縁の仙人掌(さぼてん) (西風 そら)
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縁の仙人掌(さぼてん)

女子の日常にパセリを添えて




 

「じゃあイツコさん、私の頭の上にもサボテンが生えているの?」

 

 言ってしまってから、思ったより間抜けな言葉だと気が付いて、慌てて店内を見回した。

 大丈夫、午後の半端な時間のカフェなんて、自分達のお喋りが最重要な人種しかいない。

 

 正面のイツコさんは穏やかな微笑みを湛えたままコクリと頷く。

 大振りの襟に小花レースの白ブラウスがこの上なく似合う、昔ながらの清楚美人。

 ただ今は、胸元の珈琲の染みがちょっぴり残念。

 

「そう、サボテン……ええ、サボテン……」

 ×3回繰り返してから口端に手を当てて、身を乗り出して小声で聞いた。

「で、どんなサボテンですか?」

 

 イツコさんは涼やかな目を三日月みたいに細めて、ふふっと笑う。

 

「紅い花が咲いてる。二つ開いていて、一つはツボミ」

 

 

   ≪≪≪

 

 

 事の初まりは夕べ。

 

 まだ使い慣れないスマートフォンがガラスチェストの上で大袈裟な音を立て、バスタオルをひっ被って駆け付けたら、通話の呼び出しではなかった。

 

 平べったい機械を手に取ると、ラインって奴の着信。

 こういうの、入れるつもりじゃなかったのに……

 

 画面には『ニカコ』さんの文字。

 はぁ・・・・・・

 

<ミクさぁん、元気ぃ? どうしてるかと思って>

 

 いつも通りのどうでもいい呼び掛け。

 返してあげないと、<冷たーい>だの<私何かした?>だの、大勢が見ている画面上で悶えられる。

 ラインって皆楽しそうに使っているみたいだけれど、こんなに厄介な物だっけ?

 

 

 先日の同窓会で卒業以来十年ぶりに会った彼女は、何というか、何にも変わっていなかった。

 相変わらずズケズケ踏み込んで、プライベートの扉に靴先をねじ込まれそうになったので、買ったばかりのスマートフォンに話題をそらせた。

 そしたらいきなり取り上げられて、当たり前みたいにラインアプリを入れられたのだ。

 

 後で『うっかり』削除しちゃおうと思っていたのだが、グループメンバーにイツコさんの名前を見付けて踏み留まった。

 薄っすらでも彼女と繋がっていられる機会……

 チャットに参加しなけりゃいいやと思って、そのままにしておいた。

 

 そしたらニカコさんがやたらと名指しで絡んで来るようになった。

 っていうかそればかりだ。

 たまに参加するメンバーも固定された二,三人。

 イツコさんどころか二十人近くいた高校の同窓生メンバーは?

 

 こちらからは一度も使わないまま、履歴はニカコさんの<元気~?>で埋められて行く。

 はぁ・・・・・・またため息。

 

 濡れた髪を拭いながら当たり障りのない『会話が続かない返事』を考えていたら、また同じ着信音が鳴った。

 ニカコさんからの<何か言ってよ~>だと思って苦い顔で手に取ると、『イツコ』さんの文字。思わず手の中でファンブル。

 

<こんばんは、突然ですみません。今お話してもよろしいでしょうか>

 初めて開いたラインの個人チャット画面にポカン。

 個人同士でチャット出来るのを、この時点で初めて知った。

 ラインって大勢でワチャワチャやるだけのツールかと思っていた。

 

 なるほどそうか、他のメンバーは、個人チャットを活用しているのか。

 当たり前、二十人もに聞かせていい会話なんて、そうそう無い。

 だとしたらニカコさんは、何でわざわざグループチャットで私に話し掛けて来るのだろう。

 

 YESの返事にイツコさん、<このままチャットがいいか、通話がいいか。その場合こちらから掛けるので申し訳ないけれど電話番号を教えてください>と聞いて来た。

 

 私がスマートフォンの文字打ちを苦手にしている事、まるで知ってくれているみたい。

 高校時代ほとんど話した事もなかったのに。

 

