日本一幼女に厳しいゲームから妹を救いたい (:-))
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ちゅーとりある編
ぷろろーぐ 〜 こうかい


夜廻のお姉ちゃん然り、深夜廻のユイ然り、原作本編の前にすでにエピソード0的なことが起きてるストーリーって良いですよね


 「ピピピ」という電子音と共に、私は未だ眠気が残る目を擦りながら目を覚ました。

 台所へと目を向けると、研がれたお米を溜め込んだ炊飯器が高らかにその存在を主張している。あんな物が目覚まし代わりなんて、と思わず苦笑してしまう。

 次に窓から外の景色を確認すると、既に夕日は町の奥へと沈み全身を丸々と輝かせたお月様が顔を覗かせている。そして最後に視線を下に向けると、そこには私と比べて少し明るい茶色の髪にこれまた私とよく似た顔の少女──要するに私の妹が、私の膝を枕にあどけない表情を浮かべながら眠っていた。普段は着けている赤いリボンも今は外している。

 

「……ふふふ」

 

 自然と笑みを溢してしまう。私の妹はやっぱり可愛い。

 しかし、妹の心地良い体温を感じながらも私は「あちゃー」と頭を抱えた。どうやら妹を寝かしつけた時に一緒に寝落ちしてしまったらしい。

 昨日の()()()は普段よりも帰宅が遅かったせいか、どうやらこの子も私も寝不足だったらしい。実際に外を出歩いていたこの子ならまだしも家で待っていた私まで疲れるなんて……歳を取ったかな? でも、私も来年で高校生なんだから。妹のためにもまだまだ元気でいなくちゃいけない。

 閑話休題。

 こんな時間までお昼寝をしてしまったということは、つまり誰も起こしてくれる人がいないという意味だ。

 

──そしてそれは同時に父の不在も意味していた。

 

 思わず深いため息を零しそうになるが妹の前でそんな表情は見せたくはない。それにお父さんに関しては私自身も理解を示しているはずだ。

 妹を守るためには私が大人でなくてはいけない。

 沈んだ気分を一旦落ち着け、私は未だ眠り続ける妹を優しく揺すった。

 

「ことも、もう起きる時間よ。このままじゃご飯食べれないよ?」

 

 そう呼びかけると、妹は「うーん……」と声を漏らしながら身を起こした。

 寝起きの妹はとてもポワポワしていて、小柄な体格も相まってぎゅーっと抱き締めたくなる可愛らしさがある。しかしここで妹の誘惑に負けてしまったらいよいよ晩ご飯の準備どころではなくなってしまう。ピクピクと震える体を押さえ込み、私は妹に微笑んだ。

 

「おはよう、ことも」

 

 妹はそんな私を()()しかない目で見つめ、同じように笑みを返してくれた。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

 

 ()()()以来左目が見えなくなった私の妹──ことも。

 私はそんな妹に救われた、情けない姉だ。

 

 

⭐︎

 

 

「お父さんは?」

「少し前に電話がかかってきてたみたいで、今日はもう帰れそうにないって。ごめんね、ことも……」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ。それに、お父さんもお仕事が大変だからしょうがないよ」

 

 食器を並べながらあっけらかんにそう告げる妹に、私は少しムッとしてしまう。

 

「でも、今日はこともの誕生日なのに……」

「お姉ちゃんの誕生日も帰ってこれなかったでしょ? なら、これで一緒だね。それにわたしはお姉ちゃんさえいてくれたら大丈夫」

 

 子供なら誕生日は祝いたいと思うだろうに、妹は本当に気にしていない様子で鼻歌混じりにお箸やお椀を並べている。

 妹は非常に大人びている。いや、達観していると言ってもいい。自分がどんな家庭環境に置かれているのか、まだ小学生のはずの妹は嫌というほど理解している。

 そして何より、妹は強い。

 怖がりで寂しがりやで泣き虫だった妹は、もう夜の闇に置いていかれてしまったみたいだ。

 

──それに比べて私は弱いまま。

 

 まだ妹が言葉を話すことすら出来なかった昔、お母さんは攫われた。

 犯人がただの悪い人間だったならまだ希望を持てた。警察がきっと犯人を捕まえて、お母さんを助けてくれたはずだ。でも現実は遥かに歪で奇怪だった。

 お母さんは攫われたんじゃない。選ばれてしまったんだ。

 

 今でもこの町を見下ろしている大きな山の中にいる、『神様』に。

 

 いや、あれは神様と呼ぶことすらおこがましい。かつてこの町にあった商店街を守って下さったムカデの神様とは真逆の、人の欲望に狂わされた化け物。

 お母さんはそんな化け物に生贄として選ばれ、私の目の前で連れ去られた。無数の手に引きずられ闇に消えていくお母さんの姿は、決して忘れることのない光景として私の記憶に刻まれている。

 その時の私は今の妹よりも幼い、ただの子供だった。

 それでも必死になってお母さんを探し、夜の闇に潜むおばけたちを掻い潜り、山の中に佇む廃れた神社の中で()()を見つけた。

 

 沢山の人間の体で作られた顔。

 

 無数の目玉がひしめく左目。

 

 私より何倍も大きい二つの手。

 

 そしてその化け物の目の前で倒れている──大好きな私のお母さん。

 

 私は必死になってお母さんの手を引き、その神社から逃げ出した。

 一緒に帰りたい。

 またお父さんとお母さんと妹と、家族全員でご飯を食べてお出かけして、幸せな毎日が戻ってくる。

 でも山の神はそれを嘲笑うかのように、途中で力尽きた私から再びお母さんを奪った。

 手を伸ばせば助けられたかもしれない。もっと頑張れば一緒に帰れたかもしれない。でも私は背後に佇む化け物が堪らなく恐ろしくて、死という恐怖を初めて目の当たりにして……私はお母さんに背を向けてしまった。

 

『助けてッ! お母さんを見捨てないでッ!』

 

 そんなお母さんの最期の言葉は聴こえないフリをした。

 結局、私はお母さんを助けることができなかった。

 途方に暮れる私はその帰り道、一匹の犬を拾った。それがお母さんに代わるように私と妹を守り続けてくれた大切な家族──ポロとの出会いだった。

 お母さんがいなくなり私と妹を養うために単身赴任を繰り返す父も、その時から滅多に顔を見なくなった。それでも電話越しでは明るく振る舞い、年に数回返ってくる時は私と妹を精一杯愛してくれた。でもそんなお父さんも私たちが眠った後、いつもお母さんの仏壇の前で泣いている。お父さんのそんな姿を見てしまった私はどうしようもなく胸が張り裂けそうになった。

 

『わんっ!』

 

 そんな時にも、ポロはいつだって私を助けてくれた。

 ふわふわな体で私を包み込んでくれて、まるで「大丈夫だよ」って言うように私の顔を優しく舐めてくれた。何か怖いモノが近くにいた時は、ポロは勇ましく吠えてそのモノを追い払ってくれた。そんなポロが私も妹も大好きで、ポロさえいてくれれば大丈夫と思っていた。

 でもその数年後。今から二年前、今度は私が山の神の贄に選ばれた。今まで私たちを守ってくれたポロが殺され、お母さんを奪ったあの忌々しい神社に連れ去られた私は、ただ死を待つことしかできなかった。

 これは罰だと思った

 あの時お母さんを見捨てた私への罰だと、そう自分に言い聞かせて。

 でも妹はそんな私を助けにきてくれた。それはまるでお母さんを助けようとしたかつての私のようで──その瞳の強さはあの時の私とは比べ物にならないぐらい強かった。

 

 夜を恐れた私と違い、夜はあの子を強くした。

 

 そして妹はかつて失敗した私と違い、私を救い出すことに成功した。

 その代償として左目を失いながら。

 

『一緒に帰ろ……お姉ちゃん……』

 

 弾け飛んだ左目からおびただしい量の血を流しながらもそう告げる妹に、私は言葉を失った。

 全部私のせいなのに。

 あなたが母親の温もりを知らないのも、左目を失ったのも、ポロを亡くしてしまったのも、あの時お母さんを助けられなかった私のせいなのに。

 なのに妹は残された右目で私を見つめながら、私に愛を向けてくれる。

 そんな資格なんて私には無いのに。

 結局、私は未だに妹に何も話せていない。

 お母さんは行方不明なのではなく山の神に連れ去られたこと。その時、私はお母さんを見捨てたこと。そして私はその事実から目を背けていたこと。

 怖い……のかもしれない。

 大好きだったお母さんもポロもいなくなって、お父さんも帰ってこない。そんな私に唯一残っているのが妹だ。その妹すら失ってしまえば、私は狂ってしまうかもしれない。

 

──お母さんはお姉ちゃんのせいで死んだ。

 

──私はお姉ちゃんを助けたのに。

 

──お母さんの代わりにお姉ちゃんがいなくなれば良かったのに。

 

 あの優しい妹がそんなことを思っても言うはずがないのに、私の頭は心ない言葉を幻聴する。

 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 夜の闇よりも、よまわりさんよりも、山の神よりも。

 

 妹に嫌われるのが怖い。

 

 

⭐︎

 

「お姉ちゃん?」

「ッ!? ど、どうしたのことも?」

「お姉ちゃん、大丈夫? さっきからボーッとしてて、まるでおばけみたいだったよ」

「ううん、なんでもないよ。それより、もう少しでできるからね」

 

 いけない、またこうして悪い思考に陥ってしまうのは最近の悪い癖だ。

 フライパンに魚の切り身を置きながら、苦笑する。

 それにしても、「おばけみたい」か……。

 未だに心が夜に囚われている私にはお似合いなのかもしれない。

 それに、こうして焼き魚を作っている時はどうしても考えてしまう。この場に立って料理を作ってくれるのは本当はお母さんだったはずなのに。そして食卓には私と妹とお父さんが。

 妹の好物である焼き魚は、私の得意料理でもある。でも妹はこれがお母さんから教わった料理だとすら知らない。

 そもそも妹はお母さんのことをほとんど知らない。

 一番知っているはずのお父さんは家にはいない。だから私が教えないといけないのに、私はお母さんのことを話せずにいる。そして妹もお母さんのことを聞いたりはしない。

 空気を読んでいる。

 まだ子供なのに。

 

「はい、召し上がれ。熱いからちゃんと気を付けて食べるのよ?」

「わぁ……頂きます!」

 

 食卓に料理を並べ、私と妹は手を合わせた。

 片目の妹は器用に箸を使って料理を口に運んでいる。初めは遠近感が掴めなくて私が食べさせてあげないといけなかったのに、今では一人でも問題なく生活できている。ほっとすると同時に、少し寂しい。

 

「あ、お姉ちゃん。実は昨日、友達ができたの」

「友達?」

 

 残念ながら妹はクラスで浮いている。

 以前から親がいないという点で話しかけづらい背景を持っていて、その上さらに左目までも失ったんだ。イジメられていないだけマシと思いたい。

 そんな妹に友達ができたという朗報に私は笑みを浮かべずにはいられなかった。

 でも、もしその子が妹に悪い遊びを教えたらどうしよう……そもそもその子はクラスメイト? 年上? 年下? もし妹を騙すようなことをしているなら今すぐにでも隣町の縁切りの神様にお願いして……。

 

「名前はハルっていって、私と同じぐらいの女の子。隣町に住んでる子なんだって。チャコって犬を連れてて、もふもふしてて可愛かったなー……」

「あ、そうなの。こともにも友達かぁ……ちゃんと仲良くしてあげてね?」

 

 黒い感情は妹の言葉で一瞬で鎮火した。

 同い年の女の子なら安心できる。それに犬を飼っている子に悪い人はいないのは世の中の法則の一つだ。でも、隣町の女の子なんていつの間に出会っていたんだろ?

 

「ことも、もしかして勝手に隣町に行った?」

 

 怒るつもりはないけど、隣町に行くなら出来れば教えて欲しかった。

 町にはおばけ以外にも危険が沢山ある。二年前の夜に出会った殺人犯こそその例の一つだ。お化けの対処はできても、幼い妹ではただの人間が一番の脅威になり得る。だからたとえどれだけ大人びていても、できれば一人で遠くには行って欲しくない。

 でも、妹は慌ててそれを否定した。

 

「ち、違うよ! 最近の夜廻りでよくこっちの町に来てたから……ポロのお墓にも来てくれて、その時に名前を聞いたの」

「え、その子も夜に出歩いてるの?」

「うん」

「わざわざ隣町から?」

「うん。何か探してるみたいだけどあまり詳しくは知らない」

 

 何やら訳ありのお友達ができたらしい。

 妹の他にも夜出歩く子がいるなんて……違う意味で心配になってくる。

 

「でも、この夏が終わったらハルは引っ越しちゃうんだって。せっかく友達になれたのに……」

「ことも……」

 

 妹の暗い表情に思わず私も表情を曇らせる。

 

「でも、引越し先の住所を教えて貰ったから手紙なら送れるって」

「なら、こともも漢字の勉強しないとね。ことも、算数は得意でも漢字はまだ苦手でしょ? ひらがなばっかでお手紙書いたらハルちゃんに笑われるよ?」

「うっ、でも……」

「夜廻なら大目に見てあげるけど、お馬鹿さんになるのは許しません」

「……はい」

 

 じっと妹を見つめながらきっぱりそう告げると、ことももしゅんとしながらも頷いた。

 あの夜が終わってから二年経った今でも妹は夜の町を出歩いている。

 妹曰く、神社が取り壊されて力が弱まったムカデの神様の代わりに夜の町をパトロールしてるらしい。まるで夜のおまわりさんみたいだ。

 

「あれ、でもお姉ちゃんもこの前漢字のテストが悪くて電話でお父さんに──」

「さて、早く食べないとご飯冷めちゃうよ」

 

 似たモノ姉妹、とどこかで顔も知らないハルちゃんが呆れたように呟くのが聞こえた気がする。

 なんとか誤魔化そうと茶碗に手を伸ばすが、妹からのジトっとした視線が突き刺さる。

 怒る時は相手をじっと見つめる。一体誰からそんなことを学んだのやら。

 

「お姉ちゃん」

「……はい、お姉ちゃんも一緒に勉強します」

 

 妹には敵わない。

 私は苦笑しながら、ご飯を口に運んだ。

 

 

⭐︎

 

 

 他愛もない話をしながら晩御飯を食べ終えお風呂も済ませたら、妹は既に自室にいた。

 寝るためのパジャマ──ではなく、私のお下がりの服に身を包み、背にはお気に入りのウサギのポシェット、トレードマークの赤いリボンも頭からぴょこっと生えている。そして左目には可愛らしい妹の姿とは不釣り合いな眼帯。そんな妹は机の前で座りながら懐中電灯の具合をチェックしている。

 

「ことも、今日も行くの?」

「うん。多分今日がハルと会える最後の日と思うから。友達だから見送ってあげないと」

「……分かった。でもちゃんと帰ってくるのよ? 特に()()()()()()には気をつけて。それと、あのトンネルにも絶対に近づいちゃダメ」

 

 自分でも口うるさいなと思うぐらいそう念を押すと、妹はただ短く「うん」と頷いた。

 すでに暗闇が支配しおばけが跋扈する夜の世界にこれから妹は行こうとしている。

 私は大人としてそんな危ない行為をやめさせるべきなのに、あの夜からずっと続くそれを止める方法が分からない。

 叱ってあげれば妹は行かないだろう。

 でも、妹は守ろうとしてるんだ。自分に起きたことと同じような悲劇が別の誰かに起こらないように。夜の世界で誰かが困っていないか、妹は毎晩確認している。

 そんな妹を止めることなんて私にはできない。

 

「ことも」

 

 いよいよ懐中電灯を握って玄関へ向かう妹を私は呼び止めた。

 

「お姉ちゃん?」

 

 首を傾げながらこちらを向く妹へ、私はリボンに巻かれた小さな箱を手渡した。怪訝そうにそれを受け取る妹に向かって私は精一杯の笑みを浮かべる。

 

「開けてみて」

 

 言われるがままに妹はリボンを解き箱を開けると、その小さな目を大きく見開かせた。

 その手に握られていたのは小さなお財布だった。もふもふとした真っ白な毛並みにピンと立った二つの耳、そして優しく見つめる二つの目。

 それは私たち姉妹にとってかけがえのない家族で、忘れられない思い出。

 

「ポロ……」

「お誕生日おめでとう、ことも。大事にしてくれたら嬉し──」

 

 言い終わる前にすでに妹はこちらに向かって突進してきた。

 小柄な割に意外と力強い妹のタックルに私は思わず「ごふっ」と女の子がしちゃいけないうめき声を漏らしてしまう。

 こともも気がついたら私より大きくなってるのかなぁ……。

 

「ありがとう……お姉ちゃん……」

 

 そんな妹の頭を撫でながら、私も抱きしめ返す。

 ここまで喜んでくれるなら頑張って内緒で作った甲斐があったというものだ。ポロもきっと天国で喜んでくれてる。

 

「気をつけて行ってきてね」

 

 今の私にできるのはこれしかない。

 何かお祝い事があれば出来る限り全部祝ってあげて、何か良いことをすればちゃんと褒めてあげる。

 そんな当たり前のことしか私は妹にしてあげれない。

 妹は力強く頷くと、そのまま部屋を出て行った。

 トントンと靴を履く音と玄関の扉が開く音が、静かになった我が家の中で木霊する。

 窓から外を覗くと、懐中電灯を片手に走り去る妹の姿が夜の闇へと消えていくのが見えた。

 

「……ふぅ」

 

 一息つき、私はぼんやりと夜の景色を眺める。

 後は妹の帰りを待つだけだ。

 

「ことも……」

 

 結局あんな小さなお祝いしかできなかった。妹自身は喜んでいたけど、やっぱり自分の中では納得できない部分がある。

 そもそも今日は妹の誕生日のためにお父さんが帰ってくるはずだったのに。それが急遽帰れなくなってまた二人きりの一日になったのに、妹は気にする様子すら見せていない。まるでそれが当然だと言わんばかりに。

 親がいないことに疑問を抱いていない。

 ある意味で妹は歪んでいるのかもしれない。

 私は親がいるという日常を知っている。いや、知ってしまっている。だからこそ、今の妹の人生がどれほど歪んでいるのかを否が応でも見せつけられている。

 本当に妹はこのままでいいのかな?

 毎日にように夜廻りをして、夜の化け物たちの真っ只中に自らを放り込んで、妹は幸せなのかな?

 

 もしかしたら、妹の幸せを奪ったのは私なのかもしれない。

 

 あの時お母さんを助けられたら、妹は親の愛情を忘れなかったかもしれない。お父さんが毎晩泣かなかったかもしれない。

 

「──私が子供でいられたかもしれない」

 

 自分で零した言葉に、私は思わず口を塞いだ。

 私は今……何を言った?

 

「あぁ、ダメだなぁ……私はやっぱりダメなお姉ちゃんだよ、ことも……」

 

 途端に涙で溢れる自分の両目を、私は堪え切ることが出来なかった。

 

「ごめんね、ことも……」

 

 後悔してもしきれないとはよく言った。

 二年前から……いや、お母さんがいなくなってから。

 

 私はずっと後悔し続けているんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 泣き疲れ眠りに落ちた少女の下へ、異形が忍びよる。

 黒々とした体の後ろでは大きな袋を背負い、顔には感情の読めない白い仮面。

 涙の痕が残る少女の寝顔を、その異形はじっと見つめる。

 

 夜がくる。

 

 夜がきて、朝がきて、また夜がくる。

 

 夜に囚われた少女たちをさらいに夜がくる。

 

 今度こそ夜明けを見るために。

 




この小説のお姉ちゃんは原作より病んでます。
そもそも母親に続いて愛犬と妹の片目まで失ったのに病まない原作お姉ちゃんのメンタルが強すぎる……。

ちなみに誕生日とか年齢の設定は捏造です。幼女先輩は年齢不詳だからしょうがない


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ぎゃっこう 〜 かぞく

はたしてこの小説は深夜廻編までたどり着けるのか…


「うぅ……うん……? やだ……私、寝ちゃった……?」

 

 ボンヤリとした意識が徐々に覚醒するのを感じながら、私はゆっくりと身を起こした。

 窓からは暖かな日の光が部屋に差し込み、外からは小鳥の囀りが夜の終わりを知らせてくれている。何より、夜中はずっと感じられる数多のお化けたちの禍々しい雰囲気が一切感じられない。

 夜の不安を一瞬で掻き消してくれる、気持ちの良い朝だった。

 

「こともの帰りを待たないといけなかったのに……」

 

 しかし、それを私は素直に楽しむことができない。

 こともの夜廻を姉である私が迎え入れなくちゃいけないのに、肝心の私が先に眠ってしまうなんて言語道断だ。

 でも、私はいつの間にかベッドに寝かされていて、しっかりと布団まで被っている。帰ってきた妹が私を寝かしつけてくれたのかな? でもそんな記憶は一切ない。

 未だ混乱する頭を他所にとりあえずベッドを降りる。

 そして同時に私は激しい違和感を覚えた。

 

「え……あれ……?」

 

 部屋を見回す。

 勉強机。本棚。タンス。見慣れた私と妹の部屋だ。どこも変わった様子は──あった。

 ()()()んだ。

 机も本棚もタンスも。全てがなぜか一回り程度大きくなっている。小柄な妹に合わせて家具は全て小さめなものを使っているのに、それでも私よりも大きい物がほとんど。机に至ってはおそらく椅子に座っても足が床に着きそうにないぐらいだ。

 そして背後に佇むベッドに視線を向けると、いよいよ私は言葉を失った。

 

「なんでことものベッドが無いの……?」

 

 二段ベッドの上段にあるはずの妹のベッドが跡形もなく消えていた。

 それだけじゃない。

 妹がこの二年間の夜廻で拾ってきた数多の珍品たちまでもが綺麗さっぱり無くなっている。正直に言うと一部妹の感性を疑うような不気味な物まで飾られていたからこれは喜ぶべきなのに、この状況では素直に喜べるはずがない。

 まるで妹の痕跡だけを取り除いたような部屋。

 

「な、なんで!? どうして!?」

 

 呼吸が乱れる。心臓がかつて無いほど早く鼓動する。

 もしかして妹の身に何か起きたのでは?

 最悪の事態を考え始める私の脳と呼応するように、一気に冷や汗が流れる。

 

「こ、ことも! どこにいるの!?」

 

 お願い。返事をして。

 でも、帰ってくるのは私の心臓の鼓動する音のみ。

 脳裏を過ぎるのは、無数の手に連れていかれるお母さんの姿。大切な家族を初めて失ったあの忌々しい夜。

 もしかして妹も……。

 

「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だッ……!」

 

 気がつけば私は部屋を飛び出し、階段を駆け降りていた。

 異様な降りにくさに途中何度も転びそうになりながらも、なんとか一階へ辿り着き居間へと続く扉を叩き壊さんばかりの勢いで開けた。

 お願い、ここにいて……!

 藁にもすがる思いで私は目尻に涙を溜めながら居間に飛び込む。

 

 目の前に飛び込んできた光景に、私は自分の正気を疑った。

 

 テーブルには昨日帰ってこれなかったはずのお父さんが座っていた。今朝の新聞を手に何やらぶつぶつと呟いている。その隣ではハイチェアに座りながらボーッとこちらを見つめる、小さな可愛らしい赤ん坊。ドタバタと居間に入ってきた私を見て不思議そうに首を傾げている。

 そして何より。

 

 台所の奥から漂う香ばしい匂い。

 

 写真の中でしか見れなくなった、私とよく似た顔。

 

 そして記憶の中で幾度となく私に優しく語りかけてくれて──最後は恐怖に染まった声。

 

「あら、ともこ。おはよう」

『助けてッ! お母さんを見捨てないでッ!』

 

 その声の持ち主は私を見つけると、優しく微笑みながら私の名前を呼んでくれた。

 

「お母……さん……?」

 

 忘れられるはずもない。紛れもない、私が大好きだった──私が見捨てた──お母さんが目の前に立っていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

 気がつけば、私はお母さんの腕の中で泣いていた。

 これは夢だ。お母さんがいるはずがない。だからこれは狂った私が見ているタチの悪い夢なんだ。

 でもお母さんの腕の中はあまりにも暖かくて、あまりにも心地よくて──あまりにも記憶通りだった。台所に溢れている朝ごはんの香りも、困ったように私をあやすお母さんの声も、全てが()()()のまま。何より頬を流れる涙の感触が、これは現実だと教えてくれた。

 結局私はしばらく泣き止まず、ようやく落ち着いた頃に「怖い夢を見た」とお母さんに伝えることができた。

 お母さんは私のあまりの剣幕に戸惑いながらも、「それはしょうがないねー」と苦笑しながら許してくれた。

 とりあえず誤魔化すことはできたようで、私は安堵のため息を吐く。まさか「子供の頃死別した母親と再会したせいで感極まって号泣してしまった」なんて言えるはずもない。むしろそんなことを言おうものならすぐに頭のお医者さんに連れていかれてしまう。

 

「ごちそうさまでした」

 

 お父さんとお母さんと私と──赤ん坊のことも。家族四人で食卓を囲んだ朝ご飯を食べ終えると、私はとりあえず自分の部屋に戻った。未だにおぼつかない足取りで階段を登ると、開けっ放しにしていた自分の部屋に入り扉を閉める。

 

「あぁ……お母さんだ……」

 

 そんな私の呟きは誰に聞こえることなく静寂に溶けていく。

 冷静になってみると、この部屋の家具の配置や雰囲気の全てから懐かしさを感じられた。遠い過去に置いてきたはずの、幸せだった時の記憶。

 

「それなら多分……」

 

 自分の中で膨れ上がっている一つの仮説。その確信を得るために、私はタンスからある物を探す。そしてタンスの中からは当然のように、()()()()の物が出てくる。

 私が探していたのは手鏡だ。

 その手鏡で自分の顔を確認すると、私の仮説はついに確信へと変わった。

 

 そこに映っていたのはこともだった。

 

 でも髪の色はこともと比べると少し暗い茶色で、頭にはあの子のトレードマークとも呼べる赤色のリボンが無い。何より、あの痛々しい眼帯が顔の半分を覆っているわけでもなく、クリッとした両目がこちらを見つめている。

 

「あの時の私だ……」

 

 鏡に映ったのはまさしく、お母さんを失った時の私そのままだった。

 お父さんは妹が幼い頃の私にそっくりだとよく言っていたけれど、まさにその通りだ。

 

「確か……6歳の時だったっけ?」

 

 自分の記憶を頼りに、今の状況を整理する。

 要するに私は……タイムスリップしたのかな?

 そんな漫画みたいなことが起こるとは思えないけれど、カレンダーが見せつけてくる日付が否が応でもその現実を突きつける。何よりお父さんもお母さんも家にいて、妹のこともが赤ん坊になっているのが動かぬ証拠だった。

 家族が全員揃っている、まさに私の十五年の人生の中で一番幸せだった時。

 でもその幸せも、この年で山の神に奪われてしまう。

 

『助けて! お母さんを見捨てないでッ!』

 

 倒れ伏した私の目の前で連れていかれるお母さんの姿がそれを裏付けるように脳裏を過ぎる。

 恐怖で歪んだお母さんの顔。それを嘲笑うように囲む無数の手。そしてどうすることもできず逃げる──あの時の私。

 

「そんなこと……絶対にさせないッ……!」

 

 その時私の心の中に浮かんだのは絶望ではなかった。

 怒り。

 思えば、こんなにも昔からあの化け物は私の家族に付き纏っていたのか。それだけでも沸々と殺意が胸の奥から湧き上がる。

 百歩譲って私を連れて行こうとするならまだ受け入れる。今の自分なら喜んで我が身を差し出す覚悟がある。でも、お母さんを連れて行ったその上でこともまで連れて行こうとしたあの神のことを、私は死んでも許せない。

 まだ赤ちゃんだったこともの幸せを奪って左目も潰した、あまりにも強欲な神様。

 何が山の神だ。何が生贄だ。

 こともの幸せを奪うなら、たとえ神様でもお化けでも許さない。

 

「もう私の家族は渡さない! 渡すもんかッ!」

 

 窓から見える大きな山──その頂上に今でもあるはずの神社に向けて、私は叫んだ。

 あの時の私はただの子供で、何も知らずに怯えるだけだった。

 でも、今の私は違う。

 あの山の神の正体も、あいつの手口も全部知ってる。

 だから私は胸に決めた。

 

 私は今度こそ家族を守ると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 暗闇が支配する夜の中。

 少女は人知れず町中を歩いていた。

 手に持った懐中電灯で周囲を確認しながら、頭につけた赤色のリボンを揺らしている。そしてそのリボンと同じように、ウサギを象ったポシェットもまるで本物のウサギのように揺れていた。

 途中でお地蔵様を見つけると、ポシェットの中から白色の犬の形をした財布を取り出し十円玉をお供えする。

 お地蔵様は子供のためにいるんだと学校で習ってからは、こうして少女は毎晩お地蔵様にお供えを置くようにしている。それに毎晩()()をしていると、町に無数に置かれたお地蔵様に護られている気がした。

 

「こんばんは。今夜もよろしくおねがいします」

 

 少女はお地蔵様に向かって一礼すると、再び夜の町を歩き始める。

 途中で何度か()()()に追いかけられることもあったが、特に動揺することなく物陰に隠れたり走って逃げたりしてやり過ごす。

 そして辿り着いたのは、一社の寂れた神社。

 辛うじて鳥居は残っているものの本殿はすでにボロボロに壊されており、まるで廃墟と化している。かつて綺麗に手入れされていた神社の姿を思い返し、少女は一人悲しみに暮れる。

 しかし、今夜は悲しむためにここへ来たわけではない。

 

「あ、こともちゃん!」

 

 自分を呼ぶ声に少女は振り返る。

 先ほど自分もくぐった神社の鳥居の前で、その少女は立っていた。

 淡色の髪に青いリボンを結んだ、自分と同じ年頃の三つ編みの少女。気弱そうな雰囲気を感じるその表情はどこか陰が見え隠れし、何度も夜廻りをしている待ち人と違い未だに夜に恐怖を感じている様子だった。

 何より目を引くのは、大きく袖を余らせた左腕。

 そこにあるべき(もの)が無かった。

 

「ごめんね、急いできたんだけど途中で()()()()()()に見つかっちゃって」

「ううん。わたしも今来たところだから気にしないでいいよ、ハル」

 

 隻眼の少女──ことも。

 隻腕の少女──ハル。

 

 共に山に潜むナニカに人生を狂わされた少女たちだった。

 

 首からぶら下げた懐中電灯を揺らしながら、ハルはこともと一緒にお賽銭箱の前で座り込んだ。

 そのまま二人の少女は他愛もない会話を始める。

 それはお互いの学校のことであったり、飼っている(こともの場合は飼っていた)犬の話であったり、夜廻り中に遭遇したものだったり。笑える話から怖い話まで、とにかく色々なお話に二人で興じた。

 別になんてことはない、友達二人による楽しげな会話。

 もう今日で最後になるであろう二人の遊びを止める者なんていない。そんな二人の姿を、一匹の小さなムカデが見守るように本殿の屋根から見下ろしている。

 

「そういえばハル。実は連れて行きたい場所があるの」

「え、どこ?」

 

 しばらく話していた時、こともが唐突にそう切り出した。

 

「とりあえず着いてきて欲しいな。ここからちょっと遠いけど」

「ううん、大丈夫。わたしはこともちゃんみたいに慣れてないけど、頑張って着いていくからね」

 

 フンスと気合を入れるハルにこともは笑みをこぼすと、二人は並んで鳥居を潜り境内を後にした。途中、神社へと振り返って一礼することも忘れずに。

 商店街を抜け、住宅街を進み、公園や空き地の前を通る。

 やがて二人は長い一本道へと辿り着いていた。

 山肌に沿って作られた道路を二人でひたすら進む。夜の化け物が跋扈することを抜きにしても、ハルはこの道を進むにつれて緊張感が増していくのを肌で感じていた。

 ()()()()()()

 この道路の先に、この禍々しい空気を流すナニカが待っている。

 そんなハルの目の前に飛び込んできたのは、一つの大きなトンネルだった。使われた痕跡もなく所々土が露出しており、中は暗闇で何も見えない。

 懐中電灯の光どころかこの夜の闇すら飲み込まれそうな、完全な漆黒。

 それが今ハルの目の前に姿を現している。

 一筋の冷や汗がハルの頬を滴る。

 

「こ、こともちゃん……ここは……?」

「トンネルだよ」

「いや、見れば分かるけど……」

 

 人知れず戦慄しているハルを他所にこともは何も気にする様子もなく道端に落ちていた石ころを拾うと、それをトンネルの中へと投げ入れた。

 コツンコツンと石が弾む音が響くも、何も起こる気配はない。

 

「ちょっと前に土砂崩れがあって、もう中は通れないようになってるの。まぁ、その前からここはもう誰も使ってなかったけどね。あ、お姉ちゃんにはここに来たこと内緒だよ? わたしがお姉ちゃんに怒られちゃうから」

 

 一体この少女はこんなところに自分を連れてきて、何が言いたいのだろうか。

 

「こともちゃん……?」

 

 塞がれたトンネルを前に、ハルは友人の言葉を待つ。

 

「……このトンネルの奥にある神社に、わたしのお姉ちゃんは連れて行かれたの。山の神様の生贄になるために」

 

 その言葉で、ハルは理解した。

 ハルにとってのユイのお墓のように、この場所はこともにとっても大切なところなのだと。

 

「多分、わたしはこの場所を一生忘れないと思う。ポロがここで死んじゃったこともお姉ちゃんが連れていかれちゃったことも、全部。楽しい思い出じゃないけど、わたしを強くしてくれた夜のことをわたしは忘れることができないと思う」

 

 今までずっとトンネルの入り口を見つめていたこともが、くるりと身を翻してハルの方へと向く。

 ハルは思わず息を呑んだ。

 

「だから、ハルも大丈夫。ハルに何があったかは聞かないけど、きっとハルもわたしみたいに()()を忘れたりはしないと思う」

 

 山から吹く風が少女たちの髪を靡かせる。

 同い年であるはずなのに、こともの姿はどこまでも大人びていた。

 そして、こともは微笑んだ。まるで自分の心情を見透かすような笑みに、ハルは思わずたじろぐ。

 

「わ、わたし……怖かったの」

 

 ポツリと、気がつけばハルも話し始めた。

 自分にはユイというかけがえのない親友がいたこと。その親友がこことは別の山の神の手によって命を落としたこと。しかしそのユイの魂が山の神に囚われてしまい、それを救うためにハルは自らの左腕を犠牲にしたこと。

 これまで互いの素性を話さないまま過ごしていた二人の少女はこうして、自分たちの物語を語った。

 

「──明日引っ越しするって言われた時、わたしは怖くなったの……もしこの町を離れたらユイとの思い出を忘れちゃうんじゃないかって……ユイの生きた証が、もう消えて無くなっちゃうんじゃないかって……」

 

 大好きだった──否、今でも大好きな親友との縁を断ち切ったハルにとって、彼女との思い出こそが唯一残された繋がりだった。

 その場所を離れたらユイの思い出とも別れを告げないといけなくなる、その恐怖がハルを支配していた。

 震えるハルの体をこともは優しく抱きしめた。

 かつて自分の姉がしてくれたように。

 

「大丈夫。そのユイって子がハルにとってそれだけ大切なら、ハルは絶対その子のことを忘れないと思う。それに忘れそうになったらわたしがお手紙送るよ! ハルが忘れないようにハルの町でいっぱい写真撮って、毎日送るから!」

「あはは……毎日はちょっといいかな」

 

 こともの言葉にハルは苦笑を浮かべる。

 だが、彼女のおかげでハルは決心が着いた。

 

──わたしもこともちゃんみたいに、一生この夏のことは忘れない。

 

 ユイという少女と過ごした今までの人生がこれから続く人生と比べて花火のように一瞬でも、あの日見た花火大会のように一生彼女の記憶の中で一番色鮮やかに残るだろうと、ハルは確信した。

 

「──ただ、ね」

 

 しかし、反対にこともの表情は急に曇ってしまった。

 唐突な表情の変化にハルも首を傾げる。

 

「一生忘れなくても、たまには違うことも考えないといけないよ?」

「え?」

 

 一体どういうことだろうか。

 意味深に告げることもを問いただそうとハルが口を開く前に、こともは続け様に告げた。

 そしてその言葉を聞いたハルは、思わず「ひっ」と悲鳴を漏らしそうになる。なぜなら──

 

 

「じゃないと、わたしのお姉ちゃんみたいになっちゃうよ」

 

 

──今まで見たことないほど冷たい表情でこともはそう告げた。

 




こともが目でハルが腕なら、もし夜廻シリーズ3作目が出たら次の幼女は足でも奪われるんですかね……

ちなみにお姉ちゃんの名前が「ともこ」なのは一応公式設定です。
実はこの小説を書く時に初めて知っただなんて言えない。


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はじめてのよる 〜 おばけ

ちなみに現在のお姉ちゃんの見た目ですが、服装含めてまんま原作のこともをリボン無しで髪の色を変えただけの感じをイメージしてます。

姉妹だからお下がりとかもあげてるよねという勝手なイメージ。


 今の自分の状況を理解した時から、私がやるべきことはたった一つ。

 今度こそ家族を守ること。

 だからそのためならなんだってするつもりだし自分がどうなろうと関係ない。今度こそ誰も犠牲にさせない、ただその一心で。

 なのに。

 

「ほーらこともー! お姉ちゃんだよー!」

 

 赤ちゃんのこともを前にして私は今後の予定どころか作戦の一つも立てることが出来ずにいた。

 腕を広げて待つ私の元へ、よろよろと覚束ないながらも満面の笑みで歩み寄る妹があまりにも愛らしい。

 そして私の元へたどり着くと、その体をぎゅーっと抱きしめてあげる。モチっとした頬は触ればプニプニとした弾力があって、まるでお菓子みたいだ。

 あの大人びた妹の無邪気な笑顔なんてもう見れないと思ってたのに。たとえこれが物心つく前でも素直に嬉しい。

 

「ともこもすっかりお姉ちゃんねー。一人で寝るって言い出した時はすぐ音をあげると思ったのに」

 

 お母さんも感慨深そうに私たちの様子を見守っている。

 確かこともが生まれてしばらくした時だっただろうか、私が一人部屋になったのは。カッコいいお姉ちゃんになるために背伸びしてただけなのに、結局毎晩お化けが出るかもって怯えながら布団に包まっていた記憶がある。まぁ、そのすぐ後に本物のお化けたちに追い回されることになるなんて私自身も夢にも思ってなかったけれど。

 

「せっかくの夏休みなんだから、ともこも遠慮せず友達と遊んできていいのよ?」

「大丈夫。それにこともと遊んでるのも楽しいし」

「まったくもう……こともも最近ともこにベッタリだし、仲良し姉妹だって喜ぶべきかな……?」

 

 少し心配そうに言うお母さんに、私はなんとも無いと見せるように六歳の体で精一杯こともを抱っこする。

 そう、今は夏休み真っ只中の八月だ。

 そしてお母さんがいなくなったのも、八月。

 つまり山の神は今月中に絶対なんらかの形で仕掛けてくる。実際に攫われたあの日は、晩御飯の買い物に出かけた帰り道に山の神の手先が現れた。つまり、対象に生贄に選ばれたことを示すためにそれ以前にお母さんに()()()をしてる。

 子供だった私はまったく気づかなかったけど、今なら分かるはずだ。

 だから私はこともと遊びながらも、普段は注意深くお母さんの様子を見ている。

 

「ふふふ、こともも上手に歩けるようになったわねー。また大きくなったら一緒に公園で遊びましょうねー」

 

 しかし今日一日お母さんを観察しても、特に変わった様子を見せる気配は無かった。今も優しい笑みを浮かべながらこともの頬を突いている。

 もしかしてまだ山の神に狙われていないのかな?

