東人剣遊奇譚 (ウヅキ)
しおりを挟む

第一章 白銀竜
第1話 赤い剣鬼


 

 

 

 ――――――――閃――――――――――

 

 昼間でも殆ど光の差さぬ緑深き森に横一文字の赤い軌跡が奔り、三つの頭が宙を舞う。

 首から上を失った三つの胴体はぐらつき、血を吹き出しながら力無く膝を折って倒れた。

 そしてようやく天高く舞った首達がゴロゴロと地面を転がり、彼らの仲間の足元へとたどり着く。

 

「GOOOOOOOO!!!!!」

 

 言語化出来ない絶叫だが、彼らが仲間の首を見て何を想ったかは想像に難くない。残った者達は手にした粗末な棍棒や錆びた剣を高らかに掲げた。

 豚に似た頭部と、鹿や猪の毛皮の腰巻を身に着けたずんぐりとした体躯を持つ亜人。オークは優れた身体能力に比べ低いながらも知性を有し、簡単ながら道具を作り、それらは全て略奪に用いられた。何より彼等は群れを作り、死者を悼む。その精神性が他の種族にとって非常に厄介な点である。

 

『仲間を殺した侵入者を血祭りに上げる。これは正当な報復である』

 

 おおよそオーク達の心はこのように一致した。

 だが彼らの義憤を嘲笑うかのように二度目の赤い軌跡が奔り、剣を掲げた一頭のオークの頭は腕と共に飛んだ。

 

「四つ。これで残り半分」

 

 ここでオーク達は初めて敵の姿を目にした。

 赤い剣を手にした人族の男だ。オーク達に他種族の老若や美醜は分からないが、仮に人族の目線から男を観察すれば、彼はまだ若く年の頃は16~17歳。やや女性的な細面と柔らかな眼差しは暴力とは無縁で、美麗の優男と言って差し支えない。

 体格は平均的な人族の男性の範疇。つまりオークよりも頭二つは小柄。筋力量も比べ物にならないぐらい少なく、力に優れたオークの膂力なら、まるで小枝を折るように彼の全身の骨を砕いてしまうだろう。

 一頭のオークは同朋を殺した死神が華奢な青年だったのを知り、あからさまに見下して笑う。彼らの多くは己のような巨体と筋肉を尊び、他種族の貧相な体躯を下等と断じ、餌か孕み袋でしかない価値観を持っていた。

 そのオークは顔に怒りと笑みが貼り付いたまま雄たけびを上げて獲物と断じた青年に突進した。青年を叩き潰そうと振り上げる棍棒。しかし振り下ろされぬまま中空に止まる。青年は目の前に居なかった。

 きょろきょろと辺りを見渡すも、どこにも獲物は見当たらなかった。――――が、背後から仲間が騒ぎ立てる声に気づき、後ろを振り返る。

 首に涼風が通り抜け、視界が回転して空を向いた。

 

「????」

 

 何が何だか分からない。どうして己は空を見上げているのか。声も出ず、体が動かない。おまけに餌が自分を見下ろしている。人族の顔など分からないが、こいつは明らかに俺を見下していると直感で分かった。

 必ず殺して身体を食い尽くしてやりたかった。だが、一向に身体の自由が利かない。そうこうしている間に青年は赤い剣を徐々に目に近づけていき、ゆっくりと差し込んだ。

 五頭目のオークが斬首により絶命した。

 

 ここにきて残る三頭のオーク達は怒りよりも恐怖が勝り始めた。

 相手はただのひ弱な人族。なのに半分以上の同朋が成すすべもなく首を刎ねられた。

 おかしい、意味が分からない。なぜこんな仕打ちを受けるのか。自分達はただ、その日その日に腹を満たして、捕まえたメスと子を作って生きているだけなのに。

 世界を呪うオーク達だが、そんなことで事態が改善する事などありえない。じりじりと赤剣を持つ死神が距離を縮める。

 ―――――アレはきっと自分達を逃さず殺し尽くす。何故そうするのかはついぞ理解に及ばないが、アレは断じて狩られるだけの獲物ではない。

 

(アレは狩人だ)

 

 残るオーク達は青年を自分達と同じ存在と認めた。そして逃げるのではなく、恐怖を抱く己を鼓舞するかのように雄叫びを上げて突っ込んで行った。

 技術も戦術も何もない、ただただ相手を殺す事だけを考えた突貫。元より身体能力に優れたオークに小難しい知恵はそぐわない。それだけの知性が無いとも言えるが、この場においては最適解だった。

 なぜなら青年はオークをただの一頭とて逃す気は無い。もし逃げたのであれば無防備になった後ろから斬られて終わり。生き抜くには万に一つの可能性を信じて攻撃あるのみ。

 技巧も統率も無い無謀極まりない突貫を前に、青年の瞳は風の無い湖面の如くどこまでも透き通っていた。

 

「ああ、そうでなくてはつまらない」

 

 ただの人なら目前に迫る圧倒的な暴力に恐怖で足が竦むだろう。しかし、ここにいる青年は常軌を逸した想いを抱く剣の鬼。寝ても覚めても戦う事、相手を斬る事しか頭に無い、人から外れた怪物だ。そのような鬼人が恐怖に呑まれるなどありえなかった。

 むしろ薄笑いを浮かべながら殺意を増大させた青年は、手にした赤い刃を地に突き立てて眼前の脅威に向けて薙ぎ払う。

 剣の動きに追従して巻き上げられた枯れ葉と土はオークの顔面へと殺到して眼球を覆う。たまらず目を閉じるが、それが致命傷となった。

 視界を塞がれたオークの背後に回り込んだ剣鬼は一頭、また一頭と首を刎ねたが、最後に残った一頭は殺される仲間を直感的に感じ取り、目の見えぬまま恥も怨みも投げ捨てて全力で走り去ろうとした。

 予想外の行動に、僅かだが反応の遅れた剣鬼。もはや剣では到底届かない距離のオーク。しかし、慌てる事なく息を大きく息を吸う。

 剣を上段に構え、息を整えて、標的に視線を定めた。

 

「颯≪はやて≫」

 

 小さな呟きと共に振り下ろされる剣と同時に、逃げるオークは頭頂部から股下にかけて両断された。

 静寂の戻った森。周囲に生き残りが居なくなったのを確認した青年は大きく息を吐いて赤剣を鞘へと納める。

 そして彼は無言のまま、森に転がる首から短刀を使って鼻を削ぎ落した。計八頭分の鼻を集めると、腰に着けた革袋に乱雑に放り込み、用は済んだとばかりにその場を離れた。

 伏した骸は晒されたままだったが、血の臭いを嗅ぎつけた狼達がこぞって集まり、豪華なディナー会場へと化したため、瞬く間に八頭のオークだった肉塊は消え去った。後に残ったのは骨のみである。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 前金ありの依頼

 

 傭兵ギルドと呼ばれる組織がある。大陸西部の複数国にまたがり支部を持ち、傭兵達に仕事を斡旋する代わりに手数料を得る営利団体である。

 元はとある小国が外貨獲得のために国民を他国に派遣していたのが組織の始まりとされている。残念ながらその小国は既に滅びてしまったものの、そのノウハウは現在もギルドに引き継がれて有効活用されていた。

 ここヘスティ王国にも傭兵ギルドの支部はある。大抵のギルド支部は酒場と事務所が併設されており、受付にまで酔っ払いの景気の良い話や怒鳴り声が聞こえてくるが、事務員達はそれらの雑音を一向に気にした様子が無いまま機械的に書類を決裁して、ギルドへの依頼者も淡々と手続きを進めている。要は慣れである。

 額に横一文字の刃物傷のある受付の中年男性と話をしていた黒髪黒瞳の青年剣士も、喧騒にはまるで無関心のまま血生臭い革袋を手渡していた。

 

「どうぞ、仕事の成果です」

 

「ご苦労。お前が受けていた依頼はオークの討伐だったな。―――――ふむ、鼻は八つ。まあ、被害規模ならこれぐらいか」

 

 受付の男は討伐した証であるオークの鼻を念入りに調べて、その上で青年の口頭報告に虚偽が無いのを確認した。

 オークは豚に似た容姿をしているので、市場で豚鼻を買って誤魔化す輩が多い。故に受付は丹念に調べて偽っていないかを確認せねばならない。

 それは誰にでも出来る仕事ではない。確かな知識と経験を要求されるので、ギルドの受付は現役引退した傭兵が務める事が多かった。当然、女性は少ない。

 受付の男は青年が提出した鼻は間違いなくオークの鼻と判断した。

 ここでようやく依頼達成と判断されて、傭兵は報酬を得る事が出来た。

 今回青年剣士が受け取る報酬は銀貨30枚。街に住む平民一家なら半月分の生活費にあたる。命懸けの報酬としては高いか安いか判断が分かれる金額だが、金に執着の無い青年にとってはどうでもよい事である。

 

「これで依頼は完了だが、次の仕事は受けるか?トロル討伐はどうだ」

 

「亜人討伐は飽きたので、人間を斬れる依頼でしたら受けます」

 

「盗賊退治も戦も今は品切れだ。諦めろヤト」

 

「つまらない世の中ですね」

 

 ヤトと呼ばれた青年剣士の心底うんざりとした独白に、受付は深い溜息で返答した。

 若い傭兵が名声や金を求めて矢継ぎ早に依頼を受けるのは日常的な光景だが、目の前のヤトに関してはそれに該当しない。こいつはそんな俗な欲望を持ち合わせていないのは、短い付き合いながら身に染みて理解していた。

 ギルドは傭兵個人の気質や思想で差別しない。必要な依頼遂行能力さえあれば―――――明らかな犯罪行為や依頼者との諍いでもあれば別だが―――――人格云々は査定対象外であり、依頼を回さない理由にもならない。単に受付が気疲れするからオーガ≪人食い鬼≫より鬼らしい戦闘狂のヤトの相手をしたくないだけだ。

 

 ヤトもお目当ての依頼が無い事にガッカリして、当座の金は入ったのでしばらく近くの森にでも引き篭もって鍛錬に費やそうと考えていた。

 

 ――――騒動は外より舞い込んだ。

 

 ギルドの玄関から大音量の哄笑と共に二人の男が入ってきた。

 一人は全身余す所なく鍛え上げた筋肉を革鎧で包み込んだ2メートルに達する禿頭の巨漢。手にはアダマンタイトを荒く削り出した重厚な槍。いかにも荒くれ者といった風体の、しかし長い戦歴を感じさせる強者特有の雰囲気を纏わせた戦士だった。自画自賛が煩い。

 もう一人は巨漢のすぐ後ろを付いて歩く子供ほどの小さな髭面の男。背には小さな馬上弓と矢筒を引っ掛け、重たそうに両手で抱えた革袋には血がこべり付いている。小男は巨漢に常に相槌を打ちつつ、会話の中に時折賞賛を添えていた。男は人族ではなく、ミニマム族と呼ばれる亜人種だった

 彼等を見たギルド内の傭兵たちは口元を隠しながらヒソヒソ話をしている。

 

「煩い奴が戻ってきたぜ」

 

「ああ、どうせまた酒場で自慢話が始まるんだろ」

 

「実力があるのは認めるけど性格はクソだからな」

 

「同感。この前も酒に酔って暴れて酒場を荒らしてやがったからな」

 

「そういえばあいつら、前に別の奴と討伐対象の取り合いになって相手に重症を負わせてたぜ」

 

「あんなのがいつまでも幅を利かせていたら俺達まで仕事がやり辛くなるってのに」

 

 禿の巨漢に対する傭兵仲間の評価は概ね『強いが粗暴で協調性に欠けるから関わり合いになりたくない』だった。暴力を糧にする傭兵には、よくいるタイプである。

 傭兵は食い詰め者や貧困の中で一獲千金を夢見る無知以外にも、堅気の仕事に就けないはみ出し者の受け皿として機能している面もあるが、その中でも巨漢の禿男のような簡単に暴力を行使する者は鼻つまみ者として忌避されやすい。

 同僚達からの刺すような視線など意に介さない禿は連れの小男から袋を手渡されて、そのままヤトが報告していた受付の男へ近づいて、ドシャリ!と机に革袋を乱暴に置いた。

 受付が一瞬ジロリと鋭い眼だけを禿男に向けるが、興味なさげに革袋の閉じ紐を緩めた。中には巨大な醜い人型の頭が鎮座していた。

 大きさは優に人間の二倍はある。オークと異なる亜人種、トロルの首だった。

 

「どうよっ!このピラー様の槍にかかれば、トロルなんざゴブリンと変わらないぜっ!」

 

「確かにトロルの首だな。―――が、わざわざ首を持ち込まなくとも鼻で十分だったろうに」

 

「ははっ!!今からこいつを眺めながら酒場で一杯さ!」

 

「飯を食う場所に臭い首を持ち込むな」

 

 受付の至極真っ当な苦言にもピラーは豪快に笑うだけで取り合わない。己の武勲を侍らせての酒盛りは古来から続く伝統かもしれないが、この男は他の客への迷惑など考えもしない。

 何を言っても無駄だと悟った受付はさっさと報酬を出してピラー達を追い払った。

 

「よーし!酒だ酒だ!今日は俺の奢りで飲ませてやる!お前ら付いて来なっ!!」

 

 ピラーの気前の良い誘いに、事務所にいた傭兵たちの一部は喝采を上げた。この男は粗暴で自分勝手だが、金がある時は気前が良い。そして報酬は大抵酒か博打でその日の内に使い切ってしまい、また仕事に精を出す。その繰り返しだった。

 そういう意味ではこれ以上に無いほど傭兵を体現する男と言えた。

 タダ酒にありつけるのを喜ぶ連中を尻目に、興味の無いヤトはどうでも良いとばかりにギルドを出ようとしたが、ピラーに目を付けられて呼び止められた。

 

「そこの女みたいな顔の若造!お前、駆け出しだな。俺様が奢ってやるからお前も来い!」

 

「いえ、僕は酒が苦手なので遠慮します」

 

「おいおい、坊ちゃん。せっかくピラーさんが奢ってやると言ったんだから、ベテランの言う事は素直に聞くもんだぞ」

 

 腰巾着の小男が馬鹿にしたように諭す。

 彼等にとってヤトは明らかに駆け出しの新人である。故にベテランなりの親切心から、傭兵の何たるかを教えてやろうと声をかけたのだ。

 ここでただの新人ならタダ飯タダ酒に惹かれるか、巨漢の威圧に怯えて素直に言う事を聞くだろうが、今回の相手は極めつけの難物だ。彼等が望むような返答などあり得なかった。

 

「これから僕は鍛錬ですので酒など飲んでいる暇は無いんです。他を当たってください」

 

 ヤトもヤトなりに相手の善意を鑑みて努めて丁重にお断りしたつもりだったが、問題は相手がそれを侮辱と受け取った事だ。

 ただの新人が自分の最大限の善意を踏みにじった。そう感じたピラーは全身に怒気を漲らせて睨みつけた。生意気な新人に少しばかり痛い目を合わせて教育してやるべき。彼はそう結論付けた。

 

「そうかい。なら俺様が今からお前に鍛錬を付けてやる!」

 

「えっ、いやピラーさん――――」

 

「止めるなっチン!こういう駆け出しは今のうちに鼻っ柱を折って世の中を教えてやるべきなんだよ」

 

 ざわめく周囲の事などお構いなしにピラーはアダマンタイト製の魔法槍をヤトに向ける。ヤトはそれをまるで他人事のように涼しげな瞳で見つめていた。

 それが腹立たしいが、周りが思うほどピラーは我を忘れていない。相手はただの新人。それも自分より頭一つは低い痩せっぽち。傭兵などやらずに色街で金持ち女の情夫でもやっていればいい優男だ。そんな奴は顔に傷の一つでもつけてやれば大人しくなる。おまけに槍相手に剣では近づくことすら無理。それを今から痛みと共に教えるだけだ。

 

(見ろ。あの小僧、ビビって剣の柄にすら手をかけていねえ。すぐに詫びを入れて頭を下げるぜ)

 

 ほんの僅かに意識を逸らし、ごくごく先の展開を想像したがそれが致命的となった。

 ――――――――首を冷風が通り抜ける。

 鍔鳴りの音に意識を正面に戻すと、いつの間にかヤトは赤剣の柄に手をかけて数歩距離を詰めていた。しかしまだ剣の間合いではない。

 

「ほら、どうした?さっさとかかって来い」

 

「いえ、その必要はありません。もう終わってます」

 

「あ?何が終わったん―――――――――」

 

 ピラーはそれ以上の言葉を紡ぐ事が出来なかった。いや、それだけでなく視界が床を向いていた。

 彼の身体から首が離れて、ゴトリと床を跳ねた。首が転がるたびに血が石床を赤く染めた。

 

「ピッ、ピラーさーーんっ!!!」

 

 相方だったミニマム族の小男が絶叫した。事務所も緊迫した空気が最高潮に達し、ところどころから呻き声と悲鳴が漏れた。

 暴力で日々の糧を得る傭兵に喧嘩や諍いは付き物だが、それでも街中での刃傷沙汰は意外と少ない。まして殺人に至るケースは極めて少ない。それはある種の不文律や時として協力し合う間柄故の仲間意識が一定の歯止めをかけているからだ。

 しかしヤトはそれを容易く飛び越えてしまった。事故でも、勢い余っての結果でもない。純然たる殺意の元に相手を死に至らしめた。

 これにはギルド職員も黙ってはいない。

 

「おいヤト。どういうつもりだ?」

 

「脅したのはあちらですし、槍を向けられた以上は戦です。となれば後はどちらかが死ぬのは道理では?」

 

 受付の男はヤトの言葉に窮する。確かに槍を向けたのはあちらが先だ。

 元々粗暴でたびたび同じような問題行動を起こしていた札付きだから、いずれはこうした結末を迎えると思っていた。しかしだからといって殺人に対して御咎め無しはギルド内の秩序に差し障る。

 現場では手に余ると感じた受付は支部長あたりに判断を仰ごうと思ったが、その前に場違いな拍手が響き渡る。

 

「素晴らしいっ!強者とはまさに君のような男を指すのだろう!天晴よ!」

 

 拍手と共にヤトを称賛した男は傭兵ではなかった。仕立ての良い絹の服に身を包んだ、片眼鏡を掛けた品のある老紳士だ。明らかに荒事には向いていないが不思議と鉄火場が似合う、そんな相反する印象を持つ男だった。

 紳士は血で汚れた床などまるで気にすることなくヤトに近づき、美麗な顔を覗き込む。

 

「ふむ、面構えも良い。急な話だが、私の元で仕事をする気はないかね?」

 

「はあ、仕事ですか?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいロングさん!ギルドを介さないギルド組員への仕事の依頼は違反です!」

 

 妙な提案をする老紳士のロングを受付が咎めた。

 ギルドは明確な規約があり、組員の傭兵がギルドの仲介を介さずに仕事をするのを許さない。当然発覚したら仕事を依頼する方も今後は依頼を断られるし、傭兵も除名処分によってギルドの恩恵は受けられない。フリーでやっていけるぐらいに実力と信用があればそれでも構わないだろうが、そんな傭兵は極僅かである。そうなれば後は犯罪者か夜盗にでも鞍替えが関の山だ。

 老紳士がどのような地位にある人物かヤトは知らないが、ギルドは確実に突っぱねるだろう。

 しかしロングは笑みを絶やす事なく、極めて理性的に反論した。

 

「では彼を期限付きでギルドから除名すればよい。今回の殺人への処分としては妥当だ。その後に私が彼を個人的に雇う。それならギルドの面子も保たれる」

 

「いや、しかしそれは――――」

 

「勿論、今回ギルドに依頼した盗賊退治の傭兵募集は取り下げるつもりはない。報酬も契約に則って支払おう」

 

 反対意見が封じられてしまった受付は困った。今回の諍いはどちらかと言えば殺されたピラーに過失があるが、ヤトにもなにがしかの処分は必要だ。ロングの言う通り、それがギルドからの除名なら公正な裁きだろう。問題はなぜそこまでして彼が初対面のヤトを庇うかだ。

 

「現場の判断で決めかねるなら後日、私から支部長に提案しよう。どうかな、仕事を請け負ってくれるかね。青年剣士君?」

 

「戦える場を提供していただけるなら了承します」

 

「覇気があってよろしい。三日後の朝に街の西門に旅支度で来なさい。これは前金だ」

 

 ロングは懐から出した革袋をヤトの手に握らせた。中身は銀貨と異なる重み。つまりより価値のある金貨だった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 傭兵の望み

 

 

 

 ――――――三日後の朝。

 

 老紳士ロングに言われた通り、黒髪黒眼の青年ヤトは街の西門に旅装束で待っていた。

 約束の時刻には少し時間があるが、既に何人もの傭兵が同じように待っている。彼等もロングの依頼を受けたギルドの傭兵達だった。

 ヤトと他の傭兵達は交わらない。非は殺された傭兵にあっても、躊躇いもせずに同業者を殺せる鬼想の怪物と仲良くしたいと思う鬼は滅多にいない。

 誰もが鬼を視界に入れないように振舞った。

 もっともそれはヤトも望むところであり、有象無象と慣れ合うよりは瞑目して精神鍛錬に勤しむ方が有意義な時間の使い方だと思っている。

 しばらくの間、瞑想していると傭兵達が騒ぎ始めた。どうやらロングが来たらしい。相変わらず品の良い仕立ての服を纏っていた。つまり旅には適さない。

 そして彼に続いて鎧姿の男や、弓を携えた数名が馬車を曳いて姿を現す。

 

「傭兵達、揃っているかね」

 

 気さくな挨拶に傭兵達はそれぞれ軽い挨拶をする。ヤトも一応挨拶はしていた。

 

「さて、諸君らはこれから西国アポロンとの国境に行ってもらいたい。詳細は指揮官のメンター君に伝えてある。では、頑張ってくれたまえ」

 

 必要な事だけ言って老紳士はさっさと街へと戻っていった。元々彼は荒事担当ではなく、ギルドとの交渉役だったのだろう。

 代わりにプレートメイルを着込んだ金髪の偉丈夫が傭兵達の前に立つ。

 

「私が指揮官のメンターだ。諸君らにはアポロンの国境にほど近い当家の領地を荒らす盗賊と戦ってもらう。以上、出発だ」

 

 簡潔な説明を終えたメンターは颯爽と馬に跨る。傭兵達も用意された馬車に全員乗り、一行は西を目指した。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 一行の旅路は何事もなく進み、夕刻には予定の野営場所で腰を落ち着けた。

 メンター達は簡易ながら天幕を張り、傭兵組は各自で夜営の準備に入った。

 ヤトも火を焚いて近くの泉で汲んだ水を張った鍋を上に載せて、保存用の固焼きパンを齧っていた。基本的に食事に頓着せず、腹が満たされていれば味はさほど気にしない。

 気にするのは水である。旅先では赤痢などを避けるために必ず煮沸消毒した水を口にする。今火にかけている水は明日用の飲料水だ。

 しばらく火の番をしてから沸騰した湯を水筒に移し替える作業をしていたが、横から差し出された皿に視線が移る。

 

「パンだけでは味気なかろう。多めに作ったから差し入れだ」

 

 皿を差し出したのは指揮官のメンターだった。ヤトは取り合えず礼を言って湯気の立つ野菜スープを受け取った。

 メンターはヤトの隣に座り、スープを飲む。そしておもむろに話し始めた。

 

「君と一度話をしてみたくてな。ロング殿が褒めていたぞ」

 

「僕は褒められるような事はしていませんよ。ギルドからは除名扱いですから」

 

「ははは。だが、男は強くなくてはいかん。―――ところで生国はどこだ?容姿から察するに東の出に見えるが」

 

「大陸東端のアシハラ(葦原)です」

 

 ヤトの言葉にメンターは感心したように息をつく。

 アシハラとはこの大陸の東の果てにある、独自の文化を持つ国だ。大陸西部のヘスティ王国とは距離があり過ぎで国交は結ばれていないが、冒険心に富んだ商人によって交易路は確立しており、僅かながら人と物が行き交った。

 もっともそれには幾つもの山脈や大河を超える片道一年以上の大冒険が必要だった。あるいは同じ期間の船旅でもいい。

 メンターもそれなりに外国の知識はあるが、実際にアシハラの民と言葉を交わすのは生まれて初めても経験だった。

 

「それは随分と遠くから来たものだ。何か特別な理由で国を出たのか?」

 

「ただの修行の旅ですよ。強くなるには実戦が一番ですから」

 

「それで傭兵か。結果は…聞くまでもないな」

 

「まだまだですよ。せめて竜ぐらいは斬らないと」

 

 メンターは笑みを絶やさなかったが内心ではヤトの大言に呆れた。

 竜とはこの世界における最強の存在。曰く、万の軍勢を食い尽くす。曰く、不滅の存在。曰く、神の憑代。

 様々な伝承に伝えられる生きた災厄。お伽噺には必ずと言っていいほどに登場する伝説の存在。武人にとって彼等を討滅するのは最高の誉れである。

 それを最低ラインとしか見ていない青年の大望には呆れを通り越して正気を疑う。若人の大望は得てして身の丈以上だが、彼のは非常識にも程がある。ならば最終目標とは一体なんなのか。

 

「ワイバーンは斬った事があるんですが、本物の竜はどれぐらい強いんでしょうね」

 

「さてな。それは相対しない事には推し量れぬよ」

 

 メンターはスープを飲み干したのを区切りに会話を切り上げた。

 元々彼はヤトがどういう人物なのかを知るために近づいた。そしてこれまでの会話からおおよそ人物像を把握した。

 

(やはり、こいつは立身出世や財産にまったく興味の無い戦闘狂だ。扱いさえ間違えなければ良い道具になる)

 

 少なくとも倫理観や甘ったるい正義感でこちらの仕事を邪魔するような事はしない。強い相手や戦場を提供してやれば逃げるどころか喜んで戦ってくれる。今回の仕事には最適な人材と言えた。ロングもヤトの気質を察して雇ったのだろう。強さも申し分ない。

 強くて扱いやすい手駒がある事は望外の幸運だった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 ――――――移動三日目。メンター率いる傭兵組は行程の半分を超えた。

 傭兵達は馬車に乗っているので自分の足で歩かず楽だったが、代り映えの無い移動に飽き始めていた。

 ヤトも戦えずに暇を持て余していたのは一緒だが、瞑想やイメージトレーニングに時間を当てているので苦にはならない。

 ある時、ヤトと同じ馬車に乗っていた壮年の傭兵の二人が暇つぶしに酒を飲みながら話をしていた。

 

「しかし移動用に馬車まで用意してくれるなんて、今回のお貴族様は気前が良いねえ」

 

「そうだなぁ、所詮俺達傭兵なんて使い捨てだってのに。次の依頼があったらまた受けたいぜ」

 

「そうそう、ギルドの受付が言ってたんだが、依頼者ってうちの国の大臣の一人の親戚らしいぜ」

 

「マジかよっ!すげー貴族の依頼じゃねーか!!それが何で傭兵なんて雇うんだよ?」

 

「なんか私兵が別件で出払ってて動けないのと、辺境の木っ端盗賊なんて傭兵程度で十分倒せるからだとよ」

 

「要は面倒くさいから、はした金で俺達に代わりをさせるって事かよ」

 

「そう言うなよ。割が良い稼ぎに違いねえし、俺はここで手柄を立てて私兵にでも引き上げてもらいてえよ。いい加減、その日暮らしはウンザリだ」

 

「ちげえねぇ。あーあ、小作農が嫌で田舎から出てきたのに、一向に金持ちになれねえなー」

 

「俺は騎士か貴族になって毎日美味いもん食いてえよ。それで美人の嫁さん貰ったりよ」

 

「学も金も強さも無え俺たちがなれるかよ。ああやっぱり、今回の仕事頑張ってあのメンターさんに顔を覚えてもらおう。取り合えず安全に金を稼ぎたい」

 

 そこから先は酒に酔った酔っ払いの儚い願望の羅列だ。

 途中から意識を外界に向けていたヤトは、彼らの望みと自分の渇望とを比較してみる。

 基本的に傭兵は貧しさから抜け出すために、己の命を掛け金にして大金を得ようとする博打だ。前提からして堅実とは対極にある。

 にも拘らず、彼等は貴族の私兵となって安定した生活を望んでいる。矛盾した願望が理解出来なかった。

 元よりヤトは自身がまともな精神を持ち合わせていると思っていないが、世の人間が安全で裕福な生活を望んでいるのは知っている。しかし自分から堅気の生活を捨てておいて、今更安全に生きたいと考える傭兵の思考が分からない。

 他者との共感の欠如は自覚しているが特に気にならない。何故ならヤトにとって他者とは斬り伏せるために存在する生き物だ。それも出来れば強い方が良い。相手が強ければ強いほど、斬った己がより強いと証明出来る。

 故に傭兵という職は都合が良い。好きな時に好きなだけ後腐れ無い相手を斬る事が出来るから。もっとも、本当に強い相手など年に数度有るか無いかなのが困りものだが。

 出来れば今回の依頼が実りある時間であることをヤトは切に願った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 盗賊退治

 

 

 ヤトを含めた傭兵達が街を出立してから五日が経った。

 予定ならそろそろ盗賊が出没するというメンターの家の領地に入る頃合いだ。

 この五日間、旅は何事もなく順調だった。そう、何もなさ過ぎる。なにせ一度たりとも村や集落に立ち寄っていない。

 一行は主要な街道は利用しても、毎回集落を意図的に避けて野営をしていた。

 メンターの説明では、盗賊達に存在を知られないよう用心のためらしいが、傭兵の中には慎重過ぎると陰で不満を漏らしている。しかし金払いの良い依頼者には誰も逆らわなかった。

 そして領地に入っても変わらず野営をしていると、日没前に一行に近づく馬の蹄の音が聞こえてきた。

 何事かと傭兵達が注目すると、馬から降りた男が真っ先にメンターに近づいて、何か耳打ちして去っていった。

 

「諸君、良い知らせだっ!件の盗賊だが、ここから西に半日足らずの距離の村に潜伏していると情報が入った!」

 

 メンターからもたらされた情報に傭兵達がにわかに活気付く。

 彼等も何だかんだ言いながら暴力で飯を食っている人種だ。いざ戦となれば精神が高揚する。

 

「今から急げば、夜明け前には間に合うだろう。野営は中止、食事戦闘準備諸々は馬車の中で行う!急げ!」

 

 ヤトおよび傭兵達は命令に従い、鍋の中身を全て捨てて火を消し、荷物も全て纏めて馬車に乗り込んだ。

 戦いは目前に迫っていた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 夕刻から月明りを頼りに強行軍で移動した傭兵達は馬車に乗っていても疲労していた。しかしその甲斐あって、何とか夜明けの一時間前には盗賊が居るであろう村の手前まで辿り着けた。

 件の村はどこにであるのどかな辺境の村だった。平地には収穫を待つただ広い麦畑。丘にはブドウの木が多数植えられており、ワイン造りが盛んな様子が見て取れる。畑の中心には十数軒の粗末な家屋が集まっている。

 そこは盗賊とは無縁の平和な土地に見えたが、幾つか田舎に相応しくない部分があった。

 遥か遠目にもはっきりと分かるほどに、村の各所で篝火が焚かれている点だ。夜通し祝う収穫祭なら珍しくないが、こんな季節外れの明け方まで村が総出で明かりを絶やさないのは不自然である。

 さらに遠目では見づらいが、何台もの馬車が停まっているように見える。村の規模からすると明らかに多すぎた。確かに普通の村ではないらしい。

 

 白くなり始めた夜空の下、傭兵達に簡単な食事と眠気覚まし用の強い蒸留酒が振舞われた。腹減っては戦が出来ぬ、という事だろう。

 それともう一つ、傭兵達全員に黒狼の意匠の施された赤い布製の胸当てが支給された。これはメンターの家の紋章を織った物で、乱戦になった場合には、これを見て敵味方の識別を認識する。

 

「腹は満たせたな。では、作戦を説明する!」

 

 メンターの言葉に傭兵達は意識を集中する。

 

 ――――――――――作戦を聞き終えた傭兵組には楽に勝てるだろうという雰囲気が漂っていた。

 何のことは無い。初動さえしくじらなければ良いだけの事。

 

「断っておくが、出来る限り村人は殺すな。盗賊に協力していても一応領民だ。殺せば税が取れぬ」

 

「もし武器を持って抵抗してきた場合は?」

 

「―――多少の見せしめなら許可しよう」

 

 ヤトの空気を読まない指摘にもメンターは気を悪くせず真面目に答えた。さらに今回略奪は禁止され、女子供への暴力も厳禁と言い渡された。

 それには傭兵達から若干の不満が出たが、その分の後金は弾むと明言されては引き下がるしかなかった。

 そしてメンターの率いる弓兵部隊は麦畑の中を隠れ潜みながら走り、村の反対側を目指す。傭兵達も全員、音を立てずに影となって村へと近づいた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 夜明けの直前。ヤトは村の反対側から火の手が上がったのを確認した。

 これは最初の手筈通り、別動隊の弓兵が火矢を使って家畜小屋の一つを燃やして注意を逸らすためのものだ。

 しばらくすると村が騒がしくなり、水を求める男達の声が耳に届いた。

 

「よし、あちらは上手くやったか。俺達はこれから村に突入して怪しい奴を斬る。行くぞっ!!」

 

 纏め役をしている年配の傭兵の号令に従い、次々と他の傭兵達は駆け足で村へと突っ込んで行った。

 それを最後まで見ていたヤトは足を止めてしばし考えるも、疑問を頭の隅に追いやって後に続いた。

 ヤトが疑問に感じた事。それは火の手が上がってから対処までの時間があまりに短く、かつ火を消す男達の声が極めて統率的だった事だ。単なる盗賊や農民の手際ではない。何か違和感があった。

 

 

 夜明けを切り裂く剣戟の音とそこかしこに響く悲鳴。村の中では戦闘が始まっていた。

 ヤトが戦場につく頃には既に何人かの死体が転がっていた。数名の傭兵と身なりの良い服の男が一人。

 傭兵達に囲まれた三名の男達。彼等は違いに背を向け合って死角を消して不意打ちを無効化している。そして絶体絶命の状況にあっても剣を持つ手は微塵も震えていない。

 傭兵の一人が槍を繰り出すも、一人が盾役となって剣で槍をいなし、瞬時に背を守っていた一人が向きを変えて槍を持つ腕を切り落とした。

 

「ぎゃああああ!!!腕がーーー!!腕がっ!!!」

 

 集団戦を心得た合理的で流麗な剣閃。それが意味するものをヤトは理解した。

 彼等の剣は傭兵のような戦で磨いた我流剣術ではない。数年にも渡り身体を苛め抜いて鍛えた肉体と一対になった正道の剣術だ。

 さらに本質を捉えるなら、あれ等は己ではなく誰かを護る事に長けた剣。命を捨ててでも貴人を護る誓いを拠り所とする盾だ。

 まかり間違っても奪うだけの盗賊が用いる剣ではない。

 

「くそっ!!個別ではダメだ!全員で一斉に掛かれ!!」

 

 一人の号令で残る五人の傭兵は包囲から一斉に攻撃に切り替えたが、稚拙な連携が上手くいくはずもない。

 タイミングの合わない一斉攻撃は三位一体となった相手の敵とならず、個別に対応されて一人、また一人と斬り伏せられた。これで残るは二人。

 ここでヤトは無言で地面に転がっていた、腕の付いたままの槍を手にする。

 そして若い傭兵の一人は仲間が次々と死んでいく光景に恐慌状態に陥り、半狂乱になりながら剣を振り回して相手に突撃した。

 しかしそんな理性の欠片もない暴力が理論化された術に敵うはずもなく、狂剣は簡単に弾き飛ばされ返す刀で胴を切り裂かれた。

 だが、ここで誰もが予想もしない結末が訪れる。

 斬られた傭兵の身体から突如として飛び出た刃が、そのまま切った男の胸に突き刺さった。そして二人の男は重なるように倒れた。傭兵には後ろから槍が刺さっていた。

 

「なっ!馬鹿な味方ごとだとっ!!」

 

「お、お前っ!!なんのつもりだ若造!!」

 

 槍はヤトが投擲したものだった。

 突然の凶行に残った傭兵の一人と、敵の二人は共に狼狽える。戦場で同士討ちや味方ごと撃たれるのは珍しくないが、味方の死体を遮蔽物にして諸共敵を殺す手合いは滅多に居ない。

 罵声を浴びせられたヤトだったが、そんなものに興味が無いとばかりに笑みを浮かべて赤い剣を鞘から抜く。

 

「これで二対二です。そろそろこの茶番を終わりにしましょうか」

 

 氷を削り出したような冷たい瞳が三人を射抜く。

 視線に囚われた三人は敵味方関係無しに共通の想いを抱いた。

 

『こいつは壊れている』

 

 一応の味方である傭兵は兎も角、敵対する二人を逃す気が無いのは嫌というほど分かった。だから、生き残るために青い瞳の男が覚悟を決めた。

 

「気狂いの相手は俺がしよう。ダグラスはそっちを片付けてから加勢してくれ」

 

「――――分かったハインツ。すぐに済ませる」

 

 ヤトと対峙したハインツは首筋に氷を差し込まれたような悪寒に襲われるが、それを振り払うように剣を構えた。

 先に動いたのはハインツだ。剣を寝かせて一歩踏み込んで小刻みに突きを繰り出す。

 ヤトはそれを後ろに飛びながら回避しつつ、羽織っていた外套を広げながら相手に放った。

 

「ちっ!小細工を!」

 

 一瞬だけ視界を遮られたが、さらに一歩踏み込んで外套ごと先に居るであろう狂敵を大きく突いた。はずだった。

 だがそこに居たはずのヤトは消え失せていた。

 ――――――彼は飛翔していた。

 そして空中で回転しながらハインツの後頭部を縦に割った。血と頭蓋骨と脳片が地面にまき散らされた。

 

 一方、最後の傭兵を斬り伏せたダグラスは同僚の死を目の当たりにして、若干冷静さを欠いていた。彼は後ろを向いたままのヤトに猛然と斬りかかった。

 しゃがんだまま振り向かないヤトだったが、敵の接近には気づいていた。だから冷静にそのままの体勢で懐から取り出した細い短剣を最小限度の動きで投げた。

 短剣は黒塗りで反射光を抑えてあり、夜明け直前の暗がりでは視認し辛い。ダグラスは気付く間もなく剣を喉に受けて倒れた。

 この場に居る生者はヤトだけだった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 護るべき者

 

 

 ヤトは骸の積み重なった場にて、戦いの高揚感を鎮めていた。

 今回は亜人や木っ端の傭兵とは違い、正規の訓練を受けた軍人、あるいは騎士と戦えた。強い相手を倒す事が、己の強さを証明する。単純な世の真理だ。

 心が多少静まり、次の行動を考える。

 盗賊退治の依頼が偽りの物なのは殺した剣士達の立ち振る舞いから確信している。気になるのは男達が何を護っているか、メンターやロングが何を隠しているのかだ。

 ヤトは強さにしか興味が無い。強敵と戦える機会が欲しいだけだ。あるいはその大事なモノをこちらで確保して餌に使うか、偽ったメンターへちょっとした嫌がらせをしてもいいと思った。

 色々な憶測を立てていたが、人の気配を感じ取って剣を構えた。

 

「―――――これは一体!?やったのは貴様か!?」

 

 何をとは問い返さない。幾多の骸の中にあって、ただ一人生きている者がどのようにして生きているかなど答えるまでもない。

 二十歳を少し過ぎた年頃、灰色の髪の男は怒りに満ちた相貌をヤトに叩きつける。

 彼も他の男達と同様に、均整の取れた無駄の無い頑強そうな肉体の上から上等な仕立ての服を纏い、柄に見事な銀装飾を施した剣を手にしていた。剣の輝きは曙光を反射し、まるで刀身全てが黄金に飾られたようにも見える。あれは断じて鉄ではない。鋼すらパンのように易々と断ち切るミスリル製の魔法剣だ。

 

「全てではありませんが、大体僕が斬りました」

 

「狙いはあの方だなっ!!貴様などにやらせはせんぞ!!」

 

 勝手に盛り上がる灰髪の男は剣をヤトへと向ける。その構え一つ見ても、男が相当な練達なのがヤトには嬉しかった。

 そこから先に言葉は必要無かった。剣の一振りが万の言葉となる。

 切っ先が触れ、互いの剣が弾かれる。距離を詰めれば鍔迫り合いで剣が軋む。男が蹴りを放てばヤトは股を掻い潜りながら軸足を脇差で斬ろうとしたが、足一本で飛ばれて間合いを離される。

 幾度となく剣を交え、拳を繰り出し、蹴りを放っても互いに有効打は得られない。ただ徒に時ばかりが経つ。ヤトは楽しさが滲み出るが、灰髪の男の方は焦燥感が積み重なっていく。

 そもヤトは強い相手と戦えればそれで良い。それが誰だろうが何人居ようが、最後に相手が生きていようが死んでいようが関係無い。今の状況は強い相手との戦いを楽しんでいる節さえある。

 対して灰髪の男は護る存在があり、火矢によって一部の家が焼けたのが囮とすればこれは計画的な襲撃だ。複数の敵が襲い掛かって来るのを考えると、目の前の暗殺者にだけ構っている時間は無い。

 なによりヤトは灰髪の男が知る者の中で誰よりも強かった。いや、殺しが上手い男と言い換えていい。

 無双の力を持つわけでもない。目にも留まらぬ速さがあるわけでもない。剣を寄せ付けぬ鋼鉄の身体を持っているわけでもない。卓越した技量には目を見張るが、それは本質とは離れている。

 

 ヤトの最大の武器は常識を遥かに超えた殺意と凶気だ。

 通常、達人同士ほど攻撃に移る意と初動の読み合いを重要視する。相手の行動を先読みして、それに合わせて動きを決めるが、ヤトの場合それが全く読めない。

 殺気を隠すのが上手いのではない。常時身に纏っている殺意があまりにも濃密過ぎて、平時なのかフェイントなのか実動なのかさえ全く区別がつかないのだ。これでは達人ほど困惑して動きが鈍る。

 さらにこの暗殺者は死角に回り込むのが信じられないほどに上手かった。視線の誘導などお手の物。瞬き一つとっても命取りになる程に相手の視線から逸する動きをする。それこそ目の前に居ても実像を捉えきれない。まるで幻像のようだ。

 

 だからこそ灰髪の男は不可解だった。これほどに殺しに特化した技量を持つ男が、標的であろう我が主を放って護衛でしかない自分といつまでも戯れている。やはりこいつが囮兼護衛排除役である可能性が高い。故に一秒でも早く決着を付けたいのに守勢に回らざるを得ないのがもどかしい。

 

「意識が散漫になってますよ。悩み事ですか?」

 

「言ってろ卑怯な暗殺者がっ!」

 

「こうして真正面から斬り合っているのに卑怯者ですか?罵倒される覚えがありませんが」

 

 軽口に苛立ち、剣を受けそこなって足がもつれた。

 絶体絶命の瞬間だったが、ヤトは何もせずただ黙って相手を見下ろしていた。

 

「おのれっ!私を嬲るか!!」

 

「実力を全て出し切って欲しいだけです。但し見逃すのは一度だけですよ」

 

「それを嬲るというのだ下郎めがっ!」

 

 灰髪の男は激昂して立ち上がり、狂った野牛の角のように剣を突き出しながら駆けた。

 それを見たヤトは失望したように溜息を吐いた。そして気怠そうに他の傭兵が使っていた剣を足で蹴飛ばした。

 剣は真っすぐ男へと突き進む。彼は咄嗟に剣で払い除けた。

 その間にヤトは距離を詰めて、男の首を飛ばすつもりだった。しかし相手は無意識に蹴りを放っており、それが僅かにヤトに触れていた。おかげで剣筋が乱れて、首ではなく胴を裂いた。

 また一人の鮮血がこの地を赤く染める。

 

「ぐはっ!」

 

「一矢報いるというやつですか。少しだけ驚きました」

 

 仰向けに倒れた灰髪の男。勝敗は決したがヤトは斬った手応えに違和感を覚えた。そして出血の量が予想よりかなり少ない。

 よく見れば倒れた男の胸元から光り輝く金属片が音を立てて零れ落ちた。服の下にミスリルの鎖帷子を着ていたのだ。それが彼の命を僅かに繋ぎ留めていた。

 

「はぁはぁ、護るべき者を残して無念だ」

 

「余計な事を考えているから負けるんですよ。来世ではもっと簡潔に考えて生きましょう」

 

「ふん。強さに溺れる愚か者め」

 

 このような男が世にのさばるのは我が不徳。護るべき者など居ない浅薄な男に何を説いても無駄だが、それでも言わずにはいられなかった。

 言うべきことは数多くあるが、命乞いに時間稼ぎをしていると思われるのは不快だったので口を閉じた。

 

「貴方はそれなりに強かったですよ。では―――――」

 

 ヤトは赤剣を逆手に持ち変えて止めを刺す。

 

「だめええーーーーーー!!」

 

 死体だらけの戦場に似つかわしくない少女の絶叫が響いた。その声に関心が移り、剣が止まる。

 村の方から走ってきたフードを深く被った少女は半死状態の男を護るようにヤトの前に立ち塞がった。

 

「お願いアルトリウスを殺さないでっ!!狙いは私なんでしょ!!」

 

「サラ様、おやめください。私の事など放って逃げて――――」

 

「私のせいで皆が死ぬなんて耐えられないの!!私の首ならあげますから彼は見逃してっ!!」

 

 そう言って少女はフードを脱ぎ捨てた。年の頃は14~15歳程度、ヤトより年下。深い海のような藍色の瞳が涙で濡れながらも強い意志を宿している。容姿はそれなりに整っており鼻とヒゲが特徴的だ。髪は亜麻色。

 何より最も人目を惹くのが頭部に備えた一対の尖った耳だ。まるで犬のような耳が彼女に亜人の血が流れている事を証明している。

 

 ヤトは急速に殺気が萎えていた。元々灰髪の男改めアルトリウスに勝ったので満足していたのもあるが、目の前で男女の悲恋劇など見せつけられてしまい、馬鹿馬鹿しいと思えてしまった。

 溜息を吐いて剣を順手に持ち替えた。犬耳の少女サラは心臓が一段跳ね上がったが、ヤトは関係無いとばかりに剣に付いた血を振り払って鞘に納めた。

 

「貴方の命もそこのアルトリウスさんの命も僕にはどうでもいいです。後はお好きなように」

 

「えっ?あの、でも貴方はいったい何が目的で――――」

 

「僕の事より彼の傷の手当をしないと、本当に死んでしまいますよ」

 

 その言葉でサラはすぐさまアルトリウスに駆け寄って服を脱がせた。ミスリルの鎖帷子のおかげで胴を裂かれるのは避けたが、それでも臓腑が見えている程度に傷は深く出血も多かった。生半可な応急手当では、とてもではないが命は助からない。

 しかしサラは慌てず、両手を天に掲げた。それはまるで天にいると言われている神に手を伸ばしているかのようだった。

 

≪慈愛の神よ。どうか死にゆく哀れな者に今しばらくの生をお認めください≫

 

 サラの神への乞いは臥すアルトリウスに届いた。彼の腹の傷が徐々に塞がっていく。その光景はたしかに神の慈悲と言える神聖さを宿していた。

 完全には傷は塞がらなかったが出血はほぼ止まった。これなら破傷風にでもならなければ命は助かるだろう。

 苦痛から解放されたアルトリウス。しかしその顔は晴れない。彼は疲労により荒く息を吐くサラの姿を見るのが何よりも苦痛だった。

 

「申し訳ありませんサラ様。治癒の魔法を私などに」

 

「はぁはぁ――――良いんです。この力で誰かが救われれば、それが私の幸福です」

 

「へぇ、治癒魔法とは珍しいですね。良いものを見させてもらいました」

 

 ヤトは強さを持たない相手には微塵も興味を抱かないが、自身が持ち得ない技能を持つ者にはそれなりに礼を示す。サラもその例から外れず、粗雑に扱うつもりは無かった。

 

 魔法とは神の祝福であり呪いでもあった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 誓約

 

 

 今日はこれ以上戦う気が起きなかったヤトは、殺しかけたアルトリウスに肩を貸して村の中心部へと移動した。

 村の中心の井戸を囲うように村人が不安そうに三人を見つめていた。

 

「あ、あのどうなりましたか?」

 

 髭を蓄えた老人が遠慮がちにアルトリウスに尋ねた。

 

「―――危機は去ったとだけ言っておく。そちらは?」

 

「へえ、家畜小屋が一棟焼けただけです。人には怪我もありません」

 

「それは良かった。あと出来れば遺体を埋める墓穴を十二~三人分ほど掘っておいてくれないか」

 

「じゅ、じゅう?わ、分かりました」

 

 こんな辺境の農村で一度に十人以上の墓穴を掘る機会など無いので困惑する老人だったが、言われるままに村の若者を率いて墓地へと向かった。

 そしてヤト達は怪我をしていたアルトリウスの事もあるので、落ち着ける場所を村人に借りた。

 村人から借りた一軒家でベッドにアルトリウスを寝かせた。サラは念のために僅かに残った傷を水で洗って薬を塗った。

 包帯を巻いた後、アルトリウスは重い口を開いた。

 

「申し遅れたが私はアルトリウス=カストゥス。アポロン王国の騎士だ」

 

「これはご丁寧に。僕はヤト。今はヘスティ王国で傭兵をしています」

 

「その胸当て……ヘスティのデミトリ家の紋章だな。雇い主はデミトリ家か」

 

「さあ?そうとは限りませんよ。僕も領地に出る盗賊がこの村に潜伏しているから退治して来いと言われただけですが、盗賊は居ませんでした」

 

「なに?そもそもここはアポロン国だぞ。ヘスティではない。貴様はサラ様を狙ったのではないのか?」

 

「それを知っていた可能性のある指揮官は逃げてしまいましたよ」

 

 アルトリウスからすれば狙われたのはサラ以外に考えられなかった。しかし襲撃者のヤトの口から全く違う事実を突き付けられて考え込んでしまう。甲斐甲斐しく彼の世話をしていたサラも同様だった。そもそもサラを何者なのか知らないヤトでは真相に辿り着けない。

 

「この方はアポロン王の五番目のご息女、サラ王女だ。今はこの村を含めてアポロンの各地を慰問して回っている」

 

「ああ、だからそれを狙って暗殺者を放ったと思われてたんですね」

 

 亜人の血を引く者が王族を名乗るのは珍しい。ヤトの生国を含む東部は亜人差別はほぼ無いに等しいが、現在地の西部では人間の亜人種の扱いは悪い。

 ヤトはサラの容姿からおそらく人狼族の血が入っていると予想した。

 人狼族は文字通り狼の特徴を備えた人型の亜人だ。比較的温厚で知性も高いが狩猟種族であり、集団を率いて各地を放浪する。人間とは交易もすれば諍いもある。良くも悪くも人にとっては隣人だ。

 そして亜人の中では人と混血になりやすい。彼女が直接なのか数代前に人狼族が居たのかは知らないが、王族というのを除けばよくある事である。

 

「それにサラ様は稀少な癒しの魔法を宿しておられる。―――狙われやすいのだよ」

 

 この世界に魔法は数多くある。

 精霊に助けを求めるエルフの精霊魔法。武具に特殊能力を付与するドワーフの付与魔法。身体能力を向上する獣人の強化魔法。神の力を借り受ける人間の神託魔法などだ。

 それら魔法は誰もが扱えるものではなく、魔法に長けたエルフでも五人に一人、人間なら百人に一人しか扱えない。適正があり、望んだところで才能が無ければ一生扱えないのだ。

 さらに言えば治癒魔法は扱える者の少ない神託魔法である。判断基準は分からないが、慈愛の神に認められなければどれほど望んでも使えない。噂では一万人に一人居るか居ないかだ。ヤトも実際に見たのは今日が初めてだった。

 

「私なんて分不相応な地位にいるただの娘なのに。そんな私を護って死ぬなんて悲しすぎます」

 

 ヤトは今にも泣き出しそうなサラをじっと観察する。西では冷遇される亜人の血脈にして王の血を引き、希少な癒しの魔法を扱う姫。各地の慰問を苦にしない、民草と親しくする善良な気質。政治に関わる者からすればさぞ扱い難い存在だろう。

 ただ、それは同じアポロン王国の者にとってだ。今回の襲撃は隣国のヘスティ王国が関わっている。何故なのか。一体あのロングやメンターに何の利があるのか。

 誰も答えは導き出せなかった。

 

「――――まあいい。なんにせよ、これは一刻も早く王都へ帰還して全てを報告せねば」

 

「それが賢明ですね。面倒事は偉い人に任せましょう」

 

「で、貴様はどうする気だ?出来れば縄に繋いで王都に連れていきたいが、残念ながら敗者の私には無理だ」

 

 アルトリウスにとってヤトは騙されたとはいえ同僚を何人も殺した憎むべき敵である。可能ならばこの手で首を刎ねてやるか、生かしたまま連れて帰って尋問したかったが、敗者である己にそれは無理だ。

 悔しさで拳を握りしめるが、サラはそんな男の手を優しく解きほぐした。

 そしてヤトは男女の雰囲気などどうでもよさそうに話を切り出す。

 

「提案ですけど、僕をこのまま雇いませんか?強さはご存じのはず」

 

「あ?貴様何を言っている?」

 

「そんなにおかしな提案はしていませんよ」

 

 急に胡乱な事を申し出たヤトに対してアルトリウスの対応は冷淡そのもの。しかし今回は正しい反応である。世界のどこに護るべき主君を襲った襲撃者を雇う奴がいるのだ。

 断固拒否する姿勢を見せるアルトリウスだったが、ヤトは大して気にせずに一から順を追って説明し始めた。

 第一にヤトは盗賊退治と偽ったのは依頼者だが、隣国の王族を襲って護衛を何人か殺している。その真相を知っているヤトをそのままにしておくはずがない。ヘスティに帰れば必ず消しにかかる。

 ヤトからすれば暗殺者など大した脅威ではないが、延々と刺客を送られ続けるのは面倒だし、わざわざロングやメンターを殺しに行くのも手間だ。ならばいっそ隣国のアポロンに居た方が面倒が少ない。

 そしてこの二人のツテがあれば王宮でもある程度自由行動が約束される。そうなれば護衛の騎士や兵士と接する機会も多いだろう。さすがに殺し合いは難しいが、模擬戦ぐらいなら可能だ。そんなおいしい機会を逃す気はない。

 次に王族が襲われた以上、アポロンは黙っていないしヘスティも素直に譲歩する気は無い。おそらく両国の感情は荒れる。戦争にまで発展する可能性だってある。その時に傭兵ギルドから除名処分を受けているヤトは戦いに加われない。せっかくの華やかな舞台に立てないのはご馳走をお預けにされたようで面白くない。

 だからいっそサラやアルトリウスに雇ってもらえば戦場で戦える。

 

「ふん、随分と都合がいい話だ。そこまで戦いたいのか貴様は」

 

「ええ。僕は強い相手と戦えるなら旗の色なんて気にしません。それに上手くいけば仲間を殺した僕をヘスティと共倒れさせる事だって出来るかもしれませんよ。貴方にも利はあります」

 

 そう言われるとアルトリウスの心の天秤が僅かに傾いてしまう。

 同僚を殺したヤトに復讐したい気持ちはあるが、騎士は個人的感情で動くのを良しとしない。非常に不愉快な仮定だが、もしサラを傷つけていたなら絶対に赦しはしなかったが、彼女を傷つける気が一切無いのが己を冷静にさせていた。

 ――――だからこそ、自分の手を汚さずに葬れる可能性があると思うと、提案に受け入れても構わないと思えてしまう。非常に嫌らしい悪魔の囁きのような話だった。

 しかしそこで正直に頷くほどアルトリウスは正直な男ではなかった。

 

「貴様の提案に利があるのは分かった。しかし私は一騎士にしかすぎん。そんな私が姫様を襲った者を赦す権利は無い」

 

「なら襲われた当人の王女様は僕を赦してくれますか?」

 

「おい!」

 

 ヤトはサラに首を垂れた。

 軽く突っぱねて反応を見ようとしたのが裏目に出た。

 サラが慈愛と情に満ちた少女なのはこれまでのやりとりを見ていれば容易く読み取れる。そこに付け入るような形で赦しを得てしまえばアルトリウスも表立って拒否は出来ない。

 腹の中で何を考えているのかは当人しか分からないが、形式上でも頭を下げた相手を赦さないのは器量が問われる。

 そして全責任を委ねられた少女は、ただ一言『赦す』と口にした。その上で、『ですが』と言葉を繋ぐ。

 

「今後、この国に居る間はみだりに命を奪うのは許しません。分かりました?」

 

「ええ、いいですよ」

 

 毅然とした態度で命じる姿はまぎれもなく貴人の高潔さに溢れていた。

 そしてヤトもその場凌ぎの契約を取り交わしたつもりはない。可能な限り誓いは護るつもりだった。

 それが何となく分かってしまったアルトリウスは正直面白くなかったので、つい本音が出てしまった。

 

「――――意外だな。貴様のような男は何よりも相手の命を奪う事を生き甲斐にしていると思ったが」

 

「僕は相手を殺したいと思った事は殆ど無いですよ。まあ邪魔と思ったらその限りではありませんけど」

 

「とてもそうは思えんがな」

 

「僕は、僕が強いと確証が得られればそれで良いんです。だから僕が強いと分かったからアルトリウスさんはまだ生きているんですよ」

 

 つまり他人の生き死にそのものには興味が無い。明確に勝ち負けさえ付くのなら何も命まで奪うつもりが無い。それこそ模擬戦で十分と言っているに等しい。

 ただ、それにしては随分と剣呑な剣技を修めているとアルトリウスはぼやいた。ヤトの剣技は相手を殺す事しか考えていない生粋の殺人剣だ。そんな剣の使い手が、殺さなくても十分などと嘯いても信用に値しない。

 アルトリウスの率直な感想に、ヤトは苦笑いを浮かべただけで何も言わなかった。

 

「ではヤトに命じます。貴方が殺めた護衛の方達を弔ってください」

 

「仰せのままに」

 

 新たな雇用主になったサラの命じるまま、ヤトは家を出て村人たちと共に亡骸を葬った。

 

 この契約がサラを含めたアポロン王国にとって利となるか災厄となるか、まだ誰にも分からない。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 王女の護衛剣士

 

 

 

 新しい雇い主の命により、ヤトは村人に交じって護衛の騎士とヘスティの傭兵達の遺体を弔った。

 墓の前では病み上がりのアルトリウスとサラもいる。

 アルトリウスは同僚達への最後の挨拶に、サラは略式ながら葬儀を行なったためだ。彼女は見習いだったが神官として教育を受けており、過去に葬儀の進行役も経験しているので問題は無かった。

 それとヤトは村の村長に革袋を渡した。中身はロングから貰った前金の金貨だ。直接ではないが、家畜小屋を燃やした詫びと墓穴を掘ってもらった謝礼である。

 村人は護衛騎士を何人も殺した傭兵の生き残りと知って恐ろしかったが、断ると何をされるか分かったものではないので震えながら黙って受け取った。ヤトにとって金は最低限あれば十分だったのと新しい集り先も確保したので未練など無かった。

 

 葬儀の翌日、サラ一行は馬車に乗って村を出立した。

 護衛は居なくとも身の回りをする使用人も数名同行しているのでそれなりの人数になる。当然だが誰もヤトと親しくしようとする者は居ない。

 そのヤトが道中何をしているかと言えば、雇用主のサラの護衛である。使用人は危険だと諫言するが、そもそも護衛が怪我人のアルトリウスしか残っていない状況では是非もない。主人からそのように言われてしまっては押し黙るしかない。

 同じ馬車に乗る二人。移動中は手持ち無沙汰だったので、サラはヤトに話しかけていた。

 

「ヤトさんは私を殺せとは言われていないんですね?」

 

「ええ。盗賊は殺してもいいですが、村人はなるべく殺すなと言われました。そもそも貴女や護衛騎士の事なんて一切知りませんでしたよ」

 

「囮……にしては変です。本当に私を狙ったのならこうして私は生きていません」

 

「そうですね、あの指揮官のメンターは傭兵以外にも自前の兵を用意していた。でも火をつけてから音沙汰無し。ただ騒動を起こしたかっただけなのかな」

 

「だとしてもわざわざヘスティ国がそんな事するなんて」

 

「そういえば狙われた経験があったんですね」

 

 アルトリウスからサラが狙われる立場にあると話していたのを思い出した。ただそれらはアポロン王族として同じアポロンの権力者から狙われた経験であって、他国からわざわざ襲われた事は無いのだろう。

 問題はそれでヘスティの誰が得をするかだ。これが国王や次期国王、あるいは王位継承権の上位者なら隣国に混乱を与えられる利になる。しかしサラは数多くいる王女でしかない。正直リスクの割に利益が薄すぎる。いっそ色恋沙汰や痴情の縺れのほうが納得出来る。

 だから現状で一番可能性の高そうな、それでいてヤトの一番好みな動機を挙げてみた。

 

「案外王族なら誰でも良かったのかも。戦争する口実が欲しかったとか」

 

「せっかく平和が続いているのにですか?もし本当なら許せません」

 

 元々ヘスティとアポロンは隣国の宿命として過去に何度も戦争をしていた。ここ十年間は平和が保たれていたが、領土問題や資源をめぐる火種はそう簡単に消える物ではない。戦争によって生まれた遺族の感情も未だ風化していないのだ。

 サラも幼い頃の自国の戦争の記憶が強く焼き付いていた。彼女の血族にも還ってこなかった者が何人もいる。あのような悲しい時間が再びやって来ると思うと憤慨する。率先して引き起こそうとする者が許せない。

 しかし傭兵であり戦いを求めるヤトは無言のまま同意しない。本音を言えばこのまま両国の関係が拗れて戦争になってくれた方が良いとすら思っていた。そうすれば大っぴらに戦場で強敵と剣を交える事が出来た。女子供の望む平和など御免被る。

 

「なんにせよ、こういう時は専門家に任せてしまうのが一番です。僕らは早く城に向かいましょう」

 

「そうですね。アルトリウスにもお城でゆっくり静養してほしいです」

 

 国の平和を想っているのは事実だろう。そしてアルトリウスの容態も考えればそれが最適だ。ヤトはサラがどういう性格なのか少し分かった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 ―――――――三日後。何度か最寄りの村で宿泊しつつ、一行はそれなりの規模の街に到着した。ダリアスという名の街だそうだ。

 馬車には王家の紋章が掲げられているので街の中にはすんなり入れた。

 そして門衛に誘導される形で一行は街の領主の館へと案内された。

 客間には王女のサラと護衛騎士のアルトリウス、そして表向き彼の介添えとして肩を貸しているヤトの三人。

 ほどなく開け放たれた扉から四十歳を過ぎた太った男が入ってきた。身なりからしておそらく街の領主かそれに近い立場の人間だろう。部屋に入ってすぐにサラに首を垂れ、大仰に歓迎の意を示した。

 

「再び姫様をお迎え出来て、このダイアラス感嘆の極みでございます」

 

「急な滞在に対応していただき、ありがとうございますダイアラス様」

 

「何をおっしゃる!このダイアラス、王家の方の為なら火の中水の中!――――所で騎士アルトリウスはお加減が悪いように見受けられるが?」

 

「ご賢察に恐縮します。少々問題がおきまして、急遽王都へ帰還となりました」

 

「ふむ、後で医者の手配はしておきましょう。ところで姫様はすぐにでもご出立成されるのですかな?」

 

「可能であれば。事は一刻を争います」

 

 強い意志の宿った眼差しにダイアラスは若干気圧された。そして彼はそれを誤魔化すかのように視線を泳がせつつ、傍に居たヤトを話題に挙げた。

 ダイアラスは行きにサラ達の一行の護衛騎士を何度か見ているがヤトは初めて見る。生きと帰りで面子が違うのを不審に思うのは道理だった。

 

「彼は慰問中の村で雇った旅の剣士です」

 

「ほう、傭兵ですか。王族の護衛とは一傭兵には過分な名誉だ、一生の誇りにせよ」

 

「ええ、そうさせてもらいます」

 

 ダイアラスが尊大に言葉をかけるも、ヤトにとっては心底どうでも良かったので言葉だけは慇懃にしていたが、内心が透けて見えていた。彼は怒りを露わにしかかったが、サラの居る手前必死で押し隠した。

 短い会談は終わり、ダイアラスは退席した。そして入れ替わりに使用人が、それぞれの部屋に案内すると申し出る。

 サラとアルトリウスは素直に使用人に付いて行こうとしたが、ヤトだけは首を横に振ってお断りした。

 

「ちょっと街の傭兵ギルドに顔を出してきます」

 

「なにか御用でも?」

 

「一応今までの説明とか、情報収集をしておこうかと」

 

 一時的とはいえ除名処分を受けたヤトが歓迎されるはずもないが、依頼に虚偽があった事実は最低限の義理立てとして説明しなければならない。そしてギルドが今回の一件をどう扱うのかを多少は知っておく必要があった。

 その説明に納得した王女と騎士は、ヤトにちゃんと帰ってくるように念を押してから送り出した。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 鬼の住処

 

 

 大抵の大きな街には傭兵ギルドは置かれている。ダリアスの街にもそこそこ大きな支部があった。

 いかにも質実剛健な建物に入ると、傭兵達の刺すような視線がヤトに突き刺さった。初顔への恒例行事に近い。

 空いている受付は若い男性だった。基本的にギルド職員は傭兵経験者が多いが彼は明らかに荒事に慣れていない。完全に事務屋なのだろうが今回は問題ない。

 ヤトは彼に傭兵ギルドの認識票を見せた。

 

「認識票を確認させてもらいますね。―――――名前はヤト。最後に仕事を受けたのはヘスティか。今日は仕事探しに来たの?」

 

「いえ、ちょっとここの支部長に報告があるんです。ヘスティで虚偽の依頼があったので」

 

「――――!詳しく話を聞きたいから応接室で待っててくれ。こっちだ」

 

 傭兵ギルドは依頼者からの虚偽には極めて敏感である。元々命のやりとりを生業とする傭兵にとって、些細な情報の欠落や誤りが命取りになるのだから当然だろう。

 ギルドとしても信用出来ない依頼者を顧客として抱えるのはリスクが大きい割に利益が少ない。契約書にも虚偽は明確に違反行為と明記されている。例え王だろうが虚偽の依頼を持ち込めば、ギルドは即座に対立する事も辞さなかった。それほどにギルドと顧客間の信用は重んじられた。

 故に初顔のヤトでさえ支部の最高責任者への面会が許されるのだ。

 二階の応接室に通されたヤトはほぼ待たされる事無くギルド支部長と対面した。支部長は目の窪んだ神経質そうな痩せ型の男だ。容姿は傭兵より書類仕事の得意な役人である。

 

「ダリアスの支部長のゲドだ。ヤトだったな、詳しく話を聞かせてもらおう」

 

 ヤトも不必要に装飾された挨拶など興味の無いので彼の言葉に従い、簡潔にヘスティでロングから受けた依頼の顛末を話した。

 

「――――問題は把握した。困った事だ。正直私の手に余る」

 

 ゲドは苦虫を噛み潰したような渋顔を晒す。

 現在ヤトはギルドに所属していないが、同じように依頼を受けた傭兵の多くはギルドに所属していた。そのためロングが依頼を偽っていたのは事実であり明確な契約違反だ。

 問題はこの事実をヘスティのギルド支部は把握しているかどうかだ。知っていて放置どころか、最悪最初から結託して傭兵達を騙していた可能性すらある。どれだけギルドが公正を掲げていても、権力者と癒着して便宜を図るギルド役員は居るものだ。

 もしそうなら早急に調査の人員を送り、実態を把握せねばならない。事は国家間の戦争にも関わってくる。それが分かっているから支部長のゲドは不機嫌さを隠そうともしない。

 傭兵にとって戦争とは稼ぎ時だが、必ずしも全ての傭兵が戦争を望むわけではない。なにせ本当に命が失われる可能性が高くなる。平時に安全に小遣いを稼ぎたいだけの堅実な傭兵からすれば迷惑でしかない。勿論立身出世や、危険だが高額依頼を望む傭兵も一定数居るが、割合としては安全志向の傭兵の方が多い。

 『何事も命あっての物種』それも傭兵だ。ここの支部長もそうした傭兵の思考に近いのだろう。

 とかく眉間に皺を寄せたゲドは情報提供をしてくれたヤトに謝礼を持ってくると言って中座した。

 

 支部長が出て行ってから、ヤトは目の前に置かれた湯気の立つお茶を眺める。安物のカップに淹れた何の変哲もないお茶だ。

 そのお茶には決して手を付けず、ヤトは無言で席を立って扉付近まで来ると、脇差を抜いて跳躍。天井付近に脇差を刺して、そのまま物音ひとつ立てずに中空へ留まった。

 ほどなく部屋の外から微かに音がした。耳を澄ましてやっと聞こえる程度の音だ。

 これは数名が音を殺してゆっくりと近づく足音や、鎧の金属同士がぶつかって鳴る音だ。

 次の瞬間、扉が派手に蹴破られて吹っ飛んだ。そして間髪入れずに槍が勢いよく突き出されて、ヤトが座っていた椅子に突き刺さった。

 

「なっ!居ないぞ、どこだっ!?」

 

 武器を抜いた傭兵らしき風体の男三人は部屋を見渡すが、誰も居ないことに戸惑った。

 ヤトは無言で脇差から手を放して、扉に一番近かったウォーハンマー使いの腕を赤剣で両断した。

 そして腕を斬られた男が悲鳴を上げる前に、低い体勢のまま膝のバネだけで前方へと跳躍。双剣の斥候女の両足を膝から横一文字に切断した。

 ここでようやく最初に斬られた男が悲鳴を上げ、槍使いが咄嗟に右側から振り返るが、ヤトは既に死角になる左側に回り込んでいた。

 

「がっ!!」

 

 槍使いの男は後ろから胴を貫かれた。腎臓の一つを貫かれ、想像を絶する痛みにより槍を取り落とした。

 支部に絶叫が木霊するが、どうでもいいとばかりに放置して部屋を出た。

 部屋の外には斬られた三人同様に、既に武装した傭兵達が十人以上でヤトを取り囲んでいた。一階のホールにも同じぐらいの傭兵がいる。それと包囲の一番外側には支部長のゲドが忌々し気に睨んでいた。

 

「くそっ!!なぜ分かった!?」

 

「お茶のカップに毒が塗られている事ぐらい初見で分かってましたよ。下手糞な小細工するから警戒されるんです」

 

「き、貴様っ!!殺せぇー!!そいつの首を獲った奴には金貨三百枚をくれてやる!!!」

 

 嘲りを受けたゲドはいきり立って傭兵達をけしかける。ちなみに金貨三百枚は人一人が十年は遊んで暮らせる額である。

 傭兵も報酬に釣られてやる気を滾らせた。ヤトも大勢に囲まれて不利な状況にあって薄笑いを浮かべている。それは決して強がりではなかった。

 傭兵達はヤトを囲うも、じりじりと様子を伺うだけで襲い掛からない。部屋への奇襲を難なく捌き、同僚三人を倒した技量を警戒していた。

 その警戒を見越してヤトはすぐさま動いた。

 まず一足飛びに二階吹き抜けの手すりに乗り、そのまま反対に跳躍。壁を横に走って、包囲を脱した。

 そして包囲の外で様子を伺っていた傭兵三人を背後から回転しながら横薙ぎに斬った。三人共仲良く足を斬られて倒れた。

 ようやく残る全員が振り向いて襲いかかろうとするが、倒れた三人が邪魔をして二人が転ぶ。無防備を晒した間抜け二人を無慈悲に斬った。これで五人減った。

 圧倒的な数的有利を物ともしないヤトに、既に戦意の萎え始めた傭兵達だったが、まだ諦めていない者も多い。それだけ大金は魅力に富んでいる。

 さらにヤトは壁際にある調度品の壺を剣の腹で打ち付けた。壺は砕けて破片が勢いよく傭兵達に降り注いだ。

 と言っても鎧で防御しているので大したダメージではないが、破片で視界を遮られたのが致命傷だった。その隙を抜いてヤトが急襲し、レイピアと戦斧を持つ二人が斬られて減った。既に傭兵は半数を割った。

 

「ひっ、ひぃ!!ばけものっ!!」

 

「コラ貴様ら逃げるなっ!!金が欲しいなら戦え!!」

 

 ゲドの叱咤もむなしく、既に戦意を喪失した残りの傭兵は我先にと逃げ出し始めた。それを放っておいても良かったが、悪戯心の湧いたヤトは剣を拾い上げて吹き抜けの天井から釣り下がったシャンデリアに投げた。

 剣は天上とシャンデリアを繋ぐロープを裂いた。そしてガラス製のシャンデリアは重力に従い、けたたましい音を立てて逃げ惑う傭兵数名を押し潰した。一階ホールは血の海になった。

 二階に残ったのはゲド一人。彼は腰を抜かして失禁していた。

 暗殺されかかった理由は薄々分かっているがどうでもいい。醜態にも何の感情も持たないヤトは無言で彼に近づく。

 

「や、やめろっ!来るな!私を殺してタダで済むと思うのかっ!!ギルド本部が黙っていないぞっ!!」

 

「どうでもいいですよ。邪魔なら全部斬って捨てるだけです」

 

 どうせ強者と障害となる者は全て斬るだけだ。それ以前にこの男の言う事を本当にギルド本部が聞くのかすら定かではない。

 これ以上戯言に関わる気の無かったヤトは剣を鞘に納めて、ゲドを横切って階段へと足を向けた。

 ―――――鍔鳴りがした。

 見逃して貰えたと思ったゲドは心底喜んだが、顔面に走る違和感に顔をしかめた。違和感はすぐに激痛へと変わり、顔がまるごとベチャリと音を立てて床に落ちた。

 ヤトがすれ違いざまに頭部から顔面だけを切り落としていたのだ。

 絶叫と苦痛に呻く傭兵達の中にまた一人、ゲドが加わった。

 ガラスと血が散乱する一階ホール。既に無事な傭兵は全員逃げ出しており、ここには僅かなギルド職員が机の下で震えながら災厄が通り過ぎるのをじっと耐えていた。

 しかし災厄は自らの意思で机を覗き込む。ギルド職員は氷冷の瞳の鬼人と視線を合わせてしまった。

 

(こっ殺される!!神様!!)

 

 最初にヤトと話をした若い受付は全霊で神に助けを乞うた。そしてそれは神ではなく、鬼の思惑で聞き届けられた。

 

「受付さん。ちょっと案内してほしい場所があるんですけど」

 

「――――は、はい」

 

 恐怖で脳がぐちゃぐちゃになっていた若い受付はヤトの言われるままに机の下から這い出て、ギルドのある場所へと剣鬼を案内した。

 彼は武器を持たず、敵対もしなかったために生き延びた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 助力

 

 

 傭兵ギルドのダリアス支部を血の海に沈めたヤトは用事を済ませて外に出た。背には革製のリュックを背負っている。

 支部の外はさして変化は見当たらない。もともと傭兵ギルドは荒くれ者の吹き溜まりであり、騒動など日常茶飯事であったのが幸いした。今回の騒ぎも通行人にはいつもの喧嘩か何かかと思われていた。

 おかげでヤトは大して注目もされず、野次馬などにも煩わされる事は無かった。

 無かったのだが、一人の小柄な中年女性がヤトを見つけると、慌てて近づいて手を引っ張った。

 

「申し訳ありません。私の顔を覚えていますか?」

 

「――――確かサラさんの使用人の一人ですね」

 

「マオと申します。もう貴方だけが頼りなんです」

 

 切羽詰まった様子のマオに、ヤトは次の面倒事の臭いを感じ取った。そして彼女は人目を気にする。ここでは落ち着いて話が出来ないのだ。

 マオはそれ以上何も言わずヤトの手を引いてギルドから離れた。

 

 

 二人が腰を落ち着けたのは、街の中央から離れた区画。そこは貧しい住民が暮らす下町の安宿だった。主に金の無い男女に短時間部屋を貸して金を得る、いわゆる連れ込み宿と呼ばれる宿屋だ。

 そこで何が行われているかは両端の壁から漏れ聞こえる男女の嬌声が教えてくれた。勿論ヤトもマオもそんな行為をする気はないが、男女が人目を避けて話すにはこうした状況が最も警戒心を抱かれない。

 薄い壁から聞こえる濡れた打音が不快だったが、マオは無視して説明し始める。

 

「姫様がダイアラスに捕らえられました。アルトリウス殿や他の使用人も同様です」

 

「護衛の僕が離れるべきじゃなかったかな。いや、あのお姫様なら人質が居たら同じか」

 

 なにせ護衛騎士の命を助けるために自分の命を差し出そうとするぐらいだ。仮にヤトが傍に居ても他の使用人の命を奪うと言われたらどうなるか分かったものではない。却って別行動で良かったぐらいだ。

 そして、その事実がギルド支部での暗殺に繋がった。あれは余計な事を知っている者の口封じだ。

 ヤトもどこからサラの旅の行程が漏れたのか薄々気付いていた。国境近くの村に滞在する日は、この街を旅足った日から計算すれば容易く分かる。

 つまりヘスティ側のロングやメンターとアポロン側の領主ダイアラスやゲドは情報共有をしていたと考えていい。

 それと殺さずに捕らえたという事はまだサラに利用価値があるからだ。王女ならどちらの国にも使い道がある。ならば奪還するのが雇われ者の義務である。

 

「マオさんはサラさんがどこに捕らえられているのか知ってます?」

 

「いえ、私は屋敷から逃げるので手一杯でして、誰がどこに居るのかもまったく……」

 

 マオは委縮するが、ヤトは使用人でしかない彼女にさして期待していない。

 現実的に考えると戦力は己のみ。単に領主の館を襲撃して領主と私兵を皆殺しにするだけなら十分だ。問題は相手が人質を多数確保している事。いざとなったら彼等を見捨てるのも選択肢に入れているが、最初から切り捨てるのは契約に反するので困る。

 となれば先に人質を奪還するか、一気に頭を斬ってしまうのが最良の選択である。ただしそれには色々と用意するものがある。

 

「人手が足りませんね。まずは人集めから始めないと」

 

「ヤトさんの味方がこの街に居るんですか?」

 

 ただの人斬りに意外な長所があると思ったマオは最低評価から少しだけ上方修正した。

 基本方針の固まった二人は卑猥な音とすえた臭いのする安宿から喜んで出て行った。

 宿の従業員は二人の利用した部屋が全く汚れていない事に首を傾げて、掃除をせずに済んだのを喜んだ。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 安宿を引き払った二人は下町よりさらに街の中央から離れた、スラムと呼ばれる浮浪者や孤児が道端に座り込んだ、見るからに治安の悪い場所に居た。

 王宮勤めのマオはあからさまに顔をしかめるが、ヤトは全く気にせずに何かを探すように建物を観察しながら歩いている。

 そんな二人を住民たちは注意深く観察している。まるで餓えた虎狼が獲物を観察する目だ。もし弱い獲物であったなら、我先にと飛び掛かって財産を、それどころか命も簡単に奪っていただろう。

 それをしないのはヤトの纏う、吐き気すら覚える血の臭いの濃さ故だ。明らかに自分達より格上のケダモノに襲い掛かるほど、ここの住民は愚かではなかった。でなければもっと早く死んでいる。

 視線により居心地が悪くとも安全が確保されているマオは気を紛らわせるためにずっと何かを探しているヤトに話しかける。

 

「あの、何を探しているんですか?」

 

「タグを探しているんです。蛇の形の」

 

 マオにはタグと言う言葉は分からなかったが、蛇の形の何かを探しているのは分かった。それが何を意味するのかまでは分からないままだが。

 そしてかれこれ三十分はスラムを歩き続けて、人が全くいない区画まで来たところで、ようやくお目当ての物を見つけた。

 それは朽ちた石壁に刻まれた白い蛇の形をした落書きだった。城仕えのマオには何となく紋章のように思えた。

 蛇の落書きのある建物に扉が無いが、奥へと続く通路があった。二人はそのまま通路を進むと、四方を別の建物で囲まれた中庭のような場所に出る。

 その建物の壁を丹念に調べると、一角に同じ白蛇の落書きを見つけた。

 

「ここだ」

 

「でも扉がありませんけど」

 

「窓があるでしょう」

 

 確かに言われた通り、一階部分にかつて窓と思われる、今は腐った木枠しか残っていない四角の大きな穴があった。それによく観察すると、木枠に土埃が払われた形跡がある。誰かがここから出入りした形跡だった。

 ヤトは軽々と、スカートのマオは必死に窓枠を跨いで建物の中に入った。

 中には誰もおらず、石材や木材の欠片が無造作に散乱していた。

 今度は腰から鞘ごと剣を外して、床の木板をあちこち叩く。部屋中に鈍い反響音が連続するが、一か所だけ音の違う箇所があった。

 ヤトはその板の周辺を屈んで丹念に調べ、巧妙に塗装された格納式の取っ手を見つけて板を持ち上げた。

 

「あっ階段!」

 

 マオは驚きの声を上げた。彼女も王宮暮らしなので、この手の隠し通路や隠し部屋の存在は知識として知っているが、実際に見るのは初めてだ。

 ヤトは何事もなかったかのように地下への階段を降り、マオもそれに倣って灯りの無い階段を慎重に降りる。

 

「隠し蓋は締めておいてください。そのままだと怒られるので」

 

 それだと日の光すら差さない完全な暗闇で怖いが反論は出来なかった。

 言われた通り蓋を閉めるとマオは恐怖でどうにかなりそうだったが、先に進むヤトの足音と己の触覚を頼りになんとか一歩ずつ足を前に出す。

 階段が終わり、長い通路を無言で進むと、奥にうっすらと光が見えた。ランタンの火だった。扉も見える。ようやく文明の息吹を感じる事の出来たマオは安心した。

 そして鉄で補強した頑丈そうな扉を開けると、小さな部屋の隅で小柄な隻眼の中年男が机で書類仕事をしていた。男はミニマム族だった。

 

「お邪魔しますよ」

 

「邪魔するなら帰れ」

 

 書類から目を離さず黙々と蝋燭の火を頼りに読み続ける男の無粋な対応をヤトは気にしない。

 そして懐から一枚銀貨を出して彼の机に置いた。

 

「――――ここの流儀は?」

 

「蔑むな、金を惜しむな」

 

「客か。奥に行け」

 

「あ、あのヤトさん。ここは一体何なんですか?」

 

 つい膨れ上がった疑問を抑えきれなくなったマオがたまらず問いかけた。

 

「そっちは素人か。まあいい、後学のために覚えておけ。ここは悪党の溜まり場、日の光から見放されたどん詰まりの最期の住処」

 

 男はそこで一度言葉を切ってから、ほんの僅かな時間、悔恨と諦観を乗せて己の墓場の名を口にした。

 

「ようこそ日向の住民。ここは盗賊ギルドだ」

 

 日向で暮らしたことしかないマオは言葉の意味を理解出来なかった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 犯罪結社の女主

 

 

 

「と、とうぞくギルド?」

 

 マオがオウム返しに呟く。

 彼女も盗賊とギルドは知っている。しかしその両方が結び付くと、途端に理解の及ばない言葉になる。

 呆然とする彼女だったが、ヤトはお構いなしに案内役と一緒に奥へと進んで行こうとしたので、一度考えるのを止めて急いで後を追った。案内役はフードを深くかぶって顔を隠しているのと、声がくぐもっていて性別すら分からない。

 ギルド内は石造りの地下を利用しているが意外にも広く天井も高い。所々に灯した松明やランタンの火と相まって、まるで古い城の中にいるような錯覚に囚われた。

 通路ですれ違う者は多いが、誰もが一般人と異なる雰囲気を纏っている。何と言えば良いのか分からないが、とにかく常に緊張感を強いられる、相手を不安にさせる者達だった。

 それに立ち話をしている者達も口が動いているので何かを話しているのは分かるが声がとても聞き取り辛い。声が小さいわけでも早過ぎる訳でもない。同じ国の言葉なのに別の国の言葉のような印象をマオに与えた。

 ここはまるで地下の異国だった。

 

 案内役から、この部屋で待てと言われて二人は椅子とテーブルがあるだけの簡素な小部屋で待たされた。

 

「あの、ヤトさん。盗賊ギルドとは?」

 

「盗賊というか犯罪者が集まって作った犯罪結社です」

 

 簡潔な説明にマオは戸惑った。自分の国の都市にそんな集団が巣食っていたと生まれて初めて知った。つまり自分達は犯罪者集団の腹の中に居るに等しい。恐怖が心を蝕み始めた。

 震える女性を放っておいても良かったが、どうせ待っている間は暇なのでギルドの成り立ちを簡単に説明することにした。

 

 盗賊ギルドの発端は盗賊と商人の盗品売買の取引所とされる。

 幾ら物を盗んだ所で金に換えられなければ意味がない。だから曰く付きでも買ってくれる商人のツテが必要だった。

 商人も出所が怪しくても安価で商品が買えるなら利益になる。お互いに利益を得るための円滑な卸市場が出発点だった。ここまではどの国の都市にも似たような闇市がある。

 さらにそこから用心棒役が市場の実権を握り、金と暴力によって組織化。それがギルドの立ち上げに繋がった。

 ここで盗賊と商人だけでなく、様々な犯罪者が群がり始めて組織は肥大化。中には国を跨いで交流を始めて、密輸と情報の売買によって利益を荒稼ぎする集団同士も出てきた。

 そうなると自分達も儲けようと真似し出す集団が現れてノウハウを学ぶ。そこで最初の結社が用いた蛇のタグも真似る。

 以後、無関係だろうが白蛇が盗賊ギルドの紋章として扱われるようになった。

 

「これが盗賊ギルドの成り立ちです」

 

「はあ。でもなぜヤトさんはそんな事を知っているんです?」

 

「僕はギルド員ではないですが、以前知り合った盗賊から教えてもらいました」

 

 どういう縁で盗賊と知り合うのか聞いてみたかったが、その前に先程のフードの案内役が部屋に入ってきた。

 

「ギルドマスターがお会いになられますのでこちらに」

 

「あの僕は仕事の依頼と情報を買いに来たんですけど」

 

「その前にマスターが是非挨拶をしたいと仰られるので。大変にお手数ですが」

 

 申し訳なさそうな案内役の言葉にヤトは首をかしげる。この国に来たのは初めてであり、盗賊ギルドのマスターとは面識が無い。そもそも斬った盗賊は多いが生きている知り合いはかなり少ない。

 理由がよく分からないが仕事を頼む手前、相手の不興を買うのは好ましくないので、今は黙って従うことにした。

 

 二人が通されたのは先程の小部屋とは比べ物にならない上等な部屋だった。壁には金銀で装飾した刀剣が飾られており、円卓や椅子は全て細部にまで装飾の施された一級品。床には大陸中部の遊牧民が織った絨毯が何枚も敷いてある。

 どれもこれもが並の領主では一つとて持つことの叶わない品ばかりだ。まるでここだけ王宮の一室と言われても、誰も反論出来なかった。

 そして部屋の中央でふんぞり返る一人の女性。おそらくは彼女がこの部屋の主であり、盗賊ギルドのマスターだろう。

 腰まで伸びた絹糸のように艶のある金髪。肩から二の腕まで露出した肌は白磁のようにきめ細かい。豊満な胸はそれだけで男を虜にするも、腰はコルセットを使わずとも引き締まって美しい。瞳は青空のように青くどこまでも透き通っており、唇は血のように鮮やかながらも白い肌によく似合った。これらだけでも万人が求めてやまない蠱惑的な容姿だが、もっとも特徴的な部位は耳にあった。

 彼女の耳は常人より長く尖っていた。それはエルフか、エルフの血を引く者の特徴だった。

 

「ようこそ我がギルドに。私がマスターのロザリーよ」

 

 声までも男を溶かすように妖艶かつ張りを感じさせた。

 

「ではマスター。僕はこれで」

 

「待ちなさいカイル。貴方もここに残りなさい」

 

 カイルと呼ばれたローブの案内役は言われた通り、部屋の入り口で立っていた。ヤトとマオは促されて席に着いた。

 簡単な挨拶を済ませると、ロザリーから話を切り出す。

 

「仕事の依頼でよろしいかしら?」

 

「はい。それと情報を仕入れてください」

 

「それは領主の館に捕らえられている方々の事?」

 

 こちらが何も言っていないのに知りたい事を当てられてマオは驚く。対してヤトはこのぐらい事前に分かっていなければ頼る気にもなれないと冷静にギルドの情報収集力を分析している。

 ロザリーの話では全員無事であり、サラは客室に軟禁されているが手荒な扱いは受けていない。アルトリウスも元から怪我人だったので剣を取り上げられただけらしい。使用人は一人が逃げたために監視付きで地下の物置に入れられているが、拷問の類は受けていない。

 それを聞いたマオは、予想はしていたが確信が得られて心から安堵した。ここまでは無料でいいとロザリーは微笑む。

 

「では本題に入りましょう。お二人は―――いえ、そちらの剣士さんが領主の館に攻め入って人質を奪還すると考えてよろしくて?」

 

「そうなります。ついては盗賊ギルドから人員を借りたいんですが」

 

「困りましたね。確かに我々は時には荒事も扱いますが、館の私兵はいわば戦いの専門家。分が悪いかと」

 

 断りはしないが、あからさまにロザリーは難色を示した。彼女の言う通り、盗賊ギルドは時に暴力で相手を屈服させるが、それは素人や対立する犯罪組織に用いるだけで、本職の戦士や兵隊相手をするには力不足である。

 

「僕も貴方達に戦ってほしいなんて思ってませんよ。僕が攻め入る前に街で騒動を起こしてもらいたいんです」

 

「そうして混乱している間に人質を奪還すると?」

 

「その前に領主の首を獲ります。あとは館に火を放つと、もしもの事があるので煙玉があれば売ってください」

 

「大言吐きですわね。その実力を証明するものは?」

 

「ここに来る前に傭兵ギルドで何が起きたのか知っているでしょうに。試すなら貴方の首でも構いませんよ」

 

 ヤトの脅しと思えない殺しの宣言にもロザリーは薄く笑うのみ。正直ヤトはこの手の女性が苦手だった。一思いに殺せたらどれだけ面倒が少ない事か。

 彼女はここのギルドに武の専門家が居ないと言ったが嘘である。盗賊ギルドは暗殺者も何人か保有しているのをヤトは知っていた。その手札を伏せたまま弱者を装って、こちらが油断するのを待っている。悪党の上に強かな連中である。

 そんなヤトの内心をロザリーは見透かしていた。伊達で男を堕とす技術と肉体を持っているわけではない。同時にこの年頃の青年が自分の色香に微塵も惹かれないのを見せられて興味を抱く。

 

「それでは夜明け前にギルドが囮として騒動を起こします。あとは館の見取り図も用意しましょう。カイル、段取りは任せるわ」

 

「はい、か――――マスター」

 

 何か言い間違いを慌てて訂正したカイルは準備のために退出した。

 あとは情報提供料と依頼料の支払いだ。ロザリーより提示された金額は金貨二百枚。全て前金で求められた。

 当然マオは着の身着のまま逃げてきたので一文無しだ。心苦しい彼女は目が泳ぐ。

 

「ではこれで」

 

 そう言ってヤトは背負ったリュックをロザリーの前に投げると、ドスンッと派手な音を立ててテーブルが軋む。かなりの重量だ。

 中身には傭兵ギルドの金庫から奪っておいた金貨が詰まっている。適当に詰めただけなので数は分からないが報酬よりはあるはずだ。

 ロザリーも金貨の音とリュックの大きさから金額に足りていると気付いた。粗野だが豪気なヤトのやり方に好感を抱く。

 

「契約は成立しました。ご利用ありがとうございます。それとお二人には客室をご用意したします。ごゆるりと」

 

 部屋の外で待機していた使用人に二人を案内させる。一人部屋に佇むロザリーは先程の若い剣士を想う。

 

「良いわね彼――――――」

 

 その独り言が一体何を指すのかは本人しか分からなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 炎の奪還劇

 

 

 ダリアスの領主ダイアラスはその晩、一秒も寝付けなかった。

 原因は一人の傭兵剣士の行方を掴めなかった事にある。

 最初はすべて計画通りだったのだ。慌てて逃げ帰った『混じりもの』の王女を首尾よく捕えて、残りもほぼ監禁した。一人使用人が逃げたのは部下の怠慢だが、それぐらいは寛大な精神で赦してやるつもりだった。

 あとは素性の知れない傭兵の若造をギルドの手で始末すれば、全てが上手くいくはずだった。なのに傭兵ギルドは血の海だ。

 協力者の支部長ゲドも行方知れず。ギルドがあの様子ではおそらく死んだのだろう。そして生き残りの話では剣士は金だけ奪ってどこかに消えた。金が目的の傭兵なら放置すれば十分。どうせ誰も話を聞きはしない。

 そのまま金を持って街から出て行ってくれれば良いが門衛からの情報は無い。きっとまだ街に潜伏しているに違いない。

 ただの傭兵の若造一人恐れる理由など無いはずなのに、奴を見た時から今もずっと首筋の寒気が消えない。どれだけ酒を飲み、温かい物を食べても寒さは止まる事が無かった。

 

「もうすぐ夜が明ける」

 

 あの傭兵が王女を奪い返しに来ると予想して、館の兵には寝ずの番で警戒に当たらせたが、どうやら杞憂だったらしい。

 よくよく考えなおせばただの傭兵が領主に敵対してまで王女に義理立てするはずがない。相手は命を惜しむ金目当ての傭兵だ。ほとほりを冷ましてから大金を抱えて街を出ていく。そうだ、そうに違いない。

 ようやくダイアラスは晴れやかな気分になった。こんな気分はここ数年味わった事が無い。

 彼はベッドから這い出て、素晴らしい夜明けを眺めるために寝室の隣のバルコニーへ出た。

 外はまだ昏く、夜の冷気が身に染みる。しかしそれが心地よく、首に残る寒気を覆い隠してくれた。

 清々しい勝利の余韻に浸るダイアラスは、ふと嗅覚を刺激する臭いに気付いた。下から上へと昇るそれは、嗅いだ事のある臭い。

 

「はて、焦げ臭いな。風向きがいつもと違うのか」

 

 臭いは薪が燃える臭いに似ている。きっとパン屋が竈を温めているのだ、そうに違いない。

 呑気に朝食のパンに思いを馳せていたダイアラスだったが、次第に臭いどころか目に染みるほどの煙が昇ってきているのに気付いて焦り、慌てて手すりから身を乗り出して周囲を見渡すと、屋敷の近くの家が派手に燃えていた。

 

「火事だー!!」

 

 悲鳴に気付いた周辺では住民達が慌てて逃げ出し、中には水桶を持って必死に消火作業に当たる者もいた。

 

「まったく。せっかく私が良い気分になっていたというのに無粋な」

 

 ダイアラスにとって館から離れていて延焼の心配も無い平民の家が一軒燃えた程度、少し派手な焚火でしかない。そんな些事で気分を害す平民など焼け死んだところで構わなかった。

 問題は時間が経つにつれて、燃える家屋が増えている事だ。一つ、二つと増えていき、今では眼下に五軒の火事が確認出来た。こうなると区画全体が延焼する危険性を孕んでくる。

 呆然とするダイアラスは、けたたましく扉を叩く音で我に返った。

 扉を開けると家臣の一人が血相変えて報告した。

 

「お休みのところ申し訳ありません!ただいま街のあちこちで火の手が上がりました。住民から領主様の兵を救援に向かわせてほしいと嘆願が来ております!」

 

「―――――ええい、分かった!但し、客人の護衛にそれなりの数は残しておけ!」

 

「はっ!」

 

 家臣が去った後、慌ただしくなった館。ダイアラスは脳裏に最悪の展開が思い浮かぶ。その悪夢を振り払うために、彼は急いで行動を開始した。

 

 

 ダイアラスが慌ただしく駆けずり回る使用人を押し分けて向かった先は客間の一室だ。

 扉の前で直立不動で守りを固める二人の兵士は主の姿を見て敬礼するが、その主は一秒でも惜しいとばかりに兵に扉を開けさせた。

 

「ご機嫌麗しゅうサラ王女。当家のベッドは快適でしたか?」

 

「ベッドは良い物ですが、館の主の品格に見合った物ではありませんね」

 

 開口一番の挨拶に対して、サラはありったけの侮蔑をもって返答した。蔑まれた男は懐のナイフに手を掛けようとしたが、自称寛大な心で自重した。そして気を取り直してにこやかに笑う。

 

「元気があって結構。さて、朝食をご用意したいところですが、あいにくと今は立て込んでおります故。別の場所に移っていただくやもしれませぬ。平にご容赦を」

 

「まるで夜逃げような慌ただしさですね。いったい何に追い立てられているのかは存じませんが器が知れますよ」

 

「これは手厳しい。ですがこれも貴女様のためでございます」

 

「そもそもヘスティと手を組んで平穏を壊して戦乱を望むというのに、ただの火事に狼狽えるネズミ風情が何を言う」

 

「―――――調子乗るなよ『混じり物』。私の慈悲で生かされているのを忘れているようだな」

 

 怒気を漲らせて一歩一歩近づくと、小生意気なメス犬は顔を強張らせて後ずさる。

 その怯えに気を良くした絶対者は打って変わってにこやかな笑みを取り戻した。最初から従順にしていれば怖い思いをせずに済むのが分からない犬には鞭が一番効果的だ。

 悔しそうに睨む子犬は時として愛おしくすら思えた。

 こんな犬でも王の血を引く大事な駒。いざとなったらこいつだけでも連れて隠し通路から逃げねばなるまい。

 

「街の方が少々騒がしいですがじきに収まりましょう。あとで朝食を――――――――」

 

「館に煙がっ!火がこっちにもきたぞー!!」

 

 誰かが恐怖に怯えながら叫ぶ。館内からあちこち煙が立ち込め、サラの客間にも流れ込んできて咳込んだ。煙が染みて目を開けている事すら困難だ。

 誰もが本能的恐怖からパニックに陥り、我先にと逃げ出そうとした。

 兵士も逃げ出したかったが、目の前の主人を放ってはおけず避難を促そうとした。しかし後ろからの強烈な衝撃で意識を失う。

 代わりに煙と共に客間に入ってきたのは口を布で覆ったヤトだった。

 

「ヤトさん!」

 

「助けに来ましたよ。そっちの領主はどうします?殺します?」

 

 ヤトはまるで朝食の卵の焼き方を尋ねるかの如く軽い調子で殺人を口にする。相変わらずの調子にサラは呆れていいのか喜ぶべきか迷った。

 対してダイアラスは抜き身の赤剣を見て恐怖した。この騒動は全て自分を殺すためのお膳立て。逃げ場は完全に塞がれた。直感的に唯一の逃げ道は『混じり物』を人質にして逃げる事だと気付いた。反射的にサラの方を見ると、鼻先に剣の腹が見えた。

 

「鼻毛が伸びていますが、切って差し上げましょうか?それともまつ毛の方が好みですか?」

 

「待ってください。殺さないと約束したのを忘れたんですか!」

 

「分かっているから首を飛ばしていないんです。鼻や目が無くても人間は死にませんよ」

 

 致命的に話の論点がズレているが、この場においてはそれが利をもたらした。

 眼前に剣を突き出され、明らかに拷問を目的とした会話を聞いてしまったダイアラスは、昨夜一睡も出来なかった疲れと相まって恐怖で失神した。

 勝手に倒れた男を前に二人に微妙な空気が漂ったが、どんどん増える煙によって我に返ったサラが、まずは逃げる事を提案した。

 仕方がないのでヤトは失神したダイアラスを担いで館の兵士に紛れて逃げる事にした。

 サラは顔と犬耳を隠すためにフードを被っているのですれ違っても誰も気づかない。

 

「もしかしてこの煙は貴方が?」

 

「ええ、でもただの煙玉ですから火事の心配はないですよ」

 

「それでも無茶です。まったくもう。―――でも、ありがとう」

 

 口では色々と文句を言うが、それでも助けてくれたヤトに感謝と共に柔らかな笑みを向ける。

 

 煙の中、首尾よく館を抜けた二人と担がれたダイアラスは人目を避けて、近くの家に入った。そこにはマオとフードを被った盗賊ギルドのカイルが居た。

 マオは思わずサラに抱き着いて涙を流す。

 

「ああ、姫様。ご無事でよかった」

 

「上手くいきましたねヤトさん」

 

「まだ半分ですよ。これからアルトリウスさんと他の使用人を連れてこないと。こっちの領主は適当に縛っておいてください」

 

 無駄に重いダイアラスを無造作に床に転がしたヤトは煙が残る館へと引き返した。

 そして火事の鎮火に駆り出された兵士が戻ってくる前に残りの人質を全員連れて帰った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 逃避行

 

 

 領主の館から助け出された一行は、カイルの手引きで現在盗賊ギルドの所有する邸宅に身を潜めていた。幸い自由は奪われていても拷問や暴力の類は受けておらず、全員が多少の疲労程度で済んでいた。

 街の火事の方は既に鎮火している。元々盗賊ギルドは火付けする家を前もって住民から買い取っており無人。周囲も最初から水をかけて延焼を防ぐ事前準備をしていた。その上で焼け跡の土地は盗賊ギルドが保有して、以後は彼等が有効活用するらしい。

 費用は全てヤトが支払った金貨を使っており、ギルドはさして腹が痛まない。お互いに利益のある取引となった。

 全てカイルの説明である。

 助け出された全員が今回救出に尽力したヤトに感謝を述べていた。特に護衛騎士のアルトリウスはヤトの前で膝を折って、懺悔するように己の無力さを恥じた。

 ただ、ヤトからすればどうでもいい謝罪だった。それよりも護衛の仕事を放っておいて傭兵ギルドに居た自分の方が判断を誤ったのだと謝罪して彼を立たせた。

 助け出された彼等には、その姿はさぞ慈悲深く謙虚に見えた事だろう。

 ある種の仲直りの儀式が終わり、今度は実務的な話に切り替わる。

 

「捕らえた領主どうします?殺さなかったのは何か利用価値があるからでしょうが、その前に尋問ですか」

 

「仮にもこの街の領主ですから、裁可は父に――――いえ、国王に委ねるのが国の法です」

 

 筋の通った意見に反対者は居ない。ここは王国、王が罪を裁く権利を有する。個人的な怨みで領主を害しては後の禍根に繋がる。

 となればダイアラスはこのまま生かして連れて行く事になる。一行にとってそれなりの負担だが、主人の命令は護らねばならない。

 それは後で考えればいい。次に問題になったのは、王都までどうやって帰るかだ。

 サラの話では、ダイアラスは平和を疎んじて再び戦乱を呼び込むためにヘスティ側の開戦派と結託して自分達を襲わせたらしい。その実行者がヤトを含めたヘスティで雇われた傭兵だった。そしてアポロン側にも潜在的な開戦論者は多いという。

 おかげで今回の一件で領主の誰が味方で敵なのか分からなくなった。そんな状況で非戦闘員ばかり抱える一行は、どんな小さな農村でもおちおち立ち寄る事すら出来ない。

 正直手詰まりだった。

 

 重い空気と沈黙が場を支配し始めたが、突然のノックで空気が霧散する。

 使用人が扉を開けると、そこには妖艶な美女が佇んでいた。盗賊ギルドの女主ロザリーが場違いに微笑んでいた。

 彼女はヤトとマオを除いて初対面だったので、簡単に所属の説明と挨拶をすると、サラは今回の助力に深く感謝を示した。

 

「礼には及びませんわ。私達はあくまで対価に見合った仕事をしたまでです。そして、お困りでしたら微力ながらお手伝い致しますが」

 

 柔らかい笑みのロザリーをサラとアルトリウスは警戒した。彼女の笑みには覚えがある。王宮での貴族の笑みと同質の物だと気付いたからだ。あれは弱みを見つけた猫だ。

 しかし差し伸べられた手に違いはない。それを何も聞かずに跳ね除けるほどサラは非情になりきれず、また現状を理解していないほど愚かでもなかった。

 サラはロザリーに席を勧めた。暗に話を全て聞く意思表示である。

 彼女は礼を言って座り、サラは一行が置かれている状況を包み隠さず全て打ち明けた。

 

「王女様自らのご説明、誠に恐縮です。つまり王宮まで安全な道があればよろしいのですね」

 

「そうです。ですが私達にはどこが安全な道なのか分かりません」

 

「では盗賊ギルドが先導役を担いましょう。主要街道を使わず、我々しか知らない道を使えば、時間はかかりますが可能です」

 

「まさか、そんな事が?」

 

「蛇の道は蛇。人を欺くのは盗賊の生業ですので」

 

 驚きの声を上げるサラにロザリーは微笑む。

 元々盗賊ギルドは商人が盗賊から盗品を仕入れる市場。取引所や輸送ルートは出来る限り秘密であったほうがいい。そのために人目が付かない道を利用するのは理にかなっている。

 一王女として犯罪者が国内を我が物顔で歩いているのは悔しいが今はそれどころではない。ひとまず心に棚を作って、王宮に帰るまでは考えないようにした。

 

「―――――対価は何でしょうか?」

 

「ただの厚意……と言っても信じてもらえませんから、この手紙を貴女の御父上、つまり国王陛下にお渡しください」

 

 差し出したのは一通の手紙。裏にはしっかりと封蝋がしてある。

 中身を知りたいと思ったが、きっと自分には用意出来ない物だと察して、必ず届けると誓った。

 

「先導役はカイル、貴方に任せます」

 

「えっ僕で良いんですか?」

 

「必要な事は全て教えたわ。後は自分で経験を積むしかないの。しっかりやりなさい」

 

 驚くカイルだったが、組織の長の命令なら嫌とは言わず、フードを外して同行者となる一向に素顔を晒した。

 彼の素顔は驚くほど端正だった。

 上役のロザリーも妖艶な美貌を持つ美女だが、彼はそれより上を行く美しさだった。

 肌の色は雪のように白く、きめ細やかで皺一つ無い。

 髪はまるで白金を糸のように引き延ばしたかのように、細く光沢のあるプラチナブロンド。

 顔の造形は幼さの中に繊細さと生命力にあふれた力強さを宿している。年は13~14歳程度か。

 何よりも目を惹くのがアメジストを磨き上げたような一対の紫の瞳。

 そして何よりも異彩を放つのはナイフのように尖った耳。それもロザリーよりもずっと長く尖っていた。

 

「まさかエンシェントエルフ?」

 

「古代の妖精王の末裔か」

 

 サラとアルトリウスがそれぞれ異なる名称を呟くが、基本的に同じ意味を持つ。

 亜人種は人と外見がほぼ同じだが、種族によって幾らか相違点がある。

 その中でエルフは耳が特徴だが、そのエルフでも血筋により違いがある。

 より長く尖った耳を持つ者ほど古いエルフの血を色濃く残すのだ。それは古の王の血と同義であり、カイルの耳は高貴な王の血筋に連なる者の証だった。

 

「改めて、駆け出し盗賊のカイルです。皆さんよろしく」

 

 カイルがニコりと笑いかけると使用人達は呆けたように彼の容姿に酔う。サラやアルトリウスも多少なりとも心を動かされた。変わらないのはヤトだけだ。

 そこから先はロザリーとサラで今後の段取りの話し合いだ。

 幸い一行は犯罪者でも何でもないので指名手配などかかっていない。あくまで領主の館に客人として招かれているだけなので、出てい行くのは自由だ。

 街の門を封鎖するには領主の許可が居るが、そもそも領主はこちらが確保している。親族や家臣も全容を把握しておらず、ダイアラスの行方を捜している中でそこまで手が回るとは考えにくい。

 それに当の領主がいても門衛が王女の荷物を検査する度胸などあるはずがなく、猿轡でも噛まして樽の中にでも入れておけば十分だ。

 唯一ヤトが傭兵ギルドで大立ち回りをしているで、そこを咎められる可能性があったが、現在ギルドは支部長を失って機能不全を起こしている。まだ数日は碌に動けないだろう。

 つまり早々に街から出て行ってしまえば一行を補足するのは著しく困難というわけだ。

 よって、一行は明日の早朝に街を出る。

 当座の食料などは今からロザリーが手配するので、サラ達はこのまま隠れ家で英気を養うだけで良かった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 旅の仲間

 

 

 翌日、サラ王女の一行はダリアスの街を無事に出発した。

 予想通り門衛は一行を総出で送り出した。やはり前日の火事と領主の不在で意思疎通は全く出来ていなかった。

 首尾よく街から出た一行は西にある王都に続く街道を使わず、まずは北へと向かった。

 ここで半日移動した後、先に出発していた盗賊ギルドの馬車と泉で合流。ギルド員と馬車を交換した。

 流石に王家の馬車は目立ちすぎるので、彼等を替え玉にして目を惹き付けてもらうことにした。これらはギルドマスターのロザリーの発案だ。

 そして何事も無く馬車を乗り換えた一行はそのまま旅を続けた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 旅は既に六日を迎えた。

 本来ダリアスの街から王都アポロニアまでは主要街道を使えば五日で行けるが、今回は大幅に迂回して旅をしているので倍以上の日数が掛かってしまう。

 今日も北の山地の隙間を縫うような細い山道をどうにか通って宿泊予定の山小屋まで辿り着いた。

 幸い馬車がギリギリ通れる幅の山道なので神経を使うが、襲撃を気にする必要はない。

 道中の宿泊は大抵盗賊ギルドが所有する隠れ家を利用させてもらっている。寝具の類は置いていないが保存食や薪及び木炭の備蓄があり、十人もの人間が寝泊まりするには些か狭いものの、何より雨風を防ぐ屋根があるのが非常にありがたかった。

 今は使用人達が山小屋を簡単に掃除している。狭い小屋でもせめて主人には埃臭い思いはしてほしくないというプロ精神だった。

 アルトリウスはまだ本調子ではないが、ある程度身体が動かせるようになったので沢に水を汲みに行っている。サラはまだ彼を休ませたかったが、本人が鍛錬を兼ねていると言い張ったので好きにさせていた。

 虜囚となったダイアラスは初日は非常に煩かったので猿轡を噛まして樽に放り込んで運んでいたが、用足しや食事のたびに自由にすると喚き散らしていた。それが目障りだったヤトが剣を首筋に当てて皮一枚切ると、途端に静かになった。以後は縛られて大人しくしている。

 そしてヤトはどうしているかと言うと、彼は鹿を相手に追いかけっこをしている。理由は当然食べるためだ。

 ヤトは粗食でも平気だったが、他の面々は長い移動で疲労が溜まっていたのと単調な保存食に飽きていたので、暇つぶしを兼ねて食料調達の鹿狩りをしていた。

 手にはそこらで拾った長い枝に脇差を括りつけて作った即席の槍を持ち、カイルが待ち伏せしている窪地へと獲物を追い込んだ。

 鹿は明らかに殺しにかかっている人間から必死で逃げており、周囲を気にする余裕がない。故に自身がどんどん逃げ場の無い地形に追い詰められているのを知らなかった。

 それに鹿が気付いた時は既に周囲は山壁で囲まれており、どうにか逃げようとするも、その生は唐突に終わりを告げた。首に二本の矢が刺さっていたからだ。

 力無く倒れ、血を流しながら失血する鹿を木の枝から見下ろすのは弓を構えた盗賊カイルだった。

 一般にエルフの血を引く者は弓の名手が多いと言われている。それ例に漏れず、枝上の盗賊少年もまた弓の名手であった。

 

「それだけの弓の腕ならわざわざ追い込まなくても、遠距離から射止めるのも容易いでしょうに」

 

「チッチッチッ、分かってないねアニキ。狩りで重要なのは、気配を消して獲物に近づく技術と追い込みの技術だよ」

 

 木から降りてきたカイルは自慢げにふんぞり返るが、ヤトはどうでもいいとばかりに倒れた鹿の皮を剥ぎ始めた。

 無視されてもさして気にしないカイルは、獲物の解体を手伝わずに窪地の木の根元から食用キノコを採集している。ここで待ち伏せしている時に見つけていたのだろう。他にも食べられる野草を幾つか摘んでいる。

 処理を終えた肉塊を担いだヤトは、同じく食材を抱えたカイルと連れ立って山小屋へと歩く。

 

「狩りや食べられるキノコも盗賊ギルドで教えてもらったんですか?」

 

「うん、母さん――――ギルドのマスターが役に立つからって、色々仕込まれたんだ。他にも現地で毒を入手する知識とか、薬の作り方とか」

 

 カイルが母と呼ぶのは盗賊ギルドのロザリーだ。ただ、彼の話では血の繋がりは無いらしい。

 山小屋までの間、二人は色々な話をしていた。と言っても殆どカイルが喋っているだけで、ヤトは程々に相槌を打っているだけだ。ただ、それでも普段より他者に関心を持ち、時折質問をしている。

 自分とは修めた分野が異なるので戦う気は無かったが、カイルの斥候としての技術はそれなりに認めていた。

 そしてカイルも何故かヤトをアニキと呼んで懐いている。他のサラやアルトリウスは客相手の一歩線を引いたような接し方、他の使用人も他人行儀が目につく。

 理由は分からないが敢えて問う理由もなく、害は無かったので一行はそのまま放っておいた。

 

 狩りから戻った二人は、何故か竈の火の番をしていたサラから食材を渡せと言われた。

 理由を聞くと、今日の夕食は自分が一品作ると自信ありげに答えた。

 

「私も神殿で炊き出しを手伝ってましたから料理ぐらい出来ます」

 

「――――ふーん。一人で料理を作った事は?」

 

「今日が初めてです」

 

 カイルの懐疑的なツッコミにも彼女は自信満々に答えたのを見た二人は非常に嫌な予感がした。というかほぼ確信した。

 そしてその確信は数時間後の夕食に現実のものとなった。

 

 

 ――――その日の夕刻。

 一行はいつものように火の周りを車座になって夕食を執っていた。

 今日のメニューはカチカチに焼き固めた保存重視のパン。新鮮な鹿の香草入り焼き肉。キノコと鹿肉のスープだ。

 旅先では塩漬け肉が主なタンパク源なので久しぶりの新鮮な肉はご馳走と言ってよい。それも鹿一頭となれば使用人も腹一杯食べられる。

 普通に考えれば和気あいあいになりそうな食事だったが、今回はいささか趣が異なる。

 サラを除く全員が無表情でスープを飲んでは水を口にしている。正確には無表情を繕って何かを我慢するように、だ。

 

「アルトリウス、その…スープの味はどう?」

 

「は、大変美味しいです。さすがサラ様の作っただけはあります」

 

「本当?良かった」

 

(嘘です。騙して申し訳ありません)

 

 アルトリウスは大喜びの意中の女性を謀った事を心の中で謝罪した。

 実際、サラの作ったスープは不味くて飲めないほどではないが、美味しいとは言い難かった。

 

『コクが無く、ただただ後味辛い』

 

 スープの総評を著すなら、こうである。新鮮な鹿肉もキノコも煮込めばいいダシが出てコクがあるが、何故かそれが無く、ひたすらに塩気が強いのだ。せっかくの新鮮な食材が台無しである。

 かと言ってきっぱり不味いと文句を言うほどでもなく、飲み干せるのが困りどころだった。だから周囲は王女の面子を潰すわけにもいかず、黙って食べていた。

 誰もが微妙な味のスープを真っ先に飲み干して、メインディッシュの焼き肉を食べる頃、ようやく楽しい気分になった面々は談笑に興じている。例外はお代わりを何杯も勧められているアルトリウスだけだ。

 談笑に興じている使用人の一人がカイルに話題を振った。

 普通エルフの血を引くハーフや時々冒険者をやっているはぐれエルフは見た事あるが、古代エルフは実際に見た事が無い。そんなお伽噺のエルフが何故犯罪組織に居るのかを知りたがった。

 

「僕もよく知らない。ギルドの人達は、敵対する奴隷商の商品って言ってた」

 

 あっけらかんと自分の過去を口にしたカイルを全員が凝視する。

 彼の説明では、幼い頃に別の街の奴隷商を壊滅させた時に接収した商品の中に居たが、マスターのロザリーが気まぐれで手元に置いて盗賊として育てたらしい。

 だからどこで生まれて、何時奴隷として攫われたのかも分からない。分かっているのは奴隷市の目玉商品のエンシェントエルフである事だけだ。

 親兄弟も生まれた土地すら分からない少年を不憫に思う者は多い。しかし、本人はそこまで悲観した様子は無い。

 

「僕がどんな生まれなのか気になるのは確かだけど、寂しいとか辛いとか思った事は無いから。母さんは厳しいけど優しいんだ」

 

 少年は少し恥ずかしそうにはにかむ。それだけ見れば、どこにでもいる年頃の少年だった。

 カイルは自分のせいでしんみりした雰囲気になっていると気付いて、話題を逸らそうと元から興味のあったヤトの方に話を振った。

 

「アニキは凄いよね。傭兵ギルドを一人で血の海にしちゃうし、領主の館に一人で乗り込んで人質助けてくるし。凄く強いけどなんか強くなりたい理由とかあるの?」

 

「――――???強くなるのに理由なんているんですか?」

 

「へっ?」

 

 真顔で質問を質問で返されたカイルは面食らう。そして他の面子、特に騎士であるアルトリウスが最も理解に苦しんだ。

 

「だって男に生まれたからには誰よりも強くなるのは当然じゃないですか」

 

「あっ、うん。そうだけど」

 

 ある意味男なら誰もが理解して納得する理由ではあっても、誰も額面通りに受け取れない理由に沈黙が生まれる。

 

「誰よりも強くなろうとするのは男として共感するが、何のために強くなるのか、その強さをどう扱うかを聞いているんだ」

 

「それって必要な事なんですか?ただ最強である事を証明するだけで十分でしょう?」

 

 何の躊躇いも無い言葉に、アルトリウスは理解不能な怪物とヤトが重なって見えた。

 武門の貴族として生まれたアルトリウスにとって強さとは義務である。そこはヤトの考えに同調するが、あくまでも目的を果たす手段として強さを求めるものだ。

 彼にとっての目的とは、すなわちサラを命懸けで護る事である。その手段として強さがある。

 しかしヤトにはそれが無い。ただ、己が誰よりも強い事を証明するためだけに力を振るい、殺戮を繰り返す。

 護るべき者は居ないが金に拘らない気質から、何かしら特別な目的のために強くなったと思っていたが、まさか己の強さを証明するためだけに闘争の世界に身を置くのは想像の埒外だった。

 その上、凄まじい強さなのを軽々しく認めたくは無かった。

 

「―――――信じられん。そんな男が存在するなど」

 

「よく言われます。でも、僕も理屈をこねて強さを求める人がよく分かりません」

 

 ヤトはアルトリウスのように誰かを護る為に強さを求める者はそれなりに理解している。

 王族など貴人を護る事で利益を得る行為や家を政治的守護下に置いてもらうケースは珍しい物ではない。相互に利益を得る関係は健全である。

 それを忠義や忠誠などと綺麗な言葉で糊塗しているのは迂遠に思うが、何事も建前を用意するのが礼儀だと納得している。

 あるいは伴侶となった女性や意中の女性を護る事も、雄としての本能に素直な欲であり肯定もする。

 そうした欲のために強さを求めるのは理解は出来るのだが、そもそも理由を作らなければ強くなれないのかと疑問を持っているのもまた事実だ。

 

『なぜ己が最強でありたいという理由の強者は居ないのか』

 

 それがヤトには不思議で仕方が無かった。

 

「僕が目指すものは世界最強。天下無双。己がそうであるという証明。それで十分です」

 

 鋼鉄のごとき確固たる意志であるがゆえに、ヤトは誰よりも孤高であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 褒美

 

 

 サラ達がダリアスの街を旅立ってから、そろそろ半月が経とうとしていた。

 現在は主要街道を避けて、碌に旅人も見当たらない寂れた田舎道を南下している。

 一行は長旅で疲労が溜まっていたが、泣き言を言わずに何とか旅を続けていた。

 野宿を避けて狭いながらも屋根のある場所で寝泊まりしているのが余計な体力消費を避けた一因だろう。助力を申し出てくれた盗賊ギルドのおかげと言っていい。

 しかしながら彼等のような犯罪結社が、ただの義侠心や愛国心でサラを助けてくれたはずがない。いずれ大きな対価を求められるのは目に見えている。

 後が恐いのは確かだが、今は誰もが一日を生き抜く事を優先させていた。

 その甲斐あって、今日の夕刻には王都アポロニアへたどり着く事が出来るだろう。ヤトとカイルを除く一行の顔が明るいのはその為だ。

 太陽神の膝元はすぐ近くまで迫っていた。

 

 

 ―――――――夕暮れ時。

 沈み行く太陽の柔らかな光が刈入れ前の小麦畑をオレンジに照らしていた。あと半月もすれば国中で麦の収穫が始まるだろう。

 その麦畑を横目に、御者をしていた使用人は逸る気持ちを落ち着けて、馬に鞭打つのを止めた。彼はそれほどに懐かしの都を恋焦がれていた。

 少しずつ大きくなるアポロニアの白い城壁に比例して一行の懐郷心は大きくなるも、次第にそれは落胆へと変わる。

 門は固く閉じられてた。

 

「そう落胆するものではない」

 

 アルトリウスが皆を宥めてから馬車から降りた。

 彼は大門の隣にある小さな兵士の詰め所に入った。

 

「私は近衛騎士団のアルトリウス=カストゥス。サラ王女殿下の慰問に同行したが、急遽予定を変更して帰還した。門を開かれたし」

 

 驚く兵士達だったが、責任者の兵長がアルトリウスの剣の紋章が本物である事を確認した後、街の内側の兵士に連絡して門を開けさせた。

 門をくぐり、一行は街の中へ入った。

 街の中は遅い時間もあって人もまばらだ。如何に建国三百年を数える太陽神の王国の都でも、眠らない街はごく限られた区画にしかない。そうした歓楽街が置かれているのは都の西側。ここは平民の住居の多い北側だ。

 都の舗装された石畳を馬車は揺れる事なく進む。平らな道はそれだけでこの国の王の権威と力を示していた。

 王の住む城は都の中央にあり、周囲は水堀で囲まれていた。入り口は東側の跳ね橋が一本だけ。もし敵に攻められても簡単に落ちないように造られている。

 馬車は橋の前で止められたが、サラの姿を見た守備兵は驚きながらも帰還を喜んだ。

 城前で停車した馬車。一行はここで身分によって分けられた。

 まず最初に王女のサラと護衛のアルトリウス。それから使用人達。最後に傭兵のヤトと同行者の盗賊カイルだ。

 一人は王女襲撃犯の生き残り。もう一人は犯罪者。そのまま牢にぶち込まれても言い訳のしようもない二人だが、そんな事はなく真っ当に客人用の二人部屋へと案内された。

 部屋はこじんまりとしており、小さめのベッドが二つと簡単な家具が据え付けられているだけ。平民用にしては部屋が広いので、貴族の護衛か騎士に割り当てられる部屋だろう。ヤトもカイルも寝れれば良いので文句は無い。

 しばらく部屋の逃走経路などを調べていた二人は、部屋に来た使用人に連れて行かれて風呂を勧められた。

 

「国王陛下がお会いになられますので、お召し物を代えてください」

 

 道中は精々水で身体を拭くぐらいしか出来なかったので臭いのは仕方が無いが、言外に『お前等臭いから綺麗にしろ』と言われていた。文句を言うほど二人は意固地でもないので黙って半月ぶりの熱い湯を堪能させてもらった。

 さっぱりして着替えも済ませた二人は使用人に城の一室へと連れて行かれた。

 部屋に入って最初に目についたのは巨大なテーブルから零れ落ちそうな料理の数々だった。肉、魚、果物、パン、どれも手のかかった精巧にして食欲をそそる料理は全て銀製の皿に盛られている。

 カイルは料理に目を奪われて、幼くも端正な顔を崩した。

 テーブルの最奥に座る痩躯の黒いくせ毛の五十歳を過ぎた中年男が唇を歪めて笑う。隣にはドレスを着て身を整えたサラが座っていた。その後ろには鎧姿のアルトリウスが控えている。サラは二人に無言で会釈した。

 

「陛下は鷹揚な方ですので多少の不作法は笑って許してくださいますが、限度がある事をお忘れなきよう」

 

 後ろに控えていた使用人が二人、特に料理を心待ちにしていたカイルに釘を刺した。つまり奥に座るくせ毛の男がこの国の王なのだろう。

 国王は無言で手招きした。二人は促されるままに席に着いた。

 

「私がアポロンの王、レオニスだ。娘を助けた事、大儀であった。名を名乗るがいい」

 

「ヤトと言います。ただの傭兵です」

 

「僕はカイルです。その、盗賊です」

 

 威厳のある声に、ヤトは兎も角、カイルは気後れしていた。何より王に向かって面と向かって盗賊を名乗るのは中々に勇気がいる。

 しかし意外にもレオニス王は笑いながら気を抜いて楽にしろと言った。先程の使用人が王を鷹揚と評したのは間違いではなさそうだ。

 挨拶が終わるとレオニスとサラは脇に置いてある布で手を拭いた。食事の前の手拭きである。ヤトとカイルもそれに倣って手を拭いた。

 この国の貴族や王族の食事はテーブルに盛られた料理の中から欲しい料理を給仕が取り分けてくれる。

 ヤトが最初に貰ったのは川魚の揚げ物と季節の野菜のサラダ。薄い衣を付けてカリカリに揚げた魚は骨までバリバリに食べられる。合間にサラダを食べれば脂っこさも気にならない。

 途中でパンとブドウを選ぶ。パンは旅で食べるようなカチカチの塩パンではなく、焼き上げたばかりでふっくらとしたハチミツ入りのパンだ。甘くて美味しい。ブドウも新鮮で瑞々しさで喉が潤う。

 カイルは主に肉料理をガツガツ食べているが、意外と綺麗に食べていた。食器の使い方も丁寧だ。盗賊として育てられたのになかなか作法に通じている。

 

「城の食事はどうだ、味は満足か?」

 

 二人は城の主の問いに肯定した。贅を凝らした料理にケチをつけるとしたら、余程の偏屈か味覚がズレている者ぐらいだろう。

 そして王との食事は無事に終わった。大半の料理は一度も手を付ける事すら出来なかったが、二人は満腹だった。それだけ用意された料理の数が多かった。王の料理とはそういうものだ。

 残った料理の大半は城の使用人の食事に回されるので無駄になる事は無い。これも世の中を上手く回す秘訣である。

 カイルは片付けられていく料理を名残惜しそうに見つめる。ヤト以上に食べておいて、まだ食事に未練があるのだろう。実に食い意地が張っている。

 料理の代わりに今度は飲み物が運ばれてきた。レオニスにはワインが、それ以外の面子には果実を絞ったジュースが置かれた。杯は銀製を黄金で装飾した高価な品だ。

 

「ヤトだったな、お主は下戸か?」

 

「いえ、飲めますが、時と場合によります」

 

「――そう警戒するな。娘から経緯は聞いたが、罰する気はない。まあ好きにするがいい」

 

 酒を断られたが、レオニスは別段気にした様子もなく、自分が代わりにワインを美味そうに飲んでいた。残りの三人もジュースに口を付けた。

 杯を置いたヤトとカイルに、レオニスはおもむろに話を切り出す。

 

「カイルはこの後の事を、盗賊ギルドから何か聞いているか?」

 

「えっとギルドマスターから、暫く修行のために帰って来るなって」

 

「お主の母から、息子は適当に扱き使えと手紙に書いてあったぞ」

 

「えっ?なんで?」

 

 国王相手に素の態度で尋ねてしまい、アルトリウスや傍の騎士が咎めるような視線を送る。しかし王は気にせず答えた。

 

「さてな。可愛い子には旅をさせよ、の精神かもしれん。まあ、衣食住は困らんようにしてやる。仕事は与えるから小遣いは自分で稼げ」

 

 たったそれだけで、後は笑うだけでレオニスは何も言わなかった。

 カイルは釈然としないが、王を必要以上に問い詰めるわけにもいかず、沈黙するしかなかった。

 笑っていたレオニスだったが、ヤトに目を向けた瞬間、明らかに場の雰囲気が変わった。

 彼は人の好さそうな笑みを引っ込め、威厳のある王に相応しい面構えになった。周囲の護衛は自然と背筋を正し、サラやカイルは顔が張り詰める。

 そんな中でヤトだけは何事も無いように自然体を装っていた。

 

「怒れる王を前にしてそのふてぶてしさは大したものだ。流石に闘争に身を置く者よ」

 

「お褒めに与り恐悦至極」

 

「まあよい。先程言ったように私はお主を罰する気はない。娘が赦した以上はな」

 

 レオニスは厳しい態度をやや緩めたが、悩むような複雑な顔をする。王からすればヤトは騙されたとはいえ娘を襲い、何人もの騎士を殺した相手だ。当のサラが赦しても、そう簡単に割り切れる物でもない。しかしここで罰したり騎士に襲わせないので、言葉通り害する気は無いのだろう。

 

「それに捕らえられた娘やアルトリウスを救い、逆にダイアラスを捕らえたのだ。その功績には報いねばならん」

 

 サラを救ったのは護衛の仕事と言い張れるが、謀反人のダイアラスを城まで連れてきたのは仕事の範疇には入らない。故に認めねばならない。それは騎士を殺した罪を補って有り余るとレオニスは考えていた。

 問題はサラやアルトリウスから聞いたヤトの性格や望みに見合う褒美が用意出来ない事だ。

 ただの傭兵なら金や上等な武器の一つでも褒美として与えればそれで済む。

 安定した職や立身出世が望みなら、城で兵士として雇えばいい。騎士見習いでも何とかなる。

 女を求めたのなら相応に美貌の女を宛がってやれば満足するだろう。

 名誉が欲しければ、何か『二つ名』を送るのもアリだ。王自ら『銘』を送るなど滅多にある事ではない。

 そのどれもがヤトが求めるモノではないのは明白だ。

『己が最強である証明』など誰が用意出来るというのだ。そんなものは己の中にしか無いと言うのに。

 精々強い相手を見繕ってやるぐらいだが、困った事に重傷を負ったアルトリウスは騎士団の中でも上から数えた方が早い練達の騎士だ。まかり間違って上位騎士と戦わせて殺しでもしたら国の損失は計り知れない。

 かと言って適当な物で場を濁せば、後々自分の欲しい物をくれなかったケチ臭い王などと言い触らされたら面子が立たない。

 王というものは人気が求められる職であり、気前が良くないと人気が集まらない。

 故に王は考えた末に娘に倣う事にした。

 

「この国に居る間は好きな相手と好きなだけ戦うがいい。私が認めよう」

 

「へぇ」

 

 ヤトは明らかな笑みを浮かべる。その笑みは欲しかった玩具を貰えた幼児のような純粋無垢な笑みであり、見る者の首筋が冷えるような、氷のような瞳をしていた。

 

「ただし、殺すのは無しだ。治せない傷を残してもいかん」

 

「――――それは何とも難しいルールですね」

 

「世界最強なら、それぐらいの加減は出来ると思うが」

 

「おだてているのが見え見えですよ。ですが、ここは国王の顔を立てて、ありがたく頂きましょう」

 

 褒美に満足したヤトはカイルと共に、王とその娘の前から退席した。

 

 残された父娘は暫く黙っていたが、娘の方から重い口を開いた。

 

「お父様、あれで良かったんですか?彼は誰にとっても劇薬ですよ」

 

「だからこそ手元に置いた方が良いのだ。下手に野に解き放ったらどうなるか分かった物ではない。特に今はヘスティとの戦端が何時開くか分からんのだ」

 

 戦争の二文字がサラの心に重くのしかかる。彼女には何の咎も無いが、己が戦乱の動機になってしまうのが辛かった。

 そのような優しい少女であることをこの国の民は良く知っている。だから卑劣なヘスティを許さないと息巻く都の民の声が城にまで届いていた。

 その声はサラが城に帰還する前から聞こえていた。あまりに速すぎる。誰かが焚きつけているはずだ。ダイアラス以外にも戦乱を望む獅子身中の虫が巣食っている。それが分からない程レオニスは愚物ではない。

 力の及ぶ限りヘスティとの戦は避けるが、最悪の展開にも備えるのは王の務めだった。

 ヤトを手元に置きつつ手綱を握って御するのも備えの一つだ。最悪開戦した場合、彼をそのままヘスティにぶつけてしまえば良い。きっと嬉々として戦ってくれる。

 それはヤトも望む展開だ。

 

「さて、あとは彼の経緯を手紙にしたためて傭兵ギルド本部へ送ってやるとしよう」

 

「んー、それは私を襲った事への抗議ですか?」

 

「それもあるが領主と結託して余計な事を知った傭兵を口封じするような支部長を信用出来んと強く抗議する。情報公開を匂わせてな」

 

 傭兵にとって依頼主やギルドへの信頼は絶対でなければならない。そうでなければ誰も命を預けられない。

 その不文律を容易く破るような男が支部長の地位にいると知られれば、今まで築いてきた傭兵ギルドの信頼は地に落ちる。

 ギルドにとって絶対に避けたい事態だ。その情報をダシにすれば如何様にもギルドから優位を取れるだろう。使わない理由は無い。

 手元にある札を全て使って物事を優位に勧めるのがレオニスの王道だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 アポロンの騎士団

 

 

 ―――――――翌日。

 

 城の居候になったヤトは、早速城にある騎士団の鍛錬場に顔を出していた。

 騎士たちは見慣れない青年を不審に思って身分を問うと、ヤトは懐から一枚の羊皮紙を出して見せた。

 紙には何時でもどこでも戦いを許可する文章と王の印が記されていた。交戦許可証とでも称すればいい。

 唐突にそんな許可証を見せられては騎士達も困惑するが、確かに王の印があるのでヤトを無下には出来ない。

 困っていた騎士達だったが、奥で鍛錬をしていたアルトリウスが同僚に詳しく説明すると彼等は色めき立つ。

 昨日の今日でまだ知らない者も多いが、ヤトが同僚の騎士を殺した王女襲撃犯の一人だった事が知れ渡り、明らかな敵意と殺意を抱く騎士が出てくる。無理もない。

 そして憎悪を抱く騎士の一人が、ヤトを睨みながら戦いを申し込んだ。彼は騎士の中では年少であり、ヤトと年がほぼ同じ頃合いだ。まだ17~18歳程度だろう。

 ヤトは彼の申し出を受け入れて、二人は鍛錬場の一角に移動する。

 二人とも自分の得物に合った模擬剣を手にして向かい合った。

 

「そういえば名前を名乗っていませんでした。僕は―――――」

 

「煩い黙れ!これから死ぬ下郎の名前など聞く気はないっ!!」

 

 名乗りを遮る怒声。向かい合った若い騎士は、憎悪に燃える双眼をヤトに叩きつけた。周囲の騎士の一部は彼を落ち着かせようとするが、観衆の大半は無言で彼を支持していた。

 唯一アルトリウスがヤトに声をかける。

 

「ヤト。彼――ネロはお前が殺した騎士の一人の弟だ。怒る理由は分かるな」

 

「ああ、そういう事ですか。ではさっさと始めましょう」

 

 身内を殺された騎士の憎悪などどうでもいいとばかりに木剣を構える。それが何よりも許せなかったネロはただ感情のままに剣を突き出すが、その前に横に躱していたヤトには掠りもしなかった。

 そして後ろに回り込まれたネロは木剣の柄で首を打ち据えられて派手に倒れこんだ。

 彼は声も出せないほどに悶絶した。

 

「そ、それまで!」

 

「――――他に敵討ちをしたい人、誰かいませんか?」

 

 ヤトは倒れたネロを一瞥すらしない。問題外にもほどがある。敵討ちというので義理で付き合ってやっただけだ。

 ネロが担架で運ばれると、今度は赤い髪を逆立てた壮年の騎士が訓練用の木槍を手にヤトの前に立つ。彼も仲の良かった同僚を想い、仇を討つために槍をとった。

 通常、槍の間合いは剣の三~四倍はある。つまり槍は剣を一方的に攻撃可能な兵器である。

 戦場において弓と槍が兵士の主兵装として活躍するのは道理であった。

 そしてそれは騎士の戦いにもある程度通用する道理である。

 騎士の槍と対峙するヤトは先程のネロの時とは異なり、少しはまともな相手と戦えそうで幾分笑みが伺える。

 先に仕掛けたのは槍の騎士。圧倒的な距離を活かしてヤトの鳩尾に突きを繰り出す。幾ら木の穂先でも当たり所が悪いと死を招く。狙いはそこだ。

 彼は訓練中の事故として仲間の仇のヤトを殺すつもりだった。

 しかしその目論見はヤトに容易く見破られていた。彼は騎士の殺気が急所の鳩尾に集約しているのを逆手にとって、身を低くしながら直進。殺意の籠った穂先を余裕で躱す。

 相対距離の縮んだ両者。その上で最も近づいた騎士の槍を握る左手に、限界まで伸ばした片手に持った剣で斜め上へ切り上げた。

 皮手袋の上からでも指の骨が折れた感覚が分かった。騎士は槍を落として折れた左手を抱える。

 

「次、面倒ですから三人ぐらい纏めて来てください」

 

 短く退屈そうに言うヤトに、騎士達は面子を傷つけられたと感じて我先にと名乗りを上げた。

 

 

 ―――――――――一時間後。

 鍛錬場に居た騎士達の半分は医務室に担ぎ込まれていた。誰も彼もがヤトと戦って返り討ちにあった。対してヤトも汗をかいて疲労の色が見え隠れしている。流石に熟練の騎士相手に休み無しの戦いは辛い。

 正確には殺さないように加減をしながら戦うのが疲れるのだ。最初から一思いに殺せるなら、疲労は今の三割程度まで抑えられた。

 ここまで戦えば残る騎士達もヤトが恐ろしく強いのは嫌でも理解出来ただろう。同僚を殺された恨みを忘れたわけではないが、その強さには敬意を持ち始めている。

 ヤトがアルトリウスから渡されたタオルで顔を拭いていると、鍛錬場に拍手が響き渡る。

 手を叩いて新しく入ってきたのは顎髭を綺麗に整えた二十歳半ばの黒髪の偉丈夫だ。騎士の装いに似ているが、それよりも細部に拘った上等な服装を纏っている。

 

「ヤト、あの方はこの国の第三王子のランスロット様だ。騎士団の団長でもあらせられる」

 

「それは実力で得た地位ですか?それとも血筋だけ?」

 

「聞こえているぞ。まあ両方と言ったところだ」

 

 ヤトの不遜な物言いはランスロットの耳に入っていたが、彼はあまり気にすることなく答えた。

 騎士団長は武の象徴であり同時に管理職でもある。個人の強さより実務能力や団の運営能力が求められるので、国によっては文官肌の騎士が務める事もあった。あるいは王の身辺を護るので信頼する血族を据える事も多い。

 ランスロットもそんな一人だろうが、本人の言葉が正しければ相応に実力があるのだろう。彼の身体を観察すると、長身と鍛え抜かれた筋肉は、それだけで絶え間無い努力が垣間見えた。

 

「お前が父の言っていたヤトか。うちの騎士が束になっても敵わぬとはな」

 

 ランスロットは驚きと共にヤトの実力を認めたが、それ以上に部下の不甲斐なさを嘆く。

 どのような職にも面子というものがあるが、戦闘職はそれがより強い。にも拘わらず一介の傭兵に国の武の象徴である騎士が、まるで歯が立たないのは到底許せるものではなかった。

 故に責任を取らせる者が必要になった。

 

「モードレッド!この惨状は騎士が怠けていた証拠ではないのか!」

 

「はっ!騎士団の指南役として忸怩たる想いです!」

 

「ではどうする?」

 

「騎士団全体を引き締めるため全員に再教育を施します!!」

 

「よかろう!明日の朝までに教育計画の草案を私に提出せよ!」

 

 指南役の騎士モードレッドは数名の騎士を引き連れて、駆け足で鍛錬場の隣の事務所へと消えた。

 ランスロットはヤトをじっと見つめる。そして疲れたヤトを労うように執務室での茶を勧めた。

 断っても良かったが、既に戦う雰囲気ではなかった事もあり、今日の所はここまでとしてランスロットの提案を承諾した。

 二人が鍛錬場から去った後、残された騎士達は自分達の弱さを恥じ、自らを鼓舞するように我先にと鍛錬を始めた。

 

 

 執務室に招かれたヤトはランスロットの対面の席に座る。暫くすると騎士見習いがお茶を持ってきた。

 二人はお茶に口を付ける。そして先にランスロットから話を切り出した。

 

「――――お前とうちの騎士とでは何が違うのだろうな」

 

「才能と、実戦経験と、鍛錬の時間です」

 

「はっきりとモノを言う。だが、おそらく正解だろう」

 

 ランスロットは権謀術数渦巻く王宮という場所が嫌いだったので、歯に衣を着せないヤトの物言いが好ましかった。

 ヤトの言う通り、強くなるには今挙げた三つの要素が大きい。そして才能を除いて、城の騎士はその二つが欠けていた。

 実戦経験は命を懸けた戦場が久しく、十年以上在籍する中堅騎士を除いて盗賊や亜人退治ぐらいしか実戦経験が無かった。

 鍛錬の時間も、騎士はヤトに比べて少ないと言わざるを得ない。彼等は戦闘職であったが同時に支配階級であり、礼儀作法の習得に時間を割きつつ交友関係を維持して、残りの時間を鍛錬に回さなければならない。

 それこそ金がある間は、寝ている時間以外を全て鍛錬に費やせるヤトと時間の使い方が違い過ぎた。その差を埋めるのは騎士という地位には非常に難しい。

 

「傭兵になって何年ぐらい経つ?」

 

「――――四年ぐらいですね。十三の時に生まれた葦原を出ました」

 

「随分と若い時だな。ところで腰の剣は生国の作品か?出来れば見せてもらえないか?」

 

 ヤトは特に気にせず赤剣を渡して彼の望みを叶えてあげた。

 鞘から引き抜かれた僅かに反りのある赤い直剣。ランスロットは少し驚くと同時に、剣の出来栄えに感嘆の息を吐く。

 

「私も東剣を一振り持っているが、この剣は両刃だな」

 

 ランスロットの言う『東剣』とは、ヤトの故郷である大陸東端の葦原の国で鍛えられた剣の事だ。

 一般に東剣は片刃で大きく反った形状をしている。片手で振るには重く、両手で扱うので盾が使えず、熟練の戦士に向いた玄人向けの武器だ。中でも業物は魔法がかかっていないにも拘らず、魔法剣に匹敵する鋭い切れ味を有した。

 ヤトの赤剣は見るからに業物な上、魔法が付与した極上品と言ってよい。一介の傭兵には過ぎた代物だった。

 

「まだ葦原の剣が今の形状になる前の時代に打たれたと聞いています。多分五百年ぐらい前の作品ですよ」

 

「うちの王家の倍近い時を経た剣か。だが、これはまるで魂を吸い取られそうな魔性を宿しているな」

 

「鋭いですね。それは魂を喰らいますよ」

 

「ははは。脅さなくとも取ったりはせんよ」

 

 ランスロットはヤトの言葉を、剣を取られたくないための脅しと受け取った。そして言葉通り、取ったりはせずに鞘に納めて本来の主人に返した。

 二人は少し冷めたお茶を飲む。そして喉を潤したランスロットはヤトに今後騎士がどうすれば強くなれるかを尋ねた。

 

「実戦経験を積みましょう。生まれ持った才能はどうにもなりませんし、今から鍛錬時間を延長しても限度があります」

 

「だが、実戦の機会はそう簡単には得られんぞ。出来ればヘスティとの戦争前に何とかならないものか」

 

「そもそもまだ戦争になるとは限らないのでは?貴方の父の国王は戦いより平和を望んでいるようですが」

 

「戦が起きてから慌てては遅いのだよ。早急になんとかせねば」

 

 一軍を預かるランスロットの危惧は理解出来るが、無い物ねだりをしたところで、すぐに欲しい物が手に入るわけではない。

 そもそもヤトから言わせれば、騎士の多くは殺しの経験が少な過ぎる。特に十代の若手騎士はまともに人を殺した経験すらあるまい。これは戦争以前に人の死に慣れさせる事から始めねばどうにもならない気がする。

 そこでヤトは閃いた。要は人や亜人でも殺して経験を積ませればいい。

 

「罪人に武器を持たせて、騎士と戦わせましょう。罪人は勝てば無罪と言えば命懸けで戦います」

 

 ヤトの提案にランスロットは目を瞑り、長い沈黙の後、目を開いて頷いた。

 

「褒められた手段ではないが、背に腹は代えられない。助言に感謝する」

 

「いえいえ、今後も顔を突き合わせる仲ですから、知恵ぐらいはお貸ししますよ」

 

 殊勝な事を言うヤトだったが、彼はお人好しでも何でもない。

 騎士達がもう少し強くなってくれた方が、今後も模擬戦をするから少しは戦い甲斐が増せばいいぐらいの感覚だった。つまるところ自分のためでしかないのだ。

 しかし、それでも一つの回答を得られたランスロットはヤトに礼を言い、今後も時間があれば騎士達と模擬戦をしてほしいと頼んだ。

 アポロンの騎士には心証最悪だろうが、得る物がある以上は拒否は出来ない。

 両者の交流は今後も続いていくだろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 奇妙な少女

 

 

 ヤトが王城の居候になってから半月が経った。

 その間、ヤトに特筆すべき事柄は何もない。彼は平穏な日常を過ごしているに過ぎない。

 そう、毎日のように騎士団の鍛錬場に顔を出しては、未熟な騎士達に手ほどきをして、適度に汗を流しているに過ぎなかった。その結果、騎士達の大半が医務室の厄介になっても、それは彼等の腕が未熟なせいだ。

 彼等とてヤトと模擬戦を繰り返す事で、この短期間でも技量が向上しているのだから、文句を言うほど面の皮が厚くない。ヤトも久しぶりに身の入った稽古を行えたので、互いに得る物がある環境と言えた。

 それと騎士達は、ヤトにボコボコにされているだけでなく、重犯罪者と命懸けで戦っていた。これは以前ヤトが提案した手っ取り早く実戦経験を積む行為だ。

 犯罪者もそのままでは良くて投獄、最悪は拷問の末に処刑。ならば与えられた剣で相手に勝って恩赦を願う方が、まだ希望ある未来を手にする可能性があった。

 結果、互いに命を懸けた死闘が繰り広げられて、若手騎士は貴重な実戦経験と殺害の経験を積む事ができた。これには部下の不甲斐なさを嘆いた騎士団長ランスロットも満足していた。ただし発案者のヤトは騎士達から余計に恨まれていた。

 

 

 騎士達から恨まれていたヤトは、今日も日課となった騎士達との稽古に出かけようと城の客間から出てきたところ、廊下に明らかに不審な樽が置かれているのに気付いた。誰かが置き忘れたのかもしれないが、何か引っかかる。

 取り合えず離れて観察してから、近づいて軽く蹴りを入れてみる。当然樽は揺れたが、空にしては揺れが少ない。中身が入っているのだろう。

 さらに強く蹴ると、どこかで小さな悲鳴が聞こえた。

 ヤトは思い切って樽の蓋を開けようとしたが樽は逆さだったので、樽ごと持ち上げると、何故かそこには頭に丸い動物の耳が付いた少女が体育座りをしてヤトを見上げていた。

 二人はじっと見つめ合うが、ヤトは無言で樽を戻して立ち去ろうとした。

 

「ちょっとぉ!!何で無視して立ち去るのよ!」

 

 樽を投げ出して少女はヤトに食って掛かる。

 

「かくれんぼの邪魔をしてはダメかなって思って」

 

「わ、私はそんな事する子供じゃないわよ!!なんて無礼なのっ!!」

 

「???子供がそんなこと言っても。僕はやる事があるので遊ぶのは友達としてください」

 

「だから遊びじゃないって言ってるでしょ!そもそも貴方は誰よ!何でその部屋から出てきたのよ!」

 

 ギャアギャア喚く亜人の混血らしき少女。正直相手をするのが面倒だったが、相手は子供だったので剣を抜く気は無い。

 そもそも部屋から出てきたのは自分に割り当てられた部屋であって、それに文句を言われる筋合いはない。

 しかしヤトはそこでもう一人同室の者が居たのを思い出した。ここ暫く夜の仕事が忙しいから、と言って顔を碌に合わせていない盗賊のカイルの存在に思い至る。

 このチンチクリンは彼の友達か何かだろう。年も似たような頃合いである。

 

「同室のカイルはまだ仕事から戻って来ていませんよ。一緒に遊びたいなら出直してください」

 

「なーんだつまんない……っていい加減子供扱いはやめなさいよ!!この私が第六王女のモニカと知っての狼藉なの!?」

 

「貴女が誰の子であれ、子供を子供として扱うのに何か問題でも?」

 

 いい加減子供の相手をするのが面倒になったヤトは、言うべき事を言いきって、スタスタとその場を離れたが、モニカと名乗った少女が回り込んで道を塞いでしまう。

 そして彼女は唐突にヤトの手を噛んだ。

 当然の凶行に反応しきれなかったヤトは何とかして彼女を振りほどこうとしたが、力一杯噛んでいるのでなかなか離れてくれなかった。

 彼女の凶行を止めたのはたまたま通りかかった使用人―――サラに従っていたマオだった。

 

「おやめくださいモニカ様!おやめになられないとサラ様に言いつけますよ!」

 

 その一言で少女はピタリと凶行を止めてヤトから口を離した。そして彼女は無言で走り去った。

 マオはヤトに頭を下げてから彼女を追う。残されたヤトは手の痛みに顔をしかめながら、予定通り鍛錬場に向かった。

 

 

 鍛錬場で日課のように未熟な騎士達を適度に這いつくばらせたヤトは小休憩をして水を飲んでいた。

 騎士達も最初の頃に比べて多少は動きが良くなったが、まだまだ実戦に使えるほどの者は少ない。だが、それでも死なずに強くなれるのだから彼等は幸運である。実戦で負ける事はすなわち死ぬ事に等しい。

 今も担架で運ばれる若い騎士は多少内臓を痛めて悶絶しているだけで死体ではない。後遺症も残らないほどの軽傷だ。その程度なら午後から復帰するだろう。

 加減は疲れるが、王と決めたルールだから仕方がない。

 

「一思いに殺せれば―――そんな顔をしているぞヤト。――――ん?その手の痕は何だ?」

 

 後ろから話しかけてきたのはアルトリウスだ。彼は既にヤトに斬られた傷も完治して、今は鈍った勘を戻すために朝から晩まで模擬戦を繰り返している。当然ヤトとも何度も戦っている。

 ヤトは朝に出会ったモニカの事を話すと、アルトリウスは納得したような、それでいて困った顔をする。

 

「あの方は姉のサラ様をいたく慕っておられるからな。不用意に近づく者に敵意を抱く」

 

「でも用があったのはカイルみたいですよ」

 

「はて?彼と何か接点でもあったのか。それに貴様の事は敢えて伏せておいたのに手を噛むとはな。いや、手だけで済んだのか」

 

 何か不穏な事を呟いたがヤトは追求しなかった。

 

 

 その日の夕方、ヤトは兵士や騎士が利用する食堂で食事を摂っていた。

 城の客人であるヤトなら相応の場所で食事が出来るが、時間がかかる格式張った食事は好まないので、もっぱらこちらを利用していた。

 

「アニキー、おはよう」

 

「もう夕方ですよカイル。相変わらず滅茶苦茶な時間に起きるんですね」

 

 欠伸をしながら夕食ならぬ朝食を持って来たカイルはヤトの隣の席に座る。

 さらにもう一つ大きく欠伸をしつつ、豆のスープを飲みながらパンを口に放り込んだ。

 ナイフのように尖った大きな耳が元気無く垂れ下がっている。余程眠いのだろう。

 彼は夕方に起きて、仕事と称して出かけて、朝方に戻ってくると、そのまま部屋のベッドに潜り込んで寝てしまう。完全に昼夜逆転の生活を送っていた。

 二人はそのまま何か喋るわけでもなく、黙々と料理を口に運んでいたが、ようやく眠気が冴えてきたカイルが話しかけた。

 

「アニキ、アニキ。明日の夜時間ある?出来れば仕事の助っ人をお願いしたいんだけど」

 

「内容によりますよ。盗みとかなら僕は手伝いません」

 

「大丈夫。アニキの得意な荒事だから。相手は堅気じゃないから殺しもアリだよ」

 

「良いですよ。最近実のある稽古はしていても、命懸けの戦いはご無沙汰でしたから、ちょうど良い」

 

 二人はまるで明日一緒に遊びに行く約束をするように殺人を計画する。

 普通ならここで周囲の兵士や騎士が制止するはずだが、二人の周囲には全く人が居ない。正確にはヤトと関わり合いになりたくないので誰もが放置していた。

 明日の戦いに気を良くしたヤトはいつもより饒舌となり、カイルにモニカの事を話した。しかし彼はモニカの名前や王女であるのは知っていても面識は無いと訝しんだ。

 

「まっ別にいいか。お城に居る間にどこかで顔を合わせるでしょ。わざわざ気にする必要なんてないよね」

 

 カイルは深く考えずにモニカの存在を頭の隅に追いやったが、これが後々とんでもなく面倒な事態に発展するのを二人は知らなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 抗争の用心棒

 

 

 ―――――――夜半。太陽が沈み、闇が世界を覆う時間帯。『太陽神の国』の異名を持つアポロンでも、この時間になると人々は仕事を終えて家で夕食を食べるか寛ぐ。

 城では王の夜会などが催される事も多いので、中で働く使用人や警護の騎士や兵の中には働く者も多いが、大部分は休んでいた。

 そんな中で客人であるヤトとカイルは、城の客室で外出の準備をしていた。

 ヤトは午後から三時間程度仮眠をとっており、眠気も無く体力も回復している。カイルも今までと同様に朝から眠っており、十分に睡眠を摂っていた。どちらも万全の態勢である。

 二人が客間を出ると、やはり樽が置いてあった。

 ヤトはきっとまた中にモニカが入っているのだろうと思って樽を持ち上げたが、中には何も無かった。どうやらアテが外れたらしい。

 しかしカイルが何かを見つけたらしく、樽のあった床から紙切れを一枚拾い上げた。

 

「何か書いてある――――――『アホ、マヌケ』だって」

 

「――――そこらに捨てていいですよ」

 

 どうやら相当嫌われたらしい。

 ヤトは怒ったわけではないが少し疲れた。

 仕事前に疲れてしまったヤトは樽を乱暴に置いて、さっさと外に向かった。カイルもそれを追った。

 二人は知らなかった。客間から離れた場所にもう一つ樽が置かれていた事を。

 樽はゴソゴソと動き出した。

 

 

 王都の西側は歓楽街が置かれている。ここは酒場や娯楽施設、娼館などが軒を連ねる。

 その中の一軒の廃屋に二人は入った。元は酒場だったのだろうが現在は朽ち果てており、周囲の酔っ払いの喧騒とは無縁の場所だった。

 廃屋の奥に行くと、建物には不釣り合いに頑丈な扉が据え付けられている。

 カイルは扉を特定のリズムでノックすると、暫くして扉が開いた。

 中からは、いかにも荒事に慣れた様子のいかつい男が顔を出す。

 

「来たな。そっちの奴が前に話していた男か」

 

「うん、凄い助っ人だよ」

 

「――立ち話もなんだ。中に入れ」

 

 男の手招きを応じて二人は部屋に入る。中には男の他に男が二人、牛の亜人の女が一人居た。彼等は全員、堅気と思えない剣呑で独特な雰囲気を纏っていたが、特別ヤト達に敵意を示しているわけではない。ごく自然的に一般人とかけ離れた人種なのが分かる。

 男の一人がヤトに歓迎とばかりに酒を勧めたが、元から飲む習慣が無かったので断った。しかし男は気にした様子も無く、勧めた酒を自分で美味そうに飲んでいる。

 

「で、カイルの坊主はそっちの兄さんにどこまで話した?」

 

「斬っていい相手がいるって事だけ」

 

「ほぼ何も言ってないじゃないの!そんなんでよく付いて来たねアンタ」

 

 面々はカイルとヤト、両方に呆れた。そして、話が進まないので順序立てて話をし始めた。

 本来王都アポロニアは二つの犯罪組織が縄張りとしていた。

 一つはカイルの所属する盗賊ギルドの株分け組織。もう一つが古くから都に根を張っていた地元任侠組織の『太陽の影』。この二つの組織は幾度となく利益や面子のために血で血を洗う抗争を起こした事もあったが、最低限の取り決めによって何とか共存の道を歩んできた。

 しかし最近どちらでもない新興の犯罪組織が両方の組織の収入源を力ずくで奪って、現在も勢力を拡大し続けている。これを黙って見ているはずも無く、一時的に共闘してでも打開しようとした。

 大雑把に言えば、現在の王都の裏側はこうした犯罪組織の抗争の真っ最中である。

 

「それで僕もギルドの一員としてここ最近色々と調べていたんだ」

 

「流石ロザリーの姐さんの秘蔵っ子だよ。この子のおかげで連中の情報はかなり集まった」

 

 牛の亜人の女性はカイルの頭を乱暴に撫でた。女性とはいえ牛の亜人だけあって、人と比較にならない筋力で撫でられたカイルは痛がる。

 カイルはくしゃくしゃになった白金の髪を整えつつ話を続ける。

 普通なら縄張りを侵した余所者は容赦なく暴力で排除するが、問題は相手が貴族の後ろ盾を持っている事だ。王都の二つの犯罪組織は権力者と付かず離れず最低限の付き合いに留めて、取り込まれないように独立独歩でやってきたが、新参は明らかに貴族の走狗として動いている。

 こうなると政治力と財力に勝る新参の方が優位になり、ギルドや任侠達は苦渋を飲む羽目になった。

 それをどうにかするために、今夜反撃に出る計画を立てていた。

 ヤトはその実行部隊の助っ人としてカイルが連れてきたのだ。

 

「では僕はその貴族を護衛もろとも皆殺しにすればいいんですね」

 

「いやいやいや。それをやったら向こうも後に退けなくなるし、護衛も相当数居る。俺達がやるのはそれ以外の末端だ」

 

 ヤトにとってはごくごく当たり前の発想だが、任侠組の男には物騒な冗談としか思われていないので却下された。

 そして彼等にとって現実的な意見として、新興組織の手足となる末端を地道に潰して影響力を少しでも削ぐ方針を打ち出した。

 今夜は記念すべき初日として、まずは連中に奪われた幾つかの賭場に殴り込みをかける予定だ。

 若干肩透かし気味のヤトだったが、この際贅沢は言えないので今回は粗食で満足するつもりだ。

 前情報を全て話し終えたカイルはヤトを襲撃する店に連れて行こうとした。

 その時、不意に扉が開け放たれて、縄で縛られた亜人の混血らしき少女が転がり込んできた。その後には、ガラの悪い若いチンピラがニヤニヤしながら入ってくる。

 

「な、なんだ?」

 

「こいつ、店の周囲を探っていたんでさぁ」

 

「んーーーー!!ん―――――!!!」

 

 縛られた少女は猿轡を噛まされて喋れないが、そうでなければありとあらゆる罵詈雑言を大音量で怒鳴り散らしていたのは想像に難くない。

 その少女はよく見ればモニカだった。

 こんな場所になぜ王女が居るのかは分からなかったが、きっとヤトやカイルの後を付けてここまで来たのだろう。

 どうせ猿轡を外したら煩いので、ヤトはモニカをそのままにして、彼女が王女であることを告げる。

 他の面々は困惑して、全員がどうすべきか顔を見渡すが、取り敢えず目的を聞くために騒がないように忠告しつつ猿轡を外した。

 

「ぷはーーー!!何するのよっ!!」

 

「貴女こそ、なぜこんなところに?」

 

「サラ姉様に近づく不埒なチビッ子エルフがどんな奴か見定めるためよ!!」

 

「ちっ、チビッ子!?それって僕の事か!?」

 

 モニカにチビッ子扱いを受けたカイルはショックを受け、同時にモニカへの怒りに燃える。ただ、身動きの取れない少女に暴力を働かないので割と冷静なようだ。

 

「っていうか僕はサラさんとは都までの間、一緒に旅しただけの仲だぞ。不埒ってなんだよ!」

 

「何言ってんのよっ!姉様に近づく男はみーんな怪しいんだから!」

 

 主張が滅茶苦茶である。それを言ったらヤトの方が一時的とはいえサラの護衛として近い立場に居ただろうに。

 そこでヤトは、以前アルトリアが自分の存在をモニカに伏せていたと言っていたのを思い出した。

 なるほど、確かにこれは存在を知られたら非常に厄介である。彼の判断は正しい。

 取り敢えず彼女の目的が分かったが、問題はこの煩い少女をどう扱うかだ。

 素性から手荒に扱うのは論外。縛ったまま現状維持をするわけにもいかない。このままお帰り願ったところでカイルに付きまとう可能性があり、今夜の仕事の邪魔。

 どうすべきか全員が悩むが、当人は縄を外せと喚いているので、仕方なく縄を解いて自由にした。

 

「まったくもう一体アンタたちは何なのよ。全員胡散臭いっていうか、普通じゃないっていうか。犯罪者の類じゃないでしょーね?」

 

 自由にしてもらったが、恩を感じる気は無いらしい。しかし洞察力は相応にあるようで、ここにいる者が堅気ではない事を見抜いていた。

 

「それで、何の集まりよ?」

 

「彼等は街の自警団の方ですよ。これから都に巣食う犯罪者と戦うんです。そういうわけで貴女は大人しく帰ってください。子供は邪魔です」

 

 ヤトは都合の悪い部分は全て切り捨てた事実だけをモニカに伝えた。確かに嘘は何一つとして言っていないが、詐欺にもほどがある。

 しかし、最後の一言が余計だったのか、彼女は怒って絶対に帰らないと居座る態度を示した。

 多くが困り果てたが、何かを思いついたカイルがヒソヒソとヤト以外の面々と話し合うと、全員が悩むものの、最終的には納得した態度を示す。

 

「ねぇねぇモニカ様。子供じゃないっていうなら、今夜僕達を助けてくれないかな?ねっモニカお姉さん」

 

「むむむ、しょうがないわね。困ってる子供のお願いを聞いてあげるのも王女の勤めね!」

 

 カイルがおだてると、モニカは気を良くして協力する姿勢を見せた。ただ、子供扱いされたカイルは内心でむかついていた。

 

「まずはさ――――――――」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 値段交渉

 

 

 ヴァイオラ大陸において、奴隷ないしそれに類する階級は存在するが、アポロンやヘスティでは法によって明確に禁じられている。

 実は色々と抜け道もあり、借金などで自由を奪われたり、使用人という形で奴隷に近い扱いを受けるケースはそれなりに多い。特に娼館は借金を返せずに、強制的に家族を働かせて返済に充てるような事は黙認されていた。

 ただ、それらはあくまで金貸しと借りた者同士での契約に則った案件であり、公的に認められた契約ではない。まして白昼堂々街で奴隷市など開こうものなら即刻兵士が飛んできて関係者全員を逮捕するのは間違いない。

 しかしながら禁止されているが故に金になる物は世間に往々にあり、物珍しい種族の亜人であれば大金を払ってでも所有したいという歪んだ欲望を満たすための催しが秘密裏に開かれる事もあった。

 そうした裏の情報は一般には出回らないないが、何年も大陸を旅して表と裏の両方の見聞を広めたヤトや、実際に商品として扱われた事のあるカイルは事実として受け止めている。

 当然、二人を尾行して捕まったモニカ王女は知るはずもなく、そのような畜生にも劣る蛮行が自らの住む都で堂々と行われている事を知り、強い憤りを示した。そして彼女は盗賊ギルドや任侠組織と共に外道を倒す事を了承した。

 

 現在ヤト達が訪れた場所はそんな非合法な市場が秘密裏に開かれてる店である。

 店は一般的な商人が構えるような店舗ではなく、貴族が所有する別邸といった外観である。というより、貴族の邸宅そのものである。

 地元の任侠組織が言っていたように、新興組織に貴族が関わっているのは間違いない。奴隷市のような後ろ暗い取引なら、下手な場所よりは治外法権に近い貴族の屋敷で行った方が、仮に露見した所で揉み消しやすいと踏んでの選択だろう。犯罪組織も貴族を完全に共犯者に仕立て上げた方が簡単に切り捨てられない。一種の保身である。

 屋敷の中に入ろうとすると、門前の兵士に制止を受けた。

 ヤトは慌てずに、懐から一枚の紙を取り出して兵士に渡した。紙は任侠組織が手に入れた入場券だ。これが無いと門前払いを喰らう。

 

「―――――本物だな。よし、通れ。そこの連れは売り物か?」

 

「ええ、高く買ってもらおうと持ってきました。それと、気に入ったのがあれば買いもしようかと」

 

「首輪も枷も無いが逃げないんだな」

 

「逃げたら後ろから斬ると言い含めてありますから。頭が良いと手間も省けます」

 

 ヤトが腰の剣を軽く見せる。兵士は多少疑いつつも、実際にフードを被った売り物の奴隷が全く逃げるそぶりを見せないので、一応納得して屋敷の中へ通した。

 屋敷の中は外観と異なり、広いホールのような造りになっていた。どうやら奴隷市のために本格的に内装を作り替えたらしい。

 あちこちに蝋燭やランプが灯されており、さらに天井から吊るされたシャンデリアの灯りもあって昼間のように明るい。

 ホール内には無数の鉄製の檻が設置してある。それだけ見れば市場の肉屋と言えなくもないが、残念ながら檻の中身は人や亜人である。

 男、女、子供、エルフ、ドワーフ、獣人、混血。

 その誰もが首輪と手枷を着けられて自由を奪われ、死んだような目か、逆に憎悪を宿した目で周囲の者達を睨みつけていた。その視線を覗き込んでしまったフードの奴隷は僅かにたじろく。

 ヤトは目立たないように視線だけで二階を見渡す。二階は幾つかの壁とカーテンで隔てられた貴賓席だ。席からは何名かの貴族が多くの護衛を侍らせて、奴隷市を下卑た顔で見下ろしていた。盗賊ギルドの情報では、あの中にこの市場の元締めの貴族―――つまり新興犯罪組織の支援者が居る。

 とはいえ、今この場で怪しい貴族を特定する必要は無かったので、予定通り買取り役の奴隷商に商品を渡すのを優先した。

 

「ようこそ新顔さん。買取りかい?」

 

「ええ、一人分買取ってください」

 

 腰の曲がった老人の奴隷商が人の好さそうな笑顔でヤトを値踏みする。商品よりも客を見定めるのは詐欺を疑っての事だろう。ただしヤトの容姿から分かった事は、堅気ではない事と殺しの経験がある事ぐらいだった。

 同業者でない相手に若干警戒しつつも、自分の仕事のために商品のフードを脱がす。

 露わになったのはまだ幼さの残る12~13歳の可愛らしい黒髪の少女。しかしその相貌は商人や用心棒を嫌悪しているのか歪んでいる。最も目を惹くのが頭に鎮座する丸い一対の耳。形状から熊の耳と分かる。つまり亜人の血が入っているのだろう。

 

「ほう、亜人の混じり者か。容姿は良いが、健康状態はどうかな。ちょっと口を開けてみろ」

 

 商人の命令に、少女は忌々しそうに口を開いた。商人は丹念に口の中を確認している。これは歯並びや汚れからおおよその育ちや出自を予測するためだ。

 ここで商人は不審に思った。この少女は歯が綺麗過ぎる。日ごろから歯の手入れを欠かさず、柔らかい食べ物を食べており、力のいる重労働の類をしていない。まるで貴族の令嬢か何かである。

 

「なあ旦那、この娘は何処から攫ってきた?」

 

「この国のさる貴人の妾腹の娘だそうです。気性が荒すぎて嫁に行けないので手放したそうですよ」

 

「貴族の親に売られたのかい。儂が言うのもなんだが、碌でもない親もいたもんだ。まあいい。手は出していないか?」

 

「僕は興味ありませんから手放すんですよ」

 

 手枷すら着けていない所を見ると、相当扱いには気を遣っているだろう。歩き方からも犯された様子は無い。これなら当人の言う通り、味見も行われていないと判断して良い。

 健康的で教育を受けた階級。男を知らない初物。亜人の混じり者。何より若く美しい。どれも商品として付加価値がある。

 これだけの上品なら買い手は幾らでもいる。気性が荒いというが、その方が屈服させ甲斐があると喜ぶ客も多い。競りに出せば最低でも金貨千、上手くいけば千五百は行くだろう。後はこの若造からどれだけ値切れるかが商人の腕の見せ所である。

 

「まあまあ上品だから金貨五百枚でどうです?」

 

「知り合いに貴族が何人か居るので他を当たります」

 

「ちょ、ちょっとまっておくれ旦那!へへへ、流石に五百じゃあ悪いから、六百で手を打ちましょう」

 

「幾ら若くて容姿が良くても教養を受けた奴隷は少ないんですよ。付加価値を考えて千二百」

 

「それはいくら何でも高すぎだよ。それに貴族の知り合いが居たからって買ってくれるとは限らんでしょうに六百五十」

 

「こう見えて大陸中を旅しているので顔は利くんですよ。いざとなったら外国に行きます千」

 

「あーもう強情な人だね!――――――ん?んん?」

 

 奴隷商は手ごわいがやり応えのある交渉に熱を入れていたが、ふと持ち込まれた少女に違和感を覚え、よく観察すると決定的に勝てる部分を見つけてほくそ笑んだ。

 

「旦那ぁ、こいつはいけませんぜ。儂らは人を売る外道だけど商品は騙らねえ。こいつの耳は偽物ですよ」

 

 そう言って少女の頭の上に付いていたクマ耳を剥がした。

 

「!下郎めっ!!それを返しなさい!!」

 

「あれ?その耳は付け耳だったんですか。知らなかった」

 

 カチューシャ型の付け耳を取られて激怒した少女は商人に掴みかかろうとしたが、その前にヤトに身体を引っ張られて自由を奪われた。もしヤトが動かなかったら、隣に居た用心棒が鞭で打ち据えていた事だろう。

 ニヤニヤして勝ち誇った奴隷商は、ヤトが不誠実な態度だったのを指摘しつつ純人間という事で交渉値を金貨六百五十枚で固定した。

 分が悪いと見たヤトは観念した様子で、金貨六百五十枚で了承した。

 そして少女の方は俯きながら何事か呟く。

 

「――――――えせ」

 

「あん?なんだ、何か不服か?もっと値が付くと思ったか?安心しろ、これから競りに掛けるからもっと値が付くぞ」

 

「その耳を返せって言ってんのよ!畜生外道っ!!」

 

 怒声に驚いた奴隷商は身が固まる。次の瞬間、ヤトは剣の抜き打ちで付け耳を持っていた腕を天井近くまで切り上げた。

 

「ふんだっ!≪天の雷神よ。我に仇なす愚かしき者達に光の矢を与えたまえ≫」

 

「予定と違うんですけど、まあいいですよモニカさん」

 

 怒りに燃えるモニカの詠唱によって閃光が奔り、呆気にとられた奴隷商や近くの用心棒数名が雷に焼かれて消し炭となった。

 奴隷市場は大混乱に陥った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 虎熊と赤刃

 

 

 ―――――――真横に迸る青い雷光。雷に打たれて炭となった人間。

 商品として持ち込まれた奴隷少女からの突然の魔法攻撃。

 市場に居合わせた商人、用心棒、客、そして商品として檻に入れられた人々。

 誰もが事態を飲み込めず、ホールに数秒の無音を作り出した。

 そして時は動き出す。

 まず初めに動いたのは武装した用心棒。彼等は剣を抜いてモニカとヤトに斬りかかるも、反対にその場で首を赤剣に斬り飛ばされて即死した。

 倒れる首無し死体と同時に、ヤトの真上に落下した奴隷商の腕を剣で刺し、手の中の付け耳を抜き取って自由にしたモニカに渡す。

 

「どうぞ」

 

「お礼なんて言わないからね。――――――――――――――ありがと」

 

 鮮血に悲鳴を上げて逃げ惑う客達。ホールは騒然となり、パニックとなった者は一目散に逃げようとするも、入り口付近にはヤトが陣取っており逃げられない。

 そして二階では一人の貴族が怒りに満ちた形相でヤトを睨みつけて怒鳴りつける。

 

「よくも私の顔に泥を塗ってくれたな!!あの世で後悔しろ!」

 

 声に命じられるままに一階に居たほぼ全ての用心棒がヤト達を取り囲む。

 用心棒達は詠唱に時間のかかる魔法を使われる前に倒そうと、二人に一斉に襲い掛かった。

 

「ちょっと失礼します」

 

「は?ちょ、なにすんのよ!」

 

 襲い掛かる敵を前に、唐突にヤトはモニカを片手で真上に投げた。彼女は高く放り投げられてシャンデリアに引っかかった。

 ヤトは目の前で剣や棍棒を振りかぶる男を前にしても冷静だった。

 一瞬で男二人の真横に移動し、死角に潜り込みながら諸共首を刎ねる。

 さらに斬った用心棒の死体を突き飛ばして他の用心棒の攻撃を妨害。致命的な隙を作ったドワーフの脇腹を半ばまで切り裂いた。

 続いて無防備に後ろを向けたヤトに三人が同時に襲い掛かるも、殺気に反応して傍にあった檻を足場に、後ろに跳躍。逆に三人の背後を取って、まとめて横一文字に斬首した。

 二十秒足らずで六人を殺した化物に他の用心棒達は、絶対に自分達が勝てない事を悟って、我先にと運営関係者用の非常口に駆け込んだ。

 

「こら待てっ!!貴様らには大金を払ったんだぞ!!最後まで残って戦え!!」

 

 二階で若い貴族が怒鳴るが、そんな契約を愚直に守る用心棒がこんな場所に居るはずも無く、誰もが命惜しさに逃げ惑う。

 一先ず修羅場が去ったのを確認したヤトは、転がっていた用心棒の剣を拾って天井に放る。

 剣はシャンデリアの突起に引っかかっていたモニカの服だけを切り裂いて天井に刺さり、落ちてきたモニカはヤトがしっかりと抱き留めた。しかし彼女は雑な扱いを受けて怒りを向ける。

 

「私の扱い酷いんだけど」

 

「怪我はしていませんが」

 

 皮肉でも何でもなく、本心から丁寧な扱いをしていると思っているヤトの顔を見たモニカは全てを諦めた。

 後は二階の貴族の処理だが、そこまで行くまでに時間がかかる。何よりそれは自分の仕事の範疇ではない。

 逃げた連中の処理は別の出入り口で待ち構えている盗賊ギルドと地元任侠に任せればいい。

 手持ち無沙汰になると思われたヤトだったが、二階から武装した二人の用心棒が飛び降りた。どちらも獣人である。

 先にヤトに話しかけたのは巨大なハルバートを担いだ熊の獣人だった。

 

「よう、そこの東人。お前が『赤刃』か?」

 

「『赤刃』?」

 

 聞きなれない名にヤトは訝しむ。

 するともう一人の両手に鉤手甲を装備した虎人が、信じられない物を見たように呆れながら教えた。

 

「赤い魔法剣を佩いた若い東人の優男。それもとんでもない戦闘狂の傭兵に付いた二つ名だよ。つまりお前の事だ」

 

「お前、何か月か前に南国のアテナイでとんでもない暴れ方をしただろうが。そこで二つ名が付いたんだよ」

 

 初耳とばかりに手に持った赤剣を眺めると、自分に付いた『二つ名』さえ知らない事に獣人コンビは心底呆れ返った。

 傭兵にとって『二つ名』を付けられるのは高い評価を受けた事に等しい。栄誉や武勲とさえ言える。

 それは傭兵にとって最高の宣伝となり、時に軍や騎士団から勧誘を受ける事すらある。栄達を求める傭兵にとって喉から手が出るほど欲しい物なのだ。

 そんな価値ある『名』を当人が知らないなど滑稽にも程がある。獣人の傭兵コンビは呆れを通り越して怒りすら感じていた。

 

「まあ、僕が何と呼ばれていようがどうでもいいです。重要なのは貴方達が強いかどうかですから」

 

 剣を構えて不敵に笑うヤト。相対した二人は全身の毛が逆立つ。特に首筋の悪寒が止まらない。ついでに傍に居たモニカもヤトの殺気に当てられて震えていた。

 

「モニカさん、邪魔ですから壁際にでも離れててください」

 

「……う、うん」

 

 言われるままにモニカはヤトから離れた。

 もし彼女が駄々をこねていたら即座に斬り殺していた。女子供だろうが戦いの邪魔になるなら躊躇わず斬る。それがヤトだ。

 戦いの準備が整った三者の殺気が膨れ上がる。

 最初に動いたのは熊人。子供ほどの重量の大ハルバートを振りかざして横に薙ぐと、周囲のテーブルや燭台を破壊して無数の破片がヤトへと襲い掛かる。

 剣で弾くには数が多すぎると判断したヤトは左に大きく避ける。そこに虎人が回り込んでおり、鋭い四本の鉤爪を猛然と突き刺そうとする。

 

「予想通りだぜっ!!」

 

「こっちもですよ」

 

 勝利を確信した虎人の宣言を冷静に返したヤトは腰の鞘を抜いて、鉤爪の間の指を打ち据えた。

 初手必殺を防がれたのにも関わらず虎人は牙を見せて笑う。それは苦し紛れの強がりではない。既にヤトの正面には熊人が巨体を揺らして迫っていた。

 猛る猪の如きスピードでハルバートの穂先を突き出しながら迫るが、ヤトは傍の檻の格子を数本斬って、器用に熊人の顔面にぶつけた。

 

「ぐあっ!てめぇ!」

 

 まるで最初の目くらましのお返しとばかりの牽制で怯んだ熊人はいきり立つが、既にヤトは距離を取っていた。虎人の追撃は無い。

 多少隙を見せてカウンターを狙っていたが、虎人が攻撃してこないのを不審に感じた。そこで即座に熊人に斬りかかる。

 距離を詰めて速さを活かした斬撃の乱打で長柄を無用にして防戦一方の状態にする。劣勢になった熊人だったが、苦しい表情どころか笑みすら浮かべる。

 その表情で確信を得たヤトは、勘を頼りに唐突に真後ろに剣を振るった。カン高い金属音と共に肉を切り裂いた感触を感じた。

 

「ぬあっ!!くそがっ!!」

 

「兄者ッ!!大丈夫か!?」

 

 熊人との戦いに意識を取られている隙をついて後ろから攻撃するつもりだった虎人は、逆に右手の鉤手甲を切り落とされて、指の一部が削げ落ちた。

 鉤爪が床に転がり、縞の毛皮が血に染まる。

 そして隙を晒して後ろに回り込んだヤトに熊人は背中を深く斬られた。

 

「なりの大きな熊人が派手に動いて注意を向けている間に虎人が音を消して死角から襲う、ですか。単純ですがそれなりに有効ですね」

 

 ヤトの言う通り、獣人コンビの囮戦法は単純である。だがそれだけに一人では攻略し辛い。あまり囮を気にし過ぎれば大パワーの熊人に正面から圧殺されかねないし、反対に正面にばかり気を取られると後ろからグサリだ。

 だがそれも殺気に極端に敏感なヤトには通用しなかった。結果、獣人達は手痛い傷を負ってしまった。

 

「やるじゃねえか『赤刃』!!」

 

「俺達の技をこうも容易く見切ったのはてめえが初めてだぜ!」

 

「お二人はまあまあ強いんですが、それだけですね。他に出し物が無いのなら、終わりにしましょうか」

 

 このコンビは中々強いが、タネが分かってしまえば個々の強さは並より上ぐらい。精々この国の騎士と同程度だ。己が負けるはずがない。

 格下と見なされた二人は怒りを抑えきれなかったが、戦法は通じず手傷を負った状況では反論は出来ない。

 故に切り札を切らねばならなかった。

 

「「我が爪と牙の祖よ!末の戦働きを見届けたもう!」」

 

 次の瞬間、獣人コンビの身体が一回り以上膨れ上がり、見るからに力強さが増した。おまけにヤトに斬られた傷は筋肉の膨張によって瞬く間に塞がってしまう。

 獣人族に伝わる≪筋力増幅魔法≫だった。

 ただでさえ強靭な筋力を有する獣人族に魔法の増幅が加わったのだ。おそらくヤトの倍以上の身体能力を獲得したに違いない。

 形勢不利は目に見えているが、それでもヤトはいつもと変わらぬ冷涼とした瞳を変えない。それどころかプレゼントを前にした子供のように楽し気に口元を緩めていた。

 

「いいですねぇ、そうこなくては」

 

 それでも舐めた態度を改めないヤトに、二人は怒りのままに前後から襲い掛かった。

 先程よりさらに速くなった虎人が両腕を嵐の如き激しさで連続して叩き込む。それらをどうにか剣と鞘で捌きながら距離を離そうとすするも、今度は後ろに回り込んだ熊人が落雷の如きハルバートの一撃を脳天へと叩き込もうと振り下ろした。

 両方を一度に捌き切れないと判断したヤトは敢えて一歩前に進み、虎人に無防備な身を晒す。

 敵が何を考えているのか分からなかったが、絶好のチャンスを逃すはずもない虎人は、幾重ものフェイントを織り交ぜながら無事な左手の鉤手甲で心臓を抉るつもりだったが、残念ながら鞘に受け止められたので、手甲だけになった右手でヤトの胸を殴りつけた。

 体重が乗っておらず、さらに回転の効いていない手打ちでは致命打には程遠いが、魔法によって身体強化を受けた拳はそれでも凶器として機能した。

 

「ぐっ!!」

 

 痛みで息が乱れた。おそらく肋骨の一部が折れたのだろう。さらに勢いが付いて身の軽いヤトは後ろに飛ばされる。

 そう、ハルバートを振り下ろす寸前の熊人の眼前に弾き飛ばされていた。剣を逆手に持ち替えて、振り返る事なく後ろ向きに突き出したまま。

 そして殴られた勢いそのままに、赤剣は寸分違わず熊人の心臓を貫いた。

 

「――えっ?あ、あにじゃ…」

 

「さ、サイモンッ!?」

 

 想像すらしなかった弟分の死に、虎人は動揺して動きを止めた。それを見逃すはずのないヤトは脇差を抜いて投げる。

 迫り来る死の具現にも、歴戦の傭兵の本能は反応して手甲で打ち払った。

 しかしそれは決定的な隙となる。

 僅かな時間でヤトは調息により折れた肋骨の痛みで乱れた息を整え、丹田で練った気を剣へと纏わせ、熊人の強靭な肉体を破壊しながら引き抜いた。

 

「『風舌』≪おおかぜ≫」

 

 引き抜いた赤剣の軌道に沿って床に亀裂が入り、さらに5m以上離れた虎人のしなやかな肉体を下部から上部へと縦一文字に斬り裂いて、顎、唇、左目、額にも深い溝を作った。

 数秒後、虎人は血を雨の如く撒き散らして倒れた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 何のための力か

 

 

 虎と熊の獣人コンビを倒した事で、奴隷市の用心棒の排除はほぼ完了した。あるいは少しは残っているかもしれないが、既に戦意は萎えている事だろう。

 そしてホールには次々と盗賊ギルドと任侠組織の構成員が雪崩れ込み、屋敷に居た客や商人、それと貴族も捕縛された。

 一部の貴族は喚き散らしているが、そうした愚か者は殴られて大人しくする羽目になる。盗賊に貴族の正しい扱いを求めるのは滑稽であった。

 盗賊の中にはカイルも混じっており、彼は数名の貴族の客を捕まえて縄で曳いている。自分で捕まえたそうだ。つまり弓以外の近接戦闘も達者なのだろう。

 商品となっていた者達は悉く救助されて、現在は地元組織の隠れ家に移送された。暫くは安静にして身体を癒し、今後の身の振り方を決めるだろう。

 本来予定していた解放劇ではないが、面々は奴隷達を甲斐甲斐しく世話していた。

 元の計画では末端組織を徐々に減らして新興犯罪組織の影響力を削る手筈だったが、思いがけず王女という鬼札を手に入れたカイルの発案で直接後ろ盾となった貴族を捕縛する計画に変更したのだ。

 モニカ自身も義心から奴隷救助と悪人討伐には乗り気であり、ヤトが奴隷市に入り込むための商品役を渋々ながら受け入れた。

 結果、ヤトは警戒される事もなく、首尾良く屋敷の中へと入って行けた。

 唯一の予定外はモニカが激昂して魔法を放ち、用心棒達を殺してしまった事だが、ヤトは元から敵対する者を殺す気だったので、そこまで大きな問題にはならなかった。

 そして一部始終を見ていたモニカは、助けられた者達の感謝に満ちた顔を忘れない。同時に客や市の関係者へ向けた憎悪に満ちた眼も忘れ難かった。故に少女は己が成すべき事を見出した。

 

 

 ホールには捕縛された客と一関係者全員が集められていた。彼等の多くが理不尽な扱いを受けていると感じ、心の中で報復を企てていた。

 しかしヤトが淡々と死体を一か所に積み上げる作業をしているのを見て、半数は報復心が折れられかけていた。連中は金や権力で相手を一方的に押さえつけて束縛するだけの卑劣漢であって、命を懸けて戦う戦闘者ではないからだ。

 クマ耳を付け直したモニカはそんな卑劣漢達を前にして、ヤトに劣らぬ冷え切った瞳を向けて口を開く。

 

「――――下種」

 

 まだ幼い少女に路端の塵を見るような目で見られた捕虜達は色めき立つが、武装した盗賊達に周囲を囲まれていたため大人しくしていた。

 しかし、中には空気を読まない輩も居る。一人の若い貴族が目を血走らせて立ち上がり、感情のままに叫んだ。

 

「この混ざりもののメスガキがっ!!ウィリアム家のゲースを罵倒するとはな。貴様は後で私自ら手足を切断して犬と交わらせてやるから覚悟しておくがいい!!」

 

「偉そうにしてるけど、貴族だろうと国の法を破って良い理由にはならないのを知らないのね」

 

「なにが法だっ!!どうせ貴様ら全員犯罪者だろう!そんな奴らが官憲に頼るはずがないからな!そんな外れ者が私のような貴族を好きに出来ると思うなよっ!!」

 

 ゲースと名乗った貴族は実家の存在を隠す事なく、むしろ強調してモニカを恫喝した。それに他の客の貴族が同調して、自由を求めたり謝罪を要求する始末。

 賛同者を作ったゲースは勝ち誇り、自分に都合の良い結末を夢想したが、この場において早々上手くいくはずが無かった。

 モニカは彼等に臆する気は微塵も無く、逆に勝手な事ばかりのたまう貴族達に怒りを向けた。

 

「お前たちのような恥知らずの輩が家の力で悪事を働くなら、私は家の力で善を成すだけよ!!」

 

「恥知らずだとぉ!?」

 

「―――私はこの国の王レオニスの六女モニカよっ!お前たちの悪事は全てお父様に伝えるから覚悟しなさい!!」

 

「なっ、馬鹿なっ!!だ、誰がそんなデタラメを信じると思う!!」

 

「じゃあ今から城に連れて行って直接お父様に会わせてあげるわ!そこで言い訳でもしなさいっ!!」

 

 売り言葉に買い言葉で段々とヒートアップする両者だったが、中にはモニカを本当の王女だと思い始めている者も出てきて、ゲースを止めようとするが、反対にそれが癇に障って暴挙に出る。

 ゲースは後ろ手で縛られたまま立ち上がって、モニカに襲い掛かった。

 突然の蛮行にモニカを始めとした面々は動けなかった。しかし鬼の如き形相で少女に襲い掛かる外道を止めたのは、白金色の髪の少年だった。

 カイルはモニカの前に陣取り、襲い掛かる下種の顎を拳でかち上げた。ゲースは顎が砕けて床に倒れ、ピクピクと痙攣を繰り返す。

 

「ふー危なかった。大丈夫?」

 

「えっ?う、うん。助けてくれてありがとう」

 

 迫り来る脅威を目の前で払われたモニカは意外と素直である。似たような事をしていたヤトと扱いが違うが、残念ながら当然だろう。

 他の貴族達は反抗的な態度を取ったゲースを躊躇いも無く制圧したのを見て、悪あがきをするのを止めた。それも行ったのが暴力と無縁の明らかに華奢な美しい少年だったのが大きく影響していた。

 この時、都合よく捕虜の搬送の準備が完了したと担当が伝えてきた。任侠達はそれなりに気を遣って丁寧に護送した。

 彼等は大事な人質だ。無事だからこそ価値があった。

 

 

 盗賊ギルドが捕虜を隠れ家に護送する最中、ヤトとカイルがモニカを城に送り届ける役目を負い護衛を務めた。

 奴隷市の屋敷のあった歓楽街から離れ、灯りの消えた真夜中の道をランタン一つで歩く三人。先導するヤトがランタンを持ち、後に年少の二人が続いた。

 しばらく無言で歩いていた三人だったが、唐突にモニカが泣き出した。

 

「えっ、ど、どうしたのさ!?」

 

「わ、わかんない。でも急に涙が止まらないの」

 

 その上、少女は足が動かなくなり、遂には膝に力が入らなくなった。やむを得ずカイルはモニカを背負って歩くことにした。

 体格からヤトが背負うほうが良かったのだろうが、一応肋骨の折れた怪我人だったので、見た目に反して力のあるカイルが代わりを務めた。

 少年に背負われたモニカは、ぽつりぽつりと話しながら自分の心の整理を付けようとする。

 

「あんな奴ら死んで当然なのに……耳を取られて、それからあの檻に、もしサラ姉様が捕らえられてたらって思ったら、魔法を――」

 

 人を殺した感触、自らが作り出した死体。己が終わらせてしまった他者の生涯。それを想うと今も震えが止まらない。無意識に背負っていたカイルの服を握りしめる。そこに居たのは勝気な王女ではない。ただの怯えた少女でしかなかった。

 

「なんでこんな魔法なんだろう。姉様みたいに傷ついた誰かを癒す力の方がずっと良かったのに」

 

 ヤトは再び泣き出したモニカの事が分からなかった。自分にとって殺人とは生活の一部であり、殺した相手に対する罪悪感など一度たりとも感じた事が無い。世の中には殺しに快楽を見出す者も居るが、強者との戦いに悦びを感じる事はあっても、殺人そのものには快楽を感じた事が無かった。

 だから他者の生死に想う事は何も無い。故にモニカにかけるべき言葉を持たなかったし、気を遣う事も無い。

 ヤトとはある種、個人で完結した存在だった。

 よってこの場においてモニカに声をかけたのは彼女を背負ったカイルであった。

 

「でもさ、助けられた人達はみんなお姫様に感謝してたよ」

 

「それはそうだけど、でも人殺しは悪い事よ」

 

「うん、そうだね。でもそれは誰かがやらないと、もっと沢山の人が酷い目に遭う。奴隷商人をあのままにした方が良かった?」

 

「そうは思わないわよ。あんな奴等が居たらこの国は酷くなるわ」

 

「だったらこれからも自分のやりたい事をやればいいんじゃないのかな。僕だって母さんに、盗賊が嫌ならいつでも辞めて良いって言われてるし」

 

 カイルの何気ない言葉に、モニカは少し落ち着きを取り戻した。  

 確かに誰もモニカに魔法を使えと命令したわけでも強要したわけでもない。あの時は感情に任せて魔法を使ったが、もし魔法を使わずに何もしなかった方が余程嫌な思いをしたような気がする。

 勿論今でも人を殺したいなどと思わない。しかし敬愛する姉はよく、神から頂いた力は誰かのために、良い事のために使うべきである。そう口にしていた。

 ならば姉とは違う力だが、自分なりに良い事をするために、神から授かった魔法の力をこれからも使っていこう。

 

「――――ありがとうカイル」

 

「いいよ別に。元々お姫様を巻き込んだのは僕だし」

 

「モニカでいいわよ」

 

「あっ、うん。じゃあモニカ」

 

「うん」

 

 何やら年少組から甘酸っぱい雰囲気が漂っているが、自分には関係無いのでヤトは終始無言なまま照明係を続けた。

 

 

 翌日、レオニス王は娘のモニカの口から全てを聞き、長い沈黙の後に捕らえたゲース=ウィリアムおよび、その父親であるウィリアム法務卿の拘束を命じた。

 それに他の奴隷商や客だった貴族達も厳しい取り調べと家宅捜査を受けた。

 彼等の屋敷や別邸からは多くの奴隷が動かぬ証拠として保護された。中には死に至る虐待や拷問を受けた奴隷の証拠も数多く残っており、その扱いは凄惨を極めた。

 そしてレオニスは間を置かず、アポロン国内において奴隷売買および保有の罰則強化を発布。例え貴族であろうと奴隷の保有は重罪として、厳しい姿勢を取った。

 これは如何に貴族であろうとも国法を犯せば処断される、この上ない事例として身分を問わず人々の記憶に焼き付く事となる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 東人の剣技

 

 

 盗賊ギルドと地元任侠組織『太陽の影』が非合法奴隷市を襲撃してから既に一月が経とうとしていた。

 

 この間、盗賊カイルは幾度となく、王都に根を張り始めていた新興犯罪組織の末端を潰していた。

 犯罪組織の後ろ盾であった貴族ゲース=ウィリアムが捕らえられた為、資金や情報が全く入って来なくなった組織は瞬く間に駆逐された。王都の裏の縄張りは再び二つの犯罪組織の手に戻った事になる。

 その功績に報いるために王国はカイルに少なくない額の金貨を渡していた。一応彼も盗賊ギルドの人間なのでそのような報酬を貰う謂れは無いが、王女モニカの事もあるので口止め料として渡したのだろう。

 

 一方、公的には大捕り物の主役とされたモニカは、まず最初に父である王をはじめとした家族から厳しい 責を受けた。理由は一つ、勝手に命を危険に晒すような行為をした事だ。

 特に最も厳しく説教をしたのが、彼女が最も懐いている姉のサラであった。しかしそれは憎いからではない。もし妹が死んでしまったかもしれないと思うがゆえに、二度と危ない事をさせたくなかったからだ。

 そしてモニカは罰として暫くの間、城から出る事を禁止されて、勉強や芸事の課題を山のように言い渡されて、泣きを見る事になるが、誰がどう見ても自業自得の結果と言えた。

 ただ、悪い事ばかりでなく、部屋に缶詰にされて碌に自由時間の無いモニカに気を利かせたカイルが時々様子を見に来ては、話しや遊び相手になっていたので息抜きは出来ていた。おかげで二人の距離は段々と縮まっている。

 

 二人が幼い青春を謳歌している傍ら、ヤトは相変わらず剣に生きていた。

 負傷した彼は半月程度大人しくしていたが、肋骨の骨折が完治した次の日から元気に騎士達と模擬戦を繰り返していた。

 他にもカイル達盗賊ギルドと一緒に犯罪組織を襲撃していたが、街のチンピラ程度ではまるで歯ごたえが無かったので、結局一、二度で助っ人は辞めてしまった。

 そして今は騎士団指南役のモードレッドと模擬戦を繰り返していた。この四十前の壮年騎士は指南役というだけあって極めて高い技量と豊富な実戦経験を持つ。

 おかげでヤトは模擬戦とはいえ何度か膝を着いた。怪我の影響で身体が少し訛っていたのは事実だが負けは負けだ。

 実に数年ぶりの負けを喫して、非常に悔しい思いをしつつも彼の魂は喜びに満ちていた。まだ世には己の知らない強者が居る。それがたまらなく嬉しかった。

 不幸なのはモードレッドである。彼は朝から晩までヤトの模擬戦の相手をさせられて、衰えつつある肉体を酷使し続けてしまい、最近は過労とストレスで自慢の金髪も抜け毛が増え始めていた。

 

 そんな充実した訓練生活を送っていたヤトは現在、騎士団長にして第三王子のランスロットに剣を教えていた。

 意外にも彼は、ただ王子だから騎士団長を務めているわけではない。本人の言葉通り、血筋と実力両方を兼ね備えているからこそ団長の座に座っていられた。

 とはいえ並の騎士より強いというだけで、指南役のモードレッドに比べれば数段落ちる実力でしかない。それでもガッツは並外れており、何度模擬戦でヤトに負けても向かって行った。

 そんな中、ランスロットはヤトの剣術を不思議に思っていた。

 そこで思い切って訓練の合間に彼に尋ねてみた。

 

「お前の剣は妙なところがあると常々思う」

 

「と言うと?」

 

「常に相手の死角に潜り込んで首を刎ねる様はまるで暗殺者の剣術のようだが、時々私のような高貴な者が使う品のある剣が見え隠れしている。なぜだろうな」

 

「なぜと言われましても、僕はただ家で習った剣を使っているだけの剣士ですよ」

 

「その家は……暗殺を請け負うような家なのか?」

 

「いいえ、そんな話は全く聞きません。あくまで護身用の剣術と教えられました」

 

「それにしては随分と剣呑な業だ。――――――護身用か」

 

「基本はそのままですが、僕の癖がかなり付いてて邪道な剣になってますから、まあ信じられないのは当然です」

 

 ヤトが嘘を言っているようには思えなかったが、全てを話しているわけではない事は分かる。しかし凶悪な殺人剣が護身用とは信じ難い。

 そして、どうもこの傭兵剣士には自分と似たような雰囲気や匂いがするのをランスロットは感じていた。確信は無いが、もしかしたら東国のいずれ名のある家の出ではないのか。そう思わずにはいられないモノを持っている。

 結局望むような答えが返ってこなかったが、それでも異国の剣には大きな関心がある。そこで西には無い東だけの技術があるのか尋ねてみた。

 無くても良い程度の期待で尋ねてみたが、意外にも有ると答えて、木剣を持って鍛錬場にある練習用の木人形に対峙する。ランスロットを含め騎士達はそれを見守っている。

 ヤトは剣を上段に構えて呼吸を整え、丹田で練った気を木剣に行き渡らせる。普段使っている赤剣に比べると効率が悪いが文句は言わない。

 十分に練った気を剣に込めて木人形に振り下ろすと、人形に真っすぐ縦の亀裂が入った。

 騎士達はどよめいた。ヤトから人形までどう見ても剣が届く距離ではない。目一杯剣を振ったところで、人形まで2メートルは足りないからだ。

 

「それは魔法の類か?」

 

「東では『気功』あるいは『プラーナ』と呼ばれる技術です。習得自体は誰でも可能ですよ」

 

「誰でも?魔法のような神の祝福は要らないのか?」

 

「要らないですよ。習得には通常三年、出来が悪くても五年あれば基礎は出来ます」

 

「今みたいに遠くの物を斬る以外にも出来る事はあるのか?」

 

「人によっては剣の切れ味を良くして、極めれば木剣で鉄を斬るそうですよ。他にも身体能力を引き上げたり、治癒力を高める事も出来ます」

 

 説明を聞いた騎士達は驚きを露わにする。彼等の知る魔法は生まれ持った才能が無ければ全く使えない。それとは対照的に時間さえかければ誰でも使える技術は非常に魅力的である。

 ランスロットはそれでヤトが半月程度で骨折を治したのだと合点がいく。幾ら若いからと言って肋骨の骨折が治るには一月近くはかかるはずだからだ。

 ただ話を聞くに、魔法のように重傷者を瞬時に癒したり、一度に何人もの相手を焼き殺すような事象は早々引き起こせないらしい。

 あるいは生涯全てを修行に費やした達人なら近い事は可能らしいが、そこまでの域に達する無窮の達人など皆無である。よしんば居た所で表舞台に出てくる事はせず、世俗を厭うて山奥に引き篭もっているそうだ。

 ヤトも主に剣の間合いを伸ばすのに用いるか、怪我の治癒に使うだけで、身体能力の強化などには使用していない。普通に鍛えれば十分戦闘に足りるからだ。

 

「しかし、そんな事を我々に教えても良かったのか?」

 

「教えたからと言って僕が弱くなるわけではありませんから。そもそも気功を使わなくても大抵の相手より強いですよ」

 

 ヤトはランスロットの危惧をばっさりと切り捨てる。確かに大半の騎士はヤトの素の剣術にも勝てないので、気功の事を知ったところでどうにもならない。

 ならばと騎士達は気功を教わろうとしたが、肝心のヤトが基礎を教えるのに致命的に向かない人間だったので、結局何も得られなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 王の采配

 

 

 今年55歳になるアポロン王レオニスは玉座に座ったまま無言で二通の手紙に目を通していた。

 王の秘書官はその様子から、あまり良い報告でないと長年の経験から推測していた。

 手紙の一枚の差出人はヘスティへ派遣した外交官である。三ヵ月前に愛娘サラを襲撃した者の引き渡しと王国の謝罪が主な派遣理由だった。

 

「手紙にはなんと?」

 

「直接襲撃を指揮した者の家を取り潰して、主家筋であった宰相を罷免したとある。ヘスティ王はこれで手仕舞いにしたいそうだ」

 

「些か軽いように思えますな。せめて首謀者をこちらに引き渡すか処刑するのが筋と思いますが」

 

「そうは言うが娘は傷一つ負っていない。落し処としてはこの程度が関の山だ」

 

 王の言葉に秘書官は項垂れる。実の娘を殺されそうになった怒りを抱えながらも感情に流されず冷静に現状を分析する王は得難い。

 実際殺されたのは護衛の騎士であり、騎士とは主君を護って死ぬために存在する。よって死んだ騎士の事を騒ぎ立てた所で、それは騎士が弱かっただけと言われたら反論は難しい。

 そして相手は謝罪の意思を拒絶したわけではない。王の右腕たる宰相に責任を取らせて罷免している。宰相の分家筋である襲撃者も処罰した。あとは精々賠償金を要求する程度だが、そこまですると相手の面子を潰しかねない。そうなっては何時また戦端が開かれるか分かったものではない。必要以上に相手を刺激するべきではないのだ。

 それだけなら不満はあっても話はお終いである。それで終わらないからこそレオニスの顔は硬いままなのだ。

 問題は二通目の手紙に書かれていた内容である。

 

「ヘスティに潜ませていた草からだ。軍部が大規模な戦の用意をしているらしい」

 

「なんと!?」

 

「おまけに取り潰した襲撃者、あの傭兵の話ではロングとメンターと言ったか。それらしき者が主戦派の将軍の幕僚に収まったと書いてある」

 

「ヘスティの宰相は身内に嵌められましたな」

 

「家で最近派手に煽っている連中も奴らの仕込みだろう」

 

「そこまでして戦を求めるとは」

 

 秘書官が頭痛を覚えて額に手を当てる。レオニスも同じ気持ちだ。

 元々ヘスティの王と宰相は非戦思考でがっちりと肩を組んで今まで内政に辣腕を振るっていた。当然そこで割を喰らうのが軍であり、彼等は活躍する場を著しく減らされて不満が溜まっていた。

 だからこそ無理矢理にでも戦の口実を作って手柄を立てる機会を得たいのだろう。そこで選ばれたのがサラというわけだ。ふざけているにもほどがある。

 よしんば襲撃が失敗した所で分家の不始末は主家が背負うものと古来からの慣習がある。最低限非戦派の宰相を引き摺り下ろせば今後主戦派に勢いが付く。どう転ぼうが軍には得しかない。

 そしてサラが都に帰還してよりずっと立ち消えない民衆の意見。

 

『サラ王女を襲ったヘスティに太陽神の矢を!』

 

 つまるところ多くの民がヘスティに怒りを感じ、戦を望んでいた。誰かが民を煽っているのは明白である。

 あるいはこの国にも戦を望む勢力があるのだろう。それにダイアラスは同調した。尋問を受けた彼はヘスティ人から囁かれて襲撃に加担したと自己弁護に必死だったが、それだけではあるまい。

 この城にも確実に戦を望む者が居るはずだ。でなければサラの正確な地方慰問のスケジュールを手に入れられるはずがない。アポロンとヘスティ、その両方に裏で手を組んで戦争を求める者が居る。レオニスはそれが気に入らない。

 

「戦争など得る物の少ない手段だというのに」

 

「全くですな。嘆かわしいですが、それが分からぬ者が世には多い」

 

「だが最低限の備えはせねばなるまい。王軍や諸侯にそれとなく開戦の可能性を匂わせる手紙を出しておけ」

 

「かしこまりました。傭兵ギルドはどうなさいますか?先日の手紙には調査中とだけ書かれていましたが」

 

「まったく、この期に及んでそんな言い訳を聞くと思うのか」

 

 レオニスは呆れと怒りをない交ぜにしたように呟く。

 サラの帰還の翌日には既に傭兵ギルド本部に抗議と釈明を要求する手紙を王直々の名で送っておいたが、二ヵ月経った今もギルドから正式な回答は無い。

 多少擁護するなら、傭兵ギルドの本部は大陸中部の高地にあり、連絡には通信用の魔法具と伝書ハトを駆使して、さらに調査と審議を重ねては時間が掛かるだろうが、遅ければ遅いほどこちらの心証が悪くなるのを考慮していない。

 手紙には必要ならアポロン国内においての傭兵ギルドの活動許可を取り下げる事も明記してあったが、いざとなったら本当に実行する事もレオニスは考えていた。

 ただ、そうなった場合、戦争時に雇う傭兵が集まらない可能性があるので出来る限りやりたくない。しかし国家の面子を潰すぐらいなら実行するべきだ。

 

「―――――いっそ国内の支部を傭兵ごと抱きこんでしまうか。一代限りの準貴族待遇なら靡く者も居るだろう」

 

「それは随分と大盤振る舞いですな」

 

「勿論戦で手柄を立てた者に限ると最初に名言しておく」

 

 秘書官は空手形、あるいは馬の目の前に吊るしたニンジンが頭に浮かんだ。そして彼は今後アポロンの傭兵ギルドの抱き込み工作に追われる事になる。

 レオニスは面倒な仕事が片付いたようで、余計に積みあがっていくような気分になったが、家臣の前で弱音は吐かない。

 一国の王とて只の人だ。辛い選択を求められる事もある。しかしそれを下の者に見せるのはプライドが許さなかった。

 

 

 そしてその後、王の懸念は現実のものとなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 戦争の幕開け

 

 

「――――はあ、ヘスティの王様が代替わりしたんですか」

 

「反応薄いねアニキ、っていうか知らなかったんだ。今日は朝から都のあちこちで噂になってるのに」

 

「誰が王になったところで興味ありませんから」

 

 城の食堂でヤトとカイルは一緒に昼食を食べていた。その時に何気なくカイルが今あちこちで噂になっている隣国の王の交代劇を話してもヤトの反応は薄い。二人の周りでも兵士や騎士達が同じような話をしているにもかかわらずだ。

 しかも噂では新しいヘスティの王はまだ10歳の少年らしい。おまけに兄が二人居るにもかかわらず、父親の先王も健在なのにだ。

 どう考えても異常な王位の譲渡である。だからこそ現在アポロンをはじめとした周辺国は血眼になって事実確認に追われていた。

 とはいえヤトの無関心さも分からない事ではない。所詮一傭兵や盗賊には他国の王など関わりの無い話だ。知ったところで何が変わるわけではない。そんな事より今日の食事を気にするのが一般人である。尤もカイルの前で粥を食べる青年は一般人とかけ離れた剣鬼だが。

 

「でさ、ここからはちょっと込み入った話だけど、たぶんアニキは興味あると思うよ」

 

「一応聞いておきます」

 

「じゃあさっさと食べて別の場所で話そうか」

 

 ここでは人が多すぎて話しづらいので、二人は早々と昼食を空にして食堂を後にした。

 

 

 城を出た二人は現在、街の市場を買い物をしていた。買っているのはほぼカイルで、彼はお菓子を両手に抱えるほど買っていた。現在は油で揚げたパンをモシャモシャと齧っている。先程昼食を食べたばかりなのに健啖家である。

 ヤトも何も買わないのは手持ち無沙汰なので、酸味の効いたリンゴを少しずつ食べながら歩いていた。

 

「んぐんぐ――――――で、さっきの話だけど、多分麦の種まき前後には戦争になるよ」

 

「後二ヵ月程度ですか。その理由は?」

 

「ヘスティがやる気だから。そのために子供の王を仕立て上げたんだ。脚本を書いたのは新王の祖父で軍の主戦派筆頭ゴール将軍」

 

「なるほど、何となく読めてきました」

 

 ヤトにもカイルの言いたい事が段々と分かってきた。

 カイルの話をかいつまんで話すとこうだ。

 アポロンとヘスティは十年前に和平を交わしてから戦争をしていない。ゴール将軍はその非戦政策を快く思っておらず、度々上奏しているが、王は好戦的ではないので聞き入れない。

 しかし将軍は軍のトップに立つ重要人物。故に蔑ろにしない証として彼の娘を側室に迎えて子供も作った。それが先王の三男であり、現在の少年王である。

 そして軍事力を背景にゴール将軍は義理の息子である先王を無理やり退位させて孫を即位させた。おまけに先に生まれた王子二人は既に幽閉してある。

 王の摂政として実権を握ったゴールは宮廷を恐怖で支配しつつ軍備を整え、間を置かずにアポロンへと攻め込む準備を着々と進めているそうだ。

 

「軍事力を持った外戚の専横――――よくある話ですね」

 

「盗賊ギルドの大人達もそう言ってた。もうすぐ宣戦布告があるんじゃないかな」

 

「ところで、なぜカイルがそんな重要な情報を知っているんです?」

 

「母さんの手紙に書いてあったから。それと戦争に巻き込まれたくなかったらさっさと他の国に逃げろって」

 

 カイルの母とは盗賊ギルドマスターのロザリーである。様々な情報に通じるギルドの頭目なら、あるいは知っていてもおかしくない。

 そしてこの情報は既にアポロン王に伝わっていた。おかげで日に日に盗賊ギルドの重要度が増しているらしい。

 

「それで、貴方は逃げるつもりですか?」

 

「ううん、そのまま僕も戦争に参加するよ。傭兵としてよりも斥候として動くことになると思う」

 

「まあ、納得して参加するなら僕は何も言いません。精々死なないように気を付けてくださいね」

 

 ヤトにとって誰が死のうがさして気にならないが、嫌々戦に出て泣き喚く輩を見るのは興が削がれる。

 戦とは出来る限り大規模で華やか、誰もが望んで殺し合った方が気分が良い。勿論誰も居ない場所で一対一で戦うのも悪くはないが、風情の問題だ。

 

「アニキは――――答えを聞くまでもないか」

 

「当然です。騎士との模擬戦もそれなりに有意義ですが、戦争とは比べようもありません。勿論傭兵として参加します」

 

 ヤトは涼し気な笑みを浮かべて戦に思いを馳せる。カイルはそんな危ない兄貴分を味方として非常に頼もしく感じていた。少なくとも敵に回る心配はしなくて良さそうだ。

 

 

 数日後、アポロン王レオニスから直々に傭兵として雇用したいと契約が持ち掛けられた。普通に考えたら一介の傭兵相手にあり得ない話だが、相手が普通ではないバーサーカーなので、ある意味当然の処置と言えた。

 そしてヤトは契約書を読んで即サインした。一応明記された報酬はかなりの高額だったが、そんな項目には目もくれない。彼にとって一番の報酬は強者との戦いだ。

 配属先は交流のある騎士団。彼等は戦となれば一番槍を刻む誉れと共に最も危険な先鋒を務める事もある。

 

 

 同日、ヘスティの一軍が突如としてアポロンの領地に攻め入った。

 麦を刈り終えた晩夏でも戦乱の熱気が激しく燃え上がる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 義理堅き者

 

 

 ヘスティによる突然の侵攻はアポロニアの王城を震撼させた。

 ある者は万を超える軍勢が今すぐにでも王都を陥落させようと進軍していると思い込んで慌てふためく。またある者はただの誤報と思って気にしない。別の者は竜騎兵が空を飛んで襲い掛かってくると思い、荷物を纏めようとしていた。

 誰もが真実を求めつつも、誰も真実にたどり着けない。

 混沌とした城はその実、一日程度で落ち着きを取り戻した。

 翌日には伝書ハトによって続報が次々寄せられて、詳細が情報が手に入ったからだ。

 ヘスティの一軍がアポロン国内に侵攻したのは間違いない。攻め入った場所は国内東端、ヘスティとの国境にあるワイアルド湖と呼ばれる小さな湖のある土地だ。そこに建てられた砦に一千程度のヘスティ兵が駐留しているらしい。

 僅か千の兵と聞いて場内は安堵の空気が流れる一方で、多少でも軍事に明るい者は、これが只の先触れの軍でしかないと予測していた。

 そして、たとえ千だろうが隣国の兵が許可も無しに自国に踏み入った事実は変わらない。よって、こちらも早急に兵を動かして敵を排除せねば王の、国の面子が立たない。

 問題は今すぐ動かせる兵が城の騎士団や守備兵ぐらいしか居ない事だ。サラを捕らえたダイアラスや奴隷市を開いたゲースの事もあり、王の近辺や都を空には出来ない。

 既に国中の諸侯に動員をかけているが、彼等が兵を率いて駆け付けるには、まだ幾ばくかの時間を要する。

 騎士と従者、それに傭兵をかき集めて何とか三百。それでどうにかするしかなかった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 王都の外では急いで兵を整えて行軍の準備を済ませた先遣隊三百五十名の指揮官として選ばれた騎士団指南役のモードレッド。彼は鬱々とした内心を悟られないように、即席の軍の前で兵を鼓舞した。

 その行為がどれほど役に立ったかは分からないが、ともかく先遣隊は無事に出立した。

 

 隊は着々と東へ進む。通常傭兵の行軍は徒歩だが、今回は速さと疲労を考慮して全員が馬車移動だった。

 馬車の一つの中ではヤトとカイル、他に何名かの亜人傭兵と思わしき連中が乗り込んでいた。

 その中の戦斧を持ったドワーフが唐突にヤトに話しかけた。

 

「アンタには世話になった。礼を言わせてくれ」

 

「僕が何かしましたか?」

 

「儂は奴隷市に商品として出されておった。それをアンタは助けた」

 

 そこまで言われてようやくヤトは理解した。ドワーフに見覚えは無いが、彼からすれば虜囚として屈辱を受けていたのを自分に助けられた形になる。

 ゾルと名乗ったドワーフ以外にも、同じ馬車に乗っていた女エルフの弓兵ヤーンや隻眼の人狼ゼクシがこぞってヤトに感謝を述べた。彼等もヤトや盗賊ギルドに助けられた面々だった。

 実は今回の先遣隊に参加した傭兵の中には、奴隷として囚われていた者が三十名程いる。他にも二十名程盗賊ギルドから参加していた。集まった兵の数が予想より多いのにはそうした理由があった。

 

「私はこの国の貴族が許せないけど、助けてくれた貴方や盗賊ギルドの人達に少しでも恩返しがしたかったの」

 

「俺も今度はアンタ達と肩を並べて一緒に戦いたい。よろしく頼む」

 

「分かりました。共にヘスティと戦いましょう」

 

 正直ヤトは誰と共に戦おうがさして興味は無いが、わざわざそんな事を言って相手の不興を買ったり興を削いだ所で面倒が増えるだけなので、自分の邪魔をしない分には程々に好意的に接した。

 彼等はヤトの内心を知る由を知る術が無いので、言葉通りに受け取り大きく士気を上げた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 寡兵の戦い方

 

 

 三日後、先遣隊が着々とワイアルド湖に近づくにつれて、段々と隊の空気が重くなるのをヤト達は感じていた。

 そもそもたった三百五十の雑多な兵で砦に籠る千の敵を相手取るのはまともに考えて自殺行為に近い。本来攻撃側は防御側の倍から三倍程度兵を使って防御拠点を落とすのが定石だ。これでは逆である。

 それは少しでも戦の知識がある者なら分かっているので、本気で砦を攻めるとは隊の誰もが思っていないはずだろうが、それでも指揮官である騎士達の周辺には常に重苦しい雰囲気が漂っている。あたかも死刑執行を待つ囚人の顔をしていても、それはきっと気のせいだろう。

 

 明日の昼には目標の砦が見える距離まで迫った先遣隊は小川の傍で野営していた。

 兵達は戦を明日に控えて緊張している。特に戦経験の無い元奴隷の亜人連中はまるで落ち着かない。今更逃げる事は無いだろうが、いざ戦になってどれほど戦えるか分かりはしない。

 そうした空気を読み取った騎士達はなるべく緊張をほぐそうとするが、成果はあまり上がっていない。

 騎士アルトリウスも傭兵達を鼓舞するために野営地を回っていた。そこで見知った顔を見つけた。ヤトとカイルだ。

 

「調子はどうだ二人とも」

 

「いつも通りです」

 

「ちょっと緊張してるかな?」

 

 素っ気ないヤトと年相応に緊張しているカイルを見て、アルトリウスは少し笑う。彼もまた明日を想うと気が張り詰めていた。

 アルトリウスは焚火の前に座る。カイルは彼に干し肉と野草のスープを差し出す。まだ夕食を済ませていなかったので、ありがたく受け取った。

 

「戦が心配ですか?」

 

「――――正直に言うとな」

 

 ヤトの問いに、アルトリウスは他の者に聞こえないように小さく返した。

 そしてスープを飲みながら小声で部隊の戦略目標を話し始めた。

 まずこの先遣隊はアポロン軍の集結と進軍まで、砦に籠ったヘスティ軍の足止めをしておくのが王の至上命令だ。元から砦を攻め落とせとは言われていない。

 

「常識的な命令で良かったじゃないですか」

 

「そうだな、敵がずっと砦に籠っていてくれればな。そしてヘスティから後続の本軍が来なければの話だ」

 

 まあそうだろう。幾ら砦に籠っていても千では、アポロンが五千も用意すれば容易く陥落する。ワイアルド湖の砦はあくまでアポロン侵攻への足掛かりとなる土地、橋頭堡として占領しているに過ぎない。