 正直、この人と直接会話するのは、ムリだ。心が追い付かない。

 迷った末ラインチャットを希望し、一応と添えて電話番号も添付した。

 

 <ありがとう>のコメントの後に、あらかじめ作っておいたであろう文章が即座に送られて来た。

 

 

   ≫≫≫

 

 

 そして今日。

 ニカコさんと差し向かい、彼女お勧めのカフェ。

 

「オーナーさんがドイツ在住時に習った、あちらのご家庭の伝統ケーキですって。私のカルチャースクールのお友達が留学経験があって、あちらで仲良くなってブダペスト教会とか一緒に行ったりして、それでこっちに帰ったらお子さんの名門私立中学の試験会場でたまたま再会して、お店やってるのよーって教えられて偶然って凄いわよね。それでもうずっとミクさんにこのお店を教えてあげたくて、やっとご都合がついてよかったわ」

 

「そ、そうですか、はい……」

 相変わらず沢山喋るけれど、頭に入って来ない。会話の糸口も無い。

 

 歯が軋む甘ダルいパサパサのケーキ。

 ご家庭の味って、海外でも日本でも、『素人』である事に変わりはないと思う。

 

 お洒落風インテリアが窮屈に積み上がった店内で、素敵風笑顔のニカコさん、時候の挨拶もそこそこに、「ところで」と切り出した。

 

 傍らの紙袋に両手を突っ込んで、重そうな紙の塊(かたまり)を引っ張り出す。

 赤い爪に掴まれて出て来た浅黄色の装丁は見慣れた色。

『ヒサカタシズコ』という私のPNが帯に刷られた、ちょっと前に発行されたエッセイ本。

 二十冊はある。

 

「サインお願い、ここの所に、大きさは揃えてね」

 

「ああ、はい、でも……」

 

「ご近所の奥様方に頼まれているの。大ファンなんですって」

「…………」

 

「そうだ、後でツーショット写真撮ってね、皆に自慢しちゃう」

 

(見事に、昨日イツコさんが予測した通りの事を喋っている……)

 

 私は唾をゴクリと呑み込んで、イツコさんのアドバイスに沿って一生懸命考えて来た文章を喋った。

「ごめんなさい、出版社からのお達しで、サインは直接対面した方のみと言われているの。それとストーカー対策で、顔写真は迂闊に外に出さないようにって。だからごめんね」

 よし、言えたぞ。

 

「ええ――っ、なにそれ、バカみたい」

 ニカコさんは露骨に声を低くした。

「そんなの黙ってれば分かんないわよ。こんな重い物苦労して持って来たのにぃ」

 キツ目の顔の鼻筋にみるみるシワが寄って行く。私の苦手な苦手なシワ。

 

 あ・・

 背筋がゾワゾワする。

 息が苦しい。

 この感覚、やっと忘れていたのに……

 

「ごめん、本当にごめんなさい、他の方にもそう言ってお断りしているし……第一私、そんなに大仰な作家ではないし……作家って名乗るのもおこがましいくらいで……」

 

 ぜったいに譲るなとイツコさんに言われた。

 ガンバレガンバレガンバレ、私。

 

「ええ~~確かに人は見かけに寄らないっていうか~~作家ってガラじゃないのは分かってるけどぉ~~たまたま一発当たっただけなんだろうし~~」

 

(いや私そこまで言っていない……)

 

「元はどうでも今や貴女トキノヒトじゃない。ユーメイゼイ、ユーメイゼイ、ちょっとぐらい還元してくれたっていいじゃない。第一私、もう頼まれちゃってるのよ。私の顔を立てると思って、ね、ね」

 

 声は甘いけれど、語尾にドスがきいている。

 傍若無人な真っ暗い壁。

 分厚く重くズブズブで、さも当然の如くこちらの領域に広がって押し潰しに来る壁・・・

 

 

 

「あら、お二人とも早いのね?」

 

