茂野大吾くんを野球ガチ勢にしてみた話 (stright)
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茂野さんちの大吾君の話です。


 生まれた時から野球はいつもそばにあった。父はアメリカでも活躍したメジャーリーガーで、未だ現役の野球選手。母は大学でインカレにも出場した元ソフトボールの有望選手。姉に至っても少年野球で男子ともバリバリにやり合っている現役の選手だ。

 家族で遊ぶ時はだいたいキャッチボールから始まったし、家の中で野球の話題が出ないことは無い。やるだけではなくて、観るのも野球。野球。野球。

 そんな家にいれば、野球に興味を持つのは当然の流れだった。特に父のアメリカ時代の映像を見れば、自分もああなりたいと思っても無理はないだろう。

 あの茂野吾郎の息子。メジャーリーガーの二世。周りからも相応の期待を寄せられていたのがよく分かった。俺も満更でもなく、きっとおとさんように華々しくデビューできると信じていた。

 

 まあ、そんなことは無かった訳だが。

 

 少年野球チーム『三船ドルフィンズ』。その昔、おとさんが所属していた事があるチーム。そこで野球人生のスタートを切った俺は、そりゃあもう見事に躓いた。

 参加初日から自信満々に、意気揚々と練習をしていた俺だったが、どうやら俺には特別な才能とやらはなかったらしい、ということに気が付いた。

 練習を重ねる度に生まれる理想とのギャップ。想像していた動きが出来ないもどかしさ。そして周りからの「こんなものか」という視線。日に日に積み重なっていくそれらに耐えきれなくなっていくのは、それ程遅くはなかった。

 そして初めてやった試合で、緊張してまともにバットを振ることも出来なかった俺は、ドルフィンズを辞めた。

 監督や母には結構引き止められた。けれど、俺の決意は硬かった。頑として譲らなかった俺にどちらも根負けをして、しばらくしたら何も言わなくなった。時折何か言いたそうな顔はしていたけれど。

 

 別に野球が嫌いになった訳じゃない。未だにやるのも観るのも好きだ。ただ、このままチームで野球をやっていたとしても、小心者の俺は周りを気にしすぎてまともに練習なんかできないと思ったのだ。

 身体能力も高くないし、周りにチヤホヤされて育っていたから、野球のことを何も分かっていない。ただ漠然と俺は茂野吾郎の息子だからなんでもできると思い込んでいたのだ。

 そりゃあ才能もない初心者当然の俺が、いきなり大活躍なんてできるわけがない。おとさんだって、別格の才能があったのだとしても、その裏で過酷な訓練を積んでいたことを傍で見ていた俺は知っている。実力に見合うだけの努力をしていたからこそ、素晴らしいキャリアを重ねることができたのだ。

 その事に気づいた俺は、無性に恥ずかしくなった。何もしてないんだから、何もできるわけがない。茂野吾郎の息子として、恥じないくらいの努力をしなくては。

 そう考えた俺は、まずは野球の勉強から始めた。今の時代、元プロ野球選手の技術論や考え方等はネットでも溢れかえっている。大事な情報をまとめ、野球ノートに記録、メモ。分からないところは、こっそりおとさんにも聞いたりしながらひたすらに野球を探求した。

 勉強すればするほど、野球の奥深さを知ることが出来た。ケースバッティングにサインプレイ、守備シフトなどなど。何となくで観ていた世界が、これ程までに緻密に計算されて作られていたことに感銘を受けた。

 そして俺が何より心を惹かれたのが、キャッチャーの理論だった。

 グラウンド上の監督とも呼ばれ、グラウンドで唯一味方全体を見渡せる場所にいて、打者や走者との駆け引きし、時には味方を鼓舞したり、指示を飛ばしたりする、投手とはまた違った意味で特別なポジション。その魅力に俺は取り憑かれた。

 ドルフィンズに入って練習をして、自分の身体能力の低さを思い知った。俺は身体が大きい訳でも足が早い訳でもない。特に肩は同世代の中でも、致命的なまでに弱かった。だからこそ、茂野吾郎の息子として同じような剛腕投手に憧れていた俺は絶望をした。ピッチャーができないとということが1番辛かったのだ。

 キャッチャーも同様で、強い肩を持っていることが求められるポジションだ。強肩強打の名捕手なんて言葉もあるくらいだし、いくらそのポジションが好きになったところで俺ができるわけがないとも思った。

 けれど色々調べてみると、強肩のキャッチャーばかりでは無いということが分かった。勿論、トップアスリートの中ではということは理解していたけど、『自分は肩は強くない』と言った選手がプロの世界で盗塁阻止率三割を記録していたのだ。

 阻止率三割といえばプロの中でもトップに近い数字である。もしかしたらと希望を持つには十分すぎる事実だった。

 おとさんには少し悪かったけど、気づいた以上は止められなかった。

 俺は、キャッチャーになる。

 今はまだ全然実力も何もないけれど、いずれおとさんも認めるようなすごいキャッチャーに。

 俺はまだ小学生で、成長期はこれから先にある。

 まだまだ希望の芽は残っている。

 来るべき時が来るまで、できることをやろう。

 スローイングにキャッチング、ブロッキングにリード。捕手としてだけじゃなくて、バッティングも色々と。やるべきことはたくさんある。

 

 そんな決意を新たに俺は、毎日を過ごしていった。

 

 

 そして来る小学生六年生の春。

 

 突然やってきたそいつとの出会いから、俺の物語は幕を開けた。

 

 名前は佐藤光。あのメジャーリーガー、佐藤寿也の息子。つまりは俺と同じメジャーリーガーの2世である。

 全く知らないというわけではなかった。もうほとんど記憶にはないけれど、アメリカにまだ住んでいた時に顔と合わせたことはある。とはいっても物心つく前だったし、俺はすぐに日本に来たから知り合いという感じは全然しなかった。

 なんでも佐藤はこの街に越してきて、野球をやりたいから手ごろなチームを探しているとのことだった。そして学校にはあの茂野吾郎の息子がいると聞きつけ、彼ならばいろいろ知ってるだろうと級友に言われたらしい。

 ……いい迷惑だが、佐藤には何の非もない。ため息を一つつき、彼の質問に答える。

 

「……この辺だったら三船ドルフィンズかな。ただ今は軟式だし、もし硬式でやりたいなら、横浜まで出ないとこの辺にはないよ」

「そうなんだ。ありがとう。

 ちなみに君はどこでやってるの?」

「俺はどこでもやってないよ。もうだいぶ前に辞めた。あんまりうまくなかったし」

「そ、そうなんだ」

 

 俺のあっさりとした返答に面を喰らったようにたじろぐ佐藤。少し食い気味に答え過ぎたか。

 

「気にする必要はないよ。こっちの事情だし、割り切ってるから」

「……そっか」

「佐藤は向こうでは野球やってたのか?」

「ううん。まだキャッチボールくらいしかやったことないよ。

 あっちではとにかくいろんなスポーツをやってみようって感じだったから」

「なら最初は苦労するかもしれないな。

 けどまあ、見た感じ運動神経は悪くなさそうだし、慣れれば大丈夫そうかな。

 がんばれよ」

「え、あ、うん。ありがとう」

 

 戸惑う佐藤に手を振って別れる。最低限の義理は果たしたし、もういいだろう。

 ……佐藤には悪いが、今は他人に構っている暇はない。あと一年たてば中学生になるし、時間は限られている。

 流石に中学に入っても一人で練習を続けることはできない。実戦経験というのは大切だし、チームでのコミュニケーションをとるのもキャッチャーとして必要な力だ。個人練習だけに時間をかけられる時期はのこり少ない。

 最近やっとそれなりにまともな技術を手に入れることができたかなとも思う。けれどまだ自分に自信をもてないし、足りないものが多すぎて嫌になるくらいだ。時間はいくらあっても足りない。

 俺は早々に玄関に向かい、帰路に就いた。

 

「ねえ佐倉さん。彼はいつもあんな感じなの?」

「え? ああ、うん。前はクラスの人気者って感じだったんだけど、野球をやめてからはあんな感じなんだ。

 いつもドライで、すぐ帰っちゃうの」

「そうなんだ……」

「……前はあんなにかっこよかったのにな」

「え?」

「ううん。なんでもないよ」

 

 

 

 

 

「大吾ー。あんた明日の土曜、試合に出なさい」

「は?」

 

 その日の夜。トレーニングを終え、野球ノートに記録をしている最中に母さんから声をかけられた。

 なんでも在籍している3人の選手がインフルエンザにかかってしまい、人数が足りなくなってしまったらしい。いろいろと声をかけたが代わりの選手が見つからず、他にあてもなくなり、それで俺にお鉢が回ってきたようだ。

 三船ドルフィンズの田代監督は、おとさんや母さんと同じ高校の同級生で親交が深い。だからこそ一度チームを辞めた俺に声をかけたのだろう。

 既に母さんがOKをだしてしまったようだし、今更断りの電話を入れるのも失礼か。正直辞めてしまった手前、監督やチームメイトとは顔を合わせづらいが仕方がない。

 ……それに、まあそろそろ野球の試合に出たいという気持ちがなかったわけでもない。自分の力が試合でも通用するのか気になってもいる。自信はないが、少年野球の、それも練習試合。それ程気を張る必要もない。

 

「わかった。いいよ」

「ほんと! いやーよかった。ちょっとごねるんじゃないかって心配してたのよ」

「別に。その日だけでしょ。かまわないよ。

 ……ちなみにごねてたらどうなってたの」

「そりゃあ、あの手この手でどうにかして」

「やっぱなんでもないです」

 

 何やら不穏なことを言い始めた母さんの言葉を遮り、一人ため息をつく。当然のことだが、俺のこの家でのヒエラルキーは最底辺である。母さんは言わずもがな、ねえちゃんも男勝りで気が強い。末っ子の俺は肩身が狭い限りだ。

 まあなんにせよ約2年ぶりの試合である。折角野球ができるのだし、がんばろう。

 そうと決まったら、軽くフォームの確認をしておこう。あとどこのポジションで出るかもわからないし、グラブも用意しておかなくては。多分外野だとは思うけれど、準備をしておくに越したことはない。

 俺は少しだけ逸る気持ちを抑えながら、翌日の準備をしていった。

 

 

「……大吾、どうだった?」

「意外にあっさりとOKだしたわよ。特に嫌がってる様子も見せなかったわ」

「そうなんだ……。自分から野球の話題だしたりしないし、まだ無理なのかなって思ったんだけど」

「あの子、別に野球が嫌いになったわけじゃないと思うわよ。この前おとさんに野球の質問してたし」

「え? うそ。知らなかった」

「誰かさんに似たのかしらねー。見せたがらないのよ、自分のそういうところを」

 

 

 

 

 試合の日当日。母さんの運転する車に揺られてグラウンドについた俺は、どこか懐かしさに囚われていた。

 グラウンド自体に来るのは久しぶりというわけじゃない。けれど野球の試合にくるのは久しぶりだ。気持ちが高揚するのを感じる。柄にもなく浮かれているらしい。

 軽く深呼吸をして気持ちを整える。……よし。もう大丈夫。

 俺を呼ぶ母さんの声に応え、傍に近寄る。するとすぐ近くに監督の姿も見えた。俺の存在に気付いたようで、軽く手を振ってくれた。

 

「久しぶりだな大吾。悪いな、急に来てもらって。元気にしてたか」

「お久しぶりです監督。いえ、別に。今日はよろしくお願いします」

「あ、ああ。頼む。ユニフォームは用意してあるから、バスの中で着替えてくれ」

 

 指さされた場所にはまだ新しいチームバスがあった。シルバーのマイクロバスなんて俺がいた時はなかったのに。豪華になったな。そんなことを思いながら、挨拶もほどほどに俺は駐車場へ向かっていった。

 バスの前まで行き、中に入ろうと手をのばした瞬間、きぃと音を立てて扉が開いた。

 視線をやると中から人が出てきていた。それはつい昨日、話をしたばかりの人物だった。

 

「佐藤か。ドルフィンズに入ったんだな」

「やあ、大吾くん。その通りだよ。僕はとりあえず近場の野球チームでよかったからね。

 君はどうしてここに?」

「助っ人。メンバーが足りないからって駆り出されたんだが……、佐藤は出ないのか?」

「ああ、じゃあ君が監督さんが言ってた人なのか。

 うん。今回僕はまだ入ったばかりだから見学してろって言われてるよ。試合には君が代わりに出るみたいだね」

「そうなのか。そういうことならしょうがないな。お前のプレー、ちょっと見てみたかったけど」

「あはは」

 

 佐藤と入れ違いになりながらも素早く着替え、話しながらドルフィンズのベンチへと向かった。

 近づくと俺を覚えている奴らから声をかけられた。顔を合わせたら多少は緊張するかと思ったが、案外そうでもなかった。そのことに内心胸をなでおろしながら、短く返事をした。

 何人かには物珍しそうな顔をされたけれど、監督が事前に何か言ってくれていたのか、特に何か起こるでもなく試合が始まった。

 

 俺のポジションはライト。打順は9番。なんともまあ気を遣ってくれたようで気が楽だ。

 守備に就くと、懐かしさがこみあげてきた。久々のユニフォームの着心地とグローブのにおい。そしてプレイボールの何とも言えない緊張感と高揚感。

 ああ俺はやっぱり野球が好きなんだなと思わずにはいられなかった。

 頬が緩み、口角が自然と上がる。足がそわそわと動き、気持ちが抑えられなくなってくる。

 最高だ。

 

 ボール飛んで来い。ボール飛んで来い。ボール飛んで来い!

 

 俺の念が通じたのか、ライトに打球が飛んできた。

 打球は速く、少しきわどかったけれど、何とか追いつくことができた。

 ぱしっ。

 音を立てて俺のグラブにボールが収まった。掴んだ感触はとても心地が良いもので、少しの間その感触に浸ってしまっていた。

 やっぱり試合はいい。ボールが生きてるって感じがする。

 そんなことを思いつつ、ワンナウトーと叫びながら、俺は中継へとボールを返した。

 

「監督。茂野、どうしてチームを辞めちゃったんですか。今の守備、凄くうまかったと思うんですけど」

「ああ、本人が思ってるほど運動神経は悪くなかったんだが、肩が致命的に弱くてな。

 親父のような野球選手を目指していた大吾にとって、そのギャップに耐えられなくなったからだと思ってたんだが」

「でもさっき凄いピンポイントで他の子にパスを回してましたよ」

「送球な。……そうだな。俺も今凄く驚いている。

 以前の大吾なら、ワンバウンドどころの話じゃなかったはずだ。あいつ、いつの間に」

 

 

 試合は進み、ドルフィンズの攻撃で、ツーアウトランナー満塁。この場面で打席が回ってきた。

 二年ぶりのピッチャーが投げる球。ネクストではそわそわしっぱなしだった。

 ようやく打席に立てる。胸が熱くなってきた。

 ベンチからは親父譲りのホームラン打てとか、お前のDNAならーとか声が聞こえるが、そんなことはどうだっていい。折角の打席なのだ。余計な思考は必要ない。

 外野から聞こえる声は全てシャットアウトし、相手ピッチャーに集中をする。

 

「茂野はバッティングも苦手だったんですか」

「苦手なんてレベルじゃなかったな。当時四年生だったから打席数は多くなかったが、少なくとも俺はヒットを打ってるところは見たことがなかった」

「でも、なんていうか僕から見ても、凄く打ちそうな雰囲気を感じるんですけど」

「奇遇だな佐藤、俺もだ」

 

 相手はここまで連続で四球を出してきている。その上塁は全て埋まっている。

 制球に苦しんでいる相手が、際どいコースを狙って投げてくることはまずない。

 加えて少年野球では変化球は禁止されているから、緩急を使ったり、ましてや変化球でカウントをとったりすることもない。

 そうなってくれば自ずと投げられる場所は決まってくる。

 球がすっぽ抜けたり、長打を打たれたりしたくはないだろうから高めを狙ってはこないだろう。

 だったら外角よりの低めよりのコースに張って、狙いを定めればいい。

 俺は一呼吸置き、膝をスタンダートよりも低く沈め、バットのヘッドを立てた。俺みたいな体の小さい選手が低く沈めば、それだけでストライクゾーンは狭くなり、カウントも整えにくくなる。

 案の定相手ピッチャーは制球を更に乱してきた。明らかに外れた球しか投げられてこない。

 そして狙い通りに甘い球が外角低めに入り。

 俺はその一球を、逆らわずに右へ流した。

 キィン!

