真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- (chemi)
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『思い出』

本作品は、「真剣で私に恋しなさい!S」を基準にしているので、キャラの性格が丸くなっていたり、時間があまり経過していないのに親密になっていたりします。ご注意下さい。


 これは夢だ。彼女は土手からの光景を見てそう思う。その下の川原には、10歳前後の少年と少女がいた。2人は向かい合って言葉を交わしているが、彼女にはよく聞き取れない。少年の方は、だいぶ息があがっているようだ。それと対照的に、少女はさほど呼吸に乱れがない。

 

「――――じゃなく…………。俺は――――!! ――――ッ!」

 

 少年は、少女に真正面から向かっていった。少女は、その言葉に笑みを浮かべ、少年を迎え撃つため拳を握り締める。少年の拳は、少女に読まれているのか、容易く避けられた。少女の素早い反撃を、少年はなんとかさばくもバランスを崩し、さらなる追撃にさらされる。

 その様子を見守っていた彼女だが、一度瞬きをすると違う場面に切り替わる。

 少年は地面に背を預けて、空を見上げていた。体全体に酸素を行きわたらせようと、荒い息遣いを繰り返す。少女は額に汗を浮かべてはいるが、満足そうな笑顔でそんな少年をずっと見下ろしている。勝敗は決していた。

 

「明日!! 明日こそ勝つ!! 逃げずに必ず来い!! 絶対だぞ」

 

 ようやく動けるようになったばかりの体を無理やりに起こし、少年は語気を強める。少女が頷くのを確認した少年は、さも何もなかったような様子で走りだし、やがて少女の前からいなくなった。

 彼女――百代はそこで夢から目を覚ます。いつもより早く目が覚めたようだ。部屋には、うっすらと太陽の光が障子を通して、柔らかく差し込んできている。時計を一瞥し、まだ平気だと判断した彼女は、夢の余韻に浸る。

 百代はそのまま寝返りを打ちながら、心地よいまどろみの中をさまよう。ふわふわと定まらない思考の中、懐かしさを頼りに、過去の思い出を辿っていく。約束をして、帰って、修行して、祖父に叱られて、ご飯を食べて、寝て――。

 そして、少しずつ思い出していく。約束の日は、天気が大荒れだった。朝から雷と雨が激しく、祖父からは掃除を頼まれて、天気がよくなったら行くこと決めた百代は、文句を言いながら掃除をした。結局、天気は1日中悪いままだった。

 次の日に行って謝ればいいだろう、アイツだってこの天気で外にでているはずがない。百代はそう考え、次の日同じ時間にいつもの場所を訪れる。このとき、彼はもう来ていると信じて疑わなかった。なぜなら、いつも先にその場所におり、仁王立ちで遅いと怒っていたからだ。

 

 その次の日も。

 

 その次の日もそのまた次の日も――。

 

 もしかしたら行き違いになっているのかもしれない。百代はそう思って、いつもより長くそこに留まったこともあった。しかし、1週間通い続けても、彼は顔を出さなかった。

 もう来ないのかな。その考えに至ったとき、百代は初めてこの時間が好きだったと気がついた。同年代で彼女に敵う相手はいなかった。組み手をやると、最初は意気込んでいても、二度目はなかった。でも彼は違った。何度も立ち向かってきたのだ。言葉よりも――拳で語り合っていた。事実そうだった。2人はまだ幼い少年少女だったにも関らず。

 私らしい。回想の中の自分を思って、百代は布団の中で少し笑い、さらに思い出に身を委ねる。

向かってくる度に、日が経つ度に、彼は百代との距離を詰めてきた。反応が昨日より早くなり、突きが、蹴りが、繰り出される度に鋭くなっていく。幾度も拳を交える中で、彼女は目の前にいる相手が、自分と同じ才能の塊だと認識する。

 もしかしたら、彼は自分を負かす存在なのかもしれない。戦いの最中、百代の中にそんな思いがふと湧き出てくる。一度考え出すと止まらなくなり、今日が無理でも明日ならば、明日が無理でも明後日ならば、そんな考えがより彼女をワクワクさせた。

 

 

 自分を一人きりにしないかもしれない。ようやくできた――。

 

 

 そんな矢先に起きた出来事だった。百代はいつもどおりに振舞っていたつもりのようだったが、実際は川神院の修行僧にも心配されるほど気落ちしていた。川原の出来事を秘密にしていた彼女は、このことを誰にも話さなかった。2人だけの秘密――彼女にとって秘密を共有できたのも少し嬉しかったのかもしれない。

 それからも百代は何度かその場所に足を運び、そこで風間ファミリーに出会い、舎弟と妹と仲間ができ、賑やかで楽しい毎日が始まる。そんな彩り豊かな毎日に、少しずつ彼との思い出も色を失っていった。

 お互い名前も知らず、知っているのは互いの戦闘スタイルだけ。あと百代の覚えていることと言えば、怒った顔と約束を取り付けたあとの嬉しそうな笑顔とくすんだ銀色の髪のみだった。

 

「あーあ、こんなことになるなら、無理やりにでも名前聞きだしとくんだったな。そうすれば、簡単に探し出すことができたのに」

 

 百代は、いつも通り強引にでも吐かせておけよと過去の自分を恨めしく思う。この2人は不思議な関係だった。なにがキッカケで戦い始めたのか、なんで名前を知らないのか、忘れた頃にこのように夢にあがってくるのだが、彼女の見る場面はいつも変わらない。怒った顔や笑顔っていっても、もう顔もボンヤリとしてしまっている。彼女がそんなことを考えていると、廊下の方から妹の声が聞こえてくる。どうやら考え事をしていると、かなり時間が経ってしまったようだ。その当時より長くなった黒髪を櫛で梳き、学園に向かう身支度を整え、彼女は妹と一緒に家をでて、仲間との合流地点を目指す。

 

 

 ◇

 

 

 学園へ向かう途中にあるその場所は昔と変わることなく、変わったものと言えば、そこから見える街の風景と成長した百代自身と仲間がいること。夢のせいか、少し思考が止まっていた彼女に、隣を歩いていた舎弟――と言ってもただの弟となっている直江大和が気遣ってくる。

 

「―――さん? どうかしたの、姉さん」

 

「……いやなんでもない」

 

「姉さんって、本当に時たまそうやって物思いにふけってるときあるよね」

 

「そんなことないだろ? 気のせいだ」

 

「いやいや何年、あなたの弟やってると思ってるのさ」

 

 百代はニヤリと笑い、大和を背中から抱きしめる。

 

「えーっと、大和が重度の中二病を患ってたときからだからなぁ……んーそれともお姉ちゃんがかまってくれないから、寂しかったのかな?」

 

「人の黒歴史を朝から暴露するのは、勘弁してください。普通に小学生のときからでいいだろ。って、べったりくっつくな、歩きづらい」

 

 その言葉に、一緒に登校していた仲間の一人が反応する。大和の隣を歩いていた蒼い髪の少女――椎名京が、両手を頬に当てながら口火をきる。

 

「大丈夫、そんな大和も私は受け入れてる。……だから付き合って」

 

「ありがとう。そして、お友達で」

 

 言葉からも分かるとおり、京は大和が大好きであり、隙あらば告白を敢行する。某海賊王漫画の剣士の如く、押して押して押しまくるのだった。そして、この会話はいつものお約束となっている。

 そこへ別の仲間が会話に入り込んでくる。短髪にガタイの良い体、マッスルガイを自称する島津岳人と伸びた前髪で片目が隠れ、色白の物静かそうな少年――師岡卓也だ。2人で仲良く読んでいたジャソプは閉じられている。

 

「懐かしいな。誰かが俺を見ている気がする」

 

「ニヒルな笑みを浮かべながら、よく言ってたよね大和は」

 

 人の弱点をしっかりついてくる2人。そんな2人にため息をつきながら、大和は言葉を返す。

 

「ガクトにモロ、こうゆうときだけ話に入ってこなくていいから」

 

 モロと言うのは、卓也のあだ名である。そこに一番先頭を歩いていた手にダンベルを持った活発そうな茶髪の女の子――川神一子が寄ってきた。仲間内ではマスコット的な存在で、ワンコという愛称で呼ばれ可愛がられている。彼女は百代の妹でもある。

 

「大和もそう考えると、成長したわよねー」

 

「ていっ!」

 

  その発言に、大和が一子に問答無用のデコピン。彼は、彼女に対して飴と鞭をしっかり使い分けており、事実、調教はかなり進んでいた。その様子を見てきた仲間たちは、彼をトップブリーダーと呼ぶ。

 

「ふぎゃ。なんで私だけデコピンするのよー」

 

 涙目になりながら、大和に訴えかける一子を百代がよしよしと慰める。すると、彼女はすぐに笑顔になり、元気を取り戻した。

 大和もすぐに鞭のあとの飴を用意する。

 

「誰がご主人様なのか、しっかり体に教え込んでおかないと……っとこの話題はだめだ。京ルートに一直線になりそうだ。ワンコ、ほれお菓子でも食べて、機嫌を直してくれ」

 

「これくれるの? ありがとう。ぐまぐま」

 

 一子はお菓子でさらに上機嫌になり、今も夢中になっている。大和はそんな彼女を見てニヤリと悪そうな笑顔を浮かべていた。

 そこに、京が彼の腕をとりながら、会話に混ざってくる。

 

「ワンコには飴と鞭。そして、私の出番を事前に潰してくるそんな大和も好き」

 

 そんな賑わいの中に、さらに二人の少女が加わる。

 

「大和は中二病を患っていたのか。というか、中二病とはなんだ?」

 

 ドイツ出身で、日本大好きの金髪の少女――クリスティアーネ・フリードリヒの問いかけに、その隣を歩いていた長い黒髪を2つに結った少女――黛由紀江が答える。彼女の腕の中には、刀が大事そうに抱えられていた。

 

「小学生から中学生がかかる病ですね。自意識過剰になったりして……」

 

 あとを引き継ぐ松風――黒い馬のストラップ。

 

「本人は平然と言っているけど、周りからしてみるとどう反応していいのかわからないイタイ発言をしてしまったりする。自分にしか見えない敵と交戦していたりする。こうゆうのが、主な症状だ。覚えときな、クリ吉」

 

「こら、松風。本人の前でそんな言い方をしてはいけません」

 

「大和坊、気にすることはないぜ。人は誰しも黒歴史の一つや二つはあるものさ」

 

 由紀江は、その松風と会話――腹話術を使っての一人芝居を始める。松風は、ご丁寧にも彼女の手のひらの上にデンと置かれていた。

 大和がツッコミを入れる。

 

「まゆっちの友達が、今まで一人もいなかったこととか?」

 

「はぅ」

 

「こら大和坊。まゆっちは今カンケーないだろ。責めるならこの俺様にしやがれ! 売られた喧嘩は、全て高く買ってやる。俺の鍛え上げられた後ろ足が火を噴くぜ!」

 

 そんな2人+1匹?のやりとりをしている一方、他の連中はもう次の話題で盛り上がっていた。岳人が卓也にここにいない仲間の居場所を尋ねる。

 

「そう言えば、キャップはどうしたんだ?」

 

「さぁ週末に、西のほうにチャリで出かけてくるって行ったまんま。そのうち帰ってくるでしょ」

 

 卓也の言葉に、一子が嬉しそうにクリスへと話しかける。

 

「今度は何のお土産がもらえるのかしら。楽しみね、クリ」

 

「お前はすぐに食べ物に持っていくのだな、犬。だがまぁ、確かに少し楽しみだ」

 

「クリスもなんだかんだで帰りを待っているんだね。よしよし」

 

「むっ、なぜ私の頭をなでるんだ京」

 

 そんな噂話に引き寄せられてなのか、赤いバンダナを巻いた男が風のごとく、仲間たちの目の前に現れる。彼は風間翔一。この仲間――風間ファミリーと呼ばれるグループのリーダーをしている男である。通称キャップ。

 

「おーっす。みんなただいま。なんとか学校に間に合って、一安心だぜ」

 

 大和が翔一に声を掛ける。

 

「キャップ、おかえり。今度はどこに行ってたの?」

 

「ちょっと名古屋あたりまでぶらっとな。それと名古屋の名物もちゃんと買ってきてあるからな。放課後にでも、基地でみんなで食おうぜ」

 

「わぁーーーありがとう、キャップ。とっても楽しみだわ。ねぇお姉さま」

 

 百代は、体全体で喜びを表す一子に相槌を打ちながら、今日も賑やかに登校していく。そして彼女は一度だけ、あの場所に目をやってすぐに皆のところに意識をもどした。橋を渡ると、学園はもう目前だ。

 

 

 ◇

 

 

「俺の名前はイアン・ルツコイ。川神の武神、おまえに決闘を申し込む!! 北海の巨人と怖れられる俺のパワーを存分に味あわせてやるわ」

 

 多馬大橋――通称へんたい橋。なぜか変な人が多く出現することから、地元の人間にはそう呼ばれ始めた。その橋にさしかかると、いつものごとく百代への挑戦者とやらが道をふさぎ、人だかりができている。決闘という言葉で、彼女はまた今朝の夢を思い出す。

 今どこにいるのか。強くなっているのか。また会えるのか。夢を見た後は、いろいろ考えてしまう百代。しかし、彼女は頭を振って気持ちを切り替える。目の前の挑戦者が待っているのだ。彼女の目つきが鋭くなっていく。

 

「通行人の邪魔だぁぁー」

 

 百代はとりあえず、目の前の2メートルはある障害物をどこに飛ばすかを考える。北海と言ってるからとりあえず北か、などと適当なことを思いながら、空の彼方へと殴り飛ばした。

 賑やかに、しかしどこか物足りない日々が続いていく。百代をワクワクさせる相手がいない。最後にもう一度だけ、思い出の場所がある方向を見つめる。

 

「なぁ……私が未だに昔を思い出して、お前を待っているなんて知ったら、お前は驚くか?」

 

 百代は、誰にも聞こえない声でつぶやくと、学園を目指して仲間と共に歩き出す。

 



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『いざ川神へ』

 茶室の中には、落ち着いた色合いの着物を着た老婆と私服を着た少年が向かい合って座っていた。

 コン。

 静寂の中、庭に備え付けられている鹿威しが、一定のリズムを保って甲高い音を響き渡らせる。何度目かの甲高い音が鳴ったあと、老婆がゆっくりと口を開いた。

 

「わざわざ夏目の名を継ぐことはなかったんだよ。変わった孫だ。アリスの奴も引きとめたんじゃないかい?」

 

 その問いかけに、目の前の少年は苦笑した。母譲りのくすんだ銀髪が少し揺れ、軽く青みがかった目が老婆に向けられる。

 

「おばあ様はそんなことしないよ。それは、銀子ばあちゃんもよく知っていると思うけど?」

 

「ふふっそうかもね」

 

 白髪をしっかり結い、身を整えている銀子は、少し前に会ったときのことを思い出し微笑んだ。少年が言葉を続ける。

 

「それに、夏目の家も日本も好きだからな。もちろんあっちの家が嫌なわけじゃない」

 

「わかっているよ。それに理由がそれだけじゃないのもわかってる」

 

「まぁね。西も強いやつが多いけど、東もすごいらしい。なんてったって武神がいる。瞬間回復とかいう反則みたいな技あるんだって」

 

 少しテンションが上がっているのか、少年は楽しそうに笑みを浮かべる。そんな孫を見て、銀子はため息をついた。祖母の様子に気がついたのか、彼がまた苦笑をもらす。

 

「血筋かねぇ、強い奴と闘いたがるのは。まぁ凛は、しっかり息子の血も引いてるから無茶はしないと思ってるけど……心配だねぇ」

 

「何もばあちゃんらの時代みたいに殺しあうわけじゃない。それに俺はもう負けない。そのために鍛錬も積み重ねてきたし、これからもそうする。夏目の名をさらに広げて、世に残したい」

 

「家名も大事だけどね。消えていくときは消えていくもんさ。気にしすぎる必要はないよ。あんたが継いでくれただけで、私にとっては十分だ。あとはまぁ、覚悟があんなら好きにしな」

 

 それでも、銀子は孫が夏目の名を継いでくれたことを嬉しく思っているのか、穏やかな笑みを浮かべ茶をすすった。それにつられてか、彼女の孫である少年――凛も点てられた茶を味わう。

 

「やっぱり、ばあちゃんの点てる茶はおいしい」

 

「おだてたって何もでてきやしないよ。次帰ってくるときは、がーるふれんどの一人や二人つくって帰ってくるんだね。そしたら、また茶を点ててやろう」

 

「ははっ。なら頑張らないとな」

 

 そして、2人はまた茶をすすった。茶室には、ゆったりとした心地よい雰囲気が流れている。茶器を何度目か傾けたところで、凛は茶を飲み干した。銀子もそれがわかったのか、彼が茶器を置き終わる前に話しかける。

 

「そろそろ時間だろ? いっといで。案内は白雪にまかせてある」

 

「はい。いってきます」

 

 きちんと礼を尽くして、凛はその茶室から退出していった。出て行ったことを確認した銀子は、座ったまま目の前の誰かに話すように言葉を発する。

 

「黒衣。何もないと思うが、川神に入るまで任せたよ。別に何も起こらないと思うけど、アリスも過保護だからね。なにもしないと知れたら厄介だ」

 

「…………」

 

「気張ってきな。凛」

 

 孫の名を呼び、最後の一口を飲み干した銀子もゆっくりと茶室から退出していった。茶室はまた静寂に包まれ、鹿威しだけが変わらず音を上げ続ける。

 

 

 ◇

 

 

「やっとここまで来たな」

 

 京都駅まで銀子の侍従の1人である白雪に送ってもらった凛は、新幹線の席に身をゆだねていた。別れる際には彼女からも激励され、新幹線の指定席までしっかりとっといてくれてるところをみるに、彼が大事され、愛されているのがわかる。

 

「懐かしい人たちにも会えるし、楽しみだな」

 

 凛は、手紙を一つ取り出して目を走らせる。手紙の文字は綺麗に整っていて、とても読みやすいものだった。

 

「これから川神がおもしろくなるから、おまえも来いか……相変わらずの上から目線。まぁ年齢からするとその通りなんだけど、どんな人であろうとその姿勢を崩さないんだから、驚きだな」

 

 幼い頃の思い出がふと甦る。武道の師との出会いは強烈だった。出会ってから自己紹介をすませ、実力を見ると言われ問答無用で実践へうつる。合図が聞こえた次の瞬間には、凛は吹き飛ばされていた。幸い、いつの間にか張られていた糸によって、ケガをすることはなく、土を払って起き上がる。彼はその男を見上げながら問いを投げかけ、それに笑いながら男が答える。その答えにやる気をだした彼は、生意気にも「教えてくれ」と頼む。

 凛は、それからあとの鍛錬を思い出し笑ってしまう。

 

「半分……いや6、7割方が打ちのめされてる思い出しかないな」

 

 そして、もう1枚の手紙へうつる。こちらも先ほどの手紙と変わらず読みやすく、違うとすれば内容がより丁寧に書かれており、凛のことを労ってくれている部分も見られた。

 

「あの人らしい」

 

 もう1人の凛の師からのものだ。彼の教える内容は、武道よりも礼儀作法が中心だった。そんな彼は、当然礼儀作法はお手の物、博識であり戦闘だってこなしてしまう人物であった。完璧超人とは、彼のことを指すと凛は今でも思っている。

 

「さて、まずはこいつらから片付けてやろう」

 

 凛は手紙を大事に仕舞い込むと、目の前にある弁当やお菓子に視線をうつす。川神まではまだまだ時間があったが、横の席に人が乗り込んでくるまでに食べてしまおうと、1つめの弁当に食べ始めるのだった。

 

 

 □

 

 

「えー次は川神―。川神―です。降りる際には、お荷物等のお忘れないようご注意願います。川神―――」

 

 乗り継ぎを経て、アナウンスがようやく川神への到着を知らせてくれる。

 駅に降り立ち、あくびと大きな伸びをする凛。彼も京都からだとさすがに少し疲れていた。川神駅はゴールデンウィークということもあって、大勢の人達でにぎわっている。また、彼は降り立った瞬間にやはり空気が西とは違うと感じていた。

 ――――強い人たちが、一つの場所に集まってるからか?

 凛はそんなことを思いながら、一旦周りをぐるりと見渡す。駅での人の数は、間違いなく西よりも多い。そんな人の流れを見ながら、彼は心が折れそうになった。

 

「というか、これだけ人多くて、俺は目的の人と無事に会うことができるのか」

 

 母の友人である咲曰く。

 

「私の息子って本当にすぐわかるから! 私に似て可愛い子だよ」

 

 凛はその言葉を思い出しながら、とにかく集合場所へ歩き出す。その前に黒衣にもお礼をするため、彼は後ろを向いて軽く一礼をする。すぐ後ろを歩いていた通行人には、何事かと驚かれていた。

 正直どうなるかと不安に思っていた凛だったが、結果から言うと、すぐに目的の人物に会えた。似ているというより、待ち合わせていた人――大和は、女装すると彼の母である咲に変身すると断言できるほど、一目でわかる容姿をしていた。

 

「人違いなら申し訳ありませんが、直江くんかな?」

 

 凛は、これからの学園生活で最も長い付き合いになる最初人物との接触をはかる。

 

 

 ◇

 

 

 そして、相手が目的の人物だと判明し、凛は胸をなでおろした。彼は表情を崩しながら、言葉を続ける。

 

「直江くんは、本当に咲さんに似ているな。おかげですぐに見つけることができた」

 

「大和でいいよ。これから学校でも寮でも一緒なんだから。堅苦しいのはなしで」

 

「それじゃ俺のことも凛で。大和が話しやすい人でよかったよ。景清さんみたいにオーラのある人だったら、少し萎縮してしまうとこだった」

 

「父さんのことも知ってるのか。優しい人なんだけどな」

 

「知ってるよ。咲さんとも仲のいいお似合いの夫婦だ」

 

「同年代そう言われると、なんだか恥ずかしいものがあるな」

 

 大和は、照れくさそうに笑いながら、片手で頭をかいた。凛はその様子が咲さんとそっくりだと笑う。それから、彼らは両親のことをキッカケに互いの自己紹介をしつつ、駅周辺を探索していった。

 まずは仲見世通りへと向かう。

 

「――――て感じだな。もう少し行くと、俺のクラスメイトの店がある。飴の小笠原っていうんだけど、九鬼揚羽さんが気に入ってる店なんだ。味もいいしね」

 

「ほうほう。その飴は興味があるな。少し買っていってもいいか?」

 

「構わないよ。どうせなら、クラスメイトも紹介しておく。知り合いは多いほうがいいだろ?」

 

「助かる」

 

 そうして、2人が飴の小笠原を視界に捕らえた瞬間だった。

 

「イケメン系はっけーーーーん。ゲットするか……しないでか! ポッコペーーーン」

 

 店員と話していたガン黒の女が声を張り上げ、猛ダッシュでこちらに一直線に走ってくる。店員は突然の出来事に驚いており、少し遅れて「止まれ」と叫ぶが、どうやら彼女には目の前の獲物しか目に入っていないようだった。この通りは名産品などを売っているため、普段は賑わっているのに、今このときだけは距離があっても、目当ての相手を見つけられるほど人が少なかった。

 大和の頭の中には、瞬時に三つの選択肢が現れていた。

 

 1番。せっかくの学校生活。これからというときに、ガン黒女もといクラスメイトである羽黒に凛を襲わせるわけにはいかない。自分が尊い犠牲になる。

 2番。いやこれほどのイケメン。背丈は180近くあり名前負けしない容姿で、今までにいい思いもたくさんしてきたはず。そう、キャッキャウフフと楽しんできたはずである。ここで一つ社会の厳しさというものを羽黒という存在によって知ってもらうべきだ。いやぜひそうなれ。

 3番。この距離ならまだ逃げられる。

 

 大和は迷わず選択する。むしろ3択であるが、実質はもう一つを選んでいたようなものだった。そして何より、猛牛のように突進をかましてくる羽黒の存在が、物凄いプレッシャーになっていた。

 

「2番だ!! 凛、君に決めた」

 

 大和は、ポケ○ンの主人公の名台詞を叫びながら、人柱として凛をそっと前へ押し出した。そして、そのあとはガッチリと押さえ込む。あとはタイミングの問題だった。

 

「おい、大和! なんか叫びながらこっちに来るぞ。お前の知り合いか? てか、押し出すな。悲惨なことになりそうだぞ……主に俺が。俺の頭の中に、このままでは大事な何かを失いそうだと警報を鳴らしてる!! 大和っ!」

 

 慌てる凛に対して、大和は優しく微笑みうなづき返した。羽黒は、ガン黒の肌とは対照的に白い健康的な歯をむき出しにしながら、もう距離を詰めてきている。その場にいる人達は、友人同士が戯れていると思っているのか、別段騒ぎ立てる様子もない。

 

「いーーーけーーーーめぇぇーーーーーん」

 

「ええい、こうなったら」

 

 凛は覚悟を決めたのか、羽黒が一気に距離を詰め来るの冷静に観察する。大和はその様子をうかがいながらも、ガッチリと押さえている。

 

「とぅっ!!」

 

「ほい!」

 

 羽黒が飛び掛るために跳躍した瞬間、凛は大和と自分の身をヒラリと置き換え、ガッチリと彼を掴まえる。彼は抜け出されたことよりも、自分が捕らえられたことに驚いていた。

 

「な! 姉さんに鍛えられ、逃げだけは自信があったのにって離せ凛。羽黒が! 止まれおおおあぁぁぁ!?」

 

「……こうして直江大和の学園生活は、終わりを告げるのだった。南無南無」

 

 羽黒に乗りかかられた大和を心なしか体をピクピクさせている。小さな声で「うぅ」と聞こえるので、死んではいないが、痛みにうめいているようだ。その痛みを与えた張本人は、腕まくりをしながら意気揚々といった感じで、上唇をペロリと舐める。

 

「さーて、久々に喰うとすっか……って直江系じゃねーかよ。イケメン系じゃねーじゃん。いやこれはこれでごちそうさまって感じ系だけど、やっぱイケメン系味わいたいから、観念しろやー」

 

 振り向くと同時に両手を振り上げ、こちらへの距離をジリジリと詰めてくる黒い獣もとい羽黒に、えもいわれぬ恐怖を感じた凛は咄嗟に構えをとる。

 

「いや少し待て。初対面でいきなりアグレッシブすぎるだろ」

 

 しかし、ここで救世主――先ほどの店員が現れた。遠目ではわかりにくかったが、同年代の女の子であり、服には飴の小笠原と書かれている。加えて、看板娘だと言われれば、納得できる容姿の持ち主であった。

 

「いや羽黒あんた彼氏いるんだから、自重しなさいよ。言いつけるわよ」

 

 店員が仁義なき戦いに終止符をうつ。それに、羽黒が口をとがらせながら答える。

 

「へっそんななのカンケーねぇって言いたいとこだが、仕方ねーな。私に惚れられても気持ちには応えられねーし。この場はチカリンに免じて納めてやるよ」

 

「濃い人だなー」

 

 大和が目を覚ますまで、凛は成り行きで彼女らと会話することになる。そして、クラスメイトというのは、この店員である小笠原千花とその友達の羽黒黒子であった。

 千花が積極的に話を進めていく。

 

「へぇー京都からこっちに来たんだ。で、なんでナオッチと一緒なの? 知り合い?」

 

「両親同士がね。それで、ついでに川神の案内まで引き受けてくれたんだ」

 

「直江系が見知らぬイケメン系と歩いてたから……じゅるり」

 

 凛は羽黒の態度に一歩身をひく。

 

「まぁ今後はお手柔らかにお願いします」

 

 そこに千花から注意が入る。

 

「同じクラスメイトになるかもしれないんだから、本当にやめなさいよ羽黒。で、夏目くんは、彼女とかいるの?」

 

「おおーチカリン! ナイス! それ聞いとかないと今後の動き系にも影響あるかんな。そんで夏目どうなんだ?」

 

 羽黒が、目をキラリと光らせた千花に対してサムズアップしながら、凛に先を喋るよう促す。彼女の口から、時折覗く白い歯もキラリと光る。

 

「彼女はいない。でも会いたい人はいる」

 

 その言葉に、千花が真っ先に食いつき、羽黒が続く。

 

「おお! 会いたい人? 女性?」

 

「どうなんだよ、コノヤロー! さっさと吐いちまえよ」

 

「それは秘密ってことで。まだ会えるとわかったわけじゃないんだ。この話はおしまい!そろそろ目を覚ましてるだろ、大和?」

 

 凛はベンチに寝転ばされた大和を見た。

 

「今、目を覚ましたばかりです。それより、羽黒突っ込んでくるなら、相手確認してからこい。こっちは一般人なんだぞ! 内臓吐き出るかと思ったわ!」

 

 起きたばかりとは思えないテンションで、体を起こした大和は羽黒に詰め寄る。しかし、彼女はどこ吹く風という感じで軽く受け流す。

 

「男なら女のボディプレスくらい軽く受け止めてもらわないと困るんですけど」

 

「おまえの彼氏に心底同情するぞ」

 

 その言葉を聞いた大和は、ここにはいない羽黒の彼氏に同情する。凛も言葉には出さずとも同じ気持ちのようで、うんうんと頷いていた。そんな2人の様子に、千花が話題を変えるため営業をかます。

 

「はいはい、その辺でいいでしょ。それでせっかく寄ってくれたんだし、買っていってくれるわよね?」

 

「この状況にお詫びをだしてほしいくらいだ。はぁ」

 

 大和がガックリと肩を落とす。落ち込む彼を慰め、凛が千花に話しかける。

 

「俺が買うよ。おいしいって評判らしいからね。見繕ってほしい」

 

「毎度あり。学校は休み明けに来るの?」

 

 客を一人ゲットできたことを喜んだ千花の声が一段高くなる。店頭に並んだ飴の中から、何種類かを手馴れた手つきで袋に入れていった。

 

「その予定。学校でも仲良くしてもらえたら嬉しいな。小笠原さん」

 

「アタイももちろん仲良くしてやんよ夏目。でも彼氏いるから、友達系までな」

 

 どこまでも上から目線の羽黒に、大和は呆れていた。

 

「羽黒、おまえあんな行動に出といて、よくそこまで強気でいけるな。ある意味尊敬する」

 

「羽黒さんもよろしく。それじゃまた学校で」

 

 飴の小笠原を離れ、次の場所へと向かう彼らは、通りをさらに進んでいく。通りはいつの間に人が増えたのか、観光客で賑わっており、気をつけないと人とぶつかりそうなほどだった。

 

「ふぅ。一時はどうなることかと思ったな」

 

「俺は、しっかりどうにかなったがな! まぁある意味、状況が収まったからよかったな。羽黒がおまえを襲ってたら、それこそこれからやばかったし。目の前で、数時間前に友になったばかりの奴がヤられるなんて……見たくない」

 

「いや、しっかり俺を生け贄として押し出していたやつのいう台詞じゃないな」

 