 でも私が選ばれた時は、攫われたあの夜の何日も前から左目に激痛が走っていた。それこそ真夜中に叩き起こされるレベルの。

 なのにお母さんはいつも変わらないお母さん。

 

「どういうことなの……?」

 

 私の記憶違い?

 いや、そんなはずがない。私たち家族がめちゃくちゃにされたあの夜を私が間違えるはずがない。

 きっと何か見逃しているはずだ。そう自分に言い聞かせて、私はお母さんから意識を外さない。

 

「……ん? どうかしたの、ともこ?」

「お母さん、どこか具合悪いところない?」

 

 じっと見つめる私を見て、お母さんはキョトンと首を傾げた。

 そんなお母さんに私は単刀直入に聞いてみた。できれば目が痛いなんて言ってくれれば助かるけど、やはりと言うべきかお母さんは首を振る。

 

「なんともないよ。お母さん、すっごく元気!」

 

 グッと両腕を掲げるお母さんに、私はさらに畳み掛けるように聞く。

 

「ほんとに本当? どこか痛いところないの?」

「ほんとに本当だってば。どうしたの急に?」

「……ううん。なんでもない」

 

 ここまで聞いてもそう言うなら、本当に何も無いみたいだ。

 それなら山の神に狙われてない事になって私は喜ぶべきなのに、なぜか釈然としない。

 モヤモヤした感情が私の中で渦巻く。

 もしかしてこのお母さんはいなくならないんじゃ、と思ってしまうほど。

 

「ふぁぁ……おーい、もうそろそろ寝る時間だぞ」

 

 隣でテレビを見ていたお父さんが電源を切ると、それを合図に私たちも切り上げてぞろぞろと二階へと上がる。

 私も階段を登り、自分の部屋の扉を開ける。

 

「おやすみ、ともこ」

「おやすみ、お母さん、お父さん」

 

 おやすみなんて言ってくれる人、もうこともしかいないと思ってた。

 そのたった一言だけで嬉しくなってしまう自分の単純さに呆れながらも、私は自室に入ってドアを閉める。

 そのままベッドに入る──ことはなく、そのまま机の前に座ってランプを灯す。

 取り出すのは日記帳と鉛筆。しかし、素直に日記を書くというわけでは無い。

 

一日目

お母さんに変わった様子は無し

山の神にまだ狙われてない?

引き続き要注意

 

 書くのは今日の記録。

 少しの変化も見逃さないために、私は毎日の記録帳を書くことにした。

 しかしそこまで書いて、私は頭を抱えた。

 結局今日はお母さんのおかしなところは何も見つけられなかった。

 記憶と同じ優しいお母さんに私は喜ぶべきなのに、その記憶自体が本当に合っているとのかすら心配になってくる。

 それでも、まだ何かできることがあるはずだ。

 

「備えあれば憂いなし、だもんね」

 

 まだ時間はある。

 日記を畳むと、私は見覚えのあるウサギのポシェットを手に取った。

 

 

⭐︎

 

 

「この町の夜は変わらないなぁ」

 

 懐中電灯を片手に走りながら、私は感慨深く呟いた。

 背後には私の後を追うように()()()が迫ってくる。大きくなった私にとっては早歩きで回避できたようなお化けなのに、小さな私では走らないと追いつかれそうだ。

 一歩踏み出す度にスカートのポケットに入れた小石がカチカチと響く。夜になると無人のゴーストタウンになるこの町では、そんな音すらもお化けに聞かれそうな気がした。

 

「あはは、お化けだけにゴーストタウンってことかな……」

 

 私の軽口にも背後の影は特に反応も示さず、変わらない呻き声を上げながら追ってくるだけだった。

 腕が無く、黒いシミのような体の上から白い絵の具で描いたような顔。その歪んだ両目からは例えようも無い『怒り』が私に向けられている。

 このお化けは、私が大きい時も小さい時もこうして『怒り』を向けてくる。その姿が、まるで今の私みたいに見えた。

 山の神に『怒り』を向ける私と、生きた人に『怒り』を向ける影。

 妹に言われた「お化けみたいだよ」という言葉も、あながち間違いでも無さそうだ。

 でも残念ながら私はその怒りに応えてあげる事ができない。

 

ガシャン

 

 近くにあった立て看板の後ろに飛び込むと、私は息を殺す。

 さっきまで聞こえていたポケットの中の小石のジャラジャラという音も、必死に逃げる私の足音も聞こえない、完璧な静寂。なのに心臓だけは鼓動が次第に早くなってきて、それがお化けに聞こえそうで余計に怖くなる。

 しばらく隠れていると、先程まで感じていた私を探す禍々しい気配が消える。

 ゆっくりと看板の後ろから出てみると、あの影は姿を消していた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 肩で息をしながら、私は未だに高鳴り続ける心臓をどうにか落ち着ける。

 やっぱりこの六歳の体は思った以上に体力が無さそうだ。お化け一人から逃げるだけでこんなに疲れるなんて。

 でも、逃げながらも私はちゃんと目的地に向かって走っていた。

 私の目の前に飛び込んできたのは、一本の踏切。

 線路は錆びつき信号も割れている、私が生まれるずっと前から使われなくなった線路だ。

 ここを渡れば目的地まであと少しだ。

 

「よいしょ……」

 

 線路の窪みに足を取られないように注意しながら、ゆっくりと通り抜ける。そしてちょうど線路の中心まで来た時に──私は自分の耳を疑った。

 

カンカンカンカンカン

 

「え?」

 

 唐突に甲高い警告音と共に、遮断機のバーが道を塞ぐように降りる。

 壊れているはずの信号もなぜか交互に赤色に点滅していて、薄暗い夜の町を僅かに照らす。

 突然の出来事に私は思わず足を止めてしまった。

 

「な、なんで……」

 

 この線路はもう使われていないはずなのに。

 そもそもこんな時間に電車が走るわけがない。

 しかし遮断機が降りたということは、つまり──

 

「ひっ……!」

 

 電車が来る。

 視線を線路の先に向けると、私は思わず悲鳴を漏らした。

 線路のずっと奥から電車が走ってきている。電気は全て消され、車体が真っ暗なのになぜかその細部まで細かく見えてしまう。

 茶色く錆びついた正面には所々赤黒いシミがベッタリと付けられていて、なのに運転席には誰もいない。

 無人で動く幽霊列車が真っ直ぐこちらに向かっていた。

 早く逃げないと……!

 

「きゃっ!?」

 

 でも慌てて走り出そうとした瞬間、私の足に何かが引っかかり思わず転んでしまう。

 ちゃんと気をつけてたのに、どうして。

 

「ッ!?」

 

 視線を足元に向けると、私は思わず声にもならない悲鳴を上げる。

 

──腕だ。

 

 何者かの青い白い腕が、私の足首を掴んでいる。

 その腕の主に向けて懐中電灯を照らした瞬間、私は自分の軽率な行動を後悔した。

 

──た゛す゛け゛て゛

 

 女の人だった。

 頭からおびただしい量の血を流し、血走った目は剥き出しになってこちらを睨みつけている。青白い肌とは対照的な赤黒い血に染まった顔。

 そして何より、この人には下半身が無かった。

 まるでそこだけ消しゴムで消してしまったみたいに、女の人は半分だけ消えていた。

 そんなおぞましいお化けが、私の足を掴んでいる。

 

「い、いや! 離して!」

 

 このままでは電車に轢かれる。

 必死になって腕を振り解こうとするも、恐怖で体が上手く動かない。何より私の足を掴む女の人の力が強くて、いくら暴れても離れそうになかった。

 そしてその間にも電車は確実にこちらに近づいてきている。

 

──い゛た゛い゛ と゛う゛し゛て゛

 

「お願い……! 許して……!」

 

 カンカンカンという信号の音が、まるでカウントダウンのように聞こえた。

 嫌だ。死にたくない。

 しかし恐怖で震える私を嘲笑うように、お化けは徐々に私の足から腰へと、ゆっくりと這い寄ってくる。

 その二本の腕は私の両肩を掴むと、そのまま地面に押し倒される。

 これでもう逃げられない。

 

──つ゛か゛ま゛え゛た゛

 

 女が笑う。

 三日月のように釣り上げられた口には、赤黒く染まった歯が見えた。

 そしてすぐ真横では、鉄と鉄が擦れ合う耳障りな音が鳴り響く。

 

「あぁ……」

 

 目の前に鉄の塊が飛び込んでくる。

 恐怖のあまり、私は目を瞑った。

 ……。

 ……。

 ……あれ?

 いくら待っても衝撃が来ない。

 恐る恐る目を開けると、キラキラと輝く星が夜空を彩っていて安心感を与えてくれる。

 あの恐ろしい女のお化けもボロボロの電車もいない。

 慌てて懐中電灯で辺りを照らすも、そこには壊れた信号と開かれた遮断機があるだけで、静寂が支配していた。

 さっきの光景は幻だったのだろうか。

 でも、アレは幻にしてはあまりにも──。

 

「ひっ……!」

 

 でも懐中電灯の光を自分の足に向けた時、アレは幻なんかじゃないと嫌でも思い知らされた。

 赤黒い手形がくっきりと足首に付けられている。

 脳裏にあの女の人の恐ろしい形相が浮かぶ。

 結局あの女もあの幽霊電車も、この町にいるお化けの中の一人だったのかな。

 

「でもあの女の人、私を捕まえた時凄く嬉しくしそうにしてたなぁ……」

 

 まるで新しい友達ができたみたいな、無邪気な笑顔。

 あの笑顔を思い出すと、怖さよりも先に悲しさを感じる。

 

「あの女の人も寂しかったのかな……」

 

 誰が言ったか、自殺した人の幽霊は一生死んだ時の行動を繰り返すらしい。

 あの女の人はこの踏み切りで死んだのかもしれない。

 そして毎晩あんな風に電車に轢かれる。

 きっとそれはたまらなく痛くて、寂しい想いに違いない。

 

「ごめんなさい。でも私にはどうしてもやらなきゃいけないことがあるの」

 

 名前も知らない女の人に謝ると、私は懐中電灯を拾いよろよろと歩き始めた。

 

 もう恐怖心は消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 

「うっ、ぐっ……うぅ……」

 

 少女が夜の町へ繰り出している裏で、その人物は独り静かに痛みに悶えていた。

 大量の脂汗を顔に浮かべ、しかしそれでも最愛の我が子を起こさぬよう声を押し殺しながら、その人物は必死に耐えていた。歯を食いしばり、口の中に血が滲むのもお構いなく悲鳴を飲み込む。

 しばらくして痛みが引くと、彼女はぐったりと壁を背に座り込んだ。

 

「ハァ……ハァ……我慢してたつもりなのに……ともこにはバレちゃったかな……」

 

 その人物──件のともこの母親は、()()()()()()()()深いため息を吐いた。

 我が子の前では弱いところは見せたく無い。

 その一心で日中は痛みに耐えれるが、夜が深くなるにつれ痛みが増す左目に流石に堪えていた。どうにも寝る前に娘に問いただされた事が気になる。察しの良い長女にはもしかしたら気付かれたかもしれない。

 

「どれぐらい続くのやら……一度病院に行った方がいいのかな……」

 

 だが病院に行ったところで出される診断はおそらく、「原因不明」の四文字。病院に行って娘を心配させるぐらいならと、彼女はひたすら耐える選択をした。

 そもそもこの原因不明の痛みに、彼女は心当たりがあった。

 

大丈夫。こっちにおいで。そうすれば、その痛みからも解放される

 

 彼女の頭の中に響く、禍々しくも甘美な、矛盾した声。

 それが優しく彼女を呼びかけていた。

 この左目の痛みが始まった時から聞こえるようになった、頭の中の声。痛みが始まると決まってこの声が語りかけてくるため、彼女はこの声が元凶だと勝手に予測を付けていた。

 つまりこの声の主が諦めるまで、自分の痛みは続くのだと。

 声を無視する母親にお構いなしに、声は語り続ける。

 

家族みんなでこっちに来たらいい。そうすれば何も心配はいらない。君と夫は二人で仲良く暮らせて、娘二人を愛することができる。もう夜のお化けに怖がったりする必要はないんだ。だからさぁ、こっちにおいで。大丈夫だから

 

 あまりにも魅力的な提案。

 子を持った親ならば必ず願う、我が子の幸せ。それを与えようという声の主の提案は、気を抜けばそのまま身を委ねそうなほどに彼女の精神を侵す。

 しかし彼女は首を振った。

 その提案を受け入れれば我が子の未来を奪うことになる、と。

 

「……うるさい。こともが起きちゃうでしょ」

 

 自分の頭の中だけの声と分かっていながらも、気丈にそう告げる。

 彼女の言葉に声の主が従ったかどうかは定かではないが、それでも不思議と声はもう聞こえなくなった。

 少なくとも、今夜は。

 

「ことも……ともこ……」

 

 愛おしそうに布団で眠る赤ん坊を撫でると、涙を呑む。

 二人の愛娘の事を思えば、耐えられる。それが母親だ。

 聞こえなくなった頭の声の主にそう宣言し、彼女は再び布団を被った。

 

 

 その光景を見つめる、白い仮面を被った異形に気づく事もなく。

 

 




幽霊「ぐへへ、新鮮な幼女が来たからビビらせるか」
なんて思ってたりはしません。

小説版で母親の声を使ってこともを誘惑したり、甘い誘い文句で男の精神を乗っ取ったりと夜廻のラスボスは深夜廻のラスボスとは違う意味で恐ろしいですね。漢字を使って話しているのもどこか理性を感じられて、それが余計に巧妙に感じます。


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しんや 〜 おかあさん

投稿する時間帯はいつも試行錯誤してますが、原作的にも夜の方がいいなとは思っています。


──まただ。また始まった。

 

 激痛が走る左目を抑えながら、再び彼女は叩き起こされた。

 最近は一度治れば少なくとも数時間は解放されるというのに、枕元に置いた時計を見ればまだ深夜を回ったばかり。最初の痛みから一時間程度しか経っていない。

 終わらぬ苦痛に辟易しながらも、彼女は未だに沈黙を守っている頭の中の声を小馬鹿にするように呟いた。

 

「今夜はしつこいね……いくら言っても無駄なのに……」

 

 しかし彼女の軽口とは裏腹に左目の痛みは増すばかり。

 まるで眼球の内側から()()()()が自分の目を握り潰そうとしているような、常人なら叫び声を上げるほどの激痛。

 それでも彼女は布団で眠る娘の顔を見ればその痛みも不思議と耐えれる気がした。

 

「ぐっ……ハァ……ともこ……」

 

 気になるのは別室で一人で寝ているはずのもう一人の娘。

 自分が初めてお腹を痛めて産んだ我が子であるともこには彼女自身も特別な思い入れがある。

 妹想いの優しい長女。たまに妹に過保護すぎる所もあるが、むしろそれほど妹を大切にしてくれているんだと誇らしかった。

 そんな娘が母親にとっての一番の心の支えだった。

 絶え間ない苦痛で精神が擦り減らされていた彼女は、もう一人の愛娘の寝顔を一目見ようとフラフラと立ち上がる。

 やっとの思いで寝室から出ると、壁に手をつきながらもなんとかともこの部屋の前までたどり着く。

 一目でいい。

 愛娘の幸せな表情さえ見れればどんな苦痛さえ耐えてみせる。

 中で寝ているであろう少女を起こさないように、ゆっくりと扉を開けた。

 

「なっ……」

 

 彼女は痛みも忘れて目を見開かせた。

 いない。

 ここに寝ているはずの少女がいない。

 

「どうして……一体どこに……」

お前の娘はもうこっちに来てくれたよ

 

 そんな彼女の疑問に答える、あの忌々しい甘美な声。

 

「お前……! 私の娘をどこに──」

自分が一番よく分かってるんじゃないのか?

「どういう──」

お前が拒むから、代わりに娘の方に来て貰った

 

 まるで責めるような口調でそう告げる声に、彼女は言葉を失った。

 

お前が大人しく来てくれたら、娘は助かったかもしれないのに

 

なのにお前は自分の命が惜しくなって娘を犠牲にした最低な母親だ

 

 自分を糾弾する声を、娘を失った母親は呆然と聞くしかなかった。

 非難する声は次第に穏やかな口調へと変化していく。

 

でも大丈夫。今からでも遅くない

 

今からでもこっちに来てくれたら家族全員で幸せになれる。娘とも再会できる

 

だからおいで

 

こっちへおいで

 

おいで

 

 あまりにも蠱惑的で、しかしあまりにも心地良いその声に。

 

「……はい」

 

 一人の哀れな母親は頷いてしまった。最愛の長女は頭の声とは裏腹に夜の町へと繰り出しているということなど知る由もなく。

 

 その瞳には既に理性の痕跡は残っていなかった。

 

 

⭐︎

 

「えっほっえっほっ」

 

 まだ闇が深い夜の町を家に向かって走る。

 もう今夜の目的は達成した。後はお父さんとお母さんにバレないように家に帰ればいいだけだ。

 相変わらず不気味なほど静かな夜の町では、私の決して大きくない足音でも町全体響いているように聞こえた。普段は外で掃除している駄菓子屋のおばさんも、お店の前でタバコを吸いながらこちらを眺める八百屋のおじさんも、みんな自分たちの家に帰っている。まるで今この世界にいるのが私一人みたいで、少し寂しい。

 でも、夜はもうお化けたちの時間。私たち人間がそこに行ってはいけないのだからしょうがない。

 

「こともはこれを毎晩やってたの……?」

 

 正直に言うと、もうくたくただった。

 お化けから沢山逃げて、あの電車と女の人に怖い思いをさせられて、それでもなんとか目的地までたどり着いて、そのまま自分の足で家まで帰るなんて。

 私がただ体力が無いだけなのか、こともが凄いだけなのか。

 でもお姉ちゃんが妹に負ける訳にはいかない。

 

「まぁ、今の私の方が小さいけど」

 

 背中に重く伸し掛かるポシェットを見ながら、思わず苦笑する。

 これじゃあまるで本物のうさぎを私がおんぶしてるみたいだ。

 

「それにしてもなんだかおかしいような……」

 

 今までずっと頭の中で引っかかっていた事をあえて口に出してみる。

 目の前の町に、なんとなくだが違和感を覚えている。

 まるで魚の骨が喉の奥に引っかかった時のような、少し嫌な違和感。

 でも目の前の夜の町はいつもと変わらず不気味で、静かで、私一人しかいない。

 いや、待って──()()()

 

「お化けがいない……」

 

 あの恐怖の踏み切りを何事もなく走り抜けたところで、私はその違和感の正体に気づいた。

 お化けが一人もいない。

 ついさっきまでそこら中にいた黒い影も、道の隅っこを歩き回ってた目が見えないお化けも、行手を阻むように立ち塞がっていた大きな蜘蛛のお化けも──みんないなくなっている。

 私がいくら来ないでって言っても聞かなかったお化けたちが急に消えてしまう事なんて、以前の記憶を含めてもなかった。それに、時間は分からないけどまだまだ夜は続くはず。喜ぶべきなのに、それ以上に不気味さを感じてしまう。

 いても不気味でいなくなっても不気味。どうやら私も一夜にしてこの町に毒されてしまったらしい。

 

「でも、それなら早く帰れる!」

 

 お化けがいないなら隠れたりしなくてもいい。

 万が一のために懐中電灯だけはまだ周囲を警戒させながら、私は広い一本道を走る。

 ここを抜ければもうお家はすぐそこだ。

 やっと帰れる。そんな想いが、私を油断させてしまった。

 

ズ ズズ

 

 何か布を引きずるような音が聞こえる。

 思わず足を止めて後ろを確認するも、そこには何もいない。

 

ズズズ ズ

 

 違う。この音は後ろからじゃない。

 

「ッ……!」

 

 咄嗟に懐中電灯を前に向けると、目の前に()()はいた。

 ミミズみたいな黒色の体に、そこから何本も生えた腕のような触手。それらは背に三つの袋を背負い、顔に当たる部分には顔の代わりに横に黒い線が入れられた無機質な白い仮面。

 

「よまわりさん……」

 

 夜出歩く子を攫う。

 

 夜寝ない悪い子をその袋の中に入れて攫ってしまう。

 

 この町のお化けたちも恐れる夜のおまわりさんが私の目の前に立っていた。

 

 一気に身体が硬直する。

 かつて私は二度もよまわりさんに攫われた事がある。

 一度目はお母さんが拐われた時。あの時は訳も分からず恐怖で泣き叫んで、結局運良くよまわりさんから逃げ出すことができた。

 二度目はこともが左目を失ったあの夜に。妹を怪異から遠ざけるためにあえて私はよまわりさんに捕まった。結果的にむしろ妹を怪異と引き合わせることになってしまったけれど。

 そしてどちらの時も、私はあの背後にある大きな袋の中に詰め込まれてよまわりさんの縄張りである廃工場に連れていかれた。

 今は連れていかれるわけにはいかない。

 私にはまだやらないといけないことが残ってる。

 

「よまわりさん、こんな時間にお外に出かけてごめんなさい。でも、私はもうお家に帰ろうとしてたの。だから許してください」

 

 素直にそう告げるも、よまわりさんは答えない。まるで私を覗き込むようにその体をくねらせて私をじっと見つめている。

 他のお化けと違ってよまわりさんのあの白い仮面からは何も感情が読み取れない。怒ってるのか、喜んでるのか、寂しいのか、まったく分からない。

 でも今回はなんだか、私を攫おうとしていない気がした。

 いつもなら有無を言わせずあの袋に詰め込もうとするのに今回はこちらを見つめるだけでそんな気配はしない。

 まるで、何かを伝えようとしてるような──。

 

「え?」

 

 しかし、よまわりさんは何も言わず、そのままゆっくりと私の前から消えてしまった。

 

「なんでよまわりさんが……」

 

 分からない。

 でも、分からないからこそよまわりさんはその存在を保っている。

 だからよまわりさんのことを考えるのはなんだか無駄な気がした。

 

「早く帰らないと」

 

 何か胸騒ぎがする。

 まるで、早く帰らないととんでもない事が起こるような。

 そんな気持ちが、走る私の足取りを自然と速めた。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

 結局あの後もお化けは出てこないまま、私は家の玄関までたどり着いた。

 空は未だに真っ暗で、お日様が出るまでまだまだ時間がかかりそうだ。まだ寝ているであろうお父さんとお母さんを起こさないようにゆっくりとドアを開ける。

 

「わっ……」

 

 キキィという音と共に開くドアに思わず声を上げる。

 恐る恐る階段の方を見るも、誰かが起きてくる気配はない。どうやら二階にいる両親には聞こえてないみたいだ。

 こういう時はどんなに小さな音でも驚いちゃうなぁ……。

 

「あ、そっか。これももういらないか」

 

 家に入る前にスカートのポケットに入れっぱなしだった石ころも捨てる。あんなものを持って帰ったらお母さんに怒られちゃうもんね。

 ついでに懐中電灯も玄関の定位置に戻しておく。これで私が出かけたことは誰にもバレないはず。

 

「ただいまぁ……」

 

 誰も答えないと分かっていながらも、なんとなく言ってみる。

 お母さんにいつも挨拶は大切だって言われてるからこういう挨拶はきちんとしておきたい。

 でも私の予想とは裏腹に──。

 

「おかえりなさい、ともこ」

「ひゃっ!?」

 

 誰かがいた。

 靴を脱いで階段を上がろうとしたところで、私は固まってしまう。

 錆びたロボットみたいにゆっくり視線を居間の方へ向けると、人影が見えた。

 居間の電気は消えてて誰か分からないけれど、この声は──

 

「お母さん……?」

 

 寝ているはずのお母さんだ。

 一体こんな時間にどうして……もしかして出かけた事がバレた? でもそれならもっと鬼のように怒っているはずだ。それこそ、町のお化けがいつも見てるアニメのキャラクターに見えるぐらい。

 

「こっちへおいで」

 

 なのにこのお母さんは凄く落ち着いてるというか……リラックスしてるみたいだった。

 恐る恐る階段を降りて、居間の方へと向かう。

 ちょうど台所の入り口辺りにお母さんは立っていた。

 寝巻き姿のままボーッと部屋の片隅を見つめていて、言うなら放心状態のように。もしかして寝ぼけてるのかな……。

 

「どうしたの、お母さん?」

「ともこ、もっとこっちにおいで」

 

 いや、明らかに様子がおかしい。

 それに私はこんな状態の人を見たことがある。

 それはこともを逃すためによまわりさんに捕まった時に工場で見た……あの殺人犯の男。

 

「お母さんッ!」

 

 私はすぐさまポシェットの中から()()を取り出した。

 まさかお母さんを守るために貰った物をすぐに使うことになるなんて。

 

「うわっ、そんな物持ってこないでよ。小さいくせに持ち主を護る目障りなお守りがさぁ。もしかしてあの夜の王様気取りに何か教えられたか?」

 

 お母さん──いや、()()()は私が取り出した赤色のお守りを見て、心底めんどくさそうに呟いた。

 そう、私が今日夜廻したのはあのムカデの神様からこのお守りを貰うためだった。

 あの神社ならきっとお母さんを助けてくれる。そう信じて、私はお守りを掲げながら山の神を睨みつける。

 

「その目障りなお守りをこっちによこせ。母親の言うことが聞けないの?」

「違う! あなたは私のお母さんなんかじゃない! 早くお母さんから離れて!」

 

 山の神は私を嘲笑うかのように肩を竦めて首を振る。

 良いようにお母さんの体を使われて、私の中で沸々と怒りが込み上げてくる。

 

「離れる? どういうこと? お母さんは全然普通よ? あぁ、普通よ……コレが普通……うふふ。さぁ、ともこ。そのお守りをこっちにちょうだい。大好きなお母さんとお出かけしましょ?」

「ふざけないで! お母さんはそんなこと言わない!」

「あーもう鬱陶しいなぁ。やっぱりそのお守りか? そのお守りが護ってくれてるのか? まぁいいや、とりあえずそのお守りを渡して。頭の中の声が言ってるの。娘と一緒に来なさいって。そしたらみんなが幸せになれるって。私はあなたに幸せになって欲しいの、ともこ」

 

 喋ってるのはお母さんなのに、中身はお母さんじゃない。

 あの時の男のように、おそらく頭の中の声がお母さんの精神を掻き乱している。

 つまり、お母さんはもうすでに山の神から狙われていたはず。

 でもそんな素振りなんて見せなかったのになんで……私が見逃した……?

 

「せっかくお母さんを助けるって決めたのに……結局私はお母さんを……」

「ん? なにボソボソ言ってるの? いいからお守りをちょうだい」

 

 言うが否や、山の神はこちらに向かって手を伸ばした。

 咄嗟に後ろに下がってその手から逃げるも、ジリジリと距離を詰められる。

 

「あなたとこうして鬼ごっこで遊ぶのも久しぶりね。一緒に来てくれたらこれからもいっぱい遊べるわよ?」

 

 とにかく、今のお母さんの言うことは聞いちゃいけない。

 踵を返して私は一目散に階段を駆け上がった。

 外はダメだ。お母さんがこんな状態になってるということは、外にはあの山の神の手先である小さな手が待っているはずだ。

 あの手も町のお化けと同じように光に弱い。つまり朝まで待てれば、一旦はお母さんも元通りになってくれるかもしれない。

 

「予想でしかないけどねッ……!」

 

 お父さんやこともの部屋もダメだ。大人のお父さんならまだしも、赤ちゃんであることもに何かあってはいけない。

 だから私は迷わず自分の部屋に飛び込んだ。

 背後からはお母さんが私を呼ぶ声とゆっくりと階段を登ってくる音が響いている。

 でも、隠れるとは言ってもどこに……。

 

「ともこー、怒ってないでお母さんとお話ししましょう?」

 

 声が近い。もう時間はない。

 私が咄嗟に背中のポシェットを投げ捨ててベッドの下に潜り込むのと、お母さんが部屋の扉を開けるのはほぼ同時だった。

 息を殺して足元だけ見えているお母さんの様子を伺う。

 

「あら、どこに行ったのかしら……」

 

 体が震えている。

 捕まってしまったらきっと、私はあの山に連れて行かれてしまう。トンネルの奥にあるあの神社でお母さんと一緒にあの化け物に……考えるだけで背筋が凍る。

 姿も声もお母さんなのに、その中にはおぞましい神様が巣食っている。今もゆっくりとドアを閉める姿なんて理性を感じさせるぐらいなのに、実際は精神を蝕まれている。

 私がちゃんと気づいていればこんなことにはならなかったのに。

 

ガチャ

 

 そんな想いも虚しく、お母さんが部屋の鍵を閉める音だけが鳴り響く。

 

「かくれんぼもよく遊んだわねー。ともこ、隠れるのが上手だったからお母さんいつも困ってたわー」

 

 違う。

 その思い出はお前のものじゃない。

 勝手に私たちの思い出を穢すな。

 悔しさに視界が涙で滲む。それでも、私はひたすら自分の口を押さえて声を出さないようにする。なのに心臓の鼓動だけはどんどん速くなっていて、お母さんに聞こえそうな気がした。

 

「うーん、本当に困ったわねー」

 

 お母さんの足元は行ったり来たりと部屋をうろうろしている。引き出しを開けたり押し入れの中を見てみたり、明らかに私を探している様子だった。

 大丈夫、ここなら背が高いお母さんの死角になってる。だから見つからない。そう自分に言い聞かせないと頭がおかしくなりそうなぐらいの恐怖心が襲いかかってくる。

 

「本当に困ったわね……ともこ、出てきてくれる? もうお母さん降参するから」

 

 答えない。答えてはいけない。

 

「お願い、出てきてちょうだい」

 

 口を開くな。

 あいつの言葉に耳を傾けるな。

 あいつはお母さんじゃない。

 

「頼むから出てきて」

 

 ダメだ。

 体を動かすな。あいつにバレたら全てが無駄になる。

 

「もう痛いのは嫌なの……お願いだから出てきてちょうだい……」

「……え?」

 

 痛い?

 痛いって、まさか。

 

「左目がね……もう耐えられないぐらい痛いの……でも、ともことこともがいてくれたから我慢できたのに……あなたまでいなくなって……」

 

 お母さんのすすり泣く声が部屋に木霊する。

 左目の激痛──山の神が生贄に選んだ人間に施す呪い。それがもうお母さんに降りかかっていた。しかもその言葉が本当なら、もう随分も前から。

 でもお母さんは私と妹のためにそれを耐えてくれていた──私が今夜出かけるまでは。

 つまり、私が夜廻りに行ったから……お母さんはこんなことになった?

 

──私のせい?

 

「お母……さん……?」

 

 私の意思とは関係なく、私の口からその言葉が溢れてしまう。

 

 

みーつけた

 

 

 しかし山の神にはその言葉だけで十分だった。

 

「きゃっ!?」

 

 私が奥へ逃げるよりも早く山の神は凄まじい力で腕を掴むと、私はベッドの下から引きずり出されてしまった。

 咄嗟にそのままの勢いでドアノブに手をかけるも、鍵が閉められたドアは当然のように開かない。

 

「こら、逃げようとしないの」

 

 そんな私を山の神はドアから引き離し、部屋の奥へと連れて行かれる。

 

「離してッ! 離してよッ!」

「いいからお守りを渡して。じゃないと離したくても離せないよ」

 

 しかし、私の左手にはしっかりとお守りが握られている。

 これがある限り山の神は私を連れて行くことができない。そして山の神はなぜか、お母さん一人だけじゃなくて私も一緒に連れて行くことに固執している。

 つまり、私がこのお守りを持っていれば、お母さんも連れて行かれない。

 

「あーもう。聞き分けが悪い子にはお仕置きするよ」

 

 言うが否や鋭い痛みが頬に走り、私は思わず尻餅をつく。

 お母さんに叩かれたのだと気付いたのは、腕を振り抜いた体勢で固まったお母さんを見た時だった。

 

「え……」

 

 しかし、動揺してるのは私だけじゃなかった。

 

「やだ……私なんで……」

 

 目を見開かせ、まるで信じられないものを見たように交互に私と自分の手を見つめる山の神──いや。

 

「お母さん?」

「と、ともこ? わ、私なんでともこを……一緒に幸せになるために……でも自分の子供に手をあげるなんて……」

「お母さん!」

 

 お母さんだ。

 さっきまで理性が感じられなかった瞳から、明らかな動揺が見られた。

 お母さんが山の神に抗おうとしている。それに呼応するかのように、手の中のお守りも段々と暖かくなる。

 これもお守りの力なのだろうか。

 お願いします、ムカデの神様。

 どうかお母さんを助けてください。

 

「あぁ……アァァァ!」

 

 しかし、それだけでは足りなかった。

 髪を振り乱し頭を抱えたお母さんはもうお守りなんて関係なしに私の首を掴むと、私は硬い床に押し倒された。

 私の手からお守りが零れ落ちる。

 

「かはっ……」

 

 呼吸が止まる。息ができない。

 お母さんが馬乗りになりながら、両手で私の首を絞めていた。微かに見えたお母さんの理性も、既に消えている。

 

「一緒に行くの……一緒に行くのよ……じゃないと……アハハ……頭の声が……」

 

 お母さんが何か言っている。

 でも首を絞められている苦しさで、それを聞き取る事ができない。私の首を掴んでいるお母さんの手を引き剥がそうにも、大人の力に子供が敵うはずもなく、結局はお母さんの両手に自分の手を添えるだけの無駄な抵抗になってしまう。

 苦しさで徐々に視界が暗くなる。

 でも、私はこれでいい気がした。

 殺されるなら山の神よりもお母さんに殺されたかった。それならお母さんを見捨てた事が許される気がしたけど、これも多分私の願望でしかない。

 

「ごめん……なさい……お母……さん……」

 

 気が付けばそんな言葉を口にしながら、私の意識が暗転する──。

 

 

「おい、一体なんの騒ぎで──お前、何してるんだ!?」

 

 

──寸前で、誰かが私からお母さんを引き剥がす。

 

「ッハ! ケホッ、ケホッ!」

 

 突然首が解放され、私は貪るように空気を吸う。暗転しかけた意識もゆっくりとクリアになり、目の前でお母さんを抱えるお父さんの姿が見えた。

 そしてあれが山の神の最後の抵抗だったのか、お母さんは糸が切れたように意識を失っている。

 

「ハァ……ハァ……お父さん……」

「ともこ、一体何があったんだ……なんでお母さんがこんなことを……」

 

 ()()()()()()自室のドアを見つめながら、私は乱れた息を整える。

 ベッドの下から引き摺り出された時に咄嗟に鍵を開けておいたけど、私の意識が落ちる寸前でお父さんが来てくれたみたいだ。

 一階ならまだしも、すぐ隣の部屋でここまで騒げば眠りの深いお父さんでもきっと起きてくれると信じてた。鍵を開けてなければ、今頃私は絞め落とされてお母さんと二人仲良くあの神社に向かって登山していたに違いない。

 

「ケホッ……ありがとう、お父さん。後でゆっくり話すから」

 

 とりあえずお父さんに感謝しながらも今は状況を説明している暇は無い。お守りをお母さんに渡さなければ、またいつ精神を乗っ取られるか分からない。

 でもこれでもう、お守りを渡せばお母さんも大丈夫──

 

 

「──それに、こともはどこだ!? うちの部屋にもいないからここと思ったけど……」

 

 

「……は?」

 

 その言葉を聞いた私は、自分の耳を疑った。

 

「ともこ、後ではダメだ。何があったのか今すぐ教えてくれ」

 

 そう問いかけるお父さんの声を背に、気が付けば私は部屋を飛び出していた。

 そうだ。なぜそこまで考えなかった。

 お母さんをあんな状態にしてまで私を狙ったのに、なぜ()()()()()()()()()()()()ことに気づかなかった!