 甲高い音を立ててボールが勢いよくライトへと飛んでいく。ライト線ギリギリのスリーベースヒット。

 わが意を得たり。

 思った通りの方向へ打球が飛び、俺は内心でガッツポーズを繰り返した。

 

「茂野、凄かったですね。コーチ、監督」

「あいつ、今のねらって打ったのか……? 一体どうなってるんだ」

「以前とはまるで別人だな。あいつに何があったんだ」

 

 その後試合は順調に進んでいった。途中アクシデントがあり、交代で佐藤が試合に出場するということがあったが、今は割愛する。

 結果チームは大量得点し、快勝。俺は一打席目以外は勝負を避けられたのかヒットは出ず、少し不完全燃焼に終わった。

 だがしかし俺の実力はある程度通用する。それが分かっただけでも、今日の試合に出れたことは意味があった。

 試合後。何か言いたそうにする監督やコーチ、チームメイトからの視線をよそに俺は早々に支度を済ませ、グラウンドから出た。

 それなりに満足できた。課題もはっきり浮かんだし、帰ったら今日のことを振り返らなくては。

 以降の練習メニューについて考えながら歩いていると、不意に後ろから足音が聞こえた。

 振り向くと、今日の試合で2世の才能をいかんなく発揮し、試合中にめきめきとその力を伸ばした佐藤がいた。

 

「大吾君」

「なんだよ、佐藤」

 

「僕と一緒に、野球をやらないか」

 

 その一言からすべてが始まった。

 

 これは俺、茂野大吾が相棒と一緒に、全国の頂点を目指す物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




なお続くかは未定


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続いてしまった……。


 ぱしゅっ。音を立ててマシーンからボールが放たれる。

 軌道は真ん中高め。絶好球。

 ややアッパー気味にスイングし、ボールを捉える。

 スパァン!と甲高い音を立て、緩やかな放物線を描いた打球が前方のネットへと飛んでいった。

 

(……少し振り遅れたか。もう少しスタンスを空けてみるかな)

 

 確かに打球の速度はそこそこだったが、当たりどころが良かっただけで及第点とは言えないだろう。

 狙った場所には飛んでいないし、感触もあまり良くない。

 この間の試合の時のような、イメージ通りのスイングとは程遠い。

 

 2球目が放たれる。今度のコースは内角低め。俺のやや苦手なコース。

 腕を少し畳みながら救い上げるようにスイングする。

 カーン。

 今度は先程よりもライナー気味に打球が飛んでいった。角度は悪くない。

 だがやや詰まっていた。もう少しヘッドを早く走らせないと。

 次だ、次。

 脱力し、膝を沈める。重心を意識しながら、自分の体重をコントロールする。

 3球目。

 今度はど真ん中。ヘッドを走らせフルスイングする。

 キュイイイン!

 イメージに近い打球が上がる。感触も悪くない。タイミングもばっちりだ。

 けれど、少し上に上がり過ぎな気もする。

 

(もっとコンパクトにスイングしないと鋭い打球は飛ばない。

 俺は体がまだ小さいから、力で飛ばすというよりも、スイングスピードを上げないと話にならない。

 ……少ししたら、あの打法を試してみるか)

 

 集中。集中。まだまだ足りない。この間うまくいったからと言って、毎回同じようにできるなんてことはない。

 自惚れるな。俺に才能なんて上等なものはない。

 焦らず、着実に、一歩一歩進むんだ。

 スイングを一振り一振り丁寧に。どんなことも無駄にするな。

 

(今日のノルマまであと5打席分ある。まだ時間はある。

 ギリギリまで、限界まで。

 感覚を、研ぎ澄ませ)

 

 

 

「おい。見ろよあれ」

「ああ。やばいな。130キロのマシーンだろあれ。それを全球ジャストミートって」

「あれだけ体が小さいのによく飛ばすなあ。小学生だよな、きっと」

「しかもさっき変化球入りのやつもやってるところ見たけど、全部いい当たりしてたぜ」

「まじか。あの鬼畜仕様のやつをかよ。……とんでもねえな」

 

 

 さあ、のこりの打席も集中していこう。

 

 

 

 

「僕と一緒に、野球をやらないか」

「は?」

 

 練習試合の後、急に投げかけられた言葉に俺は戸惑いが隠せなかった。

 佐藤の眼はとても真剣で、冗談やからかいの類の感情を感じなかったことも大きかっただろう。

 けれど一番は、なぜ俺にそんなことを言うのかがわからなかったからだった。

 

「なんだよ。急にそんなこといって」

「……今日の試合。君のプレーを見て思ったんだ」

 

 そんな俺の言葉を無視して佐藤は話始めた。

 うすうす感じてはいたけど、マイペースだな、こいつ。

 

「君のプレーは、なんというか、とてもすごかった。

 僕は野球はまだ始めたばかりで、詳しいことはよくわからないんだけど、凄くワクワクしたんだ」

「あ、ああ。ありがとう……?」

「試合中のアドバイスも凄くわかりやすかった。

 フライの捕り方とか、送球の仕方とか。コツの伝え方っていうのかな。とにかく、野球初心者の僕でもわかりやすい、的確なアドバイスをしてくれて助かった。

 だから今日の試合は僕も楽しかったし、もっと野球をやってみたいって思えたんだ」

 

 佐藤はなんだか逸る気持ちが抑えられないかのように、前のめりになって俺に詰め寄ってきた。

 その勢いに、熱意に、何だか押されてしまう。

 

「僕は君と一緒に野球がやってみたい。というかやりたい。

 あのわくわくするような感覚を、もう一度味わいたい。

 だから大吾君も一緒に――」

「ちょ、ちょっとまってくれ」

 

 ぐいぐい来る佐藤の言葉を遮り、一度落ち着かせる。

 俺のそんな様子に佐藤も我に返ったのか、咳ばらいを一回してごめんと謝ってきた。

 それに軽く手を振ってこたえる。

 

「事情はわかった。佐藤が野球をやりたいっていうのも理解した」

「本当かい? それなら」

「けど悪い。俺はもうやめたんだ。今更戻ってくる気はないよ」

 

 今チームで野球をやる理由はもうあまりない。特に三船ドルフィンズは軟式のチーム。今日みたいな単発の練習試合とかならともかく、この時期に今更チーム練やポジション争いをしたところで得られるものは少ないだろう。

 だったらその分の時間を個人練習に回して、スキルアップを図った方が良い。

 来年中学に上がれば、嫌でもチームでの練習が中心になってくるんだ。引き出しを増やし、できることを今のうちに増やしておいた方が選択肢が増える。

 

「け、けど君はあんなにすごいプレーをしてたじゃないか。守備でもバッティングでも」

「凄いかどうかはわからないが、そりゃあ何年かは野球やってるからな。ある程度はできるよ。

 それに今日は助っ人としてきたんだ。失敗しないようにがんばったさ。

 でもそれだって大したレベルじゃないし、細かいところでのミスも目立ってた。俺なんてまだまだ全然だよ」

「え……」

「でもお前は違う。お前には才能がある」

 

 佐藤は今日の試合が初めての野球だったんだ。それなのにいとも簡単にヒットを放ち、打球勘を身に着け、試合中にはその化け物クラスの肩を見せつけた。

 こいつには俺なんかと違って、別格の才能がある。それも、いずれはプロになれるかもしれないほどの。

 ああ、羨ましい。

 

「佐藤はチームでしっかり野球をやった方がいいよ。お前くらいの力があれば、すぐにうまくなれるさ。

 幸いと言えるかはわからないけど、今ドルフィンズは人数ギリギリみたいだし、今日みたいに試合にも出れるんじゃないかな。お前器用だし、どのポジションになっても絶対活躍できるさ」

「……」

 

 俺の言い分に複雑そうな表情をする佐藤。そこまで気落ちされると何だか悪い気分にもなってくる。

 だが時間は有限なのだ。佐藤には悪いが、俺にも俺の事情がある。

 

「そういうわけだから。悪いな。

 今日見た限りじゃ、お前絶対いいとこまで行けるよ。

 がんばれよ」

「うん……」

「それじゃまた今度な」

 

 じゃあなと後ろ手に手を振り、若干気まずくなった空気から逃げるように、佐藤と別れた。

 さて、家に帰ってからもやることはたくさんあるぞ。

 切り替えよう。

 

 

 

「……」

「どうかしたのか、佐藤」

「いえ。さっき茂野に一緒に野球をやりたいって言ったんですけど、ダメでした。

 もうやめたから、やる気はないって」

「そうか……」

「あんなに、あんなに上手いのに。どうして野球をやらないんだろう」

「大吾なりの事情があるんだろう。今はそっと――」

「いえ、僕は諦めませんよ、監督。

 絶対に彼を野球に呼び戻して見せます」

 

 

 

 

 

 月曜日。早朝のメニューを終え、朝食を食べてから学校へと向かう途中、女子と話す佐藤の姿を見かけた。

 あんなことがあったから少し気まずい。気づかれないように速足で通り過ぎようとすると、ばっちりと目が合った。

 しまった。

 俺と目が合った佐藤は、にこやかな人好きそうな笑顔で声をかけてきた。

 

「やあ。大吾君。おはよう」

「……ああ。おはよう、佐藤。朝から元気だな」

「やだなあ。大吾君。僕らは一緒に野球の試合に出た仲じゃないか。堅苦しい。

 光でいいよ。光で」

 

 あははと、この間のことがなかったかのように笑いかけてくる佐藤。

 それほど気にはしていないようだ。スポーツ選手らしいメンタルをしている。

 するとそんな俺たちの会話を見て不思議に思ったのか、近くにいた見覚えのある女子が声をかけてきた。

 

「二人はなんだか仲がよさそうだね。この間初めて会ったばかりだったのに」

「あ? いやそんなことはないよ。まだそんなに話してもいないしな」

「あっ。ひどいな大吾君」

「本当の事だろ」

 

 ちぇっと少しすねたような顔をする佐藤。なんなんだよ。さっきから。

 そんな佐藤をまあまあと落ちつけ俺に向き直り、おずおずと俺の顔を窺う女子。

 たしか名前は佐倉だったかな、おんなじクラスの。あんまり話したことないからなあ。

 

「茂野君……。さっき佐藤君から聞いたんだけど、野球の試合出たってほんと?」

「? ああ。メンバーが足りないっていうから、穴埋めとしてな」

「そ、そっか。……そうなんだ」

 

 佐倉は俺の返答に伏し目がちに頷くとそれきり黙ってしまった。よく見ると少し体を震わせている。

 どうしたんだよ。

 

「大丈夫か。佐倉」

「へっ⁉ だっ、大丈夫だよ、気にしないで」

「お、おう」

 

 俺が声をかけると、あわててなんでもないと手を振る佐倉。

 しばらく顔を眺めていると、顔が少し赤くなっていった。目も僅かに泳いでいる。不思議な奴だなあ。

 そんな佐倉を見あぐねたのか、助け舟を出すかのように佐藤が問いかけてきた。

 

「そういえば大吾君。この間の試合で疑問に思ったことがあったんだけど」

「なんだよ」

「僕が木村君の代わりに守備に就いたとき、フライの捕り方を教えてくれたじゃないか。その時にグローブを顔の横で固定しろって言ってたけど、あれはどうしてだったんだい? 確かに捕りやすかったけど」

「ああ。あれはな、初心者はどうしたって飛んでくる球との遠近感が図りづらいからな。無理に手を伸ばしたり、自由に動かせるようにしてしまうと、なまじ球に近づいている感じがするから距離感が狂ってしまうんだ。

 だから物を見る目とグラブの位置を併せて固定することで、球とどのくらい離れているのかってのを見やすくしてるんだよ。手を伸ばし切って捕球したら、送球動作にも入りにくいしな」

 

 こいつが野球初心者だったっていうのは前もって知ってたし。チームに入りたてっていうなら、まだ基礎も教えてもらってはいないだろう。

 加えて田代監督はおとさんやこいつの親父、佐藤寿也とは同年代だっていうから、まさかこいつがズブの素人でほとんど何も知らないとは夢にも思っていなかったに違いない。実際に事情を話したら慌ててたし。

 

「慣れるまではそうやってとってた方がいいよ。まあ、お前のことだからすぐにコツをつかむだろうけど」

「うん、わかった。ありがとう」

 

 朗らかに笑う佐藤。その姿を見て何も思わないわけではない。

 いくら素人だとは言え、野球をやるのであれば一番いろいろ知っているであろう人物が傍にいるはずだろう、とか。

 どうして事前にその人物に野球のことを聞いてこなかったのか、とか。

 佐藤選手が離婚したのは知っている。少し前に報道があった。

 きっといろいろな事情があったのだろう。家庭の事情だ。深く突っ込むのは良くはない。

 気になることは多くある。だが言い方は悪いが、俺には関係のない話だ。

 切り替えよう。

 

「あとこれからお前がどこのポジジョンを守ることになるのかは監督が決めることではあるけど、自分のやりたい場所くらいは考えた方がいいと思うぞ。

 野球はポジションごとに使う筋肉が違うし、動き方も違う。今の時期ならある程度やることを決めて練習をした方がいい。佐藤ならどこでもできるだろうけど、目標があった方がモチベーションも上がるしな」

「あはは。一応褒められてるのかな。おっけー。考えてみるよ」

「ああ」

「……大吾君は、本当に野球に詳しいね」

「え?」

「あのさ、そんなに詳しいのにどうして――」

 

 そんなことを話している間に学校についた。元々それ程離れた場所にあったわけではない。

 話していればすぐ着くのは当然か。さてと、やることやりにいかないと。

 

「悪い。俺委員会の仕事があるからここで」

「あ、うん。大変だね、お疲れ様」

「おう、またな。佐倉はまた教室で」

「うん。またね」

 

 玄関口で手を振って二人と別れる。面倒だが、仕事は仕事だ。

 早く済ませて俺も教室に行こう。

 

 

 

 

「どうしたの、佐藤君。早く教室行こうよ」

「やっぱり、ちゃんと話さなきゃだめだな」

「……?」

「あのさ、佐倉さん。ちょっと協力してほしいことがあるんだけど」

 

 

 

 

 放課後。

 いつものように授業を終え、いつものように早々に帰ろうとする俺に、珍しいことに声がかけられた。

 振り向くとそこには今朝少し話した、佐倉の姿があった。

 

「茂野君。ちょっとまって」

「……なんだ佐倉。何か用か」

「えっと、その。この後って何か用事ある? なければその、ちょっと付き合ってほしいかなー、なんて」

「は?」

 

 急だな。これまでほとんど接点なんてなかったのに。話したのだって最近になってからだぞ。

 ……さては。

 

「佐藤に何か言われたか」

「えっ。う、うん。ちょっと用事があるから茂野君を引き留めてくれって」

「……はあ。なるほどな」

 

 この間の話の続きかな。佐藤もしつこいな。

 このままズルズルと付きまとわれても面倒だ。ここらできっぱりもう一度断っておいた方がいいだろう。

 幸い今日は休養日だ。この後は勉強と研究をするしか用はないし、早めに話をつけてしまえば問題はない。

 

「わかったよ。どこに行けばいいんだ」

「……! うんっ! あのね、一回家に帰ってからでいいから、グローブをもって公園に来てくれって」

「りょーかい。サンキューなわざわざ」

「ううん。いいんだ。……また、茂野君が野球やってるとこ見れるし」

「え?」

「なんでもないですよー」

 

 弾んだ声でいつもの下校仲間の下へ戻っていく佐倉。

 そんなどこか上機嫌な彼女の姿を不思議に思いながらも、俺は帰りの支度を手早く済ませ、帰路へと着いた。

 

 家についてからすぐに、クローゼットの中にしまっていたグローブを取り出し準備をする。

 公園はそれ程離れた位置にあるわけではない。自転車でも徒歩でも行ける距離だ。

 グローブを持って来いということは、向こうも一度家に帰っているのだろう。

 ならば早く行き過ぎても仕方がないか。それなら今のうちにやれることを少しやってから行こう。

 俺は机の引き出しからビデオカメラを取り出し、その中に記録された映像を選択し、再生した。

 この間のバッティングセンターで撮った映像。そこには俺のバッティングフォームや、フレーミングの姿が映っている。そこから細かな差異や乱れ、歪みがないかを確認する。

 スイングに関しては終盤になればなるほど安定はしてきているのが分かる。だがスイングスピードはまだまだだ。差し込まれ気味なものも多い。

 フレーミングはブレは少なく、逸らした球はなかったが、これはマシーンの球である。生きた球でない以上、全てアジャストしなければ意味がない。球速が上がっても、安定して捕れるようにならなくては。

 

(こうしてみると、自分がまだまだなのがよく伝わってくる。俺にはまだスキルアップが不可欠だ)

 

 佐藤にも事情をきっちり説明して諦めてもらわないと。

 あいつとは違って、俺には才能なんてものはないのだから。

 せめて小学生の間くらいは、自分の練習だけに費やさないと。

 一通りの確認を済ませた俺は、ビデオを仕舞い、そんなことを思いながら公園へと向かっていった。

 

 公園につくと既に佐藤と佐倉の姿があった。どうやらキャッチボールをしながら待っていたようだ。

 仲がいい。そういえば、二人は家が近いと言っていたな。だからなのかな。

 近づくと二人とも俺に気付いたようで、大きく手を振ってくる。

 

「悪い。少し遅れたみたいだな」

「いーよいーよ。僕らもさっき来たところだし。いい感じに体も温まってきたし、それなりに楽しかったしね」

 

 遅れてきた俺に嫌な顔一つせず、そんな返しをする佐藤。こりゃそれなりに待ってたな。

 すぐに準備して来るべきだったか。悪いことをした。

 バツの悪そうな顔をする俺に佐藤は気を遣ったのか、そうだと言いながら俺に声をかけてきた。

 

「折角だし、大吾君もキャッチボール入りなよ。グローブ、持ってきたんでしょ」

「ああ、言われた通りな」

「なら早く入った入った。三角に回していこう、順番に。それじゃ僕からいくよー」

 

 ていやあと叫びながら佐藤は俺にボールを放る。

 バシィ!と音を立ててボールはグラブに突き刺さった。

 強いな。

 

「もっと肩の力抜けよ。キャッチボールなんだから。

 佐倉、いくぞ」

「う、うん」

 

 動作一つ一つを確認しながら丁寧にボールを投げる。

 肘の位置。手首の返し。指先の方向。どれも気を抜けるところなんてない。

 何度も反復して練習した動きの通りにボールは指先から離れ、佐倉の胸元へと向かっていった。

 パシン!