 清々しい声に目を上げると、白ブラウスに黒髪をキュッと束ねた麗人。

 逆光が神々しくすら見える、イツコさん。

(本当に天使みたい……)

 

 

   ≪≪≪

 

 

 イツコさん・・・

 モノトーンな私の高校生活に落ちて来た一点の紅。

 

 彼女はとにかく美しかった。

 外面のみでなく。

 勉強も芸術も頭二つ抜きん出ていたが、けして出過ぎず、慎ましやかに周囲に身を落とし込んでシンと控えている。その様も美しかった。

 

 遠くからでも、彼女だけ切り抜いたようにシルエットが違う。

 成長途上の小鳥さざめく教室の中、この人は完成された何かを持っていた。

 

 私自身に彼女と大きな思い出があった訳じゃない。

 同じクラスに身を潜め、たまにこっそり盗み見ていただけ。

 

 各グループのリーダー各の娘(こ)たちは、こぞって彼女を取り込みたがっていた。

 ニカコさんもその一人だった。

 

 イツコさんはどのグループにも属さず、一匹狼にもならず、拒まず媚びず、大勢に好かれながら仲良く過ごしていた。

 コミュ症の私からしたら、衝撃的な光景だった。

 群れて磨り潰し合うのがあの世代の娘(こ)達だと思っていたから。

 

 

   ≫≫≫

 

 

「私、時間を違えちゃったのかしら」

 

「いえいえ、私達が早く来すぎたのよ。きゃあ久し振り~~」

 コロリと声音を変えたニカコさん、スマートフォンで確認しようとする彼女の手を妨げるように握手した。

 

 私は口を結んで黙っている。

 指定された時間に来たんだけれどな。

 まあ、イツコさんだけ時間をズラして指定されるであろう事は、彼女は昨日の内に予測していた。

 

 イツコさんは私に軽く会釈して、勧められたニカコさんの隣ではなくこちら側のベンチシートに腰掛けた。

 勝手に注文されかけたケーキセットを訂正し、ポットのハーブティを頼む。

 あ、そんなのあったんだ。私もそっちのがよかったな。

 

 この時点でニカコさん、フツフツとおかんむり。

 が、さすがにイツコさんの前では面(おもて)に出さない。

 そもそも「イツコさんも来るって~」の言葉をダシに私を引っ張り出したのだ。

 

 そんなニカコさんに関知せず、イツコさんはテーブル上の浅黄色の表紙に目を向けた。

 

「そうそうこの本。ミクさん、ご出版おめでとうございます」

 

 私は一瞬呆気に取られたが、慌てて「ありがとうございます」と返した。

 

 ニカコさんはムッとした様子。

 でも口を挟めなくて頬をピクピクさせている。

 

「八重桜の通学路とかハナミズキの中庭とか、本当に懐かしかったわ。読んでいてセーラー服に戻った気分になっちゃった」

 

 私は呆け者みたいに口をポカンと開ける。

「えっ? えっと、イツコさん、中身を読んでくれたんですか?」

 

「ええ、読んだわよ」

 イツコさんは何でそんな事を聞くのか? って顔で小首を傾けた。

「ドキドキしながら読ませて貰ったわ!」

 

 イツコさんが言葉を弾ませてくれたのに、私は思わず目を伏せた。

 頬が熱い、多分耳まで真っ赤ッか。

 

 本に対する賛辞をくれる知り合いはそこそこいたのだが、それは『商業出版』に漕ぎ着けた労力に対する物で、中身を読んで誉めてくれる人なんてほぼほぼいなかった。

 数少ない『読んだ人』は、概(おおむ)ね困ったような微妙な反応をする。

 

 だって中身は、十代の青さをこじらせた私の腐った趣味と願望が暴走して炸裂した、アレでアレでアレな代物なのだ。よくR指定にならなかったと思う。

 

 けっして近所の奥さまに「大ファンなの~」などと朗(ほが)らかに言える代物ではないのだ。

 

 

   ≪≪≪

 

 

 表に出すつもりで書いた物ではない。

 