「あれは一瞬の気の迷いというやつだな。でも結果オーライ……っと、あそこにいるのは2-Sの奴だな。おーい」

 

 凛の追求をよそに、大和は前方を歩いていた3人組へと声をかけた。それに気づいた1人が振り返る。

 



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『地上を統べる者と念じて創られたもの』

 大和が呼び止めた3人組は、彼の姿を確認すると近くに寄ってきた。そして、その中の一人、眼鏡をかけた甘いマスクが特徴的な少年が口を開く。

 

「これは嬉しいですね。休日に大和くんに出会えるなんて、これを運命と言うのかもしれませんね」

 

 この少年の名は葵冬馬。柔らかい物腰と丁寧な言葉遣い、ハーフ特有のはっきりした顔立ちと浅黒い肌により、学園内に多くのファンをもつ少年である。そんな彼が、隣に立っている凛を見て言葉を続ける。

 

「私のお誘いはいつも受けてくれないのに、見知らぬ美男子とデートとは嫉妬してしまいます」

 

「おいこら変なこと言うな、葵。まだ知り合って数時間しか経ってないんだぞ。誤解されるだろ」

 

 大和は、最初の言葉をスルーしたが、さすがに次はきっぱりと否定の言葉を口にした。そんな彼に凛は優しげな視線を送りながら、会話に混ざる。

 

「大丈夫だ大和。初対面でやけに親しくしてくれたのには、そんな裏があったなんて。それでも俺たちは友達だ」

 

「おおよかったって。凛さんや……ちょっと距離が遠くありませんこと? 一段階ボリューム上げないと会話成立しない距離じゃないか? 泣くぞ?」

 

「冗談だ」

 

 凛と冬馬が、一通り大和をいじって本題に戻る。

 

「じゃあリンリンだね。ウェーイ?」

 

 この奇妙な言葉を発する少女は榊原小雪。長い白髪からのぞくアメジスト色の目が、興味深そうに凛を捉えている。そして、腕にはマシュマロが入った袋。勝手に人にあだ名を命名するところを見るに、彼女がマイペースであることがわかる。彼女は、返答を待っているのか彼をじっと見つめ続けた。

 

「ウーーウェイ?」

 

「あはは、ましゅまろあげるー。よろしくねリンリン。僕のことは小雪でいいよー」

 

 言葉?が通じたことを喜んだのか、はたまた何かフィーリングがあったのか、小雪は楽しそうに喋りながら、凛にマシュマロを渡す。

 

「よろしく小雪。お返しに飴をあげよう。そして、リンリンはもう決定事項かな?」

 

「おおーありがとう、リンリン。ましゅまろと食べるとまたおいしい」

 

 どうやら凛のあだ名は決定事項らしく、華麗にスルーされる。そんな小雪は飴を口に放り込むと同時に、マシュマロも放り込み、ミックスされた味を楽しんでいた。満足気な表情の彼女に、自然と笑顔になる凛だったが、そんな彼に突如眩しい光が襲ってくる。彼は手をかざしながら、その発生源を調べるため目を細めた。どうやら人の頭が太陽の光を反射させているようだ。

 

「ユキと初対面から仲良くなるとは、大したコミュニケーション能力だな」

 

 眩しい光の発生源が言葉を喋る。ようやく目の慣れてきた凛の前に、スキンヘッドの男が立っていた。彼の名は井上準。なんでもそつなくこなす能力を持ち、冬馬と小雪の世話をやく優しい男である。しかし、そんな彼は業を持ち合わせていた。

 

「さらに、幼女相手だとその能力は3倍に跳ね上がる」

 

「なぜ俺が、幼女好きだとわかった!? まさかこんなところで、同士に出会えるとは!ロリコニア創設のときは、近いのやもしれん」

 

 準は凛の言葉に素早く反応し、テンションをマックスまであげる。それには、さすがの凛も戸惑いをみせ、正直に話し出した。

 

「……いや勘だ。それと能力うんぬんは冗談だ。すまん。そしてよろしく」

 

「なんだ同士ができたと思ったのに。まぁよろしくな夏目。俺は井上準だ。ノリが良くて嬉しいぜ」

 

 少し残念がった準と握手を交わす凛の手に、もう一つ綺麗な手が重ねられる。

 

「私の名前は葵冬馬です。私もいろんな意味でお付き合いをお願いしたいですね。リンリン」

 

「いやさすがに男にリンリン呼ばわりはキツイものがあるから、ごめんなさい。そして、健全な付き合いをよろしく」

 

「つれませんね。しかし、これから時間はたっぷりあります。親睦を深めていきましょう」

 

「僕も混ざるー。握手握手」

 

 小雪も両手で握手している彼らの手を全部包み込む。

 

「なんか俺一人だけ仲間ハズレにされてる?」

 

 仲良く4人で握手をする中、大和はそれを一歩離れて見ており、自分の現状についてつぶやいた。3人組とは軽い挨拶をして別れ、再び2人で通りを進んでいく。

 

「川神は、本当におもしろい人達が多いな。今日だけでもだいぶ濃密な時間を過ごした気がする」

 

「俺は、凛の適応能力に驚いているけどな。川神にすでに順応してる」

 

 その後、2人はグルメネットワークつながりのある熊飼満こと通称クマちゃんに会いに行く。凛と満は、互いに食材を送りあう間柄にあり、自己紹介とグルメ情報の交換をして別れた。

 次に、一つ上の先輩にあたる京極彦一の家に挨拶に向かう。京極家と夏目家でつながりがあった凛は、これから世話になるため、早々に挨拶をしに行ったというわけだ。

 そんな風に歩き回っていると、川神院の前に着く頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。

 

「ここが川神院か。迫力あるな」

 

 凛と大和の前には、大きく頑丈そうな門がそびえたっていた。すでに街灯の灯りがともっており、その光に照らされるそれはより壮大に見える。凛はキョロキョロと周りを見渡した。さすがに暗くなってきてからは、人の行き来もあまりなく通りは静かだった。

 

「川神市の由来になるくらいだからね」

 

「ここに武神がいるのか」

 

「会っていく? いたら、すぐに紹介できるよ」

 

 軽く返答する大和に凛は驚き、彼の方へと向き直る。

 

「大和は武神とも知り合いなのか?」

 

「姉さんって呼ぶ間柄ではあるね」

 

「大和には兄弟はいなかったはずだが」

 

「うん。一人っ子だよ。姉さんってのは……舎弟契約みたいなものかな?」

 

 彼らはまた門を見ながら会話をする。昔を思い出しているのか大和は苦笑しながら、凛に答えた。彼からは、今の凛の表情はうかがえない。

 

「……契約とは随分な言い方だ。その割には嫌がってはいないようだな」

 

「まぁね。美少女だし」

 

「ははっ。なるほど。それなら俺も結んでしまうかもしれない」

 

 大和の分かりやすい理由に、凛は思わず笑って同意する。川神院の中では夕飯の準備が進んでいるのか、門のところまでかすかにいい香りが漂い始めていた。

 

「で、どうする?」

 

「いや今日は止めておこう。お楽しみは後にとっておく。……そう言えば、西では武神が倒した人間をチョコにして食べてしまうという噂があるな」

 

「いやいやそんなことあり得ないから。しかもチョコ……どこの魔人だ。それより、凛の答えを聞く限りじゃ、凛は好きな物を最後に食べる派か?」

 

 凛が顎に手をやりながら口を開く。

 

「確かにショートケーキのイチゴは、最後に食べるな」

 

「なんか凛とショートケーキの組み合わせが、アンバランスでおもしろいな。……んじゃもう遅いし、寮に行くか……ってまだ荷物届いてないのか?」

 

「ああ、明日になると思う。それに夜には別の約束もあってな。だから今日はここで。本当に助かったし、おもしろい一日だった。お礼は明日、寮に行ったときさせてもらう」

 

「こっちも楽しかったから、お礼なんて別に構わないんだが、受け取らないと凛が困りそうだな」

 

「その通り。それじゃまた明日寮で」

 

「おう」

 

2人は川神院の前で別れ、別々の方向へ歩き出した。

 

 

 ◇

 

 

「あーここは本当におもしろい街だな。今日だけでいろんな人に出会えた。これは大和に感謝だな。街も聞いていたほど、治安の悪い場所もなさそうな感じだし。大和も親不孝通りは、ちょっと前まで危ない通りだったけど、今は不思議と良くなってるって言ってたしな」

 

 ――――何かあったのか?地元の人間じゃないから、なにもわからないが。

 凛は辺りを見ながら、来た道を戻っていた。住宅地の方はそれぞれ明かりがついており、そこかしこから夕飯の匂いがしてくる。その匂いに凛は空腹を覚えるが、ぐっとこらえて駅を目指す。

 

「おっ駅が見えてきた」

 

 いつの間にか早足になっていたのか、凛は思ったより早く駅に着いた。一度時間を確認すると、ぐっと背伸びをして、気持ちを切り替える。

 

「さて、迎えの車が来ているはず……というか久々に会うから、大和のときより緊張する」

 

 リラックスのため深呼吸しながら、周りを見渡す凛の傍に、一台の黒塗りの高級車が横付けされた。その車体は汚れひとつなく、駅の周りにある街灯の光を反射している。彼から中を伺うことはできない。

 

「ん? まさかこれ?」

 

 完全に停止した車の運転席から、1人の執事姿の男性が降りてくる。彼は背筋の伸びた綺麗な姿勢を崩さず、温和な笑顔で凛を迎えた。彼の名はクラウディオ・ネエロ。燕尾服をきっちりと着こなし、眼鏡の奥で光る目は、年老いているとは思えないほど力強さに溢れていた。凛の師の1人である。

 

「お久しぶりです。クラウディオさん」

 

 凛は深く頭を下げた。クラウディオは、雰囲気通りの丁寧な言葉遣いで彼に答える。

 

「久しぶりですね、凛。また背が伸びたのではありませんか?」

 

「クラウディオさんに会ったのは、もう1年ほど前ですから、背も伸びますよ。ちょうど成長期ですし。それよりこんな高級車で迎えが、それもクラウディオさん自身が来られるなんてびっくりしました」

 

 再会を喜ぶ凛の声は、先ほどの緊張が嘘のように楽しげである。

 

「それには、訳がありましてね」

 

 クラウディオは、そう言いながら後部座席のドアの前まで移動し、ゆっくりと開いていく。そこには額に×印のある九鬼の証を持つ少女が乗っていた。そして、彼女は銀色の長い髪を揺らしながら、凛の目の前に立つと堂々した口調で話し出す。

 

「我顕現である。初めましてだな夏目。我は九鬼紋白だ。紋様と呼ぶがいいぞ。実は、クラウ爺の弟子がこの川神に来ると聞いてな。事前に情報を集めさせてもらったが、いろいろと驚くことも多かった。それに加えて、クラウ爺が目を掛けていると言うから、我も会ってみたくてついてきたのだ」

 

「まさかの九鬼家登場だ。初めまして紋様。夏目凛です」

 

 凛もこんなに早く九鬼家と接点をもつとは思わなかったのだろう。驚きながら自己紹介を行った。身長差があるためか、紋白が彼を見上げる形になっており、彼女のイメージは威厳よりも可愛さが勝っている。それでも溢れでるオーラが、彼女は本物であると凛に告げる。

 

「フハハ驚いたであろ。しかし、うーん……夏目は本当にクラウ爺の弟子なのか?」

 

 紋白はとても期待していたのだろう。肩透かしをくらったのか、小首を傾け、凛の周りをクルクルと回る姿は、年相応の少女だった。そんな彼女になんと答えたらいいのか、彼が困っていると、クラウディオが助け舟を出してくれる。

 

「紋様、凛は普段、しっかりと気をコントロールしていますから、今は一般人にしか見えないのでしょう。こう見えて、凛は手強い相手なのです」

 

「ふーむ、我の手配しておる者と同じようなものか。我もまだまだだ。すまなかったな夏目。出会いがしらに失礼なことを言った」

 

「いえいえ、俺……いえ私も未熟者ですから、紋様の見立てはそう間違ってはいないと思います」

 

「むっ、謙虚なのは美徳だが、行き過ぎると嫌味になるぞ。クラウ爺は嘘を言わん。だから、夏目も誇ってよいのだぞ」

 

「そうですよ凛。凛の実力に期待している者もいるのです。私を含め」

 

 紋白とクラウディオの言葉を受け、凛は少し照れくさそうにする。そんな彼を2人は笑顔で見守る。

 

「……ありがとうございます。今後は気をつけます」

 

「うむ、ならば良い。フハハハハ」

 

「さて、ここで長居する必要もないでしょう。早速、九鬼の極東本部に参ろうと思いますが、よろしいですか紋様?」

 

「うむ、さぁ夏目も乗った乗った」

 

 紋白は、凛の背を押し後部座席に押し込んでいった。駅を出た車は、世界で幅を利かせる九鬼の極東本部へと進んでいく。

 そして車は順調に進み、凛は九鬼極東本部の建物の前に降り立った。彼は自然と目の前の建物を見上げてしまう。そこで一言――声を大にして感想を述べる。

 

「いやぁさすが九鬼の本部だけはありますね。圧・倒・的!!」

 

「フッハハーそうであろそうであろ。これこそ九鬼にふさわしい建築よ。外もすごいが、中もすごいぞ夏目」

 

 凛の反応に紋白は上機嫌になる。仁王立ちで腰に手をあてうんうんと頷いていた。

 中央にそびえる優に20階以上ある建物は、形が大文字のAのようになっており、凝ったデザインになっていた。その左右にも横に長い建物があり、ちょうど終業の時間なのか数え切れないほどの従業員が出てくる。彼らは紋白の姿に気づくと、一礼をして去って行った。それでも、建物の窓は多くの光が灯ったままであり、中にはまだまだ人がいることがわかる。

 

「それは楽しみです紋様」

 

「さぁさぁここで騒いでいると、警備の者の邪魔になります。まずは中へ入りましょう」

 

「おおそうだな。夏目の言葉に、我もはしゃいでしまったわ」

 

 クラウディオに先を促され、紋白は我に返る。

 

「いやいや素直な感想を言っ……!?」

 

 言葉を返そうとする凛だが、先ほどまでの和やかな空気から一変。彼は瞬時に背後に向かって上段蹴りを放つ。すると、誰もいなかったはずの場所に、突如現れた執事服姿の男性が、同じく彼に向かって蹴りを放っているところだった。お互いの足が接触すると体の芯に響くような凄まじい音とともに光が四方八方に走る。同時に闘気のぶつかり合いが、風を生じさせた。

 

「ほぅ、しっかりと鍛錬は積んでいるようだな凛。抜けているように見えるのは、相変わらずだが。マシな赤子と……いやさらに腕を上げているな」

 

 足をゆっくりと下ろすこの男の名をヒューム・ヘルシングといい、1000人から成る九鬼家従者部隊の零番を担う最も強い男である。金髪に金色の鋭い目、180cmの身長、加えて鍛え上げられたその体から溢れ出る威圧感は、彼をさらに大きく見せた。ちなみに、クラウディオは序列3番にあたる。

 しかし、凛はヒュームに対しても慣れた様子で、丁寧に挨拶を行う。なぜなら、彼が凛のもう1人の師であるからだ。

 

「本当に登場の仕方がもはや人間じゃないですね、ヒュームさん。しかも相手が俺じゃなかったらどうするつもりだったんですか? そして、お久しぶりです」

 

「俺が人違いなど起こすものか。冗談だとわかっているが、俺を見くびるなよ。加えて、紋様おかえりなさいませ。お騒がせして申し訳ありません。」

 

 ヒュームは凛に軽く闘気を飛ばすと、いつ離れたのかクラウディオと紋白がいる方向に向き直って謝罪をする。そんな様子を彼は黙って見ていた。

 ――――ヒュームさん、ちゃんと執事してるんだ。

 心を読まれていたなら、間違いなく手加減なしの蹴りが凛を襲っていただろう。そんな彼とヒュームの傍までやって来た紋白は、なにやら目を輝かせていた。

 

「ただいま、ヒューム。いやしかし驚いた。驚いたぞ夏目!! ヒュームの蹴りを止めたやつなど我は見たことなかったぞ。クラウ爺の言ったことは真だったのだな。いや、疑っていたわけではないが、実際に見て感じるのとでは全然違う。すごいぞ! こんなに驚いたのは、いつ以来だろうか。改めて、先ほどのことは謝罪する。夏目、我はおまえが気に入った。まるでびっくり箱のようだ。フハハハその力、我が九鬼のために使ってほしい」

 

 紋白はよほど興奮しているのか、凛の手をとってブンブンとふった。その様子を微笑ましく見守るクラウディオが、その意見に同調する。

 

「よろしゅうございましたな紋様。確かになかなか見られない珍しい光景でした」

 

「ありがとうございます。ここまで喜ばれるとは光栄です」

 

 凛も紋白の喜ぶ姿に嬉しくなり、テンションをあげる。そこにヒュームが会話に混ざってくる。

 

「卒業するまではこちらにいられるのだろう? 時間があるときは、俺が直々に鍛えてやろう」

 

「ありがとうございます」

 

 しっかりと礼を言う凛の目は、若干潤んでいるように見えた。そんな彼に、笑顔の紋白が励ましをおくる。

 

「しっかりな夏目。頑張ったら、我からもご褒美をやろう」

 

 凛が紋白の優しさに感謝していると、門の方から2人のメイドが現れた。

 

「ファック、おいおいこりゃ一体どうなってんだ? 気がはじけたのを感じたから来てみたら、知らない男と紋様が手をとりあってる」

 

 口調の荒いオレンジ色の髪のメイドが、隣の黒髪ショートカットのメイドに話しかける。

 

「ヒューム様、クラウディオ様ともお知り合いのようですね。しかし、先ほどのぶつかりあいはあの方なのでしょうか?」

 

「いやヒュームのじじいはわかるが、あの男が相手とはとても見えないけどな」

 

 そんな2人の会話に割り込むヒューム。その姿は、もちろん彼女達の背後に現れていた。

 

「誰がじじいだとステイシー。一体いつになれば、その言葉遣いを改めるのか。今から特訓か……」

 

「!?」

 

 その言動にメイドたちは体を固くする。凛とクラウディオは静かにその様子を見ていた。しかし、2人の考えていることはそれぞれ違う。

 ――――凄く速く移動しているだけなのに、大抵の人には、瞬間移動したみたいに見える。ヒュームさんの体はどうなっているんだ?

 それに対してクラウディオは、今から特訓させるなら警備の補充が必要だと考えていた。

 そこに陽気な紋白の声が響く。

 

「ヒューム。今は客人として、夏目をここへ招いたのだ。待たせては悪い。積もる話もあるであろうし、我もその話を聞いてみたくて、ウズウズしているのだ。それにその二人は門の警備中であろう」

 

「わかりました。紋様がそうおっしゃるのなら、特訓はあとにとっておきましょう」

 

 そんなやり取りを見ながら凛はクラウディオに尋ねる。メイドたち――特にステイシーと呼ばれた方は、ヒュームの言葉に見るからに元気をなくしていた。

 

「クラウディオさん、あのメイドさんは何者ですか? ヒュームさんのお気に入りのようですし、お二方ともかなりの実力者ですよね」

 

「そうですね。ちょうどいい機会ですし、手短に自己紹介を済ませてしまいましょう。紋様、凛に2人を紹介したいのですが、お時間を少し頂けないでしょうか」

 

「おおそうだな。将来ここで働くかもしれんのだ。許す」

 

「ありがとうございます。李、ステイシーこちらに来てください。向かって右が、ヒュームの弟子にあたるステイシー・コナー。向かって左が、私の弟子にあたる李静初(リー・ジンチュー)です」

 

 クラウディオの呼びかけに、凛の前にメイドたちが並ぶ。どちらも美女と言ってさしつかえない容姿をしている。

 

「初めまして、夏目凛です。同じ師をもつ弟子同士よろしくお願いします。いつか、お二方とも手合わせをお願いしてみたいものです」

 

「九鬼従者部隊、序列15位のステイシー・コナーだ、です。よろしく……お願いします」

 

 ステイシーは、後ろからのプレッシャーに気圧されるのか、途切れ途切れの自己紹介をした。身長は凛の少し下で、オレンジ色の髪と大きな水色の瞳が陽気な印象を与える。加えて豊かな肢体が、メイド服の上からでも確認できる。

 

「同じく九鬼従者部隊、序列16位の李静初です。よろしくお願いします。まさかヒューム様、クラウディオ様の弟子に出会えるとは、驚きました。いろいろとお話を伺ってみたいですが、それはまたの機会ですね」

 

 李は、見た目通りの真面目なメイドのようだ。身長はステイシーより低く、黒髪にキリッとした目許は怜悧さを感じさせ、さらに落ち着いた口調と相まって物静かな印象を受ける。2人の自己紹介が終わると、凛は彼女らと握手を交わした。

 

「自己紹介も終わったところで、早速食事を取りながら話を聞かせてほしい。行くぞ夏目。おまえたちも仕事に戻るが良いぞ」

 

「はい、紋様。夏目様も失礼します」

 

「失礼します。紋様」

 

「あっはい。李さん、ステイシーさんお仕事頑張ってください」

 

 一礼してこの場を去っていくメイドを見送り、凛たちは九鬼の建物内入っていく。

 



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『→九鬼→』

 本部の中は紋白の言葉通り、装飾と最高級の絵画や壷が、見事な調和をなしていた。また埃一つない床面は、しっかり磨き上げられているため、天井のシャンデリアまで映し出している。その中をズンズンと進んでいく紋白達。

 

「おお、この絵画は確か2億ぐらいするやつじゃないですか」

 

「それは4億のものだな」

 

 1つの絵画を見ながら凛が値段を口にするが、すぐに紋白から訂正される。それなりに自信があったのか、即座に訂正された彼は、どう反応しようか困っていた。そんな彼がとった行動は――。

 

「……。この壷は、たしか5億ぐらいの」

 

「3億4千万のものだぞ夏目」

 

 その近くにあった壷に標的をうつす凛だが、それもまた即座に訂正された。彼は目をパチパチと開いたり閉じたりする。微妙な沈黙が辺りを包む。

 

「…………。これは……3億!」

 

 名誉挽回と言わんばかりに、凛は次の絵画をビシッと指さしながら答えを示した。しかし、遂にヒュームから決定的な一言を言われてしまう。

 

「1億だ馬鹿者。全く相も変わらず、曖昧な鑑定眼だな凛」

 

「昔からなぜかこれだけは、なかなか上達しませんでしたからな」

 

 その横を歩いていたクラウディオは、そんな凛を懐かしく思ったのか、目じりを下げながら会話に混ざる。

 

「っく。おかしい、昔から一応いろいろと見てきたはずなのに。紋様、お見苦しいところを見せてしまいました」

 

「フハハ夏目もまだまだ精進の最中ということだな。我も同じだ。気にするな」

 

 がっくりと肩をおとす凛を紋白が背中を叩きながら励ました。彼はそんな彼女に「お互い頑張りましょう」と手を差し出し握手を求める。彼女は彼の変わらぬ態度が新鮮なのか、笑顔でそれに応じる。

 握手をしながら、凛は2人の執事に問いかけた。

 

「しかし、本当にいいんですか? お食事に誘って頂いたのは光栄なんですが、なんのアポもとってない外部の人間が入ってしまって、問題が起きたらと思うと妙に落ち着かないです」

 

「問題を起こそうものなら、俺が直々に串刺しにしてやるから、安心していろ」

 

「余計に落ち着けない一言がとんできた!」

 

 少し距離をとり、ヒュームに対して構えをとる凛。そこに、クラウディオが割ってはいる。

 

「ヒュームの冗談はおいときまして。その辺りの心配には及びませんよ。こんなこともあろうかと、しっかり準備はしておきましたから」

 

「そういうことだ。我が夏目に会うことも、クラウ爺の想定内だったというわけだな。食事に誘うことも含めて。まったくクラウ爺の手際のよさにはいつも驚かされるわ」

 

「簡単なことでございます」

 

 紋白の周りは、凛が加わったことでいつもより賑やかな雰囲気だった。これから、食事ということで彼はテンションをあげ、彼女もそんな彼に対して「期待しておけ」と胸を張る。一行は、そのままいつもの食事場所となっている一室に向かった。

 

 

 ◇

 

 

 食事をじっくり堪能した凛は、来客用の部屋に通され、ベッドに倒れこむ。モダンに仕上げられている部屋は、かなりランクの高い心地よいものだった。彼は一通り部屋を見て回ると、またベッドでゴロゴロする。

 

「ベッドがフカフカだな。しかし、泊まる場所まで用意してもらっていたとは。クラウディオさんには、悪いことをしてしまった」

 

 ビジネスホテルでもとればいいかなどと軽く考えていた凛だが、そんな考えはクラウディオにお見通しだったようだ。

 

「恐ろしいほどの完璧執事だ。……ある一点を除けば。さすが、おばあ様のセバスチャンが目指すだけの人物はある」

 

 凛は、仕事ぶりや紋白の厚い信頼などを目の当たりし、改めて凄い人物を師と仰いでいたのだと実感する。

 

「しかし、あの紋様が小さい頃、やんちゃをしていて木に吊るされたりしていたとは、意外なところで共通点が見つかってしまった。より親しみをもってくれたのは幸いだったな」

 

 食事のときに判明したことだが、紋白もヒュームによく吊るされていたらしい。吊るされた者同士、その気持ちを共感することができた凛と紋白。しかし、吊るされた回数は彼の方がダントツに多かった。一緒に過ごした時間は、彼のほうが圧倒的に少なかったにも関らず。昔の彼は怖いもの知らずだったようだ。

 

「明日は、いよいよ寮に入る日だ。大和の話を聞く限り、そこもおもしろい人ばかりみたいだからな。あーなんか粗品とか必要だな。朝から準備しておこう」

 

 そこでようやく凛は身を起こし、風呂に入ることにする。風呂のアメニティグッズは、もちろんロクシタソだった。存分に風呂を満喫した彼は、そのままベッドに倒れこむ。

 そして眠れば朝が来るわけで、凛と紋白は昨日食事をとった場所にいた。凛の右隣に紋白。その後ろにクラウディオ。少し離れた位置に李とステイシーが並んで立っている。他の九鬼家の人達は、みな極東本部を離れているため、この場にはいない。

 

「図々しくも朝食までごちそうになってしまった」

 

 朝食は昨日の夕食に比べればシンプルだが、素材は一級品。凛がおかわりするのも無理からぬことだった。彼らの目の前には、熱いお茶が置かれている。

 

「どうだった夏目? おいしかったか?」

 

「それはもう。今日一日戦い続けることができるほど、おいしい食事でした」

 

「フハハハ、そうかそうか。確かにそれだけ食べれば、それも可能やもしれんな。やはり、健啖家には強いものが多いのだな」

 

 凛と紋白は、食後の一杯をフーフーと冷ましながら飲んでいった。背後に設けられている大きな窓からは、清々しい朝の光が注ぎ込んでいる。お茶を堪能していた彼女が口を開く。

 

「それで今日はすぐに出て行くのか?」

 

「はい。今日から寮に入ることになっているので、お世話になる人への粗品を選んでおこうと思っています」

 

「そうか。もっと夏目の話を聞いてみたかったが、それはまたの機会だな。川神駅まではクラウ爺に送らせよう」

 

「おまかせくださいませ、紋様」

 

 紋白は指示を出すと席をたち、凛もそれに続いた。そのまま部屋を後にし、エントランスに向かう。2人は、その道中もたわいない会話をしながら歩く。彼らの話す距離が近いことに気がついたクラウディオは、一人微笑みながらつかず離れずついていく。メイドたちもそれにあわせて、遅れずについてきていた。

 

「――――紋様が望むなら、いつでもお話します。本当にお世話になりました」

 

「うむうむ。我も楽しい時間が過ごせて嬉しかったぞ。クラウ爺たちといつでも連絡とれるかもしれんが、これは我の名刺だ。働きたくなったら、すぐに連絡してくるのだぞ。九鬼は優秀な人材をいつでも歓迎するぞ!」

 

 紋白は名刺を差し出しながら、凛に明るく声を掛けた。それを受け取り、彼が言葉を返す。

 

「紋様の声が聞きたくなったときはどうしましょう?」

 

「あまり調子にのるのもどうかと思うぞ凛?」

 

 少し調子にのって軽口を叩いた瞬間、半端ないプレッシャーをかけられる凛。紋白のすぐ後ろにヒュームが立っていた。彼はすぐに平謝りにあやまる。

 

「申し訳ありません。心地よい雰囲気に調子のってました」

 

「許す。これも我に魅力がありすぎるためだな。フッハハそのときは遠慮なく連絡してくると良いぞ。夏目は我のお気に入りだ。存分に可愛がってやろう。民の喜びは、我の喜びでもあるしな」

 

「予想外の切り返し……参りました」

 

 紋白の返しに驚き、凛は両手を挙げながら降参のポーズをとる。そんな彼に対して、彼女は楽しそうに笑った。

 

「ヒュームと渡り合った夏目になにやら勝ってしまったぞ。では、我はこれから稽古があるゆえ、ここでお別れだ。達者でな……と言っても、案外すぐに会うことになるかもしれんがな」

 

「? それはまた楽しみが一つ増えました。では、そのときまでお元気で紋様」

 

「うむ。さらばだ」

 

「川神は、おまえをさらに磨き上げてくれるだろう。精進を続けていけ」

 

「はい、ヒュームさんもお元気で」

 

 最後に凛と紋白は握手をして、彼女はヒュームを連れて本部の中へと戻っていった。

 ヒュームの姿が見えなくなると、ステイシーがテンション高く口を開く。それに李が続いた。

 

「紋様に軽口叩くなんて、なかなかいないぜ。ロックな奴だ」

 

「確かに少し驚きました」

 

「しかし、ちょっとまずかったですか? 反省しています」

 

「紋様も楽しんでおられたので構わないと思いますが、あまり調子に乗りすぎないよう注意してください。私は車を回してくるので、凛は少しここで待っていてもらえますか? 李とステイシーはこのまま警備にたちなさい」

 

 そう言い残し、クラウディオは気配を消した。凛はメイドたちに視線を戻す。

 

「李さんステイシーさんお世話になりました」

 

「おう。元気でな。師匠がヒュームでお互い大変だが、頑張ろうぜ」

 

 ステイシーは凛の肩をポンポンと叩きながら笑う。それに李はため息をひとつもらした。

 

「ステイシーが大変なのは、その言葉遣いのせいもあると思いますが……コホン。夏目様、体調を崩されぬようお気をつけください。将来は、ここで働かれる可能性もあるようですし」

 

「確かにそうだな。後輩になったときは、私らも存分に可愛がってやるからよ」

 

「こんなキレイな上司なら、可愛がられるのも悪くないですね。ぜひよろしくお願いします!」

 

「おっ言うねー。ていうか、今日一番のテンションだな。いつでも歓迎してやるぜ」

 

「車が来たようです。それでは」

 