 お守りも何もないこともが、まだ赤ちゃんのこともが、狙われたらひとたまりもないのに!

 

「こともッ!」

 

 こともが寝ているはずの両親の部屋に飛び込むも、そこには誰もいない。しかし、微かだけどドロドロとした禍々しい山の空気を感じる。

 こともの姿はどこにもなかった。

 

「そんな……」

 

 思わずその場で崩れ落ちてしまう。

 結局私は守れなかった。

 お母さんのことばかり考えて、ことものことは頭の片隅にもなかった。

 そしてその結果、大切な妹を易々とあの化け物に連れて行かれてしまった。

 

 

 

「許さない」

 

 

 

 たった一言。

 それが何度も。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 頭の中で繰り返される。

 連れて行くなら私を連れて行け。

 でも、妹だけは絶対に許さない。

 誰よりも大切な、私のたった一人の妹。

 

「こともに手を出したな」

 

 自分の身に何が起きても、こともを助ける。

 じゃないと、私が生きている意味は何もない。

 懐中電灯を片手に、私は家を飛び出した。

 目指すべき場所はたった一つ。

 あの山の上にある、忌々しい神社だ。




ブチギレお姉ちゃんは妹を助けることができるのか

次回でチュートリアル編が終わりです


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やまのじんじゃ 〜 おうちにかえる

止まらないお姉ちゃんbb

書いてる途中で気づいた、「そもそも六歳児がどうやって一歳児を抱えて山から降りるんだ?」という疑問。でも夜廻の世界の幼女は自分より大きい岩でお墓作ったり自分より大きい脚立を片腕で軽々と持ち上げたりするので大丈夫ということにしといてください


 走る。

 山肌に沿って整えられた一本道の山道を、ただひたすら走る。

 ここには初めて来たはずなのに、私の記憶の中には当たり前のようにこの場所が描かれていた。まるで画用紙に絵の具をそのまま溢してしまったような歪な記憶だけど、それでも私の頭はこの場所を覚えている。

 一歩、また一歩と近づく度に空気が肌寒くなる。

 まだ夏なのに、ここだけはまるで冬みたいに冷たい。

 

「ことも……!」

 

 それでも私は走り続ける。

 山道も越え古びた道路も通り過ぎると、私の目の前に大きなトンネルが現れた。

 ブロックで作られた大きなトンネルはそれ自体がまるで大きなお化けの口に見えて、まるで私を飲み込もうと待ち構えているみたいだった。中から吹く湿った風はお化けの吐息で、美味しそうなご飯が目の前に現れて興奮してるのか、風の勢いが強まる。

 私にとっては全てを喪った場所で、失敗の場所。

 かつての私がお母さんを見捨てた場所。

 それが今度はこともになろうとしている。

 

──そんなことダメだ。絶対に許さない。

 

 そう思ってるのに。

 

「うぅ……」

 

 私の両足は一歩も前に進もうとしない。

 今まさに妹があの化け物に怖い目に遭わされてるかもしれないのに、私の体は震えるだけで言うことを聞かない。

 覚悟はとっくにしてるつもりだった。でもいざ目の前にあの場所が現れたら、息が詰まって心臓の鼓動が一気に早くなる。

 あの恐ろしい風貌の神様がその大きな手をこちらに伸ばす姿、恐怖に歪むお母さんの表情、そして二人が闇の奥へと消える光景。

 怖い。その全部が怖い。

 

「やっぱり私は臆病者だ……」

 

 この期に及んでも自分の命が惜しいのかと、自分自身を軽蔑してしまう。でもどれだけ進めって言っても、体は本能に従うように動こうとしない。

 せっかくここまで来たのに。

 でも今の私には何もない。

 お守りもお母さんに渡してしまったし、今の私を護るものは何もない。

 そんな状態で助けに行っても、結局はかつての私の繰り返しになるんじゃないかって、それが堪らなく恐ろしい。

 目の前で家族が連れていかれる絶望なんてもう二度と感じたくない。でもここで進まないと、結局家族を喪ってしまう。

 私はどうしたらいいのか分からない。

 

「誰か……助けて……」

 

 結局助けを求めてしまう自分に嫌気がさす。

 でも今の私は一人だ。お父さんもお母さんもいない。

 

──わん!

 

 だから今聞こえた声も、私の幻聴のはずだった。

 

──わん!わん!わん!

 

 でも、その鳴き声はどんどん大きくなって、同時に何かが背後から走ってくる音が聞こえる。

 学校の近くでよく見た犬のお化けかと一瞬身構えるも、すぐにそれが違うと分かった。

 私はこの鳴き声を知っている。

 私にとって……いや、私たち姉妹にとって、大切な家族。

 どんな時も私と妹を守ってくれて、いつでも私たちのそばにいてくれたかけがえのない友達。

 

「ポロぉ!」

「わん!」

 

 真っ白でふわふわな毛にピンと立った二つの耳と、もふもふな尻尾。記憶よりは少し小さくなってるけど、間違いなくポロだった。

 尻尾を勢いよく振りながら、まっすぐこちらを見つめている。

 でも、どうしてここにポロがいるの?

 確かに私はお母さんがいなくなった日にポロを拾ったけれど、この山道じゃなくてここを抜けた先にある空き地で拾ったはず。

 思えば、お母さんの時もそうだった。

 私はこの夜の記憶を持っているはずなのに、記憶とは違うことが何度も起きている。それも、私がタイムスリップしたその日から。

 もしかして私という存在自体が未来を変えてる?

 

「わん!」

 

 混乱する私を見かねてか、ポロが吠える。

 私が構ってあげないと拗ねるのは変わらないらしい。

 

「ごめんね、ポロ」

 

 しかし、頭を撫でようとポロに近づくと、ポロは大きく頭を揺らしてそれを避けた。

 

「え?」

 

 キョトンと固まる私に、ポロは姿勢を低くして唸る。

 こちらを睨みつけるように威嚇するポロに、私は思わず一歩後ずさってしまった。

 初めて会った時ですら懐いてくれたポロが威嚇するところなんて、初めて見た……。

 

「ポロ……?」

「ウゥゥゥ……ワン!」

 

 ポロは戸惑う私の言葉を遮るように、声を荒げる。

 でもその視線からは敵意は感じなかった。

 まるで私を……叱ってる?

 

「もしかしてポロ、怒ってるの?」

 

 私の問いにポロは答えない。

 でも唸り声をやめ、ゆっくりとその場に座り込む。まるで私の次の言葉を待つように、二つの綺麗な瞳がジッとこちらを見つめている。

 叱り方まで飼い主に似るんだなって、私は思わず苦笑する。

 

「ごめんね、ポロ。そうだよね、こんなところで怖がってちゃお姉ちゃん失格だもんね」

 

 でもそれだけで私は勇気を貰った気がした。

 ポロはその言葉を聞けて満足したのか、立ち上がると尻尾をこれでもかと振りながら駆け寄ってくる。

 私はその毛玉を全身で受け止めた。

 

「わぷっ。くすぐったいよポロ」

 

 もふもふな毛並み、暖かい体、そして少し手荒いペロペロ。

 何もかもが、あの時のままのポロだった。

 

「ポロ、私行ってくるよ。絶対にこともを助けてくるからね」

 

 ポロの頭をゴシゴシと撫でて立ち上がる。

 トンネルの入り口に向かって歩き出すと、ポロは私のすぐ隣にくっつく。この時代だとまだポロとは会ったばかりなのに、その姿はまるでずっと一緒に私たち姉妹と暮らしてきたあの時のポロがそのまま帰ってきたみたいだった。

 

「もしかしてついてきてくれるの?」

 

 ポロは何も言わず、まっすぐトンネルを見つめながら私の隣を歩く。

 

「……ありがとう、ポロ」

 

 そんな心強い味方の背中を優しく撫でると、私も同じように暗闇が広がるトンネルの入り口を見つめる。

 

 もう体の震えは止まっていた。

 

 

⭐︎

 

 

 どんなに時間が経っても、どんなに時間が経って()()()()()、ポロはポロだった。

 左右を古びた祠で囲まれた一本道を歩いていると、目の前から巨大な手が迫ってくる。手の甲の目玉がギョロリとこちらを睨みつけてくるその手は間違いなくあの山の神の手。お母さんを連れて行った元凶だ。

 でもこちらに襲い掛かろうとした巨大な手も、ポロが吠えると消えてしまう。

 途中で山の神の手先である小さな手も行く手を阻もうとしてきたけど、やはりポロが吠えるとそれらも蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 ずっと思っていたことだけど、ポロには怪異をやっつける力がある。

 両親がいない私たちが家にいる時、頻繁に禍々しい気配が辺りに浮かぶ時があった。今思うと、あれはもしかしたら山の神が次の生贄(えもの)を貰おうと近づいてきたのかもしれない。でもポロが吠えるだけで、その禍々しい気配は消えてしまう。

 だから私たち姉妹があそこまで長く平和に暮らせたのも、きっとポロのおかげだったに違いない。

 

「わん!わん!」

 

 ポロが吠えて、また一つ手が消える。

 トンネルを抜け、林を抜け、階段を登る。

 一歩ずつ石段を登るにつれ、山から発せられる風も強くなる。この先にあの山の神がいるはずだ。

 もうあの大きな手は現れなくなった。きっと山の神ももう無駄だと思ったのだろう。つまり、あの神社で直接待つという事。

 でも私に恐怖心は無かった。

 ポロが隣にいてくれるだけで、私に勇気をくれる。

 

「今度こそ、みんなで帰るんだ」

 

 かつて心に誓ったことを、また口に出す。

 そうすればなんだか力が湧いてくる気がした。

 一体何個目になるか分からない鳥居をくぐった時、目の前にそれが広がっていた。

 一目見て、ムカデの神社とは全然違うなと思った。

 

 泥に汚されて埃だらけのおやしろ

 

 雑草まみれの石畳

 

 朽ち果てたお賽銭箱

 

 忘れられた神社が、私の前に現れた。

 境内の中は荒れ放題で誰も手入れする人もいなくて、誰もお参りする人がいないんだなって、少し寂しい気持ちになった。

 そしてそんな境内の中央で寝ている──一人ぼっちの赤ん坊。

 

「ことも!」

 

 思わず叫ぶ。

 やっぱりこともはここにいたんだ。そしてまだ生贄にされてないんだ。

 焦る気持ちを抑え込んで、私はこともへと駆け寄る。

 ポロの吠える声と私の足音だけが、この寂しい神社に木霊する。

 眠っていることもはこのドロドロとした空気を発する神社には似つかわしくないような、驚くほど穏やかな表情をしていた。それは私が抱き上げても変わらず、抱かれた安心感でむしろ眠りが深くなった気すらした。

 

「こんな時にのんきなんだから……」

 

 それにしても、妹はこんなに重かったのか。

 小さくなった体で抱っこすると改めて感じる、命の重み。妹はちゃんと生きているんだという安心感が私の心を落ち着かせた。

 後は帰るだけだ。

 

「ポロ、帰ろ。あれ、ポロ?」

 

 自分の身長とそう変わらない妹の大きさに四苦八苦しながらも、なんとかポロの方へと向き直る。

 しかしポロは、おやしろの方に向かって何度も吠えている。いくら私が行こうって言っても聞かなくて、まるで何かを必死に追い払おうとしてるような。

 そして、私は気づいてしまった。

 おやしろの中から徐々に大きくなるその『悪意』に。

 

「……あぁ……」

 

 それを見てしまったことに私は後悔した。

 おやしろの中から姿を現したのは、大きな顔だった。

 目も鼻も口も無く、代わりにそれらがあるべき場所には大きな空洞が空いている。顔の輪郭を象っているのは、青白い肌をした無数の人間の体。くねくねと蠢くそれらはぎっしりと詰められ、一つの顔を形成している。そして何より目立つのは、左目の空洞の奥から覗くいくつもの瞳。それらが全て、恨めしそうに私を睨みつけている。

 見間違えるはずがない。忘れるはずがない。

 私から全てを奪った山の神だ。

 

「ポロッ! もういいから、逃げて!」

 

 言うが否や、私はあの化け物に目も暮れず神社を飛び出した。横目で見ると、ポロもしっかりとついてきてくれている。背後からはあの悪意も一緒に。

 目を合わせてはいけない。

 こともが私を助けてくれた時の話は聞いている。あの神様と目が合った時、こともはあの神様の世界に連れて行かれてしまった。ムカデの神様のお守りの力でその時は倒したらしいけれど、今の私はお守りを持っていない。だからあの世界に連れて行かれたらおしまいだと思う。

 必死になって石段を駆け降りる。

 頭の中では、同じようにお母さんと一緒にこの場所から逃げた光景が蘇る。

 

『お、お母さん、追いかけてきたよ!』

『見てはダメ! とにかく走って逃げなさい!』

 

 歩くのもやっとのお母さんを支えながら逃げたあの夜。

 歩くこともできないこともを抱きながら逃げる今。

 その全てが重なり合って、どっちが現実なのかが曖昧になる。

 

『ひぃ……』

 

 背後から迫る異形の顔と無数の手に悲鳴をあげるかつての私。

 

「わん!」

 

 そんな私に吠えるポロ……今のポロ? 昔のポロ?

 もう分からない。

 

『トンネルが見えてきたよ、お母さん! もうすぐだよ!』

 

 体力はもうとっくに限界だった。

 ムカデの神社までお守りを取りに行って、お母さんがおかしくなって、こともを助けに山の神社まで来た。足がガクガク震える理由が恐怖だけじゃないのは、もうとっくに気づいてる。

 それでも私は走り続ける。

 お母さんを助けるためにずっと走り続けた、あの夜みたいに。

 トンネルの中までたどり着くと、中はやっぱり真っ暗。両手が塞がっている私には懐中電灯をつける余裕がない。

 

『出口までまっすぐだから、早く行こうお母さん!』

 

 やめて。その記憶を見せないで。

 でも、トンネルの中を歩くにつれ、その記憶はどんどん濃くなっていく。

 

『あと少し……あともう少し……』

 

 すぐ先にはトンネルの出口と月明かりが見える。

 あともう少し。あとちょっとで家に帰れる。

 なのに私の記憶は、それを許そうとしてくれない。

 

『あっ……!』

「あっ……!」

 

 まさに月明かりへ一歩踏み出そうとした瞬間、記憶の中の私が足を取られて転倒する。それとまったく同じように、私自身も地面に倒れ込んでしまった。

 

結局お前は同じだ、あの時と

 

 頭の中でよく分からない声が響く。

 聞いているだけで耳障りで鳥肌が立つぐらい気分が悪いのに、耳を傾けてしまいたくなるほど押し寄せてくる安心感。

 この人になら全てを委ねてしまってもいいって、そう思ってしまうほど。

 

またそうやってお前は家族を見捨てて自分一人で逃げようとするんだ

 

お前があの時手を伸ばさなかったからお前の母親は死んだんだ

 

次は大切な妹の番か? 妹は自分の目を犠牲にしてまで助けてくれたのに

 

お前は卑怯者だ。いつもそうやって自分が助かろうとしてる。今回も、()()()()

 

でも大丈夫。()()()()一緒に行こう。家族全員で幸せに暮らせばいい。お前がずっと望んでいたことだろう?

 

人の子よ、もう何も心配する事はない。だからさぁ、おいで。妹と一緒にこっちへおいで

 

「うるさい」

 

 そんな甘美な誘いを、一言で切り捨てる。

 

「何が大丈夫よ、何が幸せになろうよ! あなたの言葉なんて絶対に信じない! 私は生きる! こともと一緒に生きるの!」

 

 隣で山の神に向かって勇ましく吠えているポロを横目に、私は山の神を睨みつけた。

 そして私の右足を掴んでいる大きな手を、自由になっている左足で何度も蹴る。

 私は帰るって決めたんだ。

 お母さんと再会した時、決めたんだ。

 今度こそみんなで帰るって。

 だからあなたのところなんて絶対に行かない。

 

『────!』

 

 山の神はそれ以上言葉を語らず、絶叫する。

 私の足を握る力がさらに強くなる。

 

「ッ……!」

 

 痛い。

 骨が軋み、足が今にも取れてしまいそうだった。

 それでも、腕の中で泣き声をあげている妹のためにも帰らないといけない。

 

「ごめんねことも……起こしちゃったかな……」

 

 激痛で脂汗が噴き出るも、それでもなんとかこともをあやそうとつい優しい声をかけてしまう。

 怖いよね、うるさいよね、ごめんね。

 でも、あと少しで帰れるから。

 

「うっ……いい加減離してよッ……!」

 

 しかし、私の足を握りしめる手の力は増すばかり。徐々に体もトンネルの奥へと引っ張られ始める。お母さんの時のように一気に連れて行かれないのは、多分ポロがいてくれているから。

 やっぱりポロは、私たち姉妹を助けてくれている。

 

「せめて……こともだけでも……」

 

 でもズルズルとゆっくりと、しかし確実に私の体はトンネルの奥へと戻されていく。

 せめて妹だけでも、とこともの体をトンネルの外に押し出そうかと考えた時。

 

ゴキッ

 

「ッ!?」

 

 まるで大木が折れるような音と共に、右足に激痛が走る。たまらず声にもならない悲鳴を上げ、私は思わず腕の中のこともを強く抱きしめてしまう。

 今の音が何を意味するかなんて、見なくてもわかる。

 あまりの激痛に思考が鈍くなり、徐々に意識が遠のき始める。

 ダメだ。ここで気を失ったらもう帰れなくなる。

 

「こともと……一緒に……帰るの……」

 

 それまでずっと山の神に吠えてくれていたポロも私の様子がおかしい事に気づいたのか、吠えるのをやめて私のシャツを口で咥えて引っ張ろうとしている。

 でも、そんな行為も焼け石に水。

 ズルズルと力を失った私の体はトンネルの奥へと引きずられていく。

 

 

ズズズ ズル ズリ ズリ

 

 

──何かが聞こえる。

 

 ズルズル ズリ

 

──何かを引きずるような。

 

ズ ズズ ズリ

 

──音が目の前で止まった。

 

 

「よまわり……さん……」

 

 

 朦朧とする意識の中で私が最後に見たのは、無機質な白い仮面がこちらを覗き込む姿だった。

 

 

 

⭐︎

 

 

 少女の意識が闇に落ちた瞬間。

 

──グルン。

 

 少女の前に現れた黒い異形が、その体をひっくり返した。

 あらわになるのは、まさに赤い肉塊と呼びべき醜悪な姿。大きな口が背中を真っ二つに割り、その中央には辛うじて本来の姿の名残として白い仮面が顔を覗かせている。

 胎児のように短い両手足を動かし、その異形──よまわりさんは、咆哮と共にその体を山の神に叩きつけた。

 その巨体に似合わない俊敏さで突撃するよまわりさんに、たちまち山の神は後退を余儀なくされる。

 少女の右足を掴んでいた腕もそれに釣られるように足を解放する。

 あらぬ方向に曲がった少女の痛々しい足を見てか、よまわりさんはさらに大きく絶叫する。

 しばしの睨み合い。

 方や憎悪と怒りを剥き出しにした肉塊の異形と、方や数多の人間を生贄としてその身に取り込んだ異形の神。

 この異形同士の争いは──背後から差し込む微かな太陽の光により終わりを告げる。

 

『────!』

 

 恨めしそうに太陽の光を睨みつけると、山の神はトンネルの奥へと姿を消した。

 後に残された肉塊の異形はしばらく立ち尽くすと、やがてグルンともう一度その身体をひっくり返した。

 少女の前に現れた時と同じ黒色の姿に戻ったよまわりさんは何事も無かったかのようにその体を少女の方へと引きずる。

 

「わん!」

 

 その隣で、黒い体とは対照的な白色の小さな犬がそんなよまわりさんを歓迎するように吠える。

 本来なら怪異を遠ざける存在のその犬は()()()()()に近づく黒色の異形の周囲を数回ほど回ると、そのまま朝焼けが見え始めた町の方へと駆けていった。

 残された黒色の異形は身体から伸びた同じ色の触手を使い、まるで赤ん坊を抱くように少女を抱き上げる。気を失っているはずの少女はそれでも、腕の中のいる妹を離そうとしない。

 子供とは思えない執念。

 しかしその執念が、結果的にこの状況を生み出した。それが感情を写さない無機質な白い仮面に伝わったかは定かではないが、よまわりさんはブルっと一度体を震わせる。

 

「…………」

 

 そしてそんな姉に抱かれた妹は、その小さな目を開かせてじっとよまわりさんを見つめていた。

 まるで何かを伝えようとしているような目線に、よまわりさんは何も答えない。

 幼い姉妹を丁寧にその身体に背負った白色の袋に入れると、そのままよまわりさんはズルズルと歩き始めた。

 

──よまわりさんは夜のおまわりさん

 

──夜に寝ないで出かけている悪い子をさらってしまう

 

──でも、だからなのか

 

──よまわりさんは、迷子になっている子の味方なのだ

 

 




タイムスリップから妹救出まで全て一夜で起こったという事実。
でも原作夜廻も全て一夜の出来事だったのでこの作品も章ごとに一夜でまとめるつもりでした。そのせいでかなり無理がある展開にはなってしまいましたが…

次回、エピローグと夜廻編に突入

一応深夜廻編まで続けるつもりですが、それまでに作者の体力が持つか…


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しんこう 〜 しあわせ

そろそろキャラ崩壊タグをつけるべきか悩む今日この頃


 真新しいセーラー服に身を包みながら肩には愛用のウサギのポシェット……ではなく、普通にスクールバッグを掛けながら、私は自宅への帰路を進む。日中の喧騒とは離れた静かな住宅街にはおぼつかない足取りで歩く私の足音だけが響いていた。

 心地良い春の風がここ数年間で少し伸びた髪を揺らし、私も大人になったんだなって実感する。小さい頃はあれほど広く感じた町も、今なら徐々に人が減っているこの町の寂しさにも気づける。

 

「忘れられてる……のかな。この町も」

 

 人知れず呟いた言葉はそのまま虚空へと消える。

 放課後ということもあって徐々に太陽が沈み始めてるけれど、この分なら暗くなる前には帰れそうだ。でも今日の晩御飯の買い物にも行かないといけないし、あまりのんびりは出来なさそう。ただでさえ私の歩く速度は遅いんだから。

 少し歩くペースを速めようと一歩踏み出した時。

 

「あ、お姉ちゃん」

 

 背後から私を呼ぶ声がする。

 でも私をお姉ちゃんって呼んでくれる子なんて、一人しかいない。

 

「あら、ことも。今日はちょっと遅いのね。いつもならもう家にいるのに」

 

 頭のリボンをぴょんぴょんと揺らしながら、私のたった一人の妹──こともがこちらに手を振っていた。

 背中には私があげたウサギのポシェットではなく赤色のランドセルを背負ってる点から、どうやら私と同じく今から帰る所らしい。

 私の問いに妹は思い出したように眉をひそめて腕を組む。プンスカという擬音が似合うぐらい不機嫌だった。でも妹がそれをやるとどうにも迫力が無くて、可愛らしさが先行してしまう。

 

「今日はお掃除当番だったの。でも私以外みんな遊び始めちゃって、全然終わらなかったの。嫌になっちゃうよ、もう! 早くポロの散歩に行きたいのに」

「あはは……それは災難ね。でも、そういう時はちゃんと注意しないとダメよ? 悪いことは悪いことって言ってあげないと」

「別にいいもん。お姉ちゃんと一緒に帰れたし」

 

 軽やかにそう言うと、妹は私の肩にかかっていたスクールバッグを奪う。

 

「わっ、ことも! 急に取らないでよ。それにカバンぐらい持てるから」

「いいからいいから。お姉ちゃん、()()()()んだからあまり無理しちゃいけないよ?」

 

 悪戯が成功したように、妹は私から奪ったカバンを手に朗らかな笑みを浮かべる。

 自分で言うのどうかと思うが、妹は優しい。

 争いを好まずよく笑い、誰とも友好的に接して常に周囲を気にかけている。私に関しては今みたいに心配しすぎな面もあるけれど、妹の笑顔を見ると思わず許してしまう。

 ()()()()()()()()()()()()家庭にしては、十分すぎるぐらい真っ当に育ったと思う。

 

「ことも」

「うん? なに、お姉ちゃん?」

「ありがとう」

 

 妹は一瞬キョトンとした表情をするも、すぐにまた花が咲いたような笑みを浮かべた。

 

「どういたしまして!」

 

 私たち姉妹はそのまま、住宅街から顔を覗かせていた我が家へと足を運んだ。

 

 

⭐︎

 

 

──結局あの夜、私は気がつけば家の前で倒れていた。

 

 右足をあらぬ方向に曲げ、腕の中にはいなくなっていたはずの妹。体は汗と泥に塗れていて、とてもではないけどまともな状態ではなかった。

 その時ちょうどお父さんが呼んだ警察の人たちが来ていたらしく、私と妹はそのまま病院へ直行。妹はどこも怪我は無かったものの、予想通りというべきか、私の右足は折られていた。あんなに大きな手に掴まれたのに千切れなかっただけ運が良かったと思いたい。

 そのあとは警察の人も来て色々と聞かれたけど、私の答えは「覚えてない」の一言。

 山の神とかよまわりさんとか、どうせ言っても信じてもらえない。この町の大人は夜になると現れる怪異については知ってるはずなのに、知らないフリをしてる。知っているから夜は外に出ないのに、お化けなんているはずがないという矛盾。多分あの時の警察官も薄々察してたとは思うけれど、それを認めることは一生無いと思う。

 そしてその時に聞かされたのが、お母さんが心の病気ということ。

 難しい言葉を言われた気がするけれど、よくわからなかったからあまり覚えていない。

 ただ覚えているのはお母さんは定期的に病院に通わないといけなくなったことと、あの夜のことを酷く気に病んでいるということ。

 何より私を殺しかけた事がお母さんの心に重く伸し掛かっていた。

 私は気にしてないって伝えたし、お父さんもお医者さんに心の病気の事を教えられて納得していた。こればっかりは家族全員で乗り越えないといけない。

 

──お母さんに首を絞められた時の光景を時々夢で見るようになっちゃったけど。

 

 でもそんな些細な事なんて、お母さんが生きていてくれる喜びに比べればどうって事もない。

 家族全員揃った。

 ただそれでいい。

 

「わん!」

「ただいま、ポロ」

「ごめんねポロぉ、わたしお掃除当番で遅くなっちゃって──わぷっ、くすぐったいよポロー!」

 

 玄関の前まで来たら、犬小屋からもふもふな白い犬が私たちを出迎えてくれた。

 ポロもまた、あのあと我が家に来てくれた。というより、私が拾いに行った。

 今はもう立派な成犬になって毎日こともと散歩している。たまに力が強すぎてこともが引きずられそうになってるけど。

 お父さんも娘が突然犬を連れて帰ってきて驚いていたけど、「お母さんのためにもなる」と二つ返事で許してくれた。

 そのおかげでポロは今も元気にふわふわした尻尾を振って私たちの友達でいてくれる。

 

「ただいま。ことも、帰ってきたらちゃんと手洗いとうがいを──」

「もう、知ってるよそれぐらい。それよりお姉ちゃん、段差気をつけてね。この前転んでたでしょ」

「え、なんで知ってるの?」

「えへへ、内緒」

 

 あの夜折られた私の右足は未だに治っていない。

 

 見た目上は何も問題はないらしい。お医者さんも骨は元通りになっていると言っていたし、落ちていた筋力も回復している。

 なのに私は未だに右足の感覚がない。

 まるで山の神に右足だけ連れて行かれたような感覚に、私は不快感を隠せない。結局あの山の神もただでは帰してくれないらしい。

 でも山の神は本来なら左目を持っていくはずなのに、なぜ私の場合は右足になったんだろう? 流石の山の神もよまわりさんが来て焦ったのかもしれない。

 

「よまわりさん……」

 

 あの夜私たちを助けてくれた、黒色のお化け。

 結局なぜよまわりさんが私たちを助けてくれたのか、よく分かっていない。山の神と敵対していたよまわりさんがたまたま私たちを助けることになったのか、それとも何かの意思を持ってあのトンネルに来てくれたのか……。

 でも、分かることは一つ。

 よまわりさんは正体不明であるべき。だからよまわりさんについては深く考えないようにしている。

 

「ことも、ともこ、お帰りなさい」

「お母さん! 今日は病院はいいの?」

「うん、もうバッチリ! お医者さんにももうほとんど大丈夫って言われたわ」

 

 遊んで欲しそうにこちらへ駆け寄ってくるポロを宥めて家に入ると、玄関先でお母さんが出迎えてくれた。

 多少は顔色は悪いけど、確かに今日は調子が良いみたいだ。

 私も靴を脱ぎ、こともの手を借りて段差を登り、お母さんの方へと歩み寄る。

 

「……足はまだ治らないみたいね」

「うん。でももう慣れたし、こともも手伝ってくれてるから大丈夫」

 

 段差を登るのにも一苦労な私を見て、お母さんが悲しそうな表情を浮かべる。

 

「ごめんなさい、ともこ……あの時私が──」

「もうそれは無しって言ったでしょ、お母さん。誰のせいでもないもないんだから」

「あっ……そうね。あの時の私はどうかしてたんだと思う」

 

 その手に赤いお守りを握りながら、お母さんは苦笑する。

 お母さんはあの声が山の神だとは気づいていない。ただ、あの時のお母さんは正気じゃなかったのは本人も気づいているみたいで、今でもあの声が聞こえるんじゃないかと怯えている。

 私があげたムカデの神社のお守りがしっかりと守ってくれているのか、今のところお母さんには何も起こっていない。

 

「それより、良かったら一緒に買い物に行かない? 今日はお父さんも早く帰ってくる日だし何かご馳走を作りたいの。せっかくだしポロも連れて行きましょうか!」

 

 お母さんは私とこともを抱き寄せながら、楽しげに提案する。

 お母さんの綺麗な髪が顔にかかって少しくすぐったい。

 

「お、お母さん! 私もう中学生なんだからやめてって……」

 

 気持ち良さそうに目を細める妹とは対照的に、私は自分の顔が熱くなるのを感じた。妹はそんな私を見てまた笑う。

 でも口ではこう言ってもお母さんを拒もうとしない自分の体に自分で呆れてしまう。大人になったんじゃないのか、私。

 

「母親にとって子供はどんなに大きくなっても子供のままなんだから、大人しく受け入れればよろしい。それに中学生なんてまだまだお子様よね、ことも?」

「そうだよお姉ちゃん。『ししゅんき』は子供の証だって学校の先生が言ってたよ?」

「そうやって難しい言葉を覚えて……!」

 

 でもこうしてお母さんの腕の中にいるとどうしても思ってしまう。

 やっぱりお母さんはとても暖かくて、気持ちがポカポカするんだって。

 そしてこの気持ちを、()()は感じることが出来なかったこともが全身で受け止めている。

 

──私がしたことは無駄じゃなかった。

 

 ようやくお母さんに解放されると、お母さんは後ろから買い物用の荷物を取りにいく。

 私と妹もカバンを部屋の中に置きに行き、ついでにポロの散歩用のリードも取る。

 

「じゃあ、行きましょうか!」

 

 お母さんのそんな号令と共に、私たち三人は歩き始める。

 私の右手はポロのリードを握り、左手はこともの手を繋いでいる。そしてこともを挟む形で、お母さんもこともと手を繋いでいる。

 足が悪い私に合わせてゆっくりとしか動けないけど、たまにはのんびり行くのも悪くない。

 お母さんがいて、ポロがいて、こともがいる。

 私が望んだ幸せの形が、今目の前に広がっている。

 

──やっと夜から帰ってこれたんだね、お姉ちゃん。

 

「え?」

 

 妹のそんな呟きが聞こえた気がした。

 思わずこともの方へと向くも、こともはこちらを見つめながら柔らかい笑みを浮かべているだけだった。

 

 その笑みに、なぜか私の背筋が冷たくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⭐︎

 

 

「──じゃないと、私のお姉ちゃんみたいになっちゃうよ」

 

 氷の仮面を被ったような冷たい表情でそう告げることもに、ハルは思わず息を呑んだ。

 

「お姉ちゃんはね、忘れたくても忘れられないの。ずっと夜の中で生きてるの」

 

 こともの姉──ともこ。

 山の神に生贄として選ばれ、生き延びた少女。そして夜の怪異についても知っている、おそらく彼女たちの先駆者。

 こともの姉についてハルが知っていることはそれだけだった。

 しかしことものこの様子は、明らかに何か別の意味を含んでいる。

 

「わたし、実は知ってるの。わたしのお母さんが山の神に連れて行かれたこと」

「え!?」

 

 姉ではなく母親が?

 これまで知らなかった事実にハルは思わず目を見開かせる。

 

「お姉ちゃんを助ける時に声が聞こえたの。多分あれは山の神様の声だったと思うんだけど、その中に聞こえたの」

 

──色んな人が混ざり合った声の中にある、お母さんの声が。

 

 それがつまり何を意味するのか。

 共に『夜』を経験し、禁忌の神に触れた二人の少女たちにとっては、考えるまでもない。

 

「わたしのお母さんも山の神様に連れて行かれちゃって、お姉ちゃんはお母さんを助けるためにあのトンネルの向こう側に行った。そして──一人で帰ってきた」

 

「お姉ちゃんはお母さんを助けることが出来なかった。でもお姉ちゃんはそれでも必死になってわたしをここまで育ててくれた。本当は一番悲しいのはお姉ちゃんなのに」

 

「お姉ちゃんの心は夜に捕まってる。それを見ないようにするために、お姉ちゃんはお母さんの代わりになってくれたの。まるで『ごめんなさい』って言うみたいに」

 

 その言葉を聞いたハルはただ呆然と立ち尽くしていた。

 こともが語る姉の姿があまりにも重なっていたのだ。

 あの夜が終わってからも毎晩のようにユイの事を探し続ける自分の姿に、ユイに許しを乞うように町を彷徨うハルの姿に。

 

「ハルはお姉ちゃんみたいになったらダメ。ハルにはハルの人生があるの。『夜』にずっと心を囚われてたら、そのユイって子も悲しいと思うよ?」

 

 こともは不器用ながらハルに告げているのだ。

 「前へ進め」と。

 あまりにも遠回しな言い回しに乾いた笑みを浮かべるも、しかしハルにはどうしても聞かなければいけない事があった。

 

「こともちゃんはどうなの?」

「わたし?」

「こ、こともちゃんもその……囚われてたりしないの?」

「んー、わたしはどうかな……」

 

 口許に手を当てながら考える素振りを見せることも。

 しかし今までの会話から、ハルはこともが夜に囚われているとは思えなかった。彼女は自分に激励もしてくれたし、何より自分に起きた出来事にきっちりと折り合いを付けている様子だった。

 しかしこともの返答はハルにとっては予想だにしていなかったものだった。

 

「囚われてるかな、ガッツリ」

「え?」

「むしろあえて囚われてるって言った方がいいかな」

 

 言っている意味が分からなかった。

 

「だってお姉ちゃんが囚われてるのに、妹が囚われてないなんておかしいでしょ? 夜に囚われたお姉ちゃんは自分の全てを犠牲にしてわたしを育ててくれたの。『せいしゅん』とか『ともだち』とか、そういうのを全部犠牲にしてきたの。だからね──」

 

──妹のわたしも全部犠牲にしないと不公平でしょ?

 

 ハルは思わずその場で座り込む。

 まるでそれが当たり前と言わんばかりにそう告げることもが、ハルはたまらなく恐ろしかった。

 せめて恍惚とした表情を浮かべていたり、歪んだ笑みを浮かべていたりすればまだ分かりやすかったかもしれない。

 しかしこともは、あくまでこともだった。

 歳不相応に落ち着いた雰囲気をまとった、ハルがよく知ることも。

 そのこともの口から発せられるあまりにも歪んだ考え。

 こともは「前へ進め」と言っているんじゃない。

 「わたしみたいになるな」と、そう告げてるのだ。

 

「だからわたしはずっとお姉ちゃんの側にいる。絶対にお姉ちゃんを一人にさせない。させちゃいけないの」

「……それは違うよ、こともちゃん」

 

 それでもハルは反論する。

 自分を『夜』から救ってくれた友達を彼女は放っておけなかった。

 

「……そうかもね、ハル」

 

 しかし、こともはハルの言葉を否定しない。

 自分が歪んでいることなど、とうに自覚していたから。

 

「……もうそろそろ帰ろっか。ハルは明日引越しでしょ? 違う町に行っても元気でね。手紙も……ちゃんと書くから」

「待って、こともちゃん!」

 

 懐中電灯を片手に山肌の一本道を戻り始めることもをハルは慌てて追いかける。

 しかしハルがふらふらと立ち上がって山道を走り始めた頃には、すでにこともの姿は無かった。

 

「……こともちゃん」

 

 あまりにも歪んだ妹の愛情。

 そんなこともの姿が、ハルにはかつてのユイに見えた。

 異形に変えられ、ずっと一緒にいようとハルの腕に赤い糸を巻き付けた、大切な親友。

 しかしユイの歪みを救えたのは、ハルが彼女の親友だったから。

 ならこともを救えるのは、彼女にとってその歪んだ愛情が向けられた対象。

 

「お願いします、お姉さん……」

 

 顔も知らないこともの姉に向かって、ハルは静かに祈った。

 

 




夜廻編へ続く

いつからヤンデレタグが姉の方だと錯覚していた?
というわけでやばいのは姉ではなく妹の方でしたというオチ。実はこともが登場しているシーンでは常に姉の方を見つめていたという伏線といえば伏線がありました。

そしてチュートリアルが終わったので、いよいよハードモードになります。


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よまわり編
ねぼう 〜 あくむ


いつも誤字報告ありがとうございます!
書き終わったあとはいつも読み返していますが、自分の文章になるとどうしても見落としがちになっちゃいます…とりあえず誤字報告0を目指して頑張ります!