 いい音だ。きっちりポケットで捕っているな。

 

「上手いじゃないか佐倉。野球、やったことあるのか?」

「えっと、私じゃないんだけど。お兄ちゃんが野球をやってて、よく一緒にキャッチボールしてたから」

「なるほど。でも、それだけじゃあんなに綺麗には捕れないさ。佐倉、きっとセンスあるよ」

「そ、そうかな。ありがと。……茂野君も、ナイスボール。すごくコントロールいいね」

「ん。サンキュー」

 

 いいながら佐倉は佐藤へとボールを回す。ボールは正確に佐藤のミットの中へ納まった。

 悪くないな。スローイングも自然だし、変な癖もついてない。案外、本格的にやったら化けるかもな。

 というか。

 

「佐藤。なんでお前キャッチャーミットなんだよ。普通のないのか、普通の」

「あはは。いやー、うちにあるのがこれしかなくてね。その内新しいのを買ってもらうよ」

「ったく」

 

 自分のグローブすらもまだ持ってないのかよ。俺の呆れたような視線に、佐藤はおどけながら答えた。

 

 そんな感じでしばらく3人でキャッチボールをしていた。最初の内は会話も挟んでいたけれど、次第にそれも止んでいき無言でキャッチボールは続いていった。

 ボールがグローブへ納まる乾いた音だけが断続的に残り、緩やかな時間が流れていった。

 そんな時間を破ったのは、やはり佐藤だった。

 

「大吾君」

「なんだ」

「キャッチボールをしても思ったけど、君はとても野球がうまいね」

「……そんなことはないさ」

「そんなことあるよ。

 だって、さっきから君の投げたボールは一度の狂いもなく、佐倉さんの胸元に構えたグローブに収まってる。

 ボールの早さも、佐倉さんが捕りやすいようなスピードになっているし。

 もちろん、佐倉さんが経験者だってこともあるけど、それだけじゃない」

 

 佐藤はボールを投げるのをやめ、俺に向き直った。

 

「この間の試合だってそうさ。

 君はどこに打球が飛んでくるのかわかってるかのように動き出していたし、追いついていた。

 バッティングもそう。なんていうのかな。一人だけ打球の質が違ってるのが、素人の僕でもわかったよ」

「そりゃ、どうも」

「君自身が君をどう思っているのかはわからないけれど、僕は傍で見て思ったんだ。

 茂野大吾って野球選手は、とてもすごいやつだって」

 

 右手に持ったボールを強く握りしめ、熱く語る佐藤。熱のこもった、本気の想いがそこにはあった。

 

「そんな君が野球をやらないなんてもったいない。

 何があったのかは知らないけど、君は野球をやるべき人だ」

 

 ……? あれ? ちょっとまて。

 

「僕は君と一緒に野球がやりたい。だからどうか、もう一度――」

「すまん、ちょっとまってくれ」

「――野球を、ってなんだい」

 

 言葉を遮られて少しむっとしたような顔をする佐藤。

 しょうがないだろ。ここで言っておかなきゃいけないと思ったんだから。

 

「お前、何か誤解してるぞ」

「? 何をだい」

 

「俺別に、野球辞めてねーけど」

 

 空気が固まった。佐藤は口を開けたまま(ついでに佐倉も)動かなくなった。

 しばらくそんな状態が続き、俺が佐藤の顔の前でおーいと手を振ってから、10秒後。

 えええええっ!! という大きな声が公園に響いていった。

 

 

「あはははっ! なんだそうだったのか! てっきり君はもうやってないのかと思ったよ」

「お前がやけに真剣な顔をしてたのはそういうことか。会話が噛み合ってないはずだぜ」

 

 場所を公園のベンチに移し数分。再起動した佐藤と佐倉が俺の話を咀嚼するまで僅かに時間はかかったが、誤解は無事解けたようだ。

 なんでも俺のやっていないの言葉を、チームで、ではなく、野球を、と解釈していたらしい。

 確かに学校では野球の話題とか出さないし、練習も一人でやっていたから気づかれていなくても無理はないか。

 どうやら4年の時チームを辞めた際に野球も一緒に辞めていたと思われていたようだ。

 まあ、それは仕方がないか。特に誰に何か言ったわけでもないし。

 

「よくよく考えてみれば、普段から野球の練習をしていない人があんなに動けるわけないよね。

 いやー、だまされちゃった」

「ほんとにねー。まったくもう」

「……なんか嬉しそうだな、佐倉」

「べつにー」

 

 先程までの重い空気とは打って変わって明るい雰囲気になったな。

 あははと朗らかな空気の中で、俺は内心でため息をついた。

 するとひとしきり笑って落ち着いたのか、改めて佐藤が話しかけてきた。

 

「それにしてもなんで一人で練習をしてるんだい?

 野球をやるならチームで、ちゃんと指導者に教えてもらった方がいいだろう」

「……最初はそのつもりだったよ。だけど茂野Jrがチームにいるとそれだけで目立って、いろいろと騒がしくなるんだ。

 俺はそんな状態で集中できるほど肝が太くないから、小学生の間は個人練しようと思ったんだよ」

 

 誰かさんと違ってな。

 

「じゃあチームに入らないってのは」

「この時期にチームに入ってやったところで、あんまり得られるものはないかなって思ったからだよ。

 もうあと一年で中学生になるし、どうせならまっさらな状態で、新しいチームに入りたいしな」

「なるほどね……」

 

 ふむ。とひとり納得したように頷く佐藤。なんだよ。

 そんな俺の疑問を感じ取ったのか、佐藤はにやりと笑った。

 

「それなら、大吾君がチームでやりたいと思わせるような何かがあれば、君はチームに入るんだね」

「ん? ……まあ、そういわれてみれば、そうだな」

「だったらさ」

 

 佐藤はベンチから立ち上がると、俺の前に立った。

 その顔には自信があり、不敵な笑みが浮かべられている。

 

「僕がその理由になってあげるよ」

「なんだって」

「君、キャッチャーをめざしているんだろう?」

「ああ、一応な」

「僕はね、今朝君と話していても思ったんだけど、やってみたいポジションがあったんだ」

 

 右手に握られたボールには力が入り、まるで佐藤の思いの強さが表れているようだった。

 

「僕はね、ピッチャーがやりたいんだ。野球の花形であるピッチャーを。

 そんな僕が、君が思わず捕りたいって思うようなボールが投げられれば、君はチームに戻ってこれるんだね」

「……へえ」

 

 面白い。それは俺への挑戦状ってことかな。

 

「賭けをしよう、大吾君。

 今から僕の全力の球を君に投げる。

 君がそれに魅力を感じたなら、僕の勝ち。君はチームに戻ってくるんだ。

 逆に何の魅力も感じなかったのなら、僕の負け。今後一切チームに戻ってきてとはいわない」

「いいだろう。佐藤」

 

 お前が例え天才でも、まだ野球を始めたばかりのお前がそこまでの球を放るとは思えない。

 けれど、期待をしてしまっている気持ちも確かにあって。

 そしてこの対決が、何故か俺の野球人生で、とても重要な対決だと思えてしまったのだ。

 

 互いに先程までキャッチボールをしていたから、肩は温まっている。

 俺はバックにしまったままだった専用のキャッチャーミットを取り出した。

 ついにこれを使う日がやってきたんだ。

 僅かに震える指先を、深呼吸をして落ち着け左手へとミットをはめる。いつも通り、よく馴染む。

 ミットをはめたまま佐藤の正面へと回る。何度かパンパンとミットを叩いてから、ゆっくりと構えを作った。

 

「投球練習は5球な。いきなり全力では投げるなよ。キャッチボールとは違うんだからな」

「おっけー。わかったよ。……それにしても、すごく堂に入ってるね」

「そりゃどうも」

 

 褒めたってなにも出ねーぞ。

 言われた通り佐藤は一球一球、ボールの感触を確かめるかのように放ってきた。

 パァン!といい音を立ててボールはミットへと収まる。

 5球の投球練習が終わり、ついに勝負の時がやってきた。

 

「……」

「……」

 

 お互いに言葉はなかった。あるのは心地よい緊張感とある予感だけ。

 佐藤が大きく振りかぶり、ワインドアップの体勢を作る。

 ゆっくりと、コマ送りのようなスピードで時間が流れ。

 鞭のようにしなやかな右手から放たれたボールは、俺のミットへと突き刺さった。

 

 スパァァァン!

 

 甲高い音が公園の中に鳴り響く。

 僅かな振動と重みをミットの中で感じた俺は、滲みだすその味をしっかりと噛み締めた。

 

 目の前には得意そうな顔をして、こちらに微笑みかける佐藤の顔。

 とんでもなくむかついたけど。めちゃくちゃ悔しいけれど。どこか心地よくもあって。

 思わず浮かんだ笑みを、俺は堪えられなかった。

 

 

 

「俺の負けだ、光。一緒に野球をやろうぜ」

 

 

 

 俺の物語はこの時、本当に始まったのかもしれない。

 あの感触に、あの感動に、俺は囚われてしまったのだ。

 きっと、ずっと、忘れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 勘違いタグあった方がいいかな……。


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 続きです。
 お気に入り登録、評価等ありがとうございます。
 めちゃくちゃ嬉しかったです。


「――とかなんとかいって、自分はすぐにチームからいなくなったやつがいるらしいんだけど、どう思う?」

『……、あはは。いやあ、ひどいやつもいたもんだねえ』

「そうだろ、そうだろ。しかもそいつ、俺に何も言わずに転校したんだぜ。自分からチームに誘ったくせにさあ。

 金曜にはわかっていたはずなのに、それを土曜の練習中に知った俺の驚きといったらもう。

 世の中にはそんな薄情な奴もいるんだぜ、佐藤も気をつけろよ。

 ああ悪い。お前には無用の心配だったかな。謝るよ。なにせ――」

『ごめん! 謝るからそろそろ許してくれないか。

 というか電話をかける度にそのいじりするのもうやめてよ。何回やるのさ』

「俺が飽きるまで」

『ひどいなもう』

 

 まいっちゃうなあ。そういいながら電話の主は困ったような声で答えた。

 少し意地が悪すぎたか。

 けれどこっちが腹を立てていたのは事実なので、この程度のいじり位は許してほしいところだ。

 例えそれが家庭の事情で、どうしようもなかったことだったとしても。

 ため息を一つつき、未だ気落ちしている光に声をかける。

 

「まあなんにせよ、平日にバッテリー練習ができないのは痛いな。このままだとぶっつけ本番になる」

『そうなんだよね……。パパのおかげで土日の練習には顔を出せるし、試合にも行けるとは思うんだけど、やっぱり群馬から神奈川は遠いねえ』

 

 そうなのだ。今、光は群馬にいる。

 母方の祖母が体調を崩し、それを心配した光の母が急遽引っ越しが決めたそうだ。

 光もそれを知ったのは引っ越しをする直前だったらしい。急な決定に光自身も心の整理が追い付かず、伝えるのが遅くなってしまったと後になって電話で聞かされた。

 光が来なかった土曜の練習終わりに監督から伝えられた時には、あの野郎と思ったが、時間をかけずに連絡がきたから一応の納得はした。

 それになんとかして母親を説得し、父親の協力も取り付けて翌週末のチーム練習から参加しているのだから、義理は果たしている。転校は光にとっても不本意なものだっただろうし、しょうがないことだろう。

 それはそれとして、一言何か言ってからにしろよと思わなくはなかったが。

 

「今度の試合、俺たちは一応スタメンで出ることにはなってる。今回は問題はないが、大会なら勝ち続ければ当然ダブルヘッダーとかもあるし、どうしたって投手は二人以上必要になる。

 卜部はいい投手だが、連投規制もあって連続では投げられない。出番があるとするならそこだ。

 だからこそ、俺たちはそれに備えて準備をしておく必要がある」

『うん、そうだね。僕も投球の練習はしてるよ。大吾君に言われた通りシャドー中心だけどね』

「それでいいよ。今はただがむしゃらに投げたってしょうがない。フォームを安定させることが最優先だ。

 球を投げるのは指のかかりと、ボールの回転を確かめるくらいでいい。投げ込みは俺との練習までとっとけ」

『わかってるよ。少し退屈だけど、まあしょうがないよね。楽しみはとっておくよ』

 

 なんとももどかしいが、物理的な距離が離れている以上仕方のないことだ。お互いに今できることを少しずつ進めていくしかない。

 個人練習自体はこれまでやってきたのと同じことだ。やることは変わらない。後はバッテリー間の呼吸だけだ。

 光には投球練習の際の動画を撮って、俺に送るように言ってある。ピッチングフォームの癖やリズムは多少はわかっているつもりだ。だが試合の空気や実際に練習を重ねることでわかってくることもある。キャッチャーとしては、少しでも一緒に練習する時間が欲しい。

 

「お前、今度の練習試合の時もこっちにくるんだろ。その時うちに泊まってけよ。そんで日曜に送ってもらえ。

 少しでも練習する時間が欲しい」

『いいのかい?』

「ああ。かーさんもダメとは言わないだろ」

『わかった。僕もお母さんを説得してみるよ』

「頼むぜ」

 

 じゃあなと別れを告げて電話を切る。そしてスマホの画面が暗くなるのを見てから、机の引き出しの中へとしまった。

 ふうとため息をつき、気持ちを整える。

 それから野球ノートと鉛筆を取り出し、今日送られてきた光のピッチングの動画をタブレットで流す。

 さあ、これからもうひと仕事だ。頑張らないと。

 俺は気合を入れ直し、机へと向き直った。

 

 

 

 俺が三船ドルフィンズに戻るとなった時、母さんや姉ちゃんは意外とすぐ納得してくれたが、監督にはそれなりに驚かれた。

 どうやら監督も俺が野球を辞めていたと思っていたようだ。練習試合の時も俺が無理をして出ていたと思っていたらしい。

 それが勘違いだと知ると、むしろ監督の方から歓迎された。監督自身おとさんと高校時代ともに野球をやっていたし、その息子がチームを辞めてしまったことに責任を感じていたのだろう。一言何か言っておけばよかったかと逆に申し訳なさが募った。

 戻った当初は、この時期に6年生の俺が入ったことにチームメイトはいい思いはしないだろうと思っていたのだが、この間の練習試合のこともあってか、何人かの例外はいたが割とあっさりと受け入れてもらうことができた。内心どう思っているのかはわからないが。短い期間とはなるが、そこはコミュニケーションをとっていくしかない。

 何はともあれ無事チームに復帰した俺は、多少の不安を抱えつつも練習に取り組んでいった。

 その際には現エースの卜部隼人や正捕手の鈴木アンディとのいざこざが多少あり、今でも毒を吐かれることはあるが、まあ中途加入ではあるし当然の感情だ。仕方がない。いい気はしないが、甘んじて受け止めるしかないだろう。

 俺にとっては予定を先取りして、デメリットを理解しながら復帰をしたのだ。気を遣って満足なプレーをしなかったらそれこそ意味がないし、チームメイトにも失礼だ。全身全霊をもって、野球に没頭していくしかない。

 いずれにせよやることは変わらない。この状況に感謝し、好きなことに全力で向き合っていくのみだ。

 

 復帰初日には監督に希望のポジションを光とともに伝えた。

 俺がキャッチャーで、光がピッチャー。監督にその場でテストを受けさせてもらい、一応の合格をもらうことはできた。しかし光はまだ野球を始めて間もないことは監督もわかっているし、俺自身も実践から離れていた期間が長かったこともあり、基本は外野手として出場し、少しずつ試していこうということになった。

 光の真っすぐを受けた監督はとても驚いたような顔をしていた。流石に佐藤寿也の息子とはいえ、ほとんど初心者の光が一二〇キロ前後の球を投げているのだ。無理もないだろう。

 だがしかしコントロールだけはどうにもならず、大枠から外れすぎるというわけではないが、まだまだ実戦で試すには心もとなかった。投球練習で半分以上ストライクが入らないのに、試合でいきなり入るわけがない。本番に強いと言われる選手もいるが、それでも最低限の能力は必要である。

 光の野球センスは間違いのないものだ。だからこそ並行して投手としての練習をしつつ、外野手として出場しながら経験を積む。光には現段階でもクリーンアップを打てるだけの能力がある。その打力を腐らせるのはもったいないだろうしな。

 俺の方も一緒に見てもらったが、キャッチャーは一朝一夕で変えられるものではない。単純な能力だけでなく、ピッチャーからの信頼やチームメイトの守備の癖、咄嗟の判断力など総合的なものが必要となる。大会までの期間が短い以上、正捕手の起用を今変えるのはメリットの方が少ない。

