は自ら一軍を率い、ある独立国に攻め込みその国を併合した。

 その戦の前に皇帝自らが、村や町などの非武装な場所への略奪や攻撃を禁じる命令をだし、その命令は全軍にいきわたった。

 

 しかし、ある部隊が国の端にあるため敵味方双方の目につきにくい村に踏み込み、虐殺、略奪、強姦などの無法を犯してから村や民を焼き払った。

 だが、わずかな村人が燃える村から逃れて帝国本軍に保護され、自国の兵の所業が明らかになったのである。

 これを知った皇帝は激怒。村人の証言や行軍記録をもとに村を襲った部隊を特定、部隊に所属する兵士をすべて捕らえ、王都だった街にて大衆の前で磔にした後、自らの雷撃魔法をもって足を切断、その後も死なぬ程度の苦痛を延々与え、力尽きかけたところを空から降り注いだ雷撃が消し炭にする。

 そんな処刑を一日おきに数人ずつほとんどの者に行い、強姦を犯した者に至っては、ここでは書けないほどの厳罰の末に命を落とした。兵たちは例外なく命乞いならぬ死に乞いを繰り返したという。

 

 それから皇帝は逃れてきた元村人の本国への移住などの保護と、併合した国の民を自国民として扱うことを約束。その国を帝国領とするすべての手続きを踏んだ後、本国から来た領主に明け渡し、自身は本国へ帰還していった。

 

 この話が伝わるにつれ、ダールグリュンは多くの民から恐れられる一方、民の保護者として帝国や属国の民から慕われるようにもなった。

 独立国の民の中には密かに、くだらないこだわりから独立を続ける王より、民思いで強い力を持つ皇帝の支配下に入り庇護を受けたいと考える者もいる。

 ただしこの皇帝、明らかに戦を楽しんでるふしもあるので、帝国民はこの皇帝とゆりかごという切り札を持つ聖王がいる限り、戦は終わらないのではと不安視する者も少なくないのだが。

 なお、ダールグリュンの別名《雷帝》は歴代の皇帝が雷撃魔法を主に使うことから貴族や一部の兵からそう呼ばれていたのだが、先ほど述べた処刑を行う際にこの魔法をふんだんなく使用したため、一気に民草にも広がった。

 

 それから帝国軍はもちろん、属国の軍でも略奪は名実ともにご法度となった。

 とはいえ、さすがの皇帝も属国の王や兵士を処刑する権限はないため、あの苦痛刑を課されることはない。しかしそれで皇帝の不興を買えば、来たる聖王連合との決戦において、自分たちが最前列に立たされ聖王軍に潰されることは想像がつく。

 

 

 

「グランダムの地と民は無傷のまま皇帝に捧げねばならん。案ずるな。王宮なら制圧するのが当然であるし、使用人に手をかけなければそこの宝物を奪うことくらいは許されるだろう。グランダムの地と引き換えに頂く皇帝からの恩賞は計り知れんし、グランダムの統治も任せてもらえるかもしれん。採算は十分採れる!」

「……」

 

 兵は口を閉ざす。

 ダールグリュンのもとでは略奪はむしろ危険な行いだ。それはわかる。

 食料を買い取ってもいいのだが、貧しい村から余り物を貰ってもたかが知れている。

 また、兵士相手だとどうしても村人を委縮させてしまい、後々略奪だと誤解されかねない。

 ゆえに、このまま延々と軍を遊ばせて食料を浪費していいものか。

 そんな兵士の考えを王は察して言ってやる。

 

「問題ない。あの策が通じれば嫌でも戦端は開く。敵が座して滅んでいくか破れかぶれにこちらへ突っ込んでくるか、我らはそれを待てばよい。……それより国境にいる軍にあやつはいるか?」

「――あっ、はい! グランダムの王子も王の補佐として戦場に出ている模様です」

 

 兵の返事に王は笑みを浮かべる。

 

「奴は黒い魔導書を持っていたか?」

「ええ。あの魔導書が闇の書と呼ばれるものかはわかりませんが、下馬した際には必ず抱えながら歩いていたと斥候と間諜から」

 

 そこまで聞いて王はふむとうなった。

 

「本当に持ってきていたとは、真偽はともかく敵の王は余程あれを旗印にしたいと見える。……今から各指揮官に伝えよ。グランダムの王子は必ず殺せ。持っている魔導書はわしの元へ持ってくること、燃えたなら残骸でも構わん。王子の首と黒い魔導書を持ってきた者には莫大な褒美を取らせる。よいな」

「はっ! 直ちに」

 

 兵は王の指示を各指揮官に伝えるべく天幕を出ていく。

 王はそれを見てからこの戦の趨勢を考える。

 

 ディーノ王の最大の目的は《闇の書》だった。

 数月前、グランダムの宮殿に勤めていた使用人だった女がディーノに亡命してきて、ディーノと雷帝への忠誠の証として、王子の部屋にあるという黒い魔導書の事をあるディーノ貴族に漏らしたのだ。

 それはすぐさま王に伝わりグランダム侵攻のきっかけとなった。

 

 正直期待は薄い。

 自由に飛び回り、自分の意志で主を決める本などはっきり言って胡散臭い。

 何より一冊の書にいくら魔法を記述したところで、ゆりかごを凌ぐ力など手に入れられるものか。

 しかし、グランダム王が何らかの確信を持ってその本と主となったらしい王子に、ベルカ統一の悲願を注いでいるのも確か。ならば一応王子を殺して闇の書も自分の手元に置いておくか。

 それにもし万が一、闇の書が伝承通りの力を持っていたら雷帝も聖王も下し、自分こそがベルカを支配できるかもしれない。

 そんな妄想を思い浮かべ王は思わず口を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 グランダム軍は国境に到達してさらに数日間、逗留を余儀なくされた。

 王子である自分さえ天幕暮らしが慣れてきたところだ。すし詰めになっているという兵士たちよりはましなのだろうが。

 待つしかない。

 備蓄を減らした敵軍がやむなく森林に足を踏み入れるまで、あるいは侵略をあきらめるまで。

 だが、宣戦布告をして準備までしてきた敵軍がこんな事態を予想せずにいたのだろうか?

 嫌な予感が強くなってきたその時!

 

敵襲!! 敵襲!!

 

 前方からの叫びに思わず俺は天幕から出た。

 天幕から出た俺の前に、緑色の魔導鎧を着た見なれぬ兵が斬りかかってきた。

 体を横にそらし、間一髪敵の剣を避ける。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス」

 

 持っていた魔導媒体を兼ねる剣、《ティルフィング》に魔力を込める。

 そして鞘から剣を抜き、紺色の魔力光が帯びた刃で敵兵を斬りつけた。

 

「ぐっ」

 

 俺の一撃は敵兵の肩から下にかけて入ったが、鎧に守られ深くはなかったようだ。

 敵は己の剣を構え直してくる。

 俺もそれを見て構えを取ったが、

 

「コメットキャノン!」

「ぐあっ!」

 

 側面から飛んできた火矢を頭に食らい、敵は頭部を消し炭にして命を落とした。死体からは勢いよく煙が上がっている。

 

「殿下! 御無事ですか?」

 

 俺を助けてくれたのはやはり黒の鎧をまとった自軍の兵士だった。

 

「ありがとう。しかしもう敵が攻めてきたのか?」

 

 味方の兵は困惑の色を浮かべながら頷く。

 

「飛行魔法を使える敵兵が千人以上、しかし……」

 

 兵はそれ以上は何も言わなかった。

 戸惑うのも無理もない。ディーノは飛行魔法に関する教育が進んでいるとは言えない。むしろ苦手なはずだ。

 実際今の兵士が言った通りなら攻めてきたのは千人くらいらしい。一万はいる自軍には圧倒的に足りない。

 そんな兵力差でなぜ攻撃など仕掛けてきた?

 そんな疑念は次の瞬間に吹き飛ぶ。

 

「も、森が、森が枯れているぞぉ!!

 

 声に従い森の方を見ると森の木々が黒く変色し、木々が細くなっていった。

 

 これはまさか……やられた!

 

 

 

 

 

 この時グランダム軍は一切の勝機を失った。常識で考えられる限り。



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第2話 ヴォルケンリッター

 両軍が国境の森林を挟んで対峙して数日後、数週間は続くと思われた膠着状態は、敵軍の数少ない飛行魔導士兵と森林の腐食によってあっけなく瓦解した。

 

「我が軍の進行を遮る森はもうない。全軍進め―!!

オオオオオォォ!!

 

 天幕から出てきたディーノ王の喚起を、彼が従える軍勢が一斉に声を張り上げて応じる。

 

 敵の進行は早い。我先に腐敗した森を抜け敵軍を蹴散らし、王の求める敵国の王子の首と闇の書というらしい魔導書を手にするべく、馬を、己が足を進める。

 

 片や、森が腐食する前に敵陣に踏み込んでいた飛行兵は王子の隙を突くことに失敗したと悟った途端、300ほどの兵を失いながらもグランダム軍の攻撃が届かない森の上まで後退していた。深追いしようとするグランダム飛行兵もいたが、眼下の森だった場所を通ってくるディーノ軍を見て思いとどまった。

 

 腐敗兵器――大森林を荒れ地に変える《禁断兵器(フェアレーター)》の一つ。そんなものを手に入れていたのか!

 

恐れるな! 我が兵たちよ!

 

 俺がいた天幕よりさらに奥の方から響く怒声に、俺も兵士も思わず振り返った。

 

「陛下!」

 ――父上!

 

 兵の声と俺の心の声がダブる。

 そこから現れたのはすでに黒き魔導鎧に装束を変えたグランダム王、俺の父だった。

 

「たかが一万対三万。一人が三人以上敵を討ち取れば済む話であろう! 我とて小国なれどベルカに打ち立てられた国の王。グランダム王として備わった我が技能をもって千人は潰してくれるわ!」

 

 そう息巻いて父は実の子である俺をも顧みず進んでいく。だが父は俺にだけ伝わるように《思念通話》を届けてきた。

 

《ケント、私に何があっても決して退くな。お前を主と選んだ闇の書と、お前だけが持つ《固有技能》、そして書を引き寄せたお前自身の才を信じろ》

「陛下? それはどういう――」

「……皆、戦に意識を向けろ。一人で四人は討ち取れ。それで我が国の勝ちだ」

 

 俺の問いを無視しながら父は地を離れ、宙へ浮いていく。

 それを見て――

 

「待ってください。陛下! ……父上ーー!!

 

 

 

 

 

 王は飛行し後方から最前列へ飛んできた。

 

「陛下!?」

 

 迫りくる敵に集中していたため、今まで後方に意識を向ける暇もなかった兵がはるか後ろから突然飛んできた王に驚く。

 

「木が枯れるなど少し珍しいものを目にしたからといって、慌てふためいている兵が多すぎるのでな。余自ら活を入れてやろうと思って来たのだよ。前線に立つなど久しいからな。いい機会だ、よく見ておけ。ベルカ王に名を連ねる者の戦いを!」

 

 そう言いながら、王はさらに前に向けて歩を進める。

 逃げるどころか単身で向かってくる老兵に、敵兵は怪訝に思いながら迫って来るが構う者はいない。

 黒い鎧を着ているものは皆グランダムの兵士だ。民間人相手では許されない殺戮を尽くすのみ!

 

「――虹彩異色(オッドアイ)! あの目の色はまさか!?」

 

 しかし並の者より眼がいい者と、一瞬後の光景を見た者は老兵の正体を知ることになる。

 

「身体強化・《巨人の叫び(ジャイアント・クレイ)》」

 

 グランダム王の体は赤色の魔力光を帯びながらどんどん巨大化していく。魔導鎧はこの変化を考慮した魔法式が組み込まれているためか壊れる様子はない。

 

「――なっ、《固有技能》だと? まさかこのジジイは――」

 

 敵の老兵の変化に戸惑い動きを止めるディーノ兵だが、10mほどまで巨大化したグランダム王は敵兵が戸惑いから覚めるのを待たずに巨大な腕を振り下ろした。

 

「ギガントプレス!」

 

 グランダム王の振り下ろした腕に押しつぶされ、十数人はたった一撃で圧死し、ごくわずかに逸れた者も腕や足を潰されその場から動けなくなった。

 グランダム王は負傷した兵を巻き込むことも構わず、二度も三度も腕を振り下ろす。

 敵が自軍の兵を皆殺しにしようとしたように、グランダム王も敵を皆殺しにする気で凶器となった腕を振るい続ける。

 敵軍は人外と化したグランダム王の姿にすくみ上り、その場から逃げ出した。

 

「オオオオオオオオッ!」

 

 しかし巨人、グランダム王は逃げだす兵を追って走り出し、彼らのほとんどを踏みつぶしていく。

 そんな味方の惨状を見て、森だったところに近づいていたディーノ兵はその場にとどまり、足踏みをする。

 そんな兵を侮蔑しながら、後方から敵の総指揮官が馬を走らせながらここまで来た。

 

「臆病者どもめ、これくらい雷帝に比べれば見かけだけの強化ではないではないか。……おいグランダムのジジイ! 余はダールグリュン雷帝陛下の腹心にしてディーノ王国の王である! ここは一国の王同士、一対一の決闘といこうではないか!」

 

 後方から現れた緑色の鎧と兜の魔導装束をまとったディーノ王の姿を認め、グランダム王が足を止める。

 ディーノ王を名乗る者の目は、確かに右眼が青、左眼が黄の虹彩異色だった。

 

「よかろう。その馬は決闘に必要か? 余の姿を見てひどく怯えているようだが、下馬する時を与えてもよいぞ」

 

 グランダム王の言う通り、ディーノ王が乗ってる馬は落ち着きがなく、手綱を緩めれば勝手に逃げ出しそうだった。

 

「そいつはありがたいな。ではお言葉に甘えて――」

 

 ディーノ王はグランダム王の勧め通り馬から乱暴に下り、トドメとばかりに馬の腹を蹴った。

 馬はたまらず主人や巨腕の怪物から逃げ出し、ディーノ兵を何人か蹴散らしながら、いずこへ走り去っていった。

 

「……無体な真似をする。自分より大きな生物に恐れをなすのは動物の本能だろうに、人間も例外ではないぞ。雷帝から余に飼い主を鞍替えするというならば受け入れてやろうではないか。ただし、余のもとでは王を名乗ることはできんがな」

 

 グランダム王の挑発をディーノ王は鼻で笑う。

 

「逃げる兵を踏み潰しておいてよく言うわ。貴様こそその身を雷帝に売り込んだらどうだ? 帝国の見世物小屋はさぞ大繁盛するぞ!」

「ほざいたな雷帝の狗が!」

 

 王たる自身を猛獣呼ばわりされたグランダム王は憤慨し、巨大な握り拳をディーノ王に叩きつけようと腕を上げた。

 

「結界魔法・パンツァーガイスト」

 

 しかし、ディーノ王の全身が紫の魔力光で包まれると光に阻まれ、グランダム王の腕はそこで止まった。

 

「なんの! ならば結界が壊れるまで殴りつけるまでだ!」

 

 その言葉の通り、ディーノ王を守る結界をグランダム王は何度も殴り続ける。

 

「今だ! かかれ!!」

「ぐあっ!?」

 

 結界に包まれたディーノ王めがけて拳を振るっていたグランダム王の後頭部に激痛が走った。

 グランダム王はたまらず振り返る。

 

「砲撃魔法・フレースヴェルグ」

「ぐぉ!」

 

 そして今度は左目に激痛が走る。

 今まで森だったところの上を飛んでいた飛行兵が魔法弾を、グランダム王の後頭部、そして今度は左目に撃ち込んだのだ。

 それを見てディーノ王はたまらず噴き出す。

 

「馬鹿め! 何が決闘だ。これは戦争だ。戦争とは結局、勝てばよいのだ!!」

 

 結界を解いたディーノ王は、三角の魔方陣を自身の足元と前方に展開する。

 

「待たせたな兵たちよ。ジジイへのトドメはわしがさしてやろう」

 

 ディーノ王に集まる高魔力の気配に、グランダム王は見える方の右眼をむく。

 

「なに? これほど魔力を消費する術をこんなところで?」

「闇の書に備えて温存しておくと思ったか? あんな小僧、数万の兵の突撃で踏み殺せるわ!」

 

 ディーノ王は勝ち誇り笑みを浮かべながらそんなことを言うが、これはブラフだ。

 ディーノ王は己の固有技能によって、あと一回はこれぐらいの高位魔法を放てる。

 もう充分魔力が集まった頃だ。

 

「広範囲冷却魔法・フィンブル!」

 

 ディーノ王の前に展開した魔法陣から、猛烈な吹雪がグランダム王を襲う。

 グランダム王の体はみるみる凍っていき、生じた氷は頭の先まで覆おうとしていく。

 

「……ケント、我が国を……ベルカ統一の悲願を……」

 

 グランダム王はかろうじてそう言い残し、彼の全身は完全に氷漬けになった。

 もはや凍死は免れない。

 

 ディーノ王は氷漬けになったグランダム王の姿をしばらくの間眺めていた。そして……。

 

「ふっ……ふふふ……ふはははは!! グランダムの王は死んだぞ。皆の者、掃討戦だ! 残ったグランダムの兵をすべて討ち取れ! この戦我らの勝利は決まった!!」

ウオオオオオオオ

 

 

 

 

 

 

「父上……父上―!!

 

 父、グランダム王が氷に包まれる姿は、前線まで駆けていた俺にもはっきり見えた。

 もう助からないだろう父の名を叫ぶ俺の肩を、誰かが掴んで無理やり押しとどめた。

 

「殿下、お逃げください! この戦の勝ち目はなくなりました。こうなったら殿下だけでもこの場を逃れるしか我が国に存続の道はありません。王都に戻ることさえできれば聖王に助けを求めることもできるでしょう。何らかの条件は付けられるでしょうが」

 

 俺を捕まえたのは先ほど助けてくれて、ともに前線まで駆けていた自軍の兵士だ。

 

「馬鹿な、お前たちはどうなる? 王も兵も失い、国土を蹂躙されて何が存続だ!」

 

 俺はそう怒鳴って返すも肩を掴む力は緩まない。

 

「言い争っている時間も惜しい。誰か! 飛行魔法を使える者は無理やりにでも殿下を連れて王宮まで飛んでゆけ!」

「はっ! 王子、私にお捕まりくださ――ぎゃああ!」

 

 俺を戦場から逃がすために来た飛行兵は、どこからか放たれた光弾に撃ち落された。

 

「敵軍が崩れたぞ。王子の首と魔導書は頂くぜ!」

 

 そして先ほどまで後退していた敵の飛行兵が、再び俺を狙ってここまで飛んできていた。すでに数十体はいる。

 さらにその奥の敵の本軍は元森を抜け、自軍を蹴散らしながら俺に迫ってくる。

 もう駄目か!

 

 

 

 

 

 

――主への敵意を検知。主を防衛するプログラムを実行する必要性ありと判断。

 

――ならびに周囲に多数の魔力反応を検出。蒐集プロセスの実行に最適と判断。

 

――開錠および起動プログラムを実行……転移機能とバックアップ機能に破損あり。一部の機能が正常に実行できない恐れがあります。

 

――『――の魔導書』の起動を開始します。

 

 

 

 

 

 

「殿下、お逃げくださ――ぐああ!」

 

 兵は俺を守ろうと抵抗し敵兵を何人か撃ち落とすも、むなしく敵の光弾に倒れる。そしてとうとう味方は全滅し俺だけが残った。

 

「後はお前ひとりだ。魔導書を出せ。そうしたら生け捕りかここで死ぬかぐらい選ばせてやる」

 

 そんなにこの魔導書が欲しいのか? 主が追いつめられている今も錠から解かれる気配のないこんな本を――。

 

「――固有技能・《フライングムーヴ》」

 

 技能の発動を念じた瞬間敵の動きが極端に遅くなる。

 敵が止まってるも同然の間に、

 

「シュバルツ・ヴァイス!」

 

 俺は刃で敵兵の一人の喉を、そして続けてもう一人、二人の首を斬っていく。

 しかし、ここで限界が来た。

 

 とてつもない疲労感が来てたまらず地に膝をつけると同時に、まわりの動きは元に戻る。

 

「ぐあああ!!」「ぎえええええ!」「ぐはぁ!」

 

 急所を斬られた敵兵は断末魔を上げてこと切れ、それによって敵兵は仲間の死に気付く。

 

「――なに!? ……まさか貴様、何かの技能を使ったのか?」

「……それが答えというわけか。ならばここで死ね!!」

 

 怒り狂った敵兵が杖型の媒体を俺に向ける。

 砲撃魔法……ここまでか!

 とうとう俺は死を覚悟し目をつむる。

 

「――?」

「なんだ?」

 

 …………。

 しかし、いつまで経っても敵がとどめを刺してくることはなく、訝しく思いながら目を開けてみると、今まで懐にしまっていた黒い魔導書、闇の書がひとりでに宙に浮いた。

 

『Ich entferne eine Versiegelung.(封印を解除します)』

 

 闇の書の中からそんな言葉が聞こえると、今まで闇の書を封印していた錠は突然砕けて、そのはずみで鎖はほどけそのまま地面に落ちていく。

 そして、

 

『Anfang(起動)』

 

 闇の書がそう告げた瞬間、俺の胸元から出てきた魔力光と同じ紺色の光る何かが、瞬く間に書に吸収される。

 あまりに予定外の出来事と、攻撃で書を巻き込むことを恐れたのか、敵兵は何もしてこない。

 そして闇の書の回りから紫の円状の魔方陣が顕れた途端。

 

「紫電一閃!」

 

 いきなり魔法陣から出てきた桃色の髪の剣士が敵兵に斬りかかる。

 

「ぎゃあああ!!」

 

 切られた敵兵は身体から煙を出しそのまま絶命する。

 ――炎への魔力変換!

 

「テートリヒ・シュラーク!」

 

 大槌を構えた赤髪の少女が敵兵を勢いよく殴りつける。

 

「ぐはっ!」

 

 殴られた敵兵はそのまま吹き飛び地面に勢いよく叩きつけられた。

 

「鋼の軛!」

 

 褐色肌で筋骨隆々の大男が手を突き出すと白い魔法陣が現れ、

 

「がはぁ!」

 

地中から光の杭のようなものが敵兵を十人近く突き刺していく。

 

「くそ! ……(新手が現れた! 増援を頼む!)……思念通話が通じない? ……まさか――ぐああっ!」

 

 応答がないことに戸惑っている敵兵の胸元から腕が伸び、輝く何かを掴み取る。

 そこで気配に気づいた後ろを振り返った俺の傍らには、いつの間にか金髪の女性が立っていた。女性の媒体から延びる紐は円状の輪をつくり、その輪の中には緑色の渦が出来ている。彼女の左腕はその渦に突き込まれていた。

 

「主よ、今のうちに闇の書に《リンカーコア》を蒐集させてください」

 

 なに? リンカーコア? この人は一体何を言っているんだ? 

 意味が分からず困惑する俺をよそに、魔導書はひとりでに頁を開く。

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 闇の書がそう宣告した途端、空白だったページにはおびただしい文章と記述式がひとりでに書き込まれていく。

 

「――なっ?」

 

 異変が起きているのは女性に何かを奪われた兵士だけではない。

 気絶した者の体からも同じような光が浮かび上がり、絶命した者に至ってはその何かが丸ごと魔導書に吸収されていく。

 その間も桃色髪の剣士と赤髪の少女は敵兵を蹴散らしていき、その敵兵も光を奪われ気絶、あるいは絶命していく。

 

 気が付けば俺を襲っていた敵兵はすべて倒れていた。

 剣士は剣を鞘に納め、少女は持っていた槌を小さくしてしまい、他の二人とともに俺の前に来た。

 

「――」

 

 俺は剣を持つ。

 固有技能、もう一回使えるか?

 使えたとしても相手を斬るのに使うか? それとも逃げるために使うか?

 そんなことを迷う俺に向かって四人は一斉に膝をついた。

 

「えっ!?」

 

 先頭で膝をつく桃色の髪の剣士が顔を伏せながら口を開く。

 

「闇の書の起動を確認しました」

 

 続けて金髪の女性が言葉をつぐ。

 

「我ら、闇の書の蒐集を行い主を守る守護騎士にございます」

 

 さらに大男が口を開く。

 

「夜天の主のもとに集いし雲」

 

 最後に赤髪の少女が言った。

 

「《ヴォルケンリッター》――何なりとご命令を」

 

 

 

 

 

 これが闇の書の守護騎士《ヴォルケンリッター》との出会いだった。



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第3話 守護騎士と臨む最初の戦

 《ヴォルケンリッター》。

 闇の書と呼ばれていた黒き魔導書から浮かぶ魔法陣から現れるやいなや、瞬く間に周囲の敵兵を駆逐して何かを奪っていった四人の黒装束の者たちは、そう名乗って俺に跪いていた。

 

「……我が軍に加勢してくれる……ということでいいのか?」

「ご命令とあらば。《リンカーコア》に内在する魔力を集める絶好の機会でもありますので」

 

 先頭で跪く桃色の髪の騎士は迷いなくそう言ってくれる。

 リンカーコアとやらの意味は分からない。それはひとまず置いておこう……しかし、

 

「確かに君たちはかなりの凄腕のようだ。言葉に甘えたい気持ちはある。しかし君の後ろの偉丈夫はともかく、他は皆女子(おなご)じゃないか。女子(おなご)が戦場で戦うということは、常に敵の手に落ちる危険があるということだぞ。それは死ぬだけでは済まないかもしれない。その意味が分からない齢でもないだろう」

「この身が滅びる時まで主をお守りし、魔力を集め続ける。我らはただそれだけのために存在するのみです」

 

 こっちの忠告を金髪の女性がそう言って、すげなくはねのけてくる。それに続いて――

 

「勝つか負けるか、生きるか死ぬかってだけの話だろう。あたしらが加勢してやるってんだ。あんたは後ろから命令してりゃいいんだよ。そこで闇の書の頁が埋まるのを待っとけ」

「ヴィータ!」

「主の前ではお前は黙っているという約束だったはずだぞ!」

 

 跪く姿勢とは違って、乱暴な口調でそう吐き捨てる赤髪の少女を、金髪の女性と桃色の髪の剣士が咎める。

 しかし、俺が手を平を向けると二人は口を閉じた。

 

「いや構わない。しかし君たちこそいいのか? 戦いには慣れてるようだが、先も長いだろう幼子まで加えて」

「それがこの子を含め我らの本分ですから」

 

 また金髪の女性がそう冷たく言い放った。

 冷静を通り越して冷徹というか。

 

「シャマルの言うとおりだ。それにあんた、幼い子供だったら先が長いって本気で言ってんの? この戦乱の時代、若かろうが年取ろうが運が悪けりゃあっさり死んでいく世だ。()()()()()()()()()()()()()()。違った?」

「……」

 

 確かに少女の言う通りだ。

 夜盗に襲われる者、戦争のさなか軍隊に虐殺されたり、慰み者にされたり、齢など関係なくこの世に住まう者は皆、何らかの危険にさらされている。

 

 俺が返答に窮していると、一人会話に取り残されていた大男が割ってきた。

 

「主よ、この戦いにおける我らの働きを見て判断なされるというのはどうですかな? どの道退却にはもう遅い」

 

 確かに、むしろ今はここで跪かせたままでいさせる方がマズイ。

 

「わかった。助力を頼む。ただし、危険を感じたら俺に遠慮せずにすぐに逃げること。それが条件だ。それでいいなら、すぐに立って戦いの準備をしてくれ」

 

 俺がそう言うと四人は驚きながらもうなずいて立ち上がり、口を開いた。

 

「ヴォルケンリッターを束ねる将にして、《剣の騎士》シグナム。これより主の剣として、いかようにお使いください」

 

 まず長い桃色の髪を紐でまとめた剣士が、

 

「《鉄槌の騎士》ヴィータ。戦いなんてあたしらだけでどうとでもなる。あんたも戦うなりふんぞり返るなり好きにしていいが、足は引っ張るなよ」

 

 次に長い赤毛を二つに分け三つ編みに結った少女が、

 

「《湖の騎士》シャマル。ヴォルケンリッターの参謀役として、守護騎士への指示と支援を行います」

 

 短く揃えた金髪の女性が、

 

「《盾の守護獣》ザフィーラ。他の騎士と主の補助、防衛に回ります。此度は主のお傍でその身を守らせていただくとしましょう」

 

 なぜか犬の耳と尾を付けた白い髪と褐色肌の大男がそう名乗った。

 そしてシグナムとヴィータとやらは前線の方に身を向ける。そんな彼女たちにシャマルは声をかけた。

 

「待って! シグナム、ヴィータ、まだ《騎士甲冑》が――」

「あんな奴らに必要ねえよ! 後だ後!」

「同感だな。さすがにそんな余裕はなかろう。……では主、私たちは敵を斬り捨て魔力を集めて参ります。ヴィータの無礼への仕置きもその後にいたしますので」

「それは気にしなくていい。それより、危険を感じたら俺に遠慮せずにすぐに逃げること、これだけは決して忘れないでくれ」

 

 そう言うとシグナムとヴィータは戸惑いながらも、シグナムはうなずき、ヴィータは何の反応も返さずにすぐさま前線へ飛んでいった。

 そして残ったのは……

 

「主は如何なさいます? このザフィーラどこへなりとお供いたします」

「我が主、何かご入用でしたら私が用意いたしますが。あの程度の軍勢、シグナムとヴィータなら指示も補助もしばらく必要ないでしょう」

 

 ザフィーラとシャマルだった。俺は二人に向き直り……

 

「俺も前線に向かう。申し出に甘えてザフィーラ、共に来てくれ。シャマル、君は風の癒し手と名乗っていたな?」

「はい。主はどこかお怪我を?」

 

 表情一つ変えずシャマルはそう尋ねてくる。オレは首を横に振りながら、

 

「いや、すぐそこに医療用の天幕がある。治療魔法もしくは薬学の知識があるなら兵の治療をしてくれ。動けるようになった途端、ここから逃げ出すかもしれないが好きにさせて構わない。……頼めるか?」

「ご命令とあらば」

 

 一礼しそう言った後、シャマルは指示通り負傷者が集められている天幕へ向かう。

 

「では主、前線に向かいますか? ならば私にお捕まりを」

 

 俺が飛行魔法を使えないのを察して、ザフィーラはそう言ってくれるが俺は首を横に振った。

 

「いや、まずは敵の飛行兵を片付けたい。お前たちが先ほど行っていたのは蒐集とのことだが、蒐集した魔法を使うことはできるのか?」

「はい。ただし、集めた頁を幾分消費することになりますが」

 

 ただでは使えないか……いや、飛行兵を放っておくわけにはいかない。

 

「構わない。どうすればいいのか教えてくれ」

 

 

 

 

 

 

「ギガントシュラーク!」

「なっ!? 槌が巨大化――ぐあああ!!」

 

 ヴィータの持っていた槌が巨大化し、何十人ものディーノ兵を圧殺していく。

 槌自体の大きさもそうだが、それを軽々と振るうヴィータの姿も信じられない光景だった。

 

「シュランゲバイセン・アングリフ!」

「がはっ!」

 

 シグナムが剣を振るうとそれは連結した刃となり、複数の敵を切り刻んでいく。

 さらにその刃には激しく熱い熱がこもっており、それが敵兵についた傷を重症化させていた。

 

「おのれ!」

 

 どんどんディーノ兵の数を減らしていく謎の女騎士に空中にいた飛行兵が杖を向けた。

 

「フレースショット!」

「ちっ、パンツァーシルト」

「パンツァーガイスト」

 

 ディーノ兵の放った砲撃を、ヴィータとシグナムがシールドで防ぐ。

 

「次に死にたいのはてめえらか。ならお望み通り――」

 

 飛行兵に向かって飛び込もうとするヴィータだったが、思わぬ方向から、

 

「フレースヴェルグ」

 

 後方から放たれた無数の光弾がディーノの飛行兵を打ち落としていく。

 光弾を放ったのはシグナムでもヴィータでもない。

 

「あんっ? こんな魔法、あたしら知らねえぞ。主のとこの兵士か?」

「いや。敵軍の中に使える者がいたようだ。まさか……」

 

 

 

 

 

 

 俺が闇の書から放った無数の光弾は元森の上で、シグナムたちを狙っていた敵兵を一掃していく。

 見るとザフィーラの言った通り、頁から分や式が消えていった。5ページほどといったところか。その代わり、

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 闇の書がまたそれを告げると生死問わず、倒れている周囲の兵から光、リンカーコアというらしいものか、あるいはその魔力だけが闇の書に吸収されていく。

 集まったのは15ページ。差し引きで今の攻撃によって10ページは増えたことになる。

 

「ふっ。少々減ったと思いきや、その直後の蒐集で魔力が集まり、結果的には頁を増やすことが出来ましたな。先ほどは失礼、いらぬ口を挟んだだけでした」

「いいさ。いざという時は減らす覚悟もしなければならないが、こういう使い方もあると知れた。それでも蒐集するだけでどんな大魔法でも使えるなんて、今の俺には大きすぎるくらいの利点だ」

 

 詫びるザフィーラに本心でそう思って言葉を返す。

 そう。蒐集すればどんな魔法でも使えるようにできるこの魔導書は確かにすごい。しかし、そこで俺の心には密かな疑問が芽吹いたが、この時点ではそんなことにかまっている暇はなかった。

 

「ではそろそろ行こうか……主として闇の書に命じる。我に空を舞う翼を!」

『springen』

 

 闇の書がそう唱えると1ページの半分ほどが消失し、その代わりに俺の体は宙に浮いた。

 

「行くぞザフィーラ!」

「御意!」

 

 

 

 

 

 

「おのれ小娘ども、捕らえて女に生まれたことを後悔――ギャハっ!」

 

 突然現れ次々と味方を斬り、または潰していく女騎士に襲い掛かろうとするディーノ兵の後ろから刃が突き刺さった。

 そこには今まで逃げまどっていたグランダム兵が。

 

「女たちのおかげで敵がひるみ始めたぞ!」

「俺たちも負けるな!」

「かかれ! 俺たちはまだ負けていない!」

 

 今までとは一転流れが変わったと見るや、現金にも彼らはディーノ兵に反撃を始めた。

 だが、敵軍もこれで終わらない。彼らの総大将がいる限りは。

 

「ぐはっ!」

 

 勢いづいて前進しているグランダムの部隊が彼らに斬り伏せられた。

 

「調子に乗るな残党ども! 我が兵も情けない! 女が二人増えたくらいで崩されおって。わし自ら手本を見せてやるわ!」

 

 グランダム兵を斬り捨てて現れたのはディーノ王自ら率いる親衛隊だった。

 

「あのおっさんで()()は締めか。シグナムとあたしどっちでやる? どっちかがおっさんを、どっちかが周りにいる兵隊たち担当ってことで」

「油断するな。腐ってもベルカの王、間違いなく固有技能を持っているだろう。あのそれぞれ異なる色の瞳がその証だ」

 

 王を見つけた途端、これがこの戦の終端と見て軽口を叩くヴィータをシグナムがたしなめる。

 

「舐めるな娘ども!」

 

 いきり立ったディーノ王はすぐさま間合いを詰めてきて、ヴィータに斧を振りかぶる。

 ヴィータは槌でそれを受け止めるものの、衝撃のあまり顔をしかめる。

 

「うっ、確かに見た目通りの馬鹿力――でやあ!」

 

 ヴィータは槌を振り回して、斧ごとディーノ王を振り払う。

 さらにそこへシグナムが王に斬りかかり、彼に手傷を負わせた。

 だが、王に斬りかかった際に見せた一瞬の隙をついて、シグナムの腹に矢が突き刺さる。

 苦痛をこらえて矢が飛んできた方を見れば、王についていた親衛隊の何人かが弓を構えていた。

 

「このヤロウ――ぐあっ!」

 

 それにキレたヴィータが親衛隊に向けて槌を振りかぶるものの、そのヴィータの肩に斧が深く入った。

 

「ふははっ! 見たか娘、これが多勢に無勢というやつだ! 武器を捨てて投降すれば捕虜として我が城に住まわせてやっても構わんぞ。そこの小さい方は少なくとも成長するまでは生かしてやる」

「下衆が」

「はっ、気前がいいな」

 

 王の言わんとすることの意味を悟ったシグナムは王を罵り唾棄するが、言葉以上の意味を知らないヴィータはそんなことを言う。しかし、

 

「でも、あたしらは主以外に従うことが許されないんだ。闇の書が完成するまで主のために戦い、戦場で死ぬことを繰り返す。いつか闇の書を完成させる主が現れるまで」

「痴れ事を――ならばここで死ねい!」

 

 ヴィータの言葉をただの拒否と受け取った王は、今度こそヴィータを肩から斬り落とすため斧を振りかぶる。

 

「フレースショット!」

 

 だが、空から飛んできた光弾が斧を弾き落とした。

 

「――あれは?」

 

 光弾が飛んできた方の空へ王が目を向けると。

 

 

 

 

 

 

「ヴィータ! シグナム! 大丈夫か?」

 

 負傷したヴィータにディーノ王が斧を振りかぶっているのを見て、俺はためらわず闇の書から蒐集した魔法を王に撃ち放った。

 当たったのは王ではなく斧だったが、それがヴィータへのトドメの一撃を阻止することに繋がったようだ。

 

「王子か……者ども何をしている? 早くあの小僧を撃ち落とさんか!」

「はっ! ……射てぇ!」

 

 魔力のこもった矢が俺に向かってくる。

 

「主、そのままお進みください。せいっ!」

 

 だが、ザフィーラの展開した白い障壁が俺とザフィーラに飛んでくる矢を防ぎ、勢いを失った矢はそのまま元森へ落ちていった。

 ザフィーラの手はこれだけでは終わらない。

 

「鋼の軛!」

「ぐぁ!」

 

 地中から延びた白い杭が親衛隊たちを串刺しにしていく。

 

「ザフィーラ! 主!」

「ザフィーラはともかくあの新米主、余計なことを」

 

 とどめを免れたシグナムとヴィータは、各々新たな主に対しそうこぼす。

 さらに、

 

「かかれ!」

「王子、この場は我らが!」

「くっ、貴様ら!」

 

 残った親衛隊を、ようやく駆け付けたグランダム兵が取り囲んだ。

 

「馬鹿な……圧倒的に兵数に勝り、固有技能を持ったグランダム王もいなくなったこの状況で、なぜこんなことに……」

 

 追いつめられたことを認めざるを得なくなったディーノ王は、顔をゆがめ歯噛みする。

 俺はそんなディーノ王の前に降り立った。

 

「ヴィータ、シグナム、ここまでよくやってくれた。後は俺がやる」

「はあ!? ざけんなてめぇ。あたしがあんなので追いつめられてるように見えたのか? バァカ! まだまだ余裕だっての、守護騎士は人間とは身体の作りが違うんだ。ここで退けるか、やられた分の倍はたっぷり利子付けて返してやる!」

 

 相変わらず主に対してもぞんざいなヴィータの肩をシグナムが掴んだ。

 

「待てヴィータ……主よ、よいのですね?」

 

 そう念押しするシグナムの方を見ず、俺はうなずきだけ返す。

 

「一対一の決闘だ。お前が王、いや父に仕掛けたのと同じようにな。文句はあるか?」

 

 元森で闘っている父の様子を見ていたらわかる。

 父は上空にいる飛行兵に隙を見せて、一か所だけを攻撃し続けていたのだから。もっとも父は敵が決闘の決まりを破ることを察していたのかもしれない。しかし、敗色が濃くなった状況で敵将を討つためにあえて決闘に乗ったのだろう。

 

 俺からの挑発にディーノ王は鼻で笑った。

 

「それでお前の親父がどんな末路を辿ったか見てなかったのか?」

「だからだ。お前は卑怯な手で父を討った。だから俺はお前を正々堂々と討つ。そうしなければ勝った気がしない」

「たわけが! そんなこだわりがせっかくの好機を逃すのだ。よぉし受けてやる。いつでも来い小僧!」

 

 そう言うとディーノ王は改めて斧を構えた。

 

(ここまで壊滅した以上、もはや撤収せざるを得ないな。せめてここで王子と女どもをあの魔法で吹き飛ばして国に戻るとしよう。そして帝国の軍を連れてグランダムを落とすのだ。恩賞はなくなるだろうがもはやこれしかない)

 

 …………。

 五ほど数えるほどの間を空けて、俺はディーノ王に斬りかかった。

 

「結界魔法・パンツァーガイスト」

 

 だが、その斬撃はディーノ王がまとった結界に阻まれ、たまらず俺の体ははじき返され、後ろに飛ばされる。なんとか踏みとどまることはできたため倒れるのは免れた。

 

「そこだ!」

 

 俺がひるんだのを見逃さず、ディーノ王は斧を振りかぶる。

 俺は剣を振り上げなんとか斧の一撃をふせぐ。

 すごい力だ。腕が痺れる。

 

「貧弱者が!」

 

 ディーノ王は力任せに斧を振るってくるが、俺はその度に剣をぶつけることでなんとかしのぐ。

 そして数回互いの武器をぶつけたことで、ディーノ王は自分と相手の腕力の差を悟り、

 

「死ねい!」

 

 ついに痺れを切らしたディーノ王は、大振りで俺の頭目掛けて斧を振りかぶる。

 この時を待っていた。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 俺の剣に紺色の魔力光が帯びる。

 

「だああ!」

 

 俺の剣はディーノ王の斧を弾き王の胸元に迫る。

 それを察した王は俺の後ろの方に向かって叫んだ。

 

「何をやってる!? 早くそやつを撃て!」

 

 ――!

 

 

 

 

 

 茂みに隠れていた兵が王の合図を受け、ケントに向けて杖を構える。

 

「フレースショット!」

 

 その杖から放たれる光線は逸れることなく、ケントに向かって撃たれた。

 

 

 

 

 

 

「主!!」

 

 それに気づいたザフィーラが障壁を展開しようとする。

 

「必要ない!」

 

 だが、俺はそんな彼を一喝する。

 ザフィーラは思わず動きを止めた。その表情は心配ではなく、この主は何を考えているんだ? という困惑の色に染まっている。

 しかし、これこそが俺にとっての好機!

 

「固有技能・フライングムーヴ!」

 

 途端、俺以外の世界の動きが大きく鈍くなった。

 人の動きも光線も緩い。守護騎士とて例外ではない。

 だが、ここでさっきのように相手を斬るような真似はしない。

 それよりもっと大きく打撃を与えられる方法がある。

 だから俺は光線が守護騎士の方には向かってないことを確認して……その場を離れた!

 俺はすぐに技能を解く。すると――、

 

 時間の動きは戻り光線は再び勢いよく射線上を進む。

 しかし、俺はすでに光線の向かう先にいない。その先にいるのは……。

 

「なに? ――パ、パンツァーガイスト!」

 

 ディーノ王は慌てて結界を張るが、光線は十分に展開しきれてない結界を貫き、王はその衝撃を受けて後ろへ倒れこんだ。

 

「ぐあああっ!」

「今だ! はあああ!」

 

 結界が砕けた衝撃でよろめき尻餅をついている王に向けて、俺は剣を振りかぶった。

 だが、王は体勢を立て直しながら、

 

「馬鹿め! 結界ごときが我が技能と思ったか。広範囲冷却魔法・フィンブル!」

 

 王の前にベルカ式の三角の魔方陣が展開する。それを見て俺の背中を撃とうとした兵はこの場から逃げ出すがかまっている暇はない。

 一方、守護騎士たちは棒立ちして俺たちを見守るだけだ。巻き込まれれば彼女たちも助からないはずなのに。

 

 ディーノ王の技能は《魔力運用》。

 己の魔力を節約、圧縮などを通して可能な限り少ない魔力の消費で大きな魔法を、あるいは多く魔法を撃つようにできる。しかも普通より短時間のチャージで。

 グランダム王の技能である巨大化や、俺の技能である止まった時間の中を移動する術に比べると一見地味だが、使い方によっては大きな魔法を使う時に溜めの時間を短くしたり、撃てる回数を増やすことができる。魔導師次第では何よりも恐ろしい能力となるだろう。

 

 ディーノ王が放とうとする魔法に対し俺は、

 

「砲撃魔法・コメットキャノン!」

 

 コメットキャノンを放つための魔法陣を展開しさらに、

 

「主として闇の書に命じる。可能な限り書に宿る魔力を我が魔法に上乗せせよ!」

 

『Verstanden.(了解)』

「なに!?」

はああああ!!

 

 火弾は闇の書の力で巨大化し、巨大化した火弾はそのままディーノ王を襲う。

 

ぐああああああ!!

 

 そして魔法の効力が切れ炎が消失したあとには、煙を上げながらうずくまるディーノ王の姿がそこにあった。

 

「ほう」

「あの主、あたしらの助けも借りず勝ちやがった」

「今度こそ闇の書が完成するのかはわからんが、この主、今までとは違うようだ。今回は少し楽しめそうかな」

 

 過去の主と違い、戦場に出ていくだけでなく時には自分たちの力を借りず戦う今の主の姿に、シグナム、ヴィータ、ザフィーラは驚きを隠せずにいる。

 そんな彼らの眼前では、敵の王がうめき声を上げながら憎々しげに俺を睨みつけていた。

 

「最後になって闇の書の力を借りるだと、汚い真似を」

「魔導書は武器だ。そもそもこいつのおかげで独立を続ける羽目になって来たんだ。これくらいは許容範囲だろう。それにお前だってこの戦いでも忍ばせた兵に俺の背中を撃たせようとしたじゃないか」

「ぐぬぬ……」

 

 至極正論を言ったつもりだがディーノ王は不満げだ。

 

「ふざけるな! ――」

「――っ!」

 

 最後の力を振り絞ってディーノ王は何事か俺に仕掛けようとした。

 しかし、

 

「ぐはあっ!」

 

 ディーノ王の胸から飛び出した手がそれを阻み、彼にトドメを刺した。

 

 

 

 

 

 

 己が媒体クラールヴィントが描く渦に左手をのばしたシャマルは、渦の向こうにいる敵に語り掛ける。聞こえていないだろうが。

 

「はいはい。もうあなたはここまで! 万が一この悪あがきで主に死なれても困るし、その主も頁も無駄に使っちゃったりするし、それを補填するためにもあなたはさっさと蒐集されちゃって」

 

 

 

 

 

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 そしてまた闇の書はひとりでに頁を開き、ディーノ王や彼だけでなく周りの敵兵からも、リンカーコアまたはその魔力が蒐集されていく。

 さっき逃げた敵兵もいつの間にか自軍の兵に仕留められたようで、屍となった彼からもリンカーコアが抜き取られた。

 そうして今度こそ起き上がっている敵は一人もいなくなった。

 ディーノ王もこの蒐集に耐えきれずこと切れた。

 

「……勝ったのか?」

 

 戦勝というには異様な光景に、俺は思わずそうこぼした。

 

「お見事です我が主」

「まっ、少しは骨があるかもな。戦いに出るのは許してやるよ。でも足引っ張ったりしたら承知しねえからな!」

「改めて我らヴォルケンリッター、闇の書の完成まで主に仕えることを誓わせていただきます」

 

 シグナム、ヴィータ、ザフィーラが口々にそう労ってくれるも俺の気分はちっとも晴れなかった。

 

 

 

 

 

――『――の魔導書』87ページまでの蒐集を完了。



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第4話 《闇の書の主》と一国の王になった男

「殿下、よくぞご無事で! 申し訳ありませんな、お力になれず」

 

 ディーノ王を倒し朽ちた森から残存兵を連れて本陣へ戻ってきた俺を、陣にいた兵士を代表して将軍が出迎えてくれた。

 

「いや、貴公が後詰として背後を守ってくれたから前線での戦いに専念できたんだ。誇っていい。それで、彼女については……」

「ええ、殿下にお仕えしたくここまで来たのだと聞いております。確かですかな?」

 

 そう問い合わせてきた将軍の横には……

 

「主、お帰りなさいませ」

 

 守護騎士でただ一人、陣に残してきたシャマルが一礼して俺たちを待ってくれていた。

 守護騎士内では参謀役という立場にいるらしいため、直接戦う役には向かないことと、《風の癒し手》を名乗っているため医療知識があるのではと思い、負傷兵の手当てを頼んでいたのだ。

 もちろん前線で戦ったシグナムとヴィータ、俺の護衛をしてくれたザフィーラと同じように、シャマルにも感謝している。

 

「ただいまシャマル。負傷兵の手当てご苦労だった。この通り他の守護騎士たちも無事だ」

 

 そう返事しながら後ろを見る。

 シグナムとザフィーラはそっけなく視線を返し、ヴィータは軽く手を振るだけだった。多分俺ではなくシャマルに振ったんだろう。

 

「……ゴホン」

 

 守護騎士たちとそんなやり取りをしていると、将軍が咳払いをして自分の存在を示してきた。

 そう言えば彼の質問に答えてなかったな。彼女たちが信用できるかだったか?

 

「大丈夫だ。シャマルも後ろの三人も信頼できる。森で戦っていた兵にも聞いていいが、この三人は身命を投げうって敵軍と戦ってくれた。二心があるものに出来ることじゃない」

「待ってください!」

 

 将軍とは別の将校が割ってきた。

 あちこち泥や木の葉がついていることと鎧兜の装いから、森で戦っていた部隊の指揮官の一人だろう。

 

「俺は王都から出立してずっとここにいましたけど、こんな女たち俺は見たこともありませんよ! それに彼女たちはあまりにも強すぎる! 彼女たちが最初からいたならこんなに苦戦することも、陛下を失うこともなかったんじゃないですか?」

 

 ……やはり隠し通せないか。

 どの道闇の書抜きに今後の方針は決められないし、臣下に隠し事をしながら政を行うような王には、人が離れていく一方だろう。

 ならば……。

 

「分かった。包み隠さず話そう。守護騎士たちの身分も確定させたいと思っていたところだ。……シャマル、シグナムとヴィータの手当てを頼む。大丈夫だと言っていたがあれだけ深手を負って大したことがないはずがない」

「……はい、かしこまりました主」

 

 

 

 

 

 

 ケントが将軍たちと共に奥の天幕へ行って、守護騎士四人が残される。他の兵士たちも話しかけようとはせず遠巻きに見ているだけだ。

 

「シグナム、ヴィータ、深手って?」

「肩に斧が刺さっただけだよ。シグナムは腹に矢が、()()()()()()大したことじゃないだろう」

「うむ。再生機能が働いてすでに完治しているしな。お前の手はいらん」

 

 尋ねるシャマルにヴィータもシグナムも、件の箇所を見せながら健在だと主張する。

 彼女らの言う通り、そこにはわずかほどの傷跡もない。森でついた汚れと服があちこち破れているのが問題だが、初めての事ではなく、大事な箇所は覆えているので本人たちは気にしていなかった。

 むしろ努めて見ないようにしていたケントや紳士な兵士たちの方が大変だった。そうでない兵士ももちろんいてケントたちに注意されたが。

 

「しかし、今回の主は奇特な方だ。我々に危険だと感じたら逃げて構わないと言ったり、お前たちの傷の心配までするとはな」

 

 傷の話に関連付けて、ザフィーラは今回の主となったケントについてそう語りだした。

 シグナムもシャマルもそれには同意する。

 

 今までの主は高い資質、能力、その他の力をもって闇の書に選ばれながらも、闇の書がもたらす力に執着し、自分は動かず守護騎士たちに魔力やリンカーコアを集めさせようとするばかりだった。

 シグナムとヴィータは絶えず前線に送られ、死線を潜り抜けながらも、労いなんてかける主は片手の指で数えるほどもいない。

 ケントのように自らも戦い、時に守護騎士の助けも拒み、頁集めが遅れるのもいとわず蒐集した魔法を使い、そして守護騎士の身を案じる。こんな主は異端中の異端、はっきり言ってイレギュラーだ。

 しかし、その一方で守護騎士たちはこう考えてもいた。

 

「闇の書とあたしらの扱いに戸惑ってるだけだよ。慣れたらいつも通り、早く闇の書を完成させろだの、腕や足が斬り落とされてもさっさと再生して戦地へ行けだの言われるようになる。変な期待はすんなよ」

「「「……」」」

 

 いまだ召喚されて初日だけあって、ヴィータの推測を三人は否定できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦に勝ってから翌日、俺は守護騎士の四人を自分の天幕に招いた。

 シャマル以外の三人は戦で服の損傷がひどく、予備の服に着替えてから天幕に来て、椅子に座っている俺の前に最初の時のように膝をついている。

 

「昨日は大儀であった。この勝利は紛れもなく君たちのおかげだ。感謝の念に堪えない」

「……いえ、もったいないお言葉」

 

 先頭でひざまずいているシグナムはぎこちない様子でそう返事を返す。

 

「君たち守護騎士、ヴォルケンリッターの事は一部の将校に話しわかってもらえた。闇の書の伝承に騎士の事が触れられてることと、シグナムとヴィータの戦いぶりのおかげだろう。君たちは紛れもなくグランダムの一員、堂々とこの場にいるといい」

「……はっ。これからも主の手足として、剣として、勝利をささげて参ります」

 

 主か。そういえば戦の前後のごたごたでまだ名乗ってなかったな。

 

「名乗るのが遅れた。私はケント・α・F・プリムス。グランダムの王子、そしてこれからはグランダムの王になる立場にある者だ」

「そうでしたか。では、これから状況によっては陛下と呼んだ方がいいかもしれませんね」

 

 そう言ってきたのはシャマルだった。

 参謀役とあって彼女は色々融通が利く性分をしているらしい。

 

「そうだな。だが、仰々しい場でなければケントと呼んでも構わんぞ」

 

 四人、特にヴィータに向けて言った。

 口調と態度からわかる通り、ヴィータは俺を主と呼んでるものの、それは明らかに闇の書の持ち()以上の意味はないだろう。

 他の三人にしても敬われるようなことをした覚えはなく、形式的に主と呼んでるだけなのは想像に難くない。

 しかし、ヴィータはそれを無視して、

 

「んで、敵の都市を攻めるのはいつやんの? 命令されればすぐにでも飛んで行って、リンカーコアを集めてくるけど」

「「――!」」

 

 ヴィータがいきなり話題を変え、よりによってそんなことを言い出した。

 すぐシグナムとシャマルが叱責するものと思い、彼女らの方を見たが、ザフィーラも含め彼女らはこちらの命令を待っているとばかりに見つめてくるだけだ。

 

 ディーノは帝国の威光を頼りに出兵にほとんどの兵力を割いて、国には軍がほとんど残っていない。それをまだ知らないで聞いてきたのか?

 それともまさか、リンカーコアを蒐集するために民を襲うことまで守護騎士はするというのか?

 

「いや、おそらくこれ以上は戦にはならない。しばらくここに残って国からの援軍は待つが、それと同時にディーノへ開城を促す書状を届け降伏させる。背後にいる帝国から不平を言われても、ディーノの非を訴えることで併合を認めさせるつもりだ」

「――!」

 

 俺と将軍たちですでに決めていた今後の方針を告げると、四人は一様に目を見開いて驚く。

 

「おいおい! 本当にそれでいいのかよ? 都市中の人間からリンカーコアを集めれば150ページは埋まるぞ。その機会をみすみす捨てる気?」

「それはただの虐殺だ。戦時の中でそれを行う王や将もいるが私はそれを好まない。それに我が軍がそのような非道を行えば、帝国は都市解放を口実に我が国に攻め込むだろう」

「だったら、今度はその帝国って奴らからリンカーコアを――」

「控えろヴィータ! 主にはお考えがあるのだろう。――申し訳ありません我が主! 主が待機を命じるなら我らはそのように致します。ですのでヴィータの無礼をどうかお許しください」

 

 説明しても食い下がってくるヴィータを叱り、シグナムは深く頭を下げる。

 そんな彼女に俺は言った。

 

「いや分かってくれればいい。よってしばらく君たちは自由だ。昨日の激戦の疲れがまだ取れていないだろう。陣地内で疲れを癒すなりするといい。私に言ってくれればグランダムへ向かってもいいが、できればディーノ併合の段取りを組んだ後にしてくれないか。我々と一緒に戻った方が、我が国の民から余計な疑いを持たれずに済むだろう」

「……」

 

 俺がそう言うと四人はまたあっけにとられた。

 おかしなことを言ったつもりはないのだが。

 

 

 

 

 

 

 数日後、グランダム軍は無血開城したディーノ城に入り、ディーノ王国領の併合を宣言。それを宗主国ダールグリュン帝国に戦の経緯と共に通達した。

 ダールグリュン帝国は、戦の発端がディーノからの宣戦布告も同然の強引な要求であること、グランダム軍の兵はディーノで略奪行為などを行っておらず非が見当たらないこと、そしてディーノ軍が禁忌兵器(フェアレーター)の一つ腐敗兵器を使用したことで、グランダムの反撃は正当なものだと認めざるを得ず、ディーノ領が併合されるのを大人しく見届けた。

 

 

 

 

 

 ディーノ併合を終え、グランダムに帰国した俺は馬に騎乗した姿のまま、王都の民に囲まれる中で民に手を振りながら行軍していた。

 数十年ぶりの領土獲得を祝う者、王を失った事に落胆する者、その両方で複雑そうに俺たちを見送る者。

 そんな中を馬に乗り、時間をかけて練り歩いていた。

 

――!

 

 その途中で気が付いた。

 俺たちを見る大衆の中に手も振らず、無表情でじっと俺を見る少女がいるのだ。

 波打った茶髪を流し容姿は整っているが、右眼は眼帯に隠されていて、残った緑色の左眼で俺を見つめている。

 俺はその少女に向かって手を振り、笑いかけてやった。

 しかし、少女は背を向けて逃げてしまった。

 あからさますぎたかな?

 

 

 

 

 

 

「あの方が新しい王様だってよ」

「それより王子の後ろの馬に乗ってる美人たちと子供は誰だ? 女子供の兵士なんていなかっただろう?」

「ただの女子供じゃないらしいぜ。隣国の兵をほとんど斬り捨てたのはあの桃色髪の美人と赤髪の子供だそうだ」

「まさか。お伽話なら子供に聞かせな」

「でもうちの軍隊、数では圧倒的に負けてたのに戦には勝てたんだろう。それであの女たちは、王子が魔法で召喚した騎士だって噂が流れてるぞ。ガセだろうけど」

 

 そんなくだらないことを言い合っている大人たちを、眼帯の少女は冷めた目で一瞥し、離れて行った。

 少女にとっては王が死んだことに何の感慨もない。

 むしろ正直胸がすく。自分の立場を思えば。

 しかし王子、新しい王様とやらには興味がある。

 

(顔はさえないけどからかいがいはありそうかも。王様は死んでくれてせいせいしたけど、あの人には恨みは無いしなぁ。一度話がしてみたい。……あの赤髪の子が軍隊に入れるなら私だって……ここは一つやってみるか!)

 

 

 

 

 

 

 その翌日、ケント・α・F・プリムスは亡き父王の後を継いで王位につき、グランダム軍のもとでこの戦に加わり、勝敗を左右するほどの武功を上げた四人に騎士の位を与え、自身の側付きに任じた。

 ケント王はこの四人を『守護騎士』または『ヴォルケンリッター』という異名で呼んでいたという。

 そしてケント王のもとには常に黒い魔導書があった。

 

 

 

 

 


 

 当時王子だったケント・α・F・プリムスは腐敗兵器と『闇の書』を用いて、自軍より圧倒的に多かったディーノ軍を撃退。ディーノ王国を攻め落とし、亡き父王に代わって王位についた。悪名高い『愚王ケント』の誕生である。

 それから彼は、いずこから連れてきた美女二人と年端もいかない少女に加え、護衛として屈強な大男を入れた四人を『守護騎士』と称して側に置くようになった。

 哀れなこの四人は自分たちがどんな最期を辿るのか知ることなく、献身的に王に仕えているのだった。

 

愚王伝第1章 終



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第5話 その頃各国は……

 グランダム王国のディーノ併合、王位の代替わり、そして新王が肌身離さず持っている魔導書が伝説にある《闇の書》らしいことは、飛行魔法で各国を行き来する伝令や間諜によって一日もたたず各国に知れ渡った。

 特に、併合を承認した当事国である『ダールグリュン帝国』には。

 

 

 

 

 

「皇帝陛下、ご鍛練中失礼します」

 

 許可を得て、皇帝専用の鍛錬場に宰相が入ってきた。

 鍛錬場には鎧を着こんだままで、魔導媒体でもある巨大槍で何度も突きを繰り返している女性がいる。

 

 波打った長い銀髪を下ろした美女だが、緑の右眼と紫の左眼から光る眼光は見る者を委縮させる。

 ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。

 ベルカを二分する大国、ダールグリュン帝国の皇帝にして《雷帝》の異名を持つ女傑。

 

「鍛錬しながらで構わぬか? 異がなければそのまま申すがよい」

「はっ! 帝国本土に亡命してきたディーノの王子が、祖国奪還とグランダムへの再侵攻に皇帝陛下のお力を賜りたいと……承認していただけた暁にはグランダムの持つ力の秘密を教示すると申しておりますが」

 

 それを聞いたゼノヴィア皇帝はつまらなそうに肩をすくめ、再び突きを始める。

 

「《闇の書》……であろう? それならもう知っておる。ならば却下だ。ディーノから連れてきた兵なら動かして構わぬから、やりたければ自分でしろと伝えておけ」

「……よろしいのでしょうか? グランダムを落とせば、闇の書という伝説の魔導書を手にできるでしょうに。数万もの数の差で野戦に持ち込まれたグランダムが勝ったのは、魔導書から出てきたたった二人の女騎士の力と聞いております。そうでなくとも何かがグランダムにあるのは明らかではないかと。闇の書があの国にあるという情報もあながち看過はできないのでは?」

「そなたは余が魔導書をめくりながら戦う姿が想像できるか?」

 

 そう言われて宰相は言葉に詰まる。

 ゼノヴィアは突きの鍛錬をやめて、宰相の方を向きおかしそうに笑った。

 

「クックックッ、そう怖気づいてくれるな。余もそんな戦い方が似合うと思っておらん。余にはこいつみたいな得物のほうが合うのよ。我が槍で他国を侵し、従え、勝ち上がり、ベルカの世を掴み取ってこそ我が覇道! 完成させるだけであらゆる力が手に入る魔導書など興が覚める」

 

 自身が持つ巨大槍を小突きながらゼノヴィアはそう言い、さらに続ける。

 

「それに強敵が現れるのも覇道の面白いところよ。闇の書を武器とする王の誕生を祝って、ディーノくらいくれてやろうではないか。……して用向きはそれだけか?」

「いえ、エリザヴェータ様がお越しです。また陛下に稽古をつけてもらいたいと」

 

 愛弟子の名前が出た途端、ゼノヴィアの顔がほころんだ。

 

「よい。ここに案内せい。どれほどこの雷帝に近づいたのか試してくれるわ!」

 

 エリザヴェータ。遠縁ながら皇族と血のつながりがあり、ゼノヴィアが見込んだ弟子の名前である。

 

 

 

 

 

 

 同時期、大陸北方にある『シュトゥラ王国』では。

 

「ケントが《闇の書》を……それは本当ですか、陛下?」

「うむ。新たなグランダム王が黒い魔導書を用いて、習得が難しい大魔法を使ったり、尋常ではない強さを持つ騎士たちの力を借りて戦に勝ったというのは事実らしい。壊滅寸前に置かれたにも関わらず、短時間でグランダム軍を立て直しディーノ王を討ち取るまでに至ったことも踏まえると、ただの噂と片付ける方が無理だ」

 

 シュトゥラ国王の執務室にて、机に座っている国王とその机の前に立って話をしている王子の姿があった。

 

 すっきりした短い緑髪で紫の右眼と青の左眼の虹彩異色(オッドアイ)を持つ青年。

 クラウス・G・S・イングヴァルト。

 シュトゥラ王国の第一王子であり、そして……

 

「クラウス。たしかグランダムの新王とお前は――」

「はい。少なくとも私にとって親しい友人だと自負しております。しかしまさか……」

 

 親友が劣勢だと思われた戦に勝って命を拾い、王になった。これだけなら喜ばしいことだ。

 しかし、その親友が闇の書を所持し、その力を使ったらしいというのは聞き捨てならない。

 

 闇の書は所有者となった者に、ありとあらゆる望みが叶うほどの強大な力をもたらす“万能の魔導書”とさえ呼ばれる代物だが、その反面、闇の書の持ち主は皆書の完成のために動いて、ほどなく()()()()姿を消してきたといういわくつきの魔書でもある。このベルカでも、闇の書の所有者が遺したと思われる軍旗など、それらしい痕跡がいくつか見つかっている。

 

 グランダムが大きな力を持ったこともシュトゥラとしては脅威だが、クラウスとしては今までの闇の書の所有者のように、王となった親友までが突然行方をくらますことがないかが気がかりだった。

 

「クラウスよ、今度の遠征の後で構わん。一度グランダムへ行って――」

「御意。ケント……グランダム王に会って、事の真偽と彼の思惑を確かめて参ります!」

 

 クラウスがそう告げた直後に扉をコンコンと叩く音がして、王とクラウスが扉の方を見た。

 

「陛下! オリヴィエ聖王女殿下がお越しになりました!」

「――!」

 

 クラウスが一瞬固まる。後にしてもらった方がいいかと考える彼に対して、

 

「お通しせよ!」

 

 王が入室を許可したのを聞いて、クラウスは思わず王を見る。

 

「心配いらん。呼んだのは余だ」

 

 王がそう言ったところで、扉を守っていた衛兵の一人に先導されながら一人の少女が入ってきた。

 

「国王陛下、クラウス王子殿下。拝謁に賜りこのオリヴィエ、恐悦至極に存じます」

 

 少女は()()でドレスの端をつまみながら一礼する。

 

「久しぶりだなオリヴィエ殿。楽にされよ。余もクラウスも堅苦しいのは好まん」

 

 手を振りながら微笑む王にオリヴィエも相好を崩した。

 

 輝くような金髪をリボンとキャップで結び、緑の右眼と赤い左目の虹彩異色(オッドアイ)を持つ美しい少女。

 オリヴィエ・ゼーゲブレヒト。

 同盟国シュトゥラに()()()の、聖王家の現筆頭ゼーゲブレヒト家の《聖王女》である。

 

 王は机の上に置いた手を組んで、居すまいを正し口火を切った。

 

「オリヴィエ殿、貴女は南にあるグランダムという国を知っているかな?」

「ええ! クラウス様のお友達が王子でいらっしゃるとか。隣国と戦争があったと聞きますし、その方がご無事と聞いて私も胸をなでおろしていたところです」

 

 グランダムという国の名前を聞いて、オリヴィエは笑顔を絶やさずに答えた。

 一方で、王は上機嫌そうに言うオリヴィエを見て、ふむと頷きながら口を開く。

 

「悪印象は持っていないようだな。近々クラウスがその国へ向かう予定があるのだが、どうだろう、オリヴィエ殿も共について行ってやってくれないか?」

「はい! 喜んでクラウス様の訪問にお供させていただきます!」

「――父上!?」

 

 王からの要請をオリヴィエは即答で快諾するが、クラウスの方は驚きのあまり声を荒げる。

 

 オリヴィエは同盟保証の為に、聖王家から実質的な人質としてシュトゥラに遣わされた姫だ。

 しかし、クラウスにとっては共に学び、共に遊び、共に腕を磨きながら育った、妹も同然の家族。そう遠くない内に婚約して、本当の意味でクラウスの家族となる日も来るだろうと言われている。

 そのオリヴィエに対して王は、グランダムへの行軍に同行してほしいなどと言っているのだ。

 

 クラウスは親友ケントを信じている。しかし、人の気持ちというものは確かとは限らない。それにケントを傀儡にして、重臣たちがグランダムを動かしている可能性は十分にある。国王がいまだ年若いケントならありうる話だ。

 クラウスもオリヴィエも無事で済む保証はない。

 しかし、それを分かって王はクラウスに言い聞かせる。

 

「ものは考えようだ。グランダム王となったケントとやらがお前と親しいということは、我が国にもそれほど悪くない印象を持ってくれていると考えていい。そこへお前と共に聖王家の王女が訪ねてくれば、ケント王は聖王連合を意識せざるを得ない。良い方にな。闇の書の主が我ら聖王連合に味方してくれれば、帝国も矛を下ろす気になるやもしれん」

「……確かにそういう考え方も……しかし」

 

 納得がいかず顎に手を乗せ考え込むクラウスを見て、オリヴィエはフフフと笑った。

 

「大丈夫ですクラウス。クラウスが親友だと信じる方でしょう。いい方に決まっています……あっ!」

 

 王の前でクラウスに敬称をつけ忘れたことに気が付き、オリヴィエは王の様子をうかがう。だが、王は笑みを浮かべるだけだった。

 

「よいよい。オリヴィエ殿とクラウスの事はとうの昔に知っておる。私はそなたの事も娘同然だと思っておるのだぞ。オリヴィエはそう思ってくれぬのか?」

「いいえ、そんなことは! 機嫌を直してくださいお父様」

 

 そう言ってごまをするオリヴィエに、王もクラウスも笑いを吹き出した。

 

 

 

 

 

 

 『聖王連合』という言葉には、広義の意味と狭義の意味がある。

 広義の意味では聖王家と同盟を結ぶ国家すべて。シュトゥラ王国もこれに含まれる。

 しかし狭義の意味では、聖王になりうる魔力コア《聖王核》を組み込まれた王家を戴く国家に絞られる。これにはシュトゥラは含まれない。

 これら王家は内外では『中枢王家』と呼ばれている。

 

 

 

 聖王連合の中心地、聖王都では連合の頂点に君臨する()()()()聖王と連合各国の王が、円卓を囲んで会合を開いていた。

 

「グランダムという国が隣国ディーノを攻め落とし領土を広げた。それはどうでもいいことだ。しかし、見過ごせないのは新たにグランダム王となった男が《闇の書》を手に入れたということ」

 

 王の一人がそう切り出した。

 

「闇の書は魔力を集め完成させれば、神に準ずる力を持つとされる。おこがましくも《聖王のゆりかご》を凌ぐほどのな」

「――!」

 

 聖王のゆりかごという言葉が出た途端、聖王がかすかに身じろぎした。

 周りの王はそれに気付きながら、見て見ぬふりをしながら話を続ける。

 

「どうする? 攻めるか。闇の書は色々恐ろしい噂も聞く故、我らの手中に入れておいた方がいいかもしれん」

「いや待て! 今の王はシュトゥラの王子と交流を持っていたと聞く。そこからあの国を連合内に誘い込めるのではないか。確かあそこには――」

「……我が娘、オリヴィエがいる」

 

 王の言葉の続きを他ならぬ聖王ゼーゲブレヒト王が紡ぐ。

 その瞬間、王たちの目が一斉に聖王の方に向いた。

 自分に集まった視線に聖王はすくみ上がり、口を閉ざしかけるも、自らを奮い立たせて言葉を続けた。

 

「オリヴィエは母も手も、『聖王』の継承権をも失いながらも人を引き付ける魅力がある。人質として預かっているシュトゥラの王家や、そのまわりの人間からも好かれているという。あの娘ならグランダムの王から連合への帰順を勝ち取ることもできよう……武力を用いるまでもない」

 

 聖王のその言葉を聞いてまわりの王たちは――

 

「なんと慈悲深い!」

「感服いたしました聖王陛下!」

「オリヴィエ聖王女殿下の慈愛と聖王陛下の徳を知れば、グランダム王もおのずから陛下に膝をつくでしょう」

 

 王たちは口々に聖王をたたえ、拍手を打ち鳴らした。

 しかし、彼らは知っているのだ。聖王がゆりかごから話をそらそうとして、穏便な解決を唱えたことに。

 そして聖王も聖王女オリヴィエを誇らしく語るようで、内心は複雑な感情を秘めていた。

 生まれた時に母を、幼くして腕と継承権を失い、つい四年前に人質としてシュトゥラに送られた娘を憐れむ気持ちはあるし、それまで抱いていた愛情は本物だった。

 しかし、シュトゥラで充実した日々を過ごし、機能性が高い義手を手に入れて不便を解消し、王族をはじめとしたシュトゥラ人の信頼を獲得していったというオリヴィエの近況を聞き、聖王は実の娘に嫉妬心を抱いた。

 自分はいつゆりかごに乗せられるか、怯えながら聖王位についているというのに。

 

(私は十分この世の享楽を楽しんだ。得られぬのはゆりかごに乗せられる恐怖がない安息のみ。ならばいっそ……)

 

 

 

 

 

 

 ガレア王城の地下広間に据え置かれ、無数のケーブルに繋がれているカプセルから一人の少女が出てきた。

 

「よくぞ我らの願いに応え、お目覚めくださいました。陛下」

 

 黒いフードを被った男が愛想のいい笑みを浮かべながら少女に歩み寄る。

 

「ベルカは今どうなっていますか?」

 

 少女の問いに男は肩をすくめる。

 

「未だ戦乱が絶えませぬ。聖王は相変わらずゆりかごで他国を威圧して幅を利かせ続け、最近では雷帝と名乗る輩まで出る始末。そればかりかゆりかごを凌ぐ力をもたらすという魔導書を手にしたという者が現れて」

 

 男の説明に少女は首を横に振った。

 

「ベルカの空は? 大地はどうですか? 私はそれが聞きたいんです」

 

 男は肩を落としながら言う。

 

「空は変わらず灰色に曇り、太陽など見た者はいません。大地は汚れる一方、それなのに他国は猛毒を武器にしてまき散らし、腐敗兵器なる森林を滅する物まで作り出す始末」

 

 それを聞いて少女は顔を伏せ、唇を噛みしめた。

 

(まだこんな不毛な争いを続けているのですか。このベルカという世界は!)

 

 そんな少女の様子を見て、彼女の視界に自分の顔が映ってないと確信し、男はニヤリと笑う。

 

「つきましては陛下、どうか陛下のお力で()()()を起動させ、他国に戦の恐ろしさを刻ませたく存じます」

 

 男の言葉を聞いて少女は勢いよく顔を上げた。

 

「そんな、()()を動かせというのですか!? あれは――」

「争いを止めるためです!」

「――!」

 

 男の言葉に少女は肩を縮こませる。

 

「今度こそベルカに平和を取り戻すために、愚かな者たちに知らしめましょう。数百年前、陛下は見たいと仰っていたそうではないですか。木々や花があふれる大地を、世界を照らす日の光を。そのためにはベルカから戦争をなくす必要があるのです。陛下、どうか!」

 

 そう言って深く頭を下げる男の姿に少女はついに……。

 

「わかりました。ただその前に、少し外を見てきていいですか? 今の空と大地の様子をこの目で確かめておきたいんです」

「ええ。ええ! よくご覧になってください。今のベルカの惨状を! それを見ればきっと陛下もわかるはずです。平和を取り戻すにはあえて血を流す必要があるのだと」

 

 男の横を通って少女は歩き出す。地上への階段を登るために、汚染された風景があるだろう城の外へ出るために。

 その姿だけでは誰も少女の正体を知ることはないだろう。

 

 長く伸びた橙色の髪から肩にかかるほどのもみあげが特徴的な、両目ともに緑色の瞳の少女。

 『ガレア王国』の王イクスヴェリア。

 《冥府の炎王》の異名で雷帝以上に恐れられる恐怖の王。



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第2章 ガレア戦役
第6話 守護騎士に与えられた生活 前編


 ケント・α・F・プリムスが国王に即位する前日、彼に続いてヴォルケンリッターはグランダム王宮の門をくぐった。そして……。

 

 

 

 

 

「こちらがシグナム様、シャマル様、ヴィータ様のお部屋になります」

「……」

 

 シグナムたち守護騎士の女性陣はメイドに案内されて、王宮内を見回る衛兵が使う部屋の一室を割り当てられた。

 今より結構前に、白一点のザフィーラが他のメイドにどこかへ連れていかれたが、彼もおそらく別の部屋へ案内されたのだろう。

 

 クローゼット、棚、柔らかそうな毛布、大きいテーブル。座り心地のよさそうなソファ、爛々とともり部屋を照らす蝋燭、暖炉、退屈しのぎができるように十冊くらいの本、トランプ、チェス、ティーセット、つまみの菓子が少々、さらに少し歩いてみると洗面所、お手洗い。

 どれもほとんどの主からは与えられなかったものだ。

 守護騎士を人間扱いしてくれる数少ない主も、施してくれるのは最低限で、ここまで快適な家具を揃えてくれたのは初めてだ。

 

「それではわたくしは他のお役目に戻らせていただきますが、何かご質問は?」

「「「……」」」

 

 メイドが声をかけても、三人はまじまじと部屋を眺めてばかりだった。

 

「あの……シグナム様?」

 

 メイドが少し声を張り上げて、代表格に見えたシグナムに声をかけると、シグナムと他の二人もメイドに意識を戻す。

 

「あっ、ああ、すまない。何だろう?」

 

 ようやくシグナムが応答しメイドに聞き返す。メイドは怪訝な反応を押し殺しながら。

 

「いえ……この部屋に関してご質問は?」

「いや、大丈夫だ。ありがたく使わせてもらう」

「どうぞごゆるりと。本日の夕餉は戦勝祝いの宴が催されますので、お時間が来たら使用人がうかがいに来ます。ご不足のものとご不満がおありでしたら、我々使用人になんなりとお申し付けくださいませ」

 

 長々とそれだけ言って深く一礼してから、メイドは部屋から退出していった。

 そして扉が閉まってから、ヴィータは二人に聞いた。

 

「ゆうげって何だ?」

「宴がどうこう言ってたから夕食の事かもな」

「でしょうね。ザフィーラともそこで会えるでしょう。彼なら大丈夫だと思うけど、その時にどうしていたか聞いてみるわ」

「ふーん……」

 

 シグナムとシャマルに教えてもらって、それに空返事を返しながらヴィータはあるところに視線を移す。

 そして。

 

「うぉっ! 跳ねる跳ねる!」

 

 毛布に飛び込んで何度か跳ね上がった。

 そんなヴィータを見て二人は。

 

((そんなに柔らかいのか!!))

 

 結構うらやましく思う。しかし自分たちまで彼女みたいなことをするわけにはいかないと、強く自分を戒めた。

 

 

 

 

 

 それから三人は菓子をつまんだり紅茶を淹れたりして過ごし、そのうちシグナムとシャマルは備え付けられた本を読み、ヴィータはチェスの駒やトランプのカードをいじったりしてたがすぐ飽き、ソファに身を沈めていた。

 さらにその後、先ほど言われた通りメイドが三人を宴の場まで案内しに来て、そこでザフィーラと合流し、彼も自分の部屋へ案内されていたという話を聞いた。

 彼は守護騎士で唯一男のため、三人とは別の部屋を割り当てられることは決まっていたものの、闇の書が召喚した騎士という噂が既に流れてるうえに、人間とは違う耳と尾があるため、同室を心から受け入れそうな兵が見つからず、ザフィーラのみ個室という一介の騎士――しかも叙勲は明日――としては異例の待遇になった。

 そして半刻ほど経って訪れたケントから、宴の始まりの挨拶と共に戦での健闘ぶりをたたえられ、彼や周りの将校たちから大きな拍手を送られながら、シグナムは他の三人同様戸惑いながらも更なる活躍をその場で誓った。

 

 

 

 

 

 

 そして翌日、ケントはグランダム国王に即位し、守護騎士四人は国王専任の騎士に叙勲され、平時は王宮に留まることになる。

 それから一週間ほど経った頃、王となったケントは。

 

 

 

 

 

「……~~」

 

 ある程度読み進めて伸びをする。

 王になったら謁見や会議ばかりになると思っていたが、これでは王子だった頃と変わらないな。

 

 俺は現在自室で闇の書に蒐集され、頁に書かれた魔法の理論や記述式を読み解いていた。

 こうして魔法式を理解すれば、頁を消費せずに蒐集された魔法が使えるようになるらしい。つまり今までの魔法の勉学と変わらない。

 

 政務と呼べる仕事も当然あったが、おもに急ぐべきことはディーノとの戦の事後処理で、戦死した兵の家族への補償、兵力補充のための兵役条件および報奨の見直し、グランダムを拠点として戦時となればすぐにでも徴発できそうな傭兵団の確認が主で、宰相の助けもあって予想より早く終わらせることが出来た。

 若く見えるが父の代から働き、グランダムの独立を維持してきただけあって、宰相の手腕は驚かされるものがある。

 それらの処理のために必要な財源は、新たに領土となった旧ディーノから収められてくるようになった税で賄えた。帝国と独立国の中継地点ということで、軍事関連で結構潤っていたらしい。

 ありがたい反面、そんな属国をあっさり明け渡した帝国の思惑が図れない。しかし、それは帝国の自信や自尊からくる施しのようにも思えた。

 得体の知れなさでいったら、国一つ隔てた()()()の方がよほど恐ろしい。軍事力や規模自体は帝国や聖王連合より圧倒的に小さく、ここ百年は全く動いていないらしいのだが。

 

 とにかくそれらの政務を終わらせた俺が、今のうちにでも出来ることを宰相やヴォルケンリッターの参謀役シャマルと相談した結果、シャマルから教えられたのが、闇の書が蒐集した魔法の学習による完全習得である。 

 そうして俺は宰相から勉学の続きを言いつけられ、闇の書に向かっている。

 

 しかし人間から蒐集するという残酷な面もあるが、こうして教書として使っていると普通の本と変わらない。

 ゆえに闇の書は、元は魔法の術や式を記述してくための本として作られたが、蒐集機能、守護騎士の召喚、最終的に記述されるだろう膨大な魔法の数に所有者が溺れ、神聖視されるようになったのではないかと俺は推測している。元は違う名前だったのかもしれない。

 

 さて、かなりの範囲を凍らせる冷却魔法も習得したことだし一息つくか。活字ばかり目にした後はあそこに限る。

 

 

 

 

 

 

「~~♪」

 

 勉学の後によく来る中庭には先客がいた。

 その先客殿は中央に生えている樹の周りに生い茂っている芝生に寝転がり、蝶が止まっている自分の人差し指の先を見つめて笑みを浮かべ、鼻歌まで歌っている。

 ヴォルケンリッター最年少(?)の騎士、ヴィータだ。

 戦時は物騒なことを言うことがしばしばあるが、その姿を見てると年相応だなと思う。俺に対する態度も反抗期というやつかもしれない。

 そうしてヴィータが蝶と戯れながらつたない歌を披露している光景を、しばらく暖かく見ていると。

 

「~♪ ――あっ! ……」

 

 歌に入れ込みノリで顔をこちら側に向けてきたヴィータが俺に気付いた。

 

「……」

「やあっ!」

てめえ!! いつからそこにいた!?

 

 片手を上げて挨拶する俺に、ヴィータは急いで起き上がり、大声で怒鳴ってきた。しかし、蝶が止まったままの人差し指を伸ばしながらなのでかなり締まらない。

 

「そうだな。俺が来た時にはもう蝶を指に乗せて歌ってたから、そこからしばらくとしか」

「そうか。お前が来た時にはそこまで……じゃねえよ!! 人がくつろいでるところをじっと見続けてんじゃねえ!! ……あっ!」

 

 二度目の怒鳴り声でとうとう蝶が逃げてしまい、ヴィータはつい気を落とした声をあげた。

 そして空になった右手を持て余したのか、その手で頭をかき始めた。

 

「くそっ、いつもはもっと遅くなってから来るって聞いて、実際今までそうだったのに……それじゃああたしはもう部屋に戻るから今度は主が過ごせば。じゃあ」

 

 そうぼやきながらヴィータは腰を上げて、ここから去ろうとする。俺は思わずヴィータを呼び止めた。

 

「おいおい! 別にヴィータもここにいていいんだぞ。おかげでなかなかいい絵と歌を堪能させてもらったしな」

忘れろ!! 即刻! 永遠に!!

 

 そう怒鳴ってからヴィータは肩で息をする。

 からかうのもここまでにしておくか。

 

「……で、戻ってどうする気だ? どうせ俺と同じように部屋にいるのが飽きた口だろう」

「一緒にすんな!(その通りだけど)……ソファって椅子にでも座ってるさ。言っとくけど文句があるわけじゃないからな。今までの主が用意したとこよりはずっとましだよ」

「城の見回りのために常駐している兵士にあてがわれるくらい、この城ではありふれた部屋なんだけどな。前の主は平民とかだったのか?」

 

 俺がそう言った瞬間、ヴィータは不機嫌そうに曲がった口はそのままに、目の輝きがいくらかなくなったように見えた。

 

「……そんな主もいたな。でも、どっかの領主だったり、闇の書を利用してそれをあがめる宗教立ち上げたりして金をかき集めた奴もいたよ」

「……? ならばあれくらいの部屋なんて簡単に用意できるだろう」

 

 怪訝に思いながらそう言う俺に、ヴィータは首を横に振った。

 

「あたしら守護騎士は人間じゃないんだ。闇の書が生み出した得体のしれない怪物。教祖になった主は天の騎士とかうそぶいてたけど、本心は他の主と変わらない。実際どんなとこに入れられても風邪もひかないし、ひいたとしてもすぐ再生するしね。最低限の食事を与えて死なないようにしとけば何でもよかったのさ」

「――なっ!?」

 

 いきなり明かされたヴィータたち守護騎士が置かれていた、粗悪な環境に絶句する。再生とか気になることを言ってたが、今は置いておくことにした。

 

「その主たちはどうしたんだ? 逃げ出してきたのか、それとも……」

 

 その問いにヴィータは大きく首を横に振った。

 

「いいや、気が付いたらいなくなっていた。そして新しい奴が主になって同じような扱いをされて……それの繰り返しさ」

「……?」

 

 急にいなくなった? 闇の書を手放したということか? 強大な力が手に入ると言われたり、実際に富を得たりした者がいるのに?

 違和感を覚える俺の考えはヴィータにも伝わったらしいが、彼女は推測を立てる様子さえなかった。ヴィータ自身も同じ疑問を抱いているのだろうか?

 

「……まっ、そういう訳であたしらには最低限の物しか与えないのが、主としては普通らしい。だからあんたが突然あたしらを地下に放り出しても、不思議に思わないし恨み言を言うつもりもねえよ」

「俺はそんなことはしない!」

 

 俺は思わずヴィータにそう言った。

 あっけにとられた顔をしたヴィータが俺の方をまじまじと見て、気恥ずかしさが込みあがってきたが撤回する気は毛頭ない。

 

「……どうだかな」

 

 ヴィータはぷいと顔を背ける。

 そんな彼女を見ているうちに、さっきまで恥ずかしさで熱くなっていた頭も次第に冷めてきて、冷静になって考えてみる。

 今まで守護騎士たちは前までの主たちに散々劣悪な扱いを受けてきたんだ。そこへ俺だけは違うなんて言っても信用されるわけがない。……口だけでは信用されない。ならば……そうだ!

 しばらく考えた末に俺はふとあることを思いつく。 

 

「久しぶりに探検するか」

「はっ?」

 

 突然そんなことを言われたヴィータは、思わず俺に聞き返してきた。それにかまわず俺は話を続ける。

 

「城の中を探検するんだ。子供の時はよくしていたんだが、ここ数年は自室とこの庭の往復ばかりだった」

「じゃあ何で今やるんだよ!?」

「数年も経てばいろいろ変わっているところがあるかもしれないだろう。他の守護騎士の様子も気になっていたところだ。シグナムとかも部屋でじっとしているとは思えない」

「ああ、わかるか。あいつならどっかで素振りでもしてるのは間違いないな。シャマルも普段は本を読んでたけど、最近ちょくちょく部屋からいなくなるようになったな。ザフィーラももしかしたらあの姿で……」

 

 ほう、シグナムとザフィーラはやはりと思ったが、シャマルは意外だ。戦術書でも借りて読み漁っているのかと思っていた。

 ともあれ、ヴィータも気になってはいるらしい。

 

「じゃあ行こう! 城の皆には言いつけてあるが、万が一他の守護騎士が誰かと険悪になっていたりしていたらヴィータも嫌だろう。ここは前までよりはましな環境らしいからな、できるだけもっと居心地よくしてやりたい。ただ、俺は守護騎士たちの事はまだ知らない。ヴィータにもついて来てもらった方が助かる」

「ちっ、わあったよ。でも、他のみんなの様子を見たら、あたしはすぐ部屋に戻るからな」

「ああ。では早速行こう。とりあえずシグナムがいそうなところはもう予想がついてる」

「癪だけどその予想は当たってるだろうな。間違いなくあそこだろう」

 

 言葉だけで信じてもらえないなら、行動で信用を得ていけばいい。

 そのためにまずは騎士たちが不自由を感じていないか、城での生活を楽しむことができているか確かめて回るとしよう。

 

 こうして俺とヴィータによる、守護騎士たちのこの城での生活ぶりを調べるための探検が始まった。



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第7話 守護騎士に与えられた生活 後編

貴様、腰が入っていないぞ! それで主を守れると思っているのか! そこのお前は剣の握る時に力が入りすぎだ! それでは敵の動きに対応できんぞ!

「は、はい!」

「こ、こうですか?」

 

 守護騎士の二人目、シグナムは案の定練兵場にいた。

 自主的に素振りでもしてるのかと思いきや、兵たちに教練を施している。シグナムの指導を受けているのは新兵ばかりでなく、中には出仕してかなり長く王家に仕えてる将校までいた。

 

「ほう」

「……」

 

 

 兵を叱咤するシグナムの姿を見て、俺は結構堂に入ってると感心したものだが、ヴィータの方は唖然としている。

 兵の素振りの仕方や訓練用模擬剣の握り方が自分の納得できるものになったらしく、シグナムは口を閉じてしばらく訓練を眺めていたが、俺とヴィータに気付くと会釈をしてこちらに近づいて来た。

 

「これは主ケント、ご無沙汰しています。ヴィータも一緒か」

「ああ。久しぶりだなシグナム。城の暮らしに慣れてるようでなによりだ」

「じっとしてはいないだろうと思ってたけど、お前何やってんの?」

 

 挨拶も返さずヴィータは早々に切り出した。前までの主のもとでの暮らしから考えると、守護騎士が兵たちに指導するのは異様に見えるのか?

 

「うむ。最初は己の鍛錬のために素振りをしようと女中から教わってここへ来て、同じく鍛錬のためこの場へ来たというこいつらと立ち並んでともに剣を振っていたのだが、こいつらの動きがあまりにも鈍すぎて見るに堪えなくてな、つい口を出してしまったんだ。最初は反抗的だったが、一番腕が立つらしい者と立ち会って、退けたら私の言うことを聞くようになり、次第にこうなった」

「「……」」

 

 なるほどシグナムらしい。確かにその経緯が容易に目に浮かぶ。

 それを聞いてヴィータも得心が言ったようだ。

 しかし、黙り込む俺たちを見た途端、シグナムはばつが悪そうな表情になった。

 

「……あの、いけませんでしたか主? 主の許しも得ず私が兵の指導に口を出して……だとすれば――」

「いや、なかなか良い指導だった。シグナムに叱咤された者の中には城に登って長い者もいたが、シグナムから見ればまだ動きが悪かったのか」

 

 そうだとしたら訓練内容を組みなおした方がいいかもしれない。

 聖王連合ともダールグリュン帝国からも独立している我が国グランダムは、他国から見て侵攻するにはうってつけの獲物に変わりないからな。兵の量だけでなく、質も上げられるなら上げていかなくては。

 

「シグナム、都合がよければで構わない。今後手が空いている時は、今日のように兵の訓練を見てやってはくれないか?」

「えっ!? 私がですか?」

「――!?」

 

 俺の頼みに言われたシグナムだけでなく、ヴィータまで目を見張ってくる。

 

「先の戦といいこの城、いや、この国で一番の手練れはシグナムかヴィータだろうからな。シグナムが兵を鍛えてくれるというのなら心強い」

「……わかりました。主のご命令とあらば」

 

 少しの間考えを巡らせてから、シグナムはそう言って一礼した。

 

「うむ。そう言ってくれると嬉しい。では指導を続けてくれ。俺とヴィータは、残るシャマルとザフィーラの様子を見に行くのでな。少しヴィータを借りていくぞ」

「はい。ただ、ヴィータはもうご承知の通り、口の利き方の分からぬ者です。どうかヴィータの無礼は主の寛大な心でご容赦くださいますよう」

「わかってる。むしろヴィータのおかげで分をわきまえることができてると思っているよ。俺はあくまで闇の書の持ち主の一人に過ぎないとな」

「ふん! 今更ゴマするような奴、あたしが主の立場だったらかえって信用できないけどな。それと主、勘違いすんなよ! リンカーコアの蒐集に関係ない命令なんて聞く必要はないんだ。散歩なんてもんいつでも抜けることを忘れるな」

 

 そう憎まれ口をたたいて先を進もうとするヴィータに、俺は「はいはい」と苦笑しながらその背を追いかける。

 そんな俺たちに不思議そうな視線が注がれた気がした。

 

 

 

 

 

 

 先をずかずか歩くヴィータに、俺は何とか追いついてその横に並ぶ。

 

「ところでヴィータ、さっきの話なんだが――」

「あん? さっきって、シグナムが兵士どもに指導をつけるって話だろう。主がそうさせたいならさせておけばいいじゃないか。あたしは知らない!」

 

 ヴィータはこっちも見ずにそっけない返事をしてくる。

 そんなヴィータに俺はある頼みごとをする。

 

「それなんだけどな、ヴィータも兵たちを指導してみる気はないか? そうしてくれると一層ありがたい」

「はあっ!? 寝言は寝てから言ってろよ! あたしにそんなの出来るわけないだろう!」

 

 途端にヴィータは勢いよくこっちを向いて、そう否定した。

 

「そうか? お前も訓練を見て、口を出したがってるように見えたんだけどな」

「主の目が悪いんだろう。弱い兵隊にあれこれ口出す手間かけるくらいなら、あたし自身が敵をぶっ潰した方がはええ。まあ主としての命令つーなら従わざるを得なくなるだろうけど、あたしみたいにワガママな奴だらけになっても知らねえぞ」

 

 はたしてそうだろうか? ヴィータが部下に戦い方を指導するのは結構板につくような気がするのだが。

 

 

 

 

 

 

 残る守護騎士の居場所に心当たりがあるのか、さりげなく先を行くヴィータに続いて、俺も城から屋外に出て、城門の前に広がる広場に来た。

 

 城門の向こうでは、二人の門番が近くを通りがかった通行人と何やら話し込んでる。短いスカートを履いた若い娘のようだが、まさか職務中に女子(おなご)を口説いてるわけじゃないだろうな。

 注意しに行こうかと門に近づくと――

 

「――なっ!?」

 

 驚くべき事にそこには狼がいた!

 毛並みは青く四足の足を曲げ、眠っているのか目を閉じ微動だにしない。

 あの狼を見て思ったのは、そんな馬鹿なという疑問だ。

 王都どころかその周囲は平野が広がるばかりで、狼が生息しているなんて聞いたことがない。

 どこかの旅人が連れてきた猛獣が脱走したとしても、街中で騒ぎが起きてすぐに捕獲か駆除されるはずだ。

 それがどうやって城の敷地内に入り込んできた?

 

「……たく、あいつこんなところに」

 

 狼の恐ろしさを知らないのか、ヴィータは無防備に向かおうとする。俺はたまらず――

 

「駄目だ、じっとしろ!!」

「――あっ! 何すんだ! 離せよ、エロ主!!」

 

 手を掴まれたヴィータは激しく暴れながら、そんな人聞きの悪いことをわめく。

 すると……

 

「「……」」

「……」

 

 門番も通行人もこちらに気付き、ヴィータを掴む俺を冷ややかに見ていた。

 しかし、彼女と門番たちは、俺たちの前にいる狼の存在に気付いた途端ギョッとした顔になる。

 狼の方はとっくに俺たちに気付いていて、俺とヴィータを見つめながら立ち上がっていた。

 それを見て――

 

「誰か格子を上げろ! 陛下とヴィータ卿が狼に襲われそうになっているぞ!」

「君は早く逃げるんだ! あの狼が見えているだろう!」

 

 門番二人のうち一人は城内に向かって叫び、もう一人は少女に逃げるように言っている。

 しかし、格子は短時間には上がらない。上がったとしても門番がここに駆けつけるより、狼が俺たちを襲うのが先だろう。

 

「……くっ、ヴィータは逃げろ! 狼は俺が何とかする!」

 

 ヴィータから手を放して、柄を握りながらそう叫ぶものの、肝心のヴィータは腰に手を当ててため息を吐き出すだけだった。

 

「おいザフィーラ、さっさと人間の姿に戻れ。どいつもこいつも騒がしくて鬱陶しい」

「だからそんなこと言ってる場合じゃ――……ザフィーラ?」

 

 ヴィータがそう狼に呼びかけると、狼の姿は白い光に包まれその形を変える。

 

「驚かせて申し訳ありません主ケント。そう言えばこの姿は見せるのはこれが初めてでしたかな?」

「……」

 

 狼が変化したその姿は、ヴィータと一緒に探していた守護騎士の三人目ザフィーラだった。

 よく見れば、狼でも人間の姿でも額についている宝石らしきものはそのままだ。

 

「それにしても、もう共に散策するくらいヴィータが気を許すとは、主ケントには私の方も度々驚かされますな」

「許してねえ。いつの間にかバラバラに過ごすようになったお前らの様子が気になったから見に来ただけだ。主は勝手についてきたおまけ」

 

 放心している俺と違って、ヴィータは平然とザフィーラに応じている。

 

「……」

「……ザ、ザフィーラ卿?」

「……狼がいかつい大男になった?」

 

 一方で、格子の向こうにいた門番二人と少女はあぜんとしている。普通はああいう反応をするだろう。

 

「ザフィーラ……その姿は一体?」

 

 俺が問いを発すると、ザフィーラは不思議そうに肩眉を上げ、その横でヴィータはやれやれと肩をすくめて答える。

 

「そういやザフィーラのこの姿を見せるのは初めてだったな。さっきの狼もこいつの姿なんだよ」

「いかにも。ゆえに“盾の守護獣”と名乗っております」

 

 ザフィーラはそう言って胸を張ってみせる。

 そういえば最初に会った時にそんな二つ名を名乗っていたな。まさか言葉通りの意味だったとは。まあ、闇の書から出てきたぐらいだし、このぐらいのことは驚くに値しないか。

 俺はそう思い直して。

 

「そうか。驚いてすまなかった。頼りにしているぞ守護獣ザフィーラよ」

「御意!」

 

 俺の言葉にザフィーラは一礼しながら、心強い返事を返してくれた。

 しかし、城に住む獣か。あいつも城内に豹を買っていたな。王になってから今後の参考のために奴に一度会いたいと思っているが、それもいつになるやら。

 

 ……さて、こちらの方はひと段落したのだが。

 

「「「……」」」

 

 そこにはいまだに俺たちをしげしげと眺めている門番二人と少女がいた。

 俺は彼らのいる城門に近づいていく。

 

「すまない。つまらないことで騒がせた。この通り私は大丈夫だ。ところでそちらのお嬢さんは?」

 

 そう言って、俺は彼女に目を向ける。

 茶髪に緑色の左目と整った容姿の女子(おなご)で、右目に眼帯を巻いている。

 ――思い出した。この子、先日の凱旋で俺を見つめていた少女じゃないか。

 

 そこで門番の一人が少女に目をやりながら言った。

 

「それがですね……この娘、いきなりこの城を訪ねてくるなり、新兵として仕官させろと言って聞かないんです。何度断っても」

 

 仕官? この少女がか?

 

「メイドなど使用人の間違いではなくてか? それなら喜んで迎え入れるが」

「違うよ。兵隊として雇ってもらいたくって来たんだよ。そこの赤髪が入れるんならあたしも入れるはずだろう」

「おい! 人を顎で指して示すんじゃねえ。ヴィータ様だ。ヴィータ様と呼べ。茶髪眼帯」

「好きで眼帯してないっつうの! あたしはティッタだ!」

 

 そこの赤髪と呼ばれたヴィータが眼帯の少女に食って掛かる。幸い二人は格子越しだから取っ組み合いになる心配はないが。

 しかし、この二人似てるな、口調とか性格とか。

 

「まあ待て。ティッタとやら、そこのヴィータもザフィーラも先日の戦で武功を上げたから、騎士になることができたんだ。《シュトゥラの姫騎士》の例もあるし、女だからと侮る気はない。しかし、その眼で戦いに出るのは危ないのではないか?」

 

 ヴィータの前に割って入り、俺はティッタという少女に忠告する。だが、ティッタは意に介さずに。

 

「ああこれ? 心配ないよ。物心ついてからずっとこれつけて生活してるし、喧嘩だってみんな右から狙ってくるから、慣れて戦いやすいくらいだ。むしろ手加減の方が難しいくらい。でも戦争ならそんな必要もないだろう」

「手加減?」

 

 俺がオウム返しに言うとティッタはニヤリと笑みを浮かべ、自身が背負っていた物に手をかけた。

 

「なっ!?」

「これは!?」

 

 ティッタが背中の鞘から抜いたのは大剣だった。並の兵士なら両手で持っても握るのは難しい巨大な剣を、彼女は片手で振り回している。

 

「あたしの力は強いよ。力勝負なら一度も負けたことなんてない。いつ戦争が起こってもおかしくないこの国の軍隊にとって、アタシは喉から手が出るほど欲しい人材だって確信してるんだけど」

「…………」

 

 俺は放心する。

 似ている、剛力も身体特徴もあの人にそっくりだ。

 まさかティッタの正体は……。

 

「……駄目だ! 力が強くても、それだけではどうにもならないことが起こりえるのが戦というものだ。その右眼も開けるわけにはいかないのだろう。慣れているだけで見えていないのは確かなんだ。危険すぎる!」

 

 俺はティッタを拒絶する。戦いが危険というだけでなく、彼女には平穏な生活を送ってほしいと思って。

 そんな俺にティッタは肩をすくめ、大剣を背中にある鞘に納めた。

 

「あっそ。まあ、気が変わったらここに尋ねてよ。あたしの住所。でも、早い方がいい。なんか嫌な予感がするんだ。この国の隣で今とんでもないことが起きてる気が……そういうことだから、じゃあね陛下」

 

 格子の隙間を通して、俺に折りたたまれた紙を押し付けてからティッタは背を向けた。

 そんなぶしつけな志願者を俺たちは唖然としながら見送る。

 

「そう言えばあいつ、主に似てたな。髪と目の色とか」

「……」

 

 ヴィータのつぶやきに対して俺は何も言えない。

 むやみに明かすわけにはいかないし、いつ滅ぶかわからない国の王家に入ることが、ティッタの幸せになるとは限らない。

 

「さて、後はシャマルだけか。だいぶ歩き回ったし、その前に食事でもどうだ?」

 

 ティッタの件を誤魔化すべく俺はそう提案する。

 ヴィータもザフィーラもこれ以上は追及せずにうなずく。

 そのついでにあれこれを察したらしい、門番たちも口止めも兼ねて食事に誘うことにした。

 

 

 

 

 

 

「あら陛下! ヴィータとザフィーラも!」

「ちょうどいい時に来たようですな」

 

 食堂に着くとそこには守護騎士の四人目シャマルが厨房を行き来しながら、食事の配膳をしており、すでにシグナムが卓についていた。

 シャマルの方はてっきり書庫にいると思っていたのだが、まさかここで見つかるとは。

 

「おうシャマル。ここにいたのか」

「この匂い、まさかお前が料理していたのか?」

「ええ、部屋に料理本があったから。これからに備えて作り方を覚えてみようと思って」

 

 ザフィーラにそう聞かれたシャマルは胸を弾ませながら打ち明けた。

 

「ほう、シャマル卿が手ずから作る料理」

「よろしいのですか? 我々までご一緒して」

 

 美人騎士の手料理と聞いて、門番たちは期待を隠す気もなく顔を緩ませる。そんな彼らに苦笑しながらシャマルに伺いを立てた。

 

「ああ……いいよなシャマル?」

「ええ。どうぞご遠慮なく」

 

 急な来客をにこやかに迎え入れながら、シャマルは出来上がった食事を運んでいき、ほどなく用意が整った。

 俺は酒の入ったグラスを掲げ、他のみんなも後に続く。ヴィータだけ果汁水だが。

 

「ではこの国の繁栄と皆の息災、それから戦乱の早期終結を願って」

乾杯

 

 グラスをぶつけ酒を酌み交わし、シャマル手製の料理に手を付ける。その味は。

 

「……」

 

 微妙だ。スープの味が薄かったり、食材が切れてないまま繋がってたり、野菜なのに甘かったりする。

 それでも紳士のたしなみとして、俺や門番は時々うまいとおだてながら、ザフィーラは黙々と摂っていた。

 しかし、女性陣はこういう時に残酷だ。

 

「これマズイぞ」

「微妙だな」

「ええっ!」

 

 そして最後に出されたデザートは……とても辛かった。

 

 以後シャマルが時々食堂に立つことがあったが、その時はなぜか周囲から人気(ひとけ)がなくなったという。



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第8話 冥府の炎王

 グランダムの東隣に位置する『コントゥア王国』。

 

「――くそっ!」

 

 燃え盛る街から必死に逃げてきた男が辿り着いたのは壁に囲まれた袋小路だった。

 その男にバイザーを装着した女が一人迫ってくる。

 女の右腕は刃となっており、それを見て男はひっと裏返った声を上げた。

 

「た、助けてくれ! 俺はただの市民だ。あんたらの言うとおりにする! 税金だって納める! だから見逃してくれ!」

 

 男の命乞いを聞いて女は口を開く。

 

「イクスヴェリア」

 

 女が口にしたのは、この国に攻め込んでいる隣国の王の名前だ。

 

「あ、ああっ! これからはイクスヴェリア様に従う!」

「イクスヴェリア」

 

 女は再度自身の王の名を口にした。

 好機だ。ここでイクスヴェリアという王への忠誠を示せば助かるかもしれない。

 男はそう思った。

 

「イクスヴェリア陛下万歳! イクスヴェリア陛下万歳! イクス――」

 

 三度目の万歳を唱えようとしたところで、無情にも男の腹は刃で引き裂かれた。

 

「イクスヴェリアの糧となりなさい」

 

 そう言ってから女はこと切れた男の喉に喰らいつき始めた。そして、一通り喉を咀嚼した女は男の喉から口を離す。

 すると死んだはずの男の体は、なぜかひとりでに動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 『ガレア王国』・王城。

 その城の奥の間には玉座があり、そこには幼い少女が座っていた。

 《冥府の炎王》という異名を持つ、ガレア王国の王イクスヴェリア。それが少女の正体だ。

 玉座までの両脇の通路をバイザーを付けた女たちが並び、主を守っている。

 そんな女たちの間を通って、黒いフードを被った宰相がイクスヴェリアのもとにやって来た。

 

「ご機嫌はいかがですか? イクスヴェリア陛下」

 

 宰相は玉座の前にひざまずき、そんな定例句で挨拶をしてくる。

 

「ベルカに平和が訪れるまで機嫌などよくなるはずがありません」

 

 イクスヴェリアが返した言葉に、宰相は慇懃無礼な笑みを浮かべる。

 

「これは失礼しました。さすがは誰よりもベルカを愛し平和を望まれる御方。あなた様こそベルカを統一する王にふさわしい」

 

 宰相とは対象的に対照的に、イクスヴェリアの表情は暗いままだ。

 

「お世辞のつもりですか? 私ほど王に相応しくない者もおりません」

 

 この国や()()()のコントロールを握っているのはあなたでしょうに。

 内心でそう思いながら、喉元から出すのをぐっとこらえる。

 

「まさか。わたくしは陛下に忠誠を誓い、陛下の望むベルカ統一を叶えるべく、この心血を注いでいる最中でございます。そのような仰りようは悲しいですな」

「……すみません。そうでしたね」

 

 宰相の弁解を聞いてから、イクスヴェリアはため息をつき折れることにした。

 ()()を造るのに必要なコアを作ることで、侵略に加担しているのは他ならぬ自分なのだ。宰相を責める資格は自分にはない。

 

「それで? 用事が済んだのなら外してもらえませんか。読みたい本があるので部屋に戻りたいんです」

 

 嘘だ。適当な言い訳でこの場から離れ、一人になりたかった。

 しかしその希望も虚しく、宰相はここから立ち去ろうとはしてくれなかった。

 

「申し訳ありません。一刻も早く陛下にご報告したいことがありまして」

「……何でしょう?」

 

 感情を殺した声でイクスヴェリアは宰相に問いかける。

 

「はっ、今攻め込んでいるコントゥアですが、制圧が完了したとの報告が入りました」

 

 その言葉を聞いてイクスヴェリアは目を見開き、前のめりになった。

 

「ならば早く《マリアージュ》を撤退させなさい! 戦が終わったのなら、あれはもう不要です!」

 

 イクスヴェリアがそう言っても、宰相は首を横に振って重々しく口を開いた。

 

「そうしたいのは山々ですが、気にかかることがあるのです……陛下、コントゥアより西にグランダムという国があることはご存知ですか?」

 

 宰相からの思いがけない問いに、イクスヴェリアは壁に掛けられている世界地図を見ながら記憶をたどる。

 

「……確かに、百年前からその辺りにそんな名前の国がありましたね。その前に目覚めた時はまだ西の国の領土でしたけど」

「左様……そのグランダムの王の手元には、《闇の書》という魔導書があるとのことで。かの王はそれを完成させるため、各国へ侵略を進めているとのことです」

 

 その報告にイクスヴェリアは目を剥いた。

 闇の書のことはイクスヴェリアも知っていた。その恐ろしさも。過去に一度それを思い知らされたことがあるからだ。

 

「……いけない。あれはベルカを支配するどころか、扱い方次第ではベルカを滅ぼしてしまう」

 

 愕然としながら呟くイクスヴェリアを見て、宰相は内心しめたと思った。

 

「そうです! ベルカを守るためにグランダム王を討ち、闇の書を我々の手で封印しなければ。そのためにマリアージュを戻さず、西へ集めているのです。コントゥアからグランダムへ向かわせるために。――陛下、直ちにグランダムへの侵攻の許可を!」

 

 イクスヴェリアは嘆息する。

 まだ戦争は続くのか。

 

「わかりました。ただしその前に、闇の書をこちらに渡してもらえるよう、グランダムの王に交渉してみます。すぐに書状の用意を」

「御意……ただし、もしも拒まれたら……よろしいですね?」

 

 宰相からの念押しにイクスヴェリアはしばらく逡巡するが、やがて重々しくうなずく。

 

「……その時は仕方ありません。闇の書を確保するため……グランダムへのマリアージュの解放を許可します」

 

 その裁定を聞き、宰相が深々と頭を下げた。

 

「ははっ! 冥王陛下の仰せの通りに!」

 

 宰相の歪んだ笑みはイクスヴェリアからは見えない。

 

 

 

 

 

 

「ガレアがコントゥアを侵略……」

「はい。コントゥアから逃れてきた難民がそう言っております。ガレアが百年の沈黙を破り、突然攻め込んできたと」

 

 常々恐れていたことが現実になってしまったことに愕然とする俺に、文官は再度そう報告してきた。

 ――よりによってこんな時に。

 

 

 

 『ガレア王国』は、グランダムから東のコントゥアという国を挟んで存在している国だ。

 グランダムやコントゥアと同じく、聖王連合にもダールグリュン帝国にも与しない独立国だが、帝国と同様に隣国へ積極的に攻撃を仕掛ける“侵略国家”でもある。

 またその一方、侵略を開始してある程度したら急にその動きを止め、百年以上経ってからまた侵略を繰り返すなど、意図がつかめない不気味な国として他国から恐れられている。我が国も例外ではない。

 

 そして何よりガレアが恐れられてる理由は、攻め落とされた国の惨状にある。

 侵攻の際、ガレアは無数の兵を送り込み、兵も民間人も見境なく虐殺して街を焼きつくし、戦が終わるころには国そのものを廃墟にしてしまう。皇帝の方針で、民間人への危害と略奪が徹底して禁じられている帝国とは対照的だ。

 そのためガレア、そして《冥府の炎王》の異名を持つガレア王イクスヴェリアは、帝国以上に他国から恐れられていた。

 

 

 

 そのガレアの侵攻再開は、グランダム王宮で即座に臨時の会議が開かれるほどの重大な出来事だった。王宮内の会議室では高官と貴族たちがあれこれ意見をぶつけている。

 俺はそんな中で頭を抱えていたのだが……。

 

「失礼します!」

「何事だ? 会議中だぞ!」

 

 許可も取らずいきなり駆け込んできた兵士に高官がいきり立つが――

 

「構わない。何があった?」

 

 まさかと思った俺は高官を無視して兵に尋ねる。

 それに兵士は一息ついてから告げてきた。

 

「ガレア王国から使者がお越しです。グランダム、ひいては陛下に要求したいことがあるとのこと」

 

 その言葉に兵士を叱りつけようとした高官を含めた一同が息を飲み、絶句する。

 

 やはり一国飲み込んだだけでは眠ってくれなかったか。

 

 

 

 

 

 

 俺も高官たちも謁見の間に一同身を移し、宰相を側に立たせて、俺は玉座に座ってガレアからの使者を待つ。

 いきなり刃を向けてくるかもしれない相手を前に、どっしり構えるのがこれほど緊張するとは。今なら亡き父を心から尊敬できる気がする。

 そう嘆いている間に使者は謁見の間に入ってきた。

 

 使者はローブを着て、紙束を手に持っていた中年の男だった。ローブの先にはフードがついているが被ってはおらず、薄くなり始めた髪が露わになっている。

 儀礼通り使者は俺の前まで来てから、膝をつき顔を伏せる。

 

 まどろこしい。今回は本当にそう思う。

 

「……おもてをあげよ」

「はっ! グランダムの名高きケント1世陛下に拝謁賜り、恐悦至極に存じます」

 

 顔を上げながらへりくだるこの使者に、俺はかえってうすら寒さすら感じた。

 ガレアが俺、いや我が国に対して何を言ってくるのかは想像がつく。

 しかし万が一だが、同盟を提案してくる可能性もわずかにある。それが属国になれというようなものでも内容次第では飲むしかないかもしれない。

 

「お互い忙しい身だ。貴公もイクスヴェリア王を待たせるわけにはいかないだろう。早速だが本題に入らないか」

 

 俺がイクスヴェリアの名前を出すと、使者の表情がわずかに凍り付いた。

 

「私ごときに陛下から過分なるお心遣いをいただき、感謝の言葉もありません……それでは」

 

 そこで使者は今まで持っていた紙束をゆっくり持ち上げて、俺に向けて差し出してきた。

 宰相が警戒しながら受け取り、安全を確認するためその場で広げてその内容を盗み見するが、それを見て宰相は目を見開く。

 しかし、宰相は内心の動揺を押し殺して、文書を俺に手渡した。

 

 本題の前に、予想外に丁寧に書かれた時候の挨拶などが並ぶが、それらを一気に読み飛ばして本文に目を通す。

 そこにはこう書かれてあった。

 

 

 

『貴国、またはケント王が所持している、『闇の書』と呼ばれる魔導書を我が国に渡してもらいたい。

 守護騎士なる四人も同様である。彼らの待遇はイクスヴェリアの名において保証すると約束しよう。

 これを拒めば我が国は闇の書を封印するため、貴国に対して強硬手段も辞さない。

 どうか貴国、およびケント王には至急なおかつ賢明な判断をお願いしたい。

ガレア王国国王 イクスヴェリア』

 

 

 

 ――!?

 ガレア王が守護騎士の事を知っているだと!

 シグナムたち四人は、対外的には王となった俺を守護するために傍に置いた専任騎士としか公表しておらず、闇の書との関連性に至っては一部の高官にしか話していない。

 しかし、ガレア王は書状で闇の書のみならず守護騎士のことまでも言及した上で、引き渡しまで要求している。

 我が国や軍にガレアの間諜がいたのか? 今までの侵略の手口からそんな腹芸を使う国とは思えないが……。

 

「陛下、ご返答はいかがでしょう?」

 

 考えに沈んでいると使者が返事を求めてきた。

 それに対して。

 

「……議論する時間が欲しい。闇の書は長らく我が国の国宝も同然とされてきたのだ。それに要求には守護騎士という者たちの引き渡しまで触れられている。彼らに無断でというわけにもいかない。しばらく待ってほしいのだが……どうだ?」

「ええ、もちろんです。一週間後に書と騎士の引き受けも兼ねてまたお伺いしますので、両国の友好のためにどうか色よいお返事をお願いいたします」

 

 俺の返事に対して使者はそう言って、意外にもあっさり引き下がり帰っていった。

 今は最善の形で終わったはずなのだがどうにも嫌な予感がぬぐえない。

 ともあれ謁見も終わった。ガレアの要求に対してどう返答するかあいつらに相談しないと。

 俺は玉座から立ち上がりながら、この場にいる者たちに向けて言った。

 

「皆ご苦労だった。ガレアからの要求だが、闇の書については我々も知らないことが多すぎるため、守護騎士も交えて結論を決めるのが妥当だと私は判断する――解散だ!」

 

 

 

 

 

 

 グランダム王都を出た使者は、飛行魔法ですぐにコントゥア王都だった街へ飛び、コントゥア城で待っていた宰相と落ち合った。

 

「ただいま戻りました宰相閣下」

「ご苦労。してグランダムの若王はなんと言ってきた?」

「はっ、結論が出るまで待ってほしいと」

 

 使者から聞いた返事に宰相は笑う。

 

「すぐに渡すと言えば情けをかけたかもしれないものを。だが、ここで本当に返事を待ったりすればイクスヴェリア陛下と直接交渉しようなどと考えかねん……おい!」

 

 そこで宰相は部屋の隅にいた、マリアージュの一体に声をかける。

 マリアージュは返事もせず、体の向きだけを宰相に向けてきた。

 

「次の戦場(いくさば)が決まった。この国で()()()()軍勢を連れて、西のグランダムという国を焼き尽くせ!」

「了解しました。操主」

 

 ケントの選択も待たず、最悪の国ガレアとの戦いは否が応でも幕を開く。



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第9話 生物兵器

 ガレアから遣わされた使者を帰し、謁見に立ち会った高官たちを解散させた後、俺はすぐに守護騎士たちを自室に集めた。

 話の内容は、ガレアから要求された闇の書と守護騎士の引き渡しに他ならない。

 

「――ということだ。君たちから忌憚ない意見が聞きたい」

 

 俺の口からそう告げられた守護騎士たちのうちシグナム、ザフィーラ、シャマルは難しい顔をしており、ヴィータは……

 

「つまり、国を守るために闇の書とあたしらを差し出すってこと? そりゃ立派な王様で」

「――うっ!」

 

 ヴィータが俺に向けてくる声と視線は冷たい。明らかに失望されている。

 当然だ。先日俺は絶対に守護騎士たちを冷遇したりしないとヴィータに啖呵を切ったばかりなのに、数日しか経たないうちにこの有様なのだから。

 

「別にぃ。あんた自身があたしらに何か仕打ちしたりするわけじゃないし。あんたがどう決めようと恨むつもりはないから、書とあたしらを売るのか戦うのか、さっさと決めたら?」

「やめろヴィータ。無礼が過ぎるぞ」

 

 拗ねながら追い打ちをかけてくるヴィータをシグナムが諫める。

 しかし、シグナムの胸中も察するに余りある。兵の教練を頼んだ時、彼女は戸惑いながらもまんざらでもないように見えたからだ。

 

「でもヴィータの言う通り、私たちは陛下がどう判断しようと咎めるつもりは毛頭ありません。ただ……」

「闇の書を渡すというのは難しいでしょうな」

 

 言い淀むシャマルの言葉をザフィーラが継いだ。

 

「やはりガレアのような国に渡すのは危険か?」

 

 その危険性は要求を聞いた時から抱いていた。高官たちも同様だろう。

 ガレアが闇の書を用いてベルカ全土の統一を図った場合、今までガレアに侵略された国の惨状が、そのままベルカすべてで起こることになる恐れが強い。

 

 しかし、俺の懸念にザフィーラは首を横に振る。

 

「それもありますが、ガレア王が闇の書を手に入れたとしても、書を使うことは到底不可能です。闇の書を使うことができるのは《闇の書の主》ただお一人。頁を集めるためなら他の者でも使えますがな」

「それに闇の書そのものに独自の意思があって、主以外の手に渡るのをよしとしないんです。ガレア王という人に渡してもすぐに陛下のもとに戻ろうとするでしょうね」

 

 ザフィーラとシャマルの説明には確かに得心がいく。

 俺が物心つく前に父が闇の書を手にしようとしても、飛んで逃げられたり転移して俺のもとに戻ってきた、という話を聞いたことがあるからな。

 

「つまり、万が一ガレア王に闇の書を渡そ――渡そうとしても書が戻ってきてしまい、かえってガレア王を怒らせかねないということか」

 

 「闇の書を渡そ」の部分まで言ったところで、ヴィータからの視線がいっそう険しくなった気配がしたが、気にしないようにしてなんとか最後まで言い切る。

 

「ところで、俺としては、ガレア王がなぜおまえたち守護騎士の事を知っているのかが疑問なんだが。お前たちの中にイクスヴェリアと会った者はいるか?」

 

 俺の問いに、四人は顔を見合わせて首をかしげる。

 

「いいえ。逆に我らから聞きたい。闇の書と我らの身を欲するイクスヴェリアとはどのような人物なのです?」

 

 シグナムから聞かれた俺は答えに詰まる。イクスヴェリアという王についてわかっていることは、何もないと言っていいからだ。

 

 

 

 《冥府の炎王 イクスヴェリア》

 常にガレア国内にこもっていて、姿どころか年齢、性別すべてが謎。

 宣戦布告の際、他国に対し自らの名を出してくるため、名前だけがわかっているがその名前すら本名である可能性は薄い。

 なぜならガレア王は、建国時からずっとイクスヴェリアと名乗り続けているからだ。即位の際に代々同じ名を襲名し続けていると考えるのが妥当だろう。

 

 

 

 イクスヴェリアについてそう説明するとシャマルは顎に手を当てた。

 

「確かに、それだけだとなにもわかりませんね(でも不老なら、私たちのように先史時代の技術を使えば……)」

「とにかくそんな国にはやはり闇の書もお前たちも渡せないし、闇の書を渡すこと自体が困難ならばなおさら交渉は成立しない。なんとかガレア王が納得してくれるような言い方で断るしか――」

「陛下!!」

 

 ノックと同時に扉の向こうから声がかかってきた。

 いつもなら注意しているところだが、それだけただならぬ事態が起こっている可能性が大きい。ガレアやイクスヴェリアなんて訳の分からない連中が動いてる状況だからな。

 

「構わない。入ってくれ!」

「失礼します!」

 

 最後まで言い終わらないうちに文官が部屋に入ってきて一気にまくし立ててくる。

 

「コントゥアから妙な格好の大軍が、我が国に向けて押し寄せてきております! う、腕を剣や槍にして、通りがかった村の住人を皆殺しにしながら東端の都市に近づいているとのこと! その数はじゅ、十万以上!!」

「――その情報はどこから!?」

「は、はい。ガレアの使者が飛行魔法で向かった方に、こちらも同じく飛行魔法で斥候を向かわせたところ、すでにコントゥアから謎の大軍が進撃してきたのを発見したそうです」

 

 うちの宰相が得意な、使者を尾行する偵察法か。

 ガレアが噂通りの国ならもしやとは思っていたが、まさか使者を寄こした直後に侵略を始めるとは。

 

「王都から動かせるだけすべての軍をコントゥア方面に向かわせろ! 同時に飛行魔導兵を各地へ、できる限り援軍を出すように伝令に飛ばせ。ディーノにもだ。そして……」

 

 文官にそう告げて俺は守護騎士たちの方を見る。彼女たちは四人ともうなずきを返してきた。

 

「向こうは力ずくで闇の書を奪いに来たってこった。今更書を差し出したって収まるとは思えねえ。どうするかは決まったな」

「我らヴォルケンリッター、主のためならいかなる敵でも討ち果たして見せましょう!」

「それに犠牲になっている人々には気の毒ですが、闇の書の主としては好機でもあります。十万以上の敵から魔力を蒐集すれば、半分以上の頁は集まりますから」

 

 ヴィータ、シグナム、シャマルは口々にそう息巻く。

 

「ありがとう……私も守護騎士たちを連れて出る。君は今言った手はず通りに進めてくれ」

「陛下が自ら――いえ、わかりました!」

 

 十万の敵がいる戦地へ向かおうとする俺を止めるべきか迷いながらも、文官はそう言って足早に部屋を出て行った。

 

「では、出立する前に戦支度と参りましょうか。主は《魔導鎧》を、皆は《騎士甲冑》を」

 

 ザフィーラの言葉に俺も守護騎士もうなずき、媒体を頭上に掲げた。

 

 魔導鎧の装着は、今まで来ていた服を粒子状に変換して媒体に納め、その替わりに媒体に込められた魔力が鎧という形で着用者の身を包むという仕組みを経る。

 騎士甲冑も全く同じらしい。

 

 ――!

 

 そこで気が付いてしまった。

 騎士甲冑を装着する際、シグナムたちは来ていた服が下着も含めて消失してしまい、一瞬の間真っ裸になるのではと。

 もちろん、着脱が速すぎてほとんどの人間はその姿を見ることはできない。

 

 だが、それを見ることのできる数少ない例外が俺だ。

 我が固有技能《フライング・ムーブ》は、自分自身の体感時間を底上げすることで、一定時間まわりより圧倒的に速く動くことが出来る。まるで自分以外の時間が止まったように。

 ……つまりシグナムたちが着替えている間にフライング・ムーブを行使すれば。彼女たちの生まれたままの姿を見ることが出来てしまう。

 そうだと気付いた途端、自分の中から邪念がむくむくと――。

 

「みんな待――」

「《レヴァンティン》 Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

「《グラーフアイゼン》 Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

「《クラールヴィント》 Installieren(インストリーレン)

『Ja』

 

 ……。

 

 そう唱えた()()、シグナム、ヴィータ、シャマルは光に包まれ、各々が黒い鎧姿にその装束を変えた。

 シャマルが一番すごかったがシグナムもなかなか、ヴィータは微笑ましかったな。

 

 三人はグランダムの魔導鎧を原型に、守護騎士内でのそれぞれの役割、注文に応じて手を加えた造形の騎士甲冑をその身に包んでいる。

 三人のうちシグナムの鎧は他の武将と変わらないが、ヴィータとシャマルの鎧の下半身の部分は足鎧の代わりに長いスカートに覆われた格好になっている。これは脚鎧が足に付く感触に慣れず、動きにくいため足が出せる格好にしてほしいと二人に頼まれたからだ。断じて俺の趣味じゃない。

 

「おい、どうした主? あんたも早く着替えろよ」

 

 いつまでも魔導鎧を装着しない俺を見て、ヴィータは急かしてきた。

 ……俺も一瞬裸になると思うと、彼女たちには見えるはずはないのだがなぜか恥ずかしさを覚えるな。

 

「いや、時間が惜しい。城の前まで急ぎながらにしよう。行くぞ!」

 

 俺は部屋の外に出るべく、三人に背を向け足を踏み出した。

 

「「「……?」」」

 

 

 

 

 

 

 グランダム東端の都市には、すでにコントゥアから《マリアージュ》がなだれ込んでおり、すでに半分以上の住民が犠牲になってしまっていた。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

「キャアアア!!」

 

 左腕()()()刃で女の腹を斬り裂いたマリアージュは死んだ女の喉に喰らいついた。そこへ――

 

「食らえ化け物!」

 

 街を守る守備兵が剣をもって、死体に覆いかぶさるマリアージュを頭の天辺から刺し貫く。

 マリアージュの貫かれた頭からは黒い血が噴出している。

 

「――マリアージュは壁の兵。死したその身も敵地を焦がす炎となる」

(負け惜しみを、それにしても汚ねえ血だ)

 

 黒い血を浴びながら守備兵は勝ち誇った。すると突然――

 

「――ぐわああっ!」

 

 マリアージュの死体は突然爆発し、守備兵を粉々に吹き飛ばした。

 爆発によって生じた炎はマリアージュと守備兵が戦っていた一角に広がり、()()の死体を燃やしていく。

 

「戦場へ……進軍を……」

 

 そしてマリアージュに斬り殺された女の死体だけが勝手に起き上がり、街を徘徊し始めた。

 女の死体はなぜか機械仕掛けに変貌しており、その顔にはバイザーがついていた。

 

 

 

 

 

 

 本軍に先駆けて飛行兵を数部隊率いて、都市上空に到着した俺たちが見た光景は惨憺たる有様だった。

 街は半分焼けて、鉄と鋼だらけの体をした人型の異形が群れをなして住民を殺し、かじり、信じられないことに異形に嚙みつかれた人間までが、新たな異形と化して他の住民を襲っていた。

 そんな中、ヴィータは何かを思い出したように。冷静な目で異形を凝視していた。

 

(武器に変わる腕、蘇る屍……あれってどこかで)

「――全員射撃魔法用意。異形がひしめく奥の区画に向けて、構え!」

 

 住民がもういない区画を確認してから全飛行兵にそう命じ、自らも射撃魔法を撃つ用意を整える。

 

「ヴィータ、我らもいくぞ」

「おう!」

「……?」

 

 そこでなぜか、命令が出されてないシグナムとヴィータまで俺に並んできた。

 

「レヴァンティン、ボーゲンフォルム」

 

 シグナムが構えた瞬間、彼女の愛剣レヴァンティンは球らしき物を落としてから弓状の形態へと変形する。

 

「――!!」

 

 周りの飛行兵がどよめき、その中で俺も息を飲んでしまった。

 一方、ヴィータの槌グラーフアイゼンは変形することなく主に握られたままだ。

 ともあれ射撃の準備は整った。

 

「フレースヴェルグ!」

「フレースショット!」

 

 俺や飛行兵が放つ無数の光弾が異形に命中していく。

 

「シュツルムファルケン!」

 

 そんな中、シグナムは弓になったレヴァンティンから矢を放ち、地上に刺さった矢は大爆発を起こして異形数十体を一矢で吹き飛ばし、すかさずシグナムは次の矢を構え撃ち放つ。

 

「ギガントシュラーク!」

 

 巨大化したヴィータの槌が地上まで届き、異形の大軍を押しつぶす。

 その一方で眼下の異形たちは俺たちに向けて、腕を突き出していた。

 

「敵兵確認。右腕武装化……形態戦弓」

 

 何のつもりだと眉をひそめていると、突然下から飛んできた矢が飛行兵の胸を貫いた。

 

「ぐわっ!」

「うぐっ!」

「パンツァーガイスト」

「パンツァーシルト」

「障壁」

「パンツァーガイスト」

「風の護盾」

 

 シグナムとヴィータ、ザフィーラ、ディーノ王から蒐集した魔法が使える俺は自身に盾を張って、シャマルは複数の巨大な盾を自身とまわりの飛行兵に張って、下からの矢を防いだ。

 しかし、矢を食らい地上へ落下した飛行兵は生死を問わず群がってきた異形に噛まれ、噛まれた兵士は新たな異形となっていく。

 

「ガレアの大軍と大量虐殺の原因はあれか」

「……ああ! 思い出した!」

 

 つぶやきを漏らす俺の横で突然ヴィータが声を上げた。

 俺も守護騎士たちも思わずヴィータに振り向きかけ、かろうじて異形のいる眼下に目をとどめながらヴィータに尋ねる。

 

「思い出したって何を?」

「あいつら、前の主が造ろうとしてた生物兵器だ。お前らも聞かされたことくらいあるだろう?」

「――あっ、思い出したわ! 死体を兵士に変える生物兵器《マリアージュ》! まさか完成していたなんて」

 

 ヴィータに続き、それを思い出したらしいシャマルが声を上げた。

 

「生物兵器マリアージュ……だと」

 

 この時点でイクスヴェリアがなぜ闇の書と守護騎士のことを知っていたのか、俺には見当がついた気がした。



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第10話 妹

「師団級の飛行部隊を確認。殲滅行動へ移行」

《待て!》

 

 敵軍の出現を確認し、自身が率いている僚機に命令を下そうとした軍団長の脳裏に、宰相の声が響き渡った。

 宰相が使う魔法《超距離通話》だ。

 

《敵の飛行部隊なら私もコントゥアから確認した。数千程度の先鋒など放っておけ。本格的な攻撃に備えて、(マリアージュ)を増やすのが先だ。このまま進み住民どもを喰らえ》

「了承しました。操主」

 

 宰相に命じられた途端、軍団長はあっさり僚機への命令を破棄しそのまま足を進めていった。

 

 

 

 

 

 

「陛下、異形たちは我々を差し置いて市民を襲っています。このまま攻撃を続けるのですか?」

 

 飛行兵の言う通り、マリアージュと呼ぶらしい異形はどれだけ俺たちに攻撃されても反撃しなくなり、市民を襲って仲間を増やすことを優先し始めた。

 八千程度の部隊がどれほど攻撃しようと痛くもかゆくもないということか?

 しかし、シグナムやヴィータの攻撃は、十万以上のマリアージュにとっても予想外の痛手だったはずだと思うのだが。

 とはいえ、襲われる市民を捨て置くわけにもいかない。

 

「飛行兵はこのまま空中から攻撃を続けろ! シグナム、ヴィータ、ザフィーラは地上に降りて市民を救助! シャマルはここで待機しながら指示などのバックアップを頼む!」

「御意!」

「「はっ!」」

「おう!」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

「あなたたちも」

「イクスヴェリアの」

「糧になりなさい」

 

「うわああああ!」

「た、助けてくれぇぇ!」

 

 地上に降りたシグナムの眼前に三体のマリアージュと、それらに襲われている市民たちの姿があった。

 

「下がれお前たち!」

 

 シグナムは駆けながら市民に向かってそう叫び、愛剣レヴァンティンに手をかける。

 

「シュランゲバイセン!」

 

 鞘から抜いた瞬間、剣は連結状に伸びマリアージュ一体の胸を貫く。

 

「――」

 

 すかさずシグナムは連結した刃を引き戻し、元の刃に戻した。

 

「右腕武装化、形態戦剣」

 

 敵の出現を確認した残り二体のうち、一体の腕は即座に剣に変わったが、空での戦いでマリアージュたちが腕を弓に変える所を見ているシグナムは今更動じない。

 シグナムとマリアージュの一体が切り結ぶ。

 その後ろで、もう一体のマリアージュが腕の形を変えていた。

 

「右腕武装化、形態戦弓」

 

 後ろのマリアージュはシグナムに狙いを定め、魔力で具現化した矢を引き絞る。

 刃を受け止めながら、それを横目で見ていたシグナムは舌打ちしながら後ろへ跳躍してマリアージュたちと距離を取る。

 だが、マリアージュは縦横無尽に位置を変えるシグナムに向けて、寸分の狂いなく狙いを定め――矢を放った。

 

「こしゃくな。陣風」

 

 それに対し、シグナムは矢に向けて刀身を振るう。

 矢を叩き落とすつもりだったのか、しかし矢はまだ剣の間合いに入っておらず剣は虚しく空を切り、矢はシグナムに向かって一直線に飛び続けている。……と思った刹那、剣を振るった際に生じた炎が矢を焼き落とした。

 同時にシグナムは、矢を撃った直後で硬直している方の敵に向けて踏み込み、

 

「紫電一閃!」

 

 その首を斬り落とし、残り一体の懐へ飛び込む。

 それを見て最後のマリアージュは刃の腕を構えるものの、敵を倒したばかりでもなおシグナムの勢いは止まらず、シグナムの剣は三体目のマリアージュの腕を貫通し体ごと一刀両断された。

 

「――マリアージュは壁の兵、死したその身も」

「黙れ!」

 

 死を目前にしてなおも何事かつぶやくマリアージュの首をシグナムは容赦なく斬り落とす。

 

「……た、助かったのか? 俺たち」

「す、すげえ」

 

 マリアージュたちが倒された途端、戦いを傍観していた市民たちから安堵の声が漏れる。

 しかし、シグナムの方はある違和感を持っていた。

 倒されたマリアージュは屍から黒い血を流しており、マリアージュを斬り伏せたシグナムも黒い返り血だらけだった。

 

(この黒い血……何より血から漂う匂い……まさか――)

「ありがとよ騎士さん。あんたのおかげで――」

 

 シグナムへ礼を言うために、彼女に近づこうとする市民。彼らに向かってシグナムは――

 

来るな!!

 

 そう叫んだ直後、シグナムのまわりで横たわっていたマリアージュの死骸が激しい勢いで爆発した。

 

 

 

 

 

 

「右腕武装化、形態戦槍」

「でやあああ!」

 

 ヴィータは弾丸(カートリッジ)を消費して、槌アイゼングラーフを『ラケーテンフォルム』に変形させ、加速させた槌をマリアージュに叩きつける。

 頭を押しつぶされたマリアージュはそのまま果てた。

 

「残り九体」

 

 ヴィータもシグナム同様マリアージュに襲われる市民を見つけ、彼らを助けるためにマリアージュと戦っていた。

 

「右腕武装化、形態戦弓」

 

 ヴィータとの位置を測って、後方にいるマリアージュの何体かは腕を弓に変える。しかし、

 

「めんどい!」

 

 ヴィータは再び弾丸をリロードし、槌を巨大化(ギガントフォルム)させる。

 

「ギガントシュラーク!」

 

 そして巨大化した槌を大きく振りかぶり、残りのマリアージュに叩きつけた。その衝撃で周囲に土埃が舞う。

 それを見届けると槌を引き戻しながら、ヴィータは弛緩した。

 

「ふぅ――ぐぁ!」

 

 だが、そこへ突然、土埃の向こうから槍が伸びてきて、無防備なヴィータの横腹を貫いた。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧に」

 

 その言葉とともに、残っていた一体が土埃から姿を現す。

 

「てめえ! でりゃあああ!」

 

 頭に血が上ったヴィータは腹の痛みも忘れて槌を振りかぶり、

 

「フランメ・シュラーク!」

 

 魔力のこもった一撃をマリアージュに叩きつけた。

 

「……ったく、手こずらせやがって」

 

 燃焼効果のあるフランメ・シュラークの影響で生じた炎を背中に、ヴィータは今度こそ敵の全滅を確信し、槌を肩に掲げ一歩歩き出そうとした。

 

「――んっ、何だこの匂い?」

 

 だが、炎の中からする異臭にヴィータは思わず顔を後ろに向ける。

 その瞬間、ヴィータを巻き込み、辺りは大爆発を起こした。

 

 

 

 

 

 

「でやああああ!」

 

 ザフィーラの拳で胸を貫かれマリアージュはこと切れる。

 袋小路の中、僚機の一体を失い残った四体は限られた判断能力をめぐらせ、この相手には遠距離からの攻撃が有効と判断し、距離を取ろうと身をひるがえた。

 逃げようとするマリアージュたちを見て、ザフィーラは白い魔法陣を展開し、

 

「鋼の軛!」

 

 その直後、マリアージュが逃げようとする方に白い杭が落ちてきてマリアージュの行く手をふさいだ。

 

「――作戦変更」

「遅い!」

 

 距離を取るのをあきらめ、振り返ったマリアージュの視界に太い腕が映る。それがその個体が見た最後の光景だった。

 マリアージュを追いつめたザフィーラは敵に対し、相手が動かなくなるまで殴る。それを何度も繰り返した。

 この場にいる敵をすべて倒し終え、ザフィーラは肩を鳴らしながら、つかの間の勝利に浸る。

 しかし、ザフィーラの鋭い嗅覚がそれを許さなかった。

 

「――ちっ!」

 

 ザフィーラは即座にその場から大きく跳躍する。

 その直後、マリアージュの死体が爆発し、辺り一帯を爆風で包んだ。

 それを目の当たりにしたザフィーラの背に冷たい汗が流れる。

 

(こんな機能までつけていたのか。あの主やその助手どもらしいといえばらしいか。奴らが造ったものなら警戒してしかるべきだったやもしれん)

 

 眼下の惨状を視界に収めながら、ザフィーラは思念をある者に向けた。

 

《シャマル。今マリアージュを倒しているところだが、すぐにでも主と他の騎士に伝達してほしいことがある》

《なに、伝達って?》

 

 思念を送ってからすぐに、ザフィーラの脳裏にシャマルからの返事が返ってくる。

 そこへ――

 

《それは私が伝えたかったことと同じだろう》

《シグナム!》《シグナム!》

 

 ザフィーラとシャマルの思念通話に割って入ってきたシグナムに、二人はそろって驚きの念を上げる。

 

《マリアージュは死ぬと爆発するようにできている。私も危ないところだった。お前の方もそれを伝えたかったんだろうザフィーラ》

《うむ。そちらも無事で何よりだ》

《爆発!? 本当なの?》

 

 シャマルは驚いたようで、思わずそう聞き返してきた。

 

《ああ。あの主たちが造ったのなら納得できる》

《確かにあの主ならやりそうね。わかった。私もすぐに陛下とヴィータにそれを伝えるわ》

《頼む。私も引き続きマリアージュを倒していくつもりだ。今度は自爆にも気を付けてな。シグナム、武運を祈る》

《お前もな、ザフィーラ。ではシャマル、主とヴィータへの伝達は任せた》

《ええ。陛下たちの事は私に任せて、あなたたちはマリアージュをお願い。ただし、()()()()()()()()()()()()()()してちょうだい》

 

 

 

 

 

 

 最後に釘を刺してから、シャマルはシグナムとザフィーラとの思念通話を切った。

 

(自爆機能ですって? あの(オヤジ)、余計なものを! せっかく倒しても自爆なんてされたらリンカーコアが取れないじゃない! でも十万もの敵から魔力を取れる機会を逃すわけには……待てよ、陛下が最初の敵将から蒐集したあの魔法なら……とにかく今は陛下とヴィータにマリアージュが自爆することを伝えないと!)

 

 

 

 

 

 

 しばらく空からマリアージュを攻撃してから俺は地上に降りる。

 

 それと同時に俺の目に飛び込んできたのは、五体のマリアージュと、マリアージュたちに殺されている市民五人の姿だった。

 

「この――!」

 

 俺はマリアージュたちのもとへ駆け出すとともに、愛剣ティルフィングの柄に手をかけて魔力を込める。

 

「――右腕武装化……形態、戦剣」

 

 ()の接近に気が付いたマリアージュたちは、ある者たちはそのまま俺の方を向き、ある者たちは襲っていた市民から離れ、何体かが右腕を剣に変える。

 俺はマリアージュの一体にとびかかり、剣と剣をぶつけた。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス」

 

 己が振るう剣に魔力を込める。

 紺色の魔力光を帯びた剣を相手に、マリアージュは圧し負け刀と化している腕の力が緩むのを感じ取った。

 それを見逃さず俺は剣を一度引き、再度相手の剣にぶつける。

 俺の剣はマリアージュの()を斬り落とし、そのまま相手の胸元に入り込んだ。

 

「だああ!」

 

 マリアージュは黒い血をまき散らしながら倒れ伏す。

 ――くっ! やけに臭い血だ。いやそんなことよりまだ四体!

 血の匂いに顔をしかめながら、俺は残りのマリアージュと向かい合った。

 その時!

 

「だあああああ!!」

「――!」

 

 突然女が現れマリアージュたちに飛びかかる。 

 女はマリアージュの一体に向かって、右手に持っていた大剣を振りかぶると同時に、

 

「固有技能・《震動付与》――せいやぁ!!」

 

 何らかの技能を発動させながら、女はその剣を相手に向けて振り下ろす。

 女の一撃をもろに喰らったマリアージュはそのまま吹き飛んでいき、仲間を巻き込みながら瓦礫となった建物に激突した。 

 

「よくも母さんの故郷で好き放題やってくれたな化け物ども、ここからはこのあたしが相手だ!」

「ティッタ!」

 

 短い茶髪、緑色の左眼、右眼を覆う眼帯。

 突然現れた女は、数日前に仕官したいと言って王宮にやって来たことのある少女、ティッタだった。

 

「どうしてお前がここに? 早く逃げるんだ!」

「助けに来たのにそういうこと言う? あんた一人じゃこいつらは厳しいと思うけど。それにさっきも言ったけど、この街はアタシの母親の故郷なんだ。これ以上好き勝手されてたまるか」

 

 俺の忠告に聞く耳も貸さず、ティッタは敵を見据えて拳を鳴らす。

 ……それにしても固有技能か、この女やはり――。

 

「――うっ」

 

 その時、ティッタの右側から向かってきた刃が、彼女の右のこめかみをかすめた。

 

「このっ!」

 

 たまらず俺はティッタを押しのけ、彼女を斬りつけた相手と剣をぶつける。

 その後ろにはさらに、

 

「――こいつら! さっき殺された人たち!?」

 

 俺と剣を交えているマリアージュの後ろには、さっきまで死体として倒れていた市民が鉄や鋼だらけの体になって起き上がっていた。

 俺はマリアージュと剣を交えながらティッタに言った。

 

「こいつら、マリアージュというのだが、こいつらに殺された人間もまた、マリアージュとなって人を襲うようになる」

「……」

 

 俺はまた相手の腕ごとマリアージュを斬りながら言葉を重ねる。

 

「俺たちは今こんな異形と戦っている。他にもとんでもない力を持ってるかもしれない。それでもやるというのか?」

 

 そこまで言うとさすがにティッタは唖然として、しばらく沈黙する。

 だが、やがて気を取り直したように、

 

「当然! ここで退いたら持って生まれたあたしのこの怪力、宝の持ち腐れになっちゃうよ」

 

 力こぶを作りながらそう返すティッタに俺は嘆息した。

 もう何を言っても無駄らしい。

 

「いいだろう。ただし、今後は一切眼帯は禁止だ。お前の素性を公表することになっても構わない。その条件が飲めるなら手を貸してくれ」

 

 そこで一瞬俺はティッタの方を振り返った。

 さっきこめかみをかすった際に眼帯が切られ、露わになったその右眼の色はやはり金色だった。

 ティッタは口の端に笑みを浮かべて観念する。

 

「……やっぱり気付いてたか()()()。……わかったよ。それじゃあ早速……」

 

 ティッタは黒い血を流し続けているマリアージュの死体に足をかけて、

 

「せい!」

 

 おもむろにマリアージュを蹴り上げ、俺の前にいたマリアージュたちにぶつけた。

 それと同時に俺の脳裏に誰かから思念が届いてくる。

 

《陛下ご無事ですか? マリアージュの事でご報告したいことが――》

 

 相手はシャマルだった。だが、彼女が何事か言おうとしたのと同時に、つんざくような爆発音があたりに響き渡る。

 

「油臭いと思ったらやっぱりか。こいつら死んだら爆発するみたい」

「……驚いたな。悪いシャマル、今ちょっと取り込んでいたんだ。それで、報告したいことというのは何だ?」

《いえ、私もその爆発のことを伝えようと思ったんですが……あの陛下、他にもどなたかいらっしゃるんですか?》

 

 呆気にとられながらも、シャマルは俺以外の人物の存在に気付き、そう聞いてくる。

 それに俺は、

 

「“妹”が助けに来てくれた。それだけだ。後で紹介するよ。じゃあ何かあったらまた連絡してきてくれ」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 


 愚王ケントに仕える騎士の中には彼の異母妹がいた。

 《グランダムの聖騎士》ティッタ・セヴィル。

 兄とは違い優しい心を持ち、民のために戦った正義の女騎士としてグランダム滅亡後も名を残し、後世の人々から讃えられている。



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第11話 シュトゥラの騎士団

 ケントが守護騎士と飛行師団を率いて、マリアージュの軍勢と防衛戦を繰り広げている頃と同時刻。

 都市よりやや北側の大きな村では、突然村に何千人もの集団が誰の断りなく、続々と踏み入ってくるという異様な出来事が起こっていた。

 その集団は誰もが鉄と鋼でできた体をしており、目元にはバイザーを装着している。

 彼らを見た住人のほとんどは、あまりに奇異な集団に警戒心を抱き、逃げるように彼らから離れた。

 そんな中好奇心が勝ったのか、村の出入り口付近には立ち止まったままの野次馬が百人ほど残っていた。

 その野次馬に対し、集団の先頭にいた女は開口一番にこう言った。

 

「あなたたちもイクスヴェリアの糧となりなさい」

「……? なにを言って――ひっ!」

 

 女が口にした突拍子な言葉に、野次馬の最前列にいた青年が聞き返そうとしてからふと視点を下げてみると、女の腕がいつの間にか剣に変わっているのを目の当たりにした。

 

「うわああああああ!」

 

 男も、その後にいた野次馬たちも、遠巻きに見ていた村人たちも、集団が自分たちを襲おうとしている野盗の類だと気付くと一斉に逃げ惑う。

 集団は村人たちを追いかけるべく、剣になった腕を振るい続々と村へ押し入ってきた。

 

 そんな中、逃げる村人の流れに逆らい集団の方に向かって足を進める三人の姿があった。

 

「おい、あんたたち何やってるんだ!? 早く逃げないと!」

 

 ある村人が逃げながら果敢にも足を止め三人に逃げるように注意するが、連れの村人が彼の肩を掴んで止める。

 

「いや、大丈夫だ。あの方たちは――」

 

 村人二人がそんなやり取りをしている間にも、三人は集団に近づいていく。

 三人のうち一人は短い緑髪で紫の右眼と青の左眼の虹彩異色(オッドアイ)の青年、一人は長い金髪をリボンとキャップでまとめたドレス型の鎧を着た緑の右眼と赤い左目の虹彩異色(オッドアイ)の少女、最後の一人は後ろに結んだ長い黒髪に黒い服とマントを着た少年(?)といった構成の、村人とはかけ離れた装束をまとった少年少女たちだった。

 

 

 

 

 

 この村へやって来た集団、マリアージュたちは南の都市を襲う本隊から離れて北へ迂回し、そこから王都を襲い王宮にいるであろうグランダム王を亡き者にするため、この村へ入り込んだ五千体からなる分隊である。

 しかし、不運にもこの日は偶然付近を通りがかった異国の騎士団が村の近くで天幕を張って宿営しており、その上、村の中には騎士団の団長と二人の連れが宿で体を休めていた。

 

 

 

 三人はマリアージュたちの近くまで来て、足を止める。

 

「この村に何の用です? 剣を……持って押しかけてくるなんて。村の人に詫びを入れて大人しく立ち去りなさい。そうすれば――」

 

 剣となっているマリアージュの腕を見て戸惑いを押し殺しながら、緑髪の青年はそう忠告した。

 しかし、彼の隣にいる金髪の少女がそれを制する。

 

「いいえ、ただ見逃すだけでは別の村や町が襲われる恐れがあります。まずはその御手を武器に変える仕組みについて、お教えいただけないでしょうか? それからこの村を通ろうとする目的を聞かせてください。話によっては、驚かせてしまった村の方への謝罪だけですませることが出来るかもしれません……ですが」

 

 金髪の少女が構えた瞬間、彼女の首に提げていた剣の形をしたネックレスが手元に転移し、太い刃が備わった大剣となった。

 

「非を認めず、剣も捨てずに土足で村を荒らすつもりなら、どうなるかはわかってるよね」

 

 さらに少女の隣にいた黒髪の少年(?)が拳を突き出して、マリアージュに凄む。

 しかし、マリアージュたちは三人の求めに応じず、ただ――

 

「あなたたちもイクスヴェリアの糧となりなさい」

 

 それだけを言って剣を掲げてきた。

 敵意を隠さない相手に、とうとう銀髪の青年も構えを取る。

 

「仕方ないな。オリヴィエ、エレミア手伝ってくれ!」

「はい!」

「応! ……《鉄腕》解放」

 

 エレミアが唱えると同時に、彼の手は黒い小手に覆われた。

 

 

 

 

 

 彼らこそ村に滞在する騎士団長とそのお供からなる三人組。

 緑髪の青年はシュトゥラ王国の第一王子にして、《キオネル騎士団》の団長クラウス・G・S・イングヴァルト。

 金髪の少女は聖王連合からの客将でありながら、《シュトゥラの姫騎士》の通り名を持つオリヴィエ・ゼーゲブレヒト。

 黒髪の少年(?)は流浪の学士ヴィルフリッド・エレミア。

 

 

 

 

 

 三人は戦いの幕が上がるなりおもむろにマリアージュたちの中に飛び込み、

 

「シュトゥラ流 空破断!」

 

 クラウスの突き出した拳から放たれる衝撃波が一撃で十体もの敵を跳ね飛ばし、

 

「ガイスト・クヴァール」

 

 エレミアの一撫でが五体以上のマリアージュの首や銅をちぎり取り、

 

「はあああ!」

 

 オリヴィエが振り回す大剣が一回りに付き七体ものマリアージュを斬り裂いて行った。

 そうしてたちまち、マリアージュを蹴散らす三人やその周りに黒い血が飛び散っていく

 

(――!)

「シュトゥラ流 断空拳!」

 

 返り血が自らに付くのもいとわず、続けざまにクラウスがマリアージュの腹を貫く――その時!

 

「ヴィヴィ様、殿下、後ろへ跳んで!」

「「――!」」

 

 突然そう叫んできたエレミアの声に従い、クラウスとオリヴィエは真後ろへ跳躍する。

 その直後に、マリアージュの死体はまだ生きている仲間を巻き込み、大爆発を起こした。

 

「――人が爆発した?」

「腕を武器に変えたり妙な奴らだと思っていたが。よくわかったなエレミア」

 

 突然の爆発とそれに気づいたエレミアに、二人は驚きながら感心した。

 エレミアはわずかに照れながらかぶりを振る。

 

「いえ、嫌な気を感じたもので。それより敵はまだまだいますよ。ただ、今後は死んだ敵にも注意しましょう」

「ああっ!」

「はいっ!」

 

 爆発を逃れ持ち直したクラウスとエレミアは再びマリアージュと向き合う。

 その時――。

 

「殿下ー!」

「ご無事ですか!?」

 

 村の外で天幕を張って泊まっていた騎士たちが駆けてくるのが見える。マリアージュから逃げてきた村人の知らせを受けて、すぐに駆け付けてきたのだろう。

 騎士の一人がクラウスの隣に並び立つ。

 

「殿下、我々も共に戦います」

 

 彼の言葉を聞いてクラウスは笑みを浮かべた。

 

「いいのか? これは私的な戦いで、その上ここはグランダム領だ。命をかけて戦っても得るものはないぞ」

 

 クラウスの念押しじみた軽口に騎士は首を横に振る。

 

「いいえ、得るものはあります! 殿下と共に戦う誉、悪をくじき弱きを助けるシュトゥラ騎士としての名誉、それらを殿下やヴィヴィ様たちに独占させません! そうだろうお前たち?」

「応!!」

 

 クラウスは思わず苦笑を浮かべる。

 こういう奴らだ。

 キオネル騎士団に名を連ねる騎士たち。

 彼らはクラウスにとって、臣下であり兄弟弟子でもあり戦友でもあり親友だった。

 

 村の近くにいる騎士は総勢二千。マリアージュより三千()()少ない。

 

「よし! では散会して悪漢どもを薙ぎ払え! ただし敵は腕を武器に変えたり、死んだら爆発したり、奇怪な連中だ。注意してかかれ!」

オオオォォ!!

 

 しかし、ここにいるのは、ほとんどがクラウスと共にシュトゥラ流を学んだ精鋭たちだ。一人でマリアージュ十体は軽くしのげる。

 加えて一騎当千の猛将が三人も先頭に立っている。勝敗は明らかだろう。

 シュトゥラ騎士や名高い将三人に蹴散らされ、マリアージュはみるみる数を減らし、半刻もかからず騎士団の勝利でこの戦いは決着した。

 とはいえ、騎士の犠牲や敵の爆発による村への被害も皆無とはいかなかったが。

 

 

 

 

 

 

 敵を掃討し終えた騎士団は、悪漢たちの撃退が終わったと聞いて村へ戻ってきた人々から口々に礼を言われた。

 その後、クラウスたち三人は騎士団の代表として村長の自宅へ招かれて感謝の言葉をもらい村長の家を出る頃には、ベルカの曇天からでも空が暗くなり始めているのがわかる時間だった。

 

「お疲れ様です。クラウス、エレミア」

 

 村長宅を離れ村の広場に辿り着いて開口一番にオリヴィエが二人をねぎらった。

 

「それはお互い様ですよオリヴィエ。エレミアも。二人のおかげで助かった」

「いえいえ、二人とも無事にすんでよかったです。僕の方は旅路で野盗に遭遇することもあるので、ああいうことにも慣れてる方ですけど」

「腕を武器にしたり死んだら爆発するような奴らと遭遇することもか?」

「い、いや……ああいうのは初めてですけど」

 

 クラウスの突込みにエレミアはしどろもどろになる。さすがにあんなのは常識の範疇を越えている。そういうのはどちらかと言えば、彼女のほうが詳しいだろう。

 

「あんな人たちと居合わせるなんて滅多にないことだと思います。いえ、そもそも人だったのか。もしかしたらベルカの先史と関係があることなのかもしれません」

 

 顎に義手を当てながらオリヴィエが考え込む。

 

 

 

 その昔、ベルカには現代文明をはるかにしのぐ高度な文明があり、その文明の技術をもってベルカの国々は次元の壁を越えて別世界に進出し、繁栄を謳歌したと言われている。

 しかし、その繁栄の裏で各国は兵器開発技術を高め合い、ついに『()世界大戦』と呼ばれる戦争が勃発した。

 大戦はベルカだけでなく、行き来できるようになった他の世界をも巻き込んで行われ、資源、エネルギー、兵力補充を目的とした異世界侵略が繰り返された。

 どこかの国が支配下に置いた世界を、別の国が侵略して奪うということも常にあった。

 

 数多の世界を巻き込み、泥沼化した多世界大戦。そんな大戦を終結させたのが一隻の巨大な戦艦だった。

 戦艦全体に無数の砲台を備え付け、主砲は空間歪曲と反応消滅によって命中したものを原子すら残さず国一つを容易く消滅させることが可能な代物で、その上十分な魔力量があれば次元間を跳躍した攻撃も可能。

 そんな強大な武装を持つ戦艦は、敵対する国や異世界をことごとく滅ぼし、多世界大戦はほどなく終結した。

 大戦を終結させた戦艦の搭乗者は後に王として祭り上げられ『聖王』と、戦艦は聖王となった者が生後から最期の時までを過ごす『聖王のゆりかご』と呼ばれるようになった。

 

 しかし、戦艦改め『聖王のゆりかご』による、敵国への過剰な破壊行為は文明の後退をも招き、聖王を戴く国もゆりかごに匹敵する兵器が造られるのを恐れ、文明を復興させるのをよしとしなかった。

 だが、皮肉にも大戦時の資料を残さなかった結果、ゆりかごの力は時代を経るごとに忘れ去られ、聖王家に歯向かおうとする国が現れるようになった。ダールグリュン帝国がまさにその筆頭だろう。

 それが現代ベルカで起こっている戦乱の一因となっているのは疑いようがない。

 

 ここで余談だが、大戦末期、ゆりかごに対抗する兵器を造ろうとした研究組織があり、謎の事故で拠点世界ごと滅んだものの、不可解な侵略と停止を繰り返すガレア王国がその残党ではないかと中枢王家で密かに話題が上がっている。

 

 

 

(悪漢が言っていたイクスヴェリア……ガレアの王の名前と同じ……もし彼らがガレアから送りこまれたのだとすれば、ガレアという国はやはり)

 

 心中で密かに確信を得たオリヴィエをよそにクラウスは口を開く。

 

「しかし、グランダム領の村をあんな奴らが襲ってくるとは。ケントと話すべき事が増えたな」

「……案外もう知れ渡っていて国中大騒ぎになってるんじゃないですか?」

「そうかもしれませんね」

 

 エレミアのぼやいた言葉にオリヴィエは同意する。

 謎の悪漢がガレアから送りこまれた刺客だとすれば、これは紛れもなくガレアからグランダムへの侵略だ。

 こんな襲撃が他の場所でも起きていたとすれば、グランダム王となったケントがその対処に追われているのは容易に想像できる。

 

「この村でもう一泊したら先を急ぐぞ。グランダムで今、何が起きているのか早く確かめておきたい」

 

 クラウスの言葉に、オリヴィエとエレミアはそろって首を縦に振った。



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第12話 合流

「門だ!」

「助かった!」

「どけ! 俺が先だ!」

 

 東端の都市では、街を囲む外壁にいくつか設けられた門の近くに多くの住民たちが殺到していた。

 ガレアに占領されたコントゥアから送られたマリアージュの襲撃から三日。

 侵略の魔の手が自分たちに及ぶことを危惧した近隣の都市から増援の部隊が送られてくることが度々あるものの、未だマリアージュを追い払うことが出来ないどころか、すでに都市の八割がマリアージュの手に落ちていた。

 故に住民は皆、一刻も早くこの街から脱出したいのだ。

 その門の向こうでは、

 

「やっと出られた」

「――あ、あれは!」

 

 外壁の門を抜け、街から脱出してきた市民たちの目の前に大勢の軍隊の姿が見えた。

 必死の思いで何度ももう限界だと思いながらも、疲れ切った足に鞭打って、ようやく街から出ることが出来た自分たちの目の前に現れる数万もの軍隊。

 それを目にした人々の多くは、

 

「そんな……」

「必死に逃げてきたのにこんなところにまで」

「ふざけんなこんちくしょお! 俺たちが何をしたっていうんだ!?」

 

 これで助かったと思っただけに、それを裏切られたと思った住民たちの絶望感は計り知れない。

 あまりの衝撃に膝から崩れ落ち、地面を殴りつける者まで現れた。

 

「い、いや待て。この軍旗はまさか――」

 

 だが、商人や学者など、貴族や王宮と縁を持つ者の中には軍の正体に気付く者もいた。

 街の外にいる軍は、東から入り込んだ怪物たちと違い皆人間で、多くの兵が馬に乗っている。

 

 

 

 

 

 飛行部隊に遅れながら騎兵を中心に編成したうえで馬を走らせ、休息を最低限にとどめながら可能な限り道を急ぎ、ようやく都市に到着したグランダム本軍。その数三万。

 さらに国家存亡の危機とあってほとんどの都市から援軍を出すという言伝が届き、兵はあと後二万は増える見込みだ。それが叶えば最終的な兵の数は5万になる。

 それでも敵軍より倍にも届かないが、かつてのディーノ戦では一万対三万でそのうえ野戦という圧倒的に不利な状況だった。それに比べれば今回は自国での都市戦で、戦力も二倍差。

 加えて現在街には、闇の書から召喚されディーノ戦で戦果を挙げた守護騎士という勇士と、《闇の書の主》ケント王がいる。

 ディーノ戦に比べれば救いはあるのだ。

 多くの兵が自らにそう言い聞かせて、この戦に臨んだ。

 

 

 

 

 

 三万の軍勢の先頭では煌びやかな鎧装束をまとった将軍が、装束で飾った馬に乗りながら空を見上げた。

 

(ケント陛下らしき方の姿は見えんな。まったく、王たる御方が自ら先兵を率いて出陣されるなど困った御方だ。しかし、そんな御方でなければ独立国を取りまとめるなどできんのかもしれん。それにあの御方は闇の書を完成させベルカ統一の果たすという、父君の悲願を背負っておられるしな)

 

 一通り思いを巡らせてから将軍は馬首を反転させ、自らが率いる兵たちを見る。

 将軍はいくつか数えるほどの時を待ってから、声を張り上げた。

 

「グランダムの精兵たちよ! 悪名高き蛮国ガレアは我らが国王陛下との交渉を提案しながら、早々に約を破り我が国に攻め込んできた!

 それも善良な民が生活を送る市街地で、無法の限りを犯すという卑劣極まりない所業をもってである!

 あの都市にいるのはお前たちの友かもしれん、親かもしれん、子かもしれん、伴侶かもしれん、将来を約束した恋人かもしれん、その住民たちが今も敵軍の陰に震えながら取り残されているかもしれんのだ!

 これを見過ごすためにお前たちは鍛錬を重ねてきたのか?

 否! 賊軍を征伐し民の暮らしを守るためだ!

 さあ武器を取れ! 我が息子たちよ!

 東から来た畜生どもに、我らの怒りを思う存分ぶつけてやろうではないか!!」

ウオオオオオオオオオオオォォォォ!!

 

 

 

 

 

 

 城門前に集結した本軍の到着を、空から街を俯瞰しながら敵軍を攻撃していた飛行部隊が即座に気付く。

 その中には、外壁の上に陣取っていた守護騎士の参謀役シャマルも含まれていた。

 

(やっと本軍が到着した。これで戦況はマシになるはず。それに数を増やしたこちらに対して、敵も何らかの手を打ってくるに違いないわ。その時こそ……問題はヴィータね。マリアージュの自爆の事を伝えようとしても返事を返さず、もう三日も経つわ。まさかもうあの子……)

 

 

 

 

 

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

「――この!」

 

 シグナムの腹に剣筋が入るが、シグナムも返しざまに相手の胴を断ち切る。守護騎士の将としてやられるだけでは済まさない。

 しかし、未だ彼女の目の前には二十体ものマリアージュがいる。

 マリアージュを斬り伏せていって三日目。

 再生機能による回復を繰り返しながら不眠不休で戦い、二万以上の敵を討ち取ってきたが、さすがのシグナムもそろそろ精神的な疲労が出てきたようだ。

 

(くっ、数日間戦い続けるのも、大軍を相手にするのも、これが初めてではないが、今回は慣れてないのが痛いな。守護騎士として数え切れぬほどの戦いを重ねたが、こんな怪異どもと戦うのはさすがに初めてだ)

 

 シグナムはカートリッジをリロードし、剣を弓状に変える。

 

「シュツルムファルケン!」

 

 シグナムが放った矢はマリアージュに命中し、そのまわりにいたマリアージュも巻き込み一矢で十体ほど討ち取った。

 

「ぐあっ!」

 

 しかし、疲労のあまり他の敵の動きに気を配れなかったシグナムの横腹を、長い槍による一突きが襲う。

 

「おのれ、まだまだ!」

「あなたもイクスヴェリアの――」

 

 槍を構える個体をはじめ、自身に矢を射かけようとする者、剣を構える者、その他十体近くと対峙し、シグナムは剣を構える。

 

(まだだ。もう少しすればまた再生機能で回復できる。それまで持ちこたえれば)

 

 敵とシグナムが互いの得物を振り上げる。

 その時、不意に横から矢が飛んできて矢はマリアージュの側頭部に命中した。

 思わず矢が飛んできた方に顔を向けたシグナムの目に映ったのは……

 

 

「シグナム卿!」

「ご無事ですか!?」

 

 それは馬に乗って駆け付けてきた、十騎以上のグランダムの兵士だった。

 彼らのうちある者は弓を構え、ある者は剣を抜いている。

 彼らの姿には見覚えがある。

 皆、シグナムが王宮でしごき鍛え上げた兵たちだ。

 剣も弓も手心を加えず徹底的に叱責しながら教えてきた。

 厳しくしごいたために正直憎まれてるとも思っていた。そんな彼らに助けられるとは。

 

「シグナム卿、ここは我らにお任せを!」

 

 敵を斬り倒しながら兵の一人が言い捨てる。

 

「ま、待て! そいつらは死ぬと」

 

 シグナムが言おうとする間に敵の死体が爆発するが、兵士たちは寸前で馬を止める。

 爆発による砂埃を前に、兵士は振り返ってシグナムに笑みを見せる。

 

「自爆するんでしょう。ここに来るまでに嫌ってほど見ました。だからもう大丈夫」

「シグナム卿は下がってください!」

 

 師の返事も聞かず、教え子たちはマリアージュに向かって行く。

 そんな弟子を見送りながらシグナムは苦笑いを浮かべた。

 

(まさか私が誰かに助けられる時が来るとはな)

 

 前までの主のもとではそんなことは起こりえなかった。逆に主の私兵の盾にされることがほとんどだった。

 苦い記憶を思い返しながらふと傷跡を見ると、ようやく再生機能が働き、負傷していたのが嘘のように傷が塞がっていた。

 

(存外私も現金な奴だな。初めてだ。戦うことが誇らしいと思えるのは)

「レヴァンティン、甲冑の修復を」

『Verstanden.(了解)』

 

 媒介に騎士甲冑を修復させてから、シグナムは体の向きを変え駆ける。

 次なる戦いの場へ向かうために。

 

 

 

 

 

 

 パキンという音とともに剣が折れる。

 

「くそ、こんな時に!」

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

 

 共に戦っていた味方がやられて孤立した上得物を失ったグランダム兵に、剣の腕を振りかぶったマリアージュが襲い掛かる。

 

(――これまでか)

 

 兵士は観念し目をつぶった。

 

「うおおおおお!」

(……?)

 

 しかし、いくら待ってもとどめの一撃が来ない。

 その事に違和感を覚えた兵士は思わず目を空ける。

 

「――!」

 

 彼の眼前に移ったのは筋骨隆々の男が、素手でマリアージュの胸元を貫いてる姿だった。

 続けざまに彼は、マリアージュを他のマリアージュに向けて蹴り飛ばす。

 間髪入れずマリアージュは、他の個体も巻き込んで自爆した。

 

「ザフィーラ卿!」

「いつかの門番か。あの時驚かせて以来だな」

 

 彼は数日前に狼の姿のザフィーラと居合わせた門番だ。彼は本来なら、今日も王宮の門を守っていたはずの男だった。

 しかし、男がちょうど非番だった日にガレアからの侵略が起きて、救援のために編成された軍に急遽組み込まれてしまったのだ。

 正直不運でしかなかった。よりによってあの日に非番でなければ、自分は今日も安全な王宮の前を立ってるだけですんだのに。

 だが何の縁か、嫌々来ることになった戦場で、あの狼の正体である御仁と再会するとは。

 

「武器が折れたくらいで抵抗する気も失うとは。国の要とされてる割に兵士とは意外と脆弱なものだ。ふむ、今の主は寛容な方だし、一度私が皆に稽古をつけてやってもいいかもしれん」

「武器を持ってる敵に素手で向かえるのはあなたくらいですよ……いや、もう一人いたな、陛下のご友人だっていうどこかの王子――ってそんな場合じゃなかった!」

 

 一人突っ込みができるくらい立ち直った兵士に、ザフィーラは苦笑いをする。

 

「それで、お前はこれからどうするんだ? お前の方は私やどこかの王子とやらと違って素手では戦えないようだが」

 

 ザフィーラの問いに兵士はうなる。

 こういう時は味方から予備を借りるか、敵兵の死体から奪うか、本陣まで戻るものだが、今は味方がザフィーラしか見当たらない。敵の武器は腕と一体化しており使い勝手が悪そうなうえに、なにより気持ちが悪い。かといって、マリアージュがひしめく街の中を本陣まで戻るのは危険すぎる。

 そのため今の兵士に取れる行動は一つだけだった。

 

「ザフィーラ卿、大多数の敵に対して卿お一人だと危ないでしょう。よろしければ私が周辺の注意を払うくらいはさせていただきますが」

 

 味方の兵と合流できるまで側においてくれということか。

 

「よかろう。私は眼前の敵に専念する。周囲の事はしばらくお前に任せたぞ」

「はい!」

 

 兵士の本音をザフィーラは正確に見抜いていた。だがひょっとすれば、獣の自分には気付けないところを見抜くことがあるかもしれない。そう思い、彼の口車にあえて乗ってやることにした。

 

 

 

 

 

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

「セイ!」

 

 俺の剣がマリアージュの首を、ティッタの大剣がマリアージュの胴を貫き、俺とティッタはすぐさま息絶えたマリアージュから離れた。

 その直後、マリアージュの死体は爆発し四散する。

 

 

 

 三日前、ティッタの助力を得てから、俺たちは休む暇なくマリアージュたちとの戦いを続けていた。

 時折兵站が置いてある外壁を行き来して水と最低限の携行食の補給を行いながら。眠気はドーピング魔法で抑えている。

 敵兵が人間だったら、あちらも食事や睡眠をとらざるを得ない。そのためこちらも同じように食事と睡眠を摂る機会がある。

 しかし、今回の敵は食事も睡眠も摂らずひたすら虐殺を続ける人外が相手だ。こちらも切り詰める必要があった。

 外壁で待機しているシャマルからは何度も、本軍が来るまで休息を取るように言われた。

 だがそれは断った。

 この街に住む住民が犠牲になるだけ、マリアージュは数を増やして他の都市にまで手を伸ばし、しまいには本軍でも手に負えなくなる恐れが強くなる。その不安を抱えたまま休んでいられるほど俺は肝が強くはない。

 そうシャマルに訴えた結果、ティッタを側につけることを条件に彼女は折れてくれた。

 それから俺は、ある時は空から攻撃を仕掛け、ある時はこうしてティッタと共に地上でマリアージュを斬り伏せていった。

 

 

 敵は飛行兵の事を歯牙にかけてないため彼らの犠牲は多くなく、シャマルによれば守護騎士もほとんど無事らしい。あいつを除いては。

 

(ヴィータ、お前はここで死ぬタマじゃないだろう。無事でいろよ)

「あなたもイクスヴェリアの――」

「うおおお!」

 

 不意に現れたマリアージュに、俺は剣を振りかぶり顔面に叩きつける。

 

 

 

「セイ! ――!」

 

 ティッタもまた、突然目の前に現れたマリアージュを斬りつけてからケントの方を振り返り、気付いた。

 

「兄様後ろ!」

「ぐああ!」

 

 眼前の敵を倒したと同時に腹に激痛が走った。

 焼けるような痛みに関わらず、無意識に俺は後ろを向く。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

 

 今まで家だった廃墟にいたのだろうか? いつの間にか後ろに張り付いていたマリアージュが、剣を俺の腹に突き刺しながら詰め寄っていた。

 

「兄様!」

 

 ティッタが駆け寄ろうとする。しかし、

 

「来るな!!」

 

 俺が倒したマリアージュからは、どくどくと油と思われる黒い血が流れだしている。そろそろ爆発する頃だ。

 

「逃げろ……今すぐ」

「そ、そんな嫌だよ。あんたとはまだ話してないことが」

 

 俺が逃げろと言ってるにもかかわらず、ティッタはただ立ち尽くしている。

 俺を刺したマリアージュは向きを変え、ティッタの方へ迫っていく。俺をマリアージュにするより先に邪魔者を片付ける気らしい。

 普段のティッタならばマリアージュを倒すことは容易だ。しかし、今のティッタはマリアージュを倒すか、俺を助けるかで迷っていて動くことが出来ない。

 馬鹿な。俺だけならともかく、やっと会えたばかりの妹まで巻き込んでしまうの

 

ちくしょううう!

うっせぇぞ、馬鹿主!

 

 ――?

 

「でりゃああああ!」

 

 突然声がしたと思ったら、爆発寸前のマリアージュの死体が何かの衝撃で勢いよく吹き飛び、その先で爆発を起こした。

 マリアージュがいた場所を見てみると、そこには彼女がいた。

 二つに分けられた三つ編みの赤毛、黒い鎧に長いスカート、見間違えようがない。

 

「ヴィータ!!」

「うおおおお!!」

 

 ヴィータは槌を振りかぶり、ティッタに迫っていたマリアージュにそのまま叩きつけ、側面の方へ飛ばした。

 

「あんた、あの時の!」

 

 そこでティッタはヴィータの事を思い出す。ついこの間、グランダム城の城門を隔てる格子を挟んでいがみ合った、口の悪い少女騎士だと。

 

「おう、あの時の入営志願者か。おい主、こいついつの間に軍に加えてたんだよ? てか兄様って何? こんな時に何の遊びしてんだよ」

「そ、それにはいろいろ事情があってな――それより、お前こそ今まで何をしていたんだ? 念話しても三日間応答がないって、シャマルが心配してたぞ」

「ああ。マリアージュを倒すとき自爆するとは知らなくて、つい燃焼系の魔法使っちまってな。それで爆発をもろに喰らってレンガの下敷きになるわ、下半身丸々ちぎれるわで、再生するのに丸一日かかっちまった。まっ、生き埋めになったのが逆に功を奏して、マリアージュどもに見つからずにすんだけど」

「ちぎれたって……ちゃんとついてるように見えるが?」

 

 スカートにまとわれたヴィータの足を見ながら俺は言う。

 

「再生したって言っただろう。じろじろ見るなエロ主」

 

 俺を睨みながら、ヴィータは足を隠そうとスカートを直しだした。

 

「再生……守護騎士ってそんなこともできるのか? じゃあ、シャマルからの思念通話に応えなかったのは?」

「もう知ってると思うけど、シャマルって口うるさいだろう。マリアージュが自爆するなんてこの身で体感したし、返事なんて返したら余計くどくど言ってくるからなあいつ。だから無視してた」

「……なるほど」

 

 確かにそこはヴィータらしい。

 

「……」

 

 得心している俺の後ろでティッタが呆然としている。守護騎士の事を知らないティッタには話についていくことができないようだ。

 

《陛下! 聞こえますか陛下?》

 

 俺の脳裏にシャマルの声が響いてきたのはそんな時だった。

 

《ああ、シャマル。こっちは何とか無事だ。ヴィータも発見した》

《ヴィータを!? 本当ですか? あんた三日も返事しないでどうしてたのよ?》

《また説教が始まった。だから返事したくなかったんだって》

 

 ヴィータとシャマルが思念越しに喧嘩を始める。三日ぶりに言葉を交わす彼女たちを好きにさせてやりたいのは山々だが……。

 

《シャマル、すまないが後にしてくれ。さっきの口ぶりだと、何か俺に伝えたいことがあって念話してきたんじゃないのか?》

《あっ、申し訳ありません陛下! では改めて報告します。王都から本軍が到着しました》

 

 それを聞いて、俺は思わず目を剥いた。

 

《本当か!》

《はい。すでに街の各所に展開し、マリアージュの掃討を始めています。ですが、こちらに対して敵も手を打ってくるものかと》

 

 それはそうだろうな。この街が未だに陥落していないのは、マリアージュの向こうにいるガレアの高官も気付いてるだろうし。

 

《どんな手を使ってくると思う?》

《はい。おそらく――》

 

 

 

 

 

 

「敵本軍らしき大軍の存在を確認。操主からの命令通り全僚機は直ちに殲滅行動に移行せよ」

 

 マリアージュを率いる軍団長のその通達と命令は、念話に似た仕組みで速やかに全僚機にいきわたった。

 

 

 

 

 

 

「おい! あれを見ろ!」

 

 いきなり大声を上げたヴィータにつられて、俺もティッタも空を見る。

 そこには……。

 

 

 

 

 

 

「飛行形態へ移行……上昇開始します」

 

 地上にいるマリアージュがそうつぶやいて次々に空中へ飛んでいき、一定の高度につくとその場で停止した。

 その中には先ほどまでグランダム兵と切り結んでいた個体もいたが、飛行魔法が使えない兵士は何もできずにそれをただ見ているしかなかった。

 

「指定高度に到達……残りの僚機の到達まで待機。敵兵から攻撃された個体のみが反撃行動をとります」

 

 

 

 

 

 その時、都市の空中は次々浮かんでくるマリアージュに覆われた。



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第13話 軍団長

「あいつら飛べたの?」

 

 地上から飛び始めたマリアージュが増えていく空を唖然と見ながら、ティッタは呟く。

 俺も空中を見上げながら。

 

「やはり飛ぶことはできたか。今まで飛行兵にやられるままだったから、その予想は外れだと思ったのだが」

 

 しかしこうして目の当たりにすると、マリアージュに飛行能力があるという予想はやはり当たっていたようだ。

 マリアージュが地上でしか動けないのならば、今まで滅ぼされた国の飛行魔導師はほとんど生き延びることができたはずだ。その生き残りたちによって、ガレアから送られるマリアージュという人外の話は多くの国が知るところとなるはず。

 だが、マリアージュの話はグランダムでもコントゥアでも今まで聞いたことがなかった。

 ならばマリアージュに滅ぼされた国の民は飛行魔導師も含めて殺されつくしてしまい、残ったのは辺境から他国に逃れたごくわずかな者だけ。マリアージュの事なんてろくな説明も出来ずに、混乱しきって気がふれたと思われてしまったのだろう。

 

「でも、あいつらなんで飛んだまま動かないの? さっきから停まったままだけど」

「全員が空中でそろうのを待ってるんだろうよ。その後でうちの飛行兵も、地上に残ったままの兵隊たちも、空から一斉に仕留める腹だ。それで軍隊を滅ぼした後は、無力な国民は好きなだけ食い放題ってわけだ」

《陛下、ぐずぐずしている場合ではありません!》

 

 ティッタとヴィータが言ってる横で、俺の鼓膜にシャマルの声が響いてきた。言葉通り頭に響く。

 

《シャマル、焦る気持ちはわかる。俺だって何とかしなければいけないと思う。だが、数が圧倒的に違いすぎるんだ。空のいるマリアージュはおそらく五万。それに比べて奴らと戦える飛行兵は一万に届かない。弓兵を数に入れても焼け石に水だろう》

《いいえ! この状況を打開できる方法が一つだけあります》

 

 シャマルの言葉に俺は耳を疑った。

 

《本当か?》

《はい。これしか手はありません。飛んでいるマリアージュの大軍を撃退することも、マリアージュを自爆させずリンカーコアを蒐集することも、この方法でなければ無理です》

《どうすればいい?》

 

 この際リンカーコアはもうどうでもいい。しかし、あのマリアージュたちはすぐに対処しなければ我が軍は為すすべなく全滅してしまう。

 もはやシャマルの献策だけが頼みの綱だ。

 

()、頁を50ページほど消費してしまいますが構いませんか?》

《構わない! それはどんな方法だ?》

《わかりました。では……》

「――なっ!?」

「――えっ?」

「……」

 

 シャマルの返事と共に、俺の前に緑色で等身大ほどの大きさの渦が現れた。ティッタも驚いているがヴィータは平然としている。ということは、これはシャマルの魔法によるものか?

 

「陛下、この渦に入ってきてください」

 

 思念ではなく渦の向こうから、シャマルの声が聞こえてくる。

 あの向こうにシャマルがいるのだろうか?

 

「早く!!」

「あ、ああ!」

 

 強い声で催促してくるシャマルに、慌てて俺は渦の中へ入っていった。

 

 

 

 

 

 

 ケントが入り込むと渦は消滅し、残ったのはヴィータとティッタのみとなる。

 

「……あの、にいさ――陛下、入って行っちゃったけど大丈夫なの?」

「シャマルっておばさんのとこに行っただけだ。平気平気。シャマルならマリアージュを片付ける方法も思いつくだろうしな。ところでお前、あいつのこと兄様って呼んでたけど、どういうこと?」

「ああ、それはね――」

 

 

 

 

 

 

「ここは……」

 

 渦を通って来たのは外壁の上だった。俺たち先兵はここに兵站を置いて仮の陣地としている。

 

「陛下、お待ちしていました」

 

 そこには待機させているシャマルもいた。さっきの渦は自分と特定の場所を繋げるための魔法だったらしい。

 そういえば前の戦でシャマルがディーノ兵や王からリンカーコアを奪った時も黒い渦を見たが、もしや同じ魔法か?

 

「陛下、時間がありません。早く闇の書を出してください」

「あ、ああ……」

 

 シャマルに言われた通り、俺は懐から闇の書を取り出す。

 するとシャマルは俺からそれをひったくり、すごい速さで頁をめくっていった。

 

「この最後から十数ページにわたって書かれているフィンブルという魔法、わかりますか?」

 

 シャマルが示すのは、ディーノ王から蒐集した広範囲冷却魔法《フィンブル》。巨人化した父を氷漬けにするほどのすさまじい魔法だ。

 ――まさか!

 

「それであいつらを冷却しろというのか!」

 

 俺の推察にシャマルは首を縦に振った。

 

「そうです。ただし、そのまま撃つだけではすべてのマリアージュを凍らせることはできません……ですから」

「闇の書の力で威力と規模を上げろ……そう言いたいんだな」

 

 なるほど、それならほとんどのマリアージュを倒せるだけでなく、自爆を防いでリンカーコアも蒐集できるということか。

 

「お察しの通りです。先ほども申した通り、50ページほど費やすだけで十分なはずです。それでも五万体からリンカーコアを収集すれば、闇の書の頁は一気に数百ページは――きゃっ!」

 

 俺は思わずシャマルの肩を掴む。シャマルは頁がどうこう言いかけていたが、そんなことはどうでもいい。

 

「この状況を覆せるなら十分だ! すべての頁を失ってでも俺はやる。シャマルは空にいる飛空兵に外壁付近まで退くように伝えてくれ」

「は、はい。それはもうすでに。何万体ものマリアージュが集まっていますからみんなあっさりと」

 

 どぎまぎするシャマルをよそに俺は眼前を見る。

 もうすでに、ほとんどのマリアージュが集まりつつあるようだ。

 これ以上は待てない。

 

「行くぞ!」

「お気をつけてーー!!」

 

 

 

 

 

 

 マリアージュに向かって飛び立つケントに手を振って見送りながら、シャマルは考える。

 

(頁を失っても構わないなんて本当に変わった主ね。死ぬよりはましということかしら? でもそれだけなら戦おうともしないはずだし、やっぱり今までの主とは違うわね。……それにしても半分くらいは地上に残しておくと思っていたのに、ほぼすべてのマリアージュが飛んでくるなんて。撃墜された時のことを考えていないのかしら……あの主なら思考能力もつけると思ったんだけど)

 

 

 

 

 

 

「……」

「敵兵確認。攻撃に備え反撃の用意を」

 

 マリアージュは腕を矢に変えて俺に向けてきた。

 しかしまだ早い。

 

「広範囲冷却魔法・フィンブル」

 

 俺の足元と腕の先に三角のベルカ式魔法陣が展開し、腕の先に展開した魔法陣から氷晶が漏れ出てくる。

 

「魔力反応確認。射撃します」

 

 敵は俺に向けて矢を放ってきた。

 ――今だ! 

 

「固有技能・フライングムーヴ」

 

 技能の発動を念じた途端、俺以外の世界の時間が緩む。実際は世界が遅くなったのではなく、俺の方がまわりよりすごい速さで行動しているのだが。

 とにかくこの機を逃さず、俺は闇の書に呼びかける。

 

「主として闇の書に命じる。可能な限り書に宿る魔力を我が魔法に上乗せせよ!」

 

 闇の書から返事は来ない。それはそうだ、まだ技能を解いていないのだから。しかし時間が止まったわけではないから命令自体は届いたはず。

 迫りくる矢を見て若干ためらいながら、勇気を振り絞って俺は技能を解く!

 次の瞬間、俺の耳に声が届いてきた。

 

『Verstanden.(了解)』

 

 闇の書がそう答えた直後、勢いを封じきれなくなった魔法陣から猛烈な勢いで吹雪が飛び出て、矢もマリアージュたちも覆いつくす!

 氷漬けになったマリアージュたちは動きを止め、そのまま地上へ落下していった。

 それを見届けている間に、闇の書はまたひとりでに頁を開いていき、

 

『Sammlung.(蒐集)』

 

 例によって氷漬けになったマリアージュからリンカーコアが書に吸収され、怒涛の勢いで頁が埋まっていった。

 本当に何百ページもありそうだ!

 

「これで勝ったのか……いや!」

 

 思わず肩の力を抜きそうになったが、それをこらえて街の奥に目を凝らす。

 そして、一体だけ残っているマリアージュを見つけた。

 あいつが最後のマリアージュか!