今回は少し短めです


──これは夢だ。

 

 目の前に広がる光景を見て、私は直感的にそう思った。

 湿った冷たい空気に何も映さない夜の暗闇。そこを微かに照らす心許ない小さな街灯。

 嫌というほど見慣れた夜の町の中に、私は立っていた。なのにそこに立っているという感覚がない。まるで別の本から絵を切り取ってそこに貼り付けたかのように、私だけがこの空間から浮いているような、不思議な感覚。

 そんな私を街灯の心許ない明かりに照らされた一社の神社が見下ろしていた。

 立派な鳥居に古いものの手入れされた境内を見る限り、ここは商店街の近くにあるムカデの神様の神社みたいだ。普段から私を含め地域の方々からも定期的にお参りなどをされて愛されている神社の登場に、私は思わず首を傾げた。

 先程から流れているこのベタつくような嫌な風で、これは悪夢だと思った。

 でも私の場合、悪夢はお母さんが連れて行かれる夢がほとんどだ。なのに今回はあの忌々しい山の神社ではなく、むしろ私を護ってくれているムカデ神社の中にいる。

 しかし確実に分かるのは、激しい胸騒ぎを覚えているということだけ。

 

 そしてその予感はすぐに的中した。

 

 突然私の目の前に何者かが現れた。青白い肌は衣服を纏わず、人体の限界を無視して折り曲げられた体が何重にも重なった異様な風貌。

 いや、違う。これは()だ。

 

──ッ!?

 

 人の体で構成された大きな顔に、甲に目玉のついた二つの巨大な手──山の神が突然このムカデ神社の中に出現した。

 なぜここにいる? 山の神はあのトンネルから外には出れないはずなのにどうして?

 様々な疑問が浮かんでは消える。

 

──とにかく逃げないと。

 

 慌てて背中を向けて走り去ろうとするも、山の神が取った行動に思わず足を止めてしまう。

 

──え?

 

 山の神はその巨大な手を振り上げると、綺麗に揃えられていた境内の石畳に向かって振り下ろした。石畳はバラバラに砕け散り、砂埃と破片が辺りに飛び散る。

 次に狙いを定めたのは、小さいながらも堂々と建っているムカデの神様のおやしろ。拳を握り、何度もそれを叩きつけた。その度に木片が飛び、おやしろの柱があらぬ方向に歪む。

 

──ちょっと! 待って! やめて!

 

 あまりにも残酷な破壊活動。

 神様にとって神社は大切な神体であり依代だ。それを破壊する事がどういうことを意味するかは、かつては人々に信仰されていた山の神が一番理解しているはずだ。

 

──お願い、やめて!

 

 しかし私の声が聞こえていないのか、そもそも私を認識できていないのか、山の神が止まる気配は無い。一際大きく拳を振り上げ、最後はグシャリとおやしろを叩き潰してしまった。

 その光景に堪らず目から涙が溢れ出る。

 私たち家族をずっと護ってくれていた場所が壊されていくのを、黙って見ているしかなかった。

 その時、破壊されたおやしろの奥から一匹のムカデが這い出てきた。蛇ほどの大きさを持つそのムカデが姿を現した瞬間、場の空気が少しだけ澄んだものへと変わる。

 間違いない、ムカデの神様だ。

 かつてはその体で商店街そのものを覆うほど巨大だったムカデの神様も、山の神の暴虐でここまで小さくなってしまった。

 山の神とムカデの神様はしばし見つめ合う。

 やがて、先ほどと同じように山の神がその大きな拳を振り上げた。狙いは当然──目の前にいる宿敵。ムカデの神様はこの惨劇を受け入れるように微動だにしていない。

 

──ダメ! それだけはやめて!

 

 山の神に対する恐怖よりも先に、ムカデの神様がいなくなってしまう恐怖が私の体を突き動かす。

 ムカデの神様を庇うように二柱の間に躍り出るも、山の神は構わず拳を振り下ろす。固く目を閉じて、私は来るべき衝撃に身構えた。

 

 そしてそのまま、意識が暗転する。

 

 

⭐︎

 

 

 

「──ッ!? ハァ……ハァ……」

 

 気がつけば私はベッドの上で飛び起きていた。

 背中は冷や汗で濡れていて、体は未だに恐怖で震えている。夢だったはずのあの光景が今でも私の脳裏に焼き付いて離れない。

 

「なんだったの……今の夢……」

 

 あまりにも異様な光景。

 山の神がムカデの神様の神社を破壊する夢なんて、とても健全なものとは思えない。お母さんが連れて行かれる悪夢とどっちが怖いかと聞かれたら答えに迷ってしまうほど、衝撃的だった。

 

「いけない、寝坊してる!」

 

 机に置いていた時計を見ると、時刻はすでに朝の七時を半分も過ぎていた。もうとっくに起きて朝ごはんを用意しないといけない時間なのに。

 ベッドから飛び降りると、慌てて寝巻きを脱ぎ捨てて制服に着替える。うぅ、右足の感覚が無いと着替えすら早くできない……こういうことにならないためにいつも早く起きてたのに。

 

「あ、おはようお姉ちゃん。今日は遅か──わぁ!? お姉ちゃん、目に隈ができてるよ。昨日はあまり寝れなかったの?」

 

 おそらく私を起こしに来たであろう妹が部屋に入ると、もはや足とは関係ないリボンを結ぶのにも苦戦している私を見て驚きの声を上げる。

 なんとかリボンを結び終えて鏡を見てみると、確かに目の下に少し陰ができていた。

 まさか、これもあの夢のせい?

 

「お姉ちゃんが夜更かしなんて珍しいね。わたしも夜更かししてみたいなぁ……」

「そんなことするとよまわりさんに連れて行かれるよ。怖い工場でお化けに食べられちゃうんだから」

「あ、朝から怖いこと言わないでよー!」

 

 最悪の気分で朝を迎えてしまい、思わず妹に少し意地悪してしまう。

 ごめんね、ことも。でもお姉ちゃん、こともの顔を見たら少し元気になったよ。

 

 だからこの頭痛もきっと気のせいだ。

 

 

 

⭐︎

 

 

「珍しいな、ともこが寝坊なんて」

 

 食卓で新聞を読みながら、お父さんは一階に降りてきた私を見て呟いた。お父さんの前には食べかけのトーストが、その隣ではコーヒーが湯気を上げながら置いてある。どうやら私が寝坊したせいで自分で朝ごはんを用意したらしい。

 

「ごめんね、お父さん。お母さんがいない日は私が作らないといけないのに……」

「気にするな。いつもお母さんみたいに振る舞っててもともこはまだ子供なんだって分かって、むしろ嬉しいぐらいだよ」

「もう、お父さん!」

 

 新聞片手に笑うお父さんに、私は自分の顔が赤くなるのを感じる。

 私はもう中学生で、()()()()も含めるともう十分大人なのに。そんなことを知る由もないお父さんとお母さんはまだ私を子供扱いする。中学生ならもう十分大人でしょ!

 

「こともは何か食べた?」

「お父さんと一緒にパン食べたよ。えへへ、たまにはパンも良いなぁって思っちゃった」

 

 どうやら食べていないのは私だけらしい。

 こんなに派手に寝坊するなんて……しばらくは目覚まし時計二つ使おうかな?

 もうお米を炊いている余裕なんて無いし、私もトーストを焼こう。

 

「それにしても、最近は物騒だなぁ……」

 

 新聞を片手にお父さんが悲しそうに呟く。

 

「最近の連続怪死事件もまだ終わってないのに、今度は不良が神社を荒らすなんて……しかもよりによってうちの近所のらしいし」

 

「え!?」

 

 しかし、お父さんの言葉は私にとっては聞き捨てならなかった。

 慌てて台所からお父さんの方へと駆け寄ると、思わずその手に持っている新聞をひったくる。

 

「お、おい!」

 

 不満げなお父さんの声も、今は無視だ。

 地域新聞の片隅。その小さな記事の中に書かれていた。

 

「真夜中に神社荒らし……不良グループ所属の大学生五人を現行犯で逮捕……これって本当にあの商店街の神社?」

「え、そうだけど……今朝ゴミ出しした時近所の人に聞かされたよ。かなり派手に荒らされたらしくて、もう境内はめちゃくちゃ。ただでさえ古くなってた建物もボロボロに壊されてたらしい」

 

 そう教えてくれたお父さんの言葉に、私は思わず絶句した。

 だって、これはまるで……。

 

「私が見た夢と同じ……」

 

 一方は山の神、もう一方は大学生たち。

 内容は天地ぐらいの差があるけど結果は同じ。

 さらに新聞を読み進めると、続け様にこう書かれていた。

 

犯行に関わったと見られる大学生五人は全員、犯行時のことを覚えていないと語り、「気がつけばあの場所にいた」と供述している

 

「大丈夫か、ともこ? 手が震えてるぞ?」

「……ううん。なんでもない」

 

 新聞を押し付けるようにお父さんに返す。

 きっと偶然だ。たまたま悪い人たちがお酒でも飲んで、たまたまあの神社をめちゃくちゃにしただけだ。

 だから山の神なんて関係ない。

 

「お姉ちゃん」

「ッ!? ど、どうしたの、ことも?」

 

 突然背後から妹に呼ばれる。

 先程までテレビを見ていた妹はいつの間にか私の後ろに立っていて、にっこりと笑いながら台所を指さしている。

 

「もうパン焼けてるよ」

「え? あ、ああ……ありがと、ことも」

「いいよ。それより、早く食べないと学校に遅刻しちゃうよ?」

「そ、そうだね。早く食べるから、こともは先に行ってて。こともも遅刻しちゃダメよ?」

「わたしは大丈夫。それにお姉ちゃんの方こそ走れないんだから、遅刻しちゃうかもしれないでしょ」

 

 でも、一応私は足が悪いことを学校に伝えているため、少しぐらいなら遅刻しても許される。ただ、それだとなんだかクラスメイトに悪い気がして、できる限りちゃんと遅刻せず登校するようにしている。その甲斐もあってか、今のところ私は皆勤賞だ。

 それに心配性な妹が毎朝付き添って手伝ってくれているから、途中で転けたりもしない。私は大丈夫と言っているのに本人がなかなか譲らないから困ったものだ。

 

「こともはどう思う?」

「何が?」

「神社が壊されちゃったこと。よく二人でお参りに行ってるでしょ?」

「もしかしてあの赤いお守りの神社のこと? 壊されちゃったんだ……なんだか寂しいなー……」

 

 妹は心底悲しそうに俯く。

 この子もあのムカデ神社のお守りを大事にしていたから、私と同じぐらいあの場所を大事に思ってくれている。

 私も自然と、いつもスカートのポケットに忍ばせているお守りを握る。

 このお守りは家族全員に渡してある。

 そのおかげもあってか、あの夜以降は家族の身には何も起きていない。妹だってもう私の記憶にある妹と同じぐらい大きくなっている。私たち一家にとってムカデの神様はまさに守り神だ。

 でも、もしかしたら神社が壊されたせいでこのお守りの力も弱まってしまう可能性がある。

 つまりあの山の神の魔の手がまた伸びてくるかもしれない。

 それだけは絶対に許せない。せっかく掴んだこの幸せを、あの化け物にまためちゃくちゃにされるなんてこりごりだ。親の愛情を知らないこともも、毎晩お母さんの遺影の前で泣くお父さんも、もう見たくない。

 だから私は今夜、確かめないといけない。神社まで行って、あのムカデの神様が無事だという事……家族が護られているということを。

 

 

「──ダメだよ、お姉ちゃん」

 

 

 突然、妹がそう言う。

 一瞬意味が分からず、私は思わず首を傾げる。

 

「ことも、どういう──」

「お姉ちゃん、あの神社に行くつもりでしょ」

 

 心臓が跳ねる。

 もしかして、妹に悟られた? でも、どうやって……。

 

「勿論、学校が終わったら行くつもりよ? ほら、いつもお世話になってる神社だし一体どうなっちゃったのか気になって──」

「嘘。夜に行くつもりでしょ」

 

 今度こそ私は背筋が震え上がった。

 

「そんなのダメだよ、お姉ちゃん。夜はお化けが出るんだから、家にいないと。それとも自分から危険なところに行くのかな?」

 

 妹の有無を言わせぬ物言いに、私は言葉を詰まらせた。

 妹は先程からじっと私の目を見つめている。要するに、怒っている。

 お化けが出るなんて幼い子供の言葉を真に受ける必要はないと普通なら思うけれど、私はそれが妄言でもなんでもない事実だと身をもって知っている。

 あの夜以降、私は夜廻りをしていない。

 それはもう夜に出歩く理由がないのもあるけど、不自由になってしまった自分の足でお化けから逃げ切れる自信が無いのが一番の理由だった。

 つまり、妹が言っている事は正論だった。

 

「でもね、ことも。こともも知ってるでしょ? 私はあのムカデの神様にすっごくお世話になったの。だから、どうしてもあの神様が無事なのを確かめないといけないの」

 

 もう妹に誤魔化すのは無理だと悟り、私は素直に白状する。

 しかしそれを聞いた妹はニッコリと普段の可愛らしい笑顔に戻った。

 

「だったらわたしが見てくるよ! お姉ちゃんが無理でも、わたしなら元気だし!」

「お化けが苦手なこともが? 無理よ、外にはよまわりさんだっているのよ?」

 

 今のこともは夜の町を知らないはずだ。

 電柱の陰、木々の後ろ、道の片隅。至る所を跋扈する怪異に溢れた町を、妹はまだ見た事がない。

 

「大丈夫! わたし、実はお化けとかへっちゃらだから!」

 

 なのに妹の言葉は強がりでもなんでもなく、本心からそう言っているように聞こえた。

 

 その姿はまるで、私を山の神から助けた後の妹の姿に見えた。

 

「……それでも、お姉ちゃんはそんなこと許しません。私も行くのをやめるから、こともも行かないでね? お願いよ?」

 

 それでも妹を危険に晒すことなんてできない。

 とりあえず今は諦めて、放課後に一度行ってみよう。それで見つからなければ、妹が眠った後に夜に行けばいい。

 

「……わかった。ごめんね、お姉ちゃん」

 

 妹も納得してくれたのか、これ以上は何も言わない。

 

 もう朝ごはんを食べる時間は無くなっていた。

 

 

 




ハードモード開始。
手始めにムカデ神社を弱体化。深夜廻のクリア後に行った時の状態よりさらにボロボロと考えて下されば。

ちなみにこの小説を書く際に夜廻と深夜廻をもう一度プレイしましたが、何度やっても深夜廻のラストで泣いてしまいます…


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しょうてんがい 〜 むかでじんじゃ

ストックが尽きてしまったので、ちゅーとりある編のような毎日投稿は難しくなりそうです


 この町の夜は変わらない。

 夜が来て、朝が来て、また夜が来る。

 自分にどんな事が起きても、誰かがどんな事をしても、夜は必ず訪れる。

 夜の世界はお化けの独擅場。

 学校の校舎で、古びた家で、毎日通る道端で。私たちが見えないだけでお化けはずっとそこにいるかもしれない。恨めしそうに生者(こちら)を見つめながら、いつか自分たちの仲間にしようと機を伺って。

 そして、夜になれば怪異たちは一斉に動き出す。

 

「………」

 

 息を殺しながら看板の裏で影の怪異が立ち去るのを待つ。

 私のすぐ目の前には黒焦げになった焼死体のような人影が、真っ白に塗りつぶされた両目と口を剥き出しにしながら辺りを見回している。しばらくは看板の前をウロウロと探すと、やがて興味を失ったように通り過ぎていく。

 

「ふぅ……」

 

 それを合図に気が付けば止めていた呼吸も再開させ、私は深く息を吐いた。よろよろと看板の裏から這い出る。

 手の震えはまだ止まらず、心臓の鼓動も速くなっている。

 どれだけ私が大人になっても、どうやら私は未だに怪異たちが怖いらしい。

 

「こんなことならポロも連れて行けば良かったかな……」

 

 我が家の犬小屋で寝ているであろう白いもふもふを思い返し、私は肩を落とす。でも流石に愛犬まで一緒に連れ出すと家族にバレてしまいそうだったから、残念ながらポロには留守番を頼んだ。悲しそうに「くぅん……」と鳴いているポロに私が折れそうになったのはここだけの話。

 閑話休題。

 今の私は独りぼっち。持っているのはムカデ神社のお守りと家から持ってきた懐中電灯だけ。なんとも心細い味方たちに苦笑しながらも、私は住宅街を進む。

 

──結局放課後には神社に行かず、家を抜け出して夜に向かった。

 

 夜にしか姿を現さないムカデの神様に会うためには、やはり夜に神社に行かないといけない気がした。

 夜、つまりお化けが支配する世界に飛び込むということ。

 足が悪い私では見つかればどこかに隠れないと逃げ切れない。それでも家族の安全を確かめるためにはどうしてもあの神様と会わなければいけない。妹には申し訳ないけど……。

 ごめんねことも。でもお姉ちゃんにも譲れないものがあるの。

 

「ッ……!」

 

 交差点を抜け広々とした一本道を通り過ぎると、私の中に緊張が走る。

 目の前に姿を現したのは一本の古びた線路。

 赤茶色に錆び付いていて長い間使われた形跡が無い路線に、ガラスが割れていて電気も消えている信号機。

 こともを助けたあの夜に私に恐怖を叩きつけた、あの幽霊電車の線路だ。

 

「ふぅ……行くしかないわね」

 

 慎重に歩み寄る。一歩、また一歩と踏み出しながら、全神経はあの信号機へと注いでいる。

 

カーン カーン カーン

 

 当然と言うべきか、遮断機が私の目の前で降りる。壊れて動かないはずの信号機も息を吹き返したように赤く点滅し、この暗い夜の町を微かに照らす。

 そしてその信号機に赤く照らされている──線路を這い蹲う下半身の無い女。

 あの時と同じように体中から血を垂れ流しながら、私を見て笑みを浮かべている。

 

『イタイ……イタイ……タスケテ……』

 

 そんな痛々しい声とは裏腹に、女はさらに笑みを深めながら私を手招きしている。「一緒に苦しもう」と告げるように、線路の外側に立つ私へ向かって手を伸ばしていた。

 

『イッショ……ミンナデイッショニ……』

「ごめんなさい」

 

 そんな彼女に、私は頭を下げる。

 

「貴女のところへはいけません。でも、いつか貴女がそこから出られることを祈っています」

『コッチニキテ……ココニイテ……』

 

 女はそれでも手招きを止めようとしない。

 しかし無情にも、彼女には避けられない未来が待っている。

 線路の奥からこちらへ向かって走る、一台の電車。車体は線路同様に錆び付いていて、夜なのにライトも付けず線路を進んでいる。暗闇の中なのによく見える車体の中にはいるべき運転手がいない。

 そして車体の下部で一際目立つ赤黒いシミ。

 

 その電車を合図に、私も静かに手を合わせる。

 

『アァ……』

 

 女はそんな言葉を最後に、電車に飲み込まれた。

 ガタンゴトンと聴き慣れた音と共に走る電車をしばらく見つめる。やがて電車の姿が夜の奥へと走り去ると、遮断機は何事も無かったように上がる。女の姿は……もう無い。

 電車に飲み込まれる寸前、女の人の目がとても悲しそうにしていたのは私の見間違いではない気がした。

 この町の夜は変わらない。

 独りぼっちの寂しさはとても苦しい。それは私でも、お化けでも同じ。

 

「あの女の人もいつか成仏できるのかな……」

 

 そんな日が来るといいなぁって、自分でも身勝手だと分かることを思いながら、私は静かになった線路を渡った。

 再び始まる一本道。ここを抜けて西へ進めば神社まですぐそこだ。

 

「どうか無事でいて下さい、神様……」

 

 もう自分の頭の中にはあの神社の事しか無かった。

 神社がすぐ近くにあるし、最大の難所であるあの線路も越える事ができた。そのせいか、私は完全に気を抜いてしまった。

 

──夜の町ではそれが自殺行為だと知っていながら。

 

「オイ」

「きゃっ!?」

 

 突然誰かに声を掛けられる。

 思わず悲鳴を上げて後ろを振り向くも、何事も無かったように夜道が続くだけ。

 

「気のせいかな……」

 

 不安になりながらも、再び歩き始める。

 神社が壊れされたと聞いてからずっと不安だったから、きっと疲れてるだけ。そもそもお化けなら私に声を掛ける前に襲いかかってくるはずだし、ほとんどのお化けはそもそも言葉を話すことも──

 

「オイ」

「ひゃっ!?」

 

 まただ。

 低いおじさんみたいな声が私を呼ぶ。慌てて辺りを見回すも、やはり人影どころかお化けすら見当たらない。でも今のは絶対に私の聞き間違いではないはずだ。

 心臓の鼓動が再び速くなる。

 

「誰かいるの!?」

 

 ダメ元で呼びかけてみるものの、当然のように返ってくるのは静寂のみ。

 多分お化けなのに、他のお化けとはどこか違う雰囲気がする。さっき見た女の人のお化けとも、町中を彷徨う黒い影とも違う、ドロドロとした邪な視線。まるで私を見定めているような……。

 

「オイ」

 

 また声がする。

 しかしそれまで背後から聞こえてた声が今度は私の頭上から発せられた。

 まさか……。

 体から一気に冷や汗が噴き出すと、私は恐る恐る顔を上に向けた。

 

──目が合った。

 

 私の頭上を巨大な()()()が浮遊していた。

 紫色の毛糸のようなものが何本も絡み合って一つの塊を形成していて、その隙間から無数の目玉がひしめき合っている。それらのギョロギョロと動く目玉の一つがジッと私の事を見つめていた。

 

「うぁ……」

 

 声にもならない悲鳴が口から漏れると、思わず一歩後ずさる。

 なにこれ……これもお化けなの……?

 とにかく逃げないと。

 ()()に捕まったら、きっと死ぬだけじゃ済まない。もしかしたらあの塊の中に取り込まれて、私の目玉もああやってお化けの一部になってしまうのかもしれまい。

 頭上であのお化けが塊の中から手を伸ばすのと同時に、私は感覚がない右足を引きずりながらがむしゃらに走り始めた。

 お世辞にも速いとは言えない。でも今はアレに捕まらないために、ただひたすら走るしかない。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 気が付けば私は商店街の中に入っていた。

 どうやら逃げている時に道を間違えてしまったらしい。街灯もついていない真っ暗な商店街を懐中電灯片手に必死に走る。

 背後からはあの黒い塊が腕を伸ばしながら追ってくる。幸いにも腕を伸ばしてくる速度はそこまで速くなく今の私でも避けられるけど、こちらの体力が無くなるのも時間の問題だ。

 

「ゲホっ……こんな事になるなら陸上部にでも入ってれば良かったかな……」

 

 息が乱れ、額には汗が滲む。

 しかしどれだけ商店街の奥に進んでもあのお化けは追ってくる。無数に浮かぶ目玉は全て私に向けられ、骨のように細い腕を伸ばしながら私を捕まえようとしている。

 それに、移動が遅い私に合わせるかのように背後のお化けもゆっくりと進んでいた。それがまるで私を弄んでいるみたいで、さらに恐怖心を増幅させる。

 そもそも最初に私に声を掛けたり、すぐ現れず上から姿を見せたりと、私があえて怖がるような行動を選択しているお化けがどこか人間らしさが感じられて、余計に不気味だった。

 とにかく、これ以上このお化けとは関わっちゃいけない。

 

「どこかに隠れないと……」

 

 走りながら必死に隠れられそうな場所を探すも、今は姿を見られている。

 勝負は一度。この商店街を抜けて角を曲がったところ──お化けの視界から私が外れた時に、どこかに隠れないといけない。

 次の角まであと三歩。

 二歩。背後から腕が伸びてくる。

 一歩。あの細長い腕が私の背中を掠める。

 

──今!

 

 強引に足を踏み出し一気に角を曲がると、私はとにかく目についた茂みの中に飛び込んだ。枝が腕を擦るのも構わず、頭を抱えて息を殺す。

 一呼吸も置かないうちにあの禍々しい気配が商店街から近づいてきた。

 今まで一度も止まることもなく私を追っていたお化けは、消えた私を探すようにその場から動こうとしない。夜の静寂が戻るものの、あの気配は未だに消えていない。

 

──お願い、ここを覗かないで。

 

 もう体力も限界。

 ここで見つかったら、私はもう逃げられない。だから私にできることはもう、あの無数の目に姿を捉えられないことを祈るだけ。ポケットからお守りを取り出し、強く握る。

 

ギョロ ギョロ

 

 頭の中で、あのお化けが茂みの外からこちらを覗き込む光景が浮かぶ。あの無数の目玉が全て私に注がれ、そのままあの腕に掴まれて……。

 だめだ。悪い方向へ思考を向けてはいけない。

 しかし、気配は一向にこの場から去ろうとせず、ジッとこの場所に屯している。

 

──どうしてどこかに行ってくれないの?

 

 そんな私の焦りを感じ取ったのか、気配が段々と移動し始めている。

 

 私が隠れる茂みの方へと。

 

「ひぃっ……」

 

 声にもならない悲鳴が零れ、私は慌てて口を塞いだ。

 もうダメだ、気付かれてしまった。私の心が絶望に沈もうとした時、

 

コロンコロン

 

 何かが転がる音が商店街の方向から聞こえた。

 私も、私に近づいていた気配も停止する。

 今の音は……石ころ?

 

コロンコロン

 

 再び、石ころが転がる音が静寂を切り裂く。

 禍々しい気配はその音に釣られたのか、私が隠れる茂みから離れ、再び商店街へと入っていった。恐る恐る茂みの隙間から顔を覗かせると、あの毛糸のお化けは消えていた。

 絶望の淵から一転、九死に一生を得た私は思わずその場にへたり込んだ。

 

「た、助かった……?」

 

 それにしても、あの音は一体誰が……。

 

「危なかったね、お姉ちゃん」

「ッ!?」

 

 その時、私が隠れていた茂みのすぐ真後ろから声がした。

 慌てて茂みの中に潜ろうとするよりも速く、誰かが私の肩を掴み、茂みから引っ張り出される。バランスを崩していた私の体は成す術もなくアスファルトの地面へと倒れ込んだ。

 

「こ、ことも……」

 

 無様に倒れた私を見下ろすように馬乗りになっているのは、自宅で眠っているはずの少女。茶色の髪と赤色のリボンが街灯に照らされ、能面のように恐ろしい無表情で私を見つめている。手に持っているのは、先程投げたものと同じであろう小さな石ころ。

 今一番見つかってはいけない相手──こともが、静かに怒りを露わにしていた。

 

「お姉ちゃん言ったよね? 夜の神社には行かないって。危ないから夜廻はしないって」

「こ、ことも……私……」

「お姉ちゃんの嘘つき」

 

 有無を言わさぬ妹の言葉を、私は黙って聞いているしかない。

 ことものこんな怒り方、初めて見た。

 

「お姉ちゃんはわたしに嘘吐いた。わたしはお姉ちゃんを守りたかっただけなのに、それでもお姉ちゃんは夜廻りした。だからわたしにも考えがあるよ」

 

 妹の無表情がグッと目の前に近づけられ、視界全体が妹の顔で埋め尽くされる。黒々とした瞳は見ているだけで飲み込まれそうで、なのにそのクリっとした目から視界を外せない。

 見慣れた妹のはずなのに、心臓がどくどくとお化けに遭遇した時のように鳴り響く。

 

「でもいいよ」

「え?」

 

 突然ケロッとしたようにこともはいつもの笑顔に戻ると、私の上から降りた。唐突な変貌に疑問符を浮かべながらも、私もよろよろと立ち上がった。

 あの時の説明のしようがない威圧感も感じられない、いつもの可愛らしい妹。

 じゃあさっきの妹の姿はなんだったんだろう……。

 

「きっとお姉ちゃんにも事情があったんだよね? だからわざわざこんな場所まで来たんでしょ?」

「う、うん……」

「じゃあ行こっか。大丈夫、もうあのお化けはいないみたいだし。いざとなればわたしがついてるから!」

 

 妹は「えっへん」と胸を叩くも、私の頭の中は疑問符で埋め尽くされていた。こともと喧嘩するとしばらく口を利いてくれなかったり犬小屋に入り浸ったりするのに、ここまで切り替えが早かったのは今までなかった。

 こともも大人になったってことなのかな……。

 困惑する私を他所に、こともは立ち尽くす私の手を取って歩き始める。柔らかくて暖かい、いつものこともの手だ。

 

「あの……ごめんね、ことも」

「うん。いいよ、お姉ちゃん」

 

 私の謝罪にも、彼女は素直に頷いてくれた。

 これだとむしろ私の方で凄まじい罪悪感を感じてしまう。

 こんなに良い子に嘘を吐くなんて……。

 力強く私の手を握ってくれていることもの手を握り返す。

 人目がある時は恥ずかしいけれど、妹と手を繋ぐだけで先程のお化けに対する恐怖も薄れていくのを感じる。これはしばらくは妹離れできそうにない。

 

「あ、ただね、お姉ちゃん。次こういうことする時は」

 

 こともは思い出したように立ち止まると、手を握ったままこちらへ振り向く。

 

 

「今度は最初からわたしも連れて行ってね?」

「……うん」

 

 

 肯定以外は求めていない。

 そんな雰囲気を醸し出していた妹に、私はただ頷くしかなかった。

 

 

 

⭐︎

 

 

「やっと着いたね、お姉ちゃん」

「お化けに追いかけられなかったらとっくに着いてたんだけどね……」

 

 念のために商店街は避けて歩道を歩くこと数分、わたしとお姉ちゃんはようやく神社までたどり着くことができた。

 よくテレビで見る黄色いテープが鳥居の入り口を塞いで物々しい雰囲気を出していて、わたしの手を握るお姉ちゃんの手が強くなる。

 一歩ずつ鳥居に近づくと、徐々に神社の全貌が見えてきた。テープの中には入れないから、お姉ちゃんは外から懐中電灯で境内を照らしてくれた。

 

 ひっくり返された石畳。倒されたお賽銭箱。柱を折られて今にも倒れそうなおやしろ。

 

「酷い……」

 

 今までずっと綺麗に手入れされていた神社のボロボロな姿に、わたしもお姉ちゃんも絶句する。

 ムカデの神様はずっとわたしたちを護ってくれたのに。()()()()()()()()()()()ムカデの神様はお化けに捕まりそうになっていたわたしを赤い世界に連れて行ってくれて、お供えの塩を直してあげたらお守りもくれた。

 夜の怖さから救ってくれた神様は、わたしにとってヒーローみたいだった。

 それが悪い大人のせいでめちゃくちゃにされるなんて。

 

「ムカデの神様だって生きてるのに……」

 

 お家を壊されたらわたしだって悲しくなる。

 でもお姉ちゃんは、神様にとって神社はお家以上に、生きるために必要な大切な場所だって言っていた。

 だとしたら、ムカデの神様も凄く苦しんでるのかもしれない。

 

「どうにかできないかな、お姉ちゃん……お姉ちゃん?」

 

 先程から一言も話していないお姉ちゃんが気になって隣を見てみると、お姉ちゃんはいつの間にかわたしの手を離して頭を抱えながら蹲っていた。

 目から大粒の涙を流して、体も震えている。

 

「そんな……神様が……これじゃあこともたちがまた山の神に……」

 

 お姉ちゃんは本当に怯えた様子で荒れた神社を見つめていた。

 

「嫌だ……もう家族がいなくなるのは嫌だ……もう独りぼっちは嫌だ……」

「お姉ちゃん」

 

 そんなお姉ちゃんを、わたしはぎゅって抱きしめた。

 お姉ちゃんやお母さんはよくわたしをぎゅーってしてくれて、とても暖かくて安心するから、お姉ちゃんもこれで安心してくれるといいなって思いながら。

 お母さんにぎゅーってされるのはまだ()()()()から、やっぱりわたしはお姉ちゃんにされるのが一番好き。

 だから今度はわたしがお姉ちゃんをぎゅーってしてあげる番だ。

 

「お姉ちゃんは頑張ったんだね」

 

 この世界はわたしが知ってる世界とは違う。

 それは朝起きて見えるようになっていた左目と朝ごはんを作ってくれたお母さんを見て確信した。

 たいむすりっぷ、って呼ぶのかな。

 わたしもお姉ちゃんも小さくなってて、なのにわたしが知らないはずのお母さんが時々家にいるし、お父さんも毎日帰ってくる。

 

 そして何より、お姉ちゃんは右足が動かなくなってた。

 

 それだけで全部分かった。

 過去に来たのはわたしだけじゃないって。

 

「お姉ちゃんは凄く頑張ったもんね。ありがとう、お母さんを助けてくれて。わたしたちをずっと守ってくれて」

 

 わたしたち一家にお守りを渡してくれたのもお姉ちゃんで、絶対夜になる前に帰ってきてって言ってくれたのもお姉ちゃん。

 お姉ちゃんはずっと頑張ってくれてたんだ、わたしたち家族がもうバラバラにならないように。

 

「こともぉ……」

 

 お姉ちゃんは弱々しくもわたしを抱き返してくれた。

 いつも力強くぎゅーってされるけど、今日はわたしの方が強くぎゅーってしてあげる方。

 家の中ではお姉ちゃんは凄く頼りになって、わたしもいつも頼ってしまう。でも夜の町ではお姉ちゃんはこんなにも小さくて、弱々しい。

 だからわたしがお姉ちゃんを夜から守ってあげないといけない。

 

「大丈夫だよお姉ちゃん。お母さんもどこにも行かないし、ポロもどこにも行かないし、お父さんもどこにも行かないし──わたしもどこにも行かない」

 

 お姉ちゃんは何も言わず、黙って頷く。

 

 寂しい夜にお姉ちゃんの嗚咽だけが木霊した。

 

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「大丈夫お姉ちゃん? 狭くない?」

「大丈夫だって、こともは小さいんだから。それにこうしてれば狭くないでしょ?」

 

 お姉ちゃんがぎゅっとわたしを抱きしめてくれる。

 やっぱりお姉ちゃんにぎゅってされるのがわたしは一番好きだ。心の中がとてもポカポカして安心するし、とても暖かい。

 あの後家に帰ったわたし達はそのまま同じお布団で寝ることになった。私のベッドは上段にあるから下段のお姉ちゃんのベッドになったけど、そのおかげでお布団からはお姉ちゃんの匂いがして、まるでお姉ちゃんに包まれてるみたいだった。

 今まさにお姉ちゃんに抱きしめられてるから間違ってはいないけど。

 

「こともと一緒に寝るのも久しぶりだね。一人で寝るのは寂しかった?」

「最初は寂しかったけど……下にお姉ちゃんがいてくれるからわたしも安心して寝れたよ!」

 

 それでもやっぱりお姉ちゃんの腕の中で寝るのが一番安心できる。

 

「ちょっと前までお化けが怖いって言ってたのに、今じゃ私の方がお化けが苦手だなんてね……お姉ちゃん失格だなぁ……」

「ううん、お姉ちゃんがずっといてくれたからわたしもお化けが平気になったんだよ?」

 

 これは本当でもあるし嘘でもある。

 山の神様と対峙したあの夜があったから、今のわたしがいる。お化けが朝も夜も関係なしに見えるようになったし、夜廻り中にお化けを見つけても慣れちゃったせいで怖くなくなった。

 でも、そんなわたしがそもそもそこまで来れたのも、お姉ちゃんがいてくれたから。お姉ちゃんがずっと側にいてくれたから、いなくなった時にわたしに一歩踏み出す勇気をくれた。

 だからお姉ちゃんはわたしにとって、最高にカッコいいお姉ちゃんだ。

 

「こともは大きくなったわね……でも私の前じゃまだまだお子様よ! ほら、ぎゅー!」

「えへへ、苦しいよお姉ちゃん」

「……ありがとうね、ことも」

 

 お布団の中でお姉ちゃんと向き合う。

 もう夜も遅くて、わたしもお姉ちゃんも段々と眠気で朦朧としている。

 瞼も重くなり、徐々に意識が遠のき始めた。

 壊された神社も山の神様も、今は関係ない。

 わたしとお姉ちゃん、二人っきりの時間。

 

「みんな……私を置いていかないで……」

 

 最後にお姉ちゃんのそんな呟きが聞こえる。

 でも大丈夫。

 お母さんも、ポロも、お父さんも。みんなどこにも行かないし、連れていかせない。

 それに仮に山の神様がわたしたちから全てを持っていっても。

 

 

──わたしだけはずっとお姉ちゃんと一緒だよ。

 

 




別名「最強の守り神であるムカデの神様がいなくなって絶望するお姉ちゃんを幼女先輩が慰める」回

幼女に抱きしめられながら慰められると誰でもロリコンになってしまいそう…


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としょかん 〜 となりまち

今回は短め

実は昨日の時点で投稿する予定でしたが、どうしても内容に納得ができずに半分ほど書き直しました。
どうもスランプ気味のようです…そもそもスランプに陥るほどの文才はありませんが…


 神様とは元来、人の子との共存により成り立っていた。

 

 力を持たない人間が自身の窮地に瀕した時、最後に頼ってしまうのがその人物が信仰する神様。神様も時には気まぐれながらも、人の子の願いを聞き入れてその力を振るう事がある。

 お供えという対価を頂きながら。

 やがて窮地より救われた人間はさらに信仰を深め、周りの者たちにもその信仰を広めようと布教する。そして信者が増えた神様はより多くの人間から対価を頂き、自身の力を高めていく。

 これが神と人間の関係。

 神無くしては人間は不安に苛まれ、人間無くしては神も信仰を広める事ができない。

 この共存関係こそが古代より続く神と人間の生存戦略の象徴である。

 

「……あの山の神とは大違いね」

 

 そんな情報がまとめられた一冊の本を読み進めながら、私は呆れたように呟く。

 

「あの神様は私たちから奪うだけで全然願いなんて叶えてくれそうにないじゃない。共存どころか一方通行よ」

 

 なおもページを捲りながらも、その本に記載された情報に毒づかずにはいられない。そもそもあの神に今でも信仰があるとはとても思えない。あんなに山奥にひっそりと佇む神社に押し込まれて、信者も参拝者も随分と長くお参りに行っていないように見えた。

 ならなぜ、あの神は存在を保てるのか。

 答えはこの本を読み進めるとすぐに分かった。

 

「信仰が減り存亡の危機に瀕した神は自身の存在を保つために祟り神となる……そういう事ね」

 

 祟り神となった神は自身の欲望に赴くがままに災厄を撒き散らし、『信仰』ではなく『恐怖』によって存在を保つようになる。

 たとえ神の存在が認識されていなくても、()()()()()()()()()()()()()()()()という認識だけでも十分に神の存続の養分になれるらしい。

 しかし『信仰』という真っ当な力の源を失った祟り神は大抵その姿を醜く変貌させ、その神格までもが悪霊のように穢れて堕ちてしまう。

 

「その結果があの姿……」

 

 脳裏に浮かぶ山の神のおぞましい全貌。

 つまり山の神のあの恐ろしい姿は、かつて得ていた信仰が無くなり祟り神となった結果という事なんだろうか。

 神様が生きるために足掻けば足掻くほど醜くなってしまう。そう考えると、あの山の神もかつての神格ある姿を夢見てるのかもしれない。

 

「ダメ、同情したらあいつの思う壺」

 

 首を振ってその思考を頭から追い出す。

 憐れんではいけない。あの山の神は私たち家族の幸せを奪おうとする敵だ。

 

「ふへぇ……それにしても詳しく書いてあるなぁ。よっぽど熱心な研究者なのかな?」

 

 まだ半分も読み終わっていない本の表紙を見つめながら、私は『神様』という題目にここまで取り組んでいる作者に関心した。

 

「お姉ちゃん、何か見つかった?」

「ううん、まだ読んでる途中。こともも無理しちゃダメだからね?」

「全然大丈夫! 読書も好きだから」

「小学生のこともにはまだ早いと思うけど……」

 

 私と妹は今、隣町の図書館に来ている。

 目的は当然、山の神に関する情報。前の世界で妹に助けられた後も山の神について調べたけれど、あの神様は本当の意味で人々から忘れられていたのか、山の神自身について書かれた本はほとんど無かった。ただ分かったのは昔、自分の左目と引き換えに願いを叶えてくれる神がいた事だけ。

 だから今回は視点を変えて『神様』という存在そのものについて勉強している。

 神様という存在がどういうものなのか分かれば、あの山の神についても何か仮説を立てられるかもしれない。

 視線を落とし、私たちが座っているテーブルの上に置かれたメモ用紙に書かれた文字を復習する。

 

・山の神は信仰を失って祟り神になっている

・信仰を失えば本来なら消えているはず

・今は恐怖を糧に存在を保っている(?)

