望月との日常 (トマリ)
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望月が望むモノ

望月が若干めんどくさい女化してるかもしれません。



 いくらなんでもやりたい放題じゃないだろうか。

 書類の山を整理しながら、提督は思わず苦笑いした。

 四月だというのにまだ片付けられずに残っているコタツには、鎮守府の古参艦娘にして最愛の秘書艦、望月が入っている。

 確か提督の記憶が正しければ、いつまでたっても起きようとしない望月を起こしたのが朝の十時。それから少しして、『休憩』と称して望月がコタツに潜り込んだのが十時三十分。そして今が午後四時。

 単純に考えて、望月は五時間ほどコタツに入りっぱなしということになるのだが、蒸れとかトイレは大丈夫なのだろうか。下世話な心配だというのはわかっているのだが、そう考えずにはいられないほど望月は微動だにしていなかった。

 一応提督は三十分おきくらいに『もっちー、生きてるかー?』と声をかけているものの、その度に『おー』とだらけきった声をあげるだけである。運動エネルギーを使っていないせいか、まだ腹が空いたという言葉も聞こえない。

 こんなだらけきった光景を大本営の人間に見られたらなんと言われるか。

 

 まぁ、先日までイベント海域の攻略に皆休まず出撃してもらっていたので、今日は演習も遠征も無しにしてゆっくり休もう、と提案したのは提督なのであるが。

 

 ましてや攻略中は唯一のケッコン艦とはいえ、駆逐艦である望月もフルで働いてもらっており、彼女もぶつくさ文句を言いつつ、しっかり役割を果たしてくれた。それを鑑みれば、今日は彼女の思う存分休ませてやりたいとも思う。

 それに、これ自体は別に平日の彼女も似たようなものであり、提督は彼女のそういう所も全部引っ括めて好きになったのだが。

 だがさすがに。あばたをえくぼと言い張るには、この提督はほんの少しドライだった。

 

「もっちー、いい加減にそろそろコタツから出なよ。そうやって寝転がってばかりだと、体にも悪いよ?」

 

 そう言うと、ようやくモゾモゾと望月の体が動いた。動いたといっても、体は動かさず顔をコッチに向けただけだが。

 

「んーだよ司令官ー。昨日まで散々あたしをこき使っといてさー。疲れる原因作ったのは司令官じゃん」

 

「それを言われると何も言い返せないけどさ……」

 

「月月火水木金金てホントにあるんだねぇ、て思ったよあたしは」

 

 ハァ、とため息をはく望月。ますます苦い顔をする提督。

 イベント海域中は思うように攻略が上手くいかず、提督はずっとピリピリすることになってしまっていた。被弾した艦娘は入渠させて高速修復材を使い、しなかった艦娘はすぐさま再編成して再び攻略に向かわせた。基本的に艦娘に無理はさせない方針だったが、あの時の自分はかなりのブラック提督になってしまっていたと思う。

 もちろん先日の祝賀会の時、酷使した艦娘にはしっかりと謝罪した。

 

「そうだけどさぁ……もうすぐ夕方だよ?そのままだともっちー、一日中コタツにこもりっぱなしってことになるけど」

 

 コタツムリの生体観察としては非常に貴重な資料になるだろうが。

 望月は『んー……』と唸りながらモゾモゾと動き、両手をコタツの外に出した。そのままコタツから出る気になったのかと思ったのだが、望月はそのまま腕を伸ばしてうつ伏せの態勢になっただけだった。単に袖の部分が蒸れただけだったらしい。

 それを見て提督は呆れたように額に手をつけた。

 疲れているのはわかるけど、そろそろ秘書艦としての務めも果たしてほしい。提督は朝からイベント海域攻略の報告書作成でちっとも休んでいないのだ。コタツの上には望月に片付けてほしい分の書類を置いたのだが……それは未だに手がつけられた様子がない。

 

「そんなにだらけていると……太るぞ」

 

 そう告げたとき望月の体がピク、反応した。数秒固まる。

 その後、さっき出したばかりの腕をコタツの中へと戻すと、毛布の外側の部分がモゾモゾと動く。そのまま数秒ほど時間がたち……やがて望月はふう、と息をはいた。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。あと三週間はいける」

 

「どんな回答だよ……」

 

 さっきまでの動きは腰回りとかを自分で揉んで確認していたのだろうか。……だとしたら、その答えが出るまでの数秒の間はいったいなんだったのだろう。

 しかし太る、という言葉に反応するとは、望月もやはり女の子らしい(失礼)。日頃からあまりオシャレをしようともしていないので、望月を『女の子』と認識する機会は意外とないのだ。

 提督が服屋に連れていっても、望月は自分から服を選ぼうとしないし、如月たちとオシャレ談義をしているような様子もない。恐らく彼女が興味あるのは綺麗な髪飾りなんかよりもフカフカの枕なんじゃないだろうか。

 まったく、仮にも女の子だというのに服を自分任せにするとは如何なものか。自分が紳士だったからいいものの、もしも他の鎮守府のロリコン提督に捕まっていれば、今ごろ幼稚園児のコスプレとか色々させられて……いや、それも案外悪くないかもしれん……。

 つい執務の手を止めてあれこれ妄想していると、そんな邪念を感じたのか望月が少し震えた。

 またモゾモゾと顔だけ動かして提督と視線を絡める。

 

「司令官ー。お腹すいたー」

 

「そりゃあ、朝からなんにも食べてないだろうからな」

 

「なんか作って」

 

「なんと図々しい……」

 

 そもそもお昼に間宮食堂へ誘ったというのに、望月はついてこなかったではないか。仕方ないから自分は泣く泣く一人で定食を食べたというのに(間宮さんの目が優しかった)、勝手ではないか。

 提督はそう思ったが、だがそれでも不思議と嫌悪感は覚えず、素直に従おうとしてしまう。ひょっとすると、自分は犬気質かドMか根っからの世話好きなのかもしれない、と提督は最近思い始めた。

 だが、さすがに今から作るのは無理だ。提督は机の引き出しを開け、中身を漁る。奥の方に手を入れてみると、ポッキーの箱が出てきた。

 

「もっちー、ポッキー食べる?」

 

「食べる~」

 

 いつ買ったものかはわからないが、別に賞味期限もきれていないようだし、望月はお菓子の類いはだいたい好物だ。

 今しっかり食べてしまうと晩御飯に支障が出てしまう。明日からはまた通常の勤務が始まるのだから、生活のリズムを崩すわけにはいかない。とりあえず今はコレでお茶を濁してもらうこととしよう。

 そう思って提督は机に長方形の箱を置いた。だが、いつまで経っても望月は取りに来ようとしない。不思議に思った提督が顔を上げると、

 

「提督~食べさせて~」

 

 パタパタと腕を上下に動かしながら望月は言った。

 

「……ここまで来ると一種の長所だな」

 

 さすがに(自称)温厚な提督もイラッときかけたが、若干呆れに似た感情を抱いて執務の腕を止めた。

 包装を破ってポッキーを一本取り出すと、かがんで愛しの望月の側へと持ってきてやる。

 

「はい、あーん」

 

「あ~ん」

 

 口だけで提督の手のひらからポッキーを咥え、モグモグとと少しずつ口に含んでいく。卯月よりも兎っぽいぞ、と提督は思ったが口に出さない。

 全てかじり終わり飲み込むと、またあーんと口をあける。それを見て提督は、もう一本ポッキーを取り出した。口元へ持っていくと、さっきと同じようにポッキーが望月の口の中へと消えていく。そしてまた、彼女はあーん、と口を開けた。

 

「なんか、ワガママお嬢様の使用人になった気分だ」

 

 思わずポツリと呟くと、

 

「いや~さすがのあたしも、ここまでだらけるのは司令官の前だからだよ。三日月とかの前じゃ、もう少し抑えめだし」

 

 いまいちフォローになってるのかよくわからない。

 もちろん、自分の前で素の自分をさらけ出してくれるのは嬉しいし、それだけ信頼してくれてることなのだろうけど、それでももう少し抑えてほしい。てか姉達の前でも抑えめなだけでそのスタイルなのかよ━━━と色々言いたいことはあったが、もう提督は考えるのがめんどうになったので何も考えないことにした。

 それからしばらくの間、提督がポッキーを取り出し望月が食べる、ポリポリという音だけが室内に響いた。

 動かずとも温かい思いをし、勝手に飯が運ばれてくるのはさぞ幸せなのだろう、望月は猫のように目を閉じて提督の指がつまむポッキーを食べてくれている。

 それを見ていると、ふとイタズラ心が芽生えた。

 

「もっちー」

 

「ん?」

 

 提督の言葉に望月が目をあける。居眠りを邪魔された猫のような顔だった。

 

「はい、あーん」

 

 改めてそう言いながら望月の口元へポッキーを持っていく。

 

「あーん」

 

 何も疑わず望月はポッキーを咥える。ポッキーが手から離れた瞬間、提督は動いた。伸ばした腕の分だけあった距離をすぐに詰めて、ポッキーの反対側を口に含む。突然のことに望月の目が見開かれた。俗に言うポッキーゲームの態勢だ。

 これだけ望月のワガママに付き合ったのだ。少しくらいムフフな思いをしたって罰は当たらないだろう。

 そして提督は一気にポッキーを食べ進め━━━

 

 ポキッ

 

「えっ」

 

 あっさりと折られた。

 もちろん提督の仕業ではない。提督が咥えたのを見た望月が自ら折ったのだ。

 

「何やってんのさ、司令官」

 

 提督と望月の間で綺麗に折られたポッキーを、彼女はポリポリと食べていく。その目は完全に呆れたものだ。

 提督の理想としてはゆっくりとお互いに食べ進め、そのままアハーンな展開に持っていくつもりだったのが、予想以上の望月との温度差にひよってしまう。

 

「いや、あの……これはお約束といいますか、ついイタズラ心が芽生えたといいますか……ほ、ほら、思えば最近ご無沙汰だったし……」

 

 慌てて弁明する。最後の言葉はやや後付けに近い形で言った。

 もちろんケッコンしているので、とうに男女の仲には至っている。だが最近はイベント海域の攻略でお互いそんな暇はなく、こうやって二人で執務室にいるのだって、実は久しぶりのことだったりするのである。

 しかし、提督の言い訳を聞いた望月の目は、ますます細くなっていく。

 

「……はい、アホなこと考えてすいませんでした。執務にもどります……」

 

 どうやら今の望月はそんな浮かれた気分などなく、本気で休みたいらしい。ならば提督は大人しく引き下がるしかない。

 所詮自分は安全圏から偉そうに命令しているだけである。艦娘の疲労度がどれくらいなんてわからないので、艦娘が休みたいというのなら休ませるしかない。

 半分になったポッキーを呑み込み、提督は膝を伸ばし机に戻ろうとした。

 だがその時、提督の視界が急に反転した。軍服の後ろ襟を掴まれ、途方もない力で引っ張られる。

 

「ぐえっ!?」

 

 潰れたカエルような声が出てしまっていたが、それを引っ張った張本人━━━望月が気にした様子はない。見ると望月は艦装を展開している。大の大人を引っ張れたパワーはそこかららしい。

 バランスを崩し倒れた提督を、望月はコタツに押し込んだ。提督と望月の体が向かい合う形になる。

 提督が我に返った時には、目の前に望月の顔があった。その顔は、僅かに赤くなっている。

 

「……別に、嫌とは言ってないじゃん」

 

 眼鏡越しの望月の目と視線が絡まる。

 提督としては何がなんだかわからなかった。望月の意図をイマイチ理解することができず、間の抜けた発言をしてしまう。

 

「も、もっちー? まだ書類が残ってるから……」

 

「そんなのどうでもいいでしょ。……今は」

 

 頬に触れる望月の手が暖かい。その手つきは、親に甘える子供のようで、提督はますますわからなくなる。

 元々望月はぶっきらぼうで気まぐれな性格だが、この行動の真意は長い付き合いの提督にもわからなかった。

 そんな思いが顔に出ていたのだろう。しばらく両者無言の時間が続いていたが、やがて望月は「あーもう、察せよ!」と提督の頭をポカッと叩いた。

 

「いて」

 

 艦装もすでに消しており、力は入ってない。犬の甘噛みのような、敵意のないじゃれつきのようなものだ。だが、察知能力に乏しい提督の頭に浮かぶハテナはますます多くなる。それに焦れったくなったらしい望月は、「……もう」と細い腕を提督の首に回した。

 

「もっちー?」

 

「……寂しかったんだよ、言わせんなよ恥ずかしい」

 

 拗ねているような声音だった。その言葉と共に、望月は抱き締める手をさらに強くする。

 頬と頬をくっ付けているため、提督からは望月の顔は見えない。しかし真っ赤になった耳から、彼女が今どんな表情をしているかは容易に想像ができた。

 

「最近の司令官、海域攻略にかかりっきりでさ、ほとんど構ってくれなかったじゃんか。帰投した時だって、全然ねぎらってくれなかったし」

 

 望月の鼓動が提督に伝わる。それは提督と同じリズムを奏でていた。

 

「望月……」

 

 これだけ言われるとさすがに鈍感な提督でも望月が何を求めているのかはわかる。……まぁ、逆にここまで言われないとわかってあげられないのだが。

 片方の手を彼女の腰に回し、もう片方の手で頭を撫でてやる。望月は『そうそう、それでいいんだよ』と言いたげに目を細めた。

 

「ごめんな望月。気付いてあげられなくて」

 

 これを言うと言い訳になってしまうのだが、望月の方から提督を求めることは少ない。彼女は睦月型の姉妹と共に行動することも少なく、一人でいる方が好きという節さえある。だから、相手をしてあげられなくても望月なら大丈夫かと、提督は思っていたのだ。

 

「……そんなわけないじゃん。好きだから、ケッコンとかめんどくさいことも受けいれたのに。そりゃ、一人の方が気楽だけどさ……」

 

「そっか」

 

 提督のそんな疑問に、望月はポツポツと答えていく。一つ答えるごとに、抱き締める力はより強くなっていった。

 

 要するに、望月は提督に構ってほしかったのだろう。

 いかに彼女と言えども、提督と触れ合うことも話すこともできなった時間に、寂しさを感じていなかった訳がないのだ。今日の異常に怠けていた行動だって、恐らく提督に気にかけてほしい一心だったのだろう。

 簡単に考えればすぐにわかったことに、提督は苦笑いする。艦娘の━━━妻の気持ちも把握できないなんて、まだまだ自分は未熟者のようだ。

 

「じゃ、執務ももう休みにしよ。今日は、望月と一緒にいることにするよ」

 

 提督はコタツにより体を埋めると、望月とより引っ付くようにする。密着度が上がり、ミルクのような匂いが提督の鼻孔をくすぐった。

 

「……そう。それでいいんだよ、司令官」

 

 口調こそいつものぶっきらぼうなモノだが、表情は柔らかい。

 やがて彼女の瞼は、ゆっくりと閉じられていく。それに合わせて、執務の疲れか、提督にもゆっくりと眠気がやってきた。

 完全に意識が落ちる前に、先に眠った望月の眼鏡を外してやる。

 どこか幸せそうな表情をする彼女はどんな夢を見ているのだろう。彼女のことだから、夢の中でも眠っているかもしれない。

 そんな想像に自分で小さく笑い、提督もまた目を閉じた。

 

「お休み、望月」

 

 眠るあいさつを誰かに言うことができる。

 

 それはひょっとすると、かなり恵まれたことなのかもしれない。そう思い、提督と望月は夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに余談となるが、数時間後に執務の様子を見に来た長月と三日月に、二人はしこたま怒られることになるのだが、それはまた別のお話。

 さらに余談だが説教中、子供に正座させられ少し情けなさそうな提督とは対照的に、望月はどこか満足そうな顔だったそうな。

 

 



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望月と朝の光景

望月とのなんてことはない、朝の光景です。
特に事件が起こるわけでもないので退屈な話かもしれません。


 マルゴーサンマル。

 

 目覚まし時計に叩き起こされて、提督の朝は始まる。

 ここは執務室の隣にある部屋。いわば、提督の私室だ。私室といっても、仕事柄でほとんど執務室に張り付いている提督にとって、私室なんてものはほとんど使わない部屋である。なので、部屋は二人分の布団が敷けるスペースだけを空けて、そこ以外には段ボールばかりが積まれてる物置と化している始末だ。

 その狭い部屋で、提督はゆっくりと上半身を起こす。上半身を起こしてから、大きなあくびを一発。そうして数十秒ぼーっとしていると、少しずつ意識が覚醒していった。

 

「う……うん……」

 

 そんな提督の行動に釣られてか、提督の隣で眠る望月がモゾモゾと動く。トレードマークの眼鏡は外されており、服装もいつもの制服ではなく、水色のシンプルなデザインのパジャマだ。

 ケッコンしている都合上、望月と共に夜を迎え、布団を並べて寝ることは珍しいことでもなんでもない。

 ケッコンしたての頃は、やれ部屋が埃臭いだの備え付けのベッドじゃないと嫌だの色々と不満を言われてたが、今ではそんな文句はどこへやら。ずっと前からこの部屋で生活していたように、望月は眠りについている。安心しきっているのか口が半開きになっており、そこから少し涎が垂れているほどだ。

 その様に提督は小さく笑いつつ、彼女を起こさぬように涎をティッシュで丁寧に拭き取った。そしてぐっすり眠る望月の顔を脳裏に焼き付ける。

 望月の寝顔を見た者は多数あれど、ここまで心を許しきった、だらしない顔を見れるのは夫である自分だけだ。そう思うと優越感というか、提督の背中になにやらゾクゾクとしたものが込み上げてくる。

 とは言え、望月の寝顔を見ていると平気で一時間ほど時間が過ぎてしまうので、ここらで切り上げておこう。提督はゆっくりと布団から抜け出した。

 

 

 

 食堂へ着くと、トースターに食パンを放り込み、自販機でコーヒーを買っておく。そしてその足で、鎮守府の門にある郵便受けへ新聞を取りに行き、また食堂へ帰ってくる。その頃には、だいたい食パンはトースターの中で良い色になっている。後は取った新聞紙をテーブルに広げ、トーストを皿に乗せ、コーヒーを置いたら完成だ。

 これが提督流の(自称)優雅な朝の食卓である。こうやって新聞紙を見ながらトーストを齧るのがなかなかに乙なものなのだ。

 さして面白くもない四コマ漫画を見てから、紙面にざっと目を通す。やれ芸能人の誰々と誰々が離婚しただの、政治家が汚職をしただの、相変わらず代わり映えのしないニュースが取り扱われている。これ書いた記者は、今が戦争中だということをはたして理解しているのだろうか。

 

 (ま、戦争の真っ只中にいるウチの記者も、似たようなゴシップ記事書いてるんですけどね……)

 

 脳裏にとあるピンク髪の重巡艦が浮かび、提督は思わず苦笑いした。

 さらに新聞紙を読み進めていくと、一枚の大きな写真が目に入った。恐らくそのページのトピックに関するものだろう。

 その写真は、とある鎮守府を写したものであり、見出しには『◯◯鎮守府、◯◯海域奪還!!』と書かれている。

 

「あの海域、奪還されたんだ」

 

 トーストをコーヒーで流し込み、提督は目を見張る。◯◯海域といえば、要奪還海域の中でもかなり優先順位が高かった海域のはずだ。攻略しようにも、戦艦や空母のflagshipが多数おり攻めあぐねている、という状況だったのだが━━━。

 改めて写真を見てみると、その鎮守府の前には誇らしげな顔の長門や武蔵がおり、その後ろには見覚えのない提督の姿が写っていた。

 自分の先輩にあんな顔の者がいた覚えはない。ということは、自分よりも後に着任した者だろう。

 

「ひぇ~……。俺より提督歴短いのに、すげぇ戦果上げちゃって……」

 

 ロクに戦果を上げられていない自分との才能の差をまざまざと見せつけられたようで、笑うしかなくなる。

 ここが激戦区から外れた場所に位置する鎮守府だから~、というのは言い訳にならない。実際自分の提督としての技量が低いのは事実なのだ。そろそろ何かしらの戦果を上げなければ、上層部に大目玉を食らうことになってしまい、最悪提督としての任を解かれることになってしまう。自分が路頭に迷うのは構わないが、残された望月たちがどうなるのかわからない。

 いらない艦娘を主力艦娘の盾にしたり、本人の許可を取らずに解体するなど、ただでさえ鎮守府には黒い噂が飛び交っているのだ。眉唾ものだと信じたいが、もしも望月たちがそうなったらと考えると発狂しそうになる。だからクビになるのだけはなんとしても避けたかった。

 提督は軍服のポケットに手を突っ込むと、そこからミニサイズの海域地図を取り出した。

 

「えーと……奪還された海域はここだから……」

 

 地図に赤ペンでバツ印を書き込み、線やら数字やらを書いていく。しばらくブツブツと呟きながら提督は作業をしていた。

 

 

 

 その作業が終わった時には、時計の針はすでにマルロクマルマルを過ぎていた。

 

「やっば。もう総員起こしの時間だ」

 

 あたふたと提督は皿や新聞紙を片付けて食堂を出ていく。この時間になれば、早起きの艦娘ならばもう食堂へとやってくる。彼女らに気を使わせるわけにはいかない。

 それに総員起こしがかかってるのなら、まず真っ先に最愛の秘書艦を起こさなければならない。

 

 キィ……、とまるで空き巣犯のように静かに私室へと入る提督。敷いている布団へと近づくと、望月はさっき提督が出ていった時と同じ体勢のまま眠っていた。さっき拭ってやったのに、口からはまた涎が垂れている。

 

 (この幸せそうなを顔の望月を起こすのは、いつも気が引けるけど……)

 

 いくら提督が望月のことを愛していてケッコンしているといっても、彼女だけを特別扱いするわけにはいかない。

 

「もっちー。もっちー!起きなって!」

 

 まず一言目は名前を呼ぶだけ。それでも起きないから二言目。ちょっと強めに名前を呼ぶ。

 それでも望月はピクリとも動かない。仕方ないので三言目で体を強く揺すると、ようやく望月の体が動いた。

 

「……ぉあ?」

 

 パチ、と彼女の目が薄く開く。その目はまだ焦点が合っていない。

 

「もっちー、もう朝だよ。今から朝ごはん作るから、早く起きな」

 

 ペチペチと頬を叩く提督。それを鬱陶しく感じたのか、望月は毛布を頭から被った。

 こりゃ長期戦になるかもな、と提督は息を吐いた。低血圧の望月は、朝はなかなか目が覚めない。

 仕方なく、多少嫌われるのも覚悟して提督は毛布を剥ぎ取ろうとしたのだが、

 

「んー……」

 

 望月に袖を掴まれ、提督は毛布の中へと引きずり込まれた。

 

「うわっ!? ちょ、もっちー!?」

 

 不意を突かれたというのもあり、為す術なく提督も毛布の中へと入ることになった。

 

「しれ……いかん……」

 

 抱き枕とでも勘違いされたのか、そのまま望月に抱きつかれる。提督の息が詰まり、心臓が高鳴った。目の前に望月の顔がある。

 まだ寝ぼけているのか、目はトロンとしており、今にも閉じられてしまいそうだ。布団の中はずっと望月がいたというのもあり、外よりも遥かに暖かい。正直少しでも気を抜けば提督も一緒に寝てしまいそうである。

 いや、むしろそれもいいかもしれない。望月と同じ布団で寝ることなど久しぶりだし。

 

「うーん……」

 

 ほら、望月もこんなにくっついてくるし。まるで母猫に甘える子猫のようだ。愛しの妻からこんなにもくっつかれて悪い気がする夫などこの世にいない。普通ならば起こすのはやめにして、このまま寝かせてやろうかとするだろう。

 ……が。

 提督はコホン、と咳払いして、呼吸を整えてから言った。

 

「もっちー。アンタ本当は起きてるでしょ」

 

 その瞬間、ビク、と望月の体が震えた。

 

「…………」

 

 しばらくそのまま動かないでいたが、やがて誤魔化しきれないと判断したのだろう。望月はゆっくりと目を開けた。提督としっかり目線が合う。

 

「……ちっ。なんでわかったのさ……」

 

「これまで四回も同じ手で寝かされたらもうわかるわ」

 

 諦めたように望月の腕が提督から離れていく。

 あの甘えっぷりが演技とは……望月、恐ろしい娘!

 

「ほら、起きた起きた。今から朝ごはん作るから、顔洗ってきなさい」

 

「あ~い」

 

 ようやく望月は布団から抜け出した。そしてその瞬間に提督は素早く敷き布団を片付ける。そうそうに寝床を無くすのが、望月の二度寝を防ぐコツである。

 

 

 朝から望月流ハニートラップ(?)をくぐり抜けた提督は、せっせと朝ごはんを用意し、彼女に振る舞う。

 メニューは白ご飯とハムエッグというシンプルなものだ。白ご飯の方は、猫舌気味な望月に合わせて少し冷ましてある。ハムスターのようにチマチマと食べる望月に目を細めつつも、提督はこの時間の内に彼女と予定の確認をしておく。

 

「へ? 出撃?」

 

「そ」

 

 白ご飯をフーフーする動作を止める望月。

 

「深海棲艦もめったに来ないウチが? なんでさ」

 

「これを見て」

 

 提督は先ほど食堂で使っていたミニ地図を望月に見せる。彼女がそれに目を通し始めたのを確認してから、提督は◯◯海域が奪還されたことを話した。

 

「へぇ~、またすごい戦果上げちゃって……」

 

 適当に言いながら、望月はミニ地図に向けていた目を提督に向け直した。『読み終わったけど、これがなんなの?』というサインだろう。

 

「新聞記事によると、その海域から逃亡していく深海棲艦が確認されてるらしい。ソイツらの逃亡ルートを考えてみると……だいたいこの辺りにいるハズなんだよね。まぁ、俺の勝手な想像だけど」

 

 書き込んだ線をなぞると、その瞬間、望月は不機嫌な顔になった。

 提督の言ってる内容が理解出来なかったからではない。理解できたからこその不機嫌な顔だ。

 

「それをアタシたちに叩け、ての? なんでエリート様が取り逃した尻拭いを、アタシたちがしなきゃいけないのさ?」

 

「仕方ないでしょ。近頃ウチはロクに戦果上げれてないんだから……」

 

 とは言っても、この鎮守府の提督に『上』から小言が来ることは実は少ない。それは実力を認められてるからとかそんなのではなく、単に気にもされていないからだ。

 そもそも提督がこんな激戦区から外れた辺境の鎮守府に配属されたのも、前線でやっていくには提督の能力が足りなかったからだ。

 言ってしまえば、別に国の役に立てるわけでもなく、(何も知らない人からすれば)兵器と同じような力を持った危険極まりない艦娘と良好な関係を築かなければならない。それが『この鎮守府の提督』である。そんな嫌な役回りを、この提督はあてがわれたわけだ。まぁ、そのスタイルはたまたま提督(と望月)に合っていたものだったのが幸いだが……。

 閑話休題。

 いくら『上』から期待されていないのだとしても、ある程度の戦果アピールはしておかないと不味いだろう。それに、

 

「新しい海域を攻略するのがエリートの役目なら、取り戻した海域をしっかり守護するのが僕らの役目さ」

 

「……そんなもんかねぇ」

 

「そんなもんだよ」

 

 その返事を肯定と受け取り、提督は話を続ける。

 

「メンバーは……えっと、今日暇な娘は……。よし、筑摩さんに五十鈴、祥鳳さんに白露で、旗艦はもっちーね」

 

「……やっぱりアタシも出るのね」

 

「しょうがないでしょ。ここにいる娘はほとんど実践経験ないんだし。一番強いのはもっちーだし」

 

「わかってますよっと」

 

 その言葉と同時に、望月は朝食を食べ終わった。軽くのびをしながら立ち上がる。

 

「それじゃ、提督のためにアタシが一肌脱ぐとしますよ」

 

「ん。じゃあお願いするね」

 

 そう言って提督も立ち上がる。

 だがその時。

 

 

 ピト、と提督の胸に小さな掌が添えられた。

 一瞬なにがなんだかわからなかったが、確認するまでもなく、それは望月の手だった。

 さっきまでの面倒くさそうな顔とは違う。彼女はどこか神妙な面持ちをしている。

 そのままの体勢で数秒ほどが過ぎたが、やがて望月は口を開いた。

 

「……あんまり、無理すんなよ」

 

「え?」

 

「後輩に追い抜かされたとか、そんなの気にしなくていいからな」

 

 ドキ、とする。心の内を見透かされたような気がした。

 確かに新聞記事のことは話したが、提督自身の気持ちを話した覚えはない。劣等感とかそういった感情は、表に出さなかったハズだ。それとも、そう思っていたのは自分だけで、実際は表情に出ていたのだろうか。

 とにかく、その言葉は薬のように提督の胸に入っていく。

 

「アタシは『上』からの評価はどうあれ、司令官の采配を信頼してる。そのためなら危険な任務だってできる。どこまでも、ついていくからさ」

 

「……うん、ありがとう」

 

 じんわりと。

 固まっていた心が温かくなり、氷解していくような感覚がした。目線を上げると、望月が小さく笑う。

 彼女がいるから。彼女のお陰で、自分は『提督』としていられるのだ。

 提督がお世話している、という印象が強い望月だが、彼女は彼女でこうして提督を支えてくれている。提督は心の中で改めて感謝をした。

 

「……んじゃ、アタシはこれから着替えてくるよ。そうと決まれば早く出撃しなきゃだし。皆にも伝えなきゃだし」

 

 言いたいことだけ言い終えると、望月はすぐに背を向けて扉へと歩きだした。まるで今にも『な~んて。今のは冗談だけどね』とでも言い出しそうな雰囲気だ。

 まぁ冗談でないことは、提督が一番わかってるけど。

 

「あっ、望月!」

 

 その背中に声をかけると、望月はゆっくりと振り向いた。

 

「……いくら疲弊してるとはいえ、残存してる深海棲艦は、元は最前線にいたヤツらだ。気をつけてね」

 

「わかってるよ。マルハチマルマルになったら、皆連れて出撃してくる。昼までには終わるだろうから、昼飯用意しといてよ」

 

 言って笑って、望月は扉に手をかける。

 そのまま開けて出ていくと思ったのだが、なぜかそこで動きを止めた。

 提督が不思議に思っていると、望月はまたゆっくりと提督の方を見る。そして、

 

 

「……ま、心配すんなって。ちゃんと暁の水平線に、勝利を刻んでくるから」

 



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太陽と月

いいことを教えてやろうか……。真夏日のもっちーは戦闘力が普段の百分の一になるのだ。


 返事がない、ただの艦娘のようだ。

 そう形容できそうな望月の姿は、いつもに増して生気がない。提督が朝に買ってきた箱入りアイスは、数時間前に彼女によって空にされ、数分前に提督が食堂にまで行って取ってきたペットボトルの麦茶も、一分と経たずに空にされた。

 だがそれは、別に望月が鯨飲馬食というわけではない。

 

「あちぃ~……。あちぃあちぃあちぃ~……」

 

「もっちー、余計暑くなるからやめて」

 

 掠れに掠れた声で呟く望月。そして掠れに掠れた声で答える提督。

 まだ六月だというのに、空からは真夏のような日光が発射されていた。早くも例年の最高気温を更新しそうであり、地球温暖化が進行していることを思い知らされる。それに加えて、風もロクに吹いておらず、前日は雨だったというのもあり湿度もMAXだ。

 猛暑+湿度+無風イコール……。

 

「あちぃー、溶ける~……まぁじ溶ける~……」

 

 まぁ望月でなくとも屍のようになるだろう。

 実際提督も、普通に座ってるだけなのに顔から汗が滝のように流れてきている。流れてくる度に拭っているので、軍服の袖口はもうグショグショだ。

 望月も、いつも着ている黒セーラー服を脱ぎさっており、ワイシャツ一枚だけという状態である。いつもはヤドカリのようにコタツにこもっている彼女だが、さすがにこの暑さの前ではコタツは邪魔なものでしかないらしい。コタツに入っていない望月などかなりレアな光景だなー、と提督は溶けかけの頭でぼんやりと思った。

 

「司令官~、あおいで~」

 

「はいはい」

 

 うちわを二刀流装備し、望月に向けて扇ぐ。だが彼女の顔は芳しくない。扇がれても熱風が来るだけであまり効果がないようだ。

 

「司令官~、もういいじゃねぇかよぉ~。クーラー付けよ~……」

 

「だ、ダメだ……。皆ガマンしてるんだから……」

 

 これだけ暑い状況にも関わらず、執務室のクーラーは作動していなかった。それだけでなく、部屋の端で首を振る扇風機も強さは『弱』にしてある。

 なぜ提督たちがこんなことをしているかというと━━━

 

「ドックが二つしかないようなオンボロ鎮守府のウチに、全部屋のクーラー作動を許可できるほど予算があるわけないでしょ」

 

「えー……」

 

「『えー』じゃないよ。クーラーの電気代ってバカにならないんだから。しかもそれが軽く見積もっても十部屋分……予算どころじゃなくポケットマネーまで吹っ飛ぶよ」

 

 考えただけで目眩がしたのか、思わずといったように眉間を押さえる提督。

 この鎮守府の部屋事情は、なるべく同型艦を同じ部屋に住まわせるという処置を取っている(睦月型や白露型のような多い艦娘は二部屋に分けているが)。そしてその部屋一つ一つにクーラーが設置してあるのだが、朝の内に提督は放送でクーラー禁止令を出していた。

 当然駆逐艦などからはブーイングが殺到したが、この鎮守府の懷事情に理解を示している重巡や空母の方々がなんとかたしなめてくれたようだ。

 

「いいじゃねぇかよ~。文明の利器は使わなきゃ損だって~」

 

「ダメだよ。それに━━━」

 

 

 

 ガチャン!!