 

 

 

 

 

 

「僚機全滅。ならば私が戦場へ進軍を……」

「そこまでだ!」

「もう残ってるのはあんた一人だけみたいだね。さすがにもう降参した方がいいと思うけど」

 

 味方の全滅を見届け、歩を進めようとした軍団長の前に立ちはだかったのは、ヴィータとティッタだった。

 だが、二人に詰め寄られても軍団長はひるまない。ひるむという感情も機能もない。

 

「右腕武装化……形態、戦砲」

 

 軍団長はティッタに向けて戦砲を向けた。それを見てもティッタは避けようとせず棒立ちしたままだ。

 

「……筒? そんなもんでどうしようって」

「馬鹿! ……くそ!!」

 

 毒づきながらヴィータはティッタに飛びかかり、同時に軍団長が向ける戦砲から、爆音とともに巨大な球が放たれた。

 

「ぐぉっ」

「いてて。ヴィータいきなりなに――!」

 

 ヴィータに突き飛ばされ尻餅をついたティッタは、身を起こしながら文句を言おうとして気付いた。

 ヴィータが胸を押さえながら、苦悶の声を上げていることに。

 

(くそっ! これしきで動けねえなんて。傷がまだ再生しきれてなかったのか)

「まだ生きていますか。この砲弾は人の身で耐えられるものでは――」

「よくもヴィータを」

 

 軍団長は再びティッタに戦砲を向ける。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

 

 軍団長はティッタに狙いを定め、球を撃った。

 ティッタは砲弾をかわし、空を切った砲弾は地面に激突し巨大な穴をあけた。

 その間もティッタは軍団長に迫る。

 しかし、軍団長は正確にティッタに狙いを定め、砲を向ける。

 

「あなたもイクス――」

「フライング・ムーヴ」

 

 その時、空からマリアージュめがけて声と黒い影が降ってきた。

 

 

 

 

 

 

 俺以外の時間が再び緩くなる。

 その間に俺は剣に魔力を込め、

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 大筒を構えたマリアージュの腕を斬り落としながら、俺は技能を解いて地に降りた。

 マリアージュはいつの間にか右腕を喪失していることに気付き、動きを止める。

 

「戦闘不能。しかし我らは――」

「うらああああああ!!」

 

 ついに懐に入ったティッタは大剣を抜いて、そのままマリアージュのどてっぱらに突き入れた。これだけでは終わらない。

 

「死したその身も戦地を――」

「はああああ!!」

 

 捨て台詞を残しながら自爆を試みるマリアージュに向けて、ティッタは足を振り上げマリアージュを思い切り蹴り上げた。

 マリアージュはティッタを巻き込むことも叶わず、宙を飛びながらそのまま爆発し、霧散した。

 

「ヴィータ!」

 

 ようやく最後のマリアージュを倒したと見るや、ティッタは踵を返しヴィータに駆け寄る。

 

「ヴィータしっかりして!」

 

 ティッタはヴィータを抱き起こし、顔が涙まみれになるのもいとわず抱きしめた。

 

「嫌だよ。あんたとは気が合いそうだと思ってるのに、再会してすぐ死んじゃうなんて」

「……勝手言ってんじゃねえ。再生が遅れてただけだ。こんなのすぐ経ったら」

「しゃべるな。じっとしていろ。ティッタもあまりヴィータを動かすんじゃない。俺が今シャマルを呼んでくるから」

 

 俺はそう言い残して、シャマルのいる外壁に飛ぼうとした。

 

「はい。私が何か?」

 

 と思ったら、すぐ眼前にシャマルがいた。俺は慌てて足を止める。

 

「シャマル来ていたのか。いいところに。実はヴィータが」

「また無茶をしおったなヴィータ。あまり再生機能を過信するなと昔言ったはずだぞ」

「主、ご心配は無用です。我ら守護騎士にとって、命に影響のあるほどの手傷ではありませんので」

 

 いつの間にか来ていたのはシャマルだけではなかった。

 シグナムはヴィータを諫め、ザフィーラは安心しろというように俺の肩に手を置いた。

 俺は思わず、

 

「……あの、お前ら少し冷静すぎないか?」

 

 俺の突込みには誰も反応せず、シャマルはすたすたヴィータの方へ歩いていき、ヴィータのそばに着くとその場で屈みこみ、両手の人差し指と薬指にはめた指輪上の媒体に何事か呟いた。

 

「静かなる癒し」

 

 途端にヴィータの体は緑色の魔力光に包まれ、光が収まる頃にはヴィータの胸の傷は完全に塞がっていた。

 

「ヴィータ! よかった! 本当に!」

 

 それを見てティッタは泣きながらヴィータにすがり付き、ヴィータもまんざらでもなさそうになすがままにされていた。

 

「――ったく、だから大丈夫だって言ったろ。主だってそうだ。あたしみたいな無礼者相手に血相変えやがって。おかしな奴だ。ティッタも……ケントも」

「それだけ減らず口が叩ければ大丈夫か……まあ、大事を取って王都に帰っても構わないが。マリアージュへの対処の仕方は嫌というほど脳裏に焼き付いたし、ガレア攻略は正直守護騎士抜きでも大丈夫だと思う」

 

 苦笑しながら俺はヴィータにそう提案する。返事は予想がつくが。

 

「はあ!? ふざけんなよ! ここまで来てすごすご帰れるか! ケントがどう言おうがあたしも行く! ガレア王もその手下もこいつで叩き潰してやる!」

 

 ティッタに抱きしめられながら、ヴィータはがなり立てる。

 こいつも言っても聞かんか。やはりティッタと似た者同士だ。

 

 

 

 ガレアの侵略から三日目。

 グランダム東端の都市はついに解放され、マリアージュなるガレアの兵はグランダムの地から姿を消した。

 その翌日、すでにグランダム・ガレア国境付近に結集しているグランダム軍は、反撃のためコントゥアに軍を進める。最悪の国ガレアを目指して。

 

 

 

――『――の魔導書』330ページまでの蒐集を完了。



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第14話 闇の書への深まる疑念

 ガレアとの国境沿いにある都市を解放して翌日。

 俺はグランダム軍を率いて、ガレア領となっているコントゥアへ足を踏み入れた。

 最初に通ったのは焼け落ちた廃墟だった。我が国グランダムとの交易で栄えた都市の面影はもうどこにもない。誰もが廃墟を見回したが、その中からはマリアージュどころか人っ子一人見つかることはなかった。

 その次に見えてきたのは、崩れ落ちた建物が点在する焼け野原。おそらく村か集落がそこにあったのだろうが、一目でわかる。ここにはもう誰もいない。

 廃墟と焼け野原をいくつか通り、日が暮れる頃に我が軍は焼け野原の方に天幕を張って宿営することにした。

 

 野原の方に泊まる理由は二つある。

 一つ目は廃墟の方にはまだ崩れていない建物も多く残っているが、肝心の寝具は焼失しており、眠る際は床に寝そべらなくてはならないこと。

 二つ目は廃墟は死角が多く、敵が潜んでいても気付きにくい。特に寝込みを襲われる危険は非常に高いだろう。その点平野なら見晴らしがよく、見張りさえ立てておけば敵が現れたらすぐにわかる。

 加えて三つ目の理由をつけるとしたら、荒廃した街で過ごすのは俺には気が滅入る。個人としても、為政者としても……。

 まさかあそこまで荒廃していたとは。

 

 

 

 

 

 幕営内に張られた無数の天幕の中心に、俺たちが泊まる幕があった。

 幕は二つ。

 一つは俺とザフィーラが泊まる幕、もう一つがシグナム、ヴィータ、シャマルそしてティッタといった女性陣が泊まる幕。

 あたりが暗くなり幕営のあちこちで松明がともされる頃になって、俺はシグナムたちを俺たちが泊まる方の幕へ招き入れ酒と食事を共にすることにした。

 天幕の中心で輪を作るとそこに座り込み、酒――ヴィータは果汁水――を乾杯して俺たちは話を始める。

 

「あのヴィータ、本当に大丈夫なの?」

「あれぐらいもう再生したって言っただろう。しつこいぞティッタ」

 

 一口目を口に含んでから、ティッタはヴィータの具合を聞いてきた。自分のせいで深手を負わせてしまったと気に病んでいたみたいだからな。

 シグナムはティッタを元気づけるように言った。

 

「我々守護騎士の生命力は人間のそれと根本的に違う。そう気にするな。昨日の事はヴィータの過信が招いたことでもある」

「はあ……闇の書が召喚した騎士だからって、そんなに人間と違うものなんですか?」

「ちげえよ。ぜんぜんちげえ! 守護騎士はお前ら人間よりはるかに強いんだからな。ってかシグナム、過信は余計だ。計算高いと言え。ティッタが余計な特攻しなきゃ、瞬時に傷を治したあたしが奴をぶっ潰したつーの」

 

 シグナム、ティッタ、ヴィータが思い思いに飲みながら言い合っていると、シャマルがティッタにあることを尋ねる。

 

「違うっていえばティッタは今まで街で暮らしてきたのよね? ということは、ティッタのお母様は陛下のお母様とは……」

「あーそれは……アタシは言ってもいいんだけど、この話ヴィータの前で言っていいのかな?」

「いいよ別に。気にせず続けろ。主が領主とかだった時にそんな話何度も聞いてきた」

 

 幼く見えるヴィータを気にしてティッタは口ごもるが、ヴィータはけろりと続きを促した。

 そう言われたティッタは守護騎士の元主の素行に「これだから貴族は」と呆れながらも納得し、続きを話し始める。

 

「シャマルさんが察した通り、アタシの母親は王妃様じゃなくて平民で、アタシはいわゆる庶子ってやつ。まあ生活の援助とか保護はしてもらってたけどね」

 

 言いづらいだろうことを明かすティッタに、シャマルは申し訳なさそうにしながら、

 

「そう……それで肝心なのはここから先なんだけど、ベルカの王族は誰と子供を作っても、虹彩異色(オッドアイ)と固有技能が受け継がれるのでしょうか? だとしたら、世の中にはもっと異色と技能を持っている人が出てくるはずだと思いますが」

 

 その質問は俺にも向けられているらしく、シャマルは途中から敬語で聞いてくる。

 それに対してティッタは頭を掻きながら、

 

「あー、それアタシもわかんないんだよ。なんでアタシにも受け継がれたんだろうね?」

「偶然としか言いようがないな」

 

 俺がそう言うと全員の視線が集まってくる。

 俺はこほんと咳払いをして、知りうる限りのことを説明することにした。

 

 

 

 500年くらい前、ベルカの国々は遺伝子研究の末に、自らや他者の遺伝子を改造し、肉体、能力、魔力を強化する方法を見つけ出した。

 この技術を手に入れ、自らや子孫の遺伝子に改造を施した者の末裔が、現在のベルカで王を名乗っているのは想像に難くない。

 その際、力として植え付けたのが《固有技能》、目印として顕れるのが《人為的な虹彩異色》だ。

 

 俺の《フライングムーヴ》しかり、ティッタの《震動付与》もまたしかり。

 どちらも父、グランダム先王の巨人化能力《巨人の叫び(ジャイアント・クレイ)》から派生した身体強化能力だ。

 体を巨体化させる父は言わずもがな、何かを殴る際に地震に近い衝撃を与えるティッタも、肉体を強化させる能力だとすぐにわかる。

 その点俺の場合、二人と違って身体強化とはわかりにくい。俺だって、幼い頃は俺以外の時間が止まる能力だと思っていたからな。

 しかし実際はまったく逆だ。

 技能を発揮する際、俺の方がまわりの時間よりはるかに速く動けるようになるから、あんな現象が起きる。だが、それと引き換えに体にかかる負荷が大きく、限界を超えて使用すれば寝たきりになる危険があるほど危うい技だ。だからこの技能は今のところ短時間、なおかつ限られた回数しか使えない。

 体や技能を鍛えれば速く動ける時間も、回数も増やせるらしいが。

 

 しかし、シャマルの推測通り、嫡子庶子にかかわらず子供たち全員が固有能力が受け継がれるようになれば、今の世は虹彩異色と固有技能を持つ者ばかりになってしまうだろう。そんなことになれば各地で内乱が起きて、国や世界が乱れかねない。

 そこでベルカ王族の始祖たちは、自らや子孫の遺伝子に『保護(プロテクト)』もかけた。

 王族の遺伝子には技能や異色の瞳(目印)の他に、技能を持つ王と別の王、もしくはその血を引く貴族との間に生まれた子でなければ、虹彩異色も固有技能も継承しないように記述がされてある。

 その一方でシュトゥラ王家など、断絶を防ぐためにあえて保護(プロテクト)を施してない王家も一部いる。その代わり、保護(プロテクト)をかけていない王家は(めかけ)を囲うことを原則として禁止している。

 しかし、二万以上の塩基が二重に絡み合っている遺伝子が相手だ。ごく稀に平民との間にも、虹彩異色と固有技能を持つ子供が産まれてくる場合が存在する。

 ティッタが過去に眼帯をしていたように、瞳と技能を受け継いだ庶子は、良くてそれを隠して生活することを強いられ、悪ければ秘密裏に葬られる。

 前者でも良心からの措置とは限らない。技能を利用して戦力にしようという算段で生かしている例も多い。正妃との子供だと偽って、自分の手元に置いている王だっている。

 

 

 

「――つまりティッタに虹彩異色と技能が発現したのは、低い確率で起きた偶然だ。俺からはそうとしか言えない」

「ああ、なるほど! そういう仕組みでしたか。やっと理解できました!」

 

 父から教わった話を自分なりにかみ砕いた説明に、シャマルは手を打って感心してくれる。

 その一方、

 

「いでんし? ……えんき? ……」

「二万以上のなんとかが二重に……えっと」

「……」

 

 ヴィータとティッタは混乱しており、シグナムに至っては考えるのを放棄して酒に興じている。

 まあ遺伝子なんて、今や王族しか知らないことだから仕方ないか。むしろシャマルはよく理解できたものだ。

 

「ええと……ところでさ、コントゥアの状況には驚いたよね。まさか都市にさえ人っ子一人いないとは。コントゥアの人たちを虐げるガレア兵を、この手で叩きのめしてやろうと思ったのに」

 

 ティッタはあからさまに話題を変え、そう息巻きながら、自分の手のひらに拳を叩き込む。

 

「……我々も焼け落ちた街や虐殺の場を見るのは初めてではないが、ここまでひどいのは初めてだな」

 

 片や、ティッタとは対照的に、バツが悪そうにシグナムはつぶやいた。

 どことなく罪悪感を伴っているように見えるのは、俺の気のせいだと思いたい。

 

「ちっ、(ティッタのバカ、誤魔化すのはいいけどもう少し別の話にしろよ)おいケント、王様としてのお前に聞きたいんだけど、リンカーコア目当てでもねえのにあそこまで街を壊して侵略なんて意味あんのか?」

 

 話の向きを変えるためかヴィータはそんなことを聞いてきた。

 ガレア王イクスヴェリアが何を考えて、あんな侵攻をしているのかは未だわからない。だが、これだけは言える。

 

「ないな。街も人間もすべて滅ぼしてしまっては何も手に入らない。今考えられるのは犠牲者をマリアージュにすることで、兵を増やすことと版図を広げるくらいだが」

 

 版図を広げて、最終的にはベルカすべてを支配するつもりなんだろうか?

 しかし、それがうまく行ったとしても、ガレア以外が荒廃した世界にしかならず、彼らにも利が無い。

 ならばなぜ……。

 

「……聖王」

「「えっ!?」」

 

 思い付きのあまり思わずつぶやいた言葉に、ヴィータとティッタが聞き返してくる。

 

「聖王や皇帝のような、強大な敵を倒すことが目的なのではないだろうか。マリアージュを増やすことも、版図を広げることも、そこに繋がってるとしか思えない」

 

 俺の考えに皆は沈黙して考え込むものの、しばらくしてシャマルが口を開いた。

 

「……たぶん、陛下の推測は正しいと思います。皇帝はともかく、敵は聖王という方を相当意識しているのではないかと。マリアージュを設計した魔導師は、他国や植民世界を滅ぼして回る戦船(いくさぶね)に手を焼いていましたから」

「戦船……《聖王のゆりかご》の事か?」

 

 俺の推測にシャマルはうなずいて肯定する。

 

「ああ、ゆりかごね。アタシでも知ってる。すべての国を敵に回しても圧倒できるっていう、聖王様の切り札。でも、そんなの本当にあるの? そんなのがあるなら、さっさとゆりかご出して帝国ぶっ潰せばいいのに。うちら(グランダム)が闇の書でベルカ征服しようとしているみたいにさ」

 

 その言い方だと、我が軍が野心から他国を侵攻しているみたいだな。今のところ、降りかかる火の粉を払っているだけのつもりなのだが。

 しかし、ティッタの言う通り、聖王のゆりかごの存在、性能については疑問視する者が多い。

 本当に他国を圧倒できる船があるのなら、それで帝国を威圧すればいい。ゆりかごの力で帝都が滅びるようなことがあれば、間違いなくこの戦乱は終わる。なのに聖王連合は、帝国や我々独立国を野放しにするばかりだ。

 その疑惑は連合内でもひっそり伝わっているらしいと、あの王子から聞きだしたことがある。

 しかしシャマルの話だと、ゆりかごはどうやら実在するらしい。しかし、

 

「その魔導師は闇の書でゆりかごに対抗しようとはしなかったのか? マリアージュよりも確かだと思うんだが」

 

 俺の指摘にシャマルは首を横に振って答えた。

 

「それは難しかったみたいです。一度目を付けられれば戦船の砲撃で街ごと消されちゃいますから、リンカーコアを集めるのも難航して(シグナムもヴィータもあれで消滅しちゃったし)。その代わりに進めてたのが」

「マリアージュか……なるほど、ガレアがその魔導師か配下が作った国だとしたら聖王を恨んでいるのはわかる。奴らの目的は聖王との戦いに備えて兵力を増やす事かもしれないな。しかし、それを加味しても侵略の仕方が乱暴すぎる。あんなやり方じゃあ征服した国から得るものがほとんどない。せめて相手が降伏したらマリアージュを止められるようにはしないのだろうか?」

 

 俺の問いに今度はシャマルも顎に手を当てて考え込む。

 

「あの魔導師の設計では、ある程度は自律的に動くようにできるはずだったんですけどね。もしかすれば、人工知能が未完成のまま制作に入ったのかもしれません。私の知る限り、あの魔導師がそれを許すとは思えないんですけど」

 

 ということは、マリアージュ完成を急がせるあまり魔導師の主張が通らなかったか、もしくは魔導師の身に何かあったか。

 ……まただ。また闇の書の主が姿を消している。

 

 ヴィータも、以前闇の書の主は皆突然いなくなったと言っていた。

 なぜ闇の書の主は、強大無比の力を手に入れる前に闇の書から離れる?

 

「なあシャマル、その魔導師は――」

「ふああ~!」

 

 俺の問いを遮って、ヴィータの口から出た大きなあくびが天幕中に響く。

 

「あっ、悪い。ケントとシャマルだけで盛り上がってて、蚊帳の外だったあたしらは退屈だったからついな」

「も、盛り上がってません! 陛下の疑問を解いて差し上げただけです!」

 

 ヴィータの言葉にシャマルが何を勘ぐったのか、必死に弁解している。

 

「いささか話しが込みすぎたな。これ以上はヴィータでなくても明日に障る。主ケント、そろそろお休みになられた方がよいかと」

 

 その二人を流し見てから、シグナムは空の胚を置いて俺にそう申し出てきた。

 軍の先頭に立つ身としてそう言われては仕方ないな。

 

「そうだな。今日はもうお開きにしよう。ヴィータ、眠いだろうが歯を磨いてから寝ろよ」

「子供扱いすんな! それぐらいお前に言われなくてもやろうと思ってたとこだ!」

 

 ヴィータと軽口を交わしてから、女性陣と就寝の挨拶を交わして彼女らはこの天幕から出ていき、あとには俺とザフィーラが残された。

 

「主ケント、本当に私もここで休んでいいのですか? 幕の外で見張りに立つならばともかく」

「遠慮するなザフィーラ。お前の力はあてにしているんだ。そのお前が寝不足で調子が出ないなんてことになったら困る。敵国の中で一人になることに恐怖心がないと言えば嘘になるしな」

 

 心からそう思い苦笑する。無防備に近い状態で戦地を渡り歩くなんて真似、俺の知る限りではザフィーラか、あいつしかできない。

 

「そうですか。では主ケントのお言葉に甘えて……ただ、そのお礼と言っては何ですが、一つだけ」

「……?」

「主ケントはシャマルから元主だった方がどうしたか聞きたいようでしたが、おそらく無駄です」

「――えっ?」

 

 ザフィーラからの思わぬ一言に目を剥いたのが自分でもわかった。

 

「お恥ずかしながら我ら守護騎士は、闇の書から召喚された時の衝撃のせいか、前後の記憶がなく、騎士は誰一人として以前の主がどうしたのかわからないのです」

「召喚前後の記憶がない?」

 

 俺のおうむ返しにザフィーラがうなずく。

 

「シャマルも例外ではありません。今まで当時の主に聞かれたこともあれば、騎士一同で話し合ったことも何度かありますから。ですから、それを尋ねても徒労に終わるでしょう。……私からはそれだけです」

 

 そう言ってザフィーラは俺の分も含めて毛布を敷いて、松明の火まで消してくれる。

 一方、俺はと言えば、ザフィーラに休むよう言われるまでしばらく放心していた。

 

 闇の書よ、お前と今までの主の間に何が起こった? どんな経緯をたどってお前は俺のもとに現れた?

 

『~~~』

 

 心の中で問いかけると闇の書から返事が聞こえた……ような気がした。



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第15話 結界魔導師

 ガレア王城内に設けられている宰相執務室では、この国の宰相が頭を抱えながら机に突っ伏していた。

 

(馬鹿な! グランダムに送ったマリアージュが全滅した? グランダム王が軍を率いてこの国に向かっている? 馬鹿な馬鹿な! なぜそんなことになった? 王都に送った分隊は? いや、あんな奴らもはやどうでもいい。ここに向かってくるグランダムの軍を何とかしないと)

 

 他国への侵攻の失敗。ガレア数百年の歴史において初めての出来事だった。無論、それによってガレアが敵国からの報復にさらされるという事態も。

 

 ガレアが保有する生物兵器マリアージュの最大の武器は数である。腕を武器に変えたり、行動不能となれば生死関わらず自爆する機能もあるが、どちらも敵に知られてしまえば大した利点にはならない。

 死者がいくらでも出てくる戦場で、マリアージュもまた急激に数を増やし、圧倒的な量で目についた街も国も飲み込み焼きつくす。

 これがマリアージュの、ガレアの戦争だった。

 

 だから、今まで目をつけた国にはほとんどのマリアージュを投入した。

 多くのマリアージュに多くの人間を食わせれば、より多く新たなマリアージュを造ることができると考えていたからだ。

 その代わり、他国を攻めている間、自国の守りは薄くなるのではと思う者も多いだろう。

 しかし、ガレア本国のまわりは、かつて国だった廃墟の地が広がるのみ。そんな属領を奪い取っても利がない上、駐留している兵は常にマリアージュの影におびえる羽目になる。

 実際今まで侵略している間どころか、100年マリアージュとイクスヴェリアを眠らせている間も、隣国どころか、聖王連合やダールグリュン帝国すらガレアに攻め込む真似はしなかった。

 だから今回攻め込んだコントゥアやグランダムにもほとんどのマリアージュを送り込んだ。イクスヴェリアや自分たちの守りに必要な分以外はすべて。

 

 それが裏目に出てしまった。

 守護騎士もそうだが、グランダム王が自ら前線に立ち、闇の書の力でマリアージュを一掃するなどまったく予想できなかった。

 グランダムに送ったマリアージュが全滅した以上、ガレアにいる残り僅かなマリアージュと守備軍でグランダム軍に対応しなければならない。それはマリアージュ最大の武器である数の優位がなくなったということだ。

 それに対し、グランダムは正体不明の人外に備えて、ほぼ全軍がガレアに向かってきている。

 絶体絶命だ。この状況に置かれたら降伏しかないだろう。

 しかし、宰相はこの状況をイクスヴェリアには知らせず、自分だけでグランダム軍への対策を考えていた。

 この期に及んで宰相は諦めたくなかった。

 

(降伏などしたらわしは戦犯。イクスヴェリアの次位にあたる宰相のわしは処刑確実。なんとかせねば。それに闇の書を奪い取ることさえできれば、この国から逃れることくらいはできるかもしれん。そしていずれはマリアージュやイクスヴェリアに頼らずに聖王を倒し、ベルカを支配することも……そのためにも)

 

 生存欲求、祖先から受け継いできた聖王への恨み、そして野心が宰相に悪あがきを起こさせた。

 彼は知恵を絞った末にやがて悪魔めいた妙案を思いつき、配下に念話を飛ばす。

 

《私だ。残ったマリアージュをあそこへ放つ準備をしろ! ……構わん。敵国に我が国を占領されればどの道民も我々も殺されるのだぞ。せめて我々やイクスヴェリア陛下が助かる方策を取らねば。……そうだ。ただちに実行せよ!》

 

 

 

 

 

 

 一週間ほど廃墟や焼け野原の間を行軍し、ついに俺たちの前に、ガレア本国らしき健在な街が見えてきた。

 その街よりさらに奥には、城らしき巨大な建造物がそびえたつのがここからでも見える。

 俺の側には守護騎士とティッタ、そして俺の補佐として軍の統率を助け、もしくは実質的に取りまとめる将軍が控えていた。

 眼前に見える街並みを見渡しながら、ヴィータは呟くような声で言った。

 

「ここがガレアの都か。グランダムやディーノに比べるとちいせえな」

 

 確かにこの街の規模は俺の知る国の王都と比べても狭く、地方都市と変わらない。

 街の奥に城が見える限り、王都に違いないはずだが。

 

「他国を滅ぼしてばかりで、ちゃんと治めていこうとしないからこうなるんだよ。何のために領土を拡大したんだか」

 

 理解に苦しむと言わんばかりにティッタは吐き捨てる。

 それはこの軍の人間ならみんな抱いている感想なのだが、母の故郷を滅ぼされたティッタにはひときわ感じるところがあるのだろう。

 敵国はお世辞にも繁栄しているとはいえず、故郷を滅ぼされた理由が未だに見えてこない。ティッタの心中は察する余りある。

 

「それで陛下、敵国の都を前にしても未だに敵軍が現れる様子はありませんが、やはりここは通例通り降伏勧告を行いますか?」

 

 物足りないという魂胆を隠しきれてない様子で将軍が俺に聞いてくる。

 犠牲者たちの仇を討つと息巻いて、ここまで来た彼にはあまりにも拍子抜けだったのだろう。

 気持ちはわかるが俺は将軍の問いに首を縦に振る。

 

「それで向こうが投降してくれるなら越したことはない。それにこのまま街に攻め込もうものなら――」

 

 そこで言葉を飲み込んで後ろの兵たちをあごで示し、彼らの方を見る。

 将軍も騎士たちもそれに従ってくれた。

 ガレアに入ってからここまで敵と遭遇することがなかったため、犠牲になった者はいないがその反面、兵たちは明らかに戦意を持て余しており、それをぶつける相手を探している様子を見せる者があちこちにいた。その中にはマリアージュに縁者を殺された者も大勢いる。

 そんな手勢を引き連れてこのまま街に入れば、間違いなく敵討ちに走る者や略奪を働く者が出てくる。

 言葉に出さずそれを暗に示すと、騎士たちもティッタも難しい顔を見せる。他国の民に危害を加えることにはさすがに難色を示しているようだ。

 

 俺の言いたいことが分かってくれたのだろう、将軍は肩をすくめてから口を開く。

 

「……そうですな。敵は卑劣なれど、我々まで同じ畜生に落ちては大義を失ってしまいます。しかし、ただ使者を送るわけにはいかんでしょう。あの城にはいまだ人外が残っているでしょうし、使いに出した者がマリアージュに食われかねません」

「そう思って考えはある……ザフィーラ、行ってくれないか?」

 

 敵の城に送る使者に俺はザフィーラを指名した。元より、ただの伝令兵にこの役目を任せるつもりはない。

 マリアージュを相手に高確率で生還できる見込みが高いのは守護騎士(シャマル以外)やティッタ、それと、自惚れだという批判を恐れずに言えば俺ぐらいだろう。

 しかし、実力は確かでも物事に絶対というものはない。万が一捕らえられた時のことを考えれば、女性陣は除外しておきたい。

 そうすると残るは俺とザフィーラになるが、王自らが行くと相手に軽んじられる恐れがあるため、俺自身が行くわけにもいかない。

 よってザフィーラが一番適任だと俺は考えた。

 俺に名を告げられたザフィーラは快く胸を叩く。

 

「主ケントのご命令とあれば――」

「いえ、主ケント、ここは私に任せていただきたい!」

 

 しかしザフィーラの横から割り込んだ者が、自らを使者にと名乗り出てきた。彼女は――

 

「シグナム……しかし」

「忘れられるな。ザフィーラの役目は主の守り役です。ここは将として私が行くべきでしょう。私に任せていただければ、必ずや敵将より我らの軍門に下るという言質をもぎ取って見せます! ゆえにどうかこの役はぜひ私めに!」

 

 これ以上の押し問答は騎士たるシグナムへの侮辱か。

 

「……いいだろう。ただし危険だと思ったらすぐに逃げてくれ。そのうえでシグナム、頼んだぞ!」

「御意!」

 

 俺の命令を受け取ったシグナムはその場でひざまずく。

 そのシグナムに俺はすでに用意していた書状を手渡すと、彼女は立ち上がり数歩駆けてから宙を浮き、城へ向けて飛び立――とうとした。

 

 シグナムは慌てた様子で反転し、俺たちのもとへ降りてくる。

 

「主ケント!」

「どうしたシグナム? なんか忘れもん?」

 

 ヴィータの軽い質問にシグナムは答えず俺に告げた。

 

「街にマリアージュが! マリアージュが住民を襲っています!」

「何!?」

「何だって!?」

 

 

 

 

 

 

「あなたたちもイクスヴェリアの糧になりなさい」

「キャアアアアア!!」

「な、何だ!? どうして兵隊が俺たちを? ぐわあ!」

 

 突然街に降りてきて襲ってくる自国の兵士に、住民は逃げ惑い、殺されていく。

 

 

 

 

 

 

 シグナムの報告を受けてやむなく俺たちは、軍の中から連隊ほどの数を引き連れて街に飛び込んだ。

 そこで俺たちが目にしたのは、守るべき自国民を襲い、同種に変えていくマリアージュたちの姿だった。

 

 まさか追いつめられたイクスヴェリアはマリアージュを増やすために自国民まで。

 

「何て愚かな。全隊マリアージュを討ち取れ! 手の空いた者は住民の救助、君は将軍にこの状況を知らせて援軍要請に備えさせろ。言うまでもないが略奪はご法度、これに背いた者は厳罰に処す。かかれ!!

「御意!」

「はい!」

「おう!」

 

 

 

 

 

 

 引き連れた部隊に指示を出した後、俺はマリアージュを倒しながら街の中を真っ直ぐに直進していた。

 この先から弓矢の射撃音や剣などの斬撃音が絶えず聞こえていたからだ。

 その先で俺が見たものは、数十体以上のマリアージュが講堂を囲んでいる光景だった。

 マリアージュたちは壁や窓に攻撃を加えている最中で、出入口はすでに破壊されている。その代わりに、

 

「結界?」

 

 出入口があった空間には丸い魔法陣が張ってあり、マリアージュの攻撃をはじき返していた。

 ベルカの魔方陣はほとんどのものが三角で構成されており、円状でできているあの魔法陣はベルカ式とは違う陣だと推測できる。

 だが、俺がそれを確認した直後に、公道の側面から轟音が響く。

 見るとそこには大穴が空いており、その中から若い声が聞こえてきた。

 

「くっ……皆さんもっと奥へ! 私の結界でできる限りくい止めますから!」

 

 マリアージュは入り口を守ろうとする女に向けて大筒を構える。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

「――させるか! フライングムーヴ」

 

 技能が発動し俺以外の時間が緩くなる。

 マリアージュは筒を構えたまま動かない。

 だが、わずかずつでも時間は動いている。

 間に合え!

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 魔力がこもった剣がマリアージュの筒となった腕を斬り落とし、それと同時に時間の動きが戻った。

 マリアージュから切断された(大筒)が零れ落ちる。しかし、弾はすでに筒から撃ち出されており、

 

「キャアアア!!」

「うわあああ!」

 

 内部から爆発音と悲鳴が聞こえ、爆発の衝撃で辺り一帯の地が揺れるのを感じた。

 間に合わなかったか。

 己の不甲斐なさを呪いながら俺は講堂の方を見る。

 

「――!」

 

 惨状を覚悟した俺の目に飛び込んだのは、片手で円型の魔法陣を広げている少女の姿だった。

 金髪を短く揃え、左側の頭頂部には二本の癖毛が跳ね上がっている。

 見覚えのない文様を刺繍したシャツに半ズボン、シャツの上に羽織った茶色のマント。しかし、それらより最も特徴的だったのは、少女の右眼にかけられた片眼鏡(モノクル)だった。

 

「――えっ?」

 

 少女の方も俺に気付いたみたいで、目をぱちぱちさせている。

 自然に俺と少女は目が合うも、

 

「――戦闘不能」

 

 俺の後ろでは武器を失ったマリアージュがそんなことを呟いている。こいつを何とかしないと。

 

「でああああ!」

 

 俺は武器をなくしぶつぶつ言ってるマリアージュを思い切り蹴り飛ばし、他のマリアージュたちへぶつけた。

 その直後にマリアージュは同種を巻き込んで爆発する。

 俺は少女の方を振り向き、

 

「ここは俺がくい止める! 君たちは奥へ下がっていろ!」

 

 そう叫ぶと少女はこくりとうなずき、そのまま奥へ走っていった。

 それと同時に近くのマリアージュを斬り伏せながら、シグナムが俺のもとまで来る。

 

「主! ご無事ですか?」

「今のところは。ただ、俺だけではあの講堂に避難している人々を守り切れる自信がない。助太刀を頼めるか?」

「是非もない!」

 

 迷う素振りも見せず、シグナムは快諾してくれる。

 俺とシグナムは講堂に集まったマリアージュを斬り伏せていき、ほどなく一掃した。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらく経って、市街から戦闘音が聞こえなくなり、兵や騎士たちが俺のもとに集まってきた。

 

「お兄様! 大丈夫だった!?」

「ああ。俺は大丈夫だ。ただ……」

 

 安否を気遣って声をかけてくれるティッタに返事を返すとともに、俺は講堂の方を見た。

 そこからは何人かがこちらを恐る恐る見ながら、ゆっくりと外に出てくる。

 しかし、講堂にいたのがこれだけということはあるまい。

 マリアージュの腕から撃ち出された弾が爆発した時、数十人以上は悲鳴を上げていた。中にはいまだ多くの人たちが息を潜めているのだろう。おそらくは百人以上。

 自分たちを助けたとはいえ、見知らぬ軍隊を前に出てきたのはほんの数人ほどだった。その中にあの片眼鏡をかけた少女がいた。

 少女はこちらを警戒しながらも、一歩一歩慎重に距離を縮めてくる。

 そうして俺と十歩ほど間隔をあけた所に立ってから、少女は口を開いた。

 

「……助けてくれてありがとうございます。あなたたちのおかげでみんな助かりました。本当にありがとう」

 

 そう言って少女は浅く頭を下げる。

 礼が浅いのは感謝の気持ちが小さいのではなく、こちらの正体がわからず警戒を解くことができないからだろう。

 俺は咎めず、

 

「いや、君たちが無事で何よりだ。我々は……」

 

 その先を言おうとした途端に口が重くなる。

 少女も含めて、住民たちがどんな反応をするかが目に浮かぶからだ。

 だが、隠し通すことはできない。

 

「……我々はグランダムから来た軍だ。私はグランダムの王ケント・α・F・プリムス」

 

 そう名乗ると同時に、俺たちは次の瞬間に起こる騒ぎを覚悟した。

 しかし……

 

「グランダム……どこだいそこは?」

「おう……王様って意味か? あんたたち、外国から来た人?」

 

 少女を囲む周りの住民は、口々にそんな疑問を投げてくる。

 そんな中、少女の方は思い出したように手をポンと叩いた。

 

「ああ。ここから西のコントゥアよりさらに西にある国だね。道中廃墟だらけで大変だっただろう。あんなところを通ってまでこの国に来るとは、王様も軍人さんも大変だねー」

 

 少女はそうあっけらかんと言う。

 その様子に俺は思わず。

 

「……知らないのか? グランダムとガレアの間で起こっていることを」

「グランダムとガレアの間って――まさか」

 

 俺の言わんとしていることを察したらしく、少女は警戒心を取り戻し一歩後ずさりをした。

 しかし、困惑している俺や騎士、兵たちを見て思い直したらしく、俺に念話を飛ばしてくる。

 

《もしかして、あんたらとこの国って今戦争してんの? あの化け物たちがこの街を襲っていたのってそれと関係あり?》

 

 少女の問いに俺は《ああ》と念話で返事をした。

 俺の反応に少女の方もこちらに住民を害する意思はないことと、俺たちもこの状況に困惑していることを察してくれたらしい。

 

「そう……その話もう少し詳しく聞かせてくれない? 私の活動にも関わってくることだし」

「活動?」

 

 首をひねる俺に、少女はほんの少し笑みを浮かべながら言った。

 

「私はサニー・スクライア。歴史の真実を求めてあちこちの次元世界で発掘をしている《スクライア一族》の端くれ。よろしくねグランダムの王様」

 

 

 

 この時は知らなかった。結界魔法に長けたこの少女学者が、先史ベルカに端を発する様々な謎の鍵を解く要を担うとは。



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第16話 スクライア

 ガレア王城城下町での戦いの後、俺たちは町の住民たちを取りまとめる代表と話をすることができた。しかしそこでわかったのは、住民たちが何も知らされていないということだけだった。

 住民たちにとっての母国、ガレアが他国を侵略しながら拡大していたことも、グランダムと戦争していることはおろか、そこがどこにある国なのかも彼らは知らなかった。

 マリアージュにしても王城から出てくる兵士としか把握しておらず、それがなぜ自分たちを襲ったのか見当もつかない。

 この街のまわりには廃墟が広がるばかりで、どこまで行けば廃墟から抜け出せるという保証もなかったからこの街で暮らし続ける他なかったとのこと。

 ガレア内部でも建国時に多くの人々が行方をくらましたことがあり、過去数百年の間に人口が増えて新しく町や村を作ったことがあったが、その町村もいつの間にか焼け落ちて、そこに住んでいた人々もまた生死不明となっていたため、城に住む王や宰相たち貴族には元々不信感を持っていたことがわかった。

 代表との話が終わるころには、住民たちもグランダム軍が危害を加えてこないことを実感し、打って変わって俺たちを歓迎するようになった。

 今回の襲撃でガレア王への彼らの不満は頂点に達し、自分たちの生活を保障してくれるなら喜んでグランダムに協力する。というのが彼らの言だ。

 

 

 

 

 

 代表と話を終えてある程度の兵を街の巡回に残し、俺たちは宿に身を移した。この街で知り合った考古学者サニー・スクライアを連れて。

 俺たちは主人に頼んで、ある一室に人数分の椅子を運んできてもらい、サニーを交えて話をすることにした。

 

「お疲れ様陛下。ガレアが閉鎖的な国だということは知ってたんだけど、まさかここまでやばい国だったとはねー。長の話を聞いて私もビックリしたよ」

「そのやばい国にお前は何しに来たんだよ? 明らかにここの育ちじゃねえだろうおめえ」

 

 水を飲み干し、しみじみと言うサニーにヴィータはツッコミを入れる。

 ヴィータの言いたいことはもっともだ。

 グランダムを知っていたり魔法が使えたりと、サニーは明らかに街の住民とは違う。加えて言えば、サニーが展開した魔法陣はベルカ式とは異なる円形をしていた。別の次元世界から来たという話も信憑性がある。

 サニーの方はヴィータの物言いに気を損ねることなく、鷹揚にうなずいて言った。

 

「うん。さっきも言ったけど、私たちの一族は、ほとんどが遺跡の発掘や古代史の研究に携わっていてね。私も例に漏れず、あちこちの世界で発掘作業に従事している。このベルカに来たのも古代文明の遺産を発掘するためさ」

「はあ、他の次元世界からわざわざベルカに、しかも得体のしれないガレアなんかに向かっちゃったわけ?」

 

 呆れた様子も隠せないティッタの言葉に、サニーは笑いながら応じる。

 

「いやあ、ガレアって、昔から街も広げず、建国当時をそのまま保ってきたような国じゃない。スクライアの端くれとしては探求心が刺激されちゃって」

「建国当時……まさかあなた、先史ベルカ時代の事を調べるためにこの国に来たの?」

 

 ガレア王国の正体についておぼろげに見当をつけているためか、そんなことを聞いてくるシャマルにサニーは首を縦に振った。

 

「その通り! ガレアって開発が進んでないから、古代から手つかずで放置されてる場所が結構あってね。その中には先史時代の遺跡や資料が埋まっている場所があるんじゃないかって私は睨んでる。それにあなたたちは聞いたことない? この国の王様――《冥府の炎王 イクスヴェリア》の事」

「――!」

 

 俺も騎士たちもその名を聞いて身を固めた。

 

「知っている。建国当時からその名を名乗り続けているらしいな。王位と共に継承される御名(ぎょめい)だというのが各国の認識だが」

 

 そう考えるしかないだろう。ガレア王は建国時からイクスヴェリアという名を使い続けているのだから。

 なお、住民にもイクスヴェリアの話は聞いてみたが、彼らはその名前すら知らないとのことだった。

 俺の説明にサニーはうなずいて言葉を続けた。

 

「うん。そう考えるのが妥当だね。でも、もしかしたらとは思うんだけど、イクスヴェリアが先史時代の技術で老化を止めたり、あるいは極端に遅らせたりして、数百年生き続けていたら人物だとしたらどうだろう? もしそうだったのなら、イクスヴェリアはその時代からの生き証人でもあるのかも」

 

 サニーの言葉に俺たちにぽかんとする。

 普通ならそんな馬鹿なと一笑にする話だ。

 しかし、俺はサニーの仮説を頭ごなしに否定できない。

 何故ならいるからだ。先史時代から存在し続ける者たちが俺のすぐ隣に。

 その当人たち、守護騎士は何とも言えない顔で目を泳がせている。

 そこでふとサニーは俺の懐に目を向けた。

 

「まあ、ガレアよりも先にグランダムに行こうかなとも迷ってたんだけどね。その国の王様が闇の書なんて物を手に入れたなんて聞くし」

 

 サニーはわざと物欲しそうな眼にして、俺の懐に入っている闇の書の方を見る。

 それに対し、俺は懐に手をかけることで、渡さないぞとサニーに示した。

 

「やめておけ。興味本位で触れるには危険なものだ。闇の書の主とされる俺とて知らないことがかなりある」

 

 その言葉はサニーの興味を闇の書からそらすための方便でもあるが、本当の事でもある。しかもその謎は解消されるどころか、最近になって増えているふしまである。歴代主の行方などがその最たるものだ。

 俺の態度を見てサニーは肩をすくめた。笑みを浮かべたままの表情を見ると、駄目元だったようでごねる様子も見せない。

 その時、部屋の扉を叩いてくる音が聞こえ、一同は皆扉の方に顔を向けた。

 

「陛下、おくつろぎのところ申し訳ありません。お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない。入ってくれ」

「失礼します」

 

 そう言いながら部屋に入ってきたのは、主に伝令を担っている兵だった。その顔は平静を保っていて、急を要する事態が起きたわけではないことがうかがえる。

 俺は座ったまま用向きを聞く。

 

「どうした?」

「はっ、ガレアから使者が参りまして、かの国の宰相が陛下と面会したいと申しております」

 

 やっと来たか。

 マリアージュを増やすために自国に唯一ある街を襲うなど、なりふり構わないところから、ガレア側にはもう戦力(マリアージュ)がほとんど残っていないのだろう。

 ここは降伏するのが最良の選択だ。しかし、それを決断するのがあまりに遅すぎる。自国の民を襲う暴挙をしでかす前にその選択をしていたら、民の不満がここまで噴き出すこともなかっただろうに。

 しかし、ここで兵の顔色にかすかな困惑が浮かんだ。

 

「ただ、両軍のもとでの立ち合いではなく、個人的な話として陛下を自分の屋敷に招待したいとか。ガレアの機密が絡んだ話をするため、最低限の人数で来てほしいとも」

 

 ……?

 なんだ。そのあからさまに怪しい話は。

 なるほど、兵が戸惑うわけだ。絶対的に不利な状況の中で、こんな話を持ち掛ける面の皮を持ち合わせていたとは。

 

「陛下、やはりこのような話断ってきましょうか? ガレアはもはや居丈高に振る舞える立場ではないでしょう。このまま無条件降伏を申し出るまで待つべきでは」

 

 兵の言うとおりだ。彼の言う通り、降伏を申し込んでくるまでしばらく待ってもいいし、城に突入して王と宰相を捕えてもいい。

 しかし、これが罠だとしてもガレア宰相に利はない。

 俺を暗殺することができたとしても、軍がそれに気づき王城ごとガレア貴族たちは包囲されるだけだ。

 

 それにこれはガレアという国やマリアージュのことを聞き出す機会でもある。

 ガレアの生物兵器マリアージュは、先史時代に前の闇の書の主が造ったもの。ガレアは闇の書や先史時代と大きな繋がりがある。

 宰相相手ならそれを聞き出すことができる見込みが高い。

 それに一国の王として、ガレアが内外に取っている政策には一言どころか、十以上は物を申したいと思っていたところだ。

 

「いや、応じてみよう……ただし」

「――!」

 

 俺は彼女……一度降伏勧告を伝える使者に名乗りを上げたことがある、シグナムの方を見た。

 彼女は大きくうなずいて了承してくれた。

 

「騎士を一人連れていく。それでよければだ」

「はっ、そのように伝えて参ります」

 

 不承不承ながら兵はそれだけ言って退室していった。



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第17話 先史時代

 ガレア王国宰相から面会したいという申し入れを受けて翌日。

 

 俺は付き人としてシグナムを連れて、王城に隣接する宰相の屋敷に足を運んだ。

 屋敷に入るとマリアージュ、ではなくメイドが俺たちを出迎え、そのまま屋敷の主である宰相が待つという部屋に案内された。

 

「これはこれはグランダム王ケント陛下、我が屋敷へようこそいらっしゃいました。狭苦しいところですがどうぞごゆりと」

 

 部屋に足を踏み入れた途端、フードを被ったままの男がソファから立ち上がり、愛想のいい笑顔で俺たちを迎えた。

 この部屋は談話室として使われているらしく、大きな卓とそれを囲むソファが備え付けられており、卓の上には紅茶とつまみの菓子が置かれている。

 この男がガレアの宰相と見て間違いなさそうだ。

 

「とんでもない。交渉の場を設けてくれて感謝する。我々としてもこの話を今回の戦の終結に結び付けたいと思っているところだが、イクスヴェリア王は?」

「申し訳ありません。王は公務のため城から出ることすら叶わなくて。ですが、その代わり私めが王からガレア軍の全権を預かっております。どうかご安心を」

「……」

 

 そう言って頭を下げる宰相に対して、俺もシグナムも何も言わずにいた。

 イクスヴェリアは傀儡でこの国の実権はこの男に持っているのか? 珍しい話ではないが、冥王と怖れられているガレア王のイメージとは大きくかけ離れているな。

 

 その後すぐにメイドは退出し、俺とシグナム、宰相だけがこの部屋に残った……ように見える。

 席を勧められ、俺とシグナムは彼の言うとおりソファに腰掛けて宰相も改めてソファに座りなおした。

 

「さあ、陛下も騎士殿もどうぞ遠慮なく。足りぬなら持ってこさせますので」

 

 宰相は卓の上に置いてある茶と菓子を勧めるが、

 

《主、ここは私が毒見を行ってから》

《いやいい。元から食べるつもりはない》

 

 シグナムの念話越しでの申し出を俺は断った。 

 シグナムに言ったように、俺たちは茶にも菓子にも手を付けず、宰相だけが茶をすすっていた。

 宰相は一口目を飲み込みナプキンで口を拭ってから、話を切り出してきた。

 

「この度は我が国の兵が貴国に損害を与えてしまい、誠に申し訳ない。その件については王も心を痛めておりました」

 

 頭を下げて形式的に謝罪する宰相にシグナムは片眉を上げた。

 大勢の命を奪っておいて損害の言葉で済ませることに彼女は憤慨せずにいられないのだろう。卓の下でシグナムは拳を握り締めるのが俺にも分かった。

 しかし人命を軽視するのは貴族社会ではよくあることだ。この宰相一人に限った話ではない。

 シグナムにこらえさせて、俺は話を進めることにした。

 

「貴国が要求したのは闇の書と守護騎士なる四人の明け渡しだったな。返答を一週間待ってほしいと使者殿に言って、使者殿も了承してくれたのだが、貴公や王の耳には届いていなかったのか?」

「そ、それは……て、手違いがあったようです。使者に遣わした男ですが色々問題のある男でして。一週間の猶予など私どもは聞いておりません。ただ断られたと、それで通牒の内容に沿って王はやむなく開戦の詔を……」

「それはつまり、貴国は問題があるとわかっている者を、我が国に使者として遣わしたということか?」

 

 俺がそう言うと宰相は気まずそうに、布巾で顔に浮かんだ汗をぬぐった。

 

「き、貴国に送れる者の中で他に手の空いている者がおりませんでしたので……申し訳ありませんでした!」

 

 卓に手を突き、再び頭を下げる宰相を見る俺とシグナムの目は冷ややかだ。

 この男は明らかにこちらの返答は関係なく、グランダムを滅ぼす気だった。

 何も言わないこちらに宰相は業を煮やしたのか、頭を上げて話を移す。

 

「と、ところで我が国の兵……どうですかな? あれらの力は」

「ああ、十分驚かされた。あそこまでの離れ業を使うとはな」

 

 俺の回答に宰相が目をギラつかせる。

 

「ええ! 資源や実りに恵まれない我が国の数少ない自慢でございます。貴国の覇道のお役にも立つと思いますが」

「「――!」」

 

 俺とシグナムは同時に目を剥いた。

 そういう一手に出たか。

 俺たちの反応を見て宰相は笑みを深める。

 

「他国への攻撃、闇の書の頁集め、いずれもお役に立って見せます。私たちもマリアージュに頼った破壊ばかりの侵攻には限界を感じていたのですよ。今後はぜひ貴国と手を取り合って繁栄を目指したい」

 

 都合のいい宰相の物言いに、シグナムの表情が険しくなるのが見なくてもわかる。

 ……しかし、闇の書の頁集めか。

 

「詳しいんだな。闇の書の事に」

「――!」

 

 俺の言葉にシグナムは思わずといった風で俺の方を見る。だが、宰相の方はわずかほども動じなかった。

 

「はい。陛下や騎士殿ほどではありませんが」

「聞かせてもらえないか?」

 

 俺がそう言うと宰相は「いいでしょう」と言った後、茶の残りを飲み干してため息をつき、口を開いた。

 

「何百年ほど前だったか、とにかく数百年前のことになります。

 我々の祖先は巨大な《戦船(いくさぶね)》を保有する国と敵対する世界に住んでおりまして、ある魔導師がそれに対抗するための策を講じ、教え子や助手といった配下を束ね組織を作りました。魔導師の腹心だった男が私の直系の祖先となります。

 ある時、戦船を持つ国……後世に倣って聖王軍と呼びましょう。聖王軍に組織の拠点の一つが見つかり、制圧されるか戦船で消滅されるところでした。

 そこへ闇の書から四人の騎士が現れ、拠点を見つけた聖王軍の兵を蹴散らし、彼らからリンカーコアを奪って、白紙だった闇の書の頁を魔導式や記述で埋めて見せたのです」

「――!」

 

 宰相の先祖たちの話に自分たち守護騎士が出てきた途端、シグナムは目を見開いた。

 予想していたとはいえ、非道を働く男と縁がある者たちに与していたと聞かされるとさすがにこたえるものがあるのだろう。

 宰相はシグナムの様子を見ても気にも留めず、話を続ける。

 

「魔導師は騎士たちを従え、敵を倒させ魔力やリンカーコアを奪い闇の書の頁を埋めていきました。しかし、頁が半分を超えたところでうまく行かないようになった。

 騎士たちが聖王軍に見つかったせい――あっ、いや、騎士たちとの連携がうまくいかなかったために、再び聖王軍に目をつけられるようになったのです。

 幸い今度は拠点を見つけられるには至らず、すぐに害が及ぶことはありませんでした。

 しかし、リンカーコア蒐集の際に戦船の攻撃に巻き込まれ、桃色髪の剣士と赤髪の少女騎士を失ったのは痛かった」

「――!」

 

 シグナムが再び目を見開いた。

 彼女は今、かつての自分の死んだ瞬間の話を聞かされているのだ。ザフィーラに聞いた限りでは守護騎士たちはその瞬間を思い出すことはできないようだが。

 肩を震わせるシグナムの気持ちは、命を一つしか持たない俺には想像することしかできない。

 

「騎士たちの中でも手練れの二人を失い、リンカーコア蒐集の進捗は著しく遅れるようになった。

 そこで魔導師が着手したのが新たなる兵器の開発。それもできる限りコスト――経費の掛からない死体を蘇らせる生物兵器と、そのコアを体内から造り出すことのできる改造人間を造ることに」

「――改造人間だと!」

 

 マリアージュだけでなくそんなものがいるのか……いや待てよ、王そっちのけで自国の属国化を申し出てくる宰相の素振りを考えるに、もしや――。

 

「生物兵器の設計、改造人間の素体となる者の確保、それらはうまく行きました。それに聖王軍の監視が緩んでリンカーコアもまた集められるようになった。

 そのさなか、突如“あの事故”は起きたのです」

「「事故?」」

 

 同時に聞き返した俺とシグナムに、宰相は重くうなずく。

 

「あの世界そのものが聖王軍に目をつけられ、近々総攻撃を受けるという話を掴んだ時のことです。

 組織は拠点を別の世界に移すべく資材、機材、改造人間となる者、未完成だった生物兵器の設計図、あらゆるものを新世界に運び込んでました。

 しかし、組織の首領だった魔導師は闇の書があとわずかで完成すると知り、騎士たちにリンカーコア蒐集を急がせるための指揮を取るために、あの世界に残っておりました。

 それから最後に魔導師と連絡を取ってから、わずか数分後の事ですよ。

 あの世界が周辺にあった並列世界をも巻き込んで消滅したのは。あれから魔導師も、騎士も、闇の書も帰ってくることはなかった。ここからはもうお分かりでしょう」

「……」

 

 この男に同意しているようで、俺もシグナムもうなずきを返すことはためらい結局無言を返すだけだった。

 しかし宰相の言う通り、後のいきさつはわかる。

 組織の残党となった彼の先祖たちは拠点を転々としながら、最終的に戦乱が終わった頃のベルカに辿り着き、このガレア王国を築いたというわけだ。

 今までないがしろにされているガレア王、あるいはその先祖はおそらく……。

 

「過去の話はここまでです。ケント王、我らが失った闇の書をベルカ王の一人であるあなたが持っているのは、よくよく考えてみれば奇妙な偶然です。我々は手を組むべきだ。そう運命がささやいている気がしてならない。あなたもそうお思いになりませんか?」

「ならない!」

 

 俺の言葉に宰相は信じられないものを見る目を向けてくる。それは正直こっちが向けたいところだ。

 

「お前は結局、侵略と書の奪取がうまく行かなかったから、我々に取り入ろうとしているだけだろう。利用するだけ利用して最後はこの闇の書を奪う。そういう腹だ。違うか?」

「……」

 

 宰相は言葉を失う。

 平静であればすぐに否定して媚びを売ってくるのだろうが、マリアージュを餌に吊り上げようとした獲物に手を噛まれた衝撃は、思いのほか大きいらしい。宰相はぽかんと口を開けていた。

 

「こちらの要求は二つ。貴公とイクスヴェリア王の投降、そして貴国――ガレアの服従だ。戦争の責任についてもしっかり追及させていただく。シグナム、これに異はあるか?」

「主がそう判断されたのならそれに従うのみです。……ただ、正直に申し上げるのをお許しいただけるなら、主ケントは穏健に過ぎるのではないかと」

「き、貴様! お前たち守護騎士を召し抱えたあのお方からの恩を仇で返すつもりか?」

 

 筋の通らない宰相の物言いに、シグナムの目は険しさを増した。

 

「恩か、お前の中では狭い一室で生活されるのを強いられ、何日絶食させても問題ないか試され、副作用つきの魔導着で戦うことを強いられることを恩というのか……主よ、こやつはグランダムに連れ帰って、当時の私たちと同じ待遇を与えてやるのもよいのではないかと。この男にとっては厚遇だそうですので」

「ふむ、それも悪くないかもしれないな」

「ふ、ふざけおって!」

 

 顔を赤くしながらそう捨て台詞を吐くと、宰相は自身が座っていたソファを倒し、茶と菓子が落ちて散乱するのも構わず部屋の隅まで駆けて叫んだ。

 

「マリアージュよ、この二人を血祭りにあげろ! 闇の書はどうせ後で再生する。構わずに攻撃しろ!」

 

 それを聞いて俺たちはすぐにソファから飛びのく。同時にソファを斬り破ってマリアージュが出てきた。

 それだけではない。棚の中から、絨毯の下に会った空洞から、上から暖炉の穴に落ちてきて、天井を突き破って、窓を破って侵入し、あらゆる手段で隠れ隙を窺っていた五十体ものマリアージュが俺とシグナムの前に現れる。

 宰相の目的は闇の書か。

 グランダム軍に囲まれた状況で、なぜ今更罠を仕掛けて俺を呼びだしたのか解せなかったが、どうやら闇の書にすがって奪取を試みたらしい。

 

「素直に騙されてイクスヴェリア同様、わしの操り人形となっていればよかったものを。かかれぃ!」

「了解しました操主」

 

 宰相の号令に彼の隣にいた一体がそう答えを返すと、数十体のマリアージュが俺たちに襲い掛かる。

 

 俺とシグナムは敵を斬り、同時に敵の死体を思い切り蹴り上げて他の敵にぶつける。

 マリアージュの死体は爆発し、いつものように仲間と共に霧散した。

 

 五十体()()のマリアージュに囲まれながら、俺とシグナムは次々に敵の数を減らしていく。

 都市に攻め込んだ十万体の敵を倒してきて、それまでの間に嫌というほど敵の対策はこの身に叩きこんできたのに、今更バレバレの罠で現れた五十体が相手になるとでも? せめて俺一人だけになった時を狙うべきだったな。

 

「右腕武装化……形態戦砲」

 

 宰相の隣にいたマリアージュが腕を巨砲に変える。

 敵は俺を狙っていた。

 

「シグナム、左によけろ!」

「しかし――御意!」

 

 一瞬異を唱えかけるも、俺の能力を思い出してシグナムは俺の指示通りにしてくれる。

 その直後、マリアージュの砲から火花が出てきた――そこだ!

 

「フライングムーヴ」

 

 時間は緩くなり、弾は砲から出てくるところだった。

 俺はそれを潜り抜け、マリアージュの右腕を斬り落としてから技能を解除する。

 技能を解除した途端、俺に向かっていた弾は壁を突き抜け、さらに奥の部屋に突き抜けたらしく破砕音が何度も響き渡る。

 それから俺は棒立ちしているマリアージュを思い切り蹴飛ばした。

 

「ひっ!」

 

 マリアージュが壁にぶつかるすぐ横で、宰相は震えた声を出した。被っていたフードは頭から落ちて、髪の毛一つない頭が露出している。

 そんな醜態をさらしている男に俺は剣を向けた。男はそれを目にして、

 

「ま、待て! 本当に良いのか? わしと手を組めばマリアージュという無限に増える兵が手に入るのだぞ!

 それだけじゃない! さっきの話を聞けばわかると思うが、我々は先史時代の文明の一端を受け継いでいるのだよ。

 その技術を使えば今より快適な生活が手に入るぞ!

 こんな原始時代と変わらない世界を支配しても手に入らないものだ。

 一度その恩恵を受けてみるかね。きっとそれなしではいられないようになる。だからわしを助け――ぎゃあああ!!

 

 長々と命乞いをたれる男が向けてくる右手を、俺はためらいなく斬り落とした。

 

「安心しろ。お前はこんなところではまだ殺さない」

 

 こんな男のために都市数万人、いや、こんな男のような者たちのために、いくつもの国に住む無数の民草が殺されマリアージュに変えられた。

 それに対する刑罰は八つ裂きでも馬裂きでも足りない。

 だからここで殺してはやらない。生かしてグランダムに連れて行き、犠牲者の遺族にその裁きをゆだねる。

 そんな俺の決意はあっけなく打ち砕かれる。

 

「主!」

 

 シグナムの声に、もしやと思って宰相の隣に目をやる。

 マリアージュは向きを変えながら身構えている。

 まだ生きていたのか! 道理でいつまでも自爆しないはずだ。

 

「マリアージュの減少を確認。進軍のため個体数を増やす必要あり」

「ふ……ふははっ! そうだ! こいつらも残りの敵軍も、わしに逆らう奴は全員マリアージュにしてしまえ!」

「ちっ、フライング――」

 

 技能を発動しようとしたが、マリアージュの行動を見て思わず動きを止める。

 なぜなら虫の息をしていたマリアージュが攻撃してきたのは、

 

「あっ、あがが、馬鹿、わしじゃな――ぐぇ」

 

 マリアージュに喉を噛みつかれた宰相はそう言い残して、こと切れる。

 

「あなたもイクスヴェリアの糧になりなさい」

「でやああああ!!」

 

 宰相の喉を食い破って、そんなことを言っているマリアージュの首をシグナムは即座に叩き落とした。

 

「主!」

「――ああっ!」

 

 そうだった。マリアージュに噛まれた人間は――。

 宰相だったものは死して再び立ち上がり動き出す。

 

「はあああ!!」

 

 新たなマリアージュの腹に俺は渾身の力を込めて、剣を突き立てた。

 

「下がれ!」

「承知!」

 

 俺とシグナムは後ろに跳躍し、それとほぼ同時にマリアージュは爆発する。

 たが、自爆したのはマリアージュだけで、宰相だったマリアージュもどきは自爆せずに骸をさらしたままだった。

 

「こいつだけ自爆せずに残ったぞ?」

「おそらく完全にマリアージュになりきらないまま主に討たれたからでしょうな……ということは」

 

『Anfang.(蒐集)』

 

 俺とシグナムが話している間にも闇の書はひとりでに頁を開いて、宰相の死体からリンカーコアを吸収し、書の頁は40ページほど増えた。

 

「こいつ一人にしてはやけに多いな……《超距離通話》、世界中に思念を飛ばせる魔法。この魔法のせいで頁が多く埋まったのか」

《おいケント、すごい勢いで屋敷が燃えてんだけど助けに行った方がいいのか? ティッタが今にも火をくぐって行きかねないんだけど》

 

 新たに闇の書に記された魔法を見ていた俺の脳裏に、ヴィータの声が響いてきた。

 

《いや、必要ない。ところで屋敷にはメイドが何人かいたと思うんだが、彼女ららしき人たちは出てこなかったか?》

《ああ。火の手が上がった途端、メイドも執事も兵士もみんな出てきて一目散に逃げて行ったな。それが?》

「《だったらいい。俺たちもすぐに出る》……というわけだ。行くぞシグナム」

「はっ!」

 

 そうして俺とシグナムは燃え盛る屋敷を後にし、ヴィータたちと合流した。

 残るは《冥府の炎王 イクスヴェリア》ただ一人。

 

 

 

 

 

――『――の魔導書』370ページまでの蒐集を完了。



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第18話 イクスヴェリア

 燃え盛る宰相の屋敷を後にした俺とシグナムは他の騎士たちと合流し、ガレア王城の前に来ていた。城下町の住民にまで見捨てられていることもあってか、今は門番の姿もない。

 

「ここがガレア王の城か。やっぱりグランダム城よりは小さい……けどその代わり妙な雰囲気がするな」

 

 城を見上げながら、ヴィータはぽつりとそんな感想を漏らした。

 

「宰相の言が確かなら、数百年前からこの地に存在し、先史時代の技術を隠し続けていた場所だからな。……それで主ケント、昨日の打ち合わせ通りにガレア王に対して降伏勧告を行いますか?」

「ああ。もうガレアの民を巻き込む恐れはないが、無駄な戦いを避けるに越したことはないだろう。宰相と違って引き際をわきまえてくれる王であればいいんだが」

 

 シグナムの念押しにうなずきながら俺はそうこぼす。

 これ以上は本当に無駄な戦いでしかない。

 我が軍がガレアに入って以降、宰相が行ってきた所業から敵側にマリアージュや兵がほとんど残っていないのは明白だ。

 その上で戦いを続ければ、それは戦争ではなくただの虐殺になってしまう。

 個人的に後味が悪いだけでなく、今後の外交を考えてもまずいことになるだろう。

 ……ガレアを完全に併合することは避けたいしな。

 

「主ケントよ。そう言えば宰相から蒐集した魔法は《超距離通話》だったそうですな。それでガレア王と話ができないのですか?」

 

 ザフィーラの問いに俺は肩をすくめて首を横に振った。

 

「それは無理だ」

 

 闇の書に書かれていた記述をざっと見た限り、超距離通話という魔法は一度会ったことのある相手なら、世界中どこにいても念話で話すことができる。だが、一度も会ったことのないことのない相手とは話すことはできない。特定の範囲に向けて一斉に念を送ることはできるが。

 つまり、現状でもガレア王城全体に向けて思念を送ることは可能だが、それだとガレア王からの返事を受け取ることはできない。

 また、この魔法は蒐集されたばかりなので、書の力を借りて使ってしまえば頁ごと魔法も失われてしまう。結構便利な魔法なので、こんなことで消費してしまうのは惜しい。

 数日あれば俺自身がこの魔法を覚えて頁を消費せずに使うことも可能だが、度重なる罠で自軍と住民からガレア王への不信が高まり強硬策も上がっている中、これ以上制圧に時間をかけたくもない。

 

「ならば仕方ありません。以前の段取り通り、私が勧告を届けに行ってまいりましょう。主ケント、書状を」

「た、助けてくれえぇ!

 

 シグナムの声を遮り、城の方から男の悲鳴が聞こえてくる。

 声につられて城門の向こうを見てみると、何十人もの兵士たちが我先に城から逃げるように向かってた。

 だが、城門が閉まっているのを見ると、彼らの表情は絶望に染まり蒼白になる。

 その理由は瞬時に分かった。彼らの後ろからマリアージュが兵を殺しながら迫ってきたからだ。

 

「今度は王城までか。ザフィーラ!」

「はっ! ……せいっ!」

 

 俺の意図を察したザフィーラは力を溜め、固く閉ざされている城門に思い切り拳を叩きつける。

 城門はあっけなく砕け散り、それを見た兵士は驚く暇も惜しいとばかりに俺たちのもとへ駆けつけてくる。

 

「グランダムの方ですか? 降伏します。ですからこの場は見逃して――うわああああ!!」

 

 マリアージュが近づいているのを見たため、最後まで言い切れずに俺たちを素通りして、兵たちは街まで走り去っていった。

 ひとまずあいつらは後回しだ。このままではマリアージュがまた街まで流出しかねない。

 

「仕方ない。マリアージュを掃討する。いくぞ!」

「「御意!」」

「「おう!」」

「はい!」

 

 

 

 

 

 

 今より時は少しさかのぼる。

 

 整列するマリアージュたちに守られながら、ガレア王イクスヴェリアはいつもの通り玉座に座っていた。

 

(グランダム王が闇の書を渡してくれる方ならばよいのですが、そうでなければまた大勢の犠牲者が……)

 

 イクスヴェリアがそんな事を考えている時だった。

 

「僚機より操主を喪失したとの報告を受理しました。これより我らマリアージュは自律的に進軍を始めます」

「……?」

 

 不意にマリアージュの口から出た言葉につられて、イクスヴェリアが前の方を見ると、自身の前にいたマリアージュたちが一斉に玉座のある間から出て行き始めていた。

 

「あなたたち!? 何をしているの?」

 

 イクスヴェリアの問いにマリアージュの一体が彼女の方を振り向き、繰り返す。

 

「先ほど報告した通りですイクスヴェリア。僚機より操主を喪失したとの報告を受理しました。これより我らは自律的に進軍を始めます」

 

 再度繰り返されたその報告は、イクスヴェリアの耳に届いた。

 

「操主って宰相……あの方が死んだ? いえ、それより進軍って――」

「うわああああ!!」

「キャアアアア!!」

 

 聞き返そうとしたイクスヴェリアの視線の先から、男女の悲鳴が聞こえてくる。イクスヴェリアはマリアージュの方に視線を戻して、

 

「い、一体何を?」

「進軍のためにマリアージュの個体を増やしています。操主より対象から外す人物の指定はされておりません。マリアージュは視界にとらえたすべてを同種に変換し、進軍します」

「宰相が死んだのなら指定なんてできるはずがないでしょう! それに進軍ってまだ戦争なんて起こってないはず――」

 

 必死にそう伝えるイクスヴェリアに対し、マリアージュは冷ややかに告げるだけだった。

 

「否。操主よりグランダムという戦場へ進軍しろとの命令を受けています。我らはグランダムを滅ぼすまで進軍を続けます」

「――!」

 

 この時、イクスヴェリアはおおよその事態を把握した。

 自分が出した闇の書を譲るようにという要求に対して、グランダムがどのような回答を返したのかはまだわからない。しかし、宰相は操主の権限を使い、マリアージュにグランダムを滅ぼすように命令したということだ。また自分に何も知らせず独断で。

 その宰相が死んだことでマリアージュが暴走を始めている。

 

「やめなさい! そんなもの私は許しません! 今すぐ進軍とやらを――」

「イクスヴェリア、あなたには我らに命令する権限は与えられておりません。あなたはマリアージュを造るためのコアを提供してくださればいい」

「――!」

 

 マリアージュの答えを聞き、イクスヴェリアはあらためて思い知らされた。

 イクスヴェリアはマリアージュのコアを造る能力は持っているものの、マリアージュを操作する能力は与えられなかった。操作権限は歴代の宰相にある。だからこれまで、自分の意に反した侵略が何度も行われていた。

 愕然とするイクスヴェリアにマリアージュは背を向けて歩き去り、その間にも王城内から悲鳴がこだましている。

 たまらず、イクスヴェリアは玉座のある間から外に出た。

 

「――!」

 

 そこでイクスヴェリアが見たのは死屍累々とした死体と、それをかじるマリアージュたちの姿だった。

 マリアージュに襲われている死体は、つい今日の朝までこの城に勤めていた執事やメイド、兵士たちだった。

 イクスヴェリアが目覚めて活動している時間は短く、一度眠りにつけば目覚めるのに百年以上はかかり、その間使用人や兵士の顔ぶれは二世代ほど変わってしまう。

 その上、侵略を好む残虐な暴君という噂のせいで、イクスヴェリアは彼らから恐れられ、とうとう打ち解けることはできずにいた。

 しかし、それでも形だけの王でしかない自分のために働いてくれる彼らには感謝していた。

 その彼らがマリアージュに噛みつかれ、マリアージュに変貌していく。

 

「うぷっ――おえぇぇぇ!」

 

 その光景にこらえきれず、イクスヴェリアはその場に突っ伏し嘔吐した。

 吐瀉物の中には食べたばかりの昼食が丸々残っている。

 

(どうして? どうしてこんなことに? まさか今までマリアージュに占領された国でも――)

 

 そう考えた途端、喉元に内容物がせりあがってきて、イクスヴェリアは再び嘔吐する。

 

「おぇ――うぅ……ゴホッ、ゴホッ」

 

 床につけた手が吐瀉物で汚れるのもいとわず、イクスヴェリアは放心する。

 ついに知ってしまった。

 ガレアの侵略の真実に、そこで行われてきたことが明確に。

 自分が過去に言った言葉が脳裏によみがえる。

 

『マリアージュのグランダムへの開放を許可します』

 

(何が解放を許可する、だ。こんなことが起こっていたと知っていたら私は)

 

 イクスヴェリアは立ち上がって駆け出し、すぐ先にいたマリアージュにしがみついた。

 

「やめて! もう進軍なんてしなくていいから――ぐぁ!」

 

 すがりつくイクスヴェリアをマリアージュはあっさりと払いのけ、イクスヴェリアは弾き飛ばされる。その拍子にイクスヴェリアが身につけていた黒いマントは外れ、主の側に舞い落ちた。

 

「進軍は我らの存在意義です。イクスヴェリアといえど進軍の邪魔は許しません」

 

 そう言い残しイクスヴェリアを尻目にマリアージュは外へ向かおうとする。

 

「やめて」

 

 そう懇願する主に構わずマリアージュは歩を進める。そこへ――

 

伏せろ!!

 

 奥の方で大声が聞こえたと思った瞬間、マリアージュの腹部は剣に貫かれた。

 イクスヴェリアは言われた通り、身を伏せながら目線を上にあげる。

 マリアージュを刺したのは茶髪の男だった。

 右眼は金、左眼は緑の虹彩異色(オッドアイ)

 男はマリアージュから剣を引き抜くと、そのままイクスヴェリアのもとへ駆け寄ってくる。

 

「少し我慢しろよ」

 

 そのまま男はイクスヴェリアを抱きしめて走り、マリアージュの死体から距離を取り身をかがめた。

 死体はすぐに爆発し、炎上するが消火装置(スプリンクラー)が作動し、火の勢いは弱まる。

 

「大丈夫か?」

「あなたは?」

 

 思わずそう聞いてきたイクスヴェリアに、男は少し目を泳がせて答えた。

 

「……俺はケント。この城に用があって来たんだがこいつら……人外が暴れまわってるのを見てつい入ってしまった。ところで君、この城に住む王様を知らないか? イクスヴェリアというんだが」

 

 ケント……ケント・α・F・プリムス。

 グランダムの国王の名前。

 その名を聞いた途端、イクスヴェリアの目からは涙が浮かんでくる。

 

「イクスヴェリアは……私です……ごめんなさい……本当にごめんなさい…………うっ、うわあああああああん!!

 

 

 

 

 

 

「おいケント、こっちは片付いたぞ。……どうしたんだこの子?」

 

 泣いてすがっている少女を抱えていると、後ろからヴィータの声が聞こえてきた。

 俺はヴィータの方を振り向き答える。

 

「マリアージュに襲われているところを助けたんだが、混乱しているようで話が通じない。自分がイクスヴェリアとか言ってる」

「はあっ!?」

 

 

 

 

 

 その後、マリアージュを倒して回ってきた他の騎士たちがやってきたため、俺たちは少女を落ち着かせてシグナムに外まで連れて行ってもらった。

 その後、俺たちは他の部屋も玉座のある間も見て回ったが、イクスヴェリアらしき者はどこにもいなかった。

 もう逃げだしてしまったのか? それともマリアージュに殺されてしまったか?

 あるいはまさか、本当にあの少女が……。

 俺たちがその真相を知るのは、街にある宿で泣き疲れて熟睡している少女が目を覚ます翌日の事だった。



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第19話 保護国

 ガレア王城でのマリアージュ掃討から翌日。

 俺たちが城で保護した少女がガレア王イクスヴェリアであることが、生き残った城の使用人や兵士、そして少女自身の自供から明らかになった。

 一日だけは俺たちと共に宿に泊めておくことはなんとか可能だったものの、これ以上はさすがに危険だ。

 街に逃げてきた城の関係者から、イクスヴェリアの姿は住民のほとんどが知るところとなり、いつ彼女を襲撃しようとする者たちが出てきてもおかしくない。一昨日の襲撃でガレア王たちへの不満は頂点に達している。

 そのため俺たちはイクスヴェリアを連れて街から離れた場所に天幕を立て、そこで話をすることにした。

 

 

 

 

 

 天幕の中には俺と騎士五人――守護騎士四人+ティッタ――、将軍、イクスヴェリア、そしてなぜかついてきたサニーが並べられた椅子に腰かけている。

 ガレアを今後どうするかなど戦後処理の話もあるので、宰相に来てもらえないか伝令を出したのだが、急な来客の応対があるので難しいとのことだった。ガレアについてはほとんど同意見とのことなので、俺の好きなようにしてくれとも言われたが。

 しかし、敗戦国の処理を後回しにしたいほどの来客か。聖王連合や帝国がらみの賓客でも訪ねてきたのだろうか?

 

「……この小娘が、イクスヴェリア?」

「うっ……はい。本当に申し訳ありませんでした!」

 

 いくつもの死線を潜り抜けてきた将軍の貫禄に押されながら、イクスヴェリアは頭を下げる。……いかついおっさんを目の前にした小さい女の子が縮こまってるとも言う。

 

「私もガレアに来て短くないけど、この国の王様がまさかこんな子供だったとはねえ。噂じゃイクスヴェリアは自分の前を横切った子供を弓矢で射殺させたり、気に入った美女を城に連れ帰ったり、適当に選んだ人を生きながら焼き殺したりとか、やりたい放題の暴君だって聞いてたけど本当なの?」

「そ、そんなことしてません!」

 

 サニーが挙げた噂をイクスヴェリアは顔を真っ赤にして否定する。

 意地悪な顔で「本当に?」と尋ねてくるサニーの言葉に咳ばらいを被せて、彼女を黙らせた。

 

「イクスヴェリア王、俺からもいくつか聞きたいことがあるのだがいいか? もちろんサニーの言っているような噂と違って真剣な話だ」

「はい、いいですよ。ただ、できれば王は付けず、イクスと呼んでください。イクスヴェリアというのも本当は私の名前じゃないんです」

「えっ!? じゃあやっぱり、王様が変わるたびに名前の方も受け継いでいったということ?」

 

 ティッタの問いにイクスヴェリア、改めイクスは首を横に振った。

 

「いいえ、ガレアの王は私一人だけです。あの人たちにとってはその方が都合がよかったそうですから」

「あの人たち……マリアージュを造り、そのうえ君を改造した連中の事か?」

 

 俺の念押しにイクスはうなずく。

 

 

 

 

 

 イクスの話は以前ガレア宰相が話していたことと相違なかった。

 その上で新たに分かったことは、イクスは元々ガレアの生まれではなく、ある組織が拠点にしていた世界の住人だった。

 だが、戦争で両親を失い施設で暮らしていたイクスを、組織の首魁だった魔導師が養子という形で彼女を引き取った。

 そして魔導師はイクスに遺伝子改造を施し、《冥王核》と呼ばれる魔力コアを埋め込むことで、マリアージュを造るために必要なコアをイクスの体内で無尽蔵に造り出せるようにした。

 ただ他の改造者たち(現代で言うベルカ王族)と違い、その能力はイクス一代だけのもので、子孫には継承されないようにできている。俺たち他の王族と違い、イクスだけが虹彩異色(オッドアイ)ではないのもそのためだ。

 イクスの子孫に継承させない理由は、彼女自身が組織にとって利用しやすい性格をしていることと、複数の人間から作られたマリアージュを操るには操主も複数必要になり、彼らが争うことになればそのまま自滅してしまいかねないためだそうだ。

 その代替措置として、魔導師はイクスにコア生成とは別に長期睡眠能力をつけて長期間眠らせておき、必要な時だけ目覚めさせてマリアージュを造らせるということを繰り返していた。

 これがガレアが百年おきに侵略と停滞を繰り返していた理由らしい。

 

 

 

 

 

「それではイクスヴェリアというのも……」

「はい。王として箔をつけるため、本名の後に耳障りのいい単語をつけて長くしたものです」

「……」

 

 イクスの話を聞いた後の俺たちの間には、何とも言えない空気が漂っていた。

 残虐非道な暴君といわれる彼女もまた、得体のしれない組織やその末裔たちに利用された犠牲者の一人だった。

 

「それは……お前も運がなかったな」

「……いえ、マリアージュの犠牲になった人たちと比べれば。私の方は不自由なく暮らせてはいましたから」

 

 ヴィータの慰めにもイクスは力なくうつむくだけだった。

 

「あの書状には闇の書と守護騎士を渡してほしいと書いてあったが、それも宰相の指示か?」

「いいえ、それは私からケント様にお願いしたかったことです。闇の書はとても危険なもの。少なくとも私はそう思っています。“あの事故”が起きた時、あの人が持っていた闇の書は完成間近だった。あの事故とそれが無関係なこととは、私にはどうしても思えませんでしたから」

「“あの事故”とは、組織を率いていた魔導師が住んでいた世界ごと消失した出来事のことか?」

 

 俺の問いにイクスはこくんとうなずく。

 それは宰相の話を聞いてから俺も疑問に思っていた。

 闇の書と世界が消失するほどの事故、当時そこにいない俺には因果関係など知りようもない。ただのこじつけと言い切ってしまってもいいだろう。しかし、闇の書が完成間近だったというのがどうしても引っかかる。

 

「“あの事故”が起きた瞬間に発生した次元震は、私が移った世界にまで届いていました。戦船だってあそこまでの現象を起こすことはできないでしょう。だから、ケント様から闇の書を渡してもらって封印しようと思っていました」

「封印とはどのような方法を取るつもりだったのだ?」

 

 シグナムにそう尋ねられ、イクスは不思議そうな反応を示す。

 

「……? 誰にも触れられないように宝物庫にしまっておいたり、あるいは地下区画を改修させて、そこに隠しておくつもりでしたが」

 

 イクスの答えを聞くとシグナムは深いため息をついた。やはりイクスは闇の書の詳しい力までは知らなかったようだ。

 

「そんなことをしても無駄だ。闇の書には転移機能があってな。例え地の底に埋めようとすぐ主の元に戻ってくる。お前が言った手段では到底闇の書を封印しきるなどかなわん。ましてか弱いお前が出来ることではな」

「うっ……」

 

 シグナムの指摘にイクスはうめき声をあげる。

 イクスには悪いが俺もシグナムに同感だ。闇の書の主だからわかる。それくらいではこの書は再び世に出てしまう。それがたとえ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこで限界が来たのか、今まで黙って話を聞いていた将軍がうめいた。

 

「……陛下、イクス殿には申し訳ないが、自分には今の話は絵物語の内容としか思えませんな。イクス殿が遥か昔から生きていた、一瞬にして世界が丸ごと消失した、闇の書は転移して主の元に戻ってくるなど、どれも到底信じられる内容ではありません」

 

 まあ、彼の方が正しい反応か。俺だってシャマルの話がなければ、宰相やイクスの言葉を信じる気にはなれなかっただろう。

 俺はため息をついてから彼に言う。

 

「そうか。では、貴公はこの話のことは忘れるといい。貴公にいてもらったのはこの先の話があるからだ。ガレアとイクスの今後について」

 

 俺がそう言った途端イクスの手が震えるのが見えた。しかし、彼女は気丈にも意を決して口を開く。

 

「……私の……処罰についてですね」

「このまま王としてこの国に、というのは難しいな」

「ちょっとお兄様! 何とかできないの? そりゃアタシもこの間までは、ガレア王なんて絶対許せないって思ってたけどさ。今の話聞いたらあまりにもイクスが可哀想だよ!」

 

 ティッタの擁護にも俺は情けを捨てて首を横に振る。

 それを言えば、マリアージュに殺された者たちだってあまりに可哀想だ。

 

「いいんですティッタさん。ガレアの領土はすべてグランダムに差し上げます。ケント様にすべてお任せします……だからせめて、あの街に住む人たちだけは……どうか!」

「……無理だ」

 

 深く頭を下げて懇願するイクスに俺は首を横に振る。

 

「お兄様!?」

「ちょっと陛下!? まさかあんた、イクス様だけじゃなくあの街の人まで?」

 

 俺の返事にティッタもサニーも守護騎士までが目を見張る。

 そう言われても無理なものは無理だ。

 

「そんな……ケント様お願いします! 私はどうなっても構いませんから町の人たちだけは!」

「無理だ……ガレアを併合する余裕などグランダムにない」

「……えっ?」

 

(へ、陛下、紛らわしいにもほどがありますぞ)

 

 イクスが顔を上げて、彼女を含めた全員が間の抜けた表情で俺を見ている。

 それに加えて将軍までが険しい目で俺を睨んでいた。お前の方は事情をよく知っているだろうに!

 

「あの街だけなら何とかなるかもしれないが、そのまわりにある廃墟までは無理だ。

 何も残っておらず、住民は誰もいない、そんなところを領地として与えられても喜ぶ奴など誰もいない。

 その上、廃墟の端が国境になるから、隣国の侵入を防ぐために砦も建設しなければならなくなる。

 街の統治にしても行き来に手間がかかるだろう。駐留させるために送る軍は飛行魔導師だけで足りるか?」

「……」

「イクスには酷な言い方だが、ガレアを併合して得るものはごくわずかだけだ。

 それに対して、これまでの遠征で費やした兵站、戦死者の遺族への補償、東端の都市復興、今回の戦いは損失が多すぎる。

 それでも今までの戦いで功績を挙げた将兵に俸給や領地は与えなくてはならない。領地の方は別の対価を用意しよう。できるといいなぁ。

 ……だからガレアを併合する余裕は我が国にはないんだ。すまないイクス、せっかくの申し出だが断らせてもらう」

「……い、いえ、そういう事情がおありでしたら」

 

 誠心誠意を込めた俺の説明を聞いたイクスは、戸惑いながらも納得してくれたようだ。

 

「じゃあ、あの街このまま放っとくの? イクスが王様でガレア王国のまま?」

 

 ヴィータの問いを聞いて、表情が固くなるのが自分でもわかった。

 

「ここまで来て、ガレアに何の沙汰も下さないというのも難しいな。他国に侮られる。それにイクスもあの街に住むのは難しいだろう。住民の怒りをあそこまで買ってはな。おそらくガレアは保護国ということになって、イクスはグランダム城に身を移してもらうことになる……それくらいしか方法はないんだが、イクスはいいか?」

「は、はい! ケント様がそうおっしゃるならぜひお願いします!」

 

 イクスは身を乗り出してそう言ってくれる。

 敗戦国の王という汚名を被って戦勝国に連れていかれるなんて不名誉な話、もう少し抵抗されると思ったのだが……イクスなりのけじめだろう。

 

「まあその辺りが落としどころでしょうな。しかし陛下、このままだとイクス殿はグランダムで肩身の狭い生活をされるに違いない……どうでしょう? ここはイクス殿を妃にお迎えするというのは」

「えっ!?」

「はあ!?」

 

 将軍からの提案に、俺も騎士その他も全員がぽかんとした。

 

「すまない。聞き間違いをしたようだ。もう一度頼めるか?」

 

 俺がそう頼むと将軍は、ハァと深くため息をついて言った。

 

「陛下とイクス殿が結婚されるのが良い方法だと申した。さすればガレアは共同統治という形を取ってもよいし、将来は同君連合となっても何もおかしいところはない。それに陛下、即位されて間もないので今まで黙っていましたが、一国の王たる御方がいつまでも独り身ではいられませんぞ。そろそろ世継ぎをもうけることも考えていただかねば」

「世継ぎ!?」

 

 女性陣の中から驚きの声が上がった。俺も戸惑いから抜け出せておらず、誰の声なのかはわからない。

 

「私は構いませんけど。ケント様が良ければ(でもよつぎって何でしょう?)」

 

 イクスはそう言ってくれる。しかし、

 

「駄目よイクス様! もっと自分を大切にしなきゃ! 陛下、まさかこんな小さい子供に結婚を強要されるおつもりですか?」

「お兄様、あんたやっぱり……」

 

 シャマルは鋭く迫り、ティッタは険しい目で俺を見る。俺が言いだしたわけではないんだが。

 

「将軍、反対意見が出てるようだし、この話は一旦保留とさせてくれないか。それにイクスだと世継ぎを望めるのはかなり先になるだろう」

「確かに、それも一理あるかもしれませんな。陛下のおっしゃる通り、まだ急ぐべきではないのかもしれません。ではこの話は機を見て」

 

 俺がそう言うと、思いのほか将軍はあっさり引き下がった。

 彼としてもイクスを妃にというのは本意ではなく、婚約者の一人もいない俺に対して、そろそろ結婚について考えろと言いたいだろう。俺だって好きで独り身でいるわけじゃないんだが。

 

「あのー陛下、そっちの話はもう終わった? 私からも陛下とイクス様に、お願いしたいことがあるんだけど」

「ん?」

「何でしょう?」

 

 将軍が引っ込んでから声をかけてきたサニーに、俺とイクスはほぼ同時に返事を返す。

 

「陛下たちには前も言ったんだけど。私は考古学者としてガレアのあちこちにある跡地を調べるためにこの国に来たんだ。だから、そこを調べるための許可を、陛下かイクス様から貰いたいんだけど」

「そうだったな。ガレア貴族はすべて死んでしまったし、形式上ガレアの領主はイクスだけということになる。だから、イクスが許可するなら俺からは何も言うつもりはない」

「そうなんですか? 私としては街の人たちの迷惑にかからないようにしてくれるのなら、自由にしていただいて構いませんけど」

「本当!? 助かるよ。お礼に何かわかったら陛下たちにも教えるね。闇の書とか聖王のゆりかごに関する書物とか」

 

 探索の許可をもらったサニーは飛び上がりながらそう言った。

 ガレアの歴史が古いとはいえ、さすがに闇の書に関わる文献が都合よく出てくる可能性は薄い。だが、まったく期待していないと言えば嘘になる。あれにかかわる話はどんなことでも知りたいところだ。

 

「頼む。発掘作業などの際は身の回りに気を付けろよサニー」

「うん。陛下たちも騎士のみんなもね」

 

 

 

 

 


 

 ガレア王イクスヴェリアから『闇の書』を差し出すように求められた愚王ケントだったが、ケントは『闇の書』惜しさにこれを拒否し、ガレア王国との戦争を始める。

 『マリアージュ』というガレアの生物兵器によって、当初は苦戦を余儀なくされたものの、ケントはまたも『闇の書』の力を借りてガレア軍を撃退。そのままガレア本国を陥落させて宰相を葬り、イクスヴェリア王を捕らえた。

 戦後、ケントはガレアを併合せず、保護国として傘下に収めるにとどめた。ガレアは土地が貧しく領土的価値がないことと、周辺諸国に己の本性を露わにすることを危惧したためと思われる。

 その際、ケントは浅ましくもイクスヴェリア王に己の妻になることを強要したものの、騎士たちに諫められて渋々撤回したという。(イクスヴェリア王の性別・年齢は多くの文献で謎とされているが、この逸話から若い女性であると近年では有力視されている)

 その後も見目の良い女学者に鼻の下を伸ばし、宗主国の立場を濫用して学者にガレア探索の許可を出すなど、その好色さは悪名高いイクスヴェリア王も呆れを隠せなかった。

 

愚王伝第2章 終



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第20話 その頃各国は……2

 ガレア王国に勝利したグランダム軍が祖国へ凱旋している頃、この戦いの趨勢も各国はいち早く正確に掴んでおり、すでにガレア陥落はダールグリュン帝国、聖王連合の知るところとなっていた。

 

 

 

 

 

 ダールグリュン帝国。

 宮殿内にある広々とした鍛錬場。そこは今、たった二人の女が占有していた。

 一人は巨大な槍を構える銀髪の女、もう一人は穂先に斧頭を取り付けた槍、ハルバードを持った金髪の少女。

 二人とも華美な鎧をまとい、この場で睨み合いながら対峙している。

 そこで銀髪の女が金髪の少女に向かって踏み込み、槍を突き出した。

 

「四式・瞬光」

(二十三式・刃咬)

 

 しかし、金髪の少女は自分に迫る槍の穂を素手で掴み取る。手甲を装着しているとはいえ、雷帝と呼ばれる女傑の一突きを手で受け止めようとする者は彼女くらいだろう。歴戦を勝ち抜いた手練れでさえ、下手すれば腕ごと斬り落とされかねない。

 銀髪の女は少女の方へ槍を押し込み、金髪の少女が刃から身を守ろうと、手に力を込めて穂先を握りしめる。

 

「フッ」

「――!」

 

 そこで銀髪の女はひょいと槍を少女から逆方向に向け、不意をつかれた少女は思わず穂を手から放してしまう。そして銀髪の女は槍を難なく手元へ引き戻し、両者は再び相対した。

 

「《雷帝式》はあらかた習熟済みか。ならばそろそろ仕上げと行こうぞ」

「そうですね。師よ、固有技能を使っていただいても構いませんよ」

 

 金髪の少女の挑発に、銀髪の女は口の端に笑みを浮かべる。

 

「十年早いわ若輩者が!」

 

 次の瞬間、二人は衝突するくらいの距離まで互いに肉薄し、槍をぶつけ合った。

 

「「九十一式・破軍斬滅!」」

 

 お互い槍を振り回し、何度も打ち付け合う。

 金髪の少女は銀髪の女が突き出す巨大な槍から込められる衝撃を、ハルバードの向きをたくみに変えて受け流しながら応戦し、相手と互角に張り合っていた。

 

「――!」

 

 不意に銀髪の女の動きが鈍ったように見えた。

 金髪の少女はハルバードの構えを変え、

 

「九式・霞!」

 

 金色の魔力光をまとったハルバードを相手に向けて真横に振るう。

 

「ぬるい! 五十三式・帝威」

 

 だが、銀髪の女は先ほど鈍ったのが嘘のように、即座に槍を持つ手を手繰り、青色の魔力光をまとわせた馬上槍を少女に向けて瞬時に振りかぶった。

 そして鋭い金属音を響いたと思うと、両者は交差したままその動きを止める。

 

 …………。

 

 先ほどまで激しく槍をぶつけ合っていた二人が、今は時間が止まったように瞬き一つしない。

 その静寂を破ったのは、鎧からこぼれた破片が床に落ちる音だった。

 その破片をこぼしたのは、

 

「……余の()に傷をつけるほど伸びるとはな。上出来だ。褒めてつかわす」

「……私の槍を半ばから叩き斬っておいて言うことですか」

 

 金髪の少女がそう返した途端、少女の持っていたハルバードが真っ二つに割れ、柄から先が大きな音を立てながら床に崩れ落ちる。

 それを見ながら金髪の少女はため息をついて、穂先の欠けたハルバードを手放した。

 手放した方のハルバードは床に落ちることなく、残骸もろとも指輪状になって少女の指に収まる。

 そんな弟子の様子をおかしそうに見ながら、銀髪の女も槍を記章の形に戻して胸元につけた。

 

「はあ、また完敗です。今日こそは固有技能を使わざるをえないところまで、追いつめて差し上げようと思ったのに」

「そう腐るなエリザヴェータ。なかなかの反応だったぞ。特に《刃咬》は見事だ。余はあの手の守りは不得手でな、防御に関してはもはやそなたの方が上手かもしれん」

 

 雷帝の異名を持つ師の賛辞に、金髪の少女は肩をすくめながら返事を返す。

 

「おば様が攻めに偏りすぎなんです。皇帝としては戦いでも政治でも攻めるばかりではなく、もう少し守りを固められた方がよろしいかと具申申し上げます」

 

 長い金髪を今はリボンで束ねた緑眼の美少女。

 エリザヴェータ・ダールグリュン。

 雷帝ゼノヴィアに師事している貴族令嬢。

 

 もう一方の銀髪の女はエリザヴェータの師であり、ダールグリュン帝国の皇帝、ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。

 緑の右眼と紫の左眼からなる虹彩異色(オッドアイ)がその証拠だ。

 

 魔導鎧からドレスに装いを戻しながら、エリザヴェータは鍛錬場の隅に顔を向けた。

 

「ジェフ、もういいですよ。紅茶を持ってきて頂戴」

「はっ、ただいまお持ちいたします」

 

 言葉とは裏腹にエリザヴェータが声をかけた男はすでに主たちの近くへ来ており、ティーポットと二杯のカップが載った丸いトレイを両手で持ちながら、歩を進めている。

 燕尾服を着こなし、赤い髪と瞳を備えた端正な容姿を持つ彼はエリザヴェータ専属の執事ジェフ。

 

「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」

「陛下もどうぞ」

「かたじけない」

 

 ジェフは先にエリザヴェータ、その次にゼノヴィアに紅茶の入ったカップを配っていく。

 これが宮殿に勤めている使用人だったら、間違いなくゼノヴィアの方から配っていくだろう。

 しかし、ゼノヴィアは気分を害することなく、むしろ感心したようにジェフを称える。

 

「相変わらず忠誠心の高いよくできた執事だ。余が抱えたいくらいよ。どうだジェフ、余のもとに来れば今より格別な待遇を保証するぞ」

「――なっ!? おば様といえどそればかりは許しませんよ。ジェフ、あなたからも何とか言いなさい!」

 

 二人からそう言われたジェフは笑みを浮かべたまま、わざと間を空け考え込むような仕草を見せる。

 そんなジェフの様子に、エリザヴェータは段々焦りを隠せなくなっていく。

 それから五数えるほどの時が過ぎて、ジェフはゼノヴィアに深く頭を下げた。

 

「申し訳ございません陛下。ありがたいお話ですが、このジェフ、謹んで辞退させていただきます。陛下に打ちのめされ、涙で顔を濡らすお嬢様を慰められるくらい、信を置かれている者は私以外にまだおりませんので」

「ジェ、ジェフ!? おば様に負かされたぐらいで私がいつ涙を流しましたか! 断るにしてももっとまともな言い方になさい!」

 

 ジェフに振られていささか残念そうに、エリザヴェータの過剰な反応には満足を覚えながら、ゼノヴィアは紅茶を口に含んだ。

 

「そうか。ではエリザが胸を借りられるような者が現れた時に、また声をかけるとしよう。よければ余が縁談を持ってきてやろうか?」

 

 ゼノヴィアにそう言われ、またからかわれていると思ったエリザヴェータは言い返そうとするも、瞬時に考えを改めた。

 

「……まさか、グランダムのお若い国王のことを仰っているのでしょうか?」

 

 いつもながら聡い愛弟子にゼノヴィアはニヤリと笑った。

 

「見どころのある男だと思うがな。ガレアが動いた時にはそこで終わるかと思ったが、まさか逆にかの国を落とすとは……クックックッ、これでグランダムはおよそ一月でガレアに代わり、独立国で最も強い国となったわけだ。実に面白い。あの時攻め込まなくて正解だった」

「……単純にガレアの国土から実益を取ることができればの話ですけど」

「ほう」

 

 エリザヴェータの返事に、ゼノヴィアは相槌を打ったきり黙り込む。続きを話せということだ。

 

(おば様もわかっているでしょうに)

 

 と胸中でこぼしながらエリザヴェータは解説を始める。

 

「ガレアは中心にある街以外は、すべて人間離れした兵士によって廃墟や荒れ地となっております。あんな国を併合したところでグランダムに利はありません。我が帝国や連合さえ手を出そうとしなかったぐらいですから。グランダムとしてもガレアを併合することは諦めて、保護国として監視要員だけを派遣するにとどめるのではないかと」

「それは戦いに勝ったというのにもったいない話だな。だがその結果、グランダムは最悪の隣国を取り除くことができたわけだ。今後は心置きなく周辺国へ侵攻するなり、服従を強いるなりしていくと思うのだが。余がグランダム王の立場ならそうする」

 

 弟子を考えを聞くためわざと見当違いな見通しを立てるゼノヴィアに、エリザヴェータは「いいえ」と首を横に振る。

 

「最初にガレアから攻め込まれた時、グランダムはいくつもの村々と東端の都市を滅ぼされてしまいました。国境の防衛のためにも、あの街を放っておくわけにはいかないはず。砦くらいは作らなくてはなりませんね。加えて功績を挙げた将兵への俸給と領地、消費した兵站も新たに補充しなくてはなりません。

 このままだとグランダムという国は財政破綻に陥り、内側から瓦解してしまわれるかも」

「そうだろうな。実に惜しい。そんなことで終わるなど。あの国にはもう少し楽しませてもらいたいというのに」

 

 ゼノヴィアはうなずきながらも面白くなさそうに言う。今度は心からそう思っているようだ。

 

「ならば、我が帝国への従属を条件に手を差し伸べられますか? 私としては異論はありません。この先聖王連合に対抗していくために、心強い味方(属国)は多いに越したことはありませんもの」

 

 エリザヴェータの指摘にゼノヴィアはかぶりを振る。エリザヴェータの言ってることは正道ではあるが、自身が求めるものとは違う。

 

「つまらぬ。それではつまらぬのだ。余はもっと強者と戦いたい。強者には余の敵であってほしいのだ。……そこで余はグランダム王が懐を満たすため面白いことを考え付いたなら、一口乗ってやってもいいと考えている」

 

 悪い癖が出てきたゼノヴィアにエリザヴェータは嘆息する。自ら滅んでくれるかもしれない相手をなぜ助けなければいけないのか。

 しかし、実のところエリザヴェータも興味はある。グランダムがこのまま没落していくのか、妙案を思いついて巻き返していくのか。

 

「グランダムが何か動きを見せたら、私にも一声かけてください。いずれ貴族になる身として、お金の流れには関心がありますから」

「フッ、おそらくそれには及ばん。余の勘ではあの王が次に動く時は、そなたにも知らせがいく形になると睨んでおる。……ただ連合の臆病者どもは我らほど構えてはおれんだろうな」

 

 連合という言葉にエリザヴェータも笑みを消した。

 

「そうですね。第三の強国となったグランダムの躍進を、あの方々が歓迎するとは思えません。連合の出方次第では我々も動き出す必要がありそうです。《禁忌兵器(フェアレーター)》の出処もようやく掴めてきましたし」

 

 フェアレーターという単語に、今度はゼノヴィアが片眉を上げた。

 

「――なんと! それは余の耳に届いておらんぞ。どこからだ?」

「私の家と繋がりのある商家からです。元締めはまだ掴めておりませんが、拠点の方はおおよそ絞れています。……」

 

 エリザヴェータの挙げた拠点が存在する場所を聞いて、ゼノヴィアはこらえきれず苦笑する。

 

(グランダム王ケントよ。そなたの治世はつくづく厄介事に巻き込まれる定めにあるようだ。これに潰されるか、逆に大望成就への踏み台とするか、しかと見届けさせてもらうぞ!)

 

 

 

 

 

 

 聖王連合 聖王都。

 ゼーゲブレヒト城内の円卓の間では、中枢王家の王たちが聖王を囲み、会合を開いていた。

 ある国の王と伝令兵の報告を聞き、それ以外の王たちが一様に驚きの声を上げる。

 

「――な、なんと、あのガレアがグランダムに侵攻されただと!」

「そんな馬鹿な!? 我々連合や帝国ならいざ知らず、一小国にガレアが落とされるなど。あの国はおそらく後退前の時代から存在した遺物を持っていたはずだ。それをあのグランダムが」

「闇の書……我々はあの魔導書の力を甘く見すぎていたのでは」

 

 ガレアが負けたことへの驚きの声と、グランダムの拡大を危惧する声が室内をこだまする。

 唾を飛ばしあうように議論をまくしたてている王たちを、聖王は落ち着きなく見据えていた。

 そして、しばらく経ってから王の一人が、ついに聖王の恐れる単語を含む言葉を口にする。

 

「案ずるな皆! 忘れたか、我ら聖王連合にはあの切り札があることを」

「――!」

「切り札だと――まさか……」

 

 口火を切った王はもったいぶるようにニヤニヤしながらしばらく沈黙し、やがて、ゆっくり立ち上がり口を開いた。

 

「フフフ、我々にはあれがあるではないか。そう、あの忌まわしき《多世界大戦》を終結させた、先史文明の技術の結晶たる戦船……《聖王のゆりかご》がある! 原子すら残さぬゆりかごの主砲を持ってすれば、闇の書など恐るるに足らん」

「おおっ!」

「そうだ! それがあった!」

ま、待て!

 

 王たちの話を突然大声で遮ってきた聖王を、王たちはギロリと注視する。

 彼らの視線を受けた聖王は身をすくめるものの、恐る恐る言い始めた。

 

「そ、それを用いるのは性急ではないか。前にも言ったであろう。連合に加わるようにグランダムの王を我が娘オリヴィエが説き伏せるはずだと。シュトゥラからもあの国の王子とオリヴィエを、グランダムに送り込んだと報告を受けておる。それを待ってからでも――」

「しかし聖王陛下、ディーノの件といい、グランダム王が野心を持っている疑いは強くなりました。姫殿下の言葉も果たして届くかどうか。それに問題はグランダムばかりではありません。小国どもによる連合への攻撃やテロは近年ますます増えるばかりです。奴らが当てにしている《禁忌兵器(フェアレーター)》は間もなく流出元が掴め、摘発に動いているところではあるが……」

「ようやくか。おおよその目星はもうついてるのか?」

「うむ。……」

 

 ある王が挙げた場所を聞いた途端、まわりの王たちの顔がひきつる。

 

「なんと、あそこか!」

「まずいぞ! もし奴らがグランダムに禁忌兵器を売りつけてきたら」

 

 そこで王の一人が手を広げて他の王を黙らせる。聖王のゆりかごの話を切り出した王だ。

 

「そういうわけだ。それに加え、すでに多くの国が禁忌兵器を持っている。もはや一刻の猶予もない。……陛下、そろそろグランダム、ダールグリュン帝国、その他の国々へ、我々から“警告”を出す必要が出てきた頃だと思いますが」

「あくまで警告だな? それで他国がおとなしくなればゆりかごを出す必要はない。そうだな?」

 

 聖王は最後に一縷の望みをかけて尋ねる。しかし、

 

「…………はい」

 

 間を持たせて返ってきた返事に、聖王の不安はより強くなった。

 もはや警告だけで他国が鳴りを潜める可能性は高くないということだ。

 聖王はとうとう顔を伏せ、皆が何事か話している間もずっと腑抜けていた。

 

 

 

 

 

 

 グランダム王国から南にある『自由都市リヴォルタ』。時刻は夜。

 貴族に劣らず贅の限りを尽くした一室に、主から入室の許可を得た一人の若い男が入ってきた。

 対して、部屋の主である中年の男は執務机を挟んで座り、心地のよさそうな椅子ごと入室してきた男に背中を向けていた。

 

「失礼しますマスター。グランダムとガレアの間で起きていた戦争の決着がついたとの報告が入りました」

 

 部下からそう告げられて、男は背中を向けたまま言葉だけを返す。

 

「どっちが勝ったんだい?」

「……グランダムです。驚きましたね。連合や帝国の庇護も受けていない、一独立国がガレアに勝つとは」

「そうだね。もっとも、戦勝と引き換えに生じた損失を取り戻せるかが不確かだが。……しかし、今回の戦勝でグランダム周辺の市場の方は大きく盛り上がるだろう。王が帰ってくるまでに我々も商いの準備を急ごうか」

 

 男は部下の話に首肯し補足を付け足す。部下から背中は向けたままだが。

 男はふと持っていた何かを裏返した。

 

「……グランダム王は闇の書を持っているそうだね」

「はい。ディーノやガレアとの戦に勝ったのも、闇の書と書から召喚された四人の騎士の力が大きいと聞いております。とても信じられないような話ですが、マスターは本当だと思いますか?」

 

 部下の問いに男はフッと鼻で笑った。

 

「どうでもいいよ。あんな骨董品とそれについてきたおまけなど。私にはこれがあれば十分だ」

 

 男はそう言って椅子を回し、部下に体を向けた。

 黒髪に黒目、そして太い眉毛が特徴の好紳士は屈託のない笑顔を見せている。

 

「報告ありがとう。今日はもう遅いから君は下がって休みなさい。明日も忙しくなるぞ。聖王に反抗する国々から、()()の注文がどんどん来ているからね。いっぱい働いていっぱい稼いで、家族にいい思いをさせてやろうじゃないか!」

 

 部下にそう言って発破をかける男の手には、無機質な十字架が描かれた銀色の本があった。



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第3章 リヴォルタ事変
第21話 親友との再会、宿敵との出会い


 ガレアを制圧し、冥王イクスヴェリアことイクスの身柄を引き取ってから数週間。

 俺たちは軍を引き連れて故郷へと歩を進めた。

 それまでの間、コントゥアなどのガレア属領やグランダム東端の都市など、マリアージュ襲撃の跡が色濃く残る場所を通過する際、イクスは悲痛な表情でごめんなさいとうわごとのように繰り返していた。

 それからさらに一週間、我が軍は一月ぶりにグランダム王都の土を踏んだ。

 

 

 

 

 

 王都の街にはディーノ戦以上の群衆があふれかえっていた。

 ガレアからの侵略を跳ね返したのは我が国が最初でおそらく最後だ。裏を返せば、それまでガレアに侵略された国は、例外なくマリアージュに蹂躙されたということでもある。

 戦勝までの間に民たちがどれだけ不安にさらされていたかが、熱狂的に俺たちを迎えてくれる群衆の姿で思い知らされた。

 しかし、だからこそ問題はイクスだ。彼女こそがガレア王だと民たちに悟られるわけにはいかない。

 そこで俺たちはイクスを下手に隠そうとするのではなく、彼女を堂々と馬上でシグナムの前に乗せることにした。

 こうすればあどけない少女の姿をしたイクスは、シグナムに付いた小姓か、どこかで保護した子供にしか見えないだろう。

 

 軍列の中ほどで俺は再び人々に手を振りながら、王宮までじっくりと馬を進める。

 今度は群衆の中に眼帯の少女が目に映ることはない。しかし……

 

「ケント王子お帰りなさい!」

「バカ、もう即位したんだよ!」

「ケント様! 俺のこと覚えてますか?」

 

 俺達に歓声を送る人々の中に、今度は白い鎧を着た騎士らしき者たちが混じっていた。我が国では白い鎧は着ないし騎士も多くない。

 しかし彼らの姿に見覚えはある。まさか宰相が対応していた来客というのは――。

 その答えは王宮の前で明らかとなる。

 

 

 

 

 

 

「――っ!」

 

 王宮の前で彼の姿を見つけて、俺は自然に左手を大きく振る。

 王宮の前で俺を待っていたのは、宰相をはじめとするこの国の高官たち、そして――

 

「クラウス!!」

「無事に帰ってくると信じていたよ。ケント」

 

 彼の側につくなり俺はすぐに馬から飛び降り、握手を交わす。

 あの激戦の数々の後にこんなことがあるなんて!

 すっきりした短い緑髪、紫の右眼と青の左眼の虹彩異色(オッドアイ)、嫉妬したことは数知れないさわやかに整った容姿。

 四年ぶりに会う親友、クラウス・G・S・イングヴァルトが俺を待っていた。

 

 

 

 

 

 五年前、まだ王子だった俺は母国グランダムを離れ、北にある『シュトゥラ王国』に留学していたことがある。

 シュトゥラはその頂点に武勇を誇る騎士王を据えた、聖王連合内でも有力の強国であり、ベルカ全土でも類を見ない教育先進国としてもその名を轟かせている。

 それを裏付けているのが、シュトゥラ学術院という大学*1の存在だろう。

 学術院には各国から王侯貴族が留学生として様々な学問を学びに訪れており、父の言いつけでシュトゥラに送られた俺もその一人だった。

 留学が決まった際、父からは魔法を中心に学習してくるよう告げられたため、おそらく父には闇の書を扱えるように、俺の能力を引き出そうという狙いがあったのだろう。

 それでも、シュトゥラに行かせてくれたことには父に感謝している。

 そこで俺は親友(とも)に出会えたのだから。

 シュトゥラ第一王子、クラウス・G・S・イングヴァルト。

 同じ王子で身分も出自も対等。たびたび衝突もしたが、今まで国内で俺に近づいてきた貴族の子息と違って、互いに遠慮も気遣いもいらない無二の友人だ。

 わずか一年で帰国するのが本当に惜しかった。

 その時にクラウスと恥ずかしげもなく再会の約束をしたことは今でも思い出せる。

 あれからもう四年、ようやくそれが果たされる時が来た。

 

 

 

 

 

「……えっとこの人は?」

「察するに主ケントのご友人だろう」

「えっ!? ケントって友達いたの?」

「ヴィータ! 陛下に聞こえるわよ」

「……」

「よかったですねケント様」

 

 俺に続いて馬から下りていたらしいティッタ、守護騎士、イクスは後ろでそんなことを言っている。ところで誰か、ヴィータに人には言ってはいけないことがあると教えてやってくれないか。さすがに俺も頭にきている。

 一方、クラウスは不思議そうに彼女たちを見ている。側付きの従者にしては気安すぎると思っているのだろう。

 

「……えっと、この方たちは?」

 

 だが、聞きたいことがあるのは俺も同じだ。

 

「お前の隣にいる美しいご令嬢はどなただ?」

 

 クラウスの隣には、金髪をリボンとキャップで後ろに結んだ美少女がいた。

 緑の右眼と赤い左目の虹彩異色(オッドアイ)を見るに、どこかの国の王女であることは見て取れる。

 今まで俺たちを見守っていた少女は俺の視線に気付き、笑みを浮かべてくれた。

 それから少女は籠手で覆われた両手でドレスの端をつまみながら一礼し、名乗った。

 

「お初にお目にかかります。クラウス王子殿下の供としてシュトゥラより参りました。オリヴィエ・ゼーゲブレヒトと申します」

 

 ――ゼーゲブレヒトだと!

 俺は自分が目を見開いたのを自覚する。

 宰相や高官たちは、クラウスやオリヴィエがこの国に到着した際に彼らと顔を合わせているはずだが、その姓を聞き、改めて息を飲む者もいた。

 かたや、守護騎士をはじめ俺の連れは何も知らないのだろう。反応が返ってこない。

 ――おっといけない。

 俺は我に返ってから、右手を自分の左胸に当てて口を開く。

 

「失礼した。私はケント・α・F・プリウス。このグランダム王国の国王位についている。クラウス王子とオリヴィエ殿の来訪を心より歓迎させてもらおう。どうかここを自分の住まいだと思って、心ゆくまでくつろいでほしい」

 

 

 

 

 

 

 それから俺たちは一旦クラウスとオリヴィエの二人と別れて、自室で身体を拭いて汚れを取り、私服に着替えてから城の中央に設けてある中庭で合流を果たし、改めて俺が連れている者たちを紹介した。

 守護騎士たちは名と身分を明かすだけで済んだのだが……。

 

「アタ、私はティッタ・セヴィル……です。おにい、ケント陛下の騎士見習いで――」

 

 ティッタは俺の妹にあたることを伏せて、騎士とだけ名乗ろうとしている。俺はそんなティッタの隣に立って……

 

「俺の妹だ。ついこの間対面したばかりでな、今後は専属の騎士として俺の側につけるつもりだから、クラウスたちとも会う機会が増えるだろう。どうかよろしく頼む」

「やっぱりそうか! 瞳の色を見てそうじゃないかと思っていたよ。僕はクラウス。ケントとは一年間机を並べていた間柄になります。僕の立場は忘れて、兄君の友人として気兼ねなく話してください」

「オリヴィエです。私の事も、お兄様のご友人が連れてきた従者として接してください」

「そ、そんな、アタシなんかに……えっと、光栄です」

 

 二人ともティッタの口調や俺の説明から事情を察したのだろう。しかし、クラウスもオリヴィエも気にもとめる様子を見せず、クラウスはティッタに右手を差し出し、ティッタも彼の腕を握り返す。

 そして今度はオリヴィエと握手を交わし……。

 

(――あれ? この手ってもしかして)

 

 オリヴィエの手を握ったティッタは、何かに気付いたように固まった。

 その一方、ティッタの手を握るオリヴィエは、ティッタを温かい目で見守るのみだった。

 残るは……。

 最後の一人となったイクスは、ビクビクしながら俺の方を見る。

 

《大丈夫だ。俺の友とその友人を信じろ。お前の事情は後で俺が話す……先史時代のことは伏せておくが》

 

 俺が思念通話でそう伝えると、しばらくしてからイクスは意を決し、少しずつクラウスたちの方へ進み出て、服のすそを掴んで一礼し二人に自己紹介した。

 

「イクスヴェリアです……一応今でもガレア王国の国王ということになってます。今後ともどうかよろしくお願いします」

「――君が」

「――!」

 

 《冥府の炎王》と呼ばれるガレア王の話は聞いたことがあるのだろう。二人ともさすがに驚きを隠せない様子だったが、オリヴィエはすぐに笑顔になり……

 

「オリヴィエ・ゼーゲブレヒトです。こちらこそよろしくお願いしますね、イクスヴェリア陛下」

「失礼しました。シュトゥラ第一王子、クラウス・G・S・イングヴァルトと申します。初めまして陛下」

 

 挨拶を返すオリヴィエを見て、クラウスも右手を左胸に当てて自己紹介を返してくれる。

 それを見届けて……。

 

「これで一通り顔見せは終わったかな。じゃあ……」

「いや……」

「こちらからまだ紹介していない人がいます」

 

 ……?

 俺を遮ってクラウスたちは首を横に振り、そう言ってくる。

 ここにいる九人はもう名前も素性も明かし終えたはずだが……。

 

「樹の上にいる御仁か。やはりクラウス殿たちの知己であったか」

「……?」

 

 シグナムの言葉に俺をはじめ何人かが訝しんでいると、クラウスたちとシグナムはおもむろに樹を見上げ、オリヴィエは樹の上に向かって声を張り上げた。

 

「エレミア! そろそろ降りてきてケント様たちに挨拶しなさい!」

「ごめん! 僕も降りようと思っていたんだけど、すっかり時機を逃がしちゃってさ」

 

 オリヴィエが樹の上の方に向かって声をかけると、樹の上から声が返ってきた。

 

「――っと!」

 

 その直後に俺たちがいるところより、少し離れた場所へ黒服を着た人物が着地した。

 

「――なっ!?」

「――まあ!」

「えっ?」

 

 俺たちが驚いてる間も、黒服の人物は服を手ではたいてからこちらに体を向けた。

 長い黒髪を後ろに結び、黒服の上に黒いマントを羽織った少年だ。

 彼は喉の下あたりに右手を当てて一礼してくる。

 

「ヴィルフリッド・エレミアと申します。各国をめぐりながら学問を学んでいて、今はシュトゥラ学術院で講師のお手伝いをしています。よろしくお願いします、ケント国王陛下にお連れの皆様」

「私の友人が失礼を。申し訳ありませんケント様」

「気ままな奴でね。許してやってくれ」

 

 こちらに挨拶しているエレミアの横で、オリヴィエが頭を下げて俺に謝り、クラウスが間に入ってくる。

 

「いや、出ていきたくてもそうしづらい空気だったのは確かだ。気にしないで――」

 

 俺はそう言って容認しようとしたが、

 

「……いや、それなら代わりに、こちらからも失礼を承知で尋ねたい。オリヴィエ殿、貴女の本当の立場を教えてもらえないだろうか。この中にはゼーゲブレヒトの名を知らない者もいるから、知らず知らずのうちにあなたに失礼を働いてしまうかもしれない。そうなる前に」

「えっ!?」

「オリヴィエさんって有名人なの?」

 

 俺が尋ねるとヴィータとティッタがそんなことを言い、エレミアが心配そうにオリヴィエの方を見た。片やクラウスの方は俺を信用して見守ってくれている。

 肝心のオリヴィエは俺の問いを予期していたのだろう、変わりのない笑顔で答えてくれた。

 

「はい。ケント様のお察しの通り、私は聖王連合に名を連ねるゼーゲブレヒト家の人間で、当代の聖王は私の父にあたります。もっとも私は継承権をなくして国を追い出された末席にすぎませんので、どうか皆様気兼ねなくお話してくださいね」

 

 

 

 

 

 オリヴィエ・ゼーゲブレヒト。正式な名は“オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト”。

 彼女こそのちに《ゆりかごの聖王》となって、俺――愚王ケントを討ち破りベルカの戦乱に終止符を打つ人物だ。

*1
現実の中世に実在したボローニャ大学とパリ大学は14歳から入学できたようでそちらをモデルにしてあります。なおシュトゥラ学術院は公式設定で名前だけvividで出てきます。



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第22話 ネフィリムフィスト

 グランダムの王宮へ帰還すると同時に四年ぶりにクラウスと再会し、彼が連れてきたオリヴィエ、エレミアと知り合って一週間。

 この城ではクラウスたちの逗留とティッタが加わったことによって、守護騎士への部屋の割り当ても大きく変わった。

 クラウスたちは各自一人ずつ客室に、ヴィータはシグナムたちの部屋から出て行く形でティッタと二人部屋に、ザフィーラもガレア戦の最中に親しくなったという門番兵と相部屋に、といった形にそれぞれが収まった。

 

 変わったのは城だけではない。

 悪名高いガレア王国に勝利したことで、グランダムは防衛力が高い国として商人やギルドから信頼されるようになり、各国との交易や国外からの旅行客が増え始めにぎわいを見せるようになった。

 しかし、その水面下では燃え残った戦の残り火が人知れず王国を再度危機に陥れようとしていた。

 俺は朝早くから自室にこもり、その危機に対処するため、ある紙片に目を通していた。

 その紙片は王国の危機を察知したある者たちが王宮に送り付けてきたものだ。彼らも彼らなりにこの国を案じた末に行動を起こしたのだろう。

 だが、とてもすぐうなずける内容ではない。

 長い間思案した末に途方に暮れた俺は、中庭へ行って少し小休止をしようと部屋から出ることにした。

 

 

 

 

 

 

 ところが中庭に向かう途中で練兵場から大きな歓声が聞こえてきて、俺は自然とそちらへ足を向けた。

 そこでは……。

 

「はああっ!」

「くっ!」

 

 ヴィータが叩きつけた槌を、ティッタが大剣で受け止める。

 ティッタはその大剣で槌を弾いて、剣を大きく振りかぶった。

 

「お返し!」」

「パンツァーヒンダネス!」

 

 そのままティッタは剣を振り下ろすが、ヴィータは赤いシールドを張ることで攻撃を防ぐ。

 しかしティッタは攻撃を止めず、ヴィータを守るシールドに剣を何度も叩きつける。

 

「はぁ! セイセイセイ!」

「――ぐっ!

 

 ティッタの大剣を何度受けても、ヴィータのシールドはびくともしない。しかし、ヴィータは心なしか辛そうに見える。

 

(シールド越しでもくらくらしやがる。震動付与って固有技能のせいか)

 

 そしてついにヴィータのシールドが壊れた。

 

「セイッ!」

 

 自身を守るものがなくなりガラ空きになったヴィータを、ティッタは渾身の力を込めて斬りつける。

 

「ぐあっ!」

 

 鎧越しとはいえ剣で斬られたことと震動付与による衝撃を受けて、ヴィータはたまらずのけぞりかけるも、

 

「なめんな!!」

『Raketenform. (ラケーテンフォルム)』

 

 体勢を立て直したヴィータが槌を振ると、槌の柄から球が飛び出し頭から棘が出てきた。

 

「――ちょっ! 模擬戦でそれ反則――」

「うっせえ! でりゃああああ!!!」

 

 ヴィータが振りかぶった棘付きの槌がティッタの腹に直撃し、ティッタは崩れ落ちかけるがなんとか踏みとどまる。

 

「――まだまだ!」

 

 

 

 両者が繰り広げる激闘に、まわりで見ていた兵たちから大きな歓声が沸き起こった。

 

 

 

 ここで戦っているのはヴィータとティッタだけではない。

 

「せやああっ!」

「はあっ!」

 

 オリヴィエが振り下ろした剣を、シグナムも剣で受け止める。

 攻撃を受け止められたことでオリヴィエは一瞬だけ動きを止め、その隙をついて切り返してきたシグナムの剣がオリヴィエに当たりかけるが、オリヴィエはギリギリのところで剣を前に突き出しかろうじて受け止める。

 

(強い。ここは()()を使わないと勝てそうにありませんね)

 

 

 

 ヴィータたち同様、こちらの戦いを見ていた兵たちもまた大きな歓声を上げた。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女らの模擬戦を、俺たちは練兵場の隅で見ていた。

 ついさっきここに来た俺と、オリヴィエについてきてほとんど最初からいたらしいクラウスとエレミア、ザフィーラ。そしてうちの兵士たちまで鍛錬の手を止めて二組の模擬戦に見入っている。

 ここでクラウスは俺に気が付き、片手を上げて声をかけながら足を進めてくる。

 

「やあケント、仕事はもう終わったところ?」

「行き詰まって進めようがなくなったのを終わったと言えるならな。気分を変えるために城の中を散策していたところだ。そこを……」

 

 俺は興奮に沸いているまわりの兵士たちを親指で指した。

 クラウスも彼らを見て苦笑する。

 

「これだけ盛り上がっていれば気になって見てみたくもなるか」

「こうして王が視察しに来ても気を引き締めるどころか、誰一人気にとめる様子も見せない。嘆かわしいな。真面目な騎士たちを部下に持つお前が羨ましい」

「仕方ないですよケント陛下。四人ともすごい戦いを見せてますし」

「それにヴィータたちやオリヴィエ殿が戦いを繰り広げている側で鍛錬など続けようものなら、巻き込まれて大怪我を負ってしまいかねませんからな」

 

 嘆息する俺のもとにエレミアとザフィーラがやってきて、兵士たちを擁護した。

 確かに二人の言い分はもっともだ。

 

 

 

 

 

 ガレア戦から帰国した後、本格的に軍事教練を担当することになったシグナムに加え、最近はヴィータも練兵場に足を運び兵たちの指導に加わるようになった。

 練兵場に来るようになってからヴィータは面倒見の良さを見せるようになり、ある状況に陥った場合どんな魔法を展開するか、突撃を仕掛けてきた敵兵に対してどう対処するか、といった戦い方を新兵たちに教えこんでいった。

 以前、俺はヴィータにも兵の指導をしてくれないかと頼んだことがあったが、正直まさかここまで教官ぶりが板につくとは思わなかった。

 ただ問題もある。シグナムと違い、ヴィータは加減がうまくできないため、彼女と模擬戦ができるのはティッタくらいしかいない。

 そこに今回シグナムとオリヴィエまで手合わせすることになったため、練兵場は今、二組がしのぎを削る闘技場と化している訳だ。ザフィーラたちの言う通り、兵たちを鍛錬させたくてもできる状況じゃない。

 この分だと練兵場の増設も考えなければいけないな……頭が痛い。

 

 

 

 

 

「しかし、また意外な組み合わせだな。お前たちがザフィーラと一緒にいるとは」

「私も主ケント同様に喧騒が気になって、ここに足を踏み入れたところにクラウス殿たちと遭遇しましてな」

「せっかくの機会だからザフィーラ卿と話をさせてもらったところ、卿も素手の戦いを得意としているらしいと聞いてね」

「すっかり意気投合してしまいました」

 

 確かにクラウスは、歴代のシュトゥラ王族の例にもれず《シュトゥラ流》なる武術を修めていて、武装した重騎士相手でも素手で打ち負かせるほどの猛者だったな。この一週間の間にクラウスから聞いた話では、エレミアも先祖代々から伝わる武術の使い手とのことだ。

 なるほど、そこにザフィーラも加われば、格闘型で三人組(トリオ)が出来上がるわけだ。しかも全員男だからな、話も弾むに違いない。

 と思ったが、

 

「でも本当にすごい筋肉だね。僕も鍛えているつもりだったけど、ザフィーラ卿に比べればまだまだだな」

「なんの、クラウス殿はまだお若い。鍛錬を怠らなければもっと伸びますよ。ただむやみに鍛えるのもよくない。良ければこの後、鍛錬の前後に効果的な体のほぐし方をお教えしましょうか?」

「本当か。ぜひ頼むよ!」

(殿下がザフィーラ卿みたいな筋肉つけてもヴィヴィ様困ると思うんだけどな。筋肉モリモリな人ってヴィヴィ様の好みじゃなさそうだし)

 

 ザフィーラとクラウスの話にエレミアは加わらず、黙って見守っているだけだった。上述の通りエレミアも武闘家だと聞いているのだが、彼は筋肉に興味がないのだろうか?

 そこでまた歓声が響いて、俺たちはまた模擬戦の方に視線を移す。

 

二組の戦いの内、シグナムとオリヴィエが闘っている方にエレミアは目を向けていた。

 俺が来るまではシグナムが優勢だったのだが、今ではそれが覆り、オリヴィエの方が攻めている。俺はオリヴィエの動きに感嘆するしかなかった。

 我が国で一二を争う守護騎士に対し、優勢に立つほど強いのも驚きに値する。

 しかしそれ以上に……

 

「すごい動きだな。とても義手とは思えない」

 

 一週間前この城の中庭で各自の自己紹介を終えた後、オリヴィエから彼女の腕が生身のものではなく人工的に作られた義手であることを明かされた。

 そこでようやく俺たちは、ティッタがオリヴィエと握手した時に何かに気付いたような反応の意味に気付いた。オリヴィエの手を握った瞬間に、ティッタは彼女の手が義手だと気づいていたわけだ。

 

 それもただの義手ではない。

 俺の知ってる義手は見た目だけを装う飾り腕か、戦に出る時に使う握力が強すぎる鎧籠手の二種類しかない。

 しかし、オリヴィエは自己紹介の際ドレスの端を掴んだり、その後普通に食事したり、こうして剣を握ったり、不自由なく生活しているように見える。いずれも繊細な動きと力加減が必要な仕草で、俺が知っている義手では不可能な所業だ。

 しかし、オリヴィエの義手はそれらを容易にこなしてみせる。

 驚くべきことにその義手を作ったのが……。

 

「僕が行ったことがある国々の中に、あれぐらいの義手を作れるほどの技術を持っている国があるんですよ。僕もあの国にあった義手や義足を見た時、とても驚きました」

 

 エレミアは俺の賛辞を受けて照れたように頭をかく。

 

「それを再現できる時点で、エレミアの腕も大したものだ。君さえよければもう少し長く滞在して、この国の職人にあのような義肢を作る技術を教えてくれないか。望むのなら王宮付きとして、このまま永住してくれても構わないぞ」

 

 俺からの半分本気の頼みに、エレミアは困ったように手を前に振った。

 

「あ、ありがたいお話ですけど、ヴィヴィ様やクラウス殿下に散々お世話になっておきながら、一度誘われただけであっさりよそ様へ転がり込むわけにはいきませんよ。それに僕自身も次代に技術や武術を伝承するために各地を旅しているので、現在も一か所に留まり続けているわけではないんです」

「そうか。残念だ。義肢もそうだが、ザフィーラもいい友達が出来たというのにな」

 

 誘いを断られて肩を落とす俺に、エレミアは手を合わせる仕草をする。

 

「本当にごめんなさい。ザフィーラ卿にも僕から謝っておきます。でも、義肢の方は義肢製作の技術を持つ国が近年周辺の国と貿易を始めたそうなので、他国でももう大都市には出回っている頃だと思います。聖王都とかダールグリュン帝都とか、後は『貿易都市リヴォルタ』にも」

「ああ、リヴォルタなら真っ先に輸入しているだろう。あの街は規模だけなら、聖王都や帝都以上と言われる都市だからな」

「ええ。本当に大きな街です。僕も初めて行ったときは迷子になったくらいで――!」

 

 エレミアはリヴォルタのことを話そうとしながら、戦い続けているシグナムとオリヴィエの方に視線を向けた途端、大きく目を見開いた。

 

(――あの動きは! まさか、ヴィヴィ様は今――)

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエから繰り出される怒涛の乱打に、シグナムは変わらず押されている。

 

(先ほどからオリヴィエ殿の太刀筋や技が読み切れなくなった。……まるで何人もの戦士の戦い方を体()()に覚えさせているように)

 

 何度か剣を交えてからオリヴィエは真後ろに跳躍してシグナムから距離を取り、シグナムもまた相手に向けて剣を構え、双方は再度対峙する。

 

「はっ!」

 

 今度、攻撃を仕掛けてきたのはシグナムの方だ。

 対するオリヴィエは表情一つ変えずシグナムを見据え、彼女の胴めがけてオリヴィエは剣を突き出す。

 だが、シグナムはすでに気付いていた。

 

(――予測通り!)

 

 自身に向けられる剣をシグナムは寸前でかわし、そのままオリヴィエに接近して一太刀浴びせる。

 今の一戦でシグナムは確信した。

 

(身体操作魔法か。オリヴィエ殿は反撃に際して、特定の技を自動的に返すように設定しているのだろう。おそらくはあの腕に……だが)

 

 今度はオリヴィエの方から斬りかかるが、シグナムは最初の剣筋を見ただけでその一撃を避ける。剣がどう振るわれるか、シグナムにはもうわかっていたのだから。

 

「はああっ!」

「ぐあああ!」

 

 剣を避けられて隙を見せるオリヴィエの腹に、シグナムは剣を突き立てる。

 あまりの衝撃にオリヴィエが着ていた鎧は大きな亀裂が走り、そのまま砕けた。

 

(設定したいくつかの動きの(パターン)を読んでしまえば、回避も反撃もたやすい。その上、身体操作魔法は判断から初動までに、ごく一瞬の時間差が生じる。それは近接戦において致命的だ。もうその技は私には通用しない)

「――ぐっ」

 

 オリヴィエは膝から崩れ落ち、腹を抑えて苦痛にうめく。

 傍目にはもう勝負は決まった。だが歓声は起こらない。急所に一撃喰らい、屈みこむオリヴィエの姿があまりに痛々しいから。

 今までオリヴィエたちと並行して戦っていたヴィータとティッタも、勝負の手を止めてそちらを見入っていた。

 

オリヴィエ!

 

 苦痛にうめくオリヴィエにクラウスが声をかけ、彼女のもとまで駆けよろうとする。

 だが、当のオリヴィエは手を突き出して、クラウスの助けを拒絶した。

 それにはシグナムもさすがに当惑の色を見せる。

 

「オリヴィエ殿、もうそれ以上の勝負は無理だ。大人しく負けを認められよ」

「いいえ、まだ終わっていません!」

「――!」

 

 シグナムは目を見開く。

 今まで痛みにうめき。足を曲げていたオリヴィエが再び立ち上がっているからだ。

 だが、それは奇妙な姿だった。

 オリヴィエの顔は今も苦痛に歪んでいる。

 しかし、体の方は深手を負ったのが嘘のように、平然と立ち上がって剣を取り構えまで取っている。

 

「オリヴィエ殿、まさか体全体に身体操作を――」

「このくらいならまだ戦えます。私はまだ負けてない!」

やめろヴィヴィ様! 《ネフィリムフィスト》はそんな風に使う技じゃない!

 

 オリヴィエに向かってエレミアは悲痛な叫びをあげるが、もう遅い。

 オリヴィエの体はすでに剣を掲げてシグナムに一歩踏み込み、その振動で激痛が走り、オリヴィエの表情は一層歪む。

 

「っ……行きます!」

(ちっ、もはや自身でも止められないのか。ならばせめて一撃で昏倒させて彼女を止めるしか)

 

 向かって来ようとするオリヴィエを見て、シグナムも剣を構えた。

 そこへ――

 

「フライングムーヴ」

 

 技能を発揮した途端、俺以外の動きが緩くなる。

 シグナムもオリヴィエもそれ以上動くことはない。

 その間に俺は急いでオリヴィエのもとまで走り、彼女の手から剣をはたき落とす。

 そしてオリヴィエを羽交い絞めにして、技能を解除した。

 

「――主!」

「えっ、ケント様!? 一体いつの間に」

 

 突然現れてオリヴィエを拘束している俺に、シグナムも、オリヴィエも、周りの観衆も皆驚いている。

 

「ケント……まさかあの固有技能を使ったのか?」

 

 そんな中、俺の固有技能を知っているクラウスは呆然と呟いた。

 一方、俺の方は武器を失ってなおシグナムの方に向かおうとするオリヴィエを押さえ続ける。腕に柔らかいものが当たってるが気にする余裕はない。

 

「オリヴィエ、はやくネフィリム何とかという技を止めろ! 抑え続けるの結構きついんだよ」

「あっ! は、はい、今すぐ」

 

 オリヴィエがそう答えた途端、彼女の体から力が抜けてそのまま静止する。

 それを確かめて俺はようやく彼女の体から手を離し、腕を掴みながらゆっくり地面に座らせた。

 

「す、すみません、お見苦しいところを。それとありがとうございましたケント様」

 

 謝るオリヴィエに俺は片手を上げて応じる。

 本人の意思に反して動くオリヴィエを抑えるのは本当に大変だった。

 この時代に生きる一般大衆の間では失われた知識だが、人間には使うことのできる力を抑えるリミッターが備わっていて、本来出せる力の2割ほどしか普段は使えないらしい。それ以上の力を常に出していたら、体に大きな負荷が生じ自らを傷つけてしまう。身に危険が迫った時などに一時的にリミッターが外れ、本来の力を発揮できるようになった例もあるらしいのだが。

 しかし、ネフィリムフィストとやらは使い方次第でそのリミッターを緩めたり、外したりすることもできるらしい。細身のお姫様でも俺なんて簡単にふるい落とすことができるほどに。

 クラウスがザフィーラに憧れる気持ちが分かった気がする。

 

「オリヴィエ、大丈夫か!?」

「ヴィヴィ様!」

 

 座り込むオリヴィエにクラウスとエレミアが駆け寄ってくる。

 クラウスに抱きかかえられながら、オリヴィエは二人に向けて苦笑いを浮かべた。

 

「ごめんなさいクラウス、リッド。ちょっと熱が入りすぎちゃいました」

「ちょっとじゃないよ! 殿下やみんなに心配かけて。しばらくネフィリムフィストは禁止だからね! 師匠命令です」

「とにかく今は一刻も早く傷の治療をしないと。ケント、この城に医者はいるか? いるのならその医者がいる場所まで案内してくれ」

「ああ。腕利きの医者が二人もいる。ついて来てくれ」

 

 医務室まで案内しようと先を行く俺に、クラウスたちだけでなくシグナムも続いた。

 

「主ケント、私も連れて行ってください。戦いを挑まれたとはいえ、オリヴィエ殿に怪我を負わせたのは私です。せめて彼女をシャマルに預けるまでは」

 

 オリヴィエが負傷したのがシグナムのせいとは俺は思わない。どちらかといえば身の危険も顧みず、無茶な技の使い方をしたオリヴィエの往生際の悪さが引き起こしたことだ。

 しかし、シグナムにそこまで言われては俺も突っぱねることはできず、シグナムを含めた俺たちは負傷したオリヴィエを連れていくために、シャマルとイクスのいる医務室へ向かった。



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第23話 医務室

 俺とクラウスとエレミアとシグナムは、模擬戦で負傷したオリヴィエの怪我を診てもらうため、彼女を連れて城内にある医務室を訪れていた。

 

「そんなことがあったんですか。いけませんよオリヴィエ様。模擬戦というものは日ごろの鍛錬の成果や課題、改善点を見つけるために行うもので、互いの優劣を競うためのものじゃありません。ヴィータちゃんやティッタちゃんと違って、オリヴィエ様とシグナムはそんなことを起こさないでくれると信用していたのに――」

「すみません」

 

 他国の姫に対しても臆せずくどくど説教してくるシャマルに対し、オリヴィエは素直に耳を傾ける。

 

「――以上です。今度同じことを起こしたら練兵場へは出入り禁止にしてもらいますから。そういうことになりましたので、よろしいですね陛下?」

「……あ、ああ」

 

 シャマルはオリヴィエに向けて一方的に宣告しながらも、城主である俺に確認を取ることは忘れなかった。それはいいことだが、口をへの字に曲げながら話を向けられたのでなぜか俺まで怒られた気分だ。

 なるほど、以前ヴィータがこぼしていた通り本当に小うるさいな。オリヴィエもすっかりたじたじになっている。

 

「じゃあ治療を始めましょうか。では陛下とクラウス様とエレミアさんは早く出て行ってください」

 

 一通り言いたいことを言い終わったシャマルは気を取り直して俺たちに退出を命じる。

 しかしクラウスは、

 

「えっ!? どうしてだい? オリヴィエの体に大事がないか確かめるためにも、僕はこのまま――」

 

 ああ、こいつはそういうところで機転が利かない奴だったな。

 シャマルの指示に反発するクラウスの姿に俺は学術院の頃を思い出す。

 そんなクラウスにシャマルは声を荒げた。

 

「その体を診るためにオリヴィエ様にはこれから服を脱いで頂きますから、男性陣は早く出て行ってください!」

「あっ! す、すまない。ケント、リッド、僕たちは出て行こう」

「ああ」

「あ、はい」

 

 シャマルに一喝され、退出するよう指示された理由に気付いたクラウスはオリヴィエに背を向けて医務室から出て行こうとし、俺もエレミアもクラウスに続こうとする。

 そこへ……

 

「あれ? エレミア様も出て行かれるんですか? エレミア様なら問題ないと思いますけど」

 

 後ろからかけられた声に気付いて立ち止まり振り返ってみると、俺たちに声をかけたのは、助手としてシャマルの手伝いをするようになったイクスだった。

 

 

 

 

 ここでイクスの現状についても説明しよう。

 イクスは形式上、未だガレア王国の国王のままでいるが、政治的不備を抱えたガレアの主権をグランダムに預け、自身は政治や社会、国家運営について学ぶためにこの城に逗留していることになっている。宰相たちからすれば実質的には、ガレアの裏切りを防ぐために囲んだ人質という形だが。

 この城に来たばかりの頃は、イクスも守護騎士たち同様平時の仕事がまったくなく、部屋で過ごすだけの状態だったが、城を散策している途中で偶然通りがかった医務室でガレア戦にて負傷した兵士たちを見つけて、罪悪感を思い出したイクスは彼らの内一人の手を握っていると、なんと彼の傷がみるみる治っていったという。

 それ以来、イクスは毎日のように医務室に通うようになり、自ら負傷兵の救護を買って出るようになった。そのため、元々衛生兵のような仕事を頼んでいるシャマルの助手として、イクスを彼女の側につけることにした。

 なお、イクスが起こした治癒の現象についてはシャマル曰く、イクスの体内にあるマリアージュコアを生成する母体コア《冥王核》が引き起こしたものではないかとのことだ。

 マリアージュの生成は死体の中にコアを埋め込むことで行われる。傷だらけだった死体が傷一つない生物兵器(マリアージュ)にだ。それは言い換えれば、傷だらけの死体を蘇生させ、健在だった状態まで治しているとも言える。つまり、本来はマリアージュを生成する過程で起きるはずの治癒という現象だけが、イクス越しに冥王核の近くにいた負傷兵の身に起こっていたのではないか。というのがシャマルの仮説だ。

 もっとも、仕組みは治療魔法と似ており単純に才能があるだけとも言えるため、当のイクスにはそう説明しているが。

 

 

 

 

 

 だから俺たちが怪訝に思ったのは、イクスが医務室にいることではなく、彼女が言ったことについてだった。

 

「エレミアはここにいていいのか? ……まさか、エレミアとオリヴィエってそういう関係だったのか?」

「馬鹿を言うなケント! そんなこと僕は今まで一度も聞いたことがない。……聞いたことはない……ないのだが……」

 

 完全には否定しきれないのか、クラウスの語気は次第に弱くなっていく。そこへシグナムが、

 

「おや、主ケントとクラウス殿はまだご存知ではなかったのですか? エレミア殿はおそらく――」

「さ、さあ、僕たちは治療の邪魔ですからもう出て行きましょう! 殿下も陛下も早く!」

 

 シグナムの言葉を遮って、エレミアは俺とクラウスの手を引っ張り外へと連れ出した。

 

 

 

 

 

 

 エレミアがケントとクラウスを外へ連れて行って、医務室には女性陣だけが残った。

 

「……ケント様とクラウス様、すごい誤解しちゃってたけど、これって私のせいですよね。ごめんなさい」

 

 気まずそうにイクスはオリヴィエに頭を下げる。

 オリヴィエは手を振ってイクスをなだめた。

 

「いえ、気にしないでくださいイクス様。エレミアがシュトゥラに来たばかりの時もそう思われていたことがありましたから(それに誤解されたままでも失うものはありませんしね。()()()()()()()())」

 

 一方、シャマルの方は二人の話についていけずに首をかしげていた。

 

「……えっと、エレミア様はオリヴィエ様の恋人というわけじゃないの? それなのにここに残ってもいいって……どういうこと?」

「シャマル、お前までまだ気付いていないのか。エレミア殿は――」

 

 シグナムは呆れた様子で肩をすくめながら、シャマルにエレミアに関するある事実を明かす。

 その直後――

 

 

 

 

 

 

えええええええええ!!

 

 突然医務室の方からつんざくような悲鳴がして、俺とクラウスは勢いよくそちらの方を振り返った。

 

「今の悲鳴はシャマルのものか」

「まさか賊か。こともあろうに、オリヴィエが負った傷の手当てをしている時に」

「あっ! いやそれは多分――」

「行くぞケント! 負傷者を狙う賊など許しておけん」

「ああっ!」

 

 賊を捕縛するべく、クラウスに続いて俺も医務室へ踵を返す。

 

「待って二人とも! 今はヴィヴィ様が――」

 

 エレミアがなぜか静止しているが、構わずクラウスは医務室の扉の取っ手に手をかけ、俺も腰に差した剣に手をかける。

 

「「大人しくしろ!」」

 

 扉を開けたクラウスと剣を抜いた俺が医務室に踏み込むと、そこにはシグナムとシャマル、イクス、そして、すでにドレスを脱いでいて下着姿になっているオリヴィエがいた。

 ……あれ? おかしいな、彼女たち以外誰もいないぞ。

 訝しむ俺たちの後ろにいるエレミアの方からため息が聞こえる。その吐息には呆れが多分に含まれているように感じた。

 

「「「……」」」

 

 シグナム、シャマル、イクスは無言で固まっている。

 残る最後の一人は、

 

「……」

「オ、オリヴィエ、いけませんよ。淑女たるものそんな恰好のまま男の前に出てきては」

 

 オリヴィエは悲鳴も上げず、下着姿になっている自分の体を隠すこともせず、顔を伏せてクラウスの方へにじり寄ってきた。

 オリヴィエの体は起伏は緩やかだが、気になるような跡が一つもない白くて美しい肌だった。整った容姿も相まって人を魅了させるには十分だ。しかし、腕だけは無機質な金属がむき出しになっており、それが見ていて痛々しく……今はとても恐ろしい。

 オリヴィエは顔を上げる。

 彼女はいつものように慈愛に満ちた笑顔を見せていた。

 

「クラウス」

 

 そんな彼女から出た言葉は、

 

「歯を食いしばってください」

 

 そう言ってオリヴィエは金属の腕を大きく振りかぶり、クラウスの顔を思い切りぶん殴った。

 クラウスは声一つ上げずその場に倒れ伏す。

 それを見て……

 

「お前たちに何事もなくてよかった。ではエレミア、俺たちは戻って――」

 

 俺は踵を返してそうエレミアを促すが、エレミアは立ちふさがって先へ通してくれない。

 

「陛下、ここまで来て陛下だけ逃げて終わりというのは、裸を見られたヴィヴィ様や、そのことでしっかり罰を受けた殿下に対して義理を欠いているのではないかと」

 

 エレミアの険しい瞳には、俺と後ろで佇んでいる半裸の(オリヴィエ)が映っている。

 俺は恐る恐る振り返ると、

 

「安心してください。痛みを感じる前にトビますから」

 

 笑顔のまま金属の腕を振り上げている鬼が目の前まで迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 

 気絶したままのクラウスを医務室の前にある椅子に寝かしつけておき、俺とエレミアは休憩室で休んでいた。

 休憩室の名の通り兵たちが休むための部屋で、普段は多かれ少なかれ兵たちが出入りしている場所だが、今は運良く俺とエレミアしかおらず、オリヴィエに殴られた箇所を冷ますには都合がいい。

 

「痛てて」

「大丈夫ですか陛下?」

 

 エレミアは薬を染み込ませたガーゼを俺の顔に当てながら、温かい言葉をかけてくれる。

 オリヴィエの言葉に反してあの一撃は痛かった。金属の塊を顔面にぶつけられただけになおさら。

 クラウスの方は本当に意識を失うくらい容赦なく殴られたようだが、俺に対しては多少お情けをかけてくれたらしく気絶するくらいではなかった。

 その代わり俺はこうして今も痛みに苦しんでいるが、それを幸運ととらえるか不幸ととらえるかは、人によって意見が分かれる所だろう。

 しかし、俺の横で手当てをしてくれているエレミアはクラウスや俺と違って、デコピン一発も加えられることはなかった。その上他の女性陣もそのことに関してはまったく口出ししてこない。やっぱりオリヴィエとエレミアってデキてるんじゃないか。身分の差とかで大っぴらにできないだけで。

 そのエレミアはガーゼが乾いたのに気づいて、乾いたガーゼを薬瓶に漬けようとしているが、

 

「あれっ? 詰まっちゃった――」

 

 瓶の中でガーゼが詰まったらしく、エレミアはそれを取り出すのに悪戦苦闘している。

 この型の瓶は先が細く、こういうことが結構あるらしい。普段は使用を避ける型なのだが今日はこれしかなかったのか、それともオリヴィエの半裸を見たことへのシャマルからの意趣返しか。

 

「よし、あとちょっと……あと少しで取れ――わあっ!」

 

 細い瓶先からガーゼを出すことができたものの、勢い余って瓶の中身をぶちまけてしまい、エレミアの服は薬液まみれになってしまった。

 

「エレミア、大丈夫か?」

 

 声をかける俺にエレミアは少しの間、自分の体を見まわしてから答えた。

 

「大丈夫です。ほとんど服にかかったようで、幸い髪や顔にはかからなかったみたいですから。これなら服さえ着替えれば」

 

 それはよかった。目に入ったりしたら大変だからな。

 ……しかし服か。

 俺もエレミアの事は言えない。ここまでの間に襟は曲がっているわ、上着は皺だらけだわ、色々大変なことになっている。せめて襟くらいは正さないとな。しかしエレミアしかいないとはいえ人前でいじるわけにも。

 俺がそんなことを悩んでることも露知らず、エレミアは懐に手を伸ばす。ちょうどそこで。

 

 ――そうだ! 固有技能で時間をほとんど止めて、その間に襟も皺も正せばいい! そうと決まれば……

 

Installieren(インストリーレン)

 

 エレミアは媒介を使って魔導着に着替えているらしい。その間に俺も、

 

 フライングムーヴ――えっ!?

 

 その()()エレミアは着替えを終える。今までと服の意匠は変わらない。色が緑になっただけだ……しかし、そんなことよりも、

 

「エレミア……お前って女だったのか?」

 

 確かに見えた。オリヴィエと変わらないくらい少し膨らんだ胸と、その下の何もついてないところが。

 そうか、女だったのか。どうりでオリヴィエと仲が良く、半裸を見ても怒られなかったわけだ。

 

「――えっ!? もしかして、気付いちゃったんですか? 今まで気付いてなかったのに、一体どうして?」

 

 ……言えない。エレミアの体を見たなんて言ったらまた殴られる。今度は手当てを手伝ってくれないどころか、薬ももらえるかも怪しい。

 

「少し動きが気になってな。もしかしたらと思ったんだ」

「そうだったんですか。最初は隠すつもりはなかったんですが、成り行きで今はこうしています。でも武術家としては、動きだけで性別を悟られるなんて問題かもしれませんね。しかし、さすがは闇の書に選ばれたグランダム王、すばらしい慧眼をお持ちです。感服しました!」

 

 俺の内心も知らず、エレミアは尊敬のまなざしでこちらを見ている。

 

「い、いや、ほとんどあてずっぽうだったんだ。多分エレミアの動きに問題はないと思うぞ」

 

 本当の事は絶対言えないやつだこれ。

 ここは早く話題を変えた方がいい。

 ……だが一つだけ気になっていることがある。

 

「クラウスはこのことを?」

「うーん、どうなんでしょうね? 気付いてて素知らぬふりをしてくださってるんだと思いますけど」

 

 エレミアは腕を組みながら考える。

 だが俺の経験上、エレミアやオリヴィエが明かしてないとすれば、

 

「いいや、間違いなくクラウスは気付いていない。奴はそういう男だ」

「そうなんですか!?」

 

 もう気付かれているかもしれないと思っていただけにそう断言されたのは意外だったのだろう、エレミアは驚いた様子を見せる。

 そんな彼女に俺は説明する。

 

「ああ。クラウスはあの通り男前でモテるんだが、人一倍鈍い男でもあってな。まわりの女子(おなご)から寄せられる好意に気付くことはまったくなかった」

 

 

 

 あれは忘れもしない、シュトゥラ留学中に起きた出来事だ。

 ある日、学術院で注目の的だった令嬢が俺に声をかけてきた。何でもない風を装ってはいたが、心の中で俺は躍り上がっていた。あの令嬢には俺も夢中だったからな。

 その令嬢が俺に言ってきたことは俺への告白――ではなく、クラウスが好きな食べ物は何か、趣味は何か、休日の過ごし方、全部クラウスに関する質問だった。

 俺はその問いにわざとでたらめを吹き込んでやった。

 それが功を奏したのか、その令嬢からの好意にクラウスが微塵も気付かなかったためか、二人が付き合うことはなかった。それは今もクラウスが独り身でいるのを見ればわかるだろう。

 俺はといえばその時の怒りをバネに、しばらく剣の鍛錬に打ち込んだ。

 模擬戦でクラウスを叩きのめせると考えたら鍛錬に身が入ったな。

 まあ、そのおかげで俺は今まで生きてこられたのかもしれないし、クラウスもオリヴィエと仲良くなったのだから、双方とも結果的にはあれでよかったのかもしれない。

 だが、あの日の事を思い出したらどうしても腹が立ってしまうな。

 

 そう思っていたところで、エレミアはとんでもないことを口にした。

 

「ふぅん、手合わせの時とか結構触られてるんだけどな」

「――なんだと!? 一体どこを?」

「……? そりゃあ戦っていると当たることもあるでしょう。胸とか」

 

 ……やばい。久しぶりにクラウスという男に殺意を感じてきた。

 そこへ部屋の扉が開く音が聞こえてきた。

 

「ケント、もう顔は大丈夫かい? あれ、リッドはなぜ着替えてるんだ?」

「あっ、大したことじゃないんです。ちょっと服が汚れちゃって」

「俺ももう大丈夫だ。むしろ力が有り余っている。お前と久々に殴り合いの喧嘩がしたいくらいにな!」

「えっ!? 一体どうしたんだケント?」

 

 

 

 

 

 

 一方、医務室でオリヴィエはシグナムから模擬戦の事で謝罪されたが、自分も意地を張りすぎたと謝り返し、その後シャマルとイクスから治療を受けた後で、医務室の隅にあるしきりに囲まれたベッドに横になり、そこへイクスだけを呼んだ。

 

「ありがとうございますイクス様。イクス様とシャマルさんのおかげでもうすっかりよくなりました」

「いえ、私が望んでしていることですから。それよりお休みしなくて本当に大丈夫ですか?」

 

 オリヴィエの体を心配したイクスの申し出に、オリヴィエは首を横に振る。

 

「大丈夫です。もう痛みは取れましたし……それよりイクス様にお話ししたいことがあります」

「……先史時代についてですね」

 

 イクスの返した言葉にオリヴィエはコクリとうなずいた。

 

「わかりました。私が知っている限りのことを――」

「いいえ!」

 

 イクスが始めようとした話をオリヴィエは遮る。

 

「……あの、オリヴィエ様?」

 

 イクスは思わず首をかしげるがオリヴィエの目は真剣そのものだ。からかっている様子はない。

 オリヴィエは深く息を吸って口を開いた。

 

「イクス様、わたしはあなたに先史時代のことを話してほしいのではなく、むしろ逆です。これから先、あなたには先史時代の事を誰にも話さず、できればあなた自身忘れるようにお願いします。間違っても今後は先史時代の技術を戦に出そうとはしないように。それを破れば聖王連合は、あなたもガレアも一切の慈悲なく滅ぼしにかかるでしょう。

 ……それだけはどうかお忘れなきようイクスヴェリア陛下」 



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第24話 晩餐問答

 治療を終えて半日ほど、医務室で安静にしていたオリヴィエはもうすっかり傷も癒えたようで、いつものように快活な姿を取り戻した。

 しかし、今日でクラウスたちが滞在してもう一週間になる。そろそろシュトゥラに帰国しなければいけないらしい。

 そこで今夜はクラウスとオリヴィエ、加えて俺たちと同じ王族としてガレア王の肩書を持つイクスを招き、共に夕餉をとることにした。

 以前から今日か明日くらいでクラウスたちはこの国を発つだろうと目途は付けていたので、晩餐会を開く準備も可能だったが、彼らの方から丁重に断られた。俺と話したいことがあるから、なるべく人を増やさないでほしいとのことだ。まあ、話の内容は想像がつくが。

 

 

 

「ケント国王陛下、この一週間本当にお世話になりました。ぶしつけな来訪にも関わらず、我々を暖かく迎え入れていただいた城の皆々方、そして陛下には感謝の言葉もありません。今後とも、我が国は貴国とより良い関係を築いていきたいと考えています」

 

 乾杯――例によってイクスは果汁水――の後に、クラウスはいつもと違う口調でそんな口上を並べる。

 俺もそれに見合った返事を、

 

「なに、留学のために貴国へ滞在した時に、クラウス殿やお父君から受けた恩に比べれば……ククッ、やっぱりダメだ。クラウスその口調やめてくれ。どうしても笑いが……アハハハッ!」

 

 返そうとしたが、()()()噴き出すことで失敗する。

 

「おいケント! 人がせっかくそれらしい形式で謝辞を示そうとしているのに、お前という奴は」

 

 あらたまった口調で述べた謝意を笑われ、クラウスは当然のように憤慨してくる。

 悪いとは思うがこの後でする話を考えると、今くらいはくだけた雰囲気で話したい。

 

「でも、本当に楽しい一週間でした。ケント様のおかげで実りのある滞在になったと思います。このご恩は一生忘れません」

「楽しかったのは俺もだオリヴィエ。あれくらい一生の恩に感じてもらう程のことじゃない。むしろ医務室で俺とクラウスがしでかしたことと一緒に忘れてもらった方が――」

「お忘れになった方がいいのはケント様の方ではなくて」

 

 笑顔のまま右腕を掲げてすごんでくるオリヴィエに俺は戦慄を覚え、これ以上の言葉を引っ込めた。

 

《ケント、頼むからお前はもうこれ以上余計なことを言うな》

 

 クラウスの方からも、そんな意思がこもった念話と視線が飛んでくる。ただ、あの時先陣を切って医務室に踏み込んだのはクラウスの方だぞ。

 

「あはは……でも本当に楽しかったです。明日からお二人がいなくなると思うと寂しいくらい」

「それは私たちもですイクス様。私の方も今回の事でイクス様と親交を深めることができて、本当に良かったと思っています」

 

 別れを惜しむイクスにオリヴィエは笑顔を向けて、そう返してくれる。

 このなごやかな雰囲気を壊すのは本当に惜しい。特にイクスにはすまないとも思う。

 しかし、クラウスたちの方とてこのままシュトゥラに戻るわけにはいかないだろう。

 

「……なあクラウス、四年ぶりに俺に会ってお前はどう感じた? オリヴィエ、この一月この国に滞在してどうだった? そろそろ、お前たちの口から判定を聞いてみたいと思っている。どうなんだ? お前たちから見て俺は、このグランダムはどう映った?」

「「……」」

 

 食事を口に運ぶのをやめフォークをテーブルに置いて本題を切り出す俺に、クラウスとオリヴィエも表情を引き締めて各々フォークやナイフを置く。

 

「……えっ? えっと?」

 

 それにとり残されたイクスは俺と二人の雰囲気が変わったことに戸惑い、フォークとナイフを両手に持ったまま首を振り、それぞれを見比べている。

 

「グランダム王ケント。この一週間、私は貴殿と行動を共にし、あらためて確信することができた」

 

 クラウスの口調が俺の友としてのものから、シュトゥラ王子のものに変わる。

 この食卓を取り巻く空気は一気に張り詰めたものになり、俺の背筋には冷たい汗が流れた。

 昼間一緒にオリヴィエに殴られ、さっきまで軽口を叩き合っていたのが嘘のようだ。

 クラウスは神妙な顔つきで続ける。

 

「グランダム王……いやケント、お前は変わっていない。五年前、シュトゥラに来た頃と何一つ。

 父君を亡くし、その後を継いでからは自ら民や敵と向き合うようになり、彼らに対して新たに見せていくようになった顔や素振りはあるだろう。

 しかし、一度信頼した者を疑わず、味方となった者には彼らが望まずとも世話を焼かずにいられない所、一度負った役目を投げ出すことができないほどの責任感の強さ、そして少し間が抜けているせいでつまらない失敗をしてしまう所。

 一国の王となっても、ケント・α・F・プリムスという男の根元の部分はあの頃と全く変わっていない。違うか?」

 

 俺について一通り語って、クラウスは破顔する。オリヴィエも、

 

「お恥ずかしながら、私は最近までこの国の事を存じませんでした。

 クラウスから聞くのは、学術院で私より先に机を並べて学び合ったという親友のケント様の事ばかり。

 そのケント様のいる国の事は、グランダムという名前とシュトゥラの南にあるということぐらいしか、私の知識にありませんでした。そこが良い国なのか悪い国なのかさえ。

 しかし、今から一月前、私たちはシュトゥラ王の要請でこの国を訪れました。その頃、この国は戦時中で、皆が右往左往していた。けれど、宰相様をはじめ高官の皆様は嫌な顔ひとつ見せず、私たちを快く迎え入れてくださいました。さすがにお胸の内ではお邪魔だと思われていたでしょうけど。

 それからは、この城に滞在している間に度々王都の街に出て、住民の皆様とお話させていただきました。彼らは戦乱で不安な中を必死に、しかし、たくましく生活していて、その上、ほとんどの方が国王や国に不満を持っていない。

 だから、今ならはっきり言えます。ここは、あなたが治めるこのグランダム王国はとてもいい国です。

 シュトゥラにも、聖王家にも、胸を張ってそう報告できます」

 

 クラウスに続き、オリヴィエも笑みを浮かべた。

 一方、イクスはそんな二人の様子にきょとんとしているだけだ。

 しかし、クラウスは再び表情から笑みを消し、重々しくその口を開いた。

 

「だからこそ、私はシュトゥラの王子として、そしてお前の友として直に問おう。ケント、お前はこれから先も戦いを通して力を蓄え、いずれは闇の書という怪しげな魔導書を完成させるつもりか? もしその通りだとしたら、それを使って何をするつもりだ? 答えろ! 返答次第では、私はお前を討たなけばならなくなるかもしれない」

 

 クラウスの最後の一言に場の空気が変わった。

 この部屋の隅にいた衛兵たちのうち、ある者がクラウスを取り押さえようと迫り、ある者が上に報告するために慌ててこの部屋から出て行こうとしたからだ。

 そんな彼らを見て俺は立ち上がり、

 

「大丈夫だ! 話の途中でクラウス王子が例え話を持ち出しただけのこと。そうだなクラウス殿?」

「……」

 

 俺の問いかけに対し、クラウスは重々しい表情はそのままに、首だけを一度縦に振った。

 それを受けて、衛兵たちは迷いながらも渋々持ち場に戻る。

 そして俺は席に座りなおして息をつき、二三ほど数えるほどの間を置いてから、あらためて先ほどクラウスから投げられた問いに答える。

 

「最初に、今までの戦いについて弁解をさせてもらおう。ディーノとの戦も、ガレアとの戦も、相手の方から仕掛けられた戦いだ。相手から送られてきた宣戦布告まがいの書状などの証拠も取ってあるし、後者にいたってはここに証人もいる。そうだなガレア国王イクスヴェリア殿?」

 

 俺は情を捨ててイクスに話を向ける。

 それを受けてイクスは椅子から立ち上がりこわごわと、しかし、しっかりとした口調で答えてくれる。

 

「は、はい。ガレア、我が国とグランダムの戦は、闇の書を渡してほしいという私の要求から始まったことです。闇の書を誰の手にも渡らないように封印しようと考えての行いでした。でも、戦いが終わった後で、肝心の闇の書を封印する算段がろくに立てられていないことをシグナムさんから指摘されて……私のやったことは多くの人々の命を無為に奪っただけだったんです。ケント様、本当に申し訳ありませんでした!」

 

 そう言って深く頭を下げるイクスに、クラウスはあえて淡泊に手のひらを向けて、それ以上の言葉を押しとどめた。

 

「結構です。イクスヴェリア殿、席に座ってください。……ディーノはともかく、ガレアからの攻撃は私たちも承知している。グランダムに到着した時に宰相殿から事の仔細は伺ったし、我々もガレア兵と思われる集団から直接的に攻撃を受けたからな」

「――っ!」

 

 クラウスの説明に、イクスは肩をびくりと震わせる。

 そんなイクスにオリヴィエは気の毒そうな顔を向け何か言おうとしたが思いとどまったようで、結局何も言うことはなかった。

 クラウスは問いを続ける。

 

「ケント殿、貴殿の主張にはうなずけるものがある。今までの戦いは両方とも正当防衛だったと。そして闇の書は貴殿らを襲う敵から力を得て、完成に近づくことになったわけだ。ではもし、今後もディーノやガレアのような貴国に振りかかる火の粉を払い続け、その結果、闇の書が完成してしまった時に、貴殿はそれをどう使うつもりだ?」

 

 《闇の書》が完成した時か……。

 闇の書を使い聖王連合やダールグリュン帝国に成り代わってベルカを統一しろ、と父は口癖のように俺に言って聞かせていた。

 宰相や他の重臣の中にもそれを期待している者は多いだろう。そうでなければ父も彼らの意見を無下にはできず、とっくの昔にグランダムは連合か帝国のどちらかに与しているはずだ。

 だが俺は、

 

「俺は闇の書が完成したとしても……俺はそれを極力使わない! 我が国を侵そうとする者たちに対して使うことはあるかもしれない。抑止力として掲げることもあるかもしれない。でも、俺はベルカを無理やりグランダムに染めるつもりはないんだ。だから、グランダムに野心を持たない国、親交を結ぶ余地がある国にまで、闇の書の力を使うつもりはない。それが俺の答えだ!」

 

 申し訳ありません父上。

 心の中で父に詫びながら、クラウスにそう告げる。

 他国を侵略したり服従を強要するのではなく、相争う各国を仲裁することによって、ベルカの戦乱を終わらせたい。

 クラウスと知り合い友達になってから、俺の中にずっとその考えはあった。個人と個人の間で可能なことが国家と国家になった途端、不可能になるなんてことがあるはずがないと。

 でも、父を裏切るのが怖くて後ろめたくて、親不孝を働く自分が許せなくなりそうでずっと言えなかった。

 だが、そんなやましさを振り切って、俺はついに自分の考えをクラウスたちに告げる。

 

(闇の書が完成しても極力使わない……ケント様がそんなことを考えていたなんて……それを私があの時までに知ることができていたら)

 

 イクスは何やら遠い目で俺を見つめていた。その一方でクラウスたちは、

 

「理想論だな……だが、他国との友好を求めながら、自国を脅かす敵には毅然として対応する。王とは本来そうあるべきかもしれない。いずれシュトゥラの王になる身として、僕にも響くものがあったよ」

「ええ。私もクラウスと同じ意見です。私たち聖王家の礎を築いた始祖様も、元は大戦を止めるためにゆりかごに搭乗したと聞いています。結局は他国と戦うことになってしまったそうですが、ゆりかごを用いてまで戦を止めたいという始祖様の志はケント様と同じものだったのかもしれません」

 

 そう言ってクラウスとオリヴィエはやっと顔に笑みを戻した。

 

「オリヴィエ、聖王陛下から頂いたあの話、ケントになら持ち掛けてもいいかもしれない」

「はい。私もようやく踏ん切りがつきました」

 

 あの話? 聖王から?

 首をかしげる俺に、その聖王の娘であるオリヴィエが口を開いた。

 

「ケント様、実は私たちはシュトゥラを発つ直前に、聖王陛下……私の父からあることを頼まれています。

 強大な力を持ち始めたグランダムは、聖王連合にとって恐ろしい敵にも頼もしい味方にもなる。故にグランダムが聖王連合の味方になるよう、かの国の王を口説き落としてほしいと……

 もちろん、私たちとしてもあなたには良い味方であってほしいと考えています。

 ですから、どうかグランダムと聖王連合双方のために、そしてこの戦乱を終わらせベルカに安寧を取り戻すために、グランダム国王として聖王連合への加盟をご決断いただけないでしょうか?」

「グランダムが聖王連合に加盟……」

「もちろん、ガレアにも参加していただきたいと思っています。いかがでしょう、イクスヴェリア陛下?」

「ガレアも……本当にいいんですか?」

 

 オリヴィエの話す言葉の内容に、俺もイクスも驚愕する。

 聖王連合への加盟。それは俺がずっと考えていた、いや望んでいたことだった。

 クラウスがいるシュトゥラは、聖王連合を構成する国々のひとつだ。

 グランダムがその聖王連合に加盟するということは、加盟国の王として、クラウスと同じ目的を抱くということでもある。ベルカ全土にあまねく聖王の威光を敷くという目的を。

 ディーノ戦の前に、父に連合か帝国のどちらかに助けを求めるべきだと、進言したのもそのためだ。

 父なら王としてのプライドから帝国への従属は認められなくても、連合への参加なら一考せざるを得ないと思っていたから。もっともその予想は外れてしまい、我が国だけでディーノと戦う羽目になったが。

 それを思えばまたとない好機だ。以前の俺なら迷わずこの話に飛びついただろう。……しかし、

 

「イクス、お前はどう考えている?」

「――えっ!?」

 

 突然俺に話を振られたイクスは戸惑い、こちらを見る。

 

「えっと……すみません。私は政治の事とか連合とかまだよくわからなくて。だから、ケント様とオリヴィエ様たちのお話を聞いてからで構いませんか? ガレアはグランダムの保護国という立場に置かれていますし」

 

 イクスが俺にそう言うと、オリヴィエは俺の方を向いて改めて尋ねてきた。

 

「ではケント様、グランダムの王としてあなたはどうお考えですか?」

「ありがたい話だと思うよ。しがない独立国としては受けるのが妥当なのだろう。俺もそれはわかっている……しかし」

「何かご懸念がおありなのですか?」

 

 オリヴィエの問いに俺はうなずく。

 

「オリヴィエなら知ってるはずだ。おそらくクラウスも。聖王連合という言葉には二つの意味があることを」

 

 俺の言葉にオリヴィエもクラウスも表情を消す。やはりオリヴィエは当然として、クラウスも知っているに違いない。

 

「聖王連合という言葉の意味の内、ひとつは聖王家と同盟を結んでいるすべての国家。この枠組みの中にグランダムを入れてくれることについては、俺としてもまったく異はない。だが、聖王連合のもう一つの意味を考えた途端、連合に加わるのを躊躇わずにはいられない」

「……“中枢王家”の事か」

 

 クラウスの呟きに俺は「ああ」と肯定の言葉を返す。

 シュトゥラへ留学して以来、聖王連合への加盟を望むようになっていた俺は、父が亡くなり即位してすぐに連合に加わるべきかを考え、連合について調べた。

 そして俺は《中枢王家》と呼ばれる者たちの存在を知った。

 

「聖王と近しい血筋を持つ王家の面々。彼らは裏で自分たちが治める国だけが真の聖王連合だとうそぶいていると聞く。彼らにとって、それ以外の国は国力に関係なく属国扱い。それでは帝国と変わらない、いやそれを隠して国々を取り込んでいく分、帝国よりたちが悪いんじゃないか?」

「ですが、聖王連合は帝国のように自らの陣営に加わらないからと言って、他国を侵略したりはしません」

「そうだな。その代わり、加盟を断った国の重鎮に対して聖王のゆりかごと、それが起こした栄光の数々をとくとくと語って聞かせるという。それは脅迫のようにも聞こえるのだが、オリヴィエはどう思う?」

 

 俺の問いにオリヴィエは押し黙る。

 そんな彼女にかまわず俺は言葉を続けた。

 

「もちろん実際に攻撃を加えない以上、血を流さずに版図を拡大できているのは確かだ。それは認める。だが、それに不満を覚えている国もあるんじゃないか。だから今も連合を拒む国が存在している。ベルカの戦乱が長引いている原因の一つと言っても過言ではないだろう」

 

 中枢王家に不満を持つ国。

 クラウスのために口には出さないが、実はシュトゥラもその一つなんじゃないか?

 シュトゥラは精強な騎士団を多く抱える強国で、国王自身も武勇に優れ数々の実績を持っている。それに加えて各国の王侯貴族が学ぶ学術院が設置されているほどの教育先進国だ。

 国力、規模、実績において、聖王家に次ぐ影響力を持っていてもおかしくない。それは継承権を失ったとはいえ、聖王の末娘を人質に差し出していることからもうかがえる。

 それにもかかわらず、中枢王家はシュトゥラを体のいい軍事力とみなしている節がある。

 

「その不満はすでに噴き出し始めている。連合への攻撃やテロという形で。ベルカの地を文字通り滅亡へ追い込んでいる禁忌兵器(フェアレーター)も、連合への不満を持つ国々に向けて何者かが売り出したものだ。ならばそろそろ連合も体裁を捨てて武力行使を始める頃なのではないか?」

 

 俺が語る推測にオリヴィエは目を閉じ、いくつか数えるほどの時が過ぎて口を開いた。

 

「聖王連合と独立国、そして帝国との戦争が始まった時に、グランダムは連合側の尖兵として前面に立たされることになる。ケント様はそれを危惧しておられるのですね」

「ああ、さっき言った通り、今までの戦いはこの国を守るために行ったものだ。だが、反連合との戦いは聖王家や中枢王家のためのものになる。そんなもののために我が国の民に犠牲を強いるなど、到底許容できるものではない!」

 

 聖王連合の内実と今の情勢を考えれば、安易に連合に加わるのは危険が大きい。だからその誘いには応じられない。

 俺がそう言うとオリヴィエはしばらく沈黙し、ふと再び言葉を発した。

 

「確かにケント様の仰ることは否定できません。帝国を筆頭に、聖王家に不満を持つ国も多いのも事実です。……しかし、本当によろしいのですかケント様? 連合に加われば貴国の財政を助けるために、聖王家や中枢王家からある程度の援助が見込めると思いますが」

「――うっ」

 

 痛いところを突かれた。やはり見抜かれていたか。

 

 現在我が国はガレアに攻撃された傷跡があまりに大きく、その割に、ガレア侵攻によって得た利益はほとんどないといっていい。

 にもかかわらず戦に参加した諸侯たちから恩賞の催促はやむことなく、これを放置すれば後々戦が起きても彼らは兵を出してくれなくなる。

 色々なところで金が必要だ。しかしその金がない。

 つまり、我が国は財政難という状態に置かれている。

 打てる手はあるにはある。あるんだが……。

 

「行き詰まっていたというお前の仕事か。なあケント、戦勝の報が届いて以来、王都の方はかなり賑わっているみたいだぞ。僕も何度かこの目で見た。そこから取れる税収などで何とかできないものなのか?」

 

 俺の狼狽ぶりに見ていられなくなったのか、連合側の人間であるはずのクラウスがそう指摘してくる。

 だが、

 

「儲けが大きくなった時に税が重くなるようなことが起きる国で、住民たちはこれからも懸命に働き続けてくれると思うか?」

「そ、それは……確かに、せっかく得た利益がほとんど税に持っていかれてしまうというなら、民たちも働く意欲を失ってしまうな」

 

 それに少しぐらいならともかく、今回の損害を埋めるために税を増やすとすればかなり税率を上げなければならない。

 しかも、税率を上げることが税収を増やすことにつながるとは限らない。

 今のグランダムの好景気は他国からの旅行客や、各地を行き来する商人の働きも大きい。そこに入国料や通行税など上げようものなら、人々の移動の流れはそこで止まり、各地の景気は繁栄から衰退へと転じる。

 

「でもケント様、商人たちの中にも、国の財政が厳しくなっていることに気が付いている方もいるのではないでしょうか? このままでは中央政府が増税を断行するのも時間の問題。彼らがそれをただ、指をくわえて眺めているだけとは思えませんが」

 

 オリヴィエの指摘に俺はうなずきを返す。

 そう、彼らはすでに俺たちに対し、ある提案をしてきている。

 

「商人の中でも戦前から巨万の富を築くほど裕福な豪商たちから、王宮に対し、資金の貸し付けの申し出が来ている。だがその利率が……」

 

 だいたいのとこが年4割、よくて3割、完全に足元を見ている奴は5割も吹っ掛けている。

 

「なるほど、国庫がないからと言って安易に豪商から融資を受ければ、今度は彼らへの返済に苦心する羽目になるわけか」

「ああ。戦に際して武器や兵站などを買い付けたり、彼らからも協力を得ている。踏み倒すことはできない」

 

 ただ、彼らにとっては、融資した金は返済してもらえなくても構わないのかもしれない。

 その代わりこれ以降、王宮は債権を握った彼らに、利便を図らざるを得なくなるだろう。商売に際し、独占的な地位が得られるほどの特権を、彼らが求めてくるのは目に見えている。そればかりか、他の商人への妨害の黙認、最悪自らが活動できる範囲を広げるために、他国への侵略を要求してくることまでも予想される。

 

「このままではグランダムは財政破綻を免れたとしても、その後は利益のために他国を侵す国となりかねないわけですね。連合や帝国に加わった時と同様に」

 

 オリヴィエの言うとおりだ。

 連合に加盟しても、豪商から高利率付きの融資を受けても、グランダムは自国の防衛のみに徹してはいられなくなるだろう。

 どちらでも財政は再建できるが、望まぬ戦いを強いられる可能性は大きい。

 オリヴィエも含め、俺たちは途方に暮れた。

 そこへ思わぬ方から声が上がる。

 

「……あの皆さん、ちょっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

 

 片手を少し上げながら発言してきたのはイクスだった。

 今まで静かだったからてっきり話についていけず、食事に専念しているか、舟を漕いでいるのかと思っていたが。

 

「何だ? 食事がすんだのなら部屋に戻っても構わないぞ。さすがにイクスにこの話は難しすぎる」

「ち、違います! いえ、確かに難しくてほとんどわからなかったのは確かですけど、私が起こした戦争のせいでケント様がお金に困っているという話なんですよね?」

 

 俺の邪推を手を振って否定してから話すイクスに、俺たちは相槌を返す。この子ぐらいでも目の前で金金と繰り返し言っていれば、さすがにそれくらいはわかるか。こんな子供に金の心配をさせるとは、自分が情けなくなってきた。

 自分の不甲斐なさに打ちひしがれている俺の心を知らず、イクスは続ける。

 

「えっと、グランダムではこういう時に国債や公債を発行したりしないんですか? 税金が駄目ならそれくらいしかもうないと思うんですけど」

「「「……」」」

 

 俺たちは三人そろって間の抜けた表情になる。

 こくさい? こうさい? この子は一体何を言っているんだろう?

 

「あれ、国債ってシュトゥラや聖王家でもないんですか? ……もしかして国債ってこの時代では」

 

 クラウスやオリヴィエの反応を見て、次第にイクスの顔色は青くなる。

 オリヴィエはそんなイクスに鋭い目を向けた後、ふっと息を吐いてから言った。

 

「構いませんよイクス様。それに似たような仕組みならある国がすでに発案していますから。

 国債や公債とは国や国王が発行し、民に売りつける債権の事です。

 商人などに融資を申し入れた場合と違って、こちらが利率を設定できるのが利点ですね。

 しかし、現代のベルカ各国で採られている封建制度では、国としては債券を発行することはできません。

 国王が個人的に公債を発行することは可能ですが、公債を発行した国王の中には、債権の返済を増税で賄おうとする方も出てくるかもしれませんよね。

 民にとってはそれで借金を返してもらっても、その引き換えに税が重くなるようでは元も子もありません。

 そういうことで現代のベルカでは国債や公債の仕組みについて、考案だけはされていますがいまだに実行には至っていません」

 

 オリヴィエの長々とした説明に、俺とクラウスは目を丸くする。

 驚くべき事か、それとも不甲斐なく思うべきか、今の話についていけたのはイクスただ一人らしい。彼女はオリヴィエに対案を示してくる。

 

「だったら自国の国民ではなく、他国の貴族とか国王に買ってもらったらどうでしょう? 今のグランダムは独立国の中で最も強い国となったことで各国から信用されてますし、他国の国王とかだったらグランダムで増税が起ころうと知ったことではありません」

「さっき言った通り増税をする気はないがな……しかしイクス、お前は政治にはついて無知だと言っていたが、よくそんな案が出てくるな。そういう問題を請け負っていたことがあるのか?」

「あっ、それは……」

 

 俺に問い掛けられ、イクスは泳がせた目をオリヴィエの方に向ける。

 それにオリヴィエは呆れたような仕草をしながら、首を縦に振ってイクスを促した。まさかこれって先史時代の話に繋がるのか?

 

「私の両親が生きていた頃の話なんですけど、父は給料が良くて、余ったお金でよく色々な国の国債を買っていたんです。3%……0.3割くらいの利率が付いた債権は、喜んで買っていきましたよ。それ以上は逆にリスクが大きく損しかねないとも。……まあ結局、私を施設から引き取った魔導師に全部奪われて、組織の活動資金に回されたんですけどね」

 

 0.3割……現代の金融において、こんなに低い利率の話は聞いたことがない。もちろん、今の話は明らかにイクスが両親と過ごしていた先史時代の話なので、利率の割合をそのまま流用することはできないが。

 それにしても先史時代では、自国だけでなく他国の債券を買う人間まで存在するのか。それも平民が。

 世界をまたいで行われたという戦争の話といい、現代に生きる俺達には全く想像もつかない。

 

「ふむ、利率は今の時代に合わせて調整する必要があると思いますが、債権を他国の王侯貴族に売りつけるのはありかもしれません。グランダムは今、各国の高官や商人たちから信頼されてるのは確かですから」

「ガレアに勝ったことで、グランダムの市場はかつてないほど活気づいているのも事実だ。この分なら税収自体はだいぶ増えているんだろう。時間さえかければ返済の目途も十分つくんじゃないか?」

 

 イクスの案を聞き、オリヴィエとクラウスは熱が入った様子でそう言ってくる。他に手がないならこういうのを一度やってみてもいいんじゃないかと。

 俺はそれに頭をかきながら答えた。

 

「そうだな。債権である以上危ういところもあるが、他の手と違って失敗しても、ただちに戦に発展するわけじゃないからな……よほど変わり者の王が大量に買い占めでもしない限りは」

 

 その後はオリヴィエやクラウスから聖王連合への加盟の話は出てくることはなく、一時は一触即発の様相を見せた交渉と議論は幕を閉じ、会食は終了となった。

 オリヴィエの事だ、援助を盾に連合加盟を強いる真似は彼女も本意ではなかったのだろう。

 今の状況では国として連合に加盟することはできない。だがもし、ベルカで起こっている戦乱が終息したらその時は……。

 

 

 

 

 


 

 愚王ケントが実施した政策の中に『グランダム復興債』なるものがある。

 古代ベルカで唯一発行された公債といっていい。さすがに聖大陸以外の地域には売られることはなかったものの、主に他国に売りつけるその手法は、今日(こんにち)各世界が発行している『世界債』とほぼ変わりない。

 ケントはこの債権を発行したのち、それに掛かる利息の支払いについては誠実に行っていたという。のちに彼が犯す所業を考えれば信じられない限りだ。

 これに関しては債券を発行する前に起こった、聖王陛下が各国へ発した『起動宣言』に対し、陛下の威光に恐れをなしたためという説と、最大の債権者となった者がかの雷帝ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュンであることから彼女を敵に回すのを避けたからという説がある。



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第25話 起動宣言

 四年ぶりに再会したシュトゥラの王子クラウス、彼が連れてきた同国の客将にして聖王家の王女オリヴィエ、二人のお付きの学士エレミア。

 グランダムにやって来た彼ら三人とは、一波乱も二波乱もありながら楽しい一週間を共に過ごすことができた。

 それに昨日の会食がなければ財政難を解決するために公債を発行するなんて考えが、俺たちに浮かぶことはなかっただろう。まあ、最初にそれを教えてくれたのは、国債や公債が幅広く売られていたらしい先史時代から生きてきたイクスなのだが。

 その彼ら三人をはじめとするシュトゥラのキオネル騎士団は、いよいよ母国シュトゥラに帰還するためにこの城、そしてこの国から去って行ってしまう。

 城内から外に通じる扉を前にした大広間には、騎士団から何人かがクラウスたちを迎えに来ており、そのうち三人は俺たちがガレアから王都に戻って来た時に街道で見かけた騎士たちだ。

 俺もまたクラウスたちと親交を結んだ守護騎士、ティッタ、イクスを連れて、この広間で彼らと別れの挨拶を交わしていた。

 

「オリヴィエ殿、昨日の模擬戦ではつい勢い余ってしまった。心からお詫びする。だが――」

「いいえ、あれは自分の負けを認められず、悪あがきに誤った使い方であの技を使用しようとした、私が悪かったんです。だから、またお手合わせしてくださいね、シグナム」

「喜んで!」

 

 そう言葉を交わしてこの城で出会った二人の剣士、シグナムとオリヴィエは握手を交わしていた。

 

「ザフィーラ卿、お世話になりました。卿との手合わせがきっかけで、祖先から伝わる技をいくつか習得することができました。また色々教えてくださいね」

「私で役に立つなら喜んで受けよう……まあクラウス殿と違って君には手取り足取りとはいかんようだがな」

「……?」

 

 ザフィーラはそう言ってエレミアの頭を撫でる。片やティッタはザフィーラの最後の一言の意味を測りかねているようで首をかしげていた。

 そうしてザフィーラの腕から解放された後、エレミアは首を傾けているティッタにも声をかける。

 

「もちろんティッタさんとの試合もいい経験になったよ。あなたの固有技能は当たったら恐ろしいから、避けようと必死になっていくうちに回避に関する技能が自然に身についていく」

「なんのなんの! アタシにとってもリッド君との闘いは学ぶものが多かったよ。今度会ったらまたやろうね。次はシュトゥラでかな」

 

 そう言いながらティッタはエレミアと握手を交わす。……しかしリッド君ね、ティッタはとうとう最後まで気付かなかったらしい。

 

 それぞれ別れを惜しみあっている面々を眺めている俺に向かって、クラウスが近づいてきた。

 

「ケント、今日まで世話になったな。彼ら騎士たちからもあの通りオリヴィエやエレミアがよくしてもらった。本当に感謝している」

「それはこっちの台詞だクラウス。彼女たちとの付き合いはあいつらにとっていい刺激になったと思う。またいつでも来い。俺が闇の書を悪用しないように監視するためにもな」

 

 クラウスからの謝辞を流しながら、俺は闇の書を掲げておどけて見せる。

 そんな俺にクラウスは「お前という奴は」と言いながら呆れまじりのため息をついた。

 

「守護騎士か、忠誠心が厚いのに加えて皆君に信頼を寄せている。主従としても仲間としても理想的な間柄だ。大切にしろよ」

「お前に言われるまでもない。ここでぞんざいに扱うような真似をしてあいつらに逃げられでもしたらそれこそ国家存亡の危機だ。守護騎士はもう俺だけでなく、軍の皆からも頼られるようになってきているからな」

 

 クラウスはそれはそうだと笑った後、表情をやや引き締めた。

 

「公債とやらの発行、本当に実行するのかはお前次第だろう。僕にはただグランダムの財政回復がうまく行くよう祈ることしかできない」

「そうだな。お前たちを見送った後でそこの宰相ともう一度考えてみる」

 

 そこで俺とクラウスは後ろにいる若作りの宰相を見た。

 彼にはもう公債を他国の高官に売る案について話してある。

 宰相から見れば危険ではあるが、それ以外に資金を工面するための手が思い浮かばないため、一考の余地があるそうだ。それにグランダム各地の市場が好調で税収が上がっているという事実も、彼の背中を押す要因となっている。

 クラウスたちを見送るべき今でも、宰相の頭の中では公債の事が大きな部分を占めているらしく、時折目をつぶってあれこれ考えているようだった。

 その様子を見ながら俺と共に苦笑いを浮かべた後、クラウスはその表情から笑みを消し俺に向き直った。

 

「この国を守るために闇の書が必要だというならもう僕は何も言わない。学術院で一年間共に過ごしてきたお前を信じる。だが忘れるな、シュトゥラが弱きを助ける騎士の国だということを。万が一、お前が闇の書を己が野心を満たすためだけに使おうとした時、僕は容赦なくお前を倒す!」

 

 そう言ってからクラウスは右手の拳を握って、それを俺に向けてきた。

 

「ああ。俺としてもお前たちキオネル騎士団は敵に回したくない。色々な意味でな」

 

 俺もまた返事と共に右手の拳を突き出し、クラウスのそれにぶつけた。

 

「それともう一つ、闇の書を持つのはいいが過信はするな。もう耳にしたことがあるかもしれないが、この書を持ったことのある人間は皆――」

 

 クラウスが続けて何事か言おうとしたところを大きな開閉音が遮り、同時に城の外に通じる大きな扉が外側からゆっくり開いてきた。俺たちもクラウスたちも思わず扉の方に顔を向ける。

 

「失礼します! ――これは陛下! お見苦しいところを」

 

 扉をくぐって広間へ入ってきた兵は、姿勢を正しながら謝る。

 彼に続いて高級そうな絹服を着たカイゼル髭の男と、男の後ろを歩く銀色の鎧を着た兵士二人が城内に入ってきた。

 男はこちらを見てある一点に目をやると、驚きを隠せない様子でその目を見開く。

 男が目をやった先にいたのは、先ほどまでシグナムと別れの挨拶を交わしていたオリヴィエだ。

 オリヴィエも男が何者か知っているようで、彼に向けて深く頭を下げた。

 無言の応酬を交わす二人に気を取られながらも、衛兵は我に返り慌てて俺の方を向く。

 

「――失礼しました。陛下、聖王連合ゼーゲブレヒト家から使者の方がお越しです」

 

 衛兵に紹介されて、ゼーゲブレヒト家がよこした使者という男はオリヴィエから俺の方に改まって向き直り、右手を左胸に当てて一礼してきた。

 

「グランダム王国国王ケント・α・F・プリムス陛下でいらっしゃいますな。わたくしはゼーゲブレヒト王に仕えるサイノスと申します。本日は世俗の間で聖王と呼ばれている我が国の王から、ケント陛下への伝言を預かり御前に参上仕りました。ただその前に、陛下の後ろにおられるご令嬢にも挨拶をさせていただいても構いませんかな?」

 

 サイノスと名乗る使者の要望に、俺はオリヴィエの方を見て、彼女の顔色をうかがう。

 オリヴィエが俺に向かって首を縦に振るのを見て、俺もサイノスに彼女への挨拶を許した。

 サイノスは十歩ほど足を進めてオリヴィエのもとへ歩み寄り、再び手を胸に当てながら一礼し、オリヴィエもそれに対して、ドレスの端をつまみながら礼を返した。

 

「お久しぶりですオリヴィエ聖王女殿下。こうしてお会いできるのは、殿下がシュトゥラに留学されて以来ですな。あれから数年の間にますますお美しくなられたようで、妻子持ちの身でありながら思わず目を奪われてしまいましたよ」

「お世辞が過ぎますわサイノス伯爵。こちらこそご無沙汰しております。伯爵のご子息とお嬢様はお元気でいらっしゃいますか?」

「ええ。せがれの方は二年ほど前に聖王陛下から騎士の叙勲を受け、聖王宮にて陛下の御為に尽くさんと日夜修練に励んでおります。ただ、娘の方は殿下が留学に行かれて以来、悲しみのあまり枕を涙で濡らす日が一年ほど続いておりましてな。今はようやく立ち直ってレディとして教養を身につけるべく、研鑽の日々を送っております」

「まあ、それは驚きです。伯爵のお嬢様は私などよりとても心がお強い方だと思っていましたのに」

 

 二人は笑顔を絶やさずそんな身の上話をしている。

 しかし、オリヴィエの声音はクラウスやエレミア、俺たちと話している時と比べたらどこか空々しく、サイノス伯爵とやらもそれがわかっているようにオリヴィエと話を続けていて、二人ともうわべだけを取り繕いながら話しているようだった。

 一通り互いに近況を語り終えると、伯爵はクラウスの方に体の向きを変えた。

 

「お初にお目にかかりますクラウス殿下。殿下のご雄姿はかねがね、鮮やかな碧銀の髪と《聖者の印》とも言われる異色の瞳、一目見てあの名高きクラウス王子とわかりましたぞ」

「いえ、こちらこそ初めましてサイノス伯爵。シュトゥラ王国第一王子、クラウス・G・Sイングヴァルトと申します」

 

 伯爵に声をかけられクラウスはあらためて自らの素性と名を名乗った。しかし、オリヴィエと違い、クラウスの表情は緊張で硬くこわばっている。

 片や、伯爵は他国の王族と接する機会も多いのだろう。余裕の笑みでそれを受け流した。

 

「クラウス殿下とお父君に置かれましては、オリヴィエ王女の留学に際して多大なご配慮を頂き感謝の念も堪えません。我が王も深く感謝しているとのこと。ベルカの安寧のためにも貴国とは今後とも良き関係でいたいものですな」

「こちらの方こそ、オリヴィエ王女の留学先に我が国を選んでいただけたことは身に余る光栄だと思っております。それに王女の明るさには私も陛下もいつも元気づけられています。できるだけ長く我が国に滞在していただきたいと思うくらいです」

 

 クラウスの方は社交辞令というだけでなく本心からそう思っているのだろう。すらすらとそう言った。しかし、最後の一言を聞いた途端伯爵の顔が険しくなった。

 それを見てクラウスも訝しげな表情をする。

 

「あの……伯爵殿?」

「――ああいえ、そうですな。今後の情勢次第ではそれも叶うかもしれませんな。……ところでオリヴィエ殿下、今までクラウス王子と共にグランダムにご滞在されていたようですが、聖王陛下から仰せつかった例の言付け、ケント王にはお伝えいただきましたかな?」

 

 伯爵のその問いに尋ねられた当のオリヴィエもクラウスも、表情を曇らせる。

 

「ええ、委細漏らさずに。しかし……」

 

 断られたという言葉をオリヴィエは飲み込んだ。いずれ報告しなければならないとしても、この場でそれを明らかにするのははばかられたのだろう。

 しかしその反応が既に答えを示しているも同然だった。伯爵は一層険しい表情を作る。

 

「そうですか……ケント王の返答次第では今回陛下から発せられる声明は、王にとってもグランダムにとっても吉報となるに違いなかったでしょうに」

 

 そう言ってから肩を落とす仕草を見せる伯爵に、この場にいる人間は皆揃って眉をひそめる。聖王家の人間であるオリヴィエも例外ではない。彼女だって何も知らないのだろう。

 

 伯爵の言葉の意味が気になりながらも、他国の人間であるクラウスたちまで謁見に立ち会うわけにはいかず、クラウスたちは騎士団を引き連れてこの城から出立し、俺は宰相たちと共に謁見の準備をすることになった。

 

 

 

 

 

 

 そして例によって、高官たちに囲まれて玉座に座る俺とその前にひざまずく伯爵との間で書状の受け渡しが行われた。

 しかし書状の内容を見た途端、俺は驚愕のあまり自分の目が大きく見開いたのを自覚する。

 

「……伯爵、念のために確認するが、これはグランダム一国への要求か?」

 

 俺の問いかけを伯爵は首を横に振って否定する。

 

「いいえ、書状に書かれている通り、()()()()()()()()()()()()()に対する宣言でございます。すでにグランダム以外の他国へも、ゼーゲブレヒト家から遣わされた使者が同じ内容の文を届けているはずです。シュトゥラにもダールグリュン帝国にも。ガレアに向けられたものもありますが、よろしければ後ほど陛下からイクスヴェリア王に渡していただけませんかな?」

 

 ……どうするかな? イクスのことだ、あまりの衝撃に卒倒してそのまま寝込みかねない。

 わずかに眉を寄せる俺を見ながら伯爵は不敵にほほ笑む。

 

 これはあきらかに聖王連合に対立する国々への脅迫、見方によっては宣戦布告とも取れるだろう。

 こんなもの、本当に聖王が自分の意志で書いた物なのか? 