 そういった理由もあり、俺も基本的には外野手、光が登板するときは捕手としての起用も考えるという形となったのだった。

 チーム事情を考えれば妥当な判断であり、チャンスが与えられているだけむしろ有難い。現在のドルフィンズは万年一回戦負けのチームということもあってか、カンフル剤としても少しは期待されているのかもしれない。

 なんにせよ、どんな思惑があろうがチームにいる以上は勝つためにできることをするのみだ。

 

 

「……」

「どうかしたのか田代。そんな考え込んで」

「藤井か。いや、今日のあの二人のテストのことでな」

「ああ、あの。すごかったよな光のやつ。初心者とは思えねえ球投げてたよな」

「いやそっちもそうなんだが、大吾のやつがな」

「大吾がどうかしたのかよ。……ああ、肩が弱いのにキャッチャーやるって言ったことか?」

「ちがうちがう。

 ……あいつな、光の球を涼しげな顔で捕ってたんだよ。それも全球、アジャストして」

「え? そういや、そうだったような」

「あれだけ荒れてる球を全部ポケットで捕るのは容易なことじゃない。光程の球速ならなおさらな。

 きっと、相当練習してきたに違いない。すごい奴だよ、あいつは」

 

 

 その後練習試合前に佐倉がチームに加入するといったことはあったが、おおむね順調に事が進んでいった。

 練習試合には快勝し、俺と光は共に全打席で出塁するなど結果を残した。チームメイトからも多少のやっかみはあったが、認めてもらえたように思う。

 卜部やアンディからは、今回の結果もあってかあたりも弱まった。二人は東斗ボーイズという強豪チームを倒すために5年生から移籍してきたというから、少しは戦力になりそうだと思われたのだろう。利害の一致というやつだ。わかりやすくていい。

 大会まではもう2週間余り。ケガさえしなければ出場できる可能性は高い。課題も多いが、それ以上に楽しみな気持ちの方が強い。

 出るからには何が何でも勝ちたい。目指すならやはりてっぺん、全国大会出場だろう。

 才能なんて呼べるものはない俺だけど、だからこそ今までやってきたことを全部出し切りたい。

 その上で結果を出すことができれば、俺がやってきたこともきっと意味があることに思える。

 やりたいことを見つけたのだ。分不相応のものだとしても、後悔しないようにしたい。

 さあ、今日も野球を探求しよう。

 

 大会当日。一回戦の相手は、谷川イーグルス。実績としては近年のドルフィンズと変わりがない。

 ドルフィンズのスターティングメンバーは、

 

 一番 センター   俺

 二番 ライト    光

 三番 ピッチャー  卜部

 四番 キャッチャー アンディ

 五番 サード    有吉

 六番 ショート   木村

 七番 レフト    岸本

 八番 ファースト  松原

 九番 セカンド   勝俣

 

 以上のラインナップとなった。

 いきなり一番に抜擢とは驚いた。思わず監督の顔を見たが、監督はお前ならできると深くうなずいてきた。

 なんともまあ期待してくれたものだ。だが、悪い気分じゃない。

 それにしても光が二番か。この間は五番だったのだし、今回もクリーンアップかと思ったのだが。

 攻撃的二番は昨今の野球界ではトレンドになってきているからおかしくはない。光なら二番の役割とか気にしなそうだから面白いとも思う。

 だがまだ初心者当然の光だと、バントなどの小技はハードルが高い。選択肢としても取りづらいだろう。事実上捨てたようなものだ。

 それでもそうしたということは、それほど光に期待をしているということなのか。信頼をしているということなのか。

 まあどちらにしても、勝つために監督が選んだことだ。疑問に思うよりも期待に応えることを考えよう。

 試合が始まる。まずはうちの攻撃からだ。

 ヘルメットを被り、バットをもってベンチからネクストへと向かう。

 相手のピッチャーが投球練習を始める。投球動作から癖やリズムをつぶさに観察する。

 腕の振りや角度、足の運び、ボールの速さ。見落とせるところなんて何一つない。

 最初が肝心だ。今回は切り込み隊長なのだから、それに足る仕事をしなくては。

 谷川の投球練習が終わり、俺はネクストから打席にゆっくりと入った。

 審判のプレイボールがかかる。

 俺は息を吐き、バットを体の前に平行に構え、スタンスを広げた。

 ここからは集中だ。余計なことはもう考えない。

 さあ行くぞ。

 初球。インコース高め。ボール。

 サウスポーなだけあって、やや独特な軌道を描いている。

 球速は大体九〇前後か。それなりの速さだ。

 二球目。これもインコース。外れてボール。

 俺が右打者だからか、内側を攻めてくるな。確かにクロスファイヤーは有効だが、同時に甘く入ったら危険なボールでもある。

 俺は前足を半足分下げ、スクエアからややオープンに構え直した。続けてインコースに来るなら、この方が捌きやすい。

 三球目。インコース。今度はストライクにきた。

 腕を畳み、ヘッドを走らせてボールを捉える。

 キュイン!と音を立ててボールはライトへ向かって飛んでいった。

 少し手前で落ちるかと思ったが、ボールの勢いは衰えず、そのままフェンスを越えていった。

 先制の先頭打者ホームラン。

 狙いとしてはツーベースが理想だったのだが、まあいい。出鼻を挫くことはできただろう。

 あとボールを少し呼び込み過ぎたかもしれない。インコースを流せたのはよかったが、もう少し速かったら詰まらされていただろう。まだまだ見極めが足りないな。

 次だ次。

 そんなことを考えながら、俺はゆっくりとダイヤモンドを一周した。

 

「見たか、卜部」

「ああ。初見の、しかも大した球ではないとはいえ、左の内角攻めを逆方向にホームランてやべえな」

「完全に見切った打ち方だったな。見ろ、相手ピッチャー呆然としてやがる」

「無理もねえ。あんなんくらったら平然となんてしてらんねえだろ。気の毒に」

「つくづく味方でよかったと思っちまうな。茂野も佐藤も。

 ……負けてらんねえぞ」

 

 その後、続く光もセンターオーバーのホームランを放ち追加点。クリーンアップも爆発し、初回に一挙4得点。

 守備を経てもなお勢いは止まらず、5回までに14得点。コールド勝ちで試合を決めた。

 佐倉も代打で途中から出場し、2安打。快足を飛ばしてのツーベースもあり、結果をたたき出した。次の試合ではスタメンもあるかもな。

 卜部はランナーを幾度か出したものの無失点完投。エースの貫録を見せつけた。

 勝ち試合だし光の登板もあるかとも思ったが、監督としては余計な情報を他のチームに渡したくはなかったのだろう。ピッチャーとしての出番はなかった。

 今回の試合だけでも光の非凡な才能は見て取れたのだし、警戒されるはずだ。スイングは打席を経るごとに鋭く研ぎ澄ませれていっているのが分かるし、守備範囲も広くなってきている。間違いなくドルフィンズの中心選手として見られるだろう。少しでも情報の露出を抑えるのは間違いではない。

 とにかく無事に一回戦を勝ち抜くことができたのだ。反省点はあったにせよ、今は喜ぶべき時だ。

 ベンチで号泣する監督やコーチ、歓喜するチームメイト、手招きをする光と佐倉。その姿に少しまぶしいものを感じながら、俺もその輪に加わったのだった。

 

「そういや田代。どうして今日光が二番だったんだ? この前は大吾だっただろ」

「ん? ああ、できれば大吾と光をくっつけて打線に置きたかったんだよ」

「なんで?」

「いっちゃあなんだが、今のウチでスイングが一番鋭くて、技術があって、考えながら打席に立ってるのが大吾だからな。そいつのすぐ近くでバッティングを観察できれば、光にとってはただの練習よりずっと効果がある。

 上位に置くことで打席に立てる回数も多くなるからな。今日の試合も大吾の打席をじっくり観察してたし、見るたびに粗さがなくなっていった。チームとしても悪くない選択だったと思う。

 極端に言えば二人で点が取れるのが理想だ。今日は出来過ぎだったがな」

 

 

 一週間後。相手は虹ヶ丘ビートルズ。コールド勝ちで終えたことで、スカウティングも僅かではあるができたから全くの情報なしというわけではない。

 イーファスピッチ中心の、ゴロで打ち取る守備のチーム。盗塁など足を交えた攻撃も多く、少年野球としては細かい戦術を使ってくるチームだ。

 監督は以前ドルフィンズの監督だった小森さん。うちにも何度か来たことがある。姉ちゃんの時はまだ監督だったしな。

 キャッチャー出身の監督だ。当然うちのデータも集めているだろうし、一筋縄ではいかないだろう。

 気を引き締めていかないとな。

 ドルフィンズのスタメンは、

 

 一番 センター   俺

 二番 レフト    光

 三番 ピッチャー  卜部

 四番 キャッチャー アンディ

 五番 サード    有吉

 六番 ショート   木村 

 七番 ファースト  松原

 八番 セカンド   勝俣

 九番 ライト    佐倉

 

 という感じになった。九番に佐倉が入った以外は一回戦と同じメンバー。

 佐倉は期待されてるな。この間の試合でのバッティングを見る限り無理もないか。

 光が群馬に行ってからは平日は佐倉と一緒に練習することが多くなった。指導をしていてもバッティングフォームも悪くないし、ミートも上手い。守備は打球判断は甘いが、足も速いし取り返せる範囲だ。ライトなら十分にやれる。際どい所は俺がカバーすればいいしな。

 俺はスタメンを告げられて慌てる佐倉に近づき、声をかける。

 

「やったな佐倉。スタメンじゃん。がんばれよ」

「え、えと、う、うん。ありがとう、茂野君。

 ……だけど、いいのかな。わたしなんかが出ても」

「いいに決まってるだろ。この間の試合とか、練習の動きとかが認められたからこその結果だ。妥当だと思うよ」

「でも、私のせいで出られない人が」

「……佐倉」

 

 暗い顔をする佐倉に歩み寄り、肩をポンと叩く。

 眉尻を下げた瞳は揺れ、内心の不安が伝わってくるようだった。俺はその不安を取り除いてやれるように、微笑みながら語りかけた。

 

「スポーツをやっている以上、そういったことはよくあることだ。

 選ばれた以上は、選ばれなかった奴のためにも必死になってプレーをする必要がある」

「……」

「だけど、だからって気負う必要はない。俺たちは野球をやりにここにきてるんだ。グラウンドに立つなら、楽しまなきゃ損だぞ」

「え?」

「それに、少なくとも俺はお前が試合に出れて嬉しい。一緒に練習をしてきた仲だしな。実力もよく知ってる。

 お前ならできるよ。俺が保証する。

 頼りにしてるぞ、佐倉」

 

 俺の言葉に俯いていた顔がだんだん上がってきて、最後には真っ赤になった。

 何やらそわそわし始めて挙動不審になっている。どうしたのだろうと顔を覗き込むと、すごい勢いで逸らされた。そして慌ててベンチの自分の荷物のある場所へと向かっていった。

 その姿に内心で首をひねっていると、いつの間にやら近づいてきていた光に肘でつつかれた。

 

「なんだよ」

「いやあ、大吾君も隅におけないなあと思ってさ」

「何言ってんだか。それより今日の相手だ。手ごわそうだぞ」

「あっ、話を逸らした。まあいいけどさ。

 そうだね。でもまあ、相手がどこだって、誰だって関係ないよ」

「やけに強気だな」

「だって、負ける気がしないからね。

 僕たちは無敵だ。今日も勝つよ、絶対に」

 

 

 

 試合が始まる。

 光のやけに自信たっぷりな発言には少し意表を突かれたが、同時に頼もしさも感じられた。

 ああいう人に安心感というか、何かを感じさせることができる選手がエースとかになるのかな。そんなことを思いながら、俺は守備に就いた。

 プレイボールがかかる。

 一回の表。虹ヶ丘の攻撃。

 先発は卜部。今日も調子は良さそうで、球も走っている。一回戦をコールドで、しかも無失点で勝ち抜いたことで心に余裕ができているのかもしれない。完全に相手バッターを見下ろしながら投げていた。

 簡単に三者凡退に抑え、ドルフィンズの攻撃に移る。

 虹ヶ丘の選手たちが守備に就き、相手のピッチャーが投球練習を始めた。

 やはりとても山なりなボールだ。八〇キロでてるかわからない。

 これで半速球、スナップスローも交えてくるのだから厄介だ。

 少年野球だからこその緩急のつけ方。考えたことがないわけではなかったが、本当に実践する相手がいるとは。

 相手エースの姿を見る。やはりとても体が大きい。小学生にしてはかなりの恵体だ。羨ましい。

 イーファスと半速球を中心にしてるのは、急激な成長に体がまだ追い付いていないからかもしれない。

 もしかしたら全力で投げれば、光と同じくらいの球を投げる可能性もある。追い詰められればそういうことも考えられる。一応、頭の片隅に入れておこう。

 投球練習が終わり、審判に呼ばれ、俺はネクストから打席へ向かった。

 一礼し、バッターボックスに入る。さあ集中だ。

 一投目が投じられる。ふわりとした球はゆっくりと低めへ落ちていった。ストライク。

 打席で見るとやっぱり打ちづらそうだな。ポイントが線じゃなくて点って感じだ。

 上体を突っ込み過ぎたらかなりの確率で凡打になるだろう。引き付けないと。

 二球目。今度はうち寄りに投じられたボールは、またもゆっくりと低めにミットに収まった。やや外れてボール。

 危ねえ。今のとられてたら厄介だったな。

 緩い球の攻略はシンプルだ。できるだけ我慢してボールが自分のポイントに入ってくるのを待ち、打ち抜くこと。甘いボールを逃さずに一振りで仕留めること。

 要するにいつもと変わらないってことだ。

 集中。集中。

 三球目。今度は外側。ゾーンを掠めてストライク。

 追い込まれた。そろそろ半速球も来るかもしれない。

 俺は姿勢を低くし、バットのヘッドをやや斜めに構えた。

 四球目。半速球。本当に来た。

 俺は腰を回転させ、バットの上部でボールを掠めた。

 ファール。

 なんとかカットできたか。でもやっぱり速度差結構あるな。力感もないから、フォームに見分けもつかない。

 油断できねえ。

 息を少し長めに吐き、気持ちを落ち着かせる。さて、どれだけ粘れるかな。

 勝負だ。

 

 カイイインと金属音が響き、ボールが弾かれる。

 今ので十球目。段々癖やリズムが分かってきたぞ。

 苛立ったように俺を睨みつける相手エース。ふははは。乱れろ乱れろ。

 既にフルカウント。そこから何球も粘られたら、ピッチャーはたまったもんじゃないだろう。

 そろそろ相手としても、俺を切りたいはず。

 ちらりとベンチの方を見る。すると監督がサムズアップして応えてきた。

 もういいだろう。

 俺は次の球を悠々と見送った。

 フォアボール。

 バットを脇に置き、バッティンググローブを外しながら一塁へと歩く。

 後は頼んだぞ、光。

 

 キィン!と僅かな金属音とともに白球がフェンスの向こう側へ飛んでいく。

 光はそれを見送った後、悠々と歩き出した。

 先制のツーランホームラン。

 僅か二球。確かに甘いボールではあったが、それを一振りで仕留めるとは。

 末恐ろしい。本当に。

 ……ああ、羨ましい。

 僅かに湧き出たそんな黒い感情に蓋をし、ホームへと走ってくる光を迎い入れる。

 

「ナイスバッティング、光」

「ありがとう。いやあ、大吾君のおかげだよ。じっくり観察もできたし。

 それに来る球が分かってれば、難しいものでもなかったしね」

 

 虹ヶ丘の守備はイーファス用のシフトが敷かれている。打たせて取るからこそ、効果的な守備位置につくことでより確実にアウトにできるように動いているのだ。だがそれは味方側も、ピッチャーの投げる球種が分かっていなければできないことである。

 案の定イーファスと半速球の時で内野手の動きが異なっていた。スカウティングの際も気になっていたことではあったが、確信が持てなかったために俺の打席で真偽を確認していたのだ。

 そしてそれは正解だった。腰を低く構えた時は半速球。それ以外はスローボール。これほどわかりやすい特徴があれば、球種を定めるのは難しいことじゃない。

 まあ例え球種が分かっていたとしても、それをいきなりホームランにできるのは光のセンスあってこそのものだが。

 

 

 先制することはできたが、その後試合は膠着状態に陥っていった。

 予想していたことではあったが、球種バレした理由をすぐに気づかれ修正されたのだ。

 また俺や光はまともに勝負をされなくなったことも大きいだろう。いい当たりをしても守備シフトに防がれてしまったことも何度かあった。

 それでもリードしたまま5回を迎えたのだが、ここでハプニングが起きた。

 正捕手のアンディが一塁を駆け抜けようとした際に、足首を捻ってしまったのだ。

 幸い重症ではなさそうではあったが、大事をとって病院に向かうことになった。

 そして、代わりの捕手として俺がマスクを被ることになったのだった。

 

「まさかこんな形で、初マスクを被ることになるとはな。わからないもんだ」

「……」

「なんにせよ、やることになった以上はやりきらないとな」

「……」

「おーい、聞いてるか、卜部」

「うるせえな! 聞いてるよ!」

 