 高校時代の甘酸っぱい思い出に自分の妄想を重ねて、小さな投稿サイトでチマチマ書いていた青春エッセイ。

 綱渡りなノンフィクションを潜ませながら、理想の世界を練り上げて行くのが楽しかった。

 

 多少読者が付いたので、高校の文芸部で文章の基礎だけは磨いていたのが陽の目を見たかと自惚れて、調子に乗って表現を過激にして行ったら、何だかウケた。

 

 ある時、たまたまトランスジェンダーの著名人の目に止まり、何の琴線に触れたかイタく気に入られて猛プッシュされた。

 アレヨアレヨという間にバズり、アレヨアレヨという間に書籍化。

 

 立ち上がり始めたトランスジェンダーブームの波頭の端っこに乗っかれた感じ。

 昼のワイドショーあたりで取り上げられ、読まない層の間にも本のタイトルだけが独り歩きしている。

 

 私自身はトランスジェンダーではないし、イメージを壊してシラけさせても申し訳ないしで、なるべく表に出ないようにしていた。

 

 どうせ後は続かない、自分で分かる。

 印税ったって一過性の物だ。

 来年所得税をガバリと取られて終わり。

 人生にひとひらの良い思い出が舞い降りた程度に受け取り、手堅く会社員を続けながらブームが駆け抜けるのを眺めているつもりだった。

 

 しかし文芸部の同級生に思いっきりバレていた。

 同窓会では冷や汗かきまくり。

 

 確かに『久方静心(ヒサカタシズコ)』は部誌で使っていたPNだが、こんな無愛想なPNが覚えられているとは思わなかったのだ。

 舞台の学校をそっくりそのままにしたのも迂闊だった。

 

 昨日イツコさんに呆れられた。

 もうちょっと巧妙にフェイクを入れなさいよ、そのまんまじゃないの、と。

 ごもっとも。

 

 貴女は自分で思っている以上に他人に覚えられているのよ、とも言われた。

 それは無いと思う。

 今も昔も、人の輪から離れていたい、地味で地味で地味な子なのだ。

 

 晴れがましい席やサイン会も辞退していた。

 そのせいで幻のヒト認定され、数少ないサイン本にプレミアが付いてるなんて、イツコさんに教えられるまで知らなかった。

 世の中どうかしている。

 

 

   ≫≫≫

 

 

「それにしても……」

 イツコさんは山と積まれた本を一瞥して、鼻からフッと息を吐いた。

「メルカリでももう値崩れしていると思うのだけれど」

 

 私は思わず紅茶をむせた。

 ニカコさんは張り付いた半笑いで硬直。

 

 昨日イツコさんに教えられて覗いたフリーマーケットサイト。

 希少だの幻だのの煽りが入って、私のサイン本に本人もビックリな価格が付いてズラズラ並んでいた。

(もっとも価格設定は自由で、欲しがる人がいなければ意味はない)

 

 そもそもサインなんてほとんど……ああ、同窓会で文芸部周辺の人に乞われて……・・あれか!

 

「最初に出品していたのは業界から入手したその道の玄人でしょうけれど、それを見て皆さん、つい出来心が湧いちゃったんですって」

 

 私は顔を上げた。

 ニカコさんもマスカラで真っ黒な目を見開いてイツコさんを凝視している。

 

「学校関係の人達はもう削除してくれている筈。ミクさんに申し訳なかった、恥ずかしいって。

彼女達はね」

 

 私はまた口をポカンと開けた。

 えっと、イツコさん、昨日あれから、同窓生達に根回ししてくれていた……って事?