 

 しかし、ここまで書いて頭を抱える。

 そもそも一介の中学生でしかない私がどうにかできる相手なのだろうか。ムカデの神様もいなくなり、お守りの力が枯渇するのも時間の問題。残された時間はわずかなのにまだ解決の糸口すら見えていない。

 

「でも調べないと始まらないよね」

 

 気合を入れ直し、再び本のページを捲る。

 しかし、隣で一心不乱に目を凝らしながら分厚い本を読んでいることもを眺めながら、思わず深いため息を吐いてしまう。

 

「先が見えないトンネルの中を進んでいる気分……」

 

 気晴らしに作者について紹介しているページを覗いてみる。研究者と思わしき眼鏡をかけた優しそうな男性に、その隣には奥さんなのか綺麗な女性が立っている。そして女性の腕の中にはおそらく今のこともと同じぐらいの少女。

 自分の本の写真に家族全員を写すなんて、よほど家族想いの良いお父さんなんだろう。

 

「この人に会って神様についてもっと詳しく聞けたらなぁ……でもそんなに都合良く会えるわけ──」

「あ、お父さんの本」

「ひうっ!?」

 

 突然、背後から声をかけられた。

 まさか図書館で妹以外の人から声をかけられるとは思っていなくて、口から変な声を出してしまう。

 慌てて振り向くと、小さな女の子が私が手に持っている本を指差していた。

 

「その本、私のお父さんが書いたんだよ」

「え?」

 

 言うが否や女の子は私の隣の椅子に座り込むと、開きっぱなしだった本の作者紹介ページを再び指差した。

 

「わたしのお父さん」

「お父さんって……」

 

 改めてこの女の子を見てみる。

 焦茶色の髪を妹のような赤いリボンで結んでいて、どこか快活な印象を与える。知らない人にもこうして物怖じせず話しかけているし、きっと人見知りもしないのだろう。

 何より、読んでいた本に写っている女の子と瓜二つ──というより同一人物。

 

「この本ってあなたのお父さんが書いたの?」

「うん、わたしのお父さんのお仕事なの。たまにこうして本を出したりしてるけど、あまり面白くないなぁ。お父さん、全然遊んでくれないもん」

「あはは……まだあなたには早いかもしれないね」

 

 父親の研究を「つまらない」の一言で切り捨てるこの女の子に苦笑いを浮かべるも、女の子はお構いなしに頬を膨らませて腕を組んでいる。きっと彼女のお父さんが研究に忙しくてあまり娘に構ってあげれていないのだろう。

 でも、()()()()()()があるなんて考えたこともなかった。

 前回の時代――お母さんを助けられなかった時代では、私たち姉妹にとって『父親』とは都市伝説みたいなものだった。いると言えばいるのに、その存在を認識できない。

 でもこの子の場合、逆に家にいるのに構って貰えない。ある意味で父親の愛情を受けられない。

 この子もこともも似た者同士……なのかもしれない。

 

「……お姉さん?」

「あぁ、ごめんなさい。少し考え事をしてて」

 

 いけない、こんな見ず知らずの女の子の家庭の事情を詮索するなんて失礼にも程がある。

 この子はこの子でこともはことも。重ねて考えてはダメだ。

 思考を振り払うように頭を振る私を見て、女の子は首を傾げた。

 

「もしかしてお父さんのお仕事に興味があるの?」

「う、うん。あなたのお父さんが勉強している事がちょうど私も勉強してる事と同じで。だからわざわざ隣町からこの図書館に来たの」

「わぁ……わたし、お父さんのお仕事に興味を持ってる人なんて初めて見た。お姉さん、変わってるね」

「あはは……そうかな?」

 

 事実とはいえ、面と向かって言われると少し悲しいなぁ……確かに女子中学生が調べるような内容の本ではないけど。

 私だって女の子らしく買い物に行ったり遊びに行ったり……買い物に行っても見るのは洋服の値段じゃなくてお魚の値段だし遊びに行く時はこともとポロも一緒だけど。

 私はいいんだ。山の神をどうにかしないと安心して遊びになんて行けない。

 

「じゃあわたしが案内してあげるよ! わたしずっとこの町に住んでるから神社の場所とか色々知ってるよ?」

「え、それは……」

 

 正直に言うと、私が知りたいのはこの町の神社ではなくてあの山の神について。この子の申し出は嬉しいけれど、私がここに来た目的とは少し違う。

 しかし。

 

「ねぇ、いいでしょ!?」

「うぅ……」

 

 こんなにキラキラした目で見つめられると断ろうにも断れない……。

 この子は多分、お父さんに構ってもらえなくて寂しいんだと思う。私自身がそうだったように、この子からも同じ雰囲気を感じる。

 でも私の場合は妹がいたし、ポロという心強い味方もいた。

 そんな私が寂しそうにしている子供を放っておく事なんて……できない。

 

「……こともー、今日はもうこれぐらいにして遊びに行こっか」

「やったー!」

 

 隣で一心不乱に本を漁っていたこともにそう告げると、女の子は心底嬉しそうにピョンピョンと跳ねる。

 これで良かったんだと思いたい。それに遊ぶだけじゃなくて、もしかしたらこの町にある神社に何か手がかりがあるのかもしれない。

 それにお父さんから話を聞く限り、この町も夜になるとお化けの巣窟になる、ある意味では私たちの町とよく似ている。

 なら、山の神についても何か分かるかもしれないし、もしかしたらムカデ神社のようなこちらを護って下さる神様とも会えるかもしれない。

 うん、そうだ。だから別に遊びにいくわけではない。

 

「……お姉ちゃん、その子誰?」

 

 こともは本の山から顔を上げると、自分と似た赤色のリボンを揺らしながら喜ぶ女の子を見て、ジトッとした表情で私を見つめる。

 なんだか妹の視線が痛い。

 女の子もこともの存在にようやく気づいたのか、首を傾げながらこともを見つめている。

 とりあえず、私は先に妹を紹介した。

 

「この子は私の妹。お姉ちゃん離れができなくて着いてきたんだけど、一緒に案内してもらっていいかな?」

「えぇ……」

 

 私の雑な紹介に妹は呆れたように抗議の視線を送ってくる。

 でもこれは紛れもない事実だ。放課後に荷物を置いてから図書館に行こうとしたら、妹がすでに背中にいつものポシェットを背負いながらスタンバイしていた。

 しかしそんな妹を他所に、女の子は同行者がもう一人増えて嬉しいのか、満面の笑みを浮かべながら手を差し出した。

 

 

「わたしはユイ! よろしくね、こともちゃん!」

 

 

⭐︎

 

 

 その少女──ユイはとても上機嫌だった。

 親友のハルが放課後の用事で出かけてしまったため、遊び相手がいなくなったユイは気まぐれに町の図書館を訪れた。

 適当に面白そうな本でも見つけて過ごそうと思った矢先に、通りかかった机の上に父親の本が置いてあるのを見つけた。

 読んでいたのはこの町のものとは違うセーラー服を着た少女。肩まで届くどこか自分と似た茶色の髪を弄りながら父親の本を読んでいた少女に、ユイは声をかけてみた。

 その結果が自分の後ろで物珍しそうに町並みを眺めている幼い姉妹──こともとともこだ。

 

「ここがこの町の神社。ただ奥にある林は危ないから近づかないでってお母さんが言ってた」

「わぁ……わたしたちの田んぼにも神社作って貰えないかなぁ」

「田んぼの真ん中に神社があるなんてなんだか神秘的ね。でもそんな無理を言っちゃダメよ? 神様だって住みたい場所があるんだから」

 

 広大な田んぼに取り囲まれるように聳え立つその神社を見上げ、姉妹は感心したように深く息を吐いた。

 その反応にユイも満足げに頷く。なんだか自分の町が褒められておるみたいで誇らしい気がした。

 

「あの林の中には何があるの? ここからじゃゴミしか見えないけど」

「知らない。でも誰かがあそこで悪い人に殺されちゃったってお母さんがお父さんに言ってたから、あまり行かない方がいいと思う」

「……なんだかうちの町みたいに物騒ね」

 

 あまり理解していない様子の少女二人を他所に、唯一殺人犯と対峙した事があるともこは一筋の冷や汗を流しながらその林を見つめていた。

 やはり怖いのはお化けだけではないのだ。

 

「……これならこともを連れてきたのは間違いだったかなぁ」

 

 実際のところ、ともこは一人で隣町に行くつもりだった。

 しかし、いざ学校から帰宅し荷物を置いていこうとすると、玄関先で待ち構えていたかのように佇む妹から逃れる術はなかった。

 最近妹に行動が読まれている気がしたともこだが、気のせいだと首を振る。

 

「さぁ、参拝しよっか。はい10円玉」

 

 ともこが財布の中から三つの10円玉を出し、それぞれユイとこともに渡す。三人は一斉に賽銭箱に小銭を投げ入れると、手を合わせてお祈りした。

 

──どうか家族が安全でいられますように。

 

 申し訳程度にお願いを頭の中で告げるともこだが、その表情は優れない。

 彼女はこの神社の境内に入った時、ここに神様の気配が無いことに気づいてしまった。夜中になれば変わる可能性もあるが、少なくともかつてのムカデ神社のような力の強さは感じない。図書館で読んだ本のように、もうすでに信仰を失い存在を保てなくなったのかもしれない。

 つまり、彼女が求める『護り』とは違う。

 

「あの……」

 

 どこか表情が暗いともこを見て、ユイは人知れず焦っていた。

 自分が案内すると言ったのに、どうやら彼女は不満に感じているようだった。これではせっかくこの町に来た姉妹を落胆させたまま帰してしまう。

 ユイ自身、初めて隣町の友達ができたのだ。このまま気まずい雰囲気で帰したくはない。

 

「えっと……」

 

 彼女は考えた。

 ともこは父親の研究について興味を持っているようだった。

 ユイ自身は父親の仕事についてはまだ幼すぎる故か詳しくは理解していないが、少なくとも『神様』について調べていることだけは分かっている。だからユイはともこをこの神社に案内しようとしたのだが、ここ以外の神社なんて彼女は知らない。

 

──他に神社……あったっけ……あっ!

 

 そこでユイは思い出した。

 ユイが通う学校の怪談の一つとして語られている、()()()()の話を。

 

「お姉さん、もう一つ神社があるんだけどそっちも行く?」

「え? この町の神社ってここだけじゃないの?」

「うん! えへへ、実はもう一つ秘密の神社があるんだよ」

 

 以前ハルに話した時は怯えさせたせいでしばらく口を利いてくれなかったが、確かにこの町には存在するのだ。

 

 かつてはダムの底に沈み、今は枯れた土地の奥にひっそりと佇む神社。

 

 その神社の中に存在する、理様(ことわりさま)というお化け。

 

 そこに行けば、もしかしたらともこが探しているものが見つかるかもしれない。

 

「ここからちょっと遠いから、早く行こうよ!」

「しょうがないねー。お姉ちゃん、早く行こ?」

 

 不安げな表情から再び花が咲いたような笑みを浮かべると、ユイは神社から駆け出す。そのユイをやれやれと肩を竦めながらも追うことも。

 ともこはただ一人、困惑を隠せず境内を佇んでいた。

 秘密の神社。

 その一言が彼女の中で異様な胸騒ぎを引き起こしていた。

 しかし、戸惑う自分を無理やり動かし、彼女も二人の後を追うように神社を出る。

 

 

 空はすでに夕焼けに染まっていた。

 

 




原作では出会うことはなかったユイとこともがここで対面

最近キャラの口調の把握が難しくなってきました


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はいそん 〜 はさみのおばけ

主人公姉妹の二人の名前がひらがなのせいで接続詞が使いにくいと思い始めた今日この頃


「ねぇ、本当にこんなところに神社があるの……?」

「ちゃ、ちゃんとあるもん! 多分……」

 

 不安で顔を曇らせる目の前の少女に連れられることしばらく。三人がたどり着いたのはかつてこの町にあったダムの跡地だった。

 へし折られた木、破壊された車、無数に積み重なる瓦礫の山。

 枯れてから随分と経つのに未だに残っている水溜りが、長い間ずっと水底に沈んでいたこの場の不気味さを引き立たせる。

 首筋を撫でる湿った空気がまるでナニカの吐息のようで、ともこは身震いした。

 

「えっと、ユイちゃんはどうしてここに神社があるって知ってるの?」

「学校のお話の中にあったの。ここには理様っていう怖いお化けがいて、そのお化けのお家が神社なんだって」

「理様? 私たちの町ではそんな話聞いたことないけど……こともは知ってる?」

「……ううん、知らない」

 

 ダムの跡地に神社がありそこにお化けが住んでいるという怪談など、一度聞けば忘れるはずがない。しかしともこにはそんな話などまったく心当たりがなく、隣を歩くこともも首を振っていた。

 

「…………」

「ことも? どうかしたの?」

「……なんでもないよ、お姉ちゃん」

 

 首を傾げる姉とは違い、どこか浮かない表情を浮かべていることも。気のせいか少し顔色も悪いようだった。

 

──もしかして、怖がってる?

 

 普段は大人びた性格で自分を支えてくれることもの年相応な様子に、ともこは人知れず笑みを浮かべた。そのまま衝動に任せて妹を強く抱きしめたくなるものの、ユイの前でするには酷だろうと踏みとどまる。

 代わりに彼女は自分の手を差し出した。

 

「しょうがないなぁこともは。はい、手を握ってあげるから出して」

「え? 違うよお姉ちゃん! 別に怖い訳じゃなくて──」

「はいはい、いいからいいから」

「もう……」

 

 無駄な抵抗をする妹の手を取る。

 口では不満を漏らしながらも、ことも自身は抵抗する素振りは見せなかった。やはり彼女にとって、姉の手は心が安心する。

 

「いいなぁ……わたしもお姉ちゃんが欲しかったなぁ……」

 

 そんな姉妹の仲睦まじいやりとりを、ユイは羨ましそうに見つめていた。

 一人っ子の彼女にとっては縁が無い光景だった。

 

「家ではいつも一人なの?」

「ううん。お父さんが大学に行く日は一人だけど、普段は家でお仕事してる。でも大丈夫! 寂しくなったらハルと遊びに出かけるから!」

「ハル?」

「わたしの友達! 少し怖がりだけど、とっても優しい子なの!」

 

 先程までの寂しげな表情から一転、満面の笑みでハルについて語るユイ。

 ユイにとってはかけがえのない親友であり、家族と同等かそれ以上に信頼している存在。どこか小動物を思わせるような可愛らしい少女。いつも自分に着いてきてくれるハルは、ユイにとってはまるで妹のような──。

 

「そっか、ハルをわたしの妹にすればいいんだ!」

「あはは……それはハルちゃんも困ると思うなぁ」

 

 思わず名案だと手を合わせるユイに、ともこは苦笑した。

 顔も知らないハルという少女も同じように苦笑する光景が頭に浮かぶ。

 

──ハル……?

 

 しかし『ハル』という名前を聞いた瞬間、ともこは思わず疑問符を浮かべてしまった。

 当然ながら顔は知らない。こともの学友ならまだしも、隣町の少女の事など把握しているはずがない。

 なのに彼女はその名前が引っかかってしまった。

 どこかで聞いた事がある。

 しかし、その『どこか』が思い出せない。

 思考の海に囚われるともこだが、唐突にバランスを崩し、強制的に現実に引き戻された。

 

「きゃっ!?」

「わっ、大丈夫お姉ちゃん? 足元危ないね……」

 

 無数に転がる瓦礫に足を取られ、危うく転びそうになる。

 転倒するほどの障害物があるわけでもないものの、右足が悪いともこにとってはどれほど小さな落とし物であっても障害物になり得る。

 今もこともが支えていなければ、制服を泥だらけにしていたはずだ。

 妹に支えられながら歩くなんてまるでおばあさんのようだと、ともこは自分自身に呆れながら動かない右足を恨めしそうに睨む。

 

「もう暗くなってきたし、帰った方がいいと思うけどなぁ」

「そうね……夜になればここも危なくなると思う」

「あ……」

 

 空を見上げなら呟くこともに、姉のともこも同意する。

 今までずっと先頭で二人を案内していたユイも釣られて空を見上げると、すでに大半が隠れてしまっている太陽を見て思わず声を漏らしてしまった。

 二人を神社へ連れていく事に夢中だったユイは、ようやく夜が近づいている事に気づいた。

 

「ご、ごめんなさい……わたしがこんなところに行こうって言ったから……」

 

 こともに支えられているともこを見上げながら、ユイは謝罪の言葉を口にした。

 元よりともこの足が悪い事はユイも気付いていた。しかし田んぼの神社へと赴いた際は特に問題も無かったせいか、ダムの神社へ行く時はその事が完全に頭から抜け落ちていた。

 しかし、悲しげに俯くユイの頭をともこは優しく撫でた。

 

「いいんだよ、ユイちゃん。ユイちゃんはわたしたちのためにここまで案内してくれたんでしょ? また今度……次はハルちゃんも一緒に探検しよっか」

「……うん」

 

 彼女に悪気が無かったのは理解している。子供ゆえの行き当たりばったりな行動が、今回はたまたまこんな結果になっただけ。

 だから次はハルも一緒に、と約束を交わす。

 

「帰ろっか」

 

 もう片方の手でユイの手も取ると、ともこは逆方向へと歩き始めた。

 

 しかし、(タイムリミット)はもう過ぎていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

「あ、あれ? おかしいな……さっきもここ通らなかった?」

「だから言ったでしょ、お姉ちゃんさっきから同じところをぐるぐる回ってるって」

「お姉さん、ここどこ……?」

「待って! 別に迷った訳じゃないから! だから泣かないでユイちゃん!」

「お姉ちゃん、たまに方向音痴なところあるよね」

 

 涙目になりながら私を見上げるユイちゃんを慌てて落ち着かせる。

 もうすでに空は夜に染まっていて、唯一の明かりはなぜかこともが持ってきていた一本の懐中電灯だけ。

 周囲を瓦礫に囲まれたダムの跡地という場所に、普段のユイちゃんの快活さは鳴りを潜めていた。夜廻りの経験がある私やなぜかお化けを怖がらないこともならまだしも、幼いユイちゃんには厳しすぎる環境だ。

 今は私が懐中電灯で先導し、その後ろでこともがユイちゃんを抱き寄せながら歩いている状態。このままじゃお化けなんて関係無しに遭難してしまう。

 何はともあれ、今は進み続けるしかない。

 

「ここは……廃村?」

「さっきまでと違って建物とか瓦礫が多いね。お姉ちゃん、足元に気をつけてね」

 

 しばらく歩き続けた私たちの前に現れたのは、幾つもの倒壊した家屋。ゴミで溢れかえっていた今までの跡地とは違い、町並みの面影を色濃く残している。

 荒れ果てた廃村からはどこか哀愁を感じ、耳をすませば今でも団欒の声が聞こえそうな気がした。

 

「……とりあえず進んでみよっか。ここを抜ければもしかしたら出口かもしれないし」

 

 明らかに異様な雰囲気を放つこの場所に、私だけでなく後ろでこともとユイちゃんも息を呑んだのが分かる。

 でもここが昔は村だったのなら、必ず村の出口も存在するはず。

 なら歩き続ければきっとどこかに出られる。

 

「ユイ、怖くない? もし怖くなったらこのお守りを頼ってね。きっとムカデの神様が助けてくれるから」

「ムカデの神様?」

「わたしたちの町にいる神様のこと。昔はお姉ちゃんを助けてくれたりして、とってもいい神様だったんだよ?」

「凄い……えへへ、でもわたしは大丈夫。もう平気だから、ありがとうこともちゃん」

 

 後ろでユイちゃんを励ますこともの声が聞こえる。どうやらあの赤いお守りを見せてあげているらしい。

 思わず私もポケットに忍ばせてある同じお守りを握る。

 このお守りを握っているだけで、なんだか勇気が湧いてくる気がした。今までずっと私たち家族を護って下さったムカデの神様が見守ってくれている気がして。

 たとえ神社がめちゃくちゃにされていても。

 

「……お姉ちゃん、ちょっと待って」

 

 突然、こともに呼び止められる。

 咄嗟に足を止めて一瞬ふらつきかけたものの、なんとか踏ん張って後ろを振り返る。

 

「……どうしたの、ことも?」

 

 神妙な面持ちで前方を見つめることもに、私の表情も強張る。

 ()()()がいる。

 

「今すぐ隠れて。ユイもわたしと一緒に来てね」

「え……ど、どうしたのこともちゃん!?」

 

 言うが否や、こともは混乱するユイちゃんの手を取って近くにあった立て看板の裏へ身を潜めた。

 やっぱり、()()()がこちらへ向かってきている。

 

「ッ……!」

 

 私も続くように懐中電灯を消し、壊れた車の後ろに身を隠した。

 静かなダムの跡地には段々と荒くなる私の息遣いと、ドクドクと速くなる私の心臓の鼓動が鳴り響いていた。

 

ズサッ

 

 一瞬こともかユイちゃんの足音かと思ったけれど、違う。

 この音は前方──廃村の奥から聞こえる。

 

ズサッ ズサッ ズサッ

 

 ナニカの足音。

 まるで巨大な生き物が足を引きずるような音。

 思わず息を殺す。

 恐る恐る車の影から外の様子を伺うと、私は息を呑んだ。

 

『────!』

 

 黒色の巨体を揺らしながら四本足で歩くソレは、今まで見てきたお化けと比べても圧倒的に大きかった。

 この世のモノではない鳥肌が立つようなうめき声を上げ、取ってつけたような白い顔を醜く歪ませながらこちらへ向かってきている。

 

──まさか……あれがユイちゃんが言っていた理様(ことわりさま)

 

 ユイちゃんがこのダムにあると言われている神社の存在を知った元凶が、彼女の小学校で流行っているという怪談。

 まさかこの異形こそが、その神社に住み着いている理様というお化けなのだろうか。

 その巨体に似つかわしくない細長い四本足をくねらせ、異形はなおも進み続けている。

 

 私たちが隠れている場所へ向かって。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に車の影に身を隠し、頭を抱える。

 

『────!』

 

 異形の呻き声がさらに近くなる。

 おそらくあの巨体が──私のすぐ目の前まで来ている。

 お願い、気づかないで。

 お守りを握りしめて、ただひたすら祈る。

 

「……え?」

 

 その時、微かにあの化け物とは違う音が聞こえた。

 うめき声ではない。

 それはまるで錆び付いた二枚の鉄を擦り合わせたような……()()()を開閉したような、学校でも聞いた事のある音。

 そんな音が背後から徐々に、しかし確実にこちらへ近づいてきている。

 

『────!』

 

 あの巨大な異形もこの音に気づいたのか、これまでゆっくりと聞こえていた足音が慌ただしく乱れる。

 再び車の影から外を覗き込むと、あの黒い巨体が踵を返して廃村の奥へと消えていくのが見えた。

 

「逃げてる……?」

 

 慌てた様子でこの場から背を向けて去る姿はまるで何かから逃げているようで、どこか薄気味悪さを感じる。

 私がお化けから逃げる時と同じような、恐怖心に駆られて走る様。

 とてもお化けが取る行動とは思えなかった。

 

「なんだったの……一体……」

 

 異形が消えていった方向を呆然としながら見つめる。

 既にあの巨体の姿は消えていて、反対方向にも何かが来る気配はない。あの金属音も聞こえない。

 本当に音だけであのお化けは消えたのだろうか。

 

「はぁ……考えても仕方ないよね。ことも! ユイちゃん! もう出てきても大丈夫だよ!」

 

 二人が隠れているであろう目の前の看板に声をかける。

 お化けが考えることなんていちいち気にしていたらこっちまで頭がおかしくなりそうだ。

 とにかく今はここから出ないといけない。

 

「……ことも? ユイちゃん?」

 

 返事がない。

 もしかして聴こえてないのかな?

 

「ほら、もう隠れなくても大丈夫──あ、あれ?」

 

 看板に駆け寄って後ろを確認するも、もぬけのからだった。

 地面にはしっかりと二組の足跡があるからここに隠れていたのは確かだ。なのに、まるで二人揃ってこの場から消えてしまったかのように、足跡もここで途絶えている。

 一筋の冷や汗が流れる。

 

「ことも! ユイちゃん! 返事して!」

 

 しかし、帰ってくるのは夜の静寂のみ。

 

「そ、そんな……嘘でしょ?」

 

 もしかしてさっきのお化けが二人のことを……いや、あのお化けは私が隠れていた車の位置までしか来ていないし、奥に隠れていた二人に何かできるはずがない。

 じゃあどうして……先に逃げた?

 でもそれなら足跡がないのはおかしい。

 

「あぁ……そんな……そんなはずが……」

 

 足が自然と廃村の奥へと進む。

 そうだ、二人はきっとあのお化けが怖くなったから、先に奥へと逃げたんだ。

 だから私も奥へと進まないと。

 

──わたしだけはずっとお姉ちゃんと一緒だよ。

 

 いや、違う。

 こともが私を一人にするはずがない。

 落ち着け、足を止めろ。

 きっと何か手がかりが残っているはずだと、私は昂る抑え込んで再び立て看板の裏を確認した。

 

「これは……」

 

 何かが落ちている。

 懐中電灯で照らし注意深く見てみると、それは古びた人形だった。

 両手足、そして頭までがバラバラに切断され見るも無残な姿に変えられた人形が散らばっていた。

 断面は鋭利な刃物で一気に切られたように綺麗で、ダムによる影響とは思えない。誰かが確実にこの人形をバラバラにしている。

 

「まさかこともとユイちゃんはコレをやった奴に……」

 

 人なのかお化けなのかは分からないけれど、まともな存在ではないのは確かだ。

 そして、そんなまともじゃない奴がこともとユイちゃんを連れていった。

 

「ッ!」

 

 考えに思い至った瞬間、私の体は動いていた。

 もうお化けの事もあの金属音の音も頭にない。こともとユイちゃんの無事をただひたすら祈りながら、私は廃村の奥へ向かって駆け出した。

 脳裏に浮かぶのは、あの山の神。

 隣町にまであの大きな手を伸ばしているだなんて、考えたくもない。

 

 今日は一段と月が輝いているのが、せめてもの救いか。

 

 

 

⭐︎

 

 

「う……うん……? ここは……?」

 

 月明かりに照らされ、一人の少女がその身を起こした。

 リボンを揺らしながら辺りを見回すその少女は、少し離れた場所で同じように気を失っている別の少女を見つけ、慌てて駆け寄る。

 

「起きて、ユイ。こんなところで寝たら風邪引いちゃうよ」

「う……ハル……?」

「ハルじゃなくてこともでした、残念だったね。ほら、早く起きて」

 

 目を擦りながらもう一人の少女──ユイも立ち上がった。

 

「ほら、こうすれば目も覚めるでしょ?」

「ひゃっ、いひゃいよ! ひょんなことしゅるなら!」

「い、いひゃい!」

 

 なおも寝ぼけた様子で自分を見つめるユイの頬を、こともはその小さな手で摘んだ。寝ぼけた頭に冴え渡る仄かな痛みにユイの意識も覚醒するも、お返しと言わんばかりにこともの頬も摘んだ。

 二人の少女の気の抜けた声が辺りに木霊するも、誰に聞かれる事もなく夜空へと消えていった。

 

「いたた……ここ、どこだろうね」

 

 伸ばされた頬をさすりながら、こともは周囲を見回す。

 石畳に囲まれたこの場所は、先程まで湿った空気と泥に塗れたダムの跡地とは大きく変わっていた。

 空気もどこか澄んでいて物々しく、まるで──

 

「ムカデ神社みたい……」

 

 かつて姉と共に何度も参拝し、『あの夜』では姉を取り返す手助けとなった赤いお守りを託してくれたムカデ神社そのものだった。

 しかし、どこか安心感を与えてくれるムカデ神社とは違い、おやしろから感じるのは圧倒的な威圧感。

 ()()()が彼女たちを見つめている。

 

「こ、こともちゃん!」

「大丈夫だよ、ユイ。きっとすぐお姉ちゃんが助けにきてくれるから」

 

 出来ればお姉ちゃんには先に帰っていて欲しいけどね、と続け様に呟くも、ユイに聞こえた様子はない。

 

「それにしてもこの神社、なんだかボロボロだね。ムカデ神社とも山の神社とも全然違う」

「も、もしかしてここが学校でみんなが言ってた……」

 

 ダムの跡地、廃村の奥に存在する忘れられた神社。

 まさか怪談の神社が本当に存在するとは彼女自身さえ思っていなかったのか、その顔面は蒼白になっていた。

 

「でも、普通じゃないみたいだね。ほら」

「え? ひっ……!」

 

 こともが指差したものへ視線を向けると、ユイは思わず悲鳴を上げた。

 

もうあの女とは関わりたくない

どうしてあいつらが親なんだ

絶対に許さない。顔も見たくない

全部あの男のせいだ

 

 おびただしい量の絵馬。

 それら一つ一つには、無関係なユイですら背筋が震え上がるような呪詛の言葉が所狭しと刻まれていた。

 ユイの知る神社の絵馬には自分の幸福、あるいは他人の幸福や世間への願いなど、善意を含んだ願い事が書かれているのがほとんど。

 しかしこの絵馬が象っているのは、数多の人間の悪意。

 拒絶、恨み、憎しみ。

 ドロドロとした人間の黒い感情で埋め尽くされていた。

 

「これだとどっちがお化けなのか分からないね。こんなに書いてあったらここの神様も困るんじゃないのかな?」

 

 へたりこんで震えているユイとは対照的に、こともはなんともないと言わんばかりに絵馬の一つを手に取ると、そこに書かれた願いを眺めている。

 本当に同い年の女の子なのかと疑問に思うような図太さに、ユイはさらにドン引きした。

 

「まぁ、そもそもわたしたちをここに連れてきたのが多分、ここの神様だと思うけどね」

「え?」

 

 『神様』という言葉に、ユイは一瞬恐怖心も忘れて首を傾げた。

 

「ユイは覚えてないの? 看板の後ろに隠れてた時、()()が出てきたでしょ? 多分()()がここの神様だよ」

 

 看板といえば、こともに言われるがままに隠れた時の事。つまり、ユイが気を失う直前の出来事。

 

「あぁ……」

 

──思いだした。

 

 声を押し殺して隠れた時に聞いた、二つの金属音が擦り合うような不快な音。

 その音が二人の真後ろから聞こえた事。

 そして振り返ったその先にいた──

 

「ひぃ……!」

「帰ってきたね」

 

 人の形をした特徴的な石畳がある境内の中心。

 ちょうど人体で言えば頭の部分、つまり二人の目と鼻の先に、その異形は現れた。

 

 まず目につくのは、その大きなハサミ。真っ赤に染まったそれは人体など容易く切断できそうなほど鋭く、無骨だった。

 

 そのハサミを掴んでいるのは二本の太い腕。異形な姿とは似つかわしくない、人間と同じような青白い腕がハサミの取っ手を掴み、取っ手から伸びる一本の赤い縄のようなものがそれぞれの腕を固定している。

 

 さらには細長い複数の腕が異形の背後からも伸びており、我先にとハサミへ向かって手を伸ばしている。

 

 極め付けは、異形の中心で開かれている大きな口。もはや体そのものが口と呼べるほど巨大なそれは、少女たちを捕食すると言わんばかりに開かれている。

 

 ユイが想像していた『お化け』などとは一線を画す、あまりにも異形でグロテスクな存在。

 

ジャキン

 

『────!』

 

 異形が奇声と共にそのハサミを開閉させる。

 

「久しぶり……いや、初めましてかな? ハルから話は聞いてたけどこうして()()のは初めてだっけ。()()()()()()、コトワリ様」

 

 ハル? なぜここでハルの名前が出てくる。

 それにこの異形が学校で噂になっていた理様(ことわりさま)なら、ハルはこの異形を知っていたというのか?