 あるいは増援が来なくとも、たった三百五十の兵では砦から半数の五百でも出て来て野戦を仕掛けられたら全滅する。正直、何のための先遣隊なのか分からない。指揮官に選ばれたモードレッドも隊をどう扱ってよいか頭を悩ませていた。

 まともに戦うのは無駄。砦を取り囲んで持久戦も数が少なくて無意味。精々砦の監視か、領民にアポロンは見捨てていないとポーズのために派遣した見せかけの軍でしかないように思えた。

 上手くやれば死人は一人も出ないだろうが、全て相手の出方次第というのは指揮官として面白くないだろう。

 ここでカイルが、ふと心に浮かんだ疑問を口にした。

 

「じゃあ、もし僕やギルドの人が砦の扉を内側から開けて全員を引き入れたら砦は落とせる?」

 

「不可能ではないが、敵の数が三倍では上手くやっても共倒れが精々だ。せめてもう少し数を減らさねば」

 

「砦の食料を全部燃やすとか、井戸に毒を入れて飲めなくしたら?」

 

「向こうも馬鹿ではない。そうした最重要物資は警戒も厳しい。無理と考えた方が無難だ」

 

 カイルは自分の策が冴えた考えだと思っていたが、この程度の策はモードレッドやアルトリウスにも思い浮かびながらも捨てていた。

 目の前で唸っている二人を尻目に、ヤトは我関せずとスープを飲んでいたが、何気なく浮かんだ疑問を口にした。

 

「所でこの土地はアポロン領ですが、民はヘスティの占領をどう思っているんです?」

 

「元々ここはヘスティの領地だったから、悪い気はしていないだろう。と言うより、上が誰だろうがここの民は気にしないぞ」

 

 その答えにヤトは首を捻った。

 ヤトが流浪の東人だったのを忘れていたアルトリウスは、この土地の歴史から教える事にした。

 元々このワイアルド湖は豊富な水を使った麦の栽培と漁業で裕福だった少数部族のワイアルド族が住んでいた。それをアポロンが滅ぼして国土とした。しかしそれを快く思わない隣国のヘスティが武力で占領した。それを今度はアポロンが取り返し、また奪われる。

 そんな陣取りゲームのような繰り返しを五回は続けていたのがこの土地である。

 だからそんなゲームに付き合わされる民は上に立つ所有者が誰だろうがあまり興味が無いのだ。

 

「何というか下から見たら馬鹿馬鹿しい戦ですね」

 

「全くだ。そんな戦で死ぬのは御免被るが、我々騎士は王に戦えと言われれば戦うだけだ」

 

「ではここの民は何かあれば旗を取り換えるのも容易いと?」

 

「残念ながら砦より東は簡単にヘスティの旗を掲げているな」

 

 そこまで情報を得たヤトはスープを放置して考え込んだ。

 それから暫くして、ようやくヤトが思案を止めたのは、飲んでいたスープがすっかり冷めてしまってからだ。

 

「――――砦を迂回して東の村々を焼きましょう」

 

「何を考えている貴様―――」

 

 ヤトはせっかくの戦なのにお預けを喰らいたくなかったので悪辣な策を考えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 問題続出

 

 

 ――――――――ワイアルド湖の砦の一室――――――――

 

 

 夜明けの数時間前、ヘスティ軍指揮官バーグは扉を乱暴に叩く音で起こされた。苛立ちを隠しながら眼を擦って眠気を覚ます。

 つい先日、ようやく落とした砦の簡易修繕が終わり、久しぶりに温かいベッドでゆっくり寝られると思った矢先に問題が発生したのだろう。

 剣だけを手にして扉を開けると、荒い気を吐く兵士が立っていた。

 

「バーグ様、お休みのところ申し訳ありません!火急の知らせでございます!」

 

「分かった。まずはお前が息を整えてから話せ」

 

「ははっ!―――――――んん、ご報告がございます。ここより北東にある村が野盗五十名に襲われて、至急助けを求めております。如何いたしましょう?」

 

「こんな時にか?いや、こんな時だからこそどさくさで動く輩も居るか」

 

 バーグは溜息を吐いたが納得して受け入れた。こうした戦の前後には混乱と武力の空白が生まれる。その隙間を狙って火事場泥棒を働く目敏い連中はどこにでも居た。些か五十名は多いが、もしかしたら自分達の後をつけていたのかもしれない。

 そもそも今回のアポロン侵攻は新たな王の初めての親征である。些細なミスでさえ許されない。

 そして七日後に到着するゴール将軍に発覚すると今後の評価に響くので捨て置けない。

 

「分かった。ドナルドに百二十程度与えて討伐に向かわせろ」

 

「承知しました」

 

 バーグは伝令に向かう兵士の後姿を見ながら心の中で、もう少しゆっくり眠りたいと愚痴った。

 

 

 正午。昼食を楽しんでいたバーグに兵士が報告に来た。兵士の顔からあまり聞きたくない類の話だと予想した。

 

「ドナルドの部隊が負傷したのか?」

 

「いえ、ドナルド様はまだ戻っておりません。今度は砦から真東の村が盗賊五十名程に襲われたそうです」

 

 バーグは怒りでテーブルを叩きつけた。衝撃で皿に乗った豚肉が宙を踊る。兵士は明らかに委縮した。

 幾ら砦を守っているとはいえ、本軍の進軍ルートの治安を放置したままでは職務放棄と見做されてもおかしくない。

 今回の戦の大義はアポロンに不当占拠されたワイアルドの地を解放して民を慰撫するためだ。それが成されていないとなっては指揮官を罷免されかねない。そんな不名誉は御免だ。

 

「ロッテに百五十を率いてさっさと終わらせに行けと伝えろ!まったく、ドナルドもさっさと戻って来い」

 

 これ以上不興を買いたくなかった兵士は一目散に士官に命令を届けに行った。

 苛立つバーグは乱暴に肉を平らげて水で押し流した。

 

 

 夕暮れ時、盗賊退治に送った二つの部隊が一向に帰ってこないのをイライラして待っていたバーグにさらなる報がもたらされた。

 

「ご、ご報告いたします!南東の村でアポロンの残党百人がヘスティに味方した裏切り者と言って村人を虐殺していると―――――」

 

「ふざけるなっ!!!ええい、カーネル!三百を連れて、さっさと皆殺しにしてこい!!」

 

「――――承知しました。終わらせてすぐに戻ってきます」

 

 怒りに身を任せながらも、信頼する副官のカーネルに命令を伝えたバーグ。彼は指揮官としての責務をまだ放棄していなかったが、不測の事態の連続で明らかに憔悴していた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 翌朝。一気に半分以下の兵になった砦の一室でバーグは一睡もせずに報告を待っていた。正確には情勢と報告が気になって眠れないのだ。

 月が沈み、太陽が顔を見せ始めた頃、兵士が扉を叩く音がした。決して睡眠不足による幻聴ではない。何か進展があったのだろう。

 

「報告します!物見の報告では昨日砦を出たドナルド様とロッテ様の部隊が砦に向かっています」

 

「それは確かか?」

 

「はっ!確かに両名の旗が靡いております。兵の数もほぼ同じです。それと、縄で繋いだ捕虜が数十名居るようです」

 

「――――そうか。カーネルが戻っていないのが気になるが、ひとまずの朗報だ。私が直接出迎えよう」

 

 ようやく良い報告が聞けそうだと思ったバーグは上機嫌で正門の上に向かった。

 

 バーグが城壁の上に来る頃には、三百近い兵士と五十を超える捕虜らしきフードを被った一団が門の手前で待っていた。

 兵士達は誰もが返り血で汚れており、如何に盗賊討伐が苛烈だったかが一目で分かった。そして彼等は皆憔悴しているのか、見上げるのも億劫で俯いている。

 それは砦の兵士も同じだ。半数になった兵がほぼ寝ずの番で夜間の警戒に当たっており、誰もが眠気と戦っていた。中にはようやく同僚達が帰ってきたのに安堵して、大きな欠伸をする兵もちらほら居た。

 

「開門!開門せよ!!我々は盗賊を討伐したロッテ、ドナルド両名である!」

 

「うむ、よくやった!番兵、ただちに開門せよ!!」

 

 バーグの命令で兵士が数人がかりで閂を外して、重厚な鉄で補強した扉を開いた。

 完全に開いた門を騎乗したまま騎士が通る。

 捕虜と兵士が半分程度砦に入った頃、バーグが彼等を労うために上から降りてきた。

 しかし、その時兵士の一人が違和感を覚え、帰還した兵士の顔をまじまじと観察した。そして違和感が確信へと変わり、その場で叫んだ。

 

「違う!こいつら俺達の仲間じゃないぞ!!知らない奴ばかりだ!!」

 

 その声を合図に、帰還した兵士達は一斉に砦に残っていた兵士達に襲い掛かる。

 さらに捕虜と思われていたフード姿の者達も全員外套を脱ぎ捨て、手を縛っていたはずの縄も投げ捨てた。

 

「芝居はここまでだ!!全員手筈通りかかれっ!」

 

 砦は大混乱に陥った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 三つ首の凶獣

 

 

 何のことは無い。砦を出たヘスティの兵士がアポロンの兵士に入れ替わっただけだ。

 村が盗賊やアポロンの残兵に襲われているなど、全てデタラメ。そうしてノコノコ助けに来た兵士達を途中で待ち伏せしていたアポロンの先遣隊が情報を得るための捕虜数名を残して皆殺しにして、装備を奪って入れ替わった。

 元々ここがアポロンの土地であり、傭兵の中にはここの出身者も何名か居たので待ち伏せに適した場所を選ぶのも容易かった。三度に分けて兵を出したのでこちらの被害も軽微。

 おまけに砦の兵士は半数になり、夜通し見張りをしていて疲労も溜まっている。既にアポロン兵の半数が砦の中へ入ってしまった現状で、ヘスティ側に利する要素は兵の数しかなかった。

 

 完全に開け放たれた門からは次々とアポロン兵が雪崩れ込んでくる。呆気に取られたヘスティ兵はただ茫然とその光景を眺めているしかない。

 門の外ではエルフの弓兵と魔法使いが城門の上に居る敵弓兵を殺して、内からも次々高所を占拠しようと兵士が昇っている。カイルも弓を手にそちらに向かっている。

 しかし敵も兵士。致命的なミスを重ねてもなお戦う気概を失っておらず、散発的ながら抵抗する兵はそれなりに多い。砦内部は完全に乱戦となっていた。

 指揮官のバーグも全ての兵に敵の排除を命じる。しかし殆どが同じ装備の兵士だったので、ヘスティ側が同士討ちを避けて中々攻勢に出られない。

 

「くそ、アポロンめっ!こんな汚い真似を!―――――――そうか!腕や頭に黒い帯を巻いているのがアポロン側だ!注意して見分けろ!!」

 

 兵士の乱戦から服装に違いがあるのを見つけたバーグが指示を飛ばす。兵士は即座に対応して敵を見分けて冷静に戦い始める。

 しかし勢いは大きくアポロンに傾いており、何か一発逆転の札でも無ければ容易く砦は落とされてしまう。

 故にバーグは躊躇無く今ある切り札を使ってしまうつもりだった。

 

「すまん、ここは任せた!私はアレを解き放つ!!」

 

「バ、バーグ様!アレを使うつもりですか!?」

 

 近習は正気を疑うが、指揮官として負けを認めるわけにはいかなかったバーグは決断して、全てから背を向けてある場所に疾走した。

 

 

 ヤトは未だ混乱の坩堝にある砦内部でヘスティ兵士を片っ端から切り捨てていた。既に十人は首を刎ねているが、一向に減らないそこそこ強いだけの兵士に少々飽きがきていた。彼の悪癖だ。

 余裕のある彼は戦いながら砦内部をあちこち見渡す。

 戦況はアポロンが優勢。城壁の高所を占拠したこちらの弓兵が援護射撃をしており、カイルもエルフに恥ずかしくない優れた弓の腕を披露している。亜人達や盗賊も兵士相手に複数で囲んで難なく倒していた。

 この調子なら彼等も何とか生き残れるだろう。別段誰が死んでも構わないが、率先して死んでほしいとは思わない。生き残れたらそれは本人の力量と運ゆえだ。

 

 傭兵としての務めを最低限果たすため、都合十五人を斬った頃、砦の奥で何か獣の唸り声と、人の悲鳴が交じり合って聞こえてきた。

 ヤトは直感的に自らが斬る価値のある相手が居ると確信して悲鳴の方へ走る。

 砦の中央へと向かうにつれて増える人の悲鳴と凶獣の咆哮。それは戦場という異質な場所の中でも、さらに場違いと言わざるを得ない。

 砦内部の中央の広場。そこは食卓であり、屠殺場でもあり、ゴミ捨て場でもあった。

 

「「「GAUGAUGAU!!!」」」

 

 広場の主はお食事に夢中。血の滴る新鮮な肉を骨ごと頬張って、バリバリ噛み砕いて腹に収めている。頭蓋だろうが内臓だろうがお構いなし。それどころか金属製の鎧すら平気で噛み千切っている。ただ、金属は味がお気に召さないのか歯に詰まるのか、度々そこらに吐き出しては、学習したのか血肉だけを選んで口にしている。

 主はヒグマのような巨体、ライオンの如きしなやかで俊敏な筋肉、黒馬のような艶のある黒毛、短刀のように鋭く長い爪と無数の牙。そして三つ並んだ凶悪極まった犬の首。

 地獄の番犬と恐れられる三首の幻獣ケルベロスが朝食に何人ものアポロン兵士を喰らっていた。

 

「いいですねえ、そうでなくては」

 

 地獄絵図を見てもヤトはブレない。彼はまるで飼い犬と遊ぶような気軽さで、一歩また一歩と食事中の凶獣へと近づいていく。

 ヤトに気付いたケルベロスは、また一体獲物が近づいてくると思い、牙を見せる。そのしぐさはまるで笑っているようにも見える。いや、事実新鮮な獲物が自分から身を差し出しているように見えるのだ。それが楽しいのだろう。

 三つ首の狗は優れた脚力を活かして一気に距離を詰め、馬鹿な獲物を巨体で圧し潰しにかかった。

 迫り来る巨体。しかし幾ら速くとも直線的にしか動かない猪に臆するようなヤトではない。彼は余裕をもって凶獣の突進を側面に躱して、すれ違い様に右首の顔を撫でるように斬った。

 口から頬までをざっくりと斬られ、何本かの牙も折られた右首は狂ったように吠えた。そして痛みで我を忘れた右首に引っ張られるようにケルベロスはヤトを猛追する。

 右首が常にヤトを正面に捉えて大口を開いて飲み込もうとした。

 ナイフのように鋭く尖った無数の牙は脅威だが、当たらなければどうという事は無い。先程と同じように右側面に逃れようとするが、ヤトは殺気を感じて反射的に反対の正面に跳んだ。

 その直感は正しかった。右首の上から想像以上に首を伸ばした中首が火を吹く。ヤトは既に逃れたが、代わりに食い散らかした死体は炭化したゴミとなった。恐るべき火力である。

 しかしヤトはそんな事で怯むような可愛げのある性格はしていない。むしろただの狗ではない事が分かり、より強い喜びを噛みしめて今度は反対側に回り込みながら、左の首の牙を躱しつつ前足を半ばまで斬った。手応えから骨までは到達していないが、かなりの深手を与えたと確信した。

 たまらず全ての首が痛みの咆哮を上げる。さらに追撃で後ろに回り込むと、後ろ足と尻尾をそれぞれ斬り落とす。

 これにはさしもの凶獣も堪えてその場に座り込んだ。足が使い物にならなければ、どれだけ巨体でも後はなすがままに斬られて終わりだ。

 この時、ケルベロスは死への恐怖に苛まれていた。相対する二本足は唯の餌ではない。自分を殺す死神。こいつから何としてでも逃れなければ自分は死ぬ。

 恐怖が凶獣を突き動かし、全ての首が無差別に火を吐いて広場を火の海に変えてしまった。

 流石にこれにはヤトも一時的に手近な建物の石壁を盾にして退避せねばならなかった。

 尤もそのまま隠れているはずもなく、すぐに建物の中に入って移動する。この辺りは居住区なので家屋が連なっており、建物内を移動すれば相手を撹乱しやすい。

 とはいかず、ケルベロスも犬の仲間。嗅覚と聴覚には長けており、ヤトの臭いを追って首を向ける事ぐらいは容易だった。

 移動するたびに後ろから炎が迫ってくるのはヤトでも良い気分はしない。どうにかしようと考え、ちょうど部屋の隅に置いてあった白い粉の入った容器二つを手に取って二階に駆け上がる。そして窓からケルベロスに向かって片方の容器を投げ落とした。

 容器に気付いた犬だったが身動きが取れず、炎で迎撃したものの容器は陶器だったので、そのまま身体に当たって中身をぶちまけた。

 瞬く間に粉はケルベロスの周囲に飛び散って視界を塞いでしまう。三つ首全てが粉を吸い込み咳込む。

 苛立った首達は白粉を吹き飛ばそうと火を吐くが、これがいけなかった。

 巻き上がった粉に火が引火して、連鎖的に破裂音を鳴らして燃え上がる。白い粉は小麦粉だった。

 これは粉塵爆発と呼ばれる現象で、一定の空間に可燃物が四散しているところに火種を加えると、連鎖的に粉末が燃える。多くは炭鉱などの密閉空間で可燃性の石炭の塵に引火して大事故に繋がる危険な現象である。

 ただ今回は屋外の開放的な場所なので爆発性は極めて弱く、頑強な皮膚を持つケルベロスにはかすり傷一つ与えられないが、連続的に破裂音が鳴るので、聴覚に優れた相手には非常に有効である。

 現にケルベロスは至近距離からの破裂音で聴覚をかなり痛めており、半ばパニックになって暴れている。

 さらにヤトはもう一つの容器の中身を広範囲に撒き散らすよう、暴れる凶獣の上に投げた。

 小麦粉と異なる白い粉がまんべんなくケルベロスに降りかかる。

 

「「「GYAAAAAAAAAAA!!!」」」

 

 ケルベロスはさらに狂ったように暴れ回って転がる。特にヤトに斬られた右首や後ろ足を庇うような動きが痛々しい。

 二度目の粉は塩だった。如何に地獄の番犬と恐れられる獣とて、傷口に塩を加えられては痛みで我を忘れてしまう。

 ヤトは戦場において致命的な隙を晒した相手に慈悲をかけるような性格をしていない。炎が止んだ隙を逃すはずもなく、建物二階の窓から飛び降りながらケルベロスの腹に着地。柔らかい腹を赤剣で深々と刺して横に捻りながら掻っ捌いた。

 

「「「GYOAAAAAAAAAAA!!!」」」

 

 三つ首から絶叫が垂れ流されるも、腹を繰り返し剣で刺されるたびに鳴き声は弱くなり、四度目の割腹で遂に息絶えた。

 地獄の番犬と恐れられたケルベロスだろうとより強い者に地獄へ叩き落されるのがこの世の摂理である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 軍略

 

 

 ヤトはケルベロスが完全に息絶えたのを確認した。そして気を抜かずに周囲を警戒する。

 今の所、敵兵は居ない。そして流れ矢なども振ってこないので一息吐いて、火事になっている建物の消火作業を始める。

 耳をすませば、まだまだ兵士達の戦う音がそこかしこで響いていた。砦全体に響く戦いの旋律に耳を傾け、久しぶりの激闘の熱を冷ます。

 そして一時間ほど建物を壊して延焼を防ぎつつ、戦闘がほぼ終息したのを見計らってヤトは正門まで引き返した。

 

 正門では捕虜となった百名程のヘスティ兵が武装解除されて縄で縛られていた。他に怪我をしたアポロン兵が仲間から手当てを受けている。

 

「あっアニキー!どこ行ってたのさ?」

 

「ええ、ちょっと広場の方で犬と戦ってたんですよ」

 

「犬?」

 

 手を振って駆け寄るカイルに、ケルベロスとの戦いを一言で伝えたが、言葉を端折り過ぎて上手く伝わっていない。

 カイルの方も犬とだけ聞いて、沢山の猟犬を相手に戦っていたのだろうと勝手に解釈して納得した。間違っても地獄の番犬と恐れられる幻獣ケルベロスとは思っていない。幾らヤトが非常識でも、幻獣を犬扱いは無いと想像力の外に置いている。

 他の傭兵や兵士も怪訝な顔をする。そして広場の犬と聞いて一番反応したのは捕虜の中に居た指揮官のバーグだった。

 彼こそが砦にケルベロスを持ち込み、解き放った張本人だった。しかし切り札として解き放ったにも拘らず、一向に戦果を上げず音沙汰無しで、何ら戦況に影響を与えなかった。結果、早々に兵士は降伏。自身も捕らえられてしまった。

 

「そこの黒髪の傭兵。貴様ケルベロスと戦ったのか?」

 

「ええ。初めて戦いましたが、なかなか強かったです」

 

「えっ、アニキの言ってる犬ってケルベロスの事だったの?もしかして一人で倒した?」

 

 ヤトは頷いた。カイルをはじめとした騎士や、アポロン、ヘスティ両軍の兵士が驚愕する。

 ケルベロスと言えば並の兵士百人が束になっても勝てない凶暴な幻獣だ。それをたった一人で殺すなど、幾ら一流の戦士でも無茶である。しかしヤトが嘘をついているようには見えず、アポロン側は彼の強さをこの数日間で嫌というほど知っているので、半信半疑ながら納得しかけた。

 そしてバーグは切り札と思っていたケルベロスがたった一人の傭兵に倒されてしまったのを知り、いかに自分が指揮官として浅はかな考えで兵を率いていたのか理解してしまい、後悔の念に囚われてしまう。

 指揮官の心が完全に折れてしまったヘスティ軍は反抗心を失い、従順な捕虜としてアポロンの本軍が来るまで大人しくしていた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 ―――――――三日後。

 ようやくアポロン軍が兵士三千を編成して砦に駆け付けた。既に早馬を飛ばして近状報告を受け取った、総司令官の騎士団長ランスロットが先遣隊指揮官のモードレッドと熱い抱擁を交わした。

 本来なら先遣隊は砦を落とす必要などない。あくまで本軍が駆け付けるまでの足止め程度で良かった。にもかかわらず半数以下の兵力で砦を落として攻城戦に使う時間と兵力を温存出来たのは、極めて有意義な戦果と言える。司令官のランスロットにしてみれば感謝しか無い。

 諸侯らの中にはせっかくの手柄を独り占めされたように感じる者もいるが、多くは本番の戦いはこれからと思っており、前哨戦で兵力を削らずに済んだ事の方が有難いと考える貴族が多い。よって先遣隊は大きな賞賛と軽い嫌味が混在した言葉を受けていた。

 そしてそれなりに被害を受けた先遣隊はランスロットから、この砦で傷を癒しつつ守備を命じられた。勿論傭兵や兵士には十分な恩賞を約束して。砦一つを落とした手柄は決して小さくない。

 しかしまだ戦い足りない者も少しばかり居る。ヤトもその一人だった。よって知己のランスロットに頼んで本軍に加えてもらうように頼んだ。

 一人でも強者は多い方がいいランスロットは申し出を快く引き受けた。なおカイルは砦で留守番を選んだ。

 本軍の出立は明日となる。

 

 

 翌日、捕虜になったバーグを尋問してヘスティ本軍の進軍ルートを知ったアポロン軍三千は砦を出て東へ進軍した。

 本来なら砦に籠って防衛戦に備える手もあるが、それよりランスロットは勢いのまま野戦を仕掛けてケリを着けるのを選んだ。

 幸い予定では、あと二日で四千のヘスティ兵が砦に到着するらしい。つまりこのままアポロンが進めば、明日には両軍があいまみえる事になる。それを知らないヘスティを強襲して大痛撃を喰らわせるための出撃だ。当然、斥候として割増の報酬が欲しい盗賊が先行して情報を集めている。

 普通は数で劣る以上、砦に籠って持久戦を選ぶだろうが、ここで攻勢を選ぶランスロットの肝は中々据わっている。あるいは指揮官としての栄誉と戦功が余程欲しいのだろうか。

 本人の腹の内は分からないままだったが、指揮系統の問題から総司令官に従う他無く、多少の不安はあっても離脱する者は皆無だった。

 

 そしてアポロン軍は数度の小休憩を挟みながら順調に行軍を続け、いつの間にか昼を大きく過ぎていた。

 しかし不意に軍の先頭が立ち止まる。兵士達は休憩かと思ったが外れだった。

 東から馬に乗った斥候が戻り、ランスロットに近づいて報告した。斥候からの情報を得た彼は自信に満ちた顔つきのまま白い愛馬を駆って、周辺で最も大きな岩の上に昇り、剣を抜いた。白銀の魔法剣は太陽の光を跳ね返し兵士の目が眩む。

 

「栄光ある兵士並びに騎士達よ。恥知らずのヘスティ軍の所在が判明した!奴らは今も呑気にアポロンの領地を我が物顔で歩いているが、誠に許し難い。まるでもう勝ったつもりではないか!諸君らは奴らを許していいのか!!」

 

「いいわけがない!!ここは俺達の土地だ!!ヘスティなんかお呼びじゃねえ!!」

 

「よく言った!それでこそ勇気あるアポロンの男だ!!」

 

 ワイアルド出身の兵士が呼びかけに応え、ランスロットもまた彼の魂の叫びを称賛した。これに同調した周囲の兵士の咆哮が次第に全軍へと伝播し、比例するように軍の士気は高まる。

 

「確かに我々は数で劣る!しかし、ヘスティ軍はあの恥知らずのゴールが率いている!あの男は権力欲のために自らの孫すら贄に捧げた!!そんな私利私欲の畜生に率いられる兵など物の数ではない!きっと兵士も恥ずかしさで戦うどころではないはずだ!我々の勝利は揺るがない!!」

 

「「「おおおおおおーーーーー」」」

 

「行くぞ諸君!!栄光はすぐそばに来ているぞっ!!」

 

 耳触りの良いランスロットの演説に浮かされた兵士達は我先にと街道を駆けて行った。流石王族。数で劣る不安を見事に解消しつつ、逆に士気を劇的に高めた。人を上手く乗せる術を心得ている。

 

 アポロン軍は行軍速度を上げ、予定より早く野営地に着き、明日の決戦に備えて早々に休息に入った。

 敵ヘスティ軍は丘を超えた先のゾット平原まで迫っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 混迷のゾット平原

 

 

 ――――――夜半。

 アポロン軍はまだ夜の明けない内から動き出していた。

 兵士は簡単な食事を摂り、装備を整える。丘一つ離れたヘスティに悟られないように、火の類は一切使わず、保存食と水で薄めたワインの朝食だ。

 兵士は今か今かと突撃の号令を待っているが、夜明けまではまだ少し時間があり、多くが戦に焦がれていた。

 指揮官の貴族の中には夜襲をかけてはどうかと意見もあったが、ランスロットがそれでは暗くて同士討ちの可能性もあると反対した。そして大多数が夜明け前の寝起きに仕掛ける方針に賛成した。

 ヤトも食事を済ませて、今はじっと戦いを待っている。周囲には傭兵として参加した亜人達が居た。ドワーフのゾルと人狼のゼクシだ。女エルフのヤーンはカイルと共に砦の守備に残った。

 時間を持て余していたゼクシが、気分を落ち着けるためにヤトに話しかける。

 

「なあ、アンタは戦い以外に好きな事とかあるのか?」

 

「無いですね。そもそも戦いと剣以外に興味がありません」

 

「じゃあ女はどうだ?」

 

「どうでもいいです。弱いですし、子作りにも関心が無いです」

 

 取り付くシマも無いヤトに、ゼクシとゾルは呆れた。彼等とて奴隷として囚われる前には普通の生活を営んでいた。勿論人並みに楽しい思いもして、特定の相手と関係を持つこともあった。しかし恩人のヤトにはそうした経験がまるで無いのを不憫に感じてしまう。

 いくら本人が良いと感じていても彼はまだ若い。だから少しばかりお節介を焼いてしまうのは人生の先輩としての習慣だった。

 

「あるいは僕より強いか互角なら興味が湧きます。尤もそんな女性が居ると思えませんが」

 

「顔とか身体の好みは無いのか?」

 

「人だろうと亜人だろうと皮一枚剥いだら全部同じ、肉の袋じゃないですか。強さ以外に何か違うんですか?」

 

 これはもう駄目だ、生まれながらに違う。ゼクシやゾル以外にも傍に居た傭兵達の心は一致した。

 むしろヤトにとって、なぜ世の男女はそんな些細などうでもいい違いで一喜一憂して、嫉妬や上下関係を感じるのか理解出来なかった。そんな下らない要素で争うのが如何に馬鹿馬鹿しいか、それが分からない者が世に溢れているのが嘆かわしかった。

 

 ヤトと傭兵達の下らないお喋りも、空が白くなり始めて太陽が僅かに顔を覗かせた頃には打ち止めだ。後は戦いが終わってからになる。

 先頭では司令官のランスロットを始めとした騎士が先陣を切る準備をしていた。

 ここから先は音を殺しつつ、出来るだけ素早く敵陣に近づく必要がある。よって兵にも吶喊の声は厳禁を言い渡した。

 準備の整ったアポロン軍。ランスロットは突撃の号令の代わりに自慢の白銀の魔法剣を振り下ろし、三千の兵は静かに前進した。

 剣の先には敵兵四千が居た。

 

 

 夜明けと共に奇襲を受けたヘスティの陣は大混乱に陥った。夜通しの見張りは少数、兵の多くは寝起きか未だ就寝中。とてもではないが戦う準備が出来ていない。主だった士官もようやく起きたばかり、軍司令官のゴール将軍すら顔を洗っていた最中だった。

 ゴールは混乱して右往左往する近習を落ち着かせると、とにかく寝ている兵を片っ端から起こして戦うように命令した。そして自分も急いで鎧を纏って、陣の中から冷静に指示を飛ばす士官を見つける。

 

「敵は何処だ!?数は!?」

 

「敵は既に陣内に多数入り込んでおり、数が把握出来ません!!部隊指揮もこの乱戦ではとても――――」

 

「くそっ!!奇襲とはアポロンの卑怯者め!―――――貴様は森に行って連中を叩き起こして来い!!」

 

「はぁ!?まさか、奴らを陣の中に引き入れるつもりですか!!」

 

「つべこべ言うな!!この状況ではアポロン共に良いようにやられるだけだ!私は指揮系統を立て直す。良いな、これは命令だ!!」

 

「ぐっ!了解しました!!」

 

 ゴールは明らかに納得していない様子のまま森へ向かう士官を無視して、混沌とした陣内を立て直すべく行動を開始した。

 

 

 陣内で片っ端からヘスティ兵の首を刎ねていたヤトはそれなりに満足していた。最初は寝ぼけた兵ばかりでつまらなかったが、時間が経つごとに態勢を立て直して本来の力を発揮し出した兵が多かった。特に騎士は奇襲に対して混乱も少なく手練れが多い。おかげで五人目の騎士を斬る頃には軽い裂傷を幾つも作ってしまった。

 

「む、ヤトか。その様子なら息災だな」

 

「アルトリウスさんも怪我は無いようですね」

 

 馬に乗った騎士甲冑のアルトリウスが声をかけた。手にはべったりと返り血が付いたサーベルを持っている。あの様子ではかなりの数を斬ったのだろう。彼は脂で切れ味の落ちたサーベルを捨てて、従士から代えのロングソードを受け取った。

 戦は未だアポロン側に優位だ。数の差は最初の奇襲と指揮系統の混乱でほぼ埋まっている。今はヘスティ側がある程度指揮系統を回復させたので組織的な反撃がちらほらあるが、それでも士気はこちらの方が高い。

 それに相手は起きたばかりで空腹。こちらは朝食を済ませていて力が出せる。この差も無視出来ない。

 アルトリウスはこの分なら、あと二時間もあればヘスティ兵を潰走させられると読んでいる。だからこうして戦場のさなかでも余裕を見せてヤトと話していられた。

 しかしヤトは唐突に南の方角を凝視する。自軍が優勢で楽観的だったアルトリウスは怪訝な様子で声をかけるが、ヤトはまるで耳に入っていない様子で神経を尖らせる。

 

「おいヤト、なんか南の方にヤバいモノが居るぞ!森の鳥が一斉に飛び立って、地響きが腹に来やがる」

 

 近くに居た人狼のゼクシが全身の毛を逆立てて警告を発する。陣の中の兵にも感覚に優れた者は違和感を感じて南の森に注意を向ける。

 それは次第に陣全体に波及し、戦を止めてしまう兵士すらポツポツと出てくる。

 時間が経つにつれ大きくなる地響きと木々の裂ける音。そして何かを思い出したかのように我先にと逃げ出していくヘスティ兵。

 何かがおかしい。良くない事が起こる。経験豊富な兵ほど勘が囁く。

 勘は正しかった。南の森から姿を現した災厄にアポロンの兵士は誰もが呆気にとられた。

 それは鎧と見間違うほどに発達した鋼の如き筋肉。

 それは巨大な神殿の柱の如き重厚な太さで大地を踏みしめる脚。

 それは樹齢数百年を超える大木を軽々と担ぐ万人力の腕。

 それは万里を見通すと伝えられるほどに巨大な一つ目。

 それは人に似た容姿であったが、比べ物にならぬほど巨大な体躯。

 

「おいおい、これは夢か幻か?儂は昨日酒は殆ど飲んでいないぞ!」

 

 ドワーフのゾルが酩酊を疑うが、残念ながら森から現れた災厄は現実だった。

 それほどに衝撃的であり、疑わしい光景だった。

 馬上のアルトリウスが驚愕し、自分の目を疑いながらも、アポロン軍の窮地を認めて吐き捨てた。

 

「北の蛮夷、巨人サイクロプス!!」

 

 森から姿を現した二体の巨人サイクロプスによって戦況は混迷を極めようとしていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 よくある戦場の不運

 

 

 巨人サイクロプス。

 ヴァイオラ大陸の北、ダルキア地方に住む単眼の巨人。神話の巨神族の末裔とも言われている亜人種である。

 性質は獰猛にして野蛮。固有の文化を持たず、築かず、狩猟採集を営み、穴倉や森を住処とする。知性はやや低い。道具を作る器用さは持っておらず、精々が獲物から皮をはぎ取って腰巻を作る程度。

 それだけならオークやゴブリンのような下等亜人と大差が無いが、彼等は他の亜人種と決定的に異なる点がある。

 巨石の如き威容の巨大さだ。人間の優に五倍以上の巨体はそれだけで見上げる者に雄大さと恐怖を植え付ける。

 

「クソがっ!何でこんなところに巨人がいるんだよ!」

 

 ゼクシが怯え交じりの悪態を吐く。彼の尾は恐怖で萎れていた。生き物が自分より大きなモノに本能的な恐怖を抱くのは自然な事だ。誰も彼を笑う事などなかった。

 それは彼だけではない。多くのアポロン兵が大なり小なり恐怖を感じていた。中には一歩も動けず失禁する者、あまりの恐怖に気を失う者も居る。

 逆にヘスティ兵はいつの間にか一人残らず逃げ出しており、遠巻きに巨人を応援していた。つまりあの二体の巨人達はヘスティの陣営に属するという事だ。

 ヤトは二体の巨人をつぶさに観察する。どちらも獣皮を何枚も重ね合わせただけの腰巻を一枚着けているだけ。肩に担いでいるのはそこらに生えていた樹木を適当に引っこ抜いただけの棍棒。持ち物はそれだけ。

 体躯はどちらも人の五倍以上。正確には二体は頭一つ程度差がある。

 それと明らかに異なる点。片割れは発達した鎧のような身体と共に豊かな乳房を持っている。それは女性の象徴であった。

 亜人でも女の生まれないオークやトロルとは根本的に異なる種族なのだろう。むしろ人食い鬼の『オウガ』に近いのかもしれない。

 

「ヤト、お前さん女に興味は無いが、アレはどうじゃ?」

 

 ドワーフのゾルが恐怖を振りほどこうとして冗談を言う。ヤトはそれに対して冗談とも本気ともつかない言葉で返す。

 

「とりあえず斬ってみないことには何とも。はは、嬉しいなあ。あんな大物初めてだ」

 

 玩具を前にした子供のような笑みと、見るもの全てに寒気を与えるような冷淡な瞳がない交ぜになった相貌。

 ゾルは自分を助けてくれたヤトを生涯の恩人と思っているが、どうしても恐怖が拭えなかった。同時に、彼を見ていると酷く安心も覚える。

 つまり味方としてはこの上なく頼もしく、敵対するにはあの巨人達よりも恐ろしいと本能が教えてくれた。

 そしてヤトは待ちきれないとばかりに赤剣を手に駆けていく。勿論目指すは巨人の男女。

 ヤトに反応したわけではないが、巨人達は無造作に手に持った大木を小さなアポロン兵達目掛けて振り下ろした。

 陣内には雷鳴のような爆音が鳴り響き、地面が抉れ、人だったものの残骸が無数に飛び散り、血と肉の雨を降らせる。たった一撃で数十の兵士が粉々になった。

 周囲はこべり付く肉片にパニックを起こして兵士が我先にと逃げ出すも、ヤトだけは彼等と反対方向に疾走する。速度をそのままに、振り下ろしたままの大木を持ち上げる前に飛び乗り、男の方の手首を斬り付けた。

 しかし巨人の手から血が零れるが傷は浅い。見た目通り頑強な肉体である。当の巨人は痛みを感じて反射的に大木を振り上げ、小生意気な小人を跳ねのけようとしたが既に逃げた後だった。

 ヤトは鈍重な女巨人の股の間を抜けて、左足首に剣を振り下ろす。だがやはり浅い。剣は強固な皮膚と筋肉に阻まれて、肉を少しばかり斬っただけ。腱にも骨にも届いていない。

 

「これは硬いですね」

 

 たった一言で片づけていい状況ではないが現実は覆しようがない。

 尤も今までの斬撃は全て純粋な膂力だけで、剣に気功を纏わせていない。あくまで小手調べの剣筋だ。

 それでも傷には違いなく、血を流す巨人を見たアポロン兵は士気が高まる。どれほど巨大でも奴等も血を流す生きた種族であり、不死身でも無敵の神ではないのだ。

 兵士達はヤトに続けとばかりに男巨人へと殺到した。

 ある者は剣で、ある者は槍、また斧を振り下ろして懸命に巨人を討とうとする。あるいは何十もの弓兵が女巨人に一斉に矢を放つ。

 女巨人は鬱陶しいと感じて葉の着いたままの大木で矢を薙ぎ払う。が、全てを打ち落とす事は叶わず、何本かは身体に傷を作り、中でも幸運な一本が巨大な目を掠めた。これには巨人とて堪らず後ろへ下がる。

 これを好機と見た兵士はほぼ全て女巨人へと殺到し、男巨人はヤト以下少数の傭兵が相手取る事になった。

 ゼクシは足の甲に槍を突き立て、ゾルは戦斧で指を叩き切る。他の傭兵も足を破壊しようと懸命に武器を振るう。

 流石に男巨人も痛みで立っていられずに膝を着くが、なすがままにされるはずもなく、不愉快な虫を手で薙ぎ払おうとするが、それはヤトが防いだ。

 

「『風舌』≪おおかぜ≫」

 

 振りかぶる巨大な手を、気功を練って切れ味を増した赤剣で深々と斬り付けて右手首を切り落とし、薙ぎ払う直前の左腕を肘から切断した。

 両腕を失った巨人の絶叫がゾット平原に響き渡る。切断面からは滝のような血が零れた。

 すかさずヤトは追撃に入り、一足跳びに男巨人の肩まで登ると、剣を逆手に持ち替え、両手でしっかりと握り直す。さらに先程以上に丹田で気を練り、神経を研ぎ澄ませた。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫」

 

 呟くと同時に巨人の首へと赤剣を突き立てた。

 同時に巨人の体内で竜巻のような暴風が巻き起こり、岩のごとく強固な巨人の肉は爆ぜて四散。首が千切れ、鳩尾までが醜く抉れた。

 宙を舞う巨人の首が地に堕ち、ゴトリと大きな音を立てて転がった。

 

「傭兵ヤトがサイクロプスを討ち取ったぞぉぉ!!後に続けーーー!!!」

 

 離れた場所で弓兵を指揮していたアルトリウスの歓声。それに呼応した兵士が残った女巨人に殺到する。

 だが、それがいけなかった。

 目の前で息絶える相方を見た女巨人。彼女は火山噴火の如き憤怒の咆哮を上げて、足元に群がる虫のごとき兵士達に出鱈目に大木を薙ぎ払った後に仇のヤトへ投げた。

 木を避けようとしたヤトだったが、先程大技を使ったために若干の硬直を余儀なくされて初動が遅れた。

 

「これは参りました」

 

 数秒後の未来を幻視したヤトは困った顔をしながら大木の直撃を受けて跳ね飛ばされた。

 誰もが彼の死を悟った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 二度目の失敗は無い

 

 

 ヤトは大木の直撃によって跳ね飛ばされた。

 巨人の片割れを討ち取った英雄の末路を見た兵士達は急展開故に動けなかった。それは多くの兵士の命取りとなり、憎悪に燃える女の情念の贄となる。彼等は無惨にも虫のごとく踏み潰され、叩き潰された。

 アルトリウスは指揮を忘れ、跳ね飛ばされて大木に圧し潰されたヤトへと向かう。

 彼は従士と共に今もヤトを圧し潰している大木を押しのけようと必死だ。さらに何人もの傭兵達が加わって、ようやく木をどかした。

 

「しっかりしろヤト!!まだ死ぬなっ!」

 

 必死で声をかけるが、当のヤトは血だらけで全身の骨が砕けている。まだ辛うじて息をしているが、とてもではないが治癒魔法でも無ければ、後数分で息絶えるような瀕死の重傷だった。しかしそれでも剣を手放さない。恐ろしいまでの剣に対する執念と言うべきか。

 傭兵達も何とかして出血を抑えようと手持ちの布で傷口を縛ったり止血するが、無情にも血は流れ続ける。特に恩を感じているゾルとゼクシは悲しみに打ちひしがれた。

 もはや一人の剣鬼の命が永遠に失われようとしていた時、変化が起きる。

 痙攣が治まり、破裂した肉の出血が止まる。骨の飛び出た四肢は再び肉の内部に納まり、元の引き締まった筋肉へと戻る。

 血だらけの胴体も古傷は無数にあるが、出血した傷は恐らく無いと思われる。年相応の活力に満ちた肉体だ。

 手当をしていた傭兵はこの異常事態について行けずに呆然と佇むが、そんな事はお構いなしの元瀕死の青年はゆっくりと立ち上がり、目を見開いた。

 

「あー危なく死ぬところでした。お騒がせしました」

 

「き、貴様……なぜだ」

 

 どう見ても死体の一歩手前だった男が一分にも満たない時間で全快したら誰でも驚愕する。

 蘇生した本人は周囲の心情などお構いなしに自らの身体の具合を測り、異常が無いのを確認した。

 そしてアルトリウス達の質問を無視して、未だ怒り狂って暴れまわっている女巨人を見据え、さらに離れた場所で呑気に歓声を上げているヘスティ兵を視界に捉えた。

 

「僕の事は後で構いません。先にあの巨人を何とかしましょう」

 

 ヤトの言葉にアルトリウスは我に返る。確かに戦はまだ終わっていない。今この瞬間にもアポロン軍は劣勢に追い込まれている。ここで何もしないのは騎士としての責務を放棄するに等しい。何よりも既に勝った気になって笑っているヘスティの奴らに目にもの見せてやりたかった。

 

「あ、ああそうだったな。貴様は戦えるのか?」

 

「ええ、万全です。だから巨人は僕がやります」

 

「いいだろう、二度もヘマはするなよ。我々は兵を引き連れて、向こうで高みの見物を洒落込んでいる連中を叩く」

 

 短いやり取りの後、アルトリウスはランスロットと共に残存兵を纏め上げ、ヤトは再び巨人と相まみえるために屠殺場となった戦場へと舞い戻る。

 

 涙に濡れた単眼の女巨人は手当たり次第に殺し続け、アポロン兵の被害は優に百を超える。既に彼女の周りには死体だけとなり、ほんの僅かだが冷静になった。それでも心は未だ激情に突き動かされ、血を欲していた。

 そして巨大な眼が半裸のまま疾走するヤトの姿を捉えた。あれはまさしく己が伴侶の首を落とした憎き小人。死にぞこないが再び我が眼前に立ち塞がるとは許し難い。同時に、自らの手で潰して肉を噛み砕いてから吐き出してやれる。そうして留飲を下げて、少しでも番を失った悲しみを癒したかった。

 

 ヤトは悲しみを背負った女巨人と対峙した。どちらもまだ互いに触れ合う距離ではない。

 彼女はもはや泣くのを止め、怒りと哀しみの混ざった瞳で宿敵となった男を見据えている。

 先に動いたのは巨人。彼女は巨大な足で散乱する肉や武具の残骸を蹴り飛ばす。それらは飛沫となってヤトに襲い掛かる。

 巨人の脚力で加速した物体はたとえ柔らかい肉だろうが、当たれば容易く人体を破壊する。

 しかし彼は避けるどころか、臆さず飛沫の中へと飛び込んだ。そして指以上の大きさの物体を全て剣で叩き落し、それ以下は無視して耐えた。ここで下手に避けるより、肉の残骸に混じって血煙と共に近づいた方が相手の視界から逃れられる。勘だ。

 ヤトは己の勘に命を預け、土と草と血肉その他の中を突っ切った。が、その先に巨人は居ない。

 予想外の展開に一瞬思考が止まったが、太陽が遮られたのに気付き、すぐさまそこから飛び退いた。巨人はその巨体を宙に飛ばして、大の字を作って地面に己の身を叩きつけた。

 激しい地響きによって姿勢が安定しないヤトだったが、いっそ跳んでしまえば揺れは関係ない。一足で跳び、巨人の左腕に乗る。

 そして最小限の気功術で剣を強化、腕の腱を斬って身体の上を移動。もう片方の腕も同様に斬った。

 痛みで暴れる巨人に振り落とされたが、すぐさま足の部分に回り込んで、立ち上がる前にやはり腱を斬った。

 こうなると如何に巨人とてどうにもならず、残った足をばたつかせて苦しい反撃に出るが既に時遅し。

 再び身体へと飛び乗り疾走。そのまま哀れな女巨人の延髄へ赤剣を抉るように刺し込んだ。

 それでも巨人は激情を糧に動くも、もはや意味の無い動きでしかなく、次第に身体の動きは痙攣に代わり、遂には息絶えた。

 ヤトは先程と同じ愚は犯さず、すぐさまその場から移動。丘の上のアポロン本陣まで後退した。

 彼の戦はここまでだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 魔剣『貪』

 

 

 その日の夜、ゾット平原ではアポロン軍による大宴会が催された。

 ヘスティ軍との戦いは多くの犠牲もあったが、終わってみればアポロンの大勝である。

 ヤトが女巨人と戦っている間、ランスロット率いる軍は呑気に観戦していたヘスティ軍を散々に痛めつけて撤退に追い込んだ。

 さらにそこから足の速い騎馬隊だけを率いて追撃を行い、敵総司令官のゴール将軍の首を挙げた。将軍の首を獲ったのはアルトリウスだった。

 他にも多くの士官の捕虜をとり、現在彼等は縄で繋がれていた。余談だが、その中にはサラ王女の襲撃に関わっていたメンターも入っていた。

 そして後日、ヤトが自分を騙したメンターに気付き、アルトリウスが掴みかかる一幕もあったが、戦に比べれば大した事はない。

 

 平原ではあちこちで宴会が開かれている。

 ヤトはその中でも司令官ランスロットが主催する士官や騎士ばかりの宴会に招かれた。一傭兵でしかないヤトには場違いのようにも思われるが、砦ではケルベロスを、平原では二体のサイクロプスを倒す大金星を得た英雄でもあった。故に彼が貴族と混じっていても不満に思う輩は誰一人として居なかった。それほどに常識外れの戦果だった。

 栄誉には違いないが、ヤトは些か面倒な付き合いとしか思っていない。元々酒自体そこまで美味いと感じる味覚はしていなかったし、バカ騒ぎも好みではない。

 とはいえ最低限同じ戦場で命を懸けて戦った戦士としての連帯感や仲間意識ぐらいはそれなりに持っているので、場を壊さない程度の気遣いは出来た。

 だから飲み比べのような競争はせず、騒ぐ騎士達を肴に水で薄めたワインをマイペースに飲んでいた。

 ただしこうした宴会でマイペースを貫けるはずもなく、何人もの騎士達がヤトを取り囲んでワインを頭から被せたり、持ち上げて肩車をするような陽気な者も居た。誰も彼もが悪気があってやっているわけではないので怒るに怒れなかった。

 そしていつの間にかヤトはランスロットやアルトリウスの傍で飲むことになり、王子から酒を注がれていた。戦場だから許される無礼講だった。

 

「で、そろそろ話してもらおうか」

 

 アルトリウスが酒臭い息を吐いてヤトに迫る。何がとは言わずとも分かる。サイクロプスとの戦いで死の淵から生還した事だ。

 宴会場に居た者は誰もがその疑問を抱き、答えを聞きたがった。ヤトはそれを拒否することなく、鞘から赤剣を抜く。

 

「この剣に備わった魔法のおかげです」

 

「ほう、意外だな。魔法の鎧には治癒力のある物もあるが、剣に癒しの力があるとは」

 

 意外な答えにランスロットが関心を持つ。

 魔法の武具には単純に切れ味の優れた物や耐久性に優れただけでなく様々な効果を宿す品が多い。

 例えば剣や槍の中には火や雷を生み出す品、毒や腐敗をもたらす特殊な性質を持つものがある。

 鎧や盾にも装着者の傷を癒し、毒気から身を守る加護が備わっている品もそれなりにある。あるいは炎や寒さに耐性を持ち、弱き者を守る優れた物も多い。

 ただ、剣に治癒の力を宿す品は極めて珍しい。あるいはどこかの王が持つ宝剣の鞘に癒しの加護が備わっていると噂で聞いた事があるが、剣には皆無と言えた。

 剣とは相手を斬る事、倒す事にある。その性質は癒しは明らかに対極に位置する。わざわざ相反する加護を付与する必要は無い。

 誰もが不思議に思うも、使い手であるヤトは厳密には癒しとは違うと彼等の思い込みを訂正した。

 

「この剣の銘は『貪』。貪るのは斬った相手の命と魂なんです」

 

「た、魂だと!?」

 

「そして喰らった魂を剣に蓄積して力に転化するのがこの剣の性質です。死にかけの僕が蘇生したのも今まで斬った相手の魂を消費して治癒力を極限にまで高めた結果です」

 

 ヤトの言葉に宴会場は静まり返った。いくら何でも剣呑が過ぎる。まるで神話に登場する悪魔が鍛えたような魔剣に、誰もが血の気が引いてしまう。

 特に以前ヤトに斬られたアルトリウスや、剣を握らせてもらったランスロットは顔面蒼白になり、一気に酔いが醒めてしまった。

 

「あっ、別に触れたからと言って魂を吸われるわけではないので安心してください。それに斬っただけでは魂は喰われません。ちゃんと殺さないとダメなのは実証済です」

 

「そ、そうなのか?な、なら安心だ」

 

 アルトリウスは明らかに安堵した。その様子を見ても誰も彼を臆病と笑いはしない。騎士であれ兵士であれ戦場で死ぬ事は覚悟していても、死んでも魂を囚われ続けた上にヤトの滋養扱いは御免だった。

 

「参考までに聞くが、あの瀕死の重傷から回復するにはどれぐらいの魂を必要とするんだ?」

 

「あれぐらいの傷なら、ざっと百名分ぐらいは消費しますね。魂は人じゃなくてもオークやトロルのような亜人でも同じですから補充も容易です」

 

 相当に変換率が悪いがそれでも死の淵に佇む者を全快する治癒力は魅力的だ。騎士の中にはヤトを羨む者も居るが、だからと言って力づくで奪おうとする者は居ない。実際にそんな邪剣の類を持っていると非常に評判を悪くなるので、あくまで心の中で羨ましいと思う程度だ。騎士は人気と面子と人の目を気にする見栄えの良い職務だった。

 すっかり酔いの醒めたが宴会はまだお開きといかず、さらに酔うために面々は飲むペースを上げて行く。その中にはヤトも含まれており、彼を排除するような事は一切無かった。

 思う所は多々あれど、誰もがヤトを戦友として認めた確かな証拠と言えた。ヤトはそれを拒絶せず、苦笑しながらも受け入れていた。

 そして宴会は深夜まで及び、翌朝大量に二日酔いで苦しむ兵士がそこかしこで見られた。

 だがそれはアポロンが勝利者である純然たる証であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 いにしえの竜

 

 

 ゾット平原の戦いから十日後。勝利者となったアポロン軍は湖の砦に五百の守備兵を残して王都アポロニアに帰還した。

 既にヘスティの王都には一部の捕虜と停戦の使者を送っている。彼等の口から戦の詳細が語られるので、遠からず戦は終わるだろう。

 何と言ってもアポロンはこの戦を始めた敵総司令官のゴール将軍を討ち取った。彼は軍の力を背景に先王を無理矢理玉座から引き摺り下ろして自らの孫を王にした。そのような専横に大義は無く、これで現在冷飯を喰わされている先王派も息を吹き返し、ゴール将軍の尻馬に乗って利を得た者も今回の負け戦の責を問われて失脚するだろう。そうなればアポロンと早々に和睦する可能性が高い。

 ヘスティは負け戦になり、賠償金や領土割譲するだろうが、それは失脚する貴族の財産を没収して補填すれば何とでもなる問題だ。あるいは先のサラ王女襲撃犯に責任を取らせてもいいだろう。ともかく和平への道はそれなりに見えていた。

 

 

 他国の和平交渉に関わりの無い一傭兵のヤトだったが、今彼は謁見の間の末席に身を置いていた。

 王城では戦の論功行賞が行われていた。騎士団長にして総司令官のランスロット王子以下、騎士モードレッド、アルトリウス。それ以外にも兵を率いて馳せ参じた地方貴族などが並ぶ様は壮観の一言に尽きる。

 ヤトはその中に唯一傭兵として参列を許された。その事に異論を唱える者はこの場には誰一人として居ない。無論、腹の中では身元不明の傭兵風情が栄誉を得るのを快く思わない者も居るが、参列を許したランスロット王子にケチを付ける度胸は持ち合わせていない。

 そしてアポロン王レオニスの言葉で論功行賞が始まった。

 第一の戦功は総司令官のランスロット王子。これは軍の総司令という実務的な立場の功績もあるが、王子の面子を考慮しての戦功だろう。本人も周囲もそれを分かっている。よって次が本来の第一戦功と言ってよい。

 第二戦功は先遣隊から従事し、ゾット平原の戦いでも敵総司令官のゴール将軍の首を獲った騎士アルトリウスが選ばれた。彼には領地の加増と王家から魔法の武具が下賜された。そして密かにであったが、それとなくサラ王女との仲を認める旨をレオニス王直々に囁かれ、彼は深々と王に頭を下げた。

 第三戦功は先遣隊の指揮官、騎士団指南役モードレッド。彼は三分の一の兵でワイアルド湖の砦を陥落させた手腕を高く評価された。彼は領地を持たない騎士だったので、これを機に小さいながらも領地を与えられて晴れて領主となった。

 そして第四戦功にはヤトの名が挙がる。一軍の中でただの傭兵が明確な戦功を挙げるのは極めて異例だが、実際に挙げた戦果がケルベロス一頭、サイクロプス二体という一個人としてあり得ないレベルだった事もあり、表面上は誰もが認めていた。

 ヤトは王の前で膝を着いて頭を下げた。

 レオニス王自ら戦果を口述する。そして褒賞の事に触れると、彼は直接ヤトに語り掛ける。

 

「さて、お主に褒美をやらねばならんが、率直に聞くが何が良い?」

 

「実を言うと全く思い浮かびません」

 

「まあそうであろうな。お主は領地も栄達も、まして金もさして価値を見出さぬ男だ。しかし功績に見合った褒美をやらねば、儂が王としての器量無しと思われてしまう。全くもって面倒な男よ」

 

 レオニスはカラカラと笑いながらヤトに恨み言をぶつけるが、本気で怒っているわけではない。むしろヤトの働きによって今回の戦は随分と被害が減ったとさえ思っていた。だからこそ適当に金を渡して終わりのような真似をせず、真剣に考えた上で本人の希望を可能な限り叶えようと考えていた。

 

「―――――この国には禁断の地と呼ばれる場所がある」

 

「!!父上、それは―――――」

 

 レオニスの横に立っていた壮年の男が咎めるような声を上げる。彼はトリスタン王子。レオニス王の第一子にして次期国王である王太子だ。弟のランスロットと違い、武芸はからきしだったが内政手腕に優れており温和で人望もある。他の兄弟とも悪い関係ではない。

 息子の声を手で制止したレオニスは話を続けた。

 

「そこは古の竜が住む地であり、我々アポロンの王家が代々直轄地として管理しているが、誰も踏み入らない土地だ」

 

「古竜ですか?それは確かなんでしょうか?」

 

「うむ。年に何度か近くまで人を送って監視しているが、今も確かに住んでいる。どうだ、戦いたいか?」

 

「ぜひお願いします!古竜と戦う機会なんて、早々あるものではありません」

 

「ははは。ならば此度の戦の報酬に、禁断の地へと踏み入れる許可をやろう」

 

 普通なら褒賞にそのような物を渡されても困るだろうが、ことヤトに関しては例外だろう。

 ヤトにとって古竜と戦うのは一つの夢である。それが叶うとなれば高揚しないはずがない。まるでずっと欲しかった玩具を買ってもらったような子供のようにレオニスに礼を言う。

 反対に謁見の間に居た多くの貴族や騎士は、喜ぶヤトを見て血の気が引いた。ケルベロスも、サイクロプスも、ましてワイバーンも古の時代から生きる竜には到底及ばない。それは騎士なら誰もが知っている。

 確かに竜と戦うのは騎士にとって夢だが、幻獣の中でも最高峰に居座る古竜と戦って生きて帰って来た者は殆ど居ない。稀に戦って逃げ帰った者の話は聞くが、みな一太刀入れる事すら出来ずに逃げ帰っただけ。実際に倒した者などお伽噺の中だけと言われている。

 普通なら報酬どころか死んで来いと言っているに等しいが、生まれついての剣鬼には何よりの褒美であり、レオニスから領地への立ち入り許可証を貰ったヤトは上機嫌のまま論功行賞を終えた。

 

 そしてこの話はすぐさま城中に伝わり、さらには都全体にまで広がり、命知らずの傭兵がどんな末路を辿るのか。誰もが関心を寄せて、暫くの間は何処に行っても必ずヤトの話題を耳にする事になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 旅立ち

 

 戦の論功行賞から五日が過ぎた。

 その間ヤトは旅の支度に追われていた。行先は勿論古竜の住まうと言われている『禁断の地』である。

 目的地は王都から西に歩いて十日ほどかかる。その道中には農村が幾つもあるが、やはり物資を揃えるには都の方が都合が良いので、あちこち巡って買い揃えた。

 費用は全て傭兵の給料だ。いくら戦いにしか興味の無いヤトでも物資調達用の路銀ぐらいは確保している。

 幸いアポロンは傭兵に対して金払いを渋る事は無かったので問題無かった。もしアポロンの財務担当が金を渋ったとしてもヤトはさして怒りはしないが、彼等からすれば巨人を殺すような傭兵の恨みを買ったら、次の日の夜明けを見れないと勝手に思って相場よりかなり上乗せした金額を払った。おかげで予算にはかなり余裕があった。

 

 そして旅立ちの日。夜明け前に準備を整えたヤトは長く過ごした城の客間を引き払った。同室のカイルは昨日から姿が見えなかった。せめて別れの挨拶ぐらいはしておきたかったが、居ないのでは仕方がない。

 アルトリウス達騎士や王女姉妹とは先日別れを済ませており見送りは無い。

 城の厩で街で買った馬を受け取り、裏門から出た所で声をかけられた。ランスロットだった。

 

「英雄の旅立ちにしては寂しいな」

 

「僕は英雄ではありませんよランスロットさん」

 

「では私にとっての恩人と言っておこう。お前が居なければヘスティとの戦はもっと被害が多かっただろう」

 

「それが恩になるんですか?」

 

 ヤトはあくまで傭兵としてアポロン側で戦ったにすぎない。そして本心では単に強い相手と戦いたかっただけで、ランスロットのために戦ったわけではない。だから恩人でもなければ、彼が恩を感じる理由も必要性も全く無い。

 しかしそれでもランスロットは感謝を述べた。

 

「勿論だ。一人の騎士として、司令官として大きな功績を得た。これは血筋も地位も関係無い。私自身の功績と名誉だ」

 

「それが貴方が一番欲しかった物だと?」

 

「お前が強さの証明を欲するように、私にも必要なのさ」

 

 ランスロットはヤトにこれからの事を話し始めた。

 彼の話を大雑把に纏めると、来年には国内の大領主の家に婿入りする予定であり、騎士団長が一度も実戦経験が無いのは笑い物の種でしかない。新たな家で肩身が狭くなるのはゴメンであり、どうしても戦で功績を立てたかった。これが彼の言い分だ。

 

「男として妻となる女や、いずれ生まれてくる息子に自慢話の一つもしたい。分かるだろう?」

 

「うーん、分かるような分からないような。ですが、願いが叶って良かったと思いますよ」

 

「ふふ、まあ私が感謝しているとだけ理解していればいい」

 

 ヤトには己の武勇を他者に聞かせるような趣味は持ち合わせていないが、人に迷惑をかけない程度に偉ぶれば良いと思っている。それで当人は幸せなのだ。自分がケチをつける理由は無い。

 ただ、一つだけランスロットに尋ねたい事があった。

 

「サラさんの慰問の情報はどこから流れたんでしょうか?」

 

「さてね、ダイアラスは白だったが、他にも戦争になって利益を得たい者は多いからな」

 

「貴方も利はあったようですが、流石に妹を危険に晒してでも戦争は望みませんよね?」

 

「…勿論だ」

 

 ヤトの言葉をランスロットは若干の不快感を臭わせて否定した。会話はそれっきり打ち切られ、英雄と称賛された傭兵は城を去った。

 残された王子は一人、悪寒を忘れようと首を擦った。

 

 

 夜が明けると都の門は一斉に開かれる。

 ヤトはその内の一つ、西の門の手前で、見知った顔を見かけた。向こうもヤトに気付いて手を振って近づいた。

 

「遅いよアニキ。意外とゆっくりだったね」

 

「どうしたんですかカイル?」

 

「アニキを待ってたの。僕も旅に出るからさ」

 

 疑問符を浮かべるヤトに、旅装束に身を包んで馬を曳いたカイルは何を当たり前の事を聞くのだと言った。

 

「母さんに言われた仕事は終わったからね。後はあちこちブラブラしながら修行しようと思って。でも一人は味気無いからアニキに付いて行くの」

 

「ついて来るのは構いませんが、死んでも文句言わないでくださいね」

 

「それドラゴンと戦うつもりのアニキが言うセリフ?」

 

「僕は相手が誰であれ勝って、これからも戦うつもりですよ」

 

 カイルは自分が負けるとは微塵も思っていない狂った剣鬼に呆れた。だが、だからこそこの青年がどこまでやれるのかを見届けたいと思った。幸いエルフの自分は極めて長い寿命を持っている。少しぐらい寄り道した所でどうという事はない。ついでに旅をして探し物を見つければ構わない。

 違いに納得して再び旅の仲間になった二人は西門をくぐり、王都に背を向けた。

 例えヤトが竜と戦い生き残ったとしても、もう一度この都に来る事は暫く無い。それなりに親交を築いた者は居るが、会えないのを寂しいと感じる事は無い。どこまでも彼は戦う事を望む剣鬼でしかないのだ。

 反対にカイルは時々振り向いては、段々と小さくなっていく都を名残惜しそうに見ていた。

 

「――――寂しいですか?」

 

「うん、でもまた来れるから。たまに手紙も書くからって約束したし」

 

「モニカさんと?」

 

 付け耳の王女の名を聞くと、カイルは少し顔を赤くする。その反応が言葉よりも雄弁に彼の心を語っていた。

 ヤトは少年の青春を茶化すような悪癖は持ち合わせていないが、それでも親しい異性を放って旅をする理由が気になった。以前カイルは母親のロザリーから盗賊の修行をして来いと育った街を出されたが、修行をするなら王都でも十分ではないのか。そう疑問を口にする。

 

「修行もあるけど、僕の生まれた場所を探してるんだ」

 

 カイルの言葉に納得した。彼は幼い頃に商品として奴隷商に拉致され、盗賊ギルドに救出されて育てられた。己のルーツを探すために旅をするのは納得出来る理由だ。

 しかしカイルのようなエンシェントエルフは人前に滅多に出る事は無い。以前戦ったサイクロプスよりも所在を知るのは至難だろう。

 

「いっそ古竜に聞いてみます?彼等も長生きだそうです。情報を持ってるかもしれませんよ」

 

「僕の親戚一同、竜に食べられてないといいけど」

 

 あまり冗談に聞こえない冗談に二人は小さく笑い合った。

 旅の仲間は馬上で他愛も無い話をしながら西へ行く。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 空と獣の王

 

 

 ヤトとカイルが王都アポロニアを出立して十日。旅は順調そのものだ。

 二人は誰かに追われているわけでもなく、野盗や狼と遭遇して妨害されもしない。七日目までは点在する農村で新鮮な食料を調達して快適な食事生活を送った。そして頑丈な若者は幸運にも途中で病気に掛かる事も無かった。

 そこから先は道なき道を三日かけて踏破して、未開の地と言って差し支えの無い自然なままの地に辿り着いた。

 この地こそが『禁断の地』と呼ばれる古竜の住まう辺境だった。

 

「何もない所だね」

 

「竜が住む土地ですから。でも人が居ない分、動物が暮らすには快適かもしれませんね」

 

 ヤトの言う通り、この地は生命に溢れた豊かな土地だ。

 深く険しい山々に三方を囲まれ、山から流れる豊かな川が森を育み、草木は大小様々な草食動物や虫の食料と寝床を提供する。それらの動物を餌とする肉食の獣も集まり、調和の取れた生態系を維持している。

 仮にここに人や亜人が街を作れば温暖な気候と豊富な水によって、優れた穀倉地帯へと変貌するだろう。

 しかしそうならない理由があった。この地に住まうドラゴンである。

 最後に立ち寄った村で二人は村人から散々に忠告と制止を受けた。それもレオニス王の許可証を見せても、村人は主張を翻さなかった。互いに武力で制止しないだけマシと言えた。

 

「『聖なる竜を怒らせてはいけない』だっけ。やっぱり古竜でも斬ろうとしたら怒るよね」

 

「どうでしょう?人と竜の精神性の違いは僕には分かりませんし。でも、首を斬ればもう怒る事も無いと思います」

 

 殺してしまえばそれまで。ヤトの言葉は真理であるが、問題はただの人が幻獣の最高峰である古竜を殺せるかどうかだ。

 そしてもう一つの問題が二人の前に横たわっている。

 この広い秘境の中からドラゴンを探さねばならないという事。伝説によれば竜は百人は乗れる帆船よりもなお大きいという。誇張でなければ、この前倒したサイクロプスより大きいかもしれない。

 それでも深く広大な山々と森を探し回る必要があると思うと簡単にはいかない。

 それこそ何か月も竜を探して動き回る事も覚悟して必要な物資は用意しているが前途多難と言えた。

 

「竜が家でも建ててくれたら探す手間も少ないのにね」

 

「向こうは飛べるみたいですから、気長に飛び立つのと降りるのを見守りましょう」

 

 幸い近くの村人の話では、この地のドラゴンは数日に一回は空を飛び、獲物となる大型の獣を獲って巣に持ち帰るらしい。それを追えば何とか寝床は見つかるだろう。

 それまでは体力の消費を極力抑えつつ、監視する日々となるだろう。

 二人は早速快適な監視生活をするために寝床の設営を始めた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 竜に対する監視生活もあっという間に三日が経った。まだ竜は姿を見せない。

 初日は寝床の設営と共に水源の確保を第一に過ごし、さらに周囲の地形を把握するために二人で探索をしていた。途中、ちょうど丸々と太ったイノシシを見かけ、すぐさま狩って食料の足しにした。保存に使う塩がもったいなかったので、肉は血抜きをしてすぐに燻製にした。これで多少は保つ。

 二人とも専門ではないが、森で過ごすためのレンジャー技能を備えているのが幸いだった。おかげで苦労が少なくて済んだ。

 二日目から本格的に監視を始めた。と言っても監視はヤトがするだけで、カイルは基本的に食事を作ったり弓の鍛錬をしている。あるいは野草や果実を集めて酒を造っていた。余程暇らしい。

 二日、三日、四日と収穫は無かった。数日の間隔はマチマチなのでまだ慌てる時間ではないが、カイルは本当にこの地にドラゴンが住んでいるのか疑いを持ち始めていた。

 

 そして五日後の朝。それは唐突に現れた。

 二人が朝食を食べている最中。カイルがナイフのように尖った耳を小刻みに動かして上を眺めた。

 

「上――――――何かいる。アニキ!」

 

 燻製肉を放り捨てて、ヤトとカイルは手近な木に登る。その時にはヤトにも初めて聞く風切り音が耳に届いた。

 そして山の方から大きく羽ばたく影を見た。

 影は悠然と空を舞い、森の上を旋回しながら何かを探している。

 それはヤトとカイルの真上を通り過ぎた。驚くべきはかなり上空を飛んでいても、はっきりと分かるその巨大さだ。

 片方でも平民の一軒家ぐらいありそうな巨大な翼。中型の帆船と同等の太く逞しい胴体。どんな大蛇よりも長くしなやかな尻尾。ドワーフの名匠が鍛え上げた剣のように鋭い爪を備えた四肢。その身体全てに余す所無く覆われた銀で出来たかのように鈍く光り輝く鱗。

 ヤトは以前戦い首を落とした事もあるワイバーンとは比較にならない威厳と気高さを感じた。あれこそ全ての獣の頂点に君臨する侵し難き王。最強の幻獣ドラゴンであると。

 ドラゴンは数度上空を旋回した後、急速に森の中の川辺に降下した。

 数秒後、凄まじい轟音と振動が二人を襲った。川と二人の居た木の上まではかなりの距離があるのにもかかわらず、着地した振動がそこまで届いたのだ。とてつもない重量である。もしかしたらサイクロプスよりも重いのかもしれない。

 そして再び飛び上がったドラゴンの左手にはヒグマがしっかりと掴まれていた。自然界において幻獣や巨人を除けば最強に近いヒグマすらドラゴンには餌でしかないのか。

 恍惚とした瞳で眺めていたヤトだったが、不意にドラゴンが二人の方を向いたため、全身に緊張が走った。

 しかし空と獣の王者は二人に興味が無いとばかりに一瞥した後、北の山の中腹へと降りて姿を消した。

 二人は暫く金縛りにあったように動かなかったが、カイルの腹が鳴ったのを合図に緊張は解けた。

 

「凄かったね竜」

 

「ええ、本当に素晴らしい。あれこそ僕が追い求めた相手です」

 

 単に憧れを抱いたカイルと違い、ヤトの瞳には明確な殺意と闘志が宿っていた。

 

 その日の昼、ヤトはドラゴンの消えた北の山を目指した。死ぬつもりはなかったが、カイルにはもし十日経っても帰ってこれなかったら一人で帰れと言い含めてあった。

 カイルは兄貴分を黙って見送った。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 愛しい者

 

 

 ヤトが白銀のドラゴンを目にしてから一日かかって森を走破して北の山の麓に辿り着き、さらに一日使ってドラゴンが姿を消した山の中腹まで登った。

 彼はその二日間、筆舌に尽くし難いもどかしさを抱えていた。これほどの焦燥感は生まれて初めての事であり、焦る気持ちがひたすらに足を突き動かしていた。

 まるでそれは愛しい相手を恋焦がれるかのような乙女の心に酷似している。

 ヤトは大空を悠然と舞う白銀の竜に恋をしていた。生まれて初めての恋だった。

 

 三日目の朝。

 起床して焦る気持ちを抑えながら、作業的に朝食を胃に納めた。

 そして記憶と勘を頼りに愛しい相手を追いかけて、木々の生い茂る険しい山の斜面を登ると、段々と傾斜が緩くなる部分が多くなってきた。

 さらに先を目指すと、ほぼ平らに近い場所に着いた。

 鳴り止まない心臓の鼓動と共に勘が告げていた。この先に目当ての相手が居るのだと。

 勘は正しかった。森の木々を無視したような全力疾走の末に森を抜けた。

 そこは遠くから見ただけでは分からなかったが、平らな台地であり木々が無く短い草の生い茂る平原だった。

 しかしそれは問題ではなかった。ヤトの目には地形など全く映っていない。彼が見ていたのは平原の中央に寝そべる巨体。恋した白銀竜しか見ていなかった。

 激情を極力抑え、剣の柄から手を離してゆっくりと一歩一歩平原の中央へと足を進めた。

 間近で見る山の主は巨大で優美だった。翼を閉じた状態でも大きさはサイクロプスの倍はある。微かに寝息を立てる様は、生きた小山のようにも見える。

 段々と近づくにつれ竜の相貌がはっきりと見えてきた。頭部は大男ほどに大きく、細長い顔の半分以上裂けている。その裂け目には隙間が無いほどびっちりとナイフほどもある長く鋭い牙が無数に生え揃っている。隙間から漏れ出した吐息は非常に生臭く、強烈な血と臓腑の匂いだ。さらに目の後ろから一対の太い角が捻じりながら前に突き出ている。

 眠っていたため目は開いていないが、ヤトがあと三十歩の距離まで近づいたところで、唐突に巨大な眼が見開かれた。眼は白銀の身体の中で唯一夕陽のように赤く、瞳孔は蛇のように縦に細長い。

 

「―――なんだ二本足。何故儂の眠りを妨げる?」

 

 竜は不機嫌で轟くような声で眠りを妨げた者を責めた。白銀竜は身体を動かさず、頭だけを向けて射抜くような瞳でヤトを見つける。

 その声は思いの外、知性と思慮深さを含んでいる。怒りよりも面倒臭さと寝起き特有の気怠さのほうが強いように思えた。

 

「眠っているところに突然すみません。どうしても貴方に逢いたくて」

 

「儂は二本足なんぞに用は無い。さっさと消えろ」

 

 言いたい事だけ言って竜は再び寝入った。

 しかしヤトはそれで引き下がるほど潔い男ではなかった。さらに五歩竜へと近づく。

 すると白銀竜は目を見開き、同時に喉を膨らませて赤い炎を吐いた。ミスリルやオリハルコンすら溶かし尽くす灼熱の炎が、ヤトが元居た場所を通り過ぎた。直前で殺気を感じて避けていなければ、骨すら残らず焼き尽くされていたに違いない。

 ケルベロスの炎など足元にも及ばない至高の炎。まるで太陽の息吹。直撃を避けても肌を焦がす熱は、ヤトに恐怖と歓喜を与えてくれた。

 そうだ。ずっと待っていた。己に恐怖を与える存在を。一目で勝てないと直観した至高の存在を。それすら斬る機会を。

 

「やはり貴方だったんですね」

 

 一人納得した剣鬼は鞘から赤剣を抜き放つ。極限まで膨れ上がった殺意と闘志は神に匹敵する白銀竜の鱗を逆立たせた。古竜もまた卵より生まれ出でて初めて恐怖を抱いた。それも幻獣でも同族の竜ですらない、ひ弱で小さな人間にだ。

 

「――――なんだ貴様は。儂に何をする?」

 

「僕の全てを賭けて、全身全霊を以って、後の事などどうでもいい、命だって捧げる。愛しい方、貴方を斬ります」

 

「はっ、儂に挑むか人の子が!良かろう、気の済むまで付き合ってやるっ!!」

 

 白銀竜が立ち上がって巨大な一対の翼を広げ、無数の牙の生えた口を大きく開き、咆哮を天に響かせる。

 その咆哮は遠く離れたカイルにも届き、兄貴分が遂に望みを果たすのだと直感した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 炎を超えて

 

 

 天を裂く白銀の古竜の咆哮。常人ならばそれだけで魂を破壊されてしまう。まるで人類種が神から授かった魔法である。それを生まれながらにして自在に扱う事実が、彼等ドラゴンが神に匹敵する種族と言われてる所以だ。

 しかしこの場においては全くの無意味どころか、大きな隙を生む事に繋がってしまう。

 

「『颯』≪はやて≫」

 

 振り下ろした赤剣から殺意を具現した刃が放たれ、左の翼がズタズタに裂かれた。白銀竜は生まれて初めての苦痛に戸惑いと怒りを覚えた。

 ヤトの『颯』は気功の刃を遠距離に飛ばす技だ。射程が長いが威力はそれほど無く、気功を練る時間もかかるのであまり使う機会がないが、赤剣『貪』の蓄えた魂を糧にして威力を飛躍的に上げて、さらに余波を生み出している。おかげで竜の中でも比較的防御力の低い翼の皮膜ぐらいなら斬れる。

 地を這う生物にとって頭上を常に取られているのは非常に危険である。故にヤトは最初に翼を攻撃して飛ばせないようにした。

 先制攻撃を貰ってしまった白銀竜は翼の痛みに思考を乱されながらも、巨体に似合わない俊敏な動きで突進。生意気な二本足を圧し潰そうとするが、初動を読まれて避けられてしまった。

 反対に、すれ違いざまに剣で胴体部を斬ったが、気功を纏っていないただの魔法剣では、最硬度のアダマンタイト製鎧すら上回る古竜の鱗には傷一つ付けられない。

 さらにお返しとばかりに長くしなやかな尻尾が、まるでハエを打ち払うようにヤトを襲う。

 尾の一撃を紙一重で躱したものの、掠っただけで脇腹の肉が裂けた。恐るべき威力と器用さである。あれは人間の腕以上に自由で繊細な動きをする。それこそ後ろに回り込んでも背に乗っても、容易く相手を打ち払うだろう。相手の死角に移動する戦い方を得意とするヤトにとってはやり辛い相手だ。

 出血による身体能力の低下はバカに出来ないので、一旦離れてから剣の魂を使って治癒力を強化するとすぐさま傷は塞がった。

 ヤトはたった数度の攻防で竜の強さを文字通り身に染みて感じた。否、魂に響いたというべきだ。その上で冷静に勝ち筋を探ろうと知恵を巡らせる。

 

(力は圧倒的に不利。速さはこちらが上。間合いは不明ですが『颯』では骨が斬れない以上は直接斬るしかないので、炎を吐く分あちらのほうが有利。防御は考えるのも馬鹿らしい。治癒力は不明)

 

 大雑把に彼我の能力差を挙げただけでも絶望的である。

 だが、ヤトにとってそれがたまらなく嬉しい。これほど不利な状況は未だかつて無い。しかし己は強い。だから勝てる。例え他者から根拠が無いと言われようが、そんな事は知った事ではない。勝てると言ったら勝てるのだ。その想いが全てを覆すと信じていた。

 様子見はここまで。後は己が持ちうる全てをつぎ込み、恋焦がれる美しい竜を斬る。

 瞬間、赤剣とヤトの周りの空間が揺らぐ。彼の全身から湯気のようなものが立ち昇り、剣呑な威圧感が台地を侵食し始めた。

 それはあたかも世界を己の色で染め上げるかのような不遜で魔的、それでいて美しさすら宿した光景であった。

 相対する白銀竜は傷ついた翼の痛みよりも、ヤトから発せられる全身を突き刺すような威圧感の方を忌避したかった。だが、それでも矮小で小癪な人間から目を背ける事が出来ない。

 何故か―――――竜もまたヤトの傲岸不遜さと、己と対等に戦うために全てを懸ける狂気と呼べる一途さに魅入っていたのだ。それはもしかしたら、恋と呼べるものなのかもしれない。

 しかし今この場は殺し場である。互いに恋慕の情を抱こうが殺し殺される間柄でしかない。

 故に竜は己の身を焦がすような強烈な感情に負けぬ炎でヤトを焼き払った。――――はずだったが、既にその場を離れて肉薄していた。

 剣閃―――――――右の前足が浅く斬られて血飛沫が舞う。この世で最も強固な鱗の護りを只の人が剣一振りで覆した。

 この一撃は単なる剣戟ではない。剣鬼の業、気功術、優れた魔法剣、そして外法。それは剣に蓄えられた魂を全て斬る事のみに傾けて消費した結果実現した、聖浄とは対極にある凶魔の剣である。

 ヤトは握った柄から徐々にそして物凄い勢いで今まで斬って殺した者の魂が失われていくのを感じ取った。魂たちは例外無く、己の存在が消えていく喪失感と虚無感、痛みと恐怖、嘆きと哀しみ。全てが混ざり合わさり慟哭した。

 しかし剣鬼は止まらない。弱者の嘆きなどに微塵も心を動かす事なく、ただひたすらに愛しい竜を斬り、血で大地を赤く染める。

 古竜が反撃に出て、尾が、爪が、翼が、あるいは巨体そのものをぶつけるも、それらは全て躱すか、剣によって叩き落されるか受け流された。そうでなければ脆弱な人の肉体は簡単に挽肉になっていただろう。

 その度に少しずつ魔剣によって美しい白銀の鱗が剥がれていくが、ヤトも竜も全く意に介さず全身全霊を以って触れ合った。

 

 そして剣閃が三十を超え、返り血で目も開けられない様を呈する頃。ヤトは腕に痺れを感じた。否、痺れだけではない。全身の骨格、筋肉、臓腑が悲鳴を上げ始めた。

 何の事は無い。人と比べ物にならない頑強さを誇る古竜の肉を切り裂くには、剣以外に膂力を総動員して一撃一撃を放つ必要がある。それ以外にも迎撃のたびに常識外の負荷が全身に掛かっているのだ。筋肉だけでなく全身の骨格や臓腑にも大きな負担をかけている。その限界が近いというだけの事だ。

 反対に白銀竜の方はまだまだ平気な様子。多少痛みで動きが乱れるものの出血は少なく、無数の傷を負っても致命傷には程遠かった。明らかにヤトの方が不利である。

 ただ、それならば『貪』の中の魂を治癒に回せばいいが、そうなると攻撃に振り分ける魂の量が減ってしまう。既に魂は半分近く消費してしまっていた。このペースでは、あとどれだけ戦えるか。

 そう考えてしまったら、途端に心に飢えが込み上げる。

 

(もっと戦いたい。もっと斬りたい。勝ちたい。負けたくない。生きたい。死にたくない。愛しい方を殺したい。でも死んでほしくない。こんなにも楽しい時間が終わって欲しくない)

 

 心に生じた矛盾、衝動、渇望。それは迷いと呼べる空白の時間。戦場においてそれがどれほど命取りになるのか、ヤトは知っていたにも拘らず、己を律する事が出来なかった。

 勿論その代償はすぐさま支払われる。白銀竜の剣のように鋭い爪が身体を引き裂いた。ヤトの身体はそれでも無意識に反応して、半分だけ身体をずらして直撃を避けた。

 しかしそれでも竜の一撃は途方もない力が籠っていた。ヤトは掠っただけで数十メートルは弾き飛ばされて、石ころのように転がる。

 竜は追撃に炎を吐く事も出来たが、敢えてそれをしなかった。侮ったわけでも情けをかけたわけでもない。ただ、恋情を抱いた敵が立ち上がって、再び挑んでくるのを待っていたかった。

 ヤトはその期待に応えるように剣を杖代わりにしてふらつきながらも立ち上がる。が、左腕がボトリと落ちた。先程掠った爪が切り裂いたのだろう。そして己の左腕が落ちているのを見て安堵した。

 

(利き腕が残っていて良かった。剣が握れるのなら斬れる)

 

 全身血塗れになり、今は腕すら失っても、ただ相手を斬る事しか心に無い。これこそ生まれながらの剣鬼にしか到達しえない境地と言えた。

 とはいえ既に体力と気力は限界に近い。いくら赤剣の魂を消費しても失われた腕までは再生しない。精神疲労も回復しない。

 最低限紐で左肩を縛って血止めをすると、ふらつく足を叱咤して震えを止める。

 

「――――名残惜しいが、次で終わりか?」

 

 白銀竜が轟くように、それでいて寂しげな声をかける。

 ヤトは無言で剣を構える事で竜に応えた。今は声を発する酸素すら惜しい。

 竜が後ろ足で立ち上がり天を見上げる。そして限界ギリギリまで息を吸うと、巨大な身体が二回りは膨張する。古竜の体内に宿った原初の炎の精霊が活発に活動して灼熱の炎を練り上げていた。

 対してヤトもまた、残る全ての生命力を気功で練り上げて赤剣を強化した。さらに内包する魂を限界まで消費して終わりに備える。

 遂に竜の喉が脈動し、全てを灰燼に帰す炎が解き放たれた。

 迫り来る炎の壁。古竜の炎は聖と魔、清と邪、ありとあらゆるものを分け隔てなく焼き尽くす必滅の理。

 ヤトはそれが分かっていても、なお前に一歩踏み出す。そして何年も傍らに置いた赤剣を灼熱の炎に突き出した。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫!!」

 

 喰らった魂によって極限まで強化された赤剣『貪』。その剣に上乗せした気功の暴風が奔流となって炎を逸らす。微かに出来つつある竜への道を、おぼつかない足を叱咤して駆け出した。

 途絶える事無く生み出される炎をギリギリ逸らしながら疾走る。それでも余熱は容赦無く身体を焦がす。既に服は完全に燃え尽き、体毛は頭髪を幾らか残して失われ、皮膚は焼け焦げ、体全体の筋組織が露出する。痛みはとうに無くなっていた。最早生命そのものの機能が壊滅していた。

 しかしそれでもヤトは足を動かす。彼には炎の先の竜しか考えていない。だから手の中の剣が断末魔を上げている事にも気付かない。

 いかに業物の魔剣といえども必滅の炎には耐えられず、内包する魂によって極限まで強化され、その上足りないとばかりに剣そのものが宿す魔力すら強引に汲み上げている。限界を超えて酷使されている剣には無数の罅が入っていた。

 それでも剣鬼は止まらない。ただひたすら前へ前へ。

 果たして戦いの女神はヤトに微笑んだのだろうか。剣が砕ける前に炎の壁が消え失せ、眼前には白銀の竜。彼、あるいは彼女はきっと驚愕していただろう。己の炎をもってしても人一人を焼き払えなかった事に。そして辿り着いた男が既に死にかけていた事に。

 

「―――――――――――――!!!!!」

 

 声帯すらとうに焼け付いた半死人の声無き咆哮と共に、赤い軌跡の剣が閃光のように振り下ろされた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 人と竜の営み

 

 

 閃光のように振り下ろされた罅だらけの赤剣。狙いは頭部。どのような生物であれ、頭を斬り飛ばされて平然としているはずがない。

 

「なめるなーーーーー!!!」

 

 躱せるタイミングではなかった。だが人間の尺度で古竜の意地を測れるはずもない。

 意地の籠った咆哮によって大気が震え、満身創痍のヤトの身体も僅かに揺らいでしまい、頭部への剣閃が逸れてしまう。

 それでも気功によって強化された剣の間合いからは完全には逃れられず、伸びた不可視の切っ先によって右の前足を肩の部分からごっそり斬り落とされた。

 そこで気功と魂が枯渇する。しかし剣鬼は最期まで剣鬼であった。

 頭には目もくれず、今しがた斬り落とした右半身に肉薄。ほぼ役に立たなくなった視力を無視して勘で断面に赤剣を突き立てる。

 しかし切っ先が竜の肉に触れた瞬間、とうとう赤剣は限界を迎えて刀身が砕け散った。最期の最期で道具の酷使が祟った。

 同時にヤトも力を失い倒れた。

 古竜の右腕から流れる血溜まりにより動けないヤトは血に溺れる。放っておけば勝手に溺死するだろう。そうでなくとも最早彼の命は手の施しようがないほどに尽きていた。

 ヤトは血だまりの中で呼吸すら出来ない有様だったが、自分でも意外なほどに満ち足りていた。

 全てを出し切っても勝てない相手が居た事、己が最強ではなかった事への落胆はある。今はまだ弱くてもいずれ鍛えて、さらに強さを得る事が出来ないのも悔しい。一体何が足りなかったのか答えを見つけたかった。悔いは多い。

 しかし、それ以上に充足感が魂を満たす。世界は自分が思っていたより広く深く強い。己の分を知る事が出来た。

 そして何より、恋焦がれた相手の手で討たれる事、看取られる事に喜悦を感じている。あるいは数日前のヒグマのように餌となるかもしれないが、恋をした相手の糧になるのも悪くない。

 薄れゆく意識の中、白銀竜が手を伸ばす。それを止めと解釈したが、予想外にも竜はヤトを持ち上げて、自らの傍らへと優しく置いた。

 既に声も出せず、指一本すら動かない瀕死だったが、竜は構わず語りかける。

 

「死ぬな。汝は死んではならぬ。生きるのだ。生きて儂と共に居よ」

 

 出血と至近からの咆哮で半ば聴覚が壊れていたが、それでも古竜の声が泣いているように濡れたものだと分かる。

 種族、年齢、体格、思想。人と竜は何もかもが違う。共通点を探す方が困難だ。そしてたった数十分前に相対して命懸けで殺し合っただけの間柄でしかない。

 そのような敵同士であっても、ヤトと古竜は千年を超えて共に過ごしたような理解を共感、そして親愛の情を抱いていた。何故と聞かれても互いに分からない。否、共に魂で理解しあっていても言葉には表せない想いがある。

 だが既に時は逸した。このままヤトは敗者として竜に看取られて息絶える。それは定命の種族にとって逃れられない宿命であった。

 薄れゆく意識の中、ヤトは傍らの竜を何よりも愛おしく感じて瞼を閉じだ。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 次にヤトが目を開けた時、白銀竜にもたれかかっていた。

 辺りを見回すと周囲は夕暮れに染まっていた。

 

「―――――あの世ではなさそうですが」

 

 死後の世界など微塵も興味が無かったが、現世と全く同じというのも味気ない。だから目に入る情景はあの世と違うと思った。

 しかしあの世ではないとすると、今の状況をどう理解すべきか。

 ヤトは自身の身体をしげしげと観察して、自分の意志であちこち動かす。

 千切れた左腕は指一本欠損していない生まれたままの形。体中にあった傷も古傷を除けばどこにもない。燃えた髪も元通り。声帯も万全に機能する。服は完全に失われており全裸である。

 試しに身体を動かすと、かなり違和感が大きいが一応思い通りに動いてくれた。赤剣による蘇生とは些か趣が異なる。

 もしやと思って手に握った赤剣の残骸に目を向ける。柄と僅かな刀身しか残っておらず、当然内包する魂も魔力も残っているようには思えない。完全にゴミと化していた。

 あの状況でどうすれば蘇生するのか分からず、真上を見上げると竜と目が合った。

 

「どうも、愛しい方。僕はどれぐらい寝ていました?」

 

「一度日が落ちてまた出てきたな」

 

 どうやら一日以上眠っていたらしい。つまりその間、ずっと竜はヤトの傍に居て彼の寝顔を眺めていた事になる。暇なのか。

 古竜は右腕を失ったままだ。それをヤトは少し悲しそうに見ていると、大きな笑い声が響いた。

 

「よい。斬られた腕など塵芥に等しいわ。そのおかげで汝は生き永らえたのだぞ」

 

「僕の命?――――――そういえば伝説では竜の血や肉には不死の力が宿ると聞いた事があります。もしかして――――」

 

「うむ。儂の腕を汝に与えて命を繋げた。初めてだったから不安だったがな」

 

 古竜曰く、ただ竜の肉や血を口にしたところで無駄だが、竜と真に心と魂を通わせた相手に分け与えれば、例え死してもなお現世に魂を呼び戻すという。それが伝説の正体だった。

 竜の言葉が本当なら、両者は真に心と魂を通わせた間柄という証拠になる。ヤトは恋焦がれた相手と魂を通わせるのを何となく恥ずかしいと感じた。

 そして古竜はヤトに顔を近づけて優しく擦りつけながら、とある提案を申し出た。

 

「それで儂は汝と子を成したい」

 

「――――――はい?」

 

「ん?通じなかったか?儂は汝と番になって子を作りたいと言ったのだ」

 

「あの―――――なんで?」

 

 古竜に脈絡も無く子作りしたいと言われたヤトは何故と問う以外に理解が追いつかない。確かに寄り添う古竜に恋焦がれ、愛しいと思っているが、いきなり子を作りたいと言われたら戸惑いしかない。そもそも竜と人で子を成せるのかすらよく分からない。それ以前に古竜が雌と今言われるまで気付かなかった。

 混乱するヤトをよそに、竜は明瞭な答えを教えてくれた。

 

「汝が強いからだ。儂も長く生きているから、今まで何度も雄に言い寄られた事がある。だが、儂と戦うと必ず尻尾を巻いて逃げてしまう。儂が一番強いからだ」

 

「でも、僕だって貴方に勝てませんでしたよ」

 

「それでも逃げるどころか、死ぬと分かっても挑んできたのは汝だけだ。しかも全身全霊、全てを懸けて儂の命を求めた。あの時の汝は儂が卵より生まれい出て見たモノで、最も美しく失いたくないモノだと思った」

 

「それは僕も同じです。貴方はこの世で何物にも勝る美しい方です」

 

 互いに臆面も無く美しいと讃える様は、傍から見れば似た者同士お似合いである。精神面にはさして障害は無い。

 しかしだからと言って両者の間に横たわる問題が減るわけではない。第一、人と竜は生物的構造が丸っきり違う。人類種同士であれば混血も珍しいものではないが、どうやって人と竜が交わるというのだ。

 そこでヤトはふと、故郷に伝わる幾つかの竜の伝承の中で、竜に嫁いだ女の話や、人に化けた竜の娘が人間の男と夫婦になる話を思い出した。ただ、それはあくまで伝承やお伽噺であって事実とは言えない。

 一応ヤトの生国の『葦原の国』は伝統的に獣人や亜人との混血が多い土地柄で、稀に竜のような外見の亜人も生まれているらしいので、竜との混血も可能性が無いと断言は出来ない。

 悩むヤトに古竜は一目見せた方が早いと判断した。そして目を閉じて何か念じ始めると、巨大な身体が一瞬のうちに消失してしまった。

 傍に居たヤトは支えを失い、後ろに倒れた。そして倒れたその先に目を奪われる。

 そこに居たのは白銀の竜ではなかった。代わりに右腕の無い女が居た。

 美しい女だ。白銀色の長髪、夕陽のような赤い瞳、リンゴのように豊かな乳房、曲線を描くくびれた腰、引き締まった太もも、艶のある雪のように白い肌。小柄だが肉感に満ちており、強い生命力に溢れた肉体は片腕だろうが美しい。

 勿論顔立ちも整っている。おまけにこめかみから一対の捻じれた太い角が生えていた。その角に見覚えがある。つい先程まで居た白銀竜と同じ角だ。

 

「どうだ、これで子を作れるぞ」

 

「もう、何を見ても驚きませんよ」

 

 死者を蘇生させられる竜からすれば姿かたちを変える事など片手間で済んでしまうわけだ。

 ヤトは納得と共に呆れもするが、それよりも竜が変じた女性の美しさに心が躍ってしまう。今まで一度たりとも女の裸体に心を動かされた事など無いが、この時ばかりは股間の一物が節操無しに自己主張を始めてしまう。

 それを見た白銀の女は目を輝かせて下で唇を舐めた。まるで獲物を見て悦びを露わにする肉食獣のようであった。

 もはや逃げられそうもないし、逃げる気もないが、肝心な事を忘れていた。だからヤトは竜に尋ねた。

 

「貴女の名を教えてくれませんか?僕はヤトと言います」

 

「名か?儂のような卵から生まれた竜は二本足のような名を持たぬ。そうだな、汝――――ヤトが呼びたいように呼べばいい」

 

「―――――――では、クシナと呼ばせてもらいます」

 

 クシナとはヤトの故郷に伝わる昔話で、悪竜を退治した英雄の妻になった姫と同じ名だ。

 名を貰った古竜改めクシナは、生まれて初めて他者からの贈り物である自分の名を何度も反芻して嬉しそうにヤトに礼を言った。

 

 そして生まれたままの姿の男女は夕陽の中で一つに重なり、太古から続く荒々しい営みに身を委ねた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 大きなミス


 注意

 今回に限り、やや強めの性描写が入っております。苦手な方は申し訳ありません。


 

 

 盗賊カイルは焦燥感に駆られながら広大な山を歩き回っていた。

 ヤトが竜に挑むと言って姿を消してから、もう九日が経っていた。兄貴分は十日経っても戻らなかったらと言ったが、いい加減待つのにも飽きていて、そろそろ我慢の限界だった。

 母が斥候として鍛えてくれたのがありがたい。先に行った兄貴分の足跡を辿るのは容易であり、野営した後から見当を付ける技術があるおかげで迷わずに済む。

 普通ならあんな良く分からない奴の事など放っておけばいいが、どうしても目が離せない相手だった。あの魔的な強さと闘争心には尊敬すら覚える。

 同時に自分が腹立たしい。なぜいつも彼の戦いを見逃してしまうのか。砦の時のケルベロスとの戦い。ゾット平原での二体のサイクロプス。

 そして今この時だ。ここまで付いて来たのだから、一緒にドラゴンの元まで行けば良かったのだ。戦わなくても遠くから眺めているだけで、きっと一生忘れられない神話の戦いを見られたに違いない。唄にすれば絶対に大金持ちになれた。

 

「あーあ、何でそんな機会を逃しちゃったのかなあ」

 

 思わず独り言が出てしまった。エンシェントエルフの長い命でも早々お目に掛かれないチャンスを逃してしまったのが余程堪えたようだ。

 何せ相手は竜だ。兄貴分もこれだけ帰ってこないとなると、もう死んでいるのだろう。いや、もしかしたら辛うじて勝っても怪我をして動けないだけかもしれない。

 もし生きていたら助けてやって、一生恩に着せて言う事を聞かせてやりたい。そうだ、きっとまだ生きているはずだ。

 何と言っても未だに竜は飛び立っていない。きっと竜を倒して肉を独り占めしているに違いない。

 酷い話だ。慕ってくれる弟分に黙ってご馳走をモリモリ食べているのだ。もし元気な姿を見たら、一言でも百言でも文句を言ってやる。それからまた一緒に旅をして、今度こそ幻獣や巨人を倒す様をこの目に焼き付けるのだ。

 

「だからさ、絶対生きててよアニキ」

 

 願いが神にでも通じたのか、ヤトが置きっぱなしにしていた荷物と外套を見つけた。どうやらここで夜営した後、置いて行ったらしい。つまりすぐ近くにドラゴンが居るのだ。

 荷物を持って急いで山の斜面を駆け上がる。

 段々と緩やかになる斜面のおかげで走りやすい。そして何やら獣の鳴き声のような妙な音が耳に入ってくる。それに何かを打ち付けるような音だ。あまり考えたくないが想像出来てしまう。

 

「――――――こんな時期にイノシシか狼が盛ってるのかよ」

 

 まったく、今は冬に近くなった秋だというのに。

 しかし不思議な事に足跡を辿っていると、発情した獣の鳴き声も段々と大きくなる。いい加減煩すぎで耳を閉じたいが、そうすると音を拾えないので我慢した。

 ようやく森が開け、台地に出る。そして目に入る光景に思考が停止した。

 

「おおおおおう!!!いいぞっ、いいぞー!!儂を孕ませてくれ!!ヤト、ヤトォォォ!!!」

 

「はあはあはあ!!!クシナさん!!クシナさん!!」

 

 台地の中心で獣が盛っていた。否、角の生えた裸の隻腕の女がこれまた裸の男の上に跨って一心不乱に腰と全身を上下に動かしている。

 どう見ても子作りの最中であった。

 

「何だこれ、たまげたなぁ」

 

 ドラゴンは何処だろう。こんな光景見るためにこんな辺鄙な場所に来たんじゃないんだぞ。

 でもあの角女が聞き捨てならない事を口走っていたのを確認せねばならない。

 恐る恐る獣のような激しい交わりをする男女に近づき、目を凝らして男の顔を見た。目が合った。どう見ても探していた兄貴分だった。

 彼は我に返ってとんでもなく気まずそうに眼を逸らした。

 

「……ふざけんなぁぁーーーーー!!!!」

 

 たぶん生まれてから最大の絶叫が空へと消えた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 合流したカイルは取り敢えずヤトを正座させた。全裸正座はあまりにも間抜けだったので、お情けで外套を恵んでやった。

 なお、子作りを中断させられたクシナは不満そうだったが、カイルが睨みつけるとバツが悪そうに渋々従って、今は予備の外套を羽織って大人しくしている。

 

「で、どういうことだよアニキ?ドラゴンはどうなって、あの片腕の姉さんは誰だよ」

 

「あのヒトが竜で、戦った後に僕の奥さんになったんです」

 

「あっ?頭狂ってる?」

 

 カイルの率直すぎる感想に、ヤト自身も自分の事でなかったらきっと同じ反応を返したに違いないと思った。

 しかし事実は事実であり、最初から今までの事を丁寧に説明すると一応納得してくれた。同時にカイルはこれ以上ないぐらいにキレている。そしてキレ過ぎで一周回って冷静になっていた。

 

「で、その奥さんと何日もぶっ続けで子作りに励んでいたって?仲間の僕を放っておいて?生きてるなら顔ぐらい見せるのが筋と違う?」

 

「―――――その、ごめんなさい」

 

「次からは僕も最後まで一緒に行くからね」

 

 カイルの有無を言わせぬ言葉に、ヤトはただ頷くしかなかった。

 そこで面白くないのはクシナである。今の今まで放置されてその上、番となったヤトに対して高圧的に接する少年に若干の敵愾心を抱いていた。ただ、二人が群れというか仲間である事実が物理的排除を留めている。

 そして説教が終わった時を測ってカイルに凄む。

 

「耳の長い二本足、儂のヤトに随分と偉そうだな。汝は強いのか?」

 

「アニキには仲間に当たり前の事をしてくれって言っただけだよ。強いとか関係無いの。それと僕の名前はカイルだから」

 

「む、そうなのかヤト?」

 

「そうですね。カイルの言う通り、先に生きている事を教えておくべきでした。それに貴女の事を」

 

「むむむ、そういう事なら仕方がない。それと儂の事はクシナと呼べ。ヤトから貰った名だ」

 

 クシナは嬉しそうに贈られた名を名乗る。小柄ながら、たわわに実った胸を大きく突き出すと、外套がはだけて美しい裸体が晒される。カイルは慌てて目を逸らした。

 取り敢えず説教をして落ち着いたが、今更ながら酷い情事の臭いにカイルは鼻で呼吸するのを止めた。そして二人に身体を洗って着替えと食事を提案した。

 クシナの方はよく分かっていないが、ヤトが提案を受けたので倣って台地の隅にある泉で休息を摂る事にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 西へ

 

 

 カイルが食事の用意をしてくれている間にヤトとクシナは泉で身体を洗って、数日間休み無しで交わって染みついた汚れを落とした。なお、碌に体を洗った事の無いクシナはヤトにされるがままで、くすぐったさに身を悶えさせていた。

 さっぱりした二人は、カイルと共に熱いスープを飲む。中身はイノシシの燻製肉と野草。

 

「血の味がしない薄い味だな。二本足共は毎回こういうのを食べているのか?」

 

 獲った獲物の丸かじり以外の、生まれて初めての料理を食べたクシナの感想だ。血抜きをして保存性を高めた肉の味は彼女からすれば物足りないだろう。しかし不味いと言ったり吐き出す事なく、面白そうに食べてお代わりも要求していた。

 ヤトも数日振りの食べ物を黙々と食べ続けている。何日も何も食べていなかったから身体が栄養を欲しているのだろうが、それでも食べ過ぎな気がする。

 そしてあっという間に鍋を空にした。カイルはあまり食べられなかったが、自分の作った料理をこれだけ食べてくれるので、悪い気はしていない。

 

 食事の片づけをしていたカイルは何気なく想像と違っていた事を口にする。

 

「ドラゴンってさぁ、洞窟に沢山の財宝を蓄えているって吟遊詩人が謳ってたけど、クシナ姐さんはそういうの無いの?」

 

「ざいほう?なんだそれは?儂はここを寝床にしているが、何かを貯めた覚えなど無いぞ。それに何でジメジメした穴倉なんぞに行かねばならん」

 

「ちぇー。やっぱり詩人の歌なんて当てにならないか」

 

 カイルは嘘っぱちの歌を謳っていた詩人に悪態を吐いた。

 ヴァイオラ大陸ではドラゴンは洞窟に住み、中に莫大な財宝を貯めていると信じられている。それを竜退治の英雄や勇者が手に入れる歌を詩人は毎日酒場や広場で謳っている。当然カイルもその歌を何度も耳にしており、いつの間にか本当に財宝があると信じていたが、実際に竜から知らされる事実は厳しい物だった。

 落胆したカイルだったが、ふとクシナが何かを思い出して告げる。

 

「そういえば汝達のように時々二本足共が儂に挑む事があってな。大体は儂に負けて喰われるが、その時に身に着けていた武器などを捨てている場所があるぞ。それでよければ好きにすればいい」

 

「えっ、いいの!?」

 

「儂はいらんしな。欲しいだけ持っていけ」

 

 カイルは俄然やる気を取り戻す。竜に挑むような者は大抵名のある達人や冒険者だ。彼等はほぼ例外無く魔法の武具や道具を持っている。その遺留品を漁れば何か価値のあるモノが見つかるかもしれない。

 早速カイルとヤトはクシナから教えてもらったゴミ捨て場に向かった。

 ゴミ捨て場と言っても、生ゴミのような本当のゴミがあるわけではない。剣や鎧の残骸が乱雑に積まれた鍛冶屋や工房のゴミ捨て場が最も適当な名称だろう。

 その金属のゴミ山に目を輝かせたカイルは喜び勇んで目ぼしい物を見かけては手に取って品定めをしていた。

 ヤトも砕けた赤剣の代わりになりそうな剣を探して、使えそうな剣を探している。

 鎧や盾のような防具は殆ど見当たらないか、原形を留めていないぐらいに損傷している。何せ持ち主がクシナに喰われたか、灼熱の炎で焼き尽くされたのだ。無事な物が見当たらないのも道理である。

 ただ剣や槍の類は多少見つかった。それらはかつての持ち主と違ってミスリルやオリハルコンのような魔法金属で、さらに魔法がかかっているので経年劣化もしておらず、十分実用に耐えられた。

 無事な武器は剣、槍、斧など七点。どれも魔法の武器であり、しかる場所に売れば一財産になるだろう。カイルは予想外のお宝が見つかってホクホク顔だ。

 ヤトも四振りあった剣の中の一つを手に取って丹念に調べる。ミスリル製の反りが無い直剣で幅が狭いが肉厚。長さも赤剣に近い。柄や鍔が若干傷んでいるが剣身は刃こぼれ一つ無い。軽く振って重心を確かめて手に馴染むのを確認した。かなりの名匠の作品だ。

 それと柄の部分に紋章が刻まれているのに気付いた。花なのは分かるが、種類と掲げる家までは分からない。

 カイルに聞いてみると、驚きながらも答えが返ってきた。

 

「その紋章は西のフロディス王国の王家の紋章だよ。そんな物まであったんだ」

 

 つまりこの剣の持ち主は西の国の王家に所縁のある者というわけだ。どのような人物かは分からないが、残してくれた剣はありがたく使わせてもらうとしよう。

 

「では次はそのフロディスにでも行ってみますか?」

 

「明確な目的地があるわけじゃないし、それで良いんじゃないかな」

 

 次の目的地が決まった二人は増えた荷物をさっさと纏めてもう一人の仲間の所に戻った。荷物はヤトが持ったが、自分でも驚くほど軽いと感じた。

 クシナは暇なので寝ていたが、二人の足音に気付いてすぐに起きた。竜の時のさして変わらない感覚の鋭さだ。

 

「次は西に、日の沈む方角に行きます」

 

「その前に荷物と馬を取りに行かないと」

 

「分かった。なら儂の背に乗るがいい」

 

 クシナは外套を脱ぎ捨てた。そしてカイルが裸体から目を逸らす前に、一瞬で元の姿である巨大な白銀竜へと姿を変えた。

 話には聞いていても実際に人から竜へと変わる様は中々に刺激的なシーンであり、カイルは目を輝かせてクシナの背に乗った。

 ヤトも背に乗ると、クシナは羽ばたき一気に上空へと上がる。そして風のように速く指示された場所へと降り立った。この間僅か数分である。森のような不整地に慣れた二人の足でも二日はかかる距離をものの数分で飛んでしまった。

 しかしその代償に、近くで主人の帰りを待っていた二頭の馬は、突然の竜に恐れをなしてどこかに逃げてしまった。

 失敗を後悔した二人だったが、今更どうにもならない。仕方がないので置いてあった荷物だけ回収して、再び竜の背に乗った。

 

 再び空の住人となったヤトとカイル。空を飛ぶ経験が皆無の二人は絶景に心を奪われていた。そしてこのような光景をいつも見ている竜のクシナを羨ましいと感じた。

 

「僕も竜になってみたいなー」

 

「流石にそれは無理でしょう。いや、でもエルフなら魔法で何とかなりますか。所でクシナさんは自由に姿を変えられますが、あの人の姿は誰かを模していたんですか?」

 

「昔、儂を退治しに来た二本足だ。ヤト程強くなかったが、それなりに強かったから多少覚えていて姿を借りた」

 

「へー美人な人なのに戦士だったのか。角も生えてるから人食い鬼≪オウガ≫だったのかな」

 

「あー、角はどうだったか。そこまでは覚えておらん」

 

 などと二人と一頭の竜の旅仲間は呑気な話をしながら当面の目的地である西を目指した。

 

 

 彼等に待ち受ける未来が、栄光なのか災厄なのかは誰にも分からない。

 

 

 第一部 白銀竜 ――了――

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二章 眠る人形
第1話 人と竜の狭間


 

 

 トロルと呼ばれる種族がいる。人間の倍近い身の丈と分厚い筋肉に覆われた亜人種である。同じような体格の亜人に≪人食い鬼≫のオウガもいるが、彼等と違ってトロルには角が生えておらず知性も低い。そして顔立ちも醜悪で生まれてこの方身だしなみを整えようなどと考えた事も無く水浴びすらしないので不潔だ。

 奴らは雑食で何でも食うが、中でも生肉が好物だ。当然人間を始めとした人類種も平気で食べる。ただ意外と記憶力は良いのか、一度痛い目に遭ったトロルは二度と同じ危険を冒さない分別を持つ。

 そうした個体は討伐されないように人目を避けて辺境に縄張りを持ち、相手を襲わずに家畜だけを盗んで行く。実に小狡い性格に成長する。

 

 フロディス王国の辺境を縄張りにするトロルの群れも小狡く集落の家畜を盗む面倒な相手だった。

 村人はトロルを倒せるほど強くないが、代わりに金を出して冒険者や傭兵に討伐を依頼する。しかし被害が少数の家畜の場合、わざわざ近くの街に行って、討伐依頼をギルドに出すには費用が掛かり過ぎるので泣き寝入りせざるを得ない。

 村人は小賢しくも自分達でで歯が立たないトロルに腹立たしい感情を抱いていたが、幸運な事に旅の傭兵が討伐を引き受けてくれた。それも高額の報酬とは無縁、馬一頭と女物の服を一式と引き換えにだ。

 但し、その傭兵一行が明らかに荒事に慣れていないような風貌だったのが気になったが、報酬は後払いで構わないと言っており、しかも荷物を置いたまま討伐に出かけたので、村人達は一応信じてみる事にした。

 

 そして傭兵三名はトロルの群れと相対した。期しくも傭兵とトロルは同数。

 傭兵は優男の剣士、弓を持つ少年エルフ、それに右腕の無い角の生えた小柄な女性。どう見ても強者には思えず、トロルはどれを食べるかで仲間内で喧嘩をし始めた。

 柔らかい肉の女子供か、大きくて食べ応えのある男か。喧嘩の結果は傭兵達にはよく分からないが話は付いたらしい。

 三体のトロルはそれぞれ喜びの雄叫びを挙げて獲物へ襲いかかった。

 

 

 雄叫びを挙げて傲然と襲い掛かるトロルに対し、最初に動いたのはエルフの少年カイル。

 彼は落ち着いて弓に矢を番える。右手の矢は三本。

 一秒ごとに距離を詰める不潔な巨漢に、限界まで引き絞った弦を弾く。

 放たれた三本の矢は全て、間抜けにも大口を開けて急所を晒したトロルの口内へ侵入。腐臭のする口を貫いて後頭部から鏃を覗かせた。

 好物の柔らかい肉の代わりに鋼の矢を喰らったトロルは勢いを失い、前のめりに崩れ落ちた。

 

 

 次に状況が動いたのは隻腕の女性。彼女は外套を脱ぎ捨て、一糸纏わぬ裸体を晒した。その身は女として優れた美を有しているが、明らかに戦うための利点ではない。

 トロルはその裸体に何の興味を持たず、ただ美味そうな肉が自分から身を投げ出してくれているとしか思っていない。

 生まれてから一度も洗った事の無い不潔な掌が彼女を捕まえる。スイカを片手で軽々と握り潰せそうなほど巨大な手で掴まれては、か弱い女性の身体など小枝のようなものだ。

 トロルは女性を生きたまま引き裂いて喰らうつもりだったが、不思議な事に女性の左腕を引っ張っても一向に千切れない。

 

「ひ弱だぞ」

 

 たった一言女性が呟いて、掴まれた腕を無造作に振るうと、逆にトロルの腕が千切れた。

 絶叫するトロルは女性を振りほどいて暴れるが、うっとおしいとばかりに女性が軽く蹴りを入れると、十倍以上の体重のトロルは数十Mは跳ね飛ばされて動かなくなった。

 通常ならあり得ない事象だが、女性の正体を知る者ならごく当たり前に受け入れられた。

 彼女はドラゴン。愛する《殺し合いたい》男から贈られた名はクシナである。

 

 

 最強の幻獣たるドラゴンに名を贈った男の名はヤト。彼は白銀のミスリル剣を手にトロルと相対する。

 不潔な巨漢はただ力任せに平手を剣士へ振り下ろす。技術も何も無いただの粗暴な暴力でしかなかったが、丸太のように太い腕から繰り出される岩のような硬さと重さを乗せた面の攻撃は、当たれば人間の頭など容易く爆ぜてしまう。

 ただし、それは当たればの話である。

 素人なら恐ろしい爆撃だろうが、十数年を修練に費やした剣鬼にはまったく問題にならない。フェイントも視線誘導も何もない、自由落下するだけのただの石ころを避けるなど、それこそ居眠りしていても避けられる。

 易々と攻撃を躱し、すれ違いざまに肘を一閃。おまけに右足を膝から斬り落とした。

 体勢を崩したトロルは痛みに耐えられずにのた打ち回る。決定的な隙を見せた相手に止めの一撃が叩き込まれるはずだった。

 しかしそうはならなかった。

 

「――――――あれ?」

 

 ヤトは戦いの最中にあって違和感に首を傾げた。普通ならこの剣鬼が戦いの中で他の事に気を取られるなどあり得ないが、彼の中で膨らんだ疑念はそれほどに大きかった。

 戦場で呑気に自身の手や身体の調子を確かめていたため、一時的に正気を取り戻したトロルが怒りのまま思案中のヤトに掴みかかろうとした。

 だが、剣鬼はやはり剣鬼であった。無意識のまま反射的に剣を振るい、迫り来る敵の腕を斬り飛ばして、無防備な頭を縦に両断した。

 この場で動く者は三名の傭兵だけになった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 悪さをしたトロルを一掃した三名。討伐の証として一体の首を斬り落として革袋に詰めて、残る二体は両耳を斬り落とした。

 後は村まで帰るだけだったが、どこか上の空のヤトを不審に思ったカイルがどうしたのか問う。

 

「ちょっと身体がいつもと違うみたいなんです」

 

 そう言って牛数頭分の体重はあるトロルの屍を片手で持ち上げた。

 ギョっとするカイルをよそに、ヤトは死体を空高く放り投げた。さらに足元の石を掴んで軽く握ると、石は砂粒のように粉々に砕けた。まるでオウガのような怪力ぶりである。

 

「それって気功ってやつで身体を強化したの?」

 

「いいえ、何もしていません。今日戦って違和感を感じたんですが、なぜこうなったかはよく分からないです」

 

「アニキ、なんか変な物食べた?」

 

「そんな食べ物で急に身体が変わるわけな―――――――――あっ」

 

 ヤトは何か心当たりがあったのか、暇そうにアリの巣に枝を突っ込んでいたクシナに尋ねた。

 

「クシナさん、僕が死にかけた時に貴女の腕を与えて傷を癒したと言っていましたが、それ以外にも効果があるんですか?」

 

「儂の血肉を与えたのだから当然儂に近づく。つまり今の汝は人と竜の間に居るわけだ」

 

 つまり今のヤトは竜に近い力を身に宿しているというわけだ。

 カイルはそれを聞いて興奮気味に、ヤトの身体をあちこちベタベタ触る。絶世の美貌の少年と美形の青年の絡みは好みの者からしたら垂涎ものの光景だろうが、幸いなことにクシナにはそんな退廃的な趣味は無い。精々、仲間同士で遊んでいるぐらいの認識だろう。

 いい加減触られるのが嫌になったヤトがカイルの額を軽く小突くと、エルフの少年は吹っ飛んだ。力加減を誤ったのだ。

 

「―――――どうしましょうこれ」

 

 より強くなったのは良い事だが、自らの身を自由自在に扱えないもどかしさが心を満たした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 初めての街

 

 

 トロルの首と共に村に帰還したヤト達は諸手を挙げて迎えられた。

 本心を言えば村人達はヤト達にあまり期待はしていなかったが、全員無傷で帰還したのを見て、粗雑に扱うと何をされるか分かったものではないので、必要以上に感謝の態度を示して誤魔化した。

 首はずっと眺めていても楽しい物ではないので、村の入り口に立てた杭に突き刺しておいた。一種の害獣除けである。

 そしてトロル退治の報酬は約束通り支払われる事になった。馬は明日の出立時に、先にクシナ用の衣服が渡された。

 ただ困った事に、古竜であるクシナは服を着た事が無かった。よって村の女衆が面白半分に世話を焼いて、彼女に服の着用を教える事になった。というのは口実であり、きっと女達の着せ替え人形にされるに違いない。

 

 

 ――――――翌朝。

 旅立つ一行は村の入り口で村人に見送りを受けた。

 それと依頼の報酬である馬を一頭貰った。不細工な顔立ちだったが、身が肥えていて力が強そうな農耕馬だった。

 早速馬に荷物を乗せると重みで少し嫌がったが、一応ヤト達の言うことは聞いてくれた。

 準備が整った一行は村を出立した。村人達は旅の傭兵に手を振っていた。

 村が見えなくなった頃、クシナが済々したとばかりに外套を脱いだ。彼女は半袖のシャツに短パン姿、足はサンダルを履いている。全裸よりはマシだが、旅装束には不似合いな軽装である。しかも豊かな肉によって布がパツパツに圧迫されており、余計に丈が短くなってしまった。おかげでヘソも太腿も丸出しだ。

 

「しかし服とは妙な物だな。モゾモゾするというか、ゴワゴワするというか」

 

 彼女はしきりに身体を動かして調子を確かめている。生来裸で過ごしていた古竜のクシナにとって服は未知の産物であり、身に着けた時の違和感は凄まじい物だった。

 村の女衆は生まれてから一度も服を着た事が無いクシナに驚いたが、彼女の見た目はオウガに近いので、きっと今まで腰蓑一枚で過ごしていたと勝手に思い込んで、幼児に教えるように気長に世話を焼いた。

 おかげで随分と手間取ったが今は一人で着替えが出来るぐらいにはなっている。

 

「でもそれって部屋着みたいなものだから、目の置き場に困るんだけど」

 

「??見たければ見れば良いのではないのか?」

 

「そういうこと言ってるんじゃないんだけどー!」

 

 艶のあるムチムチの身体をあけすけに見せびらかす女性が傍に居るのは思春期のカイルには辛い。そんな青少年の機微など分かるはずもないクシナは首を傾げるしかない。

 一応村から報酬として色々な服を貰っていたが、生地の多い服は殆どクシナが嫌がって突っ返してしまった。どうやら服の感触はお気に召さなかったようだ。本来は裸で居たかったが、ヤトの頼みということで最低限胸や股を覆う今の服装で我慢した。

 カイルとクシナが漫才を演じている一方、ヤトは村人から貰った周辺の地図を見ながら次の目的地を探していた。

 この近辺で一番大きな街は北に歩いて三日ほどの距離だ。クシナが竜になって飛べば数時間の距離だが、今は彼女が人類種の中で暮らすための練習期間と考えている。不便だが慣れるためにも徒歩の方がいい。

 ヤトは人(竜)にものを教えるのは初めてだったが、意外と面白いと思った。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 三日間の徒歩の旅はあっという間だった。

 現在ヤト達はフロディス王国西部の都市グラディウスの正門の前に居た。

 門の周りには数多くの人々が居る。それも人族だけでなく、多くの亜人族がいる。多様な獣人族もだ。

 

「おぉ、色々な二本足がいるなー」

 

 クシナは辺境の村と規模の違う賑やかな街に興味をそそられる。以前は彼等を見た所で精々獲物が群れている程度にしか思っていなかったが、ヤトとの出会いが彼女の心境に変化をもたらしていた。

 街は空から見れば小さな場所でしかないが、人の視点で見れば視界全てに入り切らない程に大きい。それがおかしいのか飽きる事無く眺め、ベタベタと外壁を触る姿は、外見に似合わない幼さがある。

 周囲の人々は彼女の角を見てオウガ《人食い鬼》ではないかと疑ったが、それにしては背が明らかに低く、肉付きから子供とも思えなかったので、不思議な亜人の成人女性と思いながら脅威と認識しなかった。

 そしていつまでも入口で止まっているわけにはいかなかったので、ヤトは嫁の手を引っ張って街の中へと入った。

 クシナにとって街の中は、子供にとってのおもちゃ箱のようなものだ。

 無数の石造りの家屋。肩が触れ合うほど通行人の詰まった通路。その通行人を呼び止める威勢の良い商人の声。様々な商品。そのどれもがクシナの興味を惹いた。

 しかしヤトは歩みを止めない。

 

「先に宿――寝床を決めないといけませんから。それが終わったら、後でゆっくり見て回りましょう」

 

「むう、ヤトが言うなら我慢しよう」

 

 やや不満そうにしたが、ヤトの意見は尤もなのでそのまま従った。

 一行は街の中ほどにある『リンゴ亭』と書かれたリンゴの形をした看板を掲げた宿屋に決めた。宿は平民の商人が利用するような中規模で質は程々。当然値段も相応の金額だ。

 部屋は二人部屋と一人部屋を借りた。勿論部屋割りは一人部屋がカイルで、ヤトとクシナが二人部屋だ。

 屋内で過ごすのは二度目だったので真新しさは無い。それでも田舎の家とは異なるのでクシナは目についた調度品をベタベタ触っている。

 荷物を置いて一息吐くと、カイルが部屋に入ってくる。これからの予定を話し合うためだ。

 それなら最初から一部屋を借りればいいのだが、カイルは一人部屋を主張した。理由は言わぬが花である。

 椅子に座ったカイルが早速切り出した。

 

「とりあえず荷物になる武器を売って身軽になろうか」

 

「そうですね。使わない道具は処分するに限ります」

 

 武器とはクシナの寝床で手に入れた魔法の武器である。ヤトが佩刀にした剣以外に六点ある。全て魔法の掛かった武器なので、売ればかなりの額になるだろう。そして金属は重いのでさっさと処分したい思惑もあった。

 問題はそんな高価な武器を売るにはツテが無い事だ。普通の武器屋では魔法の武具は売っていない。だから買取には特殊な店を通さねばならないが、そうした店は紹介状が必須となる。

 一応冒険者ギルドの組員になれば紹介してくれるが、今からギルドに属しても仲介料という名の中抜きと要らぬ詮索を受けるのが面白くない。

 二人の意見はそこで一致しており、別の選択肢を選ぶ事になる。

 

「情報収集も兼ねて盗賊ギルドに顔を出そうか」

 

 盗賊カイルの提案にヤトも同意した。クシナだけはよく分からない顔をしていたが二人に従った。

 話の纏まった三名は早速宿を出た。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 未開の遺跡

 

 

 宿を出た三名は、そのまま街の貧民区を目指した。盗賊ギルドはどの街でも貧民街やスラムのような、治安が悪く外部の者を寄せ付けない場所に居を構えるのが不文律だった。

 今回は盗賊ギルド員のカイルが居るので蛇のタグは簡単に見つかった。タグはダリアスの街の白蛇と違って、黒蛇がネズミを喰らう形をしていた。こうしたデザインの細かい違いは国や土地柄の違いから出るものである。

 ともかく目当ての物を見つけて、タグのある建物の地下へと降りる。

 降りた先の部屋には暇そうにしている青年が座っていた。

 

「いらっしゃい。客か、それとも組員か?」

 

「組員だよ。物の買取と情報が欲しいんだ」

 

 カイルは用件を告げつつ、懐から白蛇の描かれた木札を青年に見せた。

 札をじっくり観察した青年はカイルがどこの所属か思い当たり、ダルそうな顔から仕事人の顔つきになる。

 少なくとも舐められないと分かり、ヤトは買取予定の武器の束をテーブルに乗せた。

 

「武器か。魔法具の類か?」

 

「正解。この国で売り捌くツテが無いから、ここに持ち込んだんだ」

 

「剣が三振り、斧が二本、槍も二本。結構な年代物だな。まあ、査定は専門がやるから待ってな」

 

 青年は武器をざっと見てから隣の部屋に居た雑用係に武器を渡した。

 

「で、情報ってのはなんだ?」

 

「今渡した剣より頑丈な剣を探しています。竜を斬っても砕けないような頑丈な業物を」

 

 ヤトの要望に受付の青年は首を傾げた。

 買取り予定の剣をざっと見た感じ、どれも業物だ。竜を斬れるかは分からないが、並の幻獣なら容易く斬れるだろう。それで満足しないとは随分と大言吐きというか欲深いというべきか。

 とはいえ求められた以上は商売人として応えねばならない。彼は担当に渡す紙にヤトの要望を記した。

 

「他には?」

 

「この国のエンシェントエルフの集落を探してるんだけど」

 

「エンシェントエルフだって?んな普通のエルフの村ならともかく、ギルドでも情報は殆ど持ってないぞ」

 

 カイルの要望に難しい答が返された。カイル自身もアポロンで幾度となく同じ言葉を聞いた。それでも他国ならと一抹の望みはあったが、やはり簡単にはいかないらしい。

 

「一応担当に聞いておくから、あんた達は客室で待っていてくれ」

 

 受付の役目を終えた青年は他の職員を呼んで、ヤト達を客室へと案内した。

 

 簡素な客室に通された三名は大人しくしているが、好奇心旺盛なクシナはテーブルに置かれていた茶菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。

 

「おおっこれは美味い。二本足はこんな美味い物を食べているのか」

 

 お菓子の甘味に感動したクシナは一つ、また一つと口に入れる。そしてあっという間に半分以上を平らげると、我慢出来なくなったカイルも参戦。二人はお互いに負けるものかと張り合って、全てを食べ尽くしてしまった。それでもまだお代わりを要求しないだけ分別があると思いたい。

 そしてしばらくすると客室に猫人の中年男性が入ってきた。

 

「待たせたな。ここの情報担当のショーンだ。早速だが、欲しい情報を教えよう」

 

 茶色の毛が愛くるしい猫人だが、渋い声がミスマッチだった。それはさておき、ショーンは本題に入る。

 まず、カイルの欲しているエンシェントエルフの村は残念ながら一切情報は無かった。

 元来エルフは排他的で同族以外のコミュニティに姿を見せる機会は少ない。そして王族と同義のエンシェントエルフはさらに引き篭もり体質で、情報通の盗賊ギルドでも目撃例は皆無だった。

 カイルも良い結果が得られないのは凡そ分かっていたが、実際に告げられると落胆の色を隠せなかった。

 そしてもう一つの情報の、ヤトの欲している竜を斬る剣だが、そんな物は無いらしい。

 正確にはあると言えばあるが、無いと言われたらその通りである。

 現在を生きる鍛冶屋は己の剣が本気で竜を斬れると思っている手合いもいるし、剣の価値を上げようと大げさに宣伝する輩も数多くいる。竜殺しを謳う魔法剣は数多くあるが、実際に竜を斬った事が無いので分からないそうだ。ある意味当然かもしれない。

 あるいは世には本当に竜を殺せる剣はあるだろうが、そんな伝説級の武器は早々人目に触れず、王の宝物庫や神殿の御神体として祀られている。

 仮に本当に竜殺しの宝剣が実在しつつ情報を手に入れたとしても、流石に剣に狂ったヤトでも率先して神殿に強盗に入るのは後々の面倒を考慮すると躊躇う。

 

「期待を裏切るような情報かね?」

 

「いえ、もしかしたらと思っただけですからお気になさらずに」

 

「逆に言えば未だに人目に触れられていない古代の遺跡になら、そうした伝説の武具が眠っているかもしれないな。何せ昔の方が優れた魔法具は多い」

 

 ショーンの話はある意味で正しい。現在でも魔法具は無数に造られているが、多くは過去に造られた道具よりも劣る。理由は諸説あるが、一番の理由は昔に比べて質の良い鉱石が枯渇しかかっている事だ。

 だからより良い道具を手に入れようとすると、どうしても古い時代に造られた物を選ばなければならない。

 しかし古い道具がそんなに都合よく転がっているはずもなく、多くは危険な遺跡や隠し財宝を探す他無い。

 そこでショーンはニヤニヤして長いネコ髭を揺らす。

 

「ちょうど半月前に鉱夫が未発見の遺跡を見つけてな。噂を聞き付けてあちこちから冒険者が集まっている街がある。その情報欲しいか?」

 

 高いぞ。とショーンは言わなかったが、高い情報料なのは分かり切っていた。

 ヤトは仲間のカイルの顔を見る。

 

「良いんじゃないかな。僕も盗賊としてその遺跡には興味あるよ。それに集まる人が多ければ、僕の欲しいエルフの情報もあるかもしれないし」

 

「なら、その街の情報を買います」

 

「よし契約成立だ。後で地図を用意しよう。ああ、そういえばその遺跡には探索許可証が無いと入れないそうだ。うちのギルドなら正規の発行証を用意出来るんだがなぁ」

 

 ヤト達からすれば足元を見た商売だが、冒険者ギルドに所属していない一行が遺跡探索をするにはその許可証とやらが無いと困るのは事実だ。

 それに今から冒険者ギルドに所属した所で新人は何か月も待たされるのが目に見えている。出涸らしの遺跡に期待など出来そうもないので、必要経費と割り切って許可証を手に入れた方が見返りも大きい。『先んずれば人を制す』の精神だ。

 どうせ魔法具の買取料金よりは安いので、即決して許可証を用意してもらう事にした。

 話が纏まり、後は魔法の武器の買取を待つのみとなった。ついでにクシナ用に茶菓子の補充を頼むと、ショーンは苦笑しながら了承した。

 

 しばらく三人で茶菓子を摘まんでいると―――――今度はヤトも食べるのを見てクシナも少し遠慮した、経理担当を名乗る女ドワーフが数枚の紙を持って入ってきた。

 

「待たせたね。武器六点の買取金額は金貨千二百枚だよ。これがその内訳を書いた紙。で、こっちが遺跡のあるバイパーの街までの地図と探索許可証。情報提供料と合わせて金貨百枚。つまり差し引きで金貨千百枚があんたらの取り分だ」

 

 それぞれの紙を隅々まで確認して不備が無いのを確かめた。代金の方は千枚以上の金貨は持ち運びに苦労するので、小切手で渡された。

 実は盗賊ギルドは表商売として為替商や金貸し業を営んでいる。その表業務を利用して後ろ暗い取引で得た金を資金洗浄して市場に流していた。だからヤトが受け取った小切手はこの国の大きな街のどの為替商でも換金出来た。

 なお金貨千百枚は一人の平民が一生かかって稼ぐ金に近い一財産である。ギルドが仲介料として幾らか差し引いた買取金額でもそれほどの価値があるのだ。古い時代の魔法具がいかに高額で取引されるか分かるというものだ。

 

 全ての取引に不備が無いのを確認すると、一行は盗賊ギルドを後にした。

 そして明日の朝には街を出て、西のバイパーの街に立つので、クシナに貨幣と商売の原理を教えながら準備を整えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 奇妙な女

 

 

 ヤト一行がグラディウスの街の盗賊ギルドを訪れてから三日が経った。

 この日の昼には目的地であるバイパーの街に着いていた。

 本来ならグラディウスの街からバイパーの街まで歩いて十日はかかる距離だが、反則的な手段で旅の行程を二日に短縮していた。

 反則とは竜の姿に戻ったクシナに運んでもらう事だ。地上を徒歩で進むより圧倒的に速い空の旅によって、人目に付かないように多少遠回りしても、二日で目的地にたどり着く事が出来た。おかげで腕に掴まれていた馬は酷く怯えてしまったが、短縮した時間の価値は極めて大きい。

 その証拠にバイパーの街の正門には多くの旅人や冒険者の姿が見える。これらの殆どが見つかった遺跡を目当てに一山当てようと集まって来た者達だ。

 これがあと五日も遅かったら、おそらく山師も数倍になって宿すら確保出来なかったかもしれない。クシナ様々である。

 その甲斐あって一行は街の中でも上等な宿屋に長期滞在できた。宿の名は『岩竜の寝床』である。竜であるクシナに似合う宿だった。

 宿を確保して憂い無く街を散策する三人。

 

「しかしここは前の街以上に二本足でゴチャゴチャしているな」

 

「その中には僕達も居るんですけどね」

 

「みんな一獲千金を求めて集まって来てる冒険者だよ。そして冒険者相手に金を儲けようとする商人もあちこちから来てるんだ」

 

 カイルの言う通り、表の通りには隙間も無いほどに露天商が商品を道に並べて調子の良さそうな声で冒険者の客を相手にしている。

 

「ツルハシにロープ。松明のセットだよー!遺跡に行くなら絶対必要だよー!」

 

「クスリ―、クスリはいらんかねー!傷薬、解毒薬、気付薬、包帯。何でもあるよー!」

 

「保存食はウチが一番安くて美味いよー!他のはとてもじゃないが、食べられた物じゃないよー!」

 

「オッサン、もう少し安くしろよ!なんでロープ一本がこんなに高いんだよ!」

 

「要らんのなら他所に行きな!けど、今の街じゃどこも似たような値段だぞ」

 

「足元見てんじゃねー!」

 

 商人と客らしき冒険者がいがみ合いながらも値段交渉に熱を上げていた。

 そんな光景が通りで数十は見かけられる。

 実際ヤトやカイルからすればバイパーの商人達が並べた品は食料品を除いて恐ろしく高い。何せ一行がグラディウスの街で揃えた遺跡探索道具の価格の五倍から十倍は高いのだ。冒険者達が文句を言うのは正しい。

 しかし正しいからと言って、儲けるためにはるばる遠方からやって来た商人達が譲る事などあり合えない。

 結局、冒険者は商人の口には勝てず、不本意ながら僅かに値引きしたぼったくり商品を買う羽目になった。

 冒険者は知っていた。高いからと言ってここで何も買わずに遺跡に潜れば命の危険が飛躍的に増す。だからここは命の値段と無理矢理納得して買うしかなかった。

 それでも買い物客がひっきりなしに道具を揃えるのはそれだけ手付かずの遺跡にはお宝が溢れんばかりに眠っているのを知っているからだ。盗賊ギルドの情報では、この街の鉱山奥にはかつてミスリル精製によって莫大な財を成したドワーフの都市が眠っている。

 ミスリルはオリハルコンやアダマンタイト同様に武具に適した魔法金属で、その価値は鋳造しただけのインゴットでさえ黄金の三倍の重さで取引される。さらに鍛冶に長けたドワーフが鍛えた上質のミスリル製武具なら重さに対して金の十倍の値が付く。もし発掘したならナイフ一本でさえ金貨百枚超で買い取ってくれるだろう。

 だから冒険者達は道具が多少高くついても後で余裕で取り返せると楽観視して先行投資をしている。中には借金をしてでも資金を用意して来た者もおり、街は混沌期にして絶頂期と言えた。

 三人はごった返す街中を腕で人垣をかき分けるように進み、ようやく目的の場所にたどり着いた。

 そこは街の広場に幾つかテントを張っただけの露天商の集ったような市場のように見える。道中見かけたような多数の冒険者たちがざっと数百人が白いテントに向かって列を成していた。ここが門衛から聞いた遺跡探索の仮設事務所である。

 ヤト達は列自体には関心を示さず、近くで列の整理をしていた職員の若い男に話しかけた。

 

「仕事中すみません、ここが遺跡探索の申請場所ですか?」

 

「そうだよ。あんたらも行儀良く列に並んで順番を守ってくれよ。でないと探索許可は出さないから」

 

「許可証はもう別の街で譲ってもらったので名義変更だけしたいんですが」

 

「変更手続きならあっちの赤いテントが担当だからそこで事務処理をしてもらって」

 

 男が指差した先には数名が並んでいる人気の無い赤いテントがある。軽く礼を言って赤いテントに向かった。

 赤のテントは先客が一組居るだけで閑散としている。しばらく待っていると先に手続きを終えた男女の二人組とすれ違った。

 男のほうは三十歳前後、この辺りではあまり見ない褐色の肌と濡れたカラスのような艶のある黒髪、鋭利な刃物を連想させる細く整った顔立ち。長旅によって幾らかくたびれた黒い外套の下には大陸中部の民が好む意匠を施した革製の上等なベストを纏うも、服の上からでも引き締まった鋼のような肉体が見え隠れしている。腰のベルトには金属製の短杖を差していた。

 女のほうは顔を半分以上頭巾で隠しており口元しか分からないが、皺の有無からおそらく四十歳は超えていないと思われる。地に足が着きそうな長い裾の法衣のような服を纏い、手には細部にまで凝った細工の施された遊環付きの錫杖を握っている。一見すると女神官に見えるが、ヤトもカイルも服装から彼女がどの神に仕えているのか分からなかった。

 三人と二人組は無言ですれ違うかと思われたが、法衣の女のほうがすれ違った後に立ち止まって鈴の音のようによく響く上品な声を投げかけた。

 

「変わった取り合わせね貴方達……まるで御伽噺の中から出てきたみたい。縁があればまた会いましょう」

 

 彼女は言いたい事を言って連れの男と共に人ごみに消えていった。

 

「何だったんだろうね、あの二人」

 

 意味深な言葉を残して去った男女に首をひねる。確かに自分たちは亜人の女子供と優男という、一見して遺跡探索とは関わりの無い集団だ。そこまでは女の言う通り変わった組み合わせと言えるが、エンシェントエルフであるカイルを除いて御伽噺から出てきたとは言い難い。果たして女の言葉はなんの意味があるのか。

 

「また会った時にでも聞いてみたらどうですか?僕はもう一人の男のほうに興味ありますし」

 

「アニキが興味って、さっきの人強いの?」

 

 弟分の質問にヤトは笑みを浮かべながら無言で頷く。カイルは初見で相手の強さを推し量る術は持っていないが、こと強さにかけて兄貴分が違える筈が無いのを嫌というほど知っているので異論は挟まなかった。

 精々今出来る事は無用な敵対をしないよう再会した時にある程度友好的に接するように心がけておく程度だろう。

 気を取り直した三人はテントの中で書類と格闘している事務員に盗賊ギルドから手に入れた遺跡探索許可証を渡して要件を伝える。事務員は許可証の紙質、文面、押印を丹念に調べて偽物でない事を何度も確認してから改めて手続きに入る。

 

「ところでパーティの代表者はどなたです?一枚の許可証で探索出来るのは五人まで、途中で人が入れ変わっても構いませんが、代表者だけは固定ですから」

 

「アニキがやってよ。僕はこのなりで嘗められるし、クシナ姉さんは問題外だし」

 

 カイルの言う通り他に選択がない以上、リーダーに向かないと分かっていても自分がやらざるを得ない。ヤトは書類に必要事項を全て記入して事務員に提出した。

 書類に不備が無い事を確認した事務員は許可証を一部修正してヤトに返却した。これで気兼ねなく鉱山の遺跡探索が出来る。

 ふと気づけば日は幾らか傾き、あと数時間もすれば日没だ。今から遺跡に行くのは半端な時間なので、今日のところは食事を取って明日に備えるべきと三人の意見は一致した。既に先程の女の事は誰も気に留めなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 同じような三人

 

 

 無事に手続きを済ませた三人は多少早い夕食を取るために宿屋近くの食堂に入った。夕食にはまだ早い時間だったので空いているかと思ったが、既に席は半分以上埋まっており、客の多くは酒瓶を抱えてかなり出来上がっていた。それも陽気さとは無縁で憂さ晴らしに飲んでいるのが一目で分かった。

 ヤト達は空いている席に就いて店の年配の女中に食事を頼んだ。彼女は三人が頼んだ食事に顔を引き攣らせていたが、すぐに動揺を隠して何事もなかったかのように厨房に知らせる。

 先に注文した飲み物が来たので三人でそれぞれ口につける。中身はリンゴを絞ったジュースだ。

 

「おおー酸っぱいが甘くて美味しい!」

 

「喜んでもらって何よりです」

 

 クシナが嬉しそうにくぴくぴジュースを飲むとヤトの顔が綻ぶ。

 古竜である彼女は人類種が作る料理や加工食品に強い興味を持ち、村や町で興味を持った食品は手当たり次第手を出して健啖家のカイルと張り合っては美味しい料理を楽しんでいる。ヤトはそんな伴侶の楽しそうな姿を見るのがとても好きだった。

 しばらくジュースで時間を潰していると新しい客が入ってきた。奇しくも新客はヤト達と同様に女一人に男二人の三人組だった。

 三人組はヤト達のすぐ近くのテーブルに陣取って上機嫌に酒と料理を注文する。

 女は20代後半の背の高い人間。法を司る神官服を身に纏いつつも荒事を済ませたような冒険者風の出で立ち。そして荒々しさに似合わないよく手入れされた長い金髪に濃い化粧をしていた。年増だが美人と言って差し支えない。

 男の一人は太った巨漢の獣人。熊人のように見えるが愛嬌のある顔立ちから狸人だと分かる。腰には血糊の付いた鋼鉄製のガントレットを一組吊るしている。

 もう一人の男も獣人。こちらは狐人で、もう一人の男と対照的に精悍な顔つきに煙管を咥えている痩身の伊達男。酒と料理の匂いが混ざり合った食堂でも分かるほどに彼からは薬の臭いが漂っている。

 三人は先に酒で乾杯して飲み干すと、おもむろに荷物をテーブルに置いた。そして彼らが袋から中身を出すたびに周囲からは感嘆と嫉妬の声が上がる。

 

「うわっすごっ!」

 

 カイルも周囲と同様に声を上げた。視線の先には黄金の燭台、宝石を纏う煌びやかな酒杯、純銀の水差し、細部にまで透かし彫りの入った金箔仕立ての小箱、名匠によって極限まで磨き上げた銀の鏡、純金のフォークやスプーンが数十本。あるいは赤、青、緑、黄、紫など大粒の石の嵌った指輪やそれらを繋ぎ合わせたネックレス。金の髪飾り以外にも極小の水晶を数百は集めて嵌め込んだティアラなどなど。

 食堂の心許ないランプの光の下でさえ輝きは何ら損なわれず、見る者全ての目を眩ませる至高の財宝が山のように積まれた。

 

「いやー三日目でようやく大魚が釣れたねぇドロシー様。あたしゃこのまま手ぶらで投資金が返ってこないかとヒヤヒヤしてたよ」

 

「あんたは相変わらず心配性だねぇヤンキー。私は大丈夫だって何度も言ったよ。ねっ、スラー?」

 

「それより飯はまだですか。おいどん、腹が減って死にそうなんです」

 

 黒毛の狸人の情けない空腹宣言に後の二人は噴き出した。彼らは今日遺跡に潜り宝を持ち帰った生還者にして成功者なのは疑いようもない。

 カイルは煌めく宝に目が行き落ち着かないが、頼んだ大量の料理が運ばれるとすぐにそちらに興味が移り、真っ先にフォークで熱々のソーセージを突き刺して頬張る。クシナも負けじと血の滴る骨付き肉の塊に大口で齧り付き、骨ごと噛み砕いては周囲を驚かせる。そしてヤトはマイペースに鶏肉の塩焼きを丁寧に食べていた。

 この街は山地にあり牧畜が盛んで肉が主食だが、近くに湖と川もあるので魚も食べられる。そうした肉料理と魚料理がテーブルに乗り切らないほどに乗せられていても小柄な女子供二人が次々と胃に収めて皿を空にしていく様はある意味異様である。

 和気あいあいと食事を楽しむヤト達。成功を収めて上機嫌なドロシー達。そんな面々を忌々しく思っている一人が立ち上がり、怒りに満ちた顔でドロシー達にずかずかと近づく。

 

「おうおう!てめえら調子づいてんじゃねーぞ!!なんでお前らみたいなのが遺跡には入れて俺達が足止め食らってんだっ!!ああっ!?」

 

 いきり立って怒鳴り散らす髭面の男にドロシー達は呆れと侮蔑が顔に浮かぶ。おそらく髭面は前もって許可証を手に入れずにこの街に来てから許可証を申請して入手待ちで燻っている一人だ。昼間見たように毎日数百人が列を成していれば街の役所がどんなに急いでも証を発行するには暫くかかる。その間ひたすら待たなければならず、同業者が宝を手に入れてどんどん成功している姿を見続けるのはかなりのストレスだろう。

 だからと言って成功者に不満をぶつけるのは筋が通らない。せっかくの良い気分をぶち壊されて言い掛かりを受けるドロシー達が軽蔑するのも当然だ。そんな当たり前の道理も分からない男だからこそ、自分が嘲りを受けているのも納得いかず暴力に頼って相手を従わせようとする。

 髭面が近くの椅子を抱えて財宝を満載したテーブルに叩きつけようと振りかぶるが、その瞬間に狐人のヤンキーが煙管から紫煙を吐いた。髭面はたまらず咳込んで椅子をあらぬ方向に投げてしまう。

 しかし椅子は運悪く近くのヤト達のテーブルに突っ込んでしまい、料理を滅茶苦茶にしてしまった。クシナは床に散らばる御馳走の数々を悲しそうに見つめ、そして彼女の美しい顔には段々と怒りが宿り、手の中の牛骨がボキボキと音を鳴らして砕けた。

 

「クシナさん、料理は頼みなおしますから軽く撫でるだけにしてください」

 

 ヤトの言葉に彼女は無言で頷いてから立ち、食事を邪魔した男のそばに立つ。

 

「あん?なんだお前。取り込み中だからあとに――――おぼぅ!!」

 

 クシナが男の脇腹を軽く小突くと情けない悲鳴を上げて跳ね飛ばされた後に壁に叩き付けられて、陸に上がった魚のようにビクビクと痙攣し続ける。口からは血の混じった泡を吐いていた。

 これには髭面の仲間も黙っておらず、二人がクシナに詰め寄るも、一人は腕を掴まれて放り投げられて壁にめり込み、もう一人は胸に頭突きを食らって血反吐を吐いて仰向けに倒れた。食堂に沈黙が生まれる。

 

「すみません、これ片付けて代わりの食事をお願いします」

 

「ふん、儂の飯の邪魔をするからだ」

 

 マイペースなヤトとクシナ。それとカイルが動かない三人の懐を探って財布から金を抜き取った後に男達を店の外に捨てた。

 三人の動きを見たドロシーは大笑いした後に親しげに話しかける。

 

「気に入ったよ、あんたたち。私から一杯奢らせてもらうわ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 狂乱の夕餉

 

 

 二つの三人組は今度は一つのテーブルに移って改めて食事を再開した。

 

「私はドロシー、そっちのお嬢ちゃんと大食い競争してるのがスラーだよ」

 

「僕はヤトです。あちらがクシナさんといいます」

 

「僕はカイルだよ」

 

「これはご丁寧に、あたくしは薬士のヤンキーと申します」

 

 一通り自己紹介が終わった六人はそれぞれ好きな料理や酒を飲み食いしてリラックスしている。ドロシーとヤンキーは他の面子に断りを入れてから煙管を吹かす。

 

「それで、あんたらのお目当ても遺跡かい?」

 

「正確には僕だけですよ。カイルも財宝は欲しいでしょうが本命は情報ですし、クシナさんは宝より食べ物のほうが好きですから。そういう貴方達は?」

 

「あたくし達は純粋にお宝目当てですよ。あとは少しばかり世の中を面白おかしく楽しみたい集まりですね」

 

 ヤンキーが――――アポロンのサラ王女のような混血とは違う純血の獣人だ――――狐面の髭を揺らして飄々と笑う。それにドロシーも頷く。もう一人の狸人のスラーはクシナに対抗して一生懸命ミートパイを咀嚼している。実に楽しそうだ。

 

「でもさ法と秩序の神様って神官もお堅い事しか言わないイメージがあるんだけど」

 

「そうでもないよエルフの坊や。神官だって霞を食べて生きてるわけじゃないし結構生臭いものよ。まあ、その中でも私は一等変わり者なんだけどね」

 

 カイルの指摘にドロシーは様々な感情を含んだ笑みを向ける。まだ幼いカイルには彼女の内面は読み取れない。

 そしてヤトは戦闘者として食事を取りながら同席する三人の一挙手一投足を観察する。

 ドロシーは服装からして神官だろう。肉体的にはあまり鍛えている様子は無いので武僧兵ではない。信仰する神から魔法を授かっている可能性はあるが現段階では分からない。テーブルに立てかけた錫杖は儀礼的な拵えで殺傷用には向かないが、服の不自然な膨らみと若干ズレた体幹から体のあちこちに武器、おそらく暗器を隠していると予想する。

 クシナと張り合って互いに一枚のピザの端と端に噛り付いているスラーは見た目から筋肉自慢の獣人だろう。この手の輩は珍しくない。腰の一組の鋼鉄製ガントレットから肉弾戦を得意としており、纏う鉄製の重鎧から二人の盾として前に立つ役目も担っていると見て間違いない。技量はそこそこのレベル。

 問題は隣に座っている狐人のヤンキー。この薬士は常に腰が低く飄々とした態度を崩さないが、その実こちらを観察して一定の警戒をしている。ヤトは薬について素人でしかないので彼がどのような薬品を扱うのか見当もつかない。仮にこの三人と戦う場合、最も警戒しなければならないのはこの狐人だと直感している。

 ヤトは三人の純粋な強さはそれほど高くないと結論付けて、さして戦う意義を見出せないので余程の利益対立が無ければそれなりのお付き合いを維持する程度で済ませようと思った。

 ともかく大食い競争している二人を除いた四人は食事をしながら軽い世間話をしていた。途中ドロシーは強い蒸留酒を、ヤンキーはエールのお代わりをもらう。

 ヤトは単に当てもなく旅をする傭兵、カイルは自分の故郷を探している盗賊とだけ伝えた。それとクシナは古竜であるのを伏せたまま、最近ヤトと知り合い夫婦になって付いて来たとだけ教えた。

 

「へぇ、そこの所をもう少し詳しく知りたいねぇ。女として色恋沙汰は興味あるよ」

 

 ドロシーが口元の笑みを隠しもせずに問い詰めるが、ヤトはそれを曖昧な返事で先延ばしして代わりにドロシー達の来歴を尋ねる。

 

「私は神殿暮らしに飽きて根無し草の冒険者をやってる変わり者さね」

 

「あたくしはそのお嬢と家ごとお付き合いのあるしがない薬士でして、惰性で付き合って旅しているだけですよ」

 

 ドロシーもヤンキーも嘘は言っていないのだろうが、あまり深く込み入ってほしくないので程々の部分だけを語っているのが分かる。なおスラーは元々日雇いの土木工事をしつつ暇な時に力自慢の大道芸をして日銭を稼いでいた所をドロシー達と知り合ってそのまま仲間になったらしい。多分彼だけはこの説明が全てだろう。

 互いの来歴を聞いた後、最初に質問をしたのはカイルだ。彼は二人に今日の遺跡探索がどのような冒険だったのかを聞きたかった。それはお宝以上に斥候技能を持つ者としてどのような罠や仕掛けがあるのかを事前に知っておきたいと思ったからだ。

 カイルの質問に答えたのはヤンキーだ。彼は三人の中で最も感覚が鋭く、手先の器用な男ゆえにパーティの中で斥候役を任されていた。

 

「そうですねぇ、罠の類は遺跡によくある物ばかりですよ。落とし穴、吹き矢、落石、飛び出し槍、回転ノコギリ、毒ガス。そうそう、壁に回転扉なんかもありましたね」

 

「今日のお宝はその回転扉の先の隠し部屋で見つけたのさ。いいかいエルフの坊や、上等な宝が欲しかったら大胆かつ慎重に探しなよ」

 

「うん、分かったよ」

 

「ところで魔法仕掛けのゴーレムやガーディアンの類は居ましたか?」

 

「今まで探索した範囲では見かけてませんね。ですが居ない保証はしかねます」

 

 ヤトの質問にヤンキーは首を横に振って否定しつつも確証はしなかった。

 ゴーレム及びガーディアンは魔法技術によって造られた命無き人形である。主の命令に絶対忠実、例えその身が砕けようとも必ず命令を遂行するように作り上げられた道具だ。

 現在は製造技術が失われつつあり、街中で見かけるようなありきたりな存在ではないものの、古い遺跡には時折稼働状態のまま放置されて既に居なくなってしまった主の命令を忠実に護る哀れな個体が侵入者である探索者やトロルのような亜人を歓迎していた。

 もし遺跡でこのような守護者と出くわした場合、即座に逃げ出すことをお勧めする。彼らの多くは並の戦士では傷すら付けられないアダマンタイトやオリハルコンのような朽ちぬ金属の鎧に護られながら、静寂を乱す者を分け隔てなくただ無機質に殺す。愚直な人形には命乞いも詐術も無意味だ。

 仮に倒せれば大量の魔法金属や核となる貴重な珠玉は高値で売れるだろうが相応の達人でなければ捕らぬ狸のなんとやらだ。命を天秤にかけて選択を迫られるに違いない。

 

「ここの遺跡は結構大きいからね、しかも金満ドワーフの鉱山都市だから居ると思った方が良いさね。それと不死者やゴーストもウヨウヨいるから気を付けなよ」

 

「げっ!あいつらと戦うの嫌なんだけどなぁ」

 

 カイルが露骨に顔をしかめる。ドロシーの言う不死者やゴーストとは神官の冥福を受けなかった未練を持つ死者が成仏せずに現世に留まった悪しき存在である。彼らは己の境遇を呪い、生者を羨み妬んで害をなす存在に成り果てた。こうした怪物は無縁墓地や戦場跡にもよく出るし、遺跡にもしばしば現れては探索者を殺す。

 これらを退治するには神官の祝福を受けるか、神殿で清めの聖水を手に入れて振りかける、または特殊な魔法具を用いるか、しなければならない。対抗手段の限られる相手ゆえにカイルは嫌がったのだ。

 

「聖水が欲しいのなら幾らか手持ちがあるから売ってやってもいいよ。これでも神官だしね」

 

 ドロシーがニヤつきながら懐から取り出した小瓶を揺らす。さすが神官だけあって当然のように聖水を持っている。気になる価格は神殿で買うのより少し割高だが、市場でぼったくりの値段で道具を売る商人に比べれば遥かに良心的な値段だ。ヤトとカイルは彼女に礼を言って聖水を融通してもらった。

 商談を済ませた四人をよそに、粗方料理を食べ終えたクシナとスラーは追加で頼んだ大量の果実のコンポートを争うように貪っていた。

 

 そして六人は適度な距離感を保ちつつ友好的な食事の時間を過ごしてお開きになった。なおヤンキーが言うにはスラーと大食いで引き分けたのはクシナが初めてだそうだ。

 

「じゃあお互いに良い冒険を」

 

「ええ、貴方達も」

 

 二つの三人組は和やかな雰囲気のまま互いの明日が良いものとなるように願った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 探索開始

 

 

 早朝。宿屋『岩竜の寝床』を後にした三人は街の外れにある鉱山を前にする。夜が明けて間もない早い時間だったが、既に何組かの探索者が鉱山に入るところだ。

 入り口は簡易の柵が設けられ、無精髭の生えた粗野な男たちが守りを固めている。その中で一人だけ身なりの綺麗な中年男がヤト達に許可証の提示を要求した。

 

「――――ふむ、印は本物。偽証は無いな」

 

 ヤトから受け取った探索許可証を念入りに調べて違法性が無いのを確認した男は証の返却と共に一枚の白紙を渡す。

 

「これに探索した個所を記してくれれば情報提供料を出そう。特に鉱脈の情報は金貨千枚もありうるぞ。やるかやらないかはそちらの自由だ」

 

「余裕があればやりますよ。それに我々も帰還するための道順は必須ですから」

 

「ああ、強制はしないから好きにするといい。ところで、連れのお嬢さんはそのまま潜るのか?」

 

「ん、儂のことか?何かあるのか?」

 

「……いや何でもない、忘れてくれ」

 

 男は疑問符を頭に浮かべるクシナを見ずに首を横に振って、次の探索者の説明へと向かった。

 そして三人は何事もなく柵の内側の鉱山へと足を踏み入れた。

 鉱山内部は意外と広く三人が並んで歩いても余裕がある。今は入り口が近いこともあって壁には一定間隔で松明も灯してあるので視界は良好だ。途中、幾つもの横穴を見つけたが、その多くには通行止め立札が立っていたので無視した。

 どんどん奥へと進む最中、暇そうにしていたクシナが何となしにヤトに尋ねる。

 

「なあ、ヤト。あの二本足は儂に何を言おうとしたんだ?」

 

「多分、クシナさんの服装を見て遺跡探索すると思わなかったんですよ」

 

「あー確かに。他のおっさんたちも僕らを正気と思ってなかったね」

 

 男二人に言われたクシナは自分の体を見る。彼女の服装は今も半袖シャツに短パンとサンダルで非武装。それも豊かな胸に押し上げられて丈の足りなくなったヘソ出しに健康的な肉厚の太ももが露出した、片腕でなければ娼婦に間違われるような煽情的な身なりなのだ。とてもではないが危険な遺跡に入る装備ではない。

 そういう意味では防具を着ていないヤトとカイルも似たようなものだが、それでも武器を持ち、探索に必要な道具を背負っているので見た目はまだマシだ。

 それでも止めないのは彼らが許可証を持つ探索者を止める権限が無く全ては探索者の自己責任故だ。この鉱山に一歩入った時点でどうなろうとも当人の責任。誰にも文句を言えない。

 三人は軽い雑談をしながらも多少の警戒をしつつ奥へと向かう。するとひと際松明の光の強い場所が見えてきた。そこは台座の上に篝火が焚かれており、周囲の壁を触ると容易く崩れる。つい最近掘った証拠だ。

 さらに奥を覗くと岩肌とは明らかに違う人工物がそこかしこに目に入った。

 

「ふーん、ここでドワーフの古代都市を見つけたんだ」

 

 カイルが二人の前に立って入り口付近を警戒する。軽い言葉を舌に乗せていても既に斥候として仕事を始めていた。

 

「僕が先頭に立つから、アニキは地図を描いて。姉さんは後ろを警戒してなにか近づいてきたらすぐに教えて」

 

 彼は入り口の前で小石を数個拾って穴の先に投げた。石は一定の甲高い音を立てて何度も転がった末に止まる。音に反応する物は何もない。

 不意打ちの心配は無いと判断したカイルは立ち上がって先に進み、二人もそれに続いた。

 

「おぉ!穴倉の中にも街があるぞ」

 

 クシナが目に飛び込んだ古代都市の威容に興奮した声を上げた。

 それは朽ちて半ば瓦礫と化していても都市を名乗るにふさわしい建築群であった。

 階段状に上へ上へと建てられた石造りの家々。幾重にも張り巡らされた集落と集落を繋ぐ石橋。一枚の石畳を数え切れないほど敷き詰めて舗装した道。まさしくここはドワーフの地下王国だった。

 

「で、どうするアニキ。ここは入り口で、とっくに他の探索者が探し終えた後だと思うけど」

 

「そうですね、入り口でウロウロしていても仕方がないので奥に通じる道を探しましょう」

 

 カイルの言う通りここは既に数日前に探索を終えているので残っている物は何もない。そしてここだけが住居とは思えないので、必ず他の場所に繋がる坑道があるはずだ。

 三人は警戒しながら集落をあちこち探索して幾つか石のアーチに天井を支えられた坑道を見つけた。問題はそのどれに入るかだが、ヤトは意外な道を選ぶ。

 彼は入り口が落石で塞がった坑道を選んだのだ。

 

「ここはまだ手付かずの道ですから、きっと良いものが残ってますよ」

 

「いやいや、そうかもしれないけどこれを退かしてたら日が暮れるよ」

 

 カイルの突っ込みにもヤトは動じずに、無言で剣を大岩に振り下ろす。すると入り口を塞いでいた岩はあっさり八等分になってずり落ち、人一人通れる程度の隙間が出来た。カイルは反則だと思ったが、結果的に手付かずの道に一番乗り出来たので良しとした。

 三人が隙間に入ってから再び石で道を埋めた。これで暫くは後続も気付かないので邪魔者無しにゆっくりと探索出来る。

 坑道を進む三人。聞こえる音は自分達の足音のみ。見えるのは壁として積み上げられた石材だけ。そこで今更ながらカイルは気付いた。今自分たちは誰も松明やランタンを灯していない。それでも誰も視界に不自由していなかった。

 それを尋ねるとヤトはクシナと出会ってから無明の闇でも視界に不自由しなくなった事を告げた。クシナも月明かりの無い夜でも当たり前のように視えていると語っている。おそらくは竜の特性なのだろう。

 カイルの場合、伝承ではエンシェントエルフは光とともに生まれたとあり、世界は常に昼間のように見えるのが当たり前と話してくれた。つまりここにいる全員が照明要らずのパーティなのだ。この事実は遺跡探索に極めて優位に働く。

 なぜなら松明を持つには常に片手を使わねばならず自由が利かない。ランタンは腰にでも引っかけておけば邪魔にならないが、戦闘が起きたら破損する可能性もある。そうなったら著しく視界が制限されて全滅の可能性すら出てくる。そうした危険性が無い今のパーティは理想的な集団だ。

 遅まきながら予想外の事実が発覚したものの不利な要素が減った三人はどんどん暗闇の先を進む。

 途中、横に空いた道を見つけてカイルが罠を警戒して慎重に調べながら進むと、錆び付いた鉄の一枚扉が出迎える。

 

「うかつに触ると仕掛けが作動するかもしれないから待ってて」

 

 カイルは後ろの二人を待たせてから扉の周囲の壁を目視して突起物の射出穴などが無い事を確認した後、注意しながら扉を軽く叩いて反響音から仕掛けが無いかを確かめた。さらにリング状のドアノブの下にある鍵穴に解錠用の針金を突っ込んで弄ってみるが、針金から伝わる感覚に首をかしげてから納得した。

 

「錆びて鍵が腐ってるから、このまま力づくで壊してもいいよ」

 

「なら儂がやる」

 

 そう言ってクシナは軽くドアノブを引っ張ると扉ごと取れた。

 取れた扉を通路に置いて中に入る。中はそれなりに広い空間で壁や部屋の中央には半壊した石造りの棚が幾つもある。一見すると何かの物置か倉庫に見えた。

 クシナは棚に置かれていた金属の塊を無造作に手にしてしげしげと眺めるが、これが何なのかよく分かっていなかった。代わりにヤトが何なのか気付いた。

 

「それはノミですね。こっちはツルハシ、奥にはスコップもあります」

 

「金槌と中に石が残ってるバケツもあるよ。この部屋は採掘道具を保管する倉庫なんだ」

 

 二人は錆び付いて役に立たなくなった道具の山を見て結論付けた。そしてクシナにここにある道具が何なのかを分かりやすく説明する。

 

「ほほぅ、ここにある道具で山に穴を空けて石を掘り出すのか。二本足は面白い事をする」

 

 クシナは錆び付いたノミを手の中で弄んで笑う。古竜からすれば腕の一本もあれば容易く山に穴を空けられるのだから、わざわざこんな道具を作る人類種の弱さがおかしいのだ。しかしそんなひ弱な生き物の一人が自分の腕を切り落とすほどの強さを有していると思うと、その多様性こそ最も面白い部分だと思った。

 とりあえず部屋を探索したが見つかるのは錆びた鉄製の工具ばかりだった。碌に金目の物が無かったのでカイルはガッカリした。

 ヤトが慰める中、唐突にクシナが部屋の奥に何かがいると告げた。

 三人はすぐさま臨戦態勢を整えて奥を凝視した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 不死者

 

 

 クシナの言葉でヤトはそのまま剣を、カイルは短剣を一振り握って臨戦態勢に入る。

 倉庫の奥からは石壁を叩く音が鳴りやまない。よく耳をすませば金属で石を叩く音が分かる。しかも一つではない。最低でも三つの打音が不協和音を起こして聴く者の神経を荒立たせる。

 そして石壁から異形の者たちが姿を現した。

 

「骨が動いている」

 

 クシナの短い呟きが全てを物語っていた。

 壁を突き破って塵煙と共に姿を現したのは五体の動く骸骨。骨が肉も臓腑も無いのに己の足で歩く様は冗談のように思えるが、これはれっきとした現実だった。

 彼あるいは彼女かもしれないが、あの骸骨は不死者。この世に未練を残し、肉体が腐り落ちてもなお留まり続けた哀れな魂が宿った骨だ。

 五体の骨はそれぞれ斧や戦槌を掲げで三人にじりじりと近づいていく。

 対してヤトは一足で距離を詰めて骸骨が武器を振りかぶる前に側面から横薙ぎの一閃で二体同時に切り伏せる。

 ヤトに気を取られて後ろを向いた骸骨の一体にカイルが飛び掛かって後頭部にナイフの柄を叩き付けて転がす。

 残る二体はクシナが軽く手で撫でてやると吹っ飛び、壁に叩き付けられて粉々になった。

 余裕の勝利と思いきや、困ったことにクシナが粉々にした骸骨以外はまだ動いている。それもヤトが上下に両断した骸骨は上半身と下半身が別々に動き出していた。当然カイルが頭蓋を割っただけの骸骨は何事もなかったように立ち上がる。

 

「やっぱり不死者は粉々にするか聖水で浄化しないと完全には滅びないのか」

 

 カイルは予想していたが実際に不死者の面倒さを目の当たりにして、これからもこんな奴らを相手にすると思ってうんざりした気分になる。

 

「なら儂の炎ならどうなるか試してみるかの」

 

 他の二人が何か言う前にクシナは大きく息を吸い込んで一気に吐き出す。彼女の小さな口から爛々と燃え盛る炎が勢い良く吐き出されて動き続ける骸骨共を飲み込んだ。炎は勢いを緩めずそのまま部屋全体を覆い尽くしてしまった。

 さすがは古竜の吐息。これならあの骸骨たちは骨どころか往生際の悪い魂まで跡形も無く焼き尽くされるはずだ。

 生まれて初めて竜の炎を見たカイルは興奮気味だったが、艶のある瑞々しい肌の顔が次第に青くなって喉を抑え始めた。それに気づいたヤトは声をかけようとしたが、自分も息苦しさを感じてすぐに理由に思い当たった。

 彼はすぐさまカイルとクシナの手を引いて部屋から出て、外した鉄扉で部屋に蓋をした。そして離れた通路で大きく息を吸った。

 

「クシナさん、こんな場所で火を使うものじゃないですよ」

 

「?なぜだ?」

 

「こういう狭い場所で火を使いすぎると空気が燃えて息が出来なくなるからです。貴女や僕なら大丈夫かもしれませんが、カイルは下手をしたら死んでしまいます」

 

「わかった。もうしない」

 

 理屈はよく分かっていないが彼女はヤトの言葉に素直に従う。

 倉庫の火はまだ消えていないので、しばらく放置してほかの場所を探索することにした。

 坑道をどんどん進むと、やがて広大な空間へと出た。

 そこは地下空間にこつ然と現れた巨大な空洞。奥行きの見えない向かいの岩壁、数十mはありそうな高い天井。何よりも驚くのは眼下に広がる底なしの穴だ。

 暗闇でも見通せるヤトやカイルの目でも底がまるで見えない。

 試しに石を一つ投げ入れる。石はいつまで経っても底に届かず、一分近く経ってようやく底に転がる音が鳴った。恐ろしく深い穴だ。深淵を覗き込むとヤトでさえまるで御伽噺の冥府の国を覗いているかのような、原初の本能に訴えかけるような言いようのない恐怖心がこみ上げる。

 

「おいどうした二人とも?何か穴の底に良いものでもあったのか?」

 

 クシナの能天気な言葉に我に返った二人は気持ちを切り替えて大空洞を観察した。大穴は際の部分が規則的で緩やかな螺旋状になっており、階段のように降りる事も出来る。壁には無数の穴が穿たれて、全体像はまるでアリの巣のようだ。

 地面には所々打ち捨てられた採掘道具の残骸、隅には大小の石を満載した台車が幾つもそのままに捨て置かれている。

 途中の通路にあった倉庫との位置関係から、ここがドワーフの採掘現場なのはほぼ確実だろう。

 ヤトは台車から石ころを一つ取って眺める。素人には何の変哲もない石にしか見えないが、これだけの規模の採掘現場ならただの石材や鉄とは考えにくい。おそらくここがミスリル鉱脈なのだろう。一応地図に記載して後で街の職員に伝えねばならない。

 ヤトが地図にこれまでの道筋を記していると不意に殺気を感じてその場から飛び退いた。

 元居た場所を見ると、何か薄らぼんやりとした不定形の浮遊物が通り過ぎた後だった。

 

「アニキっ!無事!?」

 

「ええ、大丈夫。あれはゴーストという不死者です。肉体が無い分、自由に動く面倒な相手ですよ。あと―――――」

 

 地図を懐にしまって剣を持つ。そしてヤトの説明が終わる前にクシナがゴーストに殴りかかるが、拳は虚しく空を切るのみ。

 

「アレは生身で触れても倒せません。それどころか触れた個所から体力を吸い取られますから迂闊に触るのは危険です」

 

「そんなのどうすれば倒せるの!?」

 

「魔法をぶつける、聖水をかける、神官が祈る、特殊な加護のついた魔法の武器を使う、ぐらいですね。あともう一つ――――」

 

 慌てるカイルを無視してヤトは調息して丹田で練った気を剣に纏わす。そしてクシナにまとわりつくゴーストを一閃。

 本来あるはずの肉体を失い彷徨う哀れな不死者は音もなく四散した。

 

「このように気功術なら小さなゴーストは倒せます。問題は――――」

 

 ヤトが何か言う前に消滅したゴーストと同じような浮遊体が現れた。それも五体。

 これがゴーストの習性。生者を見つけると他の個体も集まってくるのだ。

 カイルも兄貴分ばかりに働かせるのは悪いので荷物からドロシーに融通してもらった聖水を取り出してゴーストに振りかけた。すると小さなゴースト二体が消滅。残る三体は明らかに怯んで逃げようとする。そこをヤトが回り込んで一体を斬った。残りは二体。

 

「クシナさん、ここなら多少火を使っても大丈夫です。ですが出来るだけ小さな火でお願いします」

 

「わかった、やってみる」

 

 何気に先程の失敗を少し気にしていたクシナはヤトに頼られたのが嬉しかった。今度は言われた通り軽めに火を吐き―――それでも数mは伸びる火柱だった―――残りのゴーストを消し飛ばした。増援は来ない。

 警戒を解いた三人は大空洞の探索を前に休息を取ることにした。カイルが火の残り火を使ってランタンに火を灯して地面に置き、三人は火を囲むように腰を下ろした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 盗賊の意地

 

 

 ランタンを中心に輪になって座る三人は荷物から水筒と固焼きのパンを取り出して頬張る。はっきり言って保存性を最優先にしたパンは触感も悪く不味い。それでも腹に入れなければ空腹になってコンディションを維持出来ないのだから我慢して食べなければならない。それは竜であるクシナも同じだ。彼女は渋面のまま無言でパンを齧っている。それでも文句の一つも無いのは連れの二人が同じものを食べても文句を言わないからだ。それを見かねたヤトが街に戻ったらまた美味しい物を御馳走すると宥めたら彼女は機嫌を直して嬉しそうに食べたい料理を挙げた。

 休憩の後、再び探索を開始した。

 今度は採掘現場に隣接する作業場を探す。これだけ大きな現場ならそばに道具を直す鍛冶場を設置するだろうし、採掘した鉱石を精錬する炉があるはずだ。

 不死者に注意しながら歩き回り、幾つかの部屋を見つけた。

 石の寝台が数十は置かれた仮眠室、壁から水を引き込んだ浴槽のある風呂場、崩れた竈と多数の調理器具の残された食堂など。どれも生活の名残を漂わせる部屋だった。

 そうした部屋にも不死者が残っており、その都度成仏させたものの、未だ価値のある物は見つかっていない。

 一筋の光も差さない無明の闇の中では時間の感覚も狂って今が昼なのか夕方なのかも分からないが、疲労と空腹感からそろそろ探索を切り上げて食事と休息を入れなければならない。

 ヤトが中断を提案するがカイルは難色を示した。

 

「このまま一日空振りだと悔しいから、あと一つか二つ部屋を探したいんだけど」

 

「わかりました。なら先に少し休んでから、あと一つ探索しましょう。それでダメなら今日は終わりです」

 

 本来ならあと少しは危険だが、有無を言わさず押さえつけると不満が溜まる。だから多少妥協して最後の一つを許可した。

 小休憩を入れて、まだ足を踏み入れていない部屋に踏み込む。

 そこは小さな炉のある鍛冶場だった。金床は錆び付いて煉瓦造りの炉も崩壊していたが、床にはキラキラと光る粒がそこかしこに落ちている。カイルが拾ってまじまじと見つめると軽く驚く。

 

「これ金粒だよ。多分ここで金を溶かして装飾品や調度品を作ってたんじゃないかな」

 

 今日一日働いてようやく成果になりそうなお宝を見つけたカイルは一気にやる気を取り戻した。三人は慎重かつ大胆に部屋の中を精力的に探し回って倉庫から小さな金のインゴットを一本、銀貨を五十枚ほど発見した。

 成果といえば成果だが、想像より些か貧相な戦利品にまだ納得していない。それにまだこの部屋には何かがあると盗賊の勘が告げている。その勘に従って部屋の床や壁を置いてあった鉄棒で叩いて違和感を探していた。

 こうなると外野が何を言っても耳を貸さないのでヤトは好きにさせた。

 クシナが暇そうに何度目かのあくびをした頃、作業机の奥の壁を叩いた音に違和感を感じたカイルがハンマーで壁を壊すと不自然な空間が見つかった。

 

「よっしゃー!!」

 

 喜び握り拳を挙げるが、罠を警戒してすぐに手を伸ばさない。慎重に周囲に罠が無い事を確認してから隠し穴に手を伸ばして中に入っていた物を取り出した。

 中に隠してあったのは二振りの短剣とミスリル製の小箱だった。

 短剣はどちらも錆び一つ無い。それぞれミスリル製とオリハルコン製で装飾の少ない実用品だった。それに柄の部分が幾らか手の握った形にすり減っており、長く使われていた歴史を察せられる。

 小箱のほうは鍵の類は付いておらず、軽く傾けると中で何か動く音がした。フタを開けると中には小さなルビーの嵌め込まれたミスリル製の鍵が一つ入っていた。

 

「何の鍵だろう?」

 

「さあ?もしかしたらこの都市の中に合う錠があるかもしれないので大事に保管しておきましょう」

 

 仮に使う機会が無くても鍵も箱もミスリルなので小物として売れる。取っておいて邪魔にならない。

 

「で、こっちの短剣はどうしよう。アニキ使う?」

 

「うーん、僕は脇差がありますし、投擲用には少し大きいですね。今回はどちらも貴方が使ってください。いらないのなら売るだけです」

 

「じゃあ、ありがたく貰うよ」

 

 カイルはさっそく腰に差した鉄製のナイフと予備のナイフから鞘を外して戦利品の魔法金属のナイフに使う。そのナイフを二本とも入れ替えで腰に差した。

 ここでヤトから今日の探索の中断が言い渡された。最後の最後で成果のあったカイルは快諾、クシナも異論はなかった。

 三人は鍛冶場から引き揚げ、先程見つけた寝所を今日の野営地に定めた。

 そして早々に夕食を食べてから石の寝台に毛布を敷いて眠りについた。見張りは異常に殺気に敏感なヤトが何かあれば勝手に起きると言って設けなかったが、幸いこの日は不死者も他の探索者も彼等の眠りを妨げることはなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 主無き王国の門番

 

 

 翌朝、硬い石の寝台で目を覚ました三人。各自体調不良が無いのを確認してから味気無いパンを腹に押し込んで今日の探索の準備をする。

 ちなみに持ってきた水と食糧はあと一日分。出来れば今日の夕方までにはもう少し成果を出して街に帰還しなければならない。

 気持ちを整えた三人はさっそく昨日探索しきれなかった大空洞内の部屋の探索を再開した。

 

 結論から言えば大空洞付近の部屋からは大したものは見つからなかった。精々銀製の杯と金箔仕立ての髪留めが各一つだけ。

 財宝は残念な結果になったが、幸い空洞から別の空間に通じる坑道を幾つか見つけたので、そちらに移動すれば何か見つけられるかもしれない。

 ヤトが地図に情報を記載し終えてから坑道の一つを選んで先を目指した。

 坑道を通る最中カイルは何度か欠伸を噛み殺しながら罠を警戒している。疲れが溜まっているのは分かるが少々気が抜けていると感じたヤトが忠告しようと瞬間―――

 

『カチッ』

 

 非常に不吉な音がカイルの足元から聞こえ、彼の頭上を一本の槍が通り過ぎた。白金のような光沢のある細い髪の毛が数本ハラハラと地面に落ちる。

 カイルはその場でへたり込み冷や汗を流してガタガタと震える。

 ヤトは剣を抜いて慎重にカイルの元に寄る。剣を抜いたのはもし同じ類の罠があった場合払い除けるためだ。

 幸い同じ罠は発動せずに済み、近づいて怪我が無いかを確かめてからカイルを叱った。

 

「気を抜きすぎです。貴方が死ななかったのは単に運が良いからですよ」

 

「ご、ごめん」

 

 涙目で謝罪する。ヤトは飛んできた槍と発射口を確かめる。カイルの頭上を通る穴は侵入者用の罠だろうが位置がやけに高い。こうした罠は的の大きくなる胴体部に当たるように設定されるが、この位置では常人の首から上だ。だから小柄なカイルは罠にかかっても生きていられた。

 ヤトは遺跡の主であるドワーフの体格を思い出し、もし誤作動を起こしても種族的特性で小柄な彼等なら罠を避けられると思い至った。同じ矮躯のミニマム族も避けられるが、おそらく罠は主に人間を対象として設置したのだろう。

 ドワーフにとって人間は自分達の作る品を買ってくれる気前の良い客で隣人だ。同時に隣人だからこそ強欲さも知っている。当然備えは怠らない。

 強欲な人間の罠で死ななかった幸運なエルフの少年は震える足を落ち着けて立ち上がり、再び罠を警戒して歩き出す。眠気はすっかり吹き飛び、今度は過敏なほど気を張って一歩一歩足を進めた。

 

 

 比較的長い坑道の先は上へ上へと階段状に石造りの大きな建物が並んだ空間だった。建物はざっと三十はあろうか。後ろを振り返れば坑道の入り口には斧を掲げた戦士を模したドワーフ像が両端に飾られていた。

 

「うわっ!この像全部ミスリルで出来てるよ。これ何とか持って帰れないかな?」

 

「僕とクシナさんなら何とかなりますが、坑道が狭いから解体しないと運べませんよ」

 

「そのままの形のほうが価値が上がるからいいけど、これだけ大きいならインゴットでも十分か」

 

 カイルはベチベチと像を触ってどれぐらいの重量があるのか計算し始める。冗談かと思ったら本気で持って帰ろうとする様にヤトは呆れて建物のほうに注意を向けた。

 建物を観察してある事実に気付いた。一番上の建物はそれ自体が石の煙突だ。そして他の建物から延びる煙突と合流して一つに纏まっていた。長く旅をしているがこれほど巨大な煙突は初めて見る。

 これほど大きな煙突が必要になる建物が調理場や浴場とは考えにくい。それに採掘現場から近い位置から察するに、ここがドワーフの精錬場と鍛冶場なのだ。

 

「ドワーフの王国の心臓…ですか。これほどの物を放って彼等はどうなってしまったのか」

 

 人にとって遥かな過去となった王国の死に想いを馳せる。

 物思いは突然の轟音によって遮られた。

 振り返るとカイルがクシナに頭を掴まれて引き摺られている。そして何故か入り口に立っていたドワーフ像の片割れが巨大な斧を振り下ろしていた。さらにもう一体の像も巨体を揺らして歩き出す。おまけに轟音に呼び寄せられるように建物から骸骨が十体は出てきた。

 合流した三人。クシナが対峙する像の説明を求めた。

 

「あれはゴーレム。侵入者や敵対者を排除するように命令された動く像です」

 

「壊さないと止まらないのか?」

 

「持ち主が止めない限りはそうでしょう」

 

「じゃあ壊すか」

 

 動いていようが止まっていようが、結局やることは変わらない。

 ヤトとクシナがそれぞれ一体ずつゴーレムと対峙する。カイルは自分がゴーレムと戦うには力不足と分かっていたので骸骨と戦う選択をした。

 ゴーレムと向かい合うとより大きさが鮮明になる。全高はヤトの倍以上、クシナに至っては三倍近い。重量は比較するだけ無駄だ。前に討伐したトロルと大差が無いが、向こうは生身で斬れば血が出て痛がっても、こちらは手足を斬られようが胴体を刺されようが平然と戦い続ける。一応動力源を壊せば機能停止するが、それがどこにあるのかは個体によってそれぞれ異なる。戦闘中に見つけ出すのはほぼ無理だ。となれば手足を斬って物理的に動けなくするしかない。

 勝利条件の定まったヤトは即座にゴーレムの足を斬る。ミスリル剣とミスリル装甲がぶつかり合って弾かれる。同じ材質ゆえに斬れないのは道理だ。

 お返しとばかりにゴーレムが巨大なミスリル斧を振り下ろした。爆音としか言いようのない轟音と共に地面が抉られるが、鈍重な攻撃がヤトに当たる筈が無い。めり込んだ斧の柄を気功を纏った剣で斬られた。

 それでもゴーレムは何事もなかったように岩のような拳を振り上げて叩き付けるつもりだった。

 

「『風舌』≪おおかぜ≫」

 

 その前に左足をヤトに斬られてバランスを崩して倒れる。そこから先は単なる解体作業だった。残った手足を順々に斬られて自由を奪われ、動けなくなったところで放置された。並の戦士なら絶望するしかない相手でも、今回はゴーレムのほうが相手が悪かったとしか言いようがない結末だった。

 ヤトと像の一体が曲がりなりにも戦いの形式を成しているのに対して、もう一つの片割れは蹂躙と呼ぶにふさわしい扱いを受けていた。

 クシナはゴーレムが斧を振りかぶった瞬間、一瞬で距離を詰めて飛び蹴りを放つ。小柄な女性の蹴りでゴーレムが吹き飛び仰向けに倒れた。蹴りを受けた胸は見るも無残に抉れる。その上に乗った女を払い除けようと手を振るうも、逆にその腕を殴り飛ばされて肩から千切れた。

 さらに残った腕を掴みもぎ取った。それでも動くゴーレムにクシナはうんざりすると軽く息を吸い込み業火を吐いた。勢いが弱くとも竜の炎は地獄の炎にも勝る。ドワーフの炉で鍛えられたミスリルでも耐えられる道理は無い。ゴーレムは凄まじい熱量によって腹から上が蒸発した。

 

 人竜の夫婦が命無き巨像を叩き壊した反対側では妖精王の血脈が同じく命無き亡者共を相手に大立ち回りをしている。弓は乱戦に向かないので早々に外して、昨日手に入れた魔法金属の短剣二振りを器用に扱い十体もの骸骨を上手く捌いていた。

 多勢に無勢での戦い方はとにかく動いて的を絞らせない事と同士討ちを誘発する事だ。特に今回のような同士討ちに躊躇いの無い不死者は面白いように互いを攻撃し合って損傷して数を減らす。

 それでも元が痛みも感じない骸骨では致命打にならないので、カイルは地道に短剣で骨を断ち続けてその都度聖水を振って浄化していたが、それも面倒になって短剣に直接聖水を振って斬り始めた。

 幸運にもそれが不死者には極めて有効な手と分かった。聖水付きの魔法剣は即席の加護付きの聖剣となって瞬く間に骸骨達をただの骨に変えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 棺に眠るモノ

 

 

 ゴーレムと不死者を全滅させた。これだけ派手に立ち回ったが増援は来ない。一応警戒は続けるが周囲の脅威は去ったと判断していい。

 そして無惨な金属塊に成り果てたゴーレムを見たカイルは勿体ないと思いつつ、どうせ後で解体しないと運び出せないので納得した。

 残骸は後で回収すればいいので一行は先に建物の探索を始めた。

 この空間の建物は予想通り精錬所と鍛冶場だった。中には大小さまざまな炉があり金床がある。当然のごとく火の落とされた煤まみれの炉はどこか寂し気で物悲しい。まるで置いて行かれた子供を見ているようだ。

 それはさておき目ぼしい物を求めて数時間隅々まで探し回ったが結果は芳しくない。ヤトはここが鍛冶場だったので良質な剣の一振りでも残っているかと思ったが、残念なことに当てが外れた。結局見つかったのは装飾用に溶かす金銀のインゴットが数本とカッティング前の宝石が一袋分だった。

 装飾を担当していたアトリエの一室で昼食の堅焼きパンを齧るヤトは落胆の色の隠せない。腰に佩いたこの国の王家の家紋の刻まれたミスリル剣も決して見劣りする剣ではないが、それでももしかしたらそれ以上の剣が見つかると思っていた。しかし現実は厳しく、剣の一振りも見つからないとは……。

 誰が悪いわけではない。強いて言えば己の運が無いせいだ。

 食料は残り僅か。隠し部屋や倉庫があるかもしれないが、それを探していると水と食料が尽きる。これ以上の探索は無理と判断したヤトは食事を終えたら戦利品を持って一度街に帰る事を提案した。

 リーダーの提案は理にかなっているのでカイルもクシナも反対しなかった。

 そうと決まれば後は像の残骸を縛って纏めて運びやすくする作業が待っている。力のいる仕事のために残ったパンを頬張って嚥下した。

 その時、ヤトはふと足元のパンくずに群がる何匹もの虫に気付いた。少し観察していると、その虫達は床の石畳の隙間から這い出て、再びパンくずを地面の下に運び込んでいるのが分かった。

 

「!もしかして―――」

 

 ヤトは剣を石畳の隙間に滑り込ませて梃子の原理で一枚石を跳ね返した。すると石の下から不自然な空間が現れる。隠し階段だ。

 

「やったじゃんアニキ!」

 

 弟分が肩を叩いて喜びを分かち合う。

 三人は手当たり次第に石板をひっくり返して隙間を広げると、人が優に三人は通れる広い階段が露になる。

 今いる場所が都市の心臓部であることが、この隠し部屋の重要性を否応なく高めてくれる。価値ある物が残されている可能性が非常に高い。

 逸る気持ちを抑えながら罠を警戒したカイルを先頭にゆっくりと階段を下りた。ドワーフ用の階段は小さいがそれでも百段はかなり深い。

 降りた先には錆び付いた鉄扉が建てつけられていたが鍵の類は無い。錆びて動きの悪い蝶番を力任せに動かして扉を開く。

 扉の先の短い通路は大きめの空間に繋がっていた。そこは横幅、奥行き、高さ、全てが同じ尺で仕切られた真四角の石の部屋だ。中央は一段高く石が積まれており、繋ぎ目の無いミスリル製の巨大な箱が安置されている。箱は縦長で人一人がすっぽりと収まるぐらいの大きさで、まるで棺のようだ。

 いや、棺そのものと言っていい。この部屋は墓所なのだろう。断言出来ないのは墓におなじみの副葬品が殆ど無いからだが、単に墓の主や家族が物を置かない気質なのかもしれない。

 唯一目に付いたのが、奥の壁に飾られていた二又のフォークのような槍だ。正確には柄が短く穂先の方が長いので長巻と呼ぶべきかもしれないが、ヤトも初めて見る形状なので何と称していいのか分からない。

 手に取って詳しく調べると、槍の異質さがより分かる。二又の長い穂先は両刃の剣のようで、それでいて恐ろしく軽い。柄も刃も鋼と同等の強度を持ちつつ三分の一の比重のオリハルコンで出来ている。疑いようもなくドワーフの名工の作だ。

 さらにヤトは石突から切っ先までを念入りに触れて出来栄えを確かめると、自らの指の感覚を疑い再度触れて疑いを晴らす。

 

「これは切っ先の部分がミスリルですね。オリハルコンの刀身にミスリルの切っ先を鍛接してあります。どうやって鍛えたのか想像もつきません」

 

 熱した柔らかい鉄と硬い鉄をハンマーで叩いて接合する技術は大陸でも識者に知られている。ヤトの故郷葦原で生まれた東剣がその技術の結晶だ。

 しかし魔法金属で、しかも異なる金属同士を接合した例は誰も知らない。一体何者がこの槍を鍛えたのか。まるで神の手による場違いな品のように思えてならない。

 

「ふーん、それでヤトはそれを使えるのか?」

 

「どうでしょう?僕は一応槍も使えますがこの形状は初めてですから。使いこなせるようになるには相当長い時間がかかると思います」

 

 我儘かもしれないが幾ら名工の逸品と言っても使い手に合わない武器は命に関わる。出来れば使わない方向で行きたい。

 あるいは穂先だけを外して剣に仕立て直すかだ。形状はほぼ剣なので長い時間を鍛錬に費やすよりはそちらの方が易い。

 それも一度街に戻ってから決めれば良い。先に棺の中も確認してからだ。

 カイルはこれまでで最も警戒して棺を調べる。盗賊ギルドには過去に墓所を荒らした盗賊が惨たらしく罠で死ぬ話が幾つも伝わっている。毒煙、飛び出し刃、落とし穴、魔法、加護あるいは呪い。挙げればキリが無い。死者の眠りを妨げる行為はそれほどに怒りを買う。

 かなり長い間慎重に調べて、外の部分に罠の類が無いのを確認した。同時に蓋を開けるには鍵が必要になるのも分かった。

 上の建物にはそれらしき鍵は見つかっていない。元の住民が鍵だけは持ち去ったのかもしれない。当然カイルも鍵開けの技能は修めているが、試しに鍵穴に工具を突っ込んで内部構造を確かめた時点で諦めた。中があまりにも複雑すぎて手に負えないらしい。

 最終手段はヤトに蓋を斬ってもらう事だがそれは本当に最後だ。

 そこで暇そうにしていたクシナが何気なく昨日手に入れた鍵は使えないのか尋ねる。カイルはそんな都合よく合うはずないと思ったが、駄目元で昨日手に入れたミスリルの鍵を棺の鍵穴に差し込む。すると驚くべきことにピタリと形状が合い、難なく開いてしまった。

 

「ふふん、さすが儂。カイルは感謝しろ」

 

「鍵を見つけたのは僕だけどね」

 

「まあまあ、それより先に中を見てみましょう」

 

 亡骸なら謝って蓋をもとに戻して再び眠ってもらおう。さすがに箱がミスリル製でも死者の寝床まで売り飛ばす気には三人にはない。財宝ならそのままお持ち帰りだ。

 期待に胸を膨らませたカイルがゆっくりとミスリル製の蓋を床に落とした。

 三人が覗き込むと箱の中にはある意味予想通り人型が横たわっていた。棺の主は薄手の白いワンピースを纏う美しい少女だった。むしろそれこそが異常というべきか。彼女は腐り果ててもいなければ骨にもなっていない。おそらくは生前過ごした時と寸分違わぬ姿のまま長い時をこの狭い棺の中で過ごしていた。

 不思議なことに外見はドワーフと似ても似つかずほっそりとした手足に小さな頭。色素が抜け落ちたように白い肌と対となった黒髪。耳は人間のように短いが、身体そのものはカイルのようなエルフに近い。

 ヤトが試しに服を着ていない肌に触れると磁器のように滑らかな質感だ。生者と死者、どちらのものとも違う。いっそただの磁器の置物の方が納得出来る。

 

「もしかして少女の像なのでは?」

 

「確かにこの感触は生き物じゃないよ。ドワーフの変わり者が作ったのかな」

 

 遺体ではないがこれを財宝として売り払うのはある意味勇気がいる。かと言ってここに放置してもいずれは他の探索者に見つかって持ち去られるのがオチだ。

 どうしたものかと考えながらカイルが少女像の滑らかで美しい頬や唇に手を触れていた時、唐突に人形の瞼が開いた。

 

「ふぁっ!?」

 

 驚いたカイルは足を滑らせて段差から転げ落ちた。

 そして少女の像はゆっくりと上半身を起こし、ヤトとクシナ、そして頭をさすりながら起き上がったカイルをまじまじと見た後に、再びカイルに顔を向けて口を開いた。

 

「おはようございますマスター。ご命令をどうぞ」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 キリングドール・ロスタ

 

 

 水晶をそのまま削り出したような美しくも無機質な瞳がカイルをじっと見つめ、鈴の音のようによく通る濁りの無い声で命令を求めた。

 

「えっ…マスター?僕の事?」

 

「はいそうです。ご命令を」

 

「ええっと、じゃあまずその棺から出て」

 

 とりあえず思いついた事を口にした程度だったが彼女は言われた通り眠っていた棺から出る。ヤトはその挙動に一切の淀みと無駄の無さを読み取る。

 棺から出た少女はカイルの顔を見たまま直立不動で微動だにしない。本当に命令だけを実行したのだろう。明らかに生き物と異なる挙動だ。おそらく古代の何者かが作ったゴーレムの類だろう。

 

「君は一体何なのさ?名前とかあるの?」

 

「私は貴方に従うものです。私を起こした者で最も相応しい方を主と仰ぎます。そうせよと語り掛けるのです。そして名前はありません、マスターが如何様にもお呼びください」

 

「えぇーそんなの急に言われても……」

 

 カイルは困ってヤトに助けを求めるが、彼は伴侶のクシナを例に出して好きなように呼べばいいと実質助けなかった。

 助けが無いと分かり、仕方が無いので自分の知識と感性を動員して、やがて一つの言葉を捻り出した。

 

「ロスタ。これから君はロスタだ。僕はマスターじゃなくてカイルでいい」

 

「承知しましたカイル様。これより貴方にお仕えいたします」

 

 話が纏まったところで他の二人がロスタに名乗り、カイルとの関係を説明した。ロスタはカイルを第一の主人としつつも、仲間の二人も共に傅く対象に認めた。

 後でカイルに聞いたが、ロスタという名はエルフの言葉で『眠り』を意味するそうだ。ずっと棺で眠っていた彼女に相応しい名だろう。

 

「それでロスタさんはどういった事が出来るんですか?」

 

「炊事、洗濯、掃除、裁縫、子守、会計、夜伽。皆様のお世話は当然として護衛も十二分に果たせます。どのような事もお申し付けくださいませ」

 

 ヤトの質問に薄い胸を張る。日常の家事や雑務は分かるが、戦闘には疑念を抱いてしまう。外見からは今一つ信用に値しないが、ここの面子はどいつもこいつも外見からかけ離れた戦闘力を有しているのもあって、一応彼女の言い分を信じることにした。

 実はカイルがロスタの『夜伽』の言葉に一瞬強い反応を示したのをヤトは気付いたが気付かないふりをして黙っていた。武士の情けである。

 そしてこの部屋に残っていたもう一つの品の二又の槍をロスタに見せる。同じ部屋に安置されていたのだから何かしら繋がりがあるのかもしれないし、無くとも素手よりは護衛しやすいだろう。

 彼女はヤトから受け取った槍をじっと眺めて何かを理解したように頷いた。

 

「この槍は私を作ったアークマスターが私のために用意した道具だと思います」

 

「ではこれで護衛の役目を果たしてくださいね」

 

「承知しましたヤト様」

 

 ロスタは槍を二又の穂先の根元部分から折り畳んで半分ほどの長さにして紐も鞘も無いのに背負った。人造物なので背中に何か引っかける機構でも備わっているのだろうか。

 深く考えるのは後にして、戦利品を見つけて今は食料もほぼ無くなったので街に帰る事にした。

 倒したゴーレムは運びやすいようにある程度刻んで紐で縛る。二体分のミスリル塊はかなりの量になったが、ここには人型の竜が二人いる。おまけに新しく仲間になったロスタはヤトに準ずる力があり、三等分したミスリルを難なく運べた。

 罠を警戒しながらも意気揚々と坑道を歩く様子は一行が紛れもなく勝利者であることを示していた。

 

 ところが事が早々上手く運ぶわけもない。四人が採掘現場まで戻ってきた時、反対側から幾つもの光が見えた。あれは松明とランタンの光だ。

 後続の探索者が埋め直した坑道を開けて探索しているのだろう。

 カイルはランタンを出して火を灯す。無くても一行は全員暗闇でも見えるが、敵味方の分からない相手にそれを悟らせるのは危険だ。

 こちらの光に向こうも気付いた。互いの光を目標に近づき相対距離が短くなり、ついには顔が認識出来る距離で相対する。

 五人組の探索者の中で眼帯をした隻眼の男が友好的な笑みを浮かべて話しかけた。

 

「こいつは驚いたぜ。俺たちが一番乗りかと思ったのによぉ」

 

「どうも、僕たちは昨日ここを探索してそのまま中で野営していました。ここの採掘場はもう探索し終えたので他の坑道を進んだほうが良いですよ」

 

 ヤトの情報に相手の面々は何故か喜ぶ。通常探索者は先を越されると目ぼしい物を持っていかれて落胆するか相手に悪態を吐くものだ。

 たまたま中で顔を合わせただけの二つの集団はこのまま挨拶だけして何事もなくすれ違うかと思われたが、五人組はヤト達を表面上友好的な言葉で押しとどめる。

 

「まあ待て待て。ここであったのも何かの縁だ。同業者としてお前さんが俺達を助けちゃくれないかい?」

 

「でしたら先程情報を提供しましたよ。ここで時間を浪費せずに済んだ。その情報は立派な手助けです」

 

「それはそうだがよぉ、お前さんたちが担いでいる荷物は相当な量だ。少しぐらい俺たちに分けてくれたっていいだろぉ?」

 

 猫撫で声でこちらの戦利品に目を向ける。他の四人もニヤ付いた笑みを浮かべる。

 予想していた展開にヤトとカイルがさりげなく警戒心を強める。この連中は遺跡の中で出会った同業者の戦果を横取りする下種共だ。

 

「それで、ここで情報以上の協力を拒んだら?」

 

「分からねえのかい?半分残った宝が全部無くなって、そっちの娘っ子二人がどうにかなっちまうだろうよ」

 

 頭目の直接的な脅しに残った四人がゲラゲラと笑い、品の無い声が採掘現場にこだまする。

 ここに至ってヤト達全員が敵意を隠そうとしなかったが、向こうはまだ気づいていない。それだけでも相手の力量が見て取れる。こいつらは己を磨く事なく弱者から奪うだけのクズである。要求を呑む理由は無い。

 戦っても得る物が何もないと分かったヤトは速攻で全員の首を刎ねるためにミスリル塊をその場に下ろそうとした。

 しかしその前に後ろで轟音が響く。先に荷を下ろしていたのはロスタだった。

 

「カイル様、敵対存在を確認しました。僭越ですが排除してよろしいでしょうか?」

 

 ロスタの言葉にカイルはヤトに視線で同意を求め、ヤトも無言で頷いた。

 

「遠慮しなくていいよ。危なくなったら僕が加勢するから」

 

「お言葉ありがたく。ですがこの程度でしたら損害はあり得ません」

 

 自信というより純然たる事実をそのまま口にしたかのような冷淡な言葉を残してクズ共の前に立ったロスタは背中の槍を抜き放つ。槍は折りたたんだ状態から勝手に二又に戻っていた。

 男達は武器を構えたのが線の細い少女だったので腹を抱えて笑う。そして眼帯男が遊んでやろうと剣の柄に手を添えた瞬間、腰から上が消えた。その数秒後に消えた体が空から落ちてきた。切断面からは血が勢いよく噴き出し、辺りは血と臓物、それと糞便の臭いが漂い鼻腔を刺激した。

 呆ける眼帯の仲間の四人。ロスタは無言で距離を詰めて、槍を横に薙ぎ払う。最初の一人と同様に二人分の肉塊が出来上がった。

 ここでようやく我に返った生き残りは恐怖のあまり逃げようとしたがロスタに背を向けた瞬間、二人同時に二又槍の穂先に心臓を貫かれて即死した。

 

「状況終了。敵対象は排除しました」

 

「寝坊助のわりにやるものだの」

 

「お褒めいただきありがとうございますクシナ様」

 

 死体を槍にくし刺しにしたまま朗らかに話す女性二人はシュールな絵面だが、それに突っ込む者はこの場にいない。

 死体はこのままにしておくと不死者になってしまうので一か所に集めてクシナが火で魂も焼き尽くした。

 

「クシナ様は多芸でございますね」

 

「儂は竜だからの。火を吐くのは当たり前だぞ」

 

「ではお料理の時には火をお願いします」

 

「うむ、任せろ」

 

 女性同士が仲良くなるのは良いが何か致命的にズレているような気がするが害はないので男二人は放っておいた。

 そして改めて荷物を持って坑道を歩き、何組かの探索者と何事もなくすれ違い出口まで辿り着けた。丸一日以上拝んでいなかった太陽の光が眩しかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 ミニマム族

 

 

「おっ?無事に戻ってきた――――――なんだその荷物は?」

 

 入り口を守っていた男の一人が大荷物を抱えたヤト達に困惑した。

 彼等は遺跡が見つかってから一時鉱山が閉鎖されて職を失った鉱山夫。今は街の領主に雇われて山の巡回と盗掘の見張りをしている。そんな彼等は馴染みの鉱山から毎日沢山の探索者が持ち帰る山のような成果を飽きるぐらい見ていたが今度の成果は度を越していた。

 どう見ても華奢な女や優男が複数の金属の塊を担いで歩いているのだ。中には身の丈以上の巨大な斧も入っている。あり得ない光景だった。

 見張りの男達の内心など知らないヤトは彼らの仕事の邪魔にならない隅に戦利品を置く。クシナが街に戻らないのか尋ねるとヤトは彼女にある事を頼んだ。

 

「この像の指を二本ばかり引き千切ってくれませんか?」

 

「ん、まあ良いが」

 

 妙な頼み事だったがヤトの頼みを快諾して言われた通りゴーレムの指を二本力任せに引き千切った。周囲に不快でやかましい金属破断音が鳴り響き、見張りの男達や近くにいた探索者達が腰を抜かした。

 引き千切った指を貰い、ヤトは指の一本を剣で四つに切断してから腰を抜かしている見張り四人に一個ずつ手渡す。

 

「頼み事をしたいんですが、街に行ってそのミスリルの塊を信頼出来る商会の番頭さんに見せてください。そしてもっと量があると伝えてください。手間賃としてもう一本の指はここにいる皆さんに進呈します」

 

「ミ、ミスリル!?これ全部か!」

 

「どうでしょうか、頼まれてもらえませんか」

 

 ヤトは頭を下げて頼む。見張り達はその頭の低さと報酬の大きさに誰も反対意見を言わずに、一目散に街へと走っていく。

 一行は商人達がすっ飛んで来るまで他の探索者達に群がられた。さながら英雄に少しでも近づこうとする群衆のようだった。

 

 

 翌日、昼近くまで宿屋でのんびり過ごした一行は街の食堂で早めの昼食に与っている。

 他にいる客は一組。男一人に女三人、全員が子供のように小さいが顔つきは大人のそれ。彼らはミニマム族。成人していても人間よりかなり小さいのが特徴だ。

 一行の席の食堂二階テラスは日当たりがよく、秋の涼しい風と合わさって穴倉の中とは天と地ほどに過ごしやすさが違う。

 何より保存性を突き詰めただけの硬いパンとは対極にあるふんわりとした蜂蜜入りの甘いパンは絶品だ。カイルは既に四つ、クシナは八個も腹に収めていた。

 ヤトは牛肝の団子スープを味わって食べている。癖のある牛の臓物の臭いはふんだんに入れた香草で消えており気にならない。

 昨日から一行に加わった少女型ゴーレムのロスタは椅子に座ってじっとしている。彼女は人造物なので食事を必要としない。本人は三人の給仕をやりたがったが、ここは店で働く店員もいるので迷惑をかけないように座っている。

 

「それにしても金貨五万枚かー。金額の桁が多すぎて大金持ちになった実感が湧かないよ」

 

 カイルの何気ない呟きにヤトは気持ちは分かるので苦笑する。

 クシナは貨幣が食べ物に交換出来る事を学んだので多ければ多いほど良いとしか思っていない。暢気と言われたらそうだろうが、竜が細かい事を気にして生きたりはしない。彼女は金貨で思い悩むよりクリームたっぷりのプリンを頬張っている方が似合っている。

 金貨五万枚というのは昨日一行が遺跡から持ち帰ったミスリルゴーレムの残骸を売った代金だ。ミスリル塊はかなりの量があり、仮にミスリルで剣を造った場合、軽く千本は造れるだけの量があった。

 昨日鉱山から出てきた一行は、ミスリル塊を見せられて街から飛んで来た複数の商会、呼んでもいないのに来た別の商会、金の臭いを嗅ぎつけた金貸し、関係の無い野次馬などなど。まるでお祭り会場になった鉱山入り口でヤトは唐突に持ち帰ったミスリル塊の商談を始めた。

 商談と言っても実質は競りに近く一番高値を付けた商人に塊を売るだけだ。

 最初は全ての塊を一纏めで売ろうとしたが開始の値段金貨十万枚に腰が引けた商人は誰も手を挙げなかった。彼等もここで大量のミスリルを手に入れれば、それを元手に数倍は稼げると見込んでいたが、投資に回す現金が圧倒的に不足していた。一応同じ場所に何人もの金貸しはいたが、彼ら全員の全財産を集めても金貨十万枚には届かなかっただろう。よしんば届いても今度は利息分をどれだけ取られるのか分かったものではない。リスクが大き過ぎて手を出せなかった。

 仕方が無いので少しずつ値を下げて買える額まで値を落として行ったが一向に買い手は付かず、時間ばかりが過ぎた頃に街の領主までやって来て事態の収拾を図った。

 領主は揉めるようなら強権的に取引を預かって自ら買い取ると言い張った。それには商人達も不満が顔に出ていたが、さすがに領主に喧嘩を売るわけにはいかなかった。

 ヤト達、正確には商談を纏めたのはカイルだったが、領主との長い交渉の末に半値の五万枚で街の商会全てが金を出し合って共有財産としてミスリル塊を買い取ることで商談が纏まった。

 それでも金貨五万枚は一個人が手にするには額が大きすぎるし、そもそも現金として持ち歩けない。なので領主の立会いの下、街の複数の為替商に小切手を発行してもらった。

 どうにか商談が纏まり一日にして億万長者になったヤト達に夢と希望を持った人々は、とっくに日が傾いて夕刻になっているにもかかわらず、我先にと未だに宝の眠る遺跡へと突撃して行った。

 そんな夢追い人達を尻目に成功者であるヤト達はのんびりと休日を過ごして明日の探索への英気を養っている。普通の人間なら大金を手に入れた事で金銭感覚が壊れて意味の無い浪費に走るか、引退して働かずに楽隠居でも決め込む。ヤトとカイルがそうしないのは他に目的があるからだ。金では果たせない目的が。

 

「これだけお金があったらさ、エンシェントエルフの情報手に入らないかなー」

 

「ガセネタが多すぎてお金の無駄だと思いますよ」

 

「あーあ、誰かエルフの知り合いが街にいないかなー」

 

「エルフなら知ってるよ」

 

 二人の視線が隣のテーブルに注がれる。先程の発言者は木の実の入ったケーキを手に持ったミニマム族の男だった。人間で言えば年のころは三十を過ぎたぐらい。髭は生やさず、茶色のくせ毛。ミニマム族はふくよかな顔立ちが多いが、彼の顔立ちは鋭いのが特徴だ。美形と言って差し支えない。

 

「横からごめんね。エンシェントエルフの話が聞こえたから思わず口が出ちゃって」

 

「気にしてないよ。それより貴方はエルフの事を知ってるの?」

 

「君が欲しがってる情報かは分からないけど、僕達の知り合いにエンシェントエルフがいるんだ」

 

 小男の言葉にカイルが色めき立つ。地道に手がかりを探そうと思っていた矢先に情報が足元に転がっていたのだ。恐ろしい偶然だ。

 

「それで、その情報に支払う対価は如何ほどですか?一応金貨五万枚までなら出せますが」

 

 ヤトは懐から紙の束を出して、ミニマム族の男のテーブルに乗せる。紙の束は昨日為替商に発行してもらった小切手だ。使いやすいように一枚で金貨千枚と取り換えてもらえる。

 連れの女性達は金貨五万枚と同価値の五十枚の小切手を前に動揺してお茶やケーキを喉に詰まらせたり軽い悲鳴を上げる。

 

「いやあ、そんな大金はいらないよ。そうだね、僕達の料理の代金を肩代わりしてくれたら話してもいいよ」

 

 随分と安い対価だったが内容を聞いてみない事には真偽は図れないので、とりあえず男の話を聞いてみることにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 在りし日の冒険

 

 

 詳しく話を聞くために店員に頼んでそれぞれのテーブルを引っ付けてもらった。ついでにミニマム族達は料理のお代わりを頼むが頼み方に遠慮の二文字が無く、店で作っているケーキ全種類を頼んでいた。約束通りヤト達の奢りで。

 ただの昼食は都合八人によるちょっとしたパーティーに様変わりした。

 料理が次々と追加される中、八人は互いに自己紹介をする。

 四人のミニマム族の中で唯一の男はフロイドと名乗った。

 三人の中で一番ふくよかな女性がサミー。一番小柄で目のクリクリした年少の女性がメリー。背が高く、茶髪の巻き毛の女性がペレグリーだ。

 フロイドとの関係は、サミーが彼の家の使用人、メリーとペレグリーが縁戚と説明した。彼等は基本的に故郷の村でのんびり畑を耕しているが、時々冒険の虫が騒いだ時に旅をしているらしい。

 彼等もヤト達と同様この街の遺跡探索を目的に滞在している。

 

「それでなんで君は同族のエルフに会いたいの?」

 

 フロイドの質問にカイルは自分の身の上を素直に答えた。巻き毛のペレグリーはカイルに憐れみを感じて励ます。メリーとサミーもそれに続いた。

 

「じゃあ悪企みしてるわけじゃないから話してもいいか」

 

「僕達が言うのもなんですが、そんな簡単に信用していいんですか?例えば僕らがエルフの集落を襲って住民を奴隷にして売るとか考えてるかもしれないのに」

 

「ははは。本当に悪いことするつもりだったらそんな例えは出さないよ。仮にそうでもあの村のエルフを何とか出来ると思えないし」

 

「と言うと?」

 

「あそこのエルフは滅茶苦茶強いんだよ。特に老人の世代は古竜と戦ったり、御伽噺に出てくる魔人族とか悪精霊と戦った事もあるとか」

 

 フロイドの話にヤト、カイル、そして何故かロスタがなにがしかの興味を持つ。クシナは最初から三種のベリーケーキに夢中で話を聞いていない。

 古竜はそのままの通りだろう。そして魔人族と悪精霊はフロイドの言う通り神話の御伽噺として語り継がれるだけの存在となっていた。

 御伽噺をそのまま信じるなら、そうした神話は最低でも千年は昔の出来事である。にもかかわらずその神話を体験した当事者が未だ生きているとなれば、フロイドの言うエルフは普通のエルフではない。可能性があるとすればカイルと同様に神代の妖精王の血筋たるエンシェントエルフ。その村のエルフと知り合いのミニマム族というのは大変珍しい。

 カイルは話を聞いて期待に胸が高鳴る。もしかしたら探していた家族と故郷かもしれないのだ。もちろん違う可能性だってあるし、育ててくれた義母のロザリーの事は大切に思っているが、それでも心のどこかで本当の血族と会いたい気持ちはずっと持っていた。

 ヤトもまた期待感から喜色が顔に浮き出ている。なにせ神話の時代の人知を超えた存在が未だに生き続けているのだ。以前ワイアルド湖で戦った幻獣ケルベロスやサイクロプスのような巨人とは格が違う。これはカイルの事を抜きにしても是非とも会いに行かねばなるまい。

 そしてロスタは二人と違って胸に手を当てて何かを思い詰めているような、あるいは古い記憶を思い出しているような重い表情をしている。日のあたる場所では角度によって異なる七色の色彩を放つ水晶の目が彼女の困惑を映し出していた。

 

「ロスタさんはどうしたんです?」

 

 サミーがロスタを気遣うも、当のロスタは戸惑いからしばらく反応も無い。それから十秒近く経って彼女はようやく口を開いた。

 

「フロイド様のお話の中の魔人族という言葉を聞いた瞬間、私の中からよく分からない記録が洪水のように押し寄せてきました。そしてその記録を話そうとしても口が動かず、今は思い出そうにも思い出せません」

 

 ロスタは申し訳なさそうに頭を下げた。彼女のような自律式ゴーレムは例外無く主人に対して嘘や誤魔化しが出来ないように作られているので彼女の言葉は本当だろう。

 となると魔人族に対して何かしらの役割を持たされて造られた可能性がある。彼女を造った者がいれば真相を聞けただろうが、残念ながら当人に会える機会はエルフでもない限り無いだろう。

 俯くロスタにベリーケーキで口を紫に染めたクシナが何でもないように言葉を投げる。

 

「なら魔人族とやらと会えばもっと分かるのではないのか?今あれこれ考えても答えは出んだろう。それより美味い物でも…汝は食えんのだったな。なにかこう、欲しい物とかないのか?」

 

「欲しい物ですか?……もしよろしければ、お召し物を頂きたいのですが」

 

 その場の勢いで言った言葉だったが、意外にもロスタは自分から服が欲しいと口にする。それならばミニマム族の女性陣が午後から一緒に買い物をしようと提案する。当然クシナもだ。

 サミー達からすればクシナもロスタも飾り気が碌に無い野暮ったい服を着ているのが惜しくてたまらない。探索者として動きやすい服装というのは分かるが、せめて休日ぐらいオシャレをしても罰は当たらない。

 クシナは以前田舎の村の女衆に着せ替えのオモチャにされたのを思い出して嫌がったが、これまでの旅と探索であちこち服が破れて補修では追いつかなかったのもあり、ヤトの頼みで本当に渋々だが服を買いに行くのを了承した。

 ミニマム族の女性陣はすぐさま行動に出た。お代わりのケーキを食べるだけ食べて、クシナとロスタの手を引っ張って街に出かけてしまった。二人は抵抗も容易かったが、その場の空気に流されるままに連れていかれてしまった。

 残された男達は本題に戻り、フロイドからエルフの村の場所を教えてもらった。

 

「ここから西に馬で五日ぐらい行くと、山と山が途切れて間に川が流れてる場所が見える。その川を上に上に遡るとやがて谷になり、さらに奥に進むと人を寄せ付けない森がある。そこが古いエルフの住む場所なんだ」

 

 この国の地図に大体の場所を記載してもらったが、他言無用と警告を受けた上に地図は用が終わったら焼いて捨てるように言われた。フロイド達もエルフから同じ事を言われたからだ。

 神代のエルフは既に外界への関心を失っており、積極的に外と関わるのを避けている。カイルの事があるので無碍にはされないだろうが諸手を挙げた歓迎も無いだろう。

 ではなぜフロイドはそんなエルフたちと親交があるのか。

 

「昔旅をした時に彼等にお世話になったんだ。それにあの村には仲間のエルフがいるからさ」

 

 フロイドは昔を懐かしむように西に遠い目を向ける。そして彼はケーキを食べながら昔語りを始める。それは素晴らしい冒険譚だった。

 ミニマム族、エルフ族、ドワーフ族、それに人の騎士。種族も生まれた場所も違う男達が数奇な巡り合わせで集い、心躍らせる冒険の物語。

 時にトロルと戦い、オークの群れ相手に大立ち回り。日の差さぬ暗闇の森を通り抜けたと思えば豪快に川下り。その末に滝に落ちたオチまで含めれば拍手喝采だ。

 洞窟ではあわやドラゴンに見つかって黒焦げにされかけたが、知恵を絞ってどうにかやり過ごして命を拾う。残念ながら竜の財宝は何も持ち帰れなかったが、冒険で得たかけがえのない仲間との絆は金銀財宝より遥かに価値のある宝だと楽し気に語ってくれた。