 苛立ちを露わに俺に食って掛かってくる卜部。こりゃ相当あがってるな。

 

「落ち着け卜部」

「これが落ち着いていられるか! わかってんのか、二点差だぞ二点差! いつ追いつかれるかわからねえ点差だってのに、実戦経験のねえ、組んだこともねえキャッチャーといきなりぶっつけ本番だぞ! ありえねえ」

「落ち着けって、卜部」

「俺はこんなところで負けてられねえんだ。なんとしても勝って東斗ボーイズとやりてえんだ。じゃなきゃここに入った意味がねえんだ。それを――」

「お、ち、つ、け、う、ら、べ」

 

 ヒートアップする卜部の頭を軽く叩く。卜部は目を白黒させながら俺に向き直った。

 やっとこっち向いたか。

 

「いてえな。なにす」

「切れる理由はよくわかるが、落ち着け。

 ――勝ちたいんだろ」

「……!」

 

 確かに卜部の言う通り状況はあまり良くない。僅差のゲームだし、気を張っていて当たり前だ。

 だがそれでも冷静さを失った方が負ける。普段のこいつならそれくらいわかるはずだ。

 それくらいアンディはこいつに信頼されているのだろう。キャッチャーとして羨ましい限りだ。

 だが。

 

「俺を信じられないのも無理はない。まだチームに入って日が浅いし、キャッチャーとしての姿なんてほとんど見せたことないんだからな。不安に思うのも当たり前だ。

 だけど」

 

 プロテクターを付けた胸をどんと叩く。そして不敵に笑って見せる。少しでも頼もしく見えるように。

 

「試合に勝ちたいって思いだけは一緒だ。俺の全力で、お前の全力に応える。

 信じてくれとは言わない。だが、協力してくれ。

 そして、アンディに勝利を報告しに行こう」

「……。ちっ。当たり前だ! 足引っ張ったらぶっ飛ばすぞこら」

 

 少しは冷静さを取り戻したようだ。いつもの憎まれ口に戻った。

 にやりと笑って見せる。すると卜部は気に食わなそうに視線を逸らした。

 

 パァン!とボールがミットに突き刺さる。

 ボールの勢いは衰えていない。綺麗な回転をしているし、問題はないだろう。

 心地よい緊張感と、焦がれていた景色が視界いっぱいに広がる。

 さあ、ここからだ。楽しんでいこう。

 俺はミットを数度叩いてから、マウンドに佇むエースに向かってその手を突き出した。

 

 

 試合はドルフィンズが勝利した。

 スコアは六対一。終わってみれば快勝だった。

 六回までは投手戦となるも、佐倉のライトの頭を越えるスリーベースヒットをきっかけに、四点を追加。

 結局卜部は最終回まで一人で投げ切り完投勝利。最終回に一点を失うも、気力で最後まで投げ切った。

 憎たらしい奴ではあるが、本当に尊敬する。まさにエースという感じだった。

 

 さあ、次だ。午後からは三回戦が始まる。浮かれている暇なんてないぞ。

 俺は気合を入れ直し、次の試合へ思いをはせた。

 

「……」

「どうだった? 卜部君」

「佐藤か。……何が」

「何って、大吾君と組んだ感想だよ。すごかったでしょ。彼」

「……ああ。悔しいけどめちゃくちゃ投げやすかったよ。

 全部ビタ止めで、ミットもいい音なるし、終盤も球が走ってるように感じた。

 完投できたのは、茂野の力のおかげでもある」

「大吾君、凄くキャッチング上手いよね。

 僕、彼にしか受けてもらったことなかったから最初はわからなかったけど、試合とかで相手のキャッチャー見てみるとよくわかるんだ。彼のすごさが。

 早く試合で受けてもらいたいよ。ああ、早く次の試合にならないかなあ」

 

 

 三回戦の試合。対戦相手は本郷シャークス。

 この大会、全試合コールド勝ちをしている強豪だ。

 だが、語ることはそう多くはない。

 なぜなら、

 

 この試合の先発は佐藤光。

 そしてキャッチャーは俺、茂野大吾。

 

 

 

「ついにこの時が来たね。大吾君」

「そうだな。緊張、してないか」

「まさか。するわけないよ。

 わくわくしてしょうがないさ」

「そうかよ。まあ、心配はしてなかったけどな」

「ひどいな、大吾君」

「だってよ、負ける気しないんだろう?」

「……ふふふ。その通りだよ。

 言っただろう。僕たちは無敵なんだって」

 

 

 

 

 

 

 初先発、初バッテリーで臨んだこの試合。

 俺たちは、ノーヒットノーランをたたき出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回最終話の予定(未定)


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4

 お待たせ致しました。生きてました。

 これまでのお気に入り登録及び評価感想、本当にありがとうございました。とても嬉しかったです。

 なかなか更新出来ず、申し訳ない気持ちになりながらも、何とか投稿することができました。

 それでは最終話、どうかお楽しみください。


 3回戦が終わった後。俺はいつもの行きつけのバッティングセンターで練習を行っていた。

 光は群馬に帰ったし、チームでの反省会も終わった。この後用事があるわけでもない。

 体は2試合終えた後だということもあって、疲れからか多少重く感じる。だが、俺みたいなやつにとっては、時間というものを有効に使わなくては()()()()()

 休息もトレーニングの一環だというが、俺はそれ以前の問題だ。むしろキャッチャーとしては、体が重い状態で効率よく動く練習にもなる。

 それに、どうせ明日からは試合まで一週間開くのだ。日中は学校で体を無理に動かすこともない。やらない理由はない。

 などと自己完結しつつ、息を整えバットを手に持つ。

 俺はゲージに入り、数回スイングをしてからコインを入れボールが飛んでくるのを待った。

 

(次の準々決勝の相手は東斗ボーイズ。ここ数年ずっと全国大会に出ている強豪だ。

 本郷も強かったが、それよりも投手力も守備力もさらに上。総合力で言っても、実績に違いないレベルだ。

 それに、なんといっても()()()()()()

 

 高めに飛んできた白球を一閃する。弾かれた打球はセンター方向へ向かって飛んでいく。

 息を吐き、スタンスをやや狭めてから足に力を入れる。

 今度は低めに緩い球が飛んでくる。体が動き出すのをぐっと堪え、ポイントまで引き付ける。それからやや腕を伸ばしながら、逆らわずに右へ流した。

 ヒット性の当たりがライト方向へ飛んでいく。それを一瞥してから、次を待った。

 暫くすると1打席分の時間が終わった。俺は背後を振り返り、次を待つ人がいないのを確認した。

 息を大きく吐き、体の力を抜く。さあ次だと気合を入れ直そうとすると、隣のゲージから聞き覚えのある声が飛んできた。

 

「精が出るな、茂野」

「……眉村か。久しぶりだな」

「ああ」

 

 目を向けるとそこには元メジャーリーガ眉村健の息子であり、次の準々決勝の相手でもあるチームのキャプテン、眉村渉がいた。

 眉村とは少し前まで一緒に練習をしていたことがあった仲だ。顔を直接合わせるのは半年ぶりぐらいか。

 あれから一度も会っていなかったというのに、あまり久しぶりという気はしないのが不思議だな。

 戸惑う俺に眉村は何も気にしない様子で声をかけたかと思うと、ゲージの左打席に立ち、前を見据えた。

 眉村はマシンから飛んできた球を無駄のない鋭いスイングで打ち返した。弾かれたボールは逆方向に大きな放物線を描いて飛んでいく。

 凄まじい打球だ。速さも高さも申し分のない。俺の理想とかなり近い。

 ――ああ。凄い、な。

 すぐさま次の球が飛んでくる。インコース低め。難しい球。

 眉村は今度もそれをいとも簡単に腰を回して救い上げた。

 放たれた打球はライナーで、そのままライト方向のネットへ吸い込まれていく。

 その後も眉村は一度も打ち損じることなかった。

 

(流石だな。全て芯でミートしている。スイングスピードも速い。()()()()()()()更に成長してるな。わかってたけど。

 ……くそ。負けてられないな。集中、集中)

 

 その姿に触発されながら、俺も意識を切り替え、コインをいれ、マシンに向き直った。

 

 決めていた打席数分の練習を終えてからゲージを出ると、眉村がベンチに座っていた。先にゲージから出て俺を待っていたらしい。

 その手には有名なメーカーのスポーツドリンクが2本握られており、内1つを近づいてきた俺に差し出してきた。

 一言礼を言ってからそれを受け取る。すると眉村は気にするなと言わんばかりに手を振った。

 とても様になっている。なんかイラっとした。

 首を振ってそれらの思考を追い出し、空いている隣のスペースに座る。

 もらったスポーツドリンクを一口飲み、一息ついてから俺は眉村に話しかけた。

 

「お前がバッセンに来るなんてな。てっきりもう来ないのかと思ってたよ」

「なに、次の試合相手の調査をしていたら見覚えのあるやつの姿を見たんでな。偵察がてら、挨拶に来たのさ。

 お前ならきっと、ここで練習をしてるだろうと思ったからな」

 

 眉村は俺を一瞥し、腕を組む。それから一つ頷いた。

 

「あの頃よりも数段レベルアップしているな。スイングも何もかも。

 本郷相手に快勝しただけはある。あそこは打撃のチームという印象だが、投手もそこまで悪くはなかった。

 それを簡単に打ち砕くとな」

「買い被りだよ。打撃は水物だし、打ちそこないも結構あった」

「謙遜するな。ビデオで見ただけではあったが、タイミングは全てあっていた。相手も雰囲気に呑まれていたしな。

 紛れもないお前自身の実力の結果だ。誇れとまでは言わないが、もう少し自信を持て」

 

 あの眉村が俺を褒めている。なんだかそれがむず痒くて、頬をかいた。

 それから少し咳払いをし、何かを誤魔化すように口を開く。

 

「それにあの試合に勝てたのは、俺だけの力じゃない」

「……あの佐藤2世のことか」

「知ってたのか」

「まあな。直接会ったことはないが、親父から話だけは聞いてた」

 

 そんな俺の言葉を聞いてから、眉村は僅かに不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「確かに球は速いな。本郷の打者が全員振り遅れていたし、前にもほとんど飛ばしていなかった」

「だろう?」

「だが俺は、あいつにはそれほど脅威を感じなかったな」

 

 どこか吐き捨てるような、つまらなそうな声で眉村は言った。

 眉村が不機嫌そうなのは毎度のことだが、今回は少しおかしい気もする。

 どこか不思議に感じている俺を置いて、眉村は続ける。

 

「確かに球速はある。だが、見ていてもコントロールが良いという印象は受けなかったし、投げ方も単調だ。

 四球を出した後のセットポジションも不安定だった。いつ点を取られたっておかしくはなかったな」

「……」

「才能はあるんだろう。でもまだ荒削りの原石止まりだ。あいつだけだったら、まだまだ俺たちの敵じゃない」

 

 確かに光はまだ野球を始めてから日が浅い。それ故の弱点が多くある。

 今はまだ誤魔化せているが、勝ち進んでいけば光のデータもそろっていく。

 そうなれば初心者ならではの穴をつかれていく可能性が高い。

 光自身の才能があるからこそ気づかれずに済んでいるが、それも時間の問題だろう。

 だがあの試合だけでそれらを見抜くとは。流石としか言いようがない。

 俺が感心している裏で眉村はベンチからゆっくりと立ち上がる。

 

「それでもあいつは点を取られなかった。それもヒットの一本すらも。それはなぜか」

 

 眉村はそこで言葉を区切ると、俺をゆっくりと指さした。

 

「――茂野、お前のリードがあったからだ。お前が佐藤の手綱を握って、あいつの欠点を補っていた。

 投手を調子づかせるキャッチング。ポイントポイントでの声掛け。タイムをとるタイミング。牽制。

 一つ一つの行動が、佐藤を本郷をも圧倒するほどの投手に様変わりさせた」

 

 そんなことを、普段から鋭い目を更に細めて言ってきた。

 ……なんともまあ、過大評価してくれたものだ。

 

「それは違う。確かに多少は力になれていたかもしれないが、あれは光の実力だよ。

 あとうちには光だけじゃなく、頼れるチームメイトだっているんだ。好守だってたくさんあった。

 あれは全員が頑張った結果だ」

「ふん。どうだかな」

 

 首を振りベンチの脇にあるバッグを背負うと、眉村は俺に背を向ける。

 

「何はともあれ、次の相手はうちだ。これまでと同じようにいくとは思わないことだな」

「試合に絶対なんてないさ。油断なんてするつもりは毛頭ないよ」

「……俺は必ずお前に勝つ。あの日、俺の誘いを断ったことを試合が終わってから後悔するんだな」

 

 そう言うと出口に向かって歩き出していった。

 ……自信家なところは相変わらずだな。

 それにしたって。

 

「あいつ、まだ根に持ってたのか」

 

 思わずそう呟いてから、手に持ったスポーツドリンクを一飲みすると、俺はもう一度ゲージに入るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 夕飯の後、今日の試合の反省を終え、俺は次の試合相手の研究を行っていた。

 

(東斗のエースは眉村の双子の姉の眉村道塁。左のサイドスローで、本格派。

 球も速くて、コントロールもいい。守備も悪くない。しかも左でサイドだから、ただの左よりもタイミングが計りにくいだろう。出てきたら大分厄介だな。

 打線も眉村を中心にまとまってる。打たれだしたら止まらないかもしれないぞ。

 出だしを慎重にいかないとな)

 

 まあ、眉村姉に関しては序盤はそこまで心配しなくても大丈夫かもしれないが。

 そんなことは考えながらノートとタブレットとにらみ合っていると、不意にスマホが鳴った。

 画面をのぞいてみると『佐藤光』と書かれている。俺はペンを置き、ノートを閉じてから電話に出た。

 

『やあ、大吾くん。こんばんは』

「どうした光」

『ははは。どうしたとはつめたいなあ。

 今日ノーヒットノーランを一緒にやった相棒に向かって。もっと労ってくれてもいいんだよ』

「切るぞ」

『まってまって。冗談だから。聞きたいことがあったんだよ』

 

 少し慌てたような声が聞こえた後、光は咳払いを一つしてから仕切り直した。

 

『ねえ、大吾くん。今度の準決勝だけど、先発は誰になると思う?』

「なんだよ藪から棒に。それに、それは俺が決めることじゃないぞ」

『でもアンディくんの怪我で、次の試合もマスクを被るのは君じゃないか。監督にも意見を聞かれているんだろう?』

「まあ、な」

『そうだろう? だから、僕は君が誰を推したのかを聞きたいのさ』

 

 ふむ。そりゃあ光としては今日最高のデビューをしたわけだ。初先発での初勝利。しかもノーヒットノーラン。

 次の試合は優勝候補と言われている東斗ボーイズ。自分が先発かどうか気になるのは当然か。

 俺は少し考えた後に、自分の考えを正直に伝えた。

 

「……光には悪いが、俺は卜部を推したよ」

『へえ』

 

 もっと大げさに驚くと思ったが、光は案外冷静だった。それを意外に思っていると、光は言葉を続けた。

 

『それはどうしてだい? 今日の試合で、僕はノーヒットだったんだよ。状態も悪くはないと思うんだけど』

「だからこそ、かな」

『……?』

「あの試合でお前はいい意味でも悪い意味でも目立っていた。当然東斗も、お前が先発してくると思っているだろうな」

『だったら』

「わざわざそんな風に警戒をしている相手の思った様にしてやる必要も無い。お前を想定しているからこそ、お前じゃない投手が出てくれば、それだけで思惑から外れるんだ」

 

 あれだけのピッチングをした光のことを無視することなんてできるはずがない。加えて打棒の方も大会で成績を残している。ただでさえ光は、あの佐藤寿也の息子なんだ。それだけでも警戒の下となっているだろう。

 

 

「それに、この間の試合では大して影響はなかったが、お前にはまだまだ弱点が多い。特に、長いイニングを投げていくにはな」

『それは、具体的にどんなところだい?』

「まず第1にコントロールが良くない。始めたばかりだからしょうがない部分もあるけど、甘いコースや高さに来ることが多いな」

『うっ』

「腕の振りが鈍くなると逆球も多くなる。幸い球に力があるから何とかなってるが、粘られたりして球数稼がれて、スタミナ切れしたらもうアウトだな」

『ううっ』

「あとセットも不安定だ。明らかに球威が落ちるし、甘い球も増える。ランナーが出た時のクイックとなったら余計にな」

『うぐぅ』

「短いイニングだけだったら、それでもなんとかなるだろう。それだけのものをお前は持ってる。

だがイニングを重ねれば重ねる程、打者もお前の球を見るようになる。そうなればまだコントロールの甘いお前の真っ直ぐは、慣れられて打たれる可能性が高くなる」

 

 既に眉村には光のことがばれている。用意周到なあいつのことだ。ある程度の対策を立ててくるだろう。

 

「今度の対戦相手は全国にも何度も出ている強豪だ。言っちゃ悪いが前の試合とは訳が違う。

 だからお前には試合の終盤まで我慢をしてもらって、最後を締めて欲しいって言うのが俺の本音だ。初見だったら、お前の球を打てるやつはそうはいないだろうしな」

 