 恐怖と混乱で頭を抱えたユイは、目の前で異形と相対することもをただ見守ることしかできなかった。

 

「だからお姉ちゃんに引き返そうって言ったのになぁ。コトワリ様、できればわたしたちを帰して欲しいかなぁって──」

『────!』

「わぁ、ビックリしたー!」

 

 なんでこともはそんなに冷静なんだとユイは叫びたくなった。

 こともが後ろへ飛び退いたと同時に、コトワリ様はその真っ赤なハサミを閉じていた。

 もし反応が遅れていたらこともがどうなっていたかなど、想像に難しくない。

 

「とりあえずユイ」

「な、なに、こともちゃん……?」

 

 フラフラと立ち上がったこともがようやくユイの方へと向き直る。

 こんな異常な状況に置かれているユイにとっては唯一の心強い(?)味方であることもの言葉に、ユイは懸命に耳を傾けた。

 

 

「わたし、死ぬ気で逃げ回るから後はよろしくね」

 

 

 にこりと、まるでこれから遊びに行くかのような表情で、こともはユイに告げた。

 

「え?」

 

 一瞬こともの言葉が理解できなかったユイは、思わず聞き返す。

 しかし答える間も無く、こともは境内の奥へと駆け出した。その背後を追う、赤いハサミを持った異形。

 要するに、「自分が囮になるからお前が解決策を見つけろ」という事。

 

「……えー!?」

 

 寂れた神社に困惑する少女の叫び声が木霊した。

 

 




ハルが一緒にいる時は覚醒状態の立派な日本一幼女になるユイも、ハルがいないと年相応の女の子に。

ちなみにコトワリ様は作者の夜廻プレイ時の死因ランキング、堂々の2位です。1位は勿論よまわりさん


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ことわりさま ~ おにごっこ

遅刻しました

本当なら今回でコトワリ様パートは終わるはずだったのに気が付いたら1万文字を超えてしまっていたので、急遽次回まで持ち越しに

最近迷走しまくりでつらいです…


 奇声が上がる。

 続け様に響く耳障りな金属音。それを合図にこともはその場から大きく飛び退くと、彼女が先ほどまで立っていた位置を巨大なハサミが通過する。

 

「ひえー、危ないなぁ!」

 

 すぐさま立ち上がって視線を異形へ向けると、巨大なハサミを両腕で握った異形──コトワリ様がすでに自分にハサミを向けていた。その背後では切り裂かれた石垣が重力に従って崩れ落ちている。

 ふっとコトワリ様の姿が闇に消える。

 

「ッ!」

 

 間髪入れずこともは身を伏せると、その頭上を真っ赤に染まった二枚の刃が通り過ぎる。

 

「テレポートとかずるいよー!」

 

 しかし、一息つく暇もない。

 すぐにその場から離れるように走り去ることもを、コトワリ様は追跡する。あの小柄な少女の体を切り刻まんとハサミを開閉しながら異形の肉体を揺らしていた。

 軽口をたたきながらコトワリ様から逃げることもだが、その額には汗が滲んでいた。

 今まで遭遇してきた多くの怪異とは違う、明確に自分に殺意を抱いているモノ。それが絶え間なく猛攻を仕掛けているのだ。怪異への恐怖心が無いこともでも、内心では冷や汗を流していた。

 

「ねぇ、ちょっと休憩しようよ。コトワリ様も疲れたでしょ?」

『────!』

「うひゃあ! 疲れてないって事でいいかな?」

 

 また、疲労的限界もそう遠くはない。

 まだ幾分か余裕はあるものの、こともとて体力は無尽蔵ではない。このままではジリ貧だと、彼女も理解している。

 異形の殺意を躱しながら、こともは思考を張り巡らせた。

 

「そもそもハルに聞いた話と違うよ……」

 

 迫り来る凶刃から逃げながら、こともはずっと疑問に感じていた違和感を考える。

 そもそもハルの話では、コトワリ様は無差別に生者を襲う怪異ではない。

 ()()()()()を口にした者の前に現れ、その者が切りたい縁をハサミで断つ慈悲深き神。その上、求める代償は人間の形をした何かを差し出すことのみ。ハルが信頼を置くのも頷ける、ある意味ではムカデの神と同種の神。

 しかし実際問題、コトワリ様はあの言葉を口にしていないこともに襲いかかり、こともが道中で拾っておいた古びた人形を渡してもユイ諸共連れ去った。

 ハルの話に出てくる慈悲深い神とは到底思えない怪異と化していた。

 

「そもそも……何がそんなに()()()の?」

 

 背後のコトワリ様に問いかけるものの、返ってくるのは奇声のみ。

 コトワリ様から逃げ続けその殺意を向けられているうちに、こともはあの怪異から発せられる奇妙な感情に首を傾げていた。

 悲しみ。

 殺意の裏に隠れている、あまりにも悲痛な悲しみ。

 それが凶刃と共にこともにぶつけられていた。

 大抵の怪異はやり場のない怒りを生者にぶつけているのみ。こともの町にいる黒い影の怪異などまさにその筆頭。

 しかし悲しみなど、こともは滅多に向けられた事がなかった。

 

「あのネックレスの女の人みたい……」

 

 彼女の記憶に浮かぶのは、姉を助けた夜に遭遇した女の霊。

 何者かに殺害された女は自分にとって大切な物であるネックレスを求め、あの夜を彷徨っていた。そして、そのネックレスを拾ったこともを執拗に付け狙った。

 返せと悲痛な叫びを上げながら迫り来る女の怨霊の姿が、凶悪なハサミを振るうコトワリ様と異様に重なる。

 

「コトワリ様も何かして欲しい事があるの? だからわたしとユイをここに呼んだの?」

 

 コトワリ様は答えない。

 あの女の怨霊と同じように、こともは答えなど期待していなかった。

 しかし、それでも試してみる価値はある。

 

「ユイー! コトワリ様は多分わたしたちにお願いしたい事があるからここに呼んだんだと思う!」

 

 物陰に隠れながら解決策を考えているであろう少女へ向けて、こともは声を張り上げた。

 返答は無いが、聞こえているはずだ。

 

「ケホッ、ケホッ……少し疲れてきたかな……」

 

 息も絶えそうになりながらさらに大声まで上げ、こともは大きく咳き込んだ。

 しかし、これで少しはユイの助けになれるかもしれない。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 最早軽口をたたく余裕も無くなり、こともはコトワリ様と相対する。

 徐々に体力が減っている彼女と違い、コトワリ様はまるで疲れた様子はなかった。

 

「でも、わたしもまだまだ行けるよ」

 

 挑発するように笑みを浮かべる。

 すると、その挑発に乗ったのかは定かではないが、コトワリ様の姿が一瞬にして消えた。

 この場合はすぐ真後ろまでテレポートしてくるはず。

 咄嗟に身構えたこともだが、次の瞬間には目を見開いていた。

 

「ふ、増えるのもずるいよー!」

 

 なんと、コトワリ様は自身を四つに増やしていた。

 幻覚なのか実体があるのかはこともには分からなかったが、確かめる気にもならなかった。

 

『────!』

「この場合は突進だから……」

 

 コトワリ様が雄叫びを上げながらハサミを開閉する。

 それはコトワリ様が一直線に突進してくる合図だ。

 

「……ここ!」

 

 四つのコトワリ様がそれぞれ向いている方向。

 その全員の死角になる位置を瞬時に見極め、こともは駆けた。

 

「ッ……!」

 

 死角と分かっていながらも、息を呑む。

 四方をコトワリ様に囲まれ、目の前を凶刃が凄まじい速度で通り過ぎていく。

 攻撃を終えたそれぞれのコトワリ様は消え、一体のみがこともと再び対峙した。

 コトワリ様が攻撃の手を収める様子は一切無い。

 やはり、『願い事』を見つけるしかない。

 

「ユイ……頼んだよ……ハルのためにも」

 

 まだ今日出会ったばかりの少女。

 最初はただの偶然と思っていたが、ユイの口からハルの名前が出た瞬間に気づいた。

 この少女こそが、ハルの話に出てきた死んでしまった親友なのだと。

 

「なら、友達(ハル)のためにもわたしが頑張らないとね」

 

 元はと言えばこともたちの用事に巻き込まれてしまった少女。

 ここで彼女に何かあれば、ハルに合わせる顔が無い。

 

「もうちょっと頑張らないと……ねっ!」

 

 言うが否や、こともは駆け出した。

 

 新しい友達(ユイ)を守るために。

 

 

⭐︎

 

 

 

 走る。

 動かない右足を引きずるのも構わず、ただひたすらに走る。

 道中に現れた小さな虫のようなお化けも懐中電灯を当てて追払い、廃村の奥へ進み続ける。

 

「ことも……!」

 

 私の頭の中はこともの事でいっぱいになっていた。

 どこか飄々とした性格の妹でも、実際はただの小学生の女の子だ。何か特別な力がある訳でもなく、お化けに襲われれば傷つく事もある。ユイちゃんに至っては、今日初めて怪異と遭遇した正真正銘の『初心者』だ。かつての自分──お母さんを山の神に攫われた時の自分を思い返せば、今のユイちゃんがどんな気持ちになっているかは想像できる。

 こうして走っている今まさに、二人はこの廃村の奥底で待ち構えておるナニカに酷い事をされているかもしれない。

 なら、進む以外の選択肢は無い。

 

「ハァ……ハァ……なんでもっと速く走れないのッ……!」

 

 しかし、どれだけ気持ちが前へ前へと進もうとしても、動かない右足が枷のように足を遅くする。

 これほどまでに自分の足を呪った事は今までない。

 妹の窮地なんだ、少しは根性を見せろ!

 心の中で叫んでも、あの夜以来感覚が無くなっている右足はうんともすんとも言わない。

 仕方なくよろよろと、一歩ずつ倒れるかのように踏み出しながら進む。

 枯れたダムの奥底で眠っていた廃村はまるで迷路のようだった。

 所々枝分かれした道に、倒れた家屋によって挟まれたかつて道路だったもの。まるで私からこともを遠ざけようとしているような入り組んだ道程に、思わず舌打ちしてしまう。

 それでも、冷静に道程を見通せばどこへ行くべきかは分かる。

 廃村から出ず、どんどん奥へと進み続ける。

 

「あれは……鳥居……」

 

 廃村の端を抜け、曲がりくねった一本道を通った先。

 そこには、私を待ち構えていたように大きな鳥居が立っていた。何も塗装をされていない木材が剥き出しになったそれは、長年水の中に沈んでいたせいかボロボロで今にも崩れ落ちそうだった。

 そしてその鳥居をくぐった先に見える、石造りの階段。

 

「ここを上がれば神社が……」

 

 ユイちゃんが言っていた事はどうやら本当だったらしい。

 階段を一段ずつ上がりながら、視線は上へと向けられている。

 きっとこの奥底にこともとユイちゃん──そして二人を連れ去った元凶がいる。しかし階段を上がるにつれ、心の中で浮かび上がった不安がゆっくりと大きくなっていくのが分かる。

 もし、この先の神社にいたのが山の神のような祟り神だったら?

 山の神だけでこれほど苦しめられているのに、さらに別の神まで加われば……。

 

「──ダメ! 悪い事は考えない! とにかく今はこともとユイちゃんを助ける!」

 

 自分の頬を叩き、マイナスの感情を追い出す。

 それに呼応するように、一旦階段を登り切った私の前にお地蔵様が姿を現した。

 町中で見るような石造りのそれは後から置かれたのか傷んでいる様子はなく、変わらず小さな蝋燭に火を灯して寂しい夜に暖かさを醸し出している。

 仄かな灯火で冷静さを失っていた頭も段々と落ち着きを取り戻し、私は大きく息を吐いた。

 

「ッ……! でも、こういうのはやっぱり慣れないなぁ……」

 

 冷静になって改めて気づいた事実に、私は思わず苦笑する。

 視線を自分の両手に向けると案の定、小刻みに震えていた。

 

 人々から遠ざけるように建てられた神社。

 

 鳥居をくぐり、階段を上がった先にある境内。

 

 目的がわからないまま私の家族を連れて行く神。

 

 山の神とのあまりの類似点が、私の奥底に眠っている恐怖心を呼び起こしている。

 お化けがもう平気になっている妹と違い、どうも私は『夜』というものを克服できないらしい。

 

『────!』

「……怖がってる場合じゃないよねッ!」

 

 この世のものとは思えないような奇声と共に夜空に響き渡る金属音。

 その音を聞いただけで、恐怖で鈍くなっていた私の体を突き動かした。階段を登り、境内へと飛び込む。

 

 こともとユイちゃんを一緒に連れて帰れるまで、もう逃げるつもりはない。

 

 

 

⭐︎

 

 

「うぅ……ヒクッ……怖いよこともちゃん……」

 

 大きな石碑のような物の後ろに身を潜めながら、ユイは一人頭を抱えていた。

 こともが囮役を引き受けてからしばらく。今もなお終わる気配はないコトワリ様の雄叫びと金属音から、こともは未だ健在なのは分かっている。しかし、ユイは頭を出してそれを確認する勇気がなかった。

 見つかったら、今度は自分が追いかけられてしまうかもしれない。

 あの大きなハサミで狙われる光景をイメージしただけで、彼女の体は震えが止まらない。

 初めて体験する死の恐怖。年端も行かぬ少女にとってそれは、あまりにも残酷だった。

 

「でも、このままじゃこともちゃんが死んじゃう……!」

 

 必死に逃げ続けることも。

 彼女はユイに全てを任せて囮役を引き受けた。自分の身を犠牲にしてまでユイを助けようとしている。

 なのに──

 

「分かんないよぉ……! あのお化けのお願いなんてわかる訳ないよ……!」

 

 こともが告げた、「コトワリ様は何か願い事があって二人を呼んだ」という言葉。

 その真意を必死になって考えたユイだが、一向に答えは見つからない。

 そもそもあんなおぞましい怪異が望むことなど、自分たちを食べる事ではないのか。

 

「音が……止まった……?」

 

 突然、それまで絶え間なく響いていたコトワリ様の奇声と金属音がピタリと止まった。

 先程までの緊張感が嘘のようにこの場が静寂に包まれる。

 もしやコトワリ様が消えたのか?

 そんな淡い望みの下、ユイは恐る恐る石碑の影から境内を覗き込んだ。

 

「ひっ!」

 

 いた。

 真っ赤なハサミを持った怪異はまだ境内の中心に佇んでいた。

 しかし、こともの姿はどこにも見当たらなかった。もしかして捕まったのでは、と一瞬震え上がるもそれらしい痕跡も見当たらない。

 ならどこかに隠れているのか、と辺りを見回す。

 

「しーっ」

 

 こともの位置はすぐにわかった。

 ユイが隠れている石碑の真正面、数多の怨念が込められた絵馬が吊るされている絵馬掛けの裏に身を潜めていた。ユイと目が合うと、こともは口に人差し指を当てながら息を殺した。言われるまでもなく声を出すつもりが無かったユイは、首を大きく縦に振る。

 しかし、こともの体力は見るからに限界を迎えていた。

 呼吸は乱れ、どこか顔色も悪くぐったりとしている。こともが逃げる事をやめたのは、どうやら時間稼ぎのためだけではないらしい。

 こともが危ない。

 今のうちに何か解決策はないかと、ユイは必死に考える。

 

「うっ……ケホッケホッ……」

 

 その時、こともがついに胸を押さえて咳き込んでしまった。

 そのまま夜の闇に消えてなくなりそうな小さな物音。

 

『────!』

 

 しかし、コトワリ様に位置を知らせるには十分過ぎた。

 

「ことちゃんッ!」

 

 自分の居場所がバレる事も構わず、ユイは悲鳴のような叫び声をあげた。

 迫り来る凶刃はこともの隠れる絵馬掛けの一部を切り裂き、真っ直ぐこともへと突きつけられた。

 

「ハァ……ハァ……大丈夫! 当たってないよ!」

 

 巻き上がった砂埃から見慣れた赤いリボンの少女がよろよろと這い出てくる。

 間一髪で体を伏せた結果、ハサミはこともの真上をギリギリのところで通過していた。

 まさに九死に一生を得たこともだが、しかし逃げる足取りは決して速いものではない。やはりすでに体力は限界を迎えている。

 

「こともちゃん!」

 

 ユイの体は無意識のうちに動いていた。

 これまで一歩も出ようとしなかった石碑の裏から駆け出すと、今にも倒れそうなこともの体を横から支えた。

 しかし、そんな少女たちの背後からは魔の手が忍び寄っている。

 必死に逃げようとするユイの背後から発せられる、あの恐ろしい奇声。

 

 逃げきれない。

 

 真後ろから聞こえる、耳障りな金属音。

 せめてもの抵抗として目を硬く瞑り、来るべき痛みに備えた。

 

「……あれ?」

 

 だが、痛みはいつまで経っても来なかった。

 背後を振り返ると、なんとあの異形の姿が跡形もなく消えている。先程まで迫っていたハサミも、今は影も形もない。

 もしや諦めたのか?

 そう思った矢先──

 

『────!』

「きゃっ!?」

 

 後ろではなく前から響き渡る奇声に、思わずユイは悲鳴を上げた。

 人の形を模した石畳の中心へと戻ったコトワリ様は、ハサミを振り上げた状態で佇んでいた。

 今度こそもうダメだ。

 思わずこともと共にへたり込んだユイだったが、次の瞬間には目を見開かせていた。

 

『────!』

 

 コトワリ様がハサミを向けたのはへたり込んでいる自分たち──ではなく、自身の真横にある何もない空間に向かってハサミを閉じていた。

 

「……え?」

 

 困惑するユイを他所に、コトワリ様はさらにハサミを振り回す。

 まるでユイとこともが見えていないかのように闇雲に自身の得物を振るうコトワリ様の姿は、まさしく狂気に取り憑かれた神そのもに。

 己の理解を超えたコトワリ様の行動を、ユイはただ呆然と見つめることしかできない。

 

「ユイちゃん!」

 

 そんな混沌とした境内に響き渡る、優しげな声。

 

「お姉さん……」

 

 ユイの腕の中でぐったりとしていることもの姉──ともこが、鬼気迫る様子で神社へと飛び込んだ。

 境内の中心で暴れ回るコトワリ様を見て一瞬ギョッとしながらも、コトワリ様を迂回するようにしてユイたちの下へ駆け寄った。

 

「大丈夫だった!? 怪我はない!? こともはどうしたの!?」

「わぷっ、わたしは大丈夫だよお姉さん。こともちゃんはわたしのためにずっとコトワリ様から逃げ回ってて……」

 

 全身を隈なく探しながら悲鳴のような声を上げるともこを、ユイは慌てて引き剥がす。

 実際のところユイに怪我はなく、こともも疲労困憊ながらも同じく怪我は見当たらない。無事に二人と再会できたともこは、「良かった……」と呟きながらその場でへたり込んだ。

 だが、まだ彼女たちの夜は終わっていない。

 

「……アレがコトワリ様ってわけね」

 

 境内で暴れ回る異形を見つめながら問うともこに、ユイは頷いた。

 

「さっきまでずっとこともちゃんを追いかけてたのに、急におかしくなって」

 

 言いながら、ユイは一人違和感を感じた。

 本当にコトワリ様は唐突に狂ったのだろうか?

 ずっと隠れていたユイでもコトワリ様の発する()()()は肌で感じていた。

 だが、今のコトワリ様が発している感情には悲しみ以外のものも混ざっていた。

 

「なんだか……喜んでるみたい……だね……」

 

 ユイの違和感に答えるように、それまで虚な表情を浮かべていたこともが小さく呟いた。

 

「こ、ことも!? 大丈夫なの?」

「わたしの事はいいよお姉ちゃん。それより、コトワリ様の方だけど……」

「こともちゃんが言う通り、少し嬉しそうだね……」

 

 違和感にようやく気づいたユイも、思わず呟いた。

 『喜び』。

 殺意と悲しみを撒き散らしていたはずのコトワリ様の唐突な変貌。

 なぜコトワリ様は()()()()()のか。

 現在の狂乱に走る直前の出来事を思い返し、ユイは息を呑んだ。

 

「もしかして……」

 

 彼女の視線の先にあるのは、こともが隠れていた絵馬掛け。

 

――これだとどっちがお化けなのか分からないね。

 

 そこには、コトワリ様によって切り裂かれた()()()()()()()が地面に落ちていた。

 

――わたしたちをここに連れてきたのが多分、ここの神様だと思うけどね。

 

 なだれ込むようにユイの頭の中に浮かび上がる、こともの言葉。

 

 

――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「……分かった!」

 

 まるでパズルのピースが一つの形を作り上げるように、ユイの中で全てが繋がった。

 

「え? ユイちゃん、分かったって何が?」

「あの神様がわたしたちにお願いしたかった事が分かったの!」

 

 しかし、神社に来たばかりのともこは状況が理解できていない。

 そもそもコトワリ様がこの神社の主であることすら、ユイに言われて気づいたばかりである。

 

「要するにあの神様はわたしたちにお願いがあって、わたしたち二人をこの神社に連れてきたの。わたしも逃げながらずっとお願い事を考えてたけど全然分からなくて……」

 

 混乱する姉を見かねてか、こともが説明する。

 あの異形がこの神社の神様でコトワリ様であること。そのコトワリ様は何か願い事があってこともとユイを自身の神社に連れて行ったこと。

 そして、ユイがついにその願い事の内容が分かったということ。

 

「それが分かれば、コトワリ様ももう私たちを襲わなくなるの?」

「そういうこと! そのお願い事なんだけど――」

 

 ユイは例の絵馬が無数に吊るされた絵馬掛けを指さしながら告げた。

 

「あれをどうにかして欲しいんだと思うの!」

「……あー、そういうことだったんだぁ」

 

 頭に疑問符を浮かべるともこを他所に、ユイの言葉を聞いたこともは一人頷いた。

 

「あの絵馬には色んな人の恨みつらみが書いてあって、それを全部断ち切って欲しいって神様にお願いしてたの」

 

 自分の悪い縁を()()()の神様であるコトワリ様に断ってもらう願い。

 それがあの絵馬の正体だった。

 元々は病気や悪運などといった縁起の悪いものとの縁を断ち切るために人の子はこの神社へ祈願し、慈悲深い神であるコトワリ様はそれらの悪い縁を自身の縁切りのハサミで悉く断っていた。

 しかし、いつしか人の子の断つ縁は欲望や怨恨が絡むようになり、ついには純粋な縁切りの願いは姿を消してしまった。

 結果残ったのが、気に入らない()()との縁を断つことを望む穢れた願い事だけ。

 

「――その結果穢れてあんな姿になったのがコトワリ様っていう事?」

「うん。多分コトワリ様は悲しかったんだと思う。ずっと人と寄り添って生きてきたのに黒いお願いしかされないようになって……そしてその穢れの元が、あの絵馬たちなんだと思う」

 

 ユイの言葉に、ともこは悲痛な表情を浮かべながら暴れ狂うコトワリ様を見つめた。

 つまり、コトワリ様は助けを求めるためにユイとこともをこの場に呼んだということになる。

 ならば、彼女たちが取るべき行動は決まっていた。

 

「わたしはコトワリ様を助けたい!」

 

 迷いのない瞳でユイは宣言する。

 

「でも、コトワリ様がいつまであんな風に暴れてるか分からないわよ? もしかしたら絵馬を壊してる途中でまた襲ってくるかもしれないし」

「大丈夫! わたしが囮になる!」

 

 そんな幼い少女とは対照的に不安気に呟いたともこに、ユイは真っ先に手を上げた。

 こともはすでに限界を迎えていて、足が悪いともこでは分が悪すぎる。つまり、今囮になれるのは自分しかいない。そう思い至った瞬間、ユイは自らを立候補していた。

 もうこともに頼りっぱなしではいけない。

 コトワリ様を助けるには自分で行動するしかない。

 それに何より――新しくできた友達を危険に晒すのは、もうユイには耐えられなかった。

 

「……いいの、ユイ? 捕まったら死んじゃうかもしれないんだよ?」

 

 珍しく姉のように不安気に問いかけることもに、ユイは精一杯の笑みを浮かべる。

 

 

「わたし、実は鬼ごっことか得意なんだよ? ハルと遊ぶ時と一緒なら、わたし捕まらないもん!」

 

 

 恐怖心がないといえば嘘になる。

 

 だがそれよりも友達を守りたい一心で、彼女は立ち上がった。

 

 

 

 




ユイちゃん覚醒

そして今回お姉ちゃんはあまり活躍できず。キャラが増えるとやはり執筆の難易度も上がります…三人程度でヒィヒィ言っている状態ですが


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ひとのこ 〜 かみさま

今更かもしれませんが、この小説には多大な独自解釈がございます

今回は少し短めです


 その神は人間を愛していた。

 

 八百万の神々のような強力な神通力がある訳でも、超常的力を操れる訳でもない。吹けば飛ぶような、あまりにも儚く弱々しい生き物。

 しかしそれほどまでに弱い人の子は、絶対的上位者として君臨する神々に恐怖を抱く事なく、自らの『希望』の象徴として信仰と祈りを捧げた。

 どれほどの不幸が続き、どれほどの悪運が訪れようと、神へ祈りを捧げれば奇跡は必ず起きると。

 いつしかそれは『信仰』と呼ばれ、神々の力の源と化していた。

 その神もまた、そんな人の子に信仰を捧げられている一柱だった。

 

『■■■■様、どうかお助け下さい!』

 

 来る日も来る日も人の子はお供物と祈りを捧げてから、自らの願いを告げた。

 その神が司る事象とは『縁切り』。

 人の子が願うあらゆる『縁』を断ち、絶望の淵に立たされていた人の子に救いを与えていた。

 その上、信者たちが告げる願いは決まって自分以外の者を救うための願いだった。それは我が子の病魔であったり、知人友人の悪運であったり、家族に取り憑いた悪霊であったり。

 他者を思いやり他人の不幸を悲しめる人の子が、その神にとってはあまりにも眩しい。八百万の神々には無いその特性を持ち合わせた人の子がたまらなく愛おしかった。だからその神も嬉々として願いを叶え続けて信仰を広め、人々の救いであり続けた。

 

 しかし、時の流れはあまりにも残酷だった。

 

 広まり続けた信仰でいつしか、新たな人の子がその神へと惹きつけられた。告げる願いは他者の救いではなく、己の欲望に駆られた他者への不幸。

 あいつが気に入らない。

 あいつが憎い。

 だからあいつとの縁を切りたい。

 病魔や災害とは程遠い人間の黒い感情に、その神も戸惑いを隠せなかった。しかし人の子を愛していた神はそれでも懸命に願いを聞き入れ続けた。それが過ちだとも気づかずに。

 あの神社に頼めば願いが叶う。

 気に入らない誰かがいればあの神様に消して貰おう。

 気がつけば人の子から告げられる願いは穢れた邪なものだけになっていた。しかし長い間ずっと願いを叶え続けた縁切りの神はそれに気づくことはなく。

 己は何者なのか。

 なぜ人の子の願いを叶えているのか。

 

 自らの肉体を醜く歪め自己すらも失った神は、既に荒神へと変貌していた。

 

 人の子への愛情も忘れた怪異として、そのハサミを振るうために。

 

 

⭐︎

 

 

 長い年月を経て人々からも忘れられた哀れな神──コトワリ様。

 愛故に振りかざしていたハサミは凶刃へと姿を変え、かつては信仰を集めた慈悲深き神も異形と化している。

 そんな己も忘れたほどの荒神は今、荒れ狂っていた。

 

『────!』

 

 あの絵馬を切り裂いた時、何かが自分の中に流れてくる。

 どこか懐かしいような、暖かいような、心地良い感覚。しかし怪異へと成り下がっていたコトワリ様には、その心地良さすら不快に思えた。

 混乱し、まるで癇癪を起こすかのように闇雲にハサミを振りかざす。

 

「コトワリ様ー!」

 

 そんな荒神へ近づくのは、一人の少女。

 赤色のリボンで結ばれた茶色の髪を揺らしながら、コトワリ様へ呼びかけた。

 それまで暴れ回っていたコトワリ様はその声を聞いた瞬間、それまでの狂乱が嘘だったかのようにピタリと停止した。

 

「ッ……!」

 

 電源が切れたかのごとく止まるコトワリ様に、その少女──ユイは思わず一歩後ずさる。

 額から一滴の冷や汗が流れ、体も震え始めた。

 今、おそらくあの神の意識は全て自分へと注がれている。

 数え切れないほどの『縁』を断ち切った赤い裁ち鋏が月明かりに照らされ妖しく光っていた。その凶刃が今、自分へと向けられようとしている。

 

「……こともちゃんが頑張ったんだから、わたしも頑張る!」

 

 臆するのも一瞬。

 決意を固めたユイはさらに一歩コトワリ様へ近づき、声を荒げた。

 

「神様こちらー手の鳴る方へー!」

『────!』

 

 言うが否や、ユイは駆け出した。

 それを合図と受け取るように、コトワリ様もハサミを震わせ突進した。

 

「わぁ!?」

 

 目の前を通り過ぎる自分の身長よりも大きなハサミにユイは思わず悲鳴を上げる。

 まさしく一撃必殺。

 あのハサミに捕らわれたら最後、ユイは捧げられた数多のお供物と同じ運命を辿るだろう。

 

「こんな攻撃をこともちゃんはずっと受けてたの……?」

 

 たった一度躱すだけでユイは全身が震え上がっていた。

 慈悲も容赦もない、まさしく神業と呼べる太刀筋。それを同い年であるはずのこともはあれほど長く耐えていたというのか。

 新しい友人の人間離れした精神力にユイは唖然とした。

 

「ッ!」

 

 しかし、休む暇など当然ない。

 畳みかけるようにコトワリ様は悲鳴をあげ、ハサミを何度も開閉する。あれはおそらく突進の合図。

 慌ててその場から離れた瞬間、ユイの真横を赤い影が通過する。

 安心したのも束の間、少し離れた位置で停止していたコトワリ様の姿が一瞬で消える。

 

「これは確か……」

 

 消えたとなれば、どこにでも現れる。

 どこへ行っても対処できるよう、ユイは一呼吸も逃さないように神経を光らせながら身構えた。

 だがコトワリ様の力は、ユイの予想を容易く打ち砕いた。

 

「え、ちょ、増えてるー!?」

 

 四方を囲むようにして現れる四柱の神。そのどれもがあの赤いハサミを握りしめ、少女を切り裂かんとしていた。

 こともすら惑わしたコトワリ様の力が、ユイへと牙を剥く。

 

「ひぃ!?」

 

 左右前後を囲まれているのなら、その死角となる場所は一つ。

 ユイは正面に佇むコトワリ様二人の間──斜め方向となる位置に飛び込んだ。

 迫り来るコトワリ様の刃はユイに当たることなく、間一髪の位置で通過する。

 

「うぅ……」

 

 体験した事もないような殺意は幼い少女の精神を容易く侵す。

 それでもユイはお気に入りの服を汚しながらもフラフラと立ち上がる。

 自分から申し出たからには、最後まで全うしなければならない。

 でなければこともやともこだけでなく、いつか親友のハルまで傷つけてしまう。

 何より、コトワリ様の願いを叶えると言ったのも自分だ。

 

「ハル……」

 

 この場にいない親友を思い描き、自分を奮い立たせる。

 ユイは拳を握りしめ、目の前の神を見つめた。

 

「わたしはあなたを助けたいの」

 

 目の前の人の子の言葉に、神は何も答えない。ただ奇声を発しながらハサミを鳴らすだけだった。

 しかしそれでもユイは逃げながらも懸命に呼び続けた。

 

「もうコトワリ様も悲しまなくていいんだよ! ここにはもう悪いお願いをする人はいないの!」

 

 走る彼女は境内を駆け抜け、おやしろの横を通り過ぎる。

 

「だからもうやめようよ! わたしはもうコトワリ様が悲しむのは見たくない!」

 

 神社の奥でひっそりと吊るされていた──長年神を蝕み続けた元凶に向かって。

 

「もういやだ!」

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「ことも、そっちは大丈夫!?」

「うぅ……硬くて外せない……」

 

 ユイがコトワリ様との命懸けの鬼ごっこを行なっている時。

 残された姉妹──こともとともこは神社の傍で吊るされていた絵馬を懸命に外そうと四苦八苦していた。

 相当な怨念が込められて縄が縛られているのか、一つ外すのにも一苦労。まるで神社そのものにしがみついているようで、ともこは戦慄した。

 おびただしい量の絵馬、その一つ一つには持ち主の願いが描かれている。なるべく見ないように目を逸らしていても目につくそれらには全て、人間が他の人間に向けた恨みが刻まれていた。

 

「こんなに沢山の怨念をコトワリ様は背負ってたんだ……」

 

 それはコトワリ様が狂うのも頷けるほどの穢れだった。

 山の神とはまた違う理由で荒神に成り果てたコトワリ様に、ともこは素直に同情した。

 忘れられた神である山の神とは違い、人間の欲望や怨念によって狂わされたコトワリ様。この二柱の神は似ているようで似ていなかった。

 何より、この元凶を取り除けばコトワリ様も元の慈悲深い神としての神格を取り戻すかもしれない。

 

「くっ、どこまできつく縛ってるのよ……!」

「いっそのことハサミで全部切っちゃいたいよね」

 

 しかし、そんな人間たちの怨念が神を助けようとする少女たちの行く手を阻む。

 このままでは絵馬を全て取り除く前にユイがコトワリ様の魔の手に捕まってしまう。

 なんとかできないかと途方に暮れていた二人の姉妹に、聞き慣れた声が掛けられる。

 

「お姉さん、こともちゃん! 避けて!」

「え?」

 

 境内でコトワリ様を引きつけているはずのユイの声が響き、ともこは首を傾げた。

 

「お姉ちゃんッ!」

 

 しかし次の瞬間、ともこはこともに押し倒されていた。

 飛びかかるように姉の腰に突進したこともは勢いそのまま、絵馬掛けのすぐ隣へ姉共々倒れ込む。

 

「ごふっ!?」

 

 姉の口から女子にあるまじき声が漏れるも、今のこともには気にしている余裕はない。

 姉を安全圏まで離脱させたこともは慌てて背後でこちらに向かって走るユイに叫んだ。

 

「ユイも早くこっちに!」

「うん!」

 

 こともの意図を察してか、ユイもまた絵馬の目の前で横に飛んだ──その背後にコトワリ様を引き連れて。

 

「うぇっ!?」

 

 横へ飛んだユイはこともと同じようにともこを下敷きにした。

 しかし背後で突進中だったコトワリ様には、急激な方向転換などできない。

 ハサミを開いたまま突進したコトワリ様はそのまま三人のすぐ真横──あの絵馬掛けに向かってその神業たる太刀筋をぶつけた。

 

 一閃。

 

 神自身を()()()で蝕んでいた絵馬はそのまま、神自らの手によって両断された。

 

「コトワリ様……?」

 

 不安げに見つめるユイに、コトワリ様は何も答えない。

 まるで茫然自失になったように崩れ落ちた絵馬を見つめ、動かない。

 やがてゆっくりと、コトワリ様は隣で倒れている三人の少女へと体を向けた。

 その手にはまだ、あの赤い裁ち鋏が握られている。

 少女たちは一斉に息を呑んだ。

 この体勢では逃げられない。あの凶刃が向けられれば、自分たちなど一瞬にして肉塊へと変えられてしまう。

 しかしコトワリ様は動かない。それどころか、この夜では幾度となく開閉された赤い裁ち鋏は振われる気配すらない。

 しばし見つめ合う三人の人の子と一柱の神。

 

 否、コトワリ様が見つめていたのは三人ではなく、一人の少女。

 

「えへへ、良かったねコトワリ様」

 

 その少女──ユイは、柔らかな笑みを浮かべた。

 もうコトワリ様は自分たちを襲ってこない、そんな気がして。

 

『────!』

 

 その声に応えるようにコトワリ様は一度大きくハサミを鳴らす。

 今までの奇声と違いどこか澄んだ声を残して、コトワリ様は夜の闇へと消えていった。

 

「……行っちゃった……のかな?」

 

 恐る恐るといった様子で周囲を伺うともこに、ユイは笑みを浮かべながら答えた。

 

「もういないみたい!」

 

 ゆっくりとともこの上から退くと、ユイは境内へ指差した。

 コトワリ様の爪痕は色濃く残っているものの、確かにあの異様な威圧感と殺気、そして悲しみは消えていた。

 

「コトワリ様も元の良い神様に戻ったのかな?」

「分からない。でも、多分もう闇雲に人を襲ったりはしないんじゃないかな?」

 

 こともの問いにユイは首を振るも、どこか心の中では確信めいたものを感じていた。

 きっと次会える時は一緒にお話できる。

 今度はハルも一緒に。

 

「ケホッ、ケホッ……ことも、重くなった?」

 

 今の今まで二人に下敷きにされていたともこは、埃だらけになってしまった制服を払いながら呟く。

 そんな姉に不満げに頬を膨らませることもを他所に、ともこはゆっくりとユイへと歩み寄り、その小さな頭を優しく撫でた。

 

「ありがとう、ユイちゃん。コトワリ様を助けられたのもこともを助けられたのも、全部ユイちゃんのおかげだよ」

「お姉さん……うぅ……」

 

 その言葉が限界だった。

 それまでどこか無理やり笑みを浮かべていたユイは顔を歪ませると、大粒の涙を流しながら力なくともこへと顔を埋めた。

 

「怖かったよぉ……死んじゃうかと思ったよぉ……」

「よしよし、ユイは頑張ったね」

 

 姉へと抱きつきながら声をあげて泣くユイの頭を、こともも優しく撫でた。

 自分とは違い、ユイは今まで怪異とは接した事がなかったのだ。それがいきなり荒神と対峙した上で逃げ切ったのだ。大健闘という言葉すら足りない。

 

「こともちゃんが死んじゃうかと思って……せっかく友達になれたのに……」

 

 しかしこともの予想とは裏腹に、ユイは違う理由で泣いていた。

 ハル以外で初めてできた友達。そんなこともがコトワリ様と対峙していた時、ユイは心の底から恐怖した。

 自分のせいでこともが死んでしまうんじゃないか。

 自分の死よりも、彼女は友達がいなくなる事が何よりの恐怖だった。

 

「こともちゃん……!」

「わっ、ユイ?」

 

 ともこから離れこともへと抱きつくユイを、こともは困惑しながらも抱き返す。こともにしては珍しく頬を赤く染め、友達のスキンシップに照れている様子だった。

 

「心配されてたみたいね、ことも」

 

 そんな二人を、ともこは優しく微笑みながら見つめる。

 不器用ながらも大人びていて面倒見が良いこともと、友達想いで優しいユイ。

 良い友達に巡り会えたと、ともこは密かに喜びを感じながら二人をまとめて抱きしめた。

 

「帰ろっか、二人とも」

「……うん、ありがとうお姉さん」

 

 ようやく泣き止んだユイもくしゃりと泣き痕が残る顔で笑みを浮かべながら、こともから離れた。

 

 そのまま三人は崩れ落ちた絵馬を背に、神社を後にした。

 

 

 

⭐︎

 

 

「ここ、わたしの家の近くの山だ」

 

 まるで永遠に思えた長い夜をコトワリ様の神社で過ごしたユイは、神社を出た瞬間に飛び込んできた見慣れた景色に思わず首を傾げた。

 ハルと遊ぶ時に何度も訪れた事がある裏山。

 まさかあの神社と繋がっているなど思わず、ユイは疑問符を浮かべる。

 

「でもこの山にあんな神社ってあったっけ……?」

 

 見覚えのない神社の出現に疑問符を浮かべるものの、それ以上は考えないようにした。

 『夜』の世界には不思議が沢山ある。

 今日だけでもユイはそれを嫌というほど思い知った。

 

「ユイちゃん、ここからどうやって帰るか分かるの?」

「うん。この山を降りればすぐ」

 

 裏山となれば、ダムとは違いユイにとっては慣れ親しんだ場所だ。

 ともこから懐中電灯を受け取ると、ユイは迷わず先導した。

 

オイデ

 

「ッ!?」

 

 消えそうなほど細く小さな声。

 しかしそれは確実にユイの耳をくすぐり、ユイは慌てて周囲を懐中電灯で照らした。

 しかし木々が生い茂るだけで、周りには怪異すら見当たらない。

 