 その返礼にヤトとカイルは先日まで居たアポロンでの出来事をフロイドに話した。実際にはヤトは自分語りは好まないので主にカイルが一緒に過ごした数か月を語る。

 王女や怪我人の騎士を連れての逃避行。奴隷市の襲撃。隣国ヘスティとの戦争。それにクシナとの出会い。ここだけはフロイドへの誠意としてヤトがほぼ全てを語った。

 フロイドはクシナが古竜だった事実に大層驚き、さらにヤトが一騎打ちで腕を斬ったのに言葉を失う。あまつさえ殺し合いの末に愛が芽生えたのは、ただただ笑うしかなかった。

 

「僕も結構な冒険をしてると思ったけど、君達はその若さでとんでもない日々を送ってるね」

 

「否定はしませんよ。ところで貴方も竜と対峙したのなら、竜を斬れる剣を御存じありませんか?」

 

「うーん、僕は忍だからそこまで詳しくないけど、多分古竜と戦った老エルフなら何振りか持ってるはず。譲ってもらえなくても新しく造ってもらったら?神代のエルフはドワーフに負けないぐらい鍛冶が得意なんだ」

 

 言われてみればそうだ。無いなら造ってもらえばいい。仲間の故郷探しが自分の目的に重なれば手間も省けるというもの。

 一応まだこの街の遺跡に目的の剣が無いと決まったわけではないのでもう少し探索は続けるが、明確な目的地が出来たのは良い事だ。

 男達は女衆が戻ってくるまで冒険譚に花を咲かせた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 三日月の邂逅

 

 

 ――――夜半。三日月の僅かな月明かりの下でヤトは宿の井戸のある裏庭で剣を振っていた。

 明日も遺跡探索があるから程々にしておかなければいけないが、昼間フロイドから神代のエルフの話を聞いてしまったので気が昂っていた。それを鎮めるために鍛錬も兼ねて剣を振っていた。

 単に気を落ち着けたければ伴侶のクシナと子作りに励むのも一つの手だが、そうなると互いに底無しの体力から朝まで続けてしまうのと、宿どころか隣の家屋にまで騒音が届いてしまうのでカイルから禁止の沙汰が言い渡された。もちろんクシナは不満タラタラだったが、ヤトが宥めて納得してもらった。

 それに今のクシナは昼間散々にサミー達に着せ替え人形として玩具にされてしまい、疲れていたのでそのまま寝かせてあげた。古竜の彼女をあれほど疲労させるとは、女性の買い物というのはまさしく殺人的。絶対に関わり合いになりたくないと思った。

 一時間ほどイメージトレーニングを併せた鍛錬に費やした所で、ふと何者かに見られているのに気付いた。直接相手を見たわけではないが、確かに見られている感覚だった。

 

「『颯』≪はやて≫」

 

 なんとなく感じた視線の元は宿の煙突の上。そこに違わず気功の衝撃波を飛ばした。屋根には何も変化が無い。傍から見れば一人で遊んでいるように見えるが今のヤトに遊び心はない。

 いつの間にか井戸のそばに佇む一人の影が増えていた。

 ヤトはその影に見覚えがあった。この街に来た日に一度だけすれ違った法衣の女の連れの男だ。前に見た時は腰に金属の杖を佩いていたが、今は何も持っていない。なぜ宿の屋根の上にいたのか、なぜヤトを見ていたのかは分からない。

 褐色肌の男は無言でヤトを見つめている。ヤトも剣を握ったまま彼を見ている。交錯する視線に二人が何を思ったのかは当人達にしか分からない。

 男はやはり無言で一歩また一歩と近づく。その鋭利な瞳の奥に一体どのような感情を宿しているのか余人は窺い知ることは出来ない。

 

 ―――――閃光が走った―――――

 

「ぐっ!」

 

「むう」

 

 二人の口から苦悶の声が漏れた。彼らの距離は互いの息が感じ取れる程に近い。ヤトは腹這いになるほど低い体勢のまま剣で男の膝を斬り、男は右手と右足を突き出した体勢で短杖をヤトの背に突き立てていた。

 二人は示し合わせたように間合いを離す。ヤトは肩を動かして不備が無いのを確かめ、男は斬られた膝に手を当てて流血を確認すると初めて感情を露わにする。男は微笑んでいた。

 

「己の血とはこんな色をしていたのか」

 

「随分と頑丈な身体をしているから見た事無かったんですね」

 

「人の事は言えまい。俺は串刺しにするつもりだったぞ」

 

 男はこれ見よがしに短い杖を手の中で弄ぶ。何をとは言わないし聞かない。

 ヤトはあの時、男の歩みに呼応して間合いを詰めて体勢を低くしながら練気の剣を横に薙いだ。鳩尾への杖の突きを躱しながら足を斬るためだ。

 躱したと思った。そして踏み込んだ右足を斬ったと思った。しかしどちらもそうはならなかった。

 男の肉体は気功で切れ味を増したミスリル剣でも皮しか斬れないほどに堅固。杖も躱したと思ったらいつの間にかヤトの背に突き込まれていた。文字通りの痛み分けだろう。

 

「それで見定めは終わりましたか?」

 

「なぜそう思った?」

 

「殺気が無いからです。でもあの突きは容易に人を殺せた。殺す気は無いが死んだらそれまで。誰かに言われて面倒だが実力を確かめに来た。そんな倦怠的な動きでしたよ」

 

 誰に言われたかは知らないが舐められたものだ。人から怨まれたり妬まれるのは日常茶飯事だが、単に力を推し量るためにこれほどの実力者を寄越すとは。無駄遣いにもほどがある。

 背景をスラスラと言い当てられた男はますます笑みを深めて肯定した。

 

「あの女の命令には毎度うんざりさせられたが、こんなに楽しい事は初めてだ」

 

「初めて尽くしですね。ところで続きはしますか?続きをするなら場所を変えないと宿が無くなります」

 

「無論――――と言いたいが、楽しみはまたの機会にしたい」

 

 心底残念そうに短杖を腰に差した。ヤトも自分と対等に戦える使い手と納得するまで優劣を付けたかったが、相手にも都合がある以上は無理にとは言わない。出来る事なら次は何のしがらみも無く戦いたいものだ。

 男は最初に裏庭に降りてきたのと同様、いつの間にか屋根の上にいた。そのまま姿を消すと思われたが、その前にヤトに呼び止められた。

 

「名を名乗っていませんでした。僕はヤトと言います」

 

「覚えておく。俺は―――――そういえば俺は人に名を名乗るのも名乗られるのも初めてだった」

 

「僕が言うのもおかしいですが、貴方は今までどうやって生きてきたんですか」

 

「碌な生き方をしていないのは確かだ。――――――覚えておけ、俺の名はアジーダだ」

 

 言うべきことを言いきった褐色の男アジーダは今度こそ闇夜に溶けて消えた。

 一人残されたヤトは冷めない高揚感を冷たい井戸水で無理に静めてから部屋に戻った。

 

 

 部屋に戻るとクシナが二人用のベッドを占領して腹を出して寝ていた。寝相も悪く、かけ布団を足で蹴り出していて床に落ちていた。

 子供のような寝姿だったが、ヤトはその美しい肢体を見て無理に静めていた高ぶりが再燃したのを自覚した。ようはムラムラした。

 

「――――んが?んん、ヤトか?なんだいきなり――――いや、儂は別にいいが―――――――――なんだかいつもより恐いぞ――――――ちょ、ちょっと落ち着け―――ひゃん!」

 

 翌朝、宿屋の主からは煩くしたので『ゆうべはお楽しみでしたね』と嫌味を言われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 欲望の決壊

 

 

 ―――――朝。いつもより遅い時間にヤト達四人は宿屋の食堂で朝食を執っていた。カイルは遅い理由になった仲間二人を呆れた目で見ながらローストチキンサンドに齧り付いていた。

 隣の席には自律ゴーレムのロスタがちょこんと座っている。今彼女は最初に見つけた時に着ていた白いワンピースから、エプロン付きの黒地のメイド服に着替えてメイドゴーレムにクラスチェンジしていた。

 このメイド服は昨日ミニマム族の女性たちと共に街で買ったものだ。サミー達はわざわざ仕事着を選ぶロスタに困惑したが、カイルに仕える道具であり今の仕える者と同じ装いをするのが道理だと主張して押し切った。

 ロスタの主張を覆すのは無理と思った他の三人は、ならばせめてオシャレで可愛いメイド服を着せるべきと、実用性を確保しつつも見栄えを重視した服を選んで彼女に着せた。

 通常メイド服は足首まで隠れる長い裾のスカートだが、ロスタのは動きやすさを重視して裾は膝までしかない。袖も本来は手首まで長いが、肘までしか覆われていないので白磁のような細腕が露出している。襟には可愛らしさを強調するフリルが付いていて、さらに首元には大きな赤いリボンが自己主張していた。

 メイド服でありながらメイドの業務に適さない珍妙なメイド服を着た無表情な少女の浮きっぷりは凄まじく、宿で別の泊り客とすれ違っても何も仕事を頼まれない。誰もメイドと思わないのだ。

 おかげでいちいち面倒な対応をせずにすむが、カイルはそれでロスタ本人が満足しているのがいまいち腑に落ちない。

 それはさておき、今日も遺跡探索があるので三人はしっかりと朝食を食べて、さらに宿に三日分の保存の利く食料と煮沸消毒した水を用意してもらった。

 待ってる間、食堂でダラダラと過ごしていると外から朝の喧騒が耳に届く。日に日に増していく探索者で街は活気付くと同時に治安も悪化していた。外の喧騒はそうした探索者達か街の住民とのトラブルの一つだろう。戦時中の傭兵の起こす諍いと似たようなものだからヤトは気にしない。

 用意してもらった保存食を見たクシナは上機嫌だ。今回は通常の堅焼きパンだけでなく、砂糖を多めに入れて数種類の種と共に焼いたシードケーキも特別に用意してもらった。

 つまみ食いをしそうなクシナを窘めて食料を背嚢に入れて準備万端。いざ宿から出ようとした時に見た顔とばったり会う。

 

「すれ違いにならずに良かったよ。ちょっと話があるんだけど」

 

 四人を呼び止めたのは初日に一緒に食事をした三人組の紅一点ドロシーだった。彼女の仲間のヤンキーとスラーもいる。

 立ち話は宿に迷惑がかかるので再び食堂に戻って話を聞くことにした。

 

「仕事前に悪いね。でも今から遺跡に行っても中には入れてもらえないよ」

 

「えっ、それってどういうこと?」

 

「探索者が街や鉱山で暴動を起こしてそれどころじゃないんですよ。あたくし達も巻き添え喰って、正直勘弁してもらいたいんです」

 

 ヤンキーの説明にカイルは絶句する。一攫千金を夢見るゴロツキのような探索者に行儀の良さを求めても無駄だが、いくら何でも暴動は非常識極まりない。

 ヤトは理解不能な街の現状、その原因をヤンキーに問う。

 彼によれば遺跡探索の許可を持っていない探索者が、いますぐに許可を与えるように役人に迫ったのが発端だった。当然役人は拒否したが、訴えた者に同調した大勢の未許可の探索者が武器で脅して護衛と流血沙汰を起こしてしまった。

 こうなると元から燻っていた不満に火が着くのは容易い。探索者の多くは勝手に遺跡に入ってしまい、何割かは街で阿漕な商売をしていた商人へのお礼として略奪に勤しんでいる。朝耳にした喧騒はその暴動の騒ぎだろう。法や秩序などゴミクズ同然だ。

 なお、暴動になった一端はヤト達が大々的にミスリル塊を売り飛ばして億万長者になった事も無関係ではないそうだ。遺跡に入れずに燻っている横で、若造と女子供が金持ちになったのを黙って見ていられるほど堪え性のある探索者など万に一人。いずれは起きる騒動が今起きただけの事。

 

「それで貴女達はどうするつもりで僕達を訪ねたんです?」

 

「察しが良くて助かるよ。探索者の不手際は同業の探索者で始末をつけろと領主からのご命令を、手の足りない役人の代わりに伝えに来たのさ。協力しなかった場合は今後永久に探索許可を出さない」

 

「許可を出さずに不満を溜めたのは自分達の不手際なのに、その後始末を同業だっていうけど殆ど無関係な僕らにやらせるの?」

 

「連中からすれば寛大にも自由に金を稼ぐ許可を出してあげているんだから協力は当然と考えているんですよ。一応街が雇った傭兵も居ますから協力の体裁は整ってますし」

 

 カイルは街の支配者のやり口に腹を立てた。連中は尻を椅子で磨いて偉そうに命令すれば全てに片が付くと思っている。いっそ稼いだ大金を持って次の目的地に旅立ってしまおうかとも思った。

 しかしその考えを読んでいたのか、ドロシーがカイルに水を差す。

 

「あんた達は大金稼いだからそれでいいだろうけど、迷惑してるのはここの街の普通の生活をしてる堅気だからね。上にむかついても下まで同じに思うのは良い大人になれないよ」

 

 暗にクソな大人になりたくなかったら困ってる者を見捨てるなと言いたいのだろう。元神殿暮らしに見合う御高説たっぷりの説得である。

 その説法に効果があったのかカイルは僅かに躊躇った。それを好機と見たドロシーはヤトにも同意を求めた。

 

「まだ探索するつもりですから協力するのは構いませんが、狼藉を働く者を殺害したら罪に問われますか?」

 

「やむを得ない場合は許可すると言われてるよ。領主は一刻も早く治安回復をしたいんだろうね」

 

「分かりました。協力しましょう」

 

 協力を得られたドロシー達は領主の発行した治安維持許可証を人数分置いて、これから他の顔見知りに協力を要請しに行くと言って宿を出て行った。

 四人は荷物を置いて武器だけを持つ。

 準備を終えて宿を出ようとしたところでクシナが呟いた。

 

「人間というのは自分で決めた事を自分の都合で破るのが当たり前なのか?」

 

「必要なら知らんふりして一番利になる選択を選ぶ事も多いですね。後々酷い目に合うと分かっていても、です」

 

「竜の儂から見ても馬鹿だな。ありえん」

 

「ええ、馬鹿であり得ない選択をするのが人間です。僕がそうでしょう?」

 

 呆れるクシナに自分もその一人だと笑いかけると、彼女は惚れた男以上に笑った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 街のおまわりさん夫婦

 

 

 宿を出た四人は二手に分かれて略奪する探索者を討伐しに行った。組み分けはヤトとクシナ、カイルとロスタだ。

 理由は単純、ゴーレムのロスタが主人のカイルと離れるのを嫌がったからだ。だから必然的にヤトとクシナが組む。

 二手に分かれてからさっそく現場を発見した。宿の近くにある商店から悲鳴と何かを壊す音が鳴り響く。店の側には血を流した中年男が痛みに震えていた。

 

「中に何人います?」

 

「さ、三人。あんたらは?」

 

「後始末しに来た領主の使いです」

 

 短い応対だったが、助けに来たと分かった店主の男は安堵して礼を言った。

 音が止むと中から武器を持った男三人が出てきた。先頭は全身を毛で覆い曲がった牙を生やした猪の面をした猪人。あとは人間二人。全員が戦利品と武器を持っている。

 

「おっ、そこの若造共も漁りに来たのか?先に悪いな」

 

「いえ、違います。領主から犯罪者を始末するように言われました。今から武器を捨てて自首するなら命は取りません」

 

「は、ははは!!なに女連れのガキが偉そうに言いやがる!お前ら、こいつ殺して女は楽しもうぜ!!」

 

「「いえーい!!」」

 

 盛り上がった三人の馬鹿面が宙を舞った。ヤトが居合で三人の首を一度に刎ねたのだ。

 

「大体こんな感じです。最初に武器を捨てて自首するように言って、言うことを聞かなかったら殺しても構いません」

 

「うん、分かった」

 

 転がる三つの死体を気にせず降伏の手順を教える光景は異様だったが、突っ込む者は誰もいない。

 

「次があるのでもう行きます。死体はこのままにしておいたほうが略奪者除けになるでしょう」

 

 恐怖で震える店主を残して二人は別の現場に向かった。

 

 次の現場は既に火の手の上がった大きめの商店だった。そこでは店の前で五人の若い男女が商人家族を縄で縛って暴行を加えている最中だった。幸いまだ死者は出ていない。

 クシナはヤトに言われた通り降伏から始めた。

 

「えーっと、武器を捨てろー。じしゅしろー」

 

「は?」

 

 暴行に参加していなかった女の一人が間の抜けた声を出し、次に笑う。連中からは片腕の小柄な女が安い正義感から止めさせようとしているようにしか見えなかった。だから武器も捨てないし、指を差してクシナを笑う。

 例えその行動が致命的な失敗だったとしても彼等が理解する時には全てが遅かった。

 クシナは手近にいた女の顔を軽く殴る。下顎が吹き飛んだ。首も折れてその場に倒れる

 全員が呆気に取られる中、さらに一人の男が腹に蹴りを食らって後ろに飛んだ。こちらは口から血泡を吐いている。鎧を着ていたので内臓破裂だけで済んだようだ。

 残った三人のうち一人がクシナに襲い掛かる。金属で補強した粗末なこん棒がクシナの手足の届く外から振り下ろされて頭に当たる。

 頭を砕いて勝利を確信した略奪者だったが、反対に自分のこん棒が砕けたのを見て目を見開いた。

 

「おい、儂の頭に触るな」

 

 クシナの無傷な頭と砕けたこん棒を見比べたのが最期の光景だった。怒ったクシナが相手の頭を掴んで地面に叩き付け、ブドウの実のように頭が潰れた。

 残る二人のうち一人はようやく戦意を喪失して武器を捨てて泣きながら命乞いを始めたが、もう一人は往生際が悪く商人家族に剣を突き付けて人質にしていた。

 そちらはヤトが死角から首を刎ねて事なきを得た。

 商人家族の縄を解き、消火活動を手伝おうと思ったが、その前に若い女が子供の名を叫んで燃える店に入ろうとしたので家族が必死で止める。生まれたばかりの赤子が中に残ったままらしい。

 

「まだ鳴き声は聞こえますね。生きているなら助けた方が良さそうですね」

 

 本当は見捨てても特に非難される謂れはないが、半端に助けるのも締りが悪いのでヤトは自分の上着を近くの家の水がめで濡らして家の中に入った。

 クシナは生き残った略奪者を捕まえ、家の者は井戸から水を汲んで必死で延焼を防ぐのに追われる。

 近所の人が応援に駆けつけて消火作業に当たっても依然火の手が増していく。母親は必死で神に祈っているが、とうとう家が崩れ始めて入り口を塞いでしまった。

 子供と見知らぬ男一人が炎に焼かれてしまった最期に泣き崩れる。

 しかし塞がった出入り口からではなく横の壁を切り裂いて人影が出てきた。その手には泣き叫ぶ赤子を乱暴に抱いて。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 

 泣く我が子をしっかりと抱きながら母親は軽く焦げた半裸のヤトに何度も泣いて頭を下げた。竜の特性を得たヤトが火事で焼け死ぬとは思ってなかったが、服が燃えるのを失念していた。

 

「服が燃えてしまいました」

 

 薄く笑って自分の失態を誤魔化すが、周囲からは無理に笑って強がっているようにしか見えなかった。

 家は全焼したがかろうじて延焼は防げたのを見届けた二人は命乞いをして生き残った一人を駆け付けた街の衛兵に任せて、さらに別の事件現場に向かった。

 

 

 この日、街は騒乱に包まれたが終わってみれば半日で暴動は鎮火した。

 街の住民は暴力に酔う無法者と共にそれらを狩り続けて人助けをする若い男女の姿を度々目撃した。半裸の剣士、隻腕の痴女鬼、少年エルフ、殺戮メイド。それ以外にも多くの探索者が救援に駆けつけた。

 住民は無法の探索者を怨んだが、同時にそれらから助けてくれたのも同じ探索者と知って心中複雑な想いを抱いた。

 そして探索者全てを街から追い出せという意見もそれなりに出たが、遺跡から持ち帰った品の価値と一定数善良で秩序だった探索者が居る事実が広まったため、どうにか排斥論が主流とならずに済んだ。

 残るは勝手に遺跡に入った連中だったが、こちらは出入り口を封鎖するだけに留まった。許可証を持った者は帰還を許され、それ以外は勝手に入った罪を問われて捕縛。抵抗する者はその場で斬られるか、再び鉱山に追いやられた。その後どうなったかは知らないほうが幸せだろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 奇妙な感覚

 

 

 探索者達の暴動から三日が過ぎた。この頃にはようやく街は落ち着きを取り戻した。

 怪我人は数多く出た。放火された家も多い。しかし幸運にも街側の死者は一人も出なかった。

 略奪狼藉を働いた無法者は大半が死んだが、自業自得故に誰も死を悼む者は居ない。精々不死者にならないように同じ探索者の神官が最低限形式を整えた集団葬儀を挙げたぐらいだ。それでも犯罪者には上等な扱いだろう。

 治安維持に貢献した探索者は現在各々の拠点で大人しくしていた。別段外出禁止などの処置を命じられていないが、何となく外に出づらい雰囲気だからだ。それに領主から多少の手当も貰ったので十日程度なら食って寝る生活ぐらい送れた。

 ヤト達も治安維持に多大な働きがあったとして他より多く金子を貰っている。幾ら略奪者と言っても五十人は殺し過ぎたので領主が気を使ったとの噂も聞こえたが真相は誰にも分からない。

 そのヤト達は現在遺跡の手前にいる。許可証があれば入るのも出るのも自由なのは暴動があっても変わらない。単に探索者の多くが自粛しているだけで、こうして空気を読んだ上で踏破する輩が出てきただけの事。

 四人は乾いたばかりの血痕を踏みつけて二度目の遺跡に踏み込んだ。

 数日ぶりのドワーフの遺跡に変化はない。所々に新鮮な死体が転がっているがそんな物は不死者に溢れる古代都市の中では誤差の範囲だ。むしろ好都合な面もある。

 一行は地図に記された順路に従って遺跡の奥へと足を向ける。地図は自分達で記した部分と他の探索者が街に売った地図の部分を書き足してある。後者は街から金で買った物だ。行き止まりの坑道や探索の終わった区画の詳細が分かり探索の効率が上がった。

 全体地図を見るに遺跡はアリの巣のように無秩序に広がっているように見えて、実際はかなり合理的に拡張している。採掘区、精錬区、加工区、貯蔵区、生活区などを坑道で繋いで物資の移動をスムーズにしている。古代のドワーフはかなり計画的に都市建設と拡張をしていたようだ。そんなドワーフがどのような理由でこの都市を放棄したのかは未だ分かっていない。

 

 それはさておき一行は前回の区切りとなった精錬所と鍛冶場に戻ってきた。最初に来た時にはゴーレムと戦い、建物を探すだけで手一杯だったが、他の探索者が坑道を二本見つけていた。今日はそこから先を探す。

 一本目の坑道に入り少し歩くと下から生えた槍で串刺しになった死体が二人分あった。血の固まり具合から一日以上経過している。荷物を漁ると僅かな食料と簡単な道具しか入っていない。松明も床に落ちていた一本きり。

 

「軽装過ぎるね。多分無許可で無理に入った連中の一人だよ」

 

 カイルは荷を調べて確信した。自分達のように万全の準備をして入っていない。

 財宝を夢見て無理を通した結果、何も手にする事なく死した都市で命を散らす。救われない話だが自ら選択した以上は納得してもらわねば。

 死体を横目に似たような罠を警戒して先に進むと、また一つまた一つと罠にかかって死んだと思われる死体が転がっていた。この坑道の先には余程重要な物があるのだろう。

 先行するカイルが幾つもの罠を見つけ、それぞれ目印を付けるか無理なら無力化して先へと進む。

 残念ながらその先にあったのはただの一枚の石壁だった。行き止まりに一行は落胆したものの、何も無いのが分かった収穫はあったとロスタが場を和ませるジョークを放つ。

 主人のカイルは笑い、ヤトも苦笑いをした。唯一クシナだけは首をひねって鼻で壁の臭いを嗅ぐ。

 

「この先から水の臭いがする。殴れば穴ぐらい開くぞ」

 

 彼女の言葉にカイルは周辺の石壁を手で触って何か違和感を探した。

 あちこち触れた末に壁に不自然な穴と妙な隙間と見つけて試しに木の棒を穴に突っ込んでみた。

 穴の奥の何かでっぱりのような物を押し込むと急に騒音が鳴り、ゆっくりと奥の壁が横にスライドした。

 暗い坑道に数百年ぶりに光が降り注ぐ。壁の向こうは紛れもなく外だった。数時間ぶりの太陽と外の空気に気分が和らぐ。

 罠が多かったのは外敵の侵入口になりそうな外への道だからだろう。

 

「ここ外に繋がってたんだ。周りは川と草しかないや」

 

「精錬場の隣に川……水は水道がありますから、鉱石のカスを捨てたのか、出来た塊を運ぶのに川を利用したのかのどちらかでしょうか」

 

 辺りを見渡してもそこは川以外何もない山の傾斜だ。四人は壁に見せかけた扉に石を挟んで勝手に閉まらないようにしてから周囲を散策した。

 人工物を思わせる物は何も見つからないが、一面の枯草に隠れた地面には所々黒い石が転がっている。その一つを手に取って丹念に調べる。

 

「鉱石滓ですね。ここは精錬所のゴミ捨て場でしたか」

 

 黒い石は鉱石を精錬した後に出てくる残りカスの塊。価値は無い。

 何も無かったが、最低限別の出入り口を見つけたのは喜ばしい。四人はこのまま外で昼食にした。

 固いパンでも息の詰まる穴倉よりはこうして太陽の下で食べる方が断然美味しく、息抜きには十分だった。

 食事を終えて坑道に戻る前に目印として石を積んだり岩肌に模様を刻んでおいた。これで今度は外から見つけやすくなる。

 罠の道を通り精錬所の前まで戻ると、建物の中から物音が聞こえる。他の探索者がこちらに来ているのだろう。

 四人は警戒して武器と照明を取り出して備える。

 しばらく様子をうかがうと、出口に向かう二つの足音が聞こえる。

 建物から出てきたのは予想通り二人。ロスタを除いた三人はその二人に見覚えがあった。

 

「あら、先客がいると思ったら貴方達だったの」

 

「またあったなヤト」

 

 最初に会った時と同じ法衣を纏った女と、褐色肌の戦士アジーダがそこにいた。

 遺跡の中で出会ったのは顔見知りと呼ぶにはやや怪しい男女。

 ヤトもカイルも何故ここにとは問わない。彼等も正規の探索許可証を持った探索者だ。遺跡の中でかち合う事は十分にあり得る。

 尤も顔を知っているのと許可証を持っているのが友好を示すとは限らない。探索者同士で利益の奪い合いになるのは既に経験済み。探索を終えた精錬所で何も手に入らなかった帳尻合わせに戦う事もあり得た。ゆえにヤト達は警戒を解かない。

 

「そう構えないで。私は貴方達の利を掠め取ろうなんて考えていないわ」

 

「信じる信じないはお前達の勝手だが、この女は嘘が付けない。そういう縛りがある」

 

 女は含み笑いで警戒心を解こうとする。男―――アジーダも連れの言葉を肯定する。

 女はともかくアジーダの方は嘘を言っていないように思えるが、縛りという言葉に何か胡散臭さが滲み出ている。

 

「掠め取らないって言うけどさぁ、正面から力で奪い取らないとは言ってないよね。そこらへんの抜け道を沢山作ってるんじゃないの?」

 

「これは坊やに一本取られたわね。ふふふ、そういう思考が出来るのは生きて行く上で強みよ」

 

 カイルの指摘に女はあっさりと負けを認めたが、むしろ分かっていて指摘させたような気配すら感じさせる。ヤトはこの時点でカイルの養母ロザリーと似たような雰囲気を感じてあまり関わりたくないと思った。

 そして争わない保証など何も無いのだから、ここは早々に別の場所に移動して見なかった事にするのが最善と考えて、一行は名前も聞く前に二本目の坑道探索に移った。

 

 罠にかかった死体を避けて坑道を進む最中、初対面だったロスタが先程の二人について尋ねた。

 

「探索者という事以外詳しくは知りません。知っているのは精々男の方がアジーダという名で、ミスリルゴーレムより頑丈な体をしているぐらいです」

 

「なんでアニキだけ知ってるのさ」

 

「数日前の夜に一手交えたので」

 

 しれっと戦った事をのたまう兄貴分にカイルは腹が立った。どうしてこの男は普段理性的で穏やかに見えるのに戦いになると見境が無いのだ。

 

「あの色黒は強かったのか?」

 

「お互い本気で戦ってないですが、それでもかなり」

 

「だからこの前の夜はあんなに滾っていたのか。あの時はいつもより子作りが激しかったが、あれはあれで良かったな」

 

「こらぁ!!こんな場所で猥談すんなっ!!」

 

 弟分に怒られた二人は謝って黙った。

 怒られたのでしばらく黙っていた二人だったが、後ろを歩いていたロスタがずっと難しい顔をしているのを不思議に思ったクシナが理由を尋ねた。

 

「先程のお二人を見た時に何故かザワザワとした揺らぎを胸の奥に感じました。敵意や害意ではないようですが」

 

 ロスタの言葉に他の三人も考え込む。彼女が一行に加わってからまだ数日。それも一体何百年棺の中に居たのかも分からないゴーレムだ。一体どんな役割を持って作り出されたのか、それすら把握していない。

 そんな用途不明のロスタが何かを感じ取るあの二人もまた不可思議な存在と言えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 いざ玉座に

 

 

 坑道を抜けた先はある種の別世界だった。

 ミスリル鉱石の採掘区に匹敵する広大な空間の奥の奥まで整然とそそり立つ石柱群。横は端から端まで等間隔に百の柱が立ち並び、奥行きはその五倍はあろうか。

 床は信じられないことに一切の隙間が無い一枚石だ。石畳を並べたのではなく山の中を削って空洞にしてから丹念に削って平らに磨き上げていた。

 石柱も建てたのではない。最初から岩を削って柱の形に整えていた。しかも柱の全てに精巧で美しい彫刻が刻み込まれている。

 戦士の戦いや王の戴冠の様子、酒を飲むドワーフの姿、鍛冶をする姿も多い。中には子を抱く母の姿もあれば、子供同士が遊んでいる姿も生き生きと刻まれている。

 別の種族と何かを交換する交易の様子もある。エルフ、人間、獣人、ミニマム族。武器や装飾品と交換しているのは酒樽に食料、動物の毛皮や幻獣の角の類もある。

 まるでドワーフの王国の歴史と生活をそのまま刻み込んで残そうとしたように見える。

 高い知性を持つ人類種でも種族によって知識や歴史を子や孫に伝えるための伝達手段は違う。

 人間は書物と口伝、エルフは唄、獣人は踊り、ミニマム族は個人と血族でも形式がバラバラ。そしてドワーフはこの石柱のように彫刻や壁画にして自分達が生きた証を残した。

 

「城の大広間みたい」

 

「多分そうでしょう。客に自分達の歴史を見せつつ楽しませるように柱に彫刻を施した。今はもう見る者も居ないのに」

 

 カイルのつぶやきにヤトが同意しつつ補足した。

 数百年以上前に住民に見捨てられ来客も途絶えた栄華の残照。かつてここを訪れた者は自分達のように彫刻を美しいと思ったのだろうか。その問いに答えてくれる者はここに居ない。

 代わりに答えた者は後ろから現れた。

 

「どんな物でもいずれ朽ちて忘れ去られる。それが分からずいつまでも自らの栄華が続くなんて考えるのは醜く浅ましいわ」

 

 侮蔑を隠そうともしない女の声。振り向くと坑道から法衣の女とアジーダがいつの間にか居た。よくよく思えば精錬所から奥に進む坑道は二本しかなく、一本は行き止まりで追いつくのは時間の問題だった。

 後から来た二人はヤト達を無視して先を急ぐつもりはなく、女の方が何のつもりか一緒に探索しようと持ち掛けた。

 理由を聞いてもはぐらかされるばかりで時間の無駄としか思えない。仕方なく一緒に大広間を進むことになった。女は自らの名をミトラと名乗った。

 一時的に六人に増えたパーティだったが和気あいあいといかず、ヤトやカイルは敵襲への警戒以上に新たに加わった二人へ注意を向ける方が多かった。

 それを知ってか知らずか法衣の女は道中積極的に話している。相手をしているのは主にクシナ、それとロスタにも時々話を向けている。

 

「この地下都市は大体千年ぐらい前に放棄されたの。病気が流行ったと聞いているわ」

 

「病気?どんな?」

 

「地下水脈に鉱毒が混じって、それが原因で病気が流行ってドワーフ達はここを捨てなければならなかった。彼等はいずれ戻ってくるつもりだったけど、段々と余所での暮らしに慣れて、ついには都市の場所を忘れられてしまったの」

 

「たった千年で忘れてしまうのか?ドワーフとやらは忘れっぽいのう」

 

「エルフだって神代の引き籠り以外は三百年しか生きられないんだから無理もないわ」

 

「ですが、なぜミトラ様はそのような昔の事を御存じなのですか?」

 

「私が色々なところに行って調べたり見聞きしたから物知りなだけよ。これでも時々教師をしているの」

 

 男達の気苦労も女には関係無いらしい。長い時間を生きていても他種族と接する機会の無いクシナや、今まで眠っていて起きたばかりのロスタは子供のようなものだ。自称教師のミトラには扱いやすいだろう。

 女連中がお喋りに興じているのを尻目に男達は警戒を続けている。広大な大広間には所々ドワーフの像が立ち、侵入者の自分達を見ている。あの中にまだ動くゴーレムがあると思っていたが、どれもピクリとも動かない。正直拍子抜けした気分だ。

 長い広間の最奥に着いた。六人の前には巨大な二枚の扉がそびえ立つ。扉は全てミスリルで出来ていた。ある意味ドワーフ達の自己顕示欲の極致と言える扉だった。

 

「ここが広間ですから城の構造に当てはめれば、この先は多分玉座の間でしょうか」

 

「可能性は高いね。ドワーフの王様は一体どんな物でお出迎えしてくれるのかな」

 

「さてな。ただ、あまり期待せん方が良いと思うが」

 

 扉の向こうに期待するカイルにアジーダが水を差す。彼自身は悪気があって言っているように見えないが、それでも気分を害したカイルから睨まれる。

 そしてカイルが罠の確認と鍵の解錠をする間、ヤトとアジーダが何気なく話をする。

 

「ところでお二人はこの遺跡に何を探しに来たんですか?」

 

「実を言えば俺は遺跡に用が無い。あの女は人も物も探しているが、金目の物ではないのは確かだ。そういうお前は?」

 

「僕個人は頑丈な剣が欲しいので遺跡を探しています」

 

「俺を斬っても折れないぐらい強いのが見つかればいいな」

 

「見つけたら最初に試し切りしていいですか?」

 

「構わないが、対価はお前の命だぞ」

 

「「ははは」」

 

(なんだこいつら。まともなのは僕だけか)

 

 カイルは後ろから酷く物騒な話とツボが致命的にズレている笑いが聞こえて気分が悪くなった。先程まで二人を警戒していたのに、いつの間にか打ち解けた心変わりにも文句が言いたい。地元の盗賊ギルドの組員が世の中往々にしてまじめな奴が割を食うと言っていたのは本当らしい。そして癒しが欲しいと思い、今日探索が終わったらアポロンにいるモニカ姫に手紙を書こうと密かに決めた。

 内心で女の事を考えていたが、盗賊の腕は十全に動いて扉の鍵を解錠した。金属部品が動く物々しい音が大広間に響き、一行は期待に心を躍らせる。

 かなりの重量のある扉をヤトとアジーダがそれぞれ左右に別れて押し開く。

 

 重厚なミスリルの扉の先は予想通りだった。長い間隔で階段状になった広い部屋の一番奥の中央には石造りの椅子が一つだけ存在感を放って鎮座している。

 その隣、ヤト達から見て玉座の左には巨大なハンマーのオブジェが飾られており、反対の右側にはやはり同じ大きさの熱した金属を掴む『やっとこ』が飾られていた。どちらも鍛冶を象徴する道具であり、ドワーフの王の権威が鍛冶によって支えられている象徴として置かれているのだろう。当然これもミスリル製だった。

 両脇の象徴的道具に気を取られていたが、正面の玉座をよく見ると何者かが座っているのに気づいた。ミスリルの鎧を纏い、ミスリルの王冠を頂いた小柄な人物は俯いており顔がよく見えない。

 カイルが入り口からもう少し近づいてじっと目を凝らすと軽い驚きの声を挙げた。ヤトも同じように近づいてから見ると声を挙げた理由に納得した。

 王は朽ちて骨のまま玉座に座り続けていた。

 

「骨になっても王は王とでもいうのか。国が滅び己も朽ちて骨となったのに玉座に執着するとは、つくづくドワーフは強欲だな」

 

 アジーダが侮蔑とも感心ともつかない口調で呟く。そして言葉にどことなく自虐的、あるいは誰かへの当てつけも含まれているように聞こえるのは果たして気のせいなのだろうか。

 ともかくもヤト達は何か価値のある物が残っていないか部屋を探す。

 見つかったのは人がすっぽり入れるぐらいに大きな壺が十個ばかり、それと金細工の篝火をたく大きめの台座が四つばかりあるだけだ。他は朽ちたタペストリーやネズミに齧られた絨毯ぐらいだった。

 どうにもこの一行は金目の物と縁が薄いような気がするが、最悪玉座の隣にあるミスリル製の鍛冶道具のオブジェでも持って帰れば金になるので良しとすべきだ。

 それと部屋には他の場所に通じる坑道は見当たらなかった。確実とは言えないが、おそらくここが都市の最奥部と思っていいだろう。

 ヤトはここでもお目当ての剣が見つからなかったが、落胆せず他の探索者が武器庫や宝物庫でも見つけてから金で譲ってもらう事を考えていた。なにせ金は使い道に困るほどある。

 後は一緒にいるアジーダ達への配分が問題だった。基本は山分けだろうが、特別欲しい物があれば優先して選択も可能だ。

 それを尋ねるとミトラは薄く笑いながら玉座へ向かい、骨になったドワーフの王を錫杖で指差した。ミスリルと黄金細工の王冠を欲しているのだろうか。

 

「その王冠が欲しいんですか?」

 

「いいえ、一番欲しいのは骨の方よ」

 

 あまりにも予想外の答えに、連れのアジーダ以外の面々は言葉を失った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 それぞれの戦い

 

 

「骨……もしかしてその王様はミトラさんのご先祖様で埋葬したいから欲しいの?」

 

「ふふふ、面白い冗談ねエルフの坊や」

 

 ミトラはカイルの冗談を苦笑で返す。さすがにカイルのは冗談だとみんな分かっているが、だからこそ比較してミトラが本気で言っていると分かってしまう。

 

「最初に言った通り、貴方達の戦利品を掠め取るような事はしない。だからこうするの」

 

 死した躯に錫杖を向けてミトラは高らかに告げた。

 

『今一度死の川を渡り、我が下僕として再び現世に舞い戻りなさい』

 

 果たしてそれはいかなる奇跡か冗談か。死して数百年を経たドワーフ王の亡骸がガタガタと震え出したと思えばゆっくりと立ち上がる。

 アジーダはいつの間にかミトラの隣に控えている。

 

「死霊魔法ですか。外法中の外法と噂だけは聞いた事がありますが、使い手がいるとは思いませんでした」

 

 ヤトの驚きに満ちた言葉は正しい。死霊魔法とは死者の魂を操る禁忌中の禁忌。あらゆる生命を冒涜する唾棄すべき外道の法。ヴァイオラ大陸に存在する神殿全てが異端の邪法と公言する魔法だ。

 国によってはもしこの魔法を使える、ないし研究していると発覚しただけで処刑される程に触れる事さえ赦されない存在だった。

 一説には御伽噺に登場する魔人族に使い手が多いと言われているが、今や真相は闇と伝説の中にしかない。

 ――――しかないのだが、目の前にある現実を事実として受け止めなければならない。

 

「それで、そんな物珍しい物を見せびらかしたいだけですか?」

 

「もちろん違うわ。私はこの玩具で貴方達と遊びたいの。こんな風にね」

 

 ミトラが錫杖を振るとドワーフ王が糸で繋がれたように連動して動き、カタカタと顎を振るわせる。不気味な動きと共に骨からおぞましい色の瘴気が滲み出て周囲を侵食し始めた。

 瘴気に触れたミスリルの鍛冶道具は無惨に錆び付きボロボロと崩れ始める。黄金の篝火の台座も同様に輝きを失い塵となった。黄金とミスリルは錆びず朽ちない特性を持った永遠を象徴する金属のはずだが、あの瘴気は常識をいとも容易く覆した。

 その光景が地下王国の玉座の間で行われたのと相まって、ここが死者の住む冥府のように思えた。

 

「アレに触れたら一気に老け込んで骨になりそう」

 

「少なくとも日光のように健康的になる代物ではないでしょう」

 

 ヤトとカイルが軽口を叩きあっていると、背後の大広間から何十もの足音のような轟音が響き渡った。

 その音の正体に最も早く気付いたのはロスタだった。

 

「皆様、大広間にミスリルゴーレムが二十五…二十八…三十体居ます。それとかなりの数のゴーストと骸骨戦士を確認しました。すべてこちらに近づいています」

 

 前と後ろを囲まれた形、しかもここは遺跡の最奥。出口も無ければ助けに来る仲間も居ない。状況は極めて不利と言える。

 しかしそれで絶望して諦めるほどヤトは軟ではない。クシナもだ。カイルはやや気後れしているが、仲間の存在を支えに心を奮い立たせる。

 

「カイルとロスタさんは後ろで不死者とゴーレムの相手を。僕とクシナさんがここを片付けるまで足止めしててください」

 

「分かった。でも僕達が全部倒しても良いよね?」

 

 小さな身体で大口を叩く弟分に、自然とヤトの口元に笑みが浮かんでいた。

 少年とその従者は答えを聞かずにそのまま大群が押し寄せる大広間へと戻った。

 

「正しい判断だな。では俺もやるとするか」

 

 アジーダが宣言と同時に動いた。ヤトはカウンターの構えを見せたが、驚く事に彼はヤトを無視して隣のクシナの頭を掴んで壁に叩き付けた。壁が砕けて石の破片が飛び散った。

 ヤトは助けようとしたがミトラやドワーフ王に背を見せられず動けない。

 後ろではアジーダが壁を挟んで動けないクシナに何度も拳を叩き込む打音が聞こえてくる。

 焦るヤトだったが今度は別の何かが砕ける音と共にアジーダの苦悶の声が聞こえてきたので落ち着いた。

 音はクシナが己の頭を掴んでいたアジーダの腕を握り潰した音だった。

 

「儂の頭を触るのは止めろというのに。そこに触れていいのはヤトだけだっ!」

 

 怒りのままに、さらに腹を蹴りつける。反撃を受けたアジーダは血を吐いたが五体満足のままだ。本気のクシナの蹴りを受けてもひき肉にならないとは。ヤトの剣の時もそうだが随分と頑丈な体をしている。

 二人はそのまま肉弾戦にもつれ込んで部屋を破壊しながら戦いを続けた。

 そしてヤトは少し安心して目の前の難敵に気功の刃を飛ばした。

 刃は瘴気を切り裂いて骨の王の腕を切り落とすも、腕を瘴気が覆い隠してすぐさま元通りになった。

 

「無駄よ。この王は既に死んでいるもの。死した者を殺すなんて不可能よ」

 

「なら操り主の貴女を殺すとしましょう」

 

 風よりも速くヤトはミトラの頭に気功で強化した剣を振り下ろした。手ごたえから唐竹割になったミトラを確信したが、目の前の彼女は傷一つ無い美貌を晒していた。切り裂いたのはフードのみだ。

 中からは三十歳を超えた青眼黒髪の美女が姿を現した。ヤトとミトラの瞳が交差する。

 

「そんなに見つけるとお姉さんは困るわ。それに貴方にはもう良い相手が居るでしょう?」

 

 ヤトは美しいが控えめに言ってもお姉さんと呼ばれる歳ではないと思ったが、おばさんと指摘したらきっととてつもなく面倒な事になると思って黙った。

 それに年齢と呼び方より、なぜ自分がこの女を斬れなかったかの方がずっと気になった。硬くて弾かれたわけでも、幻を斬ったわけでもない。瞬時に再生したとも考えたが、何らかの痕跡が残っていなければ不自然だ。

 何かカラクリがあるはず。それを解き明かすのは剣を以ってしか成せない。

 

「いいでしょう。死ぬまで殺してあげます」

 

 ヤトのおぞましいほどの強烈な殺気を前にしてもミトラは変わらず微笑んでいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 水と雷の主従

 

 

 ヤトとクシナが玉座の間で人外魔境の戦いを繰り広げている一方で、カイルとロスタの主従コンビもまた人外の波を前にしていた。

 主従の前には斧を担いだ骸骨戦士、不定形のゴースト、それと腐敗し始めた探索者のゾンビ。それら不死者の大群の後ろにはざっと三十体ものミスリルゴーレムが玉座を目指して殺到する。

 

「アニキの前で格好つけたけど、この数全部はキツいなぁ」

 

 カイルはボヤキながら白金細工のような美しい髪を乱暴に掻く。たった二人でこの数を相手にするのははっきり言って無謀だが、仮に玉座に残った所で化け物共の戦いに巻き込まれたら命が幾つあっても足りない。まだこちらの方が生きる勝算が大きい。

 背嚢から聖水の入った瓶をあるだけ出して腰のベルトに差しておく。不死者相手に聖水は必須なのはとうに確認済みだ。これさえあれば不死者など数が多いだけのザコだ。

 試しにあまり使う機会の無かった弓を構え、聖水を漬けた矢を三本同時に放つ。矢はそれぞれ狙い通り先日不死者になったばかりの不運な探索者のゾンビ達の目を射抜く。ゾンビ達はその場に倒れて後続に踏み潰されて見えなくなった。

 

「楽しょー!―――と言いたいけど、こう数が多いと矢じゃ追いつかないか」

 

 分かっていたが実際にやってみると、数は力という言葉は真理だと理解する。カイルは重荷になる弓と矢筒を壁際に置いて遺跡で手に入れた二振りの魔法金属の短剣を抜く。白兵戦の構えだ。

 従者のロスタも主に倣って二又槍を構えた。

 

「カイル様、もしよろしければ後ろのゴーレムは私が相手をしますが」

 

「えっ、でも……やれるの?」

 

「はい、出来ない事を申しません。私とこの槍ならば可能です」

 

 ロスタの宣言と共に槍の姿が変わる。二又の穂先が回転したと思えば刃が増えて片側三枚に、計六枚の両刃が二個のY字を作る。そして二又がゆっくりと回転し始めて、紫電を放ち咆哮を轟かせる。まるで敵を前に猛り狂う獣だ。

 カイルにはどういう理屈で動き、どれほどの破壊力が備わっているのか知る由も無いが、現状ではこの雷の二角が最も破壊力に満ちているのは見れば分かる。だから己がやるべき事は一つしかない。

 

「よしっ!じゃあゴーレムは任せたよ!僕はお前の道を作ってやる!」

 

「承知しました。全力を尽くします」

 

 カイルが勢いよく突っ込み、最も近くにいた骸骨戦士三人を双剣で仕留める。さらに聖水を空高くまき散らして雨のように降らせた。これには不死者も声無き悲鳴を上げ、最も聖水に弱いゴーストはひとたまりもなく、次々浄化されて消え去った。

 主の開いた道をスカートをはためかせたロスタが疾走、目を付けた一体のゴーレムに真正面から突撃する。

 ゴーレムは巨大な戦棍をロスタに振り下ろす。

 

「遅いです」

 

 ロスタの言葉通りワンテンポ遅いゴーレムの攻撃は当たらず、逆に懐に入られて閃光を放つ捻じれた槍に無防備な胸部を完全粉砕される。その上で内部の動力炉を雷で破壊し尽くした。

 金属に無理矢理穴を空け、力づくで捻じ曲げて粉砕する轟音は凄まじく、耳の良いカイルは出来れば耳を塞ぎたかった。

 ゴーレム一体を仕留めたロスタだったがその顔に喜びは無い。元より彼女は人形、主が望めば笑みも見せるがそうでないなら僅かも無駄な行動はしない。だから彼女はすぐさま次のゴーレムを槍で貫き破壊した。

 二体目を塵に変えた彼女。その瞳には同種の存在に対する仲間意識も、破壊した相手への罪悪感は宿らない。彼女の七色に発光する水晶の目には、主の命に従い破壊する標的しか映っていなかった。

 彼女に迫る不死者は全てカイルが短剣で排除する。従者を守る主人というのは些かおかしく見えるが、当人は至ってやる気を維持している。やはり女を守るのが男の仕事と思うとやる気が違う。例えそれが人形でも例外ではないらしい。

 凸凹主従は視線だけで意思を交わし、さらなる戦いに身を投じた。

 

 

 ――――――――十分後。大広間の地面には無数の骨や死体が散乱し、いびつな形のミスリル塊がゴロゴロ転がる。自慢の石柱は幾つも倒壊して、かつて栄華を誇ったドワーフの国の歴史は無惨に砕かれた。

 その残骸の中でカイルとロスタは舞っている。短剣から飛び散る聖水の雫が迸る槍の雷光により、あたかも暗闇に煌めく星々のごとく主従を飾り付ける。観客が不死者と物言わぬゴーレムでは甚だ風情に欠けるが、もしこの場に芸術家が居れば大喜びでこの瞬間を作品に残そうとするだろう。それだけ今の二人には価値がある。

 尤もカイルにはそんな事を考える余裕が無い。この短時間で不死者を五十は切り伏せた代償に、全身から汗が吹き出し息は荒い。短剣を振るう腕には疲労が溜まり、足さばきにはキレが欠ける。

 ロスタは人形ゆえに疲れとは無縁だが、時折槍の回転と雷を止めている。槍にも休息の時間が必要だからだ。その間はゴーレムに手出しできない。

 それでもまだ骸骨戦士が半分は残っている。ゴーレムもあと十体近い。体力的に倒し切れるか微妙なところだ。少なくともここの敵を全滅させても玉座の二人に加勢するのは無理だ。

 それはいい。問題はゴーストだ。こいつらは倒しても倒してもそこかしこから湧いて出てくる。どれだけ倒してもキリが無い。頼みの綱の聖水も残り少ない。このままでは体力も聖水も使い切って、あの亡霊共に魂を吸われて不死者の仲間入りである。そんな未来は断固拒否する。

 ともかくカイルは今いる敵を減らす事を優先して地道に短剣を振るい、ロスタもゴーレムを串刺しにする。

 そして戦いの最中に元来た坑道から響く幾つかの足音を拾う。不死者の援軍はお断りだし、敵味方の分からない探索者も願い下げだ。

 それでも足音は段々と大きくなり、音の主が松明の灯りと共に坑道より姿を現した。

 

「さっきからずっとガンガン派手にやってるのはどこの誰だい?」

 

「もしよろしければあたくし達が加勢してあげますよ」

 

「お礼は腹いっぱいの飯でお願い!!」

 

 声の主は三人。どれもカイルが見た事のある顔ぶれだ。

 

「前に一緒に食事したカイルだよドロシーさんっ!今取り込み中!!」

 

 カイルの荒い声にドロシー達は瞬時に自分達が何をすべきかを悟った。一言で粗方の状況を把握したドロシー達はすぐさま行動に移る。

 最初に狐人のヤンキーが荷から筒を幾つも取り出して周囲に投げる。床に落ちた筒は砕けて中身をぶちまけると同時に炎上する。中身は照明用の油だろう。

 照明で周囲が見えるようになり、狸人のスラーが不死者の一団に突撃して手当たり次第に殴り倒している。巨漢特有の膂力と鋼鉄製のガントレットの破壊力は凄まじく、彼は骸骨達を簡単に粉々にしていく。

 周囲の不死者を一掃して安全を確保すると、さらにヤンキーはゴーレムに向けて小瓶を投げる。ぶつかった小瓶が砕けて中身が降りかかると、ゴーレムの上半身が泡で覆われた。

 最初カイルには泡に何の意味があるのか分からなかったが、見る見るうちにゴーレムの動きが悪くなり、ついには動きを止めてしまった。

 

「ヤンキーさん特性の発泡拘束材ですよっ!さあスラー、次はあのデカ物です!!」

 

「ほいさっさ!!ご先祖さま、おいどんに力を分けてくれっ!!」

 

 筋力増強魔法によって一回り逞しくなったスラーが動けなくなったゴーレムの後ろに回り、両足を掴んで豪快に振り回した。

 巨大なミスリルの塊が竜巻のように回転して襲い掛かり周囲の不死者をなぎ倒す。さらに同じミスリルのゴーレムもぶつかってタダでは済まず、腕が曲がる個体や石柱に激突して砕けた石に埋もれる個体もある。

 予期せぬ助っ人の暴れぶりにカイルは少し元気が出た。同時に助けてもらってる身で勝手かもしれないが、このまま彼等にだけ働かせるのは美味しい所を持っていかれるような気分で腹が立つ。

 

「ロスタ、僕達もまだやれるね」

 

「はい。私はいつでも戦えます」

 

 主が戦えというなら是非もない。胸の奥底でナニかが震えても今は関係無い。ただ道具である己は主の望むままに敵を砕けばよいのだ。

 新手の乱入に気を取られて半数以上の不死者とゴーレムが背を向けている。この機を逃す理由は無い。二人は無防備な敵に猛然と襲い掛かった。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 生と死の境界線

 

 

 予期せぬ形でドロシー達と挟み撃ちの形に持って行けたカイルとドロシーは余裕をもって残存兵力を殲滅できた。

 ひとまずカイルは彼女達に加勢の礼を言う。

 

「気にしなさんな。礼儀を分かってる同業者を助けるのは回り回って自分を助けるものさね」

 

「ところで他のお二人の姿が見えませんね。はぐれて―――――――――奥ですか?」

 

 ヤンキーが頭上の尖った耳をしきりに動かして音を拾って答えに行き着く。広間での戦闘中は気付かなかったが、奥からクシナの咆哮と凄まじい打撃音がここまで届いた。

 

「あの二人がここまで長引くのはちょと信じられないよ。僕達は行くけど三人は?」

 

「おいどんはまたクシナさんと大食い競争がしたいから行く」

 

 スラーの気の抜けた返事にも後の二人は笑いながら同意した。助けるつもりで同行するということだ。

 カイルは戦う相手の情報を簡潔に三人に伝えると、ドロシーは法を司る神官として死霊魔法に強い嫌悪感を露にする。ヤンキーも同様だ。スラーはいまいち分かっていないが二人に引っ張られてやる気は上がった。

 そして五人は未だ戦いが続く玉座へと急いだ。

 

 

 大広間での戦いは決したが、玉座の戦いは苛烈なまま続いていた。

 クシナとアジーダは血みどろの乱打戦を続けて互いに一歩も引かない。クシナが力任せの拳を叩き付けてもアジーダは平気で反撃の三連撃を食らわせる。両者ともに蹴りもあれば頭突きに身体を掴んでの投げ技を放ち、互いの血で全身がどす黒く染まっていた。

 俯瞰して両者の戦いを見るとアジーダの方が戦いを有利に進めているように思われる。

 元々クシナは右腕が無いので両腕があるアジーダに手数で劣る。それに彼女は比較する生物が存在しないほどに身体能力が高いが戦闘技術はゼロに等しい。相手はヤトに比べれば素人のようなものだが、それでも多少なりとも心得があるので攻撃を防がれて反撃を貰いやすい。技巧の粋は守備に露呈する。

 一番の問題は技巧で埋められる程度に両者の身体能力が近いという点だ。古竜のクシナと攻防で引けを取らない生身の男など存在そのものが冗談であり、ただの人間とは思えなかった。

 実はアジーダもまた古竜が人の姿を模していると言われた方が納得するが、クシナは彼を同種とは思っていない。

 ヤトと出会う以前に何度もオスの竜と戦ったが臭いが違う。かと言って今まで出会った人間やエルフのような人類種とも違った。

 未知の存在と殴り合いを続けるクシナは苛立ちいい加減うんざりしていた。どれだけ殴りつけても相手は死なないどころか平気な顔で反撃してくる。

 ヤトとの戦いはかくも楽しいものだと新鮮な驚きに満ちていたが、今回の相手はただただ面倒くさいとしか思えなかった。

 さっさと終わらせようと力を込めた一撃も思うように当たらず、逆に何度も攻撃を貰ってしまいストレスが溜まるばかりで余計にイライラしてしまう。

 今も鳩尾に全力の拳を打ち込んで膝が落ちても、すぐさま立ち上がって殴り返してくる。それも四発もだ。大したダメージではないが腹が立って仕方がない。

 クシナとアジーダの戦いの決着はまだ遠い。

 

 一方ヤトとミトラ及びドワーフ王の亡骸との戦いも膠着していた。

 普通の相手ならとっくに決着がついているが、今回はただ斬って終わるだけの相手とまるで勝手が違った。

 なぜならヤトは既にミトラを百回は斬っているのに一度たりとも傷を負わなければ流血も無い。服にすら傷が付かない。そのくせ斬った手ごたえは一丁前にあるのだから気持ちが悪くて仕方がない。もしや剣が効かないと仮定して素手で攻撃をしてみても結果は同じだった。

 何かカラクリがあるのは確かだが剣で攻略出来ない以上は自分には対処する手段が無い。

 よって遺憾ながら今はミトラを無視して瘴気をまき散らすドワーフ王を先にどうにかしようと度々攻撃している。

 気功術は瘴気に阻まれて威力が損なわれてしまうが多少はダメージが通るので連続して『颯』をぶつけて弱らせ、瘴気が弱まった箇所に気功剣『風舌』≪おおかぜ≫を叩き込む。両断されたドワーフ王は声無き絶叫を挙げてのたうち回る。

 

「はい、やり直し」

 

 ミトラの気の抜けた言葉によって王の身体は元通りになる。これも何度も見た光景だ。

 ならば剣を突き刺してから刺し口に直接聖水を流し込む。悶え苦しみ瘴気をまき散らすのでヤトはまともに瘴気を受けて身体が焼け爛れるが無視してさらに気功を練る。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫!」

 

 気功の竜巻によって内部からかき回された無数の骨が部屋全体に飛び散った。これならと思ったが、やはりミトラが錫杖を振るうと骨が一か所に集まって元の姿に戻ってしまう。

 これにはヤトも閉口するしかない。おまけに無理をしたせいで剣が瘴気で錆びてボロボロになってしまった。まだ剣として使えるだろうが、あと数度が限界だった。

 こうなると頭には撤退の言葉が出てしまう。クシナとの戦いにも考えなかった言葉だ。

 

「あらあら、もしかして逃げようと思ってるの?」

 

 ヤトの心を読んだようにミトラが嘲笑する。やはりこの手の女は苦手だ。しかし嘲りを受けても不思議と苛立ちも不快感も感じなかった。あるのは考えを読まれる苦味だ。

 

「ええ、そうですね。貴女の人形遊びに付き合うのも飽きました。そして生きてもいなければ死んでもいない輩の相手なんて無駄の極みですから」

 

「ひどい言い草ね。私はこうして貴方と話をしているわよ。それは生きている証拠じゃないかしら」

 

「死体が喋った所で驚くほどでもないですが、さっきも言いましたが貴女はどちらでもない気がする。あなたは止まっている……違う。ここにいるけどここにいない、これも正しくない。ズレた場所に留まっている…か。上手く言葉に表せないけど、場違いですね」

 

「貴方は――――――いえ、まだ早いわね」

 

 ミトラは何か言いかけたが結局止めた。その時ヤトは初めてミトラの本心の一片を見たような気がしたが、戦い以外は割とどうでもよかったのですぐさま忘れた。

 そしてこの問答がカイル達との合流する時間を作った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 夕陽の脱出

 

 

 

 

 

 玉座に戻ったカイル達五人が見たものは血みどろになって殴り合いを続けるクシナとアジーダ。体の半分が焼け爛れたヤトと微笑むミトラ。そして瘴気を垂れ流す王の残骸。

 それらを見て真っ先にカイルが勝ち誇る。

 

「何やってんのさ二人とも。もうこっちは片付けちゃったよ」

 

「すみません。僕じゃ負けないけど勝てない相手だったので」

 

「うるさい」

 

 素直に謝るヤトとは違い、クシナは悪態一つ吐いてアジーダの顎に頭突きをしてから離れる。粉々に砕けた顎を押さえたアジーダも他の面子を見て戦う気勢がやや削がれた。

 状況は変化したが好転しているわけではない。それを一番知っているミトラは余裕を崩さない。

 

「あらあら大勢ね。でもここは数の多さを競う場ではないわ」

 

「かもしれないけど、まずはやれる事をやるだけさね」

 

 そう言ってドロシーは前に出る。彼女が向かう先は瘴気を放つ哀れな躯。

 彼女が歩けば錫杖の遊環がシャンと鳴る。その澄んだ音が一つ鳴るたびにドワーフ王は小刻みに震える。

 さもありなん。元より神官の錫杖は魔を払い魂を鎮めるために生まれた浄罪の術具。輪が鳴らす音一つが不死者を鎮め魂を清める。

 それだけではない。神官たるドロシーの軽やかな足運び、滑らかな手の動き、流れるような髪、吐き出される吐息。そのどれもが意味ある浄化の儀なのだ。

 そして彼女は囚われた古き王の前で錫杖を手に鎮魂の舞を披露する。彼だけのために。瘴気は既に止まっていた。

 それを誰も止めない。ミトラもアジーダも。誰もが彼女と王に見入っていた。

 演舞は短い時間で終わり、躯は完全に動きを止めた後、音を立てて崩れ始める。

 

「もう二度とこっちに来るんじゃないよ」

 

 ドロシーの厳しい言葉に崩れゆく髑髏が笑ったように見えたがただの錯覚だろう。唯一残った王冠だけが王が居た証だ。

 すべてを見届けたミトラは惜しみない拍手で応えた。嫌味ではない。本心から素晴らしい物を見たからこそ拍手で応えたのだ。

 

「いつ見ても浄罪の舞は良い物ね。今日は良い気分になれたから、もうおしまいにしましょう」

 

「勝手な物言いと言いたいですが、これ以上貴女と関わりたくないのでさっさとどこかに行ってください」

 

「嫌われたものね。じゃあ、ご機嫌直しに一つ良い事を教えてあげる。貴方に相応しい剣がこの国の王都にあるから探してごらんなさい」

 

 ヤトはミトラの言葉の真偽と真意を測りかねる。まさか本当にご機嫌取りのために情報を与えたわけではあるまい。しかしここで何か言うとその分だけ彼女と関わる羽目になるので黙るしかない。

 内心を見透かしているミトラは相変わらず読めない笑みを張り付けたまま幻のように姿を消していつの間にかアジーダの隣に現れる。ボコボコで血まみれになった彼に呆れるが、本人は無視してヤトを指差す。

 

「今回は残念だったが、次に会ったときはお前とだ。忘れるなよ」

 

 砕かれた顎は治っており、アジーダはそれだけ言って二人は唐突に姿を消した。

 残された七人は多少の警戒心を残しつつ、ドロシーがまずヤトとクシナの治療をするように勧める。

 

「忘れ物をしてたわ」

 

 唐突に戻ってきたミトラに全員がギョっとするが、彼女は構わず玉座の後ろの床を錫杖で突いた。すると部屋の全体が揺れ始めて天井が崩れ始めた。ミトラが何かしたのは間違いない。

 

「お約束の脱出劇というやつよ。行きは良い良い帰りは恐い」

 

 やりたい放題やった女は今度こそ消えた。

 

「呆けてないで逃げるよみんなっ!!」

 

 ドロシーの言葉に全員が出口に殺到した。その前にヤトは残っていた王冠を回収してカイルに渡す。

 大広間も玉座の間と同様に崩壊が始まっていた。無数の石柱は倒壊して見事な彫刻をただの石に変えて、天井の崩落はそれらを等しく埋める。

 その中を七人は焦りながら、努めて冷静に駆ける。それでも運悪く自分達の頭上に落ちてくる巨大な石はヤト、クシナ、ロスタの三人がそれぞれのやり方で排除した。

 短いようで長い道のりを何とか踏破した一同は休む間もなく坑道を抜けて精錬所まで辿り着く。

 精錬所のある空間は既に半ばまで岩と瓦礫に埋まっており、帰り道になる坑道も巨大な岩で塞がれていた。これを破壊するには時間が足りない。

 

「どうしましょう、これじゃああたくし達全員生き埋めですよ」

 

 ヤンキーが弱音を吐いてフサフサの毛の尻尾を垂らす。スラーも髭が萎れていた。

 

「大丈夫だよ。すぐ近くに外に抜ける道があるから」

 

 カイルの励ましに獣人二人は希望を取り戻して言われたまま続く。

 外に続く坑道も岩で埋まっているが、ヤトが剣で切り裂いて隙間を確保した。そこで剣が役目を終えたとばかりに半ばで折れてしまったが、誰もそんなことを気にしない。

 坑道は罠にかかった死体がそのままだったが、幸いどこも崩れていなかったので慎重に罠を避けながら急いで抜ける。

 突き当りの外への石壁は開ける手間が惜しかったのでロスタが槍で砕き、七人全員が欠けずに脱出した。外は既に夕暮れ時だ。

 全員が荒く息を吐いて落ち着く。その後気が抜けたのか誰ともなく笑いあった。

 

「いやぁ今回はかなり危なかったですよ」

 

「おいどんも死ぬかと思いました」

 

 狐と狸コンビが全員を代弁する。ヤトもカイルも戦場で死を間近に感じた事はあるが、今回のような危機はまた別だ。

 命の尊さを確かめ合うのも良いが、このままここにいると外で野営する羽目になるのでヤトとクシナの治療を済ませたら急いで街に戻る事にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 贈り物

 

 

 崩壊する遺跡から辛くも脱出した七人が街に戻ってこられたのは深夜を過ぎてからだ。これなら素直に野営しておけばよかったと意見もあったが、歩き出してしまった以上は引き返すに引き返せなかった。

 重い足取りで硬いパンで空腹を満たしながらどうにか街に戻り、明日の昼に食事の約束をして解散となった。

 ヤト達は宿に戻って店員に湯を沸かしてもらい、体を清めてすぐさま寝てしまった。

 

 翌日。遅い時間に起きたヤト達はまだ昨日の疲れが抜けていなかったので約束の昼まで宿でダラダラしていた。ヤトもクシナも一日寝たら傷は全快した。竜の回復力は人間の比ではない。

 外で住民が大騒ぎしているのが宿の中まで聞こえてくる。宿の主からの話では突然の遺跡崩壊で街が大混乱に陥って、遺跡探索は安全が保障されるまでしばらく無理ではないかと噂が広がっていた。

 崩壊の原因を作ったヤト達はそれには沈黙を貫き続けた。話したところで何もいい事など無いのは分かり切っている。幸いあの日遺跡に潜っていたのはヤト達やドロシー達のごく一部だったので死者はほぼ居ない。

 話を聞き終わった頃には昼前になっていたので約束通り帰還の祝いの食事に出かけた。

 

 ドロシーの指定した場所は明らかに富裕層を客層とした高級なレストランだった。それも個室を貸りて人目を気にせず食べられる。

 既に待っていた三人に待たせた事を謝罪してから席に就いた。メイド姿のロスタが部屋の中で給仕を担当するのでドアの前に控えている。

 六人はそれぞれ好きな飲み物で乾杯をした。

 強い蒸留酒の杯を空けたドロシーが最初に口火を切る。

 

「ようやく一息吐けたって気分だねぇ。あんた達もそうだろう?」

 

「そうですね。改めて皆さんにはお礼を言いたかったので場を設けていただいて感謝します」

 

 ヤトは頭目としてパーティの窮地を助けてくれたドロシー達に頭を下げた。そしてカイルがテーブルにドワーフ王の王冠を置いてドロシーの前に差し出す。

 

「三人で相談してこの冠は貴方達に譲る事にしました。どうぞ受け取ってください」

 

「まあそうだろうね。あの王様をあの世に送り返したのは私なんだし。拾っておいてくれたのは礼を言うけど……これだけじゃちょっと足りないよ」

 

 ドロシーの言葉はもっともだった。当然ヤトもカイルもこういう状況になる可能性は考慮してある。礼の追加として金貨千枚の小切手を幾らか渡すつもりで持っていた。金で済ませられるならそれに越した事はない。

 

「というわけで、ここの店の払いは任せたよ。それで納得してあげるさね」

 

「それだけでいいんですか?一応金銭の謝礼も用意してあるんですが」

 

「前に言ったろ、真面目な同業者とは助け合うって。だから助けたってだけさ」

 

 ドロシーは実年齢より若い悪戯染みた笑みを見せ、隣のヤンキーもニコニコして煙管を吹かしている。こちらも前もって了承していたのだろう。

 ここでゴネて金まで払うと相手の心証を損なうのでヤトは店の払いを持つのを了承した。

 

「よーしスラー、今日は奢ってもらえるから好きなだけ食べなよ」

 

「待ってましたー!」

 

 巨漢のスラーが待ちわびたとばかりに呼び鈴を鳴らして店の給仕を呼んで料理の注文をする。

 給仕は努めて平静を保とうとしたが顔が明らかに引き攣っている。スラーが頼んだのは店で出せる料理一通りだった。もう一度言う。頼んだ料理は店で扱っている品全てだった。

 狂乱の宴は今より始まる。

 

 

 宴は終わった。最初に音を上げたのは大食い競争をしていたスラーでもクシナでも、金を払うヤトでもなかった。泣きついたのは食材の底が付いた店だった。

 正確には夜の分をある程度残しておかなければ営業出来ないと言われて店主がオーダーストップを申し出た。全員まだ食えない事も無かったが、店に配慮して宴はお開きになった。この時点で食事代は金貨20枚を超えている。人一人が半年は食っていける額だ。

 今は食後のデザートとお茶を楽しみつつ談話に移っていた。

 

「それであんた達はこれからどうするつもりだい?遺跡はしばらく行けないよ」

 

「遺跡の崩壊騒ぎで多少痛い腹を探られる前にこの街を出ようかと。明日の朝には出立しようと思います」

 

「それが賢明ですね。あたくし達も明日街を出ようと話してたんです」

 

 やはり両者の考えは一致していた。自分達が遺跡に入っていた時に崩壊が起きたのだから、何かしら事情を知っていると思われて拘束される可能性がある。そうなると結構な時間を無駄にするのは分かり切っている。だからその前にさっさと逃げてしまった方が賢明だ。お互いに金は十分稼いだので街に執着も無い。

 そしてデザートを食べ終わって二組のパーティは、また会う事があれば今日のように飲み食いして楽しむ約束をして互いの道を歩き出した。

 

 四人が宿に戻ると、店主から来客があると言われた。一瞬街の兵士か領主の使いが尋問に来たのかと思ったが、客は子連れだと言われた。

 食堂で待っていたのは確かに赤子を抱いた若い夫婦だった。カイルは初顔だったが、ヤトとクシナは三人に見覚えがあった。数日前に探索者の暴動で店を略奪されて放火された商人一家の若夫婦だ。

 

「突然お邪魔してすみません。一家共々助けていただいたお礼を差し上げたくお尋ねしました」

 

「お気になさらずに。あれは街の領主の要請でもあったんです」

 

「それでも息子を火の中から救ってくださった方々に何もしないのは商人の恥でございます。ですので代々伝わる家伝をお受け取りください」

 

 旦那は脇に置いてあった布で包んだ長い棒をテーブルに置いて包みを解いた。中からは繊細で美麗なナックルガードの付いた一振りのレイピアが姿を現す。

 

「店の商品は殆ど焼けてしまったのですが、これだけは魔法金属製だったので無傷で済みました」

 

「苦しい状況ならタダで手放すより、売るなり担保にして借金で商売を再開したほうがよろしいのでは?」

 

「確かにそうかもしれませんが、人として商人として恩人に何かしら恩を返さねば信用すら失われてしまいます。どうか受け取っていただきたい」

 

 ヤトは商人ではないので彼の言い分はあまり理解出来なかったが、商人なりの誠意と作法と思って剣を受け取った。

 鞘から引き抜くと白銀の刀身が露になり日光を反射する。ヤト使っていた剣より10cmは長いが恐ろしく軽いのは刀身がオリハルコン製だからだろう。これは両刃で刺突と斬撃両方に対応しているから扱いやすく、若商人の言う通り業物なのは間違いない。

 

「良い剣ですね。分かりました、あなた方の誠意としてありがたく受け取ります」

 

 その上でヤトは懐から紙切れを数枚出して商人夫婦に渡す。紙の内容を見た夫婦は受け取れないと断ろうとした。紙はミスリル塊の代金の小切手だった。

 

「街の復興費用として公平に利用してください。私的利用ではなく、全体の利益になるのでしたら何ら誹られる事は無いと思います」

 

「あ、ありがたく使わせていただきます!」

 

 商人夫婦は何度も頭を下げて、帰り際に奥方がクシナに包みを渡して帰った。

 ヤトはカイルに良かったか尋ねる。カイルも何をとは問わない。勝手に渡した小切手の事だと分かっていた。

 

「僕でもアニキと同じことをしたよ。ああやって街に対して無償で援助しておけば、今後僕達に遺跡の問題が何か降りかかっても住民が味方になってくれる」

 

「そういう事です。街を離れてもこの国にいる間は何が起きるか分かりませんから、先んじて援助の手を差し伸べておくと矛を握る手も多少緩くなる」

 

「金貨三千枚は大金だからね。それをポンとくれるような相手を悪く言うのは気が引ける。で、その剣使えるの?」

 

「業物ですから間に合わせとしては十分です」

 

 ある意味金貨三千枚の剣になるが割高と言わざるを得ない。

 オリハルコンは軽くて扱いやすいがミスリルに比べて強度に劣る。それにレイピアは細身で頑強性に不安がある。意外と剣を乱暴に使うことの多いヤトには少々扱い辛い。

 柄やナックルガードには美術品と見紛う風を象徴したような繊細な拵えが施してある。単なる観賞用と思ったが、よく観察すると魔的な加護が備わっているので十分実戦に耐えられるだろう。

 とはいえ竜を斬れる頑丈な剣とは正反対の剣なので本当の意味で間に合わせでしかないが、それでも無いよりはマシだったのでありがたく使わせてもらうとしよう。

 

「ところでクシナ姉さんは奥さんから何を貰ったの?」

 

「色のついた紐とかよく分からない物ばかりだ」

 

 クシナは袋をひっくり返すと中身がテーブルに散乱した。彼女の言う通り、何本もの色とりどりの刺繍の入った紐や、花を模した布の小物などがテーブルを花畑のように鮮やかにする。

 

「なんだ髪留めじゃん。女の人らしい感謝の気持ちって奴かな」

 

「あぁ、よく見たら街の二本足の女が頭に付けている物だな。これを儂にも付けろというのか?」

 

 ヤトとカイルは頷く。クシナは元が良いから着飾らなくても絵になるが、恩人の女性がそんな態では我慢できなかった奥方がお礼を兼ねて贈ったのだろう。男達への嫌味も入っているのかもしれない。

 

「ヤトは儂にこれを付けてほしいか?」

 

「クシナさんはどんな姿でも美しいですが、着飾る姿もたまには見たいです」

 

「じゃあヤトが付けてくれ」

 

 クシナは貰った髪留めから青色の刺しゅう入りのリボンを取ってヤトに渡す。

 ヤトはクシナの長い髪を緩くリボンで纏めてポニーテールにしてみた。

 

「んーどうだ?」

 

「良いですね。いつもと違うけど素敵です」

 

 ヤトの素直な賞賛にクシナの頬が朱に染まる。カイルとロスタは馬に蹴られたくなかったので気付かれないように部屋に戻っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 仲間

 

 

 出立の日。あいにく夜明け前の空はどんよりと曇ってすっきりしない模様。雨が降っていないだけマシだが旅をするには向かない天気だ。

 世話になった主人に礼を言って宿を出た。主人にとっても金払いの良い客が居なくなるのは寂しいものらしい。三日分の保存食は少し良いものを用意してくれた。

 街の中は既に職人や露天商が仕事の準備を始めている。彼等を尻目に四人は早々と街の外に来た。

 西へ一時間程度歩いて朝食の休憩をとってから、いよいよ本格的に次の場所を目指す。

 ヤトとカイルが周囲を観測して人目が無いのを確認してからクシナが服を脱いで全裸になる。ヤトが朝に選んでくれたバレッタも外してロスタに渡した。

 クシナは一瞬のうちに元の白銀の鱗を持つ巨大な片腕の竜へと姿を変える。この光景にはゴーレムのロスタも目を見開いて驚くしぐさをした。

 

「カイル様のお話を疑う気は微塵も無かったのですが、いざ目の前で事実を突き付けられると驚きを禁じえません」

 

 自律ゴーレムはマスターの言葉を疑わないと言われている。例えどんな下手な嘘だろうと主から発せられる言葉は全て肯定するのがゴーレムである。しかし彼女は疑っていないと言いつつも驚いたと言った。これはロスタに人の言葉の中に嘘が潜んでいないか判断する能力が備わっている証拠だった。

 やはり彼女は特別製のゴーレムなのだとカイルは確信する。だからと言って売ったり見せびらかすような真似をする気はサッパリ無いのでそれだけだが。

 ロスタは既に仲間だ。盗賊ギルド員は人から物や金を盗んでも仲間を売ったりはしない。それも裏切る事の無い仲間なら尚更だ。

 クシナの背に乗るのはヤトが最初、次にカイルだ。彼女は後にヤトが乗るのを嫌がる。カイルはそれを繊細な女心と思っていた。そして今は最後にロスタが背に乗った。

 全員が乗ったのを確認したクシナはふわりと空に舞い上がる。竜の翼はどんな鳥よりも強靭で空高く飛べた。

 遥かな空の上でカイルはこれからの事を話す。

 

「エルフの村ってどんな場所だろうね」

 

「あなたのように弓に秀でて強い人達ばかりのいる所でしょう」

 

「いや、そこはのどかな場所とか、常春で冬でもあったかい場所とかそういうのを想像しない?」

 

「???場所がどこでも同じじゃないですか。違うのは人となりだけですよ」

 

 カイルは相変わらず致命的にズレてる野郎だと内心悪態を吐く。しかしそんな変な奴でも強さは超一流だし、金を稼ぐ能力も恐ろしく高い。おまけに散財しないから安心して財布を預けていられるので仲間として申し分無い。

 

「それはさておき、もしあなたのご両親がその村に居たら旅はそこで終わりですか?」

 

「あーどうだろう?しばらく村に留まるのは確かだけど、ずっとそこで暮らすのはまだ遠慮したいかな。まだまだ世の中を見聞きしたいし、母さんにも報告したい」

 

「アポロンに行ってモニカさんにも会わないといけませんね。朝早く手紙を郵便屋に出してましたし」

 

 カイルはその言葉に脂汗が出る。ばれないようにこっそり出発前に宿を出たのに見られていたのか。

 手紙は城にいるままではモニカも退屈だろうと思って、アポロンの王都を発ってから遺跡探索までに起きた出来事を綴った物だ。その手紙を遺跡で見つけたミスリルの小箱に入れて郵便屋に届けてもらうように頼んだのだ。

 

「別に恥ずかしがることは無いと思いますよ。僕だって自分に素直に生きているからクシナさんを奥さんにしたんですから」

 

 ヤトの言葉で激しく揺れた。多分話を聞いたクシナが嬉しくて身体が動いたのだろう。

 

「まあなんにせよ、明日には実際に身内かもしれないエルフに会えるんですから楽しみにしていましょう」

 

 その言葉にカイルは、やっぱりこいつ《ヤト》は変だけど良い奴だと思った。ただし、戦が絡まない時だけだ。

 

 

 

 第二章 了

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三章 なまくらの名剣
第1話 メイドの飯がまずい


 

 

 

「てへぺろ♪」

 

 ロスタは三人の前で、首を少し横に傾けて軽く握った拳をこめかみに添え、舌を出しながらウィンクした。この仕草を可愛いと思うかウザいと思うかはひとそれぞれだろうが、今この状況ではおそらくウザいと受け取るだろう。

 メイド服の少女のウザい仕草を前に最初に口を開いたのは主のカイルだった。

 

「――――その動きは?」

 

「私の胸の奥からの囁きで、失敗した時はこのように誤魔化すべきと」

 

 失敗。そう、確かに彼女は今現在失敗を自覚している。だからこのように可愛い仕草で誤魔化そうとしている意図は伝わった。問題はそれで失敗が赦されるわけではないという事だ。

 

「ロスタさん、貴女は料理はメイドの仕事だ、自分にまかせてほしい。そう言いましたが、肝心の料理の腕を自覚していますか?」

 

「知識と技術は持っています。問題なのはその知識を埋め込んだアークマスターの味覚が皆様と致命的にズレていた事でしょうか」

 

 彼女の言に誤りは見受けられない。実際にヤトもカイルもロスタの料理風景を一部見ていたが、何らおかしな動きは無かった。

 四人が遺跡のあった鉱山都市バイパーを発って半日。夕刻前には移動をやめて野営の準備に取り掛かり、夕食には昼間カイルが弓で獲ったウサギが主菜になるはずだった。

 そこでロスタが料理担当となり、ウサギ肉のスープを作っていた。料理の手際は良く、きっと味気ない旅の保存食も少しは美味しく食べられると思っていたのに出来たスープは身体が飲み込むのを拒否するほどに酷い物だった。どう酷いかは実際に食べた者にしか分からず、どう酷いかを説明するのも不可能な味だ。それでも味を表すならただ一言で事足りる。

 

『毒』

 

 この一字で済んだ。

 正直言うとヤトもカイルも食材を台無しにした彼女を叱責したかったが、これは当人の責任かどうか不明瞭だったので躊躇われた。

 もしかしたら料理を教えれば根本的に問題が解決するかもしれないが、食材を無駄にしたくない旅の間は彼女に一切料理をさせない決定を下した。

 ロスタはこの決定に不服を唱えず従った。

 そしてスープは処分して元の硬いパンだけの夕食に戻ったが、何故か四人の中で一番食にうるさいクシナだけはスープの入った椀を離さず一言も喋っていなかった。

 不審に思ったヤトが呼び掛けても応えず、頬を引っ張っても反応が無い。そしてよく見ると口からダラダラとスープが滴り落ちていた。

 彼女は座ったまま気絶していた。

 

「えぇー!」

 

「竜が気を失うってどんな料理だよ!?」

 

 その日の晩、ヤトは嫁竜の介抱に忙しかった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

「うぅ、まだ口の中が気持ち悪い」

 

 白銀の竜がしきりに口を動かして中の違和感を消し去ろうとしているが、まるで上手くいかず咳込んでいる。その振動が背に乗ったヤト達にも伝わり、ひどく乗り心地が悪い。

 昨夜の騒動からクシナが回復したのは日がだいぶ登ってからだった。

 一行はミニマム族のフロイドから聞いたエンシェントエルフの村を目指して空の旅を続けていた。フロイドによれば馬で五日の距離に、山と山が途切れて間に川が流れてる場所があり、その川を上に上に遡った先の谷の奥に目指す村があるという。

 幸い遅れていると言っても竜の翼はゆっくり飛んでも馬の脚の五倍は速い。何より障害物を無視して最短距離で飛び、地形を把握するのも高い場所が一番だ。おかげで行程は少し遅れた程度で済んでいる。

 今は川を見つけて遡っている最中だ。

 

「でさー、ここから川を上って谷を見つけたら、その先はどうするのさ?」

 

「上から村が分かればそこに降りれば良いだけです。分からなかったら適当に検討を付けて探しましょう」

 

「何日かかるかなぁ」

 

「誰かと追いかけっこをしているわけではないんですから気長に行きましょう」

 

 ぼやくカイルを宥める。彼にとっては故郷の可能性のある場所なので出来るだけ早く確かめたいと気が急いてしまうが、見知らぬ地を闇雲に探すのは危険が伴うのでヤトが押し留めた。

 

 それから暫く川を遡ると、やがて平坦な森から起伏の大きな地形に変わる。さらに先を見渡せば急峻な峡谷が威風堂々たる姿を横たえている。現在の季節は晩秋。最も高い頂きは白く雪化粧をしていた。

 大まかな場所は分かったが、それでも眼下に広がる大森林から一つの村を探すのは相当に時間と労力のかかる仕事だ。

 ここで日が落ちてきたので村の探索は明日にして、川沿いで比較的開けた場所に降りて野営することにした。

 いつもならクシナはすぐに竜から人の姿に変わるが、ヤトからちょっとした仕事を頼まれたのでまだ竜のままだ。他の三人は何故か靴を脱いで素足になっている。

 クシナは左の前足を川の水面に軽く叩き付ける。衝撃で川の流れが止まり、水が上流へと押し戻される。

 すぐに川の流れは元に戻ったが、あちこちで魚が浮き上がったり川岸に打ち揚げられている。それらの魚を三人が回収した。今晩のおかずだ。

 その後、人の姿になったクシナとヤトが薪を拾い集めに森に入り、カイルとロスタが料理担当になった。クシナは昨日の惨劇に戦々恐々したが、今回ロスタは魚を捌くだけで実際の調理はカイルがすると宥めた。それでも不安そうにしていたあたり、どれほど昨日の料理が不味かったのか窺い知れる。

 

 結局夕食の不安は杞憂に終わった。内臓を綺麗に取ったえぐみの無い塩焼きも野草の入ったスープも素朴ながら美味だった。

 しかしロスタの不名誉称号『メシマズメイド』の返上には未だ遠かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 ファーストコンタクト

 

 

 肌寒い森の中で目覚めた一行は手早く朝食を済ませて出発する。

 朝の上空はより寒く、カイルは毛布に包まって寒さを凌いでいたが、頭の働きまでは鈍らせていない。

 ロスタは二人から背を向けて一言も喋らない。昨日料理の下拵えしかさせてもらえなかったので朝からずっとこんな調子だ。ゴーレムなのに恐ろしいほど感情的だった。

 

「昨日寝る前に考えたんですが―――」

 

「村をすぐに見つける方法?」

 

 カイルの応答にヤトは頷く。眼下に広がるこの大森林から小さな―――かどうは分からないが、エルフの村一つを見つけるのは至難の業だ。闇雲に探したところで日数を無駄に労するだろう。それはカイルも分かっているが、残念ながら今のところ妙案は思いつかない。

 

「カイルは狩りをする時にギリギリまで獲物に接近しますが、相手が巣穴から出ない場合はどうします?」

 

「んー撒き餌をしたり、巣穴近くで騒いだり、穴に煙を入れて巣穴から追い出すかな。―――――ちょ、まさかそれをここでやるって言わないよね!?下手したら話をする前に殺し合いになるよ!」

 

「おっ?戦いなら儂も付き合うぞー」

 

「しないから!もっと穏便な手段を選んでよっ!!」

 

 戦いと聞いてクシナまで乗り気になって酷い事になりそうだったので慌てて止める。

 焦るカイルだったが、ヤトはそこまではせず弟分の言う通り、近くで騒いで向こうから接触してもらうよう動くよう提案した。

 これにはカイルも一応の納得はした。上手くいくかは分からないが、少なくとも相手を必要以上に刺激しない策だ。

 

「フロイドさんの話では彼等神代のエルフはかつて古竜とも戦った戦士だそうです。なら同じ古竜のクシナさんが上空を通れば何かしら反応があるでしょう」

 

「黒い矢に撃ち殺された赤い竜みたいにならないといいけど」

 

 カイルの口にした赤い竜は大陸西部で有名な英雄譚に出てくる悪竜だ。

 その竜は街から黄金を奪い、家を焼き、人を食らう大層恐れられた竜で、何物にも貫けない無敵の鱗の鎧を纏っていた。唯一の弱点は腹に一枚だけ鱗に覆われていない箇所があり、大弓を携えた弓の勇者に黒矢で弱点を射抜かれて死んだ。勇者は財宝を手に入れて街の領主となり話は終わる。

 その話を聞いたクシナは赤い竜のあまりの情けなさに呆れた。彼女からすれば弱点をわざわざ抜かれるような間抜けと言いたいだろうし、人から黄金を奪うような卑しい振る舞いが殊更癇に障った。

 

「それはおとぎ話の類ですから本当かどうかは分かりませんよ。クシナさんは人を襲いませんし、黄金だって興味ないですから」

 

「言われてみればそうだな。儂、あんなのより見た目が似ているチーズの方が好きだし」

 

 金貨とチーズを同列に扱うのも貨幣経済の外に生きているクシナならではの感覚だろう。

 それはさておきクシナはそろそろ急峻な谷の上を通過する。フロイドの話ではこの奥にエルフの村がある。

 ヤトはクシナに頼んで森の上を低空で飛んでもらった。当然下からの迎撃を警戒してクシナ自身と背に乗っていた三人がそれぞれ武器を持つ。

 谷を通過して一帯を何度も何度も通る。遮る物など何も無い空を我が物顔で縦横無尽に飛び続けた。

 

 二時間近く低空で飛び続けて寒さが身に堪え始めた頃。突如クシナの鼻先を掠めるように数十の矢が通り過ぎた。矢じりの向きから明らかに森から上に射られた物だと分かった。

 驚いたクシナの動きで背の三人が落ちかけたが何とか踏みとどまった。ヤトは重力に引かれて落ちてきた矢を一本掴む。矢は基本的に人間の使う物と同じ造りだが、出来栄えはこちらの方が遥かに良い。色は黒ではなく白、矢じりは白銀のミスリルだった。

 ヤトは矢が飛んで来た方向に意識を向けるが、移動したのか殺気はほとんど感じない。視線はまだ感じるのでどこかで観察しているのだろう。

 

「僕達が乗っているのを知って出方を伺っている可能性もありますね」

 

「やられた以上はやりかえすのが儂のやり方だが火はダメか?」

 

「今は我慢してください。カイル、エルフの言葉で文を書いて撃ち返してください」

 

「はいはーい」

 

 矢を撃たれて腹を立てているクシナを宥めつつ、カイルが話し合いを望む文を書く。その間相手にも動きは無かった。

 書き終わった文を相手の矢に括り付けてカイルは矢を番えた。狙う場所はヤトが一番視線を感じる箇所だ。この男、殺気に非常に敏感なので強い視線なら方角ぐらいなら分かる。

 矢は狙い通りの場所に落ちる。これで後は相手の返答待ちだ。もし返答が無かった場合、全員で直接森に降りて探すしかない。

 幸い時間はかかったが、周辺で一番高い木の上に人影が見えた。目を凝らせばその人物がカイルのように耳が長いエルフの男と分かる。

 男は何か手ぶりで伝えようとしていたが、竜の飛ぶ高さでは上手く読み取れない。

 仕方が無いのでクシナが限界まで低空で飛んで、三人は飛び降りる羽目になった。彼女は後から人になって降りてもらう。

 かなり無茶な方法で降りたので三人は木に突っ込んであちこち葉まみれだったが、大したケガも無く降りられた。

 

「あーもう死ぬかと思ったよ。ロスタは無事?」

 

「はい。ですが周囲を囲まれているようです。注意してください」

 

 彼女の言葉通り、鬱蒼とした森全体から視線を感じる。既にここは彼等の縄張りで、自分達はその真っただ中にある。

 三人は全員武器を収めたままだ。下手に武器を構えていたら敵対者とみなされてたちまちハリネズミのようにされてしまう。

 しばらくすると一人のエルフが三人の前に姿を現した。彼は森に溶け込むような緑の服を着て、背には弓と矢筒、手にはカイルの書いた文が握られている。

 

「半信半疑だったが本当に同胞だな。私はロスティン、古き言葉で『静かな雪』を意味する」

 

「は、始めまして。僕はカイルと言います」

 

 ようやく本当の意味で同族に会えたカイルは緊張で足が震えていた。

 ロスティンと名乗るエルフは人間で言えば三十歳前後の壮年の男性に見えるが、全身から感じる雰囲気はずっと成熟していて、まるで樹齢千年を超える大樹のような印象をカイルに与えた。

 

「カイル…カイルか。まるで人族のような名だ。そちらの二人?―――まあいい、隣の者たちも名乗るがいい」

 

「ヤトです。主に彼の付き添いでここに来ました」

 

「ロスタと申します。カイル様の所有物です」

 

 深々と頭を下げるロスタと目の泳いだカイルをロスティンは胡散臭そうな目で交互に見る。彼はロスタを一目で人間ではないと見抜いたが、ゴーレムとまでは分からなかったので物扱いする関係を奇異に感じていた。

 

「文には話がしたいとあったがお前たちは森を騒がしくし過ぎだぞ。エルフならエルフのしきたりに則って訪ねて来るものだ。間違っても古竜に乗ってくる奴があるか」

 

「それは僕から謝罪をします。なにせこの広い森を当てもなく探すには時間がかかる。あなた方エルフと違って人間の僕はせっかちなもので」

 

「お前が人間?私にはとんと何者か見当がつかぬ。強いて言えば火の精霊が強すぎて竜と間違えそうになったぞ」

 

 さすがは妖精の系譜たるエルフ。外見に捉われず、物事の本質をよく見ている。

 エルフは基本的に水の精と風の精との結びつきが強い。あるいは森を住処とするので木の精とも仲がいい。半面火の精とは相性が悪く、それゆえに半人半竜となって火の精を身に宿したヤトはかなり警戒されている。

 おまけに話をややこしくしそうなクシナが今この瞬間に人型になって空から降りて来たので周囲に伏せているエルフ達が動揺する。だからヤトは敢えてこの機を利用した。

 

「みなさん僕の奥さんの裸をまじまじと見るのは止めてください。エルフの男はそんなに女性の裸に飢えているんですか?」

 

「そんなわけあるか!」

 

 茂みから若い男の怒声が聞こえてくる。一人の声に同調して周囲からも次々否定する声が上がった。ヤトにペースを乱されたと察したロスティンは囲ませていた男達を叱責して先に村に帰した。

 ロスタが着替えを手伝っている間にヤトが古竜の正体と敵意は全く無い事も説明する。

 

「お前たちの言い分と振る舞いは分かった。村に入れるのは許可する。あとは長が判断してくれるだろう」

 

 ひとまず客として迎えられた四人はエルフの村に様々な期待を抱きつつ、ロスティンの先導に従って森深くに進んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 常春の森の村

 

 

 森のエルフ、ロスティンの先導でより森の奥に足を踏み入れた四人。

 しばらく無言で歩き続ける五人だったが、ヤトとカイルは途中から違和感を感じていた。

 今は冬も近い晩秋である。今朝も起きてみれば霜が降りていて、川の水は刺すように冷たかった。もっと北へ行けば平地でも雪がちらつくような時期だ。

 そんな季節でも村に近づく道中の草木は青々と生い茂り、地面に生える草の間には赤白黄青の小さな花々が顔を見せている。冬にあって枯れる事も無く、色褪せる事も無い草花の咲き誇る常春の森は世界の常識すら通用しない。

 カイルが興味本位ですぐそばの木の幹に触れると、決して木が何かしたわけでは無いが強い刺激を感じた。正確には木の生命力の強さに驚いた。街の近くの木は比較にもならない。昨日野営した場所の木々でさえ、これほど命の強さを感じたりはしなかった。同時に自身が安らぎを感じているのにも気付く。魂がその安らぎから離れたくないと叫んでいた。

 だがカイルはそれを強い意志で振り切った。名残惜しい気持ちはあったが、自分はまだこのような所で立ち止まるわけにはいかないのだと。

 歩みを再開した一行を肌を震わせる冷たい吹きおろしとは無縁の、春の暖かな風が迎えてくれた。

 

「何といいますか、ずっとここで過ごしたくなるぐらい心地よい森ですね」

 

「言いたい事は分かるけどさー、アニキは寒いの苦手だったの?」

 

「昔は少し苦手で大陸の東端から西に旅した時は南側を通ってきましたが、クシナさんと会ってから平気になりました」

 

 おそらくヤトに宿った竜の血肉の特性だろう。火の精が体内から温めつつ外からの火への耐性を生んでいる。そのせいでこの森のエルフはヤトを人間と認識出来なかったのだ。

 当初はその変質した肉体をいまいち制御しきれていなかったが、最近はほぼ思い通りに動けるようになった。おかげで桁外れに向上した身体能力を獲得してさらなる強さの高みに登ったわけだが、その力に耐えられる武器が無くなってしまったのだからままならないものである。

 このため今現在一行の中で寒さに震えるのはカイルだけとなり、一人辛い思いをしているので恨み言を漏らされたが、この森にいる間は寒さに悩まされずに済むだろう。

 

 寒さはさておき、森を歩き始めてから一時間経った頃、今までただの獣道だったのが初めて石造りの人工の道に変わった。道は緩やかな傾斜になっていて続く先は低い丘だ。

 傾斜を登った先の丘は森とは別世界だった。彼方にまで広がる平らな台地に建つ無数の白亜の住居。建物は一つの例外も無く蔦と苔のカーテンで包まれており、経過した歳月を伺わせる。

 それらの建物の合間には多種多様な大樹がそびえ立ち、色とりどりの瑞々しい果実を実らせている。木の枝にはカイルと同じぐらい長い耳のエルフの子供たちが立ってたわわな実をもいで噛り付いていた。

 エルフの子供の一人がこちらに気付き、不思議そうに首を傾げてから手を振った。子供にはクシナが手を振って返した。

 

「この村は客人が珍しいんですか?」

 

「外部の者が訪れるような土地にないからな。稀に旧友が訪ねて来るぐらいだ」

 

「それってフロイドさんの事?」

 

「そうか、あの勇者達から村の事を聞いたのか。道理で正確に村の上を飛んでいたはずだ」

 

 ロスティンが懐かしさと誇らしさが混じったような顔と、困ったような口調を零す。彼の話では村にとってフロイドはかけがえのない友人だが、軽々しく村の所在を教えてほしくない感情があるのだと。

 今回はエルフのカイルがいるのでまだ良いが、それでも先に帰った若手エルフからの説明が無かったらもう少し騒ぎになっていただろう。一行が村の中を通るたびに遠目で観察する村人が多い。

 多数の目を潜り抜けた先は村の中央部。至る所に噴水が設置されて光り輝く水飛沫が美しく幻想的な光景を生み出している。その奥にはひと際太い幹の白い大樹が立っていた。上を見上げれば天を覆い隠すほどに枝葉が広がり、広場全体をドームのように覆っていた。

 大樹の中央にはポッカリと大きな穴が開いており、よく見ると内部には壁に沿った螺旋階段が見えた。大樹は塔のような構造をしているのだろう。

 入り口には四人の武装したエルフの兵士が直立不動で護りを固めている。長身で精悍な顔つきのエルフ戦士はオリハルコン製の鎧兜を纏い、背には大弓と矢筒を背負う。手にはやはりオリハルコン製の槍、腰にも大小二振りを帯剣している。

 

「―――へぇ」

 

「アニキ抑えてよ」

 

 戦士達の強さに無意識に剣鬼の顔が出ていたヤトをカイルは呆れながら留めた。一応殺気は漏れ出ていないのでまだ本気になっていないのは分かるが心臓に悪い事には変わらない。

 エルフの戦士たちも笑みの理由を察していたが、彼等はただ己の職務に従事する道を選ぶ。

 

「ここより先は長と奥方の住居となる。貴殿らの面会は許可されているが武器は全て我々に預けてもらいたい」

 

 戦士の張りと威厳のある声に非武装のクシナを除いた三人は黙々と従って武器を渡した。ロスティンの案内はここまでだ。

 全ての武器を渡して改めて大樹の中へと通された四人は見上げるような螺旋階段を地道に一段一段登り、飽きる頃にようやく最上部にたどり着いた。

 階段を登り切った最上部は広い部屋になっていて、木の中でも壁や天井から吊り下がっている銀のランプおかげで柔らかい光が溢れている。

 その奥にはランプの光以上に煌びやかな男女が、木床がそのまま盛り上がった形の椅子にゆったりと座っている。

 二人は立ち上がって四人を迎える。

 

「よくぞ参られた客人達。私がこの村の長を務めるダズオールだ」

 

「妻のケレブです。ゆるりとなさってください」

 

 エルフの夫婦はヤトが見上げるほどに背が高かったが、高圧的な雰囲気は皆無で極めて理知的かつ温和だった。容姿もエルフの例に漏れず非常に美しく聡明な顔立ちをしている。髪はともに長く濃い黄金色。年は若いように見えるがどれほど歳月を重ねているのか見当もつかない。

 夫婦は古い言葉でダズオールは『笑う夢』、ケレブは『銀』を意味すると教えてくれた。

 ヤトは案内してくれたロスティンを千年の古木のようだと思ったが、目の前にいる二人は桁が違うように思えた。強いて言えばこの世界が生まれた時から存在する巨石を見上げているような気分になる。

 夫婦は元の席に座り、ヤト達はその対面に用意された切り株のような椅子を勧められる。

 座った後、四人は自己紹介をする。一人名乗るたびに夫婦はそれぞれ異なる感情を露にしたが、全員が名乗るまでは一言も話さなかった。

 そして名乗った後、最初にダズオールが口を開く。

 

「さて、お前達に率直に尋ねるが、此度の来訪は何か理由あってのものか?」

 

 カイルの心臓が一段跳ね上がる。ずっと探していた答えが見つかるかもしれないと思うと上手く頭が纏まらない。

 それでも懸命に心を落ち着けて、何も言わずに待っていてくれるダズオールに感謝しつつ話し始める。

 

「僕は幼い頃に本当の故郷から離されました。だから僕は自分の家族と郷を探しています。そして少し前にミニマム族のフロイドさんからこの村の事を知り、もしかしたらここが僕の故郷じゃないかと思って来ました」

 

「いきさつは分かった。しかし私が長となってからお前のような者は村から一人も出ていない。私にとって喜ばしいが家族を探すお前にとっては悲しい事だ」

 

「そう……ですか。では他の村で僕のような居なくなったエルフの話はご存じですか?」

 

「かつては我々も多くの者と心を通わし森の外を旅したものだが、今は旅人も知らせも滅多に来ぬ。残念ながらお前ぐらいの年頃の子の話も聞かぬ」

 

 カイルは落胆した。同じエルフなら何かしら情報があると思っていたが、また振り出しに戻ってしまった。これからまた地道に各地を放浪して情報を得る生活に戻ると思うと気が重い。もちろん今の仲間との旅は刺激に満ちていて悪い物ではないが、それとこれとは別だ。

 後は兄貴分のヤトが村にあるらしい武器を譲ってもらう交渉もあるが自分は気が萎えたので、そちらは本人にやってもらうとしよう。

 とりあえず気持ちを切り替えたカイルだったが、運命の神は気まぐれで人を弄ぶのが好きらしい。

 

「居なくなった子供の話は知らぬがカイル、お前の事は知っている。より詳しく言えばお前の祖父の事をだ」

 

「えっ?」

 

「お前の祖父はエアレンド。ここから遥か東の地に住む我が友だ」

 

「私もエアレンド殿の事は存じております。あなたはまるで幼い彼が帰ってきたかのように瓜二つです。あっ、ですが髪の色は違いますね。彼は私達と同じぐらいの濃さの金色でした」

 

 突然降って湧いたかのような祖父の話はカイルの心を激しくかき乱すがダズオール夫妻は構わず話を続ける。

 彼ら夫婦は幼い頃に何度もカイルの祖父エアレンドと遊び学びあう仲で、度々互いの村を行き交い縁を結んでいた。それは成長してからも変わらず、互いの結婚式に出席するほどだった。子供が出来てからは直接会う事も無かったが、それでも風聞で互いの安否ぐらいは知っていた。

 それは今でも変わらず、彼の住む場所も夫妻は知っている。当然カイルはその場所を知りたがったが、夫妻の言葉はやや抽象的で具体的な土地を表さなかった。もちろん地図も無い。

 

「安心するがいい。地図よりも気の利いた物を後でお前に渡そう。それに従えば必ずエアレンドの元に辿り着けるだろう」

 

「あ、ありがとうございますダズオールさん」

 

「そう畏まらずともよい。お前は私の大事な友の血族だ。しばし我が元で安寧に過ごすが良い」

 

 カイルは何度も頭を下げて感謝の意を示した。夫妻はそれを笑って止めた。彼等にはカイルが自分の孫のように思えたのだろう。

 己の故郷を求めた少年は一定の成果を得たわけだが、ここで一行全員が満足するわけではない。

 微妙に空気を読まないヤトがダズオール夫妻に自分の目的である竜殺しの剣の話をする。

 

「確かにかつて我々は古竜と戦った事もある。その時に用いた武具は今も村に残されている」

 

「もしよければ僕に譲っていただきたいのですが」

 

「その剣で隣の奥方を斬ると?あなたは自らの伴侶を殺すための剣を私達が譲ると思ったのですか」

 

 カイルの時とは打って変わったケレブの厳しい口調に、珍しくヤトが冷汗をかく。

 真に人と竜が絆をはぐくんだ例は過去にもあり、夫妻はヤトとクシナの関係を直接言われずとも理解している。しかしヤトが殺す相手がクシナとは一言も言っていない。それでも確信に至っているのは、途方もない歳月を生きたエンシェントエルフ故だ。

 

「どのような道具にも運命というものがある。竜と戦うために作られ実際に斬った剣は数多くあるが、妻殺しの剣など私は一振りたりとも所有していない」

 

 ダズオールの明確な拒絶の言葉を覆すような言葉をヤトは持ち合わせていなかった。

 結局、色好い返事は貰えなかったが、カイルの仲間として村への滞在は許可された。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 森の掟

 

 

 剣の収穫は芳しくなかったが、一行は村の空き家を貸してもらえた。人数分の寝台が用意されて、厨房には新鮮な森の食材が豊富に揃っていて、これでしばらく寝食に困らない。

 ―――夜半。四人は居間に集まってヤギのミルクを飲みながらこれからの事を話し合う。付け合わせには森で獲れた瑞々しいブドウが添えられる。

 

「先に言っておくけど剣を盗んだり強奪するのは無しだから」

 

「分かってますよ。さすがに歓待してもらった相手にそんな事をするのは良心が咎めます」

 

 ヤトは殊勝なことを言うが、カイルは微妙に信じていない。今までの所業を考えれば仕方が無いが、基本的にヤトは殺し以外で他者に害を与える行為はしない。むしろ盗賊のカイルの方が盗みは専門だろう。

 

「剣を譲ってもらえなかったのは残念ですが、ここでなら身の入った鍛錬が積めそうなので今から楽しみなんですよ」

 

「あーそういう事。でもアポロンの時みたいに許可を貰えると思う?」

 

「許可が無くても跳ね返りはどこにでもいるものですよ」

 

 そう言ってヤトはブドウを房ごと口いっぱいに頬張るクシナを見るが、彼女は何の事か分からず首をかしげる。

 基本的にエルフ族は争いを好まない。もちろん迫りくる災厄には果敢に立ち向かうし、神代の時代には数多くの竜や悪しき精霊と戦ったと言われている。決して臆病でも流血を嫌う種族ではない。特に若い者は好奇心も強く、時に向こう見ずな行動もする。身近にいるカイルがいい例だ。

 

「お願いだから殺しは無しにしてね」

 

「相手が死んでも負けを認めない限りは殺しませんよ」

 

 それは一般的に大丈夫とは言わないと思ったが、とっくに手遅れなので諦めた。

 一行は疲れもあって早々に寝床に入った。寝台の寝心地は極めて快適で全員すぐさま寝入った。

 

 

 村に客分として迎えられた翌日の夜明け前。ヤトとクシナは起きていたが、カイルは疲れもあってまだ眠っている。ロスタは朝食の用意をしている。当然用意と言っても料理禁止令が出されているから果実と食器を並べているだけだ。心なしか彼女は不満そうに仕事をしている。

 代わりにヤトが麦を乳で煮た乳粥を作り鍋ごとテーブルに乗せた。今日はクルミなどのナッツ類を多めに入れてあるので食感が良い。隠し味にチーズも入れてある。

 その時入り口のドアを叩く音が聞こえた。ロスタがドアを開けると前には客が一人立っている。

 

「あなたはロスティン様。おはようございます」

 

「おはよう。朝早くにすまないな。カイルは起きているか?」

 

「いえ、カイル様はまだ起きてこられません。急なご用件でしょうか?」

 

「そこまで急ではないが彼に用があってきたのだが。出直した方がいいか」

 

「なら一緒に朝飯でも食っていれば、そのうちカイルも起きて来るぞ」

 

 ロスティンが一度帰る素振りを見せたがクシナから朝食の誘いを受けてしまい戻れなくなった。仕方が無いので同じテーブルに就いて出来立ての乳粥を貰う。

 暫くは三人で粥をつつき、ある程度食べた所でロスティンが呟く。

 

「この粥は食べた事の無い味付けだが、外の者はこういう食べ方をするのか?」

 

「どうでしょう家庭や土地で味は相当変わりますから。不味かったですか?」

 

「いや、悪い物ではない。むしろ美味い。それに竜と共に卓を囲むなど早々ある物ではないしな」

 

 ここで初めてロスティンは笑みを見せた。

 ロスティンは千歳を超えた程度で村のエルフの中ではまだ若手に類する。森から出た事が無いので当然ドラゴンも村の老人達から昔話で聞いた程度しか知らない。だから昨日初めて白銀の古竜を見た時は他の若い連中の抑え役として冷静に対処しながらも、心のどこかで竜と戦えるのではないかと考えて胸を躍らせた。

 結果は友好的な邂逅になったのでそれで良かったと言えるし、今こうして共に外から来た者達と食事を執るのも楽しいと感じている。

 クシナが粥を三杯、ロスティンが一杯食べ終わるころにはカイルも欠伸をしたまま起きてきた。そして一緒に食事をしていた男を見て一気に眠気が飛んだ。

 

「お前に用があって来たが、早すぎたから待たせてもらった。待った分馳走を用意してもらって得をしたよ」

 

「えーっと遅れてごめんなさい」

 

「いいさ、食べながら話をしよう」

 

 カイルは言われるままに席に着いてロスタから貰った粥を食べる。ロスティンは粥のお代わりを貰ったのを見計らって話を切り出す。

 

「長から言われてエルフとしての作法としきたりを教えに来た。それ以外にも色々とな」

 

「やっぱり問題ありましたか。母さんから一通り教えてもらったけど、実際にやってみると上手くいかないや」

 

 カイルは納得しつつ母のロザリーから教えられても上手くやれなかった事に気落ちする。

 ロスティンは内心そういう問題ではないと思ったが今は敢えて何も言わなかった。単にしりたりに疎く、作法が拙いだけなら別の者がそれとなく気を利かせるだけで済む話だ。戦士のロスティンが出る幕は無い。

 それでもダズオールから命じられたのは竜と共に来たからだ。短い間だが直接クシナと相対して悪意を持つ竜ではないのは分かっている。同族を殺す事は無いだろう。

 問題は竜に合わせて旅をするにはカイルが未熟すぎる。実力が釣り合わない者同士が一緒にいて良い事は少ない。これからも旅を続けようと思えば強さは邪魔にはならない。

 

「何にせよ食べ終えたらさっそく始めてもらう」

 

「はい分かりました」

 

 元気よく返事をして二杯目の乳粥を食べきり、二人のエルフは家を出て行った。

 残った三人は食器を片付けながらこれからどうするか話し合う。

 ロスタはメイドとして掃除や洗濯担当。ヤトとクシナは村や周囲の把握を兼ねて散策をすることにした。

 

 エルフの日常は人間や獣人に比べればのんびりした印象を受ける。男は弓と籠を持って森に出かけ、女たちは村の外れの川で洗濯をしに行く。子供達はそこらで遊ぶか親の手伝いをしている。

 物売りの姿が見えないのは村には貨幣経済が存在せず、村人同士で物々交換をしているのだろう。そこは人間の農村の日常風景とさして変わりはない。

 それでも時間がゆっくり過ぎているように思えるのは村全体に広がる春の空気故だ。あるいは長命のエルフが定命の人間ほど生き急いでいないのでそのように感じるのだろうか。

 問題は彼等エルフがヤトとクシナの姿を見ると、さりげなく視線を外したり子供を注意を別の方に逸らす事が多い事だ。やはり長が滞在の許可を出しても諸手を挙げて外の者を歓迎するわけではない。

 それでも一部の子供は外から来た二人が珍しかったので好奇心から話しかける事もある。軽い挨拶をした頃には親に連れて行かれるので大したことは聞けないが、その内接する機会も増えるだろう。

 歩いてみると意外と広い村をぐるりと回ると、それなりに日は高くなった。歩いて腹が減ったとクシナが言ったので、ヤトは森で何か食べ物を探してはどうか提案すると、彼女は二つ返事で了承した。

 さっそく二人は村の外の森に入り、何か食べられそうな物を探す。

 森を見渡せばそこかしこに食料が見つかる。果実、キノコ、山菜、動物も多い。

 ロスティンからは果実や山菜は熟れていれば採り尽くさない限りは好きに食べて良いと言われている。他にも動物の類は子持ちの雌は殺してはいけない、木の枝を折ってはいけない、落ちている枝木は燃料にしても良いが森で火を焚くのは禁止、薪を得るために木を切り倒すのはもっての外などとエルフの掟を教えられた。

 二人は掟を破らないように、まずは果実に手を付ける。赤く熟れたリンゴを幾つかもいで齧ると驚くほどに甘く清々しい酸味が口いっぱいに広がる。近くに生るミカンと杏も非常に美味で何個でも腹に入った。

 少し離れた所には栗の木が群生しており、丸々と太った毬栗が無数に生っている。こちらは生では食べられないので持って帰って焼いて食べるつもりで拾い集める。さらにクシナは木を揺すって実を落とした。

 

「あまり揺らすと木を痛めますから程々にしてください」

 

「分かってる分かってる。しかしこの栗とやらは頭に当たるとチクチクして面白いな」

 

 ヤトに注意されてもクシナは面白がって何度も木を揺らした。幸い木を痛めず枝も折らなかったが、葉や外皮が青いままの栗も結構落ちてしまい木が寒々しくなってしまった。

 布一杯に栗を包んだ二人は満足して村に帰ろうとしたが、途中クシナが鼻を鳴らして何かの匂いを探す。

 匂いに従って歩き続けた彼女はやがて一本の木の下に行き当たる。ここまで近づくとヤトにも匂いの元が分かった。蜂蜜の甘い匂いだ。

 二人が根元の小さな穴を豪快に広げると無数のスズメバチが怒って飛び出した。外敵を撃退しようとするもヤトは脇差で払い除け、クシナは刺されても意に介さず黙々と掘り続けると木の根が絡み付いた巨大な蜂の巣が見えた。

 

「おほ~でかい巣だ。これは蜂蜜を沢山貯めいるな」

 

 クシナは甘い蜜を前に思わず舌が出てしまう。そして絡まった細かい根を力任せに引き剥がして巣を引きずり出した。この頃にはスズメバチは巣を諦めて幼虫を抱えて次々と逃げて行った。

 さっそく自分の胴体と同じぐらいの巨大な巣を壊して味見をするつもりだったがヤトがそれを止めた。

 

「覗き見している人が居ますから後にしましょう」

 

 そう言ってヤトは森の一角に向けて石を投げる。石は何かに当たると、そこから痛みを訴える声が聞こえた。

 声が出てしまった時点で誤魔化せないと思った覗き屋は観念して姿を現す。

 出てきたのは全員ヤトと同じか年下に見える三人のエルフ。それぞれ弓矢を背にして短剣を腰に差している。服は森で活動する時に保護色になる緑だ。

 三人のうち一番年上でリーダー格の気の強そうなエルフがヤト達を睨みつけながら口を開いた。

 

「お前達これ以上木を傷つけるのは止めてもらおう。客人でも森の掟は守ってもらわねば困るぞ!」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 剣鬼は蜂蜜ほど甘くない

 

 

 

「なあヤト。この蜂蜜を果物にかけたら美味しそうだと思わないか」

 

「それも良いですが、さっき採った栗を蜂蜜で煮るとすごく甘くて美味しいですよ」

 

「えっ、森の外にはそんな食べ方があるんだ!?」

 

 高らかに宣言した青年エルフを二人はどうでもいいように振舞った。その上一番幼いエルフの一人がヤトの話に反応したので、青年エルフは全方位に怒気をまき散らした。

 

「サリオン余計なことを喋るな!まったく――――えっと」

 

「森の掟の話だよバイン。あと、名前ぐらい言わないと」

 

 横からもう一人の髪を後ろで編んだエルフが補足する。仲間の助けで少し落ち着いたバインという名のエルフは咳払いして名乗る。

 リーダー格が古いエルフ語で『正義』を意味するバイン。一番幼いのがサリオン、こちらは『英雄』。最後に髪を編んでいるエルフは『弓』の意を持つクーと名乗った。

 そして幾分冷静になったバインが改めてヤト達に森の木をもう少し丁寧に扱えと忠告した。

 

「ロスティンさんから言われた通り、枝も折ってませんし火も焚いてませんが」

 

「でも君達さっき栗の木を揺らして食べない実や葉を沢山落としたよね。あれも森の掟だとダメな部類だよ」

 

「あと、そこの木の根を千切ってたのも良くないよ。枝も根も葉も同じ木なんだからダメだからね」

 

 ヤトは反論するもののクーとサリオンが一応理屈の通る理由を述べた。ただし、ヤトもクシナもあまり納得していない。ならば最初から森の木は葉っぱ一枚に至るまで不必要に落とすなと言った方がこちらも気を遣うというのに。

 もちろん言ったところでこの三人が頷くとは思えないのでヤトはそこまで言わなかった。代わりにクシナが思ったことを全部言ってしまい、当然のようにバインが余計に怒る。

 

「村の掟に従えないのなら今すぐに森から出ていけ!ただでさえお前のような竜が居座るのは腹立たしいんだぞ」

 

 この言い草である。村への滞在を許したのは長のダズオールだ。決して目の前にいるバインではない。そんな権限も無いのに昨日の今日で客を叩き出したとなったらダズオールの恥となるのを理解していないのだろうか。人間のヤトにはエルフの常識は分からないが、たぶん道理が通らないのはバインだと思った。

 同時にこの状況は中々に使えるのではないかとも思えた。なので一計を案じて機嫌を悪くしているクシナを宥めて、ヤトが三人をわざとらしく嘲る。

 

「おやおや、竜とはいえ女性相手に凄むのがエルフの男ですか?浅ましいというか卑しいと言いますか。誇りが無くて生きやすいですね」

 

「なっ、なんだと!!」

 

「なぜそこで怒りを見せるのか僕にはよく分かりません。自分が傍から見てどんな情けない事をしているのか分かってないんですか?」

 

「貴様ぁ、俺を愚弄するのかっ!!」

 

 ヤトの煽りにバインは怒り心頭になって弓を手にかけたが、流石に拙いと思った横の二人が必死で身体を抑えた。その上でさらに嘲りの目を向けて弓を見る。

 

「その弓で僕をどうするつもりですか?女を声で追い散らす輩に本当に弓が使えるんですかねぇ」

 

 ここまで言われては止めていた二人の力も緩む。その隙にバインが弓に矢を番えるが、狙いをつけるより速くヤトが腕を掴んで自由を奪う。多少力を籠めると痛みで矢を落とした。

 

「こんな近距離で弓を選択するのがそもそもの間違いですよ。やはり素人ですか」

 

「ふざけるな、その言葉を取り消せっ!!」

 

「でしたら明日にでも、腕前とやらを見せてくれませんか?もし優れた弓の使い手でしたら、僕は村を出て行ってもいいですよ」

 

 ヤトの提案にバインの顔色が変わり、嘘偽りは無いのか問う。同時にヤトはもし大した事の無い腕前だったら、一体何を差し出すのかを問う。

 その問いにバインは動揺した。

 

「なぜそこで狼狽えるんです。他者に何かをさせたかった場合対価を用意するのは当然じゃないですか。与える物も失う物も無しに人が動くと?」

 

「良いだろう、俺の弓を思う存分見せてやるっ!!もし口だけだったら腕でも首でもなんでもくれてやるぞぉ!!」

 

 売り言葉に買い言葉のおよそ対等な賭けとは言えなかったが、既に冷静さを失っていたバインはそれが分からない。

 他の面々が口を挟む間もなく、ヤトは明日の朝に村の中央の噴水前で待っていろと告げ、相手もそれを了承した。

 

 

 その日の夕刻。

 夕食の前にヤト達はカイルの師になったロスティンと共にお茶を飲んでいた。お茶請けには昼間のうちにヤトが作っておいた栗の蜂蜜煮だ。

 栗の甘みと蜂蜜の甘さが上手く混ざり合って非常に美味しい。全員に好評で、特にロスティンは森の外にはこれほど美味い物があったのかと感動すら覚えていた。ついでに作り方を聞いて今度嫁に作ってもらい子供にも食べさせてやりたいと笑っていた。

 朗らかな雰囲気だったが、話が今日の森の一件になるとロスティンは途端に顔をしかめて、ヤトとクシナに謝罪する。

 

「あいつらは……うちの若い連中が済まない。それとあいつらの言う森の掟はお前達には当て嵌まらないから気にするな」

 

 ロスティンの話を要約すると、バインたちの言う掟は成人したエルフの掟であり、外からくる客人や子供の場合は朝にロスティンが教えたような簡易な掟を守りさえすれば良いそうだ。

 そもそも外から来た者がずっと村で過ごした自分達と同じ事が出来るとは誰も思っていない。だから最低限気を付けてほしい事だけをあらかじめ伝えておいたのだ。にもかかわらず、竜だ何だと種族自体をあげつらうなどエルフ全体の品格を損なうとまるで分かっていない。

 不手際を働いた若者三人を明日謝らせると申し出たが、ヤトは断って予定通り勝負は行うと言い切った。

 

「こういうのは上から無理に謝らせても不満はずっと燻ったままですから、一度完全にへし折らないと駄目です」

 

「それはそうだが大丈夫か?バインはあれで若手の中ではかなり出来る方だぞ」

 

「別に僕と弓の腕を競うわけではないですから。腕の優れた所を見せろなんて曖昧な基準なら何とでもなります」

 

「分かってたけどアニキって結構エグい事するよね。それにどうせ村を出て行くなんて言っても、いつ出ていくか明言してないとか、出て行ってまた来るとかやったでしょ」

 

 心配するロスティンとは対照的に、付き合いのそこそこ長いカイルは兄貴分の気質の悪さから大事にならないと確信している。ヤトもカイルの言葉を否定しない。

 反対にバイン達の方が心配になってきたロスティンが明日の勝負の方法を尋ねると、逆にヤトから四方に百歩は木々や遮蔽物の無い広い土地が近くに無いか質問を受ける。

 少し考えて村から離れた湖畔なら木々が少なく見渡しが良い土地だと答えた。

 

「なら僕が考えていた方法が使えるから大丈夫です。それと証人が居ないと公正とは言えませんのでロスティンさんには明日立会いをお願いできますか?」

 

「私でよければな。時間は明日の朝噴水の前で良いか?」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 話も終わり、嫁が夕食を作って待っているからとロスティンは家に帰った。ヤト達も夕食の支度を始める。

 今日のメニューはウサギ肉の香草焼きと山菜スープ、それとライ麦パン。ウサギ肉は村人からの差し入れだ。

 一般にエルフは菜食と言われているが、全く肉や魚を食べないわけではない。狩りもそれなりの頻度でしているので割と肉は食べる。そうしたイメージが着いたのは彼らが畜産によって肉を得ないからだ。

 エルフの主な家畜はヤギやニワトリで、乳や卵を得るのに飼うだけだ。まれに馬を飼う村もあるが他の種族同様に騎乗用なので食べる事は無い。

 この村も家畜はヤギとニワトリだ。肉は全て狩りで得る。だから必要以上に動物を狩らないように厳格な森の掟があるわけだ。

 そのあたりの厳格なルールは客人のヤト達には分かりにくいので、狩りはしないように言われている。だから村から肉の差し入れがある。

 量が少ないので大飯食いのクシナやカイルは若干不満そうだが、代わりに美味い果実と今日採って来た栗を焼いて食べて気持ちを紛らわせた。

 腹一杯に食べた三人は明日のため早々に寝床に入った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 風評被害

 

 

 翌日。ヤトは噴水の前で弓を携えたバインを見つけた。横にはクーとサリオンもいる。

 

「ほう、逃げずに良く姿を見せたな。――――なんでロスティンさんがいるんだ?」

 

「今日の勝負の見届けを頼まれた。ついでに終わったらお前たちの不作法の説教もしようと思う。おっと、言い訳はするな」

 

 何か言う前にロスティンは先手を取って黙らせた。バインは他の二人共々顔色が変わる。浮かんだのは恐れの色だった。ヤトはこの時点で面々の力関係を大体把握した。

 それはさておき、ロスティンの口から勝負は別の場所で執り行う事が告げられた。彼には既に勝負の方法は伝えてある。

 ヤトを先頭に、三人は言われるままに村の外にある湖へと向かった。

 

 湖は朝日に照らされて眩しいが朝の冷気と陽の光が混ざり合い心地良い。風で湖面は波紋を生み澄んだ水を揺らす様は芸術家なら大枚を叩いてでも絵画として残したいと思えるほどに美しかった。

 湖畔には既にカイルとクシナが待っていた。その横ではロスタが二人のお茶を用意している。三人は特に何かをするために来たのではない単なる野次馬だ。

 ロスティンは彼等を気にせず、ヤトとバインの勝負の立会いを始める。

 

「ではこれよりヤト、バインの両名の勝負を始める。バインの矢がヤトに当たり出血した時点で勝ちとなる。ヤトはバインの身体に一度でも触れたら勝ちとなる。なお両者の距離が百歩離れた場所から勝負を始める。異論は無いか」

 

「僕は無いです」

 

「待ってくれロスティンさん!そんな条件じゃ俺が勝って当然だ!!もっと別の方法で―――――」

 

「黙れこわっぱ!!お前はいつから俺に指図できるぐらい弓の腕が上がった!?つべこべ言ってるとお前の負けにするぞ!」

 

 怒気を孕んだロスティンの一喝でバインは後ずさりする。離れていたクーもサリオンも同じように怯んだ。それを見たカイルは昨日からの教師役が意外とおっかない人だと分かって、これから大変になると天を仰いだ。

 異論が無くなった二人は改めて勝負の準備に入る。ヤトは歩数を数えながら離れて、バインは弓の張りを丹念に調べたり矢の本数を確認している。

 十分に二人の距離が離れたのを認め、ロスティンは手を高らかに上げる。あれが振り下ろされた時が開始だ。

 ヤトは腰の大小を抜かずに構えも無い。対してバインは既に矢を二本手にして、いつでも弓に番えられるように態勢を整えている。

 そして手が振り下ろされ、静かな湖に大音声が響く。

 

「はじめぇぇ!!」

 

 弾かれたようにバインは矢を番えて二本同時に上に放った。さらに矢筒から三本を抜いてヤトめがけて放つ。この間二秒に満たない。

 自身に向かって飛翔する矢を見てもヤトは慌てず回避したが、すぐさま次の矢が飛来する。それも真横から左右に一本ずつと上から二本。三本を躱して態勢が崩れた所を直前で曲がるように風を読みつつ曲射して真横に流れた二本の矢と最初の上に向けて射た矢が同時に当たるように仕組んだのだろう。

 しかしそのどれもが地面にへばりつくように身を下げて回避されてしまう。一気に七本の矢を失ったが、それでも構わずバインは矢を放ち続けた。

 

「あいつの弓は大した事無いな」

 

「いやいや、あの人凄い腕前だから。僕よりずっと上手いよ」

 

 クシナが全然当たらない矢を見て下手くそ扱いするが、弓を扱うカイルが反論する。あれは二人の距離が離れているのとヤトが回避に専念しているので下手に見えるだけで、同時に数本を正確な位置に射つつ曲射と時間差まで工夫するバインの腕は一流以上と言って差し支えない。

 

「とはいえそれが分からず無駄に矢を射続けるのは相手の術中に嵌っている証拠だ。まだまだ青二才よ」

 

「えっ誰?」

 

 唐突に後ろから話しかけられたカイルが後ろを振り向くと、そこには腰に短剣を差した大柄な男のエルフがまるで最初からそこにいたように悠然と佇んでいた。

 エルフは基本一定年齢を過ぎると肉体的には老化しないので外見からは何年生きているのか分からないが、纏う雰囲気からこの男はロスティン以上に生きた古のエルフぐらいは分かる。

 

「わざわざ見物に来たのか親父。相変わらず年寄りは暇そうだな」

 

「若い奴のお守りは若いのにやらせるのが筋だからな。年寄りが出しゃばっても良い事なんぞ無い」

 

 ロスティンが父と呼ぶエルフとを見比べると確かに二人はよく似ていた。彼は『火』を意味するナウアと名乗り、普段は村の鍛冶をしていると話してくれた。

 そのナウアは何故かクシナの顔を凝視していた。二人にはかなり身長差があり、クシナを大きく見下ろす格好になるので豊かな胸を覗いているように見える。

 カイルはエルフにもドスケベ親父がいるものだと呆れた。息子のロスティンも恥ずかしいから止めろと父親に説教し始めるが、ナウアは断固否定した。

 

「勘違いするなっ!私はその竜の顔に見覚えがあっただけだ!本当だぞ!!」

 

「それ街の娘を口説く定番なんだけど」

 

「クシナ様はヤト様の奥方なのに平然と口説くなんて最低です。カイル様はこんなロクデナシのクソエルフにはならないでくださいね」

 

「ひどっ!!この人形口悪すぎ!こんな年寄りをイジメおって、お前達には情けは無いのかっ!!」

 

 イジケて地面の草を抜き始めたエルフを放っておいて、カイル達の視線は再びヤトとバインの勝負に戻る。

 あちらはちょうど動きが止まっていた。正確にはバインの矢が尽きてしまい、あとはヤトが彼の身体に触れればそこで勝負は終わる。

 一歩一歩ゆっくりと近づくヤトを前に、バインは悔しそうにする。

 両者の距離が五十歩まで近づいた時、唐突にヤトが足を止めた。

 

「そういえば矢の補充は禁止してないので、仲間に分けてもらってはどうですか?」

 

「なっ、なんだと、俺に情けをかけるのか!?どこまで馬鹿にしやがって」

 

「ではその安い矜持を守って情けない敗者になるといいですよ」

 

 そこでヤトは見届け人のロスティンを見る。

 

「確かに取り決めには道具の規定は何もしていない。お前が取る手は二つだバイン。このまま負けを認めるか、矢を補充して薄くとも勝ちを目指すかだ」

 

 ロスティンの言葉に迷いが生まれたバインは葛藤する。その間にもヤトはさらに距離を詰めて三十歩まで近づいた。

 葛藤の末にバインは近くにいたクーとサリオンから矢筒を受け取り、随分近づいた敵へと矢を放つ。

 ここで初めてヤトは腰から鞘ごと脇差を抜いて矢を払った。流石にこの距離では避けるだけでなく剣で払わねば当たる。

 ヤトが一歩進むごとにバインは矢を射る。近づけば近づくほど矢は避けにくくなるのに、まったく顔色を変えず羽虫のように矢を打ち払う様は理不尽と恐怖そのものだった。故にただひたすらに負けたくない一心で弦を引く。

 それでも矢はかすりもせず、とうとう両者の距離はあと十歩まで縮まった。この距離ならヤトの剣は一足で届く。

 

「次で終わりです。まあまあ緊張感のある稽古が出来ました。そこは礼を言っておきますね」

 

「はぁはぁ―――ふざけるなっ!どこまで俺を愚弄する!!」

 

「それは貴方が弱いからです。悔しかったらもっと腕を磨いてください」

 

 その言葉に怒りのまま最後の矢二本をほぼ狙いを付けずにノータイムで放つ。が、来るタイミングが分かっている攻撃に当たるほどヤトは抜けていない。

 距離を詰めながらあっさりと矢を躱してバインに触れようとしたが、右手に握られた短剣がヤトの胸に吸い込まれた。

 ――――――はずだったが、最後の賭けはレイピアの柄で受けられて失敗した。そして鞘入りの脇差で右手を叩かれたバインの負けとなる。

 

「そこまで。勝敗は言わなくても分かるな」

 

「くっ!」

 

 バインは右手を抑えて苦悶の声を上げる。腕の痛みよりヤトに負けて絶対の自信を打ち砕かれた事が一層精神を打ちのめす。

 

「僕の勝ちですね。では勝者として命令します。僕が村にいる間はこれからも稽古に付き合ってもらいます」

 

「ぐぬぬ、良いだろう」

 

「そうそう、僕に矢を当てたら命令は破棄しますので頑張って腕を上げましょう」

 

「言われなくともっ!!」

 

 バインはクーとサリオンとで、あちこちに散らばった矢を回収してから怒りのままに村に帰って行った。あの様子では悲嘆に暮れるよりすぐさま鍛錬を始めるだろう。実に都合が良い。

 ヤトは見届け人を務めてくれたロスティンに礼を言い、隣にいたナウアの事を尋ねると本人が名乗る前にカイルがクシナの胸をガン見したエロジジイと説明した。

 クシナはたかが胸を見られた程度で動じるような価値観は持ち合わせていないが、旦那のヤトは無言でニコニコしながらナウアに近づき、レイピアの柄で彼の腹を突く。

 普通なら奇襲に反応すら出来ないが、驚くことにナウアはあっさりと柄を横に動いて躱す。さらに躱すのを見越した反対からの脇差の横突きも腕を掴んで止めた。

 

「胸を見たのは誤解なのだがな。少しは落ち着いたか?」

 

「いいえ全く。なんて素晴らしい」

 

 何がとは言わない。ヤトの判断基準は生まれてから一度たりとも変わる事が無い。すなわち相手が強いかどうかだ。

 一瞬の交わりでナウアの力量を読み取ったヤトはすこぶるご機嫌だ。今のに比べれば先程のバインとの勝負など子供の遊びに等しい。

 剣鬼の笑みを見たナウアは面倒な相手に目を付けられたと感じてそそくさと退散しようとしたが、剣鬼が先に逃げ道を潰すように立ち回る。

 

「クシナさん、村に帰ってたらこの人に舐めまわすような視線で胸を見られたって言いふらしてください」

 

「ん?まあいいが、胸ぐらいいいだろうに」

 

「僕が嫌なんです。他の男に奥さんを必要以上に見られるのは腹が立ちます」

 

「お、おう。それならしょうがないな」

 

 何だか分からないが、番のヤトに強く言われてはクシナも照れながら了承せざるを得ない。

 何だか知らないままに変質者にされた挙句に若い夫婦のイチャつきに利用されたナウアは世界の無情に内心抗議したが状況が好転する筈が無い。せめて息子に助けを求めると、ロスティンは不承不承ながらヤトとクシナに思い留まってもらおうと説得する。

 

「僕も外道では無いのでナウアさんと正々堂々戦う事でケリをつけましょう」

 

「良かったな親父、戦いでケリが着くぞ」

 

 殆ど言いがかりからの脅迫で戦う羽目になったナウアは疲れたから明日にしてほしいと頼んで村に帰った。今日は酒を飲んでふて寝でもするに違いない。

 ヤトはなんの打ち合わせもしていないのに即興で合わせてくれた面々に礼を言った。特にロスティンは自分の父親を虚仮にしたのに同調してくれたのは意外だった。

 

「親父はずっと暇そうにしてるから、たまには運動ぐらいしたほうが良い。ただ分かってるだろうが恐ろしく強いぞ」

 

 なぜ協力してくれたのか分かった。彼は父親がヤトに負けないと信じているから安心して戦わせられるのだ。

 曰く今は鍛冶師の親父だが、かつては本物の竜殺しで闇の精霊とも戦った稀代の戦士だったそうだ。

 普通なら大ボラの類だろうが、先程の動きを見るに真実だろう。だからこそヤトは喜びを隠さなかった。

 明日もこの平和な村に一騒動起こるのをロスティンは予想した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 古兵の矛盾と葛藤

 

 

 ―――――朝。村の鍛冶場の前でヤトとナウアは顔を合わせて挨拶を交わす。

 卑劣な策略により戦う羽目になったナウアだったが、やる気はともかく装備に手は抜かなかった。頬まで覆ったヘルメット型の兜、銀色に輝く細かい鎖のチェインメイル、白銀のグローブと脛当て。村を警護するエルフの防具とは意匠が違って飾り気が少なく、より実戦的な装備と分かる。

 そしてより目に付くのが地面に突き刺してある長身のツーハンデッドソード。柄を含めた全長はそれなりに上背のあるヤトと同等。かなり背の高いナウアと比較しても長く幅広。これだけは他のオリハルコン製の防具と違ってミスリル製だ。

 

「お前と手合わせすると怪我を負いそうだから、私が若い頃に使っていたのを物置から引っ張り出してきた」

 

「本物の竜殺しの装備いいなぁ」

 

「言っておくがこれはやらんぞ。兄者からもお前に武器は譲るなと厳命されている」

 

 ナウアは物欲しそうな眼をしたヤトを牽制する。と言っても半分冗談だ。ツーハンデッドソードも使えない事は無いが長すぎて使いにくいので、例え本物の竜殺しの名剣でも体格に合わない武器は敬遠したい。

 それと兄者とは誰の事かと尋ねると長のダズオールと答えが返ってきた。意外と偉い人だった。

 話はここまでにして二人は戦いを始める。ヤトは鞘からレイピアを抜き払い、ナウアは地面から剣を抜く。後は互いに剣で語るのみ。

 対峙する二人の男。ヤトの佩剣も業物だったが、いざ剣を構えると互いの得物の差が如実に分かる。剣の纏うオーラや覇気が明らかに違うのだ。あるいはかつてヤトの佩刀だった赤剣『貪』なら互したかもしれないが今更折れた剣を惜しむのも女々しい。

 よって『今』の剣を信じて一歩深く踏み込んだ突きを放つ。朝日に照らされた剣身が六つの剣光を作り、かつての竜殺しを襲った。

 閃光のような速さの突きをナウアは柄と剣身の中ほどを握って剣を回転させて盾のように扱い神速の六連撃を全て防ぎ切った。初手は古兵の流麗にして剛の剣に容易くあしらわれた形になる。

 お返しとばかりに古の強者は剣を肩に担ぐような上段構えから一瞬で袈裟斬りを繰り出す。常人なら反応すら不可能な速さと破壊の権化のような殺傷力を有した一撃は読んでいたヤトに余裕をもって躱される。そのまま大振りの一撃で二の太刀を放てないナウアに突きを放とうとしたが、本能から踏み込む前に大きく後ろに飛んだ。その選択は正しく、踏み込んでいたら今頃返しの太刀で斬られていた。

 今の初太刀は誘いの軽い剣。本命は倍は速い返しの二の手だった。この間僅か五秒の応酬である。

 

「――――竜殺し。これほどとは」

 

「お前こそ、本当に五十年も生きていない赤子か。これほど強い人間は私の知る中でも三指に満たないぞ」

 

「それは誤りですよ。僕が一番強い」

 

 ヤトは言うなり切っ先で草花を巻き上げてナウアに叩き付ける。緑の吹雪が視界を覆うも神代の古強者は子供騙しと断じて、一気に間合いを詰めて勘で薙ぎ払う。

 勘は正しくそこにヤトはいたが、切っ先が前髪を僅かに落とすだけで通り過ぎ、空振った剣の腹に細剣の切っ先を当てて強制的にナウアの背を晒した。

 絶対的な好機を逃さず最速の突きを背に叩き込むはずだったが、回転を利用した後ろ回し蹴りでレイピアを弾く。普通なら足を斬られるが、ご丁寧に靴底にミスリル板を仕込んであったので靴底を少し切られるだけで済んだ。

 手を休めることなく追撃の剣が迫る。今度は刺突に加えて斬撃と殺気の塊故に極端に読み辛いフェイントを幾重にも織り交ぜた攻撃だ。

 上左右からの虚実織り交ぜた変幻自在の剣撃は実戦なら三度は相手の命を奪う凶剣であったが、老エルフの剣士はその全てを紙一重で防ぎ切り、あまつさえ反撃の一手でヤトの袖を裂いていた。

 

「今のは私の勝ちかな?」

 

「いえいえ、良くて引き分けですよ。ほら―――」

 

 茶目っ気を出したナウアにヤトは切っ先を見せつける。剣先には光り輝く数本の金髪が引っ付いていた。先程の剣戟を全て防げたわけではなかったのだ。

 二人は無言で口元を釣り上げて笑みを作った。

 今までの応酬で互いの基礎情報は把握した。力と速さは互角、戦闘センスはヤトに軍配が上がり、技量は数千年の蓄積のあるナウアが上を行く。あとは武器が如実に差を露にする。

 ―――――――ここより二人の戦いは常にヤトが仕掛け、ナウアが受ける形で百手を数えた。これは速さに勝るが剣の耐久性に劣るヤトが受け手に回るとナウアの剣を受け切れずに折ってしまう危険性故にだ。

 バイパーの街の商人から譲られたレイピアはオリハルコン製の業物だ。それに風の加護が付与されて恐ろしく軽いので普段以上の手数を繰り出せるが、竜の力を宿したヤトの力には到底耐えきれない。だから常に加減した立ち回りを余儀なくされる。おまけに今回の相手は隔絶した技量によってすべての攻撃を捌き切ってしまうし、いざとなったら分厚い両手剣を力任せにぶつけて細剣を叩き折ってしまえる。

 幸いこの戦いは稽古でしかなく、何が何でも勝つ必要が無いのでナウアはそんな無茶はせず、純粋に技量の勝負に収まった。

 裏を返せばヤトは手加減されているとも取れるので少し面白くない。ならばせめて技量でも勝っておかないと納得出来ないのだが、この限られた状況では負けはしないが勝つ道筋も見えてこない。

 最近こんな感じのスッキリしない戦いばかりでストレスが溜まる。それでも技量がどんどん上がっていく実感があり、稽古としては非常に充実した時間だった。

 そして実を言えば剣士として腕が上がるのはやっぱり嬉しかった。

 

 

 二人の戦いは実に千手を超えた所で、外からの来訪者によって止められた。

 

「おーい。ゴハン貰って来たから休憩だぞ~」

 

 草を編んだバケットを持ったクシナが大きな声を上げながら姿を現した。空を見上げれば日は随分と高くなっていたのでなし崩しに休憩する。

 滝のような汗を拭き、バケットから素焼きの瓶を貰って一息で飲み干す。中身はただの水だったが刺すように冷たく、火照った体に染み渡るほど美味かった。

 ナウアは鍛冶場からテーブルと椅子を持って来て使うように勧めて早めの昼食と相成った。

 焼きたての卵入りパンはやわらかくて味がよく、クシナは大層気に入ってガツガツと食べている。彼女を尻目に男二人は程々に果実を齧ったりナッツ類を摘まんでいた。

 持ってきた食事を半分程度腹に納めた時、ナウアが若い二人に疑問をぶつける。

 

「お前たちは夫婦だな?」

 

 唐突な質問に二人は疑問符を浮かべながらも同時に頷く。

 

「ヤトはクシナが古竜なのを知っている。その上で妻を殺すために剣を求めているのを知っているな?」

 

「何を言いたいのかは何となく分かります。ナウアさんは夫婦で殺しあうのはおかしいと言いたいんですね」

 

「まあな。私も昔、外の世界を旅して色々な者を見てきた。素晴らしい者も見るに堪えない者も理解したくない者も大勢居た。親兄弟で殺しあった者達も、妻殺しや夫殺しもだ」

 

 ナウアは遠い目をしながら過ぎ去った神代の世界に想いを馳せる。槍のように鋭く深海のように深い瞳でかつて何を見たのかは本人にしか分からないが、きっと生まれて二十年を経ないヤトには想像もつかないような経験をしたのだろう。

 

「そういう手合いは大抵互いが憎かったり、利益衝突があったり、本人にはどうにもならない理由から殺し合った。しかしお前達はそうした理由は持ち合わせていないように思える。なぜそれでも戦おうとする?」

 

「クシナさんが一番強いと思ったから、僕がこの世で一番強いと証明するには全力で戦って勝つだけです。それにクシナさんと戦うのは喜びですから」

 

「儂もヤトと戦った時は生まれて初めて楽しいと思った。ああでも、子を作って育てるのが先だからな」

 

 ナウアは二人の事がよく分からない。なぜそうも平然と殺し合う前提で愛を育めるのか。どちらが死んでもつらい想いを抱えて生きねばならぬというのに。

 もしかしたら仲間のカイル少年なら何か分かるかもしれないので、それとなく話をするのもいいかもしれない。

 

「でも中々子供出来ませんね。やっぱり人と竜とじゃ色々勝手が違うんでしょうか?」

 

「竜が人のようにポコポコ生まれたら今頃この世は竜の天下の前にメシが足りずに滅びておるよ。気長に子作りするぞ」

 

 さっきまで殺し合う話をしていたというのに、今は今夜の子作りの話をしてイチャイチャしている二人を見たナウアは心の中で長い生涯でもこれほど異質な関係の夫婦は居ないと確信する。

 そして良識ある老人としてこの若夫婦を戦わせたくない想いと、一鍛冶師として優れた剣士に自分の剣を打ってやりたい気持ちとが自身の中で衝突していた。

 ヤトが常に全力を出せずにもどかしい想いを抱えているのは数手交えた時点で分かっていた。それを何とか出来る力が自分にはあるが、兄からは手を出すなと命じられている以上、精々が稽古に付き合ってやるぐらいだ。

 

『己の心行くままに思う存分腕を振るう』

 

 誰しも若い時はそう振舞えるのに、誰よりも才と力を持った隣の若者が窮屈な思いをしている。それを見ているのが何とももどかしかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 カイルののんびりした日々

 

 

 エルフの村は暦の上で冬真っただ中でも暖かい。既に一か月以上寝起きしていたカイルは住み心地の良さに段々定住したくなっていた。

 カイルは今、村の横を流れる川に素足を突っ込んでボケっと座っていた。流石に水は冷たいがそれでも真冬の雪交じりの水よりはずっと温かい。

 彼がなぜこんな事をしているかと言われると、決して暇を持て余しているとか、洗濯に来ている女性達の無防備な艶姿を覗きに来ているわけではない。多分。

 足を水に漬けているのは指導役のロスティンに言われて水の精に触れて仲良くなるためだ。

 カイルはおそらく森で生まれたが、そのまま育っていない。盗賊に攫われて幼少期を街で過ごした。そのためエルフとして森にすむ精との付き合い方を知らない。

 幸い育ての親がエルフの血を引くロザリーだったので、基本的なエルフの知識は教えられているのが救いだが、一番大事な精霊との付き合いは実際に経験しないと身につかない。なので村に来てから一か月、ずっと水に漬かったり草の上で寝たり木登りに費やしていた。

 おかげで少しは精霊の存在を認識出来るようになった。今もすぐそばで形容しがたい不定形の水精が周りを踊っているが、残念ながら何を伝えたいのかは分からない。

 横を見てみれば女衆が持ってきた洗濯物を水の精が洗浄して綺麗にしていた。その間彼女たちはお喋りに興じて若い娘は水遊びだ。街の洗濯に比べれば随分と楽なものである。

 

「カイルお兄ちゃん、今日も精霊さんたちと仲良くなる練習?」

 

「そうだよパドラ。なんだか楽しそうに踊ってるのは分かるよ」

 

 カイルに話しかけてきたのは彼より少し年下に見えるパトラと呼ばれた少女。茶色というより銅色の髪を右サイドで結んだ可愛らしい娘だ。村に来て最初に仲良くなった。

 パドラはそばで踊っている水精に頷いては同意したような仕草をする。彼女は水精が何を言いたいのかすぐに分かった。

 

「水精さんはお兄ちゃんの手品が見たいって」

 

「またか。僕は盗賊で手品師じゃないのに」

 

「えー私も見たいーお願いー!」

 

 後ろから抱き着いてお願いしてくるパドラにやれやれと思いつつも、妹が出来たみたいで何だかんだノリが良くなったカイルはポケットに入れてあったドングリを取り出して上に向かって放る。

 落ちてきたドングリを幾重にもフェイントを混ぜた素早い手つきで掴んで両手を差し出した。手品の基本コインマジックだ。

 

「ほい、どこにある?」

 

 今まで何度もやったやりとりだが、その都度パドラも水精も当たったためしがない。

 

「えっと昨日は左手だったけどその前は胸ポケットの中だったし、私は右手。――――うん、水精さんはお尻のポケットだって」

 

「二人ともハズレ。正解はぺっ、っと」

 

 カイルは両手を開けて空を見せつけながら口からドングリを吐き出した。これにはパドラはずるいと非難轟々、水精も身体をウネウネ動かして抗議の体を取っていた。

 二人は何度もこうしたやり取りを繰り返しては仲良くなっている。それを周囲の大人たちは微笑ましく見守っていた。

 

 

 水辺で一仕事終えたカイルは森に移動すると、そこで見知った顔に出くわした。ヤトに突っかかったバインに引っ付いていたサリオンが森に落ちている枝木を拾っては籠に入れている。

 

「やっほーサリオン、今日は一人?」

 

「やあカイル。今日も精霊と仲良くなりに来たの?」

 

 二人は互いの手を叩いてイェーイと言い合う。まるで十数年来の幼馴染のような振る舞いだった。

 この二人が仲良くなったのには深い理由は無い。単に年の近い同性が他に居ないからだ。年の近いバインやクーは強制的にヤトの鍛錬に付き合わされているか、自己鍛錬で忙しい。だから二人より年下のサリオンは微妙に放置されていた。そこで何気なくカイルと接していたらいつの間にか仲良くなっていたわけだ。

 

「師匠からそろそろ炉に使う木を集めて来いって言われてさ」

 

「ふーん、じゃあその内何か作るんだ。もしかしてアニキの剣とか?」

 

「多分違うんじゃないかな。ヤトさんの剣を打つのは長に駄目だって言われてるし」

 

 師匠とは鍛冶師のナウアの事で、サリオンは鍛冶見習いとしてナウアに師事している。枝木を集めるのも見習の仕事だ。

 カイルはただ見ているのも暇なので枝木集めを手伝う。ただ拾うだけではなく、森の精霊と仲良くするために木々に触れたり、時折草花に話しかけたりもした。

 すると水の精と似たような、花の形をした浮遊体や木の形の発光体がカイルの周りに集まる。これらは全て森の精霊だが、やはりまだ意思疎通は無理そうだ。

 単に枝集めは退屈なので二人は適当に喋りながら作業をしていた。

 

「それにしてもあのヤトさん滅茶苦茶強いね。稽古だけど師匠と互角の相手なんて長ぐらいしか知らないよ」

 

「僕としてはアニキが勝てないナウアさんの方がビックリだよ。なんで鍛冶屋してるのさ」

 

「『剣を使えない奴に良い剣は作れない』師匠の口癖。でも他の年寄りから言わせたら昔に比べて腕はかなり鈍ってるんだよ」

 

「うはっ、さすがは神代のエルフ戦士。おとぎ話の勇者みたい」

 

 カイルが楽しそうに口笛を鳴らすと、サリオンも連れられて口笛を鳴らすがいまいち上手くいかない。口笛は盗賊の必須技能で仲間への合図として使われるので、盗賊として育てられたカイルが上手いのは当然だった。

 なかなか上手く出来ないサリオンにカイルが口笛の手ほどきをすると、森の精霊たちは口笛に合わせて楽しそうに踊っていた。こちらの精は音楽が好きなのだろう。

 サリオンが上手く口笛を吹けるようになる頃には必要な枝は集まった。鍛冶に使うには全然足りないように思えるが、古代エルフの鍛冶は人やドワーフと違って火の精の助けを借りて行うので、燃料になる木や炭が圧倒的に少ないのが特徴だ。その上、ドワーフの名工に匹敵する作品も多いので羨ましい限りだ。

 彼はカイルに礼を言いつつ、言伝を預かっていたのを思い出して伝える。

 

「師匠から話を聞きたいから鍛冶場に来てくれって」

 

「僕に?何だろう」

 

「それは本人に聞いたほうが早いよ」

 

 それもそうだと思ったカイルはサリオンと一緒に鍛冶場に向かった。

 

 

 枝木を分けて運んで来た二人は鍛冶場に居たナウアに迎えられた。

 

「手伝ってもらってすまんなカイル。サリオンは枝木をいつもの所に置いておくように」

 

 サリオンは言われた通り枝木を鍛冶場の裏手に運び、残ったカイルは椅子に座るように勧められた。

 ナウアも椅子に腰かけて対面になる。この態勢は理由も無いのに結構緊張する。

 

「わざわざ来てくれて助かる。それでお前に聞きたいことがある」

 

「僕に答えられることならいいよ」

 

「そう大したことではない。お前の仲間のクシナだが、あの容姿が元は誰の顔なのか知っているか?」

 

 やや厳しい口調で問われ、カイルはすぐさま答える事が出来ない。

 なぜナウアがそのような事を聞きたがるのか分からなかったが、威厳に満ちた声に流されるように答えてしまった。

 

「昔クシナ姉さんを倒そうとした女の人だって事ぐらいしか知らないよ。強かったから少し覚えてて姿を借りたって言ってた」

 

「そうか、あの娘は古竜に挑んだのか。莫迦なことをしおって」

 

 ナウアは深い知性を宿した瞳を閉じて完璧な均衡の面に慙愧の念を浮かべた。しばらく後悔に満ちた冥福の言葉を呟いた。

 ほんの一分続いた死者への言葉が終わり、老エルフはカイルに礼を言う。そして彼はつい先日の事を思い出すかのように話し始めた。

 

「あの娘マルグリットはほんの三百年前にこの村に来た旅人だ。太陽のように明るく温かい笑みの娘だった。剣も中々才があってな、私が一振り拵えてやった」

 

 彼のような長い時を生きるエンシェントエルフにとって三百年はつい最近だ。

 

「姉さんみたいに角が生えてて小柄だったの?」

 

「小柄なのはそうだが、角は生えてなかったぞ。あれは人族でこの国の貴族だと言っていた。家が窮屈で勘当されて仲間と旅をしているともな」

 

 まるで近所の悪戯する子供を叱ろうか諭そうか迷っているような顔を見せる。あるいは孫に手を焼く祖父のような心境なのかもしれない。

 

「私や村の者たちの戦いの詩や冒険話を楽しそうに聞いていてな、自分達も同じような事をしたいと笑っていた。身の丈に合わない事は身を滅ぼすと言い聞かせたのだが」

 

「姉さんを怨んでる?」

 

「まさか。当人達も納得して挑んだだろうし、所詮私達エルフとはともに歩けぬ定命の人族だ。どう死んだところでさして変わらん。野垂れ死にしなかっただけマシよ」

 

 口では何ともないように言っても寂し気な瞳を見たカイルは少しだけお節介をしたいと感じて、どんな剣だったのか尋ねた。

 

「あの娘の力量に合わせた並のミスリル剣だ。家出したくせに家の紋章を刻んでくれと注文を付けた困った奴だった。確か花の紋だったな」

 

 思い当たる節があったカイルは中座して家に戻って荷物を漁り、勝手にヤトの使っていた折れたミスリル剣を持ってきた。

 半ばまで折れた剣を手にしたナウアは我が子の頬を撫でるように指を錆びた刀身に這わす。

 

「この剣は間違いなく私が鍛えた剣だ。しかしミスリルが錆びるとは何を斬った?」

 

 元来ミスリルは錆びる事の無い魔法金属。それも古代エルフの名匠が鍛えたミスリルが錆びるなど尋常な事ではないが、実際に錆びているのでナウアは首を捻るしかない。

 カイルが大雑把に死霊術で蘇らせたドワーフの王を斬ったとだけ伝えると、死者を弄んだ術師に悪態を吐きながら腐毒を操る力量を褒めもした。

 さらに彼は有無を言わさぬ口調で折れた剣を預からせてもらうと告げる。ヤトの持ち物なのでカイルの一存では決めかねるのだが、前に持ち主が適当な所で処分しようと言っていたのを思い出して、事後承諾でも良いだろうと思って了承した。

 

 話が終わると雑用を済ませたサリオンが戻って来たので、夕方まで鍛冶場でダラダラ喋りながら時間を潰してから家に帰った。

 村に来てからは毎日このように充実した時間を過ごすカイルだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 亡き友に捧げる焼き菓子

 

 

 自律式ゴーレムのロスタは自問自答する。なにゆえ己は族長夫人のケレブを含めたエルフの婦人達の着せ替え人形にされているのか。確かにゴーレムは自分で動く人形の類と言えなくもないが、その役割は主に侍り世話をするのであって、決して玩具扱いを受けるためにあるのではない。

 もし主が様々な衣装を着せて夜伽を命じたり愛でるのであれば全力で応えるつもりだが、残念ながら主のカイルは興味津々な様子でも奥手で手を出そうとしない。あるいは遠方に居る懇意にする王女に操を立てているのかもしれないが、自分のような人形相手ならば気にするほどでもなかろうに。

 話が逸れた。ともかく主が望むならどのような事も受け入れるが、今回の相手は世話になっているとはいえ大して関わりの無い婦人達だ。断る事も出来るがどうにも断りづらく、結局流されるがままに玩具にされてしまった。

 幸い遊び心を満たしたケレブ達からは解放されて元のメイド服に着替えたが、今度はお菓子作りを手伝ってほしいと言われて、いつの間にか厨房で臼を引いて小麦粉を作らされている。

 臼は重いので回すには意外と力が要る。女手には重労働だから疲れない人形の自分が選ばれたのではないかと疑うが、隣で談笑しながら軽々と臼を引く婦人達を見て、主カイルを筆頭に神代のエルフは人間より身体能力に秀ででいるのを実感する。

 大量の小麦を粉にし終えて調理台に乗せ、卵とヤギの乳から作ったバターと粉を根気よく混ぜ合わせて生地を練る。生地作りはかなり力のいる重労働だが、エルフの婦人達は誰もが鼻歌交じりにそれをやってのけた。

 

「ふふふ」

 

「どうなさったのですか奥方様」

 

 ロスタは唐突に笑みをこぼすケレブを訝しむ。奥方は疑問に答えず、ロスタの鼻先に付いた白い小麦粉を自分のエプロンで拭き取った。

 

「ずっと昔、まだ夫と一緒になる前にあなたとよく似た女の子とこんな風にお菓子を作ったの。その子も今みたいに顔を汚していたわ。それが懐かして」

 

「その方は今は?」

 

「……遠い昔に死んだわ」

 

「残念です」

 

 それっきり話は途切れたが、生地作りは続けられた。

 よく練った生地を手の平に収まるぐらいの大きさの四角に整えて、十字を刻んだ上の部分にハチミツを塗る。それらを温めた大きな石窯に入れて焼き上がるのを待つ。香ばしい匂いが辺りに広がる。

 待っている間、婦人達は傍にある切株の円卓でお茶会を始める。椅子は切株から伸びた太い根だ。ロスタはメイドとして給仕をしていたが、それが終わると同席を勧められた。

 ロスタが席に座ってからケレブはポツリポツリと昔話を始める。

 

「もう三千年も前。定命の者にとっては伝説の時代、私達神代のエルフにとっても遠い昔の出来事。この大陸…いいえ、世界の命運をかけた大戦乱があったの」

 

 ケレブの言葉を皮切りに婦人達が唄うように一人また一人、森の小鳥のように美しい声に乗せて朗々と太古の歴史を語り始める。

 

「『アーリマ戦役』。後から生まれた私達にはそう教えられました」

 

「それは魔人族の不死王アーリマが邪精霊や醜悪な亜人達を率いて世界を手にしようと挑んだ戦いでした」

 

「不死の王に対して我々エルフは種族の壁を越えて結束、人間、ドワーフ、幾多の獣人、ミニマム族と共に自由のために戦いました」

 

「中には気まぐれに古竜が両方の陣営に参加して、夥しい災厄を撒き散らしたとも」

 

「あらゆる種族に悲劇が生まれ、星の数ほどの命が散って逝き、誰もが嘆き悲しんだのです」

 

「それでも戦士たちは華々しく、雄々しく、誇り高く戦い、ついには不死王アーリマも自由の戦士たちの手で討たれたと聞きます」

 

「魔人族の多くは死に、邪精霊は世界から追放され、悪しき亜人は衰えて、人々は今の繁栄を手に入れました」

 

 婦人たちの唄はここで終わるが、悲し気な眼差しでロスタを見るケレブが後を引き継いで過去を悔いるように語る。

 

「その戦で私の父や兄を始めとした多くのエルフも散りました。犠牲となった者の中には妹のように思っていた幼いレヴィアも」

 

 レヴィアという名を聞いたロスタは胸の奥からこみ上げる説明しようのない声無き慟哭に混乱する。以前に魔人族の話を聞いた時も同じような衝動を味わったが今回はそれ以上だ。なぜ人形であるはずの己がこうまで動揺しているのか理解出来なかった。

 ロスタの内面を知ってか知らずか、ケレブはそのまま遥か昔に亡くなった少女との思い出を話し始めた。

 レヴィアは幼い頃から非常に活動的な少女でいつも森の外に出かけては傷だらけで帰って来ては家族に叱られていた。時に近くで悪さをしているゴブリンを討ち、親の居ない狼の子供を拾っては自分で育てる。一人で雪山に登って雪精と仲良くなったと思ったら喧嘩になって雪崩を起こすなど。

 とにかく手のかかる少女だったが、それでもケレブにとっては一番大切な年下の友人だった。

 彼女達の楽しくも騒がしい子供時代は大陸全土を覆う魔人族との戦乱によって容易く崩れ去った。

 多くのエルフの大人や若者が戦士として参戦し、村には他種族の戦士が幾人も訪れた。

 レヴィアは何を思ったのか、その中の戦士の一団に加わり村を出て行ってしまった。

 

「そして戦いの中で彼女は命を落としました。その時ほど戦乱を怨んだ事はありませんでした」

 

 ケレブの悲しみに暮れる言葉に他の婦人達も同調する。彼女達も直接ではないにせよ古い親族を亡くしている。悲しみを共有するには十分だった。

 そこで窯の焼き菓子が焼けたのに気づき、中から取り出して焼き加減を確かめる。焦げたハチミツの光沢と程よく焼けた小麦の色に婦人達は満足げだ。

 彼女達は小さめの菓子を幾つか千切って試食する。ハチミツの甘さとバターの深い味わい、焼けた小麦の香ばしさに誰もが頬を緩ませた。この焼き菓子はレヴィアが好きだった菓子らしい。

 出来上がった菓子は婦人達のお茶のお供にして二度目の焼きに入る。こちらはそれぞれの家のお土産用だ。

 ケレブは菓子を楽しみながら話を続ける。

 

「ロスタ、貴女はまるでレヴィアの生き写しです」

 

「では私の容姿の元になったのでしょうか?」

 

「それは私にも分かりません。あの子が死んでから随分と時が経ちますから全くの偶然と考えた方が良いのでしょう」

 

 ケレブはそう言うが、それでは己の身から湧き上がる衝動の説明がつかない。しかしこの場で族長の奥方を問い詰めるのは作法に反する。道具である己が主に恥をかかせるのは認められない。

 結局疑惑はそのままに、ロスタは二度目の焼き上がりまで無言のままだった。婦人達は出来た焼き菓子をバケットに詰めてそれぞれの家に持ち帰る。ロスタも人数分の菓子を持たされて、しこりが残ったまま帰路に着く。

 心なしかしょんぼりしたゴーレムの背中をケレブは見守り、誰かを責めるかのような呟きを漏らした。

 

「顔に似合わず感傷が過ぎますよ。あの子がもう居ないのは貴方も分かっているのに」

 

 呟きには悲しみとも呆れともつかない、しいて言えば聞き分けの無い子供をどう叱っていいのか分からない苦悩が宿っていた。

 

 

 ロスタが家に帰ると居間にはソファに寝転がってダラダラしていたクシナが出迎える。

 

「ただいま戻り――――駄目ですよクシナ様」

 

 挨拶をする前にクシナが焼き菓子の甘い匂いを嗅ぎつけてバケットをひったくろうとしたが、その前にロスタが両手で高く持ち上げて防いだ。

 

「むー、ちょっとぐらいいいではないか」

 

「もうすぐご夕食なんですから駄目です。それにこれはカイル様やヤト様へのお土産でもあるんですから、お二人が帰ってからです」

 

「その前に儂が味見をだな」

 

「すでにエルフの方々が済ましていますからご心配に及びません」

 

 二人のお菓子をめぐる攻防はヤトとカイルが帰ってくるまで決着が付かなかったが、いつの間にかロスタの悩みは思考の片隅に追いやられていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 突然の招待

 

 

 ヤト一行がエルフの村を訪れてから三月が経った。外の世界はそろそろ厳しい冬も終わり、雪解けの後に新しい草花が芽吹く時期だったが常春の森に季節の変化は無く、いつもと変わらない温かく穏やかな日々が続いていた。

 村の客分となった一行も変化は少なく特別な事があったわけではない。

 カイルはロスティンの元でエルフとしての作法を学び、精霊との正しい交流を続けている。本人の努力の甲斐もあり、あと二か月もあれば目途が立つと言質を得ている。

 以前ヤトが鍛冶師のナウアに正しい精霊との付き合いをした場合どうなるか聞いたことがある。答えは魔法と同等の現象を行使出来るだ。

 本来神代のエルフは誰もが精霊を行使して魔法を使える優れた魔法戦士だが、カイルは人の中で育ったので上手く魔法を使えなかった。と言うよりここで過ごす事でエンシェントエルフ本来の姿を取り戻しただけだ。それでも新たな力を得る事を疎むはずもなく彼は日々喜びを感じていた。

 ヤトは特筆すべきことも無く平常運転。バインやナウアと毎日夜明けから日暮れまで稽古に明け暮れている。ここ一月は村の他の戦士も加わっての実戦と見紛う訓練が積み重なったおかげで、ただでさえ秀でた剣の腕はさらに磨きがかかった。

 クシナは基本的に食っちゃ寝生活を送っているが、一人で過ごすのではなく村の子供達と仲良くなり、よく一緒に果実を食べたり遊びに付き合う姿が見られた。住民以外を知らない子供達にとって人も古竜も関係無い。等しく物珍しい遊び相手だった。

 ロスタは家の家事をしつつ、空いている時間はエルフの婦人達と機織りや小物造りをしていた。あるいはお茶会に誘われて婦人達のオモチャにされているとも。それでも当人が嫌がっていないのだから特に掛けるべき言葉は無い。

 

 それぞれが満ち足りて穏やかな日常を送っていたが、ある日の夕食の終わりにヤトが唐突に村を離れると言った。

 

「稽古も良いですがそろそろ剣を探しに行こうかと」

 

「どこにさ?」

 

「以前あの男女組がこの国の王都に僕に見合う剣があると言っていたので一応探しておこうかと」

 

「あーあの。で、僕はまだ村を離れられないけど。もしかしてここでお別れ?」

 

 ヤトの言っている男女とは遺跡探索をした街で知り合ったミトラとアジーダの事だ。その二人からの情報というのは甚だ疑わしいが、現状他に情報が無いので一応確認だけでもしておくべきだった。村の戦士相手の稽古もずっと続けていると流石に飽きてくるので気分転換も兼ねていた。

 そうなるとまだ修行が終わっていないカイルとお別れになってしまう。元々ヤトとカイルはちょっとした仲で終生の友ではないのだから、いつでも別の道を歩いてもおかしくはないが、こうもあっさりと離れると言われてカイルは腹が立った。

 

「勘違いしないでください。僕とクシナさんが一時的に離れるだけで、あなたの修業が終わる二月後には戻ってきます」

 

「うーん。それならいいけどさぁ」

 

 なおもカイルは納得していないが、この村に長期滞在する理由の大部分は自身にあるので積極的に反対はしなかった。

 そして二人は日時の取り決めをした。村を離れるヤト達は剣があっても無くても二か月を目途に村に帰る。もし帰ってこられない場合は帰れない事情があると思って、カイルの方から王都まで赴く。その時は合流場所や伝言を都の盗賊ギルドに残しておく。所持金は貨幣と小切手を半分にしてそれぞれ所有する。あまり細かく難しい取り決めは却って混乱の元になるのでこれぐらいの緩さの方が良い。

 打ち合わせの済んだヤトとクシナは明日の移動に備えて早めに床に就いた。

 

 

 翌日。ヤトはクシナの背に乗ってこの国の王都を目指して南下していた。フロディス国の王都バイナスはエルフの森から徒歩でおよそ半月はかかるが、竜の翼ならゆっくり飛んでも三日で着く。

 空を飛んでいる間は話をするぐらいしかやることがないので二人は雑談をしている。

 

「汝にふさわしい剣か。本当にあると思うか」

 

「あの連中の言う事ですから探さないよりはマシぐらいと思ってます」

 

「仮にもし数日で見つかったらすぐに森に戻るのか」

 

「まさか。せっかく二人になったんですから期間一杯までのんびりしましょう」

 

「お、おう。そうだな。ふふふ、ヤトと二人―――」

 

 クシナは久しぶりの夫婦水入らずに嬉しさがこみ上げる。カイルとロスタの事は嫌いではないが、旦那との二人だけの時間の方がより価値がある。

 ヤトは上機嫌の嫁に敢えて言わなかったが、剣探し以外にも森を離れる理由があったのだ。魂が命を懸けた戦いを求めていた。

 神代の戦を生き延びたエルフとの稽古はこの上ないほどに技量を高めたが、それでも命を削らない練習にどこか物足りなさを感じていた。だが、あの村では無益な殺生は禁じられている。村の住民を皆殺しにするつもりならそれでも構わないが、多少なりともしがらみが出来てしまった以上は何となく避けたい。それに鍛冶師のナウアがそれとなく剣を作ってくれそうなので、まだ殺すには早いと自制した。

 ならばと関係の無い土地で殺し殺される命を懸けた戦いを求めて別行動をとったのだ。仮にも一国の王都なら争い事にも事欠かない。最悪トロルやオークのような亜人でも構うまい。ともかくヤトは戦いたかった。

 旦那の内心を知ってから知らずか嫁は今も上機嫌で鼻歌を歌いながら飛んでいた。まあ、仮にヤトの内心を知った所でクシナは特に気にしないだろう。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 三日後。二人は何事も無くフロディス国の王都バイナスに着いた。

 今は朝早い時間もあって街に出入りする者の列が絶えない。そんな群衆の中でもヤトとクシナは非常に目立つ。なにせ二人はあまりに薄着なのだ。

 現在は暦の上では春でも、ついこの間までここにも雪が残っていた。朝晩はまだまだ寒気が堪えるが自前の毛皮を持つ獣人でもないのに厚手の防寒着も無しに過ごしていれば嫌でも目立つ。

 周囲の奇異の視線などお構いなしの二人は外壁の大門をくぐった。

 バイナスは一国の王都として恥ずかしくない規模と威容を誇る。人口は十万人を超え、十の神殿、五つの大劇場、二つの競技場、二十の公衆浴場、七つの市場、飲食店と娼館は数が多すぎて住民も完全に把握していない。勿論傭兵ギルドもや冒険者ギルドも居を構えているし、別の街から来る商人や根無し草の傭兵が利用する宿も無数にあった。

 街の西側には大河が流れ、豊富な水源が住民の生活を支えつつ水運による交易にも大いに役立った。

 まだ宿を取るには早いのもあって、二人は街をフラフラ歩いていた。途中クシナが露天商からリンゴを買って齧ったが、あまり美味しそうに食べていない。

 

「森で食べたリンゴの方が美味かった」

 

 クシナは不満だがそれは致し方ない。リンゴの収穫時期は秋から冬で今は春だ。今食べているのは去年収穫した分を街の外の氷室で保存していた物だ。当然旬を逃しているので味はあまり良くない。それでも旬を外した果実が食べられるのは需要のある大都市ゆえだ。むしろ季節を無視した果実がなるエルフの森が異常だった。

 仕方が無いのでヤトは別の店で干したブドウを買って嫁の口に放り込んだ。不意打ちに驚いたが何度も噛んでいると干した果実独特の食感と味を面白がって、もっと欲しいとねだる。

 二人は仲良く干しブドウ一袋を分け合いながらブラブラしていると、いつの間にか都市の中央の王城が間近に見えるところまで来ていた。

 城は都の規模に相応しい堅牢さと巨体を全ての者に見せつけていた。一番外は豊富な水を引き入れた水堀。煉瓦積みの外壁は分厚く、四隅には監視用の尖塔がそびえ立ち、前後の門は跳ね橋になっていて有事の際は容易く籠城出来るようになっている。

 壁の中には白い漆喰で塗られて朝日を照り返す増改築を繰り返して肥大化した白亜の外壁の巨大な城。敵軍の将がここを落とす場合、どれほどの兵の犠牲を払えばよいか考えて鬱々とした気分になるに違いない。

 

「ふおぉお!儂より大きいぞこの家!二本足はこういうのも造れるのか!?」

 

 クシナは興奮しながら城を指差す。確かに城は彼女の本来の姿である白銀竜の数倍は大きい。山のような自然物を除き、人工物でこれほど大きな物を作れると知った衝撃は大きかった。

 彼女は城に酷く興味を惹かれて騒ぎながら、どうやって作ったのかをあれこれ尋ねる。

 意外な物に興味を持った嫁にヤトは城の周囲をぐるっと回りながら懇々丁寧に説明した。

 結局一時間は城の解説に費やしてしまったが、クシナが大変満足したのでヤトは苦笑していた。

 しかし夫婦の有意義な時間も、突如として不意に闖入者により破られた。

 城から兵士の一団が駆け足でやって来て、ヤトとクシナを取り囲んだ。

 ヤトは最初、城を観察している不審者を捕えるために兵士が来たのかと思ったが、それならもっと前に門番や巡回兵が注意するなり退去を命じるので、それ以外の理由だろう。

 それに兵士を率いているリーダーらしき人物は帯剣し軽装の鎧を纏った見目麗しい女性だ。どうにも意図が読めない。

 兵士というより騎士らしき長い赤髪を丁寧に巻き上げて頭上で纏めた女性は一歩前に出て二人に一礼する。

 

「突然取り囲んだのは謝罪します。お二人を城にお連れするように仰せ付かっています。どうかご同行願いますか?」

 

「嫌と言ったら、その剣で無理に連れて行きますか?」

 

「可能ならそのような乱暴な事はしたくありませんが、騎士として令に背く事は赦されません」

 

 女騎士は顔は申し訳なさそうにしているが、手は剣の柄に添えられている。いざとなれば剣を抜いてでも連れて行くという意思表示をしていた。

 ヤトの見立てでは女騎士は片手間で蹴散らせる程度の使い手でしかないが、せっかく城の中に入れてくれるのなら断る理由は無い。いざとなれば自分の意志で出て行けばいい。

 

「儂らに何の用があるんだ?」

 

「さあ何でしょうね?まあ美味しいお茶菓子ぐらいは出してくれると思いますよ」

 

「おぉ。それなら行く」

 

 クシナはお菓子に釣られて了承した。ヤトも探している剣がもしかしたら城にあるかもしれないので招かれるのは都合が良い。断る理由は今のところ無かった。

 女騎士は穏便に事が進み、あからさまに安堵の息を吐く。この様子では荒事を好まない性格なのだろう。それでよく騎士が務まるものだ。

 ヤト個人の感想はともかく、二人は騎士と兵士に挟まれて城の中へと進んだ。何が待っているのかはまだ分からない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 仮初の母

 

 

 素直に赤髪の女騎士に従った二人は城の中の客室らしき部屋に通された。部屋の調度品はどれも一流、メイドが用意していた茶と菓子は匂いだけで貴族が食すと分かる上等な品だ。間違っても単なる旅人へのもてなしではない。

 ますます疑問に感じるヤトとは違い、クシナは席に座る前にお菓子を摘まんでご満悦だ。傍から見れば実に行儀が悪い。

 女騎士はそんなクシナの様子を見て呆れながら苦笑するも、すぐさま元の引き締まった顔を作り直した。

 

「それで茶菓子を用意してくれたのは礼を言いますが、そろそろ連れてきた理由を話してもらえませんか。えっと―――」

 

「名乗りが遅れました。私は騎士カレンと申します。お二人といいますか、私が命じられたのはお連れの婦人を連れて来る事です。もうすぐいらっしゃると思いますが」

 

 数分後。言葉通り、何人もの足音と客室の扉をノックする音が響く。

 カレンが扉を開け放つと、最初に飛び込んできたのは身なりの良い5~6歳の幼児だった。子供は一直線に茶菓子を齧っていたクシナに近寄ってじっと顔を見据える。

 凝視されて心なしか居心地が悪そうなクシナと対照的に、子供は咲きほこる花のような笑顔で叫んだ。

 

「やっぱり似てる!!母上だっ!!」

 

「んん?儂の事か、ちっこいの?」

 

「そうだよ!あっカレン、連れてきてくれてごくろうさま」

 

「もったいないお言葉ですルイ様」

 

 ルイと呼ばれた幼児がクシナに抱き着く。クシナは生まれて初めての経験に珍しくオロオロしてヤトに助けを求めたが、ヤトも何が何だか分からずにカレンに事情を聞く。

 

「このお方はこの国の王子のルイ様でございます。お二人を連れてくるように私に命じました。理由はその……ルイ様の母君にお連れのご婦人が似ていらしたからでしょう」

 

 ヤトはその母親がどうなっているのかを聞かない。母親に似ているだけで兵を使って連れてくるような真似をする以上、死んでいるのか遠く離れて容易に会えないのはすぐに分かった。

 ルイは幼児特有の遠慮の無さでベタベタと顔や角を触ったり、怒涛の如く質問を浴びせてクシナを困らせていた。助けても良かったが嫁が困る姿が珍しかったので、ヤトは黙って二人の微笑ましい触れ合いを眺めていた。

 子供故にあちこち話が飛んで分かり辛かったが話の内容を統括すると、城の塔からクシナの顔を見たルイが側付きのカレンに頼んで城に招いた。本当の母親は二年前に死んでいる。父は仕事が忙しいから構ってくれないのと、今は新しい母親がいるらしいが、本当の母ではないので嫌らしい。それと新しい母親に子供が出来て、父がそちらに興味を向けているのも面白くないとこぼしていた。

 

「そしたら母上がそとにいたから来てもらったの!」

 

「いや、儂はお前の母ではないからな」

 

「そんなことないもん!母上は母上だもん!!」

 

 クシナの言葉にも耳を貸さず、駄々をこねて母だと言って聞かず騒ぎ立てる。

 一方で部屋の外が騒がしくなり、待機していた兵士と別の一団が整然と足音を立てて中に入って来た。そして最後に入って来たのは兵士ではなく純白のマントを靡かせた壮年の男性。ルイと同じ金髪の上には無数の宝石を散りばめた金細工の冠を乗せている。

 男は部屋の中を一瞥して、クシナを見た時に一瞬だけ目を見開いたが、すぐさま目を閉じて何かを振り払う仕草をしてから、膝をついてルイに向き合う。

 

「父上!!あのね母上がね――――」

 

「ルイよ。数学の勉強はどうした?」

 

「でも、母上が…」

 

「お前の母はどこかに行きはしない。後で話す時間はたっぷりあるのだから、今は勉強をする時間だ。分かったな」

 

 父親の有無を言わせない気迫に気圧されたルイは反論せずに、クシナに笑みを向けた後に大人しくカレンに連れられて部屋を出て行った。

 ルイの父親は息子の後姿を見送ってからヤト達に向き直る。

 

「息子が粗相をしたようだな許せ。名乗りが遅れたが、この国の王を務めるルードヴィッヒだ。お前達も名乗るがいい」

 

 決して高圧的な口調ではないがそれでも問われた者は緊張を強いられる、そんな威厳に満ちた王に相応しい声を持っている。

 ただしヤトもクシナもその程度で委縮するほど可愛げのある育ちはしておらず、ごくごく自然体で素っ気なく名乗った。

 ルードヴィッヒはふてぶてしい二人を特に気を悪くせず、ただついて来いとだけ言ってスタスタと部屋を出て行ってしまった。

 別段ヤトは無視しても良かったが、なぜ子供がクシナを母と呼んだのか話を聞かねばならないので王について行った。

 王とともに二人が来たのはルードヴィッヒの私室と思わしき部屋だった。中は手の込んだ調度品で埋め尽くされていたが煌びやかな装飾は少ない。部屋の主の性格が出ているのだろうが、問題はそこではない。

 壁に飾られた一枚の女性の絵が最も目を惹いた。温和な笑みの美しい金髪の女性だった。

 

「なるほど。この絵の婦人があの子供の母ですか」

 

「そうだ。そして私の最初の妻でもあった。ルイはよくこの絵を眺めていた」

 

「この絵の女が儂によく似ているのか?よくわからん」

 

 クシナは絵の人物をしげしげと眺めて自分の仮初の顔をしきりに触っているがよく分かっていない。

 ヤトも絵を観察すると、なるほど顔立ちがクシナとよく似ている。髪の色の違いと角の有無を除けば、ほぼクシナと言って差し支えない。母の恋しい年頃のルイがクシナを母と呼ぶのも納得だ。

 ルイの事情は分かったが問題はクシナが母親でもなければこの国の事情に付き合う必要が無いと言う事だ。今すぐにでも出て行ったところで咎められる謂れはない。

 ルードヴィッヒもそれを察しているのだろうが、内心を表に出さずヤト達にテーブルに就くよう促す。二人が椅子に座り話を聞くのを見て、少しだけ申し訳なさそうに話を切り出した。

 

「お前達には暫くこの城に留まって息子の相手をしてもらいたい。無論礼は望みのままに与えよう。そう悪い話ではないぞ」

 

「返答する前に不躾な質問になりますが、貴方はクシナさんを見てどう思いました?」

 

「………本音を言えば一瞬亡き妻のシャルロットを思い出したがすぐに違うと悟った。私はお前の連れ合いを奪うつもりはない」

 

 ヤトの質問の本質を察した王はすぐさま否定する。王の目を真っすぐ見つめたヤトはその瞳に嘘を見出さなかった。もちろん王たるもの感情を表に出さないよう振舞うのは当たり前のように出来るが、おそらくは偽らざる本心のように思えた。

 仮にルードヴィッヒが妻の幻影をクシナに求めて彼女を手籠めにしようとしても不可能と分かっている。下手をすれば怒ったクシナに城どころか都全てを焼き払われるのを心配したほうがいい。

 それにカイルの修業はあと二か月かかる。その間、どうせ宿をとるのだからこの際、城に客として居着いてしまえば衣食住に困るまい。

 

「僕は構いませんが、当事者のクシナさんはあの子供に二か月付き合えますか?」

 

「儂は親など知らんが、要はあのちっこいのと遊んでいればいいのか」

 

「そういうことになる。妙な頼みを聞いてくれたのだから、こちらもお前達の要望には可能な限り応えよう。城に居る間は遠慮せずに申し出るがいい」

 

 ルードヴィッヒとの私的な謁見は終わった。

 そして王から実質的な白紙命令書を貰い、ヤト達は用意された部屋に案内された。部屋は隣接した貴族用が一人一つ。おそらくこれはヤトとルイが顔を合わせないよう配慮したのだろう。快適な生活は手に入ったが夫婦生活は中々難しそうである。

 ヤトは部屋付きのメイドにルイの授業時間を聞き、まだ幾らか時間があるのを確認してから隣の部屋を訪れた。こちらの部屋の床にはなぜか何着ものドレスが乱雑に落ちていて、若いメイドが非常に困った顔をしていた。

 クシナは貴族用の大きなベッドでダラダラ過ごしていたが、ヤトの顔を見て勢いよく起き上がる。

 

「ヤトぉ、こいつが儂に服を着ろとうるさい」

 

 ジト目でメイドを睨む。多分ルードヴィッヒが気を利かせてラフな格好のクシナのために色々と服を用意したのだろう。

 

「そのぉ、失礼ですが今のお姿でルイ様にお会いになられるのは色々と差し障りが……」

 

 メイドが言いにくそうに申し出る。言いたいことは分からないでもない。王子の遊び相手を務める女が半袖短パンでは城の貴族共が格式が何だのと余計な口を挟むだろう。だからせめて格好でも整えさせたかったのだろうが、そもそも竜である彼女が服そのものを好まないのを知るはずもなく、結果は御覧のありさまだ。

 ヤトは床の赤い長袖のドレスを拾って広げてみる。絹製で細部にまで丹念に刺繍の施されたドレスはこれ一着で平民の年収を楽に超えるはずだ。金の問題ではないが、これほどの良い品を粗雑に扱うのは気が引けるし、クシナが着た姿を見てみたいと思った。

 なのでヤトは嫁にドレスを着てほしいとお願いした。

 当然クシナはあからさまに難色を示したが、ヤトの懸命なお願いにより渋々メイドに手伝ってもらい生まれて初めてドレスを纏う。

 赤いドレスはクシナの赤い瞳と銀髪に良く似合った。ただし当人は服の感触が気に入らずに顔をしかめている。

 

「うーなんか変な感じだぞ。なんで二本足どもはこんなものをいつも着けていられるんだ」

 

「慣れないと辛いですが我慢してください。でもそのドレスを着た貴女もすごく綺麗ですよ」

 

「むぅ、ヤトがそう言うなら仕方が無いから着る」

 

 非常に嫌そうだったが、旦那に言われては我慢するしかない。メイドは役目を果たし上役からの叱責を免れてホッとしていた。

 ヤトはルイが来るまでの間、珍しい嫁のドレス姿を十分に堪能してから一旦割り当てられた部屋に戻った。

 その後、夕食は一緒に食べようとしたが、ルイがクシナのそばからずっと離れず、寝る時まで一緒だったのでヤトは仕方なくその日は一人で寝る羽目になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 神官戦士の矜持

 

 

 ルードヴィッヒ王の客人として城に逗留した翌朝。ヤトは一人客室のベッドで起きた。いつもなら隣にはクシナが寝ているが、昨夜はルイ王子が隣のクシナの部屋で寝ていたので邪魔するわけにもいかず久しぶりに一人で寝る事になった。

 しばらくするとメイドが湯とタオルを持ってきたので顔を洗う。そして朝から食べ切れないほどの料理を並べた。全て食べる必要は無かったので必要な分だけ食べ終わる頃、ノックもせずに扉が開け放たれた。

 

「おーいヤトぉ!」

 

「おはようございますクシナさん」

 

 勢いよく部屋に入って来たのは動きやすさを重視して肩と腕の露出した白いドレスを着たクシナだった。

 彼女は先程までルイと一緒に食事をして、彼が授業に行ってようやく解放されてすぐにヤトに会いに来て抱き着いた。授業は昼食まで一杯に詰まっているので、それまでは二人は一緒に居られる。

 クシナは窮屈なドレスからいつものような軽装に着替えてからヤトと共に街に繰り出した。

 朝の早い時間だったが街には人が溢れていた。さすがは一国の王都と言ったところか。

 ただ、よく観察すると他の街に比べて人間以外の人類種が驚くほど少ないのが分かる。それとすれ違う人々の多くがクシナの角を見て振り返るなり奇異の目を向けている。

 どうやらこの街は前に居たバイパーの街に比べて亜人にとって住みにくい環境らしいが、公然と敵意を向けてないだけマシだ。なにせ金さえ出せば商品も適正価格で売ってくれる。今もクシナは焼いた鶏肉を挟んだパンを買って頬張っていた。

 二人は群衆の注目を無視しつつ、あらかじめグラディウスの街で聞いておいたスラムの盗賊ギルドを訪れた。

 光の差さない石造りの部屋で暇そうにしていた受付の狼人の男は親し気に接する。特に見た目が亜人のクシナにはまるで十年来の親友のように友好的な視線を向ける。

 

「で、用件はなんだい?」

 

「情報が欲しいんです。この都に竜に勝る優れた剣があると聞きました」

 

「ほーん、剣ねぇ。ここは一国の王都だから謂れのある剣には事欠かないぜ。まあ一番有名なのは『選定の剣』だろうけど」

 

「それは?」

 

「おっと、ここから先は有料だ。あとは別室で聞いてくれ」

 

 さすが盗賊。いくら友好的でもタダで物を教えてくれるはずがない。二人は素直に狼人に従って中の部屋で待っていた。

 しばらく待っていると部屋に大柄な虎人の女が入って来た。彼女は手に一枚の紙きれを持っている。

 

「待たせた。あんたの欲しい剣の情報は五つあるが一つにつき金貨一枚だ」

 

「では全部聞かせてください」

 

 ヤトは即答して懐の財布から金貨五枚を虎女に差し出した。彼女は鋭い爪で目の前の金貨を引っ掻いたり、貨幣同士を打ち合って音を確かめた。

 疑り深い気もするが、騙し合うのが盗賊の本質なのだから彼女の方が正しいとも言える。むしろ旅仲間のカイルの方が盗賊のわりに他者を信じ過ぎている。いつか痛い目にあうだろう。

 虎女は全て本物の金貨と分かったので紙切れをヤトに渡した。紙に目を通すと六か所の住所と所有者および団体の名が記されていた。

 記された所有者の内、三つは神殿。二つは貴族。最後の一行には王墓とあり、横に『選定の剣』と書かれていた。

 

「金貨一枚なら場所だけだ。追加料金を払えばどの部屋に置いてあるかを教える。取って来いと言うなら一振りにつき金貨三千枚は出せ」

 

 なるほど、やけに情報料が安いと思ったら追加料金で儲ける算段だったか。所持金は金貨二万枚以上あるから全部取って来いと言ってもいいが、本当に自分の腕に見合う剣かどうか分からない現段階でそんな無駄遣いをしたら合流したカイルに何と言われるか分からない。となれば実際に自分で確かめに行った方が確実だ。

 

「場所さえ分かれば大丈夫です。ところで最後の行に選定の剣とありますが、さっき受付では有料と言ってましたよ」

 

「どうせそいつは街の連中に聞けばすぐに分かるからタダでもいいんだよ。じゃあ他に聞く事があれば金を出せ」

 

 これ以上聞く事の無かったヤトは虎女に金ではなく礼を言って盗賊ギルドを出た。

 街の市場まで戻って来た二人は早速聞き込みを開始した。と言っても特別な事はせず、クシナに食べたいものを何でも買ってやるだけだ。その時に店主にそれとなく盗賊ギルドで教えてもらった場所の事を聞けば、誰もが気前よく話してくれた。

 買い食いしながら聞き込みを続けてルイ王子との昼食の時間までに大雑把だが情報は揃った。

 二つの貴族の邸宅は場所ぐらいしか分からなかったが、神殿の方はそれなりに詳しい情報を聞けた。

 三つの神殿はそれぞれ『法と秩序の神』『戦と狩猟の神』『死と安寧の神』の奉納品としてそれらしい剣があるらしい。その中で剣の場所がすぐに分かるのは『死と安寧の神』だけだ。他はおそらく神殿内部の宝物庫あたりにでもあるのだろう。

 そして最も情報量が多いが、おいそれと近づけないのが王墓にあると言われる『選定の剣』だ。

 

「数百年前に天を衝く巨人を葬った王の剣。それが代々の王の霊廟に刺さっている…ですか」

 

「この街の北にあるんだったな。王族以外には近づくことも許されないが」

 

 城への帰り道を歩きながら二人は今しがた教えてもらった情報を口にする。この情報は街のどの住民に聞いても答えが返ってきた。それだけ有名な話なのだろう。

 他に分かったのは王族以外にも王の戴冠式が執り行われる時だけは一部の貴族も内部に入る事を許される事、それと王家に仕えて霊廟の保全と管理を任される職人一族だけは定期的な出入りを許されているとのことだ。

 二人は城の客人扱いで大抵の要望は聞いてもらえるが、さすがに霊廟には入らせてはくれないだろう。こちらは後回しにして何か良い知恵が浮かぶのを待った方がいい。

 集めた情報を精査した結果、とりあえずクシナがルイの相手をしている間、ヤトが入りやすい神殿から調査する手はずになった。

 城に戻ると既に兵士からルイが待っていると急かされたクシナは若干面倒くさそうにしたが、さして嫌がりはせず言う通りに甘えん坊な王子の元へと行き、ヤトは神殿の調査に再び街へと戻った。

 

 

 クシナと別れたヤトが最初に訪れたのは『戦と狩猟の神』の神殿だ。建物の大きさは一国の王都に見合った巨大さを有し、祈りの場の正堂以外にも心身を鍛える競技場や鍛錬場を備えているのが特徴だ。

 『戦と狩りの神』は文字通り戦神であり、兵士や戦に赴く貴族からの信仰の厚い荒々しい神だ。同時に森の豊かな恵みを与えてくれる狩猟の神でもあるので、獣人からの信仰も厚い。

 ヤトは信仰心に薄いが神殿の神官戦士と剣を交えた事もあり、それなりに出入りした経験があったので勝手は知っている。

 まず一般開放されている祈りの場の正堂で筋肉粒々髭面の神像に形式上頭を下げてから、人がすっぽりと入る瓶の中に銀貨を一枚喜捨として入れた。それから正堂の中をじっくりと観察する。奉納品なら探している剣が神像のそばに置かれている可能性はそれなりに高い。

 問題はその奉納品が数え切れないほどに置かれている事だ。ざっと見渡すだけでも百は優に超える。剣以外にも槍や斧、槌に大鎌、大陸南部で作られたチャクラムや中部の遊牧民が好む曲刀もあれば、鎧や盾も数多くあった。これではどれがお目当ての剣なのか探すのは大変だ。

 どうしたもかと悩んでいると、近くの帯剣した巨漢の神官が話しかけてきた。

 

「加護を受けに来たのかね?それとも武芸師事をお望みか?」

 

「ただの見学です。ここに竜を討つほどの優れた剣があると聞いたので、どのような代物なのか興味がありました」

 

「確かにうちの神殿に代々伝わる宝剣が君の言う竜殺しの剣だが、信徒でもない者にお見せするのは無理というものだ」

 

 神官の言葉は尤もだ。大切な物を見ず知らずの輩に気軽に見せる道理は無い。

 予想通りの言葉なので落胆は無いが、それで諦めるほどヤトは潔くない。許可が無くとも勝手に見てしまえばいい。そのためにはどこに剣があるかを神官からそれとなく聞き出す必要があった。

 

「では信徒になればすぐにでも見せてもらえると?」

 

「まさか!あれはこの神殿の宝だ。試練を突破した優れた神官戦士でもなければ触れる事は許されぬ」

 

「試練ですか。それはどのような物なのですか?」

 

「神官戦士五名と戦い勝ち抜く事が条件だ」

 

「なら僕がその神官戦士十名に勝ったら見せてもらえますか?」

 

 ヤトの挑発的な物言いに、神官は穏やかな笑みを装っても内心は生意気な若造に対する怒りが渦巻いていた。

 神官戦士は神殿に入った時から生涯の大半を武の修練に費やす。単に神殿にこもるだけではなく、傭兵として各国を渡り歩き戦に身を投じ、時には二十年を超える実戦経験を積む者さえいた。

 そのような誉ある戦士十名を軽々しく倒せるなどと嘯く身の程知らずな若造をこのまま放っておくなど戦士として赦し難い。否、増長したまま世にのさばらせては要らぬ騒動の種になる。ならば正しき道へと戻してやるのが神官としての務めと言えよう。

 

「さて神官戦士は色々と多忙ゆえ、時間はかけられないが君がどうしてもと言うのなら仕合うよう取り計らおう。そして見事勝てたなら、勝利を讃え宝剣をお見せしよう」

 

「ありがとうございます。それでもし僕が無様に負けた場合はどうなさいます?」

 

「―――――ならば負けた時はその腰の剣を奉納品として神殿に納めてもらうとしようか。止めるのなら今の内だぞ」

 

 神官はヤトに揺さぶりをかける。彼は武器の目利きも大したもので、柄と鍔の意匠からヤトの持つ細剣が中々の業物だと見抜いていた。それを取られてしまうとなれば若造は委縮するか必要以上に気張って本来の実力を発揮出来ないだろう。

 残念ながらヤトは神官の狙い通りになるほどヤワではなく嬉々として了承した。

 多少当てが外れたものの、自分達の実力を疑っていない神官は生意気な若造を神殿内部の鍛錬場へ案内した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 空振り

 

 『戦と狩猟の神』の神殿には多くの者が共同生活を営んでいる。神職に携わる者以外にも神殿に伝わる武芸を学ぶ目的で寝食を共にするものも幾らか居た。

 彼等のような修練者は金銭を喜捨の形で神殿に納める者と、金銭の代わりに下働きとして日々の雑用を担いながら千年を超える歴史ある武芸を学んでいた。

 修練者の来歴は様々だが、世俗と明確に異なる点を一つ挙げるとすれば神殿には街で見かけなかった獣人が驚くほど多い点だ。

 大陸西部は亜人種に対する隔意が強い。エルフやミニマム族のように殆ど人と変わらない容姿を持つ種族なら偏見の目もさして無いが、明確に異なる容姿の獣人はその限りではない。

 例外となるのが神殿だ。神の前では皆須らく平等であり、彼等の教義は種族を差別しない故に、庇護や社会的保証を求めて門を叩く亜人は多い。

 この『戦と狩猟の神』は狩りと戦を司る戦士の神なので、日常的に戦う機会の多い狩猟民族の獣人族と相性が良い。そのため強さを求めつつ、人類国家の中で一定の信用を得ようとする獣人が多かった。

 なにしろ大陸西部の都ではただの獣人なら買い物拒否や宿泊を断られる事もあるが、神官の法衣を纏って説法の一つでもすれば商人は上客として彼等を据え膳上げ膳で持て成した。

 勿論神官となるには長く厳しい修行に耐え抜き、強さと共に教養を身に着けるのが大前提にある。さらに神殿の武を司る神官戦士となれば神に認められた存在と同義で、一国の近衛騎士でさえ一歩譲る屈強な戦士だった。

 そのような選ばれた戦士に無礼な物言いをした青年に現実の厳しさを教えるため、幾人もの屈強な戦士達が訓練所に集められた。訓練生も何事か気になり鍛錬の手を止めて見物に回る。

 当のヤトは敵地同然の訓練所で多くの戦士や見習いに囲まれていようが恐怖を感じるような可愛らしさを持ち合わせている筈が無く、実に楽しそうにしている。

 最初は新しい見習いが入って来たのかと思った神官達だったが、事の次第を聞くにつれて怒りが伝播し、すぐさまヤトと戦わせろと手を挙げる者であふれた。

 すったもんだの末に最初の相手となったのはヤトより頭二つは大きな牛の亜人だ。彼は見せつけるように木製の長大な槍を体躯に似合わない繊細さで操り、一匹のハエを打ち落とした。力だけではない確かな技量に神殿の業が窺える。

 ヤトは感嘆の声を気にすることなく、淡々とそばに置いてあった木剣を一振り選ぶと牛人の神官戦士と対峙した。

 

「はじめぇ!」

 

 審判の声とともに牛人は一瞬で二度槍を突くも、挨拶代わりの攻撃など予測していたヤトにはかすりもしない。それどころか二度目の突きを引く時に合わせて間合いを詰めて槍の柄を握り、牛人の身を引き込んで鳩尾に木剣の切っ先を突き込んだ。

 牛人はたまらず膝を着いて咳き込み、審判は仕合を止めた。

 訓練場は動揺に包まれる。どう考えても体格差だけでなく神官戦士の技量からして負けるのはヤトの方だ。それをあっさり覆したのだから困惑はかなり大きい。

 とはいえそこで臆するような者は戦士にあらず。余計に闘志を燃やした戦士が次は自分と名乗りを上げてヤトと向き合った。

 二人目の神官戦士はネスと名乗った人間の男だ。彼はヤトより幾ばくか短い木剣と丸盾を構える。

 開始の声が聞こえたが、今度の仕合は両者とも動かず静かな戦いとなった。

 ヤトが横に一歩位置をずらせばネスはその分だけ盾の位置をずらす。どうやら彼は自ら攻めずに攻撃を受けて反撃に出るカウンター型の戦法を執るつもりのようだ。

 盾を起点にした戦いは防御面で非常に有効だが、ヤトに対しては大きな欠点を持つ。

 一気に距離を詰めたヤトの剣を受けるために盾を正面に構えたネスだったが予想した剣戟は来なかった。尤もそれは彼も予想しており、盾に隠れ切らなかった右側からの攻撃に対処するよう、すぐさま右手の剣で迎撃しようとした。

 しかし右を向いても相手はいなかった。そしてネスは首筋に強い衝撃を受けて倒れ込み意識を失った。後ろに立っていたのはヤトだった。

 何の事はない。ネスの予想速度を大きく上回って盾を持つ左側から音も無く後ろに回り込んで首に剣を叩き込んだだけだ。彼が未熟というより、ヤトの隠形が上手すぎて捉え切れなかったのだろう。負けたのは決して恥ではないが、神殿の看板を背負った者が立て続けに負けた事には変わりがない。

 周囲は色めき立ち、今度こそ無様な真似を晒さぬよう武芸師範が対戦相手を指名した。

 

 三十分後。訓練所は葬式の方がまだ賑やかに思えるほど静まり返っていた。最初は興奮した戦士や見習いが汗ばむ熱気の中で騒いでいたが、今はその熱も冷めきり意気消沈する者ばかりだ。

 既にヤトは九人目を相手取り、今しがた剣の柄を相手のこめかみに叩き付けた所だった。これで約束の十勝まであと一人。

 ヤトは喜色を隠しもせずに気を失った武芸師範を見送る。数日前まで居たエンシェントエルフの村の戦士には技量で及ばないが、流石は『戦と狩猟の神』の神官戦士だけあって業の質が非常に高い。

 神官に必要な最低限の礼法や知識を学ぶ以外は全て鍛錬に費やす神官戦士のあり方は剣鬼であるヤトの生き方に酷似している。故に模擬戦であっても同類と戦える喜びは大きかった。

 その上あと一人勝てば竜殺しの剣を拝見出来るのだから否応にも感情が昂る。

 反対に神官戦士たちは悪夢に取り憑かれたかのような絶望感を味わい、最後の戦士を誰に推すか視線を巡らせている。訓練所にいた者の中で最も強かった戦士は今しがた医務室に運ばれた。最後の希望を託す相手もとい、不名誉を押し付ける相手を自分以外から選ばなければならなかった。

 しかし待っても一向に次の対戦相手が名乗り出ない様子に落胆したヤトが不戦勝を仄めかす。そこまでしてようやく一人のしがれた声が上がった。

 

「ほほほ。誰も相手をしたくないのなら儂が最後の相手を務めていいかのう」

 

 声の主が群衆の隙間を縫ってヤトの前に姿を現す。腰に脇差ほどの短い木剣を差した恐ろしく小柄な老人だった。僅かに残った白髪とシミだらけの皺の多い面が彼の過ごした年月を物語っていたが、背筋は伸び切り挙動にも加齢による阻害は見受けられない。

 

「ラーダ僧正、なにも貴方様が戦わずとも!」

 

「何を言うとるか、強者を前にして臆した未熟者に出る幕はないわッ!!」

 

 戦士の一人を一喝して黙らせる。ラーダと呼ばれた老人の言う通り、負けるのが嫌で戦おうとしなかった者が止めに入る資格はない。

 静まり返る訓練所でヤトとラーダは向き合い、無言で剣を構えた。もう少し話をしても良いが、双方共に百の言葉より一手交えた方がより相手を理解するのが戦士だった。

 ヤトの剣気が研ぎ澄まされ、ラーダの剣気とぶつかり合う。その余波に耐えられなかった見習いが情けない声を上げた。声が契機となり二人は互いに一歩間合いを詰める。

 リーチの長いヤトが突きを繰り出すが、既にラーダは視界より消え失せていた。

 老剣士は跳躍しながら身体を捻り、無防備なヤトの頭上を取っていた。そして予想も回避も出来ない一撃を振り下ろす。

 

 『カンッ』

 

 軽い音が響く。ヤトが剣を上に投げてラーダの剣を防いだ。

 着地したラーダが無防備な相手を追撃しようとするも、ヤトは既に近くにいた見習いから木剣を奪って体勢を整えていた。

 再び対峙する二人。今度はラーダが仕掛ける。

 速くはないが音も無くすり足で間合いを詰めるも、ヤトの横薙ぎが小柄な人影を捉えた。

 と思わせたが一瞬で加速した老戦士を捉えるには僅かに遅く、懐に入り剣鬼の脇腹を斬り付けた。

 かと思いきや、ラーダの木剣はヤトの左手に握られていたもう一本の木剣―――見習いから奪ってベルトに挟んで背に隠していた―――によって防がれて、逆に彼の首筋には躱したはずの右手の木剣が据えられていた。

 

「…ほほっ。儂の負けのようじゃのう」

 

「貴方とはあと二十年早く戦いたかったです」

 

 ヤトの言葉は決して世辞ではない。老戦士の技量は名工の打った名剣のように非の打ち所が無かったが、それ故に加齢による身体能力の衰えがより一層鮮明であった。もちろん己の勝ちは揺るがないが、心技体全てが充実した全盛期に剣を交えられなかったのを心から惜しんだ。

 負けたラーダは腰を手で叩きながら、どこか嬉しそうにヤトを手招きする。

 

「まあいいわ、約束通り神殿に伝わる『竜殺し』を見せてやろう。それとお前達は負けたのを恥じなくともいいが今以上に励むが良い」

 

 ラーダはヤトを案内する去り際、負けた戦士達を叱咤せず激励して背を向けた。

 彼等は懸命に悔し涙を堪えて今まで以上に鍛錬に打ち込み始めた。

 

 

 ヤトが連れて行かれたのは神殿の武器庫と思わしき部屋だった。中は隙間が無いほど棚が並び、その上には無数の武具が整然と置かれていた。どれもが一級の魔法の品であり、さすが一国の都に鎮座する偉容と言えた。

 ラーダはその中から一振りの長大なトゥーハンドソードを指差した。ヤトはそれを遠慮無しに手に取って鞘から引き抜くと、剣身は松明の火に照らさせて鈍い光を放っていた。

 自身の身長に匹敵する長剣を構えて軽く振ってみると、丹念に鍛えたアダマンタイト製の剣が空気を切り裂いて聴覚に程よい刺激を与えてくれた。柄や剣身の細かい傷から相当に使い込まれているようだが重量配分に僅かなズレも無く、かなりの名工の作品である事に疑いはなかった。アダマンタイトはミスリルやオリハルコンより頑強性に優れた金属なので、竜の力を得た今のヤトの膂力に耐えてくれるだろう。

 惜しむらくはヤトが好む刃渡りの倍はあることか。使いこなせないわけではないが、長い得物は取り回しに難があるので好んで使う気が起きない。いっそ短く切り詰めて好みの長さにすることも考えたが、これほど見事な出来の剣に下手に手を加えてしまったら台無しになってしまう可能性の方が高いだろう。

 そもそもがこれは神殿の所有物でありヤトの物ではない。譲ってくれと頼んでも決して首を縦に振る筈が無い。無理に持ち出そうとすれば神官戦士が総出で阻む。それはそれでヤトの好みの展開だ。幾多の神官戦士との命がけの戦いはきっと素晴らしい一時になるだろう。

 

「あまり物騒な事は考えないでもらいたいのう」

 

「顔に出てましたか?」

 

「いいや。じゃが、何となく分かるわい」

 

 さすがは高位の神官だけあってラーダはヤトの内面をおおよそ察して釘を刺した。

 ヤトは釘を刺された形になったが、実際に行動に移す気はほぼ無い。この都にはまだ候補になりそうな剣が幾つかあり、今はそちらを拝見するのを優先したいのと、実際に剣を強奪したところで剣の出来を落とさず打ち直してくれる鍛冶師の当てが無いのではあまり意味が無いからだ。

 それが分かっているので、これ以上は何も言わずに剣を鞘に納めて棚に戻した。ラーダは鞘に収まった剣を見てあからさまに安堵の息を吐く。

 

「良いものを見せていただきました」

 

「お前さんが何故剣を見たいと言ったか何となく分かるが、若いのじゃから気長に構えなされ。いずれ相応しい剣が手に入るじゃろう」

 

 そして本心なのか社交辞令なのかは分からないが、ラーダは知り合いの腕のいい鍛冶師を紹介すると言ってくれたが、そこまでしてもらう義理は無いので自ら固辞して神殿を後にした。

 それなりに有意義な時間を過ごせたが、都での最初の剣探しは空振りに終わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 陰謀の匂い

 

 

 ヤトとクシナが城の客人として招かれて十日ほど過ぎた。その間クシナはずっとルイ王子の遊び相手と寝る時の抱き枕代わりにされていたが、彼女も段々慣れてきたのかダルそうにしながら相手をしつつも何気に子供の扱いを楽しんでいた。

 よその子供に嫁を取られた形になった旦那のヤトだったが、当人は至って気にせず自分の目的である剣を探して毎日昼夜を問わずに都をほっつき歩いていた。

 その甲斐あって『法と秩序の神』および『死と安寧の神』の神殿にある剣は実際に見る事が出来た。

 勿論宝剣として奉納されている剣を部外者のヤトが気軽に見れる筈が無いので、多少の情報収集をした後に神殿に忍び込んで勝手に拝見させてもらった。

 ヤトは盗賊ではなかったが相手の気配を察知するのに長けているのと本業に匹敵する隠形の技術を習得している。そんな達人にかかれば平和な神殿の方だけの警備など無いも同然だ。流石に剣そのものを盗んでしまえば騒ぎになるだろうが、忍び込んで目当ての剣を見るだけなら容易い。

 尤もどちらの剣も当人の望むような剣ではなかったので、結局は徒労に終わったに過ぎないのが残念でもあり神殿にとっての幸運だった。もし本当にヤトが欲する剣であったのなら、強引にでも奪っていた可能性はゼロではなかった。そうなったらアフロディテの都は夥しい量の血の雨が降る惨劇の舞台となっていただろう。

 それはさておき、盗賊ギルドで得た情報では目当ての剣の候補は六つ。既に半分は収穫無し。残る三つの内、場所が分かっている王族の墓の剣は後回しでいい。となれば先にこの国の貴族が個人所有する二つを当たった方が良いかもしれない。

 貴族の家はそれぞれコレット家、デュプレ家と名前と邸宅だけは分かっていた。

 とりあえず城の人間にでも話を振って情報を仕入れるために朝から城中をフラフラしていたヤトだったが、大量の食事を運ぶ使用人達とすれ違った時に鼻腔を刺激する臭気に足を止めて振り向いた。

 そしてそのまま無言で使用人達の後を追って部屋の前で佇む。その部屋はクシナの居るルイ王子の部屋だった。

 ヤトはこの時点でこの後何が起きるのかをぼんやりと察して、溜息とともに扉を開け放った。

 

「おっヤトだ。汝も一緒に食べるのか?」

 

 呑気な嫁の一言に軽い笑みを浮かべてから首を横に振った。同席していたルイはヤトの顔を睨みつける。彼は自分にとっての母親であるクシナを取られたくない一心で近しい男を遠ざけたかったのだろうが、当のヤトは一顧だにせずテーブルの上の料理を一つ一つ丹念に確かめる。

 部屋にいた護衛の女騎士はこの闖入者を排除しようか迷ったが、一応王家の客人として城に居るのを知っていたので結局無言で見守る事を選んだ。決して関わり合いになるのを避けたかったのではない。

 そしてヤトは湯気の立つ野菜スープに視線を留めて、周囲の者にとって衝撃的な言葉を放った。

 

「このスープに毒が入ってますよ」

 

 部屋に居た者達の殆どがざわつき、互いの顔を見合わせる。使用人の中には否定の言葉を口にする者も居るが、ヤトがスープを飲んで毒が入っていない事を自分で確かめるように勧めると誰もが口を閉じた。

 そして誰もが動けない中で唯一関係無いとばかりに淡々と食事の用意をしていた若いメイドに注目が集まる。

 

「お食事の用意が整いました。どうぞお召し上がりください」

 

 ルイの前に湯気の立つ美味しそうな料理の数々が置かれた。毒入りと言われたスープもある。ヤトの言葉だけで真偽は定かではないのだが、毒入りと言われた料理をそのまま供するなど正気とは思えなかった。当然ルイもクシナも料理に手を付けない。

 そうこうして無情に時が過ぎた頃、武装した大勢の兵や騎士達が息を切らせて部屋に雪崩れ込んできた。

 

「ご無事ですかルイ様!!」

 

 先頭に立った美麗の女騎士がルイに駆け寄って食事に手を付けていないのを確認して安堵する。そして兵士達は使用人達を一人残らず連行していった。

 ルイは別の女騎士に連れられて強制的に別の部屋へと移された。彼はクシナも一緒にと頼んだが、取り合ってもらえず不貞腐れていた。

 残ったヤトとクシナは客人だったので手荒な扱いはされないが、それでも簡単な聞き取りを受ける。

 クシナの方は昨日の夜からずっとルイと一緒に居たので少し話してすぐに調査の対象から外れたが、毒に気付いたヤトにはアンジェリカと名乗る二十歳を過ぎた女騎士もやや強い口調で詰問する。

 

「何故気付いたと言われても、給仕とすれ違った時に妙な臭いに気付いて助言しただけですよ。ところでこの城には毒見役は居ないんですか?」

 

「居たがついさっき苦しみ悶えたから急いで駆け付けたんです。多分遅効性の毒が入っていたのでしょう。危ない所でした」

 

 アンジェリカはルイが無事だった事への喜びと、毒殺を客人に防がれた自分達の無力感が混じり合った複雑な想いをひた隠しにしながら、さらに聴取を続けた。

 そこで様子のおかしかったメイドが一人居たのを告げると、彼女はそのメイドを重点的に尋問するよう兵士に命じてヤトとクシナを解放した。ただし、しばらくは街に出ずに城の中に居てほしいよう命令に近い口調で言われた。

 アンジェリカも二人が逃げるとは思っていないだろうが、関係者の所在が把握出来ないのは色々と都合が悪いのだろう。

 従う理由は無いが、城で剣の情報収集もしたかったので表向きは快諾しておいた。

 

 

 その日の昼。

 残念ながら剣の情報収集が進まなかった。理由は嫁のクシナが暇なので構えと言って離さなかったからだ。ルイの相手は慣れたが別段好きでも無かったので、そこそこストレスを感じていたらしい。それで暫く放っておいた時間の埋め合わせのため旦那のヤトにベタベタくっついていたかった。

 それでも腹は減るもので、ちょうど良い時もあって部屋の外に控えている使用人に食事を頼む。

 少し待っていると部屋をノックする音が聞こえて使用人が入って来た。ただし使用人は手ぶらで料理は一切無い。

 

「ヤト様、クシナ様。本日のご昼食はルードヴィッヒ陛下から共に席を囲みたいとお言葉を頂きましたのでお連れ致します」

 

 なるほど道理である。息子の命を救った相手への感謝の意を伝える席を設けなければ王の器と徳が問われる。

 現状ヤトは断る理由が無く、クシナもどこで食べようが変わらないと思っているので、共に了承して案内役の使用人の後に続いた。

 

 

 二人が招かれたのは与えられた客室の三倍はある広さの王族専用の食堂だった。十名を超える使用人が給仕を務め、壁際には倍の騎士達が彫像のごとく整然と並び警護に当たっている。

 部屋の中心には巨大なテーブルが置かれ、その上には手の込んだ豪勢な料理が隙間の無いほどに乗っていた。

 テーブルの主は男女二人。一人は招いたルードヴィッヒ。もう一人の女性は初顔だった。彼女の年の頃はヤトのさして変わりない。よく手入れされた艶のある金髪に、やや肉が付いているが頬に赤みのある健康そうな整った顔立ち。一番目を引くのがゆったりとしたドレスの上からでも分かる膨らんだ腹部。ルイが言っていた新しい母なのだろう。

 

「待っていたぞ二人とも。さあ席に就くといい」

 

 ルードヴィッヒの言葉に従い席に就く。後は給仕にどの料理を食べたいのか伝えて欲しいだけ取ってもらうのがフロディスの食事の流儀だ。

 ルードヴィッヒと妊婦の女性はサラダを少量、ヤトは玉子スープを貰った。そしてクシナは桃のジャムが上に乗ったパイを丸々一皿頼んだ。そして切らずにそのまま齧り付いてガツガツ食べて、あっという間に平らげてしまった。

 その様子を見た女性はあからさまに蔑みの視線を向けるが、ルードヴィッヒは意外にも楽しそうにしていた。

 

「おっと紹介が遅れたな、私の妻のリリアーヌだ。二人の事はもう話してある」

 

「お二人ともどうぞお見知りおきを」

 

 彼女は一礼しただけでそれっきり二人に興味を失い、ただ黙々と料理を口にしている。

 昼食はつつがなく進み、テーブルの料理はどんどん数を減らしていく。そのたびにリリアーヌは当初の無関心が徐々に剥がれ落ちていき、形の良い唇が引き攣っていた。一人で子豚の丸焼きを骨ごと食べ切るクシナの常識外れの食欲を知ればさもありなん。

 

「ははは、話には聞いていたがよく食べる。ところでヤトよ、なぜ息子の食事に毒が入っていると分かった?いや質問を変えよう。なぜお前は毒に詳しい?」

 

 先程までの穏やかな顔が鳴りを潜め、今のルードヴィッヒは毅然とした王の顔になっていた。食堂は緊迫した空気に包まれるが、問われた本人はどこ吹く風とばかりに淡々と質問に答えた。

 

「生家で剣術や読み書きと同じように教えられたからですよ。毒に関してはオマケみたいなものですが」

 

「ならば毒殺を警戒するような家の出……王や貴族か」

 

「いいえ、どちらでも無いですよ。元は農耕神の祭事を司る神官が家の始まりと聞いています」

 