 これは本音だ。今の光にとっては先発で頭から投げるよりも、少ない人数を後先考えずに全力でねじ伏せるほうがあっている。小手先の力でなく、その圧倒的な才覚をもって。

 ――若かりし頃の茂野吾郎(憧れ)のように。

 

『……褒められてるのか、貶されてるのかわからないね。

 まあでも、納得はいったよ。そういう訳だったらしょうがないね』

「意外とすんなり飲み込むんだな」

『あはは。そりゃあ悔しくないって言ったら嘘になるけど、僕よりもよっぽど僕のことを理解してる大吾くんが言うことだからね。理由も聞いたし、もう大丈夫さ』

 

(あー……、くそ。この信頼が重いなあ)

 

 光にはこういうところがある。楽観的というかなんというか。

 俺みたいなやつには眩しすぎる。だけど、悪い気分じゃない。

 

(次の試合、必ず勝つ)

 

 俺は心の内で新たに決意を固める。それからしばらく話をした後、通話を終了した。

 さて、それじゃあ信頼に応えられるように頑張りますかね。

 少し固まっていた体を解すように伸びをしてから、俺はノートに向き直った。

 

 

 

 

 

 

 監督からの連絡もあり、次の試合の先発は卜部に決まった。バッテリーを組むのは俺。

 アンディのケガの状態は思ったよりは良かったらしいが、長時間屈んでいる足への負担の大きいキャッチャーはまだ厳しいらしい。残念だが、しょうがないことだと本人も納得しているそうだ。

 卜部はそんなアンディの分もやってやると気合十分である。念願の東斗ボーイズ戦ということもあって、調子も悪くない。

 俺はそんな卜部やアンディ、そして佐倉と共に平日は練習に励んだ。

 卜部とはこの間の試合で組んだが、それも僅かの間。急造バッテリーに変わりはない。できる限り呼吸を合わせる必要がある。卜部のことを知り、引き出しを知り、特性を理解し、最高のピッチングを作り上げていかなければならない。

 卜部も前の試合で多少俺のことを認めてくれたのか、時々棘はあるものの協力的に練習に参加してくれている。

 元々野球への情熱が強い奴だ。スタミナやメンタルに不安が多少はあるが、完成度の高い、いいピッチャーである。勝負勘もあるし、守備も上手い。負けん気が強いのもいいピッチャーの証だ。気持ちが球に乗れば、心強い武器になるだろう。

 アンディも積極的に意見を出してくれている。本人が一番悔しいだろうに、チームが勝つために尽力してくれるのには頭が下がる。長い間バッテリーを組んでいたこともあって、とても参考になっている。

 佐倉もこの間の試合で何か掴んだのか、打撃も絶好調だ。俺と卜部のバッテリー練習にもバッターとして意欲的に付き合ってくれている

 学校にいる間も声をかけてくることが増えた。以前はあまり話すことはなかったのだが、休み時間や昼休みには俺のところに来て野球に関する質問をしてきたり、キャッチボールをしたりすることが多い。そんな感じで最近はほとんど一緒にいるかもしれないな。

 試合で結果を出して野球が楽しくなってきたのだろう。初心者とは思えないほどにセンスもある。背も高いし、体格もいい。打ち込めば打ち込むほど伸びていくだろう。その内ピッチャーをやってみても面白いかもな。

 そんな風にできることを各々でやりながら、準々決勝までの日々を過ごしていった。

 

 

 

 

 

 

 準々決勝当日。いよいよ東斗ボーイズ戦だ。

 先発メンバーは、

 

 一番 ライト    佐倉

 二番 ピッチャー  卜部

 三番 キャッチャー 俺

 四番 センター   光

 五番 サード    有吉

 六番 ショート   木村

 七番 レフト    岸本

 八番 ファースト  松原

 九番 セカンド   勝俣

 

 となった。一番には打撃好調の佐倉。足も速く、コンタクト率も高い。速球にもきっちり合わせられる。

 本人は照れていたが、悪くない選択だと俺は思う。最近の活躍を思えば、アンディがいない今、九番に置いておくのはもったいないと判断したのだろう。

 そう今回、アンディーは一応大事をとってスタメンから外れている。だが状況によっては、代打で出てくることになるだろう。

 正直に言えばアンディの打力が打線にいないのはキツい。この大会全試合で四番を任されているし、長打力もあるし、勝負強さもある。だからこそ、チーム内におけるアンディへの信頼感は強かった。そのアンディが抜けることは、単純な戦力ダウンだけでなくチームとしてのレベルも下がると言っていい。

 だが背に腹は代えられない。ケガを放って試合に出て悪化してしまったら、それこそ取り返しがつかなくなる。

 幸いと言っては何だが、アンディ本人も自分の役割を理解しているため、ふてくされたような態度をとらずにベンチを盛り上げようとしてくれている。本当に尊敬する。

 そんなことを思いながらベンチで試合の準備をしていると、監督がメンバー表を持ってきた。

 相手チームのラインナップを確認する。メンバーは、

 

 一番 ファースト  眉村道塁

 二番 セカンド   平田

 三番 センター   弓削

 四番 キャッチャー 眉村渉

 五番 ライト    高坂

 六番 レフト    小峠

 七番 サード    中村

 八番 ショート   酒井

 九番 ピッチャー  小松

 

 となっていた。

 予想していた通り、先発は眉村姉ではなかった。明日準決勝があるということもあり、エースを後ろに回したのだろう。大会には連投制限もあるから、投げさせるにしても、なるべく球数を少なくしたかったに違いない。

 今日投げる予定の小松もいいピッチャーだ。大柄で背も高く、球も早くて重い。強豪チームとして、層の厚さを感じさせる選手でもある。

 だがこっちにとっては好都合だ。変則左腕の眉村姉より、本格派右腕の小松の方がタイミングは合わせやすい。何せうちには光がいるのだ。右投げの速球はある程度ではあるが見慣れている。手も足も出ないという程ではないだろう。

 問題は、キャッチャーが眉村渉だということだ。あの眉村がリードするのだ。楽観的になんてなっていられない。気を引き締めないとやられる。

 俺はスパイクの紐を結び直しながら、どうやって戦おうかと思考を巡らせた。

 

 審判から声がかかり、両チームの選手が整列する。

 並んだ時に眉村と視線が合った。互いに言葉はなく、言おうとも思わなかった。

 ――絶対に負けねえ。

 思いだけを新たに、今までで一番苦しくなるであろう試合が始まった。

 

 先頭打者の佐倉がバッターボックスに向かう。だがその足取りは重そうに見えた。

 俺はベンチから佐倉に歩み寄って肩を叩く。

 

「大丈夫か、佐倉」

「茂野くん。う、うん。だいじょうぶだよ」

 

 そう言いながらも緊張する様子を崩さない佐倉。

 俺は一巡すると、意図しながら不敵な笑みを浮かべる。

 

「佐倉。お前は大丈夫だ」

「えっ、し、茂野、くん?」

「そう、大丈夫だ。お前の頑張りは俺が一番よく知ってる。

 お前ならできるさ。難しいことは考えるな。いつも通り、楽しんでいこう」

「――、うんっ! 頑張るねっ。あたしっ」

 

 佐倉は意気揚々と打席に向かった。うん、これなら大丈夫だな。

 審判のプレイボールがかかる。

 俺はベンチから相手ピッチャーの投球動作を集中して観察する。

 動作は大きくない。小さな動きから投げる、どちらかというと野手投げに近い感じだ。

 だが指の掛かりが良いのか、ボールが綺麗な縦回転をしている。球速もあるし、コントロールも悪くない。

 さあ、眉村はどんなリードをするのか。

 第一球。外れてボール。

 まずは様子見か。慎重だな。佐倉が女だからって油断も何もないようだな。

 二球目。内角ストライク。

 厳しいコースだ。高さも申し分ない。手が出なくてもしょうがないな。

 三球目。もう一度内角。今度もストライク。

 内角を続けたか。内を意識させたということは、今度は高確率で外にくるか。

 四球目。やはり外角低め。僅かに外れてボール。

 よく見たな佐倉。今のはストライクに見えてもおかしくないぞ。

 さあ、次はどう来る。

 五球目。内角高め。ストライクコース。

 佐倉は腕を畳んで引っ張り、サード方向へと転がした。バウンドがよかったのか、快足を飛ばして一塁へ駆け抜け、ギリギリセーフ。

 やるな佐倉。打ち取られた当たりでも、あきらめずに走り切った。これはでかいぞ。

 一塁にいる佐倉に拳を突き出す。すると佐倉も照れくさそうにしながらも、やり返してくれた。

 続く二番の卜部は初球から送りバント。

 甘くないボールだったがそれを見事に一塁線へと転がして見せた。ナイスバント。

 これでワンアウト二塁。得点のチャンス。

 さあ、次は俺の番だ。

 ネクストで数回スイングしてから打席に向かう。

 審判に一礼してから、打席に入る。眉村は俺を一瞥すると、ミットをマウンドへと向けた。

 息を一つ大きく吐き、集中する。スタンスはややクローズド気味に保ち、ヘッドはやや寝かせる。

 俺としては内よりの球は腰を回転させれば何とか打てるが、パワーがない分、外角の球の方が苦手だ。だからこそ外の球に合わせやすいようにフォームを構えた。

 無論、そのことは眉村もわかっているだろう。あからさまではないとはいえ、わかるように()()()()()。俺の意図もある程度読んでいるはず。その上で初球、どうくるか。

 初球。インコース低め。ボール気味。

 俺は来た球を足を開いて、腕を畳みスイングする。打球は三塁線をわずかにそれファール。

 やはりインコースに来たか。そしてボール気味の際どい球。誘ったのは俺だが、仕留めきれなかった。いいボールだ。

 二球目もインコース。今度は高め。

 僅かに動くそぶりを見せた後、バットを止める。ボール。

 今のもかなり厳しい球だったな。初回の一打席目の攻め方じゃないぞ、これは。

 ちらりと眉村を見る。すると眉村は俺を見てふっと笑った。このやろう。

 三球目。外に大きく外れてボール。これでカウントは2ボール、1ストライク。

 バッター有利のカウントになった。多少は狙いが絞りやすくなるが、強気な眉村のことだ。さあ、どうする。

 定石で行くならインコースだが、まだ2ストライクにはなっていない。今の誘いで追い込んでおきたかったはずだ。ということは今度はストライクで来るはず。

 四球目。なんと今度はクイックで投じてきた。小松の大柄でありながらも、素早い動きで放たれたボールのコースはアウトコース高め。

 タイミングをずらされ、体が流れる。なんとかバットを止めたが、ぎりぎりゾーンに入りストライク。

 やられた。今の球は打たなきゃならない。追い込まれた。

 だがこれで外を二球続けた。今の俺のフォームを見ているなら、外を続ける可能性は低いはずだが。

 先程とは逆にゆったりとしたフォームで放たれた五球目は、外角低めだった。

 俺は僅かに虚を取られるも、何とか足を踏み出し、逆らわずに右へ流した。

 打球はライナー性の当たりで一二塁の間を抜けていった。

 だが()()()()()()()()()ライトに素早く捕球され、サードへと送球される。

 結果はライトゴロ。二塁ランナーの佐倉は三塁でアウトとなり、ツーアウトとなった。

 四球目までは定位置で守っていたライトが、五球目では前進守備をしていた。間違いなく眉村の指示だろう。まんまと誘いに引っかかって、狙った方向に()()()()()()()。俺は呆然と一塁からバッターボックスの方を見る。すると眉村は不敵に笑って見せた。

 やられた。

 俺は悔しさを隠しきれずに、地面を蹴った。

 

 

 

 その後光も打ち取られ、スリーアウトチェンジ。

 変わって一回の裏。マウンドには先発の卜部が立ち、マウンドを馴らしている。

 初球だな。初球の入り方で今日の卜部の調子が分かる。

 投球練習では球が走っているように見えたが、果たしてどうか。

 暫くして東斗の一番、眉村姉がバッターボックスに入る。

 ちらりとその横顔を窺う。眉村から話を聞いたり、遠目から姿を見たりしたが、直接こんなに近くで見るのは初めてだ。

 確かにかわいいな。そんなことを思いつつ、気を引き締める。

 こんなにかわいくてもプレーは可愛くない。名門東斗ボーイズのエースを張り、切り込み隊長をやっているのだ。油断なんてできようはずがない。

 息を吐き卜部とアイコンタクトする。できることはやってきたのだ。後はぶつけるだけだ。

 プレイがかかる。

 いつも通りのワインドアップから放たれた卜部の第一球は、要求通りのコースに飛んできた。

 パアン!とミットに心地よい音が鳴り響く。

 アウトコース低め。ストライク。

 痺れるくらいにドンピシャ。文句なんて付けられないほどの、最高の球。

 間違いない。今日の卜部は最高だ。これは、俺のリードが重要になってくるぞ。

 ナイスボール!と言いながらボールを返す。すると卜部は得意げに笑った。

 二球目。続けてアウトコース低め。

 眉村姉は踏み出し、バットに当てるも切れてファール。

 この球なら遊び玉は要らない。テンポよくいこう。

 三球目。今度もアウトコース低め。

 眉村姉はそれを見送り――、ストライクがコールされた。

 今のは手を出せなくてもしょうがない。卜部のコントロールが良かっただけだ。

 三球三振。最高の滑り出し。悔しそうな眉村姉の姿を横目で見送り、次の打者を見据える。

 その後二番バッター、三番バッターを危なげなく打ち取りチェンジ。立ち上がりとしてはこれ以上ない形で締めて見せた。

 初回に眉村に回らなかったのも大きい。ランナーがいるのといないのとじゃ、怖さがけた違いに変わるからな。

 滑り出しは互角。いや、ランナーを出さなかった分、こちらの方がやや良かったかもしれない。

 だが相手ピッチャーの小松の調子も悪くない。眉村のリードも合わさって、なかなか連打は厳しそうだ。

 これは我慢比べになるな。そんな予感がよぎりながら、俺は次の攻撃に備えるのだった。

 

 二回表。ドルフィンズの攻撃は、ランナーを出せず三者凡退に終わった。

 元々尻上がりな投手なのか、段々と調子が上がっているように見える。手に負えなくなる前に早めに攻めなくては。

 変わって二回の裏。とうとう眉村の打席が回ってきた。

 投球練習の傍ら、こちらを見ながら素振りをする眉村の姿を確認する。

 この前も思ったが、やはりスイングスピードが違うな。他の東斗のメンバーと比べても突出しているのが分かる。十分に気を付けないと。

 だがまだ序盤。ここで四番の眉村を抑えておくことができれば、後の打者にも「簡単には打てない」という印象を植え付けることができるだろう。

 今日の卜部の状態はいい。だから大胆に攻めていく。際どく、ギリギリを突いて。

 攻めた結果の四球は仕方ない。逃げずに向かっていこう。

 さあ行くぞ。

 眉村が左打席に入る。冷静にマウンド上の卜部を観察する様子は、油断の欠片もなかった。

 出だしが良すぎたか。こちらとしては多少は隙を見せてほしいものだが。

 まずは初球だ。

 卜部がワインドアップからゆっくりとモーションに入り、一投目を投じる。

 内角高め、ストレート。眉村はピクリと反応を示すも、手は出さずに見送った。

 1ストライク。

 よし。眉村の性格上、甘い球でなければ初球には手を出さないと思ったが、大丈夫だったようだ。

 次。二球目は外角低め。今度は外れてボール。

 今回も手は出してこなかったか。嫌な見逃し方するな。

 三球目も外角低め。僅かに浮いたが、眉村は見送った。

 これで1ボール、2ストライク。追い込んだぞ。

 だが、ここまで一度も手を出してこないのが気になるな。初球以外は全然反応しない。狙いは何だ。

 念のため次も外角に。一つ外そう。つられてくれれば儲けものだ。腕の振りは緩めるなよ。

 俺が出したサインに卜部は頷く。そこから少しテンポを遅らせて、モーションに入る。

 投じられた四球目は、僅かに内に入ったが力の入ったいいボールだった。

 それを眉村は狙いすましたように強引に踏み込んで、一閃した。

 きぃん!と甲高い金属音と共に打球はレフト方向に飛び、そのままフェンスを越えていった。

 先制のソロホームラン。完ぺきな当たり。

 眉村は打球の行方を見ることなく、悠々とベースを回り始めた。

 今の一打、踏み込み方を見ても俺の配球を読んで打っていた。最後以外振らなかったのも、恐らくは外角へ投げさせるためだったのだろう。甘かったか。

 今日の卜部の調子は端から見ていてもいい。攻める気持ちも凄く出てきている。だからこそ、その気持ちがボールにも乗っていた。勝負する気持ちの強さが僅かにゾーンの中にボールを呼び込んでしまったのか。

 だが今のは仕方ない。少し逸れたとはいえ、コースは悪くなかったし、力もあった。相手を褒めるしかない。

 俺は一度タイムをとってから、マウンドに佇む卜部に声をかけに行った。

 

「悪い、卜部。今のは完全に読んで打ってたな。俺のリードミスだ」

「……なあ、茂野。今の俺の球、どうだった?」

「ん? ああ、悪くないボールだったよ。力も乗ってたし、気持ちも入ってた」

「なら、どうして打たれたんだ」

「今言っただろ。俺のリードミスだって。あいつが外角狙いだったのを読み切れなかったんだ。お前のボールは間違いなく良かったよ」

「そう、か」

「ああ。……引きずるなよ。大事なのは打たれた後だ。まだ序盤。この後を抑えれば問題ないからな」

「わかった」

「頼むぜ」

 

 ……どの口がそんなこといってんだか。

 そんなことを思いながら、ポンとミットで卜部の胸を叩いてから定位置へと戻る。

 

(それにしてもやっぱり動揺してたな、卜部のやつ。これがどんな感じで影響するか)

 

 続く五番。先程のホームランの影響か、制球が定まらずにこの日初めての四球。

 六番には甘く入った高めのストレートを外野まで運ばれ、ノーアウトランナー1,3塁。

 

(まずいな。さっきのホームランで完全にリズムを崩されてる。立ち上がりが良かったのもまずかったか。

 卜部のやつ、自分の調子を疑ってるんだ)

 

 おそらく眉村も、今日の卜部の攻略は難しいと判断したのだろう。だからこそ、その出鼻を崩すために多少ボール気味でも踏み込んで長打を狙ったのだ。結果ホームランになったのは出来過ぎだったのかもしれないが、その目論見は見事にはまったと言っていい。

 

(次は七番の中村。下位打線とはいえ、今までのチームとは違う。ランナーもいるし、気を抜けるところじゃないな)

 

 ここはバックを信じるしかない。俺はサインを出すと、二遊間が寄り中間守備の体勢になった。

 1,3塁であるならば低めを攻め、ゴロを打たせてゲッツーを取れたら理想的だ。外野もやや前進させて、犠牲フライを打たせないようにしていこう。

 ただしノーアウトでの三塁にランナーがいる状態だ。一応警戒しておかなくちゃな。

 卜部がセットポジションから一球目を投げる。すると七番はスクイズの構えをとった。

 

(初球から仕掛けてきたか! でもそうはさせないぞ!)