 ドアを開いてくれる李に、凛はお礼を言って車に乗り込む。そして、メイド2人に見送られ、車は本部を離れていった。彼は流れていく風景を楽しみながら、これからの予定をたてる。

 本部を出て数分、クラウディオがハンドルを優雅にきりながら、外を眺める凛に話しかける。

 

「凛は随分、紋様に気に入られたみたいですね」

 

 凛はその声に反応し、窓の外からクラウディオに視線を移す。

 

「楽しんでもらえたようで何よりです。九鬼の方とは、学校で会うのが初めてだと思っていたので」

 

「英雄様も紋様に劣らず素晴らしい方ですから、きっと凛も気に入ると思いますよ」

 

「紋様のお兄さんでしたね。確かお姉さんもいらっしゃるんですよね」

 

「揚羽様のことですね。ヒュームから武道を学び、壁を越えた者と称されるお一人です。今は、九鬼家のために尽力されていますから、戦うのは難しいかもしれませんね」

 

「壁を越えた者っていうと、ヒュームさんしか手合わせしたことないんですよね。他の人ともぜひお願いしたいところです」

 

 壁を超えた者という単語に、凛は興味を示した。

 壁を超えた者――強さの一定ライン(壁)を超越した者を指す。このランクに到達出来る者は、才のある人間の中でもほんの一握り、いやその中でもさらにふるいにかけられ残った者のみであり、ここに到達した者の相手をできるのは、同じくこのランクに達した者だけになると言われている。

 

「そうですね。あとこの近辺ですと、川神院の総代である鉄心様、武神の百代様、師範代のルー様、元師範代の釈迦堂様あたりでしょうね。加えて、今年入学された剣聖黛様のご息女でしょうか。ヒュームはかなりこの方のことを買っているようでしたよ」

 

「なるほど。こうして聞くと、川神に集中してるのがよくわかりますね。とてもワクワクしてきます。あとは目的の人に会えるといいんですけど」

 

「子供頃の言っていた倒したい相手という方ですか? あれから凛は本当に熱心になりましたからね。その相手には感謝しなければなりません」

 

「うっ。そう言われると反論のしようもないです」

 

 クラウディオの言葉に、凛は昔を思い出し苦い顔をした。しかし、彼は優しい口調のまま先を続ける。

 

「別に責めているのではないのです。凛は、それまでもしっかりと鍛錬をこなしていたのですから。ただ鍛錬に対する意識がその前と後では、段違いになりました。負けを経験し、より高みに昇れたことを私は嬉しく思っているのですよ」

 

「悔しかったですから、とにかく次は勝つ、負けないという気持ちでいっぱいでしたね。でもその人も成長してるだろうし、顔もよく覚えてないんです」

 

 成長した相手を凛は想像しテンションを上げるが、肝心の相手の所在がわからないことに声のトーンをおとす。

 

「せめてお名前がわかれば、力になってあげられますが」

 

「名前わからないんですよね。ふぅ」

 

 凛はそう言いながら、頬杖をついてまた窓の外を眺める。そのとき、やけに強い気を放っている女の子が目についた。その女の子は2人でどこかに遊びにいくようだ。彼はふと視線を感じ意識を前に向けると、バックミラー越しのクラウディオと目があう。

 

「人の縁は簡単には途切れないものです。諦めないことですよ」

 

「はい」

 

 凛は再度視線を外に向けるが、その2人組はもう見えなくなっていた。



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『→島津寮』

 凛は川神駅まで送ってもらったことに礼を言い、クラウディオと別れた。その足で品物を選びに行こうとしたが、ここで役に立ったのが満の情報だった。なんでも七浜近くにある百貨店で、物産展があるとのことで、彼はすぐさま電車に乗り込むのだった。

 時刻は夕方。凛はこれから自分の生活の拠点となる寮の前にいた。人間第一印象が重要だ。深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着けてから呼び鈴を鳴らす。

 

「…………」

 

 誰も出てくる気配がない。たっぷり間をとってから、気を取り直して、もう一度呼び鈴を鳴らす。

 

「…………。誰もいないのかな?」

 

 凛がもう一度呼び鈴を押そうとしたとき、庭の奥から声が聞こえてくる。ほっとして、再度深呼吸。

 少し待つと、声の主が現れた――しかし、それはどう見ても人間ではなく、丸いフォルムが愛らしいロボットだった。着ぐるみを着ている様子もなく、表面は磨き上げられツルッとしたそれが喋って動いている。彼も男の子だ。ロボットが動き喋る世界に憧れなかったわけではない。しかし、実際初めて言葉を交わすとなると、とまどってしまう。

 

「どちらさま?」

 

「…………えっと」

 

「何かの勧誘ってわけじゃなそうだね。でも怪しい。何者だ!?」

 

「!?」

 

 叫んだかと思ったら、そのロボットは丸いフォルムから人型に変形し、内蔵されてあったビームサーベルを取り出した。変形後は態度も高圧的であり、声も変わっている。

 ――――あれ?俺の方が怪しいのか?このロボのほうが怪しくないか?しかも、なぜこんな短気なんだ。まさかと思うが、ビームサーベルで斬りかかって来ないよな?

 ビームサーベルからは動力源の音なのか、微かにヴーンという音が絶えず聞こえてくる。凛はもしもに備えて、相手との距離感を測りながら口を開く。

 

「あーすいません。ちょっと驚いて。今日からここに住む夏目凛です。これ学生証」

 

「ふむ。ピッピ、ピッピ……照合の結果、確かに間違いないようだな。それならそうと早く言えばいいものを」

 

 凛が怪しい人物でないと分かったからか、ロボットはまた丸いフォルムに変形した。ガシャンガシャンと音を立てながら、変形する様はとても興味深い。彼はだいぶ落ち着いてきたのか、その変形を楽しんだ。

 

「大和から話は聞いてるよ。いらっしゃい凛。僕の名前はクッキー。どうぞ中へ入って、お茶でも出すよ。今みんな出かけてるんだ。あと荷物はもう部屋に運び込んであるからね」

 

 そんなロボット――クッキーに、凛は礼を言いその後ろを付いていきながら、島津寮に入っていった。そして、リビングに移動する1台と1人。クッキーは彼を席に座らせ、台所へ向かう。

 

「はい、玉露っぽい何かだよ」

 

「ありがとうクッキー」

 

 ――――玉露ではないんだ。

 凛はそう思いながら、とりあえず一口すすってみる。

 

「うん、普通においしい」

 

「それはよかった。それが飲み終わったら、部屋に案内するね」

 

 クッキーは喜んでいるのか、目にあたる部分が黄色く発光している。

 

「クッキー質問いいかな?」

 

「どうぞ、なんでも答えるよ」

 

「九鬼の本部では見かけなかったけど、川神には一家に一台クッキーのようなロボットがいるのか?」

 

「凛は、ここに来たばかりだもんね。僕に驚いた? 僕は九鬼で作られた人工知能搭載型のロボットなんだ。ちなみに、どこの家にもロボットは置いていないよ。ここには僕のマイスターが住んでるから、一緒に生活してるんだ。さぁ部屋に案内するよ」

 

「そうか。本当にびっくりした」

 

 凛とクッキーはリビングを後にして、一階の廊下を歩いていく。クッキーの背面に夕日が反射する。とても大事にされているのがわかった彼は一人微笑んだ。すると、突然クッキーがクルリと反転する。

 

「さらに僕には特別な機能がついているんだ。知りたい?」

 

「教えてもらえるなら」

 

「仕方ないなー。じゃじゃーん! なんとポップコーンが作れるのさ!」

 

 クッキーはポンポンと音を立てていたかと思えば、作りたてのポップコーンを凛に手渡した。出来立ての香ばしい香りが廊下を包む。彼はそれを数個掴むと、口に放り込んだ。

 

「……これも普通においしい」

 

「これから欲しくなったら、いつでも言ってよ。じゃんじゃん作るよ。あ、部屋ここね」

 

 クッキーに開かれた扉の奥には、ダンボールの山ができている。ベッドや机はいつの間にか、壁にくっつける形で設置されていた。部屋の広さは、家具を置いても十分な余裕があり、軽いトレーニングなら行えるほどである。

 

「ありがとう。クッキーはいいロボットだな」

 

「どういたしまして。なんなら、部屋の片付け手伝おうか?」

 

「好意は嬉しいけど、なんでも人に頼るわけにはいかないからな。……ロボットだけど。その気持ちだけ受け取っておくよ。あ、それとこれお世話になる人たちに粗品、冷やしておいてもらえないかな」

 

「凛はしっかりしたいい子だね。もし、何かあったらすぐに呼んでね」

 

 そう言うとクッキーはもと来た道を戻っていった。凛は早速部屋に入り、ダンボールの山の片付けを開始する。

 

「とりあえずは、部屋のダンボールを片付けていくか」

 

 私服に、学生服、読みかけの漫画、標本(ヒューム作)、お気に入りの雑誌、アルバム、CD、標本(ヒューム作)など次々に整理していった。CDをかけながら、本、雑誌、教科書を本棚に並べ、ポスターを壁に飾り、標本を慎重に保管し、アルバムを開いて写真を楽しみ、少し時間が経ったところで我に返って片づけを再開する。そんなことの繰り返しで、なんとか片づけを終わらせた凛は、ベッドに突っ伏しうつらうつらしていた。

 

「―――。―――」

 

 そこに、玄関の方から賑やかな声が聞こえてくる。誰かが戻ってきたらしい。意識を覚醒させた凛は深呼吸をして、身だしなみをチェックし、共同のリビングの方へ歩いていく。近づくにつれ、話し声が鮮明に聞こえてきた。どうやら2,3人どころではない人数が揃っているようだ。少し緊張する彼の前に、見慣れた男が現れる。

 

「おっ。凛、もう部屋は片付いたのか?」

 

 どうやら様子を伺いに大和が来てくれたようだ。知り合いに会えて、少しほっとする凛。

 

「大和か。部屋はもう片付いたから、今から挨拶に行こうかと思って出てきたんだ」

 

「そっか。ならちょうどいい。今みんながリビングに集まってるからな。それから、生チョコありがとな。クッキーから聞いて、みんな喜んでるよ」

 

「それはよかった」

 

 彼らがリビングに向かうと、なにやら賑やかなことになっていた。

 

「んーー甘―い。おいひぃ幸せ」

 

 クリスは口の中にチョコを詰め込み、恍惚とした表情をし――。

 

「これ本当においしいわね。まぐまぐ」

 

 その横では一子が勢いよく自分の分を消費しており――。

 

「口にいれた瞬間、とろけていきますね」

 

 由紀江は一つずつ丁寧に味わっていた。その隣の席では、京が大和の分を確保しながら、何やら赤い液体の入ったビンを手に持っている。どうするのかは、彼女しか知らない。

 

「大和の分を確保……と」

 

「これ結構高価なチョコじゃないか、って一子がっついて食べたら、すぐになくなるぞ。オイコラ、茶のむやついるか?」

 

 この口調の荒い男は源忠勝。色黒のイケメンであり、外見のイメージと違って家事万能で何かと人の世話をやく優しい男である。ただしツンデレ。今も一人席を立ち、お茶の準備を始めていた。

 

「源殿、自分に頼む」

 

「俺様も頼むぜ」

 

 そんな忠勝にクリスと岳人がお願いし、他の者もそれに続いた。由紀江の礼の言葉に対して、見事なツンを披露しながら、彼は手際よく準備を進める。

 

「確かにこれは何個でも食べれるね。キャップもいればよかったのに」

 

 卓也は、今ここにいない友を思い残念がっていた。そこに大和が手を叩きながら、皆の注意を集める。

 

「おーい、みんなそのままでいいから、聞いてくれ」

 

 皆がこちらを向いたのを確認した大和が、先を凛に譲る。

 

「初めまして、今日からこの島津寮でお世話になります、夏目凛です。わからないことも多々ありますが、どうぞよろしく」

 

 皆の顔を見たあと、凛は頭をさげる。そんな彼に対して、元気よく反応するクリス。席を勢いよく立ち上がって喋りだした。

 

「では、こちらの一番手は自分からだ。自分はクリスティアーネ・フリードリヒ。好きな言葉は義。武器はレイピアを使うぞ。クリスと呼んでくれ。こちらこそよろしくな」

 

「次は私ね。川神一子よ。好きな言葉は勇往邁進。薙刀を使ってるわ。よろしくね夏目くん」

 

 元気よく挨拶した2人とは打って変わって、京は最小限の言葉で自己紹介する。

 

「大和の妻、直江京……よろしく」

 

「は、初めまして。い、1年の黛由紀江です! よ、よろしくおね、おねがいしまう」

 

「で、オイラはまゆっちの親友の松風ってんだー。あ、ちなみに九十九神だから、そこんとこ4649」

 

 由紀江は、顔を強張らせながら挨拶し、手の平の上に松風を乗せ、その紹介を饒舌に行う。そして、女性陣の紹介が終わると、つづいて男性にうつる。

 

「んじゃあ次は男で、俺様からだ。俺様は島津岳人。大和から聞いてるぜ。京都でいい女の子いたら紹介してくれ」

 

 誰が相手であろうと、女性との出会いを逃すまいと張り切る岳人。卓也はそれに苦笑いを浮かべながら、自分の紹介をする。

 

「ガクトはしょっぱなから飛ばすなぁ。僕は師岡卓也。寮生じゃないけど、よろしく」

 

 そして、最後に全員の茶を配り終えた忠勝が口を開く。

 

「最後に俺だな。俺は源忠勝だ。まぁあれだ、なんか困ったことあったら、寮のよしみで助けてやるよ」

 

「若干嘘ついてるやつとか、人間じゃない奴が入ってたけど、おおむねこれで全員だ。あともう一人寮に住んでる奴がいるんだけど、今ちょっと旅に出てて、学校始まったら会えると思うから、また紹介はそのときだな」

 

 一通り、挨拶が終わったところで、凛が話し出す。とりあえず、お願いをしてきた岳人から。

 

「島津、女の子の紹介はできんことないが、さすがに京都は遠くないか?」

 

「バカヤロー。チャンスをみすみす逃す必要がどこにある!? 京都だぞ! おしとやかなイメージあるなぁ。それと島津なんてよそよそしい。俺様のことは岳人でいいぜ。俺達もう友達だろ凛? で、どんな子紹介してくれるんだ?」

 

 岳人は凛の肩に両手を置き、真剣な顔で詳細を聞き出そうとする。その横で卓也がため息をつきながら会話に混ざる。

 

「いや、いくらなんでも露骨すぎでしょ!? さっきまでイケメンは性格悪いぜきっと、とか言ってたくせに」

 

「はっはー。そんなこと言うわけないじゃないか卓也くん。おかしなこと言われちゃ俺様困っちゃうぜ」

 

 そんな卓也の一言に棒読みで答え、ヘッドロックを軽くかける岳人。そんな彼に京から一言。

 

「しょーもない」

 

 2人が言い合う中、一子がシュタッっと手を挙げ大和の方を見ながら、言葉を発する。

 

「夏目くんに質問があります!」

 

「よし、許可する」

 

 なぜか一子は大和に許可を求める。それにさも当然のように彼が許可をだす。それに対して、彼女はお礼を言い言葉を続けた。

 

「ありがとうございます。夏目くんは何か武道やってるの?」

 

「やってるよ。俺は武器を使わず、男らしく拳のみ」

 

 一子の質問に、凛は胸の前で握りこぶしを作りながら答えた。その様子を見た彼女は、目をパチクリとさせたあと笑顔になる。

 

「あはっ。まるでお姉様みたいな物言いをするのね」

 

「川神さんのお姉さん?」

 

 凛は一度大和の方を見ると、大和は質問される内容がわかったのか「本当の妹だよ」と彼が喋る前に小声で答えた。2人の様子を気にすることなく、一子は嬉しそうに話す。

 

「川神の武神は私のお姉様なの。美少女で最強よ」

 

「へぇ武神か。それは明日が楽しみだ」

 

「本当は今日も誘おうと思ってたんだけど、先に約束があったみたいでダメだったの」

 

 先ほどまで嬉しそうだった一子だが、喋り終わるとテンションを少し下げる。

 

「誘うってことは、これからみんな何か予定があるんだ?」

 

「凛の歓迎会をしようかと思ってね。これから共に過ごしていくことになるんだし、クリスやまゆっちのときもやったからな」

 

 凛の問いかけに大和が返答した。それにクリスが胸を張って言葉を続ける。

 

「今度は自分も歓迎する側だ。困ったことがあったら、なんでも頼ってくれ。寮の先輩として力を貸すぞ」

 

 クリスに続き、由紀江も遠慮がちに口を開く。

 

「私もせ、精一杯おもてなしさせていただきます」

 

「まゆっちの料理最高だからなー。夏目も楽しみしてな」

 

 対照的に、松風は自信満々だった。そして、忠勝が準備するためか、台所に移動しながら、凛に話しかける。

 

「まっそういうことだから、黙って歓迎されとけ。夏目は、苦手な食材とかあるのか?」

 

「いや嫌いなものはないから、大丈夫だ。しかし、歓迎会を開いてくれるとは、大和わざわざありがとう。みんなも」

 

 笑顔でみなに礼を言う凛に対して、大和が笑って首を横にふる。

 

「別に気にすることないさ。騒ぐことの好きな連中だし、そんな友達が増えるのも大歓迎だ」

 

「なんだか世話になりっぱなしだな。……何か直江さんの期待を込めた視線が気になる」

 

 そこで大和は真剣な表情になる。

 

「いや凛……京の苗字は椎名だ。訂正してなかったことは謝るが、今後は細心の注意を払ってほしい。俺の一生がかかってるんだ。頼む」

 

「り、了解だ。で、その椎名さんの視線がだな……」

 

 2人は昨日の1日でだいぶ打ち解けたのか、親しげに会話をする。それを観察する京。

 

「……どうぞ気にせず。続けて続けて」

 

「そうか? でだ……何かお返しがしたいが、生憎、今は身一つだからな」

 

「!? 続けるんだっ!!」

 

 凛の言葉が京の中の何かのトリガーを引いたのか、彼女がリビングに響くほどに声を荒げる。そんな彼女に大和がチョップをかました。

 

「京は少し落ち着け。いくら期待しても、おまえの望む方向には進まないからな」

 

「大和と真面目な青年も」

 

 チョップをされてもどこか嬉しそうな京は、どこからともなく10点とかかれた棒を掲げた。大和は彼女を放置し、凛の方へと向き直り提案する。

 

「そうだな。俺が困ったときにでも力を貸してくれ。これでいいか?」

 

「よほど無茶なことでない限り、必ず力になる」

 

「んじゃあ話もひと段落したところで、飯にするか」

 

 そう言いながら忠勝は包丁やら鍋やらを取り出した。そこに由紀江が立ち上がり、彼に話しかける。

 

「わ、私もお手伝いします」

 

「おう、悪い。この人数ならさすがに大変だからな」

 

 テキパキと準備をする2人に、椅子に座ったままの一子が、声をはずませながら質問する。男性陣はテレビのあるソファの方へと移動していた。邪魔になるとわかっているからだ。

 

「たっちゃん、まゆっち、今日のメニューはなんなのかしら?」

 

「ん、そうだな。今日は少し豪華に、川神の野菜と黛の家から送ってもらった肉ですきやきだな。あとは、なにか汁物をあわせるか」

 

「私は、何品か添え物なども加えたいと思います」

 

 その言葉を聞いた岳人は、ソファに座りながら顔だけ台所に向け喋りだす。テレビからは、黒いサングラスをかけた司会者が、アーティストと会話している様子が映し出されていた。

 

「ゲンサンとまゆっちのタッグとは、これは間違いなくうまいだろうな。いやでも期待が高まるぜ」

 

「あー待ちきれないわ。トレーニングでもして、よりお腹をすかしてようかしら」

 

「自分もとても楽しみだ。なにか手伝えることはないだろうか?」

 

 クリスがソワソワしていたと思ったら、手際よく料理を進める2人に手伝いを申し出た。それに、テーブルにちょこんと置いてある松風が答える。その声は台所から聞こえるが。

 

「んークリ吉は主役のおもてなしをしてるといいんじゃない?」

 

「おお、それは大役だな。心得た」

 

「なんかクリスがうまいこと台所から遠ざけられたね」

 

 松風の一言でクリスは台所から退場。テレビのある方へと移動してくる。そんな彼女を見て、卓也が一人つぶやいた。

 大和は松風にサムズアップ。

 

「一つ不安材料が減ったな。松風グッジョブ。京も台所に行く必要はないからな」

 

「あなた、夫の客人をもてなすのも立派な妻の務めです」

 

 手に赤い液体が入ったビンを持つ京が、大和の目を見て答えた。その容器には、不気味な顔をした唐辛子が描かれている。

 

「誰がいつ妻になったんだ。おまえが作るとみんなが食うことできなくなるだろ」

 

「すきやきがほんの少し辛口になるだけなのに」

 

 大和に言われ、少し口をとがらせながら京は台所から離れる。そんな2人の様子に、凛が事実をありのまま伝える。

 

「……大和と椎名さんは仲がいいんだな」

 

「愛し合ってる仲なので。ね、あなた」

 

 京は頬を赤らめながら、大和の腕を抱き寄せる。

 

「何勝手に既成事実を作り上げようとしてるんだ! こら。抱きつくな。凛も余計なことをこれ以上言うな」

 

 ひっつく京をなんとか剥がそうと大和は奮闘するが、全く離れる気配がない。そこに、凛からさらに彼女に対して援護射撃が入る。

 

「? 仲がいいのは良いことだ」

 

「その通り! それじゃあ大和、私達の仲をより深めるために、少し部屋に行きましょう。今は待つより他にないんだし。大丈夫痛くしないから、むしろkフゴフゴ……」

 

 初対面の人物の前で危ない発言をさせないよう大和が京の口を手で塞ぐ。

 

「それ以上は言わせない。そして、絶対いかない。それに主役ほっぽりだすわけにいかないし」

 

「レロッ。いけずな大和も好き」

 

 京はそんな大和の行動を易々と打ち破り、言葉を紡ぐ。彼はこれ以上やられないよう手を離すが、何かに気づいたのかまじまじと京を見つめる。

 

「うおっ! 何しやがる。そして、お友達で。……というより、珍しいな。京が初対面でコミュニケーションとるなんて。少し心配してたんだけど」

 

 京はそれに対して、目をそらさずゆっくりと大和との距離を縮めていく。

 

「くくく。私も日々成長しているの。少なくとも身体は。確かめてみる?」

 

「熱烈なアプローチだ」

 

 押せ押せの京に感心する凛のもとに、用事を済ませたクッキーがやってきた。

 

「京は今日も頑張ってるね。それに、凛もみんなと仲良くなれたみたいでよかったよ」

 

「大和のおかげもあってな。クッキーもこれからよろしく」

 

「うんうん。よろしくね」

 

「クッキーとも仲良くなったんだ。夏目くんって順応性高いよね。クッキーとか松風相手にも普通に接してるし」

 

 クッキーとも普通に話す凛に対して、卓也が話しかけた。

 

「凛でいいよ。師岡。これでも最初はかなり驚いたんだけどな」

 

「おお! モロまで積極的になるとは珍しい。やはり、あの女装によって何かが変わったんだな。…………それともモロおまえもあれか!? 女の子紹介してもらおうと思ってんのか? 順番は守れよ、まず俺様だ」

 

 卓也が初対面の相手に対して、物怖じせずに喋るのが珍しいのか岳人が驚く。しかし、思考は女中心で回っているのか、そこから出てくる回答は彼らしいものだった。それに反論する卓也。

 

「ガクトと一緒にしないでよ! 僕も変わらないといけないと思ってるんだよ。それに、夏……凛は話しかけやすい雰囲気があるからかな。大和から話は聞いてたけど、やっぱどんな人か心配だったから、いい人そうでよかったよ。あっ僕のこともモロでいいよ。みんなそう呼ぶし」

 

「いやいや、そんなことわからないぜ。こういう奴ほど裏で何考えてるかわかんないからな」

 

 岳人が卓也の言葉に茶々を入れるが、真面目なクリスはそれに反応する。それに続く一子。

 

「ガクト、それは失礼だぞ」

 

「そうよガクト。ごめんね、夏目君。ガクトも冗談で言ってるだけだから」

 

「気にしてないよ。案外ガクトも鋭いよ。俺がガクト狙いなのをわかっていたとは」

 

 凛は笑顔で岳人を見ながら話しかけた。そこに反応する少女が一人――京である。彼女はBLも好きだった。

 

「!! なんと大和とのカプでなく!?」

 

 依然、笑顔のまま見つめてくる凛に、岳人が苦い顔をしながら口を開く。

 

「おいおい! お前キモい事言うな。俺様は男には興味ないんだよ。そういうことは葵とでもやってろ」

 

「冗談だ。俺も女の子が好きだからな。葵冬馬とそういう付き合いはしないよ」

 

 岳人の反応に目線をはずし、凛は楽しげに答えた。そして、凛の脳内では葵冬馬の情報――葵は男もいけるのかという疑問から、葵は男が好き。女はわからない――に更新される。そこに、彼の口から川神学園の生徒の名がでたことに卓也が疑問をもった。

 

「あれ? なんで凛が2-Sのやつ知ってるの? 昨日きたばかりだよね」

 

「俺が昨日、川神の案内がてら紹介したんだ。偶然会ってな。あとは、羽黒とかチカリンとかくまちゃんとかね」

 

 疑問は大和が代わりに答える。そして、話題は羽黒のことになった。岳人が凛に確認する。

 

「羽黒か。凛は襲われたり……」

 

「した」

 

「あはは。さすが羽黒さん。見境ないな」

 

 凛の即答に卓也が乾いた笑いをもらす。

 

「でも大和がかばってくれた」

 

「珍しいな。大和が体をはるなんて。やるじゃないか」

 

 凛の言葉を聞いて、「見直した」と肩を叩くクリス。だが、大和はそのときのことを思い出したのか、体を一度震わせた。

 

「かばってない。盾にされたんだ」

 

「俺が先にな」

 

 凛がすぐさま訂正をいれた。大和はそれが事実だけに言葉に詰まる。

 

「うぐ……結果、被害は俺に来た」

 

「それは大変。すぐに診察しないと。大和、服脱いで。もちろん全部!」

 

 それを聞いた京が大和の体を触りだした。それはもう体の隅々までやる勢いで。手を払いのけようと彼は努力するが、悉くかわされ触られる。

 

「あほか。一目みれば元気なのはわかるだろ」

 

「ナニをされたかわからないッ! だからナニを診察!」

 

「この子どうにかして。凛の前でも本性むきだしだ!」

 

 大和vs京の激しい攻防をよそに、ソファの方に来た一子が、身を乗り出して凛に質問する。

 

「でも、くまちゃんとか意外な人選よね」

 

「俺がお願いしたんだ。グルメネットワークって知ってるか? それの知り合いだったからな」

 

「私達がくまちゃんからときどきもらう、食べ物交換のやつね」

 

 一子は満からの素敵な贈り物の数々を思い出し、目をキラキラさせ幸せそうにする。

 

「なにか? てことは、凛は料理とかもすんのか?」

 

「料理も紳士のたしなみってことで、俺の師にあたる人に基礎的なものは教わった」

 

「料理かぁ。その手もあるな」

 

 なにやら考え込む岳人の後ろで、忠勝がみんなに呼びかける。その声に、皆はそれぞれ席についていった。

 由紀江がおずおずと喋りだす。

 

「みなさんのお口にあうといいのですが」

 

「まゆっちの料理も最高なのは、自分もよく知っている。自信をもつといい。さて、みんなコップはもったか? コホン」

 

「なんかいつの間にかクリスが幹事しているね」

 

 喉を整え、立ち上がってみんなを見渡すクリスにツッコミをいれる京。

 鍋はグツグツと煮え、すきやきの甘くしかし食欲をそそるいい匂いをさせている。その傍には、色とりどりの添え物が並んでいた。飲み物も豊富に揃えてあり、準備は万全だった。

 大和がクリスに続けるよう促す。

 

「構わないよ。クリス続けて」

 

「ふふん。それでは、僭越ながら自分が音頭をとらせてもらうぞ」

 

「クリ吉短くていいからね」

 

「わかっている松風。自分もおなかへってるんだ。あーそれでは、新たな友となった凛を歓迎して乾杯だ」

 

 クリスの音頭に続いて、みなが「乾杯」と口にしながらコップを軽くぶつけ合った。賑やかな音とともに歓迎会は始まる。



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『稽古のち……大騒ぎ?』

 凛は、目覚ましの音がなる前に目を覚ます。習慣からかそのまますぐにベッドから抜け出すと、そのまま窓のカーテンを開いた。まだ外はほんのりと薄く暗い。

 

「うーん。昨日はだいぶ騒いだな」

 

 軽く体を少しほぐしながら、昨日のことを思い出す。夕飯はもちろん騒がしかったが、それが終わったあとも男たちが、凛の部屋に突撃してきたからだ。彼もそれを洗礼として甘んじて受け入れた。

 凛は最後に大きく伸びをすると、部屋を出てリビングを目指す。そして、リビングに行くと台所で朝食の準備を行っている寮母の姿が目に入った。

 

「麗子さん、おはようございます」

 

「早起きだねー。おはよう。朝食はみんなが揃ったときだから、まだ時間はあるよ。お茶でも飲んでゆっくりしてるかい?」

 

 着物姿のふくよかな女性の名は、島津麗子。この島津寮の寮母であり、岳人の母親でもある。若い頃は川神の鬼女としてその名を馳せ、通り名に恥じぬパワーで数多の勢力を相手取っていたらしい。息子である彼はそのパワーを受け継いでいるのかもしれない。もちろん、本人の努力の成果でもあるが。

 

「いえ、少しトレーニングするつもりですから。帰ってきてから頂きます。それでは、いってきます」

 

「そうかい。気をつけるんだよ。いってらっしゃい」

 

 麗子の声を背に受けながら、凛は玄関の扉を開ける。同時に心地よい風が頬をなでてきた。まだ人があまり活動していないため、鳥のさえずりがよく聞こえてくる。玄関前で軽く準備運動をして、門から道路へと出る。

 

「よし。探索がてら、周りを走ってみますか」

 

 軽快なリズムで走る凛は、街中を通り、川沿いの道にでた。そこから少しすると真正面に大きな橋が見えてくる。

 

「あれが、へんたい橋と呼ばれる多馬大橋か」

 

 ――――太陽の光で照らされてきれいなのに、不名誉な通称だ。

 そう思いながら、凛は橋の下の拓けた場所で再度ストレッチを行い、これまで幾度も繰り返してきた型を行う。自らが生じさせる風を切る音は変わらないが、いつもと違う場所、違う空気を感じ、改めて川神に来たのだと思う。一通り終えたそのとき、彼はよく知る気配を感じ、振り向いた。

 

「約束通り。早速、稽古をつけてやろう」

 

「おはようございます。ヒュームさん」

 