 

『クーラー警察よ!リモコンを渡しなさい!!』

『なのです!!』

 

『ああっ!? しもた、見つかってもた!!』

 

 

 

「ほら」

 

 扉の外から聞こえてきた声に提督は苦笑いする。

 今の声は暁型のお母さん担当の雷、妹担当の電の声だ。

 

「こうやって雷電姉妹をけしかけちゃった以上、僕らがクーラー付けるわけにいかないでしょ」

 

 禁止令を出しても、欲望に負けてクーラーを起動させてしまう艦娘がいるだろうことは、提督もとっくに予想済みである。

 そのために前もって提督は雷電姉妹を見回りとして鎮守府内に放っており、取り締まりを強化していた。この暑いのに二人は二つ返事で見回りを引き受けてくれ、錨を片手に廊下を駆け回っている。

 

『司令官の懷事情も理解しないで!取っ捕まえてやるわ!!』

『なのです!!』

 

『まっ、まぁ待たんかいやお二人さん。そんなこと言わずに、部屋に入ってみ?』

 

『っ!? これは……!』

『す、涼しい……!天国はここにあったのです……!!』

 

『せやろ?告げ口すんのやめてくれたら、お二人さんもこの部屋に入れていいで?』

 

『で、でも、司令官に頼まれたし……』

 

『バレなきゃ命令違反にはならんって。それにウチらだけがクーラー付ける程度なら大丈夫やって、な?』

 

『……入りたいのです』

『わ、わかったわよ!一時間だけだからね!』

 

『ふっふっふ~。交渉成立やな♪』

 

 バタン!

 

 

 

 あれ、おかしいな。なんか超速で雷電姉妹がミイラになってしまったのだが。

 

「……で? 誰がけしかけられたって?」

 

 望月も呆れている。

 

「……もういっかつけちゃおっかー」

 

 暑さで脳みそが溶けたのかもしれない。さっきまで渋っていたのが嘘のような声音で言うと、提督はクーラーのリモコンを手に取った。

 スイッチによってその戒めを解かれた文明の利器は、人間のためにその大きな口を開き、夏の大気へ向けて風を発射し始める。

 

『あー、あー、ただいまマイクのテスト中……。望月でーす』

 

 その間に望月は放送の電源をオンにすると、だらけきっ声で提督からクーラーOKの要請が出た旨を伝える。放送が終わった瞬間、ドアの外から艦娘たちの歓喜の声が聞こえたような気がした。

 

「クーラーを開発した人は、この世全ての富を得る権利があると思うんだけど、司令官はどう思う?」

 

「確かに、それだけの権利を主張しても文句は言われないような気がするけどね……。ところでさ、もっちー」

 

「うーん?」

 

 ようやく言う機会が来た、とばかりに提督は望月へ向き直る。

 

 

「クーラーもついたし、そろそろ離れてほしいんだけど?」

 

 

 と、先程からずっと自分にしなだれかかっている望月へと言った。

 

「この暑い日にくっついてたら、そりゃ暑いと思うんだけど?」

 

「……別にいいじゃん。減るもんじゃ無し」

 

「さっきから『汗』という名前で僕の水分が減っていってるんですが……」

 

 思わず苦笑いする。

 提督は時々望月の心がわからなくなる。近づいたら逃げ、逃げたら近づいてくる。望月の心は、時々ノラ猫のように読めなくなるのだ。

 まぁ、全て暑さのせい、そういうことにしておこうか。

 

 



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短冊に望む願い

望月と過ごす七夕です。
手違いがあって、前回同じ話を2回投稿してしまいました……。もしも楽しみにしていた方がいたら申し訳ないです。


 『七月』と言われて真っ先に『七夕』が出る人は、意外と少ないような気がする。

 まず『夏休み』となる人が最も多く、『海やプール』がそれに追従するような形で出てくるのではないだろうか。『七夕』とて夏には欠かせない風物詩のハズなのだが、如何せん前者二つにイメージを食われてしまってる感が否めない。

 だが提督の務める鎮守府では、イベント事を見逃すということは基本的にはなかった。提督が忘れていても、目ざとい駆逐艦たちが騒いで思い出させてくれるし、提督自身も艦娘たちとバカ騒ぎするのを楽しんでいるからだ。

 というわけで七月七日。

 誰が告知をしたわけでもないのに、鎮守府では当たり前のように七夕祭りが行われようとしていた。

 

 

 

「……よし、着れた。サイズもちゃんと合ってるな」

 

 執務室にて。

 提督はいつもの真っ白い軍服とは正反対の、真っ黒な浴衣に着替えていた。

 本日、この鎮守府にて七夕祭りが開催される。祭りと言ってもそう本格的なものではなく、屋台もセットも全て手作りの、高校の文化祭よりほんの少し豪華、というような感じの祭りだ。そんな日なので、この鎮守府は数日前から終日休業状態であり(まぁ普段も似たようなモノだが)、空母や戦艦、重巡艦娘たちが率先して屋台の用意をしてくれている。

 あと数分もすれば、鎮守府前は祭りを楽しむ駆逐艦たちで賑わうことになるだろう。

 

「金剛に利根、加賀さんまでも、皆文句も言わずに一生懸命用意してくれたなぁ……」

 

 浴衣の帯を結びながら感慨に更ける提督。

 もちろん提督とてなにもしなかったわけではない。執務の間をぬって材料や笹をなんとか調達し、本来予定していなかった打ち上げ花火まで取り付けた。そこで働く人が提督の古い友人だったので、無理言って便宜を図ってもらった、という形であるが。

 

「提督~!用意できたにゃしぃ!」

 

 あの時の旧友の顔を思い出していると、ノックの音と共に声が聞こえた。

 そのザ・ロリな声と語尾に『にゃしぃ』と付く独特の話し方をする人物は、提督の生涯から遡っても一人しかいない。入っていいぞー、と提督が言うと、体ごとぶつかったような勢いでドアが開かれた。

 

「提督、浴衣に着替えましたし、早く行きましょ~う!!」

 

 予想通りドアの前にいたのは、睦月型シスターズの長女、睦月だった。無邪気な笑顔にと少し癖のあるショートヘアーが特徴的な艦娘である。祭りということもあり、今の彼女はいつものセーラー服に代わって提督と同じく浴衣を着ていた。彼女の性格を反映したような赤い浴衣で、非常に似合っている。もしも提督に妻がいなければ速攻で恋に落ちていたかもしれない。

 

「おお~、いいじゃん。似合ってるよ、睦月」

 

「えっへへ~、この日のためにわざわざレンタルしたからにゃ~!似合ってなきゃ困るのですっ!」

 

 そう言って睦月はその場でクルクルと回る。動きに合わせて余っている袖口がゆらゆらと揺れた。

 うむ、可愛い。どこに出しても恥ずかしくない浴衣っ娘だ。

 

「で、睦月一人が呼びに来てくれたんだ。ごめんね、手間かけさせて」

 

「およ? 一人?」

 

 準備に手間取っていた提督が謝罪すると、なぜか睦月は不思議そうに首を傾けた。そして何を思ったか、誰もいない自分の後ろを振り返る。

 

「む~……!」

 

「へ? む、睦月さん?」

 

 そしてなぜか頬を膨らませてお怒りになった。提督が混乱していると、睦月はズンズンと大股で執務室の外へと出ていく。

 そのまま数秒、時間が経つと。

 

「も~、望月ちゃん!なんで引っ込んでるの!提督のために浴衣を着たんでしょ!」

 

「ちょ、マジやめてって……引っ張らないで……」

 

「ここまで来てなに照れてんの!早くっ!ほら!」

 

「やっぱり浴衣なんてアタシのガラじゃねぇし、ゼッテー似合わねぇし……うおっ!?」

 

 なにやら廊下からそんな声がした後、突然何かに押されるようにして睦月とは別の、もう一人の少女が執務室へやって来た。

 非常に見覚えのある顔だ。例え誰が忘れたとしても、提督だけは決して忘れない少女━━━

 

「望月……か?」

 

 ━━━なのだが、提督が呼ぶ声には若干の戸惑いの感情がある。まぁそれも無理はないだろう。

 

「……ん。そう、だけど」

 

 目の前でふて腐れたような顔をする少女は、紛れもなく提督の最愛にして唯一のケッコン艦、望月その人だった。

 だが服装が違う。彼女はいつもの黒いセーラー服に代わり、浴衣を着用していた 。

 

「…………」

 

 その事実は、提督にとって予想外だった。いや、冷静に考えれば睦月が浴衣を着ていた以上、望月もそうであることは容易に想像が出来るのだが。セーラー服から着替えただけで驚かれるぐらい、望月は普段からオシャレというものをしないのだ。

 彼女が着ている浴衣はレンタル用の紺色のモノであり、その色は大人しいイメージの彼女に非常に合っていた。いつもは見慣れているずぼらなロングヘアーも、今日に限っては絹糸のように艶がある。恐らく皐月か文月あたりが事前に手入れをしてやったのだろう。

 その姿に、提督はすっかり見とれてしまっていた。オシャレなどほとんどしない望月が、しっかりと髪を整え、自分に合った浴衣を着ている。それだけで、なんだか普段とは見違えるほど彼女が綺麗になったようだ。

 余った脳の片隅で、望月は別に素材自体はいいからなー、と提督がぼんやり思っていると

 

「……なんか、言えよ。司令官」

 

 沈黙に耐えきれないのか、珍しくモジモジとした様子で望月が言った。

 

「あっ……ごめん」

 

 急いでなにかしら言葉を紡ごうとするものの、この一瞬で語彙力が消失してしまったようでちっとも的確な言葉が出てくれない。とりあえず今脳裏にある言葉は『可愛い』と『望月ちゃんは天使である』だけだ。

 

「似合ってる……。すごく綺麗だよ」

 

なので結局こんなバカみたいな言葉しか出てこない。

 

「ん……」

 

 しかしそんな言葉でも、今の望月には効くらしい。顔を少しうつむかせ、目線を斜め下へと向けている。

 それが望月が照れているときの癖だということを、提督は長い付き合いで知っていた。

 

「もっちーが浴衣着るなんて……予想もしてなかったよ」

 

「いや、アタシも着るつもりなんてなかったんだけど……姉さんが」

 

「だってだって~!七夕と打ち上げ花火があるのに、浴衣を着ないなんてありえないでしょ~!」

 

 苦笑いする望月をよそに、いつの間にか入り口にはまた睦月が仁王立ちしていた。

そして、

 

「提督も、望月が浴衣を着てくれてたら嬉しいよね?」

 

 とウインク付きで言ってきたので、彼は一も二もなく頷いた。自慢のヨメがとても綺麗な、風情がある格好をしてくれているのだ。これを何とも思わない夫がいるものか。

 

「ホント、良く似合ってるから。もっと自信持ちなよ、望月」

 

 提督がそう言うと、望月は困ったような、誉められ慣れていないような顔をしてうつむいてしまう。

 

「そんな恥ずかしいこと、臆面もなく言うなよ……」

 

 浴衣が似合う娘なんてアタシ以外にもたくさんいるじゃんか、と望月はいじけたように呟いた。

しかし、その後に小声で

 

「……でも、悪い気は、しないよ。……あんがと」

 

と付け加えた。

 

 

 

 先に行った睦月に遅れて鎮守府の外に出ると、そこは完全にお祭りムードだった。あちこちの街灯が色を放っており、文字通り解放感に溢れている。

 

「行きますよ行きますよ~!」

「行くっぽーい!」

「ふ、二人とも待ってください~……」

 

 鎮守府から少し離れたところにある小さい公園ぐらいの広場には、様々な屋台が建っており、その間を主に駆逐艦娘がキャッキャと笑いながら駆け回っている。

 さっき目に入った睦月や吹雪たちの顔を見ていると、無理を言ってこの広場を貸しきりにした甲斐があった、と提督は大きな達成感を得られた。例えこの後この祭関連で膨大な書類(めんどうごと)を背負い込むことになろうとも、あの楽しそうなを顔を見れるのなら安いものだ。

 とりあえず今はそんなくだらないことなど忘れて、思う存分楽しむとしよう。

 

「もっちーは、走り回らないの?」

 

 夕立と睦月のはしゃぎっぷりを思い出しながら、提督は隣にいる望月に訊いてみる。特に深い意味はない、素朴な疑問だった。

 

「浴衣着て、サンダルはいてあんなに走り回れっての? 普通無理だから……」

 

 アタシのキャラでもないし、と望月は呆れ顔で言った。

 確かによく見てみると、望月はご丁寧に足にサンダルを装着していた。先の三人も同様である。最近のレンタル浴衣は、サンダルまでもレンタルしてもらえるらしい。どこのサービスか知らないが、なかなか良い仕事をしてくれるものだ。

 別に浴衣にはサンダルじゃないと嫌だというこだわりは提督にはないが、浴衣に普通の靴というのも、なんだか違和感があるような気がする。だから何はともあれこれでよいのだ。

 

「まずどこから行く?」

 

 そう結論付けて、提督は望月に問いかける。

 基本的に同型艦で集まって回ることの多い艦娘たちだが、望月に睦月型の娘たちから誘いがかかることはなかった。提督の所へも同様に。

 まぁこれは深く考えなくても、周りの者たちの小さな親切粋な計らいの結果だろう。ならば提督はそれに思い切り甘えるだけだ。

 最近忙しかった分、思う存分イチャイチャさせてもらおう。

 

「別に。司令官が行きたいところからでいいよ」

 

「んじゃ、入り口にある店から行きましょうか」

 

「あーい」

 

 正直提督の意見も『望月の行きたいところから』だったのだが、それではエンドレスループになってしまう。こういう時はどちらかが強引に決めた方が上手くいったりするのだ。

 黒色の提督と紺色の望月は、二人ならんで歩き始めた。

 

 

 

 

 

「……しれいかーん、そろそろ座ろー……」

 

「そうだな……。日頃運動してないと、歩くだけでも大分疲れることになるんだな……」

 

 三十分ぐらい過ぎた後。提督と望月はフラフラになりながら石段の上に座り込んでいた。

 どうせ公園ほどの広さしかないだろうと嘗めていた。店番の艦娘を冷やかして冷やかされ、ほとんどの店で買い食いや立ち話、遊びをしていると体はあっという間に疲れてしまうものらしい。

 

「ふー……」

 

 それまでも疲れは感じていたが、一度尻を落ち着けるとさらに疲労感が込み上げてくる。正直もう一歩たりとも動きたくない。

 

「花火までは時間あるみたいだし、ここでゆっくりしてよー……」

 

 それは隣に座る望月も同じらしい。数分前まではまだ実があったリンゴ飴の棒きれを軽く振ると、近くにあるドラム缶のような形のゴミ箱へと投げる。投げられた棒きれは空中で数回転しながらゴミ箱へと吸い込まれていった。

 ナイスショット、と提督は小さく称賛の声を送る。……いや、この場合は『ナイスシュート』なのだろうか?

 

「まぁどっちも変わんないか」

 

 深く考える気力もないので適当に思考を切り上げ、提督は膝に乗っていたたこ焼きのパックを開ける。

 たこ焼き屋で働いていた龍驤(どうでもいいがねじり鉢巻が異様に似合っていた) に『お二人さんへのサービス』として無料でもらったパックは、開けた瞬間に香ばしい匂いを辺りに振りまいた。

 クタクタに疲れると必然的に腹も減る。今の提督にその匂いは刺激が強すぎた。思わず口の中が涎でいっぱいになる。

 そしてそれはやはり望月も同じなようで。

 

「もーらいっと」

 

 にゅっ、と横から望月の手が伸びてきて、提督の許可もとらずにパックの中のたこ焼きを一つかっさらっていった(ご丁寧にちゃんとつまようじもくすねている)。

 いや、それ自体は別にいい。元から提督は望月にも分けてやるつもりだったし、これと似たような案件など日常茶飯事だ。

 その行為に提督が慌てたのは、もっと別の理由。

 

「もっちー、それ焼きたてだから多分すごく熱いとおも━━━」

 

「あちっ!! あっつぅっ!!」

 

 注意しようとしたが、遅かった。

 望月は猫舌だ。うどんや、炊きたての白ご飯でさえもしっかりと冷ましてから食べるほどの。

 ほんの数分前に焼かれたばかりのたこ焼きは、まだ充分に冷めきっておらず、結果、アツアツの物体が無警戒の望月の舌に直撃する形になってしまったようだ。

 

「あっつっ!! ゲホッゴホッ!!」

 

 体を『く』の字に曲げて、望月は思い切りむせかえる。熱さに驚いた拍子にそのまま呑み込んでしまったようで、それが妙な所に入ったのかかなり苦しそうな様子だ。

 

「もっちー! 大丈夫!?」

 

 それに対して深海棲艦が来たときよりも焦った顔で心配する提督。望月の食道はあまり太くない。このまま詰まってしまったら割とマジで危険だ。

 激しく咳をする妻の背中をほどほどに擦って叩いてから、提督は急いで石段を降りて飲み物を買いにいった。選り好みしている余裕はなく、とりあえず目についたカルピスを買ってすぐさま望月に届けると、キャップを開けるのももどかしそうに、彼女は躊躇いなくそれを喉に流し込んだ。

 しばらくすると、苦痛に歪んでいた望月の顔が少し緩み始め、ペットボトルから口を離す頃には「ふーっ」と落ち着いた息を吐いた。

 

「あー……熱かった……」

 

「落ち着いた? 大丈夫?」

 

「大丈夫、落ち着いた……。でもぶっちゃけ、深海棲艦と戦ってるときよりも死を覚悟したね……」

 

「『たこ焼きを喉に詰まらせて死亡』って、餅よりも笑えないからやめてよ……」

 

 受け答えもハッキリしてるしで、とりあえずは大丈夫だと提督は胸を撫で下ろす。彼女の咳き込み方があまりにもマジ過ぎたので、見ている彼としては彼女が落ち着くまで生きた心地がしなかったのだ。

 一応彼女を戦場に送り出しているという立場上、戦場で彼女を失うことになる覚悟はいつもしている。だがさすがに、こんなアホなことで失うことになる覚悟は持ち合わせていない。

 

「あちー……ひた(舌)火傷したかも」

 

 危うく報告書に『死因:たこ焼き』と書かれるところだった望月は、そう言いながらガブガブとカルピスを仰ぐ。

 飲み終わると、舌の感触を確認しているのか、頬がモゴモゴと動く。それを見ていると、提督はふと気になることがあった。

 

「もっちーってさ、猫舌な割には熱いもの結構食べようとするよね。カップラーメンとか鍋とかたこ焼きとか。なんでなの?」

 

 彼女と過ごしていると、冬にはよくコタツに入っての鍋をねだられるし、昼食をカップラーメンで済ませることもしょっちゅうだ。

 もちろん食べる前には冷ますようにしている。だが、めんどくさがりな彼女がわざわざ『冷ます』という手間をかけてまで、熱いものを食べようとするのが提督にはわからなかった。

 

「あ? うーん……そう言われればそうなんだけど、それとこれとは別ってーか……。司令官だって、冷たくてもアイスは食べるだろ? それと一緒さ」

 

 わかるようなわからないような例えだった。まぁ多分、あくまで体質と好き嫌いはまた違うということなのだろう。所詮猫舌でない提督には、猫舌の者の気持ちなどわからないのだ。

 

「まぁ食生活は好きにすればいいけどさ、次からはちゃんと気を付けてよ?」

 

 爪楊枝を手に取り、提督はパックの中のたこ焼きへと突き刺す。そのまま形を崩さないように慎重に持ち上げると、それに向かって提督は息を吹き掛けた。

 たこ焼きはまだ温度を保っており湯気を纏っている。自分にとっては充分だと思う回数よりももう二、三回息を吹き掛けてから、

 

「はい、あーん」

 

 ゆっくりと望月の前へ差し出すと、彼女は一瞬息が詰まったような顔をした。

 (提督の主観で) 隠れシャイ&乙女疑惑のある望月は、一呼吸できるような間を置いてから差し出されたたこ焼きを爪楊枝から引き抜いた。

 

「はふはふ」

 

 大分冷ましたつもりだったが、まだ少し熱かったらしい。口に入れてからしばらく空気を取り込んでいた望月だが、さっきよりも楽な表情でたこ焼きを食べていく。

 そして飲み込むと、心なしかいつもより赤い顔で、望月は優しく微笑んでくれた。

 

「……ん、おいしい。ありがとう、司令官」

 

 

 

 

 

 あれから少しして。

 提督と望月は石段の上から、鎮守府の離れへと移動していた。

 

「はー……近くで見るとやっぱ立派だねぇ……」

 

「そりゃ、高いお金かけてワザワザ取り寄せたからね」

 

 望月が感嘆の声をあげるのは、目の前にある笹に対してである。時おり吹く風に小さく揺れる笹は、この街灯が一つしかない広場でも必死に存在をアピールしようと腕を伸ばしている。

 この祭りのために用意した笹には、既に様々な色の短冊が吊るされていた。本来なら艦娘たちは、この笹に短冊を吊るしてから祭りに向かっていたようだが、提督と望月に関してはその順番があべこべになってしまっていたらしい。

 

「忘れてたけど、やっぱ七夕と言えば、花火や祭りよりもまずは短冊だよねぇ」

 

 取り繕うように言う提督。

 そもそもこの男が、笹よりも祭りや花火を優先して準備したため、目玉の笹がこんな外れに設置されることになったのだがそれはわかっているのだろうか?

 笹の前には小さなベンチが設置されており、『ご自由にお取りください』と張り紙がされた短冊とマジックペンが上に置かれている。

 提督は短冊を一枚取り、「じゃ、花火が上がる前にささっと書きますか」とさして迷いもせずにマジックペンを走らせていく。

 元々書く内容が決まっていたので、提督製短冊は一瞬で完成した。開いてる場所を探してそこに吊るす。

 イベント好きなだけあって、笹には様々な艦娘の、様々な願い事が吊るしてあった。隣にいる望月はしばし悩んでいるようだったので、提督は暇潰しにと色々と短冊に視線を向けてみる。

 

 

『夜戦がもっと上手くなりますように!』

 

 

 この達筆な字と内容は間違いなく川内のものだろう。『もっとしたい』ではなく『もっと上手くなりたい』なのが意外だ。

 

 

『北上さんが幸せになりますように』

 

 

 これもまたわかりやすい。あの雷巡艦はそろそろ自分の幸せも考えてはどうなのだろうか。短冊でも北上のことを願うとはもはや脱帽ものである。

 

 

『私のドジをどうか直してください!』

 

 

 これもまたわかりやすい……と書いた相手が容易に想像出来てしまったことに、提督は少し自己険悪した。この短く小さい文字からも、必死さが存分に伝わる短冊は間違いなく五月雨のものだろう。これはこんなことを願われた織姫彦星も思わず苦笑いしてしまうに違いない。

 

 

『提督に、Burning Loveを受け取ってほしいのネー!』

 

 

 さすがに頭を抱えたくなってきた。これは伝える相手を間違えているような気がしなくもない……。いや直接言われても、提督の体と愛は一つしかないから困るのだけれど。

 

「司令官、そこ邪魔」

 

 心の中で提督があーだこーだと言っていると、後ろから聞こえた。見ると、望月は手に書き終わった短冊をぶら下げていた。慌てて提督が横に退くと、望月は提督の短冊の隣へと、自分のものをくくりつけ始める。

 その内容を見てみると、

 

 

『ニンテンド◯スイッチよこせ』

 

 

 また別の意味で提督は頭を抱えたくなった。それはそれで七夕に望むものとはまた趣旨が違うような気がする。別に織姫彦星はサンタではないのだ。

 

「ん? なにさ司令官、その顔は」

 

「いや……別になんでも」

 

「現実的な願いじゃん。ダメなの?」

 

「現実的すぎてちょっと……」

 

「んじゃ、そういう司令官の物は……?」

 

 望月は自分が吊るした短冊の隣に、改めて視線を向ける。そこには、

 

 

『鎮守府の皆、誰一人欠けることなく終戦を迎えられますように』

 

 

「……普通すぎて面白くないんだけど」

 

「ええっ、 いいじゃん!? 提督としては当然の願いじゃん!?」

 

 心外だ、と提督は憤慨する。望月はため息をはきながら

 

「司令官は出世のことでも考えてればいいのに」

 

「大丈夫。出世コースに乗ることなんてもう諦めてるから」

 

「ほんと司令官はその辺の欲が皆無だよねぇ……」

 

 いや、出世したいという欲自体は提督にもある。ただ自分の能力ではこれ以上の地位には行けないだろう、というのが提督の見解だった。

 なので、もはや最近ではこの鎮守府を自分なりに纏めることと、艦娘たちが左遷されない程度に頑張ることが自分の役目かと思い始めたほどである。

 

「司令官の評価って、艦娘(アタシたち)の戦果と直結してるんでしょ? もっとアタシらを使えばいいのに。たぶん皆望んでるよ。司令官が出世すること」

 

 望月にしては力強い語気だった。

 確かにこの提督は能力が低いのかもしれない。だが、艦娘を家族のように思い、どんな艦娘とも接せられる求心力は上層部の評価を超えていると望月は思っている。事実彼女は『この提督』だからここまでついて行こうと思えているのだ。

 

「いや、いいんだ」

 

 しかし、それでも提督は首を振る。それから隣に座る妻を安心させるように笑みを作ると、

 

「僕は皆と、望月と過ごすこの鎮守府が大好きだからさ。ここのまま、このメンバーのままで終戦を迎えられれば、それで充分なんだよ」

 

 その表情が、あまりにも満たされたもので。嘘偽りのない笑顔だったから。

 望月はそれ以上なにも言えなくなってしまう。仕方ないので負け惜しみのように、

 

「……子供かよ」

 

「子供で結構」

 

「……バカだ」

 

「バカですとも」

 

 じゃれ合うように言って、二人は笑いあった。

 

 

 

 この祭りもそろそろ終わりが近づいている。提督と望月は、またあの石段の上に座って身を寄せあっていた。

 

「おー、上がった上がった」

 

 望月が夜空を指差す。空には一瞬だけ光の花が咲き、数秒遅れてパンパンと音が響いてきた。

 さっき提督のスマホにかかった予告の通りに、打ち上げ花火が始まりだしたらしい。

 

「なんだかんだ言って花火なんて、すごく久しぶりな気がするな」

 

「こうやって見ると、やっぱ綺麗だねぇ」

 

 金をかけただけあって打ち上げ側もかなり気合いを入れているらしく、この会話の間にもたくさんの花が咲いては散っていく。チラリと横目で望月を見ると、花火に照らされる彼女の顔はとても嬉しそうで。大成功みたいだ、と提督は脇腹の辺りでガッツポーズを作った。

 しばらく彼女の横顔に見とれていると、視線に気付いたらしい、望月が本日三度目ほどの呆れ顔で、

 

「なんで花火じゃなくてアタシを見てんのさ。花火を見なよ。ほら、たーまやー、てね」

 

 たーまやーの言い方が妙に可愛かったので、提督も両手をメガホン代わりにして言ってみることにした。

 

「たーまやー」

 

 

『ク~マ~』

『ニャ~』

『き、キソ~……』

 

 

 提督が言うと、山彦のように下の方から三つの鳴き声(?)が追従してきた。面白いのでもう一度言ってみると、また鳴き声は続いた。それを五回ぐらい繰り返した辺りで(『キソ』の鳴き声は三回目あたりで恥ずかしくなったのか無くなった) 、望月が「そろそろしつこい」と苦言を呈したので提督はやめた。

 

「……こんな綺麗な花火見てると、今が戦争中だなんて思えないよな」

 

「……そうだね」

 

 花火の真下には黒い海がある。今までも、明日も、艦娘たちはこの海で激しい戦闘を繰り広げるのだ。

 艦娘たちの中には、無事生き残りこうして花火を満喫できているものもいれば、敗北して海の底に沈んでいる者もいる。

 彼女たちの犠牲が報われる日は、そして、提督や上層部を含む人間たちが、彼女たちの犠牲の報いを受ける日はいつになるのだろうか。

 

「戦争なんてくだらないよなぁ……」

 

「そんなのは、軍人の提督が一番よくわかってるでしょ」

 

 違いない、と提督は苦笑いし、隣の望月へともたれ掛かった。元々さっきまで彼女が提督にしなだれかかるように傾いていたので、必然的に二人とも体勢が傾き合い、互いに支え合うような格好になる。

 

「……司令官、重い」

 

「えっ、それ言っちゃう? さっきまでもっちーも僕にもたれ掛かってたじゃん」

 

「体格の差を考えなよ」

 

 ぶつくさ文句を言う望月だが、彼女がこの体勢から動く様子はない。相変わらず素直じゃないな、と思いながら提督は夜空へと目を向けた。

 夜空には鮮やかな花火が、二人を包み込むように咲きほこっていた。

 

 

 

 

 

 鎮守府の外れ。

 質の割にあまり目立たない場所に置かれている笹には、様々な短冊が吊るされている。

 その中の一つ、提督が書いた短冊はこの笹のちょうど真ん中の位置にあった。そしてその隣には、『ニンテ◯ドースイッチよこせ』と弱い筆圧で書かれた望月の短冊がある。これだけなら、数分前と同じ光景だ。

 

 だが現在は、その二つの短冊にさらにもう一つ、寄り添うように吊るされたものがあった。

 急いで書かれたのか、他の物に比べれば乱雑で、しかし少々薄いようにも感じられる文字がその短冊の上には踊っている。

 短冊には、こう書かれていた。

 

 

 

 

『司令官の望みが叶いますように』と。

 

 



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望月と演習と膝枕

もっちーに膝枕お願いしたら、ぶつくさ文句言いながらも結局やってくれそう。


 

「あー……疲れた」

 

 暑さ控えめな廊下に提督の声が響く。

 八月までうだるような熱を放出していた太陽も、九月に入ると途端に大人しくなり始め、涼しく心地のよい天候が続いていた。

 数日前まで地球温暖化の進行を感じるほどの温度だったのに、このお天道様の変わり身の早さには苦笑いがもれる。いや、急に暑さが落ち着くのも異常気象故か?