 ヤトの意外な答えにルードヴィッヒは考え込む。農耕を司る神は大陸西部にも信仰されていて、薬草を用いた薬学も関わりが深い。そこまでは納得するが、その神は生殖も司る地母神だったので武力とはすこぶる相性が悪く、武芸はからきしの気風だった。これが戦神や悪を断ずる法の神なら分かるが、大陸西部の常識とは些か趣が異なり納得しづらい。

 それでもヤトが嘘をついているような様子は見受けらず、結局は生国の文化的違いと納得した。

 食事はそのまま続き、四人ともデザートのケーキを頬張る頃、ルードヴィッヒがさらに踏み込んだ質問を誰にともなく投げかけた。

 

「ルイに毒を盛ったのは誰であろうな」

 

 その質問にリリアーヌの手が止まった。クシナは言葉は聞いていたが目を向けただけでそのまま食事を続けている。明確に返答したのはヤトだけだ。

 

「ご子息が死んで利益になる人物ですが、心当たりが多すぎて分かりませんよ」

 

「そのとおりだ。次の王となる王子に死んでもらいたい者は考えるのも馬鹿馬鹿しいほどに多い」

 

 そしてルードヴィッヒはちらりと横のリリアーヌに目を向ける。彼女はあからさまに恐怖を感じて思わず首を何度も横に振った。

 二人の様子を見たヤトは心の中で成程と思う。確かに今居る唯一の王子のルイが死ねば、リリアーヌの腹の中に居る子供が男だった場合、その子が次の王になる可能性は高い。自分の子を跡取りに推したい母が邪魔な王子を毒殺するのは道理だ。

 しかしそれはあからさま過ぎて疑いの目がすぐさま向けられるので賢い手とは思えない。何よりルードヴィッヒは息子のルイを心から愛している。その息子を殺したとあっては如何に妃と言えど赦しはしない。最悪離縁された上に生まれた子が男だろうが王位から遠ざけるに違いない。

 その程度の事が分からない能無しが一国の王妃を務められるはずがないので、リリアーヌは関わっていないと見るべきだ。それでもルードヴィッヒが釘を刺したのは彼女本人に周りを抑えさせるためだろう。王ともなれば気苦労が多い。

 

「ともあれお前達が関わる事ではないから、この話はこれでおしまいだ。では本題に入るとしよう。息子を救った褒美は何が欲しい?」

 

「それはどんなものでも良いんですか?」

 

「私に叶えられる望みなら何でもだ。流石に王位を寄越せとか、他国と戦争しろなどというのは無しだぞ」

 

 ルードヴィッヒは冗談めかして気前の良い事を言う。彼はヤトの本性を知らないので精々が大金か、名剣魔剣の類でも欲しがると思っているのだろう。

 言質は取った以上遠慮の要らなくなったヤトは望みを口にする。

 

「では王家の霊廟にある『選定の剣』を」

 

「なっ!おまっ………あれは王家の宝だ。私の一存でくれてやるわけにはいかん」

 

「勘違いしないでください。別にくれと言っているわけではないんです。見て触れる程度でも構いません」

 

「いや、しかしだな……」

 

 なおもルードヴィッヒは難色を示す。さすがに息子の命の恩人でも王家の剣を他国人に触れさせるのは心理的抵抗が大きい。

 ヤトもすんなり宝剣を譲ってくれると思っていない。だから次善案としてまず自らの目で見て手で触れて自らの望むような剣かを確かめた後、相応しい剣なら時を置いて盗み出す事を考えた。どうせ盗んでも早々にこの国を出て行ってしまえば追ってこれまい。

 ヤトの本当の狙いを知らないルードヴィッヒは多少悩んでから意外にも申し出を断った。そして代案を出す。

 

「剣は王族以外には触れさせることは許されない。しかし息子のルイを救ったのは感謝している。よってお前をフロディス王国の名誉騎士に任ずる」

 

「はあ騎士ですか」

 

 正直全然嬉しくない。というかどうでもいい。

 ヤトの明らかな生返事にもルードヴィッヒは怒らず、まだ続きがあると口元に笑みを張り付ける。

 

「唐突だが最近先祖の墓参りをしていなかったから、近日中に霊廟に行く事にした。お忍びだが護衛に数名騎士を連れて行くつもりだ」

 

「!先人を敬うのは良い心掛けだと思います」

 

「うむ、そうだろうそうだろう。それとお前の叙勲式は霊廟に行く前に執り行う。どうせなら早い方が良いからな」

 

 ヤトとルードヴィッヒはお互いに笑う。どうやらこの国王は柔軟な頭をお持ちのようだ。

 王自ら他国人の旅人を霊廟に連れて行き、あまつさえ宝剣に触れさせるなど許されないが、王子の命を救った者に誉を与えて騎士にするなら周囲も強くは反対出来ない。

 しかる後、護衛として霊廟に連れて行ったところで中で何が起こったかなど極少数にしか分からない。その者の口留めさえしっかりしておけば真相は闇の中だ。

 話が上手く纏まったのを区切りに昼食は終わった。

 ルードヴィッヒはこれから通常の執務以外にも毒殺未遂の後始末の指示をしなければならない。真面目に仕事をする王はどれだけ時間があっても足りないものだ。

 こうして王夫妻との食事はひとまず終わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 血濡れの乙女

 

 

 ヤトがフロディス王国の名誉騎士になった。と言っても何の権限も無い形だけの叙勲だ。

 随分と簡単な式で玉座で数名の騎士や貴族の立会いの下、ルードヴィッヒの持った剣がヤトの方に触れられておしまい。

 叙勲にあたり家臣からの反対意見が碌に出なかったのは功績云々より、名誉以外に渡す物が何も無いから。領地も金も魔法の武具すら必要無いのだから誰も反対意見など出しはしない。むしろあまりにもけち臭いからと言ってルードヴィッヒはヤトに『銘』を与えた。

 そして王子を護ったヤトには『護り手』なる二つ銘が付いた。よって今のヤトは『赤刃』改め『護り手』である。剣鬼には全く似合わない名であった。

 

 

 名誉騎士になったヤトだが今までと何か変わった事は無い。未だ城の中は暗殺騒ぎでゴタゴタしていて外出は許可されず、部屋の中で鍛錬するか嫁のクシナとベタベタして三日が過ぎていた。

 そろそろ騒ぎも落ち着き始めた王城だったが、別の動きをする者がいた。

 その人物は城の一室のドアを叩き、主の返事がもらえたので中に入る。

 

「お時間を割いて頂きありがとうございますヤト殿」

 

「いえいえ、大したもてなしは出来ませんのでお気になさらず」

 

 部屋に来たのは美麗の女騎士アンジェリカだった。彼女は数日前の事情聴取と打って変わり畏まった口調でヤトとクシナに接する。名誉騎士の肩書は無視しえない重みがあるという事だ。

 

「お二人には窮屈な想いをさせてしまいましたが、今日からはご自由に行動していただいて結構です。本当に申し訳ありませんでした」

 

「と言うと毒殺を命じた主犯が分かったんですか?」

 

「それは今から詳しくお話しします」

 

 話が長くなりそうなので彼女に椅子を勧めた。椅子に座り、アンジェリカは順を追って話し始める。

 まず最初に分かった事はヤトの言う通り毒が入っていたのはスープだった。そしてスープを運んでいた若いメイドが毒の入った小瓶を持っていたのも調べで分かった。

 メイド個人がルイを狙う理由は薄いので、誰かに命じられたと判断した尋問官は、その日のうちに彼女を強く尋問して黒幕の正体を知ろうとしたが上手くいかなかった。

 何故かメイドは自分の仕事を再開しようとするだけでまともに話が通じなかった。多少手荒く暴力に訴えても彼女は痛がる様子すら見せず、ただただルイに食事を運ぶことだけを求めた。

 さすがに気味悪がった尋問官が、その日は尋問を取りやめて翌日に持ち越しになると、不思議な事にメイドは毒を盛った日の事を全く覚えていなかった。自分が暴力を受けたのもだ。

 さらに奇妙なのは厨房の料理人から運んだ者、食事を用意した給仕など全員を取り調べた結果、その日スープを作った料理人が誰に聞いても知らないと答えた。にも拘らず確かに料理はあったのだ。

 話を聞いたヤトは小さな疑問が生まれた。毒見役が毒入りスープを食べて倒れたのなら作っている最中から食べるまでに毒を入れたのだろう。なら運んだだけのメイドは無関係になる。しかしメイドは証拠になる毒を持っていた。これはおかしい。

 

「やはりヤト殿もそう思いますか。どうにも今回の犯行はちぐはぐな印象を持ちます。ですがメイドをこのまま無罪放免というのもあり得ません」

 

 まあそうだろう。いくらおかしな点があると言っても毒という動かぬ証拠を持っていた以上は何かしら罰を与えねば再発の危険性は極めて高くなる。

 よってスープを運んだメイドは城の牢に投獄となり、厨房の料理人は兵士の厳しい監視下に置かれる事となった。即日処刑されなかったのは尋問官や法官もおかしいと思った故だ。

 事件の真相は未だ解明出来ていないが一応の下手人を処断したので、ずっと城内を警戒するのも無理があり、やむを得ず一部を緩める決定を下した。客人兼名誉騎士のヤト達の行動制限解除もそれに入っている。

 なんにせよ自由に動けるのは幸いだ。これで中断していた貴族が個人所有する剣の情報を先に集められる。

 ヤトは早速次の剣の事を考えていたが、それを遮るようにアンジェリカが話しかける。

 

「それでヤト殿に一つお願いがあるのだが」

 

「何です?僕は大した事は出来ませんが」

 

「貴方なら簡単に出来る事です。私と手合わせ願いたい」

 

 彼女はこれ見よがしに鞘に入った剣をヤトに見せる。既に美麗な乙女の顔は消え失せ、そこにあるのは獰猛な笑みを浮かべた虎か獅子だった。

 ヤトもまた返答代わりに鬼のごとき笑みを見せる。両者にこれ以上の言葉は要らなかった。

 

 二人は城の訓練所の一つで対峙した。クシナも途中までは付いて来たが、廊下でルイに捕まってしまい渋々そちらに行く羽目になった。

 ヤトはいつもの細剣を、アンジェリカはやや幅の広い両刃の長剣を鞘から抜き放つ。奇しくも両者はオリハルコン製の剣を得物としていた。本来なら訓練用の木剣を使用するが、今回はアンジェリカが真剣を希望した。

 同僚の女騎士達が周囲を囲んで彼女に声援を送っている。

 この国には珍しく女騎士団がある。貴人の女性の警護に男の騎士は色々と不都合なので組織したのだろうが、その華やかさはともすれば男の正騎士団を超えて、国中の男女からの人気を得ていた。

 もちろん実力に偽りはなく、並の兵士など歯牙にもかけない腕利き揃い。だから女騎士達は年長のアンジェリカを信頼して勝ちを疑わない。相手がどこの生まれかも分からない風来坊なら尚更だ。

 しかし騎士達の浅い考えは二人が真剣を構えた瞬間、ヤトのあまりにも強い剣気に当てられて消し飛んだ。気の弱い若年者は震えが止まらず、中には嘔吐を我慢する者まで居る。なのに当のアンジェリカはこの上なく喜悦に震えていた。

 

「嗚呼、何という剣気。やはり私の目に狂いは無かった」

 

「そう言ってもらえるとやる気が増します。では先手をどうぞ」

 

 ヤトの言葉を合図としてアンジェリカが一足飛びで間合いを詰めて刺突を繰り出すも、剣は軽く払われて反撃を受けるが彼女は辛うじてヤトの剣を受け流す。

 さらに彼女は脇を締めて小ぶりの横薙ぎを放ち、躱されてもすぐさま返しで逆に薙ぐ。さらに繰り返す横薙ぎに目が慣れて反撃に移る前に手首の動きを変えて斬るのではなく突きを混ぜた。軽いオリハルコンの剣だから出来る曲芸だ。

 並の相手なら幻惑されて対応を誤るが、今日の相手は無謬の剣士。僅かな変化を見逃さずに易々と受け切り、一度距離を置く。

 息を吐く暇もない二人の剣戟に周囲は呆気にとられる。

 

「型が崩れてるのを見ると傭兵か冒険者でもやってたんですか」

 

「ふふふ、数手で見抜きますか。貴方の言う通り、ある人に憧れて色々と」

 

 至福の笑みを称えたアンジェリカを無視してヤトは風のように速い斬撃を叩き込むが、油断は微塵も無く斬撃より速く横に飛ばれて躱された。逆に彼女は何か小声でつぶやいた後、瞬きする間に反撃の三連撃を繰り出してヤトを守勢に回す。

 一撃一撃が必殺の速さを有する剣に防戦一方のヤトの姿を見た周囲の女騎士はさかんにアンジェリカに声援を送り、既に勝った気になっていた。

 ヤトは何度も繰り出されるアンジェリカの剣を防ぎながら動きに違和感を感じた。今の動きはあまりに速過ぎる。さっきまで手を抜いていたわけではないので、何か別の仕掛けがあるのだろう。

 そして十を超す剣撃を無傷で捌いた所で注意深く観察していたヤトが答えに辿り着く。

 

「風ですか」

 

 ぽつりと呟いた一言でアンジェリカの剣が止まった。

 

「なぜそう思いましたか?」

 

「肉体強化魔法にしては剣に重みが無いが異様に速く、周囲の空気の流れに乱れが大きい。風魔法か剣に宿る風の加護で剣速を上げてますね」

 

「慧眼ですね。そして私の神託魔法『風迅剣』をこうまで防ぎ切ったのは貴方が初めてです」

 

 アンジェリカは自らの技を見破られても笑みを崩さない。いや、それどころか頬を赤らめていた。まるで初めて男に柔肌を見せる乙女のような仕草だった。

 女騎士の内面など理解しようがないが、彼女が何をしたかは分かった。神から授かった神託魔法による『風』で剣を加速しているのだ。こうした使い方はヤトも初めて見る。

 信託魔法は基本的に炎や雷を相手にぶつけるように用いる。風の魔法も竜巻や風の刃を相手に飛ばすような使い方が多い。アンジェリカのように剣技に織り交ぜるような使い方は例が無く、初見で対処出来たのはヤトの極まった直感と技量に加えて彼女の剣が素直過ぎたせいだ。剣意を先読みすれば幾ら速くとも、音より遅ければ防ぐのはそう難しくない。

 ヤトは思いもよらない剣技を味わい興が乗り、ならば返礼をするのが作法と思い、剣を構え直した。

 対するアンジェリカは相手の苛烈にして凶悪な剣気に息を飲み、絶え間無い歓喜の波に身を委ねて気が抜けてしまった。

 その隙を逃すはずもなく、ヤトは刹那の間に踏み込んだ。

 

 ――――――剣閃が奔る―――――――

 

 訓練場に居た者の中で何が起こったのかを見極められた者は一人もいなかった。よしんば見た所で目の前の光景を脳が処理しきれず理解を容易く超えただろう。

 ヤトとアンジェリカはほんの数秒前まで正面から対峙していたが今は互いに背を向けていた。

 そして女騎士の身に変化が生まれる。彼女の両足、両腕、両脇腹、下腹部、喉頭の―――軽鎧を避けた箇所―――計八ヵ所から血が滲み、言葉すら発せず剣が手から零れ落ちた。

 剣閃の正体は刺突―――それも刹那の瞬きから繰り出される八連突き。一手だけでも捉えられない高速剣が八度繰り出された。ただの手合わせゆえにほんの僅か突いただけだが、実戦ならアンジェリカは血華と共に命を散らしている。

 これが三か月間エンシェントエルフの村で磨き続けた業の結晶――――絶技『紅嵐』。

 ヤトは微動だにせず立ち尽くすアンジェリカを攻撃せず、ゆっくりと互いの顔が見える位置まで戻って声をかける。

 

「まだ続けます?」

 

 彼女は血の滲んだ腹部に手を当てて、無言で首を横に振った。青い騎士服に赤い血が染みて紫の部分が少しずつ広がっていた。

 周囲の女騎士達は何が起きたのか分からず騒ぎ立てるが、勝敗など当人が決めるだけで外野が何を言っても覆るはずがない。手当てを勧める同僚にも小さく拒否の声を伝えた。

 そして何かを決めて顔つきの変わったアンジェリカは改めてヤトに向き直った。

 

「素晴らしい戦いでした。ヤト殿と戦えた事は終生の誉です」

 

「僕も貴女と戦えて良かった」

 

 二人は互いの業を讃え、剣を鞘に納めた。

 模擬戦を終えたアンジェリカが同僚から医務室へ行くように強く勧められる。刺された場所の幾つかは急所なので念のため治療が必要だった。

 しかし彼女は治療を受ける前にヤトに近づき、顔を赤くしながらおずおずと告げる。

 

「あの……また私と戦ってもらえますか?」

 

「もちろんです。貴女とならいつでも歓迎しますよ」

 

 それだけ告げると彼女は訓練場を出て行った。

 その時同僚達はアンジェリカが恋する乙女になっていたのに気づいた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 乙女の病

 

 

 ここ数日ヤトとアンジェリカは休む間もなく稽古を重ねていた。

 ヤトは出来れば探している剣の情報収集をしたかったが、アンジェリカの方が朝から日沈まで誘うので、気がすむまで付き合っていた。

 その甲斐あって柔肌の生傷は絶えなかったが、貪欲なまでに身体を苛め抜いた結果たった数日で彼女の剣の腕は見る見るうちに磨き上げられて、同僚の女騎士達を驚嘆させると同時に二人を生暖かい目で見始めていた。

 稽古の合間。二人は水分補給の休憩中に軽い雑談をしていた。と言っても色気のある話など微塵も無く、ひたすらに剣をどう振るのか防ぐかぐらいしか話をしていない。

 ここでヤトはこの国の貴族が所有する二振りの剣の事を聞き出せばいいのではないかと今更ながら気づいた。どうやらアンジェリカと稽古をするのが思ったより楽しかったのでそこに気が回らなかったようだ。

 というわけで改めて剣について聞いてみた。

 

「アンジェリカさんはコレット家とデュプレ家という貴族を御存じですか?」

 

「知っているも何も私はコレット家の者ですが」

 

 ヤトはこんな身近に手掛かりがあったのに放置していた己の迂闊さを恥じた。

 反対にアンジェリカは剣術だけでなく、自分に少し興味を持ってくれたのが嬉しくて上機嫌になった。

 

「街で小耳に挟んだのですが、その両家には素晴らしい剣を所有しているとか。アンジェリカさんは見た事ありますか?」

 

「ええ勿論です。私の家の地下に安置されていますよ。その…ヤト殿は御覧になられたいのでしょうか?」

 

「一剣士として興味はあります。出来れば手に取ってみたいのも事実ですが、貴女のご迷惑になるのでしたら無理な事は言いませんよ」

 

 アンジェリカは悩んだ。名誉騎士とはいえ部外者に家宝の魔法剣を触れさせるのは当主である父が許さない。しかしヤトを家に招く絶好の機会をむざむざと捨てるのはあまりにも惜しい。

 悩んだ末に彼女は直接剣の事は告げずに、ただ午後から家に来てほしいとだけ口にした。

 ヤトはアンジェリカが何を言いたいのかすぐに分かり、笑顔で感謝を述べた後は上機嫌で稽古を再開した。

 その一部始終を見ていた数名の女騎士達は離れた所でひそひそと小声で話した。

 

「アンジェリカ先輩なりふり構ってませんね」

 

「あの人、浮いた話も全然聞かないし今年で22だから結構焦ってるのよ」

 

「でもあの名誉騎士さん、既婚者だって聞きましたよ」

 

「だよねぇ。恋は盲目って言うけど大丈夫かしら」

 

「それって略奪する気ってこと?」

 

「じゃあ剣を見せる口実に家に招いて、既成事実を作るとか?子供作ったら言い逃れ出来ないとか言って」

 

「貴女達はお芝居の見過ぎよ。もうちょっと淑女としての品格を大事にしなさい」

 

 女三人寄れば姦しいのは騎士でも例外は無いようだ。コイバナのネタにされているのを知らない二人は、約束の刻限までただひたすら剣の稽古を続けた。

 

 

 午後。ヤトはアンジェリカと共に彼女の家の所有する馬車に乗って自宅へと招かれた。彼女の家は名のある貴族の邸宅らしく、広大で歴史を感じさせる威厳ある佇まいをしていた。門には十人を超えるメイドと執事の老人が出迎えた。

 

「おかえりなさいませお嬢様。そちらのお方はお客様ですか?」

 

「ええ。大切なお客様ですから、くれぐれも丁重に」

 

「畏まりました」

 

 老執事は多くは聞かずに自分の仕事を淡々と務めていたが、内心では長年世話をしてきたアンジェリカが年頃の男を連れてきたことを喜んだ。彼は早速厨房に今日の夕食はとびきりの御馳走を作れと命じた。

 ヤトは早速剣を拝見したかったものの、アンジェリカから少し時間が欲しいと言われたので、逸る気持ちを抑えてお茶に口を付けていた。

 しばらく待っていると、なぜかメイドから毛皮の防寒着を渡された。ヤトが疑問符を浮かべると、先に着込んだアンジェリカがやんわりと答えた。

 

「当家の宝剣は地下の氷室に保管していますから、手に取るには普段着では差し障りがあるんです」

 

 剣が氷室にある。彼女の言葉でおおよそ剣の性質が察せられた。

 ヤトが防寒着を着るとアンジェリカが手を引っ張って地下にある氷室へと連れて行った。

 屋敷の地下は階段を一段一段降りるにつれて寒さが身を貫く。氷室は冬に作った氷を使って部屋を冷やして食品を保存する施設だが、ここの寒さは明らかに通常の氷室と異なる。

 

「アンジェリカさんはこの寒さが平気ですか?」

 

「実を言うと寒くて辛いです」

 

 彼女は寒さに震えてさりげなくヤトに腕を絡ませて、おまけに慎ましい胸を押し付けてくるが厚着をしているのでその感触は微塵も伝わっていない。仮に伝わった所でヤトが動ずるはずもないので完全に徒労だった。

 様々な食材の置かれた氷室は奥に進めば進むほど寒さが厳しく、天井や床が凍り付いていた。部屋の最奥に重厚な扉が建てつけてあり、アンジェリカが力強く扉を開け放てば流れ込む強烈な冷気が露出した顔を痛めつけた。

 奥の部屋は狭く、中央の台座とその上に置かれた、柄に青い大きな宝石の嵌め込まれた一振りの青白い片手剣以外には何も無かった。魂をも凍らせる冷気は中央の剣から発せられている。

 

「あの剣が当家に代々伝わる宝剣『凍魔の剣』です。触れるのは構いませんが、あまり長く持っていると腕が凍り付いてしまいますから、気を付けてください」

 

 ヤトは忠告に頷き、凍気に満ちた小部屋へと足を踏み入れる。途端にまるで縄張りを荒らされた獣のように牙を剥いて侵入者を排除しようと冷気が強くなった。

 しかし構わずどんどん近づくと剣も負けじと抵抗するも、とうとう手が剣に触れて冷気が静まる。

 手に持った剣をじっくりと見定める。光源はアンジェリカの持つランプの灯りだけだったが、その弱弱しい光でも剣の輝きは少しも衰えない。そして彼女の言う通り厚手の皮手袋をしていても、徐々に体の熱が奪われていくのを感じた。

 実は半人半竜となり火の精霊を身に宿すヤトだからこの程度で済んでいたのは本人も気付いていない。

 剣を何度も振り使い勝手を確かめる。長さと重さ、共にヤトの好む良い剣だ。しかし握り続けると強烈な冷気で握力が失われてしまうのが実に惜しい。実戦で剣がすっぽ抜けて負けるなど笑い話にもならない。さりとて幾重にも手袋を重ねて持てば手の感覚を損なう。せっかくの名剣もこれでは戦に使えず、氷室に置かれてしまうのはやむを得ない。

 どうにか使い物にならないか知恵を巡らせるが、そもそもこの剣は自分の物ではないので考えるだけ無駄だった。

 惜しいと思いつつ、剣を台座に戻して扉を閉めた。

 

 

 地下から戻った二人を出迎えたのは四十歳を過ぎた痩身の中年貴族だった。金髪とアンジェリカに似た顔立ちから、おそらく血縁と分かる。

 

「おっ、お帰りなさいませお父様」

 

「うむ、ただいま。して、隣にいるのは客人かね?私はコレット家当主クルールだ」

 

「これはご丁寧に。先日名誉騎士を頂いたヤトと言います」

 

「名誉…ああ、貴殿が噂の。それにその服は―――いや立ち話はここまでにして何か温かい物を用意させよう」

 

 クルールは多くを聞かず娘とその客をもてなすようにメイドに命じた。

 二人は防寒着を脱いで暖炉のそばの席でホットワインを飲ん冷えた体を温める。

 同席したクルールはじっと二人を見ながらワインに口を付けている。そして二人が落ち着いたのを見計らって話を切り出す。

 

「まずヤト殿には感謝を述べさせていただく。甥でありいずれ国王となられるルイ様の命を救っていただき感謝に絶えぬ」

 

「甥ですか?」

 

「ええ。ルイ様の亡き母は父の妹なんです」

 

「つまりアンジェリカさんはあの王子様の従姉弟でしたか」

 

 ヤトは屋敷の規模やそれなりの地位にあるので良い家柄なのは気付いていたが、王妃を輩出するほど高い家格だったとは思わなかった。まあだからと言って態度が変わる事は無いが。

 

「年が近かったので叔母というよりは姉のように親しく接して、私が騎士になるのを一番応援してくださった方でした」

 

「シャルロットが病で亡くなった時、一番悲しみ取り乱したのがお前だったな」

 

 二人は当時を振り返り感傷に浸るが部外者のヤトは興味が無いので聞き手に回っている。

 そこからクルールは頼みもしないのにアンジェリカの昔話を始める。

 彼女は昔は大層おてんばのわんぱく娘で、礼儀作法より外で遊ぶか冒険譚を好む男のような娘だった。特に好きだったのが『姫騎士マルグリットの冒険』という、この国に古くから知られている冒険譚だ。

 貴族の娘マルグリットが仲間と共に心躍る冒険に出かけて遺跡から宝を持ち帰り、時に悪人や怪物を退治しては民から感謝される。中には知恵比べなどもあり子供の教育にも使われた。最後は白い竜と戦うところで物語は終わるが、結末は語らないのが作法と言われた。

 アンジェリカはこの話に感化されて冒険者になりたかったらしいが、さすがに貴族の娘が家出するのは家そのものの不祥事として周囲に迷惑が掛かる。だから身分があり王に嫁いだ叔母やいずれ生まれる従姉妹を護れる騎士の道を選んだと話した。

 ヤトはどこかで聞いた名前と話だと思ったら、エルフの村で聞いた数百年前にクシナに挑んで死んだ家出娘の事だと気付く。もちろん結末は伏せておいた。

 

「貴族としては騎士は誉ある仕事だが、親としては早く嫁いで女として幸せになってもらいたいのだがな」

 

「またそのお話ですか。何度も言いましたが、私は自分より弱い殿方とは結婚いたしません」

 

「男の強さは何も剣の腕だけではないのだぞ。時に娘よ、最近随分と生傷が絶えないようだが誰と稽古をしているのかね?」

 

「へっ?あ、あの……そのヤ、ヤト殿とです……」

 

「ほうほう。その名誉騎士殿をわざわざ家に招いて、あまつさえ家宝の剣まで見せる仲だったとは。いやぁ随分と親しい間柄なのだな」

 

 クルールは笑みを浮かべるが、目だけは真剣そのもので娘から視線を外さない。アンジェリカは父親がいつになく真剣な様子なので居心地が酷く悪く、視線が右往左往してヤトに無言の助けを求めた。

 

「剣を見せてほしいと無理を言ったのは僕ですから、あまり怒らないであげてください」

 

「しかし断る事もできたはず。なにゆえ頼みを聞いたのか、夕餉を共にしながら是非とも聞いておきたい。なあヤト殿?」

 

 ヤトにねっとりとした視線で釘を刺す。正直言って面倒な事に巻き込まれたと思ったが、目当ての剣を見せてもらった以上は必要経費と割り切る外なかった。

 

 

 何とも言えない空気の中で三人の饗宴が始まった。料理そのものは城で出される物と遜色無く美味だったが三人ともあまり食が進んでいない。主な理由はクルールがあれこれと話しかけているからだ。

 ヤトの旅の目的、滞在期間、毒の知識など、失礼のない早さで間を置かずに質問するので落ち着いての食事が難しい。

 

「――――では当家の宝剣はどうだったかな?」

 

「相当な名剣ですが扱いが難しいですね。半端者では相手を斬る前に己の腕が凍り付いて落ちます」

 

「私もそう思うよ。そしてあれは魔剣であり真の竜殺しゆえ気軽に余人に触れさせる事は無いのだが困った娘だ」

 

「魔法剣ではなく魔剣」

 

「そうあれは魔剣だ」

 

 クルールはワインを一口含んでから剣の由来を話し始める。

 あの『凍魔の剣』は一から人類種が鍛えた剣ではなく、太古の昔に居た氷の魔人族の魂を封じた封印具だ。しかし完全には魂を封じ込められず、あのように周囲を凍らせる冷気をまき散らしているので余程必要に迫られなければ使わない。だから普段は氷室の氷代わりとして使っていた。

 そんな使い辛い剣でも必要とあらば使うのが人であり、百年以上前にこの国で火竜が暴れ回った時、この家の若者が剣を使い己の右腕と引き換えに竜を殺した。それが竜殺しの逸話だった。

 

「そういうわけで欲しいと言っても易々と差し上げるわけにはいかんな」

 

「絶対にやらないと言わないんですね」

 

「条件次第で譲ってもいい。例えば娘と結婚するとか」

 

「お、お父様!!いきなり何をおっしゃるのですか!!」

 

「僕は既婚者ですから無理ですね」

 

「そういうことだから諦めろアンジェリカ」

 

 動揺していたアンジェリカは父の無情な一言で冷や水を浴びせられたように静まった。

 クルールの言う事は正しい。ヤトがルイの遊び相手を務めるクシナと夫婦なのは城の者なら誰でも知っているし、王都に住む貴族も同様だ。そのような相手に不義密通するのは家の恥でしかない。それが分からない、あるいは分かっていても突き進むのが恋が盲目と言われる所以だろう。

 ついでに言えばヤトはアンジェリカを強い騎士と思っても女としては微塵も見ていないし魅力にも感じていない。そこまで言ってしまえば父親のクルールも黙っていないが、ヤトはお喋りではないので口には出さない。

 

「まあ今回は大事な甥の命を救ってくれた恩人を招いて感謝を述べた。それで当家の面目が立つ。よろしいかね?」

 

「はい。馳走を頂き今宵はこれまでと致しましょう」

 

 男二人が納得して落とし所を決めてしまった。そしてアンジェリカは一つだけ分かった事があった。己の恋は成就しないし祝福もされないと言う事だ。

 その夜、一人の乙女が涙を流して少しだけ強くなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 鬼灯の短剣

 

 

 ルイ王子の毒殺未遂から幾日か経ち、城が落ち着きを取り戻すかと思われたが、むしろ騒ぎはより大きくなっている。

 王族や貴族こそ何事も無く穏やかに過ごせていたが、その下の騎士や使用人には恐怖と猜疑心が渦巻いていた。

 始まりはよくある事だった。使用人の持ち物や財布が無くなっていた。それだけならどこかに置き忘れたか、手癖の悪い者が盗んだと犯人を見つけるだけだ。元より平民の使用人が大金や貴重な物は持っていないので腹は立っても諦めればいい。

 次に起きたのは五人の騎士が諍いを起こしてに互いに重傷を負った事だ。その騎士達は元から仲が悪く、度々反目しあっていたのでいずれこうなると誰もが予想していた。ゆえに全員を喧嘩両成敗として処分した。それで済んだ事だと思われた。

 その次は城で飼っていた狩りに使う猟犬が何頭も泡を吹いて死んでいた。犬の餌には全て毒が入っており、世話を任されていた使用人は嘆き悲しんだ。そして誰が毒を入れたのかは分からなかった。

 さらに惨事は続き、今度は三人の使用人が城の中で殺されているのが見つかった。彼等は全て首を掻き切られて大量の出血をして死んでいた。当然城内で捜査はあったが、なぜそんな殺人が起きたのか、殺された三人の関連性はついぞ分からなかった。

 これらがほんの半月の間に立て続けに起きたため、今の城内は誰もが他人を信じる事が出来なかった。廊下ですれ違っても互いが襲い掛かってくるのではないかと疑い、警戒しながらすぐに離れる。数人がかりの仕事も互いを見張りながらしているので随分と効率が悪い。食事もいちいち犬や猫に毒見をさせてから食べるありさまだ。平民にとっては数少ない癒しの時間である食事もひたすらにギスギスしていた。

 とはいえ客人のヤトとクシナには関係の無い事だった。クシナは相変わらずルイのオモチャだし、ヤトは人の死には慣れ切っていて今更殺人程度で動じる筈が無く、この国のデュプレ家という貴族が持っている最後の竜殺しの剣の情報集めをしていた。

 

 そしてヤトは夜の闇に溶け込みデュプレ家の邸宅の前に居た。

 邸宅は貴族の名に恥じぬ絢爛豪奢な趣き、広大な敷地の庭は手が行き届き草も丁寧に刈り取られていた。見た限り見回りの私兵は何人かいるが番犬はいない。

 ここの貴族は西に大領を有する大公家に仕える貴族で、その大公家は現王ルードヴィッヒの弟が婿入りした家でもある。そして今のデュプレ家当主は王弟の側付きでもあったので現王とはやや距離が離れていたが、そこはどうでもいい情報だ。

 ヤトは敷地に入り弛んだ巡回兵の目を晦まして厨房の出入り口から屋敷に侵入した。

 真夜中の厨房は火が落とされて人っ子一人居ない。そこから食堂に移動しても人の気配は無かった。

 食堂の扉越しに人の足音が無いのを確認。そっと月明かりの差す廊下に出て影に溶け込むように無音で進む。

 その時廊下の曲がり角からぼんやりと蝋燭の火と共に人影が近づくのを確認したが、慌てずその場で脇差を抜いて跳躍。天井に突き刺して留まった。兵士は頭上に侵入者がいるのに気が付かず欠伸をしながら通り過ぎた。

 さらに屋敷の奥へと進み、二度使用人とすれ違ったのをやり過ごし、目当ての剣が保管されている地下保管庫に通じる扉を目指した。

 

「…………で………………だ」

 

「そ……………………に……………………わよ」

 

 途中何か密談をする男女の声がかすかに聞こえて足を止める。ここは生活の場なのだから男女の睦言ぐらい珍しくなく剣にも関わりが無いので無視しても良かったが、己の勘が何かあると囁く。

 しかしそのまま廊下で盗み聞きは見つかる可能性が高いので空いていた隣の部屋に入って壁越しに様子をうかがう。

 

「…………そっちの仕込みは順調よ」

 

「毒殺が失敗しなかったらこんな面倒な手を使わなくとも済んだというのに」

 

「私が悪いって言うの?」

 

「結果を出せない者は無能と誹られても言い返せんぞ。そして見返りも貰えぬ」

 

「ふん!人間というのはどいつもこいつも即物的で目先の事しか頭に無いのね。それこそ無能よ」

 

「なんだとっ!この私を無能と言うのか!こそこそ闇に隠れて動く魔人風情が!」

 

「あら?その魔人に助けてもらわないと子供一人殺せない根性無しが大きな口を叩くじゃないの」

 

「貴様ぁ!……………ちっ、ここで貴様と争っても得る物など何もない。ともかくこのまま城内を引っ掻きまわしていろ」

 

「もちろんそのつもりよ。私の約束、忘れちゃダメよポール坊や」

 

 そこで男女の会話は途切れ、乱暴に扉を開ける音がした後に静寂が戻った。

 ヤトは先程の話を反芻する。毒殺の話で最初に思い浮かぶのはルイ王子だ。それと標的が子供と分かったが特定の名前を出さなかったので断言は出来ない。ただ、城内の騒動が先の男女の仕込みなのは確定した。

 それらはどうでも良かった。一番興味を惹いたのは魔人という単語だ。魔人と言えば遥か昔に居たとされる魔人族が連想される。先程の女がそうという確かな証拠はまだ無いが、もし本当に魔人とやらが居るのなら是非とも斬ってみたい。都合のいい事に相手は色々と後ろ暗い事をしている罪人だ。斬ってもそう文句は出てこないし、ここのデュプレ家と繋がりを持ってるので、それとなく家の者に気を払っていれば何かボロを出すかもしれない。

 剣を見に来て思わぬ拾い物をした。おとぎ話の魔人と戦える機会などそうはあるまい。

 意気揚々と空き部屋を出て本来の目的の地下保管庫へと続く扉の前まで来た。流石にここは鍵がかかっていたので、扉と壁の間の隙間に剣を差し込んで斬って開けた。

 地下への階段を降りてまた鍵のかかった扉を剣で破壊解錠して中に入る。そこは集めた情報通り武器庫だ。

 その中で一番重厚な金箔宝石仕立ての箱を見つける。おそらくこの箱だろうが、なぜか箱には鍵が掛かっていない。

 不審に思いつつ開けると、中には身の厚い長剣が入っていた。手に取ってじっくりと観察する。一流の鍛冶師の鍛えたミスリル剣には僅かな傷や汚れも無い。まるで一度も使われていない新品の剣だ。

 ヤトは戸惑いから首を捻る。これが竜殺しを成した剣とは思えない。業物には違いないがこの剣からは血の匂いもしなければ使われた形跡すら見つからない。

 しばらく悩んでから結論に至る。

 これは見せ札ないし贋作だ。本当に大事な物を守るためにそれらしい偽物を用意して盗賊を欺く偽装工作なのだろう。

 となると本物の竜殺しはどこかに隠されているか、偽装して誰かが常に持っている可能性が高い。

 まだ家人には侵入は発覚していないから、ここを少しぐらい探す時間は残っている。

 手始めに部屋の剣を片っ端から調べた。兵士用の並の剣、貴族向けの模擬剣に魔法金属の剣を全て調べたが、琴線に触れるような優れた剣は見つからない。当てが外れたと思って帰ろうとした時、ふと樽に立てられていた槍束の中の一本に違和感を感じて吸い寄せられるように手に取って観察する。

 

「これは槍の穂先ではなく短剣?」

 

 他の槍は全て槍として拵えてあるのにこれだけは違う。しかも他の槍はただの鉄製の穂先だが短剣の槍はミスリル製、それもかなりの名工の鍛えた逸品と見た。

 短剣は簡単に槍の柄から取り外せた。鍔は無かったが柄には見事な鬼灯の彫刻が刻まれていて、小粒な赤と緑の珠玉が幾つも嵌め込まれている。

 ヤトは直観でこの短剣を隠すために、これ見よがしに豪華な箱にそれなりの剣を納めて誤認させていたと気付いた。

 ただ、問題はこの短剣で竜が殺せるかどうかだ。短剣では竜の巨体を切り裂くのは難しいが、これは魔法が掛かっている。おそらく何か仕掛けや竜を殺せる何かがあるのだろう。

 

「使ってみたいなぁ」

 

 思わず口に出してしまうと途端に我慢が出来なくなる。

 今まで見てきた剣の中には噂以下のも実際に竜を殺せると分かる剣もあったが、この短剣だけは実際に使ってみない事には判断出来ない。だからこそ使ってみたいという欲が出てしまった。

 となればもう一度戻してこの国を出る時に盗めばいいが、既に扉の鍵を壊してしまった。流石にそれは数日中に発覚するから中の物を移すだろう。そうなったら二度とこの短剣は手に入らない。

 数秒の思考の末に短剣を持ち去る事を選んだ。剣は懐に収めてすぐさま地下を出て、そのまま最寄りの窓から音もなく脱出。誰にも見られずに屋敷を離れた。

 

 翌日。デュプレ家の屋敷で地下保管庫のカギが壊されているのを使用人が発見して騒動になった。多くの者は箱の中のミスリル剣が無事だったのを知って安堵したが、事情を知ってるごく一部の者は偽装した短剣が無い事に気付いて顔を青くした。

 そして秘密裏に盗賊を探し出して剣を奪還する動きがあった。

 大々的に捜査しないのは事を大きくして注目を集めたくなかったからだろう。貴族なら色々と後ろ暗い事をしているのでデュプレ家が珍しいというわけではないが、今は特にタイミングが悪く、捜査は遅々として進まなかった。

 当然名誉騎士となったヤトに捜査の手が及ぶ事はなく、今も短剣は城の客間の荷物の中で眠っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 ニート

 

 

 ヤトがデュプレ家から宝剣を盗み出してから数日が経った。

 剣は一度も人目に触れていない。出来ればちゃんと鑑定したかったが、人目に曝して面倒を避けるために今は自重した。一か月後にカイルと合流した時に彼に鑑定してもらうか都を離れる前日に専門家に依頼するまでお預けだ。

 その鬱憤を騎士達との稽古で晴らそうにも、現在城は緊迫した状況になっていて誰も手合わせしてくれない。

 今朝方ルイが再び暗殺されかけた。下手人はルイの世話役のメイドの一人。彼女は顔を洗う水を持ってくると見せかけてナイフで襲い掛かった。

 しかしルイは一緒に寝ていたクシナに助けられて傷一つ無い。逆に襲ったメイドは腕を折られて取り押さえられた。現在は尋問を受けている事だろう。

 そんなわけで騎士達の多くはルイやルードヴィッヒの警護に大忙し。騎士用の訓練所も閉鎖されているので、ヤトは日当たりのいい中庭で一人剣の素振りをしていた。

 そこに数名が近づき声をかけた。

 

「もし。鍛錬中に失礼します」

 

「――――――はい?」

 

 ヤトに声をかけたのは御付きの女騎士を連れた王妃のリリアーヌだった。彼女とは一度旦那のルードヴィッヒと共に食事をしただけで特に話しかけられるような仲ではないが何か用があるのだろう。

 剣を鞘に納めて布で汗をぬぐい、暗に話を聞く態度を示す。

 

「あちらでお茶の用意をしてありますのでご一緒に如何でしょうか。その、色々とお話することがあります」

 

「貴女が僕にですか?…ええ、良いですよ」

 

 ちらりと見ると中庭の噴水の近くに急遽設けられたテーブルにお茶と菓子が用意されている。快諾する理由は無いが拒否する理由も無く、汗を流した分の水分補給と思って了承した。

 席に就いたヤトは軽く茶に口を付け、リリアーヌもそれに続く。しばらく二人は無言で茶を味わってから、先にリリアーヌがカップを置いて話を切り出した。

 

「ルイ王子の命を救ってくださった事への感謝を奥方にお伝え願います」

 

「直接言わない理由はクシナさんが亜人だから?それとも側にいるルイ王子と顔を合わせたくないからですか?」

 

「………私は今多くの者から疑われています。そんな女が王子に近づけば要らぬ緊張を生みますので」

 

 リリアーヌの言葉は事実だ。ルイの暗殺に彼女が関わっているかどうか真偽のほどは定かではないが、城の中ではそのような噂が絶えない。

 実際、ルイが死ねば次の王は彼女の産むかもしれない男児になる。暗殺する価値はあるのだから疑われるのも道理だ。

 もちろん否定する声もそれなりにある。あまりに軽挙過ぎるし、もし王の不興を買えば腹の子共々死罪を言い渡される可能性もある。それは見返りも大きいがリスクが高すぎる。

 だが城の者の声はリリアーヌを疑う声の方が大きく多い。だから今はとにかく大人しく身を潜める方が賢明と言えた。

 

「良いですよ。それぐらいなら僕の口から伝えておきます」

 

「感謝しますヤト殿。―――ところで貴方は奥方を王子に取られて寂しいと感じないのですか?」

 

「いえ特に。そもそも取られたわけはないですし」

 

「あら、そうなのですか。やはり殿方と女とでは考え方が異なるのですね」

 

 何が面白いのかリリアーヌはクスクス笑う。

 そもそもヤトはクシナをルイに取られたと認識すらしていないので寂しいとも思っていない。一緒に居られる時間が少なくなったのは惜しいが、二人とも四六時中ベタベタするような性格でもないのだからその程度は許容していた。そしてヤトとクシナは究極的には子を成した後は殺し合う仲だ。普通の男女の仲ではない。

 しかしヤトはそこでふと、クシナとの子が出来た未来を考えてみた。竜なのだから卵で産むのか人型を産むかは分からないが、その子にどう接するのかが自分でも想像出来ない。その思考が口から漏れ出す。

 

「親って何をすればいいでしょうか」

 

「自分が親にどう扱われたかが指標になると思いますが、まだ母ではない私では何とも」

 

 そう言われてしまうと却って悩む。家出する以前からも親とは距離があった。理由は色々あるが、一番は己の肉親への情が薄い事だろう。そんな男が父を名乗るのは間違いだろうし、古竜のクシナも卵から還ってずっと一人で生き続けていたと聞く。真面目に考えると夫婦共々まるで親に向かないと今更になって気付いた。

 参った。子を作る事だけを考えて後の事を考えていなかった。少し真面目になって子が出来るまでに考えた方が良いかもしれない。

 単なる茶飲み話が意外な所に転がって考えさせられた。

 暫くの間、二人は子供と親について語り合っていると、物々しい雰囲気の数名の男の騎士が兵士をゾロゾロ連れてやって来た。

 

「王妃様。王陛下がお呼びでございます。どうかお早く」

 

「……分かりました。ではヤト殿、楽しいお話でした」

 

 どう見てもただ事ではないが、リリアーヌは顔色を変えず優美ながら重い足取りで中庭を後にした。

 一人残されたヤトは少し考えてから席を立った。

 

 

 リリアーヌは玉座の間へ通された。部屋の最奥にはルードヴィッヒが玉座に座り、少し離れた椅子にはクシナの膝に座るルイがいる。クシナが居るのは今朝襲われて精神的に弱っているので甘えたいのだろう。まだ六歳では仕方がない。

 壁際には何人もの武装した騎士と兵士が直立不動で並び、幾人もの貴族が開け放たれた扉を通るリリアーヌを好奇の目で、あるいは冷ややかな目で見ていた。

 

「お召と聞き参上しました」

 

「うむ。身重のお前をわざわざ呼びつけてすまない。ただ、穏やかではない事が分かってしまったのでな」

 

 リリアーヌは数年連れ添った夫の言葉がいつになく強張っているのに気付いた。その理由が側付きの秘書官の口から発せられた。

 

「今朝、ルイ殿下を襲った使用人が自白しました。その者はリリアーヌ王妃に子供を人質に取られてやむを得ず命令に従い殿下を殺そうとしたと話しています」

 

「そのような戯言を本気で信じているのでしたら、貴方の勤労精神を疑います」

 

「数日前にその使用人が王妃様と何か話しているのを他の使用人十名以上が目撃している証言があります。そして実際にその者の子供が監禁されているのを兵士が救出しました」

 

 リリアーヌが秘書官を睨みつけるが、彼は淡々と先程の事実を復唱した。どうやら弁明に付き合う気は無いらしい。

 もちろん彼女自身はそんな事をした覚えは無い。だが彼女とて貴族の娘。これが政治的に仕組まれた浅ましい陰謀だと分かっていても、それを覆す手が無いと本能的に分かってしまった。

 最後の手段として夫であるルードヴィッヒに身の潔白を主張するが反応は芳しくない。酷く痛みを伴った震える声で妻に語るだけで精一杯だった。

 

「私もお前を信じたい。しかし、多くの者の証言と証拠があっては如何な王でも罪は覆せぬ。無能な夫を責めよ」

 

「陛下は決してそのような事はありません。陛下が死ねと仰せならば私は喜んで死にましょう。ですがお腹の子だけはどうか……」

 

 跪いて夫であり王の慈悲を乞う様は周囲から痛ましさに隠された冷笑の対象となった。

 貴族からすれば邪魔な二人目の王妃とその子供が一緒に居なくなれば、そこに自分の血縁の娘を送り込むチャンスが生まれる。今貴族の頭の中は、どの娘を王に献上するかの選別で一杯だった。

 そこに空気を読まず乱暴に扉が開け放たれた。

 

「どうも。ちょっとお邪魔します」

 

 重苦しい雰囲気を微塵も気にせず玉座に入って来たのはヤトだった。ずかずかと遠慮無しに絨毯の上を歩く様は傲慢そのものだったが、周囲は誰も声をかけられなかった。

 そしてルードヴィッヒの前で立ち止まり、取ってつけたような微笑のまま王に話しかけた。

 

「この場で発言しても構いませんか?」

 

「許す。しかしこの国の事はこの国の者の問題だ。他国人のお前が入り込む余地は無いぞ」

 

「ええ、大丈夫です。じゃあ王様から許しが貰えたので遠慮しません。この中にポールと名付けられた方はいますか?」

 

 玉座の間の観衆がざわめく。急にやって来てよく分からない事を言い出す男など摘まみ出されても文句を言えないが、相手は王から直接名誉を授けられた騎士だ。公然と無視するのは難しい。

 仕方なく、身分を問わずポールが数名名乗り出た。

 

「ではデュプレ家のポールさんはどなたです?」

 

「それなら私だが、いったい何のつもりかね?」

 

 不快そうにヤトの前に現れたのは口ひげを生やした三十歳過ぎの小柄な男だった。数日前の夜に聞いた声と同じだ。

 ポール=デュプレはこんなどこの生まれとも分からない下賤な輩に対等な口を利かれるのは不愉快極まりないが仕方なく我慢していた。

 そんな心情などどうでも良いヤトは懐から鬼灯の短剣を取り出すと、ポールは目を見開いて驚く。

 

「この短剣は魔法的仕掛けがあると思うんですが、詳しく教えていただけませんか」

 

「な、なぜ貴様がその剣を持っている!?それは当家の家宝だぞっ!!」

 

「もちろん貴方の家に置いてあったのを借りたからですよ。まあ扉の鍵は壊してしまいましたが」

 

「この盗人が!!衛兵!この不埒者を捕らえよ!」

 

「まあ待てポールよ。ヤト、お前はこの場で罪を告白するために許しを得たのか?」

 

「いいえ、単に剣について聞きたかっただけです。そういえばその夜にポールさんの屋敷でちょっと気になる事を耳にしたんですが……聞きます?」

 

 ヤトの言葉にいきり立っていたポールは僅かに動揺した。その変化を見逃さなかったルードヴィッヒは捕縛しようとした衛兵の動きを止めて、詳しく話せと命じた。

 

「四日前の夜にこの人の屋敷で何物かと話しているのを隣の部屋で聞いていました。内容はルイ王子の毒殺失敗の叱責」

 

「で、でたらめだっ!私はそんな話は知らない!」

 

「その人物は魔人と名乗ってましたね。お伽噺の魔人族かどうかは分かりませんが、その人物から子供一人自分で殺せない無能の根性無しと馬鹿にされてました」

 

「なんだと、私のどこが無能だ!!それに魔人がどうだの、そんな女は貴様の頭の中にしか無い、ありもしないでっち上げだ!!陛下、惑わされてはなりませんぞ!!」

 

 顔を真っ赤にして喚き散らすポールとは対照的にヤトは余裕しゃくしゃくといった風体で佇んでいる。そして部屋に居た貴族の中には、何かに気付いてポールに視線を向ける者も居る。ルードヴィッヒも同様だった。

 暫くポールの聞くに堪えない罵倒が息切れを起こすまで続き、終わった所でルードヴィッヒが重い口を開いた。

 

「双方の意見は出尽くしたようだな。私もポールに聞きたいことが一つある」

 

「はっ、如何様なご質問にもお答えします」

 

「お前はなぜその魔人とやらが女と思ったのだ?」

 

「はっ?…………!!い、いやそれはその――――」

 

「二人の話をつぶさに聞いていたが、ヤトは一度も女とは言っていない。にもかかわらず、なぜお前はその魔人とやらを女と思ったのだポール?」

 

 ポールはルードヴィッヒの質問に即座に答える事が出来なかった。それでも数秒後に毒殺しようとしたのがメイドだったからと弁明したが、既に部屋にいた者達の多くは彼に疑惑の目を向けていた。

 

「お前とヤトの証言だけでは審議は無理だ。これはじっくりと腰を据えて調査せねばなるまい。騎士達、兵を連れてデュプレの屋敷を捜査せよ。王が許す」

 

「陛下!!」

 

「ポールは暫くの間、城で聴取せよ。ただし手荒に扱うな、貴族として遇せよ」

 

 王の号令により、騎士と兵は動き出した。ポールは数名の騎士に囲まれて穏便に同行を求められたが、みっともなく反抗してその場を動かなかった。やむを得ず、屈強な騎士達が両腕を掴んで宙に浮かして運んだ。それでもまだ足をバタバタと動かして抵抗したが、よく鍛えられた騎士の肉体は貧弱な小男の蹴りでは小揺るぎもしない。

 地獄への入り口に等しい玉座の間の扉に一歩、また一歩と近づくにつれてポールの顔は青褪め、藁にもすがる想いで横を見ながら叫んだ。

 

「おいニート!主人が危機に瀕しているのだぞ!!なぜ助けない!」

 

「主人じゃないからよ。貴方とは契約しただけで対等。無能じゃないなら自分の不始末ぐらい自分で何とかしなさい」

 

 部屋の壁際に控えていた黒髪のメイドが侮蔑を隠しもせずに吐き捨てた。

 それでもポールは何度も助けろと命じると、メイドのニートはウンザリしながら彼の腕を掴んでいた騎士の一人に話しかける。

 

「そいつをこの世から解放してあげなさい」

 

「―――――分かりました、我が主」

 

 騎士は腰の短剣を抜いて何の躊躇もなくポールの首に差し込み半分ほど切り裂いた。

 玉座に血のシャワーが降った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 魔眼

 

 

 黒髪のメイドの命令で騎士が貴族の首を切って殺害する。異常ともいえる事態が玉座で行われて、使用人や貴族の中には腰を抜かしてその場にへたり込む者も多かった。

 そして騎士の半数は王の警護に回り、残りは兵士と共にメイドを取り囲む。

 

「殺したのは私じゃないんだけど~」

 

「黙れ!その場に跪いて両手を手の後ろで組め!」

 

 兵士が剣と槍で脅すが、メイドのニートは呆れと嘲りが入り混じった笑みを浮かべて命令を拒否する。

 

「い~や、忌々しい人間の命令なんて聞く義理は無いの。お前達こそ私に従い、私を護るの」

 

 果たしてそれは如何なる所業か。武器を向けた騎士と兵は彼女の言に従い、くるりと背を向けてまるで王を守護するようにニートを扱った。その中にはアンジェリカの姿も見える。

 さらには彼女の視界に入った貴族の大半が虚ろな目をしたまま立ち上がって壁のように列を成す。

 ニートの命令に従わなかった者達は後ずさり、自然とルードヴィッヒの座る玉座に集まった。王の元には五名ほどの貴族に十名の騎士と兵士が集い、リリアーヌも夫に駆け寄る。

 クシナは震えながら抱き着くルイを引き離してルードヴィッヒに預けてから、いつでも戦えるように状況を見守っていた。

 

「意外と胆力のある人間が多いわね。卑劣な種族のくせに生意気ぃ」

 

「これは貴女の魔法か何かですか魔人さん?」

 

「ええそうよ。心が弱かったり猜疑心が強い相手を問答無用で操るのが私の暗黒魔法『煽動』。陰湿な連中に効果は覿面でしょう~?」

 

 ヤトは納得した。ここ最近の城内での問題は全てこの女の仕業だったわけだ。おかげで城内に居る大半の人間は互いを疑い心身を弱らせてしまい、今この場の大半の者は走狗となってしまった。おそらくルイを暗殺しようとしたメイドや聴取した者も女魔人に操られてしまったのだろう。どちらが陰湿か分からない。

 ケラケラと笑うニートにルードヴィヒは怒りを滲ませながら何の理由があって息子を殺そうとしたのか問う。

 

「私はどうでも良かったけど契約した相手からの要望に応えただけで知らないわ。そこの~役立たずに聞いてみたら?」

 

 ニートは己の血に沈むポールを目配せしたが、当然既に死んでいる死体が蘇る筈が無い。同時に彼女は死霊術を操るミトラのように死体を意のままに操れないと分かった。

 

「では何故ポールと契約などした。あるいは最初からその男を操るなり、我々を操れば事足りたはずだ」

 

「それじゃあ楽しくないでしょ~?私はお前達人間がバカなまま争った末に死んでいくのが見たいの」

 

 その手始めにこの城を乗っ取り、フロディス王国そのものを動かすつもりだったと笑いながら話す。

 ルードヴィッヒの心は怒りに満たされた。そのために息子を殺害しよとした事、あまつさえその罪状を妻に押し付けて己に処断させようとした事。何よりも王国とは王にとって己の血肉に等しい。それを好き勝手に弄ぶなど到底許せるものではない。

 今すぐにでも不愉快な女の首を自ら刎ねてやりたいが多勢に無勢。何か反撃のチャンスが生まれなければ全員が無駄死にする。戦うならもっと多くの情報を引き出してからだ。

 

「それで我々を争わせた後、お前は国を掠め取って何をする?」

 

「大勢で東に行ってもらいたいの。王様は言う事聞いてくれたら少しぐらい長生きさせてあげるけど。断ったら奥さんと子供は……分かるわよね~?」

 

 ルードヴィッヒは的確に痛い所を突かれて押し黙る。そしてなぜニートが操れない己をすぐに殺さないのか察した。大勢というのはおそらく軍を指した言葉。国中に号を掛け一軍を組織して自由に動かすにはどうしても生きた王が必要になる。それまでは生かしておきたいのだろう。

 ニートは勝ち誇ったが次の瞬間、数人の貴族が吹き飛び壁に叩き付けられたのを見て目を丸くする。

 さらに三人が飛ぶ。しでかしたのは鞘に入れたまま細剣を振るうヤトだった。続けて二度、三度と剣を振るえば、人が木の葉のように宙を舞った。

 

「ちょっと~私の話聞いてたの?暴れたら王様の家族は死ぬのよ」

 

「どうぞご自由に。僕は興味ありませんから」

 

 ニートは最初ニヤニヤと馬鹿にしていたが、ヤトが構わず追加で十人ばかり薙ぎ払うと、途端に不機嫌になって支配下に置いた者達に殺害を命じた。

 洗脳兵士三人が槍を突き出すが、宙を舞う剣士を捉えられず逆に全員が頭に強烈な一撃を受けて昏倒する。

 短剣で襲い掛かった貴族は纏めて吹き飛ばし、その隙に後ろから斬りかかった騎士の剣を鬼灯の短剣で受けて細剣で腕を砕いた。

 予想より強いヤトに舌打ちしてニートは残った配下に王一家を襲わせた。

 本来守護するべき者を殺そうと虚ろな目で殺到する者達。支配から逃れた少数の者達は覚悟を決めて武器を構えるが、その前にクシナが躍り出た。

 後ろでルイが叫んでいるが、関係無いとばかりに迫りくる兵士の槍を掴み取って兵士ごとぶん回して敵を蹴散らした。さらに反対に握った槍を軽く振り回せば、面白いように人が跳ね飛ばされて壁や天井に叩き付けられる。

 それを見た正気の者達は唖然とする。見た目は亜人なので人族の女よりは力が強いと分かっていたが、小柄な女が鎧を着た大の男を纏めて宙に飛ばすのは非常識すぎる。唯一ルイだけは無邪気に喜んでいるが子供なので例外だろう。

 その怪物に一人の美麗な女騎士アンジェリカがゆっくりとした足取りで近づく。眼は他の洗脳者同様に虚ろだったが剣先には微塵も揺らぎはなく、ただクシナだけを見据えて間合いを詰める。

 クシナの方はまた雑魚が一人向かって来たとだけ思って槍を振り回したが、女騎士は容易く躱して逆に柄を半分に切り落とした。

 

「…………れば」

 

「なんだどうした?」

 

 壊れた槍を投げ捨てて対峙した相手の呟きに耳を傾けるが、彼女の優れた聴覚でも何を言ってるかは拾えない。

 そしてアンジェリカは常人には目にも留まらぬ速さでクシナの心臓に剣を突き立てる。

 

「あなたがいなければあの方は私を……」

 

「あーもしかして汝がヤトの言っていた女か」

 

 クシナは面倒くさそうに豊かな胸に僅かに刺さっていた剣先を指で弾いた。白いドレスの胸元が徐々に赤く染まるが気にしない。

 アンジェリカは己の剣が心臓を貫いていないのを疑問に持たず、何度も斬撃と刺突を繰り返して殺そうとするが、相手はかすり傷は負ってもまったく意に介さない。それどころかクシナは剣を素手で掴んで身体を引き寄せて頭突きを食らわす。

 頭を強打した女騎士は吹っ飛ばされてぐったりとしていたが、胸を上下させて息をしているのを見ると死んではいないらしい。

 

「ヤトは儂の番だ。やらんぞ」

 

 珍しく不機嫌に呟く。クシナは意外と独占欲が強い女だった。

 

 玉座の間は重傷者で溢れかえっていた。大半の洗脳者はヤトとクシナの夫婦が捩じ伏せて、取りこぼしも洗脳を免れた騎士達が何とか抑え込んでいる。重傷者の中には洗脳が解けて痛みに喘ぐ者も居るが、現状では何も出来ないので放置した。

 何もかもが上手くいかないニートはみっともなく、使えない、無能などと喚き散らしている。

 

「では自分で戦ってみてはどうですか」

 

 洗脳者を粗方排除したヤトが元凶のニートに細剣の切っ先を向けた。剣は既に鞘から抜いてある。

 ニートは不快感が頂点に達した。理由は色々あるが、最も不快なのが対峙したヤトの顔だ。下劣な人間風情がまるで幼児が好物のお菓子を前にしたように満悦の笑みを浮かべて剣を向けている。

 

「戦い?たかが人間が傲慢不遜にもほどがあるわ。お前なんてこうすれば事足りるわよ」

 

 憤然と睨みつけるニートとヤトの黒瞳がぶつかり合う。

 ヤトの身体が崩れ落ち、鼻腔と眼球の隙間から鮮血が滴り落ちた。息は荒く、力の抜ける膝を叱咤して、震えながらもどうにか両の足で立って剣を構え直す。

 しかし視界がぼやけて定まらない。切っ先も震えて構えが乱れる。

 

「こんな奴が私の魔眼に耐えるなんてムカつくわ~。ムカつくから生きたまま身体を引き裂いて、肉をあっちの角女に食わせてやるわ」

 

 ニートが怒気を滾らせて突進、長く伸びた鋭い爪を振り下ろした。まだ上手く足が動かないヤトは何とか躱したが追撃を受けてしまい、咄嗟に細剣でガードしたものの、半ばで折れてしまった。

 短い間だったが命を預けた剣の破損は悲しいが、その甲斐あって稼いだ時間で足に力が戻った。

 視界はまだ役に立たないが、一流の戦士は眼だけを頼りに戦わない。耳と肌が無事なら十分戦える。

 ヤトは間髪置かずに間合いを詰めて、折れた細剣で斬りかかる。短くなった分速く振れるようになり、常に視界と攻撃範囲から外れるように動くヤトに手の爪を振り回すがかすりもしなかった。

 反対に幾重ものフェイントを織り交ぜた剣戟はニートを翻弄。本命の一撃が彼女の左手をざっくりと切り落とした。

 激昂して出鱈目に攻撃するもまるで見当違いの場所ばかりで一瞬たりともヤトを捉えられない。明らかに戦闘経験と技術を持っていない素人の動きのそれだ。ただし速さは侮れるものではなく、当たれば鋼鉄と同等の強度を持つオリハルコンの剣を折るぐらいなので油断は出来ない。

 徐々に本調子を取り戻しつつあるヤトはさらなる斬撃で右腕を肘から切断した。

 自慢の両手を切られたニートは瞳に憎悪を宿し、怒りに身を任せながらも切り札を切った。

 額に縦の切れ目が生まれ、大きく開くと赤い瞳の目が現れた。第三の目が開かれたと同時に切られた両手が再生する。

 おまけに床に転がっていた兵士の剣や槍が宙に浮いて、まるで餓狼のようにヤトに喰らい付こうとした。

 それでもヤトは慌てず爪と武器の乱舞を躱しながら攻撃を続けるが、先程と勝手が違って違和感を感じた。

 攻撃に対してニートの対応が速く、防御と回避の正確さが増している。まるで自分の攻撃がどこからでも全て見えているかのようだ。

 試しに確実に見えない真後ろから投げナイフを最小の動作で投げても、見えているように避けてしまった。

 この動きで気付く。あの額の目の役目は物を浮かせて操作するだけでなく、全方位を視るための器官でもあるのだ。

 幸いなのはあの視線を合わせるのと同じ現象が現れていない事だ。アレを直接視認せずにやられていたら、ヤトでも相当に難儀したに違いない。

 であれば戦いようは幾らでもある。

 すぐに対応策を考え付き、ヤトはそこらに転がっている重傷の洗脳者を引っ掴んでニート目がけて何人も投げつける。

 それらはニートに当たる前に空中で停止したが、構わず追加で数名を投げつけた。

 

「ふん!こんな肉が何の役に立つ?」

 

 ヤトは嘲笑を無視して後ろに回り込んで、迫り来る槍を躱しながらナイフを数本投擲する。それは先程と同様に難なく避けられる。それどころかナイフも他の武器と同様に支配下に置かれてしまった。

 もちろんそれは盛り込み済み。常に相手の正面に入らないように動いて落ちている物を手当たり次第に投げ続けた。おかげでニートの周囲には宙に浮いた物と人が溢れかえって極めてお互いが見辛く、モノを動かすと容易に干渉しあって思うように動かない。

 ヤトは確信した。ニートの第三の目は、その目を起点として360度全方位を見る機能と念動力を備えるが、処理能力には限界があり、透過能力も持っていない。

 相手が下手を打ったと見て、すぐさま勝負に出る。

 折れた細剣を上に投げて敵の背後に回り込みながら距離を詰める。

 ニートは重荷になったモノを手当たり次第に投げつけるが、そんな生半可な攻撃が当たる筈もなく一気に距離を詰められる。

 ヤトの手には鬼灯の短剣が握られ、その剣身には練り上げた気功を纏っていた。

 さらに位置と間が悪い事に彼女の頭上にはヤトが投げた剣が今まさに落ちている。その切れ味は既に両手を切られた事で十二分に味わっていたので、第三の目で視認していたのも相まって本能的に大きく避けてしまった。

 その動きが決定的な隙となり、無防備な背を晒してしまう。短剣が肉薄し、死神がニートの魂を刈り取る。―――――――はずだった。

 短剣の切っ先は彼女の手前で止まってしまった。

 

「人間ごときが私を舐めるな」

 

 ヤトが手心を加えたわけではない。ニートの念動力によって凶刃が止められたのだ。

 そして彼女はゆっくりと振り向いて拘束したヤトに嗜虐的な笑みを向けて勝ち誇る。

 

「あと一歩だったのに惜しかったわね~。さあ、約束通りまずは腕から落としてあげる」

 

「いえいえ、もう貴女は詰みです。『風舌』≪おおかぜ≫」

 

 鋭い爪を見せびらかすニートに目もくれず、ヤトは練り上げた気を短剣に纏わせて、見えない刀身を伸ばす。

 不可視の刃はニートの第三の目を貫き、後頭部を貫通した。拘束が解けた。

 貫いた刃を捻り、下に降ろして鼻、口、喉、胸、腹、股間までを容赦無く切断。女魔人の身体をほぼ二つにした。

 大量の血と臓物が零れ落ち、床をどす黒く染め上げた。

 ニートが死んだことで念動力によって浮かせていたモノは全て落ち、洗脳されていた者も全員正気を取り戻したが、多くは痛みに呻く羽目になった。

 城の危機は去ったと言えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 王家の聖剣

 

 

 玉座の間の変から十日が過ぎて、ようやく城は落ち着きを取り戻しつつある。

 女魔人ニートがヤトに討ち取られても事態の収拾は容易ではなかった。なにせ自国の貴族が人ならざる魔人の引き入れて暗殺未遂までしたのだから当然である。

 デュプレ家は死んだポールの父である当主から使用人に至るまで問答無用で拘束されて厳しい取り調べを受けた。

 当然書類や手紙の類は真っ先に調べられ、屋敷の財産も全て取り上げて入念に調べた。

 そこで分かったのは最近ポールが大公家に婿入りしたルードヴィッヒの弟の側近と頻繁に手紙のやり取りをしていた事だ。手紙の中にはそれとなくルイの身に死が近づくような内容が書かれていた物も見つかった。他にもリリアーヌが王妃に相応しくない、その子供も愚鈍だろうと好き放題書かれていた。

 この内容だけでもかなり王家に対して不敬だが、さらに目を惹く手紙も見つかった。男児の居ない王の次期後継者には王弟こそ相応しいとあり、王が崩御した時には自分を重用してほしいと媚びを売る内容だった。

 ルイを殺した犯人をリリアーヌに仕立て上げて同時に排除した後、かつて仕えていた王弟を次期王に据えてからルードヴィッヒも殺すつもりだったのだろう。

 この陰謀に王弟が直接関わっていたかどうかは分からないが、この手紙だけでも十分に謀反の疑いありとして処断出来る材料だった。今も王宮は王弟をどのように扱うかで丁々発止の怒鳴り合いを続けている。

 問題はポールが魔人とどう縁を結んだか、さっぱり分からない事だ。書類の類は一切見つからず、肝心の本人がともに物言わぬ屍となってしまったので、どのように繋がったのかが全く分からない。

 デュプレ家の一族と使用人もニートの事は一度も見ていないと証言しており、かろうじて使用人が知っていたのは時折ポールが誰かと密談している事ぐらいだ。

 真相は闇の中だがポールが謀反人なのは揺るがぬ事実。デュプレ家は取り潰しの沙汰を受け、領地と財産は全て没収となった。

 当然ヤトが持ち出した鬼灯の短剣も没収されたが、それはルードヴィッヒが気を利かせて、ニートを討ち取った褒美として正式にヤトに下賜された。もちろんかつての所有者だったデュプレ家の者に王の命令で本来の使い方を教えられた。残念ながら竜殺しの剣ではなかったが、使い勝手の良い魔法が付与されていたのでありがたく使うつもりだ。

 それとヤトとクシナが暴れて重症を負った貴族や騎士達からの文句や処罰を求める声は無かった。

 操られていたとはいえ王一家に剣を向けた汚点は事実。ヤト達を糾弾すればその点を認めなければならない。そうなっては逆に洗脳されなかった者や、たまたま玉座に居なかった者達から汚点を突かれてしまう。だから誰もが苦痛に喘いでも話題に登るのを極力避けた。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 そして現在ヤトとクシナはルードヴィッヒの御付きとして、都の北にある王家の霊廟に足を踏み入れていた。

 ルードヴィヒが弟への懲罰をどうするかの思案中に霊廟に来たのは、表向きは城内に魔人を引き入れ不和を生んだ事を先祖に詫びるためだが、実際はヤトとの約束を果たすためだ。

 霊廟の内部には王族と限られた上位貴族、およびその護衛の騎士しか入る事を許されない。

 ヤトは名誉騎士なので護衛として付き従い、クシナは単なる小間使いとして霊廟に入る事になった。ただ、見た目が亜人の彼女が霊廟に入る前にひと悶着あり、せめて格好だけでも亜人と分からないようにしろと命じられた。よって今は半袖短パンの上に頭をすっぽりと覆う外套を纏っていた。いくら王を護った者でも亜人には隔意があるらしい。

 

「しかし随分カビ臭い所だ。死体なんぞ川に流すか獣にでも食わせればいいだろうに」

 

「どっちも都合が悪いから駄目ですよ。川に流せば下流に住む人が困りますし、獣が人の肉の味を覚えたら襲い掛かる危険が増します」

 

 ランプを持って照明役をしていたクシナがカビの悪臭に鼻をひくつかせながら悪態を吐く。竜である彼女にとって死んだ生き物は自然に任せて腐らせるか他の動物の餌にすれば事足りる。わざわざ死体を置くためだけにこんな大仰な建物を建てる必要性を全く感じなかったが、ヤトの説明で埋葬する利点は理解した。とはいえ回廊にびっしりと刻まれた碑文や壁画の価値はいまいち分かっておらず、しきりに首をかしげて先導役をしていた。

 王家の霊廟は広く、回廊は人が五人は並んで歩けるぐらいに余裕がある。壁や床は全て大理石の建材で苔も生えていない。破損が見当たらないのは管理する職人が定期的に保全に努めているからだろう。当然盗掘の心配も無い。

 短い廊下の奥には銀箔仕立ての重厚な扉がそびえ立つ。

 ヤトはルードヴィッヒから鍵を借りて扉を開けた。

 扉の先はドーム状の広大な部屋だった。天井からはガラス越しに日が差し込んでおり、ランプの灯が無くとも全容が視える。

 ドーム状の部屋の壁際には等間隔で約四十もの長方形の石棺が置かれている。棺は全て細部にまで彫刻の施された大理石で拵えてあった。

 ここが霊廟の心臓部。代々のフロディス王とその妃が永遠の眠りに就く寝室だ。ルードヴィッヒのかつての妻もここで眠り、いつか夫が来るのを待っていた。

 それらはここが墓場なので特に気にするものでもない。ヤトが最も目を惹いたのは部屋の盛り上がった中央部に威風堂々と突き刺さっていた一振りの剣。

 十字状の両手剣の剣身は磨き上げられた黒曜石のように光沢のある黒鋼。柄と鍔は黄金に彩られた美術品のように見る者を魅せる。

 天井の隙間から入る日差しに照らされた黒金の剣は神々しく、いかにも由緒ある、まさに王の剣と呼ぶに相応しい偉容を三人に見せつけていた。

 

「あれが……」

 

「うむ。あの剣こそフロディス王国に代々伝えられた『選定の剣』。そして剣は今まで誰も抜けなかった。だから先祖は『選定の剣』などど大仰な名を付けた」

 

 ルードヴィッヒが剣の由来を聞かせてくれた。

 天を衝く赤い巨人を倒した聖剣は巨人に突き刺さったまま抜けず、古の王はそのまま巨人の上にこの霊廟を建て、戴冠式に新たな王が剣を抜く儀式を取り入れた。敢えて抜けない剣を抜くように仕向けたのは、王が全知全能とは程遠い至らぬ者と自覚させて、驕らぬように戒める意味が込められていた。

 

「ではこの床の金属は巨人ですか」

 

「確かめる術が無いが、話が真実ならそうなのだろう。さて、私は妻の棺に挨拶をしているから、その間は話しかけるな」

 

 ルードヴィッヒは答えを聞く間もなく、一番端の棺の前に移動して何か話をしていた。お互いの邪魔をするつもりは無いという意思表示だろう。

 その意図を汲んだヤトは遠慮なく部屋の中央に足を運ぶ。その時足に違和感を感じて床を見る。盛り上がった床はここだけ大理石と違い、曲面の金属になっていた。

 石に刺さった剣や大木の根元に刺さった聖剣の話は聞いたことがあったが、金属に刺さった剣は初めて見る。

 試しに赤銅色の床に触れてみる。感触はどのような金属とも異なり、鉄でも魔法金属でもない。サイクロプスのような生身の巨人というよりゴーレムの類なのかもしれない。

 まあ巨人が何にせよ今は関係のない話だ。それよりも本当に剣が抜けないのか試す方が先だ。

 一呼吸置いてから剣の柄に触れ、続いて鍔、そして身へと指を伝う。己の指に伝わる感触に既知感を覚える。これはかつて味わった感触だ。

 

「『貪』?」

 

 漏れ出た言葉は、かつて己が所持した赤い魔剣の銘だ。最愛の伴侶との戦いで砕けてしまった赤剣とこの聖剣は形は違えど何故か同じに思えた。

 ただ、柄を握るとその感覚は遠のく。気のせいだったらしい。

 そしてそのまま剣を引き抜こうとしたがびくともしない。

 

「どうした?」

 

「思った以上に抜けないですね。ちょっと本気を出してみます」

 

 暇そうに見ていた嫁に一言返してから、ヤトは大型の鍔を両手で掴んで渾身の力で持ち上げるが、トロルをも片手で投げ飛ばす半人半竜の膂力であっても剣はビクともしない。

 ならばと一旦呼吸を整えて、丹田で練り上げた気功を全身に行き渡らせて筋力を強化。ありったけの力を込めて剣を持ち上げる。

 すると刺さっていた金属から剣が僅かに動き始めて軋みを上げる。

 

『ズ、ズズゥ』

 

 金属がこすれ合う音が霊廟に響き、ルードヴィッヒが驚愕する。

 さらにヤトは咆哮を上げながら限界を超えた力で剣を持ち上げ、遂には黒鋼の十字剣を床から引き抜いた。

 

「おおー抜けたぞ」

 

「あの剣は誰も抜けなかったというのに信じられん」

 

 クシナは無邪気に喜び、ルードヴィッヒが信じられない物を見たように目を擦る。当のヤトは額の汗を手で拭って息を整えた。

 そこでふとルードヴィヒと目が合い、剣を見てもう一度交互に目を向けて苦笑いする。

 

「すみません。つい抜いてしまいました」

 

「………とりあえず見なかった事にしてやるから剣を戻せ」

 

 勝手に王家の聖剣を抜いて怒るかと思ったが存外懐が深い王だ。

 少し惜しい気もしたが、ここで力づくで奪うのは何となく気が引けたので、王の言う通り穴に剣を戻そうとした瞬間、唐突に地面が揺れた。

 揺れは断続的に続き、天井からは次々と石材が落ちて棺の一部を破壊してしまう。

 

「これは逃げた方が良いですね」

 

「だが………いや、そうだな。すまんシャルロット」

 

 ルードヴィッヒは少しの間迷いを見せたが、すぐに出口の方に走り出した。それでも最後にかつての妻の棺を見るために立ち止まり、名を呼びながらも二度は振り返らなかった。

 急いで外に出た三人は崩れ落ちる霊廟を見て安堵する。外で待機していた騎士達も王の帰還を喜んだが、さらなる霊廟の異変に喜びも消し飛んでしまった。

 

「う、腕ぇ!?」

 

 騎士の一人の驚愕の声は真実だ。地面から城の物見櫓と同じぐらい巨大な腕が生えていた。

 腕だけではない。兜を被った人間の頭、鎧を模した上半身と腰が見える。そのどれもが桁違いに大きく、まるで城が動いているような気分になる。

 さらに巨人は立ち上がろうとしたので、その場にいた全員が急いで離れた。

 十分に離れた一同が目にしたのは街で聞いた伝説に違わぬ、天を衝くような赤銅の巨人だった。ヤトが以前戦ったサイクロプスの三倍以上、その身は推定30メートルはある。

 

「おー、儂よりでかい」

 

 クシナの呑気な言葉に巨人を見上げる者たちは何を当たり前の事をと思ったが、古竜たる彼女より大きい物など早々ありはしないのはヤトと本人だけが知っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 神話の戦い

 

 

「あの巨人動かないですね」

 

「そのようだが、あまり油断はしない方がいい」

 

 ヤトの言葉にルードヴィッヒは同意しつつも警戒を促す。

 二人の憶測通り、例の巨人は霊廟を破壊して立ち上がったが、今は微動だにせずただその場に立ち尽くしていた。その様はさながら何をしていいのか分からず途方に暮れた子供のようにも見える。

 動かないのならそれでひとまず安全だろうが、このままというわけにもいくまい。これだけの巨体はどう考えても目立つ。きっと都では突如現れた赤銅の巨人に住民が恐れ慄いている事だろう。

 

「あれはロスタみたいなものなのだから、誰かが命令すれば動くんじゃないのか?」

 

 クシナの何気ない言葉にヤトは頷いて同意する。確かにあの巨人は常識外に大きいだけでゴーレムだ。誰かが命令さえすれば意のままに動くだろう。問題はどうやって言う事を聞かせられるかが分からない事だった。

 ルードヴィッヒはとりあえず都にいるゴーレムに詳しい技師か魔法関係者を呼んで詳しく調査をするように騎士に命令した。

 

「おっとその必要はないぞ」

 

 どこからか男の声が聞こえた。騎士達は言葉の主を探したが、周囲にはそれらしい人物は見当たらない。

 しかし唐突に空気が陽炎のように歪み、褐色肌の鋭利な顔立ちの偉丈夫が姿を現した。騎士達は見知らぬ男の突然の出現に驚きながらも剣を構えて王を護ろうとする。

 

「また貴方ですかアジーダさん。剣の事を教えたのはあの女性だから居るとは思っていましたが、今日は一人ですか?」

 

「ああそうだ。霊廟には結界が張ってあって入れなかったから近くで待ってた」

 

「もしかして巨人が動き出すのを待ってたんですか?」

 

「そんなところだ。動かし方は知ってるが封じていた剣が抜けなくてな」

 

 剣に囲まれた中にあって、アジーダはどうでもいいとばかりに顔見知りのヤトと気さくに話す。

 ルードヴィッヒはアジーダの聞き捨てならない言葉に最も強く反応した。そしてその言葉が事実か問うと、彼は面白くもなさそうに巨人に呟いた。

 

『祖の血肉を分かち合った傀儡よ。兄弟たる我に従い、動く物を須らく攻撃せよ』

 

 アジーダの言葉に反応した巨人は目を光らせて拳を振り上げる。拳が何に振り下ろされるのかなど分かり切っていた。

 彼を取り囲んだ騎士達は殆ど本能的に元凶に斬りかかったが、手にした短杖により一瞬でその悉くが返り討ちにあい、敗者は地に伏せた。騎士達が死んでいないのはアジーダにとって殺す価値も無いからだろう。

 そして迫り来る巨石のような巨人の腕。無事な者は急いで王を退避させようとしたが間に合いそうになかった。

 視界に広がる赤銅色の拳がルードヴィッヒ達の横をかすめて地面に深々と突き刺さり、強烈な振動で彼等は転げ回った。

 

「ほう、流石だな」

 

 アジーダの心からの称賛は巨人の肘に剣を振り下ろして軌道を逸らしたヤトに注がれた。

 そもそもだたの人と巨人とでは質量が違い過ぎて、虫が人にぶつかった程度なのに軌道を逸らせるほうが異常だが、ヤトはそれよりも自分の渾身の一撃でも軽い切り傷しか付かなかった巨人の装甲に驚く。そしてアジーダの称賛にも興味がない。

 ついでにクシナが動きを止めた巨人の足を思いっきり蹴り飛ばして仰向けに倒した。

 その隙にルードヴィッヒ達は起き上がって、一歩でも遠くへ逃げていた。

 アジーダは逃げた者には目もくれず、ヤトとクシナを実に楽しそうに眺めてから、短杖を彼女に向けて巨人に命じた。

 

『命令を変える。その女を排除しろ』

 

 巨人は命令に従い、クシナを手で払おうとしたが、逆に拳で弾き飛ばされた。それでも碌に損傷が見当たらないのはそれだけ巨人の耐久性が高い証拠だ。

 

「女は人形で遊んでいろ。さて、随分待たされたが、一体どこで油を売っていた?」

 

 アジーダはまるで十年来の友人のようにヤトに話しかけたが、答えは剣士らしく言葉ではなく黒鋼の剣だった。

 

「『紅嵐』≪くれないあらし≫」

 

 10メートルの間合いを一瞬で詰めての九連突きがアジーダへの回答。

 アンジェリカとの稽古の時とは違い、手加減無しの絶技は全て胴体と頭部に突き刺さり、赤い噴水を模った。

 もとより紅嵐はアジーダを斬れなかった事を鑑みて、切っ先に全破壊エネルギーの乗る突きを用いた技。常人ならば九度は死に至る完全なオーバーキル。その甲斐あって全身を貫いた確かな手応えが得られた。

 ―――――得られたのだが、それでも褐色の偉丈夫は倒れない。それどころか何とも嬉しそうに哄笑を響かせた。

 古竜のクシナとガチンコの肉弾戦をしていたのである程度分かっていたが、やはり打たれ強さが尋常ではない。

 相方のミトラと違って血は出るし傷も付けられるから殺せるだろうが、どれだけ斬れば殺せるかは実際にやってみないと分からない。

 

「ふはははは!!前より随分と腕が上がったじゃないか!待っていた甲斐があったなぁ!!」

 

 血の噴水はすぐさま止まり、笑いながらヤトに突っ込んできた。

 突き出された短杖を紙一重で躱して逆に腹を突く――――寸前で腰の短剣を抜いて折れ曲がった杖の突きを防ぎつつ、黒鋼剣は斬撃に切り替えてアジーダの足を斬った。

 ヤトは距離を取って短杖の形状をよく見る。杖は最初より20cmは長く先端は槍のように尖っていたが先程のように折れ曲がっていない。

 バイパーの街で戦った時と先程の騎士を纏めて打ち払った時、そして今の攻防ではっきりした。アジーダの杖は長さと形状を自由に変えられる。

 

「その杖、なかなか便利な道具ですね」

 

「手品の類だ。それよりその剣、あまり切れ味は良くないな。見掛け倒しだぞ」

 

 斬られた足に軽く振れて血止めする。ヤトは曖昧な笑みを浮かべて剣を軽く振って血を払った。

 確かにアジーダの言う通り黒鋼の剣の切れ味はそこまで良いものではない。勿論魔法金属製の一流の剣だが、あくまでそれだけだ。特筆すべき点があるとすればヤトの全力にも余裕で耐えられる頑丈な点だろうが、長過ぎてどうしても大振りになってしまうのが難点だった。

 それでもようやく全力で戦える無上の喜びを感じていた。

 ヤトは猛る魂のままにアジーダと斬り合った。

 

 

 男二人が本格的に殺し合いを始めた隣では、クシナが巨大ゴーレムを殴り続けていた。

 也がでかい分動きは緩慢だったので、巨人は一度もクシナを捉えられずに空を切り続けて、逆に殴られ放題だった。

 しかし一方的な展開になってもクシナはイライラしている。相手をどれだけ殴っても壊れないどころかまるで怯まないのが面倒な事この上ない。

 そしてちらりと旦那の方に目を移せば、何やらアジーダと楽しそうに斬り合っている。

 放っておかれた寂しさと腹立たしさでどんどん不機嫌になった彼女は注意を怠って巨人の拳を貰ってしまう。

 数百メートルは弾き飛ばされて転がった後、血塗れのまま立ち上がるもその目は明らかに怒り狂っていた。

 

「―――――――――儂を舐めたな」

 

 完全にブチ切れたクシナは本来の姿に戻り、魂砕きの咆哮を轟かせた。

 ゴーレムは唐突に目標が消えて、代わりに銀色の竜が現れた事で混乱して立ったまま動きを止めてしまう。その隙をクシナは逃さず体当たりして組み敷いた。

 いきなり片腕の竜と巨人の取っ組み合いが始まってしまい、退避していた王や騎士達は思考停止する。

 そして都でも多くの者が神話の一幕を目撃して慄く者、興奮する者、拍手喝采を贈る者、即興で詩を作って謳う吟遊詩人が出てきて、まるでお祭り騒ぎとなっていた。

 クシナは組み敷いたゴーレムの右腕を抑えて残りの腕に鋭い牙で噛み付く。

 左腕は古竜の強力な顎の力でメキメキと音を立てるが噛み砕くには至らない。強固なアダマンタイトだろうが容易に噛み砕くクシナの牙でも破壊出来ない装甲には驚きしかない。

 巨人はクシナが腕を噛み砕くのに手間取っていた隙をついて、腹に膝蹴りを食らわせて怯ませ、位置を反転させて圧し掛かり頭突きを食らわす。

 両手の拘束が外れた巨人は、何度も何度も比較的柔らかいクシナの腹を殴り続けた。一発一発のダメージは大した事は無いが、彼女にとってヤト以外に上に圧し掛かられる屈辱感は凄まじかった。

 怒り心頭になり、逆に相手の腹を殴りつけて浮かせた後、翼を広げて巨人の足を掴んだまま大空へと飛び立った。

 クシナは足を掴まれて成すがままの巨人を見て冷静になる。そのまま雲を抜けるほどの高度まで登り続けてから足を離した。

 重力に囚われた巨人は手足をバタつかせたまま墜ちて行き、当然のように地面に叩きつけられて土煙を巻き上げた。

 高度からの落下速度に加えて自重による破壊力は極めて大きく、ゴーレムの両足はあらぬ方向に曲がり二度と立つ事は叶わなかった。

 さらにクシナはまともに動けないゴーレムの頭を掴み、引き千切って機能停止に追い込んだ。

 

 

 それを離れた場所で見たアジーダは使えない人形に舌打ちした。こうなってはすぐさまあの竜がこちらにやって来てしまう。

 

「よそ見する余裕はありませんよ」

 

 ヤトは隙を見て大剣を脇腹に突き刺して胴を両断しようとしたが、アジーダは腹に剣が突き刺さったまま杖を突き出す。

 杖は一瞬で伸びて顔を抉ろうとするが、その前に左手の短剣が同様に伸びて杖を払う。その隙に強引に腹の剣を引き抜いて間合いを外した。腹の傷は臓物が零れ落ちる前に塞がった。

 

「得物が似ると露骨に技量差が出るな」

 

 アジーダは自らの杖とヤトの鬼灯の短剣を見比べる。

 伸縮自在の剣―――――それがデュプレ家の宝剣の正体だ。普段は短剣として持ち歩ける携行性と使い勝手に優れているが、それ以外にさしたる機能も無い、宝剣と呼ぶには大仰かもしれないが、何も奇をてらった加護や外見が名剣の条件ではない。それより単純に道具として扱いやすい方が好ましい。

 ヤトは短剣を元の長さに戻して鞘に納め、大剣を両手で握り直す。そしてアジーダはなぜか杖を腰に差して戦闘の空気を四散させてしまった

 

「負けを認めて諦めましたか?」

 

「そんなところだ。今の俺では純粋な技量でお前には勝てんのはよく分かった」

 

 言うなり無防備に背を向けて巨人の方に逃げた。これにはヤトも一瞬虚を突かれてしまい、斬る事も出来ずに距離を離されてしまった。

 仕方なくアジーダの後を追って巨人の元へと急いだ。

 

 

 クシナは倒した巨人を寝床にして鼻歌を歌っている。ここしばらくご無沙汰だった本来の姿で暴れられてご満悦だった。

 しかし遠くから向かってくるアジーダに気付き、そのまた後ろで追っかけているヤトが目に入ると、どうしたものかと思案する。

 火を吐いてこんがり焼いて褐色を炭色にしてやってもいいが、勝手に獲物を取ると番が気を悪くしてしまうかもしれない。

 

 (まあいいか)

 

 少し悩んだ後に放っておくことにした。

 その間に両者の距離は目と鼻の先まで縮まっていた。なぜアジーダが己に向かっているのか分かっていない。だから目が合っても何もせずに放っておいた。

 そしてアジーダはクシナに背を向けて下敷きになった巨人の首に空いた穴に入ってしまう。

 変化はすぐに生まれた。

 歪に曲がった両足が元通りの形になり、クシナに噛まれて傷付いた腕の装甲も綺麗さっぱり傷一つ見当たらない。千切れた頭は首から伸びた太い縄のような物で繋がり、そのまま引っ張られて元の位置に納まった。さらに全身から無数の刃が生えてきて、上に座っていたクシナが悲鳴を上げて慌てて飛び退く。

 立ち上がりも前の動きの倍は速く、寝起きの調子を確かめるような生の人間の動きに変わっていた。

 刃の巨人はヤトを見下ろし、彼方にまで響き渡る雷鳴の如き大音量で戦いの再開を宣言した。

 

「続きをやろうか。今度は同時にかかってこい」

 

 神話の戦いはまだ決着を見せていない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 翠刀

 

 

 アジーダの宣言が終わったと同時に、ヤトは全速で駆けて巨人の後ろに回り込んで、踵を気功で強化した黒鋼剣で切り裂いた。

 

「くっ浅い!」

 

 足首を切断して転ばすつもりだったが斬れたのは予想の三割程度だった。剣の切れ味が足りていないのもあるが単純に装甲が硬すぎる。その上切断面が徐々に塞がり始めていた。この分では数分もあれば復元してしまうだろう。

 クシナも全身に生えた刃を物ともせずに掴み掛ったが、掌底を顔に喰らって怯んだ所に回し蹴りを受けて吹き飛んだ。前の時と違って動きが鋭く確かな技術がある。

 その隙に何度も足を斬ったが効果は薄く、巨人は彼をまるで足元を這い回る虫を潰すような感覚で何度も何度も踏みつけた。

 流石にそんな鈍重な動きではかすりもせず、足を上げた時に掴まって勢いを利用して跳び、下腹部に剣を突き刺した。

 ―――――が、やはり効果は見込めない。

 黒鋼剣は元々巨人に突き刺さっていた。それを抜いたために巨人は動き出した。ならばもう一度突き刺せば機能停止に追い込めるかと思ったが、やはり刺す場所が違うと効果が無いらしい。

 問題は剣がどこにささっていたのか分からない事だ。

 巨人が起き上がる所は見ていたので仰向けに倒れていたのは確実。霊廟の位置から察するに胴体部だろうが、何せ相手は巨大の一言に尽きる。そこから的確に場所を探すのは手間がかかり、中にいるアジーダの存在も無視出来ない。

 とはいえ何もしない選択は無いので、壁走りの要領で動き回って胴体を手当たり次第に刺し続けていたが、いい加減鬱陶しがった巨人に振り落とされて宙に投げ出された。

 いくら剣鬼でも翼は持っていないので成すがままだったが、そこは翼持つ竜嫁が上手く掴まえてくれた。

 ヤトは嫁の頭の上まで移動して話し合う。

 

「参りました。僕一人では負けはしませんが手詰まりですね」

 

「儂の火なら消し飛ばせるかもしれんぞ」

 

「それも良いですが、その前に一つ試したい事があります」

 

「それは?」

 

「さっき頭を壊したら動かなくなりました。でもアジーダさんが中に入ったら元通りになった」

 

「んーなら儂がもう一度頭を壊して、汝があの色黒を中から引き摺り出すか」

 

 短いやり取りで作戦は決まった。

 そしてこれまで巨人からの攻撃が無い事から、相手は遠距離攻撃能力に乏しい事が分かる。つまり近づく前に妨害を受ける心配は無い。

 予想通り急降下してくるクシナに対して巨人は何の反応も無い。

 相対距離が縮まり数秒後に接触する程度まで両者が近づいた瞬間、突然巨人が真上に跳躍した。

 一気に距離が縮まり、虚を突いた巨人は両手でクシナの頭を掴んで、そのまま地面に叩きつけた。

 

「ぐわぁぁぁぁ!!」

 

 クシナは衝撃で小さくバウンドして悲鳴を上げた。上に乗っていたヤトは懸命に掴まっていたので投げ出されなかったが、振り回されて成すがままだ。

 それでもやられっぱなしというわけでもなく、瞳に怒りを宿した竜はあらゆるモノを焼き尽くす灼熱の炎を吐いた。

 しかし頭を押さえられていては当たる筈もなく、炎は虚しく空を赤く染めるだけだった。

 巨人は抵抗するクシナを黙らせようと、両手で頭を握り潰そうと力を込めた。

 頭からはミシミシと音がして、おまけに巨人の体中から無数に生えた刃で傷付けられた痛みで暴れるも、指の力は弱まるどころか強まるだけだ。

 

「やらせるかぁああ!!!」

 

 激情を隠しもせずに咆哮を響かせたヤトがクシナの首を疾走。勢いそのままに跳んで嫁の顔を握り潰そうとした巨人の左手首を斬り落とした。

 クシナも片手が失われて拘束力が弱まった隙を突き、逆に頭を掴んでいた右手を握り潰して危機を脱した。

 そのまま追撃しようとしたが、反撃で蹴り飛ばされて距離が離れてしまった。

 ヤトは攻撃せず、クシナに近寄り無事を確かめる。

 

「大丈夫ですか?」

 

「いつつ……儂なら平気だ。くそぉ、腹が立つ!」

 

 平気と言うがその実、クシナは体中に切り傷を作り血を流していた。幸い古竜の高い治癒力によって血は止まったが、当人からすればいいようにあしらわれて腹立たしいのだろう。

 そうこうしているうちに巨人の左手は元通りになり、右手も徐々に繋がり始めていた。

 相手の回復をただ待っている気の無い二人はすぐさま追撃するが、意図が読まれて防御を厚くされてしまい攻め切る事が出来ない。

 

 そしてそのまま泥仕合に持ち込まれて、都合十度の攻勢を全て凌がれてしまった。

 お互いに軽度の傷は簡単に治り、体力もまだまだ余裕はある。こういう時は焦れた方が負けだが、このまま千日手を繰り返すのも面白くない。

 多少危険でも手番を代えて隙を見せて相手に攻めさせるように仕向けようかと思った矢先、クシナが目を細めて何か遠くを見ているのに気付く。

 

「戦いの最中によそ見ですか?」

 

「んーちょっと気になるモノが見えてな。汝もあの土煙を見てみろ」

 

 言われてクシナの視線の先に目を向ける。平原の彼方で土と草が巻き上がっているのは分かるが、あいにくとヤトは古竜ほど目が良くない。

 だが、時が経つにつれて煙と共に移動する小さな黒点がだんだんと大きくなるのが分かった。

 物凄い速さでこちらに向かってくる黒点をよく見ると何かを抱えた人型だった。

 

「―――――――女かな?」

 

「汝の目では見えないか。あれはロスタだぞ」

 

 嫁の言葉に軽く驚いて、目を細めて人型を凝視する。

 ――――――確かに人型は少し前にエルフの村で別れた自律ゴーレムのロスタだった。となると彼女が抱えたモノは一つしかない。

 

「カイルもいますね」

 

 なぜこの場にあの二人がいるのかは見当もつかないが、兎も角会って直接話を聞かねばなるまい。

 アジーダは一向に攻撃してこないヤト達を不審に思ったが、あえて自分から攻撃する気が無かったので、四名の再会は滞りなく進んだ。

 ロスタにお姫様抱っこで運ばれていたカイルが地に足を着く。二人は見覚えのない緑のマントをお揃いで羽織っていた。

 

「やっほ。しばらくぶりだね二人とも」

 

「ヤト様、クシナ様。共にお元気そうで何よりです」

 

「ええ、久しぶりです。なぜ今ここに?」

 

「話せば長いから先にあの巨人を何とかしない?あれと戦ってたんでしょ」

 

 カイルの言う通り、先に巨人を何とかする方が先だ。

 

「あれを倒すには頭を引き千切って動けなくした上で、中にいるアジーダさんを外に引き摺り出さないと駄目です」

 

「頭は儂が一度千切った。ヤトも手ぐらいなら剣で斬り落とせるが時間をやると傷が治る」

 

「ここに着く前に観戦してたけど、あのデカブツ結構動きが速くて鋭いから、まずは動きを止めようか」

 

 カイルは事も無げに言う。確かに動きを止めてしまえば、後はクシナとヤトでどうにかなるが、それが出来ればとっくに勝っていた。

 だからヤトが弟分に出来るのか尋ねると、彼は余裕の笑みを浮かべて「らくしょー」とだけ答えた。

 さらに彼は背中に背負っていた長い棒状の包みをヤトに手渡す。

 黒鋼剣を地面に突き刺し、布を取ると鞘付きの反りのある剣が姿を現した。剣を鞘から引き抜き、その美しさに圧倒された。

 東剣に通ずる反りのある緑の片刃は金属でありながら翡翠のような美しさを持つ。風の無い湖面のような一点の曇りの無い静かな闘気が宿り、優美でありながら研ぎ澄まされた殺意の結晶の如き刃は見る者全ての肌を粟立たせる。柄と鍔はミスリル製で一切の装飾が施されておらず、実用一辺倒ながらも高貴さを兼ね備える。

 試しに振り下ろせば、なんと滑らかで軽やかな太刀筋か。それでいて翡翠の刀は世に斬れぬ物は無いとばかりに太陽を照り返して妖しく輝いていた。

 

「それはエルフの村のナウアさんから」

 

 剣匠にして剣技の達人であるエルフの古強者からの贈り物に首を傾げる。ヤトの記憶が確かなら彼は兄であり族長のダズオールから、己への剣を打つのも譲るのも禁じられている。それを破るほど入れ込まれる覚えは無い。

 

「一応長の許しは得たから大丈夫。理由は後で教えるから、先にあのデクの坊を斬っちゃいなよ」

 

「そうですね。まずはアレで試し斬りといきましょうか」

 

 弟分の言う通りだ。なら他の事は仲間に任せて、己は伴侶と共にただ相手に向かって行けばいい。元より剣の使い道など一つしかない。ただ、目の前の敵を斬るだけだ。

 ヤトはクシナに掴まり、彼女は再び大空へと舞い上がる。

 それを見届けてからロスタは走り出す。

 一人その場に残されたカイルは唐突にしゃがみ込んで草に身体を埋めて呟く。

 

「あのでかいのに絡み付いて邪魔をして。――――うんうん、仲間を助けたいんだ」

 

 

 内部で巨人の目を通して外の様子を見ていたアジーダは予想外の展開に驚きはしたがハプニングは歓迎していた。どうせ今日の命令は既に果たしていたのだから、どれだけ遊んでもあの女に文句を言われる筋合いはない。なら楽しんだ方が得というものだ。

 相手は三つに分かれた。一つは空から様子を伺い、もう一つは地を駆り近づきつつある。最後のは動かないままだ。

 最も手ごわいのは当然空の竜と剣士だが、こちらには近づいてこない。仕方が無いから走ってくる人形を先に踏み潰してしまおうと足を上げる。

 

「うん?足が重い。いや、動きが鈍い」

 

 足は上がるには上がるが妙に動きが鈍く、片足を上げたまま動きが止まってしまった。

 よく見れば巨人の下半身にびっしりと草が巻き付いており、関節部の隙間にも隙間が無い程に緑の草が詰まっていた。このせいで足の動きが阻害されていたのだと気付いた。

 

「あのエルフの小僧の仕業か!」

 

 アジーダは前に遺跡で会った時はこのような手妻は使っていなかったので油断して見落としていた。

 これはカイルが草の精霊に頼んで助力を得た結果だった。

 そしてその隙にメイド人形のロスタが紫電を纏い高速で回転する二又の槍を手に、残る地に着いた足を穿った。

 踵に力づくで捻じ込まれた槍は赤銅の金属で出来た巨大な足を半ばまでごっそりと削り取る。

 片足を挙げたままもう一つの足の半分が無くなってしまっては、自重を支えきれなくなった巨人は重力に任せて倒れるしかない。

 轟音を立てて仰向けに倒れた巨人。すぐに起き上がろうとするが、今度は草ではなく急速に生長した太い樹木が、手に腹に足にも絡み付いて巨人の身体を完全に覆い尽くしてしまった。これでは全身に刃があってもすぐには動けそうにない。

 これを好機と見たクシナが真上から急降下して巨人の頭に噛み付き、力づくで引き千切って遠方に放り出した。

 空いた大穴に今度こそヤトが入り込んで一気吶喊。胸部の所で巨人から伸びたロープに絡まっているような格好のアジーダを一閃。頭を両断した。新たな翠刀の切れ味も申し分ない。

 さらにロープを手当たり次第剣で斬ると、起き上がろうとした巨人の動きがピタリと止まった。どうやらこのロープで繋がっていると巨人が動かせるらしい。

 

「おいまだ終わ―――――――ぐうぅ!」

 

 頭を両断されても生きていたアジーダだったが、すぐさま手足を斬り落として首を握り潰されては何も出来ない。それでも斬り落とされた手足が徐々に再生しているのを見ればゆっくりしていられない。

 ヤトはそのままダルマのアジーダを抱えて外に出た。

 

「クシナさん、この抜け殻の手足を引き千切ってください」

 

「おう、任せろ」

 

 その言葉に従ってクシナは巨人の手足をアジーダと同様に引き千切ってダルマに変えた。

 流石に材質不明の巨人も動けなければエンシェントドラゴンの力にかなうはずがなく、無惨に手足を引き千切られてしまう。

 そして突然ヤトは突然腹に衝撃を受けて吹っ飛ばされた。その拍子にアジーダの首を離してしまう。

 慌てて立ち上がって目にしたのは五体満足で立つアジーダの姿。ヤトは不審に思う。巨人の中に入る前より回復速度が速い。

 

「油断したつもりは無かったんですけど」

 

「ああ油断はしてないぞ。俺がさっきより倍は強くなっただけだ」

 

 ヤトはその言葉を強がりと切って捨てる事が出来ない。確かに今のアジーダから発せられる闘気と威圧感は全く別物になっていた。おまけに殴られた腹は肋骨が何本か折れている。

 理由は分からない。だがそれはヤトにとって喜ばしい要素でしかない。新しく手にした剣の試し斬りとしてこれほど相応しい物は他に無い。

 ヤトが剣を構えて殺意を研ぎ澄ませたのに対し、アジーダの方はその気が無いのか、仁王立ちするだけで戦いに備える様子が無い。

 

「続きをしたいのはヤマヤマだが、余興の遊びで時間を掛け過ぎると煩い奴がいてな」

 

「ご飯の時間には帰ってこい―――ですか?」

 

「はははははっ!!」

 

 聞く者が聞けば馬鹿にしたような物言いだったが、アジーダは笑うだけで否定も怒りも示さない。

 

「俺の本当の目的はこの巨人の中にある動力源だ。それを身に取り込むことで俺は力を増す」

 

 道理で急に強くなったわけだ。そしてヤトはそれを卑怯とも情けないとも思わない。強い力をどう得るかなど些末な事。重要なのはその力を十全に使いこなして、己にぶつけてくるかどうかだ。

 幸いアジーダは気分が高揚していても強さに溺れた様子は無い。今日はもう戦う気が無いようだが、いずれまた力をぶつけ合う機会は巡ってくるだろう。その時を楽しみにしていればいい。

 

「ではまた会う時は逃げないでくださいね」

 

「ああ、その時は存分に戦おう」

 

 アジーダはそれだけ言うと姿を現した時と同様に唐突に姿を消した。

 ひとまず戦いは終わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 慌ただしい出立

 

 

 ひとまずの危機は去ったが、土地被害は少なくない。霊廟は全壊して瓦礫の山。周囲の土地は神話の戦いで散々に荒らされて農地として使えない。

 不幸中の幸いはすぐ近くの都には何の被害も無く、人死にも出なかった事だ。

 一行は集まり、まずは互いの無事を確認する。それが終わるとヤトとカイルは適当な石材に腰かける。クシナは竜のまま、ロスタは立ったまま側に控えた。

 

「それで助力はありがたいですが、約束の二ヵ月にはまだ半月はあるのに、なぜもうここに居るんですか?」

 

「修行自体は思ったより早く終わってさ。一ヵ月も暇になるから一足先に村を出たんだ。アニキ達の事だからどうせ剣探しが早く終わっても、二ヵ月いっぱいまで都に居るつもりだったでしょ?」

 

 そう言われると事実なのでヤトは否と言えない。尤も予定していた嫁とのゆったりした時間は殆ど過ごせなかったのだが。

 そしてカイルの修業の成果は十二分に見せてもらった。巨人に草や樹木を絡ませて動きを封じる様は圧巻だった。

 

「村の人は良い人ばかりで過ごしやすいけど、あの村は刺激が足りないから長居はちょっとね」

 

「それに村の少女達に追いかけられるのが嫌になったのも村を早々に出ていく理由でしたね」

 

 ロスタの言にカイルは目を剥いて沈黙を強要したが、彼女は以前見た片手を頭に当てて舌を出す『てへぺろ』のポーズで誤魔化した。

 彼女の言う通り、主人のカイルは村の少女達に言い寄られていた。さらにその少女達に気のある少年達から嫉妬の念を受けて居辛くなったので、修業が終わったと同時に村を出る羽目になった。

 弁明しておくとカイルはそこまで女たらしではない。精々が同年代の子に人間の街の事を面白く話してあげていた程度だ。それだけなら単に村の人気者程度で済んでいたが、ちょっと色気を出して可愛い女の子達に親切にしていたら、勝手にカイルの取り合いになって喧嘩に発展して、おまけに男も巻き込んで収集が付かなくなったわけだ。

 さすがにその程度で刃傷沙汰まで至らないが、居心地の悪さから早々にヤト達との合流を選んで十日前に村を発った。

 ここまでがロスタの口で語られた。

 

「そうでしたか。で、東にあるという貴方の故郷の情報はどうなりました?」

 

「そっちは村を出る前に道標を貰ったから大丈夫。――――これをね」

 

 カイルが背嚢から出したのは一本の枝葉。木も葉もつい先ほどまで木に繋がっていたように瑞々しく生命力に溢れていた。それを無造作に天に放り投げて地に転がす。

 ……もしやその枝の指す方角に向かえと言うのだろうか?ヤトは占いの道具でも渡された方がまだマシだと思った。

 

「疑ってる目をしてるけど、これ意外と信憑性があるんだよ」

 

 カイルの話では、この枝は村の族長のダズオールとカイルの祖父エアレンドが互いの故郷の聖樹の枝を交換した物らしい。そして枝はどのように転がしても必ず葉の付いた部分が自分の本体の場所を指すという。

 実際に何度も力の具合を変えたり投げ方を変えても、必ず枝は同じ東を指し続ける。確かにこれならいずれは目的の場所に辿り着くだろう。カイルの祖父や家族が移住していなければと但し書きが付くが。

 

「というわけで僕の方は大体片付いたけど、アニキ達はどうしたのさ?というかこの巨人何なの?クシナ姉さんが取っ組み合いしてたのを遠目で見て急いで来たけど」

 

 頭と手足をもがれて巨大なゴミと化したゴーレムを蹴飛ばす。急いできたのはロスタにお姫様抱っこで運ばせた事だろう。

 ヤトは二人に、都に来てから今までの事をある程度端折って話す。

 そして最後の霊廟破壊には聞いているだけのカイルも背中にびっしょりと冷や汗をかく。下手をすれば王家の墓を完膚なきまでに壊した罪人の仲間と思われて、最悪打ち首になる可能性だって想像してしまう。

 今すぐにでもクシナに乗って逃げようと提案するが、実行する前に騎士を連れたルードヴィッヒが一行の近くまで来てしまった。

 

「危機は去ったと見て良いのか?」

 

「ええ、大丈夫だと思います」

 

 それを聞いたルードヴィッヒは安堵するが、同時に巨人の残骸と散らばった棺の破片を見て落ち込む。この中には彼の妻や両親の物が混じっているのだから当然だ。

 しかし王たるもの、いつまでも死者にかまけて俯いてはいられないと己を奮起して持ち直した。

 そしてヤトのそばにいた竜の姿のクシナに目を向ける。

 

「この竜はまさかクシナ……か?」

 

「うむ、よく分かったな。これが儂の本来の姿だ」

 

 ヤトの接し方を見て雰囲気で何となく察しても、いざ事実を突きつけられると衝撃は大きかった。

 それでも王としてやるべき事をなさねばならず、ルードヴィッヒはカイル達の事も聞き、短い思考の後で四人に命じた。

 

「気を悪くするかもしれんが、お前達はすぐにここを離れて国を出ろ。残っていれば相当に面倒な事になる」

 

 ルードヴィッヒの命令に、四人はまあ当然だろうと理解を示した。誰も知らなかったとはいえ王家の『選定の剣』を抜き巨人を復活させ、霊廟を完全破壊して王を危険にさらした。これだけでも大罪人として処刑に値する。

 問題は罪を素直に受け入れるほどヤト達が潔くも善良でもなく、全力で抵抗すれば巨人の代わりにこの王都ぐらいは瓦礫の山にしかねない事だ。

 真っ向から戦えばおそらく国が崩壊する。さりとて無罪放免で放置したらそれこそ王の権威が失墜するが、今逃げてくれば供の騎士達だけでは王を危険晒す行為は出来なかったと名分も立つ。

 息子の面倒を見てくれて、魔人から多くの者の命を救ってくれたヤト達を着の身着のまま追い立てるような真似をするのは心苦しいが、王にもどうにもならない事だってある。

 一方のヤトはさして気にしない。どうせこれから東に旅に出る予定だ。着替えや外套は城に置きっぱなしだが、それは別の街で買い直せばいい。金貨は置いたままだが、小切手の束は懐にある。

 

「構いませんよ、路銀や剣は手元にありますから旅には支障はないですし。クシナさんとカイルも良いですか?」

 

「ヤトが良いなら儂も良いぞ」

 

「僕も来たばかりだから構わないよ」

 

 仲間の承諾も得られた。ならすぐにでもこの国を出て行く。

 カイルとロスタがクシナの背に乗る間、ヤトは離れた場所に刺してあった黒鋼の剣を抜いてルードヴィッヒに差し出した。

 

「良い剣でした」

 

「当然だ。家が代々伝えてきた剣だぞ」

 

 それだけ言葉を交わすとヤトは躊躇わずに背を向けた。

 そのまま旦那を背中に乗せて、いざ飛び立つ時、ふとクシナがルードヴィッヒに顔を向けて何か考えた後に口を開く。

 

「汝の息子に言っておけ。いつまでも母親の傍に居たら強いオスになれんとな。儂は弱弱しい男が嫌いだ」

 

「ああ、必ず伝えよう。それからこれを持っていけ。息子の面倒を見てくれたせめてもの礼だ」

 

 そう言って纏っていた赤いマントを投げ渡した。クシナに着る服が無いのを察したのだろう。

 そして今度こそクシナは翼を羽ばたかせて空へ上がり、あっという間に東の彼方に遠ざかった。

 ルードヴィッヒはまるで嵐のようにやって来て去って行く自由な姿を見届け、帰りを待つ家族のいる自らの家へと帰って行った。

 

 

 空の上でヤトはカイルに聞き忘れた事を尋ねる。鞘から抜いた翠の剣の事だ。

 

「なぜナウアさんは僕に剣を作ってくれたんですか?」

 

「見た方が早いから試しに姉さんを斬ってみなよ」

 

 こんな場所でクシナを斬ったら全員地上に真っ逆さまだ。なのにカイルは平然と危険行為を勧める。

 不審に思いながらもヤトはクシナの背を斬り付けた。

 しかし剣は『ペチッ』などと情けない音を立てて竜の鱗を撫でるだけだった。

 呆気に取られたが、気を取り直して今度は突き刺そうとするも、やはり剣はクシナを全く傷つけられなかった。気功を纏わせても変わらない。

 ヤトは剣を眺めて首を捻るしかない。アジーダの身体はクシナの皮膚と同等かそれ以上の硬度を持っていた。その彼を切り刻めたのに、今は全くのなまくらになっていた。

 兄貴分の困惑する顔が面白かったカイルは笑いながら答えを教えてくれた。

 

「その剣に女を斬れない呪を掛けたんだって。妻殺しをさせたくないエルフの気遣いだよ」

 

 ヤトは剣を作ってくれた感謝の気持ちと同じぐらい腹が立った。なんだそのふざけた呪いは。道具でしかない剣が斬る対象を選ぶな。何を斬るかは己で決める―――その確固たる意思を嘲笑うかのような剣に疎ましさを感じた。

 剣をこのまま空から捨ててしまいたい気分になったが手が離してくれない。この翠刀は世辞抜きで素晴らしく、だからこそあまりに惜しい。

 

「――――まったく、エンシェントエルフは性格が悪い」

 

「アニキも大概だと思うけどね。嫌なら僕がどこかの街で売り払うけど」

 

「あげませんよ。当面別の剣が手に入るまではこのなまくらを使います」

 

 不承不承ながら翡翠の剣を佩剣として認め、乱暴に腰の鞘に納めた。

 

 

 

 

 第三章 了

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四章 囚われの魔
第1話 魔の住む国


 

 

 タルタスという国がある。ヴァイオラ大陸北西部の台地に築かれた国だ。標高が高いので平均気温が低く土地が痩せているのと相まって、国民の食は牧畜と酪農によって賄われている。隣国との交流は消極的で、台地に行くための道が限られている上に険しく、商人も好んで行くような場所ではない。

 そして国民の特異な価値観もあって各国は好き好んで外交使を送り込む事も無く、お互いを見ないように振舞うのが常であった。

 その価値観とは絶対的なまでの魔法至上主義。そしてそれに付随する非魔法行使者への苛烈な階級差別だ。魔法が使える者は全て支配者階級となり、使えぬ者はどんな生まれであっても容赦無く奴隷身分へと置かれた。

 これは大陸では有り得ない統治制度だ。

 そもそも魔法とは親から子に遺伝しない特異な技能でしかなく、金銭や土地のように譲渡も出来ず継承もしない。例え王の子だろうが魔法が使えるとは限らず、平民から魔法の才を持つ子が生まれても何ら不思議ではない。

 魔法が使えなければ例え王の子でも奴隷に落ちるとなれば、どう権力や財産を継承すればよいのか。仮に数千年の寿命を持つエンシェントエルフならあるいは使いこなせる制度だろうが、定命の人族なら甘く想定しても必ず百年で国は亡ぶ統治機構だろう。

 しかしタルタスは崩壊せずに何百年と国家として命脈を保ち続けている。

 なぜか?

 理由は至極簡単。王家と貴族の家に生まれた子は例外無く魔法が使えるからだ。

 確率的にあり得ないはずの出来事が起こり続けた故に、あり得ない統治制度が生まれて今なお存在し続けていた。

 過去にはそのあり得ない理由を探ろうと外部の者が数多く、かの地を訪れた。

 結果は無惨な物で誰一人として帰っては来られなかった。それ故に周辺国は率先して交流を持とうと思わず、タルタスも必要最低限の国家交流に留めて互いを見ないふりをし続けた。

 それでもタルタスは高地の貧しい土地だったので最低限外部から食糧を調達せねば生存を維持出来ない事もあり、少数の商人がタルタス王の許可を受けて出入りはしていた。食糧の代価は良質な鉱物資源やそれらを加工した品々だった。

 なお許可を受けなかった商人は一切の庇護を受けられず、身ぐるみ剥がされた上で殺されるか奴隷として使役されるかの二択が待っていた。流石にこれは商人の身内から不満が出てたが、タルタス側は一顧だにしなかった。

 なぜなら王国とは王の所有物であり、許可無く勝手に踏み入った者が悪いと言えばそれがまかり通るからだ。

 だからタルタスの貴族にとって商人でもない見知らぬ他国人など野犬どころか虫けらでしかなく、例えば暇潰しにペットをけしかけて殺したところで誰も咎める者は居なかった。

 

 その日、タルタスの貴族令嬢ピアスはペットのティコを伴って領地の街を散歩していた。厳格な父を持つ彼女にとって外でペットと戯れるのが貴重な遊び時間だった。

 御付きの使用人と護衛は少し離れて付いてきている。雑用をさせる使用人はともかく、本当は護衛などいらないが、貴族の格式を蔑ろにしてはいけないと父に言われては仕方がない。

 外出用の膝までのズボンと合わせた動きやすいブーツの踵を鳴らして石畳を跳ねる。今日はいい天気。きっとこんな日は良い事があるに違いない。

 

「ふふ、もしかしたら運命の人が私の前に現れるかも。ね、ティコ。あなたもそう思わない?」

 

「GURURURURU!!」

 

「なーんて、あなたに言っても分からないわよね」

 

 ピアスは首を傾げるティコに抱き着いて自慢の鬣を撫でてやる。ティコは主人にされるがままだったが、いつもの事だったので気が済むまでさせていた。

 毛繕いを終えると、主従は散歩を続けて坂道の多い街をゆっくりと登り続けた。

 タルタスは台地とはいえ高地なので完全な平地が無いため街には坂が多い。家々も傾斜を平らに均すか利用したまま建てられている。幸い鉱物資源や石材には事欠かないので石造りの街並みは景観も良かった。

 街の住民はピアスとティコの姿を見ると一目散に家に入るか路地裏へと逃げ込んだ。

 そんな扱いを受けてもピアスは気にしない。あれは己に畏怖するが故に姿を見せないように必死で身を隠しているだけだ。ネズミや虫と何も変わらない。寧ろせっかくの散歩を邪魔されずに気分が良い。あんな下等動物でも主人の意を汲むように動くのだから父の教育熱心さには尊敬を覚える。

 だがティコの方はそうもいかない。何かを主人に訴える。

 

「GAUGAUGAU!!」

 

「えっ、お腹が空いたの?あなた、朝ごはん食べたじゃないの!?もうっ、太るからダメよ!」

 

「GUUUUU!」

 

「私はダメと言ったわよ!後ろの使用人を見てもダメ!あれは家の道具なんだから、お父様の許可無しには食べないの!」

 

 主から何度も拒否されたティコはシュンと鋭利な棘のある尻尾を垂らして落ち込む。

 反対に後ろにいた使用人達はあからさまに安堵した。このマンティコアには何人もの同僚が食われている。余程の粗相をしなければ大丈夫だと分かっていても恐い物は恐い。

 マンティコア――――――それは獅子の頭と胴体にサソリの尾を持つ幻獣。大きさは成体になっても牛と同程度で幻獣としては小型の部類だ。それでも強靭な顎と牙、尾の棘には猛毒があり、戦士十人と対等の強さを有する。

 主食は主に肉。それも人の肉を好むので、別名はそのまま『人食い』と呼ばれている。

 このティコも生まれた時からピアスの家で育てられて人の肉を食べている。領主のピアスの父は誰彼構わず人を食べさせず、領地の罪人や使い物にならない使用人を選んで処分を兼ねて食べさせていた。だから腹が減ってもいきなり人に襲い掛かった事はほぼ無かった。

 大人しくなったペットに気を良くしたピアスはそのまま街の一番上にある丘まで足を延ばした。

 街を一望する丘は風の遮るものが無く、春の涼しくも強い風が吹いている。手入れの行き届いた長い黒髪が風で乱れるが、ピアスにはそれが心地良かった。ティコも同様だ。

 

「良い風ね。――――あら、あれは誰かしら?ちょっと、あの下にいる四人組に見覚えがある?」

 

「はっ――――――いえ、私は存じません。外から来たのでしょうか?ですが商人にしては荷がありませんし、身なりからして他家の使いでもないです」

 

 ピアスは街の広場に見慣れない四人組を見つけて、使用人にも顔を確認させたが彼等も四人組に心当たりはない。それを聞いて彼女はにんまりと笑みを浮かべた。使用人は次に何を言うのか察した。

 

「ふーん。じゃあティコに食べさせてもいい肉ね。良かった、おやつが見つかったわよ」

 

 ティコは主の言葉に喜びの雄叫びを上げた。そして四人組を引き留めるために先に使用人を向かわせてから、主従はゆっくりと丘を下りた。

 

 ピアス達が街の広場に降りてきたのを見計らって使用人は四人組から離れた。

 

「ご苦労様。どうだったの?」

 

「ははっ、どこの許可も得ていない旅人でした」

 

「そう。こんにちは旅人さん、貴方達にお願いがあるんだけど」

 

 突然見知らぬ令嬢に話しかけられた旅人達。男が二人、女も二人。全員が若くそれなりに容姿が整っていた。

 彼等は特に気にすることなく彼女の話を聞く。

 

「この子のおやつになって食べられて欲しいの。返事は聞かないわ」

 

 ピアスの宣言と同時に、ティコは旅人の一人に猛然と飛び掛かった。

 右腕の無い角の生えた銀髪の女性はただ、己に飛び掛かろうとしたマンティコアを見つめて左腕を振り上げた。

 か細い女の腕の抵抗など蟷螂の鎌でしかないと思われたが、今回は相手が悪すぎた。

 ティコは女に獅子の面を殴り飛ばされて、首から上が千切れ飛んでどこかに行ってしまった。残った胴体は護衛の一人を下敷きにした。

 ピアスは思考が追い付かずしばらく放心したが、十秒以上経ってから現状を認識して首を失ったペットに駆け寄り涙を流す。

 

「うそっ?うそっ!?うそよっ!!なんで?なんで!?なんでなのよっ!!なんで顔が無いのよ!!」

 

 色とりどりの刺繍の施された華やかな服が吹き出す血によってどす黒く染まるのをまるで気にせず、彼女は涙を流して変わり果てた友に縋りついた。

 

「弱いくせに儂を喰おうとするから返り討ちに遭うんだぞ」

 

 銀髪の女性の呆れた言葉にピアスは顔を上げた。端整な顔は涙と友の血で見るも無残だったが、それ以上に憤怒が相貌を大きく歪めていた。

 そして彼女は立ち上がり、燃え上がる激情に駆られながらも凍えるような声色で詠う。

 

「凍てつく風の刃よ、我が怨敵に冷情なる死を与えたまえ!」

 

 詠唱によりピアスの周囲に幾つもの氷の塊が生まれ、それらは次第に大きく形作られる。

 五つの氷塊は人と同じぐらいの巨大な氷柱となって、鋭利な先端を仇へと向ける。

 

「ティコを殺した罪は万死に値する!!」

 

 復讐鬼と化した少女が手を振り下ろした。五本の氷柱は高速で飛翔して女性を貫いた―――――――はずだったが、前に立ちはだかる剣士の男が持つ盾によって全て弾かれた。

 

「おっ!その短剣は盾にもなるのか」

 

「ええ、縦に長く伸びるだけが能ではないみたいです」

 

 剣士が掲げた盾は一瞬で盾から短剣へと姿を変える。それだけでなく柄に鬼灯の装飾の施された短剣をその場で横に薙げば、ピアスの首が宙を舞った。

 少女の首を飛ばしたのは剣士の手から十メートルは伸びた剣身だった。

 首無き身体は膝から崩れ落ち、主従は共に首から流れ落ちる己の血の中に沈んだ。

 

「聞きしに勝る国ですね。まあ、それでこそ来た甲斐があったというものです」

 

「それはアニキだけだよ。それはともかく、予想はしてたけど早速やっちゃったかー」

 

 連れの少年が呆れながらもさして慌てなかったのは、この国に来た以上騒動を覚悟していたからだ。

 魔の住む国へと降り立った四人。ヤト、クシナ、カイル、ロスタ。彼等はいきなり血の歓迎を受ける事になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 レオニス王の密命

 

 

 ―――――――――時をしばし遡る。

 

 フロディスで剣の捜索を済ませたヤトとクシナは、合流したカイルとロスタと共に慌ただしく東へと向かっていた。

 一先ずの目的地はかつてヤト達が居た東の国アポロン、その王都アポロニアだ。

 ヤトやクシナからすれば東で物資の補給が出来ればどこでも良いが、カイルがアポロニアを望んだので目的地にした。理由はヤトだけが知っているが、ここでは敢えて何も言わずにおいた。

 一行は途中で村や町に立ち寄って休息を入れつつ、五日目にはかつて足を踏み入れたアポロンの王都に戻って来た。

 半年ぶりの太陽の都は相変わらず活気に満ちている。道を行き交う民衆の中には、既に隣国ヘスティとの戦は過去のものとなり、記憶には勝利と栄光しか残っていない。

 王城も最後に見た時と何一つ変わっておらず、正門に立つ衛兵達は変わらず直立不動で立ち続けていた。

 

「む、そこの四人。城に何用か、無いのなら早々に立ち去る―――ん?見た顔だな…………思い出したぞ、傭兵のヤトとカイルか!?」

 

「あっ覚えててくれたんだ。ちょっと城に入りたいんだけど」

 

「む、むう。許可が無いと城には入れんのだが……お前達なら顔見知りに会いに来たと言えば何とかなるか」

 

 二人の顔を覚えていた衛兵は、多少迷いながらも城に入る許可を出してくれた。カイルは心付けとして兵士に人数分の銀貨を渡した。こういう時に金は心強い味方となる。

 兵士は臨時収入を仲間と分け合って懐に入れて笑顔で見送るが、一人が何かを思い出してヤトに質問する。

 

「そうだ、竜はどうだった?戦ったのか?」

 

「ええ、戦ってほぼ殺されかけて負けました」

 

 ヤトの言葉に兵士達は困惑した。あの巨人殺しの剣鬼でも竜に勝てずに殺されかけた事実に。そしてその事を実に嬉しそうに語るヤトの笑顔にもだ。

 一行が城の中に入ったのを見送ってから兵士たちは集まって話し合う。

 

「後で賭けの表見てみようぜ。賭けは一年間有効だから払い戻しも無しだ」

 

「この場合、負けたけど生きて帰ってきた、で良いんだよな」

 

「一応そうなるな。あーくそっ!絶対竜に殺されてると思ったのになー!!」

 

「俺は勝ったのに賭けたけど、まさか負けたとは」

 

「しゃーねーよ。けどよぉ、連れの女二人は何だったんだ?」

 

「あーそれは俺も気になったが聞きそびれちまった。でもどっちも美人だったな」

 

「片腕の亜人に妙な槍みたいなのを背負ったメイドか。おっし、じゃああの二人の関係が何なのか賭けにしようぜ」

 

 正門横の兵士の詰所からもワラワラやって来て、好き勝手に四人の関係を新たな賭博のネタにし始めた。

 どうでも良いが、クシナとロスタ両名がカイルの恋人扱いが賭けで一番人気だった。どちらかがヤトの恋人に張ったのは、ほぼ大穴であった。ヤトが余人からどう見られているのかよく分かる結果だ。

 兵士達の博打はともかく、無事に城内に入った四人はカイルを先頭にして一つの場所を目指すが、途中でヤトは別の場所で待っていると告げた。

 

「僕が会いたい人は居ませんから」

 

「じゃあ何で城にまで付いて来たのさ?」

 

「どうせ今日は宿を取らないといけなかったので。ついでにモニカさんに頼んで部屋を用意してもらってください」

 

 カイルはそういう事かと納得する。要は今日一日時間をやるから楽しんで来いと言っているのだ。兄貴分の物臭と気遣いに複雑な感情を抱く。

 ヤトは返事を聞かずにクシナを伴って二人と別れた。

 

 カイル達と別れた二人は城の中庭に転がってダラダラしていた。先に言った通りヤトが会うべき者は城には居ない。強いて言えば騎士団の訓練所にでも行けば戦う相手には事欠かないだろうが、既に己の中で優劣の付いた相手と戦うのは無駄とは言わないが徒労に近い。

 だから今は嫁と春の温かで穏やかな時間を過ごすのを選んだ。実際、よく手入れされた中庭は寝転がるのに適していて気持ちがいい。

 この場で二人を見守るのは番犬として飼われている数頭の犬だけだ。彼等、あるいは彼女達だろうか。初めて会うクシナに吠えかかる事もせず、ただ遠巻きに眺めているだけだ。正規の手段で城に入った者には吠えないように教育されているのか、もしくは彼女の本性を知って本能的に近づこうとしないかだ。

 どちらにせよ久しぶりの穏やかな時間を邪魔しないのであれば二人はそれで良かった。

 ―――のだが、邪魔をする者はいつも少しぐらいは出てくるものだ。

 

「まったく、唐突にやって来て昼寝とはいい気なものだ」

 

「ここの中庭は寝転がると気持ちが良いですね。さすがレオニス王の庭です」

 

 上から見下ろす黒髭の中年男に対して、ヤトは身体を起こす事無く偽りの無い賛辞を贈ったが、アポロンの王レオニスは溜息を返した。

 余人なら王相手に寝転がったまま挨拶など良い度胸を通り越して単なる自殺願望でもあるのかと問うだろうが、残念ながらこの剣鬼を殺せるような者は国に一人もいない。

 とはいえヤトに他者をおちょくる趣味は無いので、素直に立ち上がって城の主に軽く頭を下げる。

 

「急に来たのは僕の理由ではなく、旅の途中で連れのカイルの方が顔を見せたい相手が居るからです」

 

「カイル……あぁモニカにか。で、隣の女人は?」

 

「ん?儂か。儂はヤトの番だ」

 

「ほう。てっきり戦い以外で女に関心が無いと思っていたが、お主も人の子か」

 

 レオニスは想像しなかった物を見せつけられて愉快な気分になり笑みをこぼす。ヤトが他者からどう思われているのかがよく分かる。

 立ち話も風情が無いと言って王は庭の隅にある円形状のガゼボ(東屋)に二人を招いて茶会を催した。

 茶と菓子が運ばれると、さっそくクシナが菓子に口を付けた。それを気にせずレオニスが話を切り出す。

 

「それで、竜はどうだった?まさかお主は戦わずに済ませたわけではあるまい」

 

「竜なら貴方の隣にいますよ」

 

「はははは。冗談の一つも言えるとは、今日は随分と驚かせてくれる。これも所帯を持ったが故の変化か」

 

 王は単なる戯言としか思っておらず、鬼が人並みになった変化を楽しんでいた。

 反対にヤトはこれは何を言っても信じないと思って、お菓子を食べていた嫁に頼んで竜である証明をしてもらうように頼む。

 彼女は面倒臭そうに横に立っていた屋根を支える石柱の一本に火を噴き掛けて跡形も無く蒸発させてしまった。レオニスや控えていた使用人は腰を抜かす。

 最も早く立ち直ったのは王だったが、同時に彼女がどこに居た竜なのかも自ずと分かってしまった。

 自分の国に居座る神の化身たる古竜。そしてその竜を嫁にした剣鬼。隣に座っていても彼等がどこか遠い存在に思えてしまった。

 それもやむを得ない。彼は王であってお伽噺の住民でもなければ冒険に繰り出した事もないのだから。

 とはいえレオニスはありのままに事実を受け入れて、クシナを必要以上に意識せずただヤトの伴侶として扱うように心掛けた。

 

「それでここに戻って来たのは娘の顔を見に来ただけではあるまい。これからどこに行くつもりだ?」

 

「カイルの故郷が東にある事は分かったのでまずは東に向かいます」

 

「東か。それは南北どちらに寄っているのだ?」

 

「さて、それはまだ何とも。なにか考えがあるんですか?」

 

「ああ、もしかしたらお主達に仕事を頼むかもしれん。今日は城に部屋を用意させよう。ゆっくりしていけ」

 

 彼は使用人に二人のための部屋を用意させて、ついでに娘の一人と懇意にするカイルの部屋も手配した。

 

 

 ―――――――翌日。

 朝食を済ませたヤトとクシナは部屋でくつろいでいた。カイルは現在モニカと共に朝食をとっている。今日の午前中に旅支度を済ませて昼には街を出るつもりだったので、各々はそれまで自由に過ごしていた。

 二人はまったりと過ごしていたが、不意に扉を叩く音で意識が向く。扉を開けると使用人の男が立っていた。

 

「陛下がお呼びです。ご足労願います」

 

 ヤトとクシナは言われるままにレオニスの元に案内された。

 呼び出された部屋は執務室だった。それは何ら不思議ではなかったが、そこにいた人物が意外だった。

 

「あなたは…」

 

「しばらくぶりですね。でも、あまり会いたくなかったと顔に出てますわ」

 

 客人用の椅子に座っていた女性の顔を見たヤトは指摘された通り、微妙に嫌そうな顔をしていた。

 クシナが知り合いかと尋ねると、不承不承ながら女性の名を教える。

 

「この人はロザリーさん。カイルの育ての母です」

 

「ほう。それで、なんで汝はそんなに嫌そうな顔なのだ?」

 

 嫁に不思議がられたが、当人もなぜロザリーが苦手なのか明確な理由が無い。強いて言えば性格的に上手く丸め込まれてしまうので苦手だった。それだけならただ無心で斬って忘れれば済む話だが、どうにもその気になれないので苦手だった。

 望ましくない再会に気を取られて後から来たカイルとロスタに気付かず、ヤトは部屋の主のレオニスに言われてようやく席に就いた。

 王のレオニスを上座にしてテーブルにはロスタを除く三人と別口のロザリー、計五人が顔を突き合わせる。

 最初に口火を切ったのはカイル。何故養母のロザリーが王の部屋にいるのか知りたがった。

 

「今ダリアスの盗賊ギルドはレオニス陛下に雇われているのよ。私はその関係で時折城に報告に来ているの。別に愛人になったわけじゃないから安心しなさい」

 

「い、いやそんなこと考えてないから!」

 

 カイルは母の最後の一言に明らかに動揺した。内心何を考えていたのか御察しである。美人の母を持った息子の微妙な心の機微はさておき、盗賊ギルドの女主人が城に居る理由は分かった。

 レオニスの口からも隣国ヘスティとの戦の後に長期雇用の契約を交わして情報を集めていると知らされる。ヤトはそれが自分達にも関わる話と薄々気付き、その予測は当たっていた。

 

「盗賊ギルドにはある国の内情を探らせようと思っていた。お前達はタルタスという国を知っているか?」

 

 レオニスの質問に、ヤトとカイルは名前だけ知っていると答えた。

 タルタスはアポロンの北東にある国だが、この国とは直接国境を接しておらず、国交も結んでいない。だからなぜアポロンの王の口から名が出るのか分からなかった。分からなかったが、二人は単なる世間話とも思えず姿勢を正す。

 王が目配せすると、部屋の隅に控えていた秘書官が大陸西部の地図を持ってきてテーブルに広げた。

 

「実はタルタスは昨年我が国が戦ったヘスティを支援していた事が盗賊ギルドの調査で分かった。ヤト、お前が戦ったケルベロスや二体のサイクロプスはタルタスの手引きでヘスティに渡った」

 

 その言葉に合点がいく。ケルベロスもサイクロプスもこの近辺には生息していない。という事は余所から連れて来たに他ならない。特にサイクロプスは大陸北方のダルキア地方にしか住んでいない亜人種であり、ちょうどタルタスの北はダルキア地方だ。そこから巨人の夫婦を連れてきたのだろう。

 だからレオニスはタルタスを苦々しく思っている。連中の支援が無ければもっと軍の犠牲者は減らせただろうし、そもそもが昨年の戦争も無かったかもしれない。ヘスティは直接叩いて領土を割譲したので溜飲は下がったが、出来ればタルタスにも代償を支払わせたいと思っていた所に偶然ヤト達が顔を見せに来た。

 これは好機、王の本能はそう判断した。

 

「それで昨日言った仕事だが、実はお主達にはタルタスに行ってもらいたい」

 

「行って何をしろと?」

 

「特に決まっていない。ただ東に行くのに多少寄り道してくれればそれでいい」

 

 ヤトやカイルは意図が分からず返答に窮する。一国の王がただの根無し草に依頼するのは不自然、内容も判然としない。明らかに何か一物抱えていると思い、即答など出来ない。

 レオニスもこれだけでは返答は無理だと思ったので補足の説明をしてくれた。

 

「かの国は余所者が大嫌いなようでな。おそらく姿を見せただけで殺そうとするか身包み剥がして放り出す。それと普通では考えられないほど数多くの魔法使いがいる」

 

「へえ、魔法使いですか。それはどれぐらい居るんです?」

 

「全ての王族と貴族らしい。当然彼等を護る軍もかなりの数が魔法使いと聞いている。そんな危険な国に下手な者を送り込むのは難しくてな」

 

「最初は私達盗賊ギルドの者が行く予定でしたが、貴方達がここに戻って来たと聞いて陛下はまず貴方達に話をしてみようと席を設けたの」

 

 ここまで言われると、ヤトも朧気ながらレオニスの目的が見えてきた。この王は暗にタルタスを引っ掻き回してこいと言っている。

 タルタスの民は余所者を見たら襲い掛かるが、ヤト達が素直に被害を受ける謂れは無いので抵抗する。そうなると騒ぎが大きくなり、手に負えぬとなればより強い兵や魔法使いの貴族などが出張ってくる。ヤト達が居るだけでタルタスは大きな損害を被る。それは戦争で少なからず被害を被ったアポロンにとって利となる。

 そこで問題になるのはヤト達がレオニスの頼みを聞くかどうかだ。普通の者なら一国の王からの依頼を蹴るはずがなく、報酬を期待して二つ返事で了承する。なら普通でないヤトは?

 

「面白い話ですね。僕は行っても良いと思います」

 

「ヤトが行くなら儂も行くぞ」

 

 意外にも二つ返事で了承した。理由は簡単、魔法使いの大群と戦ってみたかったからだ。

 通常魔法使いは一万人に一人しかいない希少な存在。それがタルタスに限って数多くいるという。

 ヤトは一度に数名の魔法使いと戦った事はあっても集団の魔法使いとの交戦経験は無い。その機会を設けてくれるというなら是非とも誘いに乗るべきだ。

 一方カイルはあまり乗り気ではない。元より故郷を目指しているのに、わざわざそんな危険地帯に寄り道する必要は無い。真っすぐ東に行くだけだ。

 ただ、自分を育ててくれた母には恩がある。彼女の助けになりたい気持ちもある。

 

「そういえばカイルはうちの娘と仲良くしていたな。父としてこれからも仲良くしてほしい」

 

 そして揺れる心を強く推すレオニスの言葉で大きく傾き、迷った末にカイルもタルタス行きを了承した。当然従属品のロスタもだ。

 全員の承諾を得てレオニスはすぐに使用人に命じて道中に必要な物を用意させる。

 

「これで昼には旅立てるだろう。ああ、それと連絡は特にしなくて良い。後から機を見て盗賊ギルドの者を寄越そう。その間は自分達の判断で自由に動け」

 

 そう言われて安心した。現地の事を碌に知らない者からあれこれ命令されて動くのは窮屈だし性に合わない。

 話が纏まり、後はタルタスを目指すだけだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 慈悲の刃

 

 

 ――――――時を戻す。

 人食いの幻獣マンティコアと共に飼主の貴族令嬢を血の海に沈めた四人。その一行に令嬢の使用人の一人が、この世の終わりが訪れたような絶望的な恨み言をぶつける。

 

「あんたらはなんて事をしてくれたんだ!この方は街の領主のご令嬢なんだぞ!!」

 

「だからどうしたんです。まさかそのまま餌になれとでも?」

 

「うっ、そ、それは――――」

 

 使用人は言葉に詰まる。まさか見ず知らずの者に生きたまま餌になれなどとは言えない。言えないが、それでも何か言わなければ立場が無い。

 しかし相手の都合など全く考えないヤトはさらに彼等を追い詰める。

 

「それで、あなた方は仕える者として仇討ちをしないんですか?」

 

 ヤトが首無し死体となったピアスを指差して問いかけるが、使用人はおろか護衛すら後ずさって戦う意思を見せなかった。

 この時点でヤトとカイルはこの国の貴族と平民の関係をおおよそ理解した。レオニス王から渡された資料の通り、貴族は魔法による武力と恐怖で民草を従えているだけで尊敬や忠誠は向けられていない。

 ただし彼等がこのまますごすごと帰った所で待っているのは令嬢を死なせた咎による処刑だろう。さらに累は家族にも及ぶ。

 無関係のヤト達はそうなっても困りはしないが、さりとて放置するのは少しばかり気が引っかかる。せめて死体ぐらいは自分達で家族に引き渡すべきだと思った。

 なのでピアスの死体をヤトが、ティコの死体をクシナが掴み、使用人達に屋敷まで案内するよう頼んだ。

 彼等は互いに見合ったが、断ったら何をされるか分からない恐怖と、このまま帰っても殺される未来しかない恐怖から、言われるままに四人を仕事場の屋敷へと案内した。

 

 領主の屋敷は広場から離れた、この辺りで二番目に高い丘に建てられていた。ここは起伏の多い土地の中でほぼ平らの広い場所だったので居を構えたのだろう。

 屋敷は二階建て、離れの別館が二つ、物御台は建てられているが見張りの兵は居ない。老朽化が目立つことから昔は使われていたが、現在は使っていないと思われる。その証拠に屋敷は堀も無ければ外壁も持っていない。領主の住居であって戦に使われる砦ではないという事か。

 最初に悲鳴を上げたのは外を掃除していた使用人の老女だった。彼女はヤトが引き摺っている首無し死体に驚き、さらにその死体が着ていた服がピアスの物だと気づいて、そのまま気を失った。

 悲鳴によって使用人や兵士がゾロゾロと集まり、そして同じように叫び、青褪め、その場に竦む。

 さらに屋敷の中からも使用人と明らかに異なる雰囲気を纏う数名が出てきた。彼等はピアスと同じような装いをしており、親族なのか顔立ちが似ていた。

 ヤトとクシナはその中の若い男女の足元に首無し死体を投げ寄越す。

 

「これは……………ピアス?うそっ!うそよ!!」

 

「ば、ばかなっ!?なぜだ!?なぜ我が妹ピアスがっ!」

 

 女の方は首無しの死体を抱きかかえて泣き崩る。兄を名乗る男の方は狼狽え腰を抜かすが、すぐさまヤトとクシナを睨みつけた。

 

「……なぜだ?」

 

「僕達を殺そうとしたので返り討ちにしただけですよ」

 

 その言葉一つで男はヤトを殺すと決めた。彼は座ったまま右手を天に掲げる。

 掌からは小さな火が生まれたかと思うと、グルグルと回転し始めて子供ほどもある巨大な火球へと成長する。

 何を燃やすかは明白だ。男は兄として愛する妹の仇敵を討つ。

 しかし相手がそれを黙って赦す筈が無かった。

 ヤトは火球が放たれる前に男の真後ろに回り込んで翠剣で頭から腰までを両断した。

 火球はしばらく中空に残り続けたが、やがて霧散して消え失せた。

 隣に居た女が男の血で濡れて、半狂乱になって手から水を生み出して四方八方に高速で射出した。

 ヤトは水を躱したが、クシナは運悪く一つに当たってしまい後ろに弾き飛ばされる。

 乱立する水の柱をかいくぐり、翠剣の柄を女の顔面に叩き込むも、情けない音を鳴らすだけでかすり傷すら与えられない。

 

「この駄剣はほんとうに―――」

 

 思い通りに動かない道具に辟易しながら改めて柄を握ったまま拳打で女の顔面を粉砕した。これなら剣が触れていないので女でも殺せるようだ。

 殴り殺した感触を確かめる間もなく、その場から違和感を感じて反射的に飛び退く。

 ヤトが元居た場所から石杭が無数にそそり立ち、串刺しにしようとしていた。屋敷の方にはまだ何人もの貴族がいる。おそらくはその中の一人の魔法だ。

 さらに追撃として小型の竜巻が発生して草と土煙を巻き上げるが、被害はそれだけでヤトは無傷だ。内心連携が甘いと思った。

 今の連撃は互いの呼吸が合っておらず、最初の杭を避ける想定もしていない。推測するに相手は実戦経験が乏しいか一度も無いのだろう。

 せっかくの良い道具も相手が下手くそでは何の価値も無い。まったく、これでは宝の持ち腐れとはこの事だ。

 この時点でヤトはこの場に居る魔法使いへの関心をほぼ失っていた。

 

「みんな、僕だけ働かせずに手伝ってくださいよ」

 

「アニキが先走ってるだけでしょ。まあ手伝うけどさ」

 

 やる気の無いカイルだったが全く働かないわけにはいかず、その場に座り込んで草花を撫でる。

 すると彼を起点に赤や黄色の花粉が舞い上がり周囲を覆い尽くした。

 それらを吸った者の幾人かがその場に倒れ込み、静かな寝息を立て始めた。

 

「花の精に眠りの花粉を撒いてもらったんだ」

 

 カイルは自慢げに語る。確かにこれは便利だ。

 ただ、よく見ると寝ているのは使用人や兵士ばかりで貴族は誰も眠っていない。ついでに言えばヤトやクシナも眠っていなかった。

 

「魔法使いには効かないみたいですが、余計な邪魔が入らないのは良い事です」

 

「残りは後三人だから、ちゃっちゃと片付けようか」

 

 カイルがロスタに視線を向ける。彼女は主人の意を汲んで背中の二又槍を手に取った。

 ゆらりと近づくメイドに残った三人の年配貴族は恐怖以上に怒りと憎悪がこみ上げる。メイドなど貴族にとっては道具に過ぎない。そんな道具に槍を持たせて選ばれし民である自分達を襲わせようなどと笑止千万。

 老人貴族が幾つもの光る珠を投げつける。しかし目標には当たらずあらぬ方向に過ぎて行き、地に触れた球は爆発して大きな穴を空けてカイルを驚かせた。

 これにロスタは警戒を強めて一気に間合いを詰める。

 貴族との距離がかなり詰まった所で地面から無数に生え続ける石杭に阻まれたが、二又槍を変形回転させて壁になった杭の塊を抉りながら蹂躙して突っ込む。

 目前にまで迫る死の具現に婦人貴族の顔は恐怖で凝り固まったが、それでも必死で死神に抗おうと手から風の刃を放った。

 不可視の刃は確かにロスタを切り裂いたが相手が悪かった。生身の肉なら容易に切断しただろうが、刃は殺戮人形の服と肌を僅かに切り裂いたのみ。

 

「お覚悟を」

 

 短い別れの言葉を告げて死神の刃は振るわれ、婦人の首は宙を舞った。

 中年貴族は妻である婦人の首に手を伸ばすが届くはずも無く手は空を切り、無防備な胴を刃が通り過ぎて二つになった。

 唯一残った老人は力無く手を降ろして抵抗を止めた。

 

「…………殺せ。息子夫婦と孫を失った身で生きていたくない」

 

 ロスタは老人の言う通りにはせず、主人の顔色を窺う。そのカイルもヤトの顔を見る。

 

「死にたいのなら素直に死なせてあげるのも慈悲の一つです」

 

 ゴーレムのロスタに慈悲はよく分からなかったが、それでも殺しの許可は出た。

 彼女は流れるような澱みの無い動きで諦観に浸る老人の首を刎ねた。

 これでこの地に抵抗する者は居なくなったわけだが、今回はあくまで自衛のための戦いであって四人の目的は殺戮ではない。

 ただ、やってしまった以上は何かしら利を得なければ無駄な行動だ。

 そこでヤトは寝ている使用人の中から比較的身なりの良い中年男を叩き起こして四人で囲む。

 

「ひっ!!やめてくれ!命だけは―――」

 

「なら屋敷にある一番詳細な地図を持ってきてください。貴方の命の代わりです」

 

 男――屋敷の執事はヤトの言われるままに屋敷に走って行き、しばらくすると丸めた紙を持って戻って来た。

 彼は紙を四人の前で広げて地図であることを示した。

 

「はぁはぁ………これが屋敷にある最も詳細な地図です!」

 

 執事の持つ地図にざっと目を通す。確かにタルタス国内の地形が克明に描かれており、多くの都市の名が記されている。必死な顔を見てこれが嘘を言っているようには見えない。

 地図を奪いカイルに渡す。とりあえず収穫を得た事もあり、もうここには用は無かった。後の始末はこの屋敷の者に押し付けて四人は去った。

 

 残された男は主人一家の死体を前に途方に暮れたが、まずやるべき事を成さねばならなかった。

 それは屋敷から価値のある物を出来るだけ持ち出して秘密の場所に隠す事だった。その後、何食わぬ顔で屋敷に火を放って、あたかもヤト達が屋敷を荒らして焼いたように見せかけた。

 執事にとって主人一族は己の生活を保障する庇護者と同時に恐怖と憎悪の象徴だった。それが失われた今、遠慮する理由は無い。価値のある物を退職金として貰っても文句を言うまい。

 それにトロトロしていると他の使用人が起きて争奪戦になる。明日には下の街の連中も聞きつけてアリのように群がるだろうし、これ幸いと屋敷を焼いて今までの報復に走る。結局は同じ運命だ。それなら出来るだけ利のある選択を選びたかった。

 

 その日の夜、街では領主一族が全滅したのを喜び、夜通し宴が催された。如何に領主が怨まれていた事が分かる。

 そして殺害者であるヤト達を圧政からの解放者として褒め称える歌や話が長く語り継がれるようになるがそれは別の話である。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 捕虜救出

 

 

 地図を手に入れた街で英雄扱いになっているのを知らない四人は二日の空の旅を経て、タルタス国内の南西部にあるブレスという街を訪れた。

 ブレスはそれなりの規模の街で、総人口二千人程度は住んでいる。主な産業は牧畜と限られた平らな土地を用いた大麦栽培。この国ではよくある小規模食糧生産都市だ。

 このくらいの大きさの街になると外部からの商人もそれなりに訪れるので四人はそこまで注目を集めない。精々商人の護衛がうろついていると思われているのだろう。

 平和などこにでもある街だったが、住民の顔と雰囲気は明らかに暗く重い。見渡す限り誰も彼も余裕が伺えず、病人のように生気が乏しい顔をしている。

 普通なら子供の騒がしい声やその親の叱る声が聞こえてくるはずだが、そうした光景は一切見当たらず、どちらも無言で荷を運んだり、職人仕事に励む様を見るだけだ。

 その住民も全員薄汚れてボロボロの服を身に纏っている。服そのものが貴重品なので何度も直して着るのはどこの国も同じだが、それでもこの国民の着る服は限度を超えて修復してあった。それだけ貧しく、新しい服を用意する余裕が無いのだ。

 だから四人を見る住民の目は穏やかとは対極にある、欲に塗れた強奪者の目をしていた。

 こういう時に四人の容姿はマイナスに働く。何せ若く整った顔立ちは荒事にはまるで向いていないように見える。それぞれ武器を所持していても、どうせ見せかけだけで碌に使えもしないと勝手に思い込んで見下す。

 だから阿呆共は四人をただの得物として狩ろうと決めた。

 四人の前に一人の痩せた虎人が腕を組んで立ちはだかる。

 先頭のヤトが虎人を避けて進もうとしたが、彼は横に動いてそれをわざわざ阻んだ。そして後ろや左右からは何人もの角材を持った同じように痩せた若い男達が取り囲む。

 この時点でヤトとカイルは何が起きるのかを察した。だから男達が何か行動を起こす前に動いた。

 ヤトは翠剣を鞘に入れたまま腰から抜いて目の前の虎人を殴り飛ばし、カイルは弓を手に後ろを囲んでいた男達を数人纏めて打ち据えた。

 弓はエルフの村で餞別に貰った業物だ。森の奥地に生える樹齢数千年の大樹から落ちた枝を曲げて作られており、弓としてだけでなく強靭な鞭としても使えた。

 その証拠に弓で打たれた男達は派手に出血して文字通り身を引き裂かれた痛みで転がり呻く。

 男達はまだ自分達が何も要求していないのに先制攻撃を受けて怯んだ。この手の連中は攻撃するのは得意でも、されるのは慣れていない。

 そしてあっという間に半分以上が返り討ちにあって、残りは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 

「なんていうかさー、病んでるね」

 

「どこの国でも上が阿呆で民に余裕が無いとこんなものですよ」

 

 カイルのぼやきにヤトが呆れを含んだ相槌を打つ。大陸を東から西に渡り歩いたヤトの言葉には重みがあった。

 だが運が悪かった。

 

「そこの下郎。どこの誰が阿呆だと?」

 

 後ろから怒気を孕んだ声が聞こえた。

 ヤトが振り向くと、そこには馬車の中から太った男が顔を出した。男には興味が無かったが、馬の代わりに馬車を曳いていた二人の熊人に目が行く。

 熊人は粗末な腰巻以外は裸で肌には無数の生傷がある。今も出血している事と御者の手の鞭には血が付いていたのを見て、さらに呆れの溜息を吐く。

 馬車の男はヤトが返事をしなかった事と己に恐怖を抱かなかった事を不快に感じて、供の護衛に斬るように命じたが、クシナとロスタを見て嫌らしい目付きになった。何を考えているのか丸分かりだ。

 

「私はこの街で秘書官を務めるトラキアである!貴様はこの私を侮辱した!故に今この場で処刑するつもりだが私は慈悲深い!」

 

「それで?」

 

「貴様の連れの女二人を差し出すなら命だけは助けてやる!今すぐ目の前から消えるがいい!!」

 

「分かりました」

 

 ヤトは視認すら不可能な速度の居合で中のトラキアごと馬車を横に真っ二つにした。ずり落ちた馬車の中からは裸の猫人女が這い出て逃げて行った。ついでに護衛も全員逃げた。

 運が悪かったのはヤトではない。トラキアだった。

 

「お望み通り、視界から消してあげましたよ」

 

 これ以降ヤトはトラキアを一切見ず、代わりに馬役の熊人二人が繋がれていた鎖を翠刀で斬る。

 熊人は何が何だか分からないといった顔をしたが、本能的にヤトに頭を下げた。

 民衆は関わり合いになりたくないので誰も一向に近づこうとはしない。しかしどこからか小さな白い物体が飛んで来て、カイルの足元に転がった。拾い上げて見ると紙で包まれた石だった。

 中身を見たカイルはヤト達にここから離れる事を提案した。三人は反対せず、手近な裏路地へと入った。

 路地は狭く、二人が並んで歩けばもう隙間が殆ど無い。おまけに生ゴミやら汚物が散乱しており、その腐った臭いが鼻をいたく刺激してクシナは鼻を摘まんだ。

 

「これ見てよ」

 

 路地に入ってからしばらくしてカイルがヤトに紙を渡す。紙には急いで書いたと思われる簡単な地図と走り書きが記されていた。そして地図の一か所は赤く塗られていた。

 

「ここに来い―――ですか。どう見ます?」

 

「罠の可能性は低いと思うよ。僕らを嵌める理由が無い」

 

「まあそうでしょうが。ふむ…行くだけ行ってみますか」

 

 情報が足りないが、あの秘書官の一派という事は無いだろう。最悪何かの謀だったとしてもこの四人なら力ずくで突破するのは容易い。

 四人は最低限警戒しつつ地図に記された赤い点を目指して路地を五分ほど歩いて、目的の場所らしい建物に辿り着いた。

 そこは裏路地の中でも一層奥まった場所で、真昼でも光の差さない薄暗い区画に居を構えた酒場だった。

 

「『墓場亭』ってここで良い…よね?」

 

「看板にはそう書いてありますよ」

 

 カイルは名前からして本当に商売する気があるのか疑ったが、看板に出ている名と紙に書いてあるメモの名が一致しているので一応信じて、半分腐って隙間だらけの扉を押して慎重に中に入った。

 中はかなり暗いがエンシェントエルフのカイルには見えている。テーブルや椅子の半分は壊れた残骸で、カウンター奥の酒棚は碌に酒瓶が無くガランとしている。これだけ見ても真っ当に営業しているようには見えないが、床に目をやると何故か掃除をしたように埃が取り払われていた。誰かが手入れをしている証拠だ。

 そして音を立てないように腰の短剣を引き抜き、扉の後ろに隠れていた者の首に突き付ける。

 

「うおっ!?ま、待て!!落ち着け!俺は敵じゃない!」

 

「なら手からナイフを落としてよ」

 

 扉の後ろに隠れていた男は言う通り握ったナイフをその場に落としつつ、反対の手を腰の後ろに回そうとしたが、カイルがさらにナイフを首に押し当てたので動きを止めた。

 

「そこまでにしてくれ。そいつの言う通り、あんたらとやり合う気は無い。というか俺達二人じゃ喧嘩にもならん」

 

 部屋の奥からランプを持った顔半分が火傷に覆われた隻眼の男がやって来てカイルを諫めた。

 男はランプをテーブルに置いて部屋全体を照らす。

 

「汚い所だが連れも中に入ってくれ。食い物と酒ぐらいは出そう」

 

 男の言葉に残りの三人も一先ず警戒を解いて中に入った。

 ヤト達はランプの置かれたテーブルを中心に、扉の傍に立つロスタを除いて適当な椅子に座り、元から酒場に居た二人の男も向かいに座った。カイルにナイフを突き付けられた方の男は座る時に足を引き摺っていて、よく見たら膝から下が木の棒に代わっていた。

 

「まず自己紹介をしておこう。俺はヤニス、こっちはコスタだ。それと石を投げたのは俺だ。あと、どっちも≪タルタス自由同盟≫のメンバーだ」

 

「なんですそれ?」

 

「この国の魔法至上主義と圧政に反発して抵抗運動をしている集まりさ。俺達を知らないってことは、やっぱりアンタ等この国の者じゃないな」

 

 外部からの来訪者が極めて少ないこの国で外国人を見る機会は少ないので、片足のコスタは四人を物珍しそうに眺めた。

 そしてヤトとカイルは抵抗勢力が居る事にさして驚かない。この国で力を持たぬ者がどう扱われるかは既に肌で実感したので、反発する者が居ても何らおかしいと思わなかった。

 軽い挨拶が済むと、ヤニスが奥から食事を持ってきた。テーブルには燻製肉と羊のチーズ、それと干しイモが並ぶ。飲み物はヤト達用にヤギの乳を、ヤニス達は酒を大事そうにチビチビ舐めるように飲む。

 三人は出された食料をそこそこ摘まんで腹を満たす。

 

「大した物を出せなくてすまん。この国はどこも貧しくてな」

 

「これでもこの街はまだ恵まれている方なんだぜ。貴族共が贅沢しなきゃ、だけどな」

 

 街の住民の余裕の無さを見れば彼等の言う事が正しいのは分かる。貧しい土地で特定の階級が贅沢をすれば弱者に皺寄せが来るのは当たり前の話だ。

 とはいえ、それはこの国が解決する事であって部外者の四人が気にする必要は無いが、それで済む筈が無い。

 ヤニスは太った秘書官を殺した腕を褒めちぎってあからさまにヤトを持ち上げる。あるいは連れのクシナやロスタを美人と褒めて友好的な素振りを見せる。

 

「旅で立ち寄ったと聞くが、ここに長く留まるには色々と不都合があるだろう。良ければ力になるぞ」

 

「で、僕達に何をさせたいのさ。ただの親切心で言ってるわけじゃないでしょ?わざわざ使い慣れないお世辞まで使ってさ」

 

 率直な問いにヤニス達はあからさまに動揺した。気付かれてないと思ったらしい。

 大方こちらにおべっかを使っていい気にさせて汚い仕事でもさせるつもりだろう。あるいは先程のような圧政を敷く貴族と戦わせる気か。

 カイルの分析に二人は反論もせず、ただ頭を下げて認めた。

 

「すまん。あんたらを利用しようとしたのは確かだ。だが、俺達には手段を選んでいられん事情があってな」

 

「そうなんだよ。実は俺達の仲間の殆どが街の代官の屋敷に捕らえられちまって」

 

 二人は聞いてもいない事情をペラペラと話し始めた。

 全てを聞き終えて話を纏めると、この街の悪代官を排除するために活動していた≪タルタス自由同盟≫は数日前に側近の秘書官の一人を殺害した。大きな成果に湧き祝杯を挙げるヤニス達だったが、すぐ後に隠れ家を代官の兵が急襲、大半の仲間達が殺されるか捕らえられて代官屋敷で拷問を受けていた。

 ヤニスの目やコスタの片足もその時の戦いで失われている。何とか仲間を助けたかったが碌に戦力の無い状況では奪還も不可能だった。

 打つ手が無くなり、せめてもう一人の秘書官を刺し違えてでも殺そうと様子を窺っていた時、そこに現れたヤト達がなんの躊躇いもなく秘書官のトラキアを殺害してしまった。

 

「その時、俺は生まれて初めて神様を信じたくなった。ヤト、あんたが手伝ってくれれば恐い物なんて無いってな。あのクソ強え代官だってきっと倒せる!」

 

「強い代官?」

 

「引退したセンチュリオンの魔導騎士―――余所の国じゃ近衛騎士って言うのか?とにかくその代官は爺のくせに化け物みたいに強いんだよ。噂じゃあ若い頃は北で何十体もの幻獣や巨人を狩ったとか。実際その爺が一人で仲間の大半を殺しやがった」

 

 ヤニスの言葉にヤトが興味を持ち、コスタが魔導騎士について補足した。

 曰く、他の貴族と違い、戦闘者として専門の訓練を受けた比類無き戦士。炎の刃を自在に操り、王の敵対者に須らく死を与える死神。出会ったが最後、慈悲無く相手を狩り殺す怪物。

 詳しい事は殆ど分からなかったが、それでもこの国の民からは恐怖と死の権化として扱われる戦闘集団という事だけは分かった。

 ヤトにとってはその情報だけで十分だったが、利益の無いカイルは難色を示して牽制する。

 

「それで僕達を隠れ家に誘導した。でも僕達が手伝う理由は無いし、戦う気も無いよ」

 

「だろうな。あんたらは余所から来て、この国に何の関わりもしがらみだって無い。金で雇おうにも俺達は貧乏で出せる物だって精々この食料ぐらいだ。無理を言ってるのは分かってる!それでも力を貸してくれ、この通りだ!!」

 

 ヤニスは膝をついて額を床に擦り付けて頼み込む。コスタも不自由になった足のまま同じように頭を下げた。

 しかしこの行為に心を動かされる者はここに誰もいない。ヤトもカイルもクシナも見知らぬ誰かが拷問の末に殺されようが関係無い。道具であるロスタは語るに及ばず。

 ただ、ヤトは既にその代官と戦う気でいた。彼等の意志や境遇に心打たれたわけではない。弱者がどれだけ虐げられようが死のうが興味は無い。単に強者と戦いたいだけだ。

 カイルはそれが分かっていたので、せめて何がしかの利益を得ようと考えた。

 出した結論は無い者から無理に得るより、ある所から奪うべきだ。

 

「力を貸すのは良いけどさ、その代官の屋敷にある価値のある物は僕等が貰うけど良い?」

 

「!ああ、もちろんだ!!俺達は仲間を助けたいだけだ!宝石も金貨も何でも持って行ってくれ!!」

 

「交渉成立だね。で、いつ屋敷に行くの?」

 

「仲間がいつまで無事か分からない。出来れば早い方がいいから、今夜にでも―――」

 

「いいえ。今すぐ行きましょう」

 

「なっ?い、いや、けどよぉ、こんな昼間じゃ大勢兵が詰めてるぞ」

 

「夜だろうが見つからずに負傷者を救い出すなんて土台無理な話です。なら、真っ向から攻め落として堂々と凱旋しましょう」

 

 ヤトの提案になおも反論しようとしたコスタは声が出せなかった。彼はヤトの殺気を宿した瞳に呑まれていた。さながら竜に睨まれたカエルといった風体だ。コスタは荒事に慣れていても本業の戦闘者ではないので真性の剣鬼の殺気は辛かろう。

 そして反対意見は出てこなかったので、すぐさま代官屋敷に攻め入る事になった。

 各々の役割はカイルとロスタがヤニスと共に捕虜の救出を担当。ヤトとクシナは武力担当で敵兵および代官を一人残らず倒して退路を確保する。

 碌に歩けないコスタは悔しそうに酒場の外で五人を見送った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 老騎士

 

 

 その日、ブレスの街の代官屋敷はここ十年の間で最も慌ただしかった。

 数日前に秘書官の一人が殺され、その犯人と思わしき集団を壊滅させて生き残りを捕らえてホッとしたと思ったら、今日の昼にはもう一人が無惨な死体となっていた。

 そちらの犯人は目撃者の話から他国人の四人組と分かっている。この街で他国人は非常に目立つ。どこに逃げてもすぐに目撃情報は入ってくるだろう。

 今は兵士達がいつでも出動出来るように屋敷に待機していた。

 最初に気付いたのは正門の警備をしていた門衛だった。

 彼は中の慌ただしさを人事のように感じながら欠伸をしたが、屋敷に近づく男女の二人組に気付いて注視すると彼等に既知感を覚えた。

 既知感の元を辿り、すぐに探していた外国人四人の内の二人と気付いて異変を知らせる笛を鳴らした。

 門衛は自らの役目を果たしたのだから後は他の兵に任せて逃げれば良かったが、選択をしなかった故に最初の犠牲者となった。彼はヤトの投げた短剣を喉に受けて倒れる。

 笛によってゾロゾロと集まった大勢の兵士は探していた手柄が自分からやって来たのを知り、喜び勇んで捕らえようと殺到する。

 中には代官に突き出す前に美貌のクシナを味見しようと考える下種が何人もいて、舌なめずりしながら襲い掛かったが、相手が何であるのかを死を以って知る羽目になる。

 兵士達が頼りとする粗末な剣や槍は肉体ごと圧倒的な暴力で粉砕された。

 残る兵士もヤトの剣によって瞬く間に殺し尽くされた。

 二人は守る者の居ない正門から堂々と屋敷に入った。

 同時刻には手薄になった裏門からカイルとロスタ、それとヤニスが捕虜救出のために潜入していた。

 

 ヤトとクシナは屋敷に入るなり兵士達の手荒い歓迎を受けたが、鎧袖一触とばかりに兵士を薙ぎ払いながら奥へと進む。

 屋敷の中は予想より簡素で調度品は数えるほどしかない。てっきり民を絞って贅沢三昧かと思ったが、どうにもここの主は質実剛健を好む性格のようだ。あるいはヤニスに担がれたか。否、結論を出すには代官と手合わせしてからでも遅くはない。

 若い兵士の一人を掴まえて代官の居場所を尋ねると、食堂と答えが返ってきた。

 これだけ騒いでいたら食事など執っている暇は無いと思ったが、一応信じて兵士に案内させた。

 予想に反して広い食堂の中央にポツンと置かれたテーブルで一人の白髪の老人が優雅に食事を執っていた。近くには給仕の男が一人、少し離れた若い男は黒く長い棒を両手の上に恭しく乗せていた。

 

「……今日は来客の予定は無かったが歓迎しよう。食事はいるか?」

 

「いえ、さっき済ませたのでお気持ちだけで」

 

 老人は提案を断れても特に気にせず、手早く料理を平らげた。

 片づけを給仕に任せて老人は招かれざる客の周りを回りながら質問を投げかける。

 

「それで私の首でも獲りにきたのかね?誰かに頼まれて」

 

「有り体に言えばそうなります。頼まれなくても貴方と戦うつもりですが」

 

「やれやれ、私は騎士を引退して名ばかりの代官をやっている老人だぞ」

 

 老人は真っ白な顎髭を撫でながらカラカラと笑う。この仕草だけを見れば人は彼を好々爺と思うが、膨れ上がる鬼気が穏やかな空気を一変させた。そしておもむろに右手を若い男に向けると、手にある黒い棒が宙に浮いて見えない紐で手繰り寄せられるかのように老人の手の中に納まった。

 ヤトは老人の殺気に当てられて鬼の顔をさらけ出して翠剣を抜き放ち、クシナは旦那の邪魔にならないようにテーブルに残っていた果実を皿ごと持って壁際に座る。

 対峙する二人。ヤトは剣を正眼に構え、老人は棒を両手で握って突き出す構えをとった。

 

「そういえばまだ名を聞いていなかった。私はドウだ。あの世への手向けにしたまえ」

 

「僕はヤトと言います。では始めましょうか」

 

 果たしてそれはいかなる手妻か魔法か。突如としてドウの握った黒棒の先端から揺らめく赤い光が生まれ、ヤトの頬を掠めて肌を焼いた。

 予備動作の無い奇襲を避けられた理由は二つ。一つはヤトの常識外の勘、もう一つはドウの遊び心。眉間から少しずらして目を狙ったおかげで回避が間に合い、掠っただけで済んだ。

 ヤトは老騎士の黒棒改め黒槍の本来の姿を注視する。炎のようにゆらゆらと不規則に揺らぐ光刃が穂先として形成している。そっと焦げた肌を撫でれば、光刃の殺意の高さが容易に伺える。恐らくはこの国特有の魔法の武器だろう。

 遊ばれた事に腹は立ったが、これはこれで面白いとも思った。世にはまだまだ自分が出会った事の無い強者が数多くひしめいている。それが実に楽しい。

 お返しに目にも留まらぬ四連の斬撃で槍を明後日の方向に弾き、がら空きとなった老体に本命の一撃を入れようとしたが、不思議と槍の柄に阻まれて防がれてしまった。そのまま力で押し切ろうにも、逆に不可視の力で押されてドウとの距離を開けてしまう。

 それでも圧倒的な脚力による追撃で距離を縮めて攻めるが、やはり攻撃を防がれてかざした手による不可視の力で弾かれてしまう。

 ならばと残っていたテーブルと椅子を蹴りつけて飛ばし、ドウの視界を塞いだ上で気功の刃を飛ばした。

 直撃したテーブルが真っ二つに割れ、同一線上にいた老騎士もまた一刀両断―――とはいかず、不可視の気功刃を槍で払って打ち消した。ただし完全には無力化出来ず、余波で顔には細かい切り傷が走る。

 互いに顔に傷を負い、傍目には互角と言えよう。

 

「まったく、この老骨で若者の剣を防ぐのは堪えるわ。それに先読みの理力も上手く働かん」

 

 衰えたかな、と自嘲気味に老人は哂う。

 ではその衰えた老人一人満足に斬れない自分はそれより弱いという事か。事実なだけにヤトは反論する気が起きないが、今までの攻防から幾つかの情報は得られた。

 まず、老人は魔法に似通った特異な力を操る事。その力は手を介して操作している。

 二つ目、炎の槍は肉や床は焼いても魔法剣を融かすほどの力は無い。柄も翠剣で斬れば傷ぐらいは付く程度の強度。

 三つ目、ドウは自分と同様に戦いでは先読みを用いるが今は思うように出来ない。そこも条件は一緒らしい。どうにもあの老人の殺気が読めず攻め辛い。

 四つ目、技量と身体能力はこちらが上を行く。

 ならば己がどう戦うか自ずと答えが出る。

 ヤトは気功で強化した翠剣を石畳の床に突き刺し、捻りながらドウに向けて振り上げた。砕かれた床石が無数の礫となって老兵に殺到する。

 避けられないと判断したドウは左手をかざして自分に当たる石だけを不可視の力で弾いた。その隙にヤトは背後に回り込んで斬りかかるが、それは右手で振り回した槍に阻まれた。

 もっとも片手で後ろに振り回すような無理のある態勢では碌に力も入っていないので悪足掻きでしかなく、逆に槍は弾かれた。

 致命的な隙を見せたドウは身体を両断されるはずだったが、彼の左手がいつの間にか後ろを向いており、その手には剣の柄のような棒が握られていた。

 それが何なのかすぐに気づいたヤトは舌打ち一つで後ろに飛んで、左手から伸びるもう一つの赤い光刃を避けた。

 両者は再び向き直って対峙する。

 

「なかなか便利な道具ですね」

 

「そうでもない。これは我々のような魔導騎士にしか使えない、道具としては欠陥品だ」

 

 ドウは言葉通り道具を誇示するような真似はせず、淡々と左手の柄から光を消し、腰のベルトに差して槍を構え直した。先程の剣はあくまで予備ということか。

 ヤトはもう一度床に剣を突き刺す。しかしドウはすぐさま対応して左手でヤトの身体を動けなくした。こうなっては碌に指も動かせない。

 だがこれはヤトの誘いだった。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫」

 

 突如として食堂の床に渦潮のような亀裂が入り、突き刺した翠剣を中心に礫と共に粉塵を巻き上げた。

 これにはドウも驚き、粉塵を吸い込んでしまい咳き込む。束縛を脱したヤトは懐の短剣を投擲。

 鬼灯の短剣は咳をする老騎士の鳩尾に突き刺さり、彼は膝を折った。

 それでも欺瞞を警戒して様子を窺うが、赤い血が服を染め始めたのを見て勝敗は決したと確信する。

 

「ごほっ…ごほっ………若者に踏み付けられていくのは老人の役目、存外悪くない戦いだったよ」

 

「老兵が長年積み上げた業、堪能させてもらいました」

 

 ドウは口から血を零すが、その相貌には笑みが浮かんでいる。老いても騎士として恥ずかしくない戦いの中で死を迎えられた事は何よりの誉だった。

 そして老騎士は満足そうに眼を閉じてゆっくりと伏した。

 ヤトは優れた老人に一度頭を下げて敬意を示した後、彼の腰に差してある柄を手に取る。

 柄をよく観察すると、先端近くに何か突起がある。それを押してみたが、何も反応が無い。彼の言う通り、この国の魔法使いでなければ使えないのかもしれない。

 クシナは戦いを見届けてから旦那の傍に侍る。ヤトは彼女にも柄を渡して試してもらったが、結果は変わらず。一応後で合流するカイルにも試してもらうために柄を懐にしまって食堂を後にした。

 

 

 二人は仲間が戻ってくるまで屋敷を探索して価値のありそうな物を物色した。と言ってもあまり貴重品は見つからず、幾つかの剣や書籍の類を手に入れただけだ。カイルはさぞガッカリする事だろう。

 屋敷の裏で待っていると、返り血を浴びたカイル、ロスタとヤニスはそれぞれ一人ずつ捕虜の男を抱えて姿を見せた。

 

「アニキ達は終わった?」

 

「ええ、代官は強かったですよ。それとカイルが期待していたお宝は殆ど無いですね」

 

 カイルは渡された袋に入った数振りの剣や本の数を見て少し落胆した。

 

「それで仲間はそこの二人だけですか」

 

「ああ、助かったのはこの二人だけだ」

 

 ヤニスは悲しそうな顔で笑って見せた。抱えられた二人は応急処置を受けて死んだように眠っている。彼等は至る所に切り傷と殴打の跡が見えて、拷問の激しさを物語っていた。それでも二人はまだマシな扱いを受けていたらしい。

 同じように捕らえられたヤニスの仲間には見るも無残な死体となっていた者がいる。彼等は獣人で必要以上に苛烈な拷問を受けて虫けらのように殺されていた。

 ともかく目的は達せられたので一行は屋敷を離れて別の隠れ家に身を隠した。

 

 代官屋敷から虜囚を救い出したヤト達は街のとある家に身を寄せていた。この家の主は≪タルタス自由同盟≫の協力者で医者でもあった。

 生き残った仲間の治療を家主に任せたヤニスはヤト達に向かって感謝を述べた。しかし彼の態度はどこか余所余所しい。理由を尋ねると、恩人に返せる物が何も無い事が恥ずかしいと申し訳なさそうに答えた。

 その上、彼は重ねて頼みごとを聞いてほしいとまで口にして焼け爛れた頭を限界まで下げた。

 

「恥知らずな事を言っているのは分かってる!気に入らなければ俺の命を奪ってもいい!だがどうか俺の頼みを聞いてくれないか」

 

「貴方の命なんていらないです。ですが、聞くだけは聞いておきましょう」

 

「恩に着る。実はあんた達に応援を呼んで来てほしいんだ」

 

 ヤトとカイルは応援という言葉で大体の事情を察した。

 この街は秘書官と代官が倒れて、やっと圧政から抜け出せたがあくまで一時的な事だ。王都から別の行政官が着任すれば、また元に戻ってしまう。だからその前に一日でも早く自分達で独立した統治機構を構築せねばならない。

 しかしそのための人材がこの街には碌に居ない。ヤニスの仲間の中にはそうした行政に長けた者も居たらしいが、運悪く数日前に亡くなってしまい手が足りない。それ以前にまともに動ける人材すら事欠く現状では余所から応援を引っ張ってこなければどうにもならなかった。

 そこでヤニスは自由に動けるヤト達に頼んで≪タルタス自由同盟≫の本拠地まで事情を認めた手紙を届けてもらおうとした。

 本拠地は街から山道を歩いて半月を超えるが、クシナの翼なら二日もあれば着くだろう。とは言え厚かましいお願いには違いない。

 それでも即答で拒否しないのは、ヤトもカイルもこの頼みには大きな利があると思ったからだ。

 国の長年に渡る支配と価値観を否定して国家転覆を働く集団ならそれなりの情報網と非合法活動の繋がりを構築しているはず。それを利用出来れば、この国での面倒を減らせる。容易に情報の買える盗賊ギルドが無いタルタスでは、情報は黄金より遥かに価値のあるモノだ。それを手に入れられるツテを逃してはならない。

 ヤトとカイルが快く引き受けてくれてヤニスは胸を撫で下ろし、早速本部の記された詳細な地図を用意する。それと援軍を送ってもらう内容を書いた手紙を書き、指輪で封蝋した。

 

「この印が身分証の代わりになる。何から何まで頼んでしまって済まないな」

 

 彼は何度も頭を下げた。

 一行はその日はこのまま協力者の家に泊まり、明日の朝に街を出る準備を整えた。

 その夜、ヤトは代官から巻き上げた光刃の柄をカイルに渡して使えるか試してもらった。代官のドウは魔導騎士でなければ使えないと言っていたので、何かしら魔法的な資質があれば使えると考えて、エルフなら或いはと試してもらったが結果は外れだった。

 カイルでもダメとなれば、もうこの柄は只のガラクタに過ぎない。精々外国の好事家か研究者にでも売り払うしか道が無い。

 ただ、カイルは駄目元でロスタにも試させてみたいと提案した。自律ゴーレムは魔法によって動いている。反応する可能性ももしかしたらあるかもしれない。

 どうせ試すのはタダだ。ヤトも了承してロスタに使わせてみた。

 すると驚いたことにロスタの手からあの炎のような赤い光刃が生まれたではないか。理由は分からなかったが、使える者がいるのなら道具はその者に使わせるのが一番良い。

 かくして魔導騎士の剣はメイドゴーレムの剣としてその夜、再出発を果たした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 死の指導者

 

 

 二日間の空の旅は快適そのものだった。この国は山地ゆえに平らな道が少なく、ほぼ曲がりくねった山道を通らねば遠方には行けない。だから同じ国でも移動は容易ではないが、逆に言えば外部からの侵略に強く国防は比較的楽だった。

 例外はヤト達のような空からの侵入者だろう。本来は商人などが数か所だけある山の谷間に設けた国境の関所を通って出入りするが、彼等はタルタスに入国する時も関所を無視して空からこの国に来た。でなければ簡単には通れなかっただろう。クシナ様々である。

 今はヤニスのくれた地図に載っている反乱者の本拠地の傍まで来ていた。ここからはクシナの正体を隠すために山に下りて後は歩きだ。

 山道から離れて鬱蒼とした森に入れば、後は森の民のカイルの独壇場だ。彼は人の痕跡が残った箇所を見つけ出して、確実に歩みを進めていく。

 

「なあ、ちゃんと分かってて進んでるのか?」

 

 クシナが何気なく口にした言葉をカイルは笑って肯定した。森の民からすればここはわざわざ道案内してくれるようなものらしい。苔を崩した足跡や折れた枝、木の幹には矢が突き刺さった跡。

 横を指差した先にはよく見れば幾つもの罠が隠されている。正しい道から外れたらあの罠が闖入者を手厚く歓迎してくれるというわけだ。

 ある程度森の知識のあるヤトも同じ事は出来るが、今はカイルの方が断然早く人為的痕跡を見つけられる。神代のエルフの村で修業した甲斐は確かにあった。

 一行は森の専門家の先導で途中食事の休憩を挟みつつどんどん奥へと進み、一時間後にカイルの制止で足を止めた。彼の耳が小刻みに動き、僅かな音すら逃がさない。

 

「……前に二人、後ろに一人。全員弓を持ってる」

 

「わざわざ出迎えに来てくれたわけですか。なら返礼をしましょうか」

 

 ヤトは足元の小石を三つ拾って木々に隠れている者に向かって投げた。一つは木に当たった音がして、さらに一つは柔らかい物に当たった後に痛みを訴える声がした。後ろに投げた最後の一つは何も音がしなかったが代わりに矢が飛んで来た。それはロスタが新たに手に入れた光刃で切り払った。

 

「フォトンエッジだとっ!?くそがっ、とうとう貴族がここまで来たってのかよ!!」

 

 どうやらあの柄はフォトンエッジという名らしい。そして明らかに友好的な雰囲気ではなくなってしまった。

 こうなっては道案内などしてくれそうもないので、ヤトは相手からの攻撃を受ける前に動いて三人の内の石の当たった未熟な一人を捕まえた。頭を掴まれて暴れているのはまだ幼い狼人の少年だった。

 

「残りの二人も出てきてください。断ったら頭が無くなりますよ」

 

 勿論誰の頭が無くなるか言われずとも分かる。仕方なく少年の仲間の二人は姿を現した。どちらも男だが一人は人族、もう一人は獅子の獣人だった。彼等は少年と同様に弓を持ち、森に溶け込めるよう服の至る所に枝葉を付けて擬態した格好をしていた。狩人ないし野伏に分類される出で立ちだ。

 言われた通り姿を見せてくれたので狼人少年を捕まえている理由が無くなり、ヤトは彼の頭を放した。

 少年は恨めしそうに睨みつけながら仲間と合流したが、獅子人から頭を小突かれていた。

 ヤト達と対峙した三人は油断せずに警戒していた。特にロスタを最も警戒、もしくは憎しみを宿した瞳で射抜く。

 

「それであなた方は≪タルタス自由同盟≫の者ですか?」

 

「知ってて聞いているなら白々しいぞ。愚王の狗共が降伏勧告にでも来やがったのか。あぁ!?」

 

「いえいえ、ただの届け物ですよ。ブレスの街のヤニスという方から手紙を預かっています」

 

「なにぃ?そんな出まかせ信じられるかっ!!」

 

 男はヤトの言葉を碌に分析せずに否定した。仕方が無いので懐から預かっていた手紙を取り出し、短剣を刺して男達の傍の幹に投げた。

 狼人少年がそれを取って、封蝋の印を見てヤトの言葉が正しい事を仲間に伝えると、ようやく敵意が弱まった。

 しかし獅子人だけは完全に警戒を緩めず、フォトンエッジを使うロスタの出自を問う。

 カイルがロスタは古代のドワーフ謹製のゴーレムと告げるが、彼は信じない。

 これでは押し問答にしかならないので、ロスタ自身が獅子人に近づいて自らの肌を触れさせた。

 獅子人は警戒して恐る恐る彼女の手に触れた。肌の質感が明らかに人の物ではない事、虹色に妖しく輝くロスタの瞳を覗き込み、ようやく人造物だと納得した。

 

「分かった、一応お前達の言う事は信じよう。だが、ここを知られては只では帰せないから一緒に砦まで来てもらうぞ」

 

 獅子人の提案は想定していたのでヤト達から拒否の声は無かった。

 野伏三人の先導で一行は森を進み続け、木々の深緑の帳に隠れた石造りの砦が視界に入る。

 砦の外壁は大部分が蔦と雑草で覆われて、物見塔は半ばから崩れて正門も取り払われている。壁の一部は倒壊して砦としての機能を失っていた。

 門の代わりに数名が歩哨として立っていた。彼等は見慣れないヤト達を警戒したが、野伏の三人から事情を聞いて一先ず安心した。

 その間、ヤトとカイルは砦を細部まで観察していた。石造りの砦は所々崩れているが造りそのものは繊細にして重厚、隙間無く積み上げられた石材は紙も入らないほどに精密だ。崩れた部分は経年劣化による崩壊ではなく、外部からの激しい攻撃の爪痕のように思える。

 カイルはふと砦の造形にドワーフの古代都市の面影を見た。おそらくここは古いドワーフの手による砦だったのだろう。

 

「おい何してる?さっさと中に行くぞ」

 

 カイルは観察し過ぎて獅子人からせっつかれて、慌てて砦に入った。

 中は意外にも手入れが行き届いており、壊れている部分はあってもゴミや瓦礫の類は見当たらない。すれ違う人はやけに亜人が多く、半分以上は獣人だった。残りは人間、ドワーフ、ミニマム族。エルフは一人も見なかった。

 長い廊下を抜けて四人が連れてこられたのは会議室と思わしき大広間だった。部屋はそこかしこに書棚が設えてあり、幾つもの小さな机、中央には二十人程度が使える大きな円卓が置かれていた。上には乱雑に積まれた地図や空のインク壺が転がっている。

 部屋で作業している者達は一様に余所者のヤト達を警戒した視線を向けているが、一人だけ異なる反応を示すものが居た。

 

「どうした同志ネメア、斥候で迷い人でも見つけたか?」

 

「いや首領、こいつらがこの手紙を届けに来たんだ」

 

 ネメアと呼ばれた獅子人からヤニスの手紙を受け取った男は、封蝋を見てヤト達に椅子を勧めた。彼は顔の上半分を黒い頭巾で覆っていて唇から下までしか肌を晒していなかったが、かろうじて肌の皺で青年なのが分かる。

 男が手紙を読んでいる間、四人は黙って待っている。手紙を読み終わると男はまずヤト達に礼を言った。

 

「ブレスの同志を助けてくれて感謝する。それで、どういう見返りが欲しい?」

 

「特にありませんね。元から成り行きでブレスの街の代官と戦っただけですから。強いて言えばこの国の情報でしょうか」

 

「情報?お前達のような他国人が何を知りたいんだ?」

 

「まず貴方の名前ですね。僕はヤトと言います」

 

「おっと済まないな。俺はタナトスで通ってる。一応≪タルタス自由同盟≫の指導者だ」

 

 ヤトに言われて覆面男のタナトスは苦笑しながら名乗った。他の三人も名乗り、客人として茶が振舞われた。

 タナトスは四人がこの国に来て行く先々で貴族やその私兵から手厚い歓迎を受けたのを聞いて申し訳なさと憤りを口にした。同時にそのような世情や身分差別を覆すために自分達が活動していることを熱っぽく語った。

 彼等≪タルタス自由同盟≫は皆、この国の魔法至上主義の被害者か、その身内で、誰もが横暴極まりない魔法使いと謂れの無い差別を憎んでいた。

 この国では魔法を使える者は良い暮らしが出来るが、そうでなければ死ぬまで虐げられる。特に亜人種の扱いは劣悪で、良くて奴隷として擦り切れるまで使われて死ぬ。悪ければ暇潰しに拷問を受けて、死んだ後は獣の餌だ。他にも見目麗しい者やエルフは男女問わず王侯貴族に捕らえられて一生慰み者。中には他国から売られた者も数多くいるらしい。

 

「俺達はそんな腐った国を変えたくて集まった集団。誰もが不当な暴力に怯えず穏やかに過ごせる日々が欲しいんだよ!」

 

 タナトスの言葉に会議室の面々は沸き立ち、しきりに指導者タナトスの名を讃えた。さらに彼は決して仲間を見捨てないと告げた上で、ブレスの街に援軍を送るように部下に指示を出した。

 ヤトは彼の主張に心を動かされなかったが、高い煽動力には一定の関心を持った。

 

「放っておいて悪かった。で、他に知りたい事はあるか?」

 

「では魔導騎士について教えてください」

 

「センチュリオンのか。手紙には引退した元騎士を倒したと書いてあったが、お前が一人でか?」

 

 ヤトはタナトスの問いに頷く。すると部屋の面々は驚きと称賛の声で埋まった。

 魔導騎士は彼等のような王家に異を唱える者にとって死の体現者として恐れらていた。これまで何人もの同志が無惨に殺され、解放運動を頓挫させてきた猟犬達とタナトスは罵る。

 そこはどうでも良かったので適当に聞き流し、騎士の数や武装について分かっている事を話してもらった。

 

「騎士は定員制で常に五十名を維持している。多くは王都で王族の警護をしているが、何割かは実戦経験を積むために北のダルキア地方に赴任する。武器は騎士の好みで剣、槍、斧、鉤爪、大鎌、色々あるがどれもフォトンエッジという特殊な光刃を形成する」

 

「騎士にしか使えないって聞いたけどうちのロスタは使えるよ」

 

「それは俺にも分からんが、魔法の使える貴族なら一応刃を出すことぐらいは出来るぞ。あと、騎士は理力という特異な魔法を操るな」

 

「ドウという引退した騎士が使ってた力ですね。先読みと手を触れずに物を動かす能力なのは分かります」

 

「大体その認識で構わない。先読み以外にも他者の心を読んだり操ったりもする。師匠に言わせれば実例なんて無いらしいが、極まった使い手は死者の蘇生すら可能だとか、死してもなお現世に留まるとか眉唾物の伝承もあるそうだ」

 

 タナトスはそんなありもしない伝説を笑うが、裏を返せばこの国ではそんな話が生まれるぐらい魔導騎士の強さが畏怖の対象として認識されているのだろう。

 

「ではこの中に魔導騎士と戦って勝った者ないし、生き残った方はいますか?」

 

 ヤトの問いに誰もが目を伏せて名乗りを上げなかった。よくもこんな体たらくで国を打倒し、体制を変えられると大きな口を叩けるものだ。

 それでも≪自由同盟≫の者達は志と信念があれば、いつかは自分達の思い描く理想の未来が訪れると信じて疑わない。何ともおめでたい考えで生きている。まるで質の悪い酔っ払いではないか。いや、そう信じていなければ辛い今を生きていけないのだろう。一行には理解しがたい連中だった。

 

「では国の暴力装置たる騎士を倒さず国を変える手段を何か思いつきましたか?」

 

「残念ながら一つも無い。せめて纏まった数の兵が俺達にいれば出来る事もあるんだが」

 

 タナトスの悔しそうな声を聴いたヤトとカイルは、この男だけはまだ現実を見ていると気付いた。さすが組織の指導者。口では手下を煽っておいて、自分だけは努めて冷静であろうとしている。

 ならばその兵士を増やす手段は何かあるのか問うと、彼はヤト達を見て少し躊躇った後に口を開いた。

 

「この砦の北に大きな都市がある。そこには数万を超える観客が入る闘技場があり、日夜見るに堪えない凄惨な見世物が繰り広げられている」

 

「闘技場……剣闘か何かですか?」

 

「そんな行儀の良い物じゃない。あれは自分じゃない弱者が凌辱されるのを見てクソみたいな安心感を得たい畜生共の狂った宴さ」

 

 誰かが唾を吐き捨てながら呟く。その言葉で一体何が行われているのかおおよそ察せられた。

 ヴァイオラ大陸では剣闘士による闘技はそれなりに盛んだった。どの国でも公的には奴隷は禁止だったので、実情はともかく名目上は全員が職業剣闘士として扱われて命懸けの戦いを観客に見せて人気と大金を得ていた。

 他にも闘技場では罪人の公開処刑や国事的祭典が開かれる事もあるが、どうやらこの国で行われている催しはそうした物よりずっと醜悪で下卑た見世物なのだろう。

 

「その狂った宴のために何百何千もの奴隷が使い潰されているが、そいつらを俺達の仲間に引き入れる。そしてその事実を国中に喧伝して一つの大きなうねりを作り出す」

 

「悪い発想ではないですね」

 

 元よりこの国の魔法至上主義には多くの民が不満を持っている。そんな中で公然と反乱を起こせば反体制運動は全土に波及するだろう。水面に小さな石を放り込めば波紋が広がり、やがて何人もの後続が次々石を投げれば大きな波になる可能性も無いとは言えまい。少なくとも小さな街の秘書官を殺すよりは大きな話題になって人々の耳に届くだろう。

 そして考えていても実行に移せなかった理由は言わずとも分かる。そんな大勢を助けるには従わせている兵を倒す必要があるが≪タルタス自由同盟≫にはその暴力装置が圧倒的に足りない。

 仮に休暇か何かで騎士が一人でも街に居たら、その時点で思惑は簡単に崩れ去る。だからタナトスはこれまで実行に移さなかった。

 そう、今までは―――

 

「まさかその足りない戦力を僕達で補いたいと言いませんよね?」

 

「そのまさかと言ったら?」

 

「僕達があなた達と共に戦う理由はありませんが」

 

「だろうな。俺もこの国の事はこの国の者が正していくべきだと思っている。しかし俺達だけではどうにもならないのも確かなんだ。俺達の手下になれなんて言わない。対等な関係のまま見返りも出来る限り用意する。どうか手を貸してくれ」

 

「空手形で契約しようなんて詐欺じゃん。でアニキはどうするのさ、まだ魔導騎士と戦いたい?」

 

「引退した年寄りであれだけ強いですから、現役ならもっと強いはず。それがまだ五十人……いいですねぇ」

 

 カイルは兄貴分の答えは分かり切っていたが形式上返事を聞いておいた。予想通りの返事に呆れるも、自身とてまだこの国に長居するつもりなので不満は無い。精々こいつらから毟れるだけ毟る交渉を自分が担当するだけだ。

 それからカイルはタナトスに契約内容を確認して四人全員を用心棒として扱うように契約を交わした。特に契約では命令拒否権と発言権を念入りに承諾させた。これは組織の連中が思い違いをして便利使いしないように釘を刺す意味合いがあった。報酬は貨幣払いではなく貴族への優先的略奪権とした。どうせこの連中は金が無いのだから、あるところから奪う方が実入りが良い。

 問題はここで文句を言う輩が何人かいた事だ。その連中の主張は騎士を倒したヤトや斥候のカイルはともかく、単なる連れのクシナやロスタが同じ扱いを受けるのがおかしいというわけだ。

 建前上は一理ある。二人とも外見はただのひ弱な女だ。雑用に回すなら分かるが、一端に戦えるとは思えない。

 だから見せた方が速いと思ったヤトはクシナに力を見せてやるように勧めた。ただし、小指一本で小突く手加減でだ。

 彼女は旦那の言う通り、文句を言った連中を全員小指で小突いて吹っ飛ばした。大の男が面白いように吹っ飛んで壁にぶち当たる様は冗談のような光景だったが、それを茶化す者は一人も出ない。

 

「何か異議のある方は?」

 

 ヤトの言葉に全員が引き攣った笑みを浮かべて首を横に振った。

 四人は正式に≪タルタス自由同盟≫の用心棒として雇われることになった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 売られる

 

 

 方針の決まった≪タルタス自由同盟≫の動きは早かった。すぐさまブレスの街のヤニスに援軍を送り、自分達は新たな仲間を増やすために北の大都市トロヤを目指した。

 と言っても全ての者が一塊で行動すれば見つかってしまう。それが獣人ばかりとなれば猶更だ。だから個別に様々な身分に化けて向かっていた。

 ヤト達も彼等に倣い、他国人ではなくこの国の民に化ける必要があった。問題は身の変え方である。

 

「納得いかんな」

 

「そうですが必要な事ですから」

 

 クシナの不満気な呟きは他の三人とて同じだった。

 ヤト達は現在ボロ切れを着せられて、片手を縄で繋がれて一列に並んで歩かされている。当然武器は全て取り上げられている。

 四人が化ける事になったのは他国で仕入れた奴隷だった。他に四人の獣人が荷物持ちの奴隷として同行していた。彼等も自由同盟のメンバーだが、獣人が自由に動き回ると目立つので奴隷に化けていた。

 

「旦那の言う通りだぞ。お前達はこの国の者じゃないから簡単にボロが出る。そうなった時に言い訳が出来るように余所から捕まえた奴隷にしておくのが一番バレにくいんだ」

 

 奴隷商人に扮した馬上のタナトスがクシナを宥めた。彼の言い分は尤もだったが、それで全員が納得するなら世はもっと穏やかである。クシナが我慢した本当の理由はヤトが必要だと言って文句を言わないからだ。番が我慢をしているのに自分が我儘を言って困らせたくなかった。ロスタも同様の考えで従った。

 北の都市トロヤまで襤褸切れを纏って険しい山道を十日かけて歩くのは難儀な所業だが、全員が体力には不安を持っておらず寒さにも強かったためにどうにかなりそうだった。せめてもの待遇として毎度の食事は良い物を提供してもらったので、クシナも表立った不満を漏らす事は無かった。

 

 

 十日後。

 黙々と歩みを進めた一行は予定通り北の大都市トロヤに着いた。

 都市はこの国の例に漏れず高地に築かれた山の街だったが、山そのものを削って平らに均された人工的な平地に築かれおり、他国の街とあまり変わらない景観をしていた。 とはいえそれは建物に限り、道に目を向ければ公然と獣人や亜人が鞭を打たれ、首輪と鎖でつながれたまま乱暴に歩かされる光景がそこかしこで散見される。おまけに奴隷市も大々的に開かれており、商品となった奴隷を売り込む商人の威勢の良い声と客の値切る声が不協和音を作り出している。

 おまけに住民は闘技場の話で持ち切りで、どこの奴隷が勝つだの奴隷の死んだ数を当てて儲けただの、呑気な世間話に興じていた。

 ヤト達は外套を深々と被って顔を隠して奴隷市場を通り過ぎる。四人とも美形と言って差し支えない容姿をしているので、もし顔を見られて奴隷を買いに来た貴族などに目を付けられると面倒だ。念のために泥と煤を顔に塗りたくって汚く見せる小細工もしていた。

 しかし素通りというわけにもいかず、タナトスが知り合いの商人に声をかけられて応対する事もあった。幸い簡単な世間話と商談の誘い程度で済み、ヤト達は一山いくらの商品として大した興味を抱かれず見向きもされなかった。

 その後はさしたる邪魔もなく、一行は組織が運営する奴隷商会で腰を落ち着けた。

 現行の階級制度を否定する反乱組織が奴隷商を営むのは相当な矛盾を抱えているが、そんな狡猾な手を率先して執るが故にそれなりの成果を上げてきた一面もあるとタナトスは道中で話していた。

 それに奴隷商は貴族や金持ちの家に警戒されずに情報収集をするスパイを送り込める都合のいい立場だった。もちろん商品として売られる奴隷達は全員が志願者であり、彼等は全て覚悟して売られた。ヤトやカイルには今のタルタスがどれほど憎悪を積み上げているのかが垣間見えた。

 この国の負の面はさておき、一行は長旅の汚れを湯で落として綺麗な身なりに改めた。そして心ばかりのご馳走を用意してもらい、旅の疲れを癒した。

 久しぶりに美味い飯をたらふく食った一行は一息入れてから、タナトスの提案で今後について話し合う。

 

「前に言ったと思うが、今回の第一目的は闘技場で酷使されている戦闘奴隷を解放して組織に組み込むことだ」

 

「質問です。奴隷は何人で、どこで救出するつもりですか?」

 

「この街の戦闘奴隷は二百人前後いるが一つの集団ではなく、幾つかの奴隷団体が奴隷を所有している。個別に訓練施設を襲って確保していては効率が悪いから、闘技場で可能な限り集まった所を一気に奪い取る」

 

 ヤトの質問にタナトスは個別に置いたクルミを手で一か所に集めてから両手で出来るだけすくい上げた。確かに奪う対象がバラバラになっていては確保が難しい。なら一か所に集まった時に丸ごと手に入れた方が楽だ。問題はその手段と時期だろうが、それも当然考えてあると自信ありげに答えた。当然ヤト達にもそれぞれ役割があり、大雑把に個々の技能に応じた仕事が伝えられた。

 と言っても難しい仕事ではない。四人の内、盗賊技能持ちのカイルが奴隷解放に割り振られて、残りの三人は荒事担当で邪魔する相手を倒すだけだ。

 

「それで奴隷が一か所に集められる日はいつ頃なの?街の様子だと闘技場が盛況なのは分かるけど」

 

「三日後に領主コルセアの誕生日を祝って一大式典が開かれる。狙いはそこで催される祝いの大剣闘大会だ」

 

「あれ?じゃあ今やってるのは?」

 

「本番前の軽い予行演習を兼ねた拳闘の賭け試合だ。剣闘士は数が少ないから水増しだろう。この街の連中は他人を戦わせて流れる血に酔いしれているのさ」

 

 奴隷として一緒に来た獣人の一人が吐き捨てるように答えた。

 分からなくはない。彼のように無条件に虐げられる亜人種にとって、人の不幸に喝采を上げるような輩は貴族と同じぐらい憎悪する対象だった。

 その流血こそ領主が支配者として振舞う秘訣なのだろう。

 民衆は暴君に虐げられる自分達の日常的不満を別の弱者が息絶える様を見る事で誤魔化し安堵する。自分が上位者になったような気分になり、手の届かない場所から弱者を痛めつけるような気持ちになって己を慰撫していた。

 一方で領主もただ民を楽しませるために恵与行為をしているわけではない。闘技場で息絶える者の凄惨さを民に見せつける事で反乱機運を抑える抑止力とした。おまけに賭け試合の胴元は領主の息の掛かった賭博屋で、民から税以外で金を巻き上げる事にも余念が無い。実に効率的な統治術だ。

 貴族が魔法という武力で民を支配すれば不満は溜まり続ける。であれば溜まり続ける不満をいかに解消する、あるいは誤魔化すか。その一つの回答が闘技場で行われる血生臭い見世物なのだ。

 領主の目論見通り民は圧政への不満を忘れて血に酔い痴れて、あまつさえ領主コルセアを讃える始末。中々に人を操る術を知っているらしい。

 

「僕達のような余所者が入り込みやすい状況なのは分かりましたが、僕はともかくクシナさんやロスタが剣闘士になるのは難しいのでは?」

 

「そこは大丈夫だ。さっき言ったように剣闘以外に色々催し物もあるから綺麗どころの需要もある」

 

 ヤトはタナトスの言葉に何か含みを感じたが、クシナをどうにかできると思っていなかったのと、一応娼婦のような事はさせないと言質を取りつつ、どの道全てをぶち壊す予定なので納得しておいた。

 

「第一の目的は分かったな。で、第二目標はずばり領主のコルセアを人質にする」

 

「それは警備が厳重なのと、騒ぎを起こせばすぐに逃げてしまうのではないですか?」

 

 まともに考えれば式典が続けられなければ主催者は安全を考えて退避する。闘技場に留まる必要性は無い。

 しかしヤトの反論は隠れ家の主人の男が否定した。

 

「その可能性は高いが、コルセアは臆病だが何事にも格好を付けたがる見栄っ張りだから逃げるよりその場に留まるかもしれん。その時にあわよくばと言ったところだ。こちらは臨機応変に対応すればいい」

 

「分かりました。そちらはあなた方が判断してください」

 

 あれもこれも手に入れようと手を伸ばすよりダメならさっさと諦めて最優先の目標だけに集中する判断力があるなら言うべき事は無い。

 四人は作戦の概要をある程度理解した。ただカイルだけは救出担当で闘技場の構造と鍵の種類や牢の規模、それに退路の確認など、より詳細に知るべき情報は多いので組織の奴隷商から闘技場の見取り図や情報を貰った。

 

 そしてカイルを除いた三人は二日後、大会の前日に闘技場に売られた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 自由を賭けた死闘

 

 

 ヤトは薄暗い石造りの控室でアレーナから伝わる熱気と騒乱の混じり合った狂気のうねりを感じ取っていた。

 控室からはアレーナは見えないがそこで何が起きているのかは耳の良い者なら察せられる。

 人の断末魔と獣の唸り声。そして人が生きたまま獣に貪り食われるのを目の当たりにした狂った観客の歓声。哀れな食料が人生最後の叫びが上がるたびに、控室にいる数名が天を仰ぎ震えながら神に向かってブツブツと命乞いをしている。

 ここは次の催しの出し物に使われる剣闘奴隷達の待機室だった。今から彼等は命を賭して戦い、血を流し、観客と領主コルセアを楽しませねばならない。

 奴隷達は全員粗末な服と簡素なサンダルを履き、それぞれ右手と左手どちらかを鎖で繋がれて離れられないように二人一組にさせられていた。

 ヤトは利き腕の右手に鎖を繋がれて、その右隣には左腕が鎖で繋がれた尖ったネズミ顔の小男が震えながら悪態を吐いている。言うまでも無いが彼が相方だ。

 

「ちくしょうちくしょう……俺がこんな所で死ぬのかよ。もっとうまいもん食っていい女を抱いて年取ってから温かいベッドで死ぬはずだったのに……」

 

 相方の小男―――顔立ちからネズミ系獣人との混血だろう――――の小言が尽きた。現実を受け入れて戦う覚悟を決めたのかと思ったが、ちらりと相方になったヤトの顔を見てまた絶望したように情けない声を出す。

 

「くそぉ。なんでこんな軟な若造と組ませたんだよ。もっと強そうな奴と組ませろ」

 

「いい加減煩いですから黙ってくれませんか」

 

「なんだとぉ!俺は領主の元傍仕えだぞ、若造が舐めた口をきくな!」

 

「あなたが元はどんな職だろうが今この場にいる四十名は鎖で繋がれた罪人ですよ」

 

 淡々と突き付けられた事実に立ち上がった男は歯噛みして押し黙る。

 ヤトの言う通り、控室に集められた二十名の男達は全員が罪人だった。闘技場で催される領主の誕生式典では午前の部に罪人を獣に食わせる見世物と、罪人同士を殺し合わせる剣闘試合が組まれていた。

 この場にいるのは全員が罪人であり、これから凄惨な殺し合いに興じねばならない。暗い未来が待っていても反抗しないのは最後まで生き残った二人には恩赦が与えられて自由の身になれるからだ。だから男達は僅かな希望に縋るためにこれから言われるまま死闘を演じる。

 ヤトの場合は罪を犯しても捕まっていないがここにいる。闘技場の内部協力者に殺しても後腐れしなさそうな連中を所望したらここの枠に放り込まれた。だから一時の相方共々皆殺しにしても何ら気に留めない。

 それを知らない男は冷静になり、一蓮托生になったヤトを観察しながら長椅子に座り直した。

 

「…お前、戦った経験は?」

 

「多少ですよ。そういうあなたは喧嘩すら経験が無さそうですね」

 

 ネズミ男は図星を刺されて悔しそうに項垂れた。ネズミ系の獣人は他の獣人と違って筋力に乏しく狩りや戦いに向かない。反面手先が器用で職人や盗賊の適性が高い傾向にある。普通に暮らすならそれでも十分だろうが、今回のような場の限定された殺し合いには全く役に立たない。その一般常識に漏れず、男の身のこなしはお世辞にも優れているようには見えない。まだ見た目優男のヤトの方が強そうに見えた。

 周囲を見渡せば自分達の組と似たように見るからに荒事に向かないように見える組もいれば、いかにも殺しに慣れた剣呑な気を放つ者と組まされた気弱な者の組、繋がった者同士で今にも殺し合いを始めそうな雰囲気を纏う危うい組などもいる。

 そんな連中を皆殺しにして生き残らねばならないのだ。ひ弱なネズミ男にとってぶら下がった恩赦は決して届かない希望だったが、それでも手を伸ばさずにはいられない甘美な果実だ。

 

「まあ人間誰もがいつかは死ぬんですから、いっそ死んだ気で戦えば意外と生き残る事もありますよ。僕もそういう経験はあります」

 

「気楽に言いやがって。ちくしょうちくしょう……やってやるよ」

 

 どうやらヤケクソでやる気になったようだ。適当な言葉でその気になるのだから案外乗せられやすい性格なのかもしれない。

 そして銅鑼の大音が鳴り響き、一層大きな観客の歓声が控室まで届いた。どうやら猛獣による処刑が終わり出番が迫っている。

 部屋に武装した兵士が入ってきて、罪人達を鉄格子の扉の奥へと進ませた。

 彼等は鉄格子の先で粗末な槍と大型の円盾を与えられた。右手が自由な者は槍を、左手が自由な者は盾を持つ。ヤトは後者、左手に木製の簡素な盾を持たされた。

 アレーナへの扉の先から流れる血と糞尿の入り混じった死臭が罪人の鼻を刺激する。おまけに男の中には恐怖で立ちながら失禁する者も居て、足元に臭気のする水たまりを作った。

 そして外で何回目かの銅鑼の打音が鳴り響き、扉が開け放たれて罪人達は押し出された。湧き起こる熱狂的な歓声に闘技場が揺れる。一万人の観衆の金切り声はそれだけで地を揺らした。

 男達は武装した兵士によってある程度間隔を開けて配置される。まだ開始の合図は無い。

 ふとネズミ男は臭いに釣られて下を見る。アレーナの地面は黒ずんだ血を吸った砂がダマになり、周りには獣が食い残した肉片や小さな骨が散らばっていた。彼は震えながら目を背ける。

 反対にヤトは観客席の上段に設えた閲覧席に目を向ける。そこは一般客とは壁で仕切られた別空間、身なりの良い者ばかりが集められた貴族の席だった。その中で奥側に赤い緞帳の垂れ下がった最も格式高い席には太ったハゲの中年男が血のように赤いワインの入ったグラスを傾けていた。おそらくあれが領主のコルセアだろう。

 ハゲ男がワインを飲み干し、左手を上に掲げて銅鑼の傍にいる男に目を向けた。武装した兵士がアレーナの外に退避する。罪人達に緊張が奔り、観客は声を抑えてその時を静かに待った。

 コルセアの手が勢いよく振り下ろされ、続いて開始の銅鑼が闘技場に強く鳴り響いた。

 男共が雄叫びを上げて自由を勝ち取るために目を血走らせたまま入り乱れて武器を振るう。

 見るからに弱そうなヤトとネズミ男のコンビはいきなり前後から二組に挟み撃ちを受けて窮地に追いやられるが、まずヤトが後ろから襲い掛かる槍を盾で弾き飛ばして、勢いを殺さずに攻撃してきた組の頭を盾の端で叩き潰した。ついでに襲われて悲鳴を上げるネズミ男を繋がった鎖で引っ張って助けた。よく見たら持っていた槍は無くなっている。つくづく役に立たない男である。

 

「ひぃぃぃ!!お、お前何とかしてくれぇぇ!!」

 

 情けない声を上げる相方にうんざりしながらも盾を鈍器のように扱い迫る槍を罪人の腕ごと叩き折ってそのまま大柄の二人を殴り殺した。

 とりあえずの危機は去ったがすぐさま次の攻撃を警戒して周囲を見渡すが、今の所二人に襲い掛かる者はいない。罪人達は自分達以外を皆殺しにしようと理性を失った狂犬のように手当たり次第に襲い掛かっては殺し殺され死体を晒し、惨たらしくおぞましいほど観衆の興奮の呼んだ。

 

「はぁはぁ……お前強かったんだな。俺も何とか生き残れるか?」

 

 口元を反吐塗れにしたネズミ男が一抹の希望を抱き始めるが、ヤトは彼に冷ややかな目を向ける。隣のネズミ男は何もせずにたまたま組まされた他人を当てにして助かろうとしている。己の力で明日を勝ち取る気が無い情けない男に付き合ってられない。いっそこの場で殺して好きに戦おうと思ったが、気まぐれに一度だけチャンスをくれてやろうと思い、男に盾を持たせた。

 ヤトは意図をよく分かっていない男を引っ張って乱戦の中に突入した。

 

「死にたくなかったらしっかり盾を持っててください」

 

「おっ、おい一体何を―――――」

 

 ネズミ男は最後まで口に出来なかった。ヤトは鎖で繋がった男を振り回して手近な男に叩きつけて圧し潰した。呆気にとられる罪人達は碌に動けず、次々とぶつけられる盾と必死でしがみつく男に潰された。

 悲鳴を上げる男をまるでハンマーのように操って罪人達を叩き殺していく美形のヤトの登場に観客の興奮は一気に高まった。

 男達は突如現れた暴力の嵐に対抗しようと敵である者達と自然と寄り集まって団結を示す。

 彼等は振り回している右手を盾役が防ぎつつ、がら空きの左手側から槍で攻めかかった。

 しかし動きを読んでいたヤトは落ちていた数本の槍を足で蹴飛ばしてもの凄い勢いで飛ばして襲おうとした男を串刺しにする。さらに落ちている一本の槍を中ほどで蹴り折って短くしてから器用に足で持ち上げて左手に持つ。右手に鎖付きハンマー、左手に短槍の変則二刀流だ。

 右手で泣き叫ぶハンマーを振り回しては力任せに相手を叩き潰し、左手の槍で流麗に攻撃を捌きつつ無慈悲に貫く様はもはや芸術の域にまで達していた。

 次々と死んでいく者を見ても罪人達はそれでも恩赦を求めて暴風雨と化したヤトに向かっては叩き潰され、刺し貫かれる。

 遂にアレーナに立っている者はヤト只一人となり、鈍器として扱われたネズミ男は辛うじて生きたまま解放された。

 観客席から一人の手を叩く音が聞こえる。やがて音は喝采を伴って徐々に数を増やし、最後は闘技場全体を覆い尽くほどの大音となって響き渡る。この歓声と拍手は全て勝者一人に向けられた観客からの心からの賛辞であったが、ヤトにとってはどうでもよい雑音でしかなった。

 雑音が止んだのは主催者たるコルセアが立ち上がり観客に姿を見せた時だ。彼は低いだみ声ながら闘技場全体に響く声で勝者となったヤトに話しかける。

 

「見事な戦いだった。お前を勇者と認めこれまでの罪を許し、自由を約束しよう」

 

 兵士がヤトとネズミ男を繋げていた鎖を外し、付き添う若い美女が純白のマントをヤトに着せた。ついでとばかりに血と汚物に塗れて足元に転がっていたネズミ男にも嫌々ながら同じ白マントを被せた。

 そして万雷の拍手の中、ヤトは兵士に先導されてアリーナを後にした。第一の目的は達せられた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 生贄

 

 

 恩赦を賭けたバトルロイヤル勝者になったヤトは戦いの後、身を清めてから閲覧席に招かれて領主コルセアからの歓待を受けている。予定通りの展開だ。

 コルセアは誕生式典のたびに罪人を殺し合わせて勝者を自分の傍に招くのが通例となっていた。民衆に己の度量を示すためのパフォーマンスだが、これから事を起こす≪タルタス自由同盟≫にとっては都合が良い。

 勿論護衛の兵士や魔導騎士らしき者達が側に控えて警戒しているので、今すぐに何かをする気は無いが行動に移しやすい場にいるのは確かだった。

 現在アレーナでは血生臭い闘争とは打って変わって、煌びやかな衣装を纏った踊り子たちの演舞の真っ最中である。

 殺し合いは観衆が好むところだが、そればかり見せつけられれば些か飽きが来る。ゆえに合間に今行われているような芸事を見せたり、唄を歌わせて気分転換を図っていた。

 踊り子達の艶やかな舞が終わると、アレーナにはラバに曳かれた何台もの荷車が登場する。観衆は先程の踊り子に送った倍の声援で迎える。彼等の視線は荷車に山と積まれた大きなパンに突き刺さっていた。

 男達がパンを掴んで次々に観客席に投げ入れると、人々は砂糖に群がるアリのようにパンに飛びついた。それだけでなくパンを奪い合ってあちこちで殴り合いの喧嘩になる始末。もっと酷いと人が雪崩のごとく崩れて下の席の人が圧し潰されていた。あれでは下手をすれば死人が出ている。

 

「やれやれ、民草は品の無い事だ。パンなどいつでも食べられるというのに」

 

 コルセアは心底見下した様でテーブルに置かれたパンを小さく千切って口にする。周囲の貴族達も彼に追従してパンを奪い合う民を軽蔑した。

 彼等のような支配者にとって食料などあって当然の物であり、毎日食べ切れずに捨てているのが当たり前。だからその日の飯にすら事欠く民が一つのパンを巡って殺し合うのが微塵も理解出来ない。

 ヤトはそんなタルタス貴族達を無視して砂糖たっぷりの菓子を頬張っている。昨日から闘技場に来てまともに飯を食っていなかったので、今後を想定して素早く栄養に変えられる甘味を選んで腹に入れていた。当然こうした甘味は平民の口にはおいそれと届かない貴重品だが、コルセアは自由を勝ち取った勝利者に気前よく振舞った。

 コルセアは甘いものばかり口にするヤトを見て笑いを零す。

 

「自由を勝ち取った英雄殿は酒や肉よりも菓子の方が好みのようだな」

 

「この国では甘味はあまり口に出来ませんから」

 

「この国か……」

 

 貴族達は初見でヤトがタルタス人ではない事を気付いていたが、大方他国から売られてきた奴隷が逃げ出して食うに困って盗みでもして捕まり、この街の闘技場に連れてこられた程度にしか思っていない。

 人一人を片手で振り回す怪力には目を惹くがタルタス貴族特有の理力を持たない事から、彼等はヤトをただの物珍しい動物としか見ていない。それがタルタスの常識だった。

 

「ところでお前はこれからどうする気だ?既に罪を許されて自由となった身だが禄を得る手立てはあるまい。その気があるなら私の下で剣闘士として使ってやっても良いぞ」

 

 コルセアの言葉は尊大だが事実であり、彼なりにヤトの価値を認めている証拠でもあった。この国で土地も財産も無しに良い暮らしをするのは不可能で、路頭に迷えばその先は奪うだけの盗賊か乞食しか道は無い。

 その点自由を勝ち取った栄誉を持つ剣闘士、それも領主お抱えの英雄ともなれば貴族並の待遇を約束される。ヤトは強さもあるが何より若く美形だ。すぐに闘技場の売れっ子として人気者になって統治の一助となる。そのために良い思いをさせて歓心を得るのを惜しむ気は無かった。

 一方ヤトはそんな待遇はどうでも良かったが、今この場で疑惑を持たれたら困るのと間を繋ぐために一つ条件を付けた。

 

「ほう、不遜にも私に要求するか。聞くだけ聞いてやろう」

 

「雑魚はいりません、強い相手を用意してください」

 

「ははは!面白い奴だ。気に入ったぞ」

 

 心底楽しそうに笑うコルセアに周囲は追従して笑うべきか迷ったが、その前にパンの配給を終える銅鑼が鳴り、続いて楽士がラッパを吹き始めたので多くはそちらに興味が逸れた。

 突如荘厳なラッパの響くアレーナの地面が割れてぽっかりと穴が開き、穴からは何本もの巨大な円柱が姿を現した。より一層式典を派手にする演出なのだろう。

 

「ほう、今回は変わり種が混じっているな」

 

 貴族の誰かが鎖で円柱に縛り付けられたモノを見て呟いた。

 五本の円柱には白いキトンを纏う麗しい容姿の五人の女性が鎖を巻かれて自由を奪われていた。その中で貴族の視線は一人の角の生えた片腕の亜人に向けられていた。

 誰とは言わずとも分かる。クシナだ。その隣にはロスタも無表情で縛られていた。今回の二人の役割は御覧の通りである。

 

「毎度エルフや人では飽きる。たまにはああいうのも悪くは無かろう」

 

「全くですな。流石はご領主」

 

「あの亜人めはこれから何をされるのか分かっていない様子。あの暢気な顔が恐怖で歪む様はさぞや見ものですね」

 

 貴族達は口元の笑いを隠して囀る。彼等の言でこれから何が行われるのか想像がつく。

 

「式典を彩る美しい贄ですか」

 

「散らす命が罪人やむさくるしい男ばかりでは華が欠ける。そして散る華は美しければ美しい程に悲劇的で人の心を揺さぶる物だ」

 

 コルセアは血のように赤いワインを片手に悦に入っていた。こうした趣向は彼個人の好みによる指示だった。

 その言葉を証明するように民衆の興奮は否が応でも高まり、アレーナにさらなる役者が投じられた事で最高潮に達した。

 獰猛な唸り声を上げながら登場したのは一体の大型獣。獅子の胴体と頭にヤギと毒蛇の頭が加わり、蝙蝠の翼を持つ幻獣キマイラが涎を零しながら咆哮を轟かせた。

 クシナとロスタを除いた三人の女性は己の未来を絶望視して泣き叫び、それが一層観衆の興奮を呼び寄せる。

 同じくキマイラも目の前の生贄が自分の餌として用意されたのだと気付き、土煙を上げながら喜び勇んで駆け出した。

 腹を空かせた獣が鋭い牙を一人の生贄に突き立てる前に赤の軌跡が獅子の頭を斬り飛ばし、獣はその図体に似合わない情けない声を上げて後ろに下がった。

 獅子の頭はアレーナの地面を数度バウンドして動かなくなった。

 闘技場は静まり返り、万を超える目がゆらゆらと揺らぐ炎の光剣を握るロスタの神々しさに釘付けとなる。

 

「あれはフォトンエッジ!ではあの娘は貴族――だが何故武器を持って贄の中にいるんだ」

 

「ご領主、如何なさいますか?」

 

 閲覧席の貴族達が俄かに騒ぎ立てたが、最も位の高いコルセアは騒がず顎に手を当てて思案した後、手振りで貴族達を座らせて静観の構えを見せた。

 下では予期せぬ急展開に観客が徐々に騒ぎ出して、無邪気にこれからの予想を話し始めたり、ロスタを応援する声、反対に貴族への憎しみから死を望む声があちこちから上がった。

 キマイラは頭の一つを斬られてもまだまだ元気な様子を見せて、ロスタに飛び掛かるタイミングを図っていた。

 しかし呼吸すらしないゴーレムでは隙など見えず、痛みに業を煮やした怒れる獣はその図体を生かして一気に相手を殺そうと突進した。

 自らの十倍以上の重量はある凶獣が一気吶喊してもロスタは端整な風貌を動かさない。代わりに自らも吶喊、スライディングしながら相手の腹元に潜り込みつつ光剣を天に突き上げて、喉・腹・股の順に切り裂いた。

 交差した両者の位置が入れ替わり、ロスタが立ち上がって振り向いた時、キマイラは力無く伏せるしかなかった。

 これには観衆は総立ちとなり、美貌の少女に惜しみない拍手と喝采を送る。

 貴族達の中にも同調する動きがあったが、コルセアは特に感情を見せずに使用人に何か伝えて下がらせた。

 しばらくすると闘技場全体に地響きが伝わり、観衆は困惑の色を見せ始める。

 そして新たにアレーナに姿を見せたモノに誰もが驚愕の声を上げる。

 それは小さな翼を持つ黒い四つ足の巨岩のような姿だったが、自らの意思で動き、咆哮を轟かせ、獲物を見定める、生態系の最上位に位置する捕食者。先のキマイラさえこの黒岩に比べればなんと可愛い猫と言えよう。

 ヤトは眼前に捉えた巨大な玄武岩のような生物を良く知っていた。

 

「ドラゴン……あれも場を盛り上げる小道具ですか」

 

「本来の出番はもう少し後の予定だったが、繰り上げた方が面白そうだったのでな」

 

 コルセアは上機嫌に語るがドラゴンをただの誕生祝いの席に使うとは剛毅極まりない。派手好きで虚栄心に満ちた気質もここまでくれば一種の才覚だろう。

 あのドラゴン―――容貌から察するに岩竜と呼ばれる種族だが随分と苛立っている。本来は岩地や火山地帯に棲んでいるやや大人しい竜と言われているが、このような狭い場所に無理矢理押し込められて見世物にされていれば怒る。おまけに身体を見れば所々岩のような鱗が剥がれ落ちて肉が露出している。散々に痛めつけられて言う事を聞かせられていれば狂暴になっても仕方がない。

 怒れる岩竜は鎖に繋がれた女達と炎の光剣を構えたロスタを見比べてすぐにロスタに牙を剥く。彼、あるいは彼女は自らを散々に痛めつけた光の剣の恐ろしさを十二分に分かっていた。だから今この場で最も脅威となる相手を殺すつもりだ。

 竜が牙を剥き威嚇しつつ四肢に力を籠める。ロスタが剣を構えていつでも斬りかかる姿勢を取る。観衆は息を止め、唾を飲み込みただ見守る。

 しかし対峙は場違いな金属音で破られた。

 

「おーいロスタ。そこのチビ助は儂に任せろー」

 

「クシナ様……承知しました」

 

 ロスタは鎖を引き千切って竜との間に割って入ったクシナの言葉に従って剣を納めて一歩下がった。

 彼女は碌に警戒をせず無防備のまま竜に近づく。竜は牙を見せて威嚇するが、彼女が近づくにつれて困惑と怯えが見え始め、ズルズルと後ろに下がり始めた。

 そして壁際まで下がって逃げられなくなった竜の頬にクシナの手が触れた。すると今まで怯えていた竜がすっかり落ち着き、自分から顔をクシナの小さな身体に摺り寄せた。

 予想外の展開に闘技場は困惑の色を強め、その上突如として岩竜が観覧席に向けて火炎を吐き出した。

 ただし距離が離れていたために直撃はせず、数名の貴族が熱風を浴びただけで被害は軽微だったが、竜の明確な敵対行動に観衆は大混乱に陥った。

 さらに竜は手当たり次第に火を吐き始めた事で人々は無秩序に逃げ惑い、貴族達も我先に逃げ始めたため、最早式典は続行不可能となったのは明白。

 ここでコルセアは怒気を漲らせながら兵士に岩竜とアレーナの女達の駆除を命じた。しかし兵士は自分達では竜退治は手に余ると腰が引けている。それを見たコルセアは忌々し気に追加の命令をぶつけた。

 

「なら客人として招いた魔導騎士に協力を要請しろ!私の名を出せば嫌とは言うまい」

 

 怒鳴られた兵士は一目散に観覧席から出て行き、残ったのは主人のコルセアと最低限の使用人。そしてなぜか出て行けと言われなかったヤトだけだった。

 逃げ惑う人々の声で埋め尽くされた喧騒の中、コルセアが枯れた声をヤトに向ける。

 

「………それで私の命は取らんのか?」

 

「おや、気付いていましたか」

 

「気付かないわけがあるまい。外の者がこのタイミングで売られて、あまつさえ闘技場で自由を勝ち取るなど出来過ぎている。誰が送り込んだかは知らんが大方私を狙った刺客だろうが」

 

「その割に護衛を全て遠ざけていますが、観念して首を差し出すつもりですか?」

 

 ヤトの言葉にコルセアは無言の嘲笑で返して懐に手を入れた。彼の手には黒い棒が収まっていて、次の瞬間には棒から炎が噴き出してまるで鞭のように垂れ下がる。

 

「領主の立場を狙う者は殊の外多い。護衛が居なくとも身一つ護る術は持っている。まして力の強いだけの丸腰の平民一人、私がこの手で処断してくれよう」

 

 タナトスから聞いた臆病な性格とは少々かけ離れた実像だ。嗜虐的な笑みを浮かべて、まるで足元を這い回るネズミを追い散らすかのように光鞭をヤトの足元に叩きつけて床を砕く。

 しかしそのようなチャチな脅しなどどこ吹く風とばかりに、ヤトは傍のテーブルから銀製のナイフを二本手に取って距離を置いて構えた。食器でしかないナイフは酷く頼りないが素手よりは幾分マシだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 騎士の誉

 

 

 閲覧席でヤトとコルセアが戦い始めた一方、アレーナでは岩竜が遅めのランチとしゃれ込んでいた。クシナに言わせれば若いオスらしい―――彼はキマイラの死骸を美味しそうに貪って腹を存分に満たしていた。

 ロスタはさっさと残った生贄の女性達を解放してアレーナから逃がした。後はどうなるか分からないが、そこまで責任を負う理由は無い。

 彼女は段々と数の減った観客席を見て思案する。事前の打ち合わせではとりあえず騒ぎを起こして闘技場地下に捕らえられている剣闘奴隷から注意を逸らす役目は果たしたと言える。後はこのまま注意を引きつつやって来る兵士達を適当にあしらって、主のカイルが首尾よく奴隷達を救出してくれるのを待つばかりだ。

 噂をすれば影とやら。開け放たれたままの扉から数十名の武装した兵士が雪崩れ込む。ただし誰もが及び腰のまま竜やクシナ達には近づかず、遠巻きに様子を窺うばかりだ。

 では何故彼等はアレーナに押し寄せたのか。答えは兵士達の後から姿を見せた二人の身なりの良い若い男達が教えてくれた。

 

「まったくよー、せっかくの休暇が台無しだぜ。そう思うだろカッサンドロス?」

 

「ボヤくなフィロタス。あのオッサンに顔と恩を売っておけば後々便利だ」

 

「へいへい。ま、カワイイ娘ちゃんとお近づきになれると思えば悪くないか」

 

 金髪色白の軽薄な雰囲気を纏うフィロタスと呼ばれた男と、彼にカッサンドロスと呼ばれた黒髪長身の男の二人組がクシナ達と対峙する。

 

「よーうお嬢ちゃん。俺達こういう者でさぁ、出来れば大人しくしてくれねーか。そっちの角の姉ちゃんも竜を大人しくさせてくれ」

 

 フィロタスの手から赤い十字の光が伸びる。ロスタの持つ柄だけのフォトンエッジと形式が違い、鍔からも短い炎が出ているが彼も紛れも無くフォトンエッジを持つ魔導騎士だ。

 同じくカッサンドロスも獰猛な笑みを浮かべて両刃の部分から赤光の迸る戦斧を構えた。彼はさらに斧をロスタに向けて武器を捨てるように仕草で伝える。

 

「そのフォトンエッジをどこで手に入れたかは知らんが、現役のセンチュリオン相手に勝てると思うなよ。今なら命は保証してやる」

 

「紳士的な申し出は誠にありがたい話ですが、当方にも大事なお役目がございます。何も言わずにお引き取りを」

 

 ロスタの拒絶の意思に対してフィロタスは無言で斬りかかろうとしたが、クシナが牽制に投げた鎖を切り払うために動きが止まる。

 出鼻をくじかれたフィロタスは舌打ちして軽薄な笑みを引っ込めて相方に負けず劣らずの殺気に満ちた笑みを見せる。さしずめカッサンドロスが餓狼なら、彼は牙を剥く豹だ。

 

「おーしそっちがその気なら加減抜きでやってやるよ!そっこーで片付けるから、カッサンドロスはそっちの角とドラゴンを頼むぜ」

 

 相手の返事を聞く気すらないフィロタスは深く踏み込み刺突を放つが、ロスタは危なげなく切り払って逆撃に繋げる。それを鍔で受けながら力で押し込もうとしたが、ゴーレムの彼女は見た目より遥かに力が強く、フィロタスの方が押し込まれた。

 それでも彼は王の近衛、冷静に理力を使ってロスタの足を崩して鍔迫り合いから脱した後、一刀のもとに切り伏せる――――のはずが、寸での所で膝立ちのまま受けられてしまい、距離を取った。

 両者は一見互角のように見えるが、フィロタスは一層深い笑みをロスタに向ける。それは虚勢ではなく確かな余裕のある笑みだ。彼は唐突に光刃を消して犬を寄せるように手招きした。明らかな挑発にロスタは眉一つ動かさなかったが、好機と見て一足飛びに斬りかかるも、理力によって態勢を崩されて剣をあらぬ方向に向けられてしまう。そして再び迸らせた赤光に左腕を裂かれた。

 白磁の肌が融けて見るも無残な有様だったが、幸いロスタはゴーレム。痛みも無ければ生身より遥かに頑丈。何食わぬ顔で反撃して隙を晒した敵の腹を浅く切り裂く。

 

「ぐおっ!!やりやがったな!――――つーかお前人じゃないな!!」

 

「ご慧眼恐れ入ります」

 

 慇懃に礼をしたロスタをフィロタスは脂汗を流して忌々し気に睨む。

 今の所両者は痛み分けだ。ロスタの左腕は痛々しいが外装を焼かれただけで稼働には支障はない。フィロタスは腹を斬られたが、実際は肉を僅かに焼いただけで内臓までは達していない。痛みは酷いが戦いに支障のある怪我ではなかった。二人の戦いは拮抗していた。

 

 一方カッサンドロスはクシナと彼女に懐いた岩竜と対峙してどう攻めるべきか様子を見ている。幾ら魔導騎士でも竜相手に単騎は厳しい。裏を返せば彼はクシナを何ら脅威に見ていなかったが、その代償をすぐさま払わされる事になった。

 岩竜がチロチロと口から火を出し始めたのに気を取られたカッサンドロスは一瞬で距離を詰めたクシナに反応し切れずに拳の一撃を胸に受けて吹き飛ばされた。普通ならこれで決まりだが、相手は並の兵ではない。咳き込みながらもゆっくりと立ち上がり、ギラついた眼で斧を構え直した。

 今度はカッサンドロスの方がクシナに肉薄して渾身の力で斧を叩き込むも、逆に真っ向から拳をぶつけられて斧の片刃を粉砕され、勢い余って反対の刃が使い手の肩口から鳩尾にまで食い込んだ。

 心臓にまで達した深い傷の痛みとショックで朦朧とした意識の最中、カッサンドロスが最期に観た光景は血煙を上げる左手に息を吹きかけて煙を消そうとしているクシナだった。

 有り得ない、なんだこの化け物は。後ろの竜よりこの女の方がよっぽど強い。理不尽だろ、ふざけやがって!