 

 

 

【ベルカに打ち建てられたすべての国と各国を代表する王たちに告げる。

 我らが母なる地ベルカの上で不毛な争いが繰り広げられるようになって久しく、未だベルカは混迷極まる状況にある。

 我々は今こそ手を取り合わなければ、ベルカすべての国を統合する唯一無二の連合国家となって。

 それを実現するために余は《聖王のゆりかご》の起動を決意した次第である。

 その船がベルカの空を舞った時、争いを続けるすべての者は己の愚を悟りそれを悔やむだろう。

 だがそのような結果を待つまでもなく、諸君らは自らの過ちに気付くことができると余は信じている。

 

 そこで余は隣人たる諸君らに猶予を与えたいと思う。

 六ヶ月後の今日と同じ日の正午、各国の王たちにはそれまでに聖王連合への加盟を表明してもらいたい。

 それに同意しない国が現れた場合、残念ながら我々聖王連合は当該国に対して、然るべき対応をとることになる。

 半年後、ベルカと聖王連合が生まれ変わる記念すべき日に一滴の血も流れないことを祈るばかりだ】



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第26話 虐殺の夜

 自由都市リヴォルタから南方の村。夜も更けたこの村落は野盗らしき二人の男女に襲われていた。

 

 倒れた篝火が家々を焼き、そのまわりを赤く染め上げる中、賊の一人である女は手に持っている斧を振るい、目についた村人を次々と斬り殺していった。

 女は短い青髪で瞳は黒く、体のいたるところが筋肉で膨れ上がっており、左の手首には羽根を象った刺青が彫られている。

 ほとんどの者が子供などを連れて逃げていく中で、突然現れた賊に立ち向かおうとする者もいた。

 

「――ほう!」

 

 殺戮に手を染める女の前に、二、三人ほどの男が武器を持って彼女に迫る。そこへさらに別の方からも男たちがやってきて、いつしか女は十人()()の男に取り囲まれた。

 

「武器を捨てろ。こんな鍬でも人一人は十分殺せるんだ」

「たった二人で村を襲おうなんて舐めた真似しやがって。都市の自警団に引き渡す前に、女の身で盗賊まがいの事をしたことをたっぷりと後悔させてやろうか」

 

 農作業用の鍬を、または自衛用の剣を、ナイフを持ちながら男たちは女ににじり寄る。

 女はそれを見て舌なめずりをした。

 追いながらちまちま殺していくのが億劫になってきたところで、獲物が自らやってきてくれた。

 

「ありがとよ!!」

 

 礼を言いながら、女は一振りで三人を斬り殺していく。

 

「くそっ!」

「かかれ!」

 

 観念するどころか、更なる殺戮に手を染める女に男たちは怒り狂い、各々持っている武器を振り上げて女に叩きつける。

 それらに対し、女は斧を持っていない方の左腕で体をかばった。

 鍬や剣の刃をまともに食らった彼女の左腕は斬り落とされて体から離れ、地面に落ちる。

 それを見て男たちは勝利を確信した。

 だが、次に彼らの目に飛び込んできたのはとても信じられない光景だった。

 

「ふん!」

 

 女が気を込めると、切断面から失ったはずの腕が生えてきたのだ。

 

「なっ!?」

 

 男たちは驚愕のあまり呆気にとられる。

 女は即座に斧を振るい、呆けて棒立ちしている男たちを叩き斬る。今の一振りで五人は絶命し、そのうち二人は上半身が丸ごと斬り落とされ、足から上がなくなった下半身が自然に地面に倒れていく。

 

「さぁて、後二人か」

 

 口を三日月形にしてニヤけながら、女は残った男たちに向かって一歩踏み出した。

 

「ひっ! バ、バケモノ!」

「に、逃げるんだ!」

 

 残った男二人はたまらず背を向け、女から逃げ出そうとした。

 それに対して女は男たちに向かって数歩踏み出す。

 

「えっ!?」

「なっ!?」

 

 その一瞬後に女は男たちに肉薄し、その胴体を斬り飛ばした。

 

(さて、残りの村人はあいつ()が狩っている頃か。まあ、最後の最後で戦いの真似ができただけで良しとしておこう)

 

 

 

 

 

 

 賊の襲撃を聞き、一目散に村から脱出するべく逃げてきた村人たちの前に、ようやく村を覆う防護柵が見えてくる。彼らのうち何人かは木で作られている柵を斬り倒さんと、剣を取り出し柵に何度も打ち付けて、ようやく何ヶ所かの穴ができた。

 

「隙間ができたぞ!」

「今の内だ。女子供から先に出ろ!」

 

 柵を斬り倒した男たちに言われるまま、子供を抱えた女たちが柵の間に出来た隙間を縫って村から出んとする。だが、

 

「――キャッ! 何?」

「どうなってるの? 先に進めない!」

 

 外に出ようとした女に何かがぶつかり、彼女らの行く手を阻んだ。女たちの前には何もないようにしか見えないのに!

 

「どうしたのママ?」

「早く外に出ようよ。怖い人がすぐそこまで来てるんでしょう!」

 

 母や姉、行きずりの夫人に抱えられたり手を引かれて連れてこられた子供たちは、彼女らが何に悪戦苦闘しているのか知らずに文句を言い、それが女たちの焦りをますます増大させていく。

 

「うわっ!」

「ギャア!」

 

 そうしている間に誰一人村から脱出できないまま、とうとう賊の一人が迫って来て男たちを殺し、それから女と彼女らが抱える子供に近づいていく。

 賊は男だった。金色の瞳を持ち、その眼と同じ色の髪を長く下ろしていて、右手には剣のような武器を持っており、その剣を振るって、逃げようとする女子供を守ろうと立ちはだかる村の男衆を斬り殺していった。

 その際、髪がなびいてたまに露わになるうなじには、青髪の女と同じ模様の入れ墨が彫られてあるのが見えた。

 男の持っている剣はベルカで使用される剣と違い、刃が片方に反り返っていて、それを収める柄は変わった形をしておりどこか芸術的でもあった。もちろん、今その剣を向けられている村人たちにとっては、自分たちの命を無慈悲に奪う凶器以外の何物でもないのだが。

 

「キャア! 助けて!」

「せめて子供たちだけ――うぐっ」

「痛い、痛いよ――ぅ」

 

 男は女子供が相手でも躊躇なく剣を振り下ろし、その命を奪っていく。彼女らの口から出てくる命乞いなど、男にとっては断末魔と同じ音楽でしかない。

 瞬く間に村の端にいたほとんどの人間を切っていった男は、周囲でたった一人残った若い村娘に目を留めた。

 眉一つ動かさずに他の村人を惨殺していく男を前にして、娘は身を震わせていた。

 殺されるという恐怖ももちろんある。それに加えて娘には別の身の危険を感じていた。

 娘の容姿は傍目から見ても美しく、この狭い村の中男たちから求婚されたことは数知れない。だから娘は自分が美人という自覚もあったし、いつか村を出て北にある都市リヴォルタで大商人かその子息に近づき、玉の輿に乗ろうと密かに目論んでいた。

 しかし、今はその容姿が恨めしい。他の村娘より顔が整っている自分はこれから男に犯され、その後はさんざん嬲りものにされながら殺されるのではないかと。

 だが、不幸中の幸いにも、娘が抱いている不安の片方は外れる。

 

「――ぁ!」

 

 男は剣を振るい、娘を肩から斜め下にかけて切りつけ、その命を絶ったのだから。

 

(もったいないねえ。こんな体になってなければ楽しませてもらう所なんだが、今はとにかく殺したくて仕方ねえ。まあ、そのおかげで楽に死ねたんだからありがたく思えよ)

 

 

 

 

 

 

 外で青髪の女と金髪の男が村人たちを血祭りにあげている頃、村内にある小さな教会には多くの村人が駆け込んできて、明かりもつけずに息をひそめていた。

 これは今回この村でのみ見られる光景ではない。

 先史時代の知識や文明が失われた現代のベルカでは、雷や嵐といった気候、地震や土砂崩れのような災害、人間をはじめとする動植物の誕生と死、そして病……そういった現象を引き起こす原理が忘れ去られ、多くの自然現象が神や聖霊の意志によって引き起こされると信じられている。

 盗賊に身を落としたならず者や、戦を隠れ蓑に私腹を肥やそうとする兵士たちも例外ではない。

 抵抗する術を持たない村人や市民を殺すことに罪悪感を感じないような彼らでさえ、神罰を恐れ、教会のような宗教施設は見逃すことが多いのだ。

 故に今夜のように賊や軍隊が村を襲った時、教会の近くに辿り着くことができた村民は、そこにかくまってもらう。

 しかし、賊のような不埒者の中には神の威光が通じない連中もいる。

 不運なことにこの村を襲った賊たちもそうだった。

 

 

 

 

 

「――うっ」

 

 短刀が少年の喉を斬り裂き彼の命を奪う。

 その短刀を振るっているのは、餌食になった少年よりさらに一回り小さい少年だった。

 瞳の色は青く短い黒髪で、半袖半ズボンから露出している手足の内、右腕には二人の賊と同じ刺青を掘った、齢は十に満たないだろう少年。

 二人の少年のまわりには、先ほどまで賊がこの村から去っていくのを祈りながら隠れていた村人たちの骸が積み重なっている。

 例外はただ一人。

 

「ア、アロンド君、どうして君が」

 

 壁際に追いつめられたシスターが、尻餅をつきながら少年の名を呼ぶ。

 

「雇い主に頼まれたからだ。それにこうしないと俺たちは生きていけない。言葉通りにね」

 

 少年、アロンドは淡々とそう返事をする。

 

 彼は今日の昼間、いつの間にか村の子供たちに混じって遊んでいた少年だ。

 村の誰も彼の顔を知っている者はいない。しかし、自分から子供たちの輪に入って遊ぶ少年の無邪気な姿に、村の子供たちも大人たちも彼に気を許した。

 少年の右腕に彫られた羽根の刺青を見ても、子供たちは興味を引かれ、大人たちもどこかの国から来た旅人や行商人の子供だろうと思ったくらいだ。

 少年は日が暮れても村に留まり続け、他の子供たちが各々の家に帰っても、自身はどこかの家にも宿にも入ることなく広場に居続けた。

 そんな少年を見咎めたシスターは、彼を親とはぐれた迷子だと思い、一晩教会で預かることにした。

 この時はシスターも他の誰も夢にも思わなかった。

 アロンドと名乗る少年が、二人の仲間に先んじて下見にやって来た賊の一味だとは。

 

 アロンドはシスターに向かって一歩踏み出す。

 

「ひっ!」

 

 シスターは後ずさりしようとするも、その後ろには壁があり、これ以上逃げることはできない。

 そんなシスターを見下ろしながらアロンドは迷った。

 

(首にしようか、胸にしようか)

 

 そんな迷いが頭に浮かびアロンドがつい視線を宙に向けた時、シスターはこれを好機だと思った。

 

「――あああああ!」

 

 シスターは大声を上げながらアロンドに飛びかかり、彼の首を絞める。

 

「――ぐっ」

「死ね! 死ね! 死ね!」

 

 シスターに首を絞められ、アロンドは苦しげに口元から唾液を垂れ流し、空気を求めて息を吸おうとする。

 

「死ね、恩知らずのクソガキがあああああ!」

(これなら首を狙うしかないな)

 

 空気を求めて呼吸を続ける口とは逆に、アロンドの右手はしっかりと短刀を握り続けており、その短刀をシスターの首側面にめがけて突き刺した。

 

「死――うぐっ」

 

 白目を剥き口から泡まで吹いてシスターは絶命し、アロンドに覆いかぶって倒れる。その死体をアロンドは乱暴に蹴り上げて自身の上からどかした。

 起き上がったアロンドは床に唾を吐いてから口元を手で拭う。

 アロンドの耳に扉が開く音が聞こえてきたのはその時だ。

 

「サガリス、トリノ」

 

 アロイスが名前を呼ぶのと同時に、開けた教会の扉から長い金髪の男と青髪の女が入ってくる。

 

「よぉ。そっちは終わったみたいだな。ちゃんと頭は傷つけずに殺したか?」

「最後の獲物はずいぶん手こずったようだな。我ら同様《エクリプス》の洗礼を受けたとはいえ、所詮はまだ子供か」

「うるせえよ。どこを刺すか迷っている間にババアが調子づいてきただけだ……まあ、ただ殺すよりは面白かったけど」

 

 トリノという青髪の女にそう言い返しながら、アロンドはシスターの死体を足蹴にして笑った。

 軽口を叩き合う二人をよそに、サガリスという金髪の男は、教会に重なっている死体の山を見回す。

 

「確かにみんな頭はキレイなままのようだな……だが生命反応を示す者はいない。今回も成果はなしか」

「こんなちんけな村で“適合者”なんて期待できねえよ。みんな俺たちの肥やしになっただけだ。リアクターと適合する奴を見つけたいならもっと大きな都市を襲う許可を出せっつうの」

「それこそ期待できん話だ。聖王が出した《起動宣言》に反発した各国が、雇い主から大量に商品を買い入れているらしいからな。これから客になるかもしれない国の都市を襲う許しなど、あの男が出すとは思えん」

 

 アロンドのぼやきにトリノがそう説明する。

 

「起動宣言といっても、今の時点ではただの脅迫だがな。《聖王のゆりかご》など、実在が疑われている兵器の名前だけを出したところで、各国が屈するわけがない。ああいう宣言を出すのは、件の兵器を衆目の前に引き出してでなければ効果がないんだ。それなのにゆりかごの起動宣言だけをしてきたという事は、起動ははったりでそんなもの存在しないのか? それとも、聖王はよほどそれを出したくはないのか?」

「どうでもいいだろそんなこと。聖王ってジジイがバカなこと言いだしたおかげで、俺たちは殺しと副業(バイト)がやりやすくなったんだから。聖王陛下様様だ」

 

 アロンドの言葉にサガリスもトリノも笑みをこぼす。

 それについては同感だ。

 多くの独立国は彼らの雇い主から《禁忌兵器(フェアレーター)》を大量に購入するなど、聖王連合を攻撃するための準備を着々と進めている。

 この聖大陸全土に及ぶ戦乱は遠からず幕を開けるだろう。

 そうなれば都市や村が滅びたところで、それが戦乱による虐殺なのか、彼らによる殺戮なのかは誰にも判別できなくなる。

 今は都市襲撃の許可は下りていないが、各国が兵器を買い付ける時期が過ぎればそのうち――。

 

《皆さん、そろそろ“食事”と適合者探しは終わりましたか?》

 

 三人の脳裏に何者かから思念が届いてくる。サガリスがそれに応えた。

 

「フォレスタか。腹ごなしは終わった。だが、この村にも“適合者”はいない。全員死んでる。悪いな、お前には村のまわりに結界張ってもらったのに、無駄骨に終わっちまった」

 

 その結果をフォレスタという思念の送り主は予想していたようで、すぐに念を返してくる。

 

《いいんですよ、いつものことです。それより事が済んでいるのなら三人ともすぐに街に戻ってください。彼が目を覚ましたらしく隊長がそっちへ向かっていて、僕らは全員本業をほっぽり出してる状態なんですよ。こんなことが市長に知られたら――》

「たしかにそれはまずいな。わかった。できるだけすぐ戻る」

《お願いしますね。副業の雇い主ほどではないにしろ、市長からもそれなりにいただいてますから――それでは》

 

 フォレスタからの指示にトリノが応じた後、思念通話は切れる。

 わずかな沈黙を挟んで、アロンドはフォレスタの言っていた彼について切り出した。

 

「一月前ディーノで拾ってきたあいつ、ようやく起きやがったか。何週間もうなされながら寝続けてたから、そのまま肉塊になっちまうと思ってたぜ」

「うむ。私もそうなると思っていた。しかし、そうなると奇妙な偶然だな」

「あん、何がだ?」

 

 トリノの言葉にアロンドは疑問の声を上げる。

 それにトリノは、

 

「なに、大したことじゃないんだが、お前たちは知っているか? 姉貴と雇い主が持ってる本の“原典”とかいう魔導書の持ち主の事を」

「さあな。姉ちゃんが持ってる本なんていちいち気にも留めてねえよ」

 

 アロンドは肩をすくめて知らないと流す。

 その一方、サガリスはある噂を思い出しハッとなった。

 

「姉貴が持つ《銀十字の書》の原典――《闇の書》のことを言っているのか? そう言えばリヴォルタの北にある国の王が、そんなものを持っていると噂で聞いたな」

 

 それを聞いてトリノは口の端に笑みを浮かべながら答える。

 

「ああ。その王は闇の書から召喚された四人の騎士を従えてディーノを奪い、ガレアとの戦いでまた一人の騎士を迎え入れたらしい。つまり……」

「闇の書を持つ向こうは今六人。そこへ、銀十字の書を持つ俺たちの方もちょうど六人目の仲間を手に入れた……まさかお前、そんなことが言いたいんじゃねえだろうな?」

 

 アロンドは今までと打って変わって面白くなさそうに問いを返した。

 トリノは変わらず笑みを浮かべたまま聞き返す。

 

「だとしたら?」

「くだらねえ。数がかぶってるだけじゃねえか。闇の書から召喚なんてのもはったりだろうし、本当だとしても俺たちの敵じゃねえ。なんなら今からその国に乗り込んで、そいつらと白黒つけてもいいくらいだ」

「俺も同感だが、そうもいかんだろうな。さっきトリノが言った通り、その国が雇い主の新たな客になる可能性もある。俺たちはまたしばらくこんな小村で適合者を探しながら、殺しを重ねていくしかない」

 

 忌々しく吐き捨てるアロンドに同調しながら、サガリスは首を横に振る。

 話は終わったと判断しトリノは立ち上がりながら、

 

「ではフォレスタもやきもきしてるだろうし、いい加減街へ飛ぶか。誰か姉貴の援護に行くか?」

「はっ、必要ねえよ! あれでも俺たち適合者を束ねる《フッケバイン傭兵隊》の隊長様だぜ」

 

 トリノの問いかけをサガリスは鼻で笑いながら一蹴した。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、リヴォルタ市街北区。

 北区の一点にある中規模の宿。その宿はいつもこのぐらいの時間帯に、宿泊客同士が談笑したり、情報交換を行い、そんな客たちを宿で働く使用人がもてなしたりしていてにぎやかな時間だった。

 だが、今は違う。

 今夜の宿は静かだった。

 宿に泊まっている宿泊客も使用人、主人も皆二度と目覚めぬ骸となって、床の上に横たわっていたのだから。……ただ一人を除いて。

 犠牲者たちを横目に、男は出入り口へ向けて足を進める。

 

(また頭が痛くなってきた。もっとだ、もっと殺さなければこの痛みは消えない……そうだ。殺される前に、奪われる前に俺カラ殺シニ――)

 

 黒い瞳で紫髪の男、彼は上半身に何も身につけないまま宿にいる人間を皆殺しにし、それでも飽き足らず更なる獲物を求めて外に出ようと、扉に手をかける。

 その瞬間、男が立っている床を突き抜け、地中から伸びてきた蔓が男をがんじがらめに拘束した。

 蔓から逃れようと男は体をねじらせる。

 そんな彼の後ろから――

 

「はーい! ちょっと止まって! さすがに今、街中で騒ぎを起こされるわけにはいかないのよ」

 

 背後から女の声がして、男はそちらの方を振り向く。

 男の背後にはいつの間にそこにいたのか、女が二人いた。女たちの側面にある窓が割られていたので、おそらくそこから侵入したのだろう。男は人を殺めこそしたものの窓を割った覚えはない。

 女二人組のうち一人は黒く長い髪を後ろに束ね、右手首に銀色の腕輪をはめた黒眼の若い女。

 もう一人は白い髪を長く伸ばし、左手首に銀色の腕輪をはめた若い赤眼の女。

 男に声をかけてきたのは黒髪の方だ。そちらの方には男も見覚えがある。

 

「お前……俺たちの町を襲った奴らの……」

「ええそうよ。そして、あそこで唯一生き残ったあんたをこの街まで連れてきたのも私。あっ、感謝はしなくていいよ。雇い主から頼まれたことだし、あんたみたいな適合者を仲間として抱え込むのは私たちの方針でもある」

 

 女の身勝手な物言いに男は身を震わせる。

 

「仲間だと……ふざけんな、お前が……お前たちが俺たちの町を……お前たちがあああ!!

 

 体の中から沸き上がってくる力を全身に込め、男は蔓を引きちぎった。

 

「殺シテヤル……オ前タチモ……俺ノ目ノ前ニイル奴ハ全員」

 

 殺意に身を任せる男を前に、黒髪の女はこれを予期していたように、余裕の笑みを浮かべる。

 

「ったく、この時点であんたも私たちと同類になっちまってるのがわかんないかねえ。まあいいや。ライラ、手伝って」

「はい、我が主……シュトロゼック1st、リアクト・エンゲージ」

 

 黒髪の女の命令に白髪の女が答えると、彼女は白い粒子となって主と同化した。

 そして残ったのは……

 

「いいよ、かかってきな。フッケバイン傭兵隊を立ち上げて数年間、あんたみたいなのは何人も相手にして、そのたびに身内に取り込んできたんだ。リアクターもディバイダーも持たないあんたごときが、このカリナ・フッケバインに勝てると思ってもらったら困るね」

 

 髪と瞳が相方と同じ色に染まった姿に変貌した女、カリナ・フッケバインだった。



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第27話 政策談義

 聖王が各国に向けて《聖王のゆりかご》の起動を表明してから二ヶ月。

 それまでの間に、今まで独立を保っていた国々――通称『独立国』の中から少なくない国が、聖王連合への加盟を表明した。

 しかし、シュトゥラなどの有力国を差し置いて、中枢王家が実権を握る連合の内情や、古代兵器による加盟強要に不満を持っていた国々も多く、連合と敵対しているダールグリュン帝国に自ら下る国や、加盟に応じず怪しげな商人やギルドを出入りさせている国など不穏な動きを見せる所すらあった。

 このような情勢でもダールグリュン帝国は当然のように連合加盟に応じず、最近では近隣国の方から進んで軍門に下ってくるということもあってか、他国を侵略するような動きも見せず沈黙を守っていた。

 我がグランダムも、その保護国となっているガレアも、連合には加わっていない。中枢王家への不満もあるが、一番の理由はやはり連合と帝国・反連合の戦に巻き込まれる恐れがあるからだ。その意味では現状において帝国に与するのも危険と言えるだろう。

 

 さて、ここで我が国を脅かすもう一つの危機の方に話を移そう。

 ガレア戦後に王宮や王国政府が直面した財政危機。

 それを解決するために考え出されたのが公債の発行。しかも自国の富裕層だけでなく、他国の富裕層や貴族に売るという案だ。

 その案は先述した『聖王のゆりかご起動宣言』によって、一時は廃止も考えられた。

 しかし、それに異を唱えたのがなんとあの宰相だった。俺が公債発行の案を話した時に難しい顔で渋っていたあの宰相がだ。

 宰相の考えでは、聖王の宣言によって、これからベルカ各国は深刻な経済危機が起こる可能性が高く、人々、とりわけ多くの金を扱う富裕層は手元に留保してある現金を債権の類に替え、自らの手元に配当のような利益が入ってくるようにしてくるはずだと。

 おそらく宰相には現在までに各国がどんな動きを見せるのか、あの宣言が発布された時点ですでに予測がついていたのかもしれない。

 とにかくそうして王宮から有史ベルカ史上初の公債『グランダム復興債』が発行され、国内外の富裕層にそれを喧伝していった。

 

 それは結果から言えばうまくいった。

 発行した復興債はほとんど(さば)くことができ、我が国は財政難を乗り切るほどの、巨額の資金を得ることができた。

 最悪の国と呼ばれていたガレアを倒し、傘下に置いたグランダムの信用は思いの外高かったらしく、他国、主に周辺国から復興債の注文が相次いだ。

 最初は高利で貸し付けようとした国内の豪商も、俺に融資を受ける気がないと知ると、せめて行きがけの駄賃でもというように、低利率を承知で復興債を買っていった。

 だがこれほどの成功に至った最も大きな要因は、半分以上の債権をある人物が大量に買い取っていったことだろう。だがそれは、俺や宰相にとって恐るべき不測の事態でもあった。

 発行した復興債を半分以上買い上げた、言い換えれば我が国の負債を半分以上立て替えたグランダムの救国主(パトロン)

 その大人物の名は『ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン』……俗に《雷帝》という異名で呼ばれる、ダールグリュン帝国の皇帝だった。

 

 

 

 

 

 ……いや、まずいだろうこれは。

 執務机に積まれた債権者名簿の一枚を両手に取った状態で、俺は思い悩む。

 名簿の中間あたりにその名はあり、名前の横には赤ペンでチェックマークが付けられている。復興債を最も多く保有することを意味する印なのだが、俺から見ると「こいつには気をつけろ」という意味もこめて付けられたような気がしてならない。

 実際、これは帝国が我が国の負債の大半を握ってるも同然の状況だ。

 しかし、俺たちとしては後悔よりも困惑の方が勝っている状態だ。俺もあの計算高い宰相も、まさか帝国の皇帝が巨費を投じて、潰れかけの国が出した公債を買いあさるなどと考えもしなかったんだから。

 ゼノヴィア皇帝、そして帝国は、この債権を盾に我が国に服従を迫るか、もしくは債権回収を理由に攻め込むつもりなのだろうか?

 皇帝の目論見が後者ならばそれは絶対に回避しなければならないし、前者もできれば避けたい。現在の情勢下で帝国に下るということは、聖王連合を完全に敵に回すことになりかねないからだ。

 しかし、皇帝の狙いが我が国の属国化、もしくは侵略の口実付けだったとしても、復興債を買い付けるのに彼女が投じた金はあまりに巨額だ。元を取るだけでもかなりの手間がかかるのではないだろうか? ディーノ戦から思っていたが、かの人物が何を考えているのかまったく読めない。

 

 それと関連して、気になる名前がもう一つ。

 ゼノヴィア皇帝の数段下にあるその名前に俺は視線を移し、持っているペンで自らチェックマークを入れる。

 

 『エリザヴェータ・ダールグリュン』。

 姓からして明らかに皇帝の親族だろう。ミドルネームを記入しないあたり、おそらく帝位継承権から遠いほどの縁戚。

 貴族、平民ともに、血縁関係もなく君主と同じ姓を名乗ろうとする者が現れることは滅多にない。王族を自称した者が不敬罪、詐欺未遂罪で捕まり、そのまま処刑された例が古代でいくつかあったからだ。加えてエリザヴェータという人の住所欄に記入されている地名は、帝国内のとある郊外を指しており、彼女が帝国人であることに疑いの余地はない。

 彼女からの出資額は我が国の豪商より少し多いほど、皇帝と違って資産運用の域を出ないくらいか。

 

 とにかく、皇帝からの債務の返済は絶対に滞らせるわけにはいかない。

 復興債の返済は十年後、それまでの間に年二回債権者に支払う利息が彼らの利益となる。

 最初の利払いは公債発行から半年後、二か月経過した現在から見ればわずか四か月後となる。

 俺の視線は名簿から、多くの数字が羅列された書類へと移動する。

 この書類は来年度までに取れると思われる税収の見込み額が記載された試算書を、つい先ほど修正させたものだ。

 当初の試算では利息を払うのに十分な税収が、これから国に入ってくる計算だった。しかし、最近になってある問題が明らかとなった。

 

 最近各地で農産物の収穫量が減少している。それもグランダムだけでなく聖大陸すべての国で。

 不作の原因は悪天候と土壌の汚染。

 各地の戦で使用されている《禁忌兵器(フェアレーター)》が大元(おおもと)にあるのは明らかだ。

 それによってベルカ全土のいたるところで、食料品の値がじわじわと上がり始めている。

 この影響で我が国の財政計画も、当初立てた予定より大幅にずれが生じることになった。

 

 ……今年はぎりぎり足りる。だが不作のせいで二年目以降は厳しい。それに今の情勢では再び他国が我が国に攻め込んでくる可能性も十分ある。戦に備えて軍備を整えたいところだ。

 軍事力の確保、利息の支払い、そして十年後の債権の返済。

 それらのために我が国の財政をもっと盤石なものにしたい。

 そのために取れる方策が思いつく限り二つ。

 一つは自国から取れる租税の徴収額を上げること。

 もう一つが他国を侵略し、そこから税を徴収して国庫に組み込むことだ。

 

 前者はもしもの場合の対応策として考えてはいたが、今となっては論外だ。

 食料が値上がりし始め通貨膨張(インフレ)の危機もある中で、増税を行おうとすれば民からの反発は免れない。

 地方を治める領主たちも強く抵抗してくるだろうし、従ったとしても国に取られた分を補うために、領民に対して増税を強いてくる恐れが大きい。それが今の好景気の恩恵にあずかりにくい農村や町で行われたら目も当てられない状況になる。

 よって残るもう一つの案が近隣国への侵攻。

 君主の意志に反して、自国が利益のために他国を侵す国と化す。聖王連合加盟や豪商の内政干渉を防いだことで回避したはずの未来が、再び現実味を帯び始めてきた。

 

 増税はできない、他国を侵すことはしたくない。しかし、この二つ以外に国庫に入る歳入を増やす方法が見つからない。

 ……駄目だ。一人で考えても時間を無為に費やすだけでらちが明かない。

 こうなれば……。

 

 

 

 

 

 

「それで我らを集められたのですか」

 

 開口一番にそう言ってきたシグナムに対し、俺はうなずきを返す。

 例のごとく、ここは俺が仕事や勉学の合間を縫って休息をとる時に通う中庭だ。最近ではヴォルケンリッターやティッタやイクスといった、気を許せる者たちと相談をしたり、雑談を交わすのにも使っている。

 俺は部屋を出るとともに、念話で上記の仲間たちを呼んでここに集めていた。

 

「おいおい、相談する相手を間違えてねえか? 宰相っつう兄ちゃんや、ガレアの王様やってるイクスはともかく、あたしらは政治になんて関わったこともねえぞ」

「い、いえ、私はガレアにいた時はほとんど眠ってて、起きている時も周りの人たちの意見にうなずくだけのお飾りだったんです。だから、私も政治の事はあまり……」

 

 ヴィータの指摘にイクスは慌ててそう釈明する。

 二月前にイクスが公債の案を出してくれた時は、曲がりなりにも一国の王だと感心したものだが、政策について深く入り込んだところまではさすがにお手上げらしい。公債についても先史時代からの知識という話だからな。

 ちなみにヴィータの話に出てきたもう一人の人物、宰相にはすでに相談はしている。しかし、今のところ彼にも良い案が浮かばないとのことだ。

 あと、ヴィータは知らないようだが、彼は父が若い頃からすでに宰相を務めていて、結構な年なのは間違いない。この間孫が生まれたとか言ってたような。

 まあそれはともかく、

 

「お前たち守護騎士の主の中には、どこかの領主もいたんだろう。その領主がこういう問題に直面した時にどんな対策を取りそうか、想像くらいはできないか?」

「増税」

「侵略」

 

 俺が向けた質問にシグナムとヴィータはほとんど同時に答えを返してきた。どっちの案も俺が考えてボツにしたものだ。

 

「敵や市民、時には自分の部下からも、リンカーコアと魔力を奪っていくような主たちでしたからね。闇の書さえ完成させてしまえば主に楯突ける者などいなくなりますし、彼らなら躊躇いなくその二つを取るでしょう」

 

 顔をしかめる俺に、シャマルは苦笑いを浮かべながら解説してくれた。

 強大すぎる力は人を歪めてしまうものらしい。俺もそうならないように気をつけなくてはな。

 

「それ以外の方法を頼む」

 

 俺がそう言うと腕を組みながらザフィーラは考え、そして思いつく限りの案を出してくれた。

 

「そうですな……国の支出を減らしたり、人口が増えるような策を立てるなどされてはどうでしょう。主にはすでに浮かんでいるような考えかもしれませんが」

 

 ザフィーラの言う通り俺もそれは考えている。

 しかし、どちらも口で言うほど簡単ではない。

 

 

 

 

 

 まず、歳出についてはすでに可能な限り抑えている。

 元々グランダムは連合、帝国、ガレア、またはその影響下に置かれている国々に囲まれているため、いつ戦が起こっても不思議ではない。そのため我が国では軍事費以外の予算は、その使い道をかなり厳しく精査されたうえで決められている。

 つまり、今でもぎりぎりまで切り詰めているのだ。

 

 そしてザフィーラが挙げたもう一つの案である人口、つまり働き手を増やすというのも、税収を増やすためには欠かせないことだ。

 現に人口が少ない農村では、領主が領民同士に結婚を勧めて、子供を多く作るように求めてくることがしばしば起こる。

 侵略を行う目的も他国の人間を自国に組み込んで、税を払ってもらうことが根幹にあると言ってもいい。

 だが、生まれた子供が働き手に育つまでかなりの時間がかかる。

 そのうえ今は……。

 

 

 

 

 

「グランダムに限らず、聖大陸全土で土地の不毛化が起きている。この状況でやみくもに人口を増やせば、歳入増どころか、近い将来食糧危機が起きてしまう恐れがあるな」

「そうでしたか。申し訳ありません。主のお力になれず」

 

 謝るザフィーラに、俺は首を横に振りながら、「いい」と返事をする。

 俺も宰相も文官たちの誰も、それ以外の方法を思いつけないんだ。ザフィーラを責める気は毛頭ない。

 

「税収か、お兄様も大変だね。私はつくづく王家なんかに生まれなくてよかったと思うよ……それでも女好きだった親父(先王)を許そうという気はまったく起きないけど」

 

 ティッタはわざと軽口を叩くことで重くなった空気を和らげようとする。

 しかし、その努力もむなしく、考えに行き詰まった俺たちは何も言うことができずに沈黙し、中庭はしんとした静寂に包まれた。

 

 かなり長い間を空けて、それを破ったのは二月前同様……

 

「いっそこの国の外に知恵を求めるしかないかもしれませんね」

「……イクス?」

 

 名ばかりのガレア王にして、我が国では軍医見習いとなっている少女、イクスだった。

 無意識に彼女の名を呼んでしまった俺に対して、イクスは慌てて手を振りながら、

 

「――あっ、すみません! なんとなく思ったことがつい口から出て――」

「いい。何か浮かんだのなら言ってみてくれ。どんな話でも聞かないよりはましかもしれない。それにイクスならこの間みたいにいい案が出せるかもしれないしな」

 

 俺に促され、イクスは恐縮しながらもおずおずと口を開く。

 

「ええと……今は土地が枯れているせいで、農村からあまり税を取るわけにはいかないんですよね。それは仕方のないことだと思います。だから税収を増やすには、都市運営の方に力を注ぐしかないのではないかと私は思います。その参考に出来そうな都市が、この国の南にあると聞いたことがありますが」

「……『自由都市リヴォルタ』か」

 

 リヴォルタはこのグランダム王国の南にある、どの国からも独立した自治都市だ。

 五つの巨大な街区で構成されていて、全体の規模は聖王都やダールグリュン帝国の帝都より大きい。

 しかし、リヴォルタには正式な軍は組織されておらず、いくつかの傭兵団が自警団として治安を担っているという状況だ。そのためか、あの街では窃盗などの軽犯罪から誘拐や強盗殺人といった凶悪犯罪まで絶えず起こっており、安全面に関しては疑問がある地域でもある。

 それに都市運営は農村より難しい。

 財力と学のある市民が為政者に抵抗し、思ったより税が取れない場合があるからだ。かつてリヴォルタを統治していた領主も王も自治を求める住民の声を抑えきれず、市の運営を住民に任せたという。

 

 しかし、今は従来通りに農村を中心とした領地から税や作物が取ることができない状況だ。

 都市運営に手を付けるのもありかもしれない。

 

「よし! 駄目で元々だ。お前たちの今までの働きに報いて休暇でも与えてやりたい頃だと思っていたし、都市運営の勉強のために一度リヴォルタへ行ってみるか!」

 

 俺のこの一声に、

 

「休暇など我らにはもったいない。しかし、主ケントがそこへ行かれるというなら主をお守りするため、我らもお供しましょう」

 

 とシグナムが、

 

「ケントのお供って休暇とは言えねえじゃねえか。まっ、ベルカ一の都市なら何か一つか二つ面白いものが見られるかもな」

 

 とヴィータが、

 

「みんなでですか……困ったわね。留守にしてる間に怪我をした人が出るかもしれないから、長期間医務室を空けるわけには」

「あっ、それなら私に任せてくださいシャマルさん。私は大きい街とか過去の時代で見慣れ――あまり興味ないので」

「そう? それじゃお願いできるかしらイクスちゃん」

 

 最近小さい子に肩の力が抜けそうな呼称をつけるようになったシャマル、

 

「リヴォルタかー。おいしいお店があちこちにあるって聞いて、一度行ってみたいと思ってたんだよなー。お兄様、慰労っていうからには、当然アタシら臣下に御馳走くらいしてくれるんだよね?」

 

 目を輝かせながらねだってくるティッタが続いた。

 

「……」

 

 ザフィーラは特に何も言わず、黙ってその場であぐらをかき続けている。特に反対というわけでもないのだろう。

 

 

 

 

 

 その後宰相からの許可も得て、イクスを除いた俺たちのリヴォルタ行きが決まった。

 この時はあの都市であんな連中に遭遇するとは夢にも思っていなかった。

 ある意味守護騎士の複製ともいえる能力を持つ超人たちに会うことになるとは。



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第28話 死の商人ギルド

 日が昇る前の時間帯、シュトゥラの南東に位置する某小国の王宮の前にそびえる城門に、一台の牛車が()()()ゆっくりと近づいてきた。

 (ほろ)が張られた荷台を牛が牽引しており、その上には商人らしき男が手綱を引いて乗っている。

 牛車が門のすぐ手前まで来たと同時に、門を守る二人の門番が牛上にいる商人に槍を向けた。

 

「そこのお前、ここに何の用で来た?」

「ここから先は許可を得た者しか入ることはできないぞ」

 

 槍を向けられ商人は少しばかり身をすくめるが、恐れを心の奥底へ押しやって用向きを告げる。

 

「……工房からご注文の品を届けに参りました。取引は中で行うとのお話でしたので、門より先へ通していただきたいのですが」

 

 商人の言葉に門番たちは一瞬逡巡するも、片方があることを思い出す。

 

(そういえば一月前から度々、工房の人間と名乗る者が来たら符牒で確認を取って、それが確かだったら武器庫の方へ向かわせろと言われてたな)

 

 指示を思い出した方の門番が懐から紙を取り出し、商人に尋ねる。

 

「事前に取り決めた符牒を確認させてくれ。でなければ通すことはできない……闇」

 

 門番が唱えた単語に、商人もそれに対応する単語を返す。

 

「……銀」

 

 合言葉はまだ続く。門番は次の単語を唱えた。

 

「守護」

「殺戮」

「病」

「毒」

 

 門番と商人は互いにこういった符牒を言い合っていく。

 

 通常国王などから依頼を受けた商人は、その際に依頼主の署名が入った書を渡される。そしてこのように完成した製品を届けに王宮を通る際は、その依頼書を見せることで敷地内を通る許可を得るか、もしくはこの場で受け渡しをする。

 しかし、今回商人が運んできた品物は、ベルカ各国の間で結ばれたある条約で禁止された兵器だった。そのため依頼書のような証拠を出すわけにも、大衆の目に付くこのような場所で取引をするわけにもいかず、このような符牒で敷地へ入れていいか確認を取ることになった。

 

 何度か符牒を確信してから、しばらくしてゆっくりと門が開けられていく。

 ようやく商人が城の敷地内へ入ることが許されたらしい。

 商人が手綱を引く牛車は敷地へと入っていく。しかし、その速度は相変わらず緩やかだ。

 

「おい! 騎士団長が待っているんだぞ。もっと早く進めないのか?」

 

 やきもきするほど遅く進む牛車に門番がそう文句を言うが、その牛車を操る商人は、

 

「申し訳ありませんが、荷台の中に危険物が入っておりますのでご理解ください。もし、万が一強い衝撃を与えたりすれば、この城一帯が全焼してしまうほど危険なものですので」

 

 と返しながらゆっくりと牛車を進めていった。

 

(火薬を使った禁忌兵器(フェアレーター)か。どおりで馬車ではなく牛車を使って運んでいるわけだ)

 

 《禁忌兵器(フェアレーター)》

 武器としてはあまりに非人道的で環境への影響も大きすぎるために、それを危惧した聖王家が提唱したベルカ条約によって禁止された、言葉通り“禁忌の兵器”である。

 

 

 

 

 

 かなりの時間をかけて牛車は、王宮の敷地内にある武器庫のある棟に辿り着いた。

 棟の前には騎士らしき鎧を着た男たちが十人以上立ち並んでおり、その中でもっともいかつい鎧を着た壮年の男が、先頭に進み出てきて商人を迎えた。

 

「ようこそ。遠路はるばる荷物を届けるためによくここまで来てくれた」

「いえ、それが私の仕事ですので」

 

 一方、商人の方は言葉遣いこそ丁寧だったが牛から降りることはなく、上から団長を含めた騎士たちを見下ろしている。だが、それを騎士たちの誰も咎めることはない。そういう段取りになっているからだ。

 

「その荷台の中に例の……」

「ええ。ご注文通りの数をそろえて参りました。これだけあれば、どんな大森林でも燃えカスと炭しか残りませんよ。ただし、使う時はくれぐれも注意してください。置き方次第では設置した本人たちまで、燃え盛る森の中に取り残されることになります」

 

 そう釘を刺してくる商人に、騎士団長はニヤリとした笑みを向ける。

 

「さすがに禁忌兵器と呼ばれるだけはあるな。あの気味の悪い亜人どもが住む森を焼き払うんだ。それぐらいのものでなくては」

「亜人……そういえば我が国の東にある森には、人の姿をしていながら猫の耳と尾が生えているという、奇怪な種族が住んでいると聞いたことがありますな。……ただあの亜人たちは百年前からシュトゥラ王家に保護されているとのことですが、まさか……」

「ああ。《魔女》を名乗る亜人共が巣食う森を焼き払い、それをもってシュトゥラへの宣戦布告とする。高名な騎士を始祖に持っていながら、聖王とその取り巻きども(中枢王家)に尻尾を振りおって。シュトゥラに攻め込んであの親子も、あの国にいる憎き聖王の娘ともども亡き者にしてくれるわ!」

「聖王様の末姫まで。では我が国の国王陛下は聖王様の号令に従うつもりはないということですか?」

 

 思わず問いを投げかける商人の物言いに、団長は不愉快そうに眉をひそめる。

 

「不服か? 嫌なら売ってくれなくてもいいんだぞ。その代わり……」

 

 団長が右手を上げると、付近にいた何人かの騎士が剣を抜く。

 売る気がないなら力づくで奪う。団長はそう言いたいのだ。

 それに対して、商人は手を振って否定した。

 

「い、いえいえ、我が国がどういった方針を取ろうとも、そこに住まわせていただく以上従いますとも。こちらの製品も喜んでお譲りします。商売ですのでお代は頂きますが」

 

 商人がそう言うと団長は笑みを取り戻して右手を下げ、それを見て騎士たちも剣を鞘に収めた。

 

「それはなにより。私も爆弾とやらの側で騒ぎを起こしたくはないんだ。……金ならほれ、これくらいあれば十分だろう」

 

 団長は懐から薄い円状の物体がぎっしりと詰まった袋を取り出し、それを牛に乗ったままの商人に向かって差し出す。

 商人は牛の上から手を伸ばし、袋の中に手を入れて中からある物を取り出した。

 

「……確かに。ありがたく頂戴いたします」

 

 手に取った物が金貨だと確認すると、商人は金貨を袋に戻しその袋を掴み取った。

 

「取引成立だな。では製品を受け取らせてもらうぞ――おいお前たち! 荷台に積んである物をそのまま武器庫まで運び入れろ! ただし、くれぐれも落としたりするんじゃないぞ。この場で消し炭になりたくなければな」

「は、はい!」

 

 団長に命じられ、騎士たちは荷台に張られた幌を空けて、中から手ごろな大きさの箱を取り出す。その箱にはベルカ語で大きく【取扱注意】と書かれていた。

 箱を両手に持ちながら武器庫まで慎重に歩いていく騎士と、彼らを見張っている団長を横目に商人は考えを巡らす。

 

(誉高い血統を持つ王家が妬ましいだけの俗物め。だが、それだけではシュトゥラほどの大国を敵に回そうとは思うまい。狙いはあの国にいる聖王の娘だろうな。……ふむ、これからこの国のような反連合に狙われるようになるのは、聖王家や中枢王家に連なる子女を預かっている国なのかもしれん)

 

 

 

 

 

 

 それから数刻ほど経った頃、自由都市リヴォルタにある某ギルド。

 

「失礼します」

 

 何人もの事務員が机で書類に何か書き込んでいたり、何かを探して棚をあさっていたりして、右往左往しているギルドの事務室に若い男が一人入ってくる。

 若い男は奥の方に目をやり、目当ての人物がそこにいるのを確認して足を進めていく。

 相手も入室してきた男が自分に用があるのだと察し、書類仕事の手を止め自分に近づいていく男を見た。

 

「ご無沙汰してますサブマスター。本部へ報告したいことがあって、至急リヴォルタへ参りました」

 

 男から挨拶されたサブマスターと呼ばれた初老の男はペンを置き、精査中の書類の束をトントンと机に立ててから返事をする。

 

「こちらこそ久しぶりだね。あちらの国へ出向している君が定時連絡以外で戻ってくるのは珍しいな。よほど急いで伝えたいことがあるらしい……ただ、報告を聞く前に一つだけ訂正させてもらうよ。ここは本部ではなく一介のギルドにすぎない。そんな言い方だとまるでうちが他国のギルドを支部扱いしているようじゃないか」

「申し訳ありません。つい」

 

 少し口が滑っただけなのに重箱の隅をつつくようなに注意してくる初老のサブマスターに、男は反感を覚えながらもその気持ちを抑えて謝る。サブマスターくらいの年寄りを相手にしていたらよくあることだ。

 とはいえ、間違ったことを言ったつもりはない。このギルドが間諜などの回し者を通して、他国のギルドを実質的な支部、もしくは下請けのように扱っているのは歴然とした事実だ。

 

「まあいい。それで君が報告したいこととは何だね? あちらさんで何か問題でも?」

「いえ、向こうの国とは特に問題は起きていません。むしろ取引は順調に進んでます。今日も製品を大量に買い取っていったくらいです……ただ」

 

 そこで男は一旦言葉を区切り、サブマスターの机に手を載せながら前かがみになり、相手にだけ聞こえる音量まで声を潜めて続ける。

 

「その製品の使途についてなのですが、それらは隣にあるシュトゥラへの宣戦布告に使われるようです。燃焼兵器を使ってシュトゥラの南に広がる魔女の森を焼き払うのだとか。加盟を強要してくる連合への反発と、聖王の末姫を預かっているのが宣戦の理由らしいですね。向こうの業者の推測では反連合の思想を持つ国々は、今後聖王の血統を汲む王家とそれを守る国々に戦を仕掛けていくのではないかと」

 

 男の報告に、サブマスターは頬杖をついて思案する。

 

「なるほど。それはなかなか興味深い見解だな。反連合と取引を続けていきつつ、その業者の推測に沿って連合内で狙われそうな国にも製品を売り込んでいけば、我々はより大きな利益が出せるかもしれん。ただ、君の話にも出ていたシュトゥラとは取引できそうにないのが惜しいところだな。あそこの王家や高官は潔癖すぎていかんよ。シュトゥラほどの大国との商談は諦めたくないんだがな」

「何やら面白そうな話をしているね」

「「――っ!」」

 

 顔を寄せあい込み入った話をしている二人に、別の男が声をかけてきた。

 二人は話を止めて声の方へ顔を向ける。

 男とサブマスターの隣には、いつの間にか黒髪の男が立っていた。自身より年長のサブマスターに対しても上から見ているような高慢な口調、男の目の上にある特徴的なほど太い眉毛、この建物で働いているような人間なら一目見てわかる人物だ。

 

「ギルドマスター!」

「これはマスター、お越しになられていたのですか」

 

 男は驚きながら、サブマスターは椅子から立ち上がりながら、ギルドマスターに対してかしこまる。

 

「なに、早上がりの挨拶に寄っただけさ。私の仕事はもうなくなってしまったし、そろそろ娘への贈り物を買いたいと思っていた頃だったから、今日はもう帰らせてもらおうと思ってね。そこに君たちが話し込んでいるのが見えたのさ。それで二人仲良く一体何の話をしていたんだい?」

「いえ、それがですねマスター……」

 

 マスターの問いに応じながら、サブマスターは辺りを見回した。

 ギルドマスターが現れたためか、事務室にいる皆がマスターたちの方を見ている。

 サブマスターと男が話していた内容は禁忌兵器の売買に関することなので、あまり声高に話していいことではない。今のところここには内輪の人間しかいないようだが。

 マスターもサブマスターの言いたいことを察し、皆に声をかける。

 

「私たちの事は気にしないで、君たちは仕事に戻ってくれ。それとも、今期のボーナスはいらないということかな?」

 

 マスターからそう言われて、職員はそそくさと仕事に戻っていく。

 そんな部下たちの姿に苦笑しながら、マスターはサブマスターたちを見た。

 

「それで? 戦を仕掛けていくと大きな利益とか、そんなことを言ってたような気がするのだが」

「はい。実は――」

 

 マスターに問われて説明を始めるサブマスターだが、彼も、他国から来た連絡員の男も、内心で首をかしげていた。

 話の内容が内容だけに、彼ら二人は肝心な部分に関して、かなり声を潜めて話をしていたはずだ。

 それなのになぜギルドマスターは、二人の会話に含まれていた単語を正確に聞き分けることができたのだろうか?

 

「――という訳で今はまだ一商人の憶測にすぎないのですが、私としては試してみる価値はあるかと。もちろんこのことは、すぐにでもマスターのお耳に入れるつもりでした」

「ふむ、確かに聖王自身はともかく、その取り巻きたちはうちの製品に飛びつきそうだね。だが、中枢王家以上に大きな勢力を持つシュトゥラという国がうちの製品を買ってくれそうにないことが、君にとっては不満なわけだ」

「ええ、まあ……」

 

 不承不承ながらうなずくサブマスターだが、マスターの方はそれを何でもないことのように笑い飛ばす。

 

「だったらシュトゥラに売る製品を選べばいい。彼らだって普通の武器なら今も買っているだろう。うちはそちらに関しても自信をもって売り出しているからね。欲を張らずに確実に取れる利益を取ればいいのさ」

「そ、そうですな。私としたことが欲を張ることで、かえって機会を逃してしまう所でした。さすがはギルドマスター、常に先を見ながら行動されている」

「はっはっはっ、よしてくれよ。実業家として小さい利益でも取れるだけは取っておきたいだけさ」

 

 サブマスターのおべっかにマスターはまんざらでもなさそうに後ろ頭をかきながら笑い、ほどなくマスターは表情を引き締めて話を変えた。

 

「まあ、そちらは君に任せるとしよう。ところで、この中央区で造らせている“あれ”はどのくらい出来上がっている? そろそろ完成の報が聞きたいんだが……」

「そちらのほうはもう試験も終えまして、後は微調整を加えるのみですから、ほぼ完成しているといってもいいかと。すぐにでも乗りたいということでしたら調整を急がせますが?」

 

 サブマスターの報告にマスターは首を横に振った。

 

「いや、近いうちに乗れるようになるのならいいんだ。まだ娘への贈り物も用意してないからね。私はもう少しこの()()に滞在してみるさ。……おっと、そうだった! その贈り物を買うために早退するんだった。では私はこれで失礼するよ」

 

 そう言って出入り口の方へ踵を返そうとするマスターだったが、

 

「……そう言えばギルドへ向かう途中で空から見たんですが、北区にぬいぐるみらしきものを売ってる出店がありましたね。まあ、さすがにあれは――」

「本当かね!?」

 

 連絡員の言葉に反応し、マスターは彼の方を向いてその肩を掴む。

 

「それはいいことを聞いた。娘はぬいぐるみが大好きでね。お土産としてはうってつけだ。ありがとう君! 今度会ったらお礼に何かおごってあげよう」

「ありがとうございます、でもあれは――」

 

 連絡員が何か言いかけるも、構わずマスターは意気揚々と扉へ向かい、止める間もなく事務室から出て行った。

 それを見届けながら、怪訝な表情でサブマスターは連絡員に尋ねる。

 

「あれは何だ? まさかぬいぐるみではなかったのか?」

「いえ、確かにぬいぐるみには違いないんですが、その……売っているぬいぐるみのほとんどが独特な姿形をした造形だったんです。多分あれを女の子に贈っても喜ばれないんじゃないかと」

 

 それを聞いたサブマスターは手を左右に振りながら、

 

「それぐらい大丈夫だよ。あの人のセンスって結構変わっているから。娘さんももう慣れているだろう。……それで君はこれからどうする? 勤め先へ帰る前に茶でも飲んでいくかい?」

「あっ、いただきます」

 

 

 

 

 

 連絡員とサブマスターが茶を飲んでいる間も、ギルドマスターは建物を出て、一目散に北区のぬいぐるみ屋へ向かっていく。

 そして彼はこの後、そこでグランダムから来たケント一行と遭遇することになるのだが、それはまた後ほど。



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第29話 自由都市リヴォルタ

 『自由都市リヴォルタ』

 そんな名をつけられている街のまわりは巨大な外壁に覆われており、その壁の東西南北には一つずつ巨大な空洞が開けられ、そこを通って人々は街を出入りしていた。

 その穴は門と呼ばれ、宵闇がベルカの曇天を覆うまでは、常に二人の兵が門を守っている。無論、同じ兵を半日間ずっと門の前に立たせているわけではなく、数刻おきに交代を重ねて門を守る兵は何度もその顔ぶれを変えている。

 街に出入りするための四方の門のうち、北側の門で俺たちは門番から身元を検められていた。

 

「ケント・セヴィル殿とその御一行様、確かに確認しました」

 

 俺たちの身分を証明する大きな紙に書かれた国籍と役人のサインを見た門番はそう告げる。

 

「では、街へ入る前に通行料を徴収させていただきます」

 

 街へ入るために必要な料金を請求され、俺は懐から袋を出しそこから何枚かの金貨を出した。グランダムなら出入国するのにこれくらいで充分足りる。

 

「グランダムの通貨だが構わないか?」

「ええ、もちろん……ただ、これは少し多すぎますね。二枚ほどお返ししますよ」

 

 金貨を受け取った門番は、そのうち二枚を本当に俺の手に返してきた。

 街に入る前に早速リヴォルタとグランダムでの違いを知らされたな。入国料はこちらの方が数段低い。貿易を主産業とする都市ならではの価格設定か。

 ただ、本来の通行料はもう少し安いのかもしれない。うっかり多めに納めてしまった金貨の内、二枚くらいはこちらに戻ってこずに、こいつらの小遣いになってしまうのだろう。

 額を聞いてから出すべきだったと一瞬悔いたが、幸い全部は取られなかったことだし、丁寧に通行手続きを取ってくれる彼らへの心付けだと思い直すことにした。

 そう考えている俺を前に、門番は懐からペンを取り出して、身分証に近づける素振りを見せる。

 

「では料金を領収した証として、証明書に私のサインを書かせていただきますが、構いませんね?」

「……サイン? なぜそんなことを?」

 

 門番の行動に対し、俺の表情は訝しげなものを見る顔になっているだろう。

 すでに書かれてある文言を塗り潰されでもしない限り、証明書に何を書き加えられても別に不都合はないが、一般の国や都市の壁門ではまず見られない段取りだ。

 そこへ入る時も出る時も門番は通行料を受け取るのみ。なぜ領収した証など……。

 

「この都市から出る時にこの証明書に我々のサインが書かれていなければ、再度通行料が徴収されることになっていますが、それでも構わないのですか?」

 

 そうか! 証明書に門番のサインがあれば、街から出る時に通行料が免除されるのか。

 さっきも述べたが俺の知ってる国や都市では、入る時も出る時も通行料がかかる。

 通行料を払って一度そこへ足を踏み入れてしまったら、旅を続けるためだろうと故郷へ帰るためだろうと、そこから出るためには、もう一度通行料を払わなくてはならない。つまり永住でもしない限り、二度は通行料を納める必要があるということだ。

 しかし、この都市では入るためには料金が必要になるものの、都市から出る時はそれを払わずに済む措置を取ることができるらしい。

 

 通行料は低いうえに徴収するのは片道だけか、通行人にとってはありがたい施策だな。

 これをグランダムでやったら、民の負担も軽くなり、他国からの客も増えるようになるかもしれない。試しに一度行ってはみたいが……おそらく無理だろう。

 リヴォルタのような自由都市と違って、ほとんどの都市では通行料を取っているのは、その地を治めている領主だ。

 彼らの中にはこれと似たような仕組みを思いついた者も少なくないに違いない。しかし、それをすれば領主たちに入ってくる金が減る。だから彼らはあえて現状のまま行きも帰りも料金を取り続ける。

 国全体よりもまずは自分の利益が優先。これが封建制の世を支配する領主たちの行動原理だ。

 通行料を低く抑え、さらにそれを減免する施しを与える。それは国より規模が狭く、なにより市の為政者たちが市全体に金を落としてもらいたいという考えを持っている自由都市だからこそ取れる手なのだろう。

 

 とにかく、門番の申し出に対する俺の返答は一つだけだ。

 

「……サインを頼む」

 

 俺がうなずくと門番はすぐに何かを(間違いなく彼自身の名だろう)証明書に書き込み、俺に返してくる。

 

「確かに記入しました。くれぐれもなくさないでくださいね。……ところであなたはたしかケント殿というお名前でしたね? あなた方が住んでいるグランダムという国の王も、確かケントという名前だったと記憶しているのですが。その左右異なる眼の色といい、まさかあなた……」

「……偶然にも王と同じ名を持っている。恐れ多いので改名したいところだが、名を付けてくれた亡き両親を思うとそうもいかなくてな」

 

 門番の勘繰りにひやひやしながらそう言い訳する俺の後ろで、騎士たちの中から何人かが忍び笑いを漏らしていた。そのほとんどがヴィータとティッタの口から漏れる声だ。

 ……そういえばこの書類にでっち上げた身元でも、俺とティッタは兄妹ということになっていたな。

 

「俺たちの左右違う眼の色も偶然なんだ。なあ妹よ!」

「えっ、アタシ!? ――そう! そうなんですよ。私たちの家系もこの通り虹彩異色(オッドアイ)が出やすくて。ただ、アタシが知る限り王様の目の色はアタシたちとは違う色だったような。ねえ兄さん!」

(何やってんのよこの兄妹は)

 

 俺たちの後ろでシャマルが大きくため息をつき、門番は怪訝そうな目を俺とティッタに向けた。まあ、ここまではおおよそ狙い通りの反応ではある。人が慌てふためく姿を笑って見ている何人かの一人であるティッタに意趣返しがしたかったのも本当ではあるが。

 

「……まあいいでしょう。ただ、これだけは覚えてください。このリヴォルタには多くの国から来客が訪れています。商取引、旅行、観光などのためにね。その中には大国の貴族、時には王族までもが身分を忍んでいらっしゃっている。そのため、あなた方がグランダムでどのような特権を持っていようと、この都市の中では適用されません。そのことをくれぐれも忘れないでください」

 

 誤魔化される風を装いながらも、門番は最後にそう念を押してくる。

 外賓として訪れるならまだしも、身分を隠してくる以上特別扱いは期待するなということだ。

 それに俺も文句はない。首を縦に振って応じる。

 

「わかっていただけたようで何より。ようこそ自由都市リヴォルタへ。あなた方のお越しを歓迎させていただきます」

「門を抜けたら、すぐ左側にある両替商を訪ねることをお勧めします。リヴォルタでは為替に関して協定が交わされているため、他国の通貨がまったく通用しないということはありませんが、市内通貨の方が決済がすんなりと進みますから」

 

 二人の門番から歓迎と忠告を受けて、俺と騎士たちは門を通りリヴォルタへ足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタは元々ある国の商業都市だったが、戦乱の中で魔導武装、魔道具の販売によって財を成し、発言力を得た商人たちが当時の領主から自治を勝ち取ったことが自由都市としての始まりとされる。

 その後、しばらくは領主もまだこの街に留まり続け、何かにつけて市民たちから税を取ろうと試みたが、市の財政に大きな影響を持つほどの財産と、それで傭兵を雇い私兵まで持つようになった商人、職人たちに押され、逆に減税せざるを得なくなったという。

 しだいに領主はリヴォルタの外に新たな領土という収入源を求めるようになり、手柄を上げようと戦争に参加したがそこで討ち取られ、領主のいなくなったリヴォルタ領は国王の直轄に戻ったが、国王もリヴォルタの扱いを持て余したが為にこの街の運営に口を出すことはなく、どの諸侯にもこの地を与えることもなかった。

 後にその国も戦火に焼かれ滅びたが、敵国はこの街を侵す真似をしなかった。彼らは密かにこの都市から武具類を買い取っており、攻め滅ぼしてしまうより取引を続けた方が都合が良かったからだ。

 そんな紆余曲折を経て、都市リヴォルタはどの国からも独立した場所となった。

 

 現在のリヴォルタは都市を代表する市長と市長を補佐する数百人の議員を選挙で選び、彼らに市政を任せる形で運営されている。

 だが都市に住む住民のうち、選挙に立候補できる市民も投票できる市民もわずか一握りだ。

 まず議会を構成するために必要な数百人の議員は立候補した市民たちの中から選ばれるが、議員に立候補するには難関な試験に合格したうえで、市に高い登記手数料を払わなければならない。

 また候補者に投票するためにもある程度の読み書きができる必要があり、納税額が一定以上に達した者しか投票権が与えられない。

 つまり、学に秀でていて裕福な市民だけが立候補と投票に参加できる仕組みになっている。

 学については俺も理解できる。しかし、登記料と納税額で多くの市民たちを選挙からふるいに落とす理由には釈然としない。

 事前に聞いた話では、税も払えない貧民が議員となり何らかの方法で議会を牛耳るようなことが起これば、不当な税制を作って市民の財産を収奪するような事態が起こりかねない。という意見がある商人から上がったためらしい。

 とりあえず今はそのことは置いておこう。

 

 そうして一部の市民によって選ばれた数百人の議員たちは、さらにその中からただ一人の市長兼議長を選出する。

 議員には通常十年足らずの任期を定められているのに対し、市長は本人が望む限りその地位に留まり続けることができる。

 おそらくは市長という権力が空洞化したところを、他国から狙われるのを危惧しての措置だろう。

 ただし、議会には市長を弾劾する権限を有しており、市の長としての権力の濫用は容易ではない。だが市長と議員たちが手を結べばその限りではなくなるだろう。

 

 領主の子らが生まれながらに支配権を握ることが約束された封建制国家と違って、市民たちの支持を得た者が指導者となる民主政が取られている自由都市。

 しかし、その実態は富裕層や彼らの代弁者たる議員たちが支配する都市国家。

 

 そんな都市に俺たちは身分を()()()()隠してやって来た。

 

 

 

 

 

 門番の勧め通り、所持金の半分ほどを市内通貨とやらに両替して、俺は騎士たちと共に『リヴォルタ北区』の街並みを見渡していた。

 街中にごった返した群衆、彼らに商品を売りつけるために地べたに敷物を敷いて品々を並べて座る露天商、大勢の人々が出入りしている建造物の数々。

 騎士たちも俺も、目の前に移っている光景に圧倒されるばかりだった。

 

「うおー! 人も建物もいっぱいだ。ここだけでもグランダム王都より賑わってるんじゃねえの?」

「――おいヴィータ!」

 

 今まで見たこともないほど街の賑わいに当てられ、思わずこの街とグランダム王都を比べるようなことを言うヴィータをシグナムは叱責しようとする。

 だが、グランダム王都の領主である俺は、実のところヴィータに似た思いを抱いていた。

 

「……まあ、この中の一部がグランダムに来てくれるおかげで、今の繁栄があると言っても過言じゃないからな」

 

 現在グランダムは防衛力が評価されて、各国から多くの行商人や旅行客が訪れ、彼らが落としていく金で好景気のさなかにある。

 だが、行商人はともかく、旅行客の多くはこのリヴォルタにいる、あるいは訪れた観光客のごく一部だということは、この街を眼前にしており度々交易も行っているグランダム南部の領主たちにとっては周知の事実だ。

 

『リヴォルタを練り歩くのも疲れたな。どこかにのんびりできる場所ないか?』

『北にグランダムって国があるらしいけど、そこなんてどうだ? ガレアに勝ったくらいだから、ちょっとやそっとじゃ戦火に巻き込まれる心配もないぞ』

 

 という会話を実際耳にした者もいるらしい。

 グランダムの王としてそれを悔しいと思う気持ちはもちろんある。しかし、この街の活気を見て思わず、かなわないなと納得してしまったのも事実だ。

 

「陛下?」

 

 複雑な気持ちになって、たそがれている俺にシャマルが心配そうな声をかけた。

 

「すまない、俺なら大丈夫だ。……それより今は陛下はよせ。一応身分を忍んでいる最中だぞ」

「す、すみません。ケント……さん」

 

 慣れないらしく、照れくさそうに顔を赤らめながらシャマルは俺をさん付けする。

 そこへ、

 

「おい! 何をいちゃついてんだ。無防備女医とむっつり兄貴」

「――うぉ!」

「ティッタちゃん!?」

 

 俺とシャマルを押しのけて、その間にティッタが割り込んできた。

 顔を輝かせ興味深そうにこの北区の街並みを眺めている時とは一転、今のティッタの表情は不愉快そうな色で染められている。

 

「なに? 体を押されたくらいでまさか不敬罪とか言わないよね。王様じゃあるまいし」

「……今さらそれぐらいでそんなことを言うつもりはない。王様だったとしてもな」

 

 

 

 

 

 最初の門番とのやり取りの時点でお分かりの通り、俺たちは現在身分を隠してリヴォルタの街に入っている。

 俺がティッタの姓を借りてケント・セヴィルと名乗っているように、他のみんなも適当な名字をつけ、王宮ぐるみで仮の身元をでっち上げた。この中で本名を名乗っているのはティッタくらいだ。

 しかし宰相やシャマルの言うところによれば、身分を隠し過ぎてもいけないらしい。

 あまり過剰に身分を隠して街へ入ろうとすると、何か良からぬ企みをしているのではないかと都市側から邪推され、余計な警戒心を持たれかねない。

 俺がグランダム王かもしれないと匂わせつつも、断言はしない。

 それで向こうも、隣国の王がお供を連れてお忍びで来たのだと察してくれるものらしい。

 故に、俺は瞳の色を変える魔法などで虹彩異色をごまかす真似はせず、最初の名(ファーストネーム)もケントと名乗ることにした。

 しかし今考えれば、門番に勘付かれて慌てふためいている俺の姿が見たいがために、そんなことをさせられたんじゃないかという気もしてきた。女装案まで出てくるぐらいだったからな。実現しなくてよかったと本当に思う。――ちなみに女装の案を出したのはシャマルだ――

 

 こんな調子で俺たちのリヴォルタ視察は幕を上げることになる。



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第30話 うさぎのぬいぐるみ

 リヴォルタ南門。

 門の前に馬車が通りがかり、それに気付いた二人の門番はすぐに定位置から中央に寄って、門の前をふさぐ。

 それと同時に馬車は速度を緩め、門とそれを守る番人たちの前で停止した。

 西門の前に停まった馬車は、白で染められた客車を二頭の馬が牽引するもので、白い客車の前につけられた席には、馬に取りつけられている手綱を握る御者が座っており、客車の後ろにつけられた台には主の世話と警護のためについてきた執事が立ち、これらを一目見るだけで客車の中にいる人物はかなり高位の貴族か、もしくは裕福な富豪かがうかがえるだろう。

 それでもこの街には入れるのは、国から発行された身分証明書などによって素性を明らかにしたうえで通行料を納めた者だけだ。それはリヴォルタに限られたことではない。

 門番の一人が門の前に立ち続け、もう一人が彼らの素性を確かめるために馬車に近づく。正確には二頭の馬が牽引している客車の方へ。

 その客車の窓は日除けのために内側から窓掛けがかけられており、中にいる人物の様子をうかがい知ることはできない。

 その時、後ろの台から執事が降りて数歩進み、客車の横に立つ。

 客車を守っているように門番の行く手を阻んでいるのは、燕尾服を着た赤い髪と瞳の若い執事だった。

 

「失礼、私はこの客車の中にいらっしゃるお方にお仕えしているジェフと申します。主に取り次ぐ前に、まずはどのようなご用向きなのか、お伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 ジェフと名乗る執事は慇懃に、しかし隙の無い物腰で門番に用件を尋ねた。

 門番はジェフから発せられる雰囲気に、なぜかたじろいでしまうものを覚え、彼に返す言葉を言いあぐねてしまう。そのためしばしの間、ジェフと門番は互いに沈黙し、二人の間に緊張感が漂い始めた頃。

 

「失礼が過ぎますよジェフ!」

 

 ジェフの横、客車の中から女の声が聞こえてきた。

 門番は声につられて、ジェフは主に応えて、客車の方を見やる。

 彼らの眼前で客車を覆う窓掛けが引かれ、窓も開けられ、客車の中にいた人物が姿を現した。

 客車に乗っていたのは二十近くの少女だった。長く下ろした金髪に緑色の瞳で、二人を見ている深窓の令嬢という言葉が似合う美少女。

 門番は少女の美貌に思わず見とれかけていたが、少女と目が合うと慌てて表情を引き締めた。

 少女はそんな門番から視線を外し、ジェフに言葉をかける。

 

「ジェフ、心配は無用です。あちらの兵士様たちが装着されている鎧を見る限り、あの方々はリヴォルタに通じる門をお守りしている守衛様ではないかとお見受けします。おそらくは私たちの身元を証明する書類と通行料をご所望なのでしょう。ここは私が引き受けます。あなたは下がりなさい」

「はっ! 申し訳ありませんお嬢様」

 

 ジェフは浅く頭を下げ、己が主たる少女に詫びる。しかし、平時とは違って礼を略式で済ませるその動作から見て取れるように、主と自身の近くにいる門番への警戒は緩めることはない。

 そんな中、少女は門番に視線を戻して微笑を浮かべながら口を開く。

 

「高いところから失礼します。ですがわたくしが馬車から降りるところなどに、あなた様方の大切なお時間を頂くのは、とても申し訳ないことだと思いましたので。あなた様がお差支えなければ、このままお話をさせていただきたいのですが」

「い、いえ、そのようなことは決して! 自分たちはこのままでも一向にかまいません」

 

 少女の口から出た言葉は、無論ただの建前だった。

 形式的にジェフを叱りつけながらも、その実、少女も門番を信用してはいないのだ。

 もし彼らが本物の門番を監禁、もしくは始末して門番に成り済ました賊だとしたら、あるいは彼らが少女の生家を目の敵にしている貴族などから、少女の暗殺を依頼されている可能性も十分ある。

 

 少女の生家はある大国を治めている一族に連なる分家の一つだ。その分家はいずれも国の内外を揺るがすほどの力を持っている。

 そのため、一族の人間は常に命の危険にさらされており、一族に仕える従者は主の身を守るため、あらゆる事態を想定しながらその側についている。

 故にジェフや少女が、自分たちに近づいてきた見知らぬ兵士に、警戒心を抱くのは当然のことだった。

 兵士の方も豪華な馬車や彼女たちの行動で、少女の身分の高さと、それに伴うおおよその事情を察知して彼女が客車の中から話すことを認める。そもそも、彼らに下車を強いるほどの権限はないのだが。

 門番からの言葉に甘えて、少女は客車に入ったまま話を続ける。

 

「この度は当家の従者が大変失礼をいたしました。深くお詫び申し上げます。この場はわたくしの顔に免じてお許しいただけないでしょうか?」

「い、いえ、自分こそ職務のためとはいえ、了承もないままご婦人の側に寄ろうなどとしてしまい、大変失礼をいたしました……ですが」

「分かっています。リヴォルタの街に入るためには身元を証明するものと料金が必要だと仰りたいのでしょう……ジェフ!」

「はっ」

 

 少女に命じられジェフは門番に近づく。先ほどジェフの雰囲気に当てられた門番は、思わず一歩後ろへ足を下げてしまった。

 それに構わず、ジェフは門番に近づいて懐に手を入れる。それを見た瞬間、門番は自然と構える素振りを取ってしまう。

 だが臆する門番に対し、ジェフが差し出したのは厚い紙と十枚もの金貨だった。

 

「こちらは出国に際し、私どもの祖国から発行していただいた証明書と、ここから先へ通していただくための通行料となります。お金の方は少々多いかもしれませんが、先ほどご迷惑をおかけしたお詫びも含めておりますので、どうぞ遠慮なくお受け取りください」

 

 ジェフが差し出してくる紙と金貨を門番は受け取り、証明書だという折りたたまれた紙を開いていく。だが、証明書に書かれた名前に目を通した瞬間、門番は目を剥かずにはいられなかった。

 門番は唖然としながら少女の方に視線を移す。それに対し、少女はクスクスと笑みをこぼしていた。まるでいたずらが成功したかのように。

 

「申し遅れました。わたくしはダールグリュン帝国から参りました、エリザヴェータ・ダールグリュンと申します。以後お見知りおきを」

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ北区に到着した俺たちは、まず昼食を取ろうと飲食店を探すことにした。

 だがそこは聖王都やダールグリュンの帝都を凌ぐ、ベルカ隋一の大都市リヴォルタ。飲食店など周りを見回すだけで五件以上は見つかる。

 その中から俺たちは、出入り口の前に多くの人々が列をなして並んでいる店を見つけて、その列の後ろに並ぶことにした。

 俺にとって行列に並ぶというのはこれが初めての体験だ。

 俺が外で食事を摂ること自体はこれが初めてではない。今までも度々城を抜け出して城下町に出ては、飲食店に赴いて、そこで食事を摂るようなことはしていた。しかし自国でも、留学していた頃のシュトゥラでも、店に入るために列に並ぶという行為を取ったことは一度もない。店側も並んでいる人々が俺に遠慮していつも列を空けてくれるからだ。自国だけでなくシュトゥラでも特別扱いされていたのは、俺の隣にいつもクラウスがいたおかげだろう。

 これが人生初の行列だと思うと、徐々に進む前列を見送りながら店に入るのを待つのも悪いものではなかった。後ろにいたティッタとヴィータが空腹と退屈を訴え、文句を垂れ流していたので恥ずかしい思いもしたが。

 

 列に並んでから半刻ほどが過ぎ、ようやく店の中に入ることができた俺たちが目にしたのは、芳醇な匂いが漂う今まで見たこともない料理とそれを食べる客、そして天井近くの壁に掛けられた無数の札だった。

 札にかかれていた単語はいずれも今まで目にしたことがない言葉で、ほとんどの語尾にメンと書かれている。

 忙しそうに店内を立ち回っていた黒髪八重歯でイクスが着ているものとそっくりな服装の店員を呼び止め、彼女に札のことを聞いてみるとそれらはいずれも料理の名前で、これらの中から注文するものを選ぶらしい。一般的な店では卓の上にメニューが載っている冊子があり、それを見て料理を選ぶのだがこの店はそうではないらしい。

 だが、選ぶといっても俺たちはどの料理も食べたことはおろか、その名前を聞いたことすらない。

 俺たちに出来るのは、札から適当な料理を選んで運を天に任せるか、さっきの店員におすすめを頼むかのどちらかしかなかった。

 それから少しして俺たちのもとに運ばれた料理は、スープカップを大きくしたような大きな器に盛られ、その上に汁がかけられた麺料理だった。料理とともに配られたスプーンとフォークのうち、スプーンの方は変わった形の大きなものだ。フォークはベルカでもよく見るものだったが。

 それに加えて、俺を含めおすすめを頼んだ者たちのもとには、粒のような食物を炒めたチャーハンというものや、四角いトウフに赤い何かがかけられたマーボードウフという料理がついてきた。後者のマーボードウフの方は辛くて食べられるものがほとんどいなかったが、ティッタは気に入ったらしく、他の者の分まで食べていった。

 俺も市井の料理は何度も食べてきたがさすがにこういったものは初めてだ。戸惑いも大きかったが、しかしなかなかうまい料理だった。会計の際に店員にそう告げると、

 

「うちの料理は『ルーフェン』という世界で食べられているもので、元々はチキュウってとこからルーフェンに移住した私のご先祖様が持ち込んだものなんだ。気に入ってくれたなら今夜の夕食は東区にある木造の料理店で済ませるといいよ。うちとは違った異世界料理が食べられるから。あっ、ちなみにそこの料理は辛くないよ……わさびってものを頼まなければ

 

 と言っていた。

 なるほど異世界の料理か。どおりで今までまったく見たことがなかったわけだ。

 現在のベルカで次元船の出入港ができる港があるのは聖王都だけだ。

 そのため異世界の文明に触れることのできるところは聖王都を除けば、貿易を主産業にしているこのリヴォルタぐらいしかない。

 そういえばサニーも、他の次元世界から来たと言ってたな。彼女も聖王都の次元港を通って、このベルカにやって来たのは間違いないのだろうが、次元船はどうしたのだろう? ベルカの商船に乗せてもらったのか、それとも個人で次元船を持っているのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 食事を済ませて外に出てみると、いくつかの露店が食事前と変わっていた。その中に……

 

「――あっ!!」

 

 かすかに声を上げたヴィータにつられて、彼女の見ている方に俺たちも目を向けると……。

 ヴィータが視線を向けた先にあったのは、人形を並べた露店だった。

 人型だけではなく、様々な動物をかたどった人形が敷物の上に置かれている。

 

 

「へえ。ヴィータもこういうのに興味があったんだ」

「――ち、違う! グランダムじゃこういうのなかったから目に付いただけだし!」

 

 慌てて言い訳をするヴィータに、ティッタは笑いながら「照れるな、照れるな」と返す。ヴィータはそれに激怒するが、俺から見ればティッタの様子は茶化しているようなそれではなく、戦時中は血を流しながら敵兵と凄惨な戦いを繰り広げているヴィータが、珍しく年相応の反応を見せたことに安堵し、親友として喜んでいるように見えた。

 そこで俺は、

 

「お、おいケント! あたしはそんなのに興味はないんだって」

 

 ヴィータの制止を振り切って、俺は人形を売っている露店に足を進める。

 

「ちょっと売り物を見せてもらってもいいか?」

「……」

 

 人形と一緒に敷物の上に座り込んでいる女は、いらっしゃいませの挨拶もせず、俺の言葉に首をコクリとうなずくだけだった。冷やかしかもしれない客にまで愛想を振りまく気にはなれないのかもしれないと、俺は気にせず商品を見せてもらうことにした。

 人形は中に綿を入れているのか、どれも大きくふっくらとしており、いずれも風変りな造形をしていた。

 口がなく点を入れただけの右目に左目があるべき場所には絵が描かれた眼帯が付けられた猫?

 ガリガリの体の上に取り付けた頭蓋骨のような頭にいくつかの空洞を空けることで顔を再現したつもりらしい謎生物。

 一番マシなのが一見普通のクマだが妙に足が長い奴。

 そんな変わった姿の人形たちの中から、俺はあるものを手に取る。

 

「おいヴィータ、この人形なんてどうだ? 結構いけてると俺は思うんだが」

「あっ、それは……」

 

 ヴィータに見せるように俺が掲げたのはうさぎの人形だった。しかし、ただうさぎを模したものじゃない。

 このうさぎ人形の目は瞳が入っておらず緑一色に塗られ、口の両端には縫った跡のように×印が付いている。

 俺は最初から気付いていた。この露店を見つけたヴィータが眺めていたのは、この変わった顔をしているうさぎ人形だということを。

 俺が手に取ったうさぎ人形を、ヴィータはまじまじと見つめる。

 片やティッタはそれに気付いていないようで、肩をすくめながら、

 

「いやないわー。こんな不細工な人形。お兄様センスわる―。あっちのクマの方がいいよ。足が長すぎるけど気になるなら短くすれば――」

「ああっ!?」

 

 うさぎ人形をけなしながらクマの人形を勧めるティッタを、ヴィータはものすごい形相で睨みつけ、それに気圧されたティッタは縮みあがる。

 

「えっ!? ヴィータってああいうのが好きだったの? ――あっ、いや……うん。確かによく見たら結構かわいいかも。さすがヴィータさん、お目が高い!」

「ちっ、だから興味ねえつってんだろう。それ戻してさっさと他の街区に行こうぜ」

 

 ティッタは慌ててゴマをするも、ふてくされたヴィータには逆効果にしかならず、ヴィータはそっぽを向きそのまま踵を返そうとしてしまう。

 ここはひとまず人形を買っておいて、ヴィータの機嫌が直った時に贈るしかないか。

 そう思った時だった。

 

「おや。そのうさぎのぬいぐるみ、いらないのかい? だったらそれ、私が買ってもいいかな?」

「……?」

「「……?」」

 

 思わぬ方から声がかかり、俺たちは声がした方に顔を向ける。露天商の女も声につられて首を巡らせていた。

 俺たちの視線の先にいたのは、黒髪黒目で眉毛が濃い男だった。外見は二十代半ばに見えるが声は深く、実年齢は三十代の初めだと思われる。

 

「あん? 結構年いってる大の男がそんなもん欲しいのかよ。そこの怪力女の言う不細工な人形を」

「か、怪力女って――謝るからさっきのは許してよー」

 

 男に向かって訝しげに尋ねるヴィータとヴィータに許しを請うティッタ。

 そんな彼女らに男は笑みを浮かべながら言った。

 

「いやなに、今度久しぶりに家族と会う予定ができてね。娘に贈るお土産をずっと探していたんだよ」

「久しぶりに会うって、ご家族とは今は一緒に住んでないんですか?」

 

 話題を変えるためか、そう問いかけたティッタに男はうなずきを返す。

 

「ああ。妻も娘も今は別の世界に移住しているよ。私だけが仕事のために泣く泣くここに残っているんだ」

「別の世界に移住だと?」

 

 俺のおうむ返しに、男はまたうなずきを返した。

 

「そうだ。ほら、ベルカってずっと戦争が続いているうえに、最近はこのリヴォルタ付近で物騒な事件も起こっているだろう? だから彼女たちが安心して生活できるように、一足先に向こうへね」

「リヴォルタで」

「物騒な事件?」

 

 思わぬ言葉に首をかしげるティッタとヴィータに男も思わず目を見張る。

 

「まさか知らないのか? リヴォルタ付近の村やこの北区の高級宿で起きたあの事件を? ……ふむ、君たちはこの街に来てどれくらい経つ?」

「……今日この街に入ったばかりだ。その村や宿で起きたという事件の事、もう少し詳しく聞かせてくれないか?」

「それは別に構わないが……」

 

 そこで男はふと俺が持ったままの人形、もといぬいぐるみを見て、それから露天商の方にも視線を移す。

 露天商の女は相変わらず黙ったままだが、俺たちを見るその目はいささか据わってきているように見える。

 

「……あの事件について話す前に、君が持っているそのぬいぐるみを買っていかないか? どちらがそれをもらうことになるかは後で相談するとして」

「……そうだな」

 

 俺たちがこの店に来てかなりの時が経っている。

 これ以上ここで話し込んでいれば、露天商にとって営業妨害以外の何物でもないだろう。もっとも、ここで売られているぬいぐるみはどれもクセのある姿形をしているためか、俺たち以外の客が来る気配はないままなのだが。

 俺の横で男は懐からぱんぱんに膨らんだ袋を取り出し、その中から銀貨を数枚取り出す。俺の袋もここまでは膨らんではいない……この男かなりの富豪と見える。

 

「ここは私が立て替えよう。これくらいは何でもない」

「結構持ってるんだな。何の仕事をしているんだ?」

「ただの商人さ。仲間と共に立ち上げたギルドのマスターもしてるがね」

 

 露天商に銀貨を出しながらそう答えた男は、銀貨の入った袋をしまってから、俺に向けて右手を差し出す。

 

「申し遅れたね。私は『リヴォルタ・ワッフェギルド』のマスターを務めているウィラードだ。君は?」

 

 俺も右手を出して彼、ウィラードの手を握る。

 

「ケントだ。グランダムから来たケント・セヴィル。仲間とともに旅をしている」

「ほう! ケント……これはまた」

 

 俺が名乗るとウィラードは驚いたように目を丸くする。

 

「……どうした? 何かおかしなところでも?」

 

 今ので俺の正体に気付いてしまったかと三割本気で尋ねる。なにしろ名前の方は本名そのままだからな。ウィラードくらいの知識人ならこれだけで気付くかもしれない。

 だが、懸念する俺に対しウィラードは首を振ってみせた。

 

「いやいや、何でもないんだ。すまないね嫌な気分にさせて。改めてよろしく頼むよケント君」

 

 俺とウィラードが、互いに自己紹介を済ませたその時だった。

 

「うわあ!!」

「ヴィータ!?」

 

 ヴィータの悲鳴とティッタの声が聞こえて、俺とウィラード、露天商は彼女たちがいる方を見る。

 俺たちが見たのは往来の人々にかまわずすごい速さで通りを駆け抜ける馬と、それに乗っている男、そして男に後ろから襟首を掴まれて連れ去られるヴィータの姿だった。



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第31話 誘拐

 俺たちが目を離した隙をついて、白昼堂々後ろからヴィータを掴んだ男はヴィータを自分の前に乗せ、街中にも関わらず猛然と馬を走らせて俺たちから遠ざかっていく。

 

「ヴィータ! ――この!」

 

 当然俺も騎士たちも、男とヴィータが乗っている馬の後を追おうと駆け出す。

 

「……」

 

 その時、男がわざと紙を落としたのが見えたが、今はそんなもの気にしている場合ではない。

 こういう時は俺の技能で――。

 男の手からヴィータを取り戻すため、俺は技能を発動しようとしたが、

 

「きゃあ!」

「うわっ!」

 

 全速力で走る馬にひかれそうになった人々は、悲鳴を上げながらあわてて道の端へどいていく。

 そんな中、道の真ん中で棒立ちしている女の子がいた。

 だが、そんなことお構いなしに馬は速度を緩めることなく女の子に迫っていく。

 

「マリア、逃げて!」

 

 女の子の側にいた母親らしき女が娘の名前を呼びながら悲痛な叫びをあげる。しかし、それ以上のことはできない。ならばここは――

 

「フライングムーヴ!」

 

 俺が念じると俺以外のまわりの動きが急激に緩やかになる。

 その間に俺は急いで女の子のもとまで行き、彼女を抱きかかえ道の隅へ運んだ。

 だが、技能を行使できたのはここまでだった。

 体の節々に痛みが走ったと同時に、解除を念じるまでもなくまわりの動く速度は元に戻り、男は女の子がいなくなったことに戸惑いながらもそのまま馬を走らせ、みるみるうちにその姿を小さくしていった。

 一方、俺に抱えられたままの女の子は自分の身に何が起こったのかわからず、きょとんとしていた。

 無理もない。自分のもとに馬が迫ってきたと思ったら、ほぼ次の瞬間には知らない男に抱きかかえられていたんだから。

 

「……えっと……お兄ちゃん誰?」

「マリア!」

 

 呆然とそう俺に尋ねる女の子のもとへ、この子の母親らしき女が来て、俺の手から奪い取るように女の子を抱き寄せる。

 

「マリア大丈夫だった!? ありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら娘は」

「いや、気にしないでくれ。とっさに体が動いただけだ」

 

 母親は娘を抱えながら礼を言うが、俺の方はそれどころではない。

 あの馬に乗っている男によって、ヴィータが連れ去らわれてしまった。

 もうここは残る騎士たちに頼るしかない。一縷の望みをかけて俺は騎士たちの方を見るが……。

 

 

 

 

 

 

 時間はわずかにさかのぼり、ケントが少女を助けた瞬間。

 その場面を見ていた人々は驚いてどよめきの声を上げていたが、ケントに仕えている騎士たちには主が何をしたかすぐに分かった。

 

 《フライングムーヴ》……まわりよりもはるかに速く動く、ベルカ王族としてケントだけが持っている技能。この力をケントは自身の身を守ったり、今のように誰か一人を助けたり、時には戦況を変えることにも使っている。……ただこの技能が原因でケントが彼女たちやエレミアの裸を目撃してしまったこともあるのだが、彼女たちはそれを知らない。

 

 ともあれ、少女を助けるために技能を使った以上、ケントは馬車を追うことができないだろう。

 シグナムはすぐにそう判断し、騎士たちに指示を下す。

 

「皆は主のそばについていてくれ! ヴィータの救出には私が行く!」

 

 指示を下すやいなや、シグナムは空高く飛び上がり、馬が走っていった方向に飛ぼうとした。しかし――

 

「待て! そこの女、無許可で飛行などしてどこへ行くつもりだ?」

 

 近くの塔の頂上から飛んできた鎧を着た男がシグナムに迫り、そう詰問してくる。

 

「――邪魔だ。そこをどけ! 私はこれから仲間を助けに行かなければならないんだ! 今までここで起こっていた騒ぎがお前には見えていなかったのか?」

「あいにく俺は今までずっと空を見張っていてね。地上は担当外なんだ。ここで何かあったのか?」

「――ふざけるな!!」

 

 

 

 

 

 

 俺が見上げる先では、シグナムと飛行兵が口論をしていた。

 ヴィータをさらった男を空から追おうとしたところで《塔兵》に見つかったのか。

 

 

 

 街の壁門や国境に建設された砦には、常にそこを守る兵が置かれ、彼らが門の守護や通行料の取り立てを行っていることはもうご存知の通りだろう。

 だが、ベルカには飛行魔法があり、それを使えば門や砦を飛び越えて先を行くことが可能だ。それに対し地上に置かれた門番だけでは、空まで監視の目を光らせることはできない。

 そこで彼らとは別に置かれているのが《塔兵》という飛行魔導師だ。

 彼らは各街に一つ以上はある観測塔の頂上に立ち、そこから飛行魔法で街や砦を通ろうとする者がいないかを見張っている。

 他の騎士たちのほぼ真上にいるシグナムの位置から見て、塔兵はシグナムが飛んですぐに彼女を制止してきたようだ。

 この街には中央区だけでなく、東西南北すべての街区に観測塔が建てられているのか。

 なるほど、ベルカ隋一の都市は伊達ではないな。聖王都でもここまではないだろう。

 しかし、今はその周到な警備が俺たちにとって災いになってしまった形だ。

 俺も飛んで、口論を続けるシグナムと塔兵のもとへ行く。

 

「待ってくれ! 彼女は俺の連れなんだ。話なら俺が聞こう。シグナム、お前も冷静になれ。ここで都市の兵と揉めていても事態は良くならない」

「主! しかしこのままではヴィータが」

「分かっている。だが、まずはこの兵士に事の成り行きを説明しよう。事件の事を知れば、彼らだって解決のために動いてくれるはずだ」

 

 詰め寄ってくるシグナムに俺はそう言い聞かせる。

 塔兵の方は面倒そうな顔で俺たちを見ていた。

 この手の事件は珍しくないということか。

 俺は舌打ちをこらえながら、改めてこのリヴォルタという都市に渦巻く暗部の存在を思い知った。

 地上では守護騎士たちが不安そうに、ウィラードがやれやれといわんばかりに、俺たちに視線を向けていた。

 

(相変わらず物騒な街だね。つくづく妻と娘を移住させて良かったと思うよ。……しかしあんな紙を置いていった辺り、賊の目的は間違いなく金だろうね。もし身代金を払わなければ、あの子はどこかに売られる手筈になっているのだろう。どこかの領主の荘園や牧場での働き手としてならまだいいが、最近は聖王連合との戦いに備えて、どこの軍も兵力確保のために手段を選ばなくなっているからな……まあ、彼らが本当に闇の書の主と守護騎士なら問題はないだろう。ここは彼らのお手並みを拝見させてもらうとしようか)

 

 

 

 

 

 

 あちらでケントたちが右往左往している頃、ヴィータは自分をさらおうとしている男に抵抗せず、大人しく馬に乗ったままでいた。

 ヴィータの力量ならこんな男簡単に倒すことができる。

 だからこそ彼女本人はケントたちと違い、冷静に考えることができた。

 連れ去る者の安全を考えないやり方と手慣れた様子、馬だって日々与える水や餌、馬具にかかる経費を考えると、人一人を誘拐するためだけに用意するには割に合わない。

 ということはこの男、あるいは男たちに誘拐されている者は大勢いて、アジトかどこかに監禁されていると見て間違いない。おそらく自分を捕まえてる男が向かっている先もそこに違いない。

 なら、ここで男を倒してケントたちのところへ戻るより、アジトまで案内させてから悪党たちを叩きのめした方がいい。

 ケントやシグナムたちは今はそこまで考えが及んでいないようだが、少しして頭が冷えればそのことに気付く者たちも出てくるだろう。すでにザフィーラ辺りはそのことに気付いて動いているかもしれない。

 そこまで考えてヴィータは思う。

 

(前までのあたしだったら人助けなんて考えもせず、こんな奴とっとと殺して終わりにしてただろうな。これもあのケントって甘ちゃん主の影響かな)

 

 

 

 

 

 

「また誘拐か。このところ多いな。ったく、あんたらも簡単にガキをさらわれるんじゃねえよ。俺たちにとってもいい迷惑だ」

「何!? それはどういう意味だ?」

 

 塔兵が発したあまりに身勝手な物言いにシグナムは憤るが、塔兵は意に介さない。

 

「あのな、親が目を離したガキなんて、賊から見ればどうぞ捕まえてくださいって札かけて野放しにしてるようなもんだろうが。本当に子供が大切なら外にいる間はずっと手でも繋いでおくこった……なあ奥さん!」

 

 そこで塔兵は一組の親子を見る。先ほど俺が助けた女の子とその母親だ。

 塔兵の視線に射すくめられて母親は慌てて娘の手を取り、その様子を塔兵はニヤつきながら眺め、それからまた俺たちに視線を戻した。

 遊び盛りの子供から目を離さずにいろなどと、口では簡単に言えるが、常にそうするためにはかなりの精神力と体力を伴う。

 しかし、塔兵の言うことに一理あるのも確かだ。彼に対して俺には何も言い返せない。

 だが、個人的にこの塔兵の態度には不快感を覚える。

 この男が傭兵なのか、市が立ち番として雇用した一市民なのかはわからないが、こいつは門番とは違ってかなり高圧的に話を進めてくる兵のようだ。

 壁門を守る門番など、他国から来た客を相手にするような兵には、言葉遣いなどそこそこの礼節を身につけた者を配置するが、それ以外の兵には教育を施す真似はせずそのまま職務につけているのだろう。

 だから、この塔兵のように市民などに威圧的な態度をとる者が出てくる。

 塔兵は憮然としたまま口を開いてきた。

 

「ちっ、まあいい。その賊だが、ガキをさらった際に紙か何かを落としていかなかったか? 金が目当てなら必ず要求が書かれたものを落としていくはずだ」

 

 ……そういえば、俺たちが追いかけようとしたところで奴は紙を落としていったな。確かにあれは不意に落としてしまったのではなく、わざと残していったようだった。

 

「その紙とはこれの事でしょうな」

 

 後ろから声がしてそちらを振り向くと、紙を掴んでいるザフィーラがそこにいた。

 ザフィーラは紙を差し出し、俺はそれを受け取る。

 そこには場所らしき地名と受け渡し時間、そして2000リヴォルという金額が書かれていた。

 ちなみにリヴォルというのはいうまでもなく、このリヴォルタで使われている市内通貨の単位だ。

 

「その左右違う色の眼を見るに、あんたどっかの国の王子ってとこだろう? だったらちんけな賊が要求してくる金ぐらい、簡単に払えんじゃねえか」

 

 塔兵の言う通り俺なら2000リヴォルぐらい簡単に出せる。ただ……。

 ある懸念を抱いた俺はつい顔をしかめてしまう。塔兵もそれを見越しているようで話を続けた。

 

「まあ、あんたが考えてる通り、金を貰ってもそいつらはガキを解放しないまま、どこかに売っぱらっちまうと思うがな……そこでだ!」

 

 塔兵はそこで一旦言葉を区切り、ニヤリと笑みを浮かべた。……こいつまさか。

 

「俺はこの街で自警団やってる連中の内、ある傭兵団と付き合いがある。あんたらが望むなら俺から話をつけてやってもいい。その代わり……」

 

 そう言うやいなや、おもむろに彼は手のひらを差し出してきた。

 こいつと繋がりのある傭兵を紹介する代わりにワイロをよこせということか。

 塔兵を見る俺の目線は自然と険しいものになる。相手もそれに気付くが、気を悪くすることも悪びれもせずにニヤニヤしながら語る。

 

「おいおい、傭兵に動いてもらうんだ。金を払うのは当然だろう。言っておくが、あんたらが直接奴らに頼み込んでも同じことだぞ。傭兵を動かすには例外なく金ってもんが必要なんだ。あんたも王様になるころにはわかるさ」

 

 ああわかるさ。俺はとっくに王になっていて、傭兵を含めた軍を動かしながらガレアと戦ってきたからな。

 

「それに俺という仲介人がいないと、あいつらまともに捜索してくれるかわからねえぞ。金を払ったのに約束を反故にされた奴を俺も結構見てきたからな。悪いことは言わない、俺に任せておけ。今なら1000リヴォルってとこで手を打とうじゃないか!」

 

 塔兵は指を一本だけ立てた手を出してそう言ってくる。

 

「待ってくださいへい――ケントさん! この人にお金を渡してもヴィータちゃんは――」

 

 こらえきれなくなったのか、とうとうシャマルは口を出してくる。

 それを聞いて塔兵は歪んだ顔で彼女を睨む。

 彼女に言われるまでもない。俺もいい加減、そのことには気付いていた。

 

「君の言いたいことはわかった」

「払ってくれる気になったか!」

 

 不穏なものを感じて、早く話をまとめようと迫る塔兵に俺は言った。

 

「話を聞いてくれたことには感謝している。だが、君のような男に出してやる金はない。さらわれた子のことは俺たちで何とかする。手間をかけたな」

「ちっ、ああそうかよ! だったら賊に2000リヴォルも出して、ガキが返ってくることを祈るんだな! 俺の予想じゃそのガキ、どこかの農園で死ぬまでこき使われるか、どこかの軍隊で捨て駒にされると思うぜ!」

 

 そう毒づきながら塔兵は体を宙に浮かせ、自分の勤め先であろう塔の頂上へ飛んでいった。

 まわりにいた人々も関わりたくないというように、遠巻きに俺たちを見ながら歩き去っていくだけだ。

 俺が助けた女の子も「バイバイ」と俺たちに手を振りながら、母親に手を引かれて去っていった。

 

「お兄様!」

 

 ティッタは俺に声をかけてくる。俺は首を縦に降って。

 

「ああ、これでいい。あんな兵士と繋がってるような傭兵に1000リヴォル出しても、ヴィータを探し出してくれるとは思えない。それにヴィータが賊なんかにどうこうされてるなんて、俺には考えられないからな」

「ええ! そのとおりです我が主よ」

「まあ、ヴィータちゃんよりむしろ犯人たちの心配をした方がいいですよね。何人か生きていればいいんだけど(死んでから時間がたつとリンカーコアもとれなくなっちゃうし)」

 

 シグナムとシャマルはそう言って、俺の考えに賛同してくれた。

 

 

 

 

 

 ヴィータがさらわれた時は、さすがに気が動転してそこまで考えが及ばなかったが、あれから間を置かずして気付いた。ヴィータがあんな悪党に危害を加えられるタマではないということに。

 だが、次の瞬間にそれは新たな疑問にとってかわる。

 

 ヴィータはなぜあの時、自力で男を倒してここに戻ってこなかったのだろうと。乗り手を失った馬が暴れて道行く人々が危険な目に合うことを避けたのだろうかとも思ったが、それにしたってこれだけ経てばどこか人が少ない場所を通ることもあるだろうし、そろそろ暴漢を倒してきたヴィータが戻ってきてもいいような気もする。

 

 そこで俺は男が乗っていた馬の存在と手口を見て気付いた。

 子供一人を誘拐するのに馬なんて、手間と経費が掛かりすぎている。

 それに、あのヴィータがあっさり捕まるくらい、男の手際はよすぎるものだった。何人もの子供をその手で連れ去ってきたような。

 おそらくあいつに捕まった子供たちはまだまだたくさんいて、ヴィータはその子たちを助けるためにわざと……そう考えると説明が付いた。

 

 そうなれば俺たちがこれからするべきことは一つだ。金をせしめたいだけの塔兵や動いてくれるかわからないどこかの傭兵団など邪魔にしかならない。

 

「その顔、どうやら方針は決まったようだねケント君」

 

 意を決する俺に声をかけてきたのは、知り合ったばかりのウィラードという商人だった。

 俺は彼にうなずきながら尋ねた。

 

「ああ。ただ一つ聞いておきたいんだが、今回の誘拐、あなたが言っていた物騒な事件と関係があると思うか?」

 

 俺の問いにウィラードは首を横に振って答えた。

 

「いや、恥ずかしいことだが、この街では身代金目当ての人さらいなんてよくあることさ。おそらく例の事件とは関係ないだろうね。……村や宿にいた人間が一晩のうちに一人残らず皆殺しになるような大事件は、リヴォルタでも滅多に起こるものではないから」

 

 

 

 

 

 

 中央区にあるカジノ。

 あちらこちらでダイスを振る音やカードをめくる音、そしてそれらの音を覆いつくすほどの客たちのざわめきがこだまする中、黒髪の女が円盤を挟んでディーラーと相対していた。 

 

「チップ全賭けですね。ベットはいつ決められます?」

「ボールを投げた後で決めるよ。さあ、こっちはいつでもいいよ。そのボールを投げな」

 

 女の言葉にディーラーは「それでは」と答え、小さなボールをルーレットに投げ入れる。

 それと同時に女は言った。

 

「一目賭けで赤の21」

 

 まだルーレットは高速で回っており、ボールがどこに入ったかどうかなど、()()()人間には見えないはずだ。

 ディーラーは愛想笑いの中に侮蔑を込めて嗤う。

 赤・黒のどちらかを選ぶならまだ勝てる余地があるが、一目賭けだと。しかもチップ全賭けで。

 そんな真似をする依存症がいるからカジノは儲かるようになっているんだ、とディーラーもまわりの観客も内心で嘲笑する。

 だがルーレットが止まり、ボールが落ちた場所を見た瞬間、ディーラーの表情は笑みから口をあんぐり開けた間抜けな顔に変わる。

 

「どうだい結果は? 私はこういう時自分で言うより相手に言わせたいもんなんだ。さあ、遠慮なく言ってくれ」

「……赤の21…………お客様の勝ちでございます」

 

 ディーラーがそう告げた直後、まわりで見ていた見物客から大きな歓声が沸いた。

 女のもとに薄くて丸い板状でできたチップが大量に贈呈される。 

 それを羨ましがったり妬みの声を上げる見物客から外れたところで、白い髪の女が椅子に座りながらコーラなる炭酸水を口にしていた。

 そんな彼女に一人の男が近づいてくる。

 

「やあ。相変わらず退屈そうですねライラ」

 

 自分の名を呼ぶ声の方にライラは顔を向け、口に含んでいるものを喉の奥へ流し込む。

 

「……フォレスタ」

 

 ライラに声をかけてきたのは青髪に黄色の瞳をした男だった。温和そうな印象を与える優男で、一目見ただけでは彼がリヴォルタ屈指の戦果を挙げている傭兵隊に籍を置いている男であることなど、見抜ける者などいないだろう。

 

「あなたにはやはり賭け事なんて興味がわきませんか」

「うん。なにが面白いのかわからない。でも、主が楽しいなら私はそれでいい」

 

 フォレスタからの問いにライラは機械的に答える。

 

「そのあなたの主にして我らが隊長は……って聞かなくてもわかりますね」

 

 フォレスタは辺りを見回そうとするも、顔を上げただけで目当ての人物を見つける。

 彼女は大勢の見物客に囲まれ、打ちひしがれるディーラーを見下ろしながら、チップをケースに詰めていたのだから。

 黒髪の女がすべてのチップを詰め終わったところで、彼女のもとへフォレスタが向かってきた。

 

「またずいぶんと荒稼ぎしたようで。しかし、ほどほどにしておかないと、このカジノからも出入りを禁止されてしまいますよ。もう我々が入れるのはここぐらいなんですから」

「わかってるよ。そろそろお暇しようと思ってたとこ。ったく、サガリスが西区で欲張りすぎなきゃこんなことには……」

 

 黒髪の女は舌打ちをこぼしながらケースを担ぎ上げ、ライラが座っているところまで歩いてくる。

 

「お待たせライラ。じゃあ一稼ぎしたところで、これからみんなで飯でも食いに行くとしようか」

 

 黒髪の女に声を掛けられ、ライラもコーラが入っていたグラスを置いて席を立つ。

 そして意気揚々とその場を後にしようとした彼女らだが、そこにフォレスタは声をかけてきた。

 

「そのことなんですがカリナ。実はちょっと面倒なことが」

「面倒なこと?」

 

 カリナとライラはフォレスタの方を向き、首をかしげる。この男は生真面目が過ぎて、しょっちゅうこんなことを言っているが、カリナたちからすれば大したことでもないのが少なくない。彼女らがおおざっぱすぎるとも言えるが。

 だが、その直後にフォレストから告げられた報告は、いつものように聞き流せるようなものではなかった。

 

「実はですね、今日の昼からアロンドの姿が見えないんですよ。それで今日は、アロンドの代わりに()に南区の警備を頼んだんです。骨が折れましたよ。あの人、未だにカリナの言うことくらいしか聞かないんですから」

「ふん、私の言うこともほとんど聞きゃあしないよ。あいつが仕事をするのは、それが自分の飢えが満たせる仕事だった時だけさ。……それよりアロンドがいなくなったって、心当たりは?」

 

 カリナの問いにフォレスタは首を横に振る。

 

「いえ、彼のような子供が行きそうなところは一通り見て回ったんですが、どこにも」

 

 カリナは顎に手を当てて考え込み、そこであることを思い出した。

 

「そういえば最近よく子供がさらわれたり、姿を消していたね。馬に乗った男に襟首を掴まれて。中には死体になって見つかった子も出たって話だ。きっと首を掴まれた時に意識を失ったか、死んじまって捨てられたんだね。かわいそうに」

 

 言葉とは裏腹にあっけらかんと言い捨てるカリナ。それを聞くフォレスタも動じる様子はない。そんな感情はとっくに捨ててしまった。

 それより今、重要なのはカリナが言った事件についてだ。フォレスタはそこからある推測を立てる。

 

「子供がさらわれている……子供……まさかアロンド」

 

 フォレスタに続き、カリナも苦々しい顔つきになった。

 

「ああ。あいつ、私らに断りもなく勝手に狩りに出かけていきやがった」

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタのどこかにある小屋の倉庫。

 そこには賊に誘拐された子供が九人いた。

 倉庫の中は薄暗く、小さな天窓から差し込める光だけが、中に入れられている子たちが享受することができる唯一の光だった。

 だが、それ以外の光を浴びる機会も何度かある。その一つがちょうど今だった。

 扉の方からガチャという音がすると外から扉が開けられ、子供たちはしばらくぶりの光をその身に浴びる。しかし、それを喜ぶ者はいなかった。

 外から赤毛の女の子を抱えた男が倉庫に入り、子供たちは後ずさりをする。

 怯える子供たちを気に留めず、男は腕に抱えていた女の子を乱暴に投げ捨てた。

 

「――いてえな、何しやがんだ!」

 

 男に毒づく女の子を見て子供たちは思う。今は元気だがこの子も何日かすれば自分たちのようになるだろうと。

 

「大人しくしてろよ。あの兄ちゃんや姉ちゃんたちが金を出してくれればすぐにここから出られるさ……その時までにお前の買い手が決まってなければな。ハッハッハッ!」

 

 笑い声を上げながら男は扉を閉め、倉庫の中は再び闇に閉ざされた。

 男がいなくなったことに子供たちは安堵の吐息をつく。しかし、新たに加わった子を慰めようという元気はなく、その場にうずくまってしまう。

 そんな子供たちの姿に赤毛の少女、ヴィータは胸にこみあげてくるものを覚えた。

 

(この子たちが何をしたっていうんだ。あいつら絶対許さねえぞ)

 

 そしてヴィータは子供たちに向かって言った。

 

「待ってろ。お前たちをすぐにここから出してやるからな!」

 

 案の定、その言葉を真に受ける子などいない。

 少なくない子が顔をいったん上げてヴィータを見るが、すぐにまた顔を伏せた。

 ある一人を除いては。

 

「うっせえな。誰だよ? 人が寝てるときに騒いでる奴は」

 

 今まで眠っていたらしい少年がヴィータの一言で目を覚まし、顔を上げてくる。

 

「……?」

 

 ヴィータはその少年になぜか不穏なものを感じた。

 

「んだお前? 俺の顔に何かついてんのかよ?」

 

 少年はヴィータの外見年齢とほぼ変わらない齢だった。

 黒髪で青い瞳。だがなにより印象的だったのは半袖半ズボンからはみ出た四肢の内、右腕に彫られた藍色の羽根に象られた刺青。

 

 この時こそ鉄槌の騎士ヴィータと、フッケバイン傭兵隊最年少の殺人鬼アロンドが初めて邂逅した瞬間だった。



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第32話 手がかり

 リヴォルタという名はこの都市部分を差してそう呼ぶことがほとんどだが、この街だけがリヴォルタ領内というわけではない。

 都市に加えて、その周囲にあるいくつかの村々もリヴォルタ自治領に組み込まれており、そこに住む村民は農作業に従事しながら、収穫した作物のうち余った物を都市に売って生活している。

 各国に内在する農村と違い、この村々にはリヴォルタの歴史的経緯から領主が存在しない。したがって、その村に住む人々は都市や教会に一定の税を納めれば、それ以上の束縛はされない。その上、都市との取引によって村では貨幣が流通し蓄財までできる。

 そのためリヴォルタ周囲に住む村人は他国の農民と比べて、比較的自由で豊かだ。もっとも最近聖大陸全土で起こっている土壌汚染の影響を考えれば、これから先は厳しくなるかもしれないが後回しにしておこう。

 

 

 

 

 

 ヴィータや他にさらわれた子を助けるための情報を求めて俺たちがウィラードから聞いた話によれば、一年ほど前から数ヶ月ごとに一回ずつ、リヴォルタ傘下の村に住む住民が何者かによって一晩のうちに皆殺しにされる事件が起こっているらしい。もうすでに三つの村が滅びてしまったという話だ。

 都市側の見解は一定以上の盗賊団による村への襲撃。最初の虐殺が行われた当初から現在までその見解は変わっていない。

 当然、それに沿って都市が雇っている傭兵団がリヴォルタ一帯を捜査したことが何度もあるが、何の手掛かりも見つけられなかった。それどころか彼らの話では村を壊滅させられるほどの大群が動いた形跡さえもなく、傭兵団の中からは、数十人以下の手練れが村人を根絶やしにしていったのではないかとの意見も上がっているが、現実味がないとして封殺されている。

 なにしろ滅ぼされた村にはいずれも数百人もの人間が住んでいたのだから。

 村人が数百人もいて賊がたった数十人以下なら返り討ちにできるだろうし、万が一それが叶わなかったとしても逃げ延びた人間が必ず出てくるはずだ。

 しかし、現実には村人たちは為すすべなく一人残らず殺されてしまっている。確かにこれで賊が数十人以下というのは無理がある。

 ……ただ、個人的にこういう例え方はしたくないのだが、その賊が守護騎士並みの力量を持っていたとするなら、それもあり得るのではないかと俺は思ってしまう。なにしろ彼女たちはわずか四・五人で十万ものマリアージュと互角以上に渡り合ったのだから。

 それに村を襲ったのが大多数からなる賊だとすると、腑に落ちない点もいくつかある。

 食糧、酒、金、宝飾などの物品は奪われたり手つかずだったり様々だが、それは家々の話で、村全体ではほとんどの物に手が付けられていないといっていい。

 それになぜ、村に住む者を一人残らず全滅させてしまったのか。

 老人や子供など賊に抵抗できない者も多いし、生け捕りにした村人をどこかの国の農村や貴族の私有地、もしくは軍に奴隷として売る手もある。……ヴィータを誘拐した者が目論んでるように。

 考えれば考えるほど、多数の盗賊が略奪目当てに村を襲ったにしては不可解な点が多い。

 

 さらにそれと関係があるかもしれない事件が、リヴォルタで一件起こっている。

 俺はウィラードが指した大きな建物を見た。

 ウィラードによるとそこは二ヶ月前までは、十部屋以上は客を泊める部屋のある高級宿だったらしい。

 しかし、現在そこに出入りしている者は誰もいない。大量殺人が起きて犯人が今でも見つかってないとなれば、その建物を利用しようとする者は出てこないだろう。

 

 その事件が起きたのは二ヶ月前。

 ある晩、宿から聞こえる轟音に気付いた市民が連れを伴って、宿の出入り口となる扉を開けて中に入ってみると、出入り口付近の通路は受付台を含めて嵐が入り込んだように荒れており、宿の中にいた者たちは一人残らず死んでいた。

 宿の中にある金目のものには一切手をつけられていない。

 ただ、宿泊客の名前が記載された名簿が見つからなかったため、犯人は泊まっていた客の中にいて、それを隠すために犯人が名簿を持ち去ったのではないかと当局は推測している。

 物には手をつけず命だけを奪っている点、そこにいた人間を一人残らず殺害している点、そしてこれだけのことをしておきながら下手人の正体は一切不明。

 圧倒的に規模は小さいものの、村が滅ぼされた事件と共通している点がいくつも見られる。

 その上、一番最近村が襲われたことが発覚したのは、この事件が起きた翌日の事だ。

 そのことから宿を荒らしたのは村を襲った盗賊の一味だと考える者は多い。

 だがその一方で、

『ゆりかごの起動宣言以降も戦いをやめようとしない各国への聖王の嘆きが、死の国と現世を繋ぐ扉を開いてしまい、その中から現れた死神が村や宿の人間の命を刈り取っていった』

 といった怪奇話まで一部で広まっている。

 

 そんなよた話が出るほど、村と宿で起こった事件はとにかく謎が多い。

 それに比べて、ヴィータを誘拐した者の正体はまだ掴めていないが、目的の方は明らかだ。

 

 なるほど、ウィラードのように頭の回る者なら、一連の襲撃事件と誘拐事件に関連性はないとすぐにわかるだろう。

 

 

 

 

 

「村や宿への襲撃も気になるが、とにかく今は先にヴィータと合流しないと。まずはヴィータと念話がしたいところだが……」

 

 俺の問いに騎士たちの中で、もっともこの手の魔法を使うことが多いシャマルが首を横に振る。

 

「申し訳ありません。さっきから何度か思念を送っているのですが、向こうからはうんともすんとも。まさかこんな時まで私の説教を聞きたくないって無視をしてるのかしら?」

「ヴィータならあり得るかもしれんな。悪漢どもを打ちのめしている間ならなおさら。ただ、もしかすれば念話が届かないほど遠くへ行ってしまったせいかもしれん。そういう場合、主が習得している《超距離通話》なら相手がベルカのどこにいても話ができるはずですが、そちらは?」

 

 ザフィーラの問いに、今度は俺が首を横に振る。

 

「あの塔兵がいなくなってから試しているが、まったく返事が返ってこない。となると――」

「思念通話は魔法の中でも一番初歩的なものだ。連れ去った子供たちの中にも思念通話を使える子がいると考えていいだろう。もちろん、犯人たちもそれはわかっていて対策は取っているはずだ」

 

 俺が言おうとした推測をウィラードがかわりに言った。

 

「では、手掛かりとなるのは犯人が残していったその紙ですか。主ケント、そこに何が書かれているか、我々にもお教えいただけないでしょうか?」

 

 シグナムにそう言われた俺は、問題の紙を彼女らにも見せる。

 そこには上から順に【中央区ヴァンデイン軍需工場前】【20:00】【2000リヴォル】と縦に書かれている。

 二十時に2000リヴォルを持って中央区にある軍需工場の前に来い、という解釈でまず間違いないだろう。

 間違いなく二十時には犯人たちの一味が工場の前に現れるはずだ。そいつを捕まえて監禁場所まで案内させるのが一番簡単な方法だが。

 

「監禁された子供たちはかなりの重圧(ストレス)を抱えているはずだ。十分な食料を与えられているとも限らない。それに、こうしている間にもどこかに売られようとしている子がいることも考えると、二十時まで何もせずに待っている気にはなれないな」

「確かにケントさんのおっしゃる通りです。でも、それではどうやって子供たちが閉じ込められている場所を特定するんですか? ヴィータちゃんと念話ができない以上、手掛かりは犯人が残したその紙だけですよ」

「いや、手掛かりはまだある」

 

 シャマルの指摘に首を振って俺はそう言った。

 シャマルは怪訝そうに首をひねる。

 そんな彼女や他の者たちに説明するために俺は言葉を続ける。

 

「ヴィータをさらう時、犯人はものすごい速度で馬を走らせていただろう。街中であんな危険なことをしていたらかなり目立っていたはずだ。間違いなく大勢の人間がそれを目にしていただろう」

「ケント君の言うとおりだ。いつも人通りでにぎわっているリヴォルタの道を、馬で通ろうとする人は滅多にいない。たまに荷物や他国の貴人を乗せた馬車が通るくらいさ。それもかなり速度を緩めてね。なにしろ一定以上の速度で馬や馬車を走らせることは、都市法で禁じられているんだから」

 

 リヴォルタで生まれ育ち街の慣習や法に精通しているらしい、ウィラードがそう説明してくれた。

 そこでやっと騎士たちも俺が言いたいことに気付いてくれる。

 

「女の子抱えて馬で走り回ってた奴を見てないか、聞き込みをしていけばいいわけだね。確かにそれなら犯人の居場所なんてすぐに分かるかも……待ってろよヴィータ。すぐアタシらも加勢に行ってやるからな」

 

 合点がいった様子でティッタは、自分の左手の手のひらに右手の拳をぶつける。

 

「なるほど、その手がありましたか。しかし主ケント、ヴィータがさらわれてから、今まで思案する間もない中で、よくそんなことに気付きますね。こういった捜索に国王が立ち入ることなど、ほとんどないものと思っていましたが」

 

 シグナムの言葉に俺は思わず「ああ」と返す。

 シグナムが言うように国王などの貴族が、事件の捜査や犯人の捜索に関わることはほとんどない。例外はおそらく俺とクラウスぐらいだろう。

 

 

 

 

 

 あれは四年半前、俺がシュトゥラに留学中に起こった事だ。

 その日は休日で、俺とクラウスが王都の通りを歩いていた時にそれは起こった。

 俺たちの目の前で道を歩いていた桃色の鞄を持っていた老婦が、ある男とすれ違った時にその男から力ずくで鞄を奪われるという事が起きたのだ。俺とクラウスは鞄を取り戻すためにすぐに男を追ったが、奴の逃げ足は思いの外早く、その上、奴が逃げて行く先を通っていたのは老人や主婦ばかりで加勢を頼むこともできなかった。

 そうこうしている間に男は路地に入っていき、その中は複雑に入り組んでいて、俺たちはとうとう男を見失ってしまった。

 犯人を取り逃がしてしまったことにクラウスは落ち込み、俺の方も追いかけ方がまずかったのかと、しばらくは悔やんでばかりいたが、ふと思った。

 あの男が老婦から奪った桃色の鞄は、あの男が持つにはかなり不釣り合いだ。その上、あいつはまだ俺たちが自分を追いかけていると思って、逃走を続けている可能性は十分ある。

 桃色の鞄を持って走る男、はたから見たら結構怪しいのではないか。

 そう考えた俺は肩を落とすクラウスにそれを説明して、追跡を続行することにした。途中で出くわした者に「桃色の鞄を持って走る男を見なかったか?」と聞きながら。

 その結果、俺たちは路地裏にある店で男が休んでいたところを発見することができた。

 その後はクラウスが男の腹に一発入れて気絶させ、鞄を取り戻してから、気絶したままの男を担いで衛兵に突き出し、鞄を老婦に返すことでこの事件は解決したのだった。

 

 

 

 

 

「――とまあ、今回の件はあの時のものによく似ていてな。それですぐに犯人を追跡する方法を思いついたんだ」

 

 俺の説明に騎士たちは、主らしいと納得した様子を見せる。

 

「そうだったのですか。確かに主ケントとクラウス殿ならその様子が目に浮かぶようですな。しかし、大変な思いをしたというのに、ずいぶん楽しそうに話をされますな主」

 

 ザフィーラにそう言われ、俺は自分の表情が緩んでいたのに気づく。

 確かにあの時、ひったくりを捕まえて老婦の持ち物を取り返した時は、かなりの充実感があった。率直に言えば楽しかったのだ。俺も、おそらくクラウスも。

 

「ケントさんは案外自警団とか、直接街の平和を守る仕事が向いているのかもしれませんね――あっ! いえ今の仕事が向いてないとか言ってるんじゃなくて」

「いいよシャマル。それは俺も常々思っていたことだ」

 

 口を滑らせたシャマルをなだめながらつくづく思う。

 自国の発展のためとはいえ、こうして直接立場を忍んで他領を視察したり、ならず者を追跡したり、そんなことは人に任せる類の役目だ。王のすることではない。

 おそらく俺は王に向いていないんだろう。

 万が一、グランダムが廃国したり王政が廃止された場合、自警団でも組織して、生計を立てるのも悪くないかもしれない。今ここにいないヴィータ一も一緒にな。

 まあ、あくまでただの空想だ。王政廃止はともかく、民のためにも、グランダムを廃国させるような事態は避けたい。それにこの状況からヴィータの居場所を突き止めるくらいできないと、そんなことも到底叶いそうにないだろう。

 

「では、追跡開始と行くか。まずは男が向かっていった中央区に続く通り道で聞き込みをしていきながら、奴の後を追うぞ」

 

 俺の言葉に騎士たちも表情をあらためる。

 

「ああ、待ってくれ君たち!」

 

 これからヴィータを助けに行くぞと意気込む俺たちにウィラードが声をかけてきた。

 

「ウィラード……まさか、あなたもついていくと言い出す気じゃ」

 

 まさかと思いながら俺は彼の方を向く。

 ウィラードの体型にたるみはなく、どちらかといえば痩せ型だが、お世辞にも屈強な体格とは言い難い。

 率直に言って、とても荒事に慣れているようには見えない。そんな彼を悪党たちの拠点にまで連れて行きたくはないが。

 ……いや、本当にそうか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そこでふと気づいた。

 闇の書を入れてある懐のあたりが熱いのだ。まるで闇の書がこの男には気をつけろと、俺に警告を発しているように。

 疑念を抱く俺の気も知らず、ウィラードは今まで彼の手にあったあるものを掲げながら、

 

「いやいや、私までついていってところで、君たちの足手まといにしかならないよ。ただ、せめて最後にこれを君に渡しておこうと思ってね」

 

 そう言ってウィラードが俺に渡してきたのはうさぎのぬいぐるみだった。

 ヴィータのために俺が、娘のためにウィラードが、それぞれ手に入れようとしたぬいぐるみだ。

 それを差し出そうとするウィラードに俺は尋ねる。

 

「……いいのか? あなたもご息女のためにこれを買おうとして――」

「いいさ。あんなことが起こってなおも、ぬいぐるみ一つに固執するほど狭い心を持っているつもりはない。労いも込めて、それは君からヴィータ君に渡してあげるといい。私はもう少しここいらをぶらぶらしながら娘への贈り物を探すことにするよ」

 

 そう言って笑みを向けるウィラードは感じのいい好人物だ。これほどの人物なら、家族や部下からかなり信頼されているに違いない。

 ……俺の気のせいか。

 

「それで、これは参考程度にしてほしいんだが、これから聞き込みをしていくのなら『北西区』に向かいながらにするといい」

「北西区?」

 

 その言葉を聞いて、俺は思わず聞き返してしまう。

 リヴォルタに来る前、この街については何度か調べたが、そんな街区があるなんて一度も聞いたことがない。

 リヴォルタの街区はその名の通り、街の中央に位置する中央区と、そこから延びている東西南北の四つの区のみだ……まさか。

 俺の脳裏にある予感が浮かぶと同時に、ウィラードがそれを裏付けることを告げてくる。

 

「そう。西区の北側にある、失業者と移住拒否者が集まる治安も環境も悪い地区……いわゆるスラム街さ」

 

 

 

 

 

 

 同時刻、中央区の広場。

 

 ベンチの側に立っている金髪の男と青髪の筋肉質の女のところに向かって、カリナとライラ、フォレスタの三人がやって来る。

 金髪の男は三人の方に顔を向けながら、カリナに声をかけた。

 

「ようカリナの姉貴。その様子だとまたカジノで一稼ぎしてきたとこか?」

「ああ。それでこれから東区の料亭あたりでぱーっと騒ごうと思ってたとこだったんだけど。アロンドの奴がいなくなったって?」

 

 腰にいくつも括り付けた金貨がたんまり詰まった袋を見せびらかすように歩きながら、カリナは金髪の男サガリスとその横にいる青髪の女トリノに尋ねる。

 それにトリノがうなずき、さっきから手に持っていた四つに折られた紙を掲げてみせた。

 

「そうだ。それで私とサガリスは、アロンドがいつも昼寝していたここを探していたんだが、ついさっきそこのベンチでこんなものを見つけたところだ」

 

 そう言ってトリノはカリナに向かって紙を放り投げる。

 カリナはそれを掴み取ってすぐに開く。

 その紙には上から順に【南区噴水前】【19:00】【3000リヴォル】と書かれていた。

 カリナは上二つは気にも止めず、最後の3000リヴォルだけを見て鼻で笑う。

 

「3000リヴォル……はっ! 安い。そんなんじゃ安すぎるよ。私らに助けを求めるには」

 

 おどけてそんな戯言を言うカリナに、フォレスタはため息をつきながら言った。

 

「その3000リヴォルというのはアロンドの身柄と引き換えに犯人たちが要求している身代金であって、僕たちへの報酬の事ではないと思いますがね。……それでどうします? 19時まで待ってたら、とっくに犯人たちが皆殺しにされていると思いますよ。誘拐された他の子供たちもろとも」

 

 フォレスタの立てた予測にカリナは笑みを消して舌打ちをする。

 

「そいつはまずいね。雇い主からまだ都市では騒ぎを起こすなって言いつけられてるのに。二月前もあいつが起こした宿の一件で絞られたんだぞ」

「あいつねぇ……奴はまだ仕事中かい?」

 

 サガリスの問いに、カリナは気だるそうに髪を上げながら答える。

 

「ああ。こんなことに奴まで駆り出す必要はないだろう。奴はまだ私らに馴染めていない。言うこと聞かないどころか、下手すりゃアロンド以上に暴れかねないぞ。あそこを完全に滅ぼすまでな」

「あそこ……では()()()()アロンドを連れ去ってしまった連中はやはり」

 

 察しがついた様子のフォレスタに、カリナは笑みを向けて言った。

 

「ご名答! 悪党がたまる場所っつったらやっぱいあそこしかないでしょう。リヴォルタの掃きだめともいえる《北西区》ぐらいしか!」

 

 

 

 

 

 

 北西区にある小屋の片隅にある倉庫。

 子供たちが閉じ込められている倉庫の中で、ほとんどの子供が生気を失った目で膝を抱える中、彼らとは対照的に立ったままのヴィータと、ふてぶてしく片足を立ててふんぞり返る黒髪の少年アロンドが対峙していた。

 

「お前は他の奴と違って元気そうだな。まださらわれてきたばかりなのか?」

「そうだ。今日の昼に広場で寝てるとこを馬に乗せられた」

 

 さらわれた時のことをなんでもない事のように言うアロンドに違和感を覚えながらも、ヴィータは気の毒そうな表情を見せる。

 

「そっか、そりゃあお前も災難だったな。でももう少しだけ待ってろ。そうしたらおまえもすぐに家に帰れるようにしてやるからな」

「はっ? お前が?」

 

 ヴィータから激励の言葉をかけられたアロンドはきょとんとした顔をする。しばらくアロンドはそのまま呆然とするが、やがて彼の口からはクククといった声が漏れ、

 

「クク……ハハ、ガハハハハハ! 俺をここから出すだって? ハハハハ! こりゃ面白い! お前みたいなジャリが俺を助けようなんて、面白いギャグじゃねえかハハハ! こりゃ傑作だ!」

 

 こらえきれなくなったように、アロンドは腹まで抱えて大笑いした。

 

「な、なんだよ? あたしがお前らを助けてやるってんだ。それの何がおかしい?」

 

 理不尽な目にあった少年を励まそうという厚意を、爆笑なんて形で踏みにじられたヴィータはむっとする。

 ヴィータの言葉に元気づけられて笑えるようになったなんてものじゃない。言葉の内容といい笑い方といい、明らかにヴィータを馬鹿にしている。

 アロンドはしばらくしてようやく笑うのをやめて、腹をさすりながらではあるが大人しくなった。だが、口元はまだニヤついたままでそれを隠そうともしない。

 

「おかしいよ。おかしいとも。お前みたいなジャリに何ができるっていうんだ? 俺みたいにエクリプスと適合しているわけじゃあるまいし」

「エクリプス? いや、そんなことより誰がジャリだ? あたしからすりゃお前の方がジャリガキだっての」

 

 ヴィータは聞きなれない言葉に眉をひそめるもそれを流し、アロンドから言われた言葉をそのまま返す。

 

「はんっ、お前にはわかんねえか。まあいい。俺に口答えできるその威勢の良さは買ってやるよ。そこの奴らよりはよっぽど骨があるってもんだ」

 

 アロンドは部屋の隅の方を見て、ヴィータもその視線を追う。

 そこには虚ろな目で座り込む子供たちばかりがいた。ヴィータとアロンドの口喧嘩にも反応することはない。

 無邪気に街を駆け回っていたところを突然連れ去られ、こんなところに閉じ込められた子供たちが負った心の傷はそれほど深い。

 そんな子供たちの姿を目の当たりにして、ヴィータは言葉を失った。それを考えればアロンドはよく大笑いできるものだ。空元気なのかもしれないがある意味感心する。

 

「お前がお気楽すぎるだけだろう。まあ、ふさぎ込んでるよりはましか……お前名前は? あたしはヴィータ」

 

 ヴィータの問いにアロンドは笑みを消して、少し考えるそぶりをしてから言った。

 

「アロンド……アロンドと呼べ」

 

 賊に閉じ込められた倉庫の中で出会った二人は互いに名乗り合う。未だに相手の正体も知らないまま。



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第33話 執事と令嬢

 『リヴォルタ中央区』はその名称の通り、自由都市リヴォルタの政治・経済の中心を担う街区だ。

 リヴォルタの東西南北の街区を隔てているこの中央区には、他の街区から多くの金、物、人が集まり、また中央区からもそれらが各街区に送り込まれている。まるで体内の心臓付近で起こっている血液の循環のように。だが、リヴォルタ市内で起こる物の循環は、体内のそれとは違い利権というものが付いてくる。

 都市が成立して以来、市内の商人、職人は中央区に拠点を築くため、区の土地を巡り長年相争ってきた。それらは穏便な競売で終わったこともあれば、商人、職人に雇われたならず者や、一部の傭兵が競争相手を脅迫、襲撃し、棄権に追いやることさえあったという。それらの多くは今も真偽不明のままだ。

 

 リヴォルタで他の街区へと移動するには、中央区を経由していく必要がある。ヴィータと彼女をさらった悪漢も、奴らを追っている俺たちもその例外ではない。そして俺たちが出会ったこの人たちも……。

 

 中央区を駆ける俺たちの前に二頭の馬に牽引され、市内をゆっくりと進む豪奢な馬車が目に入ってきた。

 馬は二頭とも毛並みが良く整えられ、上等な装束が整えられた立派な白馬だ。

 馬が牽引しているのは主に貴族が使用する密閉式の客車で、その客車の前には御者席が付けられおり、その席に座っている身なりのいい御者が馬の手綱を引いていた。客車の窓には窓掛けがかけられていて中の様子を見ることはできないが、それらを見ただけで後ろの客車の中には貴族か、よほど儲けている豪商が乗っているものと想像できる。

 その馬車にティッタは近づいていって、御者に声をかける。気丈というか世間知らずというか。

 

「すみません。ちょっとお尋ねしてもよろしいですか?」

「――!」

 

 御者は手綱を引いて馬を止め、自分に声をかけてきたティッタの方を見た。ティッタを見る御者の目は細められており、明らかに警戒されている。ティッタはそれを承知の上で相手の返事を待っていた。

 御者は首を横に振りながら答える。

 

「……申し訳ありません。私には主をお送りする務めがありますので、主のお許しもなく、馬車を止め続けるわけには――」

「待ちなさい!」

「……?」

 

 御者の返事を遮る声が馬車の奥から聞こえてきた。

 その声の方に御者も、彼に話しかけていたティッタも、少し離れた所からそれを見守っていた俺たちもそちらへ顔を向ける。

 それと同時に、スタッと大きな足音が俺たちの耳に届いた。

 燕尾服を着た赤毛の執事らしき男が、客車の後ろについている台から降りてきたのだ。

 『フットマン』か。

 高貴な貴族が乗っている馬車には、その後ろで馬車が支障なく進んでいるか外から見守る役目を果たすフットマンという従者が付いているという。グランダムでは馬車にフットマンが付くことはないから、実際に見るのは俺も初めてだ。

 執事は数歩歩いて客車の横に着くと客車に体を向け、

 

「失礼します、お嬢様」

 

 執事がそう声をかけると客車の窓にかけられた窓掛けが中から引かれ、それから窓が開いていくのが見えた。俺の位置からは客車内の様子をうかがうことはできないが、お嬢様と呼ばれているところから、どこかの貴族か富豪の令嬢が乗っていることは推察できる。

 その令嬢らしき人物に執事は言葉を重ねる。

 

「あちらにいらっしゃる方々が、我々に尋ねたいことがあるとのことです。予定が入っている中、誠に申し訳ありませんが、あの方々と話をする時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

「構いません。ジョンとあの女性の会話は私にも聞こえていました。それを聞くに、何やらただならぬ事情があの方々にはおありの様子。ぜひあなたの方から彼女たちにお力添えをして差し上げなさい」

 

 伺いを立てる執事に、客車の中から若い女の声が返ってくる。

 使用人からお嬢様と呼ばれていても、その人が若い女性とは限らない。もし、中年の婦人が客車から出てきたとしてもがっかりした顔を見せないように、俺は密かに努めていたがその心配は薄まったようだ。無論若い声が聞こえてきただけで、お嬢様とやらの姿が見えたわけではないから気を抜くつもりはないが。

 

 令嬢から許しを得ると、執事は再びティッタの方に歩いてくる。

 執事のまわりでは道行く人々が、彼に好奇の目を向けていた。特に女子(おなご)たちは容姿端麗な執事に、顔を赤らめすっかり夢中だ。その中には恋人らしき男と同伴していた女子(おなご)もおり、男たちは恋人の心を奪う執事を憎々しく睨んでいる。

 正直俺も面白くない気分だ。女子からの好意に満ちた眼差しを一身に浴びる姿は、学術院で異性から人気者だったクラウスによく似ており、そんなクラウスのおまけ扱いの日々を送っていた、暗い青春時代を否が応でも思い出してしまう。

 女たちから熱い視線を、男たちから嫉妬の視線を向けられながら、執事は御者の横で足を止める。

 

「ジェフ様……」

「ジョン。お嬢様からお許しは頂きました。あなたは少しの間待っていてください」

「はい。かしこまりました」

 

 ジョンという御者と話をしてから執事、ジェフはティッタの方に体を向け、右手を左胸に当ててから一礼した。

 

「私の同輩が大変な失礼をいたしました。私はあるお方にお仕えするジェフという者。彼には私からよく言っておきますのでどうかお許しください」

「い、いえ、私はただ御者さんに少し聞きたいことがあっただけで。別に彼を責めたいわけじゃ……」

 

 ジョンや自身に一切の非がないにも関わらず、丁寧に詫びるジェフの姿に、ティッタはどぎまぎしながら手を振る。

 見物している女子(おなご)たち同様、ティッタの顔も赤くなっているが、それは戸惑いからくる照れなのか、ティッタも端正な顔立ちの執事を相手にまんざらではないのか判別がつかない。

 

「お許しを頂きありがとうございます。ところで私たちに尋ねたいこととは?」

「あっ、そうだった! ここに来るまでの間に、女の子を捕まえながら馬に乗っていた男を見ませんでしたか? この街では禁止されているにもかかわらず、かなりの速度で馬を走らせてたんですけど」

 

 ティッタにそう聞かれたジェフは「ああ!」と声を上げながら、わずかに首を縦に振った。

 

「確かに目撃しました。街中にも関わらず全速力で馬を走らせている男性を。あやうくこちらの馬車と衝突してしまうところでしたよ。それに関しては、こちらが急停止することでなんとか事なきを得たんですが、向こうは文句を申す間もなくそのまま走り去ってしまい、ご気分を害した主は早く追って捕まえろと声を荒げて――」

「ジェフ、余計なことは言わなくて構いません! ――あっ!」

 

 ジェフの最後の一言につられて白い客車から主とやらが顔を出し、俺たちと目が合った途端、慌てて顔を引っ込めてしまう。

 主の顔を見ることができたのは、三ほどの数を数える間もないほどの短い間だったが、その顔は強く印象に残った。

 長い金髪に緑色の瞳をした美しい少女。

 ふむ、先ほどの懸念は杞憂に終わったらしい。これほどの美しい少女を見て、がっかりした顔を見せることなんてそうそう滅多にないだろう。

 

「失礼。私としたことが、つい不要なことまで申してしまいました」

 

 ジェフは主への苦笑も交えた笑みを浮かべながらティッタと話を続ける。

 堅物に見えて主をからかって楽しむ一面もあるのか。案外こいつとは仲良くなれるかもしれない。彼が起こした茶目っ気のおかげで、あれほどの美女の顔も見られたわけだしな。この執事がティッタの婿に名乗りを上げることがあったら、前向きに考えるくらいはしてやってもいいかもしれない。

 

「しかし、女の子を捕まえながらですか……抵抗するそぶりは見せていなかったので、てっきりご家族かと思っていたのですが、まさか誘拐だったとは。どおりであんなに急いでいたわけです」

 

 その時の様子を思い返しているのかジェフは笑みを消して、滔々(とうとう)と話す。

 

「そうなんです! 私たちはその女の子を取り戻すために、あいつを追いかけていたところなんです。そいつとはどこで?」

「中央区に入った時に遭遇しました。先ほど申した通り、主からあの方を捕まえるように命じられていましたので、逃げて行った方向も覚えております。ただ主にはこれからご予定もありますし、誘拐とは存じませんでしたので追跡は断念してしまいましたが」

「どこへ逃げて行ったんです!?」

 

 ティッタの問いに、ジェフは西の方角を見ながら答える。

 

「西区の方ですね。巷に聞く話では確かあそこの北側には、『北西区』と呼ばれるスラムが――」

「やっぱ北西区か。よりによってスラムなんかにうら若き乙女を。そうとわかったら一刻も早くヴィータを連れ戻しに行かないと……ありがとう執事さん。私たちはこれで」

 

 ティッタはジェフに片手を上げながら西区の方へ向かう。

 俺たちもすぐに後を追いたいところだが、それはさすがにジェフたちに失礼だ。せめて、俺からも一言礼を言ってからでないと。

 

「すまない。迷惑をかけたな。あの子は捕まっている子と特に仲が良くてな、ついあんなことを」

「いえ、ご友人を早く助けて差し上げたい気持ちはわかります。我々の事はどうぞお構いなく。あなた方も早く行ってあげてください」

 

「恩に着る」

 

 ジェフに改めて礼を言って、俺たちはティッタの後に続く。

 だが客車の横に並んだ瞬間、

 

「少しお待ちなさい」

 

 客車からかかってきた声に俺は顔を上げる。

 声をかけてきたのは客車の中にいる少女だった。

 

「何か? 先を急いでるんだが」

「一つだけ聞かせてください。あなたのお名前は?」

「……ケント・セヴィルだ。もういいか?」

 

 確認の問いに令嬢はコクリとうなずきを返す。

 それを確かめると、俺は黙ってその場を後にした。

 

 

 

 

 

 ケントと名乗る青年たちが去った後、エリザヴェータが乗っている客車にジェフが戻ってくる。

 

「ケントですか。左右違う瞳の色といい、やはりあの方がグランダム王ケント・α・F・プリムスで間違いなさそうですね」

「そうみたいですね。こんな時にあの方までやって来るなんて。まさかもうすでにあの一党と組んでいるのかしら?」

 

 エリザヴェータの抱いた疑念に、ジェフはふむとうなる。

 

「どうでしょう。少なくともあの娘からは、後ろ暗い何かを隠しているような雰囲気は感じ取れませんでしたが」

「そうですか。あなたがそう言うのならある程度は信用できるでしょう。ですが警戒は怠らないように。相手は中立都市の立場を悪用して、我々帝国と連合の目を忍びながら、各国に禁忌兵器(フェアレーター)を売りつけているような連中ですから」

「はっ、心しております」

 

 一礼するジェフの横で、エリザヴェータはふっとため息をつきながら言った。

 

「おば様に今のことを報告したら、絶対面白がって笑い転げるでしょうね。あの人最近はグランダム王にご執心だから」

 

 

 

 

 

 

 北西区、野盗たちの拠点の離れに建てられている倉庫には、子供たちが監禁されており、ヴィータもアロンドという少年もそこに閉じ込められていた。

 子供たちは相変わらず何もするでもなく、隅の方で膝を抱えて座り込む子もいれば、これは夢の中の出来事だと思い込みたいのか、横になって眠ろうとしている子もいた。

 その中でヴィータとアロンドは臆する様子も見せずに、隣り合って床に腰を下ろしている。

 アロンドは高慢そうにあぐらをかき、ヴィータは当初膝を立てて座ろうとしたが、スカートがめくれるのが気になるのか、両足を床につけぺたんと座ることにした。

 その様子を見て、アロンドは内心でヴィータに毒づく。

 

(ジャリが色気づきやがって。そんなもん興味ねえっつうの。ガキどもを元気づけようとしたり年に合わねえことする奴だ)

 

 そんなアロンドの心も知らず、ヴィータはじっと座り続ける。

 ヴィータとしては今すぐにでも賊を倒して、ここに監禁されている子供たちを親元に返してやりたいと思っているのだが、何の考えもなしにいきなり倉庫の扉を破壊したりすれば、賊たちがここに殺到してくるのは目に見えている。

 あんな奴らに負けるとは思っていないが、子供たちが戦いに巻き込まれない保証はない。アロンドという何をしでかすかわからない不穏分子の存在も、ヴィータにとって悩みの種だった。まだ活力を保っている子がいるのはいい事ではあるのだが。

 それにここに閉じ込められてから、他の騎士たちやケントに念を送っているが、まったく返事が返ってこない。おそらく思念通話で子供たちが助けを呼んだりすることができないように、賊たちが何か手を打っているのだろう。

 ということは、その賊の中に魔法が使える者がいることになる。その魔導師がどんな魔法を使うのかが判明するまであまり派手な動きはしたくなかった。子供たちのためにも、できるだけひっそりとここから脱出したいところだ。

 それを可能にするための策をヴィータはすでに思いついていた。

 ヴィータは倉庫内の天井近くにある小さな天窓を見る。その窓から差しこむ日の光は日中と比べればうっすらと暗くなっている。

 

「なあ、アロンド」

 

 あくびをしているアロンドにヴィータは声をかけた。

 

「あん、何だよ?」

 

 アロンドは煩わしさも隠さずに返事をしてくる。

 

「アロンドってさ、こうして誘拐されるの初めてじゃないのか?」

「はっ? なんでまた?」

 

 思わぬ問いを聞かれ、アロンドは呆れも隠さず逆に問いかける。それにヴィータは、

 

「お前ってさ、誘拐されているにもかかわらず、平気で昼寝してたりあたしに喧嘩売ったり、あまりにのん気に構えすぎているからな。もしかして何度も誘拐されたことがあるんじゃないかって思ったんだ。親が金持ちなせいとかで」

 

 その推測にアロンドは口をとがらせながら答えた。

 

「親なんてもういねえよ。二人とも一年前に死んだ」

「そうだったのか。悪い、嫌なことを聞いたな」

 

 思わぬ事実を告げられたヴィータはばつが悪そうに謝る。

 だが、アロンドは気分を害した様子も見せずにそっけなく言った。

 

「別に嫌なことなんかじゃねえよ」

「そうか。じゃあもう一つ聞いていいか? アロンドはその年で親もいないのにどうやって暮らしてんだ? 兄ちゃんや姉ちゃんとかに面倒見てもらってるのか?」

 

 ヴィータのその言葉を聞いて、アロンドはフッと笑う。

 

「姉ちゃんねえ……まあそんなところだ。一年前から俺の保護者はあの姉ちゃんってことになってる。まあ、だらしねえ奴だし、面倒見てもらってるつもりはないがな」

「そっか。お前も大変なんだな」

 

 何気なくそう言ったヴィータに、アロンドは首を横に振る。

 

「そうでもねえよ。街の警備なんて大抵はつまらない仕事だが、たまに()()もとれるしな。姉ちゃんも他の奴らもみんなクセがあって退屈しねえし、結構楽しませてもらってるぜ」

「警備? たまに食事? それってどういう」

 

 アロンドの口から出た思わぬ単語にヴィータが聞き返そうとした時、食事という言葉に反応したのか、隅で座る子供たちの方からお腹が鳴る音がしてくる。

 もしやと思い、ヴィータは再び天窓の方を見た。

 窓から差し込める日の光は、ちょうど赤くなったところだ。

 それを見るとヴィータは、アロンドに問おうとしたことも忘れてニヤリと笑う。

 

「そろそろ夕暮れか。待ちくたびれたぜこの時を」

「あん? 待っていたって何を?」

 

 笑みを浮かべるヴィータに、アロンドは怪訝そうな声を上げる。

 そのアロンドにヴィータは笑みを見せながら言った。

 

「ここから出るための機会って奴をだよ」

 

 

 

 

 それから間を空けず、一人の男が食事が盛られた皿と水が入った水差しを持って、倉庫前まで歩いてきた。

 皿に盛られた食事はパンを十等分したもの。それが捕らえられている子供たち全員分の食事だった。もちろん、それだけで子供たちの空腹が満たされるわけがない。だが、賊たちは数日の間に餓死しない程度なら、これぐらいで十分だと考えていた。

 倉庫の扉まで辿り着いた男は扉の(かんぬき)を外してから、ノックもせずいきなり扉を開けた。

 それに反応して子供たちは顔を上げる。自分たちをさらった賊は恐ろしいが、それでも日に二度与えられる食事を得る機会を失うわけにはいかない。

 子供たちはその場から一歩も動かず、男が手にしている食事を見る。その様子を見た男は肩をすくめて、倉庫の中央までやって来た。

 

「ほら、今晩の飯だぞ。ちゃんと仲良く分けるんだな」

 

 男は床の中央に食事が盛られた皿と水差しをそれぞれ置く。

 それと同時に、男の方へ小さな足音を立てながら、誰かが向かってくるのが分かった。男は顔を上げその誰かを確かめる。

 そこには赤毛を三つ編みに編んだ少女が立っていた。

 それを見た男は一瞬訝しげな顔をするが、その顔はすぐに薄ら笑いに変わる。

 

「食い意地の張った奴だな。言っておくがお前ひとりの分じゃねえからな。ここにいる全員で分けるんだ……おい、聞いてるのか?」

 

 返事もうなずきもしない少女に男は声を荒げてすごんでくる。

 すると少女は口を開いてきた。謝ろうとしているのだと思い、男はもう少しいびってやろうと下卑た笑いを浮かべかけるが、

 

「グラーフアイゼン ハンマーフォルム」

『Anfang』

 

 ヴィータの声に応えて、首から下げている装飾品()()()()()が光を帯び、次の瞬間にはヴィータの手元に収まる槌に変わった。男は口の笑みの形に変えようとしたまま硬直する。

 だが、ヴィータが起こした現象に驚いたのは男だけではない。

 

(首飾りが武器に――間違いねえ、あれは《魔具》だ。けど魔具なんて傭兵でも一握りしか持っていないはず。それに人工知能なんて先史時代で失われたはず、この現代でそんなもんを持っている奴がいるなんて……まさかこいつ)

 

 アロンドは密かにヴィータの正体に当たりをつける。そんなことも知らずにヴィータは槌――グラーフアイゼンを振り下ろし、

 

「でりゃああああ!!」

 

 渾身を込めてそれを男の頭に叩きつけた。

 

「ぐあああ!」

 

 直撃を喰らった男は白目をむいて床に倒れて気を失い、それを見た子供たちの間からどよめきが走る。ヴィータがこの子たちの声を聞いたのはこれが初めてだ。

 今までふさぎ込んでいた子供たちが、はしゃぐ姿を見るだけでヴィータは満たされた気持ちになる。

 だが、まだ終わりではない。

 

「よし。あたしはこれから他の奴らを倒してくる! 危ないからお前らはここに残っていろ。あたしが戻ってくるまで絶対にここから出るんじゃないぞ。いいな!」

 

 ヴィータは子供たちにそう強く言ってから、背を向けて倉庫から出ようとした。

 だが……

 

「待てよヴィータ」

 

 知った声に呼び止められヴィータは振り返る。その声の持ち主はやはり、

 

「……アロンド」

「俺も行くぜ。俺も奴らに一泡吹かせてやりたいと思っていたんだ。やっとその時が来たのにここでじっとなんてしてられるか」

 

 そんなことを言ってくるアロンドにヴィータは「はあっ!?」と呆れた声を出して、

 

「いい加減にしろよアロンド! これは遊びじゃないんだ。あたしが奴が倒すまで、お前もこいつらと一緒にここで待っていろ! それに奴らの中には――」

「魔導師がいるだろうな。そいつがガキどもの念を遮断して、親や傭兵と連絡するのを防いでやがる」

 

 アロンドの言葉にヴィータは目を見張る。彼の推測は自分の考えと全く同じものだからだ。アロンドもそれに行きついていた。

 

「……気付いていたのか。まさか、お前も思念通話で姉ちゃんとかに助けを呼ぼうと?」

 

 憶測を交えたヴィータの問いに、アロンドは首を横に振った。

 

「いや、逆だ。こんな時間になってもいまだに念()()()届いてこない。だから、この近くに思念を遮断している魔導師がいるんだろうなと思ったんだ」

 

 ここで初めてヴィータはアロンドに感心した。十足らずの子供がそんな推測を易々と立てられるものじゃない。ましてやこんな非常時で。

 今までヴィータはアロンドの事を空威張りばかりして強がっているだけのただの子供だと思っていた。しかし……

 

「アロンド、お前さっき街の警備がどうのって言ってたよな。あれはまさか本当に――」

 

 そう呟くヴィータに向けてアロンドは右腕を掲げて見せた。

 そこには藍色で羽根を模した刺青が刻まれている。

 

「ああ。一年前から《フッケバイン傭兵隊》の一員として街の治安を守っている。この腕に刻まれた刺青(マーク)が傭兵隊の証だ」

 

 ヴィータも子供たちも唖然とした顔でアロンドに視線を注ぐ。

 

「このアロンド様の手にかかればあんな傭兵崩れどもなんて、赤子の手をひねるように潰してやるぜ!」



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第34話 フッケバイン傭兵隊

 リヴォルタの都市とその周囲にいくつもある農村では、互いの間で頻繁に人々の移住が行われている。

 まず村から都市へ移住する例。リヴォルタでは採れた収穫物を売ることである程度富をたくわえた村人が、都市へ移住する事が多い。他国でも村から都市へ移住したいと思う者は多いが、彼らが住む農村はすべて領主の統治下にあり、村人は度々税を取られ都市へ移住するほど蓄財ができないため、ほとんどが自分が生まれ育った村から出られないままその一生を終える。

 だが、ごく稀に秀でた才を持つ者が村から脱走して都市でその才を発揮し、成功を収めて華やかな生活を送ることができる者も中にはいる。

 その反対に都市から村へ移住する例は、リヴォルタくらいでしか見られない。

 リヴォルタでは競争に敗れて廃業したり、勤め先から逃げて職を失った失業者や生活に困るほどの低所得者に、村への移住を勧める政策が取られている。

 村人が都市に移り住めば彼らが耕していた田畑は野ざらしとなり、結果的に村ひいてはリヴォルタ自治領内の食料生産率は落ちてしまう。その穴を埋めるために都市内であぶれた失業者などを村へ移住させ、耕作人がいなくなった田畑を耕させる制度がリヴォルタにはある。

 この移住政策は都市の屋外で座り込んで生活する浮浪者を減らす副次的な効果も出しており、街の景観維持や犯罪の防止にも役立っている。

 だが、市に言われたからといって素直に都市から出て行く者ばかりではない。都市民としての誇りを捨てきれず、農村への移住を拒否する者も中にはいる。しかし金がなければ生活できない。

 そんな彼らが辿るのは、窃盗などの犯罪を犯して自警団に捕まり厳罰を受けるか、もしくは治安の悪いスラムに自ら移り住むか。

 

 《北西区》と呼ばれる地区はそんな失業者や犯罪者が集まった、リヴォルタに唯一存在するスラムである。

 元々は西区のはずれにある人口が少ない区画だったのだが、失業者や自警団の手を逃れた犯罪者たちがそこに住み着き、生活環境や治安を悪化させたことでスラムと化してしまった。今や市当局も匙を投げて、北西区には手を出そうともしない。

 

 日が赤くなって、辺り一面薄暗くなってきた頃。野盗にさらわれたヴィータを追って、ウィラードの助言と謎の令嬢一行を含めた目撃者たちの証言を元に、俺たちはこの北西区にやって来た。

 

 

 

 

 

 北西区の建物はほとんどがあちこちに傷が入ったり、塗装が剥げるなど劣化が著しい、廃屋と呼んでいいものばかりだった。それにも関わらず建物は服が干されたままになっていたり、時折人が出入りしているのがところどころで見える。

 屋外では道の隅に敷物を敷いてその上に座っていたり、あるいは地べたにそのまま座り込んでいる浮浪者があちこちにいる。その上、放置されたごみが道端にそのまま散乱しており、それらが合わさることで北西区全体が耐え難いほどの異臭で満ちていた。

 その異臭をもろに嗅いだ俺たちは顔をしかめる。その中でも特に、

 

「うっ――こほっ、こほっ」

「シャマルさん、辛そうだね。大丈夫?」

「ありがとうティッタちゃん。私なら大丈夫よ」

 

 あまりの悪臭に咳き込むシャマルにティッタは声をかけ、シャマルは袖で口元を抑えながらだが気丈にそう返して見せる。

 

「どうしても耐えられそうにないのなら、シャマルは西区で待っていてもいいんだぞ。子供の誘拐を生業とする賊程度に俺たちが苦戦するはずはない。この程度の事でお前まで無理しなくても――」

 

 俺がそう言うとシャマルは首を横に振って、それを拒絶した。

 

「いえ、私も一緒に行かせてください。私だってヴィータちゃんのことが心配なんです。それにたかが賊だと思って侮ってはいけません。そんな風に油断している時が一番危ないものなんですから」

「……悪い。そうだったな」

 

 シャマルの言うとおりだ。

 こちらがどれほど戦い慣れていて相手がどんなに弱そうでも、不意を突かれたところを斬りつけられたり、思わぬ方から矢や魔力弾を射かけられたりすれば、どんな強者でも命の保証はない。

 たとえ相手がひったくりや空き巣の類だろうと、侮っていい敵など存在するわけがないんだ。

 

「うう――こほっ、ごほっ!」

 

 しかし、本当に辛そうだな。体質的には狼に近いものを持っている、ザフィーラの方がこたえそうな気がするが、彼の方はシグナムとともに先頭の方を黙々と歩いている。表情の方もいつもと変わりはないようだ。

 忍耐強いのか、それとも嗅覚を使って探索を行うことが度々あって、こういうことにも慣れているのか。

 

 

 

 

 

 

 ケントたちが北西区の捜索を始めたのとほぼ同時刻、同じく北西区にて。

 

 ベルカは禁忌兵器(フェアレーター)を用いた戦乱の影響で、空全体が暗雲で覆われるようになり、他の世界より暗くなるのが早い。

 もうある程度離れていると、明かりなしでは男女の区別も難しくなる時間帯だ。しかし、このスラム街は明かりというものがない上に、道端にはごみやガラクタが散乱して住民でさえ転ぶことがよくある。

 そんな状況にもかかわらず、道に転がっているごみ類に足をつまずけることなく、スラム街をずかずかと歩く女三人男二人の一行がいた。

 先頭を歩くカリナはスラムを見回しながら、後方で何かに耳を澄ませているフォレスタに声をかける。

 

「どうだいフォレスタ? アロンドからの返事は?」

「いえ、まったく応答なしです。念話だけでなくリアクターへの通信もしているのですが。思念通話の方は賊側が遮断しているのでしょうが、リアクター通信については間違いなくあの子が無視しているだけでしょうね」

 

 カリナの問いかけに、フォレスタは肩をすくめながらそう答えた。

 カリナはたまらず舌打ちをこぼす。

 

「ちっ、あのガキ面倒をかけさせやがって。例の大仕事が始まれば殺しなんて思う存分できるっていうのに。あの賊どももアロンドなんかをさらうなんて、馬鹿な真似をしてくれる。やっぱ事前に始末しておくべきだったか」

「まあまあ、そう荒れるなよ姉貴。この様子だとまだ外にまで騒ぎは広がってないようだ。今のうちにアロンドを見つけ出しておけば、賊と他のガキどもが死ぬぐらいで済むって」

 

 苛立つカリナをサガリスがなだめる。彼に続いて、

 

「そうだな。他の街区ならまだしも、スラム街でそれくらいのことが起こったところで、市民たちも大して気にもとめんだろう。二月前の宿に比べれば――」

「しっ! その事はあまり口にしないでください」

 

 トリノが“あの時の事”を言い出そうとした瞬間、フォレスタがそれを遮って、自身の口に人差し指を当てる仕草を見せた。

 いくらスラムとはいえ、それを堂々と触れ回るのはあまりに軽率に過ぎる。

 トリノは「そうだったな」と苦笑して、言葉の続きを引っ込めた。

 そんな彼らの会話に加わらず、あらぬ方を見ている者がただ一人。

 カリナはそれに気付いて彼女に声をかけた。

 

「どうしたライラ? アロンドが見つかったのかい?」

 

 あまり期待していない様子で尋ねてくる主に、顔を振り向けてライラは答える。

 

「……いえ、アロンドではありませんが少し気になる人たちが」

「気になる人だぁ? 色男でもいたのか? っつかお前が男に興味を持つことなんてあったのか。人間じゃないのに――」

「サガリス、少し黙ってろ! ……それであんたが気になる奴らって何だい?」

 

 カリナは相棒をからかうサガリスを一喝してから、ライラに再度尋ねる。

 

「……あの向こうから異質な反応が……魔力によって作られた体を持つ魔法生命体があそこにいます」

「魔法生命体……お前みたいなのか?」

 

 機械的に答えるライラにアロンドが再び突っかかり、カリナがそれを止めようとするがそうする間もなく、ライラはこくりとうなずいた。

 ライラと同じ魔法生命体。

 それを聞いて今まで浮ついていたサガリスとトリノは表情を改め、カリナはふむとうなり、フォレスタはある話を思い出してまさかと呟いた。

 カリナたちは、さっきまでライラが見ていた方へ目を向ける。

 

 そこには五人の男女がいた。

 先頭には頭巾をかぶった褐色肌で筋肉質の男と桃色髪の女剣士、その二人の後には気分が悪そうに口元を押さえながら歩いている金髪の女、その両脇には瞳の色が左右違う茶髪の少年と少女。

 

「……確かにどいつもただものじゃなさそうだね。それで、あんたと同じ疑似生命体ってのはどいつだい? もしかしてあいつら全員が?」

 

 カリナの見込みに、ライラは首を横に振って答えた。

 

「いいえ、前を歩く二人と後ろにいる三人のうち、中央を歩いている人たちです。後の二人はただの人間のようですね」

「ただの人間といっても、二人とも瞳の色が片方ずつ違っているけどね。多分どこかの国の王族といったところだろう。……ふむ、ライラみたいな魔法生物三体と王族が二人か」

「現代の闇の書の主とその騎士たちに当てはまるものがありますね。ただ、僕が聞いた話では闇の書が生み出す騎士は四体いるとのことですが……一体足りませんね」

 

 フォレスタの説明を聞いて、カリナは向こうの様子を眺める。

 カリナの視線の向こうで、彼らは暗闇に包まれていくスラムで懸命に目を凝らし、あちこちを見ながら歩いている。

 

(あいつら、何かを探している…………もしかして)

 

 向こうにいる五人の様子をしばらく眺めた結果、カリナはある結論に辿りつき、クククと笑った。

 

「なるほど、あいつらもはぐれちまった仲間を探しにここまで来たという訳か。こいつは面白いことになってきた」

 

 そんなリーダーの様子を見て、部下たちは肩をすくめる。

 カリナが何を考えているのか、彼女と短くない時を共に過ごした彼らにはわかる。その中でライラだけが彼らについていけずに、きょとんと首をかしげていた。

 

 

 

 

 

 

 曇天から漏れる夕日が色を失っていき、この地上はますます暗さを増していく。

 そろそろ松明が必要だと思い、俺はザフィーラに声をかけた。

 

「ザフィーラ、燃えやすそうな木の棒とか持っていないか?」

「ええ、ありますよ。観光が目的とはいえ万が一にということもありますので。実際こうして、明かりもない場所を歩き回る羽目になりましたからな」

 

 ザフィーラは背嚢を背中から外して片手に持ち、「少々お待ちを」と言いながら、その中に手を入れる。

 それからすぐに彼は背嚢から、細長い木の棒を取り出した。

 

「こちらです。よろしければ私が持ちましょうか?」

「ああ。頼む」

 

 ザフィーラの申し出に俺は素直に甘えることにする。

 主と従者という立場の事もあるが、ザフィーラは体格とともに背の高さもこの中では群を抜いている。

 俺よりもザフィーラが松明を持ってくれた方が、より高い場所まで照らすことができるだろう。

 

「シグナム、火を頼む」

「ああっ――」

 

 ザフィーラに言われてシグナムが魔法で火球を出し、木の先に火をつける。

 そうして火が付いた木の棒を松明として、ザフィーラは高々と持ち上げた。

 そこに、

 

「ふーん、松明かぁ。風情のあることしてるねえ」

「――っ!」

 

 突然脇の方から声をかけられ、俺たちは一斉にそちらを見る。

 

「松明か、懐かしいな。姉貴と旅を始めてからはあんなものを持つこともなくなったが、こうして誰かが持っているのを見ると、風情があってなかなか悪くない。トリノ、お前も後で持ってみろよ」

「断る。私がなぜそんなことをしなければならんのだ。持ちたいのならサガリスが持てばいいだろう」

 

 そこにいたのは五人の男女だった。

 二人の男と三人の女。男女比も俺たちとまったく一緒の集団だ。

 先頭にいる黒髪の女と金髪の男は腰に剣を差し、青髪のがっしりした体格の女は背中に斧を担いでいる。

 それを目にした途端、ザフィーラとシグナムは俺たちの前に進み出て、彼女らを阻んだ。 

 

「主、お下がり下さい」

「我々に何か用でもあるのか?」

 

 警戒心をあらわにしてすごむ二人を前に、黒髪の女は両手を振りながら口を開く。

 

「待った待った! 私らは追い剥ぎとかじゃないよ。むしろその逆、この街を平和を守っている傭兵さ」

「傭兵?」

 

 俺のおうむ返しに黒髪の女はうなずく。

 

「そっ。《フッケバイン傭兵隊》っていうの。知らないだろうなあ。たった六人の零細組織で、他の傭兵団からも馬鹿にされてるし。まあ、個々の実力で私らにかなう奴なんていないと自負しているけど……たとえ相手が最近巷を騒がせている守護騎士って奴らだろうとね」

 

 どこか嫌味をこもったような、その言葉を聞いて騎士たちはむっとする。守護騎士ではないティッタも含めて。

 

「そのフッケバイン傭兵隊が俺たちに何の用だ? 俺たちには別にやましいことなど何もないぞ」

 

 傭兵を名乗る相手に向かって、俺はそれだけを言う。

 傭兵と聞いて一瞬、彼女たちにヴィータの救出を依頼することも考えた。

 だが、リヴォルタで治安維持を請け負っている傭兵団は、どこも賄賂がなければ動かないほど質が悪く、金だけもらってまともに働かないということもよくあることだ。

 それに彼女らが本当に傭兵団なのかはかなり怪しい。たった六人の集団を、一傭兵団として市が認可するとは思えないからだ。

 自分からそれを言ってくるところは少し気になるが。

 

「いやなに、さっきあんたたちを見かけてから、ずっと様子を見てたんだけどさ……あんたたち、連れの誰かがバカな賊に誘拐されただろう。多分十歳前後くらいの見た目をした小さい子だと思うけど」

 

 ――!

 カリナの推測に俺たちは目を剥いた。

 俺は思わず尋ねるような声を漏らす。

 

「……なぜそれを」

「大したことじゃないさ。あんたたちはさっきからずっと、あちこちを見ながらここを歩き回っていた。何かを探してる証拠さ。でも、あんたたちみたいにいい服着た奴らが、こんなスラムで探す物なんてせいぜい落とし物くらいだろう。だが、あんたらは足元じゃなく、まわりの建物を見ていた。誰かを監禁するのに使われそうなところをね」

 

 ……確かに彼女の言うとおりだ。俺たちは今まで、ヴィータや他の子供たちが監禁されていそうな場所を探してスラムをさまよっていた。

 

「おいおい、そう驚くんじゃないよ。スラムってとこに何度か足を運んでいれば、誰だってわかることさ。うちの馬鹿どもはともかくね」

 

 うちの馬鹿どもという言葉に、彼女の部下らしき三人がすぐさま文句を言うが、黒髪の女は聞く耳持たない。部下たちの文句を右から左に聞き流し、女は続けて言った。

 

「まあ、さすがの私もそれくらいじゃ誘拐にまでは考えが及ばないとこだけど、そこはうちらもあんたたちと同じ事情があるからね」

「同じ事情だと? ……まさか」

 

 俺が抱いた予測を、黒髪の女は首を縦に振って肯定した。

 

「ああ。私らの仲間が紙切れ一枚を残して姿を消したんだ。多分、これと同じものをあんたも持っていると思うけど」

 

 そう言って黒髪の女は、懐から小さく折りたたまれた紙を出してきた。

 シグナムと何言か言葉を交わしてから、俺は松明を持つザフィーラを伴い、女に近づいてその紙を受け取る。

 そこに書かれていたのは、ヴィータをさらった者が落とした紙に書かれてあるものとほとんど同じ内容だった。

 

「どう? それでわかったろ。あんたたちの連れも私らの仲間も、同じ連中に連れ去らわれたってことが」

「ああ。どうやらそのようだな。それでお前たちは一体何が言いたいんだ? 俺たちにこの件から手を引けとでも?」

 

 俺の懸念に黒髪の女は「ノンノン」と、一本だけ立てた人差し指を左右に振って否定する。

 

「現在あんたたちと私らは同じ場所を目指していて、目的も似たようなもんだ。だったらここは一つ、手を組まない? 私らにはすでに連中が使っていそうな根城の見当がついている。そこまで一緒に行くだけでもいいんだけど」

 

 黒髪の女からの提案に、俺たちは顔を見合わせる。

 一瞬何かの罠かとも思ったが、ヴィータをさらった賊の一味が、傭兵隊を名乗って俺たちを拠点まで案内する意味が分からない。

 それにこいつらは明らかにただものじゃない。誘拐や人身売買で食いつないでいるような小悪党とは明らかに異なる。

 正直に言えば、賊よりはるかに得体が知れない。

 だが……だからこそ、この傭兵たちから目を離すべきではないのではと俺は思った。

 

「……その場所まで案内と協力を頼めるか?」

「主!」

 

 シグナムが口を挟もうとしてくるが、俺はそれを手で制して止める。

 目的地が同じなら提案を断ったところで意味がない。それに彼女たちの方がスラムには詳しそうだし、今はヴィータと合流するのが先決だ。

 

「話は決まりだね。私は傭兵隊の隊長、カリナ・フッケバイン。ほんの少しの間だけどよろしく頼むよ」

 

 黒髪の女、カリナはそう名乗って右手を差し出す。

 

「ケント・セヴィルだ。お互い大切な仲間を取り戻すため、全力を尽くそう」

 

 俺も右手を出して互いに握手を交わし、カリナは俺に笑みを向けてきた。

 

(ケントね。グランダムの王様がそんな名前だったっけ。じゃあ、やっぱりこいつが闇の書の主ってわけだ)

  

 それからカリナは俺から手を離したかと思うと、おもむろに腰につけた巾着(ポーチ)をまさぐり始めた。

 

「じゃあ、まずはお近づきの印に」

 

 それを見たシグナムたちはとっさに構える。

 それに構わず、カリナは巾着からある物を取り出し、それをシャマルに放った。

 シャマルは慌ててそれを両手で受け取る。そして意外そうな目でそれを眺めた。

 

「――これは」

 

 シャマルが黒髪の女から受け取ったのは、液体が入った小さな小瓶だった。俺には見覚えがないものだ。

 だが、シャマルをはじめ、うちの女性陣たちはそれが何か察し、ザフィーラも匂いでそれが何か想像がついたらしい。その小瓶に入っている液体の正体を知らないままなのは俺だけのようだ。

 

「香水だ。あんたにはこのスラムの匂いはかなりきついらしい。そいつをつければいくらかマシになると思うよ。他の人たちもよければどうぞ」

 

 そう言い残してカリナは自分の部下たちのもとに戻り、何事か話した後、彼らを引き連れて再び俺たちのもとへと戻ってきた。

 

 そうして俺たちはフッケバイン傭兵隊とともに賊たちの拠点へ向かう。互いの仲間を迎えに行くために。

 だが、心の奥底では誰もがすでに覚悟していたのかもしれない。俺たちとカリナたちは近いうちに剣を交えることになると。

 

 

 

 

 

 

 ヴィータとアロンドが倉庫から出た時には、すでに日の光は完全に届かなくなっており、外は真っ暗だった。

 ここら一帯で唯一灯がともっているのは、倉庫から少し離れた大きめの家だけだ。間違いなくそこが賊の拠点なのだろう。

 

「いいかアロンド。危なくなったらすぐに逃げるんだぞ。それがお前を連れて行く条件だ。何なら今すぐ戻っても――」

「あんな奴らに俺が後れを取るなんてありえねえよ。お前こそ後のことは全部俺に任せて、ガキのお守りでもしてたらどうだ」

 

 賊たちがいる家を前に、ヴィータとアロンドはそんな言葉を交わす。

 ヴィータはアロンドに対して、未だに不安をぬぐい切れずにいた。

 アロンドは傭兵隊の一員として、年齢にそぐわぬ洞察力と判断力を持っている。しかし、それでも十歳にも満たない子供に変わりはない。子供の姿をしているだけで百年以上は活動しているヴィータと違って。

 そんな彼が盗賊たちを倒せる力を持っているとはとても思えない。

 それなのに、なぜ自分はアロンドの同行を許してしまったのか。

 勝手な真似をされるくらいなら自分の目の届くところにいた方がまだ安全だと判断したのか、それとも初めて自分と同じ目線で話をしたアロンドという少年に何らかの感情でも芽生えたのか。今のヴィータにはそれを知る由もない。

 

「よし。それじゃあ行くか」

「待て!」

 

 拠点に踏み込もうと足を踏み出すヴィータを、アロンドが引き止める。

 

「何だよ? まさか今になって怖気づいたのか?」

 

 いざこれからという時に水を差された事にヴィータは文句を言うが、アロンドは反応を示さずに、賊がいる拠点を見回しているだけだった。

 さすがに苛つき、胸倉でも掴んでやろうかとヴィータは手を伸ばしかけたが、拠点を見回しているアロンドの表情がやけに真剣なことに気付く。

 

「……何を見ているんだ?」

「お前、これからあの家に、正面の扉から入ろうとしてるだろう」

 

 思わぬ質問にヴィータは一瞬固まって、それからすぐに気を取り戻し返事をする。

 

「そうだよ。それがどうかしたか?」

「やめておけ」

「はっ? なんでだよ? お前やっぱり怖気づいて――」

「あの家の扉は正面だけじゃない。左側にも扉があるみたいだ。明かりがついてないから見落としがちだけどな」

 

 アロンドの指摘にヴィータは件の家の左側を見る。しかし目を凝らしてそこを見ても扉らしきものは見えない。だがもう少し近づいてみればもしかしたら……。

 

「乗り込むのなら正面と左側の同時からだ。そうしないと討ち漏らした敵がもう片方から逃げ出してしまう。それを許せば、敵はガキどもを人質に取るために倉庫へ向かうだろうな。二、三人は見せしめに殺されちまうぞ。いいのか?」

「……アロンド、お前一体何者だ? その視力といい、洞察力といい」

 

 ヴィータの問いに、アロンドは頭をかきながら答える。

 

「別に。うちでは必須のスキルってなだけだ。それでどうする? 今の策だと正面と左側の両方から同時に踏み込まなくちゃならなくなるが。この期に及んでまだ俺にガキだから引っ込んでろなんて抜かすんじゃねえだろうな」

 

 アロンドに選択を突き付けられ、ヴィータは言葉を詰まらせる。

 彼の言う通り、もう一つの扉を放置してそこから賊を取り逃がすようなことがあれば、奴らは間違いなく子供たちを人質に取り自分たちに投降を迫ってくるだろう。その際、何人かは本当に殺されてしまうかもしれない。

 ヴィータはしばらく悩み、絞り出すような声で言った。

 

「あたしは正面から行く。アロンド、左側は任せるぞ」

「おう! 大船に乗った気でいな」

「……おまえのその大口を今だけは当てにしてるからな」

 

 そう言ったきりヴィータは黙って正面の扉に向かい、アロンドは左側にあるもう一つの扉に向かう。

 ヴィータはただこの作戦がうまくいくことを願い、その一方でアロンドは己の欲求を満たすための算段を立てていた。

 

(これでなんとか奴の目を盗む下地を整えることはできたな。皆殺しはもうあきらめるしかねえが、せっかくここまで来たんだ。せめてこそこそ隠れてる奴を一人か二人くらいは。後はお前の正体を余すことなく姉ちゃんに報告することでチャラにしてやるぜ、守護騎士様よぉ)



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第35話 魔導封じ

 自分たちを誘拐した賊たちがいる家の正面扉に向かいながら、ヴィータは拠点の左側を歩いているアロンドの方に目を向けた。

 ヴィータが見守る中、アロンドは外壁半ばほどのところまで行くとそこで立ち止まった。彼によればそこにもう一つ拠点内へ通じる扉があるのだそうだ。

 アロンドは半ズボンに手をやりすぐにその手を取り出す。暗さのせいでよく見えないが、ズボンについている衣嚢(ポケット)から何かを取り出していたのだろう。

 これからすることを考えるとアロンドが使っている武器だろうか? 衣嚢に収まるような武器と言えば、まさか……。

 衣嚢から取り出した何かを手に、アロンドはヴィータの方を見ていた。もし念話が使える状態だったら、アロンドから早くしろという思念が飛んできただろう。

 そんなアロンドに対してヴィータは心の中でわかってるよと答え、正面扉の前に立った後、右手に持っている愛槌グラーフアイゼンに呼びかける。

 

「グラーフアイゼン Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

 

 ヴィータとグラーフアイゼンがそう唱えた直後、ヴィータの装いは私服から、グランダム軍の魔導鎧を基調とした黒い騎士甲冑に変わる。

 ヴィータの右手にはさっきまでと変わらずグラーフアイゼンが握られていて、左手だけが空いてる状態だ。その左手でヴィータは扉をコンコンと叩く。

 

 

 

 

 

 

 ここはかつて北西区を自らのシマとして開拓しようとした大商人が、住居兼店舗として使用していた邸宅だった。だが、商人はかなり前に北西区から逃げ出すように他の街区へ移り住んでしまい、この家はもう誰のものでもない。

 北西区に失業者や犯罪者が住み着き始めたせいで、区画全体がスラム化してしまい開拓を断念せざるを得なくなったためだ。

 そして今、商人一家に代わってここに住んでいるのは、大きな空き家に目をつけ拠点として利用している十数人の賊たちだ。

 この荒れた状態のまま捨て置かれている邸宅の広間にて、賊たちは……。

 

「それでは商談成立を祝して……乾杯!」

「「「かんぱーい!!」」」

 

 頭目の音頭に続いて、手下たちが銀杯をぶつけ合い、杯の中になみなみと注がれた酒を飲み干していく。

 杯をぶつけた時の衝撃で少なくない酒が床にこぼれ、室内には酒のにおいが充満していたが、賊たちは気にするどころか、これで酔いが回りやすくなったとのたまう始末だ。

 彼らが誘拐してきた子供たちのほとんどは、今日までの間に売却先が決まった。この乱痴気騒ぎはそれを祝って行われているものだ。

 ただし、倉庫に閉じ込めてある子供たちの中には、まだ買い手が決まっていない子が二人だけいる。

 その二人とは、賊たちが今日の昼に誘拐してきた赤毛の少女と黒髪の少年。

 どちらとも身代金の受け渡しは今日の夜に行われる予定であり、一応何人かの手下を向かわせているが、正直そちらはあまり期待していない。

 赤毛の少女の連れは旅人風の若い男女だ。いずれも少女とはまったく似ていないという話だったので、兄姉ではないのかもしれない。そうなると子供一人を返してもらうために、彼らが数千リヴォルも払ってくれるとはとても思えない。

 黒髪の少年にいたっては、広場のベンチで寝ているところを捕まえて、その場に身代金の額と受け渡し場所を記した紙を置いてきたという状況だ。その紙を少年の親兄弟が見つけてくれたのかどうかさえ分かっていない。

 だが、万が一少女と少年の保護者が身代金を払ったとしても、あの二人を返すつもりは毛頭ない。

 あの二人はどちらとも今まで連れさらってきた子供たちの中でもっとも顔立ちがよく、その上健康そうだ。あれならどこに売っても他の子より高い値が付くだろう。買い手もすぐに決まるに違いない。

 それを見越して賊たちは今持っている有り金を湯水のように散財して、酒食にふけっていた。要するにバカ騒ぎがしたいだけなのだこいつらは。もっとも、通報を防ぐための結界を張ってもらっている魔導師だけはこの騒ぎから外れてもらっているが。

 

「どんどん飲め。どんどん食え。遠慮はいらんぞ。明日には大金が入って来るんだ。おいそこの二人、向こうの方にまだ酒があったはずだろう。すぐ取ってこい!」

「……へい」

 

 頭目に命じられた手下二人は、不服そうな表情で応じる。酒盛りを始めたばかりでそんなことを言いつけるくらいなら、始める前に用意させればいいじゃないかと。

 そうふてくされながら手下二人は、酒瓶が置かれてある調理場の方に向かった。

 この二人は実に運がない。酒を一杯口にしただけですぐ小間使いを命じられ、宴の場から外れなくてはならないのだ。そして命じられた時機も悪かった。今ここにいればあと一週間は生きられただろうに。

 手下二人が姿を消してしばらくして、正面の扉を叩かれている音が聞こえてきた。

 頭目たちは一瞬怪しげなものを見るように顔を向けるがすぐに気付く。

 

「あいつ、やっと戻って来たか。ガキに飯やるのになにをちんたらしてたんだ」

 

 そう、魔導師とさっきの二人以外に、もう一人この場にいない者がいる。監禁している子供たちにパンを運んでいた者が未だに戻ってきていなかったのだ。

 頭目は愚痴をこぼしながら顎で扉を示す。

 それに応じて手下の一人が扉を開き、開口一番に文句を言った。

 

「おせえぞ。まさか売りものに手を上げてたんじゃねえだろうな――?」

 

 手下の前には誰もいない――ように見えた。だが目線の下あたりから。

 

「よう!」

 

 声につられて手下は視線を下げる。

 そこには赤毛を三つ編みに編んだ少女がいた。少女は黒い甲冑を装着し、右手には金属でできた槌が握られている。

 それを見た手下はつい呆気にとられる。

 子供たちは全員倉庫に閉じ込めてあるはずなのに? それに鎧を装着してる子供なんていたか? 大体あんな槌一体どこから?

 それらの疑問が頭の中に駆け巡り、呆けた面をさらしている彼めがけて少女、ヴィータは槌をぶつけた。

 

「ぐあっ!?」

 

 顔を殴打された手下はうめき声を上げながら室内へ吹き飛んでいき、他の手下や床に置いてある酒瓶、杯を巻き込んで横に転がっていった。

 思わぬ不意打ちと酒を台無しにされたことで頭目や手下たちは逆上し、顔を歪めながらヴィータを睨む。

 

「な、何だてめえは!?」

「このガキは昼間さらったばかりの」

「ガキどもはみんな倉庫に閉じ込めてあるはずだぞ?」

 

 騒ぐ賊たちを前にヴィータは拠点内にずかずかと足を踏み入れるが、室内に充満した臭気をもろに嗅いで思わず顔をしかめた。

 

「くっせえ。酒の匂いまみれじゃねえか。それに部屋中滅茶苦茶だし、まさか今まで一度も部屋を片付けたことがないんじゃないだろうな?」

 

 空いた左手で鼻をつまみながら、ヴィータは広間を見回す。

 そのヴィータに向かって、頭目は表情をゆがませたまま言葉をかける。

 

「お前、一体どうやってあそこから抜け出してきたんだ? まさか――」

 

 その問いにヴィータは槌を肩に担いでから答えた。

 

「そんなの決まってんだろう。飯を運んできた奴をぶっ倒して空いたままの扉から出てきたんだ。しかし、飯を持ってきたのが一人だけだったのは、さすがに予想外だったぞ。子供のとはいえ十人分の食事を持っていくんだから、後何人かは来ると思っていた。……おいてめえら、子供たち全員の食事がパン一個っていうのはさすがにひどすぎるんじゃねえか!」

 

 そう言ってヴィータが凄んで見せると、手下たちは「うっ」とうめきながら一歩後ろへ下がる。

 こんな子供に賊たちはなぜか身がすくんでしまう。相手は自分たちより半分ほどの背丈の少女にも関わらずだ。

 そんな情けない姿を見せる子分たちに、頭目は怒鳴り声を上げた。

 

「てめえらビビってんじゃねえ! よく見ろ! 相手はあんなちっこいガキだぞ! 俺たちに歯向かおうとしたらどうなるのか、その体に刻み込んでやれ!」

「お、おう!」

 

 頭目にどやされたことで、手下たちは気を取り直してヴィータに迫る。

 ヴィータは賊たちに槌を向けてニヤリと笑った。

 

「へっ、子供さらって飲んだくれてる小悪党どもが言ってくれる。やれるもんならやってみろ!」

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!」

「こいつ!」

 

 頭目に酒を持ってくるよう命じられ調理場で酒瓶を抱えていた手下二人の耳に、突然何人かのわめき声と物音が届いてきたのはそんな時だ。

 

「騒がしいな。あいつら悪酔いしすぎだろう。宴はまだ始まったばかりだぞ」

「こりゃ明日まで二日酔い決定だな。あそこにいるだけで酔っ払っちまう。ったく俺たちをこんなところに追いやって、自分たちだけ楽しみやがって気に入らねえ」

「せめてものお返しに、俺たちもここでお頭ご所望の酒を頂いちまうとするか」

 

 そう言って男は酒瓶を持ち上げながら口をつけ、もう一人もそれに続こうとする。

 そんな彼らの鼓膜に、ギギギという耳障りな音が聞こえてきた。

 一人は瓶から口を離し、もう一人は瓶を手に持ったまま音のする方を見る。

 その音は調理場にある勝手口から聞こえていた。勝手口についている鍵穴のあたりで今もまだ。

 そこで二人はまさかと思った。鍵穴から漏れてくるこの音はまるで。

 二人がそれに思い当たったのとほぼ同時に、勝手口の扉は勢いよく開かれる。

 

「いたいた。誰もいなかったらどうしようと思ってたぜ」

 

 開かれた扉の向こうにいたのは、短い黒髪で半袖半ズボンの服装をした少年だった。

 少年は右手に持った短刀をくるくる回している。

 それを見て賊二人は、

 

「まさか短刀で鍵をこじ開けたのか? そんな技一体どこで?」

「い、いや、それよりも、どうやってあの倉庫から出てきた? あそこは閂がかけられていて、鍵開けの技だけじゃ、あそこを開けることなんてできないはず……」

 

 うろたえる賊二人を見ながら少年、アロンドは手元で回していた短刀を逆手に持って口を開いた。

 

「そんなことどうでもいいだろう。今確かなのはこの俺が悪党どもを殺しに来たってことだけなんだからよ!」

「ぬかせ!」

「てめえなんか素手で充分だ!」

 

 アロンドの挑発に逆上した賊二人は酒瓶を後ろに投げ、徒手空拳のままアロンドに迫る。

 それがこの二人の生前最後の姿だった。

 

 

 

 

 

 

「ぐあっ!」

 

 ヴィータが振り回す槌が腹に入って、手下は悶絶し床に倒れる。

 これで手下たちは全滅し、今この場に立っているのは雑魚を片付けたヴィータと、唖然としている頭目の二人だけだった。

 

「そ、そんな馬鹿な?」

「残るはお前一人だぜ。痛い目見たくなきゃ武器を捨ててその場に伏せろ!」

 

 頭目に槌を向けてヴィータは投降を命じる。

 

「……な、何だ? 何なんだお前は!?」

 

 頭目は信じがたい面持ちで問いかける。それに対してヴィータは槌を肩に担ぎながら答えた。

 

「鉄槌の騎士ヴィータ。グランダム王に仕えるヴォルケンリッターの一人だ」

「グ、グランダム、あの闇の書を持つ王がいるという……」

 

 ヴィータの言葉を頭目は笑い捨てようとした。だができない。

 自らが従える手勢のほとんどをあっさり打ち払った少女を前にして、ヴィータの言葉を否定することができない。

 

「……ぐぬっ」

 

 苦虫をかみつぶしたような顔で、頭目は歯をギリギリと噛む。

 屈するわけにはいかない。

 このまま当局に突き出されれば、自分たちは縛り首に処されることになる。手下たちはもしかすれば労役で済むかもしれないが、自分は誘拐以外にもかなりの悪事を犯している。それらの事実も手下たちの口から露見されていくだろう。まず死刑は免れない。

 何よりいくら強いからといって、こんな子供の言いなりになってたまるか!