 ともかく、今年はクーラーの舞台も早めに終わりそうであり、提督の財布は例年よりも肉を付けて秋を迎えられそうである。

 だがそんなことがあるにも関わらず、廊下を歩く提督の表情は芳しくない。理由はまぁ……単純と言えば単純だ。

 

「四戦三敗……かぁ」

 

 ため息をつく提督の彼の手元には、一番上に『演習表』と大きく書かれた紙があった。紙には四つ欄があり、それぞれ『◯』が一つ、『×』が三つ書かれている。

 

 

 今朝、とある別の鎮守府の提督から、演習を申し込まれた。相手は提督養成所での同期、イシカワだった。成績は提督とどっこいどっこいで、辺境よりほんのちょっと前線に鎮守府を構えている。

 

『よっ、久しぶり~。突然だけどさ、今から演習やらね?時刻はマルキュウマルマル。場所はお前の鎮守府な』

 

「……久方ぶりに電話してきて、こんな朝っぱらに言うことがそれか?」

 

 朝から聞くイシカワの陽気な声に、提督は若干の殺意をおぼえる。おかげで望月の朝食であるスクランブルエッグを少し焦がしてしまった。

 

『まぁまぁその辺は置いといてさ。どうせお前んトコ暇だろ? たまには体を動かさなきゃダメだぜ?』

 

「別に体を動かすのは僕らじゃないでしょ……」

 

 スクランブルエッグの焦げた部分を下にして皿へと盛り付ける。よし、これでバレないはずだ。

 

「だいたい演習なら、ウチよりもっと強いところへ挑めばいいでしょ。その方が経験値もたくさん貰えるし」

 

『わかってないなぁお前は』

 

「どういうこと?」

 

 ある程度冷ましてから、ご飯をお茶碗に詰める。

 

『格上と戦って負けるよりも、同じようなレベルのヤツに勝つ方が経験値はたくさんもらえるんだぜ?』

 

「おし上等だ演習受けてやるよ潰してやる」

 

 提督の眠気は一発で覚めた。

 要するにイシカワの要望は、提督に体のいいメタル◯ライムになれ、ということらしい。別に友人の助けになる分には構わないのだが、こうして明らかに『安全牌』と見なされるような形で演習を挑まれるのは腹が立つ。

 こうして売られたケンカを買う形で、提督は今日の演習を承諾した。一応言っておくと、提督も(たぶん)イシカワも共に先ほどの罵倒を本気で言ってはいない。今の応酬は云わば、教室でする男同士のじゃれ合いのようなものである。……大人にも関わらず高校生のノリで会話をするのも如何なものかと思わなくもないが。

 

 

 

 ━━━てなことがあって、演習も終わり、時刻は今━━━お昼前へと戻るのだが。

 

「くっそー……。イシカワのやつ、夕立改二を持ってたなんて聞いてないぞ……」

 

『よくやったぞ夕立!』なーんてはしゃいでいたイシカワの姿を思い出しつつ、提督は苦い顔をする(夕立が旗艦だった。恐らく夕立が、育てたい艦娘だったのだろう)。

 基本的にこの鎮守府の駆逐艦たちは、改二改装をされていない。積極的に戦闘をしているわけでもなくレベルも上がっていないからだ。

 なので提督の駆逐艦ズは、夕立によってだいたい一掃されてしまった。白露や陽炎をバシバシと戦闘不能にしていく光景は、まさしく『ソロモンの悪夢』であった。まぁ提督の場合、『ソロモンの悪夢』と聞くと、真っ先にスターダストメモリーの方を連想してしまう人間なのだが。

 閑話休題。

 夕立によって一戦目を落としてしまい、そのまま運動部の二軍三軍勝負みたいなノリで、第二第三艦隊でも勝負をすることになったのだが……。結局、提督は体よく経験値稼ぎされてしまった。戦績は一勝三敗。文句の付けようもない負け越しだ。

 

『いやでもお前、訓練時代よりも指揮能力上がってるじゃないか。正直驚いたぜ』

 

 演習が終わった後、イシカワはそう言っていた。

 彼なりにこっちを労ろうとしてくれているのはわかるのだが、いつだって勝者のそういう言葉は、敗者には皮肉にしか聞こえないのが世の常だ。

 

「はぁ~」

 

 そして『結構こっちも参考になった。またやろうぜー』と帰っていくイシカワを見送り、執務室へと帰っているのが今の提督の状況だ。

 妖怪タメイキと揶揄されそうなほどため息を吐きながら、ようやくたどり着いた執務室の扉をあける。

 

「ん。やっと戻ってきたかー、司令官」

 

「あれ、もっちー?」

 

 執務室には、すでに先客がいた。当鎮守府の最古参にして提督最愛の艦娘、望月がコタツで暖をとっている。

 

「もっちー、こんな所にいていいの? さっき演習で夕立の主砲が直撃して中破してたような……」

 

「忘れたの司令官?演習用の弾は、服が派手に破れたりはするけど、アタシたちの体にダメージはないんだぞ」

 

「あれ、そうだっけ……」

 

 言われてみればそうだった気がする。

 艦娘の演習で使われる弾は望月曰く、『サバゲーのペイント弾』のようなものであるらしい。実戦でのダメージ度合いを表すために、制服にダメージは入るが、艦娘たちにはダメージは入らない仕様になっているのだ。最初に聞いたときは『服だけ破れるとかエロ漫画ご用達設定かな?』とか思ったのを覚えている。

 こんな弾丸をどうやって開発しているのかと疑問に思わなくもないが、そこに疑問を持つと、『そもそもこんな弾丸が実際に適応される艦娘は何者なのか?』という問題にも足を踏み入れてしまうため、提督は考えないようにしている。とりあえず使えればいいのだ。使えれば。

 

「まぁそれでも、ちょっとヒリヒリしたりするけどね」

 

「しょうがないさ、直撃だし。実戦じゃなくてよかった」

 

 あんなの駆逐艦の火力じゃねぇ、と思いながら提督は机の上に演習関連の書類を置く。

 向き直ると、望月がコタツの中で横に移動してスペースを開けてくれたので、提督はそれに甘えて望月の隣へと移動した。

 

「あー……コタツあったかい」

 

「ジジイかよ」

 

 薄く笑う望月。しばらく温泉に浸かるサルのように、提督は目を閉じていた。精神的に疲労した分、こうした暖かさが心地良い。

 ……はずなのだが、今の提督は心からの満足感を得ることが出来なかった。いつもならなんとも思わないはずの望月との無言の時間が、ものすごく気不味く感じるのだ。

 

「……演習、負けちゃったね」

 

「でも一勝はしたじゃん。アタシはそれでいいよ」

 

 なにしろ望月がこの態度なのだ。

 彼女は特別負けず嫌いというわけではないが、負けることに何とも思わないわけではない。普段の彼女なら、ここで提督に対して『まったくちゃんとしろよなー』とか『相手を見てから勝負を挑めよー』とか皮肉っぽく言うハズなのだ。

 なのに、望月は一向に口を開かず、提督の言葉への返答に止まっている。始めは普通に過ごそうとしたが、とうとう提督の方が耐えられなくなった。

 

「……どうしたの、もっちー?」

 

「別に。アタシはどうもしてないよー」

 

 思いきって尋ねた提督だが、望月はあったけー、と机部分に顎を乗せている。

 もしかしたら、提督が過敏になっているだけなのかもしれない。でも、じゃあなぜ提督は神経が過敏になっているだろうか?

 人が他人の反応を異常に気にするようになるのは、なにか隠し事をしていたりする時だが━━━

 

「司令官が何も言わない限り、アタシは何も詮索しないよ」

 

 提督の思考を読んだとしか思えないタイミングで、望月は言った。彼女は顔を突っ伏したまま、目線だけを提督に向けている。

 

「ま、明らか無理してんなー、て時とかはアタシから詮索するけど、そうじゃない時はね。『余計なお世話』になっても嫌だし。そうなったらアタシもめんどくさいし」

 

 実に望月らしい持論だった。

 提督の悩み全てを見抜いた上で、あくまでも彼から吐き出すのを待っている。今の彼女はそんな感じだった。

 それは第三者から見れば薄情かもしれない。だけど提督は、望月がそんな人物ではないと知っている。あくまでも本人から吐き出すのを待つ、というのが彼女のスタンスなのだ。

 

「今日の演習さ、負けちゃったじゃん」

 

 だから、提督は吐き出すことにした。彼女に甘えることにした。

 

「別にイシカワを低く見てた訳じゃないけど、負けてしまった……望月たちに勝利を与えられなかった自分が、情けないな、て」

 

 泥を吐き出しているような重い言葉だった。

 

 確かにイシカワの夕立改二は強力だった。それでもまだレベルは低かっただろうし(65ぐらいだろう)、こっちも歴戦の猛者である望月や、基礎能力が高い赤城などが控えている。

 要するに何が言いたいかというと、お互いの艦隊の実力はほぼ拮抗していたということである。

 そうなると、勝敗を分けるのはそれを運用する人間。つまり提督の指揮能力が関わってくる。どんなに強力な兵器も、投入するタイミングを見極めなければ思うように戦果は上げられないのだ。

 

「望月や赤城さんが思うように動けなかったのは、僕のせいだなぁ、て」

 

 イシカワだって、『提督』全体で見ればそれほどの実力者ではない。むしろ養成所時代では、訓練で常に提督と最下位争いをしていたような人間である。

 大体同じような成績で養成所を卒業したはずなのに、いざ戦えばこの有り様だ。

 

「情けないよ、ホント。君たちの性能を生かしきれない自分が」

 

 元々わかっているつもりだった。

 子供時代から、競争事で最下位になるのなんか日常茶飯事だったし、部活の練習試合で後輩に負けることもよくあった。

 自分は優秀な人間じゃない。そんなのはわかっていたはずなのに。

 

「簡単な任務こなしただけで得意気になって。君たちからの信頼も勝ち取って。望月みたいなヨメさんまでもらって。思い上がってたのかもしれない」

 

 実際には、自分が数日かけてこなした任務は他の人間には一日で出来て。他の人間なら、望月とは違う厳しい性格の五十鈴や加賀にだって、素直に認められる提督となっているのだろう(別に望月を軽い女だとか言うつもりはない)。

 

 今日のイシカワとの敗北をもって、忘れかけていた事実を改めて突きつけられたようで。

 提督が妖怪タメイキとなっている元凶はそれだった。

 

「なぁるほどね~……」

 

 一通り提督の言を聞き終えた望月は、長く息をはいた。それから少し考えるような間があった後、モゾモゾとコタツの中から這い出す。

 

「…………?」

 

 提督が無言でそれを見つめていると、やがて望月は彼の斜め後ろ辺りで『正座』の体制を取ると、

 

「ほい」

 

 ポンポン、と自分の膝を叩いた。

 

「へ?」

 

 提督の目が点になる。彼の予測、推測が正しければ望月のこの体制、誘い方はいわゆる『膝枕』というものなのでは……。

 

「ほら、遠慮するなって」

 

 固まる提督を余所に、意外にも望月はノリノリのようだった。

 思わず苦笑いが漏れる。

 

「……まぁ、それじゃあ」

 

 精神的疲労があったせいもある。いつもならもう少し迷いそうな提案に、提督はあっさり乗っかっていた。

 コタツから抜け出し、彼女の膝にゆっくりと頭を乗せる。その瞬間、提督の頭を人肌特有の温かさが包み込んだ。

 

「おー、よしよし」

 

 あまり力を入れていないような台詞と共に、望月は提督の頭を軽くなでる。小さな彼女の膝だが、提督が頭を乗せるスペースには充分だった。

 

「司令官は結構抱え込むタイプだからな~。たまに吐き出して、楽になっときなよ?」

 

 髪を掻き分ける望月の手つきは、幼い子供に触れるような、優しいもので。フカフカの毛布に包まれているような安心感があった。

 こういうのを『母性』というのだろうか、と提督はぼんやり思った。

 

「そこまで気にしなくても、司令官はアタシたちにとっては立派な『提督』だよ」

 

「……でも、所詮僕はイシカワよりも劣っているし……」

 

「司令官にイシカワの代わりが務まらないように、イシカワにだって司令官の代わりは務まらないんだよ」

 

 泣いている子供をあやしているようだった。

 

「確かに兵器とかだったら、性能が良い方がいいに決まってる。でも司令官は兵器じゃない。人間なんだからさ」

 

「望月……」

 

「司令官かイシカワ、どっちかに付けって言われたら、アタシは司令官に付く。艦娘にそう思わせるのだって、提督に必要な要素だよ」

 

 迷いのない口調で言う望月。そのためか、提督がさっきまで気にしていた事がひどくちっぽけな事のように思えてくる。

 

「……元気になったか?」

 

 望月がこちらの顔を覗き込んでくる。慈愛に満ちた彼女の表情に、感謝の気持ちが溢れてきた。

 

「うん、なった。すごいなったよ。ありがとう、望月」

 

「ん。ま、ならよかった。これからはあんまり抱え込まないようにしなよ?」

 

「……善処するよ」

 

「……ま、今はそれでよし」

 

 呆れたような表情をしながらも、望月は納得したようだった。

 

「……ねぇ」

 

「ん、どした?」

 

「……もうちょっと、このままでいさせてもらっていか?」

 

「足がしびれる前までならいいよ」

 

「……妙に冷静だね」

 

 薄く笑って提督はより体重を望月に預ける。

 曇り空の隙間からは、太陽の光が射し込んできていた。

 



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昔の望月、今の望月

着任したての頃の望月と、ケッコンした後の望月の態度を比較します。
個人的にもっちーは、『秘書艦にした時にとっつきやすい艦娘ランキング』において堂々の二位を獲得する艦娘です。お互いに気を使わずに過ごせそう。


【朝のあいさつ】

 

・着任したての頃

 

「おはよう、望月」

 

望月「ん?ああ、おはよ~司令官」

 

……普通のあいさつ。それ以上でもそれ以下でもない

 

 

・ケッコン後

 

「おはよう、望月」

 

望月「おはよ~司令官……ふあ~……」

 

……眠いのを隠そうともせず、あくびをしながらのあいさつ。これは信頼の表れ……なのだろうか?

 

 

 

【「ご飯つくって!」と言う】

 

・着任したてのころ

 

「ごばんつくって!」

 

望月「ほい」

 

……ノータイムでカップラーメンを手渡されました

 

 

・ケッコン後

 

「ご飯つくって!」

 

望月「えぇ?めんどくさいな~。まぁ、やるだけならやるけど?」

 

……ぶつくさ言いながらも作ってくれる。所々焦げてたり切り方が雑なものの普通に美味しい。これからの成長が楽しみだ

 

 

 

【徹夜確定の執務を手伝ってもらおうとする】

 

・着任したての頃

 

「望月ー、ちょっとこの書類手伝ってくれない?」

 

望月「やだ。眠いし」

 

……問答無用で一刀両断

 

 

・ケッコンした後

 

「もっちー、書類が終わりません手伝ってくださいお願いします……」

 

望月「はぁ……ったく、この司令官は……」

 

「ほんとお願いします……」

 

望月「……早く書類ちょうだい。ちゃっちゃと寝たいから」

 

「ありがとうございまぁぁぁす!!」

 

……なんだかんだ言いながら付き合ってくれる。三時までも四時までもどんと来い。ただし次の日は昼まで爆睡するため、しっかりとケアをしてあげましょう

 

 

 

【出会いがしらに抱きついてみる】

 

・着任したての頃

 

「(ギュッ)」

 

望月「うおっ!? な、なんだよ急に!離せってのっ!!」

 

「ちょ、痛い痛い!パンチしないで!」

 

望月「なら抱きつくなっての!マジで!!」

 

……アカン、これガチ拒否や。突然仕掛けたコチラが悪いとはいえ、ここまで拒絶されると心にくる

 

 

・ケッコン後

 

「(ギュッ)」

 

望月「うおっ!? ……なんだ司令官か。びっくりした」

 

「この温かさ……さてはもっちー、さっきまでコタツに入っていたな?」

 

望月「そりゃ寒いしね」

 

「あー……あったかい」

 

望月「アタシは湯たんぽかっての」

 

……あったかい。心なしかコチラに身を任せてくれているような感じもする

 

 

 

【ゲームに誘ってみる】

 

・着任したての頃

 

「ねぇ望月ー。よかったらさ、スマ◯ラの『亜空の使者』一緒にやらない? これ二人プレイ対応してるみたいだし」

 

望月「あー……別にいい。一人でやる方が気楽だし」

 

「そっかぁ……」

 

……提督とやるゲーム<一人でやるゲーム、らしい。悲しい

 

 

・ケッコン後

 

「仕事が終わんねぇ……」

 

望月「なぁ司令官ー。そんな面白くない書類なんかやめてさ、ス◯ブラSPの『灯火の星』やろうぜー」

 

「いやそれ二人プレイ非対応じゃん。そんなのよりもこの書類を早く終わらせないと……」

 

望月「ステージ数多くてめんどくさいんだよ~。死んだら交代ってことで」

 

「……まぁいっか。この書類は今日徹夜して終わらせよっと」

 

……向こうから誘ってくれるようになった。嬉しい

 

 

 

【ホラー映画を一緒に鑑賞する】

 

・着任したての頃

 

「望月、ホラー映画を見よう!」

 

望月「眠いからパスで」

 

……そもそも見てくれませんでした

 

 

・ケッコン後

 

鑑賞終了

 

「……なかなかに怖かったね」

 

望月「……いや、別に?」

 

「えっ、ホントに? すごいねもっちー」

 

望月「まぁね、あんなの所詮ね、特殊メイクとCGのオンパレードだから。タネがわかってる手品なんて全然怖くねぇし」

 

「へぇ~」

 

……ならそろそろ僕の隣にピッタリくっつくのやめてくれない? トイレに行きたいんだけど

 

 

 

【執務中に提督が突然歌い出したら】

 

・着任したての頃

 

「せか~いの~すべ~て~が海色に~とけ~て~も~ずっと~」

 

望月「…………」

 

「あなたの~声が~する~!大丈夫~帰ろっt」

 

望月「司令官うるさい」

 

「アッハイ」

 

……至極当然の反応

 

 

・ケッコン後

 

「君と~手を繋ぎ~踊りたい~!沢山の~人混みの中で」

 

望月「…………」

 

「き~み~の~笑顔だけが~~輝いてっ!」

 

望月「へいっ」

 

「愛されたいねっ!きっと見過ごしたっ!君のシグナルもう一度っ!」

 

望月「はいっ」

 

「気まぐれかな!? で~も構わない~!」

 

舞風「おっ!なかなか良いリズムだね提督!私も踊るよっ!!」

 

……咎めなくなり、ある程度ノッてくれるようになった(ただしデュエットなどはせず、合いの手に止まる)。

ついでに舞風とも絆を深めた

 

 

 

【目の前で他の艦娘と親しげに話してみる】

 

・着任したての頃

 

金剛「Hey、提督ぅー!今日もイイ天気ネー!」

 

「うん、そうだね」

 

望月「…………」

 

金剛「う~ん!提督は相変わらずCoolネ~!見ているダケでも、飽きないネー!」

 

「いやいや過大評価すぎるって~」

 

望月「…………」

 

……無 反 応

 

 

・ケッコン後

 

響「すごい……Хорошо(ハラショー)だね」

 

「でしょ? ほんとあの時はハラショーだったよ」

 

望月「…………」

 

響「そんなХорошоでХорошоなことが起きるとは……この世もまだ捨てたものじゃないみたいだね」

 

「やっぱハラショーだよねー」

 

望月「…………」

 

 

「ふう……実にハラショーな話ができたよ」

 

望月「(ギュッ)」

 

「えっ!? 何で急に抱きついてきたのもっちー!?」

 

望月「…………」

 

……自分から来るわけではないが、無視されるのは好きではないみたい。まさに猫

 

 

 

【提督が所持している『望月』の同人誌を見られる】

 

・着任したての頃

 

「あ゛っ。望月、それは……!!」

 

望月「うわー……。いや、司令官も男だしさ、 艦娘(アタシたち)はこんなのが盛んって聞いたことあるけど……。アタシのまであんのかー……どこに需要あんだよ……」

 

……ドン引かれたり、叫び声をあげたりはしない。しかし、確実に心の距離が広がった気がする

 

 

・ケッコン後

 

「あ゛っ。望月、それは……!!」

 

望月「うわー……。いや、司令官も男だしさ、艦娘(アタシたち)は(ry」

 

「ご、ごめんよ望月……コミケで見かけて、つい出来心で……!」

 

望月「ふーん……」

 

 

望月「なんで実物(アタシ)がいるのに本に頼るの?」

 

「え゛っ!!?」

 

……暗に「使え」というメッセージ……ではなく、純粋な疑問のようだ。

ちなみにこの後メチャクチャ……したかどうかはご想像にお任せします

 

 



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ムーンズ・カード

もっちーって、普段の勝負では適当にやるだろうけど、ここ一番の負けられない勝負では凄く堅実な戦略で戦いそう。


 天国か地獄か。

 今の望月の脳内にあるのはそんな言葉だ。あるいはデッド・オア・アライブと言い換えても良いかもしれない。

 時はフタヒトサンマル。場は我らが長女、睦月の部屋。

 テーブルやベッドを押し退けて作られた中央のスペースには、盛り塩のように積まれたカードがあり、その回りを望月を含めた十一人の艦娘が輪になっている。複数人が使うことを想定している睦月の部屋だが、姉妹全員が集合するとさすがに狭く感じてしまう。

 

「さぁもっちー……早く引くがいいよ……!」

 

 情景分析に脳の容量を割いていると、望月の対面に座る青髪の少女、水無月が不敵に笑った。その手には二枚のカードがある。

 

 (あれのどちらかが、ジョーカーか……)

 

 対する望月は一枚のカードを所持していた。ダイヤのエース。

 五分ほど前に始まった睦月型オールスターによるババ抜きは、ついに最終局面へともつれ込んでいた。

 あの水無月が持っているカードのどちらかに、望月の求めるダイヤのエースがある。それを引ければビリより一個上での上がり。天国、アライブだ。

 しかし逆にジョーカーを引いてしまえばその瞬間に地獄、デッド。

 このヒリヒリ感こそがババ抜きの醍醐味なのだが、あいにく望月はこの手のヒリヒリ感はあまり好きではない。

 

「…………」

 

 こういう時はいくら悩んだところでなるようにしかならない。その持論を持っていた望月は、意図して何も考えず右の方のカードを勢いよく取った。

 カードの絵柄はひし形が一つあるだけ━━━ダイヤのエースだ。

 

「よしっ。アタシの勝ちだね」

 

「うあ~っ!!負けたーーっ!!」

 

 ペア成立。パサ、とカードを落としながら言うと、水無月は残った一枚を握りながら崩れ落ちた。

 危機一髪。カード一枚、正に紙一重で、なんとか望月は地獄を回避できた。カードを手離して気付いたが、いつの間にか手にはじっとりと汗が滲んでいる。自分でも知らぬ間にかなり熱くなっていたらしい。

 

「む~!じゃあ、お待ちかねの罰ゲームっぴょ~ん!」

 

 二人の対決が終わると、輪になっていた艦娘の内の一人がはしゃぎ始める。沈み込む水無月とは対照的に、今にもスキップしそうな勢いで盛り上がっているのは卯月だ。

 

「うえ~、頼むから変な罰ゲームにだけはしないでよ~」

 

「なに言ってるっぴょん!敗者(最下位)の艦は勝者(一位)の命令に絶対服従!ここでふざけなきゃうーちゃんじゃないっぴょん!」

 

 水を得た魚のようにはしゃぐ卯月を見て、改めて望月は地獄を回避できたことに安堵し息をはいた。

 

『睦月型十一人で対戦をし、一位になった艦は最下位の艦に好きに命令できる』

 

 これが先程から行われている特別ハバ抜きのルール。要するにババ抜きと王様ゲームの複合モノである。

 

 

 そもそもこの事の始まりは、皐月の提案だった。

 

「今晩、皆でパジャマパーティーしようと思うんだ!たまには息抜きも必要だし!」

 

 十月。夏にあれだけ熱せられたのが嘘のように、地球は冷え込んできていた。あまりの冷え込みように、制服が半袖の一部の艦娘は部屋の備え付けのコタツから抜け出せないでいる。

 それは執務室でも例外ではなく、ちょっとでも窓を開ければすきま風でたちまち凍えてしまうほど。

 

「ちょっと司令官!ボクの話聞いてる!?」

 

「え?ああ、うん……」

 

 無視して情景描写を進める提督にぷんすかと頬を膨らませる皐月。『怒っているんだぞ』というアピールだろうが、提督にはエサを詰め込みすぎたハムスターにしか見えない。

 

「パジャマパーティーねぇ……」

 

 パサ、と書類を机の上に落として目を細める提督。

『息抜き』と皐月は言っていたが、実際はただの口実だろう。年中空気が緩みっぱなしのこの鎮守府にて、息抜きをする必要などない。むしろもう少し空気を入れてほしいぐらいである。

 提督のみならず、隣でその提案を聞いた望月も同じ事を思っていたが、皐月の話によるともう既に望月以外の娘たちの承諾は取り付けたらしい。どうやらこの鎮守府の睦月型は皆息抜きがしたいようだ。

 

「だから、望月もどうかなー、って」

 

「どう、と言われてもなぁ……」

 

 言いながら望月はチラリと提督を見る。相も変わらず執務机には膨大な量の書類があり、一人ではとてもこなせそうにはない。そもそも先程まで、今日は二人でやっても間違いなく徹夜コースだろう、とどんよりした様子で話していたのだ。

 しかし提督はそんな望月の視線に気付くと、軽く笑って

 

「ま、たまにはいいんじゃない?こっちのことは気にせず、楽しんできなよ。『息抜き』も必要だろうし」

 

 皐月の口車に乗ることにした。望月は同型の他の娘とコミュニケーションを取ることも少ないし、良い機会かと提督は思ったのだ。

 

「……ん、わかった。それじゃあ、アタシも参加するよ」

 

「やったー!それじゃ、フタマルマルマルに睦月姉さんの部屋に集合ねー!」

 

 それをなんとなく察し、望月は参加することにした。後ろで『徹夜で終わるかな……』と既にコーヒーをがぶ飲みし始めている提督から目をそらしながら。

 

 

 

 てなわけで皆早めに入浴を済ませ、予定通りフタマルマルマルに睦月の部屋に集合。そこから各自で持ち込んだポテチやらオレンジジュースを飲み食いしながら騒ぎ、一時間ほどアニメDVDの鑑賞に時間を費やした。

 DVD鑑賞をしながらお互いの好きなものなどを話すのは、望月の中ではそれなりに新鮮な体験だった。意外とこうして姉妹同士じっくりと話をすることはないのだ(回りの姉達が『提督とケッコンしているから』と気を使っているのもある)。

 そしてアニメにも飽きた辺りで卯月から提案されたのが、この王様ババ抜き(仮称)である。仮にも『王様ゲーム』の要素があるだけあり、なかなかにヒリヒリとした勝負が展開されていた。

 

「それじゃあ水無月は、向こうの自動販売機で飲み物を買ってくるっぴょん!」

 

「うへぇ~また~?さっきも買いに行ったじゃん」

 

「王様の命令は絶対ぴょんよ?」

 

「わかったよもう……飲み物はさっきと同じでいいよね?」

 

 渋々と行った感じで立ち上がる水無月。いいっぴょん!と頷く卯月。その対照的なやり取りを見ながら望月は額の汗をぬぐう。

 結果的に軽い罰だったからよかったものの、少しでも彼女の気が違っていればもっと不味い命令をされていたかもしれないのだ。だから回避出来てよかった。

 どうにもこの王様ババ抜き(仮称)において望月はすこぶる引きが悪く、こうしてビリ一個上で上がるのも四回目ぐらいである。もう望月の寿命はこの三十分だけで十年は縮まっているだろう。

 ふう、ともう一度望月が息をはくと、出し抜けに長月が口を開いた。

 

「そろそろババ抜きも飽きてきたな。違うゲームにしないか?」

 

 その提案は、望月にとってはかなりありがたい提案だった。今日のコンディションでババ抜きを続けていると、寿命がゴリゴリ削れていってしまう。

 

「そうだね。アタシもそろそろ違うゲームがいい」

 

 これに乗らない手は無い。

 半分演技のあくびをしながら、いかにも『飽きた』というような表情で言う望月。……実際にはババ抜きをやめたいだけで、別にババ抜き自体に飽きたわけではないのだけれど。

 

「え~違うゲ~ム~?」

 

 望月とは逆に、このババ抜きで一位で上がるのが四回目ぐらいの、すこぶる引きの良い卯月が不満そうに唸る。

『イタズラ好き』という印象の強い卯月だが、意外と彼女も『やっちゃいけないこと』は弁えており、この王様ババ抜きでは絶妙な命令を繰り返していた。回りも楽しめつつ、本人が恥ずかしすぎないような、飲み会の席にいれば間違いなく『盛り上げ上手』の称号をもらえていたであろうほどに。だが申し訳ないが今は、望月の寿命保護のために犠牲になってほしい。

 

「せっかく盛り上がってきたんだし、変えるのは反対っぴょーん」

 

 盛り上がってるのは主にアンタでしょ、と望月は思ったが口に出さないでおく。ともかく卯月は反対と決まったため、望月は他の姉たちにも目線を巡らせる。

 

「僕はどっちでもいいよ?」

 

「あたしも~」

 

「私もなんでもいい」

 

「……弥生も」

 