 徐々に薄まる意識の中で彼は思いつく限りの罵倒をし続けて、やがて息絶えた。

 

 相方が息絶えたのを目の当たりにしたフィロタスだったが彼はまだ平静を保っている。それどころか徐々にロスタを圧し始めていた。彼女は左腕以外にもあちこち肌が焼けていたが、フィロタスの方は腹の傷以外は無傷だった。

 理由は幾つかあるが、最も大きな点は技量と経験の差だ。十年以上修練を積み、幾多の死闘を生き延びた魔導騎士の技と業は常人を凌駕する性能を秘めた最上級ゴーレムを打ち負かすほどだ。

 しかし惜しむべきは肩を並べて共に戦う相方が既に果てており、カッサンドロスを殺したクシナと彼女に懐いた岩竜がいつ加勢するか分からない状況は極めて不味い。

 『撤退』の二文字がフィロタスの頭に浮かぶが、後ろで兵が見ている前で無様に逃げる―――それも女に背を向けてみっともなく逃げるなど栄光あるセンチュリオンの魔導騎士に出来る筈が無かった。

 覚悟を決めた騎士は瞬きすらせず目を見開き、向かい合う少女を視界に捉え続けながら間合いをジリジリと詰める。

 そして極限まで力を溜めた脚で一気に跳び、揺らめく炎の剣をロスタに突き立てた。

 同時にフィロタスもフォトンエッジで胸を貫かれて力を失い、ロスタに抱えられるように倒れた。

 

「………なぜ手を抜いて狙いを外しましたか?」

 

 ロスタは光刃に貫かれてはいなかった。彼の剣はロスタの横腹を掠めただけ。最初から刺し貫く気はなかったのだろう。

 フィロタスは困惑するロスタの瞳を覗き込んで面白くなさそうに鼻を鳴らした。

 

「俺は……生き方と……死に方を自分で………選びたかった…だけだ。……騎士として……剣…で死ぬ」

 

 力無く咳き込む騎士をいたわるようにロスタは膝に寝かせる。なぜ敵でしかない男に情けをかけるか彼女自身もよく分からなかったがともかく行動に移していた。

 

「…けっ……どうせなら……生身の…女に……抱かれて………死…………」

 

 それっきりフィロタスは軽口を叩くのを永遠に止めた。

 センチュリオン二人が破れた事に恐れをなした兵士達は我先にと逃げ出し、アレーナには人間は一人も居なくなった。

 

 

 アレーナでの死闘に決着が付いたのとは違い、閲覧席の戦いは未だ続いていた。

 豪奢な席は椅子や調度品の残骸が散乱して見るも無残。壁に吊るされた見事なタペストリーはどれも半ばから荒々しく裂かれてボロ布と化した。幾つもの柱が砕かれ、滑らかな床も度重なる仕打ちに勝てず無数に抉れていた。

 この惨状を作り出したのは他ならぬ主人のコルセア。彼は鞭型のフォトンエッジを縦横無尽に操り、己が財貨を悉く破壊し尽くしていたが、ただ一つ刺客だけは壊せずにいた。

 鋭敏な足回りで視界の外へ外へと動き続けるヤトを一度も捉えられず、炎の軌跡は虚しく虚空を切り裂くばかり。

 コルセアの名誉のために言っておくが、彼は肥満体の見た目に反して技量はそこまで悪くはない。流石に魔導騎士と比すれば一枚落ちるが、大蛇の如き変幻自在の動きと音速に達する衝撃波を伴う比類無き威力の鞭は決して侮るべきものではない。

 常人であれば一撃とて避ける事すら困難のはずだった。一撃、ただ一度でも鞭頭が触れさえすればひ弱な平民の肉体など粉々に―――いや、動脈の一本さえ潰してしまえばそれで事足りるというのに。それすら叶わぬ現状に怒りと理不尽が全身を駆け巡る。

 苛立ちを隠しもせず、ただ儘に鞭を振るい続けるが、それでは当たらないのは道理である。ヤトは冷静さを欠いたコルセアの目線と手首の捻りから鞭の軌道を予測して回避行動を取り続けていた。狙いと初動が見え見えの攻撃など幾ら速かろうが喰らうわけがない。

 とはいえヤトの手元には食器ナイフしかないので攻め手に欠ける。最悪鞭の一撃を片腕で防御して一気に近づく捨て身戦法も出来るが、そこまでは追い詰められていない。出来れば無傷で鞭の乱舞を掻い潜り、あの肥満体にナイフを突き刺すのが理想だ。

 殺気溢れる鞭を回避しながら何か手は無いか考えていると襤褸切れになった赤いタペストリーが目に付く。ヤトは口にナイフ二本を咥えてボロ布を二枚拾って広げるように投げつけた。

 コルセアは向かって来る赤いボロ布を小賢しいとばかりに鞭で引き裂いたが、それが大きな隙となって刺客を見失った。

 周囲を見渡すがどこにも敵は見当たらない。しかし彼は大きな痛みと共にヤトの居場所を知る事となる。

 

「ぐあっ!!」

 

 コルセアは苦悶と共に鞭を取り落とした。彼の両腕にはそれぞれ銀製のナイフが突き刺さっている。

 同時にヤトがコルセアの背後に着地する。彼はタペストリーを投げた瞬間に真横に跳んで視界から消え、さらに上に跳んで布切れに注意を向けたコルセアの頭上を取って両腕にナイフを投げたのだ。

 

「筋は良かったのに修練が足りなかったようですね。まあ領主ですから仕方ないですか」

 

 両腕は使い物にならないが、念のために鞭を拾って確保しつつ第二目標の領主を生きたまま捕らえた。タナトスの指令に十分応えたと言える。

 後はカイル達が剣闘奴隷を首尾よく解放すれば≪タルタス自由同盟≫の勝利だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 自由の闘士

 

 

 ほんの少し前まで熱に狂った観客で埋め尽くされた闘技場も今は閑散として静寂に包まれていた。

 観客席は人一人見当たらず、辛うじてアレーナにヤト達が腰を下ろして奴隷救出に向かった≪タルタス自由同盟≫を待っていた。

 捕虜にしたコルセアは最低限両腕の止血をしてから手足を縛って頭に麻袋を被せて自由を奪ってある。

 ヤト達の傍ではクシナに懐いた岩竜が寝転がっている。彼は自由を与えられたが、どこにも行かずに今もクシナの傍にいた。同じ竜でも上位に位置する彼女に傅く事に喜びを感じているらしい。実害は無いので言う事を聞いている間は好きにさせるつもりだった。

 しばらく待っていると、顔の上半分を隠した相変わらず胡散臭い男タナトスが数百にも及ぶ屈強な亜人の集団を引き連れてアレーナに姿を見せた。カイルも元気だ。

 

「そちらの首尾は上々だった。おかげでこっちの仕事も楽をさせてもらったよ」

 

「クシナ姐さん、後ろにいるごっついのは?」

 

「儂に懐いた。名はまだない」

 

 カイルは口笛を吹いて賞賛を示す。≪自由同盟≫の連中と解放奴隷達はクシナと岩竜を交互に見て、畏怖とも恐怖ともつかない感情を持った。

 ヤトはタナトスに縛ったコルセアを引き渡して今後の予定を聞く。

 

「このトロフィーを高く掲げて、こいつの屋敷まで堂々と凱旋パレードをする。領主一族が黙って屋敷を明け渡せばそれで良し。断ったらもう一戦だな」

 

「家が欲しいというわけではないですね。財貨か何か特別な物が屋敷にあるんですか?」

 

「書類だよ。こいつらの一族は代々ここいら一帯の領主で他の貴族の家とも繋がりが深いし王家とも顔が利く。色々と人に知られちゃ拙い書類束の一つや二つ隠してるはずだ」

 

 なるほど、この仮面の胡散臭い男は相応に頭が冴えてる。情報は使いようによっては剣や金貨より遥かに強い武器という事を分かっているらしい。

 ヤトが納得したところで一団はコルセアを棒に縛り付けて高く掲げて街に行進を始めた。もちろんペットになった岩竜も大人しく付いて来た。

 街は大混乱に陥った。ただでさえ誕生式典が竜によってご破算になって騒ぎになっていたところに、武装した剣闘奴隷の大軍が堂々と行進している。さらに最後尾にはドラゴンが空に火を吐きながらのしのし歩いているのだから住民は物陰に隠れて嵐が過ぎ去るのをやり過ごす他なかった。

 対して剣闘奴隷の多くは自らを家畜のように貶めて流血に酔う街の者を心底憎んでいた。今すぐにでも手当たり次第に殺して家々を焼き払ってやりたかったが、それは恩人から止められている。何よりおいたをしたら後ろにいる恐い竜が何をするか分からないと脅されれば大人しくするしかない。

 時たま武装した兵士が一団を遠巻きに見ていたが手を出してくる様子は無かった。まともな頭があれば負けると分かってわざわざ手を出す事は無い。

 程なく一団は街の外れにある領主の屋敷前に着き、タナトスが一歩前に出た。

 

「トロヤの領主一族諸君、私は≪タルタス自由同盟≫の指導者タナトスだ。私から君達に一つの提案をしよう。今すぐ街から出て行きたまえ」

 

 高圧的で傲慢な要求に屋敷から怒号が響き、暫くして数名の武装した貴族の男達が出てきた。出てきた男達の中の身なりの良い若い男がタナトスに剣を向けて尊大に言い放つ。

 

「私は領主コルセアの嫡子ブリガントだ。貴様たちに命ずる!今すぐ父を解放して自害せよ!!さすれば犯した罪は命に免じて赦してやろう」

 

 どうやら状況を全く理解していないようだ。その上、今も自らが上位者であり、下々の者は無条件に己の命令を聞くと信じて疑わない。まだ父親のコルセアの方が人心を理解している。

 ヤトはこんな阿呆に関わっていても時間の無駄だと思って、無言でブリガントに肉薄して翠刀で右手を肘から切り落とした。剣が手から離れて地に転がる。

 ブリガントは自分の腕が落ちたのを呆けたように見つめる。数秒後に痛みに気付き、切断面を抑えて転げ回る。

 

「次、斬られたい人」

 

 血を吸い妖艶に光を放つ翠の刃を見た他の男達は武器を捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、屋敷の方では慌ただしく住民が動く音が外にまで届いた。

 タナトスはさらに剣奴の獣人数十名に、屋敷の壁を武器で叩くように指示した。おそらく時間を与えず人を追い出しにかかったようだ。下手に時間を与えて色々と持ち出されてしまうのを嫌いつつ、殺しを禁じたのも破れかぶれになって屋敷に火を付けられないよう加減したのだろう。

 狙いは的中、恐怖に駆られた屋敷の住民は手持ちの財産だけを持って着の身着のまま裏門から大挙して逃げて行き、屋敷は無人になった。

 

「よーし今から家探しするから盗賊技能を修めた者や字が読める者は来てくれ。残りは外で警戒に当たってくれ」

 

 タナトスの言われるままにゾロゾロと該当者が名乗り出て屋敷の中に入っていく。カイルと彼の道具のロスタは言われた通り付いて行ったが、ヤトは面倒だったので外に居た。そこでふとあのネズミ男の姿を見かけた。

 後で聞いた話だが、剣奴解放の折にたまたま医務室に居たネズミ男を見つけた≪同盟≫の一員が処遇を決めかねた所、自ら組織に売り込んで志願したらしい。一応教養があり、この街とコルセアに近い立場だった事から何かに使えると思ってタナトスが許可したそうだ。

 ああいう小心者は立場が悪くなれば容易く裏切りに走るだろうが、わざわざ言う必要も無かったので放っておいた。

 手持無沙汰になったヤトは庭の隅で岩竜とダラダラしていたクシナのもとに行く。

 

「この子の名前は思いつきましたか?」

 

「うん、黒くて小さいからクロチビだ」

 

「そうですか。良かったですねクロチビ」

 

 こういうのは当人が納得しているかどうかなので、クシナのネーミングセンスに一切触れずに肯定した。幸いにも岩竜改めクロチビは名を嫌がっていないのだから外野がとやかく言う事は無い。

 

 

 数時間後、家探しを終えて山のような書類束を抱えてタナトス達が屋敷から出てきた。この様子ではそれなりに成果はあったようだ。

 

「みんな待たせたな。欲しい物は手に入ったから、これから腹一杯飯を食おう!寝床も狭いが屋根付きだ!」

 

 タナトスの宣言と同時に食料を満載した荷車が姿を見せた。一団は誇らしげに≪タルタス自由同盟≫の名を連呼して喝采を上げた。

 彼等は自由に飯を食い、誰にも虐げられることなく夜を過ごし、多少狭いながらも屋根のある屋敷の中で眠りに就いた。

 もう彼等は奴隷ではない。誉ある≪タルタス自由同盟≫の自由闘士だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 タルタスの情勢

 

 

 剣闘奴隷解放から一日が経った。

 ≪タルタス自由同盟≫が最初に取り掛かったのが二百名の増員になった組織再編と屋敷を起点にした拠点構築だった。新入りの二百名は剣闘士として訓練を受けているが、元の経歴はバラバラで修めた技能はまるで違う。その中から本業に戻すべき者と兵士として働いてもらう者に分けてから、それぞれの技能に合う班を編成して班長には元からいる同志を据えた。急ごしらえだが取り敢えず急場は凌げる。

 こうして手早く組織の態を整えて次に取り掛かったのが街に残った貴族や有力者への挨拶回りだ。勿論ただ挨拶して顔を覚えてもらうような甘ったれた事はしない。

 百人の兵で貴族の邸宅を包囲して、後ろに岩竜クロチビを座らせてから貴族に金や武器を要求。断ったら屋敷の一部を破壊して今度は倍の金額を提示した。こうすると大体の貴族や富豪は喜んで財貨を差し出してくれた。他に不当に低く扱っている亜人の奴隷の自由を求めて首輪と鎖を外した。

 たまに頑として拒否して攻撃を仕掛ける者も居るが彼等がどうなったかは知らない方が良いだろう。怒れる戦士は恐いものだ。

 この時に得た大金は武器の調達や≪自由同盟≫の生活資金として景気良く街にばら撒かれた。さらに街で新規加入する同志の募集を行い、亜人の兵士以外にも人間兵を受け入れた。これには元剣奴から反発があったが≪自由同盟≫の理念である『不当な差別の廃絶』を掲げられては内心はともかく黙るしかない。勿論新入りには差別心を持たない事を誓わせて、もしそれを破った場合処刑もあり得ると前もって説明された。

 こうしてさらに二百人の新入りが追加されて人員増強に目途が立ち、それなりの規模の集団となった≪自由同盟≫だったが、まだまだ問題はやるべき事は多かった。

 まずこの街を影響下に置いても他の街や別の領地とは敵対関係にあるのは如何にも拙い。先日逃がした貴族が他の貴族に援軍を要請して戦になるかもしれない。一つの街や小さな土地なら兵が百人居れば上等な部類だが、それが寄り集まって五百も兵が集まれば出来立てほやほやの同盟軍では厳しい所がある。周りを敵に囲まれた状況では雑多な軍でも不用意に相手をして戦力を削りたくはない。

 それ以前にタルタス王政府がこの事態を重く見て、迅速な解決を考えて千の兵と十のセンチュリオンでも派兵しようものなら、一瞬で≪タルタス自由同盟≫は瓦解する。どうにかその前に状況を優位に動かす必要があった。

 実はタナトスはその事を前々から考えていて、剣奴解放の翌日には行動を始めていた。

 その事をヤトが知ったのは屋敷を乗っ取ってから三日目の昼飯時だった。

 昼時、コルセアの屋敷改め≪タルタス自由同盟≫トロヤ本部の庭でヤトとカイルはタナトスと輪になって昼飯を食っていた。

 この面子で飯を食うのは意外と珍しい。クシナが居ないのはペットのクロチビに食事をさせに森に狩りに出かけているから、ロスタは配膳と後片付けに追われている。

 雑穀パンと具だくさんのスープは素朴な味ながら中々美味い。温かい食事はそれだけで士気が向上する。解放奴隷にも食事は好評だった。

 ヤトはスープを一口飲み終えてから何気なくタナトスに尋ねる。

 

「次の戦はいつ頃でしょうか?面子もありますから国も貴族も黙って見ているとは思えませんよ」

 

「さてな。ただ、しばらくは無いと思うぞ。言っておくがこれは楽観視してるわけじゃない。もう手を打っておいたから我々が戦う必要が無いという意味だ」

 

「えっ?いつの間にそんなことしたのさ」

 

「昨日の朝にだ」

 

 タナトスの手の速さに二人は舌を巻く。ついでにその打った手とやらを聞いてみた。

 

「それにはまずこの国の王族や貴族の力関係から説明した方が分かりやすいな」

 

 タナトスは先にスープを飲むように促した。長い話になるから先に食事を済ませろという意味だった。

 全員が手早く食事を終えて話を聞く場を整えた。

 

「タルタスの現王はジュピテルというクズのロクデナシでな―――――」

 

 第一声からして酷い始まりだった。

 ジュピテルという王は現在65歳の老齢で、そろそろ死期が迫る歳だ。となると次の王になるのはその息子、宰相にして第一王子プロテシラが次の王座に就く予定だ。そこまでは順当なのだが、彼には娘は数名居るが後継ぎとなる男児が一人も居ない。正確には数人生まれているが全員が夭折していた。

 タルタスは女王を認めていなのでプロテシラ王子の後は娘ではなく、彼の弟が王座を引き継ぐことになる。これが厄介な所で、ジュピテル王は子沢山で成人した王子だけでも七人居る。その残る六人が未来の王座を狙って昼夜を問わず影に日向に熾烈な蹴落とし合いを繰り広げていた。それに無数の貴族が王になった時におこぼれに与ろうと各王子たちを支援したり他の王子の陣営を妨害していた。おまけにプロテシラ王子は弟を王にする気はサラサラ無く、孫の一人に自分の後を継がせるともっぱらの噂だ。

 

「ここまでは余所の国でもよくある権力闘争だ」

 

「そうですね。で、続きを」

 

 ヤトに促されたタナトスは話を続ける。

 王子は長男を除いて六人居るが、中でも頭一つ抜けて力を持っている者が三人いる。財政官を務める第二王子ディオメス、王軍を任された第三王子イドネス、切れ者と評判で貴族間の調整役で人気の高い第五王子オーデュスだ。

 この三人が兄の跡を狙って鎬を削り、多くの王侯貴族が表向きは仲良くしつつ裏では殺し合いも厭わない。ちなみにこの街の領主のコルセアは第二王子のディオメスと距離が近い。ただし保険として他の王子ともそれなりに繋がりを維持していた。

 

「そこでだ。俺はコルセアの名と印章で第三王子と第五王子に臣従する誓いの手紙を第二王子の不利になる情報と一緒に送っておいた」

 

「王宮が騒がしくなりそうですね」

 

「そう言う事だ。ついでにこの近辺の貴族や木っ端の貴族にはコルセアが調べて交渉材料に使おうとしていた家中の不祥事の情報を送り付けたから、しばらくは時間を稼げる」

 

 不祥事というのは大方当主やその息子が正妻や子供に黙っていた私生児の事だろう。貴族にはよくある話だ。

 

「でもそれが本当にコルセアの寄越した手紙だって認めるかな?」

 

「コルセアや息子が死んでいないのは逃げ出した者達から知るはずだ。認めなくても頭の良い奴ほど心に疑いが生まれる」

 

 タナトスは自信満々に唇を釣り上げて笑う。悪だくみはお手の物らしい。

 コルセアの殺害を目標に入れず確保にしたのも今の状況を見越しての事と言うわけだ。おまけに息子のブリガントも自由を奪って生かしてある。頭が良く猜疑心の強い者ほどこれが何かの陰謀か欺瞞ではないかと考えてしまう。それを確かめるには兵を挙げるよりまず情報を得ようと間諜を送り込む。情報を精査するにも時間がかかる。

 

「本当に奴隷の反乱かどうか、そして俺達≪自由同盟≫の事を知ろうとまず情報を探りに来る。そいつらにはあやふやな情報を持ち帰ってもらい、さらに混乱させてやるよ」

 

「王国の介入は心配いらないようですが、センチュリオンはどう動くと思います?」

 

「あいつらは国王の直属だからそう簡単には動かん。ただ、中は色々と生臭いから派閥の点数稼ぎで数名が勝手に来るかもしれん」

 

 どうもこの国の騎士団は一枚看板ではないようだ。尤もそれはある意味当然の事で、センチュリオンの出身はタルタス全土にわたり、それぞれの地元の領主と縁が切れていない。彼等とのしがらみや己自身の立身出世から率先して王族と関わる魔導騎士も多く、王の直属と言いつつイマイチ纏まりに欠ける武装集団だった。

 と言う事はセンチュリオンがこの街に来る可能性はそこそこある。ヤトにはそれが分かっていれば十分だった。

 

「まあそれでも情報が王都に流れるまでかなりの時間がかかるだろう。その間に俺達は俄か兵を一端の軍隊に仕立てなきゃならん。お前も手伝ってくれるか?」

 

「僕は用心棒であって教官は務まりませんよ。仮想敵として揉んでやるのが関の山ですが」

 

「それで十分だ。なるべく死なないように頼む」

 

 タナトスはヤトの背中を叩いて屋敷の中に入った。便利扱いは困るがしばらく仕事も無いので暇潰し程度に付き合ってやることにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 避けられない戦

 

 

 ≪タルタス自由同盟≫がタロスの街を実効支配してからそろそろ一ヵ月が経とうとしていた。

 街は小さな諍いや問題はちらほら見えていたが、表面上は穏やかな日々が続いている。これはタナトスが全同志に乱暴狼藉や盗みなどを厳禁して自ら治安を乱すような真似を避けたのと、貴族や富豪から援助の名目で巻き上げた金を気前良く平民に商品の代金として支払った事と納税を前より低く設定して支持を得たためだ。

 古来より無意味に暴力を振るわず、必要以上に税を取り立てなければ大抵の為政者は支持される。

 それでも諍いがあるのはこの国に根付いた魔法至上思想と双璧を成す人間第一思想にある。タルタスでは魔法の才があれば亜人でも良い扱いを受けられるが、無ければ無条件で人族の下に置かれて奴隷扱いを受ける。

 つい先日まで奴隷だった亜人連中が大手を振って我が物顔で街を歩けば忌々しいと感じる者はそれなりに多い。

 おまけに不当な差別を禁じた事で各家の所有物扱いだった亜人奴隷は全て自由の身となってしまい、今まで法で認められていた財産を不当に奪われたと恨みを抱く者がそれなりに居た。傍から見れば奴隷として酷く扱った亜人に報復されないだけマシだろうが、人は元から持っていた権利や財を奪われたと感じてしまう。

 中には実力行使で奴隷を奪い返そうとした魔法使いが数名居たが、武装した屈強な獣人兵士により一掃されて首は街の広場に晒された。それが小さな諍いというわけだ。

 

 さて≪タルタス自由同盟≫は街をそれなりに統治しているが、用心棒役のヤト達はと言えばこちらも程々に仕事をしつつ飯を食う生活をしていた。

 ロスタは相変わらず従者として家事に追われる立場だった。彼女にとって本業と言えるので不満はさして無い。むしろ最近は料理の練習もさせてもらえるようになったので心なしか上機嫌に見える。尤も料理の腕は遅々として上達せずにメシマズメイドのままだったが、彼女の作った料理は捕らえられたコルセア親子に食事として与えられたので無駄にはならなかった。断じて捕虜虐待ではない。

 彼女の主カイルは盗賊の技能を活かして日夜街を駆けて様々な情報を得ている。そうした情報の多くは指導者タナトスに伝えられて効果的な統治に用いられた。特に不満を持つ貴族や富豪の企てた反乱を何度か事前に察知して潰した事から彼の≪自由同盟≫内での評価はかなり高い。

 ヤトはといえば相変わらず暇さえあれば剣の鍛錬に余念が無いが、時々腕自慢の兵士と手合わせしたり、頼まれれば兵の調練に駆り出されて仮想敵を務める事があった。とはいえ彼が戦うに値する兵士は数名の獣人ぐらいで、後は百人相手取った所で満足はしなかった。反対に兵士の方は対魔導騎士の訓練と考えればそれなりに経験は積めたので全くの無駄という事はない。

 ただの兵士にとって戦場で魔導騎士と相対するのは文字通り死を意味する。例え兵の数が百を超えても唯一人の騎士を殺す事でさえ至難の業だ。彼等はそれをヤトとの模擬戦で嫌と言うほどに経験した。そういう意味では兵士達は痛みこそあれ死なないのだから幸運と言えただろう。

 最後にクシナはと言えば何故か街の子供に大人気だった。正確にはクシナの後を離れない岩竜のクロチビが子供を惹き付けてやまないからだ。分別の無い子供は良くも悪くも大人の言う事を聞かない。それはこの国の常識を持たない事と同義だ。常識の無い子供にとって闘技場でしか見られない巨大な竜は非日常の象徴であり、それを間近で見て触れるとなれば我慢出来る子など一人としていなかった。

 子供たちは街を闊歩するクシナと竜に遠慮なしに近づいては触ったり背に乗ろうとした。触るだけならまだ良かったが、流石に乗るのはクロチビが嫌がり軽く吠えたが、それすらも子供には途方もない刺激となって、より多くの子供に付きまとわれる悪循環になってしまった。

 比較的おとなしい竜種の岩竜でも怒れば人など一たまりも無いが、そこはクシナが宥めて大人しくさせている。エンシェントドラゴンたる彼女にとって言葉も発せない竜は小型犬と大して変わらないし、人の子供はもっと小さな仔猫扱いだ。お互い怪我をさせないように少しばかり気を遣って接していた。そんな様子を街の人々は見ていて恐れはしたが害は無いと分かり、ほんの僅かだが竜コンビへの態度は軟化した。

 

 

 それぞれに意味ある一月を過ごしていた≪タルタス自由同盟≫だったが、ある日の夜にタナトスは主だった幹部を屋敷の会議室に集めた。そこには最近用心棒というより食客のような扱いを受けるヤトとカイルも居る。

 会議室に集まったのは十数名。半数以上は亜人だが数名人間もいる。

 上座のタナトスはいつになく真剣な様子。雰囲気からあまり良い話ではないと察せられた。

 

「同志諸君、遅くに集まってくれてありがとう。今我々は由々しき事態にある」

 

「指導者、それは―――」

 

「カイル、お前が調べてくれた情報を彼等にも教えてやってくれ」

 

「はいはい。じゃあ簡潔に言うと、街の南の領地で何人かの領主が兵を集めてる。前に逃げたここの貴族を頭にして力で街を奪還するつもりだよ。仕入れた情報から計算して街に来るまで早ければ五日後ぐらいかな」

 

「ちぃ!やはり来やがるか!!来るなら来てみやがれってんだっ!!」

 

「そうだ!そうだ!返り討ちにしてやる!!」

 

 会議室はやおら気炎を吐く声で一杯になり煩いがタナトスは彼等をすぐに黙らせずに、一度気を吐き出されてから努めて穏やかに座らせた。

 

「感情に任せて声を荒げるのは誰でも出来る。だが相手の数や装備を知らずに勝てると言うのは愚か者のする事だぞ。カイル、相手の数は何人だ?」

 

「大体六百ぐらいかな。半分は徴発した農民で、もう半分が奴隷の獣人。後は指揮官級の魔法使いが十人ぐらい。魔導騎士は未確認で居ないとは言い切れない」

 

「魔導騎士は貴族でも早々居ない。居たとしても一人か二人だろう。さて、六百か。数は向こうが多いな」

 

「数なんて当てにはならん!相手は戦いを碌に知らない農民と嫌々戦わせられる奴隷だぞ!俺達が負ける理由なんて一つも無いぞ同志!!」

 

 猪の獣人がタナトスが弱気になっていると思って励ましの声を上げる。彼の名はカリュー。この街の売れっ子剣闘奴隷だったが≪自由同盟≫に解放されてからは組織の思想に強く賛同していて剣奴上がりの獣人兵士の纏め役もしていた。

 カリューに励まされて士気を取り戻したかのように見えたタナトスは一度咳払いをして仕切り直してから話を続けた。

 

「俺はお前達の強さと信念を微塵も疑ってはいない。だが、戦となれば大勢の者が死ぬ。こちらも、相手もだ。特に攻めてくる兵士の大半は命令されて仕方なく戦う者達だ。それはかつてのお前と同じ立場にあるのを忘れていないか?」

 

「むむっ、それは困るぞ。どうすれば不幸な者達を救えるんだ!?」

 

「それを皆で考えよう。思いついた意見を遠慮なく言ってくれ」

 

 面々は色々な意見を出したが実現が難しい案――――例えば今すぐ暗殺者を送り込んで旗印となった貴族を行軍中に殺す、細い街道に岩を置いて軍が通れないようにする―――――など現実的ではなかったが、やはりと言うべきか頭の貴族を潰してしまえば良いという声が多かった。事実、戦う気になっているのは命令する貴族ばかりで、実際に命を賭ける徴集兵は集められただけで士気は低い。

 結論は皆分かっていた。方法が分からないだけだ。

 あーでもないこーでもないと只々時間ばかりが過ぎて煮詰まった所で、タナトスは一度も声を発していないヤトに意見を求めた。

 

「お前は長く傭兵として渡り歩いていたと聞いている。何か良い手立てはあるか?」

 

「指揮官を殺すだけなら大して難しくないですが、余計な人死にを避けるとなると二手、三手の工夫が要りますね。………では、このような策はどうでしょうか―――――――」

 

 ヤトが考えた策を皆に打ち明ける。

 全てを聞き終えた面々は一様に考え込み、賛成する意見がちらほら出てくる。

 上手くいかなかった時はどうするのかという意見もあったが、その時は多少の犠牲を目に瞑ってでも勝ちを取るとヤトだけでなくタナトスも断言したため、ヤトの策が採用された。

 戦を決断した面々はそれぞれの責務を果たすために足早に会議室を出て行き、部屋に残ったのはタナトス、ヤト、カイルだけになった。

 

「何て言うかさ、タナトスさん人を乗せるのが上手いよね」

 

「それに芝居がかった話は役者の才能も有りますよ」

 

「そうでもない。あんなもの小手先の技程度さ。むしろ人心の機微に敏いのはお前達もだろう?」

 

 二人の称賛にタナトスは謙遜もなく平然と返す。

 実はあの会議は事前に数人があらかじめ打ち合わせして筋書き通りに動いた出来合いの会議だった。今残っている三人以外にも誘導役を一人混ぜてあった。

 なぜそんな面倒な事をしたかと言うと、他の幹部に相談したという事実を作り不満を出さない処置だ。

 タナトスは≪タルタス自由同盟≫の指導者で他の同志に命令する権限がある。そして組織内で考える頭を持っているのは彼だけだ。だから他の幹部の意見を聞かずに一方的に戦を決定して命じる事も出来るが、それでは相手が不満に思う。だから形だけとはいえ意見を話し合う場を作って彼等を尊重する姿勢を見せていた。

 ただ今までそれで効果的な意見が出た事は早々無いし、大抵サクラを混ぜて意見や思考誘導する事の方が多い。そうして常に組織の主導権を握りつつ、不和を日頃から抑える技に長けている胡散臭い覆面指導者の人心掌握術を二人は称賛した。同時にタナトスもまたヤトの献策能力とカイルの情報収集力を高く評価していた。

 三人は軽口を叩きあってからそれぞれ準備に取り掛かった。

 戦はすぐそこまで迫っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 手品の類

 

 

 ≪トロヤ奪還連合軍≫の最後尾。細部まで絢爛な装飾の施されたプレートメイルに身を包み、馬上で街の手前に布陣した≪タルタス自由同盟軍≫を忌々し気に見つめる青年がいた。

 彼の名はレイド。かつての領主コルセアの甥にあたる貴族だった。一月前、彼は生まれ育った街を追い出されて縁戚を頼って南の領地に駆け込んだ。そしてはらわたの捩れる様な怒りのまま領主をしていた母方の叔父を口説き落として、近隣の領地からも応援を頼み一ヵ月待って兵を出してもらった。

 総指揮権は得られず名目上の総大将として馬に乗っているだけなのが不満だったが、それでも自らの名がトロヤの解放者として永遠に刻まれると思えば悪くない。かろうじて生きているらしいコルセア伯父や従兄弟のブリガントも泣いて感謝するだろう。正統の従兄弟がいる以上は新たな領主の地位は難しいが、一生頭が上がらないに違いない。影から領主を操る補佐役と言う肩書も悪くない。

 栄光で舗装された未来を想像するだけでレイドから愉悦の笑みが零れた。

 

「御大将、口元が緩んでおります」

 

「あ、ああ済まない。つい戦が待ち遠しくて」

 

「その意気や良し!縮み上がっているより余程頼もしい。ハハハハ!!」

 

 轡を並べた護衛から指摘されて慌てて直したが、隣にいたレイドの叔父は豪胆に笑い飛ばして背中を強く叩いた。

 夢現から引き戻されたレイドは今一度正面に展開した恥知らずの反逆者の集団を見据える。

 人の姿もちらほら見られるが大半は獣人の兵士だ。全員が一端の鎧兜を身に着けて槍や剣を携えている。こちらの亜人奴隷は粗末な槍と木盾しか持っていないというのに、獣風情が生意気にもほどがある。それはまあいい。どれだけ獣を集めた所でこちらには真に力を持つ貴族が十を超える。少し力を見せてやれば容易く尻尾を巻いて逃げおおせる。

 問題は別の所にある。

 

「竜の姿が見えませんな」

 

「持ち帰った情報では確かに岩竜がいるとあるが、出し惜しみするほど余裕があるとは思えん。なにか策でもあるのか」

 

 本陣の貴族達が口々に竜の存在を危惧するが、それを心配性とも臆病と笑う者は一人としていない。彼等魔法使いでも竜は決して油断してよい相手ではない。勿論対抗手段は用意してあるが、それでも獣人兵士数百より警戒に値する存在が竜だった。

 対抗手段とは幻獣を意のままに操る魔法具『虜囚の首輪』である。この魔法具があればどんな屈強で凶暴な幻獣でも好きに操れる便利な道具だ。当然相応に値も張り数も少ないが効果は絶大だ。それを数個手に入れて前衛の指揮官に渡してある。隙を伺い反逆者の竜に使えばたちまち頼もしい味方となって恥知らずの獣共に襲い掛かるだろう。

 連合軍の首脳が不審を抱き始めた頃、突然街の正門が開かれて奥から黒い大岩のような竜が姿を現した。たちまち農民兵や奴隷兵から悲鳴が上がり、貴族にも緊張が走った。

 ≪自由同盟軍≫が左右に別れ、出来た道を我が物顔で岩竜が練り歩く。その竜の前を覆面男と片腕の女亜人が堂々とした面持ちで歩いていた。密偵の情報が確かならあの覆面男が叛徒の首魁か。

 その男が両軍のちょうど中間点で立ち止まり、やおら声を張り上げる。

 

「私は≪タルタス自由同盟≫の指導者タナトスだ。諸君らに言っておく、今すぐ故郷に帰りたまえ。何故無駄な血を流し、命を散らすのか。私は無益な犠牲を望まない」

 

 その言葉に農民や奴隷に動揺が広がる。

 何という不遜な物言いか。恥ずかし気も無く主人たる貴族に命令し、挙句に己の勝ちは揺るがないと囀る。

 レイドやその叔父は今すぐにでも全軍突撃の命令を下したかったが、謀反人の後ろに控える竜が空に向けて火の吐息を吐き出して出鼻を挫かれた。やはりあの竜を何とかせねば戦にならない。

 そのためにはどれだけ犠牲を払おうとも竜を隷属させて意のままに操る事が肝要。全軍を進ませる必要があった。

 総大将のレイドは全軍突撃の号を発しようとしたが、またしてもそれは叶わなかった。

 前線の奴隷兵が騒がしい。よく見れば獣人の一人が正気を無くして喚き散らしている。

 

「い、いやだー!俺は竜に食われたくねえ!お願いだから逃がしてくれー!!」

 

 ネズミ顔の痩せた獣人が狂ったように喚き、一瞬で恐怖が周囲に蔓延する。それを何とか指揮官の一人が抑えようとしたが上手くいかない。

 

「くそっ!誰かあのネズミを殺してでも黙らせろ!これでは戦が始まらん!」

 

 指揮官がレイドの命令を遂行しようと奴隷を殺そうとしたが、その前に別の獣人が指揮官を後ろから剣で刺して殺してしまった。

 これで重石が外れてしまった奴隷兵の多くが蜘蛛の子を散らすようにバラバラに逃げる。一部は敵である叛徒の軍に向かった。

 

「こちらに逃げる者は殺してはいかん!温かく迎えてやれ!!」

 

 タナトスの言葉に従い、逃亡兵は誰一人として攻撃されずに保護された。これには農民兵も動揺して腰が引ける者が続出した。

 

「なんたる無様かっ!!貴様らはそれでもタルタスの男か!!」

 

 貴族たちは口々に兵を罵って怒りをぶつけるが、既に時は逸した。

 そして彼等の後ろには死神が剣を携えて迫っていた。

 貴族達の後ろにある何の変哲もない草むらが盛り上がると、そこから数名の男達が現れて雷光の如き速さで肉薄。完全に前に集中していた護衛兵も気付くのが数秒遅れてしまい、敵を決定的な距離まで素通ししてしまった。

 

「て、敵襲ーーー!!!」

 

 兵の言葉に首脳全員が後ろを振り向いた。レイドの生涯で最後に見た光景は、自分に向かって妖しく翠に光る東剣を振りかぶる年下の青年の感情をそぎ落とした顔だった。

 青年の翠刀がレイドの頭に食い込み、ずぶずぶと身体を引き裂き、股まで二つにしても刀は止まらず、乗っていた馬ごと両断してしまった。

 そして一緒に居た獣人がそれぞれ馬上の貴族を仕留めて高らかに武器を掲げた。

 

「敵将をヤトが討ち取ったぞー!!≪タルタス自由同盟≫の勝利だーーーー!!!!」

 

「お前達の将は既にわが手の者が討ち果たした。これ以上の流血を私は望まない。今すぐ武器を捨てて家族の待つ郷に帰るが良い」

 

 後ろを振り向けば血に沈んだ貴族の死体と数名の敵兵。前を向けば敵軍と黒い竜。どちらに逃げるべきかは考えずとも分かる。

 農民兵は一人また一人と槍や盾をその場に捨てて元来た道を一目散に走って逃げた。

 貴族の護衛兵は主人を斬った仇に剣を向けるも、ヤト達が貴族の死体を無造作に兵に投げ渡すと、迷った末に彼等は主の亡骸を抱えて逃げるしかなかった。

 そして残ったのは奴隷の亜人だけになる。彼等には待つべき者も帰るべき所も無い。タルタスはそうした亜人を分け隔てなく組織に迎えた。

 トロヤ奪還戦は敵指揮官の貴族を悉く討った≪タルタス自由同盟≫の完全勝利で幕を下ろした。

 

 

 戦が終わり≪自由同盟≫の兵士は後始末に追われていた。と言っても死人が殆ど出なかったので墓堀はせず、敵兵の捨てた武具を拾い集めるだけの簡単な仕事だ。

 ヤトも隠れて本陣に近づき奇襲で一太刀しか仕事をしてなかったので片づけを手伝っていた。

 

「へへへ、ヤトの旦那は後始末ですかい?総大将を討つ大金星を挙げったってのに殊勝ですねえ」

 

 品の無い笑い声に特に返事を返さずヤトは黙々と周囲の武器を拾って荷車に乗せて、一区切り付いたところでようやく傍にいた小柄なネズミ男に返事をした。

 

「貴方も良い演技でした。おかげで前に注意が向いて楽に近づけました」

 

「そうでしょうそうでしょう!いやー昨日からこっそり敵陣に潜んた甲斐があったってやつでさー」

 

 ネズミ男、本名をケイロンという。名は異国の古い英雄から付けられたらしい。何でも武勇に優れた賢者だそうだが、その割に目の前の男は賢いというよりは子狡い、小賢しいという評価の方が正しい気がする。

 そのケイロンはヤトに褒められて調子付いてベラベラと己の苦労と自慢を一方的に喋り続けている。

 実際彼を含んだ数名の亜人は昨夜から街の奪還軍の野営地に忍び込んで敵前逃亡の煽動役を務めていた。危険な役を担ったのだから少しぐらい自慢させてやるのが人情というものだ。ちなみに亜人奴隷は彼等が潜入したのを知っていたようだが、好き好んで憎い貴族に報告するような者は一人もおらず、見て見ぬふりをしていた。

 

「でも聞きましたよー。今日の策は旦那がタナトスの首領に授けたって。いやはや、腕っぷしが強くて頭が良いなんて俺からしたら妬ましいぐらい羨ましいこって」

 

「頭の良し悪しはさして関係ありませんよ。どうやって相手の機を逸らすか、視界に入らないかを考えて動けば誰でも出来る事です」

 

「ははー、手品師の基本ってやつですかい」

 

 ケイロンは感心したように頷く。この男、卑屈な態度に隠れているが意外と学がある。

 彼の言ったように今日の作戦は手品の類でしかない。最初に派手な岩竜のクロチビの姿を見せて前方に注意を向ける。

 その時から離れた場所で待機していたヤト達がカイルの頼みで草の精霊が生やした草に紛れて、タナトスの演説の中に音を隠して接近。

 ギリギリまで近づいてから、亜人奴隷の逃亡劇および指揮官の一人を殺害。関心を完全に前に向けた所で一気に奇襲して大将の首を狩る。

 説明されれば策と呼べないようなごく単純な騙しだ。これが訓練された兵隊ばかりの正規軍ではこうはいかない。士気が底まで落ちている奴隷や徴用兵だから上手くいったに過ぎない。

 

「そういうわけで大したことはありません。むしろこれからが大変ですよ。何せやせ細った二百以上の元奴隷を一端の兵士にするんですから」

 

「そこらへんは首領が何とか考えるでしょう。それにここには飯も寝床もたっぷりあるんだから何とかなりますって。あーただ――――」

 

「何か?」

 

「大した事じゃないんですが、最近うちの連中が余剰の麦とか武器とかを荷車でどっかに運んでいるんですよ。一応タナトスの首領の命令だって正式な命令書は持ってるからどうこう言えないんですが、どこに持っていくのかを言わないんで、どうも気になるつーか」

 

「正式な命令なら横流しのような問題は無いでしょう。――――貴方は隠れてやっていませんよね?」

 

「―――――や、やだなー旦那。俺を疑ってるんですかい?へっへへ、じゃあ俺はこれで―――――」

 

 尖ったネズミの鼻をヒクヒクさせながらケイロンは脱兎のごとくその場から逃げて行った。あの様子では隠れて良からぬ事をしているらしい。

 とはいえこれは内政担当が気付くべき案件だ。用心棒のヤトがどうこう言う気はサラサラ無い。

 横領疑惑はさておき中断していた後片付けを再開して戦の後始末は問題なく終わった。

 案の定、その夜は戦勝を祝って≪自由同盟≫は多くが酔い潰れるまで酒を飲み続けて翌日はまともに仕事をする者はごく少数であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 姉弟騎士の受難

 

 

 トロヤ奪還軍を完全勝利で退けた≪タルタス自由同盟≫は自分達を喧伝するのに余念が無かった。

 指導者タナトスは周囲に散らばる工作員に勝利と共に組織の掲げる思想≪理不尽な差別の根絶≫を広めるように命じた。面白いのは敢えて兵の数を伏せて、奴隷兵や農民を一人も殺さず、差別の象徴である貴族だけを討った事を喧伝するように命じたことだ。

 通常反体制組織は強さを人々に伝えるために敵兵の討ち取った数を数倍は誇張して触れ回るものだ。だがそれでは≪自由同盟≫の思想から外れて民衆には恐怖しか与えない。

 そこで敵兵の数より貴族を除いて一人も殺さず勝利した事だけを広めた。どうせ噂は広まるにつれて尾びれが付いて正確な数など分からなくなる。しかし最初から零なら増えようがない。噂は故意に歪めさえしなければ正確な情報として伝わるだろう。

 そうしてタナトスは差別階級の奴隷や亜人以外にも、重い税と地主に苦しめられる貧しい農民に自分達は味方だと広めた。

 その甲斐あって近隣からは毎日のように亜人や貧農が街に来て組織に参加を申し出た。中には鎖の付いたままの奴隷と思わしき亜人も多く、組織は彼等を温かく迎え入れた。

 そうした集団の中に一つ目を惹く男女が居た。

 男は奴隷のエルフ、女は若い人族の貴族令嬢。二人は貴族と屋敷の奴隷という立場にあって道ならぬ恋に落ちて、決して結ばれない事に諦観の淵にあったが、≪自由同盟≫の思想を聞き、一抹の望みをかけて近隣の小さな領地から着の身着のまま逃げてきたらしい。

 当然だが助けを求める者の手を振り解くような事はせず、タナトスは快く二人を受け入れた。

 安住の地を得た二人は慎ましい結婚式を挙げて晴れて夫婦となり新たな生活を始めた。夫のエルフは木工職人として働き、妻となった令嬢は読み書きが出来たので、屋敷で書類と睨めっこの毎日だ。毎日忙しいが二人はとても充実した日々を過ごして楽しそうに笑っていた。

 勿論二人の馴れ初めと結婚生活はタナトスが吟遊詩人に命じて各地の酒場や辻で謳わせて美談として広めた。この話は人気を博し、大いに≪タルタス自由同盟≫の名を押し上げることとなる。

 

 

 よく晴れた昼時。≪タルタス自由同盟≫の屋敷の庭では昼食が振舞われていた。今日のような天気のいい日は屋敷の竈で料理を作らず、大釜で大量に料理を作って配った。

 今日の昼食は豆とタマネギのたっぷり入ったスープと焼きたての大きな雑穀パン。ヤトとクシナは獣人たちと一緒に並んで昼食を受け取り、庭の隅で昼寝をしているクロチビの傍で食べ始めた。

 二人の周りには同盟の者は居ない。誰もが少し離れた所で食事をしている。鬼教官と怪物嫁が恐いから近寄らないというわけではない。夫婦の団欒を邪魔したくないからだ。嘘ではない。

 ただし組織内の二人の立場は微妙だ。元々外から来た旅人でこの国に縁を持っていないのと≪タルタス自由同盟≫の掲げる思想に否定はしないが全く賛同する気が無いのを知っているから。さりとて俗な欲を持って財貨や土地欲しさに協力しているわけでもない。

 能力は極めて高いが、とにかく何を考えているのかよく分からない一行に、それなりに気を許しても真に心を許す者は一人も居なかった。まあヤト達も必要以上の信用を得ようとか終生の友になる気はサラサラ無かったのでお互い様だろう。

 クシナがお代わりを二回貰って腹が満足した頃、不意にクロチビが目を覚まして鎌首をもたげ、空の一点を見続けていた。不審に思ったクシナも上を見上げるて目を凝らす。

 

「あれは――――鳥じゃない。翼と四つ足の背に二本足が跨っているな。二体いる。こっちに近づいているのか?」

 

 彼女の言葉通り、空から二つの物が段々とこちらに近づいて来ている。

 そして屋敷の庭の空いた場所に堂々と降り立った。

 最初に目を惹いたのは二頭の翼を持つ獣。ワシの頭と翼、馬の胴体を持つ幻獣ヒッポグリフ。この幻獣は戦闘力に優れ空を飛べるが気位が高く万人に懐かないものの、タルタスの騎士に人気が高い飛行型幻獣だ。

 その幻獣から降りたのはまだ若い赤い髪の男女。どちらも身なりが良く容姿も整っているが、気性の荒い豹のような荒々しい攻撃性を宿した鳶色の瞳を持っていた。

 少年の方は周囲を見渡してから、嘲るような目で鼻を鳴らした。

 

「へっ、街一つを落とした叛徒だっていうから来てみたら、数が多いだけの雑魚ばっかじゃねーか。これならさっさと用事を済ませるか」

 

「あんまり油断しないのオットー。一応センチュリオンを倒せる使い手はいるんだから」

 

「はいはい分かってるよエピテス姉さん。じゃあ聞いとくけどあんたらのボスはどこだ?首だけ持って帰りたいんだけどー」

 

 オットーと呼ばれた少年の一言で庭の兵士は戦闘態勢に入る。彼の一番近くにいたヤギ人の兵士が後ろからフレイルを叩きつけたが、少年は後ろを見もせず腰のフォトンエッジを居合の要領で抜き放ってフレイルを切り落とし、切っ先をヤギ人の喉元に添える。

 光刃で焼ける体毛の臭いと恐怖で失禁したヤギ人の尿の臭いが周囲に立ち込める。手にしていたのは紛れも無くフォトンエッジ。少年は魔導騎士だ。

 

「ったく、じゃますんじゃねーよ」

 

 なまじ戦いの経験があるからこそ、一太刀で実力差を感じ取った兵士達は囲みはすれども少年と戦おうとはしなかった。

 ここでいつものヤトなら真っ先に戦いに名乗りを上げるが不思議と今日はゆっくりしていて、隣のクシナに何か耳打ちして屋敷の中に行かせた。それから剣を抜いてオットーの前に立つ。

 翠刀を構えるヤトを見たオットーは見どころのある奴が出てきて喜ぶ。彼はフェイントも無しに一気に地面を蹴って突きを放った。

 そんな見え見えの攻撃に当たる筈が無く、ヤトは予備動作を読んで一拍子速く後ろに回り込んでオットーの頭に翠刀を振り下ろした。

 

「バカッ!後ろよ!!」

 

 エピテスの警告にオットーは反射的に左腰のフォトンエッジを後ろに回して、かろうじて翠の刃を受け止めた。しかし受け方が悪く、体勢を崩して地面を転がった。

 警戒しながら立ち上がるが、左手の痛みに顔をしかめる。斬撃を受け切れずに手首を痛めたのだ。

 

「まだまだヒヨッコですね。お姉さんに助けを求めるなら今の内ですよ」

 

「てめぇ、俺をバカにしやがったな!!!」

 

 嘲りを受けて怒り心頭のオットーは技巧も何もない感情に任せて突撃した。

 ヤトは迫る赤い双炎刃を恐れず、なお速く一歩踏み込み、オットーの両手を掴んで竜の力で肘を圧し折った。

 両腕があらぬ方向に曲がった少年騎士はその場に膝をついて絶叫する。

 弟の窮地にエピテスはナックルガード付きのレイピア型フォトンエッジを握るが、ヤトが彼女の視線をオットーで遮ったので迂闊に動けなくなった。

 さらにヤトは彼の頭に手を添える。

 

「剣を振るえば弟さんの頭をパンみたいに握り潰します」

 

「くっ人質とは卑怯な!」

 

 戦いの中で卑怯もクソも無いどころか喧嘩を売って来たのは姉弟の方なのに、なぜこちらが悪いようにいわれなければならないのか。

 そしてエピテスと戦わず待ち続けると、屋敷からクシナと共にカイルがやって来た。

 

「待ってましたよカイル。あちらの女性と戦ってください」

 

「何で僕が?」

 

「貴方はまだこの国の騎士と戦ってませんから。いざという時のために交戦経験は積んだ方が良いですよ」

 

「あーそれはそうだけど……はいはい、言う通りにするから」

 

 理屈は分かるが突然戦えと言われると困る。兄貴分が剣を向けた先に居る同年代の少女を見た。なんだかおっかない顔をしてこちらを睨んでいる。

 

「私見ですが騎士としてはヒヨッコですから最初に戦うには良いでしょう。あーそちらの方、彼に勝ったら弟さんを解放して見逃してあげます」

 

「本当だな?」

 

「見習いの首を取った所で何を誇れと?」

 

 エピテスは格下と侮られて腹が立ったが、条件付きで撤退出来る機会を提示されてやる気になる。カイルも短剣を二振り抜き、臨戦態勢に入った。

 先に動いたのはカイル。左から斬りかかるが短剣ではリーチが圧倒的に足りないがそちらは囮。本命は右の短剣の柄に隠した太い針の投擲。

 本来なら視界に捉えるには至難だが、理力による先読みに長けた魔導騎士には通じない。エピテスは針を躱して間合いを詰めて首を刎ねようとしたが、横に跳ばれて避けられた。それでも追撃の袈裟斬りを放つが、針をもう一本投げられて理力で逸らした隙に間合いから逃げられた。

 なまじ先読みが出来るから反応してしまう。これが針に気付かずそのまま斬りに行ったらその時点でカイルは死んでいた。尤も暗器の類は毒が塗られている可能性もあるので掠っただけで危険。それを考慮すれば避けるのは正解だ。事実今の針は二本とも致死性ではないが毒針だった。

 再び距離を取った両者。一見して互角に見えるが両者の力量差は歴然としている。

 カイルは正面から戦ったら負けると確信した。元より自分は盗賊、騎士のように正面から敵と戦う技能には特化していない。ならばどうすべきか?正面から一対一で戦わなければ良いだけだ。幸いこの場には味方となる頼もしい友朋が無数にいる。彼等に少しばかり手助けしてもらえれば何とかなる。

 変化はすぐに訪れた。エピテスの背後の雑草が急激に伸びて自らの意思で動き出し、まるでタコやイカのような軟体動物のように彼女を捕食しようと襲い掛かった。

 

「えっなにこれ!?きもっ!いったいなんなのよー!!」

 

 恐怖と困惑で絶叫しつつも炎刃を振るい近づく無数の草を切り払う。しかし草だけでなく、足元から蔦や蔓が伸びて足に絡み付いて少女を持ち上げる。驚き光刃を振るうのを止めて手足をばたつかせるが、そんな事で振り解けるわけもなく、フォトンエッジを手から落としてしまった。

 おまけに草や蔦が服の隙間から全身に入り込み、縦横無尽に動き回ったのでエピテスは笑いを抑えられなかった。

 

「あはははははは!!!や、やめてええええ!!ははっはははあは!!ひえっ!おほっ!!い、息ができはっははははっはは!!!くるしっいひいいいいははは!!」

 

 今のエピテスを見ればわかるだろうが、実はくすぐりというのは呼吸を制限するので、加減を間違えれば発狂する可能性もある拷問行為だ。カイルは彼女のような騎士は痛みに耐える訓練はしていても、快楽に耐える経験は少ないと見て無力化のためにこの方法を選択した。

 というのが本来の目的だったが、笑いながら苦痛にあえぐ少女の姿を見ると、どうにも嗜虐心をくすぐられる。どうせ闘争心を圧し折るにはまだまだかかりそうだから、少し長めに緩急も付けてじっくり見守るとしよう。

 

 

 ―――――三十分後。

 カイルに頼まれた植物の精霊に嬲られまくって息も絶え絶えになったエピテスは解放された。

 

「おほう、お゛お゛う」

 

 彼女は痙攣して立ち上がる事すら不可能だった。刺激に耐えられずに失禁した下半身はビジャビジャになって臭気を漂わせている。これでは騎士を名乗るどころか女として死んだも同然だろう。

 

「………こういうのが好きなんですか?」

 

「ち、ちげーし!反撃されたら困るから少し長めに責めただけだし!!」

 

 ヤトにだって言葉使いが普段と違っているのに突っ込まないぐらいの優しさは持ち合わせていた。弟分のあまり見たくない一面を見る羽目になったが、担架を二人分呼んでもらって騎士姉弟を運んでもらった。思いがけず捕虜が二人も手に入ったのは僥倖だった。

 騎獣のヒッポグリフは主人達が運ばれていくのを見ていたが助ける素振りは見せなかった。負けた者に情けをかける気が無いのか、殺されないので安心しているのかは分からない。ともかく暴れないならクロチビの餌にする必要は無いだろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 不公平な取引

 

 

 オットーとエピテス姉弟が捕らえられた翌日。

 屋敷の一室でタナトスは護衛のヤトと共に片割れの弟の方の尋問を始めた。姉の方は組織の者とカイル主従が同じように尋問をしている。姉弟を一緒にしないのは反抗された時に面倒なのと、別々にした方が聞き出した情報の精度が上がるからだ。

 オットーはヤトに折られた両腕を添え木と包帯で固定していて見るからに痛々しい風体だがそれ以外は元気そうだ。と言っても理力は腕が使えないと上手く制御出来ないので逃亡も出来そうにない。それでも反抗心は折れておらず、腕を折ってくれたヤトの顔を睨みつけている。

 

「それだけ元気なら話せるな」

 

「ふん、話をしたいなら顔ぐらい見せろやオッサン」

 

「俺は25歳だ。オッサン扱いはまだ5年は早い」

 

 どうでもいい事にこだわるタナトスにヤトは若干の呆れを感じた。

 それはさておきオットーの要求を無視して顔を見せないタナトスは尋問を始めた。

 

「ここに来た目的は?」

 

「叛徒の首を取って姉さんと一緒に見習い卒業してセンチュリオンになるため」

 

「どこの街で情報を得た?」

 

「北のスパルトの街で騎獣を交換した伝令が親父と話してたのを聞いた」

 

「ここに来たのは己の意思か、それとも誰かの命令か?」

 

「俺達が自分で決めた事だよ。師匠や親父は赦さなかったけどな」

 

 スパルトの街はトロヤと王都との中間点に位置する大きな都市だ。王都へ伝令に向かうなら必ず通って食料などを補給する位置にある。そこでこの街の反乱の情報を得たという事か。

 これはタナトスもある程度は予想していた事だ。王都に情報が伝わり鎮圧部隊が派遣されるにはまだ早いし、休暇中だった二人のセンチュリオンの最後も伝わっているのに見習い二人は幾らなんでも少なすぎる。むしろこの姉弟の向こう見ずな突撃の方が予想出来なかったぐらいだ。

 そうなるとこの二人から得られる情報は無いに等しい。タナトスから見てオットーもその姉も貴族出身の礼節が染み付いているので、実家に安否を伝えて身代金を取る事も出来るが、今はそこまで資金難ではない。若いので姉弟ともに兵士の慰み者にしてもいいが、あまり下劣な行為をして組織全体の評価を下げるのも困る。

 少し考えた末に姉弟をコルセア親子同様、プロパガンダに利用する事にした。≪自由同盟≫の思想に共感して自ら軍門に下ったと、組織の工作員や雇った詩人に広めさせる。騎士の中にも階級社会に不満を持つ者が現れれたと広まればこの国はまだまだ揺れるだろう。

 

「お前達は捕虜としていてもらうぞ。意見は聞かん」

 

「おいなんだよそれは?処刑も身代金要求も無しかよ。舐めるんじゃねーよ!腕が治ったらぜってーお前の首を取るからな!!」

 

「その前に僕を倒さないと無理ですからね。それと貴方達のフォトンエッジは僕が持ってます」

 

 懐からフォトンエッジを出して見せつけるとオットーは悔しそうに顔を歪めた。ヤトはこの時点でオットーをケツの青い未熟者と判断した。騎士ならフォトンエッジでなくても剣の心得ぐらいある。なら適当に武器を手に入れて腕を頼りに挑めば良い。そういう発想に至らない時点で戦うに値しない素人だ。

 しかしこれから心身ともに鍛えれば化ける可能性も無いとは言い切れない。そこでヤトは一度タナトスと部屋を出てから一つの提案を持ちかけた。

 

「タナトスさん、僕に彼の身柄を預けてくれませんか?」

 

「どういう事だ?」

 

「鍛えて斬り甲斐のある騎士にしたいんですよ」

 

「いやそれは―――」

 

「ですが、このまま捕虜にしても腕が治ったら閉じ込めておくのも苦労しますよ。普段は僕が上手く戦力として使えるように誘導します」

 

 タナトスは腕を組んで考える。確かに捕虜にすると言ったが、今は怪我をしていて理力が使えないから大人しいだけで、治ったらどうなるか分からない。そしてただ監禁するより流した噂を補強するように人目のある場所でこき使った方が有用なのは確かだ。

 問題はあのクソガキが大人しく言う事を聞くかどうかだが、そこは出来ると言ったヤトの実力を信じるしかない。駄目ならヤトの手で人知れず消えてもらうだけなので楽と言えば楽だ。

 結論が出た所でタナトスは申し出を受け入れて部屋に戻る。

 ヤトは待たせていたオットーにフォトンエッジを見せて返してほしいか尋ねると、彼はイライラして短く「ああ」とだけ呟く。

 

「では腕を直して僕に一太刀入れたら返してあげます。ただしタダではダメです」

 

「何だよ金でも取るのかよ?」

 

「戦場で貴族の首一つ取れば挑戦権一回です」

 

「……俺に反逆者になれって事かよ!!ふざけんな!!」

 

 当然ながらオットーは拒否を示すが、嫌なら姉の分も含めて捨てると言うと途端に勢いが鈍る。

 どうもこの国の騎士にとってフォトンエッジは何よりも大事な物として扱うらしい。割と剣を雑に扱うヤトにはよく分からない価値観だ。

 というか数日後には自分から反乱軍に身を投じた弑逆の騎士として勝手に謳われるのだから、断っても同じ事なのは内緒だ。

 

「顔を見られたくないのならタナトスさんみたいに胡散臭い覆面でもすればいいじゃないですか」

 

「えっ、俺胡散臭いの?」

 

「えっ、なんで自覚無いんですか?」

 

 タナトスは胡散臭い呼ばわりされて、その上自覚が無かったのを指摘されて露骨に落ち込んだ。

 ヤトでさえ顔を隠すような輩は胡散臭いか怪しいと思うのに、この男は自覚が無かったのか。それにはヤトも素で驚いた。

 

「おいこら何漫才やってんだよ!―――――ったく、本当に返すんだろうな?」

 

「僕は使えませんし、飾って楽しむ趣味のありませんから」

 

 使えないのも飾る趣味も無いのは本当だ。そして与えられるのは挑戦権だけで、そのまま返すとは言っていない。おまけに両者の力量差は相当に離れており、その差を短期間で埋めるのは極めて困難だった。それでもチャンスがあれば飛びつかずにはいられないのが幼いオットーの悪い所だ。

 結局彼はヤトとの取引に応じた。傷が癒えるまで暫くは大人しくしているが、完治すれば≪自由同盟≫の魔導騎士として戦いに身を投じる。

 

 

 その日の昼。にわか雨が降って来たのでヤトとクシナは屋敷の一室でダラダラしていた。

 そこに疲れた顔をしたカイルといつも通りの顔をしたロスタがやって来て、ヤト達の隣に座る。

 カイルは行儀悪くテーブルに顔を突っ伏して気の抜けた溜息を吐いた。クシナが鼻をひくつかせて顔をしかめた。

 

「なんか臭うぞ」

 

「ごめん、ちょっと姉の方の騎士の尋問で色々あってさ」

 

 謝るカイル。ヤトも彼の身体から漂う僅かな臭気に気付いた。これは便の臭いだ。

 カイルが言うには姉のエピテスが強情だったから前日と同じようにくすぐりの拷問に切り替えたが、加減を誤って脱糞させてしまったらしい。臭いはその移り香というわけだ。

 

「何事も練習ですから次は失敗しないように気を付けましょう」

 

「うぃー」

 

 これでこの話はおしまいだ。誰も捕虜になった少女の事を気に留めない。

 翌日もエピテスへの尋問は行われて、態度を変えない場合はやはり拷問に切り替えた。ただ、日を追うごとに精神的余裕は無くなり態度は軟化してきており、十日もすれば実に素直になってくれた。

 むしろ素直になり過ぎて問題が起きてしまった。

 現在エピテスはメイド服に身を包み、掃除中のロスタの後をヒヨコのように付いて一緒に屋敷の掃除をしていた。

 彼女は拷問に屈して精神を病み、幼児のような心になった時に世話をしていたロスタを母親と思い込んで慕っていた。医者の話では一時的な精神異常なのでその内治るらしいが、確証は無いし数日後なのか数年後なのかも分からない。

 それでも屋敷の亜人達には意外とこの光景は好評だった。何故かと言えば憎しみと恐怖の対象である魔導騎士が幼児のようになってしまえば、憐憫に浸れて歪んだ優越感を満足させられた。

 反対に変わり果てた姉の姿を知ってしまったオットーは怒り狂って、宛がわれた部屋で喚き散らしていたが、未だ腕が治っておらずどうする事も出来なかった。この事が後々まで尾を引くのだが、仕方の無い事だろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 指導者の謎

 

 

 トロヤに居着いた≪タルタス自由同盟≫の勢力は周辺の土地を次々と接収して拡大の一途を辿っている。とある領主から売られた喧嘩を買う事もあれば、こちらから売る事もある。あるいは重税に喘ぐ領民が自ら助けを求めて、それに応える形で領地を奪い取った事もあった。

 中にはエルフと共に逃げた貴族令嬢の返還要求を突っぱねて戦いにもなったが、既に千を超える獣人兵士と黒竜の姿に恐れをなした敵は碌に戦いもせず、指揮を取っていた令嬢の父は傷の癒えたオットーに首を取られた。

 そして約束通りヤトへの挑戦権を得たオットーは幼児退行した姉の敵討ちを含めて戦いを挑み、華々しく負けた。

 悔しくて人目を気にせず泣いたオットーをエピテスは慰めたが、むしろそれが余計に彼の涙を誘ってしまう。なおエピテスはオットーの事はちゃんと弟と覚えていて、舌足らずな言葉で幼い頃と同じように頭を撫でていた。

 小さな問題は多々あれど≪タルタス自由同盟≫は順調そのものだった。

 そして指導者タナトスは次なる一手を打ちにかかった。

 

 タナトス率いる≪自由同盟≫の集団は北東のとある領地に向けて行軍していた。兵の数はおよそ六百名、全兵力の半分だ。残りはトロヤの街で訓練しながら留守を預かっている。全兵を連れて行かないのは単純に新兵が多かったのと、留守にしたらトロヤに残った貴族や富豪が街を奪い返す危険が高かったからだ。

 トロヤの者は表向きは≪自由同盟≫に従ってはいても裏では虎視眈々と街の支配権を狙っている。そんな中で全ての兵を領地の外に出したら嬉々として反撃に出るだろう。彼等は潜在的には敵でしかない。それを警戒してずっと兵を残し続けて周辺へ遠征していた。

 今回の遠征にはヤトとクシナ、岩竜のクロチビ、そしてオットーも同行している。カイルは留守番だ。最低一人か二人は魔導騎士と戦える手練れも残さないと安心できない。当然所有物のロスタも居残り組で、エピテスの世話をしつつ警戒に当たっていた。

 ヤトやクシナは集団の最後尾にいる。この位置なのは後方警戒もあるが、一緒にいるクロチビが軍の兵糧を荷車で運んでいるからだ。さすが竜は馬の十倍は力があって数百人分の兵糧を乗せた複数の荷車を軽々と運べた。

 

「―――――なあ、おい」

 

「はい?」

 

 隣にいたオットーが暇だったのでヤトに話しかける。フォトンエッジはヤトに取り上げられたので現在は腰に鉄製の剣と短剣を一組佩いている。それに顔の上半分を布で隠して服は平民用の物を着ているので、外見上は自由軍によくいる平民の志願兵にしか見えないが、彼にとって姉の精神を壊した自由軍はほぼ敵だ。ヤトもその一人だったので友好的とは言い難い感情を持っていたが、一騎士として強さは誰よりも認めていた。

 

「目的地とか戦う相手とか知ってるのか?」

 

「さあ?兵糧の量から七日ぐらいは歩かされるのは知ってますが相手は知らないです」

 

「なんだよお前下っ端かよ。強いけど信用されてないのか」

 

 オットーの口ぶりはバカにしているというより強い奴が正しく評価されていない事への不満が含まれているようにも聞こえる。

 彼にとっては他者の評価は重要なのだろうが、ヤトにとっては同盟内の評価などどうでもいいし、下手に政治的、戦略的な役割を任されて面倒な仕事を押し付けられるぐらいなら、このまま用心棒として便利に扱われた方がマシだ。

 

「まあなんでもいいけどよ。――――しかし七日か。どっちが目的かねえ」

 

「行き先に心当たりが?」

 

「近所だから少しな~」

 

 オットーは一つヤトに勝てたのが嬉しくて上機嫌で知っている事を話し出す。

 最近彼の実家の隣接する二つの領地が騒がしい。理由は領地の境目にしている川の水の使用を巡っての事だ。その程度の理由ならどこでも一山いくらで転がっているが、問題は二つの領地の主人が個人的に極めて険悪な仲で形式上の和睦すら考えていない事だ。

 一方は第七王子シノンが婿入りしたヒュロス家。もう一方は第三王女ミルラが嫁入りしたラース家。この二つの家は二人の王族姉弟の個人的感情によって何年も振り回されて度々小競り合いと停戦を繰り返す日々だった。

 普通なら外から来た婿と嫁の感情など、まともに取り合う必要は無いのだが相手は腐っても王の実子。王宮から派遣された家臣も無視出来ず、見せかけだけでも戦うしかなかった。

 当然ながら真面目に戦う者などおらず、互いの現場指揮官は裏で口裏を合わせて八百長戦を行い、勝った負けたを繰り返してはダラダラと毎年の恒例行事と化した温い戦争ごっこを続けていた。

 それでも毎年何人かは戦死しているのだから馬鹿馬鹿しい事この上ない。それも戦死者は決まって亜人だ。戦をして死者が出ないのは面子が立たないから、最低でも死者の数で勝敗を決める取り決めになったらしい。まるで天災を鎮めるための生贄だった。

 

「――――で、少し前から兵の準備してたからそろそろ戦になる。あの覆面野郎はどっちを殴るのかねえ」

 

「面倒だから両方殴り倒して領地を総取りが手っ取り早いんですが」

 

「六百じゃそこらじゃ無理無理。毎年両方が千は兵を出すんだぜ。魔導騎士だってそこそこいる」

 

 オットーは常識的に考えてヤトの意見を一蹴する。片方なら何とかなるが両方となると地の利も働かない自由同盟の方が不利だ。それに魔導騎士の数も両方合わせれば二十はいる。ヤトやクシナの力量は認めていて、岩竜を含めて十人以上を相手取っても勝てるだろうが、残りを好きにさせたら自由同盟軍は壊滅する。数の優位は馬鹿に出来ない。

 ともあれどういう選択をするかは胡散臭い覆面男がするので用心棒とその管理下の捕虜が考えても無駄だろう。二人は周囲から敵を斬る事だけを求められていた。

 

 

 同盟軍は六日間の行軍の末に川沿いで野営を始める。この差し渡し二十歩程度の小さな川こそヒュロス家とラース家の境となり、建前上の所有権を争う理由だった。

 こんな小川のために毎年死者まで出して戦争する両家の愚かしさ、二人の姉弟の馬鹿馬鹿しさに全員が呆れ返り侮蔑を露にする。

 それはさておき一日中行軍すれば当然腹は減る。なので同盟軍はそれぞれ夕食を始めた。

 今日はタナトスの命令で火を焚けないので全員が保存の利く硬いパンと塩のきついベーコンで済ませていた。

 火を焚かないのは軍の位置を知らせたくないからだ。そして今は斥候が方々に散って情報を集めている。

 兵の中にはこれからどの勢力と戦うか賭けをする者もいる。ただし、両方と戦う選択をしない限り一方に肩入れする形になるのだから、面白くない者も居るだろう。例えそれが現実的な選択だとしても、結果的に今の差別制度を維持し続ける王族を助ける行為となれば心穏やかにはいられない。それでも愚痴は言うが喧嘩が起きないだけ同盟軍は自制が効いていた。

 夕食が終わり、月が徐々に高く上がる時間になって、ようやく何人かの斥候が戻って来た。

 タナトスは彼等の情報を詳しく聞き、しばし物思いに耽ってから近くの岩によじ登って、決して大声ではないが、不思議とよく通る声で全員に語り掛けた。

 

「みんな聞いてくれ。明日、我々は戦に臨む。相手は………ラース家、つまり第七王子シノンに加勢する形だ。これは今後の情勢を鑑みて、≪タルタス自由同盟≫に利する選択と思っている。お前達の中には王族に手を貸すのを嫌がる者も居るだろう。だが少しだけ耐えてくれ。耐え忍んだ後、必ず良い未来が待っているのを約束しよう」

 

 穏やかな声と頭を下げるタナトスの姿に、兵士達は不満を心に留めて彼の選択を肯定する声を上げた。

 そして兵達は明日の戦に向けて英気を養うため早々に寝る準備を始める。

 ヤトとクシナもその例に漏れず、さっさと寝床の用意をした。

 ただ、近くに居るオットーが何か考え事をしていたのでヤトが声をかけると、彼はポツポツと身に抱いた疑問を口にする。

 

「前から思ってたけどよ、あの覆面野郎実は貴族じゃねえか?俺は一応貴族だから色々人を見てるけど、あいつ何か貴族っぽいんだよ。それもかなり良い所の出かもな」

 

「本人は何も言いませんが多分そうでしょうね」

 

「外から来たお前はともかく、他の奴隷達はそれ知っててリーダーと認めてるのか?」

 

「分かりやすいから気付いている人はそれなりに居ると思いますよ。敢えて口にしてないだけでしょう」

 

「へっ!なら、ここの奴らは身分を否定しながら貴族に使われて別の貴族や王族と戦っても良いと思ってるのか。アホらし」

 

 彼の言い分も分からなくはない。王政や貴族の支配を否定する反乱分子の指導者が推定貴族など、単なる貴族の勢力争いとしか思えない。

 オットーのような貴族にとって戦で亜人奴隷が幾ら死のうがどうでも良いが、そんな茶番に引っかかって大事な姉を壊され、自分は命の次に大事な魔導騎士の誇りたるフォトンエッジを奪われた。己の短慮が招いた結果だと分かっていても悪態の一つぐらい吐きたくなる。

 そして貴族のオットーは何度か自由同盟を馬鹿にして、離れた場所で毛布に包まって不貞寝してしまった。

 ヤトもこれ以上はやる事も無いので、いつものようにクシナとくっ付いて明日に備えて眠りに就いた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 横合いから殴り殺す

 

 

 翌朝。目を覚ました≪タルタス自由同盟≫は手早く朝食を腹に入れると行軍を開始した。ここからは無用な音を立てず、隠密を心がけての行軍だ。

 歩き続けて数時間後。軍は小高い丘の中腹で足を止めた。

 斥候を放ち、兵士達の多くは待機中に武器の点検および刃の部分に布を巻いて殺傷力を落とす作業をする。今回も兵士にされた亜人奴隷を殺さず倒すつもりだ。

 ヤトやオットーを含めた一部の者は武器の点検はしても非殺傷の細工をしない。彼等が相手をするのは魔導騎士や魔法を使える貴族だ。手加減など考えたら逆に殺される。

 武器を用いないクシナとクロチビは暇そうにしているが、両名にも戦の役割は割り振られていた。

 それぞれが戦の前の時間を過ごし、やがて斥候が戻ってタナトスに耳打ちした。

 

「みんな、この丘の目と鼻の先にヒュロス家とラース家の軍が陣を張っている。戦はすぐさま始まるだろう。そこを俺達が機を見て横合いから殴りつける!!あと少しの辛抱だ」

 

 兵士達は声を上げず腕を天に向けて振り上げて己の魂を鼓舞した。

 タナトスは一部の指揮官、それにヤトとオットーを連れて丘の頂に登り、戦況を見張る事にした。

 まばらな木と岩の転がる殺風景な丘の下の平原には蠢く二つの塊がある。一方は黒い旗を掲げたヒュロス家、もう一方が白い旗を掲げたラース家だ。

 平原と言っても完全な平らではなく、少し傾斜が付いており、位置はラース家の方が高い。それだけでも地の利はラース家に味方していた。

 ともに兵の数は千程度。前衛は粗末な防具と槍の獣人ばかりが秩序無く何となく固まっている。後方は煌びやかな武具を纏った騎士が整然と並び、色とりどりの布で覆われた陣幕が張られていた。

 眼下に動きがあった。ラース家からねじくれた角笛の重厚な音色が響き渡り、それを合図に白旗の獣人兵が一斉に突撃を始めた。

 ヒュロス軍も一拍子遅れて前衛の獣人兵が駆け出すが、いかんせん登り坂になっていて相手よりも勢いが無い。

 激突する兵士達。そこに磨き上げられた戦術や一糸乱れぬ連携は存在しない。ただただ真っ向から力をぶつけ合うだけの泥臭い殺し合いの光景があるだけだ。

 

「くっ首領!」

 

「いや、まだだ。まだ早い、堪えろ」

 

 猪頭の獣人が怒りを含ませた唸るような声でタナトスに訴える。猪頭にとって目の前に転がる罪無き獣人はかつての自分達だ。失われる命を助ける事が出来るのに、それを見ているしかないのは身を切るように辛い。

 部外者が何を思おうとも戦は続き、獣人兵は槍で突かれ、盾に圧し潰され、踏み付けられて死んで行く。戦況はラース家に傾いているが、不利になるヒュロス家の本陣に動きは何もない。まるで兵がどれだけ死のうとも構わない。負けても良いと思っているように思える。

 ヤトが目を凝らして両軍の陣幕を見れば、どちらも酒を飲んでまともに戦を見ていなかった。人死にどころか勝ち負けにすら興味が無いのか。

 

「オットー、二つの家は裏で申し合わせて勝敗を決めているんじゃないんですか?」

 

「へえ、よく見てるな。あんたの言う通り、あの家は毎年筋書きを立てて勝ち負けを決めてるぜ。たぶん今年は地の利を得たラースが奴隷兵を多く倒して勝鬨を挙げるって話で纏まってるんだよ。ただそれだとヒュロスの面子が立たないから後で初陣の騎士に首を挙げる手筈も整えてるぜ」

 

 ヤトに聞かれたオットーは八百長試合をする両家を嘲る。彼は短慮で手柄を欲しがる子供そのものだが、それでも外野が整えたお着せの手柄に価値を見出さない騎士としての誇りは持ち合わせている。なればこそ眼下に広がる血生臭い芝居に嫌悪感を持つのだ。

 騎士の名誉は己の命を賭してしか得られない。それをオットーは知っていた。

 とはいえ戦は観戦者の感傷に関係無く推移を続ける。ヒュロス側の奴隷獣人部隊が半壊した所で、ラース軍中衛のそれなりに装備の整った歩兵部隊が前進を始める。中には騎乗する兵士もちらほら見えた。装備の良さから土豪の集団だろう。

 勢いに任せるラース軍が敵を追い立てる。このまま大勢が決まるかと思った矢先、ヒュロスの本陣に動きがあった。

 本陣から逞しい巨馬に跨った光り輝く鎧を纏う騎士数騎が兵の隙間をかき分けて前線へと躍り出た。

 騎士達が駆け抜けながら槍で剣で奴隷兵を次々と血祭りに上げる。彼等は血に酔っているのか、はたまた興奮しすぎて恐怖とも歓喜とも判別しない叫び声を挙げながら、狂ったように武器を振るっていた。

 戦場の空気に慣れていない振る舞いを見るに、あれが今回武勲の底上げをする新人だろう。

 兵士の頭に剣が食い込み、胴に槍が突き刺さり、馬に潰されるたびに待機している同盟兵士の腿に爪が食い込み、酷いと出血までしていた。

 

「―――そろそろ、頃合いだな」

 

 タナトスはもう少し後にするつもりだったが、こちらの兵が耐えられそうにないと思って、中腹に待機している兵士に突撃の準備をさせた。

 丘に登った同盟軍にまだ両軍は気付いていない。誰も彼も奇襲を受けるなどと考えもしない。

 

「よーし、ラース軍の横っ腹を殴りつけてやれ!!突撃だーーーー!!!」

 

 同盟軍兵士が丘を駆け下りて白旗のラース軍に猛然と襲い掛かった。

 正体不明の軍に突然の奇襲を受けた両軍は大混乱に陥ったが、襲われていないヒュロス軍はまだ冷静さを失わなかった。

 それでも打ち合わせに無い襲撃には思考停止してしまい、前衛の騎士は本陣に事情を聞きに戻る始末。

 その間に同盟兵士は規律ある攻撃で次々とラース兵を殺さず無力化していった。

 

「なんだあいつらは!?ラモン、一体どういうことだ!!」

 

「わ、私にも何が何だかさっぱりわかりません!!」

 

 ラース軍の陣幕内で一段高く一等上等な椅子に座っていた大将イーロスは怒りのあまり秘書官を怒鳴りつけた。それで少しは落ち着き、すぐさま乱入してきた謎の軍を叩くように命じた。

 

「ですがそれではヒュロスが」

 

「そちらは前衛の奴隷と土豪の一部に適当に相手をさせて時間を稼げ!今は乱入した連中の勢いを殺すのが先だ!!」

 

 伝令がイーロスの命令を伝えに行った後、側仕えの兵士や魔導騎士が緊張しつつも武器を抜いていつでも戦えるように備える。

 しかし彼等の上空を巨大な影が横切った後、真後ろに巨体が降り立ち、振動でテーブルの杯が転がった。

 騎士の一人が天幕を剣で切り裂いた先にはクシナが乗った黒い岩竜がチロチロと火を小出しにして陣幕の面々を眺めていた。

 

「ど、ドラゴン!?」

 

 最強の幻獣の登場に、本陣は混乱の極みになった。その上、反対からは剣戟と苦痛に呻く声が上がる。

 そして陣に張られた布が全て切り払われて丸裸になり、剣を抜いたヤトとオットーが姿を見せた。

 

「どうも初めまして≪タルタス自由同盟≫です。あなた方には二つの選択があります。この場で死ぬか頭を下げて命乞いをするかです」

 

「!えーい、神が定めし理に唾を吐く痴れ者を斬り捨てぃ!」

 

 イーロスの言葉に従い、三人の騎士が一斉に襲い掛かったが、ヤトが左手の袖に隠した鬼灯の短剣の伸びた剣身によって、三人とも一瞬で首を飛ばされて絶命した。

 

「動揺して先読みすらしないとは。あ、いつもの取り決めは有効ですから振るって戦うといいですよ」

 

「けっ言われなくとも!」

 

 オットーは鉄剣を構えて一人の騎士と対峙した。―――と思わせて、急に横を向いて死んだ同僚の姿に動揺して目を離した別の騎士の喉を貫いた。

 

「騎士がよそ見してんじゃねーよ!とりあえず一人だ!」

 

 幸先が良い。先手を取って一人は討ち取れた。

 あっという間に四人を討たれたラース本陣は背後の竜の恐怖と相まってまともに動けない。

 ヤトが騎士の背後に回って翠刀で心臓を一突きすれば、オットーは恐れず深く一歩踏み込んでフォトンエッジの炎刃の届かない密着状態から短剣で脇を突く。そのまま騎士の死体を押して別の騎士にぶつけて隙を作り、横に回り込んで腕を切断した。

 これでヤトは四人、オットーは三人、計七人の騎士を倒した。残る騎士は二人と貴族が二人。兵士はとっくに逃げている。

 イーロスとラモンが手を振り上げて火球と氷塊を作り出してヤト達に放った。

 ただ雑に塊をぶつけようとしても当たるものではないが、なぜかヤトの身体が宙に浮いて自ら二つの塊に向かって行った。

 それでも冷静に気功を纏った剣を振って火氷を破壊して事無きを得た。ヤトは着地してイーロスとラモンにそれぞれ剣先を突き付けて動きを止めた。

 そして何が起きたのか気付いてオットーに視線だけ向けるも、彼は素知らぬ顔で騎士の一人を理力で拘束したまま首を刎ねた。

 

「ばかな魔導騎士だと!?」

 

 最後の騎士が信じられない物を見たように呻く。何故支配者の炎刃を操る誉ある騎士が神の定めし摂理を乱す叛徒に組しているのか。

 疑問は尽きないが、それでも彼は騎士。すべての疑問を心の隅に追いやって主を救うべく、まず裏切りの騎士に炎刃を向けた。

 魔導騎士同士の戦いに理力は決定打とならない。先読みは阻害され、念動力は余程の力量差が無ければ互いに打ち消し合う。ほぼ純粋な技量が物を言う業の戦いだ。

 となればタネが割れて不意打ちを警戒されている若いオットーの方がやや不利だった。

 だから彼は読み合いを捨てて勢いに任せて奇襲の刺突を放った。

 

「甘いぞ小僧」

 

 先読みした騎士が迫る鉄剣を青い柄の炎剣で半ばまで切り飛ばした。剣の切っ先が空高く舞い上がる。

 

「ちぃ!まだだ!!」

 

 オットーはそれでも短くなった剣を離さず戦意を萎えさせない。

 だが今の一手で互いの技量差が分かってしまった。まだ見習いの域を出ないオットーでは正面からラースの騎士には勝てない。だから反則をすることにした。

 彼は柄を握った右手の小指から放った理力で斬り飛ばされた剣の切っ先を操り、騎士の頸椎に突き刺した。

 想定外、思考の外、視界の外からの小さな一撃は、しかしそれでも致死の刃となった。騎士は膝を折って崩れ落ちる。

 

「ぉ………きっさ……ま…………それ…でも……きし」

 

「うるせえ」

 

 オットーは殺した騎士の末期の恨み言に顔を歪めて弱弱しく吐き捨てた。彼自身もこんな子供騙しの手品など使いたくなかった。不本意な決め手を使ってでも生き残る己の弱さに誰よりも腹を立てた。

 騎士が全滅して剣を突き付けられたイーロス達は顔を青くする。次に殺されるのは自分達だった。だから恥も外聞も無く命乞いをした。

 

「少し遅いですがまあいいでしょう。うつ伏せになって手を動かさないように」

 

 イーロスとラモンは捕虜として生き残った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 覆面男は笑う

 

 

 ヤトは捕らえたラース側の大将イーロスとラモンを指導者タナトスに引き渡した。彼はクロチビを背後に控えさせてラース軍の残りに降伏を訴える一方でヒュロス軍には敵対の意思が無い事を宣言した。

 ラース軍は指揮官が居なくなり統制が崩壊して動ける兵は全員バラバラになって逃げ、ヒュロス軍は乱入者の圧倒的な武力に警戒しつつ話を聞く態度を示した。

 ヒュロスの兵士は≪タルタス自由同盟≫に近づかずにラース軍が残していった物資漁りに忙しい。こうした戦場跡での乱取りはどこの国でも一緒だ。

 自由同盟の兵士は犠牲になった両軍の獣人兵の埋葬をしていた。彼等のような亜人は誰も埋葬などしないから野晒にして朽ちさせるしかない。

 仮に生き残っても怪我をした亜人を手当てしてくれるようなお人良しは普通の領地軍にはいない。まして敵軍の奴隷兵など止めを刺してやるだけでも慈悲があると言われるような扱われ方をしている。だから自由同盟の兵士が手当てをした。

 交渉はタナトスの仕事なのでヤトやクシナは他の連中が何か仕出かさない様に見張り役をして待っていた。二人に顔を布で隠したオットーが近づき話しかける。手には青いフォトンエッジが握られていた。

 

「今日は五人斬ったぞ」

 

「なら挑戦権は五回です。そのフォトンエッジは使うんですか?」

 

「――――ああ。使えるモノは何でも使って勝ってやる!」

 

 光刃は出さなかったが柄を強く握りしめた拳を突き出す。他人の剣を頼りにするのは奪われた剣への裏切りのように思えて気が引ける。だがそれでもなまくらで戦える相手ではないのは身に染みて分かっている。彼なりに考えた末の決断だった。

 とはいえ今日は立て込んでいるので決闘は明日以降に持ち越しだ。

 しばらく負傷兵の手当てと死者の埋葬を眺めていると、交渉していたタナトスが帰って来た。

 無事な身体とほっとした顔から交渉は上手く纏まったらしい。

 土豪や末端領主の軍は現地解散して引き上げて行った。残ったヒュロス軍の三分の一は≪タルタス自由同盟≫と共にこれから領主の街へ赴く。そこでヒュロス家当主の第七王子シノンと謁見することが決まった。

 

 

 夕刻まで歩き続けた一団はようやく街が見える所まで来た。

 ただし≪タルタス自由同盟≫はゾロゾロ来られると無用の混乱を招くとの事で離れた場所で野営をすることになった。例外は弁明に指導者のタナトスと供が数名、それも亜人は謁見に相応しくないと言われた。

 タナトスが選んだのは文官の青年のビヨルン。それと護衛としてヤトもだ。後は外で野営を命じられたがそれなりの量の食料と酒を渡された。ヒュロス側も兵力の多さから露骨に悪く扱うのはまずいと思ったのだろう。特に岩竜の存在感は凄まじいので彼には肥えた豚一頭が与えられた。クロチビは豚を喜んで生きたまま口に放り込んで、ゴリゴリと磨り潰しながらペロリと平らげて街の商人を慄かせた。

 三人は騎士達の後ろを歩き、暗くなって人通りの減った街の中を通る。ヤトはヒュロス家のお膝元の街パルテノはトロヤの街に比べて寂れていると思った。ここは家々の灯りも少なく、商店の数もそう多くない。何よりも表通りの道幅がトロヤの半分程度しかない。トロヤはあれでコルセアがやり手の領主で栄えていたらしい。

 ほどなく領主の住まう屋敷に着いた。外観は古風な石造りの重厚な屋敷だ。歴史があるといえば聞こえはいいが、所々外壁の石が欠けていたり罅が入っているのを見ると手入れもあまりしていないのだろう。もしくは補修する金が無いかだ。

 流石に屋敷の中は手入れが行き届き、調度品も派手過ぎず見る者が見れば価値のある彫像や壺がそこかしこに飾られている。

 しばらく廊下を歩き、大きな扉の前でタナトス達は止められる。衛兵から武器を全て出せと言われた。当然だが武器を帯びたまま主に謁見させるつもりは無いらしい。

 三人は素直に従って武器を提出した。と言っても剣を持っていたのはヤトだけで、タナトスもビヨルンも護身用のナイフぐらいしか持っていない。

 先に騎士達が扉の奥の部屋に通された。それから荘厳なラッパの音が鳴り響き、何やら大仰な演説が始まった。

 

「もしかしてここで待たされるんですか?」

 

「多分そうだろう。俺達は客として招かれたわけじゃないから別室で待機とはいかんのだ」

 

 歓待を受けるとは思っていないが、なかなかの扱いに三人は溜息が出る。

 それから一時間は経過しただろうか。隣の部屋では領主らしい男が今日の戦で活躍した三人の騎士の名を呼び、武勇を褒め称えた。内容は今日の戦の後半部には触れず、ただ軍全体が劣勢になったのを盛り返したとだけ褒めていた。

 騎士達は皆一様に領主に礼を述べていたが、全員声が強張っていたのは緊張だけが理由では無かろう。若い騎士ならお膳立てされた功を褒め称えられても却って屈辱としか受け取れないが、それを隠す程度に処世術の心得はあった。

 それでも戦勝式は滞りなく終わり、続いてタナトス達に入室の許可が降りた。

 部屋は思ったより狭く、奥行きは三十歩、横幅は二十歩程度しかない。壁側には兵士と騎士が整然と並び、部屋の最奥の椅子には蝋燭の灯で照られされた悪人面の中年男が座っている。察するにあの椅子の男がヒュロス家の入婿で第七王子シノンだろう。

 先頭のタナトスが椅子から二十歩の位置で立ち止まり膝を着く。後の二人もそれに倣って膝を折って頭を下げた。

 

「先頭の者、顔を上げよ。――――ふむ、顔を隠すのは見られて困るのか。まあ良いわ、下郎の顔などいちいち気にする必要も無い」

 

 シノンはタナトスに興味を失い、気だるそうに召使から酒杯を受け取り中身を飲み干した。

 

「して、何故我が軍とラース家の戦に割って入った?特別に直答を許す」

 

「それはシノン殿下ご本人にお伝えせねばなりません。失礼ですが、貴方は殿下ではない」

 

 タナトスの確信めいた言葉に部屋に居た全員の顔が強張った。この反応から椅子に座っている男がシノン本人では無い事が読み取れた。

 事実だからこそタナトスへの侮蔑の感情が無い。

 椅子の男はどうしたものかと振り向いて後ろのタペストリーを見る。

 すると布の後ろから部屋の中で最も格式高い服を着た黒髪の中年男が現れる。騎士達は現れた男に最敬礼をして、椅子の男も立ち上がって席を譲った。

 男が椅子に座ると、不思議と部屋の雰囲気が引き締まる。まるでデコボコだった石壁が真平に均されたような感覚だった。

 

「下郎なりに目は肥えているのか、あるいは最初から私の顔を知っていたのか。まあ、どちらでもいい。私が本当の第七王子シノンだ」

 

 そっけない言葉と裏腹に本物のシノンは口元に僅かだが笑みを称えていた。

 

「先程のカドモスの問いの答えを聞こう」

 

「我々の忠誠を形にしてお見せするためです殿下。いえ、未来の国王陛下」

 

 周囲が騒然とする中で、当のシノンは特に感情を示さなかった。おそらくは過去に似たような事を吹き込まれた事があったのだろう。

 

「私は御覧の通り王都から離れた地方の家に入り婿になったしがない王族だ」

 

 言外に旨い汁をすすりたいと思ったら他の兄弟を当たれ、と言っている。しかしそれで『はいそうですか』と素直に聞くようならタナトスは最初から国に喧嘩を売ったりしない。

 無論シノンとて王子に生まれたのだから玉座を目指した事は一度や二度はある。だが、彼が置かれた立場と持って生まれた才能は王冠に手を伸ばす事さえ赦さなかった。他の兄弟に比べて圧倒的に才能が足りなかった。生母の家格、財、人脈もだ。

 ゆえに早々に後継者レースを諦めてヒュロス家へと入る事でそれなりの安寧と人並みの幸せを得た。

 それで十分ではないのか?シノンの瞳がタナトスの瞳を射抜く。

 

「何を御謙遜を!私には貴方様以上に王に相応しい方が見当たりませぬ。玉座よりタルタスの隅々まであまねく民を仁の光で照らす慈悲深き君主とお見受けしました」

 

「見え透いたお世辞を使いおって。だがお前の望みはある程度見当がついた。お前達叛徒は声高にこの国の身分を否定しているが、私が王になった時それを失くせと言いたいのか?」

 

「殿下のご賢察に恐れ入ります」

 

 タナトスはシノンの言葉を否定しない。それは大いなる矛盾を孕んだ願いだった。魔法を使えぬ者への理不尽な差別に抗って立ち上がったというのに、よりにもよって王族に頭を垂れる。≪タルタス自由同盟≫の者がこの光景を見たら赦し難い裏切り行為と思った事だろう。

 シノンも自由同盟の掲げる理念とその首魁の弁の著しい差をどう判断してよいか悩んでいた。それを目ざとく気付いたタナトスがわざとらしく咳払いして発言の許可を求めると、主は仕方なく許した。

 

「誤解無きように申しますが、私も同志も不当な差別と圧政を憎む心は同じです。ですが国という多くの民を纏め上げる王を否定してはおりません。我々は徒に民を虐げる王と貴族こそ敵と断じて剣を向けるのです!」

 

「なるほど、つまりお前達、いやお前個人は少しばかりマシな者を王にして慈悲のある扱いをしてもらいたい。そう願って戦を起こしたのか」

 

 タナトスと後ろに控えるネイロスが無言で首を縦に振った。

 確かに幾ら≪タルタス自由同盟≫が自由と圧政からの解放を声高に叫んで戦いを仕掛けても、階級制度が根差した国そのものを完膚なきまで叩き壊すのは不可能に近い。今は連戦連勝の負け無しで徐々に土地を奪って賛同者も増えたが、国が本気で潰しにかかれば烏合の衆でしかない集団は必ずどこかで負ける。負ければ求心力は失われ、二度と歯向かわないように徹底的に弾圧して身の程を骨の髄まで叩き込まれる凄惨な未来しか残らない。

 だからその前に自分達の願いを聞き届けてくれる者の軍門に下って、その者を王へと担ぎ上げて見返りを得た方が賢いやり方だろう。尤も王になるはずの無い者を王へと押し上げる困難さに目を瞑ればの話だが。

 そしてタナトスが目を付けたのが今ここに居る第七王子のシノンというわけだ。その人選が適当かどうかは他国人のヤトには分からないし興味も無い。

 

「それでお前は私が素直に王を目指すと本気で思ったのか?むしろ今この場でお前の首を父に送り付けた方が功になると思わなんだのか?」

 

「私の首に如何ほどの価値がありましょうか。王都の城では精々食い詰めた貧民が一揆を起こして騒いでいる程度にしか思っておりませぬ。むしろ首など送り付けたら口の曲がった宮廷雀どもは殿下をお笑いになられるかと」

 

「ふん。お前の言う通り、雀も父も関心は隣人の失態だけで離れた地方の事など毛筋にも気にも留めんのを良く知っているではないか」

 

 ここにきて周囲はシノンの視線が随分と柔らかくなっているのに気付いた。家臣達は入り婿の王子に十年以上仕えてきたのだから、彼が腹の中で何を考えているのかぐらいすぐに分かる。危険な兆候と分かっていたが、王族の話を遮るのは命に関わるので誰も口を開くことが出来なかった。

 

「まあいい。お前の首に価値が無いのは分かった。では繋がったままの首と身体で何が出来る?」

 

「まず私の作った荒くれの集団がそっくり殿下の軍となります。戦経験豊富な亜人兵が六百、訓練途中の兵がさらに六百。それと用心棒としてセンチュリオン級、あるいはそれ以上が五名。オマケで竜が一頭。それと―――」

 

 これには部屋の魔導騎士達がたまらずいきり立った。センチュリオンは全ての魔導騎士の憧れ、強さは並の騎士と一線を画す。その選ばれた騎士より用心棒風情が強いなど嘯くのは凄まじい侮辱だった。

 しかしシノンは騎士を黙らせてタナトスに続きを言わせる。

 

「我々が奪い取ったコルセアの領地とその周辺領主の土地を全て殿下に差し上げます。如何様にでもお使いくださいませ」

 

「欲の無い事だな。他人を陥れてでも領地を増やそうとする貴族に今の言葉を聞かせてやりたいものだ。お前は領主にはなりたくないのか?」

 

「私のような無頼漢では力で支配した所で、いずれは信を失い立ち行かなくなるのは目に見えております。そうなる前に正しき者に統治を委ねる方が民のためとなりましょう」

 

 タナトスはシノンに深く頭を下げた。土地の譲渡を言葉だけでなく態度で示したという事以上に首を預けるという意味合いも含まれていた。

 一連のやり取りにヒュロス家の若い家臣達は内心喜びを露にしていた。頼んでもいないのに阿呆が勝手に領地を差し出してきたのだから当然だろう。それも自家と同規模の領地がだ。上手くいけば家の収入は倍どころか独立を許されて家を興せるかもしれない。

 是非とも申し出を受け入れるべき。家臣達の視線はシノンに注がれた。

 

「急に言われても困るのだがな。……今日はもう遅い。明日の朝、また屋敷に来るが良い。それまでには返答を出そう」

 

 それだけ言ってタナトス達を退出させた。

 

 

 屋敷を出て人気のない表通りを歩く三人。夜道の用心に渡されたランタンを持つヤトが歩きながら話を切り出した。

 

「どこまで予想通りです?」

 

「屋敷に招かれた時点で大体予想通りだったな」

 

 タナトスはしれっと答えた。ヤトは正直言って首を落とす事も考えていたが、こうも穏便に話が進むとは思っていなかった。答えは保留だが、あの様子では提案を呑む可能性は高い。

 

「首領は何年も王族の性格とか動向は綿密に調べてたからね。あの入り婿は思ったよりヒュロス家と家臣と上手くいってないし、野心が無いわけじゃない」

 

 ビヨルンが得意顔をする。彼はタナトスの命令で長年タルタス各地に人を放って情報を集め続けた。その情報をもとにこれまでの組織の活動を支えてきて、今日もまた首領の期待に応えたのだから、少しぐらい得意げになっても罰は当たらない。

 

「まあ予想通りだったのは良い事だが、これから同志を説得するのは骨が折れる。古参連中は何とかなるが、最近入った奴等は煩いだろうな」

 

 タナトスの溜息にビヨルンが同調した。ヤトは単なる用心棒なので素知らぬ顔だ。

 彼の選択に自由同盟の面々が不満を持つのは当然だ。身分制度を否定したのに王族の下に付くなど明らかな矛盾だ。百歩譲って亜人を差別せずに民を分け隔てなく慈しむ真の仁君ならまだ理解も出来よう。

 だが今日の戦のように獣人奴隷をゴミのように扱い、死なせる様を見せつけられては誰も納得などすまい。それを押し通して納得させられるかがタナトスの指導者としての器量とも言える。

 

「ヒュロス家が了承すると思いますか?」

 

「するさ。でなければわざわざ屋敷に呼んだりしない。例え要求を拒否したくてもこちらの兵をちらつかせれば一先ず首を縦に振らざるをえない。それにぶら下げた領地を前に突っ張るほどあの家に余裕は無いからな」

 

 何から何まで計算尽く。最初から相手の退路すら絶ってここに来ていたと知ってヤトは舌を巻く。

 問題は提案を受け入れて≪タルタス自由同盟≫を臣下とした後、裏切りを働いた場合だが、その時は全力で殺しに行くだけと答えが返って来た。分かっていた事だが、完全に利用し合う関係と割り切って下に付くわけだ。

 

「ですが領地を取られた場合、貴方達はどうやって集団の維持費を捻出するんですか。あの家に頼むんですか」

 

「当面はトロヤの街の貴族や富豪から巻き上げたり、領主が貯めてた財産でやりくりするよ。いざという時のために結構外に隠しておいたから」

 

 ビヨルンがニンマリと笑う。こういうやり繰りはずっと昔から慣れているそうだ。いざという時のために軍資金だけでなく、武器や麦のような穀物も少しずつ街から運び出して幾つかの隠し倉庫に貯め込んでいるので、節約すれば今の組織の規模でも二年程度なら戦えるとの事。抜け目がない事だ。いや、そうでなければ幾ら王家が圧政を敷いていても反体制組織など立ち上げ維持していくのは不可能だったに違いない。

 

「ともかくこれで大義名分とこの国をもっと引っ掻き回す算段が手に入った。明日から楽しくなるぞ」

 

 妖しい覆面男の笑い声が月明かりの無い暗闇に木霊した。

 なお当然ながら勝手に王族と臣下の礼を交わしたタナトスに批判が殺到して古参数名と殴り合い取っ組み合いになったが、最終的に一人の離反者も出なかったのは彼の人徳故か奇跡か判ずるのは難しかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 先駆け抜討ちは戦の華

 

 

 翌朝。タナトスは再びヤトとビヨルンを引き連れてヒュロスの屋敷に赴いた。

 覆面男の足取りは覚束ない。正確には腹を庇うように歩いているので足の動きが悪い。顔も覆面で隠していない下半分に青あざが出来ていたり、腫れている箇所が目立つ。上の部分も露出している目が細くなっているのでそちらも血が溜まって腫れているのだ。

 部下の同志に相談せず勝手な行動をした報いだろうが、当人はこの程度で済んでいるなら安いものだと笑っている。豪胆というべきか軽率というべきか。

 それはさておき、三人は昨日と同じように謁見の間に通される。今度は待たされる事も無く、武器の携行も許された。

 部屋には窓からさんさんと朝日が差し込み、扉から奥のシノンまでの間に直立不動で二列に並んだ兵士達の掲げるヒュロス家の黒い旗が否応なしに荘厳さを作り上げていた。

 奥には家臣団が居並び、最奥の椅子にはヒュロス家当主シノンが昨日以上に煌びやかな衣装とマントを纏い座っていた。

 

「よく来たなタナトス。早速だが昨日の申し出の返答をするとしよう」

 

 シノンはタナトスだけを手招きして、すぐ近くまで呼び寄せてから膝を着かせた。

 さらに彼は立ち上がって側仕えから抜き身の剣を受け取り、剣先をタナトスの肩に置いた。

 これは叙勲の儀だ。王族のシノンが正式にタナトスを貴族として認め、家臣とした儀式だった。

 

「これよりタナトスとその配下は全て私とヒュロス家の臣下となる。よって私の許可無くこの者達に危害を加える事は赦さん。例え亜人であっても魔法が使えずともだ。よいな」

 

「「「ははっ!!全ては御当主の御心のままに!!」」」

 

 ヤトはシノンの発言の意図を読み取った。つまり自分に頭を下げる者には慈悲ある扱いをしてやるがそれ以外は知らん。≪タルタス自由同盟≫の掲げる理念の不当な差別の否定を無理なく擦り合わせた形か。

 無条件に全ての民を平等に扱うのは危険と反発が大きい。ならシノン自身にも利になるような条件を付けて自発的に相手に選ばせればいい。上手くいけば他所の土地の民も同調させられる。

 ≪タルタス自由同盟≫の構成員は組織の性質上、兵士か諜報員、あるいはそれを支える後方職に就く場合が多いので、数が増えれば増えただけシノンの兵が増える事になる。それは今後の戴冠レースに少なからず響いてくる。

 身の内にリスクを抱えるが魅力ある手段といえよう。それを分かって選べるのだからシノンという男は中々に強かな男だ。

 

「さて、このような仕儀となった。お前の言葉通り、手に入れた領地は全て私のものとなる」

 

「もちろんでございます。これより我らはシノン殿下の剣となって邪魔する者を全て切り伏せて御覧に入れましょう」

 

「うむ、期待しているぞ。では要望があるなら聞こう。広大な領地を貢物にするのだ、出来る限りの事はしてやる」

 

 主人の嫌味に周囲の家臣団の顔が僅かに引き攣る。今まで誰もタナトスほど価値のある貢物を用意出来なかったのだから嫌味を言われても仕方が無いが、それでも内心では面白くなかったので、八つ当たりかつ余計な事を言うなという意味を込めて新入りを睨みつけた。

 

「ではまず、昨日の戦で捕虜にしたラース家の獣人奴隷を全て私の指揮下に置いて頂きたい」

 

「良いだろう。どうせ私達よりお前達の方が亜人の扱いには慣れているだろうからな」

 

「全くですな、あのような―――ごほん。新入りは新入り同士気が合うでしょう」

 

 発言した家臣が口元を隠して含み笑いをする。主の手前、亜人を貶める言葉を控える程度の気配りはあった。

 家臣の発言も個人的嫌悪感を除けば正しい。彼等のような貴族が獣人奴隷を兵士として扱ったところで効果的には使えない。なら働き甲斐のある場所に放り込んだ方がずっと効率的だ。

 これで≪タルタス自由同盟≫に二百名の獣人が新たに加わった。尤も彼等の半数は昨日の戦で怪我をしているし、もう半分も元から怪我人か栄養状態が芳しくないので療養が必要だった。それと今後タナトスには俸禄として定期的に人数分の食料がヒュロス家から支給されるが、武器などは自分達で調達せねばならなかった。

 

「他には?」

 

「意見具申ですが、可能な限り早くラース家を下して領地を併合しては如何でしょうか」

 

「ラースをか。お前達の働きで向こうの騎士は壊滅しているが、与力の領主達を呼び戻さねばのけ者にされたと後が煩いな」

 

「では今すぐに招集命令を伝える早馬を出しましょう。兵糧の用意もありますので三日待って攻め入るのがよろしいかと」

 

「よかろう。今すぐに伝令を送れ」

 

 秘書官の意見を取り入れて、すぐに伝令兵と馬の用意を、それと兵糧の用意を命じた。

 兵や騎士達はやる気満々という風体だったが、家臣の中にはラース家を滅ぼす事に躊躇いを見せる者がいた。その家臣はラース家に親族が少なからず居て、彼等の安否を心配したが、それだけで当主に異を唱える事は出来なかった。

 同じ一族でも敵味方に別れて仕えるケースは貴族ならそう珍しくはない。片方が没落しても一方が栄えればそれで家名と血と教えが残る。王侯貴族は何よりも未来永劫家が続くのを優先し、何よりも自分達が全て過去の者として滅び去るのを恐れた。

 シノンは家臣の一部が抱く不安を分かっていたので、準備している三日の間にラース側の貴族を調略するように命じた。所領安堵を約束すれば離反者も出てくるだろう。それでも降伏も中立を選ばず抵抗するのなら、一切の情をかけずに敵として死んでもらう。

 

「ふふふ、あの女の顔を見るのもこれで終わりと思うと何とも清々しい気分よ。皆の者、我が姉とはいえ遠慮はいらん。必要なら首を落としても構わんぞ」

 

 肉親とて必要ならば命を奪うのは珍しい事ではない。シノンと姉のミルラがどのような経緯で仲違いしているかなど知った事ではないし、仮に知っていても部屋にいる者達のやるべき事は変わらなかった。

 

 

 ――――二日後。明日のラース領侵攻のためにヒュロス家およびその与力貴族の軍が再度集結した。与力貴族や土豪の兵士は一度解散してからトンボ返りで戻って不満は大きかったが、ラースの街の略奪許可を得ていたので士気はそれなりに高かった。

 ≪タルタス自由同盟≫も王族の指揮下に入った事で士気がダダ下がりだったが、古参ほどタナトスには何か考えがあると信じて脱走を企てる兵士を押し留めていた。

 野営地のヤト達も明日の出陣に向けて準備に怠りは無いが、オットーはお構いなしに挑戦したので明日の戦に響かないよう怪我をしない程度にあしらっておいた。それでも最初に戦った時より格段に強くなっていて、ヤトもどんどん強くなる彼と手合わせするのは何気に楽しかったりする。

 そうして明日のために準備を万全に整えていたが、なぜかヤトの元に忙しいはずのタナトスが顔を出した。

 

「おや、指揮官さんがどうしました?」

 

「ちょっとお前に頼みごとがあってな。………ここでは話し辛いから歩きながら話そう」

 

 そう言ってタナトスはヤトを連れ出す。

 二人は慌ただしく行き交う兵士とすれ違いながら野営地の中を歩く。兵士はタナトスの顔を見ては声をかけたり注目するが、後を追ったりせずすれ違うだけだ。

 何か内緒の話をしたい時は密室より、こうして一ヵ所に留まらずに常に動き回っていたほうが盗み聞きされずに済む。

 

「実はな、今すぐ俺と一緒にラース家の屋敷まで行ってほしい。理由は聞くな、話す気が無いからな」

 

「明日で不都合な理由があると?理由は聞きませんが、そこで何をするかは話してもらえますか?」

 

「――――俺がラース家の当主夫妻を殺したい。他の奴に譲る気は無い」

 

「僕はその護衛ですか?」

 

「そんなところだ。俺の知る限りお前が最強で隠行にも長けている。これ以上の人材は居ない」

 

 ヤトはタナトスの瞳を真っすぐ見る。瞳には単なる思いつきや抜け駆けて手柄を求める功名心も宿っていない。あるのは確かな殺意と憎悪。短い付き合いだが、この男からこれほど強い感情を感じ取ったのは今回が初めてだ。

 どんな理由でそのような感情を宿したのか興味も無ければ関心も無いが、雇われた以上は特別断る理由も出てこない。強いて言えば面倒くさいと思ったが、一度ぐらいは雇い主の我儘を聞いてやってもいいと思って了承した。

 二人はすぐさま当座の食料を持って、厩に行って体力のある頑丈な馬を二頭選んでラース領に旅立った。

 なおタナトスは野営地を出て行く時に自分の代役を置いていた。いつも覆面をしていたので背格好が似た男なら意外と騙せた。

 もし明日の出陣までに帰ってこられなくても、どうせ身分不詳の新入りにこれ以上手柄を奪われたくない貴族達によって後方に押し込められるので戦の指揮など不要だろうから、置物でも置いておけば十分だ。

 それとクシナには出て行く前に挨拶だけはしておいた。当然置いて行かれるのだから不機嫌になったが、少しの間だけと宥めすかして何とか納得してもらった。ヤトは嫁のために何か土産の一つも持って帰らないと拙いと思い、道中は考え事で忙しかった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 野営地を抜け出したヤトとタナトス。二人は駿馬に乗って駆け続けて午後にはラース領に入った。

 そこから短い休息を入れて再度走り出し、夕刻にはラース家の住まう街が見えた。

 流石に体力のある良馬でもここまで酷使しては疲労困憊で、しばらく休ませないと使い物にならない。最悪街で代わりの馬を調達せねば帰りの足が無くなる―――のは実はタナトスだけで、ヤトなら竜由来の身体能力で馬以上に速く長く走って帰れるのは内緒だ。

 二人は近くの森で馬を休ませつつ日が落ちるのを待った。侵入するならもう少し暗くなってから出ないと兵士に見つかる。

 待っている間、街の様子を観察していたヤトは幾つかの事実に気付く。

 既に日が落ちかけて夕闇が迫ろうとしている時にも関わらず、裏門が開け放たれたまま外に出て行く者があまりにも多い。それも身なりが裕福な者や、ありったけ荷を積んだ馬車に乗る者が何人もいた。中には兵士の姿もちらほらと混じっている。あれは戦禍を恐れて逃げ出す者の群れだ。

 先日のヒュロスとの戦の顛末はラースの領民にも知れ渡っている。毎年の恒例行事としか思われていなかったところに異物が混じって笑い事で済まない損害が出た。弱っている相手を前に何もしない筈が無く、すぐにでも街に攻め入ると考える住民が居ても不思議ではない。ましてヒュロス側が寝返りの調略をしているのだから耳の良い者には情報は駄々洩れだろう。

 下手をすればタナトスの目的の当主夫妻でさえ、とっくに逃げ出している事も十分に考えられた。ヤトがその可能性を指摘するが、タナトスは首を横に振って否定した。

 

「逃げなくても和睦をすれば事足りるとあの夫婦は思っている。特に妻のミルラは王族だ、己を殺すより生かした方が利用価値があると信じて疑わない」

 

 だから逃げないのだとタナトスは確信めいた結論を下した。その考えは一理あると思ったが、あくまで可能性が高いだけで敵であるシノンの都合を考慮していない。

 ヤトは何がタナトスを確信に導いたのか知らないし興味も無い。指摘するつもりはなく、よしんば読みが外れて夫妻が逃げていても困るのはタナトス自身だ。自分はただの用心棒として剣を振るうだけでよい。

 十分に休息を得た二人は闇に紛れて開け放たれたままの裏門の近くで身を潜めた。相変わらず街を出ていく人間が多いので中に入ろうとすれば非常に目立つ。

 なのでヤトは周囲の外壁を観察して見張りが居ないのを確かめてから、凹凸に指と足を引っかけて器用に壁をよじ登って外壁の上まで行く。そして上からロープを垂らしてタナトスを引っ張り上げた。

 

「器用なものだな」

 

「剣を扱うだけが剣士の能ではないという事です」

 

 淡々と返すヤトにタナトスは苦笑するしかなかった。

 首尾よく街に入り、二人は最も大きな屋敷を目指して人気のない道を注意して歩く。そうして誰にもすれ違う事無く屋敷の裏手が見えてきた。

 

「それでこれからどうするんです?」

 

「厩に行こう。あそこには組織の者が働いているし、貴族が外に行くには馬を使う」

 

 確かに非常時に徒歩で逃げるような貴族は居ない。無計画かと思えば意外と冷静に物事を見ている。

 人目を避けて厩に近づき、働いているミニマム族の使用人の一人に目を付けたタナトスは手頃な石を足元に投げて注意をこちらに向けた。

 男はタナトスに気付いて周囲に便所に行くと言って抜け出した。

 物陰に隠れてタナトスは跪いて藁が付くのを気にせずビブールと抱き合った。

 

「久しぶりだな同志ビブール。今も息災か」

 

「しばらくぶりだなタナトス。あんたがわざわざここまで顔を出すとは何かあったのか?」

 

「まあな。屋敷の当主一家はまだいるか?」

 

「ああ居るよ。騎士は壊滅、与力貴族や家臣の半分が居なくなったのに暢気なものさ。どうも領地の一部を譲渡してヒュロスと手打ちにするつもりらしいぜ」

 

 ビブールの嘲りに二人も同意した。味方の半分が切り崩された上に軍事力の一角に担う騎士の多くを失ったにも拘らず、まだ交渉で何とかなると思っているらしい。一部どころか下手をすれば家を潰されて領地を全て奪い取られるというのを分かっていない。

 だが今回はその愚かさがタナトスに味方した。おかげで彼は望みを果たせる。

 ビーブルから夫妻の寝室がここから反対側にある屋敷の北二階にあるのを聞いて陽動を頼んだ。彼は嬉しそうに厩を燃やすと言った。

 

「いい加減奴隷扱いはうんざりさ。馬は好きだが臭くてかなわねえし、ここらでおさらばするよ」

 

「分かった。南の森に馬を隠してあるから後で落ち合おう」

 

 タナトスはミニマム族の小さな、それでいてボロボロになった手を強く握って、しばしの別れを惜しんだ。

 ほどなく厩から火が出て、馬が悲鳴を上げながら逃げ出すのを尻目に二人は北に移動した。

 屋敷の中は騒々しく、あちこちで使用人が駆けずり回って消火活動に加わろうとしているのが外からでも分かる。

 その隙に二人は目的の部屋の真下に移動した。

 

「あっ、顔を見られると困るからこれを着けてくれ」

 

 タナトスは自分が身に着けている覆面と同じものを見せた。ヤトは微妙に嫌そうにしながら仕方なくお揃いの覆面を被った。

 準備を整えたヤトは一足飛びに壁を登って、軽業師のようにくるりと回って足からガラス窓を蹴破って寝室に入った。

 

「ひっ!」

 

 部屋には数名の女中のほかに寝間着姿の四十歳前後の中年の男女がいる。ヤトは手近にある壺や調度品を投げて女中達にぶつけて気絶させる。

 そして素早くロープを窓のそばの柱に巻き付けて固定した。

 

「貴様!ここがポント=ラースの屋敷と知っての狼藉か!!」

 

 短剣を握り太った中年男が威嚇するが、ヤトは素知らぬ顔で部屋の扉の前に大きな彫像を置いて出入り口を塞いだ。

 無視されたのに腹を立てたポントは魔法の雷を放つが、寸前に回避行動に移っていたヤトを捉えられずに、逆に首筋に脇差の刃を当てられて情けない声を出す。身動きが取れない夫に妻らしき女はただただオロオロするばかり。

 その間にタナトスが遅い到着だ。彼は二人を見て口元を吊り上げる。

 

「で、どうするんです?」

 

「あーこうするよ」

 

 タナトスは懐から白色と黒色で塗り分けられた一本の棒を取り出してポントの頭に当てる。

 

「それ―――」

 

 ヤトが答えを呟く前に棒から生まれた揺らめく炎刃が頭を貫き、ラースの領主は力を失って床に伏した。

 黒白の棒はロスタやオットーが使っていたのより倍は長いが紛れもなくフォトンエッジだった。

 

「随分雑に殺しますね」

 

「こっちは口封じのオマケだからな。本命はあっち」

 

 タナトスは炎刃の切っ先を黒髪のミルラ夫人に向けた。彼女はまだ美しさを保った相貌を恐怖で歪めて顔の無い暗殺者から後ずさる。

 

「………こうして逢うのは何年振りかねえ。尤もあんたは俺の事なんて思い出したくも無いだろうが」

 

「な、なにを……?」

 

 タナトスは左手で黒い覆面を乱暴に脱ぎ捨てて、ミルラに素顔を曝け出した。

 ヤトには後姿しか見えないが、彼の素顔を真正面から見たミルラは小刻みに震えて尻もちをつく。

 

「あ、貴方はまさか―――」

 

「あんたに全ての責任があるわけじゃないが、俺が決めた事なんでな。――――死んでくれ」

 

 言うなりタナトスは一気に駆けて、炎刃で彼女の心臓を貫いた。

 

「や………め………」

 

「俺も後で行くから待っててくれや」

 

 彼はどこまでも穏やかにミルラの耳元で囁き、一つの命が終わるのを見届けた。

 涙で濡れた女の瞼を指で閉じたタナトスはしばらく無言だったが、扉を乱暴に叩く音に我に返って覆面を付け直して、逃げ支度を始めた。

 

「急ぐぞ!」

 

 タナトスは一言言って先に窓から逃げた。ヤトもそれに続くつもりだったが、クシナへの土産をまだ手に入れていないのに気付いて部屋を見渡して、テーブルにあったドライフルーツ入りのクッキーが盛られた皿に目を付ける。

 屋敷の使用人が斧で扉をぶち破るのと同時に、ヤトは皿を掴んで窓から飛び降りた。

 二人は屋敷から逃げようと入り組んだ裏路地に入った。

 

「お前こんな時になに持ってるんだ?」

 

 走りながらヤトが手に持ってる皿に気付いて、タナトスがクッキーを一つ摘まむ。

 

「一つぐらいなら良いですがこれ以上はお土産だからダメですよ」

 

「ははははは、こんな時に土産の菓子かよ!」

 

 タナトスは今しがた領主の暗殺をしたというのに土産の心配をするヤトがおかしくて自然と吹き出してしまった。

 そして二人はまんまと街の外に逃げおおせて、先に待っていたビブールと共にラース領を出て行った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 ラース家の終焉

 

 

 抜け駆けしてラース領主のポント夫妻を暗殺したヤトとタナトス、それに馬丁のビブールは夜通し馬を走られてヒュロスの領地に戻って来た。

 それからヒュロス軍が通りかかるまで森で休息を入れて、何食わぬ顔で戦列に紛れ込んで合流を果たした。

 タナトスは影武者をしてくれた同志に礼を言い、自由同盟の役割分担などの現状把握に努めた。

 ヤトは最後尾でクロチビに乗りながら不機嫌な顔をしたクシナに顔を見せた。予想通りというべきか、彼女はヤトの顔を見ても明後日の方向を向いて知らん振りを続けて不貞腐れていた。

 仕方が無いのでヤトもクロチビの背に乗って、無言で嫁の口に土産のクッキーを一つ突っ込んだ。

 唐突に口に物を突っ込まれてクシナは驚いたが、ドライフルーツ入りの甘いお菓子の美味に少しずつ機嫌が治って、小さく「もう一つ」と呟いてお代わりをせがんだ。

 ヤトはクシナのお願い通り、さらにクッキーを一枚口に入れる。一枚入れる。また一枚。追加でもう一枚。

 お菓子を一つ食べるごとにクシナの機嫌はみるみる良くなって、土産の半分も食べる頃にはいつも通りのクシナに戻っていた。

 なお、周囲の兵士達は所構わずイチャイチャする二人に内心イラついているが、竜を従えたセンチュリオン殺しの夫婦に面と向かって文句を言えるはずもなく、出来るだけ視界に入れないようにしていた。

 

 二人が仲直りして、一緒に残りのクッキーを食べ終わった頃、ヒュロス軍はラース領に入った。

 今回の戦の目的は領主のラース家の排除で速度優先のため、街道沿いの村々は略奪を受けない代わりに恭順と食糧の有償提供を求められた。当然断ったらどうなるか村人も分かっていたので、内心はともかく先々の村は快く食料を提供してくれた。

 軍総司令官のシノンも出来れば無傷の領地を欲しかったので、なるべく略奪はしたくなかった思惑があり、小遣い稼ぎの機会を貰えなかった末端兵の不満を除けばお互いに納得した取引だった。

 恭順を示す者の中には貴族が率いる組織立った集団もある。オットーはその一つの掲げる前足を上げた馬の旗を見て顔を強張らせて、ヤトに自分の事を何も話すなと頼み込んだ。

 

「身内がいるんですか?」

 

「多分父や師匠が中に居る。お前に一太刀も入れていないのに合わせる顔が無い」

 

 オットーは悔しそうに俯く。ヤトも気持ちは分からなくはないが、雪辱を晴らすべき相手に頼む事ではないと思った。しかしわざわざ言いふらす理由と労力に欠けるので、言われた通り適当にはぐらかすのを了承した。

 

 

 ―――行軍一日目の日没。ヒュロス軍はラース領の小さな泉の傍で野営を始めた。流石に纏まった集団ともなれば歩みは遅い。

 ≪タルタス自由同盟≫も野営の準備をしているが、彼等は総大将のシノンから野営地の夜警を命じられていた。明日の戦に参加しないよう体の良い役割を押し付けられたという事だろう。

 戦いから外されれば街を攻め落とした時の略奪に参加する権利が貰えないが、同時に住民からの直接的な恨みを買わずに済むのでメリットはある。

 なおシノンの命令で略奪許可は財貨だけで、住民の殺害と奴隷化、放火は原則禁止された。亜人も同じだ。

 それと殺害や暴行に関しては相手が先に手を出した場合はその限りではないが、虚偽があった場合は厳罰に処されるので、多少は抑止力になると思いたい。

 自由同盟の兵士は交代で野営地の警備をして、残りは休息を取っている。他の貴族の兵士は酒を飲んで騒いでいるが、こちらは最低限の量で酔い潰れるような事は無いように気を配って、他領との接触も極力避けて固まっている。ひとえに問題を起こさないようにとの配慮だ。

 おかげで同盟軍のいる場所は静かなものだったが、面倒事は向こうからやって来るのだから配慮もあまり意味が無かった。

 ヤトとクシナは兵士ではないので見張りの割り当ては無かったが、用心棒としてタナトスの側に控えている。彼も指揮官だったので今夜は部下に任せて早めに休むつもりだったが、見張りをしていたエルフが断れない客を連れてきたので応対せねばならなかった。

 やって来た客は二人。一人は帯剣した赤髪の中年貴族、もう一人は手に長い棒を持つ全身金毛の猿顔の大男。猿顔は毛深いというレベルの体毛の濃さではないので、おそらく猿人の血を引いている。

 

「お初にお目にかかるタナトス殿。私はコリント家当主のパリス。以後よろしく頼む」

 

「ええ。こちらこそどこの生まれか分からぬ不詳者ですがお見知りおきを」

 

 パリスはタルタス貴族に珍しくタナトスに敬称を付けて貴族として丁寧に扱ったので、周囲の者は自然と好感を持った。

 ヤトは急に訪ねてきた二人を注意深く観察して、猿顔の方は護衛として中々の手練れと見抜き、パリスのマントの馬の紋章と顔を見て、知った顔に似ているのに気付いた。

 パリスは中身はともかくタナトスを成り上がりの平民と侮る事はせず定型的な貴族の挨拶を交わして友好を示す。

 しばらくの歓談の後、パリスは改まって話を切り出す。

 

「時にタナトス殿の領地でヒッポグリフに乗った年若い貴族の姉弟を見かけませんでしたか。私の子供達なのですが、しばらく前に家出をしておりまして」

 

「ヒッポグリフに乗った二人ですか?」

 

「ええ。使用人の話ではここから南に飛んで行ったと聞きまして。南と言えば貴殿の支配するトロヤの街が一番大きく、何かしら情報があると思いますが」

 

 タナトスはどう誤魔化すか悩んだ。オットーの処遇なら気にする必要はないが、姉のエピテスの事を正直に話せば確執が生まれる。いずれバレるのは分かっているが、この場で白状した場合明日の戦にどう影響するか分からない。下手をしたら戦そっちのけで、こちらに攻撃を仕掛ける可能性だってある。

 仕方なく、不都合な情報を伏せて事実だけを伝える事にした。

 

「ええ、存じています。あの姉弟は私の首を狙って街に来ていましたので、護衛のヤトが相手をしました」

 

 タナトスはヤトを呼んで、パリスの前に引き出す際に小声で姉の事を誤魔化せと耳打ちした。

 

「正確には僕が相手をしたのは御子息のオットーだけですよ。姉の方は仲間が相手をして拘束しました」

 

「それで子供たちはどうしたのかね?」

 

「どちらも見習いですから殺さず高くなったプライドを圧し折っただけです。弟の方は腕を折りましたが、姉はトロヤの街で元気に働いてます」

 

「そうか。オットーとエピテスは元気にしているか。タナトス殿、不肖の子供がご迷惑をおかけした」

 

「何をおっしゃいますか。あの時の私はシノン殿下に傅く前の単なる叛徒でしかなかったのです。それを討ちに来たお子等は何ら恥ずべきものの無い誇るべき若者です」

 

 タナトスはパリスと姉弟を褒めて持ち上げておく。こうしないと後々面子を損なって余計な面倒が増える。

 それから二人は表面上お互いを褒めるのに忙しく、暇になったヤトは護衛の獣人に挨拶をする。彼はヤトに視線を向けて一度首を縦に振っただけで口を開く事は無かった。

 お喋りは嫌いと受け取ったヤトは笑顔のまま、一瞬で剣の間合いに入ったように見せかけてから、回り込んで彼の真後ろを取った。

 

「おや」

 

 ヤトの口から賞賛が零れる。猿人は背中を取られはしたが、足で小石を後ろに蹴飛ばして礫にして牽制をかけた。咄嗟の行動としては上等だ。勿論ヤトは全ての小石を回避している。

 並の相手なら気付く事すら無理、それなりの使い手でも前に気を取られて後ろに気付かない。遊び半分とはいえ狙いに気付いて牽制した腕前は流石領主の護衛と言ったところか。ラース軍の騎士より余程腕が立つ。

 

「………今は止めておけ。戦が終われば機会もある」

 

「そうですね。楽しみは後に取っておきます」

 

 上が友好的な態度を示しているのに雇われ者が戦っては面目が立たない。幸い二人の上役は褒め合いで今の遊びに気付いていない。今回はここまでだろう。

 ヤトはこの国での楽しみがまた一つ増えて機嫌が良かった。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 幸いにもラース側の夜襲は無く、無事に夜が明けてヒュロス軍は行軍を再開した。

 その後も一切の敵対行動には遭わず、軍の指揮官達は正直拍子抜けだったが本命の街の攻略に邪魔が入らないのは良い事でもあり、警戒はしつつ行軍を続けた。

 

 正午まで幾ばくかの時がある頃、ヒュロス軍は固く閉ざされたラースの街の門前で陣形を整えた。

 まず戦の礼儀としてヒュロス側の指揮官の一人が一騎前に出て門前で降伏勧告をする。

 すると街の外壁の上から細部まで装飾を施した鎧を着た青年が怒鳴るように拒否した。

 

「この恥知らず共がっ!!よくもそのような禍々しい物言いを吐き出せたものだな!!我が両親のポントとミルラを先だって暗殺しておいて、今更貴様らの慈悲など乞うと思うてかっ!!」

 

「何を言っているっ!?勝ちの見えた我々が領主夫婦を暗殺して何になる!」

 

「とぼけるなっ!!昨夜、二人の暗殺者が屋敷を襲い、父と母を殺して逃げたのを多くの使用人が見ている!!亡骸にくっきりと残ったフォトンエッジの傷が何よりの証拠だ!!」

 

「そんなもの我々は関知せぬ!これ以上言い掛かりをつけて我らを侮辱するなら降伏も許さん!!」

 

「よかろう、ならば両親の無念を晴らすため、このモロトが神に代わって成敗してくれるわ!!」

 

 降伏勧告は失敗に終わり、外壁の上に現れた多くの弓兵が弓を構えて戦闘開始の合図とばかりに矢の雨を振らせた。

 多くは盾で矢を防ぐが、運悪く幾人かの兵士は倒れた。負けじとヒュロス側も三方から矢を射かけて、弓兵の圧力を弱めつつ歩兵を壁に取りつかせようとする。

 数度の斉射を耐えた歩兵が壁に取りつき、梯子を壁に掛けたり鉤爪付きのロープを投げ、反対に防御側が必死でそれらを妨害するか、上から石を落としたり熱湯を浴びせた。

 ただ、この規模の街の攻防戦にしては防御側の抵抗がかなり弱い。やはり事前の戦の損失と切り崩し工作が効いている。

 既に多くの兵士が弓の有効距離の中に入り、十数名が構えた破城槌の一撃が扉を揺らして徐々に、そして確実に正門の耐久力を削っている。

 いきなりの危機に守備兵の顔に恐怖が差し込む。古来より抵抗する街が陥落すれば悲惨な未来が待っている。何もかも奪われて男は殺され女子供は犯しつくされる光景を幻視した兵士は死に物狂いで防衛する。

 それでも一時間もすれば正門は破られて、そこから兵士が大挙して街に侵入。魔導騎士や貴族も雪崩れ込み、中の兵士と血で血を洗う乱戦となった。

 怒号と断末魔、女子供の悲鳴と血に酔った兵士の高笑い。あらかじめ火付けの禁止を言い渡して火種を取り上げておかなかったら、さらなる混沌が街全体を覆っていたに違いない。

 

「けっ!耳障りだぜ」

 

 ヤトの近くに居たオットーが街で行われている乱痴気騒ぎを不快に吐き捨てた。戦となればこうした兵士の乱取りはボーナス代わりに日常的に行われるはずだが、彼はお気に召さないらしい。

 一個人が不快感を示そうとも戦が止まる事も無く、しばらく街で悲鳴が絶える事は無かったが、昼過ぎには領主の屋敷の一番高い所に掲げた旗が切り落とされて、代わりにヒュロス家の旗が風に靡く光景が見えた。

 この時点で雌雄は決したと判断した総大将のシノンは直衛の騎士を引き連れて街に入るよう差配した。

 

 夕刻に分かった事だが、ラース家の殆どの男は戦死。女もそれなりの歳の者は戦って死ぬか辱めを受ける前に自害。生き残ったのは隠し部屋に逃れた数名の女子供だけだった。

 シノンは生き残った子供たちまで殺す気は無く確保に留め、ラース家との長きにわたる戦いに勝利宣言をした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 身から出た錆

 

 

 ラース家を攻め滅ぼして領地を併合したヒュロス家当主のシノンは、戦の後始末を家臣に任せて直衛の部下を連れてすぐさま南に向かった。

 その目的は≪タルタス自由同盟≫が実効支配した土地を正式に自らの領地に組み込むためだ。これによりラース領と含めてシノンの領地は一気に三倍以上の広さになり、トロヤの街という経済的に裕福な交通の要衝を手に入れて、タルタス国内でも指折りの勢力となる。

 南下軍には当然だが当事者のタナトス達が付き従い、オットーの父パリスも家臣と共に付き従った。やはりと言うべきか、娘のエピテスの安否を直接確かめねば不安なのだろう。

 困ったのはタナトスだ。拷問によって大事な娘が心を壊されたのを知ったら、パリスが態度を変えてこちらを殺そうとするのではないかと危惧している。ヤトやクシナなら容易く返り討ちにできるだろうが、同陣営での政治的対立は出来れば避けたい。道中のタナトスの頭はどうやって穏便に事を納めるか考えるので忙しかった。

 

 

 タナトスの悩みとは関係無しにシノンの軍は領地の主だった村落に顔を出して、自らが新たな領主と印象付けを繰り返し行った。一応どの場所でも≪タルタス自由同盟≫の主張する『不当な差別の廃止』は肯定して、広大な領地を寄進した自由同盟への気遣いは忘れなかった。

 そうして七日の行軍の果てにシノン軍はトロヤの街に辿り着いた。

 街の様子はヤト達が出て行った時と少しも変わっていない。むしろ前より活気に満ちているようにすら思われる。それはシノンを先頭にヒュロスの兵が姿を見せた事でより顕著なものとなった。

 住民は王族の登場に諸手を上げて歓迎の意を示し、公然と≪タルタス自由同盟≫の支配から解放された事を喜んだ。

 当然と言えば当然だろう。どれだけ行儀良く振舞った所でタナトス達は力で住民を抑え付けて、この国の常識の亜人差別を否定した。それは神に唾を吐く大罪としか思えない凶行だ。そのような支配からシノン王子が解放したように見えたのだから住民の好感も天井知らずだった。

 中には≪自由同盟≫から奪われた亜人奴隷や財産を返してほしいと頼む貴族も居たが、シノンは曖昧に返事をして即答を避けた。

 民の自発的な歓迎の中、シノンはタナトスの先導でかつての領主コルセアの屋敷に足を踏み入れた。

 

「ここがお前達の根城か。悪い所ではないな」

 

 シノンの呟きは屋敷の事ではなく、亜人も人間も関係無く笑い合って働く自由同盟の者の事を指していた。彼とて亜人差別が当たり前の環境で育ったが、それ以上に身内同士が血で血を洗う王宮という魔窟で育った身としては、生まれも種族も異なる集団がこうも肩を並べて和気あいあいと過ごす光景を見ると思う物がある。

 タナトスは留守を預かった同志に屋敷をヒュロス家に明け渡す事を告げた。当然ブーイングの声は大きかったが、意外と反発は少ない。実は街の住民から敵意のある視線を向けられ続けて、いい加減引っ越しをしたいと思っている者が多かったのだ。

 そういう訳で屋敷の引き渡しは決定事項だったが、引っ越し先と捕虜のコルセア親子の処遇が問題になった。

 

「引っ越し先は我が領地の古城の一つを褒美としてお前達に渡す。元領主の親子は多少は使い道がある、私に寄越せ」

 

「仰せのままに」

 

 普通広大な領地と古城一つでは割に合わないが、タナトスは不満に思わず粛々と受け入れた。

 そしてシノンの命令でかつて栄華を享受したコルセア親子が牢から出された。親子は二か月余りの監禁生活で弱っていたが、まだ自力で歩ける程度の体力は残っていたので杖を突いて久しぶりに日の当たる場所へと連れてこられた。

 シノンは碌に風呂に入っておらず髭と髪が伸び放題で悪臭のする二人に内心悪態を吐いたが、表には出さずに謁見の間でにこやかに出迎えた。

 コルセアは最初、勝手に自分の椅子に座る男を怒鳴り付けようとしたが、すぐに何者か気付いて慌てて頭を下げようとするが、上座の王子はそれを制して椅子に座るように勧めた。

 

「前に会ったのは私の息子が生まれた時の祝いの席だったか?もう十年も昔になるかコルセアよ」

 

「シノン殿下でございますか!?お懐かしゅうございます!このようなむさくるしい身なりで、お目汚しを恥じるばかりでございます」

 

「よい。お前の苦境はおおよそ知っている。今だけはその無礼も許す」

 

 コルセア親子は突然の身柄解放と王族訪問とで感極まって人目を憚らずに涙を流す。

 暫くした後、二人は落ち着きを取り戻し、何があったのかを尋ねた。

 

「叛徒が私に頭を下げて、ここら一帯の領地を手土産に慈悲を乞うてきた。よって許しを与え、そこのタナトスを私の家臣として取り立てた。むろん忠誠を誓えば配下の兵に至るまで咎めはせぬ」

 

「ありえない!それは明らかな詐術でございます!!ましてどこの誰とも分からぬ叛徒を召し抱えるなど、殿下の身を穢す所業にございます!!」

 

「そうです!!私の右腕を切り落とし、父共々穴倉に閉じ込めた輩を侍らすなど畏き王族に相応しくありません!!どうかご再考の後、厳しい刑罰をっ!!」

 

 息子のブリガントは単に二か月の監禁と斬られた右腕の恨みでタナトス以下組織全員の処断を求めたが、コルセアは≪タルタス自由同盟≫の蛮行以上に先祖伝来の土地を奪い取った挙句、勝手にシノンに献上してしまった事の撤回を望んでいた。

 二人は猛烈な勢いでシノンの決定を覆そうとするが、当人は柳の如く柔軟に受け切って即答を避け、決して折れる素振りを見せる事は無い。

 

「二人の言は尤もだ。よく吟味する故、今しばらくは身体を労わるが良い。その間、この領地は当家が責任をもって統治しよう」

 

「はっ……いや、それは―――」

 

「不服か?」

 

「い、いえ滅相もございません!殿下に治めていただけるとは望外の喜びにございます」

 

「では下がって英気を養うが良い。―――――なんの心配もするな」

 

 両者の会談はひとまず終わり、コルセア親子はシノンの腹の内を危惧しつつ、これから屋敷の一室で長い療養に入った。

 

 

 ――――――同刻。

 パリスは自身に抱き着く娘エピテスの変わりように困惑を隠せない。

 

「とーさま、おみやげはないのー?」

 

「あ、ああ。次は何か持ってこよう。お前の好きなメイプルシロップのケーキはどうだ?」

 

「やったー!あたしケーキだいすきー!!カイルもいっしょにたべよーね」

 

 最近加齢臭がすると言って近づくのを避けられていたのに、今はそんな事も無く両手を背に回して抱擁をしてくれる。余程捕虜生活が心細かったのだろう。

 着ている服は貴族の装いと違い、そこらのメイドが着るような粗末なものだ。きっと無理矢理着せられているに違いない。

 言葉遣いも妙に舌足らずで幼さを感じるが娘はまだ十五歳だ。親の半分も生きていなければこんなものだろう―――いや、それはない。

 おまけに友人と称してエルフの少年を紹介するなどお父さんは赦さないからな。

 

「君は娘の様子が変わった理由を知っているのかね?」

 

「えっ?いや、ははは。なんでかなー」

 

 カイルは笑って誤魔化そうとしたが、パリスの洞察力が何か知っているどころか関与していると告げていた。

 さらに後ろに控えていたロスタが思いっきり関係あるとバラして主人を売った。

 

「おいいい!!!」

 

「てへぺろ♪」

 

「詳しく話してくれるかねカイル君?」

 

「どうやらエピテスの御父上は忙しいようですから、私と部屋で遊びましょう」

 

「はーい、おかあさま」

 

 ロスタはエピテスの手を引いて屋敷に行ってしまった。残された主のカイルは良い笑顔で詰め寄るパリスにかつてない恐怖を抱いた。

 それでもカイルはどうにか事のあらましを告げた。

 説明を聞き終えたパリスは無表情のまま目だけを細めて、務めて冷静に口を開く。

 

「―――――――では尋常な立ち会いの末に負けて衆人観衆のもとで粗相をしたのを恥じて、ショックのあまり幼児のようになったと?」

 

「多分そうだと思う。本人に聞ける状況じゃないから断言は出来ないけど」

 

「そして君は多少なりとも罪悪感を抱いて、時折娘の世話を焼いたら懐かれた」

 

「そう……なるのかなぁ。自信無いけど」

 

 カイルは思いのほか冷静に説明を終えた。自分に都合の悪い拷問失敗の事は削り、あくまで正々堂々戦士として戦った末にエピテスが心を壊したと。

 嘘は言っていない。ただ十の内、二~五までを意図的に伏せて、一と六~十を述べただけだ。幸い当人はあの状況で、真相をある程度知っている弟のオットーは顔を晒せない。だから多少不審な点があっても説明に齟齬は無いのでパリスも見抜けない。

 パリスは苦悩する。大事な娘を壊した相手が目の前に居ても、それは一対一で堂々と戦った末の事故に近い。本来なら単身二人で敵地に乗り込んで負けた時点で殺されていても文句は言えない。むしろ今の処遇は温情さえあると言える。それでも許せない気持ちも確かにある。だからこそ相反する感情を持て余していた。

 

「――――こういう時の解決策は一つしかないか」

 

 パリスはぽつりと呟いて、唐突にカイルの端整な顔に拳をぶち込んだ。

 いきなり殴られたカイルは尻もちをついて呆然としたが、頬の痛みで意識を取り戻し、何をすべきか理解した。

 そして立ち上がって、距離を詰めて右のジャブで牽制しながら左拳で死角から顎をかち上げる。

 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る。

 二人はただただ互いの顔を殴り殴られ、倒れては立ち上がり、無言でまた殴る。

 互いに武器は持っていても触れる事もせず、肘も足も使わず、回避どころか防御すらしない。泥臭く足を止めてひたすら両の拳のみで殴り合った。

 三十を超える拳を食らい、二人とも息が上がっている。

 しかしカイルはまだまだ平気に見えるが、パリスの方は明らかに足がふらつき目の焦点が合っていない。これは神代エルフのカイルの方が肉体的強度に優れていて、体格が劣っても人間のパリスより打撃力に優れているためだ。

 よって同じだけ殴られても先に根を上げるのはパリスだった。カイルはそれが分かっているから首を横に振って降参を勧める。

 

「まだまだっ!まだ終わってないぞ!!」

 

 切れた口内に溜まった血をツバと一緒に吐き出して喧嘩の続行を求める。そこに居たのは貴族でも何でもない、娘を壊した男に恨みをぶつける一人の父親がいるだけだ。

 技術も何もないただ怒りと精神だけで肉体を凌駕した哀れな父親はがむしゃらに殴りかかり、反対に殴られ、五十を超える拳の応酬の末、最後は力尽きて地に伏せた。

 

「その………ごめん」

 

 カイルは腫れ上がった唇から流れる血を袖で乱暴に拭って、倒した男に謝罪の一言をかけるしか出来なかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 狩る者と狩られる者

 

 

 タナトスは約束通りシノンにトロヤの街を明け渡した。まだコルセア親子が生きているので名目は領地を預かっただけだが、叛徒にむざむざ土地を奪われた無能に情けをかける理由などあるはずもなく、彼の中では既にこの街は自分の領地になっている。

 既に統治に必要な諸々の手配は済ませて≪タルタス自由同盟≫の引っ越しと入れ替わりで、シノンの長男のペレが代官として赴任する手筈になっていた。勿論まだ少年と呼ぶ年頃の子供に実権は無く、腹心のカドモスが取り仕切って領主として学ばせるつもりだ。

 引っ越しの準備は二日で済み、一団は住民の万雷の歓声に包まれてヒュロスへの往路を踏みしめた。どれだけ行儀良くしていても自由同盟が如何に嫌われていたかが分かるというものだ。

 

 

 特筆すべき事も無く、一団は八日後にヒュロスの街に帰って来た。

 その翌日にタナトスはシノンから領地内の軍事通行許可証と古城の使用許可証を受け取った。これで武器を持っていても何ら咎めを受けずに領地を歩き回れる。

 気前の良い事にシノンは支度金として少なくない額の軍資金をタナトスに与えた。正直貰えると思わなかったが、金はいくらあっても困らないので、ありがたく城の補修用に使う資材の購入に使わせてもらった。

 自由同盟の一団は必要な資材や道具を持って居心地の悪い街を出て、三日かけて北の丘の上に立つ古城へと辿り着いた。

 

「なんかボロいぞ」

 

 クシナが何気なく口にした感想は、ここに居る者全ての想いを代弁した言葉だった。

 空堀は草花の絨毯が敷き詰められていた。城壁は無数に崩れ落ちて穴だらけで蔦に覆われて緑と白のまだら模様。両開きの正門は片方が外れて地面に寝ている。城の玄関扉は木が腐って穴が開いてて城内が見える。

 タナトスは預かった鍵を使おうとしたが、そもそも鍵穴が錆びで埋まっていて刺さらない。溜息を吐いて扉に蹴りを入れたらあっけなく蹴破れた。

 斥候でもあるカイルが最初に中に入れば、蜘蛛の巣と鼠がお出迎えしてくれた。おまけにカラスと鳩と蝙蝠とリスに狐の親子もだ。

 

「今日から俺達もお前達の仲間入りだ。よろしく頼むぞ」

 

 ふざけ半分にタナトスは逃げまどう動物達に挨拶をする。意外と余裕があるのは空元気ではなく慣れているからだ。

 たった一人でゼロから反政府組織を立ち上げたタナトスにとってこれしきの事は落ち込む理由にもならない。人も物も金もある恵まれた状況でボロ家を直すなど鼻歌交じりでやれる。

 彼は指導者らしくやるべき事の優先順位を決めて、部下にそれぞれ仕事を割り振った。

 早急にすべき事柄は寝床の拡張だ。現在≪タルタス自由同盟≫の人員は千四百人を数える。残念ながらこの古城にそれだけの人数の寝床は無い。無いなら外に用意するしかない。今は夏なので最低限雨を凌ぐ屋根さえあれば何とかなる。だからまずは屋根のある家屋と大人数の調理に使う石の竈を作る事にした。資材は豊富にあるし、一団には多くの職人がいるから数日あれば事は済む。

 問題は水だが近くには川も泉も無い。それでも城があるということは井戸ぐらいはある。つまり地下水はあるのだ。

 という事は井戸掘りをせねばならない。ここで中心人物になったのがカイルだった。

 彼は城の周囲を無造作に歩き続けては時折地面に手を当てて水の精霊の声を聴き、土の精霊に頼んで穴を空けてもらった。すると穴からはじわりと水が滲み出た。これを十度繰り返して、十を超える井戸を掘り当てた。

 あとは職人が穴の周囲を石で囲んで固めれば近日中に井戸として使える。

 従者のロスタはエピテス達と女衆と共に城内の掃除をしている。外の住居拡張が第一だが、自分達の寝床ぐらいは綺麗にしておきたいのが女心という奴だろう。幸い城の井戸は枯れておらず、多少水が濁っていたが掃除ぐらいには使えた。

 そしてヤトとクシナと言えば、クロチビとオットーを連れ立って城からほど近い森の前に居た。

 

「今からここで大きな獣を狩ります。沢山獲って引っ越し祝いの夕食を豪勢にしましょう」

 

「おーー!!」

 

「GUOOO!!」

 

「なんで俺まで………ったく」

 

 ヤトの提案にクシナはクロチビの上で元気よく返事をして、オットーは不貞腐れて仕方なく付いて来た態度を隠しもしない。

 事の始まりはクシナの不満だった。健啖家の彼女にとって道中の食事は量も質も満足の行くものではなかった。しかし千を超える大人数の日々の糧となると膨大な量となり、今後を考えれば節約も必要で手間も掛けられない。

 当然タナトスは新しい城に引っ越ししたからと言ってお祝いに美味しい物を食べるつもりはなかったが、なら組織の食料を使わず勝手に用意すればいいと斜め上の結論を出した、食い意地の張った一部の連中が食料集めを考えた。

 そうして方々に散って食料をかき集めに行く中でヤト達は森での狩猟を選んだ。オットーの情報ではこの森は≪太古の森≫と呼ばれ、容易に人を寄せ付けない秘境として長年放置されてきた。

 理由は諸々あるが、一番の理由が住処にする獣が強すぎる事だ。森には幻獣が数多く生息し、通常の獣も大きく頭が良い。魔法の使えないただの狩人は言うに及ばず、魔導騎士さえ気軽に足を踏み入れれば帰ってこられない魔境と言われている。

 それでも過去には森を修業の場として騎士や戦士が修業の場に利用していた例はそれなりにあった。尤も環境の過酷さで殆どが数日のうちに根を上げて逃げ出すばかりで、森の中がどうなっているかは杳として知れない。

 あるいは森の奥に数十年修行を積んだ世捨て人の騎士が住み続けているなどと、出所の分からない妖しい伝説も転がっているが、実際にそれを見た者は居ないので単なる怪談の類だろう。

 それでもオットーは鬱蒼とした針葉樹の森をどこか得体の知れないモノとして捉えて本能的に忌避していたが、それを素直に認めるには彼はまだ年を経ていないし、森ごときを臆しては一生ヤトに勝てないままと思って恐怖を振り払った。

 三人と一頭は夏特有の青々と生い茂った草木の異界へと足を踏み入れた。

 異界の中は思ったより広く、岩竜の巨体でもすいすい歩ける程度に木の間隔が広い。

 三人はともかくクロチビが歩くたびに地面が揺れ、突然の闖入者に小動物が逃げ惑う。

 狩りの基本は獲物に狩猟者の存在を悟らせずに近づき、必殺の距離まで近づくことにあるが、今のヤト達のように自ら存在を知らしめるような真似をしては、まともに狩りなど出来はしない。それでも平然としていられるのは今回の狩りの得物が普通ではないからだ。

 

「―――――来ました。数は前に三、左右に数頭」

 

 気配を読んだヤトの言葉でオットーに緊張が走る。クシナとクロチビはまだ暢気に構えていた。

 一行の正面には木々の隙間から様子を窺う三頭の獣。長い鬣を逆立たせて、短剣のような鋭い牙を無数に生やし、開いた口腔から汚い涎を零す四つ足の巨体。魔狼ガルムと呼ばれる幻獣に類する狼だ。人里に姿を見せるのは稀だが、性格は極めて獰猛かつ悪食で知られており、群れなら同じ幻獣でも狩ってしまう玄人の狩人だ。

 オットーは震える手でフォトンエッジを構える。彼とて魔導騎士、ガルムに後れを取る気は無いが一頭ならともかく相手のテリトリーで囲まれれば恐れぐらいは抱く。

 

「おっ早速肉が来てくれたぞ」

 

「肉食ですから肉は臭そうですね。高温の油で揚げて香草をたっぷり使えば何とかなるでしょうか」

 

「あれを食う気かよ。つーか食えるのかアレ?」

 

 オットーは魔狼に囲まれても平然と味の話をする夫婦にげんなりする。同時に震えは止まり、無駄な力が抜けた。

 一行の漫才を好機と見たガルムの群れは三方から一斉に襲い掛かった。

 

「クシナさんは右、オットーは左を」

 

 最低限指示を出した後、ヤトは正面から迫る三頭の汚れた毛の狼の内、最初に飛び掛かった個体の首を居合で斬り飛ばし、さらに一頭の頭に鞘を叩きつけて脳漿をぶちまけた。残る一頭は出鼻を挫かれて二の足を踏む。

 右ではクシナが一頭の狼に圧し掛かられて、小柄で肉厚な身体を鋭い爪で押さえつけられたが、彼女は気にせず腹に拳を叩き込んだ。魔狼は飛び上がった後に地面を転がり、口から内臓の肉を吐き出しては痙攣する。もう一頭は既にクロチビの腹の中だ。我慢出来ずに生きたまま食ってしまったらしい。

 左のオットーは炎刃を回転させて二頭が同時に襲い掛からないように牽制しつつ、少しだけ片方の狼への警戒を緩めて攻撃を誘った。案の定、一頭は誘いに乗って飛び掛かったが、理力による不可視の念動力によってオットーの頭上まで持ち上げられて腹を見せてしまった。そこを炎刃によって焼き切られて即死した。

 もう一頭は仲間の敵討ちに地を這うような低い体勢で奔り、オットーの足に噛み付こうとしたが、読んでいた彼はその場に飛びあがって回避しつつ狼の背中から尻尾までをフォトンエッジで真っ二つ。

 あっという間に仲間の六頭を物言わぬ肉に代え、内一頭は既に腹の中に消えてしまったのを見た最後の一頭は明らかに恐れを抱いて、その場で振り向いて逃げ出した。

 しかし彼(彼女)?の受難はそれで終わらなかった。

 生き残った狼は先程まで無かった、唐突に生えた巨木を見上げたまま、上から降って来た圧倒的な質量に潰されて新鮮なミートパイになってしまった。

 

「BUMOOOOO!!」

 

 巨木は生きていた。柱のように太い脚で台地を踏みしめ、全身はしなやかな鋼のような体毛に覆われ、竜の如く太い胴体は動く家そのもの、前に突き出した三日月のように歪曲した巨大な二本の牙。

 巨体は今しがた踏み潰した狼の肉を三日月牙を使って器用に口の中に放り込んでむしゃむしゃと食べて、大音量のげっぷをする。

 それでも満足した様子はなく、小さな一対の瞳がヤト達を獲物と見定めた。

 

「おー!あれは食べ甲斐がありそうなイノシシだなー」

 

「おまっ!あれはスリーズの猪!!竜だって食い殺すお伽噺の魔猪だよ!!」

 

「なら気を付けないと駄目ですよクロチビ」

 

「KYUUU」

 

 巨大な猪に獲物と思われ、震えが止まらないオットーと違って夫婦とペットの岩竜はどこまでも自然体のまま。それが彼にとってどれほど自尊心を傷つけたか当人にしか分からない。

 それも戦場では何の意味も無く、お伽噺の魔猪は咆哮を轟かせて猛進した。

 

「BUUUU!!!」

 

 魔猪が蹄を鳴らして突進する様はまるで山が近づいてくるようだった。

 狙いは一番大きなクロチビ。人ほどもある巨大な二本の牙が装甲の厚い岩竜の鱗を貫通しうるかは分からないが、クロチビ自身が脅威と感じて身構える程度には油断ならない殺傷力を秘めていた。まして人の柔らかな肉などひとたまりもない。

 

「颯≪はやて≫」

 

 突進力を殺すための気功の刃を翠刀より放ったが、柔軟にして強靭な毛皮に防がれてそよ風程度にしか効いていない。

 牽制にもなっていない刃の後にクシナが飛び蹴りを放ったが、質量が違い過ぎて多少速度を殺しただけで猪に弾かれてしまった。

 しかしその隙にクロチビが魔猪に正面から掴み掛ってガッチリと受け止めた。牙もクシナが蹴りを入れた事で角度がずれて上手い具合に逸れている。

 猪と竜の組み合いはギチギチと筋肉が軋む力相撲となり、両者は一歩も後に引かない。その隙に男二人が側面から斬りかかった。

 オットーはフォトンエッジで右前足を斬るが、思ったほどに刃が通らない。硬質の毛が蒸発して立ち込める蒸気が熱を阻害している。それでも駆動力の要となる足が傷付けば力は落ちる。

 左からはヤトが壁のような猪の横腹に翠刀を根元まで突き刺すが、予想に反して刀は毛筋ほども刺さらない。

 魔猪はメスだった。

 すぐに気付いたヤトは翠刀を放り投げて、短剣に持ち替えて伸ばした刀身を気功強化して猪の横腹に突き刺した。今度は半ばまで刺さり痛みで暴れる。

 両サイドから少なくないダメージを受けて暴れるが、正面にはクロチビがどっしりと構えて身体を抑え込み、隙を見て鋭い牙で噛み付いて肉を剥ぎ取った。

 これには魔猪もたまらず前足を折りかけたが、死の恐怖に怯えて最大限の力をもって抵抗を見せる。

 手始めに頭をクロチビの腹の下に潜り込ませ、一気に持ち上げて空に放り投げた。

 さらに纏わり付く虫は巨体を左右に振って振り解いたが、オットーは負けじと斬りかかる。彼の炎刃は確かに牙の片割れを焼き切ったが、同時に大きな隙を作ってしまい、反撃で鼻先をぶつけられて、彼は木にぶつかって動かなくなった。

 一人を倒して俄然強気になった猪だったが、すぐさま戦線に復帰したクシナの大岩も砕く凶悪な蹴りで後脚が砕けた。

 前後ともに片足が負傷しては流石の怪物も動けず、最後はヤトが正面から頭部を真っ二つに切り裂き仕留めた。

 

「ふいー、手間がかかったが中々大きくて太った肉だ。クロチビも頑張ったな」

 

「GYURUU!!」

 

 クシナに褒められてクロチビはご満悦。さらにご褒美にガルムの死骸一頭を餌として貰い、喜んで骨ごとボリボリと噛み砕いて飲み込んだ。

 二人は残っている四頭のガルムの死骸を集めて猪の側に纏めた後、倒れているオットーの無事を確かめた。

 ヤトの気付けで目を覚ましたオットーは頭を二~三度振って意識を覚醒させた後、仕留めた魔猪を見て唇を噛んで悔しがった。

 

「さて、まずまずの獲物は仕留めましたが、千人以上が食べたらあっという間に無くなってしまいます。出来ればもう一頭分ぐらい欲しい所ですね」

 

「ならもう少し奥に行ってみるか?」

 

 クシナの提案にヤトは頷く。ここはまだ森の中程度。さらに奥に行けばもっと大きな獲物が見つかるかもしれない。

 仕留めた動物を残しておくと他の獣に横取りされるかもしれないが、一時間やそこらなら多分大丈夫だろうと楽観的に考えて、三人と一頭はさらに奥へと向かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 しばしの別れ

 

 

 奥に進むにつれて緑は深く逞しくなり、襲い掛かって来る獣はそれなりにいた。

 大型の虎が三頭、腹を空かせたヒグマが一頭、縄張りを荒らしたのを怒って襲い掛かるサイの番。どれも先程の猪よりは小さく弱い。どうやらアレが森の主だったのだろう。

 それでも仕留めた獣はどれも大きく、肉は食えそうだったので後で持って帰るように縄で縛って置いておいた。

 あと妙に大きな蜘蛛やら蠍が多数襲い掛かってきたが、こちらは食えそうにないのでクシナとクロチビが見つけ次第、炎で消し炭にかえた。おそらく虫は幻獣の類だろうが竜の炎に耐えられるほど頑強ではなかった。

 ちなみにオットーはクシナが火を吐いた事に腰を抜かすほど驚き、さらに彼女が古竜と教えられてそれまた驚くが、同時になぜ岩竜がこうも懐いて言う事を聞くのか合点が行き、竜を平然と嫁にしたヤトを尊敬すべきか呆れるべきか真剣に悩んだ。

 襲いかかる幾多の原住生物を狩った一行は、森の中にある小さな湖を見つけた。湖は透明度の高い澄んだ水で、陸からでも魚が泳いでいるのが見えた。さらに水の深い場所には明らかに人間より大きな魚影もちらほら確認出来る。

 

「魚もいいですねえ」

 

「お前は泳げるか?」

 

 クシナの問いにクロチビは首を横に振って無理だと言った。

 

「おいおい魚より見るべきモノは他にあるだろ。湖の真ん中にある建物とかよー」

 

 食い物の話ばかりする連中に、オットーは呆れて湖で一番目立つ物を指差した。

 確かに指の差す先には白い壁に赤い屋根の六角形の小さな家が湖の真ん中にポツンと建っていた。

 こんな幻獣の多数棲み付いた森の中の、それも湖の真ん中に建っている時点で不自然極まりない。それに湖を見渡してもどこにも家に繋がる橋が無い。渡る船も、足場になる石なども一切見当たらない。まさか毎回あの家の主は湖を泳いで中に入るのだろうか。それとも翼を持つ類の種族が家主か。

 家は気になるが今すぐ調べる必要も無いので、狩った獲物を持ち帰って後日出直して来ればいいと、ヤトの提案に誰も反対しなかった。

 踵を返す一行だったが、後ろから大きな水音がしたため振り返る。

 そこにはビチビチと暴れる魚を咥えた猫ならぬ、緑かかった黒髪の全裸女性が巨大なウナギを咥えて水辺から這い上がっていた。

 あまりにシュールな絵面過ぎて誰も声を上げる事も出来なかった。

 

「モガモガモガモガ!」

 

「いや、口から魚を放せよ」

 

 地に付くほど長髪の女性は口に魚を咥えたまま話しているので何を言っているのか分からない。だから一番早く正気に戻ったオットーが魚を放せと教えた。

 女性は言われた通りウナギを放して逃がさないように手に握るが、ウネウネと動くウナギは女性の身体に巻き付いて、ひどく背徳的な光景になった。

 

「お前達ここはアタシの家だよ!中に入るなら挨拶ぐらいしなっ!」

 

「えっ、ここ外……あー湖周辺全部敷地ということですか」

 

 女性の言わんとする事はつまるところ、外との境界線は森の木々で、そこから先は家の庭という意味だ。門や柵があるわけではないのだから他人に分かる筈が無い。

 彼女は御怒りのようだが、襲い掛かる素振りを見せないのだから、過去に同じような経験をしているのか単に心が広いかだ。

 ここは反発せず、ヤトが勝手に土地に入った事を謝罪しつつ、それぞれが名を名乗った。

 

「よしっ、素直で良いぞ。客人なら殺しはしない。腹が減ってるならこいつを食わしてやる。どうだ?」

 

 琥珀色の瞳の女性は未だに暴れているウナギを見せつけると、真っ先にクシナが喜んだ。ヤトやオットーも腹は減ってなかったが嫌とは言わなかった。クロチビは道中ガルムを二頭も食ったので満腹だった。

 女性は機嫌を良くして、指先をウナギの頭に添えると、ウナギの頭が綺麗に落ちて断面から血が噴き出した。

 彼女が空いた手をかざせば、平らな土地に炎が生まれた。

 おまけに森からは何本もの木の枝が飛んできて、全てがウナギの身体に突き刺さった。そのウナギを頭同様に指を這わして身全体を輪切りして火の回りに並べた。

 全てヤト達は手を出していない。状況から察するに彼女が起こした事象と思われる。

 真っ先に思い当たったのはオットーだ。

 

「なんで理力使えるんだよ。いや、なんか違う……お前一体」

 

「アタシか?アタシは………なんだったかのう?最後に名前を呼ばれたのは結構前だから、今思い出すわい」

 

 ウナギが無くなり全裸のままウンウン唸る女性に、オットーは顔を赤くして目を背ける。意外と純情らしい。

 ヤトは肌を直視した所で何も感情も抱かず、別の事柄に気を取られていた。すなわち彼女が強いかどうかだ。

 先程の動きで魔導騎士が用いる理力に似た力や魔法のような事象を引き起こす力があるのは分かっている。後は身のこなしや素の身体能力がどのようなものかはまだ測りかねた。

 ついでに言えばウナギの脂が火に炙られて香ばしい匂いのする状況ではヤトでも戦う気が削がれるという事情もあった。

 

「――――――ああ、思い出した。アタシの名はナイアスだ。いかんいかん五十年も話していないとすぐに忘れる」

 

「は?五十?いやそんな年じゃ――――つーかいい加減服着ろよ」

 

「なんだ小童、こんな婆の裸見て恥ずかしがるのか?」

 

「なっ、んなわけねーだろ!いいから何か着ろよ!」

 

 オットーが怒るとナイアスと名乗った女性は「最近の童は分からん」などと年寄り臭い事を言う。

 そして突然、彼女の長い髪がウネウネと動き出して自らの身体に巻き付き、肌の大半を覆い隠してしまった。さらに髪は肌にぴっちりと張り付いて光沢のある深緑の服となり、ナイアスの髪がうなじまでのショートヘアに変わっていた。

 

「これなら童も恥ずかしくないだろう」

 

 彼女は豊満な胸を張って偉そうに言う。確かに全裸よりは幾分マシになったが、ぴっちり身体に張り付いた服はそれはそれで目の置き場に困った。

 ヤトは戦う気がかなり削がれていたので、手慰みに輪切りにしたウナギに持っていた塩を振って、切り身を焦げない位置に調整した。クシナは脂の焦げる匂いに涎を垂らしてワクワクした。

 代わりにオットーがナイアスに質問を投げかける。

 

「で、あんたは何なんだ?理力が使えるんだから貴族か魔導騎士なのか?」

 

「アタシはアタシだよ。ずっと一人でここに住んでて森から出た事は無い。童みたいにたまに訪ねて来る奴は大体同じことを問うね、騎士とか理力とか」

 

「あんたは違うのか?」

 

「さあ?昔訪ねてきた耳長達はアタシを魔人とか言ってたけどねえ。何かアーリとかいう奴に味方しないなら敵じゃないとか言ってたけど」

 

 ナイアスの話に、ウナギを見ていたヤトは以前エンシェントエルフの村で聞いた古い戦話を思い出した。

 

「魔人でアーリ?それはアーリマという魔人族の王の事ですか?」

 

「あー多分そんな名前だった気がする。あちこちで戦になっててアタシの同族が暴れてるから敵かどうか見極めに来たとか言ってたような」

 

 彼女はおぼろげな記憶を頼りに自信なさげにヤトの確認の言葉を肯定した。エンシェントエルフの話では魔人王アーリマは三千年も昔の魔人族の王だ。その王が生きていた時代となればナイアス自身も最低三千年は生きている事になる。

 エンシェントエルフが数千年を容易く生きるのだから魔人族も同じぐらい生きても不思議ではないが、定められた時しか生きられない人間には何とも壮大な神話だった。

 

「ふーん。あんたが人間じゃないのは分かったけどよ、なんで触れずに物を動かせる理力が使えるんだよ。それは俺達タルタス人の中でも限られた者しか使えないって話だぜ」

 

「そうでもないですよ。僕も過去に魔人族と戦った事がありますが、その魔人は魔導騎士の理力と似た力を使っていました」

 

 だから世の中探せば似たような力は意外と転がっている。

 ヤトの話にオットーは自分がどれだけ世界を知らなかったのか恥を感じたが、周囲はほどよく焼けた魚に気を取られて少年の内面には気付かなかった。

 四人はひとまず話を中断して、香ばしく焼けたウナギを頬張った。塩だけの簡素な味付けだったが、身が肥えたウナギは中々の味だ。特にヤトとクシナは久しぶりの魚だったので舌鼓を打つ。

 食べている最中、ナイアスはオットーの腰に差したフォトンエッジに目をやり何かを思い出す。

 次の瞬間にはオットーのフォトンエッジはナイアスの手の中にあった。

 

「おっ、おい!」

 

 突然武器を奪われて狼狽するが、彼女は素知らぬ顔でフォトンエッジを弄って炎刃を展開させて、懐かしい物を見るように揺らめく炎を眺めた。

 

「あんたやっぱり魔導騎士じゃないか!魔人族なんて嘘っぱちかよ!」

 

「んなもん知らんわい。アタシの事はどうでもいいけど、この炎の棒を持ってた奴が騎士で良いのか?」

 

 ナイアスはフォトンエッジを玩具のように振り回しては炎刃を出したり消したりする。それが持ち主のオットーには面白くないので理力を使って彼女の手から取り返した。

 

「そうだよ。あんたが騎士じゃないのなら何でフォトンエッジの事を知ってるんだよ?」

 

「アタシに力の使い方を教えてほしいって頭下げた若造が持ってたからだよ。どれぐらい前か忘れたけどね」

 

「じゃあ意外とこの森に修行してた騎士の話は本当なのか」

 

「その割にアタシの事は知らんのか」

 

 ナイアスが不満そうな顔をするが、オットーは騎士が教えを乞うた話を全く信じておらず鼻で笑う。何しろ誇り高い魔導騎士がこんな変な奴に、それも魔人などという胡散臭い種族を自称するよく分からない騎士っぽい女に教えを乞うなど有り得ない。

 しかしその態度が気に障ったナイアスは念動力で鼻持ちならない小僧を宙吊りにした。オットーも負けじと自分の理力で対抗しようとしたが、まるで抗えずに成すがままだ。

 結局オットーが非を認めて地に降ろしてもらったが、彼は往生際が悪くまだナイアスの話を疑っていた。

 

「なら童があそこの岩を浮かせてみな」

 

 彼女が指差す先には、スリーズの魔猪より二回りは大きな巨岩があった。

 見るからに動かせそうもない大岩だったが、オットーは力の限り理力で動かそうとしたものの、僅かに震えるだけで碌に動かない。

 そのうち力尽きてひっくり返ったオットーを尻目に、ナイアスは軽く手を捻ると大岩はあっさりと宙に浮いてしまう。

 この時点でオットーは彼女が魔導騎士ではないと確信した。どれほど優れた騎士でもこれほどの理力を操る者はタルタスの歴史でもおそらく誰一人として居ない。

 さらに彼女は岩を動かして、仰向けになって空を見上げるオットーの真上まで移動させる。視界いっぱいに広がった大岩と額に感じる零れ落ちた土の感触には素直に負けを認めるしかなかった。

 一方ヤトはウナギを齧りつつ、一連のやり取りを冷静に分析していた。単純にナイアスの念動力は以前戦った女魔人ニートよりかなり優れていると見て良い。精神操作の魔法が使えるかどうかは分からないが、使えると思った方が対処もしやすい。とはいえ身のこなしは話にならない素人振りなので実際に戦った場合、勝つのは己だろう。

 戦ってもさして得る物が無いと判じたヤトはナイアスへの興味を失くしていたので、ウナギを御馳走になったら退散するつもりだった。

 そしてクシナが最後のウナギを食べ終えたので、ナイアスに礼を言って退散しようとしたが、ただ一人オットーだけは、じっとナイアスの琥珀の瞳を射抜く。

 

「な、なんだ童?」

 

 彼女の言葉にオットーは黙って片膝を着いて頭を下げた。まるで君主に忠誠を誓う騎士のように、彼は魔人に傅いた。

 

「先程の無礼を許してほしい。その上で頼みがある。どうか俺を鍛えてくれ!」

 

「いいぞ、どうせアタシは暇だし」

 

 軽い!オットーは内心一世一代の頼みを易々と受け入れられて複雑な想いだったが、断られるよりは遥かに良い返事だと思い直して喜んだ。

 彼が何よりも倒さねばならないと思い決めた者こそヤトだ。そのヤトの倒すために顔を隠してまで自由同盟などという胡散臭い連中に組してまで実戦を経験した。そこで得た経験は確かに自身の糧となったが、それだけではあまりにも足りないのを今日実感した。

 なら今から山籠もりでもして修行に明け暮れる?それで何とかなるなら苦労は無い。

 ならどこかの騎士に師事して教えを乞う?身分不詳の貴族を弟子にするような酔狂者など知らない。

 なら諦めるか?ふざけるな!そんな負けっぱなしで終わるほど根性無しではない。

 憧憬、あるいは敬意にも似た感情を抱いた男に一太刀入れられずに負けを認めるのを許せる筈が無い。

 鬱屈した感情を持て余していた矢先、ナイアスに出会った。これこそ天啓と言うべき邂逅ではないか。

 だからこそ恥も何も捨て去り、弟子入りを願った。結果は拍子抜けするほど上手くいった。否、まだ何も教えを受けていないのに勝ち誇るのは早い。

 そしてオットーは立ち上がってヤトに向き直る。

 

「そういうわけだ。あんたとは暫くお別れだ」

 

「いいですよ。元々僕達は仲間でもなんでもない間柄ですから。強くなって僕に挑むなら大歓迎です」

 

 オットーは良い笑顔で別れを惜しまないヤトに鼻を鳴らす。味方とは言い難かったが共に戦場を駆けた相手にさえ、まるで親近感を抱かない剣鬼には閉口した。いや、斬るべき相手として親愛の情は抱いているのだろう。短い間でも行動を共にしていたオットーには何となく分かった。

 

「ですが僕はずっとこの国にいるわけではないので、あまりのんびりしていると機会を逸しますよ。そうですね、センチュリオンを全滅させたらタルタスを離れますか」

 

「そうかい。なら気合入れて頑張るか」

 

 ここで無理とか、いつまでかかると言わないだけオットーのヤトに対する理解は深い。

 それっきりヤトは湖から背を向けて森の方に引き返した。あの少年がどれだけ強くなるか間近で見たい気もあったが、本人が離れる道を選んだのだから好きにさせておくべきだ。

 同時に彼がどんな強さを身に着けるか想像する楽しみが増えた。今はそれだけで満足しておくべきだろう。

 ヤト夫婦とそのペットは森で狩った獲物を持って古城に帰還した。持ち帰った獣の数以上にスリーズの魔猪の巨体には誰もが驚き、食べられるのか疑った。それでも貴重な肉には違いないと食い意地の張った者が試食をした。

 結果はそこそこ美味いと分かり、引っ越し祝いの主菜として工夫を凝らして全員に行き渡るように振舞われた。

 途中タナトスがオットーが居ないのに気付いて、ヤトから説明を受けると特に言う事も無く受け流した。敵にならなければ気にするほどのものでもない。むしろ不確定要素が減って気が楽になったぐらいだと笑っていた。元見習い騎士一人などその程度の影響力だろう。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 暗躍

 

 

 ≪タルタス自由同盟≫がシノン王子より古城を与えられてから十日が経った。それだけの時間があれば簡単ながら人数分の宿舎は出来上がり、あちこち崩れた城壁も石を積み直してかつての防御力を一応取り戻した。

 城内に巣食う動物たちは追い払われ、穴の開いた壁も綺麗に補修されて隙間風も無い。調度品の類は無いので些か殺風景と言えなくも無いが、元よりこの城に来客は絶無であり、戦うための城としての機能を取り戻したと言ってよい。

 それでもタナトスは満足しない。彼は宿舎のさらに外側にもう一つ壁を作って、城をより強固な造りにしようと考えていた。ただ、建材が足りなかったので近くの岩場から石を切り出して使った。

 ヤトは剣で大岩を次々ブロック状に斬って運搬班に渡した。普通岩から切り出しても形を整えなければ建材としては使えないが、最初から必要な寸法と形状を伝えれば寸分違わぬ大きさに切ってしまうので、石工の仕事の大半が無くなってしまうほどだ。

 クシナとクロチビは運搬班でその怪力を余すことなく奮っていた。切り出した石材を乗せたソリを大の男が十人がかりで運んでいる隣で、クシナは同じ大きさの石を片手で抱えて歩いて、後ろには十倍の石の乗ったソリを引っ張るクロチビの姿が名物になっていた。

 一方カイルも建築現場で重宝されていた。彼が樹木の精霊に頼めば木を好きな所に生やして加工する必要すらなく形を自由に変えられるので、木材の節約に大いに貢献していた。石材と生きた木によりがっちりと組まれた外壁は強固そのものであり、崩すためには敵は多大な労力を支払う事になる。

 外壁の四方には新造した物見櫓もある。これもカイルが生やした大樹を利用して、太い枝には監視小屋を設けてある。これでいち早く敵襲を察知出来るはずだ。

 このように突貫ながら城の防備を整えた≪タルタス自由同盟≫だったが、大きな問題を抱えている。食料備蓄に不安があるのだ。

 元々タルタスは寒冷で土壌が痩せて農耕に適した土地ではない。それでも平地では大麦、ソバ、イモなど荒地でも育つ穀物を育てるか、ヤギや羊などを放牧して肉にしている。

 自由同盟も城の周辺の土地は好きにして良いとシノンから裁量を貰っているのだが、この近辺は土が痩せているのと高低差があって畑には向かず、精々家畜の放牧に使うしか使い道がない。これでは千人を超える者達の胃袋を満たすには全然足りないのだ。

 一応街で当座の食糧は買い込んでおいたし、トロヤの街で買って隠しておいた食糧も回収してあるから一年は困らないが、余裕はあったほうが良い。

 そんな訳でまず羊とヤギの放牧を始める傍らで、僅かでも畑を耕そうと≪タルタス自由同盟≫の開墾が始まった。

 

 自由同盟が牧歌的な作業に明け暮れるのとは正反対の世情だったのが現在のタルタス国内だ。

 タルタス全土は今まさに戦乱の幕が上がりかけていた。

 事の発端は地方の隣接する領地の民同士によくある諍いだ。領地の境にある森でやれ煮炊きに使う薪を取り過ぎた、境を超えて家畜に草を食わせた、川の上流に勝手に堰を作って水を止めた、などどこの国にも転がっている他愛もない争いだった。

 そうした争いは互いの土地の領主が交渉で治めるのだが、不幸にも今回はその範疇を超える問題が起きてしまう。

 揉めている領地の村の食糧庫で不審な火事が起きた。泡食って消火作業に当たっていた際、村人は現場から逃げていく数名を目撃していた。翌朝村人が火事の後始末をしていると、なぜか小屋の近くには揉めていた領地の紋章が入った剣が置きっぱなしになっていた。

 村人は剣を火付けの動かぬ証拠として領主に提出。彼は相手領主に事の次第を問い詰めるが、相手は知らぬ存ぜぬの一点張り。

 そして翌日には反対に突っぱねた領主の屋敷が火災に見舞われ、現場には相手領主の家紋入りの旗が残っていた。

 これを逆恨みの報復と判断した屋敷を焼かれた領主は相手に賠償を請求。応じなければ武力行使も辞さないと脅した。

 相手は当然拒否だ。こうなると互いに引かず、寄親の制止も聞かずに勝手に手勢だけで戦を始めてしまった。

 こうした小さな領地の小競り合いは珍しいイベントではなかったが、それがタルタス全土で一斉に起きたとあっては収集がつかない。

 中には王族の領地や王子や王女が婿入り嫁入りした家でも起こってしまい、誰も仲裁を聞かず、民は好き勝手に近所の土地に攻め入っては略奪を行い、治安の悪化を招いた。

 これを好機と捉えて勢力拡大の名分にしてはどうかと考える者も一定数いるのが戦火が容易に収まらない理由だろう。第二王子ディオメスや第五王子オーディスがその一派である。彼等は一度燃え上がった火を消さないように、援軍を送ったり大義を振りかざして度々敵対する兄弟の派閥の地に攻め入っては実効支配を重ねていた。

 刻一刻と変化する状況に陥る国で自分達はどのように動くのか――――――率先して動く者、機を窺う者、嵐が過ぎ去るのをただ待つ者、他人の都合で動かされる者。タルタスは誰も予測の出来ない混沌へと突き進んでいた。

 

「―――――とまあ、今のタルタスはこのように誰が敵か味方か分からない状況です」

 

 主だった貴族が轡を並べるヒュロス家の会議室の末席で、タナトスは一番遠く離れた場所に座るシノンに投げかける。

 タナトスは城の増築と開墾を部下に任せて、軍議の席で己の知り得る情報を同僚となった貴族や主人と仰ぐシノンに開示した。

 

「タナトス…殿は情報に通じておりますなあ。一体どうやって知り得たのか後学のためにご教授願いたいものですな」

 

「然り然り」

 

 貴族の一部が成り上がりの覆面男に侮蔑八割称賛二割の賛辞を送る。彼等にしてみれば下賤な輩が同じテーブルに就いているだけでも赦し難いのに、自分達に先んじて発言を許されている現状が不快でならない。

 タナトスはそれを分かっていてもシノン以外にはへりくだった態度を取らなかった。自分はお前達と同格で、それ以上の仕事をしている。そう態度に出していた。

 おまけに彼はさらなる油を注いで貴族の敵愾心を燃え上がらせる。

 

「何のことはありません。私が国全土に放った同志が戦を起こすように仕事をしてくれただけです」

 

「バカな!?一体いつそのような事を!」

 

「トロヤの街を落とした翌日に命じました。現地協力者の確保は何年も前からですが」

 

 覆面男の返答に会議室の貴族達が絶句した。トロヤの街が落ちたのは三か月も前の事で仕込みはさらに数年遡る事になる。そんな前からこの得体のしれない男が陰で蠢いてタルタス全土を良いように引っ掻き回していた。貴族達の中で侮蔑よりも見抜けなかった不快感と警戒心が勝り始める。

 部屋の主のシノンはといえば貴族と同様にタナトスを警戒しているが、同時に使いこなせれば相当に有用とも心の天秤を揺らしている。

 主の機微を知ってか知らずか、危険な男と判断されたタナトスは挑発するようシノンに視線を投げかける。危険だろうが使いこなせる器量を持っていると思わせて自尊心を刺激するタナトスの誘導術でもある。

 

「それを踏まえた上で未来の国王たるシノン殿下は如何なさいますか?」

 

「―――――過程はどうあれ全てを下して上に行かねば王にはなれぬ。だが今すぐ全ての兄弟や私に跪かない貴族を敵に回す必要は無い」

 

 シノンの発言に一部の貴族は他の兄弟に同盟を持ちかけると予想した。だが、彼の打つ手はそれだけに留まらなかった。

 

「私の名で父以外の全ての王族と王宮で要職に就く貴族に、タルタスの乱れを憂いて世を平らかにするための心積もりがある旨の手紙を出せ。あくまで個人の私欲に寄らず国を想う心以外の文は書くな」

 

「ははっ!」

 

「それと近隣で小競り合いをしている領地があれば私が仲裁に入る。言う事を聞かなければ討伐も辞さないと領主に触れを出せ」

 

 シノンは領地の拡大はせず、平和を望む姿勢を見せて野心の無さを兄弟たちに示して余計な警戒心を抱かせないよう振舞う。一方で言う事を聞かず争う者は容赦せず、武力を以って領地ごと奪い取ることも辞さないつもりだ。

 言う事を聞けば実質的に配下に加えて影響力を増大。背けばそのまま領地を奪う。どちらを選んでも利はあった。

 配下の貴族達はそれぞれ使者として各地の領地に赴く役を与えられた。それ以外にもいつでも戦えるように派兵の準備を命じられる。

 さらにシノンはタナトスにもある仕事を申し付ける。

 

「お前の配下は私の兄弟たちの下に付く貴族に接触して連絡を取るのは可能か?」

 

「勿論です。時間はかかりますが私の手はどこにでも触れられます」

 

「なら私に味方した者は望むままに地位でも土地でも与えると囁け。勿論子や孫の代まで重用するともだ。その上で騒乱の火を絶やすな」

 

「仰せのままに」

 

 タナトスに与えられた仕事は騒乱の拡大と他陣営の貴族への調略だった。このような人材の引き抜きや切り崩しは日常的に行われるが、基本的に地味なので人気が無い。まして煽動や破壊工作といった汚れ仕事は言わずもがな。

 不審な新入りにはお似合いの仕事だと他の貴族が侮蔑交じりに言うが、タナトス自身は平然としたものだ。あまりに堂々とした態度故に皮肉を言った貴族の方がシノンから窘められる始末で屈辱に身を震わせた。

 その後、タナトスはシノンからはこれまでの働きに報いる形で纏まった活動資金を与えられた。それなりに正当な評価をされている証拠だった。

 ≪タルタス自由同盟≫の中には貴族の使い走りをするのに不満を持つ者も多いが、それでも離反者が出ていないのはひとえにタナトスへの信頼だろう。

 彼等は腹に不満を抱えつつも、精力的にタナトスの命令に従うこととなる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 空対空戦闘

 

 

 高地の短い夏が終わり、そろそろ秋になるタルタスだったが、別の意味で熱く燃え上がるような日々が国内を覆うようになっていた。

 タルタス全土で繰り広げられる小競り合いから発展する貴族達の戦は、次第に後ろ盾である王族の後継者争いにまで飛び火するようになった。

 巻き込まれる形になった王子たちは表向き無益な戦を止めるように配下の貴族に命じたが、実のところ当の王子達はこの騒乱を歓迎する節があった。

 彼等も長兄で王太子プロテシラの後継を狙って他の兄弟を追い落としたいと考えて、敢えて配下の小競り合いを止めずに拡大するよう仕向けていた。勿論タナトスが各地の火種に油を注いだ影響もあるが、割合で言えば半々といった所だ。

 プロテシラが宰相として各地の鎮静化を命じても、弟達は口だけ立派な事を言いつつ戦乱を助長し、子飼いの貴族は自分の領地以外には無関心を決め込む。父親である国王は既に政治的関心を失って年を考えずに毎日寝所で若い女を抱くだけの生活。実際の所、宰相は孤立無援のまま毎日どこかの領地で起こる戦の報告を聞く羽目になって神経をすり減らす日々を送っていた。

 宰相の神経をすり減らす原因の半分を担ったシノンは実兄の心労などお構いなしとばかりに着々と支配地域を広めていた。

 実を言えば日常的に諍いの絶えない境目の村人が王子とはいえ関係の無い者からいきなり争いを止めて仲良くしろと言っても素直に聞くものでもない。

 領主も現場の事を何一つとして知らない王族が偉そうな事を言っていると仲裁を黙殺した。実力行使といってもどうせ脅しだろうと高をくくって、誰も本気と捉えなかった――――その仲裁を黙殺したツケを実際に支払うまでは。

 シノンは小競り合いを止めない領主が忠告を無視したとして翌日には両方の領地に兵を派遣。その日の内に領主一家を捕縛して、争いの元になった村を住民の倍以上の兵で囲んで二度と諍いを起こさないように恐怖で躾けた。

 鎮圧のための派兵を繰り返しては次々と領地を併合して勢力拡大に努め、噂が広まる頃には素直に小競り合いを止める村や領主も増えたが、いつでも兵を送り込む用意があると思わせて影響力を強めた。

 こうした動きに併合された他の兄弟からは苦情の手紙が何通も届いていたが、逆にシノンは『最初から国の乱れを正すように動くと伝えてその通り動いたに過ぎない。むしろ誰も動かないから私が率先して王族の務めを果たしている』と兄弟達を批判する返事を出して苦情を退けた。

 とはいえそれで王子達が素直に納得するはずもなく、どうにかして目障りなライバルの一人を蹴落とすまではいかずとも掣肘しておく必要を感じていた。

 そこで最初に動いたのが第三王子イドネス将軍だった。彼はさして仲良くなかった弟にある贈り物を送った。

 

 

 ≪タルタス自由同盟≫の戦士の大半は暇を持て余していた。何せ戦の動員が掛かっていないので、彼等は訓練するか開墾作業ぐらいしかする事が無い。

 一応裏方仕事は割り振られているので国内各地に工作員を派遣するぐらいはしているが、そもそも裏で暗躍する特殊技能を持つ者はかなり少ない。だから大半は本拠地の古城付近で屯田兵のような生活を送っていた。

 兵の中にはせっかく戦う術を身に着けたのに、こんな田舎で無聊を慰める生活を送る事になって不満も聞こえたが、いずれ再び戦いに赴く前の休息と思ってそれぞれ過ごしていた。

 そんな訓練漬けの一日も日が沈み、夜ともなればそれぞれ休息を取る。勿論寝ずの番は城の外にも中にも交代で居るが、城はヒュロスの内地ともあり最低限の人数に絞られていた。

 ヤトとクシナも毎日昼間そこそこ働いて、夜は拡張した城壁の外の天幕で平穏に過ごしている。

 住居が城の外なのはペットのクロチビの巨体の都合だったが、二人とも屋内で寝るのに拘る性格でもないので気にしていなかった。決して二人の子作りの声が煩すぎて苦情の嵐で叩き出されたのではない……はず。

 この選択が後に自由同盟の未来の明暗を分けたのだから、神の振るサイコロというのは数奇なものだろう。

 

 その日、ヤトとクシナはいつものように城外の天幕でまったり過ごしていた。住めば都というもので、布一枚しかない仮家でも隣にかけがえのない伴侶がいれば、そこは豪華な城より価値のある場所だった。

 後はやる事が無ければ寝るまで子作りに励むのが日課のようなものだったが、今夜は少し事情が違った。

 最初に何かに気付いたのは二人ではなく、側にいたペットのクロチビだった。彼は北の空を見上げてしきりに唸り声を上げていた。

 

「えっ、空から沢山ドラゴンや変な臭いの獣が来る?」

 

 上下関係があるとはいえ同族のクシナがクロチビの鳴き声を正確に翻訳してくれた。

 ヤトも手に剣を持ち、北の空を見上げると新月の闇にポツポツと何かが近づいてくるのが見えた。数は三つ。

 近づくにつれてはっきりと形が分かる。クロチビの言う通り確かに飛行体はドラゴンだった。

 城の者はまだ誰も気付いていない。ヤト達も気付いてはいたがアレが敵かどうか分からない。もしヒュロスの陣営だった場合、撃墜したら大問題だ。だから迂闊に動けなかったが、その選択が誤りだったのを数秒後に知る事になる。

 三頭のドラゴンは背に人型を乗せたままヤトの上空を通過して、そのまま城に突っ込んだ。

 次の瞬間、大炎が上がり何人もの悲鳴が上がった。ドラゴンは敵だ。

 

「クシナさん!一緒に空に!!」

 

「分かった!いくぞチビッ!!」

 

 ヤトは自分が次に何をすべきか瞬時に決断して、クシナと一緒にクロチビの背に乗って後続の敵の迎撃に空へ上がった。

 クロチビは空へと上がったが、敵騎の高度まで随分遠い。岩竜はその頑強な鱗が仇となって重く、力はあっても飛ぶのはあまり得意ではない。

 相対距離がなかなか縮まらず、さらにワイバーン二騎がすれ違うも、無防備な後ろから巨大な緋色の火柱に飲み込まれる。

 炎を吐いたのはクシナだ。彼女の口から必滅の炎が放たれ、下級眷属の翼竜と人二人が塵も残さず消滅した。

 突如として暗闇に巨大な炎が生まれたのを見た後続の空中騎兵隊は、固まっていては纏めてあの炎に焼き尽くされると判断して陣形を崩して散開した。

 その隙にクロチビは必要な高度まで上がり、敵の概要が分かった。数は残り十。内ドラゴンは二、ワイバーンが二、残りはグリフォンとヒッポグリフが六。全部に人一人が乗っている。騎乗者の力量は分からないが、ただ乗っているわけではないだろう。最低でも魔導騎士を想定しておいたほうがいい。

 

「で、どうする?」

 

「クシナさんは近づいてくる敵を火で炙ってください。僕は―――」

 

 言うなりヤトはクロチビの背から一足飛びに空へ身を投げ出した。

 念のために言っておくがヤトは投身自殺を図ったのではない。彼は一番手近にいたヒッポグリフ目がけて跳躍したのだ。

 竜由来の卓越した跳躍力で一気に騎兵へと飛びつき、翠刀をフルフェイスヘルムのスリットに差し込み、眼窩を貫いて一人仕留めた。

 主の血を浴びたヒッポグリフは暴れて仇を振り落とそうとしたが、逆に首を刎ねられて力無く落ちていく。

 ヤトは首無しの獣と心中せず、すぐさま馬に似た背を足場にして再度跳ぶ。

 近くに居たグリフォンは血の臭いに気付いて警戒を促す。主の騎士はフォトンエッジの炎刃を展開。揺らめく炎に照らされた鬼のごとき笑みを浮かべたヤトを迎撃する構えを見せた。

 騎士から見れば空中で自由に動けず一直線に近づいてくるヤトは格好の的だったが、突然愛騎のグリフォンが悲鳴を上げてバランスを崩す。よく見れば右の翼から出血していた。翼の付け根には艶消しした短剣が刺さっていた。

 愛騎の異変に気を取られた騎士は致命的な隙を晒してしまい、ツケを首で支払う事となった。主従が力無く暗い大地へと落ちていく。これで二騎墜ちた。

 この時点でクシナとクロチビ以外に何かが居ると気付いた一部の騎士達は急いで高度を上げたが今回に限っては悪手だ。

 ヤトは高度を上げて腹を晒したヒッポグリフ目がけて跳び上がり、鬼灯の短剣を腹に突き刺して剣身を伸ばす。伸びた剣は瞬時にヒッポグリフの馬に似た胴を背中まで貫くに留まらず、腰かけていた獅子人の女騎士の股から首までをも貫き串刺しにした。三騎目が死亡、これで残りは七。

 短剣を戻し、即死した女騎士を引きずり降ろしてから、重症のヒッポグリフの背に立つ。今度は前後からドラゴン騎士に挟み撃ちされるが、一騎は突如翼に矢が数本生えて苦しんで落ちていく。今のは矢羽にカイルの特徴があった。ようやく城の方も事態に気付いて迎撃に動き出したようだ。

 もう一騎は上を取ったクロチビの火で焼かれて焦げた臭いを振りまいて落ちていった。竜は炎に耐性があっても騎士はそうでもない。残りは五だ。

 足場が限界だったヤトはクシナに近くまで来てもらい、再びクロチビの背に戻った。

 この頃になると城側から散発的ながら上空へと矢が射掛けられたが、暗闇ではどれだけ数を撃った所で早々当たらない。むしろクロチビに当たりそうになって、クシナが下に罵倒したぐらいだ。

 たまに狙いが正確な矢が飛んで行き敵騎を掠めるのは多分夜目の利くカイルの矢だろう。エルフの村で修練を積んだのは無駄ではないが、それでも一騎しか墜とせなかったのだから、まだまだ修練が足りない。

 ワイバーン、グリフォンとヒッポグリフの混成五騎は矢を躱しつつ、離れた場所で集結して城へ向かう。

 ヤトはクロチビを城の上で滞空させて迎撃の姿勢を取る。クシナもいつでも火を吐けるように息を整えた。

 敵集団は無謀にも加速しながら一直線に突っ込んで来た。

 破れかぶれの決死行に対し、クシナとクロチビが同時に炎を吐く。二つの炎が混ざり合い極大の炎となって敵騎を襲う―――――はずだったが、直前に五騎は同時に散開して全騎炎を躱した。

 その上、三人が騎獣から飛び降りた。普通ならこの高さでは墜落死するが、落下速度がやけに遅い。

 

「あっ」

 

 ヤトは己の迂闊さに気付いて思わず声を漏らした。あれは理力を自分に使って落下速度を殺して無事に降りるつもりだ。

 

「クシナさんは残った二人とワイバーンを相手にしてください!」

 

 相手の返事を聞かずにヤトも三人の後を追ってクロチビの背を蹴って、今夜二度目の投身を図った。

 先に飛び降りた三人の騎士は自分達を追って飛び降りたのを見て、驚きと共に墜落死する結末を想像した。

 実際ヤトの落下速度は騎士達よりも速い。だが、ヤトは落ち着いて鬼灯の短剣を目一杯伸ばして地面に突き刺し、しなる剣身で落下速度を十分に殺してから手を放し、受け身を取って無傷で地に降りた。

 そして後から三人の騎士がそれぞれ得物となるフォトンエッジを手にゆったりと降り立った。

 

「うわっマジで無傷だ!こいつ頭イカれてやがる」

 

 金髪の青年が呆れつつ獰猛な笑みを浮かべて、両手に持った花のように広がる鍔のある三股に別れたフォトンエッジから短い炎刃を放出する。防御に適した短剣、パリーイング・ダガー型式のフォトンエッジという所か。

 青年は今すぐにでもヤトに襲いかかろうとしたが、隣の茶色の毛の直立した二本の長い耳を持つ兎人の女性に肩を掴まれて押し戻された。

 

「空での戦いは見ただろ、迂闊に近づきなさんな坊や。こっちは三人居るんだから数を使いなよ」

 

「うっせえ!俺達はセンチュリオンだぞ!!それが数で囲って恥ずかしくねぇのかよ!?」

 

「我々の目的は決闘ではなくここの壊滅だ。センチュリオンなら任務を第一に考えて動け」

 

 青年がいきり立つが、もう一人の巨漢が宥めると少しばかり矛先を鈍らせる。

 しかしヤトの一言で空気が一変した。

 

「ええ、そうしてください。三人同時にかかってこないと多分まともな戦いにならないですから」

 

「てめぇ!!」

 

 涼し気な、同時に―――結果的にだが―――三人を侮蔑するヤトの言葉に青年はいきり立って、他の二人の制止も聞かずに突撃する。

 青年は城で上がる火の手にうっすらと照らされる程度の闇夜を疾走して斬りかかるが、ヤトがカウンター狙いで突きを放つ。

 避けられるタイミングではないが、それでも彼はこめかみに裂傷を負いつつ紙一重で回避した。ただしヤトの剣はそれだけに留まらなかった。

 翠刀の切っ先を避けた青年の同軸線上にいた巨漢の左肩が抉れ、三人の魔導騎士は驚愕に目を見開いた。

 

「颯≪はやて≫二の型・長風」

 

 ヤトは青年が避けても後ろに突っ立っていた二人が喰らうように突きの気功刃を伴っていた。男が死ななかったのは運かどうかは分からないが、生きているならそれはそれで構わない。

 

「数的優位を生かすと言って戦場で棒立ちとは、舐めているのは貴方自身では?」

 

 心底つまらない物を見るような冷淡な瞳を向けられた巨漢の騎士は抉れた肩の痛みを忘れて、無言で右手にメイス型のフォトンエッジから炎を出す。兎人の女騎士も長巻型の反りのある炎刃を形成して油断なく構えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 センチュリオン

 

 

「ほほほっ!!さあさあ、必死で避けなさい綺麗な顔の坊や!もたもたしてたら腕が無くなるわよ~!!」

 

 カイルは後ろから迫る死神の一撃を避けつつ、肝を冷やしながら心から悪態を吐いた。

 

「うっせえババア!年甲斐も無く興奮してるんじゃねえ!!」

 

「うふふ、その負けん気の強さと口の悪さを矯正するのが良いわ~。貴方はどれだけ持ちこたえてくれるかしら」

 

 罵倒のお返しに喜悦の込められた炎の鞭が身体を掠めて肌を焦がす。既に火傷は十を超えるが死なずに済んでいるのは、ひとえに後ろで悦に入っているババアが手加減しているからだ。死ぬのは御免だが玩具にされるのも舐められるも同じぐらい不快だ。

 始まりは何の事は無い。カイルが矢で射抜いて墜としたドラゴンの主が今哄笑を垂れ流すババア…正確には四十歳超えの中年の女魔導騎士だった。

 半袖シャツの上に俊敏さを損なわない程度の胸部を覆うミスリル製のプレートアーマーを着ているのは良いが、下半身は褌のような下着に膝までの革製ブーツを履いただけ。見るに堪えない痴女の様なナリをしていて、見たら目が腐る気分だった。

 この時ばかりは暗闇でもはっきりと見通せるエンシェントエルフの目を呪いたくなった。

 話がずれたが、服装はともかく騎竜が落ちても無傷で生き残った彼女が屈辱を与えた少年に執着するのはある意味当然だろうが、追われる者にとっては果てしなく迷惑千万だった。

 カイルは拡張した外壁の上を右に左へジグザグに逃げ回る。一直線に逃げればリーチに優れる炎の鞭が身体のどこかを容易く焼き切る。恐怖はあるが相手が遊んでいると分かれば、逆襲する隙があるのだから少しは心に余裕が持てる。

 右右左真っすぐ右左左左真っすぐ右右。規則性を持たせず、止まらず、たまに懐からナイフや礫を投げて牽制するのを忘れない。相手は理力なる読心術を使うので当たる事は無いが嫌がらせ程度にはなる。