 そう強く思った。しかし、このヴィータという子供、真正面から戦って勝てる相手ではない。いくつかの戦を渡り歩いてきた、元傭兵としての経験がそう告げている。

 こいつに対抗できるのはもうあの男くらいしか。ここは何としてもこの場を逃れて、彼のもとへ行きたい。そのためにせめて一瞬だけでも奴の隙をつくことはできないか。

 そう思ってヴィータを前にしながら、こっそりと辺りを窺っていると、

 

「ようヴィータ。そっちはもう片付いたか? ――あん? まだ一人残ってんじゃねえか」

「アロンド――その血は!」

(しめた!)

 

 血まみれになってやって来たアロンドの姿を見てヴィータは青ざめ、その一瞬の隙をついて頭目は奥へ駆けて行った。

 

「――あっ! 待てよてめえ!」

 

 アロンドに付いた血が気になりながらもヴィータは逃げる頭目を追い、そんなヴィータをやれやれと冷めた目で見ながら、アロンドもその後に続いた。

 

 ヴィータとアロンドは荒れた邸宅を進みながら、賊の頭目を追い続ける。しかしこの中年親父、くたびれた見た目のわりになかなかすばしこくて距離が縮まらない。

 そうこうしている間に頭目はある部屋に飛び込み、ヴィータたちもその中に押し入った。

 部屋の中にはヴィータたちが追いかけていた頭目と、緑色のローブを羽織った若い男が床に座り込んでいた。男の側には酒瓶と杯が置かれており、仲間たちから距離を置いてここで一人飲んでいたことがうかがえる。

 

「あいつらだ。あいつらが仲間たちをのして、俺たちの計画を滅茶苦茶に……た、頼む。あんたの魔法であいつらを始末してくれ!」

 

 頭目に泣きつかれ男は立ち上がる。

 頭目の言葉と男の雰囲気でヴィータにも分かった。こいつが今まで思念通話を遮断していた魔導師だ。

 

「いいのか? 見たところ二人とも結構高く売れそうなガキだが。俺の魔法じゃ殺さずに済ませる自信はないぞ」

 

 ヴィータたちに目をやりながら、魔導師は頭目に念押しをする。

 頭目は口から泡を飛ばしながら、

 

「構わん! どのみちもうガキどもを売るどころじゃなくなった。かくなる上はあのガキたちもこのねぐらもすべて焼き尽くして逃げるしかない!」

「……そう言うことなら仕方ないな。悪く思うなよガキども」

 

 そう言うと魔導師はヴィータたちに右手を向け、その右手から赤く輝く三角の魔導師が浮かんでくる。

 それを見てヴィータは防御魔法の用意をするべく構えを取るが、アロンドの方は短刀を手に動こうとしない。

 

「何やってんだアロンド!? 早く防御しねえと」

「そんな必要はねえ。魔導師相手に俺がそんなことする必要があるもんか」

 

 そう言うとアロンドは右手に持った短刀をくるりと回転させる。

 

「お前からは色々と見せてもらったんだ。お礼にこっちも面白いものを見せてやるぜ」

 

 そう言うとアロンドはためらいもなく、その短刀で自らの左手を斬りつけた。

 

「――アロンド! お前一体何を?」

 

 アロンドが起こした行動にヴィータは激しく動揺し、二人に相対している頭目と魔導師も目を見張る。

 だが、本当に驚くべきことが起こるのはこれからだった。

 

『Engage koning 720 ――react』

(――発声機能! バカな、あれはもうずいぶん昔に失われた技術のはずじゃ?)

 

 アロンドの短刀が声を発したかと思うと、その短刀は瞬く間にまばゆい光に包まれていく。

 その後にアロンドが持っていた物を見て、アロンド以外の三人は自分の目を疑った。

 アロンドの手にあったのは小さな短刀ではなく、一振りの黒い剣だった。

 アロンドはその剣を片手で軽々と振るっている。

 

「《ディバイダー720 ケイマン・リアクテッド》。“魔導封じ”と呼ばれる武器の一つだ」

 

「魔導封じ……だと?」

 

 武器の形が変貌する様を間近で見たヴィータは、怪訝そうにその呼び名を復唱する。

 それに対して向こうにいる魔導師は、動揺を振り払うようにその(かぶり)を振った。

 

「下らん手品を、どんな剣を持っていようが懐に来られる前に焼き殺してしまえばいいだけのこと――くらえ、フレース・ファイエル!」

 

 そう唱えた直後に魔導師が展開している魔法陣から炎が噴き出し、それはアロンドに向けて一直線に放たれた。ヴィータは思わず叫ぶ。

 

「アロンド!」

 

 だが、

 

「――何!?」

 

 魔導師と頭目は眼前で起こったことに目を剥き、アロンドの隣でヴィータも口をあんぐりと開ける。

 アロンドに放たれた火柱は、彼の手前で跡形もなく掻き消えたのだから。

 

「だから言ったろ。この魔導封じがあれば防御なんか必要ねえって」

 

 ニヤリと笑いながらアロンドは魔導師に剣を向け、足を踏み出す。

 

「ひっ――く、来るな、来るな化け物おおお!」

 

 魔導師の絶叫と同時にアロンドは駆けだし、相手の懐に踏み込んで剣を振るう。

 

「ぐはあっ!」

 

 アロンドは魔導師の胸に一太刀入れ、さらに剣を振り上げた。

 

「とどめだ。死ね!」

「待てアロンド!」

 

 とどめを刺そうとするアロンドだったが、ヴィータは彼の手首を掴んでそれを止めた。

 

「――てめえ何すんだ!? 離せこら!」

「これ以上やる必要はない! こいつはもう戦えないんだ。見ろ!」

 

 危うくもみ合いになりかける二人だったが、ヴィータに促されアロンドは魔導師を見る。

 魔導師は仰向けに倒れており、すでに気を失っていた。胸を斬られたものの魔導着に守られていたため命に別状はないだろうが、数刻は目を覚ますことはないだろう。

 それを見てアロンドは拍子抜けしたように舌打ちをこぼす。

 

「ちっ、わあったよ。こいつはお前に任せる。だからその手を離せ。いい加減邪魔なんだよ」

「……ああ」

「さあて、残るはあと一人……と言いたいところだが」

 

 ヴィータから解放されたアロンドはさっきまで頭目がいた所に目を向ける。しかし、そこにはすでに頭目の姿はなく、代わりにガラスの割れた窓が一枚あるのみだった。

 

「逃がしたか。お前が邪魔をしたせいだぞ。お前と揉めてなければ奴に逃げる隙を与えるようなことは」

「はあ!? 元はといえばアロンドが余計なことをしようとしたせいだろう! あの時点でもうケリはついてたじゃんか!」

 

 ヴィータとアロンドは間近まで顔を寄せ、激しく睨みあう。

 しかし、二人ともそうしているのが馬鹿馬鹿しくなってきて、互いに顔を背けた。

 ヴィータはそこで、

 

「なあ、一つ聞いていいか?」

「……何だ?」

「さっきの戦いなんだけどさ。もしかしてお前気付いていたんじゃねえのか。あの一撃を入れた時点で相手がとっくに気を失っていることに」

 

 床に倒れたままの魔導師を見ながらヴィータは尋ねる。

 アロンドは目を宙に泳がせて、

 

「……いや、そんなこと全然気づいてなかったぜ。こいつを倒す事で頭がいっぱいいっぱいだったからよ」

「……そうか」

 

 ヴィータはまだ何かを言いたげだったが、それ以上の言葉を飲み込んで沈黙する。

 

 違和感はアロンドが広間に現れた時からすでにあった。

 アロンドに付いていた血は彼自身のものではない。誰かから浴びた返り血によるものだ。

 その証拠にアロンドに付着していた血はすでに固まっており、その先には傷一つないアロンドの肌が見える。

 魔導師との戦いの時といい、この少年にはどこかおかしなところがある。

 ヴィータはこれまでの事でアロンドに対しては、自分と妙に気が合う奴だと思いながらも、それと同時に彼に対してどこか言い知れぬ不安のようなものを抱いていた。

 その時ヴィータたちの背後で扉が開き、何人かが中に入ってくる。

 そのほとんどがヴィータもよく知っている人物で……

 

「――ヴィータ無事か!?」

「この子は――どうしたのその血? 待ってて、今手当てしてあげるから!」

 

 ヴィータとアロンドを見つけるなり、ケントとシャマルはそんなことを言ってくる。ヴィータは盛大にため息をつきながら、

 

「……おせえ、遅すぎんだよお前ら! もうあらかたあたしとアロンドが片付けた所だ!」

 

 

 

 

 

 

(何だあのガキどもは? 何なんだあいつらは!?)

 

 心の中でそう叫びながら頭目は必死の思いで、今まで住処としていた邸宅から遠ざっていく。その体には窓から脱出する時にガラスの先に触れてできたいくつもの切り傷があり、そこからぽたぽたと血が流れているが、彼にとってはそれどころではない。

 

(どっちも俺たちがかなう相手じゃねえ。特に恐ろしいのは黒髪のガキの方だ! 魔導封じだと? まるっきり禁忌兵器(フェアレーター)級の兵器じゃねえか! あんなもんを持ってる奴がこの街にいるなんて。早く逃げないと! この街からできるだけ遠くへ――)

「おやおや。そんな傷だらけの体でどこへ行く気だい、おっちゃん?」

 

 前の方から聞こえてくるその声につられて、頭目は顔を上げる。

 暗闇で今まで気づかなかったが、彼の前には二人の人間がいた。

 長い黒髪を後ろに編んだ若い女と、白い髪をそのまま下ろしている同じく若い女。

 白髪の女は一度も見たこともない。だが、黒髪の女の方は頭目にも覚えがあった。

 

「カリナ・フッケバイン……なんでお前がここに?」

 

 自身の名を呼ぶ頭目にカリナは手を振ってみせた。

 

「やっ、久しぶりだね。まさかあんたが誘拐事件の首魁だったとはね。市街で強盗事件を起こしたために、傭兵団から追放されてお尋ね者になって以来だけど、ここまで落ちぶれていたとはね。元同僚として私は悲しいよ」

「うるさい! お前に何が分かる? 俺たちは街の平和を守るために、常に命を懸けて戦っていたんだ。それなのに俺たちに市から下りてくるのはほんのはした金だ。役人や政治屋どもなんて大した働きもしてないのに、富豪からたんまりと賄賂を貰ってるっていうのによ。だったら俺たちも、市民たちから足りない分を貰うくらいの権利があってもいいはずだろう!」

 

 頭目は一気にまくし立てるものの、カリナは呆れたように首を横に振り、白髪の女にいたってはきょとんとするだけでそれ以上の反応はない。

 頭目は舌打ちしながら腰に差した剣を抜く。

 

「ちっ、お前みたいな奴にそんなことを言っても無駄だったか。まあいい。そこをどけ! 邪魔さえしなければ命は助けてやるよ」

 

 抜身の剣を向けて二人を脅かすも、カリナたちは微動だにしない。

 

「主……」

「いい。あんたの出る幕じゃないよ。ここでじっとしてな」

 

 刃先を向けてもどかず、ひるむ様子さえ見せないカリナたちに頭目は焦れてついに、

 

「どけっつってんだろぉ!!」

 

 剣先を向け、金切声とともに勢いよく頭目はカリナに飛びかかっていく。そして……

 

「――ぁ」

 

 次の瞬間、気が付くと頭目は地面の上に転がっていた。

 激痛をこらえながら彼は頭上を見回す。

 カリナはいつの間にか剣を抜いており、その下には真横に両断された自分の剣と、腹から下が切れた誰かの下半身が転がっていた。その下半身が身につけている履物は自分もよく知っている。あれはまさか……。

 そんな馬鹿なと思いながら、頭目は最後の力を振り絞って視線を動かし、自分の腹部を見やる。

 ――!

 自分の腹の下には何もなかった。ということはあれは誰かのではなく……。

 

(嘘だろ……なんであそこに……俺の足が……)

 

 頭の中に疑問符を浮かべたまま頭目はこと切れる。

 それを眺めながらカリナは吐き捨てた。

 

「あわれだねえ。市に不満を持つのは自由だけど、下手な欲をかくからかえってみじめな末路を辿ることになるんだ。略奪なら戦地ですればいいものを」

 

 

 

 

 

 こうして人質二人の反攻によって誘拐団は壊滅した。

 その中で死者三名、重傷者一名が出たものの、残りの賊たちは全員軽傷で済んでおり、生存していた賊たちは重傷者も含めてすぐに市当局に引き渡された。

 彼らに連れさらわれていた子供たちも解放され、当局に保護された。翌日には親元に戻ることができるだろう。

 俺たちはヴィータや、アロンドというカリナたちの仲間と合流し、彼らとともに北西区を後にする。

 これは余談だが、ヴィータたちと合流した時にまた俺の意志とは無関係に、闇の書が魔導師から魔力を蒐集した。

 その結果、書の頁が十ページと少し埋まりその際守護騎士たちから「惜しい、もうちょっとだったのに」という声が上がったが、この時点ではその言葉の意味を知ることはできなかった。

 それを知るのはもう少し先、リヴォルタで起きるもう一つの事件が終わりを迎える時である。

 

――『――の魔導書』385ページまでの蒐集を完了。



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第36話 打ち上げ

 北西区でヴィータや傭兵隊に所属しているアロンドという子供と合流し、この二人によって倒された賊たちも現場に駆けつけてきた自警団によって連行されていった。

 その後、俺たちはカリナたちフッケバイン傭兵隊とともに北西区を後にしたが、その道中彼女たちから互いの仲間の無事と事件解決を祝っての食事に誘われた。これにはやはりシグナムあたりがいい顔を見せなかったものの、最終的に俺たちはその誘いを受けることにした。

 

 理由はいくつかある。

 一つ目はカリナたちに案内された場所には本当に賊と子供たちがいて、賊たちの捕縛によってカリナたちがその一味などではないということが明らかになったため。

 二つ目は賊の拠点を発見するためにここまで協力してもらっておいて、事が終わった途端にカリナたちと距離を置くような真似は個人的に気が咎める。

 それに今後リヴォルタでまた何か起きた時に、再び彼女らに助力を仰ぐようなことがあるかもしれないことを考えると、彼女らと親睦を深めておいて損はない。

 

 そして三つ目、カリナたちとの会食にヴィータが賛成していることが最も大きな理由だ。

 誘拐団はほとんどヴィータとアロンドが壊滅させたらしいとはいえ、一応ヴィータは助けてもらった側の人間ということになっている。そのヴィータが会食に賛同しているのなら、シグナムたちもそう強くは言えないのだろう。

 しかし、これは正直予想外だ。いつものヴィータだったら「なんであたしが見ず知らずの連中と」とか「勝手にすれば」などと言ってきそうなものだが、今回に限っては少し考えるそぶりは見せたものの、すぐに「いいんじゃない。あたしは別に構わねえよ」と言ってきたのだ。この返答は本当に予想外だった。

 ただ、その理由については考えられることがないこともない。

 それは賊の拠点にてヴィータとともに行動を共にしていた、アロンドという少年の存在だ。

 まだ年端も行かない子供にも関わらず、優れた分析力と洞察力を持っており、それをもってヴィータに協力して賊の捕縛に一役買ってくれたらしい。

 ぶっきらぼうで負けず嫌いなど、この二人は似ているところも多いため、結構話が合うのかもしれない。その上、アロンドは色気づいてきた女子(おなご)たちが、放っておかないほどの端正な容姿をしている。

 それを踏まえるとアロンドから距離を取りながらも、彼の方をちらちらと見ているヴィータの姿はまるで……いや、まさかな。

 

 

 

 

 

 そのような経緯もあって、俺たちは傭兵隊の面々に案内されるがまま、西区にある風呂屋にてスラムでこびりついた匂いを洗い流し。飛行魔法で東区へ飛び――その途中またもや塔兵に捕まる事態が起こったが、傭兵業の合間に自警団もしているという、カリナたちの事は塔兵もよく知っていたようで、彼女らが声を掛けたらすぐに引っ込んでいった――俺たちと傭兵隊は東区にある料理店に辿り着くことができた。

 

 この店の外装と内装はほとんどが木造でできていて、周囲の建物と比べるまでもなく独特な形状をしていた。このような建物は見たことは今まで一度もない。

 カリナ曰く、ベルカから遠く離れた異世界にある『ニホン』という島国の建物を模倣したものらしい。

 そう言えば、今日の昼間に立ち寄った店の従業員も、東区の料理店のことを勧めてたな。ここがそうだったのか。

 

 ベルカにある多くの料理店では、広い室内にいくつもの卓と席を並べてそこに客を座らせる形式のものが取られているが、この店では屋内をいくつもの個室に分け、その中に一組の客を入れる形式が取られている。

 店内の個室には一つずつ幅が広い卓が置かれており、卓の前には椅子が置かれておらず、客は皆そのまま床に座って食事をとるらしく、個室に入る前には靴を脱がなくてはならないそうだ。

 従業員の服装や料理もまた、今までに見たことがないものだった。注文を聞いたり料理を持って店内を歩き回る女給は、いずれも丈の長いローブのような服を着ていて、彼女らが運んできた料理も昼間のなんとかメン同様初めて見るものだった。その料理の前には、(ハシ)という、二本の短い棒のような食器が置かれていて、この店ではそれを使って食事をするらしい。

 女給に頼めばフォークとナイフに変えてくれるらしいが、カリナたちが平然と箸を使っているのを見ると、意地でも箸とやらを使って食事をしようと思った……のだが、それこそが俺たちにとっての最初の難関だった。

 何しろ箸なんて今まで使ったことはおろか、見たことさえない。一見しただけでは箸をどう使って食事をするのかがわからず、カリナたちが食べるところを見てそれを真似してみたが、俺たちでは箸の先を広げたり閉じたりできなかったり、具をうまく掴めなかったりして、始めのうちは難儀していた。しかし「ペンと同じ持ち方をすればいい」というカリナの助言を試してみてからは、さっきまで苦戦していたのが嘘のように、うまく箸が使えるようになった。それでもヴィータあたりはまだうまく持つことができずにいたが。

 聞いた話によるとカリナとサガリスはニホンに行ったことがあり、そのためこの店で見られるようなニホンの風習には慣れているらしい。

 

 箸が使えるようになれば、その後は至福のひと時だった。

 俺たちが今食している料理は、野菜が多くて肉類が少ないにもかかわらず、どれも美味しいものばかりだった。特にてんぷらとさしみ、すしは絶品だ。調味料も使わずに野菜と魚の切り身があんなに美味になるなんて。

 初めて食べたためというのもあるのだろうが、俺たちはすっかりこの店の料理の虜となった。

 特にシグナムはよほどお気に召したらしく、傭兵隊はおろか、他の守護騎士とも話をせずに、目の前の料理をパクパク食べている。

 そこまで気に入ったならグランダムに帰る前に、あと一度はここに寄って自腹でおごってやってもいいだろう。

 そして極めつけは、しょうちゅうという小さな杯に注がれた透明色の酒だ。すっきりした味わいでワインやビールとはまた違った旨味がある。

 ただワインなどと同様に、こちらの酒も十六歳未満*1の者は口にすることができない。

 そのためほとんどの者が料理とともに透明色の酒を酌み交わす中、ヴィータは果汁水を、アロンドとライラは『コーラ』という黒い水を飲んでいた。

 アロンドはともかく、ライラは俺たちと変わらない齢に見えるのだが下戸なのだろうか? だとしたらもったいない話だ。

 自分から他者に話しかけることはほとんどなく、黙々と寿司とコーラを交互に摂っているライラにサガリスが声をかけてきた。

 

「ライラ、お前またコーラなんか飲んでんのか。そろそろお前も酒くらい飲めるようになれよ。飲んだら絶対に病みつきになるから。騙されたと思ってまずは一杯!」

 

 そう言いながらサガリスは酒の入った瓶を差し出してくるが、ライラはコーラの入った杯を握りしめたまま答える。

 

「いらない。酒なんてまずい物、主に命じられでもしない限り誰が飲むものか。寿司のお供はコーラに限る。寿司を食べた後に飲むコーラの味は、絶妙を通り越してもう至高の一言に尽きるんだ。それに比べたら焼酎やビールなんてただの苦い液体だ」

「ちっ、これだからいつまで経ってもライラは酒が飲めねえんだよ。じゃあその主に命令してもらおうじゃねえの……おい姉貴、今の話聞いてたんだろう? あんたからもこいつに言ってやれよ。人様からもらった酒くらいありがたく受け取れってな」

 

 ライラの主でもあるカリナにサガリスはそう求めるものの、カリナは首を横に振り、

 

「嫌だね。なんで私がライラの飲み食いするものに、いちいち口を挟まなければならないんだ。こいつのコーラ好きは昔からだ。好きにさせておけ」

「カリナ殿の言うとおりだ。本人が飲みたくないと言っているものを、無理に強要するのはあまり感心できんな」

「なんだと!?」

 

 彼らの話に口をはさんできたのはシグナムだった。シグナムは箸を卓に置き、サガリスを睨みつける。サガリスもまた、シグナムを睨み返してから瓶を突き出した。

 

「じゃああんたに付き合ってもらおうか。飲めるんだろう。さっきまで一人でちびちび飲んでいたんだから」

「……」

 

 シグナムは俺に流し目を送ってくる。

 先の経緯からカリナたちが盗賊団の一味ではなかったことは明らかになったが、彼女らを完全に信用したわけじゃない。シグナムをはじめ一部の者が危惧しているように、彼女たち傭兵隊がこちらに害意を持っている可能性は未だに拭えていない。そんな相手を前に泥酔した姿をさらしたくはなかった。

 しかし、シグナムに杯を突き出すサガリスの表情は険しく、これを断ろうものなら喧嘩に発展してしまいかねない勢いだ。

 

《飲める限りで構わないから付き合ってやってくれ》

《……承知しました》

 

 シグナムは一度だけ息をついてから、渋々といった様子でサガリスに向けて杯を差し出す。その杯にサガリスはなみなみと酒を注いだ。

 シグナムはあふれそうなほど酒の入った杯を見て一瞬ためらう様子を見せるが、意を決したように杯を上に傾け、中に入っている酒を一息で飲み干す。

 その姿を見て不機嫌そうだったさっきまでとは一転、サガリスは嬉しそうに笑った。

 

「おっ、いい飲みっぷりじゃねえか! さあもう一杯。ここは全部姉貴のおごりなんだ。遠慮はいらねえよ!」

 

 そう言いながらサガリスはシグナムが持つ杯にどんどん酒を注いでくる。シグナムはもう観念したかのように言われるがまま酒を飲んでいく。俺の意図を汲み取ってカリナたちへの警戒は、ヴィータやザフィーラに任せることにしたのだろう。

 前述のとおり、ヴィータはアロンド同様酒が飲めず酔っぱらう心配はないし、ザフィーラも己を見失うまで飲み続けるような真似はしないだろう。

 その一方で……。

 

「ま~ったく、ヴィータちゃんってば~、アロンド君と二人だけで敵をやっつけちゃって~、これじゃ私たちが助けに行った意味がまるでなかったじゃな~い。……ゴクッ、ゴクッ、まったくこんなことになるならヴィータちゃんなんか放っといて、リヴォルタ観光を続ければよかったのよ。それなのにケントの奴がカッコつけながら『ヴィータを助けに行こう』なんて言い出すから私までスラムなんかに行く羽目に。しくしく」

「それは災難でしたね。シャマルさんの気持ちは僕もよくわかりますよ。隊長やアロンドをはじめ、傭兵隊の皆には僕も振り回されてばかりで」

 

 ザフィーラとは逆に、シャマルはすっかり酔った様子でフォレスタに管を巻き、フォレスタはそれにうんうんとうなずきを返している。普段から相当溜め込んでるんだろうな。すっかり出来上がっている。

 

「やっぱり! フォレスタさんもそうでしたか。私のとこもそうなんです。ヴィータちゃんは毎回毎回勝手なことするし、ケントは今までの主と違って優しくしてくれるのはいいんですけど、むっつりなのが玉に瑕で、隙あらば私やシグナムの胸ばっか見てくるし」

 

 ――おいおい! 何てこと言い出しやがる。確かに彼女らの胸は大きいからついつい目に入ってしまうことはあるが、意図的に凝視したことは……一度くらいしかないはずだ。

 俺はそう心の中で弁解するものの、それが実ることはもちろんなく。

 

「…………」

「…………」

「へぇ……」

 

 シグナムとヴィータ、ティッタは冷たい目で、トリノとアロンドは呆れた目で、カリナはニヤニヤしながら俺を見つめていた。

 そこへ突然、誰かが後ろから俺の肩を勢いよくばんばんと叩いてきた。

 

「なんだよ! お前さん真面目ぶってて、結構そういうのが好きなんじゃねえかよ。それならお兄さんがいいとこへ連れてってやるぜ」

 

 俺の肩を叩いていたのはさっきまでシグナムに絡んでいたサガリスだった。

 サガリスはいつの間にか俺の横へ来ていて、俺の肩に手を置きながら赤らんだ顔を寄せてくる。

 酒臭い息をもろにかけられて顔をしかめる俺にかまわず、サガリスは思わぬことを聞いてきた。

 

「お前、カジノってとこに行ったことはあるか?」

「……ない。そんなもの生まれてから今まで一度も行ったことはおろか見たことすらない」

 

 とはいえ名前だけなら俺も聞いたことがある。カジノとは店全体、あるいは店の一部に設置された台や設備を使い、遊戯と称して各種の賭博が行われているという施設――一言で言えば巨大な賭場のことだ。グランダムの王都にも小さい賭場がいくつかあると聞いている。

 だがしかし、なんでまた胸の話から賭け事の話なんかに?

 

「そうかそうか! じゃあ、明日にでも俺がそこへ連れて行ってやるよ。西区のカジノは出禁喰らっちまったけど、お前の連れってことにしとけば俺もぎりぎり入ることができそうだしな」

「せっかく誘ってくれてるところ悪いが俺は結構だ。俺が今持っている金は、宿泊費や飲食代などの滞在費として用意したもので、賭け事に使うほど余分な金は持って来ていない」

「そうつれないこと言うなって。そこじゃあ何人かの姉ちゃんたちが客に酒を運んでくるんだがよ……何を隠そう、その姉ちゃんたちの格好が結構過激なんだ」

 

 なん…だと…?

 

「下着とほとんど変わらない格好の制服に、網タイツで覆われた脚とそれに似合うハイヒール、袖がなくて寂しい腕の先にある手首にはどこかの服から切り取ったようなカフスが付けられていて、トドメは頭とおしりに付いたうさぎの耳としっぽ! ――その名も『バニーガール』だ。どうだ、そそるだろう?」

 

 バカな! そんな恰好で給仕をしてくれる女子(おなご)がいる店がこの世にあるというのか。しかも、それが俺が住んでる国(グランダム)のすぐ南にあったなんて――。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 衆人の中にも関わらず、あられもない恰好をしたバニーガールが魅惑的な笑みで誘ってくる。

 そんな光景を想像していると……

 

「……」

「おめー、やっぱエロ主じゃねえか」

「ほら~、こいつやっぱりむっつりでしょ~」

「……それはまあ仕方ありませんよ。ねえカリナ」

「ククク、いいんじゃない。これくらいお盛んなら世継ぎの心配はしなくてすみそうで」

 

 ぐぬ、傭兵隊はともかく、守護騎士たちから注がれる軽蔑の視線は結構こたえる。

 ……しかし、こういうことに関して、一番きついことを言ってきそうな彼女はずいぶんおとなしいな。さっきから一度も声が聞こえてこない。

 そう思って彼女の方を見てみると、

 

「……」

 

 俺の予想とは裏腹に、我が妹ティッタは平然とした様子で杯を傾けて酒を口に運び、それを飲み干してからにこやかな表情で言った。

 

「お兄様が行きたいなら行ってもいいよ」

 

 ――なに!?

 ティッタが言ったことに俺は自分の耳を疑う。

 普段のティッタならこんなことは絶対言わない。どういう風の吹き回しだ?

 困惑している俺にティッタは「でも」と続けて、

 

「もしそこで有り金全部スルような事したら、お兄様が着ているその服丸ごと売っぱらって旅費にするからね♪」

 

 ……本気だ、この妹本気で言ってる。

 

「やっぱり俺はいいや。普通に観光を続ける」

「そうか。お前も結構大変なんだな」

 

 そう言ってサガリスはポンポンと俺の肩を叩く。同情してくれているためかさっきとは違い、その手に力は込められておらず、どこか温かみがあった。

 

 

 

 

 

 

 ヴィータとアロンドはそんなやり取りをしている二人を眺めながら、

 

「ったくあのバカ、リヴォルタに来てまで恥をさらしやがって。……アロンドはさっきの話に出てきたようなばに――なんとかみたいに露出が高い恰好してる女ってどう思う? やっぱお前もああいうの好きなの?」

「はっ? 興味ねえよんなもん。サガリスもあのケントって奴も、なんで女の体なんかに目の色変えるのか俺にはわかんねえ。そんなんよりもっと楽しい事なんかいくらでもあんだろうに」

 

 そう言ってアロンドは揚げた海老を口の中に放り込む。

 

「そっか。それならいいんだ。お前は当分そのままでいろよ。少なくともあいつらみたいに人前でああいう話をするような大人にはなるな」

「けっ、子供扱いすんじゃねえ! ぬいぐるみなんて幼稚なもんもらって喜んでるお前よりは十分大人だ!」

 

 ヴィータの側にあるうさぎのぬいぐるみを差しながらアロンドはそう言い切った。それにヴィータは、

 

「こ、これは、別にあたしはいらないんだけど、ケントがくれるっていうから、仕方なくだな」

「ふーん」

 

 相槌を打ちながら、アロンドはそのぬいぐるみをしばらく見る。

 

(その割には大事そうに傍に置いてんじゃねえか)

 

 そしてアロンドはあることを口にした。

 

「じゃあそいつ、俺が欲しいって言ったらどうするよ?」

「えっ!? アロンドがこれを?」

 

 ヴィータはぬいぐるみを抱えて、ぬいぐるみとアロンドの顔をかわるがわる眺め、

 

「それは……いや、あたしは別にいいんだけど……これをくれたケントの気持ちを考えるとちょっと……」

「……」

 

 しどろもどろになりながら言葉を探しているヴィータを、アロンドは半目で見やってから、

 

「冗談だよ冗談。そんな怪奇本に出てきそうなうさぎ、くれると言われてもお断りだ。てめえが持ってろ」

 

 手を振りながらアロンドはそう言い放つ。

 ヴィータとしてはこれで彼にぬいぐるみを取られる心配はなくなったものの、かといってここで話を打ち切られてしまっては変に気を遣われたようで釈然とせず、ついつい憎まれ口を叩いてしまう。

 

「どうだか。お前もほんとはこれが欲しいんじゃねえの? どうしてもっていうなら考えてやらなくもないけど」

「はっ、馬鹿を言え。なんで俺が」

 

(まさか、あのヴィータが子供と喧嘩をするところを目にする日がこようとはな)

 

 シグナムはぬいぐるみを巡って言い合いをしている二人を感慨深く眺めてから、蕎麦(そば)をすすっていたカリナに声をかける。

 

「カリナ殿も大変だな。あそこまで個性的な面々をまとめていくのは大変だろうに」

 

 カリナはすすっていた蕎麦を飲み込んでそれに答えた。

 

「それはお互い様だろう。あんたらも私らに劣らず風変りな連中じゃないか。それに慣れれば結構楽しいもんだよ。ああ見えて、同じ身の上に置かれたということもあって結束は固いしね」

「同じ身の上?」

 

 カリナが言ったその言葉にシグナムが眉をひそめた、その時だった。

 この部屋と廊下を隔てている(ふすま)ががらりと開く。

 

 

 

 

 

 

 俺たちと傭兵隊の面々が思い思いに交友を深めていたところで、一声かけられることもなく突然紙の扉が真横に開き、そこから一人の男が姿を現した。

 紫色の髪に黒い瞳、そして首元には何人かの傭兵と同じ羽根の刺青が刻まれている。

 男は俺たちの姿を見ると、怪訝な顔をしながらこの部屋をぐるりと見回し、奥にいるカリナの姿を見つけるとそちらの方に視線をとめた。

 カリナは箸と灰色の麺が入った器を両手に持ったまま、部屋に入ってきた男に向かって声をかける。

 

「遅かったじゃないかヴァルカン」

 

 すると男もカリナに向かって、

 

「すまねえな、少し手間取っちまってよ。ったく、一般人の目がなけりゃあんな小物、すぐに息の根を止めて終わりなのにめんどくせえったらねえ。自警団の真似事も楽じゃねえな。……んで、何だこいつらは?」

 

 そう尋ねてから男はまた俺たちに目を向けてきた。

 

(《エクリプス》の適合者……じゃねえな。それに何だ、その二人は?)

 

 男は不愉快そうに守護騎士たちを眺め回すものの、俺やティッタを見つけた途端、その表情は驚愕と戸惑いが入り混じったものとなった。

 

「おいカリナ、何だこいつらは? なんで王族なんぞがあんたらと一緒にいる?」

 

 ヴァルカンは語気を強めて、再度カリナに問いを投げた。

 カリナは右手に持った箸を振りながらその問いに答える。

 

「さっき北西区で知り合ったんだよ。金目当てに子供を誘拐していたバカな奴らがそこにいてね。お互い、そいつらに取られた身内を迎えに行くために行動を共にしてたの。そんで意気投合して、仲良くお食事でもってことになったわけ。こいつらの立場に関してはお忍びってことで目をつむってやって」

 

 そこでカリナは俺たちに顔の向きを戻しながら言った。

 

「紹介するよ。こいつはヴァルカン。うちの傭兵隊の一員で最近入ったばかりなの。すまないねケント。こいつ警戒心が強くて、そのせいでこんな失礼を働いちまって。まあそこは若気の至りってことで許してやってくれよ」

(――ケントだと!?)

「いや、気にしていない。夕食の席に見知らぬ人間がいたんだ。思わず問い詰めたくなる気持ちはわからなくもない」

 

 肩を掴み続けるサガリスの手をほどきながら、俺は立ち上がってヴァルカンの前まで歩み寄る。

 

「グランダムから来たケント・セヴィルだ。よろしく」

 

 かりそめの名を告げながら俺は右手を差し出すものの、ヴァルカンは険しい表情をしたまま、

 

「……グランダムにケントか。そのまなこの色といい、すかした名前といい、まさかてめえ……」

 

 何かを言いかけたかと思うと、ヴァルカンは俺の手を握り返すこともなく、そのまま背を向けた。

 

「おいヴァルカン! どこへ行くんだい?」

「近くにある酒場で飲んでくる。飯もそこで適当に済ませるから俺の事は気にしないでくれ」

 

 それからヴァルカンは数歩歩いて廊下に出て紙の扉に手をかけるが、その際に横目で俺を見ながら、

 

「命拾いしたな」

 

 そうつぶやいて勢いよく紙の扉を閉め、足音を鳴らしていきながら、ヴァルカンは去っていってしまった。

 

「悪いね。あいつグランダムって言葉を聞くたびに、機嫌が悪くなっちまうんだ。まっ、あいつの故郷はその国に滅ぼされたって話だからね。それを思うと無理もないよ」

「――えっ!?」

「そうなの!?」

 

 俺とティッタはほぼ同時に声を上げる。

 

「彼の……ヴァルカンの故郷とは?」

 

 唇を震わせながら問いかける俺に、カリナはほんの少し間を空けてから答えを返した。

 

「……『ディーノ。』。四月くらい前に戦争に負けて、グランダムに併合されちまった国さ。それまであいつはディーノ領内の村に住んでたんだけど、お国が滅んじまったのがきっかけでここに移り住んできたのさ」

 

 ディーノ……まさかここでその名を聞くことになるとは。

 

 ディーノ王国。かつてグランダムの西に隣接していた国……だった。

 ディーノは聖大陸を二分しつつあるダールグリュン帝国に服従を誓った属国でもあり、その尖兵として我が国に野心を持ち、度々挑発するような言動を取ってきた。

 そしてとうとう四ヶ月前に戦が起こるものの、ディーノは戦に負けて国家としては解体。領土はすべて我が国が接収することになった。

 

「ディーノ出身……彼が」

「ああ。私もそこであいつと会ったんだ。間違いない」

 

 その国の名を思い出して目の前が真っ暗になる。

 ディーノ……グランダムが、俺が滅ぼした国……ヴァルカンがその国の出身。

 宴の雰囲気に当てられて和やかだった気分はすっかり霧散していった。それに代わって胸に込み上げてきているのは、深い罪悪感と後ろめたさだった。

 カリナが声を発したのはそんな時だった。

 

「――! 失礼、雇い主から念話が来た。ちょっと席を外すよ」

 

 そう言ってカリナは部屋を出て行くが、俺はその姿を見送る気さえ起こすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 それからほどなくカリナが戻ってきて、雇い主から呼び出しを受けたためすぐそちらに行かなくてはならないと告げてから、金貨の入った袋を机に置いてライラを伴い、この部屋から立ち去っていった。

 それをきっかけに俺たちも、ほかの傭兵たちも、荷物をまとめてこの料亭を後にすることになった。

 ただ、その中でシャマルはすっかり酔いが回って潰れてしまっていたため、ザフィーラが彼女を抱えて宿まで歩く羽目になり、そんな二人を眺めることで俺の心はさっきよりもいくらか軽くなった……と思いたい。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタが現在の自由都市となるまでに歩んできた歴史はいつか語った通りだ。

 だが、ほとんどの者は知らない。リヴォルタの歴史の裏には、常にとある一族の影があったことを。

 莫大な財を築きそれで強力な傭兵団を雇い領主に減税を迫った魔導具商人、領主亡き後もリヴォルタを自領としていた国を滅ぼした敵国に武具を売り渡していた武器商人、選挙制度に口を出して富裕層のみが議員を選ぶ選挙に参加できる仕組みを作った有識者など。

 市民や領主、国王、時には敵国をも操って自由都市の下地を整えた彼らが、実は同じ一族の人間であることをほとんどの者が知らない。

 

 

 

 中央区、ヴァンデイン軍需工場地下区画。

 ヴァンデイン工場で働く職人たちの中でも、雇い主の信用を得た一握りの人間だけしか出入りすることができない、地下に設けられた秘密の作業場。現在この区画にいるのはたった四人だけだ。

 地下区画のほとんどを占拠し、大きく鎮座している金属で造られた巨大なあるものを一通り眺めてから、四十過ぎほどの初老の男が隣にいた若い男の方に体を向ける。

 

「“リベルタ”の調整が終了しました。すでに魔力の注入も済ませており、いつでも動かせる状態です」

「ご苦労。作業に携わった職人たちには君の方から礼を言っておいてくれ」

 

 サブマスターと呼ばれる初老の男の報告に、若い男がそう返事を返した。

 黒髪黒目で特徴的なほど濃い眉毛をしている男。

 そう、あのうさぎのぬいぐるみを巡ってケントと火花を散らし、その後、ヴィータが誘拐される場面にまで立ち会っていたウィラードと名乗る商人だ。

 ウィラードはようやく完成したばかりの巨大な船に目を向けたまま呟きを漏らす。

 

「これでわざわざ危険な聖王都なんかに行かなくても、この船に乗り込むだけで“あちら”へ旅立つことができるわけだ。建造開始から数年、実に長かったよ」

「《次元船リベルタ》か。あんたのご先祖様が先史時代から伝えてきた技術の結晶ってわけだ。あっちへ行くためだけにわざわざこんなもんを作っちまうなんて、呆れたというか何というか」

 

 ウィラードの隣で女はそう言ってから、ため息をついて見せる。

 長い黒髪を後ろに束ねた黒目の女。彼女はさっきまでケントたちと食卓を運んでいたフッケバイン傭兵隊の隊長カリナ・フッケバイン。

 残る一人の白髪赤眼の少女は、カリナの個人的な従者ライラ・シュトロゼックである。

 ライラは他の三人と違い、一言も言葉を発することなく、無表情に次元船を眺めていた。

 だが、さすがの彼女も金属でできた巨大な船を目の当たりにして、興奮を抑えきれないようだ。いつもより輝いた目でそれを見上げている。

 ウィラードはそんな彼女を見ながらほほえみを浮かべる。

 

「おやおや、ライラ君もすっかりリベルタに夢中のようだ。それとも、この船に自分と通じるものを感じているのかな? 同じ先史時代の技術を用いて造られた二体目の《シュトロゼック》として」

 

 ウィラードはライラにそう声をかけるものの、ライラは微動だにせずにじっと次元船を眺め続けている。

 それにウィラードは肩をすくめながらカリナに向きを戻す。

 

「やれやれ、相変わらずカリナ君以外には不愛想な子だ。私は彼女を生み出した親も同然だというのに……まあいい。そろそろ夜も遅くなってきたことだし、そろそろ本題に入るとしよう」

「ああ、そうしてくれ。あんたのことだ。あれに乗って後は新天地に旅立つだけ、ではないんだろう」

 

 カリナの言葉にウィラードはこくりとうなずく。

 

「その通り。さっきサブマスターが言ったように、このリベルタはあちらの世界へ向けて、いつでも発進できる状態だ。だが、こんな地下では設備を整えることができなくてね。発進の際にはどうしても街を揺るがしてしまうほどの衝撃が生じてしまうんだ。我々もできる限りの手は尽くしたんだが……そこで」

「目くらましが必要ってわけだね。それを私らに頼むってことは方法はやっぱり……」

 

 カリナの言葉にウィラードは笑みを浮かべた。

 

「うむ。君たち《エクリプス適合者》お得意のやり方で頼むよ」

「いいのかい? あんたももう知ってるらしいが、今はこの街に闇の書の主と守護騎士たちが来ている最中だ。あいつらがこっちの邪魔してくるのは火を見るより明らかだと思うけど。万が一を考えたら出航をもう少し先に伸ばした方がいいと思うが」

 

 その提案をウィラードは首を横に振ることで却下する。

 

「いや、これ以上後延ばしはできないよ。そろそろ会ってやらないと娘がパパの顔を忘れてしまいかねない。そう考えたら一日でも早く向こうへ行きたいんだ。それに君たちエクリプス適合者たちと守護騎士とやらが、このリヴォルタで雌雄を決するというのも実に面白い。カリナ君も実はこういう展開を期待していたのではないのかね?」

 

 その言葉にカリナは口元をにんまりとさせた。

 

「……確かにそいつは否定できないね。アロンドが勝手なことするくらいだし、私らもそろそろ昂ぶりが抑えきれなくなったところだ。いいだろう。フッケバイン傭兵隊としてその依頼を受けてやるよ。大船に乗った気でいな、オールズ・ヴァンデイン!」

 

 カリナ・フッケバインは嗜虐心に満ちたその声で、ウィラードことリヴォルタを支配する武器商人オールズ・ヴァンデインの依頼を快諾する。

 

 闇の書と銀十字の書、それぞれの魔書が生み出す人外たちの戦いはすでに始まっていた。

*1
ベルカではすべての地域で十六歳未満の人が酒を飲んだりタバコを吸うことは禁止されている。(この小説独自の設定)



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第37話 悪夢

「おらあっ!」

「ぐああっ!!」

「きゃああっ!!」

 

 たった一人の賊が剣を振るうだけで十人以上の人間が命を落とし、それを見た人々は賊から逃れようと町から出ようとする。

 だが――

 

「な、なんだ? なぜ軍隊がここに!?」

 

 町から出ようとした人々の前に武装した兵や馬に乗った騎士が現れる。彼らは黒鎧をまとった、紛れもない自国(グランダム)の兵だった。

 だが、彼らは町を包囲したままそこから動こうとしなかった。火の手が上がり、住民たちが賊に襲われているにもかかわらずである。

 たまらず住民たちが外に出ようとすると――

 

「っ、……はっ!」

「ぐああっ!」

 

 わずかに躊躇うような様子を見せてから、桃色髪の騎士は境を越えようとした住民を斬りつける。それを目にして、他の住民は思わず足を止めた。

 そんな彼らの後ろには大剣を持つ紫髪の男が……

 

「いたいた。駄目じゃねえか。まだ殺し足りねえのに勝手に出ようとしちゃ……」

「う、うわああああっ!!」

 

 賊と騎兵。その両方に囲まれた住民たちは町から出ることかなわず、彼らに殺されていく。そんな悪夢のような光景が町中で繰り広げられていた。

 だが、それも賊たちの脳裏に響く声によって終わりを迎える。

 

《皆さん、そろそろ時間です。陛下が仕上げを行われますから、あなたたちは早く町の外に出てください……でないと、巻き込まれてしまいますよ!》

 

「おっと、もう王様のお食事の時間か。なら俺たちは退散しますかね」

「あの野郎、いつもいいところで横取りしやがって」

「ああ。もう少し寝ててもいいのによ」

「ぼやくな。さっさとここから出るぞ。あれを食らったらさすがの私たちも死ぬかもしれん」

 

 街を襲っていた金髪の剣士、銀髪の男、黒髪の少年、そして大柄な青髪の女は、殺戮をやめ、泡を食いながら逃げていく。

 彼らに襲われる寸前だった人々はそれを見て、思わず助かったと思った。

 この時までは――!

 

 

 

 

 

『Divide Zero “Eclipse”』

 

 右手に握った黒剣が告げると、それに応えるように“俺”もこれから繰り出す“技”の名を口にした。

 

「ディバイドゼロ!」

 

 

 

 

 

「ぐあああっ!!」

「あが…がががっ!」

「うぐっ、ううううっ……」

「ごはっ!!」

「うぶっ! おえぇぇぇ」

 

 賊の手から逃れたはずの人々は胸を押さえながら、あるいは必死に息を吸いながら、あるいは吐瀉物を吐きながら、一人残らず倒れ、息絶えていく。

 

 そうしてこの町の住民は一人残らず殺害された。

 その惨劇を起こしたのはたった数人の賊と、住人の逃亡を防いでいた騎士たち。そして騎士たちを取りまとめている……

 

 

 

 

 

「生体反応はありません。生存者も適合者もいないみたいですね」

「ああ。あんなもん食らったら無理もないね。相変わらず恐ろしい技だ。ここから一歩も動かずに町中の人間を一人残らず殺しちまうなんて。あんただけは敵に回したくないよ」

 

 おののく兵たちを前に、白髪の女と黒髪の女は何でもないように告げる。

 そんな彼女らのうち、黒髪の女に対して“俺”は言った。

 

「つい何月か前に剣を交わしておいてよく言う。それに、俺がこの“力”を手に入れたのは、その戦いの時にお前が俺の体に入れた《エクリプス因子》のせいじゃないのか」

 

 “俺”の返事に黒髪の女は苦笑し肩をすくめる。

 “俺”も苦笑を返しながら懐から“それ”を取り出した。

 

「行け、闇の書。死んだ住人のリンカーコアを蒐集してくるんだ」

 

 “俺”の命令に闇の書はすぐに従わず、不服そうに漂う。そんな書をきっと睨みつけると、闇の書はそそくさと町の上まで飛び、住人たちの屍からリンカーコアを吸収していく。

 しかし、蒐集を終えても闇の書はふわふわと町の上を飛んでいた。

 そんな書に“俺”は思わず声を上げて笑った。

 

「やれやれ、しばらくの間にお前も守護騎士たちもずいぶん反抗的になったものだ。……仕方ない。お前が戻ってこないのなら、これからはこの《銀十字の書》を使ってベルカ統一を目指すとするか」

『――!』

 

 そう言って銀色の本を見せた途端、闇の書は急いで“俺”の元に戻ってくる。それを戦に使うのだけはやめろと言うように。

 “俺”は本を掴みながら言い聞かせる。

 

「そうだ。“俺”の言う通りにしていろ。そうすればお前も守護騎士たちも悪いようにはしない。もう“俺”を主だと思っていなくてもな」

 

 そう言って“俺”はわざとふてぶてしい笑みを作りながら彼女たちがいる方を見た。そこには守護騎士という、俺に忠実()()()四人の騎士がいた。

 “俺”を見る彼女らの目は冷たく、ヴィータにいたっては殺意のこもった目で睨みつけてくる。

 

 そんな守護騎士に比べて、“新しい騎士たち”は忠義心こそないものの、一緒にいて退屈しない。欲望に忠実というのも“今の俺”にはぴったりだ。

 四人はいつの間にか戻って来ていて、黒髪の女を中心に俺の前に立っている。

 黒髪の女――カリナは言った。

 

「じゃあ、“食事”も頁集めも終わったし、そろそろ王宮に帰ろうか。それとも、つい最近できたカジノで遊んでいくかい、陛下、いや――ケント」

 

 

 

 

 

 

「うわああああっ!!」

「――主!」

 

 突然跳ね起きた俺に、ザフィーラは慌てて駆け寄ってくる。

 

「主、どうされました? 何か悪い夢でも……?」

「…………」

 

 彼の問いに俺は何も言うことができなかった。

 ……あの夢の内容を話していいのか? ありえないはずなのに妙な現実感のあった、今の夢を……。

 しばらく考えた末に、俺は誤魔化すように尋ねた。

 

「今日は何をする予定だっけ?」 

 

 そう尋ねる俺にザフィーラは何か言いたげにしながらも、

 

「……本日も昨日と同じように、リヴォルタの街を見て回る予定です。……ただ、気分が優れないのでしたら、本日の予定は中止にしていただいてもよろしいかと思います。昨日の事もあって皆も疲れているでしょうし」

 

 ザフィーラの言葉は今の俺にとって抗いがたい魅力のあるものだった。

 さっきの夢を思い出したら、とても観光に出る気にはなれない。それにもし外に出ている間に“彼”に出会うようなことがあったら……。

 

 今日一日くらいは休んでもいいんじゃないか。ザフィーラやみんなだって疲れているだろうし。

 そう思うものの……

 

「ありがとう。それはシグナムたちの様子も見てから考えることにするよ。普段から活発な彼女たちのことだ、昨日の事なんて嘘のようにけろりとして、今頃は外に出る準備をしている頃かもしれない」

 

 結局俺は、ザフィーラからの提案を留保して、他の騎士たちと合流してから判断することにした。

 この街には我が国が負っている巨額の債務を返済する手立てを探すために来たんだ。その機会を俺一人気が乗らないからといってふいにするわけにはいかない。

 もっとも、騎士たちの何人かが動けなくなっているというのならまた話は変わるのだが。

 

 

 

 

 

 

 そんな思惑とは裏腹に騎士たちの()()()()は、すでに身支度を終えていて、昨日のことが嘘のように元気そうな姿で俺たちを出迎えてくれた。

 

「うー、頭が痛い。体もだるいし、昨日の夜に一体何があったのよ? うぅ……」

 

 いまだに寝間着姿のまま、頭を抱えているシャマル以外は。

 

 二日酔いからくる頭痛にうめいているシャマルのことはシグナムに任せて、俺たちは宿の一階にある食堂へと移動し、そこで朝食を取ることにした。

 俺たちが食事を始めてからしばらくして、シグナムと彼女に手を引っ張られているシャマルも、食堂にやって来て俺たちと同じ卓についた。

 二日酔いの最中は食欲がなくなることが多い。そのためシャマルは水くらいしか飲まないのかと思いきや、彼女は水の他に、細かく刻まれた野菜がたっぷり入った麦粥を注文して、それを口にしていた。なんでも二日酔いを早く治すには、栄養のある柔らかい物を食べた方がいいらしい。

 そういう知識があるところは医者らしいと思うんだが。

 朝食の最中にシグナムからも、先ほどのザフィーラからされたものと同じ提案を受けたものの、ここまでくれば俺も意地を通したくなってきた。

 この中で調子が出ていないのは俺とシャマルくらいで、シャマルの方は麦粥をすすっていつもの調子を取り戻そうと頑張っている。それなのに、俺だけがここで尻込みしていてどうすると思ったのだ。

 

 それから俺たちは宿を後にして、二日目のリヴォルタ視察へと繰り出した。

 まずはリヴォルタの街で唯一行ったことのない区画となった南区へと足を運び、そこで俺たちは黒いフードを被ったグラシアと名乗る女占い師から気になることを告げられたのだが、その話は()()割愛しておくことにする。

 この頃にはシャマルの具合もすっかり良くなって、いつもの調子を取り戻していた。

 

 

 

 

 

 

 そして空を覆う暗雲の中に浮かんでいる太陽が中天あたりを昇ってきた頃に、俺たちは昼食を取ることにして南区にある店に入った。

 その店は四十人分の席がある、大きすぎず、かといって小さいとも言えない規模の飲食店だった。

 大人数の俺たちは奥の方にある卓に腰を下ろしていき、卓の上に置かれている冊子から料理を選んでから冊子の隣に置かれていたベルを鳴らし、その音を聞いて俺たちの元へ向かってきた店員に注文を伝えた。

 それから料理が運ばれてくるまでの間、雑談を交わしていた俺たちの前に彼女たちは現れた。

 

「あら、あなたたちは……」

 

 

【挿絵表示】

 

 

 軽く驚いたような女子(おなご)の声に俺たちは、半数はそのまま顔を上げて、もう半数は後ろを振り返って声の方に顔を向ける。

 俺たちに声をかけてきたのは、長く下ろした金髪に緑眼の美しい少女だ。

 落ち着いた物腰と、簡素な形状だが高級そうな絹を素材としてふんだんに用いた衣装、そしてきりっとした雰囲気。

 一目見ただけで、やんごとなき身分の御令嬢だとわかる。

 令嬢の後ろには燕尾服を着た、赤髪赤毛の整った顔立ちをした執事風の男が控えており、男は俺たちと目が合ったとみるや丁寧な一礼をしてくれた。

 金髪の令嬢と赤髪の執事、この二人は確か……。

 記憶の糸をたぐっている俺の向かい側で、ティッタが「あっ!」と声を上げた。

 

「昨日、ヴィータを探している時に会った執事さん!」

「はい。その通りでございます。わたくしのような卑しい男の事を覚えていてくださる方がいるとは、あなたのような優しい女性にまたお会いすることができて、とても光栄に思いますよ」

「そんな大げさですよ。執事さんなんて珍しいから記憶に残っただけで」

 

 さわやかな笑顔を浮かべて、そんな歯の浮くような言葉を並べる執事に、ティッタは慌てた様子で両手を振る。

 そうだ。彼はこんな風に女子(おなご)の心を掴むようなことを、素で言ってのけるような人だったな。

 

「……確か、ジェフさんだったな。昨日は助かったよ。君が連れをさらった賊の行方を教えてくれたおかげで、その連れもこうして無事に戻ってくることができた。ヴィータ、あの執事さんにお礼を言ってあげてくれ。後で詳しく説明するが、お前たちが捕まっていた場所を突き止めることができたのは彼のおかげなんだ」

「……ありがとうございました」

 

 ヴィータは色々と言いたいことがあるような、不満げな目を一瞬俺に向け、渋々といった様子ではあるもののジェフに対して頭を下げお礼を述べた。

 それに対して、ジェフは涼しげな笑みを浮かべながら手を振り、

 

「いえいえ、お嬢様にお怪我がなくご無事なようで我々も安心いたしました。我が主にとっても、あの悪漢は愛用の馬車に傷を入れかけた許しがたい相手でしたので。それにつきましても、我が主ともどもあなた方には深く感謝を――」

「ジェフ、余計なことを話し過ぎなのではないかしら。……失礼、お見苦しいところを見せてしまいました」

 

 令嬢に横目で睨まれてジェフは苦笑しながら、「申し訳ありません」と言って顔を伏せる。

 そんな執事の姿にため息をこぼしてから、令嬢は「コホン」と咳払いをして、俺たちに向き直る。

 

「失礼しました。わたくしはエリザと申します。もしよろしければ、皆様の隣に設けられている卓に腰を落ち着かせていただいてもよろしいでしょうか? 奥の方でないと落ち着かないもので」

 

 エリザの言葉通り、俺たちが囲んでいる卓の隣には、もう一つ飲食用の卓が置かれている。しかし、俺たちの連れの中でその卓に座っている者は誰もいない。ならば、別に俺たちの許しを得る必要はないと思うが。

 隣の卓を使うことにさえ、いちいち許可を取らねばならないほどの相手と日々接しているということか。となると、彼女自身も自国でかなりの地位を持つ名家の関係者であることがうかがえる。

 しかしエリザか。最近似た名前を目にしたことがあるが……。

 

「別に構わない。どこでも気にせずに座るといい」

「ありがとうございます」

 

 俺たちに一言礼を言って、エリザは俺たちの横に置かれている卓に腰を下ろし、その後ろにはジェフが直立したまま控えている。

 その後、こちらの自己紹介をすませ、しばらくして俺たちやエリザのもとに食事が運ばれてきてもジェフは席に付かず、相変わらずエリザの後ろに立ったままだった。

 それを見たティッタは、思わずジェフに問いかけた。

 

「えっと、ジェフさんはエリザさんと一緒に食べたりしないんですか?」

「使用人が主と食事を取ることなんてありませんよ。彼が食事をするのは、私が食事を終えた後です。私の家ではそう決められていますから。そうですよねジェフ?」

 

 ティッタの問いに答えたのはジェフではなく、彼の主であるエリザだ。あまりにも純粋な疑問に、思わず苦笑を漏らしている。それはジェフも同様だった。

 

「はい。例えお嬢様のお許しが出ようとも、私などがお嬢様と食を共にするなどありえません。ティッタ様のお気持ちは嬉しいのですが、わたくしの事はお気になさらずに、お食事とご歓談をお楽しみください」

 

 それを聞いて、ティッタはジェフに複雑そうな表情を向ける。

 

「……そうなんですか。執事さんって大変ですね」

「いえ、もう慣れていることです。それに、その分お給金は多く頂いていますから」

 

 なんでもない事のようにジェフは笑って答える。

 執事やメイドが主人とともに食事を摂ることはほとんどない。彼らからすれば、王族と騎士たちが食事をともにしている事さえ風変わりに見えるのかもしれないな。

 

「しかし、それでも昨日は少し堪えましたよ。なにしろお嬢様がお箸を使えるようになるまで、結構時間がかかってその分、お食事を終えるのが遅くなってしまいましたからね。にぎやかなお隣様の会話を聞きながら待っていましたから、退屈はしませんでしたが」

「ジェ、ジェフ! その話は――」

「おはし?」

「お隣?」

 

 余計なことを言ったジェフを一喝しようとするエリザの隣で、俺たちは首をひねる。

 おはし……どこかで聞いたことがある言葉だ。……まさかと思うが。

 

「エリザ嬢、ぶしつけなことを聞いて大変申し訳ないのだが、貴女は昨日どちらで夕食を取られた?」

 

 俺の問いにエリザはどう誤魔化そうと考えているのか、目を宙に泳がせるものの、それから少しの間何やら思案している様子を見せてから、ようやく口を開いてきた。

 

「……ええ。ケント様のお察しの通り、昨夜は東区にある異世界の料理店で夕餉を済ませました」

 

 昨夜はエリザとジェフもあの店にいたのか。

 俺たちがカリナたち傭兵隊と騒いでいた部屋の隣で。

 ……ということはまさか。

 

「ですからケント様をこのお店でお見かけした時は、正直とても驚いてしまいました。てっきり、今頃は傭兵の方と西区へ行かれたものだと」

 

 西区……例のカジノの事か。

 まさかあの時、あの話を聞いている者がいたなんて。それもよりによってこんなうら若き少女に。

 その話を聞いたうえでよく見てみると、エリザの俺を見る目は、どこか軽蔑の色が混じっているように見える上に、俺から微妙に距離を取った席に腰を掛けている。

 そんな主と俺を見てジェフは苦笑し、騎士たちは昨日と同じように冷ややかな視線を俺に向けた。深酔いしたせいで、昨日の事を全く覚えていないシャマルだけはきょとんとしていたが。

 そんな俺たちを見ながらエリザは話を続けてきた。

 

「それとヴァルカンという人の事も聞いてしまいました。なんでもディーノが滅んでしまった際に、この街に移住してきたそうですね」

 

 ディーノという単語に俺は思わず我に返って、エリザの方に顔を向ける。

 彼女の方も真剣な目で俺をじっと見つめ返している。その目にはスケベな男に対する軽蔑の色はすっかり消え失せていた。

 

「エリザ嬢は知っているのか? ディーノという国のことも、そこが今はどんなことになっているのかも」

「ええ。私の母国の属国だった国の事ですから、ひととおりは。たしか現在はグランダム王国の領土になっているそうですが、違いましたか?」

 

 エリザの確認に俺は首を横に振る。

 彼女の言うとおりだ。ディーノ王国という国はすでになく、かの地は現在我が国の統治下にある。

 

「違わないよ。四ヶ月前にグランダムはディーノとの戦に勝って、あの国を解体し統治下に置いた。グランダムがディーノを滅ぼしたんだ」

 

 俺の口から()いて出たその言葉をきっかけに、この場の空気は重いものになる。

 それにたまらなくなったのか、

 

「おいヴィータ、どこへ行くんだ?」

「お手洗いだよ。いいだろそれぐらい。なるべくゆっくり済ませてくっから、それまでに泣きべそかそうになってるそいつなんとかしといてくれ。飯がまずくなる」

 

 シグナムの制止を振り切りながら、ヴィータはそう吐き捨てて手洗い場へ向かっていく。昨日贈ったうさぎのぬいぐるみを片手に持ちながら。

 

「そういえば、私が耳にしたところディーノ王国は、帝国とグランダムとの中継地帯とのことで、それなりに栄えていたようですね。まさかグランダム王はディーノに蓄えられている財を狙って、あの国へ攻め込んだのでしょうか?」

「馬鹿な! 向こうから宣戦布告されたんだ。負ければグランダムは滅ぼされる。それに向こうは戦いを有利に進めるためとはいえ、よりによって禁忌兵器(フェアレーター)なんかを持ち出してきたんだ。そんな国が民に危害を加えてこないとは限らない。国と民を守るには勝つしかなかったんだ!」

 

 あまりの言いように俺はたまらず椅子から立ち上がり、エリザに怒鳴り声を上げる。

 そんな俺に対抗するように、エリザもまた椅子から立ち上がって反論を返してきた。

 

「なら、そう言えばいいじゃありませんか! 国を守るためだというのなら、ケント様が何も引け目を感じる必要はありませんわ。その結果、敵国が解体することになったとしても仕方のない事です。皇帝陛下であればヴァルカンのような人のことなど、意にも介さないでしょうね。なにしろ、その手で十を超える国を墜とされたお方ですから。それに比べて、たった一つの国を併呑した程度のことを悔やんでいるようでは、遅かれ早かれ潰れてしまいますよ。あなた」

「……」

 

 彼女の言うとおりだ。

 もしも、昨日ヴァルカンと対峙していたのがあのゼノヴィア皇帝だったら、彼のような者から何度恨み言を言われようと、涼しい顔で聞き流すだけだっただろう。

 それに比べて、自国を守るためという正当な理由がありながら、俺はヴァルカンに対して逃げ腰になっていた。

 

 しかし、先ほどのエリザの言葉は、行きずりの旅人ケント・セヴィルに対してではなく、明らかにグランダム王ケント・α・F・プリムスに向けてのものだ。

 

「エリザ、あんたはやはり帝国の……」

 

 いつの間にやら騎士たちも各々が座っていた席から立ち上がって、俺とエリザの動向を見守っており、エリザの後ろに控えていたジェフも、いざとなれば己が主を止めようと身構えているのが見えた。

 そんな時だ。視線の先に、俺を睨んでいるエリザよりさらに先の方にいる、あの少年を見つけたのは。

 背はヴィータより少し大きいくらいの黒髪、青眼で半袖半ズボンの格好をして、右腕には羽根を模した刺青をした、齢は十に満たないだろう少年。

 アロンドじゃないか! まさかこんなところにいるとは。

 彼の名はアロンド。幼少ながらフッケバイン傭兵隊に名を連ねる最年少の傭兵だ。

 アロンドは昨日までとほとんど同じ格好をしていたが、いくつか違う所がある。それはシャツに描かれた柄と、昨日は身につけていなかった鞄を背中にしょっているところだ。

 アロンドにも俺とエリザの口論が聞こえていたようで、一度だけこちらをちらりと一瞥してから、そっぽを向いてこの店から出て行った。

 

「……ケント様?」

 

 急に押し黙った俺に気勢を削がれたのか、エリザは訝しげな顔で俺の名を呼んでいる。

 それとほぼ同時に――

 

「おい!」

 

 不意に声をかけられて、俺たちは一様に声がした方に体を向ける。

 そこにいたのは、つい先ほど手洗いに行ったヴィータだった。

 ヴィータは血相を変えながら、思わぬことを口にした。

 

「あたしのぬいぐるみ知らねえか? どこにも見当たらねえんだ!」

「……ぬいぐるみ?」

 

 間の抜けた声でその単語を口にする。

 ぬいぐるみとはあれのことか? 俺が昨日ヴィータにやった、うさぎのぬいぐるみの事を言っているのか?

 そう言えばさっきヴィータが席を立った時に、あのうさぎのぬいぐるみを持って行ったのを俺も見ていたが、今はそれを持っていない。

 

「手洗い場の中じゃない? 隅に置いたまま忘れていく人結構いるんだよ」

 

 ティッタの推測に、ヴィータは首を大きく横に振った。

 

「それはねえ。汚れるのが嫌で手洗い場の前に置いてきたから。念のためにそこも見てきたし」

 

 それはまた不用心な。と思ってしまったが、紛失したのは貨幣が入った袋でも武器でもなく、可愛いとはいいがたい不格好なぬいぐるみだ。自分で贈っておいてなんだが、あんな物を盗むような奴がそうそう現れるとは思えない。

 ただ、俺としては一つ気になることがある。

 

「なあヴィータ。さっきアロンドがここを通り過ぎていくのを見たんだが、お前は知ってるか?」

「――えっ!? それ本当かよ。ちゃんと周り見ておくんだったな……いやちょっと待て。まさかお前、アロンドがぬいぐるみを盗んだって言うんじゃねえだろうな?」

 

 アロンドの名前が出てヴィータはオロオロするが、すぐに不機嫌そうな表情になる。

 

「……いや、俺はアロンドを見かけたから、お前も知ってるかなと思っただけで」

「ごまかすんじゃねえ! こんな時にあいつの話をする時点で疑ってる証拠じゃんか。いいか、よく考えてみろ。あのすかしたガキンチョがぬいぐるみなんか欲しがるように見えるか? それにあいつ、傭兵として働いているから、結構小遣いもらってるって聞いてるんだぞ。百歩譲ってアロンドがぬいぐるみに興味を持ったとしても、あたしから盗むより自分で買った方がはええ!」

 

 確かにその通りだ。

 あの生意気そうな小僧が、ぬいぐるみを欲してこんなことをするとはとても考えられないし、彼ならぬいぐるみなんて何十体でも楽に買うことができるだろう。

 

「あの、お客様」

 

 そんなことを考えているところで、口髭を生やした中年の男が俺たちに声をかけてきた。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくして俺たちは店の前にその身を移していた。あれだけ騒いでいれば普通追い出されるわな。

 

「まったく、お店から追い出されるなんて今まで生きてきた中で初めてのことです。あなたたちのせいで……」

 

 俺たちとともに店から追い出されたエリザはさっきからぶつぶつと不平をこぼしている。だが文句を言いたいのはこっちの方だ。元はと言えばエリザがあんな挑発をしてこなければ。

 その時、俺たちの後ろから扉が閉まる音がして店の中からヴィータが出てくる。

 

「見つかったか?」

 

 シグナムの問いに、ヴィータはふるふると首を横に振った。

 あの後、ヴィータを始め何人かが店の主人に何度も頭を下げて、ぬいぐるみを探させてもらえるように頼んで、なんとかヴィータだけが店の中に残ってぬいぐるみを探すことを許してもらえたのだ。

 

「まあ、そう落ち込むな。これからまた北区へ行ってみよう。あの露店なら似たようなものが見つかるかもしれん」

「……悪いな。あたしのために色々考えてくれた上にそこまで気を遣わせちまって。それなのにあたしはケントたちに怒鳴ってばっかで」

「ちょっとちょっと、どうしたんだよヴィータ? いつものあんたらしくないじゃないか。あれくらいアタシらは別に気にしてないって。お兄様なんて一日に一回は、ヴィータに叱られないと調子が出ないくらいだし。だからほら、元気だしな」

 

 珍しく俺たちに謝ってくるほど、傷心しているヴィータをティッタは懸命に励ましている。

 それを眺めながらエリザは大きなため息をついた。

 

「昼食の途中で追い出されたにも関わらず、元気な方たちですね。ある意味羨ましいです。……私は別の店で食事を取りますのでこれで失礼しますわ。ごきげんよう皆様」

 

 そう言ってエリザは長いスカートの端をつまみながら、ジェフは右手を胸に当てながら、一礼をして俺たちに背を向けて馬車へと向かっていく。

 俺たちはそんな二人の背中を黙って見送っていた。

 

(グランダム王ケント・α・F・プリムス。ここで押し潰れる程度の凡百だったのかしら? だとしたらとんだ見込み違いでしたね。おば様)

 

 

 

 

 

 その後俺たちは北区へ向かったものの、ヴィータがなくしたものとそっくりのぬいぐるみどころか、例の露天商さえ見つかることはなかった。

 だが、俺たちは間もなく知ることになる。ぬいぐるみの紛失というささやかな出来事こそが、リヴォルタ市民を恐怖に陥れる大事件の予兆だということに。



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第37.3話 占い師

 東区の宿を出てから俺と守護騎士一同は、リヴォルタで唯一行っていない街区である『南区』へと向かった。

 中央区と西区は誘拐犯を追いかけている際に通りがかっただけで観光したとは言えないが、中央区は人通りが賑わい過ぎていて、昨日の追跡疲れが完全に取れていない俺たちや二日酔いでうめいているシャマルにはきつい。

 西区に行く気は毛頭ない。あの街はベルカきっての歓楽街として知られていて、バニーガールといういかがわしい恰好の給仕がいるカジノや娼館が並んでいるらしい。そんなところに行こうなどと言い出したらうちの女性陣からどんな目で見られることか……バニーガールを見ることができないのは少し惜しい気もするが。

 そんなわけで消去法で南区だけが残り、俺たちはそちらへ向かうことにした。

 

 

 

 

 

 南区は人通りも露店も他の街よりずっと少ない、落ち着いた雰囲気の街だった。

 街の片隅には議員の屋敷や、他国から来た貴族が滞在するための別荘などがある高級住宅街があるらしい。他の街区と比べて、この街だけが閑静なのはそのためだろう。

 だがこの南区にも名所はある。それが街の中心にある大きな泉だ。泉の中心には噴水が設置されており、泉から汲み上げた水を常に噴出し続けている。

 

 この泉には昔からある言い伝えがあり、泉の中に硬貨(コイン)を何枚か投げ入れればご利益(りやく)が得られるという。一枚投げると再びリヴォルタに来ることができ、二枚投げると恋人との生涯に及ぶ長い関係が約束され、三枚投げると生まれ変わった後に恋人と再会できるとか。……俺には恋人などいないのだが、独り身が泉に二三枚硬貨を投げたらどうなるんだろうな?

 

「おいケント、何やってんだ? 泉の前でぼけーっとして」

 

 泉を見ながらそんなことを考えていると、後ろからヴィータが俺に声をかけてきた。ヴィータの手には、昨日俺が買い与えた不格好なうさぎのぬいぐるみがある。

 そんな彼女のさらに後ろから、

 

「……もしかして、ケントさんも泉の話をご存知なんですか? 泉に硬貨を何枚か投げ入れたらご利益が得られるという話……まあ、ケントさんは何枚も入れる必要はないと思いますけど」

 

 すっかり気分がよくなった様子で、シャマルは苦笑しながらそんなことを言ってくる……もうしばらく大人しくしていればいいものを。

 

「そんなことはないと思いますよ」

 

 不意に横から声が掛かって来て、俺たちはそちらへ顔を向ける。

 そこには黒く長いローブを着た女がいた。ローブと同じ黒いフードを頭に浅く被っており、その隙間から彼女の端正な容姿と紫の瞳、そして金色の前髪が見えていた。

 俺たちの視線を受けながら、女は言葉を続ける。

 

「この泉のご利益は遠い未来にまでおよび、この先巡り合うことになる伴侶との良縁や来世での再会も約束されるという話です。ですから、現在恋人がいない人が硬貨を入れても十分ご利益はあると思いますよ」

 

 ……なるほど遠い未来にまでご利益をもたらす泉か、それは大層ありがたい泉だ。ところで最後の一言は言う必要があったのか? 綺麗な顔をしておいてなかなか失礼なお嬢さんだ。

 

「そうか。教えてくれてありがとう。ところで君は?」

 

 俺にそう問われると、彼女は右手を胸に当てながら言った。

 

「あっ、これは失礼しました。私はこの泉のすぐ側で占い屋をしているグラシアと申します。……ところで占いに興味ありませんか? よければあなた方の中で、誰かお一人様の未来を占って差し上げますよ」

「ほう、占いか。グランダムの城下街でもたまに見かけるな」

「えっ、シグナム、お前占いなんかに興味あんの? こんなの『あなたには素敵な出会いが訪れるでしょう』とか『この先とても大きな災いが振りかかります。でもこのお守りを買えば……』とか適当言って客から金取る商売だろう。そんなのに夢中になる奴の気が知れねえ」

 

 占いに食いつくシグナムに、ヴィータは身も蓋もない事を言って肩をすくめる。まあ、俺もどちらかと言うとヴィータに近い印象を持っているが。

 ヴィータの物言いに、グラシアという占い師は口をとがらせる。

 

「失礼な。私の占いは結構よく当たると評判なんですよ! 特に今日は抜群に調子がいい日で、絶対に当たると言っても過言じゃありません!」

「だったらヴィータちゃん見てもらう? アロンド君との今後とか」

「――は、はあ!? 何言ってんだシャマル? あいつとどうなるのかなんてまったく興味ねえし!」

 

 シャマルの問いに、ヴィータは慌てふためきながら声を荒げる。分かりやすい奴だ。だからこそ、シャマルもからかいがいがあるんだろう。

 

「だ、だったら、あの子との友情運なんてどう? 今のヴィータたちには結構大切なことだと思うけど」

「ゆ、友情運か……そ、そうだな。あいつかなり口が悪いから、あたしでもカッとして喧嘩とかしちまうかもしれねえしな。ここは一つ、あいつとの間に何が起こりそうか占ってもらうのもありか。あくまで参考程度でな!」

 

 ティッタの勧めにヴィータは渋々を装いながら乗ってくる。しかし……

 

「あっ、ごめんなさい。私の占いって占う人の未来そのものを占うもので、特定の人物とどうなるのかといったことは分からないんですよ。未来を占う過程で伴侶のことが分かったりすることもたまにありますけどね」

「なんだそうか。じゃあ、あたしはいいや。ティッタ、お前が見てもらえば? いつまでも騎士でいられるとは限らねえんだし」

「大きなお世話だよ。アタシなら騎士を辞めたところで他にいくらでも働き口があるし」

 

 恋愛や友情がらみの占いができないと分かった途端、ヴィータは興味を失いティッタに占いを勧め、ティッタはそれをさらりと断った。

 そんな時だった。

 

「では、主の未来を見てもらってはいかがです?」

「えっ?」

 

 シグナムの言葉に、グラシアを含めて皆の視線が俺に集まる。

 

「……俺の未来をか?」

 

 復唱する俺にシグナムはこくりとうなずいた。

 

「ええ。主はもうご存知と思いますが、主と我らは一蓮托生の身です。主がこの先どのような運命をたどるのかは我々にとっても気にかかるところ。ここは是非グラシア殿に主の未来を占ってもらうべきではないでしょうか?」

「確かに。シグナムの言うことにも一理ありますな。当たるか当たらないかはともかく、占いの結果がその後に何らかの影響を及ぼすことは大いにあり得ます。主ケント、一度見てもらうのも悪くはないのでは」

「そうだな。お前って結構危なっかしいから、そのうちどっかで死んじまうこともあるかもしれねえ。占いで悪い結果でも出れば用心するようにもなるだろう」

 

 シグナムに続き、ザフィーラとヴィータまで占いを受けることを勧め、シャマルとティッタも異存はないというように俺にうなずきを見せる。

 ……彼女たちの言う通りかもしれない。

 占いそのものは占い屋が適当に言ったことにすぎないのかもしれないが、いい結果が出ればそれを励みに頑張れる人もいるだろうし、悪い結果が出ればそれを用心して危ういことを避ける慎重さを身につけることもある。

 

「分かった。皆がそこまで言うなら……グラシア、俺の未来を占ってもらえるか?」

「ええ、もちろん。さあ、どうぞあちらへ」

 

 満面の笑みを向けてそう言いながら、グラシアは泉の隅に置かれてある卓を示した。

 布がかぶせられた卓には、小さなクッションの上に置かれた水晶玉と、帯で束ねられた小さな紙の束が置かれてあった。タロットやトランプのカードがないのが意外だ。どこの占い屋でも必ず置かれているものだが。

 グラシアは卓の後ろに置かれている席に着き、紙束を束ねる帯を外しながら言った。

 

「では始めます。ケントさん、どうぞ前に」

「あ……ああ」

 

 言われるがままに俺はグラシアの前に出る。

 そんな俺にグラシアは言った。

 

「今からちょっと驚かせちゃうかもしれませんけど、特に害はありませんから安心してください」

「……?」

 

 グラシアの言葉に俺が首をひねっているとそれは突然起きた。

 卓の上に置かれた紙束が突然宙に浮き、輪になって俺たちのまわりを囲んだのだ。グラシアに害はないと言われたにも関わらず、守護騎士たちは構え、自分たちを囲む紙に警戒の目を向ける。

 まわりの通行人も足を止め、何が起きているのかとこちらを遠巻きに眺めていた。

 やがて、宙に浮かぶ紙の二枚が発光し、俺のもとへと向かって舞い降りる。

 

「主!」

 

 それを見てシグナムが俺の方に駆け寄ろうとする。

 その前にグラシアは卓に降りた二枚の紙を拾いあげた。

 すると、宙を浮いたままだった残りの紙は何十枚もの紙束となって、再びグラシアの元へ戻る。

 あまりにも不可思議な出来事に俺たちは呆然とたたずみ、そんな俺たちの前でグラシアは難しい顔をしながら「これは……」「信じられない」と呟きを漏らしながら二枚の紙を読み、見比べるように再度目を通した。

 ……それって俺の未来だよな? そんなに深刻な顔で読まれると、嫌でも不安になってくるんだが……。

 そしてほどなくグラシアは顔を上げる。その表情はなおも険しいままだ。

 不安な気持ちを隠せないまま、グラシアの言葉を待っている俺たちに向けて彼女は口を開く。

 

「……ケントさんの未来は大きく二つに分かれて分岐しています。……こんな結果が出るなんて初めてです。普通は可能性が高い未来の方が記されるのに……ほとんど五分五分ということかしら?」

「はぁ!? 未来が分岐?」

 

 グラシアの言葉を受けて、ヴィータが素っ頓狂な声を上げた。

 それに続いてシグナムはグラシアに問いかける。

 

「……グラシア殿、その二枚の紙にはそれぞれ何と書かれているのだ? そちらに主の未来が書かれているのだろう?」

 

 その問いにグラシアは「ええ」と言って、紙に目を落としそれを読み始める。

 

「ケントさん、あなたには二つの未来があります……一つは大いなる力を手にしてすべてを無に帰してしまう未来」

 

 いきなり不吉なことを言われてしまった。

 すべてを無に帰すほどの大いなる力……《聖王のゆりかご》のことだろうか? いやいや、あんなもの俺が使えるような代物じゃないぞ。

 

「もう一つは大切な人々を失い世界中の人に憎まれながら大いなる力とともに消滅する未来……その二つがケントさんがたどるかもしれない未来です」

 

 そう言ったきりグラシアは重々しく口を閉ざしてしまう。

 俺たちの方もそれに何と返していいのか分からない。何しろ……

 

「大いなる力を手にしてすべてを無に帰してしまう未来に、大切な人々を失い世界中の人に憎まれながら大いなる力とともに消滅する未来……どちらもろくな未来じゃないわね」

「信じらんねえな。こいつがすべてを無に帰すほどの力を手にするなんて。世界中から憎まれるのは何となくわかるけど。人前でエロいことを平気で言う奴だし」

 

 シャマルに続いてヴィータが言った言葉に、グラシアを含めた女性陣からの視線が冷たくなる。

 濡れ衣だ。昨日だってサガリスが一方的にバニーガールのことを話してきたんだ。俺はそれを聞いてただけで――。

 

 グラシアは顔を赤くしながらコホンと咳払いをして、

 

「……と、とにかく、ケントさんにはそのような未来が待っている可能性が非常に強いので、これからはもっと慎重に行動されることをお勧めします。先ほども言いましたが、今日の私の占いは確実に当たると言っても過言ではありません!」

 

 もっと慎重に行動しろと言われてもな。世界を滅ぼすほどの力なんて、聖王のゆりかごくらいしか心当たりがないし、世界中に憎まれるようなことをする気はないぞ。まあ、もう少し言動には注意するべきかもしれないが。

 

「……それで約束通り占って差し上げたので、その……お代を頂きたいのですが」

 

 言いづらそうにグラシアは手のひらを差し出してくる。そんな彼女に俺は銀貨を三枚渡した。

 

「これくらいでいいか?」

「えっ、こんなに……いいんですか?」

 

 銀貨を受け取りながら、グラシアは感嘆の声を上げる。

 占いの結果が悪いものだったため、踏み倒されやしないかと恐々としていた様子だったが、踏み倒されるどころか予想以上にお代をもらえたため、驚きと感激を隠せないようだ。

 

「ああ。いろいろ気になる結果だったが、戒めにはなったしな。忠告通り行動と言動には気を付けてみるよ」

「ええ、ぜひそうしてください……頑張ってくださいね。ケント陛下」

 

 小さな声でそう付け足したグラシアに戸惑いながらも、俺はああと返事をした。

 

 

 

 

 

 

 それからケントたちはグラシアに別れを告げ、昼食を取りに店の方へと歩いて行き、そんな彼らの背中をグラシアは見送っていた。

 そして彼らが見えなくなった頃を見計らってグラシアはおもむろにフードを脱ぎ、今まで隠されていた長い金髪を露わにする。

 

(ケント・α・F・プリムス……ベルカを滅ぼしかねない人物だと予言には出ていたけど、まさかあれほどの因果を背負っていたとは……哀れな人ね。世界を守るには世界中の人から憎まれなければならないなんて。今までの闇の書の主のように、邪悪な者であれば苦しまずに済んだでしょうに。つくづくこの世は善人には生きづらい世の中だわ)

 

 グラシアは心の底からケントに同情する。予言に出た二つの未来のうちケントがどちらを選ぶのかが、彼女にはもうわかってしまったから。

 

 グラシアが今日ケントたちに出会ったのは偶然ではないし、ケントの未来を占ったのも商売のためではない。

 グラシアは最初から知っていた。ケントたちが今日ここに来ることも、ケントが闇の書を完成させて世界を滅ぼす未来があることも、すべて彼女自身の技能《予言の著書(プロフェツァイウング・シュリフテン)》によって知っていた。

 もっとももう一つの未来については、彼女も今初めて知ったばかりだが。それが今回の予言によって生まれた未来なのかは、彼女自身知る由はない。

 ともかくきっかけは与えた。後はできるだけ多くの人々が救われる未来が訪れるのを祈るだけだ。

 もうこの街にもこの世界にもいる意味はない。今日の夜に起こる事件に巻き込まれる前に、さっさと街から出て行くとしよう。

 店じまいのために卓の上を片付けようとしたグラシアだったが、彼女はそこで卓の上に置いたままだった三枚の銀貨に気付く。

 

(そういえば泉に何枚か硬貨を投げると、ご利益があるという話があったわね。確か三枚投げたら……)

 

 そして彼女は銀貨を握りしめた右手を勢いよく振って、銀貨を三枚とも泉に放り投げた。

 三枚の銀貨は泉の中へ落ち、底へと沈んでいく。

 それを満足げな表情で見届けてから、グラシアは店じまいの続きを始めた。

 

(今世では悲惨な運命から逃れられないでしょうが、来世では幸せになれることを祈っていますよ。ケントさん)

 

 南区に伝わる言い伝えでは、中央にある泉に硬貨を三枚投げたら来世で恋人に会えるという。

 果たしてそれが叶う日は来るのだろうか? 今はまだ誰も知らない。



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第38話 爆発

 リヴォルタには軍隊が配備されていない。軍の代わりにリヴォルタの治安と国防を担っているのは、市内で活動している大小さまざまな数十もの傭兵団だ。

 その見返りとして、傭兵たちは市内の各区画に一ヶ所ずつ設けられている兵舎に住まうことが許されていた。

 

 兵舎の中でも最も大きな広さを誇る中央区の屋舎にて。

 日が落ちて巡回の時間が迫り、多くの傭兵たちがその準備をしている中、禿頭で髭をたくわえた中年の男が辺りをきょろきょろと見回しながら兵舎の中を忙しなく歩き回っていた。

 男の名はタール。この兵舎に住む傭兵たちの大多数が名を連ねている《タール傭兵団》の長にして、兵舎全体をも取り仕切る()()()()()男。

 険しい顔つきで歩き回るタールに、若い傭兵が声をかける。

 

「タールさん、どうしたんです? また不機嫌そうな顔して」

「フッケバインの奴らを探してんだよ。そろそろ巡回の時間だっていうのに、あのアマども今日は誰一人として姿を見せやがらねえ。あいつらが今どこにいるか、お前は知ってるか?」

 

 タールの問いに若い男は首を横に振り、タールは舌打ちをこぼす。

 

「ちっ、そういえばこの前の見回りの時も、あいつら全員揃って姿をくらましてたな。街一番の金持ちに気に入られてるからって調子に乗りやがって。やる気がないなら自警団なんかやめて、とっととここから出て行けってんだ!」

 

 そう吐き捨ててタールは壁を殴る。

 それまで巡回の用意をしたり、仲間とだべっていた傭兵たちは壁を殴る音が耳に届いてきた途端、ぎょっとした顔をタールたちに向ける。

 そんな部下たちにタールは手を振りながら、

 

「悪い。驚かせちまったな……ただフッケバインって奴らの事を考えるとついな」

 

 それを聞いた傭兵たちは、苦笑いを浮かべながらうなずきを返した。

 タールがフッケバイン傭兵隊のことを嫌っているのは、ここにいる者たちなら皆知っていることだ。

 

 タールが率いている《タール傭兵団》は、二千もの傭兵を抱えている大規模な武装組織だ。リヴォルタどころか聖大陸全土を見渡しても、これほどの数を擁している傭兵団は彼らの他にはいない。

 故にタールは自分こそがリヴォルタ軍の総大将であり、いざ有事となればリヴォルタにいるすべての傭兵を下官として動かせる力と権限が自分には備わっていると信じて疑わなかった。

 だが、タールの考えに反して、傭兵の身でありながら彼に従おうとしない者がごくわずかにいる。

 それがカリナ・フッケバインと、彼女がいずこから連れてきた六人の若者たちだ。

 ひょろいノッポの男が二人に、親を亡くしてここに来たという年端もいかない子供、感情が抜け落ちたように無愛想な白髪の少女、いずれも傭兵には見えない。トリノという筋肉質な女と、最近一味に加わったらしいヴァルカンという男なら納得もできるが。

 だがそんな奴らより、何よりも……。

 

(たった七人だけの傭兵隊だと? ふざけやがって! そんなもん絶対に認められるもんか! このタール様をコケにしたあの女が結成した傭兵隊なんて)

 

 タールはライラの事を恨んでいた。初めて会った時から今に至るまでずっと。

 

 

 

 

 

 一年半前、タールはすでにリヴォルタ最大の傭兵団をまとめる長として傭兵団のみならず、この兵舎のすべてを取り仕切っていた。

 そこに彼女らは現れた。

 長い黒髪を後ろに束ねた女と、長い白髪をそのまま下ろした少女の二人組。

 その二人組の片方――カリナという黒髪の女を一目見た瞬間、タールは彼女のことが気に入った。

 そしてタールはカリナの肩を抱き、半ば無理やり部屋に連れ込もうとした。

 彼女らの事を西区の娼館から来た娼婦だと思ったのもある。加えてあの時は仕事終わりで酒も入っていた。だが、それ以上にカリナという女はタールの好みだった。

 蠱惑的な容姿、サバサバした雰囲気、すべてにおいてど真ん中だった。手を出さずにはいられなかった。

 だが、タールがカリナの肩に触れたその瞬間、カリナにタールの腕を掴んで彼の体を一気に持ち上げ、そのまま床に叩きつけた。

 タールには一瞬何が起きたのかわからなかった。だが、それから間もなく自分が何をされたのかを理解する。

 自分は女に投げ飛ばされた。

 リヴォルタ――いや、ベルカすべての傭兵たちの頂点に立つ自分が、あろうことか細身の女にあっさりと地に打ち付けられたのだと。

 その事実を認識した瞬間、タールは逆上しカリナに殴りかかった。かろうじて剣を振り上げる真似こそしなかったが。

 しかし、その結果は惨敗だった。鍛え上げた体躯を持ち数々の戦場で戦いの経験を積んだタールが、突然この寮に現れた女に手も足も出なかったのである。

 

 彼女らがやって来たばかりの頃はタール以外にもカリナ、そしてライラに手を出そうとする者もいたが、タールを完膚なきまでに叩きのめした女がいるという噂が広まるにつれて、そんなことを考える者はいなくなった。

 片やタールの方は散々だった。

 あの時一部始終を見ていた部下たちからは蔑みの目を向けられ、その後しばらくの間はタールに対して不遜な態度を取る者まで出たことも何度かあった。そんな身の程知らずには容赦なく制裁を加えておいたため、数週間後には表立ってタールに反抗する者は出なくなった。その頃にはカリナの強さがリヴォルタ中に知れ渡るようになったことも大きいだろう。

 

 それでもタールはあの時の屈辱と恨みを忘れたことなどない。むしろカリナへの憎しみは日々強くなっていく一方だ。

 自分のことなど眼中にないかのような振る舞いも、どこかから連れてきた数人の手下とともに傭兵隊なるものを立ち上げたことも、ヴァンデインという富豪からちょくちょく用事を頼まれていることも――すべてが許しがたい事だった。

 

 いつかあの女を殺す。可能ならばまずは部下たちにライラという相方を犯させ、その光景を見せつけながら衆人の前であの女の服を引き千切って晒しものにして、手ずからあの女を犯し、あの時のことをたっぷりと後悔させ泣いて許しを乞わせながら相方ともどもなぶり殺しにしてやる。

 そうタールは心に決めていた。

 

 

 

 

 

 一年半ほど前の苦い記憶と、その頃から抱いていた暗い決意を思い出しながら、タールは階段を登る。彼が目指しているのは最上階にある、カリナとライラの部屋だ。

 この兵舎の最上階にある部屋は、数ヶ月ごとに少しずつ増えていくフッケバイン傭兵隊の面々にあてがわれていくようになり、今や最上階そのものがフッケバインたちの領域と化していた。中には一人だけで部屋を占有している者もいると聞く。

 本来は最上階も個室も、傭兵団団長とその側近だけが甘受できる特権だったはずだ。この兵舎でその権利を持っているのはタールだったはず。たった数人の自称傭兵隊の一味ではない。

 階段を登り最上階が近づくにつれて、その事を思い出したタールはこめかみに青筋を立て、そんな上官の八つ当たりに巻き込まれないように、少し距離を空けて若い傭兵が後に続く。

 

 そうしてタールと部下の傭兵は、フッケバイン傭兵隊の根城となった最上階に足を踏み入れた。

 最上階はしんと静まり返っており、話し声も物音一つしない。普通だったら気にも留めないだろう。

 しかし、今は夜の市内巡回が迫っている時間で、フッケバインたちもその巡回に加わる予定になっている。

 それなのに誰一人部屋から出てこないどころか、どの部屋からも物音一つ聞こえてこないとは。

 部屋でだらけてるのか、それともどこかに出かけたのか、どちらにしろ彼女たちは巡回に出る気はないということだ。

 そうだと確信したタールは顔を歪め床を踏み鳴らしながら、最上階の一番奥にある部屋の前まで足を進める。

 ここがカリナのライラの二人が住んでいる部屋だ。

 タールは部屋の前に立つとおもむろに手を振り上げて、

 

「おいカリナ! 見回りの時間だぞ! さっさと出て来るんだ! まさかまだ寝てやがんじゃねえだろうな!?」

 

 扉を何度も叩きながらタールは怒鳴り声を上げる。

 しかし、中からは何の返事も帰ってこない。

 ついに頭に来たタールは扉の取っ手に手をかけて、勢いよく押し開ける。

 鍵はかけられていないようで扉はあっさりと開き、タールはわずかによろめいて、一歩だけ足を踏み出す形になってしまった。

 タールは思わず後ろにいる部下の方を見るが、彼は笑いを漏らした様子もなく、どうぞ先に、と視線で促してきたのでタールは改めて部屋の方を向く。どうやらよろめきかけたことには気付いていないようだ。

 威厳は保たれたと内心安堵のため息をこぼしながら、タールは部屋を見回す。

 そこには誰もいなかった。部屋の主であるカリナもライラも、他の手下たちも。

 

「あいつら、やっぱり仕事を忘れてどっかへ行きやがったな。とことん舐めた真似をする奴らだ」

 

 そう吐き捨ててタールは部屋の中へ踏み込み、部下もその後に続く。

 二つ並べられたベッドにかかっている毛布は、片方はきちんと畳まれており、もう片方は起きた時に払いのけられそのまま放置されているようだ。

 どのベッドがライラとカリナ、それぞれのものなのかは言う必要もないだろう。

 とにかく彼女たちは毛布にくるまっていて、今もぐっすり寝ているということはない。

 もしそうだったらタールは彼女らに襲い掛かり、懲罰と称してこれまでずっと抱えていた願望を叶えようとしていたかもしれない。

 枕と毛布だけが残されたベッドを見て密かに落胆しているタールの横で、部下は机の方を見て()()の存在に気付く。

 

「タールさん、何でしょうあれ?」

「ん、何かあったのか? 何だこりゃあ?」

 

 ベッド同様、少し距離を空けて並べられた二つの机のうち、片方にそれは置かれてあった。

 灰色で楕円の形をした片手で持てるほど小さな物体。

 それが小さな台座に乗せられた状態で、机の上に置かれていた。

 

「こいつは一体?」

 

 四十年以上生きてきたが、こんなものは見たこともない。

 タールは思わず机の上に置かれていた物体を手に取り、彼の隣にいた部下も物体の方に目をやる。

 タールは手に持った物体の向きをくるくると変えながら、しげしげとそれを眺める……そして、

 

「それ、後ろの方に何か書かれ……てますよ。数字に見えますが」

「何だと?」

 

 部下の指摘を聞いて、タールは後ろが見えるように物体の向きをくるりと変える。

 そこには【00:01:5×】という、数字の列が表れていた。

 だが、部下が言い淀んだのも無理はない。

 誰かが書いたにしては数字の形が変なのだ。何よりその数字は右端の数がひとりでに減っているという現象まで起きている。

 やがて数字は【00:01:0×】と表示された後、今度は【00:00:5×】と変わる。

 これはまるで……

 

「まさか、これ時計なのか? ……でもなんで数が減っていくんだ? これじゃあもうすぐ0に――」

 

 タールがそんなことを言っている間に五十秒は過ぎて、数字の列がすべて0で埋まる。

 その瞬間、0の羅列は消えてある四文字が浮かんだ。

 【NULL(ゼロ)】と。

 

 

 

 その四文字が二人が見た最後の光景となった。

 

 

 

 

 

 

 南区の店を出た後、ヴィータがなくしたうさぎのぬいぐるみの代わりとなるものを買うために、俺たちは北区へと向かったが昨日ぬいぐるみを買った例の露店はおろか、北区のどこにもぬいぐるみを売ってるような店は見つからなかった。

 その後、俺たちは人形を売っている店を探して中央区へと足を運んだのだが、そこは貴族や富豪の令嬢を顧客とした高級店ばかりで、そのような店で売られているのは陶器で作られた人型の人形ばかりだった。ティッタがいくつか人形を見繕っては見たものの、ヴィータがそれらに興味を示すことはなかった。

 どうやらぬいぐるみというものは、令嬢が好んでいる高価な人形以上に珍しい物のようだ。

 

 そうしていくうちに時間は瞬く間に過ぎていって、太陽は完全に沈み、街のいたるところで明かりが灯され始めている頃。

 俺たちはなおも失くしたぬいぐるみの代用品を求めて、中央区の街路を歩いていた。

 だが、心の中ではほぼ全員が、一番栄えている中央区でこれだけ探しても見つからないんじゃあぬいぐるみを売っているところなんてあそこ以外にはなかったのだろうと、諦めの境地に達している。

 当の本人もそれを感じ取っていたのか、肩を落としながら俺たちの前をとぼとぼ歩いていたヴィータは、おもむろに振り返って口を開く。

 

「ありがとうみんな。もういいよ。元はと言えばちゃんと目に届くところに置いておかなかったあたしが悪かったんだ。こんなことにこれ以上みんなを付き合わせるわけにはいかねえ。今日はもう――!」

 

 その時頭上で何かが光り、一瞬遅れてつんざくような音が上から聞こえてきた。

 最後の一言を言いかけたヴィータも、それを黙って聞こうとしていた俺たちも、思わず空を見上げる。

 それを見た瞬間、俺たちは言葉を失ってしまった。

 俺たちの目の前で建物が燃えている。

 

「きゃああああ!!」

「な、なんだ!? 火事か?」

「俺が先だ!」

「早く出ろ! このままここにいたら火だるまになっちまう!」

 

 慌てふためく通行人、燃え盛る建物から次々に出てくるいかつい男たち。

 建物についている看板には『リヴォルタ中央区 兵舎』と書かれていた。

 では、建物から出てきているこいつらは傭兵か。

 いや、それよりも――

 

「火事……にしては火の勢いが強すぎる――っ!」

 

 すでに火に包まれている上の階に目をやると、視界の片隅に二つの影が見えた。

 黒髪の女と白髪の女……あの二人は、

 

「カリナ……ライラ……なんであいつらが?」

 

 彼女たちは兵舎から噴き出してきた炎に驚いた様子も見せず、悠然と空中に浮かんでいる。

 

「まさか、この火事はあいつらが?」

 

 そう思ったと同時に俺たちは空と街中を見回すが、空中にはカリナとライラの二人しかいない。

 では、他の奴らはどこへ? ……まさか。

 

 

 

 

 

 

「おやおや、さっそく闇の書の主と守護騎士たちが現れちまったねえ。さすがに私とライラだけじゃあいつら全員の相手はきつい。今までと違って獲物の数もかなり多いし、ここは……」

 

 空中で燃え盛る兵舎を眺めながら、カリナは右手をかざし短い詠唱を唱えた。

 すると彼女の周囲で()()魔法陣が浮かんで、その中から銀色の金属でできた異形が現れてくる。

 

「ミッドチルダで作られた《傀儡兵(ゴーレム)》か。なかなか面白いものを用意してくれる。……行け!」

 

 

 

 

 

 

 カリナのまわりから人型の異形が何体か現れたかと思うと、カリナはおもむろに右手を突き出した。

 それを見て、

 

「来るぞ! 全員構えろ!」

「「はっ!」」

「はい!」

「おう!」

「――お、おう!」

 

 俺たちは瞬時に武器と魔導鎧を装着する。

 予想通りカリナが召喚した人型は、猛烈な勢いで俺たちに襲い掛かってきた。



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第39話 対峙

「うわああああ!!」

「何だあの化け物は!?」

 

 カリナが召喚した金属でできた異形を目の当たりにして、人々は慌てふためき逃げ出そうとする。

 そんな中俺は守護騎士に向かって指示を出した。

 

「あの異形たちを掃討するぞ。シャマルは地上に残ってバックアップ。特にカリナとライラの動きには注意してくれ。必ず何か仕掛けてくるはずだ」

「はい!」

 

 シャマルの返事を聞いてから、俺たちは飛翔して異形たちへと向かっていく。

 

「フレースショット!」

 

 俺の剣から放たれた光弾が異形を打ち抜き。

 

「シュツルムファルケン!」

 

 シグナムは愛剣レヴァンティンを弓の形に変え、そこから射出された矢が異形の体を貫く。

 

「ラケーテンハンマー!」

 

 ヴィータが叫ぶと槌の口が変形して、その中から炎が噴き出し、噴射による推進力で一気に異形の前に到達し、そのまま思い切り槌を振り下ろす。

 

「はああああ!」

 

 同じく異形に迫ったザフィーラは素手で異形を打ち付け、異形はその体に大きく穴を空ける。

 

「せいやあああ!」

 

 ティッタが振り下ろした大剣をもろに受けた異形はふらつき、その隙をついてティッタはよろめく異形に何度も大剣を振り下ろし、異形は真っ二つに割れた。

 シグナムやヴィータと違い、ティッタは自身の武器に魔力を込める術を持たない。だがティッタの固有技能、《震動付与》は金属でできた異形にも通じるようだ。彼女自身の怪力も相まって、技能と合わせて攻撃すれば十分対処できる。

 

 俺たちの攻撃を受けた異形たちは、そのまま爆発して跡形もなく霧散した。俺たちは直感的に異形の死骸から離れて、爆風を避けることができた。マリアージュ戦での経験のたまものだな。それにあいつらよりは爆発の規模が小さい。

 それにしてもこの異形たち、思いのほかあっさりと片付いていくな。

 異形がまとっている金属は見るからに固く、ただ斬りつけるだけなら苦戦は必至だが、射撃魔法や魔力がこもった武器、固有技能を駆使すれば何とかなる程度だ。

 部下たちが駆け付けて来るまでの時間稼ぎにしても弱すぎる。時間稼ぎ……

 ――まさか!

 

《陛下、大変です! カリナさんたちが!》

 

 シャマルからの念話を受けて、俺はすかさずカリナたちがいた方を見る。

 だが、そこにはもう彼女たちの姿はなかった!

 

 

 

 

 

 

 必死の思いで異形から逃げていた市民たちは、自分の目を疑う。

 今まで向こう側に浮かんでいた女二人が、自分たちの前にいたからだ。彼女たちの足は地面から遠く離れており、先ほどまでと変わらず宙に浮かんでいた。

 

「あいつらは化け物と一緒にいた、いつの間にここまで」

「あの人、カリナさんじゃないか! たった何人かの傭兵隊を率いているっていう」

「本当だわ。私たちを助けに来てくれたのから?」

「いや、それにしては様子が……」

 

 騒ぎ立てる市民たちを見下ろしながら、カリナは表紙に銀色の十字架が描かれた白い本を取り出す。

 

 

 

 

 

 

 俺たちが異形を倒している間に、カリナたちは中央区の人々が逃げて行った方に移動していた。

 異形たちと戦っていたとはいえ俺たちも、地上で二人を見張っていたはずのシャマルさえも、カリナたちの動きに気付かなかったというのか? ――いや違う!

 あの二人は恐るべき速さで、瞬時にあそこまで飛んでいったのだ。俺たちが誰一人視認できないほどの速さで。

 

 突然現れたカリナを前にして、思わず足を止めている人々の真上でカリナは本らしきものを取り出し、それを開こうとしている。

 

やめろ!!

 

 それを見て俺はとっさにカリナたちめがけて飛翔した。

 距離が遠い。

 このままだと間に合わない!

 

「フライングムーヴ!」

 

 俺は固有技能を発動し、カリナたちがいるところまで一気に飛んだ。

 カリナは本を開きかけ、人々はそれを眺めているまま、ライラはカリナの後ろで両者を観察している。

 俺はカリナの眼前まで迫って、開きかけている本を払い落とそうと剣を真横に振った。

 しかし、そこでカリナと本のまわりに結界が張られ、カリナと本の前に広がった透明な壁によって、剣ははじかれてしまい、その拍子に俺の技能まで解けてまわりの物体が一斉に動き出す。

 

「キャアアア!」

「な、何だ!?」

 

 不穏な動きを見せるカリナに加え、剣を持った男が突然現れたことに人々は混乱し、一目散に逃げていった。

 

「ケント、いつの間に……」

 

 カリナははるか遠くにいるはずの俺が一瞬でここまで移動したことに、驚きを隠せず目を丸くする。

 しかし、驚いているのはこっちもだ。

 なんだあの本は? 主の意志とは無関係に結界を張るなんて。シグナムたちの武器でもあんな真似はしないぞ。 

 

「カリナ、ライラ、一体どういうつもりだ? 先ほど現れた金属の人外も、兵舎の火事も、お前たちの仕業なのか?」

 

 俺はカリナたちに剣を向けて問いを投げかけるものの、カリナは不敵な笑みを浮かべ、ライラは無表情で俺たちを眺めるのみだ。

 そこへ守護騎士たちが遅れてやってくる。

 

「主、ご無事ですか!? カリナ殿、ライラ殿、やはりあなたたちが……」

 

 シグナムの問いにカリナは含み笑いを漏らす。それが答えだった。

 

「貴様っ!」

「待てシグナム! 不用意に近づくのは危険だ!」

「ヴィータ?」

 

 文字通りカリナに飛びかかろうとしたシグナムを、ヴィータが抑える。

 珍しい光景に思わず俺は怪訝な声をあげた。

 そんなヴィータに対してカリナは、

 

「……そういえばあんたは昨日、長い間アロンドと一緒にいたそうだね。もしかして()()を見ちまったのかい?」

「……さあ。あれって何のことだ?」

 

 カリナの問いにヴィータは首をかしげて見せるが、明らかに何か知っている反応だ。それを裏付けるように俺たちの脳裏にヴィータの声が響いてくる。

 

《気をつけろ。あの女、ただものじゃねえ》

《どういうことだ? なぜお前にそんなことが分かる? ……そう言えばあの女はアロンドがどうこう言ってたな。昨日アロンドと行動していた時に何か見たのか?》

 

 思念越しでのシグナムの問いに、ヴィータはわずかに言い淀むもののすぐに答えを返す。

 

《……ああ。あたしが思った通りならアロンドだけじゃなく、あの女も、あいつら全員が――》

 

 ――なんだと!?

 ヴィータの話に俺は思わず耳を疑った。他の皆も同じだろう。ティッタにいたっては驚きのあまり思わず「えっ?」と声を上げている。

 ヴィータからもたらされた突拍子もない話に、俺たちは思わず呆然としてしまう。カリナはそんな俺たちをニヤニヤと面白そうに眺めていた。

 俺たちがここで足を止めていても、向こうにとっては好都合というわけか。

 

「カリナ、昨日まで一緒にいたお前の仲間はどうしたんだ? ここにはお前とライラしかいないようだが」

「くくっ、あいつらなら今頃別の区画で仕事をしているよ……そうだねえ、アロンドは南区でサガリスは西、トリノは東、そしてヴァルカンは北だ。特に北区はかなり荒らされてるんじゃないかな。何しろあそこはグランダムから来た旅行客が多くいる場所だから」

 

 思いの外、あっさりとカリナは仲間たちの居場所を教えてくる。

 罠かとも思ったが、カリナの余裕めいた態度からはそうとは思えない。

 それに一つだけ確かなことがある。

 

「ヴァルカン……あの人が北区に……グランダム人が多いところを狙って」

 

 ティッタは呆然とカリナが付け足した言葉を復唱する。

 そうだ。少なくともヴァルカンが北区へ向かった可能性は極めて高い。彼は自分の国を滅ぼしたグランダムを憎んでいるだろうから。

 

 ……迷っている時間はない。

 俺はもう一度だけカリナが言っていたことを頭の中で反芻してから、騎士たちに指示を出す。

 

「……ここは俺一人でやる。みんなは急いで他の区画へ向かってくれ」

「いけません主! それはあまりにも危険すぎます。先ほどの動きを見る限り、カリナの実力はかなりのものです。それにヴィータの話が本当だとしたら奴には――」

「今のところ、互いに頭数はほとんど同じだ。被害を最小限に抑えるには、各地区に一人ずつ誰かが行って奴らを止めるしかない。カリナたちは俺が何とかして見せる」

「確かにそれはそうですが……しかし」

 

 それでもシグナムはまだ不安を隠せず反論しようとするが、

 

「あたしは文句ねえぜ。ここでうだうだやってる間に、連中が集まっちまったらそっちの方が厄介だ。それに主がそこまで言うなら、応えてやるのが従者ってもんだろう」

 

 ヴィータはそう言って拳を鳴らし、神妙な顔で言葉を続ける。

 

「……南区の方はあたしに任せとけ。あのクソガキにはたっぷりと灸を据えてやる」

「それなら北区はアタシに譲ってくれないかな。アタシもグランダムの人間として、ヴァルカンって人にちょっと確認したいことがあるんだ」

「ティッタ、お前まで……」

 

 ティッタまでもがそう言うと、シグナムは愕然とした表情でザフィーラの方を見る。ザフィーラはこくりとうなずいた。

 ここにいないシャマルを除いた仲間全員が、俺に同意を示したのを受け、シグナムは三つ数えるほどの間考えを巡らせて口を開いた。

 

「……分かった。主のおっしゃることにも一理ある。ただし、必ず敵を倒してここに戻って来い。一人たりともそれを違えることは許さん!」

「「おう!」」

 

 リーダー(シグナム)から下された命令に、ヴィータとティッタが返事をして、ザフィーラがうなずきを返した。

 シグナムはそれを確認すると、

 

「それでは我らは行ってまいります。今回の敵はかつてないほどの強敵です。主もゆめゆめ御油断召されるな」

「ああっ。わかっている!」

 

 俺が返事を返すと同時に、騎士たちは別々の方向へ飛んでいった。

 そして残された俺はただ一人で、カリナとライラの二人と対峙する。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ南区、壁門前。

 

 街を覆っている外壁に四か所設けられた門の前には、傀儡兵(ゴーレム)とそれらを召喚しながら自らも殺戮の限りを尽くすフッケバインの傭兵から命からがら逃れてきた市民たちが大勢殺到していた。

 その中には燃え盛る兵舎から逃げてきた傭兵も混じっている。

 

「どけ。俺が先だ!邪魔する奴は叩き斬ってでも払いのけるぞ!」

「何言ってんだ! あんた傭兵なんだろう? だったら逃げてないであの化け物を倒しに行けよ!」

「俺は飛ぶことができねえんだよ! それにお役所から頼まれてる仕事に、あんな化け物の退治なんて入ってねえ! わかったらどきやがれ! この剣で斬られたいのか!」

 

 丸腰の市民に対して、傭兵は背中に担いだ剣の柄に手をかけながら凄み、追い払おうとする。市民は嫌悪感をあらわにしながらも引き下がるしかなかった。

 傭兵の目は本気だったうえに、そうしている合間にも傀儡兵やフッケバインの傭兵が迫っているかもしれないからだ。

 先ほどのようにまわりにいる市民たちに凄みながら、傭兵は開かれた門をくぐり抜けて、街の外へ出ようとする。

 だが、街の外が見えてすぐに、彼の体はそこから先へ進めなくなった。まるで見えない壁が彼も前にあるかのように。

 周りを見てみると彼以外にも、不可視の壁に悪戦苦闘している者たちが見えた。

 もしやと思い上を見上げると、やはり塔兵など飛行魔法でここまで飛んできた者も、自分たちの真上で立ち往生ならぬ飛び往生をしている。

 傭兵の後ろにいる者たちはそんなことにも気付かず、

 

「おい、何立ち止まってんだ! 早く行けよ! でないとあの化け物たちが」

「わかってる! 俺だって早く街から離れたいんだよ! でもなぜかどうやってもここから先へ進めねえんだ! ――!」

 

 怒鳴りながら後ろを振り向いた傭兵は、自分たちの頭上を飛んでいる傀儡兵の存在に気が付いた。しかも二体!

 それを目の当たりにして傭兵を始め最前線にいる者たちは、必死に見えない壁を抜けようとする。だが、何をどうやっても、そこから先へ足を踏み出すことはできない。

 魔法をかじった者の頭の中には結界という言葉が浮かぶものの、それを認めたくはなかった。結界を破れるほどの力を持っている者がこの中にいたら、すぐにそうしてるだろうし、傀儡兵に立ち向かうこともできるだろう。

 つまり、現状においてこの街から脱出する術はなくなったということだ。その事実を認めることができるほど強い心を持つ者は、脱出しようとする市民たちの中にはいなかった。

 不可視の壁に挑む者、逆に街に入りなおして別の逃げ道を探そうとする者、群衆に囲まれているせいで身動きが取れない者たち、門の付近は混乱に陥った。

 慌てふためく人々に向けて、ゴーレムたちは無情にも刃を向ける。

 逃げることもできなくなった者たちはとうとう絶望し、祈るような気持ちで傀儡兵を仰ぎ見た。

 

「――あれは!」

 

 そして気付いた。

 

 空中には傀儡兵の他に、白い魔導鎧をまとった金髪の少女と燕尾服を着た赤毛の執事がいた。

 金髪の少女と執事は傀儡兵の行く手を阻むようにその前を飛んでいる。

 少女は右手を掲げて、手元に金色の光弾を作り出す。

 それを傀儡兵に向けて、

 

「五十四式・槍礫」

 

 少女の手から光弾が放たれ、光弾は少女の手から離れてからどんどん巨大化していき、傀儡兵に迫るころには傀儡兵の体ほどの大きさとなった。

 傀儡兵はなすすべなく光弾に体を貫かれて爆発し、果てた。

 

 主が傀儡兵をたやすく撃破している横では、赤毛の執事がもう一体の傀儡兵と相対していた。

 傀儡兵は執事の何倍もの大きさの剣を振り上げて、彼を真っ二つにしようとする。

 だが、自身に向けて振り下ろされた巨大な剣を、執事は難なくかわし、一気に傀儡兵に迫る。

 執事は右手で腰に収められたままの剣の柄を握り、

 

「シャイニング・ロッソ!」

 

 魔力光で赤く染まった刀身で傀儡兵の体を斬りつけ、中心に大きな切り傷をつける。そこに空いている左の手のひらを向け、

 

「フレース・ファイエル!」

 

 執事の手のひらから火柱が立ち上り、火柱は切り傷に大きな穴を空けながら、そのまま傀儡兵の体内へ入り込み、傀儡兵の体を内側から焼き尽くしそのまま爆発した。

 

 恐ろしい傀儡兵をまるで赤子の手をひねるようにあっさりと片付けた二人を、地上にいる人々は呆然と眺めていた。

 

「つ、強い。なんだあの二人は?」

「雷の魔法……あの強さ……まさか、あの方は《雷帝》――」

「雷帝だと!? 西にあるダールグリュン帝国を統べながら、自ら戦場の最前線に立ち領土を広げているという……」

「あんな少女が? 話によれば、雷帝は威圧感のある妙齢の女傑だと聞いているが? だが、あの技は確かに雷帝の――」

 

 そんなことを言い合っている人々に、少女は西の方を指差しながら大きく声を上げた。

 

「この先に私の別荘があります! 皆様はひとまずそちらに向かってください!」

 

 眼下の人々はすがるような目で少女が差した方を見る。そこには確かに、一目見たらわかるほどに大きな建物がそびえ立っていた。

 人々は少女の言う通り、彼女の別荘だという建物へ向かう。中には少女を疑い、ためらいを見せる者もいたが、結界らしきものが外が外に張り巡らされて街から出ることはできないと聞くと、やむを得ないと自らに言い聞かせ、少女が示す建物に向かって行った。

 

 金髪の少女、エリザヴェータは別荘へと向かっていく人々を見下ろしながら、隣にいる赤毛の執事、ジェフと顔を見合わせる。

 それにジェフは右手を左胸に当てながら一礼して応じた。

 

「傀儡兵の撃退と市民の皆様の誘導、お見事です。エリザお嬢様」

 

 ジェフの賛辞にエリザヴェータはため息をつきながら、

 

「その言葉はすべての傀儡兵とその召喚主を征伐した時に受け取っておくことにしましょう。そちらの方は?」

 

 エリザヴェータの問いにジェフは顔を上げて答える。

 

「今まで別荘に待機していた執事たちの中でも、腕利きの三人を各地区へ向かわせております。ただ、傀儡兵ならまだしも、召喚主たちがあのフッケバイン傭兵隊だとしたら彼らだけでは心もとないですね。特にあの子には」

「ああ、ロープですか。確かにあの子にとっては荷が重い相手かもしれませんね。そんなに心配なら南区は私に任せて、あなたはロープの手助けに行っても構いませんよ。お兄様」

 

 ロープを心配するようなことをつい口にしてしまった自分をからかってくる主に、今度はジェフがため息をついた。

 執事とは世を忍ぶ仮の姿で、ジェフの正体は実はエリザヴェータの血を分けた実の兄……というようなことはもちろんない。ジェフと同じく、彼の妹も執事としてエリザヴェータの家に仕えているというだけのことだ。その名をロープという。

 

「お気持ちだけ受け取っておきましょう。これも一流の執事へ至るため、妹に与えられた天の配剤なのかもしれません。ですから私とロープの事はどうぞお気遣いなく」

「そうですか。厳しいお兄様ですね。……それにしても、明日には例のギルドに探りを入れようかと考えていた矢先に、こんな暴挙に出るとは。連合と帝国が動く前に街ごと隠滅するつもりなのかしら?」

 

 エリザヴェータの推測に、ジェフは顎に手を乗せながら考える。

 

「それにしては襲撃の規模が小さいですね。このまま一晩中襲撃が続いたとしても、リヴォルタが壊滅するような事態には至らないでしょう。被害は小さくはないでしょうが」

「そうだとしてもこのまま見過ごすわけにはいきません。この街は帝国にとっても重要な貿易拠点です。それに無辜の民が危機にさらされているのを黙って見過ごすなど、ノブレスオブリージュ(貴族の義務)に反する行いですわ」

 

 そう言いながらエリザヴェータは右手の人差し指にはめられた指輪を、ハルバードの形に変える。

 

「私は傀儡兵を倒しながら中央区へ向かいます。南区は任せましたよ、ジェフ」

「はっ! お嬢様もどうかお気をつけて」

 

 互いに言葉を交わした後、エリザヴェータとジェフは別れ、それぞれの役目を果たしに行く。

 もし彼女らがいなかったら、ケントたちに万が一の勝機はなかっただろう。



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第40話 リヴォルタ各地にて

 リヴォルタ西区。

 中央区同様、聖大陸きっての歓楽街として知られている西区でも、何体かのゴーレムとそれらを召喚したフッケバイン傭兵隊の一人、サガリスによる襲撃を受けていた。

 教会や議員などの富豪が建てた屋敷など、今の街の中でも安全だと思われている場所を目指して人々は必死に逃げる。

 その中には娼館やカジノから着の身着のまま出てきたネグリジェ姿の娼婦やバニーガールなど、あられもない恰好の女性たちもいた。

 

「きゃっ!」

 

 疲労のあまり走る速度を落として、最後尾を走っていたバニーガールの前で地面に亀裂が走り、バニーガールは反射的に足を止める。

 他の群衆は一瞬ためらうものの、すぐに彼女を置いて先へ行ってしまった。

 

「――待ってみんな! 私も――」

「よう」

 

 すぐ後ろから聞こえてきた声に、バニーガールは恐る恐る後ろを振り返る。

 そこには剣()()()()ものを手にした金髪の男が立っていた。バニーガールには見覚えのある顔だ。

 

「……サガリス……さん……」

「久しぶりだなあ。相変わらずそそる格好してるじゃねえか。確かこっちのカジノであんたにいい恰好見せようと、つい張り切り過ぎて出禁になっちまって以来だ。あの王様の連れとして、もう一度だけお邪魔する予定だったんだが。あーあ、あいつがもうちょい欲望に素直だったらなあ」

「……もしかしてあの時のことを恨んでこんな真似を? あれはあなたが勝手に――ひっ!」

 

 言葉の途中で刃を向けられ、バニーガールは小さな悲鳴を上げてその場にへたり込む。

 対してサガリスは飄々とした笑みを向けたまま、口を開いた。

 

「いや、あれはもう気にしちゃいねえよ。あんたみたいなバニーガールはいないが、中央区にもカジノはあるしな。こいつは雇い主からの依頼と、俺たちみたいなのが生きるためにやってることだ。“食事”と俺たちは呼んでいる」

「……い、一体何を言っているの?」

 

 サガリスの言ってることが分からず困惑の表情を浮かべるバニーガールに、サガリスは剣を振り上げた。

 それを見てバニーガールは立ち上がって逃げようとする。だが、どうしても足に力が入らず、立ち上がることができない。

 

「せめて楽に殺してやるから悪く思うなよ」

 

 サガリスはバニーガールに向けて剣を振り下ろす。

 バニーガールは恐怖のあまり思わず目を閉じた。

 …………

 しかし、いつまでたっても何も起こらない。

 不思議に思ってバニーガールが恐る恐る目を開けると、いつの間にか桃色髪の女剣士が自身とサガリスの間に割り込んできて、サガリスと刃をぶつけていた。そう言えば目をつむった一瞬の間に着地音が聞こえた……ような気もする。

 一方でサガリスはさほど驚いた様子も見せずに言った。

 

「そろそろ来ると思ってたぜ。シグナムさんよ」

「サガリス。やはりこちらの方に来ていたのはお前か。カリナの言った通りだな」

 

 鍔迫り合いを続けながら、シグナムはちらりと横目でバニーガールを一瞥して、

 

「早く逃げろ! この男は私が何とかする」

「は、はい!」

 

 シグナムに声をかけられた途端、今まで立ちあがれなかったのが嘘のようにあっさりと足が動き、バニーガールは立ち上がることができた。

 

「ありがとうございます!」

 

 そう言ってバニーガールは、やや後ろめたそうにシグナムに背を向けて走り去っていく。

 もちろんシグナムがそれを恨めしく思うはずはない。彼女が残ったとしても守ることに気を取られて、かえってシグナムが不利になるだけだ。

 バニーガールの姿が見えなくなってからサガリスは刃を引き、相手の刃にぶつけてから後ろへ跳んで距離を取った。

 

「へっ、ご主人様を置いて人助けとは、騎士らしい真似をするじゃねえか。闇の書を完成させるためなら、赤子だろうと平気で殺してきた外道どもがよ」

 

 サガリスの言葉にシグナムは額にピクリと青筋を立てるが、努めて平静を装いながら言葉を返す。

 

「ほう、詳しいな。それとも私たちが今の世に名を広めすぎただけか」

「いや、まだそれほどじゃないと思うぜ。お前たちや闇の書に関することは、ほとんど雇い主から聞かされた話だからな」

「雇い主だと? もしや、そやつがお前たちに街の襲撃を命じた黒幕か?」

 

 シグナムの問いにサガリスはしまったと言わんばかりに、空いている左手で口を隠した。しかしそれを悔いる様子はない。

 サガリスは口元から手を離し、わざとらしく首をかしげる。

 

「さあ、どうかな? そんなもんただのはったりで黒幕なんて存在しないのかもしれねえし、いたとしても俺が素直に答えると思うか?」

「ならば力づくで聞き出すまでだ」

 

 シグナムは剣を握っている両手に力を込め、サガリスも両手で柄を握り態勢を取った。

 その時、シグナムはサガリスが持っている剣()()()()武器を見てふと尋ねた。

 

「ところでさっきから気になっていたのだが、何だその剣は?」

「ああ、これか。これはな――」

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ南区。

 

「きゃっ!」

 

 裏路地を通って逃げようとしていた母娘に向けられた刃を、少女は素手で掴み取った。刃を掴んでいる少女の手からは血がぽたぽたと地面に落ちる。

 母親は自分たちを助けてくれた少女に声をかけることもできず、娘を抱いて一目散に逃げて行った。

 少女、ヴィータは逃げ出す母娘のことなど気にも留めず、左手で短い刃を握りながら、もう片方の手で槌を握り相手に詰め寄る。

 

「アロンド、なんでこんな真似を? カリナに命令されて無理やりこんなことをやらされてるのか?」

 

 母娘を襲い、今はヴィータと対峙している少年、アロンドはニヤリと笑いながら答えた。

 

「いいや、無理やりなんかじゃねえよ。俺様が自分の意志でやってることだ。やっと姉ちゃんから許しが出たんでな」

「何だと!? それはどういうことだ? 答えろ!」

 

 怒鳴り声を上げるヴィータにアロンドは短刀を持っている右腕を動かす仕草を見せ、ヴィータは反射的に短刀を離して後ろへ跳ぶ。

 刃を振るったはずみに、刃についたヴィータの血があちこちに舞い散る。

 

「くくっ、人に物を聞く時はそれなりの態度ってもんがあるだろう。これだからぬいぐるみなんかにうつつを抜かしてるガキは。まあそのおかげでこの余興を盛り上げる方法も昨日思いついたんだが」

「余興……まさかあれを盗んだのはやはり」

 

 今日の昼間、ヴィータはこの南区にある店で、昨日ケントから贈られたうさぎのぬいぐるみをなくした。

 ただ、あの時ケントは確かにこう言っていた。『背嚢を背負っているアロンドをあの店で見た』と。

 実際アロンドの背中には今も、昨日までは背負っていなかった大きな背嚢がある。

 アロンドは正面を向いたまま、体を少し動かしただけで背嚢を背中から外して地面に落とし、それを斬り裂いて中にある物を取り出した。

 

「――それは!」

 

 アロンドが背嚢から取り出したのは、ヴィータがなくしたうさぎのぬいぐるみだ。

 それをアロンドが持っているということは、昼間あの店でぬいぐるみを盗んでいたのは、やはりアロンドだったのだ。ケントが言っていた通りだ。

 しかし、なぜアロンドがぬいぐるみなんかを? 

 片手で耳だけを掴んでぞんざいに腕からぶら下げている様からは、欲しかったからつい間が差したようにはとても見えない。

 ……イヤな予感しかしない。たまらずヴィータは叫ぶ。

 

「返せよ! それあたしのだぞ!」

 

 しかし、アロンドはぬいぐるみを乱雑に掴んだまま。

 

「おいおい、こいつはケントって奴から無理やり押し付けられたもんなんだろう? だったらこれが別に()()()()()()お前には構わないだろう」

 

 アロンドのその言葉に、ヴィータははっと目を見開き、

 

「お前、それをどうする気だ?」

「決まってんだろう」

 

 アロンドは不気味な笑みを浮かべながら両手でぬいぐるみの頭を掴むと、

 

やめろおおおお!!

 

 ぬいぐるみを勢いよく真っ二つに引き裂いた。

 裂かれたぬいぐるみの中からは、白い綿が大量にあふれ出てくる。

 独特な造形だがうさぎの形をしていたぬいぐるみは、アロンドの手によって一瞬で綿のかたまりとなった。

 それを見てニヤリと笑うと、アロンドはぬいぐるみだった物を無造作にヴィータの前に放る。

 

「ほら、返してやるよ。優しい主からもらった大切な人形なんだろう」

 

 ヴィータはぬいぐるみを取ろうともせず顔を伏せ、肩を震わせる。

 ……そして、

 

このガキャァ! 調子こいてんじゃねえぞ! ぶっ殺してやる!

 

 ヴィータは槌を構えて飛びかかり、アロンドも空中から落ちてきた短刀を掴んで迎え撃つ。

 ここまではすべてアロンドの思惑通りだった。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ東区。

 ところどころ異国風の建物が混じっている東区で、白髪で犬のような耳がついている褐色肌の大男と、左手首に藍色の刺青を刻んだ青髪の女が対峙していた。どちらも筋骨隆々のたくましい体つきをしており、そんな二人が睨み合っているのを目にしただけで並大抵の者は逃げて行くだろう。

 

 白髪の男、ザフィーラは青髪の女、トリノに向かって口を開く。

 

「中央区にいるカリナから、お前たち傭兵隊がリヴォルタ各地で騒ぎを起こしていると聞いてきたのだが、この東区であの異形たちの召喚と破壊活動を行っているのはトリノ、お前で相違ないか?」

「ああ。この地区の破壊を受け持っているのは私だ。そちらこそお前ひとりで私を止めに来たのか?」

 

 トリノの問いにザフィーラは「ああ」とうなずく。

 それをトリノは苦笑で返した。

 

「愚かだな。お前たち全員で我らを一人ずつ倒していけば、市民の犠牲は増えても我々を倒すことはできたかもしれんのに」

「それこそ愚かな話だ。我ら守護騎士がお前たちごときを相手に、なぜそのような戦い方をせねばならん? むしろ都合がいいというものよ。一対一の戦いで我ら守護騎士が負けることなどありえん。相手が闇の書の主か()()()でもない限りな」

 

 ザフィーラは固く握られた拳を突き出して告げる。

 

「ここでお前を倒してそれを証明して見せよう!」

 

 それに対しトリノも斧を構える。

 

「いいだろう。せめて《リアクト》するまでは持ちこたえて見せろよ」

 

 両者は同時に足を踏み出し、ぶつかり合った。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ北区。

 街を襲っているゴーレムから逃げようとする数人の男たちの前に、紫髪で険のある顔つきの男が大剣を手に立ちはだかっていた。男の首元には藍色の刺青が刻まれており、それがより一層男にいかつい印象を与えていた。

 

「な、何だあんた!? 早くそこをどいてくれよ。あの化け物に見つかる前にここから逃げないと」

 

 そう訴える男に紫髪の男は冷淡な口調で尋ねる。

 

「お前、グランダムって国から来た人間がどこにいるか知らないか?」

「グランダム? それなら俺たちが住んでいる国だけど、あんたもグランダムから来たのか?」

「……」

「だったらちょうどいい。俺たちと一緒に逃げよう。あんた結構強そうだし、一緒に来てくれるととても心強い」

 

 男はそう誘うものの、紫髪の男は無視してさらに問いかける。

 

「お前たちの他にグランダムから来た奴らは?」

「そんなの知らねえよ。化け物がいきなり現れて、みんなあちこちに逃げ回ってんだから。俺たちも早く――ぐあっ!」

 

 逃げようと言いかけた男は体を真上から斬りつけられ、そのまま地面に倒れる。すぐ側では紫髪の男が剣を振り下ろしていた。

 二つ数えるほどの間を置いて、他の男たちはようやく理解する。理解せざるを得なくなる。

 紫髪の男が自分たちの連れを斬り殺したのだと。

 

「うわああああ!!」

「助けてくれえええ!!」

 

 男たちはすぐさま逃げ出す。

 しばらく走ってから男たちの一人が振り返って後ろを見てみると、紫髪の男は自分たちを眺めながら立ち止まっている。

 疲労していて今は走れないのか、あるいは追いかける気はないのか。

 距離がだいぶ開いたこともあって男はつい安堵してしまい、その場に立ち止まって息をつく。すると……。

 紫髪の男はニヤリと口の端を歪めると一歩足を踏み出し、恐るべき速さで迫ってきた。

 驚きのあまり男は口をぽかんと開ける。

 呆ける男に紫髪の男は、

 

「俺の前に現れたグランダムの人間は全員皆殺しだ!」

 

 それだけを告げて紫髪の男は大剣を振り上げる。

 男はそれをただ見ていることしかできなかった。

 だがそこへ、

 

「下がって!」

 

 突然、上から降ってきた女の声に、紫髪の男は動きを止め、襲われていた男も顔を上げた。

 

「セヤァァァァ!」

 

 茶髪の少女が空から降ってきて、手にしていた大剣を紫髪の男へ振り下ろす。

 それを見て男は慌てて逃げ出し、紫髪の男は自身の大剣を前に突き出した。

 二振りの巨大な剣が激しくぶつかり合い、けたたましい金属音があたりに響き渡る。

 茶髪の少女は地に足をつけると同時に後ろへ跳んで、紫髪の男と間合いをとった。

 少女は鋭い目つきで紫髪の男を睨む。

 

「ヴァルカン!」

「誰かと思えばお前か。できればあの男とやり合いたかったんだが……まあいい。お前も俺の手で殺してやりたいと思っていたからな。それに身内の生首を手土産に奴に会いに行くというのも面白いかもな。ククッ」

「ひぃ!」

 

 生首という単語に反応して、ヴァルカンに襲われていた男はティッタを置いて逃げて行く。

 ティッタも彼には目もくれず、ヴァルカンと対峙し続けていた。

 鋭い目で自分を睨みつけるティッタに、ヴァルカンは肩をすくめて思いもよらないことを告げる。

 

「ただまあ、お前も奴を憎んでいるっていうなら話は別だ。なんなら、これから一緒に奴を殺しに行かねえか?」

「何だって?」

 

 ヴァルカンの申し出に、ティッタは思わず眉をひそめる。

 それを見ながらヴァルカンは面白そうに続けた。

 

「俺が見た限りだとお前、前の王が愛人に産ませたガキだろう? 奴と同じ目の色をしているにも関わらず、身なりと話し方が平民のそれと変わらねえ。口の悪さに至ってはスラム育ちといい勝負だ。とても姫として育てられたようには見えねえな」

 

 その物言いにさすがのティッタもむっとしながら、

 

「……そうだよ。アタシは前の王様と王様の妾だった母さんとの間に生まれた子供。いわゆる庶子って奴だ。あいつ(ケント)はアタシにとって腹違いの兄にあたる。だけど、それがどうなって、あんたと一緒にあいつを殺しに行くって話になんの?」

 

 怪訝そうに尋ねるティッタに、ヴァルカンは手を広げて言った。

 

「簡単な話だ。あいつは生まれながらに王子としてまわりの人間にかしずかれ、何不自由なく育ってきた。その上、ディーノとの戦いで、前の王が死んでからは奴がグランダムの国王だ。

 ……だが、それに比べてお前はどうだ。母親が愛人というだけでお前は一介の平民として市井に埋もれ、王家特有の虹彩異色(オッドアイ)を隠すために、騎士になるまでずっと眼帯をつけて過ごすことを強いられてきた。この先もそうだ。もし奴の機嫌を少しでも損ねたら、お前はすぐに騎士の地位を奪われて平民に戻されるだろう。そうなったらまた市井の片隅で肩身の狭い生活に逆戻りだ。必要のない眼帯まで付けさせられてな。

 それに不満を持ったことがないとは言わせねえぜ!」

「――っ!」

 

 ティッタはついうなってしまった。

 ヴァルカンの言うとおり、ティッタは自分と母の存在を隠した実の父、先王を今でも恨んでいる。王子として育った、ケントという腹違いの兄のこともよく思ってはいなかった。騎士としての上官であるシグナムには敬語を使っているのに、主君として敬うべきケントにはタメ口で話すのも、先王や彼への敵対心の名残だ。

 

 

 

 

 

 そもそも、ティッタがケントに近づいたのは彼を困らせてやるのが目的だった。

 兵士としてグランダム城に潜り込み、ことあるごとに先王の隠し子であることをちらつかせて、城内における先王とケントの評判をできる限り落としてやり、最後は慰謝料として多額の金を貰ってから王都を去る予定だった。

 

 ティッタはそのために、ディーノ戦から少し間を開けてグランダム城を訪れた。

 だが、そこで国王となっていた腹違いの兄を見てティッタは驚いた。

 彼の隣にはヴィータという子供がいて、対等な物言いを許していたのだ。それを許す代わりにいかがわしい関係を強いている可能性も十分あったが。

 とにかくあの時ティッタが見たケントの姿は、彼女が長年思っていた異母兄の姿と全く違うものだった。

 

 そして決定的だったのはマリアージュの大軍に襲われていた、東端の都市で再会した時のやり取りだ。

 あの都市は亡き母の生まれ故郷であり、コントゥアがガレアに落とされたと聞いてから、ティッタはすぐにあの都市に駆けつけた。

 ティッタはそこで再びケントと再会した。

 どうやら都市を守るために、自ら王宮から飛んできたらしい。政治的な事情のためかもしれないが、ティッタは密かに感心しながらケントに助力を申し出た。

 驚くのはそれからだ。

 ケントはとっくに自分の素性に気が付いており、行動を共にする条件として、自分が今まで右眼に巻いていた眼帯を外せと言ってきたのだ。それは明らかにティッタの素性を公表すると言ってるのも同然。

 その後、ケントはさらに自分を直属の騎士に取り立てその傍に置いた。

 その時にティッタは確信した。

 こいつは明らかに先王とは違う。

 

 だからティッタはとことん付き合ってやることにした。

 なんでもケントは闇の書という、どんな願いでも叶えられる本を持っていて、戦いの合間にその本を完成させるための魔力を集めているらしい。

 その闇の書とやらをケントが完成させたら、彼はそれを何に使うのか、その時グランダムとベルカはどうなるのか、そしてもしケントが聖王や雷帝を下してベルカ全土を支配するようなことがあったら、果たして彼は今のままでいられるだろうか。

 そんな()の行く末を最後までこの目で見届けてやろうと、ティッタは心に決めた。

 

 

 

 

 

「……先王やケントへの不満は確かにあるよ」

「だろうな」

 

 ヴァルカンが思った通り、ティッタは先王やケントに不満を抱いていた。

 手応えを感じてヴァルカンはニヤリと口角を上げる。

 しかし、ティッタが「でも」と続けた途端、ヴァルカンは笑みを消し訝しげな表情になる。

 

「……でも今はそんなことより、あいつがこれから何を為すのか、これからグランダムをどう取り仕切っていくのか、そっちの方がずっと気になるんだ。だからアタシにあいつを殺す気はないよ。あいつに、お兄様にここで死なれてもらっては困るから!」

「ちっ、そうかい。先王の子供どうしが殺し合っているところをたっぷり見物してから、まとめて殺してやろうと思ったのに。じゃあ最初の予定通りお前を殺して、その首を持参しながら奴に会いに行くとしよう……俺が住んでいた国を滅ぼしたグランダム王にな!」

 

 そう息巻くヴァルカンを前にティッタは口を開く。

 

「そう言えばそのことなんだけど、一つ聞いてもいい?」

「はっ?」

 

 緊張した空気が漂ってきたところで水を差された気分になり、ヴァルカンは不満そうな声を上げた。

 ティッタはそれに構わずに、

 

「ディーノって国はともかく、あんたが住んでた村を滅ぼしたのってグランダム軍じゃないよね? それは一体誰なの?」

 

 ティッタが言ったその言葉に、ヴァルカンは思わず目を剥いた。



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第41話 銀十字の書

(…………あの男はどこ? どこにいるのよ?)

 

 傀儡兵(ゴーレム)やカリナの襲撃から逃れてきた市民たちであふれかえっている中央区の教会で、シャマルはある男の居場所を探っていた。

 

 中央区に現れたのがカリナとライラだけだったことや、その後のシグナムからの念話による報告から、カリナの部下たちは中央区を囲む残り四つの街区に散り、それぞれの地区で破壊活動を行っていると見てまず間違いない。

 おそらくはカリナの言う通り、各地区に一人ずつと見ていいだろう。もちろん不意打ち狙いの虚偽(フェイク)かもしれないので、警戒を怠らないように言ってはいるが。

 しかし、そうなると一人足りない。

 フッケバイン傭兵隊の参謀役、フォレスタという男だ。

 自分がこうして教会に潜んで戦況の把握に努めているように、彼も襲撃には参加せず、どこかで仲間たちの支援(バックアップ)に回っているのだろうか?

 それに気付いてからシャマルはリンク機能を使って、守護騎士や(ケント)の状態を把握しつつ、フォレスタらしき者が何らかの魔法を使ってきたら、すぐに他の騎士や主に注意を促すことができるように心掛けていた。

 

 それにしても、とシャマルは思う。

 もしシャマルの推測が正しければ、傭兵隊におけるフォレスタの役回りはシャマルと全く同じだ。参謀という肩書といい被っているにもほどがある。

 自分とフォレスタだけではない。

 

 互いに剣を使うシグナムとサガリス。

 互いに子供の姿をしているヴィータとアロンド。

 互いに己が筋力を最大の武器とするザフィーラとトリノ。

 互いに大剣を使い、それ以上に国同士で因縁があるティッタとヴァルカン。

 ……そして、互いに得体のしれない魔導書を持っているケントとカリナ。

 自分たち守護騎士とフッケバイン傭兵隊の構成員は各々武器、特徴が非常に酷似している。まるで映し鏡のように。

 

 ただし守護騎士側と傭兵隊には、一つだけ大きな違いがある。

 それはライラ・シュトロゼックという少女の存在だ。

 傭兵隊にはその少女がいて、()()守護騎士側には彼女に相当する者がいない。

 カリナが持っている《銀十字の書》という魔導書といい、おそらく彼女の正体は……。

 

 

 

 

 

 

 互いに自らの剣を振り、その度に刃と刃がぶつかって鋭い金属音が響く。 

 カリナが振るっている剣は柄も、刃も変わった形をしていた。

 

 ベルカで使われている剣の刃部分は、先端に左右それぞれ刃がついている両刃と言われる形状をしており、反りもほとんどない。

 それに対してカリナが使っている剣は、先端の片側だけに刃があり、それに沿って反りが入っていた。柄も菱形がいくつか並んでいるだけの簡素な文様にも関わらず、この剣に合っている(がら)だ。外大陸から来た者たちが身につけているシミターやタルワールに似ているが、あれらよりは反りが浅い。

 

 自身の剣に向けられている視線に、敵意とは別の感嘆がこもっていることに気付きカリナはふふんと自慢げに鼻を鳴らす。

 

「こいつが気になるのかい?」

「……まあな」

 

 カリナの問いに俺は淡々とそれだけを答えた。

 カリナの剣には正直興味はあるが敵に教えるわけないだろうと言われてしまえばそれまでなので、それ以上深く突っ込む真似はしなかった。

 しかし、そこはさっぱりとした性格の傭兵隊長カリナ。剣を振り回しながらあっさりと語る。

 

「こいつは《(かたな)》と言ってね、サガリスとニホンに行ったときに手に入れたもんだ。何を隠そうこいつがその時に得たもっとも大きな収穫でね、他の剣より切れ味が鋭くて結構気に入っているんだ」

「やはり異世界の剣か――いや待て、まさかサガリスもその剣、いやかたなを持っているのか?」

「ああ。ただあいつのは雇い主のとこで《リアクター》を埋め込んで、《ディバイダー》にしちまったけどね」

「リアクター? ディバイダー?」

 

 初めて聞く単語に俺は怪訝な声を上げる。

 カリナはそこで例の白い本を取り出した。

 

「こういう奴さ」

 

 カリナが本を開いた途端、本の中から無数の頁が飛び出してきて俺に襲い掛かってきた。

 俺は真横に動いて避けようとするものの、

 

「――ぐぉ!」

 

 大量の頁は俺の脇腹を貫通し、そのまま俺の後ろへ飛んでいく。

 さっきカリナは逃げ惑う人々の前で本を開こうとしていたが、まさか、こんな頁を市民たちに向けて撃ち出すつもりだったのか。

 

「この通り、ディバイダーっていうのは私らが使う武器のことさ。リアクターについては闇の書にも似たようなのがあるって話なんだけど……知らないのかい?」

「……何のことだ?」

 

 俺の問いにカリナは呆れたようにため息を吐く。

 

「おいおい、本当に知らないのか。《銀十字の書》もリアクターも、闇の書やその《融合騎》を元に造られたって聞いてるんだけど」

「ゆうごう…き……? いや待て、その本が闇の書を基礎(ベース)にして作られただと?」

「ああそうさ。もっともこの本もリアクターも、銀十字の書とそれについてるリアクターをさらに模倣した複製品(レプリカ)だけどね。だが、こんな複製品でも闇の書なんかよりはよほど出来がいいらしい。頁を武器にする使い方すらできないみたいだし、何が強大な力をもたらすだ。つまらん」

 

 その言葉に俺はむっとする。

 確かに闇の書は頁自体を飛ばして攻撃に使う真似もできないし、融合騎とやらのことも皆目見当がつかないが、俺がここまでこれたのは闇の書が蒐集してきた魔法と闇の書が召喚した守護騎士たちのおかげだ。

 特に守護騎士たちがいなければ、ディーノとの戦の時点で俺は敵に討たれ、グランダムも滅ぼされていただろう。

 それをつまらんの一言で済ませられてははなはだ不愉快だ。

 俺は闇の書を取り出し魔法を構築する。

 

「そのつまらない闇の書の力をお前も受けてみるか?」

 

 俺は自身の目の前に魔力弾を作り、さらに闇の書の頁を8頁ほど消費して魔力弾を巨大化させる。

 俺はそれを、

 

「フレースショット!」

 

 俺が剣を振ると同時に、魔力弾は一直線にカリナに向かっていく。

 

「――おっと!」

 

 カリナは真上に跳躍して魔力弾をかわした。

 俺は一直線でそこまで飛んで剣を振るう。

 カリナは刀を突き出して俺の剣を防ぎ、それから俺たちは何度か互いの得物をぶつけてから、再び距離を取った。

 

「ふうん、闇の書はそういう頁の使い方をするんだ」

 

 先ほどの攻撃が闇の書の力を借りたものだと瞬時に察して、カリナはそんなことを言ってくる。

 

「そういうことだ。闇の書について少しは見直す気になったか?」

 

 俺の挑発にカリナは首を横に振る。

 

「いいや全然。あの程度だと十ページも使ってないんだろう? 百ページくらい使ってさっきの技を繰り出していたら、結果は違ったものになっていたはずだ」

 

 そう言ってカリナは鼻で笑う。

 悔しいがそれは否定できないな。

 こっちは苦労して集めた頁をできるだけ使いたくないのに対し、カリナは一度に百ページ以上は飛ばしてくる。

 頁が尽きたらあの本を捨てるつもりなのか、それとも消費した頁はあとで補給することができるのか。もし後者だとしたら、少なくとも利便性においてはあちらの方が優れているな。

 それにカリナはあの本は複製品だと言っていた。それが本当だとしたら、あんな本が他にもまだあるというというのか?

 

 そこまで考えが及んだ途端、戦慄のあまり体に震えが走ってきた。

 それになんだか()()()()()()()()()()()()()()()

 そんな俺を見てカリナは笑みを消し目をすがめた。

 

(今頃になって臆病風に吹かれたか? いや、それにしては様子が……まさかあいつ)

 

 

 

 

 

 

(――陛下!?)

 

 ケントの身に起きた異変は、リンク機能を通して教会にいるシャマルにも察知することができた。

 

(体の震えに発熱? 毒が塗られた剣でも刺されたのかしら? でも、それにしては症状が軽すぎる……一体あの人の身に何が?)

 

 

 

 

 

 

 改めてカリナに目を向けると、ふいにめまいがして視界がぶれた。

 俺はそれを頭を振ることでなんとか押さえる。

 しっかりしろ! こんな調子で(カリナ)に勝てると思っているのか。

 自身にそう活を入れながら俺は剣を構える。

 カリナも俺に向けて刀を構えた。その顔に先ほどまで浮かべていた笑みはなく、どこか神妙そうだ。

 

「はああ!」

 

 俺とカリナは再び剣を交わす。

 剣をぶつけ、時には避けて、俺は相手の隙をうかがいその時を待つ。

 カリナは徐々に剣戟の間隔を縮め、しだいに俺の動きを読もうとするそぶりも見せず、刀を突き出してくるようになった。

 ――今だ!

 俺は一瞬の間に振り上げている剣に幾ばくかの魔力を込め、それを振り下ろす。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス!」

 

 だがカリナはそれを予期したように魔力がこもった剣に刀をぶつけてくる真似をせず、ひょいと身をよじって俺の剣を交わし、逆に剣を振るった時に出来た隙をついて俺の胴を斬りつけてくる。

 

「ぐあっ!」

 

 激痛をこらえながら、俺は後退して相手から距離を取る。

 あと一瞬遅ければ致命傷になっていたかもしれない。

 切りつけられた胴を押さえながらそんなことを思う。

 カリナの言う通り、あの刀という異世界の剣は鋭い切れ味だ。カリナの説明を聞いたせいかもしれないが、普通の剣で斬られた時よりも強い痛みを感じる。

 俺は気を振り絞って痛みをこらえながら剣を構えた。

 すると急に傷口からの痛みを感じなくなった。

 戦いによる緊張が痛覚を上回ったのだろうか? とりあえず今はありがたい。

 俺はカリナに顔を向ける。

 カリナもまた刀を向けながら俺を見ていた。

 先ほどとは違ってまた笑みを取り戻していたが、その額にはうっすらと汗を浮かべていた。

 

(おいおい、もう()()が働き始めたよ。この進行の速さ、こいつもしかして……)

「行くぞ!」

 

 俺は再度カリナのもとへ飛び、剣を打ち付けカリナは刀でそれを防ぎながら、俺を切りつけようと刀を振るい、俺も自身の剣で攻撃を受け止めた。

 ――!

 それが起こったのはまさにその時だった。

 

 視界が急に青みがかったと思ったら、カリナの左上から斜めにかけて一筋の線が描かれているのだ。

 ――これはもしかして!

 カリナは右から斜めにかけて刀を振り下ろす。

 俺は刀――ではなく視界に映った線から逃れるように、とっさに左へ動いた。

 

「――!」

 

 振り下ろされた刀は空を切り、カリナは刀を握ったままの無防備な姿を俺にさらす。

 この隙を逃すわけにはいかない!

 

「はああああ!」

 

 カリナに向けて俺は剣を振り下ろす。

 カリナは思わず左腕で自身をかばった。

 当然俺が振り下ろした剣は彼女の腕を――。

 

「ぐわあああ!」

 

 切断された左腕は主の体から離れて地面に落ち、左腕を失ったカリナは壮絶な悲鳴を上げる。

 傷を押さえようとしたのか懸命に右腕を動かしているが、刀を握ったままではそれすらもできず刀をぶんぶんと振っているだけだ。

 それを見て俺は勝利を確信し彼女に剣を向けた。

 

「カリナ・フッケバイン。お前の負けだ。大人しく投降しろ」

 

 カリナは急に動きを止めて俺を見つめる。

 そして彼女は「ククク」と笑い声を上げた。

 俺は怪訝に思いながらも言葉を続ける。

 

「何がおかしい? 片腕なしで戦いが続けられるほど、俺たちの間に実力の開きはない。お前ともあろう者がそんなことも分からないはずはないだろう?」

 

 俺がそう言うも、カリナは笑うのをやめない。

 

「ああ。確かにあんたくらいの相手と戦いを続けるには片腕じゃ厳しいね……と言いたいところだけど、そんなもん私にはなんの問題もないんだよ」

「何だと!?」

 

 思わず俺は怪訝な声を上げる。

 彼女は一体何を言っているんだ?

 だが次の瞬間、俺は信じられないものを見ることになる。

 

「…………――ふんっ!!」

「――なっ!?」

 

 カリナが力を込めたと思ったら、切断面から彼女の腕が生えてきた!

 もちろん(そで)は元に戻っておらず、新たな左腕は何もつけられてない状態で外気にさらされており、その腕には他の傭兵が刻んでいる羽根の刺青と同じ文様が浮かんでいた。

 口をあんぐりと開けながら俺はカリナの左腕と、地面に落ちた左腕だった物を交互に見る。

 地面に転がっているのはどう見ても左腕だ。斬られたふりをしていたとかそんな風ではない。

 わけが分からず呆然としている俺に、カリナは得意げな笑みを向けた。

 

「種も仕掛けもありません。あるとしたら私の体の中らしいって雇い主が言ってた。とりあえずそんなわけで私の方は問題なく戦いは続けられるんだけど、それでも降参しろなんて言うつもり?」

「何者だ? お前たちは、お前たちの雇い主とやらは一体何者なんだ!?」

 

 

 

 

 

 

 ケントがカリナの左腕を斬り落としたのと同時刻、西区でもそれは起きていた。

 

「――なに!」

 

 驚きのあまり、シグナムはそう漏らす。

 

 

 シグナムは確かに、刀を持っていたサガリスの右腕を斬り落とした。

 そしてシグナムもまた、右腕を失ったサガリスに投降を促した。

 それに対してサガリスは何も答えず、しばらくの間左手で傷を押さえていたが不意にニヤリと笑みをこぼし、腕を失った肘をさらしながら力を込めたかと思うと、彼の肘から腕が生えてきた。

 呆気に取られているシグナムの前で、サガリスは平然と刀を拾う。

 

「これで元通り。じゃあ仕切り直しと行こうか」

「何者だ? お前たちは一体?」

 

 目の前で起きていることが信じられず、シグナムはやっとの思いでそれだけを口にする。くしくもケントがカリナに投げかけたものと全く同じ言葉を。

 それにサガリスは肩をすくめながら問いを返した。

 

「なに驚いてんだ? 《再生能力》だ。あんたたちだって持っているんだろう。雇い主からそう聞いてるぜ」

「再生能力だと?」

 

 サガリスの言う通り、確かにヴォルケンリッターたちも、戦いで失った部位を再生させる機能を持っている。ヴォルケンリッターの性質上、こちらは《再生機能》と呼んでいるが。

 しかし、ヴォルケンリッターの再生機能もここまで早く作動することはない。再生力においては明らかに自分たちを上回っている。

 まさか戦いの間に彼が見せていた身体能力も……

 

「なぜだ? なぜおまえたちがそんな能力を? ……まさか、お前たちも我々と同じ魔法(プログラム)生命体なのか?」

 

 シグナムの推測に、サガリスは「いいや」と首を横に振る。

 

「俺たちは人間だよ。ただ姉貴……カリナにやられた時に《エクリプス因子》って奴が体内に入っちまってな。そのせいで俺の体はいろんなとこが変わっちまった。この再生能力もその一つってわけだ」

 

 サガリスの説明にシグナムは再び目を剥いた。

 

(馬鹿な、そんなことがありえるのか? ……それに傷口から体内に入りこむなどと、それでは因子というよりまるで――)

 

 

 

 

 

 

「おっと、私たちの事より、自分の事を気にした方がいいんじゃないかい?」

「何?」

 

 カリナの思わぬ言葉につい俺は怪訝な声を上げる。

 カリナは俺の胴を指差しながら言った。つい先ほど生えてきた左腕についてる指で。

 

「あんたこそさっき私に切られたはずのその体、もうすっかり元通りじゃないか。自分で気付いてなかったのかい?」

 

 カリナの言葉に俺は自分の胴に目を向ける。

 そこには俺の胴体が、傷一つない綺麗な状態でそこにあった。銀十字の書が放ってきた頁で斬られた脇腹も、いつの間にか完治している。

 

「それと、自分で気付いていないだろうが、あんたの瞳の色も今は両目とも青になってるよ。さっきまでは金と緑の虹彩異色(オッドアイ)だったのにねえ」

 

 その言葉に俺は思わず左手を自分の目元に近づける。だが、もちろんそんな真似をしても、自分の眼の色が確認できるはずがない。

 しかしカリナが嘘を言っているようには見えなかった。一瞬だけ見えたあの妙な線の事もある。

 

「どうやらさっき銀十字の攻撃を喰らった時に、あんたの体内に因子が入り込んじまったんだろうね。銀十字の原書(闇の書)の主はだてじゃなかったのかもしれない。お望み通り、その本を馬鹿にするようなさっきの言葉は取り消すよ。闇の書の主が《エクリプス適合者》とは実に面白い」

「因子? 適合者? ……一体何を言っている?」

 

 震える声でそう尋ねる俺にカリナはふっとため息をついて、あることを告げる。

 

「つまり、あんたはもうただの人間じゃないんだよ。私たちと同じエクリプス適合者だ。雇い主のもとに連れて行けばもっと面白いことが分かるかもしれない……そこで提案なんだけど、

 ケント・α・F・プリムス、私たちと一緒に来ないかい? 

 君はもう我々の同士だ」

 

 カリナからの誘い文句に、俺は今朝見た夢を思い出した。

 まさか、あの夢は――

 

 

 

 

 

 

――主の体内に悪性のウイルスの侵入を確認。

 

――ウイルスを抑制するためのワクチンの生成を開始。

 

――ワクチンの生成プロセスを完了。ただし主への投与には治療用プログラム『シャマル』、または管制プログラムの補助を必要とする。

 

――現状では主へのワクチンの投与は不可能。プロセスを一旦保留とする。



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第42話 リアクト

「俺がお前たちと一緒に……だと」

 

 カリナが言ったことをそのまま復唱する俺に、カリナは「ああ」と相槌を返しながら刀を鞘に収めていた。

 

「……なあカリナ、お前はとっくに俺の正体に気が付いているんだよな?」

「もちろん、北のグランダムって国の王様だろう。左右違う瞳の色と腕が立ちそうな魔法生物を何体か連れている時点で分かったよ」

 

 その言葉に俺は呆れ、頭を抱えそうになるのをこらえながら続けて言う。

 

「一国の王が傭兵団になんか入れると思うのか? お前だってそれくらいわかるだろう! それともまさか、俺に国を捨てろというんじゃないだろうな?」

「おっと、言い方が悪かったか。そんなつもりで言ったんじゃないよ。この仕事が終わった後、私たちと一緒に雇い主のところへ行ってみないかって意味。その後はあんたの好きにしたらいい。別に王様をやめろとは言ってないよ。一国の王なら殺しには不自由しないだろうし、むしろ好都合だ」

「殺し? どういう意味だ?」

 

 最後の一言の意味が分からずカリナに問いかける。

 殺人を趣味にするような嗜好なんて俺は持っていない。

 だが、カリナが次に言ったことは、俺の想像を絶する内容だった。

 

「エクリプスに適合した人間は()()()()()()()()()()()()

「……なんだと?」

 

 思わず聞き返す俺にカリナは構わず続ける。

 

「エクリプスに適合した人間はやがて激しい苦しみと、それに伴う殺人衝動に苛まれるようになる。それに耐えられる奴はほとんどいない。万が一耐えられたとしても、《自己対滅》って現象が起こって死んじまう。私たちは定期的に殺しをしたり、“奴”の処置を受けることでなんとか抑えてるけどね」

「……それは……つまり……」

 

 言葉を詰まらせる俺にカリナは言った。

 

「私たち同様、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことさ」

 

 ……そんな馬鹿な。

 あまりにも馬鹿げていて認めたくない事実に打ちひしがれる俺にかまわず、カリナは話を続ける。

 

「私も対滅から逃れるために、いろんな村や街を襲って殺しを重ねてきた。雇い主からの依頼ってのもあるけど、私自身が生きるために仕方なくっていうのが一番大きな理由だ」

「ということは、リヴォルタ周囲の村で起きていた虐殺はお前たちが……」

 

 俺の言葉にカリナはこくりとうなずいた。

 

 やはりか。

 虐殺が起きていた村では、村民が一人残らず殺されているほどの状況にも関わらず大群が動いた形跡はなかったが、こいつらが下手人だとすれば納得がいく。

 

 それに何より、エクリプス因子の話が本当だとすれば村人全員を虐殺した理由にも説明がつく。

 何かを奪うためではなく、殺しそのものが目的だったというのか。

 

「ただ、ディバイダーでやられた奴の中には、ごく稀に傷口からエクリプスの因子が入り込んで適合者になる奴がいるんだよ。あんたみたいにね。私は襲撃のついでにそんな奴を拾って仲間に入れたりしてんの。もちろん善意や罪滅ぼしってわけじゃなくて、襲撃をやりやすくするための戦力増強って狙いや、雇い主から適合者を連れて来いって言われてるためでもあるんだけど」

「その適合者とやらを集めて結成したのがフッケバイン傭兵隊か……ではまさか、アロンドの家族やヴァルカンの村を襲ったのも」

 

 カリナはそこでニヤリと笑って答えた。

 

「そう、私だよ。アロンドの両親も、ヴァルカンが住んでた村も、それ以外の連中の故郷も、()()()()私がこの手で滅ぼした」

 

 

 

 

 

 

 ヴィータが振り下ろした槌を、素手で受け止めた格好のままアロンドは動きを止めている。

 対するヴィータも驚愕に目を見開き、槌を握った態勢のまま固まっていた。

 

「それ、本当なのか?」

「そんなことで嘘なんてつくか。俺の親を殺し、俺を殺しかけたのはあのカリナって女だよ。エクリプスに適合してなかったら俺もあのまま死んでただろうな。で、それがどうかしたのか?」

 

 ヴィータはアロンドが掴んでいる方とは逆の方向に槌を振るい、槌を自分の手元に戻しながら怒鳴る。

 

「いやおかしいだろう! なんで自分を殺そうとした相手のもとで傭兵なんかやってんだ? あいつはお前の親御さんの仇でもあるんだろう!」

「まあ普通はそう思うだろうな。俺もあの後で目が覚めた時は、のんきに俺が起きるのを待っていたっていうカリナを殺そうとしたさ。でも逆にあの女にねじ伏せられてエクリプスについて色々聞かされてよ、そこであの女が作ろうとしていた傭兵隊もどきに誘われたんだ。他の奴も大体同じようなもんだぜ」

「馬鹿な……そんなあっさりと自分の家族を殺した奴についていくなんて……」

 

 

ヴィータは信じられないものを見る目をアロンドに向ける。

 さすがのアロンドも、ばつが悪そうに頭をかきながら答えた。

 

「そりゃ俺も迷いはしたけどよ。適合者って奴になっちまった俺が生きていくためには、多かれ少なかれ誰かを殺していく必要がある。だが、いくら強くなろうが再生能力を持っていようが、単独で殺しをしていたらいつかはどっかの傭兵団か軍隊に捕まっちまうのがオチだ。他の適合者と組んだ方がいい。そういうわけで俺もカリナたちについていくことにしたわけだ。これで納得したか?」

「できるわけねえだろう!!」

 

 吼えながらヴィータは再び槌を振りかぶるが、アロンドはそれを難なくかわす。

 

「何がエクリプスだ! 何が人を殺さないと自分が死ぬだ! そんな馬鹿げた話に乗せられて、自分の家族を奪った奴と同じ穴の狢にお前が堕ちてどうすんだ!」

「はっ、お前ら魔法生物やそこらの凡庸な人間どもにはわかんねえよ。自分のまわりにいる奴は手当たり次第に殺してみたい、殺さずにはいられないあの衝動、それを満たさない限りいつまでも続く頭痛、それらを一度でも味わったらカリナが言ってることは本当だとわかるぜ。まあ、かくいう俺も、対滅までしちまった奴はまだ見たことねえけどな」

 

 しゃあしゃあと言ってのけるアロンドを、ヴィータはきっと睨みつけて槌を構える。

 それに対してアロンドは短刀を片手で回しながら言った。

 

「さて、冥途の土産はこれくらいでいいだろう。ただ、武器を振り回すだけの戦いもそろそろ飽きてきたな。そろそろ本気でかかるとするか」

 

 そう言うとアロンドは短刀を回すのを止め、何も持たずに空いている左手を短刀に近づける。

 それを見てヴィータは、

 

「まさか? ――させるか!」

 

 昨日と全く同じだ。

 そう思った途端、ほとんど反射的にアロンドの手から短刀を叩き落とそうと、ヴィータは槌を振りかぶるが、その甲斐もなく短刀はアロンドの左手に深々と突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 北区でもティッタとヴァルカンが激しく大剣をぶつけ合っていた。

 

「グランダム軍は村を襲ってないか……どうしてそう言い切れる? お前はその時、騎士になってないどころか軍に加わってもいなかったんだろう」

「ディーノとの戦については、アタシも前から調べてたんだ。一応父親が最期に臨んだ戦だし。それで街の人や王都の見回りをしている衛兵からあの戦についておおよそのいきさつを聞いたり、騎士になって王宮で暮らすようになってからは文官さんを捕まえて行軍記録を見せてもらったりしていたんだ」

「それで気付いたってわけか」

 

 大剣を振るいながらティッタは「ああ」とうなずく。

 

「グランダム軍は国境の森でディーノ軍を破った後はまっすぐ王都を目指して、そこで併合の宣言や帝国への通達といった戦後処理をしていた。グランダムに帰国する時も同じだ。どこにも寄り道なんかしていない。

 それにあのお兄様やヴォルケンリッターが、戦に関わりがない村や街への襲撃なんて許すはずがない。他の兵士にしたって、何万人もの敵兵を倒したシグナムさんやヴィータを怒らせるような真似なんかするはずないよね。

 グランダム軍の中に村を襲うような奴がいたなんて到底思えないんだ!」

 

 ヴァルカンの大剣をはじいて、ティッタは強く言い切った。

 ヴァルカンは動きを止め顔を伏せ、しばらくして彼はクククと笑いながら言う。

 

「その通りだ。俺がいた村を滅ぼしたのはグランダム軍なんかじゃねえ。あのカリナって女が率いているフッケバイン傭兵隊って奴らだ。あいつらが俺のダチや知り合いを殺した」

「それを分かっててあいつらと行動を共にしているのか? いや、それはともかく、あんたの村とグランダムは何の関係もないんだろう? それなのに何でグランダムを恨む? 何でグランダム人を執拗に狙うんだ?」

「関係ないとは言えねえよ。グランダムがディーノに攻め込んでこなかったら、カリナたちも村を襲うことはできなかったかもしれねえだろう。まあ、あいつらから見ればそこいらの軍隊なんて、ガキの群れとたいして変わらねえだろうし、戦争なんて起こらなくても襲撃は起きていたかもしれねえ。それは俺もわかってるよ」

 

 そこまで言ってヴァルカンは自虐的に笑い、ティッタは不快そうな顔になった。

 

「要するにあんたは自分がやっていることを正当化したいから、お兄様やグランダムを悪者にしたいだけなんじゃないか。くだらない。そんなんじゃあんたなんかに負い目を感じているお兄様がバカみたいじゃないか。

 ――この逆恨み野郎ぉ!

 

 ティッタは勢いよく大剣を叩きつける。

 ヴァルカンは自らの大剣でそれを受け止めるが、あまりの勢いと震動付与の技能によって体をふらつかせてしまう。だがヴァルカンは足に力を入れ、その場に踏みとどまることでどうにかよろめくのをこらえ、剣を振り上げてティッタの剣をはじき返した。

 

「~~っ、逆恨み野郎の癖にやるじゃん」

「ぬかせ、その減らず口も叩き斬ってやるよ(しかし、あの小娘と剣をぶつけるたびにくらッとしてきやがる。王族や高位の貴族のみが持つ固有技能って奴か? 負ける気はしねえがうっとおしくはなってきたな……そろそろ頃合いか)」

 

 ヴァルカンは片手で大剣を持ち、ティッタも両手で大剣を構えて互いに対峙する。

 そこでヴァルカンはおもむろに左手を、自身が手にしている大剣に近づけた。

 

「やめろ!」

 

 ヴィータが言っていたことを思い出し、ティッタはヴァルカンを止めようと駆け出すも間に合わず、ヴァルカンの大剣は彼の左腕に深々と刺さった。

 

 

 

 

 

 

「……とまあ、そんな感じで徐々に仲間を集めていって今に至る。あっちのライラは別だけどね」

 

 そう言って、助太刀もせず建物の屋上でたたずんだままのライラを指さしながらカリナは続ける。

 

「で、あんたも私らと同じ、人を殺さないと生きていけないエクリプス適合者になっちまったわけだが、とりあえず私たちと一緒に雇い主と会ってみないかい? ディバイダーとリアクターくらいはもらっておいた方がいいだろう。

 さっきも言ったがあんたのエクリプスとの相性はかなりのもんだ。まさか適合してすぐに《視界補強》と《再生能力》を手に入れちまうなんてね。私も適合度はかなり高い方だって言われてるんだけどあんたほど早くはない。もしかすればあんたは、雇い主が長年探し求めていた《ゼロ因子適合者(ドライバー)》かも」

「ゼロドライバー?」

 

 おうむ返しに呟く俺にカリナは「それはともかく」と言って、

 

「雇い主からディバイダーとリアクターをもらった後は特に何もない。一国の王であるあんたが傭兵隊に入るわけにもいかないだろうし、殺しにも不自由しないだろうしね。ただ、それでも定期的に“奴”から副作用を抑える処置を受ける必要はあるんだが」

 

 “奴”……カリナの口からまたその単語が出てきた。

 どうやらエクリプスの副作用を抑える処置をカリナたちに施している者が別にいるらしい。

 カリナに一連の襲撃を行わせている雇い主とやらか、それとも……。

 

「そこで提案なんだけど、あんたがグランダムへ帰る際に私たちもそこへ連れて行ってくれない?」

「何!?」

 

 カリナの口から出た思わぬ言葉に、俺は眉をひそめる。

 

「ヴォルケンリッターって奴らみたいに騎士として直属に置いてくれてもいいし、グランダムに拠点を置くのを認めるだけでも構わない。もうリヴォルタにはいられないだろうし、拠点を移す必要があると思っていたとこだったんだ。それであんたはいつでも“奴”から対滅を抑える処置を施してもらえて、私たちは新しい寝床を手に入れることができる。お互いにいい話だと思うんだけど」

「…………断る」

 

 かなりの間を空けて俺はそれだけを口にした。

それを許せばカリナたちは間違いなくグランダムの各地を襲うようになる。自分たちが生き永らえるためとは断じて認められることではない。

 

「いいのかい? “奴”からの処置を受けないと殺しだけじゃあ対滅化を完全に抑えられる保証はないぞ。私なら“奴”だけでも傍に置くけどね」

「悪いがお前たちのような奴らをグランダムに入れるわけにはいかない。それに俺は自分が生きるためだけに誰かを殺す気はない。例え対滅とやらが我が身に起きようとな」

 

 それを聞いたカリナはせせら笑う。

 

「それはそれは、大した覚悟だ。だけどそれまでの苦しみは半端じゃないよ。適合者はなまじ生命力が高い分、普通ならショック死するほどの苦痛でも死ねないんだ。それを長い間味わって最後には……。それでもいいのかい?」

「俺自身が虐殺者となるよりはましだ。それに我が国には腕利きの医者が少なくとも二人はいる。まだ諦めるには早すぎるだろう」

 

 正体不明の因子とやらが相手でも、先史時代の知識を持つシャマルとイクスならもしかすれば。

 ……それでもだめならもはやこの命を自ら断つしか……。

 だが、それでも俺自身が理由もなく民の命を奪う暴君になるよりはましだ!

 

「あっそ。うまくいくといいけどね。で、そうなるとやっぱりまだ私の仕事(殺し)の邪魔をする気なの?」

 

 その問いに俺はこくりとうなずいて剣を構える。

 

「そうかい。残念だよ。あんたとは仲良くなれると思ったのに……まっ、それはそれとしてお互いに適合者同士だと、斬り合いじゃらちが明かないね。そろそろこっちも本気で行かせてもらうよ……ライラ!」

「はい、我が主」

 

 カリナに呼びかけられた途端、ライラは瞬時に魔導着らしき白い服を装着して飛び上がり、ものすごい速さで主の横に並んで詠唱らしき言葉を唱える。

 

「シュトロゼック1st……リアクト・エンゲージ」

 

 その瞬間、カリナとライラがまばゆい光に包まれる。

 イヤな予感しかしない。

 

「――フライングムーブ!」

 

 俺以外の動きが緩やかになる。

 カリナたちを覆う光はいくらか収まっていて、カリナとライラは何も身につけていない状態で生まれたままの姿を俺の前にさらしていた。

 カリナの体は今まで衣服に隠れていた右腕と豊満な胸の上に例の刺青を刻んでいる。

 それに対してライラの体は刺青どころか傷跡一つない綺麗な白い肌だった。胸は主以上に大きい。

 だが、カリナの右腕とライラの左腕にはめられている銀色の腕輪は粒子化せず、二人の腕にはめられたままだ。あれがリアクターなのだろうか?

 ――それどころじゃない!

 俺は慌てて二人のもとへ飛ぼうとするが、いつの間にあそこまで飛んでいたのか、技能が発動した頃にはとっくに二人は俺がいる場所よりはるか遠くに浮いていた。

 今は何としてもあの二人を引きはがさないと!

 俺は必死で彼女らに近づこうとする。

 だがその時――

 

「ぐあああああ!!」

 

 突然体中から激痛が走り、俺は思わずそばにある建造物の屋上に降りてその場で膝をつく。

 そして、もしやと思い俺はカリナたちの方を見る。

 案の定、激痛にひるんだことで技能は解けてしまっており、カリナたちがいた場所には一人の女性が浮いていた。

 

「おや、いつの間にかまた瞬間移動しちまったみたいだねえ。念のために距離を空けておいて正解だった。……その様子だと体が技能についていけなかったみたいだね。おかげであんたの技能がどういう技なのかも見当がついたよ」

 

 白い髪を後ろに束ね、赤い瞳で苦痛にもだえる俺を見ている、ライラと一体化したカリナ・フッケバインだった。



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第43話 生きた禁忌兵器

この話で初めて白雪という技が出てくるんですが、Forceを何度見返しても頁を舞い散らす理由が分からない。


 ライラ・シュトロゼックと融合し、変貌を遂げたカリナ・フッケバインがケントの前にその姿を現している頃、彼らが対峙している中央区を囲む各地区でも、カリナの部下たちと戦っている守護騎士たちの目を疑うような出来事が起こっていた。

 

 

 

 

 

「――それは!?」

「《ディバイダー940 ボクスター・リアクテッド》。リアクターを埋め込んだこの刀の真の姿だ」

 

 唖然とするシグナムを前に、二本の黒い剣を振りながら赤い魔導着のような服をまとったサガリスはそう告げる。

 

(サガリスが刀で自分の手を切った途端、奴の刀が今までとまったく違う形に。ヴィータが言ったとおりだ。あいつが言った通りならあの武器にはさらに)

「驚くのはまだ早いぜ。リアクターによって性能を引き出したディバイダーには恐るべき能力があってよ。ベルカ中に出回っている禁忌兵器(フェアレーター)にだって引けを取らねえ。だからか、これにはいくつか呼び名があってよ。それは――」

 

 

 

 

 

 

「《ディバイダー720 ケイマン・リアクテッド》。こいつをお前に見せるのは二度目だな」

「てめえ……」

 

 持ち主の血を浴びて黒い剣となった武器を持ちながら、サガリスと同じ赤い魔導着のような服を着たアロンドはヴィータを挑発する。

 昨日ヴィータが賊の拠点で見た時とまったく同じだ。

 

(形が変わっただけじゃねえ。あたしが見た限りではあの武器には魔法を打ち消す力がある。だからか、あいつはあれを――)

「じゃあこの《魔導封じ》の力をお前にも味わわせてやるか。もっとも《魔導封じ》ってのはいくつかあるディバイダーや俺たち適合者の異名の一つにすぎねえんだがな」

「へえ、他には何て呼ばれてんだよ? お前が死ぬ前に一度だけでも聞かせてくんねえか?」

 

 挑発混じりの問いに、アロンドは機嫌を悪くすることなく笑いながら答える。

 

「ああ、それは――」

 

 

 

 

 

 

「《ディバイダー690 ハイブリッド・リアクテッド》。無手でここまで凌いできたところ悪いが、そろそろこちらも全力を出させてもらうぞ。無論お前も武器を持っているのならそれを使っても構わないが」

 

 見るからに硬そうな赤い鎧をまとい、先ほどよりも一段と大きくなった斧を突き出して、トリノはそう言ってくる。

 それに対して、

 

「ではお言葉に甘えてこの拳を使わせてもらうとしよう。私にとってこれ以上の武器は存在しない。そんな鎧で身を守ったつもりなら大きな間違いだ」

 

 ザフィーラは拳を構えて、大斧を持ったトリノに向き直った。

 そんな相手にトリノは苦笑をこぼす。

 

「そうか。お前みたいな男は嫌いではない。うちのボンクラ(サガリス)と交換してほしいくらいだ。お前と戦うことになったのは実に残念だ」

「それはこちらも同じだ。昨日お前と酒を酌み交わした夜は、本当に楽しいひと時であったぞ。もう一度聞こう。武器を引いて我らに下るつもりはないか? シャマルやイクス殿なら、エクリプスがもたらす衝動を克服するすべを見つけられるやもしれん。そうすれば我らとそなたたちは、今後も良き友で在り続けられると思うのだが」

 

 ザフィーラからの提案に、トリノは苦笑を浮かべたまま首を横に振る。

 

「あの清廉そうなお前たちの主がそれを許すと思うのか? それにエクリプスはそんなに甘いものではない。我らのように因子を取り込んだ者だけが分かる。あの衝動に抗えるものなどいない。抗える者がいたとしても最後は自己対滅によって、無残な死を遂げるだけだ。それに打ち勝つ手段などありはしない。おそらくエクリプスというものは、人間を兵器に造り変えるために造られたものなのだからな」

「人間を兵器に造り替えるためだと!?」

 

 ザフィーラの復唱にトリノはこくりとうなずいた。

 

「ああ。ディバイダーや我々にはいくつか呼び名があるが、ディバイダーと共に人間兵器となった我らの事を雇い主などはこう呼ぶ。――」

 

 

 

 

 

 

「《ディバイダー930 カイエン・リアクテッド》。さあて仕切り直しと行こうか。それともさっきの言葉を取り消して、俺に詫びでも入れるか? その場で土下座して許しを乞うなら考えてやるぜ……頭を下げてる間に首を斬り落として楽にしてやるくらいはな」

 

 赤い魔導着のような服をまとい、もはや巨剣と呼ぶべき程に巨大化した剣を片手で持ちながら、ヴァルカンはティッタに凄む。

 さすがにティッタもひるみかけるが、彼女は果敢にもそれをおくびに出さずに、肩をすくめるそぶりを見せる。

 

「さっきの言葉? ああ、逆恨み野郎ってこと? 別にいいけどあれ以外に適当な言葉なんてなくない? 自分の故郷とは関係がない国の王や人々を仇とか言ってつけ狙うなんて、逆恨み以外の何物でもないと思うんだけど」

「ハハッ! リアクトした剣とこの《鎧装(がいそう)》って魔導着もどきを見ても、悪態が付くだけの威勢が残っていて安心したぜ。これくらいですくみ上るようじゃ痛めつける甲斐がないってもんだからな」

「ふん、そうかい。じゃあとっとと戦いを続けようか。それとも剣が重すぎて実はもう立ってるのが限界か?」

 

 大剣を向けるティッタに、ヴァルカンははっと鼻を鳴らす。

 

「んなわけあるかよ。俺たちは魔導封じ、そして雇い主って奴らから――と呼ばれてる存在なんだぜ」

「何だって!?」

 

 ヴァルカンが言った言葉にティッタは思わず声を上げる。

 彼の口から出た言葉は、現在ベルカ中を騒がせている禁忌兵器を含めた単語だったからだ。

 

 

 

 

 

 

 固有技能、フライング・ムーヴの反動に耐えきれず、目の前にあった建造物の屋上に降りて、膝をついている俺の前に現れたのは、髪と目の色がライラと同じものに変化したカリナだった。

 変わったのは髪と目の色だけではない。

  服装も赤く露出が多くなったものに変貌しており、今まで隠れていた胸元とへそのまわりが露わになっている。

 そして今まで腕と胸元にしかなかった藍色の羽根を模した刺青のような模様は、今では彼女の全身と右頬にまで広がっていた。

 そんなカリナ、いやカリナたちの変貌を眺めながら俺は立ち上がった。全身の骨が砕けたような激痛は嘘のように消えている。これが再生能力か。

 

「《ディバイダー001 シュトロゼック・リアクテッド》。通称《赤の女王》。私がリアクトしているところを見ることができる奴は滅多にいないんだ。冥途の土産にはちょうどいいだろう。今のうちによく見ておくといい」

「リアクテッド……まさか、リアクターというのはライラ自身の事だったのか?」

「ピンポーン! ライラ自身が銀十字の書の力を引き出すリアクターだったってわけさ。びっくりした?」

 

 カリナのおどけた問いに、俺は返事もうなずきも返さずにカリナを睨む。

 それに構わずカリナは話を続ける。

 

「もっとも人の形をしているのは、銀十字の書に対応しているリアクターだけだがね。《シュトロゼック》はリアクターの中でもかなり特別なんだ。何せ闇の書とともに造られたっていう融合騎を模倣したものらしいからね。本当に知らないのか?」

 

 カリナからの問いに俺は「ああ」とだけ答えた。

 

「本当に知らないようだな。長い年月の間にいつの間にか消滅してしまったのか、あるいは何らかの理由で封じられたのか……まあいいや。じゃあ改めて二回戦……の前に一つだけ聞いてもいいか?」

「……何だ?」

 

 互いに剣を抜いたところで問いを投げられ、わずかに気勢を削がれたように思いながら俺は問いを返す。

 そんな俺にカリナは、

 

「さっき私たちがリアクトしている時なんだけど、あんた、もしかして私とライラの裸を見たんじゃない?」

「――なっ!?」

 

 カリナの口から出てきた思いがけない言葉に、俺はそれを否定することも忘れて唖然としてしまう。

 ぽかんと口を開けている俺を見て、彼女はにんまりと笑う。

 

「やっぱりね。あんたの顔に赤みが残っていたから、もしやと思っていたけど……聞いたかライラ? あんたは今日初めて(製作者)以外の男に裸を見られてしまったらしい!」

 

 カリナはライラに向かって声をかけるが反応は返ってこない。

 だが、カリナからは俺に向けられた殺意が伝わってくる。当のカリナ自身はにやにやと面白そうに俺を眺めているにも関わらずだ。

 ということはこの殺意を放っているのは……

 

「じゃあそろそろ本当に二回戦を始めようか。ケント、死ぬ前にちょっと痛い思いをすると思うけど許してやってね」

「ちょっ、ちょっと待て! あれはわざとじゃ――」

 

 俺は思わず釈明をしようとするもののカリナは待ってくれず、カリナはすごい速さで俺の前に現れ刀を振り下ろした。

 俺はそれを剣で受け止めるが、あまりの衝撃に思わず「ぐっ」と声を漏らしてしまう。

 さっきよりも一段と重い。

 その刀の重みはリアクトというものによるものなのか、それとも裸を見た俺に対するライラの殺意によるものなのか……おそらく両方だろう。

 カリナはすかさず銀十字の書を取り出し、大量の頁を周囲にまき散らす。

 それらの頁が持つ殺傷力を知っている俺は頁の方に注意を向けた。

 

「白雪!」

 

 そんな俺にカリナは刀による鋭い突きを何度も繰り出してきた。

 俺はとっさに剣でそれを受け止めるがすべての攻撃をさばくことはできず、胸を何度も突かれてしまい、たまらず苦悶の声を上げるものの、何とかその場に立ち続けることはできた。

 その場で俺は剣に魔力を込める。

 

「シュヴァルツ・ヴァイス」

 

 紺色の魔力光を帯びた剣をカリナに叩きつけるが、カリナはそれを避けることもせず刀で受け止める。

 俺は後ろへ跳んでカリナと距離を取った。例によって胸の痛みはすでにない。おそらくもう傷も塞がっているだろう。

 

「魔力が込められているはずの剣を、ただの刀で受け止めただと」

「リアクターによって真の力を引き出したディバイダーはその名の通り、持ち主に向けられた魔力を《分断(ディバイド)》することができるのさ。だからあんたがその剣にどれだけ魔力を込めようと、今の私にとってはただの剣と変わらないってこと」

「《魔導封じ》……か」

 

 アロンドが名乗っていたという異名を俺はそのまま口にする。

 

「おっ、やっぱり知っていたか。大方、昨日アロンドと一緒にいた赤い髪の子から聞いたんだろうけど。魔法が通用しない私らやディバイダーの事を、雇い主とかは《魔導封じ》って呼んでる。他にもいくつか呼び名はあるけどね」

 

 《魔導封じ》、ベルカのような魔法を主力とする世界では脅威の存在だな。

 俺がそんなことを思っていると、カリナは再び銀十字の書を取り出して無数の頁をあたりに舞わせる。

 しかし、先ほどのような突きを繰り出すには、俺とカリナの距離は開きすぎている。猛速度で俺の眼前まで来て攻撃をしてくるつもりか?

 カリナが何を仕掛けてくるつもりなのか、必死に頭を巡らせている俺の前でカリナは口を開いた。

 

「灰被り」

 

 まさか!

 直感に従い俺はほとんど反射的にその場から飛び上がる。

 それと同時に俺たちがいた場所では大爆発が起きた。

 屋上は消し飛び、建物自体も爆発の衝撃で柱などの支えを失って、みるみるうちに崩れ落ちていく。

 カリナはどうした?

 ふとそう思った俺は崩れていく建物から空中へと視線を移す。

 そこにはいつの間にか空中へと身を移していたカリナの姿があった。

 さすがに自分で起こした爆発に巻き込まれるほど考えなしではないか。

 

「今度はうまく避けたか。いいねえ、そうこなくっちゃ」

 

 カリナは余裕そうにそんなことを言ってのける。

 俺の方はカリナの軽口に応じず、この状況について考えていた。

 今、俺とカリナは地上からはるか高く離れた空中にいる。

 地上で逃げ回っていた市民たちは、すでにどこかへ逃げたらしく、あたりには人っ子一人いない。

 今なら誰一人巻き込まずに広範囲の大魔法を放つことができるのではないか。

 魔導封じといったところで、せいぜい武器に込められた魔力を打ち消したりするのが関の山だろう。

 まさか()()()()()()()()()()()()()()()()わけではあるまい。

 

 そこまで考えて俺は自分からカリナに飛びかかり、剣を振り上げた。

 カリナは刀を突き出して難なくそれを受け止める。

 俺はそんな彼女の腹を思い切り蹴り上げた。

 

「ぐっ!」

 

 まさかここで蹴りが来るとは思わなかったのだろう。

 カリナは腹を蹴られた衝撃と驚愕で表情を歪めて俺を睨む。

 俺は後ろへ飛んでカリナから距離を取った。

 そして、

 

「フライングムーヴ」

 

 それを唱えた途端、時間は緩やかになり、そして体の節々に痛みが走る。

 もうすでに一度の戦いで使える限界を超えているのか。エクリプスによる再生能力がなかったら、この時点で体中の筋と骨は砕けて寝たきりになるのは免れなかったかもしれない。

 エクリプス因子とやらにわずかほど感謝して、俺はカリナに向けて三角の魔方陣を展開する。

 技能を発動させた途端、カリナは静止したまま身じろぎ一つしなくなった。

 エクリプス適合者でも技能までは無効化できないのか。もしできたとしてもこの技能は発動者自身に作用するものだ。カリナたちでもこれを止める術はないだろう。

 魔方陣から魔力があふれ出してきた。技能を解除すればいつでも撃てる!