 トン、トン、トン、トン、とリズムよく発言していく皐月、文月、菊月、弥生。彼女たちは多数派についていく所存のようだ。

 だとすれば早く多数派(自分の仲間)を作った方がいい。

 そう判断した望月は、とりあえず最も自分に同意してくれそうな、黒い髪の睦月型の真面目担当に声をかけることにした。

 

「な?三日月もそろそろゲームを変えるべきだと思うだろ?」

 

「うん? ゴメン、聞いてなかった」

 

 丸いチョコのようなものをポリポリと食べながらコチラを向く三日月。なにやら口調と声の高さがおかしいような気がする。

 

「いや、ババ抜きから別のゲームなんてどーかなーって」

 

「別になんでも。オ◯ガの決めたことなら、やるよ、俺。まだ止まれないし、連れていってくれるんでしょ?」

 

「あっ、うん。わかった」

 

 だいたい事情を察した望月はすぐに会話を切り上げた。そういえば二つぐらい前のババ抜きにて、三日月は卯月から『某鉄血ガンダム主人公の口調で話す』という罰ゲームを受けていた気がする。

 そのモノマネの完成度はやたらと高く、低い声のトーン、台詞までオリジナルを完全再現だ。あの小さな体から、どうやったら成人男性のような低い声が出るのだろうか。

 やはり一部の界隈からねだられることも多い故、本人も自覚して練習しているのかもしれない。その内海の上の実戦でメイスでも振り回しそうである。

 とにかく、思わぬ形で三日月が同意してくれなかった為、望月の目は必然的に三日月が言及した長女の方へと向く。

 

「うーん……睦月も、そろそろゲームを変えてもいいかな、と思うのです!」

 

 片腕を後頭部に添えながら言う睦月に、ナイス姉貴、と望月は心の中でサムズアップした。台詞には長女の威厳など欠片もないが、この部屋では長女の言うことがほぼ絶対である。これで形成は一気に変更側へ傾いた。

 

「むう~わかったぴょん……」

 

 卯月もそれを理解し分が悪いと判断したようだ。ちなみに一応、この中でNo.2にあたる如月にも目を向けてみたが、彼女は睦月の隣でウフフと笑いながら

 

「はい睦月ちゃん、あーん♪」

 

「あーん♪」

 

 なんてミカンの食べさせ合いをやっている。確かあのミカンは元々部屋にあったものだったか。一部の界隈が喜びそうな絵面だった。

 どうでもいいが、ミカンの皮を剥く如月の手付きはなんとも言えずいやらしかったような……いや、これ以上考えるのはよしとこう。

 

「なら、次はなにするっぴょん?」

 

 投げ槍気味に言いながら、卯月はまとめたトランプの束を菊月にパスする。突然のパスに動ずることもなく、受け取る菊月。そのまま彼女は普通のシャッフルとリフルシャッフル(トランプを二つに分けてV字形に曲げてから一枚ずつ重ねていくアレだ)を交互に行い始めた。

 誰も気にしなかったが、無駄に洗練された無駄のない無駄なやり取りだった。

 

「む……」

 

 顎に手を当てたまま考え込んでしまう長月。トレードマークの柳のような緑髪も、持ち主の心情を表すように力無く垂れ下がっている。

 堅物真面目くんの長月ではこういった『遊び』を考えるのは難しいのかもしれない。

 ……まぁ、こういうときには大抵言い出しっぺが案を出すものだと相場が決まっているし、この場合は最初に変更を申し出た長月と望月が決めるべきなのだろう。そして長月は前述の通りで頼りになりそうにない。

 てなわけで望月は考え始めたのだが……これがどうしてなかなか思い付かない。卯月なら二秒ぐらいで案を出しそうなものなのだが。

 そうして無言の時間が二十秒ほど続き、なんとか望月がねじり出したのは━━━

 

「……ポーカー、なんてどう?」

 

 自分で言っておいてうわくだらな、と望月は思った。

 

「ポ~カ~?」

 

 そしてそれは卯月も同じのようだった。『ここまで待たしておいてそんなものか。そんなもののために、自分に良い流れが来ていたババ抜きは変更になったのか』と表情が語っている。

 だが、多少は勘弁してほしい。恥ずかしい話、望月は『大富豪』やら『爺ぬき』やらのルールを未だに把握しきれていないのだ。かといって『神経衰弱』を提案しようにも十一人は少し多すぎる。

 そうやって他にメジャーなモノはないかと思考を巡らせた結果『ポーカー』に行き着いてしまったのだった。

 

「いいんじゃないか? さっきまでは全員参加だったんだ。ここで個人戦に持ち込むのもまた一興かもしれないぞ」

 

 卯月がまた口を開こうとしたとき、代わりに長月が割り込むようにして援護射撃をしてくれた。アイデアを出せなかったという彼女なりの負い目があった故だろうか。

 

「ボクもそれでいいよー!」

 

「睦月もです!」

 

「俺はなんでもいいよ(三日月)」

 

 そんな長月に続いてか、以外にも姉妹たちのウケは良いようだった。とりあえずスベらなくてよかった、と望月は胸を撫で下ろす。

 

「……ちぇっ、ならうーちゃんもそれでいいっぴょん」

 

 その卯月の言葉が合図だったように、菊月はシャッフルをやめてカードの束を机に置いた。

 

 

 

「……で、なんでアタシが一番手なの?」

 

 一分後。望月はカードを扇状に持っていた。

 

「言い出しっぺは望月だから、当たり前っぴょん」

 

 そのあと姉妹で諸々の話し合いをし(王様ゲーム関連は続行)、ゲームが始まる。望月の対戦相手は、自分から立候補してきた文月である。

 彼女は特に一位にも最下位にもなっていなかったのだが、ババ抜きでの卯月や三日月の動きを見て羨ましがっていたのかもしれない。このポーカーなら、どうあがいても命令するかされるかは決まるのだから。

 

「えっへへ~ポーカーとか初めてだから楽しみ~」

 

「えっ文月、ポーカーのルール知らないのか?」

 

「むっ、しってます!同じカードを揃えて捨てればいいんでしょう?」

 

「それは要するにさっきのババ抜きと同じなんだが……」

 

 自信満々な文月を不安そうな顔で見つめる長月。なんにせよ、望月にとっては好都合だ。

 

 (文月には悪いけど……アタシは罰ゲームなんてごめんだからね)

 

 いつの間にかディーラー役を引き受けている菊月に「二枚交換で」と告げる。菊月はカードを机の上を滑らせて寄越してきて、かなりディーラー役がサマになっていた。いつの間に練習したのだろうか?

 

「文月、交換は?」

 

「? こうかんって~?」

 

「ん? いや、交換は交換だ」

 

「こうかんしたら何かあるの?」

 

「せめてそこは把握しといてくれ……」

 

 文月と菊月のトンチンカンなやり取りを聞きつつ、望月は扇形に広げた自分のカードを改めて見る。

 6が二枚。Kが三枚。フルハウスだ。ポーカーフェイスを貼り付けながら望月は心の中で勝ち誇る。

 フルハウスならば役としては申し分ない。相手はルールすら把握できていない文月だ。負ける要素が見当たらない。

 少し大人げないようにも思えるが、今の望月は『負けてやれる』ほど余裕があるわけでもない。悪いが文月には犠牲になっていただく。罰ゲームはそれなりにショボい物にしておくから。

 

「じゃあ、3枚こうかんで~」

 

「わかった」

 

 文月がようやくカード交換を終えたので、望月は罰ゲームを考えていた思考を一旦中断した。

 

「それじゃあ、オープン」

 

 菊月の指示を受けて望月はカードの裏表を反転させる。フルハウスが回りに認められると、姉妹たちから「おおっ」という小さな歓声が上がった。

 一方文月の方は━━━いつまでたってもカードを出そうとしない。

 

「どうしたの文月? 早く出しなよ」

 

 皐月が傍らにいって告げると、文月は困ったような顔をしている。

 

「う~んどうしよ~……。数字が一つも揃わなかったよ~」

 

「揃わなかった?役無し(ブタ)ってこと?まぁとりあえず出してみなって」

 

「はーい……」

 

 しょぼーん、というような顔でカードを手元から解き放つ文月。

 だが、その文月の態度とは裏腹に、出されたカードを見た姉妹たちは皆目を見開いた。

 

「ちょっ……!? 文月っ、これって!?」

 

「はぁ!?」

 

 まず、すぐ隣で見ていた皐月が驚き、続いて見た望月は自分の目が信じられなかった。望月の目が異常をきたしたのでなければ、文月が出したカードは10、J、Q、K、A……。この組み合わせは確か、ある意味ポーカーで一番有名な……

 

「ロイヤルストレートフラッシュじゃん!!うわすごっ、初めて見た!!」

 

「ちょっ、ちょっと待って!待ってよ!!」

 

 望月の時の三倍ほどざわめく姉妹の中で、当の望月は完全にパニックになっていた。

 わけがわからない。一体何がどうなっている?

 ポーカーのことを何も知らない文月がロイヤルストレートフラッシュを出す。

 確率に起こせばどれぐらいだ? 恐らくだが宝くじが当たる確率よりも遥かに低いだろう。なにか、文月は神にまで愛されているというのか?

 だがしかし、何度見ても文月の出したカードの絵柄が変わることはない。

 

「く……!」

 

 結局目の前にある事象を認めて呻くことしか出来ない望月。

 これをしたのが卯月だったなら、すぐさまイカサマを疑えたり『ノーカン!ノーカン!』と叫べたのだが、文月はとてもイカサマをするようなタイプには思えない。というか仮にしていたのだとしたら、望月は明日から彼女に対する一切合切の贔屓の感情をゼロにして、また一から関係を構築しなければならなくなる。

 

「じゃあ、勝者は文月だね。敗者の望月に、なにか罰ゲームを」

 

 回りも同じ思考に至ったらしく、ロイヤルストレートフラッシュの余韻が冷めやらぬ様子で文月に罰ゲームを促す。

 

「う~んとねぇ……」

 

 先ほどカードゲームの主人公並の豪運を発揮したとは思えない顔で、文月は考え込む。望月としては、まるで死刑判決を待つ被告人のような気分だった。

 まぁなんにしても、達成可能な命令が来てほしい。望月個人の意見としては、◯◯のモノマネとかが一番困る命令だ。スベる未来しか見えない。

 

「じゃあ、望月は司令官のどこを好きになったのか、教えて~?」

 

「ん。わかった」

 

 うむ、さすがは文月。やはり、あまり無茶な命令は出さないようだ。望月としては胸を撫で下ろすような思いである。いやホント、この程度の質問に答えるだけで済むなら安いモノ━━━

 

 

「……いやちょっと待って文月。アタシの聞き間違いかもしれないんだけど、今なんて言った?」

 

「?『望月は司令官のどこを好きになったのか、教えて~』って」

 

 

 聞き間違いであってほしかった。

 

「……いや、いやいやいや。ちょっと待ってタンマタンマ。その命令はちょっとなぁ……」

 

「え、ダメだった?」

 

「いやっ、ダメ、てーか……」

 

 ここで聞くか、ふつー?……いや、むしろ提督もいないし聞くとすればここが最適なのか?いやいやしかし、そういうのを聞くのは下世話というか……なんていうかこう……デリケートな質問というヤツではないのか?

 というかまずなによりも、恥ずかしい。

 

「あたし、前から気になってたの~。望月って、なんで司令官のケッコンを受け入れたのかなー、て」

 

「私たちの中でも、一番そっち方面には興味無さげだったのにな」

 

「確かに、意外と望月って司令官に骨抜きにされてるよね。去年のバレンタインだって、結局司令官に本気チョコあげてたみたいだし」

 

 しかしそんな望月の懸念も虚しく、文月に釣られて口々に声をあげ始めるシスターズ。そもそも年齢的に言えば睦月型の娘たちは小学校低学年ぐらいの年齢なのだ。恋バナに興味を持つのはある種当然だろう。

 そしてバレンタインの情報はどこから流出しやがった?

 

「王様の命令は絶対っぴょんよ?」

 

「う、うぐ……」

 

 退路を次々と絶たれ追い詰められていく望月。

 そして追い詰めていく卯月の後ろでは、睦月や水無月たちが

 

「睦月も、こういう話は前から気になっていたのです」

 

「望月って全然話そうとしないもんね」

 

「つまりこの王様ポーカー(仮)で望月に勝てば、合法的に確実にそういう話を聞ける……!?」

 

 絶望したくなるような話し合いをしていた。

 

 (こんなことなら、司令官の執務に付き合ってた方が百倍マシだった……)

 

 結局その後、身ぐるみを剥がされるように望月は提督とのケッコン関連について根掘り葉掘り質問されまくった。

 勝負の神様も興味津々だったのか、その後望月はゲームで一度も勝てなかった。

 

 



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チェリーガール

 

 春眠暁を覚えず、という言葉がある。

 誰でも一度は漢文かなにかで聞いたことがあるだろう、孟浩然の有名な詩「春暁」の一部だ。

 春の日は非常に眠り心地が良いので、ついつい寝過ごしてしまう。

 正確には分からないが、確かそんな感じの意味だったはずだ。

 なるほど、確かにこの五月の陽気は、眠るには最適の気候であろう。ポカポカとした陽気や、窓から入る冷たすぎず強すぎないそよ風。孟浩然がこのようなことを詩に書くのも納得できる。去年出してから片付けられてない気がするこのコタツにて、仕事など全て投げ出して思う存分眠られればどれだけ幸せだろう。

 だが、それはできなかった。

 

 

 やりたい放題か、と望月は思った。

 時は昼時。場は執務室。世間では土曜日なのに、提督は朝から出張ときた。

 仕方なく朝眠りたいのを我慢して提督の分の執務作業をこなして、昼飯も食べ終えたので一休みがてらコタツで牛になろうとしていたのだが……。

 

「うわ~この服ダイタン~。ボク着れるかなぁ?」

「ふ、ふん。くだらないな……」

「その割には菊月ちゃんもじっくり見てるわよねぇ~」

「む~、うーちゃんもこんなの着てみたいっぴょ~ん」

 

 コタツの外で姉達四人が雑誌を共有しながらキャッキャと騒いでいる。うるさくてとても眠れやしない。

 コタツに籠る望月は、鬱陶しそうに頭をかいた。

 

「望月は興味ないの~?」

 

 談義に参加しようとしない望月へ、如月が話しかける。望月としては、この手の話は個人の部屋でやってほしいという感想だ。

 

「興味ない」

 

 望月は、服は着れれば何でもいい派の人間である。

 それを踏まえても素っ気ない発言かもしれないが、もともと突然姉達が執務室に押し掛けてきたと思ったらこれだ。休むつもりだった望月は当然不機嫌にもなる。というか、扉も開けっぱなしなんだからそろそろ閉めてほしい。

 ……ま、別に騒がしいのは嫌いでもないし、文句を言うのもめんどくさいから黙っておくのだけど。

 はぁ、とため息がもれた。

 とは言えこうなると、出張に行っているあの司令官が恋しくなる。あの司令官は静かな方が好きな自分に配慮をしてくれるし、気紛れに話しかければちゃんと答えてくれる。

 話しかけてもロクに答えないくせに、自分が必要な時だけ話しかけるというのはかなりムシのいい話だと思うのだが、それでも司令官は文句一つ言わない。都合が良すぎるほどコチラに配慮してくれるので、ついつい望月はそれに感謝し、甘えてしまうのだ。

 ……まぁこんなこと、司令官の前では口が裂けても言わないのだけれど。

 

「うわ~こんなことまで~」

「あらあら~」

「……おお」

「ぴょ~ん……」

 

 なにやら盛り上がり始めており、雑誌談義はまだまだ終わらなさそうだ。仕方ないので、望月は毛布部分を頭から被って耐えようかとしていると。

 

「おお、なになに? ドア開けっぱなしにして、なんか騒いでんじゃ~ん!アタシと飛鷹も混ぜろよ~!」

 

「ちょっと隼鷹!あなた、まだ艦載機の整備も終わってないのに!」

 

 さらにうるさい連中がやって来た。

 その者の正体は商船改装空母の二人だ。すでに開いているドアをさらに蹴飛ばさん勢いでやって来たのが隼鷹。それを嗜めようと一緒に来たのが飛鷹だ。

 二人とも、元は他の鎮守府でまずまずの戦果を上げてる艦娘で、五日ほど前に『研修』という名目でここにやって来た艦娘である。生真面目な飛鷹は命令がないときでも戦闘準備や訓練を惜しまないようだが、準鷹はもうこの鎮守府ののんびりした雰囲気に影響され、武器の整備もせず他の艦娘と遊び呆けてる……らしい。

 

「いいじゃんいいじゃん固いこと言わずにさ~。で、なに読んでんだ? ちょっと貸してくれよ~」

 

「コラ準鷹!ああもう、ごめんなさいね……」

 

 断りもなく雑誌をひったくる準鷹。ペコペコと謝る飛鷹。そして何故か顔を赤くしている姉達。

 カオスだなぁ、と望月は思いつつしばらくは眠れないことを悟った。

 

「ふむふむ……おー、なるほど~」

 

 しばらく珍しそうに雑誌を読んでいた準鷹だが、あるページに差し掛かるとニマッと笑いながら赤くなっている皐月たちを見た。

 

「なぁ、ちょっと飛鷹も読んでみろよ~」

 

「ああもう、なんなのよ……」

 

 ついに諦めたらしい、飛鷹は渋々と言った形で雑誌を受け取る。

 

「『サクランボの軸を舌で結べればキスが上手』……? 最近の雑誌って、こんなのも扱ってるの?」

 

 そのまま件のページを音読する飛鷹。なるほど、皐月たちが見て赤面したページとはここらしい。子供には少し刺激が強い内容だったようだ。

 

「向こうの鎮守府じゃ、雑誌なんて読む暇なかったしな。それよりもさ、これ面白そうじゃねぇか!?アタシらでやってみようぜ!」

 

「はぁー……もういいわよ。最近敵も来ないし、思う存分騒げばいいわ」

 

「よっし決まりだな!チビたちも行くか?」

 

 チビたち、とは皐月たち駆逐艦のことだ。

(如月以外)しばらく赤面しながらお互い顔を見合わせていた皐月たちだが、やがてゆっくりと頷いた。

 

「よし、じゃあ行くぜぇ!今から川内の部屋へ行って、サクランボもらうぞ!もったら、そのままアタシたちの部屋へ直行だー!!」

 

 思い立った善は急げ。準鷹は飛鷹、姉達を連れてあっという間に執務室を出ていってしまった。開け放たれたドアから「ひゃっはー!!」という声が聞こえる。その姿、まさに嵐の如し。

 それにしても、なぜサクランボを貰いにいくのに川内の所へ行くのだろう? 彼女は忍術の次に、とうとう錬金術までも極めてしまったのだろうか?

 

「…………」

 

 ともかく、やっと静かになった。これでゆっくり眠れる、と望月は仰向けになる。

 ……なった、のだが。

 

「……眠れない」

 

 おかしい。

 目が異常なほどに冴えてしまっている。脳も活発に働いてしまっているせいか、目を閉じてもちっとも眠気がやってこない。

 毛布の中で転がり、頬を床につける。

 

 

『サクランボの軸を舌で結べればキスが上手』

 

 

 内容を音読した飛鷹の声が頭から離れない。

 

「キス、か……」

 

 キスカ作戦、ではない。

 思えば、望月が最後に提督と交わったのはいつだったか。望月と提督が恋人らしいことをすることは意外と少ない。

 (望月が子供というのもあるが)プラトニックというか、二人とも特にそういったものを求めないのだ。まぁ提督は恐らく、一緒にいられれば満足というお子様的な恋愛観の持ち主なのだろう。

 

「キス……」

 

 無意識に唇へと手が向かう。そういえば最近はキスさえもご無沙汰だ。

 そりゃあ望月だって、女の子なのだ。ちょっとダウナーな性格というだけで、好きな人には触れてほしいし、触れたいし、愛してほしいし、愛したい。

 薬指につけられた指輪が、部屋の照明を反射して銀色に光った。

 

「…………」

 

 気付けば望月は、コタツから抜け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにやってんだろ……アタシ」

 

 ……なーんて言ってみたはいいものの。

 目の前にある山盛りのサクランボを見ていると、急に望月は冷静になってきた。

 あの後、川内の部屋まで行ってみると、本当にサクランボがあった。錬金術を疑いたくなるほどの多さだった。

 

「へ~え、やっぱり望月も気になるんだ~」

 

 川内のニヤニヤ笑いを無視しつつ、望月は皿に乗せられたサクランボを受け取る。

 その足で、昼過ぎなので逆に誰もいないだろうと踏んだ食堂へと、望月はやって来た。

 

「……まぁ、遊びだよ遊び。あくまでもね」

 

 七個ほどあると見えるサクランボの一つを手に取り、口に放り込む。

 実の部分を先に種ごと飲み込み、軸を舌の上で転がし始める。まぁこんなの、所詮はちょっとコツつかめば楽勝だろう。

 

 

モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

 

 

 

 

……モゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴモゴ。

 

 

「だーーーーっ!!できねェーーーーっ!!!」

 

 

 ベッ、とおおよそ美少女(自称)には似つかわしくない声と共に軸を吐き出す。吐き出した軸は、舌にもまれまくって唾液に濡らされまくったせいでヨレヨレのヌラヌラになっていた。これで吐き出した軸は早くも四つ目である。

 

「なんだこれ……めっちゃムズいじゃねぇか……」

 

 正直舐めてた(舌だけに)。すげぇ難しいぞコレ。

 そもそも軸を結ぶなんて器用な手段を舌で行おうなんて明らかに無理があるだろう。常識的に考えて。

 誰だよこんなの考えたヤツ。これがすんなりできるヤツはキスが上手いんじゃないよ。もうなんか別のなにかが上手い人だよ。

 やめやめ。こんなクソゲーやめよう。

 

「こんのぉ……ぜってー成し遂げてやる……!」

 

 が、懲りずに五つ目のサクランボを口に含む。……もう完全に意地になっていた。

 実をちゃっちゃと飲み込み、また軸を舌の上で転がす。なんとなくコツというかカッテのようなものは分かってきたが、それで出来るようになるかはまた別の話である。

 そうしてまた二分ほど頬をモゴモゴし続けた後。

 

「あーーーーーっ!!!」

 

 精神が先にイライラに耐えられなくなり、また軸を吐き出すことになった。これで五つ目。

 一度吐き出した軸をもう一度口に入れるのは、さすがの望月でも気が引けるのでやらないでいるが……もうサクランボがあと二つしかない。

 

「これは不味いぞ……」

 

 いやサクランボ自体は美味いが。

 サクランボ自体ではなく、軸があと二つしかないのが不味い。また川内のとこに貰いにいけばいいんじゃないか、と思う者もいるかもしれんが、既に七つももらったのにまた追加で貰いに行くとか川内がどんな顔してコッチを見てくるかわかったもんじゃない。最悪睦月型の姉たちに暴露される可能性まである。それだけは避けたい。

 ……だがかといって、じゃあ皆にバレないように一人で近場のスーパーまで行ってサクランボを調達してくるか、となるとそれはそれで気分が乗らなかった。確かにマジになってきてはいるが、そこまで手間をかけようとは思わない。さすがにそれはめんどくさい。

 なんとなく、気まぐれで始めたUFOキャッチャーで商品が上手く取れないときのような感覚に近かった。とりあえず財布の100円玉が尽きるまではやるが、かといって使いきった後に札を両替してまで再チャレンジするかと聞かれると別にそこまでではない、みたいな。

 ……このたとえに一体どれほどの人が共感できるかは知らんが。

 とにかくだ。

 

「チャンスはあと二回か……」

 

 深呼吸をして精神統一し、サクランボを口に入れる。

 モゴモゴ。モゴモゴモゴモゴ。

 

(ここで軸に折り目つけて……舌を持ち上げて……)

 

 呼吸を止めて目を閉じるほどに集中しながら、必死に五つ目までに積み立てたノウハウを活かしていく。

 艦隊勤務以上に集中力を持って取り組んでいたためか、今回の軸結びは今までにないほど順調に進みかけていた。

 

(ここだ!ここで前歯の裏側に固定して、輪っかを作って……っ!)

 

 モゴモゴモゴという効果音がモゴ……モゴ……モゴ……というリズムに変わり始める頃には、軸結びは最終局面に突入していた。感覚で輪っかを作れたことを確信した望月は、カッと目を見開いて、

 

(それが崩れないうちにっ……端っこを舌で一気にっ……押しっ、込むっ!)

 

 ガチャン、と。

 南京錠が外れたような、ピーズがぴったりとハマったような気がした。

 恐る恐る、軸にヘタな衝撃を与えないよう慎重に望月は口を開け中身を取り出した。

 

「……できた……!」

 

 果たして、軸は無事に結ばれていた。

 しっかり、とまではいかないが、誰が見てもちゃんと『結べている』と言える程度にはできているだろう。時間にして約四十五分、サクランボ六つ目にして、ついに望月は成し遂げたのだ。

 ……ヤバい。今MVP取った時並みに達成感を感じている。正直もうここで終わっていい。我が艦娘生涯に一片の悔い無し───。

 

 

「……何してんの?望月」

 

 気分的にはこのまま両腕を天高く突き上げて果ててもよかったが、それをある人物が妨げた。

 顔を上げてみると、いつの間にやら机を挟んだ対面に、彼女の提督が立っている。……提督?

 なんだコレは。どっかにいる神様がサクランボの軸を結んだ特典として幻覚を見せているのか?

 

「あれ、司令官……?なんでここに?」

 

「出張が早めに終わったから急いで帰ってきたんだけど……もっちーこそ何してんの? てか、何この軸の山……」

 

「えっ。あっ……えーと……」

 

 どうやら幻覚でもないらしい。

 キョトンとした顔で聞いてくる提督に、今さらになって羞恥心が沸いてきた。……自分は、何をしているんだ?

 顔が一気に熱くなっていくのがわかる。

 ……なんだこれ。確かに途中から自分のプライドも賭けていたとはいえ、この物事の発端と言うと……サクランボの軸が結べる人間はキスが上手いという情報を手に入れて……そっから提督との……キ、キスを連想して……。

 

(……えっ。ヤバ、なにこれ。軸結ぶのにこんなにマジになって……これじゃアタシ、まるで欲求不満みたいじゃん……!!)

 

 サクランボみたいに赤くなっていく顔を必死で隠す。

 ヤバい。めっちゃ恥ずかしいこれ。

 

「ちょ、大丈夫もっちー!? どっか体調悪いの!?」

 

「い、いや……別になんとも……」

 

「でも……こんなにサクランボ用意して……一体どうしたの?」

 

「別に…ただ、何となくサクランボが食べたくなっただけだし……」

 

 よし、嘘は言ってない。上手く誤魔化せたかと提督を確認した望月だが、その提督の顔が皿を───望月によって結ばれた軸がある皿をガン見していることに気づいてギョっとした。

 

(しまった……!! 隠すの忘れてた!!全然誤魔化せてないじゃん!!)

 

 一気に背中に浮き出る汗が増えた。どう誤魔化し直そうかと望月が戦闘時以上に頭をフル回転させていると、

 

「ぷっ、はははっ!」

 

 突然提督が笑いだした。それを見て回転していた望月の脳ミソが急に止まる。

 

「えっ、どうしたの司令官」

 

「いや、もっちーったら懐かしいことしてるなぁって、つい。そういうことね」

 

「懐かしいこと?」

 

「うん。このサクランボの軸を舌で結ぶヤツ。僕らが子供の頃にも流行ってたんだよなぁ~」

 

「えっ……そ、そうなの?」

 

 初耳である。というか、このサクランボの説自体がいつから流行っているのかが不明であるが。

 

「サクランボの軸を舌で結べたら何か良いことが起きる、てね。だから子供の頃は皆練習してたなぁ」

 

「あー……そうなんだ」

 

 どうやらこの手の遊びというのは時の流れによって意味合いも変わってくるらしい。とりあえず提督が『現代の意味』を知らなくてよかった……。望月が密かに胸を撫で下ろしていると、

 

「ラスト一個みたいだけど、もらってもいい?  実は、今お腹ペコペコなんだ」

 

 提督がサクランボを指して言った。

 

「ああ、いいよ」

 

 望月としては、軸を結ぶという決闘に勝った以上もうサクランボを食べる意味はなかったので素直に譲る。

 あんがとー、と言いながらサクランボを摘み、口に入れる。

 

「たまに食べるとおいひいよねぇ」

 

 目を細めてそんなことを言いながら、提督は口をモゴモゴと動かした。それから数瞬モゴモゴと口を動かし続けた後、ペッと軸を皿の上に吐き出す。

 その軸は、きれいに結ばれていた。

 

「……え??」

 

 思わず二度見……いや三度見した。無意識の内に手が震える

 

「司令官……? なんでそんな簡単に結べてんの……? アタシがそれやるのにどれだけ……」

 

「ん? いや、まぁこういうの子供の頃何回もやってたし……まだ勘が鈍ってなくてよかったよ」

 

 何ともなさげに言いながら提督は「さて荷物置きに行くか」と執務室へ向かおうとする。

 ……いや。いやいや。ちょっと待て。てか、そんだけ楽に結べるってことは提督のキスは……。

 望月は反射的に提督の肩をつかんだ。

 

「…………」

 

「ん、どうしたの望月? キン◯ボンビーとほねク◯パを足して3で割ったみたいな顔してるけど」

 

 どんな顔だ、とツッコミたくなったがやめておく。実際そんな顔してるだろうし。

 とりあえず。

 

 

 

「……今すぐキスして死ね」

 

「殺意を込めた愛情表現!?」

 

 

 

 (ソフトな)愛憎入り交じった感情で望月は提督をすぐさま押し倒し、唇を奪った。

 久しぶりのキスはサクランボの味がしました。

 



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酒(を飲んだ人)に飲まれる月

 突然だが、皆様は『酒』に関することわざと言えば何が浮かぶであろうか?