 そこには、しっかりと九鬼の執事服を着こなしたヒュームが立っていた。彼は癖になっているのか、軽く首元を緩めるような仕草をとる。しかし、その仕草でさえ様になっていた。

 

「よろしくお願いします」

 

 一礼して、凛はヒュームに対して構えをとる。それに対して、ヒュームは自然に立ったままであった。だが、そのことに文句を言う彼ではない。幼い頃から、何度も稽古をつけてもらってきた彼は、対峙している状態で少しでも気を抜けば、一撃で稽古が終わることを承知しているからだ。

 

「時間はあまりとれんからな。10分間集中的にいくぞ」

 

「わかりました」

 

 ――――久々だな。ヒュームさんとこうやって対峙するのは。

 凛はそんなことを思いながら、意識をヒュームへと集中させていった。これから始まる稽古に対して冷静になる自分と久々のヒューム相手にどこまでやれるのかという期待にワクワクする自分――心臓の音がやけに大きく聞こえる。彼は、構えをとったまま微動だにせず、開始のときを静かに待つ。2人の間に流れる沈黙が、徐々に緊張感を高めていった。

 

「いくぞ」

 

 開始の合図とともにハイキックが、凛の左側頭部めがけてとんできていた。一瞬にして距離をつめることなど、ヒュームにとっては児戯にも等しい。彼はそれを受け止め、足首を引き寄せながら体をひねり、ボディに突きを繰り出した。当たると思った瞬間、その拳は空を切り、捕らえていた足もまた感触をなくす。間をおかず僅かに感じた気配を頼りに、咄嗟にガードを固めるとそこへ3連撃が襲ってきた。それが終わる瞬間を見極め、また反撃に転じる。この間、わずか数秒。

 凛が1繰り出すと、ヒュームが3返すといった感じで、稽古は進んでいった。

 

「もっと研ぎ澄ませ」

 

 一言だけ言葉をかけるとヒュームのスピードがさらにあがった。しかし、それに合わせるように凛には、目に映る全てがスローモーションのように見え、加えて体のキレが増していく。二人の周りには、爆ぜる音とともに、両者の動きによって砂埃が舞い上がっていた。一般人の目では、追えない速度で繰り広げられる激しい攻防の中で、彼は徐々にヒュームの動きの先が見えてくる。そして絶えることない連撃をさばきながら、彼は渾身の一撃を入れるタイミングをはかる。

 ――――一歩踏み込んだところに鳩尾への前蹴り。

 凛はヒュームからの右足の蹴りに合わせて、体をくるりと右回転させながら避けると同時に、軽やかなステップから右足で地面を力強く踏み込み、全体重をのせた左上段の蹴りを彼に放った。その瞬間、今までで最も大きな破裂音が川原一面に響き渡る。

 その一撃に、凛は手応えを感じながらも、距離をとって構えを崩さない。

 

「終了だ……なかなか良い一撃だった」

 

 ヒュームの右腕の執事服がかなり派手に破けていた。終了の合図に、凛は一息ついて改めて彼を見る。右腕の状態もしっかりと見る。そして、彼は次第に目を泳がせ始めた。

 

「あわわわ、すいません。ヒュームさん執事服。べ、べ弁償……って言っても、お金ないんですけど。あははは、はは…………あ、えっとちゃんと払いますよ。逃げないですよ」

 

「気にする必要はない。今までと同じと思っていた俺が招いた結果だ。俺は戻るが、あそこに置いてある物は自由に使うといい」

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

 少し混乱していた凛もヒュームの言葉を聞いて冷静になる。そして、彼の指し示す方向に目をやると、そこにはタオルや飲料水が置かれていた。そのことに改めて礼を言う彼だったが、ヒュームの姿はもうそこになかった。

 ヒュームがいなくなったことで、完全に気がゆるむと、凛は一気に体が重くなってくるのを感じた。何度も深呼吸を繰り返しながら息を整え、用意されたタオルで流れ落ちる汗をぬぐい、水分を補給する。

 

「あーー楽しかった」

 

 凛はストレッチをしながら、先ほどの光景を思い出す。

 ――――あの一撃は中々よかったな。そして何より破いた。ヒュームさんの執事服を。今までできなかったことができるようになった。俺は強くなっている。あの人にまた一歩近づいている。

 

「ふふふ」

 

 凛は川原で一人崩れる表情を抑えきれず、笑いながらストレッチを繰り返す。すぐ上にはへんたい橋を通る通行人がいたが、彼の姿が目に入ると、足早にそこを通り過ぎていった。

 

「ふふ。……それより帰らないとご飯が」

 

 喜びをしっかり味わった凛は我に返る。周りをキョロキョロと見回し、誰にも見られていないことを確認すると、またランニングを兼ねて寮へと戻っていった。彼が去った後、橋の上にはいつの間にか二人の執事が立っていた。

 

「驚きました。ヒューム、腕は平気なのですか?」

 

「もう感覚は戻ってきている。赤子はこれだからおもしろい。少々本気をだしてやろうかと思ったほどだ」

 

 ヒュームは右腕の調子を確かめるように、手を閉じたり開いたりする。その表情はとても楽しそうであり、同時に橋の上に止まっていた鳥達が一斉に飛び立ち、辺りからさえずりが消えた。そんな彼とクラウディオの見つめる先には、先ほどの凛の蹴りを受け止めた場所――めり込んだヒュームの靴跡が横に滑るように残っている。

 クラウディオがいつもの笑顔で話しかけた。

 

「しかし、凛は嬉しそうでしたね。私たちにも気がつかなかったようです」

 

「全く困ったものだ。今狙われたら簡単にやられてしまいそうだな」

 

 ヒュームは場面を想像しながら、鼻で笑う。しかし、口ではそう言いながら、そう簡単にやられることはないと彼らは思っていた。クラウディオが軽く返答する。

 

「そのときは私が助けましょう」

 

「クラウディオは、アイツを甘やかしすぎな気もするがな」

 

「なんじゃい。やっぱりヒュームかい。こんな朝っぱらから、気を撒き散らして強い奴らを引き寄せる気か? モモが寝ておるからいいものを、起きとったら面倒なことになるぞい」

 

 会話を続ける2人の元へ、袴に羽織を羽織った老人が文句を言いながら現れた。この老人は、川神院の総代であり、ヒュームのかつてのライバル――川神鉄心である。彼も当然壁を超えた者の一人だ。彼は自身の長くなったあごひげをさすりながら、2人の反応を待った。

 

「おはようございます。鉄心様。その点は申し訳なく思っておりますが、何分私たちも少し驚いたものですから」

 

「ふん。そう迷惑でもないだろう。そういうことは常時、気を放ってる百代にでも言い聞かせておくんだな」

 

 頭を下げ、丁寧な謝罪をするクラウディオと腕を組み鉄心を見返すヒューム。そんな正反対の彼らに、鉄心は苦笑をもらした。

 

「おはよう、クラウディオ。モモのことを言われると何も言い返せんが、何があったんじゃい? あそこにあるのは、おぬしの靴跡のようじゃが。随分重いのをもらったようじゃのう」

 

「弟子が、俺の近くまできていたのだ」

 

 ヒュームは口角を吊り上げながら喋る。そんな彼に対して、鉄心は眉をあげながら疑問を呈した。彼が楽しげに話す様子など、鉄心自身滅多に見たことなかったからだ。それが戦闘においてならなおさらだった。

 

「ほぅ、おまえさんの弟子? 九鬼揚羽のことかい? それなら、わしにもわかると思ったがのう」

 

「まぁそのうちわかる。百代も退屈せんですむかもしれんぞ」

 

「お騒がせしました。鉄心様。それでは失礼致します」

 

 ヒュームは言いたいことだけ言うとさっさと車に乗り込み、クラウディオも優雅に一礼し後に続く。鉄心は先ほどの言葉を胸に留めながら、去っていく車を見送った。

 打って変わって、島津寮。みなが思い思いに朝食をとっていた。凛も無事間に合い、日本の朝食の定番である焼き魚をおかずにご飯を食べていた。

 

「ご飯おいしいです。麗子さん」

 

「たくさん食べて、学校初日頑張ってくるんだよ」

 

「はい。知り合いももういるので、緊張せずにいけそうです」

 

「おはようございます。麗子さん、今日も一段とお美しい。みんなもおはよう」

 

 大和は、麗子を一目見るなり褒め、彼女はその言葉に機嫌をよくする。そして、彼の朝食にはヨーグルトが付け加えられた。

 

「クリ吉、頬にご飯つぶついてるぞ。しっかりしろ」

 

「む……おお、ありがとう。松風」

 

 クリスは半分寝ぼけているのか、もそもそとご飯を食べ、由紀江に世話をやかれていた。その隣で、京が朝食を食べ始めた大和に醤油を渡す。

 

「大和、はいお醤油」

 

「サンキュー。はい源さんにもお醤油」

 

「わざわざかけようとするな。自分でかけるから、そこ置いとけ。卵焼き一切れ食うか?」

 

 穏やかな朝食だった。

 そして通学。寮のメンバーがそのまま学校を目指すため、自然に大人数での移動となり、人数が多い分賑やかになる。

 

「風間ファミリー?」

 

「そう。寮で説明したキャップがリーダーで、姉さん、俺、京、ワンコ、ガクト、モロ、クリス、まゆっちがメンバーだな」

 

「小学生から続いてるなんて、何気にすごいな。まさにファミリーだ」

 

「ダベッたりして終わることも多いけどな」

 

 大和は笑いながら凛の言葉に返した。そこにクリスと由紀江が混ざる。京は一子の突飛な鍛錬方法に突っ込みをいれ、岳人と卓也はジャソプではなく何かの単行本を読んでいた。岳人が興奮している辺りを見れば、どんな内容かは察しがつく。

 

「自分もまだ入ってそんなに経ってないが、すごく居心地がいいぞ。誘ってくれたことを感謝している」

 

「私も同じ気持ちです。友達も一気に増えましたし」

 

 嬉しそうに話す2人の様子に凛も笑顔で答える。

 

「見ているだけでも、仲がいいのがわかるよ。源さんは、入ってないんだ?」

 

「源さんはあまり群れるの好まないからなぁ。俺は入ってほしいと思ってるんだけど」

 

「無理やりってわけにはいかないもんな」

 

 そんな一行が橋に通りかかると、なにやら人だかりができていた。それを不思議に思った凛が大和に問おうとすると、一子が真っ先に声をあげる。

 

「お姉様だわ! 凛、ほらあそこにいるのが、私のお姉様よ」

 

 一子が指差す先には、凛が先日車の中から見かけた女の子が立っていた。彼女の目の前には、ツタンカーメンの被り物を被った半裸の男。突っ込みどころ満載だが、一応挑戦者らしい。同じ川神学園の生徒たちは、百代に声援を送っている。

 

「へぇあの人が武神だったのか。どうりで」

 

「会ったの今日が初めてじゃないのか?」

 

 凛の反応に大和が首をひねった。他のファミリーはみんな百代に声援を送るなり、静かに見守るなりしている。

 

「いや、引越し前に街で見かけてな。目をひいたから」

 

「美少女だからか?」

 

「まぁな。それより、毎日こんなことが橋で起きているのか?」

 

「そうだな。挑戦者やヤンキー、チンピラ多種多様なやつらが、喧嘩売りに来るからな」

 

「そりゃまた大変だな」

 

「姉さんはむしろ楽しんでいるみたいだけどね」

 

 凛と大和が会話していると、歓声が一際大きくなった。どうやら勝負がついたようだ。そして、百代はそのまま軽やかな足取りでファミリーの元に近づいてくる。朝一で勝負できたのが嬉しいのかご機嫌だった。

 

「おー弟に妹に愉快な仲間達じゃないか」

 

 百代が大和と一子の頭をなでながら、みなに挨拶する。そして、彼女は一人見慣れない顔がいることに気がついた。撫でられるがままの彼がそれに答える。

 

「姉さん、こっちが昨日メールで言った夏目凛だよ」

 

「夏目凛です。よろしくお願いします」

 

「そうか。大和が言ってたのはお前か。よろしくな。川神百代だ。気軽にモモ先輩と呼ぶといい。決闘ならいつでも買うが……凛は何か武道をやってるのか?」

 

「はい。一応、子供の頃からやっています」

 

「……そうか。弟の大和とは仲良くしてやってくれ」

 

 そこで百代は話を打ち切り、一子たちのほうへ振り返った。彼女は、勝負にならないと判断したようだった。背を向けた彼女に、凛が明るく声を掛ける。

 

「モモ先輩、早速一つお願いがあるんですけど、俺と手合わせしてもらえませんか?」

 

 その言葉には、周囲の目が一斉に凛へと向けられた。野次馬の生徒たちにも聞こえたのか、ザワザワと騒がしくなっている。

 

「いや凛、姉さんは武神って呼ばれてるのは伊達じゃないぞ」

 

 まず大和が凛の両肩を掴みながら話かけてきた。それに、彼は気負った様子もなく答える。

 

「ああ」

 

「おまえ本当にやる気か!? 俺様でも一撃で吹き飛ばされるんだぞ」

 

 次に岳人が大和の後ろから声を掛けてきた。それに彼は感心する。

 

「それは凄いな。ますます楽しみになった」

 

「凛、素直に感心してる場合じゃないでしょ」

 

「くくく、怖いもの知らず」

 

「凛、こう言っては怒るかもしれんが、実力差がありすぎるのではないか?」

 

「そうよ。お姉様の強さを分かってないわ」

 

「…………」

 

 卓也、京、クリス、一子がそれぞれ口を開く。由紀江は黙ったままだった。周囲からは、驚き嘲笑興味心配さまざまな感情が渦巻いている。川神に住んでいる者、いや世界中に知れ渡っているといってもいい武神の強さ。今年で3年の百代は学園には下級生しかいない。3年になってこの1ヶ月、学園内で彼女相手に決闘を申し込むやつなど皆無だった。そこに来て、この凛の発言だった。

 

「本気か? 目立ちたいだけの強がりなら、勘弁願いたいな」

 

 戦うのが好きな百代でも、一般人レベルの気しかない転入生。しかも、弟の友達を一方的にやるのは気が引けるようだった。それでも凛は楽しそうに笑い、胸の前で拳を固める。

 

「前から楽しみにしていたんです。もちろん本気です」

 

「……わかった。いいだろう。許可はとっといてやる。呼び出しは放送でだな。きれいな顔には傷をつけないようにしてやるさ」

 

「ありがとうございます」

 

「大和―! お姉様が受けちゃったわ。どうしよう?」

 

「こうなったら、どっちに転んでもフォローしてやれるようにするしかないな。まさか初日からこんなことになるなんて」

 

 一子はそんな二人の間でオロオロしており、大和は頭をガシガシと掻いた。そんなファミリーとは違って、百代がこの申し出を承諾したことを知った周りの生徒達は、一気に白熱していく。おもしろそうな話のネタができたのだ。携帯で今ここにいない友達に知らせる者。隣にいた友とどちらが勝つか話す者。いち早くこの情報を学園に持ち込もうと先を急ぐ者。これらの者たちによって、凛たち一行が学園に着く頃には、学園内はその噂で持ちきりになっているのだった。



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『初対決!』

 川神学園は今一つの話題で持ちきりだった。学園内の廊下。ポニーテールの女生徒がたった今仕入れた情報を話す。

 

「ねぇ、聞いた。朝なんか転入生がモモ先輩に決闘申し込んだらしいよ。身の程知らなすぎじゃない?」

 

「えっ!? 私は昔やられた親の敵討ちでやってきたって聞いたけど」

 

 自分の聞いた情報と違うことに驚くショートカットの女生徒。そこに、一人の短髪の男子生徒が割り込んできた。周りを見渡すと、似たようなグループがいくつもあり、同じ話題で盛り上がっている。

 

「いやいやなんか、外部の人間が送り込んだ刺客って話だろ? とある機関で英才教育を施されたらしい」

 

 その話を聞きつけた長身の男子生徒が、自分の聞き込み結果を話し出す。

 

「ばっか。んなわけないだろ。実際はふられたからっていう単純な理由なんだってよ。まぁモモ先輩美人だからなぁ。付き合いたいって気持ちはわかるけど」

 

「そうなの? ふられて逆上とかどんだけ自分に自信あったんだ? そいつ」

 

 短髪の男子生徒は、いかにもありそうなネタを信じ笑った。それに対して長身の男がニヤつく。

 

「おまえも俺ならいけるって言って、玉砕した一人だもんな。同志が増えるぞ。……ともかく見に行こうぜ。モモ先輩の圧勝だろうけど、相手の顔も見てみたいぜ。悪い奴じゃなけりゃ、MMT(モモ先輩を見守り隊)に入れてやろう。そうそう、まだ追加の情報もあってだな――――」

 

 学園内では様々な噂が流れ、それに背びれがつき尾ひれがつき、事実は見えなくなっていった。

 そして、2-Sにも噂を聞いた人達がいた。

 

「準、聞きましたか?」

 

「ああ、聞いたぜ若。転入生っていったら、俺は一人しか思い浮かばないが、そんな馬鹿やるようなやつにも見えなかったがな」

 

 噂の内容がどれも違っているが、百代に挑むという内容だけは共通していた。第一印象から、そこまでの手練には見えなかった凛を思い、準が渋い顔をする。そんな彼に対して、冬馬も同意見なのか頷きを返した。

 

「私もそう思います。これだけ広まれば、本人も引くに引けない状態でしょうし。無事を祈るしかないですね」

 

「りんりん、心配だ」

 

 小雪は、自分に飴をくれた笑顔の凛を思い出していた。

 そして、2-Fに向かう廊下でもその噂の張本人が担任に呆れられていた。

 

「まったく。転校初日からこんな大騒ぎを起こしよって。悪気があったわけではないのはわかったが、相手はあの武神だからな。もう少し穏便に進めることはできんかったのか?」

 

 担任の名は小島梅子。鋭い目つきの妙齢の女性であり、腰には鞭を所持している。この鞭は、教育的指導をするため、振るわれるものであるが、生徒の中にはそれを随分好意的に受け入れる者もいた。

 

「すいません。手合わせをお願いしたかっただけなのですが、こんなに大騒ぎになるとは。モモ先輩に挑戦される方は多いと聞いていたので、ならば自分もと……」

 

 さすがに学園に入ってから、その手の噂を何度も耳にはさんだ凛は身を縮ませた。そんな彼に、梅子は言葉を続ける。廊下にはHRがもうすぐ始まるため、生徒はほとんどいないが、担任の来ていない教室はまだガヤガヤと騒がしい。

 

「確かに、海外からもたくさん武道家たちは来る。しかし、おまえはここの生徒だ。しかも1年下のな。学園で川神百代より年下が挑むなど聞いたことがない。それほど珍しいのだ。数分でも善戦できれば上々、無様な姿を見せれば、己の力量も測れぬ未熟者と見られよう」

 

「はあ……」

 

「はあって、気の抜けた返事をするな! ……と話はまたあとだ。私が呼んだら入って来い」

 

 梅子は、自分の心配にもいま一つの反応をする凛に、ひとつため息をついて、教室に入っていった。そして、教室内でまだ騒いでいる者たちに渇をいれ、彼の名を呼ぶ。

 

「今日から2-Fでお世話になります。夏目凛です。みなさんよろしくお願いします」

 

 凛は、壇上から簡単に自己紹介をすませ一礼するが、誰もが黙したままだった。しかし、視線は彼に向けられており、異様な雰囲気が漂っていた。

 

「何か質問があるやつはいないのか?」

 

 梅子の発言に、羽黒がいつもと変わらぬ態度で凛に質問する。

 

「おう夏目、おまえ武神系に喧嘩売ったって聞いたけどよ。実際勝ち目とかあんのか?」

 

「うーん。喧嘩うったわけではないんだけど、どうも噂はそうなってるな。組み手をしてもらおうかと思っただけなんだ。勝ち目はどうだろう? 組み手だし、引き分けで終わりじゃないかな?」

 

 真剣に考えて答える凛だが、百代を知る生徒たちは、冗談を言っているようにしか聞こえない。しかし、彼がいたって真面目に言っているため、笑いが起こるような状態でもない。ほとんどの生徒が反応に困っていた。

 

「おい、こいつマジで言ってるのか? 大和、昨日の騒ぎでハイになりすぎて、頭おかしくなったんじゃないだろうな」

 

「そんな馬鹿な」

 

 岳人と大和が会話していると、ちょうど校内放送が入る。執行の時間がやってきたのだ。生徒の多くはそう思った。

 

「2-Fの夏目凛、3-Fの川神百代は、今から第一グラウンドに来てください。繰り返します。2-F――――」

 

「ちょうど連絡きたみたいですし、ちょっと行ってきます」

 

 あくまで軽い調子の凛の態度に、みなは釈然としないようだった。しかし、興味がないかと言われれば、全員があると答えるだろう。一番熱い話題になっているのだ。これを見逃す者は、お祭り好きの生徒達の中にはそういまい。観戦の許可がでているため、彼らは教室から出て指定された場所へ集まっていく。

 そして、第一グラウンド。2-F、3-Fだけでなく、他のクラス他の学年も集まっており、朝のグラウンドはかなりの熱気に包まれていた。そんな集団から少し離れたところ、凛の周りにはファミリーの男性陣が集まっていた。

 

「こうなったら、とりあえず骨は拾ってやる」

 

 岳人は凛の胸をドンと叩き活を入れた。それに卓也が続く。

 

「ケガしないで……ってのは無理か。とにかく頑張って凛」

 

 そんな2人に、凛は力強い頷きを返した。最後に大和が締める。

 

「しっかりと見届ける」

 

「ありがとう。それじゃ行ってくる」

 

 左右に分かれた人垣を通る凛に、好奇な視線が向けられる。そして、人垣を抜けると、ぽっかりと円状に空いた大きなスペースができており、そこに百代が1人悠然と仁王立ちしていた。その雰囲気は武神としての貫禄を漂わせ、そんな彼女に黄色い声援がとび、どさくさにまぎれて告白している者もいる。グランドの中央に主役が揃ったところで、生徒達のボルテージはさらに上がっていった。

 そんな中、凛はこれほどの熱気に包まれるのが初めてだったため、周りをぐるりと見渡す。彼の耳には、少なからず応援をしてくれる声も聞こえてきた。そんな彼に、百代から声がかかる。

 

「覚悟はできているな」

 

「百代、これは組み手なんだかラ。それを忘れないようにネ」

 

 2人の間に現れた緑のジャージを着た先生が、熱気にあてられ闘気を撒き散らす百代を諌めた。独特の構えをした先生の名は、ルー・イー。中国出身で、無名から鍛錬を重ね、今では川神院の師範代を務めるまでになった男である。総代である鉄心からの信頼も厚い。

 

「夏目クンも、私が危険と判断したらすぐに止めるヨ」

 

「はい。よろしくお願いします」

 

「総代。始めてよろしいですカ?」

 

「うむ」

 

 少し離れた場所で、静かに2人を見守る鉄心にルーが許可をとると、今までガヤガヤと騒がしかった外野も嘘のように静まり、みなが開始の合図をまった。凛は軽く肩を回し、百代は構えをとりながら不敵に笑う。

 

「それでは」

 

 ルーの声が一段とグラウンドに響く。凛もしっかり構えをとり、静かに百代を見つめた。ピンと張り詰めた空気に、生徒の大半は無意識に唾を飲む。その音さえも周囲に聞こえそうなほどにグラウンドは静まり返っていた。

 ――――ワクワクするな。俺を一撃で仕留めにくる気だ。

 百代はいつも通りに構えているつもりのようだったが、凛は彼女の足、膝の向き、重心等、体からの情報を得て、一直線に向かってくることを悟った。彼は、一度ゆっくりと瞬きをして、落ち着きを取り戻す。

 

「はじめッ!!」

 

 ルーの合図とともに、百代は凛を仕留めるため一歩目を踏み込んだ。その瞬間、彼女の姿が一瞬霞む。もし並の者ならば、一瞬にして距離を詰められたと感じるその動作に、彼は感心しながら、僅かに遅れて彼女へと向かっていった。

 

「川神流無双正拳突き!!」

 

 百代は、これまで何人もの挑戦者を破ってきた技を繰り出した。もちろんその一撃によって勝負は決まると思ったまま。周りの者達もそのほとんどが、彼女と同じ考えだったのだろう。だからこそ、凛のとった行動に動揺が走る。

 

「そっくりそのままお返しします!!」

 

 凛はなんと自分の拳を百代の拳にぶつけにいったのだった。拳が交わると同時に、身をゆるがすような重い音が轟き、闘気と闘気のぶつかりが二人を中心にして風を生み、それが勢いよく弾ける。それは彼らの周辺にとどまらず、観戦していた生徒の肌をうち、あまりの衝撃に目を閉じる者や顔を背ける者もいた。

 しかし、鉄心とルーだけはしっかりと力比べの行方を見届けていた。百代が押し負け、彼女の腕が体の外側へと弾き飛ばされたところを。

 ――――まだ筋力が足りてないな。

 冷静に分析する凛ととまどう百代。彼は息つく暇も与えず、そのままもう一歩踏み込み、突きを放った。そんな彼の動きを見て、今朝のことと合わせ判断した鉄心は、ヒュームの言っていた弟子だと確信する。一方、ルーは彼女の一撃が決まれば、すぐに終了をだす準備をしていたが、まるで違う結果がでたことに、自省するとともに目の前の彼がどこまでやれるのか興味を抱いた。

 凛の突きを百代は咄嗟にはたきおとすが、予想外の事態に一旦距離をとるため、後ろに大きく跳躍した。彼はそれを追わず一定の距離を保ったまま、二人はまた対峙する。観客が次に目にしたのはそんな光景だった。その光景に小さなざわめきが起き、それが大きなうねりとなって中心に位置する二人に返ってくる。そのうねりは大半が彼に対する賛辞だった。

 落ち着きを取り戻した百代は、自分の腕がかすかに痺れているのを感じた。彼女はそのまま凛を観察するが、最初と変わらず構えをとったまま静止している彼に、自然と子供のような笑顔を見せる。

 

「凛、すまない。私はおまえを見くびっていたようだな。だから…………私をもっと楽しませてくれ!」

 

「お付き合いしましょう、モモ先輩」

 

 久々に出会えた自分を出せる相手に、さらに闘気を高め、今までの鬱憤を晴らすかのように苛烈な攻めを繰り出す百代に対し、凛はそれを流れるような動きで受け流し、反撃に転じる。そこからは、まさに武の応酬となった。突きをはじき、蹴りをそらし、お返しとばかりに連撃を放つ。片方が距離をとろうとすれば、すぐさま追撃し、彼らはまるで舞っているかのようだった。生徒達を含めた全員が、彼らの舞闘に魅了される観客になった瞬間だった。

 どれくらいの時間が経ったのか、それを正確に把握していた者は少ないだろう。それほどに目の前で繰り広げられる戦いは、胸を熱くさせるものだった。しかし始まりがあれば終わりが来る。最初の一撃が響いたのか、百代の腕が少し下がっていたのを凛は見逃さず、防御のゆるくなった部分に最も重い一撃を放った。

 

「ッ!?」

 

 さすがにしっかりとガードしてみせた百代だったが、威力に押され地面に2本の線を描きだした。彼女は、そこからまた距離を縮めようと足に力をこめる。

 

「そこまで!!」

 

 しかし、そこにルーから終了の合図が出された。それを聞いた生徒達の歓声が爆発する。まるでスタジアムで起死回生の逆転劇を見たといった感じで、彼らの興奮さめやらぬ様子は、組み手が始まる前よりも盛り上がりをみせた。その様子を見た百代は深く息を吐き、闘気を収め、凛はそんな彼女に近づき手を差し出す。

 

「ありがとうございました。モモ先輩」

 

 凛のほうもすでに戦闘態勢にはなく、百代はその手をしっかりと握った。2人が健闘を称えあう姿に、生徒たちはさらに盛り上がる。

 

「ふぅ。こちらこそ楽しかったぞ凛。こんな気分は久々だ。まるで……」

 

 まるで昔に戻ったようだ。百代はふと昔を懐かしむ。

 

「モモ先輩?」

 

 お互い握手をしたまま言葉を交わすが、急に黙りこくる百代を凛が覗き込むようにして様子を伺う。そんな彼に昔を重ねる彼女はさらに困惑した。

 凛が黙りこくったままの百代を心配していると、後ろから誰かが勢いよく肩を組んでくる。

 

「おいこら凛。なんだよ! さんざん心配かけやがって、おまえどこの達人だよ! モモ先輩とやりあうなんざ、さすがの俺様でもびっくりしたぜ。あと早くその手を離せ」

 

「ほんとすごいよ。僕も驚いちゃった。まさかこんな結果になるなんて」

 

「本当よね、お姉様相手にあれだけやれるなんて。それにとても綺麗だったわ。私ともぜひ戦ってよね。凛」

 

「すまなかった。実力差があるなどと。むしろあったのは自分のほうだったようだ。許してほしい。そして自分とも勝負をお願いしたいな」

 

 どうやらファミリーのみんなが労いにきてくれたようだ。そのまま凛と百代は取り囲まれる。

 

「お疲れ様、姉さん」

 

「お疲れ様です、モモ先輩。それにしてもすごい戦いでした」

 

「さすがのまゆっちもあんな戦い見せられたら、剣士の血が騒ぐってもんだぜ」

 

「モモ先輩から見て、夏目凛はどうだった?」

 

 京と由紀江はやはり実際に戦った百代の評価が気になったようだ。彼女は岳人に肩組みをされ、手荒い賞賛を受ける凛に目を向けた。彼もなんだかんだで楽しそうに笑っている。

 

「ああ。正直底が知れない感じだな。まだまだ何か隠してるだろうな」

 

 そんな凛に、百代はつられて笑顔を浮かべ答えた。そこに、後ろから新たな声が加わる。

 

「いやぁ本当に凄かったな。学校着いた瞬間、校庭が騒がしいと思って来てみたら、モモ先輩がやりあってるし。モモ先輩とガチでやりあって立ってたのもスゲーけど、今もケロッとしてるんだからな。あいつ誰なんだ?」

 

「あっキャップいたんだ」

 

 大和は今気づいたという対応をとる。それに対して、翔一は少し拗ねながら答えた。

 

「うわっひでー言い方だなー大和。しかも俺抜きでこんなおもしろいことやってるし。風間ファミリーのリーダーは俺なんだぞ。ちゃんと誘えよ!」

 

「だって、キャップいなかったじゃん。姉さんとやりあってたのは夏目凛。今日からここの生徒で、同じ寮生だ。あとで紹介するよ」

 

 大和の視線の先には、ファミリーの元を離れて、盛り上がっている観客の声援に答える凛がいた。彼は仰々しくお辞儀をして、自己紹介をしているようだった。テンションの上がった生徒たちから、彼に向かって様々な声が掛けられる。

 

「凄かったぞ、転入生―!」

 

「好きになってもいいですかー?」

 

「俺とも勝負しろー!!」

 

「夏目先輩ファンになりましたー」

 