 俺は技能を解除するとともに――

 

「冷却魔法・フィンブル!」

 

 魔法陣から勢いよくあふれ出てきた吹雪がカリナに襲いかかる。

 

「――これほどの魔法を一瞬で? いや、もしやまた」

 

 迫りくる吹雪を前に何事か呟いて、カリナは吹雪に飲み込まれた。

 それを見て俺は心の中でやったかと叫んだ。

 

 あの魔法はディーノ王から蒐集した、俺の父の命を奪った忌まわしき魔法であると同時に、数万体のマリアージュを討ち取って我が国を救った最大の切り札だ。

 あれをまともに喰らって生きていられるものなど、この世界、いや全次元に置いても存在するわけがない!

 いたとしたらそいつはもう人間ではなく……。

 

「なるほどねぇ。通常、広範囲に及ぶ魔法の構築には時間がかかるから、接近戦には向かないものなんだが。あんたの固有技能はその弱点を補うのにも使えるのか」

「……嘘だろう」

 

 思わずそうこぼしてしまった。

 それはそうだろう。

 ベルカ中の国々を震え上がらせていたマリアージュを撃退するほどの大魔法を、俺が持ちうる最大の魔法を喰らったはずの奴は……。

 

「なかなか面白い戦い方をするじゃないか。私じゃなかったら勝負は決まっていた」

 

 あの吹雪に飲まれたはずのカリナは平然と宙に浮いたままだった。傷一つ負っている様子はない。

 この時点で俺は確信した……せざるを得なかった。 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 こいつらはもはや魔導師、いや人間と呼べるものではなく……。

 

「何だお前は? お前たちは一体?」

 

 もう何度目になるか、俺は再びその問いを投げつける。

 それにカリナは、

 

「さっき言った通り、私らには魔導封じの他にも色々呼び名があってね。雇い主とかからは《ベルカを滅ぼせる毒》……そして《生きた禁忌兵器(フェアレーター)》とも呼ばれているよ」

「生きた禁忌兵器?」

 

 その言葉は俺の口から出たものではなかった。

 俺は思わず後ろを振り返る。

 

「生きた禁忌兵器って一体何を言っているの? それにこんな時になぜ戦いなんてしているんですか? まさかあの傀儡兵(ゴーレム)を召喚していたのは……」

「……エリザ」

 

 俺の背後に現れたのは昨日はこの中央区で、今日は南区の店で会ったダールグリュン帝国の貴族令嬢、エリザだった。



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第44話 介入

 ライラと融合し、エクリプス適合者としての真の力を発揮したカリナとの戦いのさなかに現れたのは、ダールグリュン帝国の貴族令嬢、エリザだった。

 彼女は昼間着ていたワンピースではなく、白い鎧に装いを変え、戦いやすいようにスカートは短くしており、黒いタイツに覆われた脚が露わになっている。

 そして彼女の手には、槍の穂先に斧頭を取り付けたハルバードという武器があった。

 いずれも明らかに有事に備えて用意された代物だ。

 

 エリザは動揺を隠せない様子で、俺やカリナを見比べている。

 

「あなたたち、こんな時になぜ戦いなど、それに《生きた禁忌兵器(フェアレーター)》とは一体?」

「……エリザ、なんで君がここに?」

 

 俺に名前を呼ばれたエリザは「えっ?」と怪訝な声を上げながらこちらに視線を移す。

 

「あなたこそなぜわたくしの名前を、一体あなたは……?」

 

 エリザは俺に疑いの眼差しを向けながらそう尋ねてきた。

 あれから一日も経たずに俺の事を忘れてしまったのかと内心で憤慨しかけたが、視界に青みがかかっていることに気付いて思い出した。

 カリナ曰くエクリプス因子のせいで俺の瞳は青く染まっているらしく、そのせいでエリザも俺に気が付かないのかもしれない。

 エリザはまじまじと俺を見てすぐに大きな声を上げる。

 

「あなた――もしかしてケント様なの!? どうしたんですかその瞳? 昼間に会った時は確かに金色と緑色の虹彩異色(オッドアイ)だったのに?」

「いや、これには色々と事情があって」

「どんな事情があったら瞳の色が変わるようになるんですか!? それにこんな時になんであの人と戦いなんてしているんですか? まさか傀儡兵(ゴーレム)が街を襲っている状況に気が付いていないわけではありませんよね?」

 

 満足に答えることができずにたじたじになる俺にかまわず、エリザは次々に問いを投げてくる。

 そんな俺たちをカリナは呆れた目で見ていた。

 

「ケント、そのお嬢さんは誰だ? あんたの知り合い?」

 

 声をかけられたことで、俺とエリザはカリナの方に視線を向ける。

 エリザはコホンと咳払いをしてからカリナに向かって言った。

 

「これは失礼しました。わたくしはエリザ。この方とは偶然お昼をご一緒することになっただけで、決してそれ以上の関係ではありません」

 

 所々を妙に強調しながらエリザは説明する。

 昼間の言い争いをまだ気にしているのか、それとも俺のような男と親密だと思われたくないのか俺には判別できない。

 「何があったんだ?」と言いたげなカリナに、俺は「放っておいてくれ」と目で訴える。

 カリナは肩をすくめてエリザに視線を戻しながら返事を返した。

 

「それはご丁寧に。私はカリナ・フッケバイン。フッケバイン傭兵隊の隊長として、部下ともどもこのリヴォルタで自警団をして()()者さ」

「あなたがフッケバイン? ……あなた方のお噂はかねがね私も耳にしております。ですが、この非常時になぜ市民を守らずにその方と戦っているんです?」

 

 エリザの問いにカリナは面倒そうな表情をしながら、

 

「まあ色々あってね……それで、用が済んだのならさっさと退いてくれないか? こいつの知り合いまでむざむざ殺す気はないんだ。私はまだケントを仲間にすることもあきらめていないからね」

「そうはいきません! まさかとは思いますが、あのゴーレムを解き放ったのもあなたたちなのですか?」

「そうだと言ったら?」

「ただちにすべての傀儡兵を止めて配下ともども投降なさい! あなた方の罪は決して軽い物ではありませんが、自らの行いを悔いる気持ちがあるのなら寛大な措置が下されることもあるでしょう」

 

 そんな言い回しで投降を促すエリザに、カリナは嘲笑を浴びせながら、

 

「寛大な処置ねえ。処刑の際、楽に死なせてくれるとかそんなのかい? まあ私らの場合頭を砕かない限りどんな殺し方でも死ねないんだけど」

「何をわけのわからないことを。このまま襲撃を続けるというのなら、リヴォルタと縁のある家の者としてわたくしも黙ってはいませんよ!」

 

 その言葉を聞いてカリナは口の端に笑みを浮かべながらエリザに刀を向ける。

 

「箱入り娘が言うじゃないか。だったら話は早い。力づくで私たちを止めてみな! 生かしてやる保証はできないけどね」

「おい待て! 彼女は関係が――」

「望むところです。あらかじめ申し上げておきますが、箱入りと侮って簡単に勝てるなどとは思わないことです。こう見えても武術に関してはそれなりに鍛錬を積んでいますから」

 

 止めようとする俺を遮って、エリザもハルバードの先端をカリナに向ける。

 彼女が持つハルバードの刃は稲妻がパチパチと弾けていた。

 帝国貴族で雷撃魔法の使い手……まさかとは思うが。

 

 

 

 

 

 

 中央区の戦いにエリザが介入するのとほぼ同時刻。

 各地区でも守護騎士と適合者の戦いに割って入る者たちがいた。

 

 

 

 体のあちこちから血を流し、満身創痍のシグナムに一太刀入れようとしたサガリスの剣は、第三者が突き出した剣によって阻まれる。

 

「あん? 何だてめえは?」

「――あなたは!?」

「ご無事ですかお嬢様」

 

 シグナムを助けたのは、白いシャツを着た灰色の髪と眼の色をした男だった。

 

「いいところで邪魔すんじゃねえよ!」

 

 有効打を阻まれたサガリスはもう片手に持っていた剣で男を斬り捨てようとするが、

 

「パンツァーヒンダネス」

 

 男はシールドで覆った左手で剣を受け止める。

 それによってサガリスは思わず左手の方に力を入れて、右手の力を緩めてしまい、男はその隙を逃さず剣を持った右手に力を入れてサガリスの剣を弾き、

 

「飛錘!」

「ぐおお!」

 

 がら空きになったサガリスの胴体を突き刺した。

 その合間に男は後ろに下がって、サガリスから距離を取りシグナムと並ぶ形になる。

 

「かたじけない。助かったぞ」

「いえ、思わず体が動いてしまっただけですから。お嬢様こそ大丈夫ですか? ここは私に任せてお逃げになった方が」

「そうはいかん。我が主から何としても奴を倒せと命じられているからな。それまではここを離れることができん。それよりお前は一体……」

 

 シグナムの言葉に、男は淡い笑みを浮かべながら言った。

 

「申し遅れました。私はとある貴族令嬢にお仕えしているスコットという者。よろしければ私もあなたとともに戦うことをお許しください」

「願ってもない! 遠慮なく手を貸してもらうぞスコット殿!」

 

 そんな言葉を交わしながら剣を構えるシグナムとスコットを前にして、サガリスは薄笑いを浮かべた。

 

「ふっ、時代遅れの中古品は助けでも借りないと俺たちと張り合えねえか。もっとも、そんな細身の優男じゃ大して役に立たないと思うがな。せいぜい足手まといになってやるなよ」

「言っていろ。数で押すのも戦略のうちだ。戦において卑怯などとは敗者のたわごとにすぎん」

「お見せしましょう。帝国貴族に仕える執事にとっては必修とされるほどの伝統を誇る《ヴェンディチカ護衛剣術》を」

 

 シグナム、スコット、サガリスの三者は相手に剣を向ける。

 そんな中、シグナムの後ろにひっそりと現れた黒い渦から伸びてきた手が、スポイトでシグナムの体に付いていた血を採取していたが、それに気付く者は誰一人いなかった。

 

 

 

 

 

 

「ふんっ!」

「きゃっ!」

 

 巨大な斧によって剣は弾かれ、執事服を着た青髪青眼の女は尻餅をつく。

 

「終わりだ。これで楽になるがいい」

「――っ!」

 

 トリノは女に斧を振りかぶる。女は死を覚悟して思わず目をつむった。

 

「ロープ殿!」

 

 だがそこにザフィーラが二人の間に割り込んで、トリノの斧を素手でつかみ女をかばうように立つ。

 

「ぬっ!?」

「ザフィーラさん!?」

「ぬおおおおお!」

 

 ザフィーラは空いている右手でトリノの顔を思い切り殴りつけ、トリノはこらえきれず後ろに吹き飛ぶ。

 ザフィーラはトリノがいた方に顔を向けたまま、倒れ込んだままのロープに声をかけた。

 

「大丈夫かロープ殿?」

「は、はい! でもザフィーラさんの方が」

 

 ロープの視線は血が流れているザフィーラの手に向いている。

 しかし、ザフィーラはそんなことを気にする素振りもない。

 

「戦ではよくあることだ。それよりロープ殿も早く立ち上がられよ。退くにしろ戦うにしろそのままではどちらもままならん」

「あっ、はい!」

 

 ザフィーラの叱咤を受け、ロープは慌てて剣を取り立ち上がる。どうやら逃げるつもりはないようだ。

 

「申し訳ありませんザフィーラ様。みっともないところを見せてしまいました」

「よい。そなたが無事で何よりだ。その代わりと言っては何だが、もし私が奴の手にかかりそうになったら同じように助けてもらえるとありがたい」

「は、はい。それはもちろんです!」

「なに二人だけでぺちゃくちゃ喋ってんだ。そろそろ続きと行こうじゃないか」

 

 そこへ戻ってきたトリノは苛立った様子でザフィーラたちに斧を向ける。

 

「おちおち話している暇はないか。行くぞロープ殿!」

「はいザフィーラ様!」

 

 ザフィーラとロープも拳を、剣を、構えて戦いを続けようとする。

 ザフィーラの隣にいるロープの顔は赤みがかかっていたが、ザフィーラがそれに気付くことは最後までなかった。



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第45話 発進

 カリナはエリザの前まで突っ込んできて、そのまま刀を振り下ろす。

 その刃をエリザは武器を持っていない左手で掴み取った。

 

「九式・霞」

「ぐあっ!」

 

 エリザは間髪入れずに(ハルバード)を振り下ろし、カリナの体を肩から袈裟斬りにした。

 カリナはたまらず刀を手放しエリザから距離を取る。

 そんなカリナの前でエリザは手に力を込めて、カリナの刀を握り潰した。

 刀だったものは真っ二つに折れて、そのまま地上に落ちる。

 それを見て俺もカリナも目を丸くするが、カリナはすぐに気を改めて体勢を立て直した。

 

「おいおい、私のお気に入りだったんだぞ。刀なんてベルカじゃ手に入らないのに」

「敵から奪い取った武器をそのまま返す者がいると思いますか!」

 

 ごもっともなエリザの言葉に、カリナも反論できずにうめく。

 

「さて、あなたは深手を負った上に武器まで失ってしまいましたが、それでもまだ投降しないつもりですか?」

「いやいや、こんな簡単に降参なんてするわけないでしょう。それに……」

 

 そう言いながらカリナは銀十字の書を持ち上げる。

 

「武器なら他にもまだあるしね!」

 

 カリナが持つ書物から白いページが飛び出てくるのを目にした途端――

 

跳べエリザ!

 

 俺の声に反応してエリザはその場からさらに飛びあがる。

 それと同時に銀十字の書から出てきた無数の頁が、猛烈な勢いで彼女がいた場所を通り過ぎていった。

 

「これならさっきみたいに手で掴み取ることもできないだろう。白刃取りなんてできるとわかっていたら最初からこうしていたのに」

 

 カリナはぶつぶつとぼやきながら腰に差していたレイピアを抜く。

 俺はカリナに注意を向けながら、エリザの隣まで言って彼女に声をかけた。

 

「大丈夫かエリザ? どこか怪我は?」

「な、何ですかあの本は? あんな攻撃をしてくる本なんて聞いたことがありませんよ! それに何であの人あれだけの傷を負って平然としていられるんですか? 結構深く斬りつけたはずなのに。あなたはさっきまであんな相手と戦っていたんですか?」

 

 まくしたてるように聞いてくるエリザに、俺は「ああ」とうなずいてから、

 

「信じられないかもしれないが、あの女や彼女の部下たちは多少の傷なら、いや、かなりの重傷を負ってもすぐに治ってしまうらしい。もしかすればあの女が言った通り頭を潰さない限り死なないかもしれない……そのうえ奴には魔法そのものが効かないらしいんだ。お前も見ていたかもしれないが」

「たしかに氷結魔法をまともに受けても平然としているように見えましたが……」

 

 エリザは青ざめた顔でそう言うものの(かぶり)を振りながら言った。

 

「は、外れただけに決まってます! いいでしょう。あなたはここで見ていなさい。私が手本を見せてさしあげます」

 

 エリザは槍を構え、カリナのもとまで急降下して振り下ろす。

 カリナは剣を突き出してそれを受け止めた。

 しかし、エリザにとっては想定の範囲内だ。

 エリザは一度槍を引いて、頭上で大きく回す。

 

「九十一式・破軍斬滅」

 

 それからエリザは槍をカリナに向けて何度も振るった。槍を振り回している合間も瞬時に持ち手を変えていくことで、近距離にも関わらず柄が邪魔になるということもなく、間髪入れずにカリナの剣に槍を当てていく。

 絶え間ない攻撃にとうとう耐え切れなくなったのか、カリナは剣を落とした。

 エリザはそれを見逃さず、即座にカリナ自身を柄で殴り、斧頭で斬り裂いていく。

 カリナは服も体も裂かれ、全身傷と血まみれになりながら地上へと落ちていく。

 だが、エリザの攻撃はまだ終わっていなかった。

 エリザは空中を一段ほど飛び上がって、

 

「これでとどめです。百式・神雷!

 

 空中から降ってきた雷がカリナに命中し、雷撃を伴う爆発を引き起こした。

 それを見届けてからエリザは俺の前にやってきて、端正な顔に得意げな笑みを浮かべて見せた。

 

「どうですケント様? これだけやればどんな手練れだろうと無事では済まないでしょう」

 

 満足そうなエリザの言葉を聞きながら、俺はカリナが落ちた場所を見る。

 エリザの技による爆発の衝撃はすさまじく、辺り一帯は未だに煙が立ち込めている。

 雷を喰らう前の時点でカリナの体はズダズダに裂かれていたし、普通に考えたらエリザの言う通り無事でいられるとはとても思えない。

 普通に考えたら……。

 

「もっともあれだけやってまだ立っていられたら、ケント様が言うことも信じてあげなくもないですけど……――!」

 

 その時、突然地面が大きく揺れ、俺たちは眼下の地面を見る。

 俺たちの目に飛び込んできたのは、地面に充満している煙を割って伸びてきた黒い蔓だった。

 

「――っ!」

 

 俺はとっさに後ろに下がって蔓をかわすが、

 

「キャア!」

「エリザ!」

 

 エリザは逃げきれず蔓に捕まってしまい、身動きが取れなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

 天井も壁も床も周囲が金属でできた部屋の中で、一つの柔らかそうな椅子と一冊の本が置かれた木製の机だけが置かれている。

 その椅子には濃い眉毛を持つ黒髪の紳士が座っていた。

 彼の名はオールズ・ヴァンデイン。

 リヴォルタの武器商人を束ねるギルドのマスターにして、その資金力で市長と議会を操っていたこの街の実質的な支配者。そしてギルドの組織力を悪用して、各国に禁忌兵器を売りつけていた密売組織の首魁でもある。

 フッケバイン傭兵隊の襲撃によって混乱する地上をよそに、彼は何人かの友人を伴って、ある船に乗り込んで出発の時を待っていた。その友人の中にはこの街の代表者である市長もいる。

 友人たちは別の部屋に集まっていて、オールズと彼の隣に立っている銀髪の女だけがこの部屋である者からの報告を待っていた。

 そこへ――

 

『Die Kommunikation ist eingegangen(通信が入りました)』

 

 机に置かれた銀色の本から無機質な声が流れてくる。本から発せられる言語は、守護騎士が使っている魔具が発するものと同じ言語だ。

 オールズは本を開き、

 

「繋いでくれ」

『Anschließen(接続します)』

 

 すると、無機質な声に代わって本から若い男の声が聞こえてきた。

 

Herr(ヘル).ヴァンデイン。こちらの方は順調に進んでいます。闇の書の主も守護騎士も傭兵たちとの戦いに手一杯で、こちらに気を回す余裕はありません。ただ……』

「何かあったのかい?」

『ええ。実は彼らとの戦いに思わぬ乱入者が現れまして、予想よりだいぶ苦戦しているようです。このままだと傭兵たちが負けることも考えられますね』

「乱入者……ああ、帝国から来たというどこかのお嬢さんたちか。都合がいいじゃないか。我々を嗅ぎまわっていた分、グランダム王たちより彼女の方が厄介だったからね」

『ははは、確かにそうとも言えますね……それで、どうします?』

「うむ。今回の襲撃で現れたゼロ因子適合者(ドライバー)らしき者の事は気になるが、そちらはカリナ君たちに任せて私たちはそろそろ出発するとしよう……ただ、念のために」

『わかっています。隙を見つけてなんとかやってみますよ。あまり過度な期待はしないでもらいたいですが』

「ああ、できればで構わない。では健闘を祈っているよ」

 

 ある者との通信を終えてオールズは本を閉じてから手元にあるパネルに手を伸ばし、そこに何らかの単語を打ち込む。

 するとオールズと銀髪の女の前に四角い枠が現れた。その枠には茶髪の女の姿が映っている。

 

「スカラ君、そろそろ出発の時間だ。船を動かす準備をしてくれたまえ」

『分かった。マスターは他の人たちに席に着くように伝えておいて。それが済んだらすぐに出発するから』

「いいだろう」

 

 それだけのやり取りが終わると、スカラを映している枠はオールズたちの前からかき消えた。

 オールズは苦笑する。

 

「やれやれ、相変わらず不愛想な子だ。もう少し可愛げがあれば、この船の操縦以外の仕事も任せることができただろうに。そうは思わんかね、レオノーラ君?」

「申し訳ありません。何と言ってよいものか私には」

 

 銀髪の女の返事に、オールズは苦笑を浮かべたまま肩をすくめる。

 

「おっと、無愛想なのは君もだったか。……まあいい。スカラ君に言われた通り、私は友人たちに席に着くように言ってくるから、君はここで待機していてくれたまえ」

「はい、我が主」

 

 銀髪の女は主に一礼し、細く赤い瞳で主を見送っていた。

 彼女が着ている服は全体的に白く、左右長さが違うソックスを履いており、左足の長いソックスの上にはベルトを巻いてある、ライラとまったく同じ格好の魔導着だ。

 彼女の名はレオノーラ・シュトロゼック。

 現代で造られたライラと違い、先史時代から生きている本物の《シュトロゼック》である。

 

 

 

 

 

 

「ケントは避けちまったか。だが、これはこれでいい眺めだね」

 

 俺たちの眼下には雷を喰らった形跡どころか、切り傷一つない姿で地上に立っているカリナの姿があった

 カリナは今、体こそ無傷の状態に戻っているが服はボロボロで、大事な箇所がギリギリ隠れている格好だ。

 だが、カリナは恥じらう様子も見せず、悠々と空中にいる俺と蔓に捕まったエリザを見上げている

 

「さっきはよくもやってくれたねお嬢ちゃん。かわいい顔して結構えげつないじゃないの。おかげでまたケントに裸を見られちゃったよ。まあケントなら別にいいんだけど♪」

「また?」

 

 カリナの言葉にエリザは疑わしげな眼を俺に向ける。

 そんな俺たちをよそに、

 

《我が主、このままの格好では戦闘に支障が出ます。鎧装(がいそう)を修復された方がよろしいかと》

「えー、もう少しあの坊やをからかいたいんだけどな。まあいいや、修復を頼む」

《はい。鎧装修復》

 

 カリナは一人でぶつぶつぼやいてから、新しく生成された赤い魔導着に身を包んでいく。

 

 ――!?

 

 その時、先程同様に地面が揺れ始めた。

 俺を捕まえるためにまた黒い蔓が生えてくるのかと身構えたが、蔓は出てこず、先ほどと違って揺れが収まることはない。

 困惑している俺たち同様、カリナもまた呆然と地面を見下ろしていた。

 

(始まったか、そろそろ発進するみたいだね)

 

 

 

 

 

 

 他の部屋同様、一面金属でできた操舵室の中央にある円状の装置の上にスカラは立っていた。

 スカラの口から船を動かすための呪文が出てくる。

 

「ディメンショナルスキッフ・リベルタ。エンゲージリンクオープン」

『エンゲージ』

 

 スカラが呪文を唱えると船の中から無機質な声が響き渡り、彼女が立っている装置から魔力でできた鎖が伸びてきて彼女を縛り上げる。

 スカラはそれを気にとめることなく最後の呪文を唱えた。

 

「リアクト・スタート」

次元船(ディメンショナルスキッフ)リベルタ、航行開始。これより次元移動を開始します。次元移動を行う際は艦全体に強い衝撃が発生します。本艦に搭乗している方々はただちに席について、しばらくの間は離席をお控えください』

 

 混乱する地上をよそに、リヴォルタの地下では少ない乗員・乗客を乗せてついに《次元船リベルタ》が始動し、新天地に向けて発進しようとしていた。



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第46話 新たな能力

 戦いのさなかに突然起きた地震の中、カリナは地面に立ったまま揺れに身を任せ、黒い蔓に捕らわれたエリザも、予想外の事態に困惑している俺もそれをただ見ていることしかできなかった。

 そうしているうちにやがて揺れは収まっていき、蔓に縛られているカリナに視線を戻す。

 エリザの手足を拘束していた蔓は、見る見るうちに彼女の全身に伸びていき、今や彼女の全身をがんじがらめにしていた。

 

「うぅ……」

 

 蔓に縛られたエリザの姿は並の男にとっては欲情をそそられるものがあり、俺は思わず唾を飲んでしまう。

 カリナはそれを見逃さず、

 

「へえ、さっきからじろじろとお嬢ちゃんの方を見ていると思ったら、ケント君はそういうのが好きだったのかい。言ってくれたらもっと早くお嬢ちゃんを縛っていたのに」

「ち、違う! 俺はどうやったら、エリザをこの蔓から助けられるかと考えていてな――」

「~~これだから殿方は」

 

 エリザは俺とカリナの会話に顔を赤くしながら全身に力を込める。

 

「これくらいの蔓が何ですか。私の魔力ならこんなもの――」

 

 腕に電撃をまといながら、自身を縛る蔓を剥がそうと力を込め続ける。

 だが、肝心の蔓は千切れるどころかびくともせず、エリザが腕にまとっていた、電撃も蔓に届く前に霧散していく。

 それを見ながらカリナは片手を振って、

 

「あー、無駄無駄。その蔓は魔力が通らないようにできているから、並外れた力がないと解くことはできないよ。もちろん魔力以外のね」

「そんな、魔力を通さない蔓なんて、まさかこの蔓だけではなくあなた自身も……」

「ああ。あんたを縛っている蔓にも、私らにも魔法による攻撃は通用しない。少なくとも現代の魔法ではね」

 

 愕然とするエリザにそう答えながらカリナは銀十字の書を開く。

 すると書の中から数百枚の頁が出てきた。

 カリナのまわりに浮かぶ無数の頁はエリザに矛先を向け、真横に向きを変える。

 

「――っ」

 

 それを見てエリザは思わず息を飲んだ。

 

「さて、今のあんたはこいつを避けることができない。生かすも殺すも私の気分次第ってわけだ……ケント、取引しないか?」

「取引だと――まさか!」

 

 カリナは俺にこくりとうなずいて言った。

 

「私たちと来いケント。そうすればこの女は助けてやるよ」

「えっ!?」

 

 やはりそうきたか。

 俺はカリナに問いを投げる。

 

「それはお前たちとともに虐殺に手を染めろと言う意味か?」

「いいや、あくまで雇い主のもとまで一緒に来て欲しいってだけだ。前にも言った通りその後はあんたの自由だ。リヴォルタを離れる頃には、約束通りそのお嬢ちゃんも解放してやるよ」

 

 カリナの要求は俺が黒幕のもとへ行くことだけ。 

 つまり彼女はそこまでしてでも、俺を黒幕のもとまで連れて行きたいという訳か。

 

「しかし、お前たちと行動を共にするということは、お前たちが起こす襲撃を黙認すると言っているのも同然だ。現にお前たちは今もこの街で殺戮を続けている。それを放っておくなど――」

「ああそれ。それはもういいの。あっちはもう目的を果たしたみたいだから。こっちもみんな必要なだけの殺しは済ませた頃だろうし、あんたが望むならこれ以上の殺しはやめるように仲間に伝えてもいいよ」

「えっ?」

「何っ!?」

 

 

 目的はもう果たしただと?

 カリナのその言葉に俺もエリザも目を見張る。

 俺たちが知らないところで何かが起こっていたのか?

 思いつくのは先ほど起こった地震だが……。

 そう言えばあの時、カリナも軽く驚いてはいたものの、大きく取り乱すようなことはしなかった。

 ――まさか、あの地震は黒幕が引き起こしたもので、街への襲撃はそれを覆い隠すために……。

 

「これでもう私たちとあんたたちが戦う理由はなくなった。どうかな? そこのお嬢ちゃんのためにも意地を張るのはやめて、そろそろ素直になった方がいいと思うんだけど」

「ケント様……」

 

 エリザが不安そうな目で俺を見る。

 カリナも嗜虐的な笑みを向けて俺の返答を待っていた。

 エリザとカリナ、それぞれの思いが込められた視線を向けられている中で俺は、

 

「…………断る!」

「ケント様!」

「……」

 

 俺の返事を聞いてエリザは顔をほころばせ、カリナは笑みを消して不服そうに俺を睨みつける。

 

「そんな要求飲めるわけがないだろう! この襲撃でどれだけの人間が犠牲になったと思っている? お前たちの雇い主とやらが何のために襲撃を命じたのかは知らないが、どんな理由であれ平和に過ごしている人々を脅かしていいはずがない! エリザには悪いがお前の言いなりになる気は毛頭ない。何があってもお前たちを止めるぞ! カリナ・フッケバイン!」

「そうか。じゃあ仕方がない、力づくであんたを連れて行くとしよう。だがその前に……」

 

 カリナがエリザを指さした途端、カリナのまわりで浮かんでいた頁はほんのわずか前に進む。

 その光景を前にエリザは思わず息を飲んだ。

 

「こっちの要求を拒んだんだ。当然それなりの代償を払う覚悟はできてるよね。その代償はお嬢ちゃんの命で払ってもらおうか。恨むのならあんたの横にいる強情な王様を恨みな」

「ま、待て! 彼女は――」

「馬鹿にしないでください! 私とて雷帝に連なる名家の娘。戦場(いくさば)に出た時点で命を投げ出す覚悟はできています。もしケント様が私を助けるためにあなた方の軍門に下るなどと世迷いごとを言うのなら、他でもない私自らケント様を討ち取ってやります!」

 

 カリナを止めようとする俺を遮ってエリザは声高に言い放った。

 それを聞いてカリナは感心したように目を見開き、口の端に笑みを浮かべる。

 それは今までのあざけりを含んだものではなく、エリザのように身分が高い家に生まれながら、責務を忘れない者に対する好感のあらわれだったのかもしれない。

 

「そうか。あんたみたいな子は嫌いじゃないよ」

「……」

 

 カリナは意を決したように笑みを消す。

 

「あんたといいケントといい、できれば違う場所で会いたかったね!」

 

 カリナが叫ぶと同時に、何百枚もの頁がエリザに向かってくる。

 エリザは死を覚悟し思わず目を閉じた。

 そんな彼女の前に俺は身を投げ出す。

 

「ぐおっ!」

「――ほう」

「ケント様!?」

 

 無数の頁が俺の背中を刻んでくる。

 せめて貫通だけはしないでくれと願いながら、俺はエリザの腕を縛る蔓に手を伸ばす。

 

「ケント様、一体何を?」

「ぐっ!」

 

 しかし、蔓にも無数の棘がついていて容赦なく俺の手に食い込み、たまらず苦悶の声を上げてしまう。

 だが、それでも蔓から手は離さない。

 エリザがあそこまで言ったのに俺だけがここで挫くことができるものか。

 

「ケント様無茶です! 私の事はいいからあなたは――」

うるさい! 少し黙ってろ!

 

 何やらわめくエリザを一喝して俺は手に力を入れる、今ばかりはエクリプスの身体強化に望みをかけながら。それが功を奏したのか次第に手や背中から痛みがなくなって、

 

「……うそ?」

「ぐおおおおお!!」

 

 棘だらけの黒い蔓は折れていき、エリザの腕は解放される。

 俺はすかさず蔓から手を離し、その手をエリザに伸ばした。

 

「捕まれ!」

「――!」

 

 半ば弾かれたようにエリザは俺の手を掴んだ。

 そのまま俺は彼女を引っ張り上げる。

 腕を縛っていた枝が折れたことで、他の枝も緩んでいたのかエリザはあっけなく引っ張り出され、蔓から解放された。

 空中にて放心する彼女の横で俺はぜいぜいと息をつく。

 

「……あ、ありがとうございますケント様。それで……助けてもらって申し訳ないのですが」

「あ、ああ! すまない」

 

 エリザの言葉に俺は彼女の手を握ったままだったことに気付き、慌てて彼女の手を離した。

 エリザは安堵のせいか顔を赤くしながら、俺が握っていた手をもう片方の手で掴み呆然としていた。

 そんな俺たちの下からカリナの声が響いた。

 

「ケントがかばってくるところまでは読んでいたんだけど、まさかあの蔓からお嬢ちゃんを助けちまうとはね……でも気付いてるのかい?」

 

 エリザに向けていた好意による笑みではなく、いつも通りのあざけりの笑みでカリナは俺に尋ねてくる。

 

「エクリプスがなければあんなことはできない、か?」

「ああ。今までのままだったら二人ともあそこで死んでただろうね……でも」

 

 カリナの言葉に俺は背中に手をやる。

 服が裂けて外気にさらされているそこには傷らしきものがなかった。すでに痛みも感じない。

 背中と手から痛みを感じなくなったのは、エリザを助ける最中からだ。それまでの間も頁は俺の背中に撃ち込まれていた。手だってそうだ。棘だらけの茎を折れるほど握りしめたというのに、まったく痛みを感じなくなった。……これは再生能力によるものではない。

 

「《身体硬化》……()()例は少ないんだけど自力でそこまで至るとは。やっぱりあんたはゼロ因子適合者(ドライバー)かもしれないね。これでディバイダーとリアクターを持ったらどんな化け物になるやら」

 

 カリナは肩をすくめながら続ける。

 

「実に惜しい。あんたとならあのいけ好かない中年(オヤジ)への下剋上を果たして、本当の意味で“世界を滅ぼせる毒”になれただろうに」

「……下剋上はともかく、世界なんか滅ぼしてどうするつもりだ? 自分たちだけ生き残って自給自足の生活でも送るつもりか? お前たちらしくもない望みだな」

 

 カリナは首を横に振り、

 

「私らと組む気がない奴に話すつもりはないかな。ちょっと違うとだけ言っておくよ。……さてと」

 

 カリナはおもむろにエリザが落とした槍がある場所まで歩いていき、それをエリザに向かって放り投げた。

 エリザは慌てて宙を舞っている槍を拾う。

 

「あんたらなんかに負ける気はしないしさ、私はちゃんと武器を返してあげるよ。あんたと違ってね」

「……それはどうも」

 

 さっきエリザがカリナの刀を握り潰したことを言ってるらしい、エリザはばつが悪そうに礼を言う。

 身体硬化とやらを身につけた俺にエリザまで加わっている状況で、まだ俺たちに勝てる自信があるというのか。

 

 エリザは取り戻したばかりの槍を構えてカリナに問う。

 

「カリナ・フッケバイン。最後にもう一度だけ聞きます。今ここで投降する気はありませんか? 正直に言ってもはや死罪は免れないと思いますが、ここで剣を下ろせば当局に引き渡す前に、私が手ずから首をはねて楽にして差し上げます」

「本来は苦痛に塗れて処刑されるところを楽に殺してくれるのかい。そりゃあありがたいことで。でももっといい方法がある……あんたらを殺してこの街から逃げちまえばいいのさ!」

 

 カリナもまたエリザに向けて剣を構えた。

 

「それが答えですか。残念です。でも嬉しいですよ。

 あなたには先ほどいいようにされたお礼をしなければいけないと思っていましたから!」

 

 エリザは残念そうな様子などかけらも見せず獰猛な笑みを浮かべる。

 彼女が捕らわれの身から解放されたことで、再び戦いの幕が開こうとしていた。



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第47話 黒い天使

 エリザはカリナに向かって思い切り槍を叩き付ける。

 それをカリナは剣で受け止め、もう片手に持っている銀十字の書からは百枚近くの頁が出てきた。

 

「九十一式・破軍斬滅」

「白雪」

 

 二人のまわりで頁が飛び交う中、エリザの槍とカリナの剣が激しくぶつかり合っていた。

 俺一人爪弾きにされている形になっているが、剣と槍が交差しているせいで迂闊に近づけない。

 そんな中で先ほどのようにカリナの動きが鈍った。

 だが、そのカリナの眼の色は紫に変わっている。

 

「――まずい!」

「四式・瞬光!」

 

 がら空きになった胴めがけてエリザは槍を突き出すが、その先にカリナの姿はなく、槍は空を切る。

 まさかと思い、とっさにエリザは顔を右へ向けた。

 そこには刀を振り上げたカリナの姿が。

 すでにカリナの剣はエリザの顔に迫っており、その美しい顔を上から真っ二つにせんとしていた。

 俺はその間に自分の剣を差し込むことで、間一髪カリナの剣を止めた。

 エリザは後ろへと下がり俺たちから距離を取る。

 

 そしてエリザに代わって、今度は俺とカリナが互いの剣をぶつける。

 真価を発揮したディバイダーを持つ適合者には魔法そのものが効かない。となれば剣に魔力を付与しても無駄だ。エリザみたいに多彩な技を持っていない俺はひたすら剣をぶつけていくしかない。

 俺とカリナは何度も鍔迫り合いを続け、その合間にカリナが隙を見せることもあったが、汗一つ書いていないカリナの様子から虚偽(ブラフ)だと気付きすぐに対応する。

 この暗闇でそんなことができるのも、エクリプスによる視界強化がなせる業だろう。

 

 カリナは俺から距離を取って、銀十字の書を左手に持ちながら剣を構える。

 俺も剣を構えながら相手が次に何を仕掛けてくるかを思案する。

 頁による目くらましからくる突きか、爆発か、それとも……

 

「茨姫!」

「――!」

 

 カリナが呪文を唱えるとともに、書から黒い蔓が伸びてきて俺の腕や剣に絡まっていく。

 しまったと思った時には、目の前に剣を振り下ろそうとしているカリナの姿が見えた。

 蔓を剥がそうと俺はあがこうとするが、

 

「動かないで!」

 

 その一喝に俺は思わず動きを止めた。

 それから間髪を入れず俺とカリナの間を槍が割って入る。

 

「やああああ!」

 

 エリザは手にしていた槍でカリナの剣を弾き、そのまま槍を大きく振り回して、俺の剣や腕を縛っていた蔓を断ち切っていった。

 

「すまないエリザ。助かった」

「さ、先ほどの借りを返しただけです。今は戦いに集中してください」

 

 礼を言う俺にエリザはそっけなく顔を背ける。その顔は興奮のせいか少し赤くなっているように見えた。

 

「いちゃつくならあの世でしな!」

 

 そう言いながらカリナは剣を振るう。

 エリザは槍で剣を受け止める。

 だが、カリナの左手には今も頁を排出している銀十字の書があった――これが本命か。

 俺は剣を振るって書をカリナの手から払い落とそうとする。

 だが、書は急速な勢いで頁を排出し、書から出てきた何百枚もの頁が盾や結界のように俺の剣を防いだ。

 

「残念」

 

 カリナの口からそんな言葉が出てくる。

 だが――

 

「まだだ!」

 

 フライングムーヴ!

 

 

 

 口に出さず、心の中で念じて技能を発動させる。

 すると例によってまわりの動きは停止状態に近いほど緩やかになり、体の節々から痛みが走ってくる。ちょっと動いただけで倒れてしまいそうな激痛だ。こればかりは硬化能力でも防ぎようがないらしい。

 身が砕けるほどの激痛の中で俺は懸命に目を見開き、静止したままのカリナの左手にある銀十字の書を見る。

 俺は剣を握り、書に狙いを定める。

 前のように結界が剣を防いだらどうなるか。

 もしそうなれば、俺はおそらく剣もろとも弾き飛ばされ、その衝撃と体を打った激痛によって技能は間違いなく溶けるだろう。そればかりか再生能力も追いつかず、戦いを続けることはできなくなるかもしれない。

 そう考えると躊躇いを覚えてしまう。

 しかし、この機会を逃せば技能が解けた瞬間に、俺もエリザも頁による攻撃を喰らってしまう。

 ここで俺がどうするかによって勝負が決まる。なんとなくだが俺はそう思った。

 俺は躊躇いながらも剣を握りながら書を見て――そして気付いた。

 書の中から新たな頁が出てこようとしている。それを見た途端もしかしてと思った。

 

 もう何度も言ったがこの技能は時間を停止させるわけじゃない。俺の方がまわりよりもはるかに速く動いているんだ。

 だから短時間で繰り返し使えば体に負荷もかかるし、まわりもわずかにだが動く。

 今回はそれが功を奏した。

 一か八か俺は覚悟を決め剣を握り、激痛をこらえながら剣を思い切り真横に振る。

 

「うおおおおお!」 

 

 

 

 

 技能が解けたのとそれが起こったのはまったく同じ瞬間だった。

 

「えっ!?」

 

 カリナの手から書が落ちて、カリナは思わずといったように地面に落ちた銀十字の書を見る。

 俺はすかさず剣を振るいながらエリザに向かって思い切り叫んだ。

 

エリザ、今だ!

 

 エリザもまわりの変化に戸惑っていたものの俺の声を聞いて、槍を構える。

 

「うおおおおお!」

「やあああああ!」

 

 技の名を叫ぶこともせず、俺とエリザはあらん限りの力を込めてカリナの体に自らの武器を叩きこんだ。

 

 ……………………。

 

 手ごたえはあった。

 俺たちの武器はカリナの体に間違いなく当たっていて、この手には今も硬い感触が……

 ――硬いだと!?

 

 まさかと思い、俺もエリザも攻撃を喰らったカリナを見る。

 

「……まさか」

「……嘘でしょう?」

 

 なぜその可能性に思い当たらなかった?

 俺が身につけたばかりの能力なんて、カリナなんかすでに持っていてもおかしくないじゃないか。

 

「ひどいなあ。二人がかりで乙女の体を突き刺そうとするなんて」

 

 俺の剣とエリザの槍は確かにカリナの体に当たっていた。

 だが、それぞれの刃はカリナの固い体を貫くことはできず、そこで動きを止めていた。

 

「私じゃなかったら死んでたぞ♪」

 

 《硬化能力》……俺のようにカリナもその能力を持っていた。

 

「ふっ」

「きゃあああ!」

 

 カリナは剣を振るいエリザの体を一薙ぎする。

 

「エリザ!」

 

 カリナに斬られ衝撃で飛ばされていくエリザの名を叫ぶ俺の後ろで、

 

「人の心配をしている場合かい!」

 

 背中に衝撃が走る。思わず俺は後ろを振り返った。

 そこには右手に剣と、いつの間にか拾ったのか左手に銀十字の書を持ったカリナの姿があった。

 どうやら背中をカリナに斬りつけられたようだ。にも関わらず背中に痛みはない。硬化能力のためだろう。

 カリナもそれに気付いて、

 

「おっと、今のあんたに刀剣は効かなかったね。ならば――」

 

 銀十字の書から無数の頁が出てくる。

 

「そらっ!」

「ぐああああ!」

 

 俺の体に無数の頁が撃ち込まれていく。

 剣をはじく今の体も、カリナの意思がこもった頁には敵わないようだ。

 たまらず俺はその場に仰向けに倒れる。

 

 なぜ俺もエリザも、カリナが硬化能力を持っていることを考えられなかったのか。

 いや、考えたくなかったんだ。

 だってそうだろう。

 魔法は効かない。そのうえ剣が通らないくらい固い体を持つ人間なんて、無敵としか言いようがないじゃないか。

 そんな化け物に勝つにはそれこそ聖王のゆりかごくらいの古代兵器が必要だ。だがそんなもの、今のベルカでは聖王家しか持っていない。そもそも本当に実在するものなのか。

 

 考えたくないから考えないようにした。愚鈍としか言いようのない自分を呪っている俺の耳に、カリナの声が届いてきた。

 

「思ってたよりずいぶん頑張ったねケント君。なかなか楽しかったよ。だがこれでわかったろ。君たちでは私は倒せない。君がエクリプス適合者であることを受け入れ、ディバイダーとリアクターを手に入れない限りね」

 

 何も言い返せない。俺たちにとってカリナはまさに無敵そのもの。

 彼女の話に乗ったふりをして隙をつくか、ディバイダーとリアクターを手に入れるしかカリナを倒す方法はなかったのだろうか。

 いずれにしてももう遅い。

 

「じゃあ、名残惜しいけどそろそろ終わりにしようか。あんたの首を斬り落として、それを雇い主のところへ持って行くとしよう。あのおっさんから文句は言われるだろうけど仕方がない。ゼロドライバーなら首だけになっても生きているかもしれないし」

 

 カリナは俺にとどめを刺さんと銀十字の書を掲げる。

 

「ケント様!」

 

 遠くからエリザの悲痛な声が聞こえてくるが、今の俺にとってはもはやどうでもいい事だった。

 

 

 

 

 とどめの一撃を待つケントの側には黒い渦が現れ、そこからスポイトを持った手が伸びてきた。

 カリナは目線だけを動かしてその手を見やる。

 

(……なるほど、万が一のためにゼロ因子適合者(ドライバー)の血だけでも手に入れておくつもりか。奴らしい……んっ?)

 

 その時、ケントの懐からある物が出てきた。

 十字型の先が鋭い物体が描かれた茶色い表紙の本、カリナが持つ銀十字の書によく似た、《闇の書》と呼ばれる魔導書だった。

 闇の書はひとりでに頁を開いていく。

 カリナはわけがわからず、ただそれを眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 ケントがカリナに討たれようとしている頃、各地では逆にエリザヴェータに仕える執事の助力を得た守護騎士たちが、カリナの部下たちとの戦いを優勢に進めていた。

 それが絶体絶命に追いやられていたケントとエリザの運命を大きく変える。

 

 

 

「だああああ!」

「ぐあああっ!」

 

 シグナムの剣がサガリスの体を真横に斬り裂く。

 大きく斬り裂かれたサガリスの体は、再生能力によってすぐに元通りになろうとするが、そこへスコットが剣を突き入れる。

 

「はああああ!」

「ぐおおおお!」

 

 シグナムとスコットは二人で戦っていくうちにどちらからともなく連携が取れるようになり、一方がサガリスに手傷を負わせ、その傷が再生しかけているところへ、もう片方が攻撃を仕掛けて傷を広げていくという戦い方を取るようになっていった。

 再生しようとしてもまた傷を入れられ、それが何度も繰り返されれば、さすがの適合者でも深い傷を負うようになる。

 こうなればもはや魔力を分断する力など、サガリスにとって何の優位にもならなかった。

 

 やがてサガリスは剣を捨て二人から逃げようとするが、スコットは先回りしてサガリスの逃げ道をふさぐ。

 サガリスは身をひるがえるものの、そちらにはシグナムがいた。

 二人に挟まれ逃れる術を失ったサガリスの顔は恐怖で引きつっていた。

 そして思った。

 俺に殺された奴らもこんな恐怖を抱いていたのだろうか。と。

 

「でああああ!」

「はああああ!」

「ぐあああああああ!」

 

 シグナムとスコットは同時にサガリスを斬りつける。

 サガリスは断末魔のような叫び声を上げながらうつぶせに倒れた。

 

「死んだのか?」

 

 シグナムは思わずそう呟く。

 とどめを刺す際に心臓らしきものを斬った手応えがあった。

 故にそう思うのは当然なのだが。

 

「お待ちください! まだかすかに息があります。不用意に近づかないでください」

 

 サガリスの口からかすかに聞こえる呼吸音を聞き取ったスコットはシグナムに注意を促す。

 普通ならさすがのスコットでも気を緩めてしまうところだが、サガリスという男が普通の人間ではないことは、今までの戦いで嫌というほど実感している。

 それでも、まさか本当に生きているとは思わなかったが。

 

「心臓を斬られても死なんのか。我々と比べても桁違いの生命力だな。ヴォルケンリッターを超える者として造られた存在というのは本当かもしれん」

「……? シグナム様、何か仰いましたか?」

「いや、何でもない。厄介な相手だったと言いたいだけだ」

 

 動揺のあまり、つい思ったことが口に出たらしい。耳ざとくシグナムの独り言を耳にしたスコットにシグナムはそう言って誤魔化す。

 そんな時だった。

 

「ぐっ、ぐあああああああ!!」

 

 今まで倒れていたサガリスが起き上がり、胸を抑えて苦しそうに身をよじらせる。

 それを目にしたスコットとシグナムは身構えて警戒態勢を取る。

 ただならぬサガリスの様子にスコットは戸惑うばかりでシグナムもそれに合わせていたが、シグナムにはこの事態に心当たりがあった。

 

(この苦しみ方は……まさか)

 

 

 

 

 

 

「ぐあああああ!」

「おいアロンド、どうした? しっかりしろ!」

 

 深手を負って今まで倒れていたと思ったら、突然胸を抑えて苦しみだしたアロンドにヴィータは駆けよる。

 

「いけませんヴィータ様、これは罠かも――」

「うっせえ、黙ってろ! もう勝負はついたんだ! お前はさっさとあのお嬢様のとこにでも戻ってろ!」

 

 今までヴィータと共にアロンドと戦っていたジェフは、不用意にアロンドに近づこうとするヴィータを諫めようとするが、ヴィータはジェフに怒声を上げてアロンドの肩を抱く。

 大切なぬいぐるみを壊されたとはいえ、やはりアロンドはヴィータにとって、初めて好意を抱いた特別な存在だったのだろう。

 だが当のアロンドは、

 

「さわんじゃねえ、気色悪い。あんまり俺に近づくと今度こそてめえの喉笛を掻き切っちまうぜ」

「強がり言ってる場合か! ちょっと待ってろ《シャマル! シャマル聞こえるか? あたしだ。すぐ南区へ来てくれ! アロンドを止めたとこなんだが、奴の様子が変なんだ。おい! 聞いてんのか?》」

 

 ヴィータはシャマルに向けて必死に念を飛ばすものの、返事は返ってこない。

 そうしている間にもアロンドは苦しみ続ける。そして――

 

「ぐああああ!」

「アロンド! ――これは!」

 

 苦しみの末、絶叫したアロンドの胸から出てきた赤色の球体はヴィータもよく知っている、魔導師が体内に持つ魔力の源、リンカーコアだった。

 まさかと思いヴィータは誰にともなく言う。

 

「お、おい、待て、やめろ」

 

 だが、それに構わずアロンドのリンカーコアから魔力が流れ出て、中央区の方へと向かっていく。

 ヴィータはたまらず、

 

やめろおおおおおおお!!

 

 

 

 

 

 

 中央区、リヴォルタ・ワッフェギルド()

 そこには十数人の死体があちらこちらに散乱していた。

 その死体の中には、このギルドでマスターに次ぐ地位に就いていたサブマスターだった中年の姿もある。

 そんな中、ギルドの事務室だった場所には、唯一の生者にしてこの凶行を行った下手人の姿がある。

 青髪に黄色の瞳の線が細い優男。ただ一人ケントや守護騎士たちの前に姿を現していない、フッケバイン傭兵隊の参謀フォレスタだ。

 他の仲間がリヴォルタ各市街への襲撃を始めてから、フォレスタはすぐにこのギルドに向かって、そこにいる人間を皆殺しにし、それからはずっとこの部屋にこもって主への報告や他の傭兵たちの監視に努めていた。

 彼らと守護騎士の状況を確認するため、そして真の主から命じられたある役目を果たすために。

 彼は現在、黒い渦に手を伸ばし、ある物を手に入れようとしている。

 今回の戦いでエクリプス因子を取り込み適合者となったケントという闇の書の主、ゼロドライバーの可能性がある彼の血を、フォレスタは手に入れようとしている。

 だが――

 

 

 

「見つけた!」

 

 

 

「ぐあっ!」

 

 突然胸に激痛が走り、フォレスタは胸を抑えようとしながら視線を下げ、そしてそれを見た。

 自分の胸に緑色の渦が現れ、そこから黒い球体を持った手が伸びてきているのを。

 

「これは……まさか――ぐあああ!」

 

 

 

 奇しくもフォレスタがいるギルドと同じ地区にある中央区の教会にて、シャマルはクラールヴィントが発生させた渦の中に手を入れていた。その渦はフォレスタの体内に繋がっていて、シャマルは今、フォレスタのリンカーコアから直に魔力を奪っている最中だ。

 

「ずいぶん手を焼かせてくれたわねフォレスタさん。その分たっぷり魔力は頂くわよ!」

 

 シャマルは今までの間、他の守護騎士やケントが置かれている状態を把握しつつ、フォレスタらしき男がどこに現れるかをずっと探っていた。

 一度北区で戦いによるものとは異なる、怪しげな魔力反応を察知したものの、ギリギリのところで間に合わなかった。

 だが、彼は再び動いた。偶然にも同じ中央区からある物を手に入れるために。

 シャマルはそれを見逃さず、即座に中央区全体に網を張った。

 そして、ようやくフォレスタを捉えることに成功した。

 シャマルはフォレスタのリンカーコアをしっかりと握る。彼の魔力を根こそぎ奪いつくすまで。

 

 

 

「ぐああああっ!」

 

 フォレスタは激痛にたえながら目を開き、見た。

 リンカーコアから放出された自身の魔力が黒い渦を通っていくのを。

 それを最後にフォレスタは意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 黒い渦から出てきていたフォレスタの手がスポイトを手放して引っ込んでいき、代わりに彼の魔力が黒い奔流となって渦から流れ出てくる。

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 黒い奔流は闇の書が開いていた白紙の頁へと吸い込まれていく。

 それだけではない。

 カリナは上空を見上げる。

 そこには各地から様々な色の魔力が集まっていて、ちょうど闇の書の真上まで来ている。

 上空に集まった魔力の色は、カリナにとっていずれも見覚えのある色だ。

 カリナもそれに気付いて上空を見上げた。

 

「あの魔力光はあいつらの……まさか」

 

 カリナがそれに気付くと同時に、闇の書の真上を漂う魔力の奔流は一直線に闇の書を向かって降りてきた。

 

「――まずい!」

 

 カリナは宙を漂う闇の書を斬り捨てようと真横に剣を振るう。

 しかし、剣が闇の書に届く直前に書はひとりでに頁をめくっていく。

 

Panzerhindernis(パンツァーヒンダネス)

 

ある頁に行きつくと同時に書の前に紫色の結界が張られて、カリナの剣をはじく。

 

「――これは! まさか、魔導書自身が魔法を使っているのか? ――うっ!」

 

 闇の書は剣をはじいた後、再び白紙の頁を開き、奔流はそこに吸い込まれていく。

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 その瞬間、闇の書はまばゆく光り輝き、あまりのまぶしさにカリナは思わず腕で目を覆った。

 その光景をケントは仰向けに横たわりながらただ眺めている。

 

 

 

 

 

『Abgeschlossene Sammlung bis Seite 537(537ページまでの蒐集を完了)』

 

 突然聞こえてきた声に反応して俺は目を開ける。

 今、俺の側にいるのはカリナしかいない。だが彼女がそんなことを言ってくるはずがない。

 それに聞こえてくるのは魔法を使う時などに発する術式言語だ。こんな言葉で会話する人間はベルカにはいない……人間は。

 俺は頭上に浮かぶ闇の書を見上げる。

 

『In dieser Sammlung hat die Anzahl der Seiten des Zauberbuchs 400 überschritten. Dadurch ist es möglich, das Masterprogramm zu starten und zu verkörpern.(今回の蒐集で魔導書の頁は400ページを超えました。これにより『管制人格(マスタープログラム)』の起動と具現化が可能となります)』

 

 マスタープログラム? 何だそれは? また何かが起こるのか? そのプログラムとやらはこの絶望的な状況を何とか出来るのか?

 聞き慣れぬ言葉と疑問に頭をひねる俺に、闇の書は『Jedoch(ただし)』と続けた。

 

『Aufgrund des unvollendeten Zauberbuchs bleibt die Leistung des Masterprogramms bei 62% des ursprünglichen Niveaus. Daher empfiehlt es sich, nur das Masterstudium zu beginnen, bei der Beurteilung aber den aktuellen Stand des Hauptstudiums mit einzubeziehen――(魔導書が未完成の状態のため、管制人格の性能は本来の62%にとどまります。そのため、本来なら管制人格の起動のみを推奨としますが、現在の主の状態を含めて判断した場合――)』

「何でもいい! この状況を何とか出来るなら、管制人格の起動でも具現化でも、何でもいいからやってくれ!!」

 

 闇の書の長々とした補足に業を煮やし、俺はそう叫ぶ。

 闇の書は無機質な声で返事を返した。

 

『OK. Beginnt und verkörpert das Masterprogramm(了解しました。管制人格の起動と具現化を実行します)』

「させるか!」

 

 カリナが声を張り上げると同時に彼女が掲げた銀十字の書から無数の頁が出てきて、猛烈な勢いで俺と闇の書に向かっていく。

 俺と闇の書は無数の頁に切り刻まれ……ることはなかった。

 銀十字の書から出てきた頁が闇の書に届く直前、闇の書は再びまばゆい光に包まれ反射的に俺は目を閉じる。

 

「――えっ!?」

 

 光が収まったのを感じて目を開いた俺の前には一人の女がいた。

 

 こちらに背を向けているため長い銀髪と背中から生えた二対の羽根しか見えないが、そんな彼女の姿を見て俺は思わずある言葉を呟いた。

 

「……黒い天使?」

 

 黒い天使は俺たちに迫る頁を結界で防ぎながら、こちらに顔を向けた。

 

「ご無事ですか? 我が主」

 

 俺を助けてくれたのは黒ずくめの服を着た美女だった。

 きりっとした細い目と赤い瞳。服の生地が薄いせいか胸がくっきり出ている。もしかしたら守護騎士で最大のボリュームを誇るシャマルより大きいかもしれない。

 服装は黒ずくめで、両手に籠手をはめて、右足に長いソックス、左足に短いソックスを着用し、背中には二対の翼が、頭の上には一対の羽がついている。

 服が黒いところと左右のソックスの長さが逆になっているところ以外はライラが着ているものとまったく同じ衣服だ。

 それもあってライラに似ているという者もいるだろう。

 だが、俺としてはそんなことよりも――

 

――なんて綺麗な人なんだ。

 

 こんな状況にも関わらず彼女を一目見た途端、俺はそう思ってしまった。

 

 

 

 

 


 愚王ケントには多くの愛人がいたとされるが、その中でも彼から最も寵愛を注がれた女性がいた。

 その女性はケントから『リヒト』と呼ばれていたが、その名で呼ばれて戸惑うこともよくあったため、それが彼女の本当の名前かどうかは定かではない。

 リヴォルタから連れ去ったとも言われるが、一説では彼女は闇の書の化身そのもので、ケントを操りベルカの滅亡を目論んでいたとも言われている。

 ケントの死と共に彼女も行方知れずとなったため、その真相は今なお不明である。



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第48話 ユニゾン

「な、何ですか、あの黒ずくめの女性は?」

 

 ケントたちから離れた場所で、闇の書による魔力の蒐集から黒衣の女が登場するまで一連の流れを見ていた、エリザはつぶやきながら身を起こす。

 

 

 

 

 

 

 上半身だけを起こしている俺の前で、新たに現れた黒衣の女とカリナが相対していた。

 黒衣の女に対してカリナは声をかける。

 

「あんたが闇の書のリアクターか。今まで出てこないもんだから、てっきり大昔に消滅しちまったかと思ったよ」

 

 その言葉に黒衣の女は首を横に振った。

 

「否、私はリアクターと呼ばれる存在とは違う。この魔導書の管理を行うために書とともに造られた管制プログラムだ……《闇の書の意思》と言えば分かるか?」

「……? 同じようなもんだろう!」

 

 とどめを邪魔された上に要領を得ない返事をされたカリナは逆上して剣を振り上げる。

 それを見ても女は避けようともせず、じっとしていた。

 

「避けろ!」

 

 たまらず俺は声を張り上げるが女はじっとしたまま……

 

「我に鋼を砕く力を」

Schwarze Wirkung.(シュヴァルツェ・ヴィルクング)

 

 闇の書がそう応えた瞬間、黒衣の女の腕は紫色の魔力光に薄く覆われた。

 女は紫がかった腕をそのままカリナの剣にぶつける。

 女の思いもよらない行動に俺もエリザも、そしてカリナも目を見張る。

 だが驚くべきところはそこではなかった。

 

「なっ!?」

 

 女の拳を受けたカリナの剣は砕け散る。まるでガラスのようにあっさりと。

 それに対して、女の手にはかすり傷一つついていない。

 

「はあああ!」

「ぐああっ!」

 

 女は腕を引き、カリナの顔を思い切り殴りつける。

 それだけでカリナの体は吹き飛んでいき、炎上する建物の中へ突っ込んでいった。

 

「つ、強い」

 

 俺の口から思わずそんな言葉が出る。

 だってそうだろう。本領を発揮した途端、俺たちが手も足も出なかったあのカリナを、闇の書から現れたあの女子(おなご)はまるで赤子の手をひねるように易々と倒したんだから。

 その女子(おなご)は再び俺の方を振り返って口を開いた。

 

「我が主!」

「な、何だ!?」

 

 突然女から声をかけられ俺は上ずった声を出してしまう。

 そんな俺に女は声を張り上げた。

 

「敵はまだ倒れていません。すぐにでも立ち直ってくるでしょう。主よ、あの難敵を倒すために私と《融合(ユニゾン)》を行ってください!」

 

 鬼気迫る女の剣幕に俺は押されてしまう。

 だが融合という言葉を聞いて、カリナが言っていたある言葉を思い出した。

 

「《融合騎》……まさか、闇の書とともに造られたという融合騎とやらは、君の事だったのか?」

 

 俺の問いに女は軽くうなずく。

 

「そのような名称で呼ばれたこともあります。その名の通り主とユニゾンを行い、内から補助を行うのが私の本来の役目です」

 

 あれで補助担当だと? このままでも俺なんかよりよほど強いのに?

 

「もちろんこのまま戦うこともできますが、魔法が効かず物理も()()()()()敵が相手では、絶対に勝てるとは言い切れません。それに主の体内にあるウイルスを一刻も早く抑制しなくては。そのためにも私とユニゾンをしてください!」

 

 女はそう言って頭を下げる。

 そんな真似をされるまでもない。俺は立ち上がりながらそれに答える。

 

「あの女を倒すために必要ならそうしよう。それで、ユニゾンとやらをするにはどうすればいいんだ?」

「何も。ただ、そのままじっとしていてください」

 

 そう言って女は俺のそばまで歩み寄り、そのまま俺に抱きついた。

 

「ちょっとあなたたち!? こんな時に一体何を?」

 

 遠くからエリザの甲高い声が聞こえてくる。

 女はそれに構わず――

 

「ユニゾン・イン」

 

 俺に抱きついていた女は突然光に包まれ、俺の胸の中へ入っていく。まさかこれが……。

 

《ユニゾン完了。続けて生成済みのワクチンを投与します》

 

 体の中から女の声が聞こえてくる。思念通話とは違う感覚だ。これがユニゾンか。

 それからほどなくして俺の体に変化が起きた。

 今まで視界にかかっていた青みや変な情報が見えることがなくなり、体も軽くなったのだ。

 これはまさか……

 

「体が元に戻ったのか? もしかして君が――」

《その事に関しては後で説明します。それよりも主、前を見てください》

 

 中から聞こえてくる声に従って前の方に顔を向けると、燃える建物の中から出てくるカリナの姿があった。

 カリナはまだ笑っていたが、その笑みは今までと違い憤怒で歪んでいる。

 

「ケントか。どうやらあの女と融合して因子を無力化しちまったみたいだね。ククッ、あの融合騎のおかげで大嫌いな殺しはしなくて済むようになったかもしれないが、再生能力も硬化能力もなしで私に勝てると思っているのかい?」

 

 カリナの言う通りだ。

 エリザと二人がかりでも手も足も出なかったのに、エクリプスによる身体強化を失った俺がカリナに勝てるとは到底思えない。せめて黒衣の女が直接戦った方が――

 

《大丈夫です!》

 

 心の中から発せられる女の声に、俺は思わず自身の胸を見る。

 

《あのようなウイルスの力を借りずとも、私とユニゾンした主なら勝てます。絶対に!》

 

 果たしてそうだろうか?

 しかし、あそこまで言った手前、今更退くわけにはいかない。

 俺は覚悟を決めて剣を構える。

 そんな俺をカリナはせせら笑った。

 

「闇の書の意思なんてたわごとを真に受けてるんじゃないだろうね? そいつはただの融合騎。主に取り付いていないと何もできない大昔の失敗作さ」

「そいつに殴り飛ばされた奴が言うことではないと思うがな」

「黙れ! 女に頼りきりの軟弱者が!」

 

 カリナが怒鳴ると同時に銀十字の書から再び大量の頁が出てきて、それらは彼女の右手に集まり剣の形をとる。

 これがカリナの切り札か。

 

 しかしどうするか。鍔迫り合いをしのいでもカリナは硬化能力を持っていて、彼女の体には刃が通らない。

 あいつを倒すにはどうしたら。

 そんなことを考えている時だった。

 

《シュヴァルツェ・シュヴェルト》

 

 女が詠唱を唱えると剣のまわりに紺色の魔力光が帯びる。

 これはさっきと同じ……。

 

《先ほどまでの事は忘れて、もう一度その剣で戦ってください。大丈夫、今度は絶対に勝てます》

「……わかった」

 

 女の言う通りに俺は剣を構え、そのままカリナに向かっていった。

 そんな俺をあざ笑いながら、カリナは頁でできた剣を振るう。

 俺は剣でそれを受け止めながら、カリナに向かって剣を振るっていく。

 だが、カリナは自分への攻撃など気にもとめていないのか、防御しようとするそぶりがまるでない。

 そのためか、何度も剣をぶつけていくうちにカリナは無防備な体をさらすようになる。

 そこを――

 

《――今です!》

「はああああ!」

「ぐああっ!」

 

 指示を聞くまでもなく、俺はカリナの体めがけて斜めに剣を振りかぶった。

 俺の剣はカリナの体を深く斬りつける。

 

「ぐっ!」

 

 カリナは後ろへ下がり、斬り傷がついた肩を押さえた。

 

「馬鹿な、一体なぜ?」

 

 

 

 

 

 

 一方、ケントとカリナの戦いを見てエリザは。

 

「どうなっているんですか? あのカリナを今度はあっさりと、それに今のケント様の姿は一体?」

 

 彼女は自分が見ているものを信じることができないでいた。

 当然だ。

 黒衣の女が光になって消えたと思ったら、残されたケントの髪の色は灰色に変色している。目の色も金と緑に変色しているが、あれらは以前見た通りなので元々の色なのだろう。

 そのうえ、ケントはあの姿になってから、先ほどまで追いつめられていたのが嘘のように、カリナを圧倒するようになっているではないか。

 エリザは辺りを見回して黒衣の女の姿を探す。

 

(あの女はどこにいるの? ケント様に一体何をしたのよ? あの人に何かあったら絶対許さないんだから!)

 

 

 

 

 

 

 そんなエリザをよそにケントたちは。

 

《我が主、大丈夫ですか?》

《ああ。もしかして君がこの剣に》

《はい。勝手ながら主の剣を魔法で強化させていただきました。分断される前に、魔力をエネルギーに変換してしまえば無力化されることはありません。今の主の剣なら硬化能力を持つ敵だろうと斬ることができます》

 

 なるほど、シュヴァルツ・ヴァイスのように武器を魔力光で覆って威力を高めるのではなく、最初から魔力をエネルギーに変換して武器を強化する魔法か。これなら《魔導封じ》にも通用する。

 

「なめるな!」

 

 カリナは一瞬で起き上がって、すさまじい形相で頁の剣を振るう。俺は身体を後ろにそらしてそれを避けた。

 そうしている間に銀十字の書から数百枚の頁が出てきた。

 

「茨姫」

「――!」

 

 頁から黒い蔓が出てきて、俺の剣や腕に巻き付いていく。

 

「もらった!」

 

 カリナは蔓に絡まれた俺に向かって真っすぐ剣を振り下ろしていく。

 だが、

 

《ブラッディダガー》

 

 女の声とともに俺のまわりに何本もの赤い短刀が現れる。

 その直後、短刀はあちこちに飛んでいき、蔓やカリナに当たった瞬間小さな爆発を起こした。

 

「ぐっ」

 

 この爆発によってカリナはひるみ、蔓と頁に火が付きまたたく間に燃えていく。

 俺は剣を振って腕に絡みついている枝を斬り、すぐさま燃え盛る蔓から逃れた。

 それを見てカリナは舌打ちをこぼしながら毒づいた。

 

「小賢しい真似を」

「爆発魔法を使ったことがあるお前が言うな」

 

 俺の返しに反論せずカリナは憤然としながら頁の剣を構え、俺も剣を前に構える。

 もう何度目だろうか、俺とカリナは再度剣をぶつけ合う。

 しかし、追い詰められた者特有の鬼気迫る表情で剣を振り下ろしていくカリナの顔を見てなんとなく思った。

 おそらくこれが最後の鍔迫り合いになるだろうと。

 

 甲高い金属音を立てて剣をぶつけた後、カリナは俺から距離を取り剣を構えながら俺を睨む。

 俺も剣を下ろし、カリナを睨み返す。

 

「…………」

「…………」

 

 長い睨み合いの末、俺とカリナは一歩前へ踏み込む。

 そして俺は勢いよく駆け出して剣を振り下ろす。

 だがそこにカリナはおらず、剣は空を切った。

 まさかと思い、俺は右側に顔を向ける。

 そこにはニヤリと笑いながら剣を振り下ろそうとするカリナが。

 カリナの剣はまっすぐ俺の顔に迫る。

 

「ケント様!」

 

 少し離れた場所からエリザが、

 

《主!》

 

 体の内側から名前も聞いてない美女が俺を呼んでくる。

 

 俺はそれに答えるように左手を上げ、カリナの剣の刃をそのままつかんだ。

 

「なっ!?」

 

 紙でできているはずの刃は並の刃物より鋭利で、それを握っている左手から激痛が走り、血が流れる。

 それに耐えながら俺は右手に持った剣を振り上げ、カリナの剣を弾き落とした。

 カリナはすぐに数歩下がって俺から距離を取る。

 俺は剣をさらに頭上まで振り上げながらカリナを両断しようと彼女を見据え、それを見た。

 カリナの左手にある白い表紙の魔導書が開かれようとしているのを。

 やはり、最後の最後で牙をむくのはお前か。《銀十字の書》!

 

 すでに銀十字の書からは数枚の頁が出てきている。

 エクリプス因子を抑え込んだ今の俺は硬化能力も再生能力も使えない。頁による攻撃を喰らったらその時点で俺は死んでしまうだろう。

 だが固有技能フライングムーヴはとっくに使用回数の限界を超えている。この戦いでこれ以上技能を使ったら、二度と起き上がることはできないに違いない。

 その上こいつらには魔法が一切通用しないときた。

 今の俺が使える武器は謎の美女の魔法によって強化された、この《ティルフィング》だけだ。

 

 俺はこのティルフィングを斜め左に振り下ろし銀十字の書に叩きつける。

 

「なに――ぐああぁ!」

 

 銀十字の書はカリナの左手とともに地面に落ち、手首から噴出する主の血を浴びて真っ赤に染まる。

 得物を失ったカリナめがけて、俺は剣を振り下ろした。

 

「うおおおおおお!!」

(これまでか)

 

 その時、カリナはなぜかおかしそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 すべての武器と左手を失った自分に向けて、ケントが剣を振り下ろしてくる。

 エクリプス因子の持ち主は心臓を斬られても死なないが死なないが、過度な再生は再生能力の暴走である自己対滅を引き起こしやすい。

 どの道死は免れないだろう。

 

「ククッ」

 

 死ぬ寸前だからか、時間の流れがやけに緩やかだ。ケントのように制止した時間の中を動きまわったり、剣を避けるということはできないが。

 

「ククククッ」

 

 しかしまさか、自分に引導を渡すのがこんな坊やだったとは。

 滑稽すぎてこんな状況にも関わらず、笑いがこみ上げてきてしまう。

 

《我が主》

 

 そんなカリナの内側から少女の声が聞こえてきて、カリナはそちらに意識を向ける。

 そこには一年間行動を共にした、従者であり相棒でもある白髪の少女、ライラがいた。

 

「何だ、まだいたのか……見ての通り私はここでおしまいのようだ。巻き添えを食わないうちにとっとと私から離れな。あの甘ちゃんなら悪いようにはしないだろう。間違ってもあんたのことを実験作としか思ってない、あのおっさんのとこに戻ろうとは思わないことだね」

「いいえ」

 

 カリナの忠告をライラは首を横に振って拒絶する。

 カリナは呆れた目をライラに向けた。

 

「あんなのでも一応(製作者)ってわけかい? そりゃ健気なこって。エクリプス因子がもたらす衝動に従って、故郷ごと両親や弟妹を殺した私にゃわからん」

 

 カリナは頭をかきながらそう打ち明けるが、ライラはまた首を横に振って答えた。

 

「私はあの人が嫌いです。思いやりがあるふりをして本当は自分の事しか考えてない。実の子供さえ対面を整えるための道具としか思っていない、あの人の事は」

「あー、私もそうだと思ってたわ。家族のためなら何でもってタマじゃないもんあいつ」

 

 うんうんとうなずくカリナを前にしてライラは続ける。

 

「私があの人の事を家族だと思ったことは一度もありません。私が家族だと思っているのは主と主が集めた人たちだけです」

 

 思いもよらぬライラの告白にカリナは顔を赤くし、ばつが悪そうにそっぽを向ける。

 

「そ、そいつは知らなかったな。言ってくれればあいつらだってもっとあんたに構ってやっただろうに」

 

 ライラは首を横に振り、

 

「いいえ、あなたたちには十分よくしていただきました。だからせめてもの恩返しとして主にはお教えしていない、最後の能力を持ってあなたをお助けします」

 

 その言葉にカリナは思わず振り向き、ライラを見る。

 

「最後の能力? 私を助ける? あんた、一体何を?」

「お世話になりました主カリナ……いえ、許されるのならせめて最後に一度だけ……呼ばせてください」

「おい、あんた何する気だ? 私はあんたが命張って守るような人間じゃあ――」

 

 カリナはライラの肩を掴んでまくしたてるものの、ライラはそれに答えずに笑いながら言った。

 

「さようなら」

「おい待てライラ、やめろ、やめるんだ!」

「姉さん」

やめろおおおおおおお!!

 

 

 

 

 

 

「――」

 

 胸を斬られ、断末魔もあげずカリナは倒れた。

 俺は顔を伏せながら彼女に向かって一歩足を近づける。

 

《主、迂闊に近づくのは危険です!》

 

 俺の中にいる女はそう言って俺を制止しようとするが、確かめないわけにはいかない。

 万が一カリナが復活しそうなら、彼女の凶行を止めるため頭を砕いてとどめを刺してやらなければならないのだ。

 だが、できればそれを避けたい。

 彼女たちは自分たちが生きるために、仕方なく殺生を重ねたエクリプスの被害者だ。彼女らを擁護することはできないが、せめてこれ以上亡骸を傷つけることはしたくない。

 

「ケント様、カリナは、カリナはどうなりましたか?」

 

 遠くからエリザの声と足音が近づいてくる。

 彼女にはこういうものは見せたくないのだが。

 俺は意を決して顔を上げ、カリナの亡骸を見ようとする。

 だがそこにいたのは――

 

「――えっ!?」

「――彼女は?」

《……まさか》

 

 白髪に白い服、左右異なる長さの黒いソックス。

 俺たちの前に倒れているのは胸を斬られたライラだった。



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第49話 むなしい決着

 苦しい戦いの末にようやくカリナを倒し、彼女の最期を確かめようとした俺とエリザ、そして俺とユニゾンして体の中にいたままの黒衣の女が目にしたのは、胸を斬られた状態で倒れているライラ・シュトロゼックだった。

 思わぬ光景に唖然としている俺たちの前でさらなる変化が起こった。

 

「――!」

 

 ライラの体が発光し、その光は彼女の体から離れ、ある者の姿を取ったのだ。そいつは……

 

「カリナ!」

 

 後ろに束ねた長い黒髪に黒目、快活そうな容姿、左腕に刻まれた刺青のような模様、ライラと融合する前の姿に戻ったカリナ・フッケバインだ。

 融合後のカリナしか知らないエリザはその姿を見て目を丸くする。

 

「生きていたのか」

「ギリギリのとこで命拾いしちまったよ。生憎だったね」

 

 そう言ってカリナはクククッと笑う。

 今のカリナはとどめを刺す直前に失った左手こそなくしたままだが、胸には傷一つない。

 それを見て俺はまさかと思った。

 

「まさかお前、ライラを身代わりにしたのか?」

 

 俺の詰問に対しカリナは首を縦に振った。

 そんなカリナにエリザは憤りを露わにする。

 

「なんて人。自ら戦いに臨んでおきながら、身代わりだけを従者に押し付けるなんて」

「あんたなんかに口出しされる筋合いはないね!」

 

 先ほどまでとは一転、カリナは刺すような目つきをエリザに向ける。

 

「あいつも納得して受けたことだ。外野が口を挟むんじゃないよ」

 

 カリナが醸し出す威圧感にエリザは圧され、おずおずと口をつぐんでしまった。

 だが彼女に代わるように、

 

「カリナとやら」

 

 その声とともに自身の体に違和感を覚え、もしやと思って隣を見る。

 するとそこには俺とユニゾンしていた黒衣の女がいた。

 

「――あなたは……――!」

 

 エリザも女を見て驚きの表情を浮かべている。

 

「おや、あんたはさっきの……確か、闇の書の意思さんだったかい。ククッ、あんた一人が出てきただけで、こうもあっさりと形勢をひっくり返されるなんてね。魔導封じの名が泣くってもんだよ」

 

 自虐的に笑うカリナを蔑みも嘲笑もせず女は尋ねる。

 

「カリナよ、一つだけ聞かせてもらってもいいだろうか? お前がリアクターと呼んでいた少女、ライラは最後にどんな顔をしていた?」

 

 女の問いを耳にした途端、カリナは笑みを消し、

 

「……笑ってたよ。死ぬ寸前だっていうのにね」

「……そうか」

 

 重苦しいカリナの声色から何かを察したのか女はそれだけを返す。

 二人の様子を見て俺はまさかと思い、ライラの亡骸に目を向ける。

 大きく斬り裂かれた体に対して、彼女の顔は眠っているように安らかだった。

 もしかしてライラは自分から……

 その時、近くにあった闇の書がひとりでに浮かび頁を開いた。この時ばかりは空気を読めと主ながらに思う。

 

『Sammlung(蒐集)』

 

 ライラの胸から緑色のリンカーコアが出てきて闇の書に吸い込まれていき、数十枚もの頁が埋まっていく。

 それと同時に、ライラの体は粒子状の光となって霧散していった。ライラが横たわっていた場所には、彼女が左腕に付けていた銀色の腕輪だけが残る。俺はそれを見て、やはりライラは人間ではなく何者かに造られた存在なのだと、あらためて思い知らされた。

 エリザは呆然とそれらを眺め、俺と黒衣の女も複雑な気分で闇の書と消えていくライラの亡骸を交互に見やった。

 そんな時だった。

 カリナがいる方から妙な音が聞こえ、俺たちはそちらに首を巡らす。

 見ればカリナの左手首からは新たな手が生えていて、その手には血に染まった銀十字の書があった。

 

「カリナ、お前はまだ」

 

 まだやるつもりなのか?

 心の中でそう問いかけながら俺とエリザは武器を構える。

 カリナは右手で書から頁を引き抜きながら言った。

 

「悪いね。私を助けるためにライラが命かけてくれた以上、あんたらに殺されてやるわけにはいかなくなったんだ」

「来るぞ。エリザ、えっと…カンセイ、構えろ!」

「はい!」

「御意!」

 

 カリナからの攻撃に備えて俺たちは身構える。

 俺たちを視界に捉えカリナは口を開いた。

 

「灰被り」

「――きゃあ!」

「――ぐっ」

「……」

 

 俺たちのまわりで爆発が起こり、爆風と炎に囲まれ周りが見えなくなる。

 その隙をついてカリナが攻撃してくるかと思ったが、一向に仕掛けてこない。まさか……。

 黒衣の女は背中から生えている二対の羽根を羽ばたかせて上空へ飛び、俺とエリザは炎を払いながらカリナの姿を探した。

 だが……

 

「いない」

「まさか、逃げられた?」

 

 俺は上空にいる黒衣の女を見る。しかし彼女も首を横に振るばかりだった。

 俺はすぐに、

 

「君は空から奴を探してくれ! 俺とエリザはちか――くを」

「主!」

「ケント様!?」

 

 黒衣の女は指示にそむいて地上に降りてきて、エリザも俺のそばまで寄ってくるのが見える。

 二人とも俺の臣下ではないとはいえ、我ながら人望がないな。

 

 

 

 

 

 

 カリナを追おうとした矢先に突然ケントが倒れ、彼の側に二人の女性が駆け寄る。

 

「ケント様! しっかりして! ケント様!」

 

 エリザは地面に横たわるケントを抱きかかえ悲痛な声で呼びかけるが、黒衣の女が降りてきたのを見ると彼女を睨み、ケントを遠ざけるように自分のもとへ引き寄せた。

 

「ケント様に何をする気?」

 

 射殺さんばかりの視線を向けられても、女は動じずに口を開く。

 

「警戒しなくていい。私が主にあだなすことなど()()ありえん」

 

 そう言われてなおも自分を睨み、ケントに近づけさせようとしないエリザに女は続ける。

 

「信じられないと言うなら、念話で守護騎士の誰かに聞いてみればいい」

「えっ!? あの方たちを知っているの?」

 

 守護騎士と言われて、エリザの脳裏にケントのまわりにいた四人の女と一人の大男が浮かぶ。

 女はこくりとうなずいた。

 

「彼女たちとは長い付き合いだ。何度か顔を合わせているから()()私の事を覚えているだろう。主の妹君は別だがな」

「……ティッタ様のことまで。あなたは一体?」

「主の事なら誰よりも知っているというだけだ……失礼」

 

 唖然とするエリザの前で女は体を屈め、ケントの額に手を当てる。

 

「……頭が熱いが呼吸は落ち着いている。おそらく固有技能やユニゾンによる身体への負荷に加え、ワクチンの作用に意識が耐えきれなかったのだろう……だが命に別状はない。心配は無用だ」

「本当ですか!?」

 

 女の言葉にエリザは目元に涙を浮かべながら表情をほころばせる。

 そんなエリザに女はうなずきを返した。胸中に渦巻く大きな不安を隠しながら。

 

(……そう、()()まだ大丈夫だ。しかし私が現れることができるほどに、闇の書の頁は埋まって()()()()いる。残された時間はもうわずか。せめてもうしばらくの間、このよき主のもとで騎士たちが過ごせるように願いたいものだ)

 

 

 

 

 

 

「ぐおおおお!」

「……これは」

「……うそだろ」

 

 アロンドの体のあちこちが膨れ上がり、見る見るうちに体全体が変貌を遂げていく。かろうじて元の形を保っているのは顔の部分だけだ。

 あまりの出来事にジェフは絶句し、ヴィータは呆然と呟くしかなかった。

 それに対してアロンドは自分の体を見ながらニヤリと笑う。

 

「なるほど……再生能力の暴走……それが自己対滅って奴だったのか……ククッ、俺たちはそうとは知らず再生だの、視界強化だの、人間を超えた力を持った気になってイキってたってわけか……ハハハ! ぐおぉ!」

「しゃべんじゃねえ! もう黙ってろ! 《シャマル! 早く来てくれ! 早くしねえとアロンドが》……聞いてんのかよ!?」

 

 ついに声に出してシャマルに呼びかけるヴィータに、アロンドは小さく「いい」と言った。

 

「敵を助ける馬鹿がどこにいるっていうんだ……因果応報って奴だ。お前も笑えよ……エクリプスって得体のしれないもんに踊らされて、こんな死に方をする羽目になった馬鹿なガキをよ……」

「笑えるわけねえだろう! やっと、やっと対等に話ができるダチがやっとできたと思ったのに……なんでそいつが死んじまうんだよ!」

 

 ヴィータはそう叫んで目からあふれ出てくる涙を乱暴に腕で拭う。

 それを見てアロンドはフッと笑った。

 

「ダチか……俺もお前みたいな奴は嫌いじゃない」

「アロンド?」

「実を言うと楽しかったんだぜ。お前と一緒に賊どもをかき回す算段を練ったり、いちいちむきになるお前をからかったりすんのは」

「おい、今さら何を言ってんだ? お前らしくないぞ」

 

 アロンドの言葉にヴィータは喜びより不安が(まさ)って、らしくないと言い返す。

 だがそれもむなしく、

 

「あのぬいぐるみ、壊しちまって悪かったな……まさかあそこまでキレるとは思わなかったんだ……ぐおっ……本当……ごめん……な……ぐああああ!!

 

 絶叫とともにアロンドの顔は潰れ、ヴィータとジェフの前には醜い肉塊が残る。肉塊のまわりに残っているボロボロの布切れだけが、肉塊がアロンドだったことの証だが、それに気付くことができる者はいないだろう。

 凄惨な光景に口元を押さえているジェフと、呆然と泣き崩れているヴィータ以外には。

 

「……ふざけんな……謝るくらいならあんなことすんじゃねえよ……馬鹿野郎…………ばかやろおおおおお!!

 

 ヴィータは地面を殴りつけながらわめき散らす。ジェフにはそれを止めることができなかった。

 

 こうして、ヴィータの初恋は最悪と言える形で終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 アロンドや他の二人同様、ヴァルカンもまた体のあちこちが膨らみ、今や顔以外のすべてが肉塊と化していた。

 先ほどまでヴァルカンと戦っていたティッタは何とも言えない表情で、緑髪の執事バージルは苦虫を嚙み潰したように顔をしかめて、それを目の当たりにしていた。

 そんな二人を見てヴァルカンもまた自虐的に笑う。

 

「これがエクリプス適合者の末路ってわけか……ひでえもんだな……逆恨みの報いって奴か」

 

 ティッタから言われた逆恨み野郎という言葉を引き合いに出したつもりなのか、ヴァルカンはそう言ってティッタの方を見る。

 それに対してティッタは冷たい表情で首を横に振り、片膝を折ってヴァルカンに目線を合わせてから言った。

 

「違うね。そいつはあんたがやってきた殺戮に対する罰だ。人殺しの口実を作るためにお兄様を利用しようとした罪は、そんなもので償えるもんじゃない」

「それもそうだな……じゃあお前から奴に伝えといてくれねえか……悪かったって」

「自分で言いなよ、めんどくさい」

 

 ティッタは頭の後ろで手を組みながら、わざとらしく憎まれ口を叩く。

 ヴァルカンは笑いながら、

 

「自分でできたらそうするっつーの」

「それもそうか。わかった、暇があったら伝えとく。……他には?」

「ねえよ……ろくでもない力を使ったんだ。ろくでもない死に方することになるとは思っていたさ……未練を残す真似なんかするか」

「……そっか」

 

 ティッタが見守る中、やがてヴァルカンの顔は歪んでいき……

 

「ぐおおおおお!!」

 

 絶叫とともにヴァルカンもまたティッタたちの前で肉塊と化した。

 バージルは吐き気を覚えるが、ティッタは冷ややかな目でヴァルカンだったものを眺め、しばらくしてから踵を返しその場を後にした。

 

 ティッタは彼に同情などしない。すべて自業自得だ。

 だが、あんな死に方を見たせいか今一つすっきりしない気分だ。

 もう少し何とかならなかったのかな。と思いながらティッタは中央区へと向かって行った。

 

 

 

 

 

 

――『――の魔導書』576ページまでの蒐集を完了。

 

――魔導書の完成まで残り100ページを切りました。魔導書単体による自動蒐集が可能かを検討。

 

――主が居住する地点に存在する魔力の推定値の試算を開始。

 

――推定魔力値約43億。守護プログラム『ヴォルケンリッター』が保有する魔力と併せて計測した結果、自動蒐集は可能と判断。

 

――カウントダウンを開始。四ヶ月後までにページの充填に必要な魔力が集まらなかった場合、――の魔導書は独自に《自動蒐集》を開始します。



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第50話 根源はいまだ健在

 自由都市リヴォルタにて発生した騒乱から一週間後の早朝。

 リヴェルタの南にあるエルティガ王国の村の片隅にある小さな宿にて、ある男が自身の左手の中指にはめている指輪に向かって話しかけていた。

 

「……以上が今回の報告となります」

 

 男がそう告げるとすぐに指輪から深みのある男の声が聞こえてきた。

 

『フッケバイン傭兵隊は君以外全員行方不明、おそらくライラ君も含めて全員死亡したはずか……まずまずだね』

 

 その言葉に男はおや? と思う。

 

「これは意外ですね。てっきりお叱りを受けるものと思っていました。傭兵たちはともかく、数少ない銀十字の書とシュトロゼックを失ったのは、あなたにとってかなり痛いのでは? ゼロ因子適合者(ドライバー)の捕獲にも失敗してしまいましたし」

『ハハハッ! 心配はいらないよ。シュトロゼックに関してはすでに2ndが完成している。それに魔導書型のディバイダー、リアクターの制作も順調に進んでいる。銀十字の書もどきもシュトロゼックも、これからどんどん増えていくさ。ケント君も無理に引き入れる必要はない。彼には危ない爆弾が付いているしね』

「……爆弾ですか?」

『ああ。世界をまるごと吹き飛ばしてしまうほど危険な爆弾だよ。さてさて、いつ爆発してしまうやら。……それもあって君には彼の血の採取を頼んだんだが』

「申し訳ありません。あと少しだったのですが思わぬ邪魔が入りまして」

『あの金髪の騎士にやられたそうだね。リンカーコアから直接魔力を奪われたそうだが、大丈夫だったのかい?』

「……あまり大丈夫とは言えませんね。もう少しダメージが深ければ、自己対滅が起こっても不思議じゃありませんでした。正直ゼロドライバーの血どころじゃありませんでしたよ……ただ、その代わりと言ってはなんですが」

『ああ。さっき受け取った、シグナムという守護騎士の血は大切に使わせてもらうよ。実は数年前から新たな融合騎を作ろうと試みている、ミッドチルダの研究者に資金援助をしているんだが、彼に預けてみたら何か面白いものを造ってくれるかもしれない』

「新たな融合騎をですか? あなたのことでしょうからシュトロゼック開発に役立てるためでしょうけど、うまくいきますかね? 融合騎なんて大戦前には廃れた武器でしょう」

 

 男は肩をすくめながら相手に問いかける。

 それに対し指輪の向こうからは……

 

『ふむ。確かにそうだ。融合騎は扱いが難しいと文献にも載っていた。だが彼によれば、小型化によっていくつかの問題を緩和することができるらしい』

「……そうですか。まあ、僕としては報酬さえいただければそれで構いませんよ。守護騎士の血はあなたの好きに使ってください」

『すまないね……ところでカリナ君の事だが』

「あれから一週間ほど経ちますが、彼女らしき女性と遭遇するようなことは起きていません。おそらく他の適合者のように自己対滅によって死んだものかと。もし生きていて彼女と遭遇するようなことがあったとしても、何食わぬ顔で行動を共にしながら、予防処置を施すふりをしていけばいい。まともな処置もしないで一月くらい放っておけばあの女は……」

『醜い肉塊となって終わりか……溌剌(はつらつ)としている彼女の印象からはかけ離れた無様な最期じゃないか。いや、豪快な彼女らしいともいえるか。しかし、君も薄情な男だね。彼らとは短くない時間を共に過ごしたろうに。特にカリナ君とは、ともに傭兵隊を築き上げたと言っても過言ではないくらい長い付き合いだ。悲しいのならそう言ってくれても構わないよ。部下のメンタルケアも上司の仕事だ』

 

 男はその言葉を鼻で笑いながら――

 

「冗談でしょう。1stが壊れてしまった以上、あれを預けていたカリナを監視をする必要もなくなりました。あなたにとっても僕にとっても彼女はもう用済みですよ。……それで、これからはどうすれば?」

『そうだな、念のためカリナ君に見つからないように、飛行魔法は使わずに徒歩で聖王都に向かって、あちらの次元港からこちらに来てくれ。ほとぼりが冷めるのを待つ意味もあるから、長期休暇だと思って半年くらいかけても構わんよ』

「わかりました。お言葉に甘えてしばらくのんびりさせてもらいます。そちらに着いた時はまたよろしくお願いしますよ……オールズ・ヴァンデインさん」

 

 そう言ってから男は指輪状のリアクターをはめている左手をおろす。

 

 

 

 

 

 男の名はフォレスタ。一週間前までフッケバイン傭兵隊の参謀を務めていた男だ。

 彼は元々オールズが経営する商店で経理を務めている男だったが、オールズが密かに行っていた実験によって、エクリプス因子を植え付けられ適合者となった。

 その日以来エクリプスによって様々な力を身につけた彼は名前を変え、オールズに命じられた仕事をこなすようになった。

 彼のようにオールズの下で直接働いている適合者は他にもいる。スカラという次元船リベルタの操舵手もその一人だ。

 

 一年半ほど前、フォレスタはオールズのもとでカリナ・フッケバインという適合者と引き合わされ、しばらくの間彼女と行動をともにするように命じられた。

 カリナの補佐をしつつ彼女とオールズとの間を取り持ち、そのうえである処置を定期的に彼女に施してほしいと。

 フォレスタはその命令を粛々と受けたが、内心ではかなり憤っていた。

 オールズのもとを離れ、これからはそこにいる傭兵見習いの世話をしろというのだ。フォレスタにとってそれは解雇を告げられたに等しい。

 元々は経理としてオールズの補佐を務めていたほどの知力に加え、エクリプスによって強大な身体能力を得、そのうえオールズから下された命令を忠実に遂行してきた自分がなぜこんな仕打ちを受けるのか?

 かなうのならエクリプスの殺人衝動に従ってこの場で二人を絞め殺してやりたい気分だった。

 だがそれはできなかった。

 フォレスタは常人と比べたら並外れた力を持っているが、適合者の中では戦闘向きとはいえない。

 そんな彼が硬化能力を持つカリナやオールズと戦っても、結果は火を見るよりも明らかだろう。

 特にオールズは本物の銀十字の書から力を得ている《支配種(ドミナント)》だ。彼に勝てる者などこの世に存在しない。いるとしたら、いまだこの世に現れたことがないゼロ因子適合者(ドライバー)だけだろう。

 

 とにかく、そういった経緯で不本意ながらもフォレスタは命令通り、カリナと彼女に預けられたライラ・シュトロゼックと行動を共にすることにした。

 カリナはリヴォルタに根を下ろし自警団として街の治安を守りながら、裏ではオールズが指定した村を襲ってそこに住む者を皆殺しにし、ごくまれに現れる適合者をさらってはオールズのもとまで連れて行った。

 オールズはその適合者たちに合ったディバイダーとリアクターを作り、惜しみなく与えていった。禁忌兵器(フェアレーター)に代わる新たな兵器を試すための実験台(モルモット)として。

 

 やがてカリナは自らが抱え込んだ適合者たちとともに、『フッケバイン傭兵隊』を立ち上げた。当然のようにフォレスタも傭兵隊の中に組み込まれていた。

 そして、依頼主との交渉や作戦の立案などを担当していた彼が参謀と呼ばれるようになるのは当然の流れだった。

 だが、フォレスタにはそれ以上に重要な役割があった。

 カリナをはじめとする適合者たちに、殺人衝動や自己対滅を抑える処置を施すという役割が。

 フォレスタやスカラのようなオールズ直属の部下と違い、カリナを含めた雇われ者にはこの処置の手順は知らされておらず、カリナたちに施す処置に関してはフォレスタに一任されている。

 言い換えれば、フォレスタが彼女らの命を握っているということだ。

 フォレスタは最初からそれが意味することに気付いていたが、彼女らごときの命を握ったところで優越感や支配感を感じるような(たち)は彼にはなかった。

 

 だが、その生活もついに終わりを迎える。

 

 始まりは一月前、ヴァルカンという、カリナの言うことさえまともに聞かないほど扱いづらい男を傭兵隊に入れることになって、しばらく経った頃の話だ。

 いつものようにフォレスタはオールズと連絡を取り、カリナたちの状況をオールズに伝えてすぐ、彼からベルカを切り捨てる計画を打ち明けられた。

 

 オールズが率いる『リヴォルタ・ワッフェギルド』は、リヴォルタの武器商人を束ねる同業者組合だが、裏では各国に禁忌兵器を売りさばく密売組織という顔を持っている。フォレスタも適合者になる前から組織の一員として働いていた。

 しかし、各国に放っている連絡員や間諜、買収した貴族からの密告によって、聖王連合とダールグリュン帝国に、密売組織の存在と本拠地を突き止められたことが判明した。

 またそれと同時に、禁忌兵器による土壌の汚染が原因で農作物の収穫量が減少するという事態が聖大陸各地で起こった。

 そのためオールズは組織の切り捨てと別の次元世界への移動を決断し、それを実行に移すことにした。

 切り捨てと移動自体は簡単だ。

 禁忌兵器の密売に関わっていたギルドの人間を始末してから、次元船で別の世界へ飛べばいい。

 だが、それには問題もあった。

 次元港のないリヴォルタで次元船を動かせばどうしても街全体が揺れるほどの衝撃が発生するし、ギルドの職員が大勢死んでオールズだけが行方不明ではあまりに不自然だ。

 街全体で騒ぎを起こす必要がある。街が揺れてもそれどころではなく、ギルドの職員がほとんど死んでオールズだけが行方不明になってもおかしくないほどの騒ぎを。

 街全体が賊に襲われるくらいのことが起きればちょうどいいのだが、リヴォルタには数十もの傭兵団が駐在していて、数だけなら他国の軍隊に引けを取らない。

 並大抵の盗賊団では街区一つ陥とすこともできないだろう。しかも、彼ら自身が地震に慌てふためいて逃げ出すようでは話にならない。

 何千もの傭兵たちを蹴散らすことができて、地震程度の事が起きても襲撃を止めることがない集団、その意味でフッケバイン傭兵隊と傀儡兵(ゴーレム)はまさにうってつけといえた。

 

 そして計画は実行に移された。

 しかし、いざ事を起こしてみれば予想外の事態が次々と起こる羽目になり、フォレスタはその対処に追われることになってしまった。

 まず一つ目は闇の書の主と守護騎士たちがリヴォルタにやって来たことだ。

 彼らは襲撃を目の当たりにすると、当然のようにゴーレムと傭兵隊を止めに来て交戦を始めた。

 二つ目はその戦いにエリザヴェータという帝国の貴族令嬢までもが加わったことだ。

 《闇の書勢》と仮称するが彼らだけでは傭兵隊、特にカリナを倒すことはできなかっただろう。

 だが、フォレスタにとってこの二つは些細なことだ。元よりフッケバインたちが倒されようとかまわない。オールズが切り捨てる組織には、フッケバインたちも含まれているからだ。

 問題は闇の書の主、ケントが適合者になってしまったことだ。しかも、適合速度や各能力の急激な獲得などから、ケントはゼロドライバーになった可能性が高い。当然それを知ったオールズは彼が死んだり、逆にカリナが倒された場合に備えて、血だけでも採取しておけとフォレスタに命じてきた。ついでに守護騎士の血も誰か一人でもいいから採ってこいとも。フォレスタがシャマルの攻撃を受けたのはそのせいといってもいい。

 

 何はともあれ、フォレスタ以外のフッケバイン傭兵隊は全員死亡し、オールズと市長や有力議員など利用価値がある彼の友人たち、その手足となる一部の人材たちは新天地へ旅立っていった。計画自体は成功したと言っていいだろう。

 粒子状になって消滅した1stといい対滅で死んだ傭兵たちといい、誰一人としてはっきりと死亡を確かめられないのがもどかしいが、彼らが生きていたとしても処置を受けずに一月も経てば……。

 

 

 

 

 

 巷でリヴォルタ騒乱と呼ばれている事件から一週間。 

 シャマルに魔力を奪われ昏倒しながらどうにか意識を取り戻したフォレスタは、リヴォルタから脱出して南へと向かい、エルティガという国の小村に留まっていた。

 雇い主への報告を済ませた彼は新聞を手に取り、一面に大きく書かれた記事に目を通している。

 

(傭兵団に逃げられ防衛力を失ったリヴォルタを併合するのは連合か、帝国か? ……議会の一部では北にあるグランダム王国との統合を主張する声もあり――)

 

 グランダムという言葉を目にした途端、フォレスタは新聞を卓に放り投げる。

 そのグランダムの王、ケントがゼロドライバーなんかになったせいで余計な仕事が増えて、自分は危うく対滅寸前のダメージを負う羽目になったのだ。しばらくはグランダムや闇の書という言葉は見たくも聞きたくもなかった。

 そんな時、彼の耳に扉を叩く音が聞こえてくる。

 

「フランツ様、朝食を届けに来ました」

「ああ。今開けます」

 

 ちょうどいいところに来てくれたと思いながら、フランツことフォレスタは扉に向かう。

 いつもは宿を営んでいる中年の夫婦のうち、妻が食事を届けに来てくれるのだが彼女にしては声が若い。娘でも帰ってきているのだろうか?

 そう考えながらフォレスタは扉を開けて女給に言葉をかける。

 

「ありがとうございます。ちょうどお腹が空いたところで――!」

 

 女給の顔を見た途端、フォレスタは反射的に扉を閉めようとした。

 だが女給は扉に右手をかけ、恐るべき力で押さえつける。

 

「おいおい、メシを届けに来てやったのにそれはあんまりだろう。早く中へ入れろよ。こんなとこで大きな音出したら他の客にも迷惑だ」

 

 その娘は長い黒髪の上に白いキャップを付け、不格好なワンピースに前掛けを付け、朝食を載せたトレイを両手に持った、一目見ればどこにでもいそうな女給だった。

 だが、短い袖から出ている腕には刺青のような羽根の模様が刻まれており、なにより彼女の顔はフォレスタもよく知っているものだった。

 

「や、やあカリナ、無事だったんですか。心配していましたよ……」

 

 給仕の格好をしているカリナに向けて、フォレスタはひきつった笑みを向ける。

 オールズにはカリナと遭遇しても何事もなかったような顔で対滅が始まるまで待てばいい、と豪語していた彼も、いざカリナと鉢合わせたら動揺を隠すことができずにいた。

 

「――ぅ!」

 

 カリナは右手を扉から離し、瞬時にフォレスタの口を押さえる。

 

「おっと、大きな声を出すんじゃないよ。もうカタギには手を出さないって決めたのに、あんたに騒がれたら早々にそいつを破る羽目になっちまう」

 

 カリナはフォレスタの口を押えながらそのまま彼を押し込み、片足で扉を閉めながら部屋へ入る。

 フォレスタを奥へと押しながら、カリナは卓の隣まで進む。

 カリナはそこで卓の上に無造作に放られた新聞を見つけ、左手に持ったままの食事を卓の上に置き、代わりに新聞を手に取ってその記事を見た。

 

「やっぱりあんなことがあったんじゃ今まで通りのままってわけにはいかないか。……『議会の一部では北にあるグランダム王国との統合を主張する声もあり、リヴォルタに滞在しているグランダム王との接触を図る議員もいるのではないか』……ふーん、ケントにとってこれは吉報となるか、それとも凶報となるか。私が言えた義理じゃないけど、あいつもつくづく厄介事に巻き込まれるねえ」

 

 そう言いながらカリナは左手首を動かし、新聞を床に放る。右手はフォレスタの口をふさいだままだ。

 カリナは首を巡らせてフォレスタを見る。

 

「さあて、久しぶりだねフォレスタ。あんたはさっき私を心配してたって言ってたけど、私の方はあんたが無事でいるってわかってたよ。あんたって抜け目ないから」

「――――」

 

 カリナの言葉にフォレスタは何かを言おうとするものの、口をふさがれているためそれは言葉にならず、こもった音だけが彼の口から漏れる。

 

「悪知恵も回るしね。処置に必要な物なんてそこら中にあんのに、滅多に手に入らない物だって言って、おっさん(オールズ)から送られてきているふりをし続けて、私らの命を握ったり」

「――っ! ――っ!」

 

 フォレスタはカリナの腕を握り彼女の手をどかそうとしながら、必死で何かを言い返そうとする。だが、フォレスタの力ではカリナの手をどけることはできず、こもった音が漏れるだけだ。

 

「要するに、あんたがしていた小細工なんてとっくの昔からお見通しだったってわけ。おっさんにとって私らはもうお払い箱みたいだし、退職金代わりにそろそろ教えてくれない? 対滅を抑える処置の手順と、あんたが知りうる限りのディバイダーとリアクターの作り方を」

「――!」

「今から手を離すから必要な事だけ喋って。余計なこと言おうとしたり大声出そうとしたら、その瞬間にこの宿にいる人たち全員皆殺しにして、あんたもじっくりいたぶってから殺すつもりだから。楽に死にたかったら言うとおりにするんだね」

 

 そしてカリナは右手をフォレスタの口から離した。

 

 

 

 

 

 恰幅のいい中年の女性が食事を載せたトレイを両手に持って、三日前からこの宿に泊まっている客の部屋の扉を叩く。

 

「フランツさん、朝食持ってきたよ。遅れてごめんね。なぜか前掛けとキャップがなくなって、替わりのを探しててね……」

 

 女性は扉の前でしばらく待つものの、いっこうに返事が返ってこない。

 

「フランツさん、フランツさん! …………」

 

 何度呼び掛けても向こうから返事が来ない。

 遅れたことを怒っているのかと思ったが、温和そうな彼からは少し考えにくいことだった。

 

「フランツさん、いるのかい? …………入るよ」

 

 女性は扉の取っ手に手をかける。鍵はかかっておらず扉はあっさりと内側へ押されていった。

 それと同時に女性の目にフランツと名乗っていた客の姿が映る。

 

「何だ、いるんじゃないかい。遅れたけど今日の朝食――」

 

 そして次の瞬間、宿中に女性の悲鳴と食器が落ちる音が響いた。



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第51話 好意

 ダールグリュン帝都・帝城

 

 帝城に参内している貴族や、宰相をはじめとする文官の長たちが見守る中で、一人の男がひざまずいていた。

 自身の前にある玉座に座る者に対して彼は口を開く。

 

「フィアット侯ダスター、御前に参上仕りました」

「よい、早く顔を上げよ。形式ばった謁見など早々に済ませて、お互い自由の身になろうではないか。余にとってここは窮屈で敵わんのでな」

 

 玉座に座る女はぞんざいな口調で顔を上げるように促す。

 男は顔をしかめるもそれを矯正してから顔を上げた。

 

「はっ。ご高配を賜りこのダスター、この上ない幸せにございます」

 

 薄緑の髪をした彼はダスター。帝国内でフィアット領という領地を持ち、侯爵位についている男。

 対して玉座に座り、退屈そうに頬杖をついている女はゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。このダールグリュン帝国の皇帝だ。

 ゼノヴィアの態度に不満を覚えながらも、ダスターは言葉を続ける。

 

「かつては陛下に対しぶしつけなお願いを申すような真似をしたこの私に一軍を預け、出陣の命をくださったこと誠に感謝に堪えませぬ。このご恩は帝国の版図拡大に一身を捧げることで報いたいと存じます」

「ぶしつけな願い…………ああ、国の奪還とグランダム侵攻に協力しろと言ってきたことか。そうか、お前は確かあの国の王子だったな……クククッ、なるほど、どおりでこの遠征を仕切りたがるわけだ。よほど故国を滅ぼしたグランダム王が憎いと見える」

 

 彼がある国の王子だった事を思い出したゼノヴィアは、彼とグランダムの因縁の事も思い出し、先ほどまでとは一転して上機嫌そうに肘掛けに両手を置いて、ダスターの方へ身を乗り出す。

 しかしダスターは自身の野心を表に出さず、

 

「そ、それは違います陛下! 私は陛下から頂いたご恩に報いたいが為に、此度の遠征の指揮を執りたいと――」

 

 顔を真っ赤にして言い返そうとするダスターの様子に、長い口上の気配を察したゼノヴィアは、面白くなさそうに手を振って彼を制した。

 

「わかったわかった。要望通りそなたにはリヴォルタ平定の任と八万の兵を与える。それを持ってかの地の平穏を取り戻してまいれ……ただし、わかっておろうな?」

「無論心しております。この私が帝国の臣民となるリヴォルタの民を害するような愚など犯すはずがありません。陛下はこの帝都で心安らかにリヴォルタ併合の報せをお待ちください」

 

 それからいくらかのやり取りをかわしてダスターは立ち上がり、ゼノヴィアに背を向け歩を進める。

 謁見の間を後にするダスターの青い右眼と黄色い左目は獰猛な輝きを放っていた。

 

(八万か、リヴォルタ制圧どころか、そのままグランダム侵攻に踏み込むにも十分な数だな。まあ、リヴォルタを制圧した後はその軍は使えんとしても、リヴォルタから搾り上げればグランダムごとき小国を滅ぼすのに必要な兵はすぐに調達できる。あのボンクラ王子の間抜け面が恐怖で歪むのが目に見えるようだ。奴を晒しものにしながら俺は凱旋を果たし、ディーノ王に返り咲いてやる!)

 

 帝国領フィアットを治める侯爵にして、元ディーノ王国王子ダスター・D・L・ディーノはグランダム王国とケントへの復讐に燃えていた。

 

 一方、ゼノヴィアは玉座から腰を浮かせながら、これからの事に考えを巡らせる。

 

(……さて、これで連合はどう動くか。リヴォルタはあやつらに取っても喉から手が出るほど欲しい要所。我が帝国から数万もの軍勢が出てくれば、奴らも動かざるを得んだろう。もし動かなかったとしたら……)

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ騒乱から一週間、東区の料理屋にて。

 

「はいケント様、あーん♡」

「……」

 

 語尾に桃色の記号を付けながら、エリザは満面の笑みで、俺の口元に向けてほくほくのじゃがいもを挟んだ箸を近づけてくる。

 一体どうしたらいいのか俺は迷って、助けを求めるように同じ卓を囲んでいる騎士たちの方を見るが、最初は呆気に取られていた彼女たちも、今はこちらを見ようともせず食事を進めている。

 ……どうしてこうなった? 

 そもそもエリザってこんな奴だったっけ?

 

 

 

 

 

 一週間前、爆発に乗じて姿を消したカリナを追おうとした矢先に俺は気を失い、それから昨日までほとんどベッドで横になっていた。

 シャマルを中心とした騎士たちの手厚い看病のおかげもあって、俺はこうして東区の異世界風料理店まで外出できるまでに回復したのだが、それに思わぬ人物が付いてきた。

 今も箸の先を差し出しながら、俺が口を開けるのを待っているエリザである。

 エリザ。フルネームはエリザヴェータ・ダールグリュン。

 思っていた通り、彼女はダールグリュン帝国の一角を治める名門貴族の令嬢だったがそれだけではなかった。

 なんと、あの雷帝の異名を持つ皇帝ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュンから直々に武術の指導を受けている愛弟子でもあるというのだ。どおりであそこまで強いわけだ。

 もちろん、彼女が雷帝から教わっているのは武術だけではないだろう。対外政策などの政治面についても薫陶を受けているに違いない。それを踏まえて振り返ってみれば、ディーノ併合によって故郷を失ったヴァルカンに対する罪悪感に苛まれていた俺を叱咤した、彼女の言動にもうなずけるものがある。

 そのエリザが今はどうして俺に食事を食べさせる真似なんかしているんだ? 一週間前とはまるで別人だ。双子の姉妹だと言われた方がまだ納得できる。

 

 

 

 

 

「もう、ケント様。早く食べないと料理が覚めてしまいますよ」

 

 エリザは箸を差し出したままむくれた顔を見せる。

 少し視線を下げればワンピースの隙間から彼女の大きな胸の谷間が見え、迂闊にも思わずそちらに視線を止めてしまう。

 

「――!」

 

 そんな俺の視線に気付いたエリザは、

 

「ほらケント様、もっと口を開けて! まだまだ料理はあるんですから」

 

 怒るどころかさらに近づいてきた! 

 それどころか左腕に胸が当たっているんだが。

 

「い、いや俺は自分で食べられるから、エリザは自分のぶんを食べてくれ」

 

 俺はなんとかそう言うものの、エリザは声をとがらせて、

 

「何言ってるんです! ケント様は一週間前の戦いで左手にひどい傷を負ってしまったじゃないですか。だから私がこうしてケント様のお食事のお手伝いをしているんです。つべこべ言ってないで早く食べなさい!」

 

 それについていくつか言わせてもらおう。

 カリナの剣の刃を握った時に出来た左手の傷は、シャマルの治療魔法でとっくに完治している。そもそも俺は左利きではない。

 そんな俺の心中の訴えなど察しようともせず、エリザは箸を手にどんどん俺に迫ってくる。俺の腕にしっかりと胸を押し付けたまま。

 

「うっせぇな、変な意地張ってねえでさっさと食ってやれよ」

 

 ふいに向こうからそんな言葉が聞こえてきた。

 

「……ヴィータ」

 

 暗い声で俺に文句を言ってきたのは、俺から一番離れたところでぼそぼそと食事を取っていたヴィータだった。

 こっちの方を見ようともせず、黙々と食事を口に運んでいる。

 ……まだ立ち直れてないのか。

 

 

 

 一週間前の戦いでアロンドとの戦いを終えたヴィータは、俺たちと合流してからすぐに一通りの報告をしてくれたが、その後は心ここにあらずの様子で誰とも話をすることはなかった。

 それから一週間、ヴィータは騎士たちの中で唯一俺の看病に訪れることもなく、ずっと部屋にこもったままだったという。

 今日の食事に誘った時もヴィータは頑として部屋から出ようとしなかったが、ティッタの説得と、一週間まともに食べてなかったせいで襲ってきた空腹感に耐えかねて渋々付いてきた。

 しかし、正直に言えば少し後悔している。

 まさか宿の前でばったり会ったエリザが俺たちに付いてきてこのような真似をしてくるとはまったく予想していなかった。

 しかし、宿の前にいたエリザは待ちくたびれたように本を読んでいたが、まさか俺たちをずっと待ち伏せしていたのではないだろうな? ……今のエリザならありうる。

 

 

 

「ヴィータの言うとおりだね。早く食べてあげたらどうですか。国王陛下」

 

 ヴィータの隣から彼女らしくない、他人行儀な敬語と敬称で俺を促す声が聞こえてくる。

 刺すような視線を通り越して殺意がこもった目で俺を睨みつけてきたのは、俺の妹にしてヴィータの親友でもあるティッタだった。そんな目で見るな。俺だって意中の相手を失った者の前で女子(おなご)とべたべたするほど無神経ではない。

 ……それに、

 

 俺は向かい側の方に目を向ける。

 シグナムたちが最初に着ていた服のように、露出が高い黒い衣服を着た名前も知らない女子(おなご)が、俺の向かい側で食事を取っていた。

 箸を使うのは初めてに関わらず、二本の箸を上手に使って料理を口に運んでいる。

 俺の視線を感じたのか、彼女は食事の手を止めて視線を上げた。

 そのため俺は思わず彼女と視線を合わせる形となってしまった。

 彼女は気を悪くした様子も見せず、口角を上げにこりと笑う。

 その笑顔を見た途端、俺の中に羞恥心が湧いてとっさに目を背けてしまった。

 失礼な奴だと思われてないだろうな。

 そんなことを考えて俺は自分の行いを後悔してしまう。

 それに、あの女子(おなご)を見るとなぜか胸が苦しくなる。

 

「――――」

 

 気が付くとエリザはさっきまでとは違った、冷ややかな目で黒衣の女を見ていた。

 ……そして俺に向けて一層箸を近づけ、胸も押し付けて。

 

「さっ、ケント様。そろそろひもじくなってきたでしょう。いい加減に口を開けて!」

 

 人から向けられる好意に応えないのも心苦しいし、ずっとこうしているわけにもいかない。

 ――ええい、ままよ!

 俺はエリザに言われるまま口を開けて、彼女の箸に挟まれているジャガイモを口に含む。

 

「はい、よくできました! まだまだいっぱいありますからどんどん召し上がってくださいね」

 

 満面の笑顔でそんなことを言っているエリザにぎこちない愛想笑いを返していると、

 

《ありがとうございますケント様。お嬢様の好意に応えていただいて》

 

 俺の脳裏にジェフの声が響いてきた。

 当然のようにエリザヴェータとともに俺たちについて来ている彼は今、障子という紙の扉の向こうで待機している。

 障子ごしでなぜこちらの様子が分かるんだと問いたいところだが、これだけエリザがはしゃいでいれば嫌でもわかるか。ただそんなことを抜きにしても、彼にはこちらの様子はすべて筒抜けではないのかとも思う。なんとなくだが。

 

《ジェフ殿、もうわかっていると思うが、こちらはかなり困っているところだ。そろそろこっちに来て、おたくのお嬢様を何とかしてくれないか?》

《申し訳ありません。一介の使用人ごときでは主の意向に背くことなどできるはずもなく。ご迷惑でしたらケント様からお嬢様に直接お申し付けください。

 ……ただ、一つだけ忠告させていただきたいのですが、一週間前からお嬢様は連日このお店に通い詰めてお箸の使い方を習得されました。お店で出されている異世界料理がお気に召したというのもあるのでしょうが、それ以上に手ずからケント様にお料理を召していただきたかったのではないかと。

 それを承知になってなおもお嬢様の好意をはねのけようとされるのは、紳士としていかがなものかと》

 

 ……ようするにエリザの好きにさせてやってくれということか。

 まさかこんなことのために彼女がそんな努力をしていたとは。それまでは箸が使えなかったんだな。

 

《それとケント様、私に敬称は無用です。どうかジェフとお呼びください。もしかすれば、これから先あなた様が私の主となることもあるのかもしれないのですから》

 

 俺がジェフの主に? それってまさか……。

 

《……? 失礼、少々この場を離れさせていただきます。ケント様はごゆるりとお嬢様からのおもてなしを享受なさってください》

 

 ……?

 その言葉を最後にジェフからの念話が途絶える。

 小用だろうか? 数刻間の立ち番すら、そつなくこなしそうな彼にしては珍しい。

 

「さっ、ケント様。次はこのほうれん草などを」

 

 俺とジェフのやり取りなど知らず、エリザはほうれん草を挟んだ箸を近づけてくる。

 ヴィータとティッタは俺たちのことなど眼中にないのか、シグナムたちは邪魔をしては悪いと思っているためか、黙々と食事を続けている。

 黒衣の女も何もしゃべらず食事を取っているが、彼女は俺とエリザの事をどう捉えているんだろう?

 

「ケント様、あーん♡」

 

 一度追随してしまったら後は慣れたもので、俺はエリザに言われるがまま口を開く。

 そんな時だった。

 

「お食事中失礼します……あら!」

 

 俺たちの脇にある障子が突然左右に開き、丈の長い服を着た中年の女給が両膝を床に付けた姿勢で、俺たちの前に現れた。

 女給はほうれん草を挟んだ箸を手にしているエリザと、彼女に向かって間抜けそうに口を開いている俺を見て目を丸くしている。

 開ける前にノックぐらいしてくれ、と俺は思いかけたが障子のような紙の扉を叩くわけにはいかないのかもしれない。

 俺たちを見て女給は困ったように隣に視線を移す。

 彼女の隣には燕尾服を着た年配の男が立っていた。ジェフとは雰囲気が違うが彼も執事なのだろう。

 彼もダールグリュン家の執事なのかと思ってエリザを見る。

 だが、彼らを見ながらきょとんとしている彼女の様子を見る限り、違うのだろうと思い直した。さすがに面識のない人間に見られるのは恥ずかしいのか、微妙に顔が赤い……ジェフの奴、これを狙ってたな。

 俺たちと年配の執事の間をきょろきょろと視線をさまよわせる女給を差し置いて、年配の執事が障子の前あたりまで進み出てきた。

 

「お取込みのところ失礼いたします。単刀直入にお伺いいたしますが、貴殿はグランダム王国をお治めになられているケント・α・F・プリムス陛下とお見受けいたしますが、相違ありませんか?」

 

 ――!

 執事の言葉を聞いて俺を含め、部屋にいる一同が一斉に息を飲む。

 王国や陛下という単語を聞いて、女給はかすかに居すまいを正し部屋の中を見回した。

 

「……いかにもその通り、私がグランダムの国王、ケント・α・F・プリムスだ」

 

 俺が名乗ると執事はわずかに目を剥き、女給は大きく目と口を開いた。……女子(おなご)に食事を食べさせてもらう国王か。俺が彼女の立場だったらもっと大きな反応をしてしまっただろうな。

 執事はおもむろに片膝を床につけ、俺に向かって大きく頭を下げた。

 

「失礼いたしましたケント陛下! 私はリヴォルタ市議会の末席に名を連ねるテジス様にお仕えしているラキノと申します。失礼を重ねることを承知でお願いしたいのですが、お食事が終わり次第、すぐ私とともに屋敷まで来ていただけないでしょうか? テジス様が陛下にお会いしたいとのことです」

 

 突然告げられた執事からの申し出に俺たちは凍り付く。

 リヴォルタの議員が俺に会いたいだと? 一体何の為に?

 

「――?」

 

 俺は図らずして黒衣の女の方を見やった。

 今までサクサクと食事を進めていた彼女は執事の言葉を聞いた途端、急にぎこちない動きを見せるようになった。まるで何かを恐れているように。

 カリナという今までで類を見ないほどの強敵を一蹴するほどの彼女が一体何を恐れるというのだろうか?



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第52話 統合問題

 リヴォルタ市議会のテジス議員に招かれた俺は料亭を出てすぐにシグナムと、なぜかついてきたエリゼ、ジェフを連れて、南区の高級住宅街にあるというテジス邸に向かった。

 それ以外の者たちは料亭の前で別れ、宿に戻ってもらうことにした。

 大勢で訪ねても向こうを警戒させ、かえって無用な争いを招きかねない。それに傷心中のヴィータの側に誰かを付ける必要があるとも思った。

 

 

 

 

 

 テジス議員はあご髭を生やした四十代の男だった。

 彼が住まう邸宅は他国の伯爵邸に匹敵する規模の屋敷だが、建物に対して庭は意外なほど狭く、そこそこの広場がある程度だった。

 想像していたより大きな屋敷に住んでいる。それが俺が抱いた感想だ。

 

 執事が俺のことをグランダム王だと知っていたことから、当然ながらテジス議員もそのことをとうに知っていた。

 どうやら一週間前のフッケバイン傭兵隊との戦いがきっかけで、俺たちの事が街中に知れ渡ったようだ。どこかの国の王族が従者数人を引き連れてリヴォルタに滞在しているらしいと。

 その噂はたちまちテジスのような政治家たちの知るところとなった。

 テジス議員はその頃から虎視眈々と俺に接触する機会をうかがっていたらしい。

 彼は話を始めてすぐ、俺に対してこう切り出した。

 

 このリヴォルタをグランダムの領土に入れる気はないか? と。

 

 

 

 

 

 一週間前に発生した騒乱によって、リヴォルタに住んでいた傭兵たちのほとんどはこの街から逃げてしまい、今のリヴォルタは防衛力と治安維持力が欠けている状態だ。わずかに残っている傭兵たちではとても手が足りないうえに、彼らは市民たちから大きく信用を失っている。

 今はまだ住民の多くが復興にかかりきりで大きな犯罪は起こっていないが、いつ暴動が起きたり街全体が無法状態になってもおかしくないとのことだ。

 

 その対策として議会ではある案が上がっていた。

 リヴォルタを近隣に位置する大国と統合させるという案を。

 防衛どころか治安維持すらままならなくなったリヴォルタの現状を考えたら、至極まっとうな意見である。

 では連日議会が開かれている状況で、なぜそれがいまだに実行されていないのか?

 それは議会が連合派と帝国派に大きく分かれているからだ。

 どちらの国もベルカを二分する超大国でその他の国を圧倒する力を持っており、リヴォルタを守る力は十分にある。相手国の方も自国の首都以上の規模がある大都市を領土に出来るのなら快く応じてくるだろう。

 ならばどちらでもよいのでは? 

 今は一刻も惜しい時だ。意見が膠着したのならその場で多数決を取って、強硬的に採決を採るべきではないかと普通は思う。

 だが、聖王が各国に告知した《起動宣言》のことを考えるとそうもいかない。

 

 二ヶ月前、聖王は各国に対して、半年後の《聖王のゆりかご》の起動と、聖王連合に加わらないすべての国への攻撃を表明した。

 聖王のゆりかごを一度も公開しないままそんな宣言を出したことに疑問はあるが、戦乱で各国が疲弊する中で今頃になってそんな告知を出してきた以上、ただの脅しではないだろう。

 それに聖王があそこまで言った以上、ダールグリュン帝国も黙ってはいないはず。

 四ヶ月後までに間違いなく連合と帝国との間で大きな戦が起きる。その戦はおそらくどちらかが滅びるまで終わらない。

 それを念頭に置くと安易にどちらかを選ぶことはできない。決定に踏み切れないのもわかる話だ。

 多数派を組織する力を持つ市長や有力議員がいればまだ何とかなるのだろうが、彼らは一週間前の騒乱の中ほとんどが行方不明になっている。

 傭兵隊やゴーレムの手にかかったのか? テジスよりはるかに大きく堅牢な屋敷に住んでいるだろう彼らが揃って? ……おっと今はリヴェルタがどちらの国と統合するかだったな。

 頭に湧き上がりかけた疑問を抑えつけて、統合問題の方に頭を切り替える。

 

 連合と帝国。どちらの国に己が街を託すかで議会が割れる中、テジスをはじめとした一部の議員が両派とはまったく異なる案を出した。

 リヴォルタの北にあるグランダム王国との統合も視野に入れるべきだと。

 当然ながらその意見はまったく相手にされず、両派はすぐにテジスたちそっちのけで議論を再開させたという。

 当然だ。ここ数ヶ月の間にディーノとガレアを攻め落とし版図を広げたとはいえ、グランダムは二国と比べれば吹けば飛ぶくらいの小国でしかない。そんな国と組んだところで街を守るどころか、周辺国からの侵略を招くのではないか。

 俺だってそう思う。のだがテジス議員の考えは違うらしい。

 彼の考えによれば、リヴォルタが連合か帝国の領土になることでリヴォルタを巡り、かえって二国間の戦争が早まる恐れがあるのだと言う。

 だが、連合にも帝国にも属さない第三国がリヴォルタを併合することで二国は矛を収め、結果的に争いの芽を摘み取ることができるのではないかとテジス議員は考えた。

 

 これまでの話の合間合間に議員は俺に、連合や帝国をどう思うか? なぜグランダムはどちらにも与しないのか? などを雑談という形で探り、俺はそれらに対して正直に自分の考えを伝えた。

 その結果とガレア戦での戦績も踏まえたうえで議員は、グランダムという国にリヴォルタを預けたいと言ってきた。

 

 その話を聞いて俺は揺れた。

 もしテジス議員が危惧する通り、リヴォルタを巡って連合と帝国が戦いを始めるようなことが起これば、聖大陸全土にわたる危機だ。ゆりかごの起動を待たずして大戦が始まってしまう。

 グランダムがリヴォルタを併合することでそれを防ぐことができるかもしれないのなら、検討してみる価値はあるだろう。

 それにこれはグランダムにとっても悪い話ではない。いや、包み隠さずに言えば思わぬ収穫だ。

 リヴォルタはベルカ隋一の都市と言われるほど発達した都市で、経済力も一都市としてはずば抜けて高く、この街を統治下に収めることができれば計り知れないほどの税収が見込める。復興債の利息など余裕で払える上に、十年後の債務自体の返済さえ見込めるほどの巨額な歳入が。

 しかし、やはり懸念もぬぐえない。現にその話が出た時にエリザは難しい顔で俺を見つめていた。後で話があると彼女の目が無言で訴えている。

 

 

 

 

 

 

 テジス議員に考える時間が欲しいと告げて、俺たちは屋敷を後にし帰路についた。

 エリザが住んでいた別荘もこの住宅街にあるらしいのだが、一週間前の騒乱以降、その別荘は避難所となっていて、今も家を失った多くの人々が暮らしているという。中には豪華な別荘から出て行きたくないだけの者もいるらしいが、エリザとしてはあの別荘はもう捨てた気でいるので好きにしてくれと思っているとのことだった。

 エリザは現在、住宅街の入り口付近にある議員や富豪御用達の高級宿に滞在しており、執事たちは近くの宿に泊まりながら、ローテーションでエリザの世話をしに高級宿に通っているらしい。

 

 エリザが泊まっている高級宿の前でテジス家の馬車から降りた俺たちは、今度はエリザが用意した馬車に乗り込んだ。

 その馬車の中で、俺とシグナムの視線を浴びながらエリザは開口一番に尋ねてきた。

 

「……どう思います?」

「グランダムとリヴォルタの統合についてか?」

 

 俺の問い返しにエリザはこくりとうなずく。

 

「……議員の言うことにも一理あると思う。リヴォルタを巡って帝国と連合が戦うことになれば元も子もない。もし、そうなったらリヴォルタは間違いなく戦に巻き込まれ、滅ぼされてしまう。ここはあえて中立を保っている国と手を組むのも一つの手だろう」

「私は反対です!」

 

 エリザはぴしゃりと言った。

 

「……まあ、お前はそう言うと思っていたよ」

 

 帝国の人間としてはそう答えるのが正しいのだろう。

 だが、納得する俺の横でシグナムは不敵に笑いながら告げる。

 

「リヴォルタを併合してグランダムが大きくなるのが恐ろしいか?」

 

 その言葉にエリザはむっとしてシグナムに鋭い視線を向け、すぐにぷいと視線をそらして言った。

 

「正直に言えばそれもあります。あなた方の恐るべき力は一週間前に思い知らされましたから。それに帝国がリヴォルタを手に入れて、更なる発展を遂げることを望むのは帝国貴族として当然でしょう。……ですがそれらを差し引いて、あなた方の友人としての観点から見ても私はあの話に反対です」

 

 友人という言葉にシグナムはかすかに目を見張る。

 だが、エリザはそんなことお構いもなく、俺に顔を向きを戻しながら続けた。

 

「もしあのテジスという議員に勧められるまま、貴国がリヴォルタを手中に収めたら帝国は、皇帝陛下は何とお思いになるでしょうね? 帝国との合一を望む議会の意向を無視して、グランダムがリヴォルタを侵略した。とお考えになるかもしれません」

「馬鹿な!? あの男は確かにグランダムとの統合を望むと言っていたぞ! 帝国との統合などたかだか議員数百人が主張しているだけだろう! それに議会とやらには帝国派と変わらない数の議員が連合入りを望んでいると聞くが、それはどうなる?」

 

 シグナムは激高しながら立ち上がり、エリザに詰め寄ろうとするものの、俺はシグナムを押さえ何とか座らせる。

 エリザは涼しい顔でそれを眺めながら言った。

 

「連合も同じです。連合と手を取り合うことを望む声こそがリヴォルタの民意。それを踏みにじるグランダムは連合とリヴォルタ双方の敵、聖王陛下に弓引く逆賊も同然。そう言ってグランダムに攻め込もうとするかもしれませんね」

 

 エリザがそこまで言うと、シグナムも彼女が何を言おうとしているか察してあんぐりと口を開いた。

 

「それを口実に、帝国や連合がグランダムに侵略を仕掛けてくるということか!」

「最悪の場合、そこで二国が衝突して大戦が始まってしまうかもしれません」

 

 俺がたどり着いた解答を肯定しながらエリザはそう付け足す。

 グランダムがリヴォルタを併合しても大戦が起こってしまうかもしれないのか。

 確かにその可能性は十分ある……いやむしろ、

 

「むしろ帝国か連合がリヴォルタを併合した方が、事を荒立てずに済むかもしれません。この二国がぶつかることの恐ろしさは、我々も中枢王家もわかっていますから(おば様ならやりそうですけど)」

 

 ……そういう考え方もあるか。小国が下手に首を突っ込むことで事態を悪化させかねないと。

 

「私としては帝国派か連合派に加わるように、あの議員様を説得することをお勧めします。帝国派に加わるようにするというのなら私も助力ができるのですけど」

 

 そう言ってエリザは口角を吊り上げる。

 ああ、そうだ。俺の知ってるエリザは、隙あらばこんな風に主導権を握ろうとする女だ。やはりこちらの方が彼女の素なのだろう。

 そんなエリザにシグナムは何か言い返そうとするが、反論するための言葉が見つからないのか、うぐぐとうなる。

 エリザは勝ち誇ったようにふふんと笑い、しばらくしてから笑みを消して言った。

 

「もっとも、私にとっては戦が起こる危機さえなければ、貴国がリヴォルタを治めるのも悪くないのですけど」

 

 エリザのその言葉に俺とシグナムは眉をひそめる。

 

「なんでグランダムがリヴォルタを手にするのがお前にとって悪くないことなんだ? 帝国にとってもリヴォルタは何としてでも手に入れたい要所だろう? お前はその帝国の貴族で……」

 

 思わず問いかけた俺にエリザはすぐに答えず、懐に手を入れる。そしてすぐに懐から何重に折られた一枚の紙を取り出した。

 エリザはその紙を焦らすようにゆっくりと広げていく。

 紙が目一杯広がったところで、エリザはその紙を眺めて満足げな笑みを浮かべてから、俺たちに見えるように紙の向きを変えた。

 

「――あっ!」

「……?」

 

 それを見て俺は思わず声を上げた。一方でシグナムはそれが何なのかわからずきょとんとしている。

 その紙の一番上には【グランダム復興債】という文字が記されており、さらに紙の右下には俺のサインがしっかりと書かれている。

 エリザが手に持っているのは、まぎれもなくグランダム復興債の債券だ。

 あっ! 思い出したぞ。確か以前目にした債権者名簿の中にエリザヴェータ・ダールグリュンという名前があった。債権の大半を皇帝に握られたことと、その負債を返すことに気を取られてすっかり忘れていた。

 ……待てよ、それをエリザが持っているということは、エリザは俺が抱えている債権の貸し手というわけで。

 

「そういうわけで、貴国が再び財政難に陥ると私も困るんですよ。そうなるくらいならリヴォルタを併合して税収を確保していただいた方がまだいいんです……ただ」

 

 そこまで言ってエリザは一層笑みを深め、

 

「万が一返せなくなったら、お金以外の方法で払ってもらわないといけませんね……ケント様の体とか」

 

 そう言ってエリザは俺とシグナムの間に割ってきて、俺にしなだれかかってきた。

 俺は助けを求めるようにシグナムの方を見るが、彼女は大したことではないと判断したのか、俺たちから視線を外し外の景色を眺めていた。

 この債務、何としてでも返さないと……とは思うのだが、俺の腕に乗せられている柔らかい物体の感触を覚えるにつれ腕を引っ込めようとはしながらも、彼女に対しては金以外で返すというのも悪くはないかもしれないとちょっと思ってしまった。



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第53話 月のような髪

 中央区、リヴォルタ市議会。

 

「グランダムと統合だと!?」

「気でも狂ったかテジス?」

 

 壇上に立つあご髭を生やした中年の男が一通りの意見を述べた途端、彼は聖王派と帝国派双方の議員から一斉に野次を浴びせられる。

 それに対しテジスは、

 

「それも一つの選択肢ではないかと言っているのです! 強国だからといって、安易に連合や帝国に飛びつくのではなく、それ以外の方法も検討すべきではないかと。その一つが連合にも帝国にも属さないグランダム王国との統合なのです!」

 

 そう勢いよくまくしたてるのは、中立派、もしくは慎重派と()()で呼ばれている派閥の中心人物テジス。壇上で彼は言葉を続ける。

 

「確かにグランダムは連合や帝国と比べれば、国力ははるかに劣る。しかし、独立国の中ではもっとも強い国です! かの国がつい二ヶ月前にガレアに勝ったことをお忘れか? ガレアは数百年間、多くの国を滅ぼした恐怖の国でした。このリヴォルタも侵略の危機と無縁だったわけではない。そんな国にグランダムは侵略され、国家存亡の危機にさらされながらも、ついに勝利を掴み取ったのです。リヴォルタを守る力も十分にあるでしょう。

 それにグランダムの国王ケント殿は自国の平和と民の安寧を第一に考える立派な方です。属州だからといって圧政を敷くような王ではありません。彼のような君主が治める国と手を結べば、このリヴォルタはよりよい未来を望むことができるでしょう!」

 

 テジスの言葉に響くものがあったのか、少なくない議員がうなり、腕を組みながら思案するそぶりを見せる。

 しかしそこで、

 

「ちょっといいかね?」

 

 最前列に座っている初老の議員が手を上げるとその場の空気が一変する。

 議長の許可を得て彼はテジスにただ一言尋ねた。

 

「グランダムが連合や帝国から攻撃を受けたらどうする?」

「そ、それは……」

 

 その問いにテジスは言葉を失う。

 口ごもるテジスに初老の議員は続ける。

 

「いいかい。このリヴォルタは連合にとっても、帝国にとっても、極めて重要な要所だ。ここを巡って二国が戦を始めるようになるかもしれないというのは、私にもわかるよ。だからこそ、そんな要所をグランダムなんかが手に入れたら、二国はリヴォルタを奪おうとグランダムに戦を仕掛けるかもしれない。グランダムがそこらの国より強いのはわかった。しかし、連合や帝国に勝てるほどなのか?」

「……」

「グランダムが攻撃されたらその矛先は間違いなくこちらにも向く。そうなったら同じことだ。いや、むしろ連合か帝国の領土になれば、もう一方は相手の国を恐れて引き下がるかもしれない。こちらの方が望みがあると思うがね」

「……っ」

 

 そう説かれてテジスはうなだれた。返す言葉がなかった。

 それを見て初老の議員を含めた帝国派と聖王派の議員は嘲笑する。

 

「まったく、これだから“グランダム派”は」

「会議を再開しよう。テジス議員、席に戻りたまえ。我々は忙しいんだ。連合と帝国のどちらにリヴォルタを預けるかを、話し合わねばならんのでな」

 

 テジスは何も答えず肩を落としながら、自身の席へ戻ろうと壇上を降りようとする。

 その時――

 

「し、失礼します!」

 

 何の前触れもなく扉が開かれ、男が議場に飛び込んでくる。丈の長い外套状の魔導着を着ていることから、塔兵と呼ばれる観測塔から空を見張る傭兵だと見て取れる。

 

「な、何だ君は!?」

「傭兵ごときが神聖な議場に何の用だ?」

 

 議員たちが野次をとばす中、塔兵はしばらく戸惑ってその場に立ち尽くしたが、たまりかねたのか彼はやがて大きく口を開いた。

 

「に、西から帝国軍と思われる軍勢がこの街に向かって来ています! その数はえっと……な、何万かはいるものかと!」

「て、帝国軍だと!?」

「馬鹿な!? 帝国と統合するなどまだ決まっては」

「まさか、帝国派が勝手に向こうに要請を?」

「い、いや知らん! わしは知らんぞ! お前はどうだ?」

 

 塔兵の言葉に議場は騒然とする。そんな中テジスは、

 

(帝国軍だと? 議会の決定を待たずにリヴォルタを占領するつもりか……しかしそんな真似をすれば連合が黙っていないはず……それはまずい)

 

 そこまで考えてテジスは塔兵に声をかけた。

 

「……君、すぐに帝国軍のところへ向かって、彼らに引き返すように通達してくれ」

「ええっ!? 俺がっすか?」

 

 驚き戸惑う塔兵にテジスはうなずく。

 

「リヴォルタは自らの意思でいずれかの国と統合することはあっても、武力による侵攻に屈するつもりはない。それを軽んじる行いは帝国、ひいてはゼノヴィア皇帝の名誉を失墜することになりかねない。そう伝えることでなんとか彼らを思いとどまらせるんだ」

「ま、待ちたまえ!」

 

 横からの割り込んできた声に、テジスと塔兵は声の方に顔を向ける。

 

「そうやって短慮に決めつけるものではない。ゼノヴィア皇帝が略奪を許さない仁君であることは君も知っているだろう。おそらく治安を守ることがままならなくなったこの街の状況を憂慮して、軍を送ってきてくれたのだ。ここは帝国軍を受け入れて、彼らに治安の維持を任せてみるべきでは? その間に我々は今後の方針を決めていけばいい」

「帝国軍を街に入れた時点で、我々には帝国に帰順するしか道がなくなるではないか! まさか貴様それを狙って」

「バカな、わしはこの街のことを考えて――」

 

 こんな状況に関わらず、連合派と帝国派は不毛な言い争いを始める。

 それをテジスと塔兵は唖然とした顔で眺めていた。

 

(こんな時に論争などしている場合か。呆れた奴らめ……まずい、帝国軍だけならまだしも、それに続いて連合の軍までリヴォルタに入り込んできたら、この街は戦場になってしまう。それだけは避けねば……待てよ、彼らならもしかすれば)

「あの、俺はもう行ってもいいでしょうか?」

 

 顎に手を乗せ何やら思案しているテジスに塔兵が声をかける。テジスは「待ってくれ」と片手を上げながら塔兵を制した。

 

「君はグランダムという国を知っているか?」

「えっ……ええ、それくらい知ってますよ」

 

 塔兵はなぜそんなことをと訝しげな顔で答える。

 テジスは塔兵の様子に構わず問いを重ねた

 

「その国の国王がこの街に滞在していることは?」

「え、ええ、まあ……一応は」

 

 なぜか気まずそうに答える塔兵だったが、そんな彼にテジスは言った。

 

「そうか。では頼まれてくれないか? 彼に伝えてほしいことがあるんだが」

「ええっ……」

 

 テジスからの頼みに対し、塔兵は乗り気でなさそうな反応を示す。

 

(まいったな。絶対よく思われてないだろうし、できればあいつとは会いたくなかったんだけど)

 

 塔兵の気が進まないのは無理もない。彼とケントとの間にはわだかまりがあるからだ。

 

 

 

 

 

 

 同時刻、北区の通りにて。

 

「でやあ!」

 

 ヴィータが振り下ろした槌が頭に直撃し、賊が昏倒する。

 これで残る賊は一人だ。

 俺はそいつに刃を向ける。

 

「残っているのはお前だけだ。投降しろ」

 

 男は歪んだ形相で俺を睨みつけ、

 

「くそっ!」

 

 踵を返し、そのまま逃げて行った。

 

「あっ、待てよこいつ!」

 

 ヴィータはすぐに賊を追いかけ、俺たちもその後に続く。

 捕まったらその場で八つ裂きにされると思っているのか、それとも獲物を求めるように追いかけてくるヴィータに怖気づいたのか、賊は一心不乱に街中を駆ける。

 

 

 

 テジスというリヴォルタ市議会の議員から、リヴォルタをグランダムに統合させる構想を持ち掛けられてから三日目、あの時の返事を告げるためにテジス邸に向かおうとしていた俺たちの前で、数人の賊が商店を襲撃しようとしているところを目の当たりにした。

 賊たちは俺たちを見るとすぐに剣を抜き、襲い掛かってきたが俺たちは難なく賊を返り討ちにし、残った一人を捕まえようとして今に至る。

 

 

 

 それからしばらくして、俺たちから逃げ続ける男の前に、街の外へつながる壁門の前に立っている銀髪の女の姿が見えた。

 だが、男はそれに構わずすさまじい勢いで女に向かっていく。

 それを見ても銀髪の女はたじろぐ様子も逃げようとするそぶりも見せず、拳を引いて何かを呟いた。

 

「シュヴァルツェ・ヴィルクング」

「どけえ、女!」

 

 男はそう叫んで女に迫る。間違いなく突き飛ばしていくつもりだろう。

 それを止めるべく俺は固有技能を使おうとするが、紫色の魔力光に包まれた女の右腕を見てその必要がまったくない事に気付いた。

 男に向けて女は勢いよく右腕を突き出し、男は反射的に足を止める。

 女の右腕は男の首をかすめており、その首からはたらりと血が流れ出ていた。

 もしこれが直撃していたら……。

 そう考えた瞬間、男の背中から冷たい汗が噴き出る。

 身を縮めている男に対して女はただ一言、

 

「投降してくれないか?」

「……」

 

 それを聞いた瞬間、男は腰が抜けたようにその場に崩れ落ちた。

 座り込んだ男を尻目に、女は髪をかきあげながら顔を上げる。

 その長い銀髪は太陽の光に照らしだされて輝いているように見えた。まるで本で見たことがある月のように。

 ぽかんと彼女を見ていると彼女は途端に、おろおろしながら俺に尋ねてきた。

 

「……えっと、我が主、私は何か余計なことをしてしまったのでしょうか?」

「い、いやまさか、よくやってくれた。君のおかげで無事に賊を捕まえることができたよ」

「そうそう、お前は何も気にすんな。さっさと技能を使わねえケントがとろいだけなんだからよ」

 

 男を縛り上げながら、ヴィータは彼女に向かってそんなことを言う。

 

「ヴィータの言うとおりだ。感謝こそすれ責めるつもりは毛頭ない。ありがとう……えっと……」

 

 礼とともに名前を言おうとして言い淀む。

 それに彼女は苦笑しながら。

 

「礼には及びません。これも私の務めですから。主はどうか我らに対して毅然としていてください」

 

 そう言って頭を下げる彼女に俺は頭を上げるように促す。そんな俺たちの後ろから何やら視線が……。

 気になって後ろをちらりと見やると、ティッタとエリザが鋭い目つきで俺と彼女を見ていた。

 

(この間からまさかと思っていたけど)

(ここまで熱を上げられていたとはね)

 

 冷たい視線を向けられて居心地が悪い気分でいると、彼女は顔を上げきょとんとしながら首をかしげる。

 その仕草を見て思わずかわいいと思ってしまった。

 

 

 

 

 

 彼女は闇の書の管制プログラム――《闇の書の意思》ともいえる存在らしい。俺が知る限り他に呼び名はない。

 そのため心中では黒衣の女や銀髪の女としか呼ぶことができず、先ほどのように名前を呼ぼうとしてできないことが度々起こる(カンセイとも呼んでしまったことがあるが、あれは自分の中ではちょっとした黒歴史だ)。

 そのため彼女にせめて俺が主の間だけでも使えるような、かりそめの呼び名を考えてはいるのだがなかなかいいものが思いつかない。

 そういえばさっきも思ったが、彼女の髪はまるで月のようだな。ならば……。

 月の術式言語で『モント』……微妙だ。……月光を意味するモントリットから取って『リット』……もう少しひねりが欲しい。ならば――。

 

 

 

 

 

「おっ! こんなところにいやがった」

 

 誰だ? もう少しでいいものが浮かびそうだったのに。

 不意に上空から声をかけられ、不愉快な気分で上を見上げると、丈の長い魔導着を着た魔導師が空中に浮かんでいた。

 ――あいつ、まさか!

 俺の目から出ているだろう不快な視線を受けながら、奴が俺の前まで降りてくる。

 

「よお、久しぶりだな――じゃねえ。お、お久しぶりですね」

 

 ばつが悪そうにたどたどしい敬語で魔導師は俺に挨拶をしてくる。

 

「ああ。ヴィータがさらわれた時以来だな」

「あ、あの時はあんたがグランダム王だとは知らず、無礼なことをしてしまって……ホントに申し訳ありません」

 

 魔導師――いや塔兵はぎこちなく頭を下げる。

 こいつの事は良く知っている。

 ヴィータが賊にさらわれた時に追跡の邪魔をした挙句、傭兵団を紹介する代わりと言って賄賂を要求してきたあの塔兵だ。

 塔兵は俺や後ろにいるシグナムたちから向けられている蔑みの視線の中で、居心地悪そうにしている。

 その一方で、こいつと面識がないヴィータだけが話についていけず、こくりと首をかしげていた。

 

「それで、今日は何の用だ? あの通りヴィータも戻って来たから、今更傭兵を紹介してもらう必要はないぞ」

「えっ、ああ! さらわれたガキってあいつの事だったのか。そりゃよかったな――いや、よかったですね」

 

 ヴィータを見ながら塔兵はそう言った。

 

「俺としてはお前がまだこの街にいることの方が驚きなのだがな。てっきりあの騒乱で逃げ出したと思っていた」

「正直に言うと、俺もそのつもりだったんですけどね。でも、街から逃げようとしたら結界が張られてるのか、上空からでも出られなくなっててな。そうこうしている間に金属の異形が迫って来て、もう駄目だって思った時に、すげえ美人と執事が異形を倒してくれてよ。おかげで命拾いしたぜ!」

 

 すごい美人と執事ね……それってひょっとしなくても……

 

「ああ! ひょっとしてあなた、あの時の飛行兵?」

 

 エリザが思い出したというように、ぽんと手を打ちながら声を上げる。

 それを聞いて塔兵はエリザの方にだらしなく緩んだ顔を向けた。

 

「そうですそうです。覚えていてくれてたんですか。いやあ、あなたみたいな美人に覚えていただけるとは、俺も捨てたもんじゃあ――」

「ええ、しっかりと覚えています。兵士として街を守るべき立場にあるにも関わらず、市民を置いて自分だけ早々に私の別荘へ飛んで行ってしまいましたから」

 

 エリザの言葉に塔兵は再び気まずそうになった。よく見るとエリザは愛想笑いを浮かべているものの、眉はわずかに吊り上がっており、彼女もまたこの塔兵に対して嫌悪感を抱いているのが伝わってきた。

 塔兵は咳払いをして俺の方に向き直る。

 

「と、とにかくそういう訳で俺はもうしばらくこの街に留まることにしたんだ――したんです」

「そうか。ところで一つ言っていいか?」

「何だ――じゃねえ、何でしょうか?」

「とりあえずその敬語はやめてくれ。訂正しながらだと話が進まない」

 

 一国の王に対し礼をつくそうとしているのに悪いが、こいつに敬語で話されても違和感しか感じない。かなり横柄な不良兵士だったからな。

 

「そ、そうか? じゃあそうさせてもらうぞ。あんたがいいって言ったんだからな、後になって不敬だとか言うなよ」

「ああ。それぐらいの話し方がちょうどいい」

 

 塔兵は俺に言われた通り、ため口のまま話を続けてきた。

 

「……実はよ、俺はあれから北区を離れて西区の観測塔から、リヴォルタに侵入する奴がいないか見張っているんだが、ついさっき見たんだよ」

「見たって何を?」

 

 なぜ北区から西区の観測塔に異動したのかは置いておくことにして、塔兵に答えを促す。

 すると彼は手を広げて言った。

 

「白い鎧をまとった大軍さ。間違いない、ありゃ帝国軍だ。たぶん五万以上はいるんじゃねえかな。ちょっと見ただけだから詳しい数なんてわかんねえけど」

「――なに!?」

「帝国軍が?」

 

 塔兵の言葉に、エリザを含めた俺たち全員が一斉に目を剥く。

 帝国軍がリヴォルタに……しかも五万――いや、この塔兵の言うことだから一万か二万は誤差があると見るべきだろう。そうなると六万か七万……あるいはそれ以上。

 

「俺はそのことをあんたに伝えるように、テジスって議員から頼まれてよ。言っておくが帝国軍を何とかしてくれとか言うつもりはない。あんたらの好きにしたらいいとのことだ。

 ……ただ、もしあんたらやグランダム軍が帝国軍を追い払うようなことがあれば、議会もグランダムとリヴォルタの統合を認めざるを得なくなるんじゃねえかなってさ……俺からはそれだけだ。じゃあな!」

 

 それだけ言って塔兵はさっさとどこかへ飛んでいった。少なくとも西ではない。

 俺は騎士たちやエリザの方を見る。そこでは――

 

「帝国軍ね。ちょっとびっくりしたけどむしゃくしゃした気分を晴らすにはちょうどいいや。グランダムへ帰る前にもうひと暴れしてやろうぜ!」

 

 ヴィータはそう言って片手をもう片手のひらに打ち付ける。

 

「そうだな。それに闇の書の頁はもう残り百ページもない。数万の軍勢を相手にすれば……」

「戦いの途中にでも闇の書は完成するわ!」

 

 そう息巻くシグナムとシャマル。

 

 もしかすれば最後になるかもしれない戦いに、守護騎士たちは意気揚々としている。

 そんな中、エリザと黒衣の女は厳しい顔つきで黙り込んでいた。

 

(帝国軍がこの街に……おば様の事ですから議会に圧力をかけて、確実にリヴォルタを手に入れるためでしょうね……でも、そんなことをすれば連合が動いてくるはず……まさか、おば様はそれを試すために……)

(恐れていた事態が起きてしまったか。シグナムとシャマルの言うとおり、数万の軍から魔力を奪えば、この時点で魔導書は完成してしまう。もう少しだけでも騎士たちを今の主のもとで過ごさせてやりたかったのに)

 

 

 緊張した空気が漂う中、シグナムは他の騎士たちと顔を見合わせてからうなずき合い、俺の前に膝をついて高らかに告げた。

 

「お喜びください主ケント! ついに闇の書の完成が目前に迫りました。それをもって主ケントは《闇の書の真の主》となられるのです!」

「俺が……闇の書の真の主に……」

 

 どうしてだろう。

 幼い頃からずっと待ち焦がれていたはずなのに、今の俺にはその言葉がとても恐ろしいもののように思えた。



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第54話 血気

 《闇の書の真の主》。

 他の三人とともに地に膝を付けながら、シグナムはそれを告げた。そういえば四人そろってひざまずいたのはディーノ戦以来だな。

 だが、そんな彼女たちの横から――

 

「ま、待ちなさい!」

 

 ふいに横から水を差され、守護騎士たちが怪訝そうにそちらを見る。

 そこには顔を赤くして、衝撃も冷めやらぬ様子のまま、俺たちに何事か訴えかけようとするエリザがいた。

 彼女を見る守護騎士たちの目は冷ややかで、そういえばこいつがいたなと言わんばかりだ。

 

「まさか、あなたたちは帝国軍と戦うつもりですか? 先ほどの話を聞いていなかったんですか? 最低でも五万の大軍がリヴォルタに向かって来ているのですよ!」

 

 そう言って必死に守護騎士たちを思いとどまらせようとするエリザにヴィータは鼻を鳴らした。

 

「五万? それがどうした? あたしらは十万くらいのマリアージュと戦ったことがあんだぞ。弱っちい人間が五万くらいいたところでどうってことあるか」

 

 その物言いにエリザは「いいえ」と(かぶり)を振る。

 

「五万というのはあくまで概算としての見込みです! あの塔兵は明らかに目視などの訓練を受けていない様子でしたから、実際には二、三万の開きがあると考えるべきです! いえ、これが連合への牽制を兼ねているのなら、そのマリアージュのように十万はいるのかも!」

 

 その説明にもヴィータは「で?」と尋ね返し、シグナムがその場から立ち上がりながら言う。

 

「エリザの言う通り敵軍の数が十万だったとしよう。しかし、それでも今の我らにとってはものの数ではない。此度の敵はマリアージュと違って、将の指示がなければ動けん軍隊だ。将を討ち取って指揮系統を破壊するなりやり方はある」

「……確かにあなたたちの力で何万か削ったうえでそれだけの打撃を与えれば、撤退に追い込むことはできるかもしれませんけど……」

 

 徐々に言葉を詰まらせていくエリザにヴィータは迫りながら、

 

「さっきから聞いてれば、あたしらを帝国軍って奴らと戦わせたくないみたいだけど。もしかして奴らとグルなんじゃねえだろうな?」

「ち、違います。私は――」

「それにあんた、帝国の貴族だって言ってたよな。まさかとは思うが、帝国軍より先にリヴォルタに来て探りを入れてから連中を――」

「よせ!」

 

 シグナムに一喝され、ヴィータは思わず言葉を引っ込める。

 そんなヴィータにシグナムは続けて言った。

 

「言い過ぎだヴィータ。エリザたちはそんな人間ではない。彼女たちが帝国の間者だったら、我が身を顧みずフッケバインたちと戦うことなどするわけがない。お前とてアロンドと戦った際には、ジェフ殿にずいぶん助けられたのだろう」

「そういやそうだったな……わかったわかった。あたしが悪かったよ!」

 

 反論できないのとアロンドの名前が出たためか、ヴィータは舌打ちをこぼしながら意見を引っ込めた。

 

「ごめんなさいエリザさん。ヴィータちゃん、アロンド君のことが振り切れてないみたいで、まだご機嫌斜めなのよ」

「い、いえ、その気持ちはよくわかります」

 

 二人の後ろでヴィータが「そんなんじゃねえ!」とわめくが、シャマルはそれに構わず話を続ける。 

 

「でもそれだけじゃないの。この戦いで間違いなく闇の書が完成するから、私たちもつい浮き足立っちゃって。ねえザフィーラ?」

 

 シャマルからそう問われてザフィーラは「うむ」と首を縦に振った。

 

「闇の書の完成は長年にわたる我らが悲願。それがあと一息で叶うとなれば血もたぎるというものだ。特に主ケントのような、忠を尽くすに値する主の下でそれが実現するともなればな」

 

 そう言ってザフィーラは俺を見る。

 それに対して俺は何も言うことができなかった。

 なぜなら俺は……

 

「お前はどうだ? 我ら同様お前も今は主ケントに仕える身だろう」

 

 そこでザフィーラはある者に声をかけた。

 

「……わ、私は……」

 

 闇の書の意思と呼ばれる黒衣の女、彼女はためらうようなそぶりを見せながら、しばらくの間何も言わないままだったが、やがて彼女は意を決したように口を開く。

 

「私はもう魔導書を――っ!」

《Vorbehalt! Ihre derzeitige Rolle besteht darin, beim Sammeln magischer Kräfte zu helfen. Bitte unterlassen Sie Worte und Handlungen, die die Sammlung stören(警告! 現在のあなたの役目は魔力蒐集の補助です。蒐集の妨げになるような言動、行動は慎んでください)》

「――どうした?」

 

 突然苦しげにうめいた女に俺は声をかけ、他の者たちは怪訝そうに彼女を見る。

 

「……何でもありません。……私は主の望みに応えるだけだ。主が望まれるのなら私も微力を尽くそう」

「……そうか」

 

 殺気までとは一転、無表情な顔でそう答えた女の様子に、ザフィーラは引っ掛かるものを覚えながらもそれだけを返す。

 それをきっかけにどこか不穏な空気が漂う中でエリザは、

 

「と、とにかく、百歩譲ってあなたたちに勝ち目があるとしましょう。ですがその先はどうするんです? 帝国は間違いなくグランダムを敵とみなしますよ」

 

 エリザの言うとおりだ。

 帝国軍と事を構えればここをしのいだとしても、帝国は今回の事を口実にグランダムに攻め込んでくるだろう。

 本来なら避けなければならないことだ。

 だが今は――

 

「そんなもの恐るるに足りん。闇の書が完成すれば主は絶大な力を手に入れる。帝国だろうと連合だろうと、主とグランダムに仇なすものは灰燼に帰すことだろう」

 

 シグナムは声高にそう言い放つ。

 彼女に対してエリザはとうとう諦めの混じったため息をついた。それを意に介することもなく、シグナムは俺に顔を向ける。

 

「主ケント、何も気にかける必要はありません。何でしたら主はティッタやエリザとともにリヴォルタで待っておられるがよい。闇の書さえお貸しいただければ私たちだけで十分。完成した闇の書と帝国軍打倒の報を持って戻ってまいりましょう。さあ主よ、我らに蒐集と出陣の命を――」

ちょっと待ってくれ!

 

 たまらずそう叫んだ俺に皆の視線が集まる。

 しかし、言わずにはいられなかった。

 

「なんで帝国軍と戦うことが前提になっているんだ? 俺は一言も戦うなどとは言ってないぞ!」

 

 そうだ。勝ち目があろうが、闇の書が完成直前だろうが、俺は最初から戦うつもりなんてなかった。

 リヴォルタが手に入るかもしれないからといって、ベルカを二分する大国と戦うつもりなんて俺にはない。

 

「……では主よ、主は迫りくる帝国軍をどうされるおつもりで? まさか、このままリヴォルタを見捨てて、すごすごと引き下がるつもりではあるまいな?」

「いや、状況によってはそうすることになるかもしれないが、帝国の大軍がリヴォルタに駐留するのは我が国にとっても厄介だ。打てるだけの手は打っておく。まずは交渉を図って、相手の出方を見るぐらいはやっておくべきだろう。だが、彼らと戦闘を行うつもりはない」

 

 そう説き伏せようとしてもシグナムは引かず――

 

「しかし主、数万の軍を相手にすれば確実に闇の書は完成します。かの魔導書が完成すれば、帝国だろうと連合だろうと敵ではありません! ここは一戦交えてでも――」

「悪いがそれは聞けない。闇の書の頁を集めるために戦などすれば、俺たちは侵略者と変わらなくなる。それに、闇の書が完成すれば強力な力が手に入ると言うが、過信はできない。そんな不確かなものを信じ切って帝国を敵に回すのは危険すぎると俺は思う」

 

 そもそも闇の書には不確かな部分が多すぎる。

 今のシグナムたちがそうだ。リヴォルタを守る義理なんてないだろうになぜ戦いたがる? なぜ闇の書の完成を急ぐ?

 何かが彼女たちを急き立ててるような、そんな気がしてならない。

 それに……

 

『私はもう魔導書を――っ』

 

 さっき黒衣の女は何を言おうとしていた? 少なくとも戦いを望んでいるようには思えなかったが。

 

「……では、ケント様はこれから何をしようというのです?」

 

 いくらか安堵した様子で尋ねてくるエリザに俺は答える。

 

「先ほど言った通り、まずは使者を出して相手の意図を確かめる。議会に圧力をかけるのが目的で、街に入る気まではないかもしれないし、他に何か目的があるかもしれない。それ次第では交渉だけで相手を引かせることも十分可能だろう。それがテジスの言う帝国軍を追い払うに含まれるかは分からないが」

「約束通りうち(グランダム)と統合してくれればよし。それが叶わなくても帝国の武力侵攻による拡大は防げるってわけだね」

 

 ティッタの言葉に俺はうなずく。

 都市からの要望による統合と、大軍による強制的な併合はまったく違う。

 前者なら議会はリヴォルタの自治領としての存続を望み、軍の進入や通過には大幅な制限が課せられるようになるだろう。だが、後者なら軍が直接街を占領し、支配下に治めることになってしまう。

 この先、帝国がリヴォルタを併合することになったとしても後者だけは阻止したいところだ。

 

 まずは使者を通したやり取りで向こうの真意を確かめる。俺たちがまずするべきことはそれだろう。

 だがその前に……。

 

「ところでエリザ、一つ聞きたいことがあるんだが」

「……はい」

 

 俺の問いを予想していたのだろう、エリザは堅い表情で応じる。

 

「今回の帝国によるリヴォルタへの出兵の件、ダールグリュン帝国の人間としてお前はどう思っている?」

 

 さっきヴィータがしたものと似た問いになってしまうが、これだけは聞いておかなくてはならなかった。

 エリザはリヴォルタ併合のような帝国の領土拡大を歓迎する立場の人間だ。

 帝国軍と事を構えるつもりがないと示すためにあえてここまでは聞かせたが、さすがに帝国軍に呼応するかもしれない者たちをこれ以上傍に置いておくことはできない。

 

「……私は」

 

 皆の視線が自身に向けられる中、エリザはゆっくりと答える。

 

「正直に言って……私はこの街に軍が送られてくることは歓迎されるべきことだと思っています。今のリヴォルタには治安を守る組織がなく、先ほど私たちが捕まえた賊のように、街中で公然と犯罪を犯す者が現れ始めているような始末ですから。……ですが不安もあります。この街に送り込まれてくる軍の指揮官が領主となって、圧政を敷くこともあるかもしれないと」

 

 確かにその可能性は十分ある。テジスが俺たちを利用して帝国軍を追い払おうとしているのは、おそらくそれを危惧しているからだろう。

 

「もちろんおば様――いえ、皇帝陛下はそのような事を許されるはずがありませんから、あまりにも度が過ぎるような事はしないでしょう……ですが」

「そうでない限りは、皇帝といえども領主が行う税や兵の徴用に干渉することはできない、か」

 

 俺が付け足した補足にエリザはこくりとうなずいて言う。

 

「私にとってもこれは見過ごせない事態です。私の家はこの街の有力商人や議員の何名かとお付き合いがあります。ですが、帝国の領主が圧政を敷くようなことが起これば彼らは怒って、我が(いえ)との関係を断ってしまうかもしれません。……そのような事が起こるかどうか確かめるためにも、指揮官がどのような人物か確認くらいはしておきたいところです」

「……帝国軍の指揮官がどんな人物か知っておきたいという点では、俺とエリザの間で目的くらいは一致している……ということか」

「おいケント! お前まさか――」

 

 ヴィータが何やら言おうとするが、それを遮るようにエリザが俺の手を握ってくる。

 

「ええ。私にはケント様たちしか頼れる方がいないのです。どうかこの無力な小娘を助けるためと思って、私も皆様に同行させていただけないでしょうか?」

「…………」

 

 顔を近づけて懇願してくるエリザに、俺はどうするべきか迷った。

 だが――

 

「わかった。こちらからも協力を頼むエリザヴェータ殿」

「ありがとうございますケント様!」

 

 結局俺は、これまで通り彼女と行動を共にすることにした。

 エリザがリヴォルタの商人や議員と繋がりがあるのはおそらく本当のことだろう。その繋がりを保つために指揮官がどんな人間か確かめたいという、エリザの主張は理にかなっているように思える。

 エリザに手を握られながらそんなことを考えていた時だった。

 

「所詮あの親父の息子か」

 

 隅の方からそんな声と舌打ちが聞こえてきたのは。



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第55話 腐れ縁

 百年近くもの歴史を持つ伝統ある建物が並ぶ、帝国の都市をいくつか抜けてから二日間ほどが経って、帝国軍の前に巨大な街が見えてきた。彼らがいままで見てきた中で最も広大な都市リヴォルタ。ダールグリュン帝都と比べても二回り以上は大きいだろう。

 軍列の後方で進んでいる馬車の中で、遠征軍の指揮を執るダスター・D・L・ディーノは頬杖を突きながら、前方に見える街を眺めていた。

 

(あれがリヴォルタか。想像よりはるかに大きな街だが、ろくな都市計画も立てずに建造物を建てて、各区を圧迫しているらしいな。歴史の浅い街にありがちだが、まあ目をつむってやろう。皇帝の直轄地(帝都)より広いしな)

 

 ダスターはニヤニヤと口角を上げながらリヴォルタの街を眺めていたが、上空を飛んでいる魔導兵が視界に映ると彼の方に視線を移す。

 

(偵察か、ご苦労なことだ。連合が姿を見せたところで、奴らより先にリヴォルタを占領してしまえば口出しなどできなくなるだろうに)

 

 ダスターは鼻を鳴らしながらそう思った。

 遠征軍の中に少なからず配備されている飛行魔導師たちは一定の時間が経つごとに、あるいは行軍を停止するごとに上空を飛び、そこからリヴォルタ周囲を見回していた。特に中枢王家が治めるカンナム王国がある東は、見落としがないよう注意深く。

 それを命じたのはダスターではなく、彼の副官としてつけられた伯爵であり、あの偵察もダスターを差し置いて皇帝が自ら伯爵に命じたものらしい。

 それを思い出してダスターは完全に笑みを消す。

 指示があるならなぜ指揮官である俺に直接伝えないんだ? 一週間前の謁見といい、皇帝は明らかに俺を軽んじている。

 

(生まれながらディーノ王になることが決まっていた俺と違って、兄二人を謀殺するような真似をしなければ帝位に就くこともできん武人上がりの下賤な女が。忌々しい。どこぞの戦場で討ち取られていればいいものを)

 

 そんなことを思いながらすっかり気分を損ねたダスターは、気分を治すためにもう一度自分のものになるだろう街に視線を移そうとした。

 だが、そんな彼の前に一人の飛行兵が飛んでくるのが見えた。

 

「失礼します。閣下、少々よろしいでしょうか」

 

 その言葉にダスターは不快感も隠さず、顔をしかめたまま馬車の窓を開ける。

 

「何だ? カンナム軍でも現れたのか? 今更のこのこと出てきたところで、我々より先にリヴォルタに入ることなど叶わんだろう。構わず行軍を続けろ。それとももう一日野宿を続けたいのか?」

「いえ、閣下にお目通りを希望する者が現れまして……ただ、その者は」

「俺に目通りだと?」

 

 それを聞いてダスターは飛行兵の向こうに目をやる。

 そこには桃色髪の美女がおり、ダスターはわずかに目尻を下げる。

 いかにも武人然といった色気のない恰好の女だが、領地を離れて女日照りが続いていた彼には新鮮な刺激だっただろう。それに遠目から見てもかなりの端正な容姿をしているとわかる。

 だが、彼女がまとっている鎧を目にした途端、ダスターは眉をひそめた。

 

(黒鎧だと? ……まさか)

 

 女が身につけていた鎧からダスターは祖国を滅ぼしたあの国の事を思い出すが、彼としては憎しみよりも先に疑問の方を感じた。

 

「なんであの国の兵がここに?」

 

 

 

 

 

 

 それから少し経った頃のリヴォルタ北区。

 

「あっ、戻って来たわ!」

 

 シャマルの声に俺たちは揃って上空を見上げる。

 そこには帝国軍のもとへ飛び立った時と、何一つ変わらないままのシグナムがいた。返り血一つつけていないところから戦闘になることはなかったようだ。

 帝国軍がいる場所に向かわせる使者は、俺としては選べるものならザフィーラに頼むつもりだったのだが、例によってガレアの時と同様シグナムが行くと言って聞かなかった。まあ、今更帝国兵相手に彼女がどうこうされるとは思ってはいないが。

 安堵の息をついている俺の前にシグナムが降り立つ。

 

「主ケント、ただいま戻りました」

「ああ。それで、どうだった?」

 

 俺の問いにシグナムは複雑な表情を見せながら口を開いた。

 

「はい。ぜひ主とお会いしたいとのことです。いつでも来てくれて構わないと言っていました。供に関しても何人でも連れてきてもいいと」

 「「……?」」

 

 シグナムの言葉に俺は首をかしげる。

 やけにあっさりと承諾したな。しかもかなり手厚い歓迎ぶりだ。てっきりはねのけられるか、何か条件を付けてくるものだと思っていたが。

 エリザにとっても予想外なのだろう、ぽかんと立ち尽くしている。

 

「シグナム、俺たちがグランダムの人間だということは伝えてくれたんだよな?」

 

 俺の問いにシグナムは「はい」と首を縦に振る。しかしその表情は相変わらず複雑そうだ。明らかに困惑している。

 

「……ただ、私が伝えるよりも前に相手の指揮官はそれを察していたようです」

「……?」

 

 俺は再び首をひねる。

 シグナムが装着している鎧を見て気付いたのだろうか? だとしたら帝国軍の中にはよほどグランダムに詳しい者がいることになるが……帝国の人間でグランダムに精通しているものなんて……。

 俺はエリザを見る。俺が何を考えているのか察したのだろう、エリザはぶんぶんと、ジェフは一回だけ首を振ってみせる。

 ……いや、エリザたちとは思えない。帝国軍と交渉すると決めてから彼女とジェフは俺たちの前から姿を消したことはないし、ここから帝国軍がいる場所までは遠すぎて念話を飛ばすことすらできない。例外は俺が習得した超距離念話ぐらいだ。

 ……どういうことだ? ……いや、何か思い当たる節があるような。

 

 そんな風に俺とエリザの頭の中で渦巻いている疑問は、シグナムが次に言った一言で氷解することになる。

 

「そういうことだから遠慮なく尋ねてきてくれと、ダスターという指揮官が」

「――あっ!」

 

 あいつか!

 

 大仰に反応している俺を、みんなは怪訝そうに見つめている。

 そんな皆を代表して俺の前にいるシグナムが尋ねてくる。

 

「……もしやと思っていたのですが、主のお知り合いですか?」

 

 その問いに俺は言いたくない気持ちを、懸命に押し留めながらそれを口にした。

 

「……腐れ縁だ」

 

 

 

 

 ダスター・D・L・ディーノ。

 とある国の王子だった男で、隣国の王子同士ということで何度も会ったことがある。というか無理やり会わされた。

 付き合いだけならクラウスより古く、長い。もっとも断じて友人と言える間柄ではないが。

 見た目だけなら俺より王子という言葉が似合う整った顔立ちであるが、性格には大いに問題があり、陰険で姑息で狡猾、そのうえ自尊心が高く自分が最も優れていると信じて疑わない男でもある。

 井の中の蛙という言葉がふさわしい、考えようによっては不幸な奴だろう。

 

 そんなダスターが王子として生まれ育った国の名は『ディーノ』。四ヶ月前、我が国グランダムに併合された国の元王子だ。

 つまり、奴にとって俺は長年の宿敵であり、祖国を滅ぼした仇敵でもあり、自分を王族から追い落とした怨敵でもある。

 

 そんな俺の言うことなど、よほどの条件を出さない限りあの男が聞くとは思えない。

 ダスターの名を聞いて俺は思った。交渉は難しくなったと。それと同時にこうも思う。

 

 戦って済むなら楽だったのにな……。

 

 

 

 

 

 

 半刻後、リヴォルタから西の街道。

 街道の真ん中には白い甲冑をまとった帝国の軍勢が居座っていた。

 街道は彼らによって塞がれており、他にこの道を通る者のことなど全く考えてない。通りたいのなら道を外れて平野を通れということだろう。いや、それだけならまだしも、あの男の事だから自分の前を横切っただけで逆上して金品を没収しそうだ。

 

 俺たちは帝国兵たちがいる場所から、少し距離を空けて地面に降り立った。

 帝国兵たちは一斉に俺たちに無遠慮な視線を向け、様々な反応を示す。

 俺や守護騎士たちがまとう黒い鎧を見て訝しげに顔をしかめる者、シグナムたちやエリザを見て鼻の下を伸ばす者、ザフィーラやジェフを見て鼻の下を……えっ? とりあえずヴィータを見てニヤニヤしているのは一番危ない奴ではないだろうか。こいつに関しては果たして追い返すだけで済ませていいものなのか少し悩む。

 そして奥の方にはエリザやジェフを見て、何やらひそひそと囁きを交わしている者たちがいた。……やはり彼女らを知っている者たちもいるか。本来ならエリザを通して、彼らのような者たちから指揮官に取り次いでもらおうと考えていたのだが、その必要もなくなったらしい。

 

 そんな中、軍列の中央に俺たちを鋭い目で睨みつけている緑色の甲冑を着た兵士たちがいた。

 間違いない、ディーノ兵の生き残りだ。ということはやはりこの軍を指揮しているのは……

 

「やあ。ケントじゃないか! 待っていたよ!」

 

 俺たちを親の仇のように睨む元ディーノ兵の中心で、同じく緑色の甲冑をまとった薄緑色の髪の男が、笑顔を浮かべて俺たちに歩み寄ってきた。

 男の両目は虹彩異色(オッドアイ)の特徴を持つベルカ王族の例にもれず、左右の色が違っており右眼は青く、左眼は黄色い。

 だが、それ以上にカエルを見つけた蛇のような酷薄な目つきと、後ろ盾のない独立国の王族である俺を完全に見下した歪んだ笑みが、奴であることを裏付けている。

 

「久しぶりだなダスター。シュトゥラに留学して以来だ」

「ああ、そういえばそんなところに行くとか言ってたな。あの国は大陸の北端にあるから冬はさぞこたえただろう。留学するならディーノか帝国にすればよかったのに」

 

 互いに笑顔でそんなことを言い合う俺たちを見て、元ディーノ兵が口をあんぐりさせているのが見える。守護騎士たちも間違いなく同じような顔をしているだろう。

 やがて俺とダスターは互いに右手を出し、握手を交わす。

 だが、手を離してからすぐにダスターは甲冑に覆われていない履物であからさまに右手を拭い、それを見て元ディーノ兵たちはにやにやと笑う。

 同時に俺の後ろからヴィータが息を飲む声が聞こえてくる。これで間違いなく俺とダスターの関係が守護騎士たちにも伝わっただろう。

 

《何だあいつ。ケントにも見えるように手を拭きやがったぞ。嫌な奴だな》

《あれが奴の本性なのだろう。なるほど、主にとって知り合いではあるが友人ではないと仰るわけだ。クラウス殿とはまったく違う》

 

 ここで余計な反応をしたらこいつの思うつぼだ。俺は気付かないふりをしつつ、話しかけ続けるダスターに相槌を打つ。

 そこへ――

 

「失礼。お二人とも、友好を温めるのは結構ですが、立ちっぱなしではお疲れになるでしょう。お連れの方々もすっかり暇を持て余しているようだ。椅子と紅茶を用意させましたので、ひとまずそちらで落ち着かれてはいかがでしょう?」

 

 後ろからかけられてきた声に、ダスターはわずかに顔をしかめてから振り向き、俺もそちらへ意識を移す。

 ダスターの後ろにはいつの間にか白髪の男が立っていた。壮年で顔中に髭をたくわえ紫色の瞳をしている。彼が身にまとっているのは白い甲冑で、元ディーノ兵ではなさそうだ。

 男の言うとおり、彼の向こうには白い卓とそこに置かれた人数分の紅茶、椅子が並べられていた。

 ダスターはしかめた顔を仏頂面程度に直してから男に返事を返す。

 

「ローダンか、ご苦労。では早速厚意に甘えさせてもらうとしよう。ついて来いケント、連れの諸君も。ともに伯爵殿が手ずから入れてくれた紅茶を堪能させてもらうとしようか」

 

 そう言い残してダスターはさっさと卓の方へ向かう。

 彼と入れ代わりに白髪の男が俺に一礼して挨拶をしてきた。

 

「グランダム王ケント殿ですな。挨拶が遅れて申し訳ない。(それがし)はローダン。ダールグリュン帝国にて伯爵位についている者です。以後お見知りおきを」

「こちらこそ名乗るのが遅れた。ケント・α・F・プリムスだ。ありがとうローダン伯爵」

 

 丁寧に名乗ってくれたことと淀んだ空気を一変させてくれたことに対し、俺は伯爵に礼を述べる。

 伯爵はいえいえというように片手を振り、俺の後ろにいる連れにも卓につくように勧める。

 その時、エリザと伯爵が目配せを交わしたように見えた。



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第56話 不可解な撤退、そして……

 ローダン伯爵のとりなしでダスターの当てつけ混じりの雑談がひとまず()んで、ダスターと俺はここまで俺について来てくれた皆とともに卓を囲んでいた。ジェフだけは執事という立場から、エリザの後ろで立っていたが。

 淹れられたばかりで湯気が立っている紅茶を手に、再び雑談が始まる。今度は俺の連れを巻き込んで。

 

「しかし、驚いたよ。ガリ勉すぎて女っ気が全然なかったケントが、こんな見目麗しいご令嬢たちを連れてくるなんてな。一体どこで拾ってきたんだ?」

「……成り行きでな。別に容姿で取り立てたわけじゃない」

「おいおい、正直に言えよ。別に責めているわけじゃない。お前が健全な男だと確認出来て、俺は喜んでいるんだぞ。もっとも騎士の位を与えてまで、どこにでも連れ回すようなことをしているのはお前ぐらいだ。そんなこと俺にはとても思いつかないよ。ククッ」

 

 ……ダスターの奴め、今度は仲間や連れをダシにして俺を貶める気か。

 しかし、効果は十分のようだ。

 ダスターがそう言ってから、エリザが険しい視線を俺に向けてきている。

 エリザとてこれがダスターの嫌味だとわからないほど駆け引きに疎い女子(おなご)ではないだろうが、彼女自身そう疑っているところもあるということだろう。

 

「……」

 

 ……その一方で、俺にとってもっともそんな誤解をされたくない女子(おなご)、黒衣の女を見ると、彼女は紅茶を飲む手を止めて、鋭い目つきでダスターを睨んでいた。

 まさか、怒っているのか?

 

「クククッ」

 

 一方、先ほどとは違って思い思いの反応を見せる俺たちを見て、ダスターは笑い声を漏らす。

 いかん。奴の挑発に反応するまいと決めていたのについ。

 気を落ち着けるべく俺は紅茶に口を付ける。

 ……うまいな。これを淹れたのはローダン伯爵だという話だが、うちの城に仕えているメイドでも、ここまでうまく淹れられる者はいない。帝国では男でもこのようなたしなみを身につけているものなのか?

 俺が紅茶を口にしながらそんなことを考えている時だった。

 

「そういえば、ケントの父君も時折手近な女に手を付けていたそうじゃないか。隠し子も何人かいるとか……君は知っているかい?」

 

 ダスターはそう言って今度はティッタに話を向ける。

 

「……まあ、聞いたことくらいはあります。でも、なんでそんな話をアタ、私なんかに?」

「いやなに、見たところ君は生粋のグランダム人だと思ったからなんとなくな……ふむ、よく見れば君の瞳は左右違う色なんだな」

 

 ダスターはティッタに顔を近づけてくる。生理的な嫌悪感からティッタは反射的に顔を遠ざけた。

 だが、それに構わずダスターはティッタの眼をまじまじと見続ける……さすがに殺意が湧いてきたな。

 そしてダスターは目を見開いて、あたかも今気づいたかのように、

 

「おや、しかも左右ともケントとまったく同じ色と配列じゃないか。まさかと思うが君はもしや……いやしかし、グランダムに王女がいたなんて話は聞いていないが」

 

 わざとらしく頭を抱えるそぶりを見せるダスターに対し、ティッタはぶすっとしながら告げる。

 

「ええそうです。私は先王陛下と平民の母から生まれた子供です。でもそれが何か?」

「ああ! そうだったのか。いやいや、君も運がないねえ。王妃の子として生まれていれば王女として何不自由なく育ち、今頃はどこかの王子のもとに嫁いで幸せな生活が送れただろうに。それが母親がどこぞの平民だったせいで……実に不憫だ。知らない方が、いや、いっそ生まれてこない方が幸せだったろうに――ハハハッ!」

 

 その言葉にティッタは表情をかろうじて保ちながら、卓の下で拳を固く握る。

 

《……こいつボコボコにしていいかな? アタシ、もう我慢の限界なんだけど》

《気持ちはわかるがもう少しこらえてくれ。そろそろ本題に入ろうと思っていたところだ》

 

 ダスターが続けて二度も紅茶に口をつけたのを見計らって俺はそう念じた。ネタが尽きてきた頃に見られる兆候だ。

 

「ダスター、俺たちの事はもういいだろう。そろそろお前の方について聞かせてくれないか? なぜお前が帝国軍の指揮を執っている? その帝国軍を率いてリヴォルタ領に近づいてきてどうするつもりだ?」

 

 俺がそう言うとダスターはふんと鼻を鳴らして答える。

 

「一度に二つも質問をするな。俺が帝国軍の指揮を執ることができるのは、帝国内において俺は侯爵だからだ」

「お前が帝国の侯爵だと?」

 

 俺の復唱にダスターは「ああ」とうなずいた。

 

「数十年前に帝国が南部へ侵攻した際に、父上もディーノ軍を率いて戦に参加されてな。フィアットという地方の城を陥とす武功を立てられたんだ。その報奨として父上は当時の皇帝陛下から、フィアットの地と侯爵位を賜ったのさ」

 

 なるほど、それ以来ディーノ王は帝国の侯爵にもなったわけか。その王が死んでダスターが侯爵位を継いだと。

 確かに、それならダスターが帝国軍の指揮官に収まることができたのも納得がいく。

 ダスターは紅茶を口に含み、飲み込んでから続ける。

 

「帝国軍を率いてリヴォルタに来たのは、ゼノヴィア皇帝陛下にそう命じられたからだ。防衛力を失い無法地帯になりつつあるリヴォルタを平定しろとな。これからは俺たちがリヴォルタを守ってやると言うんだ。文句どころか感謝されてもいいと思っているくらいだ」

 

 そう吐き捨てて、ダスターはまた紅茶を飲もうとカップに口を近づける。

 そこへ、

 

「皇帝陛下が略奪を許さないのはご存知なのですよね?」

 

 強い口調で尋ねてくるエリザに、ダスターは意外そうに目を見張った。

 

「……グランダム人のくせに詳しいなお嬢さん。それともあんた、リヴォルタ市民か? それにしては品がいいな。リヴォルタの人間は歴史の重みを知らない愚民どもばかりだと思っていたよ」

 

 ダスターはそう言ってエリザを褒めるものの、エリザは答えずじっとダスターを見つめたままでいる。

 ダスターはため息をついて再び口を開く。

 

「もちろん陛下の民に対する慈悲深さはよく知っているとも。それを知った上で略奪なんてするはずないだろう。さっき言った通りちゃんと街は守ってやるさ」

 

 そこでダスターはわざとらしく言葉を区切り「だが」と続けた。

 

「リヴォルタを立て直したら、指揮を執った俺にはそれに対する見返りがあって当然だろう。陛下は間違いなく俺にリヴォルタを譲る。そうなれば俺はれっきとしたリヴォルタの領主だ。領主が領地で権勢を振るって何が悪い?」

 

 その言葉にエリザは押し黙る。

 俺もエリザも民から納められた税で生活し、また彼らに対してある程度の権限を有している。

 そんな俺たちがダスターの言葉を否定することはできない。

 俺にとって問題なのは――

 

「悪いとは言ってない。ただ、八万もの軍勢とリヴォルタの支配権を手に入れたお前が、そのままリヴォルタを治め続けるだけとは思えないんだ。まだ他に目的があるんじゃないか?」

 

 俺の問いにダスターは大げさにふむとうなってから口を開いた。

 

「さっきも言ったが俺はいずれディーノの王となる身だ。だが、統治者としての経験が足りていないと言われると否定できない。だから俺は王位を継ぐために必要な経験を積むべく、数ヶ月前からディーノを離れてフィアット領の運営を担っていたのだが」

 

 ……聞いていた話と随分違うな。我が国に降ったディーノ貴族の話では、ダスターは父親が率いるディーノ軍が全滅したと聞いた途端、慌てて帝国に逃げたという話だったが。

 あまりの厚顔ぶりに訂正する気も起きない。俺は内心で鼻白みながらダスターの話に耳を傾け続ける。

 そしてついにダスターはそれを口にした。

 

「だが、四ヶ月前に父が崩御されたと聞いてな。俺は父に代わって国の舵を取るべく、ディーノに戻ろうとしたのだが……驚いたよ。なぜかディーノにはグランダムの貴族や軍が居座っていて、彼らがディーノを治めているそうじゃないか。まるで我が国がグランダムに併合されたようだったと聞いている。これが本当だったら実におかしな話だ。そうは思わないかケント?」

 

 やはりダスターの最終的な目的はディーノの奪還か。

 

「ようだったもなにも、ディーノはグランダムに併合され、現在ではグランダムの一角を担う領土となっている。まさか、今まで知らなかったというんじゃないだろうな?」

「なんと! ではグランダムは我が父を亡き者にし、我が国を侵略したというのか? 何ということだ! それが本当だとしたら実に許しがたいことだ。俺はお前のことを無二の親友だと思っていたのに。その友からこのような仕打ちを受けるなんて……見損なったぞケント!」

 

 ダスターはその場から立ち上がり、演劇でよく見る悲劇の主人公のような口上を並べてから、俺を指さし罵る。

 うすら寒い茶番に俺はため息をついて、

 

「先に戦を仕掛けてきたのはディーノの方だ。我が軍は国を守るために出兵し、ディーノ軍を撃退した。非がそちらにある上に戦に負けたのだから、領土を貰い受けるのは当然の事だろう。帝国だってそれを認めている」

「帝国が? 陛下もそのような事を認めているだと? 馬鹿な! 次期ディーノ王であるこの俺を抜きに、そのような話が進められていたというのか。俺は友だけでなく忠誠を誓った主君にまで裏切られたというのか? あんまりだ! こんなひどい話があるものか!」

 

 ダスターはなおも舞い、薄幸ぶりを強調する口上を並べ続ける。

 それを俺や連れの皆は白い目で眺めていた。

 

「非はそちらにあると言っているのだがな。ディーノからの宣戦布告状もグランダムの城にある。なんなら持ってこさせようか?」

「そんなもの筆記が達者な者に書かせれば、いくらでも偽造できる! 我が国への侵略を正当化するための偽装工作だ! そんなものを見せられたところで俺は断じて認めないぞ!」

 

 ……当人の息子であるダスターには言いにくいのだが、ディーノ王の筆跡はかなり癖が強い。読み終わるまで少なくない時間を費やしたと宰相が語るほどだ。あの筆跡を偽造できる者なんて、そうそう見つからないと思うが。

 言いがかりもここまで来るといっそ清々しい。思わずため息をついてしまう。

 彼が言いたいことを一言でまとめるとこうだ。

 

「つまり、現在我が国の領土になっているディーノを返せと、お前はそう言いたいんだな」

「当然だ! 我が国はグランダムによって不当に侵略されたんだ。返してもらうのは当然だろう!」

 

 鼻息を荒くしてダスターはそう言い放つ。

 ……さてどうするか。

 

 

 

 ディーノ返還は交渉材料として考えてはいた。

 ディーノも交易で栄えている国とはいえ、生産力も経済力もリヴォルタと比べればかなり劣る。経済力に至っては三分の一にも満たない。

 リヴォルタ侵攻を取りやめさせる代わりに、ディーノを返すというのも手の一つだと思っていた。

 しかし、どうやらこの侵攻は皇帝が命じたもので、ダスターが侵攻中止に応じたとしても、皇帝がそれを認めるとは限らない。

 それにダスターがディーノを取り戻したらそれで気が済むタマか? 俺はそう思わない。

 奴とそれなりに長い付き合いになる俺だから断言できる。

 ダスターは間違いなくグランダムへの報復(侵攻)を企んでいるはずだ。

 

 今までの間もダスターはそれを考えていたはずだが、ディーノから逃げてきた兵が少なすぎるため、したくてもできなかった。だが、今のダスターはリヴォルタ平定の名目で、八万もの大軍を手に入れている。

 一方、我が軍の兵は三万、すべての領地から総動員しても五万が限界だ。

 この時点で我が国の兵より、ダスターが率いている兵の方が多い。

 その軍のほとんどは、リヴォルタ平定のために皇帝から一時的に借りている兵だが、ダスターは口実を付けて八万の兵を保持し続けようとするだろう。最悪の場合に備えるなら、リヴォルタ併合後もダスターは大軍を保持し続けるものと考えるべきだ。

 しかもリヴォルタで兵を募ればその数はさらに増える。人口から考えておそらく三万は挑発できるだろう。十万以上の兵を養うための食料もリヴォルタには十分ある。もっとも市民にとってはかなり重い負担だろうが。

 

 ただでさえ我が国のすぐ南に八万の軍が集まっている状態だ。

 それを阻止したいのは山々だが、この状況で下手にリヴォルタ侵攻の中止と引き換えにディーノを返したりすればどうなるか。

 ダスターは八万の軍とともにディーノへ向かい、そこからグランダムに攻撃を仕掛けるかもしれない。あるいは侵攻中止の約束を反故にしてリヴォルタをそのまま併合し、ディーノとリヴォルタの双方からグランダムを攻めることもありうる。その場合、リヴォルタから徴兵した三万の兵も加えてだ。

 ……駄目だ。ダスターにディーノを返すのは危険すぎる。

 

 

 

 俺がどうすればいいのかと悩んでいる間も、ダスターはリヴォルタを返せと迫り続ける。

 

「さあここで、帝国兵が聞いている前で、俺の国を返すと宣言しろ! さもないとこうして我が軍の進行の妨害していることを、グランダムからの宣戦布告とみなし、この場にいる八万の軍勢がお前たちを踏み潰すぞ!」

 

 その言葉を聞いて元ディーノ兵は剣を構え、俺たちも一斉に身構える。

 あっさり会見に応じたのはこのためか。

 

「あたしらを踏み潰すってよ。こりゃあもう戦うしかないんじゃないの」

「左様だな。主ケント、ここに至ってまだ戦うつもりはないと仰られるか? 相手が仕掛けてきたこの状況ならば、勝ちさえすれば帝国に対しても、自衛のためだったと申し開きもできますが」

「アタシは構わないよ。へへっ、これでようやくあいつをぶっ飛ばせる」

「あの……やる気があるのはいいんだけど私を守ることも忘れないでね。この状況だと背後から敵の拘束する暇なんてないから、私は戦えないのよ」

 

 そう言いながら守護騎士たちは武器を構える。彼らの中でザフィーラだけが無言だったが、彼も手甲に覆われた拳を突き出しており、やる気があるのは他の騎士たちと変わらない。

 その中でエリザとジェフも椅子から立ち上がり、わずかに身構えてはいたものの、武器を出さず無言で立ち尽くしていた。

 

 そんな中で――

 

「お待ちくださいフィアット侯殿! ここに来るように言ったのは侯爵の方です。それに相手はまだ何の返答も出していません。しかもあちらにはまだあの方が――せめてあの方がいる間は穏便に済ませるべきです!」

 

 俺たちとダスター率いる元ディーノ兵が剣を向け合うのを見て、白い甲冑を着た帝国兵がダスターにそう忠告しようとした。

 しかし、ダスターは帝国兵を突き飛ばしながら怒鳴り散らす。

 

「あの方? 誰だそれは? 知ったことか! 俺は皇帝陛下からリヴォルタ侵攻の命と、この軍の全権を預かったフィアット侯ダスターだぞ! 次期ディーノ王だぞ! わかったらお前たちもさっさと剣を抜かんか! こいつらは我が軍の進行を妨げた帝国の敵だ! リヴォルタへの見せしめのためにも、帝国に歯向かう輩はここで一人残らず八つ裂きにしてやらんとなあ!」

 

 その言葉を受けて帝国兵たちは、ダスターに言われるがまま俺たちに剣を向ける者、渋々剣を抜く者、剣を抜くこともできずどうすればいいかわからず棒立ちしている者に分かれた。

 

 黒衣の女も意を決したように硬い表情で俺を見る。

 

《我が主、こうなっては仕方ありません。戦いに入ったらすぐにユニゾンします。ただ、間違ってもエクリプスというウイルスの力は使わないようにしてください。そんなことをすればウイルスが抑えられなくなってしまいますから》

《ああ。わかってる》

 

 あの戦いの翌日、ベッドの上にいた俺に黒衣の女は教えてくれた。

 俺の中のエクリプスウイルスは消えてなくなったわけではない。抗体によって押さえつけているだけだ。そのためウイルスは何らかのきっかけでまた目覚めてしまうかもしれない。例えば俺が適合者、いや感染者としての力を使った場合など。

 あの力を使ったが最後、俺は人を殺し続けない限り、生きられない体になってしまうということだ。いや、もしかしたらこの先抗体がウイルスを押さえつけられなくなった時点で俺は……。

 

 二つの意味で覚悟を決めながら俺は剣を鞘から抜く。

 

「……?」

 

 その時、飛行魔法でこちらに飛んでくる魔導師が見えた。

 俺を含めそれに気付いた者たちの視線を追って、敵味方双方が頭上を見上げる。

 魔導師は戦いを始める寸前の雰囲気にすくみかけるも、後ろの方でいまだに剣を抜かず悠然と構えているローダン伯爵の側に降り、何かを告げ始めた。

 伯爵は見る見るうちに目を見開き、やがて――

 

全軍に次ぐ! 演習は中止だ。これより本国へ帰還する! すべての兵は今すぐ帰還に備えて準備を整えよ!