 

 卜部は要求通り外に一球外した。中村はスクイズの構えを解く。どうやら偽盗だったようだ。

 だがスクイズの構えを見せた。となればいつ仕掛けてきてもおかしくない。だが、気にしすぎてカウントを悪くしてしまっては意味がない。

 

(まだ序盤。相手のスクイズが決まったとしてもまだ2点。後ろ向きになるのはまだ早い。攻めていくぞ)

 

 卜部は俺のサインに頷き構える。二球目は内よりの高め。入ってストライク。

 今度は仕掛けてこなかったか。高めの少し甘めの球だったのに、手を出してこなかったな。

 ちらりと打者の様子を伺う。立ち位置的にはベースに少し寄ってるな。

 だがバットは短く持ってない。スクイズだけじゃなく、ヒッティングもあり得るぞ。

 三球目。外角高め。ボール気味に外していく。

 だがボールは要求した場所ではなく、真ん中高めへと放り込まれてきた。

 

(まずい!)

 

 抜けていったその球を中村は振りぬいた。

 パアン!という音と共に打球はセンター方向に飛んでいく。前進気味に守っていた外野の頭を超える勢いだ。

 

(くそっ! 裏目に出たか! ここで甘く入るとはっ)

 

 ボールはぐんぐん伸びていく。このままだとフェンスを越える勢いだ。

 

(超えるな、超えるな!)

 

 俺の祈りも通じず、あと少しでフェンスの向こうまでボールが届くといったところで、

 

 いつの間にかフェンス際まで動いていた光が、ボールをもぎ取った。

 

「まじかよっ!」

 

 相手チームの選手の誰かがそう叫ぶ。しかし、これは紛れもないチャンスだった。ランナーが全員飛び出している。

 

「光っ! サード!」

 

 俺の叫びが届いたのか否か判断はつかないが、光はボールを取った後その自慢の強肩で、サードに向かって文字通りレーザービームを放った。

 ぐおっという勢いでボールは三塁へ飛んでいき、ドンピシャでグローブの中に吸い込まれていく。

 サードランナーは戻り切れずにフォースアウトとなり、これで一気にツーアウトとなった。

 

(今のは危なかった。光がいなかったら超えられてたな)

 

 ナイスセンター!と一言光に声をかける。すると光もグローブを上げてそれにこたえてくれた。

 

(これは大きい。チームが勢いに乗れるファインプレーだ。流石だな)

 

 卜部もほっとしたような顔をしている。俺はツーアウト―!とバックに声をかけてから、座って構え直す。

 さあ、バックが盛り上げてくれたぞ。流れに乗っていこう。

 続く八番バッターにはフォアボールを出すも、徐々にボールが枠に集まりだし、最後九番バッターには威力を取り戻したストレートでセカンドゴロを打たせスリーアウトチェンジ。

 八番への四球はヒヤッとしたけど、一失点で大きく崩れなかったのはデカいな。雰囲気も悪くないし、卜部の調子も戻りつつある。焦らずいこう。

 

 

 

 三回の表、ドルフィンズの攻撃は八番の松原からだったが、小松の速球に合わせられず空振り三振。

 九番の勝俣は粘るも当てさせられて、ショートゴロで2アウト。

 そして打順は二巡目へと回り一番の佐倉。

 先程ヒットを打った佐倉を警戒したのか、四隅を使った配球で的を絞らせず、最後は内角低めをひっかけてショートにゴロを打つが、初回の時と似たような形でその俊足を生かし内野安打で出塁。

 だが続く二番の卜部はフルカウントからのピッチャーゴロでアウトとなりチェンジ。

 しかしこの回でかなりの球数を消費できたな。そろそろ次の回あたりで点を取りたいな。

 裏の守備では、調子を取り戻した卜部が九番、一番、二番を三者凡退に抑えた。エンジン全開になった卜部は、テンポよくコントロール良く投げ切り、球数も少なくすることができた。

 やっぱり投手戦の模様になってきたな。どこかで流れを変えていかないと。

 

 

 続く四回の表、打順は三番の俺から。

 この回は先頭打者としてまずは出塁しないと話にならない。反撃の糸口を掴まなければ。

 一打席目で小松の投球の大体のタイミングはわかった。他のメンバーへの投球で眉村の配球のパターンも少し読めた。後は打席内で微調整をすればいい。

 今度はいつも通りスクエアスタンスでバットを構える。息をゆっくりと吐き、丹田に力を入れていく。

 ヘッドを立て上体をやや前かがみに、そしていつもよりも膝を低く構え、両足に体重を乗せる。

 出し惜しみはなしだ。()()()()()()、ここで流れを作るためにも、一気にいくぞ。

 初球アウトコース、ボール。

 一球外してきたか。警戒されてるな。

 だが釣られるな。俺が打つのは甘く入ってきた球だけだ。集中しろ。

 余計な思考が晴れ、次いで周りの音が消え、視界にはピッチャーの姿だけが見える。

 集中、集中、集中。

 二球目は内角に高めの球。今度もボール。

 誘ってきているのか。だが、もうこの直球には慣れた。このくらいじゃもう釣られないぞ。

 そして三球目。外角に僅かに甘く入った球を、ギリギリまで呼び込み、インパクトの瞬間に腰を逆回転させて振りぬいた。

 ギュイーンという音を立てて打球はレフト方向に飛び、フェンスへと直撃した。

 角度は付かなかったが、打球の質は最高だった。狙いどおりに打てたな。

 俺は打球を確認しながら、二塁ベースへと到達する。

 試合では初めて試したが、何とか成功した。でもやっぱり負担が大きいな。何度もはきついか。

 

 

「い、今何が起きたのワッキー。な、なんかすごい飛ばされたんだけど」

「ワッキー言うな。……恐らくだが、打つ瞬間に腰を逆回転させたんだ。それによりスイングスピードを上げている。だからあそこまでの打球が生まれたんだろう。所謂ツイスト打法と呼ばれるものだ。

 だが体ができていない分、あれだけのフルスイングはそう何度もできないはずだ。切り替えていくぞ」

 

 

 続く打者は四番の光。一打席目はアウトにはなったが、いい当たりを放っていた。この打席も期待できるな。

 だが、打順と状況を考えると果たしてまともに勝負してくれるかどうか。眉村はあからさまに立つ様子はないが、そのまま普通に攻めてくるとも限らない。

 光は普段は穏やかに微笑んでいる口を一結びにし、真剣な目で相手ピッチャーを見つめている。集中はできてるな。

 俺は塁上で光を応援しながら、少しでもプレッシャーをかけられるように大きめにリードを取る。

 だがピッチャーの小松は僅かに動揺する素振りを見せたものの、光への初球は内角低めにストライクが決まった。光はスイングするも当たらずに空振る。

 勝負か。確かにアウト一つ取ってない状態でランナーを増やすのは良くない。だが光以降の打者のことも考えたら、避けてくることも考えられたんだけどな。強気な眉村らしい。

 さあ、吉と出るか凶と出るか。

 次いで二球目、三球目と内角を続けられ、四球目に外角の球が来て2ボール、2ストライク。

 そして五球目今度も内角に来た球を光は流し打った。

 キィン!と打球は右中間へと飛んでいく。ライトとセンターが懸命に追いかけるも、ギリギリ手前に落ちた。

 俺はそれを確認してから、サードベースへと全力で走る。当たりが良すぎたのか光は一塁で止まったが、チャンスは広がった。

 それにしたって今の球、なかなかに難しい球だったと思うが、よくあれを外野に持っていったな。あんな球を打ったら普通はファールになるか、どん詰まりのゴロになるかのどちらかだと思うんだけどな。流石だ。

 チャンスが拡大しバッターは五番の有吉。前の打席は三振だったが、タイミングは悪くなかった。それにこの状況だ。

 三塁塁上から小松のモーションと眉村の動きを見つめ、同時に一塁にいる光へとサインを送る。ちらりと監督にもアイコンタクトを送ると、田代監督はこくりと頷いた。

 有吉への一球目はアウトコースへストライク。様子を見ながらも厳しいコースへ投げ込んできたな。

 向こうもこちらの狙いを読んでいるのだろう。問題は仕掛けどころだな。タイミングがすべてだ。

 二球目のモーションに入ったのを見ながら、小松に走る素振りを見せる。すると動揺した小松は枠を大きく外した。これで1ボール1ストライク。平行カウント。

 やはり眉村自身は揺さぶりは効果が薄いが、小松自身にはまだ効果がありそうだ。

 そして三球目、有吉はバントの構えを見せる。小松は今度も枠を外しボール。

 序盤から快投をしてたからな。初回以来のピンチだ。頭ではわかっていても、なかなか普段通りというわけにはいかないだろう。

 そろそろだ、と思ったところで眉村がタイムを取り、内野陣がマウンドへと集まる。

 勝負所だからな。このまま落ち着かせずに一気に攻めたかったところだけど、流石というべきか。

 その後何やら眉村が小松に何か言い、眉村姉がその肩を叩く。それから小松は頷くと、マウンドを降りていった。

 ここでピッチャー交代か。カウント的にはバッター有利だが、既に中盤。小松の状態は悪くなかったが、ここで簡単に点を取られるわけにはいかないと判断したのか。

 変わってピッチャー用のグラブを右手にはめ直して、眉村姉がマウンドに上がった。ここで出てきたか。

 ここからが東斗のベストバッテリー。

 だが今が俺たちにとってのチャンスには変わりない。ここで得点できるかどうかはかなり重要になってくる。頼むぞ有吉。

 眉村姉が投球練習を終え、所定の位置につく。どんな投球を見せてくるのか。

 セットポジションから構え、しなやかな左腕から放たれたボールは有吉の胸元に突き刺さった。

 ……エグいな。あのクロスファイヤーは。あれはなかなか打てないぞ。有吉のやつ、完全に腰が引けてやがる。

 そして最後もインコースに投げられ、有吉は見逃し三振に終わった。

 これで1アウト。流石東斗のエースだ。小松も凄かったけれど、やっぱり一つ飛びぬけてる感じがするな。

 バッターは六番の木村。うちの元トップバッターだ。パワーはそれ程だが、小技ができて足も速く、選球眼もいい。2アウトになる前に何とかしたいな。

 木村への初球。今度も内角でストライク。

 驚いたような顔をしてるな。かなり腰も引けてる。相当食い込んで見えるみたいだ。どうやって攻略していくか。

 しかし彼女もまだマウンドに上がったばかりだ。球に勢いはあるが、まだ本調子にもなり切れてない気もする。だからこそ本来の状態になる前に点を取りたい。

 二球目、インコースに食い込むようにしてきた球を木村はバントするも、当てられずに2ストライク。

 まずいな、追い込まれた。これで向こうはボール球三つを有効に使うことが出来る。迂闊に飛び出せない。加えて球の勢いも増してきている。これは……。

 そして三球目、アウトコース低めに来た球に合わせられずに、木村は三振した。

 これで2アウト。最後の1球は誰がどう見ても最高の球だった。完全にエンジンが掛かってしまったようだ。

 その勢いで七番の岸本も完全に翻弄され、空振り三振。

 チャンスは作ったものの、三者連続三振でこの回も無得点という結果に終わった。

 ピンチからのエースが登板して、無失点。これはチームが勢いづくぞ。次の守備、これまで以上に気を付けないと。

 

 

 

 裏の守備、打順はクリーンアップから。

 兎に角先頭打者だ。慎重に行こう。この回は眉村にも回る。余計なランナーは出さないようにしなくては。

 そんな事を思いながら攻めたが、三番の弓削にはカウントぎりぎりまで粘られて四球。

 続く四番の眉村には厳しく攻めたものの、見極められ連続四球。

 ノーアウトで一、二塁。ヒットは打たれてはいないし、投げている球も悪くないが、やっぱり流れが良くないな。

 既に四回。残りはあと2イニング。ここでの失点はどうしても避けたい。

 ……仕方がない、か。

 俺は監督にアイコンタクトをした後、審判にタイムをかけてマウンドに駆け寄った。

 

「卜部」  

「わかってるよ。……悔しいがしょうがねえ。

 今点を取られるわけにはいかねえからな」

「……悪い」

「なんでテメェが謝んだよ。これは単なる俺の力不足だ。俺の責任だ。テメェにはやらねえよ」

 

 そう言って卜部は外野へと走っていった。

 ……卜部はああ言ったが、今日のあいつは絶好調だった。俺がもっと上手くリードしてやれてれば、もしかしたら完投だってできたかもしれない。責任は重い。

 このままあいつを敗戦投手にはさせないぞ。

 そう決意し、新たに外野からマウンドへとやってきた光と向き合う。

 

「ようやく出番がやってきたね。よろしく、大吾くん」

「ああ。……難しい場面だが、ここは点をやるわけにはいかない。お前のゴリ押し投法が必要だ」

「ゴリ押しって。ひどいなあ。

 ……でもまあ任せてよ。皆の頑張りを無駄になんかさせないからさ」

「頼むぜ」

「頼まれたよ」

 

 ポンとグラブとミットを合わせてから定位置に戻る。

 明らかなピンチで、気を抜けない場面なのになんでだろう。なぜだかすごく落ち着けている。不思議だ。

 光のもつ謎の自信に釣られてしまっているのかな。とにかくここからだ。

 ランナーがいる状態での登板は厳しものがある。だが光ならと思わずにはいられない。

 ここで流れを変えるぞ。

 三球の投球練習が終わり、バッターがバッターボックスに入る。

 バッターは五番。クリーンアップ。前回の打席は四球だった。だが名門チームの五番だけあって、見逃し方は上手かった。注意が必要だ。

 けれど光にはコースを狙うコントロールはないし、技術もない。真っ向勝負しかできない。

 だから俺の役目はあいつを信じて、最高の球を投げられるようにサポートするだけだ。

 さあいくぞ光。

 ランナーは気にするな。お前の最高の一球を投げ込んで来い。

 光がセットポジションから振りかぶる。落ち着いたモーションから放たれた一球は、ズドン!という音を立ててミットに突き刺さった。

 コースとしては甘い。けれどこの試合の中で誰よりも速く重い球は、東斗の五番といえど反応できなかったようだ。

 打高投低と言われるようになった今では、ストレートだけで抑えることはかなり難しくなってきている。トレーニング技術が発達し、練習方法が洗練され平均球速が上がってきていてもそれは変わらない。むしろ選手全体が速球を打てるようになってきているのだ。だからこそコントロールが重要であり、ピッチャーとしての技術が必要なのだ。速球しか投げてはいけない少年野球であるならなおさらだ。

 だが光の才能はその常識を簡単に覆す。元々あった素質に加えて、理想のフォームを追い求めてここまで作り上げてきた、未完成でありながらも威力の増したストレートは、出会った頃よりも更に成長、いや進化した。

 単純な球速だけじゃない。伸びもキレも質も比べ物にならないほどに。それこそ本郷戦の頃よりもさらにだ。

 見ろ、相手チームの選手たちの顔色が変わったぞ。

 無駄球は要らない。ねじ伏せろ光。押し切るぞ。

 そんな気持ちを持ちながら俺がサインを出すと、光はどこか満足げに頷いた。

 

 

 

 その後光は五、六、七番を連続三振に取った。三者連続三振。完璧なリリーフだった。

 もう終盤の五回に入る。ここで得点できなかったら、残りは最終回の攻撃だけになってしまう。

 何とかして点を取りたい。頼む、出てくれ松原。

 俺の願いとは反対に八番の松原は空振り三振に終わった。

 まずいな。完全に調子を上げてきてる。どうにかして突破口を開かないと。

 そうやって考えながらマウンド上の眉村姉を見つめていると、ベンチの田代監督が動いた。

 九番の勝俣に代わってアンディを代打に。ここで勝負を賭けるのか。

 指示を受けたアンディがバットを持って素振りを始めた。

 確かにアンディならば出塁する可能性はさらに上がるだろう。しかしアンディはまだケガが完治していない。走塁や守備はまだ未知数だ。負担を考えても、あまり長いイニングを戦うことは避けたいはず。それでもアンディを代打で使うのであれば、延長のことはもう考えないということになる。

 アンディが出塁すれば、上位打線に回る。この回仮に三者凡退に終われば、次は二番の卜部からになる。それだと俺や光にもランナーがいない状態で回ってくる可能性も高い。連打が難しい眉村姉だ。そんな状況になれば、先程の焼き増しにもなりかねない。だからこその策なのだろう。

 アンディもそれが分かっている。眉村姉の投球練習を見る目がそれを物語っていた。

 頼むぞアンディ。なんとか道を切り開いてくれ。

 アンディがバッターボックスに入る。プレッシャーも相当あるはずだ。どうアプローチするのか。

 眉村姉が初球を投じた。コースはここまでうちのバッター全員が苦労していたインコース。

 それをアンディは肘を畳んで振りぬいた。

 キィン!という金属音と共に打球が綺麗にセンター方向へと抜けていく。

 初球攻撃。眉村姉へのこの試合初めてのヒット。これで同点のランナーが出たぞ。

 流石だ。まさか初球を振りぬくとは。決して甘いボールではなかったというのに。

 塁上でガッツボーズをするアンディにみんなで声援を送った。これはデカいぞ。最高だアンディ!