 

「幾ら何でもこの量は予想しなかったな」

 冷ややかに本の山を見やるイツコさん。

 

 私は背筋に悪寒が走る。

 向かいのニカコさんが般若みたいにプルプル震えている。

 凄く凄く怖い。

 

「そんなに仲が良かったかしら、高校時代の貴女達」

 

 や、やめてイツコさん……

 

「私にはそうは見えなかったな。ここに来てラインでどんなに仲良しアピールしようと……」

 

 白い顔と白いブラウスに珈琲が浴びせられた。

 イツコさんは背筋を伸ばしたまま不動。・・・スゴイ・・・

 

 浴びせた本人はカップを転がすように置き、聞き取れない捨て台詞を吐きながらドカドカと去って行った。

 バイト店員の「アリガトウゴザイマシター」が間抜けだった。

 

 

 周囲の客がザワ付いている。

 

 私はただ硬直。

 他人が見ると、背後の陶器人形と同化していたかもしれない。

 

 イツコさんは落ち着いた仕草で、ポーチからハンケチを取り出した。

 自分の顔を拭うのかと思いきや、置き去りになった私の本に飛び散った珈琲を拭い出す。

 私は慌てて自分のハンケチを引っ張りだし、イツコさんの頬に伸ばした。

 

 二人とも無言だった。

 

 

   ≫≫≫

 

 ・・・イツコさん

 高校時代、私の世界観(生きて十数年の青っ鼻をたらした類いの)を根底から変えてくれた恩人。

 彼女のお蔭で、私は「無理をして他人と付き合わなくてもいい、世界は広い、色んな人がいるんだ!」と自信を持つ事が出来たのだ。

 私が勝手に思っているだけで、彼女はそんな事知る由も無いだろうけれど。

 

 その恩人が目の前で微笑んでいる。

 

 洗面所から戻って来たイツコさんは、お化粧と髪は整えられていたけれど、ブラウスの染みは取りきれていない。

 私が何か言う前に、いっそ染めてしまおうかしらと笑いながら、向かいのソファに腰掛けた。

 

 テーブルの上ではジノリのフルーツ柄の茶器が湯気を上げている。

 さっき彼女がいない間に新たにハーブティを注文し直した。

 

 イツコさんは、温かい良い香り、と微笑んでくれた。

 

「ごめんなさいね、思ったよりもエキセントリックな結果になってしまって」

 

「えっ、いえ、こちらこそ。イツコさんに注意されていなかったら、私きっとまた言いなりになっていたと思う。それに、ニカコさんからのライン、正直しんどかったんです。だから助かったっていうか、ホッとしたっていうか。とにかく巻き込んでしまってごめんなさい」

 

 しまった、帰った直後の人の悪口なんて下品だよね。

 ああもう、何言ってるか分からない。

 気の利いた単語……気の利いた言い回し…………あああ、仮にも一回商業作家をやった身だというのに!

 

 イツコさんはフッと視線を落とした。

「ううん、巻き込んだのは私」

 

「え?」

 

「私がね、あの人と切れたかったの。跡形もなく木っ端微塵にキッパリと。これだけやればあの人、今頃勢いで私のデータを削除してくれているわ。もう私をダシに他の人にすり寄って迷惑を掛けたりも出来なくなる。ホッとしたわ、せいせいした」

 

「…………」

 

 私は目を伏せてもやっぱり美しい同級生を見つめた。

 天使のイツコさんが、少し前まで名前で呼んでいた同級生を『あの人』と言っている……

 

(ううん・・)

 私だってもう妄想ばかりの女学生じゃない。

 彼女が私の理想を押し付けた天使ではあり得ない事ぐらい、理解しなきゃ。

 生きた生身の人間なんだよね。

 

 その上で、やっぱり私を助けに来てくれた。

 私の心の負担にならないように言ってくれているのかもしれない。

 

 区切りを付けるように、ティーカップを持ち上げ一口含んだ。

『おいしいですよ』と微笑んで、場を和ませるつもりで。

 

 

「だってねぇ、あの人の頭の上の仙人掌(さぼてん)が、もうすっかり枯れ果ててしまっていたのだもの」

 

 美しい唇から漏れた謎の言葉に、私は液体をゴクンと呑み込んだ。

 吹き出さなくてよかった。

 

 

 ===

 

 

 何でイツコさんがその話を私にしてくれたかは判らない。

 少なくとも誰にでも言う話では無さそうだ。

 