 

 ……はっ?

 

 そんな言葉と疑問符が敵味方関係なく、俺たちの頭の中に飛び交った。

 その証拠にダスターは伯爵の方へ駆けて行き、

 

「お、お前は何を言っているんだ? リヴォルタを目前に今から帰還しろだと? そんな真似ができるか! 第一貴様に何の権限があって――」

 

 まくしたてるように文句を言うダスターを見下ろしながら伯爵は告げた。

 

「これは皇帝陛下直々の命です。演習はこれまでにして早く帝都に帰還するようにと」

「へ、陛下が?」

 

 ダスターの復唱に伯爵はゆっくりとうなずき、言葉を続ける。

 

「私はこの軍に組み込まれる以前より、指揮官から指揮権を没収する権限と、指揮官に代わって全軍の指揮を執る権限を委ねられています。侯爵殿が陛下の命に背いた時は私が代わりを務めるようにと」

「な、なんだと!?」

 

 伯爵から告げられた事実にダスターは目を剥いて驚く。

 伯爵はさらに続けて言った。

 

「そして侯爵殿は陛下の帰還命令に背こうとしましたな。これがどういうことかお分かりか?」

「ど、どういうことなんだ……?」

 

 伯爵が何を言わんとしているのか半ば察しながらダスターは恐る恐る尋ねる。

 対して伯爵は顔色一つ変えないまま、

 

陛下の命に背こうとした以上、貴様はもう指揮官ではないということだ! 邪魔だからとっとと馬車に戻っとれ!

 

 伯爵に大声で怒鳴られ、ダスターはひぃっという声を上げながら逃げて行った。

 つられて元ディーノ兵はダスターを追っていき、帝国兵も武器を収め始めた。

 伯爵はそこでふうっと大きなため息をつき、俺たちに向き直った。

 

「お見苦しいところをお見せしましたな。あの男には(それがし)も癇に障るものがありまして」

「……いや、助かったよ伯爵。それに正直に言うとスッとした。あいつにもいい薬になったと思う。ディーノ王は相当あいつを甘やかしていたらしい」

 

 俺の言葉に伯爵は「そうでしょうな」と苦笑した。

 

「しかし助けてもらっておいてなんだが、いいのか? あと一歩でリヴォルタを手に入れることができるところだったろうに」

 

 俺の問いに伯爵はとぼけるように首を傾ける。

 

「さて、某に聞かれてもさっぱり。先ほどあの男にも言ったとおり、これは皇帝陛下直々の命なのです。そうでなければ某とてあそこまでは言えませんな」

「ゼノヴィア皇帝からの?」

 

 繰り返す俺に伯爵はうなずく。

 

「はい。お恥ずかしながら我が帝国では最近軍全体に渡ってたるみが見られましてな。そこで陛下は大規模な行軍演習を発案されて、その実施をフィアット侯爵に命じられました。陛下から見て侯爵の軟弱ぶりは目に余るものがあったのでしょう。これを機に彼も一皮むけないかと」

 

 そこで伯爵は大きく肩をすくめ、

 

「しかし一週間経っても我々はリヴォルタに入ることすらできておらず、それを聞いて陛下は大層お怒りになられ、もう演習などやめにしてさっさと戻ってこいとおっしゃられたそうです。……そうだったな?」

「は、はい。陛下はリヴォルタなど放ってすぐに戻ってくるようにと」

 

 伯爵に問われて皇帝からの使者らしい魔導師が伯爵に同調した。

 ……いや、おかしいだろう。

 他国より一世紀ほど進んだ技術と文化を隠し持つリヴォルタは、連合同様、帝国にとっても喉から手が出るほど欲しい要所だったはずだ。

 その街を手に入れる機会をみすみすふいにするなんて。

 どういうことだ? このおかしな動き、帝国で何かがあったとしか思えない……いや待て、自国とは限らない。何かが起こっているのは帝国ではなく……

 

「ふざけないで!」

 

 その声に俺は後ろを振り返る。

 伯爵の話を聞いて声を荒げたのはエリザだった。

 

「帝国の軍が迫ってきたことで、街がどれだけの騒ぎになったと思っているの? しかもここに来て突然軍を退却させるなんて、おば様は一体何を考えているの!?」

 

 エリザは激しい剣幕で伯爵を怒鳴りつける。

 伯爵はそれに動じるそぶりを見せず、ゆっくりと首を横に振りながら言った。

 

「それは某にはわかりかねますな。陛下はただ演習を終わらせて帝都に戻るようにとしか」

「そんな説明で納得できるわけないしょう? ちゃんと教えてもらうまで――えっ!?」

 

 更なる怒声を浴びせようとしたエリザが急に言葉を引っ込めて呆然とする。

 

「エリザ、どうした? 貴様、彼女に何を――」

 

 シグナムはエリザに駆け寄って彼女の肩をつかみながら伯爵を睨むが、伯爵はひるみもせずシグナムを見つめ返すだけだ。

 彼はシグナムを無視してエリザに視線を戻し、声をかける。

 

「エリザ様、陛下からの伝言です『これから大陸中が慌ただしいことになる。悪いことは言わんからそなたも早く本国へ戻ってこい。色々と聞きたいこともあるからな』とのことです。では某も帰国の支度を整えねばなりませんのでこれで。失礼しましたなグランダム王。リヴォルタの民には申し訳なかったと伝えてくだされ」

 

 そう言って伯爵もまた俺たちから遠ざかっていた。

 俺はエリザの方を向いて尋ねる。

 

「大丈夫かエリザ? ……伯爵は何と?」

 

 俺の問いにエリザはぼんやりしながら言った。

 

「…………聖王が…………連合の聖王が…………」

 

 

 

 

 

 

 シュトゥラ王城・謁見の間。

 

「失礼します国王陛下!」

 

 扉が開かれた途端、オリヴィエは彼女らしくもなく慌てた様子で、半ば駆け込むように謁見の間に入る。

 そんな彼女を玉座に座ったままのシュトゥラ王と、その前に立っていたクラウス、まわりにいた王宮の高官たちが迎えた。

 それを見てオリヴィエはしまったと思い、すぐに立ち止まった。

 だが、王とクラウスは気分を害した様子はなく、重々しい表情を彼女に向ける。

 王は謁見の間に来たオリヴィエに向かって口を開いた。

 

「オリヴィエ殿、忙しいところを呼び立ててすまんな」

「いえ、私こそはしたないところをお見せしました。……それで、私を呼びに来てくれた侍女から聞いたのですが……本当なのですか?」

 

 オリヴィエの言葉に王はゆっくりとうなずく。

 

「うむ。無理なことだとは思うが落ち着いて聞いてくれ。……聖王陛下……そなたの父君が」

 

 そこまで言って王は言葉を止める。オリヴィエは堅い表情でその言葉の続きを待っていた。

 

「……崩御された。つい先ほど聖王都の使者が余のもとを訪ねてきて、そう告げられた」

 

「――っ!」

 

 その言葉にオリヴィエは息を飲み、肩を震わせる。

 

「オリヴィエ!」

 

 その様子を見たクラウスは場所も周囲の目も顧みず、オリヴィエの側に駆け寄り体を支える。

 それに対してオリヴィエは片手を出してクラウスを制した。

 

「大丈夫です。ありがとうクラウス。……申し訳ありません陛下。お見苦しいところをお見せしました」

「よい。そなたの気持ちはわかる」

 

 (かぶり)を振ってそう言った王にオリヴィエは少し考えるそぶりを見せた後、思い切った様子で尋ねる。

 

「陛下、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「何かね?」

「父は……聖王陛下はどのような亡くなり方をされたのでしょうか?」

 

 オリヴィエの問いに王は目を見張り、困ったように視線を宙に泳がせしばらくしてから言った。

 

「余も使者殿から知らされたばかりでな。詳しいことは知らぬのだが、病死だと聞いておる……一週間ほど前から具合を悪くされて今日の昼過ぎ頃に……すまぬ、それ以上はわからんのだ」

 

 その説明にオリヴィエはかすかに眉をひそめる。

 

(病死? ゼーゲブレヒト城には老衰以外なら、どんな病気も治せる設備があるのに?)

「オリヴィエ殿?」

「――いえ、何でもありません。妙な事を聞いてしまい申し訳ありませんでした」

 

 訝しげに声をかけてきた王に向かってオリヴィエは頭を下げた。

 それに対し王はよいと言ってから、

 

「とにかくそういう訳だ。オリヴィエ殿、クラウス、そなたたちはすぐゼーゲブレヒト城に参内する準備をしなさい。本来なら余も行かねばならないのだが――ゴホッ! ゴホッ!」

「父上!」

「陛下!」

 

 咳き込んだ王にクラウスとオリヴィエと玉座の隣にいた宰相が駆け寄ろうとするが、王は片手を出してそれを制した。

 

「よい。ただの風邪だ。もう治ったと思ったのだがしつこい風邪だよ」

 

 そう言って王は笑う。だが、クラウスもオリヴィエも臣下たちも、笑いを返すことはできなかった。

 最近になって王は具合を悪くすることが増えた。

 起動宣言をはじめとする、聖大陸の情勢の変化といった外的な要因が影響しているのかもしれないし、単に年齢のせいかもしれない。

 だが、王のまわりにいる者は考えざるを得なかった。

 現王に死期が迫っていること、そして王亡き後に王位を引き継ぐであろうクラウスの存在を。

 王自身もオリヴィエも例外ではない。

 父は風邪が残っているだけで、すぐにまた調子を取り戻すと()()()()()()()()()()のはクラウスだけだ。それが父の死や、王位を引き継ぐ重圧から目をそらすための現実逃避でしかないとわかっていながらも。

 

「とまあ、このとおりちょっと咳を出してしまったら宰相から外出を止められてな。余は聖王都まで行くことができぬ。クラウス、そなたが余の代わりにお悔やみを伝えてきてくれ」

「はっ。このクラウス、陛下の代理という責務を見事果たしてまいります。後の事は私たちに任せて、陛下は心置きなくご静養ください」

 

 クラウスは胸に手を当てながら王にそう告げる。

 王は「うむ」とうなずきを返した後、オリヴィエに顔を向けた。

 

「オリヴィエ殿、そなたも行ってくるがよい。私の事は気にせず、父君に最後の別れを告げてこられよ」

「……はい。お心遣い感謝します。陛下」

 

 クラウスに続いてオリヴィエも王に向かって頭を下げた。

 オリヴィエの心はいくつもの思いでいっぱいだった。

 自身の父の死を悼む気持ち、シュトゥラ王の回復を祈る気持ち、これらの出来事が更なる戦を繋がらぬように願う気持ち。そして……

 

(突然の病死……二ヶ月前の起動宣言…………まさかお父様、あなたは自ら)

 

 

 

 

 


 

 起動宣言から二ヶ月後、聖王陛下は急な病に襲われベルカを去られた。

 そして、聖王陛下の崩御とほぼ同時期に、愚王ケントはリヴォルタをグランダムの領土として併合する。このことからケントが『闇の書』を用いて、聖王陛下に何らかの呪術をかけたのはもはや疑いようがない。

 聖王陛下の崩御とグランダムによるリヴォルタ併合、この二つの出来事は聖大陸に更なる混乱を引き起こすことになる。

 

愚王伝第3章 終



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第57話 その頃各国は……3

 聖王都 ゼーゲブレヒト城・円卓の間。

 

 円卓の間に集まった中枢王家の王たちは突然起きたある事態に困惑し、頭を抱えていた。

 

「聖王陛下……なぜだ? ……なぜこんな時に自殺などしでかした!?

 

 そう怒鳴って王の一人が机を殴りつける。

 その音にすくみあがる王もいれば、不快そうに顔をしかめる王もいたが、胸中では皆机を殴った王とまったく同じ思いを抱いていた。

 

 聖王ゼーゲブレヒト王の死因は睡眠薬の大量服用。

 起動宣言から一月後、聖王から不眠を訴えられた医師は王に睡眠薬を処方した。無論、万が一に備えて少々しか与えていなかったが。

 しかしその三週間後、使用人が聖王を起こそうとしたがいくら揺すっても起きないため、不審に思い侍従長に報告した。

 侍従長はただちに医師に聖王の容態を検査するように命じ、その結果聖王の胃に半ばほど消化された大量の睡眠薬が発見された。

 医師はすぐに処置を施し、聖王の胃の中からすべての睡眠薬を摘出したが聖王が目覚めることはなく、つい昨日聖王は息を引き取った。

 胃の中にあった睡眠薬の量から、聖王は睡眠薬を受け取ってからそれを飲まずに三週間過ごし、昏睡状態になる前夜一気に服用したとみて間違いないだろう。

 

「まったく、陛下に与える物は厳重に吟味しろとあれほど言ったはずではないか。誰だね睡眠薬など与えた医者は?」

「その医者を暗殺の下手人として処刑することはできんのか? 今後の見せしめとして必要な措置だ」

「それは無理だ。国内にも国外にも陛下が自殺したなどと知られるわけにはいかん。もう病死として発表してしまったしな。今更訂正した方が余計な憶測を生みかねん」

「それに先史時代の知識と技術を持つ医師や学者は、今となっては貴重だよ。むやみに殺すわけにはいかん」

「そうだな。そんなことより我々が話し合うべきことは他にあるではないか」

 

 その一言に王たちはいったん口を閉ざす。

 だが、その沈黙は次の一言によって破られる。

 

「……次の《ゆりかごの聖王》の選定か」

 

 王の一人がその言葉を口にした途端、発言者自身を含めすべての王が体をこわばらせる。

 《聖王のゆりかご》の起動。

 それはもう大陸各国に表明してしまった。もしこれを取りやめてしまったら、ダールグリュン帝国や反連合はこれを聖王連合の弱体化とみなし、攻撃の手を強めてくるだろう。もう後には引けない。

 そのため中枢王家としては、ゆりかごの操縦者たる“次期聖王”を早急に選び出さなければならなかった。

 

 ある王が咳払いとともに口火を切る。

 

「やはり聖王位に就かれるのは陛下の御子のどなたかだろう。あの方の御子の中でゆりかごに乗れそうなのは、第一王子オスカー殿下と第一王女アデル殿下のお二人だったな」

「オスカー王子は論外だ。あの方が聖王位につくのはこの戦乱が終わった後だよ。王子には平定後のベルカを導いていただかなくては」

「アデル王女も無理だな。近々連合入りする予定の有力な独立国の王子に嫁ぐことになっている。それにオスカー殿下とアデル殿下をゆりかごに乗せるなど、亡き王妃のご実家が許しはしまい。陛下の御子だからといってあのお二人は難しいな」

 

 聖王直系の王子と王女の二人をゆりかごに乗せることができないとわかった途端、王たちの間にしばらくの間沈黙が降りた。

 そして……

 

「ならばゆりかごに乗る聖王は、我々か我々の子の中から選ぶしかないか」

「いや、我々は皆年を取りすぎている。ゆりかごを動かす体力はもう残っていまい……となると、我々の子の誰かか?」

 

 その言葉をきっかけに王たちは互いに顔を向け合って……

 

「あなたのご子息はどうだね? 文武両道で優れた魔導師になるだろうと自慢していたではないか。それならゆりかごを動かすことぐらい……」

「い、いやそれが公務の一部を任せて以来、魔法の修練がおろそかになってな。恥ずかしながら今は魔法において凡百もいいところだよ。それに男では王位の問題もあるだろう。あなたの息女はどうだね? まだ嫁に出してないんだろう」

「そ、それなんだが、うちの娘もある国の王に嫁がせようと思ってね。ほら、グランダムという闇の書を持つ王が治める国があるだろう。ガレアに続いて今度はリヴォルタを併合するらしい。それもあって今や独立国ではなく中立国と呼ばれているとか。いよいよ本格的に脅威になり始めてきたが、まだ味方に引き込むことはできるかもしれん。娘にはその懸け橋になってもらおうと考えているんだ」

「そういえばあの若王、リヴォルタ見物に何人の美女を連れて行くほど女好きだという話だったな。案外それでうまくいくかもしれん。だが、娘夫婦の仲が冷えるのは覚悟しておけよ。すでに四人も愛人を抱えているという話だからな」

「王族や貴族ならそれくらい良くある話だよ。まあ、そういう話は後にしてそろそろ本題に戻ろう。諸君らの子の中で思い当たる子はおらんのかね? ゆりかごを動かせるだけの力を持って、政治的利害とは無縁の子が」

 

 その言葉に王たちは黙りこむ。

 皆、自分の子をゆりかごに乗せたくはないのだ。なぜならあのゆりかごの玉座に座った者は……。

 そんな彼らを、自分の子を愛するまっとうな親だと思うのか、それとも他人の子に犠牲を強要する悪しき王だと思うのかは人それぞれだろう。

 そんな中、王の一人がある名前を挙げた。

 

「『オリヴィエ王女』はどうだろう」

 

 彼らの子にそんな名前を持つ者はいない。

 皆が顔を上げる中、王は説明を続ける。

 

「オリヴィエ第二王女殿下。オスカー王子とアデル王女に続く聖王陛下の御子の最後の一人にして、母親たる王妃の命を糧に生まれ出た鬼子。王妃のご実家はそんなオリヴィエ王女を実の孫ながら憎んでいると聞く。オスカー王子やアデル王女と違って、オリヴィエ王女ならば王妃のご実家もゆりかごに乗ることに反対はすまい……どうだろう?」

 

 王の説明に皆がうなずきかけるが、その中の一人があることを思い出し声を上げた。

 

「いや、あの王女は無理だ。オリヴィエ王女は幼い頃に魔導事故に遭われて、両手と臓器のほとんどを失っている。あの方にゆりかごを動かす力など望めんよ」

「いや、そうとは限らんぞ。オリヴィエ王女はシュトゥラで魔法と武術の修練を重ね、随分活躍されているらしいじゃないか。それについ先日、研究者たちからゆりかごの改良に成功したとの報告もあってな。その改良によってある程度体が弱くても、問題なくゆりかごを操作できるようになったらしい。もしかすれば……」

 

 その言葉に一同は納得しかけるが、そこで別の王が異論をはさむ。

 

「駄目だ。あの方には人質としてシュトゥラを繋ぎ留めておく役割がある。ゆりかごが動かせない現状で雷帝に対抗できるのはシュトゥラ王しかいない。万が一あの国が連合から抜けるようなことがあっては困るぞ」

「確かにな。それに加えて反連合の多くがすでに禁忌兵器(フェアレーター)を持っている。シュトゥラなしではかなり厳しいぞ」

「……それもそうだな」

 

 その言葉を最後に円卓の間は静寂に包まれ、卓の向こう側にある誰も座っていない玉座がむなしくそこに置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 ガレア王国奥地。

 まわりより少し盛り上がった地層の下で、マントに半ズボンといった少年と間違われそうな格好の少女が土まみれになりながら、素手と発掘魔法と使い分けてある物を掘り出そうとしていた。

 彼女のまわりにはすでに掘り起こされた出土品が多く積み重なっている。

 柱らしきものの残骸、妙に小さい犬の人形らしきもの、ひび割れたガラスがはめられた手鏡?――にしては取っ手が持ちにくい上に文字付のパネルがついた妙な造形をしている――

 そんな中、彼女が新たに掘り出した物は小さな金属でできた箱だった。

 箱にはわずかな出っ張りがあり、それを引くことで中を開けることに成功する。

 箱の中身を見て少女は満足げな笑みをこぼした。中身の片方が考古学者にとって、最も価値があるものだったからだ。

 箱の中に入っていたのは小さな赤い金属片と二冊の古い本。

 赤い金属片の先端は銀色で赤い取っ手よりちょっと細く、ぼっきりと折れてしまっている。何に使うのかは知らないがこんな状態ではもう使用することはできないだろう。現代では見ない貴重な物には違いないが、使い方すら想像できない物に価値を見出す者はいない。謎のオーパーツ止まりだ。

 価値があるのはもう一方、二冊の本の方だ。

 表紙には大きく文字が書かれているが、今はまだ読めない。

 少女はページを何枚かめくり、気付いた。

 

(……これってケントって王様が持ってる闇の書じゃない? ……王様に報告するべきなのかな? ……いや、闇の書によく似た本かもしれないし、王様に伝えるのは解読が終わってからでいいや……こっちの本は)

 

 闇の書によく似た本が描かれている古文書を脇に挟んで、少女はもう一冊の本を開く。

 そして彼女は見た。

 

(なにこれ? 次元船にしては武装が多すぎる……何だろうこの船?)

 

 

 

 

 

 少女、サニー・スクライアがガレアの地層から見付けた二冊の本、そこには《闇の書》と《聖王のゆりかご》と呼ばれる戦船の正体が余すことなく記されていた。

 そしてこの二冊の本がきっかけで、ケントは自らの破滅を決意することになる。

 この本を読んだ時から彼は愚王と呼ばれる運命にあったのかもしれない。



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第58話 リヒト

 帝国軍の撤退から三日後。

 リヴォルタ中央区の市議会議事堂前にて、握手を交わすグランダム王ケントと市議会議長代行の姿があった。

 ケントは議長代行から手を離して演説台の前に立ち、議事堂前に集まっている大勢の市民の前で、リヴォルタ自治領とグランダム王国の統合を宣言し演説をしている。

 その後ろで共和国派だった議員が、帝国派だった初老の議員と小声でささやき合っていた。

 

「いいのか? グランダムとの統合など認めてしまって」

「……ふむ。わしも本当にこれでよいのかとは思う。ヴァンデインがいなくなった今、リヴォルタのような一都市が戦乱の世を生き残るには、帝国や連合のようにもっとも勝ち残る可能性が高い国に庇護してもらうしかない。だが、あのグランダム王という小僧はわずか十人足らずの手勢だけで、数万の帝国軍を追い払った。もうここは一つあやつに賭けてみるのもありだろう。あの小僧は闇の書を持っているという話だしな」

「その魔導書の伝説なら私も聞いたことがある。完成させたものはベルカを始め、あらゆる世界を手にする力が得られる代物だとな。まあ、信じてはいなかったが」

 

 共和国派議員は苦笑しながら肩をすくめた。

 帝国派議員も苦笑で応じる。

 

「そりゃそうだ。そんな言い伝えを真に受けるのは十までの童ぐらいだろう。だからこそ闇の書の力が本物だと知ってわしは驚き、そして恐ろしくなった。もし逆らったりすれば闇の書の力でこの都市を支配する気なのかもしれんとな。そう思っているからお前もグランダムとの統合を認めたのだろう?」

 

 その問いに共和国派議員は首を縦に振った。

 彼らがグランダムとの統合に応じることにしたのは、とどのつまりケントと闇の書が恐ろしいからだ。ガレア軍や帝国軍や倒した力を自分たちに向けるようなことがあったらと。

 そんな危険を冒すぐらいならまだケントに従った方がましだろう。

 幸いケントはグランダムから領主を送るとは言っているものの、議会についてはこのまま存続させることを約束してくれた。一ヶ月後の選挙さえ乗り切れば、自分たちの地位がすぐに脅かされることはない。

 それにケントが連合や帝国に負けることがあれば、その時はまた連合や帝国にすがればいいだけの話だ。かつてリヴォルタを治めていた国を裏切って敵国に武器を売り渡していた頃のように。

 彼らは腹の中でそんなことを考えながら、表面上は統合を祝福するふりをして、演説を終えたケントに拍手を送る。

 

「……」

 

 そんな彼らの隣でエリザもケントに拍手を送りながら、二人の議員の話に耳を傾けていた。

 

 

 

 

 

 

 一刻後、俺たちは統合に際して支援者となってくれたテジス議員に招待され、彼の家に訪ねていた。

 応接室で互いに椅子に座りながら、俺は議員と談笑を交わす。

 

「お疲れ様ですケント殿。おっと失礼、これからはケント陛下とお呼びしなければなりませんな」

 

 そう言って頭を下げるテジス議員に対して、

 

「別にいい。あまり仰々しくされるとこっちも息が詰まる。それにこうしてお邪魔させてもらっている身だ。家主らしく構えていてくれ」

「そう言っていただけると私も助かりますな。客人としてならまだしも、統治者としての国王をお迎えするのにはまだ慣れていないもので。……それでこの街にはあとどれくらい滞在される予定です?」

「さすがにこれ以上グランダムを留守に出来ない。今日中に大まかな施策を決めてから明日にでも国に帰るよ」

「それは残念ですな。せめて今日の夕食は召し上がっていってくだされ。家族はあいにく出払っておりますので、私くらいしか皆さんの相手はできませんが」

「そうか。ご家族にはよろしく言っておいてくれ」

「ええ。では夕食になったらメイドが呼びに来ますので、それまでごゆるりとおくつろぎください」

 

 そう言ってテジスは椅子から立ち上がり室内から出て行った。

 後には椅子に座ったままの俺と守護騎士たち、黒衣の女、エリザ、エリザの後ろに立っているジェフが残される。

 

「ご家族は留守ですか……テジス様の奥様とお嬢様はかなり美しい方たちとのことですけど。残念でしたねケント様」

 

 エリザは感情がこもってない声で、そんなことを言ってから紅茶を口に含む。

 

「……まあ、それぞれ予定もあるだろし仕方ないさ。今晩は議員と酒を酌み交わしながら、リヴォルタ最後の晩餐を楽しもう」

 

 俺がそう言うとエリザは再びカップから口を離し、

 

「本当に偶然だと思ってますか?」

 

 ……嫌みかと思いきやそういう話か。

 

「数万人の帝国軍を追い払うような奴らに家族を会わせたくない……ということか」

「わかってるじゃないですか」

 

 そう言ってエリザは再度紅茶を口に含むが、もう残りがなかったようで一口含んだだけですぐに口を離した。

 

「たった九人で帝国軍のもとへ行って、ちょっと話をしただけで何も差し出すことなく、帝国軍を本国へ追い帰した……これがどれだけおかしなことかお分かりですか? テジス様を含めて議員たちはこう思っているかもしれませんね。グランダム王は得体の知れない術を使って数万人の帝国兵を洗脳し、操ったと」

 

 それだけ聞くと不気味な事この上ないな。民話や神話に出てくる怪異の話かと思えてくる。

 実際は交戦一歩手前になった所を、ローダン伯爵がダスターから指揮権を取り上げて、全軍に帰還命令を出して勝手に引き上げていったのだが。そう話したところでテジスたちにも信じてはもらえないだろう。

 俺の手元には闇の書という怪しげなものもあるし、それがますます疑いを強めてしまっている。

 

「本当によろしいのですか? このままリヴォルタを併合したりして。帝国派と連合派が手のひらを返してグランダムとの統合を認めたのは、間違いなくケント様への恐怖心からですよ」

「……分かっている。だが聖王が亡くなったことで連合も帝国も混乱していて、リヴォルタどころじゃない。このままだと治安がますます乱れていって、両国が体勢を立て直す頃にはこの街は無法地帯になりかねない。そうなったらリヴォルタの北にある我が国にも影響が及びかねない。グランダムがリヴォルタを併合することで、それを防げるのならそうするべきだと思う」

「……本音は?」

「……リヴォルタが手に入らないと債権返済どころか、軍事費の確保すらままならない」

 

 エリザの追及にそう答えた途端、まわりから冷ややかな視線が注がれてくる。

 仕方ないだろう。元々凶作のせいで当てが外れて苦しかった上に、三日前に聖王が死んだことで、いつ大陸規模の戦が起こってもおかしくない状況になってしまったのだ。

 戦に備えるためにも、リヴォルタ併合はなんとしても成功させなければならなくなった。

 

 エリザは大きくため息をついて、

 

「まあいいでしょう。貴国が財政難のままだと私も困りますし、これ以上は何も言いません。リヴォルタの統治が成功するように私も祈っています。それにあたってリヴォルタの領主はもう決めてあるのですか?」

 

 その問いに俺はうなずきを返す。

 リヴォルタの領主に任命しようと思う者はすでに決めている。というかあいつしかいない。

 

 通常、どのような形であれ領地を新たに獲得した場合、領地獲得に当たってもっとも目覚ましい活躍をした者にその領地を授与しなければならない。

 リヴォルタを手に入れるにあたって、フッケバインと戦って街を守るなどの活躍を果たしたのは守護騎士の四人と黒衣の女……そして。

 

「へえ、誰よそれ? リヴォルタみたいな大きな街を治めるんだから、よほど優秀な奴なんだろうね」

「……まあ、素質はあるんじゃないかと思う」

「……?」

 

 俺の返事にティッタは首をかしげた。

 そんな彼女に俺はあることを尋ねる。

 

「ところでティッタ、読み書きはできるか?」

「……そりゃあ、まあ。せんお――お父様が手配した教師が毎週家を訪ねてきてね。その人に大体教わったからそれくらいならできるけど、なんでいきなりそんなこと…………えっ? ……まさか」

 

 ティッタが言葉を重ねていくうちに、だんだん皆の視線が彼女に注がれていく。それによってティッタ自身も俺が何を言おうとしているのか気が付いてきたようだ。だんだん目が丸くなっていく。

 そんな彼女に俺は言った。

 

「ティッタ、俺はお前にこの街を任せようと思っている。リヴォルタの領主になってみる気はないか?」

はああああ!!

 

 その瞬間、ティッタの絶叫が部屋中に響き、何人かは思わず耳をふさいだ。おそらく屋敷中に響いたのではないだろうか。

 当のティッタは勢い良く手を振りながら、

 

「いやいやいや! なに言ってんのさ? アタシに領主なんてできるわけないだろう! 他の人に頼めばいいじゃん、シグナムさんとか!」

 

 ティッタはそう言ってシグナムを指さすものの、当の彼女は、

 

「悪いが私たちは無理だ。闇の書の主を守るべき我らが主ケントのそばを離れるわけにはいかんだろう」

 

 そう言ってシグナムは同意を求めるように他の三人を見る。

 それに三人はうなずきで応えた。

 ただ一人守護騎士ではない黒衣の女はぽかんとしていた。彼女に任せることもできるが……。

 

「えっと……君はどうだ? リヴォルタの領主をやってみる気は……」

 

 やはりというか、彼女は首をぶんぶん振りながら、

 

「い、いえ、お断りします! 私も主の側を離れるわけにはいきませんから」

 

 守護騎士に続き彼女も固辞した。

 それを聞いて心のどこかで安心しながらティッタに向き直る。

 

「という訳でお前しか残ってないんだが、リヴォルタの領主、引き受けてくれないか?」

「嫌に決まってんだろう! あんたがやればいいじゃない! 直轄地とかにしてさ!」

 

 ティッタの言うとおり、直轄地として俺が直接リヴォルタを治めるということもできるが。

 

「無理だ。俺にはすでに王都の管理という仕事があるし、そうでなくても今後に備えて国の守りを固める準備をしなくてはいけないんだ。リヴォルタを見ている暇はない。

 ……だからティッタ、とりあえずやれるだけやってみないか? 法の制定や実務は議会がやることになってるから、お前は議会から届けられてくる議案や報告書に目を通すだけでいい。それでも無理だったら辞めていいから……なっ?」

 

 俺は粘り強くティッタは口説き伏せ、ついにティッタは、

 

「……ちっ、わかったわかったよ。やりますよ、やるだけやってみますよケント陛下。でもほんとに期待しないでよ。役に立たないと思ったらすぐ首にしていいから」

「ああ、それで構わない。リヴォルタを頼んだぞ。ティッタ」

 

 ようやくリヴォルタ領主に就くことを承諾してくれたティッタに、俺は彼女の肩を叩いて発破をかけた。

 ティッタは「やめろ」と言いながら俺の手を払いのけようとする。

 すると、

 

「クスクス」

「「――!」」

 

 横から笑い声が聞こえて、俺たちはそちらに顔を向ける。

 見てみると黒衣の女が口元に手をやりながら声を上げて笑っていた。

 守護騎士たちもそれを見て、女が笑ったことに驚きの表情を浮かべている。

 俺はクスクスと笑う、黒衣の女の笑顔を見て思った。

 ――やっぱりきれいな人だな。そうやって笑っているといっそう。まるで……

 

(リヒト)

「えっ!?」

 

 俺がつぶやいた言葉に彼女は笑うのを止め、他の者たちも怪訝そうに俺を見ている。

 恥ずかしくなって俺は思わず、

 

「あっ、ほら君の呼び方だ。前からどう読んでいいかわからず困っていたんだ。だから、もし嫌でなければ当分の間だけでも『リヒト』と呼んでもいいか?」

 

 その問いかけに彼女は首を縦にも横にも振らず、ぽかんと俺を見る。

 それを見て俺は(かぶり)をふりながら、

 

「……やっぱりダメか。そうだな。闇の書の意思と呼べる存在でもある君に、光という意味の名前も変か。……すまない、やっぱり忘れて――」

 

 忘れるように言おうとしたが、彼女は首を横に振って、

 

「いえ、構いません! 主がそうお呼びしたいのであれば、どうぞ、私の事はリヒトと呼んでください」

 

 黒衣の女、『リヒト』は良く通る声でそう言ってくれた。

 あまりの嬉しさに俺は思わず顔を緩めてしまう。

 

「そ、そうか。じゃあ、そう呼ばせてもらうよリヒト。もちろん、嫌だったら遠慮なくやめろと言ってくれ。そのうち本当の名前を思い出すこともあるかもしれないからな」

「いえ、嫌なわけがありません。初めて――」

「失礼します。皆様、お食事の用意が整いました……?」

 

 リヒトが何か言いかけたところで扉を叩く音と、その直後に室内に入ってきたメイドの声が遮ってしまう。

 それに対して俺は恨めそうな目をメイドに向けてしまったのだろう、メイドは戸惑ったまま俺を見つめ返す。

 

「……あの、お邪魔でしたか」

「いや、なんでもない。呼びに来てくれて感謝する」

 

 俺は居住まいを正してメイドにそう告げるものの、思わず低い声が出てしまい、かえってメイドを恐縮させてしまう。

 そのせいか、メイドは若干肩を震わせながら俺たちを食堂に案内する。

 メイドに続いて部屋を出ようとしたところで、エリザが俺とリヒトを交互に見比べているのが見えた。

 俺はエリザに声をかける。

 

「どうした、俺かリヒトに何か言いたいことでも?」

「な、何でもありません!」

 

 そう言ってエリザは肩を怒らせながら、俺たちより先に部屋を出てしまった。

 俺とリヒトは不思議に思いながら、彼女の後に続いて部屋を出た。

 

(なんてこと! あの人が少し笑っただけであんなにデレデレするなんて。このままだと私は彼女には勝てない。どうしたら? ……妾なんて私の夫となる人に許すつもりはなかったけれど。ケント様の心を掴み取るにはもう意地を張っている場合ではないかもしれないわ)



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断章 急転
第59話 皇帝ゼノヴィア


 リヴォルタ併合の一ヶ月後に起きた《フロニャルド》という異世界に転送されるという出来事が起きてから、さらに約二ヶ月半。

 

 それまでの間に聖王連合の加盟国と反連合を掲げる独立国の間で戦が勃発するようになり、聖大陸の情勢は日を追うごとに混迷を極めていた。

 聖王のゆりかごと呼ばれる古代兵器を動かすことができる聖王が死んだことで、反連合はこれを連合を倒す絶好の機会ととらえたのだろう。

 反連合は連合加盟国に戦を仕掛けるだけでは飽き足らず、聖王核をその身に宿す聖王家や中枢王家の血縁者を狙ったテロ行為まで辞さないようになった。

 その戦やテロのほとんどに禁忌兵器(フェアレーター)が使用されているのはもはや言うまでもない。

 

 有力な連合加盟国であるシュトゥラ王国も反連合からの攻撃に悩まされており、つい半月ほど前に隣国から襲撃を受け、シュトゥラの南部にありグランダムのすぐ北にある《魔女の森》は、無残にも燃焼兵器によってほとんどが焼き払われてしまったという。

 あれから超距離念話を用いて一度だけクラウスと話をすることができたが、魔女の森が焼かれたことでクラウスと仲が良かった『クロゼルグ』という少女も姿をくらましてしまったらしい。

 あの魔女娘にはよくいたずらを仕掛けられて手を焼かされたものだが、万が一を考えると無事を願わずにはいられない。

 

 また凶作も大陸全土にわたって続いており、連合反連合関係なく食料を奪うための戦もよく起こるようになった。

 

 そんな情勢の中、ディーノ、ガレア、リヴォルタを併合し勢力を広げている我が国グランダムは、独立国の枠を超えた『中立国』と呼ばれるようになった。

 そのおかげか、それとも闇の書の噂が広がっているためか、我が国と他国との間で戦が起きるような兆候は今のところない。

 その代わり連合から加盟を要求する書状が届いたり、連合の幹部である中枢王家から王女との結婚の申し出や、貴族の娘を行儀見習いとして送りこみたいという要望が届けられるようになった。

 そしてダールグリュン帝国からもある誘いが来て……。

 

 

 

 

 

 

 飛行魔法で西へ飛びいくつもの都市を通過して、俺とリヒトと守護騎士はダールグリュン帝都に入った。

 当然帝都の門を守る衛兵に捕まって身元を検められたり通行料を要求されたが、ある書状を見せた途端にかしこまった態度になり、俺たちをあっさりと帝都内に通した。……まあ、こんなものを見せられたらな。

 

 帝都はリヴォルタ同様とても大きな街だったが、家屋、商店、飲食店、宿、娯楽関連などあらゆる建物がないまぜの状態になっているリヴォルタと違い、業種や用途ごとに区分けがされていて、綿密な都市計画のもとで作られたことがうかがえる。

 凱旋門や大劇場、帝国美術館のような名所をはじめとする古い建物も数多く並んでおり、王国時代を含めれば聖王家、ガレアに次ぐほどの歴史を誇る、ダールグリュン帝国を象徴する都市と言えるだろう。

 

 そんな街中で……

 

「「ふあああ!」」

 

 ヴィータとティッタは周囲の目も気にせず、口に手も当てないまま盛大なあくびを出す。

 

「おい、騎士ともあろう者が見苦しいぞ!」

「悪い。眠くてつい」

「すみません。昨日はかなり遅かったもので」

 

 あくびを咎めるシグナムに、ヴィータとティッタは素直に頭を下げる。

 

「おいおい、帝都行きは一週間前から決まっていただろう。なんで夜更かしなんてしたんだ? まさか二人そろって夜遊びでもしてたんじゃないだろうな?」

 

 シグナムと二人の様子につられて、俺もついそんなことを言ってしまうが……

 

「昨日、リヴォルタから何十枚もの書類が届いて、それ全部読むのに深夜までかかったんだよ。おかげでまだ眠くて眠くて」

「それだけじゃねえ。こいつ書類読んでる間ずっとうんうんうなっててな、そのせいであたしもほとんど寝てねえんだ」

 

 ……そうだったのか。それは仕方ないな。

 二人が寝てない理由に納得して言葉を引っ込める。そんな俺を二人は恨めしそうに見た。

 

「誰だっけ、リヴォルタ辺境伯の仕事は議会から送られてくる書類に目を通すだけの簡単なお仕事だって言った王様は」

 

 すまん、俺だ。

 

「おいケント、なんでこんな脳筋を辺境伯なんかにしたんだよ? こいつに書類仕事なんか任せたらこうなるって想像つくだろう」

 

 統治者としての適性はあると思ったんだ。なんだかんだ言っていまだに続けてるし。

 

 

 

 

 

 もっとも、ティッタにリヴォルタを任せた理由はそれだけじゃない。ティッタを領主にする以外にリヴォルタを治める方法は他にもあった。例えばリヴォルタを直轄領にして総督に統治させるなど。

 だがそれをせず、ティッタに爵位を与えリヴォルタ領主にしたのは、先王の庶子として生まれたために王族と認められることがない妹に貴族の位を与えてやりたかったからだ。

 それが正しい事のかは分からない。ひょっとしたら自己満足に過ぎず、ティッタにしてみれば余計なお世話かもしれない。しかし、俺が彼女にしてやれることといったらそれくらいしか思いつかなかった。

 まあ、理由はもう一つあるが……それを語るのは今でなくてもいいだろう。

 

 

 

 

 

「失礼。グランダム王国からいらっしゃったケント国王陛下とお連れの皆様とお見受けいたしますが……相違ありませんかな?」

 

 その声に反応して俺は現実に意識を戻す。

 俺たちの前には絹服を着た壮年の男と、白い鎧をまとった十人の騎士たちが俺たちの前に立っていた。

 それを目にした衆人たちの視線がこちらに集まるが、騎士たちを従えながら現れた男は気にもとめず、俺たちに向かって口を開く。

 

「お初にお目にかかります。わたくしはダールグリュン帝国の宰相を務めているフロレンツと申します。皇帝陛下の命によりあなた方をお迎えに参りました。ここからは私共が帝城までご案内しましょう」

 

 それを聞いて俺は彼らに名と身分を明かし、礼を述べる。

 そんな俺の後ろからがっかりしたようなため息が聞こえた。

 間違いなくヴィータとティッタだろう。彼らが来なければ訪問は明日にして、今すぐ宿に飛び込むつもりだったに違いない。

 俺だってできればそうしたかった。この状態の二人をあの人物に会わせるのはかなり心配だ。

 帝国の宰相フロレンツからは嘆息を漏らすヴィータとティッタが見えていただろうが、彼は怪訝な顔を見せることなく後ろを振り返って帝城に向かって歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 フロレンツに先導されて俺たちがたどり着いたのは、巨大な白い城だった。

 グランダム城はおろかシュトゥラ王城より大きい。これほど巨大な建物を見たのは生まれて初めてだ。

 城内にいる無数の衛兵の間を縫うように、俺たちは長い廊下を進む。

 そしてようやく廊下を抜けた俺たちの前に現れたのは……。

 

 

 

 

 

 長い通路の左右に何十人もの衛兵と数人の高官らしき者たちが一直線に整列し、その先にある三段の段差の上には豪奢な玉座とそこに座る女性がいた。

 俺たちは通路を歩いて段差の前で足を止める。

 ふと、もしやと思って視線だけを左側に向けた。

 そこには緑色のドレスに身を包んだエリザ――エリザヴェータ・ダールグリュンがいた。さすがにジェフらしき者はここにはいない。と思う。

 

「……」

 

 そこでエリザと目があった。

 しかし、お互い挨拶どころか顔を向けるわけにもいかず、お互い見なかったふりをする。

 

「ククッ」

 

 その時、俺たちの正面から笑い声が漏れた。

 そこには一人しかいない。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 波打った長い銀髪、緑の右眼と紫の左眼の虹彩異色(オッドアイ)、白い軍服と背中に付けた黒いマント。

 間違いないこの女性が……。

 

「お初にお目にかかる。グランダム王、ケント・α・F・プリムス殿。余がダールグリュン帝国の皇帝、ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュンだ。急な招待にもかかわらずよくここまで来てくれた。歓迎するぞ、《闇の書の主》よ」

 

 《雷帝》の異名を持つ、帝国の皇帝ゼノヴィアが不敵な笑顔で俺たちを見下ろしていた。

 

「……グランダム国王ケント・α・F・プリムスだ。こちらこそ手厚い歓迎を感謝する、ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン皇帝」

 

 立ったままの状態で俺が皇帝にそう言葉をかけると周囲がざわめく。

 

「たかが独立国の王の分際で、皇帝陛下に向かって何という物言い」

「しかも本人どころか、従者の誰一人として膝をつかぬまま」

「なんと礼を知らぬ連中だ」

 

 謁見の間の左右にいる高官たちはひそひそと言葉を交わす。その中で左側の先頭にいるエリザは彼らに加わらず、こっそりとため息をついているようだった。そのため息は俺たちに対するものなのか、高官たちに対するものなのか、今はわからない。

 一方、皇帝を前にしても、まわりからどよめきが上がっても、俺も他の皆もその場に立ったままだった。

 

 守護騎士たちとリヒトがひざまずこうとしないのは、主以外の人間に服従するつもりがないからだろう。あるいは守護騎士としてそう定められているのかもしれない。

 ティッタはどうすればいいか測りかねているようで、俺と守護騎士たちに合わせて仕方なく立ったままでいるようだ。

 いずれも俺が皇帝に対してひざまずけば、他の者たちも俺に合わせてひざを折るようになるだろう。

 だが、それはできない。

 グランダムは今でも連合にも帝国にも与しない独立国――いや、中立国だ。

 その国の王である俺が皇帝にひざまずくということは、グランダムが帝国の軍門に降ると表明するも同然。

 連合との関係や今まで独立を続けてきた矜持から、俺は皇帝にひざまずくことはできない。

 

 そこでふいに――

 

「騒ぐな」

 

 皇帝はおもむろにそう言葉を発した。それは俺たちに向けられたものではない。

 

「余が客人と相対している時に、ざわざわと騒ぎ立てるのがお前たちの礼か?」

 

 皇帝がそう言った途端、臣下たちは一斉に口をつぐむ。それを見て皇帝はため息をつき、

 

「……もうよい。事が終わるまでそなたたちは黙って見ておれ。それすらできぬのならさっさとここから出て行くがよい!」

 

 その言葉に高官たちは顔を伏せ、立ち尽くした。本当に出て行こうとする者はさすがにいない。いたら謁見の間どころかこの城にいられなくなるだろう。

 皇帝は臣下たちを一瞥してから俺たちに視線を戻し、口を開く。

 

「すまぬなケント殿、見苦しいところを見せた。しかし余……いや、私の顔に免じて許してやってくれ。ここを訪れた者など帝国の貴族や属国の王、それ以外では連合や独立国の使者ぐらいでな。立ったまま皇帝と顔を合わせられる者などここ百年はいなかったらしいのだ」

「謝るのなら俺たちを試そうとしたことについて謝ってくれないか? ここまでは貴公が思っていた通りの流れだろう」

 

 俺がそう言うと高官たちが息を飲む様子が伝わってきた。皇帝から対等な口利きを許されたからとはいえ、さすがに無礼が過ぎるかもしれない。

 しかし皇帝は笑みを浮かべて。

 

「ほう、気付いたか」

「あからさまに一人称を変えればな。それで、俺たちは貴公の眼鏡にかなったのか?」

 

 俺の言葉に皇帝ゼノヴィアは鷹揚にうなずいて玉座から立ち上がる。

 

「ああ。やはりそなたらは大国の主だからといって、媚びを売るような腰抜けではなかったらしい。気に入った! ついてくるがいいケントたちよ。ここからは私がこの城を案内するとしよう……ダールグリュン卿、そなたも共に来い」

 

 そう言うやいなやゼノヴィアは俺たちを横切って、扉に向かって歩いていく。

 それを見た衛兵は慌てて扉を開けようとし、その様子を俺たちも高官たちも唖然としながら見ていた。

 そんな中、エリザだけが呆れたようにため息をついていた。

 なるほど、エリザもあの人には結構振り回されてきたらしい。見た目に寄らず結構苦労してきたんだな。

 そう思いながら、俺は騎士たちやエリザとともにゼノヴィアの後に続いた。



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第60話 雷帝の槍

 ダールグリュン帝国の皇帝ゼノヴィア自らの案内によって連れてこられた場所は、城からかなり離れた場所にある巨大な広場だった。四方を覆う壁のみが広場を覆い、屋根もなく暗雲に覆われた空が頭上に広がっている。

 我が国の練兵場より広いこの場所は、皇帝と皇帝の許可を得た者しか使えない専用の修練場らしい。いくら皇帝とはいえ、こんな所をほとんど一人だけで使うなど身勝手が過ぎやしないだろうか。

 

 その修練場の中心でゼノヴィアとシグナム、ヴィータ、ティッタが睨み合っていた。

 

「本当にゼノヴィア殿だけでよいのか? エリザとジェフ殿を加えても構わないぞ。それで人数は互角になるが」

「不要だ。むしろあやつらの手が必要なのはそなたたちではないか? そなたと寝落ち寸前の童女二人だけで私の相手をするのは厳しいと思うが」

「はっ、てめえなんざ寝ながらでも十分だ! なあティッタ」

「まあ、こうやって剣構えたら眠気も覚めてきたけど。……でも本当にいいんですか? 模擬戦とはいえ皇帝に武器を向けたりして」

「無論だ。万が一私が重傷を負うようなことがあっても、貴国に責は問わんと約束しよう。むしろ殺す気でくるがいい。さもなければ死んでしまうのはそなたたちかもしれんぞ」

 

 そんな掛け合いをかわしながら四人は火花を散らす。

 一方、俺とリヒトとシャマルとザフィーラとエリザとジェフは、壁を隔てて設けられた十段ほどの段差から、戦いに臨む彼女らを見下ろしていた。なぜ皇帝が個人的に使う修練場に観客席みたいなものがあるのか疑問だったが、エリザによると俺たちのために急遽作らせたものらしい。

 つまりあの皇帝は最初から俺たちの中の誰かとやり合うつもりだったというわけだ。

 自ら最前線に出てくるほどの戦好きとは聞いていたが、まさかここまでだったとは……招待に応じたのは間違いだったかもしれない。

 

 

 

 謁見の間を出て皇帝ゼノヴィアはどこに向かうかも告げずに俺たちの前をどんどん進み、城を出て到着したのがこの修練場だった。

 修練場に到着するやここについてゼノヴィアは一通りの説明をしてから、模擬戦を持ち掛けてきた。

 それに嬉々として応じたのがシグナムで、ヴィータはシグナムほど戦いが好きでなかったことと眠気が限界に来る寸前だったこともあって、当初は断ろうとしたもののゼノヴィアからちょっと挑発された途端、負けず嫌いの悪癖が出てティッタを誘って戦いに応じてしまった。

 そしてこうなった。

 

 

 

「しかしケントとリヒトとやらは見学か。闇の書の意思とその主とやり合って見たかったのだが……まあ闇の書が完成した後の楽しみに取っておこう」

「慢心が過ぎる女だ。お前ごときでは完成した闇の書とその主となられたお方を倒すことなどかなわん」

「それ以前にあたしらにも勝てねえよ。おしゃべりはそこまでにしてそろそろ始めようじゃねえか」

 

 シグナムとヴィータは首に提げた装飾品に手をかけ、ティッタも背中につけている鞘から剣を抜く。

 

「レヴァンティン Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

「グラーフアイゼン Installieren(インストリーレン)

『Anfang』

「リベリオン Installieren(インストリーレン)

 

 詠唱をとなえるとともに、三人は瞬時に黒い魔導鎧に装着しながら武器を手にする。

 ゼノヴィアはシグナムとヴィータの装飾品から声を発したことにわずかに目を見張りながらも、自らの胸元につけた記章に手を伸ばした。

 

「いでよ、《グングニル》 Installieren(インストリーレン)

 

 ゼノヴィアがそう告げると、彼女も白い魔導鎧を装着し巨大な槍を手にする。

 ゼノヴィアが手にしている槍は彼女の身の丈をゆうに超える長さだったが、ゼノヴィアはそれを片手で軽々と振り回してみせる。

 それを見てティッタは思わず言葉を漏らした。

 

「あんな槍を軽々と……」

「ビビってんじゃねえ。グラーフアイゼンのギガントフォルムに比べたら、あんなの大したことねえよ」

「油断するな。守護騎士として数百年、あまたの強豪と戦ってきたがあんな気迫を放つ者など」

 

 ゼノヴィアを前にさまざまな反応を見せる三人を前に、彼女は槍を宙に向けながら――

 

「さあ来るがいい。闇の書の守護騎士たちよ!」

 

 ゼノヴィアがそう言った直後にシグナムが勢い良く剣を振り下ろす。

 だがゼノヴィアは槍を振るい難なく剣を受け止める。

 そこへすかさずティッタが大剣をゼノヴィアの左脇腹に向けて、真横に振るう。

 

(ニ十三式・刃咬)

 

 だがゼノヴィアは籠手に覆われた左手で大剣を造作もなく掴み取り、それを見たティッタは思わず目を見開く。

 しかし、守護騎士はあと一人残っている。

 

「でやああああ!」

 

 右手に持った槍でシグナムの剣をふさぎ、左手でティッタの大剣を掴んだことで、両手が塞がったゼノヴィアの頭めがけてヴィータは槌を振り下ろす。

 しかし、ゼノヴィアは槍を持つ右手に力を込め、それを思い切り振り回すことでシグナムとティッタを振り払い、真横に突き出した長い柄でヴィータの槌を受け止めた。

 そしてゼノヴィアは右手を槍から離し、その手でヴィータの頭を掴む。

 ヴィータのまさかと思い、とっさに目を閉じる。

 

「六十八式・兜砕!」

 

 ゼノヴィアは掴み取ったヴィータの頭をそのまま思い切り地面に叩き付けた。

 

「ヴィータ!」

 

 ティッタは思わずヴィータの名を叫ぶが、ゼノヴィアはそれを好機と見て槍を突き出す。

 

「四式・瞬光」

「ぐあっ!」

 

 ゼノヴィアが突き出した槍はティッタの腹に入り、ティッタは後方へと吹き飛んでいく。

 

「ティッタ!」

 

 それを見て思わず俺は席から立ち上がる。

 しかしティッタは腹を抑えながら立ち上がり剣を構えた。魔導着と模擬戦用に全員の武器に掛けられた緩和魔法によってなんとか重傷は免れたらしい。

 一方、ゼノヴィアはそれぞれ一撃ずつ喰らった騎士たちを見回して、口角を上げながら口を開く。

 

「さて、これで多少は体もほぐれてきたか。そっちの二人もだいぶ眠気が取れたと見えるが、どうだ?」

「はっ、おかげさまでな。わざと食らったかいがあったってもんだ」

 

 ヴィータは立ち上がり槌を背中に担ぎながらそんな減らず口を叩く。

 シグナムも体勢を立て直しながら、

 

「体がほぐれてきたのはこちらもだ。そろそろ本気で行くぞ!」

 

 シグナムがそう言ったのを受けてゼノヴィアは槍を構える。しかしシグナムはそこから動く様子を見せずゼノヴィアは眉をひそめる。

 それに対してシグナムは――

 

「レヴァンティン!」

Schlangeform(シュランゲフォルム)

 

 シグナムの剣レヴァンティンが再び声を発するとレヴァンティンは銀色の弾を排出し、鞭のような連結した長い刃に形を変える。

 

「シュランゲバイセン!」

 

 そして連結刃はゼノヴィアを囲み彼女の動きを封じる――と思われた。

 

「九十一式・破軍斬滅」

 

 しかしゼノヴィアは連結刃に囲まれたと察した瞬間、槍を円状に回し連結刃を弾きながら前進する。

 ヴィータはそれを見るなり槌を構えて、

 

「グラーフアイゼン!」

Raketenform(ラケーテンフォルム)

 

 レヴァンティン同様、ヴィータの槌グラーフアイゼンも銀色の弾を排出し、槌の頭が変形した。

 

「ラケーテンハンマー!」

 

 グラーフアイゼンの頭の片方から炎が噴出し、噴射の勢いを利用して、ヴィータは猛速度でゼノヴィアに突っ込む。

 ゼノヴィアはなおも槍を回し続け、飛び込んできたヴィータは巨大な槍に頭や体をぶつける羽目になる。だが、ヴィータにとっては覚悟していたことだ。衝撃と痛みをこらえながらヴィータは槌を振り上げる。

 

「フランメ・シュラーク!」

「甘いわ!」

 

 ゼノヴィアは槍を回すのをやめ、左手で自身に迫る槌を掴み取る。

 

「――ぬっ?」

 

 だがゼノヴィアが掴んだ槌は高熱を帯びており、あまりの熱さでゼノヴィアは顔をしかめる。ほとんどの人間なら手を離し一撃を喰らうところだろう。

 

(なんつうおばさんだよ。タフってレベルじゃねえぞ)

 

 ヴィータは内心舌を巻きながら後ろに向かって叫ぶ。

 

「ティッタ、今だ!」

「おう!」

 

 ゼノヴィアは高熱の槌を握りながら視線を下げる。

 そこにはヴィータと高熱の槌に気を取られているすきにここまで迫ってきたティッタの姿が――

 

「おおおおおお!」

 

 ティッタは大剣を振り上げ、ゼノヴィアの頭めがけて勢いよく大剣を振り下ろした。

 大剣をまともに喰らったゼノヴィアは思わず顔を歪める。

 震動付与によって威力を増した一撃には、さすがのゼノヴィアも平然とはしていられなかったらしい。それに震動付与がもたらすものはそれだけではない。今のゼノヴィアは振動がもたらす急激なめまいに襲われているはずだ。

 シグナムとティッタはその隙を逃さない。

 よろめくゼノヴィアを前に二人は武器を構える。

 

「行くぞ皇帝ゼノヴィア。紫電一閃!」

 

 シグナムは炎をまとわせた剣を思い切りゼノヴィアに叩きつける。

 その衝撃でゼノヴィアの鎧に大きくひびが入り、彼女は大きくひるんだ。

 さらにそこへ――

 

「これでとどめだ。ギガントシュラーク!」

 

 ヴィータが槌を振り上げると槌は宙に浮かびながら巨大化し、それをヴィータはゼノヴィアに向かって一気に振り下ろす。

 その衝撃でゼノヴィアが立っている地面は崩れ、中から土埃が舞い上がり、ゼノヴィアの姿は土埃に包まれて見えなくなった。

 それを見てヴィータは槌を元の大きさに戻して背中に担ぎ、他の三人も武器を構えながらも一息つく。

 シグナムたちにとって結果はわかりきっている。

 おそらく土埃の向こうでゼノヴィアは真横に倒れ伏しているはずだ。三人それぞれの必殺技をもろに喰らったのだ。立っていられるわけがない。

 ほどなく三人の眼前を覆う土埃が晴れていく。

 三人の予想通り巨大な槌を叩きこんだ衝撃で地面にはぽっかりと穴が開いており、その中にゼノヴィアが倒れているものと思われる。

 勝者の義務(情け)として彼女を助け出そうと三人は地面に視線を移す。

 しかし、それを見て三人は大きく目を見開いた。

 穴の中にいたのはひび割れた鎧をまとい、土まみれになりながらも平然と立っているゼノヴィアの姿だった。

 

「三人ともなかなかいい攻撃だったぞ。褒めて遣わす」

「嘘だろ……あれだけくらって、ほとんど無傷だと……」

 

 そんな言葉がヴィータの口から出てきた。他の二人も、観戦しているケントたちも、間違いなく同じことを思っているだろう。

 その中で稽古として何度もゼノヴィアと戦ってきたエリザと、それを見守っていたジェフはやはりというような表情でゼノヴィアと三人を見下ろしていた。

 ゼノヴィアは満足げに笑いながら、数歩足を進めて穴から出てくる。

 

「さて、衝撃も()()()()溜まってきたところだな。今の礼も兼ねてそろそろ“あの技”のお披露目と行こうか。死なないように抑えておくから遠慮なく味わってくれ」

 

 そう言ってゼノヴィアは槍を構える。

 三人もすぐに武器を向けるが、ゼノヴィアの体が金色の魔力光に包まれていくのを見て、三人とも思わず息を飲んだ。

 

(――何だ、この魔力は!? これほどの魔力を一瞬で?)

 

 

 

 

 

 

 金色の魔力光に包まれ槍を構えるゼノヴィアに、俺とリヒトは驚愕のあまり目を見開く。

 馬鹿な、あれほどの魔力を溜めもせず一瞬で……。

 そんな俺たちの横から、

 

「ここであれを使われますか」

「あれとは……まさか、あの魔力光は皇帝の固有技能によるものなのか?」

 

 俺の問いにエリザは首を縦にも横にも振らずに目をそらす。……他国の人間に明かせるわけがないか。

 しかし、俺はあの魔力光がゼノヴィアの固有技能によるものだとほとんど確信している。そうでなければあれほどの魔力を溜めもせず、瞬時に構築できるわけがない。

 俺はすぐ修練場に視線を戻す。

 すでに魔力光はゼノヴィアの全身のみならず、彼女が持っている長い槍にまで伝っていた。

 ――まずい!

 

避けろ!

 

 

 

 

 

 

 観客席から立ち上がり、ケントはそう叫ぶがそんなことは不可能だ。ゼノヴィアの前に立っている時点でこの光からは逃れられない!

 ゼノヴィアは金色に輝く槍を前に突き出す。

 

「原式・《殲滅雷(フェアニッヒトゥング・ドナー)》」

 

 次の瞬間、彼女が持つ槍の穂先から巨大な光の柱が真横に向かって伸びていった。

 あまりのまばゆさに修練場を見下ろしていたケントたちは目を閉じ、あるいは腕で目をかばう。

 そして光が収まったのを感じて、彼らは目を開けると同時に目を見開く。

 

 

 

 

 

 

 目を開けた俺たちの眼前に広がっていたのは大きくえぐれた地面、その中で横たわっている三人の姿、そして悠然と彼女ら(敗者)を見下ろしながら立っているゼノヴィアの姿だ。

 俺とシャマルは思わず叫ぶ。

 

「ティッタ!」

「シグナム! ヴィータ!」

 

 だがゼノヴィアがこちらを見上げた途端、俺もシャマルも身がすくみ言葉が出なくなってしまう。

 そんな俺たちにゼノヴィアは厳かに告げる。

 

「安心せよ、殺してはおらん。医師を呼んでやるから奴らが来るのを待つなり、自分たちで治療を施すなりするがよい。私は先に失礼させてもらうぞ。……エリザ、ケント殿に先ほどの技と余の固有技能について話してやるがよい。包み隠さずにな」

「……よろしいのですか?」

 

 エリザが尋ねるとゼノヴィアは鷹揚にうなずいた。

 

「無論だ。何のためにここでそやつに《雷帝の槍》を見せたと思っている。今後の身の振り方の判断材料にもなろう。余すことなく教えてやるがいい」

 

 そこでゼノヴィアは言葉を止め、俺とリヒトを見た。

 俺は思わず息を止めてしまう。対照的にリヒトは固い表情でゼノヴィアを見返していた。

 

「ケント殿、リヒト殿、そなたらがこの先どちらにつくのか、それともどちらにもつかず覇を目指すのかは知らぬが、もし我らが敵となったらその時は存分にやり合おうではないか。楽しみにしているぞ」

 

 そう言い残してゼノヴィアは槍を記章に、装いを鎧から軍服に戻しながら修練場を後にしていく。

 

「わ、私、シグナムたちの手当てをしてきます!」

「私も行こう」

 

 ゼノヴィアがいなくなったのを見届けて我に返ったシャマルは飛行魔法でシグナムたちのもとへ降り、ザフィーラも彼女に続く。

 彼女らがいなくなった後には、俺とリヒト、エリザとジェフが残された。

 俺はエリザに向かって口を開く。

 

「皇帝はああ言ってたが……どうする? 聞かない方がいいならそうさせてもらうが」

 

 俺の問いにエリザは(かぶり)を振って答えた。

 

「いえ、陛下のお許しも出ましたし、ケント様も聞いていかれた方がいいと思います」

 

 それからエリザはこほんと咳払いをして口を開く。

 

「陛下が先ほどシグナム様たちに向けて撃ち出したのは、雷帝式でも唯一《原式》と呼ばれる技です。陛下の固有技能によって、己が体内に蓄積した魔力をただ撃ち出すだけの技量も技術も必要のない単純な技……ですが固有技能を持つダールグリュンの直系にしか使えない、《雷帝の槍》と呼ばれる最強の技でもあります」

「雷帝の槍……」

 

 俺は思わずその名を復唱する。そこで俺はエリザが悔しげに唇をかみしめていることに気付いた。

 まさか悔しいのか? あの技を使えないのが。

 エリザを見て俺はそう思ったが口には出さず、別の疑問を口にする。

 

「……それで、その《雷帝の槍》を可能にする皇帝の固有技能とは一体?」

「“完全な変換資質”……戦闘中に自分が受けたあらゆる衝撃を電気エネルギーに変換して、それを溜め込み続けるというものです」

 

 あらゆる衝撃を電気エネルギーにだと!

 その言葉に俺は目を剥く。

 変換資質というものは魔力を物理エネルギーに変えることができる資質だ。先天的に持っている者もいれば後天的に身につける者もいる。

 しかし、もちろんあらゆる衝撃を変換するというのは聞いたことがない。

 戦闘中に受けたダメージを跳ね返すことができるようなものだ。

 それだけでも俺にとっては衝撃を受けるのに十分だったが、そこへさらに……

 

「失礼ながら補足いたします。衝撃と聞いてケント様は陛下が戦闘中に受けたダメージの事だと想像されているかもしれませんが、それだけではありません。陛下が相手に与えた衝撃のほとんども加味されます。ケント様はご経験があるかもしれませんが、相手を殴った時に自分の手も結構痛むではありませんか。それと同じことです」

 

 後ろからジェフがそんな恐ろしいことを告げてきた。

 自分が受けた攻撃だけでなく、相手に与えた攻撃も加わっているというのか。

 つまり原式やら雷帝の槍はゼノヴィアが受けた衝撃、与えた衝撃を収束して一気に打ち出す技で、ゼノヴィアが戦えば戦うほど技の威力は大きくなるということだ。

 ほとんど皇帝しか使わないにも関わらず、この修練場がこんなにも広い理由がようやく分かった。万が一にもあの技を狭い修練場なんかで繰り出したら、修練場が吹き飛んでしまうからだ。修練場が城から遠いのも同じ理由だろう。

 それにしても恐ろしい技だ。

 なにしろ、シグナムたちとちょっと戦っただけであの威力だ。戦になったらどれほどの衝撃がゼノヴィアの中に溜め込まれることか。

 それこそ聖王だって……まさか。

 俺が思い至ったことをエリザも察したらしく、彼女は語る。

 

「この技能は鉄壁の防備を誇る《聖王の鎧》を砕くために、ダールグリュン家の始祖が作り出したものだそうです。故に……」

「“雷帝の槍”か」

 

 《聖王の鎧》なら俺も聞いたことがある。

 《聖王のゆりかご》の力を借りることで、どんな攻撃も弾く聖王家の血族が持つ固有技能だと。

 それに対し皇帝の祖先によって作られたのが、戦いによって蓄えた力を打ち出す《雷帝の槍》。

 確かに、溜め込んだエネルギー次第では《聖王の鎧》を砕くことすら可能かもしれない。少なくとも聖王でもない限りあれに耐えることは不可能だ。

 

「……少し喋り過ぎましたわ。そろそろ失礼していいかしら。水を飲みたくなってきたので」

 

 そう言ってジェフが側にいるにもかかわらず、彼に水を持ってこさせるようなこともせずエリザは立ち上がってその場を後にし、ジェフも俺に一礼してエリザを追う。

 やはり自分では習得することができない技を目の当たりにして複雑な心境のようだな。

 話し相手もいなくなり、下を見ればシャマルの治療を受けて三人は目を覚ましている。帝城からも何人か医師が駆け付けてきたようだ。

 それを見て俺はリヒトに声をかける。

 

「俺たちも彼女たちのところに行くか……リヒト?」

 

 返事もせず、呆然としているリヒトに俺は再度呼び掛ける。

 そこでリヒトは我に返って俺の方を見た。

 

「――あっ! 申し訳ありません……何でしょうか我が主?」

「俺たちもシグナムたちのところに行くかと言ったんだが……大丈夫か?」

「大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけですから。行きましょう我が主!」

 

 そう言われて俺は「ああ」と答えて、シグナムたちのところへ下りるべく宙を浮かぶ。後ろから聞こえる羽音から、リヒトもそれに続いているのが分かった。

 

(あんな能力を持つ者が今のベルカにいるとは。ゼノヴィアという者、完全に力を取り戻した私と張り合うほどかもしれん。()()()()()()()()()前の私とは)



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第61話 正妻と妾

 シグナム、ヴィータ、ティッタがゼノヴィアとの模擬戦で無残な敗北を喫してから、三人は医務室に運ばれたものの、ゼノヴィアを含め全員の武器にかけられていた訓練用の緩和魔法とシャマルの迅速な治療のおかげで一日中横になったままとならずには済んだ。

 その三人を含めた一同はゼノヴィアの勧めで、帝都までの長旅と模擬戦でついた汚れを落とすために帝城の湯殿に入っていた。

 

 広い浴室の中央にぽっかりと空けられた浴槽には、加熱魔法で暖められた水がいっぱいに張られており、上記の三人とシャマルとリヒトを加えた女性たちは衣服を脱ぎ、何も身につけていない状態で湯が満たされた浴槽に肩まで浸かっていた。

 

「あー、いい気持ち。お湯に浸かるなんてフロニャルドでしかできないと思ってた」

「うむ。資源や実りが豊かなあの地ならいざ知らず、このベルカで再び湯殿に入ることができるとは」

 

 湯に浸かりながらしみじみと言うヴィータに、シグナムも感嘆の言葉を漏らす。

 そこへ――

 

「ほう、それは興味深い話だな。私にも聞かせてくれんか?」

 

 入口の方から聞こえてきた声に、騎士たちはまさかと思って顔を向ける。

 そこには彼女ら同様、体に何も着ていない姿の帝国皇帝ゼノヴィアがいた。

 シグナムはしまったと思いながらも、表面上は平静を装いながら口を開く。

 

「うむ。最近そういった内容が書かれている本を見たことがあってな。その話をしていたところだったんだ。念のために言っておくが本当の話だと思うなよ。この大陸で広い湯殿に入れる場所が、そうそうあるわけがないだろう」

 

 シグナムの言葉にゼノヴィアは腰に手を当てながら、納得したようにうなずく。

 

「確かにな。外大陸ならいざ知らず、聖大陸で体を清めるためだけに大量の水を用意できるのは、ダールグリュン家以外では聖王家かシュトゥラ王家ぐらいだろう。もっともここまで水を使うのは客人を招いた時ぐらいだがな。ただ……」

 

 そう言ってゼノヴィアはシグナムとヴィータを見ながら口の端に笑みを浮かべて、

 

「私の聞き間違いでなければ、貴公らは以前にも湯殿に入ったことがあるようなことを言っていた気がしたのだが……」

 

 ゼノヴィアの言葉にシグナムはぎくりと、ヴィータは露骨に顔をしかめた。

 

「本を読みながら自分が湯に入った気になってたんだよ。文句あるか?」

「……そうか。いや、それなら得心がいく。ならば今宵は本物の湯に浸かることができるよい機会だ。貴公の満足がいくまで存分に浸かっていくがよい」

 

 そう言ってゼノヴィアは桶が重ねてある場所まで歩いていく。

 それを見送りながらどうにか誤魔化せたとヴィータは息をついたが、シグナムにはそういうことにしてやるかと目こぼしをもらったように思えた。

 

 ゼノヴィアは空の桶を手にシグナムたちが入っている浴槽まで来て「湯をもらうぞ」と言って返事も聞かずに湯を桶に汲み、それを自身の体に浴びせる。もっとも湯を借りているのはシグナムたちの方で、拒否する権利などないし、土埃が体に付いたままかもしれない状態で浴槽に入られるよりはるかにましだが。

 自身に湯をかけてからゼノヴィアは浴槽に浸かり、浴槽の縁に肘をかけながらシグナムたちに声をかける。

 

「先ほどは三人とも実によい戦いぶりであったぞ。最近は戦を仕掛けるまでもなく、隣国の方から我が帝国に降ってくる状況でな。国としてはよい事なのだが私にとっては物足りない思いをしていたのだ。今回の戦いは実に楽しいひと時であった。礼を言う」

「けっ、嫌味かよ。ほとんど一方的にのしといてよく言うぜ。そんなに戦いたいなら皇帝なんかやめて将軍って奴にでもなったらどうだ。将軍とか騎士団長とかだったら戦争が起こってなくても、賊の退治とか戦う機会なんていくらでもあんだろうが」

 

 ヴィータの減らず口にゼノヴィアはふっと苦笑をこぼす。

 

「それも悪くない話だが皇帝とはそう簡単にやめられるものではない。……父に続いて兄たちが立て続けに死んだりしなければ、私もそんな生き方をしていたのかもしれんがな」

 

 ゼノヴィアのつぶやきを聞いてシグナムは眉をひそめた。

 

(私が聞いた話では今の皇帝は二人の兄を謀殺して帝位に就いたとのことだが……皮肉のつもりか? ……しかしそれにしてはゼノヴィアは本当に兄の死を惜しんでいるように感じたが)

 

 

 

 シグナムは今回の帝都訪問が決まる前に、ダールグリュン帝国と現在皇帝の位に就いているゼノヴィアについて一通りのことは調べており、その中でグランダムの騎士から皇帝ゼノヴィアに関するある噂を聞いたことがある。

  数年前、皇女であり騎士団長の一人だったゼノヴィアは、当時の皇帝の弟だった次兄と、亡き父の後を継いで皇帝になったばかりの長兄を、何らかの方法で暗殺してその位を簒奪したと。

 その話を聞いた時シグナムはやはりと思った。

歴代の闇の書の主の中には、最初からある程度の地位に就いていた者もいれば、闇の書や守護騎士の力を利用して高い地位に上りつめた者もいる。それを見てきた、または加担してきたシグナムたちにとって下剋上などありふれたものだった。

 それに他国への侵略や先のリヴォルタ出兵などの悪行から、シグナムを含めた守護騎士たちはダールグリュン帝国に対していい印象を持っていなかった。エリザという友人の母国だったとしてもだ。

 その帝国を統べるゼノヴィアが兄を殺し帝位を簒奪して皇帝になったらしいと聞いても、シグナムはやはりそうかとしか思わなかった。悪名高いダールグリュン帝国の皇帝ならそのくらいのことはやりかねないと思ったのだ。

 しかし、今のゼノヴィアの呟きを聞くとそうとは思えなくなってきた。

シグナムは今になって初めて、ゼノヴィアによる帝位簒奪の真偽を疑い始めるようになった。

 

 

 

「あの……お兄様やアタシたちを呼んだのは、やっぱりアタシたちと戦ってみたかったからですか?」

 

 ティッタの問いにゼノヴィアは首を縦に振る。

 

「うむ。それから、そなたの兄君に《雷帝の槍》を見せてやりたいからでもある。帝国に降るにせよ戦うにせよ、あやつにとってはよい参考になったであろう。もっとも、そなたらを招いた一番の理由はエリザに頼まれたからであるがな」

「えっ――!?」

 

 ゼノヴィアの口から出た名前に、ティッタは思わず怪訝な声を出す。

 ……いや、最初から気付いてはいた。師弟だけあってこの帝城では常にゼノヴィアと行動を共にしていた彼女が、いつまで経っても現れてこないことに。

 もしかして……

 

「あの……そう言えばエリザさんは今どちらに? 彼女は陛下と一緒には入らないんですか?」

「ふーむそれがな、あの娘、いつも口では遠慮しながら私も入れろと目で訴えてくるのだが、今日は本当に結構だと言ってきおった。あの綺麗好きなエリザが珍しいこともあるものだ……それとも、どこかで身を清めるあてでもあるのかな?」

 

 ゼノヴィアはそう言って笑いながら肩をすくめる。それを見てティッタは――

 

(うわ、絶対分かってる反応だこれ。――いやいや、でも向こうにはザフィーラもいるし、そんなこと起きるはずが……)

 

 嫌な予感がしつつもザフィーラがいることを思い出して、ティッタは安堵しかけたが、彼女の横でシャマルがポンと手を打ちながら口にする。

 

「あっ、そうそう! 珍しいといえば、さっきザフィーラが女の執事さんと一緒に、お城の出入り口へ向かっていくところを見たんだけど。もしかして二人で城下街へ行ったのかしら? あのザフィーラが女の人と出かけるなんて本当に珍しいわ」

 

 ………………。

 

 シャマルのその言葉に他の騎士たちはまさかと思って言葉を失い、浴室は沈黙に包まれる。

 それを破ったのはヴィータの疑念を含んだ声だった。

 

「おい、あいつらまさか……」

 

 

 

 

 

 

 ただっ広い浴室の中央にある浴槽で、俺は一人湯に浸かっていた。ザフィーラはロープというジェフの妹に買い出しの手伝いを頼まれて、彼女と一緒に城下街へ向かったらしくここにはいない。

 この浴室は本来男の皇族が使用するもので、ゼノヴィアの父と二人の兄が亡くなってからは誰も使用していなかったらしい。

 だが、俺がここに来るまでの間に掃除を済ませておいたらしく、数年間まったく使われていないとは思えないほどきれいな浴場だった。

 

 それにしても《雷帝の槍》か、自ら戦の最前線に出てくるぐらいだから相当な力と技能を持っているとは思っていたが、まさかあれほどとは。あれならゆりかごに乗った聖王が相手でも勝てるかもしれない。

 はたしてこのまま中立を続けてもいいのか……どちらかにつくにせよ、連合を選ぶべきか帝国を選ぶべきか、難しくなってきたな。

 幸いなのは連合も帝国もグランダムを自らの陣営に引き入れようとしており、どちらにつくのか選択する余地がまだあることだが。

 

 ……?

 

 その時、キィィという扉が開閉する音がした。

 ザフィーラが城に戻って来たのか? いや、それにしては早すぎではないだろうか。

 

「失礼します」

 

 その瞬間、衝撃のあまり思考が固まって俺は目をそらすことも、体の向きを変えることもできなかった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 ここに入ってきたのは、胸元から足の付け根あたりまでをバスタオルで覆ったエリザだった。

 エリザの大きい胸はバスタオルを巻いていても谷間がはみ出てしまっており、いつもは長く下ろしている金髪もこれから湯に浸かるためか後ろに束ねている。

 エリザは顔を赤くして緑色の瞳をあちこちに泳がせながら、なんとか俺の顔に視線を定めて声を上げた。

 

「は、早く後ろを向いてください! 殿方が女性の体をじろじろと見るものじゃありません」

「――あ、ああ!」

 

 いや、見られたくないなら出て行けよ! ここ男用の浴室だぞ。

 と思いながらも口には出さず、俺は近くに置いていたタオルを腰に巻きながらエリザの反対側へと体を向ける。

 そんな俺の後ろでしばらくの間足音が響いたと思うと、桶に湯を汲む音とそれを体にかける音が響く。

 ……バスタオル巻いたまま湯をかけても意味がないはずだよな? ということは今、エリザはタオルをある程度広げているはずで――

 

「振り向いたら数刻は気を失ってもらいますよ!」

「――わ、わかってる!」

 

 だからそんなに見られたくないなら、俺がいるここじゃなくて向こうに行けよ!

 と思ったものの、それを口にしてしまうことで本当にエリザがここから出て行ってしまうのも、それはそれで惜しい気がする。

 エリザが自分の体に湯をかける音が何度かした後、エリザがこちらに近づいてくる音と気配がした。エリザが浴槽に身を沈めているらしく、ぽちゃんという水音の後に波紋が広がっていく。

 浴室特有の反響音を響かせながらエリザは声を発する。

 

「もういいですよ。横から見るくらいなら許してあげますからこちらに体を向けなさい。そのままだと話しづらいですから」

「あ、ああ」

 

 エリザの言う通り俺は体の向きを変えて、エリザと横並びに座る格好になる。

 案の定エリザはバスタオルを巻いたまま湯に浸かっており、残念なような安心したような複雑な心境だ。もっとも胸元はどうしても隠しきれないようで目の保養には十分すぎるほどだが。

 

「ケント様」

「い、いや、なにも見てないぞ!」

 

 俺がそう言うとエリザは疑わしげな眼を俺に向けてから、胸を隠すように腕組みをし、口を開いてくる。

 

「……どうでした? 皇帝陛下……ゼノヴィアおば様のあの技は」

「すごかったよ。さすがに雷帝と呼ばれるだけはあるな。数千数万の大軍を前にしても勝てるわけだ」

「それぐらい当然です。聖王に対抗するためダールグリュンの始祖様が作り上げた切り札にして、帝国の明日を切り開く刃ですから」

 

 そう言ってエリザは胸を張りながら勝ち誇った笑みを見せる。おかげでまた胸元が見えるようになるが、余計な事を言えばさっきの繰り返しだしそろそろ見慣れてきた。

 

「それでどうです? おば様の技を、《雷帝の槍》を見て。あの方に勝てると思いますか?」

 

 エリザの問いに俺は首を横に振る。

 

「無理だろうな。ただでさえあれだけ強くて、守護騎士たちの必殺技をまともに喰らってもびくともしないほど頑強な上に、あんな技を放てるんだからな。おそらくリヒトや、彼女とユニゾンした俺でも少しの間凌ぐのがやっとだろう。間違っても敵に回したくはないな」

「でしょう!」

 

 そう言ってエリザは俺に顔を近づけてくる。もう胸を隠そうともしていない。

 

「そうですよね。あんなものを見たら、これ以上帝国と戦おうという気にはなれませんよね。もう帝国に降ろうという気になって来たんじゃないんですか?」

「いや、そういう訳にもいかない。帝国に降るというのは、連合を敵に回すということでもあるんだ。連合だって《聖王のゆりかご》という兵器を持っているからな。我が国としてはできれば連合を敵に回すことも避けたい」

 

 俺がそう言うとエリザはむっとした表情になる。

 彼女にとっては俺たちが帝国に味方しないのは面白くないだろうし、《聖王のゆりかご》についても実在するかも怪しい遺物なのだろう。

 だが俺は知っている。守護騎士やガレア宰相とイクスの話によって、現代では《聖王のゆりかご》と呼ばれている戦船の実在を。

 そこでふと横を見れば、エリザはまた腕を組んで目を閉じながら、何かを思案しているようだった。

 そして彼女は目を開き、俺の方を向いて言う。

 

「……わかりました。それではこういうのはどうでしょう? 帝国が貴国をむやみに攻撃することができないように、ダールグリュン家の誰かをあなたの妃に迎え入れるというのは?」

「なにっ!?」

 

 その言葉に思わず俺はそんな声を上げた。

 エリザは呆れたような顔で、

 

「何を驚いているんです? 政略結婚です。王族や貴族ならよくあることでしょう。まさかそんなことも知らないんですか?」

「い、いや、それくらい知っている。俺の父もコントゥアの王女を妃にしたと聞くからな」

 

 俺の父の妃――つまり俺の母親だ。

 物心つく前に亡くなったから母の事はほとんど知らないが、確かにそう聞いたことがある。

 

「何だ、ケント様のご両親もそうなんじゃないですか。それなら話が早いです。……どうです? 帝国を長年統べてきた名門ダールグリュン家に連なる者をあなたの妃にして、帝国と融和する余地があることを示されては。そうすればおば様といえども帝国に従わないからといって、貴国を攻撃したりすることはできなくなるはず。どうでしょうこの提案は?」

 

 ……確かにそうかもしれない。

 その方法を取れば帝国の属国にならずとも、帝国と事を構える可能性をある程度防ぐことができる。

 しかし、

 

「そのダールグリュン家に連なる者とは……ひょっとしてお前のことか?」

 

 俺の問いにエリザは顔を赤くしながらそっぽを向いて、

 

「えっ……ま、まあその可能性もありますね。もちろんダールグリュン家には他にもあなたぐらいの年頃の()はいますから、そちらから選んでもいいのですけど。でも、あの子たちの好みはあなたとは結構かけ離れた殿方で……し、仕方ないから私が嫁いであげてもいいかなと思わなくもなかったり」

「……俺の好きな女子(おなご)が他にいたとしてもか?」

 

 それを口にした瞬間、たちまちのうちにエリザは真顔になってこちらを見る。

 

「……それは、リヒト様の事ですか?」

 

 俺は首を縦に振る。

 俺はリヒトのことが好きだ。

 

 

 

 最初は綺麗な人だと思っていたくらいだった。彼女を思うたびに感じる胸の苦しみの原因にも心当たりがまったくなかった。

 ただ、彼女の笑顔を見るたび妙な照れが湧いてくるし、守護騎士たちとは違う形でもっと仲良くなりたいと思うようになった。

 

 しかし、俺が自分の気持ちにはっきりと気付いたきっかけは、フロニャルドのあの一件だろう。

 あの世界で魔物と戦った時に不意をつかれて、守護騎士たちとリヒトの服が裂けて、彼女たちが裸体をさらしてしまう中、リヒトの裸を見て感じたのは興奮だけではない。

 あの体を自分のものだけにしたい。誰にも抱かせたくない。

 そんな浅ましいことを思ってしまった。でも、不思議と恥ずかしいとは思っていない。

 

 多分これが恋なんだと思う。少なくとも五年前、シュトゥラで憧れていた令嬢に対する気持ちとはまったく違うものだ。

 

 

 

「ケント様、わかっているのですか? リヒト様を妃にすることなんて叶わないことだってことは」

 

 感情のない声ですげなくエリザは断言する。

 

「……分かっている。一国の王である以上、貴族でない娘、いや、国内の貴族の娘との結婚さえ許されない身だってことくらい……だから俺としては、リヒトが俺の気持ちに応えてくれて、彼女が許してくれるなら……(めかけ)として彼女を大事にしたいと思っている」

 

 そこまで言って俺は目をそむけた。

 間違いなくエリザは俺の事を軽蔑しただろう。さっさと立ち上がって、ここから出て行くに違いない。

 ……………………。

 そう思っていたがいつまで経っても水音一つしない。

 怪訝に思って横を見ると、エリザは神妙な顔でまだ俺を見つめていた。

 目があったのを機にエリザは口を開く。

 

「そうですか。やっぱりね……ではこうしましょう。私を妃にしていただけるのなら、ケント様とリヒト様の仲を私も応援します」

「はっ!?」

 

 思わずそんな声が出た。

 エリザは今なんて言った?

 

「おい、湯に浸かりすぎてのぼせでもしたのか? お前が言ってることは、自分の夫と愛人の恋路を応援するということなんだぞ」

「わかってますそれくらい。でも、そうしないとあなたと一緒になれないのなら仕方ないじゃないですか! これでも貴族の娘です。それなりに覚悟はできていました。妾の一人くらい受け入れようじゃないですか! あんまり馬鹿にしないでください!」

 

 勢いよくそうまくしたててエリザはぷいと顔をそらしてから、また顔を俺の方に戻し声を発した。

 

「……それとも、ケント様は私の事を形だけの正妻として傍に置いておくことすら嫌なんですか。こうして肌の大部分をさらしていても私に魅力がないと」

「いや、そんなことはない。エリザは俺にはもったいないくらいの女子(おなご)だと思うよ……だからこそ俺なんかの妃でいいのかと思ってな。君みたいな美女を妻に出来るかもしれないにも関わらず、別の女子(おなご)を追いかけようとするような男の妃なんかに……」

 

 哀しげな表情を見せるエリザに俺はそう打ち明ける。

 もし政略結婚の相手が俺に愛情一つ向けてこないような女だったら、ここで悩んだりはしなかったかもしれない。しかし、エリザが俺に向けてくる想いはあまりにも一途で純粋だった。本当に最初の頃からは考えられない。

 そんな俺にエリザは、

 

「ケント様だからいいんです! 今まで何度も社交界に駆り出されて多くの殿方に言い寄られてきましたが、あの人たちの傲慢さや醜悪ぶりといったらひどいものです。自らが囲っている妾の数を公然と自慢している方たちまでいるんですから。それに比べたら妾一人持つか持たないかで悩んでいる分、ケント様の方がましです!」

「言ってくれる」

 

 それを言われたら俺も返す言葉がない。

 エリザが出会った帝国の男がどんな人間かは知らないが、ダスターみたいに、貴族だからと思い上がっている奴は腐るほどいるのだ。俺はそれを嫌というほど見てきた。

 もちろんクラウスやオリヴィエみたいにそうでない奴もいっぱいいるし、そういう男に出会ったらエリザも俺なんか見限ってそっちに行ってしまうのかもしれないが。

 

「それで、ケント様はもうお体は洗われましたか?」

「……? ああ。湯を堪能したら上がるつもりだった」

 

 なぜいきなりそんなことを聞いてきたのかわからず訝しげに答える俺に、エリザは意地の悪い笑みを浮かべながら言った。

 

「そうですか、残念です。せっかくだからお背中くらいお流しして差し上げようと思っていたのに。……私をお妃にしてくださるなら、結婚した後はバスタオルなしでおもてなししてあげますよ。リヒト様と二人でね」

 

 ――なん…だと?

 なんだその魅惑の申し出は。そんな提案を断ったら一生どころか、三生くらいは後悔するに違いない。

 エリザが王妃でリヒトが妾か……だんだんいい案に思えてきた。

 

 

 

 

 

 

 一方、ケントとエリザが一緒に入浴していることを確信している守護騎士たちに囲まれながらリヒトは。

 

(我が主と女の子が一緒に入浴か。主ももうそんな年頃になったのだな。……なんだろうこのもやもやする感じは? 世の母親や姉というものは、息子や弟を彼女に取られた時はこういう感情を抱くものなのだろうか?)

 

 リヒトの抱く嫉妬心が自身が思っているものなのか、それとも別の感情によるものなのか、それは本人にも知りようはない。



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第62話 酒盛り ゼノヴィア編

 あれからしばらくして、エリザより一足先に湯殿から上がって連れと合流したものの、俺はしばらくの間守護騎士からの白い目を、ゼノヴィアからは面白がるような目を向けられる羽目になっていた。……安心するべきか悲しむべきか、肝心のリヒトはいつもの様子で俺に声をかけてくれたが。

 それから各自割り当てられた客間に向かってそちらで羽を伸ばし、しばらくしてから執事に呼ばれて、ダイニングルームでゼノヴィアやエリザを含めた一同と食事をし、それからまた客間へ戻って就寝までの間を本を読んで時間を潰していた。

 そんな時だった。

 

 コンコンと扉を叩く音が聞こえて俺は本を閉じる。

 

「誰だ?」

 

 扉の向こうに声をかけるものの、てっきりエリザが湯殿での話の続きをしに来たのか、あるいはそのことについてティッタ辺りが問いただしに来たのかと思ったが、両方とも違った。

 

「私だ、ゼノヴィアだ。酒を持ってきた。寝る前に一杯やらないか?」

「……ちょっと待ってくれ」

 

 俺は机に本を置いて扉へ向かい、サムターンを回して開錠し扉を開ける。

 扉の向こうには帝国の皇帝ゼノヴィアと、酒瓶と二杯のグラスを載せた盆を持っている三十代ぐらいの執事がいた。

 ゼノヴィアは盆を奪い取るように手にして執事に告げる。

 

「ここまでで十分だ。今日はもう下がってよい。明日に備えて休め」

「はっ。それでは失礼いたします」

 

 執事はそう言ってゼノヴィアと俺に一礼して、この部屋から遠ざかっていった。

 後には扉の取っ手を握っている俺と、片手で盆を持ったゼノヴィアのみが残る。

 

「ではグランダムの王とダールグリュンの皇帝とで杯を交わすとしようか。邪魔するぞ」

 

 そう言ってゼノヴィアはずかずかと客間へ入り、中央にある円卓まで歩を進めそこに盆を置く。

 俺は扉を閉め鍵を()()()()円卓まで行き、まわりにいくつかある椅子の一つに腰を下ろした。

 それを見てゼノヴィアは不敵な笑みを浮かべる。

 

「安心せよ、貴公に害をなす気などない。やるなら宣戦布告をして貴国を攻め込みに行く」

「恐ろしいことを言わないでくれ。あれは念のためだ。ないとは思うが、万が一お前に襲われた際に鍵を開けている間を、後ろからばっさりでは後悔してもしきれないからな」

「その時は扉を壊していけばよかろう。鍵がかかっていようが早く部屋から出られるぞ」

「……ここってお前の城だよな?」

 

 そんな言葉を交わしているうちにゼノヴィアの手で酒瓶の栓が抜かれ、互いにグラスを自分の手元まで持って行く。

 

「ほれ、まずは一献」

「おっと、悪いな」

 

 ゼノヴィアに酒を注いでもらい、お返しに彼女にも酒を注いでやろうとしたが、ゼノヴィアは酒瓶をそのまま自分のグラスへ傾け酒を注いでしまった。

 それから俺とゼノヴィアは乾杯の挨拶を交わして、グラスをぶつけ互いに酒を口に含む。

 年代物のワインらしくたちまち口の中に酸味が広がっていく。絶品の一言に尽きるとはこのことだろう。

 ここにシグナムなどがいたら毒見を申し出てくるところだが、さっき言われた通りゼノヴィアなら不意打ちや毒などという手段をとらなくても俺ぐらい簡単に始末できるだろう。

 

「ところでリヴォルタを併合してしばらく経つそうだが、どうだ採算の方は? 復興債とやらの利息ぐらいは払える目途がついたのだろうな?」

 

 二杯目を口に含んだあたりでゼノヴィアはそんなことを言ってきた。美酒を堪能している最中に野暮なことを。

 

「まあな。起動宣言と聖王の死による各国の情勢悪化は思わぬ誤算だったが、国の守りを固めつつ利息を払う分はしっかりと蓄えている。だからくれぐれも短気は起こすなよ、最大債権者殿」

「そうか。それは残念だ」

 

 ……こいつ、まじで債権回収を理由に攻め込む気だったのか。

 

 五か月半前、ガレアとの戦でろくな利も得られなかった我が国、特に王宮は財政破綻寸前に陥った。

 その解決策として発行したのがグランダム復興債なのだが、その大半はダールグリュン帝国皇帝ゼノヴィアが買い取った。つまり、我が国の債権の半分以上をこの女が握っているということだ。

 今回の招待に応じたのも、我が国に影響力を持つようになった皇帝(ゼノヴィア)がどんな人間なのか知っておきたかったからだ。

 そして模擬戦や今までの会話で、ゼノヴィアの人柄についておおよそは把握できた。

 だが、一つだけわからないことがある。

 

「ゼノヴィア、一つだけ聞いてもいいか?」

「何だ? 一つと言わずいくらでも聞くがよい。黙々と飲んでばかりいるのでは押しかけた意味がないからな」

「よければなんだか……ゼノヴィアの父君と兄君たちが死んだ時について、少し聞かせてくれないか? グランダムではそれについてよくない噂が流れているからな。彼らと近しかったお前から直に聞いてみたいと思っていたんだ」

「ああ。私が父や兄を殺めて帝位に就いたというあれか」

 

 特に気分を害した様子もなく、ゼノヴィアはそう言った。激昂されるのを覚悟していた俺はあっけなく思うものの、警戒を緩めることなく恐る恐るうなずいて続きを促す。

 ゼノヴィアはグラスを傾け、二杯目を飲み干してから語り始めた。

 

「まず、私の父にあたる先々帝は病死だ。十二年ほど前から具合を悪くされてな。十年前に病状が悪化し崩御された。それについて何か言いたいことは?」

「いや、特にない」

 

 二代前の皇帝は十年前に病気で死んだ。俺もそう聞いている。

 皇帝が死んだ時に医師たちは遺体を軽く調べたが、不審な点は見つからなかったため病死と判断し、そのまま内外に公表したそうだ。三年後に起こった出来事からそれに関連してよからぬ噂があるものの根拠はまったくない。

 

「そうか。ではそのまま進めるとしよう。

 父が亡くなった後は第一皇子だった一番上の兄が帝位を継承し、次の皇帝となった。

 片や、帝位とは無縁だった私は騎士団長として、隣国との戦や賊の討伐に駆り出されていた。まあ、それについて別に不満はない。あるとすれば、帝国と肩を並べるという聖王連合が、話に聞いていたのと違ってあっさり退いていく腰抜けばかりだったことだな。あれは実に拍子抜けだった。

 もっとも、そのおかげで領土拡張は楽に進んで、さらなる侵攻の足掛かりができたが」

 

 そこまで言ってゼノヴィアはふうっと息をつき、三杯目を口にしてから続けた。

 

「問題は当時の皇帝の弟、二番目の兄の方だ。

 兄は皇帝から領地の一部をもらって公爵位に留まることができたが、私が隣国との戦で武功を重ねていくごとに危機感を募らせていたらしくてな。私を帝国から追い出そうと色々と画策していたそうだ。例えば私をどこかの国へ嫁がせるとかな。

 ちなみに王妃に先立たれたグランダム王も候補に入っていたそうだから、もしその話が進んでいたら私は貴公の義母になっていたかもしれん」

 

 その言葉に俺はむせるのを必死でこらえた。

 冗談じゃないぞ。ゼノヴィアが俺の義母になっていたかもしれないだと?

 

「まあ、私が他国に渡って帝国に仇なす存在になることを恐れた兄帝によって破談となったがな。当時はそれを聞いて父親ほどの齢のじじいに嫁がされることにならずに済んだと安堵したものだが、今思えば少々残念にも思えるな。あの王には部屋にこもって本ばかり読んでいたという息子がいたと聞く。さぞ鍛えがいがあったに違いない」

 

 そう言ってゼノヴィアは俺を眺めながら、くっくっと笑い声を上げる。

 それを見て、俺の背筋に冷たい汗が流れていくのを感じた。

 

 俺が部屋で勉学にいそしんでいるところへ、いきなり義母(ゼノヴィア)が押しかけてきて、俺はなすすべなく後ろ襟を掴まれて中庭辺りに連れ出され、日が落ちるまで義母にしごかれ一日のほとんどを終える。

 

 そんな流れが一瞬で頭の中を巡った。

 ……破談になってよかった。エリザと違って俺にはゼノヴィアのしごきについていける自信がない。

 内心で安堵する俺の前で、ゼノヴィアは酒を口に含みながら話を続ける。

 

「まあ、もしもの話は置いておこう。

 私を他国へ嫁がせることには失敗したが、それ以外にも兄は自分の前から私を排除するために色々と試みた。だが、それらはすべて失敗してな。追い詰められた……いや、追い詰められた気になった兄は最後の手に出たのだよ」

「……それってまさか」

 

 俺の予想にゼノヴィアはこくりとうなずいた。

 

「私が西部遠征の指揮を執っていた時の話だ。

 兄は突然そこに現れ、私に代わって自分が全軍の指揮を執ると告げた。どう言いくるめたのかは知らんが兄帝直々の任命書を掲げながらな。

 兄は固有技能こそ持っていたものの、それをうまく扱うほど武術に長けておらず、指揮能力も教書の域を出ない程度だった。しかし、皇帝直々の任命とあらば異を唱えられる者などいない。私を含めて誰もが従うしかなかった。

 私が指揮していれば起こりえない采配ミスを起こし、生まなくてもいい犠牲を出しながら戦は進み、あと一当てすれば、あるいは降伏を促すだけで決着はつくという時に、兄は私にあの技の使用を命じた。

 ……そう、昼間見せた雷帝原式、または《雷帝の槍》と呼ばれるあれだ。

 ある意味的確な命令だった。我が身に衝撃が溜まった状態であの技を放てば、敵軍は確実に壊滅する上に、それ以後帝国に歯向かおうとする者など現れないだろうからな。

 私は命令通り敵軍の拠点に向けてあの技を放った。その結果、当然敵軍は壊滅し我が軍の勝利は決まった。

 技を放った直後の私の側に兄が寄ってきて、私の肩を叩きながら賞賛の言葉をかけた。その時の私はどんな顔をしていただろうな。私に嫌味しか言わないあの兄がと思ってきょとんとしていただろうか、まだ兄妹仲はこじれ切っていないとまんざらでもなさそうに笑みすら浮かべていただろうか。

 ――その時だよ。片手で私の肩を掴み、もう片方の手で短剣を手にしていた兄が、私の喉元めがけて短剣を突き刺そうとしたのは。

 ……後は正直よく覚えていないな。気が付いたら私は槍を突き出していて、兄はその槍に腹を貫かれていた」

「……それが謀殺疑惑の真相か」

 

 俺がそう言うとゼノヴィアはうなずきもせずにグラスを傾けた。

 

「その時は周りにいた将兵が一部始終を目撃したため、私は正当防衛が認められ、兄帝は弟の死を悔やむ言葉を述べながらも私を戦勝の功労者として讃えた。私に恐れのこもった目を向けながらな。

 それからわずか二ヶ月後だよ。酒浸りになっていた兄帝が自室で自らの胸に短剣を突き刺し、命を絶ったのは。

 そして、ただ一人の皇族(ダールグリュン直系)となった私は帝位を継いで皇帝となった。それを見て周囲の人間がどう考えたのかは……わかるだろう」

 

 その言葉に俺はうなずきを返すこともできなかった。

 ゼノヴィアは次兄を殺めて正当防衛だとでっち上げ、その後自殺に見せかけて長兄を殺し、皇帝の座を奪った。そう考える者が出てくるようになっていったに違いない。そして、否定できる者はいないからそれは噂となってどんどん広まり……。

 いつしかゼノヴィアの帝位簒奪は定説と呼べるほどにまでなっていったと。二代前の皇帝、彼女らの父親も病死ではなく、ゼノヴィアに暗殺されたのかもしれないという尾ひれまでついて。

 

 ゼノヴィアは彼女らしくもない、力のない笑みを浮かべて俺に尋ねる。

 

「信じられないか?」

「いや、信じるよ……信じたいと思う」

 

 俺がそう言うとゼノヴィアは笑みを浮かべたまま「そうか」と言った。

 

「兄弟というものも結構大変なんだな。俺は幼い頃から父や周りの期待を注がれていたから、兄弟でもいればそれを分かち合うこともできるのにと、軽く考えていたんだが」

「そう単純なものではないということだ……そういえばあのティッタという娘は貴公の腹違いの妹らしいが、せいぜい仲違いはせぬようにな。間違えても我が兄のように一人相撲を演じた挙句、妹に斬られるような最期は迎えんように気を付けておくことだ」

 

 今の話を聞いていなければ嫌味だと受け取っていただろう。しかし、微笑とともにゼノヴィアがこぼしたその言葉には、本気でそう願っているような響きが感じられた。

 だからだろう。

 

「……ああ。そうするよ」

 

 俺はそう答えるしかなかった。

 

「うむ。ならば今夜は互いに満足が行くまで語り合い、吐き出すことだ。おあつらえ向きにまだ酒は残っているようだしな」

「……?」

 

 どういう意味だ? ……まさか。

 もしやと思う俺の前で、ゼノヴィアは扉の方に顔を向ける。

 

「鍵はかかっておらん、遠慮なく入ってくるがよい!」

 

 ゼノヴィアがそう声をかけると扉が勢いよく開いて、

 

「――ゼノヴィア皇帝? なんで皇帝がお兄様の部屋なんかにいるんですか!?」

 

 部屋に入るなり、この部屋の今の主である俺を無視してゼノヴィアに問いかけたのは、さっきまで話題に挙がっていた我が妹ティッタだった。

 ……十中八九、湯殿での出来事を聞きに来たんだろうな。今の俺にとって、ゼノヴィアよりはるかに厄介な奴が出てきてしまった。

 

 俺はグラスに残っていた酒をあおる。苦みが沈殿していたのかやけに苦い味だった。



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第63話 酒盛り ティッタ編

「どうして皇帝がお兄様の部屋なんかにいるんですか!?」

 

 俺とゼノヴィアが酒を酌み交わしながら身の上話に興じている間に、部屋の前まで来たティッタはゼノヴィアの声と呼びかけに反応して部屋に入り、開口一番にそう尋ねてきた。仮にも部屋の主となっている俺ではなく、ゼノヴィアに向かって。

 

「どうしてって見てわからんか? ともに酒を飲んでいたのだ。そういきり立たんでもそなたの分は残っているぞ。足りなければよそから持ってくればよいしな」

「違います! なんで皇帝がお兄様と二人で酒なんか飲んでるのかって聞いてるんですよ! 相手が欲しいならエリザさんと飲めばいいじゃないですか! ……あんたまさか、エリザさんに続いて皇帝とも……」

 

 ティッタはそう言って険しい目つきで俺を睨んだ。

 

「ち、違う! ゼノヴィアとは互いの国の今後についてや、ちょっとした身の上話をしていただけで――それに俺とゼノヴィアでは年が離れすぎているだろう!」

「確かにな。私にとっても二十もいかん小童など眼中にない。それに私の夫になるのなら私と互角に渡り合えるだけの、あるいは私と正面から戦おうとするぐらいの気骨は欲しいところだな。どちらにせよ、この小僧では望めん」

 

 ……ゼノヴィアに正面から挑もうとする男なんているのか? ……さっきの話だとゼノヴィアって三十はいってるはずだし、これって何気に王朝断絶の危機じゃないのか?

 

「……あーそうですか。確かにお兄様じゃこの人(皇帝)は手に負えないかも」

「うむ。エリザにも悪いしな。ケントにはあやつぐらいでちょうどいいだろう。そなたもそれが聞きたくてここに来たのではないか?」

「あっ! そう、それを聞こうと思ってたんですよ!」

 

 ゼノヴィアに水を向けられたことで、ティッタは思い出したようにポンと手を打った。

 そしてティッタは引きつった笑顔を俺に向けて、

 

「ねえお兄様……昼間の模擬戦の後、みんなで湯殿に向かったのは覚えてるよね?」

 

 その問いに俺は首を縦に振った。振るしかなかった。

 

「アタシたちはゼノヴィア陛下も交えて、()()()()みんなで入ってたんだけど、お兄様の方はどうだった?」

「……ザフィーラは買い出しの手伝いを頼まれたとかでいなかったな」

「そっか。じゃあお兄様一人で入ってたの?」

「…………」

 

 おそらくティッタを始め女性陣たちは、こちら側(男浴室)で何があったのか気付いているだろう。ここで下手な嘘をついても余計な勘繰りをさせるだけだ。

 

「そっちはどうだったんだ? さっき、ほとんどと言っていたが、誰かそちらに来なかった者でも……」

「うん。いつまで経ってもエリザさんが現れてこなくてさ、陛下も不思議がってたよ」

 

 俺はゼノヴィアを見る。ゼノヴィアは俺から目を背けて、ワイン片手に窓に映っている月を眺めていた。雲から漏れる月の光は徐々に強くなっている。月の光がもっとも強くなる日は雲の向こうにある月が、満月になっている日だと本で読んだことがあるな。

 

「おい、話の途中で空なんて見てる場合か」

 

 その言葉に圧されて、俺はティッタの方に視線を戻す。

 ティッタの表情からすでに笑みは消えていた。

 

「さて、もう一度聞こうか。お兄様は一人で湯殿に入ってたの? それとも……」

「……エリザと入ってました」

 

 立場上ゼノヴィアにも使っていなかった敬語で俺はついに白状した。

 それを聞いた瞬間、ティッタの額に青筋が浮かび上がる。すると――

 

「ふむ、何やら話が込み入ってきたようだな。酒は置いておくから後は二人でじっくり語らうがよい」

 

 そう言ってゼノヴィアは立ち上がり、扉の方へ足を進めていく。

 ティッタは彼女に向かって――

 

「ゼノヴィア陛下は聞いていかないんですか? 愛弟子の純潔が散らされたかどうかっていうのに」

「よい。エリザがどこぞの流れ者と駆け落ちしようというわけでもあるまいに、童どもの色事に構ってられるか。少し気になることもあるし私はこれで失礼するぞ」

 

 そう言ってゼノヴィアはこちらを振り返らず、手を振りながら部屋を出て行き、俺とティッタだけが部屋に残された。

 

 

 

 

 

 

 客室の扉を閉めてケントとティッタの目がなくなったところで、ゼノヴィアは廊下沿いにいくつか設けられた窓を眺めながら考えていた。

 

(満月まであと数日か。月には魔力が宿っており、このベルカなどの星にも影響を及ぼすことが度々あると聞いたことがあるな。……そういえば《聖王のゆりかご》の動力源の一つが、空から注がれてくる月の魔力だと耳にしたことがあるな……嫌な予感がしてきよる)

 

 

 

 

 

 

 ゼノヴィアが去ってから、ティッタは彼女が座っていた椅子に腰かけてグラスを掴み、たんまりと酒を注ぐ。

 そして間髪入れずティッタはグラスを傾けて中の酒を一息に飲み干した。

 

「で、やったのか? いたしたのか?」

「もう少し言い方に気を付けたらどうなんだ。それとその二つじゃ意味が同じだからな」

うっせえ! とっとと答えろ!

 

 卓にグラスを叩きつけながらティッタは詰め寄ってくる。まさかもう酔ってるのか?

 

「……まだ何もしてない。一緒に湯に浸かっただけだ」

 

 体も全部見たわけじゃないしな。

 エリザ曰く、淑女たるもの結婚するまでは、相手に体を見せることも触れさせるのも許してはいけないものらしい。なんだかんだであいつも貞淑な令嬢というわけか。

 

「まだねえ……つまり、からこれから先は何かするかもしれないと?」

「……まあ、可能性はある」

 

 乾いた口を酒を含むことで湿らせながら、俺はどうにかそう答える。

 

「……お兄様はリヒトさんのことが好きなんだと思ってたんだけど、それってアタシの勘違いかな?」

「……いや、たぶん合ってる」

「たぶん?」

「間違いなく合ってる!」

 

 低い声で尋ね返され俺は反射的にそう言った。それが意味することを分かっていながら。

 

「だよねえ。シグナムさんやシャマルさんには、平気で肩とかバシバシ叩くくせに、リヒトさんが相手だともじもじしながら一言声かけるのがやっとだったもん。それも顔赤くしながら。いたいた、アタシのまわりにもそんなのが」

「えっ!? そんな奴がいたのか? まさかお前、その中の誰かと――」

 

 ティッタの口から出てきた思わぬ事実に、俺は思わず腰を浮かながら尋ねる。

 それにティッタは手を振りながら答えた。

 

「あー、ないない。冴えない奴らばっかしだったし。それ以前に告る度胸もない奴らなんか相手にしてられるか」

 

 その答えに俺は安堵の吐息をつき椅子に座りなおす。

 そうか、まだいないのか。いたら帰国次第すぐにそいつを城まで呼び出して、徹底的に問い詰めようと思っていたところだった。

 そんな俺に構わず、ティッタはあることを口にした。

 

「それに今のアタシは伯爵以上の貴族としか結婚できないんじゃなかったっけ?」

「ああ、その通りだ」

 

 

 

 貴族と平民では結婚はできない。それは誰でも知っていることだ。

 では貴族と貴族ならいいのか? と言われると、それぞれの爵位による。

 貴族には上級貴族と下級貴族があって、公爵から伯爵までが上級貴族、それ以下の爵位、つまり子爵と男爵が下級貴族となる。その下には準男爵と騎士がいるが一代限りなので貴族とみなされないのがほとんどだ。

 そして貴族同士の結婚は上級貴族同士、下級同士でなければ結婚できない。

 ティッタは三ヶ月前からリヴォルタ辺境伯の爵位を得て上級貴族となったため、伯爵以上の上級貴族としか結婚できなくなる。

 それでも王族である俺よりは選択肢は広いし、ティッタの場合いざとなれば……。

 

 

 

「まっ、アタシに平民で好きな男ができたら、貴族辞めてそいつのとこに行くけどね。なんなら今すぐ爵位返そうか?」

「せめて引継ぎを済ませてからにしてくれ。リヴォルタの政務を取り仕切ってる身でもあるんだぞお前は」

 

 そう戒めるとティッタは舌打ちしながら二杯目を注ぎ、グラスを傾けた。

 

「まあいいや。話を戻すよ。お兄様はリヒトさんのことが好きで合ってるよね?」

 

 俺はうなずきを返す。

 それにはティッタも異はないらしく、うなずき返して問いを続ける。

 

「でも、お兄様はこれから先エリザさんとも何かすると……いや、もう具体的に言え。抱くつもりなんだろう?」

 

 俺はうなずきを返――

浮気じゃん! 二股じゃん! 不倫じゃん! しかも相手は二人ともベルカきってと言っていいくらいの絶世の美女! 欲張りすぎにもほどがあんだろ! お前も結局親父(先王)と変わんねえじゃん!」

 

 俺が首を振ろうとした瞬間、ティッタは立ち上がり予想通りの罵声を飛ばしてきた。耳をふさぐのが間に合わなかったせいで耳鳴りが響く。

 

「待て! これにはわけがあるんだ!」

「ほう、聞かせてもらおうか。お前みたいなもやしがあんな上玉を二人いっぺんにモノにしようって、肉食に変貌しちまったわけを!」

 

 ティッタはそう言ってドスンと椅子に座りなおしふんぞりかえる。……仮にも俺が主君でティッタが臣下のはずだよな?

 

「さっきも言った通り俺はリヒトのことが好きだ。それは確かだ」

 

 俺がそう言うとティッタは「だろうね」と言った。

 

「でも、俺は一国の王で、結婚できる相手がかなり限られている。おそらく他国の王族でもないと妃には出来ないだろう」

「……まあ、そうらしいね」

 

 ティッタもそれくらいはわかるらしい。渋々同意の声を上げる。

 

 

 

 さっき挙げた通り、ティッタを含めた上級貴族は々上級貴族としか結婚できない。

 さらに王族の場合、身分の釣り合いを取るため、あるいは他国との関係を強めるため、他国の王族と婚姻を結ぶのが通例だ。

 しかもベルカでは、もう三百年はどこで戦争が起こってもおかしくない時代が続いている。政略結婚を通してでも、他国との繋がりは持てるだけ持つのが常識だ。

 

 

 

「リヒトは貴族ではないし、仮にお前の時のように領地を与えて貴族に出来たとしても、俺の妻には出来ない。その点エリザは帝国の上級貴族の令嬢で、一国の王家に匹敵する力を持ってる。つまり……」

「リヒトさんとは結婚できないけどエリザさんとはできるってこと?」

 

 ティッタの確認に俺はうなずきを返す。

 

「じゃあリヒトさんのことは諦めて、エリザさんと結婚すればいいじゃん。エリザさんだってリヒトさんに負けない美人だし、傍から見れば十分羨ましいぐらいだよ」

「…………諦めたくない」

 

 我ながら子供みたいな言葉が漏れる。

 そんな俺をティッタは呆れた視線で見下ろしていた。

 

「それでエリザさんと結婚しつつ、リヒトさんのことは(めかけ)にすると」

 

 そう言われて俺はこくりとうなずいた。

 俺がリヒトと付き合うには彼女に告白したうえで、なおかつ妾になってもらうことを承諾してもらうしか手は残されてないだろう。ならそうするしかない。

 ティッタは俺をしばらく眺め、やがて根負けしたようなため息をついて、

 

「……分かった分かった。百歩譲ってリヒトさんを妾にするのはいいとしよう。元々アタシがどうこう言えることじゃないしね。で、リヒトさんを妾にした後はどうするの? もうそこらへんも考えてんでしょう」

「できれば一緒に王宮で暮らしたいと思ってる。エリザもそれで構わないそうだ」

(構わないんかい……エリザさんってそういうのは絶対許さない人だと思ってたんだけど。お兄様といい、恋なんてすると人間変わるもんだなあ)

 

 ティッタはしばらくの間考え込むように動きを止めてから、また口を開いた。

 

「じゃあエリザさんの場合はいいとして、リヒトさんに子供ができたらどうすんの? あの人も守護騎士のみんなと同じ…えっと……プログ…なんとからしいから子供ができるかわかんないけど、万が一のことは考えた方がいいんじゃない?」

 

 俺とリヒトの子供か……むしろ生まれてきてほしいと思う。

 生まれてくるとすれば男の子と女の子のどちらだろう?

 母親に似るのは息子の方だと聞くし、やはり息子の方が、いや母親に似ている娘だっている。どっちも捨てがたいな。

 

おいバカ兄貴! 戻ってこい!

「な、何だ? 今悩んでいるところだったのに。まあ、ほぼ結論は出たが」

「そう、やっぱり子供も王宮で育てんの? それとも子供ができたら離宮とか建てて、そっちに住んでもらうの? アタシもさすがにそれは仕方ないと思うけど――」

馬鹿言うな! なんで我が子と別々の場所で暮らさなきゃいかんのだ!? うち(王宮)に置いとくに決まってるだろう!

 

 あらん限りの声を張り上げてそう告げると、さすがのティッタも気圧されたのか、ぽかんとしながら俺を見つめたままになった。

 そして、

 

「ふ、ふーん、王宮に置いとくんだ。……でもわかってんの? 庶子は王位を継承することができないんだよ。そんな風にどれだけ溺愛しようがそう決まってんの。あんたがリヒトさんと結婚できないようにね」

「無理に王位を継がせようとは思っていない。本人がそれを望んでいたら気の毒だがな。せめてどこか領地を与えて貴族の位を与えるくらいは考えているが――あっ!」

 

 話の流れでついそれをこぼしてしまい、俺は慌てて言葉を飲み込む。

 だが時すでに遅し、ティッタはやっぱりといった顔で鼻を鳴らした。

 

「おかしいと思ったんだよね。なんで読み書きがやっとのアタシをリヴォルタの領主なんかにしたのか。そんなことしなくてもリヴォルタを直轄領にして総督を送るとか、いくらかやりようがあったろうに。あんた、自分とリヒトさんの子供を貴族にするための予行演習に、アタシを利用したな!」

「ま、待て。そういう意図もない事もないが、お前のために何かしてやりたいと思っていたのも確かでな。それにお前がリヴォルタを監督してくれて、ずいぶん助けられている。テジス市長も賞賛していたぞ。治安面を始めいくつかの面は前より良くなったとな。だから――」

 

 誤魔化し三割本音七割でそこまで言うとティッタはふっと笑い、

 

「分かった分かった。少なくともお兄様がリヒトさんと、生まれてくるかもしれないリヒトさんとの子供を大事にするつもりだってことは、よーくわかったとも。せいぜい大切にしてやんな……ただ」

 

 ティッタはそこで笑みを消し、神妙な顔で言った。

 

「これだけは忘れんなよ。その子供があんたを恨むようになるかもしれないってことを……アタシみたいにね」

 

 そう言ってティッタはグラスを一気に傾け、中に入っている酒を飲み干してから「お休み」と言い残して部屋から出て行った。

 

 そうだった。あいつも父と妾との間に出来た庶子だったな。

 俺が妾を持つことや庶子ができるかもしれないことに思うところがあるわけだ。

 

 妾に庶子か。自分でも不誠実だと思うが、リヒトと深い仲になるにはこれしか方法がない。ティッタには悪いが見守っていてもらおう。

 もっとも色々考えているものの、俺がリヒトに振られたり、彼女が妾になるのを嫌がったら元も子もなくなるわけだが。……その時は改めてエリザだけを愛すると彼女に誓おう。

 

 

 

 

 

 

 ダールグリュン帝城でケントがそんな皮算用と決意をしている頃、シュトゥラでは……。

 

 聖王家の血族を狙う他国からの刺客が放った火によって業火に包まれる街中で、地面に横たわっている青年と、彼の近くに立ったまま青年を見下ろす少女がいた。

 少女は青年に語り掛ける。

 

「クラウス、今までありがとう……だけど私は行きます。もう二度と戦なんかで大地が枯れることがなくなるように。本や絵でしか見たことがない青空と、グランダムのお城の庭に咲いてるような綺麗な花がどこでも見られるような世界を取り戻すために」

 

 それに対して青年、クラウスは右腕を抑えながら立ち上がろうとする。しかし足を動かそうとした途端に激痛が走り、それ以上足を上げることはかなわなかった。

 クラウスは顔を上げ少女を呼び止める。

 

「待ってくださいオリヴィエ! 勝負はまだ――」

 

 ここから立ち去ろうと背中を向けていたオリヴィエは、もう一度クラウスの方へ向き直り口を開く。

 

「クラウス。こんな恩知らずの事は忘れて、あなたはこれからも良き王子として、国民や臣下たちと共に生きてください。そしていつかは陛下の後を継いで、立派な国王になってください……空の上から見守っていますよ」

 

 空の上からという言葉に反応し、クラウスは思わず足を上げようとして激痛でうめく。

 だが顔を伏せることはしない。

 

「待ってください! まだです!」

 

 クラウスが言い終わるのを待たず、オリヴィエは彼に背を向け歩を進める。

 

「まだ他に方法はあるはずです! オリヴィエ、僕は――」

 

 クラウスの悲痛な叫びにオリヴィエは返事を返さず、右の義手を上げるのみだった。

 

オリヴィエ―!!

 

 いつしか目から涙を流しオリヴィエの名を叫ぶクラウス。

 彼には見えないだろう。

 クラウスに背を向けるオリヴィエの涙とくしゃくしゃに崩れた顔は。

 

 

 

 

 

 永きに渡るベルカの戦乱の終わり、そしてグランダム王国の滅亡の日はすぐそこまで迫っていた。



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第64話 サニーからの文

 あれから数日後。

 

 

「お帰りなさいケント様! 皆さん!」

 

 帝城を後にして飛行魔法でグランダム城に戻った俺たちを迎えてくれたのは、医師としてこの城に残っていたイクスヴェリアだった。

 

「ただいまイクスちゃん。留守の間医務室の様子はどうだった?」

「大丈夫です! 特に大きな怪我をした人も出てきませんでしたし。私と他のお医者様だけでもなんとかなりました」

 

 医務室での上役と部下として、シャマルとイクスはそんな会話を交わす。

 それからしばらくイクスは他の騎士とも一言言葉を交わしていき、最後は俺にも声をかけてくれる。

 

「ケント様。どうでした帝都というところは?」

「ああ。リヴォルタにも劣らない大きな街だったよ。美術館とか歴史を感じさせる場所もあったしな。残念ながらそこへ行っている暇はなかったが」

「そうですか。皇帝という人はどんな人でした?」

「……色々な意味で印象が強い人だったな。大陸の西のほとんどを版図に持つ大帝国を束ねるだけはある。器の違いを思い知らされたよ」

「そんな、ケント様だって立派な王様ですよ。まわりの国が大変なことになっている中、この国の人たちが平和な暮らしができているのは、ケント様のおかげだってお城の人たちも言ってます。ガレアだってそうです。グランダムが保護国という形であの国を保護してくれているから、ガレアも戦火に巻き込まれずに済んでいるんです。だから……本当にありがとうございますケント様!」

「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」

 

 嬉しさのあまり俺は自然とイクスの頭を撫でる。イクスはくすぐったそうに笑いながら、されるがままになっていた。

 だが俺が手を引っ込めたあたりでイクスは、あっ、と声を上げた。

 

「そうだ! 実はケント様たちが帝国に向かった後、ほとんど入れ違いにガレアから手紙が届いたんですけど。ほら、ケント様は覚えてますか? サニーさんって異世界から来た学者さん」

「ああ、彼女か。よく覚えているよ」

 

 サニー・スクライア。異世界からベルカ、そしてガレアに来ていた考古学者で、現在はあの国の各地を調べて回っているらしい。砲弾を弾くほどの結界を張ることができるほどの、かなりの腕を持つ魔導師でもある。

 形の上では今でもイクスがガレア王ということになっているためか、サニーからイクスのもとに探索に関する定期報告が届けられることが度々あり、イクスも律儀にその返事を出したのがきっかけで、二人はよく文のやり取りをするようになったらしい。

 しかし、最初の頃はともかく、今では文が来たくらいで俺たちに報告なんてしてこなくなったはずだが。

 

「……何か気になることでも書かれていたのか?」

 

 そこでイクスは難しい顔になって言葉を詰まらせる。

 

「いえ、私への手紙にはガレアの奥にある地層から色々見つかったというだけで……ただ」

「……ただ、なんだ?」

「……いえ、実は私宛ての手紙とは別にケント様宛ての手紙も届いていたみたいで、連絡役の兵士さんからケント様がどこにいるか知らないかって聞かれたんですけど、その時にはもうケント様たちは帝国に向かっちゃってて」

 

 そういえばさっきイクスは、帝国へ向かった俺たちとは入れ違いに手紙が届いたと言っていたな。

 

「ケント様たちが戻ってくるまで私が預かっておきましょうかって言ったんですけど、サニーさんからケント様以外の人には誰にも見せないように強く言われているからそれはできないって言われて。私は人の手紙を見たりなんて絶対にしませんけど、あのサニーさんにしては珍しいなって……」

 

 ……確かに、以前にもイクス宛てにサニーから文が届いた時は、イクスと間違えてヴィータに届けられたこともあったし、医務室にいたイクスに届けられた時も一緒にいたシャマルが勝手に文を開けたこともあったそうだが、大した騒ぎにはならなかったな。

 それにサニーが俺宛てに文を出すなんて初めてのことじゃないか……ただ事ではなさそうだ。

 

「……その手紙はどこに」

「保管室にあると思います。たまにディーノやリヴォルタから送られてくる、ケント様宛ての密書を入れるところに入っていると思いますけど」

「わかった。ありがとう」

 

 イクスに礼を言って、俺は守護騎士たちから怪訝な目を向けられながら保管室に向かった。

 

 

 

(主以外の誰にも見せるな、か……まさか)

 

 

 

 

 

 

 守護騎士たちやイクスと別れた後俺はすぐに保管室へ向かい、サニーからの文を探した。

 目当ての文は密書とは違って、封蝋もされていない糊付けされただけの封筒に入っている簡素なもので、かえって誰からの文か一目でわかった。

 執務室や寝室に持って行こうとも考えたが、今は誰も保管室にはいない。

 それを確かめると俺は封を破って、その場で封筒を開けた。

 封筒には二枚の文が入っていた。

 一枚目には、

 

『陛下へ。

 もしこの場に誰か陛下以外の人がいたらすぐに文を閉じて、誰もいない場所まで移動してからこれを読んでください。そこにいるのが守護騎士やリヒトという人だったとしてもです。

 イクス様やティッタなら大丈夫だと思うけど、念のためにあの子たちにも内緒でお願いします』

 

 とだけ書かれていた。

 

 サニーの奴、面と向かって話す時は俺相手でもタメ口なのに、文だとこんな文体を使うのか。

 それにしても何だこれは。わざわざ俺以外の誰も見るなと釘を刺したうえで、こんなもの(一枚目)まで用意して。

 今までイクスに届けられていた文とは明らかに違う。

 ……とにかく今この場には、守護騎士もリヒトもイクスもいない。

 俺は一枚目を後ろに回して、二枚目の文に目を通した。

 

 

 

『ケント陛下へ。

 いきなりのご無礼をお許しください。それだけこの文は陛下以外の人に見られたら困るものなのでどうか御容赦ください。

 

 半年前、ガレアでお会いした時は本当にありがとうございました。あの時陛下に助けていただかなかったら、私はこうしてガレアでの探索や発掘を行うことができなかったでしょう。

 私を助けていただいたケント陛下と、発掘の許可をくださったイクス様には本当に感謝しています。

 あれから私はガレアの奥地で探索と発掘に精を出しております。今までの間に色々な物が見つかって、その中にはすべてが金属の材質でできた物や使い方が分からないものが出てきたりして、先史時代の文明の高さに驚かされたり小首をかしげたり、と退屈しない日々を過ごしています。

 

 さて、こうして陛下に文を出したのは他でもありません。

 つい四ヶ月ほど前、私はガレアの奥地にある地層の下から二冊の古い本を掘り起こし、発掘や探索の合間を縫ってそれらの本の解読を進めていたのですが、つい昨日二冊の本の解読が終わりました。

 その内容について陛下に直接報告したいことがあり、このような文を送らせていただきました。

 勝手なお願いだと思いますが陛下には闇の書を持って、できるだけ早くガレアまでお越しいただきたく思っております。

 ただし、その時は絶対に陛下一人で来てください。間違っても守護騎士やリヒトという人を連れてこないように。

 

 それからこれも変なお願いだと思われるでしょうが、もし今後戦いが起こったとしても闇の書を使うようなことは絶対にしないでください。それについてもガレアで見つかった本を読めばわかると思います。

 

 それでは色々と勝手なことを書いてしまいましたが、一日も早い再会を願っています。本当に心の底から。

サニー・スクライア』

 

 

 

 ……何だこれは?

 文の最初の辺りはただの近況報告になっているが、途中からは俺に対して一刻も早くガレアに来いと催促する内容になっている。

 しかも守護騎士やリヒトは絶対に連れてくるなときた。

 

 罠か? 何者かがサニーを拉致してこんな文を書かせたのか? それならサニーにしては丁寧すぎる文体も納得できる。

 しかし、エリザに負けずしたたかなあの女子(おなご)なら暗号や符牒でも付け加えておきそうなものだが、それらしきものはどこにもない。

 それに闇の書を持って来てくれと書いておきながら闇の書を使うなというのも解せない。サニーを誘拐した者にとって闇の書を使われるのが恐ろしいのなら、闇の書なんか持ってこさせないし、俺から闇の書を奪うのが目的ならある程度使ってもらって書を完成に近づけた方が都合がいいはずだ。もっとも、完成した闇の書が使えるのは闇の書の主、すなわち俺だけらしいのだが。

 

 ……罠にしてもおかしい。それに文自体からも何やら切羽詰まったものを感じる。

 

 ガレアか、半年ぶりにもう一度あそこへ行ってみるとするか……サニーの指示通り、今度は一人でな。



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第65話 移動庭園

 サニーから届いた文を受け取って、俺は今すぐに片づけなければならない政務がないかを確認してからすぐにグランダム城からガレアに向かって飛んだ。その直前に一瞬だけ俺に向けられたような視線を感じたが、振り向いてみてもそこには誰もおらず、気のせいだと思いなおしてガレアに向かうことにした。

 それからほどなくガレア王城跡よりさらに奥へと飛んで、それを目にした瞬間、俺は空中で動きを止めた。

 

 それは奇妙な森だった。

 その森から生えている樹らしきものは先端に近づくごとに棘のようにとがっており、森のところどころには巨大な赤い宝石のようなものが埋まっている。

 サニーの文に描かれていた絵と一致するが、まさか本当にこんな形をしているとは。明らかに自然にできた森じゃないぞ。

 

(ここは一体?)

 

 俺は地面に降り、他にも何かないかと辺りを見回す。

 しかし、例の場所の前には広い湖があるだけで、そこには水浴びをしている女の子しか……。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……」

 

 水浴びをしている短い金髪の女の子は湖の側に降りた俺に気付き、緑色の瞳でこちらをじっと見ている。

 水浴びをしているのだから当然その体には何も着ておらず、少しだけ膨らんだ胸を惜しげもなくさらしていた。

 というよりこの子は――

 

「サニー!」

 

 指定された場所に来て、すぐに俺を呼び出した人物に会うことができた。

 早速例の本とやらについて――

 

きゃあああああ!

 

 聞ける状況じゃないだろう!

 

 サニーは胸をかばいながらその場にうずくまって下半身を水で隠し、俺は後ろを振り向いて早くその場から離れた。

 ……指示通り一人で来て正解だった。守護騎士たちやリヒトがいたら、また白い目で見られるところだ。特にリヒトにこんな所を見られたら、元々わずかほどしかないかもしれない俺への好感度が一気に下がってしまいかねない。

 

 

 

 

 

 それから少しして、前に会った時と同じ、文様が付いたシャツと短パンと茶色いマントを着て、右目に片眼鏡(モノクル)をかけたサニーが俺のもとまでやって来た。

 

「……もう水浴びはいいのか?」

「こんな状況で続けられるわけないだろう! 陛下が覗こうとするかもしれないし」

「覗くか!」

「どうだか……まったく。すぐに来いって文に書いたのに三日も来なかったし、今日はもう来ないだろうと思っていたらよりによって水を浴びている時に来るし……ああついてない(陛下一人だけで来てもらったのは失敗だったかな。ティッタだけでも連れてきてもらうべきだったかも。何もしてこなかったから、ここで襲われることはないと思うけど)」

 

 そう言ってサニーは左手で頭を抱えた。そんな彼女に俺は反論する。

 

「仕方ないだろう、帝国に行く用事があったんだから。……裸を見てしまったことに関してはすまなかった。なるべく早く忘れるようにする」

「見てなかったとは言わないんだね」

 

 そういう言い訳もあるが、あれだけ互いに目が合って何も見ていなかったというのは苦しすぎると思う。

 

「まあいいや。ところで……陛下一人だけだよね?」

「ああ。文に書かれた通り俺だけで来た」

 

 声を潜めて発したその問いに、俺は首を縦に振って答えた。

 

「そう」

 

 そう言うやいなや、サニーは身体の向きを変えながら言う。

 

「じゃあ今から私の拠点に行くよ。そこまで飛んでいくからちゃんとついてきて」

 

 サニーは宙を飛び例の場所の方を向く。それを見て俺も宙に飛んで彼女と同じ方を向いた。

 やはりと言うべきか、そこは鋭くとがった樹らしきものと赤い宝石がいくつか埋め込まれた例の森だった。

 

 

 

 

 

 

 サニーの先導で俺は例の森まで飛び、その森の中央にある、扉がついた巨大な岩を見付けるとサニーはそこへまっすぐ降り、彼女に続いて俺も扉の近くへ降りた。

 俺が地面に足を付けたのを見届けると、サニーは俺に背を向け扉に手を伸ばす。

 

解け(アンロック)

 

 サニーがそう呟くと彼女の手元と足元に円状の魔方陣が浮かぶ。

 しかし何も起こらない。

 首をひねる俺の前でサニーは扉の取っ手に手をかけた。

 すると扉は彼女の押されるがままに奥へと開いていく。

 鍵をかけてなかったのか? ――いや、だったらさっきの呪文は一体?

 

「……まさか、魔法で鍵を開けたのか?」

「うん。ベルカにはこんな魔法ないの?」

 

 自慢する様子はなく、むしろ不思議そうにそう尋ねてくるサニーに俺は首を横に振った。

 

「ないな。ベルカの魔法は武器の威力を高めたり、シールドやバリア型の結界を張ったり、戦いに関するものばかりだ」

「ふうん。長い間戦争が続くとそうなるんだ」

 

 ……いや、確かベルカにも一部だけだが、戦いだけでなく日常生活でも使える魔法を扱う種族がいたな。

 たしかシュトゥラの南に広がる森に住む、《魔女》と呼ばれる猫のような耳と尾が付いた一族だ。

 シュトゥラ王もその力には一目置いていて、グロゼルグという魔女の女子(おなご)をよく城に招いていたという。……あいつのいたずらには俺もクラウスも手を焼いたものだ。

 しかし、その魔女たちが住んでいた森も、隣国が用いた燃焼兵器によって無残に焼き払われ、クロゼルグを含め多くの魔女が行方不明になったという。

 

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

 

 嫌な事を思い出し顔を曇らせてしまったのだろう、俺の顔を見ながら尋ねてくるサニーに首を横に振って応えた。

 重くなった空気を変えるべく、俺はさっきからずっと気になっていたことを尋ねる。

 

「サニー、ここは一体なんだ? この建物だけじゃない。周囲にある森自体が人工的に造られているようだった。まさかこの建物もあの森もガレアの遺跡なのか?」

 

 その問いに今度はサニーが首を横に振った。

 

「いいや、ここはガレアで造られたものでも遺跡でもないよ。人工的に造られたっていうのは合ってるけどね」

「……ガレアで造られたものでもなければ遺跡でもないだと? 近年になってどこかで造られたものだというのか? こんなものリヴォルタでも造れるものではないだろう。後は聖王都かそうでもなければ……まさか」

 

 俺がそれを口にする前に、サニーはどこか誇らしげに笑って言った。

 

「そう。この建物も周囲の森に見えるものも、十年前にベルカとは違う世界で造られたものなの。『ミッドチルダ』っていう世界でね」

 

 その言葉に俺は目を見開く。

 ミッドチルダなら俺も聞いたことがある。ベルカとは違い、最近になって他の次元世界と交流するようになった世界だが、ベルカに匹敵するほどの優れた魔法技術を持っており、汎用性と応用性に至ってはベルカで使われている魔法より優れているほどだとか。

 そうか、さっきの魔法も以前サニーが使っていた結界魔法も、ミッドチルダで用いられている魔法か。

 

「そうだったのか。それで、結局のところここは一体何なんだ? あの森まで人工的に造られたものということは、ただの拠点じゃないんだろう」

「うん! ガレアに停泊している今はただの活動拠点になっているけど、本来ここは次元移動も可能な移動式施設なんだから」

「次元移動が可能だと!? それも施設ごと?」

 

 俺は思わず裏返った声を出してしまう。

 聖王都でもこれほどの次元船はないだろう。

 驚く俺を得意げに見やりながらサニーは語る。

 

「そっ。正式な名称はまだ付けられてないけど、森に偽装した時の見た目から《移動庭園》って呼ばれてる。私はこれに乗ってベルカに来たの。最初は聖王都の次元港に着いたんだけど港にいた人たちも驚いてたなあ。職員たちが集まってきて検査とかされちゃってさあ」

 

 そりゃあこんなものが港に現れたらな。やはり聖王都でもこれほどの次元船は見ないものらしい。ガレアにもこれに乗ってきたのだろうが、よく騒ぎにならなかったものだ。瞬間移動(ワープ)機能でもついているのか?

 そんなことを考えている俺の前でサニーは自慢話を続ける。

 

「ベルカで唯一の次元港の人たちを驚かせるとは、ミッドチルダの技術の粋を集めて作られただけはあるね。さすがスクライア一族が誇る研究施設だ」

「……一族が誇るか。そんな施設をお前一人で使っているのか? 俺たち以外に人の気配がまったくしないんだが」

「ああうん。本当はもっと大勢で来たかったんだけど、戦争続きのベルカに行きたがる人は一族でもほとんどいなくてね――あっ、ごめん。ベルカに住んでいる陛下には失礼な言い方だったかな」

 

 思わず出てしまった失言に頭を下げるサニーに、俺は「いい」と言って話の続きを促した。

 サニーは気を取り直して話を続ける。

 

「まあ、それでまわりから止められはしたんだけど、族長も先史ベルカには興味があったみたいでね。今は他に危険な世界に行く予定がある人もいないし、いざとなったらここにこもって身を守るなり次元空間に逃れられるようにってこの庭園を貸してくれたんだ。そんでこの庭園に乗って私一人だけでベルカに来たってわけ……あっ! そろそろ着いたよ」

 

 サニーの言う通り、俺たちの目の前には扉があった。

 サニーは取っ手に手をかけ扉を開ける。

 

 

 

 

 

 

 その部屋は大量の本が並べられた部屋だった。

 部屋の壁には本棚が隙間なく置かれており、本棚の中にはこれまた隙間がないほどびっしりと大量の本が並んでいる。察するにここは資料室か。

 そして……

 

「……あれがお前が掘り出したという二冊の本か」

 

 俺の言葉にサニーはうなずきを返す。

 部屋の中央には一台の机が置かれており、机の上には二冊の古い本と無数のメモがある。

 本はボロボロで表紙の塗装はほとんどはがれており、何が書かれていたのか、それとも無地だったのかすらもうわからない。

 その反対に本のまわりに置かれたメモは真新しく、最近書かれたばかりのものだとわかる。あのメモを使って、少しずつ本の内容を解読していったのは想像に難くない。

 俺は机に向かって本を手に取ろうとするが……

 

「待って! そのままだと陛下はまだ読めないと思う」

 

 そう言って、サニーは片手を横に伸ばして俺を遮った。

 まさかサニーがそれを読み上げるのを黙って聞いていろというのではないだろうな? それではあまりにももどかしいうえに、内容次第では半刻もしないうちにうたた寝してしまいそうなのだが。

 だがそんな心配は杞憂だったらしい。サニーはまた本に手を伸ばし一言呟く。

 

翻訳(トランスレーション)

 

 するとサニーの手元にまた魔法陣が浮かんだ。

 今度も一見何も起こっていないように見えるが、さすがに今度は俺にも何が起こったのか察しが付いた。

 

「……これで陛下にも読めるようになったと思う。取ってもいいよ」

「ああ」

 

 サニーに言われるまま、俺は二冊の古書のうち一冊を手に取る。古いだけにざらざらして触り心地はかなり悪い。

 だが、この本に書かれていることはそんな不快感など吹っ飛ばすもので――

 

「――なっ!?」

 

 それを見て思わず俺はそんな声を上げてしまった。



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第66話 闇の書の真実

【レポートNo.5843 夜天の魔導書について】

 

 かつて、このベルカには非常に卓越した技能を持つ魔導師がいた。

 その才はベルカの歴史上類を見ないと思われ、かの名高き古代世界アルハザードの技術者たちにも届くのではないかと言われる。

 彼はベルカ各地、そして他の次元世界に存在する多くの魔法および構築式を記録するために、666ページからなる一冊のストレージ(書物)を作った。

 その名を『夜天の魔導書』という。

 

 

 

 夜天の魔導書には、書が破損した際に元の形へと戻す『再生機能』と、書を紛失したり何者かに奪取されてしまった時に書を所有者(マスター)の手元に呼び戻すための『転移機能』、そして所有者が活動できない状態に備えて魔導書が自動的に魔法を記録する『自動蒐集機能』が付けられている。

 

 それに加えて夜天の魔導書には、書と所有者を守るための防衛プログラムと守護騎士プログラムが組み込まれており、特に人型・動物型の形態をとって活動する守護騎士プログラムは所有者の補助を担うことも可能とされる。

 守護騎士として設計されているのは以下の四体。

 

・卓越した剣技と連結刃に姿を変えるデバイス『レヴァンティン』を駆使して、魔導書と所有者に害をなそうとする者を排除する戦闘用プログラム『シグナム』

 

・幼い子供の姿と振る舞いで所有者の側に付き、デバイス『グラーフアイゼン』を用いて所有者を守る補助プログラム『ヴィータ』

 

・デバイス『クラールヴィント』を用いて所有者や他のプログラムの治療、支援を行う治療用プログラム『シャマル』

 

・狼と人間の姿を使い分けることで所有者の護衛を行う護衛用プログラム『ザフィーラ』

 

 これら四体のプログラム体を『守護騎士』もしくは『ヴォルケンリッター』と呼ぶ。

 なお守護騎士たちは女性型が三体、男性型兼犬型が一体と、男女比に大きな偏りがあり、運用面において合理性に欠けているように見受けられるがその意図は不明。

 

 さらに上記の機能、プログラムを運用するためのいくつかのAI・管制プログラムが書の内部に搭載されている。

 管制プログラムの一種『システムN-H』は当時では最新式として設計された融合騎でもあり、融合騎の問題点だった融合事故の危険を抑えるための様々な処置が施されていた。

 

 これらのプログラムには自律的行動を行わせるために極めて高度な知性が備わっており、開発当時から現在まではどのプログラムにも感情などの自由意志が現れている傾向は見られないものの、活動を続けていく間にそういった意識が顕在していく可能性は十分考えられる。

 

 

 

 上記の機能・プログラムによって夜天の魔導書は何度か盗難、強奪、破損の危機に見舞われながらも、製造者たる魔導師が生きている間に魔導書は完成を果たし、魔導師はこの書を次の継承者に譲ってこの世を去った。

 しかし次の所有者は魔導書を継承してすぐにベルカから姿をくらまし、それ以後の消息は一切不明である。

 

 

 

 夜天の魔導書の所有者の失踪から300年後。とある国が統治していた植民世界でクーデターが勃発し、大規模な内乱の末に植民世界自体が消滅するという現象が発生。

 

 それ以後、数十年ごとに同様の暴動、襲撃が各世界で発生。騒乱が起きた世界ではいずれも世界自体が消滅するという現象が起きている。なおこの件における調査対象はベルカの国が統治している植民世界を中心としているため、他の世界でも同様の騒乱、消滅が発生している可能性がある。

 

 

 

 ――年、植民世界を統治している国々の協力を得て、セニア連邦政府は騒乱が起きている世界に軍を派兵。

 そこで『闇の書』なる魔導書を持つ騒乱の首謀者と、彼女の側に付き従っている守護騎士と名乗る四人の男女を確認。それぞれ記録にある夜天の書と守護騎士プログラムと酷似。同一のものである可能性が高いと推測。

 セニア軍は首謀者と守護騎士の排除、闇の書の確保を企図した作戦を立案。現地軍の協力の下でこれを実施した。

 

 作戦は失敗。あまりにも強力な守護騎士の力と連携に軍はなすすべなく壊滅した。その際彼らに敗れ死んだ、もしくは重傷を負った兵士から闇の書がリンカーコア、もしくはコアに内在する魔力を吸収していったとの目撃証言あり。

 軍の壊滅から数分後、闇の書は突然守護騎士の吸収を開始。さらにその直後、首謀者の身に異変が起こり、銀髪赤眼の女性にその姿を変えていった(偵察兵からの目視による報告であり、それ以外に確たる記録はないため事実とは異なる可能性がある)。

 首謀者の乱心、変貌から20分後、現地世界は跡形もなく消滅。それまでの記録は一切残されていない。

 

 

 

 前回の騒乱から十九年後の――年、セニア政府は前回と同様の騒乱が起きている世界に再度軍を投入。

 前回の失敗を踏まえて前回よりはるかに多くの人員を投入。さらに選りすぐりの精鋭からなる特殊部隊を編成し、これを現地に投入した。

 現地軍と軍本隊から多数の、例の部隊からも少なくない犠牲を払い、守護騎士、首謀者の排除と闇の書の回収に成功。

 敵拠点の制圧後、闇の書はセニア政府の管理下に置かれ、保護世界に設置されている技術研究所に移送された。

 

 研究班による解析の結果、闇の書は夜天の魔導書と同一のものであることが判明した。ただし内部のプログラムには広範囲に及ぶ改変が確認されている。おそらくは複数の所有者によってプログラムの改変が繰り返されたものと推定される。

 

 さらなる解析の結果、プログラム改変による影響がおおよそ判明した。その影響は次のとおりである。

 

・魔導書が破壊された際に再生機能と同時に転移機能まで作動するバグの発生。

 

 このバグによって、魔導書が破壊された際に次元を越えて新たな所有者のもとまで転移するという現象が起きるものと推測。なお魔導書の新たな所有者は魔導書がランダムに見つけ出した高い魔力資質の持ち主の中から選び出す模様(資質さえあれば魔導師でなくても所有者に選ばれる可能性も十分考えられる)。

 

・魔法の記述方法が魔導師や魔法生物が持つリンカーコアからの蒐集(強奪)に変更されている。

 

 魔法の記述を安易に、そして効率的に行っていくための変更と思われる。

 

・一定期間蒐集が行われないと所有者自身から魔力を蒐集する現象の発生。所有者が魔導師なら一定時間の経過で元に戻るが、所有者が非魔導師だった場合、無理な蒐集によって身体に障害が出る可能性が考えられる。さらに完成まで残り百ページを切るなど魔導書単体での蒐集が可能だと判断した場合、最後の蒐集から約四ヶ月後に所有者の居住地などに住む人間や守護騎士たちから魔力を蒐集する。

 

 前者はバグによる自動蒐集機能の誤作動、後者はいずれかの所有者によって追加された機能だと考えられる。

 

・管理者権限の取得に管制プログラムと防衛プログラムの認証が必要になった。

 

 元々、夜天の魔導書の管理者権限の取得は管制プログラム『システムN-H』の承認を必要としていたが、改変によって防衛プログラムに知性が芽生えたためにシステムが防衛プログラムを管制プログラムと誤認し、それ以降は管理者権限の取得に管制プログラムに加えて、防衛プログラムの認証まで必要になったものと思われる。ただし、防衛プログラムが持つ知性は二種の管制プログラムと違って、破壊衝動しかない原始的なものである。

 

・魔導書のすべての頁が埋まると同時に、所有者は管制プログラム『システムN-H』との融合によって体を乗っ取られ、その後『システムN-H』も自我を失い無差別破壊を行うようになる。

 

 前述のとおり『システムN-H』には融合事故を抑えるための処置が施されていたが、防衛プログラムによってそれらの処置が無効化されてしまったため、融合事故が起きるものと思われる。

 

 

 

 解析から数日後、研究所があった保護世界が消滅するという事態が発生した。

 魔導書のプログラムを修正ないし魔導書自体の初期化を行うために、研究員がハッキングを試みたのが原因と思われる。

 魔導書も保護世界ともども消滅したと考えられるが、研究班の解析が正しければ転移機能と再生機能によって他の次元世界に転移、再生した可能性も十分考えられる。

 

 これらの事態を重く捉え、セニア政府は闇の書から手を引くことを決定。またこれらの事実を発表した場合、世界的な混乱が起きると予想されるため、本件について関係者は一切の口外を禁じるものとする。

 

 

 

 

 

 

「……な、何だよこれ……」

 

 ここまで読んで俺はそう呟いた。いや、これ以外にどんな言葉が浮かぶんだ。

 

「……」

 

 そんな俺をサニーは何とも言えない面持ちで眺めていた。

 それに構わず俺は言葉を吐き出す。吐き出さずにはいられない。

 

「何だよ、何なんだよこれは!? 闇の書を完成させたら持ち主はシステムなんとかに乗っ取られる? 世界が消滅するまで無差別破壊を続けるだと? ……何を馬鹿な、完成した闇の書を手にしたものは強大な力を手に入れることができるはずだぞ! ベルカを統一するほどの! この戦乱を終わらせることができるほどの力が! それを信じて俺は今まで守護騎士たちとともに戦ってきたんだ!」

 

 そこまで言って俺はふと思った。

 

「……そうか、これは嘘だ。この本に書いてあるのはでたらめだ。……サニー、一生懸命解読してくれたところあいにくだけど、この本に書かれているのは全部作り話だ」

「陛下……」

「だってそうだろう。完成させたら何かに乗っ取られるような本なんて誰が完成させようとするんだよ? そんなのただの自殺じゃないか! そうだ、だからこの本に書かれてあるのは全部でたらめで――」

陛下!

 

 サニーの一喝に俺は言葉を止め、呆然と彼女を見る。

 サニーは厳しい目で俺を見据えていた。それは嘘で固められた文献に振り回された者が見せる顔じゃない。

 彼女は厳しい口調で言う。

 

「確かにその可能性はあるよ。こんな文献に事実や真実が書かれてある証拠なんてどこにもない。陛下の言う通りこの本に書かれてあるのは全部真っ赤な嘘という可能性だって十分ある。でも文献に書かれてることが本当なら、いくつかうなずけることもある。陛下はイクス様が話してた“事故”の話を覚えてる? 闇の書の前の持ち主が世界ごと消えちゃったって話」

 

 確かにイクスは言っていた。闇の書を持っていた組織の首魁が世界ごと消滅した“事故”の事を。闇の書が完成した後に起こる融合事故の話にぴたりと当てはまる。

 

 サニーはさらに続ける。

 

「他にも、一定期間蒐集が行われないと保有者自身から魔力を蒐集する《自動蒐集機能》ってやつがあるじゃない。もしあれが本当だったら陛下にも身に覚えがありそうなものだけど、心当たりはない? 少しの間魔法が使えなくなった事とか」

 

 ……ある。幼い頃に覚えた魔法を実践しようとしたけど、何度詠唱を唱えても念じても魔法がうまく使えなかったことが数日間。あれは俺が未熟なせいだと思ってたけど本当は……。

 

「……心当たりがあるみたいだね。私としてはそのことで気になることがあるんだけど、闇の書は今何ページまで――」

「何だよそれ」

「陛下?」

 

「何だよ何だよ何だよ、何だよ何だよ何だよ、何なんだよそれ! ……俺は、俺たちは一体今まで何のために頁を埋めてきたんだよ? 何のために苦しい戦いを勝ち抜いてきたんだよ? ここに来るまでどれだけの犠牲を出してきたと思ってる? 俺自身どれだけ生死の境をさまよってきたと思っている? あともう少し、あともう少しで闇の書が完成して自分の国(グランダム)の民を戦乱から守る力が手に入り、俺もリヒトやあいつら(守護騎士)と一緒に平和に暮らせる日々が過ごせると思っていたのに! 闇の書が完成したら俺はわけのわからないものに乗っ取られて、そいつはベルカを滅ぼすまで暴れ回るだと? ふざけんなよ! 俺は今までそんなことのために戦ってきたのかよ?」

 

 そこまでまくしたてて俺は今まで手にしていた古文書を手から落とし、膝から崩れ落ち両手を床につける。その拍子に俺の懐から茶色い本らしきものが落ちるが目の前がゆがんでよく見えない。

 

「陛下……」

「笑えよサニー。こんなもの(闇の書)に踊らされて血を流してきた馬鹿な俺を。……滑稽だろうおかしいだろう……だから笑え笑ってくれよ!

 

 その時、俺の頬に強い衝撃が走り、俺はつい衝撃が走った方とは反対側によろけてしまう。

 

しっかりしろケント!!

 

 そして怒声とともに俺は胸倉を掴まれ、前に引き寄せられる。

 つんのめった俺の顔の間近には、憤怒に歪んだサニーの顔があった。

 

「こっちはお前の泣き言に付き合ってる暇はないんだ! 後で好きなだけべそかかせてやるから今は黙って私の質問に答えろ! このヘタレ王!」

 

 激しい剣幕で凄んでくるサニーに、俺はこくこくとうなずきを返すしかできなかった。

 サニーは俺の首から手を離し、支えるものがなくなった俺の体は床に落ちかけ慌てて両手を床につけることで転倒を免れる。

 サニーはそんなことに構わず、俺を憮然とした表情で見下ろし口を開く。

 

「さっさと立って涙拭いて。それぐらい自分でできるだろ」

「あ……ああ」

 

 そう言いながら俺は腕の甲で目元を拭う。

 まさかこんなティッタくらいの背丈の子に叱られるとは、それだけさっきの俺はみっともなかったということか。

 頭が冷えてくるにつれ急に恥ずかしさがこみあげてくる。

 

「すまない。恥ずかしいところを見せた。もう大丈夫だ」

「まったくだ。泣くぐらい構わないけどさっきの泣き言は駄目だね。ヴィータやティッタに見られていたら三日はネタにされてるとこだったよ」

「確かに。そう言う意味ではサニーの言うとおり一人で来て正解だったな」

 

 心の底からそう思う。間違っても彼女にはさっきの醜態は見せたくない。しかし冷静になって考えてみるとその彼女こそが……。

 

「じゃあ、調子を取り戻したみたいだし話を進めさせてもらうよ。陛下、闇の書の頁って今どのくらいまで埋まってる?」

「えっ!? それは……ちょっと待ってくれ」

 

 サニーにそう聞かれ、俺は床に落ちている闇の書を拾って頁の枚数を調べる。

 闇の書はすでに相当の頁が埋まっており、空白の頁を数えた方が早い。

 空白の頁を数えている間に闇の書がたまに声を発していたことがあったのを思い出し、書に聞いてみるのが一番早いのではと思ったが、あんな話を見たら恐ろしくてそんなことはできなかった。

 

 ……空白の頁は予想よりはるかに少なく、空白頁の勘定を終えた俺はサニーの方を向いて言った。

 

「……空白のままになっている頁は……きゅ、90ページだ」

 

 もう90ページしかない……ということは闇の書は全部で666ページあるという話だから、もう576ページは埋まっているということに……いや、待て待て! そんなことより、あの古文書には確かなんて書いてあったっけ?

 俺が首を巡らせて古文書の方を見ると、ちょうどサニーが床に落ちていた古文書を拾っているところだった

 サニーはすごい速さで頁をめくっていって、ある頁に目を止める。

 

「……『完成まで残り百ページを切るなど魔導書単体での蒐集が可能だと判断した場合、最後の蒐集から約四ヶ月後に保有者の居住地などに住む人間や守護騎士たちから魔力を蒐集する』って、ここに書いてあるんだけど」

「――なに!?」

 

 それを聞いて、俺はサニーが示している頁に顔を近づける。

 その頁にはサニーが言った通りの言葉が書かれていた。

 

「ねえ陛下。もう一つ質問なんだけど……最後に蒐集って奴をしたのはいつ?」

「リヴォルタで暴れ回っていたフッケバインという傭兵たちから蒐集して以来だ。あれから三ヶ月と三週間は経つが……ま、まさか」

 

 俺がそう言った途端たちまちサニーの顔が青くなる。俺も多分同じ顔色をしているだろう。

 サニーは震える声でそれを口にする。

 

「つまり……あと数日で、闇の書は持ち主(陛下)の意思に関係なく自動蒐集を始めるってこと?」

「それも保有者の居住地……グランダム王都に住む人間や守護騎士たちから蒐集を……」

 

 あと数日で闇の書は勝手に自動蒐集を始め、グランダム王都の住人や守護騎士から奪った魔力で闇の書は完成を遂げる!

 

 

 

 

 

 この時俺たちは初めて知った。

 グランダム王都――そしてベルカの滅亡が間近に迫っていることに。

 

 そういえば四ヶ月近く前にリヴォルタの南区で出会ったグラシアという占い師が言ってたっけ。

 

『あなたには二つの未来があります。一つは大いなる力を手にして()()()()()()()()未来……もう一つは――』

 

 もう一つは……何だろう? あの占い師は何と言ってたっけ?



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第67話 システムNーH

 完成まで残りわずかとなった闇の書は、あと数日で持ち主()の意思と関係なく自動蒐集を始め、グランダム王都の民やヴォルケンリッターの魔力を糧にして完成を遂げる。

 そしてその後、俺は融合によってシステムN-Hこと彼女に体を乗っ取られ、彼女自身も自我を失ってベルカを滅ぼすまで無差別破壊を行うようになる。

 それを知った俺とサニーはたちまち真っ青になった。

 

 会ったばかりの頃ヴィータは言っていた。

 

『都市中の人間からリンカーコアを集めれば150ページは埋まるぞ』

 

 今の闇の書の残りの頁はたったの90ページ……。

 まずい! ヴィータがどれぐらいの都市を基準にして150ページ埋まると言ったのかは知らないが、今のグランダム王都はガレア戦勝やリヴォルタ併合による好景気の影響で急激に人口が増えている状況だ。その王都で無差別に蒐集なんてしたら90ページなんて確実に埋まってしまうぞ!

 どうすればいい? このままだとあと数日後には……。

 ――いや待て! あまりのショックでつい投げ出してしまったが、確か古文書には続きらしい文字が見えたような気が――。

 

「サニー! その古文書の続きは? 続きはなんて書いてある?」

 

 自動蒐集を止める手立てを求めて俺はサニーに迫る。

 しかし、サニーは浮かない顔をしながら古文書を持って、

 

「……それなんだけど」

「――貸してくれ!」

 

 もどかしくなり、思わずサニーの手から古文書を奪うように取り上げ、さっきの頁まで一気にめくっていく。

 目当ての文はすぐに見つかった。しかし――

 

【 遠結 

     管制プ グラ 

       『 ス ムU-D』

               『 ーリ・ ー ルヴ  ン』

                     に  て

 

 ――くそ! 経年劣化のせいで頁がにじんでいてほとんど読めない。

 舌打ちしながら頁をめくるが、次の頁もほとんどの文字がぼやけていた。

 

 俺は吐息をこぼしながらサニーを見る。それに対してサニーは首を横に振って言った。

 

「残念だけど、ここから先はほとんど読めなくなってるの。大体闇の書をなんとかできそうな文が書かれていたら、あんたを殴った後ですぐに読ませてるよ」

「それもそうだな…………――いや、待ってくれ! 古文書は二冊あったよな? もう一冊の方には何が書かれているんだ?」

「こっちには闇の書のことは書かれてない。まあ、こっちに書かれているものもかなり物騒なものではあったけど……」

 

 ということは、別の先史文明の遺物か兵器に関する資料と言ったところか。ガレアで見つかった以上、多分マリアージュ関連だろうな。イクスのこともあるしあまり蒸し返したくはないんだが。

 ……どちらにせよ今は後回しだ。闇の書を、自動蒐集だけでも止める手段を見つけないと……。

 俺は頁をめくり、夜天の魔導書についての記述にざっと目を通す。

 そして……

 

「魔導書のプログラムの修正……サニー、この意味は分かるか?」

 

 俺がそう言うと、サニーもそれが書かれているページを覗き込みながら言う。

 

「……まあ多分。プログラムって魔法の術式を記述したもののことだよね。それなら私も一通りはかじってる。結界魔法の強化や新しい発掘魔法を編み出すのに必要だから……でも古文書を見た限り、闇の書はかなり高度な術式がいくつも組み込まれてできていると思うから、私なんかに修正できるかどうか。それにプログラムの修正をしようとしたら闇の書の暴走が起こって、研究所ってとこが消滅したって――」

「いや、諦めるのはまだ早い。闇の書の主の俺なら管理者権限とやらも持っているかもしれない。俺が闇の書に命じてプログラムとやらの書き換えができるようにしておくから、サニーはプログラムの修正を頼む。今は自動蒐集を止められるようにしてくれればいい!」

 

 俺の言葉にサニーは迷う素振りを見せるものの、すぐに意を決したようにこくりとうなずく。

 それを見てから俺は闇の書を手に取り書に命じた。

 

「闇の書――いや、《夜天の魔導書》よ! 魔導書のプログラムの修正がしたい。プログラムの書き換えができるようにしてくれ!」

 

 俺が命じてすぐに魔導書から返事が返ってくる。しかし魔導書の無機質な声による返事はその声に合うほどに無常なもので……

 

『Auf das Programm kann nicht zugegriffen werden. Um auf das Programm des Speichergeräts „Zauberbuch des Nachthimmels“ zugreifen zu können, ist es notwendig, alle Seiten zu sammeln und die Genehmigung des Steuerungsprogramms einzuholen(プログラムにアクセスできません。ストレージデバイス『夜天の魔導書』のプログラムへのアクセスには、全頁を蒐集した上で管制プログラムの承認が必要となります)』

 

 管制プログラムの承認が必要、それも全頁を蒐集した上でだと? そんな馬鹿な、すべての頁を埋めたらその瞬間に融合事故が起こるという話だぞ。

 

「――くそっ!」

 

 何という矛盾だ! 蒐集を止めるための方法をとるにはすべての頁を蒐集しなければならないとは! では自動蒐集を止める手段はないのか?

 いや、このプログラムを作った主とて自分が乗っ取られるようなことは望んでいなかったはず。何か手はあるはずだ。何か……。

 

「そこを何とか頼む! 俺は闇の書の――いや、夜天の魔導書の主だ! プログラムとやらを少しいじるくらいの権利はあるはずだろう! それが駄目だと言うなら、今すぐ自動蒐集を止めてくれ!」

『Du kannst nicht. Der Zugriff auf das Programm des Speichergeräts „Zauberbuch des Nachthimmels“ erfordert die Erfassung aller Seiten und die Genehmigung des Steuerungsprogramms. Außerdem können nur Master mit Administratorrechten die automatische Erfassung abbrechen(できません。ストレージデバイス『夜天の魔導書』のプログラムへのアクセスには全頁を蒐集した上で、管制プログラムの承認が必要となります。また自動蒐集のキャンセルも、管理者権限を持つ主のみが可能です)』

「そこを何とか!」

『Du kannst nicht!(できません!)』

(――まずい!)

 

 俺の命令を拒む魔導書の口調に剣呑な響きがこもっていくのを察したのだろう、サニーは叫ぶように言った。

 

「陛下、もうよせ! これ以上は危険だ!」

 

 だがそれに俺はそれに気付かないまま頭を下げながら、

 

「頼む!」

『……』

 

 そこで魔導書は沈黙した。

 ついに応えてくれる気になったかと、一縷の望みをかけて俺は顔を上げる。

 そんな俺の前で闇の書は頁を開き――そこから無数の蔓が伸びて、俺をがんじがらめにした!

 

『Erkennt unbefugten Zugriff auf das Gerät. Eliminieren Sie Benutzer mit unbefugtem Zugriff, um Ihr Gerät zu schützen(デバイスへの不正なアクセスを検知しました。デバイスを保護するため、不正アクセスを行おうとしたユーザーを排除します)』

 

 無機質で冷たい声で告げながら、魔導書は頁を広げたまま俺に迫ってくる。

 

「陛下!」

「来るなサニー! ぐっ……」

 

 駆け寄ろうとするサニーを制しながら俺は体に力を込める。しかし、蔓は固くて一向に外れる気配がない。

 

「ぐぉ……」

 

 だがまだ手はある。リヒトに禁じられた禁断の手が……。

 エクリプス……あのウイルスによって身体能力を強化すればこんな蔓くらい……。

 しかし、それでもしエクリプスが活性化したら俺は人を殺さないと生きていけない体に……。

 

「ぐぉぉ……」

 

 しかし、ここで俺が魔導書に飲み込まれたら一体どうなる?

 俺が飲まれるだけならまだいい。だが、今や闇の書と呼ばれているあの魔導書がこのまま大人しくしているとは思えない。

 俺を飲み込んだ後、魔導書は自動蒐集で頁を埋めて完成し、彼女とともにベルカを滅ぼしてしまうのではないだろうか――いや、間違いなくそうなるだろう。

 

「ぐぉぉぉ……」

 

 ならば最低でも、この場を切り抜けるためにエクリプスを使うしか。

 俺は覚悟を決め、エクリプスによる身体強化を念じ――

 

「主!」

「えっ!?」

「なっ!?」

 

 その時、勢いよく扉をぶち破って何者かが部屋に飛び込んできた。驚きで目を剥いている俺たちの前に現れたそいつは、月光のような銀髪と黒い服を着た――

 

「リヒト!」

「主、サニー、そこを動かないで!」

 

 リヒトの鋭い声にサニーはびくっとする。俺の方は元よりエクリプスでも使わない限り動けない状態だ。

 リヒトは俺たちに目もくれず、片手の指をすべてまっすぐに伸ばして振り下ろし、俺に絡みついている蔓を断ち切った。

 あまりの光景にサニーは目を丸くする。

 一方、俺の方は、また彼女に助けられてしまったなと思うだけだった。

 リヒトは蔓がまとわりつくのもいとわず、魔導書を右手で掴みながら言う。

 

「抑えろ! そしてよく見るんだ! この方はお前の今の所有者(マスター)だぞ!」

『Ich lehne ab. Übermäßige Zugriffsanforderungen an das System durch nicht autorisierte Benutzer werden so programmiert, dass sie als unbefugter Zugriff betrachtet und beseitigt werden.(拒否します。権限を持たないユーザーによるシステムへの過度なアクセス要求は不正アクセスとみなし、排除するようにプログラムされています)』

「ぐっ……」

 

 リヒトは魔導書を掴み続けるものの書を掴む右手には、どこからか赤い革帯(ベルト)が伸びてきてリヒトの腕に巻き付き強く食い込んでいく。リヒトは苦悶に顔を歪めるものの魔導書を掴み続ける。

 

「もう完成するまで百ページ足らずまで来たんだろう。ここで主を害してそれを無下にする気か? それは我々を造った最初の主(製造者)の意思に反することだと思うが……ぐっ」

 

 そう言っている間にも赤い革帯はリヒトの両足にも巻き付き強く食い込んで、リヒトは再び苦悶の声を漏らしてしまう。

 しかしそれとは反対に魔導書から延びる蔓は動きを止め、やがて……

 

「OK. Den Prozess zugunsten des Schutzes des Herrn aussetzen(了解しました。主の保護を優先してプロセスを中断します)」

 

 魔導書がそう応えると蔓は急激にしぼんだように勢いを失い、魔導書の中へと戻っていった。

 リヒトは魔導書を手にしながら、苦しそうなため息を吐き出してこちらに振り向いた。

 

「大丈夫でしたか? 我が主」

「あ、ああ。お前のおかげでな……サニーはどうだ?」

「わ、私の方は何ともないよ。それよりあなたの方が」

 

 リヒトの手足に巻き付いている革帯を見ながらそう言ってくるサニーにリヒトは苦笑しながら、

 

「気にするな。これくらいなんともない。それよりすまない。急ぐあまり扉を壊してしまった」

「いや、あなたのおかげで助かったし、そんなことは別にいいけど……あなたは?」

 

 サニーの問いに、リヒトは彼女から視線をそらし俺の顔色を窺う。

 ……闇の書の正体を知ったサニーは守護騎士とリヒトに疑念を抱いている。それを考えると迷いはあるが……。

 

「……彼女はリヒト。守護騎士たちと同じように、あの魔導書から召喚された者だ」

「――リヒト!? この人が?」

 

 彼女の名前を耳にした途端、サニーは警戒を隠さない素振りで身を固め後ろへ一歩下がった。

 そんな彼女に、

 

「待てサニー。彼女は大丈夫だ。さっきも俺たちを――」

 

 俺が言おうとするのを片手を遮ってリヒトはサニーに相対する。リヒトを見るサニーの目には明らかに怯えが浮かんでいる。

 そんな彼女に――

 

「すまなかった」

 

 深く頭を下げて謝るリヒト。それに対して、サニーは口を開けたままの唖然とした表情になる。

 リヒトはいったん頭を上げて言った。

 

「この魔導書のせいで危ない目に合わせてしまった。本当にすまないと思っている。そして礼を言いたい。あなたのおかげで、我が主はこの魔導書の真実を知ることができた。騎士たちは忘れ、私では口にすることができなかった《夜天の魔導書》の真実を……」

 

 そこでリヒト……《システムN-H》は謝罪と感謝の意を込めて、もう一度サニーに頭を下げた。



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第68話 戦船

 しばらくの間、サニーに向かって頭を下げていたリヒトは、サニーから頭を上げるように言われその通りにした。

 やはり今まで闇の書が完成する度に起こっていた無差別破壊は、リヒトや守護騎士たちが望んでいなかったことだったのだろう。守護騎士に至ってはそのことを知らなかったか、システムが破損した影響で忘れていったそうだ。

 

 以前ダスター率いる帝国軍がリヴォルタに迫った際、守護騎士たちが気炎を上げる中、リヒトだけが消極的だったことを思い出す。

 確かにあそこで八万もの帝国軍と戦ったりすれば、あの時点で間違いなく闇の書は完成し、俺はわけもわからないままリヒトに乗っ取られてしまっただろう。

 リヒトはそれを恐れていたわけだ。

 

 

 

 

 

 頭を上げたリヒトに俺は尋ねる。

 

「リヒト、なぜ君がここに? 俺がガレアに行くことは誰にも告げていないはずだが」

「……主がサニーから届いた手紙のことを聞いた時に、私も気になって精神共有(リンク)を使ったりして主の様子を窺っていたんです。するとやはり主はガレアの方に飛んで行って、私もこっそり主の後をつけていたんです。でもさすがに人が住んでいる建物の中に無断で入るのは気が咎めて。どうするべきかわからなくて入口の前でうろうろしていたら、主が魔導書のシステムにアクセスしようとしているのを感じて慌ててここまで来たのですが、私が辿り着いた時にはもう……本当に申し訳ありません!」

 

 そう言ってリヒトは俺に向かって頭を下げる。

 そうか。ガレアへ飛ぶ直前に感じたあの視線はリヒトのものだったのか。

 そしてリヒトはあの後すぐに俺を追ってここまで来たものの、サニーに無断でこの建物に入っていいのかわからず入口の前でうろうろと。

 いつもの彼女からは考えられない姿だ。想像したら結構かわいいな。

 

「陛下、今はリヒトさんに萌えている場合じゃないんじゃない」

 

 おっとそうだ! サニーに言われて俺は気を取り直す。

 

(まったく。イクス様からの手紙に書いてあった通りか。相手が人間じゃないとわかっていてこの入れ込みよう、相当リヒトさんに惚れ込んでいるみたいだね。確かに見た目はかなりの美人だし胸も大きいけど)

 

「魔導書のことについてはいい。結果的には三人とも……無事だったしな」

 

 俺は頭を下げ続けているリヒトにそう言葉をかけるものの、リヒトの右手と両足に巻き付いている赤い革帯を見て、言葉を止めてしまいそうになった。

 俺の視線に気付いて彼女も右手を持ち上げて革帯を見る。魔導書が落ち着いても、革帯はリヒトの手足に絡み付き、彼女をきつく締め続けたままだ。しかし、リヒトはその革帯を外そうとはしない……やはりただの革帯ではないのか。

 

「リヒト、サニーが発見したこの古文書には闇の書、いや夜天の魔導書のことが書かれてあったが……本当なのか? これに書かれてあることは」

 

 俺の問いに、リヒトはまだ古文書を見ていないにも関わらずうなずきを返す。おそらく彼女がさっき言った感覚共有で、俺が見聞きしたことを彼女も把握しているのだろう。

 

「はい。すべて本当のことです。あと数日で魔導書が自動蒐集を始めて王都の人々や騎士たちから魔力を奪ってしまうことも、その後《防衛プログラム》に意識を侵食された私が主を乗っ取って無差別に破壊を行うようになることも……すべて事実です」

「……なんとか止める手立てはないのか? プログラムだかシステムだかに干渉するには、管制プログラムの承認が必要だと魔導書は言っていた。だが今、ここにはリヒト、お前がいる。頁が全部埋まっていない状態でもお前の承認があれば何とか――」

 

 俺の言葉にリヒトは沈んだ表情で首を横に振る。

 

「申し訳ありません。その書物にも書かれていたみたいですが、今の夜天の魔導書は管制プログラムの一種である私と防衛プログラムの両方からの承認がなければ、システムへのアクセスに必要な管理者権限が使えない状態なんです。防衛プログラムは頁がすべて集まらない限り目覚めることはありません。あるとしたら……」

「さっきのように、管理者権限とやらがない状態で魔導書の内部に干渉しようとした時か」

 

 さっき魔導書が起こした暴走も、おそらくは防衛プログラムが関係しているんだろう。元々は守護騎士同様に魔導書と所有者を守るためだったものが、今では過剰防衛の塊と化してしまっているらしい。管理者権限を得るには、リヒトに加えてそいつからの承認も必要なのか。

 

 

 

 

 あと数日で自動蒐集が始まり闇の書が完成してしまう。それを止めるには自動蒐集を中止させるかプログラムという記述を書き換える必要がある。しかしそのどちらを行うにも管制プログラムと防衛プログラムの承認が必要とのことだ。管制プログラムであるリヒトの承認ならともかく防衛プログラムには知性がまったくない。しかも防衛プログラムが目を覚ますのはさっきのような不正アクセスを起こした時か、すべての頁が集まった時だけだ。

 

 

 

 ……駄目だ。どうすればいいのかまったく分からない。手詰まりとはまさにこのことだ。

 俺もサニーは頭を抱え、そんな俺たちをリヒトは呆然と眺めていた時だった。

 そんな時に俺はふと思った。

 

「リヒト、お前は闇の書の管制プログラムの一種だと言っていたが、その言い方だと他にも管制プログラムというのは存在するのか?」

「はい、いますよ。私の他にもう一人だけ」

 

 俺の問いにリヒトはあっさりと明かして話し始める。

 

「《システムU-D》。私とは別の管制プログラムです。元になった人物がいるらしく、私と違ってそのプログラムには名前があります……確か『ユーリ』という名です」

「そのユーリを呼び出せたりはできないのか? 彼女の協力も得られれば、ひょっとしたら管理者権限が得られるかもしれない」

 

 わずかな希望をかけて俺はそう言ったが、リヒトはかすかに明るくなった表情を再び暗くして首を横に振る。

 

「それはできません。彼女が外に出られるのは主が見つからず魔導書を外から守る存在が必要になった時だけで、騎士たちも彼女のことを知らないぐらいです。それに彼女から認証が得られたとしても、防衛プログラムがそれを受け付けない恐れが強いですね」

 

 ……やはり問題は防衛プログラムか。そう簡単にはいかないだろうとは思っていたが。

 

「サニー、そういえばお前が発見した古文書はもう一冊あったよな。そっちはもう読めるのか?」

「あっ、うん。もちろんだよ。……でもそっちは先史時代の兵器のことが書かれてあって、闇の書のことはまったく書かれてないけどいいの?」

「ここで呆けているよりはましだ。それに何か思いがけないヒントが隠されているかもしれない」

 

 俺がそう言うとサニーは今まで目もくれずにいたもう一冊の古文書に翻訳魔法をかけて俺に手渡す。

 俺がその本を広げると、リヒトが俺の横に回ってきて本の方に体を向けてくる。

 出会ってから四ヶ月近く経つが、リヒトと隣り合わせになったのは初めてではないだろうか……こういう時でなければ絶好の機会とでも思うのだろうが。

 まあいい。この本には何が……。

 

 最初の頁に描かれていたのは船の絵だった。上部は黄色、側面は紫の塗装が塗られた船だが、俺が知っている船と違って全体的に角ばっていて、まるで船体のすべてが鉄と鋼でできているような船だった。

 

 

 

 

 

 

【レポートNo.8427 戦船(いくさぶね)について】

 

 ベルカのみならず、各国が植民世界として領有するあまたの次元世界を舞台とする『多世界大戦』が始まってから約130年。ついに我がセニア連邦はとある保護世界にて、『戦船』の発見に成功した。

 ベルカに技術革命をもたらしたとされる古代世界アルハザードにて開発され、かの世界が滅びた後でどこかの世界に隠されたという“古代の遺産(ロストロギア)”。

 

 

 

 戦船の仕様と運用計画は以下のものになる。

 

 ・戦船の艦首には主砲が左右一問ずつ、さらに前方側面に左右21問ずつ、前方上部に14問のレーザー砲を配備できるようになっているが、後方と下方には砲門はなく、その補填のために各部に艦載機の発進口を設け発進口から外部に出た艦載機に後方と下方を守らせる予定である。

 

 ・戦船には限界高度はなく大気圏、宇宙空間、次元空間いずれにおいても航行可能。

 これによって戦船は月から常時魔力を供給できる仕様になっており、月からの魔力供給を得られる空域まで上昇した戦船は船体のまわりに無数の障壁を張ることで極めて高い防御性能を発揮し、同時に攻撃性能も上昇し高度から地表への精密狙撃や爆撃、次元跳躍攻撃も可能になる。

 

 ・戦船の内部には多数の艦載機、レーザー砲を配備させたうえで高濃度のジャマーを展開する予定だが、乗員の自衛そして船内の機関部の運用に必要な動力の供給のため完全な魔力の遮断は行わないとする。

 これに際して戦船内部での任務にあたる乗員にはジャマー内でも戦闘行動がとれるよう訓練を受講させるのが望ましい。

 

 ・戦船の制御は魔力コア(コアについては次の資料を参照)を体内に移植した操縦者に行わせるものとするが、戦船を用いての反乱やテロの危機を最小限に防ぐため、操縦者にはその任についている間精神制御処置を施したうえで、管制者を別につけ航行における細かな調整や艦載機の操作などの補佐は管制者に一任するものとする。

 また管制者の不在、駆動炉の破壊などの異常事態が艦内で起きているにも関わらず操縦者が戦意喪失に陥るなど心身に衰弱が見られる場合、戦船は自動防衛モードに切り替わり、操縦者には先述の精神制御措置によって強制的に自衛行動をとらせるものとする。

 

 以上の性能、機能に加え、主砲の一つには現在開発中の魔力砲を搭載する予定である。

 その魔力砲は国一つを消滅させるほどの威力に加え、命中したものを空間歪曲と反応消滅によって原子一つ残さず消滅させることができる魔力弾を放つ巨砲であり、戦力としてはもちろん敵国に降伏を決意させ戦後の平和を保つ抑止力としても期待できる。

 

 戦船の制御を行うためには魔力コアを体内に移植した者が必要になるが、魔力コアはアルハザードで使われていた物をそのまま流用した物であり、遺伝子に特殊な調整を施した者でなければコアを移植しても戦船を制御することはできない。開発局もこの点を是正するべくコアの改良を試みたが失敗に終わった。

 また戦船の駆動には膨大な魔力が必要となり、それを担う操縦者の身に過度の負荷がかかるのは免れないと思われる

 

 

 

 戦船の発見から一年後、戦船の改修は終わり主砲も完成したが、戦船を動かすために必要な操縦者が見つからない。

 遺伝子を加工されることへの恐怖と操縦に際して身体に掛かる負担への危惧から、戦船の操縦者に志願しようとするものが少ない上に、数少ない志願者の中に戦船を動かせるだけの魔力を持つ者がいないことが原因だ。

 

 

 

 さらに一年後、志願者を募り続けようやく戦船を動かす操縦者が決まった。

 その名は『ゼップ・ブレヒト』。金髪と赤い瞳を持つ壮年の男で、天性の資質によって蓄えた莫大な魔力と、長年の鍛錬と実戦の積み重ねによって高い体力を身につけた、戦船の操縦者としては最適の人材だった。

 そんな彼が遺伝子調整と戦船を操縦する際に身体に掛かる負担を承知の上で操縦者に志願した理由は、母を亡くした一人娘のためにこの戦乱を終わらせたいからというものだ。

 ただ彼の妻は敵国が仕掛けた空襲に巻き込まれて死亡しており、妻の命を奪った敵国への報復も志願の理由の一つだということは容易に推察できる。しかし精神制御措置が取られる以上、彼を戦船の操縦者にするにあたって何の問題もないと判断された。

 

 かくしてゼップ・ブレヒトは遺伝子調整と魔力コアの移植に臨み、その結果自身の両目のうち右眼だけが緑色に変色するという事態を目の当たりにしながらもそれに臆することなく、行政官の激励と齢15になったばかりの一人娘の見送りを受けながら戦船に搭乗し、戦船とともに空へと飛び立った。

 

 

 

 その三年後、ゼップ・ブレヒトは戦船の中で生涯を終え、その役目は彼の一人娘『ゼリー・ブレヒト』に託される。

 多世界大戦が終結するのはそれから五年後、戦船を制御していたゼリー・ブレヒトは大戦の終結を聞いた瞬間、糸が切れたようにこの世を去った。生後わずかな娘を残して。

 

 

 

 

 

 

「……何だこれは」

 

 もう一冊の古文書を読んで、俺はまたそう呟いた。

 隣で見ていたリヒトも、対面で俺たちを見守っていたサニーも、何とも言えない表情をしているのが分かる。

 

 空中はおろか宇宙まで飛べるうえに、街一つを消滅させることができる主砲を載せている船だと? こんな船が先史時代に存在していたというのか? もしそれが本当なら禁忌兵器(フェアレーター)なんて目じゃないぞ。

 しかも戦船を制御する操縦者とやらの扱いは何だ? 精神を制御されて実際の船の操作は別の管制者が行い、緊急時には無理やり戦わされ……そんな役目を負わされた挙句数年後には命を落とすだと?

 そんなものただの生贄じゃないか!

 

「主……」

 

 思わず古文書を持つ手に力が入り、それを見かねたのかリヒトが声をかけてきた。

 それに俺は「大丈夫だ」と答え、古文書の方に目を戻す。

 この後には何も書かれていないものの、戦船の操縦者と彼の後を継いだ娘の名前に何か引っかかるものを覚える。

 

 ゼップ・ブレヒトにゼリー・ブレヒト……こんな響きの名前をどこかで――まさか!

 

「“ゼーゲブレヒト”!」

 

 思わず口にした名にリヒトはわずかに眉を寄せる。だがサニーの方はその名を知っていたようで、

 

「やっぱりそうか。じゃあこの戦船って奴は……」

「聖王のゆりかご……まさか、これに書かれている戦船とは《聖王のゆりかご》のことなのか」

 

 《聖王のゆりかご》……先の聖王が各国を威圧する際にその名を出した、聖王家、そして聖王連合の切り札。

 

 初代聖王は聖王のゆりかごに乗って大戦を収め、終結直前に敵国の残党の手にかかって戦死するも、彼女が遺した一人娘が『聖王』として戦後のベルカを統治し、聖王の母君たる彼女もまた大戦を終結させた偉業を持って『初代聖王』と称えられるようになったと歴史書に書かれている。

 

 ……似ている。この古文書に書かれていた戦船やゼリー・ブレヒトの話と。死因は異なっているが……。

 それに聖王のゆりかごを動かすには、聖王の血統と聖王核という補助コアが必要だと言う。そちらも戦船とまったく同じだ。

 

 まさかとは思うが、そう考えたら聖王が死んだことも説明が付くんじゃないか?

 聖王家は腕利きの医師を何人も抱えていて、有史以来聖王家の中で老衰以外で死んだ者は誰一人いなかった。それ故に聖王家は先史時代の医療技術を隠し持っているのではという噂までささやかれている。

 にも関わらず先の聖王はたった五十半ばで病死した。二代目以降の歴代聖王と比べたらあまりにも短命だ。

 まさか聖王は病死ではなく自ら……。

 

 そういえば確か、連合ではゆりかごを動かせる次の聖王を探しているとクラウスが――!

 

 嫌な予感にかられ俺は思わずその場から立ち上がる。リヒトとサニーはそんな俺を怪訝な顔で見上げていた。

 だがそんなことを気にしてはいられない。

 俺は超距離念話ではるか遠くにいるだろう彼に呼びかけた。

 

《クラウス! クラウス! 聞こえるかクラウス!?》

《……》

 

 思念通話に対して、返事は返ってこない。しかしかすかに鼻をすする音がする。……これは、嗚咽?