 恐らく大半の人間が『酒は飲んでも飲まれるな』と答えるのではないだろうか。これが一番メジャーであるし、教訓にもなる。というかこれの他に『酒』に関することわざなんてあるのか?というレベルな気すらする。

 だが調べてみると、『酒』に関することわざというのは、意外とたくさんあるようなのだ。

 

 例えば、『新しい酒は新しい革袋に盛れ』。

 

 新しい内容を表現するためには、新しい形式が必要である、という意味だ。真反対の意味として『新しい酒を古い革袋に盛る』という言葉もある。

 例えば、『酒と朝寝は貧乏の近道』。

 酒を飲み過ぎ、グータラと怠けていれば、たちまち貧乏になってしまうという意味だ。

 

 やはりというか何というか、『酒』に関することわざはネガティブな意味合いが多い。しかしそんな中でも、『友と酒は古いほどいい』なんて洒落(酒だけに)の効いたことわざもある。

 まぁ要するに、何事も適量が良いということだろう。負のイメージが強い酒も、きちんと節度を持って飲めば人生を豊かにしてくれるものなのだ。

 

 

 

「━━━てぇいうわけなんだよぉもっちぃ……だから僕が酒を飲むのはいいことなんらぁ……」

 

「それのどこが『節度を持って』なのさ……。ていうかあんま顔近付けんな!酒臭いから!」

 

 父親をウザがる思春期女子高生のような気分で、司令官の顔を押し退ける。その拍子に、司令官の産毛が掌に当たって痛いようなくすぐったいような気持ち悪いような。

 

「ったく、『酒』に関することわざを解説する余裕があるんなら、ちゃんと自分の足で歩けっての……」

 

「うっへへ~」

 

「笑って誤魔化すな」

 

 普段アタシより頭二個分高い位置にある司令官の顔が、今は隣━━━アタシの肩の上にある。

 理由は簡単、コイツが酔いつぶれて歩けなくなったから、アタシが運んでいるのだ。

 

「いやほんろごめんってもっちぃ。ポーラとの勝負、かてるとおもっらんだけどなぁ~」

 

「その程度のアルコール耐性でポーラに勝負挑んでたとかアンタ正気か」

 

 そもそも酔いつぶれた理由というのも、ポーラとの飲み比べ勝負に挑んだから(もちろん負けた)という、宮本武蔵に剣術勝負を仕掛けるくらいには無謀なことをした結果なのである。

 那智か隼鷹か、誰がけしかけたのかは知らないが、これは勝負を受諾した司令官サイドにも問題がある気がする。もはや呆れを通り越してドン引きしながら、アタシは傍らの司令官を見つめる。

 身長差のせいもあり、『肩を貸している』というよりは『背負っている』と言った方が正しそうだ。端から見れば、成人男性が小学生に肩を借りているという児童相談所も真っ青な光景であるが、重量に関しては艦娘としてのパワーがあるので気にならない。

 ただ、さすがに身長差はどうにもならないので、司令官の足は床に引きずるようにして運んでいる。たぶん膝の辺りは埃やら何やらで凄いことになっているだろうが気にしてられない。恨むなら、やたらニヤニヤしながら自分に運搬係を押し付けた加古にでも言ってほしい。

 

「もっち~」

 

「ん? どした」

 

「愛してるぜ~」

 

「そうかい」

 

「もっち……愛してる……ぷくく、僕上手いこと言った……!」

 

「なにわろとんねん」

 

 酔っ払い特有のこの脈略の無さ。しかも何をどう掛けたのか、どう上手いのか推測すらできない。

 司令官は、酒が入るとそれなりに唇のシェルターが脆くなるらしく、この『愛してるぜ』もなんだかんだ五回目だ。二回目ぐらいの頃は突然の発言にややテンパりもしたが、四回目あたりからはもう冷めたものである。

 ……まぁ、嬉しくないのか、というとそれはまた別の話なのだし、司令官のストレートな愛情表現などそれはそれでレアなのでまぁ━━━

 

「ねぇもっちい~。エロゲーでキス音声を収録してる時の声優さんやディレクターってどんな気持ちなんだろうねー?」

 

「司令官、今ちょっとカンガイみたいなものに耽ってるから黙ってて」

 

 最低で低俗な話題を振ってくる低能になった司令官の顔にビンタする。

 もう嫌になってきたこの酔っ払い。廊下に放置して自室に帰ってやろうか……。

 

「緑のお肌の~提督さんは~♪」

 

「赤な。お鼻な。それだと妖怪人間だよ」

 

 アタシがそんな野心を抱くのも知らず、司令官はいかにも酔っ払いらしいクダラン替え歌を歌い始める。音量調節できてないせいで鼓膜に若干響く。うるさい。

 ていうかツッコミにもそろそろ疲れてきた。アタシは三日月のようにツッコミキャラではないのだが……。

 

「ピンクのお肌の~提督さんは~♪」

 

「余計ヤバくなってんだけど……まぁもういいや」

 

「いっつも望月さんの~♪」

 

「━━━望月さん、の?」

 

 つい耳を澄ませた。

 酔っ払いのレベルの低い替え歌とは言え、まさか自分が歌詞に出るとは思わなかったのだ。

 思わず、次の言葉を心待ちにしてしまう。

 

「……グゥ」

 

「いやそこで寝るなよ!?」

 

 関西のツッコミ役の如く頭を叩く。スパコン!と良い音がしたが、司令官が起きる様子はない。どころか急にスイッチが切れたように口から涎を垂らす始末だ。

 

「うっへへ、もう食べられない……」

 

「伝説の寝言いってんじゃねぇよ!! ピンク(緑)のお肌の提督さんは望月のなんなんだよ!?」

 

「……グゥ」

 

「いや待てって! 寝かさねぇからな!? ピンク(緑)のお肌の提督さんが望月の何なのか言うまで寝かさねぇからな!?」

 

 司令官を激しく揺すってみるが、起きる気配がない。気配がないので尚声を大きくして大きく揺する。

 それでも司令官は起きてくれなかった。ちくしょう、嫁の頼みが聞けんのかこの司令官は!

 

 

 

 ……そんなわけで完全にムキになって騒ぎ続けた結果、後日にこの台詞の断片を聞き取った姉たちによって、アタシと司令官は散々イジられることになるのだが……まぁそれは別の話ということで。というか言いたくない。

 



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月が満ちるまで【前編】

望月と提督の出会い(馴れ初め?)の話です。
この話を前後編やって、あと一話ほど投稿してからこのシリーズは終わると思います。


 掃除をしよう、と提督が思い立ったのは突然だった。

 時刻はフタサンマルマル。目の前には、バリケードにも使えそうなほどの膨大な書類の山が二つある。これを終わらせるには、日付が変わった後のマルゴーマルマルまで働くことを覚悟しなければならない。要はガチの徹夜だ。

 カフェインの大量摂取で無理やり開かせている瞼は、それでも少しでも気を抜けばすぐに閉じてしまう。

 こんな時に頼りになるであろう、自分のケッコン艦にして唯一無二の相棒艦である望月は、少し前に睦月型の『パジャマパーティー』のメンバーとして引き抜かれてしまった。仕方なく提督は、コーヒーを臨時の相棒にして二時間ほど無言で頑張ったのだが……それもさすがに限界が近づいてきたのだ。

 掃除をしよう、と思ったのはそんな時である。

 

「……そうだ、部屋の掃除をしよう」

 

 京都のCMみたいに言うと、提督はさっそく行動を開始した。そもそも提督の体はずっと気分転換を求めており、それまではその体を動かす理由になりえる『大義名分』を探している途中だったのだ。それが見つかればそりゃこうなるだろう。

 

「それに、前々からこれも整理しなきゃと思ってたし……」

 

 そう言いながら真っ先に向かったのは、執務室に備え付けられている本棚。

 この提督は意外と乱読派であり、本棚にはミステリー、恋愛小説、ラノベ、ノンフィクション、ゲームのノベライズ本など、ちょっとした時間に読もうと思っている本がたくさん詰め込まれている(まぁ今は仕事の都合上、その『ちょっとした時間』がさっぱり取れていないのだが)。

 最近は本も増えて、床の上に直接積んでるモノもあるので、そろそろ整理したいと思っていたのだ。

 

「いる本は残して、もう読まない本は物置に放り込んでおこう……」

 

 本棚に安住していた本を引き抜いて、床に積んでいた本を引き寄せて一ヶ所に集める。全ての本を集め終えたら、まずジャンル別に分けて、そこからさらに読む本、読まない本とで分けていくつもりだ。

 

「これで最後……っと」

 

 本棚の奥の方にあった最後の一冊を取り出す。だが疲労感からか、提督はその一冊を取り落としてしまった。

 ガン!! と足下ですごい音がする。

 

「~~~~~っ!!!」

 

 あまりの痛さに、彼は傘のオバケのようにケンケンしながら悶絶した。図鑑サイズの本が足の指に直撃したのだ。無理もないだろう。

 五回ぐらいケンケンした後さらに指を押さえてうずくまると、ようやく痛みが引いてきた。

 ぶつけた部分に手で風を送りながら、落とした本を見ると、提督の口から「あっ」と声が出る。

 

「『清霜でもわかる艦隊のイロハ』……また懐かしいのが出てきたな……」

 

 足を動かさず、腕を最大限に伸ばして手に取る。

 確かこの本は、まだ提督が着任したての頃に、少しでも知識を得るために購入したものだった。本にはたくさんの付箋が貼り付けられたまま残されており、何かわからないことがある度にこの本を見て確認していたのを思い出す。

 というか当時はなんとも思っていなかったが、清霜は上層部の間でも『アホの子』扱いなのか? だとしたら、何も知らなさそうな顔でピースをしながら写っている彼女が若干不憫に思える。

 パンパンとはたくと埃が少し舞う。しかしそれによる不快感よりも、今は好奇心の方が勝った。

 どんなことが書いてたっけ、と思いながら提督は本を開く。しかしその時、

 

「あれっ?」

 

 パサ、と。

 まるでマトリョーシカのように、その分厚い本の間からまた小さい本が落ちた。その小さい本は、さっきのイロハ本とはうってかわって、何も柄のない青色一色の、ビジネス手帳のような大きさのモノだった。

 はて、このような手帳など自分は持っていただろうか。提督はメモを取るときにはスマホのメモアプリを使うタイプだ。

 怪訝に思いながら手帳を拾い上げ改めて表紙を見ると、提督の息は止まった。

 

 その手帳には『鎮守府日記』と黒いマジックペンで書かれていたのだ。

 

「……あったな、こんなの」

 

 思わず苦笑いが漏れる。手帳を開いてみると、一ページごとに様々な写真が貼り付けられており、写真の下には色ペンで

 

『祝!初の潜水艦着任!』『望月の進水日!』『沖ノ島ついに攻略!』

 

などがカラフルに書かれている。さながら学生が卒業祝いで制作するオリジナルアルバムのようだった。

 

「なっつかしー……」

 

 床に座り込み、完全に読むモードへと入ってしまっている提督。

 最初の方のページをめくると、まだ着任していた艦娘が少ないのもあって、望月とのツーショット写真が多数貼られていた。

 

「この頃から、ずっと世話になってたよなぁ、望月には。今も昔も、艦隊のエースとして」

 

 寿命が近いジジイのようなことを呟きながら、提督はとある出来事を思い出す。

 ある意味、彼にとってすべての始まりになった記憶だ。

 その記憶と内容を照らし合わせるように、提督は最初のページの、まだ表情筋が固めな望月の写真を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時間は遡り、三年ほど前━━━

 

 

 提督がまだ『研修生』だった頃の話だ。

 イシカワと常に最下位争いをしながらもどうにか訓練場を卒業し、彼は晴れて『提督』になれた。

 提督養成所での提督の最終評価は、『標準以下』というものだった。 指揮能力がかろうじて平均レベルだが、それ以外はてんでダメ。所謂『落ちこぼれ』というヤツだ。

 そんな落ちこぼれ提督が着任する鎮守府といえば、必然的に激戦区から外れた辺境に位置するものになる。狙われるほどのモノがないから深海棲艦もめったにこず、ドックも二つしかないようなオンボロ鎮守府が(ついでに給料も少ない)、三週間後の提督の勤務場所だ。

 

 

 

 では今の彼は何をしているのかというと、彼は別の鎮守府にて、二週間ほどの研修をしていた。着任を目前にした提督の、最後の勉強会のようなものだ。

 研修先の鎮守府は、先程の鎮守府とは真逆の、最前線で戦っている所だった。最前線というだけあり、鎮守府の空気は引き締まっている。オンオフがはっきりしているというか、後に大学のサークルのような雰囲気になる提督の鎮守府とは違い、まさに軍隊のような佇まいをしている。みんな一様に真面目な顔をしており、怠け者として提督間で有名な球磨や北上でさえもキリッとした表情をしていた。

 

 そんな鎮守府での研修が三日目になったとき、提督は艦娘同士の紅白演習を見学することになった。常に最前線で戦っているだけあって、ここの艦娘は戦闘についてはまさに百戦錬磨の動きであり、訓練場を所狭しと駆け回っている。

 

「ひぇ~……。やっぱ生で見ると迫力が違うなぁ~……」

 

 養成所の講習で知識自体はあったものの、実際に見る光景は段違いだ。見物席にまで風圧が来る戦闘を見ていると、改めて艦娘という存在が『兵器』なのだと実感させられる。

 大口径の主砲を発射する戦艦や、艦載機を次から次へと飛ばす軽空母など、凄まじくレベルの高い演習だった。

 

「榛名も飛鷹も、前にも増して良い動きをしてるな」

 

 演習の様子を見て、彼の隣に座るもう一人の提督、タチバナが満足げに頷く。タチバナはここの艦娘たちを纏めあげる提督だ。優れた作戦立案能力と状況分析能力を持ち、軍の中でも『優秀な提督』のお手本のように扱われている提督である。

 そのタチバナが素直に誉めるぐらいなのだから、そのハルナとかヒヨウという名前の艦娘は相当良い動きをしているのだろう。しかし提督の意識は、それらの派手に動く艦娘には向いていなかった。

 

「タチバナさん。あの隅っこの方で動いてる小さい艦娘は、なんて名前なんですか?」

 

「隅っこの方?」

 

 提督はとある一点を指差す。そこには、赤い眼鏡をかけた小さい艦娘が、砲弾の間を縫うようにして動き回っていた。

 それを見たタチバナは「ああ、アイツか」と顎髭を撫で、

 

「アイツは望月だ。駆逐艦にカテゴライズされる艦娘だな」

 

「えっ、駆逐艦……?」

 

 信じられないような顔をする提督。

 それもそのはずで、この演習において望月は駆逐艦とは思えないような動きをしていたのだ。

 金剛や熊野の主砲の直撃を回避して、すぐさま反撃の一撃を加える。敵の攻撃後の隙を見逃さず確実に弾を当てていき、その傍らで自軍に向けられた艦載機を次々撃ち落としていく。それでいて退くべきところはしっかり退き、必要ならば味方に任せる。

 まさにメリハリの利いた戦闘、というヤツだった。

 

「すご……」

 

 その光景を見ていると、とても旧式の艦とは思えない。ここの鍛え方によるものなのだろうか?ともかくそんな望月の姿に、提督は完全に心を奪われていた。

 結果としてこの演習は、望月側のチームの勝利となった。MVPは最も大きなダメージを与えた榛名となっていたが、提督の中でのMVPは間違いなく望月だった。

 

 

 

『きっかけ』というものがあったなら、間違いなくこれだっただろう。

 その日の夜、暁と夕立に引っ張られながら(ちなみに二人とも改二だった)提督は食堂へと来ていた。来客自体が珍しい故か、道中で暁に質問攻めをされ、いつの間にか芋づる式に響や雷、電も来て、思わぬ大所帯となってしまっている。

 しかしそんな第六駆逐隊からの質問に答えながらも、提督の意識は他に向いていた。

 

 (望月は、どこにいるんだろう……?)

 

 あの演習以来、望月の姿が脳に焼き付いて離れない。彼女と一言でもいいから話してみたかった。

 といっても恋をしたとか、別に深い意味はない。単なる好奇心によるものが強かった。あの小さな体でどうやったらあんなに動き回れるのか、それが気になってしょうがなかったのだ。

 

「こっちこっちっぽ~い!!」

 

 間宮さんからおぼんを受け取ると、先に席を確保してくれていた夕立がブンブンと手を振ってる。

 

「ああ……ありがと」

 

 答えながら、提督は半分無意識で望月を探す。

 だが、どれだけ探してもこの食堂内で望月を見つけることは出来なかった。飲食店の類いはこの鎮守府の近くにはないし、飯が欲しければ絶対に食堂(ここ)を経由する必要がある。望月がこの鎮守府のどこかにいるというのは間違い無いハズなのだが……。

 

「ああ、望月ちゃんならここにはいませんよ。いつも定食を受け取ったら一人で出ていっちゃいますし……歩いていった方角からして、たぶん港に行ったんじゃないでしょうか?」

 

 ダメ元で提督が訊ねてみると、間宮さんはあっさりと答えてくれた。どうやら『いつも一人でいる艦娘』として彼女の記憶にもそれなりに残っていたらしい。

 それを聞けた提督は、間宮さんに軽く礼をしてからおぼんをもって食堂を出ていく。

 

「あれっ、提督さん? どこに行くっぽ~い!?」

 

 背中にかかる夕立の声に「ごめんちょっと」とだけ答えて、彼は鎮守府の外の港へと向かった。

 

 

 

 鎮守府の外は静かだった。海の底と同じ暗さになった夜空には、無数の星が輝いている。しばしば鎮守府怪談の舞台にもなる港は、あまりの暗さに足元さえもおぼつかなった。

 おぼんに乗る皿を落とさぬようにしながら慎重に歩く提督。歩いていると、やがて小柄な背中が見えてきた。間違いない、望月だ。間宮さんの行った通り、港にいたようである。

 こちらからは後ろ姿しか見えないのでわかりにくいが、岸壁から足を投げ出して、太ももの上におぼんを乗せているようだ。

 二、三回深呼吸をしてから、提督は望月の隣へと歩いていく。

 

「やっ、やあ望月」

 

 なるべく自然体で声を出したつもりが、若干上ずってしまった。今すぐテイク2を撮り直したくなるが、もうこのままでいくしかない。

 

「あぁ……?」

 

 その声に反応して、望月が顔を上げる。暗いので保証はできないが、突然の来訪者に目を細めたようだ。

 

「……あんた、誰?」

 

「三週間後に提督になる者だよ。……一応、数日前から研修でここに来てたんだけどね」

 

 苦笑いしつつ、提督は椅子一個分ほどの距離をあけて望月の隣に座る。堂々と「誰?」と訊かれたことに軽く傷つくが、考えてみれば今日まで面と向かって話したこともないし当然か。

 隣に来たためか、さっきよりは望月の表情がよく見える。提督が隣に座った瞬間、彼女の表情が強張ったような気がした。

 

「……なんだよ。ここ、お気に入りの場所だったのに」

 

 小声で望月が愚痴る。知らない人間が自分の領域に馴れ馴れしく侵入してくれば、誰でもこんな反応をするだろう。

 

「こないだの演習、見てたよ。すごかったよね望月」

 

 それを知ってか知らずか、提督はさっきと同じ調子で話す。大物というべきか、ただのバカというべきか。

 対する望月は「演習ぅ……?」とめんどくさい全開の声だ。

 

「覚えてないよそんなの。いつの話だよ……」

 

 興味すら無さそうな声をあげて、望月は前に向き直る。提督も釣られて前を向き、彼女と同じように太ももの上におぼんを乗せる。

 そのまま「いただきます」と手を合わせてから食べ始める。その声に望月は一瞬だけ目を向けたが、興味を失ったのかすぐにそらした。

 そうして、それ以降は何も起こらず━━━ただ二人とも黙々と晩御飯を食べ、やがてどちらともなく港を離れる。

 それが、提督と望月のファーストコンタクトだった。

 

 

 

 その日を境に、提督は晩飯時を港で過ごすようになった。

 夕立の誘いを振り切るのは毎回骨が折れるが、外で食べる文字通りの『外食』もなかなか乙なものである。なにより、港にはいつも彼の興味の対象である望月がいる。

 

「やあ望月。相変わらず星が綺麗だね」

 

「……また来たの?」

 

「また来たよ」

 

 こんな感じで、望月とも少しずつ話すようになった。

 相変わらず提督が来る度に、望月は昼寝を邪魔された猫のような顔をする。しかし彼女が港から離れようとすることはなかった。といっても、別に提督と一緒にいたいからではなく、単にここが晩飯を食べる上で最適な場所だったからだろう。-5と-10を天秤にかけて-5を取ったような感じだった。

 

「にしても、この鎮守府って大和さんまでいるんだね。教本の写真でしか見たことなかったけど、実物も綺麗だったなぁ」

 

「ま、日本が誇る超弩級戦艦だからね」

 

「さすがは大和ホテル……。まぁ僕の場合は、『ヤマト』って聞いたら宇宙戦艦の方が真っ先に浮かぶ人間だけど」

 

「ミリタリー知識ゼロの人間じゃん」

 

 交わされる会話はだいたいこんな感じである。

 話してみると、提督も望月もインドア派のおとなしめな性格というのもあり、会話が盛り上がることこそ少なかったものの、『合わない』と感じるようなことは意外となかった。

 ただ、いくら話しても、どんな話をしても、望月が一度も笑顔を浮かべないことが提督は気になっていた。最初に気になっていた演習時の強さの秘密についても教えてくれなかった。

 

 そんな日々が続いて、提督の研修期間が八日目になり(残り六日)、『やあ望月』とあいさつをすることにようやく慣れ始めた頃。

 

「望月って、他の娘と食堂で食べたりしないの?」

 

 提督は思いきってそんなことを訊いてみた。

 今までも気になってはいたのだ。望月が他の娘どころか、睦月型の娘とすら一緒にいることが少ないことに。

 それまでは望月と二人でいるのに好都合だったから触れないでいたが、彼女と接するようになって五日か過ぎても、彼女は一向に一人でいるのでさすがに気になった、という次第だ。

 

「…………」

 

 だがその質問を受けた望月の表情は、明らかに曇った。失言だったか、と提督は思うが、残念ながらこの世において口に出した言葉は取り消せない。

 そのまま数分ほど気不味い無言が続いたあと、望月は小さく口を開く。

 

「皆、あんまりアタシのことが好きじゃないんだよ」

 

「えっ」

 

 どういうこと、と聞こうとするも、彼女はそのまま前を向いてそれ以上何も喋ってくれなくなる。

 

 (……皆、望月のことが好きじゃない?)

 

 望月の言葉を反芻しながら考え込む提督。なにやら、ひと悶着ありそうな予感がした。

 

 

 翌朝、昨日の望月の言葉が気になった提督は、休憩時間にタチバナへと訊いてみることにした。

 

「……ふむ。なるほどな。晩飯になると毎回夕立が、お前がどこに行るのかと訊いてきたが……そんなとこにいたのか」

 

 タチバナは納得したように顎に手を当てる。すると次に感心した様子で、

 

「というかお前、あの望月と長いこと会話を成立させられるのか。すごいな」

 

「え?まぁ、成立させてるというか、普通に話してるだけですけど……」

 

 それがすごいんだけどな、とタチバナは小声で言った。それから彼にしては長時間考え込むと、「まぁ心当たりがないこともないが」と言う。

 

「教えてくれませんか!?」

 

 思わず身を乗り出してしまう提督。だがタチバナは気にすることなく、

 

「ふむ。順を追って説明しようか。まぁ座れ」

 

 とその場に腰を下ろす。

 

「まずは、あの強さのことから話すか」

 

 提督も座ったのを確認してから、タチバナはゆっくりと話し始めた。

 

 それによると、実はあの望月は、他の鎮守府の一般的な『望月』と比べて、かなり強い望月らしい。その強さは駆逐艦内では、ただの『改』の艦娘でありながら改二艦娘に迫るほど。レベルはまだ65ほどらしいが、並の軽巡艦ぐらいならば攻撃を回避しまくってのカウンターで倒してしまえるほどの実力があるようだ。

 

「そんなことが……?でも望月って確か、旧式の艦のはずでしょう?」

 

「そうだ。『艦』自体には何の異常もなく、ただの旧式艦だ。だが、養成場で聞いたことはないか? 艦娘の戦闘力やセンスには、ある程度の個体差がある、と」

 

「ええ、まぁ」

 

 艦娘の中には、いくら強い戦艦の艦装を宿していても、本人の戦闘センスが低いせいで思うように戦果を上げられない艦━━━所謂『無能』のレッテルを貼られる艦娘もいる。

 望月はその逆で、艦装は『望月』のモノでもそれを扱う本人の戦闘センスがずば抜けて高い個体なのではないか、というのがタチバナの見解らしい。

 

「弘法筆を選ばず、てな。真の戦闘の達人にとっては、35.6㎝だろうと12㎝だろうと関係ないんだろう。……まぁ、あそこまでいくともう突然変異とかのレベルだけどな」

 

 いや、恐らく望月の強さは攻撃力よりも回避力の高さだろう。相手の攻撃を見切り、すかさず反撃する。相手を倒すのに弾薬が百発必要なら、百発当てるまで回避し続ける。

 それが望月の強さだろうと提督は思ったのだが、ここで議論しても仕方がない。……なにより相手は大先輩だし。

 

「……望月の強さの秘密はわかりました。でもだとしたら、何で……」

 

 昨日の光景がよみがえる。この数日で多少でも鍛えられた提督の観察眼が正しければ、あのときの望月の表情は……悲しげに見えた。

 

「その辺は……ちっと色々な要因が絡まってるみたいなんだ」

 

「あれだけ強いんなら……普通は頼もしいと思うんじゃないんですか?」

 

 タチバナは困ったように頭を掻く。

 

「……俺は、根っからの軍人気質ってヤツでな」

 

 話す内容を整理していたのか、タチバナがそう言うまでにはかなり間が空いた。話が逸れてしまっているが、何か意味があるのだろうと思い提督は黙っておく。

 

「『提督』になったのも、素質があったからってのもあるが、純粋にこの国を守りたかったからだ。だから、俺は艦娘に対して『兵器』として接した」

 

 また演習でもしているのか、遠くから単装砲の轟音が聞こえた。

 

「あくまでも情はかけずに、国を守るための武器、兵士として育てた。そしてここにいる艦娘は、俺の思想に共感し、国を守ることを誇りに思ってくれている艦娘ばかりだ。……ただ一人を除いてな」

 

 その一人が誰なのか。提督はすぐに思い当たった。

 

「もしかして……その一人が望月だったんですか?」

 

「ああ。アイツは元々面倒くさがりな性格でな。さして忠誠心や向上心があるわけでもない。昨日の演習だって、限界まで出撃を渋っていたんだ。……そんなヤツを、ここにいる艦娘がどう思うだろうな?」

 

 息が詰まる。

 並外れた力があるのに、使おうとしない。国を守るため生まれたのに、国を守ろうとしない者。ここの艦娘からは、そう映っても仕方ないのかもしれない。

 

「下手すりゃ『裏切り者』とまで思われてんじゃねぇのかな。訓練も真面目に受けない、国を守ろうという意志があるわけでもない。そのくせ実力だけはありやがる。他の奴らからしたら、面白くないなんてレベルの話じゃないだろう」

 

 その結果が、あの望月の姿なのだろう。誰も彼女に関わろうとせず、また彼女も誰かに愛想良ようとしない。

 

 でも多分、望月以外の艦娘たちが100%悪というわけではないのだろう。彼女たちには彼女たちの信念があるのだから。

 

「ま、こんなところだ。実は、俺もそろそろ決断を迫られててな」

 

 タチバナは腰を上げた。腕時計を確認すると、休憩時間などとっくに過ぎてしまっている。

 

「昨日の夜、とある艦娘に直談判されたよ。まぁ、一応プライバシーとして名前は伏せるが……『望月を異動、もしくは解体してほしい。彼女がいれば、艦隊の指揮が低下する』てな」

 

「えっ」

 

 タチバナの予期せぬ言葉に提督は勢いよく立ち上がる。

 

「その時は『研修生がいる時にそんなこと出来るか』と追い返したけどな、正直俺もこの案には同意なんだ」

 

「……タチバナさん」

 

「国を守る提督として、戦う気もない兵器を手元に置いとくつもりはない。確かに望月は強く、駆逐艦でありながら軽巡ぐらいの働きをしてくれるが……別に他の艦娘で代替できないこともない」

 

 一瞬耳を疑ったが、少々投げやり気味な言い方からして、タチバナも本気で言ったわけではないのだろう。

 多分。そう信じたい。

 

「他の鎮守府へ回そうと思っても、あの性格と実力じゃどこでも似たような末路になるだろう」

 

 異動が無駄なのだとしたら、もう望月が取れる選択肢は━━━

 

「さっきも言ったが、俺は根っからの軍人気質だ。力を持つものは、それを役立てる義務があると思ってるし、艦娘に情をかけるのは苦手な人種といえる」

 

 望月がハブられてるのに気付いたのも最近だしな、とタチバナは自嘲気味に笑った。提督帽を目深に被るその姿は、どこかうつむいているようにも見える。

 もしかしたらこの人はこの人で責任を感じていたのかもしれない、と提督は思った。

 

「何事もなければ、お前の研修が終わった後に、俺は望月に対して罰を下さなければならない。……何事もなければな」

 

 どこか含みのあるような言葉を残して、タチバナは歩いていく。提督は立ち上がったまま動くことができず、ただタチバナの言葉を脳内で反芻していた。

 タチバナから「早く来いよ」と声がかかるまで、提督はそうしていた。

 

 



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月が満ちるまで【後編】

この前、pixivの方で投稿していたこのシリーズを無事に完結させることができました。もっと色んな人の感想を知りたいと思って、ハーメルンにも投稿していましたが、コチラもあと一話ほどで終わりたいと思います。
もし、ここまで読んでくださっている方がいるのなら、あともう少しだけ付き合っていただければ幸いです。


 タチバナから望月のことを教えてもらってから、数日が過ぎた。

 あれ以来、提督は前ほど望月と会おうと思えなくなってしまった。思ったよりも複雑な彼女の事情を知ると、あまり好奇心だけで足を踏み入れていいような領域ではない気がしたのだ。

 それに、自分は別に彼女の上官というわけでもない。ただ単に晩飯時を同じくしていただけの、なんの関係もない研修生なのだ。自分が、望月が態度のせいで起こした問題に関わる義理はないし、また彼女も提督の命令を聞く義務などない。

 悲しいことに、言ってしまえばそうなのだ。

 

 そうして何も出来ないまま時間は過ぎていき、あっという間に二週間の研修も最終日を残すだけとなった。

 不思議なもので、提督にはこの間の記憶が曖昧だった。ピーズが一枚欠けただけでパズルの全体図がわからなくなるように、それまでの提督の生活から何かが抜け落ちたせいなのだろうか。それと、とある艦娘の姿が以前に増して頭から離れなくなった。

 

 

 

 最終日前日の夜。執務机に座るタチバナは、腕を組んで提督に言う。

 

「二週間、お疲れ。俺が教えられることは、あらかた教えたはずだぞ」

 

「いやホント、ありがとうございました……」

 

 ヘトヘトになった顔で礼をする提督。

 研修のために買った手元のメモ帳はどのページも真っ黒に染まっている。次はこれを暗記しないとな、と提督は苦い顔をした。

 

「明日はまぁ……昼にお前が帰る予定だから、それまでは自由時間とするか。それまでに、ここの艦娘(ヤツら)にあいさつでもしてやれ」

 

「そうですね……そうします」

 

 提督の本音としては昼まで寝ていたかったのだが、さすがにそれを言うのは憚られた。それに、なぜだか提督はこの鎮守府にいる艦娘たちにやたらと好かれていたのだ。

 彼女らには色々と世話になったし、確かに提督個人としてもお礼がしたい。

 

「終わった? じゃあ、研修生さんとご飯食べに行ってもいいっぽい!?」

 

「うわっ!?」

 

 そんなことを思っていると、終わりの時間を待ち構えていたのか、突然夕立が後ろから提督に抱きついてきた。背中に柔らかいナニカが当たり、DTの提督の息が止まる。

 

「……勝手にしろ。あまりはしゃぎすぎるなよ」

 

 まったく、という顔のタチバナからOKをもらうと、夕立は「やったー!」とルンルン気分で提督を引っ張っていく。

 

「じゃあな。また明日」

 

「あっはいっ!また明日!」

 

 執務室の扉を閉める前に聞こえたタチバナの声に、提督は必死で返事した。

 

「ふっふふ~ん♪」

 

「あっ、ちょっと夕立!待ってって!」

 

 だがそんなことはお構いなしに、鼻歌を歌いながら提督を引っ張る夕立。足取りに二歩分ほど差があるので、提督は今にもこけそうだ。

 先程『なぜだか艦娘たちにやたらと好かれて~』と言ったが、夕立はその提督を好いている艦娘の筆頭である。なんだかんだで、毎日晩飯を誘いに来ていたらしいし。

 どうやらこの二週間で、提督は夕立にずいぶん気に入られたようだ。曰く、『提督さん(タチバナ)よりも抜けててアホっぽいから話してて面白いっぽい』だそうだ。……これって貶されてるだけじゃないだろうか、と提督は思ったがそれ以上考えないことにする。

 

 

 

 定食を受け取ると、無意識に食堂の出口へと目が向いた。正確にはその先の廊下、港へと続く道。

 望月の習慣が変わっていなければ、あの港に彼女はいるはずだ。

 日中の彼女はどこにいるのか想像もつかない。会いに行くとしたら、これがラストチャンスだ。

 ……本当に、このままでいいのか?彼女は自分の処罰のことを知っているのだろうか? 解体のことは? 彼女はこれでいいのか?