 問題は反撃する機会だった。手っ取り早いのはそこらに居る兵士と協力して袋叩きにすることだが、今は城内から聞こえる悲鳴と怒声でこちらに手が回らない事ぐらい分かる。

 元々魔導騎士は一騎当千の猛者だ。ここの兵なら百の犠牲もあれば一人ぐらい討てるだろうが、割に合わない犠牲を望むより自分で何とかした方がいい。

 

「おほほ!!邪魔よ、邪魔よー!!おどきなさ~い!」

 

 カイルを鞭打つついでに側にいた兵士を虫けらのように屠っていく音を何度も聞かされたら助けを求める気すら萎える。

 心の中で犠牲になった自由同盟の兵士に謝りつつ、何とか反撃の機を窺うがさっぱり良い案が浮かんでこない。せめて兄貴分夫婦とは言わないが、従属のロスタが側にいれば協力して戦えるのに。肝心な時に一緒にいない己の運の悪さが恨めしい。

 

「あら、今女の事を考えたわね。ダメよ、今は私だけを考えていなさい。でないと――――」

 

 ひと際鋭い鞭の一撃が肩を焼く。炎によって痛覚も焼かれるから、さして痛みが無いのが今は助かる。それでも脂汗が滲んで気持ちが悪い。

 何より思考を読まれるのが本当に厄介だ。騎士見習いのエピテスは先読みこそしていたが精度は悪く奇襲も出来たが、後ろのババアは明らかに彼女より格上で出し抜くのは容易ではない。

 思考を読む?――――――さっきあの女はロスタの事を言っていた。だが、名前は言わない。容姿にも言及していない。

 試しに今度はエピテスを思い浮かべる。メイド服で天真爛漫に笑う姿を強く、その後にフォトンエッジを構える姿を一瞬だけ。

 すると後ろからすぐに笑い声が帰って来た。

 

「あら、また女に助けを求めたでしょ?男の子なんだから勇気を出して戦いなさい」

 

「うるせー。頼りになる相手を頼って何が悪い!」

 

「メイドが頼りに?おほほ、面白い事を言うわね坊や」

 

 読めた!理力の読心は万能じゃない。ババアは強い思考を読んでいるだけで頭の中を全て覗いているわけではない。

 付け入るスキを見つけたカイルは逃げながら頭の中で次々と知っている者を思い浮かべる。母のロザリー、兄貴分のヤトと嫁のクシナ、ロスタ、モニカとサラ、エルフ村のロスティン、ナウア、サリオンなどなど。

 とにかく手当たり次第に思い出しつつ、外壁の上を必死で走る。後ろからは絶え間ない品の無い笑い声と炎鞭の熱さが神経をすり減らすが、沸々と胸に湧く怒りと反骨心を燃やして対抗した。

 追っかけっこを続けるカイルと痴女騎士だったが、唐突に終わりがやって来る。

 先を走るカイルは突然、外壁の横の出っ張った部分から飛び降りた。当然女も一拍子遅れて獲物を見失わないように飛び降りる。

 二人が飛び降りた場所には瓦礫が転がり、外壁の横が崩れていた。地面には大きな物が無理矢理通ったような抉れた溝が出来ている。溝の先には焼けた肉の臭いのするドラゴンが突っ伏していた。

 中年痴女は知らなかったが、崩れた外壁はクロチビの火に炙られたドラゴンが墜落した時にぶつかって壁を突き抜けた箇所だった。

 だらしない同僚の足を無視して獲物を探すとすぐに見つかった。カイルは崩れた外壁の中の休憩室らしき空間に隠れていた。

 女騎士は血色の良い唇を舐める。あれで隠れたつもりなのだから憐憫を誘う。

 女は炎鞭で壁や木製の床を何度も叩いては打音を響かせる。こうすると獲物は恐怖で泣いて命乞いをする。それが何よりも嗜虐心を掻き立てるから何度やっても飽きない。

 カイルは薄暗い部屋の中で震えてはいないが縮こまっていた。嗚呼、何て弱弱しく儚いのか。

 女が壁内に足を踏み入れて、心を読めばただひたすら助けを望む声が聞こえる。

 

「ふふふ、残念だけどお仲間は誰も助けてくれないわよ」

 

 愉悦の籠った処刑宣告にもカイルは無言で座っている。

 痴女は違和感を覚える。いつもならここで獲物は泣いて命乞いをする、勝てないと分かっても反撃に出る、恐慌状態になって意味不明な行動を取る。それ以外にも細かい違いはあるが、概ね何かしら生きるために行動を起こすものだ。今のように何もせず声すら出さずに心の中で助けを呼び続ける事は無かった。

 なにかがおかしい。センチュリオンとして修羅場をくぐった勘が訴えた。

 その勘は正しかったが、愉悦によって気付くのが致命的に遅れたのは戦闘者として大失態と言えた。

 変化は唐突に表れる。部屋の天井、壁、床が蠢き、変態女騎士へと無数の腕を伸ばした。

 驚愕に目を見開いた女は手の鞭で手当たり次第に腕を焼き切り、漏れた腕を理力で弾き飛ばそうと抗ったが、如何せん数が多すぎて対処しきれない。

 それに今度は備え付けの棚や、テーブルやらイスが飛び掛かって散々に体当たりするので、とうとうフォトンエッジを取り落としてしまい、格子状に伸びた腕に雁字搦めにされてしまった。

 

「やっと捕まえた」

 

 カイルが立ち上がり、女から距離を取って対峙する。その顔には勝ちが揺るがないと確信した余裕があった。

 

「参ったわね。坊やがエルフだってのを失念してたわ。助けは精霊に対してのものだったわけね」

 

「正解。ここは僕が樹木の精霊に頼んで建ててもらった建物だから。友達に助けてって言えばどこでも手を差し伸べてくれる」

 

 女の答えは正しい。カイルは心を読まれるのを承知の上で様々な人を思い浮かべて真の狙いを隠し通した。そして精霊の腹の中である外壁内に誘い込んで袋叩きにした。

 

「そういうわけだからさっさと死ねよ糞ババア」

 

「まっ―――――――」

 

 獲物扱いされて散々に追われた怨みは強く、命乞いを聞く間もなく精霊に頼んで痴女を生きたまま木の腕でバラバラに引き千切った。

 部屋には原形をとどめない無数の肉が飛び散り、吐き気を及ぼす血生臭い臭気が漂ったが、カイルはそれらを無視して部屋を出た。

 

「あーもう!僕は盗賊なんだから、戦いは専門外なんだぞ!」

 

 カイルは戦いが続く戦場でも関係無しに天に向かって吠えた。

 今回は相手が舐めまくってくれたから勝てたようなものだ。これが一切の遊び心無しに殺しにかかったら逃げてもいずれは追いつかれて殺されていた。

 仲間も遊んでいるわけではないが、放っておかれるのは気分が良くないし、身の安全が保障されないのは酷く不安だ。

 とりあえず今は仲間を見つけるのが先決と考えて、警戒しながら戦場を奔走した。

 

 

 カイルが窮地を脱した頃。ヤトは単独で三人のセンチュリオンを相手取ってなお優位に戦いを進めていた。

 三人に囲まれても常に視界上の死角に動き回る。暗闇に紛れる。相手が同士討ちないし互いの攻撃の邪魔をするように立ち回って的を絞らせない。剣の間合いの外から気功刃を撃つようなフリをして牽制、もしくは実際に撃って手傷を負わす。魔導騎士が理力を使うのは十二分に知っているので、手の初動に注視しつつ絶えず見えない腕に捕まらないように避けては、同士討ちの誘発を繰り返した。

 とにかく戦いの主導権を相手に握らせないように立ち回って数的不利を覆していた。

 三人の騎士もセンチュリオンに選ばれるほどの腕利きだ。弱いなどと口が裂けても言えないが、どこか立ち回りに窮屈さを含んでいるのは否めない。

 今もヤトが兎人の女騎士の長巻を正面から受け止めて足を止めた瞬間に金髪と巨漢が後ろから攻めかかるが、ほんの一瞬速くその場から離脱して体勢を崩した女騎士に逆に二人の男が攻撃するように誘導する。

 残念ながら全員が咄嗟に炎刃を消して同士討ちを避けたので、三人が団子になって転がった以外にダメージは無い。

 瞬時に起き上がった三人は自分達がなぜこうまで三人がかりで一人に遊ばれているのか分からなかった。

 実を言えばこれはセンチュリオンの訓練不足が原因だ。別段彼等が鍛錬を怠けているという意味ではない。

 センチュリオンが少数対多数の経験は積んでいても、自分達が多数で一人を相手取る状況での戦いを想定した訓練はしていないが故に連携に不備が出ているのだ。

 彼等は文字通り戦場で一騎当千の働きをする選りすぐりの騎士だ。一対大多数で敵兵を殺し尽すか、古式奥ゆかしい一対一の決闘方式で名誉ある戦いを望まれる。

 例外的にドラゴンの様な生物的上位種の討伐には少数の騎士が個を囲んで戦うが、ヤトの様な剣士一人に三人がかりは経験が無い。

 故に騎士同士の連携が上手くいかず隙を突かれて、傍から見ればいいように遊ばれているように見えてしまう。

 そんな状況を最も腹立たしく感じて最初に冷静さを欠いたのは巨漢のメイス使いだった。彼は気功刃を受けた傷の痛みと失血、そして今の転ばされた屈辱によって我を失い、猪の如く敵へと突進した。

 真っすぐ向かって来る騎士を正面に捉え、ヤトは油断なく剣を構えた。あれは微かに策の臭いがする。どんな小さな情報も見逃さないように瞬きを止めて敵を凝視する。

 巨漢の騎士の足取り、右手に握ったメイス型フォトンエッジ、憤怒を宿した瞳の奥底に隠れた理性、ぴくりとも動かない血に濡れた左腕――――――微かに動く指先。

 騎士が何を狙っているのか気付いたヤトは左手に鬼灯の短剣を握り、自らも一歩を踏み出した。

 二人の相対距離が二十歩まで縮まった瞬間、巨漢の騎士が初めて傷付いた左手の人差し指と中指をヤトに向けて念動力を行使した。

 だがそれを読んでいたヤトは一秒早く前面に短剣の剣身を盾のように展開。自らの身を覆い隠しながら捨てる。

 身代わりとなった短剣の盾が念動力によって地に叩きつけられた隙に、ヤトは地を這う蛇のごとき低姿勢のまま騎士の左側に回り込んだ。

 そして驚愕に目を見開いた騎士の左脇腹から翠刀を刺し、心臓を貫いて反対の脇腹まで串刺しにした。

 

「「アンティゴノスーーーーっ!!」」

 

 二人のセンチュリオンが今しがた息を引き取った同僚の名を悲痛に叫ぶが、ヤトにそんな事は関係無い。

 刀を騎士から引き抜き、そのまま死体を抱えて残る二人へと突撃した。

 巨漢の死体はヤトの身を完全に覆い隠す盾となって理力を遮断する。

 咄嗟に仲間の亡骸をどうすべきか二人は思いつかない。その間に剣鬼はすぐそばにまで迫っていた。

 やむを得ず兎人の女騎士が亡骸を理力で横に弾き飛ばし、若い金髪騎士が身を晒したヤトを迎撃する構えを見せる。

 しかし死体の後ろにヤトは居ない。金髪騎士が左右を見渡しても見当たらなかった。

 ヤトは既に跳んで騎士の頭上を取っていた。空中で身を捻って頭を下に向けて、手を突き上げる形で刀を金髪騎士の脳天に突き下ろした。

 

「そんなクレイトスまで!?」

 

 信じられない物を見た女騎士は既に戦意が折れていたが、ここは戦場でまだ戦は続いている。

 着地したヤトは赤緑になった血濡れの翠刀を呆然とする女騎士に投げた。

 既に心が折れていた女は不可避の死に何もできなかったが、翠刀の切っ先が額に当たって痛みも無く弾かれたのを呆然と見る。

 

「えっ?えっ??」

 

 死を覚悟したうえで何事も無く生きている自分に混乱。その上で投擲用の短剣を二振り持ったヤトに後ろから首を刺し貫かれて絶命した。

 三人のセンチュリオンを屠ったヤトは勝利の余韻に酔う事無く剣を拾い、次の相手を求めて地獄と化した城内へと踏み込んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 生きるための足掻き

 

 

 ≪タルタス自由同盟≫首領タナトスは己の命がまだ尽きていない事にさして驚いてはいなかった。元より生まれ落ちた時より死と隣り合わせの上で、なお死なずに今まで生き長らえているのだから、相当に悪運は強いと思っている。

 よって今回もまだ死ぬ事は無いと思って精一杯クソッタレな運命に抗うつもりだ。

 幸いにして脅威一に対して味方は自分を含めてまだ二残ってる。ここは自分の城なのだから、とにかく粘って時間を稼げば援軍が来てくれるだろう。そう思って剣を振るわなければ怖くて足が動かない。

 

「恐いのならさっさと首を差し出せ。そうすれば一瞬で終わらせてやるぞ」

 

 黒衣を纏う並の男より頭三つはでかい偉丈夫が血生臭い口から処刑宣告を偉そうにのたまう。赤黒い肌をした手には三叉の槍、トライデントと呼ばれる海で使われる銛を模したフォトンエッジを頭上で車輪のように回して威圧する。

 回転する炎刃で天井から吊るしたシャンデリアが砕けた。クソが――また部屋の内装を一からやり直さないと。

 

「ロスタ…後で掃除を頼めるか」

 

「承知しましたタナトス様。ですがまずはこちらの招かれざる客人にお引き取り願わなければ難しいです」

 

「はっ!俺に向かって皮肉を言えるとは、よく出来た人形よ!壊すのは惜しいが槍を向けるなら容赦はせん」

 

 服の上からでも分かる鋼鉄の鎧の様に隆起した赤黒い筋肉を漲らせた臭いオーガの男が実に楽しそうに槍をロスタへと向ける。

 彼女の着ていたメイド服は槍の炎で半分燃えてしまい、既に服として機能せず華奢な身体に襤褸切れが引っ付いている程度にしか機能していない。クソが――戦いにかこつけて女の服を破るとは、とんだ変態オーガめ。頭のご立派な一本角は股間のアレと繋がってるってのかよ。

 肌も随分と焼け焦げていて見るからに痛々しいが、ゴーレム故に痛みを持たないのがせめてもの救いだった。

 愚痴はともかく今は一秒でも長く粘って持たせるしかない。右肩を突き出す半身に右手のフォトンエッジを水平に構えてギリギリまで被弾面積を抑える。

 前に陣取るロスタも二又の槍を構えて混血オーガの攻撃に備えた。

 オーガが大きく踏み込み、石畳を揺らして両手で構えた三叉槍による必殺の突きを放つ。

 瞬きしては見逃す閃光の如き連続突きを前衛のロスタはどうにか弾いて凌いでくれる。とはいえ後ろが安全かと言えばそんなはずはなく、常人の倍は長い腕と長大な槍の間合いは容易くロスタの防御を通り抜けてこちらにまで届いた。それをどうにか躱し、逸らし、受け流して命を拾っている。

 流石というべきか、センチュリオンの副団長≪赤鬼≫ヘファイスティオンは伊達ではない。

 オーガの血を引く卑賤の奴隷上がりと侮蔑を受ける身で、ただ力のみでセンチュリオンのナンバー2の座をもぎ取った男の力量には逆立ちした所で勝てはしない。

 元より己は戦士にあらず、詭弁を弄して他人を躍らせる詐欺師の類だ。そして相手はトロルやオークと違う言葉を持つ者。なら己の領分に引きずり込めない道理は無い。

 

「いくつか尋ねる。俺の首にはどれだけの価値がある」

 

「イドネス将軍は相応の領地を用意すると言っていた」

 

 一つ答えが返ってくるのに五度の突きがオマケに付いてくるも、どうにかロスタが防いでくれた。

 仕掛け人は武辺者の第三王子か。襲撃はここ以外にも当然あるだろう。―――――シノンは死んだか。

 

「シノン王子の首の対価はなんだ?団長の座か何かか?」

 

「俺が受けた仕事は弟を操る邪悪な叛徒の首を獲る事だ。将軍はそれで手打ちにすると言っていた」

 

 読めた。イドネスは俺の首を警告にして弟のシノンを押さえつけるつもりか。実弟を洗脳していい様に操る叛徒を将軍の命を受けたセンチュリオンが討ち解放する――――そういう表向きの脚本を用意すれば降伏しやすいと思ったのだろう。

 見え透いた小細工だろうが、実際に弟を手にかけて汚名を被るよりは余程鮮やかな手法だろう。何が何でも王になるという覚悟に欠けているとも言えるが。

 

「意外と謙虚だなアンタ。それだけの強さがあればこの国を奪い取れたんじゃないか」

 

「勘違いするな。俺は領地に興味は無い。部下共は財産や出世を欲しがるだろうが、俺は別に目的がある」

 

 その割に自分で首を取りに来たのだから格好つけていると思ったが、黄金の瞳に欺瞞は宿していない。

 ロスタが鬼の三叉槍の隙間に自分の二叉槍を差し込んで、地面に引き摺り降ろして両方の槍を釘付けにした。

 その隙に背に隠していた鍔付きのフォトンエッジを展開して、≪赤鬼≫の左腕を斬り付ける。

 

「ふん」

 

 だがヘファイスティオンの槍から炎が消えて拘束が解けた。自由になった柄をロスタにぶつけて壁まで弾き飛ばす。

 強烈な一撃を食らったロスタは立ち上がろうとしたが、膝に思うように力が入らず壁に身を預けて動かない。

 ゴーレムは頑丈だから完全に壊れたわけじゃないだろうが、戦えるような状態じゃない事ぐらいは分かる。これは拙い。まずいまずいまずい。

 

「さて頑張ったようだがそろそろ雑事は終わらせるとするか」

 

「人の首を雑事なんて言うんじゃねえ。ならアンタの目的はなんだ?せめて教えろ」

 

 観念したように見せかけてフォトンエッジを手放した。下手に抗って一瞬で首を刎ねられるよりは無抵抗を装い会話を長引かせた方がいい。

 何でもいいから喋ってくれ。こいつが顔に似合わずお喋りなのを願うぞ。

 

「まあいいだろう。―――ブレスという小さな街にドウという年寄りの代官がいた」

 

「ブレス………ドウ……あっ」

 

「聞いた話じゃその年寄りを殺したのはお前達叛徒だそうだ。殺した奴は若い剣士だったとか」

 

 思い当たる節があるというか確信した。ヘファイスティオンの瞳を覗き込めば、そこに怨みや悲しみ、怒りも憎しみも無い。ただただ、探求心と興味だけが宿っていた。俺とは違うか。

 赤鬼は俺の反応にニヤリと生えそろった鋭い牙を見せて、血の臭いのする息を吐いた。

 

「もしかしたらここに来れば会えると思ってな」

 

「そのドウという年寄りはアンタの何だ?」

 

「魔導騎士としての師だ。随分と手を焼かせて面倒も見てもらったよ」

 

「師を殺した相手に会ってどうするんだ?殺した怨みを晴らそうって感じには見えないが」

 

 何となく答えは分かっていたが、時間を稼ぐためにあえて質問する。

 ≪赤鬼≫は何も言わず、トライデントを頭上で回転させて、十分に勢いを付けてから石突を石畳に叩きつけた。

 ありあまる腕力と回転力の乗った槍によって石畳は砕け散って、飛沫が礫となって襲い掛かった。痛い。

 

「知れた事よ。俺が求めるのは強者との戦いだ」

 

「師の敵討ちは良いのかよ」

 

「それはオマケだな。ドウ師とて元はセンチュリオンだ。尋常な立ち合いの中で命を落とすなら怨みは無かろう」

 

 荒々しく暴力的でありながら、どこか無邪気な笑みを作るオーガの騎士が単純で羨ましいと思った。

 そして騎士は再び槍から炎刃を生み出して俺に突き付けた。

 

「そういう訳だ。私事の前に最低限の仕事はしておきたい。ではさよならだ」

 

 今まで散々他人を好き勝手動かしてきたが、これは年貢の納め時か。

 覚悟を決めた時、出入り口から一人分の足音が聞こえた。どうやらまだ悪運は尽きていなかったらしい。

 現れたのは血に濡れた緑の東剣を持つ優男。見た目に反して途轍もない力量を持つ剣士。目の前のオーガが≪赤鬼≫ならこいつは≪剣鬼≫だ。

 

「ああ、まだ生きていましたか。悪運が強い人だ」

 

 なかなか酷い事を言う。どうせ俺が死んでても奴ならさして関心を抱かないだろうが、今この時は来てくれた事に感謝ぐらいはしたい。

 剣鬼ヤトは壁にもたれ掛かっているロスタを見た後、ヘファイスティオンを見上げて口元を吊り上げて嗤う。あれは鬼を前にどうしようもなく楽しいから笑うのだ。正直頭がイカれているとしか思えないが、今これほど頼もしい奴は他に居ない。

 安堵から息を吐いた。その瞬間に剣鬼の姿が消えた。

 

「ぬうっ!!」

 

 金属同士がぶつかり合う音が響き、槍を両手に構えたヘファイスティオンが一歩後ろに下がる。

 あの巨体が下がるとは一体何が起きたのか。

 

「今のを受けますか。図体ばかりが取り得の木偶では無いですね」

 

「ドウ師が負けるはずだ。これほどの剣は受けた事が無い」

 

「ドウ?ああ……道理で槍捌きが似ていると思いました」

 

「師の仇討ちというわけではないが手合わせ願おう!!」

 

 赤鬼が槍を構え、応える様に剣鬼も得物を構えた。ここから先に言葉は要らないということだ。

 ひとまず二人の鬼の邪魔にならないように離れて、ロスタも介抱してやらねば。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 勝者の権利

 

 

 ヘファイスティオンが槍を担いで渾身の力で振り下ろしてヤトに叩きつけた。鬼の一撃を剣で受け止めた瞬間、全身の骨格が軋みを上げて石畳が爆ぜた。同時に己の全力を完全に受け切った鬼の目に驚愕の色が宿る。

 その隙を見逃さず、ヤトは前に踏み込み槍を持つ指を狙って突きを放つ。しかし鬼は咄嗟に槍から手を放して、左手だけで槍を払って弾き飛ばす。

 片手で力が籠っていない薙ぎは常人なら骨折ものだが、ヤトには間合いを離す以外に効果は無い。

 両者の距離はおよそ5~6メートルは離れた。剣にはかなり遠いが槍にとって、それもオーガの血を引く2メートル半を超えるヘファイスティオンにとっては絶好の間合い。

 彼は息をつかせぬ連続突きでヤトを串刺しにしようとする。速く速く、ただ速く。炎刃が放たれるたびに陽炎が生まれ、二人と合わさり周囲がぼやける。

 三叉の炎刃を躱し、弾き、逸らして一度たりとも掠らせない。しかしその場から動けず剣の間合いに入れない。ならばと槍を叩き切るつもりで気功を纏わせた剣で斬っても、傷は入るが切断には至らない。

 既に百を数える突きでも戦いは膠着したままだが、殺し合いをしている二人の顔には笑みが張り付いている。部屋の隅で見守っていたタナトスは狂人共を見て、室温が上がっているのに冷や汗が止まらない。

 このままヘファイスティオンの攻勢が続くと思われたが、瞬きからの隙に一気に間合いを詰めたヤトの剣が鬼の腕を掠めて赤い肌と異なる血が噴いた。

 さらなる追撃に胴を薙ぐが、それは不可視の力によって身体ごと遠ざけられた。理力によるものだろう。

 ヘファイスティオンは斬られた腕を見て、城外にまで響き渡るような哄笑を上げる。傍から見れば隙だらけだったが、不思議とヤトは攻撃の手を止めて声は出さなかったがニヤリと口端を吊り上げる。

 

「ガハハ…強い強いなあ!!俺の部下が束になってもお前には敵わんわ!!それに俺の全力を真っ向から受けて左腕が痺れるだけで済む奴は初めてよ」

 

「おや、ばれてましたか。意外と観察眼がありますね」

 

「ふん、分かってて仕留められなかったのは俺がまだ至らぬ証拠だ」

 

 鬼は途端に笑いを止めて不敵に笑うヤトを睨む。竜の血を得たヤトでも卓越した技を修めた鬼の全力は流石に堪える。それでも片手が動かない好機に傷の一つも与えられず、逆に一撃貰ってしまったのだから、不機嫌になるのはやむをえまい。

 そして感情に応える様に腕の筋肉が膨張して傷が塞がる。否―――全身の筋肉が膨張して上着が耐えられずに弾け飛ぶ。その上、鬼の全身から湯気の様な水蒸気が立ち込めて、部屋はさらなる熱気に晒された。ヤトは油断はしなかったが、心の隅では呑気に汗臭そうとだと思った。

 

「小手調べはそろそろ止めて、本気を出していこうか!!」

 

 部屋のガラスが勝手に割れて石組みの暖炉が崩れた。次いで実体を持つ凄まじい破壊力を伴った槍が水平に叩きつけられた。ヤトは翠刀の刃を立てて防いだが、破城槌の如き一撃を軽い身が捌き切れずに吹っ飛ばされる。

 受け身を取って十回は床を転がり、威力を利用してすぐさま立ち上がれば、目の前には筋肉を岩のように隆起させた豪鬼が再び槍を薙いだ。

 まともに受ければ胴から上が消し飛ぶ一撃も、ヤトは腹這いになって紙一重で躱し、その態勢のまま蛇のように地を這って鬼に肉薄。両足を斬るように見せかけて、鬼の股を潜り抜けて背後を取って腰を斬り付けたが、後ろ蹴りに邪魔されて足を斬るだけにとどまった。足もヤトが体勢を崩していたので軽く肉を斬っただけだ。

 共に体勢を崩してはいたが、先にヤトが体勢を整えて巨体のヘファイスティオンの背中に翠刀を深々と突き立てる。

 

「あっまずい――――」

 

 普通ならこれで勝負ありだったが、むしろヤトは自分が下手を打ったと直感して、翠刀から手を放してでも逃げようとしたが些か遅かったようだ。突如として鬼の背が盛り上がり、鋼のような肉体から太く白い杭が飛び出てヤトの脇腹を抉った。

 勘を頼りに一瞬速く離れたので串刺しは避けられたが、腹の肉がごっそり削り取られて内臓が見えていた。

 ヤトは激痛で脂汗が噴き出す。それでもどうにか調息で気を操って止血だけは済ませて、鬼灯の短剣を伸ばして備える。

 ヘファイスティオンは追撃せず翠刀を引き抜いて筋肉の収縮で傷口を塞いだ。刀は壊れた窓に向かって投げ捨てた。飛び出た鋭い骨はまた背中に引っ込む。

 

「……便利な身体をしてますが、骨が肉を突き破って痛くないんですか」

 

「痛いぞ。だからあまり使わんし、そもそも使う程の相手に恵まれん」

 

 口の割にヘファイスティオンは喜びを露わにする。

 その理由はヤトにも分かる。彼ほどの突出した身体能力と確かな技量があれば、先程の様な異能を用いずとも真っ向から相手を叩き伏せて終わりだ。この様子では同じセンチュリオンでも互する魔導騎士は居なかったと見える。

 骨を操る異能――――先程の杭は位置からして肩甲骨辺りを変形させて体外に露出したのだろう。オーガとは過去に一度戦闘経験があるが、その時はお目にかかれなかった。個体差があるのか混血の場合は違うのかは分からないが、ともかく全身の骨を変形させて武器に出来るなら使い勝手は良い。使用に痛みがあっても必要なら躊躇わずに使うのは腹を見れば一目瞭然。強さは言うに及ばず、その精神性が何よりも良い。

 

「いいですねえ、今日は本当に気分が良い。久しぶりに本気が出せます」

 

 ヤトは腹の痛みを忘れて歓喜に身を委ねる。同時に爆発的に膨れ上がった殺気は無数の剣となってヘファイスティオンに突き刺さり、鬼の口元から笑みが消える。離れている味方のはずのタナトスにも余波が伝わり、こみ上げる吐き気をどうにか抑えていた。

 

 ――――――――閃――――――――

 

 音を置き去りにした剣閃がヘファイスティオンの右太ももを切り裂き血の噴水が生まれる。さらに左太ももの後ろからも血が噴き出て鬼が膝を着いた。

 首が下がった所にいつの間にか姿を現したヤトが死神の鎌となった剣を首に突き立てるも、寸前に右肩から飛び出た骨が首を守り剣を防ぐ。

 反撃の炎刃が空気を揺らめかせて迫るが、既に後ろに回り込みながら左腕を浅く流し斬った。切断するつもりで斬ったが硬い物で阻まれた感触だ。おそらく腕の骨を肥大化させて耐久性を上げたのだろう。

 背中を取ったが今度は背中からハリネズミのように無数の骨が飛び出てヤトを穴だらけにしようとする。しかも数本は伸びるだけに飽き足らず、矢の如く射出して襲い掛かった。

 短剣を広げて盾にしても突き破られると察して回避に専念。それでも当たりそうな骨は剣で切り払って全て避け切った。

 このわずかな時間でヘファイスティオンは傷を塞ぎ体勢を立て直して再び槍の間合いを作り、目にも留まらぬ突きの乱舞で火傷を伴う裂傷を幾つもヤトに与えた。

 槍の戻しの隙を突いて正面から斬りかかるが、体中から脈絡無く飛び出す鋭い骨によって容易に近づかせてもらえない。骨は切り払えば痛みはあるようだが、それで止まってくれるほど赤鬼は軟弱ではなかった。

 ならばと横に回り込んでも視線すら向けずに、どこからでも刺し貫く杭を生やしてみせて、切り落とす間に槍の壁が加わった。

 相手の隙と死角を見つけて攻めるのを基本とするヤトにとっては少しやり辛い相手だ。槍と無数の杭を繰り出すヘファイスティオンを攻守に長けた堅牢な城のように思った。

 

(城攻めの基本は壁を拠り所とする兵の士気を砕く事にある)

 

 そのためには堅固な城壁が無意味なものと目に見えて教える、内通者を用意して士気を下げる、食糧か水瓶の底を打たす、など幾つかの策がいる。

 一つ目は骨の堅牢さと隙の無さで難しい、二つ目は論外、三つめは腹が減ってくれるまで粘るか……そこまで悠長な性格には見えない。

 ヤトはふとヘファイスティオンの足元に転がった数本の骨に気付く。あれは自分が斬った骨だ。常人なら骨を何本も切断されれば激痛で発狂必至だというのに平然と戦えるのだからオーガの血の恩恵は大きい。

 ここで一つの考えが浮かぶが、すぐに無理と切り捨てる。そこまであの赤鬼は馬鹿ではあるまい。………いや、先程の言動ならそうとも言えない。少し試してみる価値はある。

 槍の間合いの一歩手前まで踏み込み、剣を床の隙間に差し込んで石畳を跳ね上げる。石畳はヘファイスティオンの顔面目掛けて矢の如き速さで飛来。並の相手ならぶつかれば頭が潰れる。

 

「ふん!こんなもの!!」

 

 しかし今の相手はオーガ。逆に頭突き一つで同じぐらいの石塊を砕いてしまった。それがヤトの誘いと分かっていても受けずにはいられないのが愚直なオーガの血だ。

 その隙に背後を取り、心臓に狙いを定めた刺突を放つ。無論、鬼がそのまま心臓をくれてやるはずもなく、振り向く事すらせずに背中からハリネズミの如き無数の杭を生やして迎撃する。

 ヤトはその杭を気功剣『風舌』≪おおかぜ≫によって半数以上切り落とした上で、一度距離を取り再度心臓狙いの刺突を放った。当然、ヘファイスティオンも同様の手段で対処する。

 部屋の床には切り落とされた無数の骨が撒き散らされて、墓場か屠殺場のような異様な空間が形成されつつあった。

 この攻防がさらに五度繰り返された時、唐突にヘファイスティオンの身体が揺らいだ。頭がふらつき、膝に力が入らず、槍を持つ手は震えが止まらない。

 それでも迎撃のために痛みを無視して八度目の骨杭を展開した所で槍が手を離れて骨の山に沈む。

 ヘファイスティオンは己がなぜ得物を取り落としたのか理解出来ず、呆然としたまま膝を折るも闘志は折れていない。

 側面に回り込んだヤトへ無数に杭を生やした腕を乱暴にぶつけたが剣で受けられて、逆に骨が砕けてしまった。

 明らかな不調と骨が脆弱になったのに当惑しても鬼は戦いを止めず、どうにかその場で動く両腕で骨を砕きながら対応していた。

 二度、三度、四度と砕くうちにとうとう骨も出なくなって、だらりと力の抜けた腕が下がり、無防備となった鬼の胸にヤトの剣が無慈悲に振り下ろされた。

 袈裟切りの傷から鮮血が雨のように降り、巨木が切り倒されるように轟音を立てて伏した。

 ヤトは骨の山から槍を拾って翠刀と同様に窓から捨てた。さらに剣を鬼の首に添える。勝敗は誰の目にも明らかだった。

 

「なぜこうなったか分かります?」

 

「………わからん。俺が分からないのにお前は分かるのか?」

 

 竜の咆哮のような大音声は見る影も無く、今は病人のように弱弱しくなった声で尋ねる。

 

「骨の再生成で必要な栄養が急速に失われて身体が変調をきたしたというだけです」

 

「なに……?そんなことで?」

 

 信じられないと目を見開く。単なる栄養失調で生涯初めての敗北を喫するなど到底信じられるものではない。しかし、今こうして立ち上がる事すら出来ない有様は言い訳のしようも無く現実だった。

 

「己の限界を見極める機会を得られなかったのが貴方の敗因です。あるいは槍と理力のみで戦った方がもっと良い勝負になってたでしょう」

 

 ヤトは久しぶりの死闘を味わえて充実していたが、多少の不満を感じていた。ヘファイスティオンが異能の特性を十分理解して戦っていたら、もっと手強く余裕の無い戦いになっていただろう。最終的に自分の勝ちは揺るがなかったが、相手が力を完全に出し切れなかったのは純粋に惜しいと思った。

 それでも勝ちは勝ちだ。勝者は敗者の首を斬る権利がある。

 

「―――――俺は馬鹿だ」

 

「惜しい事です」

 

 辞世の句としては冴えないが、それ以上言う事は無い鬼は口を閉じて首を取られるのを静かに待った。

 しかしそこに待ったをかける者がいた。さっきまで部屋の隅に退避していたタナトスが斬首を止めた。

 

「この人を城の目立つところで処刑するつもりですか?」

 

「いや、そんなことはしない。≪赤鬼≫ヘファイスティオン、このまま死を望むか?」

 

「おかしなことを聞く。敗者は首を落とされるだけだ。他に何がある?」

 

「お前は負けた。だが、まだ命は尽きていない。ならば鍛え直してヤトと再び戦う気は無いか?」

 

 ヘファイスティオンは当惑しつつも力を振り絞って顔を上げてタナトスを見上げる。負けた経験も初めてだが、つい先ほどまで殺そうとした男に見下ろされる経験もまた初めてだった。

 

「ヤトはどうだ?お前もこの男を是が非でも殺したいとは思ってはいないだろう。さらに強くなったこいつと心行くまで戦いたいと思わないのか?」

 

 ヤトはこの先の展開が何となく読めた。というか自分がオットーという前例を作ったのだから言うに及ばず。他のセンチュリオンがどれだけ城で暴れ回って兵を殺したかは定かではないが、ヘファイスティオン一人を味方に引き入れればそっくり損害は補填出来る。兵の感情さえ無視できれば有効な手段だろう。

 本音を言えばヤトもタナトスの提案には賛成したい。この鬼は経験に恵まれなかっただけの不運な戦士だ。今日の負けを糧にすぐさま強くなってくれる。その時改めて全力で戦っても遅くは無い。

 

「―――確かに今日の戦いは良い戦いでしたが、不満があるのは事実です」

 

「勝者がこう言っているのだから、しばらく首はそのままだ」

 

 代わりに飯の対価ぐらいは働いてもらう。そうタナトスは言い残して城の混乱を収拾するために部屋を出て行った。

 ロスタはまだ上手く動けなかったので鬼の手当ては戦ったヤトが一人でする羽目になった。

 

 

 翌朝になって城の被害状況が知れた。十五名のセンチュリオンの襲撃により兵の死者が百名超、負傷者も同程度。対してセンチュリオンは一人取り逃がしたものの、副団長ヘファイスティオン以外の十三名が討ち取られた。乗って来た騎獣は二頭のドラゴンが生き残り、今後は≪タルタス自由同盟≫が使用することになる。

 当然というかヘファイスティオンの処遇には誰もが反対して即刻処刑するよう意見が出たが、タナトスの一言でそれも霧散した。

 

「ならば不満のある者が自ら≪赤鬼≫の首を刎ねろ。言っておくが重傷で無手でも恐ろしく強いぞ」

 

 こうなっては誰も処刑などと言えず、唯一勝てるヤトとクシナ夫妻は無関心を決め込んだために、ヘファイスティオンは城に居座る事になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話 俺より強い嫁に会いに行く

 

 

 ヘファイスティオン率いるセンチュリオン集団の犠牲者の簡単な葬儀を終えてから、タナトスは鹵獲したドラゴンを駆って主君と仰ぐシノン王子に会いに行った。供には護衛のヤトがクロチビを足に土産を担いで一人付いて来ただけだ。

 ヒュロスの街は凶事など一つも無いとばかりに平安を保っていた。≪赤鬼≫の言う通りイドネス将軍は弟のシノンを殺さず、≪タルタス自由同盟≫だけを排除する事を優先したわけだ。

 屋敷に赴いた二人は厩にドラゴンを預けて、すぐさま家令にシノンとの面会を頼んだ。

 多少待たされたが、二人は無事にシノンに謁見室で目通りした。

 

「我が主!ご無事なお姿をお目見え出来て心より安堵いたしましたっ!!」

 

 挨拶すらせず第一声にこれでは腹芸に長けたシノンも面食らう。

 タナトスは膝を着いて無礼をした事を詫びて、改めて定型の挨拶をする。ヤトは扉付近で荷物を担いで控えたままだ。

 

「急に来て私の顔を見るのが目的か?何か不味い事でも起きたのか?

 

 シノンはこの時点で既に厄介事の臭いを感じ取りつつ、タナトスの目を見てまだ致命的に悪いとまでは思っていなかった。

 そしてタナトスの口から二日前に城がセンチュリオン達に襲撃された事を伝えられて渋面を作る。次にどれだけの被害が出たかを聞いて、さらに顔が渋くなった。兵数千三百のうち、一夜で実に二割の損失が出たと言われれば誰でもこんな顔をする。

 

「それで襲撃者の生き残りは居るか?」

 

「はい。副団長のヘファイスティオンを捕らえました!」

 

「オーガの混血の≪赤鬼≫をか!?あの化け物を………信じられん」

 

 実物を見た事のあるシノンは口でどう説明しても信じそうになかったので、ヤトは荷物の箱から戦利品の三叉の槍や血の付いたフォトンエッジを床に転がした。

 見覚えのある槍やその他に二十を超える多様なフォトンエッジが転がるのを見て、流石に事実と受け止めた。

 さらにシノンは襲撃を命じたのが兄のイドネスと知って、すぐさま家臣および旗下の領主達に軍を編成して参集するよう兵に命じた。

 

「タナトスよ、お前の手勢はどれだけ戦に出られるか?」

 

「はっ!七百は確実に出せます!」

 

「来てもらってすまんが、すぐに戻って戦支度をせよ!冬が来る前に兄と一戦交える!!我が忠臣を暗殺などという卑劣な手にかけるとは……もはや兄とは思わん!!」

 

 シノンの相貌には憤怒の炎が宿っていた。多少胡散臭くとも広大な領地を献上してくれた家臣を殺そうなどという輩は、たとえ血を分けた兄だろうが到底許せる筈が無い。ここで何もせず泣き寝入りなど、いずれ王に立つ者としてもあってはならない。

 問題は自分達の兵力だけで国軍の指揮権を持ち、自前の戦力も有する兄に勝てるかという確証だ。

 今は国中で小競り合いが起きて、王領の治安維持のために国軍の一部が鎮圧に駆り出されて、通常よりは兵力が少ないので勝つだけならそこまで難しくは無い。

 重要なのはその後も続く戦のために可能な限り兵の損耗を避けることだ。何せ兄弟はまだ何人もいるし、他家に嫁に行った姉妹の子達を担ぎ上げて挑んでくる貴族も出てくるに違いない。己の損失を防ぎつつ、敵の勢力を削らねばどれだけ兵がいても足りない。

 現実的な問題に兄への殺意で頭に上った血がすっかり降りていた。

 

「――――私だけがイドネスを相手にする必要は無いか。誰ぞ同盟でも結んで損害を押し付けた方がいい」

 

「では殿下の次兄ディオメス財務卿を一時的に味方にしてはいかがでしょう?」

 

「ディオメス兄をか。―――あの兄は自分の利益になりそうなら誰とでも組むだろうが、不利と分かれば切り捨てる判断も早い。オーデュス兄の方はどうだ?」

 

「五兄オーディス殿下は小競り合いをする貴族の方々の仲裁に駆けずり回っておりますので望み薄かと」

 

 シノンは次兄ディオメスの強欲な気性と決断の速さを知っていたので大きな対価を払わされるのを疎んだ。代わりとして五番目の兄を同盟相手にと思ったが、タナトスからすげなく困難さを指摘されて言葉に詰まる。

 オーディスは五番目の王子でシノンの兄にあたる。人柄の良さと地位から多くの貴族と縁を結び、王宮にも少なくない影響力を持つ人物だったが、それ故に国内全土が騒乱になった今は調停役として寝る間もない程に酷使されていた。味方になれば頼りになるが、今しばらくは落ち着いて話も出来ないだろう。

 

「分かった、お前の意見は熟考に値する。下がって軍勢を整えて来るが良い」

 

「はっ!可能な限り迅速に戻ってまいります!」

 

 打てば響く返答をしてタナトスは脇目も降らずに退出した。ヤトは床に転がしたフォトンエッジを全て回収して、いそいそと箱に詰め直した。

 シノンはタナトスの退出を見送ってから思案に耽る。誰をディオメスの使者に送るかだ。今は南部の平定を進めていて手の空いている人材が乏しい。最悪同盟を断られて殺されても惜しくない人材が適当と思われる。

 そんな都合のいい人間が手元に転がっている筈が無いと自嘲した後、閃きというか忘れていたコルセア親子の事を都合よく思い出した。

 今あの親子はトロヤの街に治療を名目に実権を奪って軟禁してある。父親の方は次兄と懇意にしていたので使者として送れば話ぐらいは聞いてもらえるだろう。最悪領地を奪われて多くの貴族の秘密をバラ撒かれた責任を咎に死んでも構わない。上手く協力を取り付けられれば儲けものだ。成功した見返りに街の統治権を返還する約束をしてやれば死ぬ気で働くだろう。

 良い人材が見つかり、シノンはすぐさま秘書官に命令書を作らせてトロヤの街に伝令を向かわせた。

 数日後。命令書を受け取ったコルセア親子は自由を奪っておいて、勝手な命令を押し付けてきたシノンに怒ったが、街の実権を取り戻せるチャンスとともに、いざとなったらディオメスに寝返る事も考えて了承した。

 そして親子はシノンと会って、ディオメスとの交渉成立の暁にはトロヤの街の返還を確約させた。

 憂いの無くなったコルセアは息子のブリガントと共に王都へと旅立った。

 

 

     □□□□□□□□□□

 

 

 シノンが兄イドネスとの戦いを決意してから半月が経った。 

 ≪タルタス自由同盟≫の兵士七百名はシノン王子の旗下三千の兵の中に組み込まれて、共に北西に向けて行軍していた。

 兵士は誰も彼も鬱々とした顔でやる気なさげに仕方なく足を動かして前に進んでいた。やる気の無い兵士を貴族の指揮官が罵倒するも、兵士達は生返事で返すだけで遅々として速度は上がらなかった。

 もう暦は秋だ。そろそろ冬支度を考える季節なのに戦をさせられるのだから、軍全体の士気が低いのも道理だった。それでも軍の半分は亜人で構成されているので、名目上でも亜人の弔い合戦となれば士気が上がる兵も少しはいたのが救いだろう。

 そんなやる気の無い軍勢の最後尾でヤト達はドラゴン達の背に乗ってダラダラしていた。戦はまだ先だったので適度に力を抜くのは特に問題ないので周囲から咎められるような事は無い。

 と言うより、この一団に物申せる輩など軍団に一人も居ない。総大将のシノンすら出来るだけ刺激しないように気を遣っていた。

 エンシェントエルフのカイルとその従者ロスタはさして問題は無い。共にセンチュリオンを一人討ち取っていても実力的には他の面子に比べて多少落ちる。

 ロスタのメイド服はヘファイスティオンとの戦いで破損してしまったので、新しく繕って若干デザインが変わっていた。

 問題は残りの連中だ。

 一本角の≪赤鬼≫ヘファイスティオン。本来はシノン軍の敵なのだが今は行動を共にする益荒男だ。ただし、彼はシノンに忠誠を誓ったわけでも≪タルタス自由同盟≫の理念に共感したわけでもない。まして金や褒美が欲しくて戦う事も無い。鬼が戦う理由は己を負かしたヤトが戦うから共に付いていく。それだけだった。そこにかつての地位と恩恵への執着など微塵も無い。彼にはより強くなろうとする渇望だけが心にあった。同時にヘファイスティオンにとってヤトは生涯で唯一の友と思っていた。

 当然軍では裏切りや内通の可能性が上がったが、ならば実力で排除しようとは誰も言えない。相手は一介の剣士に負けたとはいえ、この国最高峰の戦士だ。下手に戦えば平気で数百人は殺される。仕方なくシノンを始めとした軍の指揮官たちは不干渉を決め込み、管理と責任をタナトスに押し付けた。

 その鬼と暇さえあれば殺し合い手前の手合いをし続けて、ほぼ勝ちを得ているヤトも明らかに恐怖と畏怖の視線を集めていた。そこまでなら無名の剣豪として、男達から恐れられながらも憧れを抱かれたただけで済んだ。一番問題だったのがクシナだ。

 それは何気ない一言が始まりだった。

 行軍数日目の休憩時。ヤトとヘファイスティオンは日課になりつつある殺し合い紛いの立会いを終えて、喉を潤していた時の事だ。

 ヤトはただの水だったが、赤鬼はバケツ一杯に搾り取った牛乳をガブガブと牛馬の如き勢いで飲み干して豪快にゲップをする。彼はヤトに後れを取ったのが余程悔しかったのだろう。ここ半月、毎日必ず一杯は牛乳を飲んで骨へのカルシウム補給を欠かさなかった。おかげで前より骨が強くなったと豪語している。

 それは置いておくとして、休息の合間に何度目かの敗北を喫した赤鬼は勝者の剣鬼に負けた事はあるのか尋ねたのがきっかけだった。

 

「模擬戦でならたまに負ける事があります。それに実戦でも負けはしなくても死にかけた事が何度か」

 

 アポロンの近衛騎士の事を話したり、昨年サイクロプスと戦って死にかけた事など簡潔に話す。

 ヘファイスティオンもサイクロプスと戦った経験があり、なかなかに手強い相手だったと笑っていた。彼のようなオーガとの混血でも身の丈が三倍以上ある一つ目の巨人は楽に勝てない相手だった。

 あとはアジーダのような意味の分からない頑丈さを持つ種族不明の輩の事も軽く教えて、フロディスには山のような巨体を誇る古のゴーレムが居た事を話せば、彼は羨望の眼差しを向けた。

 

「やはり世界は広いわ!俺は長い事狭い場所で偉そうにしていた小鳥よ。ここは身を改めて、外に修行の旅に出るとするかのワハハ!!」

 

「おっさん、騎士の仕事はいいのかよ」

 

「そんなものどうでもいいわ!俺はセンチュリオンだの何だの持ち上げられておるが、実際は強いだけの奴隷と変わらん!……いや、生まれからして家畜同然よ!!」

 

 たまたま様子を見ていたカイルが呆れるが、当の赤鬼はどこ吹く風。むしろ清々したとばかりに身の上を話してくれた。

 ヘファイスティオンはオーガの父とこの国の貴族の血を持つ母との間に生まれた。ただしそれは幸福な結晶として世に生まれ出たわけではない。

 ヘファイスティオンの母方の祖父が己の意に沿う強い駒を欲しがり、買い取ったオーガに平民の使用人との間に設けた娘を宛がった。そこに娘への愛情など欠片も無く、貴族にとって戯れに犯した女が身籠った子など家畜とさして変わらない。

 ほどなくして娘はオーガの子を産んで死んだ。役目を終えた父も死に、ヘファイスティオンは戦士として祖父の元で成長した。祖父の目論見通り、オーガの肉体的強靭さと貴族の魔導の力を持った混血の子は生涯全てを強くなることに費やして、祖父が死ぬ頃にはタルタス最強の騎士となった。

 実力でセンチュリオンの副団長の座を得て、財貨も有り余るほど得た。食う物に不自由せず望めば女も幾らでも抱けた。

 用意された道を歩くだけの生に幾らかの不満はあったが、強さという物差しと道具はオーガの血によく馴染み、順応していたように思えた。

 

「だがお前と戦い気付いた。そんな与えられたモノに飼い慣らされていた俺はどこまでも家畜でしかなかった!だから俺は力以外の全てを捨てて広い世界に行き、強き者に挑む!!」

 

 ヘファイスティオンはトライデントを高く掲げて、まるで神へ誓うように宣言した。ヤトとカイルは彼の宣誓に程度の差こそあれ共感を感じた。男は誰しも強さを求め、未知を求める探求心を少なからず持っているのだから。

 

「外の世界を見聞するのは良い事だと思います。僕も自分より強い相手と出会えて、生涯を費やすに値する命題を得ました」

 

「なんとっ!?お前より強きものが居るというのか?それは是非俺も戦ってみたいものよ!!」

 

 ヘファイスティオンは驚愕し、喜悦を露にして未知の土地に想いを馳せる。

 ヤトは彼の望みを叶えてやろうと近くで昼寝をしていたクシナを起こして連れて来た。

 ヘファイスティオンはクシナの事はヤトの嫁として知っているが、その正体や実力には関心を向けていない。だから自らに敗北の屈辱を味合わせ、同時に世界の広さを教えてくれた友人の口から、負けた相手と言われても到底信じられるものではなかった。

 言葉では信じられない、なら実際に試してみるのが道理というもの。

 鬼は大きく息を吸い、両腕から無数の骨を折り重なるように展開して胸の前に交差させた。その形は巨体と相まって、あたかも骨で作られた城壁のようだった。

 

「奥方、俺を殴れ!!」

 

 唐突な殴打要求に周囲にいた全員が固まる。気が狂ったような物言いだったが目は真剣そのもの。彼は己の肉体と異能を物差しにして、ヤトの言葉を確かめようとしていた。

 クシナは変な要求に少し困惑したが、ヤトから深く考えずに言われた通り、加減せずに正面から殴るように勧めた。

 旦那に言われてクシナは渋々ヘファイスティオンの正面に立った。

 一方は一本角の巨漢、もう一方は捻じれた二本角の傷身矮躯。両者の身長差は倍近く、重量は考えるのも馬鹿らしいほどに差があった。

 だから百の言葉を伝えるよりも一度実際に殴らせた方が早かった。

 クシナは前に向かって飛び、左手を振りかぶった。生を受けたと同時に生涯を全て修練に費やした鬼から見て、技も業も何も無い不出来な拳。それが鋼にも匹敵する無数の骨の盾を粉砕して、岩の如き両腕を砕く理不尽だったと知った鬼の心中は如何なものであったか。

 数十メートルは殴り飛ばされて、観衆をなぎ倒した末に赤鬼は止まった。

 

「これでいいのか?変な頼みをする奴だ」

 

 理不尽の具現は欠伸をして再び昼寝を始め、不気味な沈黙が支配する。

 その後、ヘファイスティオンは持ち前の回復力と異能で二日後には腕も完治したが、妙な目標を立てて周りから生ぬるい視線を集めていた。

 

「俺は俺より強い女を探して嫁にする!」

 

 つい先日最強の元センチュリオンを殴り飛ばした実例を見た以上は居ないとは言えないが、長い旅になりそうだと思われた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話 魔窟の王子達

 

 

 シノン軍がヒュロスの街より出征して既に二十日が過ぎようとしていた。現在はイドネス王子貴下の貴族領との目と鼻の先まで進軍していた。

 幸い近くには湧き水の出る泉があるので、今日はここで進軍を止めて野営の準備を始めた。

 兵士達は日に日に厳しさを増していく高地の冬の寒さに身を震わせた。あと一ヵ月もすれば本格的な冬が到来する。冬に露天の野営などしたら大抵の者は凍死する。その前にどうにか戦を終わらせて帰還するか、敵の街を奪って冬を越さねばならない。兵士ですら危機感を感じているのだから、上層の指揮官たちの焦りは相当なものだろう。

 総大将のシノンは特に焦りも不安も見せていない。一番上が狼狽える姿を見せればすぐに集団に悪い影響が出るのだから、例え本心は不安に感じていても表に出さないのが王族の務めだった。

 その夜、一人天幕で胃の痛みを抑えていたシノンの元に、護衛兵が一通の手紙を持ってきた。

 見覚えの無い兵士に一瞬身構えて剣の柄に手を添えたが、兵は何もせず手紙だけを置いて立ち去った。

 恐る恐る手紙を取って毒の類が仕込まれていないことを確認したシノンは手紙の中を一瞥して、珍しく歓喜の声を上げた。彼はそのまま夜中にも拘らず軍議を開くように近習に命じて、主だった指揮官達を招集した。

 

 翌朝、軍は行軍を再開した。

 タナトスは軍勢の後ろで欠伸を噛み殺して馬に揺られていた。

 

「寝てないようですが落馬して死ぬなんて間抜けな最期はお勧めしませんよ」

 

「あーそうだな。ふあーーーあ」

 

 大きな欠伸をもう一つ。隣を歩くヤトの忠告は無駄らしいが、手綱を握ったままなので多分大丈夫だろう。

 

「――――何か進展があったようですね」

 

「第二王子のディオメスが同盟を受け入れて、地方への派遣を理由にイドネスから国軍を取り上げた。これでうちの不安要素は地の利と冬だけだ」

 

 ヤトの経験から言わせれば冬の寒さはともかく、地の利の劣勢は割と無視してはいけない要素なのだが。まあ軍権も無い立場でどうこう言ったところで聞き入れられるはずもないので沈黙した。

 一応国軍が関わらなければ両軍の兵数は同程度、センチュリオンもイドネスの派閥は先日の古城奇襲の折に壊滅しているので助力があっても数名程度と思われる。純粋な軍事力ならシノン軍は劣勢とは言わない。となれば後は将の技量で戦の行く末は何とかなる。

 敵地ゆえに決して油断は出来ないものの、数的不利は避けられたので指揮官連中には安堵感が広がり、兵達にも少しは余裕が出て来た。適度な緊張感のある余裕は士気の向上にも繋がるので歓迎された。

 シノンの軍勢は無人の荒野を歩むが如き軽快さで領地を進んだ。残念ながら進軍上の集落は全て空になっていて食料の補充などは叶わなかった。住民は全員食料を持って村を捨てて逃げ出したようだ。考えようによっては略奪に夢中になって時間を無駄に取るよりは良いとも言える。

 

 戦況に変化が見られたのは敵地に入って三日目の事だ。空で偵察任務に就いていた騎獣隊が北方の丘陵に囲まれたクレタ盆地に三千程の兵が集結しているのを発見した。掲げられた旗からイドネス王子が布陣しているのが確認された。

 布陣から向こうも既にシノンの軍が領地に入った事は分かっている。その上で陣を敷いた場所が退路に乏しい囲まれた地というのを指揮官達は疑問視していた。イドネスは国軍を預かる経験豊富な将だ。わざわざ不利な地を戦場に選ぶとは考えにくい。

 となれば何か罠を仕込んでいるか誘いであると結論付けた。問題は罠と分かっていても戦わずに引き返す選択肢が無い事だ。

 今更避けられない戦いなら真正面から打ち砕く―――――シノンは貴族の誉と笑って見せた。当然、ただ突っ込むわけではなく、最大限戦地周辺を警戒して伏兵や罠の有無を上空から調べて把握した。

 やはりというべきか周囲の林や岩陰に何人もの伏兵が隠れているのを見つけた。戦となれば伏兵が後ろから襲いかかって挟み撃ちにする手筈なのだろう。

 軍は先んじて兵を向けると隠れていた兵は一目散に逃げだした。奇襲するつもりの兵は逆に奇襲を受けると動揺して脆いものだ。

 先に憂いを払ったシノン軍は士気を高め、敵軍が待ち構える盆地に向けて進軍した。

 

 

 決戦の日はどんよりとした雲に覆われて日の射さない空をしていた。三方をなだらかな丘陵に囲まれた地は草も少なく、冬を前に枯れていて見通しが良い。

 元々このクレタ盆地はイドネスの家の牧草地として、数千頭の牛や馬のような大型の家畜を放牧していた土地だ。

 そのクレタ盆地は今、二つの大きな集団が対峙して、共にけたたましいラッパ、角笛、それと太鼓の音が合わさって混沌とした演奏会を催していた。

 イドネスの軍は前列中央に亜人兵を配置、その両端に挟み込むように人族の騎馬兵を置く。後ろの中衛には鎖で繋がれた何十頭もの幻獣が唸り声を上げて苛立ちを紛らわせていた。後衛は総大将の本陣があり、魔導騎士達や人族の歩兵が守りを固めている。

 この配置は亜人兵を敵軍にぶつけて足止めしたのち、幻獣を突っ込ませて味方ごと敵を圧し潰すためだ。脇の騎馬は機動力を生かした遊撃隊と亜人兵を逃がさないための督戦隊も兼ねていた。

 シノン軍も構成は似たようなものだ。違いは幻獣の数が少ないのと代わりにドラゴンが数頭いる事、それに同じ前列中央配置の亜人兵の様子に差がある程度だ。

 戦場で最前に立たされたイドネス軍の亜人兵は誰も彼も陰鬱として瞳に生気が宿っていない。命を賭けて戦う恐怖、興奮、喜び、悲哀。何もかも持たず、ただ立っているだけ。カカシと言われればすんなり信じてしまうほどに、彼等の中には何も無かった。

 彼等亜人兵の眼前には二頭のドラゴンと同じ亜人兵の集団が待ち構えている。前には敵のドラゴン、横には慈悲無き騎馬兵、後ろは獰猛な幻獣。逃げ場などどこにもない。何故戦をするのか誰も知らない。ただ分かっているのは自分達は今日この場で例外無く死に絶えるという事だけだ。

 シノン軍の最前列、クロチビともう一頭のドラゴンの側でヤトとクシナ、それとヘファイスティオンは最前列でどう動くべきか雑談交じりに話していた。やや後ろでドラゴンの上に乗って指揮を執っているタナトスからは自由に動いて良いと言質を貰っている。カイルとロスタはタナトスの直衛として側にいる。

 

「奴隷や雑兵を倒しても誉にはならん。どうだ、いっそイドネスの首を取った奴が勝ちというのは?」

 

「悪くないですが、幻獣や魔導騎士の首にも価値はありますから、点数制はどうでしょうか」

 

「なら幻獣は十点、魔導騎士を獲ったら二十点、イドネスの首には五百点。それ以外は零点でどうだ?負けたら牛乳を鼻から飲む」

 

「いいんじゃないですか。仕留めた相手は自己申告で誤魔化しは無しにしましょう」

 

「汝等はアホだ」

 

 男同士のアホな競争をクシナはバッサリと切り捨てた。クロチビともう一頭の青い鱗のメスドラゴンも口を併せて「そうだそうだ」とまくし立てる。最強の幻獣も、さらに上の種であるエンシェントドラゴンには気を遣う。ちなみにこのメス竜は古城襲撃の際にクロチビに焼かれて空から墜とされた竜だ。幸運にも生き残った彼女は、自分に勝ったクロチビに惚れ込んで、いつの間にか番になっていた。

 クシナは呆れているが、少なくとも亜人奴隷の兵士を率先して殺さない点は亜人の多い自由同盟の面々には歓迎される。罰則を設ける事への罵倒は全く以って同意なのだが。

 アホな男二人は剣と槍を構えて、今か今かと戦の号砲を待った。

 しかしいつまで経っても火ぶたが落とされる事は無い。代わりにイドネス軍から二本の旗をはためかせた一台の戦車が出てくる。片方の旗にはこの国の王家の紋章である魔導を象徴する炎の刺繍が。もう一つの旗には白い竜が織られていた。

 

「あの旗は――――イドネス王子自らのお出ましか」

 

 ヘファイスティオンの呟きに、ヤトはバイコーンの二頭立て戦車の上に立つ大柄な中年男の顔を記憶した。あの首が五百点だ。

 戦車は両軍のちょうど中央の位置で停止した。兵士の中には弓を構える者もいたが、指揮官から強い制止を受けた。戦の前に大将を射るのは恥でしかない。

 しばらくするとシノンも巨大な牡鹿に曳かせた戦車に乗ってイドネス王子の元に赴く。兄弟の久しぶりの対面だった。

 二人は親し気とは言えない様子で話している。遠すぎてヤトには聞こえない。クシナは聞こえるようだが、わざわざ何を話しているのか聞くほどの興味は抱かなかった。どうせ互いに降伏勧告でもしているのだろう。ここまで来て了承する筈は無いが、何事も形式は重要だった。

 

「ん?」

 

「どうしましたクシナさん?」

 

 クシナが唐突に周囲を見渡して耳に手を当てた。この仕草でヤトも何かに気付いた。これはシノンが下手を打ったと。

 次の瞬間シノン軍を囲むように枯草の地面が盛り上がる。跳ね上がった戸板の後から何人もの武装した兵士が巣から一斉に飛び出すネズミのように現れた。

 戦場の兵士達は誰もが困惑していたが、イドネス軍の一部指揮官は静観を保っている。遠目にシノンが狼狽えたのと対照的にイドネスは勝ち誇った笑みを浮かべた。敵か味方か問う必要は無かろう。

 新たに現れた兵はシノン軍の側面と後方を防ぐように隊列を組んだ。数は二千を下らない。

 そしてイドネス軍から軍馬が一騎王子達に近づいた。乗っている騎士は鎧兜をしていて顔が分からなかった。

 騎士は王子達の前で馬から降りて臆せず近づき、そこで兜を脱いで地面に捨てた。男はシノンやイドネスに似た顔の中年だった。

 

「あれはディオメス王子か」

 

「負けを認めて跪け、弟の命までは取らない。と言ってるぞ」

 

「……シノン王子は嵌められましたね。いや、最初から組んでたところにのこのこ来ただけかな」

 

 同盟相手が敵軍と共に居る。これ以上に無いほどシノンの窮地を示していた。とはいえヤトにとってはさほど重要な事ではない。それより気になる事がある。

 

「あの王子の首も五百点でいいですか?」

 

「ふははは、それは良いな!……やるか?」

 

「やりましょう」

 

 剣鬼と戦鬼は空気を読んでも構わず叩き壊す。

 ヤトは翠刀をディオメスに、ヘファイスティオンは炎刃を出したトライデントをイドネスに向けて全力で投げつけた。下手に近づくよりこれが一番速い。

 風を切り裂き飛翔する二つの禍々しい凶器は糸で繋がったように狙った二人の王子の胴体に突き刺り、勢い余って身体を地面に釘付けにした。

 戦場に奇妙な静寂が訪れる。

 最初に動いたのは最も近くに居たシノンだった。彼は目の前で兄達が死んだ事を悲しむ間もなく、自分の乗って来た牡鹿戦車を見捨てて、ディオメスが乗っていた馬を奪って一秒でも早く自軍に向かって逃げ出した。

 

「まずお互いに五百点」

 

「考える事は同じでしたね」

 

 相手に先んじたと思ったのに互いに同じことをしているのだから笑える話だ。

 会談中に総大将を殺されたイドネス軍の本陣で動きが見られた。相当に離れたヤト達の位置からも絶叫と戦を始める号令が耳に入り、開戦のラッパが盆地に響き渡る。

 

「戦闘開始だーーーー!!!」

 

 真っ先にヤケクソ気味のタナトスの指示が飛び、自由同盟の戦士達は隊列を崩さず盾を構えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話 心地良い戦

 

 

 開戦の合図を担った鬼達はそのまま勝負を続行した。

 二人は引き絞った弦から放たれた矢の如き速さで王子の死体から自らの得物を回収。そのまま亜人兵の列の隙間を縫って、後ろにいたコカトリスの首をそれぞれ刎ねた。さらにヤトは近くに居た燃える尾を持つ蜥蜴≪サラマンダー≫を二体纏めて気功剣で八つに解体した。ヘファイスティオンも負けじとユニコーンに跨った女の魔導騎士を騎獣ごとトライデントで叩き潰した。

 

「騎獣と魔導騎士は個別計算で良いか?」

 

「どうぞどうぞ」

 

 ヤトもケチ臭いことは言わずに快諾しつつ、後ろから飛び掛かったガルムの口に翠刀を振り向かずに刺し込み、左右に割る。現在ヤトが十点先行。

 幻獣は基本的に頭が良い。その頭の良さで否が応でも自分達は殺すのではなく殺される獲物と理解した。死への恐怖から半狂乱になった幻獣達はそれでも生きるために咆哮を上げて殺戮鬼共に襲い掛かった。

 

 鬼が前線で幻獣と戯れてイドネス軍の足を止めている間、シノン軍は前以外の三方から襲い掛かるディオメス王子の伏兵の対処に追われていた。総大将の王子が死んだが、イドネスと違って戦の指揮は部下に任せていたので指揮系統の混乱は無い。

 命からがら逃げて来たシノンは多少の時間使い物にならなかったが、すぐさま平静を取り戻して全体の指揮を執っている。ディオメスの伏兵は数こそ少ないが半包囲を形成して効率的に兵を動かしていた。おかげでシノン軍は数は多くとも大半の兵は接敵する事すらままならず、ちくちくと兵を消耗していた。

 前線のタナトス旗下の兵達は機動力に勝る敵騎馬兵の攻撃をよく防いでいた。これは兵士の多くが元剣闘奴隷として対騎兵戦法を知っていたおかげだ。突撃する騎馬に恐れず踏み止まって、盾を幾重にも構えて壁として耐えつつ槍で穴だらけにする。熟練の勇士に相応しい戦いだった。

 正面の敵亜人兵にはクシナがドラゴン達と共に対処していた。ドラゴン達は死んだ目で身体に纏わりつく亜人を埃を払うかのように散らす。敵兵の多くは怪我に呻くが、ドラゴンを相手に考えれば死者は驚くほど少ない。

 

「おーいチビ共、もう少し優しく払ってやれ」

 

 クロチビの上から暢気に命令していたのはクシナだった。旦那が友達と敵陣の中で遊んでいるので仕方なくこの場を受け持って亜人兵士の相手をしている。タナトスからの頼みで可能な限り敵兵を殺さないよう、ドラゴン達に加減するように命令するのはクシナしか出来ない役目だ。

 カイルはタナトスが乗るドラゴンに相乗りして高所から絶え間なく矢を浴びせ続けた。エンシェントエルフの族長ダズオールから餞別に譲られた長弓から放たれた矢が騎馬兵の兜の隙間から眼窩を貫いた。

 

「おのれ小癪な―――がっ!!」

 

 隣で指揮をしていた鶏冠付き兜の指揮官も同様に兜のスリットから矢が生えて落馬した。

 指揮官がやられた事で浮足立った一部の騎馬隊にも矢の雨が降り注ぎ、馬もろとも毛虫のようになった。

 手柄首を落とした喜びを感じる間もなく、カイルはひたすら弓の弦を引き続ける。若い騎兵、中年の騎兵、女騎兵。射殺した相手がどこの生まれでどんな身分かなど分かりはしない。ただ分かっているのは、この矢の一本一本が敵に刺されば、それだけ味方の兵士の命を救う。それだけは信じていた。

 

「矢筒ッ!!」

 

 空になった矢筒を捨てて、下に居た狼人兵から矢の詰まった新しい筒を受け取る。既に騎馬兵を二十は射殺したが、敵は中々減らない。

 時折騎馬兵が矢を撃ち返すが、それは護衛のロスタが悉く切り払ってくれるので安心して弓を引けた。あるいは矢を手づかみして渡してくれるので、そのまま相手に返してやった。きっと喜んであの世に行ってくれるはず。

 弓を引く合間にちらりと前線を見れば、敵陣で暴れ回っている鬼のコンビが目に入る。既に幻獣の半分を挽肉に変えていた。どちらも目を輝かせて子供のように声に出さずとも笑いながら敵を斬り続けている。

 

「うわっ……」

 

 戦場という死と破壊の蔓延する場にあってなお、清爽な笑みを浮かべる戦鬼共がこの上なく凶々しく見えたカイルは思わず身震いした。味方でさえ震えが来るのだから敵にとっては正真正銘、地獄の鬼に見える事だろう。会談中に総大将を殺す横紙破りに憤慨して上がった士気も、肉片がばら撒かれるたびにすっかり萎えていた。

 そこに追い打ちのようにどこからともなく剣やら槍が轟音を立てて飛んできて、遥か遠くの後衛にいる兵士を数人纏めて串刺しにしていた。発射元は指示だけで暇を持て余していたクシナだ。彼女は亜人の奴隷兵士が落とした武器を拾って、ドラゴンの上から投げて的当て遊戯に興じていた。

 届くはずの無い距離からの投擲も、古竜の膂力をもってすればただの石槍が攻城兵器並の威力と飛距離を発揮する。悪鬼共のようにいずれ来る脅威は身構える事ぐらいは出来るが、どこからか飛来して死者を積み上げていく投擲は後方に居ても対処すら難しく、さらに兵士の士気を挫いた。

 

「知ってたけど冗談みたいな存在だなぁ」

 

「お前も俺から見たら似たり寄ったりだぞ」

 

 タナトスは戦場で暢気に呆れていたカイルにツッコミを入れた。魔導騎士の力以外は突出した才覚を持たないタナトスから見たら、高速で移動する騎兵の兜の僅かな隙間を矢で貫くような神技を連発するカイルの技量とて羨望に値すると思っている。今も話しながら二本の矢を同時に射って、二騎を仕留めた。おかげで罠に嵌ってもどうにか勝って生き残れそうなのだから用心棒様々である。

 

「ふーん――――で、指揮官から見て戦には勝てそう?」

 

「敵に伏兵以上の隠し玉が無ければ勢いで何とか押し切れるはず」

 

「あると思う?とっておき」

 

「あったらとっくに出してるよ」

 

 つまりそういうことだ。もしディオメスの伏兵以外に切り札があれば幻獣が全滅して、悪鬼共に後衛にまで食い込まれるまで手をこまねいている理由が無い。

 どうにか勝ちが見えてきたが、こういう時に警戒しなければならないのが指揮官への狙い撃ちだ。どうしても高い場所を見下ろす必要のある指揮官を排除出来れば指揮を乱せる。今もドラゴンの上にいる自分達を狙って何本もの矢が撃ち込まれている。ここはロスタが全て切り払ってくれるので安全だが、シノン王子が死んでしまっては、せっかく相手の王子二人を殺したのも無駄になる。

 後ろを見ればシノンは軍の中央で近習の盾に囲まれてがっちり守られていた。あれなら矢も届かないだろうし、よしんば届いても周りの兵が身代わりになってでも守るだろう。

 攻撃してくる騎馬兵も堅実な防御と反撃で段々数が減っている。見張りが居なくなれば戦わされている奴隷亜人兵も支配から解かれて徐々に逃亡していた。それが敵軍全体に伝播して、他の兵も命惜しさに逃げている。

 勝ち戦をひっくり返されるのは最初から五分で戦うより士気を折られやすい。勝って日暮れには美酒を味わうはずが、逆に命を失う恐怖に囚われて容易に足が竦み、一歩後ずさりすれば、次は逃げの一手を選んでしまう。戦は数や戦術も大事だが、徴集兵が多い場合は何よりも士気と統率が物を言う。イドネスとディオメスの軍はその両方を保てなかったが故に負けるのだ。

 兵は段々と減り始めていたが、敵本陣を構成する本来大将を警護する魔導騎士や近習兵は、未だ踏み止まって主君の仇の悪鬼共の首を獲ろうと刃を向ける。

 既に返り血で肩を並べる赤鬼と同じぐらい赤く染まったヤトは一番手前の女騎士に斬りかかり、鍔迫り合いに持ち込んでから左手の鬼灯の短剣を鎧の隙間の腋に刺して心臓を貫く。

 

「これで二十」

 

「俺は二十三だ」

 

 隣のヘファイスティオンは三叉槍の連続突きで騎士を二人纏めて穴だらけにした。

 負けじとヤトも気功の刃を飛ばして騎士の腕を切断。呆けたところを近づき翠刀で首を飛ばした。これで差は二。

 そこに一人の魔導騎士が躍り出てヘファイスティオンに炎刃を振り下ろした。しかし赤鬼は奇襲にも冷静に対応して、揺らめく陽炎の剣を槍で難なく受け止めた。騎士はヤトにも聞こえるぐらい大きな舌打ちをした。

 

「おい副団長!あんたシノンに寝返ったのかっ!!」

 

 長剣のフォトンエッジを向けた巨漢の獣人がいきり立つ。体格はヘファイスティオンと同程度。風に靡く立派な鬣と猫科の風貌、鎧に覆われていない二の腕には黄色と黒の縞模様。虎と獅子と人の特徴を併せ持った異質にして、ある種の均衡を保った美に目を惹かれた。

 ただし粗野な貌にはヘファイスティオンへの怒りが溢れんばかりに満ちていた。

 

「おうそうだぞメレアグロス。こっちの方が面白そうだからセンチュリオンも辞めた。退職届は出してないがな。で、お前は寝返った俺とやるか?」

 

「………やってやろうじゃねーか!!てめえの首掲げて王都に凱旋だ!!」

 

 牙を剥いて獣人メレアグロスがヘファイスティオンに強襲する。技巧も何もないただ激情に任せた力任せの長剣が三叉槍とぶつかり合う。鍔迫り合いにより互いの筋肉が震え、得物がギチギチと悲鳴を上げて軋んだ。同時に二人は得物から左手を離して示し合わせたように理力を行使。ぶつかり合う二つの理力が反発力を生んで、互いに弾かれた。

 またも先に仕掛けたのはメレアグロス。今度は理力で枯草を大量に巻き上げて目くらましにして、側面に回り込んで斬りかかった。

 勝負はつかずとも一太刀は入ると確信した攻撃は逆に茶のカーテンを貫いて飛来した白い突起に阻まれて、メレアグロスの頬に浅い切傷を付けた。流れる血が毛皮を赤く染める。

 突起は射出したヘファイスティオンの指の爪だ。

 

「お前、俺の異能を忘れてたのか?訓練なら俺から十本に二本は取れたのに情けない奴め」

 

 目眩ましを逆に利用されて、かすり傷とはいえ先に血を流したメレアグロスは怒りに全身の毛を逆立てて、幾重にもフェイントを織り交ぜた殺し技を繰り出すが、そのどれもが怒りと殺気でフェイントが見破られて安穏とした余裕をもって捌かれた。

 そこから先、常に攻め手は虎獅子の獣人で、その殺気に満ちた炎刃を受けるのが赤鬼だった。剣と槍の応酬に含まれる気迫の熾烈さに周囲の兵士は総毛立つ。どの手も喰らえば急所を突かれて絶命必至の一撃、既に両者の攻防は三十手を数えて、それでも勝負が未だに付いていないのは有効打を得ていないからだ。

 

「くそっ!なぜ、何故だ!!なぜ俺と同じ混血のお前が副団長をやっている!?」

 

 苛立ちを込めた何の技巧も含まない力任せの一撃を、ヘファイスティオンは同様に稚拙で無様な一撃で吹っ飛ばした。

 

「そんなもの俺の方が強いからだろうがっ!!そんなに欲しかったら空いた椅子ぐらいくれてやるから勝手に座れっ!!!」

 

 戦場で折角良い気持ちで戦っていたのに、染みったれた恨み言の一つも言われたら腹ぐらい立つ。

 この言葉を機に攻守が入れ替わり、攻め手はヘファイスティオンに移った。――――と思えば赤鬼はいきなり三叉槍を逆手に持ち替えて、本来の用途である銛突きに用いてぶん投げた。

 超高速で飛来する槍をメレアグロスはどうにか剣で防ごうとしたが、威力を殺し切れずに剣を持っていかれた。そのまま槍と剣は名も無き兵士達の身体を貫いた。

 互いに無手となり、獣は腰の剣を抜こうとしたが、鬼はそれより速く跳んでメレアグロスの顔面にハンマーの如き拳を叩き込む。獣人特有の鋭い牙が幾本折れて血と共に飛び散って倒れた。

 追撃とばかりに赤鬼は馬乗りになって、両手を骨で覆って絶え間無く振り下ろす。

 何度も何度も何度も―――――――なすがままに殴られ続けた。

 普通なら最初の一撃で即死するほどの威力が鬼の拳にはある。何度も振り下ろされれば原形をとどめず挽肉になっているはず。にもかかわらずメレアグロスの瞳にはまだ闘志が宿っている。

 それが分かっているヘファイスティオンは拳を止めない。それどころかより強い一撃を打ち込み、完全に闘志をへし折るために大きく息を吸って振り上げた拳を無慈悲に振り下ろした。

 その瞬間、メレアグロスは頭を僅かに動かして破城槌のごとき拳を避けて、バランスを崩したヘファイスティオンの身体を両手で突き上げて拘束を脱した。

 今度は先に立ち上がって体勢を整えたメレアグロスの拳がヘファイスティオンを襲う。怒涛の連打で鬼の顔がみるみる歪み、渾身の右腕が顎を捉えた。

 顎を割って手ごたえを感じた鬣の獣人は止めの一撃に腰の剣に手を添えて抜く。――――はずが、その前に鬼に腕を掴まれて動きを止められた。

 

「甘いわっ!!!」

 

 咆哮と共に鬼は虎獅子の突き出た鼻に頭突きを食らわして再び倒れ込んだ。そのまま両手を拘束し、岩のような頭を上から勢いをつけて叩き付ける。

 鬼の体で最も硬い頭蓋の角を叩きつけられたメレアグロスは何度も意識を飛ばしては痛みで覚醒を繰り返した果てに、とうとう完全に意識を失って、剣から手が滑り落ちた。激闘を制したのは赤鬼だった。

 ヘファイスティオンは荒い息を吐いて顎を擦る。痛みで思考が研ぎ澄まされ、ここが敵地だったのを思い出して身構える。

 しかし既に敵兵は一人も居ない。代わりに同朋と認めたヤトが両手に剣を持って佇んでいた。

 

「心地良い戦いでした。敵はもう壊走していませんよ」

 

「そうか、もう終わりか」

 

「止めは刺しますか?」

 

 ヤトは鬼灯の短剣を差し出す。

 

「お前の数は?」

 

「騎士を何人か倒して二十八です」

 

「じゃあこいつを殺しても俺の負けか。今更だな」

 

 ヘファイスティオンは剣を取らずに、倒れたままのメレアグロスを放置した。そのまま自分の槍だけ回収して死体の折り重なった戦場を引き返して味方と合流した。

 クレタ盆地の戦いはシノン軍の勝利に終わった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話 王都タルタロス

 

 

 クレタ盆地の戦いは劣勢にあったシノン軍の勝利で終わった。五千の敵兵の内、討ち取ったのは千五百程度。残りは壊走して散り散りになっている。

 対してシノン軍の被害は三百程度で済んだ。五対三で包囲されていたにしては驚くほど被害が少ない。大勝利と言って良かった。

 シノンは褒美として敵の死体からの略奪を許可した。兵士達は価値のありそうな物を根こそぎ奪い取って主君を褒め称え、夜には勝利の美酒を浴びるほどに楽しんだ。

 

 ―――――夜半。未だ騒いでいる兵士達の宴会場から離れた本陣にてヤトとヘファイスティオンはシノンの前に立たされていた。天幕には数名の魔導騎士とシノンの側近がいる程度だ。

 

「勝利の後の夜というのは心地良い。しかし私は総大将として責務を果たさねばならん。両名はなぜ呼ばれたのか分かっているか?」

 

 シノンの言葉と向ける眼光に二人は少し気まずい想いをしていた。戦での命のやり取りに比べれば屁でもない重圧でも、何となく自分達が悪い事をしたと思うので居心地が悪かった。

 それでも黙っているわけにはいかないので最初にヤトが、次にヘファイスティオンが答えた。

 

「二人の王子を会談中に殺した事です」

 

「総大将の号令を差し置いて勝手に戦端を開いたのは悪かったと思ってるぞ」

 

「分かっているなら話は早い。断っておくが私もあそこで膝を折って戦いを避ける選択が絶対に無い以上は、あれが最適解とも分かっていた」

 

 実際下手を打ってディオメスの策略に嵌って軍を危機的状況に追い込んだのはシノン自身だ。それを無理矢理にでも盤面をひっくり返して勝利に導いた戦鬼二人には幾らかの感謝と敬意は抱いてた。それは身の内に秘めたまま、勝手に戦を始めた事を許す気は無い。

 叱責は続くが最初の蛮行以降に責める言葉が無くなり、段々と戦の中で幻獣部隊を殺し尽くし、魔導騎士を多数討ち取り、敵本陣を壊滅させた一騎当千の活躍を褒め始めた所で本筋から外れたのに気付いて、わざとらしく咳払いして叱責を切り上げる。

 

「ともかくお前達は最初の失態を戦場の功で取り返した。よって咎めは無しだが褒美も無い。不服か?」

 

「いえ、全く」

 

「俺もどうでもいいな」

 

 シノンは戦以外役に立たないし興味もない鬼共の動かし方を理解した。そして用は済んだので二人を追い払うように下がらせた。

 鬼が居なくなった天幕で、シノンは側近にタナトスの所に酒と菓子を届ける様に命じた。

 

「よろしいのですか?」

 

「あの二人個人にではない。それに表向き功罪相殺とはいえ、あまり厳しくするとこちらが心苦しい」

 

 先走りの結果とはいえ戦を勝利に導いた戦士を無体に扱うのは心情的に好ましくない。同時に好き勝手しても功さえあれば褒美は思いのままと良からぬ前例を作るのも困る。そういう意味ではあのような功名心に乏しい輩が実例を示してくれたのは幸いだった。これで功を焦り軍紀を軽視する者は減るだろう。先程手配した酒の菓子はその礼だ。

 これで一つ小さな問題は片付いた。あとは大きな問題が、それも早急に方針を決めねばならない問題が一つ残っていた。

 

「勝ったのは喜ばしいが、これからどうすべきか」

 

 まさか同盟者のディオメス兄に謀られていたのは予想外だった。本来ならイドネス兄との戦に勝って、動くのは冬を越してからと思っていたが、前提が狂ったのだから早急に戦略に修正を加えねば敵地で全滅しかねない。

 シノンの頭の中に幾つかの方針が浮かぶ。まずここから領地に帰って冬を越すか、今から動くかだ。帰るだけなら敵は壊走して組織的な動きは無いので簡単だ。ただ、兄二人を亡き者にしてしまった時点で政局がどう転ぶか分からない中で、自領に引き籠って安穏と過ごすのは自殺行為と己の王族としての勘が危機を告げている。ここは能動的に動く時だ。

 となればこの戦で多くの将兵を失い、混乱しているイドネス兄の領地を落とすだけ落として自領に併合して実効支配してしまうべきか。いや、手堅く実が取れて家臣達が喜ぶ案だが大局的には利が薄い。

 それにここまでやってしまったら、部下への襲撃の報復の域を超えてしまい、宰相のプロテシラ長兄から反逆者として討伐されかねない。先に王都へ赴き、義のための戦だったと申し開きぐらいはしておいたほうがいい。

 ただ、軍を王都に近づける名分ぐらいは用意しておかねば要らぬ警戒を招く。シノンは何か無いか思考を巡らせて、一つ思い至る。

 

「死体……兄達の死体はどうしたか?」

 

「身を清めてから明日にでも埋める予定です」

 

「死体はここに埋めるより、王都の兄か父に引き渡して正式に葬儀を執り行った方が私の徳が高まると思わぬか?」

 

 側近は即答しかねた。例え遺体を丁重に扱った所で殺した事実は覆せない。戦場での命の奪い合いに怨恨を残すのは将の恥だが、血を分けた血族の遺体を見て王や宰相が何を思うかは判断しかねる。ただ、正論として亡骸を丁重に扱った者を罵倒する謂れは無いと思いたい。

 

「私如きでは王族の御心は推し量れませぬが、敵であっても弟として兄に礼を尽くした確かな証拠としてお渡しするのがよろしいかと」

 

「やらないよりはマシ程度か。分かった、では我々は明日王都を目指す」

 

 シノンは側近に指示して休むと伝えた。

 この選択が吉と出るか凶と出るか答えが出ず、シノンは中々寝付けなかった。

 

 

 翌日、軍は総大将の命令通り手早く準備を整えて、クレタ盆地から離れて王都に進軍した。軍の遅い脚でもイドネスの領地に隣接した王都には五日もあれば辿り着けるだろう。今は晩秋なので運ぶ死体が腐る心配は少ない。

 シノン軍の道は無人の荒野を行くが如く遮る物が何も無い。途中物見が周辺の村で煙が上がっているのが見えたので探りを入れると、昨日の敗残兵が略奪行為に明け暮れているのを目撃しただけで、行軍の邪魔になる事態は無かった。統率を欠いた武装集団など野盗とさして変わらない。

 王領に入るまでの数日間はこうした狼藉行為が何度も見られたものの、流石に王のお膝元となると治安も良く、そうした行為はぱったりと途絶えた。代わりに巡回兵に度々出くわして緊張した空気になる事もあり、その都度王子の帰郷(二人分の死体も込み)と言う形で無理矢理にでも押し通した。

 

 

     □□□□□□□□□□

 

 

 どうにか順調に荒事抜きで王都まで辿り着いたシノンは軍を街に入れずに外に待機させて、少数の供と兄二人の死体を運ばせて城に赴いた。

 王都タルタロスはさすが一国の王都と言える偉容を誇った都市だ。城壁、道路、建物全てが石造りの堅牢な造りで、都市そのものが外より高い台地に造られているので山城並に防御特化した都市と言える。

 正門の番兵達がシノン軍を神経質そうに監視している。曲がりなりにも王子の手勢なので押し攻めるような事は無いと思いたいだろうが、兵には街へ入る許可は下りていない。初冬の寒空の下で待たされているストレスから何かやらかさないか疑って、常に見張っていないと安心できないのだ。

 実際、軍の兵の中には外に締め出されて不満に思う者もそれなりに居る。せっかく戦の後に死者から戦利品を略奪して臨時収入を得たのに、使えなければ宝の持ち腐れだ。どうにか物品の豊富な王都で買い物をして、大手を振って家に帰りたいと思っても咎められるものではない。

 一方≪タルタス自由同盟≫の兵は外に留め置かれても全く気にしない。元々亜人の多い彼等は差別を受けるのが当たり前なので街に入りたいとさえ思わない。まだ軍の野営地で、他の貴族の兵に憎まれ口を叩かれながらも対等に扱われた方がマシだった。

 シノン軍の兵はタルタス国民の例に漏れずに亜人を差別するが、クレタ盆地で勇猛果敢に戦った亜人兵の姿を見ていたので、口では悪しき様に語るが内心ではその強さに恐れと共に頼もしさも感じていた。だから亜人兵を見る目はどことなく柔らかく、少しばかり気安さも感じられた。

 当然ヤト達は貴族でも何でもないので留守番組だった。ヘファイスティオンはまだセンチュリオンの副団長なのでシノンと別口で辞表を出してくると言って城に行った。意外とけじめを分かっている男である。

 王都近郊での最初の食事をヤト達が食べていると、タナトスが顔を出した。彼も留守番組だ。一応貴族に任ぜられているので望めば城は無理でも街ぐらい入れるが、彼は街と城には何の関心も抱いていない。

 彼もヤト達の横で干し肉とチーズを挟んだパンを齧る。そんなタナトスの腰に差したフォトンエッジをヤトはじっと眺める。

 

「前から気になってましたが、ここの王族や貴族はなぜ誰でも魔法に類する力を持っているのでしょうか。その力の性質は魔人族が有するのに近いのも疑問です」

 

「エルフみたいに精霊に頼んでるようにも見えないし、何かこの国は変だよね」

 

「―――――今までお前達は殆どタダ同然で命懸けで戦ってくれた。せめてその理由ぐらいは教えよう」

 

 タナトスはパンの残りを一気に口に押し込んで嚥下する。食いながらするような話ではない。

 

「実は貴族でも代を重ねれば魔法の力は衰える。孫の代なら何とか実用的な力は残るが、それ以降は有って無きが如し。貴族同士で交配すればある程度は魔導の力を保てるが、いずれは先細りだ」

 

「でもこの国は何百年も前からあって、今も魔法至上主義が偉そうにしてるよ。エルフでもないのに幾らなんでも寿命が長すぎる」

 

「補充してるのさ、魔導の力を持った貴族、あるいは王族を新しくな」

 

 タナトスの侮蔑を含んだ言葉にヤトとカイルは理解が追い付かない。彼の言い方は子を作るという意味ではあるまい。二人にはあのような力を自由に増やせるカラクリが思いつかなかった。

 

「それは≪誓いの間の儀式≫って奴だろ?」

 

 タナトスが答えを口にしようとした時、後ろから割り込む声が聞こえた。

 声の主はヘファイスティオンだった。彼は小さ目の酒樽を呷り、牙の間から酒臭い息を吐いた。

 

「後ろから割り込まんで欲しいんだがな……まあその通りだ。王城の一角に≪誓いの間≫という特別な部屋がある。そこで貴族が忠誠を捧げる代わりに王から魔導の力を与えられるのさ」

 

「俺は受けてないがな。だから魔導の力は並の貴族より下だ。まっ、そんなもの無くても俺は強いから構いやしない!ガハハハ!!!」

 

 ヘファイスティオンの豪快な意見は置いておき、原理はともかくヤトとカイルはなぜ魔法至上主義のような他国ではありえない身分制度が保たれているのか理解した。

 代を重ねれば消えてしまう魔導の力も、王に膝を着いて媚びれば手に入る。王に背けばその時は何とかなっても、いずれ家は力を失い衰える。忠誠は王の権威と権力を保証し、貴族は確かな力を得て領地と民を支配する。どちらにも利のある理想的な主従関係は長く制度を保つ秘訣だが、間接的に支配される魔導の力を持たない多くの民にとっては甚だ居心地の悪い制度だろう。

 

「それって一年に何回とかの人数制限があったりするのかな?」

 

「さあな、それは王かあるいは次期国王しか知らないんじゃないのか。今の王は昔は結構儀式もしてたと聞いたが、最近は歳のせいかあんまりやらんと聞くぞ」

 

「………詳しく知りたいのなら実物を見た方が早い。もしくはもっと深淵を覗く気はあるか?」

 

 タナトスは急に声のトーンを落として側にいる面子に告げる。覆面で隠れていない瞳には爛々と燃える情念の炎が宿っていた。彼が何に心を燃やしているのか誰も分からなかったが、その瞳に引き込まれるモノを感じ取ったヤト達は否と言わず、ただ頷いた。

 

 城ではシノン王子が宰相の兄と丁々発止の言い争いの後、どうにか己に非の無い事を認めさせて兄二人の死体を引き取らせた。

 宰相のプロテシラは各地の騒乱に対処しつつすぐに葬儀の準備を始めねばならず、連日徹夜で働かねばならなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話 地獄への扉

 

 

 年の瀬、雪がちらつく中で、王都タルタロスにおいて第二王子にして財務卿ディオメス、第三王子のイドネス将軍、両名の葬儀が執り行われた。

 喪主は父親のジュピテル国王だったが、実際の差配は長子のプロテシラが行い、その補佐としてシノン王子が就いていた。直接ではなくとも戦場で殺した当人が葬儀を進めるのは甚だ出来の悪い劇のようだったが、誰もそれを公然と批判する事は無かった。勿論陰では色々と言われていても、都の側に居座る三千の飢えた兵を見れば嫌でも気を遣う。

 一応シノンもこのままずっと居座る気は無く、とりあえず葬儀を終えて年内には領地に引き上げるつもりだった。成果は既に十二分に上げている。成果とはもちろん棺に押し込んだ兄二人。ライバルを二人消したのだから、これで今後はぐっとやりやすくなった。それに葬儀では次期国王の長兄の補佐役として多くの王都貴族や民に認知された。この事実は他の競争相手に一歩先んじる。

 あるいは最も大きな成果は兄の孫娘と我が息子が婚約を結んだ事だろう。残念ながら兄の娘たちは全員二十歳を超えて嫁いでいるので無理だった。だから八歳の孫娘を婚約相手として乞うた。息子は十二歳、年も釣り合うので思ったより悪くない婚姻だ。

 それに兄の一人のオーディスは縁のある貴族同士の争いの仲裁に奔走して葬儀には間に合わなかった。兄の葬儀にも出ないような薄情者と宮廷雀達はここぞとばかりにこき下ろしている。これで後継者レースから大きく水を開けられた形になる。有力な兄弟はほぼ居なくなったので、油断こそ出来ないが今後のレースが楽しみだった。

 内心ライバルの兄達が減って嬉しくて仕方のないシノンだったが、そんな感情は微塵も顔に出さずに粛々と葬儀の進行を取り仕切っていた。淡々と儀式を進める彼の関心はもはや葬儀や兄より父である国王に向いていた。

 ジュピテル王は今年六十五歳を超えた老齢だ。もはやいつ死んでもおかしくはないものの、既に政は息子や家臣に任せているので崩御した所で政治的混乱はさして無い。本人もそれを分かっているから酒と若い女を相手にする毎日を楽しんでいた。いや、女に関しては元からだろう。何せシノンを含めた兄弟の殆どは母親が違う。妾は数十人はいて、手つきとなった女性はその数倍は居ると言われている。

 王は子をなすのも政務の一つだろうが、今生の王はタルタスの歴史でも五指に数えられる女のだらしのなさだ。当然王の寵愛を巡って女同士の争いは激しい物だったし、貴族でもない平民の使用人にも構わず手を出し続けていたのだから、悲劇は一つや二つどころの話ではない。それだけの事をしていても寿命で死ねるのだからある意味、神が味方しているとさえ国民は囁く。

 ともあれ最近はやはり歳のせいか段々と食欲も失せていると聞く。病気とも囁かれているので、あの王も持って五年の命ともっぱらの噂だ。ただ、そうなった所で長男が王位を継げばそれで十年、二十年は平穏な時が流れる。

 何の事は無い、どれだけ魔導の力を持った王とて、人にとって必ず訪れる死という運命からは誰も逃れられない。息子達と同じように残った者に送られる。それだけのことだった。

 

 

 ―――――夜半。

 無事に葬儀を終えた王城の使用人や兵士の精神は緩んでいた。突然の訃報と冬場の悪路で予定の弔問者の半分しか来れなかったとはいえ、各地から貴族が供を連れて大挙して押し寄せたのだ。食事やら身の回りの世話で行き着く暇も無く、夜中になってようやく一息吐けた。

 使用人の一人が厨房から夕餉で余った酒樽をこっそり持って行く。これぐらい辛い仕事のお零れだから文句を言われる筋合いはない。廊下を警護する兵士に見られても一口味見させてやれば黙るはずだ。

 ちょうど廊下の曲がり角に眠そうに立っている若い兵士がいる。あいつも眠いのに頑張って見張りをしているんだから一口ぐらい飲ませてやろう。声をかけようと口を開けた瞬間、兵士から力が失われて壁に寄りかかって眠ってしまった。

 よほど眠かったのかと呆れながら兵士を起こそうと近づいた使用人もまた強烈な眠気に襲われて、床に身体を投げ出して眠ってしまった。廊下に樽がゴロゴロと転がる。

 

「いやはや、エルフの眠りは効き目が良いな」

 

「でも効いてる時間は短いから過信はしないでよ」

 

 軽口を叩くタナトスに花を携えたカイルが苦言を呈す。兵士や使用人を眠らせたのはカイルに頼まれた花の精の眠り粉だ。ヤト達とタナトス、それにおまけで付いて来たヘファイスティオンの六人が固まっていても騒がれないのは全てカイルのおかげだった。

 六人は兵士や使用人達を片っ端から眠らせて薄暗い廊下を歩く。目指すは王の寝室。タナトスの話では魔導の秘密を暴くには王の身柄の確保が大前提らしい。

 さすがに城で王の身柄を確保するなど無謀極まりないとカイルは渋ったが、タナトスから今日で用心棒契約は打ち切ると言われて、今までの報酬と込みで革袋一杯の宝石を渡されたら否とは言いにくい。どうせ事が終わればクシナの背に乗って逃げて二度と来ないと思って不承不承ながら引き受けた。

 花の精の助力を得たカイルによって無人の道を歩くかのごとく、六人は城の上部最奥へと辿り着く。

 大仰な扉の先には一国の王が居る。鍵は夜番をしていたセンチュリオンの懐から失敬した。

 鍵を使い扉を開けるとまず漂って来た臭気にクシナとカイルが顔をしかめる。生臭さと汗臭さの混じり合った情交の臭い。誰が誰と何をしていたのか言わずとも分かる。

 部屋の主は寝台で高いびきをかいて若い女と共に暢気に眠っていた。息子たちの葬儀の夜だろうと構わず若い女と寝れる図太さと好色には誰もが呆れる。

 起きると面倒なのでカイルが花の精に頼んでさらに深い眠りに誘うつもりだったが、それをタナトスが制して無造作に寝台に近づく。彼は先に起きそうになった女の顔をフォトンエッジで殴り昏倒させて、その音で起きた王にも一撃食らわして悶絶させる。

 痛みで転げ回る王に猿轡を噛ませてから両手両足を縛って動けなくした。裸で縛られた老人に王の威厳は欠片も無かった。

 

「誰か王冠を持ってきてくれ。後で必要になる」

 

 言われてロスタが机の上に置いてある宝石を随所に散りばめた金細工の王冠を被って持って来た。

 

「どやぁ」

 

 王冠を被ったメイドが偉そうにしていても全く似合わないが、その仕草がツボに入ったヘファイスティオンとクシナがゲラゲラと笑う。

 ついでとばかりにロスタに王を担いでもらって、寝室から引き揚げる。

 

「次は下に降りるぞ。地下の開かずの扉が魔への入り口だ」

 

「あれがか?何でお前が知ってるんだ?」

 

「俺の育ての師から話に聞いただけだ。師は元はこの城に居た」

 

 この中では一番城に詳しいヘファイスティオンの疑問にタナトスは淡々と答えて部屋を出ようとした。だが、ここでケチが付いた。

 城中で眠った者達を不審に感じた一部の者が王の様子を見に来ていた。そこでばったりと縛った王を担いだ六人と鉢合わせになり、兵士の一人が笛を鳴らして異常を城中に知らせた。

 ワラワラと集まって来る兵士や騎士であっという間に出入り口が塞がれてしまった。

 

「面倒ですが全部斬りますか」

 

「待て待て。理由は後で説明するから出来るだけ殺さずにやり過ごしてくれ」

 

 実力差からさして難しくない注文でも、この数をいちいち加減して斬るのはうんざりする。言う事を無視しても良いが今はタナトスの顔を立てて、ヤトは翠刀を抜き放って床に突き刺した。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫」

 

 強烈な気の奔流が石畳の床を粉々に砕いて大穴を開けた。その穴に六人は次々入って階下に降りる。次はヘファイスティオンが、その次はクシナが床を砕いて穴から降りる。そうして一度も戦わずに一階まで降りた一行。追手が降りて来る前に足早に地下を目指す。

 途中運悪く接敵したセンチュリオンもあえなくヤトやヘファイスティオンが討ち取り、六人とジュピテル王は地下の開かずの扉の前にまで来た。

 重厚な一枚の扉が鎮座している。脇には等身大の凹凸が無い人型の金属像が置かれていた。この地下だけは上層の造りとかなり異なる。おそらく建築した時代が異なるのだろう。古い城ならよくあるといえばある。

 

「それで、ここからどうするのさ」

 

「大丈夫だ。ちゃんと鍵は用意してある」

 

 タナトスはロスタから王を引き取って彼女に王冠を像の頭に乗せる様に頼む。

 ロスタが言われたまま被っていた王冠を像に乗せた時、階段から大挙して騎士達が押し寄せた。七のフォトンエッジが襲い掛かり、それをヤトとヘファイスティオンの二人が全て捌き切って、センチュリオンが目を剥く。自分達の攻撃を捌き切った事に、ではない。明らかに殺さないように加減された事にだ。

 センチュリオン達に怒りによる苛立ちはあったが、再度襲いかかる事はせず冷静にジリジリと間合いを伺うに留まった。地の利はこちらにある以上は逃がさないように退路を断って物量と持久戦に持ち込めば必ず相手が焦れて根負けすると確信していた。

 そこに騎士達の後ろから怒鳴り散らすように宰相プロテシラとシノンの兄弟が寝間着に外套を羽織って乱入した。兄の方は騎士を押しのけて一番前に来たが、弟は決して騎士の前に出る愚を犯さない。

 

「貴様ら父を人質に取って何とする!」

 

「タナトスっ!!貴様あれだけ目をかけてやった私に泥を投げてつけて何のつもりだ!?」

 

「初めから忠誠心なんてあるはずがないだろう。俺はこの扉の向こうに用があったからアンタを利用しただけだ」

 

 王子二人が激しく罵ったが、タナトスは唇を吊り上げてあからさまに嘲る。不遜な態度に逆上したシノン王子だったが、流石に周囲の騎士から前に出るのは止められる。

 タナトスは王子達に背を向けて、縛って自由を奪った王を像に近づけて顔の部分に触れさせた。王と金属像の接吻にヤト達の口から嗚咽が聞こえた後、金属が擦れる音を立てながら開かずの扉が横にスライドして、奥には下へと続く階段が見えた。

 

「さあ行こうか。王子のお二人さんもこの国の真実を見たいなら来るといい。地獄が見えるぞ」

 

 六人は開いた扉の奥の下り階段を降りて姿を消す。タナトスは引き続き王を人質にして、王冠も回収した。

 残った騎士達はこの場の最高位のプロテシラに判断を仰いだ。当然逃がす選択は無く、二人の王子は騎士を伴って誰も踏み入れた事の無い領域へと身を投じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話 魔窟

 

 

 階段を下りる六人と縛られたジュピテル王。先頭にはランタンを持つロスタとタナトス、最後尾ではヤトとヘファイスティオンが警戒している。さらに後ろには無数の魔導騎士が続く。

 カイルは自分達が踏み付ける階段の感触や全く凹凸の無い壁の肌触りに寒気を感じていた。この地下へと続く空間の材質はただの石でしかないが、階段は全ての段が均一に加工されて真っ平、壁や天井に一切の繋ぎ目が無い。昨年フロディス王国で見つけた、一つの山を穿って築いた古代ドワーフの地下都市に匹敵する技巧が詰まっていた。

 階段はかなり長い。もう三百段は降りているがまだ先に続いている。戦力的には何ら心配はしていないものの、先の見えない深淵へと続く道と後ろから追いかける存在は精神に悪い。

 タナトスの言う通り本当に地獄の底に続くかのように思えた階段も、およそ五百段を数える辺りでようやく平な地面を踏めた。

 問題はその地面もまた異質だったことで、六人は少なからず驚いた。

 

「なにこれ氷…いや、ガラスでもない。水晶なのかな」

 

 カイルの呟きは他の面々の感想を代弁していた。

 階段を下りた先の空間は天井が見えないほど広大な洞窟で、眼前に広がるランタンに照らされた地面は一面ガラスのように透き通っていた。それも驚きだったが、さらに驚くべき光景がヤト達の目に留まる。

 

「人ですか………いや、あれは竜?」

 

 ヤトの目には水晶の中に閉じ込められた人らしき物体が何十と、さらにその下には巨大な角と赤黒い鱗を持った竜が二頭いた。その全てが苦悶と怒りに満ちた顔のまま、永遠に時が止まったように閉じ込められる様相は、さながら伝承に伝わる氷地獄そのものだった。

 

「タナトスさん、これは一体?」

 

「俺も師から口伝で知っただけだが、これは―――――」

 

「魔人族………この下にいるのは魔人族です。何故か分かりませんが、私には分かります」

 

 タナトスの言葉を遮るようにロスタが痛みを伴うように呟いた。以前ミニマム族のフロイドと会った時にも彼女は魔人族の話に反応して戸惑いを見せていたが今はそれ以上だ。ゴーレム特有の無機質な普段の顔立ちとかけ離れた困惑の顔が酷く痛々しい。やはり彼女と魔人族には何かしらの因果関係があると見て間違い無い。

 

「ああ、その通りだ。こいつらは全部お伽噺に出てくる魔人族と言われている。元々―――――――」

 

 ロスタに話を中断されてもタナトスは不快に思わず先に話を進めようとしたが、上からドタドタ降りて来る王子と騎士達には舌打ちをして再度話を中断した。

 後から降りて来た一団も眼下に広がる異様な光景に思わず言葉を失った。しかし騎士達はすぐにフォトンエッジを構えて、いつでもヤト達を斬れるように身構える。それを止めたのはシノン王子だ。

 

「タナトス、ここはなんだ?お前は色々と詳しいようだが、なぜ王族の私達でさえ知らない事を知っている」

 

「ここまで入り込めたのはアンタのおかげだ。知ってる事ぐらいなら話してやるよ」

 

 シノンの問いにタナトスは本心はどうか分からないが気安く答えた。当然だが王の身柄は手放さない。そして吟遊詩人の如く太古の出来事を語り始めた。

 

「かつてタルタスが出来る遥か昔、この地で人間やエルフの連合軍と魔人族との神話の戦いがあった。ここは主戦場とは離れた小さな戦場だったが、それでも戦の余波で山が台地になるほどの凄惨な戦だった。足元の水晶の下に眠るこいつらはその時の戦いに参加した魔人族だ。こいつらは生きたまま三千年もの間封じられているんだよ」

 

「さ、三千年だと!?」

 

「そうだ。そして水晶の中に封じた上に、当時の人々はもう一つの封印を施した。あの奥にある台座の魔導書がその重石だ」

 

 タナトスの視線を全員が追った先に確かに台座には一冊の書物が置かれている。

 

「当然、何かの拍子で封印が解かれてしまわないように厳重に出入り口を閉じて監視せねばならない。それがタルタス王家の始まりだったが、子孫も忘れてしまったんじゃあご先祖も浮かばれないね」

 

 自由を奪った王や王子二人を見渡して首を振った。普通なら不敬罪に問われて首を刎ねられるような行為だったが、誰もタナトスを黙らせる事すら出来なかった。何よりなぜこの身元不詳の男がそんな重要な情報を知っているのか、聞き届けねばならないと思ってしまう。

 

「なんで俺が知ってるかって顔だな。本来、この話は代々新しい王が就く時に賢者から教えられるはずだったんだ。けどその賢者は放蕩三昧の王子に嫌われて、王位を継ぐ直前に主だった資料を抱えて田舎に隠居しちまったのさ。それで話が途絶えてしまったんだ」

 

「あっ……まさかオデュッセウス?」

 

 プロテシラが直感的にある人物の名を零した。タナトスはその名に頷いて肯定する。王は自分を粗雑に扱う不遜な覆面男を過去から蘇った亡霊のように恐れた。

 

「王家に代々仕えた賢者の家の最後の一人オデュッセウスは俺の育ての親だ」

 

「ふん、オデュッセウスだろうが誰だろうが、つまるところ城を追われた怨みを晴らそうと企てたという事か?」

 

「その程度のチンケな怨みで国を傾けるかよ。師の怨みは他にもあるが、怨みそのものは俺の方がずっとつよいんだぜシノン。見せてやるよ、俺の……いや、この畜生が何をしたのかをな」

 

 タナトスは捕まえたジュピテル王の猿轡を外して地面に仰向けに放り出してから、逃がさないように腹に足を乗せた上でフォトンエッジの炎刃を眼前に突き付けた。そして王や王子達からよく見えるように覆面を外した。

 露になったのはそれなりに端整な面構えの二十代の若者。巷で噂されている醜面や火傷などとは無縁の面だった。

 ヤト達にはその程度の印象だったが他の、特に王や王子達は目を見開いて驚きを隠せなかった。王を人質に取った謎の覆面男の素顔は自分達王族によく似た風貌だった。

 シノンはどこか納得したようにつぶやく。

 

「お前は腹違いの兄弟だったのか」

 

「半分はその通り。俺の父は情けなく這いつくばってる、そこの畜生だ」

 

「兄弟と言うのは分かった。だが半分と言うのはどういう意味だ?」

 

「そのままの意味さプロテシラ兄。俺はこの畜生の息子であり孫でもある。………俺の母はミルラ王女だ」

 

 地下は静まり返った。その後、多くの者は唸り、ジュピテル王は突き付けられた炎刃よりも己の過去を暴き立てられる事に恐怖した。

 

「もう二十六~七年前の事だ。この畜生はまだ十三歳の実の娘を犯して俺を身籠らせた。何度も父に犯されて日々大きくなる胎を抱えた娘の苦悩は大きかった。そしてミルラ王女は一つの決断を下した。生まれた父との子を人知れず葬り、全てを悪夢として忘れる事を」

 

「ち、ちがう……余はそんな……し、しらない………」

 

「空々しいぞ犬畜生。どれだけ否定しようが余人に知られないわけがあるか」

 

 タナトスは力無く否定する王に怒りをぶつける様に、炎刃で彼の右手首を焼き切った。反射的に魔導騎士の一人が王を助けようとフォトンエッジを投擲したが、タナトスのフォトンエッジの柄の反対からもう一つの短い刃が生まれて切り払われた。

 

「冠を被っただけの狗を護るために腕を磨くのは虚しくないのかねえ。おっと、話を続けようか。元より王女が一人で子供を産むなんてできる筈が無い。ミルラは密かに王都から離れた領地に移され、ごく少数の使用人がお産に立ち会い俺を産み落とした。そして赤子はへその緒が付いたまま、その日の内に森の奥深くに掘った穴に埋められた。最後に出産に立ち会った使用人と護衛の兵士を皆殺しにして、全てが無かった事になった」

 

「という事にはならなかった。誰かがお前を助けた」

 

「その通りだシノン兄者、いや叔父か?俺を助けたのはオデュッセウス師の娘でミルラの使用人だったアタランテ。彼女が俺を埋めた穴にこっそり空気を取り入れる管を差し込んでおいてくれたんだ。そして何か月も前に真相を記した手紙を父親に出して、機を見て赤子を回収させた」

 

 背徳の子タナトスは一度言葉を止めて天を仰いだ。そこに何を見たのかは本人にしか分からないが、己を生かした親子の幻影を見ていたのかもしれない。

 思うにタナトスを助けたアタランテは己の終焉を予見していたのだろう。口封じに殺される未来は避けようがない。だから父親に真実を伝えた後、救った赤子に自らの復讐を遂げてもらおうとした。

 ある意味、タナトスは今までずっとオデュッセウス親子の傀儡として他人に言われるまま復讐に生きていた。それ以前は望まれぬ子として生を受け、ただ死だけを望まれた。彼は誰よりも不運で孤独だった。

 

「………話が逸れちまったな。あーなんだったか、王家の始まりの話だったな。封印された魔人の管理人から始まったタルタス王家も代を重ねるごとに、それで満足しない奴が出てきた。そいつらは監視対象の魔人に利用価値を求めて、ある方法を編み出して己が権力の源泉とした。ここまで言えば分かるだろう?」

 

「それが≪誓いの間≫で貰う魔導の力、俺達魔導騎士の力の源ってわけかよ。やれやれ変な気分だぜ」

 

 ヘファイスティオンが軽口を叩いて肩をすくめる。他の騎士達は事の真相を知って狼狽える者の方が多かった。健全な反応はおそらく後者だろう。誰だってよく分からない生き物の一部を自分の体の中に入れるのは拒否感がある。ましてそれが親から引き継がれ、子にも引き継ぐとなれば穏やかにはしていられない。

 本来魔法とは神から不特定の者が授かる奇跡のような力。それを疑似的にでも誰もが扱える技術を生み出した事は確かに偉業だろう。独占して己の権力保持に利用したのも褒められた事ではないが、為政者としては正しい面もある。

 ただし魔法至上主義による身分制度まで作り出して多くの民や亜人を虐げるのは不要だ。だからこそ≪タルタス自由同盟≫なる反政府集団の跳梁を許した。

 この国は封印したモノを都合のいいように利用した時から誤った方向に進んでいたのかもしれない。

 

「さて、俺が知ってる事は大体喋り終えた。後一つ、いや二つやる事やっておしまいだ」

 

 タナトスはそう言って王冠を自らの頭に乗せ、暴れる父にして祖父のジュピテル王を無理矢理に引っ張り、奥の書の置かれた台座を目指す。兄だった二人の王子と騎士達は彼を止められなかった。生まれを望まれず、ただ死を望まれた男に憐れみと同情を感じていた。タナトスという死の神の名を自ら名乗ったのも、己の境遇を一番疎んじていたのは他ならぬ彼だったのだ。

 ゆっくりとした足取りの後、息子が父を台座に叩きつける様に投げ捨てた。したたかに頭を打った王は己が犯した罪の象徴に媚びるような瞳を向けた。しかし彼に慈悲は与えられなかった。

 

「あの世で一足先に逝った娘に詫びを入れろクズ親父が」

 

「ま、まって――――――」

 

 願いは聞き届けられず、人面獣心の王はあっけなく首を飛ばされて、放蕩と悪徳の限りを尽くした生を閉じた。己の撒いた因果といえばその通りだろう。

 しばし静寂が辺りを支配した。それを破ったのはタナトス自身の大きな息づかいだ。その後、シノンが一つの疑問の答えを求めた。

 

「………ミルラ姉上はお前が既に?」

 

「ああそうだよ。他の奴に取られる前にな」

 

「そうか……その、何と言葉をかければ良いのか分からんが、お前に生まれの責任は無いぞ」

 

「………ありがとよ兄者。けどこれからアンタ達は俺を許さないだろうがな」

 

 タナトスは一筋の涙を流しつつ、台座に置かれた書を無造作に掴み取った。この一手の意味が何なのか正確に分かる者はここには一人も居なかったが、誰もが良くない事への兆しだと直感的に気付いた。

 

「おいそれを戻すんだ!」

 

「そいつは聞けないお願いだプロテシラ兄者。俺は復讐者としてではなく≪タルタス自由同盟≫の首領として、この国の魔法至上主義と差別を否定する」

 

 はっきりとした拒絶の返答と共に首無し死体になった王の死体を理力で投げ飛ばして騎士達の動きを止めた。その僅かな時間により事態は不可逆的に悪い方向へと進む。

 始めは微かな地面の揺れ、次にメキメキと何かが壊れ始める音、さらに床を見れば瞬きをしてこちらを見上げる竜と目が合った。

 

「これで新しい魔導騎士は生まれない。今いる貴族や王族もいずれは魔導を失い、百年もすれば魔導騎士はただの伝説になる。間違いは誰かが正さなければならないんだ」

 

「あら、じゃあその本は私が貰っても構わないわね?」

 

 声と共に突如としてタナトスの隣の空間が陽炎のように歪み、そこから生えた細腕が魔導書を掴んで消える。

 再びその細腕が姿を現した。今度は腕だけでなく、青い瞳を持つ妙齢の女性の身体を伴ってだ。誰も彼女の容姿に見覚えが無い。ただヤト達を除いて。

 

「やれやれ、また会いましたかミトラさん。アジーダさんならともかく、貴女はお呼びじゃないんですけど」

 

「つれないセリフね。女よりも男の方が良いなんて隣の奥さんが泣くわよ」

 

「儂がそんな事で泣くか!………儂よりあの色黒のほうが良いのか?」

 

「そんなわけないです。僕にとってクシナさん以上はこの世に存在しませんよ」

 

「ほれほれ!ヤトは儂が一番なんだ!!汝はお呼びじゃないぞ、どっか行け!!」

 

「はいはい、ごちそうさま。なら私は馬に蹴られないうちに退散させてもらうわ」

 

 現れた時と同様にミトラは歪んだ空間に消えるように姿を消した。

 クシナは自慢気にヤトに抱き着く傍らで、地面の下から轟く咆哮を止める手段が無くなったのを誰もが理解する。

 センチュリオンはひとまず王子達を上に逃がす。その間にも地面の水晶には大きな亀裂が入り、足場をどんどん崩していく。

 これではまともに戦えないと判断した騎士やヤト達も階段を上がり退避を選んだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話 王都炎上

 

 

 崩壊する水晶床から脱出した一団。数名の兵士が地下への扉を閉ざして、プロテシラとシノンはようやく一息吐いた。

 とはいえあの閉じ込められていた魔人や竜が本気で暴れれば、この小さな扉一つで抑え切れるなどとは誰も思っていない。すぐにでもどう対処すべきか方針を決めねばならない。

 

「センチュリオンを全員集めて迎撃だ。城の者は全員街の外に逃がせ。民も何とかして逃がせるようにしろ」

 

「ですが兄上、今は真夜中で冬。着の身着のままでは凍死します」

 

「構わん!下のドラゴンが這い上がってくるのはここではなく城の外だ。街が戦場になるのは避けられん!!」

 

 プロテシラの言葉にシノンは絶句した。真冬の夜中に王都を舞台に市街地戦など、考える限り最も不利な条件での戦いだ。しかも敵はどこから出てくるか全く分からず、前もって兵を配置しての迎撃も困難を極める。

 

「センチュリオンなら理力で先読みも出来るだろう。お前達、何とかしてもらうぞ」

 

「はっ!全滅覚悟で挑みます!」

 

 センチュリオンの一人が不退転の覚悟を以って新たな王プロテシラに敬礼した後、手近な者達と組んで隊を編成した。

 一先ず現場への差配はこれでいい。彼等は戦の専門家だ。自分のような政治畑の王子があれこれ口出しするより好きにさせた方が余程上手く働く。

 一つ仕事を片付けたプロテシラは、もう一つ問題に目を向ける。彼の視線の先には王冠を被ったままのタナトスが居た。

 タナトスの素顔には何の感情も宿っていない。泰然と、あるいは心あらずといった様相のまま、ぼんやりと周囲を眺めている。王を拉致して王子達や騎士を散々に振り回していた時のふてぶてしい態度を微塵も感じさせない。まるで抜け殻のような空虚さだった。

 ある意味ではこの変貌も仕方のない事だった。何しろ生まれてすぐに実母に埋められたと思えば、親への復讐のためにだけ生き続け、今日親殺しを完遂した。その上自ら生み出した反政府組織の理念『不当な差別の根絶』を成就した。生涯の目的を果たしたのだから、これから何をしていいのか分からなくなってしまった。それを理解してしまったが故の空虚さだった。

 プロテシラは顔には出さずとも、この不遇の弟をどうすべきか悩んだ。今この窮地は紛れもなくこの男がしでかした事だ。今この場で処断したいが仮に首を刎ねた所で事態が好転する事は無い。

 ならどうすべきか?王なら一時の感情に囚われずに最大限の利を求めるべきではないのか。決してこの哀れな生まれの弟を殺したくないなどと、個人的感情は一切持ち合わせていない。

 

「タナトス……お前もフォトンエッジを使えるなら戦え。断るか逃げるというならこの場で潔く死ね」

 

「俺は………」

 

「お前が壊したかったのはこの国の上に立つ者と狂った先王だろう。街に住む多くの民草を死に追いやるのもお前の望みか?今まで多くの者を扇動してきて、いざとなったら切り捨てれば、お前が殺した父とさして変わらぬぞ」

 

「…そう……だな。後始末ぐらいはしてから死ぬべきだ」

 

 兄の叱咤を受けて気の抜けたタナトスの顔に覇気が幾らか戻り、双刃のフォトンエッジを強く握りしめた。

 

「俺は街の外に待機している兵達に街の住民の保護を指揮しよう。シノン兄者も手伝ってくれ」

 

「あ、ああ。プロテシラ兄上、兵を幾らか借りて今から民を誘導する。街の門も全て開けておくぞ」

 

 王子三人は今までの事を一時棚上げして国難に立ち向かう姿勢を示した。ただ、タナトスはその前にヤト達にどうするか聞いておかなければならなかった。

 今のヤト達は王殺しの一味だったが、全ては雇い主のタナトスの責任であり、彼自身の罪科を棚上げした状態では断罪も道理が通らない。それに今この場で彼等をどうにか出来る手合いは一人も居ない。

 そして復讐と組織の悲願を遂げた今、もはやタナトスがヤト達を雇う理由は無くなった。雇い主として何かを命じることは出来ない。

 だからタナトスは一人の男として頭を下げる。

 

「ヤト、クシナ、カイル、ロスタ、ヘファイスティオン。どうかこの国の民を助けてくれないか」

 

「いやです」

 

「えっ?アニキ、そこは仕方ないけど請け負うとこじゃ……」

 

 ヤトの明確な拒絶の言葉に一番驚いたのが仲間のカイルだった。兄貴分の質ならなんだかんだ言っても仕事を請け負うと思って、報酬のソロバンを弾こうとした瞬間に思惑を外してきた。しかもこれは値上げ交渉のための前振りとか、そういう駆け引きですらない。

 

「僕は嫌ですよ。これから心躍る戦いの中で余計なモノに気を取られたくありません。僕がしたいのは戦いであって人助けなんかじゃない。受けたいのなら貴方自身がタナトスさんと契約して人助けしてください」

 

「あーつまりアニキは率先して魔人やドラゴンと戦うけど、救助とかはしないってことね」

 

 ヤトは頷く。その顔は既に鬼気を纏い、強者と戦いたくてウズウズしている。

 王子の頼みをすげなく断るのは問題あるが、変に人助けと戦いを併行するよりはどちらかに専念した方が効率が良いのは事実だ。

 カイルはヤトの主張を受け入れてタナトスに良い笑顔を向けて言い放つ。

 

「というわけで僕達は敵と戦うから報酬よろしく。勿論危険手当込みでね」

 

「ははは、お前達は変わらんな。良いだろう、好きに戦え」

 

 新たな契約を済ませた五人は地下から死地へと向かう。

 タナトスは何時いかなる時も真っすぐ己の思うままに突き進むヤトと、それを平然と受け入れるカイルに羨ましさを覚えた。

 そして三人の王子も騎士に急かされて地下を離れた。ここもすぐに戦場となる。護身程度に戦えてもお伽噺の魔人と戦うには不足もいいところだ。彼等の戦場はまた別にあった。

 

 

 街に住む民の中で最初に異変に気付いたのは真夜中が一番盛況の娼館だった。今は王子の弔いという事で派手な催しや酒場の営業は自粛していたが、遠方から訪れた貴族の護衛や兵士達の相手をする娼婦のいる娼館は目こぼしを受けて繁盛していた。

 幾つもの狭い部屋で男女が一夜限りの交わりを繰り返す中で一人が奇妙な違和感を感じた。

 最初は同じ階下の何人もの男共が腰を振る揺れかと思われた。しかし不思議と揺れは隣より床下より伝わってくる。たまにある地震とも思ったがそれとも異なる不気味な揺れは次第に強くなり、娼館の者達は情事を止めて下を見下ろす。

 やがてソレは地の底より大地を突き破り、数多くの家屋をなぎ倒して月下に堂々たる偉容を現した。

 多くの者はそのまま瓦礫に呑まれ、運よく生き残った者達は月明かりに照らされた地底からの異形者を呆然と見上げた。

 

「ド、ドラゴン?」

 

 その言葉が全裸の男がこの世に残した最後の言葉だった。彼は瓦礫に埋まったままの人々と共に、竜の息吹により痛みを感じる間もなく骨すら残さず焼き尽くされた。

 幾多の命を奪ったドラゴンの胸中には歓喜と共に憎悪が渦巻いていた。深く冷たい水晶の牢獄からの解放は喜びに満ちていたが、同時にそのような場所に己を長きにわたって閉じ込めていた敵への憎悪もまた大きかった。

 だから八つ当たりのように小さな虫けらが築いた巣を一息で潰しても湧き上がる怒りは全く衰えを見せない。目に映る全ての巣を焼き尽くしてようやく溜飲が下がるというものだ。

 それは後から上がって来た同族や仲間も同じ想いに違いない。彼等と共に積年の恥辱を雪いでやる。

 首を二頭の同族に向け牙を見せれば、どちらも同じく牙を見せて笑みを返す。全員これから何をすべきか分かっていた。

 ドラゴン達は同時に全身を震わせて王都の一角を焼き尽くした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話 戦友

 

 

 五人が城から出た時、既に王都の北は炎が燃え上がり、それ以外でもあちこちから悲鳴と剣戟が響く戦場さながらの事態になっていた。

 カイルは真っ先に手近な物見櫓に登って王都全体を見渡す。

 

「どうです!」

 

「北にドラゴンが三頭で街は火の海!!そこから西に広がるように沢山の悲鳴と戦闘!!東と南はあんまり騒がしくないけど火事が幾つか」

 

 カイルの情報でヤトは大体の戦況を把握した。ドラゴンが暴れ回っている北は火に呑まれてほぼ無人。西は多くの魔人族とセンチュリオンが交戦中。東と南は放っておいても良い。多くの魔人には興味があるが、今選ぶとしたらやはり大物のドラゴンだろう。

 

「僕はドラゴンと戦うつもりですが、ヘファイスティオンさんはどうします?」

 

「当然ドラゴンよ!お前一人で三頭も取るんじゃない!!」

 

「儂にも一頭ぐらい残さないか。久しぶりに同族と遊んでやる」

 

 人数分のドラゴンが居て取り合いにならずに助かった。後はカイルの担当になるが彼は一対一でドラゴンと戦う選択は間違ってもしないだろう。

 櫓から降りて来たカイルにドラゴンとの戦いを告げると、予想していたのか特に反対しなかった。しかし彼はきっぱりとドラゴンと直接は戦わないと言った。

 

「僕は水の精霊に頼んで火を消すよ。それと高所から近くの魔人に矢を撃つぐらいならするつもり」

 

「分かりました。自分に出来る事をしてください」

 

 方針を決めた五人は躊躇う事なく業火に呑まれる都の北へとその身を投じた。

 

 

 寝間着のまま逃げ惑う人々が街を埋め尽くしてしまい、まともにドラゴンに近づけないと思った五人は屋根の上を駆け抜ける。

 ヤトは屋根からよく見える三頭の色違いの竜を見て、嫁にある事を尋ねた。

 

「あの三頭のドラゴンの性別は分かりますか?」

 

「あー汝からは分からんか。えっと、手前の赤黒い二頭がメスで離れている青紫っぽい鱗のがオスだな」

 

 竜の事は竜に聞くのが一番だ。クシナを嫁にしたヤトでさえ竜の性別を外見から判断するのは無理だった。ただし、どこで見分けているのか問うてもクシナは臭いで分かるとしか答えなかった。竜には性差の外見の違いはあまり無いらしいが、一応歳は角の大きさで何となく分かるとのこと。それとあの三頭はクシナより大分年下だそうだ。

 

「なら僕は青紫と戦います。構いませんか?」

 

「おう俺は構わんぞ!奥方も良いか?」

 

「んー」

 

 二人とも異論は無く、話は纏まった。

 カイルは三人から離れて火災現場で一番高い建物の神殿の鐘楼に陣取った。ここからなら周辺を一望出来て狙撃にも適している。ロスタは主人の護衛役としてぴったりと侍る。

 三人もそれぞれの相手を見定めて別れた。普通なら業火の海に飛び込むのは自殺行為に等しいが三者は普通ではない。少し熱い程度にしか思わなかった。

 最も遠い場所で火を吐き続ける青紫のドラゴンを目指すヤトの後ろで破城槌を叩きつけるような爆音と戦鬼の咆哮が轟いた。既に戦は始まっている。

 聞き伝えする地獄のような場所を疾走するヤトの頬に冷たい物が当たった。上を見上げればみぞれ交じりの雪が降っていた。雪は次第に強さを増していく。これはおそらくカイルが精霊に頼んで降らせている雪だろう。炎の中に降り注ぐ雪とは中々に洒落ている。

 青紫の竜は仲間が交戦しているにも拘わらず、相変わらず己こそ支配者と言わんばかりに死と破壊を振りまいていた。クシナの言ではあれはまだ少年程度の若いエンシェントドラゴンだ。きっと久しぶりに外に出られた解放感と爽快感で気分が昂っているのだろう。

 当然ながらヤトの事などまるで意識しない。よしんば視界に入れた所で精々が自分から火の中に入ろうとしているハエか何かと思って気にも留めない。

 ならどうする?答えは決まっている。

 

「『風舌』≪おおかぜ≫」

 

 気功剣の一振りで捻じれた角を叩き斬り、返す刀で右翼を刎ね飛ばした。

 予期せぬ痛みに竜は転げ回って瓦礫をまき散らした。そして痛みの元を辿り、視界にヤトが映る。青紫の若竜は憤怒に塗れた黄金の瞳で敵を睨みつけて、剣のように鋭い無数の牙をガチガチと鳴らした。

 

「殺すっ!!!」

 

 短くも殺意に満ちた言葉の後に竜は身を震わせて巨大な炎を放った。魔法金属すら跡形もなく焼き尽くす煉獄の炎は、しかしヤトにかすりもせず足場の家周辺を焼くに留まる。彼はもっと前に地を駆って若竜の足元へと肉薄。翠刀の一撃で鋼に勝る鱗で覆われた左前脚を切り裂く。

 並みの竜ならここで勝敗は決まるが相手は若くとも古竜、頑強さはクシナに準ずる。如何に竜の力を得たヤトでも渾身の力を込めねば両断とはいかない。

 青紫の竜は痛みに狂いそうになっても敵の位置を見失わずに尾で打ち据える。当たれば原型を留めず挽肉になる一撃も刀で難なく防いだ。神代のエルフが鍛えた業物は古竜の一撃にもよく耐えてくれる。ヤトはこれで女も斬れればと嘆くが、今は頼もしい得物と思って柄を握り直す。

 そうしているうちに爪による若竜の追撃を受けるがそれも上手く力を逃がして逆に爪の一本を斬り飛ばした。

 

「この虫けらがあぁぁぁぁ!!!」

 

 怒り狂った青紫竜が爪、牙、尾、炎を出鱈目に繰り出し、破壊の限りを尽くしてヤトを殺そうとした。どの攻撃とて一撃でも喰らえば即死は免れない。

 しかしヤトは全てをするりと抜けおおせて、再度竜へと肉薄。憤怒に燃える瞳を捉えて翠刀で抉った。巨大な眼球を潰す感覚は気持ちの良いものではなかった。

 

「グギャアアアアアアアアア!!!!!」

 

 王都に竜の絶叫が響き渡る。耳を塞ぎたくなるような大音量に、離れた場所で同じく竜と戦うクシナ達、さらに離れた所で血みどろの乱戦を繰り広げるセンチュリオンと魔人達の動きを止めた。

 とどめにヤトは気功の奔流を眼窩に流し込もうとしたが、その前に竜は痛みに狂って暴れ回ったので剣が抜けてしまった。そのまま勢いで弾かれて瓦礫の山を転がる。

 最高のチャンスを逃してしまったが、立ち上がりながら狂い乱れる古竜を見て満足しておく。やはり竜でも目は鱗に比べて柔らかい。抉るには炎と牙を回避して眼前に身を晒さねばならないが、一応の弱点と言えるだろう。妻と戦う時には有効打になる。

 そこでヤトは少しばかり己が忌避感を抱いていることに気付いた。クシナを殺して己が最強になる目的は褪せていないが、あの夕陽のように美しい瞳を肉塊にしてしまうのはどうにも惜しいと感じてしまう。まあ目の前で荒れ狂う黄金瞳のオス竜はどうでもいいから、精々最愛の嫁を殺す時の練習相手として役に立ってもらうとしよう。

 今度は痛みで転げ回る古竜の腹に狙いを定めて疾走、刺突を繰り出す。

 だがそこで思わぬ邪魔が天から降り注いだ。月明かりの闇を切り裂くように何本もの光の矢がヤトのいた場所を貫く。咄嗟に避けなかったらどうなっていたか。

 光の源の空を見上げるとそこには人が浮かんでいた。否、翼をもつ者を人とは呼ばない。その者は一対の白い鷹の翼を持つ若い男女だった。どちらも端整な相貌であっても不気味な青白い肌とそれを包む白装束、色素の抜け落ちたような白髪。今も舞い散る雪が結晶になったような白い二人だった。

 こんな状況に割って入る以上は敵と割り切って警戒するが、二人組は予想を超えた。女が手をかざすとヤトの身体が浮き上がって地面に叩きつけられた。次は右、それから左、また上、そして下。瓦礫や地面に叩きつけられても大してダメージは無いが成すがままというのはそれなりに腹が立つ。

 

「薄汚い害虫は地を這うのがお似合いよ」

 

「我が友の痛み、万倍にして返しても飽き足らんぞ下等動物!」

 

 嘲笑と憎悪の違いはあっても男女がヤトに向ける感情は似たようなものだ。嫌悪と侮蔑、翼持つ白い男女は心からヤトを見下していた。

 女が不可視の力でヤトを抑えている間、男の方は暴れる竜に近づき、顔を撫でて落ち着かせた。

 

「おぉお!アロー、助かったぞ!イノーもすまん」

 

「気にするなラドーン。俺とお前の仲ではないか」

 

「お礼はアロー兄様の分だけで足りているわよ」

 

 親し気に言葉を交わす三者。はっきりした、あの兄妹は竜と共に水晶に封じられていた魔人族だ。

 敵なら何の遠慮もいらない。ヤトは全身に気功を巡らして自由を奪う念動力から脱し、剣で瓦礫を空高く巻き上げて女の注意を逸らす。その間に竜の隣にいる兄のアローに斬りかかった。

 上空のイノーはすぐさま念動力で再度拘束しようとしたが射線上の瓦礫が邪魔をしてヤトを捉えられない。その隙に距離を詰めるも今度はアローの指先から五本の光線が撃ち出され、回避した所にさらに反対の手から同じく五本の光の内、二本がヤトの身体を焼いた。

 痛みに顔を歪めてもヤトは足を止めない。逆に翠刀を突き出し、気功剣≪長風≫でアローの腹を貫く――――――はずだったが、いかなる理由か不可視の槍に気付いた古竜ラドーンは青紫の鱗が抉られても身を挺して友の盾となった。

 当てが外れても構わずアローに突っ込むが、上からの殺気の警鐘に髪がちりちりとする。咄嗟に横に飛んだが、一瞬遅く右手が捕まった。

 

「捕まえましたわ。悲鳴を上げなさい虫けら!」

 

 嗜虐的な音色と共に、ヤトの右腕があらぬ方向に捻じれて骨の砕ける音が響いた。痛みに歯を食いしばり、取り落とした剣をどうにか左手で回収してから力尽くで念動力から脱した。

 ヤトは珍しく舌打ちした。潰れた腕の痛みは我慢出来るが利き腕が使えない事は厄介だ。あの兄妹なら片手で斬れても竜はそうもいかない。その兄弟とて強力な遠距離攻撃手段を持っているので倒すには中々てこずる。

 ああ、だからこそ得難い。こういう窮地を覆してこそより一層強くなれると信じている。

 アローはヤトの鬼の笑みを見て苛立った。かつて王と共に戦場を駆け抜けた時に何度か見た事のある笑みだ。あの人間は腕を砕かれて数で負けてもなお自分が負けないと信じている。

 そいつらの卑劣な罠にかかり、永遠とも思えるような時を冷たい地下で過ごす羽目になったのを思い出し、羞恥に顔を歪ませて叫ぶ。

 

「不遜だぞ薄汚い人間無勢が!」

 

 両の手しめて十の光線がヤトに襲い掛かるが、あからさまな予備動作を見切って移動する。しかしその先にラドーンは灼熱の炎を吐いて待ち伏せた。それも躱し切ったが、上から冷静に俯瞰していたイノーの念動力に捕まり、またも自由を奪われてしまう。

 

「無様ですね。次は足かしら?それとも一思いに首?」

 

 イノーがわざといたぶるように徐々に首への締め付けを強めていく。気功によって強化した首はまだ無事だが、どんどん強くなる握力に少し焦りも感じている。

 何か状況を変える一手があれば……。努めて冷静に敵を把握して反撃の機を伺う。

 

「あらあら、存外に頑丈な事。でもいつまで持つかしらね――――――あうっ!!」

 

 まだ何もしていないのにイノーは上から押し付けられたように瓦礫の山に叩きつけられる。ヤトの拘束も解けて自由になった。周囲を見渡せば、いつの間にか顔が見えないぐらい深く外套を被った人が手をイノーに向けて佇んでいた。

 外套の人物は炎を気に留めずズカズカとヤトに近づき、彼の頬に拳を食らわせた。殺気は感じなかったが予想外の一撃は意外と効いた。

 

「お前なに遊んでんだっ!?」

 

 苛立ちと怒気を孕んだ言葉と共に外套がはだけて赤髪と幼さを残した貌が露になる。

 

「オットーですか。しばらくぶりですね」

 

「戦場で暢気に挨拶なんてすんなよ!……おい、一人俺に回せ」

 

「分かってるでしょうが強いですよ。それでいいなら女性の方を任せます」

 

「けっ!今まで遊んでたわけじゃないのを見せてやるよ!!」

 

 オットーは大言を吐いてフォトンエッジから炎刃を生む。なぜ今この場にいるか問わないが、肩を並べて戦うのに不足無い戦士が増えた事を喜ぶべきだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第38話 弔いの炎

 

 

 突如として戦場に舞い戻ったオットーの理力によって地に叩き伏せられたイノーは無言で立ち上がる。彼女は小さな鼻から赤い血を滴らせて、フォトンエッジを構えるオットーを睨みつけた。

 そして無言で手をかざしてヤトを拘束したように念動力でオットーを締め上げるつもりだったが彼もまた掌から理力を放ち対抗した。

 見えない力の応酬は静かな戦いだった。しかし徐々にオットーの顔が紅潮する。彼は両手で理力を放つと今度はイノーの顔が歪み目に力が入った。

 静かな戦いは周囲に影響を与え、両者の中間点の瓦礫はあらぬ方向に飛び散った。

 短くも白熱した力比べは互いの手が弾かれた事で終わる。

 

「ちっ、互角かよ!!」

 

「うそっ!うそっ!こんなゴミ虫が何で私と!?」

 

 理力と念動力、人と魔人、男と女。全く違う二人の戦いは舌打ちと驚愕と共に互角という結果をもたらした。

 これにはラドーンとアローも驚いた。そしてその隙を逃さなかったヤトは吶喊してアローに斬りかかり、咄嗟に放ったレーザーを紙一重で避けつつ彼の左腕を斬り落とした。

 さらに首を刈るつもりだったがその前にラドーンの炎に邪魔されて距離を取った。

 

「兄様ぁーー!!」

 

「なによそ見してんだオラァ!」

 

 オットーは蹲る兄に気を取られた妹に光剣を振り下ろす。

 勝ちを確信したオットーは何故か剣を彼女の白髪が黒く焦げる寸で止めてしまった。彼はいくら歯を食いしばって渾身の力を出していてもこれ以上動いてくれない腕に苛立つ。

 

「ぐぅ!い、妹に…触るな……」

 

 フォトンエッジを止めたのはアローの念動力だった。魔人族にとって念動力は生まれつき備わった力。強弱はあっても使えない者は皆無だ。

 命を救われたイノーは兄に駆け寄り彼を労わる。

 ヤトは兄妹に狙いを定めて風のように速く走る。無防備を晒した今なら二人纏めて殺せる。

 そこにラドーンの蛇のようにしなやかで長い首が割って入り、ヤトに鋭い牙と一つに減った黄金の瞳を向けた。

 

「我が友をやらせはせんぞーー!!!」

 

 咆哮の後、ラドーンは大口を開けて何人も耐えられない必滅の炎をヤトへと放った。

 炎の塊がヤトを焼き尽くすかと思われた。勝利を確信したラドーンは逆に信じられない物を見た。自慢の炎が勝手に裂けて左右に広がり、敵の通り道が出来た。

 剣一本で文字通り道を切り開いたヤトはそのままラドーンの大口にその身を投じた。

 自ら食われたヤトに敵味方問わず呆気に取られて動きを止めてしまう。

 しかしすぐ後にラドーンは痛みを訴えて巨体を転がした。

 

「どうしたラドーン!?」

 

「グュアア!こ、こいつ我の中で……ギャアアア!!!!」

 

 友の苦悶の叫びにアローはどうすることも出来ず、その間にもラドーンは大量の吐血をする。

 そして血を吐きながら仰向けに転がるラドーンの腹が膨張したかと思えば、爆音を轟かせて粉々に弾け飛んだ。

 肉片が飛び散る中、ごっそりと穴の開いた腹から全身血塗れのヤトが這い出る。鬼の笑いと血の汚れで、まるで地獄の悪鬼が現世に這い出てきたかのような光景だった。

 

「随分無茶したな」

 

「片手では古竜の鱗は抜けなかったので、外が駄目なら中ですよ」

 

 オットーの軽口にヤトは捻じれた右腕を見せて淡々と答えた。口で言うのは簡単だろうが実行するとなると誰が真似出来るものかとオットーは思った。まず竜の正面に立つ事が正気の沙汰ではない。そこから竜の炎を掻い潜るか耐えて、噛み殺されないように大口に自ら突っ込み、消化される恐怖に耐えながら中で剣を振るう。

 口で説明しても頭の悪い冗談だし、実行に移すのは気が狂った自殺願望者の所業だ。その上で成功させて生還しているのだから質が悪いどころか理不尽すら感じる。

 それでもこれで厄介な古竜は己の流した血に溺れるように死んだ。後は有翼の魔人兄弟だけだ。

 兄の方は友の竜の亡骸を前に力無く座り込み、妹は兄を気遣いつつヤト達を警戒する。戦場で放心して座り込むなど殺してくれと言っているようなものだが、ヤトはこういうケースを時々見かける。もっともそれで手心を加えるほど甘くはない。

 オットーがイノーの相手をしている間に、ヤトはアローの後ろに立った。

 

「兄様っ!立ってください!!」

 

 イノーの懸命な激励にも兄は耳を貸さない。ヤトはいささか拍子抜けしたが戦の倣いとして剣を構え、最期の情けを声にする。

 

「せめてもの情けに同じ剣で友の元に送ってあげます」

 

 その言葉にアローの翼がピクリと動いた。彼は残った右手で竜の頬を撫でた後、立ち上がってヤトへ向き直る。

 

「―――――殺す」

 

 アローの顔に怒りや憎しみは宿っていない。あるのはただ研ぎ澄まされたヤトへの殺意だけ。彼は手を使わず広げた翼より二十を超える光を放った。

 指以上の数と広い射角による乱射に加えて時間差を織り交ぜた光の檻に閉じ込められたヤトに逃げ場は殆ど残っていない。

 だがそれでも僅かな空間に身を投げ出して紙一重で避けていく。足に腰に腹に腋に腕に肩にこめかみに、身体のあらゆる場所を光が掠めて火傷を走らせても、怯まず少しずつアローへの距離を縮めていく。唯一壊れて動かない右腕だけは何本ものレーザーに焼かれているが痛いだけなので放っておく。

 一歩、また一歩と兄に近づく鬼を見たイノーは水晶の中に閉じ込められた時以上の恐れを抱いた。

 アレはなんだ?かつての戦で幾度となく人族と戦ったが、あれほどタガの外れた人間は見た事が無い。いや、一度だけ見た事があった。―――――駄目だ。あの時の恐怖を思い出してはいけない。思い出してしまえばきっと自分は子供のように泣いてしまう。

 何とかして兄に加勢したい。しかしもう一人の害虫が意外と手強い。自分達と似たような力を振りまく身の程知らずに抑え込まれるのは度し難い程に不快だ。こうなれば後は兄を信じるほかない。兄ならきっとあの化物に勝ってくれるはず。

 既に向き合う二人の距離は十歩まで狭まった。この時には放たれたレーザーは百を優に超えていた。ヤトの身体は無数に火傷が走り、直撃を受けた右腕は炭化してまともな部分の方が少ない。それでも剣を握り、確かな足取りで敵に向かい合う。

 もはやここに来て言葉は不要。殺すか殺されるかの生存競争。剣がアローを心臓を貫くのが先か、光がヤトの心臓を貫くのが先かの違いでしかない。

 十歩でヤトは回避に専念する。ここまで来れば後は刹那の刻をもってアローの首を斬り飛ばせる。必要なのはレーザーの合間だ。

 だから敢えて一瞬だけ足を止めた。アローが一斉射撃で勝負を決めるように誘導するために。

 読み通り彼は躱す隙間も逃げ場も無い光の檻を生み出しヤトを閉じ込めた。アローは勝利を確信した。この光の檻から逃れられる筈が無いと。

 ヤトはその場で翠刀を回転させるように投げてレーザーの囲みを崩した。しかもその剣はアローの首を刈るように飛んでいる。

 

「ふん!」

 

 アローは右手を突き出し、回転するギロチンの刃のような剣を念動力で空中に縫い付けてしまった。

 無手となったヤトを確実に殺すため、再び翼からありったけの光を撃ち出すために息を整えたアローは己の呼吸が漏れているのに気付いた。彼は喉から血を滴らせて本能的に右手を手に当てた。

 喉には小さなナイフが刺さっていた。それはヤトが翠刀の柄から抜いて投げた黒塗りの投擲ナイフだ。最初から翠刀は囮、本命はこのナイフを投げる事だった。

 意識が乱れた事で念動力の拘束を解かれた剣が重力に引かれて地に落ちる前に、ヤトは剣を掴み取って喉を抑えるアローの心臓を貫き、そのまま脊柱を切断して胴を半ばまで斬った。

 

「兄様ーーーーー!!!」

 

 悲痛な叫びをあげるイノー。それはオットーに致命的な隙を晒す事。当然のように後ろを向いた敵を見逃すはずもなく、女魔人は後ろからフォトンエッジにより唐竹割にされた。

 

「ったく、よそ見すんなって言ったはずだぞ!」

 

 勝つには勝ったがいまいちすっきりしない勝ち方に語気が荒くなる。せっかく修業したのにまだ半分も成果を出していない。

 ヤトはオットーに構わず兄妹の死体を竜の炎に投げ込んだ。残りカスのような火でも肉を焼くだけなら十分だ。それが終わると瓦礫から布を見つけて右腕に巻き付けて動かないように固定した。

 

「弔いはこれで十分でしょう。さて、貴方はこれからどうします?僕はまだ戦いますけど」

 

「まだ状況がよく分からねえが、こいつらのお仲間がまだまだいるんだろ?なら魔導騎士として働くよ」

 

 二人は未だ戦闘の音が響く西側地区へと歩き始めた。戦士の夜はまだ終わらない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第39話 夜明け

 

 長い夜が明けて太陽が王都を照らす。王都に住む民にとってこれほど太陽が待ち遠しかった日はかつて一度も無かっただろう。真冬の夜に身一つで投げ出された住民は狂い踊る怪物達の目を盗んで命からがら街の外に逃げた。多くは混乱の中で死んだが一部は外で待機していたシノン王子の軍に保護されてどうにか生き延びた。

 夜が終わり、民は顔を覗かせる太陽に感謝して、同時に変わり果てた都の姿に涙を流した。王都の北西部は瓦礫の山と化し、今もなお火災は止まらず、王都の象徴だった城は半分が崩れ落ちて黒煙を上げていた。一体どれだけの労力を費やせばかつての栄華を取り戻せるのか見当もつかない。

 それでも住民は兵士から一杯の粥を貰い、それを平らげてから再び街へと戻った。寝間着で座り込んだままでは厳しい冬は越せない。自らの街は自らの手で直すしか無いのだから。

 

 半壊して廃墟同然となった王城の前にヤトとオットーが姿を現した。二人とも生傷だらけの上に血塗れ、ヤトは布を巻いた右腕以外上半身裸でオットーも素肌が所々見えているがこちらは上からボロボロになった毛皮のマントを羽織って寒さに震えていた。

 二人は城の前で炊き出しのスープを貰っていたクシナと半裸で傷だらけのヘファイスティオンを見つけて無事を確かめた。

 

「おーヤト~。おっ?汝はオットーか」

 

「お互いボロボロだなヤト!そっちの小僧はフォトンエッジを持ってるから魔導騎士か。寒いだろうからこれでも飲め」

 

 ヘファイスティオンは自分が持っていたスープをオットーに押し付けた。オットーは相手があの『赤鬼』と気付いて器を取り落としそうになったが何とか持ち直す。

 ヤトも炊き出しをしている女性からスープを貰って啜る。熱々の汁は夜通し戦い続けて栄養を欲していた体によく染み渡った。

 四人は人ごみから離れた瓦礫に腰を下ろして昨夜の事を話し合う。

 

「竜はどうだった?俺はこの通りけっこう手こずったが何とか倒せたぞ」

 

「僕もですよ。ただ、魔人を同時に相手取ると危ういので、まだまだ至らない事ばかりです」

 

 勝つには勝ったがすっきりしない戦いだった事もあってヤトの表情は浮かない。あそこでオットーが来なかったら、あるいは死んでいたのは自分だったかもしれない。戦場でいつでも一対一で戦えると限らないのだ。強さとはどんな状況でも勝ってこその強さと思っていた。

 

「汝等もあんな子供は一捻りするぐらい強くならんといかんぞ」

 

 唯一クシナは男達にしたり顔を見せた。彼女はさっくり古竜を討って後は見かけた魔人族を適当に殴り殺していた。

 それと彼女の話ではヤト達が相手取った三頭の古竜は全て寝起きで本調子ではなかったらしい。つまり寝ぼけ半分の子供を倒したからと言って自慢にもならないというわけだ。強さの頂には遥か遠い。

 竜の話はそこで終わり、話は魔人族との戦いに移る。魔人族は数が多く人とあまり変わらない容姿が多かったので四人ともドラゴンとは違った意味で苦戦する事が多かった。

 何せ逃げ惑う人々に紛れて敵か味方か分からない。人助けなどするつもりは無いが、うっかり民を殺してしまうのは後味が悪いので、一々観察して確実に敵と分かってからでないと戦えない。おまけに住民の中には火事場泥棒を働いたり、率先して犯罪行為に手を染める輩も一定数居たため、余計な手間がかかって面倒だった。

 結局四人が討ち取った魔人は三十にも満たない。水晶の下に閉じ込められていた魔人族はざっと見ただけで六~七十は居た。残りがどうなったかはまだ分かっていない。

 ヘファイスティオンはヤトとクシナの実力は知っていたので驚かなかったが、オットーの事は知らなかったのでヤトの話を聞いて若い騎士が中々強いと知って興味を持つ。

 

「お前若いのに強いな。どうだ、俺と外に修行の旅に出んか?」

 

「あんたセンチュリオンの副団長だろ。仕事はどうするんだよ?」

 

「んなもんとっくに辞表出して辞めたわ!あんな退屈な仕事より俺はこの国の外で強い奴と戦いたい!!」

 

 悪びれない物言いにオットーは複雑な顔をする。魔導騎士の彼にとってセンチュリオンは子供のころからの目標だ。それをあんなものや退屈な仕事呼ばわりは腹が立つが、相手は間違いなく当代一のセンチュリオン。他人が偉そうな事を言うなら剣で撤回させてやるが当人に文句は言えない。それにオットーはヤトと戦い、国の外には数多くの強者が居る事を知った。強い相手と戦いたいというヘファイスティオンの気持ちも分かる。

 ただ、センチュリオンを目指さず国外に出る事には抵抗感はある。だから修行の誘いに迷いはしても即答しなかった。

 

「いきなりこんな事言われても踏ん切りが付かんか。俺はもう少しならこの国に居るから考える時間をやろう」

 

「あ、ああ。少し考えさせてくれ」

 

 迷っているオットーに少し気を遣ってヘファイスティオンは返答の催促はしなかった。

 そしてスープを飲み干して暇だったクシナは思い出したようにオットーに問う。

 

「修行と言えばあのウナギの女との修行はいいのか?」

 

「ウナギ…?あっ、ナイアスの事か。そっちは区切りがついたよ。元々理力を鍛えてもらっただけだから一月ぐらいで済んだ。で、その後、あんたらが王都に行ったと聞いたから追いかけて、都が燃えてたから急いで見に行って戦ったんだ」

 

 修行の成果は言うまでもない。おかげでヤトも随分と助けられた。

 四人がスープを飲み終えた頃、カイルとクシナがセンチュリオンの集団と共に合流した。センチュリオンの半数は怪我をしていて、何人かは仲間に担がれていた。カイルは汚れは目立つが傷は見当たらない。

 カイルはヤト達が無事だったのを喜んだが一緒に居たオットーの顔を見ると無意識に後ずさりした。オットーの姉の事で気まずいのだ。オットーの方も色々と複雑な気持ちを抱えているが武力で解決するつもりはなく、互いを見ないように振舞う。

 

「いや~魔人っておっかないね。精霊が助けてくれなかったら僕は死んでたかも」

 

「それと魔導騎士の方々との連携もです」

 

 カイルは緊張感が途切れたような軽薄な笑いを作り、後ろのロスタがいつもの無表情で補足した。二人は最初精霊による火災の消火活動に勤しんでいたが、暴れ続けるドラゴンのブレスの凶悪さに、早々に消火を諦めて魔人族との戦いに切り替えた。

 そこでセンチュリオンと即席で連携して多くの魔人と戦った。前衛を務める魔導騎士をサポートするように弓と精霊の力で魔人の行動を妨害して討伐の一助を担った。夜が明ける頃には三十近い魔人の死体を作り、騎士達と勝鬨を挙げた。

 ヤトは自分達が討った魔人とセンチュリオンが討った魔人の数を合わせて六十程度。閉じ込められていた数にはまだ少し足りない。別の場所で死体になっているのか、街の外に逃げおおせたのかは分からないが、今は戦う音も聞こえていないのでとりあえず心配はいらないだろう。仮に魔人が逃げた所で世に数名よく分からない輩が増えるだけ。少々世が乱れてもヤトにとっては些事でしかない。

 

「後の事はこの国の人々が何とかするでしょう。僕達は近いうちにタルタスを出ますので」

 

「こんな有様じゃ冬越えは無理そうだよね。貰うもの貰って出て行った方が良いか」

 

 カイルも近日中の出国に納得する。ここまでタルタスを引っ掻き回せばレオニス王の依頼も達成したようなものだ。むしろ引っ掻き回し過ぎて国が半壊したのを知ったら、あの王は何と思うやら。

 ともかく盛大な寄り道は今日でおしまい。明日から旅の用意をして、三日後にはカイルの故郷のある東に発つと決まった。

 ヤト達は手分けして食料や防寒着の調達に追われた。

 ヘファイスティオンも旅の用意を始める。彼はヤト達とは異なり、とりあえず温かい南に向かうそうだ。オットーは色々悩んだ結果、ヘファイスティオンと共に修行の旅に出る事を承諾した。後ろ髪引かれる想いだったが、強さへの渇望を止めるほどの望郷の念は持ち合わせていなかった。

 

 




次回で第四章は最後です。
それとウマ娘プリティダービーの二次創作として【パクパクですわ ~メジロマックイーンお嬢さまのグルメレポート~】を同サイトで掲載しています。興味があればお読みください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第40話 それぞれの道

 

 

 出立の日は朝から雪がチラチラと舞う曇り空だった。高地の天候は変わりやすいので昼には吹雪くかもしれない。

 魔人解放より三日経った王都タルタロスはどうにか落ち着きを取り戻して、住民は一刻も早い復興を目指してがむしゃらに働いていた。そうしなければ待っているのは凍死しかない。だから誰もが必死だった。

 半壊した城も今は幾らか形が戻っていた。瓦礫は魔導騎士の理力によって撤去、使えそうな建材を再利用して風雪を防ぐ程度には外壁も築き直してあった。外見は不格好だが寒さを防げるだけまだマシだ。

 その城の正門前には一つの首が槍に刺さったまま放置してあった。横の立て看板にはこのように書かれている。

 

『この者。城に封印してあった怪物を呼び覚ました上、王の首を刎ねた大罪人にて、拷問の末処刑した。名はタナトス。以後この名を口にするのを禁じる』

 

 首は両目を抉られ、鼻を削がれ、耳を斬り落とし、歯の大半が折られて唇も千切れていた。髭と骨格から若い男のように見えるが、それしか分からないほどに損壊していた。悲惨な最期を遂げて晒された男の首。だが通りすがる民衆は彼に一片の慈悲と憐れみを抱く事は無い。自らの生活を完膚なきまでに破壊した元凶に恨みと憎しみを抱き、老若男女を問わず、誰もが唾を吐いて首を辱めた。そうでもしなければ皆、憎悪を抑え切れなかった。

 首は冬の間は腐敗が進まない。やがて春が来て肉が腐り落ち、蛆が湧いて鴉に啄まれて、骨になるまでずっと民の憎しみを受ける事になる。その後、粉々に砕かれてゴミとして地に撒かれてようやく彼は解放されるのだ。

 

 さて今回の騒動の一部を担ったヤト達とヘファイスティオンはと言えば都の郊外にいた。全員が冬用の外套を纏い、食糧テントその他の大荷物を背負っている。それとクロチビと番の青ドラゴン、旅装束のオットー、そしてもう一人はフードを深く被って顔を隠している。

 

「やれやれ、王の暗殺犯を国外追放処分か。実質無罪放免じゃん」

 

 カイルが呆れたように呟いた。あくまで雇い主のタナトスから頼まれただけだったが、それでも王の暗殺に手を貸した事実は消えない。普通の国なら連座で拷問の末に処刑が当たり前なのに、何もせず国の外に出て行けと言うだけで済ますのだから大甘の裁可だ。一応建前は自らの罪を恥じて、進んで封印を解いた怪物を討伐した後、仮王プロテシラに慈悲を乞うたという筋書きらしい。

 実際問題、多少弱くても古竜を単騎で殺せる自分達を捕らえて殺せる人材が居ないのだから放置するしかないのは確かだ。後は面子を損なわないように色々と理屈をこねくり回して、とりあえず周囲が納得する理由さえあれば何とかなるのが政治というものだ。

 それでも失った物の大きさに比べれば温いという以外の言葉が見つからない。何せ今後は血縁による出生以外で魔導騎士は生まれない。王に忠誠を誓う代わりに魔導の力を与える御恩と奉公の関係は永遠に失われてしまった。このため王家の権威は大きく低下して、今やタルタス王家は他の貴族と大差の無い地位に成り下がった。普通そこまでやったら損得勘定度外視で何が何でも殺すぐらいの事はすると思うが、プロテシラは思いの他冷静に対処している。これなら意外と王家はしぶとく権勢を保てるかもしれない。

 それに―――カイルはフードを被った人物に目を向けた。

 

「まさか最大の下手人を殺さずに生かすなんてね」

 

「まあ…な。兄者達が甘いのもあるが、すぐに殺すより死ぬまでこき使う方が利になると思ったんだろうよ」

 

 男はフードの奥で薄く笑いを見せた。彼は処刑されたはずのタナトスだった。

 なぜ処刑されたはずの男が生きていたかと言えば、本人の言う通り殺すよりは死ぬまでこき使うために生かしたのが真相だった。

 ドラゴンと魔人を掃討した後、二人の王子は混乱に乗じてすぐさまタナトスを確保して人目に曝さないようにした。そして表向きは処刑したことにして、瓦礫になった街で似たような容姿の死体を手に入れて、激しい拷問を受けたように顔を潰して犯人として首を晒した。元からタナトスは覆面をしていたので誰も顔を知らなかった。だからどんな顔だろうがこれが犯人と言えばそれで済んでしまう。

 そうまでして王子達がタナトスを生かした理由は兄弟の情ではなく、切実な問題を解決させることを求められたからだ。

 一つは≪タルタス自由同盟≫による各地の反乱機運の扇動をタナトスの命令で止めさせた後に解体する事。もう一つは魔導の力が失われて権威が大きく削がれた求心力の落ちた王家に、解体した自由同盟の構成員を帰属させて戦力化する事。

 一つ目はなかなかに難しいが不可能ではない。既に魔導の力は長くて三世代、あるいは百年以内に消え去る事は確定している。厳しい身分制度を保証していた一番大きな重石が取り除かれたのを知れば、あとは何もせずとも待っていれば嫌でも変革は起きる。問題は現支配者階級の力が低下したと知った被差別階級の亜人達が苛烈な復讐を仕掛けて来る事。それを未然に防ぐためには先んじて自由同盟を解体して組織的な反乱を起こさないようにする必要がある。個人的な恨みから凶行に及ぶのはどうにもならないが、集団的な反乱は大いに困る。それもこれも長きに渡る怨みの蓄積が原因で、歴代の王の責任と言えばそれまでだが、出来れば穏便に事を納めたいと虫が良い事を考えるのが王冠を持つ者だ。

 そこで二つ目の問題が関わってくる。解体して行き場の無い≪タルタス自由同盟≫の者達を逆に王家が取り込んで、低下した権威を補う武力として利用しようと考えた。普通最も敵愾心を持った輩を集団で取り込もうとは思わない。しかしプロテシラはその最も困難な奇手を選択した。

 理由は大きく分けて二つ。一つは敵を取り込むことで敵を減らしつつ戦力を増強する事。もう一つは魔導を失い権威の弱体化を知られる前に自ら差別階級を撤廃する事で王家の器量を見せつけて亜人全体を牽制と懐柔する事にある。当然すぐに平民や貴族が新たな価値観を受け入れる筈が無い。だからこそ相対的に王家の求心力が上がるとも言えた。

 王家にとって最も恐ろしいのは亜人、平民、貴族が結託して自分達を何もかも消し去ってしまう事。なら団結させずにバラバラにしてしまえばいい。亜人を優遇する事で戦力化しつつ、平民の憎しみを肩代わりさせて仲違いさせる。貴族は元から敵に近い間柄で、いずれ蹴落とし合う仲になるので関係無い。

 

「というのが仮王の方針で、無茶振りされて死ぬほどこき使われる未来しかないのが俺だ」

 

「ただの自業自得じゃねーか。むしろよくその程度で許してくれたと思うぞ」

 

 オットーの辛辣な意見にタナトス以外の全員が頷く。それでも代わりの首を用意して死を偽装して生きている事を許されているのだから文句を言う方がおかしいのだ。

 

「ではせっかく拾った命なんですから精々使い込んでから死にましょう」

 

「おう、そうさせてもらうよ。それとこれは魔人と戦ってくれた分の報酬だ。足りるか分からんが受け取ってくれ」

 

 タナトスは懐からパンパンに詰まった革袋を取り出して、全員に一つずつ渡した。袋の大きさはヤト達四人の方が大きく、オットーとヘファイスティオンは四人のより小さい。

 早速カイルが紐を説いて中身を見ると、中には色とりどりの宝石が大量に入っていた。親指の爪ほどの大きさのルビーを一つ摘まんで角度を変えながら品質を確かめる。

 

「いいね!命を賭けて働いた甲斐があったよ」

 

 カイルはホクホクの笑みで宝石を握りしめた。これ一つでも平民が一年働いた稼ぎはある。それが三十近くは袋に入っている。先王暗殺前に貰った報酬を足せば半年以上命懸けで戦っただけの価値はあった。

 他の五人も量は違えど同じものを貰っていたが、財産には無頓着だったので中を確認だけして懐に押し込んだり、番や主人に渡して終わりだ。

 

「そろそろ僕達は行くとします。タナトスさんにはもう会う事は無いですが、精々納得のいく余生を送ってください」

 

「ああ、そうさせてもらう。――――――お前達のおかげで俺の魂はようやく自由になれた。本当にありがとう」

 

 タナトスはヤト達に深々と頭を下げた。

 彼は今までずっと他人の都合で生かされていたのを疎ましく感じていても、それを途中で投げ出す事が出来なかったのだろう。生まれ落ちた時より親に死を望まれ、助けた女からは復讐を願われ、育ての親には娘の復讐の道具として育てられた。勿論彼自身の憎しみと復讐心はあっただだろう。不当な差別にも憤りを感じたからこそ彼の心を感じた亜人達も進んで付いて来た。だがそれも全てが己の意思から始めた事ではない。どこかに他人に押し付けられた役割と感情があった。

 真に役割を終わらせなければ自分は一生他人のために生きる呪いに動かされ続ける。その呪縛を破る手助けをしてくれたヤト達に心から感謝していた。これでようやく己の人生を歩けると思うと感無量だった。

 そして彼は満ち足りた顔で都の方に歩いて行った。

 

「じゃあ俺達も行くとするか!」

 

 ヘファイスティオンは口笛を吹いて自分のドラゴンを呼ぶ。オットーも騎獣のヒッポグリフを呼んだ。二人はまず国を出て南に行くと言っていた。

 

「そうだ、オットーに約束通りこれを返しておきますね」

 

 ヤトは荷物から二振りのフォトンエッジを出してオットーに渡す。元は彼の持っていた得物だ。

 

「おいちょっと待てよ。俺はまだあんたに一太刀入れてないぞ!」

 

「でも僕の顔に良いのを一発入れたじゃないですか。剣士にとって剣だけが攻撃手段とは限りませんよ」

 

 その言葉にオットーは反論する気を失う。確かに剣術とは剣だけを攻撃手段にするわけではない。時に密着した状態で当身を食らわせたり、柄頭で殴る事も技の一つとして取り入れる流派は数多くある。

 あの時多少油断していたがそれでもオットーがヤトの顔に拳を叩き込んだのは紛れもない事実。それを無かった事にする気はない。

 オットーは渡された二振りの剣を力強く握り締めて炎刃を生み出す。不安定に揺らめく炎をじっと見て不意に涙が零れた。

 予期せず負けた相手に一泡吹かせて、自らの力量で大事な剣を取り返した。この事実は戦場でどんな相手を倒した事より、己が以前より強くなった証として魂を揺さぶった。

 彼はようやく騎士の誇りを取り戻して一端の騎士になれたのだ。

 

「まったく泣く奴があるか!お前はこれからもっと強くなってヤトに再戦を挑むんだろうが!!泣いてる暇なんぞ無いからな!」

 

「……お、おうっ!!」

 

 涙をぬぐったオットーは既に騎士の顔に戻っていた。そして二人の騎士はヤトと再戦の約束をして南へと旅立った。

 あっという間に小さくなる騎影を見送った四人。次は自分達の番だった。ただ、その前にもう一つの別れを済ませなければならない。

 クシナは寂しそうに鳴く岩竜のクロチビの顔を撫でて言葉をかける。

 

「汝も番が出来て一人前のオスになったんだ。そんな情けない声を出すんじゃない」

 

「GUUU……」

 

 厳しい言葉だったがクロチビは何度か頷いて顔を離した。彼は天に向かって咆哮を上げた後、番の青ドラゴンと共に北へと飛び去った。

 クシナは二頭の竜が見えなくなるまで見守ってから一つ溜息を吐いた。

 

「まったく、甘ったれた奴め」

 

 そう言った後、彼女は服を脱いで本来の古竜の姿に戻る。三人は彼女の背に乗り、異邦人たちは舞い散る雪の空へと高く昇った。

 冬の北国の空はかなり冷える。カイルは防寒着を着込んで寒さに震えながらタルタスでの日々を振り返った。

 

「聞いた通りのひどい国だったね。もう二度と行きたくないよ」

 

「僕はそれなりに充実した日々でしたよ。あの二人との再戦が待ち遠しいです」

 

 カイルは兄貴分の喜びに満ちた言葉に白い息を盛大に吐く。予想していた回答だったから少しばかり呆れただけで何も言わない。だから話をクシナやロスタに向ける。

 

「儂はチーズは美味かったが今度は水気のある果実と魚が食いたいな」

 

 クシナはタルタスの多種多様なチーズを好んだものの濃い味には些か飽きていた。だから今度は瑞々しい果実や新鮮な魚が食べたいと言った。この辺りはまだ大きな川が無いから魚は難しく、今は冬なので果実は干した物しか手に入らない。もうしばらく我慢してもらうしかない。彼女は食べるのは好きだが我儘ではないので、無いと言われれば納得してある所まで待ってくれるだろう。

 そしてロスタは何やら物思いに耽っている模様。主人が何を考えているのか尋ねると、彼女は珍しくおずおずと身の内を明かしてくれた。

 

「私はこの国の魔導騎士のように魔人を材料に造られたのではないかと考えていました。あるいは私を造ったアークマスターはこの国の魔技と関わりがあるのではないかと推測致します」

 

 ロスタはこの国に来る前から時々己の起源を思考していた。フロイドが語った魔人の知識、エルフの村で感じた不思議な感覚。そしてタルタスに来てフォトンエッジに触れ、さらに先日封印された魔人を見て以降、より強く己を考え続けていた。

 

「可能性はあると思います。フォトンエッジを扱えるのも貴女の中に魔人の力が宿っていれば使えるのも道理です」

 

 ヤトはロスタの考えを肯定する。フォトンエッジを扱うには魔族から摘出した力――魔導が不可欠だ。ゴーレムの魔法的動力としても上質な源泉になるだろう。となればロスタを造った主は魔人の利用法を自力で編み出したか、誰かに教えられたかだ。

 そして世に出回っているゴーレムに魔人の血肉や力が用いられていると今まで聞かない事実と、タルタスの実情が秘匿され続けた事を鑑みるに何かしらの繋がりがあった可能性はあると思われる。

 とはいえロスタを造った者は既にこの世に居ないはず。真相を知る術は無い。しいて言えば製造技術を継承した者がどこかにいれば、その人物に問うてみるのも良いだろう。勿論簡単に見つかるとは言えないのだが。

 そこまでの分析をヤトが口にすると今度はカイルがロスタに提案した。

 

「意外と古い遺跡を探せばロスタみたいなゴーレムがまた見つかるかもしれないし、旅のついでに探してみようか?」

 

「よろしいのですか?」

 

「あんまり厄介事にならない限りはいいよ。僕は遺跡探索好きだし」

 

 カイルはこれぐらいは普段からよく働いてくれる人形への褒美と思って了承した。主人の気遣いにロスタは自然と頭を下げた。

 

「ではカイルの故郷を目指すついでに遺跡かゴーレムの情報があれば調べましょうか」

 

「異議なーし!」

 

 男二人は新たな指針を示し、竜は魔の住む国の寒空を東へと翔けた。

 

 

 

 第四章 了

 

 





 これにて「東人剣遊奇譚」第四章はおしまいです。続きの第五章ですが書き溜めた分が無くなったのとネタ切れしているので、申し訳ありませんがしばらく更新が出来ません。
 作品はまだまだ続きますが読者の皆さんの声援と評価が多ければ多いほど励みになりますのでどうかこれからも応援よろしくお願いします。
 それでは気長にお待ちください。




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五章 砂塵の女神
第1話 熱砂の洗礼


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


 

 

 砂漠とはどのような環境か。

 この問いに、実際に過ごした事のある者ならきっとこう答えるだろう。

 『死の世界』あるいは地上の『煉獄』と。

 間違いではない。むしろ大部分の者は同意するに違いない。それほどに砂漠という土地は生命にとって極限の環境だ。

 なにしろ昼間は人の体温よりも暑く、夜は水が凍り付くほどに寒い。一日の気温差がこれほど激しい環境は他に無い。

 それだけでなく見渡す限り砂と岩が形作る荒涼とした大地には多くの生命にとって最も必要な水が殆ど無い。それが一層過酷な環境を形作っている。

 ただ、そのような煉獄と見間違うような世界にさえ生命は確かにいる。

 乾燥と気温変化に強い虫や蜥蜴のような小さな生き物以外にも、人の背丈ぐらいはあるサボテン、捕食者であるスナネコや蛇などだ。あまり知られていないが地中には砂エイや砂クジラのような大型の動物も生息している。

 地獄のような環境は確かに生命を容易く受け入れてはくれないが、それでもそこに生きる者達は力強く根付いて生きている。

 しかし、それでも自然は理不尽に生命を追い立てて一片の容赦も無くあらゆる生命を殺しにかかった。

 それは動く山脈に等しい巨体を誇った。

 それは雷を纏って神威を見せつけた。

 それは比類なき暴力の熱風の化身だった。

 それは鉄すら撃ち抜く石の雨を降らせた。

 それは砂嵐と呼ばれる竜すらも殺しかねない凶悪な天災だ。

 砂漠において考え得る限り最悪の天災の砂嵐を皮肉にも運良く察知したヤト達は予備知識は無かったものの、自分達が非常に危険な状態にあると確信した。

 

「アレの中に入ったら健康に悪そうだよね」

 

「儂も今すぐアレより上に飛ぶのはちょっとしんどい」

 

「横に避けるには広がり過ぎて逃げられそうもないですね」

 

 三人が共に砂嵐を最大級の脅威と断じて対応を考える。

 そのまま突っ込んで切り抜けるのはカイルの言うように生命の危機もあって論外。

 古竜のクシナでさえ山脈に匹敵する特大の砂嵐よりも高く飛んで躱すには時間が足りない。かと言って今から横に避けるのも無理だ。

 すぐに引き返せば逃げられるだろうが、ここまで来てもう一度戻るのは何となく時間が惜しい。

 

「皆様、南側に集落の廃墟が見えます。あそこで砂嵐をやり過ごしてはいかがでしょうか」

 

 メイドのロスタが指差す方角には確かに石造りの住居二十ほど固まっているのが見える。あちこち穴が開いているように見えるから人が住んでいるとは思えないが、嵐を凌ぐだけなら何とかなるかもしれない。

 ここで迷っている時間は無い。ヤトはクシナに南の廃墟に降りるように伝える。砂嵐はあらゆるモノを巻き上げて目前に迫っていた。

 ヤト達は集落の廃墟に降り立ち、クシナも竜の姿から人の姿になる。四人は急いで目星をつけておいた建物に入った。既に砂塵が空気に混じっていて息をするのも辛い。

 石造りの廃墟の中は灼熱の日差しを遮っているので炎天下の屋外よりも涼しかった。それでも一息つくにはまだ早く、すぐに二階に駆け上がってポッカリと空いた壁や窓枠を朽ちたベッドなど残っていた家具の残骸で塞いだ。

 それでも半分しか穴が埋まない。その間にも砂塵混じりの熱風が廃墟の穴から入って来るし、建物全体を礫が叩き付ける音が襲う。

 

「あーもうどうしよう!アニキ他の家の壁を壊して建材に使う!?」

 

「落ち着いてくださいカイル。こういう時は冷静にしないと。……貴方が砂の精霊に頼んで壁を作ってもらうのは可能ですか?」

 

「あっその手があった!えっと―――――うん、ちゃんと話が出来るよ」

 

 ヤトの提案に落ち着いたカイルはすぐに近くに居る砂の精霊とコンタクトを取って助けを乞う。

 するとすぐに部屋中の砂礫が集まって壁の穴を塞ぎ始めた。

 砂の壁で日差しを完全に遮ってしまうほどに隙間が無くなったが四人は暗闇を苦にしないので問題はない。空気の取り込みは階段を半分塞いで下の階で行っているので窒息は避けられる。

 これでようやく一息吐けた。

 

「いやぁ砂漠というものを甘く見てましたよ。よくこんな土地に人が住めますね」

 

「ほんとほんと、もう体中が埃と砂まみれだよ!って、姉さんいつまでも裸はやめて服を着てよ!!」

 

「はいはい、分かった分かった」

 

 弟分に急かされてクシナはロスタに手伝ってもらい肌を拭いてもらって、いつものヘソ出し短パンに着替えた。

 それから四人は車座になって荷物を確かめた。

 衣類や武器等に欠損は無く、食料を入れていた皮袋も無事だった。ただし水袋の一つに穴が開いていて中身が空になっていて、残りも節約すれば三日ぐらいなら持つが、この砂嵐がいつ止むのか分からない中で水が途切れる恐怖は酷く強い。

 しかもここは砂漠のど真ん中の廃墟。過去に人が住んでいた以上は水のアテはあっただろうが今も水を確保できる保証は無い。頼みの綱の精霊も周囲に水そのものが無ければ頼む事すら叶わない。

 カイルはそうした恐怖を紛らわせるために、わざと明るく振舞って話を盛り上げようとする。

 

「知ってる?砂漠には昔の王様の墓とかあって、そこには凄い財宝が沢山眠ってるんだって」

 

「石を山のように積み上げた墓に隠された財宝の話は知っています」

 

「それそれ!盗賊ギルドでもまだ見つかっていないお宝の山だから誰が最初に見つけるか盛り上がってたよ」

 

「ふーん。あの剣の刺さってたデクの坊の入ってた墓みたいにか?どこでも人族は死体を埋めるだけの場所にそこまで手を加えるのか」

 

 かつてフロディスの王家の霊廟を見たクシナは同じような墓がこの地にもあるのを不思議がる。彼女のようなドラゴンにとって死体を自然のままに朽ちさせるのが当たり前なのに、なぜそこまで大仰な死体放置所を作らなければならないのか未だに理解出来なかった。

 

「で、場所は知ってるのか?」

 

「いや~それは分からないや」

 

「せめて現地人と会えれば情報ぐらいは得られるんでしょうが会えますかね?」

 

 部屋に沈黙の間が生まれて外で礫を叩き付ける音がやけに大きく聞こえた。

 この住居があるのだから人は住んでいるのは確かだろう。それでも今日の砂嵐のような災害が度々起これば人はもっと住みやすい別の土地に移動する事を考える。

 一応東西を行き交う交易商人から、この死の世界にも定住する者や牧畜を行う者がいるとは聞いている。大抵そういう者はオアシスの付近や比較的草のある土地にいるから、そうした土地を目当てに飛べば話ぐらいは聞ける可能性はあった。

 

「まあ何にせよ今は動いても余計に水を減らすだけですから、この嵐が止むのをじっくりと待ちましょう」

 

「うぃー」

 

 如何に最強を求める剣鬼も、妖精王の末裔も、神の化身と呼ばれる古竜とて自然現象だけは抗いようがない。

 ロスタを除いた三人は余計な体力と水分の温存のために、それぞれ床に外套を敷いて簡素な寝床を作って寝転がった。

 初日から砂漠の洗礼を受けた異邦人の前途は多難だった。

 

 

 嵐は翌日には去っていた。

 太鼓の中に放り込まれていた昨日に比べて今は静寂の世界そのもの。

 カイルは狭い家に押し込められていた鬱憤に当たるように砂で埋めた窓を蹴り崩した。

 

「うゎあ!」

 

 少年は眼前に広がる光景に思わず感嘆の声を上げる。

 黄金の海と群青の空の境から朱の太陽が顔を出し、世界というカンバスを無限の色に染め上げていた。

 極限の環境が生み出した秒ごとに配色が代わり続ける芸術は、どんな権力を振るう王でさえ手に入れられない財宝と言ってもいい。

 カイルは自然という書き手による窓枠の絵画に魅入った。

 しかし腹は減るもので、クシナの腹の音で現実に引き戻された一行は何はともあれ朝食を執る事にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 第一現地民発見

 

 

 ロスタを除く三人は朝食に固いパンを淡々と腹に押し込む。水を節約しなければならなかったので保存用に水分を抜いたパサパサのパンは酷く食べにくかった。

 味気ない朝食を終えて一行は廃屋の外に出る。夜明けの身を切るような寒さにカイルのナイフのように鋭く長い耳が震えた。

 砂漠は日が登る前は寒く、登ってからは暑い。まして今は冬だ。朝の寒さは一層厳しかった。それでも灼熱の昼よりは遥かに活動しやすい時間なので、外套を羽織って寒さを凌ぎつつ廃墟の集落を探索しなければならなかった。

 一行の探し物は集落の中心にあった井戸だ。住民がここをいつ放棄したのかは知らないが生きているなら必ず水がいる。もしかしたらまだ水が枯れていない可能性を期待して井戸を確かめる必要があった。

 石材で囲った直径2メートルほどの大きめの井戸には穴がすっぽり隠せるような大きな石の蓋がしてあった。ヤトはそれをずらして中を覗き込む。

 井戸の中はカラカラに乾いた空気が溜まっていた。念のために石を中に放り込むと、カラカラと固い地面を石が転がる音だけが聞こえた。

 

「水がある音はしていませんね」

 

「あーだめかー」

 

 一抹の期待をしていただけにカイルの落胆は思いのほか大きかった。

 となれば次の目標は砂漠を横断しつつ集落かオアシスを見つける事。幸いクシナがいるので空から探し物をするのは容易だ。ただっ広い砂漠を目印無しに歩き続けるよりは余程効率が良いだろう。

 水が無いと分かったのだからもうこの廃墟に用はない。家探ししたところでどうせ大した物も無いだろし、時間を余計に使えばそれだけ日が高くなって水の消耗が増えるだけだ。

 四人は気持ちを切り替えて出発するつもりだったが、ロスタが三人を呼び止めた。

 

「皆様、あちらから我々の様子を窺っている方がいますが如何いたしましょう?」

 

 三人はロスタの指差す集落の奥まった場所にある廃屋に視線を向ける。他の廃屋と同じように見えるがヤトがじっくり見ると、廃屋の中で何かが動いたような感覚を肌が掴み取った。単に動物がこちらを見ているというような単純なものではない。同時に殺気は感じなかった。

 

「こんな場所に居るとなると僕達より前に砂嵐を避けた旅人か現地民のどちらかでしょう。出来れば情報の一つぐらいは欲しい所ですね」

 

 ヤトは貴重な情報源と判断して何とか接触を試みようと目的の家屋に近づく。

 途中非武装をアピールするために腰の翠刀を鞘ごと砂地に突き刺し、鬼灯の短剣もこれ見よがしに投げ捨てた。

 さらに両手を上げて掌をぐるぐる回して何も握っていない事を示しながら廃屋の前まで来た。

 

「僕達は旅の者です。話がしたいので顔を見せていただけませんか?」

 

 ヤトの言葉に廃屋から動揺の息づかいと確かな物音が聞こえた。

 そしてしばらく見つめていると、黒い外套と黒い頭巾で全身をすっぽり覆った人型が二人出て来た。一人はヤトより長身で杖を手にしている。もう一人は小柄で肩に鷹を乗せていた。どちらも目以外はゆったりとした黒衣で身体を隠していて性別も分からない。

 先に口を開いたのは杖を手にした長身の人物だった。

 

「四人で全部?何をしにこんな砂漠に入り込んだんだい?」

 

 長身の黒服の声は年かさの女性のものだった。

 

「四人で砂漠を横断して東に行くつもりです」

 

「まさかそのなりのまま徒歩で行くの?死にに行くようなものだよ!ねえ母さん―――」

 

「ローゼ!あんたはちょっと黙ってなよ」

 

 ローゼと呼ばれた小柄な方は身体をビクリと震わせて押し黙る。声の質からしてカイルより年下の少女だろうか。

 母と呼ばれた長身の女は気を取り直してヤト達の名を聞き、ラクダや騎獣の類は無いのか問い、ヤトが無いと答えると露骨に呆れた後に怒りを露にする。

 

「あんたら誰も砂漠の知識を持ってないのに歩いて横断しようなんて大馬鹿しかいないのかい!!本気で生きて渡り切れるなんて思ってるの!?」

 

「い、いえ、初日から砂嵐で躓いたからちょっと難しいかと思い直してました」

 

「ちょっと?ちょっとどころの話じゃないよ!!百年に一度の大馬鹿!阿呆!間抜け!」

 

 ローゼの母がひとしきり罵倒した後にスッキリしたのか、後ろの三人を見て盛大に溜息を吐いてからヤトを睨みつける。

 

「あんたはともかく後ろの女子供をこのまま干乾しにするのは娘を持つ親として気が咎めるよ。だからうちに来て装備を整えな」

 

「えーと、良いんですか?僕達が悪党で貴方達を油断させて集落を襲う可能性もあるんですよ」

 

「砂漠を普段着で踏破しようなんて馬鹿な連中がそこまで頭が回るわけないでしょ。つべこべ言わずに来る!」

 

 かなり酷い言われようだったが相手は好意で助けようとしている以上は断るのは礼を失するし、せっかく現地民と接触したのだから機会は最大限活用するべきだろう。

 四人はローゼ親子に断りを入れてから荷物を持って来た。母親の方は四人の荷物の少なさに呆れ返り、特に水の少なさには娘に留められるまで砂漠の暑さ対策を交えた小言をガミガミ言い続けた。

 ローゼは母が息を切らせたのを見計らって出発を促すした。そこでようやく頭の血が降りて来た母親がミソジと自らの名を名乗って、四人を自分達が夜を明かした廃屋に呼ぶ。

 そこには十人程度が乗れる大きさのソリが置かれていた。ただしソリに繋ぐ獣の類は見当たらない。

 

「砂漠にソリ?」

 

「馬車みたいな車輪だと砂に足を取られて動けなくなるから接地面積の大きいソリのほうが使いやすいの」

 

 カイルの疑問にローゼが答えた。彼女はカイルに手伝ってもらって壁に立てかけてあった砂塵除けの戸板を横にずらした。昨日からここに避難して砂嵐を避けていたそうだ。

 ヤトとロスタが壁の穴からソリを押し出す。既に日が登り始めていて少し動くと寒さより暑さの方が強くなってきた。

 それからローゼが天に鷹を解き放つ。鷹はあっという間に上空へと上がり、我こそ空の王者と言わんばかりに高く鳴いた。

 すると前方の砂地が勝手に盛り上がり、次の瞬間に灰色の巨体が砂から飛び出した。

 真ん中あたりに突き出した一対のヒレと大きな尾ビレが特徴の巨体は高く飛び上がった後に再び砂へと潜った。

 

「えっ!?えぇ!?今のなに?」

 

「あれは砂クジラのバーラーよ。あたしの友達なの」

 

 ローゼはカイルが混乱しているのを笑いながらも教えてくれた。

 砂クジラのバーラーは周りを回遊して時折甲高い鳴き声を発してローゼに返事をした。

 ヤトは砂クジラの事は知らなかったが、名称と姿から確かに海にいるクジラに似ていると驚きと共に納得する。なおクシナはどんな味がするのか気になっていた。

 

「砂漠ではね、ああいう砂クジラにソリを曳かせるかラクダでも居ないと旅なんて話にならないよ」

 

 ミソジはバーラーの胴体に巻かれていた革帯とソリとを鎖で繋いだ。これで馬車のようにソリを引っ張ってもらうのだろう。

 それとローゼが四人に、これからどんどん熱くなるから熱中症にならないよう、外套があれば頭まですっぽり被って日差しを防ぐように注意した。

 

「あっ母さん、狩りはどうしようか?昨日の砂嵐でまだ収穫無いよ」

 

「そうだねえ、収穫無しじゃ腹を空かせた子達がガッカリするけど素人を連れて行くのもねえ」

 

「狩りでしたら僕達全員経験ありますよ。まあ森や平原でですけど」

 

「うーん、居ないよりはマシ程度か。最悪解体作業してくれるだけでも手間は減るならいいか」

 

 ミソジは納得してソリの手綱を握った。手綱の動きが砂から半分頭を出したバーラーに伝わり、潮噴きで砂が上空に舞い上がるとソリがゆっくりと動き始めた。

 ソリは意外と速度が出て、馬車よりも乗り心地が良い。ただ砂丘やコブを避けて走るので直線を走れない分時間がかかりそうだ。

 

「狩場はまだ遠いから今はゆっくりしていな。水が飲みたかったら遠慮無しに飲んでいいよ」

 

 そう言って大きな水樽を指差す。実は二人が居た廃屋に枯れていない井戸が隠してあったらしい。お言葉に甘えて昨日から節約して水を飲んでいたカイルが最初にコップに注いで美味そうに水を飲んだ。ローゼはそれを見ておかしそうに笑う。

 それからしばらくソリは蛇行をしながら快調に砂上を走り続ける。

 

「ところで狩りの獲物は何だ?美味いのか?」

 

「外の者が食って美味いかどうかは知らないけど、砂漠でしか食べられない物さね。だから実際に食ってから確かめなよ」

 

 食に関して最も関心の高いクシナがミソジに尋ねると、ある意味当然の返答をする。これはこれで想像を掻き立ててクシナは上機嫌になった。

 

「あたしたちは≪スナザメ≫って呼んでる砂魚だよ」

 

 ヤト以外の三人はミソジの挙げたスナザメなる生き物のイメージが湧かなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 砂漠のランチ

 

 

 ミソジ親子と砂漠でスナザメ狩りをする事になったヤト達はそのままソリを走らせる。

 先導役はローゼの肩に居た鷹だ。カイルが名を聞いたらラミと教えてくれた。そのラミが天からスナザメの群れを見つけてくれる。

 ソリの舵はミソジが取り、ローゼは上空の友を見張っている。

 どこまでの続く砂塵の海原は既に熱を帯びて、カイルは外套を羽織っていても額から汗が流れた。

 ロスタは布でカイルの汗を拭き取り、ローゼは水の入ったコップを手渡す。

 

「砂漠は水が貴重だけど我慢し過ぎると死ぬこともあるから多めに飲まないとダメだからね」

 

「あ、ありがとう」

 

 カイルは受け取った水を少しずつ口に含んでゆっくりと嚥下する。如何に身体能力に優れるエンシェントエルフでも砂漠の熱さには手を焼いているらしい。

 先程涼を取るために風の精霊に風を送ってもらったが、残念ながら熱風が顔に叩きつけられただけで期待通りにはならなかった。ここでは樹木の精霊も見当たらないので日陰も作りようがない。日中の移動はひたすら殺人的な日差しに耐えるしかなかった。

 弟分は辛そうにしているが、ヤトとクシナは特に困った様子はない。竜族は体内に火の精霊を宿しているので外界の熱さなどまったく影響は受けないし、ゴーレムのロスタは元から暑さなど感じない。

 ミソジ親子はあまり水を口にしない。砂漠の住民は暑さに強いという事だろうか。

 拷問のような日差しに一時間は耐えた頃、唐突にラミが上空で旋回し始める。

 

「見つけたみたいだね。ローゼ、ラミの手前で撒き餌を放つんだよ」

 

「はーい!みんなは狩りの用意をして。バーラーも気を付けてね」

 

 ローゼは荷物から血生臭い革袋と銛を数本取り出す。ヤト達も弓や剣を使えるようにしていた。バーラーも頭部から潮を吹いて答える。

 ヤトはラミの直下の辺りの砂地が不自然に蠢いて盛り上がっているのに気付いた。その盛り上がりはソリを目がけて一直線に向かっている。しかも複数。

 幾つもの盛り上がりからは砂を切り裂くような鋭角の突起がせり上がった。

 

「今だよ!」

 

 ミソジの掛け声でローゼはソリの後ろに蛆の湧いた腐った肉をまき散らした。

 突起はソリを無視してすれ違い、後ろの腐肉を目指す。

 そして突起から人ほどもある大型の魚が砂を派手に飛ばしながら飛び上がり、我先に腐肉へと殺到した。

 

「よーしサメ共は食事に夢中だ!一匹で良いから仕留めなよ!」

 

 ミソジに言われた通りカイルは矢を放ち、一番遅れたスナザメに矢を二本当てる。さらにヤトは別の個体に脇差を投擲して頭を串刺しにした。

 ソリはゆっくり旋回してスナザメを追う。その間に獲物が逃げてしまうのではないかと思ったが、スナザメは逃げるどころか傷を負った群れの仲間に襲い掛かっていた。

 

「うへぇ!仲間も見境無しか」

 

「あいつらは悪食で血の臭いのする物は弱った兄弟だって平気で食べるのさ。しかも我慢なんてしない」

 

 カイルは目の前で貪り食われるスナザメに同情しつつ次の矢を放つ。

 ロスタも二又槍を投擲して二頭纏めて串刺しにしつつ、柄に縛り付けておいた縄を手繰り寄せて獲物を引き寄せる。その血で別の個体を引き寄せつつローゼの銛やヤトの剣で仕留められた。後はこの繰り返しだ。

 六人は何度も何度もソリの上からスナザメを仕留めて、十を数える収穫を得た。

 これ以上は血の臭いに寄ってくる個体がいないのを確認した一行はソリを止めて仕留めたスナザメを一ヵ所に集めた。

 ヤトはビクビクと痙攣する一匹のスナザメの尾びれを掴んでじっくりと観察した。そして頭、鰓、背びれなど海に棲むサメと比較してほぼ同種と結論付けた。違いといえば触れた感触がスナザメの方が肉質で硬いというぐらいだ。

 まさか砂漠でまたサメを見るとは思わなかった。

 

「どう見てもサメですね」

 

「アニキはサメを見た事あるんだ」

 

「ええ故郷の葦原の東は海に面してますから、漁師が釣り上げたサメなら何度か」

 

 クジラが砂漠に居るのだからサメが居ても不思議ではないが、海でしか見た事の無い生き物を無縁の砂漠で見るというのは妙な気分になる。

 

「ふーん余所にもサメが居るんだ。それで海ってなに?」

 

「この砂漠全部が塩を含んだ水に代わった世界を思い浮かべてください。そこに数え切れないほどの生き物が住んでいます。それが海です」

 

「えぇっ!?この砂全部水なのっ!?そんな土地があるんだー」

 

「ちょっとあんた達!血抜きしないと身が痛むんだから、喋ってないでさっさと手を動かしなさい!!」

 

 ミソジに怒られたヤト達はバツが悪そうに解体作業を始める。

 炎天下での血抜きは暑さと血生臭さで最悪に近い作業環境だったが、六人が手分けして行い手早く十匹を肉へと変えた。

 解体した肉は殆どを革袋に入れて持ち帰るが一部はこの場で食べる事にした。スナザメはとれたてが一番美味いと親子は言っている。

 仲間に貪られて原型を留めていない肉や寄生虫の巣で食べられない内臓は鷹のラミと砂クジラのバーラーの昼食に消えた。

 ローゼは肉に手早く塩を振って手近の岩の上に肉を乗せる。灼熱の太陽に熱せられた岩は天然のフライパンになっていて、程よい火加減の調理器具と化していた。

 焼き過ぎないように一度ひっくり返して両面を軽く焼いただけの半生が一番美味しいらしい。

 実際に食べてみると、しっかりと血抜きをしたおかげで魚の生臭さとは無縁、身も締まっていて歯ごたえも良く、淡白な味わいは上品な川魚のようだ。

 ロスタを除いた五人は焼けたそばからサメ肉を食べ続けて結構な量を食べ切った。今回はロスタも単に肉を焼くだけなので調理を任されて何気に機嫌が良い。

 

「どうだい、砂漠の飯も中々いけるだろう?」

 

「って言っても時間が経つと味が落ちるからスナザメの岩焼きは狩人だけの特権なんだけどね」

 

 彼女達の集落では後でスナザメ肉を燻して保存性を高めるのでどうしても味が落ちるらしい。だから新鮮なまま美味しく食べられるのは狩人だけが味わえる贅沢グルメだそうだ。

 

「さてと、腹も膨れたみたいだし村のみんなも待ってるから行くとしようか」

 

「村はここから近いの?」

 

 カイルの問いにミソジは空を見上げて太陽を確認してから、少し考えて「明日には着く」とだけ答えた。

 六人は後始末をして、スナザメ十匹分の肉をソリの底部にある倉庫に全部押し込み、再びソリを走らせた。

 移動中は寝るか話をするぐらいしかやる事が無い。ヤトとクシナは夫婦で仲良く寝ているので、起きているカイルとローゼは主に砂漠の外の事を話していた。

 

「へーそんなに木や草の沢山生えてる土地があるんだ。いいなー、ここはオアシスの近くにしか木は生えないから一度ぐらい見渡す限り木の緑を見てみたいなあ」

 

「砂漠は砂と岩ばっかだし住み心地悪いからね。言い方は悪いけど正直人が住んでるとは思わなかった」

 

「ヒト?……ああ、うんそうだよね。でも生まれ育ったところだから慣れれば平気だと思うよ」

 

「そうなの?うーんそうかも」

 

 ローゼが作り笑いをしているのは分かったが、すぐお別れをする旅人の自分が安易に旅を勧めるのは無責任と思って曖昧な返事に留めた。

 それから二人は互いが今までどんな事をして過ごしていたのかを話し合う。と言っても生まれた時から砂漠で過ごしていたローゼより、旅をして様々な経験をしたカイルが喋っていた。

 それでも刺激的な話にローゼは大層喜び、矢継ぎ早に質問したり驚きもした。途中でロスタが茶々を入れてカイルが目を剥く事もあったが、それもまたローゼの笑いを誘って二人は有意義な時間を過ごせた。

 ただ、ソリの手綱を握っていた母のミソジは日よけの布の下で複雑な顔をしていたが、娘の笑顔を見て口を開く事を躊躇った。

 彼女が何を言いたかったのかは誰も分からなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 予期せぬ再会

 

 

 六人とスナザメの肉を満載したソリは翌日も朝から快調に無人の砂の海を航行している。

 途中砂漠に潜む犬種のジャッカルの集団が肉の臭いに誘われて襲撃してきても、たかが犬如きにやられるような六人ではなかった。その狗共も砂漠では貴重な食料なので解体して肉として持ち帰った。

 砂漠で恐いのは大きな獣ではない。むしろ小さな毒虫ほど警戒しなければならなかった。あるいは砂嵐のような災害か日照りと渇きこそが最大の敵だろう。

 今日の所はそうした災害も起きる気配はないようだ。しかし嵐は気まぐれで明日にはまた空が荒れるかもしれないと、砂漠の狩人ミソジは話していた。

 そういうわけで六人はやや急ぎでソリを走らせてローゼ親子の村へと向かっていた。

 現在は砂漠の中の峡谷を進んでいる。

 道は狭く曲がりくねっていて、ソリの幅とほとんど同じぐらいしか空いていない。そしてカイルが岩肌を手で触ると驚くほどに滑らかな感触だった。これは道具で削って出来た道ではない。

 

「驚いた?ここの岩は風と水が削って道になったんだって」

 

「風はともかく砂漠で水?」

 

「そうよ。砂漠にだって百日に一回ぐらいは雨は降るの。その雨が風と共に流れ込んで何千年もかけて岩を削り取ったんだって先生が教えてくれたんだ」

 

「へえ、物知りな先生だね」

 

「うん!時々しか会いに来ないけど、先生が来るとみんな喜ぶの。毎年この時期に来るからカイルも会えるかもね」

 

 砂塵除けの布で顔は見えないがローゼの本当に嬉しそうな声にカイルも笑みが零れる。

 年少組が談笑しているのを横目にクシナが鼻をひくつかせて「野菜の匂いがする」と人二人分程度の幅の横道に視線を向けた。

 ヤトも注意深く見ると道の右側が一段掘り下げられている。

 

「あれは水路ですか。あの溝にさっき言っていた雨水を流して貯水池に貯めて、農業用水か生活用水にしている」

 

「よく気付いたね。お二人さんの言う通り、あの道の奥の畑で野菜を作ってるんだよ。砂漠で生きるには色々工夫がいるのさ」

 

 ヤト達は砂漠の民の知恵に感心する。水の乏しい土地で生きるには様々な知恵と工夫が必要というわけだ。

 さらにクシナは果実は作っていないのかと聞く。残念ながら食べる事を優先して嗜好品に近い果実は無いと答えが返って来た。ただ、砂漠のサボテンの中には甘い種があるので潰してジュースにする事はあると教えてくれた。

 期待とは少々違うが甘味が食べられると知ったクシナはソリを曳く砂クジラのバーラーを急かした。

 急かされてもソリの速さは変わらなかったが単調な岩肌の通路が無くなり、前方の行き止まりの岩壁に穿たれたトンネルを潜る。

 短いトンネルを抜けた先は岩壁に周りを囲まれた小さな集落だった。二十に満たない日干しレンガの質素な家が立ち並び、奥には小さな家畜小屋も見える。住民はミソジ親子と同様に目だけを出す日よけの外套を身に纏い、乾いた畑で野菜の世話をしていた。

 村人はミソジ達が帰って来たのを見て安心した後にヤト達を見て困惑した。そしてすぐに一人が走って行き奥の少し大きな家に入る。

 また村人の一人がソリに近づいてミソジを見上げて言葉を投げかけた。

 

「ミソジ、なぜ余所者を連れて来た」

 

「こいつらが稀に見る馬鹿だからだよ。着の身着のままで歩いて砂漠を超えようなんて考えるアホなら、あいつらとは関係無いさね」

 

「いやしかしなあ」

 

「それにスナザメの狩りも手伝ってもらったからね。どうしても疑うなら長に判断してもらうよ」

 

 底から大量の肉を見せつけられては男や他の村人も隔意が鈍る。特に子供は露骨に腹一杯食べられると喜んだ。

 村人が迷い始めた時、最初に走って家の中に行った一人が別の村人を連れて来た。服の上からでもがっしりとした体格の男と分かる村人は乳白色の杖を持っていた。杖をよく見ると先端には頭に麦の環冠を乗せた牛の彫刻が据えられていた。あの意匠は農夫や子を求める母親に信仰の厚い『生と豊穣の神』の象徴だ。こんな不毛の砂漠で見かけるのは意外だった。

 

「ようサロイン、今回の狩りは手伝いが居たから大成果だったよ。あんた達、長のサロインだ」

 

「ご苦労だったなミソジ。それと昨日から先生達が来ているから、肉は宴会に使わせてもらうが良いか?」

 

「勿論だよ。それに先生が来てるなら後で娘と一緒に挨拶しておかないとね」

 

「今は腰の悪い年寄りを診てくれているから後の方がいいだろう。それと客人よ、何も無い寂れた村だがゆっくりしていけ」

 

 長のサロインは言葉では歓迎しているように思えるが、声の質は明らかにヤト達を迷惑がっているように聞こえる。まあこういう閉鎖的な辺境の村は外部の人間を厭う気質が珍しくない。とりあえず出て行けと言われない以上は砂嵐を避ける一刻の仮宿程度に思って深く立ち入らなければいいだけだ。

 ソリから降りたヤト達は狩りの成果の肉をミソジと共に貯蔵庫に運び、ローゼは村の外れへバーラーを連れて行った。

 蔵に肉を運び入れた所でミソジが申し訳なさそうに謝った。先程の長のサロインは村を守るのに気負い過ぎて余所者を敵視し過ぎているだけで悪い奴ではないと。

 

「特に今は十年に一度の祭事も重なってて、妙な輩もうろつくから村全体がピリピリしてるのさ」

 

「妙な奴?」

 

「『生と豊穣の神』に捧げる祭事に使う祭具を狙ってこの村を襲う盗賊が出るんだよ」

 

「村人は僕達をその仲間と疑っているんでしょうね」

 

 ヤトの確信めいた言葉にミソジは言葉に詰まって、迷った末に頷いた。無理もない、盗賊の襲撃と同時期に素性の分からない旅人が村の中へと入りこむのだ。例え村人の一人が弁護しても猜疑は拭い難い。

 こればかりはどうしようも無いし、時間をかけて解消するほど長居をするつもりも無い。だから水を補給して一定の距離を保ったまま早めに出て行った方がお互いのためだろう。

 申し訳なさそうにするミソジはせめて村にいる間は快適に過ごしてもらおうと四人を自分の家に招いた。

 家は締め切ってあったので外の熱気を完全に遮断していて涼しく快適だ。しかし何日も家に居なかったので砂埃がテーブルに積もっている。それに家の中にはベッドが三つあるが台所の食器は二組ばかりだ。父親が居ないのだろうか。

 

「食器は隣から借りるからいいけどベッドは三つだから、あたしとローゼが一つ使って、あんたら夫婦で一つ、それとカイルの坊やが一つだね」

 

「僕とクシナさんは外でも構いませんよ」

 

「何言ってんだい、客を外で寝かせるなんてあたしがさせると思うのかい!」

 

「たぶん煩すぎて近所迷惑だから叩き出したくなると思うよ。それでもいいの?」

 

「……あーそういうことか。寝る時は好きにしていいけど食事は一緒に食べなよ」

 

 ヤトの提案にミソジは最初は怒ったもののカイルの解説で何が言いたいのかすぐに理解して、さすがに母親として娘に他人の情事を見させるのは拙いと判断して渋々と認めた。

 それから帰って来たローゼがヤト達を『先生』とやらに挨拶するよう勧めた。挨拶程度なら特に反対する理由も無かったので掃除を申し出たロスタ以外の三人とローゼは家を出た。

 サロインが言っていた老婆の治療は終わっていて家には既におらず、サロインの家に居ると聞いてそちらに向かった。

 村の中では一番大きな家に入る。年かさの女性が食事の用意に追われていた。彼女は家の中なので砂塵除けの布はしておらず、褐色肌の素顔と黒髪を露にしていた。

 

「フィレおばさん、こんちわー!」

 

「あらローゼちゃん狩りから戻ったのね、ご苦労様」

 

「カイル達が手伝ってくれたから大猟だったよ。それで先生達に挨拶したいんだけど」

 

「…今はミートの部屋に居るからどっちも呼んでくるわね」

 

 彼女はちらりとヤト達を見て一瞬だけ顔を強張らせたが、ローゼに気付かれないように顔を背けて別室に向かった。

 ヤト達はすぐに戻って来たフィレの後に姿を現した長身の男の顔を見て面食らった。

 

「こんなところで会うとは偶然というのは恐ろしいものだなヤト」

 

「それは僕が言うべきセリフだと思うんですがアジーダさん」

 

「誰かと思えば貴方達だったの。また会えて嬉しいわ」

 

 『先生』と呼ばれていたのは死なない男アジーダと青い瞳の美女ミトラだった。

 思わぬ二人組との再会には何か騒動の予感がした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 一宿一飯の恩義による助太刀

 

 

「ミトラ先生の知り合いですか?」

 

「ええ、そうよミート。でもここで会うとは思わなかったわ」

 

 一緒に居たミートと呼ばれた褐色黒髪の少女がおずおずとミトラに話しかける。年のころはカイルやローゼよりも年上でヤトより少し年下ぐらいに見えた。顔立ちがフィレに似ていて年を考えれば親子だろう。それと彼女の首にはサロイン同様に『生と豊穣の神』の牛の木彫りが掛かっていた。

 

「やっほーミート姉ちゃん!ミトラ先生とアジーダさんも久しぶりー!」

 

「ローゼ、帰って来たのね。後ろの方は?先生達の知り合いみたいだけど」

 

「カイル達は砂漠を歩いて渡ろうとしたから母さんが止めたの。それから狩りを手伝ってもらったんだ。先生達と知り合いなのは知らなーい」

 

「そこの三人は顔見知りだ。特にヤトは俺と生死を共にした事もある仲だ。そうだろう?」

 

 アジーダがヤトに気さくに話しかける。実際に殺し合いをしているので言ってる事は全くの間違いではないものの、ヤトは内心そこまで馴れ馴れしい関係ではないと思った。

 しかしローゼやフィレはそのままの意味で受け取り、特にフィレは三人への態度を露骨に軟化させた。

 家主のサロインも帰ってきて改めてミトラ達の口からヤト達が知り合いと教えられると、やはり先程とは打って変わって友好的な態度に様変わりしてしまった。

 ただ、唯一ミートだけはヤトの顔を凝視した後、愛らしい顔を強張らせた。

 サロインはミトラ達の為に用意していた食事をヤト達にも食べていくように勧める。偶然再会した知り合いと友好を温めてもらおうという気遣いなのだろう。

 断るのも礼を失するのでヤト達は共に食事を執る事になった。ついでにローゼも一緒に食べる事になった。

 九人は出来上がった料理を囲む車座になって羊毛で織った絨毯の上に座る。

 羊は村のオアシスの周囲に生える草を食べさせて育てていた。

 料理は鍋で羊肉と葉野菜を果汁で蒸して塩を振っただけの簡素な調理法だった。飲み物は水と羊乳だ。

 

「お客人にこんな簡素な料理で済まないな。夜には祭りの前の祝宴だからもう少し手の込んだ料理が出せるんだが」

 

「私達の事は気にしないで良いわ。元々旅ばかりしているから大した物は食べていないもの」

 

 申し訳なさそうにサロインは頭を下げるが、ミトラは笑顔で野菜を食べて美味しいと返した。フィレはその言葉に救われたのかホッとしている。

 ヤト達もミトラの後に続いて、それぞれ料理に手を伸ばす。

 外で食べたスナザメも美味かったが、やはり焼くだけよりも少しは手を加えた料理はまた違った美味さがある。

 クシナも相変わらずの健啖家ぶりを発揮してどんどん肉を平らげていく。

 食べている最中にカイルはアジーダとサロイン一家やローゼを見比べる。彼等は服装に関連性は無いが肌の色はほぼ同じ褐色だ。似たような土地で生まれ育ったのだろうかと思い、本人に直接尋ねてみた。

 

「アジーダさんは砂漠の出身なの?」

 

「ここから離れているが砂漠で生まれたのは確かだな」

 

「ミトラさんの方は?」

 

「私は全然違う場所よ。もう随分帰っていないからどうなっているかしら」

 

 ミトラはかつての故郷を思い返しているのか遠い眼をして心あらずといった様子だ。

 サロイン達はミトラ達を『先生』と慕っていてもあまり深い事情は知らないと言っている。昔から二人は年に一度この時期にやって来ては砂漠で手に入らない薬を持ってきては具合の悪い村人を診て、子供達に色々な事を教えているらしい。それでいて何か対価を求めた事が無いので誰もが慕う恩人なのだと教えてくれた。当然ローゼもミトラの事を慕っている。

 ヤト達はなぜ二人がこの村にそうした援助をしているのか見当もつかない。そもそもが二人の事はまともな手段では死なないという事しか知らないのだ。だからこうして食を囲む機会を得た以上は少し情報が欲しいと思って質問をする。

 

「ところで前に手に入れた本はどうなったんですか?」

 

「もう用は済んだから欲しかったらやるぞ」

 

 ミトラの代わりにアジーダが毛筋も惜しくないという顔で懐から一冊の本を取り出してヤトに投げ寄越した。以前タルタスの王城の地下にあった本の表紙と一致する。

 ヤトは本を手に取って中身を見ても何が書いてあるのかさっぱり分からない。魔人族を何千年も封じていたのだから単なる落書き帳とは思えないが、魔法の知識の無いヤトには何なのかも理解出来なかった。

 容易に捨てるのも考え物だったし、年代物の魔導書という事もあり高値がつくかもしれないのでカイルに渡しておいた。

 

「それでお前達はこれからどうするつもりだ?俺達はこの村に逗留して祭事が終わるまで居るつもりだが」

 

「水を分けてもらえばすぐに出ていくつもりです」

 

「あらそうなの?もう少し村に居てくれた方がこちらとしても助かるのに」

 

「それは祭事に使う祭具を狙っている盗賊の事ですか?」

 

「何だ知っていたのか。毎度のことだが数だけは多いから俺達だけで相手をするのは面倒だ。お前達も手伝ってくれるとありがたい」

 

 アジーダの言葉にヤトは疑問を持った。彼の強さは直接戦った己が良く知っている。その強者がたかが数が多いだけの盗賊風情に後れを取るとは思えない。盗賊が村を優先して襲うのを守り切れないと判断して協力を要請しているのか、あるいは本当に面倒だから押し付ける気なのか。

 もう少し情報が欲しいのでサロインの方にも盗賊について聞いてみると意外な答えが返って来た。

 

「実は我々の村は余計な食べる以外の殺生や流血は禁じている。例えそれが盗賊であっても殺してしまうのは『豊穣の神』はお許しになるまい」

 

 自分達の大事な祭具を狙う盗賊にも慈悲の心を見せる村長の能天気さにはヤトどころかカイルも頭痛を覚えた。これではいくらアジーダが強くて死に難くても対処が遅れてしまう可能性がある。

 だからと言ってさして関係の無い自分達まで巻き込んで面倒を背負わされるのは困る。

 カイルは断ってしまってもいいのではと、ヤトにしか聞こえないように囁いた。しかし兄貴分の反応は悪い。

 

「アニキは手伝う気?」

 

「貧しい村から水と食事を頂いた以上は何もしないわけにはいかないですよ。あくまでこの二人に使われるのではなく、一宿一飯の恩義として村を助けるだけです」

 

 ヤトは殆ど口を動かさず、サロイン達には聞こえない小声で弟分に返答した。流石に面と向かって当人達に貧しいなどと言うのはヤトだってしない。

 

「一宿一飯の恩義……分かったよ。僕も反対しない」

 

 カイルもヤトの選択を渋々ながら認めた。

 旅人にとって見ず知らずの者から宿を借り食事を提供してもらう行為は決して忘れてはならない恩と言われている。特に貧しい者が自らの食べ物を分け与えた行為は何よりも尊い。

 ましてカイルのような盗賊は日の光から弾き出されたはぐれ者。人から恩を受けて何も返さない輩は仲間内からも外道と誹られて爪弾きを受ける。故にこれはサロイン達を哀れに思っての事ではない。あくまで己の矜持を穢さないためだ。――――仲良くなったローゼのために働こうとは少ししか思っていない。

 

「では食事を頂いた返礼として村の為に出来る限りの助力を約束します。盗賊は全て追い払いましょう」

 

「なんと!?村の為に力を貸してくれるというのか。さすがアジーダ殿が見込んだだけの事はある」

 

 サロインは感極まってヤトとカイルに頭を下げた。フィレは話している間にクシナとローゼが殆ど食べてしまった料理のお代わりを作ると言って台所に引っ込んだ。

 ただミートは露骨にヤトに疑いの目を向けていた。そして彼女は意を決して口を開いた。

 

「あのヤト…さんはなぜ碌に知りもしない私達の村の為に危険な事をするんですか。その……ミトラ先生達の知り合いだからと言って私はすぐに信じられません」

 

「ミート!せっかく村のために働いてくれる方々に失礼だぞ!」

 

「でもお父さんだって最初は余所者が村に来たって聞いたら嫌がったじゃない!」

 

 娘の反論にサロインは言葉を濁し、食卓に沈黙が降りた。

 沈黙を破ったのはお代わりを催促するクシナだった。全く空気を読まないクシナをミートが睨みつける。

 

「どうした、儂が殆ど食べたから怒っているのか?」

 

「そうじゃないわよ!私は貴女達を信じてないの!」

 

「?それで?」

 

「それでって―――」

 

「儂も汝達なんぞどうでも良いと思ってるぞ。飯をくれたからその分だけ働くだけだ」

 

「―――分からない!――――貴女の言う事なんて全然分からない!!」

 

 ミートは父親の制止を振り解いて家を出て行ってしまった。

 サロインは多くを語らず、ただ客人に頭を下げて娘の不徳を謝罪するしかなかった。

 結局食事を続ける雰囲気ではなくなってしまい、早々に暇を貰う羽目になったヤト達は掃除の終わったミソジの家に引っ込んで祝宴のある夕方まで時間を潰す事になった。

 暇になったのでそれとなくミソジにミートの事を尋ねると、何か思い当たる節があったのか言葉を濁しつつも話してくれた。

 

「サロインの家は代々村長と司祭を担う家だからね。娘のミートもいずれは家を継いで村を背負わないといけない身だから色々と大変なのさね」

 

「ミート姉ちゃんも大きい方の姉ちゃんが村に居たら良かったのにさー」

 

「ローゼ!村を出て行った薄情者の事は言わない掟だよ!」

 

「はーい」

 

 それっきり親子はミートの家の事を口にしなくなった。

 ヤト達も深く聞くような話と思ってなかったのでこの話はそれっきりだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 剣より酒

 

 

 灼熱の太陽が砂の海に沈む。

 赤い夕陽が黄金の砂に消えていく様は何度見ても美麗としか言えないとカイルは感じ入った。隣にはローゼが座っている。

 二人は村を囲う岩壁の上で仲良く夕陽を眺めていた。

 

「あ~砂漠に沈む夕陽は何度見ても綺麗だなぁ」

 

「砂漠以外の夕陽は綺麗じゃないの?」

 

「そんなことはないけどさ、見渡す限り砂と岩しかない世界は今まで見た事無かったから」

 

「あたしはミトラ先生が話してくれた、いっぱいの花畑を見てみたいな。砂漠にはサボテンの花ぐらいしか咲いてないし」

 

 ローゼは少し悲しそうに心に秘した望みを告げる。言われてみれば多感な少女が生まれてから碌に花も見ずに過ごしているのは辛いだろう。

 カイルはせめて花ぐらい見せてあげたいと思い、自分に何かできないか考える。

 友達が物思いに耽って放っておかれたローゼは途端に不機嫌になって頬が膨らむ。何とか気を引いてやろうとしたが、その前にヤトが壁の上まで登って声をかけたので思い留まった。

 

「二人とも、もうすぐ祝宴が始まりますよ。早く降りてこないと御馳走が無くなってしまいますから」

 

 既に脂の焼ける香ばしい匂いが立ち込めており、二人の腹の虫がグルグルと鳴り響いた。ローゼはすぐに立ち上がってカイルの手を引っ張って村に降りていく。まだまだ食い気の方が強い子供なのだろう。

 ヤトも一人上で黄昏ていても仕方が無いので後を追って村に降りた。

 

 村の中心には篝火が焚かれて、敷き詰められた布に村人がそれぞれ座っている。鄙びた村でも百人程度は居るので意外と狭く感じる。日も落ちているので日差し避けの布は全員脱いでおり、一様に褐色の肌を晒していた。

 ヤトとカイルは同じ客人のミトラとアジーダの隣に座る。既に座っていたクシナは焼かれている羊にしか意識が向いていない。

 ロスタは給仕として村人に杯や皿を配っていた。実は村の女衆と一悶着あって、大事な客人に宴で働かせるのは断られた。しかし当のロスタが自分はただのゴーレムであって人ではないと主張して、仕方なく折れた女達は簡単な仕事を任せるようになった。