 彼女は、小学五年生頃から他人の頭の上に仙人掌(さぼてん)が見え始めたと言う。

 

 

 

 トゲの付いたありがちなサボテン、丸いのや長いの、大きいのや小さいの。

 ある日気が付いたら見えていた。ホログラフのように。

 すべての人でなく、家族や同級生、自分と繋がりのある人の頭の上にだけ。

 

 最初は意味が分からなかった。

 訴えて騒いでも信じて貰えない事だけは早くから理解した。

 自分の頭がおかしくなったかと、図書室で精神病の本を調べたりしたが、書いてある内容に自分は当てはまらなかった。

 見えるものは見えるのだ。仕方がない。

 

 その内、身近な人でもサボテンが無い人もいる事に気付いた。

 図書室の司書の先生や同級生の何人か、会話はするけれどもサボテンの無い人がいる。

 かと思うといきなり現れたりもした。

 

 何となく、これは、この人から自分に向けられた『感情?』のような物だと思った。

 親しい友達ほど綺麗でツヤツヤしている。

 身近にいても自分に無関心な人にはサボテンは生えない。

 親や肉親の物は根が太くてガッシリしていた。

 

 しかしある時、一番の親友と思っていた友達のサボテンが萎(しぼ)み始めた。

 ショックだった。

 あの人は自分が思うほどに自分の事を好いてくれなくなったのか。

 何かいけない事をしたのかと必死で考えたが、当の親友は変わらず優しかった。

 

 やがて小学校の卒業が近付き、その親友から、彼女だけ遠くの私立に行く事を知らされた。

 

 学校が違っても時々会おうね、と言う親友の頭の上のすっかり萎びたサボテンを眺めながら、「ああ、この人とはもう会う事はないんだろうな」と思った。

 そしてその通りになった。

 

 「時々会おうね」は本心だろう。

 でも中学生なんて人間関係の目まぐるしい時期に、過去の遠くの友達に時間を割く余裕などない。それは仕方のない事だ。

 

 新たな人間関係が築けた中学校時代に注意して観察し、データを取った。

 そして結論。

 これは、他人から自分に対する『縁』を具体的に見せてくれているモノ。

 『縁の仙人掌(さぼてん)』なんだ。

 

 

    ≫≫≫

 

 

「中学二年に上がった頃気付いたの。このサボテン、こちらから干渉出来るって」

 

 イツコさんは澱(よど)まず朗々と喋る。

 うらやましいなあと思いながら聞いていた。

 

 私だったらこんな摩訶不思議で複雑な事、一気に他人に分からせるなんて無理だ。

 文才まで豊富なのかぁ……

 

 

 

 サボテンは、育てる事が出来る。元気が無くなってもケアする事で回復させられる。

 

 放って置いても大丈夫なモノもあれば、こまめに気を付けていないとすぐにくすんでしまうモノもある。

 

 一つ言える事は、絶対に余計な手を掛け過ぎてはダメ。

 水をあげ過ぎるとすぐ腐る。

 日に当て過ぎると焼ける。

 

 

「ええ・・他人の頭の上にある物に、水を・・?」

 

 私の言葉にイツコさんは目を丸くし、咳き込むように笑った。

「ご、ごめんごめん。私がずっと頭の中でそういう言い方をしていたから、つい。分かりにくいわよね。そうね……『元気ないね、大丈夫?』って声を掛ける事が『水やり』になったり」

 

「ああ、はい」

 何となくニュアンスは分かった。

 その後、元気のない理由を根掘り葉掘り聞くのが、『水をやり過ぎて腐らせる』って事なんだな。

 

『おはよう』って挨拶が心地よい日光浴になるサボテンもあれば、負担になって縮こまるサボテンもある。

 同じサボテンでも成長すると反応が変わって来たりもする。

 

「難しいんですね」

 

「なんせ相手は園芸の中でもトップクラスに複雑怪奇な多肉植物なのよ」

 イツコさんは肩をすくめて、ハーブティーを美味しそうに飲んだ。

 