「モモ先輩の手握るなんて羨ましいぞ、コンチクショー」

 

 まだまだグラウンドの熱気は収まりそうになかった。結局、先生たちの一声があるまで賛辞はやまず、凛は初日から一気に知名度をあげることになった。



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『有名人(ただし学園内に限る)』

 朝の対決から、時間は進んで昼休み。凛のもとには、知り合いになった3人組が訪れていた。

 

「朝の戦い見たぞ、おい。見せ付けてくれるねー。一躍有名人じゃないの夏目」

 

「本当に二重の意味で驚きましたよ。モモ先輩に挑み、平然としているなんて惚れ直しました。リンリン」

 

 肩を叩きながら喋る準と穏やかな笑顔の冬馬。その横で、小雪は袋をゴソゴソと漁っている。そして、目的のものが取り出せると、凛に差し出した。

 

「凄かったよねー。ドーンでズバーンって感じで。頑張ったご褒美。はいましゅまろ」

 

「ありがとう。もぐもぐ……戦いはあんなに人集まるとは思ってなかったけどな。それと葵、リンリン禁止って言ったよな」

 

 その言葉に反応したのは小雪だった。首を傾けながら、次々にあだ名を出してくる。

 

「リンリン駄目なの? じゃぁリンタロー? リンジー? ……タウリン!」

 

「あっ小雪はもうリンリンでもいいから」

 

 小雪の代替案に、凛はこのままでは自分の名前とは関係ない方向に進むと判断し、即座に対処する。その間、準は廊下をたまたま歩いていた2-Fの委員長――甘粕真与(見た目はロリ)を目敏く発見し、慈愛の込もった眼差しで見つめていた。

 

「よかったですね、ユキ。では私は、凛くんにしておきましょう」

 

「そうしてくれ。……タウリンなんて初めて呼ばれた」

 

 そこに軍服を着た女性がやってくる。加えて赤い髪に眼帯ととても目立つ形をしていた。川神学園では、多額の寄付をすれば、学生服などは好きにしていいらしく彼女もその一人だった。そんな彼女は凛の前に立つと、無遠慮に目線を上から下へと動かし、彼を観察する。

 

「これが、夏目凛ですか。見た感じ本当に一般の生徒の少し上といった感じですね。私もあの戦いを見なければ、気にも掛けなかったでしょう。夏目凛、私とも勝負しなさい」

 

 凛は突然の登場と命令口調に少しとまどいながら、準に問いかける。

 

「こちらの方は?」

 

「あー俺らのクラスのマルギッテ・エーベルバッハだ。ほら、お前のクラスにいる」

 

「クリスお嬢様の護衛だ。お嬢様に手をだすなら、容赦はしないと心得ておきなさい」

 

「マルギッテさんですか。初めまして、夏目凛です。勝負は構わないのですが……」

 

 言葉を濁す凛の元に、噂をすればクリス。そして、一緒についてきた一子が話に加わる。決闘の話に興味ないのか、小雪は窓の桟に止まっていた鳥と会話らしきものをしており、冬馬は少し離れた場所にいたファンに流し目を送っていた。

 

「マルさん、順番抜かしはよくないぞ! 自分達も待っているんだ!」

 

「お嬢様!? 私は別に順番を抜かそうとしたのではありません。しっかりと守りますので、ご安心ください」

 

 クリスの登場に今までの毅然とした態度から一転して、柔らかくなるマルギッテだった。その言葉を聞いて、彼女は胸をなでおろす。

 

「そうか。よかった。休み時間になるたび、人が申し込みにきて大変だった」

 

「クリが大変だったわけじゃないでしょう? それにしても、凛は入学初日から決闘の予約でいっぱいになっちゃったわね」

 

「川神の生徒は元気がいっぱいだな」

 

「そのセリフで全てを片付けるおまえも大概だよ」

 

 わいわいと賑わいをみせる集団から少し離れたところには、別の集団が凛たちを見守っていた。

 

「葵くん、すてき……さっきの流し目は合図と受け取っていいのかしら?」

 

 一人の茶髪の女生徒がいやんいやんと身をくねらせ、その横にいた眼鏡をかけた女生徒は妄想の海へとダイブする。

 

「葵くん×夏目くんなのかしら。それとも……はふぅ」

 

 そんな2人を放置して、凛に対して期待を込めた視線を送る生徒もいる。

 

「エレガンテ・クワットロ候補の逸材よね」

 

「夏目先輩こっち向いてくれないかな?」

 

 彼女の言ったエレガンテ・クワットロとは、学園に4人いるイケメンを指す言葉で、現在は3-Sの京極彦一、2-Sの葵冬馬、2-Fの源忠勝、風間翔一がそれにあたる。他の呼び名としてイケメン四天王とも呼ばれ、彼らと他の男子たちとは、絶望的な差があるとの認識が学園内ではなされている。そこに風穴をあける存在――それが凛らしい。

 また別のところでは、男の集団ができていた。男たちの欲望がむき出しになったその場所は、何とも言い難い雰囲気が漂っており、廊下を歩く女生徒たちは距離をとって歩いている。

 

「くそ。我らMNT(マル様にののしってもらい隊)の女神に話かけられるとは、なんと幸運なやつ! 俺なんか睨まれたことしかないぞ。ハァハァ」

 

 少し嬉しそうにマルギッテを見る丸坊主の生徒に、一子が満面の笑顔で凛に話しかける様子を羨ましそうに見つめる少しチャラそうな生徒。

 

「あー俺も川神先輩に話しかけられてー。なんつーの、あの笑顔やばいでしょ」

 

 そこに一緒にいたガタイのいい生徒が、小雪を見ながら反論する。その隣には一枚の写真とクリスを交互に見つめる太めの生徒。

 

「いやマシュマロもらいたいだろ榊原先輩に。手渡しだぞ! 俺も鳥になりたい……というか鳥にましゅまろって大丈夫なのか? しかも会話してる!?」

 

「クリスたんにコスプレを……ぐふふ」

 

 最後の一人は、みんなとは違う人物に熱い眼差しを向けてつぶやく。

 

「葵くん、いつになったら僕のもとへ……」

 

 集団はそれぞれの思いを抱えながら、廊下で残りの時間を過ごすことになる。

 賑やかだった2-F前から、次は3-Fの教室へ。百代は座ったまま、凛と昔の少年を思い出していた。そこに声がかかる。

 

「どうしたで候? 考え事とは珍しいで候」

 

 声の主は、百代の机をはさんで、前に座っている眼鏡をかけたセンター分けの女生徒――矢場弓子だった。彼女は弓道部の主将を務め、優しそうな雰囲気とは打って変わって堅い口調で会話をするのが特徴である。

 

「いや大したことじゃないんだけど……今朝のことでな」

 

「あの夏目凛のことで候?(あの子もすっごいかっこよかったのよね。葵くんとは、また違った魅力溢れる男って感じで、百代を通して知り合いになれないかしら)」

 

 弓子の男の好みは、かなりミーハーであった。

 

「んーまぁなー」

 

「夏目がどうかしたのか?」

 

 とりとめもない会話をしているところに、扇子を持った袴姿の男子生徒――京極彦一が話に入ってくる。そして、彼が教室に入った途端、イケメンの実力を証明するかのように、2人を除いた女子たちが色めきたつ。いや正しくは――百代を除いたといったほうがいいらしい。

 

「なんだ? 京極は凛のこと知ってるのか?」

 

「家同士のつながりがあってな。こちらに来た際も挨拶に来ていたのだ。礼儀正しい奴だ」

 

 彦一は久々にあった凛のことを思い出したのか、クスッと笑う。その微笑みがなんとも様になっており、それを見た女子たちが盛り上がる。弓子も嬉しそうだった。そんなことはお構いなしに、百代が質問を続ける。

 

「京極はあいつが戦えることは知っていたのか?」

 

「武道をやっていたのは知っているが、実際戦っているところを見たのは今日が初めてだったな」

 

「しかし、百代とやりあうなんて大したもので候(真剣な姿もよかった)」

 

 今朝の組み手を思い出した2人が、改めて感想を述べた。さらに彦一が楽しげに答える。

 

「あれには俺も驚いた。あそこまでやるとはな。なかなかおもしろい奴がきて、退屈しなさそうだ」

 

「また人間観察か?」

 

「2年は濃いのが集まっている。初日で有名人になった夏目も含めな。ところで」

 

 百代は予想通りの答えにため息をついた。その間も彦一が手に持つ扇子を開きながら、言葉を続ける。

 

「矢場はそのキャラ疲れないか?」

 

 唐突な指摘に弓子はきっちりと反論する。

 

「キャラじゃないで候。だから疲れないで候」

 

「そうか。まぁこの1年間は退屈せずにすみそうだな。川神百代」

 

 彦一は弓子の答えに納得したのか、百代に再度話を振った。彼女は笑みを深くする。

 

「そうだな。なにより私と渡り合える奴がきたからな」

 

 自分の口にした言葉に、改めて百代は今朝のことを思い直した。そして、しばらく黙考したのち、彼女は自分なりに納得がいったのか席を勢いよく立ち上がる。

 

「ちょっと2-Fに行ってくる」

 

「私も行くで候(夏目くんを紹介してもらえるチャンス!)」

 

 そこに弓子が慌てて声をかける。百代はもう教室を出るところで、彼女へと向き直った。

 

「ん? ユーミンは何しに来るんだ」

 

「えっあの……んん、椎名が部活に顔をだすように言いに行くで候」

 

「ふーん。じゃあそういうことだ。京極またな」

 

「ふむ。夏目も厄介な奴に目をつけられたな」

 

 2人の出て行った教室に、彦一の声が響いた。そして、彼も早々に3-Fをあとにする。

 

「早く行くで候(昼休みが終わっちゃう)」

 

「いやユーミン先行っててもいいのに」

 

 2人は2-Fへ続く廊下で、下級生の女生徒に捕まっていた。百代は少し相手をしていこうとしたが、弓子の言葉に断念する。その後真っ直ぐ2-Fに向かったが、彼女らは凛に会うことができなかった。2-Fの生徒は、授業のため移動していたのだった。

 ガランとした教室を前にして百代はがっかりするが、それ以上に弓子の落ち込みようが凄かったのは言うまでもない。

 そして放課後。グラウンドでは、一組の男女が決闘を行っていた。風間ファミリーの数人が、その勝負の行方を静かに見守る。他にも階段に座ったり、教室から観戦したりしている生徒も見受けられる。

 

「せいっ!」

 

 掛け声とともに一子は、薙刀で突きを放った。凛はそれを後退しつつ左に避けるも、予想していたのかそれを追うように、彼女が横になぎ払ってくる。そして、刃の部分が彼に当たると思われた瞬間、その姿は幻のごとく消え、刃先は彼の目の前で空を切った。彼女の一瞬の戸惑いを彼は逃さず、一歩踏み込んでそのまま急所を打ち抜く。

 

「はぅ……」

 

 思わずたたらをふむ一子。その隙に、凛は彼女の首に手刀をかざした。彼女がそれに気づくも時すでに遅く、ルーの声が赤く染まったグラウンドに響く。

 

「そこまで!」

 

「くぅぅやっぱり強いわ。かすりもしなかった」

 

 一子は薙刀を下げ、地面にペタンと座り込んだ。そこに、凛が手を差し出しながら声をかける。

 

「川神さんもいい動きだった。鍛錬をしっかり積み上げてるのがよくわかった。今回は俺の勝ちだけどな」

 

 凛は一子を引き起こし、お互いに健闘をたたえあう。

 

「あたしのことは、ワンコって呼んでくれていいわよ。拳を交えた仲だし、そんな他人行儀なのなんか嫌だわ」

 

「そうか? なら、よろしくな。ワンコ」

 

「うん、よろしくね。凛」

 

 2人は改めて握手を交わす。無邪気な一子の笑顔に、凛も思わず笑みがこぼれた。ファミリーからも「お疲れ」と声が飛んでくる。

 

「凛! 次、私となー」

 

 そんな二人に陽気な声がかかる。声の元を辿ると、そこにはいまかいまかと出番を待ち構えている武神がいた。その態度に、凛は苦笑しつつ少し言いづらそうに話し出す。

 

「そうしたいのは山々ですけど、学長から一言ありまして……」

 

 朝の組み手が終わった後、凛は一度鉄心に呼び出され、軽く事情を説明させられたのだった。ソワソワしていた百代は、学長という一言に激しく反応する

 

「なっ! まさか、決闘禁止とかじゃないだろうな!?」

 

「まさにその通りダ、百代。あまり決闘制度に手を加えたくはないのだガ、彼の力が百代と同等だとするならば、そう易々と決闘を行わせるわけにはいかない。場所も考えないといけなくなるしネ。総代はそう結論づけたのダ」

 

 ルーが事情を説明するも、百代は聞いていないようだった。凛は、鉄心の言われた通りの反応をする彼女に笑いがこみ上げる。しかし、親子同士の殴り合いになるのを防ぐため、それを我慢して、今にも飛んでいきそうな彼女に話しかけた。

 

「あのじじい!!」

 

「その代わりと言ってはあれですが、今日のように組み手程度なら大丈夫だと許可をもらいました。あと真剣(マジ)の決闘は必ず行います。約束です」

 

「本当か!?」

 

 振り向いた百代は腹を立てていたかと思うと、たった一言で機嫌をよくする。コロコロ変わる表情を見ながら、確かに姉妹よく似ていると凛は思うのだった。

 

「でもちゃんと監督ができる人間がいないとだめだヨ。勝手にやったりしたら、それ以降はそれすらも禁止になるからネ」

 

 今度はちゃんとルーの言葉も届いたようだ。百代は、鼻歌でも歌いだすのではないかというくらい楽しそうに答える。

 

「わかっていますよ。ルー師範代。早く戦いたいなぁ凛」

 

「モモ先輩は本当に戦うことが好きなんですね」

 

 凛の目の前まで行くと、百代は上目遣いでねだる。そこに、クリス達からタオルや飲み物をもらっていた一子がこちらに戻ってきた。クリスと由紀江も一緒についてくる。

 

「お姉様は、自分の力をだせる相手がいなかったから嬉しいのよ」

 

「なるほど。それは俺も精進しないといけないな」

 

「自分ももっと鍛錬しないとな。自分のレイピアも凛には届かなかったし。まゆっちは凛と勝負しないのか?」

 

 クリスの問いかけに、由紀江は慌てて、手を胸の前で大きく振った。

 

「私なんてそ、そんな相手が務まらないと思います」

 

「今日の戦い見てたけど、凛坊の底が全然みえねぇ。おいらも鍛錬を積んで出直そうかと思う」

 

「そんなことないと思うけどな。マユマユならかなりいけると思うぞ。私が戦いたいくらいなんだから」

 

 遠慮する由紀江の頭を撫でながら百代が答えた。褒められた彼女は、ますます身を縮める。しかし松風は違った。

 

「そんな滅相もありません。モモ先輩と決闘なんて」

 

「地球破壊するのもお手の物のラスボスとまゆっちとかどんだけ無理ゲー」

 

 松風の一言に今までの優しい百代から、雰囲気が少し変わる。しかし、ファミリーはあまり気にしていなかった。彼女の自業自得だからだ。

 

「ほうほう。マユマユは私のことをそんな風に認識しているのか」

 

「いえ、これは松風が言ってることで、私とは無関係……」

 

 なんとか百代の手から逃れようとする由紀江だが、それも不可能のようだった。彼女は小さな声で反論するもむなしく響く。しかし諦めずに、今度は松風がそれを援護した。

 

「まゆっち無罪。まゆっち無罪」

 

 そんな2人と1匹の様子を観察していた凛は、クリスに話しかける。

 

「なんかすごいシュールに見えるのは俺だけ?」

 

「すぐ慣れてくるぞ。自分は今や松風を一個人として扱っている」

 

 その間も百代の猛攻にさらされる由紀江。助けを呼ぶ声が聞こえた気もしたが、君子危うきに近寄らず――誰もその場を動こうとしない。しかし、それも一子の無邪気な一言で終わる。

 

「なんかおなか減っちゃったわ。みんな帰りましょう」

 

 その一言で、みなは帰り支度を整え校門をでる。それに伴って由紀江は解放されたが、まだ警戒しているのか百代との間にクリスをはさんでいた。ルーはやることがまだあるのか、そんな一行を見送ってくれる。

 

「気をつけて帰るんだヨ」

 

 こうして、凛の騒がしい学園生活1日目は終わっていった。



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『それぞれの成長と料理と刹那の攻防』

 凛が転入してから、数日経った金曜日。ファミリーは放課後、秘密基地――とある廃ビル(島津家所有)の警備を請け負う代わりに、部屋を利用している。ソファや本など快適に過ごせる空間になっている――に集まり、それぞれが自分の定位置でくつろいでいた。

 

「よーし、これで全員揃ったな! 今日の議題はこれだ。夏目凛をファミリーに迎えるか否か!!」

 

 全員が揃ったことを確認した翔一は、立ち上がってテンション高く一声放った。その言葉に、ダンベルをあげていた岳人が手をとめる。

 

「どうしたんだ、いきなり? 凛をファミリーに迎えたいだなんて。いやある程度は予想できたが」

 

「いやぁおもしろいじゃんアイツ。初日からあの騒ぎだし。それが収まらないうちに次は」

 

「ルー先生に手合わせを願い出たんだよね」

 

 翔一の言葉の続きを卓也が引き取った。岳人も思い出したようで、そのときのことを語りだす。

 

「初めての体育の時間に『質問があります。ルー先生と手合わせは願えないのでしょうか?』だもんな」

 

「みんなが、それ今言わないとだめかって顔してたよね」

 

 そのときの光景を思い浮かべて、男たちはクックと笑う。手合わせの件は、川神院の師範代という肩書きもあるため、一旦保留ということになった。

 卓也がソファでリラックスしていた百代に尋ねる。

 

「それで結局あれってどうなったの?」

 

「ルー師範代は、川神院の人間だからな。簡単に勝負するわけにもいかない。だから、川神院に合同稽古をしにきたとき、100人組み手を乗り切ったらという話になった」

 

「おお、川神院の修行僧たち相手に凛が大立ち回りをするのか」

 

 クリスは100人組み手と聞いて、殺陣のシーンを想像しテンションをあげる。百代は、そんな彼女に頷きを返すと、嬉しそうに喋りだした。

 

「じじいは、みなの競争意識にさらに刺激を加えるのが目的みたいだからな。凛はちょうど良いと思われたんだろ? むしろ私は望むところだ」

 

「でも、外部の人間だから、審査が通ってからってことになるのよね。あたしも凛と修行できるの楽しみだわ」

 

 空になったコップをテーブルに置くと、一子はふんすっと両手に力をこめた。彼女にジュースを注いだコップを手渡しながら由紀江と松風が会話に混ざる。それに気づいたクリスもそれを欲しがり、京が自分のものを分けてやっていた。

 

「夏目先輩って好戦的なところがあるんですね。勝負もたくさん受けておられますし」

 

「しかも今のところ、負けなしときたもんだ」

 

「確かに。でも今のところ、自分から申し込んだのは姉さんとルー先生だけだろ? あとは全部受ける側だったしな」

 

 由紀江の言葉に大和が同意する。そのことに百代は思うところがあるのか、ソファに体を沈みこませ天井を見上げた。

 

「そうなんだよなー。戦いたいって気持ちはあるみたいだが、誰とでも何が何でもって感じでもない。落ち着いてるっていうか、うまく自分をコントロールしてるみたいなんだよな」

 

「誰かさんも見習わないといけないところだぜ。戦闘狂な一面あるし」

 

「あ、今日はマユマユを可愛がろう。時間はたっぷりあるし、ねっちりと」

 

 百代は松風の一言をしっかり拾い、由紀江の横に座り足を撫で始めた。彼女は突然のことに顔を赤くしながら困惑する。そんな彼女に大和は賞賛を送った。

 

「まゆっちもほんと度胸あるな」

 

 話がグダグダになりかけたところで、翔一が声をあげ話題を戻す。

 

「おいおい。話がずれていってるぞ。それで、俺はアイツをファミリーに加えたいんだが、みんなはどうだ?」

 

「僕は構わないよ。凛は話しやすいし、結構アニメとかも見るらしくて話あうし」

 

 卓也はそれに同意を示し、トレーニングを再開していた岳人も賛成する。それに次々と賛同するメンバー。

 

「私も構わないぞ。付き合える時間が長いと、その分実力も計りやすいしな」

 

「あたしもいいわよ」

 

「自分も構わない」

 

「わ、私も大丈夫です。こんな私とも仲良くしてくださるので」

 

「オイラに対してもきっちり構ってくれるんよ。ええ子やで」

 

 そして、順番は回りまわって一番の関門である京にうつった。自然と、みなの目線が集中する。僅かな沈黙が流れたあと、彼女がゆっくり口を開いた。

 

「…………保留ということで。まだ出会って数日だし」

 

 しかし、返ってきた答えは少し予想外のものだった。メンバーがそれぞれ顔を見合わせる中、クリスが嬉しそうに話しかける。

 

「まさか京が凛の加入に反対しないとは。自分のときを考えれば、京も成長してるんだな」

 

「クリスはそうでもなさそうだね」

 

「なんだと!? これでも朝は一人で起きられるようになったんだぞ。ふふん、この話をするとマルさんはいっぱい褒めてくれたんだ」

 

 京の痛烈な返しに、自分も成長していると自慢するクリス。そんな彼女に京は軽く一息ついて、お菓子をとりだした。

 

「偉い偉い。そんなクリスに飴をあげる」

 

「そうだろう。自分にもご褒美をあげたいくらいだ」

 

 クリスの相手をする京に、翔一が再度確認する。

 

「京、反対ではないんだな? てっきり俺は反対されるものだと思ったぞ」

 

「そうだよね。僕も反対するんだと思った」

 

「いや俺様は、何気にモロが一発okだしたのにも驚いたぞ」

 

「少しずつ変わっていかないとダメだと思ってるって前にもいったでしょ。それに、ここが大切なのは今も変わってないよ。だから、凛だからいいんであって、それ以外だと話はまた別だよ!」

 

 岳人の言葉に、卓也がはっきりと理由を示す。そこに反応して10点棒を持つ少女が一人。

 

「モロの後ろの部分だけ聞くと、なにかこみ上げてくるものがあるね」

 

 その発言をうけて岳人が自分の予想を口にする。

 

「やっぱりあれか? 女装が影響を!?」

 

「いい加減そのネタから離れてよ。あと変な意味じゃないから!」

 

「んじゃあ、最後に軍師の意見を頼むぜ」

 

 ぎゃあぎゃあと騒いでいた二人も翔一の言葉に静かになった。視線を集めた大和は、たっぷりと間をとってから自分の考えを伝える。

 

「そうだな。俺も一応保留だな。凛がどういう奴かは数日過ごしてわかってきたけど、深く付き合うなら、まだ知らないことも多いから」

 

「そうか。それじゃあ賛成7保留2で仮メンバーとして迎える。あとは成り行きをみてって感じだな。この話はこれまでだ」

 

 みなの意見も出揃ったところで翔一が総括する。その後は、みな思い思いに基地での時間を過ごした。

 一方、島津寮では男2人が台所に立っていた。そして、後ろのテーブルには、何品か出来上がった料理が並べられている。

 

「で、ここにこれを入れて、少し煮込みます。……こんな感じなんだけど、源さんどう?」

 

 凛は調味料に蓋をしながら、横に立つ忠勝に話しかけた。それを小皿で味見した忠勝が答える。リビングには他に誰もおらず、2人の声だけが響く。

 

「ほう。料理は基礎だけって言ってた割には、かなり凝ってるじゃねえか」

 

「源さんには遠く及ばないけどな」

 

「おまえもなかなかだ。これは参考にさせてもらうぜ」

 

 その鍋は弱火のまま煮込まれ、2人は次の料理にとりかかった。まな板からリズミカルな音がなり始める。凛は野菜の皮を剥きながら、褒め言葉にテンションをあげた。

 

「おおう採用された。それにしても源さんて夜いなかったよな。なんかやってる?」

 

「バイトだ。いろいろと金がいるからな」

 

「お金は大事だよな。俺も何かバイトしようかな。あっでも鍛錬あるしな」

 

 鍋の蓋を取り外し様子をみる凛に、忠勝が笑いながら提案する。料理という共通の趣味がある男友達ができ、彼は楽しそうであった。

 

「接客とかやりゃいいじゃねえか。おまえがやりゃその店繁盛するぞ」

 

「それじゃあ源さんも一緒に」

 

「お前さっきの話聞いてたか?」

 

 2人は賑やかに会話しながら、しかし手をとめることなく料理を完成させていく。その後、完成した料理は寮のメンバーに振舞われた。そのもてなしに、腹をすかせて帰ってきた彼らが、喜んだのは言うまでもない。

 そして、週末をはさんでまた学校が始まる。凛もすっかり慣れた様子で、いつものメンバーと登校していた。クリスは、金曜の夜に振舞われた料理の数々を一子に自慢する。

 

「――――という感じでうまかったぞ、犬。源殿はもちろん、凛の腕前も大したものだった。そのおかげで、おかわりを何度もしてしまった。あれを自制するのは難しい」

 

 クリスたちの会話に、由紀江、松風、翔一が加わる。

 

「そうですね。あの豚の角煮は、私も参考にさせて頂こうと思いました」

 

「あのときほど、喰えないことを恨めしく思ったことはないぜ。あの角煮を肴に大吟醸のみてぇ」

 

「あの料理はたしかにうまかったなぁ。料理ができる奴が増えてありがたいぜ。……思い出したら、また喰いたくなってきた! 源さん、凛、まゆっち! 今度はトリオで豪勢に作ってくれ」

 

「うわーーーん。タッチャン、凛、私もその料理食べたかったわぁ。呼んでくれたらよかったのにー」

 

 その話を聞いた一子が、涙目で凛と珍しく一緒に登校していた忠勝に泣きついた。少し困った様子で、彼は彼女の頭を撫でながら慰める。

 

「悪かったな一子。そんなに食べたがるとは思わなかった。今度また作ってやるから勘弁しろ。凛も頼めるか?」

 

「もちろん。だから、今はこれで我慢してくれ」

 

 忠勝の頼みを快く引き受ける凛は、鞄から飴玉を取り出し一子に与えた。その言葉を聞いた彼女は、満面の笑みを浮かべ飴を受け取る。

 

「約束よ。今から楽しみだわ。凛も飴玉ありがとう。がりょがりょ」

 

「あっ噛んじゃった」

 

「一子、飴なんだから舐めろ。すぐになくなっちまうぞ」

 

 そんな様子を眺めていた京が、大和の腕をとりながら話しかける。岳人と卓也は週明けの楽しみ――ジャソプに夢中だ。

 

「なんか保護者がまた一人増えたね。あなた」

 

「さすが我らのマスコットだ。クリスも負けていられないな」

 

「何を言ってるんだ大和? 自分はマスコットなどではないぞ。騎士クリスだ」

 

「クリスも飴舐めるか?」

 

 大和の言葉に凛々しく答えるクリスだが、凛から飴を差し出されると、笑顔で彼の元へ駆け寄っていった。

 

「くれるのか凛!? もちろん頂くぞ。コロコロ」

 

「こっちも世話やかれてるね」

 

 そして、一行はへんたい橋へさしかかった。そこは、今日もしっかり人だかりができている。しかし、今日の百代の相手は橋の上ではなく、その下の川原に陣取っていた。

 

「今日はまたゾロゾロと大勢の人がモモ先輩に群がってるなぁ」

 

 先頭を歩いていた翔一の言葉に、ファミリーも橋の下を覗き込む。いつもの光景に、クリスがため息をもらした。

 

「ただの不良たちのようだな。懲りない奴らだ」

 

「人がゴミの……じゃなくテトリスのように積みあがっていくな。あれは、人のしていい体の向きではないよな? あっまた逆に折り曲げられた」

 

 イリュージョンにかかったかのように、人体の構造を無視した形に変えられていく不良たち。縦に置いた長方形を模しているのか、だんだんと隙間なく上へ上へと積み上げられていく。一子は痛みを想像したのかプルプルと震えていた。

 

「あっちの人なんて、もう…………」

 

 百代が最後の一人まで積み上げると、周りから歓声があがる。その反応を見ながら凛は2つのことを思った。一つは胸のうちで、もう一つは大和に問う。

 ――――本当に日常と化しているんだな。あの不良たちは、このあとどうなるんだ?

 

「人気者なんだな、モモ先輩は」

 

「姉さんは男前な性格してるから、女の子からもモテるんだよ。あっでも、間違っても姉さんに向かってイケメンなんて言うな。地獄みることになるから」

 

 大和は姉の情報を凛に話したが、すぐに周りを気にして小声に切り替えた。そこに近づく人影が一つ。

 

「そんなモモ先輩とやりあった凛の感想を一言!」

 

 翔一が芸能リポーターばりに、丸めた教科書をマイクのようにして凛に向けた。彼もノリノリで咳払いをして喉を整えると、教科書に顔を近づける。それがファミリーの関心をひく。そして、彼は爽やかな笑顔を浮かべ話し出した。

 

「えー組み手してると、下着が見えそうでハラハラしました」

 

 ファミリーの男たちもノリよく、ずっこけてくれる。女性陣はため息をつく者、きょとんとする者様々だった。大和が呆れ顔で、しかし笑いながら物を言う。

 

「なんかあのときの戦いが今の台詞で台無しだ」

 

「凛はそんなこと考えながら戦ってたのか!? もっとあるだろー!」

 

「あれだけ動いといて見えなかったのか凛! 嘘言ってんじゃねえだろうな」

 

 翔一は熱い言葉を期待していたのか、不満たらたらの様子で、岳人は下着という単語に反応して凛に詰め寄った。

 凛は、そんな岳人をあしらいながら、教科書マイクに再度感想をのべる。

 

「冗談。すごくよかったよ。もっと深くまで知りたくなった」

 

 次の感想に一子は少し顔を赤らめ、大和は僅かに神妙な顔をする。

 

「凛の言い方……な、なんだかアダルトだわ」

 

「次は意味深な言葉だな」

 

「ほう、それはちょうどよかった。私もお前のことをもっと知りたかったところだ。どうだ? 今日の放課後、じっくり教えてやろうか?」

 

 ちょうど上に上がってきた百代にもその感想が聞こえたのか、凛の真正面に立ち、彼の頬を指でツツッとなぞりながら挑発する。それと同時に、周りから彼を呪う言葉が発せられ、数人の生徒は手のひらを彼に向け、何かを念じているようだった。

 いたずらっぽく笑う百代に、凛はあくまで平静を装いながら反撃する。

 

「ありがたいですけど、申し出を受け入れたら、今日学園に行ったまま帰ってこられそうにないですから、お断りします……」

 

「ッ!?」

 

 そう言い終えると凛は、百代の手首を一瞬掴み、すぐにパッと離す。周りの人間が見えたのはそれだけだった。しかし、やられた本人である彼女は、離されるやいなや手首を押さえながら、彼から距離をとる。その行動にみなは疑問を抱いた。

 

「どうしたのかしら、お姉様」

 

「さぁ思い切り強い力で握られたとか?」

 

「今の一瞬でか、なんかすげぇかっこいいやりとりだな」

 

「モモ先輩、ドキドキさせられたお返しです」

 

 ピースサインを揺らしながら、先に歩いていく凛が百代にそう告げる。

 ――――可愛い反応だ。動じなかったら、かなりの強敵だったな。

 場の人間が動き出したことで、それに続いて人の流れができていった。そんな中、大和は流れと逆方向にいる百代に近寄っていく。

 

「姉さん、何されたの?」

 

「手首にキスされた」

 

 百代は悔しそうに顔をゆがめる。大和は、姉が一瞬何を言ったのかわからなかった。

 

「へっ?」

 

「だから手首にキスされたから、びっくりしたんだ!」

 

 まるで証拠があると言わんばかりに、大和に勢いよく手首を見せる百代。当然、何かの跡があるわけではない。しかし彼は、そんな彼女を見ながら感心していた。

 

「命知らずな……よく殴らなかったね」

 

「私が反応見たかったからな。それに殴って、せっかくの相手がいなくなったら困る。くそぅこの鬱憤は組み手で晴らす! 行くぞ大和」

 

 さらに上手なやり方でやり返されたのが気に喰わなかったのか、百代はズンズンと大またで歩いていく。その速度はかなり速く、すぐにでもファミリーとのんびり歩いていた凛に追いつきそうだった。しかし、彼女は速度をおとすことなく、むしろそれを活かして腕を振りかぶる。

 スパンッ!