 長のサロインが焼けた羊を切り分けて皿に乗せている。一般に肉の配分は長かそれに近しい役職の仕事だ。これを仕損じると仲違いの原因になるぐらいに重要な仕事だった。フィレとミートは窯で焼いた薄いパンを皿に盛っている。

 実はこの村では肉よりもパンの方が重視される。何しろ水の貴重な砂漠では育成に多量の水を用いる穀物は羊よりもずっと貴重だ。

 その貴重な小麦を挽いて羊の乳から作ったバターを混ぜて香ばしく焼き上げる。村では祝いの席にしか作らない特別なパンだ。

 一先ず肉とパンを全員に配分したサロインは仰々しく演説を始める。

 話の内容は割愛する。村人は御馳走に目を奪われて誰もサロインの話など聞いていない。ミトラの話では元々毎年同じ事しか言わないから聞き飽きたとの事だ。精々ヤト達がいるぐらいしか話に変化が無かった。

 

「―――――――というわけで、明日から三日間は豊穣神への祭事の準備に取り掛かる!今宵は存分に楽しんで英気を養ってくれ。では乾杯!!」

 

 ようやく長い話が終わり、村人達は清々したとばかりに杯をあおる。

 ヤト達もそれぞれ口を付ける。中身は初めて飲む味だったが甘く爽やかな美味さがあった。

 

「おおっ!甘くて美味い」

 

「これはサボテンを絞ったジュースよ。砂漠でしか味わえない珍味ね」

 

 クシナが喜んで杯を空にしたのを見て、ミトラが説明しつつ新しくジュースを注いだ。

 ヤトもジュースで口を潤して香ばしく焼いたパンを頬張る。こちらはバターが使われていて濃厚な味が良い。

 隣のアジーダは羊肉を食らいつつグビグビと酒をあおる。この酒はワインやビールと違い、砂漠に生える草を発酵させた砂漠でしか口に出来ない酒らしい。

 

「お前とこうして座って酒を飲むとはな」

 

「僕は剣を斬り結ぶ方が好みですよ」

 

 そっけないヤトにアジーダは笑みを返す。挑発的な物言いだったが本音を言えばヤトも今すぐアジーダと殺し合う気は無い。今は村の為に共に肩を並べて戦う同僚だ。戦うのは祭事が終わってからでも遅くはない。

 祝宴は盛り上がりを見せ、村人たちは打楽器を持ち出してそれぞれ演奏しては歌い、若い男女は踊りを始めていた。カイルもローゼに手を引かれて踊り出す。田舎の村の祭りらしく誰も飾らず、楽しさを優先した素朴な舞踊だ。洗練されていない芸能だからこそ歌や踊りは自己を主張する雄弁な手段となる。

 別の場所では男達が腕相撲を始めて、負けた方が杯の酒を飲み干す罰を受けていた。盗賊に襲われている村とは思えないほどに平和な光景だった。

 今は大柄な男が三人抜きをして力こぶを作って己の怪力を誇示していた。

 負けた男達は何とかして勝者をへこましたいと思ってアジーダに目を付ける。彼等はアジーダにも参加してほしいと頼んだ。

 しかしアジーダは頼みを断ってヤトを推す。

 

「短い間でも村の者と親睦を深めておくのは必要だぞ」

 

「はいはい、仕方が無いですね。じゃあちょっと行ってきます」

 

 ほんの数日だけ居座る身でしかないが祭りの出し物に付き合う程度は構わないだろう。

 村の力自慢は今日来たばかりのヤトを見てニヤニヤしている。大柄な男にとってヤトは華奢な優男。軽く一捻りして酒をたらふく飲ませてやるのが歓迎の証だ。

 ヤトが椅子に腰かけてテーブルに腕を乗せて相手の男と腕を組んだ。男の腕はヤトの倍近く太い。

 審判役の年嵩の男が開始の声を上げるが両者はピクリとも動かない。外野から早く動けとヤジが飛ぶが、一向に二人の腕はテーブルの中央に留まったままだ。

 

「ぬおーー!!」

 

 力自慢が雄叫びを上げて腰を浮かせてもヤトは涼しいまま。この様子にはさすがに周囲もおかしいと気付いて騒ぎが小さくなる。

 そして周囲が静まり返った頃、ようやくヤトが腕を倒し始めて、ゆっくりと男の手の甲がテーブルに付き、力自慢の村人はひっくり返った。

 

「嘘だろぉ」

 

「何かの間違いだ!今度は俺がやってやる」

 

 別の男がヤトに挑んだものの、やはり全く相手にならずに負けてしまい杯を空にする羽目になった。

 こうして次から次に挑戦者が腕相撲を挑んだが誰一人として勝てずに全員酒をたらふく飲まされた。中には二度三度と挑むがやはり結果は同じで、泥酔して嘔吐する者が溢れた。

 ヤトは男達から賞賛を受けても何の感慨も感じない。勝って当然の勝負など何の価値も無い。強者と命懸けで戦ってこそ充足感が得られる。

 そこでふと思い至る。己が最強であることを納得するために剣を振るう生涯だったが、実際に最強と確信した妻のクシナと戦い納得した後は『なに』と戦えば充足感を得られるというのか。

 竜の血を得て不確かになった寿命の限りあるままに世界を旅してまだ見ぬ強者を当てもなく探せばいいのだろうか。あるいはクシナとの間に作った子を鍛え上げて戦えば良いのか。幻のように実体の無い未来を想うと途方に暮れてしまう。

 物思いに耽るヤトに背からアジーダがどうしなのかと声をかけた。

 

「――――どうした?何をそんなに悩んでいる」

 

「アジーダさん……貴方は強くて殺しても死なないですが、貴方以上に死なない方を誰か知ってますか?」

 

「強いのは知らんが殺しても死なないのならあの女だぞ」

 

「ああミトラさんですか。なんなんですかね、あの人」

 

 普通なら百回は殺しているはずなのにかすり傷一つ付けられなかったミトラを思い出す。自分の生涯でも数少ない、良いようにあしらわれた不愉快な経験は忘れられるものではない。

 

「それを本人に行っても女は謎が多い方が魅力とかなんとか言って煙に巻くから無駄で俺も答えない」

 

「ああ構いませんよ。答えが知りたくなったら剣で済ませます」

 

「ははは!お前が是非そうしてくれれば俺も腐れ縁が切れて万々歳だ!」

 

 じゃあ何で一緒にいるのか。そう聞いたところでどうせ答えないだろうから適当に流した。

 アジーダ達は血縁には見えない、仲が良いとは言い難い。しいて言えば雇用契約を結んで仕事上組んでいると言えばいいのだろうか。その上で薄くとも決して切れそうにない縁で結ばれている。というよりヤトには縛られていると言った方が近い間柄に見えた。

 

「ま、冗談だがな」

 

 アジーダは笑ってごまかした。幸い周囲は泥酔している者ばかりで不穏な会話は誰も耳に入っていない。よしんば聞いていたとしても酔っ払いの戯言と笑ってすますだけだ。

 そして彼は転がっている杯二つを手に取って酒を注いで片割れをヤトに渡して自分の分を一気に空にした。

 仕方なくヤトも好きでもない酒を飲み干した。ただ、不思議と美味いと思った。

 

「俺とまともに遣り合えるお前とならまた飲んでも良いと思ってるぞ」

 

「次は剣でなら応えてあげますよ」

 

 アジーダはあくまで酒より剣をとるヤトに笑みを向けて背を向けて広場の方に戻って行った。

 一人立つ尽くすヤトは空を見上げて一度祝宴に戻った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 落とし物の疑惑

 

 

 楽しい宴も終わり、村人達が眠りこけてた深夜でもまだまだ元気な者がいる。

 カイルはロスタを伴って村を囲む岩壁の上まで登った。空を見上げれば月と満天の星空がこの世の物と思えないほどに美しい。

 とはいえずっと目を奪われていては仕事にならない。目を下に戻せば既に先客のヤトがクシナと共に座っていた。カイルも隣に座り、ロスタは後ろに立つ。

 よく見るとクシナはヤトの肩を枕に眠っていた。

 

「二人ともお待たせ」

 

 クシナを起こさないように小声で遅れて来たのを謝るがヤトは気にしていない。

 夜の砂漠は冷えるが火は燃料の木が貴重なのと位置がばれるので使えない。だから外套を羽織って寒さを凌いだ。

 寒さは何とかなるが眠気は我慢出来ないのでカイルは欠伸をした後、ヤトに話を振って気を紛らわす。

 

「それで、本当に盗賊が今夜来るの?」

 

「盗賊は過去に何度も祭具を狙って襲撃していて、祭事の日取りを知っています。当然村の位置も知っている。今も近くで監視はしていると思いますよ」

 

「ということは今日のバカ騒ぎも知ってるかぁ。襲撃にはお誂え向きだね」

 

 カイルは納得しつつ村人の無防備さに溜息しか出ない。

 何というか長年にわたって他者と積極的に交流しない環境に置かれたせいで、排他性は高いくせにどうやって外敵から身を守るかを具体的に思考する能力が失われているのではないのかと思えてしまう。

 宴会に惚けて酔い潰れた連中を相手取るなど、それこそ子供でも容易い。寝ずの番をしろとまでは言わないが、せめて祭事が終わるまでは警戒を解くなと言いたい。

 まあ客人でしかない自分達が言ったところでこの村は誰も真面目に取り合ったりはしないだろう。つくづく面倒くさいが受けた恩を返さないろくでなしにはなりたくない。

 

「それでアニキの方針は?」

 

「適当に蹴散らしてから後を追って拠点を見つけます」

 

「……そうか、こんな砂漠じゃ水を得るのも大変だから近くに陣を張ってないと安心して動けないね。僕が斥候役?」

 

「いえ、僕達も行きます。場合によってはそこで一気にケリをつけても良いです」

 

 基本方針はそれでいい。後はアジーダとミトラをどう扱うかも聞いておく。

 ヤトの方針は何もしない、だ。精々村に侵入した賊を担当してもらうように持ち場を分けただけだ。

 元々あの二人は同じ場所にいるだけで味方とは言い難い。なら味方として扱うよりは勝手に動いてもらった方が面倒が少ない。

 

「それにしてもさ、毎度狙われる祭具ってのは何なんだろうね?」

 

「さて?そういえば十年周期で何度も狙われたとアジーダさんが言ってましたが意外と年寄りなんでしょうか」

 

「あのミトラさんも年齢不詳だよね。意外と村の人たちも普通の人より長生きだったりして」

 

「長生きかどうかは分かりませんが、この村の方々は全員魔人族です」

 

 ヤトとカイルは反射的にロスタの方に振り向いた。クシナは体勢がズレて地面に頭をぶつけて起きた。

 二人はロスタに同じ事を問わない。ゴーレムは間違いは犯しても嘘は言わない。そしてなぜか彼女は魔人を見分ける事が出来る。なら事実以外に無い。

 

「今まで言わなかったのはなぜ?」

 

「すぐそばに居たので言い辛かったのもありますが、あの親子は皆さまに敵意を抱いておられなかったので。村の方々も今日一日観察していましたが、部外者への隔意と排他心はあれど殺意はありませんでした」

 

「不確定な情報を安易に伝えるのは余計な先入観を与えて危険ということですか。それに魔人族だからと言って無条件で敵対するとは限りませんね」

 

「元々儂達だってみんな種族が違うしの。良い悪いは自分で確かめるものだし、儂は飯をくれた村の連中はまあまあ好きだぞ」

 

 クシナの言葉は一切飾らない分、ヤトとカイルの心を代弁している。二人とも同族だから信用出来るなどと頭の緩い思考はしていない。反対にほんの数日前に別の土地で殺し合っただけの種族と同じというだけで敵対する理由は無い。友好関係を築けるのは自分達自身が何よりの証拠だろう。

 

「では約定通り村の側に立って盗賊と戦う事に異議はありませんね?」

 

 ヤトの言葉に三人は頷いた。今は飯の恩義の為に戦うだけだ。

 四人はロスタに見張りを任せて軽く眠った。こういう時に睡眠と食事の不要な作り物のゴーレムは強い。

 

 

 最初に目を覚ましたのはクシナだった。続いてヤトも目を覚ます。

 空はまだ暗く月と星の時間だ。夜明けまでは三時間という所か。

 

「今のは…」

 

 ヤトは何か動物のいななく声を聞いた。馬や牛とも違う、鹿でもない。聞いた事の無い鳴き声だったが確かに何かの動物がいる。

 クシナはヤト以上に鋭い嗅覚と聴覚で東の砂丘を指差した。あの方角から獣の臭いがしたらしい。

 

「ロスタ」

 

「はい」

 

 メイドは言われた通り主人のカイルを起こした。彼は目を擦り、欠伸をしてから準備を整える。ここからは命を取らない戦だ。

 しばらく伏せて東の砂丘を観察していると、稜線の影から幾つもの地を這う虫のような影を確認した。数は三十程度、全て布を顔で隠して、剣や槍を携えている。十中八九あれが盗賊団だろう。

 だた、妙な事に寄せ集めの盗賊でも動きにキレがあり、統制のある動きをしていた。あれは軍事的訓練を受けた兵の動きだ。

 ヤトは何か作為的な臭いを嗅ぎ取ったが、今この場で手筈を変えるのは混乱の元と判断して段取りの変更はしなかった。

 四人は南北二手に別れて盗賊団を挟み込むように大回りする。

 この時点で盗賊側の何人かがヤト達に気付いたが既に遅い。

 足場の悪い砂漠でも常識外の脚力のクシナが一気吶喊して盗賊の一人を叩いて沈める。かなり加減して撫でるように叩いたので気絶はしても死んではいない。

 それに続いたヤトも鞘付きの剣で無防備に後ろを晒した一人の首を打ち据える。こちらも死んでいない。

 

「て、敵襲!村への襲撃は取りやめ、手近な者と組んで対応しろっ!」

 

 盗賊達が武器を構えてヤトとクシナを警戒する。そこに反対側から時間差で近づいたカイルとロスタが後ろから急襲する。

 カイルは長弓を鞭のようにしならせて敵を叩き、ロスタは槍とフォトンエッジを使わず、スカートを翻して回し蹴りを盗賊の鳩尾にめり込ませた。

 既に四人が苦悶に喘ぎ、リーダー格の女盗賊が手下を叱咤する。

 

「馬鹿者ぉ!!あのような蛮族如きに我々『天秤の護剣』が後れを取るなど恥を知れ!」

 

「ははっ!」

 

 盗賊達は奮起して三人が同時にクシナに襲い掛かった。片手しかないクシナではどう足掻いても一人しか対処しきれないと踏んだのだろう。

 目論見通り、二振りの剣と一本の槍がクシナの柔肌へ突き刺さった。

 

「っ!?な、なんだこいつの肌は――――」

 

 一人が明らかに肉を刺した質感と異なるのに気付いて声を上げるが、クシナは掴んだ剣の柄を叩きつけて返答にした。さらにもう一人の剣士の腕にぶつけて剣ごと腕を叩き折った。残る槍持ちはヤトが頭を殴って昏倒させる。

 

「これで七人です。諦めて村から手を引いてはいかがですか?」

 

「ふざけるなっ!!汚らわしい魔人族風情に神具を持たせたまま、おめおめと帰れるものか!!」

 

 激昂した女盗賊がヤトに斬りかかった。

 しかし足場の悪い砂漠での踏み込みの遅さは致命的だ。ヤトが昏倒した盗賊を蹴り上げてぶつけられた女は体勢を崩してひっくり返った。すかさずの追撃に腹を鞘の切っ先で突かれて呼吸もままならずに意識が混濁する。

 

「ミレーヌ様ぁ!」

 

 盗賊達に動揺が走り、その隙にカイル達がさらに三人を攻撃して戦力を削る。

 既に盗賊達は三分の一の戦力を失った。奇襲も察知されて逆撃に遭った以上はこのまま続けても失敗する公算大である。おまけに指揮官も倒れたのだからすぐにでも撤収すべきだった。

 盗賊達は仲間の一人に手振りで指示を送った。彼は懐に手を入れて何かの玉を何個も取り出して空へと投げた。

 玉は空でまばゆい光となって断続的に周囲を白く染め上げた。

 ロスタを除く三人は咄嗟に目を瞑るか反射的に手で遮ってしまう。ヤト達は暗闇を苦にしないが生物である以上は強烈な光には耐性が薄い。唯一ゴーレムのロスタも主カイルの安全を優先して攻撃は断念した。

 まんまと数秒を稼いだ盗賊達は急いで倒れた仲間達を担いで元来た砂丘の方角に逃げて行った。

 

「一応予定通りではあるよね」

 

「ええ。逃げるにしても足跡を消す余裕は無いですから、砂嵐でも来ない限りは追跡可能です」

 

 あらかじめそれなりの水と食糧は用意してある。いざとなったらクシナに乗せて空を飛べば余裕で追跡出来る。

 クシナはふとヤトの足元の砂の上に光る何かを見つけた。拾い上げてみると金製の首飾りのようだ。

 

「さっきの女の物か?」

 

「それ『法と秩序の神』の意匠だよ。盗賊が何でこれを?」

 

 カイルは『剣を乗せた天秤』の首飾りに触れて、通常有り得ない組み合わせに首を捻った。

 大陸で広く信仰されている多くの神の中でも『法と秩序の神』は極めて厳格で犯罪を決して許さない神だ。盗賊のような盗みを働き時には殺しすら許容する人種とは絶対に相容れない。当然盗賊は『法と秩序の神』を信仰したりなどしない。

 これが『富と幸運の神』なら財貨を求める盗賊が信奉するのも分かるが、相反する神の教えを信じるというのは納得がいかない。

 

「疑問はありますが、それは後で当人達に尋ねてみましょう」

 

 ヤトは盗賊の落とした首飾りをカイルのポケットにねじ込んで東を指差す。

 催促の通り、今は盗賊達を追って拠点を見つける事が先決だった。

 四人は砂に残る足跡を辿って夜の砂漠に消えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 邪神の徒

 

 

 四人は無数の蹄の跡を辿り砂の海を行軍する。今は指先がかじかむぐらいに寒い夜だったが速足の行軍によって身体は温まる。

 カイルは歩きながら蹄の向きと数、それと沈み具合を確かめて情報かく乱が無いのを確認していた。

 行きと思わしき足跡は多少差があれどどれも同じ程度の深さで隊列を組んだように整然と砂に刻まれている。

 しかし帰りは明らかに列が乱れているのと、やけに沈んた蹄の跡の隣に浅い跡が幾つも見られた。

 深い方は荷物を大量に乗せた馬の蹄の跡によく似ている。おそらく動けない怪我人を乗せた分重くなったのだろう。

 逆に浅い跡は空荷の馬の手綱を取って併走させた足跡と思われる。

 これだけはっきりとした証拠が残っていれば一端の斥候のカイルなら容易く追跡出来た。

 今は月も出ている時間なので方角を間違う事も無い。無論村の場所が分からなくなるような間抜けな事もしない。

 一行は何の差し障りも無く月明かりの追跡を続けた。

 

 

 追跡を続けた四人は太陽が完全に姿を現す頃に目的地と思わしき盗賊達の拠点を見つけた。

 予想通り拠点はオアシスだった。大人数が砂漠で居を構えようと思えば確実に大量の水が必要になる。

 そのオアシスを囲むように砂色の天幕が並んでいる。遠目から見れば人工物があるようには見えない。

 

「――――ここから見える範囲で人が二十ぐらい。あと馬っぽい変な四つ足の獣が三十は見える。あれがラクダって奴かな」

 

「薬を持ってこい、添え木を当てろ、包帯が足りないから適当な布を使え―――とか騒いでいるぞ」

 

 カイルの目とクシナの耳によってオアシスの拠点は晒された。負傷した者の手当てをしているのなら、ただの商人のキャラバンという可能性は消えた。あそこが昨夜の盗賊の根城だ。

 

「それでアニキの方針は?」

 

「少し情報を得ておきたいのでまずは話をしてみますか。名目は『これ』を返すということで」

 

 ヤトは懐から金細工の首飾りを出す。女盗賊が落とした『法と秩序の神』の意匠の『剣を乗せた天秤』だ。

 話し合いの場を持つにあたって力づくで入り込むよりはどうでもいい名目でもあった方が良い。

 そういうわけで四人は真っ向から歩いて盗賊の住処に入る事になった。

 オアシスの拠点の盗賊達は怪我人の治療に忙しかったがそれでも見張りはきちんと仕事をしている。その内の一人が拠点に近づく四人に気付く。

 最初はオアシスに水を求めて来た旅人かと思ったが、見張りの一人がすぐにヤト達の顔を見て態度を豹変させて武器を構えた。

 

「くそっ!つけられていたのか!!こいつらが我々に仇なす魔人だっ!!」

 

 見張りの声にワラワラと十人ばかりが剣を持ってやって来たが、ヤトが高らかに首飾りを掲げると一瞬だけ盗賊の殺気が霧散した。

 

「この首飾りを持ち主に返しに来ました。面会を求めます」

 

「それはミレーヌ様の!?――――魔人ずれが何を世迷い事を!!」

 

「ならその剣で僕達を殺せますか?昨夜良いようにあしらわれたのに」

 

「おのれぇ!『法と秩序の神』に仕える我等神官戦士を舐めるでない!!」

 

 盗賊改め神官戦士たちは己が信奉する神への祈りと共に戦う覚悟を決めた。

 じりじりと間合いを詰める戦士達も突如後ろから聞こえる大声に機先を挫かれた。

 張り上げた声の主はどたどた砂を巻き上げ、戦士達をかき分けてヤト達の前に立った。

 

「皆さん久しぶりです!!おいどんを覚えていますか!?」

 

 ゆったりとした服の上でも分かるぐらいでっぷりと肉の付いた大柄の身体に愛嬌のある顔立ちをした狸の獣人だ。その顔に最初に気付いたのはクシナだった。

 

「おっ?スラーだ」

 

 狸人のスラーはクシナが名と顔を覚えていてくれたことに喜んだ。

 一年ほど前にフロディスの鉱山都市で饗を共にした三人組の一人との予期せぬ再会は戦いの気を霧散させた。

 しかしそれで収まるはずはなく、リーダー格の神官戦士は緊張した面持ちでスラーを問い詰める。

 

「スラーよ、この魔人とどこで知り合った。話の次第では―――」

 

「この人達は魔人じゃありません!困ってる人を助ける気持ちの良い人達です!ドロシーお嬢もヤンキーだって同じ事を言います!!」

 

 スラーの剣幕に一歩引いた戦士はどうしたものかと顔を見合わせた。彼等は魔人や犯罪者には苛烈でも同胞に剣を向けるような気質は持ち合わせていない。

 何より魔人と思わしきヤト達の前に立つスラーの抜けているが善良と言って差し支えない内面を知っている。だからどうしても剣を向けるのを躊躇ってしまう。

 そこにもう一人、三十歳前の金髪女性が加わる。

 

「何だいスラー、私の事を呼んだ―――――あら、こんな砂漠で知り合いに会えるとは思ってなかったわ」

 

「奇遇ですねドロシーさん。一年ぶりぐらいですか」

 

 ヤトは『法と秩序の神』に仕える金髪の女性――ドロシーに挨拶をする。

 神官戦士達もスラーはともかく正規の神官であるドロシーには強く出られず、あくまで理性的にヤト達との関係を問い詰めた。

 ドロシーは包み隠さずフロディスの鉱山都市でたまたま一緒に仕事をした仲と話す。それから逆にヤト達がなぜ魔人なのかを戦士達に問い、昨夜の奇襲の失敗と怪我人を出したあらましを聞いて、彼女は頭に指をあてて簡潔な事実に気付いた。

 

「もしかしてあの魔人の村に雇われた?」

 

「正解です。だから僕達はあの村を襲う盗賊を退ける義理があります」

 

「と、盗賊だと!?我々神に仕える敬虔な神官戦士を下賤な盗賊と言うか!!」

 

「夜中に無力な村に武器を持って大勢で押し掛ける集団を盗賊と言わずに何と言えば良いのか教えてもらいたいですね」

 

「魔人に与する無法者が言わせておけばーーー!!」

 

「止めなさい!!………えっと、あんた達の事も聞きたいから、とりあえず客として扱うから大人しくしてほしいね」

 

「分かりました。それとドロシーさんから持ち主にこれを返しておいてください」

 

 ヤトはドロシーに首飾りを渡して、クシナ達共々大人しく戦士達に前後を固められて拠点の中に連れて行かれた。ただ、客として招かれたので武器は取り上げられず手も縛られてはいない。

 四人に宛がわれたのは日よけと砂地に薄い布を敷いた簡素な広い天幕だった。中は風通しも良く、ひんやりして過ごしやすい。客人用というわけではないが嫌がらせというほどの扱いでもない。

 しばらく座って待っているとスラーともう一人の男がパンと水差しを持って来た。

 スラーに話を聞きたかったが何か言う前に彼はもう一人の方に引っ張られて行ってしまった。余計な情報を与えないように警戒されているのだろう。

 仕方無いので用意してもらった食事に手を付ける。勿論毒や薬の類が入っていないか確かめてから口にした。

 簡単な食事を終えて夜通し走った疲労で気が抜けて欠伸が出始めた頃、ようやく最後の一人の狐人のヤンキーが訪ねて来た。

 ヤンキーは四人との再会を喜んだものの、彼は単なる案内役を命じられただけで碌に話す事も無いままヤト達を所定の大型の天幕へと導いた。

 彼が先頭に立ち、ヤト達も続いて天幕へと入った。

 天幕内は広々としていて二十人は纏めて入れる広さがある。

 中には既に四人の戦士が直立不動で待ち構えており、奥にはドロシーともう一人顔を晒した金髪の女性が座っていた。歳はヤトより少し上で20歳程度だろうか。時折咳をして胸を押さえている。慎ましい胸にはヤトが返却した金の首飾りがあった。

 

「ん…んん!客人よ、座られよ」

 

 女性の勧めで四人は各々の好きなように座る。

 

「まず初めに首飾りを届けてくれたことに礼を言う。私はミレーヌ、『法と秩序の神』に仕える神官で、この集団の預かる者だ。ゲホッ、貴殿らはドロシー殿の言う通り、本当に魔人ではないのか?」

 

「僕は耳を見れば分かるけどエルフだよ」

 

「私はただのゴーレムです」

 

「儂は見ての通りだ」

 

「僕は生まれは人間ですけど」

 

「………………そうか。言うべき事は多々あるが、魔人と違うのは理解した。しかし他の者から聞いたが何故あの村に雇われた?何を対価に我々秩序の担い手に剣を向ける?」

 

「村人に水を貰いました」

 

 ヤトの簡潔な答えにミレーヌは一瞬顔から全ての感情が抜け落ちて呆ける。その後すぐに言葉の意味を理解して怒りを隠さず睨みつけた。

 彼女は昨夜の襲撃を指揮を執っていた。それをヤト達に邪魔されただけでなく、鳩尾に一撃貰って今も呼吸がおかしい。不調の身体を押して冷静に襲撃者と話し合いの場を設けたというのに、たかが水のために辛酸を舐めさせたと知って感情を抑え切れなかった。

 

「あの村は魔人の巣窟だぞっ!人間やエルフと相容れない種族のために水如きで命を賭ける必要が…ゲホォ、ゲホッ!それどころか奴等は邪神復活を目論んでいるのだっ!!我々の邪魔をするのは止めろ!」

 

「はあ、邪神復活ですか」

 

「ゲホッ……とぼけるなっ!奴等が数日後に邪神降臨の儀式を企てている事はとうに見抜いている。それを何としても阻止せねば世界が災厄に見舞われて無辜の民がどれだけ死ぬと思っている!!」

 

 村のミソジは『生と豊穣の神』に捧げる祭事を行うと言っていた。村長やその娘も豊穣神に仕える司祭だ。ミレーヌの言うような邪神とは関わりが無いはず。

 それに祭事は昔から十年毎に行っているのだから毎度世界の危機に陥るはずだ。しかし今も世界は存続している。

 村人とミレーヌの情報には齟齬が大きい。これはもう少し突いて情報を得るべきとヤトとカイルは視線で意思を交わす。

 カイルはわざとらしく悲しい顔を作ってショックを受けたような態度を取る。

 

「僕達は何も知らされてなかったのかな。そういえば村の人は祭事には祭具が必要って言ってたけど、それも邪神の祭具なの?」

 

「……いや、それは我々『法と秩序の神』に所縁の聖なる器と大神官様より聞いている。あの魔人達は恥ずかしくもなく聖なる杯を用いて邪神を降臨させようと企んでいると情報を掴んでいる」

 

「それを僕達が壊してしまえば邪神の儀式は防げますか?」

 

「ま、ゴホッゲホ……それは出来れば避けたい。祭具は本来神殿に納めるべき貴重な物なんだ。可能な限り無傷で取り戻したいと大神官様の仰せだ」

 

 ヤトとカイルは今までの情報の齟齬から確信とまで行かなかったものの、祭具を欲しがる大神官とやらに功名心や野心の臭いを嗅ぎ取った。しかし思考を読ませないように神妙な面持ちで頷いた。

 ミレーヌはこの時点で自らの徳でヤト達を改心させられたと思い込み、さらに畳みかけにかかった。

 

「私も恩返しをしたい気持ちは尊いと思うがここは多くの民と正義の為に共に働いてくれないか?」

 

「働くというとどのような役割を?」

 

「連中の儀式は二日後に行われる。祭具はそれまで固く封印されて魔人も触れられない。だから儀式を行う直前に奪う手助けをしてほしい」

 

「あれ?ならなんで昨日の夜は村に?」

 

「封印は村の邪神官がいなければ解けないと聞いている。だから拘束して儀式の日に解かせるつもりだった」

 

 盗賊働きどころか人質を取っての脅迫までするとは、『法と秩序の神』の神官というのは随分と過激な手段を執る。

 まるで己の法を執行するためなら何でもしていいと思っているのか。

 ミレーヌや護衛の神官戦士達は己の所業に何の疑いもない。

 しかしドロシーは苦々しい顔を晒していた。彼女はこのような蛮行は好まないように見える。

 ヤトは信仰に凝り固まった懐疑的な情報に信を置けなかったので、個人的な縁も加味してドロシーやヤンキーから詳しい情報を得ようと一つ策を講じた。

 

「分かりました。知らなかったとはいえ敵対したお詫びに助力させていただきます」

 

「分かってくれて私も嬉しい。ゴホッゴホ……」

 

「幸い僕達は村の中に入れますから、一度戻って中から工作をしましょう」

 

「中と外からでは如何な魔人とて一たまりも無いという訳か。ククク……ゲホッゲホ!この聖なる戦いは私達の勝利だ」

 

 咳き込みつつ良い感じに盛り上がっているミレーヌは横のドロシーがヤトとカイルに視線を向けているのにも気付かない。

 ヤト達が退出を求め、すぐ後にドロシーとヤンキーが退席しても彼女は浮かれていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 利害調整

 

 

 ミレーヌの天幕を出たヤト達はドロシーが使っている天幕に招かれた。既にスラーが居て人数分の杯と水差しを用意していた。

 天幕は七人が使うには手狭で風通しは良くても多少蒸し暑さがある。

 入り口に立つロスタを除いて六人は車座になる。最初に口火を切ったのはドロシーだった。

 

「さてと……お互い持ってる情報を擦り合わせしようかしら」

 

 クシナとスラー以外は頷いた。

 

「まず、あの村の住民が全員魔人族で邪神の儀式をしてるってのは本当なのかい?」

 

「ロスタが魔人と判断したから本当だよ。でも邪神崇拝は多分違うと思う。あそこは『生と豊穣の神』を信奉してて、二日後の祭事は豊穣神のためらしい」

 

 カイルの返答とロスタの頷きを見たドロシーとヤンキーの顔が険しくなった。そこにヤトが補足にサロイン村長から殺生と流血を禁じる制約を受けた事を告げると、ドロシーのかさかさ肌の眉間に深い皺が出来た。

 

「生まれが魔人だから平和に暮らしていても力づくで祭具を奪っていいってのかいフェラー大神官め!……ミレーヌは貧乏くじだね」

 

 ドロシーは悪態を吐いて、ここにはいないフェラー大神官とやらを罵倒した。

 

「察するに上から無理な仕事を押し付けられたという事ですか」

 

「そういうことになりますかねえ。あたくしやお嬢も最初から面倒な仕事とは思ってましたが、騙して汚れ仕事をさせようとあっては不愉快ですわ」

 

 いつも飄々としていた態度のヤンキーでさえ切れ目に力が入り不快感を露にしている。

 カイルはそもそもドロシー達がどういう経緯でここにいるのかを尋ねた。

 ドロシー達三人はフロディスの鉱山都市でヤト達と別れた後は適当に旅をして、最近この砂漠の南東にある生国のデメテーに里帰りをした時に、実家と所属している『法と秩序の神』の神殿から仕事を強引に頼まれた。

 断る事も出来たがミレーヌの補佐役と知って不承不承ながら仕事を請け負い、ここに居るという事だ。

 ドロシーとミレーヌは親戚で姉妹とはいかないがそれなりに知った仲もあって昨日までは上手くやっていた。

 また、この拠点に居る者達も神官として邪教崇拝の儀式を行う邪悪な魔人との正義の戦いに戦意を漲らせている。

 

「なるほど、ドロシーさん達の事情は分かりました。それで上司から言われた通り、あの村の祭具を持ち帰るつもりですか?」

 

「どうかしらねえ。例え首尾よく祭具を持ち帰った所で大神官やその一派に政争のオモチャにされるのがオチだけど、失敗を理由にミレーヌに泥を被せるのはちょっとね」

 

 聖と俗は両方程よく知ってこそ正しく運用できるとは言われている。聖職者といっても生臭い政治からは逃れられないのだろう。

 しかしヤト達には関わりの無い事だし、まして襲撃を受けて大事な祭具を奪われる側にある魔人の村には甚だ迷惑な政治駆け引きでしかない。

 当然ながら村人から一宿一飯の恩を受けたヤト達は祭事が無事に終わるまで村を守るために働く。

 こうして杯を交わしていても六人の関係は未だ敵同士である。

 

「おいどんは皆さんと喧嘩はしたくないです。また一緒にご飯を食べる方が好きです」

 

「そうは言うけど僕達だってあの村で一宿一飯の恩を受けた以上は譲らないよ。その……遺跡でお世話になったドロシーさん達と戦いたくないけどさ」

 

 スラーの情けないが親情のある言葉にカイルは敵対の意思は示しても些か勢いが弱い。

 一年前にドロシー達に遺跡で助けられたのは覚えているが、その時の仮は既に食事を奢るという行為で返却している。お互いそれで納得した以上は貸し借り無しだ。

 それに一応こんな砂漠で再会した奇縁と、かつてドロシーの言ったように『真面目な同業者とは助け合う』という言葉には幾らか同意しているので、助けるのは嫌ではないがお互いの立場が悪い。

 どうしたものかと思案している横で、クシナが思いついた疑問を口にする。

 

「村のあいつらは前から何度も祭りを邪魔しに来たから毎度叩き返したと言ってたぞ。また負けるのはそんな気にするような事か?」

 

「うちは秩序の神に仕えてるから豊穣神の祭具が無くてもそんなに影響無いけど失敗をネチネチ言われると腹が立つのさ」

 

「ふーん。よくわからん」

 

「分からない方がいいよ。知っても楽しい話じゃないし」

 

 ドロシーは自嘲気味にクシナを諭す。この時点で最悪自分がミレーヌの代わりに泥を被る気になった。どうせ自分は勝手に家を出た身だ。今更泥の汚れの一つや二つ増えた所で支障はあるまい。

 問題は真相を知ったミレーヌが素直に任務を断念するかだ。あの娘は未だ政治の生臭さを知らず愚直に信仰のために動いている。そこを付け入られて上から良いように使われている。出来れば事実を伝えた上で賢く立ち回って欲しいのだが、あの気性では望みは薄い。

 そもそもヤト達の証言だけでは信憑性に乏しく納得させられるものではない。例えドロシーの知己であってもまともに取り合いはしないだろう。

 むしろ魔人族に操られていると断じて邪悪な種族と判断する方が妥当だ。

 魔人族の存在は数千年を生きる神代のエルフなら当事者であったり、親族から直接話を聞いて詳細な知識を持っている。

 他の百年程度しか生きられない定命の種族にとっては殆どお伽噺として忘却の彼方に追いやられた存在だった。

 それでも例外的に神殿では何千年にも渡り書の形で今でも魔人族をオークやトロルと同列の人類種に仇なす種族と伝えている。

 そのような種族を前にすれば、如何に『法の神』の同陣営である『豊穣神』を信奉していたところで、討伐しようとするのは目に見えていた。

 カイルはどうにか村とここの神官団が戦わずに済む道を探したかったが中々良い案は思いつかない。

 

「アニキは下らない戦いを避けるいい方法を何か思いつかない?」

 

「あるにはありますよ。魔人族や祭具の他に手柄を他に用意して、そちらに注意を向ければいいんです」

 

 ヤト以外の全員が首を捻った。教義に凝り固まった世間知らずの若い神官達が魔人族を前にして他に目を奪われるような餌がこんなところにあると思えない。

 

「ドロシーさんは『死霊魔法』の使い手がすぐ近くに居たらどうしますか?」

 

「勿論討伐するわよ………もしかしてあの女魔法使いがいるの?」

 

 あの女とはミトラに他ならない。ドロシーはかつて古のドワーフ王を蘇らせて弄んだミトラを思い出して不快感に顔を歪めた。

 

「邪神の儀式の妨害と邪悪な魔法使いの討伐を両方するには戦力が足りません。まずはどちらかに注力するか僕達が片方を担当するように調整すれば―――」

 

「時間を無為にして『豊穣神』の儀式は滞りなく終わると。神官団の誘導はあたくし達の仕事というわけですか…ククク」

 

 ヤンキーが長い髭を揺らしてケラケラと笑う。さらに気を良くして煙管に火を付けて煙を吸い始めた。

 つまるところヤトは魔人達の代わりにミトラの首を差し出すと言っているのだ。

 ヤト達が一宿一飯の恩を受けたのは村であってアジーダとミトラではない。

 あくまで儀式が滞りなく終わるまで村を守るのがサロイン村長との約定だ。それにさえ抵触しなければ、あの二人がどうなろうと知った事ではない。

 

「確かに僕達あの二人に酷い目に遭わされたから味方じゃないよね。村を守るための致し方ない犠牲かな?」

 

 カイルも同意する姿勢を示した。

 といってもヤトとクシナはあの二人の不死性を嫌というほどに知っているので、ここの神官達が殺せるかどうかは未知数だ。まあそこは信仰心に篤い『法と秩序の神』の若々しい神官達の奮闘に期待するとしよう。

 おおよその方針は固まった。後は各々のやり方で戦わせる相手を誘導すればいい。

 ここでヤトはもう一つ手を打っておくことにした。

 カイルとロスタを神官達に張り付かせておくという提案だ。

 

「なんで僕達まで?」

 

「僕達を信用していない神官達を人質という形で安心させた方が動きを制御しやすいからです」

 

「あーまた村に夜襲を仕掛けられたら面倒か。年下の僕達の方が人質には向いているね」

 

 それでも勝手に動くようなら盗賊技能を活かした妨害工作をするのも良いだろう。こういう時はカイルの方が適している。

 

「そういうわけでカイルとロスタはここに残ってもらって、僕とクシナさんは日暮れ前に村に戻ります」

 

「二人の待遇は私に任せなさい。食と住には苦労させないから」

 

 ドロシーは微笑みを浮かべてヤトの提案を快諾した。主導権を握れない以上は取り決めはこれぐらい緩くしておいた方が色々と柔軟に動ける。

 そしてヤトとクシナは太陽が傾いて暑さが和らぐのを待ってから神官達の拠点を後にした。

 ミレーヌや御付きの神官達には、残ったカイルとロスタは『法と秩序の神』の教義に興味があり、ここでしばらく手伝いたいと申し出ると、彼女達は心から喜んで親しい仲間のように二人を遇した。

 当然二人を疑う神官の中には丸わかりの疑心の目を向けて監視をする者も居るが、一端の盗賊のカイルには居ないも同然で、拠点の中を好き勝手に動けた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 もしもの仮定

 

 

 ヤトとクシナが魔人の村に戻ったのは夕陽が半分ほど地平に沈んでいる刻限だった。

 普通歩いて移動していたらとっくに夜中になっていたがそこはクシナが道程の八割を竜に戻って飛んだおかげでかなり短縮出来た。

 村に入ると村人の幾人かが二人を取り囲んで今までどこに居たのか問うた。

 

「昨日の夜に盗賊が襲撃を仕掛けたので撃退してから後を付けて拠点を確認しておきました」

 

「なっ、なんだと!?それはお手柄だったな」

 

 村の男衆が二人を褒める。後からサロイン村長も来て事情を聞いて、無事を喜んでから感謝を述べる。そこでカイルとロスタが居ない事に気付いて事情を聞くために自宅へ招いた。

 村長の家は荷物が乱雑に積み上げられてごちゃごちゃしている。楽器やら飾りつけようの装飾品が多い。ヤトの見立てではおそらく二日後の祭事に使う道具だろう。

 クシナはそうした道具には興味を持たずに奥方のフィレが並べる出来立てで湯気の立ち込める夕食の方に視線を向けていた。

 娘のミートはヤト達を見て身構えた。相変わらず人見知りをする娘である。

 

「おやお二人さん。朝から見なかったから心配してたけど無事でよかったわ。カイル君とロスタちゃんはどうしたの?」

 

「あの二人は盗賊を見張ってますよ」

 

「なに?あの二人に任せて戻って来たのか!?」

 

「あの二人だから任せたんですよ。カイルは斥候としてなら僕より上ですからヘマはしません」

 

 サロインは年少に危険な仕事を押し付けたと思って腹を立てたが、ヤトの信頼の籠った言葉を聞いて一旦平静を取り戻す。少なくとも会って一日しか知らない自分より、旅の仲間の方が事情は知っているはず。

 言いたい事と聞きたい事はまだまだあったので、サロインは夕食を共にするように勧めた。

 五人は夕食を囲んで座り、客のクシナとヤトが先に料理に手を付ける。

 それから五人は食事を程々に食べて、ヤトが祭事の準備の状況を聞く。

 

「順調に進んでいる。明日の昼には必要な準備は整うだろう。ミソジの話だと砂嵐が来る前に祭事も終わるしな」

 

「それは良かった。あとは祭事の最中に盗賊の襲撃を防ぐだけですね」

 

「あんた達が撃退したのにまだ諦めないのね。十年前もその前もそのまた前も襲って来たのに何で懲りないのかしら」

 

「信仰や教義というのはそう簡単に割り切れる物ではないという事でしょう。まして魔人に希少な祭具を握られているのは面白くない」

 

 クシナ以外の食事を取る手と口が動きを止める。家の中に沈黙が生まれてランプの芯がパチパチと燃える音がやけに大きく聞こえた。

 しばしの沈黙の後、サロインが手に残っていた肉を頬張り咀嚼してから真っすぐヤトを見て口を開いた。

 

「知っていたのかね」

 

「ロスタはミソジさん親子と会った時から気付いてたそうです。僕達は昨日の夜に教えられました」

 

「我々が魔人族と知った上で食を共にするのか。人族は魔人と知れば我先に殺そうとすると思っていた」

 

「儂は人じゃないぞ」

 

「僕も厳密には人族ではないです。それ以前に種族がどうとか興味ありませんし」

 

 サロインとフィレは目をぱちくりさせた後に笑い合う。これでは無駄に警戒していた自分達が間抜けに思えて仕方がない。やはりアジーダやミトラの他者への見識の高さは流石だと思った。

 ひとしきり笑った後に二人は青天のような晴れやかな顔になって食事を再開する。

 

「―――――実を言うと、この村の者はそう人と変わりがないのだ」

 

「そうねえ、精々が種火を手から出したり、風を起こして砂を起こすのが精一杯。だから戦いになればきっと負けるから人族が寄り付かない砂漠でひっそりと暮らしているの」

 

 こんなふうに――――フィレが手から生み出した火を使っていないランプの一つに投げ入れて灯す。確かにこの程度では大した役には立たない。身体能力も村の力自慢を見ればその脆弱さは察せられる。あれでは牛人や熊人のような獣人の方が余程上だ。

 寿命も強い魔人族よりずっと短命で二百年程度しか生きられないらしい。並のエルフよりも短命だったがそれでも人間の倍以上の長寿だ。

 そうして村人の先祖は何千年も前に隠匿生活を選んで過酷な大地で細々と生き長らえてきた。

 戦いに向かず、少数となれば隠れて生きるのも仕方あるまい。

 

「僕もつい最近二度魔人族と相対する機会がありましたけど、言ってなんですが村人とは比べ物にならないぐらい強さでした」

 

「えっ?あの、それはどんな魔人だったんですか!?」

 

 フィレが目を見開いてヤトを問い詰める。その様相は尋常ではない。

 

「タルタスという北の国に何千年も前から住んでいる女性の魔人です。それと三千年前に封じられた七十名ほどの魔人達が数日前に解放されたので戦いました」

 

「三千年?それは不死の魔王の時代の?」

 

「そう聞いています」

 

 ヤトの話を聞いたサロインとフィレはなぜかホッとしたような顔になる。おまけに両親の顔を見たミートが不快な顔をして自らの唇を噛んだ。

 そしてミートはヤトにも苛立ち混じりの視線を向けて口を開いた。

 

「ヤト……さんはその魔人と戦って相手を殺したんですか?」

 

「ええ、二十人ぐらい斬ってます。お伽噺よりずっと強かったですよ」

 

「………なんで食べもしない相手を殺すの?そんなこと無意味じゃない」

 

「強い相手と戦って僕自身が一番強いと納得したいからです。それ以外はあまり興味無いんですよ」

 

「そんな事のために誰も彼も殺すなんておかしいわ!」

 

 ミートはヤトを睨みつける。

 彼女のように辺境でただその日の糧を得て穏やかに暮らしている少女にとって、己が納得したいというだけで他者を殺めるヤトは到底理解しえない存在だろう。

 何しろ傭兵や騎士のような戦いで禄を得る者でも、ヤトほどに強さを求める輩は稀だ。戦がからきしの豊穣神の信徒となれば余計に価値観は相容れない。

 ヤトはこうした意見を幾度となく聞いて、己の欲動が世間一般の考えとはズレているという認識は持ち合わせている。しかしそれを改めようと思った事は一度も無いし、これからも改めるつもりは微塵も無い。

 

「昨日も村の力自慢が一番を決めようとしたように、強さを求めるのは男の本能ですから貴女には理解出来なくて当然です」

 

「じゃあ貴方が女だったら違うの?」

 

「えっ僕が?」

 

 ヤトは一瞬ミートが何を言っているのか理解出来なかった。女顔と言われた事は多くとも、自分が女だったらなどと考えた事も無かった。

 男ならこの世で一番強い男を目指すものだろう。そうして己はずっと強い相手を求めて戦っていた。ではミートの言った通り、もし女だったら強さを求めなかったのか?

 意識が深層へと埋没して横のクシナの声も随分と小さくなった。

 最初に強さを求めたのはいつだったか。確か三歳か四歳――――剣の師に『男児とは強くあるべき』と言われたのが最初だったか。

 仮に女として生まれていたらそのような事は言われなかっただろう。精々教養を身に付けて父から男に嫁ぐように言われてそれでおしまいだ。

 しかしそれに唯々諾々と頷いて男と結ばれて子を産んだだろうか?

 ――――――――断じて否だ。

 己の魂がそのような無為の生を断固として拒否しただろう。この身は切っ先を向けた物を須らく斬るために存在する。ただそれだけを求めている。

 例え剣を握る腕が無くとも口で、足で、腹に刃を突き刺してでも、そこにある何かを斬って己が最も強いと納得するために生きていると慟哭めいた魂の叫びを感じ取った。

 知ってしまえば随分と簡単なものだ。己は魂の欲求に従って今を生きているに過ぎない。

 

「――――――そうだ。僕は例え女だろうがスナザメだろうが、一匹の虫けらでも戦わずにはいられない」

 

 ヤトの剣のように冷たく鋭い瞳がミートの瞳を射抜き、彼女は気圧されて震える。

 そしてミートは震えを抑えながらかろうじて、もう寝ると言い放って自分の部屋に引っ込んだ。

 サロインは娘を叱責せずにヤトに謝罪した。ただ彼もヤトを理解したとは言い難い。むしろミートと同様に恐れを抱いて関わり合いになりたくないとさえ感じていた。

 それでも長という立場が逃げる事を拒否して、辛うじて明日の準備があると口実を作ってヤト達にお帰り願った。

 追い出された二人はミソジの家に行って泊めてもらった。娘のローゼはカイルが居ない事に露骨にガッカリしたが、ヤトが祭りの日には会えると教えると少し気持ちが上向いた。

 夜も更け、ヤトとクシナは同じベッドで横になって眠るまでの間、他愛もない話をしていた。

 

「もし汝が女だったら儂とは子供が作れなかったな」

 

「でも仲のいい友達にはなれたと思いますよ」

 

「そっか。それも悪くないか」

 

 例え性別が違っても、きっと無二の相手としてこうして一緒に旅をした。それだけは確かな事実だった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 砂漠の神殿

 

 

 祭事が翌日に迫った日。

 村の男衆は夜明けから総出で出かけている。明日の祭事の場になる北にある神殿に荷を運ぶためだ。アジーダはその護衛として同行している。

 女衆は明日に身に付ける色とりどりの正装や装飾品を互いに見せ合ってワイワイと姦しい。収穫祭や謝肉祭の類の無い土地なので、十年に一度の祭事は数少ない娯楽だった。

 女達はこの時ばかりと着飾って砂と岩しかない世界の中で色とりどりの花を咲かせるだろう。

 特に主催を務める村長兼神官の家は朝から慌ただしい。何しろミートは明日『豊穣神』への奉納の舞を行う。準備は念入りにし過ぎても惜しくはない。神への捧げものはそれほど村にとって重要だった。

 ヤトは一人で岩壁の上から村を見下ろしている。盗賊団は来ないと思うが一応護衛として周囲の見張りをしていた。

 クシナは村の女達に連れて行かれて着せ替え人形にされている。本人はヒラヒラしたスカートを嫌がったが女衆は護衛でも同じ女が着飾らないのを黙って見ているはずもなく、半ば強引に服を着せられていた。

 嫁が着飾るのを嫌がるのは知っているが、それでも旦那としてはいつもと違う姿を見たいと思うのはどこの男も同じ。何気に楽しみにしているヤトだった。

 一つ気になるのがこんな砂漠では布どころか糸と染料を手に入れるのすら困難を極めるはずなのに、なぜ何色もの生地を使う衣装や金銀宝石を誂えた装飾品を村人の多くが所持しているのか。

 交易で手に入れたのかと思ったが、それにしては村に金になりそうな産業や商品の類が見当たらない。

 仮に貴重な資源を元手に交易で手に入れたと仮定しても、その時は財貨の臭いを嗅ぎつけて武装した盗賊団が襲っているはず。

 あるとすれば村の井戸の日陰に腰かけて涼んでいるミトラが持ち込んだのか。

 ヤトはミトラが何者なのか興味はない。しかし何故自分が彼女を斬れないのか原因を知りたいとは思っている。

 もしかしたら明日の祭事であの神官団にぶつけてみたら何か分かるかもしれない。

 剣を手に取り、陽光を跳ね返す妖しい緑の刀身を見て溜息をつく。今まで剣一振りで全てを解決してきたというのに、今回ばかりは最も頼みとした物差しが役に立たずに腹が立つ。

 幾多の幻獣を斬った。練達の騎士や戦士も倒した。古の魔人も屍を晒した。最強の種族と謳われる古竜とて己の前では伏すしかなかった。

 

「一体何が足りないんでしょうか。まさか………」

 

 一つ頭をよぎった想像を振り解いて否定した。そんなことは早々あるまい。

 だが、もしそうなら是非とも斬ってみたいとも思う。

 いずれにせよ明日になれば少しぐらい理由が分かるかもしれない。根拠の無い期待でもあった方が楽しみがあって良いだろう。

 

「祭りは楽しんだ方が得ですかね」

 

「そうね、せっかくのお祭りなんだから楽しみなさい」

 

「そうしますよ」

 

 ヤトは振り向く気すらなく相変わらず唐突に現れるミトラに適当に返事をする。この神出鬼没の女のやる事を一々気にするだけ無駄だ。

 それにしてもこの女はどこにでも瞬時に移動できるのだろうか。それこそ大陸の外にある別の大陸にも軽々と渡れるというのか。

 神から授かる神託魔法の一つには『転移』と呼ばれる一瞬で別の場所に移動可能な魔法があると聞く。

 その『転移』ならこうしてどこにでも行けるだろう。便利といえば便利と思った。

 しばらく無言のまま二人は岩山の上で砂漠を見続けている。

 それから少し時間が経ってから、ミトラの方からヤトに話しかけた。

 

「ミートのことだけど、あんまりあの子を怖がらせちゃダメよ」

 

「それは無理でしょう、何しろこの村は戦とは無縁です。僕みたいな殺す者への耐性は持ってないですから」

 

「それでも女の子には優しくするのが男の子の義務よ」

 

 優しいとは一体なんだ?ヤトにはとんと見当が付かなかった。

 それにそういう役回りは大抵カイルの領分だろう。あの弟分なら自分より余程女の事を理解して親身になってやれるはずだ。

 

「今更ですね。それにどれだけ長居した所であと数日で村を去るのだから、そう何度も顔を合わせませんよ」

 

「あれでミートは意外と根に持つ性格だから、その数日に何かされても知らないわよ」

 

「食事に毒でも入れて殺しにかかると?」

 

 砂漠には蠍のような毒虫が多い。そうした生物から毒を入手して殺そうとする可能性も無いとは言えない。

 尤もそれも無駄な努力だ。毒殺の経験は幾度もしている。食べ物に毒を入れたらすぐに気付くし、寝ている時に何かしようものなら即座に気付いて取り押さえるか反射的に斬るだけだ。素人が慣れない事をしたところで成功する筈が無い。

 毒と聞いたミトラは何がおかしかったのか形の良い口元に手を当ててクスクスと笑う。

 

「良い洞察をしているわね。精々体には気を付けなさい」

 

 それだけ言い残してミトラは現れた時と同じように跡形も無く消えてしまった。

 意味深な事だけ言われて煙に巻かれた形になったヤトはうんざりした気になって、砂漠の変わらぬ景色で心を洗い流した。

 

 

 翌日、夜明け前から村は慌ただしかった。

 この日は誰もがいつもより早く起きるか、興奮して眠れずに家族に叩き起こされるかの二択だった。

 起きればすぐに朝食を手早く腹に納めて祭りの準備に取り掛かる。

 村長一家はミトラとアジーダと共に一足先に祭事の場となる北の神殿に行っている。

 ヤトも世話になっているミソジの家から叩き出されてしまった。母娘とクシナが着替えに使うためだったから文句も言えない。

 他の男達も同じような理由で家から追い出されてしまったが、毎度こんな感じだったので慣れた様子だ。

 しばらく男連中のそわそわする様をボケっと眺めていると、ようやく女達も準備が終わって家から出てきた。

 待たされた男達は着飾った女達を見て不機嫌な様相がガラリと変わる。

 女達はいつもの全身を隠すようなゆったりとした服は同じだったものの、それぞれ赤、青、紫、緑を基調とした布地に裾や袖口まで丹念に刺繍の施された衣装を纏い、色とりどりの宝石のネックレスやブレスレッドを身に付けていた。

 まるでそれは単調な白と黄色い砂漠を彩る色鮮やかな花が咲き乱れているような幻想的で不思議な光景だった。

 男達は咲き誇る砂漠の花々に見とれていたが、女達の責めるような視線に押されるように、それぞれの伴侶や意中の相手を褒めた。

 ヤトもクシナを探すと、ミソジ親子と一緒にいた。

 親子はお揃いの赤い衣装を着て露出した目だけは笑っていた。そしてヤトの前に同じようなデザインの青い服を着た赤い瞳のクシナを差し出す。

 

「うぅ……また変な感触の服を着せられたー。こいつらがヤトが喜ぶって言うから着たけどなぁ……」

 

「いえ、凄く似合ってますよ。また違うクシナさんの素敵な姿を見られて嬉しいです」

 

 嫌々祭りの服を着ていたクシナはヤトの言葉で顔が火照ってそれ以上文句を言えなくなった。

 旅の夫婦の惚気を間近で見ていた親子は二人で顔を見合わせてニカリと笑う。

 

「いやはや服のサイズが合わないから急ぎで直したにしては良い仕事だったね」

 

「ね~。クシナさん、母さんより背がかなり低いのに胸が大きいから苦労したよね」

 

 ミソジとローゼがケラケラと笑う。二人はクシナの為に昨日から遅くまで昔ミソジが使っていた服を仕立て直していた。その甲斐あってどうにか間に合わせる事が出来た。

 ヤトは手間をかけさせてしまった二人に深々と頭を下げた。

 

「お二人ともクシナさんの為にありがとうございます。それとカイルは祭事が始まる頃には合流すると思いますから、待っててください」

 

「本当は朝から一緒に楽しみたかったけど、村のためなら仕方がないよね」

 

 ローゼは年が近くて村の少年より大人びたカイルが居ない事を残念に思う。上手くいけば一緒に祭を楽しめると思って誘うつもりだった。

 仕方ないので今は年の近い村の少年にエスコートを任せるつもりで、途中からカイルが合流したらそちらに移るつもりだ。女は割と冷淡だ。

 村人はひとしきり騒いだ後に浮足立った様子で村を出て北を目指した。

 目指す神殿は村からさほど離れていない。徒歩で一時間もあれば着く距離で、砂クジラに曳かせたソリなら半分の時間で済む。

 それでも村人は盗賊を警戒してしきりに周囲を見渡す。

 まあヤトが殺気を感じていないのとクシナの鼻にも引っかかっていないから、まだ近くには来ていないのだろう。しばらくはのんびりソリに揺られていられる時間だ。

 軽い警戒に留めて精神を休めていると、あっという間に神殿に着いた。

 神殿と言っても街で見かける『法の神』や『戦神』のような荘厳な神殿とは些か趣が異なる。

 

「山だな」

 

「岩山に見えますね」

 

 初めて見るヤトとクシナは同じような感想を口にする。

 二人の言う通り、着いた場所には村と同規模の岩山が鎮座していた。

 勿論、よく見るとただの岩山ではない。

 街の神殿が全て切り出した石材を組んで建てた積み木細工とするなら、砂漠の『豊穣神』の神殿は岩山一つを丸ごと削って一つの建築物に作り替えた代物だった。当然規模はこちらの方が大きい。

 ドワーフの地下都市に比べたらかなり小さいだろうが、あれは採掘場や生活空間を込での話だ。単純に信仰の場だけでこれだけの規模の施設を用意するのは相当な労力と信仰心を試されただろう。

 正面には巨大な二頭の人面獣身像――――スフィンクスという幻獣らしい――――が出迎え、その先には多様な人型の彫像が二列に整然と並んでいた。

 像は風塵に晒されて幾分削られていたがそれでも見事な出来栄えの彫像だ。

 人の顔以外にも蛇頭や鷲頭だったり、魚面もあれば竜のような顔を持つものもある。あるいはケルベロスのように複数の頭と六本の腕を持つ異形の人像もあった。中には体中に目を持つ人型もある。

 体も多様で腕そのものが鳥の翼で足も鉤爪を持つ鳥の足の鳥人像や、両腕が蛇の物、体全体だったり下半身だけが魚やクジラのような奇妙な人型もあった。

 

「これは魔人族を模った像でしょうか」

 

「よく分かったね。これは何千年も前に居た私達のご先祖様なんだよ」

 

 ミソジが感心したように補足してくれた。

 ヤトが知っているのは当然だ。何しろつい十日程前にタルタスの王都で散々斬った魔人に似た姿がちらほら混じっていたからだ。

 そうなると一つ妙な事実が浮かび上がる。ここには『豊穣神』の祭事の為にやって来た。つまりここは『豊穣神』神殿のはず。だとすればシンボルは牛でなければならないが、今まで牛の像は見当たらない。

 それを指摘すると別の村人の男が理由を教えてくれた。

 

「実を言うとここは元から神殿じゃなかったらしい。村の先祖がちょうどいいから豊穣神の神殿に使い始めた古い住居と聞いている。ほれ、あの像がここの本来の家主だ」

 

 村人が指差す先には向かい合う男女の像の男の方が居る。

 男の像は鎧兜を身に纏い、髭面で巨大な戦斧を手にしている。威風堂々たる様はどこかの王のように思える。

 反対を見れば女の像は首から上を砕かれていて身体しか残っていなかった。それでも装飾品から王族か貴族のような高貴な女性に見えた。

 

「名は知らないが、かつての魔人族の王だったらしい。向かいの首無しの女性像は妻と言われている」

 

 かつての王の住居も今や祭事の場とは死んだ王も嘆いているのか。…いや、王より神の方が位は上だから神の方が文句を言いたくなるのか。

 それでも原型を残しているのだからマシと言えばマシか。世の中には朽ち果てた神殿や要塞から建材を持って行って自分の家に使ってしまうような農民も居ると聞く。どうせ砂で削られて埋もれてしまうよりはそのままの形で有効活用してもらえるだけ情けはある。

 村人たちが通り過ぎる際に太古の王夫婦の像に挨拶して行く。一応敬われているというか、単にかつての家主に挨拶しただけなのかもしれない。一応ヤトは頭を下げて、クシナも手を上げて挨拶はしておいた。

 彫像の林を抜けると次に目に入るのは、地面に石材を敷いて一段高くなった四角い台の四隅に建つ四本の柱だ。

 ヤトはこの形式に見覚えがあった。これは生国の葦原にも似たような場所がある。

 

「あれが儀式というか舞をする場ですか?」

 

「正解だよ。今年はあそこでミート姉ちゃんが舞うの」

 

 ローゼが楽しみだと言う。

 そのミートは既に両親やミトラ達と舞台の横で村人たちを待ちわびていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 招かれざる客人

 

 

 舞の場に鈴の音が鳴る。音の正体はミートの服に無数に取り付けられた鈴の音だ。

 彼女は全身をすっぽりと覆う村の女達の服と異なり、肩、胸元、腹、背中、手足も曝け出す、褐色の肌を大胆に晒した服とは呼べない下着のような純白の薄衣を纏っていた。

 髪は後ろで二房に結い、艶やかでしっとりとした光沢は香油を塗っている。

 あるいは場末の酒場で春を売るような踊り子と見紛うような姿だったが、決定的に異なるのはその神聖さだ。

 年頃の娘が肌を晒しても村の男達は誰一人として劣情を抱かない。

 それは性よりも聖を感じ取って畏れ敬う想いを抱いたからだ。

 その想いこそミートが豊穣神に仕える巫女として村人達に認められた証拠と言えた。

 隣には一枚の長い白布を巻き付けて法衣としたサロインが、娘に向けられた視線に満足そうに頷いている。

 

「……おほんッ!皆、集まったようだな。―――今日この日、十年の時を経て再び祭事を執り行えるのを嬉しく思う」

 

 サロインが大仰に両手を広げて宣言したと同時に村人から拍手が起こる。拍手は前もって指示してあっても祭りが楽しみだったのは事実だ。

 

「――――我々はこの砂漠で生き続けている。叩き付ける風と身を焦がす太陽は厳しく容易く我々の命を奪う過酷な世界だ。――――しかし豊穣の神は日々を生きる糧を与えてくれる。その恵みに今日は感謝で返すのだ」

 

 宣言の後、村人達はそれぞれ持ち寄った野菜や締めた家畜を皿に乗せて供え物として、舞の場の手前に設えた儀式台の上に置く。

 ミソジは狩人として昨日獲った大きな砂エイを供物にしていた。

 供物を一瞥したサロインは満足そうに頷き、娘と共に奥の岩山へと向かう。

 男達は用意してある楽器の点検を始めて音を確かめる。

 

「あそこの岩山の中に『豊穣神』の祭具を納めてあってな。十年に一度の今日の夜明けから正午までしか開かないように細工がしてあるんだ」

 

 ヤトの横に来たアジーダが頼んでいないのに解説する。

 彼の弁ではおまけに鍵がかかっていて、解錠の方法はサロインの一族しか知らないらしい。

 道理で今まで『法と秩序の神』の神官団が指をくわえて見ているわけだ。

 十年に一度の決まった日に特定の者にしか取り出せず、砂漠という劣悪な環境となれば勝手が違って神殿が支援する神官とて十全に戦えない。

 おまけに信仰の拠り所になる祭具の管理を一手に引き受けるとなればサロインの家は村で永続的に権力を維持し続けられる。あの家の先祖は上手く立ち回ったわけだ。

 

「小賢しい奴が得をするのはどこでも同じさ。まあ、そんな家が嫌で娘の一人は家出したんだが」

 

「娘?」

 

「ミートの姉さ。俺も何度か会っているが数年前に家を出て行ったよ」

 

「砂漠暮らしに飽きたのか?」

 

 クシナの率直な意見にアジーダが微かに笑いつつ、そんなところだと頷いた。

 

「大昔に人間やエルフにボロ負けした魔人族は歴史の片隅に追いやられてここみたいな住みにくい辺境に追いやられた。ミートの姉はそんな生活が嫌で広い世界に憧れてた」

 

「それで村を出て行ったと?」

 

 確かローゼがそんな事を言っていたような覚えがある。あの時は母のミソジにきつく叱責を受けて黙った。

 この村では出奔した者の事を口にするのはある種のタブーなのだろう。

 アジーダがその娘の事を話していると周囲から非難めいた視線が突き刺さる。それで止めに入らないのは彼が村の者ではないからか。

 

「あわよくば自分達に苦難を押し付けた者達に一泡吹かせたかったのかもしれないな。当人が今どうしているか知らないから確かめようがないが」

 

 意味ありげな含み笑いを作る。ヤトにはその笑いの意味が分からない。

 さらにアジーダが何か口にしようとしたものの、それを遮るようにサロイン親子が戻ってきた。

 ミートの両の掌には小さな杯が恭しく乗っていた。村人たちは杯を見て感嘆の声を上げる。察するにあの杯が祭具というわけか。

 杯は銀製で掌に収まる程度の小さな物だ。細かい装飾が施されて磨き上げられているが、金細工や宝石などを散りばめて贅を凝らした造りではない。

 部外者のヤトから見ると神事に用いる祭具としては貧相に思えるものの、言い方を変えれば静謐ないし清浄さの顕れとも言える。

 ミートは杯を儀式台の最上位へと安置する。

 そして舞の場の中心に立ち、おもむろに長い手を広げてその場で螺旋を描くように踊り始めた。

 男達は彼女の動きに合わせるように太鼓を叩き、円の金属を打ち鳴らし、動物の腱の弦を弾く。女達もそれぞれに踊り、歌う。

 神への捧げものと同時に自らも楽しむ、そんな素朴な祭りこそ村には相応しい。

 髪を翻し、鈴の音を纏うミートの肌から無数の汗の雫が飛び、高く昇り始めた陽光を妖しく照り返した。

 男達の演奏、女達の歌、巫女の鈴の音と足音。それら全てが一体となって神への供物に相応しい舞となった。

 ヤトはこの手の祭事は飽きるほどに見た事がある。それどころか実家でうんざりするぐらい参加した。

 共同体の団結を促すには良い手だが、実家のはもはや神への感謝や敬いは無く形骸と化した式典のようになっていた。

 しかしこの村は未だ神への畏敬の念を忘れていない。素朴で拙く荒々しいが、それだけに偽りの無い心が透けて見えた。

 あの神官団の女も同様に純粋な信仰で村を襲っていると思うと滑稽というか哀れというべきか。どちらにせよ踊っているのに気付いていない阿呆の類だ。

 ―――――東を見れば砂埃を巻き上げて近づく一団が見えた。その阿呆が懲りずに来たようだ。

 

「招かれざる客が来たようです」

 

「あらあら、また来たの。懲りない子供達ね。それじゃあ私はゆっくり見ているから相手はお願いね」

 

「何を言っているんですか。僕達だけに働かせずに貴女もちゃんと働いてください」

 

「はいはい。仕方がないわね」

 

 ヤトにせっ突かれたミトラは渋々と言った風体で迎撃に出る。

 アジーダとクシナも彼女に続いて神官盗賊団の方に向かった。

 村人達は祭りを命を賭けて祭りを守ってくれる四人に神と同等の感謝を込めて頭を下げた。

 四人は盗賊の向かって来る東に歩きながらどう迎え撃つか意見を出し合う。四人と言っても実際はヤトとアジーダが方針を決めるだけだが。

 相手はラクダに乗っていて機動力は中々のものだ。何より数が多く、分散されたら四人では対処がしづらい。

 おまけにこちらは不殺どころか流血すら禁じられている酷い縛りの中で戦わねばならない。四人だけなら何とかなっても戦えない村人を抱えての防衛戦では著しく不利だ。

 ―――――そう、まともに戦えばの話だ。

 四人と盗賊団の相対距離が縮まり、互いの顔が視認できる距離まで近づいた。

 すると唐突に両者の中間点で砂塵を巻き上げる竜巻が発生して全員を巻き込んだ。

 急な視界不良に神官達は慌てて手綱を操ってラクダの速度を落とす。

 さらに脈絡もなく砂面から刺々しい葉を持つ灌木やサボテンがせり上がった。停止しきれなかった十騎ばかりのラクダが次々とぶつかって面白いように転がる。

 

「あれはエルフの小僧の手妻かッ!」

 

「なるほどこういう手でいきますか」

 

 ヤトはカイルが植物の精に頼んで急成長させて障壁を作ったとすぐに気付いた。アジーダもかつて同じような手法でカイルに後れを取ったのを思い出して叫ぶ。

 これなら神官達をラクダから安全に引きずり下ろせる。柔らかいサボテンにぶつかった程度ならラクダも大した怪我はあるまい。

 後方で安全にラクダを止めた二十四~五騎の神官達は味方を救うべく、騎から降りて臨戦態勢を取った。よく見ると最後尾でカイルとロスタが手を振っている。

 砂嵐が止み、ヤト達と神官団は対峙する。

 そこでヤトは脈絡も無く近くに居たミトラの法衣を掴んで神官団へと放り投げた。

 

「はっ?」

 

 アジーダは間の抜けた声を出してヤトの行為を見過ごしてしまった。

 放り投げられたミトラは空中で我に返って、危なげなく地に降り立った。そしてどういうことか説明を求めようとしたがその前に一団の中に居たドロシーが大声で叫んだ。

 

「その女は死霊魔法の使い手だよ!!外法の使い手を許すなっ!!」

 

 たった一言で神官達の雰囲気が一変する。彼等の中で魔人の儀式から目の前のミトラに第一の優先順位が繰り上がった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 暇潰し

 

 

「ッ!?死霊魔法だと!!」

 

「そうよミレーヌ。この女はフロディスで死者を蘇らせて弄んだの」

 

「ええぃ!こんな時に……」

 

 ドロシーの言葉にミレーヌがありったけの苦虫を噛みつぶしたような苦悶と嫌悪感と苛立ちとがない交ぜになった顔になる。

 『法と秩序の神』に仕える神官にとって死霊魔法の使い手は神の定めた世界の法に唾を吐いて命を弄ぶ恥知らずの外道と教えられている。

 外法の使い手とあらば何を差し置いても討伐しなければならないが、今は魔人族の儀式も止めねば世に災厄を解き放ってしまう。

 ミレーヌの苦悶と苛立ちは二者択一を迫られたが故だ。そして部下達は魔人の事を放って、既に目の前のミトラを殺すことしか考えていない。

 おまけによく見ると協力を申し出たヤトとクシナが居る。彼等をこの場でどう扱うかで思考を割かれて指示が出せない。

 そのヤトは現状を見て満足そうにしている。おまけにアジーダも楽しいのか笑いを隠しもしない。

 

「思いのほかエサの食い付きが良いですね」

 

「普段から他人をいいように使っているんだから、たまには自分で働くいい機会だ」

 

 前々から分かっていたがミトラとアジーダの関係は謎だ。恋人や夫婦とは思えないし、血縁関係があるようにも見えない。互いに相手を思いやる仕草も無い。むしろ離れたくても離れられないような腐れ縁染みた間柄が最も相応しいように思えた。

 ミトラが神官に切りつけられてもアジーダは動じない。どうせ殺せやしないと高をくくっているのもあるが、本質的に大切と思っていないからだ。

 事実、神官達にめった刺しにされてもミトラは傷一つ負わない。それどころか微笑みを浮かべ続けて、攻撃している神官達の方が困惑の色を隠せない。

 

「まったく、男共は働かないわね。仕方が無いから他に手伝ってもらいましょう」

 

 ミトラは錫杖を砂に突き刺した。

 すると一帯の砂地が無数に盛り上がって骸骨が這い出て来た。

 前にバイパーの鉱山遺跡で見た死霊魔法と同じだ。

 

「馬鹿めっ!貴様の外法など我等聖なる神官には無意味と知るがいい!!」

 

 神官の一人が嘲笑して仲間と共に浄罪の舞を行う。

 以前見たドロシーの舞に比べたら優美さに欠ける舞だったものの、蘇った亡者を鎮めて再び砂へと還した。

 

「あらあら、せっかく用意したのに……じゃあ、こういうのはどうかしら?」

 

 ミトラは手に持った錫杖を天高く掲げてくるりと回す。すると空に光の円が描かれて、円からは次々と人型が出てきた。

 人型は犬のような顔と手足をしているが狼人よりもさらに獣に近く、身体には毛が一切生えておらずテカテカと光って、まるでカエルのような肌をしている。

 そんな醜悪なケダモノが百を超える数が降り立ち、涎を滴らせて神官戦士達を見ていた。

 

「なんですアレ?」

 

「異界から呼び寄せた走狗だ。知性はあるが生肉を好むからオークと大差の無い種族だぞ」

 

「時間稼ぎにはなりますか。なら僕はこうします」

 

 ヤトは隣に立つアジーダに剣を向ける。

 

「おいおい。俺は一応味方だぞ」

 

「僕の役割は儀式が終わるまで邪魔を入れないことです。それ以外は好きにさせてもらいますよ。あっクシナさんは展開が一方的になったらミトラさんを殴ってください」

 

「分かった分かった。遊ぶのもいいが程々にな」

 

 旦那が遊びたがるのは今に始まった事ではない。クシナは好きにさせるつもりだった。

 アジーダが腰の棒をヤトの剣にぶつけた音を号令に砂塵の大乱戦が始まった。

 神官達は最初、走狗を亡者と認識して、再び浄罪の舞で鎮めようとしたが一向に効果が無いと判断して、すぐさま武器を用いた白兵戦や魔法で対応し始める。

 剣が、槍が、槌が、斧が、狗面を次々壊し、炎が、氷が、雷が、光が、毒がヌルっとした肉体を肉片へと変えていく。

 ドロシー達もまた神官達と共に戦い死をまき散らす。

 スラーが肉弾戦で狗面を粉砕し、ヤンキーが何やら怪しげな薬品を振りかければ、走狗の肌が焼け爛れてたちまち悲鳴を上げてのたうち回った。

 ドロシーも杖を振り回して敵を怯ませたかと思えば、体中に仕込んだ暗器を口内や眼に投げつけて仕留めた。

 カイルとロスタも神官達に負けていない。

 ロスタが前衛になって二又槍で次々に狗の串刺しを量産し、カイルは後ろから卓越した弓の業で一体ずつ的確に脳天を撃ち抜く。

 既に半数の五十体は討ち取られているのに呼び出したミトラは余裕そのもので、大道芸を見てるような軽さで鉄火場を鑑賞していた。

 不思議と走狗の死体は残らず、動かなくなった肉は最初からこの世に存在しなかったように、煙と共に消え失せてしまった。

 ヤトとアジーダもまた異界の者達と神官団の戦いなど関係無いとばかりに、二人で命を掛けない戦いを繰り広げている。

 アジーダの短杖は形を変えて極度に湾曲したショーテル型の曲剣になってヤトの翠刀と打ち合っている。

 相変わらず両者の力量は歴然とした差があるものの、無尽蔵の体力やクシナに匹敵する膂力は決して侮ってはならない。

 今もヤトがわざとアジーダの剣を正面から受けると、腕の骨を折られそうになった。明らかにフロディスで戦った時より強くなっている。

 

「前よりさらに力が増していますが何か力の付く物を食べたんですか?」

 

「食ったというより取り込んだのさ。あと四回は繰り返してもっと強くなれるぞ」

 

 アジーダは不敵に笑う。ヤトも彼に連れられて凶々しい笑いが止まらない。

 技量に関してはまだまだアジーダは格下だ。しかしそれを補って有り余る身体能力を持ち合わせていて、さらに上を保証してくれるとは嬉しい限りだ。

 本気になったクシナが一番という認識を改める事は無いが、それに近い力量をいずれ身に付けて戦えると思うとワクワクが止まらない。

 ヤトは興が乗って幾重にもフェイントを織り交ぜた剣戟をアジーダに浴びせる。

 彼は避け切れずに剣を受けるが、皮を薄く切られただけでまるで効いていない。力だけでなくやたらと頑丈になっていた。見た目に似合わず古竜並みの装甲という事か。

 

「はははっ!くすぐったいぞ!!」

 

 まるで柔肌を撫でるような感触に哄笑したアジーダと歓喜に満ちたヤトのじゃれ合いは続く。

 二人が遊んでいる最中、ミトラの呼び寄せた走狗達はもう数体しか残っていない。

 神官達は手傷を負ってなお勝ち誇るも、次の瞬間に顔を引き攣らせた。

 ミトラは再び空に円を描いて二度目の走狗召喚を行う。しかも今度は三百体はいる。神官達の士気は高くとも、この物量差には冷や汗を流す者が出る。

 

「さっ、お代わりはまだまだ沢山あるわよ」

 

「暇だから次は儂も混ぜろ」

 

 クシナは口から灼熱の炎を吐いて、狗面を百体以上消し炭すら残さず焼き尽くした。

 ミトラも炎を浴び、慌てて叩いて燃え移った火を消す。そして彼女は珍しく不機嫌な顔をして抗議する。

 

「ちょっと、髪が焦げちゃったじゃないの」

 

 ミトラは自らの黒髪を摘まんで焦げて縮れてしまった先端を見せつける。

 普通なら竜の炎を浴びて髪が焦げる程度で済むのはあり得ないほどの幸運か何かしらのカラクリが必須だ。

 クシナは初めてミトラに興味を持った。己の炎は何人たりとも耐えられないはず。最愛の番でさえ避けるか剣圧で逸らすしか生き残る術は無い。にも拘らずこのメスは直撃を食らっても髪が焦げるだけで済んだ。

 よってこれはある種の屈辱ないし、挑戦状と受け取った。

 

「焼けないなら焼けるまで焼いてやる」

 

「貴女、旦那に似てきたんじゃないの?」

 

 以前ヤトが殺せるまで斬り続けたのと同じような言葉を吐いたクシナに呆れを感じた。

 そこに焼き殺される恐怖心は微塵も無い。どうせ多少焼けるだけで己を殺せる筈が無いという確信があった。

 今も走狗を纏めて数十は焼き払う吐息を受けても煤が付いただけだ。それでも盗賊を遊ばせて儀式を邪魔させたくないから、生き残った狗共に相手をさせて時間を使わせれば十分役に立つ。後はこの蜥蜴モドキのやんちゃ娘を適当にあしらってやればいい。

 

「さあ私達も祭りを楽しみましょうね」

 

 どうせ己を滅するような存在などこの世にありはしない。古竜とてちょっとした遊び相手でしかないのだ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 神との契約

 

 

「そろそろお開きにしましょうか」

 

 ミトラが不意に錫杖を逆さまにして砂地に円を描くと光の輪が出来て、狗面を纏めて吸い込んでしまった。

 唐突に戦が終わり、まだ両の足で立っている神官達はあからさまに安堵して、警戒心も無しにその場に座り込んだ。

 神官達の中で五体満足の者は五~六人しかいない。残りは満身創痍で地に伏して、辛うじて息をしているような重傷者ばかりだった。

 神官が不甲斐ないのではない。ミトラの呼んだ兵力の桁が違い過ぎただけだ。

 何しろあの後に彼女は何度も狗面や、顔の無い奇怪なミイラのような異形の人型を呼び寄せていた。その数は合計で軽く千は超えている。

 半分以上はクシナの炎でこの世から消滅していたが、それでも十倍を超える物量差に抗うのは相当に困難だ。

 むしろ一人の死者も出していないのが不思議なぐらいだ。おそらくミトラが村のしきたりを遵守して死人を出さないように気を遣ったのだろう。

 ドロシー達は幸運にもあちこち傷だらけだったが、三人ともどうにか立っていられた。

 神官達のリーダーだったミレーヌも体中ボロボロでも剣を手放さず、ドロシーに肩を借りてまだ意識を保っている。

 ミトラが兵を引いても彼女達は決して自分達を勝利者とは思ってなかった。大多数に嬲られて、相手の気まぐれで生かされているだけの敗者だと分かっていた。

 そのミトラも意外と負傷しているので完全な勝者とは言い難い。

 彼女の法衣の半分は焼けてボロボロ。日のもとに晒された白い肌は火傷は無いものの煤まみれ。艶のある黒髪はあちこち炎で炙られて無惨に縮れてしまった。

 妙齢の美女をここまでボロボロにした元凶のクシナは無傷だったが、明らかに不機嫌そうに口をとがらせている。

 

「ヤトが汝を嫌がるのがよく分かった」

 

 両者を見ればどちらが優位だったかすぐに分かったが、クシナは己が何度炎を当てても傷一つ負わせられなかったミトラにうんざりしていた。

 

「つれないわね。でも貴女が程々に燃やしたから余興も少しは盛り上がったわ」

 

 形ばかりの礼を示しても、クシナはその程度で心を動かす事は無い。

 代わりに無事だったカイルとロスタが礼を言うと、打って変わって笑顔で応えた。

 二人が本来の仲間のクシナと合流して最後の一人のヤトにもう終わったと大声で告げて、アジーダとのじゃれ合いを終わらせた。

 殺し合いはしなかったが、戦えて満足したヤトはアジーダに一礼して嫁と仲間のもとに行く。

 アジーダは己が身体能力で大きく上回っていても、卓越した技量で始終いいようにあしらってくれたヤトを憎むどころか、どこか憧れや目標にするような目でじっと見ていた。

 結局のところこの中で明確な敗者はミレーヌ達だけだった。彼女は息も絶え絶えながら未だ闘志は失われておらず、憎しみを込めた瞳でミトラを射抜き、弱弱しく吠えかかる。

 

「………ハァハァ……我々に情けをかけたつもりか死霊使い。私を生かしておけば……きっと後悔するぞ…ゲホッゲホ」

 

「やめなさいミレーヌ。最初から私達なんて相手にならなかったのよ」

 

 肩を借りたドロシーに諭されてミレーヌは悔しさのあまり涙を流して唇を噛み締めた。

 悔しさでいっぱいの彼女とて負けた原因が何なのかは分かっていた。

 単純に自分達の力が足りなかった。しかも今回は外部協力者を加えても、一矢報いる事さえ叶わなかった。まさに完敗と言うに相応しい敗北だった。

 

「……くっ殺せ。邪悪な者に命乞いなどしない」

 

 ミレーヌは毅然とした態度で死を望んだ。それを見たカイルはなぜか心が高揚した。

 そしてミトラはただただ嘲笑い、地に伏せる神官達に杖を向けた。

 すると傷付いた者達の傷が見る見るうちに癒えてしまった。

 ミレーヌも小さな傷は数多くあるが、命に関わるような傷は全て何事も無かったかのように消えてしまった。

 ついでにミトラは自分の服と髪を元通りに直した。

 

「死人を生き返らせるのだから生者を治すぐらいわけないわ」

 

「貴様ぁ!一体どういうつもりだ」

 

「勝者は敗者の命を好きにしていいのだから好きにしたまでよ。貴女達は観客として儀式の終わりを見ておきなさい」

 

 ミトラにまったく脅威と見做されておらず、子ども扱いされた神官達は怒りに震える。同時に自分達が決して勝てない相手と身に染みて理解したため、多くは反抗心を叩き折られた。

 ミレーヌは内心、自分達を見下すミトラを殺したかったが、隙を突いて祭具を奪い取ろうと考えて、表向きは勝者に従う態度を見せた。

 ヤト達は元々村を守る約定があり、かつ表向きは神官達に協力してミトラ達と戦ったので特に悪感情を向けられずに神殿まで同行した。

 

 

 神殿の儀式の盛り上がりは最高潮に達していた。

 村人は思い思いの相手と踊り、好きに歌い、楽器を鳴らし、自由に酒を飲んだ。

 儀式台のミートは全身で豊穣神への感謝を雄弁に語り、神事を司るサロインが祝詞を高らかに謳い上げる。

 祝詞の一部を聞いた神官の一部は困惑した。彼等は魔人族が邪神崇拝の儀式をしているとだけ聞いてこんな砂漠までやって来た。それなのに今聞いた神への奉りの言葉は邪神ではなく、法の神と同じ陣営に属する善神への感謝の言葉だ。

 話が違うと何人も声が上がった。それでも頑迷な者は所詮魔人であって、討伐するだけだと頑なに己の信仰を妄信していた。

 ミレーヌもここには居ない上司からの説明と食い違う点に気付いて、精神的に頼っていたドロシーに無言で視線を向けた。

 

「上の連中にはよくあることよ。何も知らない敬虔な信徒を良いように扱き使って、神殿と自分の権威を高めようって筋書き」

 

「そんな……ドロシーさんは知ってて私に何も教えてくれなかったんですか!?」

 

「実際に見ていないのに私の言葉を信じたと思う?」

 

 ミレーヌは言葉に詰まった。そんな事は無いと言いたかったが、今は自分自身すら信じる事が出来ない。

 神官達がそれぞれ自分の信仰と教義に思い悩んでいる間に儀式は滞りなく終わった。

 村人たちはいつの間にか盗賊が側にいた事に気付いて恐れる。

 

「大丈夫。彼等は自らの無力さを嫌というほどに知って何も出来ないわ。いっそ暑い砂漠で喉が渇いているからお酒でも飲ませてあげましょう」

 

 ミトラの冗談混じりの言葉で村人の間に笑いが生まれた。

 そして本当に村人の一人が樽に入った秘蔵の酒を杯に注い神官の一人に勧める。

 神官の男は断りたかった。だがここで断ると男として負けたような気がして嫌だった。だからちっぽけな誇りを優先して思い切って酒を飲み干した。

 これを皮切りに村人は酒や御馳走を神官達に分けて、自分達も好きに飲み食いし始めた。

 祭事の後に宴会というのは古今どの場所であっても変わらない。

 なし崩しに始まった宴会に付き合わされる神官達はヤケクソ気味に酒を呷って何もかも忘れる事を選んだ。

 サロイン一家は儀式が宴会に早変わりしても気にしない。今回は神官も混じっているが宴会になるのは毎度のことだ。何か困ればミトラ達が何とかしてくれるという安心感もある。

 あとは正午までに祭具を岩山の奥に再度納めて施錠すればそれで終わりだ。

 

「さあミート。杯を運ぼうか」

 

 ミートは父に言われるままに銀の杯を手にする。その顔に何か思いつめたような鬼気迫るものを感じた母のフィレがどうしたのか聞くと、娘はただ一言謝罪した後に持っていた儀礼用の短剣で自らの胸を刺した。

 

「ミート!?何を―――――」

 

 両親の悲痛な叫びを無視して、ミートは胸から抜いた短剣に付いた血を杯に落とした。

 

「ぐぅ……『愛と憎しみの女神』よ。この……身を捧げる…代わりに……ハァハァ…怨敵を討つ……力を……お貸……ください」

 

 その瞬間、空気が一変して灼熱の砂漠から一気に熱が消え失せたような怖気がミトラ以外の全員を襲った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 剣

 

 

 大切な祭具を血で汚す。

 自らの娘の凶行を見てもサロインは努めて冷静に自分が何をすべきか理解して行動に移す。

 力づくでも娘の手から杯を奪い取ろうとしたサロインは、ミートの前に生まれた不可視の壁に阻まれて触れる事すら叶わなかった。

 それどころか強い力で弾き飛ばされて、したたかに体を打ち付けた。

 転がるサロインをフィレが抱き起して娘に悲痛な声で何故と問う。

 

「父さんも母さんも止めないで。これは姉さんの復讐よ」

 

「な、なにを……?」

 

「姉さんはね、遠い所で死んだの。だから姉さんを殺した相手に復讐したいって言ったら、ミトラさんが方法を教えてくれたの」

 

 全員がミトラの顔を見る。彼女はただミートに微笑んでいた。

 

「私も止めたのだけど生半可な決意じゃなかったから、つい≪神降ろし≫の秘法を教えちゃったの」

 

「か、≪神降ろし≫だと?馬鹿なっ!?あれは真に信仰を宿した最高位の神官しか行えない秘中の秘だぞ!!」

 

 ミレーヌがありえないと否定した。

 ≪神降ろし≫とは読んで字の如く、生身に天上の神の魂を呼び込む究極の儀式だ。

 当然そのような秘法を誰でも使える筈はなく、己が仕える神への信仰を極限にまで高めた当代一の神官が命を削って成しうる奇跡と言われている。

 この場にいる神官達は知識で知っていても、誰もそれを見た事は無い。

 神官ならば誰でも≪神降ろし≫の領域まで信仰を高める事を目指すが、到達出来る者など五十年に一人現れるか否かという程に困難だ。

 まして魔人族が行えるなどと神官が言ったら、正気を疑われて無期限の療養を勧められる。

 しかしミートから発せられる、慣れ親しんだ神殿で感じる神聖さを上回る、神気としか言えない圧倒的な重圧と近寄る事すら憚られる存在感を否定する事は無理だった。

 

「勿論あの娘の信仰では全然届かないから、『愛と憎しみの女神』縁の短剣を貸して、さらに本物の神器の杯に宿った神威で補強して、ようやく成功したわ」

 

「ええミトラさんには感謝の言葉も無いです。おかげで姉さんを殺した男にこの手で復讐出来ます」

 

 ミートが憎悪で凝り固まった視線をヤトへと向けた。

 彼女が目を向けただけで、ヤトの左腕がボロボロと崩れ落ちて骨を晒した。

 

「なっ!?これは――――」

 

「まだこの程度で済ませないわよ。姉さんの目を貫いた時の痛みと恐怖を肉の一片にまで刻み付けてから殺してやる!!」

 

 ヤトは即座に残った右手で鬼灯の短剣を抜いて――――剣を握れず砂に落とした。右手も左腕と同様にカラカラに乾いて崩れ落ちてしまった。

 如何に剣鬼とて両手が使えなければ剣を握れない。

 ミートは勝ち誇るような陰湿で嗜虐的な笑みをヤトに向ける。それだけで神殿にいる者の大半は失神した。

 数少ない正気を保ったままのサロインは娘に事実か問いただす。

 

「ミートよ、本当にお前の姉……ニートが死んだのか?それもヤト殿が殺したとなぜ言い切れる」

 

「ニート姉さんの額の三番目の瞳を通して見てたの。誰にも言わなかったけど、姉さんと私はどんなに離れていても額の目が開いている間は見る物を共有出来たから」

 

 サロインは真実の衝撃を受け止めきれずに押し黙る。

 クシナはニートという名を聞いて、フロディスの城にいた三つ目の女だと思い出した。

 確かにあの女はヤトと戦い死んだ。だから復讐は間違いではない。

 ヤトが苦境に立たされていているのは見て分かる。それでも番が助けを求めない以上は自分は手を出すつもりはない。

 本当に死にそうになったら助けるかもしれないが、これしきの危機を自力で覆してより強くなって欲しいと願った。

 嫁の願いが通じたかは分からないまでも、闘志を失っていないヤトは二人が話している隙に、取り落とした短剣を足で蹴り飛ばした。

 短剣は真っすぐミートの顔目がけて飛ぶが、突き刺さる前に持ち主の腕と同様に跡形も無く崩れ落ちて砂と混じり合う。

 

「『愛と憎しみの女神』は『生と豊穣の神』と相性が悪いから、本来の≪神降ろし≫に比べて三割ぐらいしか権能を行使出来ないけど、人が女神に勝てはしないわよ」

 

 ミトラが嘲りや謗りを含まない純粋たる事実を突き付けても、ヤトはただただ笑う。

 こんな辺鄙な砂漠で、全盛ではないものの神の一片と戦えるとは思わなかった。

 望外の幸運の前で両腕が使えないぐらいなんだ。鬼気迫る笑みと衰えるどころかおぞましい程に高まった殺気が全身から立ち昇る。

 ヤトは靴を脱ぎ、腰から器用に脇差を落として、両足の指に挟んで鞘から引き抜いた。

 そのままミートへと肉薄。蹴り技の如く足指に挟んだ脇差で背後から首を切り裂く。

 反応すら叶わない速さによる背後からの急襲は、しかし先程と同様にミートに触れる前に剣が崩れ落ちる結果で終わった。

 

「ちぃ!―――がっ!?」

 

 ヤトはミートの埃を払うかのように払った手に触れて数十メートルも弾き飛ばされた。おまけに手が触れた腹の一部がザラザラと零れ落ちて、内臓を晒している。

 これは何だ、毒や凍傷でも無いのに肉が削れて落ちる。まるで風に削れらて砂になる砂漠の岩のようではないか。

 片肺を砂にされて息を吸っても空気が抜ける。呼吸もままならない。

 必死で立ち上がろうと足に力を入れた瞬間に片膝が落ちた。

 よく見れば脇差を挟んでいた右足が足首から全て無くなっている。これで手足で無事なのは左足だけだ。

 クシナと戦った時よりも状況は悪い。これでは戦いにすらならない。

 

「ちょっ!アニキ!!」

 

 カイルが叫んで、弓に矢を二本番えて同時に射る。

 二本の矢は左右に弧を描いて飛翔してミートを挟み込むように射抜いたと思われたが、やはり百年の歳月を経たように乾いて崩れてしまう。

 

「無駄。神の前では何物も朽ちて風と共に去るのみよ」

 

 女神と一体化したミートにただ見られただけでカイルは膝を折って屈してしまう。主を守るためにロスタが前に立ちはだかる。

 

「私の仇はその男だけだから邪魔しないで」

 

 手をかざせばロスタがうつ伏せになって倒れてしまう。主以外には従わないゴーレムすら神の権能の前には無力だった。

 さすがにこの惨状にはクシナも手を出すべきかと思い直して、旦那を見ると彼は伏したまま子供のように無邪気に笑ってた。

 いかに古竜のクシナでも、この絶体絶命の場面で笑えるヤトの精神を理解するのは無理だった。

 ミートは心底不快な想いで顔を醜く歪める。

 神の絶対的な力を前にしてなぜ笑える?それも恐怖に負けて気が狂ったわけでもなく、あくまで理性的に笑顔になれる理解不能な生き物に嫌悪感すら抱く。

 

「あなたは何?」

 

 つい素朴な疑問が口に出てしまった。

 無様に這いつくばっている剣鬼はその問いを深く思考する。問われたのなら答えを返さねばなるまい。

 

(僕はなにかだって?――――剣士、傭兵、東人、竜人、兄殺し、剣狂い、剣鬼、修羅、悪鬼、皇の子………違う。僕はそんな言葉で括れるモノじゃない)

 

 残った左足だけでノロノロと立ち上がる。胸を大きく削り取られ、骨だけになった両手右足をブラブラさせた様は、さながら腐るに任せた腐乱死体と見間違える醜悪な姿。 それでも己の征く道はこれだと雄弁に語るかのように、両の瞳は凪の湖面の如く澄み渡りながらも、鬼気迫る意思と喜悦を宿した狂貌を晒す。

 壊れた気管から漏れ出る空気で酷く聞き取り辛がヤトは確かに己が何であるかを言葉にして紡ぐ。

 

「……ぼくは………ただ斬るために……この世にある…………ぼくは…‥大和彦(ヤマトヒコ)は―――――――――剣なんだ」

 

 呟いた瞬間、至高の頂へと指が触れた。

 ヤトの周囲に黒曜石の如き黒い剣気が立ち昇り、空間が歪む。

 剣気がミートの放つ神気とぶつかり合い、不可視の力の衝突で幾度も放電する。

 

「不完全でも神威を相殺するかっ!」

 

 アジーダが瞠目して驚きの声を上げた。

 ヤトは自分の事ながらどこか他人事のように驚くに値しないと思った。

 切っ先を向けた先を断つ。ただそれだけを求めていた。相手がなんだろうが関係無い。己は剣、己は刃、ただ斬る事だけを追い求めて神域へと至った。今の己は剣そのもの。

 神だろうが魔王だろうが竜だろうが、剣の先にあるのなら、ただ斬ればいいのだ。それが剣の本懐、存在意義だろう。

 斬りたいから斬るだけで、動機や理由などどうでもいい。一振りの刃にモノの是非など関係無い。

 剣に善も悪も無い。正も邪も知った事か。そんな小難しい問答は学者か哲人にでも解かせていろ。

 剣とは万物を断ち切るために存在する。故に剣戟の極致たる己は最強なのだ。

 ヤトは腰に差した翠刀を鞘から抜こうとして空振った。忘れていたが今の己には握るための動く指が無い。

 それを見たミートは勝ち誇った顔をする。

 馬鹿め。剣が握れない程度で斬られないとでも思ったのか。その浅はかな勘違いをすぐに改めさせてやろう。

 左腕は肩から骨にされてまともに動かないが、右腕は肘から上が動くなら十分だ。

 ヤトは全身から漏れ出す闘気を止める。そして右腕に一点集中して、腕そのものを黒い剣と化した。

 使い物になる左足一本で立ち、黒剣と化した右腕を天へと掲げる。

 ミートは一振りの剣と化したヤトを見て、震えて一歩後ずさりした。アレは神と一体化した自分すら斬ると本能的に理解してしまった。

 

「―――推して参るッ!」

 

 振り下ろした剣気が『愛と憎しみの女神』の神威を断絶する。

 ミートから発せられる圧倒的な重圧は微塵も感じられない。まるで最初からそんなものは無かったと、神気は消え失せていた。

 神威を失ったミートと全てを出し切ったヤトは同時に倒れて、神殿に静寂が戻った。

 静寂は拍手を以って破られた。ミトラとアジーダの惜しみない拍手と賞賛は倒れたままのヤトに注がれる。

 

「まさか不完全でも神を斬るなんて。私の想像を容易く超えてしまったわ。いえ、私の目は間違っていなかった」

 

「まったく、大した奴だよお前は。おっと素晴らしい物を見て忘れる所だった」

 

 アジーダは儀式台に転がっていた銀の杯を手に取り、じっくり眺めて数度頷く。

 

「どうかしら?」

 

「問題ない。『豊穣神』の加護は消えて、抑えていた物が多少目減りしているだけだ」

 

 何を言っているのか余人にはさっぱり分からない。

 しばらくアジーダは杯を弄び、用が済んだとばかりに倒れたままのサロインの手に杯を押し付けて、二人は忽然と姿を消してしまった。

 ただ一人自由に動けたクシナはとりあえず瀕死のヤトが死んでいない事を確認して、心の底から安堵した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 それぞれが失った物、残った物

 

 

 ヤトは脂の焼ける匂いで目を覚ました。

 身体を起こそうとしたが身体の方は全く動かない。それどころか呼吸をするだけで肺が痛む。

 肺が痛むのは当然というか、そもそも肺を一つ失っていた事を思い出した。

 手足の感覚が無く、首も動かせないので自分の身体がどうなっているかさえ知る事もかなわない。

 ただ側に誰かいるかぐらいは気配で分かった。

 

「おっ、起きたな」

 

 椅子にもたれ掛かっていたクシナが立ち上がってヤトを覗き込んだ。

 

「ク……ぐ…」

 

「無理に話さなくていいから寝てろ。水は飲めるか?」

 

 声が上手く出せなかったが、辛うじて頷くぐらいは出来たので言われた通り水を頼んだ。

 クシナは水差しからコップに水を注ぎ、ヤトが自力で水も飲めそうにないと気付く。

 だからまず自分の口に水を含んでから、ヤトに口移しで水を流し込んだ。

 少し生暖かくなった水をどうにか飲み下すと全身に力が湧いてくる。水とはこれほどに美味いものだったのかと感動すらした。

 喉が潤い、少し話せるようになった。

 

「僕はどれぐらい寝ていました?」

 

「一日と少しだな。死なないとは思ってたが儂をあまり心配させないでくれ」

 

 クシナの左手がヤトの頬を優しく撫でる。それに声も少し湿っているのは気のせいではない。

 

「すみません。どうにも性分で抑え切れそうになかったんです」

 

「分かっている。だが、儂はまだ孕んでいないんだぞ」

 

 その声はヤトを責めるような、甘えるような、睦言のように艶やかだ。

 とはいえ、さすがにここで子作りを始めるような事は無く、もう一度口移しで水を飲ませてもらい、ヤトは再び眠りに就いた。

 クシナはその晩、ずっと隣で子守をするようにヤトを見守っていた。

 

 

 翌日。ヤトはベッドから身体を起こすぐらいは出来るようになった。そこでようやく寝ていた場所がミソジの家だと気付いた。

 ヤトが多少話せるようになると、カイルとロスタも顔を見せて、心配したと怒られた。

 

「そりゃさあ、僕だって盗賊で殺しもしてるからどっかで怨まれる事はやってるけど、神様相手に真っ向勝負は無茶だよ」

 

 正論だったが逃げる事は無理なので結局は戦うしか無いと返すとカイルは沈黙するしかない。

 それと一度見舞いに来たサロインの話では≪神降ろし≫を行ったミートはまだ意識は戻っていないが生きているらしい。

 サロインの心境は酷く複雑だ。ヤトは勝手に村を出て行った家出娘の仇だったが、結果的にもう一人の娘の暴走を止めた恩人だ。

 それにある意味ではミートもヤトに救われたと言っていい。

 ≪神降ろし≫とは最高位の神官でなければ行使出来ない奇跡であり、行使した者は例外なくその後、魂が砕けで死亡している。

 神の権能をこの世に降ろす憑代とするには人であれ魔人であれ肉体が脆すぎる。だから一度≪神降ろし≫を行えば必ずその者は死ぬ。

 例えるなら素焼きのコップに湖の水を全て押し込むような無茶をしているようなものだ。神の時間にとって一瞬、現世の者でも持って数時間で肉と魂は粉々になる。

 ましてミートは神器を使って無理矢理に神を降臨させた。それでも死ななかったのは、身に降ろした『愛と復讐の女神』の魂をヤトが斬ったからだ。

 だからサロインは娘を救ったと同時にニートの仇のヤトを責められない。

 仮にもしヤトが彼女を殺していたら、娘を二人も殺したヤトと仲間達が村に留まるのを許さなかった。

 なおミートに≪神降ろし≫の秘法を教えたミトラとアジーダは祭事の後に忽然と姿を消してしまって、行方は全く分からなかった。

 祭具の銀の杯も、去り際にサロインの手に渡している。

 結局彼等は祭具を欲していたわけでもなく、何のためにミートに≪神降ろし≫を教えたのかも分からない。

 単に復讐を遂げようとする少女に力を貸しただけとは思えなかったが、利益を得たわけでもなく、居ない者に話を聞くのも無理だった。

 何もかも分からずじまいだった村は、全てを祭という非日常として捉えて、自然と日常へ回帰していった。

 

 重症のヤトはベッドで暇を持て余していたが寝るしかない。

 何しろ両腕は古竜由来の高い再生力でも骨に多少肉が張り付いただけで未だに指が動かない。右足も同様で左足一本では立ち上がるのも苦労する。

 よって食事や排泄は全てクシナとロスタの手を借りねば何も出来ない状態だった。

 とにもかくにも身体を元に戻す必要のあったヤトは食べて寝て不味い薬を飲む事に専念していた。

 実はその苦い薬は村の物ではなく、ヤンキーの置き土産だ。

 彼等は祭事が終わった後にどうすべきか意見が割れた。

 一つは正午を過ぎてしまい、岩山の保管庫に納められなかった祭具奪取の戦いを続ける事。もう一つは損耗の大きさを鑑みて奪取を諦めて帰還する事。

 結論を言えば神官達は戦いを諦めた。

 ミトラによって散々に痛めつけられて、まともに戦えない状態だったのが理由の一つ。

 他にも十全とは言えなくとも≪神≫を斬ったヤトを恐れたのも理由に挙げられる。

 ただ、それらは指揮官のミレーヌの判断にはさしたる価値を持たない。

 神官団を率いるミレーヌにとって最も大事なのは、己の信仰を穢さないかだ。

 魔人族は不倶戴天の敵ではあったが、決して邪神崇拝はしていない素朴な信仰を持つ純朴な民だった。

 彼女の信仰にとって種族と生まれを理由に一方的に邪悪と断じて相手を討滅する事はどうにも納得がいかなかった。

 それに『法と秩序の神』の教義には日々厳しい自然の中で懸命に生きて、ただ豊穣の糧を願う者を殺せなどと一文たりとて記されていない。

 上官に謀られた事もあって、ミレーヌは己の信じる教義に恥じない選択をした。

 彼女は反対する神官を抑え込んで責任者として村に謝罪した。

 村としては長年祭具を狙って襲撃を仕掛けてきた盗賊だ。祭事の時には酒を勧めても、一度祭りの熱が抜けて冷静になれば、残るのは過去に幾度にも渡って蓄積された怒りと不快感しかない。当然恨み言や罵りもあった。

 それでも直接的な暴力を加えなかったのは、全てミトラとアジーダによって流血が未然に防がれた事と、村人自身が血で贖う事を求めなかった故にだ。

 結局村はミレーヌや神官達に何も代償を求めず、ただ二度と来るなとだけ言い放った。

 謝罪を受け取られず、和解も成立しなかった。

 自分自身と自らが属する神殿の犯した罪の重さに打ちのめされたミレーヌは涙を流して帰還を選んだ。

 彼女は帰還した後に上司から糾弾を受けるだろう。仮に邪教崇拝が偽りだったと弁明しても、祭具を持ち帰らず魔人族を討伐しなかった事実は残る。

 神殿での立場も危うくなるかもしれない。しかしそれでも彼女は自らの信仰に正直に生きる事を決めた。

 指揮官の命令により神官達は砂漠を去った。去り際にドロシー達は無惨な両手片足を晒したヤトに謝罪してせめてと薬を置いて行った。

 薬は苦く、どれだけ再生力に寄与するかは未知数でも、謝罪の品とあらば使わないわけにはいかない。

 

 

 祭事から三日が経った。

 一つ村にとって良い事があった。ミートが目を覚ました。

 目を覚ましたミートはただ泣いて、両親に自らの罪の許しを乞う。

 

「この馬鹿娘め。お前が本当に謝罪しなければならないのは私達ではない」

 

「えっ?」

 

「ヤト殿にだ」

 

「ッ!!で、でもあの男はニート姉さんを―――――」

 

 ミートは父親に食って掛かろうとして体勢を崩してベッドから落ちて身体を打つ。

 サロインとフィレは娘を抱きかかえて、ベッドに寝かした。

 

「落ち着いてミート。私もお腹を痛めて産んだ娘を殺した男が憎いわ。でもね、ニートが砂漠の外で一体何をしたのか貴女も見てたんでしょ?」

 

 ミートは母の問いに答える事が出来ない。

 そう、姉が外で一体何をしていたのか見ていた。

 最初は姉の第三の目を通して見る物全てが真新しく刺激に満ちた世界に心が躍った。砂漠では決してみられない緑豊かな世界、見た事も無い華やかで美味しそうな食べ物、多くの種族が行き交う街を自ら歩きたいと思った。

 しかし段々と姉が良からぬことをしているのも見るようになった。

 時に力を用いて相手を破滅させたり、無関係な人間を殺す場面も見た。

 大好きな姉がそんな事をするのは悲しいと思ったが、見るだけで声を伝えられない自分には止めさせることも出来ず、段々と無関係な相手と割り切って見ないふりをした。

 その果てに姉がどうなったかは既に言わずとも分かる。

 

「ヤト殿とクシナさんからニートの事を聞き、ただ悲しくなった。父として神官として子供一人導けなかった。娘のお前にも頼ってもらえない情けない父親だ」

 

「母親として娘の辛さに気付いてあげられなくてごめんなさい」

 

 夫婦は娘を抱き留めて泣いた。娘も堰を切ったように声を上げて泣いた。

 三人が失った物は大きい。されど残った物は確かにあった。

 

 サロイン一家はその日の内に静養していたヤトに謝罪とミートの命を奪わなかった事への感謝を告げる。

 ヤトは右足の踵が使えるようになっていて、辛うじて歩くぐらいは出来るようになっていた。

 

「うーん………」

 

 正直言ってヤトは謝罪など受ける謂れは無かったし、感謝される事すらどうでも良かった。

 傭兵として渡り歩いていた時から怨まれて仇討ちを仕掛けられる事は日常的で、時に十人以上から闇討ちを受けた事も一度や二度ではない。

 色々と怨まれる生き方をしている自覚はあったので、仇討ち程度でいちいち腹を立てるような繊細さは持ち合わせていない。

 それにミートを殺さなかったと言うが、ヤトからすればミートが生きていようが死んでいようが関係無い。結果的に生き残っただけで、戦った相手の生死など些末な問題。

 たまたま生き残ったのなら己に感謝するより、精々その運の良さを信奉する『豊穣神』に感謝すればいいと思った。

 

「断っておきますが、僕は殺し殺される生き方をしていますから、遺恨など持ってませんよ」

 

「それでも私の娘が二人も迷惑をかけた事には変わりはない」

 

「正直ニートを殺した貴方を憎む気持ちはまだあります。でも神の教えに背いた悪事を止めてくれた事は感謝しています」

 

 ヤトはこの手の結論を出してしまった相手に、これ以上何を言っても無駄だと気付いた。

 だから反論などは一切せずに適当に返事をして、さして意味の無い謝罪と礼を受け取っておいた。

 そしてミートもボロボロになったヤトにただ一言「ごめんなさい」とだけ呟いた。

 

「腕がこうなったのは僕が弱かっただけですから。逆に不完全とはいえ神と戦えた事に感謝したいぐらいです」

 

「………やっぱり、あなたやクシナさんのことは理解できません」

 

 まあそうだろう。ただの復讐心に駆られて失敗しただけの村娘に、『剣そのもの』になりかけたヤトの心情など分かるはずもない。

 それでいいのだ。彼女はこのまま辺鄙な砂漠で辛くとも幸福に生きればいい。

 謝罪を済ませた三人はヤトの身体を気遣い長居をしないうように帰って行った。

 ヤトはさっさと忘れて療養に努めて寝る事にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 花の種

 

 

 『生と豊穣の神』への儀式から幾日が経った。

 今日はヤト達が村を離れる日だった。ミソジの見立てで、この日から数日ぐらいは砂嵐も無い穏やかな天候が続くと見立てだった。

 村の住民達は旅人に複雑な想いを抱いて見送る。

 ヤトがかつてこの村を出て行った少女を殺した事を知り、今回はその妹と戦い重傷を負った。

 幸い妹は無傷で目を覚まして、その日の内に歩く姿が見られてホッとしたものの、ヤトにはどこか隔意が残った。

 感情のわだかまりの正体は村人達も分かっている。勝手に村を出て行った薄情者と罵っていたニートへの仲間意識がまだ残っていたからだ。

 それを口にしては村の掟を軽んじるので、誰も表立って言わない。だからどことなくヤト達が出て行くのを歓迎する空気と、自分達が未だ傷の癒えていない者を追い出しているような気まずさとが混ざった空気が漂っていた。

 ミソジのソリに乗り込もうとするヤトの足どりはおぼつかない。ようやく右足の指先に肉が張り付いただけで力が入らず踏ん張りも利かない。

 それでも両の足で歩けるようになっただけマシだ。腕の方は両方とも未だに物を握る事すら叶わない。

 村の中には神の呪いなどと嘯く者も居るが何の事は無い。降ろした神を斬るために生命力のほぼ全てを気功剣として使い果たして、治癒力が減退しただけだ。

 再生が遅いだけでいずれは完治すると分かっていても、腕が使えないというのは中々難儀をする。

 何とかソリに飛び乗って仲間も乗り込んだ。

 

「全員乗り込んだね?じゃあ、ローゼ行くよ」

 

 ミソジの指示でローゼが手綱を操って、砂クジラのバーラーに曳かれたソリは走り出した。ヤト達は誰も村の方を振り向かない。あの村には大して思い入れは無い。あるとすればソリで送ってもらっているミソジ親子ぐらいだ。

 ソリは一時間ほど東へと進み、風塵で表面を削られた大きな岩山が目に入る。もう村は地平線の彼方で見えない。一行は岩の影にソリを寄せた。

 ここで彼女達とはお別れだ。

 

「こんな場所でいいのかい?もう少し送ってやってもいいんだよ」

 

「いえ、人目が無い所で十分です」

 

 砂漠はまだまだ広がっていて、ここから徒歩で踏破するのはかなりの難行だ。せめてオアシスのある場所までは、とミソジは善意で申し出るがヤトは固辞する。

 六人は砂に降り立ち、荷物を確認する。忘れ物は見当たらない。

 各々が礼と別れの挨拶をする中、カイルは荷物から小さな袋を取り出して、ローゼに差し出した。

 

「お別れにこれをあげる」

 

「えっ…ありがとう――――――これ種だよね?」

 

 ローゼは袋から幾つかの小さな植物の種を摘まんで眺める。

 

「うん、全部花の種だよ。砂漠で育つか分からないけど、上手くいけば来年には花畑が見られるかもね」

 

 ローゼは手の中の袋を凝視する。袋にはまだまだ百やそこらは種がぎっしりと詰まっていた。

 ヤトがどこで手に入れたのか尋ねると、ヤンキーから融通してもらったと答えた。

 確かに薬師の彼なら薬の原料になりそうな植物の種ぐらいは常備している。と言っても流石にタダでは譲ってもらえなかったので、タルタスで得た報酬の宝石を一つ渡した。

 花の種と宝石では普通交渉は成立しないが、何しろ碌に植物も生えない砂漠のような特殊環境では、ともすれば宝石よりも花の方が価値を持つので釣り合いが取れてしまう。

 

「嬉しいっ!ありがとうカイル!!」

 

 ローゼは勢いのままにカイルに抱き着いてキスをした。傍にいた母親は顔をしかめても、敢えて何も言わずに好きにさせた。

 情動に任せた拙い抱擁も終わり、お互いの顔を見合わせてから羞恥混じりに微笑んだ。

 

 (現地妻ですかねえ)

 

 ヤトは声に出さなくても、弟分の手の早さにはある意味感服しつつ心配していた。元からエルフは美形が多く、浮名を流す事もままある。カイルもその例に入るのだろうが、いつか酷い目に遭うような気がしてならない。

 されど本人が望んでやっている事なので止めろとは言えない。ヤトだって強い相手が居たら節操無しに挑む悪癖がある以上、同じ穴の狢でしかないので結局は好きにさせていた。

 それにローゼを目に入れておけば、他の女の事は考える暇もあるまい。

 クシナは一行から離れた場所で服を脱いで全裸になった。

 ミソジがいきなり裸になったクシナに声を掛けようとする前に、彼女は本来の姿を取り戻して降り立ち、砂漠に地響きを立てる。大地の震えは風化して脆くなった岩山の一部を崩してしまう。

 唐突に人型が巨大な竜になったのを目撃したミソジとローゼは唖然とする。

 

「では色々とお世話になりました」

 

「生まれ故郷を見つけたら、また会いに行くよ」

 

 ヤトはスタスタと先に行き、カイルはローゼとの再会を告げてからロスタと共にクシナに乗る。

 翼を広げたクシナは砂塵を舞い上げて高く飛び上がった。

 背に乗ったカイルはローゼに向けて手を振り、彼女もまた淡い恋をした少年に忘れられないように力いっぱい手を振り返した。

 次第に巨大な竜は小さくなっていき、とうとう見えなくなった。

 稀人は去り、砂漠はいつもと同じ乾いた風が吹き荒ぶ。

 

「―――――――砂嵐みたいな連中だったね。さあ、泣くのはいいけど帰るよ」

 

 ミソジは大粒の涙を流して声を上げて泣く娘の肩を優しく抱いてソリに乗せた。

 ヤト達の旅はまだまだ続くが、親子の生活もずっと続いていくのに変わりはない。

 ソリを走らせている間に少し落ち着いたローゼは泣くのを止めた。そしてカイルから貰った花の種の入った袋を大事そうに握り、これからの事を話し始める。

 

「私、花を育てるね。沢山咲かせて村をいっぱいの花で綺麗に飾って、カイルがまた来た時に驚かせたい!」

 

「はいはい、やるだけやってみな。けど狩人としての仕事も忘れるんじゃないよ」

 

 淡い恋が何年続くか知らないが、娘の可愛い主張ぐらい見逃してやる度量はミソジにもある。

 それにせっかくの贈り物を粗雑に扱っては相手も報われないだろう。

 こんな砂漠でどれだけ花が咲くかは分からないが、綺麗な思い出にはなるはずだ。

 何時かは知らないが口約束ではなく、娘にまた会いに来るならその時はまた家に泊めて世話を焼いてやろう。

 ミソジはそこまで考えて、意外とあの連中が嫌いではなかったと気付き、暇な時は娘の手伝いぐらいはしてやろうと密かに思った。

 

 

     □□□□□□□□□□

 

 

 ヤト達は二日目の空の旅を快調に進めている。

 ミソジの見立て通り、砂漠は穏やかな顔を見せていて、暑いが砂嵐の兆候はない。

 暇なほうが良いには違いないがそれでも何か見つけようと、カイルはまめに見下ろして何か目に付く物が無いか探している。

 見えているのは黄金色の砂と岩のみ。これが全部本物の黄金だったらどれだけ良かったかなどと、益体もない事を考えては首を振る。

 天から降りつける日差しはどんどん強くなり、風は熱を含んで涼どころか身体から水気を奪い続ける。

 まったくもって住み辛い土地で嫌になる。

 せめて話のネタになりそうな遺跡の一つでも探検しないと気力も干からびてしまう。

 

「―――――砂と岩以外なーんも無し!やっぱり砂漠の墓なんてガセだったのかな」

 

「本当かもしれませんが、そういう墓の多くは人目に付かないような場所に作るものですから、そうそう見つかる物ではないですよ」

 

 あるいは大人数を動員できるぐらい大きな集落が近くにあるはず。忘れ去られた廃墟という可能性もあるにはあるだろうが希望的楽観だろう。

 しかし砂漠の神というのは気まぐれな性格らしい。

 

「汝達の目は節穴か。あそこを見てみろ」

 

 何故か興奮した声を上げるクシナが首を少し右に向けたので、二人はそちらに目を向ける。

 

「「なにあれ?」」

 

 二人の声が完全に一致した。

 視線の先には巨大な岩山が二つも並んでいた。しかもただの岩山ではない。下手な城よりも遥かに大きく、均衡の取れた四角錐の形の岩全体が滑らかに研磨されている。明らかに自然物ではなく、何者かの手による建造物だった。

 カイルは一目でこの巨大な建造物が噂に聞く財宝を蓄えた墓だと確信した。このまま通り過ぎるなど勿論あり得ず、調査の為にクシナに近くに降りてもらうように頼んだ。

 

「探索は構いませんが、今回僕は殆ど役に立たないのは考慮してくださいね」

 

「だいじょーぶ!ここは盗賊の僕に任せて後ろで見ててよ!!」

 

 もはや財宝は己の手の中にあると言わんばかりのカイルに、ヤトは一抹の不安を隠しきれなかった。

 

 

 とはいえこの話は別の機会に語るとしよう。

 

 

 

 

 

 第五章 了

 

 

 

 

 

 





 これにて第五章『砂塵の女神』はおしまいです。
 いつもの半分ぐらいの長さなのは、プロットの後半部を第六章に合流させたためです。
 それでは第六章『迷い子の帰還』で再びお会い致しましょう。お読みいただきありがとうございました。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6章 迷い子の帰還
第1話 帰還


 

 

 ヤト達は砂漠を三日飛び続けて、ようやく砂と岩だけの世界から湿った土と草の世界に舞い戻った。

 砂漠を抜けた先はまばらな木々と低草の生い茂る平原だったが、カイルには天上の楽園にも見えた。

 食料も水辺に行けば魚やウサギのような小動物は幾らでもいるので新鮮な食料も取り放題。自然の恵みとはかくもありがたい物だったかと一行は再認識したものだ。

 さらに四人は聖樹の枝が指す東へと進んだ。

 変化が現れたのは二日目の夕刻だった。

 野営の準備を済ませてから、いつものようにカイルが枝木を転がすと、枝の先端が反対の西を指していた。

 カイルは驚いてひっくり返り、間違いが無いか確かめるために何度も枝を投げては転がす。それでも枝の葉先は毎回西の方角を指し続けた。

 つまりは知らない間に目的地のカイルの故郷を通り過ぎてしまったわけだ。

 近くで薪を拾って戻って来たヤトとクシナに興奮した様子で、枝が西を向いた事を伝えて来た道を引き返すように頼んだ。

 カイルの話は理解したものの、今は夕刻で既に野営の準備を済ませてある。明日の朝から動いた方が良いというヤトの反論によって却下された。

 兄貴分の論は的を得ただけに納得するしかなく、カイルはその晩なかなか興奮して寝付けなかった。

 翌朝は約束通り、朝食を済ませてから西への移動を始めた。

 カイルは竜の姿のクシナに定期的に地に降りてもらって、聖樹の枝を転がして故郷への細かい方角を把握する。

 昨日の昼時までは枝は東を向いていて、野営時には西だった。その間の数時間に通り過ぎたのは分かっている。後は枝葉の先がやや南を向いているので、クシナに頼んでやや南寄りに飛んでもらった。

 何度か飛行と着陸を繰り返して方角を確認するうちに、昼には故郷の大体の位置が分かった。

 問題はカイルの故郷と思わしき森があまりに広大な事だ。

 雪化粧をした山々に囲まれた深い森は上空から目印となるような人工物は全く見当たらず、おまけに森全体が濃い霧のカーテンに覆われて、下の様子は一切分からない。

 ただ、よく見ると霧の濃さにはやや偏りがあるようにカイルは思った。標高差や起伏のある地形なら霧の濃薄は起きるものでも、エルフの目から見ると微かに作為的な臭いが嗅ぎ取れる。

 あの霧は大事なモノを隠して遠ざけるために展開しているベール―――――盗賊カイルはそう感じた。つまり最も霧の濃い場所こそが森の要地だ。

 それが聖樹なのかエルフの村なのかは分からないが、近くまで行けば必ず何かの痕跡が見つけられるし、エルフからの接触も期待出来る。

 以上を踏まえて霧の最も深い場所を目指す事にした。

 

 

 四人は森を貫く川辺に降りて、カイルを先頭に生命力にあふれた森の中を歩いている。

 森の中は上空から見た通り、まるで泥で濁った湖底を歩いているような濃霧で視界は極めて限定的だ。これでは如何に道標と暗闇を見通す目を持っていても役に立たないが、幸いにも道案内をしてくれる精霊達はカイルに親切だ。

 周りで踊る水や花の精に先導してもらい、季節感を無視して咲き誇る花や張り出した木の根を踏まないように避けて、濃霧の中を歩き続ける。目がほぼ役に立たなくとも、四人は耳や鼻が常人よりもずっと優れているので、転ぶようなヘマはしない。小鳥のさえずり、リスの鳴き声、虫達の羽音が先導をしてくれた。ヤトだけはまだ足が完治していないのもあって、若干足運びにぎこちなさがあっても転ぶほどではない。

 そしてカイルは精霊達に耳を傾けて、時折頷いたり驚きもして軽く相槌を打っては友好を深めている。

 

「こいつらは何と言っているんだ?」

 

「えっと…『懐かしい、おかえり』だって」

 

 戸惑いを含みつつも、どこか嬉しさを滲ませるカイルの声にヤトとクシナの顔が明るくなる。両名共にカイルとの付き合いはまだ一年と少しぐらいの短い間でも、命を預け合う程度に深い間柄だ。仲間と言っていい。その仲間の長年の望みが叶えられそうと分かれば気分も良くなる。

 精霊達に導かれる四人の歩みは早かったが纏わりつく霧の水気には辟易して、時折足を止めては外套にべったりと付いた水滴を払った。

 外套は長旅に耐えられるように油を塗って撥水効果を高めてあっても、今の水の中を歩くような状況では効果はいまひとつだ。火で乾かそうにも森全体が霧に覆われていては、すぐにまた水を吸って不快な想いをする羽目になる。

 つい先日までカラカラの砂漠に居たと思えば、今度は反対に水の中を歩いているような気分になって気が滅入る。

 駄目元でカイルは精霊達に霧を弱めてもらおうと頼んでみても、残念ながら精霊達は盟約によって勝手に霧を消す事は出来ないと申し訳なさそうに断った。

 仕方が無いので定期的に水滴を払っては進み、払っては進みを繰り返して森の深くへと足を動かす。腹が減ったら手近な木に生る果実を食べて、日が暮れれば野営を始める。

 ゴールを目前にした興奮と疲労が混ざり合った不思議な心地良さに浸ったカイルの一日目が終わった。

 

 

 翌朝はカイルが最も早く目覚めた。

 夜が明ける前にロスタが他の二人を起こして、採ったばかりの桃と胡桃を早々と食べ終え、カイルが急かすようにすぐ出発した。

 一刻ほど歩き続けたカイルはふと、森の雰囲気が変わった事に気付いた。感覚的な差異であって言語化しづらいが、確かに一歩森の奥へとつま先を踏み入れた瞬間、魂の底から喜びが沸き上がった。

 かつてフロディスのエルフの村に踏み入った時に感じた喜心に似た、しかしそれを遥かに上回る懐郷心が全身を満たして、自然と涙が溢れた。主人を気遣うゴーレムの声に、喜びに打ち震えるカイルは涙を拭って心配は無用と返事をした。

 そしてカイルは急ぎつつも決して草花を傷つけないよう慎重に歩き、他の三人もそれに続いた。

 さらに一刻を歩き、そろそろ軽めの休息を入れようかと思い始めた頃、不意にヤトが足を止めて周囲の木々を注意深く見渡した後に、左側に視線を固定する。

 視線の先は他の木々と同じ、霧に包まれた視界の悪い森が続くばかりだ。

 だが花の精もまた同朋に耳打ちして真実を告げれば、そこに新たな出会いがある。

 カイルは緊張に喉を鳴らして、ヤトの視線の先に努めて動揺を抑えた声を投げかける。

 

「えっと、光の祝福を浴びて生まれ、森と共に生きる悠久の民に幸あらんこと。これより先に足を踏み入る赦しを願う」

 

 カイルはエルフの村で教えられたエンシェントエルフの由緒正しい、形式に則った挨拶を告げる。

 

「我が名はカイル。養たる母の名をロザリー。根を持たぬ流浪の身なれど、大樹の一枝を成すものとして歩みをしばし止める。どうか同朋よ、お目通りを願いたまう」

 

 しばし間が空いた後、霧の中より弓を携え、濃い草色の外套を纏った三人の美丈夫達が姿を現した。当然ながら全員がエンシェントエルフだ。

 その内の一人が一歩前に進み出て、カイルに会釈をした後、外から来訪した同朋の顔に驚き目を見開いた。

 

「―――んん!……寄る辺無き流転の一葉とて森が受け入れしものなれば、誰とて賓客である。ようこそ、立ち寄られた。異郷の同朋と旅人よ」

 

 互いに詮索すべき事項は多々あれど、今は友好を示して歩み寄る準備を整えねばならない。

 

「して同朋よ、此度は如何な目的があって我らの領域へと足を踏み入れたのか?」

 

「我が生まれ出る大樹を求めて。多くの義者の助けを借り、かの地へと導かれた末」

 

 カイルは腰に差してある聖樹の枝をエルフに恭しく差し出した。彼は枝を受け取り、間違いなく自分達の信奉する聖樹から零れ落ちた枝と見抜き、カイルに返却した。

 

「我らの聖樹の導きとあらば喜んでお迎え致す。――――よくぞ帰ったハエネス、あるいはカイルよ。ここがお前の大樹だ」

 

 形式張った口調が一気に崩れ、三人のエルフはかつて姿を消した幼児が舞い戻った事を我が事のように喜び、歓待の意を口にした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話 母に抱かれて

 

 

 

 カイルの事をハエネスと呼ぶエルフは自らをオルハルと名乗った。後ろの二人もそれぞれランク、ノールと名乗り、カイルの顔をじっと見て合点がいったように頷いた。

 

「あの幼子がよくも生きて再びこの地を訪れようとはな」

 

「然り、然り。きっと生きていると信じたお主の家族の祈りが聖樹に届いたのだろう」

 

「あの、僕の家族って……」

 

「もちろん居る。もしや、覚えていないのか」

 

「まあ待て待て。積もる話はこのような場所よりも村の方が良い。客人も来たまえ」

 

 オルハルの提案に残る二人も同意した。当然カイル達も了承して、三人のエルフについていく。

 相変わらず森を覆い隠す霧は晴れていないが、先導役が三人増えたのもあって歩きやすさは増した。

 歩いている最中、三人のエルフの中で一番若いノール―――ヤトより少し年上に見えるが実年齢は百を超えている―――がチラチラと後ろを何度か見て、意を決したようにヤト達に話しかける。

 

「貴殿らは火の精の同胞か?」

 

「そんなところです」

 

「無いとは思うが出来れば森を燃やさないでもらいたい」

 

「ノール、客人に失礼だぞ」

 

 オルハルの叱責を受けてノールはヤト達に謝罪する。

 基本的に水や草花の精霊を友とするエルフにとって、火の精霊を宿したヤトとクシナを見れば気になるのは分かるが些か不躾にも思える。

 ただ、道中に転がる無数の骨や抉れた地面に横たわる多くの倒木を見ると何となく関係性を感じてしまう。

 ヤトは注意深く苔の生えた骨を観察する。骨の多くは人間のそれよりかなり太く長いのが分かる。他にもネズミの住処になっている大きな猪の頭骨のような骨が幾つも転がっていた。

 

「あれはオークの骨ですか?」

 

「見ただけでよく分かる。察しの通りあれは十年前にこの森を襲ったオーク軍団のなれの果てだ」

 

「ここだけでなく森にはあの醜悪な蛮族が残した爪痕が無数にある。ハエネスよ、お前は幼かったから覚えておらんようだな」

 

 ランクとノールは苦々しい過去を思い出して目を細めた。この様子では相当に忌々しい過去として記憶に留まっているのだろう。

 それに十年前と言えばカイルがロザリーの盗賊ギルドに拾われた時期に近い。何らかの関係はあると思って良い。

 この場で過去を問いただしても良いが、今は急がせた方がカイルの意に沿うので、一行は再び霧の森を歩く。

 霧の森を歩くたびに同じような人為的に変えられた地形や乱雑に打ち捨てられたオークの朽ちた骨が目に付く。秩序と調和を尊ぶエルフの住まう森でありながら、さながら古戦場跡のような様相だ。森全体が戦場になったという事だろう。

 しかしそうした戦禍の後にも若木が育ち、かつては暴威を振るったと思われるオークも歳月が過ぎれば骨となって小動物や虫の住処を提供する。破壊の後の再生は生命の循環だ。どれほど怒りと悲しみがあっても、草花と苔が覆い隠して新たな生の営みを見守る事こそエルフの本懐と言える。

 そうして破壊と再生を横目に一行とエルフ達は霧の森を歩き続け、不意に先頭のオルハルが足を止める。

 

「ここより先が我々の村だ。………今再び同胞を迎える事が出来たのを心より嬉しく思う」

 

 オルハルの言葉にランクとノールも感無量の涙を流した。

 エルフ達はこの先に村があると言っているが、残念ながらヤト達には霧のせいで全く先が見えないし、耳や鼻にも村の営みの痕跡は感じ取れない。

 精霊が森を霧で覆い隠しているだけでなく、ある種の結界を構築して村と外部を断絶しているという事なのだろう。念の入った事だが必要な備えであって、ヤト達はそれを臆病とは思わない。

 涙を止めたエルフは聞き覚えの無い奇妙な言語で呪文のような言葉を呟き、ヤト達を手招きしてから霧の先に消えた。

 

「カイルから先にどうぞ」

 

「う、うん……じゃあお先に!」

 

 ヤトに先を譲られたカイルはロスタを伴って霧の中へと消えた。二人を見届けてから最後にヤトとクシナが不可視の境界を跨いだ。

 

「ほう、中はこうなっているのか」

 

 霧を抜けると眼前にはのどかな村が広がっている。かつて滞在したエルフの村と似たような雰囲気の白亜の住居が幾つも立ち並び、よく手入れされた樹木が整然と並んでいる。

 天に目を向けると不思議な事に霧は一切見当たらず、はっきりと青空が見えて冬のささやかな陽光が差していた。

 

「外からは霧で覆い隠されて見えないけど、中からは丸見えと。流石のエルフも霧の中では生活に支障があるんですね」

 

「かつて村にまでオーク共の汚らわしい牙が触れたのでな。備えはし過ぎても困る事は無いと学んだよ」

 

 ランクが忌々しい過去を思い出して、色つきの良い唇を噛み締めれば、他の二人もそれぞれ似たような反応を見せる。どうやらよほど過去に苦い経験をしたのだろう。

 ヤトがぐるりと村の周囲を見渡すと、あちこちの木の上からこちらを伺う視線を感じる。監視者の姿は見えないのは距離が離れているためと、背景と同化する隠形に長けているからだ。ここは西のエルフの村よりずっと警戒心が強い。

 子供の姿もちらほら見えているが、ヤト達の姿を見た大人達にそれとなく呼ばれてすぐに隠れてしまった。警戒心の強い集落にいきなり見知らぬ部外者が現れれば、こういう対応になるのはどこも同じ。それでもカイルの顔を見てすぐに勘づく大人のエルフはいた。

 四人はオルハル達に先導され、向けられる視線を気にせず村の奥へと足を進める。

 西のエルフ村には村の中心部に噴水が設えてあったが、この村には祭壇のような儀式台にリンゴほどの大きさの青い珠玉が祀られている。傍には白銀に輝くオリハルコンの鎧を着て槍を持つエルフの戦士二人が直立不動で見守っている。

 

「あれは何なの?」

 

「あれが村と外を分ける境界の起点となる珠だ。霧だけでは安心できないから後付けで設置した」

 

 カイルの質問にランクが説明しつつ、視線だけで決して触れるなと無言の圧力をかける。勿論四人の中に触れようと思った者はいない。

 カイルはもしかしたらヤトがエルフの戦士を見て事を起こさないかと心配したが、珍しく彼は平静を保っているので意外に思いつつそのまま素通りした。

 そのまま村全体に枝葉を広げる大樹の前で一旦足を止める。ここの大木も塔のように中は空洞になっていて、奥には上へと登る螺旋階段が設えてある。

 当然木の上にはこの村の族長が居座っているだろうし、入り口には練達のエルフの戦士が両手で数えるほどに警護している。

 オルハルは戦士の一人に長への面会を願う。不思議な事に厳重な警備の割にエルフの戦士は長から話は聞いていると言って、カイル達に階段を登って最上階に行くように促した。

 

「では行くが良い。道案内の我々はここまでだ」

 

「なに、後で話をする時間はたっぷりある」

 

「夜には村を挙げての祝宴が待っているぞ」

 

 案内をしてくれた三人は優しい言葉をかけた後、再び森の警戒へ戻った。

 残された四人はカイルを先頭に一段ずつ大樹の内側に設えた階段を登る。ヤトやクシナには離れていてもカイルの心臓の鼓動が高鳴っているのが聞こえる。

 長い長い階段を登り切った最上階。天井からは幾つもの銀のランプに灯された温かな光が部屋全体を照らす。

 そして部屋の窓側に腰まで伸びた長い黄金色の髪を持つ大柄のエンシェントエルフが一人、後ろ向きに悠然と立っていた。

 

「……………これほど喜ばしい日はこの世に生まれて一度も経験しておらぬ」

 

「あの……もしかして貴方がエアレンドさん?」

 

「そう他人行儀に接してくれるでない。かつてこの手で抱いた赤子に余所余所しくされると十年前に受けた心の傷が痛むのだ」

 

 エルフは振り向き、眉間に深い皺を刻みつつも端整な顔に喜びの涙を流してカイルに目を向ける。その瞳はどこまでも慈愛に満ちている。

 かのエルフは足音も無く優美な足運びでカイルへと近づき、羽毛を撫でるかの如き繊細な仕草で両肩に手を置いた。

 

「お前の事は一日とて忘れた事は無いぞ。ハエネスよ、よくぞ我が元に帰って来てくれた。私がお前の祖父エアレンドだ」

 

「お…お爺さん」

 

 たったそれだけ言われただけなのに、カイルの目からは大粒の涙が零れ落ちた。

 ヤトは肉親との再会を邪魔するのも無粋なので出て行こうかと思ったが、その前にエアレンドが視線だけで気遣いを制した。そして彼は何かを呟くと部屋の床に絨毯のように敷き詰められた苔が自然に盛り上がって、ふかふかのソファの形になる。

 ヤトとクシナは苔のソファに腰かける。ロスタは従者として後ろに控えようとした矢先、さらに隣に一つ、向かいにもう一つのソファが出来た。ロスタにも座れという事だろう。向かいの方にはカイルとエアレンドが座る。

 

「せっかく生き別れた孫が同朋を連れて来てくれたのだ。もう一人が来るまでしばし待たれよ」

 

 エアレンドの穏やかでありつつ威厳を含ませた言葉に三人は拒否する理由も無かったため、言われるままに暫く自己紹介と道標を授けてくれたダズオールや妻のケレブの話などをして待つ。

 儀礼として客人をもてなす為の果実は用意してあり、早速クシナは大きな梨を一つ手に取って皮ごと齧る。

 幾つか話を聞いた後、エアレンドはロスタに目を向けて、何か物思いに耽った後に遠慮がちに口を開く。

 

「ところでロスタと言ったな。レヴィアという名に心当たりはあるか?」

 

「私自身は記録にございません。ですが私の容姿はケレブ様の古い友によく似ていると伺っています」

 

「ではギーリンというドワーフは?」

 

 エアレンドの問いかけにロスタはパチパチと瞬きをしてたっぷり十秒は沈黙を保つ。その間、部屋にはクシナが梨を咀嚼する音が響く。

 沈黙が終わり、ロスタは戸惑いながらも頷いた。

 

「記録の一部が開示されました。その名は私を創造したアークマスターとして記録されているようです」

 

「然り。その名以外が出て来る事は無かろう。未練とはかくも断ち切り難いものよ」

 

「あの、お爺さん……そのドワーフはロスタとどう関わってるの?」

 

「話してもよいが長くなるのでな。また日を改めた方が良かろう」

 

 エアレンドが視線を床に向けた時、下から階段を踏みしめる規則正しい高音が響いた。

 ヤトは上品な足音の調子から何となく女の足を連想した。

 その観は正しく、階段を登り姿を見せた人物は女性だった。

 年のころは人間で言えば二十代。ただし神代のエルフの外見は当てにならない。それに全身に纏うただならぬ雰囲気のせいでいまいち分かりにくかった。

 背はヤトよりやや低く、ゆったりとした飾り気のない純白のワンピースタイプのローブを纏っている。容姿はエンシェントエルフの例に漏れず、一流の彫刻家が丹精込めて作り上げたように美しく整っている。特に目を惹いたのが腰まで長く伸びた白金のように輝くウェーブのかかった髪。質はそれほどではないが髪色はカイルとそっくりだった。それによく見れば目元もカイルに似ている。

 

「来たかファスタよ。お前が探し求めていた宝が自らの足で戻って来たぞ」

 

「存じております御義父上」

 

 ファスタと呼ばれた女性はソファに座るカイルの前に跪いて、何も言わずに彼を抱きしめた。

 

「その……貴女が僕の―――」

 

「母です。嗚呼………この日をどんなに待ちわびた事でしょう」

 

「母さん……」

 

 カイルは普段のお調子者な態度を全く見せず、ただただ優しき母の胸の中でなすがままにされた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話 逗留

 

 

 血を分けた母と子が十年の歳月を経て再会した。これでカイルの故郷を探す旅はおしまいという事になるわけだ。

 カイルの母ファスタは息子と共に祖父エアレンドと苔のソファに座る。母は息子がどこかに行ってしまわないように手を握って放そうとしない。腹を痛めて産んだ息子が十年も生き別れになったのだから不安に感じてしまうのだろう。カイルの方は羞恥を感じていたが母の気の済むようにさせている。

 肉親三世代が共にある光景は一応の家族に見える。ただ、普通に考えればまだピースが足りない。

 

「あのさ…お爺さん、母さん。僕の父さんはいるの?」

 

「勿論だとも。お前の父は私の息子アングレン。そして―――」

 

「私のもう一人の息子、貴方の兄ダルセインがいますよ。でも今は会えないの」

 

「えっ?じゃあどこに?」

 

「それはお前が居なくなった日から順を追って話さねばならない。あれは忘れもせぬ、十年前の夏だった」

 

 エアレンドは一度咳払いをしてから、一流の楽器職人が生涯を賭して生み出した弦楽器の如き上品な重低音を響かせて朗々と語り始める。

 十年前のその日、この地はいつもと変わらぬ夜明けを迎え、何事も無く日暮れを迎える日常を過ごすはずだった。

 まだハエネスと呼ばれていたカイルも厳格な祖父、頼もしい父、優しい母、それによく気にかけてくれる兄の元ですくすくと育っていた。

 しかしその日は何かがおかしかった。朝から精霊達がしきりに騒ぎ、何か良くない事が起こると囁き合っていた。

 村のエルフ達は同胞の助言を素直に聞き、その日は常に警戒を続けていた。

 そうして日が傾き始めた頃、森の遥か北にある山より災厄が湧き出てきた。

 

「あれは万を超えるオークの軍勢だった。そ奴等が山を掘り抜いて、まっすぐ村を目指して進軍していたのだ」

 

 さしもの森の精霊達も山の中までは見通せず、エルフ達は完全に奇襲を食らった。

 最初は慌てふためくエルフ達だったが、すぐさま冷静さを取り戻して精霊達の助けを借りてオークの軍勢を迎撃した。

 村のエルフはとにかく動ける者は女だろうが年少でも弓と剣を握れるなら誰でも兵として動員して一丸となって困難に立ち向った。

 戦は熾烈を極めた。オークは知性に劣るとはいえ人間より強靭で、エンシェントエルフとて片手間に勝てる相手ではない。それが数十倍の物量を以って襲い掛かってくれば、いかに精霊と協力しても苦戦を強いられる。

 樹の精と岩の精による強固な砦と化した村もオークの力で徐々に崩される。花の精の眠り粉や蔦の精の拘束も万を超える兵には決定打にはなりにくい。

 それでもエルフ達は粘り強く果敢に迎撃を続けて三日も敵の侵入を防ぎ続けた。

 弓が砕ければ槍を、槍が折れれば剣を、剣を失えば石や木を手に、ただひたすらに森を守るために戦い続けた。

 とはいえ万を超える軍勢と精々が三百人の小さな村ではそこかしこに綻びが生まれて、遂には村への侵入を許してしまった。

 

「如何に我々が優れた戦士でも多勢に無勢を覆すのは容易ではない。いや、ただの戦場ならばそこまで難しいものでもないのだが……」

 

 エアレンドは唇を噛み締め、呪詛にも似た言葉を吐いた。その瞳には悔恨の色が露わになっていた。

 

「運に見放されたのだ。あの汚らわしい豚頭共が穿った場所がよりにもよって子供たちが避難していた小屋の近くだったのは」

 

 戦えない者を守るというのは確かに士気はあがるだろう。だが常に後ろの安全を気に掛けつつ戦うのは実際には容易ではない。

 幸いと言っていいのか分からないが子供達は精霊が森に退避させて難を逃れた。

 戦士達が村に侵入したオーク共を殲滅して、さらに一日かけて軍勢を壊走させた。そこで少ないながら犠牲が出てしまったのを長エアレンドは悔やむが、数十倍の相手と戦ってなお敵軍を壊滅させたのだから、むしろよく勝てたと言うべきだとカイルは思った。

 情勢が落ち着いたと判断した大人達はすぐさま子供達を探した。

 多くの子供はすぐに見つかって親御や家族と再会したものの、幾人かは森の外にまで出てしまい行方が分からなかった。

 

「その内の一人が僕なんだろうけど、もしかしてまだ何人もいるの?」

 

「…うむ。男衆の何名かが行方を追って見つかった子も居るが、今もまだ二人見つかっておらんのだ」

 

 エアレンドとファスタは複雑な面持ちになる。二人の血族のカイルはこうして自力で戻っても、行方不明者全員が戻っていない。

 それに見つかったと言っても、すぐに無傷で見つかったとは言っていない。中には既に事切れた亡骸として戻った子供もいるかもしれない。

 あるいはカイルが当初、奴隷商の商品として扱われていた事実から、同じように捕まって売られた子を取り返して帰って来たか。そして残る二人も仮に生きていた場合、奴隷として扱われているのではないか。カイルは自らの置かれた境遇だけにその可能性を全く否定出来なかった。

 

「じゃあ僕の父さんと兄さんはまだ僕を探しに行ってるから村に居ないの?」

 

「今は東の≪桃≫という国を探しているが、数年に一度は報告に戻っている。来年には帰ってくるから楽しみにしていなさい」

 

「ハエネスの元気な姿を見たらどんなに喜ぶでしょう」

 

 エアレンドの言う≪桃≫の国というのは大陸有数の大国の事だ。ヤトの生国の≪葦原≫と隣国でもあり、古来より大きな影響を受けている。

 かの国は文化形態が西側とはかなり異なる。文字や食習慣など大きく異なり、長大な二本の河川を背景に莫大な富を有した支配者は王を名乗らず≪皇帝≫を称した。

 獣人のような異種族への偏見はあるものの、皇帝に首を垂れる者は手厚い庇護を受けて人類種と同等の権利を与えられた。皇帝は慈悲と徳をもって国を統治するのが習わしとされる一方で、意に沿わず剣を向ける者は例え人間や貴族でも容赦なく首を刎ねられて、一族郎党は奴隷として蔑まれ何代にも渡って酷使される。

 そうした罪人奴隷以外にも金銭によって売買される奴隷もそれなりに多く、特に美貌のエルフは高値で売られているのを訪れた事のあるヤトは何度か目撃している。

 仮に行方不明なったエルフの子供がいる場合、おそらくは金持ちや貴族の奴隷にされている可能性が高い。

 運が悪ければカイルがそうなっていただろう。探し物が自分から帰って来たとは知らずに今も家族を探し続けている二人を笑う者は居ない。あくまでカイルは不運の中から幸運を掴み取った稀な例だ。むしろ望みを捨てずに懸命に探している家族愛に深く感じ入った。

 今すぐに会えないのは残念でも、時が経てば必ず会える保証があるのは良い事だ。

 

「良かったですねカイル、いえ今はハエネスですか」

 

「アニキやクシナ姐さんはそのままカイルで良いよ」

 

「それは良いが汝の旅は終わったな。これからはここで暮らすのか?」

 

 クシナの問いにカイルは何とも言えない顔をする。目にはどうすべきか答えの出ない迷いが見て取れる。

 確かに離れ離れになった家族と会いたいが為に今まで旅をしてきた。そうしてようやく目的を果たし、安堵感と達成感を得た。

 だがこのまま村で過ごすのかと聞かれると、心のどこかで感情が歯止めをかけて是と言えない。

 答えられない孫を見かねたエアレンドは今日の所はひとまず休めとだけ労った。

 

「ヤト殿とクシナ殿の住まいはこちらで用意しておく。ここを自らの生まれ故郷と思ってどうか寛いで頂きたい」

 

「失礼ですがヤト殿はお体が優れぬようですから、ゆるりと傷を癒してくださいませ。お薬が入用なら私がご用意致します」

 

 ファスタはヤトの両手に巻かれた包帯を見て、優し気に声をかけた。並の男ならその声だけで魂を融かされてしまうほどの慈悲深い美声だった。

 弟分の母親はともかく、カイルは家族と会えてヤト達も快く逗留を許された。しばしの間、彼等は村で旅の疲れを癒す事となる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話 懐郷の心

 

 

 ヤトはカイルの祖父であり族長のエアレンドが用意してくれた家のベッドで目を覚ました。

 この家は昨夜のうちに村人が設えてくれた新築だ。勿論いちいち木を切って材木を組んでなどと悠長な仕事はしない。エルフが元からそこにある木に頼めば望むように形を変えてくれる。

 クシナと共に二人で住むには十分な広さと、簡素ながら一通りの家具も用意してくれた。かまども簡素ながら組んで貰ったので料理も出来る。ただ作る者が居ないので暫く使われる事は無いだろう。代わりに村人がパンやら果物の類を毎日届けてくれるように気遣ってくれた。

 

「クシナさん、朝ですから起きてください」

 

「……んん」

 

 クシナは隣の旦那に揺さぶられて、欠伸をしながら豊かな肢体を勢い良く跳ね上げる。熟れたリンゴのようにたわわに育った二つの乳房が揺れた。

 

「腹減った~」

 

 起きがけに空腹を訴えた嫁に苦笑する。その前に着替えと洗顔が先だ。

 二人はいそいそと服を着る。その動きはどこかゆるやかだ。何しろクシナは片腕で、ヤトも両腕がまだ自由に動かない。

 両腕の包帯の下はようやく肉が再生しただけで筋組織はまだ皮膚が付いておらず露出したままだった。今は辛うじて指で物を摘める程度の動きしか出来ない。だから服の留め紐を締めるのがやっとで、剣を握るどころではない。

 だから精神が戦いを求めてイラつくのではないかとカイルは案じていたが、不思議な事にヤトの精神は穏やかそのもので、内心で気味悪がっているのは内緒だ。

 多少もたついてから着替えて洗顔を済ませる。それから朝食をとるために席に就いた。

 

「こうして二人で寝起きするのも久しぶりですね」

 

「ん~そうだったか?」

 

 一つ目のパンを食べ切ったクシナが瑞々しいイチジクを口に放り込んで首を捻る。

 思い返せばカイルとロスタと一緒に旅をしているのだから基本的に二人になる時間はほぼ無い。昨年カイルが修業のために西のエルフの村に残って別行動をとった時以来だ。あの時はすぐに王宮に留まって別室で寝起きしていたので、本当に夫婦でゆっくり寝起きしたのは久しぶりだった。

 ヤトは癖のある雉肉の燻製を齧る。よく肥えた雉の肉は噛めば噛むほどに旨味が出る。灰汁抜きした山菜も一緒に食べればより一層深みが増す。

 銀製のコップを手に取ろうとして掴みそこなった。渋い顔をして両手で挟み込むように持ち上げようとして、誤ってコップを壊して中身をぶちまけてしまった。溜息が出てしまう。

 零れた乳を布で拭き取ろうとした所でドアを叩く音がした。

 クシナがドアを開けると意外な人物が外に立っていた。カイルの母ファスタが手さげ籠を持っていた。

 

「朝早くに申し訳ありません。差し出がましいですがヤト殿の治療をと思い伺いました」

 

「そうか、とりあえず中に入れ」

 

 クシナに許可をもらった彼女は家の中に入る。

 食事中だったのを見て出直す事を考えたようだが、壊れたコップと滴る乳を見てファスタはヤトから布巾を取り上げて後始末を始めた。

 ヤトとクシナは彼女が掃除をしてくれる間に手早く朝食を腹に納めた。

 

「助かりました。カイル…息子は放っておいていいんですか」

 

「今は義父と村を見回っています。それに息子とはこれからずっと居られますから」

 

 ファスタは無上の喜びに溢れた笑みを返す。確かにエルフの寿命は途方もなく長いのだから焦る必要は無い。

 掃除を終えた彼女は持ってきた籠から医療品を取り出して、ヤトの上着を脱がして腕と胸の包帯を解いて治りかけの腕を診察する。

 皮膚の無いむき出しの筋肉に触れて症状を把握した後、薬を含ませた布で拭いてから小さな壺に入った緑色の軟膏を患部全体に塗る。

 

「草っぽい臭いと蜂蜜の匂いがする」

 

「はい。これは薬草を潰して蜜蝋で練った薬です。それ以外にも色々と手を加えています」

 

「神代のエルフの秘伝薬というところですか」

 

 二人の反応にファスタはただ笑って返すばかり。そのまま手早く両腕に軟膏を塗ってから清潔な包帯を丁寧に巻いていく。

 さらに右の靴も脱げと命じた。それらも包帯を外して薬で消毒して、腕と同様に軟膏を塗り包帯を巻く。

 すっかり手当てを受けて心なしか気分が良くなった。ヤトはファスタに礼を言うと、彼女は少し渋い顔を向ける。

 

「ハエネスから聞きました。幾ら竜の血を得て手足が再生しても生身の肉には変わりありません。少しは身体を労わってください」

 

 医師、あるいは子を持つ母として慈愛に満ちた諫言には、さしものヤトも曖昧に言葉を濁すしかない。心の中で小言を言われないように出来るだけ避けようと思ったが、先んじて毎日包帯を替えに来ると言われて閉口した。おまけで患部を軽く動かす程度に留めて、剣は絶対に握るな、走るのも禁止と釘を刺されてしまった。しばらくは言われた通り安静にするしかない。

 薬士として言うべき事を言い終わったファスタはさっさと仕事道具を片付けて帰り支度をする。そのまま帰るかと思ったが、ヤトとクシナに深々と頭を下げた。

 

「息子がお二人に大変お世話になりました。私に出来る事はこれぐらいしかありませんが、どうか村にいる間は何でも言ってください」

 

「ご子息とは旅仲間ですから互いに助け合うものです。僕もカイルには色々と迷惑をかけているからお互い様ですよ」

 

「そうだそうだ。カイルは雌にだらしのない奴だが儂達の仲間だ」

 

「は?そのお話詳しく教えていただけますか?」

 

 ファスタはずずぃっとクシナに詰め寄る。クシナは唐突に雰囲気が変わった彼女に面食らい、流されるままこれまでカイルの側にいた女性の事をつらつらと語ってしまった。おまけにまだ知っているだろうと詰め寄られたヤトも標的になってしまい、やはり知っていることを全て話す事になった。

 二人から息子の女性遍歴を全て聞き終えたファスタは何やら迫力のある笑みを張り付けて威圧感を放っている。

 

「フフフ、生き別れになった我が子の無事を毎日祈り続けていた甲斐があったのですね。でも長の一族として少しは節度という言葉を学ばなければいけないわ」

 

「はぁ……出来ればお手柔らかにお願いしますよ」

 

「ええ、ええ、勿論です。あくまで誇りあるエルフとしての振る舞いを教えるだけですからご安心ください」

 

 言動と威圧感のある笑顔の釣り合いが取れていない。しかしヤトとクシナが困る事は何一つとして無いので、それ以上の制止は一切しない。これはあくまで親子が解決する問題であって、仲間でも立ち入るような事ではない。

 そしてファスタは善は急げとばかりに家を出て行った。

 これで良かったのかと問うクシナに、ヤトはいささか年頃の少年相手には過干渉とも思えるが、害は無いので関わるほどではないと答えた。

 

「子を持つ母というのはああいうものなのか?」

 

「僕はあまり親と関らない環境で育ちましたから何とも言えません。カイルの年頃にはもう一人旅をしてましたし」

 

「儂が子を持った時はどうなるのかのう」

 

「それはその時に考えましょう。僕もどんな父親になるか想像すら出来ませんよ」

 

 かつて自らも親の元で過ごした記憶を顧みても、ファスタのような母親を持った憶えはない。養育を放棄されたわけではなかったが普通より関係が薄かったのは確かだろうし、父親とは一年に数度会うか会わないかというぐらいに希薄な間柄だった。

 それが正しいのかすら判断が付かないのだから、あの母親とカイルがどういう関係を構築したところで言うべき事はない。あくまで血族同士の問題は当人間で解決すべきだ。

 そこまで考えてふと頭に何年も会っていない血縁者の事が頭をよぎる。正直今更会った所で何を話す事があるのかと思ったが、一つやる事があったのを思い出した。

 この村が大陸のどこにあるかは詳しくは知らないがエアレンドは生国の隣国≪桃≫の話をしていた。ならばそれなりに近くにあると思われる。

 傷が癒えたら少し足を延ばして帰郷も悪くないかもしれない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話 昔語り

 

 

 月明かりの無い闇夜の森を影が疾走する。影が通るたびに草花が倒れ、夜の静寂を乱す踏み付け音によって虫や小動物が慌てふためき逃げていく。

 影はその様を見て溜息を吐いた後、手近な木の枝に飛び乗る。枝にはたまたま蛇が眠っており、踏み付けた拍子に起きて、眠りを妨げた相手に飛び掛かった。大きく開けた顎はしかし、下から突き上げられた枝に上顎ごと突き刺されて再び閉じた。

 ビクビクと痙攣する蛇に何の感情も抱かず、そのまま枝の下に放り投げた。血の臭いに惹かれて夜行性の動物が集まってくるだろう。影は餌になった哀れな蛇を一顧だにせず身をかがめ、足に力を溜めて一気に翔ける。

 跳躍して次々と枝に飛び移っては木を揺らして葉を落とす。中には折れはしないが少し裂けてしまう枝もあって、音で幹に巣を作るリスや雛鳥が騒いだ。そのたびに思い通りにならない自らの足に少しばかり嫌気が差す。

 広大な森の枝をただひたすら翔け続け、とうとう森を抜けて北の山の麓にまで辿り着いた。一帯は乾いた土と大小さまざまな大きさの岩が転がる殺風景な光景が広がる土地だった。

 この辺りはかつて山をくり貫き現れたオークの軍勢が陣を張った場所で、森の木々を根こそぎ引き抜いたために、十年経っても碌に木が生えない文字通り不毛の土地になっていた。

 鬱蒼とした森と違い遮蔽物が何もない場所なので、月明かりに照らされて影が素顔を晒す。

 ヤトは額に汗で張り付いた前髪を袖で拭い、荒く吐いた息を整えて腰の翠剣を抜く。

 対峙した身の丈の倍はある岩に剣を真っすぐ振り下ろした。ストンと軽い音を立てた後、岩は真っ二つに割れて静かな夜を壊すような大きな音を立てて転がった。

 岩の断面に触れたヤトはしかめっ面を作って自らの手を眺める。

 負傷してから一ヵ月経ってもまだ元通りになっていない。骨になっていた腕も今は皮が張り付き、爪も元通り生えた。それでも見かけだけ治ったにすぎず、かつての精妙な技巧はまだ取り戻せない。

 さらに剣からそこらに落ちている小枝に持ち替えて、先程と同様に割った岩に振り下ろせば、また岩が割れた。

 ヤトは握った小枝を難しい顔をして眺める。正確には枝そのものを見ているわけではない。その遥か先をだ。

 

「不思議な技を修めているのだな」

 

 後ろから威厳のある声が聞こえた。振り返れば古木の如きエアレンドが悠然と佇んでいた。元から覗いていたのは気付いていたので焦ったりはしない。

 ヤトは気にせず枝を手から放して割った岩に腰かけ、エアレンドも鍛錬を中断させた事を謝罪した後に岩に腰かける。

 

「巡回役からここ数日、森で不審な人影を見たと報告を受けた。後で精霊に聞いたら正体は貴殿だと教えてくれたよ」

 

「だから族長自ら苦言を言いに来たと?」

 

「私はそれほど狭量ではないよ。様子を見に来ただけさ」

 

 穏やかな口調で圧力を否定する。それでも確かな圧力を感じるので、止めさせる意思はあると見た。

 無視する事も出来るが客人の身分で突っぱねるとカイルが困ると思い、身体がまだ不調もあって素直に従うよう伝えるとエアレンドはにこやかに礼を言った。白々しい事この上無いがヤトも年の功には分が悪い。

 言うだけ言って帰るかと思われたエアレンドは何故かそのまま腰を下ろしたままだ。そして何気なく世間話を始めた。

 

「ヤト殿を見ていると、かつての戦友を思い出す。あれも竜族の血を引く強い戦士だった」

 

 唐突に昔話を始めた老エルフを見て、ヤトはボケてるんじゃないかと内心思った。見た目は若いが何千年も生きていれば中身が変わっている可能性もある。巨木も切ってみたら中身がスカスカに腐っていたという話はよくあるものだ。しかし真っ向から呆けるのか尋ねるのは相手を感情的にさせる下手を打つ行為。適当に返事をして切り抜けた方が良さそうだ。

 

「我々神代のエルフにとっても三千年前は些か記憶が薄れる時間だよ。定命の種族にとっては神話の時代かもしれないがね」

 

「三千年前というと魔人族の王との戦のあった時代ですか」

 

「うむ。あの頃は私達もまだ若く、向こう見ずで、血気に逸って魔人達と戦うために仲間達と共に森を飛び出したものだよ」

 

 カラカラと笑うエアレンドの隣で、ヤトは話が長くなりそうな気配を感じた。エルフの長話など夜明けまで付き合わされるに違いない。何とか口実を作って逃げた方が良さそうだと思った。

 

「興味深い話ですが、僕一人で聞くのは勿体無いと思います。だからカイル…ハエネスなども誘ってみんなに聞かせた方が良いのではないでしょうか」

 

「うん?……それもまた良しか。では改めて明日の夜にでも村の者を集めて話すとしよう」

 

 エアレンドは心なしかウキウキして村の方に戻って行った。

 一人残ったヤトはほぼ無関係の老人介護という理不尽を味わい、疲れがドッと来て鍛錬を続ける気にならず、徘徊老人から離れて村に帰る事にした。

 帰り道にふとエアレンドが話していた魔人族との戦いがあったフロディスの事を思い出した。あそこの王城で魔人を封印していた魔導書を、砂漠でアジーダから貰って荷に放り込んだままだった。まだカイルに見せていなかったので、明日にでも見せてあげるとしよう。

 

 翌日。ヤトは持っていることを忘れていた魔導書を荷物の底から引っ張り出した。

 それを持ってカイルの家を訪ねたが、あいにくと今は母ファスタから村の歴史と家系図を学んでいて忙しそうだった。

 ヤトも気になって家系図の記された絹製のタペストリーを眺める。残念ながら名前はエルフの古代文字で記されているので一つも分からない。しかし所々に加えられている、花や蔦をあしらった上品で見事な刺繍には、思わず感嘆の吐息をせずにはいられない。これこそ神代のエルフの美的感覚の神髄だろう。

 

「見事なものですね」

 

「アニキでも綺麗だって思うんだ。名前と来歴を全部覚えるのは疲れるけどね」

 

「貴方は長の一族なんですから、この程度は何も見ずとも覚えておいて当然です。今までの遅れを取り戻すのに遊んでいる時間はありませんよ」

 

 ファスタの苦言を聞いて、カイルは口を尖らせ不満を露にする。この一ヵ月の間、ずっと母や祖父から教育を受け続けていたので色々と疲れが溜まっているのだ。

 エルフの長大な寿命なら気長に学ぶ余裕はある。しかしファスタは出来る限り早く息子に知識を蓄えさせようとした。ひとえに少しでも早く一人前のエルフに育ってほしい親心の焦りもある。

 尤もその心が強すぎて息子に煙たがられているのだから、もう少し加減すべきではなかろうか。

 だからヤトが顔を出して勉強を一時中断出来たのは僥倖だった。少しでも話を長引かせて休むつもりだろう。

 ヤトもその程度の事は分かっているので、気を利かせて乗ってやる事にした。

 

「これを鑑定してもらおうと持って来たんですよ」

 

「あれ、これってタルタスの城の地下にあった本だよね。何でアニキが持ってるのさ」

 

「砂漠でアジーダさんに押し付けられました」

 

 カイルは「あ~」と納得した。正確にはタルタスの王城の地下で本を奪ったのはミトラでも、行動を共にしていれば同じ事だ。

 ヤトから本を受け取り、パラパラと中身を見て怪訝な顔をする。この様子では中に記されている文字を読む事すら叶わないのだろう。

 時間稼ぎを兼ねて母親に本を渡して読めないか試してもらった。千年は生きたエルフなら何か分かるかと思ったが残念ながらファスタも首を横に振って解読は無理だと謝った。

 

「そもそもこれはエルフの言葉ではありませんよ。ただ……」

 

「ただ?」

 

「義父のような村の古老なら、もしかしたら何か分かるかもしれませんね」

 

 やはりそこに行き着くか。元々この魔導書は三千年前の大戦から存在していた。エアレンドやその友ダズオールは同じ時代を生きていたから、あるいは何か知っている可能性はある。

 ちょうどその頃の話をしたがっているので、夜にでも見せてやれば良いだろう。

 仮に何も分からなくても自分達が困る事は何一つとして無い。最悪どこかの国の好事家か魔法使いにでも叩き売ってしまえばいいだけ。気楽に構えていられた。

 言うべき事は済んだヤトは本を持ってスタスタと家を後にした。カイルはもう少し引っ張って休みを引き延ばしたかったが目論見は早々上手くいかなかった。

 

 

 夜半。

 エルフの村の広場では無数の友たる火の精が盛大に燃え上がり、樹の精が即席で作ったテーブルには所狭しとエルフの婦人たちが作った雅な馳走が並べられている。

 色とりどりの果物、丸々と太った家畜の肉、瑞々しい野菜とキノコのサラダ、ふっくらとしたパン等、ドライフルーツとハチミツたっぷりのケーキもある。勿論なみなみと酒の入ったミスリル製の水差しも、かなりの数が置かれている。

 どこからどう見ても祝宴の様相だ。と言ってもこの光景も実は三十二回目である。

 カイルが村に帰還したその日の夜から毎日祝いの席を設けているのだ。

 エルフの名誉のために弁護するわけではないが、別に祝う理由を無理に作って騒ごうとしているのではない。数千年を生きるエルフにとって月の齢が一巡する時間など一日とそう変わりがないだけだ。特に森という時間がゆったりと流れる環境も相まって、大抵の祝い事は数か月は続くのがエンシェントエルフにとっては当たり前だ。

 カイルは祖父エアレンドの隣に席を与えられた。ヤトとクシナは大切な客人としてエアレンドを挟んでカイルの反対側に座っている。

 

「美味いなこれ」

 

「喜んでもらえて何よりだ。この川海老は村の子供らも好物なのだ」

 

 クシナが美味しそうに咀嚼したのは、森を横切る川で獲れたザリガニのから揚げ。泥の中で冬眠してたのを掘り起こして手に入れた。そのまま調理しては泥臭くて美味しくないので、数日前から清流に晒して泥を抜く処理をしてある。そこに森で獲れたレモンベースの香草ソースをかけてあるので簡素ながら非常に美味だ。

 ヤトはウナギの串焼きを食べている。身を開いて塩と胡椒を振っただけの素朴な焼き魚でも、今が旬の肥えているウナギは食べ応え抜群で、どれだけ食べても飽きる事が無い。

 村のエルフ達は思い思いに食べては飲み、子供たちは踊り、名匠が生んだ竪琴のように調律の取れた美声で詩を謳い上げる。ともすれば品の無い乱痴気騒ぎにもなるような宴会も、美の具現たるエルフにかかれば絵画の一幕のように雅美だ。

 カイルはこんがり焼けた猪のブラッドソーセージを食べ切ってから、昼間ヤトに貰った魔導書を懐から出してエアレンドに見せる。

 

「そういえばお爺さん。こういう古い本を手に入れたんだけど中身は読める?」

 

「ん?んん?これは………」

 

 手渡された本の表紙に見覚えがあるのか、エアレンドは酷く懐かしい物を見たような反応を示してから、中身をパラパラとめくる。

 

「はて、何だったかのう」

 

 カイルはずっこけた。思わせぶりな発言をしておいてコレである。一ヵ月接して思ったのは、最初に会った時の雅で品のある振る舞いが演技で、今が素の気質ではないかと睨んでいる。特に祖父の親友ダズオールの威厳に満ちた立ち振る舞いを知っている分、余計に落差が酷い。

 

「分からないなら別に良いよ。どうせ貰い物だから処分するだけだから」

 

「まあ待ちなさい。これはアレだ、アレ。おーい、グロース、フェンデル。孫が懐かしい物を見せてくれるぞ」

 

 呼ばれた二人の老エルフが竪琴と笛を中断してエアレンドの元に来る。

 

「どうしたエアレンドよ。人族の艶本かなにかか?」

 

「いやいや、そこは豊満なドワーフの胸帯か何かじゃろうて」

 

「アホな事を言うな。これだ、これ。ほれ、あの陰険腐れ魔導師のアレが持っておった本だ」

 

 魔導書を差し出された二人の老エルフは少し悩んだ後に互いに顔を見合わせて、アレだの懐かしいと言って本を手に取った。

 

「あやつ、名は何と言ったかのう」

 

「バグバグ?バクナグ?そんな名だったような……」

 

「おぉ思い出した、バグナスだ!あの戦から、もう三千年も前になるのか」

 

「相変わらず何が書いてあるのかさっぱり分からんのう」

 

「アレの偏執っぷりと陰険は死んでも治らんわ」

 

 三人の老いたエルフはただ昔を懐かしむような感傷ではなく、喜び、悲しみ、痛み、喪失感などがない交ぜになった、数千年の歴史の重みを伺わせる感情を皺に刻む。

 あの魔導書は三千年前に人類連合と戦った魔人を封じていた要だ。ダズオールやエアレンドもその大戦に関わった世代。直接知っている相手の所持品なら見覚えがあっても不思議ではなかろう。

 

「皆さんはその本の持ち主をよく知っておられるのですか」

 

「偏屈な男だったが戦友ではあった。昨日お主に少し話した竜の戦士の一党におった魔導師だ」

 

「おぉ、思い出した。シングの所におったの。それにレヴィアやミニマムの神官も」

 

「あの頃は我々も随分と若く無茶をして多くの仲間に助けてもらったわ」

 

 三人もそれぞれ孫のいる老人ではあるが彼等とて若く青春を謳歌した時代はあった。それを懐かしむのは老人の特権だろう。

 周囲のエルフ達の中には「また始まった」だの、「何回目?」などと声を上げる者もいれば、カイルぐらいの若年者の中には興味を抱く者もそこそこいる。

 

「ちょうど良い。一つ詩を披露してみるとしよう。グロース、フェンデル、演奏は任せた」

 

 エアレンドは喉を鳴らして具合を確かめ、後の二人も指と楽器の調子を見る。

 

「――――これより語るは三千年の昔、我等エルフと数多の人類種が不滅の絆を結び、不死の魔人王アーリマとの死闘を演じた一幕である」

 

 重厚な張りのある美声と共に、人にとっては神話の時代の出来事が蘇る。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話 戦場の前夜祭

 

 

 (臭い……オーク共は水浴びすらせんのか。何という汚らわしい生き物だ)

 年若いエルフの戦士エアレンドは美麗の顔をしかめて鼻を抑える。歪んだ顔は、それでも人族の天才彫刻家が命を賭して生み出した作品すら及びもつかない美を備えていた。

 若いエルフの周りにはオークは一頭も居ない。敵の軍勢はまだ山を一つ隔てた先にいて、垢と涎の酷い悪臭だけが若者の居る宿営地の中にまで風に運ばれて鼻腔を刺激していた。

 オークの臭いに不快感を示すエアレンドに同調するように、森から一緒に旅立った二名の若いエルフが鼻を抑えているが周りから見れば少数派だ。

 

「どうした、直接対峙したオークの悪臭はこの程度では済まぬぞ。この程度の臭いで怖気づいたのなら、早々に森へ引き返すが良い」

 

「なにを!?私は悪逆非道の魔人族を討ち果たしに森を出たのだ!下等なオークに臆すると思うてか!」

 

 近くに居た年上のエルフからの忠告に気色ばんで声を荒げ、エアレンドの隣にいたグロースとフェンデルは同調して反論する。

 村の父や長老達からは若輩という理由で止められても、無理をして連合軍に参加したのに、未だ遥か遠方にいる敵を恐れておめおめ逃げ帰ったなどと、どうして出来ようか。

 年長のエルフは三人の血気盛んな様子に頼もしさより危うさを感じた。だから同族として少しばかりお節介を焼いてしまう。

 

「臆していないならそれで良い」

 

 年長のエルフはそれだけ言うと、自らも明日の準備のためにその場を離れる―――ように思われたが、立ち止まって踵を返して三人に向き直る。

 

「しかしお前達はこれが初陣、明日は戦場の空気を感じて生き残る事だけを考えて戦え。もし手柄を立てようなどと欲を出せば、屍になるのはお前達だ」

 

 釘を刺して今度こそエルフは立ち去った。エアレンド達は本物の戦士の凄みに気圧されて何も言えなかった。

 初陣を備えての高揚感がすっかり冷めてしまった。三人は無言で弓の張りや防具の紐が千切れていないかを確認する。

 フェンデルは落ち着かない様子で楓の葉を模ったブローチのお守りを見つめて気を落ち着ける。隣のグロースはナイフの切れ味が鈍っていないかを確かめようとして、誤って指先を刃で切ってしまった。

 

「いっ痛っ!」

 

「大丈夫か?すぐに手当てしないと」

 

 エアレンドが背嚢から傷薬と包帯を出そうとしたが底の方に入れてあったので手間取る。

 

「おや、痛そうだねえ。ちょっとババに見せてごらんなさい」

 

 突然グロースの手を掴み、切れた指先をじっと観察する恐ろしく小柄で≪豊穣神≫の牛の意匠を模った杖を持つ神官服の老婆に三人は狼狽えた。

 老婆は慣れた手つきで切れた指先に、持っていた酒を振りかけて消毒をして、腰のカバンから取り出した薬を手早く塗って包帯を巻き処置を終えた。

 

「ほい、これで良し。関節を曲げて弓を扱えるか確かめてごらん」

 

「あ、うん―――ちょっと硬いけど何とかなる」

 

「友の治療をしていただいて感謝いたします神官殿」

 

 指の動きを確かめているグロースに代わり、フェンデルが老婆に恭しく頭を下げた。

 老婆は手をパタパタと振って、そんな畏まらずともよいと礼をやんわりと断った。

 エアレンドは白髪の老神官がただ小柄ではなくミニマム族と気付いた。

 魔人族に抗する人類連合軍は様々な種族によって構成される。一番多いのは最大数の多い人族、次に人狼族を筆頭とする獣人集団。そこにやや数の少ないエルフとドワーフが続き、ミニマム族は最も数が少なかった。

 数の少なさに大した理由は無い。単にミニマム族は小柄故に身体能力に劣り、戦働きに向かないだけだ。それを責めるような卑劣な者も少なからず居る。誰だって己や身近な者が命を賭して戦っているのに安全な場所で暢気に暮らしていれば恨み言の一つぐらいは漏らしたくなる。

 幸い三人はそうした悪感情をミニマム族に持ってはおらず、何よりこの場に居るという事は目の前の老婆も戦う意思があるという事だ。それを踏みにじるような真似は決してしない。ただ、三人はなぜ老骨を押して戦に馳せ参じたのか気になった。

 

「失礼やもしれませんが、神官殿は何か大きな理由があって魔人と戦うのでしょうか」

 

「そんな大層な理由があるわけじゃないよ。単にババアが若いのの世話を焼きたいだけさね」

 

 皺だらけで少々見辛くとも朗らかに笑う様は、実際はエアレンド達の方が年上でも、素晴らしい経験を経た人生の先達と自然に敬う気になる。

 しかし「若いの」というのはどのような者だろうか。親し気な口ぶりから察するに、初対面のエアレンド達とはまた違い、よく知った仲というのは見当がつく。

 その時、遠くから誰かを呼ぶ声をエンシェントエルフ特有のナイフのように長く尖った耳が捉えた。

 

「おーい、カナリアばっちゃん~!ボク、お腹が空いたから早く晩ご飯作ってよー!」

 

「ありゃありゃ、つい話し込んでて夕食の準備を忘れてたわね」

 

 失敗失敗と老婆は笑って、声のする方に振り向いた。

 視線の先には、赤と青の珠玉が嵌め込まれた杖を持つ、鹿毛色の長い髪を両サイドに分けて三つ編みに結んだ小柄なエルフの少女が頬を膨らませて仁王立ちしていた。

 エルフ自体は連合軍に多く参加しているから取り立てて珍しいとは言わない。エアレンド達より幾分若く見えても、エルフは他種族の何倍の生きているので見た目での判断は難しい。だから初見で子供と侮るのは不適当なのだが、別の理由で三人のエルフは目を剥いて驚いた。

 

「なっ!?なぜ君がここにいるレヴィア!!」

 

「あっ東の森のエアレンドだ。あと誰だっけ?グロールとフィンデル?」

 

「グロースだ!」

 

「フェンデルだぞ。生まれた森は違えども何度か会っているのだから同胞の名前ぐらい覚えたまえ」

 

「そっちの若衆はうちの嬢と知り合いだったのかい。積もる話があるなら、今日の夕食を一緒にどうかね?」

 

「ボクは大して話すことは無いけど、ばっちゃんのご飯は美味しいから、食べてみなよ」

 

 三人は互いの顔を見てから全員、カナリアと呼ばれた老神官と、概して典雅で品のある神代のエルフの割に失礼な物言いをするレヴィアに付いて行った。

 カナリアとレヴィアの野営地はすぐ近くにあった。レヴィアが指差す先には、二つの天幕と体格の異なる三人が石を組んで設えた竈の前で、下処理した食材の番をしていた。

 

「おう婆さま、戻ったか………野草取りに行って随分でけえ草を取って来たな。それも三本もだ!」

 

 ガハハと豪快に笑って酒瓶を呷るのは薄い口髭を生やした、レヴィアと同程度の背丈の若い男だ。背は低かったが手足は骨太で、胴体もみっちりと硬い筋肉の詰まったやたらと四角い印象を受ける。三人の内の一人は頑強な肉体と繊細な指先を持つ、白髪の若いドワーフだった。

 

「これギーリン!客人に失礼だよ。それに明日は一緒に命を賭けて戦うんだから、少しは憎まれ口を整えないかい」

 

「へいへい。美味い飯を作ってくれる婆さまにそう言われちゃあ聞かないわけにはいかねえな。済まねえな戦友達よぉ、俺はアンタ達みてえにお上品に育ってねえんだ。だから適当に流してくれや」

 

「あ、ああ。明日の戦では共に魔人を討ち倒そう、ドワーフのギーリン」

 

 フェンデルはギーリンの粗野で荒々しい物言いに多少気圧されつつも、戦友という言葉には好感を抱く。

 エルフは粗野で荒々しい物言いを好むドワーフとはソリが合わない者が多い。それでも過去に幾度となく、肩を並べてゴブリンやオークのような醜悪な亜人を倒した逸話を生んできた。だからフェンデルはドワーフの強さを知識の上で知っていた。

 エアレンド達はそれぞれ草の精霊達に頼んで草の腰掛を作ってもらい、そこに座る。フェンデルは早速ギーリンに酒を勧められて呑まされていた。

 カナリアは我関せずと食材を瞬く間に切り揃えて、流れるような手つきで下ごしらえを終え、迷いの無い手つきで次々鍋に入れる。一つ一つの動作があまりに洗練されていて、まるで手品を見ているような気にさせられる。

 グロースは手持無沙汰もあって、竈を挟んで向かいに座って、魔導師のローブを羽織った人族の男に視線を向ける。

 男はローブの引っかかった枯れ木と見間違えるように身体が細く顔色が悪かった。そのくせ目だけはギラギラとして異様に力が籠っており、一瞬たりとも手を休める事無く手元の本に何かを書き込んでいた。その異様さにグロースは腰が引けてしまう。

 しかしレヴィアは明らかに近づいてはいけない相手にも一切物怖じせず、ペンを握る腕を掴んで無理矢理動きを止めてしまった。

 男はエルフの少女を睨みつけるが、エンシェントエルフなので華奢に見えてずっと力の強いレヴィアに抗せずに舌打ちだけで留めた。

 

「ちょっと~陰険バグナス!!ご飯時は物書き止めろってばっちゃんに言われたの忘れたの!?」

 

「あぁ?まだ出来てないだろうが。俺の至福の一時を邪魔するんじゃねえよ。つーか手を放せ、痛てえ」

 

「まったくもう。あんまり根を詰めすぎると明日寝込んでも知らないぞぉ。この前の戦だってそれでお目当ての魔人を逃がしたんでしょ」

 

 バグナスと言われた枯れ木男はレヴィアに言いくるめられて、舌打ちした後に本を懐に隠した。

 

「ガハハ!バグの字よぉ。おめえさん、頭に比べてヤワすぎんだよ。その鉄板胸娘に負けねえように肉食え肉!」

 

「誰の胸が鉄板なのさ短足のろまドワーフ!」

 

「うるせえ筋肉ダルマが。肉体労働なんざ俺より木偶にでもさせとけ、こんなふうにな」

 

 バグナスが腰に差してあるヌラヌラと黒光りのする短杖―――おまけに先端には悪趣味な髑髏の意匠を設えた―――を握る。その瞬間、口を開かなかった最後の一人が獣の唸り声のような重厚感のある声で、しかしやんわりと止めに入った。

 

「おやめなされ導師。力を奮えばせっかく神官殿に作っていただいた料理が台無しになりますぞ。それに祈祷師殿と鍛冶師殿も口論は新たな戦友達の前では控えられよ」

 

 フードをすっぽりとかぶり、顔を隠した戦士風の巨漢の諫める声で全員が不承不承ながら押し黙る。

 エアレンドは戦士がなぜ顔を隠しているのか気になった。そして彼の体内に宿す火の精霊の強さに些か驚きを禁じ得ない。これほど強い精霊を身に宿した者は炎を操る幻獣でもそうは居まい。

 フードの戦士は己が初対面のエルフの戦友達の視線を集めているのに気付き、顔を隠していたのを謝罪してフードを取る。

 三人は戦士の素顔を見て先程以上に驚き、誰もが無意識にある単語を放った。

 

「ドラゴン!?いや、だが――――」

 

 シングと呼ばれた男の頭部は口端まで鋭い牙が生え揃い、青く輝く瞳の奥に蛇のような一本線の瞳孔を備え、硬質の赤い鱗を持ち、槍のように鋭い四本角を天へと伸ばした竜そのものだ。

 

「ふふん、どうだぁ参ったか~!!ボクもシングを見た時は飛び上がるぐらいに驚いたもんね~」

 

「何で鉄板胸が勝ち誇ってるんだよ。まあ、おめえさん達がシンの字を見て驚くのは無理もねえ」

 

「顔を隠していたのは許されよ。拙者は恥ずかしがり屋でしてな、不必要に注目を集めるのは好まぬ」

 

 冗談めかして含み笑いをする様は、典雅な神代のエルフから見ても確かな知性と品格を感じさせた。

 

「こいつは古竜と人族の女との混血児なんだとよ。俺も胡散臭い伝説のたぐいを除いた確かな資料で前例が数件だけあるのは知ってたけどよ、実物を見たのはこいつが初めてだったぜ。それで目立つから大抵顔を隠してるのさ」

 

 バグナスがギラついた目でシングを捉える。その様子はさながら獲物を前にして舌を出した蛇のように粘着質かつ、少年のような真っすぐで情熱的な憧憬、その上で友を気遣うような優しさも垣間見える、一言では表現しようのない複雑な執着心を覗かせていた。

 ドラゴンとは時に暴力の具現と恐れられると同時に、神代のエルフと同じぐらい永劫の時を生きた個体は高い知性を宿す事もある。そういう意味ではシングは竜の暴力性を感じさせず、仲間の諍いを仲裁する佇まいはむしろ精霊と共に生き、自然の調和を好むエルフに近い。勿論人間にも争いより調和を好み高潔な精神を宿す者は数多くいるから、竜と人の血脈でも彼のような人物は決して異質ではあるまい。

 それはそれとして、グロースは何とも奇妙な面々が一党を組んでいるのを不可解に思う他無い。

 推定リーダーの竜人戦士を筆頭に、エルフの祈祷師少女、ドワーフの鍛冶屋、人間の魔導師、ミニマム族の老女神官。魔人族に抗するために集まった多種族連合軍の中でも指折りで風変りな一党だろう。どういう縁で集まったのか、森から出て来たばかりの年若いエルフには想像すら出来なかった。

 

「みんな挨拶は済ませたから晩ご飯にしようかね。腹が減っては何とやら、明日のために腹一杯食べんさい」

 

 調理を終えたカナリアがグツグツと煮立った鍋から具だくさんのスープを椀に入れて全員に渡す。具は肉や野草の他に干し芋も入っている。

 グロースは匙で肉を掬って一口頬張った。肉感はやや硬くて噛み切るのに手間がかかるが、あっさりとした口当たりは鳥肉のように思える。スープにたっぷり入れた野草のおかげで臭みは全く無い。美味と言ってよかった。

 

「なかなか美味いがこれは何の肉なのかね?」

 

「陣の近くの川で見つけたワニの肉だよ。仕留めたのはシングだけどボクが捌いたから美味しいでしょ?」

 

 レヴィアの答えに彼女を除くエルフ達はギョっとして食べる手が止まった。彼等にとってワニは食用にする発想すら無かったのだから驚くのは仕方がない。

 エルフ達をよそに、他の面々はワニ肉の入ったスープを実に美味そうにガツガツ食って、カナリアにお代わりをどんどん貰っていた。

 食用と思えないワニ肉に躊躇する気持ちはあっても、せっかく勧められた料理を突っ返すのはエルフの矜持に反する。三人は意を決して一口一口頬張った。なお同族のレヴィアは全く意に介さず、カナリアに肉を多めに要求していた。

 

「いやはや相変わらず神官殿の料理は滋味でございますな。これで明日の戦で後れを取る事はありますまい」

 

「ほほほ。そう言ってもらえると作った甲斐があるってものさね」

 

「肉は炙って焼いたのもある。腹が減っては戦にゃ勝てねえんだからよ、遠慮せずに食えばええ」

 

 ギーリンは金串に差して、火で炙った香ばしいワニ肉に胡椒の粉をたっぷりかけて豪快に齧っては、二本三本とお代わりをしている。

 見た目が不健康で食の細そうなバグナスもギーリンほどではないが串肉を食しているのを見て、エアレンド達も焼いたワニ肉を手に取って食べる。この様子なら未知の肉への忌避感は薄れたらしい。

 ワニ肉に慣れて少し余裕の出たフェンデルは顔見知りのレヴィアに、なぜ森を出て戦をしているのか理由を尋ねた。

 

「だって森の中って退屈なんだもん!だからたまたま森に来てたシング達に付いて行ってるの」

 

「たったそれだけなのか?それだけの理由で魔人と戦うと?」

 

「この鉄板胸に大層な事は期待すんなや。とはいえ俺達だって大した理由は無いから似た者の集まりだがよ」

 

 ギーリンは酒臭い息を吐いてゲラゲラ笑う。そして岩のような握り拳を天に突き上げる。

 

「俺は戦で魔人の首を獲って勲を上げてえ。それが戦う理由だ」

 

「生まれつき髭が薄いのをバカにされるのが嫌だから…でしょ。ほんと短足ギーリンはどうでもいいことに拘るよね~」

 

「うるせぇやい!あと髭を触るんじゃねえ!!」

 

 レヴィアにその薄い髭を指で抓まれたギーリンは憤慨するも、彼女を跳ね除けようとはしなかった。シングもこの程度はじゃれ合いと分かっているのか仲裁はしていない。

 

「拙者はただの武者修行ですな。鍛冶師殿のような誉より、自らを鍛えるのを目的としております」

 

 レヴィアの方はともかく、男二人の目的にはエアレンド達も理解を示した。エルフとて男となれば強さや誉を求める欲は分かりやすい。ドワーフの髭のこだわりはよく分からなかったが。

 だからバグナスも似たような理由で戦っていると思い話を振ったものの、当人は鼻を鳴らして否定する。

 

「俺は魔法の研究に必要なモノが戦場で手に入りやすいからこいつらと一緒に居るだけだ。興味があるなら明日見せてやるよ」

 

 妖しく笑うバグナスの不気味さに、エアレンド達の背にはじっとりと冷や汗が滲む。何というかこの男だけは全く読めないし、常識で推し量る事の出来ない不審さが抜けず警戒を解けない。

 みかねたカナリアがやんわりとバグナスを窘め、彼も母親ぐらいに年の離れたカナリアには弱いのか、肩をすくめてスープを啜る。

 各人はそれぞれ腹が満足するまで食べ、カナリアとレヴィアは食器を片付けに水辺へ向かう。

 

「さて、各々方も話す事は多いかと思うが今宵はここまでにして、明日の戦を生き延びてから存分に語り合うが宜しい」

 

 シングによって上手く締められ、男達はそれぞれ就寝と夜の見張りの準備を始めた。

 エルフ達も明日の戦のために、自分達の寝床に戻った。彼等は初陣の前夜でしばらく興奮していたが、腹が満たされた事でほどなく夢の世界を訪れる事となる。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話 戦場を駆ける

 

 

 決戦当日は朝から小雨の降りしきる冷えた日だった。

 戦場に選ばれた平野で、人類連合軍三百名と、十名の魔人族に率いられた亜人軍団およそ千体は二千歩ほど距離を隔てて対峙している。亜人の半数以上は小さく不潔なゴブリン、次に多いのが獣の皮一枚を腰に巻いた数百のオーク。さらに巨躯を誇示するように棍棒を高らかに掲げるトロルが十体ほど確認出来る。

 それら亜人を統率する魔人族は見当たらない。おそらく最後列でふんぞり返っているのだろう。

 エアレンド達三人はやや後列に配置されていつでも弓を引く準備をしていた。さすがに初陣の若者が最前列に立つ無謀な行為は他の戦士たちがさせなかった。

 グロースは対峙する醜悪で下劣なゴブリン達が金切り声を上げて嘲笑っているのを忌々しそうに見つめている。奴等にとって数で劣る自分達は単なる餌にしか見えないのだろう。忌々しい事この上ない。

 

「ふんっ!あんな矮小なゴブリン風情は私が纏めて射抜いてくれる!!」

 

 相手に聞こえない距離でも弓に矢を番えて威嚇する。仮に聞こえてもゴブリンがエルフの言葉を理解するなど出来そうにないのは分かっていても、何か行動せねば落ち着かなかった。

 苛立つグロースを近くに居た獅子人の女槍士が見かねて落ち着かせる。

 

「いい気になってるのは今のうちだけだよ。首を飛ばされるまでは好きにさせてやりな」

 

 獅子人の鋭い牙を見せる威嚇のような獰猛な笑みで落ち着いたグロースは矢を矢筒に戻した。

 敵軍がオーク集団を先頭に徐々に距離を詰めてくる。このままいけば敵は数分後に矢が届く範囲にまで近づく。

 ほんの少し余裕のあったフェンデルは昨日酒を飲み交わしたギーリン達が気になって彼等のいる最右翼を見た。

 彼等も剣や杖を持ち、戦の準備を済ませていた。竜頭のシングは血のように赤い剣を、レヴィアは赤と青の珠玉の嵌め込まれた杖、バグナスとカナリアは無手だった。

 そしてギーリンはなぜか鎧を纏った大型の狼に跨って白銀の槍を構えている。

 

「ドワーフが狼に跨っている」

 

「猪の見間違いじゃなくてか?」

 

「ゴブリンの真似事かな」

 

 エアレンドとグロースが好き勝手言う。ドワーフは手足が短いので乗馬が苦手だ。だから代わりに大型で力の強い猪に騎乗する事はあっても、狼に乗る話は聞いた事が無い。むしろゴブリンが飼い慣らした野犬ないし狼に乗って騎兵の真似事をする事の方が知られている。

 

「あれはギーリンが作ったカラクリ仕掛けだよ。奴は鍛冶以外にゴーレム造りも得意で、意のままに動く狼の≪いくさ丸≫に跨って敵を蹴散らすのさ」

 

 獅子人が指差した先の狼型ゴーレムの両肩から白銀の刃が前面に飛び出す。彼女が言うにはあの刃でこれまで何度も敵亜人を切り裂いたらしい。

 昨日の時点で三人に見せびらかさなかったのは自慢する気が無いのか、戦場でこそ自慢すべきだと思って隠しておいたのか、当人に後で聞いてみたくなった。だからまずはこの戦に生き残らねばならない。

 適度に緊張が抜けた三人のエルフ戦士はもう焦らず、開戦の角笛を待った。

 両軍の距離が八百歩まで狭まった時、連合軍から重厚な角笛の音色が響いた。

 音を合図にエルフを始めとした弓使いが矢を番え、弓を限界まで引き絞り、敵軍目がけて放った。

 五十を超える様々な色の矢は数の多さにいい気になっていたゴブリンやオークに次々と突き刺さった。亜人達は慌てふためき、さらに第二射目の矢で味方の数が減ると、臆病なゴブリンが背を向けて逃げ出した。

 しかし逃げるゴブリンがそのまま逃げおおせる事は無く、後ろのオークに捕らえられて見せしめに生きたまま身体を引き裂かれて、残りの肉は降りそそぐ矢の盾にされた。

 

「この軍団は教育が行き届いている」

 

 大型の弩に新しい矢を装填する狼人が呟いた。彼は前の戦で亜人が矢だけで逃げ出して、腹を立てた後ろの魔人達に皆殺しにあったのを見たらしい。その時は勝手に敵が減って楽だったと笑う。

 先制攻撃で幾らか敵兵が減っても所詮はゴブリンだ。大勢に影響は無く、次の角笛の合図で連合軍は後列からの矢の援護を受けて真っ向から突撃した。

 エアレンド達は後方から必死で矢を放ち、突撃する戦士達を援護する。その甲斐あって、敵亜人を蹴散らして深く切り込み、勢いのまま押している。

 さらに連合軍の両翼端が敵軍の端と交戦して、あっという間に亜人を蹴散らして囲いを作ってしまった。

 空から俯瞰して見れば数が少ない方が敵を半包囲する、かなり珍しい陣形になっている。

 囲いの一端を担うシング達は、まさに鬼神の如き働きで醜悪な亜人達を蹂躙していた。

 先陣を切るギーリンが白銀の槍でオークの首を刎ね飛ばし、騎乗するカラクリ仕掛けの狼≪いくさ丸≫の肩に備えた一対の刃がゴブリンを纏めて串刺しにした。絶命したゴブリンを振り払って身軽になれば、今度は刃が真横に展開して、すれ違いざまに亜人を手当たり次第斬り殺す。

 ギーリンに続く赤い竜の戦士シングは僅かに反りのある赤剣を流麗に操り、瞬く間に五体のオークを数十の肉塊に変えてしまった。彼の剣技はたとえ敵さえも魅了するほどに美しく冴え渡り芸術の域にさえ達していた。その上で巨躯を誇るトロルをも一刀両断する剛力も兼ね備えた、一片の疵も無い至高の剣といえよう。

 そして一党が突出しているのは何も戦士達だけではない。魔法使い達もまた並の使い手ではなかった。

 人間の魔導師バグナスの手より放たれた閃光はゴブリンやオークを纏めて薙ぎ払い、光の触れた部分を消し炭に変えてしまった。あの陰湿そうな雰囲気とは正反対に、彼は光の神託魔法の使い手だった。

 エアレンド達の同族、エンシェントエルフのレヴィアも決してバグナスに見劣りはしない。彼女の同朋たる草花の精霊が飛び掛かるゴブリンを絡め取り、降り注ぐ小雨が雹へと変われば礫となって、動けないゴブリンを打ちのめす。あるいは風の精霊が不可視のハンマーとなってオークの棍棒を腕ごと潰した。

 唯一、ミニマム族の神官カナリアは直接敵と交戦しておらず、最後尾で杖を手に警戒に当たっている。元より彼女は老人で『生と豊穣の神』に仕える神官は暴力とは縁が無い。自衛以外の戦いを期待するのは酷だ。それに昨日卓を囲んだ時に、自分の仕事は飯の支度と治療だと言っていた。だから彼女の出番はまだ無い。

 彼等のような一騎当千の優れた戦士達の働きにより、三倍の兵力差でも半包囲陣形を保ち、戦を優位に進める人類連合軍。

 それが敵指揮官の魔人達には大層面白くなかった。彼等魔人にとっては従属する亜人など替えのきく家畜でしかく、戦で減った所で交配させてまた増やせば事足りる程度の価値しかない。その程度の虫けらでも命を賭けて敵を減らせるなら、過分な誉だと言えよう。

 問題は既に二割は討たれているのに、禄に敵を倒せていない事にある。

 亜人軍団の最奥、戦場にそぐわない瀟洒な椅子に十名の異形の男女がふんぞり返り、戦況を眺めて呆れ返る者、怒りを隠さぬ者、喜悦に身を震わせる者などがいる。

 彼等こそ亜人軍団を支配し、このヴァイオラ大陸全てを手に入れようと覇道を突き進む魔人族だ。

 

「まったく!薄汚い亜人如きではどれだけ数を集めても無駄でしかないか!!」

 

「やむを得んさ、所詮は悪食と繁殖力だけが取り柄の家畜だ。まあ、トロルぐらいはマシな働きをしているようだが」

 

「様子見は終わりにして、早く私達が戦いましょう!!あぁ~また美しくて高慢ちきなエルフを捕らえて、手足を融かして命乞いをさせられると思うと立っちゃうわっ!!」

 

「誰かこの気狂いナメクジ女の息の根を止めろ!虫唾が奔るぜ!」

 

 隣の椅子にへばりついているように座っていた、カエルに太った蛇を合体させて人の女の顔を張り付けたような奇怪な生き物が股を手で弄びながら、聞くに堪えないセリフを放つ。

 それを隣で聞いた体中に魚のヒレのような形をした突起物を備えた男が絶叫する。

 さりとて共にいる同胞の諍いに興味の無い者も居る。彼等は微塵の油断も無く、じっと敵の姿を見据えていた。

 

「……この戦場にも益荒男はいるらしい。早い者勝ちという事で悪く思うなよ」

 

 緑色の肌をした赤い複眼を持つ昆虫のような顔の男は椅子に座ったまま常識外れの脚力を見せて跳んで行く。他の魔人達は出し抜かれたと数名が怒りを露にして虫男に続くように自らも戦場へと躍り出る。

 遅れたヒレ男も急いで歯ごたえのある獲物を探しに行くつもりだったが、隣のナメクジ女に肩を掴まれて押し留められた。

 

「ちょいとアンタレス。私が入れる穴を掘ってほしいんだけど」

 

「ふざけんなルファ!!何でだッ!!」

 

「前に頼みを聞いてやったのを忘れたとは言わせないわよ。ここで借りを返しなさい」

 

 アンタレスと呼ばれたヒレの魔人が心底忌々しそうに口をつぐんだ。そしてどこまで穴を掘ればいいのか尋ねると、ルファと呼ばれたナメクジ女は連合軍の一角を指差す。

 

「あの最後列まで頼むわよ」

 

「ちっ!」

 

 アンタレスは舌打ちしつつ、両腕を地面に突き刺した。すると腕がどんどん沈み、反対に周囲の地面が盛り上がったように見えた後、人が三人は入れるような大穴が出来た。

 

「おらっ!さっさと来なナメクジ!」

 

「はいはい。……待っててねぇ可愛い可愛いエルフの坊やたち。うふふふふふ」

 

 彼女の視線の先には必死で弓を引くエアレンド達の姿があった。

 

 

「楽勝だの、えぇ?シンの字よぉ」

 

「今の所は……でしょうな。ですがまだ魔人とは一度も相対しておりませぬ」

 

 シングは話しながらも散発的に襲い掛かるオーク共の首を確実に刎ねて決して後ろには抜かせない。

 一党は戦場の最前線であってもまだ余裕を保っていた。ギーリンは一度シングに先頭を譲って後ろに下がり、休憩と称してヒョウタンに入れた蒸留酒を水のようにグビグビと飲んで一息入れた。

 後衛の魔導師組も魔法を行使するタイミングをずらして息を切らさないように気を配る。疲れればカナリアから特製のハチミツドリンクを貰って栄養補給を欠かさない。

 シングは常人より頭二つは高い身長で油断なく戦場を見渡す。

 戦況は人類連合が優位に進めて、既に敵亜人の三割を討ち取っていた。

 自軍の形勢不利を感じ取ったゴブリンの多くが恐怖に駆られて逃げ出し、見せしめで後ろのオークに殺されても、そのオークも既に一部が敵前逃亡を始めていた。

 人間の戦ならとっくに勝敗は決しても、これは魔人との戦である。不甲斐ない眷属がどれだけ死んだところで彼等は怒りこそすれ、臆病風に吹かれる事はあり得ない。

 

「となればそろそろお出ましでしょうな」

 

「ふん、噂をすれば…だぜ」

 

 バグナスが鼻を鳴らして空を見上げる。

 シングの予測は当たり、風切り音を唸らせて雨と共に何者かが飛来する。

 転がる死体などお構いなしに踏み潰し、緑の虫男が威風堂々と姿を現す。レヴィアは男の顔を見て昔沢山捕まえたバッタみたいだと思った。

 異形の身でありながら王の如き風格を纏う魔人族の男は、ガチガチと顎を鳴らして赤く大きな複眼をシングに向けて、極めて簡潔に要求した。

 

「お前、強いな。俺と戦え」

 

 飛蝗男は半身のまま開いた左手を前に突き出し、握った右手を腰だめに構える。

 シングはこの隙の微塵も無い構え一つで飛蝗魔人がただならぬ使い手と見抜き、赤剣を構えた。

 ギーリン達も油断なく武器を構えた矢先、戦場のそこかしこで上がる亜人以外の悲鳴に意識が削がれた。

 

「あいつらも始めたか」

 

 飛蝗魔人の呟きで何が起きているのかすぐに察した。傍観していた他の魔人達も戦に参加し始めたのだ。それだけで優位に進めていた戦況があっという間にひっくり返されそうになっている。

 さらにいつの間にかゆったりとしたマントを羽織った、これまた異形の風貌の女が飛蝗魔人の隣に立っていた。女の顔は無数の産毛で覆われて、真っ黒な目が八つ、額には二本の触角が生えている。こちらも魔人と見て間違いあるまい。

 ここでシングは目の前の魔人達に隙を見せず、僅かに思案する。戦の優劣は魔人の参戦でひっくり返り、形勢不利になったのはこちらだ。今はまだ拮抗していても、損失が増えれば次の戦に差し障る。

 早急に目の前の魔人を倒して援軍に向かわねばならぬ。しかし己の中の血がこの飛蝗の武人と心行くまで一騎打ちで死闘を演じたいと叫ぶ。一党を預かる頭目として恥じるばかりだ。

 だから己への罰を下さねばならなかった。

 

「……已むを得ませぬな。こちらの魔人達は拙者に任せて、皆様は他の魔人を討って頂きたい」

 

「お前また悪い虫が騒ぎやがったな。まったく、我儘なリーダーだよ!」

 

 一党の総意を代弁したバグナスが怒りと呆れを滲ませてシングを罵倒する。普段は冷静沈着で何事にも己を抑えて行動しているのに、肝心な時に責務を放り捨てて我を通そうとする。こうなっては意地でもチームプレイはしないと全員が経験から知っていた。

 同時にこの竜戦士の強さは誰もが知っているから、負けはあり得ないと確信を持ってしまい、結局は了承する羽目になる。

 一党内で最年長のカナリアもお手上げとばかりに、シングの好きにさせてやろうと思った。それに他の場所で絶え間なく聞こえる戦士たちの絶叫も捨て置けない。

 カナリアとバグナスは≪いくさ丸に≫跨るギーリンの後ろに相乗りする。なぜかレヴィアだけはその場から動かない。

 

「向こうは二人だし、ボクも残るよ。三人は早くエアレンド達を助けてあげて」

 

「鉄板胸のくせに見栄を張りやがって!死んだら承知しねえぞ!!」

 

 ギーリンは怒ったような口調の中に、不安で仕方がない気持ちを隠して、悟られないように振り返る事もせず、すぐさま戦友達の救援に向かった。なお人生経験豊富なカナリアにはバレていたが。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話 飛蝗と蜘蛛

 

 

 仲間を見送ったレヴィアは改めて女魔人の方を向き、露骨に嫌そうな顔をして指を差す。

 

「あんな見え透いた視線を向けてたら、狙いがボクだって最初から分かるよ。しょうがないから残ってあげたんだからね」

 

「くくく、ごめんなさいね。貴女がとっても美味しそうだったから我慢出来なかったの」

 

 言うなり女魔人のローブが内から破れて黒と黄色の縞模様をした二本の太い腕と、わき腹から生える四本の細長い節足が現れた。

 さらに口端が大きく裂けると、飛蝗男と似た虫の顎が飛び出る。

 

「うわー、こっちは蜘蛛かぁ」

 

「お嬢ちゃんは蜘蛛がお嫌い?私なら美味しく残さず食べてあげるわよ」

 

「ムシャムシャされるのは嫌だよ!」

 

 レヴィアは絶対にゴメンだとばかりに赤と青の珠玉の嵌め込まれた杖をブンブン振り回して蜘蛛女を威嚇する。むしろその行為がイキが良いと捕食者に歓迎されるとは思いもよらない。

 相方同士が仲良くやっているのを見た赤竜と飛蝗の戦士は、もはやジャマは入らぬと察して誇りある決闘を始める。

 

「我が名はシング。非才ながら赤竜の血を宿す者なり」

 

「我はタケル。ただ強き者を求める魔人なり」

 

 名乗りを終えた瞬間、魔人タケルが凄まじい脚力による雷光の如き速さで踏み込み、轟音と共に渾身の力を込めた右正拳突きを放った。

 シングはそれを読み、カウンター気味に刺突で対応する。リーチの差で剣が負ける筈は無いが、目論見は些か異なる結果になる。

 正拳突きの軌道が変化して、裏拳が赤剣の腹に当たり突きが逸れた。そのままタケルは踏み込みの勢いを殺さず、左足の回し蹴りを繰り出してシングの脇腹を蹴り砕く―――と思われたが、その寸前で鞘による二段目の突きを食らってタケルの体勢は崩されて不発に終わる。

 タケルは鞘の突きを食らった腹をさする。手打ちの攻撃とはいえ鉄拵えの鞘は天然の装甲をもってしても響くが、これしきで臆するような腰抜けではない。

 むしろ挨拶代わりとはいえ初手をあしらわれたのがこの上なく嬉しくて、顎をガチガチと鳴らしてしまう。

 そこかしこに転がるゴブリンの死体を二つばかりシングへ蹴り飛ばしてタケルは間合いを詰める。

 ただの肉とて爆発的な力で蹴り飛ばされれば、それは立派な囮であり殺傷道具となる。防げば足は止まり、避ければ隙が生まれる。だからシングは避けずにあえて前に踏み込んで、肉弾を鞘で払い、剣の自由を残した。

 

「だと思ったぞ」

 

 タケルの声はシングの足元から聞こえ、次には腹這いになるまで身を低くしての足払いを食らって転倒した。こうなっては剣もさほど役には立たぬ。

 隙を逃さずタケルは竜乗りならぬ馬乗りになって、拳の嵐を浴びせた。殴られるたびに小雨に鮮血が混じり、何本か鋭い牙が折られてはじけ飛ぶ。

 

「シングっ!!」

 

「ヒトの心配をしてる場合?」

 

 レヴィアが思わず声を上げ、その隙を見逃さなかった蜘蛛魔人が両手から幾重もの糸を放つ。

 粘つく糸がレヴィアを捉え、くっつく糸が増えるたびに彼女の動きが阻害された。それどころか動けば動くほどに糸は身体に絡まって自由を奪われる。

 

「くっこの!この!」

 

「ほほほほほっ!!糸に絡め取られた獲物がもがく様を見るのはいつ見ても快感ね」

 

 勝ち誇ったように高笑いをするが、実際の所蜘蛛女のクネはそこまで楽観もしていないし快楽に溺れてもいない。何しろ相手は幼くてもエンシェントエルフ。自分達魔人と同等かそれ以上に優れた種族だ。ちょっと油断すればそれだけで首を獲られるのは自分になる。だから糸で完全に覆い隠すまで決して手を緩めたりはしない。

 レヴィアが蚕の繭のようにされつつある状況をシングが黙って見ているはずはない。

 彼はハンマーの如く振り下ろされる魔人の拳を無数に喰らってなお意識はしっかりと保ち、逆襲の機を伺っていた。

 機はすぐにやってきた。優に百の拳を繰り出したせいでタケルは息が上がり、攻撃の手が緩んだ。それを見逃さず、左手で魔人の右足首を掴んで、技量も何も無いただの怪力で握り潰した。

 

「ぐあっ!!」

 

 痛みで体勢が乱れた隙に、今度は腰に差した短刀を抜き、脇腹を切りつけた。

 さらに足首を掴んだままタケルをクネ目がけてぶん投げて糸を妨害する。

 糸の増量が止まり、レヴィアは風と水の精霊の助けで絡み付いた糸を剥がして自由を取り戻す。

 

「あーもう、マントが糸だらけだよ~」

 

 粘つく糸だらけになった草色のマントを脱ぎ棄て憤慨する。命よりもマントを惜しむ姿に、赤剣を拾ったシングは少し呆れつつも無事だったのを喜ぶ。

 彼女はマントを駄目にされて怒ったまま石の精霊を煽動して、自分の糸が絡まってもがく二人の魔人を石で固めてしまった。

 

「へへん!これでどうだ~!」

 

 レヴィアが勝ち誇って無邪気にピョンピョン跳ねるも、すぐさま石の山がはじけ飛んだ。

 

「手妻使いの小娘如きが舐めるなよ」

 

 怒気を漲らせたタケルの胆力でレヴィアは一歩後ずさりした。彼女を庇うようにシングが視線を遮り、剣の切っ先を魔人に向ける。

 

「移り気は感心しませんな、貴殿の相手は拙者ですぞ」

 

 シングの戦意に呼応するように、タケルは砕けた右足を引きずりながら戦闘続行を選択した。

 一太刀で決めるつもりでシングが間合いを詰めたのと同時に、タケルも壊れた足がさらに壊れるのも構わず踏み込んだため、シングは懐へ入られた。腹に集中的に拳打を受けても冷静に剣の鍔元を握って短く持ち、柄頭で顔を殴って怯ませた。

 それでもタケルの拳は止まらず、剣と徒手空拳の得物は違えど竜人と飛蝗の殴り合いは続く。

 一方、レヴィアとクネの第2ラウンドも拮抗した状態にある。

 今度はクネの念動力を加えて蛇のように自在に動く糸に対抗して、レヴィアは風の精霊と共にあり、気流を操って糸を一本たりとも近づけさせなかった。

 さらにレヴィアは前方に次々と石柱を立てて障害物として糸を防いだ。これでほぼ敵の武器は封じたと言って良い。

 その上、蜘蛛のお株を奪うかのように、足元から蔓や草を伸ばしてクネを捕えようとする。

 形勢は互角に近くなったが、意外にもクネは焦ってはいない。糸が通じなくなったら手を変えればよいだけだ。

 クネは手から糸を出しつつ石柱を殴りつけた。石は脆く崩れて礫となってレヴィアへと殺到する。それでも彼女は冷静に石の精に逸れるように頼んで事なきを得た。

 しかしその間に距離を詰めたクネが直接襲い掛かった。

 身体能力に優れた神代のエルフとて少女となれば、魔人である己の方が肉弾戦には分があると判断しての接近だった。

 クネの判断は概ね正しい。何よりも重視する戦の中での隙の無い立ち振る舞いは皆無で、達人としての洗練さが欠けていた。実際レヴィアは格闘に関して素人だし、さして力も強くなかった。

 ただ、一つ見落としていた事がある。彼女が手にした珠玉の付いた杖を考慮していなかった。

 

「迅雷よ、我の敵を打ち払え!!」

 

 赤色の珠玉が光り輝き、雷が放たれた。中心部に居たレヴィアと、襲いかかろうとしたクネはまともに雷撃を食らって痙攣する。

 

「いったーーーーい!!!」

 

 レヴィアは悲鳴を上げられるだけ、まだ余裕があった。もう一人のまともに雷撃を食らったクネは身体の所々が焦げ付き、自力で立つ事すら叶わずうつ伏せに倒れたままだ。

 彼女の持つ杖に嵌め込まれた赤い珠玉には雷の魔法の力が宿っていた。それを発動させて雷撃を生み、敵を行動不能にした。

 もっとも、使い手も少なくないダメージを食らってしまうのだから、とんだ欠陥品でしかない。

 それでも支払った代償に見合う成果があったのは救いだろう。肉の焦げた不快な臭いを漂わせる蜘蛛女がビクビクと痙攣する様子に、痛みで引き攣った笑みが漏れてしまう。

 戦場で動けない者の末路は大抵決まっている。心臓を喰われるか、首を刈られて武勲にされるか、だ。

 レヴィアは痛む身体を無視してクネの前に立ち、杖の石突を力の限り蜘蛛女の首元に突き刺した。

 さらに止めとばかりに突き刺した杖を抉り込んで雷を流し、蜘蛛魔人の頸椎を修復不可能なまでに破壊した。

 クネは解読不能の断末魔を上げた後、二度と立ち上がる事は無かった。

 勝者となったエルフの少女は勝ち誇るよりも全身に走る痛みから、喜びなどそっちのけで怒りに燃えていた。

 

「あんの陰険バグナスめ~!何でこんな不良品がボクに相応しいんだ~!!後でとっちめてやる!!」

 

 高貴な生まれのはずの神代のエルフに似合わぬ遠吠えは、残念ながら杖を作った当人には届く事は無かった。

 

 

 女同士の戦いに決着がついた頃、竜と飛蝗の戦いも佳境を迎えようとしていた。

 シングは都合二百を超える拳打を食らって全身が腫れ上がっていた。

 タケルは片足が潰れた他に、剣で脇腹と顔を切られて出血が酷い。

 それでも両者の戦意は全く衰えておらず、むしろ得難い好手敵と巡り会えた幸運に喜びを感じてさえいた。

 だからこそ決着をつけねばならない。引き分けなどという興醒めする結末はいらなかった。彼等は誇り高き戦士ゆえに、戦いの中でしか生きられない。

 タケルはバッタがそうであるように、彼もまた飛蝗の姿を持つ者として、この戦いで初めて背の翅を広げて空を舞う。

 なぜ今まで彼は飛ばなかったのか?それは飛翔する事が必殺の一撃の始まりだからだ。

 相手の頭上を取り、虫の王として縦横無尽に飛び回って狙いを読ませない。敵が動き回っても巨大な複眼が捉え、歴戦の戦士の勘によって動きを読み切り、何者をも逃がさない。その上で重力を味方につけた強力無比な蹴りを敵に叩き込む。

 タケルはこの技で何人もの強い戦士を屠ってきた。今度の赤竜の戦士とて同じ事だ。

 シングは頭上を支配する難敵の動きを捉え切れない。しかし狙いは凡そ見当がつく。だから次に備えて、その場で待つ事を選んだ。

 動かないシングを見てタケルは狙いを頭部に定め、一気に急降下する。

 それは他の追随を一切許さない―――――流星の如き疾さで急降下したタケルは直前で半回転。一切のスピードを殺す事なく、回転力に全体重を加えた左足に破壊力を一点集中。比類なき無双の一撃たる踵落としを竜の頭へと叩き込んだ。

 

「む?これは……」

 

 しかし生涯最高の一撃は竜の頭を砕かず、その右肩を砕いたに過ぎなかった。

 タケルは必殺の一撃が不発に終わった事に落胆はしなかった。己の不足も恥じない。

 シングはタケルの狙いが頭への必殺の一撃だと見抜いていた。だからギリギリまで動かず、攻撃の直前にほんの僅かに身をずらして急所を避けた。

 必殺の一撃は放った後に最大の隙を晒してしまう。よって放てば確実に息の根を止めなければならない。そうでなければ死ぬのは己自身に他ならぬ。

 彼の運命は決まった。

 足をシングの肩に乗せたまま動きを止めたタケルの胸を短刀が貫いた。

 心臓を半ばまで斬られて力を失った飛蝗は仰向けに倒れた。

 

「いやはや、危のうございました。硬気功で身を固めておらねば、拙者は真っ二つでござった」

 

 砕けた右肩を左手で擦る。口調は軽くても紙一重の勝負だった。

 シングの言う硬気功とは丹田で練った気を全身に纏い、飛躍的に防御力を高める技法だ。この技によって流星に匹敵する必殺の一撃に耐え切って反撃に転じた。

 しかし防御を高めると言っても限度があり、もし目論見よりタケルの一撃が上であれば死んでいたのはシングの方だ。それでも臆さず己の頑強さを信じて命を賭けられるのが竜の戦士の強さでもある。

 

「……全力は尽くした。悔いはない」

 

「拙者も貴殿の事は忘れませぬ」

 

「一ついい事を教えてやる。俺の王はもっと強く、不死身だ」

 

 それだけ言い残して、誇り高き魔人の戦士は事切れた。

 シングは死闘を尽くした戦士の亡骸に一礼した後、短刀を抜いて鞘に納める。墓を作るにはまだ早い。

 そして辛くも勝利した仲間の少女の無事を喜び、転がる赤剣を拾って再び戦いに身を投じた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話 銀狼の騎士

 

 

 エアレンドは剣を握る手の震えを止めようと必死だった。

 切っ先の向こう側の、ヒキガエルのような面をした魔人ルファは恐怖におびえる小鹿の如き己を見て、嗜虐心を掻き立てられて下種な笑みを浮かべている。

 つい先ほどまで共に戦っていたグロースとフェンデルはもう一人の土中より現れた、奇妙な腕を持つ魔人と戦い倒れた。二人が生きているのか死んでいるのかさえ確かめられない。

 今は数名の獣人と拮抗した戦いを繰り広げて、こちらに構ってる余裕は無さそうだ。

 

「ひょひょひょ!子ウサギちゃん、そんなに怖がらなくてもいいのよ」

 

「だ、黙れ!醜悪な魔人に臆する私ではないぞ!」

 

 声が裏返っているのが自分でも分かる。今の己は手の平の中で暴れる小さなネズミと大差が無かった。

 初陣のエアレンドの目から見て、戦は自軍の優位に運んでいたように見えた。最前線で一騎当千の戦士達がバッタバッタと亜人達を薙ぎ払い、始まりから勢いはこちらに傾いていた。

 もっとも、優位だったのは魔人の本格介入までだった。様子見を止めて自ら戦い始めた魔人のせいで天秤は戻された。

 あまつさえ後方への奇襲によって連合軍は浮足立ち、多くの戦士達が討たれ始めた。

 エアレンド達の居た後方にも魔の手は伸び、突然地中から現れた魚のヒレのような腕を持つ魔人アンタレスと、ヒキガエルのような顔とナメクジのような体を持つ女魔人ルファによって、この場に居た者の多くが倒れた。

 当然若いエルフ達も応戦したものの、敵の奇襲による精神的優位と豊富な戦闘経験により、後方は半壊していた。

 エアレンドも力量差からとっくに倒されているはずだが、相手のいたぶるような戦い方のおかげで、今もどうにか両の足で立っていられた。

 魔人ルファは口から連続して汚らわしい粘液を飛ばす。エアレンドは幾つか風の精霊に退けてもらい、残りを固い足さばきで何とか避ける。先程からずっとこの調子で逃げ惑っていては、子ウサギ扱いも無理はない。

 飛んでくるのが単なる唾液であれば、不快感を抑えて攻撃に転じる事も出来た。しかし粘液が付着した個所を見れば、可能な限り避けざるを得ない。

 敵の粘液が触れたモノは鉄の武具も死体も、異臭を放ち融けてしまった。エルフ自慢の弓も抗するには至らず、既に木屑となっていた。残る武器は長短一対のミスリル剣のみ。魔人を討つには致死性の溶解液を躱して懐に入るしかない。

 どうにか隙を見つけて近づこうにも、無限にも思える粘液攻撃を避けるだけで手いっぱいだ。精霊も手を貸してくれるが状況は全く好転しない。

 焦燥感だけが蓄積していく中、不意に足が滑り転倒してしまう。地面に撒かれた粘液に足を取られたのだ。

 

「ぐわぁ!」

 

「ぐふふふ!!足元に注意を払っておかないとダメよ」

 

 まだまだヒヨコ―――ルファは粘液で皮膚が融けて痛みに喘ぐエアレンドを見下ろして嘲る。

 

「ふぁふぁふぁ、可愛らしい坊やをどう食べようかしら?丸飲みは勿体無いし、手足を引き千切ったら血が出ちゃう。……そうだわ!足からゆっくり口の中で溶かして、骨までジュースにして味わってあげるわ」

 

 魔人のおぞましい考えに恐怖と不快感で顔が引き攣る。何としてもそんな未来は回避したいが、今は立ち上がる事すら困難だった。

 ゆっくりとナメクジのような身体をくねらせて近づくルファに生理的嫌悪感から嘔吐して、幼い頃の記憶が俄かに蘇る。

 ヒキガエルの口が大きく開かれ、中で蛇のようにのたうち回る舌を見たエアレンドは己の死を覚悟した。

 しかし武運はまだ彼を見捨てていなかった。

 突如として鋼のごとき狼がヒキガエルに体当たりして、その巨体を物ともせずにその場から弾き飛ばした。

 

「おーい戦友よぉ。まだ生きてたな」

 

「ギ…ギーリン?」

 

 窮地に駆けつけた髭の薄いドワーフに手を貸してもらい、エアレンドは何とか立ち上がる。

 

「なんでぇ、素っ頓狂な声出しやがって。まあ、初物なりによく生き残ったな」

 

 ドワーフ特有の飾り気の無い粗野な、しかし親情のある笑みを向けて胸板を軽く叩いた。

 そうかと思えば口元を引き締め、槍を構えて魔人へ備える。≪いくさ丸≫も彼の傍らに侍り、いつでも飛び掛かる体勢を取った。

 弾き飛ばされたルファは大したダメージも無く、平然と起き上がって乱入者をじっと見つめる。その様はまるで嵐の前の静けさと似ていた。

 

「私ってドワーフは嫌いなのよ。骨太で硬いし、髭がチクチクして食べ難いったらありゃしない」

 

「俺もよお、カエルは美味いから好きだが、てめえみたいなナメクジの合いの子なんぞ願い下げだ」

 

「ぐふふふ!!――――――食事の邪魔をして楽に死ねると思うなよ!!」

 

 怒気を滾らせたルファは口から無数の粘液を吐き出して、ギーリンを跡形も無く融かそうとした。

 

「アレは肉を融かすぞッ!!」

 

「わーってるよ!さっき見てた!いくさ丸!!」

 

 主の声に命を持たぬ鋼の狼は行動で応え、自らの身を挺して溶解液をその身に受けた。

 鉄すら溶かす粘液を食らい、あわやごみ屑になる未来を辿ると思われた狼は、まるで何ともないかのように振舞った。

 

「そいつの装甲はアダマンタイトとオリハルコンの複合製だ!てめえの汚ねえ唾液なんぞ効きやしねえ!!そして俺の傑作はこれからが本領だぜ!!」

 

 主人の掛け声に≪いくさ丸≫が呼応する。

 次の瞬間、狼の全身がバラバラになって飛び散り、幾多の装甲が自らの意思を持ったようにギーリンの身体を覆った。

 金属が噛み合う音の末にそこに居たのは、くすんだ鈍い銀色の光沢を放つ、武骨ながらも計算し尽くされた機能美に特化した造形の、荒々しい狼を模した鎧兜を纏う小柄な騎士だった。

 

「美しい…」

 

「へっ!見てくれだけじゃねえのをこれからお目目を開いてよーく見とけよ!!」

 

 銀狼の騎士から聞きなれた低い声がする。騎士は間違いなくギーリンだ。

 彼は俊敏とは言い難い足の遅さながら、勇猛果敢に魔人に突撃。ルファ目がけて白銀の槍を突く。

 鋭い刺突はしかし容易く裂けられて、彼女の太い蛇のような尻尾で打ち据えられた。

 身が弾かれて槍と共に地面を転がり、さらに追い打ちとばかりに巨体に圧し掛かられて潰されるのを待つ身になってしまう。

 

「ひょほほほほ!!ご立派なのは見た目だけねえ!さあ、騎士さんはどうするのかしら?」

 

「あー?じゃあこうするかねえ」

 

 勝ち誇るルファが唐突に聞くに堪えない悲鳴を上げて血塗れで転げ回った。代わりにゆっくりと立ち上がったギーリンの鎧の両肘から二本の刃が突き出て、血を滴らせていた。

 重傷を負った魔人に情けをかけず、群狼さながら無慈悲に獲物に喰らい付いて、対のブレードを嵐のごとく操り滅多切りにした。

 それでも生命力に富んだ女魔人は死に切らず、ただ敵を殺す事だけを考えて突進する。

 もっとも、強者と戦うより弱い相手を食う事だけを求めた食欲魔が怒り狂った所で戦士に勝てる道理は無い。

 ギーリンは冷静に側に落ちていた槍を足で蹴り上げて掴み、速さはあっても猪のように真っすぐ突進するだけのカエルを串刺しにした。

 

「俺は百舌鳥じゃねえから、てめえは食わねえぞ」

 

 魔人が絶命した手ごたえを得てから槍を引き抜き血を振り払った。

 エアレンドは威勢の良い事だけ言って肝心の魔人を碌に討てず、ただ見ているしかなかった己の弱さを恥じると共に、強く美しい銀狼の騎士に強烈な憧れと嫉妬心を抱いた。

 戦友のエルフの内心を知ってか知らずか、ギーリンは誰が見ても気持ちの良くなる豪快な笑いで受け流す。

 それから肩を叩いて仲間達を助けようと言って、ドタドタ音を立てて走り出した。そのコミカルな仕草が何ともアンバランスでおかしく、笑いを我慢出来ない。おかげで妬心は薄れ、尊敬の念がそのまま残った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話 死者の主張

 

 

 土中に穴を掘って連合軍の後方を奇襲したもう一方の魔人アンタレスは困惑の極みにあった。

 ナメクジ女のルファに乗せられた形とはいえ、敵の虚を突いて後方を襲ったのはそれなりに愉快だった。

 慌てふためく敵の顔を見て蹂躙はとても楽しい。特に後方は明らかに戦い慣れしていない素人が多く、おそらく今回が初陣だと丸わかりのエルフの小僧共も居た。

 そいつらを暴力で屈服させて、土の味を教えてやるのはこの上なく楽しかった。

 途中で虱の付いた獣人共が戦いを仕掛けてきたので、適当に遊んで「さあ、そろそろ幕引き」という所で追加のオモチャが自分から飛び込んできた。

 外見は不健康そうなヒョロい人間の男魔導師と小さな婆だ。とんだゴミが戦場に迷い込んだと思って、さっさと片付けようとしたところでおかしいと気付いた。

 何故かゴミの後にゾロゾロと亜人共が三十匹ばかり連れ立っていた。しかもどいつもこいつもまともな身体をしておらず、首が半分千切れていたり、臓物が腹から飛び出て縄のように引っかかっていてもお構いなしだ。当然目には生気など欠片も宿っておらず、曇ったガラス玉がはまっているようにしか見えない。まるで動く死体だ。

 そして人間の魔術師が手を動かせば、それに呼応するように亜人の死体が次々こちらに襲い掛かった。

 

「来やがれ雑魚どもがッ!!」

 

 アンタレスは手始めにゴブリン二匹の頭を掴んで爆散した後、頭を半分斬り落とされたオークの胴を手刀で二つに裂く。

 その後ろから死体を踏み潰して進むはらわたの見えたトロルの腹にヒレ手を突っ込んで中から飛ばした。しかし生命力に富んだ、あるいは死体ゆえに頭と手足さえあれば動く半死体は止まらず、彼目がけて岩のような拳を振り下ろした。

 

「舐めるんじゃねえぞっ!!」

 

 咆哮と共に魔人の全身が震え、トロルの巨体は一瞬でひき肉に代わり、余波に巻き込まれた数匹の亜人と共に赤黒い粘ついたシャワーになって、周囲にばら撒かれた。

 荒い息を吐いて、忌々し気に人間の魔導師を睨みつけると、反対に彼は目を輝かせて口笛を吹く。

 

「いいねぇ!!流石は魔人殿だぜ!今の魔法や念動力じゃねえよな、どうやってやったんだ?」

 

「あぁ?気安く声をかけるんじゃねえ、ネクロマンサー風情がよッ!」

 

 不快感と殺気を孕んだ怒声が血の臭いの濃い濡れた大気を震わせる。

 意外に思われるが魔人族は人やエルフのような人類種と同様に、死者の魂を弄び生と死の狭間を曖昧にする死霊魔法を嫌悪ないし侮蔑する価値観を持っている。

 数千年後の後世に語られる伝説には魔人が神に並ぼうとした背神的野心から死者の魂を弄び、あらゆる生命を冒涜する唾棄すべき外道の法を生み出したとされたが事実はやや異なる。

 確かに彼等魔人は人類種ほど神は信仰せず、一部の魔人は神に並ぼうと考える者が居るのは事実だ。

 永劫の命を求めたり、死後の世界を模索して魂を研究しようとする学者気質の魔人も少数居る。それらが魂を操る術を身に付けて死者を蘇らせるケースも過去には確認されている。

 誤解無きように語るがそれらはごく少数の個人的行為であって、多数の魔人族は死者蘇生には関心が無い。むしろ拒否感の方が強い。

 彼等魔人族にとって現世こそが全てであり、死後は魂がどうなろうが興味が無い。だからこそ死んだ後に想いを馳せる者を惰弱と蔑み、死人の魂を操る技法を認めない。

 これは魂を神の領分として信仰から死霊魔法を否定する人類種とは全く異なる理由と価値観ではあっても、似たような結論に至る奇妙な符号と言えた。

 魔人アンタレスも一般的な魔人族の価値観に逸脱せず、死霊魔法には嫌悪感を持ち、それを扱うと思われる外法の魔導師を見下し、殺害を躊躇ったりはすまい。

 殺気を向けられた人間の魔導師バグナスは、纏う陰湿な雰囲気からかけ離れた陽気な仕草でアンタレスの間違いを訂正する。

 

「俺は死霊魔法は使えないぜ。俺がやってるのは単に死体に糸を通して好きに動かしてるだけよ。早い話、死体を使った人形遊びってわけ。こんな風に―――」

 

 本を持っていない方の手を動かせば、連動して亜人達が不揃いで格好悪いダンスを踊る。技術的には中々のモノなのだろうが芸術性は皆無と思われる。

 それにアンタレスからすれば厳密には異なる技法と説明されても、死体を動かして使役する行為自体に価値を見出す事は無い。どちらにせよ蔑み、敵として壊すだけ。

 魔人は未だに踊っている手近なオークの死体に触れ、頭や胴体を粉々に破壊して、確実に数を減らしていく。

 戦力がどんどん減ってもバグナスは余裕を崩さない。一部の亜人の死体を壁にして安全を確保しつつ、努めて冷静に魔人の蹂躙劇を観察していた。

 当然、単なる死体如きが魔人に勝てるわけもなく、かつての主人に襲い掛かった亜人は碌に傷も負わせられずミンチになって大地を赤黒く染めたに過ぎない。

 

「おらっ三流!ご自慢の死体はあと少しだぞ!」

 

「お代わりはあちらに用意しておいたぞ」

 

 陰険魔導師の指差す先には、やはり血塗れの動く死体になった亜人が数十匹は見えた。ここは戦場、死体など幾らでも用立てられる。

 馬鹿にされていると思ったアンタレスの頭に血が上る。

 

「そんなんいるかよっーーーー!!死ねやカス野郎ぉがああッーー!!」

 

 バグナス目がけて一直線に突っ込み、妨害しようとした死体亜人を次々壊して最短距離を疾走する。

 障害物になった死体のせいで多少時間がかかっても、相手が貧弱な魔導師なら十分捉え切れる。

 壁になった最後のトロルに体当たりしつつ、死体をミンチに変えて無防備のバグナスを捕捉した。

 あと一秒で貧弱な頭に触れて振動波で跡形も無く出来る距離まで詰めた時点で、アンタレスの背筋に雨とは違う冷たい汗が流れた。

 

(誘い込まれた!?)