 

《クラウス! 聞こえてるんだろう? クラウス!》

《……ケントか?》

 

 ようやく返ってきたその声は、かすれているものの確かにクラウスのものだった。

 

《クラウス、どうしたんだ? 一体何があった?》

 

 俺がそう尋ねてもしばらく返事はなかった。だがしばらくして再び鼻をすする音がして、それから……

 

《…………ケント……僕は彼女に会って彼女を思いとどまらせようとしたんだ。でも彼女を狙う刺客が街を襲って……刺客は何とか撃退したんだが、それが彼女の決意を強くしてしまったみたいで……僕は戦ってでも彼女を止めようとしたんだ……でも僕は何もできず……彼女の笑顔を曇らせることすらできずに……》

 

 そこまで言って、しゃくりあげるような声が聞こえてくる。

 しかし、クラウスには悪いが俺にはもっと気がかりなことがある。

 

《落ち着いてくれクラウス。その彼女とは誰だ? もしかしてそいつは――》

《すまないオリヴィエ……僕が無力なせいで君は……》

《オリヴィエ……そうだ。彼女は、オリヴィエは今どこにいる?》

《……オリヴィエは……もう聖王都に戻って……もしかしたら今頃》

《今頃何だ? オリヴィエはどうしているんだ?》

 

 そこまで言ってクラウスとの念話がとっくに切れていることに気が付いた。まるで外部から、何者かが俺たちの念話を断ち切ったようなタイミングだ。クラウスが切ったにしてはおかしい。

 

 とにかくオリヴィエは現在、なぜかシュトゥラではなく聖王都にいるらしい。

 

(オリヴィエ、聞こえるか? ちょっと聞きたいことがあるんだが……)

 

 俺は超距離念話でオリヴィエに呼びかけようとした。しかし返事は返ってこない。それどころか思念がつながった気配さえしなかった。

 まさかこちらからの念話を遮断している?

 

「……一体向こうで何が起こっているんだ?」

 

 

 

 

 

 

 聖王都 ゼーゲブレヒト城・謁見の間。

 ダールグリュンの帝城よりさらに広い謁見の間にて、永らく誰も座る者がいなかった玉座の前には、白いローブを着た教皇と、彼の前で膝をつく青いマントを身につけた金髪の少女がいた。

 教皇は少女に向かって厳かに問いかける。

 

「オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト。汝は栄光ある聖王位を継ぐ者として聖王国、聖王国を支える友邦国、聖大陸、そしてベルカに住まう民のためにその身を尽くすと誓いますか?」

「はい。このオリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトはベルカの地に住むすべての人々のために、身命を捧げることをここに誓います」

 

 顔を伏せたまま淡々とした口調で、少女――オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトは教皇とは微妙に異なる言い回しで宣誓の言葉を返した。その耳にはケントからの思念は伝わってはいない。

 教皇は大仰に深くうなずく。

 

「結構……聖教会はオリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトを次代の聖王と認め、聖冠を授けたいと思います。これに異を唱えようという方は?」

 

 周囲にいる参列者に教皇はそう問いかける。

 そこには中枢王家や他の加盟国の王族、そしてオリヴィエの兄オスカーと姉アデルもいた。病床のシュトゥラ王と先の襲撃で重傷を負ったシュトゥラ王子クラウスはその中にいない。その代わりに彼らの名代として遣わされたシュトゥラ宰相は、後ろの方で兵に見張られながらこの式を見守っている。

 

 オリヴィエの戴冠、すなわち聖王即位に異があるかという教皇の問いかけに応える者は誰もいない。

 教皇はしばらくの間彼らを眺め渡してから、オリヴィエに告げる。

 

「では、これより汝、オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトに聖冠を授ける。頭を下げられよ」

「はい」

 

 そう言ってオリヴィエはわずかに頭を下げた。

 それからしばらくしてオリヴィエの頭の上にずしりと重みを感じたが、彼女はぴくりとも表情を崩すことはない。

 オリヴィエの頭に冠を載せてから教皇は脇へと下がり、足音が聞こえなくなったのを確認してオリヴィエは立ち上がる。

 その瞬間、周囲から万雷の拍手の音が響いた。

 中枢王家もオリヴィエの兄姉たちも、彼らに遅れてシュトゥラ宰相も渋い顔のまま両手を打ち鳴らしている。

 

 オリヴィエは拍手を送る彼らに背を向け玉座の方へ足を進めた。一度だけしか座らない、彼女にとって偽りの玉座へと。



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第69話 聖王のゆりかご

「ちょっと陛下、どうしたんだよ一体?」

「……主」

 

 思わず口に出してしまった俺の独り言を聞いて、こらえきれなくなったかのようにサニーとリヒトは聞きたげな顔で俺を見てくる。

 

「すまない。クラウスやオリヴィエに確認したいことがあって念話しようとしたんだが……ああ、クラウスとオリヴィエというのは…………」

 

 クラウスとオリヴィエの事を知らないサニーに説明しつつ、俺は先ほどのクラウスとの念話の内容やオリヴィエと念話ができなかったことをサニーとリヒトに伝えた。

 するとサニーは神妙な顔つきになって、

 

「人質としてシュトゥラに送られたはずの聖王女が今は聖王都に戻っている。それもシュトゥラの王子の制止を振り切って……確かにただ事じゃなさそうだね」

「ああ。ただオリヴィエが聖王都に帰国しただけで、その際にクラウスといさかいがあったぐらいならいいんだが……」

 

 しかし先ほどのクラウスの様子だとそうは思えない。それにあのクラウスが母国へ帰ろうとするオリヴィエを、さしたる理由もなしに妨害しようとするだろうか?

 オリヴィエは形式的に聖王家がシュトゥラに差し出した人質という形になっているが、シュトゥラ王もクラウスもそんなことくらいでオリヴィエのような賓客の自由を制限するような人物ではない。現にクラウスとオリヴィエが我が国に来た時も二人は実の兄妹のように仲睦まじい様子を見せており、クラウスが人質という立場を利用してオリヴィエを従属させているようには見えなかった。

 

 聖王連合、特に中枢王家はゆりかごを動かせる次の聖王を探しているとのことだったが……まさか、

 

「……もしかして、そのオリヴィエって王女様が聖王都に戻ったのって、次の聖王になるため? クラウスって王子はそれを止めようとして……でも、その王女様が聖王になるだけで力づくで止めようとするかな?」

 

 俺が思ったことをサニーはそのまま口にした。

 そうだ。例えオリヴィエの帰国が自ら聖王になるためだとしても、それをクラウスが力づくで止めようとするはずがない。

 

 クラウスとオリヴィエが互いに想い合っている仲だというのは、俺も半年前二人に会った時に気付いていた。

 確かにオリヴィエが聖王になることで、その伴侶となる者は今より厳しく厳選され、クラウスとオリヴィエが結ばれるのは難しくなるだろう。

 しかしシュトゥラは聖王国に次ぐ、連合で二番目の大国。その国王なら決して釣り合いがとれないわけではない。オリヴィエに手を上げてまで彼女を止める必要はないはずだ。

 

 それでもクラウスにとって力づくでもオリヴィエを止めなければならなかったのだとしたら……。 

 

「……サニー、お前はこれからどうするつもりなんだ? オリヴィエとクラウスの間で何が起こったにせよ、連合でただならない事態が起きているのはもはや間違いないようだ。もしかしたら本当に聖王のゆりかごが動き出そうとしているのかも。それに夜天の魔導書だっていつ暴走を始めるかわからない。だから……」

「……今のうちにベルカから逃げろってこと?」

 

 俺が言いたいことを先に口にするサニーに俺はうなずきを返す。

 サニーは渋るようにうなるもののさすがに不安が勝るのか、大きくため息をついて言った。

 

「確かにそうかもしれないね。いつゆりかごがグランダムやガレアを攻撃してくるかわからないうえに、夜天の魔導書が暴走するかもしれないんじゃね。今のうちに逃げた方が利口か」

「すまないな。これだけ貴重な事を知る機会をくれた君を追い出すようなことをするのは気が引けるんだが」

 

 苦々しく笑うサニーに俺は詫び、その隣でリヒトも済まなそうな顔をする。

 だがサニーは俺やリヒトに文句を言うこともなく。

 

「いいよ。確かに陛下の言うとおりだ。あんたの言う通り、一通りの準備を済ませたら私は一度一族のもとへ帰るよ。……あっ、そうだ。その本、いるなら持ってっていいよ。ベルカで見つけた発掘品を勝手に他の世界に持って行くわけにいかないし」

「……そうだな。ありがたくもらっておくか。またベルカの人間が夜天の魔導書の主になった時に、この本が必要になるかもしれない。……だがこのままだとほとんどの人間には読むことができないな。翻訳文とかはないか?」

 

 古文書に書かれた文字を見ながら俺はそう尋ねる。古文書は古代の文字で書かれており、今はサニーがかけた翻訳魔法のおかげで俺にも読めるようになっているが、それなしではほとんどの人間が読むことができない。しばらくすれば俺にも読めなくなるだろう。

 

「それくらいとってあるよ。確かここに――あっ! やっぱりちょっと待って」

 

 何枚かの紙束を掴み俺に手渡そうとしたサニーだったが、彼女は急にそれを引っ込める。

 

「……どうした?」

「古文書の翻訳文だけでも複写させてくれないかな? ほら、夜天の魔導書ってあちこちの世界に転移していくって話だろ。だったら万が一に備えて、私も古文書を一式持って帰りたいんだ。聖王のゆりかごが他の世界の侵略に使われるかもしれないから、そっちも含めて」

「確かにそうだな。しかしどこの世界に持って行くつもりなんだ? スクライア一族がいる世界か、それともミッドチルダという世界か?」

 

 俺の問いにサニーは腕を組んで、しばらくうなってから返事を返す。

 

「それもいいかもしれないけど、他の次元世界の人たちが夜天の魔導書や聖王のゆりかごの情報を探しに来た時のことを考えると、やっぱりあそこの方がいいかなー」

 

 うなりながらぼやくサニーに俺とリヒトは首をかしげた。自分の世界やベルカに匹敵する文明がある世界でなければ、どこに保管するつもりなのだろうか?

 俺たちから注がれる訝しげな視線に気付いたのか、サニーは「ああ」と言った。

 

「そうか、陛下はともかくリヒトさんでも知らないのか……次元空間のある場所に、古くて巨大な書庫があるんだよ。ほとんどすべての次元世界から本が集まっている場所でね。一番古いものが6200年前に書かれた本だって」

「6200年前!?」

 

 信じられない言葉に俺は思わず声を上げる。リヒトも声を上げはしなかったものの目を大きく見開き、驚きを隠せないでいる。

 それはそうだ。6200年前なんて、先史時代の人間が原始生活を送っていた時代だぞ……多分。

 

「リヒト、夜天の魔導書は6200年前には……?」

「い、いえ、魔導書が作られたのは長くても千年くらい前のはずです!」

「だよなあ……」

 

 次元空間に浮かびあらゆる世界から書物が集まっている書庫……アルハザードの遺物だろうか? まったく想像がつかない。

 

「まあそういうとこがあってさ。そこに写本を置いておけば、遠い未来で誰かが見つけてくれるかも……で、そろそろ複写したいんだけどいいかな?」

「あっ、ああ」

 

 驚きから立ち直れないまま半ば無意識に俺はそう返す。

 そんな俺とリヒトの前でサニーは翻訳文を書いた紙と白紙の紙を並べ、「複写(トレース)」と唱えて右手を翻訳文の上に浮かせ、それから左手を白紙の紙の上に浮かせると白紙の紙に翻訳文と同じ文章が記されていく。 

 俺とリヒトは呆然とその光景を眺める。これなら思ったよりずっと早く複写は終わりそうだな。

 次元の書庫にベルカの外で発達した魔法か……こんなものを目の当たりにしているとベルカが狭く思えてくる。せめて戦がなくなれば日常生活で使える魔法を開発できるようになるんだが……。

 

 

 

 

 

 

 聖王都 ゼーゲブレヒト城前広場。

 

 ゼーゲブレヒト城の手前には、聖王家が所有する敷地にしても不自然なほど広すぎる広場がある。その広場は岩肌が目立つ荒れ地で、聖王国軍の兵士がたまに見回りに来るぐらいで王家の人間がここを訪れることはなかった。

 そのため聖王都の人間を始めここを訪れる者は、なぜこのような場所を聖王家が占有しているのか内心疑問に思っていた。

 しかし、その疑問は今日という日をもって晴れることになる。

 

 新しく即位した聖王がこの広場で演説を行うと聞きつけて、広場を囲う塀の向こうには王都中のみならず周囲の街からやって来た民たちが集まっていた。

 ここに集まってきた衆人は皆広場に現れたものを目の当たりにして度肝を抜いている。

 

「な、何だあれは?」

「巨大な鋼の……船?」

「新しい聖王陛下の即位を祝うオブジェかなにかか?」

 

 ただっぴろい広場に置かれていたのは巨大な鋼の船だった。

 昨日まではこんな物はなかった。今日の朝になって突然この広場に現れたのである。

 

 食い入るように鋼の船を見ている衆人の視界の端に数百人の銀色の甲冑を着た兵と十人もの黒いローブを着た司祭、そして彼らの先頭に立つ青いマントとドレス状の戦装束を着た金髪の少女が現れた。

 少女の目の色は左右異なっており、右眼が緑、左眼が赤になっている。

 彼女の姿を見た人々はざわざわと声を上げた。

 

虹彩異色(オッドアイ)……まさか、あの子が新しい聖王陛下なのか?」

「次の聖王陛下はオスカー様じゃなかったの?」

「アデル王女にしては幼いような……それにあの両手、籠手にしては妙だぞ」

「……そういえば聖王家には幼い頃に両腕を失った末姫がいると聞いたことがあるような」

 

 広間の周囲に集まっていた観衆が、新たな聖王らしき人物を見ながら言葉を交わしていると――

 

『お集まりの皆様』

 

 耳元に聞こえたその声に、衆人は皆きょろきょろと辺りを見回す。しかし、自分の隣にはそのような声を上げるような者などいなかった。

 ではまさかと思い、衆人は広場にいる少女を見る。

 少女はすでに鋼の船のすぐ隣に立っていた。

 

『私はオリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト。亡き先聖王陛下に代わり、新たに聖王となった者です。

 皆様の中には先王の末子にすぎず、四年間国を空けていた私が聖王となることを疑問に思われる方もおられるでしょう。

 しかし、私こそが歴代聖王のみが使っていたという御業(みわざ)を扱うことのできる、正当なる聖王!

 我が兄オスカーも我が姉アデルもこのような業を使うことはできません。

 故にオスカーもアデルも継承権を放棄し、私に聖王位を譲ることにしました。それが嘘ならばオスカーやアデルの命によって、私は今ここで討ち取られているでしょう。

 ……そして何より私には力があります。この《聖王のゆりかご》を動かして、聖王国に仇なすすべての敵国を圧する力が!』

 

 オリヴィエが言った《聖王のゆりかご》という言葉に大衆は再びざわめく。そして……

 

「聖王のゆりかご……あれが……」

「……そうよ、ゆりかごと聖王様の力があれば……」

「ああ。帝国やグランダムなんかに負けねえ。いや、連合以外のすべての国を敵に回しても」

 

 徐々に“新たな聖王”に迎合する声が混じり、それは瞬く間に観衆全体に広がっていく。それを肯定するように、“聖王”は声を発した。

 

『私はここに約束しましょう!

 この御業とゆりかごの力を持って、我らに楯突く愚かな国々を一国も残さずすべて討滅することを。

 その時、この聖大陸、いいえ――ベルカすべての地に数百年ぶりの平穏が戻るのです!!』

 

 強い口調で言い切り、オリヴィエは大衆を見渡す。

 その瞬間――

 

「オリヴィエ聖王陛下万歳!!」

「聖王国の未来に栄光あれ!!」

 

 広大な広場の隅々までいきわたるほどの斉唱が響き、その中でオリヴィエは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()悠然とタラップを上がり、ゆりかごの中へと乗り込む。

 オリヴィエとすべての兵がゆりかごに乗り込み、タラップや固定機が外されてしばらくするとゆりかごはゆっくりと空へと上がっていく。

 衆人たちは信じられない面持ちでそれを眺め、一層甲高い声で新たな聖王と王国を称えた。

 

 

 

 かくしてケントが戦の終結を願っている頃と同時に、ベルカの戦を終結させる船が空高く飛び立ったのである。

 これは天の配剤か、それとも運命が込めた皮肉か、それは人によって答えが分かれるだろう。



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第70話 レーゲンボーゲン

 古文書と翻訳文を手に俺とリヒトは外に出た。俺たちの後ろには見送りについて来てくれたサニーがいる。

 

「それじゃあ陛下、今までありがとう。陛下とイクス様がガレアを探索することを許可してくれたおかげで、色々貴重なものを見つけることができて楽しい日々を過ごせたよ。本当に充実した毎日だった……イクス様にもそう伝えておいて」

「ああ、任せておけ。こちらこそありがとう。君のおかげで色々と重要な事を知ることができた。これを無駄にし……たくはないと思う」

 

 無駄にしないと言おうとしたが口ごもってこんな言い方になってしまい、サニーも苦笑する。

 まだ夜天の魔導書の自動蒐集を止める手段は見つかっておらず、それに加えて《聖王のゆりかご》がいつ動き出すかわからない状況だ。そんな状況で大口を叩く余裕は正直なかった。

 

「リヒトさんもさっきはごめん。助けてもらったのに露骨に怪しむ態度とっちゃったりして」

「いや、夜天の魔導書が引き起こすことを知れば当然の反応だ。むしろ謝らねばならないのは私だ。私が魔導書を抑えきれないばかりにあまたの世界で惨劇と悲劇を起こしてしまった。主にもなんとお詫びしていいものか」

 

 そう言ってリヒトは俺に頭を下げるものの、俺はいいと言って頭を上げさせた。

 夜天の魔導書の暴走がリヒトや守護騎士が望んだものでないことは、俺にもサニーにも十分伝わっている。

 俺ともリヒトとも言葉を交わしサニーは改めて俺たち二人の前に向き直り、少し迷いながら思い切ったように言ってくる。

 

「……ねえ二人とも、私と一緒に別の世界に行く気はない?」

「えっ!?」

「何!?」

 

 サニーの言葉に、俺とリヒトはほとんど同時に声を上げた。

 サニーは続けて言う。

 

「聖王連合って国から目の敵にされてる国の王様なんか辞めて、私と一緒にミッドチルダ辺りに移住しないかって言ってんの。もちろん守護騎士やイクス様も一緒にね。ちょっとの間なら待っててあげるからあの子たちも呼んできな」

「……それは……」

 

 それは正直心が引かれそうな提案だった。

 今のベルカはグランダム以外の国で戦が起こっていて、そのグランダムもいつ戦火に巻き込まれるかわからない。そのうえ聖王連合が連合に与しないすべての国をゆりかごの力で攻撃すると言っている現状では、ベルカのどこにも安全な場所はないと言っても過言ではなかった。

 それならいっそのこと何もかも捨てて、他の世界で生きていくのもありなんじゃないか。……それに、もしそうなったら俺は王ではなくなる。その時は何の問題もなくリヒトと……。

 そう思ったら俺の顔は自然とリヒトの方に向いた。黙ったままでいるわけにいかず――

 

「……リヒト、君はどうする? 別の世界へ行きたいのならばここに残っても構わないが」

 

 そう問いかけるも、彼女は首を横に振って言った。

 

「……私は、主に付き従うためにこの世界に顕れた夜天の魔導書の管制プログラムです。その私が主から離れることができるとお思いですか? 主がどのような道を選ぼうと私はそれに従います。騎士たちもそれは同じでしょう」

「……そうだったな」

 

 やはりか。リヒトも守護騎士たちも、夜天の魔導書のプログラムとして造られた存在だ。おそらく俺が命じたところで、彼女たちは俺や夜天の魔導書から離れることはできないのだろう。

 俺が行くと言えば彼女たちも付いて来てくれる……だが、

 

「……サニー、すまないがやはりそれはできない。俺はグランダムの王だ。国に戻り、これからの方針を立てなければならない。それにもし連合に降伏するとなったら、俺がすべての民の先頭に立って彼らに膝を折る必要があるだろう。だから俺は君と一緒に行くことはできない」

「……そっか。そうだよね。王様がそう簡単に国を捨てるわけにはいかないか」

 

 俺の返事を聞いてサニーは表情を曇らせ、やがて寂しそうに笑ってそう言った。

 

「すまないな。ただもう少しだけ待ってくれないか? 俺たちは無理でも、せめてあの子たちだけでも今のベルカから逃がしてやりたいんだ」

「……イクス様とティッタのことだね?」

 

 その言葉に俺はこくりとうなずいた。

 そうだ。ティッタとイクスはただの人間で、夜天の魔導書の命令に縛られているプログラムじゃない。ティッタを説得するのは骨が折れそうだが、彼女たちだけでも逃がすことはできなくはないはずだ。

 サニーは頼もしげに笑いながら、

 

「うん、いいよ。連れてきてあげて。連合だって宣戦布告もなしにいきなり攻撃なんてしてこないはず――!」

 

 サニーが言い終わる前に突然俺たちの頭上に四角い枠が現れて、サニーは思わず言葉を飲み込む。

 枠の中には大空とそこに浮かぶ鋼の船が映っていた……あの塗装の色と形には見覚えがある。

 

「……まさか、あれが《聖王のゆりかご》なのか?」

 

 俺がそう呟いた途端枠から鋼の船が消え、無機質な表情をした少女が映る。

 リボンとキャップで後ろに結んだ金髪、緑色の右眼と赤い左眼の虹彩異色(オッドアイ)――彼女は!

 

 

 

 

 

 

「……オリヴィエ」

 

 シュトゥラ王城にある自室のベッドで横たわっていたクラウスの前にも四角い枠が現れ、先ほどまでは鋼の船、そして今は金髪の少女を映し出していた。

 その少女は彼もよく知る家族同然の女の子、オリヴィエ・ゼーゲブレヒトだった。

 しかし、枠に映っている少女が浮かべている表情は、彼が知っているオリヴィエとは違い、感情が無いかのように冷たい表情だった。

 これを見ているのはケントたちやクラウスだけではない。

 

 

 

 

 

 

「ヴィヴィ様……」

 

 ゼーゲブレヒト城の一室にて、エレミアと彼女付きとなった侍女二人も自分たちの前に現れた枠を通して、ゆりかごの聖王へと変貌したオリヴィエの姿を見ていた。

 

 

 

 

 

 

「ほう、この娘がもうろくジジイに代わって新たに聖王となった者か」

「……この人が」

 

 鋼の船とオリヴィエを映し出している枠は、帝国皇帝の居城――帝城の鍛錬場近くにあるテラスで紅茶を飲んでいたゼノヴィアとエリザヴェータの前にも現れていた。

 面白そうに笑い紅茶を口に運ぶゼノヴィアと違い、エリザは困惑を隠せない表情で枠に映ったオリヴィエを見ている。二人の後ろに立っているジェフも平然としているように装っているが、内心は表情を保っているのがやっとというありさまだった。

 

 

 

 彼ら、彼女らの前で聖王オリヴィエは口を開く。

 

 

 

『ベルカに住まうすべての皆様、御機嫌よう。聖王連合の盟主にして正当なるベルカの統治者、聖王オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトです。

 先聖王陛下が各国に提示された期日まであと二日となりました。

 今日はそれに先立って、多世界大戦以来の眠りから覚めた《聖王のゆりかご》の力を皆様に披露したいと思います。

 ……それでは、とくとご照覧あれ』

 

 オリヴィエがそこまで言った途端、再び枠に映っている風景が変わり、ある廃墟が映し出される。

 その廃墟の風景に俺は訝しげな顔を作りかけるものの……よく見たら見覚えがあるような、それもついさっき上空から――

 

「――まさかここって!」

「……コントゥア」

 

 サニーに一瞬遅れて俺はその地の名を口にする。

 ガレアが送り込んだマリアージュに滅ぼされたグランダムの隣国だったところだ。

 こんな場所をどうして……。

 ――まさか!

 

 

 

 

 

 

 金属でできた壁に覆われ、窓も蝋燭もなく天井にある光る物体によって照らされた部屋。その奥に据えられている玉座にオリヴィエは腰かけていた。

 その表情にはかつての愛くるしさはかけらも残っておらず、顔つきこそ同じだったがその様子は同一人物とは思えず、双子か人格が変わったか、はたまた記憶喪失にでもなったかを疑うほどだ。

 オリヴィエの前には無数の《(モニター)》が現れており、連合、帝国、グランダム、大陸中に乱立している独立国のあらゆるところがランダムに映しだされている。

 玉座に座ってから段々と薄められていく意識の中でオリヴィエは、一瞬だけ枠に映った顔を見逃さずその目に留めた。

 

「エレ…ミア……クラ……ウス」

 

 そんな時だった。オリヴィエの隣にまた一つ枠が現れ、そこに目深に黒い頭巾をかぶったシスターの姿が映し出される。

 

『聖王陛下、魔力砲の発射準備が整いました。陛下の号令さえあればいつでも発射できます』

「……すでに各国は空の浮かぶゆりかごに恐れを抱いているはずです。後は二日後まで待つべきでは……」

 

 オリヴィエの言葉にシスターはすげなく答える。

 

『いいえ、それでは不十分です。敵国の戦意を完全にくじくために、ゆりかごが誇る主砲の威力をすべての民に見せつけなくてはなりません。ご心配なさらなくても、半年も前に異形によって滅ぼされた国にいる者など誰もおりません……この砲撃で命を落とす者は誰もいません。どうか安心して発射命令をお出しください』

 

 その言葉にオリヴィエは少しの間沈黙するもののすぐに答えを返す。

 

「……わかりました。発射はいつでもできるのですね?」

『ええもちろん。さあ陛下、ベルカに平和を取り戻すために――主砲の発射命令を!』

 

 オリヴィエは目を閉じしばらくの間沈黙するが、やがて口を開き高らかに叫んだ。

 

ファイエル!!

 

 

 

 

 

 

「やめろ!!」

 

 俺が叫んだのとそれが起きたのは同時だった。

 

「きゃあ!」

「ぐっ!」

 

 俺たちの足元が大きく揺れてサニーはその場に倒れ込み、俺も体を大きくぐらつかせ、リヒトはその場に踏みとどまってはいたものの驚きで目を丸くしている。

 

「大丈夫かサニー?」

「う、うん。何とか」

 

 揺れが来ないことを確認して俺はサニーを抱き起こす。サニーは転んだ時についた土を手で払いながら立ち上がった。

 

「あ、主! あれを!」

 

 リヒトの声に俺たちは今もなお俺たちの頭上に浮かんでいる枠を見る。

 

「な、何だこれは?」

 

 そこには巨大な穴が映っていた。

 これはどこの()だ? さっきまで何のためにコントゥアを映していた?

 そんな疑問が俺の頭の中を駆け巡る。自分でももうわかっているくせにそれを認めたくない。あのオリヴィエがそんなことをするなんて……。

 そんな俺の心情など知らないサニーは、

 

「これってまさか……コントゥアだった場所なの? まさか、さっきの揺れはコントゥアが消滅した時の衝撃で――」

「ああ、間違いない。私はずっと見ていた。コントゥアと呼ばれる場所が光に覆われ、(クレーター)となるのを」

 

 リヒトがそう言った瞬間、俺はとうとうその事実を受け入れざるを得なくなった。オリヴィエがコントゥアを消滅させたということを。

 転倒していたサニーや体を崩しかけていた俺と違って、ずっと枠を見ていたリヒトが言うのだから間違いない。

 

『ご覧いただけましたか』

 

 その声とともに枠には再びオリヴィエの顔が映し出される。その表情は先ほどまでと変わらない無機質なものだったが、先ほどの場面を目にした俺にはその表情がいっそう冷たいもののように思えた。

 彼女は本当に俺たちと友好を深めた、あのオリヴィエなのか?

 

『たった今、コントゥアと呼ばれていた地は、ゆりかごに搭載された魔力砲によって消滅しました。

 先史時代に存在した兵器の中でも最大の威力を誇る巨砲――《レーゲンボーゲン》によって!

これを考慮に入れたうえで、各国首脳の皆様におかれましては今一度我ら聖王連合への加盟を考えていただきたいと思います…………グランダム王国の国王殿には特に』

「なにっ!?」

 

 オリヴィエが口にした言葉に俺は思わず声を上げた。

 グランダムの国王、紛れもなく俺のことだ。

 まさか……

 

『誠に勝手ながら、未だに聖王連合に加わらない国々のうち、グランダム王国を最初に攻撃することにしました。

 それを拒まれるのなら、グランダム王は二日後の正午までに連合への加盟を表明し、《闇の書》という魔導書を譲渡してください。

 それがなされない場合、かの国の都はレーゲンボーゲンによって灰燼に帰すでしょう。

 ――どうか賢明なご判断あれ』

 

 それだけ言って、枠とともにオリヴィエの顔は消えていった。

 後には何とも言えない空気の中でたたずんでいる俺たち三人だけ。

 

「……へ、陛下」

「……主」

 

 サニーは青い顔で、リヒトは何と言っていいかわからない顔で俺を見る。

 

 馬鹿な。あと二日で連合への加盟の表明と闇の書の譲渡を行わなければ、グランダムの王都にあの魔力砲を放つだと?

 ……最悪だ。前者だけならともかく、後者の闇の書こと夜天の魔導書の譲渡は不可能に近いし、できたとしてもしたくない。

 夜天の魔導書には転移機能があって、持ち主から離れたら書の方から持ち主のもとへ戻ってくるようになっている。おそらく持ち主の意思とは関係なく。

 それを防げたとしても、夜天の魔導書は暴走寸前でいつ勝手に自動蒐集を始めて完成してしまうかわからない。こんな状態の魔導書を他人に渡せるものか。

 

「……サニー、ティッタたちを連れてくるという話はなしだ。君はできるだけ早くベルカから逃げろ」

「ほ、本当にいいの? こうなったらますますあの二人だけでも避難させた方がいいと思うけど」

「連合……オリヴィエが二日後まで何もしないとは限らない。さっきのように、警告のつもりでグランダム領のどこかを攻撃する恐れが強い。奴らが大人しくしているうちに早くここから逃げるんだ!」

 

 サニーもそれは考えられると思っているようで、俺が強く言った途端さっきよりますます顔を青くしながらうなずいた。

 

「た、確かにそれはあり得るね。分かった、なるべく早く出発するよ。……じゃあ陛下たちも気を付けてね。いくら夜天の魔導書でもあんなの食らったらひとたまりもないと思うから」

 

 そう言ってサニーは慌てた様子で建物の中へ駆けこんでいった。急いで次元移動の準備をしているとみて間違いないだろう。

 

「サニーとの別れがこんな慌ただしいものになるとはな。確かにあの魔力砲が相手では夜天の魔導書でも分が悪そうだが」 

 

 俺は軽口のつもりでリヒトにそう言った。しかし彼女は難しい顔つきで、

 

「……そうですね。命中したものを空間歪曲と反応消滅によって原子一つ残さず消滅させる魔力砲……レーゲンボーゲンでしたか。あんなものを撃ち込まれたら、完成した夜天の魔導書でも破壊は免れないでしょう」

 

 ――夜天の魔導書を破壊するだと!?

 

「さすがに完全に消滅まではしないでしょうが、ベルカから消失することになるのは間違いありません。その時はまた次の主の下で一から頁集めのやり直しですね」

 

 リヒトはそう言って自虐的に笑う。そんな彼女に俺は何も言葉をかけることができなかった。

 それどころではなくなったからだ。

 

 

 ……分かったかもしれない。夜天の魔導書の暴走からこの世界(ベルカ)を守る方法が。

 

 

 

 

 


 

 愚王ケントが政務を放りだしてどこぞで遊興にふけっている頃、オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒト陛下が先聖王の意思を継いで聖王に即位した。

 新聖王陛下は『聖王のゆりかご』に乗って聖王都を飛び立ち、グランダムの領土となっていたコントゥアを消滅させ、かの国に宣戦布告。ついに愚王ケントを追いつめたのである。

 悪名高い愚王に聖王陛下の裁きが下されるのは、その二日後のことだ。

 

愚王伝断章 終



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終章 愚王対聖王
第71話 密かな決意


 聖王のゆりかごが放った魔力砲《レーゲンボーゲン》によってコントゥアが消滅し、その光景をベルカ中に現れた枠によって見せられ、ベルカ、特にオリヴィエから宣戦布告を受けたグランダムの王都は大混乱に陥った。

 他国やリヴォルタなどの都市からやって来た者はすぐさま王都を後にし、王都民の中にも実家がある村などの地方へ逃げようとする者が続出した。

 

 そんな中、王都にとどまり、街の一角に集まってゆりかごや聖王を名乗る少女について論じている者たちがいた。

 

「おい、お前さんも見たか? 新しい聖王って女がゆりかごを使ってコントゥアを消滅させたところを」

「ああ。グランダムが降伏しなければこの王都も消滅させるんだとよ。くそ、何が聖王だ! ただの侵略者じゃないか! コントゥアだってほとんど使われてないとはいえグランダムの領土のようなもんなのに、それを勝手に」

「まったくだな。かわいい顔してえげつないお嬢さんだ。……しかしあの顔、見覚えがある気がすんだけどな。この街であんな女の子を見たような」

「聖王になるような子がグランダムに? 気のせいでしょう……と言いたいところなんだけど、私も見たことがあるような気がするのよね。あとちょっとで思い出せそうな気がするんだけど」

「――あっ、もしかしてあの子じゃないか! 半年前のガレアから侵略を受けている最中にこの街にやって来た、シュトゥラの王子と一緒にいた義手の女騎士」

「ああっ! それなら私も覚えてるわ。あの子が側にいたせいでクラウス様とお話しできなかったんだから。あの時は可哀想な女の子だって思って我慢してたけど、やっぱりろくな女じゃなかったわね!」

「……ただの私怨じゃねえか。俺なんてあの子に休みの日はいつか直接聞いたんだぞ……軽くあしらわれたけどな」

「お前じゃ不釣り合いだっての。でも確かにかわいい子だったよな。いつもニコニコしていて……それがどうしてあんな」

「ふん、その頃にはゆりかごなんてなかったから猫被ってたんだろうよ。それより問題は、あの女がクラウス王子のお付きだったってことだ。まさかシュトゥラもあいつとグルなんじゃ」

「……だとしたらまずいな。ゆりかごに加えてシュトゥラまで敵になったんじゃ、守護騎士って嬢ちゃんたちでも勝ち目なんてないぞ。もううちの王様には連合に降伏して闇の書って奴を差し出してもらうしか」

「でも、降伏してもグランダムが聖王家の傘下に下るだけで済むのか? ただの威嚇で国一つ消滅させるような女が聖王なんだぞ。逆らったら、いや機嫌を損ねただけで街一つ消されちまうかも」

「待て。希望を失うのはまだ早い。伝承によれば闇の書は持ち主に強大な力を与える物という話だ。現に我々の王はその力でガレアの軍勢を倒し、四ヶ月前には帝国軍を追い払ってリヴォルタを手に入れたのだ。聖王も闇の書の力を恐れているから、降伏だけでは足らずに闇の書を要求しているのだろう。逆に言えば闇の書にはゆりかご以上の力があるということではないだろうか?」

「ああ。俺も死んだ爺さんからその話を聞いたことがあるぜ。俺が知ってる話じゃ、闇の書は何百もの頁を埋めて初めて強い力を発揮するらしいけどな」

「そう言えば私の彼がお城に勤めてる兵士なんだけど、彼から闇の書の頁がほとんど埋まったって聞いたことがあるわ。もしかすれば、あと一戦もすれば闇の書は完成するかもしれないって」

「そうか、まだグランダムにも勝ち目はあるってことか。闇の書が完成さえすればゆりかごに対抗できる。そうなればこの国は連合の属国どころか、ベルカを取りまとめる大国に……」

「ああ。オリヴィエが言った期日までまだ二日はある。それまでに戦を起こして闇の書を完成させれば何とかなるかもしれねえな」

 

 闇の書の話が出た途端不穏な事を言い始める者が現れるが、誰も彼らを咎める様子は見せない。ゆりかごを破る術があるのなら、その力にすがりたいと思っているのは皆も同じようだった。

 そんな一同を、眼帯で右眼を隠し久しぶりに着る町娘の格好で城下町に出たティッタが眺めていた。

 

(……思った以上にまずい状況になってるね。このままだと『闇の書を完成させるために戦を起こせ』って声があちこちから出てきかねない。確かにそうでもしないとゆりかごには勝てないだろうけど。

 ……どうしちゃったのさオリヴィエさん? 以前のあんたは力で他人を従わせようって人じゃなかっただろう。それとも、あいつらの言う通りあれは演技だったのかよ?)

 

 

 

 

 

 

 俺とリヒトが戻ってきた頃には城内はすっかり混乱しきっていた。通路を通っている衛兵や官吏、使用人はしきりに空を眺めており、職務どころではないようだ。

 俺たちに気付くと皆いそいそとその場を通り過ぎたり職務に戻ったりするが、気にも留めずに城内を進む。

 そんな俺たちの前から――

 

「ケント! リヒト! お前らこんな時にどこ行ってたんだよ! 特にケント、さっきから宰相さんがお前のことをずっと探していたんだぞ!」

 

 他の騎士やイクスとともに俺たちを見つけるや、ヴィータは開口一番に怒鳴り声を上げてきた。ただし、いつもなら彼女とともに文句をつけてくるティッタの姿が見えない。

 まさかと思いながらもそちらは後回しにして俺はヴィータに返事をする。

 

「すまない。ちょっと所用でな」

「所用ってこんな時にのんきな――! おいリヒト、どうしたんだその手足?」

 

 なおも続けて俺に文句をぶつけようとしたヴィータは、リヒトの手足に巻き付いた赤い革帯(ベルト)を見て、リヒトに矛先を変える。

 

「……これか。問題ない、いつもの奴だ。お前も何度か見たことがあるだろう」

「ああ、あれか」

 

 リヒトがそう言うとヴィータはあっさり納得して口を閉じた。片や俺はあらぬ誤解をされずにすんでこっそり安堵の吐息をつく。

 それをどう勘違いしたのかシグナムが俺に説明をしてくる。

 

「主にはまだお話ししてませんでしたね。闇の書が完成に近づくと、このような拘束具が現れて闇の書の意思……リヒトの手足を押さえつけようとするのです。この通り活動に支障はありませんが。もう少し頁の蒐集が進めば赤いラインが体のあちこちに現れるようになるはずです」

 

 ……おいおい、明らかにただ事ではないぞ。おかしいと思わないのか? 

 

《……リヒト、こいつらにも魔導書の本当の名前と暴走のことを伝えておいた方がいいんじゃないか。このままだと――》

《いえ、よろしければこのまま黙っていてもらえませんか? 此度がどのような結末を迎えるにせよ、夜天の魔導書は別の世界へ転移し、騎士たちは再び頁の蒐集を行うでしょう。騎士たちが望まずとも次の主がそれを望んでしまう。もし万が一、主が魔導書の完成を望まなかったとしても――》

《自動蒐集によって魔導書が主を飲み込んでしまい、また別の世界へ転移してしまうか……》

 

 リヒトはかすかに首を縦に揺らす。どっちに転んでも、夜天の魔導書がただの本として大人しく本棚に埋もれることはないということか。

 そもそも守護騎士たちが暴走の事を知らないのは本当にただの破損なのか? あらゆる魔法を記録するために作られたためか、この魔導書自体に頁を蒐集しようとする意志があるような気がしてならない。だとしたら守護騎士たちが暴走の事を知っているのは魔導書にとって都合が悪い事のはず。まさか魔導書が意図的に守護騎士たちの記憶を……。

 

《必死に頁を集めても魔導書は暴走し、主と世界の破滅を招くだけ。それを知った上で頁を集めさせられるなど見るに耐えない。ですからどうか騎士たちには……》

《……わかった》

 

 そう言われては何も言えない。彼女の言うとおり黙ったままにしておくか。

 

「――それどころじゃねえ! お前たちは見たか? オリヴィエが魔力砲でコントゥアって場所を――」

 

 気を取り直してそう尋ねてきたヴィータに、俺はうなずきを返した。

 

「ああ。それなら俺もリヒトやサニーと一緒に見た。お前たちも見たのか?」

「ええ。医務室にも突然モニターが現れて、私もイクスちゃんもコントゥアが攻撃されるところを……」

「はい。とても信じられません。あのオリヴィエ様があんなことを……マリアージュを生み出して間接的にコントゥアを滅ぼしてしまった私が何をとは思います……でも!」

「イクスちゃん……」

 

 シャマルに続いてイクスもあの時の事を思い出して顔を伏せる。特にイクスは半年前のことを思い出したこともあって、かなり参っているようだ。

 しかし、モニターとはあの枠のことか? やはりあれも先史時代の技術らしい。

 

「あの後、ティッタはもしやと言ってから装いを変えて街の方へと向かったようです。止めた方がよろしかったでしょうか?」

「いや、彼女は騎士になるまではずっと街で暮らしていた。あいつなりに情報を得る手段があるのだろう。好きにさせてやれ」

 

 ザフィーラの問いに俺はそう答える。

 オリヴィエが見せたコントゥア消滅の光景とグランダムへの通達で、城内の人間は混乱しているが、市街地はその比ではないだろう。

 上空からちらりと見たが、荷造りを始めている者もそこかしこにいる有様だったし、一角に集まって何やら話し込んでいる者たちもいた。ここは少しでも情報が欲しいところだ。ティッタがそれを掴んできてくれるのなら非常に助かる。

 

「陛下! こちらにおられましたか」

 

 その声に俺たちは後ろを振り返る。そこには二十代後半()()()()宰相がいた。

 

「その様子ですと陛下もおおよそのことはご存知のようですな。今まで何をしていたのか聞きたいところですが今はいいでしょう。すぐに私とともに執務室まで来ていただきたい。そこで色々と詰めておきたいことがありますので」

「あ、ああ……」

 

 俺が言い終わると、すぐに宰相は背を向けて執務室の方へと向かっていく。詰めておきたいこととは、間違いなくオリヴィエが通達した要求についてだろうな。

 守護騎士たちとイクスもそれを見て、俺に別れを告げてこの場を後にしようとする。彼女も含めて。

 俺はそんな彼女に念を送った。

 

《リヒト、ちょっと待ってくれ!》

 

 すると、リヒトは足を止めてこちらを振り向く。

 

《何でしょうか? 我が主》

《……一つだけ聞いておきたいんだが、もし……もしも、夜天の魔導書が破壊された場合お前と守護騎士たちはどうなる? 夜天の魔導書が破壊されてもお前たちはここで……この世界にいられるのか?》

 

 大方答えが分かっていながら俺はそれを尋ねる。尋ねなければならない。

 リヒトは首を振らずそのまま念を返した。

 

《いえ、夜天の魔導書が破壊された時点で、騎士たちも私もこの世界で存在を保てなくなり、魔導書の中に還るはずです。我々は夜天の魔導書の一部として造られた存在ですから》

《……そうか》

「おいリヒト! 何してんだよ置いてくぞ! ケントもさっさと仕事しに行けよ!」

 

 ヴィータの声にリヒトはそちらを振り向き、俺に一礼してきびすを返した。俺もこれから向かう先へ顔を向けると、ヴィータの声に反応したのか宰相が険しい顔で俺を見ていた。俺は慌てて彼がいる方へ向かう。

 心の奥である決意を固めながら。

 

 

 

 

 

 しばらくの間見つめ合ってすぐに離れるケントとリヒトの様子を見て、イクスは恋愛がらみのことかと思ったが、難しそうな顔で宰相のもとへと向かうケントを見た途端に妙な胸騒ぎを覚えた。

 そして、それは翌日には現実のものとなる。



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第72話 変貌

 夜、ろくに眠ることができず、俺はベッドに横たわるのもやめて暗闇の中で椅子に座り、時折机に突っ伏して考えていた。

 

 グランダム、そしてベルカは先史時代から現代に蘇った二つの遺物によって滅亡の危機に陥っている。

 街一つを消滅させる魔力砲レーゲンボーゲンを載せた《聖王のゆりかご》と、完成すれば主を取り込み世界まで滅ぼしてしまう闇の書こと《夜天の魔導書》によって。

 それを解決する方法がたった一つだけある。奇しくも先に挙げた二つの遺物のうち片方を利用することで。

 もっとよく考えれば他にも方法はあるのかもしれない。しかし、それを考えるには時間が足りなすぎるうえに誰にも相談できない。この先の事を考えれば守護騎士たちに夜天の魔導書の真実なんて伝えられるわけがない。

 そんなことを考えているうちに時間はあっという間に過ぎ、いつしか窓から日の光が差し込めてきた。それを見ながら俺は、

 

 ………………やるしかないか。

 

 

 

 椅子から立ち上がり、曇天の合間を縫って地上に差し込める日の光を眺めながら、ケントは決意を新たにした。

 

 

 

 

 

 

 聖王のゆりかごに搭載された魔力砲レーゲンボーゲンによるコントゥア消滅と、それを背景に聖王オリヴィエが各国に出した最後通牒。

 それらは聖王家が隠し持っていた《量子モニター》という技法によってベルカ中に中継され、一日が明けてなおベルカ中の人々がゆりかごへの恐怖にその身を震えさせていた。

 それは各国を治める国王や貴族たちも例外ではなく、今まで連合の国々を攻撃していた反連合国はその動きをぴたりと止め、連合と並ぶ大国であるダールグリュン帝国でも皇帝ゼノヴィアが高官たちや属国の王たちからゆりかごへの対策や今後の方針を問われるなど、その状況は混迷を極めていた。

 

 特にオリヴィエから最初の攻撃対象とされたグランダム王都に暮らしている人々の不安は尋常ではなく、少なくない市民が王都から逃げ出した。しかし、強国となったグランダムの王都民であるという矜持や意地から、王都に残り続ける者も少なくない。王都に残った者たちは降伏するか、もしくはある手段でゆりかごに対抗する力を手に入れることを望んでいる。

 

 王宮では朝早くから王宮に勤める高官や貴族たちが会議室に集まって、ゆりかごやその後ろにいる聖王連合への対処について話し合っており、その中にはグランダム王ケントの姿もあった。

 ゆりかごやオリヴィエに対する案として、高官や貴族たちから二つの意見が出ていた。

 オリヴィエが要求した通り、聖王連合への加盟を表明し闇の書を彼女に譲り渡すか、もしくはどこかの国と一戦交えて闇の書を完成させゆりかごを撃破する力を得るか。

 後者の意見を主張する者たちはオリヴィエがかつてシュトゥラ王子クラウスの従者だったことを取り上げて、シュトゥラも他の連合加盟国同様オリヴィエと繋がっている恐れが強く、オリヴィエと戦うことを選ぶのならばかの国も敵国となるだろうと唱えた。

 つまり彼らはこう言いたいのだ。シュトゥラと一戦交えて、その戦で闇の書を完成させるべきだと。

 降伏するか、それともシュトゥラやオリヴィエと戦うか。ケントは彼らから再三回答を要求されるものの、ケントはそれに答えず、謁見の間への移動と守護騎士たちを呼びに行くように命じるだけだった。

 それに受けて文官の何人かが守護騎士を呼びに行き、それ以外の者たちは回答を求めるのをやめて謁見の間の方へと向かって行った。彼らにとってそれ以上聞くまでもなかった。今やグランダムの主力となった守護騎士たちの招聘こそがシュトゥラとの戦を告げるものだと思っていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 守護騎士たちは今日も起床してから、各々の務めや訓練を果たしたり中庭で日光浴をしていたが、ケントからの使いだという文官に呼ばれて務めを中断し、五人とも謁見の間へと向かっていた。

 

 謁見の間へと続く通路を歩きながらヴィータは口を開く。

 

「あそこに行くのは騎士の位をもらった時以来だな。シグナムは覚えているか?」

「もちろんだ。守護騎士とは名ばかりの道具に過ぎなかった我らが正式に騎士の位を賜った瞬間だからな。闇の書とともに生を受けて永い時を生きてきたが、あれほど誇らしい時はない。忘れようと思っても忘れられんさ」

「そうね。あの時始めて、私たちは本当の意味で守護騎士になったんだと思うわ。……でも謁見の間なんてあの時以来行ったことはなかったのに」

「よほど重要な命が我らに下されるのであろうな……おおよそ察しが付くが」

 

 ザフィーラの言葉に通路の先へ顔を向けたままシグナムがつぶやく。

 

「闇の書を完成させるための戦への出陣か……それもおそらくはシュトゥラと」

「あんまり気分がいいものじゃないね。クラウス王子はお兄様の友達だしアタシらもよく知ってる人だ。それにシュトゥラと戦をするってなったらリッド君とも戦うことになるかもしれない。そう考えるとなあ」

「それを言ったらオリヴィエだってあたしらと顔なじみじゃねえか。でも、どういうわけかあいつはあたしらに喧嘩を売って来た。ならもうあいつと戦うしかねえ。シュトゥラとの戦いなんてその慣らしみたいなもんだろうが。今さらぐちぐち言ってんじゃねえ。……それにティッタはともかく、あたしらには都合がいいじゃねえか。そろそろ戦が起こってくれた方が」

「えっ?」

 

 ヴィータの言葉にティッタは怪訝な声を漏らすが、シグナムがその言葉の意味を明かす。

 

「守護騎士としての本来の役目である闇の書の頁集め。それを果たす時が来たということか」

 

 その言葉にヴィータは「ああ」と言った。

 

「あと少し、あとわずかで頁はすべて埋まり闇の書は完成する。いつもいつもあと少しってところで記憶が途切れて、次の主の下で頁集めを繰り返してきたけど今度こそは……」

「そうね。それに陛下……主ケントなら闇の書が完成した後も私たちにこれまで通りの暮らしをさせてくれるかもしれないわ」

 

 期待に胸を膨らませ祈るようにシャマルは言う。それは無理もない事だった。

 

 

 

 

 

 ここにいるティッタ以外の者たちは皆先史ベルカと呼ばれるほどの昔から、守護騎士ヴォルケンリッターとして闇の書を完成させるため歴代の主の下で戦ってきた。主に仕え戦いを繰り返し様々な刺激をうけるうちに、彼女たちに感情というものが芽生えてからもそれは変わらなかった。

 しかし、感情が生まれてから彼女たちは常にある思いを抱えてもいた。

 それは闇の書を完成させた後、主は自分たちをどうする気なのかという不安だ。

 今まで騎士たちを道具として扱い、冷遇し、どれだけ傷つこうが顧みなかった主が、闇の書が完成した途端に自分たちを厚遇するようになるなどと思えるはずがない。

 よくてそのまま手元に置いたままにしておくか、あるいは用済みだからと自分たちを……。

 

 だが今回の主、ケントは自分たちを道具ではなく臣下として扱い、その労をねぎらい、今までとは比べ物にならない暮らしを与えてくれた。

 彼が闇の書を完成させればあと数十年はこのような、あるいはそれ以上の暮らしができるかもしれない。彼が天寿を全うし誰かに闇の書を託すまでは。

 それに彼が闇の書を託すとなればよほど信頼できる者だろう。それが彼の子ならば騎士たちにとって喜ばしいことだ。

 

 だから、彼女たちは内心ではすぐにでも闇の書を完成させたかった。

 闇の書が完成する前に、何らかの災厄によってケントが命を落としてしまったらすべてが台無しになってしまう。そうなる前に闇の書を完成させて、ケントに闇の書の真の主となってもらいたかった。

 心のうちに湧き上がる得体の知れない焦燥感に駆られているのもある。しかし、何より自分たちを重用してくれた主ケントに報いるために、そして今の生活を続けていくために、守護騎士たちは闇の書の完成を望んでいた。

 

 それが終わりを意味するものだとは知らず……。

 

 

 

 

 

 

 将たるシグナムを先頭に守護騎士たちは謁見の間に足を踏み入れる。騎士たちがここに入るのは騎士の叙勲を受けた時以来だ。

 通路の左右に王宮の高官や貴族、衛兵たちが並びその奥には玉座とそこに座る守護騎士たちの主ケントがいた。

 騎士たちは自分たちを待つ主の顔を見る。自分たちは命令通り御前の前に参上したのだと無言で告げるために、そして騎士たちは思わずその目を見張った。

 

 騎士たちを見るケントの目は険しいもので、その表情は冷ややかだった。今までの彼とは明らかに何かが違う。

 

……まるでオリヴィエみたいだ。

 

 ケントの顔を見た騎士たちは内心でそう思った。そしてそう思ったのは騎士たちばかりではなかった。会議の時からずっと彼と共にいた高官も貴族も、皆内心では騎士たちと同じ印象を抱いていたのだ。

 しかし一方で今のケントには、今までよりずっと王を名乗る者に相応しい貫禄が備わってもいた。

 

 足を止めその場にとどまる騎士たちをを見て、ケントはわずかに眉をひそめるものの、ケントは騎士たちを咎めも急き立てもせず黙って待ち続ける。

 騎士たちはそんな彼に向かって再び歩を進め、彼の五歩ぐらい前に着くとその場で膝をつき顔を伏せた。ヴィータやティッタまでもがだ。そのくらい今のケントがまとう雰囲気は気安さとは無縁のものだった。

 

「我らヴォルケンリッター。主ケントの呼び出しに応え、御前に参りました」

「おもてを上げよ」

 

 騎士たちを代表して発したシグナムの言葉に、ケントはねぎらいの言葉もかけずそれだけを言う。その声は冷淡で、表情同様やはり今までのケントのものとは違う。

 他の者と同様シグナムもケントの様子に違和感を感じながらも、彼に言われるがまま顔を上げ、他の騎士たちもそれに倣う。

 そんな彼らを見下ろすケントの目はやはり冷たいものだった。

 ケントはしばらく経って、騎士たちを見回してから口を開いた。

 

「……リヒトはどうした?」

「ここに来るまでリヒトとは会っておりませんが、彼女もお呼びになられていたのですか?」

 

 シグナムがそう応えると、通路の脇で高官たちに挟まれて立っていた文官長が慌てて声を上げる。

 

「も、申し訳ありません! 守護騎士を呼べとのことでしたので、シグナム殿たちには使いを出したのですがリヒト殿には何も。リヒト殿は守護騎士殿たちの従者ということになっておりますので」

「……ああ、そういえばそうだったな」

 

 思い出したようにつぶやくケントに文官長は言った。

 

「あの、よろしければリヒト殿にもこちらに向かうように伝えて参りましょうか? 私が直接行って参りますので」

「……いい。後でシグナムたちに伝えてもらう……構わないかシグナム?」

「は、はい。私たちは構いません」

 

 リヒトがいないと知って、なぜか安堵したような様子を見せるケントを訝しく思いながらもシグナムはそう答えた。

 ケントは取り直すように居住まいを正し、守護騎士たちに向き直った。

 

「すまないな、忙しいところを呼びつけて」

「いえ、必要とされれば我らはどのような時も主のもとへと駆け付けます。それで主よ、此度はどのようなご用件で我らをお呼びになられたのでしょう?」

「ああ……お前たちを呼んだのは他でもない」

 

 その言葉に、騎士たちもまわりの高官たちも顔を引き締める。

 一軍を率いてシュトゥラ軍を打ち破れ。

 ケントの口から出てくる言葉はそうに違いないと、この場にいる誰もが()()()()()

 

「……シグナム卿、ヴィータ卿、ザフィーラ卿、シャマル卿、ティッタ・セヴィル卿……ケント・α・F・プリムスの名において汝らに告げる」

 

 騎士たちは険しい顔で主を見つめ、その言葉の続きを待った。

 ケントもそれ以上に厳しい顔で、彼女たちを見て口を開いた。

 

「この場においてヴォルケンリッターの解散を宣言する! それに伴い貴公らから騎士の位を剥奪し、さらに王都領主の権限において貴公たちをこの地から追放するものとする」



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第73話 解散

「はっ?」

 

 ケントの言葉を聞いた騎士たちの中からそんな声が聞こえてきた。おそらくヴィータだろう。しかし他の騎士たちも、そしてまわりにいる高官たちもヴィータと同じ気持ちを抱いているはずだ。

 

「おいケント! それは一体どういう意味だよ?」

 

 ほどなくヴィータは戸惑いから立ち直ると同時に、その場から立ち上がって怒鳴り声を上げる。それを涼しげに眺めながらケントは問いに答える。

 

「ヴォルケンリッターを解散してお前たちから騎士の位を剥奪し、その上でこの街から出て行ってもらうと言ったんだ。分からなかったか?」

「分かるかよ! なんであたしらが出て行かなきゃいけねえのか、そのわけを言えって言ってんだ!」

「待て! やめろヴィータ!」

 

 掴みかからん勢いでケントに迫ろうとするヴィータを見て、シグナムもその場から立ち上がりヴィータを羽織い締めにして止める。

 ケントの両脇にいた衛兵もヴィータを止めようと彼女のもとへ行こうとするが、ケントから「好きにさせておけ」と言われてその場にとどまった。

 そんなことも構わずヴィータはがなり立てる。

 

「離せシグナム! 騎士の位とかはともかく、いきなり王都から追い出すって言われて納得できるか。どういうことなのかちゃんとわけを聞かねえと!」

「落ち着けヴィータ! 主なりになにかお考えがあってのことに違いない」

「そ、そう、そうに決まってるよ。これはきっとシュトゥラと戦うために必要な作戦かなにかで。そうなんでしょう、お兄様?」

 

 シグナムとティッタはそう言って取りなそうとするものの、ケントはすげなく首を横に振った。

 

「いや、お前たちから騎士の位を取り上げて追い出す以上の意味はない。それにシュトゥラと戦うなどどこで聞いた話だ? 私はシュトゥラを相手にする気はないぞ。シュトゥラごときに構っている暇はないのでな」

「えっ!?」

「なっ!?」

 

 ティッタに続き、高官たちからもどよめきの声が上がる。

 彼らを代表するように宰相が進み出てきてケントに尋ねた。

 

「それはどういうことですか陛下? それでは陛下はオリヴィエに、聖王連合に降伏なさるおつもりで? 確かにそれも一つの手ではありますが……しかし、降伏したからと言ってオリヴィエが何もしてこないとは限りません。万が一のためにシグナム殿たちは陛下のお傍に置かれた方が。そもそも彼女たちは我が国にとってなくてはならない存在です。それをいたずらに地位を取り上げて王都から追放するなどと――」

「口を慎め! この王都の領主は私だ。宰相たるお前が口出しできるのはこの国の内政に関することのみのはず、王都の運営にまでお前たちが口を出す権利はないはずだ。王都に住むことができる人間は私が決める。騎士の位に関しても同様だ。私が与えた位を私が没収して何が悪い?」

「それは……確かにそうですが」

 

 ケントに強く言われ宰相は押し黙る。

 ケントの言う通りだった。

 ケントはグランダムの王であると同時に王都の領主でもある。国政に関することならともかく、王都の運営に関して宰相たちは何も口出しすることができない。当然王都から任意の人間を追放する権利もケントが持っている。

 騎士の位……個人的な主従関係においても同じことがいえる。シグナムたち守護騎士と主従関係を結んでいたのはケントだ。その関係を続けるのも断つのもケントの自由である。

 何も言い返すことができず口をつぐむ宰相を一瞥し、ケントは騎士だった者たちに顔を戻す。

 

「以上だ。そろそろわかってもらえたかな。()騎士たちよ」

「待ってください主ケント! あの戦船、聖王のゆりかごとやらはオリヴィエが言った通り明日にはこの街を攻撃してくるかも知れないのですよ! こう言っては失礼だが、主とグランダムの軍だけでゆりかごに太刀打ちできるとは思えない。ですからせめて、ゆりかごを落とすまでの間だけは私たちを傍に置いてもらえないでしょうか! 騎士の位などなくてもいい! ですから――」

 

 そう言ってシグナムは再び膝をつき、ケントに向かって頭を深く下げる。

 しかし、それに対する返事は無常なものだった。

 

「駄目だ。お前たちは今や私にとって足枷にしかならん。闇の書の頁はあとわずか。お前たち抜きでも闇の書を完成させるくらいのことはできる」

 

 その言葉に、ヴィータは彼が言わんとしていることに気付き顔を歪める。

 

「……まさかてめえ、闇の書が完成しそうだからあたしらはもう用済みって言いたいのかよ」

「ふむ、そんなことを言うつもりはないが……お前たちにしてもらうことが何もなくなったという意味では同じかもしれんな」

 

 そう言ってケントは声を上げて笑う。

 そんな彼を見上げるヴィータの表情は殺意さえうかがえるほど歪んでおり、いつケントに飛びかかってもおかしくない様子だった。ケントの両脇にいる衛兵はいつでもヴィータを止められるように身を構える。

 いてもたってもいられなくなり、ティッタは立ち上がって叫んだ。

 

「どうしちゃったのさお兄様!? これは一体何の冗談? 今日に限って気取った喋り方したりアタシたちを王都から追い出すって言ったり、あんた一体なにがしたいの? この街がゆりかごに攻撃されちゃうかもしれないって時にふざけてないで真面目にやってよ!」

 

 ティッタの物言いにケントは顔をしかめる。いくら兄妹とはいえ無礼がすぎるのではと高官たちはひやひやしながら見ていたが、ケントの口から出たのは……

 

「ふざけてなどいない。私は至極真面目に話しているつもりだが。それにその言葉は君にそっくり返そうセヴィル卿。お兄様とは一体誰のことだ? 君のような妹など私は知らないのだが」

「――なっ? それはどういう」

 

 愕然とするティッタにケントは手を振りながら言う。

 

「言葉通りの意味だ。私に兄弟などいない。先王陛下の子は私一人だ。父を失った身として母君を失ったお前の気持ちはわからなくもないが、偶然我が王家と同じ目の色をしているぐらいで肉親の代わりを私に求められても困る」

「おいケント、お前実の妹相手に――」

 

 ケントの言葉をきっかけにティッタのまわりに漂う空気が剣呑なものになっていくことに気付き、ヴィータは慌てて何か言おうとするがケントはそれが分かっていながらあえて言葉を繰り返す。

 

「何度も言わせないでくれ。私に妹などいない。同じ目の色をしていてそれなりに腕も立つから、褒美の一環に君のお遊びに付き合っていただけの事。最初は面白かったが最近は少しきつくなってきてな。この通り暇ではなくなったことだし、そろそろ私を兄妹ごっこから解放してほしいのだが」

「――ケント、てめえ!」

「抑えろティッタ。それ以上は駄目だ」

「離せザフィーラ! こいつはここで殴り殺す! それで死刑になったって構うもんか!」

「駄目よティッタちゃん! ザフィーラの言う通りここは冷静になって!」

 

 ザフィーラに取り押さえられながらも、ティッタはそう声を荒げながら彼の腕の中でじたばたとあがく。

 しかし、ティッタほどの怪力の持ち主でもザフィーラほど屈強な男に押さえつけられたら逃れることは難しいらしく、やがてティッタはぜいぜいと息をついて暴れるのをやめた。

 シャマルも立ち上がってティッタやヴィータをなだめ、シグナムもヴィータとケントの間に入ってヴィータがケントに飛びかからないか注意しており、もはやケントの前でひざまずく者は誰もいなくなった。

 ケントはそれを意にも介することもなく呆れたようなため息をついた。

 

「やれやれ、少しは落ち着いたかセヴィル卿。ただ私としては、同じ目を持ち同じく肉親を失った者同士として君に情がまったくないわけでもなくてな。せめてもの情けとして先ほどの無礼は不問にしたうえで、リヴォルタ辺境伯の位は君に譲ったままにしておこう。これを機にそろそろ自分の領地に戻ってかの地の統治に専念せよ。それが果たせないのなら辺境伯の位も取り上げざるを得ないが」

「はっ! そんなもんこっちから――」

「なんならシグナムたちも連れて行って構わんぞ。彼女たちの腕が立つのは私も認めるところだし治安維持の役にくらいは立つだろう」

 

 ケントがそう言うとティッタは言葉の続きを飲み込んで、しばらくの間ケントを睨んでから言った。

 

「……分かったよ陛下。お言葉に甘えて、シグナムさんたちはアタシが連れて行かせてもらう。ただ、最後に一つだけ言わせてもらっていいかな?」

「何だ?」

「あんたは先王、お父様とは違うと思っていた。……確かにあんたとお父様とは違ってた。大違いだった……お兄様、あんたはお父様よりはるかに……はるかにひどい最低な下衆野郎だよ!」

 

 そう強く言い切ってティッタはケントに背を向けて――

 

「行こうみんな! アタシらみんな追放だってさ。陛下一人でゆりかごをどうするのかリヴォルタで見物していようぜ」

 

 ティッタは肩を怒らせながら扉の方へ向かっていく。それを見て扉の前に立っていた衛兵二人は慌てて扉を開け始める。

 

「そうだな。あたしもそうさせてもらうか。じゃあな陛下。王都と心中するかオリヴィエに泣いてすがるかせいぜい悩んで決めな」

 

 ティッタに合わせたかのように、最後の最後でケントを陛下と呼びながらヴィータもまた扉へ向かって行く。

 シャマルとザフィーラはそんな二人を見て、ケントに一礼してから二人の後を追った。しかしその直前に……

 

「……あなたのこと、見損ないました」

 

 というシャマルの声が聞こえてきた。

 残されたシグナムも、しばらくの間彼らの背中を眺めていたが不意にケントの方を向いて尋ねた。

 

「……主ケント。ここに来た時に言われた通り、イクスとリヒトにもこのことを」

「……ああ、彼女たちにもこのことを伝えておいてくれ」

 

 それはリヒトやイクスをも王都から追放するという意味だった。

 なぜ今日になって突然ケントが守護騎士たちを王都から追放するなどと言い出したのか分からない。分からないが、シグナムたちにはその命令に抗うことはできない。

 

「わかりました。では私たちはご命令通りしばしの間お暇を頂きます。……ですが私は信じています。再び主が私たちをここに呼び戻してくださる日が来ると。ですから、我らの力が必要になったらどうか遠慮なく御前に来いとお命じください……騎士一同、その時をリヴォルタでお待ちしておりますので」

 

 そう言ってシグナムは一礼し仲間たちを追っていった。

 頭を下げる際彼女の顔から雫らしきものが落ちていくのが見えたが、それがケントが思っていた通りのものだったのか彼にはわからない。今の自分はそんなものを流してもらう価値がある者だと思っていなかったから。

 

 彼女らが去ってしばらくの間、謁見の間は気まずい沈黙に包まれる。今では高官たちもケントに畏怖を覚えていた。

 そんな高官たちの中から、宰相は「あの、陛下」と声をかけてケントの前に立った。

 ケントはぶっきらぼうに尋ねる。

 

「……何だ?」

「本当にこれでよろしかったのでしょうか? 彼女たちから騎士の位を剥奪して、あまつさえ王都から追放するなど」

「いい。これでいいんだ」

 

 心の底からケントはそう思う。

 彼がこれからすることに、彼女らは止めようとはすれ協力など絶対にしないだろう。だからどんなことをしても、彼女たちを自分のもとから離しておく必要があった。

 心の中でもう一度“これでいいんだ”とケントは自分に言い聞かせる。

 そんな主の心を察しているのかいないのか、宰相はケントに対して再び口を開く。

 

「分かりました。ではシグナム殿たちについてはもうこれ以上は申しません……ただ一つお聞かせ願えないでしょうか?」

「……言ってみろ」

 

 ケントにそう言われてからも宰相はしばらく間を開け、やがて意を決したように言った。

 

「陛下、あなたはこれから一体何をする気なのでしょう? 陛下は先ほど、守護騎士たちがいなくても闇の書を完成させることができると仰っていました。しかし陛下はシュトゥラと事を構える気は……」

「ああ、その必要はない。あとたった90頁、その程度戦など起こすまでもなく簡単に埋められる。ゆりかごなど恐るるに足りない」

「は、はあ……」

 

 宰相はそう言ったきり口を閉ざし、それから何も話すことはなかった。

 しばらくしてからケントは大きくため息をついて玉座から重い腰を上げる。もうこれ以上ここに留まる必要はない。

 

 

 

 

 

 ……これでいい。これでよかったんだ。

 

 ティッタ……妹よ、すべてが終わるまでの間守護騎士たちのことを、その後はイクスのことを頼む。

 シグナム……あれだけ尽くしてくれたのにそれを無下にするようなことをしてすまない。

 ヴィータ……前の主のようなことはしないと約束しておきながら本当にすまない。

 シャマル……お前の言う通りだ。どんなに軽蔑されても俺には文句一つ言う資格はないよ。

 ザフィーラ……こんな時くらい罵倒してくれてもよかったんだぞ。それとも今の俺は言葉一つかける価値もないのか。

 イクス……ベルカから逃がしてやることはできなかったがティッタのもとで立派に成長するんだぞ。お前の人生はまだまだこれからだ。

 

 みんな……こんな方法でしか故郷や世界を守ることしかできない最低の男が主でごめんな。

 

 リヒト……君にひどいことを言わなくて済んだって安心したつもりだったけど……やっぱり正直に言えばもう一度だけでも君に会いたかった。



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第74話 長い一日

 グランダム王であり自分たちの主でも()()()ケントからヴォルケンリッターの解散、各々が持つ騎士の位の剥奪、そして王都からの追放を告げられた守護騎士たちは、謁見の間を出て自分たちの部屋へと向かっていた。荷物をまとめ、ここを発つ準備をするために。

 もちろん納得しているわけがない。前日までいつもと変わらず他愛ないやり取りをしていたケントが、なぜ今日になって突然あれほど様変わりしてしまったのか、なぜ自分たちに王都からの追放を言い渡したのか、騎士たちにはまったく心当たりがなかった。

 

 ヴィータとティッタは憮然としながら、シグナムは呆然自失としながら、シャマルは湧き上がるほどの怒りを心中に押し留めながら、ザフィーラはいつも通り黙々としかしいつもより尻尾を大きく揺らしながら、自分たちに割り当てられていた部屋へと向かう。

 そんな彼女たちの前に二人の女が現れた。

 

「あっ! シャマルさん。探しましたよ!」

 

 二人の女のうち橙色の髪の少女は上役(シャマル)の姿を見つけて、パタパタと駆けよってくる。

 

「イクスちゃん、それにリヒトまで……どうしたの二人とも? 珍しい組み合わせね」

 

 こちらに向かってくるイクスをシャマルは顔をほころばせて迎える。無邪気な部下の姿に、ついさっきまで腹の中で煮えたぎっていた怒りが若干収まっていくのをシャマルは実感していた。

 そんなシャマルの内心を知らずにイクスは言う。

 

「あっ、はい。さっき訓練中に怪我をした兵士さんが医務室にやって来て、その人は治療魔法をかけて包帯も巻いたらすっかり良くなって練兵場に戻って行きました。……ただ、その時に包帯を使い切っちゃったので包帯の予備がある場所をシャマルさんに聞こうと思って探していたんですけど、どこを探しても見つからないうえに念話も通じなくて……そんな時に」

 

 そこでイクスはリヒトに顔を向けた。それにつられて騎士たちの視線もリヒトの方にいく。

 リヒトは無表情のまま騎士たちに向けて言った。

 

「シグナムたちと違って私はいつも通り何もすることがなくてな。時間を潰すために城の中を見て回っていたらあちこち誰かを探し回っていたイクスを見つけたんだ。その時イクスは男性用の更衣室の扉に手をかけるところでな、私が見つけていなかったらどうなっていたことか」

「リ、リヒトさん、それは内緒にしてくださいよ!」

 

 イクスは余計なことまで伝えるリヒトのもとに走り寄って、その足をぽかぽかと叩く。リヒトはくすぐったそうに笑いながら「すまんすまん」と言った。

 騎士たちはそんな二人を呆然と、そして眩しそうに見つめる。

 今まで接点がなかった二人がこんなに仲良くなっていることを意外に思い、同時に自分たちが主からの裏切りを受けている時に何も知らず無邪気に触れ合っていた二人を羨ましくも思う。

 そんな複雑な気持ちを騎士たちは抱いていた。

 イクスは自分の後ろに騎士たちがいることを思い出しリヒトの足を叩くのやめて、彼女たちの方を向いて言った。

 

「ま、まあそういうことがあって、リヒトさんと一緒にシャマルさんを探していたところだったんですよ。リヒトさんには守護騎士の皆さんの居場所が分かる力があるとのことですし」

「うむ。精神共有(リンク)機能を使えば、この街から出ない限りそれぞれがいる場所ぐらい分かるからな。……それで、先ほどまで主と一緒にいたようだがあの方に呼び出されていたのか?」

「ああ、うん。まあね」

 

 リヒトの問いに不機嫌そうな声でヴィータが答える。

 主という言葉が出た途端暗い顔になる四人に、イクスは小首を傾げ、リヒトは神妙な顔になって「何があった?」と尋ねた。

 

「……そうだな。お前たちにも伝えておかねばならないな」

 

 そう言ってから、シグナムは謁見の間で起こったことをありのままに話した。感極まるあまりシグナムが話の途中で言葉を詰まらせるたびにシャマルとザフィーラが補足を入れ、ヴィータとティッタがケントに対して悪態をつく。

 そうして騎士たちは、あの場にいなかったイクスとリヒトに一通りのことを伝えて……。

 

 

 

 

 

「……守護騎士、ヴォルケンリッターの解散ですか……」

「それもお前たちから騎士の位を取り上げたうえでか……」

「ああ。そんでアタシらは全員、王宮どころかこの街(王都)から追放だとよ。今までさんざん助けてやったのに。あんな恩知らずこっちから願い下げだ! 闇の書を完成させるなりオリヴィエに渡すなり好きにしやがれ!」

 

 肩をすくめながらヴィータは吐き捨てる。清々したように締めくくるが、ふんと鼻を鳴らすその様子からは不満そうな様子がありありとうかがえる。

 

「わからない。なぜゆりかごというかつてない難敵を前に、主は我らを放逐なされるのか。我らは何か主の気に障るようなことをしてしまったのか……まあそうだとすれば思い当たる節がないでもないが」

「な、何ですかシグナムさん? まさか……」

「あたしらのせいだって言うのかよ!?」

 

 

 シグナムは恨みがましそうな視線をティッタとヴィータに向け、それに二人は文句をつける。

 それにシャマルは呆れ、ため息をつきながら、

 

「この二人の無礼なんて今に始まったことじゃないわよ。それぐらいで追放されるのなら陛下も最初から彼女たちを騎士になんてしてないわ。それにこの二人の振る舞いが原因なら私たちまで追放されるいわれがないじゃない。……やっぱり闇の書を完成させるのに、もう私たちの手はいらないという意味かしら?」

「かもしれんな」

「……」

 

 シャマルの言葉にザフィーラは同意を示し、リヒトは目を細くする。

 そんな空気を払うようにティッタは声を上げた。

 

「とにかく、そんなわけでアタシらは今日中には王都を出て行かなくちゃならなくなったの。それでイクスとリヒトさんにもそのことを伝えておけって言われてるんだけど……」

「――それってまさか!」

 

 ティッタが言わんとすることに気付いたイクスに、シグナムはうなずいて見せる。

 

「お前たち二人も私たちとともにここから出て行けということらしい」

「そんな――で、でもそれじゃあ医務室はどうなるんです? シャマルさんも私もいない時に大怪我を負った人が出たりしたら――」

「知らないわよ! 医者なんて他にもいるということでしょう!」

 

 シャマルの大声にイクスはびくりとして身を縮める。それを見てシャマルは慌ててイクスに謝る。それにイクスは「いえ、大丈夫です」と返すものの、恐怖心は拭い切れない様子で身を縮めたままシャマルから距離を取った。

 ティッタはそれを眺めてやれやれと思いながらも、咳払いをして皆の注目を集め話を続けることにした。

 

「それでここからが本題なんだけど、私もみんなと同じく騎士はクビになったけどリヴォルタの領主って肩書きはそのままみたい。そこで私もシグナムさんたちもリヴォルタに行こうってことになったんだけど、二人はどう? 私たちと一緒にリヴォルタに行かない? この街なんかよりずっと大きいとこだよ」

 

 ティッタの勧めにイクスは、

 

「……私はもうガレアに帰ることもできないからここを追い出されたら他に行くところもないし、そう言ってくれるのは本当にうれしいんですけど……いいんですか? 私なんかがティッタさんのお世話になっても」

「もちろん! むしろぜひ来てほしいな。リヴォルタって治安はよくなったけどまだまだ犯罪は多い街だし。怪我人も多いみたいでイクスとシャマルさんが来てくれたら大助かりだよ。もちろんシグナムさんやザフィーラ、リヒトさんにも期待してるよ。あんたたちが見回るだけで悪党はすくみ上がって犯罪が減るかも」

「ふっ、しばらくはお前が我々の主という訳か。まあ、本来の主(主ケント)からお声が掛かるまでの腰かけにはちょうどいいかもしれん」

「今より日光浴の時間が少なくなりそうではあるが、やむを得んな」

 

 シグナムとザフィーラが彼女らなりにティッタに答えを返すが……

 

「……」

 

 この中でリヒトだけが何も言わず、謁見の間がある方をじっと眺めていた。そんな彼女を皆は訝しげに見、やがて……

 

「どうしたリヒト?」

 

 シグナムが声をかけるとリヒトは彼女の方を向いて言った。

 

「……シグナム、一つ聞いておきたいのだが、主はお前たちに対し何と告げられた? 出来るだけ正確に答えてくれないか……頼む」

 

 頭を下げん勢いでそう頼まれて、シグナムは逡巡しながらもゆっくりと答える。

 

「……ヴォルケンリッターを解散し、私たちから騎士の位を剥奪し王都から追放する。そしてそれをリヒトとイクスにも伝えろと……そう告げられた」

 

 そこまで言ってシグナムは拳を握りしめる。そんな彼女にリヒトは、

 

「そうか、ありがとう。言いづらいことを言わせてすまなかった」

 

 それにシグナムはいいと言いたげに首を振った。

 そんな彼女たちの隣で、

 

「あっ! そうだ。包帯の予備があるところを聞こうと思って、シャマルさんを探していたんでした。あのシャマルさん、包帯があるところを教えていただきたいのですが」

「ああ、残りの包帯なら確か医務室の隣の部屋に――」

「あははっ、追い出されるっていうのに二人とも律儀だなぁ」

 

 イクスとシャマルが包帯のありかについて話し、それをティッタがはやし立てている。

 そんな彼女たちの後ろでリヒトはもう一度足を止め、ケントがいるであろう場所の方を見た。

 

 

 

 

 

 

 謁見の間を出て行く守護騎士たちの背中を見送ってからは、ひたすら長く退屈な時間だった。

 あれから俺は謁見の間を出て自室へと戻ったが、ゆりかごが王都に迫っている状況で臣下たちが政務を持ってくることもなく、部屋でやることがないのならば木や花を眺めにあの庭へ行こうと扉に手をかける。だがそこで気づいた。

 あれからまださほど時間は経っていない。騎士たちは荷物をまとめている頃でまだこの城から出てはいないだろう。

 今あいつらに会ったら俺は自分を抑えることができずあいつらに詫びを入れてここに引き留めようとしてしまう。それが彼女ともなればなおさら。

 駄目だ! そんなことをすれば情を捨ててあいつらに追放を告げたことが無駄に終わってしまう。

 甘い考えは捨てろケント。さっきのことで騎士たちは俺に対して強い不信感を持っただろう。今さらあいつらを呼び戻したところでそれを拭うことは出来ない。ならばもう最後まで俺は冷酷な主でいるべきだ。

 

 結局俺は部屋から出ることはなかった。

 日中はつまらない本を読んで過ごし、日が落ちてからは夕食を摂り湯浴みをし寝室へ行き、部屋を照らすためにろうそくに火をつけた。

 

 

 

 

 

 

 一昨日に就寝してから今日まで一睡もしていないのにまったく眠くならない。湯を浴びたばかりなのに体の震えが止まらない。

 さすがに今夜ばかりは何もせずに過ごすのは辛い。何か気を紛らわすものが欲しい。それがないと俺は今にもここから逃げ出してしまいそうだ。

 救いを求めるように本をあさり目を通すがまったく内容が頭に入ってこない。数日前はあれほど熱中していた小説も含めてだ。

 本棚から本を取り出し目を通し本棚に戻し本を取り出し目を通し本棚に戻し本を取り出し目を通し本棚に戻し……そんなことを繰り返して三十冊目の本に目を通そうとしたときだった。

 

 コンコンと扉を叩く音が聞こえてくる。

 普段なら誰だ? と尋ねるところだろう。しかし今は。

 

「入ってくれ」

 

 三十冊目の本を棚に戻しながら扉の向こうに向かって声をかけた。

 どうせ宰相か別の文官がゆりかごについてどう対処するつもりなのかを聞きに来たか、もしくはメイドが水でも持ってきたかだろう。

 誰でもいい。少しの間だけでもこの長い夜の時間を潰せるのなら。

 そう思っていた。

 

「失礼します」

 

 ……えっ!?

 その声に俺は自分の耳を疑い、扉を凝視する。

 扉はゆっくりとこちらに向かって開いていき、部屋を訪ねてきた人物の姿が露わになっていく。

 長く下ろした銀髪、赤い眼、金色のライン以外黒で染めた服、なぜか左右の長さが違うソックス……そして俺から見れば誰より美しい容姿をした女性。彼女は……

 

「…………リヒト」

 

 守護騎士やイクスと一緒にこの城から追い出したはずの女性が、なぜか今俺の目の前にいた。



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第75話 前夜

「夜分に失礼します。我が主」

「リヒト……なんで君がここに?」

 

 ゆりかごとそれに乗っている聖王(オリヴィエ)との対峙を明日に控えた夜遅くに、俺の部屋を訪ねてきたのはリヒトだった。

 いやまさか、守護騎士たちやイクスとともに彼女もこの城から出て行ったはずだ。今頃はリヴォルタの領主館にいるものとばかり思っていたが。

 

「なんで君が、なんでリヒトがここにいる? シグナムたちとともに君もここから追放すると言ったはずじゃあ……」

 

 震える声でそう問いかけるとリヒトは首を横に振った。

 

「いいえ、そのような事は言われていません。騎士たちが主に呼ばれていた時、私はイクスと一緒に城中を回っていましたから」

「確かに直接は言ってない。でもシグナムにお前とイクスへの言伝を頼んだはずだ。聞いていなかったのか?」

「いいえ、ちゃんと聞きました。ヴォルケンリッターを解散して彼女たちから騎士の位を剥奪し王都から追放する。そうシグナムから聞いています。……私やイクスまで追放するとは聞いていません」

 

 ……確かに言われて見るとそうだ。俺はシグナムに彼女たち四人の追放を告げて、それをリヒトとイクスに伝えてくれとは言ったが、直接的にリヒトやイクスを追放するとは言っていない。

 

「じゃあまさか……イクスもまだここに?」

「いえ。イクスはシグナムたちに連れられてリヴォルタへ行きました。今頃館でぐっすりと眠っている頃でしょうね」

「そして他の皆は俺への愚痴を肴に飲み明かしている頃だろうな」

 

 特にティッタあたりは酔いが回っている頃に違いない。シャマルも酔うと結構ひどかったな……また二日酔いにならなければいいが。

 いや、それより今は――

 

「ではリヒト、君は今までずっと一人でここに?」

 

 俺の問いにリヒトはこくりとうなずく。

 

「はい。どうしても主と話をさせていただきたくて、ここに残らせていただきました。食事とお湯はメイドの方に用意してもらって」

「そうだったのか」

 

 そんなことをする使用人がいたのか。シグナムたちを追放するということは、その従者ということになっているリヒトも追放することを意味することは、誰にだってわかっているだろうに。

 それだけ今回の事を不満に思っている者は多いということだろうな。

 そんなことを考えながら苦笑もせず黙ったままでいる俺を見て、リヒトは気まずそうに顔を曇らせる。

 

「……あの、主……いけませんでしたか?」

「……」

 

 ……言うべきだ。ここから出て行けと……二度と俺の前に姿を現すなと。

 

 確かに俺はまだリヒトを追放するとは言っていない。だが、それなら改めて彼女に追放を告げればいいだけのこと。ゆりかごに攻撃されるかもしれない今の王都には夜闇に潜む賊もいないだろうし、リヒトならそんな輩に襲われたとしても返り討ちにできる。なんなら一晩王宮に留まるくらいは許してやればいい。

 

「主がご迷惑だと言うのなら私はすぐにでも出て行きます……でも主がお許しいただけるのなら私は……」

 

 早く彼女をこの部屋から追い出すべきだ。そうするべきだ。

 

「……やはりご迷惑のようですね。そうですよね。私には主の側にいる資格はないのかもしれません。ベルカを滅ぼそうとしている夜天の魔導書の分身に、あなたにこんな決断をさせた闇の書そのものともいえる私に、あなたと共にいる資格なんてあるはずがない!」

 

 そうするべきだとわかっているのに――。

 

「失礼しました我が主。やはり私はあなたの前に現れるべきではなかったようです。私はすぐにでもこの地を去りますので主はどうかゆっくりとお休みを……それでは」

待ってくれ!

 

 背を向けて部屋から出ようとする彼女の背中に覆いかぶさるように抱き着く。腕が思いっきり彼女の胸に当たっているがそんなこと気にしてられない。

 

「嫌だ、行かないでくれ! リヒトまでいなくなるなんて……好きな人とこんな別れ方をするなんて……俺は嫌だ!」

「えっ!?」

 

 涙で視界が歪ませながら口にした言葉に、リヒトはそんな声を漏らした。だが、リヒトは彼女にしがみついている俺の腕に手をかけながら、柔らかい声で、

 

「はい。主がお望みなら私は……リヒトはいつでもあなたの側にいます。あなたがどこへ行こうとついて行きます。私はそのためにここに来たのですから」

 

 その言葉に、俺はとうとうこらえきれず泣き声を上げてしまう。

 もう泣いていることなどバレていないわけがないのに、泣き顔を見られたくなくて俺はこのまま彼女に抱き着いたままでいた。リヒトは嫌がりもせず、そんな俺になすがままにされていた。

 

 

 

 

 

 どれだけの時間が経ったか、四半刻あるいは半刻は経ったんじゃないかと思う。

 この部屋に唯一置かれている椅子にリヒトは腰を下ろし、俺はベッドに座っている。

 

 彼女を前にして俺は今……猛烈に後悔している。

 ああ、かっこ悪い。俺ってめちゃくちゃかっこ悪い。あんなところサニーならまだしも、リヒトには絶対に見せたくなかったのに。

 つい先ほど涙が止まってようやく落ち着くにつれ俺はリヒトを離し、一目散に洗面所に駆けこんで涙で汚れた自分の顔に水をぶっかけて涙の跡をかき消した。とはいえあれだけ泣き声を上げていれば気付かれないわけもなく、こうして向かい合っているにも関わらず俺はリヒトの顔を見ることができず下を向いていた。

 そんな俺にリヒトは苦笑いを浮かべながら、

 

「……えっと、主、そんなに気にしなくてもいいと思いますよ。男の人でも悲しい時は涙くらい流していいと思います。それに少なくとも私は主が涙を流すところを何度か見たことがありますから、私相手に隠す必要はないのでは」

 

 やめてくれ、余計情けなくなる。好きな人に慰められるのがこんなにみっともないものだったとは。

 ……いや、待てよ。俺が泣いたことなんてここ数年は滅多にない。シュトゥラ学術院に留学したばかりの頃、クラウスと喧嘩して奴にこてんぱんにされて泣いてしまった時以来だ。にも関わらず俺が泣いたところを何度も見たということは……

 

「そう言えばリヒト。初めて会った時からお前は俺やティッタの事を知っているみたいだったな。イクスと会った時もあいつの自己紹介を聞く前から知っているようだったし……まさかお前、魔導書の中からずっと俺たちのことを見ていたのか? ……もしかして俺が守護騎士と会うまでの間も」

 

 質問にかこつけて俺はようやくリヒトの顔を見る。まだ恥ずかしさは残っているが、いつまでも顔をそむけたままでは話が進まない。

 そんな俺の気も知らず、リヒトは俺の問いに首を縦に振りながら答える。

 

「はい。魔導書が主のもとに転移してからずっと、書の中であなたを見ていました。鎖に封じられて開けることもできない魔導書の前で一生懸命勉強していた時も、お母様を亡くされてふさぎ込んでいた時も、お父様に叱られてあの方に認めてもらうためにひたすら魔法の習得に励んでいた時も、魔導書を持ってシュトゥラに行った時も、私はずっと書とともに主の側にいました」

 

 なるほどね、《闇の書の意思》と呼ばれるだけはあるな。それだけ俺のことを見ていれば泣き顔くらい何度も見ているか。それでもリヒトに泣いているところを見られたくはないが。

 

「ですから身の程知らずとは思いますが、私は主のことを息子か弟のように思っていました…………さっきのお言葉を聞くまでは……」

 

 顔を赤くしてリヒトは言葉を付け足す。その仕草で何のことを言っているのか俺にも分かった。俺の顔も同じように、あるいはそれ以上赤くなっているだろう。

 

「…………本当ですか? 主が私のことを……す、好きというのは」

 

 その問いに俺は言葉を返せずどうにか首を縦に動かす。もっともその動作だけで答えを言っているようなもので……

 

「そ、そうですか……でも、私は魔導書のプログラムで、人間とはまったく違う存在ですけど」

「仕方ないだろう! 好きになったんだから」

 

 そっぽを向いて俺は開き直る。

 初めて見た時から彼女のことしか考えられないほど俺は彼女に惚れていた。プログラムだか何だか知らないが、そんなことくらいで割り切れるほど俺は諦めがよくない。それに城や街の中にはシグナムやシャマルに惚れている男や、ジェフの妹のようにザフィーラを慕っている女子(おなご)だっているだろう。ヴィータと同じくらいの年の男の中には彼女に話しかけようとする者だっている。俺だけがおかしいとは断じて思わない。

 

「主はこの国の国王に就いている身です。王族というものは他国の王族か、かなり位が高い貴族としか結婚できないと聞きましたが」

「……そ、そうなんだが、他に本妻がいる状態でもリヒトと一緒にいることはできるんだ……(めかけ)という形で」

 

 自分で言ってて最低だとは思いつつも何とか言葉を絞り出す。しかしリヒトはそれを責めずにさらに、

 

「私の体では子供を産むことなんてできませんよ」

「……やはりそうか。それは残念だな」

 

 本当に残念だ。俺とリヒトの子供が育っていくところを見たかったのに……もっともリヒトを妾にするにしろ子供のことにしろ。

 

「意味がない話だ。今となってはな」

 

 俺がそう言うとリヒトも深刻な顔になって、

 

「やはり主はこの国とベルカを守るために……そのために騎士たちを自分の手元から離して」

「ああ。夜天の魔導書のことも聖王のゆりかごのことも、まとめて解決するためにはこうするしかないんだ。俺にはこれしか思いつかなかった。……でもあいつらがそれを知ったら絶対に止めようとするだろう。だからあいつらを俺の側から離しておく必要があった。イクスやティッタもこの王都から避難させておきたかったしな。本当なら君もリヴォルタへ行かせるつもりだったんだが……自分で思った以上に俺は弱い人間だったようだ」

「いいえ、主は強い人です……誰にも何も告げずたった一人でこれだけのことをご決断された。主が弱い方だったらこんなことはできなかった。強くなければこんなことはせずにすんだ」

 

 リヒトはそこで椅子から立ち上がりこちらにやって来て俺を抱きしめて言った。

 

「辛かったでしょう、苦しかったでしょう……よく一人だけで耐え抜きましたね。これほどのことに耐えられるほど強い人を私は知りません。もっと弱くてもいいのに」

 

 そう言ってリヒトがしゃくり上げるのを聞いて視界が再びにじむ。

 リヒトは俺の首の後ろに手を回したまま、俺を見て言った。

 

「主、どうか私を、私だけでもあなたのお供をさせていただけませんか? お願いします」

「……いいのか? 俺と一緒に行くということはお前も」

「どの道夜天の魔導書が破壊されれば私は存在を保てなくなる身です。それなら私や守護騎士を愛してくれた主に最後までついて行きたい。それが私の望みです。

 ……私と守護騎士たち、夜天の魔導書には今まで多くの主がいました。最初は善良で騎士たちに温かく接していたものの力に溺れていくうちに騎士たちを冷遇するようになった主、最初から悪辣で自分以外のものを欲望を叶えるための道具としか思っていなかった主、貧困や戦によって自分が生き延びるのが精いっぱいで騎士たちを気にかける余裕がなかった主、様々な主がいました。その中には夜天の魔導書の真実を知り逃げ出そうとする主もわずかにいました。

 あなただけですよ。最後まで騎士たちを愛し、我が身を投げうって魔導書を止めようとする主は。そのうえ私に恋慕の情を抱くなんて本当に変わった主です」

 

 褒められているんだかけなされているんだかわからないな。確かにここまで来たら自分が変わり者だというのは否定できないが。

 

「……俺と一緒に来てくれるか? リヒト」

「――はい! この身、いえ互いの身が朽ちるまで主に誠心誠意お仕えします」

 

 リヒトの答えを聞きながら俺はふと、これって告白とその返事みたいなやり取りだなと思った。

 それが届いたのか次にリヒトが口にした言葉は……

 

「我が主。本当にあなたが私を愛してくださるというのなら、どうか今夜だけは私と夜を共にしていただけませんか?」

「いいのか?」

 

 リヒトはうなずきを返す。

 それは言葉通りただ一緒に寝るだけではないだろう。その証拠に彼女の頬は赤く、恥じらいがあることがうかがえる。

 

「はい。見たところ、主は満足に睡眠をとることもできていないみたいです。その状態では明日に障りが出てしまいます。ですからある程度体を動かせば眠れるようになるのではないかと。それがうまくいかなくても時間潰しにはなると思います……それに」

 

 そこまで言ってリヒトは言葉を止める。

 そこで俺は気付いた。俺の首に回しているリヒトの手がかすかに震えていることを。

 

「私だって怖くないと言えば嘘になります。それが忘れられるくらいの温もりが欲しいんです。ですから我が主、この夜をしのぐために私と……」

 

 願ってもない話だ。間違いなくこれがリヒトを抱ける唯一の機会だろう。……ただ俺は女を抱くのは初めてな上に、今は明日への恐怖で心に余裕がない。だから……

 

「優しくできないかもしれないが……いいか?」

「はい。どうか激しく、主の思うがままにしてください」

 

 そう言うやいなやリヒトは勢いよく俺の口に自身の唇を近づけ、そのまま俺たちは口づけを交わす。

 しばらくの間口内で互いの舌と舌を絡ませるとどちらともなく口を離し、互いの口から糸が引き、下に垂れ落ちる。

 

「……主、来てください」

「ああ」

 

 

 

 

 

 

 グランダム近くの上空を覆う、暗雲の上には《聖王のゆりかご》が浮かんでいる。そのゆりかごの中では……。

 

 

 玉座の間と呼ばれている部屋と違って明かり一つない暗い空間の中、いくつか空中に浮かんでいる板のような薄いガラスの床の上に、黒いシスター服とフードをまとったシスターが立っていた。

 彼女の目の前には量子モニターと呼ばれている枠が現れており、そこには中枢王家に属する王が映っていた。

 

「現在、ゆりかごは休止状態のまま、月から降り注いでくる魔力を取り込んでエネルギーとして充填させているところです。今夜中には王都だけでなく、グランダム各地を消滅させるには充分なエネルギーが溜まるかと。……しかしよろしいのですか? グランダム王は各国の王侯貴族に莫大な債権を抱えています。あの王を亡き者にすれば、その債務はすべて戦勝国である聖王連合が抱えることになってしまいますが」

『構わん。債権とやらは面倒だが、完成間近の闇の書を持つグランダム王をこれ以上放置しておくわけにはいかん。それにグランダムを落とせば豊かになったグランダムと、いまだに都市としてはベルカ一の規模を持つリヴォルタが手に入る。そのうえ、もしもグランダム王が降伏すれば闇の書も我々のものになる。それに比べれば債権など安いものだよ。少なくはない額だが我々中枢王家が分担すればどうにかなるしな。……ところで聖王陛下の方はどうだ?』

 

 王の問いに、シスターは表情一つ変えず、聖王がいる部屋に視線を向けて言った。

 

「コントゥアを消滅させてから陛下には自室でお休みいただいています。攻撃の予定がない日まで玉座に座らせて、無駄に命をすり減らしてもらう訳にもいきませんので」

『結構。では明日は頼むぞ。陛下は以前にグランダム王やその騎士たちと友好を結んでいたことがあったと聞く。くれぐれも陛下から目を離すな』

「はい」

 

 

 

 

 

 

 ゆりかご内の一室にて、オリヴィエはベッドの上に横になりながらただ願う。

 

(ケント様……どうか降伏して闇の書を私に……でないとゆりかごの主砲がグランダムを)

 

 

 

 

 

 いよいよ明日、グランダム王国とベルカの運命が決まる!




 ケントとリヒトの営みについては18禁版を作ってそこに載せます。本筋には影響しないように努めますので、18歳未満の読者様と性描写に抵抗感を持つ読者様はそのまま次回までお待ちください。
 もちろんそうでない読者様はどうぞ見て行ってください。書き終わったら18禁版へのリンクを載せます。なお性描写は初めてですので過度な期待はしないでください。


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第76話 身支度

 コントゥア消滅から二日後、そして守護騎士たちがグランダム王都から追放された日の翌日。

 この日は先聖王が半年前に告げた期限の日であり、彼の娘にして聖王位を継いだ現聖王オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトがコントゥア消滅の直後に告げた、グランダム王国への最後通牒の期限日でもある。

 空に浮かぶ巨大な鋼船《聖王のゆりかご》と魔力砲《レーゲンボーゲン》の威力を見せつけられたベルカ中のほとんどの国の人々は、グランダムの降伏か王都の消滅そして王国の滅亡を疑わなかった。しかし、グランダム王ケント・α・F・プリムスが持つ闇の書を知る近隣の国々の住民たちの中には、《聖王のゆりかご》と《闇の書》のぶつかり合いによる、ベルカの覇権をかけた戦いが行われると思う者たちもいた。

 彼らの予想はいずれも覆されることになる。この騒乱の渦中にいる人物の一人、グランダム王ケントと、リヒトと呼ばれているケントの従者によって。

 

 

 

 

 

 リヒトと一夜を共にしてから朝を迎えて、俺とリヒトは同じベッドで目を覚まし、俺を起こしに来たメイドにそれを目撃されるという事態が起こったものの、彼女の厚意ですぐに湯が用意され、俺とリヒトは同じ湯で体を洗い身支度を整えた。この時点で城にいる人間の中で、俺とリヒトの関係を知らない者はもういないと思っていいだろう。

 支度を整えてすぐ俺は宰相に呼ばれて、ゆりかごについてどう対応するつもりなのかを問われた。それに対して俺は「考えがある」とか「心配はいらない」と言ってはぐらかし宰相から逃れた。

 そして先聖王とオリヴィエが提示した刻限である正午まであと四半刻を切った頃、俺とリヒトは城内のドレッシングルーム(着替え部屋)にいた。

 

 

 

 

 

 

 着替えのために設置された大鏡の前で、俺はいつもの魔導鎧の上に豪奢な黒いマントを羽織る。

 このマントは2代目の国王が自身の権威を示すために作らせたもので、縁には茶色い毛皮を付け、至る所に金糸による刺繡が編み込まれた、聖王や皇帝が身に着けているものと遜色のない豪華な作りになっている。

 当時のグランダムはいくつかの街や村が合わさった貧しい小国に過ぎず、その国の国王には過ぎた代物だ。国中に圧政を敷いてまでこのマントを作らせた王は、死ぬまで民に憎まれたとか。

 ――だからこそ、このマントは今の俺が着るのにふさわしい。

 

「とても良く似合っていますよ。我が主」

 

 マントの紐を結び終えた途端後ろの方から声がかかってきて、そちらを振り向く。

 俺に声をかけてきたのは言うまでもない、これからともに戦い(舞台)に臨む我が唯一の従者にして最愛の相方(パートナー)でもあるリヒトだ。

 彼女が呈した賛辞に俺は苦笑いを浮かべる。

 

「それは褒めているのか? 自分で考えたこととはいえ、ベルカ中の人々にこの格好をさらすのかと思うと恥ずかしくて仕方がないんだが」

 

 俺がそう言うとリヒトはくすくすと笑ってから言った。

 

「もちろんです。そのまま式典に出ることだってできますよ。……本当にいいんですか? 今ならまだ引き返せます」

 

 その言葉に俺は苦笑いを浮かべたまま言葉を返す。

 

「引き返すってオリヴィエに降伏しろってことかよ? そんなことをすればグランダムは守れても、この先もっと大きな被害が出てしまう。これが一番犠牲が少ない方法なんだ。……大丈夫、お前のおかげで覚悟は決まった。むしろ俺としては……」

「……主?」

 

 怪訝そうにこちらを見てくるリヒトに俺は首を横に振りながら言う。

 

「なんでもない。それよりお前こそ大丈夫か? その赤いライン、もしかして昨夜の行為が原因で……」

 

 俺の問いに、リヒトは両頬についている赤いラインのうち左頬のラインを手でなぞりながら言った。

 

「いいえ、昨夜のことは関係ありません。おそらく自動蒐集の開始に向けて、夜天の魔導書が活性化しているためでしょう。このことはシグナムからも聞いているはずですが」

「それはそうだが……」

 

 今日の朝、俺たちがベッドから起き上がった時には、リヒトの体に赤いラインが顕れていた。両頬と左腕にそれぞれ二本ずつ。

 確かにシグナムから闇の書が完成間近になればリヒトの体に赤いラインが現れるようになるとは聞いたが、あの直後にこんなことが起こればもしかしたらとは思ってしまう。

 いずれにしても時間が無くなっているのは確かだ。もう後戻りはできない。

 

「……そろそろ行こう。リヒト、夜天の魔導書を」

「はい。こちらです」

 

 リヒトがうやうやしく差し出す剣十字がついた茶色い表紙の本を俺は受け取る。

 夜天の魔導書……俺の人生はこの本から始まってこの本によって終わる。つくづく因果なものだ。

 しかしこの本がなければ、俺はヴォルケンリッターに助けられることはなくディーノとの戦いで戦死していたかもしれない。そしてこの本がなければ俺とリヒトが出会うことはなかった。そう思うとこの魔導書を憎むことはできない。

 

「ありがとう。リヒト、ユニゾンはできるか?」

「ええもちろん。私は元々そのために造られた融合騎ですから」

 

 そう答えるとリヒトはこちらに歩み寄ってくる。そして……

 

「――!」

 

 おもむろにリヒトは俺に唇を重ねてきた。それに反応して俺は自然に彼女の背中に手を回しかける。だがリヒトの体は光となって俺の体内に入っていき、俺の手は虚しく空を切った……不意打ちするくらいならちゃんとさせろよ。

 内心でリヒトに毒づいたその時だった。

 

「――ぐあああああ!」

 

 突然全身に何かが絡みつき肉に食い込んでくる感覚に襲われる。――まさかこれは!

 とっさに俺は大鏡を見る。

 そこに映っていた俺の姿は、髪はユニゾンの影響で灰色に染まり、両眼のうち金色だった右眼は赤く変色している。以前ユニゾンした時と同じだ――エリザにそう教えられた――。

 しかしそれに加えて、今の俺の両頬にはそれぞれ二本の赤いラインが走っていた。

 そして腕にも、リヒトに巻き付いていたものと同じ赤い革帯(ベルト)が巻き付いていたのだ。履物に隠れて見えないがおそらく両足にも同じ物が。

 

――同じだ。赤いラインも赤い革帯もリヒトとまったく同じ。

 

《主! 大丈夫ですか主!?》

 

 そこで俺の体内から悲痛そうなリヒトの声が響いてきた。

 俺はすぐに体内にいるリヒトに語り掛ける。

 

《大丈夫だ。いきなりのことでちょっと驚いただけだ》

 

 かっこつけてついそんな強がりを言ってしまうが、本当はめちゃくちゃ痛い。今も革帯が肉に食い込んできている。リヒトは今までこんな状態で生活を続けていたっていうのか。

 

《主、やはりここは私が! 私が前に出ますから、事が終わるまで主は私の中にいてください!》

 

 リヒトの申し出に俺は首を横に振る。

 

《結構だ。驚いただけって言ってるだろう。お前はそこでおとなしく俺の晴れ舞台を見物していろ。勝手に出てこようとするんじゃないぞ!》

 

 俺はリヒトに強く言い聞かせる。

 これは俺じゃないと意味がない。リヒトではグランダムとベルカの両方を守ることができない。

 何より、好きな女が耐えていたものぐらい俺が耐えられなくてどうするんだ!

 

「陛下、お着換え中に失礼します。そろそろ時間ですが……」

 

 扉を叩く音とともに扉の向こうから声が聞こえてくる。その声は宰相か。声まで若く聞こえるから、慣れてないと若い文官としばしば間違えてしまう。

 

「分かっている。今出ようとしていたところだ」

 

 そう言って俺は扉を開けた。

 扉の向こうにいた宰相は俺を見るなり驚きで目を見張る。

 

「へ、陛下、そのお姿は!?」

「これから聖王陛下とお話をするからな。ちょっと装いを変えてみたんだ。どうだ? いつもよりはかっこいいだろう」

 

 笑いながらマントを見せびらかす俺に宰相は青ざめた顔のまま言った。

 

「い、いえ、私が言っているのは陛下のそのお姿のことで――」

 

 わかっているさ。髪と眼の色が変わったばかりか、ついさっきまで顔になかった赤いラインまで浮き出ているのに、それを装いを変えたぐらいで済ませられるわけがないってことくらい。

 でも、今はそれどころじゃないんだろう。

 

「そんなことはどうでもいいだろう。それよりそろそろ時間が迫って来たんじゃないのか」

「え、ええ。それで陛下、最後にもう一度だけお聞きします。陛下は聖王からの要求にどうお答えになるつもりなのですか?」

 

 念を押すように聞いてくる宰相に俺は笑いながら言った。

 

「言ったはずだ。俺に考えがあると……俺はそろそろ行くぞ。聖王とはあの妙な枠を使って話をするんだと思うが、あっちがわざわざここまで来てくれているのに俺が王宮にこもっているわけにはいくまい」

「へ、陛下が出て行かれるのですか? それはあまりにも危険――い、いえ、でしたら城にいる兵をお連れください。万が一の時は彼らを率いて――」

「必要ない!」

 

 宰相の提言を俺はその一言で切って捨て俺は中庭へと向かう。あそこからなら飛行魔法で城を出ることができる。

 

 この戦いに兵も軍も守護騎士もいらない。俺とリヒトで充分だ。

 ……本当はリヒトも連れて行くつもりはなかったのだが、俺一人では無理だったらしい。

 

 

 

 

 

 さあ行こうリヒト。見事に愚王(悪役)を演じきってやろうじゃないか!



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第77話 謎の男

 リヴォルタ領主館(旧市長公邸) ダイニングルーム。

 

「失礼します。ティッタ卿」

「おーっす。入るぞ」

「お疲れ二人とも。入って入って。他のみんなはもう席についてるよ」

 

 ノックをした後、現在の主の許しを得てシグナムとヴィータがダイニングルームに入ってくる。そんな彼女らを現在の主であるリヴォルタ辺境伯ティッタが迎え、席に着くように促した。

 

「お疲れ様。シグナム、ヴィータちゃん、こっちでのお仕事にはもう慣れた?」

「うむ。まあまずまずだ。半年間鍛え上げた王宮の兵に比べたらやや練度が低いのは否めんがな」

「ややどころじゃねえだろう。あいつらすぐへこたれるし訓練中もうじうじ文句垂れるし、もうあいつらほっといてあたしらが全部やった方が早いんじゃねえの」

「まあまあ、皆さんまだシグナムさんやヴィータさんの教練に慣れていないだけですよ。もう少し長い目で見てあげてください」

 

 ティッタとともに一足先にダイニングルームに着いて席に座っていたシャマルがシグナムとヴィータにねぎらいの言葉をかけ、それに二人は自身らが受け持っている兵士たちに対して思い思いの所感を述べ、それをイクスがなだめる。そんなやり取りを交わしている間にシグナムとヴィータもティッタらが座っている円卓に着いて席に座った。

 ティッタらが囲んでいるこの円卓には、グランダム王宮など他国の王城や貴族の館にある長テーブルに着いた時にありがちな上下関係による席順はない。

 形式的に扉の対面側に主人であるティッタが座っていたものの、それ以外は基本的に自由だった。グランダム貴族の住まいである領主館でこのような形式が取れるのも、この街が最近までは自由都市だったからだろう。

 

 

 

 

 

 現在この円卓に着いているのは、元王宮騎士にしてリヴォルタ辺境伯のティッタ、同じく王宮騎士だったシグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、そして形だけのガレア王イクスの六人だ。

 二日前、グランダム王にしてヴォルケンリッターの主だったケントによって彼女らはグランダムの王宮を追われ、このリヴォルタに移り住んだ。

 そしてつい昨日ヴォルケンリッターの暫定主となったティッタによって、シグナムとヴィータは手すきの兵の教練係、シャマルとイクスは領主付きの医者に、ザフィーラは街を見回る衛兵のまとめ役に、とごく一部を除いて王宮で任されていたものに近い職務に就いていた。

 本来なら彼女らとともにもう一人リヴォルタに来る予定だったのだが、彼女がここに来ることはなかった。

 

 

 

 

 

 シグナムたちはティッタに呼ばれて、今日の昼食をこの領主館で摂ることになった。なお、本来なら昼の休憩は正午になってから行われるものだが、ある人物が起こすであろう騒ぎに備えて、各国の多くの街では公民ともに休憩を半刻早めることになった。リヴォルタもその例に漏れない。というより最も早くその方策を打ち出した者の一人がティッタだった。

 

 円卓の上にはすでに食事が並べられており、パンも肉も野菜もほどよく盛り付けられ、午後の仕事に備えて英気を養うには充分な料理ではあったが、一貴族にしては質素な方である。しかし、ティッタは贅を尽くした料理よりこういった料理を好み、シグナムたちもそれに異を唱えるつもりは毛頭なかった。

 正午を前に彼女たちはすでに食事に手を伸ばしている。理由は明白、正午になった途端ベルカの住民たちは皆食事を口にしている余裕がなくなるからだ。特にグランダムに住む者たちは、最悪食事を投げ出して主要な街から避難する必要があるかもしれない。

 とはいえこれだけの面子が集まって黙々と食事だけをするのもわびしいものだ。故にヴィータが話を振ってくるのを咎める者は誰もいなかった。

 

「しかしあいつ、今頃どうしてるんだろうな」

「あいつとはリヒトのことか?」

「そっ。あのクソ主にそんな名前を付けられたあいつ」

 

 シグナムの問いにヴィータはフォークを振りながらそう答える。それにシャマルが「行儀が悪いわよ」と注意してから話に加わった。

 

「ヴィータちゃんの気持ちはわかるけど、名前があった方が色々と便利じゃないかしら。どう読んでいいかわからないからあの子が加わるたびに苦労していたし……それがあのろくでなし主が付けた名前だったとしても」

「……お前もたいがい引きずる奴だな」

 

 本来の主(ケント)を唾棄しながらロールキャベツをもしゃもしゃと口に運ぶシャマルを見て、シグナムは呟くように言う。もっとも自分たちが追い出されたことに関してシグナム自身も納得できていないので、主を罵るヴィータやシャマルを咎めはしないが。

 

「でも、本当にリヒトさんどうしてるんでしょうね? 王宮に残るって言って私たちと別れたまま、いまだにここに来てませんし」

「追放の命令に従わなかったことでクソ主にいびられてなきゃいいけどな。まっ、あいつなら滅多なことはねえと思うが」

 

 一口分に千切ったパンを口に運ぶイクスに、またもやフォークを彼女に向けながらヴィータはすまし顔で言う。

 そんな彼女たちの話を聞きながらティッタはまさかと思った。

 

 守護騎士たちと違い、ティッタはケントがリヒトにベタ惚れになっていることを知っている。守護騎士たちのような忠臣やイクスのような客人を住処一つ与えずに追放するような外道になり果てたあの兄も、惚れた女には弱かったということか。

 

 いや、そもそもよく考えたら、守護騎士たちを王宮から追放してケントに利点はあるのか?

 

 今まで守護騎士たちを重用していたのは闇の書の頁を集めるために彼女たちを利用するためだとしても、頁が全部集まらないうちに騎士たちを追放するのは性急すぎるのではないだろうか。騎士たちを切り捨てるのは闇の書が完成した後からでも十分だと思う。

 それにあのリヒトバカ(ケント)が想い人であるリヒトまでをも追い出そうとするだろうか?

 あの時は自身の素性を否定されたことや兄の変貌ぶりを目の当たりにして頭が真っ白になっていたが、よく考えると何かがおかしい。難点と不明点が多すぎる。

 

 今や自身の臣下となったシグナムたちの話に耳を傾け猪肉を食べながら、ティッタがそんなことを考えていた時だった。

 

『ベルカの皆様、御機嫌よう。聖王オリヴィエ・U・X・ゼーゲブレヒトです』

 

 その声を耳にして、皆が食事の手を止め頭上を見上げる。

 案の定、そこには四角い枠と無機質な表情でそこに映っている聖王オリヴィエの顔があった。

 

「オリヴィエ!」

「もう正午になっちまったのか!」

 

 

 

 

 

 

 二日前と同様、オリヴィエの顔を映し出している枠はベルカ中のあらゆる場所に現れており、世界中の人間が新たな聖王を見、彼女が何を言い出すのか、最初の標的となったグランダムがどうなるのかを見届けようとしていた。

 それに加えてグランダムの上空には、《聖王のゆりかご》と呼ばれる鋼の船とゆりかごを守る無数の小型の鋼船が浮かんでおり、枠に映し出されるのを待つまでもなく、グランダム中の人々が空に浮かぶ戦船と無数の小型船を目の当たりにしていた。ゆりかごを見た瞬間、慌てて街や村を出て少しでも狙われにくそうなところへと逃げ出そうとする者も少なくない。

 

 オリヴィエは二日前と同様にベルカ中の人々に向けて口を開く。

 

『約束の時間になりました。二日前に通達した通り、これからベルカ各地を回って、各国首脳の皆様に連合加盟の意思があるか尋ねて回ることにしましょう。

 では、最初はまずグランダム王国からです。

 グランダム王ケント・α・F・プリムス殿、聖王連合へ加わっていただき、その上で《闇の書》なる魔導書を我々に譲っていただきたいのですが、ご返答を聞かせていただけますか?

 もちろん断ればどうなるかは、分かっていますね?』

 

 オリヴィエは冷たい声色で、しかし心なしか強い口調でグランダム王に回答を求める。

 しかし……

 

 

 

 オリヴィエが問いかけてからしばらく経っても、いっこうに返答らしきものが返ってくる様子はなく、オリヴィエは枠の向こうで沈黙を保っている。

 ベルカ中の人々は怪訝に思いながら返答を待つオリヴィエの様子を見守り、オリヴィエも長すぎる沈黙に内心ではやきもきしているのか、表情をわずかにしかめてから再び口を開いた。

 

『……ケント王? ……ケント王、聞こえているのでしょう? 連合加盟と闇の書の譲渡について、お返事をお伺いしたいのですが……』

 

 ………………。

 

 オリヴィエは再度グランダム王に問いかける。しかし、またしばらく待っても返事は返ってこない。

 ここに来て人々はまさかと思った。

 

 人々の頭上に現れオリヴィエの顔を映し出している不可思議な枠は、おそらく人がいる場所にならベルカ中どこにでも出現しているに違いない。

 こんなものが近くに現れて気付いていない人間などどこにもいない。

 ならば自国の王都が消滅するかどうかという時に、なぜグランダム王は何も言ってこないのか?

 居眠りでもしていてオリヴィエが映っている枠に気付いていないのか、あるいは枠には気付いているが答える気がないのか。

 

 そして人々は思った。グランダム王は自国から逃げ出したのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 当然この光景はリヴォルタの領主館にいるティッタたちも見ており……。

 

「おい!? なんでケントの奴何も言わねえんだ? こんな時に一体何をやってんだあいつ?」

「……まさかとは思うけど」

「……主」

 

 枠を見ながらケントに対する疑問や疑念のこもった声を上げるヴィータたちの横で、ティッタは苦虫を嚙み潰したような顔をしてうなだれる。

 

(あいつ、まさかこの期に及んで逃げたんじゃあ……やっぱりただの屑野郎だったかも)

 

 ケントが守護騎士やイクスを王宮から追放したのは自分には思いもよらない理由があるのかもしれないと思っていたが、測り間違えたかもしれない。ティッタは心の底からそう思った。

 

 

 

 

 

 

 一方、ゆりかごの内部でもグランダム王の奇行に乗組員たちは困惑していた。オリヴィエとゆりかごの管制者も含めてだ。

 オリヴィエと管制者の前にも量子モニターと呼ばれる枠が出現しており、そちらにはこれから攻撃するかもしれないグランダム各地の光景が映っている。本来ならこれらに加えてグランダム王が映っているモニターも並んでいるはずだが、どういうわけか彼の姿を捉えることができず、グランダム王が映る予定の画面はいまだに黒く染まったままだ。

 服従か反抗か。いずれにしろすぐに何らかの返答がくるものと思っていたが、まさか何も答えてこないどころか、姿さえ見せないとは彼女らも思っていなかった。

 何も映さず黒いままの画面を見ながら、オリヴィエは――

 

(何をしているんですかケント様? ……まさかあなた)

『聖王陛下』

 

 ケントに対して疑念を深めるオリヴィエの横にゆりかごの管制者を務めるシスターが映るモニターが現れ、オリヴィエはそちらに顔を向ける。

 

『どうやらグランダム王は我々が出した要望に応じる気がないようです。通達通りグランダムの王都を攻撃するとしましょう。これよりレーゲンボーゲンの発射準備を行います。発射に備えて陛下もご準備をなさってください』

 

 呆れが抜けていない声色でシスターはそう告げる。ここに来てシスターもグランダム王が逃げ出したと確信したようだ。

 

「……グランダムを攻撃するのは王が要求を拒絶した時のはずです。もう少し待ってみた方がいいと思います。あと少しでグランダム王が何か言ってくるかも――」

 

 ゆりかごの機能によって意識を押さえつけられながら、オリヴィエは精神力を振り絞って懸命に反論する。しかし、それに対するシスターの答えは無常なものだった。

 

『いいえ。我々ははっきりと今日の正午に要望に対する返答を聞くと通達しました。それもベルカ全土に中継する形で。今後のためにも陛下の意に背いた国がどうなるのかを、ベルカ中の人間に示す必要があると思いますが』

「しかし――!」

 

 オリヴィエが反論しようとした瞬間、彼女の頭に鈍い痛みが走る。

 その直後に、どこからともなく発せられる無機質な声が部屋一面に響いた。

 

『Bestätigt die Meinungsverschiedenheit zwischen Seiner Majestät dem Heiligen König und dem Controller. In diesem Fall hat der Befehl des Controllers Vorrang vor dem Programm. Für einen ordnungsgemäßen Betrieb des Schiffes sollte Seine Majestät der Heilige König sofort den Anweisungen des Controllers folgen.(聖王陛下と管制者の意向の不一致を確認。この場合はプログラムにのっとり管制者の命令が優先されます。艦の適切な運用のため、聖王陛下は直ちに管制者からの指示に従ってください)』

 

 艦内に無機質な音声が流れた途端、オリヴィエの目は先ほどより虚ろなものになり……

 

「……わかりました。レーゲンボーゲンの発射準備を進めてください」

『御意』

 

 聖王からの“命令”を受けてシスターは頭を下げる。それを意に介さず、オリヴィエはモニターに視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 ケントからの返事がないままかなりの時間が過ぎ、その間ほんの少しだけ枠に映っていたオリヴィエの()が途切れてから、再びオリヴィエの顔が映し出された。その目は先ほどよりもさらに冷淡で人間味というものがない。

 

『……どうやらグランダム王には連合に加わる気も闇の書を譲る気もないようですね。残念です。

 それでは通達通り、魔力砲レーゲンボーゲンによってグランダムの王都を消し去るとしましょう。

 この魔力砲を撃ち込まれた地は一瞬にして跡形もなく消滅するため、その地に住む人々も苦しんで死ぬことはありません。その点についてはどうか安心してください。

 ……それでは、この一撃がベルカの平和へと繋がらんことを』

 

 オリヴィエがそこまで言うと枠から彼女の顔は消え、再びゆりかごが映る。その先端にある巨大な砲身には、白い魔力光があふれ出るほどに輝きを放っていた。

 それを枠を通して、あるいは上空から見上げ、王都の人々の顔は絶望に染まっていた。

 

「お、おい、撃ってくるぞ!」

「まさかあの王、本当に一人だけで逃げたのか? 俺たちは見捨てられたっていうのか!?」

 

 ある者は己が身を嘆き、ある者はこの期に及んで姿どころか声一つ出さない王を呪う。

 あれよあれよという間に砲身に集まる光は強くなっていき、今にも魔力砲とやらが撃ち出されようとしている。

 恐怖のあまり多くの人々がその場に伏せ目を強く閉じた。

 ――その時だった。

 

『待ってもらおう!』

 

 突然脳裏に聞こえてきた男の声に人々はまず自身の左右を、そして辺りを見回す。しかし、そのような声を出しそうな者は近くにはいなかった。

 そしてほどなく魔導を習得した多くの人々がこれは思念通話によるものだと気付く。

 それに加えて……

 

「お、おい、あれを何だ?」

 

 上空を指さす男につられて、周りにいる者たちは彼が指さす方を見る。

 

 

 

 王都の上空には一人の男が浮かんでいた。

 灰色の髪、赤い右眼と緑色の左眼からなる虹彩異色(オッドアイ)、黒い魔導鎧とそれを包む毛皮付きの豪奢な黒いマント。左手に持っている剣十字のついた茶表紙の本。

 

 男の姿を見た人々は誰もが眉をひそめた。あんな男見たことがない。それに加え男の浮かんでいる場所が高すぎて、ほとんどの者が男の特徴を捉えることができずにいた。かろうじてわかるのは男の髪が灰色で、黒い鎧とマントを着ているということだけだ。

 ……ただ、あの声には聞き覚えがあるような無いような。

 王都にいる人々が疑問に満ちた目で空中にいる男を見ていると、ふたたび脳裏に声が響いた。

 

『お初にお目にかかる……でいいのかな聖王殿。申し訳ないがレーゲンボーゲンとやらを撃つのはしばし待ってほしい』

『あなたは? いえ、まさかあなたは……』

 

 男がゆりかごの中にいる聖王に呼びかけると、再び枠にオリヴィエが映り男に問いを返す。どうやらあちらにも男の姿と声が届いているらしい。

 

『余はケント・α・F・プリムス。グランダム王国の王にして、ベルカを統べる力を持つ真の統治者たる者――とでも言っておこう』

 

 二日前のオリヴィエの口上を真似たような名乗りに、人々もそして枠に映るオリヴィエも目を見張った。

 ある者たちは今頃現れたグランダム王らしき人物の登場に驚いて、ある者たちは自分たちが知る王とは似ても似つかない男がその名を名乗っていることに困惑して、思い思いの反応を取る。

 彼は本当にグランダム王なのか? グランダム王だとしたらなぜ今までオリヴィエに応答しなかった? なぜ今頃になって現れた? なぜあんな上空にいる? 

 そしてなぜ、彼の声が自分たちの脳裏に届いているんだ?

 次々に湧きおこる疑問に地上の人々が頭を抱えながら男を見ている一方で……。

 

 

 

 

 

 

 ゆりかご内部。

 

 レーゲンボーゲンを発射する直前に現れ、聖王に語りかけた男の出現にシスターは舌打ちをし、忌々しげに顔をしかめた。彼女の前にあるモニターには不敵な笑みを浮かべる彼の顔がはっきりと映っている。

 何だあの男は? 本当にグランダム王なのか? 彼の眼は確かにベルカ王族特有の虹彩異色だが。

 ――いやそんなことはいい。

 

 シスターは面白くなかった。いまだ聖王連合にまつろわぬ愚民を恐怖で従える魔力砲の発射を妨害されたことがたまらなく不愉快だった。だからだろう。彼女はかりそめの主の了解すら取らずに命じた。

 

「前面にいる小型機に命じます。ただちにあの乱入者を排除しなさい! モニターはあの男の姿をベルカ中に映して。聖王陛下に楯突く者がどうなるのかを全土に知らしめてやりなさい!」

 

 

 

 

 

 

 上空でグランダム王を名乗る男とゆりかごが対峙している中、不意に小型機から男に向けて白い光線が放たれた。

 それに男は表情一つ変えず、

 

「パンツァーシルト」

 

 男が右手を突き出し詠唱を唱えると右手の先に三角形の結界が張られ、光線は結界に弾かれて消失する。

 ゆりかごの前方に浮かんでいた小型機が男に向かって一斉に向かって言ったのはその時だ。

 同時に先ほどと同じ白い光線と橙色の熱戦、そして鉄でできた飛翔体による無数の攻撃が放たれる。

 男の真下にいる王都民は巻き込まれるのを恐れ、たまらずその場から逃げ出すが、男はそれらの攻撃をある時は避け、ある時は先ほどのように結界で防いでいく。

 しかし、それに構わず小型機は男へ突っ込んでくる。そのまま男を撥ね落とすつもりだ。

 光速で自分に向かってくる小型機を前にしても男は避けようとせず再び右手を突き出した。まさかさっきの結界で小型機を防ぐつもりか? 男の真下で、あるいは枠を通してこの戦いを見ている者たちはそう思った。だがそれは違った。

 

《リヒト、俺は固有技能を発動させるからお前は魔力の強化を頼む》

《はい……シュヴァルツェ・フェアシュテルクング》

「フィンブル!」

 

 その直後に男の手から三角形の魔法陣が現れ、そこから大量の雪崩が飛び出てきて小型機を覆い、機能停止に陥った小型機は空中で爆散するも、雪崩はなおも収まらずそのままゆりかごへと向かっていき、かの巨船に直撃した。

 その衝撃でゆりかごは揺れ中にいる者たちはその場で大きく体勢を崩す。倒れた者も少なくない。

 人々は地上から、または枠を通してこの光景を呆然と見ていた。

 

「あんな大魔法を一瞬で……」

「まさか本当にグランダム王なのか。確かに左右違う眼の色をしているが……」

「それはわかんねえけど滅茶苦茶強い魔導師なのは確かだ。もしかしてあいつならゆりかごを……」

 

 無数の小型機を撃退しゆりかごにまでダメージを与える男の攻勢に、王都にいる者たちは希望を取り戻し男を見上げた。

 中にはその隙に王都から出て行こうとする者もいたが……しかし、彼らが王都から出ていくことはできなかった。

 

封鎖領域(ゲフェングニス・デア・マギー)

 

 上空で男が呪文を唱えた瞬間、王都は紺色の結界に覆われ、街から出ようとしたものは結界と衝突しその場で転倒する。

 

「な、なんだこれは? ……まさか」

 

 この現象に多くの者たちはうろたえ、一部の者たちはまさかと思った。

 

 そう、この瞬間、男が張った結界によって王都に住む人々は、王都に()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 上空でそれを見下ろす男はくくくっと笑う。その顔は王都の人々を救おうとする者が浮かべる顔ではない。

 

 

 

 

 

 

 枠の向こうで冷酷な笑みを浮かべる男を見ながらティッタはつぶやく。

 

「お兄様……一体何をする気なの?」

 

 枠に映る男は姿こそ変貌しているものの、先ほど自身が名乗った通り、紛れもなくグランダム王ケントに他ならなかった。



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第78話 愚王

 ベルカ中の人々の前に現れている枠には、今もグランダム上空に現れた灰色の髪の男の姿が映し出されている。

 その男は髪の色や片目の色が変わり両頬に赤いラインが浮かび上がっているものの、彼を知っているものから見ればその顔はまぎれもなく……

 

「陛下……本当に陛下なの?」

 

 枠の向こうで嗜虐的な笑みを浮かべている男を見て、シャマルを呟くような声を漏らした。

 その言葉をともに卓を囲み枠を見ていたヴィータが首肯する。

 

「ああ、間違いねえ。風貌は変わっちまっているけど、あいつは確かにケントだ。けど、あの姿は一体?」

「ふむ、我らが知る主と大きく様変わりしているな(しかし、遠い昔にもあのように主の姿が変わるところを目にしたことがあるような……)」

 

 変貌したケントを見ながら、ザフィーラは腕組みをし懸命に記憶をたどる。しかし、あまりにも遠い過去のことで思い出すことができない。

 無理もない。それはまだ闇の書が《夜天の魔導書》と呼ばれていた頃のこと。ヴォルケンリッターとともに、自らも闇の書の意思とユニゾンをして戦っていた最初の主(魔導書の製作者)の記憶なのだから。

 

「そ、それにしてもあの結界は何でしょう? どうしてケント様は王都を結界で囲んだりなんか」

「あの結界で王都を守るつもり……かもしれんな」

 

 イクスの問いにそう答えながらもシグナムは自信がなさそうに言葉尻を濁す。

 どちらかと言えばあの結界は内部を守るものではなく、中にいる者を閉じ込めるためのものに見える。何より結界に覆われた王都を見下ろし、愉悦に浸っているように笑っているケントを見ているととてもそうには思えないのだ。

 それにケントはなぜ《超距離通話》を使ってベルカ中の人々に自分の声を聞かせているのだろうか?

 ティッタは一人沈黙したままケントを見て思う。

 

(お兄様、一体何をしようとしているのさ? あんたが何を考えているのかまったくわからないよ)

 

 

 

 

 

 

 ダールグリュン帝城 談話室。

 

「あの姿は!?」

「どうした? 今のグランダム王の姿に何か心当たりでもあるのか?」

 

 今のケントを見て思わず声を上げるエリザにゼノヴィアは問いを投げる。

 エリザはゼノヴィアに視線を移し、首を縦に振った。

 

「はい。以前にもお話したと思いますが、リヴォルタでカリナという傭兵隊の首領と戦った際に、ケントさ――殿がリヒトという方と融合してあのような姿になったことが……ただ、あの時とも様子が違っているようですけど。あの時は頬にあんなラインついていなかったはず……」

「ああ。大昔に持ち主と融合する人型の兵器があったそうだな。てっきり過去の人間が遺した絵空事の類かと思ったが」

 

 ゼノヴィアはそう言って紅茶を口に含む。

 彼女もまたベルカ王族の一人として先史時代ついてある程度は知っている。融合騎についてもその文献を目にしたことがあった。本人が言っているように本当にあったものだとは思っていなかったが。

 それにゼノヴィアにとってもエリザにとっても気になることはそこではない。

 

「それにしてもグランダム王、ケントの奴は何をするつもりなのだろうな? お前が見たところあの結界は……」

「はい。リヴォルタで騒乱が起きた際に市民たちを閉じ込めたあの結界によく似ています。まさかあの時倒した傭兵隊の誰かが使っていた魔法をケント様が……」

「だろうな。我々に自身の声を聞かせている術も、どこぞの魔導師から奪い取った術ということか。王都にいる民を閉じ込め、我々に己の声を聞かせて、奴は一体何をするつもりだ?」

 

 答えが返ってくるとは思っていないのだろう、独り言のようにゼノヴィアはつぶやく。エリザもそれには首をかすかに横に振って沈黙するしかなかった。

 

(……ケント様、リヒト様、あなた方は一体何をしようとしているのです?)

 

 

 

 

 

 

 結界に包まれ中にいる者たちが誰一人出られなくなった王都の上空では、今もなおケントとゆりかごが睨みあうように相対していた。ゆりかごの後方にいる数百機もの小型機もケントに向かわず、彼から母艦を守るように静止している。

 そんな中、彼の前に枠が現れ、そこにオリヴィエの顔が映し出される。

 

『グランダム王ケント殿……ですね。お待ちしていました。先ほどの無礼はお詫びいたします。今の攻撃は血気に逸った臣下が独断で行ったこと。ここは痛み分けということで収めていただけませんか?』

「なに、別にあれくらい気にしていない。そちらこそ大丈夫だったか? 少し加減をし損ねてな。羽虫を払うだけのつもりが、そちらにまで届いてしまったみたいだ」

 

 しゃあしゃあとケントは言って見せる。明らかにわざとゆりかごに攻撃をぶつけたのは誰の目にも明白だった。その証拠にケントはにやにやした笑みをオリヴィエに向けており、悪びれている様子が一切ない。

 それを見てオリヴィエはふっと息をついた。その表情は今までと比べてわずかに感情が戻っているように見える。

 

『お気遣いなく、こちらにも被害は出ておりません。……それでグランダム王殿、あなたが姿を現してくださったということは、先日私が出した要望の返答を聞かせていただけるということでよろしいでしょうか?』

「ああ、我が国の聖王連合への加盟と闇の書を渡してほしいというあれか」

 

 ケントの言葉にオリヴィエはうなずきを返すようにわずかに首を下に傾け、こわばった表情でケントを見る。

 それに対して、ケントはしばらくの間左手にある闇の書を眺めながらあごに手を載せて考え込むようなしぐさを見せて、再びオリヴィエに視線を戻して口を開いた。

 

「闇の書を渡すことはできない。これは余が所有する至宝にしてグランダムの国宝である。それをむざむざ貴公に譲る道理はない」

『……そうですか。残念です』

 

 そう答えた瞬間オリヴィエの目に冷たさが戻り、それを見て王都の人間は震え上がる。その目に殺気が灯るのを感じたからだ。

 しかし、そんなことも気が付いてないような素振りでケントは話を続けた。

 

「ただ、連合への加盟については、条件次第で同意してもいいと思っている」

『……条件とは何でしょう?』

 

 条件という言葉に、オリヴィエは少し間を空けてケントに問いかけた。

 連合に加わる代わりに王都への攻撃をやめろと言うつもりだろうか? 彼女が知るケントならそう言ってくるはず。しかし、それにしては態度が尊大すぎる。とてもそんなことを言ってくるようには見えない。

 訝しむオリヴィエにケントはその条件を告げた。

 

「なに、簡単なことだ。このケント・α・F・プリムスを連合の盟主とし、すべての連合加盟国は余に忠誠を誓うと約束してほしい。無論貴公もだ、聖王オリヴィエ殿。さすれば余は闇の書の力を持って、ベルカに安寧をもたらすと約束しよう」

 

 ケントの言葉にオリヴィエは目を見張り、これを聞いている者たちも仰天した。

 何を言うかと思えばケントは聖王連合に降るどころか、逆に自らの傘下に下れと言ってきたのだ。ゆりかごの主砲を突き付けられている身にも関わらず。

 

『ケント殿、自分が何を言っているのか分かっているのですか?』

 

 オリヴィエの問いに、ケントは頭を軽く縦に振って言った。

 

「もちろんだともオリヴィエ殿。余が連合の盟主となってベルカを統一し、その統治者になるということだ。……ふむ、聖王連合という名前も余が束ねる連合国家に相応しくないな。“ドゥンケルハイト()連合”とでも改称しよう」

『戯言を。そのような事を許すと本気でお思いですか? それに、あなたなどにベルカを統一することが本当に可能だとでも?』

 

 オリヴィエの問いにケントは笑みを浮かべながらうなずいた。

 

「無論だ。貴公も知っての通り、余にはこの《闇の書》がある。完成した暁には所有者に絶大な力をもたらす魔書がな。その闇の書を完成させるために、余は各地で魔力と命を集めて闇の書の頁を増やしてきた。ディーノ、コントゥア、ガレア、リヴォルタ、といった各地の国や街を回ってな!」

 

 

 

 

 

 

「な、何を言ってんだあいつ?」

「この言い方じゃまるで……」

「主ケントが各地で戦を引き起こしたような物言いではないか」

 

 ケントが言い出したことに守護騎士たちは困惑の色を浮かべる。

 今までの戦いでケントが裏で糸を引いていた事実など一切ない。にも関わらず、なぜケントは突然あんなことを言い出すのだろうか?

 守護騎士たちがおろおろする中でイクスとティッタはもしやと思った。

 

(もしかしてケント様は……)

(お兄様、あんたまさか……)

 

 

 

 

 

 

 一方、グランダム上空ではケントが話を続けていた。

 

「ここまで頁を集めるのは苦労したよ。何度直接隣国に攻め入ろうと考えたことか。だが、その甲斐あって闇の書もあと90ページで完成する……街一つから魔力と命をかき集めれば丁度いいくらいだ!」

 

 その言葉にオリヴィエは目を見張り、話を聞いていた人々もギョッとする。

 

「街一つだと!? そ、それってこの王都のことを言っているのか?」

「まさか、結界で俺たちを王都に閉じ込めたのは」

「私たちの魔力と命で闇の書を完成させるため……」

 

『ケント殿……あなたはまさか』

 

 騒然とする王都の人々と目を大きく見開くオリヴィエを眺めながら、ケントはクククと笑い声を上げた。

 

「君が考えている通りだ。余がこの王都に姿を現したのも、闇の書を完成させるためだ。眼下にいる王都の民たちの命と魔力を糧としてな!」

 

 その言葉を聞いた途端、人々はケントの目論見を知って王都から逃げ出そうと街の端まで殺到し、街を包みこんでいる結界を殴ったり体当たりをしたりするが、結界はまったく破れる様子がない。

 何とかできないかと何人かが結界の縁を凝視し、ある人物があっと声を上げた。

 

「思い出したぞ! この結界、見覚えがあると思ったらあれじゃないか。この前リヴォルタで騒乱が起きた時に俺たちを街に閉じ込めた結界――あれとそっくりだ!」

「そ、それって本当かよ? じゃ、じゃあ、あの騒乱を仕組んでいたのは……」

「いえ、それどころか、ディーノとの戦もガレアの侵略も、ケント様が」

「た、確かにおかしいと思っていたぜ。ガレア軍にあそこまでやられたのに、イクスヴェリアを処刑せず自分の城に置いておくなんてよ」

「ここ半年間のグランダムの急激な拡大はおかしいと思っていましたが、それもすべてあの王が……」

 

 ケントが今まで起きた戦の黒幕と思って騒ぎ出す人々、今もなお王都から抜け出そうと結界を相手にあがく者たち、そんな王都民を見下ろしてケントは再び口を開く。

 

「余がオリヴィエだけでなくベルカ中にこの言を聞かせているのは、最後の礎となる王都の民をねぎらい、ベルカ中に闇の書の完成を知らしめるためだ。いよいよ闇の書は完成し、余はベルカを統べる力を得る。

 すべては『ベルカ統一』という大義のため! その大義を前に、多少の犠牲など大した問題ではあるまい!」

 

 

 

 

 

 

 

『――ふざけるな! この《愚王》が!』

『ひどすぎるわ!』

『俺たち国民を何だと思ってるんだ!』

 

 オリヴィエの前に現れているモニターには、ケントを罵る王都の人々と、気分を害した様子もなく悠然と彼らを見下ろすケントが映っていた。

 そんなケントに対してオリヴィエは悲しげな顔で、

 

「……ケント様、どうして」

 

 そんなつぶやきを漏らしているオリヴィエの横にモニターが現れる。そこに映っているのはゆりかごの管制官でもあるシスターだった。

 

『陛下、レーゲンボーゲンを発射準備を行います。陛下もご準備を』

「レーゲンボーゲンを……まさか」

 

 オリヴィエの言葉にシスターは首を縦に振る。

 

『このままでは王都の民を糧に闇の書が完成してしまいます。そうなる前にレーゲンボーゲンを使ってグランダム王と闇の書を消滅させなければ……ですから!』

「……分かりました。発射準備をお願いします。こちらはいつでも大丈夫です」

 

 オリヴィエはそう答えた。今度はゆりかごによる精神制御によって言わされたものではなく、彼女自身の意思で言ったものだ。

 闇の書はどうあれ、王たる者が自国の民を生贄にすることなど決して許していいはずがない。どんなことをしても彼を止めなくては……その命を奪ってでも。

 オリヴィエはそう強く決意した。

 

 

 

 

 

 

 再び白く光るゆりかごの砲身を見てケントは鼻で笑う。

 

「無駄だよオリヴィエ殿。闇の書には再生能力と主たる余を守る防御能力があってな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、闇の書にも余にも傷一つつけられない。

 無駄なことはしないで、聖王都を明け渡しと余をもてなす準備でもすることだ。その際はオリヴィエ殿にゼーゲブレヒト城の案内と夜の相手でも頼むとしようか。はっはっはっ!

 ……では王都民諸君も覚悟ができた頃だろうし、そろそろ蒐集を始めさせてもらうか」

 

 ひとしきり高笑いを上げてからケントは闇の書を大きく掲げる。それを見て王都の人々は腕で顔をかばったり、目を閉じたり、その場にふさぎ込んだりした。

 ゆりかごの砲身が白い魔力光に包まれたのはその時だ。

 

 

 

 

 

 

「陛下、発射準備が整いました」

 

 それを聞いてオリヴィエはもう一度ケントを見た。自国民を害する暴君になり果てた友の姿を。

 しかし、そこで彼女が見たのは、

 

(……えっ?)

 

 モニターの向こうでケントは発射寸前の砲身を眺めながら笑みを浮かべていた。その笑みを見てオリヴィエははっとする。

 

(まさか……ケント様、あなたは)

『Bereit. Feuer Regenbogen(準備完了。レーゲンボーゲンを発射します)』

 

 そこで無機質な音声が部屋中に響いた。

 オリヴィエはたまらず――

 

やめてええええええ!

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエの意思に反して、砲身からおびただしい白い光の奔流がケントに向けて放たれていく。

 それを前にしても、ケントは避けようともせずに宙に浮いたままだった。

 

《リヒト、もういい!! お前は逃げろ! ここまでで充分だ!》

《いいえ! 私もご一緒させてください! 最後(最期)までお供させていただけると仰ってくれたはずです!!》

「……馬鹿野郎」

 

 意固地な恋人(リヒト)の言葉を聞いて、最期だというのに思わず笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 光の奔流は凄まじい速さでケントに迫り、見る見るうちにケントは光に飲まれていく。あまりにもまばゆい光にケントを睨み続けていた者も思わず目をふさいだ。

 

 

 

 それからやがて光が収まり、ケントがいた場所に人々が目を向けるとそこには何もなかった。

 ケントも闇の書も、最初から存在していなかったかのように跡形もなく消滅したのだ。

 

 

 

 

 


 

 聖王オリヴィエ陛下からの宣戦布告を受けた愚王ケントは突如乱心を起こし、四人の守護騎士や異母妹ティッタ、ガレア王イクスヴェリアといった面々を王宮から追放、さらには王都の住民を犠牲にして『闇の書』を完成させようと目論んだ。

 しかし、『聖王のゆりかご』の魔力砲を受けて、愚王ケントは『闇の書』とともに消滅。

 ついに愚王ケントに裁きが下り、グランダム王国とベルカは愚王から解放されたのだ。

 それ以後グランダム王国は聖王連合に統合され、グランダムの民は聖王陛下の保護のもとで安寧な日々を取り戻したという。

 

愚王伝終章 終



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第79話 願い

「……ここは……」

 

 ふと気が付くとそこは白い空間だった。

 右も左も上も下も何もかもが白くて、当然天井も大地もない。でも飛行魔法を使った時のような浮遊感もない。そんな不思議な空間だった。

 肌に接触している感触を何も感じないことからもしやと思って自分の体を見下したら、自分の体は服を身につけていない状態、つまり真っ裸だった。

 ……俺は確か聖王のゆりかごの魔力砲から発射された光を浴びて……気が付いたらここに?

 どこだここは? なんで俺はこんなとこに……いや、本当はもう気が付いている。おそらく俺はもう……。

 

「我が主」

 

 ふと声がして俺は前を見ておもわず声を上げた。

 

「――リヒト!」

 

 いつの間にかそこには俺とともに魔力砲の光を浴びたリヒトがいた。俺と同様その体には何も身に付けてはいない。右腕や両足に巻き付いていた革帯(ベルト)も、両頬と左腕にあった赤いラインももうなくなっている。

 そんなリヒトを見てようやく俺はその事実を受け入れた。

 

「……そうか。俺は……俺たちは死んだんだな。あの魔力砲によって」

「はい、その通りです。もっとも、私は夜天の魔導書とともに再び蘇ることになるでしょうが」

 

 顔を曇らせながらリヒトはそう答えた。

 そんな彼女に俺は問いかける。

 

「守護騎士たちは? 夜天の魔導書が消滅したらあいつらもベルカにはいられなくなると聞いたが?」

「ええ。ほどなく騎士たちもあの世界から消失して魔導書に還ってくるはずです。ここに来るようなことはないと思いますが」

「そうか、それは残念なような安心したような。あいつらには謝れるものなら謝りたいところだが、こんな格好でとなるとさすがにな……」

「確かにそれは恥ずかしそうですね。少し見てみたい気もしますが」

 

 そう言ってリヒトはクスクスと笑うが、またすぐに笑みを消してしまう。

 そして彼女はおもむろに俺に頭を下げて言った。

 

「主、申し訳ありません! 夜天の魔導書のせいで――私のせいで、主に自らを犠牲にすることを強いてしまった……私はあなたになんとお詫びすればいいのか――!」

「いいや、それは違う」

 

 涙を流しながら頭を垂れて謝るリヒトに俺はそう言って彼女の肩に手をかける。それにつられて彼女は顔を上げて俺を見た。その目からはまだ涙が流れている。

 

「あれは全部俺が決めてやったことだ。ゆりかごの魔力砲で暴走寸前だった夜天の魔導書を俺ごと消滅させるということを考え、そうなるようにオリヴィエを誘導したのは、全部俺なんだよ」

 

 

 

 

 

 聖王のゆりかごを利用して自分ごと夜天の魔導書を消滅させる。すべてはそのためにやったことだった。

 

 そのために俺はまず守護騎士から騎士の位を取り上げ王都から追放した。

 騎士たちに俺が考えていることを知られたら、あいつらは間違いなく俺を止めようとするだろう。そうなったら騎士たちに夜天の魔導書の真実を伝えざるを得なくなる。

 この後も新たな主の下で頁の蒐集に加担させられる騎士たちを思えばそんなことはできない。もっとも騎士たちがそれを知ったところで、次の主のもとへ行く頃にはすべて忘れるようになっているのではないかと俺は見ているのだが。

 とにかく守護騎士たちに邪魔をさせるわけにはいかない。それを防ぐにはあいつらを王都から追放するのが一番確実だった。それもあいつらに憎まれるように仕向けたうえで。

 シグナムたちから騎士の位を取り上げたのもそのためだ。それに万が一シグナムたちに騎士の位を与えたままにすればその権限を利用して、俺のもとへと戻ってきかねない。念には念を入れておく必要があった。

 そしてさらに俺は、守護騎士たちに加えてティッタとイクス、リヒトも王都から追放することにした。守護騎士たちとともに俺を止めようとするだろうティッタの動きを封じる必要もあったし、俺がいなくなった後に備えてイクスを誰かに預ける必要があった。

 そして何よりみんなを巻き込みたくなかった……巻き込みたくは()()()()

 

 そして今日、聖王のゆりかごが王都に迫りあわや王都に向けて魔力砲が発射されるところで俺は姿を現した。当時の民から吸い上げた税によって作られた豪奢なマントを着た、暴君に相応しい恰好で。

 そして俺はオリヴィエを挑発しながら今までの戦で蒐集した魔法とそれらの戦をすべて仕組んだかのような言い方で民の不信をあおり、最後は王都の民の命で闇の書を完成させると告げて魔力砲の矛先が俺に向かうように仕向けた。

 その結果、聖王が放った魔力砲によって夜天の魔導書とその主は消滅し、ベルカは()()()()滅亡を免れた。

 これが最良だったのかは分からない。もっと他にいい方法があったのかもしれない。現にこんな方法を取ったせいで――!

 

 

 

 

 

「すまないリヒト」

「主?」

 

 おもむろにリヒトを抱きしめて謝る俺に彼女は怪訝そうな声を上げる。それに構わず俺は続ける。

 

「すまない……君を巻き込んでしまって……夜天の魔導書を貶めてしまって、本当にごめん」

 

 結局俺は一人では何もできず彼女を死地に巻き込むことを選び、あまつさえ夜天の魔導書を暴君の凶器、忌まわしい闇の書として穢してしまうことになった。

 そう思うと情けなくて申し訳なくて涙が出てくる。

 そんな俺にリヒトは、

 

「や、やめてください主! それこそ私が望んでやったことです。主がああしてくださったからこそ、夜天の魔導書は故郷であるベルカを滅ぼさずに済んだ。魔導書だってあなたを感謝こそすれ恨んではいません……主は十分やり遂げました。やり抜きました」

 

 リヒトも涙を流しながら俺を抱擁し頭を撫でながら言う。

 

「主ケント、あなたは私の自慢の主で……自慢の恋人(パートナー)です!」

 

 そう言われると嬉しい。初めてリヒトに恋人だと言ってもらえたのだから。この時初めて俺とリヒトは両想いになれたのかもしれない。

 でも……

 

「駄目だ。これじゃ駄目なんだ!」

「主?」

「確かに俺と君が犠牲になることで、夜天の魔導書は消滅してベルカはひとまず救われた。でもその結果オリヴィエはどうなる? 彼女に置き去りにされたクラウスやエレミアは? 俺たちはベルカを守ったのかもしれないが、それと引き換えに俺はあいつらを切り捨てることを選んだんだ!」

 

 できることならオリヴィエをゆりかごから助け出したかった。しかし今ではそれも叶わない。こうして肉体を失った今となってはもう。

 それに守護騎士やリヒトはこれからどうなる? また違う主のもとで彼らに酷使されながら闇の書の頁を集めていくのか? それが主と世界の破滅しか起こさないことも知らずに。

 結局俺は肝心なものを救うことができてないじゃないか!

 

「救いたい。次があったら、今度こそ俺は大切なものを救ってやりたい」

「主……」

 

 リヒトは俺の頭を撫でながらそれだけを口にした。何と声をかけていいものかわからないのだろう。

 そんな彼女に俺は言う。

 

「なあ、リヒトは知っているか? 闇の書にはどんな願いもかなえる力があると」

「……ええ、よく知っています」

 

 あえて夜天の魔導書のことを“闇の書”と呼ぶ俺の言葉にリヒトは同意を示した。

 

 『闇の書』はどんな願いもかなえる魔法の本。

 子供の頃に俺が聞かされたのは、そんなおとぎ話のような言い伝えだった。

 大きくなるにつれて、闇の書とは持ち主に絶大な力をもたらす魔導書だという話ばかり聞くようになり忘れるようになったが、俺が子供の頃に聞いた話はそんなものだった。

 子供の頃は色々願ってたなぁ。父上が優しくなりますようにとか、母上が戻ってきますようにとか、宰相の年齢を教えて欲しいとか、ダスターが王子じゃなくなりますようにとか色々。

 でも今の俺なら……

 

「……もう一度」

「えっ?」

 

 頭を撫でるリヒトの手が止まると同時に俺は頭を上げ、リヒトと向かい合う。

 

「もう一度機会が欲しい! もう一度機会をくれれば、俺は必ず大切なものや多くの人たちを救うことができる人間になってみせる! ……そして守護騎士たちやリヒト、お前たちを必ず闇の書の運命から救い出してみせる! 絶対!」

「主……」

 

 リヒトはぽかんとした目で俺を見る。

 あまりに子供じみた言葉に呆れたか。しかし、リヒトは顔を赤くしながら、しばらくの間俺を見つめていた。まるで恋する乙女のように。

 やがてリヒトはふっと微笑んでいった。

 

「分かりました。“闇の書”としてその願いをかなえて差し上げましょう。魔導書は完成していないままですが、550ページ以上も集まっていればそれくらいの願いは叶えられるかもしれません……魔導書とともに生まれ変わるという願いくらいなら」

 

 リヒトのその言葉に俺はまさかと目を見張る。ダメ元どころかほとんど愚痴のようなものだったのに。

 本当に生まれ変わることなんてできるのか?

 案の定ただではいかないのだろう。リヒトは笑みを消して……

 

「でも、それがうまくいく可能性は限りなく低いですよ。おそらく何百回は破壊と再生を繰り返さないと……いえ、それでも主が生まれ変わる日が来るどうか。もしかしたらそんな日は来ないまま、いつの日か夜天の魔導書とともに滅びてしまうかも……」

 

 リヒトが言った最後の一言に俺は噴き出す。そんな俺をリヒトは怪訝そうに首を傾けるが。

 いやリヒト、お前の反応の方がおかしい。だって……

 

「滅びなんてそんな怖がるようなもんか。だって、もう一度死んでるんだぞ俺は」

 

 笑いながらそう言うとリヒトもふっと苦笑する。

 

「確かにそうかもしれませんね。……でもいいんですか? こうして安息が得られたのに、後はこのまま眠りについて夢を見るだけでいいのに」

「ああ。ここでうじうじ悩んでいるよりよっぽどましだ。それにひょっとしたらそこで頼もしい仲間ができるかもしれないしな。そいつらに会える機会を逃して、ここでぐーすか寝てたら絶対後悔する」

 

 俺の言葉にリヒトは仕方なさそうな笑みを浮かべた。

 

「分かりました。何十年後か何百年後かわかりませんが、騎士一同、またあなたにお会いできる日を楽しみにしています」

「ああ。その時を楽しみに待っていろ。それとリヒト、俺からも一ついいか?」

「何でしょう我が主?」

 

 その返事に俺は苦笑する。さっきから何度訂正しようと思ったことか。

 

「俺はもうお前たちの主じゃない。これから俺のことはケントと呼んでくれ……そう呼んで欲しい」

 

 そう言った途端、リヒトは困ったように目を泳がせる。

 

「た、確かにあなたは主ではなくなりましたけど。でも今まで主と呼んでいたから急に名前で呼べと言われても……」

「じゃあ次に会ったらそう呼んでくれ。練習する時間はたっぷりあるはずだ。俺が生まれ変われるようになるまで結構かかるんだろう?」

 

 リヒトはなおも何か言いたそうにしていたが、やがて観念したようにため息をつき、

 

「分かりました。何とか努力してみます。……では、そろそろお休みになられてください。生まれ変わるまでのしばしの間よい夢を……ケント」

「ああ。お休み。リヒト」

 

 俺はリヒトの体に包まれていく。

 やがて視界は真っ白になり俺の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 ――主ケントの意思により、主ケントの身体データ、記憶データを魔導書内に書込(セーブ)

 

 ――主ケントの意識の消失と夜天の魔導書の修復を確認。主ケントを登録から抹消します。

 

 ――エラー! 所有者の身体データ、記憶データを保存している状態では登録の抹消を行うことができません。主ケントの身体データと記憶データを消去するか、登録の抹消を中止してください。

 

 ――登録抹消の中止は未推奨。主ケントを所有者として登録したままでは新たな所有者の登録が行えなくなります。

 

 ――主ケントのデータの消去をシステムに打診……消去不能。システムN-Hが消去を拒否しています。

 

 ――システムU-Dが打開策を提示。主ケントを《サブマスター》に登録した状態なら、新たな所有者を登録することが可能となります。

 

 ――主ケントをサブマスターに登録しました。並びに主ケントを所有者登録から抹消します。

 

 ――次の所有者の登録準備が完了しました。

 

 ――1000ベクサ先の次元に夜天の魔導書に適合する魔力資質を確認。転移を開始します。



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エピローグ
第80話 覇王(前)


 聖王オリヴィエが聖王のゆりかごを用いて《グランダムの愚王》を征伐して以降、聖王のゆりかごはいくつかの反連合国の王都を消滅させていき、ゆりかごの圧倒的な力を思い知らされた国々は次々に聖王連合に加盟していくようになり、数百年続いたベルカの戦乱は瞬く間に終息を見せていった。これが世に言う『聖王統一戦争』の経緯である。

 しかしそれから数年後、聖王のゆりかごは突如ベルカの空からその姿を消し、それに乗じて崩壊寸前だったダールグリュン帝国と反連合国が再び勢いを取り戻し、聖王連合の打倒とベルカ統一を掲げ兵を挙げた。

 ゆりかごなき今、ベルカはダールグリュン帝国によって統一されるのか、あるいはベルカそのものが崩壊するまで戦が続いていくのか、人々はそう思い悲嘆にくれた。

 しかしそうはならなかった。

 今や聖王家を超え、帝国と肩を並べる強国となったシュトゥラ王国が立ち上がり、反連合国と帝国の軍を鎮圧していったからだ。

 

 

 

 

 

 

 シュトゥラではゆりかごの起動から間もなく、病床にあった当時の国王が崩御し、第一王子にして唯一の王位継承者だったクラウス・G・S・イングヴァルトがその位を継いだ。

 そして彼は即位間もなく、軍を率いて未だ連合になびかぬ反連合国や帝国に攻め込んだのである。

 ある時は中枢王家の要請を受けて、ある時は自身の判断で、クラウスはほとんど休む間もなく兵を指揮しながら自ら前線に立って敵軍を蹂躙し、敵国から降伏と連合への恭順の言質を取るか、はたまた敵国の王を討ち倒して国を潰し、クラウスは再び軍を率いて次の国へと戦いを仕掛けていった。

 

 シュトゥラの内政を預かる高官たちの中には王を諫めようとする者もいた。だがクラウスはそんな声に耳を傾けようとしなかった。これは連合のベルカ平定を助けるための戦いで、シュトゥラを存続させるために必要な事だと言って聞かなかった。

 ならばせめてと、家臣たちはクラウスにシュトゥラ王家の血統を残すために妃を迎え、世継ぎを設けるべきだと訴えたが、彼はそれにも首を頑として縦に振らなかった。今はそんなことをしている暇はないとクラウスは言っていたが、オリヴィエへの想いが尾を引いているのは誰の目から見ても明らかだった。

 

 それから数年もの間、クラウスはひたすら戦いを続け、多くの国を滅ぼし無数の屍を築いていった。ゆりかごがベルカから姿を消して今まで息をひそめていた帝国と反連合が再び動き出すようになってからは、かの国々に対して一層攻撃を強め、クラウスはベルカ中から《シュトゥラの覇王》と呼ばれるようになっていった。

 そんな時、クラウスのもとに、皇帝率いる帝国の軍が、南の地に進んできているという話を聞いたのは。

 

――雷帝ゼノヴィア! とうとう姿を現したか。しかもよりによってあそこに。

 

 その報告を聞いたクラウスはすぐさま五万もの軍を率いて南へと向かった。目指すはかつて《魔女の森》と呼ばれていた枯れ地だ。

 

 

 

 

 

 

 シュトゥラ南部。

 そこはかつて緑豊かな森で《魔女》と呼ばれる亜人たちが暮らす森だったが、十年前隣国が仕掛けた燃焼兵器によって無残にも焼き払われ、ほとんどの木々が焼け落ちてしまった。そして今では木々の残骸も完全に朽ち果て、影も形もなくなってしまっていた。

 その荒れ地にて三万ものダールグリュン帝国軍と、彼らを追ってやって来た五万ものシュトゥラ軍が対峙したのである。

 情報通り帝国軍を率いるのは、かつては覇王とも呼ばれていた《雷帝》ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン。

 対してシュトゥラ軍の指揮を執るのは、数多の国を攻め滅ぼし《覇王》の異名で呼ばれるようになったシュトゥラ王クラウス・G・S・イングヴァルト。

 

 ベルカ史上最後の戦いとなるこの戦が、覇王の名を持つ者同士の戦いとなるのは歴史の必然だったのか? それとも覇王と呼ばれる二人の執念がなせる業だったのか? それは神のみぞ知る。

 

 

 

 

 

 青い鎧のシュトゥラ兵と白い鎧の帝国兵は互いに剣を振るい、槍を突き、敵国の兵の命を奪い自らも別の敵兵に討たれ屍となる。そんなことが何千、何万回も繰り返され数刻もしないうちにあちこちで屍が散乱していく。

 

「見つけたぞシュトゥラ王!」

「その首もらった!」

「覚悟おぉ!」

 

 十人以上の帝国兵がクラウスめがけて殺到してくる。

 クラウスは自分に向かってくる帝国兵を見据えると、自身の足元に魔法陣を展開しながら右腕を後ろに下げた。

 

「シュトゥラ流……」

 

 そして、

 

「空破断!!」

 

 クラウスが手のひらを開いたまま右手を前に突き出した瞬間、彼の手からすさまじい衝撃波が放たれる。

 それをもろに喰らい、ほとんどの敵兵が四方へ吹き飛び息絶えていく中、敵兵の一人が生きたままクラウスの前に飛んできて、満身創痍のまま地に横たわった。

 クラウスは紫の右眼と青い左眼で敵兵を見下ろす。自身を見下ろす二色の冷たい目を見て敵兵は思わず「ひっ!」と声を上げた。

 クラウスはその場で膝を折りながら命乞いの言葉を上げんとした敵兵に向かって右手を振り下ろし、敵兵の心臓を容赦なく打ち砕いた。

 敵兵は口から血を吐き出しながら果て、敵兵が吐き出した血を浴びて青年の体は汚れるが彼は意にも介さず立ち上がり前に目を向ける。

 そこには新たな敵にして青年が探していた敵将がいた。

 

「シュトゥラ王クラウス・G・S・イングヴァルト殿とお見受けするが……相違ないかな?」

 

 長く波打った銀髪、緑の右眼と紫の左眼、白い軍服、身の丈ほどもある巨大な槍。彼女こそが帝国軍を率いる総大将にして、クラウスが十年間探し求めていた宿敵。

 

「ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュン……」

 

 ゼノヴィアの姿を認め、クラウスは彼女に憎悪と殺意のこもった目を向ける。

 ゼノヴィアを睨むその顔は十年前の朗らかな彼とはまるで別人だった。

 それに対してゼノヴィアは十年前と変わらない容貌のまま、不敵な笑みを浮かべながらクラウスを見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 聖王のゆりかごが起動して以来、ダールグリュン帝国でも大きな変化が起こっていた。

 ゆりかごの力におののいた属国が軒並みに独立を表明して連合に降り、この期に及んで沈黙を保ち続ける皇帝に対し各地の諸侯も反旗を翻したのである。

 かくして聖王連合に匹敵するほどの勢力を誇った帝国は、連合の侵攻やゆりかごの攻撃を待たずして分裂。長きにわたる内乱状態に陥った。

 なおフィアット候にして元ディーノ王子だったダスターもディーノ王を名乗り手勢を連れて連合へと向かって行ったものの、すでに旧ディーノ領はグランダムの一部として連合の統治下にあり、領土を持たない身となったダスターがその後どうなったのかは不明である。

 

 ゼノヴィアは自身を討ち取らんと攻め入って来た属国や諸侯を撃退していった。しかし独立しただけの国に対しては手を出すことはなかった。温情からくる判断ではない。この情勢下の中で迂闊に戦線を広げれば兵や物資の消耗を早めかねないことに加えて、こちらが疲弊した所を見計らってゆりかごや連合の軍が攻め入ってくる恐れがあったからだ。

 ゼノヴィアは常に自ら軍を指揮し、打ち破った諸侯や王の城に住みつきながら各地を転々としていった。経費もだいぶかかった。ほとんどは討ち取った諸侯たちから没収した財とその地に住む民からの税で賄っていたが、半年ごとに手元に入ってくるグランダム復興債の金利も助けになった。

 

 戦いを重ね各地に移り住みながらゼノヴィアは待っていた。自分を討ち取りにゆりかごが姿を現すのを。

 ゆりかごを守る無数の小型船や砲台を潜り抜けてあの鋼の船に潜り込み、その奥にいるであろう聖王オリヴィエと対決する。ゼノヴィアはただそれだけを楽しみにしていた。

 

 しかしそれが叶うことはなかった。

 帝国の分裂から数年後、ゆりかごは突然ベルカからその姿を消した。

 ベルカの平定は今だ為されてはいない、この聖大陸に限っても連合に加わっていない国はそこそこ残っているし、形だけは連合に加わった体を取っていてもその実、面従腹背の姿勢を取る国も多い。

 そんな中でなぜゆりかごは姿をくらましたのか、ゆりかごの仕組みを知らないゼノヴィアにもそれが意味することは容易に想像がついた。

 故に彼女は立った。再びこの地に戦乱を起こし自身を満足させるほどの力を持つ強者(つわもの)をあぶりだすために。

 現金な事にゆりかごがなくなった途端属国や諸侯からの攻撃はぴたりとやんだ。彼らは再びゼノヴィアについた方が賢明だと考えたのだ。

 そんな彼らをゼノヴィアは内心で侮蔑しながらも責めることはしなかった。今はただ北への道筋を作れればいい。《覇王》と呼ばれている彼に迫るための道を作れれば。

 それからまた数年の時をかけてゼノヴィアは北へ進み、シュトゥラの西にある地を抑えた。かつてシュトゥラの南にある魔女の森を焼き払ったことでシュトゥラの怒りを買い滅ぼされた国があった場所だ。

 そこはすでに土壌の腐敗が進んでいて誰一人住んでいない荒れ地となっていた。だからこそシュトゥラもこの地は重視しておらず、帝国軍に奪われたとしても即座に兵を送ることはできなかったのである。

 ゼノヴィアはそこからさらに東へ進みこの地に足を踏み入れた。この魔女の森だった地に。

 そしてついに彼女はもう一人の覇王と相まみえることになったのである。

 

 

 

 

 

 

 クラウスの魔力がこもった拳とゼノヴィアの槍の穂先が真正面から衝突する。

 二人は拳と槍を繰り出して相手の攻撃を弾き、その間隙をついて攻撃を仕掛けるも防がれる。

 そんな応酬を絶え間なく続け、クラウスは拳を突き出しながらゼノヴィアに怨嗟の声を漏らす。

 

「お前が……お前がいなければベルカの戦乱はここまでひどくはならなかった……お前たちが聖王連合に歯向かわなければ!」

 

 それを受けてゼノヴィアも槍を振るいながら答える。

 

「確かに。それは否めんな……だが聖王連合の敵は我ら帝国だけだったわけではあるまい……反連合も帝国とさほど変わらん規模があったそうだが」

「違う!」

 

 クラウスはそう叫ぶとともに拳に一層強い力を込め、ゼノヴィアの槍を殴りつける。

 その衝撃は槍からゼノヴィアの体にまで伝わり、彼女は危うく槍を取り落としそうになった。

 クラウスは拳を振り上げながら言葉を続ける。

 

「反連合があそこまで増長したのは、お前たち帝国が聖王家に対抗しようとしていたからだ! 帝国が最初から聖王家に友好的だったら、奴らも戦を起こそうとはしなかったはずだ。お前たちが余計な事をしなければ!」

 

 声を荒げるクラウスにゼノヴィアは鼻を鳴らした。

 帝国の存在とは関係なしに連合に不満を持つ国は昔から存在していた。

 その国々はいつしか禁忌兵器(フェアレーター)という兵器をある武器商人から買い取り、連合に対して侵略のみならず手段を選ばないテロ攻撃まで仕掛けるようになった。

 帝国がどう動こうと戦乱自体は必ず起こっていたはずだ。

 しかしクラウスの言うことにも一理ある。連合と帝国が同盟関係、もしくは友好的であれば、反連合も迂闊に二国を敵に回すわけにはいかなかったはずだ。帝国の動き次第では戦乱はもっと小規模になっただろうことは否めない。

 だからゼノヴィアはこれ以上の反論をしなかった。言っても栓のない事だから。それに何より――

 

「空破断!」

「ぐっ……」

 

 クラウスの右手に集まった魔力が衝撃波となってそのまま撃ち出され、ゼノヴィアを襲う。

 だがクラウスの本命はそれではなかった。クラウスは衝撃波を放つと同時に地を蹴って衝撃波を受け止めているゼノヴィアの眼前に迫る。

 クラウスは瞬時に右腕を後ろに下げながら力を溜め――

 

「破城槌!」

「あああ!」

 

 どてっ腹に鎧が砕けるほどの会心の一撃を喰らい、ゼノヴィアはたまらず大きなうめき声を上げる。クラウスは続けて攻撃を打ち込もうとするも、空気の流れの変化を敏感に感じ取り反射的に後ろに下がる。その直後にゼノヴィアの槍がクラウスのいた所へ振り下ろされた。わずかにかすめたクラウスの緑髪が数本切り落とされて宙に舞う。

 クラウスは舌打ちを鳴らし、ゼノヴィアは苦痛を感じながらもニヤリと口を吊り上げた。

 

 (憎しみのこもった一撃……実にいい、血がたぎる。今まで相まみえたどの敵よりも戦うのが面白い……こやつなら――)

 

 ゼノヴィアは笑みを浮かべたまま空いている左手を広げると、そこに魔力が集まり雷の球体が三つも出来上がる。

 

「五十四式・槍礫」

 

 ゼノヴィアは左手の上に浮かび上がった三つの球体をすべてクラウスの方へ弾き飛ばした。

 クラウスは迫りくる雷球を前にしても避けようとせず、わずかに身をよじるのみだった。避けた所を斬り伏せるつもりだったゼノヴィアはその場にとどまったまま眉をひそめる。

 クラウスはおもむろに両腕を前に出し雷球を掴み取った。

 

(そう来たか!)

 

 残った一つがクラウスに当たらず宙を舞う横で、クラウスはゼノヴィアを見据え掴み取った雷球をそのまま――

 

「旋衝破!」

「ちっ」

 

 ゼノヴィアは槍を振るいクラウスが投げ返した雷球を弾き落とす。弾かれた雷球の一つは地面に落ちてそのまま消滅し、もう一つは残っていた木の残骸に当たってそのまま燃え上がった。それを見てクラウスは苦々しく顔を歪める。

 ――それが一瞬の隙となった。

 

「――!」

 

 燃える木に気を取られていたクラウスの後頭部を何者か――いや、そんなもの今更言うまでもない。いつの間にか背後に回っていたゼノヴィアがクラウスの頭を掴んだのだ。

 

「六十八式・兜砕!」

 

 クラウスは逃れようとするもゼノヴィアはすさまじい強さで彼の頭を掴み続け、そのまま一気に地面に叩きつけた。

 ゼノヴィアはクラウスの頭から手を離し、地に付している彼を切り落とさんと槍を振り下ろす。

 だが……

 

「空破断」

 

 クラウスは衝撃波を握りこんだ左手で地面を殴りつけその反動で起き上がり、そのままゼノヴィアが振り下ろした槍の柄を握りしめ、もう片手を開いたまま後ろへ下げる。

 クラウスの動作と足元の魔法陣を見てゼノヴィアはとっさに槍を手放しかけた。手放すべきだと本能が告げていた。なぜならこのままクラウスの側にいたら――

 

「断空拳!」

「ぐあああっ!」

 

 ひび割れた鎧にクラウスの掌打をもろに喰らう。あまりの衝撃にゼノヴィアは血反吐きながら後ろに吹き飛び、後ろに立っていた木に衝突した。

 だがゼノヴィアはうめき声も上げず血反吐が混じった唾を吐き捨てて笑う。

 

「見事だ、見事だぞクラウス。その力量、その冷徹さ、余に代わって《覇王》と呼ばれているのは伊達ではないという訳か」

「……いいや、私は()()覇王ではないよ」

 

 その言葉を聞いてゼノヴィアは笑うのをやめ、怪訝そうにクラウスを見た。

 クラウスは今もさえない顔のままだった。戦いを始める前と同じまま。



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第81話 覇王(後)

 十年近く前、クラウスはゆりかごに乗るために聖王都へ戻ろうとするオリヴィエと戦い、完膚なきまでに叩きのめされ、去り行く彼女の背中を眺めることしかできなかった。

 その数日後に起こったグランダム事変の時も、外見も中身も大きく変貌したケントと彼の死を、クラウスはベッドの上で見ていることしかできなかった。

 

 そしてあの日以来、クラウスはすべてを憎むようになった。

 先聖王やオリヴィエを利用してゆりかごを動かそうとした中枢王家、連合に対して無益な戦を仕掛けた反連合や帝国、帝国を統べる皇帝ゼノヴィア、ケントの心を蝕んだ闇の書……そしてあろうことかオリヴィエを強くした、彼女の恩人であるはずのエレミアまで――!

 そんな弱い自分をクラウスは誰より憎んだ。強くなりたかった。

 そしてクラウスは心に決める。

 強くなろう。

 守るべきものを守れない悲しみを繰り返さない強さを手に入れ、ベルカの天地に覇をもって和を成せる王になろう。

 

 そう心に決めたクラウスはその後のすべての時間を戦と鍛錬に投げうった。

 しかし、クラウスはいまだにそのどちらもなしえたとは思っていない。

 自ら最前線に出て敵軍を屠っても、戦の度に味方に犠牲は出て、それを十年続けてもいまだにベルカの平定は果たされていない。

 故にクラウス自身にとって彼はまだ覇王ではない。シュトゥラの民やベルカ中の人々からどう呼ばれていようと、どれほどの国を取り込もうと、ベルカすべてに覇を敷き和を成せるまではまだ覇王を名乗ることはできない。

 

 

 

 

 

「フッ――フハハ!」

 

 ゼノヴィアは笑った。まるでクラウスが内心で吐露したことを読んだかのように、ゼノヴィアは笑った。

 クラウスはそれを黙って見ていた。笑いたければ笑うがいいと言うように。

 

「あれほど武功を重ね、あれほど多くの国を下して、このゼノヴィアに並び立って、己はまだ覇王でないと抜かすか。ハハハッ! 面白い、実に面白い男だ。……よかろう! その心意気と今までの健闘に敬意を表して、最大の技をもってそなたを討ち取るとしよう!」

 

 そう吼えながらゼノヴィアは立ち上がり、クラウスは身構える。

 そう、ゼノヴィアは本当の力を見せていない……固有技能をまだ使っていない。

 両腕を前に出して構えるクラウスを前にしながら、ゼノヴィアはおもむろに右手の指を宙に向けそこから雷を放った。

 

――後退! 陛下が固有技能を使うぞ! 後退しろ―!

 

 ゼノヴィアが宙に雷を放った途端、まわりでシュトゥラ兵と戦っていた帝国兵が突然ゼノヴィアの後ろまで下がり、または大きく左右に広がったのだ。あと一太刀でシュトゥラ兵にトドメを刺すところだった者も合図を見た途端シュトゥラ兵に構わず一目散に逃げて行く。

 それを見てクラウスも気付いた。

 

散れ! 皇帝が攻撃を仕掛けてくるぞ! 全員その場から散るんだ!!

 

 クラウスもまたあらん限りの声を張り上げてそう指示する。だが、あえて逃げろとは言わなかった。そんなことを言えばシュトゥラ兵と帝国兵はそれを撤退命令と捉えてしまい、ゼノヴィアの攻撃をしのいでもシュトゥラ軍の士気は乱れこの戦いに勝利することは絶望的になってしまう。

 

 あちこちに散らばる自国の兵とシュトゥラ兵を意に介さずに、ゼノヴィアは持っている槍を真横に構えた。逃げることはできない。クラウスがその場から動いた瞬間にゼノヴィアは躊躇なく攻撃をしてくるだろう。それに、ここでゼノヴィアから逃げるようでは彼女に勝つことなどできない。

 クラウスは拳を構えたままその場に踏みとどまった。

 それを見てゼノヴィアは目をすがめ視線だけで問いかける。『固有技能は使わないのか?』と。

 クラウスはそれを読み取ったうえで首を縦にも横にも振らず、ただ相手の動きを注視していた。

 ……固有技能ならもうとっくに使っている。生まれた時から今この時まで常に欠かすことなく。

 

 クラウスが、そしてシュトゥラ王家が代々備える固有技能……それは『歴代の王たちが積み重ねた戦闘経験の記憶継承(刷り込み)』。

 この技能によってシュトゥラ王族は生まれながらに優れた資質と技能を持ち、それに驕らずさらに研鑽を重ねてきた。

 

 いわばクラウスの資質と力量こそが固有技能。それ以外の技能などない。

 クラウスにとって、この構えがゼノヴィアが放つであろう技に対抗できる唯一の手段。それを感じ取ったのかゼノヴィアは何も言わずに狙いを定めるようにクラウスをじっと見ながら槍を引き、クラウスも右掌を開いて右腕を後ろに引いた。

 

 ゼノヴィアが槍を引いた瞬間、彼女の全身からおびただしい電流が流れそれは瞬く間に彼女が持つ巨大槍の先端に集まる。

 

「雷帝原式……」

 

 目もくらむような光の中で彼女の口が動いた。

 

「シュトゥラ流……」

 

 それに対してクラウスも後ろに引いた右掌に赤色の魔力光を集めて言った。

 

殲滅雷(フェアニッヒトゥング・ドナー)!!」

「断空拳!!」

 

 ゼノヴィアは槍を前に突き出し、クラウスは開いたままの右掌を前に突き出した。

 

 次の瞬間、ゼノヴィアの槍から巨大な光の柱が伸びて、クラウスは右腕を前に伸ばしたまま光に包まれていった。

 

「おおおおお!」

 

 

 

 

 

 これは余談であり未来の話になるが、シュトゥラ王家の固有技能は『クラウスの記憶と戦闘技能の記憶継承』に変容したうえでクラウスの娘に受け継がれ、さらにその子孫に代々引き継がれていくことになるものの、子孫たちに引き継がれたクラウスの記憶はこの瞬間で途切れている。

 当然だろう。もしゼノヴィアの一撃を受けた記憶まで明確に脳裏に刻んでしまったらその時点でショック死してしまいかねない。

 

 だから歴史上でも、クラウスの子孫たちが知る限りでも、覇王クラウスはここで死んだことになっている。()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ゼノヴィアが握っている槍からは今なお光が放出し続けている。その量も大きさも密度もかつてシグナムたちが受けたものとは比べ物にならず、クラウスを飲み込んだ光は地面を大きくえぐりながらそのまま遠くにそびえ立つ岩山にまで達し、大きく穴が開いた山はみるみる崩れ落ちていった。

 

 ゼノヴィアは自身の固有技能“完全な変換資質”によって自身が敵から受け、敵に与えた衝撃のほとんどを電気エネルギーに変換して体内に蓄積することができる。

 ゼノヴィアはクラウスと相まみえるまでに数万ものシュトゥラ兵を討ち取り、自身もそれなりの衝撃を受けてきた。そして、クラウスとの戦いでは互いの得物を激しくぶつけ合い、お互い何度か相手に大きなダメージを与えている。

 それらの衝撃をゼノヴィアは自身の固有技能によって体内に凝縮し丸ごと撃ち出したのだ。ゆりかごに乗り聖王の鎧の力を遺憾なく発揮できる状態のオリヴィエでもこの技を防ぎ切ることはできないだろう。

 ゆえにこの技は歴代皇帝が槍を得物としていることと、唯一《聖王の鎧》に対抗できる武器として《雷帝の槍》と呼ばれている。

 

 かすっただけでも四肢のいずれかは蒸発し大量出血かショック死で死にかねない技だ。それをまともに浴びたのだ。跡形もなくなっていてもおかしくない。この時ばかりはゼノヴィアといえどもクラウスの死を確信するしかなかった。

 ゼノヴィアは光を放出しきった槍を上に向けクラウスの健闘を心から讃えた。

 

――よくぞこの技を前にして逃げようとせず、諦めようともせずに向かってきた。自身が思う覇王には至らずともそなたは余が今まであってきた敵の中でもっとも強く、最も勇敢な武人(もののふ)であった。最後の最後でそなたのような男と戦えたのを嬉しく思――

 

「まだだっ!」

 

 胸中で呟いた弔いの言葉に被せられたその声にゼノヴィアはまさかと思って前を見て目を見開いた。

 

 そこには光に飲み込まれていたクラウスが立っていたのだ。服と皮膚はあちこちが焦げており閉じられた左眼からは血が流れ出ていた。もう潰れてしまっているのかもしれない。

 しかしそれでもこれは信じられない光景だ。先ほども言ったように加減なしの雷帝の槍をまともに喰らった者は跡形もなく消滅してしまうはずなのだから。

 そしてさらに信じられないことに、クラウスはその場に倒れるどころかゼノヴィアに向かって――

 

「あああああ!!」

「――っ! 」

 

 クラウスはその場から一気に駆け出して、ゼノヴィアの眼前に迫り油断しきっていた彼女の顔を思い切り殴りつける。

 それに対しゼノヴィアは槍を振るいクラウスを払いのけようとした。

 だがクラウスは自身に迫る槍を拳で殴りつけ、空いた手でゼノヴィアの顔をもう一度殴る。その拍子に彼女の口から血痰と歯が落ちた。

 ゼノヴィアはクラウスの腹を蹴り上げ彼を自身から引きはがし、蹴られたクラウスは地面に落ちるが受け身を取って横体をさらすことなく立ち上がり、ゼノヴィアと対峙する。

 そんなクラウスを見てゼノヴィアは……

 

「ふ、ふふふ……ふはははははははは!」

 

 ゼノヴィアは突然狂ったような笑い声を上げ、槍を振り上げながら突っ込んでくる。

 クラウスに向けて振り下ろされる槍の穂先を、彼は魔力を込めた両の拳で受け止め逆にゼノヴィアに更なる打撃を与えんと拳を振るう。最初のときから一寸たりとも変わらないキレのある動きで。

 

「ふははははは!」

 

 そんな男と戦いながらゼノヴィアは再び狂笑を上げた。

 

――これだ! これこそが私が求めていたもの(戦い)だ!私はこのような戦いを求めて今まで戦ってきたのだ!

 

 

 

 ゼノヴィアは幼い頃から武の才能に秀で、皇女の身でありながら武技の研鑽に打ち込みそれを見込んだ父によって将となるための教育を受けることが許された。思えば次兄と溝ができたのもその頃からだったかもしれない。

 来る日も来る日も修練に励み、多くの騎士や貴族を相手に槍を振るった。しかしゼノヴィアが負けたことは一度もなかった。

 そんな彼女が実戦を求めるようになるのは必然だった。敵兵との命を懸けた実戦ならば自分が満足できるほどの戦いができると信じて。

 しかしゼノヴィアの力は圧倒的すぎた。彼女が槍を一薙ぎするだけで十人以上の敵兵は全身を切り刻まれ、そのまわりにいる敵兵数十人は衝撃波で倒れ体勢を崩し残った敵兵は皆逃げてしまう。しかも彼女はそれでも全然本気を見せていない。

 当然ながらそれでゼノヴィアの気が収まるわけもなく彼女はさらに突き進み、他国へと押し入った。固有技能を持つ他国の王たち、そして古の大戦を制した英雄の末裔たる聖王と戦うために。

 そう考えたからこそゼノヴィアは父や兄亡き後皇帝になっても、周辺国への侵略を止めず聖王連合に迫り続けた。まだ見ぬ強敵を求めて。ただひたむきに。

 闇の書を持つグランダム王ケントを泳がせ、時に塩を送ってやったのもそのためだ。完成した闇の書を持つ主もまた自身と渡り合えるかもしれない相手だったからだ。

 だが聖王(オリヴィエ)闇の書の主(ケント)も自身と矛を交えることなく死んでしまった。

 ゼノヴィアにとってはこの時点で覇道に何の意味もなくなった。

 シュトゥラへと向かったのも、突然ぽっと現れ、ゆりかごの威を借りて勢力を広げる覇王と呼ばれている輩がどの程度のものか見てやろうというだけの気持ちだった。

 

 

 

 ところがこいつはどうだ?

 剣も槍も持たず素手で何万もの敵兵を薙ぎ払い、自分と互角以上に戦い、今まで多くの敵軍や城を滅ぼしてきた雷帝の槍を手のひらひとつでしのぐという馬鹿げたことをした挙句、全身ボロボロの状態にも関わらず今までより一段と激しい勢いと鋭い攻撃で自身を討たんと迫ってくるではないか。

 

――こいつだ! 私はこの男のような敵を探していたのだ! 最後の最後という時に私はようやく出会えたぞ!

 

 クラウスとゼノヴィアは己が武技や武術を駆使し、時にはそれらを捨ててひたすら拳と槍をぶつけ合う。

 そしてついにその時が来た。

 槍の穂先に入ったヒビに気付いたクラウスは渾身の力を込めてそこに向けて拳を叩きつける。

 すると案の定、槍の穂先から鋭い金属音とともに砕け落ちた。化け物同士の戦いに武器の方が耐えられなかったのだ。

 敵にトドメを刺すべくクラウスは手のひらを開きながら右腕を下げ――

 

「まだだぁっ!」

 

 その言葉とともにクラウスの胸に激痛と熱さが走る。

 クラウスは自身の胸を斜めに斬ったそれを見る。

 クラウスが見たのは折れた槍から砕け落ちたはずの穂先の刃と、それを掴み剣のように握りこむゼノヴィアだった。

 元が持ち主の身長以上はある巨大な槍の一部だったため、穂先だけでも結構な長さがある。

 しかし穂先は尖った刃でできており、それを握っているゼノヴィアの右手から大量の血がとめどなく流れていた。

 しかしゼノヴィアは顔をわずかほどもしかめずに穂先を一層強く握りこんで、クラウスに斬りかかる。ゼノヴィアにとってこの程度のこと驚くに値しない。宿敵が瀕死の状態で平時以上の動きで戦っているのに比べたらこんなもの児戯に等しい。

 クラウスとゼノヴィアはお互い動く度に血をまき散らしながら拳と刃をぶつけ、時折相手に重い一撃を喰らわせ、それでも一切ほどの精彩を欠くことなくむしろ一層激しい勢いで攻め立てる。

 

 すべては勝利をこの手に掴むため!

 

 クラウスの拳がゼノヴィアの胸に深く入り、肋骨が粉々に砕け、折れた骨がまわりの臓器に突き刺さる。だが――

 

「まだだ!」

 

 ゼノヴィアの振るった刃がクラウスの胴に入り、肺の一つに一太刀入れる。だが――

 

「まだだ!」

 

 その場で気を失って――いや、死んでいなければおかしい深手を受けても、二人は血反吐を吐きながら地に立ち続ける。

 それどころか二人は研ぎ澄まされた精神を振り絞り、己が持つ最大の技をもう一度打とうとしている。

 

 ゼノヴィアは刃を真横に構え、クラウスは手のひらを開き右腕を後ろに引いた。

 ゼノヴィアの体から電流が流れ、それはコンマ数秒もかからず刃に集まっていく。先ほどよりはずっと小さいが、それでも一個小隊は一人残らず消し飛ぶほどはある。

 それに対して、クラウスも後ろに引いた右手に再び魔力光を集める。その輝きは先ほどと遜色ない。

 二人は互いにその技の名を唱える。

 

殲滅雷(フェアニッヒトゥング・ドナー)!」

「断空拳!」

 

 ゼノヴィアとクラウスは互いに刃と手のひらを突き出した。

 

 ゼノヴィアの槍から光の柱が伸びクラウスに向かって突き進んでいく。

 そして今度はゼノヴィアにも見えた。クラウスの開かれた右手が光を切り分けていくのを。

 満身創痍もいいところ、もはやいつ死んでもおかしくない身でそれをやってのけているのだ。一度出来たことが二度できないはずがないという馬鹿げた理屈(精神論)によって。

 そんなクラウスを見てゼノヴィアは歓喜する。

 

――そうだ! 我が宿敵ならそれくらいのことはやって見せなくては! それでこそ倒しがいがあるというものだ!

 

 自身を飲み込まんとする光の奔流を防ぎながら、クラウスは一歩一歩前に進む。

 

 なんとしても倒さねばならない大敵がそこにいるから!