 とてもいい音が辺りに響いた。後ろから追いかけてきた大和がポツリとつぶやく。

 

「殴りはしないけど、叩きはするんだね」

 

 叩かれた頭を押さえながら、うずくまる凛に百代は耳元でそっと囁く。

 

「私の方が多く受け取ったみたいだから、おつりだ」

 

 その光景に満足したのか、百代は笑顔でファミリーの中へと混ざっていった。その後ゆっくりと立ち上がる凛だったが、足元が少しふらついている。

 

「ぐ、世界が揺らぐ。記憶なくしたらどうするんだ」

 

「揺らぐだけですんで、よかっただろ」

 

 凛は、大和に肩をかしてもらいながら、さすがに少しやりすぎたと反省する。結局、学園につくまでふらつきは治らず、ギリギリの登校になったのだった。



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『休んで戦って入ります』

 一人のけだるそうな男性教師――宇佐美巨人が第二茶道教室に入っていった。彼は、人間学――行儀作法から日常的な豆知識に至るまで幅広い分野を教える――の授業を受け持ち、ゆるい授業内容と親しみやすい雰囲気からヒゲ先生と呼ばれている。しかし、2-Sという学年で最も優秀な、そして2-Fにも劣らない個性的な生徒が集まる担任を任されている苦労人でもあった。副業として、代行業いわゆる何でも屋も営んでいる。

 

「あれ? 今話題の有名人また来てるの?」

 

「あーなんか俺が来たときには、ここで眠ってて俺が起こそうとしても」

 

 大和がそう言いながら、畳の上で寝ている凛に手を伸ばすと、乾いた音とともに彼の手が赤みを帯びた。その手を見て彼は苦笑をもらす。そんな2人に呆れ顔を見せながら、巨人はいつもの定位置にあぐらをかいた。

 

「まぁこうゆう具合で。10回くらい試したんだけどね」

 

「一体どんな体の構造してんだろうな」

 

「ヒゲ先生。一局やる?」

 

 大和は将棋盤を2人の間に持ってくる。彼らはいつもここに来ると、将棋を指し駄弁っているのだった。この場所は人通りも滅多になく、静かに過ごせるため、ダラダラすることが大好きな彼らの聖域と化していた。

 

「そうね。もう起きないなら放置だ。めんどくせえからな」

 

 そう言いながら、巨人はゆっくりと駒を並べていく。それに大和もならった。

 

「教師とは思えぬその言動。今ここでは素晴らしいと思います」

 

「褒めんなよ。というより、おじさんと直江の聖域がついに崩れたな」

 

「聖域っていうほど、美しいものでもないでしょ。猫かなにかだと思えばいいんじゃない?」

 

「またでかい猫が入り込んだもんだな」

 

「まぁ部屋自体は広いんだし。だらけの空間を乱さないだろ。礼儀正しいけど、冗談もよく言うやつだから、起きても何も言わないと思う」

 

「むしろ一番のだらけを今の夏目が体現していると言っていいな」

 

 2人は取りとめもない会話を続けながら、駒を進めていった。

 

「しかし、転入初日の騒ぎは凄かったな。しかも川神百代とタイマンはっちゃうんだから、もうびっくり。小島先生なんか会って早々説教してたよ」

 

「心配してくれたんじゃない? 初日であの騒ぎだから。小島先生案外優しいし」

 

「そうなんだよね。そうゆうところも魅力の一つだからな。あぁ小島先生と飲みに行きてぇ。んで、相談とかのってやりてぇな」

 

 いつもの調子で巨人は梅子への思いを大和にぐちる。生徒の大半が知っていることだが、彼は彼女へ好意をもっており、数々のアプローチをかけていた。しかし、未だそれが実ったことはない。ちなみに、彼らがため口で喋っているのは、巨人自身が許しているからである。

 

「ヒゲ先生、やっぱり進展なし?」

 

「やっぱりってなんだよ。小島先生ほんとガード固いんだよ。んで、ガードが緩いと思ったら、余計な邪魔が入ったりするんだよ」

 

「もったいないよね。美人なのに」

 

「直江の方はどうなのよ? 周りは可愛い女の子ばかりじゃない」

 

 巨人自身、代行業の仕事で人手が足りないとき、ファミリーに依頼をしたりするため、他の生徒に比べ覚えがよい。話を向けられた大和は顎に手をあてる。

 

「俺? どうだろうな。仲間って意識が強いせいか、彼女にって感じは今のところないなぁ」

 

「んなこと言ってると、そこの野良猫に誰か掻っ攫われていくかもよ」

 

 親指をくいっと気持ちよさそうに眠る野良猫に向ける巨人。それに対して、大和は仕入れた情報を思い出し表情を崩した。

 

「ありうるね。ファンクラブとかも早々にできたし。まぁそんときはそんときじゃない?凛の行動を見てる限り、ひどい扱いなんてないと思うし」

 

「バカヤロー。男はみんな狼なんだよ。夏目にしたって、それは変わらねえ」

 

「そんなこと言ったら俺達もだよね」

 

「それ言っちゃおしまいだ。あー小島先生いつになったら心を開いてくれるんだ?」

 

「王手!」

 

「えっちょっと待った」

 

 そうして、だらけきった昼休みは過ぎていった。

 それから午後の授業を消化し、放課後。凛は、決闘の申し込みを順調にこなしていき、今日最後の予約者だった1人と対峙する。その子は体操服を来た一年の女の子――武蔵小杉だった。彼女の活発そうな雰囲気がそう見せるのか、体操服がよく似合っている。しかし、1-Sに所属できるほど優秀であるがゆえ、その自尊心は天井知らずで、今回の決闘も自らの評価を高めるためにふっかけたものであった。

 

「それでは決闘を開始するネ。準備はいいかい? 二人とモ」

 

「はい!(ここで私がプレ~ミアムに勝利を飾り、学園の話題を独り占めよ。どんな手を使ってきたかは知らないけど、この武蔵小杉が暴いてやるわ。そう言えば黛さんが何か言ってたような?)」

 

 2人は向かい合い構えをとった。凛も決闘ということで、油断なく相手を見据える。

 ――――様子見とかはなく、最初から仕掛けてくるな。あまりにもバレバレで罠かとも思えるが、何か張ってるわけでもなさそうだ。

 

「よろしくな一年生」

 

「よろしくお願いします。夏目先輩(ふん! 今のうちにせいぜい上から見ているといいわ。次の瞬間には立場は逆転よ。開始の合図までが、あなたの立っていられる時間だと思いなさい!)」

 

「では……始めッ!」

 

「先手必勝、プレミアムあうっ!?」

 

 開始の合図とともに凛に突っ込んでいく小杉。しかし、彼女の予想をはるかに超えた速度によって、瞬時に距離を詰め放たれた彼のそれに、彼女はなす術もなくモロにくらう。そして、そのまま地面に倒れてゆく彼女を彼はゆっくりと寝かせた。観客の中には、何が起こったのか理解できないものも多く、今日一番のざわめきが起こる。

 

「そこまでッ! 勝者、夏目凛」

 

「ああぁ、だからあれほど突っ込んではダメだと教えておいたのに」

 

「ムサコッスもホント人の話聞かねぇな」

 

 由紀江と松風がため息をもらした。それを一緒に見ていた百代がつぶやく。その隣にいた大和は他の生徒と同様に呆然としている。

 

「実力差がありすぎるな。あれまともに食らえば、すぐには立てないんじゃないか? まぁ加減はしてあるんだろうが」

 

「いったい何が起きたんだ? 急に相手が倒れたようにしか見えなかった」

 

「戦ってる本人にもよくわからなかったんじゃないか? こういうふうに顎をかすらせるようにして、脳をゆさぶったんだよ。それを狙ってやったみたいだし……くぅぅ戦いたい!」

 

 百代は、大和にゆっくりとした動作で実演してみせる。小杉はすぐに保健室へと運ばれていった。その間、意識はあったようだが、一言も発することなく校内へと姿を消す。

 

「これで夏目の決闘も終了だネ。素晴らしい決闘の数々だったヨ。私も年甲斐もなく、君との組み手が楽しみになってきタ」

 

 ルーは、ポンポンと凛の肩を叩きながら賞賛を送る。それを組み手の許可が下りたと理解した凛は、嬉しそうに礼を述べた。

 

「!? ということはルー師範代、凛は合同稽古に来れるんですか?」

 

許可がでたことに百代の声がはずむ。座っていた階段からぴょんっと飛び降りると、2人のもとへと駆け寄った。

 

「そうゆうことだネ。とりあえず、今週の土日に来てもらえるかナ」

 

「わかりました。ありがとうございます。僕もルー先生との組み手を楽しみにしています」

 

「おいー私ともやるんだぞー。私にはなんかないのかー?」

 

 百代はそう言いながら、軽いジャブを凛の胸のあたりに放った。彼は、それを手のひらでしっかり受け止める。

 

「もちろんモモ先輩との方も楽しみしています」

 

「ふふーん、そうだろうそうだろう。今度は私がお前を弾き飛ばしてやるからな」

 

 百代は、答えに満足がいったのか拳を引っ込めた。そのやりとりを見て、松風と大和が話し合う。

 

「基本あの人かまってちゃんなんだよな。大和坊もなにかと苦労してるな」

 

「これからは凛と分担作業になりそうだから、感謝感謝だな。それよりコミュニケーションのとり方が過激すぎる。拳が見えなかったぞ」

 

「空いた時間分、私との愛を育んでいこうね」

 

 いつの間にか、京が大和の腕を抱きながら、その会話に参加する。彼もこうなったら離れないことを知っているため、話をそのまま続けた。

 

「あれ? 部活の方はもういいのか?」

 

「大丈夫。ちゃんと役目はこなしてきたから」

 

「そうか。じゃあ帰るか」

 

「はい、旦那様」

 

「姉さん! 凛もそろそろ帰ろう」

 

「的確にスルーしていくね。でも平気、慣れてますから」

 

 帰り仕度を済ませた5人は揃って学園をあとにする。5月は中旬を過ぎ、少しずつ暑い季節へと移り変わろうとしていた。

 そしてあっという間に金曜日。学校が終わった凛は、ファミリーの男連中と一緒に秘密基地を訪れていた。基地の前で、彼は両手を広げ声高に叫ぶ。

 

「こんな廃ビルに秘密基地を作るなんて……しかもビルまるごとひとつ! マーベラス!」

 

「わかるぜー凛。俺もここを探し出した昔の自分を褒めてやりたいくらいだぜ」

 

 そんな凛に翔一は、肩を組みながら賛同する。そして、互いにがっちりと握手を交わす。それを見ていた卓也が驚いていた。その隣にいた大和は、携帯でメールを送るのに忙しそうである。

 

「まさか凛がこんなにはしゃぐなんてね」

 

「凛もまだまだお子様ということか」

 

 岳人は凛のはしゃぎっぷりに、肩をすくめオーバーリアクションをとる。

 

「でも喜んでもらえると嬉しいよね」

 

「キャップいやリーダー、俺を早く中に案内してくれ」

 

「気の早い凛隊員だぜ。仕方ねぇ俺についてきな。秘密基地に突入だーっ!」

 

「了解!」

 

 そう言うと翔一と凛は、秘密基地内へと姿を消していった。取り残される3人。卓也が彼らを見送りながら口を開く。

 

「って行っちゃったね」

 

「ここで立ってても仕方ないし、俺たちも入ろう」

 

 大和の言葉に卓也と岳人は頷くと、2人を追ってゆっくりといつもの場所を目指す。

 そして、しばらく時間が過ぎて、基地の一室。凛は全てを見終わって満足したのか、落ち着きを取り戻していた。

 

「コホン、素晴らしい場所だな」

 

「ずいぶん時間かかってたけど、本当にすみずみまで見てきたんだね」

 

「いやモロ、秘密基地が廃ビル丸々ひとつだぞ? テンションあがるだろう」

 

 そこにクッキーがお盆に人数分の湯のみをのせ現れる。彼は、皆が学校に行っている昼間や金曜集会のとき、ここにいることが多く、貴重な電力源としても活躍していた。

 

「はい凛、玉露っぽいなにかだよ」

 

「ありがとう、クッキー」

 

「えー俺今コーヒーの気分だったのに」

 

 素直に受け取る凛とは違って、それにケチをつける翔一。彼はクッキーのマスターとして登録されていた。クッキーがその言葉に腹をたてる。

 

「どうしてそういう事言うんだよ! せっかく入れてやったのに」

 

 そんな賑やかな時間の中、男たちは他のメンバーが全員集まるのを待つ。たわいない会話をしている内に女性メンバーも基地を訪れ、全員の出席を確認した翔一は、凛を隣に立たせた。

 

「改めて、凛を俺達風間ファミリーに迎え入れたいと思う」

 

「2度目になるけど、こちらでもよろしく」

 

 凛を温かく迎えてくれるファミリー。そして、皆が定位置に座る中、肝心の彼の座る位置だったのだが。

 

「どうした? もっと楽にしていいんだぞ。となりにいるのは美少女なんだ。喜べよ」

 

 なぜか百代の隣に座らせられた凛だった。

 

「なぜかしら凛が小動物のように見えるわ」

 

「自分もそんな感じに見えるな。いつもと違って見える」

 

「どうしたんだ? 便所なら向こうだぞ」

 

 一子とクリスは、凛の様子が落ち着かないのを心配し、生理現象を我慢していると思った翔一が声をかけた。彼は百代をチラチラと視界に入れながら口を開く。

 

「いや、この場所があまり落ち着かないっていうかなんというか。モモ先輩、いきなり顔面に本気の突きとか入れてこないよね?」

 

「おまえ失礼な奴だな。そんな卑怯な事、一度もしたことないだろ?」

 

「いやそうなんだけど、気が高ぶってるというか。それを間近で感じる……」

 

 凛はそう言うと誰か同意してくれる人がいないか、周りを見渡す。大半のメンバーは首をかしげるが、その中でも反応する者はいた。

 

「そうなの、姉さん?」

 

「私でも少し感じるくらいだからね」

 

「なんつーの、もれだしちゃってる感じだな。しっかりしろ姉!」

 

 大和の疑問に、京と松風が答える。クリスは一子にこっそりと聞くが、一子も首をかしげており、男連中は全員わかっていないようだった。そんな中、百代は嬉々として凛に話しかける。

 

「ちゃんと抑えてるつもりだったがダメか? だって明日だぞ凛!」

 

「ああ、そうゆうことか」

 

 大和は、明日と凛絡みでピンときた。そこに、クリスが疑問を投げかける。

 

「明日は何かあるのか? 土日だぞ。自分はマルさんと少しおでかけだ」

 

「凛が川神院で合同稽古に混ざるんだよ。それを姉さんは楽しみにしているってこと」

 

「川神院の稽古はすごいけど、凛ならなんとかしてしまいそうだよね」

 

「ホントお前もよくやるなぁ。川神院の稽古とか基礎訓練だけでも相当だって聞いてるのによ。まぁ俺様も筋肉育てるために、ジムに行くんだがな。」

 

 大和に相槌をうつ卓也。そして、ムキッとポーズをとりながら喋る岳人の隣で、一子が懐かしむように言葉を発する。

 

「確かに最初のころは、私もついていくのも精一杯で、バケツのお世話によくなったわぁ」

 

「でも、今ではそのあとに新聞配達できるくらい余裕になってるだろ?」

 

 百代の発言を聞き、大和が一子を見直す。

 

「ワンコの体力も凄まじいものがあるな。まゆっちは休日どうするんだ?」

 

「あっはい。クラスメイトの伊予ちゃんと出かける予定です」

 

「友達とお出かけやでー。憧れだった友達とのお・出・か・け! まゆっち! しっかり楽しんでくるんやでー。イェーーーイ☆」

 

「はい。松風」

 

「俺達とも出かけてるけど、やっぱ同年代の友達はかかせないもんな。よかったな。まゆっち」

 

「はい。これもみなさんのおかげです」

 

「大和はどうするの? 私は大和の部屋に入り浸る予定だけど」

 

「それじゃいつもと変わらんだろ。俺はどうしようかなー―――」

 

 金曜集会は、新たな仲間を加えより賑やかになっていく。

 



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『100のち美少女』

 凛は2度目となる川神院の門をしばし見上げる。前回は夜の門を見たが、朝の光を浴びる門は細部まで見ることができ、長い年月雨風を受けたそれは年季が入っており、夜とはまた違う雰囲気があった。そこに、深みのある声がかかる。

 

「よう来たの凛」

 

 声の正体は門の近くまで来た鉄心だった。凛が門をくぐると、奥の方から修行僧たちが基礎訓練を始めているのか、気合の入った掛け声が聞こえてくる。

 

「おはようございます。もしかして遅れてしまったでしょうか?」

 

 凛は時間通りに来たはずだが、訓練が始まっているのを知り少し焦る。そんな彼の態度に、鉄心は好々爺といった笑みを浮かべ答えた。

 

「いや大丈夫じゃよ。修行僧の体をあっためるためにやっとるんじゃから」

 

「それは安心しました。今日はよろしくお願いします」

 

 凛自身、鉄心と1対1で話すのは2回目だが、その姿はご老体ながら気が満ち溢れており、それでいて凪いだ大海を前にしたように感じていた。ヒュームはその気を隠そうともしないため正反対であったが、2人がともに武の頂きにいることを再認識させられていた。

 

「よろしくの。百代の相手ができるのは、こちらとしても嬉しいことじゃ。準備ができたら声を掛けるといいぞい。まずは修行僧の組み手からじゃからな」

 

「はい。川神院のレベルの高さはよく聞いているので、楽しみです」

 

 修練場に着いた凛の目に飛び込んできたのは、僧達の一糸乱れずの動きだった。鉄心はそんな彼らを見守りながら口を開く。

 

「ほっほ。修行僧たちは、凛がルーに直々に組み手を申し込んだことをよく思ってないからの。おぬしの力を見せてやるがよいぞい」

 

「わかりました」

 

 鉄心が去った後、凛のもとに川神姉妹がやってきた。百代は胴着を着用し、一子はジャージにスパッツと動きやすい服装をしている。彼は制服しか見たことがなかったので、その姿が新鮮に思えた。

 

「おっやっと来たか」

 

「おはよう凛」

 

「おはよう。モモ先輩、ワンコ」

 

「調子のほうは良さそうだな」

 

「がっつりやれるように、しっかり寝てきましたから」

 

 百代の発言に、凛はグッと力瘤をつくって元気をアピールした。それに対して、一子がコロコロと笑いながらエールを送る。

 

「いつも通りの凛だわ。組み手頑張ってね」

 

「ありがとう。そろそろお願いに行くよ」

 

 凛はルーにも朝の挨拶を交わした後、鉄心に準備が整ったことを告げる。100人相手に組み手をする経験などなかった彼は、内心かなりワクワクしていた。その高ぶりを落ちかつかせるように深呼吸する。選ばれた僧たちは、すでに彼を中心として円状に取り囲んでおり、ピリピリとした空気を漂わせていた。しかし、ヒュームとの稽古を繰り返してきた彼にとって、それは程よい緊張感をもたらす心地よいものであった。

 ルーの掛け声が、静かな川神院にこだまする。それを合図に3人の僧が、それぞれ3方向から凛に詰め寄った。彼の100人組み手が始まる。

 

「ハァッ!」

 

 凛は相手の攻撃をいなし、そのまま一歩踏み込むと同時に右肘を鳩尾に叩き込み、浮き上がった体を掴み、一本背負いのようにして放り投げた。すると、投げた直後の背後から1人、模造刀で上段から切りかかってくる。彼はそれに対し、くるりと反転し向かい合うと、一歩下がりながら後方に体をそらし鼻先を通る刃を見送る。そして、相手が切り返してくる前に、重心を戻して隙のある胴へ左足を蹴りいれた。彼の足先が柔らかい部分をしっかりと捉え、僧はうめき声をその場に残し、吹き飛んでいく。間髪を容れず、斜め左右後方から彼に向かってくる2人の僧。胴へ真っ直ぐ突き出される2本の棒を風に揺れる葉のようにフワリと跳んでかわすとともに、さらにバク宙の要領で彼らの頭上に移動し、体をひねって、それを目一杯開いた両足の遠心力に利用する。回転を加えた力で片方は足の甲を顎へ、もう片方は踵を後頭部へと入れ蹴り飛ばした。

 ――――今ので50ほどいったかな?

 依然、凛を中心に、それぞれの武器を構えた修行僧が囲っている。彼は泰然とした構えで待ち構えた。そしてまた1人、彼の射程圏内に足を踏み入れた者を迎え撃つため、足に力を込める。

 凛が100人組み手をしている間、百代と一子はそれを見守っていた。

 

「おお、おもしろいように吹き飛ばしていくなぁ」

 

「本当に凛すごいわね。お姉様」

 

 一子は目を輝かせながら、百代に同意を求める。考えていることが全部表情に出てしまうのは、彼女の特徴でもあり、皆から愛されているところでもあった。

 

「そうだな」

 

 凛のくすんだ銀髪が風で楽しそうに揺れる。そして、流れるように修行僧を倒していく姿は、とても綺麗であった。もっとも百代の感想には、自分には敵わないが、と最後に付け加える。

 

「うわっあれはききそう」

 

 一子が顔をしかめる。その視線の先には、下がろうとした相手の足を踏み、動きを止めさせ、硬直した一瞬に顎を下から掌底で打ち抜く凛の姿。さらに、彼の攻撃は止まらず、頭を跳ね上げた相手のがら空きになった腹へ、回し蹴りをねじ込んだ。くの字に折れ曲がった僧の体が、石畳の上を滑っていった。彼も並の鍛錬をしてないとは言え、彼女は少し心配になる。

 

「どうじゃモモ? 端から見て凛の動きは」

 

 鉄心とルーが2人の隣にやってきて、百代に問いかける。

 

「なんで、あんなに流れるように動けるのか気になるな」

 

「それは打撃を受けるタイミングが重要だネ。受け止めるのではなく、受け流す。そうすることで、相手のバランスを崩せル、それが自分のチャンスにもなル。力で押し負ける相手でも、流せば自分に響いてこなイ。一子ならー――」

 

 一子はふんふんとルーの言葉に耳を傾けていた。百代も凛の動きをしっかりと目で追いながら、彼のレクチャーを聴く。

 

「百代も分かっていると思うけど、パワーでいうなら凛のほうが少し上回っていル。これを機にその辺も勉強していくのがいいネ」

 

 百代はルーの言葉に頷きを返す。初めての組み手で受けた、腕を痺れさせた最初の一撃。あれは想像以上に重く、彼女の印象に深く残っていた。というよりもあの組み手自体、彼女の記憶に鮮明に刻まれていた。なにしろ、自分と対等に渡り合える相手が現れた瞬間だったからだ。彼女は今でも、その一挙手一投足を思い出すことができる。そこに凛の声が聞こえてきた。

 

「ふぅ…………ありがとうございました」

 

 凛は、全員が立ち上がっていないことを確認して構えをとく。死屍累々といった感じの修行僧の中心で、汗を流しながら彼は立っていたが、その姿は100人を相手にしたとは思えないほど落ち着いていた。百代は、その様子に自分の体がうずくのを感じる。そんな彼に、鉄心とルーから声がかけられる。

 

「ふむ、なにか夏目の技を放ってくるかとも思ったが、真正面からの肉弾戦できよったな」

 

「動きの一つ一つが磨き上げられてて、見ていて気持ちがよかったネ。総代、これで私との組み手をしても問題ないのでハ?」

 

「うむ、そうじゃの。凛、ルーとは明日組み手をやってもらう。今日は……」

 

「私だ! 私!」

 

 鉄心たちの会話を遮る形で、百代が声を張り上げた。まるで子供のようなはしゃぎようである。とにかく、彼女はこの機会を月曜日にルーの話を聞いたときから、楽しみにしていたのだ。組み手が行われる前日など、なかなか寝付けなかったのだから、どれほどこのときを待ち望んでいたかが伺えるというものだろう。そこにピシャリと厳しい言葉が飛んでくる。

 

「こらモモ! まだわしがしゃべっておるじゃろ! おまえはもう少し落ち着かんか!!」

 

「あぁわかったから、説教だけは勘弁してくれ。せっかくの気分が台無しになる」

 

 ゲンナリする百代に、鉄心は気にすることなく説教を始める。説教というものは、始まると今は関係のないことまでつながっていったりするもので、それが終わるまでは少し時間がいりそうだった。その間に、一子は用意していた飲み物を凛に渡す。

 

「お疲れ様。本当にルー師範代が言ってた通り、流れるような動きだったわ。私も負けてられないわね」

 

「ありがとう。ワンコ」

 

 キラキラした目の一子を見ていると、凛は一つの衝動にかられる。気づいたときには、その行動をとっていた。

 なでなで。

 一子の茶髪が揺れる。

 

「わぁ褒められたわ」

 

 撫でられ慣れていると言えばいいのか、一子は嬉しそうにそれを受け入れる。凛はさすがにまずいと思ったが、案外すんなり受け入れられてほっとしていた。それでも、突然やってしまったことに彼は謝罪し、先ほどの組み手のことを彼女と話して時間を潰す。

そこに、鉄心からようやく解放された百代がやってきた。

 

「よーし、凛早速やるぞー。次は私が可愛がってやろう♪」

 

 そう言うと、百代は嬉々として構えをとった。そんな様子を見ていた凛は、彼女と一子を比べて一つの結論に至る。

 ――――ワンコが犬なら、モモ先輩はサーベルタイ……

 

「おい、今変なこと考えなかったろうな」

 

 凛の失礼な考えを察知したのか、ズイッと彼の目を覗き込む百代。彼は素早く距離をとった。もちろんフォローもしっかりと入れる。

 

「まさか。モモ先輩直々のご指名とは光栄だなと」

 

「…………まぁそういうことにしておいてやろう。わかっているなら、しっかりエスコートしてほしいな。しっかりできれば、私の中の凛評価はグンとアップだ」

 

「それは上がりきるとどうなるんです?」

 

「それは上がりきってからのお楽しみだ。いろんな特典がついてくるぞ」

 

 百代はそう言いながら、意味ありげにゆっくりとウィンクをした。彼女の特典について、凛は目をつむり顎に手を当て、しばし考え込む。そして、イメージができたのか目をカッと開いた

 

「っしゃあ!」

 

「きゃっ。びっくりしたわ」

 

 凛の気合の入った声に驚く一子。

 

「……こほん、失礼。やりましょう」

 

 凛は謝罪をしてから、構えをとり集中力を高めていった。煩悩を頭の片隅へとおいやりながら、どんどん集中していく。彼自身、これほどスムーズに行えるのかと少し驚くほどだった。そんな彼の様子がおもしろかったのか、百代はクスクスと笑う。

 

「ふふ、凛も男の子だな」

 

「モモ先輩は美少女ですね」

 

「うん、知ってる」

 

 凛の発言に即座に反応する百代。褒められて悪い気のする者はいない。そこにルーから声がかかる。

 

「夏目はまだそんなに時間経ってないけど、大丈夫なのカ?」

 

「大丈夫です。武神のお誘いでもありますし」

 

「確かに……大丈夫そうだネ。気のせいか、さっきよりも元気に……」

 

 凛の闘気が充実しているのに疑問を抱くルーだったが、その言葉を遮るように彼が催促する。

 

「ルー先生、合図をお願いします」

 

「うん? そうかイ。では、百代もいいかイ?」

 

「いつでも!」

 

 いつかのように、ルーをはさんで対峙する2人。その瞬間、穏やかな雰囲気は鳴りをひそめ、その代わりに静けさと緊張が場を支配する。しかし、それとは反対に2人は微笑んでいた。

 2人の準備が整ったのを確認したルーが、開始の合図をおくる。

 

「それでは……始めッ!」

 

「まずは挨拶代わりだ」

 

「望むところです!」

 

 百代と凛は真正面から打ち合うために接近し、学園での続きをこの場で再現することになった。しかし、今度は時間に制限などなく、心行くまで拳を交えることができる。百代はここから始まる楽しい時間に思いを馳せ、凛も似たり寄ったりの思いを抱えてぶつかりあった。



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『縮まる距離』

「ハァハァ……そろそろ倒れてくれないでしょうか、モモ先輩?」

 

「ハァ、ハァ……おまえも、もうかなり辛いだろう。別に誰も責めやしない。倒れていいぞ凛」

 

「全く2人とも負けず嫌いというかなんというカ。しかしさすがの体力だネ。夏目もよく鍛えていル」

 

「お姉様が息を切らしてるとこなんて初めて見たわ」

 

「2人とも若いのぅ」

 

「でも凛もお姉様もとても楽しそう」

 

 どれだけ打ち合ったのか、したたる汗の粒が地面にシミを作り、当人たちは肩で息をしている。されど構えをとかず、生き生きした瞳で睨み合っている状況だった。2人は軽口を叩きながらも、ジリジリと互いの距離を詰める。自らの鍛錬をこなした一子は、そんな彼らの様子を見に来ていた。

 

「これで!」

 

「まだまだ!」

 

 凛が先に動き出した。フェイントを交えながら百代に対して左の突きを放つ。もう最初のころに比べるとスピードもパワーも格段に落ちていたが、それは彼女にも言えることだった。彼女はなんとか右腕でそれを防ぎ、そのまま腰をひねり彼の顔をめがけて左の拳を繰り出す。彼が横目でそれを捉えたときには、拳が目前まで迫っていた。

 

「顔に傷ついたら、どうするんですか!?」

 

「より男前になるだろうッ!!」

 

 凛は、すんでのところで上半身を左にずらし避ける。直後、彼の耳に風を切る音が届くとともに、百代の拳が通り抜けた。しかし軽く耳に接触したのか、先端部分がチリチリとした熱をもつ。

 ――――このままじゃラチがあかないな。右のボディも入らないだろうし。

 百代は、自分の腕の下でフリーになっている凛の右手を警戒しているのか、一旦距離をとろうとしているようだった。それが感じられた彼は最終手段にでる。

 

「とぉりゃあ!」

 

「なッ!?」

 

 百代が距離をとる前に、さらに左足に力を込め、ほぼ零距離からタックルを仕掛ける凛。彼女も普段ならばかわせただろうが、長時間同等の相手を前にした今回はそうならず、加えて重心が後方へ移動したあとだったため、綺麗にタックルを浴び自身の体を浮かされてしまう。彼は彼女の体を地面に押さえ込むように体重をかけた。そしてそのまま彼らは倒れる。

 

「おまえ、こんなところでフェミニスト気取る必要ないんだぞ? 散々戦ってるのに」

 

「……まぁそれでも気になるんです。それと、今日はこの辺で手打ちにしませんか?」

 

 倒れた2人は上下が逆になっていた。凛にむけられた百代の顔は少し呆れているようだった。そんな彼女に彼は提案する。

 ――――まだまだいくぞと言われれば、ぶっ倒れるのを覚悟するしかない。

 百代は上にいるため、マウントをとってまだ有利に戦うこともできる。そうなれば、何発かもらうのは必然だったが、凛はどこかで彼女が満足しているような気がしていた。だからこそ、自然とこの言葉がでたのかもしれない。そして、それはその通りになる。

 

「勝負はついてない……と普段は言うところだが、体もあいにく動かないからな。仕方ない。……あぁこんな疲れたの久しぶりだー」

 

 そう言いながら、百代はくてっと力を抜き、凛の体に自分をゆだねた。彼はその言葉を聞いて緊張が緩むと、途端に意識が体の方へと向く。体が疲れているのは彼も同じだったが、それよりも密着している部分が気になってしまう。自分と張り合う実力をもつ相手なのに、その体はマシュマロのように柔らかく、さらに鼻腔をくすぐる甘い香りに驚く。それと同時に、彼はこれ以上くっつくのは危険と判断した。

 

「ちょっ!? モモ先輩! どくんじゃないんですか!?」

 

「もう動けなぁい。それに付き合ってくれた特典にゃん」

 

 凛の思いを知ってか知らずか、百代は彼から離れるどころか腕を彼の背に回してくる。そのとき、彼は彼女の顔が笑っているのを見逃さなかった。

 ――――わかってやってる!