 

「そうだよなっ!死体を幾ら壊しても意味がねえ!なら、操者を狙って来ると思ったぜ!!光よーーー!!!」

 

 雨の降る天へとかざした魔導師の手から太陽が発現した。

 至近距離からの強烈な光魔法にアンタレスの目は焼かれ、ヒレ手は何も掴めず空を切ってしまう。

 どれほど強い魔人族でも戦場で視界を奪われ、足を止めてしまう大失態を犯した間抜けに戦神は微笑まない。

 アンタレスは光の闇の中に囚われたまま仰向けに倒され、手足に強烈な痛みを受けて悶える。

 光の闇から解放された魔人が最初に目にしたのは、手足を斬り落とされた血を噴き出す己自身だった。

 

「クソがッ!!」

 

「アンタの力はよーく観察したぜ。体のヒレを高速振動させて対象を粉々にする。けど直接触れているか、至近距離でないと効果を最大限発揮しないし、念動力との併用は無理、だろ?」

 

 バグナスの答えにアンタレスは無言を貫いた。沈黙は肯定と見做すという言葉もある。

 推測通り亜人の死体を破壊したのは常に手を直接触れている時か、肉体に極めて近い位置にあった時だけだ。そうでなければもっと遠距離から肉壁もろともバグナスを狙って殺せたはずだし、念動力を使って引き寄せてから殺す事だって出来た。

 それが出来ないというのは、言ってしまえば破壊力は高くとも利便性には難があると、さらけ出しているに等しい。

 仮にアンタレスがもう少し冷静に事を運べていたならば、バグナスももっと難儀をしただろう。そうならなかったのは死体操作をする敵を軽視していた部分があったからだ。

 相手の力量を思想で判断するのは誤りであり、アンタレスはバグナスが戦場であらゆる死体を扱う節操無しの卑劣な魔導師として警戒するべきだったのだ。

 そう……敵だけでなく、死体なら味方であろうとも戦力として活用する外道と察せなかったが故に、手足を失い危機的状況に陥っている。

 アンタレスの手足を斬り落としたのは、彼が奇襲して殺害した連合軍の戦士達だった。

 自らが殺した相手に武器を突き付けられて見下される様に、怒り心頭になって罵声を浴びせる。

 

「てめぇ…敵だけでなく味方まで弄びやがって!!」

 

「弄ぶ?人聞きの悪い事を言うなよ。俺は死んだ奴の心残りを減らす手伝いをしてるだけだぜ。こいつらは『俺達はまだ戦える!』って言ってるぜ」

 

 バグナスは神妙な顔つきで戦士の一人の口元に耳を当てて、声を聞いているような仕草で何度もうなずく。

 

「俺を殺した魔人を倒す機会を与えてくれて感謝する――――だってよ」

 

「へっ!そんなに慈悲深いなら、さっさと俺を殺して死体を跡形も無く燃やしてくれや!」

 

 アンタレスは既に己の生を諦めた。だからせめてこんな畜生外道に命乞いをせず、魔人族として誇りある死を望んだ。

 だがバグナスは想像を上回る悪辣さを以って、価値ある敗者を利用する事を選んだ。

 これにより敗者であるアンタレスは生涯最悪の数分を経験する事となる。

 

 

 人類種連合軍と魔人軍の戦いは既に決した。

 指揮官を担う魔人族の半数を討たれた魔人軍は半壊し、生き残った亜人達は我先にと逃走した。

 残る魔人族も劣勢を巻き返せないと判断して、それぞれ余力のあるうちに撤退を選んで姿を消した。

 ここから先は敵ではなく時間との戦いになる。

 辛うじて生き残ったグロースとフェンデル。彼等はカナリアに救われて、どうにか息を吹き返して、今は倒れて動けない負傷者を探し出している。

 フェンデルは倒れたオークの下敷きになっていた兎人の斥候を引っ張り出す。兎人は右腕が無かったので、手早く紐で肩を縛って出血を最小限に留めて担ぐ。

 グロースも生存者を探しているが多くは既に息絶えた戦士ばかりだった。それでもどうにか虫の息のドワーフを一人見つけて、急いで抱えて走る。

 二人はほぼ同時に重傷者をある場所に連れて来た。既に同じような負傷者も連れてこられて、一帯は簡易救護所のような体を成していた。

 見た目から分かる軽傷者は多少医療の心得のある者が治療に当たり、骨折の接合や止血を済ませて手伝いに回るか別の場所で休息を得ていた。

 重傷者は従軍医師や治癒魔法を使える神官が治療する。フェンデルが連れてきた兎人はすぐに千切れた右腕の患部を焼いて止血してから縫合に移る。

 グロースが抱えた死に瀕したドワーフの戦士は、老ミニマム族の神官カナリアが担当した。彼女もまた癒しの魔法を『生と豊穣の神』より授かった稀少な神官だった。

 彼女は腹から湧き水のように大量に血が噴き出す患部を的確に探し出してから、手に持った銀製の小さな杯を天へと掲げた。

 

「天より我らに恵みを与えし『生と豊穣の神』よ。消えゆく命の灯に再び力を与えたもう」

 

 杯に光が集まり、カナリアが杯を傾けるとキラキラと光る液体が滴り落ちて、ドワーフの腹から噴き出る血を洗い流した。

 すると今まで息も絶え絶えだったドワーフの顔が急に安らかな表情になり、礼を口にするほどに力を取り戻した。

 

「良いって事だよ。でも流れた血は戻らないから、しばらくは戦っちゃダメ」

 

 傷が癒えたドワーフは仲間のドワーフに担がれて離れた場所に移されて、次の重傷者が運ばれる。今度は眼窩にナイフの突き刺さったまま痙攣した人狼族だった。

 彼女の戦いはまだまだこれからだ。

 

 

 その後、カナリアはさらに七名を癒した時点で疲労を理由に休息を求めた。

 彼女は手伝いをしていたグロースとフェンデルを誘い、共に救護所から少し離れた木の下の石に腰かける。疲れから顔の皺が一段と増えたような印象を受けた。

 懐から水筒を取り出して水を一口飲んで息をつく。

 

「ふいー、これしきで息が上がるんだから、歳は取りたくないねえ。若いあんた達が羨ましいよ」

 

「何を言いますか。並の使い手なら三人も癒せば限界と聞きます。なのに貴女はその何倍も死から遠ざけたではないですか」

 

「そうです。我々だってカナリア殿に癒していただけなかったら、とっくに命を奪われていた」

 

 二人のエルフは弱音を吐く彼女を強く励ました。ただ己の命を救われただけでなく、多くの戦友達の命を繋いだ行為はただ敵を殺すより尊い。

 しかしカナリアは銀製の杯を手の中で弄びながら、大した事はしていないと謙遜する。

 

「これで負担を減らしてるから、私みたいなババアでもそれだけの怪我人を癒せるんだよ。『豊穣神』と杯を残してくれた昔の神官に感謝しないとねえ」

 

 決して自らの力だけではない。カナリアは己の仕える神の住まう天へと祈りを捧げる。

 彼女の話では、銀の杯はかつて敬虔な『豊穣神』の神官が命を賭した神降ろしの儀によって生み出した神器と伝わっている。その神器を補助に用いる事で、治癒魔法の負担をかなり減らして、通常の数倍近い魔法の行使にも耐えられた。

 そして神器の現継承者として、シングが頭を下げて同行を求めたのが仲間との付き合いの始まりだそうだ。

 

「若い子たちが頑張ってる姿を見てねえ、年寄りの冷や水と分かってても手を貸してあげたくなったんだよ。後はこの杯を引き継がせる見込みのある子が居れば言う事無しさね」

 

 カラカラとした笑いには少しだけ寂しさが込められている。この様子では後を託す者はまだ見つかっていないらしい。

 湿っぽい雰囲気になってしまったのを察して、カナリアはまだ負傷者が居ないか見回りに行くと立ち上がる。若い二人も放ってはおけないので追従して、三人は今一度血生臭い戦場へと戻った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話 若き英雄

 

 

 小雨の上がった戦場をカナリアはグロースとフェンデルを伴ってふらふらと歩いている。

 傍から見れば年老いて呆けた老婆を心配して、孫二人が付き添っているようにしか見えない。

 もちろんそんな事は無く、カナリアは生存者を探し、死んでいた場合は神官として簡単な弔いの祈りを捧げている。こうしておかないと、未練を残した死者の魂が不死者として起き上がり彷徨ってしまうので、疎かにするのはとても困る。

 後はエルフの二人が土の精霊に頼んで地面に穴を空けてもらい、そこに亡骸を入れて土を被せた。本当はもっと埋葬に手を掛けたいが戦場でそこまでする余裕はない。

 生き残った人類種連合軍の戦士達はこのまま勢いを駆って、魔人が支配する領域に進軍する手筈になっていた。

 連合軍の指導部はそれぞれの種族の王達を選出して、方針を立て、それぞれ調整や問題の仲裁を行っている。寄り合い所帯の連合軍には色々としがらみもあって、中々苦労が絶えないと噂を聞く。

 さもありなん。元より異なる価値観や文化形態を成す多くの種族を一つに纏めているのだ。問題の十や二十は余裕で出てくる。

 個人主義者の多い獣人族は個々の技能は優れているが集団の統制には向かず、士気は高くとも比較的緩い繋がりを保って纏まっているに過ぎない。

 かと言って集団を作る人族とて、諸王はそれぞれの猜疑心から後ろを気にして、総力戦を仕掛けるまでは至らない。魔人族から仕掛けられた戦でもあり、自衛の戦い以上の金や人を出し惜しみしている臭いも感じられる。ただし、軍に参加している兵の主力は人族が担っているので、発言力はそれなりにある。

 ドワーフは戦に意欲的ではあるが、彼等は人族以上に頑固で自分達だけで戦おうとして軍勢を組織している。もちろんギーリンのように、自ら他種族に混じって上手くやっている者も多いが、どちらかといえば少数派に数えられた。しかし連合軍で用いる武具の半分はドワーフが無償て提供したので、義理は果たしていると言えよう。

 そしてこの戦いに最も意義を見出し、戦いを主導するのがエルフ族だ。エルフにとって魔人族は不倶戴天の仇敵のようなもので、不死の魔人王アーリマの掲げる世界制覇の野望を挫くために、一騎当千の戦士達を各地に送り出して華々しい活躍を挙げている。

 若いエアレンド達もそんな同族の武勇伝を聞きつけて、ならば我々も、と無理を言って魔人との戦いに参加した。

 結果は散々なものだったが、それでも仲間に助けられて緒戦をどうにか生き延び、貴重な経験を得られた。戦士の多くが初陣で命を散らす事を思えば、武運は強い方だろう。

 今もまた祈りを済ませた若い人族の戦士の遺体を一人埋めた。自らもこうなっていたかもしれないと思うと身震いしてしまう。

 三人は戦場を巡り、一通りの埋葬を済ませた所で、フェンデルが戦士達が固まって遠巻きに何かを眺めているのに気付いた。

 

「何かありましたか?」

 

「あー、クソ外道の魔導師がいつもの病気になったのさ」

 

 グロースは牛人戦士の返事に既知感を感じて、彼の視線の先を追う。そこには昨日見た男の姿があった。

 

「あれはバグナスか」

 

「何だろう……肉を切り分けているように見える」

 

 種族的に視力の良いグロース達には、バグナスが何かの肉を切り分けて壺に押し込んでいる様子に見えた。

 フェンデルは嫌な想像が頭をよぎる。こんな戦場で狩りの動物を腑分けしている事はあるまい。何の肉を切り分けているか、大体の想像が出来てしまった。

 

「神官の婆さまの仲間なんだろ?ちょっと言って目立たない所でやるように言ってくれねえか」

 

 強面の猿人戦士がカナリアに頼む。厳つい顔に似合わない穏当で紳士的な対応だった。

 仲間の事もあり、頼まれた以上は応えねばならないので、三人は万遍の笑みを浮かべて肉の解体作業をしているバグナスの元へ行き、カナリアが水筒の水を彼の頭にぶっかけた。

 バグナスの手が止まり、至福の時の邪魔をされて笑顔から怒りに表情が変わっても、振り向いた先にカナリアの皺だらけの顔が見えて、ちょっとバツが悪そうに目を逸らした。

 

「バグナスや、前にも人目のある所でそれはやっちゃだめと言ったわよね。約束をもう忘れちまったのかい?」

 

「いや、これはだな……鮮度が命だから手早く処置しないとと思って………分かった、悪かったよ!!」

 

 先程の悪の魔導師然とした不気味さをすっかり投げ捨てて老婆に謝る姿は、悪戯を咎められて必死に怒りを鎮めようとしている悪ガキにしか見えなかった。

 すっかり毒気が抜けてしまった場で、フェンデルが恐る恐る腑分けされて、内臓及び眼球や脳を取り除かれた肉の残骸を見ると、所々に特徴的なヒレがあった。

 見覚えがあるヒレの付いた肉は、間違いなく自分やグロースを倒した魔人だったモノのなれの果て、という事になる。

 つまりあの魔導師は独力で自分達を容易く倒した魔人を討ち取ったのだ。

 

「どうした駆け出しエルフ、そいつに興味を持ったのか?」

 

「えっ、いや、なぜ魔人の肉を切り取っているのかと思って……」

 

「おー!それはだな、こいつら魔人の臓腑や神経は質の良い魔道具の材料になるんだよ。特に俺が研究している生体兵器の命令伝達系に使用すると、明らかに反応速度が速くなったり、複雑な命令も理解する判断力が高まってな。他にもゴーレムの動力炉なんかに使う珠玉は、こいつらの心臓を加工したモノにすると、魔人が固有に持つ念動力や魔法に近い能力を発現させる事も分かってるんだ!いやー魔人ってのは結構利用価値のある良い生物だぜ!!」

 

 相手が興味を持ったと思って、バグナスは大喜びで自分のやっている事をまくし立てて、勢い余って切り取った魔人の脳や心臓を見せつける様には、少し尊敬してたグロース達も呆れ返った。

 彼は戦友に囲まれていても、理解者には恵まれていないと二人は察した。

 

「いい加減およしなさい、バグナスッ!」

 

「分かった、分かった!そんなに怒るなよ」

 

 カナリアに怒られて渋々臓器を壺に戻して、壺も全て羽織ったマントの中に放り込んだ。

 取る物を取り終えた魔人アンタレスの死体は、流石に敵とはいえ皆が気の毒に思い、略式ながら手順を踏んで葬られた。

 こうして戦場での簡単な葬儀を済ませていると、エアレンドやギーリンと合流した。

 エルフの三人は互いに初戦を生き延びた事を喜び、同時にギーリンやカナリアに助けられて生き残れたと知って、それぞれ礼を述べるが、二人は戦友を救うのは当たり前の事だと言って、礼を受け取らなかった。

 さらにシングとレヴィアの負傷コンビもやって来て、互いの無事を確認した。

 右肩の折れたシングはすぐにカナリアに治療を頼む。

 もう一人の焦げの目立つレヴィアは随分と不機嫌なまま、杖を手にバグナスへと詰め寄った。

 

「こぉらぁ陰湿バグナス~ッ!!よくも不良品の杖をボクに渡したなっ!!雷がめっちゃ痛かったぞ!」

 

「あ~?お前出力調整せずに最大威力でぶっぱなしたんじゃないのか?そいつは軽く使うだけなら、ちょっと痺れる程度で済むように作ったんだぞ」

 

「なーんだ、そうだったんだ………ってどっちにしてもボクが痺れたらダメじゃん!!」

 

「いいじゃねえか別に。エンシェントエルフは頑丈なんだから、ちょっとぐらい痛いのは我慢しろ」

 

 まったく悪びれないバグナスに、レヴィアは怒り心頭で杖を向けてか細い雷を放った。何だかんだ言っても仲間に全力で攻撃はしないし、確かに威力を落とせば自身が喰らう痛みはかなり弱まった。

 そして雷を受けたバグナスは何ともなく、反対にレヴィアをせせら笑う。

 

「俺が対策を何もしてないと思ったのかよ。雷避けの魔道具はちゃんと用意してあるぜ」

 

「へぇ、じゃあこれならどうだ!」

 

 そう言ってレヴィアは杖をふんぞり返った陰湿魔導師の腹に叩きつける。物理攻撃には対応していなかったバグナスは膝を着いて咳き込んだ。

 この醜態にはエアレンド達が仲裁すべきではないかとギーリンに提案しても、彼はよくある事だと軽く流してしまう。

 よくある事で済ましてしまうのは流石に無いと思っても、頭目のシングや最年長のカナリアも止めもしないので、結局見ているしかない。

 まだ若く、生まれ育った森を出て間もない三人のエルフにとって、世界とはかくも未知に溢れていると実感した一日だった。

 そしてこれは彼等にとって三千年もの間、決して忘れられない、五人の英雄達のまだまだ未熟な時代のワンシーンでもあった。

 

 

「これが我々の初陣であり、戦争を終結に導いた英雄達との最初の出会いでもあった」

 

「魔人を討つと息巻いていた私達の鼻っ柱は簡単にへし折られてしまったが、代わりに素晴らしい戦友と巡り合った」

 

「今となっては何もかもが懐かしい」

 

 エアレンド達の言葉で昔語りは一旦締められた。

 カイルは数千年前の伝説の出来事を当事者の口より直接語られて、興奮を隠せない。村人の大半は既に聞かされた話なのか反応が薄いものの、初めて聞く若いエルフはカイルと同じように目を輝かせて、老人のお伽噺を食い入るように聞いていた。

 ヤトとクシナもご馳走を食べながら饗宴を盛り上げる演目程度に、老人たちの昔語りを楽しんで聞いている。

 ロスタはというと、最初は給仕を担っていたのに老人の話が始まった頃には微動だにせず、ただ話に聞き入っていた。さしものメイドゴーレムも創造主の情報となると、優先順位が変わるらしい。

 そして今宵の昔語りはここで終わり、続きはまた明日の夜に持ち越しとなった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話 哀歌

 

 

 カイルの生まれ故郷に逗留して、既に二ヵ月が経っていた。エルフの森は常春の気候を維持しているので分かり辛いが、暦の上ではそろそろ春が訪れる時期になっている。

 片足を除いて骨だけになったヤトの手足も、既に九割近く元通りに再生した。残りの一割は二ヵ月以上碌に剣を握らなかった間に鈍ってしまった分である。

 だからここ最近は昼間をほぼ鍛錬に費やして、元の精妙な技量に戻そうと地道なリハビリを続けている。

 カイルも日々エルフの長の一族としての格式張った教育を受けている。若干スケジュールが詰め込み気味だったので、やや辟易していていた。

 元より彼は盗賊として教育を受けていたのもあって、どちらかと言えば自由な気風を好む。そこにいきなり話し方を変えろとか、詩を読み上げる時間は結構な苦労だろう。

 幸い楽器の扱いはロザリーやギルド員から手ほどきを受けていたため苦にならず、勉学の合間の貴重な息抜きになった。

 故郷に帰れたのは嬉しいが、既に自由気ままな生活と、仲間との冒険が恋しくなり始めていたカイルだった。

 尤もそれだけの理由で家出するつもりはない。それに夜にはまた祖父や老エルフ達の昔語りが楽しみだったので、まだまだ村を出ようとは考えていない。

 この一ヵ月毎晩当事者から語られる、三千年前の≪アーリマ戦役≫の話は極めて貴重だ。それを放棄してはあまりにも勿体ない。

 エアレンドは外で育った孫の気質をよく理解している。自由で刺激に満ちた森の外へまた出て行かないよう、引き留めているのだろう。だから一度に語り尽くす事はせず、毎晩小出しに話を聞かせていた。

 森を出た三人の駆け出しエルフの初陣話を皮切りに、伝説として語り継がれる逸話は素晴らしいものだ。

 外法により巨大化した砦ほどもあるカエルとの戦い。

 魔人王が飼っている百体の幻獣を相手取った湿地の会戦。

 魔人と邪妖精の大軍勢との戦いで壊滅的被害を受けつつも、決して諦めずに再起を図った誓いのシーン。

 海に潜む巨大な海獣とその一族を味方に引き入れるべく向かった、絶海の孤島への心躍る冒険。

 劣勢を覆す起死回生の一手として、高位神官の命を賭した神降ろしの儀により降臨した『戦と狩りの神』による逆転劇。

 一つの国を滅ぼし、玉城に居座った魔人達から故郷を奪還しても晴れなかった亡国の王子の悲しみ。

 両陣営に味方した古竜同士の人知を超えた大激戦。

 単なる自慢話とは異なる、勝利の喜びと敗北の痛み。勝てども決して還ってくる事の無い戦友への哀悼。普通では絶対に築く事の叶わない特別な絆で結ばれた日々。

 それら全てが老人達のかけがえのない青春の一幕であり、苦い別離の記憶でもある。

 そうしたお伽噺も全ては過去の出来事。『アーリマ戦役』が人類連合軍の勝利に終わった結末が既に知られているのだから、いずれ終わりは訪れる。

 

 

 日は沈み、闇が主役となる刻限。空には満点の星空が顔を出し、もはや村の日常と化した饗宴と夜の昔語りが始まる。

 篝火の横に並べられた山川の多彩な馳走に、クシナは遠慮無しに手を伸ばして、果汁のタレを付けて香ばしく焼いた鯉にかぶり付く。

 古竜として永遠に近い命を生きる彼女にとって、エルフの昔話など大して興味は無い。あくまで美味い食事を出してくれるから顔を見せているに過ぎない。

 そんな性格だから人類種と魔人族の生存競争に関心も無く、ただ食っちゃ寝の生活を数万年も続けていられた。

 だからこそ只の人でしかないヤトが、彼女に並々ならぬ情愛を抱かせたのは、稀有な出来事と言える。

 ただ、強いて言うなら彼女も竜と人の間に生まれた古の戦士シングには、少しばかり関心を持たずにはいられない。己と伴侶のヤトにも彼のような強い竜人が生まれるのなら、それは歓迎すべき事実である。

 クシナが焼き魚を一匹食べ終わる頃、これまでと同様に三人の老人が今日は何を話すかを相談していた。

 そこにカイルが前から疑問に思っていた事があると前置きをして、エアレンドに質問した。

 

「前から思ってたんだけど、魔人の王は『不死王』って呼ばれてるけど、三千年前に倒されて人類側が勝ったんだよね?」

 

「ふむ……やはりそこに気が付いたか」

 

「実は凄くしぶとかっただけなのが真相だったり、特殊な仕掛けで不死になってただけとか?」

 

 孫の追求にエアレンドは何も返さず、ただ隣に座る二人の親友の顔を交互に見て、さらにロスタの水晶の瞳をじっと見つめた後、小さく溜息を吐いた。

 三人の端麗でありながらも皺の刻まれた相貌には、深い悲しみの色がありありと見える。

 

「我々は直接『魔人王』の死を見ていない。しかし彼奴がどのような最期を遂げたかは知っている」

 

「そう、あの五人の英雄――――いや、四人から直接聞いた」

 

「彼等は確かに魔人王アーリマの野望を打ち砕き、世界に平和をもたらした。それが事実だ」

 

 鉄のような重く苦しい声に乗って、決して英雄譚と呼べない哀歌が紡がれる。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話 魔王を討て

 

 

 世界を手中に収めようと戦いを始めた魔人族と人類種連合軍の戦いは既に五年を数える。

 その間に両者は休むことなく熾烈な戦いを続け、誰も彼もが戦いと無関係にはなれず、ヴァイオラ大陸全土は麻のごとく乱れた。

 むろん人類種の指導者達は精力的に働き続けた。当初は種族や国家同士の戦に対する認識の隔たりによって、義勇兵のみが魔人族と戦っていた。

 しかし魔人の被害が後方にまで波及し始めた頃に、ようやく連合を組んだ種族および国家が総力戦へと移行した。

 兵が増えればその分だけ戦線に余裕は生まれる。同時に戦死者も加速度的に増え続け、労働に適した若者が町や村から減っていく。それが数年も続けば、人口も無視できないほどに目減りして経済活動は滞り、治安が悪化して、明日への希望が失われる。

 それだけでなく、戦争が始まってから国家そのものが滅び去った事は一度や二度の事ではない。もはや魔人と人類種の戦争は、食うか食われるかの生存競争になりつつあった。

 よって指導者達は、可能なら余力のあるうちに魔人族との戦いを終わらせるべく策を講じた。

 

 

 魔人族の覇道に抗するべく立ち上がった人類種連合軍第三軍の拠点に、伝令の竜騎兵一騎が空より降りたのをエアレンド達は確認した。

 初陣で辛くも命を拾った頃から既に四年が経ち、あれから多くの戦を経験して、そのたびに多くの事を学んで、三人は心技体ともに強くなった。

 エンシェントエルフゆえに数年程度で肉体的な成長は無くとも、その顔は精悍になり、纏う雰囲気は歴戦の戦士と遜色のない重厚感を得ている。

 

「あの竜、連合軍円卓議会の旗だった」

 

「それも緊急用の赤布か。単なる戦勝祝いの伝令には見えないな」

 

「議会が魔人の襲撃を受けて壊滅なんて話じゃなければ良いけど」

 

 フェンデルの後ろ向きな発言を二人は否定しない。前に見た緊急用の伝令は第四軍壊滅の報で、もうひとつ前のは国一つが滅んだ知らせだった。

 五年の戦いにより現在、連合軍は魔人軍相手に何とか優位を保っている。魔人族の領域を数多く奪い、幾多の魔人の首を得た。一度は魔人の王『アーリマ』に手傷を負わせて撤退させたこともある。

 その代償にかつては七つあった軍団が三つ壊滅して、四つの国を滅ぼされて、数十の都市を地図上から消されても、議会の公式発表では優位である。

 いささか欺瞞ではあるが正直に劣勢と言って士気を下げるのは賢いとは言えまい。小細工だろうと必要とあらば、恥も外聞も無く手を打つのが為政者の仕事だ。

 エアレンドも族長の子として、いずれ似たような問題に直面する事があるかもしれない。その時のために色々と学んでおくのは決して無駄ではなかろう。

 とはいえ今の彼は軍団の中のただのエルフ戦士でしかない。先程の伝令の持った筒の中身を知る権利は無く、戦略に口を出す機会すら無かった。

 それで去就を心配するような事は無い。あの金髪青眼の軍団長が戦場で後れを取りはすまい。

 所属する第三軍の軍団長は人族の貴族だ。名をミューゼル。貴族と言っても小さな領地を持つ貧乏領主の子息で、この戦で名を上げてもっと大きな領地を得ようとする、功名心に溢れた若者だ。

 もちろん野心に見合うだけの実力は十二分に備わっている。雑多な連合軍の癖のある輩の力量を把握して、戦場で適材適所に投入しては、少ない被害で勝利をもぎ取ったのは両手で数えるより多い。

 突出した才能は指揮官としての采配だけでなく、個人の戦闘力もトロル二体を同時に相手取って苦も無く勝つ。魔人と単騎で戦うのは厳しいが、十分一流と言って差し支え無かろう。

 もう一つは彼の言葉には、不思議と頼みを聞いてやりたいと思わせる魅力が籠っていた。最初は反発しても、最後は渋々ながらも言う事を聞いてやろう。そのように思わせる、何か説明の難しい力が備わっている。

 だから第三軍の誰もが彼の下で戦う事を厭わない。エアレンド達やあの竜戦士の一党も、戦場でのミューゼルには全幅の信頼を寄せていた。

 

 

 円卓議会の伝令が来た翌日。第三軍は駐屯地を引き払い、現在は西に向けて進軍を始めた。

 軍隊が移動する理由はそう多くない。戦いに行くか、逃げるか、基本はその二択だ。第三軍は前者だった。

 西を目指して歩き続ける戦士達の士気は極めて高い。ただ闇雲に西に足を向けているわけではない。昨日のうちに軍団長ミューゼルより、進軍の目的を全員に通達していたからだ。

 一部の気の早い戦士の中には、もう雄叫びを上げて戦意を鼓舞する者、戦の展望を語る者も居た。

 

「俺、この戦いが終わったら、故郷で待たせている女に求婚する」

 

「私は残してきた子や妻に、うんと父親らしいことをしてやりたい」

 

「俺は剣を置いて、牛を飼って静かに暮らそう。もう戦は飽きた」

 

 行軍の最中に戦士達はそれぞれの思い描く未来を語る。

 そう、戦の終わりだ。戦士達は戦の終結を明確に意識した。

 これまで魔人族との戦争が終わったら、という話は多くの戦士が幾度となく語った経験がある。しかし今日ほど強く戦いの終わりを意識した事はかつて無かった。

 彼等の意識に変化が現れたのは、早朝に行われたミューゼル軍団長の演説の結果だ。

 

「戦友諸君!ついに円卓議会は魔人との戦争に終止符を打つ事を決定したぞ!全ての軍団は大陸各地で魔人を殲滅すべく、大攻勢をかける手筈になっている。そして我々の進軍先は、あのバアルの地だ!!知っている者も居るだろうが、かの地こそ不死王『アーリマ』の居城のある地。そうだ!!我等はあの魔人王の首を獲る栄誉を賜ったのだ!そして議会は魔人王を倒した暁には、望みの褒美を約束した!!我が友よ、誉ある戦いをしようじゃないか!!」

 

 この演説により第三軍の戦意は頂点に達した。彼等も不死身の魔人王への恐怖はある。それでも戦友達と共に最強と恐れられる魔人と戦える喜びと誉の方がより強い。

 むろんエアレンド達とて臆するような真似はせず、隣を歩くシングの一党の顔に恐怖は見られない。普段落ち着きのないレヴィアも、この時はだんまりを決め込み、五人全員が何かを覚悟した顔立ちになっていた。

 昼食のために三軍は一度休息を入れた。エアレンド達はシングに誘われて、カナリア手製の昼食を八人で馳走になった。

 相変わらず美味い食事を食べ終わってから、シングが声を落としておもむろに話を切り出す。

 

「実は拙者、昨夜遅くに軍団長殿に呼ばれて、そこである頼み事を承りました」

 

「それは?」

 

「我々の一党は独自行動を取って『不死王アーリマ』を討てと」

 

「えっ、いや、だが第三軍の総戦力は……」

 

 グロースの疑問は尤もだろう。今この瞬間に魔王領に進軍する我々で魔王を討つと聞かされたばかりだ。

 フェンデルはもう少し思慮深く、その言葉の真意を考えて、ある程度形になった意見を口にする。

 

「第三軍が領内に侵入すれば、魔人は纏まった戦力で迎撃をする。魔人王がそれらを率いて城から出てくればそれで良し。出てこなければ、少数で手薄になった城に潜入して討つ。よもやそういう策なのですか?」

 

「大雑把に言うとそんな感じだね。前にボク達がアーリマと戦って勝ったし、決着をつけて来いって事かな」

 

「ありゃ勝ったというより、向こうが見逃したんだぞ、鉄板よぉ」

 

 ギーリンの鉄板発言に、レヴィアは彼が頑張って伸ばした髭を引っ張って抗議する。エアレンドは相変わらず仲の良い事だと思った。

 両者の主張はやや食い違うように思われるが、実際は共に間違っていない。

 一年前に魔人族の王アーリマが人類連合軍と剣を交えた事がある。その時にシング達も魔人王と戦い、多少の手傷を負わせた。

 ただ、致命傷とは言い難かった。反対に連合軍の方が多大な犠牲を支払っており、そのままアーリマが攻め続けたら全滅していたと、誰もが気付いていた。

 なぜアーリマが途中で戦いを切り上げたのか知らないが、円卓議会はこの事実から都合の良い部分だけを抜き取って、不死の魔人王を逃げ帰らせたと盛んに喧伝した。

 目論見通り、連合軍の士気は目に見えて向上して、戦も幾らか優位に運ぶようになったのだから、間違った策ではない。

 それでも王を倒さねば戦は終わらない以上、どこかで魔人王を討つ必要がある。敵の王が軍を率いて出てくれば戦場で討ち、出てこなければ手薄になった城へ赴き討つ。それが今回の軍の一斉攻勢と、アーリマを討つ策なのか。

 

「どっちにせよ負けっぱなしは格好が付かねえんだから、雪辱戦は望むところだ」

 

 普段陰湿な雰囲気を纏うバグナスに似合わない、熱の込められた宣言にシングも大きく頷く。

 

「それで、そんな重大な役目をなぜ私達に教えたんだ?」

 

「そりゃあ、あんた達にも手伝ってもらいたいからだよ。城から大勢出払っても、留守を任された魔人だって、多少は残ってるはずだからねえ」

 

 カナリアの返答にエアレンドは一応納得した。

 三人は初陣から五年間で見違えるほどに強くなった。今では単騎で魔人に勝てるほどに強く、息の合ったコンビネーションで倍の数の魔人を倒す事も何度か経験している。おまけに斥候としての能力にも秀でている。敵地への侵入には単純な強さよりも優先される技能だ。それゆえのご指名というわけだ。

 

「拙者達に手を貸してもらえますかな?」

 

「「「無論です!!」」」

 

 一党を代表して頭を下げたシングに、三人は間髪入れる隙もなく了承した。

 純粋にこの英雄たちに頼りにされている。エアレンド達はそれが嬉しかった。

 

 

 その後、八人は行軍中にひっそりと独自行動に移り、第三軍から行方をくらました。

 元より目立つ八人の姿が見えない事は、軍の戦士達もすぐに気が付いた。

 決戦を前に臆して逃げたと言う者も居たが、多くは何か理由があって別行動を取っていると感づいて、声高に語る事はしなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話 決戦の舞台裏

 

 

 人類種連合軍から離れた八人は、魔王領バアルを慎重に進み、今はまばらに岩の転がる丘にいた。高所は景色がよく見えて気分が良い。

 これまでに五日をかけて敵地を踏破して、どうにか一人も離脱者を出さずに済んだのは実力があっての事だが、運を味方に付けられたのが大きい。

 道中は無人の荒野というわけではなく、日に数度は巡回するオークやゴブリンから身を隠した。避けられぬ時には、音も無しに亜人を殺害して事なきを得た。

 これが人族であったら、交代の時間になっても姿を現さない同僚を不審に思うが、知性と秩序に欠ける亜人なら、どうせ怠けていると思われて放っておかれる。

 そういう意味ではゴブリンなど巡回も出来ない種族なのだが、わざわざ魔人が見回りをするのは数が足りないし、直接的に戦う方が効率が良い。

 結果、優れた斥候技能を持つ集団は、警戒はしてもある程度安全の保障された行軍により、魔人王の居城を視界に納める距離にまで接近していた。

 その八人は火を焚かないよう、保存用のパンと干し肉で腹ごしらえをしながら、丘の対面に鎮座する、小さな丘の上に築かれた白亜の城を観察する。

 

「どんな醜悪な城かと思ったら、魔王ってのは案外、人と美観が変わらんらしい」

 

「想像よりだいぶ小さいが、中々に作り込まれた良い城だの。まあ、戦うための城ではないようだが」

 

 バグナスの拍子抜けした感想に、ギーリンが城の造詣に深いドワーフとして一言付け加えた。

 眼前の城は一面大理石で築かれており、屋根が丸いドーム状の型式を除けば、人族が築くような城と大差が無い。

 城を囲むような外壁は無く、代わりに水堀があるだけ。二階のテラスには緑の生い茂る庭園が設けてある。

 ギーリンの言う通り攻城戦を想定した造りでもない。大きさも中規模で、どちらかと言えば王の居城というより、避暑地の離宮のような城に見える。

 こうした攻城戦を考慮しない造りは、魔人族にはさして珍しくない。彼等にとって己自身の強さこそ最も信頼出来る拠り所だ。堅牢な城で過ごしたところで安寧は得られない。

 城は強さと権威の象徴にあらず。人族のように下位の魔人や亜人を従えるような心理的効果は無い。

 だからあの白い城は純粋に住みやすい住居として建てられたのだろう。

 

「問題はあの城に魔人王がちゃんと居るかどうかだよ。ここまで来て留守は、ちょっとガッカリするさね」

 

 カナリアが外見上最年長者として、これまでの行軍で酷使した腰を叩いて、起こりうる可能性を指摘する。

 一大決戦と勇んで城に行っても、肝心の魔王が居なかったら拍子抜けどころの話ではない。

 一応ここに来るまでに、第三軍を迎撃に向かう魔人の軍勢とすれ違い、そこに魔人王アーリマが居ない事は確認した。

 別の場所に出かけていたら、もうどうしようもない。そうなったら最悪、城だけ完膚なきまでに破壊して、魔王城を落とした事実を掲げて人類種の士気を上げる次善策に切り替えるよう、第三軍長ミューゼルに命じられていた。

 

「神官殿の指摘は杞憂ですな。拙者には、あの城から魔王の息遣いが感じ取れます」

 

「シングの直感を疑うわけじゃないけどホントに?」

 

 レヴィアが半信半疑とばかりに、リーダーの厳つい竜頭を覗き込む。

 頭ごなしに否定しないのは、ここの一党がシングの直感に危機を脱した事があるからだ。卓越した戦士の勘は笑って流せるほど軽くは無い。

 それに一党は一度アーリマと交戦経験があり、シングはその時に瀕死になりながらも、魔王に傷を負わせた。何かを感じ取っている可能性はある。

 いずれにせよ、城に乗り込まねば始まらない。エアレンドは城に魔王が居ると仮定して、仲間と共にこれからの段取りを決めていく。

 

 

 一時間後、段取りと準備を終えた八人は二班に別れた。

 外に留まって陽動を仕掛けるのがエアレンド、グロース、フェンデルの三人。城に潜入して魔王の首を獲るのはシング達五人の担当だ。

 城の規模からすると、さして多くの魔人は残っていないだろうが、それでも魔王と戦うまでは出来る限り戦闘は減らしたい。よって三人が外で騒いで、留守を守る者の注意を引き付けねばならない。

 

「さて、我々も出来る事をやろうか」

 

「信頼して任された以上は報いよう」

 

「共に勝利と栄光を!」

 

 三人のエルフはそれぞれの拳を合わせて武運を願う。

 手始めに周囲に居る草木の精霊に頼み、背丈が五倍程度の木人形を一体作り出す。

 一体しか作らないのは、この辺りは魔人の領域ゆえに精霊がかなり少なく、三人がかりで協力してやっとだから。

 さらに作った木人形の手に人の頭ほどの石を持たせて、城目がけて石を投げた。

 石は遠く離れた城の壁に当たって跳ね返って、ゴロゴロと転がる。

 

「流石に魔人王の城となると石程度ではビクともしないか」

 

「どうせ私達は陽動だ。嫌がらせ程度でも、こちらに注意を向けさせれば十分さ」

 

「周囲の警戒は私がやっておくから、どんどんやってくれ」

 

 弓を構えたエアレンドが周囲を警戒して、二人は木人形に命じて嫌がらせのような投石を続けた。

 投石が十を数えた頃、城で大きな動きがあった。

 城から数百は居ると思われる、黒くヌラヌラした毛並みの魔犬ガルムと共に現れた、三つ首のケルベロスに跨った烏賊面の魔人が三人を睨みつける。

 

「貴様らか!!魔王様のおわす城に石を投げる不届き者がっ!今更命乞いしても、このタルヴィードが絶対に許さんぞ!!」

 

 魔人の怒声が三人の耳にまで届いた。エアレンド達にとって狙い通りの展開になったが、アレが居残りの全軍かどうかは怪しい。

 もう少しつついて増援がいるかどうか確かめるために、さらに石を二つ三つ投げて、庭園と林立する像の一部を壊した。

 無視された挙句に大事な城を壊されたタルヴィードは怒り心頭だ。もはや言葉は無用と悟り、統率の取れた魔犬軍団を突撃させる。

 数百匹のガルムを見ても三人は慌てたりしない。投石機としての役目を終えた木人形に火を付けて突撃させて、手当たり次第にガルムを蹴り飛ばし、燃やして怯ませた。

 それでも単なる薪が動いているだけでは魔犬を数頭倒すのが精々だったが、人形はあくまで時間稼ぎと目くらましに過ぎない。隙を晒した犬の頭に矢が刺さり、二十頭近くが即死した。

 さらに地面から草が伸びて動きを止め、半分以上体の燃えた木人形が倒れたため、運の悪いガルム十頭以上が下敷きになって圧死した。

 何もしないうちに一割が死に、不甲斐ない猟犬を罵倒したタルヴィードが一瞬目を離せば、既にエルフ三人は忽然と姿を消していた。

 次の瞬間、石の杭が地面から生えて、何頭ものガルムの腹を突き破った。さながら百舌鳥の餌のような串刺しだ。

 また別のガルムは唐突に平原が沼地に代わり、パニックを起こして何も出来ないまま沈んだ。

 

「臆病者のエルフめ!姿を見せて堂々と戦え!!」

 

 タルヴィードの言葉に従ったのか、彼の騎乗するケルベロスの首三つを、三人が同時に矢で射抜く。

 即死したケルベロスの上に乗る烏賊魔人に、嘲りにも似た笑みを向ければ、触手を震わせて自ら突撃を敢行した。

 ここで突然エアレンド達の姿が消え、暫くするとそれぞれ離れた場所から現れて、ガルムを次々殺してはまた消えてしまう。

 度重なる撹乱に心を乱されたタルヴィードは体色が真っ赤に変わり、地団駄を踏んだところで状況は好転しない。

 戦場で大きな隙を作れば、次に来るのは敵の無慈悲な攻撃しかない。触手や胴体に矢が何本も突き刺さって、青い血を流した。

 そして魔王城の方から轟音が鳴り響き、何故か地中から空に向かって太い光の柱が登っていき、光から巨大な球体が生まれて消える、不思議な光景が見えた。

 

「あれは!?まさかこいつらは陽動で、敵は既に魔王様の所に!!」

 

 一瞬で血の気が引いたタルヴィードは矢を全て引き抜いて、突然姿を消してしまった。

 エアレンド達は空の光珠に気を取られ、魔人が消えても再度思考を巡らせるのに数秒を擁する下手を打った。

 あんな魔人でも魔王の元に居たら戦友達の邪魔になる。この場で確実に殺さないといけない。

 三人は急いで魔人の居た場所に行き、邪魔なガルムを殺しつつ何かしらの足跡を探す。

 幸い烏賊魔人は出血が酷く、血を辿れば捕捉は容易い。おまけにここは平原で、歩けば草も倒れるから、エルフにとって見えているのも同然だ。

 グロースは弓の弦を引き絞り、血痕と城の方角に倒れる草の先、魔人の背に矢の狙いを定めた。

 限界まで力を溜めた指から矢が放たれ、風に乗り、見えずとも鏃が魔人の背を貫いた感触を得た。

 魔人がどれだけ強くとも、戦場で背を向ければただの的にしかならない。彼なりに魔王への忠節はあったのだろうが、今回はそれが裏目に出たと言うべきか。

 ともあれ敵は減らした。後は時折、城の地下から昇る光を警戒して、魔犬どもを確実に減らしていけば良い。爆音や地震が度々起こっているのも気になるが今はそちらに気を回している余裕はない。

 それに三人は周囲で威嚇するガルムの唸り声以外に、音が増え続けるのを察知した。

 周りを見渡せば城のある西以外の北、南、東の三方を囲むように亜人が展開している。

 

「ふん!タルヴィードは討たれたようだな!」

 

「仕方あるまい。奴は海魔四天王の中でも最も格下!!」

 

「たかがエルフにやられるとは魔人の面汚しよ!」

 

 亜人の先頭に立つ三人の魔人らしき者がたった今討ったタルヴィードの死体を見て、何か格好をつけている。

 蛸っぽい顔と何本もの触手をうねうねしている魔人、ヒトデのような触手を持つ魔人、何かよく分からない太いミミズのような頭の魔人だ。

 

「あれも一応魔人でいいのか?」

 

「海魔って言ってるから、あのミミズみたいなのは海鼠や雨虎なのかな」

 

「亜人を率いているから敵だ。二人とも油断しないように」

 

 内陸で見かけるのは珍しい海洋系魔人の姿に、気の緩んだ二人をエアレンドが締め直す。

 魔人を一人討ったとはいえ、残り二百頭のガルムに、ざっと三百は居るトロルやオークと三人の魔人が追加された。

 依然として多勢に無勢は変わらない。しかし彼等は逃げる素振りや怯えた様子を見せない。ここで足止めしなければ、大切な戦友達の邪魔になる。例え命を落とそうとも、ここを譲るつもりは欠片も無かった。

 三人はこの場所を死地と定めて矢を番えた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話 伝説の英雄

 

 

 魔王の城の奥に夕陽が沈む。無防備に這いつくばったエルフの戦士達は、まるでこの世の黄昏にも見えて、二度と見られないかもしれない夕陽の美しさに心を打たれた。

 先程まで死闘を続けて、足の踏み場も無いほど死体が転がる中で、三人は生涯最高の充足感を得ていた。

 城から出てきた魔人の一人を討って、残るガルムに百頭と駆けつけた三人の魔人が率いる亜人数百体との連戦に突入した。

 三対五百以上の多勢に無勢の極みとあっては、エアレンド達も死を覚悟して、ただただ敵を殺す事のみを考えて戦い続けた。

 そして日が沈む頃には、この近辺に立つ者は誰一人として居なくなっていた。

 三人の魔人族は骸を晒し、ガルムはほぼ全て殺し尽くした。亜人達は半分が死に、残りは支配者が死んだため恐怖に駆られて逃亡した。

 勝者となったエルフの勇者達は、体中の至る所に傷を負ってはいても、致命傷を受けていないし、まだ自分達が生きているのを不思議に思う。

 

「あれだけ絶望的な戦況でも意外と死なないものだ」

 

 エアレンドの言葉に二人も同意した。勿論服の下にミスリルやオリハルコンの防具を着込んで可能な限り防御力を高めてあったが、それだけで勝てる程魔人は甘くない。

 それでも生き残れたのは、彼等もシング達に準ずる類稀な戦士に他ならない。

 今は体力を限界まで使い果たして、起きるのも億劫だから転がっていても、暫くすれば歩ける程度に回復するだろう。

 後は城の方がどうなっているのか気になった。

 先程まで死闘に明け暮れて、地響きや地より湧き上がる光がぷっつりと途絶えているのに、今まで全く気付いていなかった。

 アレがシング達と魔人王の戦いの余波なら、途切れたという事は雌雄は決したはず。

 

「彼等はどうなったのだろう」

 

「私達が生きているんだから、きっと魔人王を討ったに違いないさ」

 

 フェンデルの疑問を、グロースが確信をもって解いた。

 確かに魔王は強大で、噂通り不死身かもしれない。しかし、そんな化物とてシング達ならきっと討ち果たしてくれると信じていた。

 暫らくして日が完全に落ち、星が瞬く頃になって、城から複数の歩く人影が見えた。影の数は三つ。

 先頭を歩く竜頭が見えて安堵するが、影の数の少なさにエアレンド達の心臓が跳ね上がった。

 それでも落ち着いて再度確認すると、見慣れない巨大で凶々しい斧を持つシングの首あたりにしがみ付いているカナリアが見えた。

 バグナスはフラフラになって歩いており、隣にいるレヴィアを抱えたギーリンの姿と、所々破損が見える≪いくさ丸≫を確かめて、心底安堵した。

 三人はノロノロと立ち上がり、五人の真の英雄を出迎えた。

 

「その様子なら魔人の王は君達が倒したのだな」

 

「そう言って差し障りはありませんな。お三方も壮健で何より」

 

「君達五人の栄光は、我々と子孫がこの世の終わりまで語り継ごう」

 

「よしてくれ。俺は栄光なんて似合わねえから願い下げだ」

 

 バグナスが虫を追い払うように手を振って拒否の意思を示す。カナリアも憔悴した様子で、首を横に振った。

 次にエアレンドはギーリンと抱えたレヴィアを見た。あのやかましい同族の少女が一言も発しないのは珍しい。よほど疲れ切って眠っていると思ったが、彼女を抱いたドワーフがあまりにも悲痛な目をしているのに気付き、まさかと己の目を疑った。

 

「ギーリン、レヴィアは疲れて眠っているのだろう?」

 

「…………………」

 

「ギーリン!!なぜ黙っている!?」

 

「うるせえッ!!」

 

 堪らず詰めたエアレンドをギーリンが一喝して黙らせる。

 そしてエルフ達は、偏屈で粗野だが気の良い戦友のドワーフの瞳から大粒の涙が零れるのを目の当たりにする。

 彼等もギーリンの涙で全てを悟ってしまった。抱かれた少女がもう二度と眠りから覚める事は無いのだと。

 

「なんでこいつが死ななきゃならんのだ……そういうのは俺やシングの役回りだろ」

 

 魂を引き千切るように搾り出したギーリンの呟きを契機に、エアレンド達も同族の魂が既に大地へと還ってしまったのを嘆き悲しむ。

 七人はそれぞれの形で事切れたレヴィアのために悲しみを露にした。

 暫らくしてから、リーダーのシングがここから離れる事を提案して、全員が同意した。魔人王を討っても魔人族が死に絶えたわけではない。疲弊した状態で弔い合戦を仕掛けられたらひとたまりもない。疲れ切った足をノロノロと動かして復路を刻む。

 斥候役のエアレンド達が周囲を警戒しながら、一行は夜通し歩き続け、どうにか日が昇る頃には、行きの最後に野営した岩陰まで戻ってこられた。

 クタクタになった七人は交代で見張りをして、昼まで仮眠を取って疲れを癒す。そうしてまた黙々と歩き続けて、三日後には道程の半分を過ぎた。

 道半ばを過ぎれば少しは心身に余裕が出来る。四日目の夜営中、エアレンドは思い切ってシング達に、魔人王との戦いで何があったのかを尋ねた。

 

「………アレは、魔人王アーリマは真の意味で不死でござった」

 

「シンの字の剣や俺の槍で、何十回と心臓を潰して首から上を斬り飛ばしても死にやがらねえ」

 

「俺の数々の魔具や魔法で焼いて凍らせて腐らせても、数秒あれば肉体は元通りよ」

 

「私やレヴィアの魔法でも同じだったわ。与えた致命傷が百を超えてからは数えるのも止めたの」

 

「なら君達はどうやって不死の魔王を倒したんだ?」

 

 グロースの疑問は尤もだ。不死身の魔人とどれだけ戦っても死なないなら、倒せたとは言わない。

 その疑問にバグナスが陰鬱な笑みを張り付けて答えた。

 

「あの魔王が余裕ぶっこいて口を滑らせたのさ。『我が肉体は決して滅びぬ』とよ。つまりそれ以外の魂や精神はその限りじゃない。どうにか魂を壊せないか考えた」

 

「それで私が≪豊穣神≫の神託魔法で魂を攻撃したのさ。でも、やっぱり年寄りの弱った精神じゃダメさね。神器で強化しても、倒すには至らなかった」

 

「そしたらよ、レヴィアが言ったのさ。エルフの魂は他の種族の比じゃない強さだから自分がやる、ってな」

 

「だが、レヴィアはエルフの魔法使いであって神官ではないぞ。どうやって神託魔法を使った?」

 

 疑問を口にした途端、バグナスは酷く顔を歪めて事実を教えてくれた。

 彼が開発した≪魂砲≫と名付けた魔法を用いて、レヴィアの魂を砲弾に加工して魔人王にぶつけた、と。

 この回答には流石にエアレンド達も怒り、バグナスを罵倒した。彼は罵倒を甘んじて受け入れ反論しなかった。

 代わりにシングとカナリアがバグナスを擁護した。

 あの時はそれ以外に魔人王を倒す手段が無く、レヴィアを犠牲にしなければ、いずれ自分達が根負けして全滅していたと。

 

「むしろ私みたいな老い先短い年寄りが代わりに死ぬべきだったのさ!!なのにあんな若くて良い子が死ぬなんてっ!!」

 

「それを言うなら、頭目たる拙者こそ命を散らすべきでした。辛い役目を負って頂いた魔術師殿の代わりに、至らぬ拙者を責めなされ」

 

「変に庇うんじゃねえよ二人とも。興味本位であんなクソッタレな呪法を編み出した俺が悪いんだ」

 

 バグナスは死人のような生気の無い顔で、ひたすら己を責める言葉を呟き続ける。

 その姿を見て、エルフの三人は罵倒を止めた。最も悲しみと怒りを抱いているのは彼自身だと気付いたから。バグナスにとってもレヴィアはかけがえのない仲間だった。

 

「それで、そのレヴィアの魂が決め手になって魔人王は倒れたと?」

 

「いえ、まだ魔人王は死んではおりませぬ。肉体から魂が弾き飛ばされたに過ぎなかったのです」

 

「ではその魂は一体?」

 

「そいつは俺の呪法で、別の入れ物に放り込んで封じてある。念のため魂を六つに分けてな」

 

 バグナスはそう言って懐から魔導書を取り出す。

 残りの五つはシングは愛用の赤剣、カナリアの神器の銀杯、レヴィアの使っていた珠玉の杖、ギーリンの≪いくさ丸≫、それとシングが持ち帰った斧だ。

 

「あの斧は魔人王が使っていた斧でして、非常に優れた魔法具でもありました」

 

「半端な入れ物じゃあ、魔人王の魂を縛り付けられなかったのと、万一逃げられたら困るんでな。使えるモノは何でも使った」

 

「そうか。魔人王の体は?」

 

「魂引っこ抜かれても、首を切ろうが心臓潰しても再生しやがるから、城の地下に放置した」

 

 出来れば肉体も何とかして封印したかったと悔しがったが、死闘を繰り広げて余力の無かったシング達は、やむを得ず魔人王の肉体を諦めた。

 それに肉体と魂を近づけておくと、バグナスもどうなるか分からなかった以上、二つを離しておくに越した事は無い。

 さらに念のため、エアレンド達には今教えた魂の封印は当面隠しておくように口止めをした。

 アーリマが倒されても、魔人族自体は滅んでいない。残党が王を復活させようと、六つの器を奪いに来るかもしれない。

 せめて器をバラバラに離して人知れず隠すまで、真相は闇に沈めておくのが賢明だった。

 

「そういう事なら今の話は、我々の先祖とレヴィアの魂に誓って千年は公言しない」

 

 三人は弓や剣を握り、硬く誓いを立てた。

 心残りはあれど、ともかく魔人との戦いが終局へと向かうのは朗報だ。

 残る大きな問題はギーリンだ。彼はこの四日間、まともに話もせず、ただレヴィアの亡骸を抱えて歩き続けた。

 一応食事はするし、睡眠も執っているように見えるが、何よりも好きな酒に一切手を付けていないので、皆彼を心配していた。

 そんな彼が翌日の朝食の時に、ポツリポツリとエアレンド達に話しかけた。

 

「この鉄板娘をこのままにしておけねえ。エルフの弔い方を教えてくれねえか」

 

「あ、ああ。そうだな。その方がレヴィアも安らげるだろう」

 

「本当ならよぉ、西の生まれた森に帰してやりてえ。でもそこまで待ってたら身体が腐っちまう。そいつは幾らなんでも可哀そうだ」

 

 ギーリンの提案に異論をはさむ者は居なかった。

 食事を終えた七人は、近くの小さな森の奥に、レヴィアの亡骸を運んだ。

 エルフは森で生まれ、森に還る。だから埋葬場所も森だ。

 木々の少ない少し開けた場所に穴を掘り、亡骸を入れた。人族のように棺は使わない。副葬品の類も入れない。

 エルフにとって授かった命を森に還すだけだから、土を被せて上に拾った木の実を蒔いて終わりだ。

 後は木の実が遺体を養分にして、百年かけて大樹を生やす。こうして命を巡らせて世界を維持するのがエルフの死生観だった。

 埋められた仲間に最後の別れとして、シングとカナリアがそれぞれの信仰の形式で祈る。

 バグナスは祈る事はせず、一歩離れた場所で、ただ眺めていた。

 そしてギーリンは小さな酒瓶を墓前に置いた。

 

「お前、酒が弱いくせにこいつを飲みたがってたからな。全部やるから好きなだけ飲んで酔い潰れろ」

 

 言うべき事を言ったギーリンはさっさと森から出て行ってしまう。残った六人は咎めない。彼の頬を伝う涙を見たから。

 

 

 そして七人は第三軍の駐屯地へ帰還した。多くの義性を払い、魔人軍との決戦を勝利した第三軍は、軍団長ミューゼルから今回の戦の真の狙いと魔人王討伐の成就を聞かされた。

 戦士達は自分達が囮扱いされた事には複雑な反応を見せたが、多くは勝って戦が終わった事を喜び、シング達を称賛する声を上げた。

 一部は自分なら魔人王を倒せたと嘯いたが、ならばシング達以上に強いのかと問われると殆ど口を閉ざした。

 英雄への嫉妬も相応にあったが、七人全員が浮かれもせず、ただ静かに戦死者への鎮魂の杯を傾ける姿に毒気を抜かれた。

 その後、魔人王を討った四人は英雄として、各王から賞賛と山のような褒美を与えられた。

 しかしそれら全てを置いて、何も言わずに行方をくらませた。エアレンド達も何も受け取らず、早々に帰り支度を整えて故郷の森に引っ込んだ。

 地位と財宝に見向きもしなかったシング達を真の英雄として、人々は伝説として長く語り継いだ。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 大戦の終焉、英雄の去就、同族の死。

 それらを唄い終えた三人の老エルフの瞳から一筋の涙が零れる。彼等の流す涙が何に向けられたのかは当人にしか分からない。

 当事者から語られた古の英雄の結末を聞いたヤト達の反応は様々だ。

 竜であるクシナは英雄譚にさして心を動かされる事は無い。精々が美味い飯を彩る飾り付けぐらいに思う程度だ。

 ヤトもどちらかと言えばクシナに近く、直接戦えない相手の逸話を聞いたところで盛り上がらない。ただ、不死身の魔王の類似例は最近見ているのもあって、不死身の相手をどう殺すかの参考程度にはなった。

 ロスタは表情こそ変えないが、やはり話を聞いている間は給仕の仕事が完全に止まっている。彼女の中で何が起きているのかは誰も窺い知れない。

 カイルは知られざる三千年前の英雄譚に心を躍らせ、盗賊としての本能が刺激されて、英雄たちの残した封印具の行方が気になった。特に兄貴分から渡された魔導書がその一つなのはほぼ確定している。他の五つもどこかに人知れず眠っているに違いない。金銭的な価値よりロマンが疼く。

 だからカイルは祖父等に封印具の行方を聞いてみた。

 

「さて、我々も大戦の後は二度と四人に会っておらん。寂しいものだ」

 

「バグナスの書がなぜ北の地で魔人の封印に使わていたのかも我々には分からん」

 

「我々のような数千年を生きる種族ならともかく、三千年も経てば誰もが死に絶え、残った物は様々な者の手を渡り、何者も行方を追えぬ」

 

 道理である。勿論カイルに封印した魔人王に何かするという考えは無い。何が起こるか分からない災厄に進んで手を突っ込むような行為と理解している。

 それに広いヴァイオラ大陸のどこにあるかも分からない、もしかしたら海を越えた異大陸に渡っているかもしれない道具を、二度も手にする機会が巡って来る事は無いはず。

 しかし、それでも一目見たいと思う衝動は小さいながらも消せそうにない。向こう見ずな少年の持つ、一種の恐い物見たさという奴だ。

 その証拠に魔導書は、戦友の遺品として祖父エアレンドに手渡した。どうせ中身も読めず使い方すら分からない、精々好事家に売り払って小銭を得る程度なら、所縁のある者に譲った方が気分が良い。

 後日、渡した魔導書は村の保管庫に安置された。仮にも魔王の魂を一片でも封じた書だ。手違いがあってはならぬので、取扱は厳重にして見張りも立てた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話 また四人で

 

 

 エルフの村にも春の声が聞こえる季節になった。森には七色の花と生命力に富んだ新芽が無数に咲き始め、小さな虫達も土より這い出て生命の営みを謳歌している。

 村に逗留するヤトもようやく手足が完治して、毎日鈍りに鈍った体と勘を取り戻そうと鍛錬に励んでいた。

 一方、カイルも毎日勉学に励んでいる様だが、最近どうにも詰め込み過ぎて嫌気が差し、元の旅が恋しくなっていた。

 そもそも彼は生き別れになった家族に会いたいと思っても、辺鄙な村にずっと居たいと思ったわけではない。母親に四六時中居られて干渉される事だって面白いとは思っていない。

 何よりも村の見目麗しいエルフの少女達ともう少しお近づきになろうと思うと、必ず邪魔が入ってしまう。これでは生殺しにされているようなものだ。

 段々と刺激の無い、その上抑圧された生活を疎ましく思い始めたカイルは、村から逃げる算段を考え始めていた。

 しかし、ただ逃げるだけでは二度と村に受け入れてもらえないかもしれない。だから共犯者と名分を用意する事を思いついた。

 

「それで僕の所に来たと?」

 

 カイルが頼ったのは兄貴分のヤトだった。

 朝早く家に来て、朝食の乳粥を遠慮無しにお代わりしながら、力を借りたいと申し出る。嫁のクシナはまだ寝ている。

 

「アニキは傷が癒えたら、この村を出るって言ってたからさ。僕も便乗したいんだ」

 

「家出するのは構いませんが、僕がどこに行くのかも知らずについて行くんですか」

 

「じゃあどこなのさ?」

 

「≪葦原≫です」

 

 ヤトは短く告げた。カイルは意外な名に粥を掬うスプーンの手が止まった。

 ≪葦原≫はヤトの生国と聞いている。この村の東にあると言われている≪桃≫の国の、さらに東の国だ。

 

「家族が恋しくなったから里帰りするの?」

 

「少し調べ物が出来たからですよ。まあ、ケジメの一つ二つはありますが」

 

 里帰りは肯定しつつも、ケジメとやらは何も言わなかった。

 ともかく遠方に行くなら刺激に満ちた旅をまた続けられる。クシナという足ならぬ翼もあれば道筋は楽だ。

 これで共犯者は手に入れた。後は村を出て行く名分だ。

 単に仲間の故郷を見てみたい、では動機は弱い。

 

「じゃあアニキがクシナ姐さんと結婚式を故郷で挙げるから参列するって事で」

 

「しません」

 

「えー」

 

「えー、じゃないですよ。僕の事情をダシに使わないでください。………なら≪桃≫に貴方を探している父兄をこちらから迎えに行くとでも言ったらどうです?」

 

「それだっ!!」

 

「えぇ」

 

 適当な案を真に受ける弟分の適当さに、ヤトはちょっと心配になってきた。

 一応≪桃≫と≪葦原≫はどちらも東にあるので同行に問題は無い。途中で別れるも良し、一緒に≪葦原≫まで行ってから帰りに寄っても良い。建前を実行に移すのに問題は無い。

 後はカイルが家族を説き伏せられるか。祖父のエアレンドは何とかなるかもしれないが、母のファスタが許すかどうかは未知数だ。

 説得が駄目ならそれまで。ヤトとクシナだけで村を旅立つ。

 

「僕は三日後には発ちますから、それまでに説得出来なかったら諦めてください」

 

「はいはーい!またよろしく頼むよアニキ」

 

 もはや旅の同行が決まった物と思い、粥をかきこむ弟分の楽天さに溜息が零れた。

 

 

 

「アニキー!!旅の許可貰って来たよっ!!」

 

「えぇ」

 

 昼過ぎに鍛錬の休憩をしていたヤトに、カイルが手を振って伝えに来た。どうせ三日では無理だろうと思ってた矢先に許可が降りたのは予想外だった。

 

「期限付きだけどね。どんなに遅くても今年中に帰ってくる事だって」

 

「数千年を生きるエルフにとって、その程度は誤差の範囲と思ったんでしょうか」

 

 まるで友達の家に遊びに行く時に、夕食までに帰ってくるよう言いつけるようなものだ。

 なんにせよ家族に許可を貰ったのなら約束は約束。前言撤回して連れて行かない、というわけにはいかない。

 カイルはこれから旅支度をするつもりと言って、上機嫌で帰って行く。

 

 

 三日後、予定通り四人は村を出て、空の上にいる。

 久しぶりの竜の背の上は春になっても寒さが厳しく、カイルは厚手の外套を羽織ってじっと耐えていた。それでも久しぶりの森の外を満喫して上機嫌だ。

 餞別に村で色々と貰っていて、結構な大荷物になった。

 中でも一番の上物は彼が服の下に着込んでいるオリハルコンの鎖帷子だろう。祖父のエアレンドがかつて大戦で使っていた、神代のエルフが手ずから繕った最高級品である。仮に値を付けるとしたら、おそらく一国の王の城がまるごと建つほどの価値がある。

 ロスタは沢山の服を持たされた。彼女自身が従者としての服を所望して、わざわざ繕ってもらった様々なデザインのメイド服だ。今も作ったばかりの新品メイド服を着て、心なしか得意げにしている。

 他にもエルフの奥方達が前日から腕を振るって焼いた、日持ちする焼き菓子をたっぷりと持たせてくれた。こちらもいい匂いを漂わせており、クシナが昼を楽しみにしていた。

 

「あーやっぱり自由の空気はうまーい!」

 

 大きく息を吸って自由の空気を楽しみ、まだ見ぬ東の国に想いを馳せる。

 

「ねえねえ、東の国ってどんな所?アニキみたいな人でなしが沢山いる国?」

 

「東から西まで行って見てきましたが、住んでる人はどこも似たようなものですよ。食べ物と着る物と家の材料が違うだけです」

 

「おおっ、まだ食べた事の無い食い物が沢山あるという事か。楽しみだなー」

 

 クシナも食べ物の事に上機嫌になって、鼻歌を歌い始める。

 ヤトの方針はこのまま東に飛び、人里を見つけて現在位置を確認しつつ≪桃≫の地図を手に入れる。その後は出来るだけ長く東に飛んで≪葦原≫に向かう。土地勘はあるから後は流れでどうにかなる。

 

「……六年かな」

 

「ん、何の事?」

 

「僕が国を出てから経った月日ですよ。帰るつもりは無かったんですが、これも巡り合わせという奴です」

 

 かつて本人から武者修行のために国を出たという話は聞いていたので、三人はそこから追及する事は無かった。

 ただ、ヤトが故国でどんな時を過ごしていたのかまでは知らされていない。その過去が白日の下に晒されると思うと、特にクシナは気になってあれこれと想像を掻き立てられた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話 皇子

 

 

 桜という花がある。春に白色に薄い紅色を溶かしたような美しい花を咲かせ、短い間に散って往く。そしてまた一年後に花を咲かせて見る者を楽しませてくれる。

 その美しさと儚さを葦原人は愛し、古来より親しんでいた。勿論ただ見るだけでなく、果実は食用になり、材木としても扱える。樹皮を煮込めば染物に使え、また燻製の燃料にも好まれた。

 ヤト達が≪葦原≫の地を踏む頃、ちょうど桜が咲き誇る時期だった。

 現在四人は葦原の西端≪蘇芳≫という名の地の小さな茶屋で一服していた。クシナとカイルが塩漬けにした桜の花を練り込んだ団子に舌つづみを打ち、ヤトも六年ぶりの茶を味わって飲んでいた。

 

「こげな寂れた茶屋の安い茶がそんなに美味いかねえ」

 

 お茶のお代わりを持ってきてくれた兎人の老婆は、ヤトの満ち足りた顔がおかしくて笑う。安い茶というのは古くなって時化った茶葉を煎って、香ばしくした焙煎茶の事だ。残り物を美味しくする方法で作ったので必然的に値は下がる。それでも久しぶりの故郷の茶は美味く感じた。

 

「ほい、こっちは焼きたての白餅だ。熱いうちに食いな」

 

 隣で年老いた熊人が焼いた餅を皿に乗せて差し出した。ヤトは香ばしい味噌の付いた焼餅を一口齧る。よく伸びる餅を器用に千切って咀嚼した。美味い。

 それを見たクシナが自分も食べたいと言って、皿から焼餅を掴んで一口で食べてしまった。

 

「ほほほ。鬼女と耳長の子は見ていて気持ちの良い食べっぷりだねえ」

 

「西の国じゃ麦の方が人気なんだってな。物珍しいから長居するなら色々食っておけよ」

 

 熊と兎の老夫婦は珍しい西からの客人に親切にする。金払いが良いのもあるが、やはり料理を美味しく食べてくれる姿を見るのが嬉しいのだろう。

 しかしクシナの顔色が変わり、何やら喉に手を当てて悶えているのに気付くと、熊人の翁が慌てて彼女の背中を叩いて、喉に詰まった餅を吐き出させた。

 しばらく咳き込んで息を整えた後、死ぬかと思ったと呟いた。東には古竜すら殺しかけた食べ物があるとは、食材から毒を調合したロスタの時と同じぐらいカイルは驚いた。

 今度は喉を詰まらせないように注意して餅を食べ、ヤト達は獣人の老夫婦に礼を言って茶屋を後にした。

 四人は少し歩いて主街道にまで出る。道の脇の田畑では牛や馬に鋤を曳かせて土を耕している。

 今の時期に田を耕して植え付けの準備をしているとヤトは説明する。カイルは秋に種まきをする麦と季節が全く違うのを面白がった。

 一行の旅はゆっくりとしたものだ。ヤトの目指す葦原の都≪飛鳥≫まで徒歩なら七日は掛かっても、クシナの翼なら一日で済む。

 そうしなかったのは急ぐ理由が無いのと、今が一番≪葦原≫で雅な時期だからだ。食べ物も行く先々で微妙に異なるので、食べ比べもそれなりに面白い。他の二人もヤトに反対する理由は無く、物見遊山を楽しんでいた。

 路銀はあらかじめ隣国≪桃≫にある為替商で、フロディスの鉱山都市で手に入れた小切手を換金して貴金属に変えておいたので不備は無い。

 こうして四人は道中の七日間を不自由なく楽しんで、東の果ての国を満喫した。

 

 

      □□□□□□□□□□

 

 

 七日間のゆったりとした徒歩の旅行を楽しんだ四人は、葦原の皇都≪飛鳥≫を前にしていた。

 国一番の都というだけあって、その活気は他の国の王都と遜色無い。

 馬車が六台は並走できそうな幅のある真っすぐに伸びた表道。横を左右に見れば、これまた真っすぐ続く広い道が整備してある。

 ヤトの話では、都の大路は南北へ九本、東西へは十一本ある。道に沿って四角く区画が決められていて、住居や商店はどこも正確に仕切られている。これだけでも街の造営には支配者の並々ならぬ熱意が伝わってくる。

 感心するカイルを連れて、ヤトは先頭を進む。目指すのはもっと街の奥だ。

 途中、市場が目に付いてクシナとカイルが足を止める。多くはこの国と隣国≪桃≫の物産ばかりだが、一部はアポロンやフロディスのような、はるばる西から運ばれてきたと思わしき装飾品や衣類も並べられていた。

 

「へー活気があって良い街だね」

 

「生活が楽とは言えませんが、上がいたずらに民を虐げる事を無駄と知っていますから」

 

 カイルはそれだけではないと思った。この国に来て、他の国と比べて獣人や角の生えた鬼が自然に人族と溶け込んでいるのに気付いた。

 以前ヤトから東国は西に比べて亜人への隔意がずっと弱いと聞いていた。それでも少しは差別意識があると思ったが、この国は本当に種族間の隔意が気にならないぐらいに融け込んでいる。

 勿論治安はそれなりに悪い。ついさっき盗人を追いかける衛兵が後ろを通り過ぎ、商店の裏路地では喧嘩がちょこちょこ見える。犯罪者が出る程度には普通の街だ。

 こうした異国の珍しい人並みをかき分けた四人は、街の奥にある堀と塀に囲まれた区画まで来る。

 この辺りは商店が無く、道行く人もまばら。仮に通行人が居ても、兵士や役人のような身分確かな人々だ。あるいは貴族の馬車が往来していて、ヤト達のような旅装束は明らかに浮いている。

 それでもヤトは構わず、四人の衛兵が守る大きな赤い門まで近づく。

 当然兵士は不審な男に身構えて、いつでも戦えるように槍を握る手に力を込める。

 ヤトは立ち止まり、背筋を伸ばしてよく通る声で衛兵に命じた。

 

「禁裏の守護、まことにご苦労である。皇が第六の子『大和彦』が帰還した。畏まって道を開けるがよい」

 

「な、なにを戯けた事を!?そのような出まかせを信じると思うか!」

 

 槍を突き付けられてもヤトは気にせず、衛兵達の顔を見回して左端の一人に目を止める。

 

「そこもとは雁麻か。我が師『泉上綱麻呂』の門弟であったな。七年前に稽古で立ち会った時の、下段の剣の足運びと左肩が動く癖は直したのか?」

 

「なっ、なぜその事を!?まさか、そのお顔は本当に大和彦皇子でございますか!」

 

「初めからそう言っている。それでも疑うのなら、近衛軍の上位三席武官を誰ぞ呼んで顔を確かめさせよ」

 

 衛兵達は槍を引き、互いに顔を見合わせて視線だけで合図を送って、四人を門内に入れる事を決めた。

 ただし、万が一のことを考えて、貴人用の客室に一旦案内した。ヤトに言われた通り上官を連れて来て、顔を確かめさせるつもりだった。

 カイルは兄貴分がこの国のどんな生まれなのか気になって仕方が無かった。本人の口から元は神官の家の出としか聞いていなかったが、明らかに兵の様子が変だ。

 だから部屋に招かれて、衛兵が出て行ってすぐに問い詰めた。

 

「この国では支配者を王と呼ばず、皇(すめらぎ)と呼びます」

 

「うん。それは何日か前に聞いた……あれ?さっきアニキは門番に六番目の子って名乗ったよね。えっーーーーー!!!!」

 

「西国風に言うなら、僕はこの国の第六王子なんですよ。生来の名は大和彦(やまとひこ)。それを短くしてヤトと名乗っていました」

 

 カイルは椅子からひっくり返るほど驚いた。この人斬り鬼が王子なんてどんなバカげた冗談だ。あり得ないと否定したかった。

 

「家が農耕神官は嘘だったの?」

 

「いいえ本当です。この国は大本を辿ると、農耕を司る神官が王を兼ねる神権政治国家なんですよ」

 

「んなもん分かるかー!!―――――って姐さんは何も驚かないんだ」

 

「あー?別にどうでもいいわ。ヤトが儂の番なのは変わらんし」

 

「というかカイルだって族長の一族じゃないですか。立場的にはそんなに変わりませんよ」

 

 冷静に返されると、カイルもちょっと納得してしまった。共同体の規模と種族が異なるだけで、意外と二人の地位は似通っている。

 それに古竜という種族の頂点に君臨するクシナを知っていれば、王や貴族のような地位など些末な差にしか思えない。

 給仕の女官が茶を持って来てたので、一度話を止めて茶と菓子を頂いた。

 茶が半分無くなる頃に、部屋の外が慌ただしくなる。

 両開きの扉が開け放たれ、最初に二人の帯刀した衛兵が入ってきた。次に身なりの良い赤い衣を纏った人狼族の男が続く。

 赤い衣の人狼が恭しく頭を下げ、口上を垂れた。

 

「皇が第四子、兵部卿宮因幡彦皇子のおなーりー!」

 

 最後に部屋に入って来たのは、赤い衣以上に立派な黒い衣を纏い冠を頂く、兎耳を持つ混血の小柄な青年だ。

 ヤトは彼に深々と礼をする。黒い衣の青年は扇で口元を隠しながら、ヤトを注意深く観察した。

 

「お久しゅうございます、因幡彦兄上。大和彦にございます。兄上が兵部省に入っていたとは意外です」

 

「……その顔、かつての弟の面影がある。ああそれと、我が兵部卿になったのは半分はそなたの責任だぞ。我は本来、治部省を希望していたのだ」

 

「その割に葦原は乱れず、民は安んじられているとお見受けいたします。兄上の手腕はどのような場所であっても損なわれません」

 

「その無自覚に生意気な物言い、ますます昔の弟を思い出す。もう会う事は無いと思っていたのだが。して、此度は何故戻って参った」

 

「禁裏書庫で調べ物をしに。他は些事でございます」

 

「……薄衣一枚の覆い隠す努力すらせぬとは、正真正銘の愚弟のようだ」

 

 因幡彦皇子は手を振って護衛の剣士を一歩下がらせた。さらに彼はヤトの後ろにいたカイル達に視線を向けて、再度ヤトに紹介の催促の目を向ける。

 

「耳長の少年は旅仲間のカイルです。後ろに控えているのが彼の従者のロスタ。それと、こちらの女性は私の妻クシナです」

 

 妻という言葉に衝撃を受けた因幡彦は扇を取り落とし、両目を見開いて固まった。

 カイルは兄弟ですら今の反応だったのを見て、兄貴分が子供の頃から全く変わっていない剣狂いだったと確信した。オマケで後ろに控える護衛二人も無言だったが、思いっきり放心していた。

 たっぷり十秒経ってから時が動き、赤衣の人狼が落ちた扇を拾い、因幡彦に膝を着いて恭しく手渡してから、こっそり耳打ちする。

 

「――――う、うむ。理由はどうあれ出奔した弟が帰って来たのだ。温かく迎えるのが肉親の務めよ。そちらの少年にも部屋を用意しよう」

 

 まだ衝撃が抜けておらず、若干声が上ずるのを周囲は気付かないふりをした。

 廊下に控えていた召使いに、禁裏に相応しい装いを用意すると言われて、まずは風呂へと案内された。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話 花見

 

 

 風呂でサッパリしたヤトは直衣という貴族の軽装に着替えて、かつての己の部屋に通された。

 あれから六年の歳月が経っていたのに、家具や書籍は記憶と寸分違わぬ配置のままだ。当然机や窓枠に埃など積もっていない。まめに掃除をしている証拠だった。

 捨てるのに惜しい物など特に無かったのに、わざわざ手を付けていないのは、いずれ自分が帰ってきても良いように配慮したのだろう。

 

「親心ですか」

 

 野垂れ死にしたと思って放っておいても気にしなかったのに。子のいないヤトにはよく分からない感情だ。

 板張りの床に敷き詰められた畳の上に座り、中庭に咲く桜をなんとなく眺める。かつてこの部屋で毎年のように見続けた桜は相変わらず風に揺られて花びらを散らしていた。

 物思いに耽っていると外が騒がしい。聞き覚えのある声が耳に入って苦笑する。

 

「おーいヤト~。この服変だな」

 

 障子張りを勢いよく開け放ったのはクシナだ。彼女はこの国の貴族の子女が外出用に身に付ける、壺装束と呼ばれる裾を上げて腰布で布を縛る活動的な服を着ていた。本来禁裏では貴族の婦人は小袿というゆったりとした服を着るのが習慣とされるが、クシナ自身が嫌がったのだろう。それでも普段着ている腹と太ももを出した服は拙いので、女官がギリギリ妥協出来る装束を選んだと思われる。

 髪も多少動かしても平気なように、櫛を通して軽めに結い上げてある。銀髪紅眼に白と萌葱色の服はよく映える。

 勝手に出歩くクシナに息を切らして追いかけて来た世話役の女官に、ヤトは労いの言葉をかけた。

 

「妻の案内ご苦労でした。後は控えておきなさい」

 

「はぁはぁ、畏まりました」

 

 本来はクシナを別室に通すはずだったが、役目を果たせなかった女官は、ヤトが妻を連れてくるように命令したという態にしたおかげで、お叱りを受けずに済んで内心ホッとしていた。

 しばらく二人は畳の上でダラけていると、今度は別の女官が訪れる。

 

「大和彦皇子、奥の方。主上がお呼びでございます」

 

「主上?」

 

「この国の支配者で、僕の父ですよ」

 

「ふーん。ヤトの親か」

 

 多少は関心を示しても特に気にしない。子育ての習慣の無い竜のクシナにとっては、例え番の親でもそこらの人と一緒。ヤトが会いに行くから付いていくだけだ。

 二人が廊下を歩けば、すれ違う貴族や文官が道を譲るが、通り過ぎると誰もが何やらヒソヒソ内緒話をしている。既に禁裏中にヤトが帰還した事は知れ渡っていた。それも嫁付きとなれば話題に事欠くまい。

 噂話の根源は我関せずと歩き続け、部屋一面に畳を敷き詰めた広間の前で止まる。奥は床が一段上になっていて、誰か座っているが簾で顔は見えなかった。

 ヤトは奥の人物から二十歩離れた場所に正座する。クシナもそれに倣って隣に座るが、彼女は足を投げ出して座った。正座は他国人に難しいので、周囲は咎めない。

 側仕えが簾を上げ、奥に座る皇の顔が露になる。ヤトは畳に頭が付くぐらい深々と礼をした。クシナは特に何もせず近衛兵が目を剥いたが、当人は我関せずと気にしない。

 

「面を上げよ大和彦」

 

「はっ」

 

 再びヤトは頭を上げて、父である皇を真っすぐ見た。念に数度しか会わなかった記憶の薄い父と、今目の前に座る皇はおそらく一緒と思われる。

 正装のゆったりとした束帯を纏っても細い体、頭の冠より長く立った一対の大きな耳、尖った鼻と長い横髭、全身を覆うふっさりとしたこげ茶色の体毛、後ろで揺れる、フワフワした大きな尻尾。狐によく似た風貌は確かに今生の皇。ヤトの実父は狐人の血を色濃く継いだ混血の獣人だ。

 

「六年も顔を見ぬと、見違えるものだ。幼き頃は母の面影があったが、今は益荒男の顔ぞ」

 

「主上はお変わりないようで、大和彦も安堵いたしております」

 

 ヤトは内心、久しぶりに使う畏まった都言葉を面倒に思いつつも、形式は崩さないように無難な言葉を紡ぐ。

 それでも百戦錬磨の政治の妖魔にはあっさりと見抜かれているわけだが。

 

「六年の禊はいかがであった?」

 

「世の広さを実感しておりました。得難い経験を数多く致しました」

 

「朕は葦原より出た事が無く、異国より流れる品々を見て、無聊を慰める事しか出来ぬ。羨ましく思うぞ」

 

 そこで皇は足を投げ出して暇そうにしているクシナを見た。まさか剣の化身のようなあの息子が自ら妻を得るとは想像だにしなかった。品性の欠片も無い鬼女とはいえ、否応なしに興味を持ってしまう。

 

「それで、伴侶を得たと聞いた。名を何と申す」

 

「儂?クシナだ」

 

「その名は英雄の妻の……」

 

「彼女は生まれてより名を持ちません。故に殺し合いの後、名を最初の贈り物にしました」

 

「…………そうか」

 

 やはりあの息子の選んだ女だ。尋常ではない。最初に片腕なのは気付いていたが、もしや息子に斬り落とされたのか。むしろ、それぐらいでないと釣り合わないとも言える。

 あのまま凶事が無く、そのまま許嫁を娶っていたら、別の騒動が起きていたやもしれぬ。咎が無いと言い切れないため、放逐したのは正しかったと思う。

 その後、六年ぶりの親子の対面は他愛のない話をして、ヤトがしばらく逗留すると伝えると、皇の政務も推していたため中断した。

 二人が退席する際、父親が言い忘れた事があったと呼び止める。

 

「そなたの母の事だが、既に実家に帰した。会いたいと言うなら呼び寄せるが如何する?」

 

「無用の気遣いです」

 

 息子が一言で切り捨てたため、父はそれ以上語らなかった。

 話すべき事は話し終えたので、退席しようとしたヤトは一つ忘れていた用件を思い出した。

 

「それと、餞別に頂いた赤剣は途中で砕けてしまいました。柄だけでもお返し致した方がよろしいでしょうか」

 

「………あれをか。ならば長門彦の墓前に供えよう。後で人を寄こす」

 

 皇は幾らか迷った末に、受け取る事を選ぶ。これで父と子の再会は終わった。

 自室に戻る際、ヤトは巡回していた衛兵を呼び止める。

 

「『泉上綱麻呂』はまだ禁裏に出仕しておるのか」

 

「はっ、本日はおられませんが、五日に一度は指南のため鍛錬場にお越しになられます」

 

「そうか。ご苦労」

 

 いないのなら日を改めて挨拶に行けばいい。それまで他にする事もある。

 部屋に戻るとカイルとロスタが待っていた。カイルはヤトと似たような直衣に、ロスタは貴族の女官と同じ服を着ている。

 弓や槍は禁裏では使えないので預けてあるが、何かあった時のためにナイフやフォトンエッジは携帯している。

 

「どうこの服、似合ってる?」

 

「そこそこ似合ってますよ」

 

 カイルは顔が良く、身体も鍛えてあるから着崩れする事も無いので、言葉通り様になっている。

 

「それで今後の予定ですけど、僕はここの書庫で調べ物があるから引き籠ってます。衣食住は保証しますから、クシナさんとカイルは観光でもしててください。案内が必要なら手配します」

 

「むー。儂を放っておくのか」

 

 クシナは旦那の放置宣言に不満タラタラだ。食事と寝る時は一緒と言って、どうにか収めてもらった。

 それに今日の所はゆっくり過ごすと決めてあるので、控えていた召使に茶と菓子を持ってこさせて、庭の桜を見ながらちょっとした花見などをして、四人は穏やかに過ごした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話 師弟

 

 

 一国の王の城にある書庫というのは広大な情報の砂漠に等しいと思った。

 葦原は公称で建国千年を超える大陸でもかなり歴史を重ねた国家だ。無論多少盛っているか、国が邑程度の規模から数えた年数だろうが、それでも上から数えた方が余程早い歴史を重ねた自負はあろう。そのため、書籍の類は膨大な量になる。

 元々皇の一族は人が生きて行く上で絶対に欠かせない食料を生む、農耕に関わる神事と収穫した作物を管理する神官一族を始祖とする。支配者になる以前から、毎年の気候と収穫高の記録を保管して凶作や飢饉に対する備えをしたり、洪水を防ぐ工事や水分配の折衝も無数に行ってきた。

 当然己の利益のために言う事を聞かない者は出る。そういう時は縁を結んだ力のある豪族に頼んで直接武力で鎮圧して言う事を聞かせて、謀を用いて各地の影響力を強めて、長い時を得て王へと押し上げられた。

 王になってからものほほんと過ごしてはいられない。山積みの政務は自ら動いて減らさなければ、待っているのは不満を持った民や豪族の反乱だった。

 民への規範として過去の争いの判例に基づいた律法を定め、各地の豪族には支配と引き換えに治安維持と徴税権を与えた。

 豪族や民同士の争いがあれば法に基づいて仲裁を、災害が起こり現地に治める能力が無ければ近隣豪族の助力を命じ、国家としての体を成せば隣国への外交吏を派遣した。

 時に隣国とは戦争を、時には友好的になり、亡国の危機になった事も一度や二度ではない。内乱も一度経験している。それでもどうにか葦原は千年を超えて存続していた。これは王の一族が戦士ではなく、武力に頼らず可能な限り戦を避ける農耕神官的思考の影響が大きいと、他国は認識していた。

 王から皇という称号に代わったのは三百年ほど前と言われいる。その頃の大きな出来事といえば、隣国が各国を併合して≪桃≫と国号を変え、王の称号を帝に変えた事が直接的な原因とされる。

 帝とは優れた尊い王の事で、並の国の五倍の国土の上に立つ王に相応しい号でも、新興国家になめられるのを危惧した葦原の王が、同様に百の王の最も上という意味を持つ皇を名乗ったのが由来とされる。要は見栄の張り合いでしかないが、名乗るだけならタダだから、意外とお安いのかもしれない。それも建国七百年という重みが前提にあっての政策だろうが。ついでに豪族も貴族と名を変えて、変わらず存在している。

 その重みの結晶こそ、ただっ広い部屋に隙間無く並べられた書籍の群れである。

 収穫記録と農耕指南書から始まり、この国の歴史、法律書、民の戸籍、外交文書、皇と貴族の間で取り交わした条文、天文学に関する書、医学書、等々。まともに挙げればキリが無い多彩な書が納められている。この書庫こそ葦原の知識そのものと言える。

 ヤトはこの数日の間、書庫で何冊もの書を読みふけって、さながら砂漠に埋もれた財宝を探すように知識を求めていた。凶状持ちの皇子として一時的な放逐処分は受けていたが、地位の剥奪や降籍処分等されていないのが幸いして、ほぼ無制限に書を読めるのは幸いだ。

 時折書を探しに文官が書庫に出入りして、遠巻きに静観して話しかけても来ないので作業自体は捗っている。

 問題は求める知識がなかなか見つからない事だ。正確には基礎的な知識をまとめた書は多く見つかるものの、より踏み込んだ専門的な知識となると一気に量が減る。理解するのも難解な言い回しだったり、そもそも古語すぎて読めない。

 断っておくがこれでもヤトは十三歳までは皇子として様々な教育を受けているので、そこらの役人程度よりはずっと教養がある。

 言い換えればその程度の教養では到底理解出来ないぐらい、読んでいる書が難解かつ古代に記されていると思われる。一応読めない文章は書庫を管理する司書官に解読を頼み読み解いてもらっているが、時代が変わると言い回しや意味が異なっている部分もあって、微妙に信用が置けない。

 書物から知識を得て実践に用いるには、読み手が書いた著者と同等の理解力を持っている事が前提と言われる。ヤトは剣の鬼才、戦の秀才ではあるが、それ以外の才能は思ったほど恵まれていない。今読み解いている書の知識を実践するには足りないものが多かった。

 これ以上は徒労とまでは言わない。さりとて満足するには十年はかかると思われる。時間そのものはたっぷりとあるので、地道に書を読み解くのも悪くはないが、やはりここはその道の師を頼った方が労力は少なそうである。

 結論を出したヤトは読み終わって山積みにした書を司書官に渡して書庫を出て行った。

 数十はある書の表紙には様々な題名が記さているが、系統分けすると主に二つの流れに分けられる。

 『気功術』と『神仙術』だった。

 

 

 朝から籠っていた書庫から出て、固まった体を伸ばした。

 それからヤトはクシナの元に行き、一緒に昼食を食べた。今日の献立は季節の天ぷらと野菜の煮物、それに鯉汁だ。

 旅の数年間はフォークとナイフばかりで、何年かぶりに箸を使っても意外と指は使い方を覚えている。滑りやすい芋煮も取りこぼさない。

 対してクシナは箸を使わずフォークで食べていた。≪桃≫に入ってから飯屋で出されるのは決まって箸だったので、ヤト以外の二人は使いこなせず、わざわざ西国の輸入品を扱う店でフォークを手に入れて使っていた。

 禁裏では他国の外交官も迎えるので、流石に西の食器ぐらいは置いてあるから、そちらを使っている。

 箸でヤマメの天ぷらに触ると、『パチッ』と音を立てて綺麗に半分に切れた。ヤトの箸が数秒止まり、何事も無かったように天ぷらを挟んで口元へと持っていく。

 食事を終えて綺麗に片付いた二人分の膳を片付けた女官は、ふと漆塗りの皿に深い切れ込みを見つけた。傷のついた皿は貴人に使えないので、後で身分の低い使用人に下げ渡された。

 食事を済ませたヤトは嫁を残して、禁裏の北のはずれにある軍の鍛錬場に顔を出していた。

 里帰りしてからは毎朝欠かさずここで剣を振っていたが、今日は時をずらして昼過ぎにした。

 皇と≪飛鳥≫を警護する近衛軍にとって、今のヤトは微妙な存在だ。

 本来は皇の一族として命を賭けて護る対象でも、幼き頃は鍛錬場で共に汗を流し、剣を磨いた仲ではあったため、僭越ながら可愛がりもした。

 とある理由から≪禊≫を求められて葦原を去り、二度と会う事は無いと思われていたのにひょっこり戻って来た。

 其の理由に軍も僅かながら関わっていた為に、再会した時は多くの武官が謝罪をしたものの、当人はそれを受け取らず、端でただ剣を振るうのみ。

 元からそういう気質と分かっている者も多いが、謝罪を受け取らないという行為が価値の無い相手と思われているのではないのか。面子を重んじる貴族出身の武官たちの心にしこりが残り、彼等の隔意すらヤトには興味が無いと知っているからこそ、今となっては遠巻きに眺めるだけの近づき難い存在になっていた。

 そのヤトも今はある人物に頭を下げて恭しい態度を取っている。

 その人物は年の頃は五十を超えて、髷を結った黒髪の三割は白髪に、眉間に刻まれた縦皺は深く、口元から顎にかけて刃物傷が特徴的。体格はヤトより一回り以上大きく、筋肉は分厚い。他者を威圧する闘気は殊の外強いが、同時にそこらのゴロツキとは一線を画す知性的な目を持つ人族の男だった。

 彼はヤトと鏡合わせのように頭を下げて貴人への礼を尽くす。

 

「お久しゅうございます、大和彦皇子。あの頃より一回りも二回りも大きくなられた。この綱麻呂、殿下を一日とて忘れてはおりませんでした」

 

「わが師泉上綱麻呂よ、不肖の弟子を気にかけていただき、感謝に絶えませぬ」

 

 形式的な再会の挨拶が済み、師弟は無言で訓練用の木刀を手に取った。互いに言葉より剣で語る方が好みだった。

 対峙する師弟に開始の号と礼は無い。目が合った瞬間、既に動いていた。

 ヤトの姿がブレた瞬間、綱麻呂は真後ろに剣を薙ぎ払い、背後を取ったヤトの剣を防ぐ。

 奇襲を防がれてもヤトはそのまま剣を滑らせて、密着した状態で柄を師の背に叩き付けた――――と思われたが、綱麻呂はその場で膝を崩して、ヤトの服を掴んで左手一本で投げ飛ばす。その上ですぐに手を離して距離を置いた。そのまま服を掴んでいれば、空中で身体を捻りながら斬られていたはず。

 そこからヤトの体勢が崩れているのを見過ごさず、一気に間合いを詰めた鋭い突きを放てば、切っ先に同じ突きを当てて返されて、弾かれたのは綱麻呂の方だ。彼は弟子が竜の力を得たのを知らず、目論見が外れて力負けした。

 追撃を予想して剣を構えていたが、師が立ち上がるまで待っていた。

 

「そこは立たれる前に勝負を決してしまうようお教えしたはずですが」

 

「不出来な弟子ゆえ、師の言いつけを守らないのですよ」

 

 ヤトが薄く笑うと、綱麻呂は溜息を吐く。己の子弟の中で誰よりも剣の才に溢れた皇子が不出来などと、どの口が言うのか。そして天稟はあっても、誰よりも剣の理念から外れた剣鬼という不条理を嘆かずにはいられない。

 とはいえ尋常な立ち合いで隙を見せるのは剣士として相手への非礼。すぐに立ち上がり、正面から切り合う。

 力任せの鍔迫り合いと見せかけて、体を逸らし、剣を弾き、柄を当てもすれば、再び剣を打ち合い、拳の当身もあれば、服を掴んで引き倒す事もする。

 戦いに綺麗も汚いも無い。如何にして勝つかを追求するのが兵法。戦いの中で愉悦に身を委ねるのは三流のやる事。

 そう弟子を叱りつけたくとも、勝てなければ単なる敗者の戯言でしかない。

 故に勝つために綱麻呂は剣を上段に構え、一歩踏み込みながら最速で木刀を振り下ろす。

 駆け引きも何も無い速さだけの単純な唐竹割りなど、防ぐか横に避ければおしまいだが、師弟ともなれば手の内は読める。

 ヤトが横に避ければ、振り下ろされる剣の軌道が途中で中段の突きに変化して、鳩尾に喰らい付こうとする。

 この技は知っている。剣を払い除けようとしたが、さらに太刀筋が変わり、上へ跳ね上がって再び頭に振り下ろされた。ヤトの知らない三段変化の妙技、臣陰流『朧月』である。

 剣を空振ったヤトに成す術はない。

 次の瞬間、宙に舞っていたのは半ばまで切られた綱麻呂の木刀だった。

 何の事は無い、ただの反射で最後の切り下ろしを防いだだけ。

 

「……某の負けでございます。ですが最後の気功術は余計ではありませぬか」

 

「逆ですよ。気功を使う暇が無かったから剣を斬ってしまったんです」

 

 奇妙な言い回しに理解が及ばない。

 ヤトは話があると言って師を鍛錬場から連れ出した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話 師のけじめ

 

 

 ヤトは師の綱麻呂を禁裏の北にある林に連れて来た。

 ここでヤトは野での戦い方を師より学んだ。

 

「師から見て私の剣はどう見えました?」

 

「不敬を厭わず申すのなら、邪剣でございます。我が『臣陰流』は凶手より身を護る為の教え。ですが、皇子の剣は凶手そのもの」

 

 憤死しかねない激情を必死に耐える綱麻呂に、ヤトは反論も同意もせず、ただ真っすぐ師を見つめる。

 綱麻呂の言う通り、『臣陰流』は日常的に暗殺者から命を狙われる皇自身が身を護るため、古来に編み出された剣。

 暗殺者の思考を模範して、暗殺を防ぐ事を第一の目的とした守護の剣である。ゆえに近衛軍の中でも心身を認められた者だけが学ぶ事を許される、誉ある流派として何百年と禁裏を護ってきた。

 中には暗殺に対する思考が行き過ぎて心を病んだ者。一族が政争に負けて放逐されたために暗殺者に鞍替えした者。護りを忘れて、ただ技能だけを追求し続けた者。

 過去にはそうした一部の外れ者を出してしまった事は事実だが、綱麻呂の門弟には今まで一人も出ていなかった。

 それがよりにもよって最も才覚に優れて、誰よりも尊い血を宿す皇子が邪剣使いになってしまったなど、自ら首を切って皇に詫びを入れねばならぬほどの大失態だった。

 あるいは外の世界を見ればと、淡い期待を抱いていた。実際、数日前に噂で妻を伴い帰還したと聞いた時は歓喜した。『剣の極意は護り』その教えを理解してくれたと思った。その想いは一手交えただけで思い違いだったと否応なしに叩き込まれた。

 これも己の不徳の致すところ。ヤトの態度次第では刺し違えてでも、自らの過ちを雪ぐ。心の奥底で決意していた。

 ヤトは師の覚悟を知らない。しかし腹を割って話しているつもりだ。

 

「師の仰る事は理解します。ですがこの戦い方が私には最も合う。それに剣はやはり殺しの道具でしかない」

 

「皇子!」

 

 綱麻呂の肩が僅かに動く。腰に差した短刀をいつでも抜けるように力を込めてある。

 ヤトもそれに気付いているが、何もしない。元から今は帯剣しておらず、傍から見れば圧倒的に不利な状況に置かれている。にも拘わらず、心は凪の湖面の如く平穏そのものだった。

 

「落ち着いてください。それに、私が聞きたかったのはそういことではない」

 

 ヤトは師の殺意を受けても構わず背を向けて、近くに落ちていた小枝を拾い、大きめの石に振り下ろす。

 すると石は真っ二つに割れる。さらに小枝を地面に突き刺すと、枝は柔らかく耕した畑の土に刺すようにみるみる埋まっていく。

 綱麻呂はヤトが気功術で枝を強化したのかと思ったが、当人の様子を見る限り気功は行使していないように見えて首を傾げる。

 

「私はいま何もしていないからこそ、枝は名刀を超える切れ味を得ている。先程の立会いも最後を除いてずっと気功を木刀に纏っていた」

 

 理解が追い付かない綱麻呂にもっと分かりやすく見せるために、ヤトは彼の短刀を抜いて指で軽く振れた。短刀は音も無く切断されて地面に突き刺さる。

 

「これは一体……」

 

「三月前に神を降ろした巫女を斬った時を境に、私は剣そのものになりました」

 

「そんなばかな……」

 

「事実です。今は触れるモノ全てを切り裂き、持った箸でさえ切れぬ物の無い刃と化してしまう。だから普段は気功の纏い、鞘のように身を包んでいる」

 

 信じられない綱麻呂は斬られた刃を拾い、その切断面の滑らかさに呻く。まるで最初からこうした造りだったかのような美しさは、如何な名刀でも造れそうにない。

 

「戻って来たのは気功術、あるいは源流となった≪桃≫の仙術をもっと深く理解して習得すれば、制御可能になると思ったからです。私に気功を伝授した師なら可能ではありませんか?」

 

 頭を下げる弟子に、師は即答する事が出来ない。そもそも綱麻呂とて気功術はそこまで深く習得していない。あくまで一武人として常識的な範疇で習得したに過ぎず、噂に聞く隠者や神仙のような真似は無理だ。

 さりとて不詳の弟子を無言で突き放すほど情に欠けている事も無い。それに一つヤトの行動に疑問を持った。邪剣を貴び、剣を殺しの道具と嘯く皇子が鞘を求めてはるばる帰って来た。ただの悪鬼外道に堕ちた男なら決してそのような選択はすまい。

 

「皇子は何のために鞘を求めているのですか」

 

「剣は斬りたいと思うモノだけ斬れれば良い。不要な時は鞘に入れておく。そして斬りたいと思うモノはそう多くはない」

 

「……そのお言葉、信じましょう。ですが、某は皇子の求める答えを持ち合わせてはおりませぬ。仙術の事は神仙に尋ねるのがよろしいかと」

 

「≪桃≫に行けと?」

 

「その前に葦原の神仙を尋ねては如何でしょうか。各地には神仙が住まうと伝わる山河は多くございます」

 

 ヤトは綱麻呂の提案に考え込む。確かに葦原にも神仙の伝説は数多くある。古の武芸者の中には山奥の仙人に弟子入りして名を馳せた者も居る。多くは単なる迷信だろうが、百に一つは本物が混じっているかもしれない。

 各地を回って虱潰しに探せば求めるモノが見つかるだろうか。

 よくよく考えれば胡散臭い伝説をもとに≪桃≫に行った所で、やる事はさして変わらないとも言える。まずは近い所から探すというのは道理か。

 あとはヤト自身の運がどれだけ本物の仙人を引き当てられるかだ。

 困った事にいくら皇子のヤトだからといって国の間諜を好きに出来る権限は持っていない。そして葦原には渡世人は居ても、盗賊ギルドのような組織は無いから、自力で情報を集めるしかない。

 

「師は神仙に心当たりがおありですか?」

 

「一つそれらしき噂を聞いた事がございます。皇子は翁海の地をご存じでしょうか?」

 

「地名だけなら知ってます。葦原の東の海のある領地ですね」

 

 ヤトの回答に綱麻呂は頷く。翁海は葦原の東にある海に面した土地だ。古来より豊富な海産物が獲れて民は飢えた事が無く、真珠や珊瑚を≪桃≫に輸出して財を成す豊かな土地と聞く。

 そこまでは葦原の民でも知っている者は多い。綱麻呂の話はここからが本番だ。

 綱麻呂曰く、翁海の領主は古より住まう仙人とも神とも言われるナニカと契約を結び、生贄を捧げる事で繁栄を約束されているらしい。

 

「それは単なる妬みの類では?」

 

「かもしれませぬが、かの地では鮫に襲われる漁師が殆ど居ないと聞きます。何か秘密があるのではないでしょうか」

 

 正直言って眉唾の法螺話のように思えるが、他に行く当てもないので行ってみるのもいいかもしれない。それに久しぶりに海を見るのもいい。クシナとカイルも海の幸を食えると聞けば喜んで付いてくるはずだ。

 

「では翁海に行ってみるとします」

 

「領主への紹介状と連絡は私が手配いたします。三日ほどお待ちいただきたい」

 

 連絡も無しに勝手に行くのは幾ら皇族でも非礼に当たる。かと言って身分を隠して相手貴族に挨拶もしない場合、後で事が発覚すれば面子を潰された領主が禁裏に抗議するのは目に見えている。ここは大人しく待っているのが正しい。

 手を尽くしてくれる師に礼を言い、ヤト達は言われた通り三日待ってから大陸最東端の翁海へと旅立った。

 そこでちょっとした縁のある人物と再会するのをヤトは知らなかった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話 訪れていたかもしれない光景

 

 

 街道を牛車が二台連なって東へ進む。近隣の農夫や旅人は車を避けて道の脇に移動して、頭を軽く下げる。

 車は全体に漆塗りで側面には簾が掛かっていて、どのような人物が乗っているかは外からは見えない。しかし牛車に乗れる者は貴人に限られるので、貴族だろうとは察せられる。おまけに車を挟むように馬に乗った何騎もの武官が前後を警護しているのだから間違える筈は無い。

 葦原の街道は土を突き固めて、端より一段高くして水捌けを良くしただけの簡素な道だったので、都ならともかく遠方への移動にはあまり向かない。だから貴族の中にも馬に乗った方が楽と思う者は意外と多い。

 それでも格式は乗馬より牛車の方が上なので、貴族や皇族は実利以上に見栄のために車に乗る。階級社会というのはそういうものだ。

 後ろの牛車に乗るカイルは、兄貴分のお零れの形で貴族のような扱いを受けても、やはり堅苦しい生活は苦手だと思った。

 ただ、ここ半月ばかり過ごした葦原自体は面白いので気に入っている。大陸の西には無い文化や食べ物は真新しくて刺激に満ちている。

 何よりカイルが心躍らせるのは、これから訪れる海のある地だ。生まれてこの方内陸育ちで噂でしか海を見た事が無かった。養親のロザリーどころか実母のファスタだって海は話しか知らない。西のエルフとして、東の果てを見る数少ない機会を得られたのは幸運としか言えない。

 おまけに、というより兄貴分にはこちらの方が本命だろうが、向かう先は神か仙人なる者の伝説が残る地という。これは冒険の匂いがプンプン漂う。盗賊の本能がそのように訴えている。少なくとも退屈だけはしないだろう。

 後は美人のお近づきになれれば言う事無しである。カイルは車の中で従属のロスタに膝枕をさせながらウキウキしていた。

 

 

 三日間のゆっくりした牛車旅の末、一行は翁海の地に入った。

 この街道は地元民からクジラ街道と呼ばれている。海で獲れたクジラの肉を皇都≪飛鳥≫まで運ぶ事から、いつしかクジラ街道と呼ばれるようになったらしい。

 もちろん翁海の沖ではクジラ以外にも豊富な海産物が獲れるが、日持ちして大量に獲れる海産物の代表がクジラ肉だった事から名付けられたというわけだ。

 特に道中で生魚が出始めてカイルは大いに困惑した。海辺から離れた土地では肉や川魚は絶対に火を通すか、完全に乾燥した保存食しか見た事が無い。それを平気で生食するのだから驚きもする。

 しかし実際にヤトや御付きの武官が刺身を食べて、クシナもそれに倣うのを見れば、食い意地の張ったカイルも美味しそうに見えた。実際食べてみると意外と美味かった。

 翁海に入ってから丸一日移動に費やした一行は、街道沿いの大きな宿場町の宿を丸ごと貸切って泊まった。町はわざわざ≪桃≫や内陸の国から真珠や赤珊瑚、魚の骨で作る工芸品などを買い付けに来る商人も多く、景気良く金を落とす活気と潤いがあった。

 翌日、宿場町を発ち、一行は北東に向かう。そこに翁海一帯を治める塩原という国司一族が住む屋敷がある。

 屋敷には昼前に着いた。屋敷は政庁と砦も兼ねているので、かなり広く高い土壁を築き、水堀で囲んである。橋板を全て外してしまえば、攻め落とすのはそれなりに苦労する屋敷に見える。

 ヤト達を出迎えるための衛兵がずらりと並び、やけに物々しいというか格式張っている。

 確かに皇子を出迎えるにはそれなりの歓待を示しておくのが礼節だろうが、前もってお忍びの物見遊山と伝え、しかもヤトは皇子であっても公務を持たない無官なので、ここまで派手に出迎える必要は無い。

 あるいは皇子に歓待で媚びを売ったり、評判を禁裏に伝えてもらおうとしている。単に自らの財力を示したいだけ、とも考えられる。

 腑に落ちない点はあっても、ヤトにとっては大して意味の無い行為なので適当に流せば済む事だ。

 牛車から降りた四人を計っていたかのように屋敷の扉が開け放たれ、束帯という豪奢な貴族の正装を着た恰幅の良い若い男が護衛を連れて姿を現す。歳は20~25歳程度だろう。

 男はヤトの前で恭しく膝を着いて、頭を低くして話しかける。

 

「おおっ大和彦皇子!!このような僻地でお出迎え出来た事、浜麻呂は身に余る光栄にございます!」

 

「塩原殿、顔をお上げ頂きたい。私は皇子ですが貴方のような官位と国司という地位も持ってはいません」

 

「いえいえ!御身に流れる尊き血の前では、私めの官位など吹けば飛ぶような木の葉でしかありません!」

 

「今の言葉は主上が認めた官位を軽んずる発言と受け取りますよ」

 

 一瞬で春の陽気が凍り付いた。塩原浜麻呂は背中にびっしょりと冷や汗を流し、顔を引き攣らせた。顔を上げていなかったのが不幸中の幸いだった。

 数秒沈黙の後、浜麻呂は何とか動揺を抑えて、中身の伴わない賞賛と弁明で塗りたくって先程の言葉を取り繕う。

 だから付き合うのが面倒になって、聞かなかった事にするとだけ言って黙らせる。

 ヤトは何も彼に対して言い掛かりをつけているわけではないし、ネチネチといたぶって遊んでいる暇人でもない。見え見えのゴマすりの称賛に興味を示さず、本心から警告しているに過ぎない。

 

「それにこれから世話を受ける相手に、いつまでも頭を下げさせるのは気が咎めます。さあ、立ってください」

 

 そこまで言われれば相手も立たざるをえない。

 話が進んだところでヤトは連れ合いの紹介をする。

 カイルがエルフ式の畏まった挨拶をすると、浜麻呂もまた簡略ながら式に則り返礼をする。種族と国は違えども、最初に身分確かな者と見せておけば扱いは目に見えて違うものだ。ロスタは従属品のゴーレムなので目に留めない。

 クシナは皇族の奥方という事で恭しい態度を崩さないものの、視線から微かに隔意が漏れているようにも見える。

 一見鬼族に見える頭の角か、潮風に揺られる空の右袖が原因かとも思われたが、そんな分かりやすい原因を隠せないほどに――――迂闊な発言は少し脇に置いておく―――愚鈍な男には感じられない。もっと根深い感情が要因になっているのではないのか。

 尤もヤトはそんな視線が気に入らないなどと、言いがかりをつけるようなチンピラ以下のクズではないし、単なる思い過ごしかもしれない。仮に本当に嫁に何か良からぬ感情を持ったところで古竜に何が出来るというのか。気にするだけ無駄だろう。

 表向き礼を尽くした挨拶を済ませた後、召使に屋敷の離れに案内される。部屋の数は大小二十、風呂は二つ、厨房が一つ。全部自由に使ってくれと言われた。

 夜は饗宴を催すと聞いているので、それまでは外出せずに屋敷で大人しくしている。

 明日からはこの地に居ると思われる神か仙人を探そうと思うが、ヤトとクシナには常に護衛が就く。正直不要でしかないが形式上どうあっても外して行動するのは無理だ。

 だから自由に動けるカイルとロスタが代わりに宿場町や漁村を情報収集することになった。

 

「やり方は全て任せますから、好きにやってください」

 

「はいはーい!僕に任せてよ!あっ、昨日の町でちょっと聞いたけど、ここらの海って沈没船が結構あるみたいだよ。中にはお宝がざっくざく残ってる船もあるってさ」

 

「異国の交易船を迎える港もありますから、そういう話はよく聞きます。カイルは引き上げられるんですか?」

 

「うーん、どうだろう?水の精霊に頼めば何とかしてくれるかもね。そしたら僕って超大金持ちじゃん!」

 

 カイルはもはや財宝を手に入れたも同然に盛り上がる。正確には金はどうでも良いのだろう。求めているのはまだ見ぬ財宝であって、手に入れた財貨で特別な何かをしたいわけではない。言うなれば未知を求める探求心が彼を突き動かしている。どうあっても一ヵ所に留めてはおけない気質なのだから、変化に乏しい森を出たがるのは必定だ。

 実際に海から財宝を引き上げたとしたら、所有権を主張するかつての船主や砂糖菓子に群がる亡者など、色々と面倒な事になるのは目に見えているだろうが、わざわざ水を差す必要も無かろう。いざとなったら自分が皇族の名を出して丸く収めればいい。その程度の労苦は仲間であり兄貴分として背負うべきだ。

 当面の予定が決まり、後は饗宴を待つばかり。

 

 

 湯と軽い休息を挟み、夕刻に饗宴のある本屋敷に呼ばれた。

 通された所は中庭に面した広間。そして庭には即席で組んだ舞台が設えてある。饗宴にはよくある催しで、芸人や踊り子を呼んで場を盛り上げる。こうした文化は国を問わず、どこにでもある。

 既に塩原の一族は揃っており、全員が深々と頭を下げてヤトを出迎えた。

 

「禁裏の宴と比べれれば田舎臭く貧相ですが、どうかお楽しみください」

 

「何をおっしゃいます。皆々様、今宵は過分な歓待、誠に感謝いたします」

 

 浜麻呂の隣に座る、よく似た中年貴族が三人を座に招いた。彼は自らを富人と名乗り、周りからは御隠居と呼ばれていた。察するに先代当主で浜麻呂の父だろう。

 席を勧められたヤトとカイル、クシナはそれぞれ所定の席に座った。葦原の饗宴は男女は分けられて接待を受ける。

 お膳は各々の前に五つ置かれている。どれも新鮮な魚介を使った見栄えの良い料理が並ぶ。海の幸以外にも、肉や野菜、果実を使った菓子の膳が見た目で楽しませる。葦原有数の交易港もあって、西国の食器が使われ、ワインもある。

 これらは客を楽しませると同時に、土地を支配する一族の財力や支配力を誇示するための道具だった。

 席に就いた三人の杯に酒が注がれ、口を付けたところで舞台に前座の芸人が立ち、海を泳ぐ亀を真似た滑稽な踊りで笑いを誘う。

 場が盛り上がれば今度は見目麗しい踊り子が楽器の伴奏を背に雅な舞を披露した。

 カイルは綺麗な女性の舞を見られて満足している。クシナは舞には興味を示さず、お膳を手当たり次第に食べてはお代わりを要求して、周囲を驚かせている。

 

「如何でしょうか。都とは些か気風が異なりますが、評判の娘達ですから皇子にも楽しんでいただけると思います」

 

 隣で接待役を務める富人に、当たり障りのない返答で済ませた。相手もこちらの気質は知っているから、礼を尽くしたという事実さえあれば返答内容はさして重要ではない。

 舞が終わり、踊り子たちが舞台から去ったのを機に、富人が襟を正してヤトに是非とも会ってもらいたい人が居ると願い出る。

 こうした宴席ではよくある事だ。大抵は立身出世のために一族の若者を目上の者と引き合わせて、顔を覚えてもらう儀礼。もう一つは異性を引き合わせて、一種のお見合いのような行為が行われる。相手が若い男の場合は妾を勧められる事も時々ある。

 どちらにせよヤトのように既婚者かつ、大した事のない皇位継承権の低い無役の皇子にわざわざ引き合わせるのは珍しい。

 何のつもりか分からなくても断る理由に乏しいので了承した。

 許しを得たのを大仰に喜んだ富人は両手を叩いて件の人物を呼ぶ。

 隣の部屋のふすまを開けて姿を見せたのは赤子を抱いた若い貴族の女性だった。

 

「息子の女房と、我が初孫でございます。ぜひ皇族の方に抱いて頂きたい」

 

 普通に考えて赤子の方だろう。こういうケースは初めてだったが特に不利益は無いので母子を招く。何故か浜麻呂が唾を飲み込みヤトを凝視する。

 

「……昨年生まれた息子の燕丸でございます、大和彦皇子」

 

 ヤトは手足をばたつかせる赤子を受け取り、思いっきり泣かれた。この世で最も安心する母親の腕から、いきなり見知らぬ男の腕に代わったのだから当然である。

 泣いて暴れる赤子に苦慮して母親に返そうとして、顔に既視感を覚えた。

 赤子の母の年頃は十五~六歳程度。血の巡りの良い紅い頬にすらりとした鼻立ち、薄く紅を塗った形の良い唇とクリクリした大きな目。最も目を引いたのが艶のある黒髪と、その上にピンと立った猫のような耳だ。母親は猫人の血が少し入った混血だった。

 全体像と過去の記憶から、ヤトの脳裏に一人の少女が浮かび上がった。

 

「…………貴女は玉依ですか?」

 

「覚えてて頂けたのですね」

 

 玉依と呼ばれた女性はじっとヤトの瞳を見つめる。時が止まったような感覚は燕丸の泣く声で霧散し、改めて母親の元に返した。

 そして彼女は泣きわめく息子をあやし、夫の隣に座る。

 

「我が孫ながら元気があって良い。その上、皇子に抱いて頂いた事は自慢話になりましょう」

 

「喜んでいただけたなら何よりです。――――きっと僕のようには育たないでしょう」

 

 ヤトの後半の呟きは再開した舞台の演奏によって富人の耳には届かなかった。

 

 その後、饗宴はつつがなく終わり、ヤト達は宛がわれた離れへ戻った。

 カイルと寝室に別れてすぐに、どこか余所余所しいクシナはヤトの手を引っ張り、顔を見上げる。

 

「あの雌は汝の何だ?」

 

「婚約者だった人。もし国に残っていたら、僕と夫婦になって子を作っていたかもしれない女性です」

 

 それ以上は何も聞かず、クシナはヤトを布団に押し倒して、抱き着いたまま眠ってしまった。まるで自分のもので誰にも渡さないと主張するかのようだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話 過去に縛られない自由人

 

 

 国司の屋敷に泊まった翌日の朝、離れの居間で三人は朝食を執っている。ロスタはいつものように給仕を担当する。

 塩気の強い焼き魚に蛤の汁、ワカメの酢の物と海苔の甘煮など、初めての食材にカイルは興味津々だった。

 クシナはいつもと違い顔がムスっとして、不機嫌そうにおにぎりを三つ四つと頬張っている。

 

「えっ、あの奥さんが兄貴の許嫁だったの?」

 

「ほほう、予期せぬ再会にヤト様は心を乱されてしまったのですね」

 

「大体親が決めただけの仲ですよ。僕は大して気に留めません」

 

 カイルは危うく貝汁を吹き出しそうになった。そしてロスタは余計な茶々を入れてクシナに睨まれて、旦那の否定の言葉に少し機嫌が良くなった。

 本人の言う通り、一国の王子ともなれば幼い頃から許嫁の一人や二人ぐらい居て当たり前だ。そこに個人の思惑は介在せず、親や一族の利害関係と安全保障のために取り交わされる契約に過ぎない。特にヤトのような明らかに常人と異なるメンタリティを持つ男が普通の女性を自ら求めるとはカイルも思っていない。あの玉依という女性もそんな内の一人だろう。

 そこである疑問が浮かぶ。いや、そもそもカイルはこの国に来てから気にはなっていた。なぜ、皇子なのに国を出たのか。なぜそれが許されたのか。そして、ヤトを見る禁裏の者達の目に隔意と忌避感が含まれていたのかを。

 過去はむやみに探すより、出来れば本人の口から聞きたいと思った。

 

「アニキはどうして国を出たのさ。戦うためってのは分かるけど、それだけじゃないんでしょ?」

 

「食事をしながらする話ではないですから、先に朝食を済ませましょう」

 

 ヤトはそのまま食事を再開した。そう言われてはカイルも言う通りに食べるしかない。

 大量の料理を全て腹に納め、使用人の後片付けを待って、話を聞く準備は整った。

 

「では話を続けます。国を出るきっかけは、僕が兄を殺したからです」

 

 あっさりとした口調とは裏腹に、紡がれる事実はかなり重い。カイルは幾ら剣狂いのヤトでも、肉親までは殺めていないと思っていたから、少しショックを受けている。

 反面、当人はさして気にした様子もない。元より王族に類する階級に生まれた者は、生来熾烈な権力争いに晒され、親兄弟と争い命を奪い合うのは日常茶飯事。直接的に手を掛けるのは稀だし、陰謀が民草に知られれば人気は落ちるので表向きは病死や事故死として取り繕いはしても、禁忌というほどのものでもない。

 王族というのは餌の乏しい自然界の動物と似ている。自らが一人前になるためには、親から与えられる餌を兄弟から奪ってでも、成長の糧にしなければ生き残れない。時には弱って死んだ兄弟の死骸さえ喰らって腹を満たす事も要求される。

 限られた権力と財産を兄弟の数だけ分け続ければ、いずれ細分化された有象無象が大量に増えてしまい、国という集団は立ち行かなくなる。それを防ぐには少数だけで力を独占するしかない。結果、暗殺や陰謀が横行し、王族の家系図は血塗られる。ヤトもそんな内の一人と言ってしまえば納まる程度の、よくある権力者一族の事例とも言える。

 それは分かった。後はなぜそうなったのか、物事には理由が付いて回る。

 

「殺した理由は何なのさ。そのお兄さんが凄く強かったから戦ったの?」

 

「いいえ、並より少し強い程度でした。もう少し詳しく話しますね」

 

 ロスタに茶を淹れてもらい、一口啜ってから昔語りが始まる。

 ヤトの兄は長門彦。現皇の次男としてヤトより七年早くこの世に生まれた。母親は異なる。権力者にはよくある事で、望む望まないに限らず、多くの女性を側室にして子を多く作る。ヤトと長門彦の母も側室だった。

 母親が違うというのもあって多くの兄弟仲は良いとは言えなかったが、長門彦は協調性を重んじてよく兄弟の面倒を見ていた。ヤトも幼い頃はよく兄に構われた事がある。剣術の相手をしてもらった事も多い。

 彼は成長してからは素養の高さもあって軍人を目指し、いずれは軍を束ねる将軍になると誰もが期待していた。

 しかし一つの転機が彼に訪れた。ヤトが十一歳、長門彦が十八歳の時にそれは起きた。

 久しぶりに長門彦が弟の剣術の稽古を見ていた時だ。弟の腕前がどれだけ上がったのか見たくなり、木剣で立会い負けてしまった。

 最初はまぐれだと思い、弟を褒めた。何日か後にもう一度立ち会うと、あっさり負けてしまった。三度目には十歳を過ぎた子供に手も足も出ずに惨敗した。

 何の事は無い。弟には天賦の才が備わっていただけ。それも七歳差を覆す程の覆すのが不可能に近い隔絶した差だった。

 才能ほど理不尽で説明のつかない理由は存在しない。多少才能があるだけの年上の凡人は一蹴される。

 その日から長門彦の中で何かが変わった。何事も無いように振舞いつつも、どこか余裕が無くなり、些細な事で召使を叱責しては処罰と称して暴行を加える。以前なら兄弟同士の喧嘩を仲裁していたのに、無視するか場合によっては剣を抜いて力づくで黙らせようとする。

 別人のようになった長門彦から、次第に周囲の者は距離を置いて去ってしまった。悪い事に彼はその理由を自分に力が無いからと思い込んで、より強い力を求めるようになり、身体を苛め抜くような無謀な鍛錬や勉学に没頭するようになる。

 それでも武芸はヤトに近づくどころか、月日が過ぎるごとにより差は広がった。時には周囲が天才に張り合っても無駄、軍人なら剣より人を使う事を覚えろと、助言しても耳を貸さなかった。

 そうして二年の月日が経った。長門彦二十歳、ヤトが十三歳の時に遂に惨劇が起きてしまった。

 ある夜、禁裏の宝物庫に長門彦が一人で訪れて、夜番の衛兵を殺して蔵からある剣を奪った。剣は目録に五百年以上昔に葦原に流れて来た、曰く付きの血のように赤い魔剣と記されている。さらに目録にはこのように書かれていた。

 

『使い手に大きな力を貸すが、ひとたび握れば誰彼構わず斬り殺す事を望む呪がかかっている』

 

 そのため誰も使おうとせず、やむなく人目を憚るよう禁裏の蔵に置かれていた。

 長門彦は力を求めるあまり、禁忌の魔剣を持ち出し、呪に魅入られて目につくモノを手当たり次第に斬った。

 そして一番斬りたかったヤトを見つけ、兄弟は殺し合う。

 結果、生き残ったのは弟の方だった。兄は戦いの最中、腕を斬られて赤い魔剣を奪われ、殺したかった弟の手で心臓に剣を突き立てられる事で、短く暗い生涯を終えた。

 惨状を引き起こした皇子が弟に返り討ちに合ったところで、事はそう簡単に収まらなかった。

 何しろ禁裏の中で、よりにもよって皇子が刃傷沙汰を起こし、討ち取ったのが実の弟の皇子だ。乱心した長門彦皇子が多くの兵を殺したのを見た証人は多く、上から下は大混乱に陥り、詮議は難航した。

 身を護っただけの大和彦皇子に罪は無いと言う者は多いが、兄殺しを無罪放免しては禁裏の秩序が崩壊する。そしてこれを機に一人でも皇になりそうなライバルを排除したい、他の兄弟の取り巻き貴族が事を荒立てて、政治闘争にすり替わっていた。

 遅々として収拾のつかない事態は、結局父である皇その人が沙汰を言い渡す事で無理矢理に決着が付いた。

 

『大和彦は兄殺しの禊のため、葦原より数年の退去を命ずる』

 

 こうして大和彦皇子は十三歳の少年ヤトとして、生まれて初めて生国を出た。供は一人もおらず、手には兄殺しの赤い魔剣≪貪≫と、それなりの路銀だけ。

 殺戮を強要する魔剣を手にしても、なぜヤトが影響を受けないのか。理由は何となく何となくわかる。元から戦う事にしか関心が無いのだから、呪がかかっていても大差が無い。ならば兄殺しの忌み子と共に放り出せば後腐れが無い。そんな思惑で大人達は餞別として赤剣を押し付けた。

 誰もが皇子は二度と葦原の土を踏めないと思い、いつしか長門彦と大和彦の二人の皇子は人々から忘れられていった。

 

 

 話せる事は全て話したヤトは、すっかり冷めてしまった茶を一気に飲んで喉を潤した。

 

「これが僕が国を出たあらましです。元々強者と戦いたかったから、放逐は願ったりでした」

 

「兄貴は実の兄さんを殺して平気だったの?」

 

「昔から世話を焼いてくれたのは感謝してますが、公平な立ち合いの末に斬った事には何も」

 

 何となく予想していた返答でも、当人から直に兄弟殺しの悔恨や悲哀が無いと言われると距離を感じてしまう。

 もっともそう感じているのはカイルだけで、クシナは別の事に関心を見せていた。

 

「ならあの雌には何を思っていた」

 

 クシナの言う雌というのは昨日赤子を抱いていた玉依の事だろう。ヤトが許嫁として覚えていたのを、クシナは少しだけ不満に思っていた。

 

「親が決めただけの間柄で一年に数回会う程度の仲でしたが、放逐される前日に泣かれたので、僅かに罪悪感はありました。同時に今は幸せを手に入れたようで安心しています」

 

「本当に?」

 

「本当です」

 

「なら何故あの雌だけ名を呼び捨てにしている。儂は?」

 

 クシナは口を尖らせて旦那に不満をぶつけてくる。男女の機微に疎いヤトでもこれは察する。嫁がかつて自分の許嫁だった女に嫉妬をしているのだ。

 カイルとロスタの視線も加わって、居心地の悪さにヤトの目が泳ぐ。それでも分かりやすい要求なら叶えるのは容易い。

 

「分かりました。これからはクシナとだけ呼びます」

 

「うむ」

 

「仲良き事は美しき哉というやつですね。ですがこういう時はもう一波乱あったほうが盛り上がりますよ」

 

「ロスタはちょっと黙ってて」

 

「てへぺろ」

 

 せっかく丸く収まったのに、それを引っ掻き回そうとするロスタを主人のカイルが黙らせたが、相変わらず舐め腐ったポーズで誤魔化す。この様子では全く懲りていないようだ。

 ロスタの行為にヤトはふと、昨日の富人が玉依と孫を引き合わせたのかを考え、一つの推測に至る。

 あれは息子の嫁を自分に差し出す思惑があったのかもしれない。

 歴史上の皇には自分の側室を家臣の貴族に下げ渡す行為を行う者も居た。皇の手が付いた女は格が上がり、その女を妻に迎えるのはある種の誉と今でも考えられている。さらに女の胎に皇の子が居たと風潮すれば、血は繋がらなくとも貴族は皇子の義父となり、禁裏での発言力が増す。

 そこまでいかずとも、皇族の手の付いた女が子を産めばその子は皇族として扱われる事もある。場合によっては所用で地方に訪れた皇族に自ら妻や血族に伽をさせて、子を作らせようとする貴族も珍しい事ではない。

 一度でも手を出してしまえば、もう言い逃れは出来ない。特に葦原は多くの民が獣人、エルフ、ドワーフ、ミニマム族などの種族と混血が進んで、三代遡れば誰かが混血していると言われている。時には両親と子さえ種族が異なる事だってある。胎の子の父親が誰かなど母親だって分からないのだ。

 よって有り得ない事だが、ヤトがかつての許嫁の事を忘れず、一度でも関係を持ってしまったなら塩原の一族に皇族が生まれてしまう。

 富人、浜麻呂の親子は全てを分かった上で玉依を差し出してきた。貴族にとって血族も嫁も、まして子供とて権力維持と立身出世の道具と割り切っている。

 よくよく考えると、この手回しの良さは出来過ぎていると思った。たまたま仙人伝説を調べに来た地で、かつての許嫁と再会した。これが偶然とは思えない。

 そもそも翁海を勧めたのは師の綱麻呂。師と玉依はやや遠いが親族だったのを思い出す。

 綱麻呂は万が一でも、ヤトと玉依を結びつけるように謀ったのだろう。あれもまた貴族だ。利用出来そうなモノを効果的に使うのを躊躇ったりはしない。

 

「まったく、調べ物をするためだけに戻っただけで、良いようにしてくれます」

 

「何の話?」

 

「カイル、出来るだけ早く情報とお宝でもなんなり手に入れて、さっさと葦原から離れないと都合良く利用されて振り回されますよ」

 

「…………あーそういう面倒事か。ちぇー!もうちょっと楽しみたかったのになー」

 

 皇子としての地位を使えば大抵の事はまかり通るが、代償に面倒事が次から次へと舞い込んでくる。正直割に合わないし、しがらみに捕らえられるのは御免だ。

 こういう時に利より自由を選ぶのが、ヤトとカイルが似ている所だろう。

 カイルは自分達が置かれている状況が必ずしも良いと言えないと気付き、早速ロスタを伴って街へ情報収集に出かけた。一人前の盗賊に任せておけば何も心配は無かった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話 仙人探しの船旅

 

 

 ヤト達が翁海の地に来てから五日が経ち、町や漁村で情報を収集していたカイルが一定の成果を上げてきた。

 このところ接待漬けで、些か飽きと辟易が来ていたヤトとクシナは、夜の饗宴を疲れが出たと言って早めに切り上げた後、四人は離れで密談を始めた。

 

「まずは情報収集お疲れさまでした」

 

「いいよいいよ。こういうのは僕が一番だからさ」

 

 ヤトのねぎらいの言葉を、カイルはヒラヒラと手を振って軽くいなす。兄貴分が自由に動けない以上、動きやすい自分が主に仕事をするのは当然の事。頼りにされているのも悪い気はしない。

 それに初めて海を見て、素足で海水に触れ、波の音を聞く。海という全く新しい環境から受ける刺激は、穏やかなエルフの森で過ごしていたら絶対に味わえない。まだ少年の域を脱していないカイルにとってこの上ない喜びだった。

 漁で獲れたばかりのタコや海亀のような珍味を楽しみ、地元民から昔話を聞くだけでも満ち足りた時間だ。もちろん遊んでいるだけでなく、ちゃんと要点を抑えて情報は集めておいた。

 

「じゃあ結論から言うと、伝説はあったよ。神様だったり竜もある、仙人もね。人によって内容も結構違うけど」

 

 少なくとも師の綱麻呂は嘘は言ってなかったらしい。と言ってもこの手の伝説はそこかしこで散見されるので、全てを真に受ける事は止めた方が良いだろう。ともかく判断するのはカイルの話を全て聞いてからだ。

 まず最も多く話に上がったのが海の神の伝承だった。これは海辺の土地柄だから順当だろう。海洋というのは人が住める場所ではなく、舟板一枚抜けばそこはもうあの世と同義。頼れるのは自らの力と神の気まぐれでしかない。

 時化ともなれば、高波が船だけでなく浜の建物や人を何もかも持ち去ってしまう。だから民は海神への供物を捧げたり、暴風雨そのものを神と呼んで畏れ敬う。そうした伝承はそこらの飲んだくれの漁師なら誰でも知ってる話だ。

 それに翁海の地にもちゃんとした神殿があり、海神を信仰する神官が沢山いる。一応カイルはそこで伝承を色々と聞いてきたが、とりたてて興味をひく話は無かった。強いて言えば御神体として、千年以上前に神から授かった神器が奉納されているぐらいだ。ちなみに神器は沈まない石の船らしい。

 神の話はそこそこに切り上げ、次は海に棲む竜の話に移る。

 こちらは漁師の間で昔から語り継がれている伝承で、翁海の沖の海底には竜が棲んでいると言われている。漁師が海底で竜の姿を見たとか、網に時々巨大な鱗が引っかかっていたり、この近辺に鮫が殆ど寄り付かないのはその竜を恐れているからだと。

 他にも嵐に遭って沈んでしまった交易船の船乗りの中には『嵐の中で竜の姿を見た』と数年に一度は証言が上がる。さらにその時には、暴風雷雨の中で女の歌う声も聞こえるという、怪談じみた話もあった。ただ、歌の方は飲んだくれの老船乗りが酒に酔いながらの話で、周囲は何度も聞かされた単なる与太話として扱っていた。

 女の歌はともかく、人知を超えた何かが海に潜んでいるのは、地元民なら誰もが薄々気付いていた。

 中には嵐で商品を満載した船が沈んで大損害を受けた異国の商人が、怒りのまま竜を討伐しようと武装船を出した事もあった。当然何の成果も出せず、手ぶらで帰った。どこに居るかも分からない相手に会いたいからと言って会えるような存在ではないし、竜だって商人を相手にしようなどとは思うまい。

 ともかく、竜か断定は出来ないが海は人が侵し難い領域と言う事だけは地元民の話で分かった。

 最後に本命の仙人については、色々と真偽定かではない伝説は数多く聞けた。

 一番多かったのは誰も住んでいない孤島で人影を見かけたという話で、実際に幾つかの島には昔から仙人が住んでいる伝承がある。

 最初は船が難破して打ち上げられた船乗りかと思われたが、助けを求めるような素振りは見せず、いつの間にか消えてしまったらしい。

 あるいは過去に武芸者が修行として島に渡って、数十年住み続けた事もあったらしい。そうした求道者がいつしか仙人と呼ばれるようになり、伝説として定着した話も幾つかあった。

 現在そうした武芸者が生きているか判然としないが、過去にいた事は確かである。

 カイルがヤトに頼まれて集めた話はこんなところだ。後はついでで聞いた沈没船の話だったり、過去に海賊が根城にしていた島など、財宝関係の話がちらほらある。

 

「で、アニキはどうするの?」

 

「まずは仙人がいるという島にでも行って調べてみましょう」

 

 所在が分かっている所から調べるのは基本だ。船は地元の漁師か交易船を持っている商人に金を積んで乗せてもらえば良い。

 クシナの背に乗って飛ぶ案もあるが、不必要に民衆を騒がす必要はあるまい。何かしらのアクシデントで船が使えないか、途中で沈んだ時に何とかしてもらおう。

 塩原の一族が何か言ってきても、単なる遊びとシラを切れば止められはしない。

 翌朝、ヤトが浜麻呂に孤島に遊びに行くと伝えると、彼は難色を示すどころか快諾して、船はこちらで調達するとまで言ってのけた。些か拍子抜けをしたものの、協力してくれるなら素直に受けるべきだろう。

 その次の日、護衛付きの牛車を出して港まで送ってくれた。

 国司のお膝元の港町は皇都にも劣らぬ規模を有しつつも、秩序とは程遠い混沌とした熱気を発していた。

 港町は最初から国の中枢都市として設計された皇都≪飛鳥≫のように秩序立った都市設計はされていない。絶えず出入りする異国の船とその船乗りで溢れ、彼等の持ち込む品を目当てに遠方から多数の商人が押し寄せ、金に群がる人が人を呼ぶ循環が生まれていた。

 人の循環こそが長年に渡り無秩序に拡張を広げる保証となり、もはや最初の支配者たる塩原の一族すら、毎月商人から受け取る税収が適正な額なのかすら把握しきれていなかった。

 おかげで相当額が徴税する役人の、さらに使いっぱしりの懐に入っていると思われるが、それすら町全体の収益と比すれば小遣いにも満たない。外国からやって来る船が町に落とす富はそれほど莫大だった。

 反面、利益を求める輩がお行儀よく商売だけするはずもない。絶えず暴力と狡知が渦巻き、喧嘩や詐欺は挨拶程度。刃物を振り回して死体が生まれ、失敗して借金で首が回らなければ奴隷扱い。勝てば正義、負ければ悪。弱肉強食の理が町の裏側を支配していた。

 そうした町の暗い部分も、今のヤト達には関わりない。四人は住民と触れ合う事もなく、港へと送られた。

 港は何もない日でもお祭りのように賑やかだった。三十を超える巨大な蔵が立ち並び、そこへ同じ数の船から担ぎ手が休み無しに荷を運び入れる。ざっと見ただけで積み荷は工芸品、香料、毛皮、酒、武具、珍しい生きたままの動物もいた。

 船も形状はバラバラで、葦原と同様の造りもあれば、桃国様式の船もあり、隣には全く異なる形状の帆を持つ―――南方にあるシーロンという島国から来た―――大型船も停泊していた。

 四人のために用意されたのは、葦原式の帆と櫂を備えた三十人程度を乗せる中型船で、どちらかと言えば近海で使うための小回りが利く船だ。孤島への上陸には適している。

 既に出向の準備は整っており、顔に刀傷のある隻眼の鼠人船長がヤト達を出迎えた。小柄ながらによく鍛えられた肉体はいかにも海のつわもの然としている。彼は岩太郎と名乗る。

 

「皇族を乗せられるとは終生の誉でさあ。して、どちらの島に向かいますか」

 

「地図に島の位置は記しておきました。順番はそちらに任せます」

 

 カイルから地図を受け取った船長は、五つの赤印が塗られた地図と睨めっこしながら航路を組み立てる。積んだ水と食料、風と潮流を計算に入れて、出来るだけ効率的に船を操るのが船乗りの腕の見せ所だ。

 

「よーし野郎ども!出港するぞ!!お客人は邪魔にならねえように船室に入ってくだせえ」

 

 ヤト達は言われたままに船の中に入った。

 船の航海は陸を旅するのとは全く異なる技術を要求されるので、いかに皇族だろうと船乗りに口を出す事は出来ない。船の上で一番偉いのは船長だ。

 後は専門家に任せて、全員が生まれて初めての船旅を満喫した。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話 嵐の後には

 

 

 翁海の孤島探索を始めてから十日が経った。

 ヤト達は既に三つの島を探し終えて、これから四つ目の島へ向かっている。

 海はやや荒れており帆に当たる風が定まらないので、船乗りたちは頻繁に帆の向きを操作して適切な進路を維持していた。

 四人は現在船室で大人しくしていた。荒れた海では素人がする事は無いし、むしろ作業の邪魔どころか海に投げ出される危険すらあるので、外に出してもらえない。

 ヤトは動かないように机に釘打ちした地図を眺める。

 これまで三つの島を探索したものの、目立った成果は上がっていない。人の住んでいた痕跡が見つけられればまだマシな方で、一つの島は雑草すら生えていないただの岩礁。さらにもう一つは普通に漁民が暮らしている集落だった。勿論現地民に聞き込みをしても、成果は得られなかった。

 外れを引いているのは確かだが、ヤトはそこまで落ち込んではいない。元から噂話に多くは期待していないし、まだ三つ目だ。あと二つが空振りでも、次はカイルに付き合って宝探しも悪くはない。

 幸い食料と水は三番目の漁民の住む島で補給したから、まだまだ余裕がある。何よりここは豊富な魚の棲む近海だ。船乗り達が待っている間に暇潰しに漁をして新鮮な魚や貝が手に入れば、その日の夜は御馳走を楽しめた。

 残る二つがどんな島なのか予想を立てている隣で、長椅子に寝ていたクシナが顔を青くしていたから背中を擦る。竜が船酔いなどと笑い話にもならないが、当人にとっては真剣な問題だった。

 そしてカイルも今は備え付けられた便所でゲロゲロ吐いていた。あちらも船酔いで酷い事になっている。

 二人の名誉のために言っておくが、今は荒天で揺れが酷くなっているから酔っているだけで、常に船酔いをしているわけではない。それに食事時ともなれば、それまでの吐き気が嘘のように飯を食べ始めるから、あくまで酔いは一時的な不調だ。決して食い意地が張って限界まで食べて腹に入れるから酔いが酷くなってるという事は無い。

 陸に上がれば元通りだから探索は問題無い。しいて言えば、今この場では役立たずなのはいただけないが、ヤトとロスタがいれば嵐と共に現れる伝説の竜でも来なければ対処は容易だ。

 そういうわけで海の上では暇なヤトは船酔いした嫁を介抱する事以外にやる事が無かった。

 

 

 その日の午後には、四つ目の島に上陸した。島は鬱蒼とした森で覆われて、奥までは視界が通らない。

 ここも言い伝えでは求道者が何十年と荒行を行っていたらしいので、とりあえず探してみるしかない。。

 海が荒れてきたから島にはヤト達四人だけ上陸して、他の船乗りたちは錨を降ろして船内で待機している。船長は出来れば船に残るように勧めたが、クシナとカイルの船酔いが頂点に達していたので、やむを得ず四人だけ先に上陸した。

 ようやく船酔いから解放された二人は、多少元気を取り戻して地面の有難みを味わっている。

 

「さて、日暮れも近いですから、早めに探索をしておきましょう」

 

「「「おー!」」」

 

 四人は荷物を持って森へと入る。最低でも風を遮れる森の中で野営の準備はしておきたい。

 カイルを先頭にして、無造作に生い茂る草花を丁寧に掻き分け、枝が落ちていれば拾っておく。森の精霊に挨拶をして、住民の情報も仕入れた。

 精霊によれば昔はこの島にも時々外から訪れて長く滞在する者がいたらしい。ただ、最近はめっきり見かけず、時々浜の方で漁師が休憩する程度で、森には寄り付かなかった。

 先住の野兎や狐が遠巻きに見守る中、森の奥で朽ちた小屋を見つけた。

 小屋は長年放置されて穴の開いた屋根には雑草が生い茂り、一方の土壁が丸ごと倒れている。中を見ればそこは野ネズミの巣で、入って来たカイルに驚いてあっさりと逃げ出した。

 荒れ放題でお世辞にも綺麗な所ではないが、最低限の風除けには使えると判断して、ここを今日の宿に決定した。

 都合が良いのか悪いのか雨音がし始めた。カイルが精霊に頼んで屋根の蔦を生やして、即興で穴を埋める。

 宿を確保して余裕が生まれたので、小屋の周囲だけでも探索してはどうかという話が出る。急ぐ理由は無いが散歩程度の余裕はあったので、少しの間だけ探索する事になった。

 四人は小屋の周囲を見渡して、少し離れた場所に井戸を見つけた。カイルが覗いてみると底には雑草が生い茂り、水も枯れていた。

 

「うーん、お宝は無いか」

 

 普通の井戸にお宝が隠されている確率は無と言わずとも、ほぼ無いに等しかろう。それでも彼は井戸の暗闇から何かを見つけて、中の探索を主張した。どうやら壁に横穴があるらしい。

 念のために石を落として罠の類が無いのを確認してから、カイルが腰に縄を付けて井戸の底まで降りてみる。

 浅い底に降りて目当ての横穴を見た後、ちょっと目が輝いた。

 しばらくゴソゴソと何かをやってから、自力で上に戻った。彼は懐から自慢気に、青い金属細工の像を取り出した。

 

「へへーん!どうこれ」

 

「なんだそれ、蛇か」

 

「これは龍を模った像ですね。葦原や桃国では角のある蛇に近い姿の竜の方が一般的に知られています」

 

 クシナが翼の無い龍の像をしげしげと見る。彼女自身の姿とはあまり似ていないのに、同族扱いなのがいまいち納得出来ていない。

 そこは置いておき、ヤトは龍像を細部まで観察する。細工の出来栄えは中々で、長い髭の躍動感や鱗一枚に至るまで入念に彫り上げから、一流の職人の手が入っているのが分かる。何の金属なのかは分からないが、それなりに価値のある像だろう。

 

「良い物ですが井戸の中に隠してあったんですか?」

 

「井戸の横穴に祭壇みたいな物があって、そこに置かれていたよ」

 

 ヤトはすぐに像が神へのお供え物と気付いた。普通の人間なら罰当たりと思って手を出しはしないが、ここに普通の感性の者は居ない。よしんば本当に神が怒りのままに罰を落とすなら、喜んで切り伏せて見せよう。よって弟分には特に何も言わない。

 ただ、偶然だろうが急に雨脚と風が強くなったので、探索はここまでと切り上げて、あばら家へと戻った。

 弱まる事を知らない雨粒と暴風の騒がしい演奏を聞き流して、早めの夕食をとる。

 

「沖の船は大丈夫かな」

 

「船乗りの腕を信じるしかありませんよ」

 

 ヤトの言う通り、海のことは船乗りにしか任せられない。最悪船が沈んでも、クシナに飛んで運んでもらって海を渡れるから、自分達の心配はしていない。

 そういうわけで四人は体力を浪費しないように大人しく身体を休めた。

 

 翌日。夜明け前には目を覚ました。昨晩から風は一切弱まる事なく荒ぶり、遠くでは何度も落雷の轟音が鳴り響いていた。幸い雨だけは弱まり、今は小雨になっていた。

 ヤトはクシナとカイルを起こし、朝食の前に海の様子を見る事を提案する。昨日の時化で船が無事かどうか確認ぐらいはしておきたかった。

 反対意見は出ず、四人は小屋を出て暴風吹き荒れる海へ向かった。

 海は当然ながら大荒れで、岩壁には叩きつけるように高波がぶつかり、飛沫が海へと戻っていく。

 波が引いた後には魚やタコが打ち上げられていた。海からの新鮮な贈り物と喜びたいがそうも言っていられない。

 海産物以外にも、船の木片やら水死体が転がっていた。死体の顔には見覚えがある。四人が乗っていた船の船員だった。

 その船員が死体になって転がっている。海を見れば、昨日までそこにあった船が影も形も無い。船と共に彼等がどうなったかは考えるまでもない。

 

「船は沈みましたね」

 

「悪いことしちゃったかな」

 

 カイルが気の毒に思って、ロスタに命じて船乗りの死体を森の方に運んで掘った穴に埋めてやる。船乗りにとって海で死ぬのは覚悟の上でも、埋葬ぐらいはしてあげないと死に切れまい。

 最低限の弔いが済んだところで、これからどうするかの問題が出てくる。

 単に島から出るだけなら、クシナに飛んでもらって最寄りの陸地に降りればいい。まだ探索したいなら留まるが、せめて風が弱まってからにしたい。

 どちらにせよ風はますます強く吹き荒れて、流石のヤトもこれには参る。

 カイルは風の精霊に何とかしてくれと頼むも、どうも様子がおかしいと困惑していた。

 

「えっ『アイツの欠片が来る』。どういうこと?」

 

 声から精霊が何かを伝えようとしているのは分かる。しかし具体的な意味が分からないのでは、どう対応すべきか判断に困る。とりあえず何かが来るのは確からしい。

 ヤト達は最悪を考えて武器をいつでも抜けるように警戒はした。

 何かが迫っているのを四人全員が感じ取る。その上、先程まで立っていられないほどの暴風が一気に凪に変わった。

 異常事態に警戒心が最大となり、最も感覚の鋭いヤトが海に視線を向けた。

 湖面のように穏やかになった水面が唐突に盛り上がり、一匹の魚が跳ねた。

 クシナとカイルの気が抜けた瞬間、人ほどもある魚が海を貫いて姿を見せた。

 否、魚ではない。上半身が裸の女、下半身が魚の異形であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話 海底城

 

 

 突如海面に現れた人族の女と魚の混合種は四人を確認して、近くの岩に上がった。女は濡れた長い黒髪を一纏めに束ねて、肩に掛けながらヤト達を眺めて首を傾げる。

 カイルは相手が砂漠の神殿の像で見かけた魔人族に外見が似ている事から、女も魔人族と判断した。しかし魔人かどうか分かるロスタに真偽を問うと彼女は否定した。

 なら一応地元出身のヤトに何なのか聞くと、自信薄く答えた。

 

「昔、海に棲む人魚という種族がいると聞いた事があります。どんな生き物なのかはよく知りません」

 

 結局分かったのはそれだけ、実質何も分からないに等しい。なら剣で斬ってみれば分かると思ったが、ヤトにもひとまず意思疎通から始める程度の自制心はある。言葉が分かればの話だが。

 幸いと言っていいのか分からないものの、人魚の方から言葉を投げかける。

 

「おんしら、いつもの捧げ物ではないな。それに像をくすねた盗人にも見えぬ」

 

 カイルは彼女の言葉に、顔に出さずとも驚いた。なぜ懐にある像の事を見なくとも分かるのか。捧げ物という単語も不穏を煽る。

 人魚の方も四人が妙な連中と思って、警戒心が先に立つ。金髪の耳長はおそらく遠くの妖精族だろう。後ろに控えた銛を背負った女はよく分からない。それ以上に奇妙なのが隣にいる男女だ。アレはどことなく主や我々に似ている。

 どうしたものかと思案する。単に盗人なら食って終わり。いつものように差し出された捧げ物なら連れて帰る。そのどちらでも無いのなら、下手に手を出すより主が決めるだけのこと。

 

「しかし勝手に像に手を付けたのは不届き千万。これより我等の主の眼前で許しを乞うなら、見逃してやらぬでもないぞ」

 

「その主とやらはどこにいるんだ?居ない奴をあてにするのは間抜けだぞ」

 

 クシナのともすれば皮肉か嘲りに取られる率直な物言いにも、人魚は怒りを感じた様子はない。

 

「では言い方を変えよう。おんしらを我が住処へと招きたい。陸では味わえぬ馳走と宝石とて及ばぬ情景を約束しよう」

 

 高圧的な態度はさして変わらないが、先程までと正反対の申し出にヤトは疑いの目を向ける。そしてこのまま捨て置くか切り捨てても、特に後腐れは感じない。

 ただ、隣の嫁や弟分はちょっとグラついているから、どうしたものかと悩む。それに海の底で息は出来ないし過ごしにくい。人魚も海産の足で陸住まいは難しのだから、逆もまた然り。満足の行く待遇が望めるかどうか。

 

「貴女の住処というと、まさか海の底まで僕達を招けると言うんですか」

 

「案ずるな。我も最初は海に潜る事さえ出来なかったぞ」

 

 人魚は岩から飛び降りて再び海へと潜る。

 しばらくするとあの人魚が出てきた時の数倍の水飛沫を上げて、船ほどもある巨大な海亀が姿を現す。甲羅の上には先程の人魚が悠然と腰かけ、ヤト達を手招きした。

 

「そういえば海亀は食べられるらしいですよ」

 

「ならこいつも食ったら美味いのか」

 

「ここでそういう話はやめてよ」

 

 カイルの言う通り、移動用の生き物を食材として扱うのは明らかに不適切だろう。

 亀の味はともかく、四人は亀の甲羅に飛び乗った。そこでまだ誰も名を名乗っていない事に気付いて、先にヤト達から名を告げる。

 返礼として人魚も自らの名を『早波』と名乗った。

 四人と早波を乗せた海亀―――名は『ウラシマ』と教えてくれた―――は島から離れて沖へと泳ぐ。意外と速度は出るが乗り心地は悪い。

 ある程度沖まで来たところでウラシマの足が止まる。当然周囲は見渡す限り一面の海だ。

 それからウラシマは口から大量の泡を吐き、早波がその泡に触れると、急速に大きくなって亀の甲羅を全て覆い隠す程に巨大化した。

 

「これで海中で溺れる事は無い。では改めて我が主の元へ参ろうか」

 

 早波の命令で海亀は海に潜る。

 甲羅の周囲を覆う泡の幕は海水を通さず視界も良好。自由に泳ぎ回る様々な魚の模様までくっきりと見えた。

 海中という未知の世界の光景には、さしものヤトも感動せずにはいられない。カイルやクシナも生まれて初めて見る海中に驚き興奮で我を忘れる。

 深く深く潜るにつれて泳ぐ魚も変わり、やがて光の届かない闇に閉ざされた深海へと導かれる。普通の人間から半狂乱になりそうな闇の世界でも、四人は適応出来たため落ち着いている。

 さらに下へと潜れば見慣れた魚も居なくなり、形容しがたい奇怪な姿の魚が増え始めた。中には光を放つクラゲや、人より大きなイカが亀の横を通り過ぎるたびに、ヤト達は世界の広さを痛感する。

 どれだけ深く海に沈んだから感覚が麻痺し始めた頃。早波がそろそろだ、と指を差す。

 指の先を見ればそこは海の底でも、そのような場所には決して無い物が鎮座していた。

 巨大な城である。

 

「うわぁ、何で海の底に城があるのさ」

 

「我が主の住まう場所だぞ。狭くて貧相では格好が付かぬわ」

 

 先日過ごしていた禁裏の十倍はあろうかという、まるで一つの都市そのものの巨大な石造りの城に全員が圧倒された。

 これほどの巨城を必要とする者が今まで誰にも知られずに海に居るのを、この国の代々の皇は知っていたのだろうか。

 まあ知っていてもこんな深海の底では手出しをする事も出来ないから、お互い不干渉を保った方が不幸は少なかろう。

 ともかく一行は海亀ごと城へと招かれた。しばらくまっすぐ進むと、正面に高い壁が見えた。

 行き止まりかと思ったが、亀はそこから真上に浮いて昇って行く。

 上を見上げれば不思議と照明が見える。そして登り切った上は地上と変わらぬ空気が満ちていた。光の正体は天井から吊り下げられた水槽に入っていたクラゲやイカが発する光だった。

 海亀は石の床に前足を乗せて、早波は泡の萎んだ甲羅の上の四人に降りろと催促する。

 

「後は別の者が主の所まで案内してくれる」

 

 彼女の言う通り、奥から二人の女がヤト達の前に姿を見せる。こちらは早波のような人魚ではなく、古い時代の葦原の女官服を着た両足のある普通の女性だ。

 二人はそれぞれ『漣』『満潮』を名乗った。どちらも非常に整った容姿を持ち、貴族のような気品ある仕草で振舞う。

 四人は彼女達の先導で湿気のある廊下を進む。湿気が多いのは海の底なのと、壁の所々に照明用のクラゲの入った透明な鉢が備え付けられているからか。その割にカビは生えていないのは塩気のせいだろう。

 長い回廊を歩くだけでは暇だったカイルは積極的に案内役の二人に話しかける。

 

「二人は早波さんとは違う種族なの?」

 

「同族ですよ。私達は必要なら貴方達と同じ姿になれます」

 

「主以外は全員我らと同じ種族しかいない。それにお前達のような者が招かれるのは、私の記憶の中では初めての事だ」

 

 さらに二人は普段食べている食事は魚介や海藻など、時々難破する船から食器や酒などを調達する事もあると教えてくれる。積み荷の財宝は一部は城の装飾に使ったり、倉庫に放り込んだままだそうだ。

 そして彼女達の主とは何者かと問うと、二人はただ自らの目で見て威光を感じろとだけ告げる。実際このような深海に住む、明らかに人知を超えた存在なのだから言ってる事が的外れとは思わなかった。

 それなりに長い回廊を歩き終えて、巨大な扉の前で二人は立ち止まる。

 

「ここより先は主の間です。くれぐれも非礼の無いように」

 

「主は鷹揚だから余程の事でもなければ怒りは買うまい」

 

 いまいち参考にならない忠告の後、漣と満潮は扉を押し開く。

 開け放たれた扉の最奥に悠然と佇むソレを見た四人は驚いたまま固まった。

 部屋の床から数段高い玉座と思われる場所には、黒い体色の蛇がとぐろを巻いていた。それも離れた場所からでも分かるほどの巨体を誇り、翼を広げたクシナ以上の体躯。

 それは井戸で手に入れた龍の像に酷似していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話 黒い海龍

 

 

「うおーい!そんなところで固まってないで早うこっちに来んさい」

 

 王の如き威厳のある外見を持つ黒蛇から発せられたのは、塩気混じりの大気を震わせつつも、実に気安い歓迎の声だった。

 その言葉に気が緩んだ四人は言われるまま広間に入り、控えていた女官に武器を渡した後は、すんなり蛇の前にまで近づけた。

 ヤトは正面から蛇の瞳を見据える。蛇らしく瞳孔が線のように細いものの、深海を思わせる深い青の瞳には高い知性を思わせる。どこかで見た事のある目と思えば、隣の妻によく似た雰囲気を持っているからと気付いた。あれはやはり龍なのだ。

 姿形は艶のある鱗に覆われた黒く細長い胴体に繋がった四本の手足、二本の角と鞭のように長い髭のついた頭部、口からはみ出した無数の鋭い牙が自然と四人を威圧する。

 

「そげん見つめんでも取って食いはせん。『浦風』、食い物と酒を振舞ってやれ」

 

 側に控えていた女官達は主の言葉に従い、既に用意してあった酒や膳をヤト達の前に置く。そして主の黒龍には人より大きな瓶を置いた。

 一先ず四人は膳の前に座り、黒龍は六本指の手で瓶を掴んでグビグビと中身を呷る。

 城主に続くようにヤト達も振舞われた魚介に口を付ける。見慣れない海老や貝だったがどれも美味に調理されていて、地上で食べる料理と並ぶ味だった。

 

「こんな場所やけん客が来なくてのう。久しぶりの客にウキウキするわい。それと、我は大渡津神(おおわたつみ)と呼べ」

 

 酒臭い息を吹いて大渡津神は上機嫌に笑う。これだけで並の者なら警戒心を解かれて信頼を得るような度量の大きさを感じさせる。

 相手が名乗った以上はヤト達も名乗り、カイルがこの城に招かれる発端となった像を差し出して謝罪した。

 

「話は早波から聞いとるけえ。取っちまったもんは元に戻せばええが、手癖が悪いのに仕置きは必要じゃのう」

 

 牙を見せてニカっと笑う大渡津神の追求で、カイルは言葉に詰まる。そこらに打ち捨てられた物を拾うなら言い訳も立つが、曲がりなりにも祭壇に安置してある物に手を付けてしまっては言い訳も難しい。

 それとなぜ直接顔を合わせていない龍と早波が象の事を知っているか聞くと、離れていても両者や女官達は声を聞けるとの事だ。

 ただ、それで話が纏まるほど、ロスタは素直で従順では無かった。

 

「本当に大事なら後生大事にしまっておくのが危機管理。わざと取らせるつもりで置いておいたのなら底意地が悪いと言わせていただきます」

 

「ほーカラクリ仕掛けが言いおるなあ。まあちょっとした言葉遊びやけん、そう心配せんでええ」

 

 ロスタの棘のある言葉も飄々と流す。むしろ彼女の忠誠心を高く評価している節さえ感じられた。

 大渡津神は愉快そうに瓶に残っていた酒を飲み干して、女官に代わりの酒を要求してから、今度は膳を全て平らげたクシナに目を留める。

 さらにそこから隣のヤトに目を向けて、二人を交互に見定めてから、体をくねらせて豪快に笑い飛ばした。

 

「久しぶりに同族を見たのう。しかも腕を一本分けるほど『ぞっこん』はそうおらん」

 

「なんだ悪いか?酒の余興で殴り合いならしてやろうか」

 

「待て待て、嬢ちゃん。気ぃ悪くしたら頭下げるけえ。単にそこまで入れ込める相手がおるのが我は羨ましいんじゃ」

 

 威嚇するクシナに素直に頭を下げたので、彼女はひとまず怒りを鎮めた。

 そして大渡津神は明らかに陰気を飛ばし始めて、女官が新しく持って来た酒を一息で飲んで身体をゴロゴロと転がし始めた。

 

「我もなー、そげな番がいたらなー。城の女共は捧げものに受け取ったが、対等の番がなー」

 

 唐突に不貞腐れてゴロゴロ転がる様に龍としての威厳は微塵も無い。ただあるのは草臥れた独り身中年の情けない面倒臭さだけだった。

 捧げものというのが、ヤトがどういう事か給仕をしていた『灘』と名乗った女官に聞くと、素直に答えてくれた。

 

「城の者は全員が数十年おきに、供物として差し出された塩原の一族です。そして主から鱗を一枚分け与えられて、永くお傍に仕える身となりました」

 

「では、彼方達は全員生まれは人類種ですか」

 

「はい。人魚の姿は主の血肉の影響でしょう。海で過ごすにはそちらの方が便利ですから、主には感謝しています」

 

 実は古来よりこの翁海に住んでいたのは大渡津神だったらしい。そこに後から塩原の一族の祖先が定住した。

 塩原一族は大渡津神に契約を持ち掛け、数十年に一度生贄を差し出す代わりに、領海内のサメのような人喰い魚を追い払う庇護の契約を結んだ。

 おかげで翁海は安全に漁が出来る、葦原有数の豊富な漁場として富をもたらし続けている。

 いわば城の女達は全員が親族で、生涯を海龍と共に生き続ける家族の関係にあった。

 ヤトと女官が話しているのに乗る形で、大渡津神は不貞腐れた態度のまま酒瓶を片手にベラベラと身の上話を始める。

 要約すると、本当は鮫を追い払う見返りには話し相手が欲しかっただけなのに、人間が勝手に生贄を用意したので仕方なく受け取ったのが事の始まりだった。

 海の生活は不便だから生贄の女には自分の鱗を一枚与えて、海でも生きられるようにした。すると甲斐甲斐しく世話をしてくれるから、自堕落な生活が気に入って、そのまま千年近く生贄を貰い続けて今に至る。

 生まれてからずっと食っちゃ寝生活を満喫していたクシナといい勝負である。竜とはなまじ長すぎる寿命と最強の力を持つと、目的意識も無くダラダラと生き続けてしまうらしい。

 そこでヤトは一つ疑問が生じた。自分はクシナから腕一本貰い、肉体強化こそあったが外見の変化は無い。対して大渡津神から鱗一枚与えられた女達は著しく姿が変わった。この違いは一体どのような理由なのか。

 あるいは互いに命を賭した繋がりを結ばなかったからだろうか。捧げものとして主従関係を結ぶのと、互いを対等に思い殺し合った末に愛を育む。そうした特異な関係ゆえに差が生じた。あくまで主観にもとづく仮説でしかないが。

 嫁のクシナに聞いても答えは返ってこない。なら酔っ払い龍に聞いても知らないとしか口にしない。そこで大渡津神は「ただ――」と続く。

 

「我と嬢ちゃんの一番の違いは神降ろしをしたかどうかだのう。お嬢ちゃんはまだ神に身体を貸しとらんじゃろ」

 

「神降ろしというと神に仕える神官が行う儀式のことですか?」

 

「似たようなもんじゃの。我等古龍は神が一時的に地上で遊ぶための器でもある。そして身体を貸す代わりに神の力を一部貰うんよ」

 

 古竜の異名の中には『神の憑代』という呼称があり、時には竜と神は同列に扱われる事もある。大渡津神の言うように神の憑代として使われるのなら、色々と納得のいく異名である。

 一部とはいえ対価に貰った神の力は絶大で、憑依の前後では倍以上の差があるらしい。ヤトと人魚達の差はこの部分にあるかもしれない。

 と言ってもクシナはそんな力など求めていないし、実際に竜に神が降りて来るかは単純な確率らしいので、無駄にならない程度の知識の域を出ない。宴会の酒の肴程度に聞いておく程度だ。

 それから宴会はそこそこ盛り上がった。基本引き籠りの大渡津神はヤト達の冒険譚を大層気に入り、一昼夜を超えて三日もの間、話を聞き続けた。その間は据え膳上げ膳、禁裏や塩原の屋敷にも劣らぬ待遇を受けたので悪くは無かったが、変化の無い海の底では些か飽きも来ていた。

 退屈が首をもたげた四日目の朝。ヤトが地上に帰る旨を伝えると、大渡津神は大層寂しがった。

 

「そうかぁ、寂しくなるのう。ほんならこれまで楽しませてくれたから、像に手を付けた落とし前は少し負けてやるわい」

 

「げっ、まだ覚えてたんだ」

 

「当然じゃ。それはそれ、これはこれ」

 

 度量が無いのか厳格なのかは判断しづらいが、ともかく大渡津神はまだカイルが自分の像を持ち出したのを許していない。

 

「たまにいる盗人のように捕まえてムシャムシャはせんから安心せい。ちょっと海の掃除をしてくれればええ」

 

 つまり何かしらの仕事を代行すれば許すと言う事か。ただ、掃除というのが本当に額面通りの行為なのか怪しい。

 

「我の代わりに、おんしらは鮫を狩ってきてくれ」

 

 予想通りというか、やはり面倒事の臭いがしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話 妖鮫乱舞

 

 

 龍神『大渡津神』から提示された償いの方法は鮫狩りだった。ここは海なのでサメの一匹ぐらいは居て当然なので、内容そのものは納得する。しかしこの世で最も強い竜が、たかだか鮫程度を恐れて狩りを押し付けるような真似をするのは腑に落ちない。

 

「その鮫というのは龍にも厄介な存在なのですか?」

 

「いんや。数が多いから面倒くさいのと、ちょうど仕事をさせる名目のある奴が居たら押し付けるじゃろ?」

 

 なるほど、仕事を押し付けるにはもっともな理由だ。ヤト達に断る正当な理由も見当たらない。

 断る事は出来そうにないが、カイルはそのまま承諾するのは何となくやりこめられて面白くない。だから少しオマケをつけて欲しいと大渡津神に頼んだ。

 すると彼は予想していたのか、気兼ねなく了承した。そして女達に何かを持って来るように命じた。

 待っているとすぐに二人の女官が両手で抱える大きな台座を持って来た。その上には金銀で彩られた装飾品の数々、百を超える大粒の真珠、大きな赤珊瑚の置物、数振りの刀剣、東西の楽器、などなど輝かしい財宝の数々が載せられていた。

 その宝がカイルの目の前に置かれて、彼の目が釘付けになった。

 

「沈んだ船から拾った物じゃ。鮫を狩ったら全部やるけえ」

 

「喜んで鮫を狩ります」

 

 実に返答が早い。カイルなら財宝で動くと、ここ数日で見切ったのだろう。

 ヤトも今更嫌とは言わないが、相手は鮫。海の中の魚を相手取った事は無いので、今回は勝手が違い面倒なのが分かっているから、イマイチやる気に欠ける。

 

「そうそう、海の中は大変やからこれを身に付けておけ」

 

 そう言って大渡津神は自らの尾から、掌より少し小さな鱗を四枚剥がしてヤト達に投げ寄越した。クシナが黒龍を睨みつける。

 

「眷属になれなんて言わんから安心せい。鱗を身に付けるだけで海の中を自由に動ける。持ってて損はなか」

 

 海龍の、それも古龍の鱗なら触れるだけで水中で息が出来て動きも阻害されない。これなら万一水中に落ちても安心だろう。

 カイルとロスタが鱗を拾って帯に差し込む。クシナは動かず、ヤトが彼女の分も含めて二枚拾い、それをカイルに押し付けた。

 

「龍の鱗ですからこれもお宝です。僕は海でも何とかなりますよ」

 

「ふふん♪」

 

 旦那が自分を気遣ってくれたのが嬉しかったクシナは、ヤトの背中に顔を押し付けて甘えた声を出す。

 この場でヤトの行為に何か言う者は一人も居ない。鱗を与えた大渡津神でさえ、男の選択にケチをつける事は憚られた。

 ともかく鮫退治を了承した四人は早速仕事に取り掛かるつもりだ。

 大渡津神の命で水先案内人として、最初に出会った早波が付けられる。今の彼女は人魚の足と異なり、人と同じ二本の足で城内を歩き、行きと同様に玄関で待たせてある海亀『ウラシマ』に乗る。

 甲羅の上に再び海水を防ぐ膜が張られ、亀は海中へと沈んだ。

 城から出て、光の差さぬ冷たい深海に出た。ウラシマの後ろには四人の人魚達が続いて泳ぐ。

 

「彼女達は?」

 

「主がおんしらに任せても、元々鮫狩りは契約に基づく、この海に住む我々の仕事だ。何もしないわけにはいくまい。それに鮫は数が多いから、人手は多い方が早く終わる」

 

 手伝うというのなら邪険にする理由は無い。それとカイルが鮫の数はどれだけ居るのか尋ねると、数日前の物見の時点で千匹は居ると答えが返ってくる。確かにそれは人手が多い方がいい。

 亀は一旦海上に上がってから、さらに沖へと泳ぐ。目的地は暖流と寒流が交わって沢山の魚が集まる暗礁地帯。そこを余所から流れてきた鮫の大集団が根城にして魚を食い荒らしているらしい。鮫はただでさえ人食いの危険があるのに、魚まで食い散らかされては困る。

 特に鮫集団の首領はかなり大型の鮫で、小舟なら一口で噛み砕くほどの巨体と獰猛さに加えて、集団を統括する高い知性を併せ持つ。海龍の眷属となった人魚とて油断すれば容易く食い殺されかねない危険性を孕んでいた。

 ただの鮫とはいえ数を考えれば中々の難敵。しかも今回は海中という相手にとって圧倒的に優位な地形での戦いは、いかにヤト達とて苦戦を覚悟せねばならない。

 泳ぎは全員何とかなる。ヤトは剣術に水練も含まれていて、鎧を着たまま泳ぎつつ剣を振れるように鍛錬は積んでいる。

 カイルも川でなら泳いだ経験があり、海の精霊と海龍の加護がある。ロスタは未経験だろうが加護付きとゴーレムなので鮫に齧られようが溺れた所で心配は無い。

 クシナは言わずもがな。慣れない海だろうが古竜が鮫に食われるなど間抜けな事は無いだろうし、最悪竜に戻って巨体で何とかするだろう。

 結局はいつものように行き当たりばったりで、難しく考えずに個々の暴力に任せて戦うだけと分かった。

 四人は鮫軍団の棲み処に着くまで念入りに準備をして、慣れない海の戦いに備えた。

 

 

 古来より翁海沖の暗礁地帯は船の難破の名所として、船乗りからは忌み嫌われ、避けられる場所だ。例え豊かな漁場でも、船が沈んで帰ってこられなければ、後は鮫の餌として貪られるしかない。だから一部の向こう見ずな漁師を除いて人は近づこうとはしない。

 そんな場所も今は鮫共の格好の餌場となり、潮流に導かれた多くの魚達を喰い尽くさんばかりに荒れて、近づくにつれて血の臭いが強くなっていた。

 さらに近寄ると、海面から数え切れないほどの背びれが見えた。あまりの数にカイルが『うわッ』と声を漏らす。

 声を聞いたとは思えないが、暗礁地帯の外縁にいる一部が新たな餌がやって来たと気付いて、数十匹が我先にとウラシマに近づいた。

 最初にカイルが弓に矢を三本番えて射る。矢は先頭を泳ぐ鮫全てを射抜き、血を流して海面を荒らす。

 後続の鮫は構わず突き進むため、今度はヤトが気功刃を飛ばして十匹程度を両断した。それでも残る鮫は死んだ同種を気にせず一直線に亀へと向かう。

 

「厄介ですね」

 

「うむ」

 

 ヤトと早波が短く取り交わす。厄介と言ったのは鮫が同族の血肉を無視してこちらに殺到する事だ。

 鮫は悪食で知られている。血の臭いがする肉なら何でも餌にする。例えそれが同種だろうと同じ母から生まれた兄弟でも、血を流して弱っていればそれは全て餌でしかない。かつて砂漠で狩ったスナザメの習性がまさにそれだ。

 しかし今この場の鮫はどれも、たった今量産した新鮮な餌に見向きもしない。明らかに鮫の本能に逆らって動いていた。

 ヤトの言うようにただの鮫退治と思えないぐらい、相当に厄介な仕事を大渡津神から押し付けられたわけだ。

 それでも今更手を引く事は無理なので、粛々と鮫を狩り続けるしかない。

 

「次は儂だな。………ヤト、儂の手を持っててくれ」

 

「はい、良いですよ」

 

 言われるままにヤトはクシナの手を握る。そのまま彼女は海に入り、暫くすると炎が吹き上がり海が割れた。

 古竜の吐息は海すら割ってのけ、炎が直撃した鮫は欠片すら残さず蒸発した。さらに直接触れずとも、余波だけで鮫を宙に舞って見せた。

 空に打ち上げた鮫は二又槍に縄を結んだロスタが器用に投げ貫いて処理している。

 

「さすが、主と同族。我等とは格が違う」

 

 早波が畏怖の言葉を漏らす。

 とはいえ鮫軍団は殆ど減っていない様子。ひたすらに持久戦を強いられるとなると、意外と辛いものがある。

 よってヤトは自ら切り込みにかかった。

 足場となる海亀の甲羅から一足飛びに海に身を投げ出し、沈む前に海面を疾走。突き出たヒレを目印に手当たり次第に斬って斬って斬りまくった。

 この場に居る者達全てが信じられないモノを見たように目を瞬きさせる。普通人は海の上を走ったりしない。

 実はヤトの行動に種や仕掛けは何も無い。液体の弾性と表面張力を利用して、タイミングを掴みながら飛び石のように跳ねるような歩行で水面を走っているのだ。これは純粋な体術に基づく技法であり、理論上は誰でも可能である。

 勿論習得は極めて難易度が高く、葦原でこの歩法を修めたのはヤトを含めて歴史上で二十名も居ない。それに幾ら傑出した才のあるヤトでも、非常に疲れるので短時間しか行えない。そのため、斬って浮かんで来た鮫の身を足場にして、沈む前に飛び移るのを繰り返して海に沈むのを避けていた。

 海を自在に飛び交い海戦に勝利をもたらした古の英雄かくやと鮫を蹴散らすヤトだったが、唐突に起きた竜巻によって足を止める。

 海に沈む足に意識を向ける事すら忘れて空を見上げた。

 

「何で鮫が空を飛んでるんですか」

 

 ヤトの唖然とした独白は事実だった。突如生まれた竜巻に乗った、数十を超える鮫達が空を泳ぐ光景は、己の目と常識を疑うには十分過ぎた。

 さりとてヤトは稀代の剣士。すぐさま我に返って空から襲い掛かる鮫群を気功剣で斬り捨て、着実に数を減らしていく。

 ただ、空に気を取られて一瞬、足元の注意を怠ってしまった。

 その代償を海中の鮫に噛み付かれて引きずり込まれるという対価で支払う羽目になった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話 怪獣決戦

 

 

 ヤトは慣れない海戦の僅かな隙を突かれて、鮫達に水中へと引きずり込まれても冷静さを保っていた。師の下で修めた業は剣だけにあらず。こうした命の危機に遭っても心を乱すことなく冷静に対応する心構えこそ『臣陰流』の基本骨子である。

 まずは顔や腹を喰い千切ろうと、殺到する巨大な鮫達を翠剣でまとめて切り伏せつつ、後続への障害物にする。

 次に両足に噛み付いて深海へと引きずり込もうとする双頭の鮫は、両足に纏った気功を解除する事で、名工が生涯を賭して鍛え上げた剣を超える刃と化した足が、自慢の牙を悉く無用のガラクタに変え、両の頭を斬り飛ばした。

 既にこの身は髪の毛一本に至るまで至高の刃と化していた。どこに触れても相手の方が傷を負う不条理そのものである。

 それでも双頭鮫は幾らかの役割を果たせたに違いない。今現在ヤトは水深数十メートルまで引っ張られた。ここから再び海上へ戻るには時間がかかる。

 出来るだけ早く呼吸をしなければ、溺死などと締まらない最期を迎える羽目になる。

 既に多少息苦しく、肺が酸素を欲しがり脳をせっついている。冷静に、しかし急いで纏わりつく水をかき分けて、上を目指した。

 当然水に落ちた獲物を獰猛な悪食が放っておかない。数十を超える鮫が一気に襲い掛かった。

 その時、ヤトの背後から四人の人魚が、血混じりの海に似合わない洗練された踊りのような優美な泳ぎで、鮫との間に割って入る。

 人魚達は揃って両手をかざせば、多くの鮫達が苦しみ悶えて散り散りになった。よく見ると、鮫の身体に無数の釘ぐらいの針が刺さっている。

 

(毒針かな)

 

 魚の中には毒針を持つ種類が幾つかある。あの人魚達もそうした毒針を持っていてもおかしくはない。

 ともあれ助力あるうちに形勢を整え直したい。魚に比べて緩慢でも確実に上を目指して、ほんの一分前には当たり前のように吸っていた空気を肺一杯に取り込み安堵した。

 ところがまだ危機は去っていない。ヤトの頭上には三つ首のケルベロスならぬ三匹の鮫がノコギリのような牙を見せて大口を開けて迫っていた。

 それでも冷静に剣で三匹まとめて上下二つにして、事なきを得た――――――と思った矢先。死骸に隠れて、太陽を背負ったもう一匹の牙がヤトに届きかけた。

 おまけに剣を握っていない左手に、小さなコバンザメが体当たりして迎撃を妨害する。

 タイミングに躱せない。噛まれても死にはしないが痛みを覚悟した。

 その覚悟は横からナニかが通り過ぎて、鮫の頭を砕いた事で無用のものとなった。

 ヤトが通り過ぎた射線元を向くと、人魚の姿に戻った早波がいる。さらに彼女は膨らんだ口から液体を超高速で吐き出して、別の鮫を次々撃ち抜いた。

 魚の中には口に含んだ水を放って、餌の虫などを捕まえる種がいると聞いたことがある。確か『ソゲキウオ』とかいう名の魚だったと記憶している。彼女がやっているのはまさにその魚を思わせる狙撃だった。

 先程の毒針といい、人魚というのは随分と芸達者だ。おかげで数の多い鮫を狩ってくれるのだから文句は無い。

 ただ、その鮫もこれだけ優位に戦いを進めても、まだ全体の一割以下しか狩っていない。地の利を欠いた状況では長期戦を覚悟せねばなるまい。

 ヤトは海亀の甲羅に這い上がって、噛まれた両足の具合を確かめる。肉が削がれて幾らか出血が見られた。この程度なら戦いに支障は無いが、竜の血でかなり頑丈になっている体を只の魚が齧るとは、鮫も侮りがたい。

 ともあれ戦いを始めた以上は泣き言を言ってる暇があったら一匹でも多く狩るしかなかった。

 

 

 ヤト達と人魚が鮫狩りを始めてから、既に三時間は経過している。

 全員疲労はあれど、壮健でまだまだ戦える。ヤト達は何度か海に落とされて、不慣れな海中戦をする羽目になったが、ロスタがカイルを庇って噛まれた以外に目立った傷は無い。

 その間に結構な数を仕留めたが、それでも全体像はいまいち把握しきれていない。体感的には半分は狩れたと思っているが、どうも数が減っている雰囲気が無いので確信が持てなかった。

 そもそも鮫達は食欲の本能を抑えられた、ある種の傀儡化した異質な生物になっている。これは支配する特殊個体か、統率する何か別の知性体がいるように思われる。となると、このまま雑兵を殺し続けるより、頭を見つけ出して殺す方が効率が良い。

 問題はどこに命令者が居るかが分からない。正確には、ヤトは何となく視線を感じている方向は分かるが、頻繁に移動しているから特定が難しい。

 クシナに手当たり次第に吐息を吐いてもらい、殺し尽くす事も考えたが、それは一度目を放った後に人魚達から待ったが掛かった。やり過ぎたらこの辺りの海そのものが荒れて死んでしまう。彼女達の主『大渡津神』が面倒くさがって直接サメを狩らない理由だ。古竜が加減せずに戦えば、それだけで土地や海を壊してしまう。だから主に空から降って来る鮫の迎撃を担当していた。

 そのクシナが先程から空に視線を向けて何かを追っている。ヤトが理由を尋ねる。

 

「あの魚は風に乗って振ってくるが、何匹かはずっと空を飛んだままだぞ」

 

「ふむ……あやしいですね」

 

 鮫が空を飛ぶのはこのさい認めよう。しかし鰓呼吸の魚が水の外で平気なままなのは不可解だ。魚にとって水の上こそ溺れ死ぬ死地。ずっと居続けるにはそれなりの理由があるはず。

 思い当たるのは高所からの観測役か指揮者か。どちらにせよ雑兵に優先して排除する対象だ。

 クシナは三匹までは確認している。念のためカイルも空にいる鮫を確認したら、さらに一匹が分かり辛く保護色になっていた。合わせて四匹。

 

「カイル、矢はまだ残ってますね」

 

「五本あるから余裕だけど、姐さんの火で撹乱してくれればもっと確実」

 

 段取りは二人に任せればよい。ヤトは海中で鮫の迎撃、ロスタは狙撃するカイルの護衛を担う。

 最初にクシナが空に向けて火を吐く。海を割るほどの極烈な火炎の圧力に、四匹の鮫は慌てて逃れても、魔法金属すら蒸発させる高温により発生した乱気流で飛行を乱される。

 姿勢を安定させようと四苦八苦する隙を見せた、動きの悪い鮫がまず胴を射抜かれて落ちる。残り三匹。

 次に最も炎に近く、肌を焼かれてフラフラしている二匹目の尾びれを、素早く番えた二本目の矢が貫く。あと二匹。

 この時点で海中の一部の鮫が急に、周囲に漂っていた同種の死骸を争うように喰い始めた。本能に従った行動と思われる。つまり今まで不自然だった統率に乱れが生まれた証拠だ。

 さらに一部の集団はヤト達から離れて、海の特定場所に集結している。まるで王を護ろうと防御を固める様は、攻撃して喰らうしか能の無い鮫にあるまじき行動だった。

 再び空に目を向ければ、残り二匹の鮫の動きが明らかに混乱している。さらに幾つもの竜巻が生まれ、海中から数十の鮫が巻き上げられている。それを意味するところをカイルは的確に察する。

 

「囮を使って海に逃げるつもりだね。そうはさせない」

 

 既に二匹の姿を視界に定めて決して逃さない。保護色の方の鮫に矢を放ち、回避した先に一秒遅れで放った第二射で確実に仕留めた。これで残るは一匹となった。

 いよいよ進退窮まったと見える空の鮫を守るように、別の鮫が竜巻から降り注ぎ、海中からは飛び掛かる。

 それらは纏めてクシナの炎に薙ぎ払われて、必死に逃げる最後の鮫までの射線が開いた。

 同じく最後の矢を弓へ番えたカイルは全神経を海中に逃れようと急降下する鮫の予測位置に狙いを定め、限界まで引き絞った弦を離した。

 海上に弦の美しく甲高い音が響き、湿気を含んだ空気を切り裂く鋭い音と共に、正射必中の矢は狙い通り鮫の下半身を貫くどころか、削り取った。

 鮫の無惨な上半身が海へと落ちた。後は同族の鮫が腹の中に処分するか、深い海へと沈み海底の様々な生物の糧となる。

 竜巻も最初から無かったように霧散した。

 あの四匹が群れの指揮を担っていたのは確かだ。あるいは竜巻を起こしていたのも、そうなのだろう。

 事実、海中の鮫の一部は統率から離れ、今は好き勝手に肉を食い散らかしては、元気な個体も餌を巡って喧嘩して互いを食い合っている。

 残りの数百匹は一ヵ所に集まり、詳細は分からないが何かをしている。

 追撃をするか迷ったが、今は周囲の安全を確保するのを優先して、ヤト達は人魚と共に足場の海亀周辺の鮫達を可能な限り駆除した。

 安全を確保した後は、わずかな時間で休息を入れつつ、集結した残敵を注意深く観察する。あれは鮫であって鮫でない。何が起きるか誰にも分からない恐ろしさがある。

 予感は現実のものとなった。

 一ヵ所に集結した鮫達が見る見るうちに融け合い癒着して巨大になっていく。

 既に体は並の鮫の数十倍にまで膨れ上がった。信じられない事に、竜の姿に戻ったクシナや海龍≪大渡津神≫よりも大きい。

 さらに巨大鮫は異形の態を見せ、頭部のある場所には通常の大きさの頭が何十と生え揃い、それぞれが意志を持ってノコギリ歯をガチガチと鳴らした。

 

「なにあれ?ヒドラじゃん」

 

「鮫ってなんなんですかね」

 

 只の魚のはずなのに、人類種には理解不能な生態を見せられて、真面目に考えるのを放棄したくなってしまう。もうアレは幻獣か何かと思った方が精神的に楽だった。

 とはいえ身体が大きいというのは的も大きくなるのと同義。足場としても有用だ。

 速攻をかけようとした瞬間、鮫の方が先に動いてしまう。

 海に潜った巨大鮫は一直線に足場にしている海亀へと突撃。ヤトの気功剣≪颯・長風≫により背中を抉られたが、速度は全く落ちない。

 進路上に人魚達が立ちふさがり、毒針や水流で迎撃したものの、勢いは衰えず寸での所で逃げるのがやっとだった。あと一秒遅れていたら誰かが食い殺されていた。

 邪魔する者が居なくなった巨鮫――――便宜上ヒドラシャークと呼ぶ――――の瞳には魚らしくなく、知性と嗜虐が溢れていた。相手は鈍重な海亀。精々固い甲羅で牙を防ぐだけで、反撃には出られないのを理解していた。

 襲われる海亀のウラシマはというと、ヒドラシャークの姿に臆したのか、首と手足を甲羅の中に引っ込めて守りを選ぶ。

 亀としては当然の対処法だろう。しかしここからが普通の亀とは違う。

 ウラシマは突然加速して、ヒドラシャークの鼻先に体当たりを食らわした。無数の鮫の歯が砕けて飛び散る。

 実は鮫は攻撃力は海の中で上位に位置していても、軟魚と言われる程度には防御力が低い。他の魚に比べて骨格が貧弱なのだ。

 姿が似ている海の殺し屋と呼ばれるシャチなど、遊び感覚で鮫を殺し、おやつに腹の一部を喰い千切って放置するありさま。

 如何に巨大になった所で本質が変わらなければ、柔な身に岩より硬い亀の甲羅を勢いよくぶつけたら、砕けるのは鮫の方なのは分かり切った道理でしかない。

 カウンターを食らってひっくり返ったヒドラシャークをよそに、ウラシマはそのままの勢いで空を飛んだ。

 もう一度言う。海亀が空を飛んでいる。後ろ脚の下部から噴き出す水流を推進力にして、自在に空を飛んでいた。

 もはや海洋生物への固定観念を叩き壊されたヤト達はあるがままを受け入れて、振り落とされないように、しっかり甲羅にしがみ付く事しか出来なかった。

 飛翔したウラシマは水流の推進力を一旦止めた。そして今度は後部だけでなく、全身から水流を噴射してその場でコマのように回転を始めて、こちらを探しているヒドラシャーク目がけて急降下突撃を敢行する。

 鮫も空から自分に突っ込んでくる亀に気付いたが既に遅い。水流の推進力と重力を合わせた速度には対応しきれず、俊敏な鮫が鈍足なはずの亀の突撃で背骨をグシャグシャに砕かれた。

 一方甲羅に乗っていたヤト達はゴーレムのロスタを除いて、高速回転と体当たりの衝撃で一時的に平衡感覚が麻痺してフラフラしていた。

 それでもヤトは剣士として無理を押して、動きを止めた巨鮫の頭の一つに剣を突き立てる。

 

「『旋風』≪つむじかぜ≫……うっぷ」

 

 剣を刺したヒドラシャークの前部が膨張して、渦を巻くように捻じれて爆ぜた。酔いから『気』の練りが甘く、威力が普段より弱くともでかいだけの鮫なら十分だ。

 

「ロスタ、下半身を頼むよ」

 

「承知しました」

 

 まだ酔いの残るカイルの護衛をしていたロスタも、主の命令で一対三刃を展開した二又槍を構える。そのまま一足飛びに、青い雷光を放ち回転する穂先をのたうち回る鮫の下半身に突き立て、抉り、稲妻で焼き、大半を潰した。

 それでも先の融合を見ているので再生を警戒して、酔いから復活したクシナに挽肉を念入りに焼いてもらった。

 残りカスの肉片もウラシマに食ってもらい、怪魚の残滓は海水に溶け込んだ血のみだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話 確かな境界線

 

 

 強さや危険性で言えば、鮫は古竜ではない並のドラゴン程度の強さだった。

 予想外の生態に多少手間取っても、終わってみれば四人はさしたる損失も無く、大渡津神との取引を完遂した。

 念のため人魚達に周囲の索敵をしてもらい、鮫が一匹も居ない事を確かめてから海底城へと帰還した。

 城に入ってすぐに主の大渡津神に呼ばれた。

 眼前の黒い海龍は、目に見えて喜色を浮かべている。きっちり仕事を済ませたのもあるが、同行した人魚達全員が無事だったのもヤト達の評価を押し上げていた。

 

「よう帰った、ようやった。おんしらのおかげでこの辺りの海も平穏を取り戻すじゃろう」

 

 本心からの労いの言葉は良いものだ。ついでに、主の口から今日も泊って行けと勧められた。

 このまま帰っても良かったが、散々に海水と鮫の血を被って気持ち悪かったので、言われた通り城にもう一泊して風呂にも入って疲れた体を癒した。

 翌日、再び四人は大渡津神に呼ばれた。四人と城の主の間には、机に山と積まれた財宝がある。

 

「これは約束の品じゃけん。遠慮せず受け取れい。それと―――」

 

 海龍は側に控えた早波に、小さな漆塗りの箱を持ってこさせる。

 その箱をヤトに手渡した。

 

「そっちの箱はオマケでつけておく。不老不死の薬だ」

 

「へえ、本当ですか?」

 

 古来から人は不死を求めて来た。不死を追い続けて却って命を縮めた話も多く聞くが、副産物として多くの良薬や治療法を見つけた事もある。

 そのために数多くの悲劇と犠牲を払ったのを忘れてはいけない。時に人より遥かに寿命の長いエルフの血肉を長寿の秘薬として、生きたまま食したという血生臭い話も伝わっている。それどころか人類種の不倶戴天の敵である魔人族すら、『大義のため、人類種の夢』という大義名分を掲げて、捕らえて実験素材として凄惨の限りを尽くした事すらあった。

 狂気のままに人が追い求め続けた結晶が、何とも簡単に己の手の中にあった所で大した感慨も抱く事は無い。

 元よりヤトは永遠の命など興味はなく、むしろ逆に己が最強と納得しさえすれば命を容易く投げ捨てられる。自己保存本能に著しく欠ける気質の男だ。まして、クシナと絆を育み、人の寿命から逸脱した現状では、不老不死など無用の長物でしかない。

 仲間のカイルは生まれついての不老長寿が約束されたエンシェントエルフ。クシナも現世においては神に匹敵する古竜。どちらも最初から不老不死など身近な性質として備わっている。ロスタに至っては絡繰仕掛けのゴーレムだ。

 世界広しと言えども、これほど不老不死の薬を必要とせず、価値を見出さない一行は他に居まい。

 くれた以上は突っ返す事も出来ない、何とも扱いに困る物を寄こしたものだ。

 

「嘘やぞ」

 

 おまけに嘘ときたものだ。断言しよう。この海龍は龍として生まれておらず、人として生を受けていたら、只のロクデナシのオヤジとして周囲から白い目で見られているに違いない。

 

「不老不死は嘘じゃが万能の治療薬らしいの。昔に海で溺れとった学者が助けた礼に作って置いて行ったものじゃい」

 

 大陸を東から西まで旅をしたヤトには、正直胡散臭い話ではある。似たような話はどの土地でも聞く事はあったが、実物を使ったとか本当に治ったという話を聞いても信憑性に欠けていた。相手を騙すための誇張か、良くて適切な薬を処方した医者の技量だろうと思っている。

 そして薬が「らしい」と大渡津神が口にするのは、実際に飲んだら二日酔いには効いたからだそうだ。龍が二日酔いになるのかと突っ込みたかったが、クシナもロスタの糞不味い料理を食べて気を失ったのだから、龍とて無敵ではないのだろうと無理矢理納得した。

 万能薬の触れ込みは吹かしにしても、風邪薬程度にはなりそうなので、薬はありがたく頂戴する。

 宝物に手を付けた対価は払い終えて、土産も貰った。もうここに居る理由も無いので帰るよう伝えると、大渡津神は少し残念そうにしながら、『満潮』に帰りの足を用意するように命じた。

 四人とお宝を入れた大箱を乗せたウラシマは人魚の『漣』に先導されて海底城を出た。

 そのまま何事もなく沖から陸へと向かう。

 途中、やけに船の往来が多いのが気になり、目立たないように一旦海中に姿を隠しながら移動して、船に乗った港町にまで戻って来た。

 海中から見た港は船がまばらに停泊していて、あまり活気に満ちている様子はない。

 これならさして邪魔にならないと判断したヤトは、『漣』にウラシマを港に接舷してもらうよう頼んだ。

 湾口内に突如姿を見せた巨大な海亀に、船乗り達は腰を抜かして叫び声を上げた。巨大な鯨やイカは見慣れていても、船ほどもある海亀は見た事が無いから驚くのは仕方がない。

 膜を解いた甲羅から、四人は周囲の視線など物ともせず陸に移る。

 そしてヤトが海面から頭だけ出している漣に別れの声をかける。

 

「送って頂いて感謝します。海龍殿によろしく伝えてください」

 

「貴方達なら近くに来てくだされば、喜んでお迎えします。その時は主より賜った鱗を海に沈めてください」

 

 それだけ言って、漣はウラシマと共に主の元へと帰って行った。

 後は適当に街で腹ごしらえでもした後に、この地を離れる予定を話していたら、四人に片膝を着いて恐る恐る話しかける太刀を佩いた男がいた。

 

「大和彦皇子にございますか。某は塩原の郎党にございます。よくぞご無事でおられました」

 

 ヤトはなぜ身の心配をされたのか一瞬分からなかったが、船に乗ってから嵐が起きた事と、積み込んだ食料の日数を超えているのに思い至り、自分達が行方不明扱いになっているとすぐに気付いた。

 道理で海を行き交う船が多かったわけだ。このまま翁海を離れていたら、国司の塩原一族は皇族を事故死させた一族として相当立場が悪くなる。だから是が非でも行方を追っていた。この郎党も捜索に駆り出されたうちの一人か。

 

「あー、うむ。面を上げよ。――精勤、大義である。私はこの通り無事だが、用立てた船の者達はどうなったか」

 

「ははっ!町の漁師や船乗りが何人かの水死体を確認しております。我々は生き残った者を誰一人として見つけておりません。その……あっいえ何でもありません!!」

 

 男が喉まで出しかけた言葉をどうにか引っ込めた。塩原は船が沈んで全滅した、最悪の事態を考えていた。海に生きる者ほど海の怖さを知っているから、ヤト達が生還する見込みは無いと考え、せめて死体の一部か所持品でも回収して、皇に土下座して詫びる腹積もりだった。

 それが全員五体満足で帰って来たのだから、天運が尽きないうちに、すぐにでも屋敷に無事に送り届けなければならない。

 男は配下の小者を伝令に走らせた後、別の者には今すぐ牛車か輿を調達するように命令する。この際いくら金がかかっても構わなかった。

 

「皇子よ、お疲れでしょうが、今しばしご辛抱頂きたい。ご必要とあらば、汚いですが某の身を敷物としてお使いください」

 

 ヤトは五体投地しかねないばかりの郎党の申し出を丁重に断り、しばらく待ってから使い走りが急いで調達してきた飾り気の少ない輿に乗る。

 四人は輿に揺られて、再び塩原の屋敷に迎えられた。

 そのままヤト達は広間に案内されて、当主の浜麻呂と対面した。

 浜麻呂は第一声で無事だった事を喜び、海神に捧げ物をして神への感謝を示すと言った。

 そして、これまでの経緯をヤトに尋ねた。

 ここで誤魔化しても意味が無いので、カイルが像に手を出した事以外の、大渡津神と関わり鮫退治をして土産を貰って港町まで送ってもらった事を包み隠さず話した。

 さらに証拠として貰った財宝を見せた事で、浜麻呂は話を信じた。

 

「大和彦皇子は海神と縁を結んだとおっしゃるのですか」

 

「縁と言えばそうなのでしょう。ああ、断っておきますが私達はあくまで客人として遇されただけです。海龍と塩原の一族が結んだ盟約を蔑ろにする気はありません。あちらもこれまで通り、海の平穏を守っていくつもりのようです」

 

 浜麻呂はあからさまに安堵した。古来より大渡津神と取り交わした契約は塩原一族の生命線の一つだ。それを幾ら皇族でも横取りされてはたまらない。

 その皇族が自分達の管轄する海で行方不明という最悪の責任問題を解消してあげたので、そろそろ翁海を離れる旨を伝えると、せめてもう少し留まって欲しいと引き留められた。

 浜麻呂が単なる振りで言ってるのか、まだ何か用があるかは分からないが、ヤトも幾つかの用を思いついたので、昼食を頂く事で落し所にした。

 昼食までは少し時間があったので、筆と紙を用意してもらい、二種の手紙を書いた。

 一通目は皇の父親へ充てた手紙。内容は塩原の一族には世話になった事と再び葦原を出る事を記してある。

 二通目は手紙というより、塩原家当主浜麻呂への歓待に対する感謝と、海で行方不明になっても何事もなく戻ってきた事を証明する直筆の証を書いておいた。

 既にヤト達が行方不明になった事は港町で周知されている。その事実を変に利用して政争の具にされるのはヤトも望んでいない。二通の手紙はそれを牽制する道具だ。

 浜麻呂は手紙を受け取り、平伏して自分達への気遣いに感謝の意を示した。

 一連の仕事が終わる頃には昼餉の用意が出来た。予定外で急ごしらえにもかかわらず、気配りの行き届いた海鮮の膳は文句のつけようもない馳走だった。

 昼食の後、出立の準備を整える。昼餉のついでに作ってもらった、一日分の保存の利く食料を受け取った。

 代わりにこれまでの歓待の礼として、ヤトは浜麻呂に大渡津神の鱗を一枚渡した。

 巨大な黒い鱗を見た浜麻呂は、目を見開いてそれが何なのかを言われずとも理解した。

 

「とんでもございません!このような大それた代物は受け取れませぬ!」

 

「真に価値を分かってる者が持べきですよ。それに私の分を渡してもまだ三枚あります」

 

 それでもなお及び腰の浜麻呂に、鱗をしっかりと握らせる。ここまで皇族がしたらもう断われない。観念してヤトに深々と頭を下げて、思いつく限りの美麗の感謝を述べた。

 そして出立時。屋敷の正門前には当主夫妻と息子の燕丸を筆頭に、一族総出で見送りに顔を揃えた。

 

「本当に牛車も輿も無しでよろしいのですか?」

 

「ええ。もっと速く移動できますから」

 

 周囲はそんな事は無いだろうと心の中で思っても、口に出す者は一人も居ない。実際は乗り物を拒否したのはヤトではなくクシナだが、似たようなものだ。いつもならある程度人目を避けて竜に戻るが、今回はちょっと感傷的になってるので、嫁を好きにさせていた。

 ヤトはあらかじめ外套を広げて、服を脱ぐクシナを隠しておく。

 塩原の者は見えないが何をしているのか分かっても、なぜそんな事をするのか分からず困惑する。まあそれも目の前に巨大な白銀竜が現れるまでの短い時間だった。

 彫り物や織物そのままの西の竜の姿を見た面々は腰を抜かし、護衛が震える手で剣に触れる。

 

「騒ぐな。この竜は私の妻だ」

 

 混乱する連中を一言で静かにさせる。大荷物を背負ったロスタとカイルが当たり前のようにクシナの背中に乗る。

 ヤトは多少震えながらも、妻子の前に出て盾となろうとした浜麻呂に別れと感謝を述べた。 

 さらに何故かクシナも顔をヤトの隣に寄せて、玉依をじっと見る。

 恐ろしい外見の竜に正面から凝視された彼女は息子を抱き隠すだけで手一杯。しかしクシナは何もせず、ただ一言。

 

「隣の番を大事にしろ」

 

 それだけ言って、隣に立つヤトに頬を摺り寄せた。一連の言動がどういう意図か気付いた玉依は、何も言わずに二人に頭を下げた。

 最後にヤトが背に乗り、羽ばたけば白銀の巨体が空へと舞い上がり、どんどん小さくなって最後は見えなくなった。

 夢心地の召使たちを郎党が屋敷に戻し、主夫妻はただ空を見上げていた。

 

「………あの方々は我々とは住む世界が違う」

 

「はい。でも私の方が貴方やこの子と一緒に居られるから幸せです」

 

 それはかつて嘘偽りの無い玉依の心の声だった。

 

 

 空の人となった一行は今度は西を目指した。西から東に、また西と、忙しい事だがお目当てのモノが見つからないのだから仕方がない。

 時間に追われているわけではないので、ゆったりとした旅をしてもいいが、出来るだけ早く葦原を離れる選択をした。

 ヤトは上空から生まれ故郷をぼんやりと眺めている。鬼想の剣士が国を離れるのを寂しいと思う事は無いだろうが、その心境は仲間といえど窺い知る事は難しい。

 皇子の立場を使えば衣食住に困らない代償に、しがらみが増えるのを厭ったため、西の『桃』国で仙術を探す事にした。元々ヤトの使っている気功術は西国の仙術が葦原へ伝わり、気功術と名を変えた経歴がある。なら、より深い業が『桃国』に残ってる可能性はある。

 それにカイルは故郷の村を出るために、自分を捜索している父と兄を探しに行く口実を作ったのだから、そちらにも付き合うぐらいの仲間意識はヤトも持っている。

 

「あーあ、海の幸と沈んだ財宝をもっと楽しみたかったなー」

 

 カイルの方がまだ葦原に未練があるから苦笑してしまう。家族を探す目的で育った国のアポロンから旅に出たというのに、もはや初心はどこぞに投げ捨てたらしい。それも本人の選択だから、敢えて何も言いはしない。

 実のところカイルも口で未練がましく言ってるだけで、飯は美味いが言うほど葦原に残りたいとは思ってない。内心はすでに次なる国―――実際は『桃』は葦原へ行くために通過している―――への関心に移っていた。

 

「『桃』かぁ。通り道にちょっと寄っただけだから、今度はじっくり楽しめるかな」

 

「―――地道な探索が主になりますから、ゆっくり出来ますよ」

 

 もっと言えば運よく仙術を修めた仙人や道士から教えを乞う事が出来れば、年単位どころか数十年をかける必要がある。カイルがヤトに付き合ってる間はそれだけの期間を森に帰らず外で過ごせる口実に使える。

 ヤトは遊ぶためのダシにされているのは知っていてもあまり気にしない。代わりに情報収集や経理を任せられる。互いに利があるからこそ一緒にいられる。

 クシナのように夫婦の関係でもなく、カイルとロスタのような主従関係でもない。兄弟分でも実は上下関係の無い、一定の線引きをしつつも対等な関係を保っていられる秘訣と言えた。

 

 

 

 第6章 了

 

 





 これにて第六章はおしまいです。第七章は執筆中のため、掲載は未定となっております。
 それでは第七章までお待ちください。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。