 足が港へ向けて動きかける。

 だがそんな時。

 

「おーい研修生ー!早くこっちに来いってー!今夜は飲むぞー!!」

 

「えっ?」

 

 考え込んでいるところに、夕立のとはまた違う力で横から引っ張られた。

 見ると、いつの間にいたのか、隣には商船改装空母である隼鷹がいた。酒瓶片手に、顔は真っ赤っかと完全にデキアガッテいる。

 

「いや隼鷹さん、今はちょっと……って酒臭っ!!?」

 

「つれねーこというなよってぇ~。タチバナの奴、全然飲んでくんねーんだもん。艦娘とばっか飲むのも飽きてくるし、たまには提督とも飲みてぇーんだよなぁ~」

 

 グッ、と軍服の後襟を掴まれ、そのまま悪さしたドラ猫のように引きずられる。この酔っぱらい、酔っぱらいの癖にやたら力が強いっ……!

 

「あの、ちょっと!?しかも僕、お酒はあんまりイケる方では━━━」

 

「おーい那智ー、千歳ー!提督捕獲できたぞー!」

 

『とったどー!』と言いそうな勢いで食堂のバーカウンターへと引っ張られていく。

 だめだ、提督がいくら叫んだって聞いちゃいねぇ。酔っぱらいは無敵だ。

 

「ちょっと、何してるっぽい?提督さんは今夜、夕立たちと食べるっぽいよ!?」

 

「え」

 

 仕方なく諦めて身を任せようとした時、今度は逆方向から夕立に両腕を捕まれた。背中からは隼鷹、前からは夕立とサンドイッチ状態になる。

 

「え~いいじゃんいいじゃん~。こっからは、オトナの時間なんだぜ~?」

 

 グッ、と襟首を掴み直す隼鷹。首が圧迫される。

 

「むう~!先に提督さんと約束してたのは夕立っぽい!」

 

 両腕をがっちりホールドする夕立。

 

『むむむ……!!』

 

 ナニやらバチバチと火花を散らし会う両者。もしも提督が本調子ならば『私のために争わないで~!』とか言えるのだが、あいにく今はそれどころでなかった。

 ……ご存知とは思うが、艦娘のパワーは普通ではない。一般的な大人ならば余裕で超えられる力を持っている。そして片や酔っぱらい、片や加減を知らない子供。その二人に綱引きをされると━━━

 

「ちょっ、待って待って!!千切れる千切れる!!僕がさけるチーズになっちゃうから二人ともやめてーっ!!」

 

 まぁこうなる。

 必死に懇願すると、夕立の方が「あっ、ごめんなさい研修生さん!」と慌てて両腕を離してくれた。これのお陰で提督の前面は自由の身となったが、背面には相変わらず酔っぱらい隼鷹が張り付いている。

 

「お~?これはアタシの勝ちってことでいいのか~?」

 

「いやあの、本当にやめてくださいって……」

 

 なんとか二人の落とし所を探そうと頭を回転させる提督。早くしないと、頬を膨らませてご立腹の夕立にまた両腕を引っ張られてしまう。

 だがその時だ。

 提督の視界に、ある意味で見知った後ろ姿が映った。

 

 黒い制服。

 子供のように小さな体。

 背中まで届く茶髪。

 

 紛れもない、望月の姿だった。

 どうやらまだ港へは行っていなかったらしい。

 おぼんを持った彼女は、あの日の再現のように淀みない動きで食堂の入り口へと歩いていく。

 そんな彼女の姿を見た瞬間、提督の頭に電撃のようなものが走った。演習での姿や食堂での後ろ姿。それらが走馬灯のように浮かんでは消えていく。

 なぜこうなったのかは提督にもわからない。

 

 ただ、彼女をこのまま行かせてはいけない。

 

 とにかくそれだけが脳内に響いた。

 その思いに押されるまま、提督は隼鷹の腕を振り払って望月の後を追う。

 

「お~なんだ~?」

 

「あれっ、提督さん? どこに行くっぽ~い!?」

 

 養成所でCQCを多少かじっていたのをこれほど良かったと思ったことはない。柔軟な動きに対応できず、酔っぱらい隼鷹の手は簡単に振り払えた。

 夕立の声に答える間も惜しく、提督は入り口へと向かう。彼が食堂を出たのは、望月が食堂を出た五秒後だった。

 

 

 

 夜の港は相変わらずの暗闇である。雲が厚いせいか、今夜は前以上に暗い気がした。

 数少ない外灯を頼りにやってくる港は、やはり足元も覚束ない。足を滑らせて海に落ちでもしたらシャレにならないだろう。彼の提督人生が始まらずして終わることになる。

 

「と、とと……」

 

 思ってるそばから足を滑らせかけ、提督は体勢を立て直そうし、そこで料理の乗ったおぼんを食堂へ置いてきていたことに気づいた。

 しまった、と思ったがもはや取りに戻る気は起こらない。ただ、『晩飯を食べに来た』を言い訳に使うのは無理だろうな、と提督は苦笑いした。

 

 しばらく歩いていると、見つけた。一週間前と同じように、岸壁から足を投げ出して座っている望月の姿を。

 雲が濃く月が遮られており、また彼女の制服も黒色のせいで、遠目には茶髪だけが宙に浮いているように見えなくもない。また、おぼんが置かれているが、それには一切手がつけられていないように見える。

 

 (いた。……いや、当然か。習慣なんてモノはそうそう変わるもんじゃないし)

 

 数日前にケンカ別れした友人を最寄りのスーパーで偶然発見したような心境で、提督は立ち止まる。前までなら、そこからすんなりとあいさつへ行けていた。

 だが今は違う。しばらく会わなかった間に経験値までリセットされてしまったのか、そこで足がすくんでしまった。

 まだ少し、躊躇いが出てしまう。

 

 (……いやいや、何やってんだよ僕)

 

 首を振る。

 ここでヘタれたら何しにここへ来たのかわからない。男は度胸、当たって砕け散れ。

 

「やぁ、望月」

 

 一度深呼吸してから声をかける。

 言葉は、思っていたよりも自然に口から出てくれた。

 

「ん……?」

 

 暗がりで彼女が振り向く。一週間前まで見慣れていた、昼寝を邪魔された猫のような顔だった。

 

「久しぶり……でもないかな? 僕のこと覚えてる?」

 

「……前から来てた、研修生だっけ?」

 

「そうそう」

 

 覚えてもらえていたことに僅かにホッとする。彼女の性格からして、三日も会わなくなった人物は即座に忘却するような思考回路をしていてもおかしくないのだ。

 

「よっ、と」

 

 以前と同じように、また椅子一個分の距離をあけて望月の隣に座る。

 瞬間、何とも言えない安心感のようなものに包み込まれた気がした。自然と体の力が抜けていくような、そんな感覚だ。提督は首をかしげる。自分でも知らない間に、彼女の隣は彼の定位置になっていたのだろうか?

 ……いや、違う。

 

 研修中に彼女と共に過ごし始めてからずっと思っていたのだが、今提督は確信を持つことができた。

 

 彼女の隣は自分にとって()()()()()()()なのだ。

 

 

「……アタシになんか用なの?」

 

 前へ向き直りながら言う望月。その瞳に映る夜の海は、えらく空虚に思えた。

 

「別に、特別用があるってわけじゃないんだけど」

 

「じゃあ、何で今さら来たのさ? 一時来なくなってたのに」

 

 その言葉にどんな感情が宿っていたのかは、残念ながら提督にはわからなかった。

 

 だが、仮にわかったとしても関係はない。

 

 先程確信を持ったと同時に、彼には把握できたのだ。

 なぜ食堂で彼女を追わなければと思い、こうして彼女に話しかけたのか。

 

「最後に、望月に聞きたいことがあってさ」

 

 望月が自分の方を向いていなくても、提督は真っ直ぐに彼女を見据える。

 

「……アタシのことなんて知っても、面白くないだろうよ」

 

「まぁまぁ。どうせ僕は明日でいなくなるんだからさ」

 

 不機嫌な顔をするので提督はなんとか宥める。

『聞きたいこと』とは言ったが、提督にとっては『答え合わせ』のような感覚だった。静かに、その言葉を紡ぐ。

 

 

「望月は、なんで戦おうとしないの?」

 

 

 ザザ、と波の音がした。

 

「なんでって……。タチバナから聞いたんじゃないの? めんどくさいからだよ。アタシにとって戦闘なんて」

 

「本当に?」

 

 提督は言った。

 望月が提督の方を向く。月が隠れた空の下で、二人の視線が絡み合った。

 この研修で初めて、提督は真の意味で望月の目を見れた気がした。

 

「……何が言いたいの?」

 

「そんな怖い顔しないでよ。僕はただ、確かめたいだけなんだ。明日でここを去るんだから、変なしこりを残したくないだけ」

 

 その目が前より鋭くなった気がする。

 提督はタチバナと話したあの日から、『望月』について調べていた。直接彼女に会うのは憚られたので、この鎮守府の艦娘マニュアル本から、一般的な『望月』の性格や思考傾向を頭に叩き込んでいたのだ。

 それから得られたことと、タチバナの話やあの日の望月の表情、それらを総合すると、提督は何とも言えない違和感を覚えた。

『戦いに参加しない』『演習の出撃さえも渋る』、またあの夜の彼女の態度からは、『めんどくさがり』というのはなんとなく当てはまらないような気がしたのだ。

 もちろん確証はない。

 だが、もしその予感が本当だとしたら……。

 

 提督はとある結論にたどり着いていた。

 

 

「望月はさ、本当は戦うことが嫌いなんじゃないの?」

 

 

 その問いには、しばらく静寂が答えとなっていた。

 ただ、彼女が微かに息を呑んだような気配がした。

 

「……なんでそう思うの?」

 

 たっぷり二十秒ほど経ってから、ようやく望月は答える。

 

「なんとなくだよ。僕なりに『推理』ってヤツをしてみただけ。それに……」

 

「……それに?」

 

 不意に、提督の瞳が黒い海を映した。

 

「僕も、そうだから」

 

「え?」

 

「僕も争いとか戦争とか、好きじゃないんだ」

 

 いや、大体それが好きな人間なんていないか、と提督は頭を掻く。

 

「なんていうかこう……誰かと争うっていうのが根本的に無理な人種というか……。提督になったのも、偉い人に突然『君には素質がある』とか言われて推薦されたからだし……。本当は戦争の片棒担ぐなんてゴメンだし、戦うことの恐怖もあるよ」

 

 ザザ、と波が打つ。

 望月はもう、海へと視線を向けなかった。ただ黙って、提督の言葉に耳を傾けている。

 

「だけどそれを言おうと思っても、僕の回りはイシカワとかタチバナさんとか夕立とか……誇りを持ってたり血気盛んな方々だから、あんまり言えるような人たちでもなくて……。居心地が悪いとまでは言わないけど、なんとなく疎外感のようなものは感じるよ」

 

 誰にも打ち明けないつもりだった言葉が、スラスラと出てくる。

 なぜだろうか? それは恐らく、次に提督が発する台詞が、そのままその答えでもあるのだろう。

 

「でも、望月からはそんなものを感じないんだよ」

 

「…………」

 

「感覚自体は初めて会った時から感じてたんだと思う。だけど、それに確信が持てたのはついさっき。

 ……望月の隣なら、なんていうか……肩の力を入れなくて済むって感じで。無理しなくていいかな、て思えるんだよ」

 

「…………」

 

 望月はただ黙っている。

 

「それはきっと、望月も僕と『同じ』だからなんじゃないかな、て、思ったんだ……」

 

 そこで提督の言葉は止まった。提督はそれから、真っ直ぐに望月の目を見据える。

 しばらく無言の時間が続いた。

言いたいことを全て言い終えたらしい提督は、次は望月の番だよ、と言いたげに黙っている。どうやら提督としては本当に確かめたいだけのようで、退くつもりはなさそうだ。

 

 対する望月は、こちらはまた違う意味で黙り込んでいる。

 今話した提督の推理は、全て彼の妄想だ。彼女が答える義理は元々ない。そもそもこの推理が丸ハズレである可能性もあるのだ。提督と同じように、誰にも打ち明けるつもりはないのかもしれない。

 

 

 

 だが、

 

「……そうだね」

 

 観念したように、望月は口を開いた。

 苦笑いのような表情。

 

「くだらないよ、戦争なんか」

 

 海の底へと沈んでいくような声音だった。

 この望月の返答は、事実上先の提督の問いへの肯定と受け取って良いのだろう。

 提督は訊く。

 

「じゃあ、やっぱり……」

 

「うん。嫌いだよ、戦争なんか」

 

 望月がコチラを向く。その顔には吹っ切れたような、開き直りのような表情が貼り付いていた。

 

「……戦争なんてさ、アタシにとってはどうでもいいんだよ。アタシはただ、こんな風に毎日海を眺めてのんびり過ごせたらそれでいい」

 

「……だったら、そうやって過ごせばいいんじゃないの?」

 

「無理無理。ここはみんなエリート気質だもん。みんな国を守ることを生き甲斐にしてるから。戦わない艦娘はすぐ異端扱いされる」

 

「…………」

 

「……タチバナが日頃なんて言ってるか知ってる?『力を持つものは、それを役立てる義務がある』、とか」

 

 

 望月は三角座りのような体勢をとると、立てた膝に顔を埋めた。

 

 

「知らないよそんなの。アタシだってこんな力、望んで持ったわけじゃないんだから」

 

「……望月」

 

「そりゃ戦いたくなんかないよ。アタシは別に、タチバナみたいに心は強くない。なんで自分から死ににいかなきゃならないのさ?」

 

「…………」

 

「でも、そうしなきゃいけないんだよ。

 だって、アタシは兵器なんだから。国を守るために生まれた、戦うためだけの兵器」

 

 兵器。

 タチバナは言っていた。彼女等は国を守るための武器だと。

 提督養成所でも教えられた。彼女等は所詮「燃料」や「鋼材」で構成された、いくらでも替えの利く存在だと。

 そして提督も研修の三日目に思った。ヒトの形をしていながら、あれだけの破壊力を生み出せる彼女等を、兵器だと。

 

 (……なんだよ、それ)

 

 お湯が沸騰するように、自分の中の感情が泡立ち始める。研修三日目のときの自分をぶん殴りたくなってくる。

 だが、提督が脳内でそれをする前に、望月の言葉が続いた。

 

「だからといって兵器になりきれ、てのも無理な話だね。

 アタシは夕立ほど無邪気にはなれないし、赤城さんたちのように誇りがあるわけでもないし、電のように沈んだ敵も助けたい、と言えるような信念もない。人間にも兵器にもなれない。そんなどっちつかずの存在が私だよ。」

 

 だから、解体されてもしょうがないんだ、と望月は笑った。

 なぜ笑ったのか。

 なぜ笑えるのか、提督にはわからなかった。

 

「望月は、解体のこと知ってたの?」

 

 タチバナが伝えたのかと思ったが、望月は小さく首を振る。

 

「知らない。けど、そんな風には思ってた。戦いたくないというような不良品の兵器なんて、処分されて当然でしょ」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。空気が胸元でつっかえてしまったような感覚がした。明らかにヒトと同じ姿をしているのに、自分を人間扱いしない少女。

 激しい感情が沸いてくる。そうしたくなくても、兵器としての在り方しかできない彼女への悲しみと。もう一つは、それを無意識に受け入れていた自分に対しての怒りだ。

 今から口に出す言葉が、本当に正しいものかはわからない。間違っている可能性もある。

 しかし、言わずにはいられなかった。

 

「違う」

 

 言葉は勝手に出ていた。

 よく聞こえなかったのか、望月が首をかしげる。

 

「違う。僕は、望月たちを兵器とは思わない」

 

 だからもう一度言った。今度はハッキリと聞こえる声で。

 

「何言ってんの?」

 

 呆れたように望月は言う。

 

「無機物から生まれたアタシたちなんて、兵器以外のなにものでも━━━」

 

「でも、兵器は悩んだりなんかしない」

 

 強く、提督は答えた。

 

「兵器は、人間になついたりなんかしない」

 

 夕立のことを思い浮かべながら。

 

「僕の心を……これほどまでに揺さぶったりはしない!」

 

 強い決意を持って、提督は言う。

 目の前にいる彼女が人間でなくてなんなのだ。

 悩んで苦しんで、痛みを感じている彼女の、どこが。

 

「艦娘を兵器扱いするのが『優秀な提督』の条件だとするのなら、僕は一生落ちこぼれでいい」

 

 そこまで、提督は表情を変えないまま言い切った。

 しばらく、場を静寂が包み込む。あれだけ荒れていた波も、いつの間にか静かになっている。提督は、時間が止まったような錯覚さえ覚えた。

 

 だが、やがて。

 

 

「……なにさ、それ」

 

 

 笑い声がした。

 それが望月のものだと気づいたのは少し後のことだ。

 笑い声と言っても、それに嘲笑や冷笑といった意味は込められていない。呆れているような、降参したような笑い声だった。

 

「お節介というか物好きというか……バカだね」

 

「バカで結構」

 

 そのリアクションに安心して、提督も言葉を紡ぐ。

 話している間に、月は厚い雲から抜け出していたらしい。青白い光に照らされる望月の顔は、どこか憑き物が落ちたようで。

 提督と彼女の間にあった距離は、いつの間にか無くなっており、彼の肩には、微かに望月の温度が触れていた。

 彼女が自分の体を少し、提督へと預けているのだ。

 

「僕さ、今決めたよ」

 

「……なにを?」

 

 その温かさを刻み込みながら呟く。

 自分が進むべき道を、彼はようやく見出だせたような気がしていた。

 

「これから僕が着任する鎮守府ってさ、そこはこんな激戦区からは外れた辺境で、深海艦もめったにこないらしい。

 だから俺はそこをさ、そんな風に、望月みたいな艦娘が『悩むことができる』ところにしたいんだ。無理に戦わなくても、足を止めて思う存分悩めるような、そんな場所に」

 

「…………」

 

 しばらく目を丸くしていた望月だが、やがて理解できたように頷いた。

 

「いいんじゃない? そんな鎮守府ができたら、きっと嬉しがるヤツもいると思うよ」

 

「うん、そうだったらいいなと思う」

 

 

 そこで提督は一度深呼吸してから、ゆっくりと告げた。

 

 

「だからさ、よかったら望月も来ない?」

 

 

 

 

 

 あの後、何がどうなってどのように別れたのか、提督はよく覚えていない。ただ、彼が目覚めたときにはもう朝で、彼の体は自室の布団の上にあった。

 時刻は七時三十分。起きるにはちょうど良い頃だろう。提督は珍しくすんなりと体を起こした。

 ふと肩に触れてみると、そこにはまだ微かに、人肌のような温かさが残っている。その温度から、昨夜の出来事が夢でなかったことを確信すると、提督はすぐに着替えて自室を出た。

 向かうのはタチバナの待つ執務室だ。

 

 

 

「おはようさん。昨日はよく眠れたか?」

 

 扉を開けると、タチバナはいつものように机に座っていた。本日の予定確認をしていたのか、彼の隣にはスケジュール帳らしきものを持っている大淀の姿もある。

 

「どうも」

 

 タチバナの言葉と大淀の会釈にそれぞれ返しつつ、提督はゆっくりとタチバナの執務机へ向けて歩いていく。

 

「タチバナさん」

 

 そして机から大股二歩ぐらいの位置で立ち止まった。

 

「ちょっと、お話があるんですが」

 

「どうした?」

 

 真面目な顔で話す提督に何かを察したか、タチバナは大淀に向けていた体を彼の方へと向け直した。その顔は、艦娘の指揮を取るときのような真剣なものだ。

 

 その表情に、提督の心臓が一気に波打つ。今になって緊張してきた。

 元々、タチバナは彼の大先輩である。その上、落ちこぼれの自分とは違い、彼は最前線の戦場に身を置いている提督だ。

 そんな人物に、今自分は頼み事をしようとしている。可能なのかどうかもわからないし、自分が何か見返りを用意できるわけでもない。誠に勝手極まりない頼み事だ。

 

 ……だが、ここで日和(ひよ)る訳にはいかない。

 望月を助けるには、これしかないと提督は踏んだのだ。

 

 

「その……えっと、ふつつかものの提督ですが、望月を僕にくださいませんか!?」

 

 

 しまった。間違えた。

 緊張のあまり、なんか嫁にもらうみたいな言い方になってしまった。いらぬ誤解を与えてしまったかもしれない。現に大淀は顔を赤らめながら口許に手を当てて「まぁ」なんて言っている。

 提督の顔も同じくらい赤くなった。

 

「すいません待ってください失敗しました。もう一回チャンスを━━━」

 

「別にいいぞ」

 

「……へ?」

 

 慌てて言い直そうとしたとき、それを遮るように声がした。バカみたいな声を出しつつタチバナを見ると、彼はやれやれと言いたげな顔をしている。

 

「要するに、ウチの望月をお前のとこの艦娘にしたいってことだろ? 別にいいぞ」

 

「え……いいんですか? ていうか、()()なんですか?それって……」

 

「なんで言い出しっぺのお前が不安げなんだよ……。ちっと待ってろ」

 

 そう言うとタチバナはさっさと執務室を出ていった。

 それから大淀と微妙な空気の中で三十分ぐらい過ごした後、

 

「手続き完了したぞ。本日付けで、望月はお前の艦娘になった。所謂『初期艦』として、ソッチに配属されるらしい」

 

「ま、マジですか!?」

 

 あまりにもあっさりと帰ってくるので、頼んだ提督の方が面食らう。そもそも提督としては、この『艦娘の譲渡・交換』にあたる行為が可能なのかどうか自体が不安だったのだ(教本にも書いてなかったし)。

 そんな前代未聞のことをアッサリ可能にするほど、タチバナには大きな権力があるのだろうか。いや、それにしても早すぎる気がする。

 まるで前もって準備していたかのようだ。

 

「いったい……どんな手を使ったんですか?」

 

「別に? 特別な手もやましい手も一切使ってないぞ。前例がないってだけで、ルール的にはなんの問題もない」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「同じ軍の者同士で武器の受け渡しをすることは、別に違法でもなんでもないからな」

 

「━━━」

 

 不意に飛び出したその言葉に、提督は思わず固まってしまう。

 武器。

 昨夜、提督が否定したばかりの言葉だ。だが、そのおかげでこの懇願は上手く通ったことになる。

 奇しくも自分には受け入れられなかった価値観に、提督は救われたわけだ。

 

「あー……そんな顔するなって。俺の言い方が悪かった」

 

 そうして提督がすっかりおとなしくなってしまうと、タチバナは困ったように頭を掻く。

 

「実際の話、『派遣』とか『研修』て名目で艦娘が他の鎮守府に行くのは、意外とよくあることなんだ。その延長線として考えれば、別に問題はないだろう」

 

 冗談が上手く通じなかった男子中学生のような顔だった。

 

「着任する場所が変われば力を発揮できるようになる艦娘もいるしな。今回のケースでは、ウチとしては役に立ってなかった望月を引き取ってもらえる。ソッチとしては初期艦代わりに経験豊富でレベルの高い艦娘を手に入れられる。

 どっちも損をしてないWin-Winの関係だろ?だから━━━」

 

「す、すいません!もう大丈夫ですから!!」

 

 タチバナからの予想以上のフォローの嵐に、提督は慌てて遮った。想像以上に気にさせてしまったようで反省する。

 確かにイヤな顔はしたかもしれないが、別に提督はタチバナを困らせたいわけではなかったのだ。

 

「……まぁ、まだまだ『青い』んだな。お前の場合は」

 

「青い……? 若さ故の、てヤツですか?」

 

「そんなところだ」

 

「……やっぱり、『提督』としては失格でしょうか?」

 

 提督のその問いには、若干の不安の感情が混じっていた。それに対して、タチバナは

 

 

「いいんじゃないか?」

 

 

 とあっけらかんと答えた。

 

「『艦娘が人間かどうか』なんてのは結局、今も答えが出てない議題だ。正解なんてないし、そのあたりの解釈は個人に委ねられている。所詮俺のもお前のも、『一つの考え方』にすぎないんだよ」

 

「一つの、考え方……」

 

 その言葉を忘れないように、脳内へと刻み込む。

 

「では、僕はこの考え方を貫こうと思います」

 

「お前がそうしたいなら、そうしとけばいい。元々正解がないモノだしな」

 

 それに、とタチバナはそこで言葉を切ると、不意に目を細めた。

 

「少なくとも一名は、そんなお前の考え方に救われたようだからな」

 

「え?」

 

 何やら意味深なタチバナの言葉に、提督の頭にハテナマークが浮かぶ。そのハテナマークに、今度はタチバナが「気づいてなかったのか?」とハテナマークを作った。

 

「何にですか?」

 

 ハテナマークの応酬をしていると、それまで事の成り行きを見守っていた大淀が、「あれですよ」と提督の背後を指す。

 提督は訳もわからず振り返ろうとしたが、それよりも早く。

 

「げっ。気づいてたのかよ……!」という声が扉の外から聞こえた。

 

 振り向く速度が一気に早くなる。

 それまで見えていなかった背後を見ると、ついさっきのタチバナがしっかり閉めていたはずの扉は、少しだけ開いていた。そしてそれと同時に、パタパタパタ……と何かが走り去っていくような足音。

 さすがにこれがなにを暗示しているのかわからないほど、提督は鈍感ではなかった。

 

「な?」

 

 ニヤニヤ、という効果音が世界一似合いそうな笑みを浮かべるタチバナ。

 だが、それに関しては後回しだ。

 提督はいつぞやのように「すいません、ちょっと」と行ってすぐさま扉へと向かう。理由はもちろん、今逃げているであろう小さい影を追いかけるためだ。

 だが、扉を開ける前に、

 

「おい、研修生」

 

 そんな声が後ろからかかった。

 振り返ると、タチバナがさっきの提督と同じぐらい真剣な顔をしていた。

 そして真っ直ぐに提督を見据え、こう言った。

 

 

「ちゃんと、大事にしてやれよ。望月を」

 

 

 タチバナがどういう心境でその言葉を言ったのかは、提督にはわからない。

 だがその言葉は、不思議と提督の心に自然に染み込んでいった。

 

「……わかりました。絶対、大事にします」

 

 一度だけ深呼吸をし、提督はゆっくりとそう答えた。

 それは恐らく、自分にも言っていたのかもしれない。

 タチバナが満足げに頷いたのを確認してから、提督は扉を開けて廊下へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……かん。……司令官ってば!」

 

「えっ、はえっ!? な、なにっ!?」

 

 突然、頭上から声がかかった。

 ボンヤリとしていた提督の意識が一瞬で覚醒する。

 

「なにっ、何事っ!? 敵襲!? が、ガスの栓はちゃんと閉めてっ!!」

 

「うわっ、どうどうどう。落ち着けって、司令官」

 

 周囲を見回す提督。

 彼が立って━━━いや、座り込んでいるのは、タチバナの執務室━━━いやそれも違う。ここは見慣れた、彼の鎮守府の執務室だ。

 そこに、彼はあぐらをかいたままボーッとしている。視線を下げると、手元にはたくさんの写真が貼り付けられたアルバムがあった。

 

「司令官、生きてるかー? もう朝だぞー?」

 

 ヒラヒラ、と彼の眼前で手を振る望月。なんだかとても懐かしく感じる雰囲気だ。さっきと比べて、表情や台詞が随分と柔らかくなったような気がする。

 ……というか、

 

「あ……寝てたのか。僕」

 

「そうみたいだね。てか、書類の山すごっ」

 

「ふわ~……いま、何時?」

 

「マルゴーマルマル。『提督』にとっては、もう朝だね」

 

 伸びをすると、肩と腕の骨が小気味良い音を立てる。変な体勢で寝ていたせいか、足は感覚がなかった。

 

「望月……じゃない、もっちーは、なんでこんな早くから戻ってきたの?パジャマパーティーに行ってたんじゃなかったっけ?」

 

 だがそれを気にした様子はなく、提督は望月へ訊く。もしかしたらまだ寝ぼけているのかもしれない。

 望月は「大丈夫か……?」と言いたげな視線を送ったあと、こちらも首の骨をパキパキと鳴らす。

 

「姉さんたちから……質問責めに遭って、疲れたから、また面倒なことになる前に早いとこ抜け出したんだよ」

 

 妙に歯切れが悪い。見てみれば、心なしか望月の顔はいつもより覇気が無いように思える(いつも無いようなものだが)。なにかあったのだろうか?