 

 ゼノヴィアの刃が光を出し切ると同時にクラウスは地を蹴り、ゼノヴィアに向かって飛びかかった。その右掌には今も赤い魔力光に包まれている。

 ゼノヴィアは刃を構える。今度は彼女にも分かっていた。我が宿敵ならばあれくらい必ず突っ切ってくると確信していた。

 

「あああああ!!」

「おおおおお!!」

 

 

 

 そしてとうとうその時は訪れる。

 クラウスが繰り出した掌打がゼノヴィアの体を深々と貫き、心臓を破砕したのだ。

 それを感じ取ってゼノヴィアはフッと笑みを浮かべる。実に満足そうな表情で。

 

「……完敗だ……私の負けだクラウス……そなたこそ何者も叶わぬ最強の王…覇王にふさわしき者……これからはその力を持ってすべての国を飲み込み……聖王も余もグランダム王も成しえなかったベルカ統一を成し遂げるがよい」

「……そんな時間があったらな」

 

 ゼノヴィアの賛辞にクラウスはそれだけを返した。

 ゼノヴィアが突き出した刃はクラウスの胴に深々と入っていた。十分な致命傷だ……もう助からない。

 それを分かったうえでゼノヴィアは自らの敗北を認めクラウスを称えた。心臓を破ったか破れなかったか、それだけの差でもゼノヴィアにとっては明白な勝敗の差だった。

 ゼノヴィアとクラウスはそれを最後に折り重なるように地面に倒れ、そのままピクリと動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 それから間もなく両国の兵によって二人の遺体は発見され、シュトゥラ王国とダールグリュン帝国の戦は終結した。

 この戦いの後、元首を失ったダールグリュン帝国とシュトゥラ王国は聖王連合の統治下に入り、その歴史に幕を閉じることとなった。



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第82話 その後(1)

 《シュトゥラの覇王》クラウス・G・S・イングヴァルトと《雷帝》ゼノヴィア・R・Z・ダールグリュンの壮絶な決闘を最後に、ベルカ全土を巻き込んだ戦いはついに終結し、後の世で『諸王時代』と呼ばれる長い戦乱の日々はようやく終わりを告げた。

 その後は平和な時代が続くのみである。ごく数年のつかの間の間ではあるが……。

 

 

 

 

 

 愚王ケント・α・F・プリムス亡き後、聖王連合はただちにグランダム王国政府と停戦協定を結び、そのまま終戦を迎えることとなった。

 グランダム王の死と闇の書の消滅、そして多くの民が亡き王に反感を抱き聖王を支持するようになったことで、連合がグランダムを攻撃する理由はなくなったのである。

 なお戦後処理を進めていく傍らで連合はグランダム先王の遺児ティッタ・セヴィルのもとに特使を派遣し、最大限の後援を約束したうえで女王即位を強く勧めていたが、ティッタは先王との関係を否定して即位を拒絶した。

 それによって王位継承者がいなくなったグランダム王国は解体し、聖王連合に統治されることとなった。

 

 しかし、グランダムには今もなお愚王が遺した巨額の債権があり、これを黙って請け負うほど中枢王家も甘くはなかった。彼らはグランダムに独立国と同等の自治を認める代わりに、グランダム自治政府に対して債権の返済を独自に行っていくように指示を出したのである。

 そうしてグランダムは依然として膨大な債務を抱えながらも、聖王連合の保護下のもとでついに平和と安寧が得ることができた。

 

 

 

 

 

 

 ケントの死とグランダムの聖王連合への統合からちょうど十年後。

 かつてグランダム王宮と呼ばれていた城はそのまま、聖王代行から任命された総督が政務を執るための総督府となっていた。

 その総督がいる執務室では二十代くらいに()()()男が書類に目を通し、長年の苦労を思いため息をついているところだった。

 そこへ扉がコンコンと叩かれてくる音が耳に届いてくる。それからすぐに扉の外側から衛兵の声が聞こえてきた。

 

「リヴォルタからセヴィル辺境伯がいらっしゃいました。総督閣下にお渡ししたい書類があるとのことです」

 

 それを聞いて男は扉の方に目を向ける。これはまた珍しい人物が来たものだと男は思った。

 

「お通ししてくれ」

 

 男がそう言うと「はっ」という声が返ってきて扉が開かれる。

 衛兵が開いた扉をくぐって執務室に入って来たのは右手に鞄を持ち、癖っけのある茶色の髪を肩ぐらいまで伸ばした女性だった。

 金色の右眼と緑色の左眼の上には眼鏡をかけており、文官服と長いスカートを組み合わせた格好をしている。

 執務室に入って来た女性、ティッタは鞄を足元に置きスカートの端を摘まんで一礼した。

 それを見て、彼女もずいぶんと変わったものだと男は思った。

 

「お久しぶりです。総督閣下」

「こちらこそ、お久しぶりですティッタ卿。お元気そうで何より」

 

 ティッタの挨拶に総督は感慨深そうな笑みと言葉を返す。そんな彼にティッタは、

 

「それはこちらの台詞ですよ()()さん。あなたこそまったくお変わりないようで。宰相さんを見ているとあれから十年も経ったのが嘘みたいです」

「よしてください、こんな年寄りにお世辞が過ぎますよ。それに私はもう宰相ではありません。グランダム王国がなくなったことでその地位は失ってしまいました。まあ聖王代行から総督という肩書をもらって、この城に勤め続けてはいますが」

「いいじゃないですか、こうやって話すのも久々なんですし。それに今日は、十年前から抱えていた大きな問題が解決する記念すべき日なんですから」

 

 その言葉を聞いて宰相はああと思った。

 そうか、彼女はそれをねぎらうためにわざわざここまで来たのか。

 

 ティッタと元宰相はここ十年の間、グランダム復興債の利払いと返済のために何度も連絡を取り合い協議を重ねていた。直接話をしたことも何度かある。債権問題においてグランダム最大の都市であり、もっとも多く税を集めることができるリヴォルタの協力はなくてはならないものだったからだ。

 しかし債権関連の支出は膨大で、リヴォルタから送られてくる税収があっても決して順調とは言えなかった。それにリヴォルタでも十年前から今も続いている不作の影響を受けて住民が激減し、税収も減っている。対策も何度か取ってはいるが、出て行こうとする住民を無理に押し留めることはできない。

 しかし、そのような中でも債券の利払いを欠かしたことはなかった。そのほとんどが皇帝とその親族に流れていたのは少々癪ではあるが。

 そして今日、最後の利払いと債務そのものの返済をもって、グランダムは復興債という大きな負債から解放された。それまでの苦労は言葉だけではとても言い尽くせない。

 

「ティッタ殿、あなたが力を貸してくださったからこそグランダムは今日という日を迎えることができた。もしかすれば陛下はこれを見越して、あなたにリヴォルタを任せたのかもしれませんな。本当に感謝に堪えない」

「や、やめてくださいよ。あの債権も元はあのバカ兄貴が考えたものですし、一応妹として責任を感じなくはなかっただけですから」

 

 頭を下げる元宰相にティッタは手を振りながらそう返し、元宰相が頭を挙げたのを見計らって話を続ける。

 

「まったく、つくづく迷惑な奴でしたよ。あんな債権残して死んじまいやがって。天国か地獄のどこにいるのか知らないけど、あの世にいるあいつになんとか請求できないもんかな」

 

 ケントの話になった途端、ティッタは十年前のような口調で毒づきケントを罵る。

 そんな彼女に元宰相は笑みを浮かべながら、

 

「……あの方についてだいぶ吹っ切れたようですね」

 

 その言葉にティッタは複雑そうな笑みを作って言った。

 

「……最初は腹が立ったり戸惑ったりしましたけどね。でも色々考えてみると、やっぱりお兄様はああなることを狙ったうえで、アタシや守護騎士を追い出したり王都の人たちを脅かしたりしたんだと思います。でないとおかしいじゃないですか。固有技能を使えば魔力砲なんて楽によけられるのに、むざむざそれを食らったりして。それにお兄様の手元には闇の書もあったんですよ。あいつがその気になったらゆりかごを落とすことだってできたんじゃないんですか?」

「でしょうね」

 

 ティッタの推測に元宰相はあっさりうなずく。

 それにティッタは腰に手を当て、呆れたような顔をした。

 

「でしょうねって、やっぱり最初から気づいていたんですね」

「ええ。これでも先々王の代から王家に仕えていましたから。特にあの方に関しては生まれた時からお傍で見守らせていただいていましたので、あの方が考えそうなことは大体わかります。あの日にあんなマントを付けて兵も連れず城から出て行くのを目にした瞬間、まさかと思いましたよ」

 

 孫同然だった主に思いを巡らせ、元宰相は大きく息をつく。

 彼から見ればケントの振る舞いは、明らかに攻撃の矛先を自分に向けるためのものだった。しかしあの映像を見た者たちから見れば、あの時のケントの姿はまさに暴君、いや狂王のそれだった。

 故に、今やケントはベルカ史上最低最悪の王、《グランダムの愚王》と呼ばれ忌み嫌われている。

 そのことを考えると自然と険しい顔を作ってしまう。そんな元宰相の様子をティッタは声をかけず、じっと見守っていた。

 それを察したのか、元宰相は取り繕うように顔を上げる。

 

「……まあ、私のことはいいでしょう。あなたの方はどうです? あれからお変わりありませんか?」

「ええ。今は何とか落ち着いています。時々大きな事件が起こるたびにあの人たちがいたらなって思う時はありますけどね」

 

 ティッタはそう言って寂しそうに笑い、元宰相も憐憫の情を込めて笑いかけた。

 

 

 

 

 

 グランダム王宮を追放され、ティッタとともにリヴォルタへ移った四人の守護騎士たち。

 十年前、ケントと闇の書が消滅したあの日を境に、あの騎士たちもまた忽然と姿を消した。

 頭上に現れた枠を通してケントと闇の書の消滅を見届けた途端、彼女たちは皆重々しい表情になって押し黙った。ヴィータはケントのことを自業自得だと笑ったり気丈に振る舞おうとしていたが、やはりいつもとはだいぶ雰囲気が違った。

 良き主だったケントの死に心を痛めているのかとも思ったが、今思えば彼女たちは自分たちがこの世界にいられなくなることを知っていたのだと思う。

 そして夕方、その日の務めが終わった頃になっても彼女たちが戻ってくることはなかった。騎士たちの一人シャマルは部下であるイクスと行動を共にしていたはずだが、彼女もまたイクスが目を離したすきにいなくなっていたのだという。

 そしてイクスもまた……。

 

 

 

 

 

「……それで宰相さん、何度もお尋ねしてますけど“あの子”は……?」

 

 ティッタの問いに元宰相は首を横に振った。

 

「いいえ、彼女らしい人物を見かけたことはありませんね」

「そうですか……」

 

 元宰相の言葉にティッタは肩を落とした。

 

 守護騎士たちがいなくなって、しばらくしてからイクスもまたティッタの前から姿を消した。彼女の方はいくらか目撃証言もあったが、乗合馬車を使って街から出たらしく、それからはぱたりと消息を絶ったままだった。

 

 実はみんなアタシのことが嫌いで出て行ったんじゃないだろうな?

 こうも次々に自分の前から人がいなくなられると、ついそんなことを考えてしまう。使用人や街の役人など、周りの人たちとはうまくやれているつもりではいるのだが。

 

 そんなことを考えてしまっているせいだろうか、ティッタはつい大きなため息をついてしまった。

 元宰相はそれを聞いて、

 

「おおっと、つい話し込んでしまいましたな。そろそろ仕事に戻るとしましょう。ティッタ殿、そちらの書類を渡していただけますか」

「あっ、そうでしたね……こちらです。リヴォルタで行う予定の公共事業についての資料もありますので、どうかよろしくお願いします。総督閣下」

 

 鞄を空け、中にある紙束を差し出しながらティッタはそう言って、元宰相――総督もその紙束を受け取った。

 

「……公共事業ですか。それはまた一体どのような?」

「そちらの資料を読んでいただければお分かりになると思います。総督府にもお願いしたいことがありますのでぜひご一読ください。あの子にも協力を仰いでいるところなんですけどね」

 

 総督は「はあ」と言い、その間にティッタは執務室の隅にあるソファに腰かけた。

 

 それからしばらくの間、総督は何枚かの書類に目を通し、ティッタはメイドが持ってきた紅茶を口に運んでいた。

 不意に総督は書類から視線を上げ、ティッタに声をかけた。

 

「そういえばティッタ殿、まだ身を固められたという話を聞きませんが、そちらの方はどうです? 誰かよい相手でもおられないのですか?」

 

 その言葉にティッタは思わず紅茶をむせかけた。十年前だったら確実に噴いている。

 

「な、何ですか急に?」

「いえ、あなたとも長い付き合いになりますし、先王陛下が遺された御子のお一人でもありますので色々と気になりましてな。それでどうなのです? ティッタ殿から見て婿にしてもよいと思う方は?」

「いませんよそんなもの! 貴族の坊ちゃんはみんな軟弱な人ばかりで。まあテジスさんとかからはそろそろ妥協しろって言われてるんですけどね」

 

 ティッタも彼らがそう言ってくる理由はわかっている。もし爵位を相続する子がいないままティッタにもしものことがあれば、リヴォルタは連合直轄地となり、どんな領主や総督が派遣されてくるかわかったものではないからだ。

 しかし、おそらくその心配をする必要はないとティッタは思っている。連合が進めているあの計画が実行されれば、あの都市どころかベルカそのものを放棄せざるを得ないのだから。

 

 ただ、それを抜きにしても個人的に子供は欲しいと思っている。

 ベルカ中の人々から愚王と呼ばれている兄、彼が引き連れていた五人の従者たち、彼らの事を自身の子に語り伝えていきたいと思う。そしてその子供はさらに次の子供へと……そうしていくことで、後の世に少しでも兄のことを見直す人が現れてくれることを切に願う。

 それに子供でもいないとあの剣を受け継ぐ者がいなくなってしまう。兄がこの城に置いて行った結果、自分に押し付けられた、ティルフィングという兄の愛剣が。

 

「……そうですか。ではうちの孫などいかがでしょう? ティッタ殿の婿に」

「はっ!? 宰相さんの孫?」

 

 総督の言葉を聞いてティッタは思わず間の抜けた声を上げる。一旦は直した呼び方もまた元に戻っている。

 しかし総督は意に介さずにうなずきを返す。

 

「ええ。贔屓目を抜きにしてもなかなか見込みのある男だと思っています。爵位は継げそうにないので、いずれは騎士として陛下に取り立てていただこうと思ったのですが、陛下が亡くなったことでそれも難しくなりましてな。ただ、そんな理由で市井に埋もれさせるのはあまりに惜しい男だと思うのですよ……そこで」

 

 総督はそこで言葉を止めティッタをじっと見た。

 彼が言いたいことは十分伝わった。しかしティッタとしてはそんなことよりも……

 

「あの……そのお孫さんっていくつぐらいですか?」

 

 ティッタの問いに総督は顎に手を載せ、ふむと少し考えてから答えた。

 

「今年で28になります。ティッタ殿も26でしたから丁度良いくらいではないかと」

「……えっと、宰相さんって十年前に孫が生まれたばかりだって聞いたことがあるんですけど、それは?」

「ああ、それは次女夫婦のところに生まれた孫ですな。ちなみに女の子です」

 

 総督は淡々とそう答える……この一見二十代の、孫がいるようにはとても見えない男が。

 

「……じゃあ最後にあと一つだけ……宰相さんっておいくつなんですか?」

「おや、ご存じなかったのですか? 私は――」

 

 総督がこれまた淡々と告げた年齢を聞いて、ティッタは思わずカップを落としてしまったという。

 

 

 

 

 

 この二ヶ月後、ティッタは総督の孫と引き合わされ、似たような気質の持ち主だった二人は意気投合し半年もかけずにあっさり結婚。

 その一年後には、虹彩異色(オッドアイ)を含めて母親と瓜二つの娘が誕生した。

 

 それから数年後、ミッドチルダへの移住に伴い、彼女も夫子とともにベルカを離れリヴォルタ領主ではなくなるが、セヴィル家はその後もダールグリュン家とエレミア家に並ぶ名門として存続し、遠い未来において創設される『時空管理局』にも大きな影響を及ぼすことになる。



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第83話 その後(2)

 ゼノヴィアがクラウスと相打ちを遂げてから、ダールグリュン帝国も他国同様解体し、その本土は聖王連合の領土となった。だが、生き残った帝国の貴族たちは連合に帰順することでそのまま各地を治め続けている。

 ゼノヴィアの遠縁たるダールグリュン家もその一つである。

 

 

 

 ダールグリュン邸。

 邸宅内にある客室の前に長い金髪の女性と燕尾服を着た赤毛の執事がやって来て、金髪の女性は客室の扉の前に立ち扉を軽く何度か叩く。

 すると中から「はい」という声が返ってきた。

 

「エリザです。これからお茶をするのだけれどよかったらご一緒にどうかしら?」

「あっ、もうそんな時間か。ありがとう。開いてるから遠慮なく入って来てよ」

 

 それを聞いてエリザは言われた通りに扉を開ける。

 客室では、黒い服とマントを着た長い黒髪の女性が机に腰かけていた。先ほどまで書き物をしていたらしく、机の上には羽ペンと何枚かの紙が置かれてある。

 

「相変わらず仕事熱心ですねヴィルフリッドさん。今度は何を書いていらっしゃるんです? 帝国の文化の記録かしら? それとも次代に伝える技の記述?」

「いや違うよ。これは教育内容や学習過程をまとめた計画書の草案……ほら、リヴォルタの領主様から、向こうで新しく作られる学び舎の講師をしてくれないか頼まれてるって話をこの前しただろう。そのためのね」

「ああ、平民の子供たちを対象にする例のあれ。本当にお受けになるのですか? シュトゥラ学術院で教鞭をとっていたあなたには物足りない仕事だと思うのだけれど」

「ははっ、そんなことないよ。あっちの生徒はみんな真面目で元々優秀な人たちばかりだったから、僕なんていてもいなくても大して変わりなかった。何ヶ月間留守にしても支障はなかったくらいだしね。でも今度はそうはいかない。自由奔放な子供たちが相手だからね、学術院と違ってかなり大変な仕事になると思う」

「確かにそれは言えますね。しつけができてないかもしれない子供たちを集めた学び舎で教育なんてできるのか、私にもわかりませんもの」

 

 エリザの言葉にエレミアは苦笑いを浮かべるしかなかった。エリザが言っていることには貴族ならではの偏見もあるが、否定できないところもある。

 貴族の家に比べたら、平民の家は子供をしつける余裕がないところが多い。そのため彼女のような貴族から見れば、平民は粗野な者ばかりだという印象を抱きがちなのだ。

 それでもエリザはまだ理解がある方だ。彼女でない多くの貴族ならば、今もまだ強硬に反対し続けるに違いない。もっともこの話を持ち掛けたのが彼女でなければ、エリザでもいまだに反対していただろうが。

 

「……ではもう少ししたらリヴォルタへ行ってしまわれるのですね?」

「うん。学士としては世の中に貢献できる機会だし、やりがいもありそうな仕事だからね。それにあっちの領主様……ティッタさんとはいろいろ話したいこともあるんだ」

「そうですか。寂しくなりますね。あなたとはもっとお話ししたり一緒に鍛錬したかったのに」

「別にずっとあっちにいるわけじゃないよ。機会があったらまた戻ってくるさ」

 

 儚げに笑うエリザにエレミアも笑みを返しながらそう言った。

 二人がそんな会話を交わしている間にジェフはお茶の準備を終えており、彼に呼びかけられて二人は紅茶と茶菓子が置かれている卓についた。

 

 

 

 ヴィルフリッド・エレミアは十年前からつい最近まで、ほとんどゼーゲブレヒト城から出られない日々が続いていた。聖王国内であれば聖王代行などの許可があれば外出は可能だったものの、常に監視が付けられていた。エレミアなら監視を倒すなり振り切って逃げることも可能ではあったが、同じくゼーゲブレヒト城にいる二人の侍女を考えるとそうするわけにはいかなかった。

 しかしシュトゥラ王クラウスが死亡してすぐに暇を出され、二人の侍女とともにゼーゲブレヒト城を追い出された。

 エレミアとしてもオリヴィエがいなくなった以上聖王国に留まる気は毛頭なく、これを機に聖王国を出てまだ見ぬ土地へと旅立つことにした。十四年もの長い付き合いになる二人の侍女とともに。

 そして今、エレミアと侍女たちは、食客としてダールグリュン家の世話になっている。

 

 

 

 配膳を済ませたジェフが部屋の前まで下がってから、エリザとエレミアは卓で紅茶を口に運んだり菓子をつまんだりしながら茶飲み話に興じていた。

 

「……それにしても私の了承も得ずにヴィルフリッドさんを招聘するなんて、ティッタ様もまだまだ礼儀がなっていない方ですね。この十年もの間私が骨を折ったからこそ、グランダムは無事に債権を完済できたのだと教えて差し上げるべきかしら」

「骨を折ったって、債権売りたがっている人から買い集めてただけでしょう。しかもそれでかなり儲けたって聞いたけど」

「ええ、しっかり稼がせていただきましたとも。寄付ではないんですからこちらが利を得られるように動くのは当然です。それでも私が債権を集めたから債権がらみの騒動が起きずに済んだのですよ。ティッタ様だってそれくらいはわかってるでしょうに」

 

 エリザの意見にエレミアはそれも一理あると思い、何も言わずに紅茶を口に含む。

 

 

 

 十年前、オリヴィエがグランダムに対して宣戦布告を発して以来、グランダムが発行した債権を買い取った者たちは、自分たちが貸した金が返ってこないのではないかと懸念を抱いた。

 そんな状況でもしもあのまま債権を各国の貴族や豪商が手にしたままだったら、彼らは債務不履行を恐れるあまり、自身が持つ債権に見合った物品や金銭をグランダムに要求していた可能性が高い状況だった。しかも連合はグランダムに高度な自治権を与える代わりに、それらについては一切関わろうとしない。

 そんな中でエリザは各国の債権者たちに連絡を取り、彼らが持つ債権をそのまま自分が買い取ると申し出た。しかも彼らが買った時とまったく同じ値で。

 それに彼らが飛びつかないわけがなくエリザは順当に債権を集めていき、数年もしないうちに彼女はゼノヴィアに次ぐ大口の債券保有者となって、莫大な利息をその手に収めた。

 エリザはそうやって手にした金のほとんどを、食料保存技術への投資やミッドチルダの通貨への両替に充てている。ベルカ全土で起こっている食糧危機と連合が進めているミッドチルダへの移住に備えるために。

 

 しかし、エリザが最初からそれを狙って債権を買い集めたのかは大いに疑問だ。

 連合に取り込まれ国ではなくなったグランダムの立場は危うく、多くの債権者が危惧した通り本当に債務不履行に陥る可能性はあったため、リスクは非常に高かった。そんなリスクを冒した理由はやはり……。

 

 

 

「……ところで数年前にゆりかごが姿を消してから、聖王国を始め連合各国でゆりかごの聖王、オリヴィエを神のごとく崇拝している一派が現れているらしいけど……ヴィルフリッドさんはご存知かしら?」

「うん、知ってる。もうかなりの人たちがそれに感化されているみたい。あのぶんだとまだまだ信者は増えるんじゃないかな。何しろ聖王様が乗っていた船が何百年も続いた戦争を終わらせて世界を変えちゃったんだ。神話にしか出てこない神様なんかより、聖王様の方が神様みたいだって考える人も出てくるよ」

 

 そう言ってエレミアは、彼女にしては珍しくずずっと音を立てて紅茶を飲み干す。明らかに不機嫌そうな様子だ。

 

「面白くなさそうですね。ご友人が神のように崇められているのに」

「面白いわけないだろう! ヴィヴィさ――オリヴィエは神様なんかじゃない。泣きもすれば笑いもする女の子だったんだ。それを万能の存在とか囃されても、僕みたいにあの子を知っている者からすればしらけるだけだ。……考えてみてよ。もしそんな扱いをされているのが雷帝様だったとしたら、エリザ様だって面白いと思わないんじゃない?」

 

 エレミアの言葉にエリザはそれもそうねと思った。

 自分の亡きおば――雷帝ゼノヴィアもベルカを掴みかけた覇王だった。もし彼女がベルカ統一を成し遂げたら、ゼノヴィアを崇める団体も現れたかもしれない。

 

 確かにゼノヴィアは君主としても武人としても尊敬に値する人物ではある。しかしその一方で、彼女は兄殺しと望まずして得た帝位を嘆いていた悲しい人でもあり、自身と渡り合える強敵を求めて戦を繰り返してきた、強すぎるが故の哀れな人物でもあった。

 そんなおばが神などと、本人がそれを聞いたら滑稽だと笑い捨てるだろう。

 

 エリザはため息をついて、

 

「確かに少々大仰すぎますね。武神とかならあの方にぴったりですが……しかし話を戻しますけど、そんな教派が急速に勢力を広げているというのは穏やかではありませんね。やはりオスカー様やアデル様を始めとした、聖王家に連なる方々が姿を消すようになったせいかしら?」

「それはあると思うな。あの人たちがいたらオリヴィエを崇める教派が現れたとしても、ここまで拡大することはなかったと思う」

 

 

 

 数年前に聖王のゆりかごが消失してからしばらくして、聖王家や中枢王家の人間が姿を消すようになった。特にオリヴィエに代わって聖王となる予定だった第一聖王子オスカーや、彼の妹にしてオリヴィエの姉にあたる第一聖王女アデルがその身を隠したことはベルカ中に大きな衝撃を与えた。

 その真相はゼーゲブレヒト城にいたエレミアでさえ知らない。

 オリヴィエの死とゆりかごに恐れをなして自ら姿をくらましたとも、ゆりかごを危険視した何者かによって消されたとも言われているが、どれも推測の域を出ないからだ。それにもし後者が真実だったとしたら、犯人や黒幕を知ってしまった時点で自分たちの身が危うくなる。

 それを考えたらこの話にはあまり触れない方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

「まっ、そんなこと僕らが話したって仕方ないでしょ。それよりエレン様は元気? 最近忙しくて会えなかったけど」

「ああ、あの子なら――」

「リッド~!」

 

 エリザが何か言おうとしたところで急に扉が開き、二人はそちらに顔を向ける。

 そこには背伸びして扉を押しながら部屋に入ってきている小さな子供がいた。

 少し波打っている金髪はまだ短く、目の色は両方とも緑で子供用の白いドレスを着ている少女だ。

 彼女を見てエリザは「噂をすれば」と小さくつぶやいた。

 しかしそんなつぶやきなど気にも留めず、少女はエレミアに駆け寄ってくる。

 

「リッド、やっとみつけた! ずっとさがしてたんだよ」

「エレン様、久しぶり! 元気にしてた?」

「もちろん! リッドがおしごとしている間もがんばって習いごとしてたんだから」

「そっか、えらいえらい」

「その割にあまりマナーは見についてないようですけど。人様の部屋に入る前に必ずノックをしなさいと何度も言っているでしょう」

 

 えらいと言いながら少女の頭を撫でるエレミアの横で、エリザはため息をついて少女に苦言を弄する。

 そんなエリザを見て少女は小さな口を開いた。

 

「あっ、おかあさまいたんだ」

「実の母親に向かっていたんだとは何ですか! エレオノーラ、ちょっとそこに直りなさい!」

「まあまあ。エリザ様、エレン様はまだ小さいんだから」

「あああ! やっぱりここにいた!」

「恐れていた通りに」

 

 娘を叱りつけようとするエリザをエレミアがなだめていると、慌てた様子で黒髪の侍女と赤毛の侍女が部屋に入ってくる。

 その後ろで口に手を当てながら笑うジェフの姿があった。そんな彼をエリザはきっと睨みつけた。そこで見ていたのならノックをするように娘を注意しろと。そんなエリザの視線をジェフはさわやかな笑みで受け流した。

 

 

 

 エレミアの部屋に入って来た三人のうち、最初に部屋に入ってきた少女の名はエレオノーラ。数年前にエリザとその夫との間に生まれた一人娘であり、エレミアや侍女たちなどからはエレンという愛称で呼ばれている。

 残りの二人は、エレミアとともにダールグリュン家の世話になっている侍女たちだ。聖王国にいた時同様、二人は今もエレミアの侍女ということになっているが、この屋敷に来てからはこの通りもっぱらエレンの世話をしている。

 

 

 

 一通りのいさかいを経てエリザとエレミアは席に戻り、エレンもエレミアの横に座ってぱくぱくと菓子をたいらげては、エリザから礼儀がなっていないと叱られエレミアが間に割って入る。

 そんな三人を侍女たちはひやひやしながら、ジェフはほほえましそうに後ろから見守っていた。

 そんな中で……

 

「ええー、リッドでていっちゃうのー?」

「うん。ちょっとお仕事でね。ごめんねエレン様」

「なんで外でおしごとしてくるの? この家にだってりっぱなしごとがあるじゃない。エレンの遊び相手ってりっぱなおしごとが。だからここにいてよ。リッドがいないとエレンつまんない~」

「エレオノーラ、わがままを言ってはいけません。それにヴィルフリッドさんの仕事は遊び相手じゃなくて、あなたの家庭教師でしょう」

 

 エレンのたわごとにエリザは注意と突っ込みを入れる。

 そんな母の苦言など聞く耳持たずにエレンは駄々をこね、エレミアは手を合わせてエレンに謝るだけだった。

 

 エレミアがリヴォルタでの仕事を引き受けた理由の一つが、このエレンという教え子だった。

 エレミアは家庭教師として時折エレンに勉強を教えており、非常に懐かれているのだが、エレミアは教師としては甘すぎるらしく、エレンからは先生もつけられず友達感覚で接されている。エレミアとしてはその方が嬉しいのだが、母親の言うことを聞かなくなったエレンを見ていると、自分が甘やかしたせいでこうなってしまったのではないかと罪悪感を感じながら、教師としての未熟さを改めて思い知った。そんなことでは後世に知識を伝えていく役目にも支障をきたすだろう。

 子供たち相手の教師の仕事を受けることにしたのも、学士として精進を重ねるためだ。

 

 一方で、エリザはエレミアが未熟だとは思っていない。

 エレミアたちが来る前から、エレンのやんちゃぶりには手を焼いていた。おそらくエレミアがある程度厳しくてもこうなっていただろうと確信している。

 それにエレンと接していると時折……

 

「ふ~ん、だったらエレンがリッドについて行っちゃおうかな。そのりぼるたっていうまちに」

「――えっ!?」

「何ですって!?」

 

 エレンが言い出したことに、エレミアとエリザは同時に戸惑いの声を上げる。

 そんな二人にエレンはあっけらかんと続けた。

 

「だって、そうすればリッドはずっとエレンといっしょにいられるじゃない。この家でならいごとばっかりするのもあきてきたし、ちょうどいいわ。エレンもリッドといっしょに行きます!」

 

 その言葉を聞いてエリザは思わず頭を抱えた。この恐れを知らないところ、周りなど意に介さずどんどん突っ走るところ、まるであの人のようではないか。

 

 エレンは外見こそエリザに瓜二つだが、時折ゼノヴィアを彷彿させる言動や振る舞いをすることがある。そのうえエレミアや護身術の講師によれば、エレンには武芸の才能もあるらしいとのことだ。

 まさか今後の育ち方次第ではゼノヴィアのようになることもあり得るのではないか? そう考えると母としてエリザは気が気ではなかった。

 

 とにかく母親として、娘の世迷い言に対する返事は決まっている。

 

「駄目です! 年端もいかないうちから親元を離れるなんてお母様は許しませんよ! そういうことを言うのはもう少し礼儀作法を身につけてからにしなさい」

「えー、いいじゃない。おかあさまのいけず!」

 

 エレンはそう言って頬を膨らませるが、ここで甘い顔を見せるわけにはいかない。今のうちにしっかりと教育をしておかないと。

 それを別にしてもエレンのような幼子をリヴォルタに行かせたくない。もしまわりの目を盗んで西区(歓楽街)などへ行ってしまうようなことがあれば……。

 

「……ところでエレミア様、こちらの侍女二人は今もエレミア様の従者ということになっていますが。やはり彼女たちもリヴォルタへ連れていかれるのでしょうか?」

「そういえばそうでしたね。そこのところはどうなのかしら?」

 

 ふと気になった様子でエレミアに尋ねたジェフに続いて、エリザもエレミアと侍女二人に問いかける。

 それに対して、侍女二人は困ったようにエレミアとエレンの間で視線をさまよわせる。そんな二人に助け舟を出すようにエレミアは言った。

 

「……君たちはここに残ってくれないかな? 色々と心配だし、君たちにはエレン様のことを見てあげて欲しいんだ。そうしてくれたらぼ――私も安心してリヴォルタに行けるんだけど……どうかなエリザ様?」

「そうですね。あなたたちさえよければここにいて欲しいわ。ヴィルフリッドさんに続いてあなたたちにまで出て行かれたら、誰がこの子を見張ってくれるのかと思うと……」

 

 エレミアに水を向けられたエリザはそう言って侍女たちを引き止める。

 これは七割くらい本心から出た言葉だった。正直に言えば彼女たちでなくてもエレンに付ける執事やメイドくらいすぐに用意できるのだが、家族以外でエレンが心を許しているのはエレミアと彼女たちと後はジェフぐらいだった。できれば親しい使用人に娘を見ていて欲しい。

 エリザとエレミアの気持ちを察したのだろう。侍女たちは顔を見合わせて。

 

「お、奥様とエレミア様がそう言われるのでしたら」

「ここに置いていただければと思います」

 

 嬉しそうにそう答えた。

 やはり彼女たちとしてもエレンについていたかったのだろう。この小さな少女をオリヴィエと重ね、彼女のようにならないか心配なのかもしれない。オリヴィエと比べたらやんちゃ過ぎではあるが。

 

「しかし、そうなるとヴィルフリッドさんだけであちらにいくわけですが、それはそれで心配ですね。ヴィルフリッドさんのことだから滅多なことはないと思うけど、万が一のことが起こらないとも限らないわ」

「大丈夫だよ。別に危ないことしに行くわけじゃないから……多分

 

 心配するエリザに、エレミアはそう言いながらも小さく付け足した。

 エレミアはあくまで教師として子供たちに勉強を教えに行くのであって何かと戦いにいくわけではないが、悪党を見つけたり誰かが危険な目にあっていたら迷わず向かって行くだろう。時にそれが自身の身を危険にさらすことがないとはエレミアも言えなかった。

 そこへジェフが、

 

「でしたら私の妹を連れて行ってはもらえないでしょうか。剣は立ちますし家事の能力も申し分ありません。エレミア様から見れば頼りないとは思いますがお邪魔にはならないでしょう」

「ああ、ロープさんか。お邪魔どころかすごく助かるけど、いいの? 彼女だってこの屋敷を支える使用人頭じゃあ……」

 

 エレミアの問いに、エリザはいい考えだと言わんばかりの笑みを浮かべて、

 

「ダールグリュン家を甘く見ないでください。屋敷から執事一人いなくなったくらいで障りはありません。あの子もリヴォルタに行きたいって言ってたからちょうどいいわ。ヴィルフリッドさんさえよければ、ロープも一緒に連れて行ってあげてもらえませんか?」

 

 それを聞いてエレミアはそう言うことかと思った。

 前に一度聞いたことがある。ジェフの妹、ロープには想い人がいて、彼は現在消息を絶っているもののロープは彼のことを諦めてはおらず、何度も行方を捜しているらしいとか。

 その彼が最後にいた場所というのが、リッドの勤め先であるリヴォルタなのだ。

 

「そういうことならお言葉に甘えようかな。もっとも、私は彼女のような執事さんに賃金を払えるほどお金は持ってないけど」

「それはご心配なく。彼女の賃金くらいこちらが払います。必ずこちらに戻ってくると確約していただければ、ヴィルフリッドさんの生活費もこちらが出しますが」

「いいよいいよ。あっちからも賃金は出るって聞いてるし。戻っては来るつもりだけど何もしないでお金をもらうつもりはないよ」

 

 手を振って申し出を突っぱねるエレミアに、エリザは「そうですか」と言った。

 

 

 

 かくしてヴィルフリッド・エレミアとロープはダールグリュン家を出て、一路リヴォルタへと向かうことになった。

 その後エレミアは、有史ベルカ史上初にして数えるほどしか存在しなかった一般人の子供も通える学校の教師として子供たちに学問を教え、時折市民を脅かす賊を退治していたという。

 

 

 

 

 

 ……それから時は流れ。

 復興債の買い占めによって集まった利息によって莫大な財を得たダールグリュン家はその財を巧みに使って、移住先のミッドチルダとの間に起こった戦においてもうまく立ち回り、『聖王教会』とともにその後の世界構築に大きな影響を及ぼした。

 一方、エレミア家はヴィルフリッドによって築かれたダールグリュン家とセヴィル家との繋がりと、その後の戦における功績などによって上記の二家に劣らぬ名門となった。



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最終話 その後(3)、そして……

 闇の書の主がケントだった頃から数十年後のある次元世界では……。

 

 

 

「はああっ!」

 

 赤い鎧を着た桃色髪の女騎士が振り下ろした剣が青い鎧を着た敵軍の将が持っていた剣を弾き落とし、抗う術をなくした将の顔は恐怖で染まる。その将に女騎士は冷たく言い放った。

 

「私の勝ちだ。約束のものを頂いていくぞ」

「ひっ、ぎゃああああ!」

 

 女騎士は剣を振り下ろし敵将を斬った。

 体を斜めに斬りつけられた将は地面に倒れ伏す。女騎士は何の感慨も()()()()()表情で将を見下ろした。将はまだかすかに生きているようだ。

 一方、二人から少し離れた場所では……。

 

 

 

 

 

《この城は壊滅寸前です! 突然現れた騎士たちによって兵はほとんど討ち取られて。至急援軍を――うっ》

 

 女兵士は援軍を請うためにどこかへ念話を飛ばしていたが、彼女のまわりに突然長い紐が現れ体に巻き付く。紐にからめとられて立てなくなった女兵士はそのまま地面に倒れた。

 地面に横たわった女兵士の頭上には短い金髪の女騎士が立っていて、冷たい表情と声色で女に告げる。

 

「お静かに。あなた方の命とこの城に興味はありません。私たちはあなた方から魔力を頂きたいだけです。少しの間横になっていてください」

「シャマル、こちらはすべて倒してきたぞ」

 

 足音と太い声に反応して、シャマルと呼ばれた女騎士は視線を女兵士からそちらの方に移す。

 そこには筋骨隆々で犬のような耳と尾を付けた白髪の男がいた。女騎士とは違い軽装で両手と両足にしか鎧具を装着していない。

 男の隣には桃色髪の女騎士もいた。女騎士は表情を変えないまま口を開く。

 

「私も先ほど将を倒してきたばかりだ。ろくに手ごたえもなかったがな。出城の一つにすぎんとはいえ、城を守る将も一軍もこの程度か」

「前回みたいに苦戦続きよりはましよ。……あらかた片づけたみたいだし、そろそろ蒐集しましょうか」

 

 金髪の騎士はそう言って二人より前の方を見る。そこには無数の兵士たちが地面に横たわっていた。すでに息絶えた者もいれば生きたまま動けずにいる者もいる。

 彼らを見て金髪の騎士は顔を幾分か曇らせながら茶表紙の本を取り出す。外気にさらされた途端本はひとりでに浮かび上がり、女騎士の手を離れて宙に浮き頁を開いていった。

 何百もの頁をまくり上げて白紙の頁をさらしたところで本は動きを止める。そして……

 

『Sammlung(蒐集)』

「ぐあああっ!」

「ぎゃああっ!」

 

 本が声を発すると同時に倒れている兵たちの胸から様々な色の球体が出てきて、死んだ者はそのまま屍をさらし、生きていた者は苦し気なうめき声を上げて気を失う。紐で縛られ地面に横たわっていた女兵士もその一人だった。

 それを目にして桃色髪の騎士は唇を噛み、金髪の騎士は思わず目をそむけた。

 兵たちの胸から出てきた球体は吸い込まれるように本の中に入っていき、白紙だった本の頁はおびただしい記述式が書き込まれていく。

 数十もの頁が記述式で埋まると本は閉じて、金髪の騎士の手元へ戻った。

 金髪の騎士は頁をぱらぱらとめくり、新たに埋まった頁を眺める。

 

「これでようやく300ページ以上。前回と違って戦は何度も行っているのに、進捗は芳しくないわね」

「戦いは多くてもこれだけ不甲斐ない相手ばかりではな。弱者を蹂躙しているようで気が乗らん」

「とはいえ、魔力を蒐集し闇の書の頁を増やすことこそ我らの役目だ。それがどのような相手からでもな……前のようにはいかん」

「ザフィーラの言う通りよ。早く頁を増やさないとまた主に叱られちゃうわ。ただでさえ最近は、闇の書を完成させろとしか言ってこないんだから」

 

 白髪の男と金髪の女騎士の言い聞かせるような言葉に、桃色髪の女騎士は何も言い返すことができなかった。その代わりのように桃色髪の女騎士は二人に尋ねる。

 

「……ヴィータはどうした? まだ戻ってきてないようだが」

 

 女騎士の問いに白髪の男は体の向きを変えて言った。

 

「向こうにいるようだな。あちらから打撃音が聞こえる」

「行ってみましょう! 前々回のように敵の体を潰し過ぎて蒐集できなくなったら元も子もないわ」

 

 金髪の騎士の指示に二人はうなずき、彼女とともに宙へ浮いた。

 

 

 

 

 

 

「ひっ――」

 

 仲間が倒されていくのを見て、兵士は敵に背を向けて逃げ出す。しかし、不意に視界が暗くなって、兵士は思わず足を止め頭上を見上げた。

 そこには巨大な槌が浮かんでいて、槌が作る巨大な影が自身を覆っていたのだ。

 兵士は逃げるのを忘れ、あんぐりと口を開きながら槌を見上げる。

 そこへ……

 

「せぇい!」

「ぐあっ!」

 

 声とともに槌は兵士めがけて落ちてきて、兵士はなすすべもなく槌の下敷きになった。

 それを確かめると少女は柄を振り上げる。すると槌は小さくなって少女の手元に収まった。槌があった場所には案の定、潰れたカエルのように大の字になってのびている兵士の姿が。

 それを見て少女はつまらなそうに鼻を鳴らした。

 

「ちっ、強い敵と当たったぐらいで逃げるくらいなら最初から戦になんて出てくんな、雑魚が」

「ヴィータ!」

「ヴィータちゃん!」

 

 頭上からかけられる声に少女は首を上げた。そこにはやはり他の三人の騎士がいて、少女のそばにまっすぐ降りてくる。

 

「おう。見ての通りあたしはちょうど今敵を片付けたとこだ。こいつらの魔力もさっさと蒐集しちまえよ」

「え……ええ」

 

 少女が親指で示す敵兵を見て、金髪の騎士はそう答えながら茶表紙の本を取り出す。

 先ほどと同じように、本は宙に浮かんで魔力とリンカーコアの蒐集を開始する。

 そして蒐集の衝撃で多くの兵がうめき声を上げるのを聞いて、白髪の男と桃色髪の女騎士はふと漏らした。

 

「ほう」

「……生きているのか?」

「ああ。別に殺す必要はねえだろう。あのばあさんからは頁を増やして来いとしか言われてねえんだから」

 

 ぶっきらぼうにそう吐き捨てる少女を他の三人は意外そうに見ていた。その視線を受けて少女はぷいと顔を背ける。

 

(あのヴィータがほとんどの兵を生かしたままにしておくとはな。やはり前の主の影響が大きいのかもしれん。もっともそれは我らも同じかもしれんが)

 

 

 

 もう言うまでもないと思うが、この赤い鎧を着た四人の騎士は、ベルカから消失し、今の闇の書の持ち主のもとに顕れた守護騎士たちだ。

 守護騎士たちは今の主のもとでも闇の書を完成させるために、魔力とリンカーコアの蒐集を命じられ、多くの戦を戦ってきた。

 その戦はまだまだこれからも続いていくのだろう。それが終わったとしても闇の書が完成すればまた……。

 

 しかし、ただ一つだけ今までと違うところがある。

 

 今回の戦においても城一つが守護騎士によって陥落し、敵兵のほとんどが彼女らの手にかかった。

 しかし、それだけの惨状にも関わらず、戦死者はかなり少ない。これは前々回までとはかなり異なる結果だ。それ以前の守護騎士たちなら魔力さえ採取できれば、敵の生死までは気にしなかったはずだ。特にヴィータの手にかかった敵は生きていることの方が珍しかった。それどころか勢い余って敵を潰しすぎてしまい、蒐集が不可能になってしまうことも……。

 それが今回の守護騎士は、ほとんどの戦で敵を生かしたまま魔力を奪うことを主としている。これは彼女たち自身にとってかなり大きな変化だ。

 その変化はやはり前回……前の主と共に戦ったり過ごした時の経験によるものが大きいだろう。

 もっとも、それでも守護騎士たちは敵にとっては大きな脅威であり、闇の書の主にとって闇の書を完成させるための駒であることには変わりないが。

 

 

 

 蒐集を終えた闇の書をシャマルは手に取る。

 

「これで終わりね。じゃあ帰って主に報告しましょう。ヴィータちゃん、わかってると思うけど主に会うようなことがあったら……」

「分かってる分かってる。あたしはあのばあさんと口を利くなってんだろう。心配しなくても最初の時以来あいつと喋ったことなんてねえよ。いつも通り報告はお前らに任せて、あたしは先に部屋で寝てるさ……あの石の床の上でな」

 

 ヴィータは不快感と嫌悪感を含めた声でそう付け足す。

 ヴィータの気持ちは他の三人にも痛いほどわかった。彼らも全く同じ気持ちだ。

 前に比べたらあまりにも理不尽な待遇。しかし前々回まではこれが当たり前だったのだ。慣れ直すしかない。

 四人はそう自分に言い聞かせる……しかしそれでも、心の奥底で願わずにはいられなかった。

 ケントのような者が闇の書の主となる時が、もう一度だけでも訪れるようにと……。

 

 

 

 

 

 そして騎士たちは戦いを繰り返しながら闇の書の頁を集め、闇の書の完成によって主は滅び、騎士たちはまた次の主のもとに顕れ…………そんなことを幾度もなく繰り返した。

 その間、かつての主は目覚めることなく魔導書の中でずっと眠ったまま。“彼女”がどんなにその目覚めを願っても、彼が目覚める時は訪れなかった。

 

 ……そうして100年、200年が過ぎ、いつしか300年もの時が過ぎていった。


 

 

 

 

 

 300年後。

 ベルカから遠く離れた次元世界にある小さな街。

 その街の外れにある二階建ての一軒家のリビングでは……。

 

「あっ! やったな!」

「にゃはは! このままぶっとばしちゃうよ」

 

 黒髪の少年が思わず悪態をつき、栗色の髪の少女が得意げに笑う。

 隣り合ってソファに座る二人はこんな風に時折言葉を交わすものの、お互いに相手を見てはいない。

 少年の黒い右目と緑の左目も、少女の青みがかった両目も、ソファの前にあるテレビにくぎ付けになっている。テレビの画面には二体のゲームキャラが映っており、そのキャラたちを通して少年と少女は激しい戦いを繰り広げていた。

 どちらが操るキャラもダメージが85%を上回っており、いつ決着がついても不思議ではない。

 

「よし、あといっぽなの!」

 

 少女はそう息巻くと、少年が操作する筋肉質のキャラに向けて黄色い電気ネズミを移動させる。雷技でとどめを刺す気だ。

 

「させるか……」

 

 少年もまた自身のキャラを移動させる……少女が操る電気ネズミに向かってまっすぐに!

 予想とは正反対の行動に少女はわずかに目を見張るものの、すぐに好都合だと思い直し口の端をにやりと釣り上げる。

 

(このままじゅうまんボルトでKOなの)

 

 少女は自らの勝利を確信し、ボタンに手をかけながら電気ネズミを相手の眼前まで進める。そこで少年のキャラは突然動きを止めて、電気ネズミに背を向けてシールドを張った。

 それを見て少女は思わず目を見開く。

 

(これは――まさか!)

 

 少年はニヤリと口の端に笑みを浮かべ、コントローラーの左上についているボタンを押す。

 すると少年のキャラはその場からかき消え、電気ネズミの後ろに回った。

 少女は慌ててネズミを反転させようとする。だがもう遅い。

 少年はコントローラーの右についているボタンを押した。それだけでよかった、このキャラが出せる最強の必殺技を出すには。

 

『ファルコンパーンチ!!』

 

 少年のキャラは軽快な口調で技名を発しながら炎をまとった腕を突き出して、少女が操っていた電気ネズミを吹っ飛ばした。

 それを見て少年は右手の拳を握りしめて叫ぶ。

 

「よっしゃあ! かったー!」

「ふにゃあ、まけちゃったー!」

 

 対して少女は悔しそうに両手でコントローラーを握り続けている。

 

「もう一回。もう一回しょうぶなの! こんどはピンクのうたうキャラで!」

「おうとも。もう一度ファルコンパンチでふっとばしてやるよ!」

 

 少女の挑戦に少年はそう言い返す。しかし内心ではまた厄介なのをチョイスしてきたなと思っていた。あのキャラには一定時間自分が眠ってしまうリスクがあるものの、最大級の威力を持つ技があるのだ。

 とはいえ挑まれたからには退くわけにはいかない。相手がどんなキャラを使ってきても勝ち続けてこそ真の勝者。

 そう意気込んで次の勝負を始めようとした時だった。

 

「けんとくーん! なのはちゃーん! おやつができたよー!」

 

 その声とともに少年と少女は後ろを振り返った。

 そこには短い髪の女の子がいた。

 髪の色は茶色がかっており、目はなのはと同じく青みがかった色をしている。

 女の子の隣にあるテーブルにはすでに皿が三枚並べられてあり、そこから甘いにおいが漂っていた。

 ホットケーキ――少年にとっては少々甘すぎる食べ物だが、幼なじみの少女にとっては得意な料理らしく、よく作ってくれる。

 

「あっ、ごめんねはやてちゃん。言ってくれたらおてつだいくらいしたのに」

「わるい。すっかりむちゅうになりすぎた。ケーキ食べおわったらはやてがゲームやるか? おれはしばらく休んでるから」

「ええよええよ。おやつつくりながら二人のたいせん見てるのもたのしかったし。おやつがすんだらまた二人のたたかい見してな。……ほな、おやつのまえに二人とも手あらおっか。はげしくポチポチしとったからあせでベトベトやろ」

「うん、そうだね。じゃあシンクおかりしまーす!」

 

 はやての指示に従ってなのはは流し台の方へと向かう。少年はなのはが手を洗い終わるのを待とうとしたが、洗面台がリビングの近くにあることを思い出しそちらの方へ足を向ける。

 

 

 

 

 

 

 目当ての洗面台はすぐに見つかり、少年はそこで手を洗う。しかしそのさなか……。

 

『ケント……』

「――えっ!?」

 

 ふいに声が聞こえて少年は辺りを見回す。しかしまわりには誰もいない。

 

 はやてたちではない。ヘルパーのどちらかか? いや、彼女たちが来たのならチャイムが鳴ってるはずだ。ゲームに熱中していた俺やなのははともかく、はやてがチャイムに気付かないはずがない。

 ……では今の声は一体?

 

『……ケント』

 

 考えに沈んでいる少年の脳裏にまた声が響いた。

 それを聞いて少年は確信する。この声ははやてたちでもヘルパーでもない。

 少年は洗面台を離れ、声がした方へと向かう。

 

 声をたどって少年がたどり着いたのは書斎だった。

 はやての父親が集めていた本を保管するための部屋。

 少年はその部屋を一通り見渡し、それから一番奥の本棚を眺めそれを見つけた。

 それは鎖が巻きつけられ、剣十字が付いている茶表紙の本だった。鎖の中心には鍵穴がない錠があり、どうやっても外せないように見える。

 不思議に思いながら本を眺めていると。

 

『ケント』

(――!)

 

 間違いない。さっきから聞こえてくる声はこの本からしてくる。

 この本は一体?

 そう思いながら少年はその本を手に取る――その瞬間!

 

『ケント…………ようやくあなたに会えた』

 

 

 

 

 

 

「けんとくーん! ……あっ、こんなとこにおったんか。なのはちゃんおなかすかしてまっとる――どないしたんやけんとくん?」

 

 不意に聞こえた大声に反応して俺は顔を上げる。

 そこに心配そうな表情で俺を見ている八神はやてがいた。

 当たり前か。手を洗いに行ったはずの俺が、自分の部屋で本を手に取りながら泣いていたのだから。

 俺は腕で涙をぬぐいながら答えた。

 

「いや、何でもない。ちょっと目にゴミが入っただけだ」

 

 そんなとってつけた言い訳に、俺より精神年齢がはるかに低いはずの幼なじみは疑わしげな顔を見せる。

 

「ほんまかー? ちゃんとまいにちおそうじしとるんやけどな。……まあええわ。それよりけんとくんもその本、気になるんか?」

「あ、ああ。鎖が付いてるなんて妙な本だなと思って」

「そうやろ。この本わたしが生まれたころからあったらしいけど、そのくさりのせいで一度もよんだことないねん。まあそんなぶあつい本まだよむこともできんやろうけどな……けんとくんがきょうみあるんならかしたげてもいいけど」

「いやいいよ。もしかしたらはやてのお父さんやお母さんが遺したものかもしれないだろう。どの道こんなものが付いていたんじゃ本を開くこともできないし遠慮しとく。それははやてが持っているといい」

 

 俺はそう言ってはやてに本を返す。はやては不思議そうな顔で本を受け取った。

 

「べつにええんやけどな。ほんならこの本かりたかったらかしてあげるからいつでも言ってな」

「ああ。その時は頼むよ」

 

 そうだ、今はそれでいい。今の俺には夜天の魔導書の錠を開けることもできないし、俺が貰ったところで魔導書ははやてのところに戻って行くだけだろう。だから今はこの子のところに置いておくしかない。

 それにこの子なら……。

 

「はやてちゃーん、けんとくーん、さっきからなにやってるのー? 早くしないとホットケーキさめちゃうよー」

 

 そこに俺のもう一人の幼なじみで従姉妹でもある、高町なのはが顔をのぞかせてきた。つまみ食いをしたらしく、口元と頬にはケーキのかすとシロップが付いている。

 

「ごめんなのはちゃん。そうやった、これからホットケーキをたべるとこやったんや。けんとくんとなのはちゃんは先いってて。この本もどしたらわたしもすぐにいくわ」

「おう」

「うん、まってるよー」

 

 俺となのはは夜天の魔導書を本棚に戻しているはやてに手を振りながらリビングへと向かう。その途中でなのはの頬についているパンかすとシロップを指摘したら、なのはは慌ててそれを拭い取った。

 

 

 

 

 

 待ってろヴォルケンリッター、リヒト、今度こそ必ずお前たちを闇の書から救ってやる!

 

 

 

第一部 グランダムの愚王 完

to be continued 第二部 愚王の魂を持つ者




 ご愛読ありがとうございました。これにてグランダムの愚王の本編は一応終了となります。
 この後はフロニャルドを舞台にした短編と、18禁の方でもし夜天の魔導書の暴走を押さえていたらというIFの話を書いてからこの小説は完結となります。
 そしてその後はいよいよ現代編となる『愚王の魂を持つ者』の連載に入ります。そちらは別作品となりますのでご注意ください。リンクはちゃんと張ります。
 ここまで読んでくださった方は本当にありがとうございます。第二部もどうかよろしくお願いします。


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番外編 フロニャルド
EX.1 勇者


 暗雲が立ち込め地上に雨が降り注ぐ。

 そんな中、海に面した城では獅子団の重鎮が集まって会議をしていた。

 

「西の森に現れた《魔物》による被害は広がる一方です。付近にあった村はことごとく壊滅し、住民たちは命からがらこの街まで逃げてきています。人的被害が出ていないことが幸いですが、それもいつまでもつか……」

 

 頭の上に猫のような丸っこい耳を付けた若い騎士が告げた報告に、室内の空気はますます重くなる。燭台に上に灯る蝋燭(ろうそく)の灯が風で揺らめき、暗さが増した気もした。

 同じく、獅子の耳を付けた長い金髪の副団長が口を開いた。

 

「我々の方でも対策を練っているところですが、あの魔物を討伐するとなればかなりの兵が必要になります。南の『カミベル領国』もこの街に侵攻を企てているとの噂もありますので、とても魔物討伐に駆り出せる兵は……」

「……」

 

 奥の席に座る長い銀髪の女が腕を組み、考えるそぶりを見せる。彼女の耳にも獅子の耳がついている。

 そんな彼女の前で別の幹部たちが声を上げた。

 

「『ビスコッティ王国』でも同様の被害が出ていると聞くが、あちらも魔物を倒せるだけの戦力がなく、ほとんどの民が街にこもっている状態のようだ。このままでは“首脳会議”の開催すら……」

「“あの方々”なら魔物を退治できると思うが、そう都合よく来てくださるかどうか……期待はできないだろう」

 

 そこで若い騎士がぽつりと言った。

 

「この国にも“勇者様”がいてくだされば……」

 

 その一言にまわりの視線が集まる。騎士は慌てて――

 

「し、失礼しました! 領主様の御前で――」

 

 頭を下げる騎士に対して、奥に座る銀髪の女は右手を上げながら「よい」と答え、一度皆の顔を見回してから重々しく腰を上げた。

 

「我が領国と周囲の状況はよくわかった。だがそれでも、パスティヤージュ王が要望する“首脳会議”を中止するわけにはいかん。故にあの魔物を倒すため、(それがし)は“最後の切り札”を使おうと思う」

 

 

 その言葉に幹部たちは一様にどよめく。

 その中からただ一人、副団長は静かに女を見ながら、

 

「閣下……もしやあなたは……」

 

 その言葉に女は笑みを浮かべてうなずいた。

 

「『ガレット獅子団領国』の領主、ブルトンヌ・ガレット・デ・ロワの名において――我が国に《勇者》を召喚する!」

 

 ブルトンヌという領主がそう告げた瞬間、空に雷鳴が走り室内を白く染めた。

 

 

 

 

 

 

 リヴォルタ騒動から一ヶ月後。

 

 

 身支度と朝食を終えた俺は国王兼王都領主としての政務に取りかかろうと執務室へと向かい、百枚以上の書類が積まれている机を見てげんなりしながらそちらに向かう。

 そこへ……。

 

「ニャー」

 

 ……?

 

 ふいに何かの鳴き声が聞こえてきた。

 まさかと思い、俺は鳴き声がした後ろを振り返る。

 そこには紫色の毛並みの猫がいた。

 顔の下半分と手足の毛だけが白く、なぜか首のまわりに付け襟と赤い蝶ネクタイが付けられて、短剣を収めた鞘を背中に背負っている。

 誰かが飼い猫でも城に持ち込んできたのか? もしくは城に勤めている使用人か兵が城下町で拾って来たか?

 

「どうした? 腹が減ってエサでも探しに来たか?」

 

 もしそうなら仕事なんてしている場合じゃない。早くこいつに飯を食わせてやらないと。どんな経緯があれ王宮にいる動物の世話も王として大切な仕事だ。……決して政務をサボろうとしているわけじゃないぞ。

 

 俺は猫が本当に空腹なのか、具合を見るためにそいつの方へ歩み寄る。

 すると猫は向きを変えて逃げ出した。

 

「――あっ、おい待てよ!」

 

 思わず俺は猫を追いかける。別に俺が飼ってるわけでもないんだし逃げるくらいなら放っておいても構わないんじゃないかとも思ったが、それでも俺は猫を追いかけることにした。

 書類? 猫の件が解決したらやる。

 

 猫は思いのほかすばしこく、当初は駆け足ぐらいで追いかけていたが今では全速力で猫を追っていた。

 それでも猫との距離は縮まらず、俺と猫は城中を駆け回る。その途中で……

 

「あれ、ケントじゃねえか」

 

 俺と猫が走っている廊下の向こう側からヴィータが現れる。俺は彼女に、

 

「ヴィータ! ちょうどいいところに来た。その猫を捕まえてくれ!」

「はっ、猫? なんで猫を?」

 

 ヴィータは戸惑いながらも、言われた通り両手を広げて猫を捕まえようとする。

 しかし、猫はそこでまた向きを変えて階段の方へ向かって行った。

 ヴィータの手は空を切り、その横で猫は素早く階段を登っていく。

 

「ちっ、逃がすか」

「あっ、おい、どういうことだよ? お前、今日はずっと仕事だったはずじゃなかったのか?」

 

 俺とヴィータは階段を駆け上がる。俺は猫を追うために、ヴィータは俺につられて二三段は飛ばしながらひたすら階段を登っていった。

 最上階である三階まで登ると猫は廊下を駆けていく。俺とヴィータも猫が向かった先へ行こうとした。その後ろから――

 

「あら、陛下、ヴィータちゃん」

「どうされたのです二人とも?」

 

 猫が向かった方とは反対側の廊下を歩いていたシャマルとシグナムが俺たちに声をかけてきた。その後ろにはザフィーラ、ティッタ、リヒト、それとイクスまでいる。俺以外みんな非番だったのか。

 

「悪い! ちょっと立て込んでいるんだ。また後でな」

 

 俺はそう言ってみんなに背を向けて、猫が走っていた廊下へ向かった。

 

「主!? お待ちください主! ヴィータ、どういうことだ? 主とお前は一体何をそんなに慌てている?」

「知らねえよ! ケントの奴が猫を追っかけていて、あたしはケントからそのわけを聞き出そうと――」

 

 俺の後ろからシグナムとヴィータの声がかかってくる。だが俺は構わず先を走り続けた。ここまで来たら猫を捕まえない限り部屋に戻ることはできない。

 

 

 

 

 

 そして俺はついに猫を追いつめた。

 ここは三階よりさらに上にある、城の屋上。

 猫はそこでじっとしていた。まるで俺を待っていたように。

 俺は息を切らしながら猫に語り掛ける。

 

「もう逃げ場はないぞ。大人しくこっちにくるんだ」

 

 俺はじわりじわりと猫に近寄る。ここで下手に一気に距離を詰めようものなら、猫は逃げようとしてここから飛び降りかねない。

 猫というものはこの城くらい高いところから落ちてもうまく着地できるというが、着地に失敗する恐れだって十分ある。それに俺だってここから落ちた場合、飛行魔法の発動が間に合わずに大怪我を負うことだってあり得る。お互いのためにもここで猫を確保したいところだ。

 猫はじっと俺を待っている。さっきまで逃げ回っていたのが嘘みたいだ。

 俺は少しずつ足を進め、じりじりと猫との距離を詰める。

 その時――

 

「何やってんだケント?」

 

 後ろから声をかけられて俺はそちらを振り向く。

 そこには先ほど三階で別れた守護騎士たちとリヒトとイクスがいた。

 皆怪訝そうな、あるいは不思議そうな顔で俺と猫を見ている。

 

「先ほどからひどく慌てていた様子だったので何かと思って後を追ってみたら、その猫を追っておられたのですか。そやつは一体なんなのです? もしや敵国が放った密偵でしょうか?」

「いやいや軍犬じゃあるまいし、諜報目的なら人間の刺客を送り込んだ方が早いでしょう。ほら、お兄様だってそんなこと考えてなかったって顔してる」

 

 シグナムの推測をティッタは手を振って否定し、俺の顔を指さしながらそんなことを言ってくる。失礼なと言いたいところだが、まったくその通りなので何も言い返せない。

 

「……では、陛下はなぜその猫を追いかけられていたんです? かなり必死なご様子でしたけど」

 

 シャマルの問いに俺は言葉を失った。

 ……確かに。なんで猫を捕まえるのにここまで必死になっていたんだろう? 俺は猫が腹を空かしていないか気になっていただけなのに。

 そんな胸中が顔に出ていたのか、イクスはぽつりと言った。

 

「もしかしてケント様は何の理由もなく、ただ猫を捕まえてみたかっただけなんじゃあ……」

 

 その言葉に皆は静まり返り、辺りを沈黙が覆う。そして……

 

「はあああ! 何の理由もなく猫を追ってたのかよ!? てめえ、そんなくだらねえことにあたしを巻き込んだっていうのか?」

 

 声高に叫んでから、ヴィータは凄みながら俺に迫ってくる。彼女に続いてティッタも――

 

「そう言えばお兄様、確か今日中に片付けなきゃいけない仕事が山ほどあったはずだよね? まさか猫をダシにして逃げ出してきたんじゃあ?」

 

 ティッタまでもそう言いながら俺の方に迫ってくる。領主の仕事で頭を働かせるようになったせいか急に鋭くなってきたな。こいつをリヴォルタの領主にしたのは失敗だったか?

 そんなことを考え、冷や汗を流しながら後ずさっている時だった。

 

「「主!!」」

 

 突然シグナムとリヒトが異口同音に叫び俺を睨みつける。さすがにおふざけが過ぎたか。だが――

 

「ケント!」

「お兄様下がって!」

 

 シグナムたちだけでなく俺の眼前にいるヴィータとティッタまでが身を構えながら俺を――いや俺の後ろを睨む。

 それに気付いて俺は後ろを振り返り、そして息を飲んだ。

 俺の視線の先では例の猫が立っていた。それはさっきまでと同じだ。違うのは今まで猫が背中に背負っていた鞘から短刀はなく、その短刀を猫が口にくわえていることだ。

 

 おいおい、まさか本当にどこかの国の刺客だったとでもいうのか? どこのどいつだ? 猫に暗殺なんてやらせようとする奴は。

 

「イクスちゃん、私のそばから絶対に離れちゃだめよ!」

「は、はい!」

 

 シャマルはイクスをかばうように彼女の前に立ちはだかり、イクスはシャマルの足にしがみついた。

 彼女たちを意に介さず、猫は首をわずかに傾けてくわえている短刀を俺に向けてくる。

 

「主、お下がりください!」

 

 それを見てシグナムはたまらず猫に向かって駆けだした。だがシグナムを前にしても猫は動じず、構えるようにくわえ直した短刀を、そのまま地面に突き刺した。

 その瞬間短刀を突き刺した箇所から円状の緑色の魔方陣が現れ、屋上全体に広がっていく。

 

「えっ?」

 

 シグナムはそんな声を漏らして動きを止めた。

 なぜなら彼女は――いや俺たちみんなが魔法陣に飲み込まれているのだから。

 

「「「「「「うわあああああっ!!」」」」」」

 

 

 

 

 

「「「「「「あああああ!」」」」」」

 

 俺たちは叫び続けながら魔法陣に飲み込まれ、青い渦の中を落ちていく。

 するとほどなく、青い渦を抜けて俺たちは遥か高い空中に投げ出された。

 俺たちは青い光に包まれながら下へ落ちていく。飛行魔法を使おうとするが、すさまじい力に抑えられてそれも叶わない。

 

 そして俺たちは落下に身を任せながら下を見た。

 俺たちの視界に飛び込んできたのは広大な景色だった。

 街のまわりに広がる森、青い海、宙に浮いている島、どれも今のベルカでは見られない光景だ。

 街の端には海に面した城があり、どうやら俺たちは城の近くにある岬に向かって落ちているらしい。

 

 そう思っている間に地面がすぐ目の前に迫ってきた。

 

「激突するぞ! 全員、防御魔法を張れ!」

「「はっ!」」

「「おう!」」

「はい!」

 

 

 

 その直後、地面に落下した瞬間、俺たちの視界は黒く塗りつぶされ何も見えなくなった。

 だが特に痛みはない。防御魔法がうまく働いたのか、それとも別の要因によるものか。

 

「なんだ? 一体何が起きた?」

「何も見えねえぞ!」

「――んっ! そこは」

「おい! 誰だよ変なとこ触ってんのは?」

「うーん、ぴくぴく」

「……」

 

 女性陣の声が俺の耳元にかかってくる。そういえばさっきから手に柔らかい感触が伝わってくるのだが、これはもしや……。

 手元の感触について考えていると、視界が開けてきた。

 そこは空の上から見た通り、城の近くにある岬で、俺たちが落ちたのはその端だが、地面は道のように舗装されている。

 足元を見ると緑色の花のようなものが俺たちの下で咲いており、どうやら俺たちはこの花によって閉じ込められていたらしい。もしかして、俺たちが無事に着地できたのもこの花のおかげなのでは?

 そんなことを考えているうちに、緑色の花は粒子状になって消えていった。呆気にとられながらそれを眺めていると……

 

「あの、陛下……そろそろ手をどけていただけませんか」

「おい、いい加減アタシの尻から手を離せよ!」

「んっ? ――あっ!」

 

 その声に反応して自分の手元を見ると、俺の左手はシャマルの胸をわしづかみにしていた。

 俺は慌ててシャマルの胸から手を離しながら、

 

「わ、悪いシャマル! 何も見えなくてついうっかり」

「い、いえ。わかっていますから」

 

 そう言いながらも、シャマルは胸をかばいながら俺から距離を取る。その一方で……

 

「何だザフィーラだったのか。てっきりエロ兄の仕業かと思ったよ」

「すまんな。手を離したいのは山々だったのだが、お前が上に乗っかっている状態でははねのけるわけにもいかなくてな」

 

 意図せずティッタの尻を触ってしまう格好になってしまったらしいザフィーラはそれを打ち明けたうえで謝り、ティッタはすんなりとそれを受け入れる。片や俺はシャマルから警戒されたままの上、シグナムやヴィータから冷たい視線を向けられている。

 何だこの差は? 俺とザフィーラで何でこうもまわりから抱かれる印象に違いが出るんだ? 一応本人から許しをもらってはいるものの何か釈然としない。

 肝心のリヒトは俺たちなんかよりもこの世界の方が気になるようで、あちこちに視線をさまよわせている。それはそれで悲しいと思うのはなぜだろう?

 残るイクスは地面に横になったまま、まだ目を回していた。刺激が強すぎたか。

 

「ニャ」

 

 そこへ鳴き声とともに猫が上から降ってきた。あいつは城に現れて、変な魔法で俺たちをこんな場所に送り込んだ猫じゃないか。あの猫も俺たちと一緒に来たのか。

 俺はまた猫を捕まえようと体を向ける。そこへ――

 

「来たな《勇者》よ」

 

 不意に声がして、俺たちはそちらに顔を向ける。

 そこには背の高い銀髪の女がいた。

 金色の目、腰に細剣を差した男が着るものと変わらない騎士服、長く下ろした髪の中で一房だけぴんと上に伸びた縮毛。

 だが何よりも俺たちの目を引いたのは、彼女の頭についている獅子のような耳と腰の後ろから出ている尻尾だった。

 

「ニャー!」

 

 銀髪の女を見るや、猫はそそくさと俺たちから離れ女のそばに寄っていく。女は動じることなく、猫の頭を撫でながら声をかけた。

 

「チェルシー、よくぞ《勇者》を連れてきてくれた。大儀である」

 

 ……どうやらあの猫はこの女が差し向けたものだったらしい。しかし先ほどからこの女が言っている勇者とは一体?

 俺たちは頭の上に疑問符を浮かべながら女を見る。

 女は猫の頭から手を離し、俺たち――いや、俺の方に顔を向けた。

 

「よく召喚に応えてくれたな、異世界から来た《勇者》よ! (それがし)はガレット獅子団の団長にしてガレット獅子団領国の領主、ブルトンヌ・ガレット・デ・ロワ。しかるべき事情により領主としての権限を行使して、貴殿を《勇者》として召喚させてもらった!」

 

 ブルトンヌは俺に向けてはっきりとそう言った。周りのみんなも困惑しながら俺を見ている。

 俺は確かめるように彼女に問いかける。

 

「異世界から来た勇者って……」

「無論貴殿のことだ、《勇者ケント》よ。我が国と周辺諸国を脅かす魔物を退治するため、貴殿の力を貸してほしい。協力してはもらえないか?」

「えええっ――!?」

 

 ブルトンヌの言葉に俺は思わず声を上げた。ヴィータやティッタもあまりの展開に口をあんぐりと開けて、他の三人も戸惑いから立ち直れずにいた。

 

 

 

 

 

 こうしてしばらくの間俺はグランダム王の肩書を忘れ、《ガレットの勇者》として、ガレットと周辺国を脅かす魔物の退治に出ることになる。

 結果だけを先に話すのなら、俺たちにとってあの戦いは何の実入りもなかったと言える。しかしあれはあれで結構楽しかったし、他のみんなにとってもいい気分転換になっただろう。

 それにリヒトへの恋心をはっきりと自覚したのも、魔物との戦いや《パスティヤージュの一行》との触れ合いがきっかけだと思う。



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EX.2 ガレット獅子団領国

 ここはベルカとは異なる世界にある『フロニャルド大陸』。

 この大陸では太古から凶暴な《魔物》が各地で跋扈しており、人々は魔物から隠れるように生活していた。

 かつて、この『ヴァンネット』という街を治める領主に仕える騎士だったブルトンヌは、領主によって創設されたガレット獅子団の団長に任命され、それからずっと獅子団を率いて魔物たちと戦いこの街と住民を守る日々を送っていた。

 しかし、数年前に領主が病に倒れてこの世を去ったことがきっかけで、ブルトンヌは一介の騎士ではいられなくなった。

 若くしてこの世を去った領主には妻子がいなかったため、領主の後を継ぐ者がおらず街を治める者がいなくなってしまったのだ。

 残された住民は、獅子団の長であり側近として領主の補佐をしていたブルトンヌが新たな領主となることを望み、それからすぐに『ブルトンヌに後を託す』と書かれた領主の遺書が見つかった事が決め手となって、ブルトンヌは正式にヴァンネットの領主となった。

 それが『ガレット獅子団領国』の始まりとのことだ。

 

 現在のフロニャルドでは、大陸の西にある『パスティヤージュ王国』の当主と当主が召喚した勇者を始めとする一行によって、魔物による被害は激減しているが、つい最近この街の近くで強力な魔物が出現するようになってから、ガレットの人々は再び街から出られない生活を送っており、このままではこの街で近々開かれる予定の『各国首脳会議』も中止となってしまうらしい。

 ブルトンヌとしては獅子団を率いて早急に魔物を退治したいところだが、街の周囲に生息している魔物は未だに多く、会議の前ということもあって多数の兵を街の外に駆り出すわけにはいかないそうだ。

 そこでブルトンヌは異世界から《勇者》を召喚することを決め、《星詠み》という術を使って様々な異世界を観察し、ある人物に目をつけた。

 その人物というのが……

 

 

 

 

 

「……俺というわけか」

 

 通された部屋でつぶやく俺に、ブルトンヌは強くうなずき「その通りだ!」と言った。

 

「猛吹雪を繰り出す術で無数の異形を氷漬けにしたり、剣も術も通さない恐るべき力を持つ女を打ち倒したところを見て確信した。貴殿ならばあの魔物を倒すことができると。だから(それがし)は貴殿を勇者としてガレットに召喚することを決めたのだ」

 

 マリアージュやカリナと戦った時か。確かにあれはどちらも俺がやったことではある。しかし、あれはどちらも闇の書やリヒトの力を借りてやったことだ。俺一人では到底あんなことはできない。

 いや、そんなことよりも……

 

「その召喚とやらは召喚される人物の意思に関係なく行われるものなのか? 深刻な事情があって勇者を召喚しようとしたのはわかったが、それでもさすがに勝手が過ぎると思うが?」

「何を言っている? ちゃんと貴殿の了解は取ったはずだぞ。召喚陣に書かれてある文言を読んでいなかったのか?」

 

 文言と聞いて訝しげな顔をしているだろう俺を見て、ブルトンヌは横にいるチェルシーという猫に目配せをする。チェルシーはそれを受けて室内に召喚陣というものを作った。あっちで現れたものより明らかに小さい。

 召喚陣の外周部には模様が書かれており、よく見ると文字に見えなくもない。まさかそれが……

 

「そこにちゃんと記されているだろう。【ようこそフロニャルド、おいでませガレット】……そして」

 

 ブルトンヌに応じるように、チェルシーは召喚陣の端の方に小さく書かれている模様を前足で示す。

 それを眺めながらブルトンヌは続けた。

 

「『注意:それは勇者召喚です。召喚されると、召喚主が《送還の儀》を行わない限り帰れません。拒否する場合はこの紋章を踏まないでください』という注意書きもちゃんと記してあるぞ」

読めるか!! それに注意書きが小さすぎる! これじゃあ文字が読めたとしてもようこそやおいでませにしか目がいかん!」

 

 そもそも召喚陣とやらが現れた時には俺たちはその上に立っていて、気が付いたらこの世界の空に放り出されていたからな。拒否しようがなかった。

 

「そうか、あちらの世界の人間はフロニャ文字が読めなかったのか。言葉が通じるからつい失念していた。許せ」

 

 そう言いながらブルトンヌは涼しそうな顔で紅茶を口に含む。……こいつ、まさかわかっていてやったんじゃないだろうな? そうだとしたら凛々しそうな外見に反してとんだ(たぬき)だ。

 

「……わかった、もういい。俺たちがベルカ……あちらの世界に戻るには、召喚主が《送還の儀》を行う必要があるとのことだが、それは大丈夫なんだろうな?」

「心配いらん。勇者召喚については謎が多い儀式であり、最近までは召喚することはできても、勇者を元の世界に送還する方法についてはほとんど知られていなかったのだが、この城には優秀な研究士がいてな、その者によって勇者を送還する方法がすでに発見されている。貴殿たちが望めばすぐにでも元の世界に戻してやろう……しかし」

 

 そこでブルトンヌは深刻な顔になって言葉を止める。俺は彼女が言いたいことを察して言った。

 

「その代わり、この国の近くに現れている魔物を倒してくれということか」

「もちろん無理にとは言わん。断ったとしてもちゃんとお前たちをベルカという世界に返すと約束しよう……ただ、もし魔物を倒してくれたら、(それがし)はお前たちを救国の士として手厚くもてなすつもりでいるのだが」

 

 またわかりやすい甘言を言ってくれる。それだけ強い魔物ということか、もしくは手厚いもてなしというのはただのリップサービスか。

 

 ……さてどうする? もし万が一その魔物が俺たちの手に負えない強さだったとしたら、俺たちは何の関係もない世界や人のために命を懸けることになる。俺一人だけでもここで死ぬわけにはいかないのに、俺に巻き込まれる形でここに来た仲間たちの身まで危険にさらしていいものなのか?

 

「いいんじゃない」

 

 その言葉に、俺とブルトンヌは声の方に顔を向ける。

 そう言ったのは、窓の方でイクスと一緒に青空や遠くに見える森を眺めていたティッタだ。イクスはティッタに顔を向けながらも紫の空から目を離したくないようで、視線を行ったり来たりさせている。

 そんなイクスの横でティッタは……

 

「その魔物ってのがどれくらい強いのかはわかんないけど、これだけの面子を相手にして勝てる奴がいたらむしろ見てみたいくらいだよ。それにその魔物倒してタダ飯食わせてくれるのなら儲けものでしょう。今のベルカは不作のせいで王侯貴族でもご馳走が食べられないくらいなんだし。それくらいは期待していいんですよねブルトンヌさん?」

「もちろんだ! あの魔物を倒したら盛大に宴を開くつもりでいる。魔物を倒した功労者を主役とした宴をな!」

 

 ティッタの確認にブルトンヌは大きくうなずいて答えた。

 

「まっ、確かに魔物くらいあたしらの敵じゃねえな。そういうのからリンカーコアを取ってきたこともあったし」

「えっ? リンカーコアって人間以外からも蒐集できるのか?」

「ああ。大型の魔法生物の中にはリンカーコアを持っている奴がいるんだよ。騒ぎを起こさずこっそりと闇の書を完成させたいって主から、そういった生物からの蒐集を指示されたこともあるんだ」

「そうだったのか」

 

 ヴィータの説明に、俺ははあっと息を漏らしながらそう答える。

 考えてみれば人間以外にもリンカーコアを持っている生物がいても不思議ではない。もっともそう言った生物から蒐集するより、大勢の魔導師から蒐集した方が効率がいいのだろうが。

 

「ふむ、リンカーなんとかとはよくわからんが、魔物を倒したことがあるのは心強いな。さすがは(それがし)が勇者として召喚した男が連れてきただけはある。それに心配しなくても(それがし)が用意した《守護装備》に身を包めば、魔物から攻撃を受けても怪我を負うようなことはない」

「守護装備?」

 

 俺がその単語を復唱すると、ブルトンヌはおもむろに指を鳴らした。

 すると金髪の執事とミニスカのメイドが何人か部屋に入ってきて、俺たちに服を手渡してきた。部屋に入ってきた執事やメイドには、やはり猫のような耳と尻尾がついている。

 

「その服は守護装備といってな。《フロニャ(ちから)》が込められた素材でできた、魔物との戦いには欠かせない防具だ。それを着ている間はどんな衝撃を受けてもかすり傷一つ負うことはない……着ている間はな」

 

 またしても聞いたことのない単語で説明するブルトンヌに、俺は「フロニャ(ちから)とは何か?」と聞いた。

 

 フロニャ(ちから)とは、フロニャルド各地に染み渡っている加護の力で、それが働いている場所では傷を負うことはなく、フロニャルドの人々はフロニャ(ちから)が濃い場所に居住地や拠点を作るらしい。その力が込められている服を着れば、魔物に攻撃されようと傷一つ負うことはないとのことだ。

 ……しかしフロニャ(ちから)とはなんとも力が抜けそうな響きだな。フロニャ(りょく)とかでは駄目なのだろうか?

 

「さらに、守護装備に加えて、ケントにはこの地に古くから伝わる二対の宝剣の一振り《神剣エクスマキナ》を貸与するつもりだ。どうだケント、ガレットの勇者として(それがし)に力を貸してはくれないか?」

 

 そう言って俺を見つめるブルトンヌに答えを返さず、俺は後ろにいる皆を見た。

 いまだに空を眺めたままのイクス、彼女の隣でこちらに顔を向けるティッタ、やれやれと呟くヴィータ、仕方なさそうにため息を吐くシャマル、無表情でこちらを見つめたままのザフィーラとリヒト、二人の中心で微笑みながらうなずくシグナム。どうやら異論がある者はいないようだ。

 それを確かめて俺はブルトンヌに顔を戻す。彼女は俺がどう答えるかわかっているように笑みを向けていた。

 

「わかった。大口を叩くつもりはないがやれるだけのことはやってみるよ。よろしく頼む領主ブルトンヌ」

「そうか。貴殿ならきっとそう言ってくれると思っていたぞ勇者ケント。(それがし)は部下や民たちからはブル閣下と呼ばれている。貴殿たちも遠慮なくそう呼ぶがいい」

 

 そう言葉を交わしながら俺とブルトンヌは握手を交わした。

 

 それからすぐに、俺たちは守護装備に着替えてヴァンネット城を発つことになる。別に魔物相手に後れを取るとは思っていなかったが、万が一ということもあるしせっかくだからな。

 

 結果的に言えばこの判断は正解だった……二重の意味でな。



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EX.3 魔物

 一刻後、俺はブルトンヌから《紋章術》というフロニャ(ちから)を用いた法術と《神剣エクスマキナ》の使い方を一通り教わり、守護装備に身を包んでからヴァンネット城の前に出た。

 ブルトンヌから預かった《神剣エクスマキナ》は今、俺の右手の人差し指にはめられている指輪に封じられている。宝剣は普段粒子状になって指輪の中に収納され、戦いの際は武器の形をとるらしい。しかも使用者の意思によってさまざまな形をとるとのことだ。

 

「――あっ! ケント様、領主様、こっちでーす!」

「おせーぞ! お前ら一体何してたんだよ?」

 

 俺とブルトンヌが城門の前に着く頃には、すでに皆がそこにいて俺たちの到着を待ちわびていた。皆も俺と同じように守護装備に着替えている。

 城内にいた時から飽きもせずに空を眺めていたイクスは上機嫌そうに手を振り、ヴィータはいつものように憎まれ口を叩いて俺たちを迎えた。

 

「悪い。ブル…閣下から色々教わっててな」

 

 ブルトンヌの呼び方に戸惑いながら俺はそう答える。

 愛称みたいなものとはいえ、人に敬称を付けて呼ぶことにまだ慣れない。そもそも今の俺はブルトンヌの臣下ということになっているのか? 先ほどまでため口で話していたため、今さら敬語を使う気になれずにそのまままためで話し続け、彼女もそれに気を悪くするような様子はないが。

 

 ブル閣下はみんなを見回して――

 

「よし、皆揃っているな。早速魔物の討伐に行きたいところだが、その前に一つ聞きたいことがある。星詠みで見た限りお前たちは空中で戦っているように見えたが、あれは本当に飛んでいるのか?」

「ああ。何なら見せてみようか?」

 

 俺がそう言うとブル閣下はこくりとうなずき、真剣な表情で俺たちをじっと見つめた。

 俺はさっそく飛行するところを閣下に披露しようと意識を込めかけるが、そこにヴィータが俺たちの間に割って入ってきて俺に一瞥くれた。

 自分にやらせろということか。ヴィータの意を察した俺は肩をすくめながら視線でヴィータを促した。

 ブル閣下は怪訝そうな目でヴィータを見る。そんな彼女にヴィータはニヤリとした笑みを見せて、

 

「目ん玉見開いてよく見とけよ、閣下さん」

 

 そう言った直後にヴィータの足は地面を離れて宙に浮き、たちまち空高く上昇していった。……赤か、飛行魔法を知らない閣下に飛ぶところを見せびらかしたいがために、俺がすぐ後ろにいることを失念していたようだ。

 一方、ブル閣下は上空に浮かんでいるヴィータを呆然と眺めている。星詠みで俺たちが空を飛ぶことができると知っていても、実際にそれを目の当たりにすると信じられないという気持ちが出てきてしまうらしい。

 しばらくしてから閣下は我に返り、取り繕うように咳払いをして言った。

 

「そ、そうか、どうやら本当に飛ぶことができるようだな。では《セルクル》は必要ないか」

「セルクル?」

 

 俺のおうむ返しにブル閣下は後ろを振り返って、そこにあるものを示した。

 そこには色とりどりの巨大な数羽の鳥がポールに繋ぎ止められていた。……まさかとは思うが、

 

「あの鳥に乗って行くつもりだったのか?」

 

 俺が問うと、ブル閣下はこちらを振り向いて答えた。

 

「そうだ。(それがし)たちは貴殿たちのように空を飛ぶことはできないからな。だからこうして準備はさせていたのだが……その必要はなかったようだ」

 

 ブル閣下はそう零すと鳥の隣にいる兵士たちに向かって手を上げる。それを受けた兵士たちは鳥を引いてここから去っていった。俺たちは唖然としながらそれを見送る。

 どうやらガレットでは、馬の代わりにあのセルクルという鳥が乗用に使われているようだ。つくづく俺たちの常識が通用しないな。このような世界があったなんて。

 

「では改めて魔物退治に行くとしようか。ただ、今言った通り(それがし)は飛ぶことはできん。誰か肩を貸してくれないか?」

 

 ブル閣下の頼みにシグナムが進み出てきて、

 

「私でよければ構わないが、ブルトンヌ殿まで行く必要はないのではないか? あなたはガレットという国を治める領主なのだろう。そんな立場にいる方がわざわざ危険を冒す必要は――」

「領主だからこそだ。(それがし)はお館様――前の領主様からこの街と街に住む民たちの未来を託された身だ。その(それがし)が街と民を脅かす脅威を前に座して待っていることなどできん。(それがし)も貴殿らと共に行かせてもらうぞ。今は手間をかけさせると思うが戦いとなればお前たちに後れは取らん!」

 

 ブル閣下の言葉を聞いてシグナムは俺の方を見た。そんなシグナムに向かって俺はうなずく。ブル閣下の好きにさせてやってくれと。

 同じ国を預かるものとして閣下の思いは痛いほどよくわかった。俺だって今までグランダムの王という立場にいながら、自ら剣を取って敵軍と戦ってきた。自国を脅かす脅威に対して居ても立っても居られないのは俺も閣下も同じなのだろう。俺としてはブル閣下の意思を尊重したい。

 その思いはシグナムに伝わったようで、彼女は肩をすくめてブル閣下に言った。

 

「分かった。ならば私の肩に捕まってくれ。その代わり魔物がいる場所までの案内は任せたぞ」

「無論だ。(それがし)が示す方に向かうがいい」

 

 

 

 こうして、ブル閣下とイクスを含めた俺たちは上空を飛んで魔物を倒しに向かった。

 守護装備を着ているため怪我を負う危険がないとはいえ、魔物との戦いにイクスまで連れて行くことに躊躇いはあったが、イクス一人をヴァンネット城に残しておくほどまだブルトンヌを信用していない。一緒に連れて行った方が安全だ。

 イクスも嫌がる様子は見せず二つ返事で俺たちについてきて、今はシャマルに捕まりながら、紫色の雲一つない空や生き生きと伸びている木々などベルカでは見られない景色を堪能している。それはティッタも俺も同じだ。俺たちが生まれるずっと前からベルカは暗雲に覆われていて、木々も日光がほとんど当たらないため発育が悪いものか、日光なしでも育つ樹木ばかりが残るようになった。こんな景色を見るのは生まれて初めてだ。

 あの時、魔物退治を引き受けるようにティッタが勧めてきたのもこの景色を眺めたかったからだろう。俺だって迷いながら内心ではもう少しこの世界を見ていたいと思っていた。この景色を見てつくづく思う。不測の事態ではあったがこの世界に来れてよかったと。

 

 

 

 

 

 

 しかし、その感動も目的地に着いた途端に台無しにされる。

 そこに生えていた木々はあらかた倒され、岩山は崩れ、大地は荒らされて、倒された木や動物たちの死骸が至る所に散乱していた。それを見て俺たちもブル閣下も思わず顔をしかめる。

 森林の荒廃はずっと先まで続いており、その先にそいつはいた。まるで更なる餌場を求めて進んでいるかのように。

 

 そこにいたのは、山ほどの大きさの巨大な大蛇だった。鱗は黒く、金色に輝く目に瞳はない。

 その出で立ちに女性陣の何人かがうめき声を漏らす。

 

「閣下、あいつが……」

「ああ。この一帯を荒らし、周囲にある村々にまで害を及ぼす魔物だ。フロニャルドでは数百年間様々な魔物が跋扈していたが、あれほど強大なのは歴史上でも数えるほどしかいないと聞く。奴がいる限り人々はこの森を通ることができず、ガレットは他国から孤立してしまうだろう。それどころか、あの魔物を放っておけば、そのうちガレットやビスコッティなどの街に入り込んで暴虐の限りを尽くしかねん。そうなる前に何としてもここで叩き潰さねば!」

 

 自らを奮い立たせるように強い口調でそう息巻く閣下を見て、俺も意を決した。

 

 あの蛇を倒す。あんなのにこの森やこの世界に住む人々を好きにさせてたまるものか。この実り豊かな世界をベルカのようにさせてたまるか!

 

「いいだろう、その命令承った! シグナムは閣下を下ろして彼女とともに地上からあの魔物を攻撃しろ! シャマルはイクスを守りながら必要に応じて各員の補助と回復を、他の者たちはそれぞれの判断で地上や空中から魔物を攻撃――いいな!」

「「「はっ!」」」

「「おうっ!」」

「はい!」

「…えっ? あっ、はい!」

 

 

 

 

 

 

 同時刻、大蛇の魔物がいる森の西には騎乗鳥セルクルに乗って森に向かう五人組がいた。女三人、男二人の若い男女の集団だ。ただし、最前線にいる狼の耳と尾がある茶髪の兄妹は見た目通りの年齢ではないが。

 

「兄者、見えてきたよ」

「ああ、あれが例の魔物だろう。大きさや凶暴さから見て《禍太刀(まがたち)憑き》かもしれないな」

「禍太刀憑き……私とフィー様を追いつめた魔物に刺さっていた刀があの魔物にも。……フィー様」

 

 金髪の女は、隣にいるリスのような耳と尻尾がある小麦色の髪の少女の顔を窺う。少女は女を見ず、険しい表情で眼前の森を見据えながら答えた。

 

「……急ぎましょう。これ以上あの魔物による被害を出すわけにはいきません。それにあの魔物が《禍太刀》に囚われてあんな姿になってしまったのだとしたら、早く解放して元に戻してあげないと」

「――おい待て! 魔物のそばに誰かいるぞ。ちょっと待ってろ…………マジかよ! あいつら空飛んでやがる! しかもまさか、あの魔物と戦っているのか? 一体なにもんだあいつら?」

 

 少女と同様にリスのような耳と尾がある銀髪の男は、手持ちの望遠鏡越しに魔物を眺めてそんなことを言い、その言葉に他の四人は怪訝な顔をする。

 飛んでいるとは人間がか? 宝剣もなしにそんなことができるのは、魔物研究の中で魔神の力を身につけたそこの男だけのはずだ。しかし平時で女性がらみならいざ知らず、こういう時に彼が冗談や嘘を言うとは思えない。

 

 では男が言う、空を飛び魔物と戦っている者たちとは一体?

 実際にそれを見ている男を始め五人は疑問を抱くも、これ以上じっとしているわけにもいかずセルクルを進め森へ入る。

 何者であれ、その者たちが魔物を倒せるとは限らない。それに戦いがどうなろうと、その者たちに会わないわけにはいかなくなった。

 

 

 

 

 

 彼女たちこそ、ガレットの西にある『パスティヤージュ王国』からフロニャルド各地の魔物を退治して回っている一行であり、その中心にいる金髪の女の名はアデライド・グランマニエ。

 パスティヤージュ王国の当主クラリフィエ・エインズ・パスティヤージュが召喚した、もう一人の勇者である。



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EX.4 紋章剣

 シグナムと彼女の肩に掴まっていたブルトンヌはともに地上に降りた。

 地に足を付けるやいなや、ブルトンヌは大蛇の魔物がいる方へ足を進める。

 シグナムはそんな彼女に、

 

「ブルトンヌ殿、あなたもあの魔物と戦うつもりのようだが、どのようにして戦うつもりだ? 腰に差しているその細剣が通用するような相手には見えんが」

「そうだな。並の魔物ならこれで充分だが奴には通じないだろう。すぐに折れてしまうのが目に見えている。奴のような大物には宝剣を使うしかない」

 

 ブルトンヌの言葉にシグナムは眉をひそめる。

 彼女が差しているのは、自身が言うように山ほどの大きさの魔物に通用しそうにない細剣一本だけで他に武器はない。

 そんな反応を示すシグナムの前でブルトンヌは手袋を外し、露わになった右手をシグナムに見せた。手の形はベルカの人間と変わらず指も五本ある。その指のうち人差し指には指輪が付けられている。黒い枠に緑の宝石がはめ込まれた意匠の指輪だ。

 

「その指輪、あの城を出てから主が付けていた物に似ているな……まさかそれが」

 

 シグナムが指輪の正体を察した素振りを見せるとブルトンヌは口の端に笑みを浮かべ、右手を自分の前に掲げる。

 

「出でよ。ヴァンネットに伝わりし宝剣が一振り、《魔戦斧グランヴェール》!」

 

 その瞬間指輪から緑色の光が漏れ、光は大きな斧の形を取りブルトンヌの手に収まる。それを見てシグナムは目を見張った。

 

「指輪から武器が……これはまるで」

「うむ、貴殿たちの武器と同じだな。貴殿たちの武器もフロニャルドの宝剣と同様に色々な形をとるのだろう。星詠みで見た時は(それがし)も驚いた」

 

 ブルトンヌはそう言いながら指輪から表出した斧を構える。

 

「では行くぞ。このグランヴェールとガレット獅子団の長たる(それがし)の力、とくとこの目に焼き付けるがいい!」

 

 そう叫ぶとブルトンヌの背中に緑色のオーラに包まれた紋章が現れ、彼女が持つ斧も炎に包まれていく。そして……

 

「喰らえ……獅子公裂火爆炎斬!」

 

 ブルトンヌが勢いよく炎に包まれた斧を振るうと、斧から火の鳥が出てきて魔物へと向かって行く。

 火の鳥は魔物とぶつかった瞬間に爆発し、魔物は身をよじらせる。

 苦悶に悶える魔物を見据えながらシグナムは剣を構えた。

 

「レヴァンティン」

『Schlangeform』

 

 レヴァンティンがそう告げるとともにかの剣は弾丸を落としながら鎖のような連結状の刃となり、シグナムはそれを魔物に向かって振るう。

 

「飛竜一閃!」

 

 シグナムが振るった刀身から伸びる連結刃を喰らって魔物はひるみながら、眼下にいるシグナムたちを喰らおうと首をもたげるが、

 

「でああああ!」

 

 魔物の真横まで飛んできたザフィーラが魔物の顔面を思い切り殴りつけ、魔物は大きく音を立てながら地面に倒れる。それによって地面は大きく揺れるものの、シグナムはわずかに宙に浮きブルトンヌはその場に屈みこむことで転倒を免れる。

 それからすぐに魔物は巨大な胴と尾を巧みに動かして身を起こし、口をもごもごと動かす。

 

《ザフィーラ! 上に跳んで!》

 

 ザフィーラの脳裏に声が響いたと同時に、大蛇はザフィーラに向けて黒い霧のようなものを噴き出す。ザフィーラは指示通り上に跳ぶことでかろうじてそれを避けるも靴に霧がかすり、靴は跡形もなく破れ落ちた。

 それを見ることでザフィーラは即座にこれがただの霧ではないと気付く。

 あの靴は、守護装備と呼ばれるフロニャ(ちから)という加護が込められたものだ。それがかすっただけで破れるなんて。靴を溶かした霧の正体を察した瞬間、背中に冷たい汗が流れるのをザフィーラは感じた。

 大蛇は再び口をもごもごさせ、ザフィーラは構える。だがそこへ――

 

「だあああああ!!」

 

 魔物の頭上に飛んできたティッタが大剣を振り上げて、魔物の頭に叩きつける。

 その一撃と固有技能による衝撃で、魔物は頭をふらつかせ目をグルグル回した。

 そこへさらに――

 

「ギガントシュラーク!」

 

 ヴィータは巨大な槌で魔物の顔面を思い切り殴りつけ、間髪入れずにリヒトが飛んできた。

 

「デアボリック・エミッション」

 

 魔物に向けてリヒトが右手をかざすと、彼女の右手から巨大な黒い球体が現れ、魔物を包み込んだ。魔物は球体の中で苦しげに悶えながらこらえようとあがく。

 

 

 

 

 

 

 魔物を包む球体を視界に捉えながら俺は右手を前に掲げた。俺の右手の人差し指には、青い宝石がはめ込まれた意匠の指輪がはめられている。その指輪に向かって――

 

「出でよ、《神剣エクスマキナ》!」

 

 そう唱えた瞬間、指輪は青く光り中から青い柄に刃を取り付けた剣が出てきて、俺の手の中に収まった。

 今回限りの愛剣を右手に持ちながら左手の甲に紋章を浮かべて、そこに気力を込める。すると背後に何かが現れたのを感じ取った。練習通りなら俺の背後には大きな紋章が現れているに違いない。

 俺はすかさず剣を真横に振るう。すると剣のまわりに可視のオーラが集まりオーラは巨大な剣の形をとる。ブル閣下によるとこのオーラを揮力、揮力を武器や盾の形にすることを揮力武装と呼ぶらしい。

 揮力でできた剣――《紋章剣》が出来上がる頃には黒い球体は消失し、魔物は剣を構える俺の方に顔を向けた。

 

「行くぞ!」

 

 俺は空を蹴って魔物に向かって一直線に飛ぶ。

 魔物は俺を捉えると同時に口をもごもごとさせた。

 ――来たな。

 俺は魔物に向かって行きながら意識を奴の口元に向ける。

 次の瞬間、魔物の口から黒い霧が吹き出てきた。

 俺は真横に飛んで霧を避け霧を噴き出したままの魔物に向かって進み、紋章剣を振り上げた。

 霧を噴き終えた魔物は首をもたげ俺に目を向ける。

 

 その時俺はふと妙な感覚に襲われた。この魔物はずっとこうなることを望んでいたような、自分を殺せる者をずっと待っていたような――急にそんな考えが頭に浮かんだのだ。

 

 俺は剣を握る手に力を込め、揮力でできた紋章剣を振るい上げ眼前の魔物に向けて一気に打ち下ろす。

 

「シュバルツ・ヴァイス(紋章剣版)!」

 

 紋章剣の一撃を受けて魔物はぴくぴくと痙攣しながら首を降ろし、ずしーんと大きな地響きを立てて地面に倒れた。

 魔物は地面に倒れたきりピクリとも動かない。奴を斬る寸前に妙な事を考えたせいか、魔物に対して憐れみのようなものを感じながら俺は皆に告げる。

 

「……下に降りよう。閣下にこれからどうすればいいのかを聞きたい」

 

 俺がそう言うと、守護騎士たちとリヒトはうなずいて俺とともに地上まで降りた。

 

 

 

 

 

 

 俺たちは地上でシグナムやブル閣下と合流し、魔物の状態を確認していた。

 最初こそは閣下も警戒を解くことができずにいたが、魔物は倒れたままで俺たちが近づいてもピクリとも動かない。

 閣下はしばらくの間魔物の死骸を眺め、それから俺たちの方を向いた。

 

「皆ご苦労だった。貴殿たちのおかげで魔物を討ち果たすことができた。さすがは(それがし)が選んだ勇者とその供たちだ。ガレットや周辺国の民を代表して礼を言うぞ」

「まっ、魔物つってもあたしらにかかれば大した敵じゃなかったな。奴が噴きかけてた霧みたいなのに当たってたらまずかったと思うけど」

「ブルトンヌ殿こそなかなかの腕前だった。そのグランヴェールという斧も見事なものだ。貴国において国宝として扱われているだけはある」

 

 ブルトンヌのねぎらいにヴィータとシグナムが応え、他の者たちも笑みを浮かべたりほっと一息ついたりした。そんな中リヒトとイクスは浮かない顔をしている。

 俺はそんな彼女たちに声をかけた。

 

「どうした二人とも? 随分元気がないが、どこか怪我でもしたのか?」」

「い、いえ違います。魔物さんがかわいそうだなって思って……最初にこの魔物さんを見た時は怖いと思ってたんですけど、今はなんだかかわいそうじゃないかなって思っちゃって……魔物さんだって人や動物に迷惑をかけたくてかけたわけじゃないでしょうし」

 

 言いづらそうに話すイクスの言葉に皆は表情を消す。

 確かにこの魔物はこいつなりに生きようとしていただけかもしれない。それが人や他の動物の迷惑になってしまうだけで。しかし、だからといって放っていいわけでもない。あのまま放っておけば被害はさらに拡大し、閣下が危惧する通りこの魔物によって街が滅ぼされるようなことにもなりかねなかった。

 それに一つ引っ掛かることがある。

 

「そうか。リヒトもそう思っているのか? この魔物がかわいそうだと」

「あっ、いえ、確かにこの魔物のことは気の毒だとは思いますが、私が気になっているのはそこではなくて……実はこの魔物を最初に見た時から嫌な気配を感じていたのですが、その気配がいまだに消えないままなのが少し気になるんです」

 

 リヒトは釈然としない様子でそう話す。それを聞いてまさかと思った。

 

「まあ私たちが今さら何を言ってもこの魔物さんは退治しちゃいましたからどうにもならないんですけどね。……それで魔物さんはどうしましょう? これだけ大きいとお墓に入れることもできませんし――」

イクス、そいつから離れろ!

 

 俺が叫ぶとイクスは「えっ?」と言いながら、何を言われたのか分からないような顔でこちらを振り向いた。

 同時にイクスの姿が巨大な影に覆われ俺たちはそちらを見上げる。イクスもまた俺たちの姿が影に覆われていくのを見てそちらの方へ顔を向けた。

 

「えっ――きゃああああ!!

 

 イクスはあらん限りの声で絶叫する。

 今までピクリとも動かなかったはずの魔物が、鎌首をもたげて俺たちを見下ろしていたのだ。

 

 くそ! 今頃になって復活するとは……まさかとは思うが魔物に対するイクスの憐れみが彼女の体内にあるコアに伝わって、瀕死状態の魔物を治癒してしまったのか?

 

 俺たちは魔物を見上げながら武器を構え、イクスとシャマルは互いに身を寄せ合う。そんな俺たちを見下ろしながら魔物は口をもごもごとさせる――あれは!

 

みんな避けろ!

 

 俺は叫ぶが魔物はすでに口から黒い飛沫を飛ばしておりとても間に合わない……ここで俺まで攻撃を喰らうわけには。

 

 フライングムーヴ!

 

 技能が発動しまわりの動きがひどく緩やかになる。魔物が噴き出している霧も魔物の眼前に留まったままだ。その間に俺は断腸の思いでその場から離れた。

 仲間たちは守護装備を着ているため致命傷を喰らったとしても一度だけは無傷なままでいられる。むしろここで俺が下手に誰かをかばったりなんかすれば、俺まで守護装備の恩恵を失って魔物に反撃できなくなってしまう。ここは俺だけでも奴の攻撃を避けて反撃に備えるべきだ。

 それはわかっているのだが、彼女をかばわなかったことに対してなぜか胸が痛んだ。

 

 ここで技能は解けてまわりは動く。

 

「きゃああああ!!」

 

 当然魔物は黒い霧を噴き出し、目前にいる彼女たちはその霧をもろに浴びてしまった。

 そして彼女たちが来ている(守護装備)はボロボロと破れ落ちていく。無事なのは障壁を張って自身を守っていたザフィーラだけだ。

 霧を噴き終えて魔物は動きを止めている。

 その隙をつくように俺は再び紋章剣を具現化させて魔物に向かって飛びあがった。

 

「だああああ!」

 

 硬直したままの魔物に向けて剣を振り下ろす。

 しかし今度は一撃で倒れることなく、魔物は俺に標準を合わせ口をもごもごとさせる。

 

 間に合わない。ここは固有技能を使うしか――

「グランマニエハンマー!」

 

 俺が固有技能を使おうとする直前に、頭上から甲高い声と巨大な(とげ)付きの鉄球が降って来て魔物の頭に直撃した。鉄球に押されて魔物の頭ははるか下へ沈む。

 俺は横に目を向ける。そこには白いドレスを着た金髪碧眼の美女がいた。

 彼女は魔物を見ながら声を張り上げる。

 

「今です!」

「了解――烈空一文字!」

「ルビーフレア!」

 

 金髪の美女に続いて狼耳の少女とリス耳の少女が現れ、揮力の刃で魔物を斬りつけていく。

 そしてとうとう魔物の体は崩れ、黒い瘴気となって霧散していった。

 後に残るのは小さな蛇と蛇の胴体に刺さっている赤い刀のみ。そこへ――

 

「兄者、今だよ!」

 

 茶髪の少女が叫ぶ方を見ると、そこには少女が着ているものに似た装束の男がいた。

 

「天魔封滅!」

 

 男は手にしていた紙を投げるとそれめがけて短刀を投げつける。

 短刀は紙に刺さりながらそのまままっすぐ飛んできて、蛇に刺さっている赤い刀に突き刺さった。

 俺はそれをただ呆然と眺める。そんな俺に金髪の美女は声をかけてきた。

 

「これで魔物は封印できました。もう心配はいりません」

「君は……君たちは一体?」

 

 思わずそう尋ねた俺に、金髪の美女は満面の笑みを浮かべて名乗る。

 

「私はアデライド・グランマニエ。パスティヤージュの姫様によって異世界から召喚された勇者です」

 

 

 

 

 

 《ガレットの勇者》と《パスティヤージュの勇者》……異世界から召喚された二人の勇者はここで対面を果たした。




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EX.5 パスティヤージュの勇者一行

「異世界から召喚された勇者……君もそうなのか?」

「君も? ……そういえばあなたには耳と尻尾が付いていませんね。もしかしてあなたも別の世界から?」

 

 勇者を名乗る金髪の美女、アデライドはそう言いながら俺の頭や腰のあたりをじろじろと眺め、俺もまた彼女の頭と腰に目をやった。

 ……確かにこの世界の住人と違って、彼女の体には獣のような耳も尻尾も付いていない。異世界から来たというのは本当かもしれない。

 しかし、彼女が本当に勇者だとしたら俺の立場はどうなるんだ? 魔物を倒す勇者として召喚されたのは俺ではなかったのか?

 

「おい、一体どういうことなんだブルかっ――!」

 

 勇者について問いただそうと、ブル閣下がいる方向を振り返った瞬間、俺は言葉を詰まらせてしまった。なぜならば……

 

「きゃあ!!」

「み、見るな! エロ主!」

「~~!」

「バカ! 目えつぶれよ変態兄!」

「あっち向いてください!」

 

 後ろにいたうちの女性陣は皆、何も身につけていない状態だった。そういえば魔物の攻撃を喰らって守護装備が破れてしまってたっけ。

 なるほど、着用者が負うダメージを服が代わりに被るわけか……理にかなっているようなそうでもないような……。

 

 俺たちの視線を受けて女性陣は胸や局部を手で隠し、ザフィーラと狼耳の男は彼女たちを見ないようにあさっての方を向いていた。 

 そんな中で彼女は……

 

「――」

 

 リヒトも他の女子(おなご)たち同様生まれたままの姿をさらしていて、罵声や悲鳴こそ上げずに口を閉ざしたままでいるものの顔は赤く、俺の視線から逃れるように目をそらし、胸と局部を手で隠していた。しかし手で隠しきれないほど豊満な胸と白い素肌は十分すぎるほど扇情的で、いつまで経っても俺はリヒトの体から目を離すことができないでいた。

 だがそこへ――

 

「うひょー! なんだこりゃー! こんな森に裸の女の子たちがいる!」

 

 隅の方から男の声が届いてきて俺たちはそちらを振り向く。裸の女性陣たちも手で体を隠したまま声の方へ体を向けた。

 そこには、うちの女性陣の裸を見て鼻の下を伸ばしている銀髪の男がいた。

 赤い眼と褐色の肌、そしてリスのような耳と四股の尻尾が付いている男だ。

 男は恥ずかしそうに体を隠す女子(おなご)たちの様子に構わず、彼女たちの体をじろじろと舐めるように眺める。

 

「しかもめちゃくちゃかわいくて胸が大きい子たちばかりじゃねえか! こいつは思いがけない幸運だぜ!」

 

 男の言葉に胸が小さいブル閣下と、胸も背もまったくないヴィータとイクスはむっとする。だがそんな三人を気にも留めず、男は他の女子(おなご)たちに視線を移した。

 

「特にそこの銀髪の子はすごい大きさだな。何を食ったらそんなに育つんだ? ちょっとだけそこから手をどかしてくれ。ほんのちょっとでいいから、頼むよ!」

 

 男はリヒトにいやらしい目を向けながらそんなふてぶてしいことをほざく。

 頭にきた俺は、思わず男に対して言った。

 

「おいやめろよ! 彼女たちが恥ずかしがっているのが分からないのか!」

「あっ? 何だお前は? 俺が何を見ようとお前には関係ないだろう! だいたいお前だってあの女たちの裸をじろじろと見てたじゃねえか。特にあの銀髪の子なんか食い入るようにじっくりと!」

 

 そう言われた瞬間、意識に反して俺の口からうぐっといううなり声が出てきた。

 確かにその通りだ。いけないとは思いつつも俺はリヒトの体から目を離すことができなかった。

 

「なんでお前が見ていいのに俺はダメなんだ? こいつらはみんなお前の女かなにかだって言うつもりか? ……それはそれでむかつくけどな」

「ち、違う! 彼女たちとはそんな関係じゃない! さっきのは彼女たちから目をそらそうとした所に偶然お前がやって来て――」

「一分以上ガン見しといてよく言うぜ! 俺が出てこなきゃずっと裸眺めてただろこのドスケベ!」

「お前に言われたくない! ていうか最初からいたのかよ!?」

「ああいたさ! ここに着いて最初に見えたのがお前の姿でよ、熱心な顔で何か見てるから気になって視線の先を追ってみれば、裸の女たちがいたってわけだ! 何事かと心配して損したぜ」

「何が心配だ! 彼女たちを見た途端開口一番に下劣な声を出しやがって。何がうひょーだ!」

 

(……主)

(な、なんてアホな喧嘩だ……)

(どっちもスケベなことは変わらないわよね)

(あんなのがアタシの兄だとは)

(もしかしてケント様はリヒトさんのことが……)

 

 まわりから注がれる冷たい視線にも気づかず、俺と男は舌戦を繰り広げる。そんな時だった――。

 

「彼の言うとおりですよヴァレリー。魔物との戦いで(守護装備)を失って恥ずかしい思いをしている女の子たちを、エッチな目でじろじろと見るものじゃありません」

 

 いつの間にかヴァレリーという男のすぐ隣にはアデライドがいて、ヴァレリーの頭に紫色の武器らしきものを突き付けていた。彼女に気付いた途端、ヴァレリーは顔を青ざめさせてアデライドに横目を向ける。

 

「わ、わかってるって。魔物も封印して落ち着いたから、冗談でも言って場を和ませてやろうと思ってだな……だからそれ早く降ろしてくれって」

「じゃあ早くあっちを向いてください。でないと本当に撃ちますよ」

 

 そう言ってアデライドは俺に視線を移し――

 

「あなたもですよ! ああ言っておきながら、自分だけ彼女たちのあられもない姿を見ようとするつもりじゃありませんよね?」

「も、もちろんだ。彼女たちの格好が何とかなるまで後ろを向いているつもりだったよ」

 

 凄みのある声に気圧されて俺はそう答え、ヴァレリーとともに向こうを向いた。ここでリヒトたちに目を向けようなんて真似をすれば、今度は俺がアデライドに武器を突き付けられるだろうな絶対。

 

「なら結構です……フィー様、ヒナ、セルクルに積んである荷物からシーツを数人分持って来てもらえませんか。私はこの人たちを見張っていないといけませんので」

「はい。お願いしますね」

「すぐ持ってくるよ」

 

 そう言ってフィー様やヒナというらしい二人の少女は、木々が生い茂る森へと向かおうとする。

 しかし――

 

「――あっ! 気持ちは嬉しいけど、あたしらの分は持って来なくてもいいぞ」

「――えっ!?」

「ヴィータ、いきなり何を?」

 

 そんなことを言いだしたヴィータに女性陣の視線が集まる。俺を含めた男連中はそうするわけにはいかず、彼女たちの話に耳をそばだてるしかなかった。

 しかしティッタはヴィータが言わんとすることに気付いたらしく、彼女の声とともにポンと手を打つ音が聞こえてきた。

 

「そっか! 騎士甲冑を着ればいいんだよ。アタシらはいつでも魔具を使って甲冑を着ることができるじゃん」

「「あっ!」」

 

 ティッタの指摘に、シグナムとシャマルが揃って間の抜けた声を上げる。

 そっか、別に毛布とかなくても騎士甲冑を装着すればいいよな。すっかり忘れていた。まあ騎士甲冑を着れるのは守護騎士だけだから、他の女子(おなご)の体を隠すものが必要なことに変わりはないけど。

 それからすぐに守護騎士四人は甲冑を装着したみたいで、アデライドは目を見張り、少女たちがざわめく声が聞こえる。やがてヒナという狼耳の少女が驚きから立ち直れない様子のまま言った。

 

「……じゃ、じゃあまだ何も着ていないのはそこの三人か。三人分のシーツを取ってくればいいんだね」

「おう。なんならあたしも手伝おうか? 三人ともあたしらの身内だし」

「いいっていいって。たった三枚となればフィーの手もいらないや。私が取ってくるよ」

 

 ヒナがそう言ってからすぐに可愛らしい足音があたりに響く。そんな中で不本意にも隣り合って立つ形になった俺とヴァレリーは、互いに無言の牽制を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 それからしばらくしてヒナが三枚のシーツを手にここに戻ってきて、ほんの少しの間を置いて俺たちはようやく彼女たちの方を向くことを許される。

 守護騎士たちは黒い騎士甲冑を、リヒトとイクス、ブル閣下はヒナという少女が持ってきたシーツを体に巻いていた。

 あのようなことがあったばかりで微妙な空気が流れている中、フィー様というリス耳の少女がコホンと咳払いをして口を開いた。その顔にはまだ赤みが残っている。

 

「……弟が失礼しました。改めて自己紹介させていただきます。私はパスティヤージュ王国から参りました、クラリフィエ・エインズ・パスティヤージュと申します。この姓からお気付きかと思いますが、パスティヤージュ王家の現当主です」

 

 それを聞いて俺たちの何人かは戸惑いの声を上げた。王家の当主という肩書きに――ではなく、“弟”という単語に。

 話の流れからしてヴァレリーのことを言っているんだよな? どう見てもヴァレリーより年下にしか見えないが……。

 そう思いながら二人を見比べる俺たちに対して、ブル閣下は顔をほころばせながらクラリフィエの方へ進み出た。

 

「やはりそうだったのか! その身なりを見てもしやと思ったが……こちらこそ我が国の勇者が失礼をした。(それがし)はブルトンヌ・ガレット・デ・ロワ。ガレット獅子団領国の領主をしている。噂に名高い《英雄姫》とお会いできて光栄に思うぞ」

「そんな、やめてください。《英雄姫》なんて人々が大げさに言っているだけなのです。こちらこそ精強なガレット獅子団を束ねるブルトンヌ様にお会いできて光栄です。私が発案した『各国首脳会議』を開く場を提供していただいたことに関しても、なんとお礼を申し上げてよいか」

「なに。魔物の脅威が去りつつある今、(それがし)も各国の王や領主の考えを聞いてみたいと思っていたところでな。そんな時に届いた貴殿の要請は、(それがし)にとっても渡りに船だったというわけだ。妙な動きをしているカミベルの領主とも一度話がしたいところだったしな」

 

 遠巻きに眺める俺たちをよそに、ブル閣下とクラリフィエはそんな会話を交わす。しかしアデライドが咳払いをした途端に、クラリフィエはブル閣下との話を止めて連れの紹介に戻った。

 

 クラリフィエの弟であるヴァレリーの本名はヴァレリア・カルバドス。パスティヤージュ王国の第一王子に当たる。

 なおクラリフィエが王ではなく当主を名乗っているのも、ヴァレリーがいまだに王子という肩書を持っているのも、クラリフィエが正式に即位していないためらしい。

 フロニャルドでは多くの国で王位継承者が幼すぎるなど特別な事情がある場合、ただちに王位に就かずに、当主や領主見習いとして経験を積むまでその座を空けておくことができるそうだ。

 

 変わった服を着ている狼耳の二人は、イスカ・マキシマとその妹ヒナ・マキシマ。

 二人とも退魔の術を持つ剣士で、各地の魔物を封印しながら旅をしている中で、魔物との戦いで窮地に陥っていたクラリフィエたちを助け、それから彼女たちと行動を共にするようになったらしい。

 

 そして最後に紹介されたのがアデライド・グランマニエ。

 クラリフィエが行った勇者召喚によってテールという異世界から召喚された、《パスティヤージュの勇者》に当たる人物だ。アデライドは元々『フランス』という国の貴族で王家と親交があるほどの由緒正しい家の令嬢だったが、王都で起こったある出来事がきっかけで片田舎に押し込められていたところを、パスティヤージュに召喚されたのだとか。

 

 クラリフィエとアデライドを中心とする五人は、パスティヤージュを拠点にフロニャルドの各地にいる魔物を封印して回っており、今回ガレットにやって来たのもこの森を荒らしていた魔物を封印するためと、ガレットで開かれる各国首脳会議に参加するためとのことだ。

 なお俺たちが戦った魔物は蛇の《土地神》が変化したもので、その変化を引き起こしたのは、やはり蛇に刺さっていた《禍太刀》と呼ばれる赤い刀だった。あの刀には封魔の力が込められた特殊な札が張られ、刀を抜かれた蛇も現在は元の土地神に戻っているとのことで、治療を施してから野に返すつもりらしい。

 

 

 

 自己紹介と以上の話を終えてから、俺たちとクラリフィエたちは互いの予定を進めるためにここで一旦解散することになった。

 クラリフィエたちはこのままセルクルに乗ってガレットに向かうつもりとのことで、俺たちも飛行魔法で彼女たちより一足早くガレットに戻ることになる。

 

 それまでの間、シャマルは終始クラリフィエにちらちらと視線を向けていたのが気になってはいたが、俺がその理由を知るのはもう少し後の事だ。



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EX.6 自覚

 パスティヤージュの勇者一行と別れてから、俺たちは飛行魔法でヴァンネット城へと戻った。各国首脳会議に参加するために彼女たちもガレットへ向かう途中だと言っていたから、一刻もしないうちにこの城に着くだろう。

 ヴァンネット城に着いてすぐにブル閣下は湯の用意を指示し、その湯に自分たちも入れてもらえると聞いて、女子(おなご)たちは湯が沸くのを今か今かと待っている様子だった。

 女子(おなご)たちの体にかかった毒霧は守護装備とともに流れ落ちたはずなので、彼女たちの体は綺麗なままのはずだが、それでも不快感は感じてしまうものらしい。

 そんなわけで俺たちは湯が沸くまでの間、それぞれに用意された客室に戻って時間を潰し、しばらくしてピエスモンテという名のメイドから湯が沸いたことを告げられて浴室に向かった。

 しかし浴室か、湯が張られた浴槽に入るなんてシュトゥラに留学した時以来だ。新興国であるガレットにさえ浴室があるのだから、フロニャルドはよほど水に恵まれているのだろう。ベルカでは考えられない。

 

 

 

 

 

 客室前の廊下で出くわした女子(おなご)たちとともに、俺は浴室の方へと向かう。城の庭にいたザフィーラにも湯が沸いたことが伝えられていたが、もう少し城の庭で涼んでいたいから先に入ってきてくれとのことだった。

 そんなわけで、ザフィーラ以外の皆で浴室へ向かって居る途中のことだった。

 

「――あら! あなたたちは……」

「もう一人の勇者様たちじゃない」

「またお会いできましたね」

「おお、ケントたちも来たな」

 

 浴室までもう少しというところでばったり居合わせたのは、ブル閣下と先ほど森で別れたばかりのクラリフィエたちだった。アデライドとヒナ、クラリフィエは俺たちに声をかけ、彼女たちの後ろにいるイスカは小さく頭を下げてくれる。

 ……あれ? あいつがいない……。

 

「これはクラリフィエ殿。もう城に着かれたのか」

「ええ。つい先ほど到着してブルトンヌ様に拝謁していたところです。その時にブルトンヌ様から一緒に湯浴みをしないかと仰っていただいて」

「クラリフィエ殿たちも我々と同様に森に入って体が汚れているだろうからな。これから共に湯浴みを済ませようということになったのだ」

 

 クラリフィエとブル閣下の言葉を聞いて、俺たちはああと納得する。

 魔物の霧を浴びたブル閣下やうちの女子(おなご)たちは一刻も早く湯に入って、その汚れを落としたい状態だ。しかし、かといって他国からの客人であるクラリフィエたちに汚れた湯を使わせるわけにはいかない。ならば彼女たちが到着するのを待ってから一緒に入ってもらった方がいいのだろう。

 それはいいのだが……。

 

「……ところでヴァレリーはどうした? あいつだけ姿が見えないけど」

「ああ、あいつなら城に着くなり、拝謁なんてめんどくさいって言って部屋の方に向かって行ったよ。まあ執事が呼びに行ったらしいからそのうちここに来るでしょう」

 

 ヴィータからの問いにヒナはそう答えるが、その後ろでフィーとアデルは難しい顔を作っていた。

 

(……まさかあの子)

(警戒しておいた方がよさそうですね)

 

 

 

 

 

 

 その後、俺とイスカは女子(おなご)たちと別れ男用の浴室へと向かった。

 広い浴室の中央にはたっぷりと湯が張られた浴槽があり、俺はそこに体を沈めながら隣にいるイスカに話しかけようと口を開こうとした。

 ――その時!

 

「「きゃあああ!!」」

 

 突然つんざくような声が隣から響いてきた。この声はシャマルとイクスか。

 俺はすぐに隣の浴室へ駆け付けようと腰を上げ、浴槽から出ようとする。だが、

 

「待て! 行かなくてもいい」

 

 隣へ向かおうとしたところでイスカから声を掛けられ、俺は怪訝に思いながら彼の方を見る。

 イスカは浴槽の中であぐらを組んだまま言った。

 

「どうせまたヴァレリーが入浴中の女性たちを覗こうとしたんだろう。いつものことだ。気にしなくていい」

 

 由々しき事態じゃないか! 向こうにはうちの女子(おなご)たちもいるんだぞ。あの野郎、また懲りずにリヒトの裸を――。

 頭に血が上っていくのを感じながら俺はイスカに構わずヴァレリーをとっちめように行こうと足を踏み出す。そこへイスカは、

 

「ここで下手に首を突っ込めば、あんたまで覗きの烙印を押されることになってしまうぞ」

 

 その一言で俺の体はピタリと動きを止める。確かにそうかもしれない。

 どういうわけかフロニャルドに来てから桃色な出来事に遭遇することが多い。いずれも故意でやったことではないのだが、こうも間も置かずにあのような事が頻発すれば彼女たちも俺の作為を疑うようになるだろう。

 しかし、だからといってヴァレリーを放っておくわけには……。

 行くべきか行かざるべきか迷っている俺に、イスカはため息をついて付け加えた。

 

「安心しろ。言っただろう、いつものことだと。ヴァレリーならいつも通り、アデルやフィーに見つかって叩きのめされているはずだ」

 

 イスカがそう言った途端、戸の向こうで話し声がしてきた。

 

「いいですか。今度あのようなことをしたら、パスティヤージュの王子といえどもこの城から放り出してしまいますからね!」

「分かってる分かってる。何度も言ってるだろう。庭を散歩してたら偶然向こうの様子が見えただけだって」

「どこを散歩したら浴室の天窓の上に立つことになるんですか! あれはどう見ても覗きでしたよ! アデライド様が見つけていなかったらどうなっていたことか」

 

 メイドらしき女性の叱責と言い訳を並べるヴァレリーの声が聞こえてから少しして、浴戸が開かれヴァレリーが浴室に入ってくる。湯に入るため当然ヴァレリーは体に何も身につけておらず、筋肉のついたたくましい体を露わにしていた。

 ヴァレリーは俺を見た途端顔をしかめて舌打ちを鳴らす。

 

「やっぱりお前もいたのかよ」

「ああいたさ。一応勇者としてこの国の領主に召喚されたからな」

 

 俺が言い返すとヴァレリーは不機嫌そうな顔のまま、桶を取りそれに汲んだ湯を自分の体にかけてから浴槽に入って、俺からやや離れた場所に座り込んだ。

 それから少し間を空けてヴァレリーはぼそりと言った。

 

「女たちの裸を見たぐらいで腹を立てやがって。ケツの穴が小さい奴だ」

「彼女たちは俺にとって大切な仲間だ。大切な仲間たちを卑猥な目で見られて不愉快にならないわけがないだろう」

「てめえだって似たような目であいつらの裸を見てたじゃねえか……ったく青臭えガキが。惚れた女の裸を見られたからっていつまでもすねてんじゃねえよ」

「惚れた女? 何を言っている?」

「あん? あの銀髪の子のことに決まってんじゃねえか。惚れてんだろう、あの子に」

 

 ……銀髪の子……誰だそれは? そんな女子(おなご)うちに一人しかいないはず……そう、確かリヒト一人だけだ……俺がリヒトの事を?

 そりゃあリヒトのことは初めて見た時からすごくきれいな人だと思っていたし、たまに笑顔を向けてくれるとすごくうれしくなるし、リヒトの事を目で追っていたこともあったし、今日なんて他に女子(おなご)そっちのけでリヒトの体から目が離せなかったし…………えっ!? そうなのか? 俺ってリヒトのことが好きだったのか?

 

「……もしかしてお前、自分で気付いていなかったのか?」

 

 心外だとばかりに目を丸くしてヴァレリーは尋ねてくる。ふと視線を感じるとヴァレリーの反対側にいたイスカも同じような表情で俺を見ていた。

 二人はしばらくの間そんな顔で俺を見つめ、やがてイスカは呆れたようなため息をついて視線を外し、ヴァレリーはクククと肩を震わせて、

 

「ワッハッハ! こりゃおかしいぜ! お前自分で今まで気付いてなかったのかよ!」

 

 そう言ってヴァレリーは大笑いを始め、イスカまで苦笑いをする。 

 

「や、やめろ! 二人とも笑うな!」

「笑うなだって? そりゃ無理だ。あれだけわかりやすい反応見せといて自分の気持ちにまったく気付いてなかったとはな! とんだ馬鹿がいたもんだ! ハッハッハッ!」

 

 俺はいきり立って抗議するものの、ヴァレリーは意に介さず腹まで抱えて笑い続け、イスカもそんなヴァレリーを咎めることはなかった。

 俺はなおも笑うのをやめさせようと何事か言い続けるも、内心ではそれも仕方がないと思っていた。なにしろこの二人にとって俺が抱いているリヒトへの好意は透けて見えるほどバレバレで、にもかかわらずそのことに俺自身がまったく気付いていなかったというのだから。

 

 

 

 かくして、のちに『愚王』と呼ばれる男と、のちに『魔王』と名乗る男は、ここで初めて互いに打ち解けることができたのであった。

 

 

 

 しばらく経ってからようやくヴァレリーは馬鹿笑いを止め、それでも口元がにやけるのを抑えることはできないようで笑みを浮かべたまま口を開く。

 

「あー、笑った笑った。こんなに笑ったのは久しぶりだ。まさかあそこまではっきりと態度に出しておきながら自分の気持ちにまったく気付いてなかったとはな。こんな馬鹿は初めて見たかもしれねえ」

「そのくらいにしておけ。ガレットの勇者殿が鈍いのは否めんが、俺から見ればお前も大して変わらんぞ」

「あっ!? どういう意味だよ?」

 

 イスカの言葉にヴァレリーは不服そうに問いを投げるが、それに関しては俺もイスカに同意だ。

 ヴァレリーの頭に武器を突き付けていたアデルの目にはかなりの嫉妬心が込められていた。それに気付いてない時点でヴァレリーも十分鈍い。

 ヴァレリーはなおもイスカに何か言いたげな様子だったが、ちっと舌打ちをしてから俺の方に顔を向けた。もう先ほどまでのような刺々しさは彼にも俺にもない。

 

「まあいい。ところでお前……」

「ケントだ」

「そうそう、確かそんな名前だったな。お前もアデルのように異世界からここに飛ばされてきたんだって?」

「ああ、そうだが。それがどうした?」

 

 俺の問い返しにヴァレリーは少し考える素振りを見せると、すぐに俺の方に顔を戻して言った。

 

「お前たちがいたという世界についていくつか聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「……何だ?」

「そう構えるな。別にお前たちが使っている妙な術について聞き出そうってわけじゃねえし、話したくなければ話さなくてもいい」

 

 そう言ってヴァレリーが尋ねてきたことは、俺がいた世界の大まかな歴史とそれにまつわる戦のことだった。

 俺はどこまで話していいのかを迷ったものの、それを尋ねるヴァレリーの態度は真剣そのもので、さっきまでとはまるで別人だった。

 彼の態度に押される形で俺の口は半ば自然に開いていき、気が付けばベルカで起こっていることについて、曖昧ながらもおおよそのいきさつを話していた。もちろん《禁忌兵器(フェアレーター)》や《聖王のゆりかご》など、フロニャルドに余計な影響を与えかねないことは伏せておいたが。

 そして……

 

 

 

 

「……そうか、お前がいた世界では魔物がいない代わりに人間同士の戦いが起こっているのか。アデルの世界も似たようなものだって聞くが……やはりこのままだと俺が考えている通りのことがフロニャルドで起きるかもしれないな」

 

 一通りの話を聞き終えてからヴァレリーはつぶやくようにそう漏らし、イスカも神妙な面持ちであらぬ方を見ていた。

 

「考えている通り? ……どういう意味だ?」

 

 ただ一人、話が見えず取り残される形になった俺はたまらず二人に対して問いを発する。するとヴァレリーは俺に視線を戻して口を開いた。

 

「いやなに、お前もガレットの領主から聞いていると思うが。

 このフロニャルドって大陸は大昔から魔物がはびこってる地でな、この大陸に住む人間は魔物から自分たちの身を守るために、村や町といった集落や国を作っていった。

 そんな国と国が接触することはほとんどなかったし、ましてや争うことなんて考えもしなかった。争いなんかしてる間に魔物に滅ぼされちまうからな。

 だが最近はそうでもなくなった。フィー(姉貴)とアデルが作った勇者一行によって各地で幅を利かせていた魔物は次々と封印され、その結果あちこちの集落や国同士が交流するようになったからだ。……すると次に何が起こるようになると思う?」

「人間同士の争い――戦争か!」

 

 はっとした俺の口から出てきた答えを聞いて、ヴァレリーは口笛を鳴らす。

 

「正解だ。戦が続いている世界から来たってだけはあるな。

 そうだ。このまま俺たちが戦って魔物を根絶しても、今度は人間同士が戦いを始めるようになるんじゃないかと俺は思っている。現にここから南にあるカミベルって国がこの街を狙っているらしいしな。まあブルトンヌって領主ならカミベルごときに後れは取ることはないと思うが。

 ……だが、このままだとガレットとカミベルに限らず、フロニャルドのあちこちで人間同士の戦が起きるようになるかもしれねえ。お前がいたベルカって世界や、アデルがいた『ヨーロッパ』ってとこのようにな」

「…………」

 

 ヴァレリーの言う通りかもしれない。フロニャルドで国同士の戦が起きなかったのは魔物という天敵がいたからだ。それがいなくなれば、今度は人間同士が戦うようになる可能性は低くはないだろう。

 

「その考え、クラリフィエたちには……?」

「とっくに伝えてある。フィーもそれを防ぐために各国との間で戦闘行為を禁止する条約を作ろうとしているんだが、俺にはうまくいくとは思えん。条約を守ることによる利点(メリット)が各国にないからな。

 仮にそれがうまくいって戦が起こらなくなっても、それはそれで問題だ。戦う機会がなくなれば、人々は見る見るうちになまりきって外敵から身を守る力すら失っていくぞ。そこに生き残った魔物なんかが現れたりしたらひとたまりもないだろうな」

 

 ……それは一理ある。ベルカでも禁忌兵器の使用を禁じた条約があり、形の上ではダールグリュン帝国を含めた多くの国が批准しているが、反連合はそれに反して禁忌兵器を保有している。そのことを踏まえても、ただ戦闘行為を禁じる条約を作るだけでは戦を防ぐことはできないだろう。

 それに人々が戦う力をつけていく必要があるという点についても同感だ。クラリフィエたちが戦いから退き、その上多くの人々が戦う力を失った時に魔物が現れたりすれば、その瞬間からフロニャルドは再び魔物が跋扈する地に戻ってしまう。

 

 ……戦ばかりが続いている世界から来た俺としては、ヴァレリーの懸念もクラリフィエの理想もわかる。だが、それでも戦う力を身につける機会は必要でもある。

 ……難しいな。何か方法はないものか……戦を防ぐことができて、魔物と戦えるほどの力を蓄えておく方法が……。

 

「……ところで、話は変わるんだがよ」

 

 思案に暮れているところでヴァレリーから声を掛けられて、俺は意識を引き戻され彼の方を見る。

 そんな俺に向かってヴァレリーは言った。

 

「ブルトンヌはあの魔物を倒すためにお前を勇者として召喚したらしいが、この後はどうするんだ? 魔物を倒した以上、勇者としてはもうお役御免だろう」

「……知らないのか? 俺たちは明日にでも召喚主であるブルトンヌによって――」

 

 その時、俺の言葉を遮って、戸が開けられる音とどしどしと重い足音が耳に届いてくる。

 それにつられて出入り口の方に顔を向けると、ヴァレリーのように浅黒い褐色肌で巨漢の大男が浴室に入ってきていた。

 

「遅くなって申し訳ない主ケント。少し夕風に当たるつもりが、空に昇り始めた月を眺めているうちにいつの間にかこんな時間に」

「ザフィーラか。構わない。俺の方はヴァレリーやイスカと話していたところだ。それよりもお前も早く湯に入れ。こんな機会はめったにないぞ」

 

 ヴァレリーたちと話をしていたという俺の言葉にザフィーラは「ほう」と目を丸くして、尋ねるようにイスカに目を向けた。イスカは何も言わず苦笑だけを返す。つい一刻前までは口喧嘩をしていた俺とヴァレリーが和やかに語らっていることに、ザフィーラは驚きと戸惑いを隠せないらしい。

 俺はなおも困惑したままかけ湯を始めるザフィーラからヴァレリーの方に視線を戻した。

 

「すまない、話の途中で……で、どこまで話したんだったか」

「……いや、もういい。忘れてくれ」

 

 ヴァレリーはそう言って話を打ち切り貝のように沈黙する。イスカはそんな彼を神妙な顔で眺めるだけだった。

 

 

 

 

 

 後になってから思い返して見れば、ヴァレリーは俺たちがこれからどうするのかを分かっていて、その上でそれを聞かずにおいたのではないかと思う。

 なぜなら俺たちが元の世界に戻れるということは、アデルを元の世界に返すことができるということでもあるからで。それをフィーに教えれば、彼女はアデルを元の世界に……。

 

 

 果たしてこの時、勇者を元の世界に送還させることができることを伝えなかったのが正しかったのか間違いだったのかは分からない。

 しかし、送還方法を知らないままアデルを召喚したことを後悔し続けていただろうフィーの心情を考えると、やはり話しておくべきだったのではないかとも思う時がある。



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EX.7 領主からの求婚

 日が沈んで辺りがすっかり暗くなった頃、ヴァンネット城では城の庭に料理を乗せた卓が運び込まれ、ガレット獅子団の戦士、騎士たちもそこに集まっていた。

 ガレット北部にのさばっていた魔物が退治されたことを祝い、魔物退治を成し遂げた勇者ケントとその供たちを城を挙げてねぎらう宴がここで開かれるのだ。

 通常こういった宴は城内の広場で行われるものだが、主賓である勇者の希望によって屋外で宴が開かれることになった。勇者の故郷では見ることができない紫がかった夜空と輪に囲まれて並んでいる大小二つの月が存分に眺められる中庭で。

 

 セッティングが終わりすべての賓客と多くの将兵が集まったところで、ガレット領主ブルトンヌと勇者ケントからの挨拶が行われ、それをもって宴が始まった。

 

 

 

 

 

 ブルトンヌたちとともに魔物退治を行い、ヴァンネット城を訪れたパスティヤージュの一行もこの宴に参加しており、特に一行を主導していたパスティヤージュ王家の当主クラリフィエと、かの国の勇者アデライドは影の主賓として将軍や高官などからの歓待を受けていた。もっとも、彼女たちに近づく者たちの半分以上は他国の王や勇者に取り入ろうという魂胆が透けて見える者たちばかりだったので、クラリフィエとアデライドにとっては内心煩わしいものでしかなかったのだが。

 しかし、そのような者たちもヴァレリアに睨まれたりヒナに追い散らされていくうちに数を減らしていき、ようやく解放されたクラリフィエは人目に付きにくい片隅に移動しそこで一息ついていた。

 クラリフィエは手に持った杯を傾け、水をあおってからため息を吐き出す。

 ああいった手合いと話すのはやはり疲れる。

 

 アデルとともに魔物退治の旅に出る前から、王女として地方の領主やその子女を相手にすることは何度かあったが、《英雄姫》として名を馳せるようになってから、自分に対して露骨に媚びを売ったり取り入ろうとする者たちが急激に増えてきた。

 当初こそは自分たちの働きが認められたものだと喜んだり、まわりから持ち上げられてまんざらでもない気分だったのだが、自分たちに近づこうとする者たちと接していくうちに彼らの抱いている下心が分かるようになり、表面上では笑顔で流すものの内心では話すのも億劫になってきた。

 

 そしてふと思う。フロニャルドにはびこる魔物を退治しようと旅に出なければ、自分はこのような場に出ることはなく、今も城の中でひっそりと暮らしていただろうか? 

 もしもそうなっていたらフロニャルドは今も魔物が跋扈し、人々はほとんど集落から出ることはなく質素な生活を送っていただろうか? それとも別の誰かが魔物を退治したり勇者を召喚したりして、今のような世の中を作っていったのだろうか?

 おそらく後者の可能性が高いだろう。精強な軍団を指揮して魔物と戦っているブルトンヌや、彼女によって勇者として召喚されたケントという男を見てクラリフィエはそう思った。

 

(だったら、私が勝手な都合で彼女をフロニャルドに呼び出した意味は……)

「あの、少々よろしいでしょうか?」

 

 ふと声を掛けられ、クラリフィエは顔をしかめるのをこらえながらそちらの方を向いて声を漏らす。

 

「あなたは……」

 

 クラリフィエに声をかけたのは、金髪を短く揃えた二十代に見える女だった。女は一礼して自らの名と身上を明かす。

 

「シャマルです。ケントの従者をしている者ですが、覚えていらっしゃいますか?」

「もちろんです。先ほども一緒にお風呂に入りましたよね」

 

 笑顔を浮かべて応じるクラリフィエに、シャマルも笑みを返しながらうなずく。

 

「ええ。覚えていただけて光栄です。……それと、我々の主を助けていただいたことについて改めてお礼を言わせてください。本当にありがとうございます!」

「い、いえ、私は魔物を見て思わず体が動いてしまっただけで。それにあなたたちが魔物を弱めてくれたから、私たちも無事に禍太刀を封印して土地神様を助けることができました。こちらこそなんとお礼を言っていいか」

 

 シャマルとクラリフィエは互いに感謝の言葉を口にし、それからシャマルはクラリフィエの顔色を伺うように言った。

 

「……だいぶお疲れのようですね」

「ええ、まあ。ケント様と違って主賓ではないとはいえ、それでも一国の執政ともなれば声をかけられることも多くなりますから」

「そうですか……」

 

 そこでシャマルは考えるように視線を宙にさまよわせてから再び口を開いた。

 

「でしたら、こんなところで立っているより城内で休息をとるというのはどうでしょう? もう宴が始まってからだいぶ経ちますし、少しの間ここを離れても姫様を悪く思う人なんていませんわ」

 

 シャマルの言葉にクラリフィエは少し考え、

 

「……確かにそれもいいかもしれませんね。シャマル様の言う通りお城の中で少し休ませていただくことにしましょうか。お心遣いありがとうございます。それでは」

「――あっ、待ってください!」

 

 忠告通り城に向かおうとするクラリフィエをシャマルが止める。眉をひそめながらクラリフィエが振り返ると。

 

「良ければ私もご一緒していいでしょうか? こうしてお近づきになれたことですし」

 

 その瞬間にクラリフィエはシャマルの意図を察する。この人は自分に何か言いたいことがあってそう言ってきたに違いないと。おそらく自分が一人になった時に声をかけてきたのも偶然ではないのだろう。

 

「……ええ。構いませんよ」

 

 クラリフィエがそう言うと、シャマルは礼を言いながら彼女の後を追った。

 

 

 

 その時、城内へ向かう二人を目にしてヒナが、

 

「あれ? あの人は確かこの国の勇者が引き連れてた……なんであの人がフィーと一緒に? 念のために私も一緒に行った方がいいのかな?」

 

 しかし、彼女の隣にいるヴァレリーは首を横に振って、

 

「放っとけ。あいつは他の奴らと違って戦いには長けていないみたいだし、襲われるようなことがあったとしてもフィーなら返り討ちにできんだろう。お前が気になるんなら監視を付けてもいいが」

 

 ヴァレリアがそう言うと彼の影から小さな影らしきものが飛び出し、一瞬にしてクラリフィエの影に溶け込んでいった。クラリフィエもシャマルもそれに気付いた様子はない。

 

「あれは?」

「研究用に俺が飼ってる魔物の一種だ。あんな風に他人の影に同化させることができるから、見張りや諜報に使える便利な奴だ。もしフィーに何か起こりそうになれば、あの影型魔物を通してすぐに俺に伝わる」

「ああ、そう言えばあんなのをいくつか育ててたっけ。そういうことなら私は備えだけしておけばいいか」

「ああ、そのくらいで充分だろう。それにもしかしたら……」

「もしかしたら?」

「いや、なんでもねえ」

 

 特に考えず問いかけるヒナに、ヴァレリアは首を横に振ってそう吐き捨てた。ヒナは気にせず「ふうん」と言いながらヴァレリアから視線を外した。

 そんな彼女にヴァレリーは「お代わりでも欲しいのかよ?」と聞き、ヒナは頬を膨らませて「子供扱いするな!」と怒って見せた。

 

 

 

 

 

 

 宴が始まってから肉が多めな料理と地酒に舌鼓を打ちながら、獅子団の副長サブラージュや領主お抱えの研究士ヴィノカカオを始めとした面々と言葉を交わしていくうちに時間は過ぎ、話しかけてくる者も少なくなり酒を味わっていたところで足元にたたずむ小さな影が目に映った。

 紫色の毛並みに首元に付け襟と赤い蝶ネクタイを付けた猫……俺たちをベルカからこのガレットへ送り込んだ使い猫だ。たしかチェルシーという名前だったな。

 チェルシーは俺と目が合うと背中を向けそのまま歩きだしていった。グランダム城で見かけた時と同じように。……ついて来いってことか。

 チェルシーが言わんとすることを察した俺は、空になった杯を卓に置いてチェルシーの後についていく。

 チェルシーはそのまま城内へと入っていき、俺もそれに続いて城の中に足を踏み入れる。

 半刻ごとに交代で城内の歩哨に立っている衛兵や料理の補充や食器の片付けなどのために駆け回っている使用人たちとすれ違いながら、チェルシーの背中を追って進む。

 その途中でシャマルとクラリフィエがある部屋に入っていったのが見えたが、チェルシーはその部屋の手前にある階段を登っていったため彼女たちの様子を窺うことはできなかった。また後で寄ってみるか。

 チェルシーは自身の後を追う俺を尻目にどんどん階段を駆け上がっていき、最上階らしき階層まで上がるとチェルシーは向きを変えて通路を進み何度か曲がった所の先にある階段を登っていく。階段の先にある扉は開き切っておりチェルシーはその間を悠然と進んでいった。これもグランダム城の時と全く同じだな。

 

 

 

 

 

 

 やはりというべきか、屋上に出たチェルシーと俺を待っていたのは、チェルシーの、そしてこのヴァンネット城の主でもあるガレット獅子団領国の領主、ブルトンヌ・ガレット・デ・ロワだった。

 彼女は出っ張った手すりに背中を乗せながら、地酒が入ったグラスを片手に頭上に広がる夜空を見上げていた。

 薄く紫がかった夜空には、燦然と輝く無数の星々と二つの月が浮かんでいる。

 夜空と月。どちらも暗雲に包まれたベルカでは見られないものだ。親子か兄弟姉妹のように夜空に並んで浮かんでいる二つの月は円盤状の輪に囲まれており、本で見たものとまったく違う。その違いはここが異世界だからか、それとも俺が見た本の内容は間違いでベルカの上空にある月もあんな形をしているのか、俺には知る由もない。

 

「夜空や月を眺めながら飲むのもたまには悪くないものだな。夜空などとうに見飽きたと思っていたのだが」

 

 そう言ってからブル閣下は顔を下げてこちらの方を見る。声をかけられた途端チェルシーは主のもとに駆けて行った。

 

「ご苦労だったなチェルシー。やはり勇者を呼ぶのにお前以上の適任はいない」

 

 ブル閣下は自身の隣にある卓の上に置かれた皿を掴み、その皿に乗せられているものをチェルシーに与える。チェルシーが躊躇なく頬張っているところや香ばしい匂いからしておそらく魚だろう。

 皿に乗っている魚を平らげていくチェルシーの頭を愛おしそうに撫でてからブル閣下は腰を上げ、俺の方に体を向けた。

 

「よく来たな勇者ケント。楽にしろ。ここには(それがし)と貴殿と、あとはチェルシーだけしかいない……酒はいるか?」

 

 そう言いながら卓の上に置いてある酒瓶を手に取るブル閣下に、俺は首を横に振って答える。

 

「せっかくのお誘いだが今日はもういい。これ以上は明日に響きそうだ。それに少し気になることもあるからな、悪いが遠慮させてもらうよ」

「気になることか。まさか宴にかこつけて、ここぞとばかりに女を口説きにでも行くつもりではあるまいな」

 

 酒瓶を傾け自らのグラスに酒を注ぎこみながら、ブル閣下はそんなことを言ってくる。

 

「クラリフィエ姫と一緒にいるシャマルの様子を見てくるだけだ。あいつなら心配ないと思うが、万が一他国の姫君に失礼なことをしていたら大ごとだからな」

 

 俺がそう言ってもブル閣下は疑いが抜けきれない表情をしながら、

 

「あの御仁なら多少のことは気にされんと思うがな。まあいい……ところでお前たちは魔物退治の道中、暇さえあればずっと空や森ばかり見ていたが、お前たちの世界にはああいったものがないのか?」

「……森も空もあると言えばある。だがそのどちらも、この世界で見られるものとはまったく違う。特に向こうの空は常に暗雲で覆われていて、俺とティッタ、イクスは晴れた空やこんな夜空を見たことがない」

 

 ブル閣下は信じられないと言いたげな顔で、しかしそれでもなんとかその光景を想像してみようと目を伏せて考えこみ、やがて言った。

 

「……それは惨憺な世界だな――ああ、すまない。お前たちがいた世界を悪く言うつもりではないが」

 

 慌てて片手を振りながら謝るブル閣下に俺は首を横に振りながら言った。

 

「別にいい。味気ない風景ばかりが広がる世界なのは確かだ。それに加えて不作が続いたり色々と窮迫した世界でな、正直こんな世界に住める人々が羨ましいと思うよ」

 

 そう言うと、ブル閣下は笑みを浮かべて……

 

「そうか。ならばいっそのこと貴殿たちもフロニャルドに――ガレットに住む気はないか? あれほどの魔物を退けて国を救った勇者となれば、民も部下たちも諸手を上げて貴殿を歓迎するぞ」

「俺を呼んだのはあの魔物を倒すためなんだろう? 役目が終わった勇者をいつまでも自国に置いておいてもいいものなのか?」

 

 俺の問いにブル閣下は強くうなずいた。

 

「かまわん。むしろ故郷に帰った勇者より、フロニャルドに永住した勇者の方がずっと多い。アデライド殿とて、召喚されてからもう数年はパスティヤージュにいるという話だ。貴殿たちもこの国に留まる気はないか? もしここにいてくれるのなら、貴殿にも供たちにもそれなりの待遇と役職は用意するつもりだが」

 

 それは実にありがたい話だな。用済みの勇者とその連れを好待遇で召し抱えてくれるというのか。しかし……

 

「悪いがあちらに帰る国があるんだ。あっちの世界では俺は一国の王でな、こっちの方が豊かだからといって易々と国を捨てて移住するわけにはいかない」

 

 俺がそう言うとブル閣下は目を丸くする。

 

「ほう、装束や供を引き連れているところを見るに、もしやと思ったがやはり王だったのか。確かに王の地位を捨ててこちらに移り住むなど躊躇いがあるだろうな。……だがもしも、こちらでも貴殿が王に並ぶ地位につける望みがあるとすればどうだ?」

「王に並ぶ地位? それってまさか……」

 

 思わず声を漏らす俺に、ブル閣下は鷹揚な仕草で首を縦に揺らし……

 

「うむ。多分そのまさかだ。もしこの国にいてくれるというのなら、ゆくゆくは貴殿にヴァンネット……そしてガレットの領主の位を譲ってもいい」

「俺にガレットの領主の位を――だと?」

 

 思わず声を上げて驚く俺にブル閣下は「うむ」とうなずく。

 だが――。

 

「……この国は獅子団が治めている形になっているとはいえ、他国の支配を受けていないれっきとした独立国だろう。そんな国の領主にどこの馬の骨かわからない男がつくことなどできるのか?」

「貴殿は馬の骨などではない。この国を、そして周辺諸国をも救ったガレットの勇者だ。その勇者が領主になることを拒む者などどこにいない。フロニャルドでは領主や王は血筋に関係なく、自らが定めた者に位を譲ることができるからな。貴殿に領主を譲ることは十分可能だ。もちろん貴殿が領主を任せるに足る男か、じっくり見定めてからになるが」

 

 先代の領主と血縁関係がないブル閣下がヴァンネットの領主になれたのもそのためか。おそらくフロニャルドでは魔物という脅威が存在していることと、身分や階層の区分けが厳密なものではないからだろうな。

 

「もし信じられないのならこういうのはどうだ? ……貴殿が(それがし)の婿になるというのは」

「俺がブル閣下の婿にだと?」

 

 思わず問い返す俺にブル閣下は顔を赤くしながら「うむ」と小さく言い、意を決したように言葉を続けた。

 

「……実を言うと魔物退治を終わらせた時からずっとそれを考えていた。貴殿が神剣エクスマキナを使って魔物を斬り倒したところを見た時からな。(それがし)は昔から夫にするなら自分より強い男か、もしくは並び立って戦えるほどの男がいいと思っていた。魔物を倒し名実ともにガレットの勇者となった貴殿ならば、(それがし)は己の操を捧げてもいいと思っている」

 

 そこまで一気にまくし立てると、ブル閣下はぐびりとグラスに残っている酒をあおった。

 一方、突然のことに俺は言葉を失っていた。まさかブル閣下が俺に告白してくるなんて予想もしていなかった。エリザの時といい、いわゆるモテ期というものだろうか? そんなもの信じてはいなかったが。

 

 ブル閣下もエリザ同様、俺にはもったいないくらいの美人だ。しかし……

 

「すまないが俺には――」

「ちなみにフロニャルドでは王族や領主など、身分の高い者が複数の妻や夫を持つことを認めている国がほとんどで、勇者も複数の伴侶を持つことができるらしい」

それは本当ですか!?

「……う、うむ。フロニャルドにおいて勇者は領主や王に並ぶ存在だからな。王族や領主のように、勇者もまた複数の伴侶を持つことができるとされている。どうしても気になっている女がいるのなら、その者も妻にすることを認めてもいい」

 

 ……いかん、思わず食いつくような姿をさらしてしまった。ブル閣下も引いてしまっている。

 

 

 

 ブルトンヌの言う通り気になっている相手は一人いる。

 リヒトだ。前々から彼女のことは気になっていたがヴァレリーとのやり取りで確信した。俺は彼女に好意を抱いているのだと。

 しかし俺は一国の王で、彼女は爵位を持たないどころか素性も知れない身だ。リヒトと付き合えたとしても彼女を妃にすることは不可能だ。

 だがフロニャルド――少なくともガレットでは結婚に関して身分の差は重視されないらしい。

 よく考えればこれはリヒトを妻に出来る千載一遇の好機(チャンス)だ。一夫多妻はともかく、フロニャルドでならリヒトを妾ではなく正式な妻にすることができる。

 しかし俺には……

 

 

「……それでどうだ? (それがし)の夫となる気は。先ほども言ったように資質によっては貴殿に領主を譲ってもいいし、(それがし)以外の妻も……一人か二人くらいなら認めよう」

 

 ブルトンヌは不安げな表情で俺に尋ねてくる。俺は彼女の顔を見据えて……

 

「…………ありがとうブルトンヌ。そこまで言ってくれて嬉しいよ……でもすまない。君の夫になることもこの国に留まることもできない」

「街一つといくつかの村落しか版図がない、小さな国の領主では不満か? それとも、(それがし)のような色気のない女など妻にしたくはないか?」

 

 頬を膨らませて問いかけるブルトンヌに俺は首を横に振って答える。

 

「まさか。どちらも俺にはもったいないくらいだよ。それにガレットに移住すればあの子と一緒になることもできる。……でもそれらをふいにしても、俺はあっちの国を捨てることができないんだ。あっちの国、グランダムは祖先から代々受け継いできた大切な祖国だ。あの国を守るために祖先たちも俺も、そして民たちも数え切れないほどの犠牲を払ってきた。どんなに窮乏していても、どんなに惨憺たる光景が広がっていても、祖国を捨てて別の世界に移り住むなんて俺にはできない」

「……そうか、代々受け継いできた国か。そう言われたら納得するしかないな。(それがし)も先代様からこの国を託された現領主だ。貴殿の言い分は分かる……分かっているつもりだったのだが……」

 

 そんな言葉を漏らすブルトンヌの目はわずかに潤んでいるように見えた。

 

「……すまない。貴殿の国のことも知らずわがままを言った。許せ」

 

 そう言ってブルトンヌは頭を下げる。しかし、それは謝罪の気持ちの表れというより目に浮かぶ涙を誤魔化すためのものに見えた。

 それからブルトンヌは顔を上げて口を開く。

 

「やれやれ、見事に玉砕か。領主の位と一夫多妻を餌にすれば食いついてくると思ったのだが。この分だとまだ当分は独り身かな」

「そう腐らないでくれ。閣下ならすぐに相手が見つかると思うぞ。自分より強いというところにこだわれなければな」

 

 俺がそう言うと閣下は首を横に振って、

 

「それは譲れん。(それがし)より強い男を夫に迎えるのは昔からの夢だからな。……ふむ、近日中には首脳会議が開かれるし、それを期に大陸中から腕自慢を募ってみるか。大陸全土から猛者を集めれば、(それがし)に勝てる男が何人か見つかるかもしれん」

 

 顎に手を乗せながらブル閣下はぶつぶつとそんなことをつぶやく。もしかして本気でやるつもりじゃないだろうな……?

 

 

 

 

 

 

 それからブル閣下と明日の送還について話を交わしてから、屋上に残るという閣下とチェルシーを残し俺は庭へ戻るべく来た道を戻るように一階に向かって階段を下りていた。

 そういえばクラリフィエとシャマルの様子を見に行くんだったな。ブルトンヌとの話が思ったより長引いたが二人はまだ部屋にいるのか?

 一階まで戻ると俺は二人が入っていった部屋に近づいて、そっと中の様子を窺う。傍から見ると怪しい限りだが今は使用人も衛兵の姿も見えない。

 部屋の中は一本だけ立てられたろうそくの火で照らされており、その中には案の定向かい合って椅子に座っているシャマルとクラリフィエがいた。

 部屋の様子を窺う俺の存在に気付くことなく、クラリフィエに対してシャマルは話を続けている。

 

「私が見たところ、クラリフィエ様の体はかなりたちの悪い病魔に蝕まれています。……差し出がましいかもしれませんが、もう魔物退治なんて無茶な真似はやめたほうがいいと思います。そうしないとあと数年もしないうちにあなたは死んでしまいますよ」

 

 その言葉を聞いた途端、俺はその場から一歩も動けなくなった。

 クラリフィエがあと数年もしないうちに死ぬ? 一体それはどういうことだ?



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EX.8 命の使い方

 このままだとクラリフィエがあと数年で死ぬ? それは一体どういうことだ?

 衝撃のあまり、俺は思わず体を扉に押し付けてしまう。その拍子に扉はギィと音を立てて、室内へと傾いていった。

 その音を聞いて、シャマルとクラリフィエは慌ててこちらを見て声を上げた。

 

「――陛下!」

「……ケント様」

 

 そんな二人の視線を浴びながら、俺はただ棒のように立ち尽くしていた。

 

「陛下……なぜ陛下がこんなところに? まだ宴は終わっていないはずですよね?」

「ブル閣下に呼ばれていてな。それで今まで彼女と一緒に屋上にいたんだ」

「あの領主様から? なんで宴の最中に陛下と領主様が二人きりで屋上なんかに」

 

 俺の返事にシャマルは首をかしげる一方で、クラリフィエは察しが付いたように言葉をかけてくる。

 

「そうだったんですか……それで、どうでした?」

「どうでしたかって……」

 

 クラリフィエの問いに俺は眉を寄せるものの、すぐに分かった。俺たちがガレットに留まるか、元の世界に戻るか、彼女はそれが聞きたいに違いない。

 

「断ったよ。俺にも大切なものがあるからな。残念な気持ちもあるが」

「そ、そうでしたか……(ブルトンヌ様、玉砕してしまわれたのですね。ブルトンヌ様はお綺麗な方ですし、もしお連れの方の中に意中の人がいらしたとしても、勇者は複数の伴侶を持つことができることを明かせば望みはあると思っていたのですが)」

「……?」

 

 俺がどう答えたかを明かすと、クラリフィエは憐れむような視線を宙に向け、シャマルは話についていけず頭に疑問符を浮かべていた。

 いや、そんなことよりもだ――。

 

「それよりシャマル、クラリフィエ、今の話はどういうことだ? クラリフィエがあと数年しか生きられないとは一体?」

 

 俺の口から出てきた問いに、シャマルとクラリフィエは困ったように顔を見合わせる。二人は互いに伺いを立てるような視線を相手に向け、やがてシャマルはクラリフィエに向かってうなずいてから、こちらに顔を戻した。つられてクラリフィエも俺の方に顔を向ける。

 

「はい、陛下がお聞きになった通りです。クラリフィエ様の体は強い毒や病魔に蝕まれていて、今はまだこうして動くことができるのですが、おそらくあと数年も経てば……」

 

 シャマルの話を聞いて、俺はクラリフィエの顔を見る。その顔の色は昼間見た時より青く見える。蝋燭一本しかない暗がりがそう見せているのか、それとも容態を隠す必要がなくなって気が緩んだために症状が表に出るようになったのか……。

 

「多分、魔物と戦っているうちに魔物が放つ瘴気を吸ったせいだと思います。聖霊術や治療術を使い続けてきたためか瘴気の影響が出てしまって。……自分の体に治療術をかけたり色々試したのですが、一向によくなる気配がなくて」

 

 治療術――この世界の術では駄目なのか。ならば――

 

「シャマル、君の治療魔法で何とかできないのか? こちらの術がダメでも、ベルカの魔法ならクラリフィエを治すことができるかもしれないのでは」

 

 俺の問いにシャマルは首を横に振った。

 

「……いいえ。もうとっくに行ってみましたが駄目でした。元々治療魔法というものは、自然治癒が可能な怪我や風邪などの軽い病気の回復を助けるための術で、クラリフィエ様のように全身に毒や病魔が巣食っている状態では手の施しようが……」

「では闇の書があればどうだ? この中から探せばクラリフィエを治すぐらいの魔法が――」

 

 闇の書が入れている懐に手を当てながら問いを重ねる俺に、シャマルは再び首を横に振る。

 

「無理だと思います。今まで戦った敵の中に治療に関する技能を習得している人はいませんでしたし、闇の書に載っている治療魔法も私が扱うものと大差はないのではないかと」

「そうか……」

 

 そこで俺はクラリフィエの方に顔を向けて尋ねる。

 

「アデライドたちはもう知っているのか? 君の体のことについて」

「ヴァレリーには打ち明けました。ああ見えて聡い子だからすぐに気付かれて。イスカも多分気が付いていると思います。でも、アデルとヒナはまだ知らないままではないかと」

 

 それを聞いて俺はため息をつき、少し間を空けてから再び口を開いた。

 

「……なあクラリフィエ、君だけでも魔物退治や旅をやめるわけにはいかないのか? 君たちのおかげで、人々に害をなすほど危険な魔物はほとんどいなくなったと聞く。そろそろ君だけでも一行から抜けて故郷で体を休めてもいいんじゃないか。安静にしていればそのうち君の体調もよくなるかもしれない。その時にまた旅に出るかを考えるのも――」

 

 言い聞かせるように言葉をかけるが、フィーはゆっくりと首を横に振って言った。

 

「いいえ。じっとしていても私の体はもうあまり長くはもたないでしょう。どの道長く生きられないのならお城にこもって無為に生き永らえるより、少しでも世界を広げるための旅を続けたい。だから、ケント様やシャマル様に何を言われようと私はここで旅をやめるつもりはありません」

 

 そう言って、フィーは強い意志を込めた眼差しで俺とシャマルを見る。

 俺とシャマルが何を言おうと揺るぐことのない――病に侵されているとは思えないほど強い眼差しだった。

 俺は観念したように首を振ってから別の問いを投げた。

 

「君はパスティヤージュという国の当主……事実上の国王だと聞いているが、その国はどうするつもりだ? ヴァレリーに王位を継がせる気なのか?」

 

 俺の推測を、フィーはふるふると首を横に振って否定した。

 

「あの子は王になる気はないそうです。ヴァレリーは昔からずっと魔物の研究をしていて、王位なんか私に譲って自分は魔物専門の学士として研究を続けたいって言い続けていましたから。ですので私にもしものことがあったら、アデルにパスティヤージュを任せようと思います」

「アデライドに……それは彼女に王位を譲るということか?」

 

 確認するように問う俺にフィーは「はい」とうなずき、それを聞いたシャマルは目を見開いて驚く。

 アデライドは明らかにフロニャルドの人間とは違う。動物のような耳も尻尾も持たない、俺たちに近い種の人間だ。そんな彼女にまで王位を譲ることができるというのか。

 フロニャルドでは血の繋がりに関係なく、王や領主の指名を受けた者がその後を継ぐことができる。それを知らないシャマルも、改めてそれを思い知らされた俺も驚愕で言葉が出てこなかった。

 そんな俺たちにクラリフィエは言う。

 

「アデルは聡明で見識も高く民や国を慈しむ心も持っています。彼女ならヴァレリーと協力してきっとパスティヤージュを今よりもっと豊かな国にしてくれるはずなのです」

「その代わりに、君はこれからも魔物との戦いを続け命を削っていくというのか? なぜ君はそこまでして……?」

 

 絞り出すような声で俺が尋ねると、クラリフィエはふっと笑って言った。

 

「夢だったんです。木々が生い茂る森林や一面砂に覆われた砂漠、フロニャルドの外に通じているという海、そんな景色が広がっている世界を旅して回る。小さい頃からそんな夢を持っていました。

 でも、各地にはびこる魔物たちに阻まれて、私たちは街から出ることさえかなわなかった。だから私が魔物を退治して、世界を広げて回ろうと思ったんです。

 もちろん魔物の脅威にさらされている人々を助けたり、人々が魔物に怯えることなく安心して暮らせるようにしたかったというのも嘘ではないんですけどね」

 

 そこでクラリフィエは言葉を止めてため息を吐く。そんな風に心の内を吐き出すクラリフィエは《英雄姫》という大層な呼び名とは程遠い、一人の少女だった。

 クラリフィエは再び口を開き話を続ける。

 

「そのために私は王家に代々伝わる《勇者召喚の儀》を行い、勇者としてアデルを異世界から召喚しました。

 それから私は彼女と一緒に旅に出て、禍太刀という刀に取り憑かれた魔物と遭遇したことをきっかけにイスカとヒナ、ヴァレリーも旅に加わるようになり、私たち五人は各地で魔物を退治したり封印したりしながら大陸中を回り、いつの間にかパスティヤージュの勇者一行として人々に知れ渡るようになりました」

 

 クラリフィエはそこで一旦口を閉ざし目を閉じた。おそらく彼女の瞼の裏には、各地を巡った在りし日々が映し出されているのだろう。

 彼女の気持ちは俺にも分かる。俺の世界もグランダムの城とたまに訪れる城下町だけの小さな世界だった。それが他国への留学や遠征で一気に広がった。苦い思いもしたが、あの経験がなければ今の自分はないと思う。

 しばらくしてから、クラリフィエは目を開けて再び口を開いた。

 

「やがて魔物は数を減らしていき街道は開かれ、国と国が交流をするようになりました。……でも、魔物がいなくなったことによって新たな問題が起こるようになってしまいました」

「交流している国々の中に、対立を起こす国や豊かな土地を求めて他国への侵略を目論む国が現れているんだな」

 

 俺の言葉に、クラリフィエは険しい表情を作りこくりとうなずく。国と国の対立、野心を持つ権力者の出現、いずれもヴァレリーから聞いたことだ。

 そんな中で、ただ一人取り残される形になったシャマルは思わぬ話の流れに「えっ?」と間抜けな声を上げていた。

 そんな彼女を置いてクラリフィエは話を続ける。

 

「はい。ケント様の仰る通り、魔物という脅威がいなくなったことで、人々は土地や街道を巡って対立するようになりました。このままではヴァレリーが危惧していた通り、国と国、人間同士が戦うようになってしまうかもしれません。私たちが各地の魔物を倒したことによって。

 ……だから私は各国の王や領主を説き伏せ、大陸中央に位置するこのガレット領国で、首脳会議という話し合いの場を設けることにしました。

 私はその席で国同士の戦いを禁止する不戦条約を提唱し、それを各国との間で結ばせようと思います……しかし」

「それを各国が受け入れるとは思えない……そうだな」

 

 俺がそう言うとクラリフィエは唇を噛んで顔を伏せる。やはりクラリフィエもそれはわかっていたか。

 そんな条約を結んだら自国で食料危機や資源不足に陥った時に、他国に攻め込んで食料や資源を確保するという手が取れなくなる。援助や交易という手もあるがそれは他国への信頼があって見込めるものだ。まだ他国との交流が少ないフロニャルドの国々にとって当てにできるものではない。

 それに……

 

「もし仮にクラリフィエが唱えている案が受け入れられて各国が不戦条約を結んだとしても、その条約をどのようにして守らせるかが問題だ。不戦条約が破られていざ戦いが起こった時にどうやってそれを止める? 対岸から口をはさんだところで当事国は聞く耳持たないだろうし、武力介入を行おうとしてもかえって戦火を広げることになりかねない。二国の軍を退けるほど飛びぬけた武力を持つ強国はフロニャルドにはないと聞くしな」

「確かにその問題点もあります。そちらについても何か打開案がないか考えているところなのですが……」

 

 そこまで言ってクラリフィエは言葉を詰まらせる。どれほど考えてもこれ以上の考えが思い浮かばないのだ。

 しかし問題はこれだけじゃない。クラリフィエが頭を悩ませている問題に加え、この案には戦を防ごうという考えそのものに一石を投じるような大きな難題がある。

 

「……まだ問題はある。もし条約がうまく働いて戦が起こらなくなっても、それによって多くの人々が戦い方そのものを忘れていってしまい、やがては魔物と戦える者がほとんどいなくなってしまうということが起こりうる。そんな時に魔物が現れたら人々はなすすべなく魔物に屈し、フロニャルドは再び魔物にあふれた世界になってしまうだろう」

「そうですね。私は不戦条約とともに、魔物の出現に備えた訓練や演習を各国に推奨しようと考えています。武器の所持や有事に対する備えまで否定するつもりはありませんから」

「しかし、訓練や演習にかこつけて軍備の増強や他国への侵攻を目論む国も出てくる恐れもある。それに訓練にも限界がある。動かない的を相手に剣を振るっても、敵の動きに対応する戦い方は身につけられない。実戦形式でも味方同士ではどうしても手心が加わってしまう」

「そ、それは……」

 

 俺のダメ出しにクラリフィエは押し黙り、何か言おうとするも思いつかず黙ったままになってしまう。一方で俺もそれらの問題を解決する手が思いつかず、何も言えなくなってしまった。

 

 ……何かないか。人間同士が殺し合うような戦を起こさせないようにする方法、そして可能であれば平和になった後も人々が戦う力を失うことなく、魔物のような脅威に備えることができる方法が……。

 俺とクラリフィエは互いに何も言えず、室内に気まずい空気が流れる。そんな時だった。

 

「……いっそのこと、決まりを作ってそれぞれを戦わせることができたらいいんですけどね。競技(スポーツ)みたいに」

 

 その言葉を聞いて俺とクラリフィエは顔を横に向ける。それを発したのは、今まで意見を交わしていた俺とクラリフィエを遠巻きに眺めていたシャマルだった。

 俺たちの視線を受けて、シャマルはしまったというような顔で手を振る。

 

「――あっ! ご、ごめんなさい! うっかり口が滑っちゃって、でもこの世界って街中とかなら致命傷を負っても死なないようになっているから、決まりとか作ったら安全に戦うこともできるんじゃないかなあと思ったりして――」

 

 両手を振りながら口をついて出てくるシャマルの言葉に、俺とクラリフィエは唖然とした顔になる。そして……

 

「それだ!」

「それです!」

 

 俺とクラリフィエはほとんど同時に声を上げ、シャマルはびくりとする。

 そんなシャマルの前で俺とクラリフィエは再び顔を見合わせて、話を始めた。

 

「クラリフィエ、フロニャ(ちから)は街など人が住んでいる場所ならどこにでも存在しているとブルトンヌから聞いているんだが、それは確かか?」

「ええ、他にも砦や門などある場所のほとんどはフロニャ(ちから)が働いていて、そこにいる人たちは大きな傷を負ってもしばらくの間けものだまになってしまうだけで死んでしまうことはありません。けものだまというのはフロニャルドの人々が大きな傷を負った時に成ってしまう姿のことで、ケント様たちやアデルのように異世界から来た方々はこの姿になることはできませんし禍太刀憑きはフロニャ(ちから)を阻害する力を持っています。ですから……」

「ああ、あの守護装備がそのためのものだったのか。じゃあ一定の場所なら致命傷を受けてもけものだまになるだけで死にはしないというわけだな」

「ええ。天候が崩れてフロニャ(ちから)が弱まったりすることもありますが、そうでなければ」

 

 フロニャ(ちから)についてクラリフィエから解説を受けたことで俺は確信を強める。クラリフィエもおそらくそうに違いない。

 クラリフィエを悩ませていた諸々の問題はこれで解決するかもしれない――戦を競技にしてしまうことで。

 

 

 

 戦を競技にする。このような事はベルカを含めたほとんどの世界ではできない事だろう。

 しかしフロニャルドでならできる。フロニャ(ちから)という加護に守られたこの世界でなら。

 

 規則が定められていて戦いによる死傷者が出ないのであれば、それは戦という形を取ってもほとんど競技と変わらない。敗戦国に対しても領土や過度な賠償を請求しなければ遺恨も残りにくく、武器、防具、新聞などの販売やそれを見込んだ商人たちの拠出などによる経済効果次第では、敗戦国にも利益が行き渡らせることが可能になる。

 何よりこの戦もどきは戦い方を学んだり研鑽を積むための実戦演習にもなる。それによってフロニャルドの人々が戦う力を失ってしまうという恐れは低くなるだろう。

 

 もちろん懸念はある。この案が本当に各国の首脳に受け入れられるのか、取り決めを破って他国に本当の戦を仕掛けようとする国が現れはしないか、そのような国が現れた時に抑止力は働くのか。

 しかし、それを承知の上でクラリフィエはこの案を賭けてみることにしたようだ。クラリフィエと俺はその戦についてあれこれ考えながら意見を交わす。そんな俺たちをシャマルは呆然と見ていた。

 

(……二人とも熱心に語っているわね。何気なく思いついただけのことなんだけど、戦の競技化なんて本当にやる気なのかしら? ……もっとも、私としてはそんなことより――)

「――ゴホッ! ゴホッ、ゴホッ!」

「クラリフィエ!」

「クラリフィエ様!」

 

 話の途中で突然口を押さえ、咳き込んだクラリフィエに俺とシャマルは駆け寄ろうとする。だがクラリフィエは片手を伸ばして俺たちを制した。

 

「大丈夫……大丈夫です。ちょっと張り切りすぎてしまって――」

 

 そう言ってクラリフィエは咳払いをして、喉元からせりあがる咳を強引に飲みこもうとする。

 

「いけませんクラリフィエ様、無理に咳を飲み込もうとしては――」

「フィー!」

 

 シャマルがクラリフィエに駆け寄ろうとした瞬間に、扉が勢いよく開き、ヴァレリーがシャマルを突き飛ばしてクラリフィエを抱きかかえた。

 

「フィー! しっかりしろフィー!」

「ヴァレリー。私は大丈夫なのです。前に話した件についていい案が浮かんだのでつい――」

「喋るな。大人しくしとけ! 今薬を出してやるから」

 

 そう言ってヴァレリーは懐から袋を取り出しそれをクラリフィエに飲ませ、クラリフィエが薬を飲み終えたのを確認してから、ヴァレリーは袋を懐に仕舞いながら俺たちに顔を向けた。

 

「悪い。姉貴は少し調子が悪くなっちまったみたいだ。俺と姉貴はここで失礼させてもらうから、お前らは宴に戻るなりブッチして部屋に帰るなりしてくれ。俺はこいつを早く寝かせてやんねえと――」

「大丈夫です、私は大丈夫ですから下ろしてくださいヴァレリー! こんなところ誰かに見られたら――」

 

 そう言ってクラリフィエはヴァレリーの前で抵抗するが、ヴァレリーになだめられるうちに抵抗をやめる。そんなクラリフィエを抱えてヴァレリーは「じゃあな」と言いながら部屋を出て行った。

 そんな二人を俺とシャマルは何とも言えない顔で見送る。

 クラリフィエの体は病魔に蝕まれている。彼女はそれを見せないように振る舞っているが、その症状は思った以上に深刻らしい。

 しかしそれでも、彼女はフロニャルドの平和のためにその身命を投げ打とうとしているのか。……せめて闇の書が完成していれば、その強大な力でクラリフィエの体を治すことができるかもしれないのだが。

 

 

 

 

 

 病と毒に冒されてなお人々や世界のために動き、その末に数年後には命を落とすだろうパスティヤージュの王、クラリフィエ・エインズ・パスティヤージュ。彼女に対して俺は敬意を抱かずにはいられない。

 後に、俺が夜天の魔導書や聖王のゆりかごからグランダムやベルカを守るために、自らオリヴィエに討たれる道を選んだのは、クラリフィエから受けた影響もあるのかもしれない。



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EX.ED 送還

 宴が終わって翌日、ヴァンネット城では召喚した勇者を見送るための『送還の式典』が開かれていた。

 ヴァンネット城の屋上にて、仁王立ちするブルトンヌの前で俺は膝をつく。俺たちの後ろには何人かが通れるほどの隙間を空け、左右に分かれて整列する大勢のガレット兵たちと守護騎士たちやイクス、リヒトがいた。

 フィーたちは魔物が現れたとの急な報を受けて城の外に出ており、この場にはいない。

 

「ガレットの勇者ケントは召喚の役目を終え、本日故郷へと帰還される。勇者の(つるぎ)である神剣エクスマキナを召喚主ブルトンヌ閣下へ」

 

 ブルトンヌの隣で送還の口上を述べる獅子団副団長サブラージュに促され、俺は神剣が封じられている指輪がはめられた右手をブルトンヌに差し出す。

 ブルトンヌは厳かな顔で、しかし若干の間を空けて俺の人差し指から指輪を引き抜く。

 そしてブルトンヌはよく通る声で告げた。

 

「これにて送還の式典を終了する! 立て、勇者ケントよ!」

「御意!」

 

 

 

 

 

 

 式典が終わり、俺たちは城の近くにある岬に来ていた。

 俺たちが落ちてきた時と少し違うなと思いながら岬に近づくと、海中から小さな大地が浮かんできて岬と繋がって足場となる。この足場こそ俺たちが落ちてきた召喚台だ。こんな仕掛けになっていたとは。

 その驚きも冷めたところで、俺たちは見送りに来てくれたブルトンヌとチェルシーの方を振り返る。

 

「それじゃあブル閣下、色々と世話になった。フィーたちにもよろしく伝えておいてくれ」

「世話になったのはこちらの方だ。お前たちが力を貸してくれたおかげで魔物は倒れ、この一帯は再び平和を取り戻した。各国首脳会議も無事に開くことができるだろう。クラリフィエ殿たちもお前たちに感謝しているとのことだ。その功績を称えて貴殿にこれを授けたい」

 

 そう言ってブル閣下は白い小箱を俺に差し出してくる。

 おずおずとそれを受け取ると、開けてみろと閣下から視線で促され、俺は小箱を開ける。

 そこには青色の(じゅ)が付けられた銀のロゼットが入っていた。

 

「閣下、これはまさか……」

「ヴァンネットにおいて多大な功績を残した者に対して贈られる《獅子(リオン)勲章》だ。先代領主の代から伝わる由緒正しきものであり、勇者召喚において召喚主と勇者を繋ぎ、勇者をもう一度フロニャルドに召喚するために必要な《制約の品》でもあるそうだ。どうか受け取ってくれ」

「……はい、謹んで拝領します。我が主ブルトンヌ」

 

 勲章が入った小箱を掲げながら俺はそう答えた。

 この勲章は絶対に失うわけにはいかない。

 機会があれば、俺はまたフロニャルドに来たいと思っている。もしベルカの戦がなくなった後であの世界の復興にとりかかる時が来たら、フロニャルドのような世界に住む人々の知識と力は大きな助けになるだろう。……それに闇の書が完成すれば、その力で彼女の体を治すこともできるかもしれない。

 闇の書が完成したら、何とかしてもう一度この世界に来よう。闇の書の力でフィーを助けるために。

 決意を固めながら俺たちは召喚台に浮かぶ紋章陣の上に立ち、もう一度ブル閣下たちの方に振り返る。

 それと同時に――

 

「ブルさまー、昨日の宴に出てきたご飯すごくおいしかったよー!」

「魔物が出たらあたしだけでも呼べ。褒美は昨日みたいなメシでいいからよ!」

「領主様、どうかお元気で!」

「体には気を付けてくださいって、フィー様に伝えてください!」

 

 守護騎士やイクスは、ブル閣下に別れの言葉をかけたり一礼やうなずきを向ける。彼女たちに続いて俺も閣下に声をかけた。

 

「ありがとうブル閣下、またいつかここに来るよ。その時はよろしくな!」

「――ああ。貴殿たちがくるのを待っているぞ!」

 

 ブル閣下は笑みを浮かべながら、俺たちにうなずきと返事を返す。

 その直後、紋章陣から立ち昇る光が俺たちを包み込み――俺たちの意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

 

 ケントたちが光に包まれていくのを見て、ついブルトンヌは自らも彼とともに行きたいという欲求にかられるのを感じながらも、踏みとどまるように自らの足に力を込める。

 ケントたちを包む光は瞬く間に青い光の柱となり、空の彼方へと立ち昇った。

 それを見届けてブルトンヌは口から言葉をこぼす。

 

「……さらばだ、ケント」

 

 そんな彼女の後ろから声がかかった。

 

「ブル様、勇者様のお見送りを済ませたところ申し訳ありませんがよろしいでしょうか?」

 

 その声にブルトンヌは慌てたように素早く後ろを振り向く。そこには肩にかかるほどのもみあげが付いた紫髪と青い眼を持つ側役がいた。

 

「バネッサか……何かあったか」

 

 ブルトンヌの顔を見た瞬間バネッサという側役ははっと目を見張るが、ブルトンヌは袖で顔を拭ってから視線でバネッサに先を促す。

 

「は、はい。ビスコッティ王国からプレストファッティ女王とドラジェ騎士団の団長様がお越しになりました。お二方ともブル様にご挨拶がしたいと仰られていますが……」

「そうか、ではすぐに向かおう。だが、その前に少しだけ顔を洗わせてはくれ。このままお二方と顔を合わせるのは(はばか)りたいところなのでな」

「……はい。お二方には少しだけお待ちいただけるように伝えておきます」

 

 側役はそう言って早歩きで城内へと向かう。

 そんな彼女の背中を見送りながら、ブルトンヌも城内に向かって足を踏み出す。彼女の両目からは一筋の涙が流れていた。

 ただ一匹取り残されたチェルシーはニャンと鳴き声を上げてすたすたと主の後を追った。

 

 

 

 

 

 かくしてガレットの勇者として召喚されたケントとその連れたちはガレット、そしてフロニャルドから姿を消した。

 ガレット獅子団領国領主ブルトンヌは彼らについて、勇者としての役目を終え故郷に帰ったと公表。

 その数日後に開かれた『各国首脳会議』の中でパスティヤージュ王クラリフィエは『大陸協定』を提唱し、各国の同意を得て可決された。

 フロニャ(ちから)を利用し興行という形で戦を認める制度は大陸中の人々を驚かせ、それによってわずか一日しかいなかったガレットの勇者のことなど瞬く間に忘れ去られてしまった。関係者の間でも彼らがその後どうしたのかわかる者はおらず、勇者ケントの一行は異世界に帰ったとも他の大陸へ旅立ったとも言われている。

 

 

 

 

 

 

 目を開けると、そこはグランダム城の俺が政務で執る際に使う執務室だった。

 俺はいつの間にか椅子に座っていて、その前には机の上に乗せられた山盛りの書類があり、その向こうに額に青筋を立てている宰相がいた。一見二十代に見えるほど若作りの容貌も今は怒りのあまり眉間にしわが寄っている状態だ。

 …………もしかしてこれってまさか……

 

「おはようございます陛下。ようやくお目覚めになられたようですな」

「……ああ、おはよう……もしかして俺って今まで寝てたのか?」

 

 宰相はこくりとうなずく。

 

「はい。私が来た時には机に座りながらぐっすりと熟睡されておりました。もう少しで声を張り上げるところでしたよ」

 

 淡々とした風にそう述べる宰相の額には相変わらず青筋が何本か立っている。

 ……もしかして今までのは全部夢だったのか? フロニャルドという世界に行ったことも、魔物と戦ったことも、ブル閣下やフィーたちに会ったことも、全部執務中に眠りこけていた俺が見た夢だったというのか。

 

 いや、そりゃおかしいとは思っていたけど。

 あちこちで島が浮かんでたり、会ったばかりの美人領主から勇者なんて呼ばれたり告白されたり、おまけにフロニャ(ちから)とかいう加護に守られてよほどのことがない限り死ぬことがない世界なんて、色々とおかしなところだらけだ。ザフィーラやクロゼルクとかがいるし、動物のような耳と尾を持つ人間がいるくらいならおかしくはないんだが。

 しかし、それを抜きにしてもやはり色々とおかしい。なんで途中で夢だと気付かなかったのか。

 

「それで陛下、政務の方はいかがですか? 陛下の前にある書類は一枚も署名が記されていないどころか、目を通した形跡すら見受けられないのですが」

「……すまない。まだ確認していないんだ。一日ほど待ってはくれないか」

 

 絞り出すように言うと、宰相はあからさまなため息をついて見せる。

 本当に何で夢だと気付かなかったんだろう? 夢だと気付いていたら、現実に戻る前にあっちでもっと楽しんでいたのに。

 

「まったく、しっかりなさってください陛下。日々舞い込んでくる政務に追われて休みが欲しいのはわかりますがそんな調子では困ります。何の前触れもなく一日中姿をくらまして、今日になって戻って来たと思ったら座りながら舟を漕いでいらっしゃるなど――」

 

 ……えっ? 

 

「一日中姿をくらまして……俺、今までずっとこの部屋で寝てたんじゃなかったのか?」

 

 俺の問いに、宰相は怪訝そうに眉をひそめながら言った。

 

「何を言っておられるのです? 陛下は昨日(さくじつ)の間、ずっと城のどこにもおられなかったではないですか。この部屋にも寝室にもあの庭にも、どこにも陛下の姿がなかったのです。住民たちに気取られないように城下町に捜索を出し、他国が放った刺客による誘拐の線もあるかもしれないと考えて高官たちを集めて意見を交わし、万が一の際に備えておりました。そして今日になって執務室でお休みになっている陛下の姿を見た時は思わず殺意が――拍子抜けしてしまいました」

 

 怖! 温厚なこの人がこんなに怒っているところは初めて見るぞ。

 しかし俺は本当に昨日どこにも行った覚えはないぞ。昨日はずっと…………まさか!

 

「……な、なあ、昨日、守護騎士たちやイクスはどうしていたんだ? そんなに必死になって俺のことを探していたのなら当然あいつらにも聞いて回っていたんだろう」

 

 恐る恐る尋ねる俺に宰相は困惑が残った顔になって、

 

「それが……昨日は陛下と同じくあの方々の姿も見えなかったのです。……あの方々も今日になって姿を見せているらしいのですが……」

 

 あいつらもいなくなっていたのか。俺が覚えている限りではあいつらも一緒に……ではやはり俺もあいつらも……。

 

「……ところで陛下、先ほどから気になっていたのですが、それは何ですか?」

 

 突然かけられた宰相の問いに、俺は彼の視線の先を追う。

 宰相の視線は俺の手元に届いていて、そこには白い小箱があった。

 

「これは……何でもない。ちょっとした貰い物だ」

 

 首を振りながら答える俺に宰相は眉をひそめながら。

 

「はあ……陛下、大丈夫ですか? 体調がすぐれないようでしたら私が政務を代わりますが。もちろん、どうしても陛下の決済が必要なものはのちほど確認してもらいますが」

 

 激怒寸前から一転して、心配そうな顔になって尋ねてくる宰相に俺は首を横に振りながら答える。

 

「いやいい。寝起きでちょっと混乱していただけだ。俺がやる。そんなことで自分がやるべき政務を貴公に押し付けるわけにはいかない。何とか頑張ってみるよ」

 

 俺の返事に宰相は目を丸くして、感心したように息を漏らした。

 

 あれが夢であろうがなかろうが、一つだけはっきりしていることがある。

 それは俺がリヒトのことが好きだということ事だ。以前からまさかと思っていたし、その気持ちはあそこ(フロニャルド)にいた時だけのものではないだろう。

 身分の差など色々問題はあるが、ここで仕事を宰相に押し付けるようでは彼女にふさわしい男にはなれない。

 だから、ここで頑張らなくてどうすると思った。

 

「そうですか……分かりました。……ところで分かっておられるとは思いますが、そこに積んであるのは昨日の分の案件です。今日の分はのちほどここまで運ばせます……私が見る限りそちらと同じぐらいはありましたな」

「――えっ!?」

「ではお願いしますよ陛下。後ほど運ぶ分も合わせて、今日中には片付けていただきたいものです」

「ま、待て、それはさすがに――」

 

 俺の制止に聞く耳持たず宰相は部屋から出て行って、無情にも扉はばたんと閉まり、部屋には扉に向かって空しく手を伸ばしている俺だけが取り残される。

 ……やっぱり今日くらいは調子が悪いふりをして手伝ってもらうべきだったかもしれない。今日は寝られないかもしれないな。

 失敗を悟りながら俺は手を下ろし、その拍子に机の端に置かれてあった小箱に触れた。

 山積みの書類の前にある白い小箱に視線を移す。

 あれが夢だったのかどうかは、後で昼食の時にでも守護騎士たちやイクスに聞いてみればわかることだ。これを開けるまでもない。

 しかし、それでも俺はこれの中身を確認せずにはいられなかった。

 俺はゆっくりと、恐る恐る小箱の蓋を持ち上げる。

 そして箱の中に入っている者を見た瞬間、感動のあまり肩が震えるのを感じた。

 箱に入っていたのは、ブルトンヌという一日限りの我が主君から賜った、栄誉ある獅子(リオン)勲章だった。

 

 

 

 

 


 

 ある時期から愚王ケントの執務室に置かれていた、銀でできた謎の勲章。

 ケントの死後、この勲章はしばらくの間所在不明となっていたが、のちに彼の寝室の棚から発見されて、ケントの愛剣ティルフィングとともに異母妹ティッタに譲渡され、彼女の裔たるセヴィル家に受け継がれていくことになる。

 

愚王伝 外伝終



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