 凛は心の中で叫んだ。それでも冷静に諭すように話しかける。

 

「組み手は終わったんだから、瞬間回復とか使えばいいでしょ?」

 

「馬鹿だなぁ、あれは戦闘で使うものであって、稽古で使うような真似はしないんだ。それに内心嬉しいだろ?」

 

 百代は、まるで心臓の音を聴くかのように、凛の胸にピッタリとくっつけていた顔をあげ、問いかける。その顔は非常に楽しそうだった。

 

「っく、否定することができないのが悔しい」

 

 凛はワタワタとどうにかしようとするが、百代はそれをおもしろがるように逃がさない。

 

「なんかすごく仲良くじゃれあってるわ」

 

「百代も組み手で動けなくなるなんて、久しく経験してなかっただろうシ、嬉しいんだろウ」

 

「おもしろい男が現れたもんじゃわい」

 

 そのやり取りは、端から見ればとても仲良く見え、それを微笑ましく見守る3人だった。

 その後しばらくして、ようやく解放された凛は開き直っていた。

 

「ふぅ幸せな時間を過ごしてしまった」

 

「正直な男め。だが、そういうとこ嫌いじゃないぞ」

 

「お疲れ様。お姉様、凛」

 

 あぐらをかいて座る凛とその頭をワシャワシャと撫でる百代。そこに一子がタオルと飲み物を持ってきた。彼らは、それを受け取り一息つく。

 

「ありがとうワンコ」

 

「ありがとな、妹」

 

 もう一度、深く呼吸を繰り返す凛に、一子が声をかける。

 

「凛は今日晩御飯どうするの? よかったら食べていかない?」

 

「ん? いいのかな? 晩御飯までお世話になってしまって」

 

「構わないぞ。むしろ、お前の料理も食べてみたい」

 

「えっあれ? 作らされる側?」

 

「違う違う。こっちがちゃんとおもてなしするわよ」

 

 百代が茶々をいれ、一子がそれを急いで身振り手振りで否定する。

 

「んじゃあお言葉に甘えていただこうかな」

 

「うんうん。食べていって食べていって」

 

「凛も私たちのあとに汗を流すといい。ただし、覗くなよ」

 

「それは覗けという前フリ……いえなんでもありませんモモ先輩。ありがたく使わせてもらいます! 少し学長とルー先生にも挨拶してきます。それでは」

 

 調子にのった瞬間、百代からなんとも言えないオーラを感じ取った凛は、早口で全てを伝えると、その場を急ぎ退散するのだった。彼の後ろ姿を見据えながら、彼女はつぶやく。

 

「逃げられたか」

 

「お姉様、ご機嫌ね」

 

 一子は姉が嬉しそうにしているので、自分も嬉しくなってきたようだった。百代はそんな彼女に優しく微笑みながら、頭を優しく撫でる。

 

「ん? まぁな。飽きさせない相手が来たからな。ワンコ汗流しに行こうか」

 

「うん」

 

 そんな微笑ましいシーンがあったとも知らず、川神姉妹が家の中に姿を消したのを遠目で確認した凛は、鉄心とルーの元を訪れる。

 

「学長、ルー先生、今日はありがとうございました。とてもいい経験をさせて頂きました」

 

 凛は深々と頭をさげた。

 

「そんなにかしこまらんでもええぞい。わしのほうもお前さんにモモの相手をしてもらっとるからのぅ」

 

「百代、一子も夏目の動きに思うところがあったようだし、修行僧たちもあのあとさらに鍛錬に励んでいタ。いい刺激を与えてもらったのは、こちらも同じだヨ」

 

「あのお二方から見て、私の動きはどうだったでしょう?」

 

「そうじゃのぅ。あのモモとやりあったとき、左のー―――」

 

 もう夕日は山に隠れようとしており、川神院を一際赤く照らすのだった。鉄心とルーから指摘をもらった凛は、僧の案内で家の中に入っていく。その後、彼は風呂も借りたが、その前に百代たちが上がったのをしっかり確認することを怠らなかった。

 そして川神院の門前。夕飯をごちそうになった凛は、川神姉妹に見送られていた。

 

「モモ先輩、ワンコ、ご馳走様でした」

 

「凛、修行僧のこと悪かったな。戦いのことになると、熱の入る連中だから」

 

 そう言って少しバツの悪そうな顔をする百代。それに凛は笑って首を横にふった。

 

「いえいえ、俺もなんだかんだで楽しかったですよ」

 

 夕飯時、修行僧たちが凛に対していろいろ質問を繰り返し、見かねた百代が一喝したのだった。そのとき、凛と一子も一緒にビクッとなったのは二人の内緒である。

 百代の隣に立つ一子が口を開く。

 

「これからも来るってわかったら、おとなしくなったものね。というか明日来るものね」

 

「そうだな。今更だが体のほう大丈夫か?」

 

「あー確かにだるいですけど、一晩休めばなんとか」

 

「そうか。ルー先生との組み手も楽しみしていたから、少し気になったんだが、それならよかった」

 

 百代は凛の言葉を聞いて、胸をなでおろす。

 

「それじゃあ、そろそろ」

 

「また明日な」

 

「ばいばーい。また明日ねー」

 

 一子は、川神院をあとにする凛に手をブンブンふった。彼もそれに対して、しっかりと振り返す。

 川神院が見えなくなってから、凛は一人思い返す。

 

「あー今日も今日とて、濃い一日だったなぁ」

 

 ――――100人組み手をして、モモ先輩の相手をして……。

 

「モモ先輩もやっぱ女の子だなぁ」

 

 ――――あんなに柔らかいのに、あのパワーとかどうなってるんだ?それに甘い香りがなんとも……。

 そこで凛はふと我に返る。

 

「!? っといかんいかん! しっかりしろ俺!」

 

 だが、高校生の煩悩は生易しいものではない。一部の隙をつき、そこから膨れ上がる想像は致し方ないものがある。

 

「だぁっ! 色即是空空即是色。俺は無だ。無へとなるんだ」

 

 凛は頬をピシャリと叩き、一度気持ちをリセットし、鉄心に指摘されたところを思い出しながら必死に抗う。そこに声がかかる。彼が振り向いた先にいた声の主は、コンビニの買い物袋を持った大和だった。

 

「おい、凛。寮の前でブツブツ言うな。不審者に見えるぞ。というか、寮を通り過ぎてどこ行くつもりだ?」

 

 凛は、自分の立ち位置を確認する。確かに、門から5歩程度通り過ぎていた。改めて彼は思う。

 

「下に恐ろしき高校生の煩悩」

 

「いやだから、なんの話だ。それより、今日はどうだったんだ?」

 

「がっつりやってきたぞ。それこそ足がたたなくなるほどに」

 

 そして、凛はまた百代とのじゃれあいを思い出した。このままではだめだと思った彼は、体を動かす。ステップを軽く踏み、ジャブを繰り出す、それを何度も繰り返した。彼の突然の行動に、大和が疑問をもつ。

 

「そうかって、なぜここでシャドーボクシング?」

 

「少し強敵がいた。自分だ」

 

「おお、最大の敵は自分自身ってやつか? 武道家らしい言葉だな」

 

「まぁな」

 

 実際は違うが、本当のこと言うわけにいかない凛は、話を合わせて寮へと入る。玄関での2人の話し声が聞こえたのか、リビングの扉が開き、忠勝が顔をだした。

 

「お前ら、もらってきたケーキ食うか?」

 

 大和がその提案にいち早く答える。

 

「食べるー! 源さんありがとう」

 

「別にお前のためじゃねぇ。凛も食うか?」

 

「ああ一緒にもらう。お茶は俺が入れるよ……せめてものお礼」

 

「そうか? 悪いな」

 

 リビングに入ると、凛はそのまま台所に向かい、忠勝はケーキの箱をテーブルの上で開いた。

 その間、大和は忠勝の後ろに移動する。

 

「じゃあ凛がお茶を入れてくれるまで、俺は源さんの肩もみを」

 

「別にいらんわ! 凝ってねぇし」

 

「あれ? 凛にはデレたのに、おかしいな?」

 

 大和の一言に、忠勝がすぐさま反論する。紅茶を入れる凛は軽くため息をもらした。

 

「誰がデレただと? お前ケーキなしだな。っと、そういえば、一子は元気だったか?」

 

「? 元気だったよ。稽古もすごい頑張ってた」

 

「そうか。って大和、わかったから俺にくっついてくるな。ボケ」

 

 ――――源さんって、よくワンコのこと気に掛けてるな。

 凛は人数分の紅茶をテーブルに並べ、忠勝と大和がじゃれあう様子を見ながら、イチゴのケーキを口に運ぶ。クリームの甘みにイチゴの酸味がよくあっていた。そして、ようやく落ち着いた2人とともに、雑談をしながら夜の時間を過ごした。

 その後、部屋に戻った凛は、まず入念なストレッチを始める。

 

「明日はルー先生か」

 

 足をほぼ180度に開き、体を前へと倒す。べったり床にくっついた状態で、数を数えて体を起こした。そして次のストレッチにとりかかる。

 

「ン~~ンン~」

 

 鼻歌を歌いながら続ける凛。そのとき、ふとあることを思い出す。

 

「そういや紋様とか元気にしてるだろうか?」

 

 上に立つ者として振舞う姿と凛の手をとって、はしゃいでいた姿にギャップがあり、それが彼にとってとても印象的だった。初めて会う人物なのだから普通だとも思えるが、彼としてはあのはしゃいでいる彼女をもっと見たいと思えたのだ。

 ――――あれから連絡してなかったな。でも連絡していいものか……紋様のスケジュールを聞いたけど、なかなかハードな日々を過ごしているからな。

 時計の針を見るともう11時を過ぎていた。考えている間も時間は刻々と過ぎていく。

 

「うーむ。いやかけておこう。友達が元気でやってるか知りたいしな」

 

 ――――もうこの時間なら、ゆっくりしてるだろう。

 携帯からは呼び出し音が鳴り、4回目の途中にそれが途切れる。出てもらえたことにほっとしながら、凛は紋白の元気な声を期待した。

 

『はい、もしもし』

 

 しかし、そこから聞こえてきたのは、エンジェルボイスとは程遠いものだった。加えて聞いたことのある男特有の低い声。

 

「ブハッ、ひゅヒュームさん!? あ、あれ!? 俺確かに紋様の携帯にかけましたよね?」

 

 完全に意表をつかれた凛は、慌てて名刺の番号とかけた携帯番号を見比べる。

 

『その通りだ。これは……はい、驚いております。少し待て、紋様に代わる』

 

「…………」

 

 どうやら紋白の悪戯だったようだ。しかし、可愛い悪戯のはずが、心臓に悪すぎるものへ変化していた。凛とヒュームが知り合いだからこそできる荒業で、効果的なのは間違いなかった。バクバクなる心臓を沈めるため、彼は何度も深呼吸を繰り返す。そこに、陽気な声が携帯を通じて聞こえてきた。

 

『フッハハ、驚いたか夏目。ちょっとイタズラをしてみたぞ』

 

「いやもうびっくりですよ。飲み物飲んでなくてよかったです」

 

 凛はテーブルに置かれたお茶を見ながら、紋白に答える。

 

『夏目が声を聞きたくなったら、掛けてくると言っていたからな。今か今かと待ち受けていたのに、全然かけてこんから待ちくたびれたぞ』

 

「それは悪いことをしてしまいました。すぐにかけると寂しがりやに思われるかと」

 

 ――――思っていた以上に、気に入ってくれたんだな。もっと早くかけてあげればよかった。

 カラカラと笑う紋白の声を聞きながら、凛は心の中で謝った。

 

『夏目も男ゆえプライドがあるのだな?』

 

「そういうことです。それより、よく俺からの電話ってわかりましたね」

 

『内容を伝えて、クラウ爺から番号を入手しておいたのだ。クラウ爺も楽しそうに驚かす方法をいくつか提案してくれたりもしたぞ』

 

 どうやらクラウディオの手引きにより、ヒュームを使う案が採用されたらしい。何気にお茶目なところがある完璧執事であった。しかし、凛もやられっぱなしで済ます性格ではない。

 

「これは俺からも何かお返しするしかありませんね」

 

『なんだ夏目、堂々と犯行声明か? よかろう。我は九鬼紋白。支配者たる我は、そのような声明ごときに怯えはせんぞ。軽く乗り越えてくれるわ』

 

 紋白は、凛の言葉にもノリノリで答えた。そんな電話の向こう――凛は、ヒュームに串刺しにされる可能性があることに気づき、焦っていたりする。それでも、売り言葉に買い言葉で勢いのまま会話は続いていった。

 

「ふっふっふ、その言葉俺に対する挑戦と見ました」

 

『フハハハ、待っておるぞ夏目』

 

「楽しみしておいてください。それより紋様、俺のことは凛とお呼びください。友の多くはみなそう呼んでいるので、よければ紋様にも」

 

 自分は様付けではあるが名前を呼んでいるのに、相手は苗字を呼ぶというのは、凛にとって少し距離がとられているように感じられたのだ。しかし、お願いしたあとに無理やりだったかもしれないと不安になるのだった。

 

『……ふむ、我々は友か?』

 

「少なくとも俺はそう思い、紋様に接しているつもりです」

 

 電話越しでは、できるだけ平静を保つよう心がけているが、実際は部屋をウロウロしながら少し落ち着かない様子の凛。その間、穏やかな微笑みを浮かべたハゲの男が、ロリコニアと書かれた門の下で手招きしているのを幻視する。どうやら緊張しているようだと頭を振って、紋白の言葉を待った。

 

『そうか…………うむ。ならば、凛! その堅苦しい言葉遣いをやめよ。それは友に対してのものではないだろう?』

 

 紋白の声を聞いて、凛はようやくベッドに腰をおろす。

 

「そうです、んん、そうだな。紋様これから何でも言ってくれ。俺が力になるから」

 

 九鬼は、今や世界のトップ企業であり、規模が大きい分だけ、いろんなところで気を使わなければいけないだろう。だから、せめて自分との時間は気張らずに楽しんでほしい。それが凛の偽らざる本音だった。

 

『紋白』

 

「ん?」

 

『紋白だ。友である我の名は紋様ではない』

 

「そうだな、紋白。改めてよろしくな」

 

『うむ。よろしく頼むぞ凛! フハハハ』

 

 凛には、紋白の声が心なしかはずんでいるように思えた。事実彼女はベッドに腰掛けて足をパタパタしながら喜んでいたのだが、それを知る者はいない。彼女の部屋には誰もいないため、誰かに遠慮する必要もない。彼女が言葉を続ける。

 

『ところで凛。電話をかけてきたということは、九鬼で働きたいということでいいのだな!』

 

「えっちょっとまだそこまでは考えてなかった! まだ待って! ただ紋白が元気にしてるかなと思って電話をかけたんだ」

 

 嬉しい誘いではあったが、まだやるべきことがある凛は少し焦る。その焦りを感じたのか、携帯の向こうからクスクスと笑い声が聞こえてきた。

 

『ふふっ冗談だ。わかっておる。少し嬉しくてな、調子に乗ってしまった』

 

「さすがは俺を負かした相手だ。完全に手玉にとられてる」

 

『おお、そうだ。今度は何か競ってみるのもおもしろいな。凛とはまだ正式に勝負をしていなかったしな。我は姉上のように格闘はできんが、それ以外ならなんでも相手になるぞ』

 

「ほほう、それはぜひ勝負せねばなるまい。それじゃあ――――」

 

 凛と紋白は勝負をすることを約束したあと、たわいない雑談に興じ、電話を終える頃には日付が変わろうとしていた。切った直後にハゲの男がいい笑顔で、サムズアップしていた幻影を見たのは、彼の気のせいだろうか。彼はすっかりぬるくなってしまった残りのお茶を飲んで、明日に備えベッドに潜る。

 翌日の日曜日の午前、ルーと凛の組み手は問題なく執り行われ、充実した時間をおくれた凛は、満足そうに川神院を後にするのだった。6月は目前、これから物語はさらに動いていく。



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『東西の激突!-それぞれの戦い-』

 朝の校庭には生徒全員が集まっていた。壇上に立った鉄心は皆をぐるりと見渡したあと、ゆっくりと喋りだす。

 

「今週の週末に福岡にある天神館が、修学旅行のためこちらにくることになっておる。そこで、学校ぐるみの決闘を申し込まれたので受けておいたぞい」

 

 その言葉に生徒の多くはざわめきだす。

 

「天神館って言えば、西ではかなり有名な武闘派のところだな。凛はなにか知ってるか?」

 

 大和が後ろを向いて凛に問いかける。

 天神館――鉄心の高弟であった鍋島正が福岡の天神に設立した学園で、主に西日本から広く人材の募集を行っている。教訓は弱肉強食。現在では、東の川神西の天神と言われるほど有名になった――は、東高西低と言われている現状に我慢ならず、修学旅行にかこつけて勝負を挑んできたのだ。そして、京都出身の凛は西により詳しいと思っての大和の問いだった。

 

「んーそうだな。俺たちと同じ年代で、西方十勇士が久々に全員揃ったって噂に聞いたな」

 

「西方十勇士?」

 

「中学のときから、各県で有名だった奴らが天神に集まったらしい。俺の知り合いも誘いを受けた人がいたしな。で、そいつらが天神館に入ってから、文武においてそれぞれが優秀な成績を残してるから、その10人を総称してそう呼ぶようになったんだと」

 

「ってことは、その十勇士と戦うことになるのか?」

 

「みたいだな。っと前向け大和」

 

 ざわめきが収まらないため、先生たちの注意が入り、また静けさを取り戻す。

 

「うおっほん、決闘はこの週末に川神の工場で行うぞい。学年ごとに200人ずつだしての集団戦、敵大将を倒せば勝ち、ルール無用の実戦形式3本勝負じゃ。これを東西交流戦と名づける!」

 

 生徒の大半は、好き好んで川神に入ってきた者達であり、勝負となれば当然勝ちをとりにいこうとする。校庭は、鉄心の声に呼応するかのように静かな闘気に包まれた。中には、今から楽しみで仕方ないのか一層濃い闘気を纏う者もいたようだ。

 そして、昼休み。2-Fの教室でファミリーの男たちは、昼飯を食べていた。ソワソワする翔一は、今朝の話に興奮を隠せないようだった。

 

「おいおい! なんかおもしろいことになってきたなぁ。週末が待ちきれないぜ!」

 

「でもかなり急な話だよね。先週くらいに伝えてくれてもよかったのに」

 

 卓也はそう言うと、やきそばパンをかじった。隣にいた大和もそれに同意する。

 

「だな。これじゃあとれる手段があっても時間がない」

 

「天神館かぁどんな奴らが来るんだろうな?」

 

 噂は聞いたことがあったが、実際に会ったことがない西方十勇士の面々。凛は弁当をつつきながら、岳人に話を振った。そしてそれに彼が答える――そんないつもの昼食になるはずだったが、彼が凛に吠えることでそれは打ち破られる。

 

「可愛いお姉さまだといいよな……って、俺様はスルーしないぞ! 凛! おまえ朝はそんな弁当持ってなかったよな!?」

 

 岳人は、ビシッと凛の持っている弁当を指差した。そうされると嫌でも意識は、その弁当に向けられる。それは、タコさんウインナーやらアスパラの肉巻きやら、色合いも考えられたものだった。そこで、何かに気づいた卓也。

 

「そういやそうだね。それにやけにカラフルな可愛いお弁当……まさか凛!」

 

「言うなモロ! 自分でこの話を振っておいてなんだが、負けが見えている」

 

「んーなんだよ? ただの弁当じゃねーか。でも確かに変だな。朝は弁当持ってる風には見えなかったし、それどうしたんだ?」

 

 卓也の一言を懸命に抑えた岳人だったが、風を抑えることは不可能だった。

 凛がそれに答えようとすると、岳人は耳をふさぎながら「あーあー」と声をあげ始める。

 

「1年生の女の子がくれたんだ。すごい一生懸命だったから、断るのが忍びなくてな」

 

「うおおおおーーーーーー! 聞きたくなかったよ、そんな言葉! キャップどう責任とるんだよ。もう何話されても自慢話にしか聞こえなくなるぞ」

 

 それでも結局聞こえた岳人は、雄たけびをあげて身をくねらせた。教室にいた羽黒からは「静かにしろ!」と大声でどなられ、その羽黒は千花から「口に物入れたまま喋らないの」と注意を受ける。

 

「なにがだ? その弁当うまそうだなー。よかったな凛、食費が浮いたじゃねーか」

 

「……まぁそうだな」

 

 しかし、岳人の気持ちは翔一には理解できなかったようだ。大和が一連の流れを見て、感想を述べる。

 

「なんか勝手に盛り上がってるガクトが可哀想にみえてくるな」

 

「しょせんこの世は顔なのか!? 顔なのかよ凛!?」

 

 岳人は涙を流しながら凛に詰め寄るが、卓也がなんとかそれを抑えてくれる。

 

「詰め寄ってくるな! 俺はそれにどう答えろと!? でも、ガクトは1年生にはそこそこ人気なんだって聞いたぞ?」

 

「ふっ俺様はモモ先輩のような年上がいいんだよ」

 

「ならば、なぜ弁当にそこまで反応した」

 

「それとこれとは話が別だろ。俺様もそうゆう場面を経験したいんだよ! ガクト先輩、これ私が作ったんですけど、よかったら食べてもらえませんか。みたいの経験したいんだよ!」

 

 凛の疑問に対して、岳人がわざわざ一人芝居をはさんで説明するも、長くなることがわかった大和は早々に話題を変える。

 

「で、凛。朝の話だけど、もうちょい詳しく西方十勇士のこと教えてくれないか?」

 

「俺もそこまで詳しいわけじゃないが……」

 

「無視かよ!」

 

 岳人が再び身を乗り出して、皆の顔を見渡した。翔一と卓也も彼の話に付き合うと、長くなると思ったのか、大和の話にのっかる。翔一の場合は、ただ単に興味があるほうになびいただけとも考えられるが。

 

「おお俺も知りたいぜ。しかも西方十勇士とか、かっこいいな」

 

「大和、僕もできるだけ情報集めてみるから」

 

「聞けよ!」

 

 賑やかな昼食は続く。

 そして時間はどんどん進み、東西交流戦の前日。放課後となり、秘密基地には誰ともなく人が集まりだし、結局全員が揃ったことで、金曜集会ならぬ木曜集会が行われようとしていた。

 

「遂に明日か。やっぱり時間が足りなかったな」

 

 大和はため息をもらした。

 

「誰が来ようと自分は全力を尽くすのみだ。大和もそう気をおとすな」

 

「そうよ大和。私達が揃えば、負けないわ」

 

「なんてったって風間ファミリーは無敵だからな!」

 

「それに今回は大型補強がなされているわけだし」

 

 クリスを皮切りに、一子、翔一が大和を励まし、京の言葉に全員がある人物に注目する。その人物は、隣に座る武神をなんとかなだめようとしていた。

 

「あの……モモ先輩、楽しみなのはわかりましたから、もう少し気を抑えましょう」

 

「おまえは細かいなぁ。ハゲるぞ! ハゲのように。そして、じじぃのように!」

 

 百代はそう言うと、凛の頭をツルツルしたものを触るように撫でる。

 

「あぁそうなったら、責任とってモモ先輩にお嫁さんにもらってもらおう」

 

「おっなんだ? それは遠まわしに、私と付き合いたいということか? どうしようかなぁ。私ほどの美少女は安くないからな」

 

「いやここは冗談で返すところでしょう? しかし、少しいい返事を期待してみる。わくわく」

 

 2人は言葉遊びに興じていた。その合間に名乗りをあげた岳人だったが、毎度の如く百代に一蹴される。その様子を見た大和は、ふっと肩の力を抜いた。周りの熱くなっていた雰囲気が穏やかなものへと変わっていく。

 

「んーなんとかなりそうな気がするな。姉さんと凛を見ていると。あと岳人、年上は姉さんだけじゃないから頑張れ」

 

「あの二人、気負うって言葉を知らねえな。さすがだぜ」

 

 松風の言葉を受け、大和は初日を戦う由紀江に調子をたずねる。

 

「そういえば、まゆっち1年生は大丈夫そうなのか?」

 

「どうでしょう? 一応、大将はS組の武蔵さんに決まったんですが……その、なんと言いますか……」

 

「決闘とか見てる限り、不安しか感じねえ」

 

 由紀江が言いづらそうにしていると、松風がズバッと答えてくれた。大和はクラスと名前だけでしっかりと認識できたようで頷く。

 

「凛と決闘してたあの子か。確かに突っ走っていきそうだな」

 

「私もお力にはなるつもりですが……」

 

「あとは始まってみなきゃなんとも言えないか。姉さんはどうなの?」

 

 言葉遊びを終えて、くつろいでいた百代に大和が話をふった。凛も隣でグデッとソファに体を沈みこませ、ストローでジュースをちびちび飲んでいる。

 

「何かおもしろい技とか出してくれるといいな。私をあっと驚かすようなやつ。そして、それを圧倒的な力でなぎ倒す!」

 

「あははは、さすがモモ先輩らしい」

 

 本当にそれをやり遂げる実力があるため、卓也が苦笑で返した。そこに、京に餌付けされていた一子が、お菓子を食べ終え会話に混ざる。

 

「お姉様なら楽勝よ。凛は私たちが勝てると思う?」

 

「とりあえず、大将とられなきゃ負けないからな。俺は大将を守る。あとはファミリーの力を信じてるよ」

 

 凛は体を起こし少し前のめりに座りなおすと、ファミリーを見渡しながら告げた。その言葉に翔一が立ち上がり、それに皆が次々に応える。

 

「まかせとけ! ここらで一つファミリーの力を凛に見せ付けてやろうぜ!」

 

「俺様の活躍も目に焼き付けとけよ!」

 

「頑張るわ!」

 

「自分も大将首をあげてやるぞ!」

 

「大和のためなら」

 

「確かに凛が大将を守ってくれると安心して、攻勢にでられるな。でも大将は2-Sの九鬼英雄だから、本陣は2-Sの連中ばっかりになるだろうし、凛平気か? 今回は共同戦線になると思うんだが、戦線が組めなければS組の中に残ることになるかもしれないぞ」

 

 やる気になっている皆の横で、大和が懸念を示すが、凛はあまり気にしている様子もない。

 

「九鬼くんか。そういやまだ挨拶してなかったな。学校にいなかったときも多いみたいだし。ちょうどいいから挨拶しとくよ。孤立したならしたで、2-Sが目立てないほど俺が活躍するってのはどうだ?」

 

「この調子なら大丈夫じゃない? なにかあったら、すぐに言ってよ。力になれることは少ないかもしれないけど」

 

「ありがとうモロ。それとあまり自分を卑下しなくていい。モロもファミリーの一員で、武術だけが必要なわけじゃないだろ? な、大和」

 

「ああ、後方支援だって重要なことだ。それに要は適材適所だ。俺たちは情報を戦いの中で集めて、みんなを勝利に導こう」

 

「そうだぜモロ。いざとなれば女装をいかして、だまし討ちなんてなどうだ!?」

 

 岳人は少し大げさに卓也と肩を組みながら、案をだした。

 卓也は、それが岳人なりの元気付けだとわかるため、笑いながらそれに反論する。

 

「だからそのネタもういいから!」

 

「女装か。大和や凛も似合いそうだな。どうだ?」

 

「「やりません」」

 

 百代からの提案に、2人は声を合わせてきっぱりと否定する。交流戦を直前に控えたファミリーの集会は、戦いの前とは思えないほどゆったりと過ぎていった。

 そして翌日の夜、東と西の戦いの火蓋は切って落とされた。まずは1年生の部。まだ組織として動くことに慣れていないためか、駆け引きのない全員のぶつかり合いといった様相を呈している。凛と大和は、そんな光景を見晴らしの良い場所から眺めていた。

 

「大和。なんかまゆっちと話したあと、大将が御自らご出陣なさってるんだが、俺の見間違いか?」

 

「大丈夫だ凛。俺にも確かに、間違いなくそう見えてる」

 

「よかった。幻覚にでも苛まれたかと思った。囲まれてボコられてる……まゆっち、力になる前に勝負終わったな」

 

「ああ、なぜ飛び出した大将」

 