「どうしたの、ユイちゃん?」

「……ううん、なんでない」

 

 突然目を見開かせて周囲を確認するユイを、ともこは不思議そうに見つめている。どうやら彼女には聞こえなかったらしい。

 

「わたしの聞き間違いかな……」

 

 それ以降は声は聞こえなくなった。

 まるで自分を呼ぶようなあの声に首を傾げながらも、ユイは再び歩き始めた。「帰ったらお父さんとお母さんに怒られるなぁ」と苦笑しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オイデ オイデ オイデ

 

 

 

 




最後チラっと出てきたクソ蜘蛛

なお出番はまだまだ先です


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ゆうやけ 〜 はじまり

圧倒的スランプ
物語の展開は浮かぶのに文章がまったくと言って良いほど浮かびません。つらいです…。


 普段なら何気ないこの通学路も、今では果てしない道程に感じられた。

 いつも無愛想な店主が営む駄菓子屋も、子供の頃は可愛がってくれた魚屋も。人の気配が一切しない寂れた町を一人で歩いていると、まるで私だけが違う世界に迷い込んでしまったように思えた。

 信号の音も聞こえなければ、いつもは煩わしく感じるカラスの鳴き声すら聞こえない。コツコツと地面を叩くローファーの音だけが夕焼けに染まった茜色の空に響いては消えていく。

 

 全てが()()()と似ていた。

 

 町の様子。いなくなった家族──左目の激痛。

 まるで過去の映像をリアルタイムで映されているような既視感が襲いかかってくる。

 そしてそれは同時に、深い絶望感を与えてきた。

 

「はは……どう足掻いても未来は変えられないって訳?」

 

 誰に向けて言ったか分からない独り言が虚しく木霊する。

 異常事態と呼べるような状況に陥っているのに、私の頭は妙に落ち着いていた。いつもなら取り乱して泣き叫んでいるかもしれないのに、今はただただ乾いた笑い声しか出ない。

 いや、落ち着きと呼ぶのは卑怯な気がする。

 諦めているんだ。

 どう足掻いても()()()()は私を……私たちを見逃してくれないらしい。血の一滴から骨の一欠片まで手に入れるまでその手が退く事はないし、永遠に狙われ続ける。

 

「あの時に死んでおけば良かったのかな……あはは」

 

 脳裏に浮かぶのは六歳の夜。

 幼い頃に戻っていた私は必死になってお母さんを助けようとしていた。夜の町を走り抜けてまでムカデの神社でお守り貰い、実の母に首を絞められ、山の神に右足を奪われたあの夜。

 あの時お母さんの手で死んでいれば、一体どれほど良かったか。

 でも、どれだけ後悔してももう遅い。

 すでに歯車は狂ってしまった。

 

「ッ! 痛いなぁ……」

 

 少しずつ夜に染められていく夕焼け。

 それに呼応するかのように、左目の激痛もさらに増してくる。痛みで頭が狂いそうだけど、もしかしたら私の頭はすでに狂っているのかもしれない。

 

「お父さん、お母さん、ことも、ポロ……ごめんなさい……」

 

 微かに残った理性がそんな言葉を吐き出す。

 途端に私の目に枯れたはずの涙が溢れてきた。

 

「でも私頑張ったんだよ……? みんなを守りたくて……精一杯頑張ったのに……」

 

 もがいて悩んで苦しみ続けた結果がこれだ。家族と一緒に幸せに暮らしたい、そんな人並みの願いはここまで難しいものなのだろうか。どうして私たちだけこんな目に遭うのだろうか。

 耳元で山の神の嘲笑う声が聞こえる。

 あの醜い顔を歪ませながら、絶望に泣く私を見下ろして笑っている。

 けれど、私にはそれに怒りを抱く気力すらない。

 

 ふらふらと町を歩く私の足取りは、自然と山へと向かっていた。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「じゃあね、ともこ! また来週!」

「うん、また来週学校でね」

 

 クラスメイトと別れると、私はいつも通り校門を通り帰路へと着いた。中学に入ったんだしせっかくだから部活でも始めてみようかと思ったけど、()()は中学三年間ずっと部活なんてしてなかったせいで今更始めるのもなんだか億劫になってしまった。そもそも足が悪い私では運動部なんて無理だし、きっと迷惑もかけてしまう。

 それに、今は家族と過ごしたいのが一番の理由だ。

 

「あ、お疲れ様、お姉ちゃん」

 

 そんな家族の一人、妹のこともが背に赤いランドセルを背負いながら私を待っていた。

 こともの学校とはそこそこ距離があるのに、妹はいつもこうして私を迎えにきてくれる。

 普通は逆じゃないの?と思ったりもするけど……。

 

「こともこそお疲れ様。私になんて構わず友達と遊んできていいんだよ?」

 

 それこそ、私なんかよりずっと優先するべきだ。

 もうお父さんもお母さんもいるし、妹には私なんて気にせず沢山友達を作って沢山遊んで欲しい。例えば少し前に友達になったユイちゃんのような子と。

 

「別に大変じゃないよ? お姉ちゃんとポロと一緒に遊ぶ方が楽しいし」

 

 しかし妹は特に気にした様子もなく、私の手を取って歩き始めた。

 どうにも妹はあまり友達を作るのが好きじゃないみたいだった。いつも私と一緒にまっすぐ家に帰ってきて、ポロの散歩に出掛けたり私とおしゃべりしたりして過ごしている。ユイちゃんともあの夜以降は隣町なのもあってか遊んだりはせず、手紙を出し合う程度だ。

 なんだか妹の将来が少し心配になってくるけれど、こればかりは性格の問題だから私も口うるさく言う事はできない。

 苦笑を浮かべながら私の手を引く妹を眺めていると、正面を歩くクラスメイト二人が私たちに気づいて手を振った。

 私も手を振り返すと、二人は私の隣に立っている妹に気づいたのか、目を輝かせながら歩み寄ってきた。

 

「あれ、もしかしてともこの妹さん? 可愛いー!」

「ほんと、なんだか抱きしめたくなっちゃうよねー! いいなー、私も妹欲しかったなぁー!」

「えへへ、でしょ? 私の妹は可愛いんだから」

「うぅ……」

 

 正面から褒められる事に慣れていないのか、顔を赤くしながら私の後ろに隠れることも。そんな妹の珍しい姿が見れて私も思わず笑みを浮かべた。

 私の妹は可愛い。

 そのせいか、毎日私を迎えにきてくれる妹はうちのクラスではちょっとしたマスコットになっていた。

 小柄な体型に可愛らしいリボン。そしてどこか小動物っぽさを兼ね備えた仕草。むしろ人気者にならない方がおかしい。

 今もクラスメイト二人に頭を撫でられたり頬をムニムニされたりと愛でられていて目を回している。優しい妹はそんなクラスメイトたちを拒絶したりはせずされるがままだけど、そろそろ止めないとかわいそうだ。

 

「はい、そこまで。もうそろそろ離してあげて」

「えー、もう少しぐらい良いでしょー!」

「こともはうちの子だから。こればっかりは私の特権なの!」

 

 見せつけるようにこともをぎゅっと抱きしめると、クラスメイトたちも渋々引き下がる。

 人気者なのは良い事だけど、クラスメイトの何人かは私からこともを奪いそうな勢いで危ない。ことものお姉ちゃんは私一人だ。

 

「あはは、やっぱりともこには敵わないなー。妹さん、さっきより全然嬉しそうだもん」

 

 先程とは違い朗らかな笑みを浮かべながら抱きしめられることもを見て、クラスメイトは悔しそうに呟く。

 当たり前だ。私はことものお姉ちゃんなんだから。

 

「じゃあ、私たちはそろそろ行くね。バイバイともこ、こともちゃん!」

 

 今日のところは諦めたのか、二人のクラスメイトはそのまま手を振りながら去っていった。でもあの表情を見る限り、おそらく明日も再挑戦してくる。

 懲りない奴らよ。

 

「お姉ちゃん、苦しいよー」

「あ、ごめんねことも」

 

 こともを取られまいと抱きしめていたせいか、いつもより力が入ってしまっていたようだ。慌ててこともから離れ、手を握る。最近少しスキンシップが多い気がするけど、こともも嫌がったりしないからまだいいよね……?

 でも、いつかこともに反抗期が来て「お姉ちゃんなんて嫌い!」なんて言われた日にはどうしよう……泣くのは確定しているとして、ちゃんんと立ち直れるかな? 反抗期が来るという事は妹が順調に大きくなってくれている意味だから喜ばないといけないけど、こんなに優しい妹が酷い事を言うなんて想像ができない。

 

「大きくなれれば、か……」

 

 最近どうしても考えてしまう、『いつか』。

 こともが中学生になって、高校生になって、順調に人生を歩んでくれる未来。

 現実逃避のように頭に浮かぶそれらがずっしりと重くのし掛かる。

 私が守らないといけない未来。

 それが姉としての私の義務。

 

「お姉ちゃん?」

「あぁ、ごめんねことも」

 

 いつの間にか妹の手を握る力が強くなっていたようで、こともは首を傾げながらこちらを見上げていた。

 なんでもないと首を振り、なんとか顔に笑みを貼り付ける。

 

「ことも、今日の晩御飯はお魚にしようね」

「やったー!」

 

 大好物が食べられる事に妹はぴょんぴょんと跳ねて喜んでいる。跳ねるたびに頭のリボンもウサギの耳みたいに揺れていて、思わず再び抱きしめてしまいそうになるのを我慢する。このままじゃ一生帰れない。

 

「じゃあ、帰ったらすぐ買い物に行こっか。ポロの散歩も一緒に」

「うん!」

 

 こういう時の妹は本当に年相応の女の子に見えて、夜の町で見る妹とはまるで別人のようだった。

 でも妹のこんな姿を見ると、少しの間だけれど嫌な事を全て忘れられる。山の神もムカデ神社も取り壊される商店街も関係ない。

 

 こんな幸せがずっと続けばいいのに。

 

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「ただいま。お母さん、いるー?」

 

 妹と一緒に家に帰ると、まずはお母さんを呼ぶ。

 お母さんが精神を病んだあの夜からもう随分と経ったおかげで、今ではほとんど退院状態になっている。二日に一度は家に帰れているし、家にいる時は表情も晴れやかで健康そのもの。たまにポロのもふもふな体に顔を埋めている程度には精神的にも余裕ができているし、きっと完全に退院するのも近い。ちなみにポロのもふもふを枕にするのは私もよくやる。

 今日はお母さんが家に帰れる日だから、最近は恒例となりつつあるポロも含めた三人の買い物に行きたい。

 

「……あれ、お母さん?」

 

 しかし、お母さんからの返事がない。

 いつもならリビングでテレビを見ていたり庭でポロと遊んでいたりするのに。返ってくるのは無人となった家の寂しげな静かさだけ。

 

「どこかに出かけたのかな?」

「そういえばポロもいないし、二人で散歩にでも出かけたのかもしれないね」

 

 同じように首を傾げる妹。

 お母さんだけでなく、普段は私たちを元気に出迎えてくれるポロも犬小屋にも家の中にもいない。二人そろって散歩にでも出かけたのだろうか。

 お母さんは私たちが帰ってくる大体の時間を知っているはずだから、多分そろそろ戻ってくるはず。

 ひとまずいつまでも玄関先で立っているわけにも行かないし、私とこともは靴を脱いで家へ上がった。

 

「あれ、でもポロのリードここにあるよ?」

「え? ほんとだ……」

 

 こともの言葉に私は思わずぎょっとした。

 ()()の記憶もあるおかげで散歩に行く時は欠かさず付けていたリードが、今は壁に掛けられて寂しそうに揺れている。

 リード無しで散歩に出かけた?

 でもポロが一番懐いているのは嬉しい事に私だ。そんな私と散歩する時でもたまに気まぐれで違う方向へ歩こうとするせいでリードは必需品なのに、お母さんがそれを無しで出かけるなんて考えられない。

 

「お、お姉ちゃん!」

 

 何か胸騒ぎがする。

 その気持ちは妹の焦るような声でさらに増幅させられた。

 ただの気のせいであって欲しい。お母さんとポロは本当にただ出かけているだけで、今こうして焦っている間に何気なく帰ってくると。

 しかしその希望はこともが見せてくれた一枚のメモで容易く打ち砕かれた。

 

お父さんがいなくなりました。探してきます

母より

 

 テーブルの上に残された、たった一枚のメモ。

 しかしその言葉は私の心をいとも簡単に抉り、握り潰した。

 

「なにこれ……お父さんがいなくなったってどういう……」

 

 そんなはずがない。

 私もことももお母さんも、一緒に朝ご飯を食べてから仕事へ向かったお父さんを見送ったはずだ。もうそんな歳じゃないって私が嫌がっても構わず頭を撫でてくれたあのお父さんが、いなくなった?

 混乱する私を見かねてか、こともは他に何か残されていないかを確認している。

 そして我が家に置かれた唯一の固定電話の伝言を流すと、否が応でも私は現実を突きつけられた。

 

『本日は出勤されていないようですが、このメッセージをお聞きになられた場合は直ちに折り返しのお電話を下さい』

 

 お父さんの職場からの無情な知らせ。

 しかしそれは現実逃避していた私の脳を揺さぶるには十分すぎる。

 留守電が残されたのは午前九時頃。数時間も前にお父さんがいなくなって、お母さんがそんなお父さんを探しに出掛けて未だ帰ってきていない。

 

「なんで……なんで……どうして……」

 

 そして一人留守番を任されたポロも、人知れずいなくなっている。

 

「まさか……」

 

 私の中で浮かぶ受け入れ難い可能性。しかしあまりにも不自然な家族の消失がその()()を如実に表していた。

 ついに山の神の逆襲が始まった。

 しかし、私はそれを覚悟していたはずだ。ムカデ神社が破壊されたあの時から、この日が訪れる事が分かっていたはずだ。そのために私は必死に情報を集めて来るべき日に備えていたのに。

 

「うぁ……あぁ……」

 

 でもあまりにも突然すぎて、私の頭はそれを理解する事を拒否している。

 体の震えが止まらない。呼吸が定まらない。

 体から心臓が飛び出しそうなほどの強烈な吐き気が襲いかかる。

 いざその日が訪れると、体が言う事を聞かない。

 

「やめて……」

 

 無人の棺に別れを告げたお母さんのお葬式。寂しそうに一人で遊ぶこともの姿。仏壇の前で涙を流すお父さんの背中。かつての世界の光景が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡る。

 それがまた始まろうとしている。

 

「お姉ちゃん」

 

 そんな私を呼ぶ、幼くて大人びた声。

 頭を抱える私を真正面から見つめる、二つのくりっとした瞳。こともは既に背中にウサギのポシェットを背負い、決意を固めていた。

 その手には、かつて私があげた赤色のお守りが握られていた。

 

「わたし、みんなを探してくる」

 

 本来なら私が担うべき役目を、妹のこともが背負おうとしている。

 

「イヤ……ダメ……行かないで……」

 

 しかしそんな妹を、私は哀れにも呼び止めてしまった。

 

「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 

 こともはまるで子供をあやすように私の頭を抱き抱えると、優しく頭を撫でてくれる。ムカデ神社の惨状を見たあの時のように、今の妹は私よりも遥かに気を強く持っている。

 しかし、そんな妹の言葉に()()()()()()()()()()自分が何よりも怖かった。

 

「絶対帰ってくるから。お父さんもお母さんもポロも一緒に連れて帰ってきて、またみんなでご飯食べよ?」

「…………」

 

 違う。

 本当は呼び止めたい。

 私が行かなければいけないのに。こともを──家族を守ると決めたはずの私が行かなければ意味がない。

 なのに私の口は何も言葉を発する事なく、ただただ妹の言葉を受け入れてしまっている。

 

「行ってきます、お姉ちゃん」

 

 待って。行かないで。

 そんな事を言ったと思う。

 でも気がつけばこともの姿はなく、私は呆然と玄関先で自分の膝を抱えていた。

 

「……きっと帰ってくるよね……こともなら大丈夫……絶対帰ってくるから……」

 

 譫言(うわごと)のように呟くその言葉は気休め程度に私の心を落ち着かせる。

 以前は山の神をやっつけて、ついこの前はコトワリ様からも逃げ切ったんだ。臆病者の私が外に出ても妹に迷惑をかけるだけだ。

 だから私は妹を信じて帰りを待てばいい。

 そしてその時に力いっぱい抱きしめて謝ればいい。こんな情けない姉でごめんなさい、と。

 

 しかし待てども待てども。

 

 空が茜色に染まっても。

 

 こともは帰ってこなかった。

 

 

 

 

⭐︎

 

 

 

 そして今、私は途方に暮れながら町を歩いている。

 こともまでいなくなってしまった。私のせいで家族全員いなくなってしまった。

 山の神はあまりにも残酷だった。

 連れて行くなら私一人でいいのに、あえて私を残して残りの家族全員を連れていくなんて。

 朦朧とする意識の中で、私は記憶を頼りに山を目指して歩いている。

 きっとそこに行けば家族と再会できると思って。きっとそこに行けば全てが終わると思って。

 

「…………」

 

 コツコツとローファーを鳴らしながら歩く。

 

 その足音に混じって別の足音が聞こえてきた。

 

 私が歩けばその足音も歩き、私が止まればその足音も一瞬遅れて止まる。まるで隠れているかのように、この静かな町に紛れる何かがいる。

 誰かに着けられている。

 その事実に気がついた途端、それまで朧げにしか見えていなかった周りの景色が途端に鮮明になる。防衛本能か何かだろうか、背後の気配に対して五感が過敏になっている。

 示し合わせたように私の隣に置いてある掲示板が目に飛び込んできた。いくつかの町のお知らせの隣にデカデカと貼り付けてあったのは、一枚の注意書き。

 

『近辺で連続怪死事件発生中! 注意して行動するべし!』

 

 そういえばお父さんが言っていた気がする。

 ムカデ神社が荒らされた衝撃であまり頭には入っていなかったけれど、最近町では人が死んでいるというニュースが増えている。

 全員が体のどこかしらを欠損した状態で発見されていて、中には頭が無くなっていた死体もあったとテレビで放送していた。

 もしかして背後の気配がその事件の犯人なのだろうか。

 

「あなたが私の事を殺してくれるの? でもごめんね、私今から家族のところに行かないといけないの。だからあなたに殺される訳にはいかないの」

 

 しかし、私の言葉に背後の気配は答えない。

 先程から後を着けるだけで襲いかかってくる様子はないし、このままそっとしておいてくれると助かる。

 一歩、また一歩と山へと近づく。

 沈みゆく夕陽を背に、ようやくあの大きな一本道へと辿り着いた。

 ここを進めば、やっと家族に会える。

 待っててね、ことも。お姉ちゃんもすぐ行くから。

 

「──あぇ?」

 

 突然目の前に広がる道が白で染まり、私は思わず間抜けな声を上げた。

 前方を塞ぐ白は、どうやら何かの布らしかった。

 そして、私はこの光景をどこかで見た事がある。慌ててもがこうとするも、既に全身が白い布──袋で包まれていて、身動き一つ取れなくなっている。

 

「待って! 私は家族の所に行かないといけないの!」

 

 無様に泣き叫ぶも虚しく、徐々に意識が遠のき始める。

 

「お願い……離して……()()()()()()……」

 

 まだ夜になっていないのにどうして。

 

 そんな疑問を最後に、私の意識は暗転した。

 

 




加速するお姉ちゃんのトラウマ


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こうじょう 〜 たんさく

夜廻では難関だったものの深夜廻では簡単な部類だった廃工場パート
この小説では果たしてどっちになるのか


 暗い。

 目を閉じても開いても、目の前に広がるのは変わらない真っ暗な光景。自分の姿すら闇に包まれたこの空間にいると、これが夢なのか現実なのかも分からない。

 私は死んだのだろうか。

 死んだ後の世界がこんな暗闇に包まれた世界だったなら、少し寂しいかな。でも私が一人ぼっちなら家族は誰も死んでいないはずと思えて、少し気が楽になる。

 

「……寒い」

 

 しかしどこからか流れる冷たい風が頬を撫で、私は現実に引き戻された。思わず自分の肩を抱き震える。

 生きてる。

 果たしてそれが良い事なのかは疑問だけど、少なくとも「寒い」と思えるなら私はまだ死んではいないのだろう。

 

「もう死んだも同然だけどね」

 

 家族を失った私に生きる意味なんてない。

 お父さんもお母さんもことももポロも、みんな私のせいでいなくなった。だから私もみんなの所へ行こうとしたのに、あのお化けに邪魔されてしまった。

 

「よまわりさんを怒らせちゃったのかな」

 

 一度気を失ってこの真っ暗な空間に連れてこられたおかげで、絶望感に支配されていた私の思考が幾分か落ち着きを取り戻している。

 気を失う前に最後に見た光景。あれは間違いなくよまわりさんの袋だった。つまり、私はまたまんまとよまわりさんに連れ去られたという事か。

 久しぶりと言えば久しぶり。しかし、どうしても腑に落ちない事が一つだけある。

 よまわりさんはその名の通り、夜に出歩いている子供をさらってしまう。私を子供と判断したのは不服だけど、今は我慢。

 問題は、まだ夜になっていないのに私がさらわれた事だ。

 あの時はまだ夕日が沈み始めたばかりの時間帯で、夜と呼べるまではもう少し時間がかかる。なのに私はよまわりさんにさらわれてしまった。

 

「なんだかいつものよまわりさんじゃないみたい……」

 

 よまわりさんは謎に包まれている。

 一体どうやって生まれたのか、そもそも目的はなんなのか。他のお化けと違って、決して『自己』を表に出そうとはしない。

 あの白い仮面の裏に素顔を隠し、夜のお巡りさんとして夜を彷徨う怪異。

 なのに、そんな正体不明なはずのよまわりさんに何故か違和感を覚えてしまう。

 

「ここで首を傾げててもしょうがないよね」

 

 いつまでもこの暗闇の空間──おそらくコンテナの中──にいる訳にも行かない。

 風が漏れているなら、きっとどこかが外に繋がっているはず。少しの光も見逃さないようにフラフラとした足取りで周囲を見回す。

 

「あそこか」

 

 少し遠くに見える一筋の光。

 その光へ向かってゆっくりと歩きながら、私の頭の中はあの夜の事でいっぱいになっていた。

 ()()()()()同じようによまわりさんに連れて行かれてしまって、今回のようにコンテナに閉じ込められている。どうも私は同じ失敗を繰り返す事に定評があるらしい。

 重たい扉を「ふんぬー!」と女の子として少しどうかと思える掛け声で開けると、美しい月明かりが眩しく飛び込んでくる。

 

「うっ、寒い……」

 

 外は既に夜に包まれていた。

 空を彩っていた夕焼けは影も無く、夜空に輝く大きな満月の周囲を小さな星が囲んでいる。

 まだ季節は初夏と呼べるはずなのに異様に寒く、冷たい風が肌を撫でる度にぶるっと震えてしまう。

 衣替えしたばかりの制服が忌々しい。

 あの時の私に論理的思考をする余裕なんて無かったとはいえ、上着の一枚でも羽織ればよかったと今更ながら後悔する。

 前回とは違い靴はまだ履いているだけマシかもしれないけれど。

 

「さて、ここからどうしようか……」

 

 ぼんやりと周囲の景色を探りながら、私は力無くコンテナに寄りかかった。

 周りには当然のように鉄パイプや廃材などが散乱し、目の前には大きな建物がそびえ立っている。月明かりに照らされた建物の群れは長年の劣化でどれも焦茶色に錆びていて、今にも崩れ落ちてしまいそうだった。

 自然に囲まれたあの山道ではなく、人々から捨てられた人工物で囲まれた廃工場。同じ町でも真逆な景色が広がっていた。

 出来ることならここから山道まで戻ってトンネルに向かいたいけれど、ここはよまわりさんの住処だ。()()姿()になったよまわりさんに追いかけられれば碌に走れない私ではすぐに捕まってしまう。

 別に今更命が惜しいとは思わない。

 でも、どうせ死ぬのなら家族と一緒に。そんなワガママ、最後ぐらいは言ってもいいよね。

 

「あはは……」

 

 乾いた笑みが零れる。

 結局そのワガママも叶いそうにない。工場という牢獄に囚われた私には夢のような話だ。

 そのまま壁に背中を預けて目を閉じようとした時。

 

 ゾッと背筋が震えた。

 

 少し離れた位置にあるコンテナを横切った()()を見た時、嫌に身に覚えのある悪寒と吐き気が体の奥底から込み上げてくる。

 思わず立ち上がってしまうほど強烈な気配を発している、地面を這う小さな影。

 徐々にコンテナの影から出てきた()()は、月明かりに照らされその全貌を明らかにした。

 まるで焼死体から拝借したような焼け焦げたドス黒い手首。

 五本の指を足のように蠢かせ、手の甲に一つしかない目玉をギョロギョロと動かしながら何かを探している様子だった。

 忘れたくても忘れられない。

 山の神の手下だ。

 

「なんでここに……」

 

 山の神はよまわりさんと敵対しているはずだ。

 以前よまわりさんがあの小さな手を蹴散らしているのを見た事があるし、私がトンネルの中に引きずり込まれそうになった時だって助けてくれた。

 山の神がよまわりさんを「夜の王様気取り」と呼んだように、よまわりさんと対抗できる怪異なんて存在しない。

 なのにあの手首は、そんなよまわりさんの住処に堂々と乗り込んできていた。

 

「私を探してるわけね……」

 

 探し物なんて考えられるのはただ一つ。

 最後に残した(わたし)を取りにきた。

 しかし、それは私にとっても好都合だった。あの手首に連れて行かれればもしかしたら家族と再会できるのかもしれないし、私の最期の願いも叶うかもしれない。

 

「あはは……まさか自分からアイツのところに行く日が来るなんて──」

 

 苦笑しながらコンテナの影から出ようとした時、それは襲ってきた。

 

「ッ!? う……アァ!?」

 

 まるで眼球を素手で握られそのまま抉り出されるような感覚。()()()()()()感じていた痛みとは比べ物にならない激痛に、堪らずその場で蹲ってしまう。

 悲鳴もあげれず呼吸すらままならないほどの痛み。

 これが山の神に贄として目をつけられた者が受ける呪い。

 

「痛い……痛いよ……こともぉ……」

 

 無様に地面に倒れ込む姉の姿を見て、こともはどう思うだろうか。自業自得だと幻滅して愛想を尽かされるのかな。

 なんて、こんな状況にも関わらず私の頭は余計な事を考えている。

 

──ことも……ことも……こともッ!

 

 お母さんもポロも失ったあの日から、私に残されたたった一人の妹。

 こともに会いたい。話したい。抱きしめたい。また料理を食べさせてあげたい。

 

──一人は嫌だ!

 

 永遠に感じられるような時間を、気力のみでただひたすら耐える。やがて山の神もこれ以上は無駄だと悟ったのか、徐々に左目の痛みも引き始めた。

 

「うぅ……ケホッケホッ……」

 

 いつの間にか止まっていた呼吸を整えながら、コンテナを背になんとか身を起こす。不幸中の幸いか、激しすぎた激痛のおかげで悲鳴をあげる事はなく、お化けたちに気付かれた様子はない。

 

「守ってくれた……訳じゃないよね……」

 

 未だ鈍い頭痛が残る頭を振り払い、無意識のうちに手に握っていた物体に視線を落とした。

 

「でも、ありがとうございます、ムカデの神様」

 

 かつてムカデ神社で頂いたお守り。

 強く握りしめたせいでクシャクシャにはなってしまっているけれど、綺麗な赤色の布は夜の暗さでも輝いて見えた。

 今となっては何も効力は無いそのお守りを半ば習慣のようにスカートのポケットに入れていたけれど、思わず取り出してしまったようだ。

 でもそれを見つめていると、たとえ効果は無いと分かっていてもどこか安心感を感じてしまう。

 

「……あれ?」

 

 しばらくお守りを眺めていると、ふと疑問に思ってしまった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 これは言うなれば予約のようなものだ。

 私を生贄にするという山の神の明確な意思。

 

 なら、なぜ山の神は私だけでなく他の家族にも呪いを掛けなかった?

 

 お父さんもお母さんもこともも、誰一人私のように激痛に苦しんでいる様子は無かった。特にお母さんなんて一度経験している身で、昔ほどではないけれど精神状態だってまだ不安定。呪いを受けていれば一発で異変に気づけるはず。

 しかし、私以外の家族は呪いを受けていない。

 

「山の神はこともたちを生贄にするつもりがない?」

 

 初めから山の神は私一人を狙っていた。

 だから私を山へ誘い込むために、あえて他の家族を連れて行った。私にとって『家族』が一番大事なのは山の神も知っているはず。狙うならそこが一番手っ取り早い。

 つまり、私は危うく山の神の思惑通りにあの手首に自分を差し出す所だったというわけだ。

 もしこの仮説が正しいのなら──。

 

「みんなは生きてる……!」

 

 私の家族は山の神に生贄にはされていない。

 つまり、みんな生きている。

 

──助けられる。

 

 その考えに至った瞬間、私は跳ねるように立ち上がった。

 可能性が一つでもあるのなら、今の私はそれに縋るしかない。なら、私が取るべき行動はたった一つ。

 

 今度こそ家族を助ける事。

 

 

 

⭐︎

 

 

 

「とは言ったものの……」

 

 決意を新たに進み始めた少女はしかし、どのようにしてよまわりさんの目を掻い潜って廃工場を脱出するかが見当も付かなかった。

 よまわりさんは神出鬼没。時には建物の影から姿を現し、時にはなんと空から降ってくる。そして誘拐した子供を見つければ、決まってあのグロテスクな赤い姿になる。

 大きな口。うねうねと動く四本足。

 それらを駆使して追ってくるよまわりさんに容赦も慈悲もない。

 廃工場の至る所に散らばる子供の遺留品らしき物がそれを物語っていた。

 

「どこだろう、ここ」

 

 宛もなく廃工場を彷徨うともこの目には周りの建物が全て同じに見えていた。

 通り過ぎるどの建物も窓はひび割れ、壁の塗装は剥がれ落ち、周囲にはゴミが散乱している。コンクリートの地面を突き破った雑草がモノトーンな色合いの廃工場に僅かながら感情を与えているものの、そのほとんどが殺風景な寂しい景色だった。

 

「あれは……」

 

 しばらく歩き続けたともこの目に何かが映る。

 建物の壁に立てかけられるように置かれていたそれは、一冊の手帳だった。普段なら目にも留まらないであろうそれに目を奪われた事を不思議に思い、彼女は首を傾げながらもそれを拾い上げた。

 いくつもの付箋が挟まれ、使い込まれた様子の手帳。

 それを手に取った瞬間、なぜ目を奪われたのかをともこは瞬時に理解した。

 

「ちょっと傷んでるけど廃工場(ここ)にあるものと違って朽ちてない……最近誰かが落としたのかな?」

 

 しかし、前述したようにここは廃工場。

 よまわりさんに攫われない限りは誰も近づかない忘れ去られた場所だ。絵日記やスケッチブックといった子供の落とし物とは明らかに違うそれは、正体不明の怪異の住処という場所を差し引いても異質な雰囲気を醸し出していた。

 気がつけばともこの手は手帳のページをめくっていた。

 

この町は異常だ。夜になると住民は消え、バケモノどもがそこら中をウロウロしてやがる。そしてこの町の住民はそれを見て見ぬふりをしている。百鬼夜行を毎晩行ってる町なんて聞いた事がない。

 

 それはともこの町を訪れた人物の記録帳だった。

 口調から男だと推測したともこは、その名も顔も知らぬ男に同情した。外の者からすれば、夜に魑魅魍魎が跋扈するこの町の夜はやはり異常に見えたらしい。

 しばらくはこの男が出くわした怪異たちが鮮明に描写された記述が続き、中にはともこさえ遭遇した事がない怪異も含まれていた。

 しかし、読み進めるにつれてともこの中でとある疑問が浮かんだ。

 

「なんでこの人は毎晩出歩いているの……?」

 

 日付もつけられていたこの手帳の記録を読み解くと、毎晩のようにこの男は怪異が支配する夜の町へと飛び込んでいた。

 ある夜は取り壊された商店街を通り。

 またある夜は学校近くにある空き地にまで足を運んでいる。

 ことものように明確な理由を持って夜廻りをするならまだしも、大人の男が同じように夜の町を徘徊するのはともこにとっては異様な光景だった。

 異様な雰囲気の中手帳を読み続けていると、とある夜の記述が彼女の注意を引いた。

 

またあの女から連絡が来た。そろそろウンザリしてきた。アイツはやはり束縛が強すぎる。別れ話をしようにも癇癪を起こして暴れるから手が付けられない。どうにかしてあいつとの縁を切れないだろうか

 

 縁切り。

 その言葉を聞いた瞬間、重苦しい空気が彼女の息を詰まらせる。

 

必死になって調べて見つけたあの神社に願い事をしても、そんな俺を嘲笑うようにあの女がまた連絡をよこしてきやがった。あんなのに縋ったのに俺はまだこの女から逃げられないのか。勘弁してくれ。

 

 手帳を握る手が少しずつ震える。

 

ついにあの女をどうすればいいのか分かった。アイツが俺の悩みを解決してくれたんだ。でもまずはアイツの望みを叶えてやらないと。

 

まずは一人。初めてなのに全然怖くなかった。アイツが励ましてくれれば、俺はなんだってできると思う。

 

二人目。アイツに順調だってほめられた。

 

三人目がおわった。アイツは次はあの女でいいよっていってくれたからたのしみだ。

 

ついにあのおんなをしまつできた。おれにつきまとうからこうなるんだ。あいつもよろこんでくれた。こんどはおれがあいつのねがいをかなえるばんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

みつけた

 

「ッ!?」

 

 狂気に染まったその手帳に刻まれた、短すぎる最後の一文。

 それが目に入った瞬間、まるで地響きのような音が廃工場全体まで響き渡り、ともこは思わず手帳を投げ捨ててしまった。

 

「なんなの……これ……」

 

 恋人との関係に悩む男が徐々に正気を失い始める記録帳。

 途中から現れた『アイツ』と呼ばれる存在。

 そして男が言う『望み』。

 それらが全て生々しくあの手帳に記されていた。

 

ドスン ドスン ドスン

 

 投げ捨てられた手帳を呆然と見つめていると、先程感じた衝撃音が再び地響きと共に廃工場全体に響き渡った。

 まるで砂で満たされた袋をぶつけ合ったかのような、どこか重厚感のある音。それが廃工場の奥から何度も発せられていた。

 顔を引き攣らせていたともこも一旦手帳の事は片隅に追いやり、その音へ注意深く耳を傾ける。

 視線を音がする方向へ向けると、一本の細道が姿を現した。

 どうやら謎の音はその細道を抜けた先で発せられているらしい。

 

「ふぅ……」

 

 ちらりと横目で最後に一度だけ手帳へ目を向けると、ともこは大きく息を吐いた。

 今は臆している暇なんてない。脱出への手掛かりは一つでも探らなければならない。

 そう自分に言い聞かせ、ともこはゆっくりと細道を歩き始めた。

 

ドスン ドスン ドスン

 

 一歩、また一歩と近づく度に大きくなる衝突音。

 細道を抜けた先はそれまでの入り組んだ道のりとはまた違う、少し開けた空間が広がっていた。恐る恐る出口に近づき、目だけを出して周囲を見渡した。

 

「ひっ……!」

 

 細道を抜けた先。建物の影から顔を覗かせたともこは思わず息を呑んだ。

 目の前でぶつかり合う二つの巨大な影。

 一方は指を蜘蛛の脚のように使って地面を這い、手の甲に付いた一つ目で相手を睨みつけている大きな手首。文字通り、山の神の手先だ。

 もう片方の影はまるで肉の塊に胎児のような小さな手足を生やしたグロテスクなナニカ。背中にある大きな口をこれでもかと開き、歯の隙間から覗く白い仮面で辛うじてその怪異がよまわりさんだと分かる。

 そんな巨大な怪異が互いの体をぶつけ合って争っていた。

 あの神出鬼没なよまわりさんにともこがここまで見つかることなく進み続けられた理由、そしてここまで()()()()()()()()()()()()()理由が目の前に広がっていた。

 方や(わたし)を攫おうと乗り込んだ祟り神の手先。方や自身の領域を侵した怪異を追い出そうとしている正体不明な夜の王様。争いは必然と言えた。

 何よりもともこの目を引いたのは、そんな二つの巨体がぶつかり合う奥に聳え立つ、彼女が探し求めていたこの廃工場の出口(ゲート)

 

「ここからじゃ逃げられない……」

 

 ぶつかり合う巨体の奥に見える錆び付いたゲート。ようやく見えたこの牢獄の出口だったが、巨大な怪異二つの目を盗んでゲートまで走るのはあまりにも無謀だった。

 ここが使えないのなら、他の出口を探すまで。

 少女は踵を返し、ぶつかり合う二つの怪異の騒音を背に再び廃工場の奥へと進み始めた。

 

 その背後を見つめる二つの視線に気がつく事もなく。




夜廻のトンネルの中で唐突に始まった怪獣大戦争に初見の時は苦笑した思い出
実際に目の当たりにするとかなり怖そうですが…


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ついせきしゃ 〜 にんげん

投稿が大変遅れてしまい、申し訳ございませんでした。
前回投稿した第14話がどうしても納得の行く形にできず、色々と加筆していたらここまで遅くなってしまいました。ですので、14話の後半部分の展開が最初に投稿した時と変わっていますので、ご注意ください。