 なるぼど。

 この人が高校時代、教室の人間関係を見事に捌(さば)いていたのはこういう事か。

 目視で確認出来る基準があったんだ。

 

(それはそれで凄い事だけれど。私だったらみるみる萎むサボテン群を目の前に、アワアワしているだけに違いない)

 

「ただ、枯れるのはダメ。サボテンが茶色く枯れ始めた時だけは注意しなければならないの」

 

「萎(しぼ)むのとは違うんですか?」

 

「萎んだ人はね、お互いに何となく疎遠になって、最終的にサボテンが消えてなくなるだけ。私やその人に問題があった訳じゃなく、ただ縁の寿命が薄くなって自然に切れる……って私は理解してる。

 世話をしたら少しは復活したりもするけれど、それは意味の無い事だと気付いたの。植物に寿命があるように縁にも寿命がある。だから強引に繋ぎ止めようとしない方がいいの」

 

「…………」

 ちょっとドライに感じる。寂しくならないのかな。

 私みたいに社交性の少ない者には理解出来ない事なのだろうか。

 

「枯れたサボテンを持ち続ける人って、私から離れないの。でもサボテンはどんどん茶色くなって干からびて行く」

 

「ど、どうしてなんでしょう」

 

「・・・・・・」

 イツコさんは目を伏せて、胸元の珈琲の染みを指でなぞった。

 

 ああ、理解した。

 ニカコさんの言動を見た後だからすぐに呑み込めた。

 

「『悪縁』ですか・・」

 

 神妙に言った言葉に、イツコさんはそっと頷いた。

 

「私もそんなに沢山の人生経験を積んできた訳じゃないけれどね。枯れたサボテンは本当にダメ、周囲の健康なサボテンに伝染するし、それはそれは厄介なのよ。枯れ始めたらもうどうしようもないから、バッサリ切ってしまわねばならないの。多分、その人の為にもね」

 

 一気に話しきってから、イツコさんはまた目を細めて私を見た。

 ああ、この人は目を細めて視線をごまかす癖が付いているのだ。

 頭の上のサボテンを見ているから。

 

 そこで私は最初の質問に至った。

 

(私の頭の上にも『貴女への縁』はあってくれるのか?)

 

 

   ≫≫≫

 

 

 ――紅い花が咲いてる。二つ開いていて、一つはツボミ――

 

「花……?? 花って、花はどんな意味があるんですか?」

 焦った。寿命の終わりに花が咲くサボテンがあるって聞いた事がある。

 悪い意味だったらどうしよう。

 

 私の気持ちが分かったのか、イツコさんは手を差し出して、大丈夫、と言った。

 花を見たのは初めてではないらしいのだが、見た数が少ないので、決まった法則があるかどうかはよく分からないそうだ。

 

「おそらくきっと、良い事だとは思うのよ。こんなに綺麗な花だもの」

 

 ニッコリ笑って、また美味しそうにハーブティーを飲む。

 それから、傍らの鞄のジッパーをそぉっと開いた。

 

「サイン・・私も欲しかったりして……」

 

 はにかみながら出てきたのは、麻のブックカバーに包まれた、多分私の本。

 見覚えのある、古い浅黄色のカバー。

 

 その時の私の顔は、後から思い出すと穴があったら入りたいほど無遠慮に輝いていたと思う。

 

 学生時代、イツコさんの愛読書達を包んでいた、鈴蘭の刺繍が施されたブックカバー。

 遠目に眺めながら、その本達を羨ましく思った、自分も大好きな色のブックカバー。

 

 本の端が痛んで丸まっている。

「新品でなくてごめんね。こういうのって失礼に当たるのかしら」

 

 気遣わしげな声に、私は我に返った。

「いえっ、いいえっ、そんな事ないです」

 自分の本がここまでボロボロになったのは初めて見た。

「一番しあわせな本です」

 

 

    ≫≫≫

 

 

 それから私とイツコさんがどうしているかというと、別段何も変わっていない。

 相変わらず疎遠で、年明けに年賀状のやり取りをした程度。

 