 

「そうなんだ……。実は僕もさ、すっごく懐かしいこと思い出しててさ」

 

「まぁ、こんなアルバム持ち出してる時点でマジ懐かしいけどさぁ……」

 

 はずかしー……、とか言いながら望月は苦笑いしてる。

 それに同じ苦笑いを返しつつ、提督は先程まで見ていた記憶()のことを話した。

 

「あー……そういえば、そんなこともあったねー……」

 

「でしょ? やっぱり、もっちーも覚えてるんだ?」

 

「そりゃあね……」

 

 昨日の夜に話したばっかだからね、と望月は呟いたが提督には聞こえていないようだった。

 

「あの頃から考えると、やっぱり色々変わったんだなぁ、って」

 

「あの頃、か」

 

 思い出しているのか、彼女は少し遠い目をした。

 

「そういえば、タチバナとは今どうなってるの?」

 

「タチバナさんとは、今でも時々連絡し合ってるよ。相談に乗ってもらったりしてる」

 

「そっか……」

 

 それだけを言う。

 ……そういえば、今の望月はタチバナに対してどのような感情を抱いているのだろう。ふと提督は気になったが、聞くのはやめておいた。その辺は、彼女にとっては繊細な部分だと思ったからだ。

 

「……結局あの人って、艦娘への接し方が下手と言うか……不器用だっただけなんじゃないかな、て、今では思うよ」

 

「え?」

 

「タチバナさんのこと」

 

 だから、代わりに提督の気持ちを言うことにした。

 

「不器用、かぁ……」

 

「今度さ、久しぶりにタチバナさんに会いに行ってみる?」

 

「えっ」

 

 望月は蛇に後ろ足から噛みつかれたカエルのような顔をした。

 

「どうしたのさ? 今日の司令官、藪から棒にもほどがあるよ」

 

「いや自分でもそう思うけどさ。こういうのって、思い出した日とか思い立った日が吉日って言うじゃん? ほらこう、里帰り的な感じで」

 

 今が朝ということも、提督が書類を終わらせていないことも忘れて、二人はあれやこれやと話し合う。

 

 こうした光景も、また三年後あたりには写真としてアルバムに載り、また二人で懐かしむ日が来るのかもしれない。

 来ればいいな、と提督は思った。彼女と二人で、そんな日を迎えたい、と。

 



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彼女との日常

 

 

ピピピピピピピピピ

 

 マルゴーサンマル。

 執務室の隣の部屋である提督の私室にて、一台の目覚まし時計が鳴り始めた。埃臭く狭い部屋に、その音は反響してよく響く。

 

「ん……ううん……」

 

 音に反応してか、それまで一切動くことなく眠り続けていた少女が、唸るような声を上げる。布団の中だけでモゾモゾと動く様はイモムシのようだった。

 

「……うるさい」

 

 心地よい安眠を騒音で妨害した目覚まし時計に、瞼を開けずに文句を言う。目覚まし時計としては、そうするのが使命なわけなので意図して騒音を出しているのだが。

 この耳障りな音を断つには、布団からやや離れた位置にある目覚まし時計の元まで自力で行かなければならない。

 だが、それは嫌だ。布団の外は冬の寒さ。まだ暖かい毛布にくるまれていたいし、世界一落ち着くスペースから出たくない。

 しかし少女の思いも虚しく、大きな音によって眠っていた意識は否が応でも覚醒していってしまう。

 

 ……なんとなくここで止めに行ったら負けなような気がする。

 

 少女はいつの間にか変な意地を張ってしまっていた。

 布団から出ずに安眠を取り戻すには、無理やりにでも意識を睡魔に沈め直すしかない。少女は、それまで顎の下に敷いていた枕を頭の上へ敷く。そのまま枕の両端を押さえ、目覚まし音、ひいては外界の音すべてをシャットアウトしようとしたが───

 

 

ピピピピピピピピピピピピピピピピピピ

 

 

 目覚まし時計()は予想以上に強かった。僅かな隙間から入ってきた騒音によって鼓膜が震わされる。というか、そもそも何としても寝直そうと気張っている時点で、無意識に体には力が入り『睡眠』とは程遠い状態になっていく。

 やがて枕を被ったまま、少女の体は小刻みに震え始め、

 

 

「だーーーーっ!!うっせぇぇぇぇぇーっ!!!」

 

 

 少女───望月の我慢のダムはついに決壊した。

 

 

 

「ちーーっス……」

 

 マルロクサンマル。

 顔を洗い終えたあと、望月は執務室へと入る。執務室には誰もおらず、電気もついていない。書類や道具が所狭しと置かれているはずなのに、今日の執務室はやけに広く思えた。

 

「あれ」

 

 望月は一瞬、ここが本当に執務室なのかと疑った。

 おかしい。本来ならこの部屋には、自分の他にもう一人男性がいるはずだ。いつもナヨナヨしていてどこか頼り無さげな、でも望月の知る中では誰よりも頼りになる男性が。

 冷たい空気を服越しに感じながら歩くと、備え付けの見慣れたテーブルの上に、見慣れないものが置かれているのが見えた。

 

「……あ、そうだった」

 

 それを見て、望月はすべてを思い出した。

 テーブルの上に乗っかっていたのは、近くのコンビニで売っているような普通の唐揚げ弁当。そしてその上に、割り箸を重石(おもし)代わりにした一枚の紙がある。

 紙には提督の字で、こんなことが書かれていた。

 

『たぶん僕が帰ってこれるのは夜だと思います。時間がなかったので朝の分しか用意できなかったけど、金は僕の机の引き出しに入れておいたので、昼と夜はそれを使って適当に何か買ってください』

 

 忘れていた。彼女の夫は、昨日から仕事中だ。

 確か、提督の『上』にあたる高官方への報告会という名目だったと思う。かなりの遠方らしく、泊まり込みになり、翌日───つまり今日だ───まで仕事も入っており、鎮守府にいないのだった。恐らく今頃は、向こうでいびりともストレス発散ともつかない『指導』を受けていることだろう。「南無」と望月は姿の見えない提督に手を合わせた。

 ということは、今回の朝食は一人で摂ることになるのか。

 

「…………」

 

 ……それは、とても珍しいことのように思えた。

 なぜだろう。自分は、一人でも問題なく過ごせる気質(タチ)で、どっちかといえばそういうキャラなのに。

 椅子に掛け、弁当の蓋を外す。外した瞬間、空気に唐揚げの匂いが混ざった。

 レンチンはしない。基本的に望月は熱いのなんて苦手だし、なによりレンジは食堂の方にしかなく、今からそこまで行くのは面倒くさいし面倒くさい。

 

「いただきます」

 

 というわけで、そのまま食べ始めることにする。

 割り箸を珍しく綺麗に割り、望月は白ご飯の方から掴み取ってモソモソと食べていく。

 

「…………」

 

 何も喋らず、栄養摂取のためでしかない食事は、ひどく早く進んだ。機械になったように無言で口と手だけを動かす。

 一人きりでの食事で、「美味い」とか言うことはないし言う必要もない。唐揚げの味を舌が認識せず、気づいた頃には弁当は空になっていた。

 

「……ごちそうさまでした」

 

 手を合わせる。

 食べてる最中の記憶がないが、感覚では腹は膨れているので自分はちゃんと食べていたのだろう。

 ……不思議だ。自分のことなのに、ひどく曖昧だった。夢の中で夢を見ているように、今の自分の行動に現実味を持てない。

 

 ……食事というのは、こんなにも空虚だったっけ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 箱をゴミ箱に捨てると、望月はゴクゴクと水を飲む。飲み終わると、秘書艦席───ではなく提督用の椅子へと座った。

 提督がいないのであれば、今日一日は望月が提督代理をするということになる。艦娘が代理で提督をするなんて、他の鎮守府ではもっとややこしい手続きがあってもおかしくないが、二週間通しても数えるほどしか深海棲艦が来ないこの鎮守府ならば、別に気にしなくていいだろう。

 それに、望月は(やる気はともかく)実力的にも提督からの寵愛的にも申し分ないため、ここの艦娘内で基本的に『鎮守府のNo2』として認識されている。特に問題はない。

 

「はぁ……」

 

 やりたくねーなぁ、と呟きながら腕を机に乗せて頭を下げる望月。目下には文字がびっしりと書き込まれた書類がある。

『提督』が今日に本来こなす分の書類は、彼が報告会の方への荷物として一緒に持っていっている。向こうでついでに終わらせるらしい。

 となると、望月が『提督』としてこなさなければならない仕事は存在しないのだが、彼女には『秘書艦』としての仕事がある。ここの所サボり続けていたせいで、かなり溜まっているのだ。

 

「めんどくせぇ……」

 

 ボールペンを手にはしたものの、どうにもやる気が出ず(まぁそれはいつものことだが)机の表面に頬を引っ付ける。季節は二月に入り冬としての全盛期は過ぎたものの、まだ空気の温度は低く、机も冷たい。しばらくその体勢で、壁に掛けてある時計の秒針を目で追う。

 

「はぁ……」

 

 ため息をこぼす。

 朝食に続き、奇妙な感覚だった。落ち着かない、が言葉としては一番近いだろうか。

『辛い』ほどではない。でもなんだか、『ダルい』で済ませられるような感じでもない。

 眠いわけでもない。むしろ珍しく目が冴えに冴えて眠れる状態じゃない。

 なんだろうこう……夏休み終了が十日後に迫っているような気分というか、嫌いな授業を五時間目に控えた昼休みの時間のようというか……わかりにくいのは望月も承知だが、とにかくそんな風にしか表現できない感覚なのだ。

 

 (前までは、こんなことなかったってのに……)

 

 ふと机に意識を戻してみると、机からは提督の匂いがした。特徴があるわけではないが、一緒にいる内に自然と覚えてしまった、彼の匂い。

 望月は別に匂いフェチの気があるわけではない。だが今の望月にとってソレは、まるでお香のように安心感を得られるというか、心の隙間を埋めてくれるモノのように思えた。

 顔の半分を机に付けたまま、望月はその形の無いモノを掴もうとするように掌を上げた。

 

「艦隊帰投したっぴょーん!!」

 

「ちょっと卯月姉さん、ノックぐらいしてください……」

 

 

 そしてその瞬間に執務室の扉が開いて、望月は心臓が口から出るかと思った。

 素早く頭を上げて腕を元の位置に戻し、さも今まで普通に執務をしていたかのように取り繕う。

 扉へ目を向けると、そこにいたのは緋色の髪のイタズラっ娘である卯月と、黒髪の真面目っ娘である三日月だった。

 

「お、おはよう三日月……何か用?」

 

「? 用という程ではありませんけど……遠征の報告書を纏めたので、確認してくださいね」

 

「ああ遠征……遠征ね」

 

 そういえば早朝から、三日月たち第二艦隊が遠征へと行っていたような気がする。意識が覚めるまでの話は、右から左へ聞き流す傾向があるのですっかり忘れていた。

 報告書を三日月から受け取り、判子を押す。

 

「ありがとうございました。代理提督」

 

 三日月にしては珍しくイタズラっぽい笑みを浮かべると、彼女は背を向けそのまま扉へと向かう。

 なんとか誤魔化したか。

 望月がそう思ったのも束の間、それまでやけに静かだった卯月が、ニュッと体を伸ばしてくる。

 

「望月、何か隠してるっぴょん?」

 

 鋭く細められた目が射抜くように見つめてきて、望月は息が詰まりかけた。

『何かあった?』ではなく『何か隠してる?』ときたか。日頃から他の艦娘にイタズラをしているだけあって、何かを隠している人間の態度というのはよくわかるのかもしれない。

 

「いや……別になんでもないよ」

 

 とりあえず望月は、自分の中で最大限の『興味ないね』風の顔を作り執務に戻ろうとする。が、手元の書類を確認してみると、急いでいたためか上下反対になっていた。慌てて直したが、その場面を卯月にバッチリ見られてしまう。

 

「ふふ〜ん?」

 

 綺麗な猫口を作って笑う卯月。『ニマニマ』という効果音がこれ以上なく似合いそうな顔だった。

 望月は思わず舌打ちしそうになる。

 私的絶対に弱味を見せてはいけない艦娘ランキング一位の卯月にあの現場を見られてしまうとは、なんたる不覚だ。自分もかなりヤキが回ったということだろうか。いや、何のヤキかは知らんけど。

 だが、ちょうど良いオモチャを見つけた卯月が言葉を発する前に、

 

「さ、長居してても悪いですし早く戻りましょうか。私達はこれから足柄さんにお手伝いを頼まれていますし」

 

「ぴょん?」

 

 三日月が横から卯月の方肩を掴んだ。

 その瞬間、それまで喜色満面だった卯月の顔に冷や汗が浮かび始める。

 

「あー……そう言えばうーちゃん、急用があったのを思い出したっp」

 

「はい。ですからその『急用』は足柄さんのお手伝いのことですよね?早く行きましょう」

 

 有無を言わさぬ三日月のプレッシャーに、部外者のはずの望月も卯月と同じ表情をしてしまう。

 

「先日、足柄さんから『とある艦娘に「ウィーリーを探せ」を貸したら次の日にウィーリー全てに丸が付けられて返ってきた』という相談事を受けましたので。一緒に解決しに行きましょうか」

 

「うっわ。卯月姉さん、それ普通に犯罪だよ」

 

「い、いや〜なんのことだかうーちゃんちょっと……」

 

 まだ卯月はボソボソと言っていたが、三日月によってズリズリと引きずられていく。

 二人が部屋を出る直前、三日月が首だけで望月の方を振り向いた。目を合わせたまま、小さくウインクする。

 それだけで望月にはわかった。彼女も卯月とは違う形で何かしらを察し、望月を一人にしようとしてくれているのだろう。三日月はそういう艦娘だった。

 

 (……ありがとな、三日月)

 

 ウインクを返し感謝の意を伝えると、三日月は小さく頷いてから部屋を出ていった。

 ……しばらくしてから『ぴょおおおおおおおおおん!!?』という兎の断末魔のようなものがした気がするが、望月は聞かなかったことにした。

 

 

 

 

 

 未だかつて、夕方までの時間をこれほどまでに長く感じたことはなかった。執務も終わり、することもなく眠ることも出来ず佇んでいると、時間とは途端に遅く流れるものだ。

 結局、執務室の窓にオレンジ色が差し込み始めたのは、上を向いて数えていた天井のシミの数が700を超えたあたりだった。

 視線を下ろし、扉あたりをぼんやりと見つめる。

 

「……晩飯食いに行くか」

 

 尻と一体化していたかと錯覚するほど長く座っていた椅子から望月は立ち上がる。

 時計に示された時刻はヒトハチマルマル。晩ご飯には少し早い。しかし、本当にすることがなく、眠くもならないのだ。何か食べて腹が膨れれば、その内嫌でも眠くなるかもしれない。

 

 

 

 間宮食堂に到着すると、間宮さんはいつもと変わらぬ笑顔で迎えてくれた。

 

「あら、望月ちゃん。もうお腹空いたんですか?」

 

 正確には腹が空いたわけではないのだが、素直に頷いておくことにする。ここで首を横に振れば、きっと朝から体に感じている違和感のことを説明しなければならなくなるだろう。

 それは困る。なんせ当の望月にすらわからないのだから。

 

「はいどうぞ。今夜はカツカレーですよ!」

 

「……ん」

 

 今の状態でこんなガッツリしたメニューか、と望月は思った。彼女の小さな胃では少しキツイかもしれない。ポテチならいくらでも食べれるのだが。

 そんなことを考えていると、間宮さんが不意に言った。

 

「なんだか、今の望月ちゃんってすごく新鮮ですね」

 

「え?」

 

「だってここの望月ちゃんと司令官って、いつもどっちかがどっちかにベッタリなんですから。一人きりの望月ちゃんって、すごく珍しいですよ」

 

「あー……そうかも」

 

 苦笑いする。

 確かに言われてみればそうかもしれない。望月はあまり他の睦月型(姉達)と食べるような柄でもないし。

 

 (まさか、ソレが朝から感じてた違和感の正体?)

 

 その言葉が引っかかる。

 望月の中で、絡まっていたピースが上手くハマったような気がした。

 

 (いつも一緒だった司令官がいなくて、調子が狂っている?)

 

 そんな簡単なことで、自分の感覚というのはおかしくなってしまうのか?

 信じられないようだった。あのグータラで、何事にも真摯に向き合わなかった自分が?

 

 (だとしたら……)

 

「望月ちゃん? どうしました?」

 

 急に黙り込んだ望月に、間宮さんが心配げな声を上げる。その声に、望月は「なんでもない」と首を振った。

 

「それじゃあ、アタシは執務室の方で食べるから、おぼんは後で返しに来るよ」

 

 それだけ言って、望月は間宮食堂を後にした。

 いつも通りの足取りで。むしろ何かを認めて肩の荷を下ろしたように、軽くなって。

 

 

 

 廊下に他の艦娘の姿はなかった。

 もともとこの季節に、寒い室外に出る艦娘は少ないが、今日は一段と少ないようだった。

 足の動きに合わせて、おぼんに乗ったスプーンがカラカラと音をたてる。こうやって一人でおぼんに乗った晩飯を運んでいると、昔を思い出す。

 ここの提督に拾われる前の、タチバナの元にいた頃を。

 

 あの頃はいつも一人だった。こんな風に晩飯持って一人で外に出て、港で食べていたものだ。

 もともと一人を苦に感じない気質(タチ)だったのもあり、慣れればどうということはなかった。 

 そう考えると、ある意味今の状況はタチバナの元にいたときと変わらない。現に今日会話をしたのは、先程の卯月と三日月、それも業務上の話だけだ。

 

 あの頃に戻ったと思えば、何も感じることはないはず。昔取った杵柄、というわけではないが、一人での過ごし方、しのぎ方は心得ているつもりだった。

 

 つもりだったのに────。

 

「……あれ」

 

 ただひたすらに床だけを見つめて歩いてると、いつの間にか執務室に着いていた。

 そこで望月は、初めて顔を上げて止まった。

 帰り道、おぼんを持ってこようとすると両手が塞がることは分かりきっていたので、執務室の扉は事前に少し開いておいた。

 それが今はキッチリと閉められている。

 おかしい。うっかりミスではない。確かに自分は扉を開けていたはずだ。

 ということは通りすがりの艦娘が締めてしまったのだろうか? だとしたら面倒だが……。

 しかしその時、望月の脳裏にとある直感が浮かんだ。

 

 スプーンを落としそうな勢いで望月は扉に飛びつくと、足で何回か扉を叩く。一見すると無駄な行動だが、望月の予測が正しければこれで通じるはずだ。

 数秒ほど経った後、不思議なことに執務室のドアノブが独りでに回った。

 望月が回したのではない。となれば、部屋の向こうから回されたのだ。

 

 キィ、とゆっくり扉が開くより早く、待ちきれずに望月は足で無理やり押し開けた。

 果たして、露わになった執務室の中には、見知った人影が立っていた。

 

 

「あっ……しまったな。驚かせるつもりだったんだけど、失敗しちゃった」

 

「……司令官?」

 

 

 そこにいたのは、確かに提督だった。見慣れた白い軍服に、同じく白い軍帽を被り、まるでサプライズの準備中に本人が来てしまったような、困った笑みをしている。

 

「……帰ってくるのは、深夜って言ってなかった?」

 

 数秒ほど固まったあと、望月の中で他のどの感情よりも勝ったのは、まず戸惑いの感情だった。

 提督は「うん。僕もそのつもりだったんだけど」と前置きする。

 

「思ったよりも仕事が早く終わったんだ。だからさっさと切り上げて帰ってきた」

 

「そっか」

 

 提督が説明してる間に、望月はゆっくりと晩飯の乗ったおぼんを机に置いた。二人の距離は、歩幅に換算すれば三歩分ほど。

 顔を少し上げれば、すぐ近くに彼の顔がある。

 

「まぁ、早く終わったんならよかったじゃん」

 

「そうだね……あー、あとまぁそれと、早く帰ってきた理由はもう一つあって」

 

「ん?」

 

 提督は何故かそこでポリポリと頬を掻き、しばらく言い淀む様子を見せた。だが、やがてはにかむように笑いかける。

 

 

「もっちーに早く会いたかったから、かな」

 

「────」

 

 

 その言葉でもう限界だった。

 一瞬だった。

 望月らしからぬ俊敏さで、彼女は提督へと体当りするように胸へと飛び込んだ。

 

「どぉっ!??」

 

 突然の強襲に、提督は対応できなかった。とりあえず望月の背中に手を回して彼女は無事に抱きとめたものの、次の時には提督の足も宙を泳ぐ。

 そのまま夕日が差す執務室にて、二人の影が一つに重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、あーん」

 

「あーん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「はい、あーん」

 

「ん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「はい次、カツ乗っけてるからね?」

 

「りょ。あーん」

 

 

 モグモグモグ

 

 

「ねぇ望月」

 

「なにさ、司令官」

 

「そろそろやめない? この体勢とこの食事方法」

 

「やだ」

 

 それから数十分後。

 望月は提督に晩飯を食べさせてもらっていた。

 いや、より正確に言うなら、『提督に膝枕されながら、カツカレーをあーんしてもらっている』という状態だ。快適なのか不便なんだかよくわからない。

 

「もっちー……これ食べさせづらいんだけど」

 

「うん。アタシも食べにくい」

 

「えぇ……」

 

 体を横にしながら食べている形なので、飯がちゃんと食道を通れているか不安である。とりあえず、望月がいつゴホゴホいっても良いように水は近くに置いている。

 提督はヒヤヒヤしっぱなしだが、望月はそんな心など知らぬように食事(?)を続けている。気のせいか、今の望月はいつもに増して気ままで読めない。

 提督の膝に頭を預け、はみ出した足を投げ出して、ただ運ばれてくる食事を口に含む。まるで『自分で何かをする』ということを拒否しているかのようだった。

 

「はい、もうこれで終わりだよ」

 

「そっか。ごちそうさま」

 

 提督が空っぽになった器を見せると、望月は静かに手を合わせた。……膝枕されたまま。

 膝枕されたまま飯を食べ、そのまま食べきってしまうなど、然るべき人が見れば激怒不可避な行動だろうが、まぁこの場面を見てるのは提督と望月だけなのでいいだろう。

 それよりも望月が無事にカツカレーを食べ終えたことに提督は胸を撫で下ろしたい。

 

「ほら、じっとしてな」

 

「ん」

 

 変な体勢で食べた為か望月の口元はカレーですっかり汚れてしまっている。提督は苦笑いしながら、ウェットティッシュで彼女の口を丁寧に拭いてやった。……絵面だけ見れば、『お母さんといっしょ』とかのワンシーンにも使えそうな光景だった。

 拭き終えてウェットティッシュをゴミ箱に放り投げると、「あんがと」と望月は言った。

 ……そして引き続き彼の膝の上を占領する。

 そろそろ足痺れてきたんだけどな、と提督が額に青い線を掛け始めていると、出し抜けに望月が口を開いた。

 

「ねぇ、司令官」

 

「……うん?」

 

 その声音は望月らしからぬ、どこか憂いのようなモノを帯びていた。

 だから提督も呆れるのをやめて、黙って耳を傾ける。

 

「今日さ、司令官がいなくなってわかったよ」

 

「……何をわかったの?」

 

 泣いている子供に事情を尋ねるように提督は訊く。

 彼女の返答にはしばし間があった。

 だが、やがて言葉が紡がれる

 

 

「アタシさ、弱くなっちゃったよ。それもすごく」

 

 

 言葉は、静かに空気中へ溶けていった。

 

「これまで一人なんて……アタシにとっては当たり前で……むしろ気楽なものであったハズなのにさ。今は一人になると落ち着かないし、過ごし方も全然わからない」

 

「…………」

 

「一部じゃ『ダウナー係艦娘』とまで呼ばれてたのに、ホントおかしいよな。ひっさびさに一人になって過ごしてると、『あ、アタシってこんなに何も持ってなかったんだな』って思っちゃった(・・・・・・)」。

 

 提督を見上げず、ただ前だけを彼女は見ている。懐かしむように目を伏せながら。

 

「所詮、アタシらは無機物で造られた塊。そんな存在が何かを持つなんて無理だと思ってたし、空虚なことが当たり前で、それを疑いもしなくなってた。

 ……だけど今は、それがすごく……嫌になる」

 

「……うん」

 

「思えば、司令官がタチバナの鎮守府から連れ出してくれたあの日から、アタシは少しずつ弱くなっていってた気がする。

 あの日初めて『貰って』、最初はまぁたまにはこんなのも悪くないか、程度だったのに、いつしか貰うのが当たり前になっていってた。そしてそれが……心地よかった」

 

 提督は何も答えなかった。代わりに、無言で彼女の耳元に手を置き、茶髪の髪を優しく梳く。

 それを受け、望月は自嘲するように乾いた笑いをもらした。

 

 

「タチバナの鎮守府にいた頃は、『駆逐艦なのに軽巡艦以上の強さ』が取り柄だったのにさ。もうたぶん、前みたいには戻れない。

 今のアタシなんて、司令官に構ってほしいがために怠けるようになったし、柄にもなく浴衣とか着るようになったし、あと────」

 

 

 そこで望月は一旦息を詰まらせ、それから意を決したようにまた息をはいた。

 

 

「────独りでいることが、嫌になった」

 

 

 認めざるを得ない、というような表情(かお)だった。今の望月は。

 

 

「ねぇ司令官」

 

 望月がゆっくりと顔を上げる。提督もゆっくり顔を下げた。

 瞬きすら、惜しいと思える時だった。

 

 

「こんなに弱くなって、良いのかねぇ」

 

 

 どこか哀愁さえ漂わせるような呟き。

 しかし、それ対する提督の答えは、先程までと対象的にすぐに発せられた。

 

 

「良いに決まってるでしょ」

 

 

 普段の弱々しさが嘘のような、強い表情だった。

 迷う余地などなかった。

 そもそも、これを言ったのが望月じゃない艦娘だろうが提督の答えは変わらないのである。

 

 だって、提督はそれがダメなことだなんて、ちっとも思わないから。

 

 

「人って、何かを貰ったら弱くなる。与えられたら甘えてしまう。でも、それで良いと思う。それは、人として当然の弱さじゃないから」

 

 

 そこでようやく、望月は提督を見上げるように頭を動かした。

 二人の視線がぶつかり、絡み合う。

 

「だから、それで良いと思う」

 

「そっか」

 

 その言葉を受けて望月は────安心したように笑った。

 提督は髪を梳く手を止め、その手を彼女の顎へと移動させる。まるで固定させるように。

 望月は一瞬だけ表情が固まったが、やがてゆっくりと瞼を閉じた。その警戒心も何もない行動に、思わず苦笑してしまう。

 サインはお互いに理解した。なら、後は実行するたけ。

 顔を下げ、顔を近づけていく。提督の瞳に映る彼女の顔が大きくなっていき、やがてピントが合わなくなり、そして、

 

「んっ……」

 

 距離がゼロになった。

 触れ合った時間自体は一瞬だっただろう。だが、二人にとっては永遠にも思える時間だった。

 ちゅぱ、と微かな水音と共に二人の唇が離れる。瞼を開けると、ピントが合わなくなっていた顔が元通り見えるようになってきた。

 望月の頬が朱に染まっているのがわかる。たぶん提督の頬も同じような感じだろう。

 なんだか久しぶりな気がするキスの味に、提督は微笑した。

 

「……カツカレーの味がした。望月の唇」

 

「……ちょっと、ムード壊すなっての。まぁ、アタシもそういう流れになってから『あ、カツカレーやばいかも』て思ったけどさぁ」

 

 二人で笑い合う。

 表情筋が完全にふやけた、良い意味で間の抜けた顔だった。

 

「絶妙に締まらないなぁ。なんだかいつも」

 

「別にいいんじゃない?」

 

 気づかぬ内に、またどちらともなく顔が近付いていく。

 

「それがアタシ達の良さだと思ってるし、少なくともアタシは好きだよ」

 

「違いないね」

 

 望月の腕が提督の首にかかる。彼女の体重を感じながら、再び瞼を閉じる。

 先程の再現のように、また二人の顔が重なった。

 

「んんっ……ん……」

 

 今度のキスは、一回目よりも少し長かった。膝と唇越しに通じる体温。命があるものからしか感じられない感覚。

 ここで止まれるかな、と提督は一瞬訝しむ。念の為、扉に鍵をかけにいっておいた方がいいだろうか。

 ……でもまぁ、それは後でいい。今は、ただこの温かさに溺れていたい。

 

 

 

 

 寒さを伝え続けてきた空は、やがて晴れて春の到来を告げる。

 きっと、これからも続いていくのだろう。

 

 

 不器用で、めんどくさくて、だけど愛おしい、望月との日常は。

 

 




これにて終了です。
拙いお話でしたが、ここまで付き合っていただきありがとうございました!
機会があれば、またお会いしたいです。


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望月が望むモノ【リメイク】


約二年前(迫真)。
pixivの方にリメイクコンテスト的なのがやってたので、pixivに投稿した分をこっちにもポイ捨てしとにます。
シリーズどころか、望月自体を見るのも久しぶりです。やっぱりこのシリーズは初めて書き始めた&初めて完結させたシリーズということで、思い入れがあります。
とは言え今のシリーズと比べると、なんともない日常風景をダラダラ書いてくって意味ではなんも変わってなくて、やっぱり自分はこういうのが一番書きやすいというか好きなのかなぁって思いますね。
このシリーズはほどほどのタイミングで終わりましたが、今思えば上手く引き際を見極められたなって思いますね。今書いてるアヤベさんシリーズとか完全に引き際を見失ってますからね……。

よろしくお願いいたします。



 

 いくらなんでもやりたい放題じゃないだろうか。書類の山を整理しながら、提督は思わず苦笑いした。

 深海棲艦も滅多に来ない辺境の鎮守府。その執務室にて。

 四月だというのにまだ片付けられていないコタツには、鎮守府の古参艦娘にして最愛の秘書艦、望月が入っている。

 確か提督の記憶が正しければ、いつまでたっても起きようとしない望月を起こしたのが朝の十時。それから少しして、『休憩』と称して望月がコタツに潜り込んだのが十時三十分。そして今が午後四時。

 単純計算でも望月は五時間ほどコタツに入りっぱなしということになるのだが、蒸れやトイレは大丈夫なのだろうか。下世話な心配だというのはわかっているのだが、そう考えずにはいられないほど望月は微動だにしていなかった。

 一応提督は三十分おきくらいに『もっちー、生きてるかー?』と生存確認をしているが、彼女はその度に『おー』とだらけきった声をあげるだけである。運動エネルギーを使っていないせいか、まだ腹が空いたという言葉も聞こえない。

 こんなだらけきった光景を大本営の人間に見られたらなんと言われるか。

 

 まぁ、先日までイベント海域の攻略に皆休まず出撃してもらっていたので、今日は演習も遠征も無しにしてゆっくり休もう、と提案したのは提督なのであるが。

 

 ましてや攻略中は唯一のケッコン艦とはいえ、駆逐艦である望月もフルタイムで働いてもらっており、彼女もぶつくさ文句を言いつつ、しっかり役割を果たしてくれた。それを鑑みれば、今日は彼女の思う存分休ませてやりたいとも思う。

 それに、これ自体は別に平日の彼女も似たようなものであり、提督は彼女のそういう所も全部引っ括めて好きになったのだが。

 だがさすがに。あばたをえくぼと言い張るには、この提督はほんの少しドライだった。

 

「もっちー、いい加減にそろそろコタツから出なよ。そうやって寝転がってばかりだと、体にも悪いよ?」

 

 そう言うと、ようやくモゾモゾと望月の体が動いた。動いたといっても、体は動かさず顔をコッチに向けただけだが。

 

「んーだよ司令官ー。昨日まで散々あたしをこき使っといてさー。疲れる原因作ったのは司令官じゃん」

 

「それを言われると何も言い返せないけどさ……」

 

「月月火水木金金てホントにあるんだねぇ、て思ったよあたしは」

 

 ハァ、とため息をはく望月。ますます苦い顔をする提督。

 イベント海域中は思うように攻略が上手くいかず、提督はずっとピリピリしていた。被弾した艦娘は入渠させて高速修復材を使い、しなかった艦娘はすぐさま再編成して再び攻略に向かわせた。基本的に艦娘に無理はさせない方針だったが、あの時の自分はかなりのブラック提督になってしまっていたと思う。

 もちろん先日の祝賀会の時、酷使した艦娘にはしっかりと謝罪した。

 