今後遅れる場合は活動報告で報告できるように匿名は解除させて頂きました。よろしくお願いします。


 異変は突然やってきた。

 以前脱出する時に使用したゲートが二体の巨大な怪異に阻まれ、別の出口を探す事を余儀なくされたともこは工場の奥へと足を運んでいた。足元の瓦礫に躓かないよう意識を集中させ、どこかフラフラとぎこちない足取りで注意深く周囲を見回している。

 懐中電灯も持っていない今、月明かりだけが唯一の道標。

 夜風の寒さに震えながら、脱出の糸口となり得る手掛かりを探り続けていた。

 よまわりさんと山の神の手のおかげで怪異が姿を消しているのがせめてもの救いか。

 

「……うん?」

 

 しかし、そんな少女の背後から忍び寄る、一つの影。

 異変に気づいたのは彼女が一旦足を止めた時だった。

 

「…………」

 

 物音一つと聞こえない完全な静寂に支配されているこの廃工場。怪異の溜まり場と化し自分以外の生者の気配など一切感じないこの空間では、彼女のコツコツという足音のみが夜空に向かって響いていた。

 しかし、彼女は聞いた。聞こえてしまった。

 足を止めた際、ほんの一瞬遅れて()()()()も止まった事に。

 

「……誰もいない」

 

 恐る恐る背後を確認するも、広がるのは寂れた工場の風景のみ。

 瓦礫とゴミで彩られた人工物の墓場は何も写していなかった。

 再び歩き始めるも、今度は意識は足元ではなく背後に集中させている。

 コツコツと鳴る自分の足音。

 そこにまるで隠れるようにして鳴り響く、ピタピタという足音。

 妙に耳に残るその音は一定の間隔で彼女の背後から発せられており、ともこが歩けば足音も歩き、ともこが止まれば足音も止まる。

 

「(何かいる……よね?)」

 

 それを「気のせい」で片付けられるほど、今のともこの危機管理能力は低くなかった。

 気配はしない。

 お化けの姿もなく、本当に『足音だけ』が彼女を追跡していた。

 しかも、足音が彼女を追跡するのは初めてではない。

 

「(あの時と同じ人?)」

 

 こともの後を追うように外へ出た夕暮れ。

 その時も彼女の背後から同じように足音が追跡していた。

 初め、ともこはそれがよまわりさんのものと思っていた。実際その直後に彼女はあの白い袋の中に詰め込まれ、今の状況に陥っている。

 しかしよく考えれば、よまわりさんに()()()()()()。ズルズルと体を引きずるようにして移動するため、()()を発せられるワケがなかった。

 つまりこの足音はよまわりさんとは違う怪異。あるいは──。

 

「『隠れる』っていう行為ができる『人間』か……」

 

 怪異とはただそこにいるだけの存在である。

 生者を見つければ襲いかかり、それ以外では決められた自分の領域(テリトリー)から動かない。要するに『隠れる』という思考を持ち合わせていない。

 そしてこの足音の主は確実に身を隠している。

 

「……ちょっとまずいかな?」

 

 知恵を絞って出し抜ける怪異ならまだしも、同じ人間相手となれば話は別だ。

 怪異相手ならどれほど追跡されようと身を隠せばそのうち消えてくれる。石を使って気を引く事も、以前ならお守りの力で追い払う事もできた。

 しかし、人間は違う。

 自分を探し出そうとどこまでも追いかけてくるし、超常的な守りを与えてくれるお守りなども通用しない。

 皮肉な事に、夜廻りを行う少女たちに一番脅威となるのが同じ人間だった。

 

──試してみるべきか。

 

 意を決して、ともこは最後にもう一度だけ背後を振り向く。

 当然視界には誰も入らない。足音も止まっている。

 

「……今!」

 

 再度正面を向いた瞬間、ともこは咄嗟に近くの倉庫らしき建物の中に飛び込んだ。

 

「ケホッケホッ……埃っぽいなぁもう!」

 

 そのまま開きっぱなしだった扉をそっと閉じ、息を殺して身構える。

 相手が人間なら、ともこから身を隠す時に視線は切れているため気づかれないはず。相手が怪異なら、ある程度時間が経てば自分の領域に戻っていくはず。

 「制服も埃まみれになっちゃったなぁ」と苦笑しながら、足音を立てないようゆっくりと扉から離れる。右足の感覚があれば飛び込む必要もなかっただろうに、と改めて不便に感じながら。

 再び訪れる静寂。

 廃工場の奥深くにあるこの倉庫からはあの二体の巨大な怪異が争う音も聞こえない、夜の静けさそのもの。

 唯一聞こえるのは自分の息遣いと速まる心臓の鼓動のみ。

 

「ッ……!」

 

 そんな静けさに響く、ピタピタという足音。

 今までともこの足音に紛れるのみだった相手が姿を現した瞬間だった。

 ピタ……ピタ……と、先程の一定の間隔で聞こえていた時とは違い、一歩一歩確かめるように進んでいる。

 果たして人間なのか、怪異なのか。

 

「ごめん、怖がらせちゃったみたいだね。別に悪意はないんだ。ただ、どうやって君に話しかければいいのかわからなくて」

 

 その答えは前者だった。

 突如として語りかけるように響く若い男性の声。

 苦笑混じりに告げられた言葉からは確かな理性が感じられ、聞く者を安心させる穏やかな口調だった。

 

「君もあの化け物を見ただろう? 俺もあいつにここに連れてこられたんだ。俺としては君と一緒にここから出たいと思ってる。だから、出てきてくれるかな?」

 

 久しく聞いていない自分以外の生者の声。

 しかし彼女にはその声に応える気などまるで無かった。

 

「(()()()だ!)」

 

 彼女の脳裏に浮かぶのはかつての世界での記憶。

 妹にポロがいなくなったと告げられ、代わりに探しに出かけたあの夜。

 ともこはその時は妹を守るためにあえてよまわりさんに捕まった。

 廃工場で目を覚ましたともこは、今と同じようにとある若い男性に声をかけられた。

 青年は恋人を探しに来た事、よまわりさんについて調べている事を告げ、足を怪我していたともこのために包帯まで渡し、一緒に出ようと言葉を掛け続けた。

 そんな青年の優しさにやがてともこも心を許し、立て篭っていたコンテナから出てしまった。

 その正体が山の神に精神を汚染され恋人を殺した、凶悪な殺人犯だと知らずに。

 そしてその殺人犯が今、薄い扉で隔てたすぐ外にいる。

 

「(今度はもう騙されない……! 絶対に言うことなんて聞くもんか!)」

 

 どれほど理性を感じさせる口調で話そうと、どれほど優しい言葉を掛けられようと、全ては山の神のでまかせだ。

 右足を奪われたあの夜、自分を殺そうと襲いかかってきた母親と同じで理性など一切ない。頭の中に浮かぶ言葉に従うただの人形でしかない。

 

「勿論、君が警戒するのも無理はない。君みたいな可愛らしい女の子にどこの誰かも分からない男と協力しろなんて言うのは酷かもしれない。でも、俺は君に危害を加える事は神に誓って無い。それだけは信じてくれ」

「どの口が言う……!」

 

 山の神に精神を乗っ取られた男が「神に誓う」などと話す様に、ともこは思わず悪態を吐く。

 その男が誓った神こそまさに元凶だというのに。

 

「頼む、もう俺には時間がないんだ。俺は行方不明になった恋人を探してこの町に来た。きっと俺の恋人もあの化け物に連れて行かれたに違いない。彼女を助けるためにはどうしてもここを出なくちゃいけないんだ。だからお願いだ、協力してくれないか?」

「恋人を殺した張本人のくせに……!」

 

 次々と出る男性の言葉一つ一つがともこの精神を逆撫でした。

 そもそもよまわりさんは子供しか誘拐しないし、恋人を殺した張本人がよまわりさんに罪をなすりつけているだけだ。

 歯を食いしばり、ともこは男の声を無視する。

 

「……君以外にもう一人女の子を見かけた。君とよく似た、君よりずっと幼い小学生ぐらいの女の子だったけど、その子も助けたいと思ってる」

 

 しかしその言葉を聞いた瞬間、ともこは思わず飛び上がりそうになった。

 自分とよく似た小学生程度の女の子など、一人しかいない。

 

「ことも……?」

「君はおそらく、妹さんを探していたんだろう? 俺も一緒に協力する。君は妹さんを探していて、俺は恋人を探している。利害は一致してるはずだ」

 

 何を言われようとともこは青年の言葉に耳を傾けるつもりはなかった。

 だが妹となれば話は別だった。

 

「だから頼む、姿を見せてくれるかい?」

 

 それっきり男は言葉を語らない。

 きっと罠だ、山の神の出鱈目だと自分に言い聞かせるも、ともこの心は大きく揺れていた。

 もしかしたら青年の言葉通り、こともは山の神に連れ去られたのではなく、ともこと同じようによまわりさんに誘拐されたのかもしれない。そして自分と同じように、ここから出ようと彷徨っている。

 怪我をしているかもしれない。恐怖で震えているかもしれない。

 妹の安否を考えれば考えるほど、ともこの中の不安は膨れ上がる。

 思えば、これまでの出来事は彼女が知る過去とは大きくかけ離れていた。母親ではなくこともが連れ去られ、よまわりさんの介入、家族全員が連れ去られる異常事態。過去の知識とはまるで違う。

 もしかしたらこの青年も彼女が知る殺人犯と違い、本当に恋人を探しにきたのかもしれない……。

 思わず口を開き掛けたその時──。

 

「チッ、やっぱりこれでもダメか」

 

 その僅かな希望を嘲笑うかのように男の本性が牙を剥いた。

 

「あーやっぱり無駄だったか。お前、やっぱり()()()()んだろ? 俺の事。はぁ、あの神社も潰して忌々しい犬畜生とも引き剥がしたのに、お前が()()()()せいで随分と回りくどい事をするハメになってる。()()()も怒ってたぞ? 俺だってそのせいであの女以外に何人も……ヒヒヒ……何人も殺す事になった。ん? 殺す? 俺が? 違う、俺はただあいつの言葉に従っただけだ……頭の中のあいつに……ヒヒ」

 

 やはり、男の本性は変わっていない。

 そして山の神に憑かれた者特有の、支離滅裂な言葉。

 

「あの手帳、この人のだったんだ……」

 

 狂気に染まったその言葉から微かに読み解ける事実に、ともこは思わず震え上がった。

 少し前に廃工場の片隅で拾ったあの恐ろしい記録が刻まれた手帳。その持ち主が語った()()()。その答えが今まさに目の前に出揃っていた。

 

「ウッ、アハハ……またあいつが言ってるよ、早くお前を連れてこいって。だから早く出てこいよ。家族と会いたいだろ? なぁ、おい」

 

 息を殺し、ただひたすら男が立ち去るのを待つ。

 彼女の顔面は蒼白で、体は小刻みに震えている。

 怪異とは違う、生きた人間の狂気。それは幼い少女にとってはあまりにも残酷すぎた。

 

「……勘弁してくれよ。探すか? また探さなきゃいけないのか? やっとの思いでお前を見つけたのに、また探さなきゃいけないのか? でも、絶対に見つける。一緒にあいつの所に行く。逃がさない。絶対逃がさない。ヒヒ……」

 

 譫言のように呟きながら、やがてピタピタという足音と共に男の声も聞こえなくなった。

 永遠にも思える静寂の後、思わずともこは力無くその場にへたり込む。

 息は乱れ、未だに動悸も止まらない。男の狂気に満ちた声が容赦なく少女を蝕んでいる。

 記憶の中にあった男の様子とはまるで違う、桁違いな歪み。

 しかしその狂気も、既に立ち去った様子だった。

 声も聞こえず、気配も無い。

 念を押してまたしばらくその場で待ってみるものの、やはり男がこの倉庫に近づいてくる様子はない。

 

「早くここから出ないと……」

 

 一度大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。

 このまま怯えていては廃工場から脱出する事はできない。たとえ男に見つかってしまう危険を犯してでも、彼女は外に出なければいけない。

 決意を固め、ともこはゆっくりと扉を開き、その小さな隙間から外の様子を伺った。

 

「……え?」

 

──目が合った。

 

 彼女が扉を開けたその僅か数メートル先。

 そこに男は立っていた。

 所々破れて肌が顔を覗かせているボロボロになったシャツに、泥まみれのズボン。そのどちらにも染み付いたどす黒いナニカの跡。あのピタピタという足音の正体である素足はきっちり揃えられ、まっすぐともこの方向へ向けられていた。

 そして何より、あの記憶と同じ狂気に満ちた男の顔が三日月のような笑みを浮かべ、ともこを見つめていた。

 その手にキラリと光る一本の包丁を握り締めながら。

 

「みつけた」

「ッ!?」

 

 慌てて扉を叩きつけるように締め、咄嗟に鍵を閉める。

 それと同時に凄まじい衝撃音と共に何かが扉に叩きつけられた。

 

「ごめん、怖がらせちゃったみたいだね。別に悪意はないんだ。ただ、どうやって君に話しかければいいのかわからなくて」

 

 先程と同じ言葉を呟きながら、何度も何度も衝撃音が狭い倉庫に鳴り響く。直前まで見せていたものとは明らかに違う理性的な口調が、男の狂気に拍車をかけていた。

 

「君と話がしたいんだ。開けてくれるかい?」

「ひっ……!」

 

 ガチャガチャと狂ったようにドアノブを回され、ドンドンと扉を何度も叩かれる。

 あの様子ではこの扉もそう長くは保ってはくれないだろう。

 死に物狂いでともこは倉庫内を見渡し、どこかに隠れられる場所を探す。

 山の神に憑かれた男と重なるようにして、かつて山の神に憑かれてしまった母親の姿を思い出してしまう。

 あの夜以来悪夢で見るようになった、母親に首を絞められる光景。

 

「あんな様子じゃ首絞められるだけじゃ済まなさそうだけどッ!」

 

 赤黒く染まった包丁が何を意味するかなど、考えるまでもなかった。

 震える体を押さえつけながら、ともこは物陰から扉の様子を伺う。

 何度も叩かれた扉は大きく歪み、隙間から月明かりが漏れている。そしてあまりにも呆気なく、ともこを守っていた扉は倒された。

 姿を現すのは、血走った目を限界まで見開いた男の笑顔。

 悲鳴を押し殺すのがやっとだった。

 

「またかくれんぼか? お前も好きだなぁ、そういうの」

 

 半ば呆れながら呟くと、男は周囲のロッカーなどを物色し始める。

 倉庫の奥にある物陰に隠れているともこの位置に来るまで、三分もかからないだろう。

 

「(どうにかして外に出ないと……)」

 

 このままでは袋のネズミ。

 隠れる場所に倉庫を選んだ過去の自分を呪いながらも、ともこはゆっくりと物陰から移動し始めた。

 幸いにも男はまだ周囲のロッカーやゴミ箱の中身などを調べているため、今の男は彼女に背中を向けている状態だ。

 ジリジリと距離を詰めながら、開け放たれたままになった扉を目指す。

 

「ッ……」

 

 かつてないほど高まる心臓の鼓動。

 それすら男に聞かれてしまいそうなほど、男は彼女の目と鼻の先にいる。

 

「(大丈夫……あと少し……)」

 

 出口もまた同じように、彼女の目と鼻の先。

 今、自分は男の背後を取っている。だから男に見られる心配も、気づかれる心配もない。そう自分に言い聞かせながら、一歩、また一歩と進む。

 

 しかし、その気持ちが彼女を焦らせてしまった。

 

「あっ……」

 

 思わず間の抜けた声を漏らしてしまうが、もう手遅れ。

 男に神経を集中するあまり、彼女の意識は足元にはまったく無かった。その結果、割れたガラスを踏むというあまりにも呆気ないミスを犯してしまった。

 そして今に状況では、その呆気なくミスが命取りになってしまう。

 

「そこかぁ」

 

 グルリと男が勢いよく身を翻す。

 ともこの姿を捉えた男は一瞬表情が抜け堕ちたように無表情になると、一気に満面の笑みを浮かべた。

 慌てて外へ飛び出そうとするも、走れない彼女が大人の男に敵うはずもなく、呆気なく腕を掴まれ倉庫の中に引き戻された。

 

「は、離してッ!」

 

 必死に抵抗するともこ。

 しかし、男の手は万力のように腕を掴んでいて、いくら叩こうと引っ掻こうと弱まる気配はなかった。

 

「なぁ、逃げるなよ。暴れるなって。一緒にあいつの所に行くだけだから。両親に会いたいんだろ?」

「いやッ! あなたなんかと一緒に行かない!」

「ウッ……痛いなぁ、なんてことしてくれるんだよ」

 

 なおも抵抗するともこに業を煮やしたのか、男は小さく顔を顰めると、ともこを倉庫の奥へと押し倒した。

 

「かはっ……」

 

 背中から地面に叩きつけられ、顔を歪める。

 そんな彼女の目前に掲げられた、月明かりできらりと光る物体。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に向けられたそれ──男が持っていた赤黒く染まった包丁に、思わず目を閉じる。

 次の瞬間、凄まじい熱さと痛みが走り、ともこは悲鳴を上げながら左腕を押さえた。

 

「お前が暴れるからだぞ……大人しく着いてこないから……頼むからこれで大人しくなってくれよ……」

 

 生暖かい液体が左腕を滴る。

 男が振り下ろした包丁は彼女の腕に辛うじて突き刺さらず、彼女の左腕を切り裂きながら地面に立てられていた。すでにかなり酷使されていた様子だった包丁は硬い地面に叩きつけられたせいか、刀身が大きく欠けていた。

 男は一瞬包丁に目をやると、やがて興味を失くしたようにそれを投げ捨てる。

 

「やっと終わる……今度はあの夜の王様気取りも助けてくれないぞ……ハハ……」

 

 笑いながら、男は近くに落ちていたであろうレンチを掲げた。

 その様子を半ば夢のような感覚でともこは眺めていた。

 男が馬乗りになっているせいで体を動かす事もできず、そもそも逃げ場もない。

 

「やっぱりダメだったなぁ……悔しいなぁ……」

 

 おそらくまだ殺されはしない。

 山の神の下へ連れて行かれ、贄になる役目があるからだ。

 しかし、結局は山の神の手の上でもがくだけの最後。

 

「せめてみんなにお別れ言いたかったなぁ……」

 

 一粒の涙を流し、ともこは振り下ろされたレンチをただただ見つめた。

 

「ガッ……!?」

 

 しかし、凶器は少女の頭を外し、すぐ隣の地面へ叩きつけられた。

 失敗する要素など何一つなかった。

 あまりにも唐突な出来事に目を丸くしていると、突然男の体が揺れ、男は白目を剥きながら地面へと倒れ込んだ。

 

「え……?」

 

 ともこは何が起きたのか理解できなかった。

 混乱する頭が思考停止している。

 

「大丈夫、お姉ちゃん?」

 

 その声を聞いた瞬間、ともこの中で何かが弾けた。

 勢いよく身を起こすと、目の前には一人の少女が立っていた。

 

 赤いリボン、ウサギのポシェット、愛らしい二つの瞳。

 

「ことも……?」

「えへへ、助けにきたよお姉ちゃん」

 

 最愛の妹──こともが変わらぬ朗らかな笑みを浮かべていた。

 

 その手に血が滴る無骨な鉄パイプを握りしめたまま。

 

 




助けられるぐらいなら助けに来る幼女先輩

持っている鉄パイプは原作で「重すぎて持てない」と言っていたアレです。今作では普通に使っていますが…


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しまいげんか 〜 ゆがみ

最近一から書き直したいという欲を抑え込みながら執筆する毎日です。


 半ば現実離れしたその光景を私は呆然と眺めていた。

 

「うーん、やっぱりこれ重いなぁ。まぁいいや」

 

 呟きながら、こともは手に持っていた大きな鉄パイプから手を離した。赤い液体を滴らせながら重力に従って地面に落ちた凶器が、甲高い音を鳴らしながら私のすぐ真横を転がる。

 そのままこともは力無く私に覆い被さっている男の両肩を掴むと、「よいしょ」という気の抜けるような掛け声と共に男も先程の鉄パイプのように転がす。成人男性の重みからようやく解放された私の目に飛び込んでくるのは、クリっとした二つの可愛らしい瞳。

 

「本当に……こともなの?」

「えへへ、ちゃんと本物のわたしだよ。もしかして偽物にでも会った?」

 

 目の前で私を見下ろしているこの少女の存在がどこか浮世離れしていて、思わず問いかけてしまう。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 家族が全員どこかに連れ去られて、正体不明のお化けの住処となっている廃工場を真夜中に脱出しなければいけないこの状況。

 にも関わらず、こともはいつもと変わらずどこか掴みどころのない態度で私の目の前に現れた。

 邪な感情など一切感じさせない朗らかな笑み。どこか達観したような、それでいて仄かに子供らしさも感じさせる言葉遣い。どれも私が知っている普段通りの妹の姿。

 精神的にかなり追い詰められた私とは対照的に、こともはこの状況をまるで気にしている様子が無かった。

 

「それよりお姉ちゃん、怪我してるでしょ! 早く手当てしないといけないよ!」

「え? うっ……!」

 

 こともに言われるがままに左腕に向けた私の視線に映るのは、赤く染まった制服の袖。続くように鈍い痛みが左腕に走り、思わず顔を顰めてしまう。

 そういえば、あの男に左腕を切られていた。

 左目の痛みに比べれば全然平気だけど、どうもこともにそんな言い訳は通用しないらしい。

 

「もう! 少しは自分の事も気にしてよ。あ、ちょっと沁みるかもしれないけど我慢してね?」

「あっ、ちょっと待ってことも私は大丈夫だから──ぃッ!?」

 

 抵抗しても無駄だと言わんばかりにこともは私の左腕を押さえつけ、手にはポシェットから取り出したであろう水筒が。ヒンヤリと冷たい水が傷口に染み渡り、思わず声にもならない悲鳴を上げてしまう。

 相変わらずあんなに小さくて可愛らしい体から発せられる腕力とは思えない。

 そもそも小学生の妹にすら負けるほど貧弱な私もどうかと思うけど。

 

「はい、よくできました。頑張ったねお姉ちゃん」

「うぅ……せめて心の準備ぐらいさせてくれても良かったのに……」

 

 傷は予想以上に浅かったのか、すでに血は止まっていたみたいだ。

 こともが優しく頭を撫でてくれているおかげで痛みも引いていくけど、これじゃあどっちが姉なのか分からない。

 

──私の方が年上なのに……お姉ちゃんなのに……。

 

 私の中で姉としての尊厳がどんどん失われている気がして、余計目に涙が滲んでしまう。

 

「……ありがと、ことも」

「どういたしまして!」

 

 それでも膝から顔を上げ、弱々しくも感謝を告げる。こともは一瞬キョトンとした表情を浮かべるも、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。

 久しぶりに感じられる姉妹らしいやり取り。

 どこか重苦しかった気持ちも幾分か晴れる。

 

「こともッ……!」

「わぷっ」

 

 だから私は遠慮なく妹の背中に手を回すと、力一杯その小柄な体を抱きしめた。こともも突然の事に小さく声を上げるも、「しょうがないなぁ」と呟きながらされるがままになってくれる。

 子供らしく暖かい体温。

 家族の温もりが全身を包み込み、目の前の妹が紛れもない本物だと教えてくれる。

 

「本当にこともだよね? 本当にそこにいるのよね?」

「……そうだよお姉ちゃん。わたしはちゃんとここにいるよ」

「ことももよまわりさんに連れてこられたの?」

「うん。お父さんとお母さんとポロを探しに行ったらすぐ見つかっちゃって。まだ夕方にもなってないのによまわりさんが出てきてビックリしたなぁ」

 

 まただ。

 こともも同様に、夜になっていないのにも関わらずよまわりさんに誘拐されている。

 本来であれば夜になるまで──暗闇が訪れるまでお化けは姿を現さず、生者に危害を加える事もできない。それはよまわりさんとて例外ではないはず。

 しかしよまわりさんはあろう事か数少ないこだわりとも言える「夜に出歩く子供を攫う」という『ルール』を破ってまで、私たち姉妹をこの廃工場に連れてきた。

 正体不明のよまわりさんであっても、この行動はおかしいと言わざるを得ない。

 

「それで気がついたらこんな時間になってたの」

「なら、どうして私がここにいるって分かったの? こんなに広い工場なのに」

「それは……えへへ、()()()()()かな」

「なんとなく……」

 

 末恐ろしい妹の勘の鋭さ。

 けれど、妹に何度も行動を読まれた経験がある私にとって、こんな馬鹿げた理由でも妙に納得できてしまう。

 

「それでもありがとう、こともだけでも無事でいてくれて……私のせいでこともまでいなくなったと思って──」

「お姉ちゃんのせいじゃないよ! わたしはお姉ちゃんを助けたくて自分の意思で外に出たんだから。きっとお姉ちゃんだって同じ事をしてたと思う」

「でも……」

「でもじゃない! 自分の事を悪く考えるのはお姉ちゃんの悪い癖だよ?」

「うっ、痛い所を突いてくるわね……別に私のネガティブ思考は──」

 

 頬を膨らませながら腰に手を当ててプンスカ怒っていることもに反論しようと私も頬を膨らませたその時。

 

「ぐッ……うぅ……」

 

 足元から発せられるうめき声。

 咄嗟にこともを庇うように抱き寄せるも、その声の持ち主──地面に倒れていた男は何度か身じろぐと、再び力無く地面に横たわった。

 よく見れば胸も微かに上下しており、少なくとも息絶えた訳ではない。

 

「生きてたんだ……良かった……」

 

 男の無事を確認し、思わず大きく胸を撫で下ろした。

 いくら正当防衛とはいえまだ十歳にすらなっていない妹に人殺しの業を背負わすなどあまりにも残酷すぎる。

 そして、その辛さはかつてお母さんを見殺しにした私が一番よく知っている。

 

「とりあえずこの男の人が逃げないようにロープか何かで縛って──ことも?」

 

 辺りを見回す私を他所に、こともはフラフラと私の腕の中から抜け出す。

 

「ん、よいしょ……っと」

 

 まるで荷物が沢山入ったランドセルを持ち上げるように、こともは何かを掲げた。

 月明かりに照らされて妖しく光るその物体。長い年月により赤茶色に錆びついたそれは、おそらく私でも持てなさそうなほど太く大きい鉄パイプ。

 

 そしてこともは、その手に持った鉄パイプを男の頭目掛けて振り下ろす──

 

「何してるのことも!?」

 

 寸前で私は慌てて妹に飛びつき、振り下ろされた鉄パイプは辛うじて男の頭を外してガン!と鈍い音を響かせる。

 あまりにも自然な動きで思わず反応が遅れてしまったけれど、今もしかして妹はとんでもない事をしようとした?

 

「お姉ちゃん、どうしてその人を助けるの?」

 

 心底意味が分からないと言わんばかりに小首を傾げることも。先程浮かべていた笑みはいつの間にか能面のような無表情に覆われ、消えている。

 その光景に、自分の背筋が震え上がるのを感じる。

 今の鉄パイプが当たっていたら、男は確実に死んでいた。今度こそ頭蓋骨を砕いて脳髄を潰す、情けも容赦もないまさに()()()()()一撃。

 それをこともは何の躊躇もなく実行していた。

 

「ことも、私はもう大丈夫。だからそんなに簡単に人を傷つけようとするなんてダメ」

「でもこの人、お姉ちゃんを傷つけたんだよ? 悪い人ならちゃんと()()()()やらないと」

「たとえどんなに悪い人でも、人を傷つけていい理由にはならないの。もし今こともがやろうとしている事をやってしまえば、こともはこの人と同じになっちゃうよ? 私はこともがこの人と同じになるのは嫌だと思うなぁ」

「……はい」

 

 この男は確かに殺人犯でいわゆる『悪い人』だ。やった事は到底許される事ではないし、罰を受けなければいけない。

 でも、その罰を下すのは私たちじゃない。

 この人は然るべき人たちの手によって然るべき処罰を受けるべきであって、そういった事について何も知らない私たちが罰を下す理由も権限もない。

 私怨でこの男に罰を下せば、それこそこの男と同じになってしまう。

 こともも私の言葉に納得してくれたのか、渋々といった様子で凶器から手を離した。

 

「こともは私の事を守ろうとしてくれたのよね?」

「……うん」

「ありがとう、ことも。その気持ちだけで十分嬉しい。でも、後はお巡りさんに任せよ?」

 

 その言葉と共に、凍えるほどの無表情を浮かべていたこともにようやく笑顔が戻る。

 

 でもその笑顔にどこか影が見えたのは、果たして私の気のせいなのだろうか。

 

 

⭐︎

 

 

「誰もいないね。まだよまわりさんと山の神が戦ってるのかな? テレビみたいで凄かったなぁ」

 

 倉庫の中で見つけたロープで男をぐるぐる巻きの芋虫にした後、恐る恐るといった風に扉から外を覗く私とは対照的に、こともは遠慮なく扉を開いて外へと出た。我が妹ながら図太すぎる。

 

「テレビでよく見てるもんね、ことも。もうちょっと可愛いのも見ればいいと思うけどなぁ」

「えー。お姉ちゃんだって一緒に魅入ってたのに」

「わ、私は違うよ! えっと……そう! 俳優さんがかっこいいから見てるだけよ!」

「でもお姉ちゃんはそういうのに全然興味ないでしょ。『あいどる』の雑誌より料理の雑誌を見る方が好きって自分で言ってたよね?」

「この子はこういう時だけ記憶力が良いんだから……!」

 

 まさか中学生にもなってこともが見てた番組に胸がときめいたなんて口が裂けても言えない。

 元の時代だとことものお世話でそういうものに触れた事なんて無かったから……子供と一緒に見てるうちに一緒にハマってしまう全国のお父さんお母さんの気持ちが分かった気がする。

 

「私だってそういうのに興味はあるわよ! 私もいつかは良い人と結婚して家を出て家庭を築くんだから」

「えっ……?」

「ことも、お願いだからそんなビックリした表情をしないで。いくらお姉ちゃんでも傷つくよ?」

 

 私だって将来はお父さんみたいな優しい人と結ばれて、こともみたいなしっかりした娘を育てて、お母さんみたいな強い母親になりたい。

 将来の夢がお嫁さん、なんて言うつもりはないけど、それでもかつては得られなかった暖かい家庭に憧れはある。

 こともはそんな私の言葉に目を丸くしていた。失礼な。

 

「お姉ちゃんが取られちゃう……」

「あ、そういう事ね」

 

 しかし、どうやらその理由は予想よりも可愛らしいものらしい。

 でも逆の立場で考えてみると、私もこともが恋人なんて連れてきた日にはこうなるのだろうか。恋人にかかりっきりで「もうお姉ちゃんなんて知らない」なんて言われたら……だめだ、考えただけで吐き気がする。

 

「姉離れできない妹に妹離れできない姉、か……私たちってやっぱり似てるのね……」

「お姉ちゃん? 何か言った?」

「ううん。こともは可愛いなぁって思っただけ!」

「もう! えへへ……」

 

 私の呟きは聞こえなかったのか、こともが不思議そうに首を傾げた。なんだか小っ恥ずかしくなってとりあえず頭を撫でてあげると、恥ずかしそうに顔を赤らめながらもされるがままになってくれる。

 

 まるで家にいる時のように穏やかな時間。

 

 これから山の神からお母さんたちを助けに行くとは思えないほど、いつも通りのお喋りに興じる。

 どうやらこともと再会できた事で私自身にも少し余裕ができたらしい。こともと一緒ならきっとお母さんたちを助ける事ができる、そんな気がして。

 

 でも。

 

「じゃあお姉ちゃん。おうちに帰ろ?」

 

 ことものこの言葉で、私の考えが如何に甘かったのかを思い知らされた。

 

「……え?」

 

 一瞬意味を理解する事が出来なかった。

 帰る? 家に? 今から?

 あまりにも唐突な言葉に、脳が混乱している。

 

「もちろんお母さんたちを助けたらみんなで一緒に帰る──」

「ダメ、今すぐ帰るの」

 

 私の言葉を遮るように、こともが断言する。

 その表情には先程までの笑みが消え、殺人犯の男を殴ろうとした時の能面のような無表情が貼り付けられていた。

 

「でも、まだお母さんたちは連れて行かれたままなのよ? 早く助けないと──」

「それでもダメ。もう夜廻りなんてやめよ? 早く帰らないと危ないよ」

「……ことも、怖いのは分かる。私だって怖いよ。でも、お母さんたちを助けられるのは私たちしかいないの。だから──」

「わたしが怖いのは、お姉ちゃんがこれ以上傷つく事なの。もしまたさっきの男の人みたいな人が来たりしたら、今度こそお姉ちゃんは死んじゃうかもしれないんだよ? だからわたしと一緒に帰ろ?」

 

 手を差し伸べることもに、私はゆっくりと首を振る。

 

「こともはお母さんもお父さんもどうなってもいいの? 二人ともきっとまだ生きてて、私たちが助けてくれるのを待ってるかもしれないんだよ? 家族を助けられるなら、私はなんだってする」

「そんな事関係ないよ。わたしはお姉ちゃんがいなくなっちゃうのが一番心配なの。だからもう──」

 

 無意識に体が動いた。

 

 一瞬自分でも何が起きたのかが分からない。ただ気がつけば私は手を振り抜いたまま固まっていて、目の前で赤くなった頬を押さえていることもの姿があった。

 そこで私は生まれて初めてこともを叩いたのだと理解した。

 

「二度とそんなこと言わないで! 私たちのお父さんとお母さんなんだよ? 関係ないわけないでしょ!」

()()()()()()()()()()()!」

 

 しかしそんなわたし以上に、目の前の妹は声を荒げていた。

 目尻に涙を浮かべ、真っ直ぐ私の目を見据えて。

 

「だって知らないんだもん、お父さんもお母さんも! 結局どこまで行っても、わたしにとってはただの()()()()なの! だってわたしにはお姉ちゃんしかいなかったからッ! お姉ちゃんだけ一緒にいてくれたからッ!」

「こ、ことも……?」

 

 こともの叫びが困惑する私に叩きつけられる。

 

「待ってことも。一体どういう──」

「わたしも同じだよ、お姉ちゃん。わたしも知ってるんだよ? ()()()()を。左目が無くなったあの夜に何があったか。なんでわたしたちの家にはお母さんがいなかったのか。お姉ちゃんは黙ってるつもりだったかもしれないけど、わたしは全部わかってたんだよ?」

 

 殴られたような衝撃が頭を駆け巡る。

 つまり、こともも私と同じだった? 私と同じように気がついたら過去にいて、私と同じように過去の記憶を持ってて……。

 

「でもここはわたしが知ってる世界じゃなかった。お母さんがいて、お父さんも毎日家に帰ってきて、ポロも一緒に暮らしてて、()()()()()()()()()()()()()()()。それだけでわたしはもう理解したよ? ()()()()()()()()()()()()って。そしてその結果が今のお姉ちゃんの右足なんだって」

「ことも……」

「なんでお姉ちゃんばっかり傷つかないといけないの!? なんでお姉ちゃんばっかりが酷い目に遭わないといけないの!? お姉ちゃんはもう十分頑張ったよ! これ以上お姉ちゃんが苦しむのを見る事なんて、わたしはもうできないッ!」

 

 それは、幼い少女がずっと胸の内に抱き続けていた想いだった。

 私が家族を助けようと四苦八苦していた裏で、ずっと私を見つめてくれていた、たった一人の妹の願い。

 

赤の他人(お父さんもお母さん)も関係ない! わたしにとっての()()は、お姉ちゃんだけなのッ! だから、もう帰ろうよ……」

 

 大粒の涙を流しながら必死に訴える妹に、私は言葉が見つからない。

 

「……でも、私はお母さんとお父さんを助けたい。みんなで幸せに暮らしたいから……」

 

 それでもどうにかして言葉を絞り出す。

 ここで黙ってしまえば、それこそ取り返しがつかなくなると思ったから。

 

「わたしはお姉ちゃんまでいなくなる方がもっとイヤ! 今も昔も、わたしにはお姉ちゃんしかいないんだよ……?」

「…………」

 

 もう一度、目の前でこともが手を差し伸べる。

 「もう頑張らなくていい」。私が心の奥底で求めていた言葉を、妹が与えてくれようとしている。

 この手を取れば、きっと私は楽になれる。

 かつての私たちのように、姉妹二人っきりで助け合いながら生きていく事だってできるはず。

 

「……ありがとう、ことも。でもごめんね、やっぱり私にはお母さんもお父さんも見捨てる事なんてできないよ……」

 

 それでも、私はその手を取る事ができなかった。

 

「分からないよ、わたしには……なんでお姉ちゃんがそこまでお父さんとお母さんを助けようとする理由が……」

「だって、お父さんもお母さんの事が大好きなんだもん……こともと同じ、大切な家族だから」

 

 これはきっと、私のせいだ。

 私がこともにお父さんの事もお母さんの事も話さなかったから。

 お母さんについて話すのを恐れたから。

 

──夜があの子を強くした。

 

 いつかの私は、こともについてそう語った。でもそれは間違いだった。

 夜はあの子を強くなんかしていない。

 あの子はどこまで行っても、あの寂しがり屋な妹のままだった。ただ夜の中でそれを隠すのを覚えてしまっただけだった。

 

「分からないよ……お姉ちゃんが言ってる事なんて全然分からないッ!」

 

 顔を歪め、こともは私に背を向けて走り去る。

 幼い少女の嗚咽を残響を夜に響かせながら。

 

「ことも……」

 

 暗い夜に強く輝く月明かりに照らされたまま、私はただ呆然と立ち尽くす事しかできなかった。

 

 




ブチギレことも先輩。
彼女にとって今の両親は友達のお父さんお母さんみたいな感覚です。だから姉の事が理解できないんですね。


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