 私は会社員をやりながら、年度末までに消化しろと言われている有給の使い道に頭を悩ませている。昔の文豪みたいに温泉で次回作の構想でも練ろうかな……なんて思っているだけで、どうせ家でゴロゴロ過ごす。

 

 イツコさんは誰でも名前を知っている大きい企業でバリバリと働いているらしい。

 ・と、これは同窓会情報で、本人とはそういう話にならなかった。

 サインをした後、サボテンの話に戻らず、お茶や映画の話を少しして、あの日は別れた。

 そしてそれきり。

 

 別に『疎遠にしよう』と打ち合わせた訳ではない。

 ラインでいつでも連絡出来る程度の繋がりが、多分私達には『丁度良い』のだ。

 

 あの『サボテン』の話。

 あれを丸ごと信じたかというと、さすがに夢見る女学生でもない私は、胸をはってハイとは言えない。

 

 ではどうして私にそんな『例え話』をしたのかな? って考えてみる。

 『貴女との関係を大切にしたいから、今の状態を崩さずに居ましょう』って事?

 ……かなり自分寄りに盛っちゃってるけど。

 

 彼女のように、人目を引き過ぎるゆえ多くの人間関係に悩まされて来た人からそう言われるのなら、納得だ。嬉しいと思おう。

 

 そしてイツコさんが窮地に陥(おちい)った時だけ(そんな時が訪れるのかちょっと想像出来ないけれど)駆け付ければいいんだ。

 今回、彼女が自分のルールを破って来てくれたみたいに。

 

 

    ===

 

 

 ミクさんがまるっと全部信じてくれたとは思わないけれど、話した事に後悔は無い。

 

 高校時代の教室、私にとって彼女は一番『目立つ』人だった。

 なんて美しいサボテン。

 大きくはないが、瑞々(みずみず)しく鮮やかで曇りひとつ無い。

 

 しかも私は何もしていない。

 いや、確かに今まで、何もしていない初対面から多大に期待を寄せて、サボテンを巨大化させてしまう人はいた。でもそういう人って、勝手に育てて勝手に枯れさせる速度も凄く早いのだ。

 

 彼女は、話し掛けても来ない。避けられている気すらする。

 なのに萎ませもせず枯らしもせず、同じクラスになった時に咲かせた一輪の花と一緒に、碧々(あおあお)と健康なサボテンを卒業まで保ち続けたのだ。

 

 不思議だった。

 自分の中で確立している『縁の仙人掌(さぼてん)』の法則が間違っていたのかとすら思った。

 

 彼女の事が気になって、部活動の文芸誌を入手して読んでみたりした。

 感性は凄く合うなと思った。

 百人一首の和歌から取ったとおぼしきペンネームも素敵だった。

 

 同窓会で彼女を見掛けた時こそ本当に驚愕した。

 十年以上経っているのに、サボテンが変わっていないのだ。

 紅い花も鮮やかに昔のまま。

 他のクラスメイト達のはさすがに小さく萎んでいるのに、彼女だけ。

 

 目の前で元友人を突き放すなんて冷たい事をやってのけても、サボテンはびくともしない。

 

 だから話した。

 彼女は真摯に話を聞いてくれた。話して行く度に頭の上にツボミが伸びて、新たな花が開く。

 嬉しかった。生まれて初めて他人に『分かって貰えた』気がした。

 

 サインを頂こうと本を出した時、三つ目のツボミが膨らみだした。

 ハッとして、それが開く前に話を切って、お別れした。

 これ以上はダメ。

 

 花が咲き過ぎるとサボテンの寿命を決定してしまう。

 それは中学時代に不用意に付き合った男の子達から学んでいた。

 

 触れる事すら憚(はばか)られるサボテンがある。これは、その種のモノ。

 

 ただ心で大切に尊重していれば、ずっとあそこで時間の止まった状態で、生きていてくれる。

 そういう仙人掌(さぼてん)がこの世に存在していると想うだけで、私はこの上なく安らげるのだ。

 

 

                         ~fin~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただきありがとうございました




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