「そうだけどさぁ……もうすぐ夕方だよ?そのままだともっちー、一日中コタツにこもりっぱなしってことになるけど」

 

 コタツムリの生体観察としては非常に貴重な資料になるだろうが、人間としてはあまりいただけない生活だろう。

 望月は『んー……』と唸りながらモゾモゾと動き、両手をコタツの外に出した。そのままコタツから出る気になったのかと思ったのだが、望月はそのまま腕を伸ばしてうつ伏せの態勢になっただけだった。単に袖の部分が蒸れただけだったらしい。

 それを見て提督は呆れたように額に手をつけた。

 疲れているのはわかるけど、そろそろ秘書艦としての務めも果たしてほしい。提督は朝からイベント海域攻略の報告書作成でちっとも休んでいないのだ。コタツの上には望月に片付けてほしい分の書類を置いたのだが……それは未だに手がつけられた様子がない。

 ……仕方ない。ここは一つ、試してみるか。

 

「そんなにだらけていると……太るぞ」

 

 そう告げると望月の体がピク、と反応した。数秒固まる。

 その後、さっき出したばかりの腕をコタツの中へ戻すと、毛布の外側の部分がモゾモゾと動く。そのまま数秒ほど時間がたち……やがて望月はふう、と息をはいて腕を外に出し直した。

 

「だいじょーぶだいじょーぶ。あと三週間はいける」

 

「どんな回答だよ……」

 

 さっきまでの動きは腰回りとかを自分で揉んで確認していたのだろうか。……だとしたら、その答えが出るまでの数秒の間はいったいなんだったのだろう。

 しかしダメ元だったとは言え、『太る』という言葉に反応するとは、なんだかんだで望月もやはり女の子らしい(失礼)。日頃からあまりオシャレをしようともしていないので、望月を『女の子』と認識する機会は意外とないのだ。

 提督が服屋に連れていっても、望月は自分から服を選ぼうとしないし、如月たちとオシャレ談義をしているような様子もない。恐らく彼女が興味あるのは綺麗な髪飾りなんかよりもフカフカの枕なんじゃないだろうか。

 まったく、仮にも女の子だというのに服を自分任せにするとは如何なものか。自分が紳士だったからいいものの、もしも他の鎮守府のロリコン提督に捕まっていれば、今ごろ幼稚園児のコスプレとか色々させられて……いや、それも案外悪くないかもしれん……。

 つい執務の手を止めてあれこれ妄想していると、邪念を感じたのか望月が少し震えた。

 またモゾモゾと顔だけ動かして提督と視線を絡める。

 

「司令官ー。お腹すいたー」

 

「そりゃあ、朝からなんにも食べてないだろうからね」

 

「なんか作って」

 

「なんと図々しい……」

 

 そもそもお昼に間宮食堂へ誘ったというのに、望月はついてこなかったではないか。仕方ないから自分は泣く泣く一人で定食を食べたというのに(間宮さんの目が優しかった)、勝手ではないか。

 提督はそう思ったが、だがそれでも不思議と嫌悪感は覚えず、素直に従おうとしてしまう。最近思い始めたが、ひょっとすると自分は犬気質か世話好きかドMなのかもしれない。

 だが、さすがに今から作るのは無理だ。提督は机の引き出しを開け、中身を漁る。奥の方に手を入れてみると、ポッキーの箱が出てきた。

 

「もっちー、ポッキー食べる?」

 

「食べる~」

 

 いつ買ったものかはわからないが、別に賞味期限も切れていないようだし、望月はお菓子の類いはだいたい好物だ。

 今しっかり食べてしまうと晩御飯に支障が出てしまう。明日からはまた通常の勤務が始まるのだから、生活のリズムを崩すわけにはいかない。とりあえず今はコレでお茶を濁してもらうこととしよう。

 そう思って提督はコタツの上に長方形の箱を置いた。だが、いつまで経っても望月は取ろうとしない。不思議に思った提督が顔を上げると、

 

「提督~食べさせて~」

 

 パタパタと腕を上下に動かしながら望月は言った。

 

「……ここまで来ると一種の長所だな」

 

 さすがに(自称)温厚な提督もイラッときかけたが、若干呆れに似た感情を抱いて執務の腕を止めた。

 包装を破ってポッキーを一本取り出すと、かがんで愛しの望月の顔へと持ってきてやる。

 

「はい、あーん」

 

「あ~ん」

 

 一瞬鼻に突っ込んでやろうかとも思ったが優しい提督はそんなことはせず、素直に口許にポッキーを向ける。口だけで提督の手のひらからポッキーを咥え、望月はモグモグと口に含んでいく。卯月よりも兎っぽいぞ、と提督は思ったが口に出さない。

 全てかじり終わり飲み込むと、またあーんと口をあける。それを見て提督は、もう一本ポッキーを取り出した。口元へ持っていくと、さっきと同じようにポッキーが望月の口の中へと消えていく。そしてまた、彼女はあーん、と口を開けた。

 

「なんか、ワガママお嬢様の使用人になった気分だ」

 

 思わずポツリと呟くと、

 

「いや~さすがのあたしも、ここまでだらけるのは司令官の前だからだよ。三日月とかの前じゃ、もう少し抑えめだし」

 

 いまいちフォローになってるのかよくわからない。

 もちろん、自分の前で素の自分をさらけ出してくれるのは嬉しいし、それだけ信頼してくれてることなのだろうけど、それでももう少し抑えてほしい。てか姉達の前でも抑えめなだけでそのスタイルなのかよ───と色々言いたいことはあったが、もう提督は考えるのが面倒になったので何も考えないことにした。

 それからしばらくの間、提督がポッキーを取り出し、望月がそれを食べるポリポリという音だけが室内に響いた。

 動かずとも暖かい思いをし、勝手に飯が運ばれてくるのはさぞ幸せなのだろう、望月は猫のように目を閉じて提督の指がつまむポッキーを食べてくれている。

 それを見ていると、ふとイタズラ心が芽生えた。ちょうどポッキーも最後の一本。仕掛けるなら今だろう。

 

「もっちー」

 

「ん?」

 

 提督の言葉に望月が目をあける。居眠りを邪魔された猫のような顔だった。

 

「はい、あーん」

 

 改めてそう言いながら望月の口元へポッキーを持っていく。

 

「あーん」

 

 何も疑わず望月はポッキーを咥える。ポッキーが手から離れた瞬間、提督は動いた。伸ばした腕の分だけあった距離をすぐに詰めて、ポッキーの反対側を口に含む。突然のことに望月の目が見開かれた。

 ……当然だろう。なにせこれは俗に言うポッキーゲームの態勢だ。

 これだけ望月のワガママに付き合ったのだ。少しくらいムフフな思いをしたって罰は当たらないだろう。

 そして提督は一気にポッキーを食べ進め───

 

 

 ポキッ

 

 

「えっ」

 

 あっさりと折られた。

 もちろん提督の仕業ではない。提督が咥えたのを見た望月が自ら折ったのだ。

 

「何やってんのさ、司令官」

 

 提督と望月の間で綺麗に折られたポッキーを、彼女はポリポリと食べていく。その目は完全に呆れたものだ。

 ……提督の理想としてはゆっくりとお互いに食べ進め、そのままアハーンな展開に持っていくつもりだったのが、予想以上の望月との温度差にひよってしまう。

 

「いや、あの……これはお約束といいますか、ついイタズラ心が芽生えたといいますか……ほ、ほら、思えば最近ご無沙汰だったし……」

 

 慌てて弁明する。最後の言葉はやや後付けに近い形で言った。

 もちろんケッコンしているので、とうに男女の仲には至っている。だが最近はイベント海域の攻略でお互いそんな暇はなく、こうやって二人で執務室にいるのだって、実は久しぶりのことだったりするのである。

 しかし、提督の言い訳を聞いた望月の目は、ますます細くなっていく。コタツがあるはずなのに、室内の温度がリアルタイムで下がっていくのを感じた。

 

「……はい、アホなこと考えてすいませんでした。執務にもどります……」

 

 どうやら今の望月はそんな浮かれた気分などなく、本気で休みたいらしい。ならば提督は大人しく引き下がるしかない。

 所詮自分は安全圏から偉そうに命令しているだけである。艦娘の疲労度がどれくらいなんてわからないので、艦娘が休みたいというのなら休ませるしかない。

 半分になったポッキーを呑み込み、提督は膝を伸ばし机に戻ろうとした。

 だがその時、提督の視界が急に反転した。軍服の後ろ襟を掴まれ、途方もない力で引っ張られたのだ。

 

「ぐえっ!?」

 

 潰れたカエルような声が出てしまっていたが、それを引っ張った張本人───望月が気にした様子はない。見ると望月は艦装を展開している。大の大人を引っ張れたパワーはそこかららしい。

 バランスを崩し倒れた提督を、望月はコタツに押し込んだ。提督と望月の体が向かい合う形になる。

 提督が我に返った時には、目の前に望月の顔があった。その顔は、僅かに赤くなっている。

 

「……別に、嫌とは言ってないじゃん」

 

 眼鏡越しの望月の目と視線がぶつかる。

 提督としては何がなんだかわからなかった。望月の意図をイマイチ理解することができず、間の抜けた発言をしてしまう。

 

「も、もっちー? まだ書類が残ってるから……」

 

「そんなのどうでもいいでしょ。……今は」

 

 頬に触れる望月の手が温かい。その手つきは、親に甘える子供のようで、提督はますますわからなくなる。

 元々望月はぶっきらぼうで気まぐれな性格だが、この行動の真意は長い付き合いの提督にもわからなかった。

 そんな思いが顔に出ていたのだろう。しばらく両者無言の時間が続いていたが、やがて望月は「あーもう察せよ!」と提督の頭をポカッと叩いた。

 

「いて」

 

 今度のは艦装も既に消しており、力は入ってない。犬の甘噛みのような、敵意のないじゃれつきの類いだ。だが、察知能力に乏しい提督の頭に浮かぶハテナはますます多くなる。それに焦れったくなったらしい望月は、「……もう」と細い腕を提督の首に回した。

 

「もっちー?」

 

「……寂しかったんだよ。言わせんなよ恥ずかしい」

 

 拗ねているような声音だった。その言葉と共に、望月は抱き締める手をさらに強くする。

 頬と頬をくっ付けているため、提督からは望月の顔は見えない。しかし真っ赤になった耳から、彼女が今どんな表情をしているかは容易に想像ができた。

 

「最近の司令官、海域攻略にかかりっきりでさ、ほとんど構ってくれなかったじゃんか。帰投した時だって、全然ねぎらってくれなかったし」

 

 望月の鼓動が提督に伝わる。それは提督と同じリズムを奏でていた。

 

「望月……」

 

 これだけ言われるとさすがに鈍感な提督でも望月が何を求めているのかはわかる。……まぁ、逆にここまで言われないとわかってあげられないのだが。

 片方の手を彼女の腰に回し、もう片方の手で頭を撫でてやる。望月は『そうそう、それでいいんだよ』と言いたげに目を細めた。

 

「ごめんな望月。気付いてあげられなくて」

 

 これを言うと言い訳になってしまうのだが、望月の方から提督を求めることは少ない。彼女は睦月型の姉妹と共に行動することも少なく、一人でいる方が好きという節さえある。だから、相手をしてあげられなくても望月なら大丈夫かと、提督は思っていたのだ。

 

「……そんなわけないじゃん。好きだから、ケッコンとかめんどくさいことも受けいれたのに。そりゃ、一人の方が気楽だけどさ……」

 

「そっか」

 

 そんな疑問に、望月はポツポツと答えていく。一つ答えるごとに、抱き締める力はより強くなっていった。

 

 要するに、望月は提督に構ってほしかったのだろう。

 いかに彼女と言えども、提督と触れ合うことも話すこともできなった時間に、寂しさを感じていなかった訳がないのだ。今日の異常に怠けていた行動だって、恐らく提督に気にかけてほしい一心だったのだろう。

 簡単に考えればすぐにわかったことに、提督は苦笑いする。艦娘の───妻の気持ちも把握できないなんて、まだまだ自分は未熟者のようだ。

 

「じゃ、執務ももう休みにしよ。今日は、望月と一緒にいることにするよ」

 

 提督はコタツにより体を埋めると、望月とより引っ付くようにする。密着度が上がり、ミルクのような匂いが提督の鼻孔をくすぐった。

 

「……そう。それでいいんだよ、司令官」

 

 口調こそいつものぶっきらぼうなモノだが、表情は柔らかい。

 それからしばらく経つと、やがて彼女の瞼がゆっくりと閉じられていく。それに合わせて、執務の疲れか、提督にも眠気がやってきた。

 完全に意識が落ちる前に、先に眠った望月の眼鏡を外してやる。

 どこか幸せそうな表情をする彼女はどんな夢を見ているのだろう。彼女のことだから、夢の中でも眠っているかもしれない。

 そんな想像に自分で小さく笑い、提督もまた目を閉じた。

 

 

「お休み、望月」

 

 

 眠るあいさつを誰かに言うことができる。

 

 それはひょっとすると、かなり恵まれたことなのかもしれない。そう思い、提督と望月は夢の世界へと旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに余談となるが、数時間後に執務の様子を見に来た長月と三日月に二人はしこたま怒られることになるのだが、それはまた別のお話。

 さらに余談だが説教中、子供に正座させられ少し情けなさそうな提督とは対照的に、望月はどこか満足気な顔だったそうな。

 

 

 



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クリスマスのホープムーン


久しぶりにこのシリーズを読み返していたところ、驚くことにハーメルンの方に投稿していなかった作品があったことに約二年越しに気づきましたので、今回投稿しました。
久しぶりに楽しんでもらえると幸いです。




 

 本日は12月24日、クリスマスイブ。

 意外と間違える人がいるが、『クリスマス』は25日で『クリスマスイブ』が24日である。

 ……が、まぁそんな些末な違いはこの鎮守府にとってはどうでもよい。名称がどうあれ、どちらもクリスマスで、バカ騒ぎできる日というのには変わりないのだから。そしてその認識は提督も同じである。

 

 

 

 というわけでヒトキュウマルマル。

 誰が企画したわけでも予告したわけでもないのに、この鎮守府ではクリスマスパーティーが開催されようとしていた。

 午前中から駆逐艦はえっさほいさとツリーを組み立て、ノリの良い者はサンタ服を着込み、間宮さんはご馳走の準備をし、望月と初雪はソシャゲのクリスマスログインをしていた。

 そして各自が思い思いの服装で思い思いの準備をし、いよいよクリスマスパーティーが始まる。

 当日になって突然パーティー開始の音頭を任された提督が、マイクでハウリング起こしまくったり噛みまくる特に関係ないハプニングがあったが、概ね問題なく開会式は済んだ。

 そして開会式が終わった瞬間に、赤城と武蔵がすぐさま料理へと手を伸ばしたのでそれを必死に防御しつつ、提督と望月は連携してチキンなどを艦娘達へ平等に取り分けた。途中で、料理強奪組の群れに跳ね飛ばされる形でふっ飛んだ瑞鶴が、その拍子に加賀に顔面パンチをかましてしまうという特に関係ないハプニングもあったが、どうにか提督達は選り分けを終えた。

 ……そうして、パーティースタートから一時間ほど過ぎた頃には、

 

「一航戦加賀!!歌いまぁぁぁぁぁぁぁぁぁすッ!!」

「いよっ!待ってましたァァァ!!」

「やめちまえ下手くそーーッ!!」

 

 重巡や空母の艦娘はほとんどが酔っ払いとなっていた。那智や準鷹はともかく、真面目な印象の強い飛鷹までも既に顔が赤くなっている。

 

「すげー……」

 

 酒にあまり強くないので代わりにオレンジジュースを飲みながら、提督はぼんやり呟いた。

 一切酒を飲んでいないはずなのに熱気だけで酔いそうな食堂の様子は、もはや軍隊にはとても見えない。『ここは鎮守府じゃなくて戦艦のコスプレをした人たちによるサークルです』と言われた方が信用できそうだった。

 

「あ~……やっと解放された……」

 

「ん、お帰りもっちー」

 

 オレンジジュースを追加で注いでいると、提督の隣にフラフラになった──。私的ゲーム機が似合う艦娘一位にして(二位は初雪)代替不可のケッコン艦、望月がやってきた。

 彼女はさっきまで、酒瓶持った龍驤と鬼怒に連れてかれて軽くアルハラを受けていたようだった。証拠に目はいつもより虚ろで、頬は桃のようにほんのりと染まっている。

 提督が新しいコップに水を入れて持ってくると、望月は「あんがと……」と口の中へ流し込んだ。

 

「うあー……水うめー……」

 

「大丈夫? もっちー」

 

「あんま大丈夫じゃねー……クラクラする」

 

 望月も提督ほどではないが酒に弱い。

 

「龍驤と鬼怒とは?」

 

「二杯だけなんとか飲んで……ポーラが来たから入れ替わりになんとか抜け出してきた……。後は知らない」

 

「……なるほど」

 

 苦笑いする。

 共に潰れてるか潰してるか潰されてるかは知らないが、ともかく二、三着ほど服が舞うのは間違いなさそうだ。

 提督は新しい水を注ぎに行くついでに、まだ酔ってなさそうな由良にバスタオルをいくつか持ってくるように頼んだ。

 

「はいもっちー。新しい水だよ」

 

「あんがとう……」

 

 コク、コク、と彼女の喉が小さく動く。顔を見る限り、先程よりはマシになってきたようだ。

 

「ちょっと休んどきなよ。ほら」

 

 そう言って提督はポンポンと膝を叩く。

「そうするー……」と短く答えると、望月はゆっくり提督の側へと倒れ込んでくる。そして二秒後、彼女の頭は提督の膝にすっぽりと納まっていた。

 膝の上にほのかな温かさが来る。重くはないが、少しくすぐったい。

 

「あー……まだ気持ち悪い……」

 

「しばらく横になってなよ」

 

「そうする……」

 

 完全に頭を預けきり、望月は目を閉じる。

 悪くない。心の中で提督は親指を立てた。

 酔っているとはいえ、こんな風に堂々と自分に体重を預けてくれるのは、それだけ信頼されているようで悪い気はしない。

 ……恐らく今の望月は、とにかく頭を預けられるものならなんでもいいのだろうが。酔っていない時でもこういうことはしてほしいものである。提督はいつでもウェルカムだというのに。

 

 そんな望月の顔に改めて目を向けると、彼女の頭部には可愛らしいサンタ帽が被られていた。

 それは今より一時間前のパーティーが始まったばかりの時、とある男性T(プライバシー保護により名前は伏せさせてもらいます)の『絶対似合うから!絶対似合うから!』という熱い要望によって装着されたものである。

 当初望月は嫌がっている様子だったが、何だかんだ一時間被り続けている所を見るに、案外気に入ったのかもしれない。ちなみにTの野望としては、更にサンタ服も追加で着せたかったようだが、そこは望月の冷たい拒絶によって却下された。

 

 閑話休題。

 それから提督と望月はしばらく二人で過ごした。特に何かをする訳でもなく、膝枕する提督と膝枕される望月とで。バカ騒ぎする駆逐艦たちを眺めたり、とうとう戦艦たちまで参戦しだしたカラオケに苦笑いしたりなど。

 別にイチャついているわけでも色のある話をしているわけでもないのだが、提督はこの時間が心地よかった。それは恐らく望月も同じだろう。なんだかんだ言って、こんな風に他愛の無い時間を過ごしているときが一番楽しかったりするのだ。

 そうして更に三十分ほど過ぎ、望月に回っていた酔いもマシになってきた頃。

 

「……あれ?」

 

 そんな声を上げたのは、同じくサンタ帽を被っている古鷹だった。加賀と瑞鶴のデュエットに発展した空母組から目を離して見ると、古鷹は空の二Lペットボトルを手に固まっている。

 

「あら、オレンジジュース無くなっちゃった?」

 

「はい。そうみたいです」

 

「まだ一本ぐらいストックなかったっけ?」

 

「ないよ~。姉貴たちが飲んでたし~」

 

 二つ目の質問に答えたのは望月だ。膝枕は未だ継続中である。腕を脱力させてダランと下げているが、もうほとんどマシになったようだ。

 ちなみに膝枕される望月を見る古鷹が、どこか羨ましそうな目をしているように見えるのだがそれは気のせいだろうか。

 

「そういえば、さっき利根も『カルピスがなくなった』とか言ってたな……」

 

「まぁこれだけ人数がいると考えると、一時間半もっただけでもすごいと思いますけどね」

 

「この様子だとパーティーはまだまだ続きそうだし……買い出しにいってこようか」

 

 そう言って、よっこいせと提督は立ち上がろうとし───膝に望月が乗っかったままであることを思い出した。

 すると望月もそれを察知したのか、一瞬横目で提督を見た後、腰に力をいれた。

 

「んじゃ、アタシも付き合うよ」

 

「……え、いいの、もっちー?」

 

 酔いは完全に醒めたらしく、体を起こし猫のようにあくびをし伸びをする。

 

「たぶん外メチャクチャ寒いけど?」

 

「いいよ別に。ここにはストーブも炬燵もないし。やることもないし、動いてる方が気が紛れる」

 

「いやでも───」

 

「もう、鈍いですね提督は」

 

 望月を気づかう形で渋っていた提督。だがそうしていると、横にいた古鷹がなぜか腰に手を当て頬を膨らませていた。

 

「むしろこういう時は提督の方から『俺の嫁なんだから黙ってついてこい』ぐらい言えばいいんですよ。何より今回は望月の方からついていくって言ってるんですから」

 

「え!? い、いやそれを言うのはかなり勇気がいると言いますか……僕そんなキャラじゃないし……」

 

「いいですから!ほら、まとめ役は私がやっておきますから、提督は行ってきてください!」

 

「ちょっ───」

 

 古鷹らしからぬ強引さで背中を押され、提督と望月は食堂から弾き出された。しばらく提督はポカーンとしていたが、一先ずおつかいを頼まれたからには早く取りかからなければならない。

 

「それじゃ、行こっか」

 

「あ、ちょっと待って」

 

 そう言うと、望月は提督に背を向けると、睦月型用の部屋へと小走りに向かいだした。

 

「もっちー?」

 

「すぐに追い付くから、先に玄関で待っといて」

 

「はぁ……?」

 

 上着でも取りに行くのだろうか? 疑問を抱きながらも、とりあえず提督は言葉の通り玄関に向かうことにした。

 提督の上着は玄関に掛けてあるので、彼はそのまま玄関に向かうだけで良いのだ。

 

『少し背の高い~~あなたの耳に寄せたおでこ~~。甘い~~匂い~~に~~誘われた───』

 

 私的『カブトムシ』が似合う艦娘ランキング一位である扶桑の歌声を聴きながら、提督は玄関へ歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クリスマスの空は、雲もなくスッキリしたものだった。黒い画用紙のような空に、無数の白い点が浮かんでいる。

 一応予報では雪は降らないようだが、いつ降ってもおかしくなさそうな雰囲気だった。

 

「うううっ!さっむ!!」

 

「そりゃそうだよ!だから言ったじゃん!」

 

 かまいたちのような風が頬を叩く。鎮守府を出て僅か三十秒にして、二人は既にリタイアしかけていた。

 それもそのはず。白い軍服の上からグレーのコートを羽織った提督と違い、望月はいつもの黒の制服の艦娘のままの姿である。更にスカートと靴下の組み合わせもそのままなので、太腿の一部は剥き出しだ。もう見るだけでも寒い(ついでに帽子も外していた。さすがに恥ずかしかったのだろうか)。

 艦娘の制服は、防弾性は抜きん出ていても、防寒や防水性に優れているわけではない。おまけにマフラーや手袋といった道具も無しである。さっき望月は自分の部屋へ何をしに行ってたのだろうか?

 

「だ、大丈夫?」

 

「大丈夫じゃねー……正直嘗めてた……」

 

 精神的ではなく身体的な都合で、望月の声は震えていた。

 提督の手はコートのポケットの中。対して望月の手は彼女の肩に置かれている。自分で自分を抱き締めているような格好だ。

 だが、自分の体よりも手を暖める方が大事と判断したか、望月は自らの手を肩からスカートのポケットへと移動させようとする。しかし、その手はポケットの前で止まった。それから逡巡するような間があり、やがて彼女は再び手を肩へと戻した。

 

「さぶいぃぃ……凍えるぅ……」

 

「ああもうっ」

 

 たまらなくなり、提督は着ていたコートを脱ぐと望月に被せるようにして渡した。

 思わずといったように彼女は目を丸くする。

 

「……いいの?司令官」

 

「ヨメが寒がってるのに、僕だけ暖かい思いするわけにはいかないでしょ。それに───ぶえぇっっくしょん!!」

 

 それに僕はこう見えても寒さには強いんだゼっ☆ とカッコつけようとした瞬間くしゃみが出た。世界に進出しても恥ずかしくない、天下無双天下無敵のくしゃみだった。

 数秒ほど二人の間を沈黙が蠢く。

 

「……いいよ。アタシが悪いんだし、司令官が着てな」

 

「うう……申し訳ない。ごめんね、情けないとこ見せて」

 

「別に気にしてないよ。見慣れてるし」

 

「そりゃよかった……いやよくねぇ」

 

 自業自得とはいえ悲しい。もう少し平常時の自分の立ち回りに気を配ることにしよう。

 望月はまだ凍えている様子だったが、しかしそこは腐っても艦娘らしい。寒さに慣れたか、猫背気味になっていた体はいつの間にか勝手に元通りになっていた。これが雛鳥に巣立たれる親鳥の気持ちか、とバカなことを考えながら提督はコートを着直す。

 鳥と言えば、うなじ部分に当たる羽毛が心地よい。羽毛を最初に防寒具に利用した人は、この世全ての富を得る権利があると思うのだがどうだろう。いや、この場合は最初に羽毛を剥ぎ取られた鳥にだろうか? 

 

「司令官」

 

「っとと、うん?」

 

 熟考(するほどのことでもないが)中に声をかけられたため、首根っこを掴まれたように足がもつれてしまった。

 どうしたの?と首を横に向けるが、そこに望月はいない。足を止めて体を回すと、彼女の姿は後ろにあった。その距離は三歩ほど。

 初め、提督は無意識に自分の歩くペースが早くなっていたのかと思ったが、望月の雰囲気を見るに恐らく彼女が立ち止まっていただけのようだ。

 

「……もっちー?」

 

 名前を呼ぶが、なぜか望月は目をそらす。何やらもじもじしているように見えるのは寒さに凍えているからではないと思う。

 片手をポケットに突っ込み、母親に謝るタイミングを見計らっている子供のように、望月はそわそわと落ち着きがない。

 だがやがて、意を決した表情で彼女は顔を上げた。タタッ、と三歩の距離を一気に縮める。彼女の茶髪が斜め下の位置まで来た。

 そして気づけば、いつの間にか目の前に彼女の掌があった。見ると、その掌に乗っかっているのは───

 

 

「……手袋?」

 

 

 コクン、と茶髪が上下に動く。

 青色の手袋を、望月は提督に差し出していた。

 

「……渡すタイミングが大幅に狂ったけど……まぁその、ほい。アタシからのクリスマスプレゼント」

 

「え?」

 

「本当は、パーティーが終わってから……二人になれる時に渡そうと思ってたんだけど……」

 

「あー……空母の方々が盛り上がりすぎて、パーティーが終わりそうになかったから?」

 

「……おう」

 

 なるほど。

 提督の脳で点と点が繋がる。これまでの不可解な行動は、この急ごしらえサプライズのためだったのか。

 

「へぇ~すごい……もしかして、手編み?」

 

「……まぁ、鳳翔さんに教わりながらだけどね。柄じゃねぇってのは千も承知だけどさ……」

 

 提督が手に取り、手袋が掌から離れると、望月は途端に俯いた。その耳は、ほのかに赤くなっている。

 望月with鳳翔によって編まれた手袋は、ミトン型のものだった(パン屋がトレーを持つときに使っているような、親指だけが離れて二股になっている手袋だ)。ご丁寧に毛糸によって編まれているソレは、手で触れているだけでも温かさが伝わってくる。

 サンタからのプレゼント箱を開ける気分で、提督はさっそく手にはめてみる。どこかでつっかえる訳でもなく手袋はすんなりとはまった。

 はめた後に掌をよく見ると、左右の手で手袋の大きさが若干違う。悪くはない。むしろ『手編み』特有の味が出ていて非常に良い。

 

 ミトンによって手を覆われた瞬間、提督は自分の手が急速にあたたまっていくのを感じた。

 それは温度的な意味でではない。いや、もちろんそれもあるのだが、それとは違う要因で、違う部分で、提督の手は確かに寒さを忘れかけていた。

 『望月が編んでくれた』という情報だけで効力が五割増しになるのだから、男とはなんて単純なのだろうと提督は思う。

 しかし構わない。この温かさを味わえるなら、彼は喜んで単純になるだろう。

 手の温かさを心に染み込ませていると、提督は望月が未だうつむいたままなのに気付いた。

 

「ありがとう、もっちー。すごくあったかいよ」

 

 手袋をはめた手で、彼女の頭を撫でる。指に当たる部分が二つしかないので少々撫でづらいが、全く問題はない。

 撫でられていることを認識すると、望月はゆっくりと顔を上げ始める。

 

「結構ギリギリまで編んでたからな……もし合わなかったら、別に使わなくても───」

 

「使う。絶対使う。何があろうと使う。例え夏だろうとはめる」

 

「いや、さすがに夏は外せよ……」

 

 提督のバカな言葉で緊張が緩んだか、苦笑いする望月。提督としてはマジマジのマジなのだが。どこの世界に嫁からのプレゼントを無下にする夫がいるものか。

 苦笑をきっかけに完全にほぐれたか、望月は俯いて猫背気味になっていたのを取り返すように大きく伸びる。

 

「あ~……疲れた。やっぱ柄にもないコトってするモンじゃねぇなぁ」

 

「柄にはあったよ、て言うとちょっと嘘になっちゃうけど……でも、本当に嬉しかったよ。改めて、ありがとう望月」

 

「……ん」

 

 照れくさいのか、さっさと先に行ってしまう望月。それをさっそく手袋をはめたまま追いかける提督。

 鼻唄を歌いながら追い付いた提督に、望月は『そこまで喜ぶか?』と少し困惑しているような顔だったが、上機嫌の提督を見るとそれにつられたように彼女も笑った。

 

 

 

 (……こんなことって、あるんだなぁ)

 

 心の中で提督は思う。

 彼が上機嫌だったのは、最愛の艦娘からプレゼントを貰えたから……だけではない(・・・・・・)

 

 (ホントはパーティーが終わってから渡すつもりだったけど……変更変更。やっぱり帰ってきてから、僕も渡すことにしよう)

 

 彼も同じく用意していたプレゼントである手袋を、望月に渡した時の反応が楽しみになったからだ。まぁさすがに提督が用意したのは、手編みではなく市販のモノだけれど。

 

 この夫婦はお互いに示し合わせたわけでもないのに、同じ日に、同じようなモノを、同じタイミングで互いに渡そうとしていたのだった。

 

 

 暗い空から、やがて白の結晶が産み落とされ始める。

 彼らのクリスマスは、まだ終わらない。

 

 

 

 



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