 続くバッターはここまで2出塁の佐倉。何とかつないでくれ。

 打席に入った佐倉に必死に声援を送る。佐倉が出れば逆転の眼も出る。頼む、頼む!

 その佐倉は粘った末に、しぶとくライトへと打球を運んだ。

 よくやった佐倉!これで逆転が現実味を帯びてきたぞ。

 バットを準備し、ネクストサークルに向かう道すがら佐倉へとガッツポーズを送る。佐倉はそれに少し照れながらガッツポーズで応えた。

 次は二番の卜部だ。何とかしてチャンスを広げてくれ。頭の中でそう願っていると、卜部が声をかけてきた。

 

「心配すんな」

「え?」

「だから心配すんなって。必ずお前までいい形でつなげてやるからよ。黙って見てろ」

 

 そういった卜部は、際どい球をカットしながら球数を投げさせ、最後には四球を選んだ。

 一塁へ歩く途中で卜部は俺を見ると、拳を突き出してきた。俺は最大の敬意をもって応える。

 思わず笑みが零れる。この土壇場で、しかも相手は東斗のエースだっていうのに。マジかよ。有言実行か。くそ、みんなかっこいいじゃんかよ。

 俺はネクストから立ち上がり二、三回素振りをしてから打席に向かう。

 既に満塁で、フォアボールでも同点。慎重にボールを見極めていかなくては。後ろは光だ。繋げば何とかなる。

 

「大吾くん!遠慮なんていらないよ!」

 

 そんな俺の考えを読んだのか、歩き出した俺に光はそう叫んだ。

 振り向くとそこにあったのは、いつものむかつくくらい爽やかな笑顔で。

 

「君に任せるからさ。決めておくれよ。

 君なら打てる。信じてるよ!」

 

 そんなことを言い放った。

 ……ったく、買い被り過ぎだっての。でもまあ、悪い気はしないかな。

 見てろよ。今度は俺がお前らの頑張りに報いる番だ。俺は一層気合を入れ直して、再度バッターボックスへ歩き出した。

 今度は東斗の選手たちがマウンドへと集まる。当然だろうな。ここがターニングポイントだ。この局面で点が取れなかったら、きっと俺たちに勝ち目はない。

 ピッチャーの交代はないだろう。なんてったって今登板しているのはエース。眉村道塁以上のピッチャーなんていない。もしピッチャー交代をするのであれば可能性があるのは()()()だけだが、それはしないはずだ。

 だとすれば、俺ができることは今の時間を使って出来る限り集中を高めておくだけ。

 打席では初めてだが、映像では何度も観たし、塁上からもベンチからも見ていた。後はイメージして、打席の中で修正していくだけだ。何が何でも打つ。

 作戦会議が終わり、東斗の選手が守備に就く。見たところ前進守備で、外野がやや前に来ている。だがサードが前に出ているな。スクイズの警戒もしているようだ。

 ならば一塁線へと転がせばとも思うが、打たされてしまえばゲッツーになる可能性もある。迂闊なことはできない。

 さあ、勝負だ。

 俺の全部を賭けて、いくぞ。

 初球アウトコース。ストライク。

 慎重に入ってきた。流石の眉村も攻め方を少し変えてきたな。

 ランナーがいようがピンチであろうが関係ない。球の勢いは今まで以上。敵ながら、本当に凄いピッチャーだ。

 ふー、と息を吐き意識を集中させる。

 徐々に周囲から音が消え、自分の鼓動だけが聞こえるようになる。

 俺が狙うのは甘く入った球だけだ。どんな投げ方であろうと必ずボールはホームベースの上を通るのだ。フォームに惑わされるな。集中しろ。

 勝負は一振りだ。この打ち方はもう何度もできない。無駄に振るな。一回に全てを込めろ。

 腰を落としバットのグリップを握り直す。大振りはいらない。とにかくコンパクトに振り抜くんだ。

 二球目今度はインコース頭ぎりぎりの場所へ。ボール。

 釣り球か。ブラッシュボールに近いが、大袈裟に避けるほどでもない。当たれば当たるでデッドボールで同点だ。むしろ儲け物だ。

 これで平行カウントだ。満塁だからボール先行にはしたくない筈。ならそろそろストライクで来る。

 次だ。次で決める。

 眉村姉が振りかぶる。だが、それはここまでのサイドスローのフォームとは違っていた。

 上体が傾き、左腕が地面と垂直になる程に縦に伸ばされた投げ方。茂野吾郎(おとさん)のような、迫力のあるオーバースロー。恐らくはここまで隠してきたであろう切り札。

 これまでと違うリリースポイント、違う勢いで放たれたボール。甘く入って来たボールを俺は振り抜いた。

 パアンという打球音と共に俺は走り出す。打球はピッチャーへと向かって飛んでいった。

 まずい。予想以上の球の勢いに押されて打球が上がらなかった。あんな切り札を隠していたとは。

 しかしここでまた思ってもいない事が起きた。

 真っ直ぐにピッチャーへ向かっていったボールは、マウンドのプレートに当たり、ポーンと高く跳ね上がったのだ。

 イレギュラーバウンド。九死に一生を得るチャンス。

 アンディはその隙にホームへと滑り込んだ。恐らくは俺が打ちに行くと思ってモーションに入った瞬間から走り出していたのだろう。

 更に()()()()が目に入ったことで、俺は一瞬ピッチャーの視界に入るように速度を緩めてから、必死に一塁へと走った。ここで俺がアウトにならなければ、同点以上が確定した上で、余裕をもって光にまわしてやれる。

 走れ、走れ、走れ!

 息が切れ、足が悲鳴を上げる。ガタガタになってきている足を必死に上げる。一生懸命やることしか出来ないんだから、こんなとこで根を上げてたまるか!

 ようやく眉村姉がボールを捕球し、ファーストへと送球をする。俺はヘッドスライディングで、一塁へと滑り込んだ。

 結果はアウト。だが、その間に二塁ランナーの佐倉が三塁を蹴っていた。

 東斗の一塁手は慌ててホームへ投げ返すも、一歩及ばずセーフ。これで2点。逆転だ。

 なんともカッコがつかないが、やれることはやりきった。二人のおかげだな。

 俺はベンチに戻りながらホームにいる二人へと拳を突きだす。アンディと佐倉は手を振って応えた。

 そう。実はアンディと同じように、佐倉も眉村姉がモーションに入った瞬間に走り始めていたのだ。佐倉はその快速を飛ばして、打球が上に高く上がっている時にはもう三塁に到達していた。

 その光景が目に入ったからこそ俺はわざとスピードを緩め、ピッチャーに俺の存在を印象付けた。一塁に送球すればアウトを取れると思えるように。そして佐倉は俺とのアイコンタクトの後、ホームへと駆け出していった。

 眉村も佐倉の姿は目に入っていただろう。だが捕球をした時点で三塁から動いていなかったからこそ、そのままファーストへ投げさせたのだ。

 俺にとっての嬉しい、そして眉村にとっては悔しい誤算だったのは佐倉の足の速さと度胸だ。彼女が咄嗟の俺の合図に気付き、それを躊躇いなく実行してくれたからこそ、この得点が生まれたのだ。

 このまま勝てたらこの試合のMVPは佐倉だな。そんな事を思いながら、俺は歓喜の輪に加わっていくのであった。

 

 

 

 その後光はセンターフライに打ち取られチェンジ。

 だがこれで攻撃を1つ残した上で勝ち越しだ。追われる立場になってしまったが、これは大きいぞ。

 

「光、頼まれた通り点取ったぞ。今度はお前の番だな」

「あはは。まあ、ぎりぎりだったけどね。アンディくんと佐倉さんのおかげだし」

「うるさいな。取ったことには変わりないだろ。

 ……残りアウト6つだ。頼むぞ光」

「ふふっ。ねえ、大吾くん」

「なんだよ」

「のこり、全部三振でいいかい」

「ああ、いいぜ」

 

 そう言って俺たちはグラブとミットを合わせた。

 そして光は宣言通り、八、九、一番を連続三振で打ち取る。これで前の回と合わせて六者連続三振だ。

 手が付けられなくなってきてるぞ。味方ながら恐ろしいやつだな。

 そして最終回。ドルフィンズの攻撃はエースの意地か、眉村姉に三者凡退に抑えられてしまった。五回に点を取れて本当に良かった。

 六回の裏。東斗ボーイズの攻撃は二番の平田。だがエンジンのかかった光の球に合わせられずに三振。

 続く三番の弓削も三振に仕留めた。

 これで2アウト。あとアウト1つで準決勝進出だ。

 最後のバッターは眉村。ホームラン一本で同点だから、無理して勝負する場面ではない。ではない、が。

 ここで勝負を避けるわけにはいかないよな。

 負けられない戦いだからこそ、退けない場面もある。

 こいつを打ち取れれば、次の試合にも弾みがつく。

 眉村は全国でも屈指のバッターの筈だ。本気で全国を目指すなら、光の力がどこまで通用するのか確かめなくては。

 何より光が更に一つ上のピッチャーになる為にも、この勝負は必要だ。

 お前ならできる筈だ、光。眉村を抑えてみせろ。

 そう想いをのせて光にサインを送る。するとあいつはいつも通り自信に満ちた顔で頷いてみせた。

 全くあいつは。眉村のヤバさは散々教えたって言うのに。本当に大物だな。

 俺が思わず吹き出していると、バッターボックスの眉村が不機嫌な顔で話しかけてきた。

 

「余裕だな、茂野」

「ああ? 余裕なもんかよ。内心ヒヤヒヤしてるさ」

「それにしては、笑っているように見えたが」

「いやなに、相方がアレだと大変だなって思っただけさ。本当に飽きないよ」 

「……まだ終わっちゃいない。このまま終わると思うなよ。すぐに追いついてやる」

 

 そう言って眉村は光を睨みつけた。

 ああ、俺だってお前がこのまま終わるなんて思っちゃいないよ。色々データで研究しているであろうお前だからこそ、こっちも対策を練ってあるんだ。

 多分1打席しか通用しないであろう方法だが、それで十分だ。この打席を死ぬ気で抑えていく。

 さあ行くぞ光。

 ゆったりとしたワインドアップから動作一つ一つを確かめるように放たれたストレートは、アウトローへ突き刺さる。

 バチン!とミットに突き刺さるボールを見て、眉村は驚いた様な顔を見せた。

 そりゃ驚くよな。ここまでアバウトなピッチングしかしてなかった光が、アウトコースぎりぎりに決めたんだから。誰だってそうだろう。

 続く二球目もアウトコースへ。今度は眉村も反応しカットする。だがボールは一塁線へ切れていった。

 もう対応してきたか。やっぱり別格だな、こいつは。

 だがこれで光のコントロールを意識付けられた筈だ。二球連続で同じコースに来たんだからな。

 勿論光のコントロールが急に良くなった訳ではない。ある程度の制球力はついてきたが、卜部や眉村姉とは程遠いレベルでしかない。

 そんな光がアウトコースに投げきれたのは、プレートの位置の問題だ。元々真ん中にはそこそこ投げ切れていた光の立つ位置を移動させただけ。光の意識としては高さだけ変えていることになる。まあ単純な話ではあるのだが、それにしたって本番でやり切れるのは流石としか言いようが無い。口で言う程簡単じゃないんだけどなあ。

 しかし球数を重ねればこいつにはタネが割れてしまうだろう。二球で追い込めたのはラッキーとしか言いようがない。初見殺しも良いところだ。

 でも、運でも何でも、追い込んだ事に変わりはない。

 さあ、決めよう。お前の最高の決め球(ウイニングショット)で。

 光がゆっくりと振りかぶる。落ち着いた佇まいで、けれど躍動感のあるフォームで放たれたストレートは、何にも遮られずにド真ん中に突き刺さった。

 空振り三振。スリーアウト。

 光がマウンドで叫び、野手全員がマウンドに走り寄る。

 この瞬間、勝者が決定した。

 

 

 

 

 

 

「ねえ、大吾くん。どうしたんだい、そんなところで」

 

 試合後小さな祝勝会を終え、帰ってから縁側で休んでいると、家の中にいた光が声を掛けてきた。

 光は明日も試合があるため今日は俺の家に泊まっている。これまでも何度か泊まっているだけあって、とてもリラックスしている。というか俺よりもゆったりしてるんじゃないか。

 そんな姿に若干呆れてしまう。なんともこいつらしい。

 

「いや、今日はしんどかったなと思ってさ。これで明日もあるんだから、息をつく暇もない。きっついなーって」

 

 本当に今日の試合は神経を使った。今までの人生の中で一番疲れたといっても過言じゃない。色々手札を切ったし、綱渡りな試合だった。

 何より眉村が相手だったからな。試合終わった後凄い目で睨まれたし、本当ヤバかったわ。暫くはゴメンだな。

 

「ああー、本当にね。

 まあ、僕は負ける気はしなかったけど」

「まじかよ」

「うん。マジマジ」

 

 あははと笑う光。こいつの神経はどうなってるのかねえ。羨ましいわほんと。

 

「前にも言ったろう? 僕たちが揃えば無敵なんだ。

 負けるはずなんてないんだよ」

「その根拠の無い自信はどこから出てくるんだよ……」

「根拠ならあるさ」

 

 そう言って光は俺の横に座る。そして、

 

「最高の球を投げる僕と、最高の球を捕る君がいる。

 根拠なんて、それだけで十分だろう?」

 

 なんてことをあたかも必然のように言い放った。

 ……全くこいつは。根拠になってねえよ。

 正直明日の試合は今日より厳しいものになるだろう。

 連投制限もあるし、卜部も光もあまり投げられない。

 俺も今日無茶を結構したから、ベストコンディションでやり切るのは難しいだろう。

 加えて今日の明日だから、チーム全員の疲労も相当な筈だ。

 でも、どうしてだろうな。これだけの悪条件が揃っているというのに、こいつがこうやって断言する姿を見ていると、不思議と勝てそうな気がしてくる。

 

 けど、まあしょうがないか。

 

 あの日、こいつの球を受けた日から、俺はこいつに引っ張られているのだから。

 

 さあ、相棒がこう言っているのだから、明日の試合なんとしても勝とう。

 

 こいつの言葉を嘘にしないためにも。そして、俺自身のためにも。

 

 

 

 

 

 照りつける太陽が眩しい中、準決勝が始まる。

 相手も優勝候補の一角を崩した勢いのあるチーム。

 だがその勢いに飲まれはしない。

 何せ、俺たちは無敵らしいから。

 このまま頂点へと駆け上がっていこう。

 そしていつかはあの、夢の舞台へ。

 

 

「よし、今日も楽しんでいこう!」

 

 

 俺たちの戦いはここからだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 To be continued 「act Junior high school」.(未定)


 ここまで拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました。これにて一応の完結です。
 この4話だけで今までの3話分位のボリュームとなってしまいました。試合描写を書いてみていたら、付け足し付け足しでどんどん伸びていき、リアルの兼ね合いもあってどうしても長くなっていってしまいました。
 もしかしたら今後も改稿等をこっそりとやっているかもしれません。ちらりと見たときに、あれ?なんか変わってるな、なんてことがあるかもしれませんが御愛嬌ととっていただけたらと思います。
 なおキャラ設定などはそのうち活動報告の方にあげさせていただこうと思いますので、興味のある方はご覧ください。
 
 改めましてここまで読んでいただき、ありがとうございました!


 


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