 1年生の部(天神館○―川神学園×)。

 続いて、3年生の部が始まる。こちらはさすがに奇襲あり伏兵ありなど手馴れたものだったが、大半の戦力はある一箇所に集中していた。その集められた戦力――明らかに200人を超える人数だったが、交流戦が始まる前に双方の承諾があった――は、武神の目の前で闘気を高めている。このときばかりは、1対多を卑怯だとは誰も言わない。むしろ、それほどの強さを持ち合わせているからこそ、百代は武神と呼ばれているのだ。

 

「天・神・合・体!」

 

 掛け声と共に一つになっていく天神館の勢力。凛が柵に手をおき、身を乗り出す。

 

「おい大和! 1000人くらいいたのがどんどん合体していくぞ! どうなってんだ? しかもでかい。でかい分動きがとろいし! そんなんじゃモモ先輩倒せないぞ」

 

「もうなんでもありだな」

 

「これはキャップに報告して、俺たちも習得する必要があるな。掛け声はドッキング! こんな感じでどうだ?」

 

「いやいらんだろ。それにしてもあんなでかくなって、姉さん喜んでるだろうな」

 

 一つの巨大生物は、凛と大和が見上げなければならないほど巨大だった。彼らがそのまま目線を足元に向けると、それを嬉しそうに見上げる百代がいる。そして彼女の右手は、夜空の星を掴んでいるかのように光り輝いていた。まもなく放たれたそれは、一条の光となって巨大生物の胸を貫き、夜空へと消えていく。

 

「おお! モモ先輩がかめは○波だしてる! 大和、かめは○波! あれって人間がだせる技だったんだ。俺も子供の頃練習したけど、あんなすごいのでなかったぞ。これから練習しとこう」

 

 凛のテンションは最高潮に達していた。しかし、大和はあくまで冷静だった。見慣れている分、感動も少ないのかもしれない。

 

「いやあれ川神流の技の一つで、星殺しあるいは川神波と呼ばれるものだから。それより、凛は子供の頃から姉さんレベルではないにしても、それらしいのはできたんだ」

 

「合体した人達が崩れ去っていく。まるで巨○兵が溶けていくようだ。結局、あの巨○兵は技ださなかったな。口からビームとか期待したんだが。……まだ成熟していないのに、卵の中からだすから、あんなことになる」

 

「まるっきりジブ○作品に影響うけてるな。まぁ俺も見たけど」

 

「せめて一撃くらい技出させてあげようよ、モモ先輩! ビーム対かめは○波見たかった」

 

「いやかめ○め波じゃなく、星殺しね。それか川神波。そこ間違えちゃダメだから」

 

 巨大生物が崩れ去ったことで、勝負の先は見えた。人数だけなら天神館がまだ有利と思われたが、あの巨大生物は形作るだけでも疲労がハンパではないらしい。ほとんどの人間が、膝をついたり寝転がったまま動かない。弓子や彦一が先導し、残存部隊の掃討にとりかかる。

 凛が哀愁漂う目をして、その戦場から顔を背けた。

 

「あーあとは残存兵力の掃討戦になるな。むなしい戦いが残るだけだ」

 

「凛さんなんかの役になりきってる。戻ってこぉい」

 

 顔を背けたと思ったら、知り合いの姿を見つけて、なりきっていた役を放り投げる凛。

 

「あっ矢場先輩と京極先輩だ。頑張れー。大和も応援だ」

 

「人の話聞いてないね」

 

 あくまでマイペースの凛に、ため息を一つつき大和も応援に加わる。

 

「矢場先輩はさすが弓道部の部長だけあって、必中って感じだな。それに、京極先輩の言霊ってのも、なんていうの補助系魔法みたいな感じ? 攻撃力一定時間1,5倍ってやつ、やりようによっては強力な技だな」

 

「確かに。今も生徒10数人の動きが一斉に変わったな」

 

 ここで何かを思いついた凛が、笑いをこらえながら大和に話しかける。

 

「モモ先輩に攻撃力1,5倍とかしたら大変なことになりそうだ。地球割りとか言って地球にチョップするとか。割れるよな? 某アニメ作品のように割れる……くくっ」

 

「笑ってるおまえもできそうで怖いがな。……てなんか姉さんこっち見てた気がする。俺は何も言ってませーーん」

 

 大和は、百代の視線を感じたのかすぐに無実を叫んだ。すると、不思議なことに彼に対する刺すような視線が消えうせる。凛も遅れながらにそれに気づいたようだ。

 

「!? そういうことは早く言ってくれ! モモ先輩美少女――――すてきー――!」

 

「「エイエイオーーーー!!」」

 

「勝鬨で凛の声は空しくもキレイにかき消されたな」

 

「なんでだ!? 軍師、策はなにかないか?」

 

「こういうときは……」

 

「こういうときは……」

 

 凛はゴクリと生唾を飲み込み、その言葉の先を待つ。頼りになるのは、長年の弟分を務めた大和しかいない。しかし、出てきた言葉は期待していたものとは正反対のものだった。彼の肩に優しく置かれた手は、まるでどこかに送り出すように慈愛がこもっている。

 

「諦めろ。逃げられない。大丈夫だ。凛なら何をされても」

 

「…………感じる。モモ先輩が俺の命(タマ)狙ってる。撤退する!」

 

「ちゃんと帰って来いよ。明日は俺たちなんだからな!」

 

 大和の声を背に、凛の逃走と百代の追撃が始まる。3年生の部(天神館×―川神学園○)。1勝1敗となった東西交流戦は、2年生の部がその勝敗を左右することになる。戦いは明日の夜。

 

「モモ先輩、ジョークですよ。ジョーク。だから、その目の笑ってない笑顔やめてください。いつもの可愛い笑顔を見せてください。うぉ! あぶない!」

 

 凛は五体満足で駆けつけられるのか。それは百代のさじ加減次第。

 



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『東西の激突!-共同戦線の行方-』

 川神学園の本陣となっている場所では、2年生総勢200名の前で、額に×印のある男が声高々に演説を行っていた。

 

「1年生の敗北をみなも見たであろう。バラバラに戦っていては、天神館に勝つことはできん。学び舎の名を高めるか! 辱めるか! 選べお前達!」

 

 この男の名は九鬼英雄。金ぴかの服を身に纏い、短く整えられた銀髪と鋭い眼光が特徴的だった。彼は九鬼財閥の御曹司であり、癖のある2-Sの委員長も務めている。また紋白の兄でもあり、姉ともども彼女を溺愛している。

 

「さすがだな」

 

「こういうときは本当に頼もしく思えるよ」

 

 英雄の演説に歓声があがる中、凛と大和は彼の力に感心していた。

 

「山猿どもと手を組むのは気に食わんが、負けることはもっと嫌じゃからな。今回は仕方ないのう」

 

 2-Sの桃色の着物を着た女生徒――不死川心もしぶしぶといった感じで了承する。彼女は、日本屈指の名家の一つである不死川家の令嬢であり、幼い頃よりいかに優れた家柄かを懇々と教えられたため、周囲を見下すのが常になっていた。その矛先は大抵2-Fに向き、それがクラス間での争いの種となることも多いが、本人自身は寂しがりやでヘタレ。そんな性格なので当然、敗北など認められるはずもなく、それが今回の了承につながる。

 

「大和くん、私達は身も心も合わせて頑張りましょう」

 

「身をあわすことはないが、よろしく頼む」

 

 S組とF組の軍師同士――冬馬と大和が軽口を叩きながら作戦を練っている間、少し離れた所で、凛は英雄に話しかけていた。

 

「初めまして、九鬼くん。挨拶が遅れましたが、F組に転入してきた夏目凛です。これから、同じ学び舎で学ぶ者としてよろしくお願いします」

 

「ん? 夏目凛? というと、おまえが紋の話していた友の夏目凛か?」

 

「はい。紋白とは縁があり、友として仲良くさせてもらっています」

 

「フハハハそうか。話は聞いているぞ夏目。我は九鬼英雄。紋の兄である。紋の友であり同じ学友なのだ、堅苦しい喋り方をせずとも良い。お前には英雄と呼ぶことを許す」

 

「そう言ってもらえるとありがたい。俺のことも凛と呼んでくれ。皆はそう呼ぶからな」

 

「よかろう。凛、これからも紋とは仲良くしてやってくれ」

 

「もちろん。今日も活躍して、おもしろい話を聞かせる約束をしているからな」

 

 力強く握手を交わす2人。

 

「フハハハ頼んだぞ。我の従者とも初対面であろう。あずみ」

 

「はい、英雄様☆」

 

 英雄が声をかけると、後ろで控えていたボブカットのメイドが前に進み出る。

 

「初めまして、九鬼従者部隊序列1位の忍足あずみです。あずみとお呼びください。よろしくお願いします(コイツが零番と三番の弟子? 武神とも互角でやりあったって聞いてたから、どんな野郎かと思ったが威圧感とかまるでねぇな)」

 

 あずみは、英雄への絶対的な忠誠と忍としての高い身体能力を有する英雄専属の従者である。万能メイドとして彼に尽くす一方、彼がいない場面では気が強い腹黒に変貌する。ちなみに、若いあずみがヒュームの次に席をおき、従者部隊を率いているのは、九鬼の若手育成のためである。

 

「初めまして、夏目凛です。凛と呼んでください。よろしくお願いします、あずみさん」

 

「おーい、英雄もうすぐ始まるみたいだぜ。っと夏目は英雄と今日が初めてだったのか」

 

 ちょうど自己紹介が終わったところに、準が知らせに来てくれる。

 

「ああ、今ちょうど自己紹介を終えたとこだ」

 

「本当にしっかりしてるねー。それに、英雄相手に怯みもしないとは肝が据わってるわ」

 

「当然だ! 我が妹の友が、我に挨拶するくらいで怯んでいては話にならんわ」

 

 そこで、英雄が禁句を口にしてしまった。それを聞いた準がプルプルと震えだし、カッと目を見開いたかと思うと、ツカツカツカと彼に近寄っていく。

 

「!? 妹!? 今、英雄は妹と言ったか!? なぜその妹が夏目と親しい関係になってるんだ!? どういうことなんだ!?」

 

「少し落ち着いてください。それ以上、英雄様に近づくと容赦しませんよ?」

 

 興奮している準の前にあずみが立ちはだかる。すると、ロリコンは方向転換し、親しい関係になっている張本人に詰め寄った。

 

「夏目さん家の凛くん、どうして英雄の妹と仲良くなってんだ? おまえ初めてあった日に3倍能力アップしないって言ってたじゃねぇか!」

 

「いやあれは本当に冗談だ」

 

「それじゃあ何か? おまえのデフォルトが既に俺の能力の3倍あるとかいう話か? 俺では勝負にならんと? 女性適正A+とかもついちゃったりしてんのか! そうなのか!?」

 

「いやそんなわけないでしょうが。少し落ち着け」

 

 凛は詰め寄る井上に説明しようとするが、井上はかなり混乱しているようだった。そこに突然、白い弾丸が飛び込んでくる。そして、奇声をあげると同時に、足を押さえながらうずくまる準。

 

「ぐおっ! おぉぉ……ぉ」

 

「ハゲは少し落ち着くのだ。リンリンが困っているのだ」

 

「ありがとう小雪。はい、ましゅまろ」

 

 小雪は頬を膨らませながら、凛の前に立った。彼は、そんな彼女にどこからともなく取り出したましゅまろを手渡す。

 

「どういたしましてなのだ。……これはブルーベリー味。僕もお返しー今日はイチゴ味だよ」

 

 凛と小雪がほんわかした雰囲気を楽しんでいると、強烈なローキックから回復した準が、いつもの冷静さを取り戻し会話に混ざってくる。

 

「っく、少し取り乱しちまったな。オーケー落ち着いた。それで、なんで友達になってんだ? そして紹介してくれ」

 

「九鬼の関係者に俺の師匠がいてな。引越ししたてのとき会いに行ったんだが、そのとき一緒に来てたんだよ。そして紹介は英雄に頼みなさい」

 

「その通り! 我も資料を読ませてもらったが、なかなか興味深かったぞ。紋は人材勧誘に熱心でな、資料を読んで会う必要があると感じたらしいのだ。それが今につながるというわけだ。今日は、その実力の一端が見れることに期待しているぞ」

 

「紋白に俺の話す内容が真実だということの証人になってもらえるよう、しっかり頑張るよ」

 

 その言葉を聞くと英雄は凛の肩をポンと叩き、一子のほうへと向かっていき、小雪も冬馬のところへ戻っていった。そして、彼がいなくなると、ドスのきいた声が近くから発せられる。

 

「おい凛」

 

「なんですか、あずみさん?」

 

「普通に対応してますよ、この子は。というより、英雄―妹は紹介してくれんのかー!? 俺もお友達になりたいんですけどー夏目より大事にすウボォァ!」

 

 その声の正体はあずみであり、凛はそのギャップに驚くことなく対応する。それを見ていた準は、改めて感心したあと、さらりと妹紹介を流した英雄に向かって叫ぶが、全てを言い切ることなく前のめりに倒れていった。地面に伏した彼は、屍のようにピクリとも動かない。

 依然、小太刀を抜いたままのあずみが、凛を睨みつける。

 

「英雄様の期待を裏切るような真似をするなよ。そんときは容赦しねぇぞ」

 

「まぁ英雄の期待もそうですけど、俺もなさけない話を聞かせるつもりはないんで、負けるようなことはさせないつもりです」

 

「大した自信だな。どうするつもりだ?」

 

 にやりと笑ったあずみに、凛は臆する様子もなく答える。準は未だ反応がない。

 

「俺も大将の守りのほうにつこうかと考えています。これは、別にあずみさんを信じてないわけじゃないので怒らないでくださいね」

 

「ふん! まぁいい。近くにいてもらったほうが、おまえの実力をみられるからな。だが、敵がこちらに来なきゃ活躍できないぜ」

 

「そのときはそれで構いません。敵がこないほど2年生は、相手を圧倒したと言うだけです」

 

「そうか。っと英雄様がお呼びだ。英雄様――☆」

 

 呼び声がかかったあずみは、小太刀をしまい、すかさず英雄の元へはせ参じる。もちろんいつもの尽くすメイドモードだった。彼女が去ると、準がすっくと立ち上がる。

 

「しかし、お前さんほんと肝が据わってるわ」

 

「怖い人なら、それなりに見てきたからな」

 

 凛の言葉に、準は顔を引きつらせた。

 

「あのメイドの豹変に対応した凛が言うその言葉がコエえよ。できるなら会いたくねぇな」

 

「そう会うこともないだろう。九鬼で働いてる人だし。というか凛?」

 

「俺たちは同志だ。そうだろう? 俺のことも準でいい。さ、俺たちも行こうぜ。勝利を掴んで、英雄の妹に報告しないとな」

 

「そうなのか? というより別に準が報告するわけじゃないだろ」

 

「俺の活躍も報告しておいてほしいっていう切なる願いがこもってんだよ! ついでに仲良くしたいってのを付け加えてな。頼むぜ。ロリコニアはお前をいつでも歓迎する」

 

 準はそういい終えると、素晴らしい笑顔で英雄と同じように凛の肩を叩き、集合している皆のもとへ向かう。彼も遅れないように後から追いかけた。東西交流戦の大一番はすぐそこまで迫っている。今宵は満月、優しい光が包み込む工場では、それとは正反対の緊張した空気が流れていた。

 

 

 

 

 

 

「どうやらワンコは西方十勇士の一人にあたったみたいだな。というか、またド派手な攻撃だな」

 

 凛は本陣の近くで一番見晴らしのいい場所に陣取り、それぞれの戦況を眺めていた。目線の先――一子の向かった場所からは、時折耳をつんざくような爆発音とともに硝煙が立ち昇っている。彼がその爆発を見て相手を特定できたのは、事前に大和と卓也が収集した情報のおかげだった。全員の詳細なものを用意できずに、彼らは悔やんでいたが、それでもあるのとないのとでは雲泥の差がある。

 凛はその情報に感謝しながら、手に持っていた双眼鏡を覗き込む。

 

「いやしかし、大和も気が利いているな。わざわざこんなものを準備しておいてくれているとは」

 

 加えて大和は、集会で大将を守ると言っていた凛に、持っていて損のないものを準備していてくれたのだった。煙の舞う中から、一子の相手を確認する。

 

「あの爆発ガールはなかなか可愛い子だな」

 

 セーラー服を着た女生徒――大友焔は、距離をとって一子と対峙していた。ボーイッシュな髪型は活発そうな彼女に似合っており、鼻の上に張られた絆創膏と背に背負う二丁の大砲がトレードマークになっている。その大砲が火を吹く度、爆発が起こり人らしきものが夜空へと跳ね上がった。

 凛は気を取り直して、他のみんなを探すことにする。

 

「源さん発見! ……うまく相手を押しとどめているみたいだな」

 

 忠勝は高低差を利用し、戦いを有利に進めており、少し離れたところで翔一の姿が目に入る。彼は、マンションの5階相当の高さがある場所で、5人相手に縦横無尽に立ち回っていた。

 

「おお、キャップはまたアクロバティックな戦い方だな。むしろ手馴れすぎてる気がする。結構高い場所でやりあってるから、落ちないかハラハラする」

 

 そのまま双眼鏡を下に向けると、そこでは狭い場所と強靭な肉体を活かしたパワー勝負を挑んでいる生徒の姿が見える。

 

「ガクトだ。……狭い場所に誘いこんで、大勢に囲まれないように戦ってるのか、ガクトなりに考えたな。パワーは本物だから、簡単にはやられなさそうだ」

 

 凛はさらに先へと双眼鏡を向けズームをする。

 

「この双眼鏡かなり性能よくないか? すごい良く見える。ん? あの月の光に反射したのは準! ということはクリスも……いた。……軍人の娘だからなのか、統率力が高いな。あれは……幼い男の子、いや女の子か? あれも天神館の生徒? 後ろに危なそうな雰囲気の奴らをたくさん引き連れてる」

 

 凛の視線の先には、準が中性的な天神館の生徒――尼子晴。西方十勇士の一人。性別に見分けがつかない顔と体格をしている――とそれにつき従う鼻息の荒い生徒たちを足止めし、クリスはそのまま部隊を引き連れ、先に進んで行くところだった。そして、彼がそれを見届け、他の戦況を確認しようとしたそのとき。

 

「あんまりだぁぁぁーーーー」

 

 準の悲哀に満ちた叫びが工場内にこだました。すかさず、凛は双眼鏡を彼に戻す。

 

「なんだ、どうしたんだ準?」

 

 そこでは、すでに戦闘が始まっており、その戦闘は準の独壇場となっていた。相手は十数人いたが、力の差は歴然としており、彼の引き立て役にしかなっていない。

 

「おお、あれは昇○拳! しかも威力が絶大だな。準の3倍能力アップは本当か。あれも冗談かと思ってた。って、なんか準が天神館の幼子を抱きしめ……倒した? 鯖折りでもしたのか? よくわからん。それよりも……」

 

 何かに感づいた凛は、その場から飛び降りると英雄の元へと向かう。本陣にも連絡が届いていたのか、それぞれがすでに臨戦態勢をとっていた。

 

「上はおまかせしてもいいですか? 俺は真正面からくるのを叩くので」

 

「あずみにまかせる。凛も存分に暴れよ」

 

「了解しました。英雄様―☆」

 

 英雄は、用意された椅子に座ったまま命令すると、前方から上がる砂煙をじっと見据えた。そして、彼から命をうけたあずみは、すぐに迎撃体勢にはいる。心も退屈していたのか、相手の登場に嬉しそうに口を開いた。

 

「ようやく此方の出番じゃな。山猿よ、あの図体のでかいやつは此方が仕留める。良いな?」

 

 一番先頭に立った凛と心の目の前には、どっしりとした体格の女生徒――宇喜田秀美。西方十勇士の一人。お金が大好きで、頭が切れる――を先頭にして、天神館の生徒たちが攻め込んできていた。彼女は、自らの身長を優に超えるハンマーを軽々と振り回しながら突っ込んでくる。悠長におしゃべりしているときでもないが、彼は山猿という言葉に、さすがにムカッときたのか反論した。

 

「一応言っときますけど、夏目凛という名があります。山猿と呼ぶのなら、俺は……チンチクリンとでも呼ばせてもらっていいですか? 相手はお好きにどうぞ。大将に攻撃が届かなければ、それでいいので」

 

「な、なんじゃとーーー! 此方は不死川心じゃぞ。無礼者が!」

 

 心はムキーッとその場で地団駄を踏んだ。凛はそれを見て、少し溜飲を下げる。

 

「俺は夏目凛です。よろしくお願いします」

 

「自己紹介をしとるわけではないのじゃ! ふぅ……とりあえず、諍いはこれを片付けてからじゃの」

 

 心はそう言い残すと、何やら叫びながらハンマーを頭上で振り回す宇喜田に、正面から突っ込んでいった。そして、ハンマーが振り下ろされる前に、懐へと入り込みしっかりと服を掴み取る。

 

「ハイパーアーマーかなにかは知らんが、此方の柔道には関係ないのじゃーーー!」

 

 そのまま見事な背負い投げを披露する心。綺麗に決まった技に、うめき声をあげる宇喜田は立ち上がる様子もない。それを確認した彼女は、ドヤ顔で凛がいた後方を見やり自慢する。周りはそれなりに乱戦となっているが、関係ないようだ。

 

「いっぽーーん。見たか、山猿よ。華麗なる此方の……っていない!?」

 

 心が宇喜田に突っ込んだときには、凛はそれを追い抜いて、早々に後続の生徒を叩き潰しに出ていた。川神院の僧相手に100人組み手をこなした彼にとって、生徒の相手は難しいわけでもない。さらに、十勇士は彼女が相手にしていたので、特に苦戦することもなく、きっちりと相手を地面に沈める。

 そして、凛は周囲に残存する勢力ないことを確認すると、英雄の下にいき報告する。彼は依然腕を組み、腰を据えて座っていた。

 

「これで一応土産話にはなったかな?」

 

「20人近くを沈めておいて、呼吸一つ乱さんか。紋も喜ぶであろう」

 

「だといいけどな」

 

 英雄と話していると、少し離れた場所に飛来物が落ちてきた。それによって生じた煙が晴れると、水着姿のあずみが現れる。

 

「爆発で手をはなすようじゃ、まだまだだな鉢屋」

 

 どうやらあずみが天神館の一人――鉢屋壱助。西方十勇士の一人。流派は違うが、あずみと同じ忍。服装は忍者服で、顔まで黒い布で隠している――をしとめたようだった。英雄がそれを労う。

 

「ご苦労だったな、あずみ。水着も似合っているぞ」

 

「ありがとうございます英雄さまぁ☆」

 

 その言葉一つであずみは、幸せそうだった。その間にも、本陣には迎撃完了の報が届く。それを聞いていた3人のもとに、心がひょっこりと顔をだし、少しソワソワしながら喋りだした。

 

「此方も敵将を一人やったのじゃ。褒められてやっても良いのじゃぞ」

 

 直訳すると、「敵将一人倒したよ。褒めて褒めて」と言ったところだろう。英雄はひとつ頷くと心を褒める。それに続くあずみと凛。

 

「ふむ、相性がよかったな」

 

「すいません、私は見ていませんでした」

 

「運も実力のうちだと言いますし、よかったですね」

 

「おぬしら普通に褒めぬかぁーーー!」

 

 その言葉に、心は瞳を潤ませながら、走ってどこかに行ってしまった。それを落ち着いた様子で見送った英雄が、凛に声を掛ける。

 

「そろそろ戦いも終盤戦。凛はこのまま一子殿のところへ行け。ここでの役目はあずみがおれば十分だ」

 

「ふむ、まぁ確かに少し気になるし、行ってみようかな?」

 

 そして、近くの生徒から新たな情報を得た英雄は、負傷者たちの運ばれた場所へ向かう。彼に注目が集まったところで、力強く言葉を発した。

 

「聞け、負傷兵たちよ。戦況は、我らの勇者達によって膠着した。今こそ雪辱を期す好機ぞ。征ける者は征き、武勲をあげよ!」

 

 英雄の言葉に奮い立った生徒達から、次々と同調する声があがり、救護場所の空気が重苦しいものから一変した。その様子を見ていた凛が一人つぶやく。

 

「王の資質とでも言うのかな?」

 

「当たり前だ。英雄様はそうなるために生を授かったお方だ。九鬼の方々は、全員がその資質を受け継いでおられる。紋様に会ったお前なら、わかるんじゃないか?」

 

 いつの間にかメイド服に身を包んだあずみが、凛の独り言を拾った。生徒たちは続々と立ち上がり、戦場へと向かっていく。

 

「確かにそうですね。英雄も紋白もそれぞれ違った魅力を持っていて、素晴らしいと思います。クラウディオさんの言っていた通りです」

 

「認識したなら、これから粗相のないようにしろ」

 

「親しき中にも礼儀ありですからね。ですが、変な遠慮はしません。俺は一緒に笑って泣いて悩んだりしたいんです。それじゃあそろそろ行ってきます」

 

 あずみとの会話を打ち切り、凛は生徒たちの流れにまぎれ、その場から駆け出した。そして、集団から離れ一子のいる場所へ行く途中、工場の中でも一際高い場所――のさらに上の空高くで炎に包まれた人を蹴り飛ばす小雪を目撃する。彼女は冬馬とともに行動していたので、どうやらそちらにも天神館の生徒が攻めてきたようだった。蹴り飛ばされた生徒は、勢いよく海へと突っ込み、大きなしぶきをあげる。

 

「準に入れるローキックは見事だったが、これほどの脚力だったとは。小雪もなかなか侮れない相手だな。……だが、なぜ相手は燃えてるんだ? 口から火を吹くとかはゲームでみたことあったが、あんな技見たことないぞ。いや、川神流には自爆の技まであるっていうし、必殺の技かもしれないな。天神館もやるな」

 

 凛は一人納得し先を急ぐ。東西交流戦は、いよいよ佳境を迎えようとしていた。



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『東西の激突!-終わりは始まり-』

「犬笛は吹いたのは大和か?」

 

 甲高い音が工場内に響き、凛が気を探ると、よく知る気配が2つほぼ同じ位置にいることがわかった。そして、その場には知らない気配が2つ――天神館の生徒のようだ。

 

「残る主力は、その場に居合わせている2人か」

 

 援護に駆けつける最中、凛はテレビで聞いたことのある声の絶叫と羽黒と思われる嬉しそうな声が耳に入るが、無視して先を急ぐのだった。彼女なら大丈夫――なんとなくそう思えたのだ。

 

「光・龍・覚・醒!」

 

 凛は2人の近くまで来たところで、気合の入った掛け声とともに気が爆発的に噴出するのを感じる。そして、ひらけた場所に出たところで、その目に飛び込んできたものに驚き、思わず叫んだ。

 

「おいおいスーパーサ○ヤ人がいる!」

 

 そこには、金色の気を身に纏った男がいた。あまりにも膨大なそれは、彼の毛髪をも金に染め上げている。彼の名は石田三郎といい、2年の天神館をまとめる総大将であった。智勇を兼ね備えた人物なのだが、高すぎるプライドが彼の評価を下げる原因となっており、現在も大将の自分に素人一人が相手ということが我慢ならないようで、冷静さを失い、怒りを爆発させていた。

 

「凛!」

 

「大和。なんでおまえがサイ○人と戦いを!? スカウターはないが無謀だ!」

 

「テンション上がってるのか知らんが、今ここではおまえが来てくれたことに感謝する。こいつが総大将だ」

 

「なるほど。さすが大将だけあって、粋な演出だな」

 

 凛は、そう言いながら大和と石田の間に割ってはいった。これが火に油を注ぐことになる。

 石田は凛の姿を確認するやいなや、さらに激高する。刀を持つ彼の手は、怒りのせいか震えていた。

 

「ド素人の次は、一般生徒ではないか! どこまで俺をコケにしてくれるのだ貴様ら!」

 

「一般生徒かどうかは、自分で確かめてみたらどうだ? ワンコはなかなか善戦しているな」

 

 3人から少し離れた場所では、一子と中年の男が薙刀と槍を交え戦っていた。彼は島右近。老け顔色黒、180cmの大柄な体格で凛たちの同期に見えないが、歴とした高校2年生であり、真面目で忠義に厚い石田の右腕なる人物だ。

 

「さらに増援!? 御大将をお守りしたいが」

 

「余所見をしてる暇はないわよ! おじさん! ハァッ!」

 

「くっ! 手強い! あとそれがし……」

 

 一子の戦いぶりを確認した凛は、すぐさま戦闘態勢に入る。ちなみに凛たちに、島の後に続く言葉は聞き取れなかった。その間に、石田は少し落ち着きを取り戻したのか、冷静な口調で2人に語りかける。

 

「俺の出世街道に小石が紛れ込んだのなら、それを蹴り飛ばせばよいだけのこと。一つが二つになったところで覚醒した今の俺に勝てるのは、川神百代くらいのものよ! 光栄に思え! お前を東で最初の俺の刀の錆としてくれる!」

 

「ちょっと台詞がかっこいい。……ん?」

 

「冗談言ってる場合かって、どうしたんだ?」

 

「いやなんかかなり強い奴が、この場に乱入してきそうだ。上から来てる」

 

 石田が刀をスラリと構え踏み出そうとするも、凛の意識は依然石田の後ろ――太いパイプの上方にあった。彼はそれを隙ととったのか、加速するために一歩目を強く踏み込む。それゆえ、後方への対応が遅れることになる。

 突如、乱入してきた黒髪ポニーテールの女の子が腰の刀を抜き、一直線に石田に斬りかかる。

 

「……! 何奴!?」

 

「源義経。推参! ハァァーーーッ」

 

 石田がそれに気づき振り向いたときには、彼を狙った刃が胴に入る間際だった。勝負は一瞬でついた。

 速い――。

 そこにいた3人は、同じことを思う。かなり強烈な一撃だったのか、膝をついた石田は意識を失う寸前だった。

 

「ぐはっ。その名……貴様も俺や島と同じように……武士の血を引くものか?」

 

「違う。義経は武士道プランから生まれた者。血を受け継ぐものにあらず、そのものだ」

 

 義経と名乗る女の子は刀を鞘に納めながら、はっきりと答える。その姿はとても凛々しいものだった。

 

「……それにしても理不尽なまでの強さ……惚れ、る」

 

「カカ○ットーーー!」

 

 石田はそこで気を失った。その横でなぜか叫ぶ凛。大和はそんな彼にチョップをかまし、義経に話しかける。

 

「テンション上がってるのはわかったから、凛は少し黙っててくれる? それより、助かったよ」

 

「義経は同じ学び舎で学ぶ友として、お前たちに助太刀した」

 

 学校が同じといわれても、大和は義経の顔に見覚えがなく首をひねる。きっちりと川神の制服を着こなす彼女は、かなりの美少女だった。忘れるはずがない。彼は心の中で断言する。

 

「それにしては……初めて見る顔ような」

 

「無理もない。義経は今日から2-Sに編入された」

 

「Sクラスか……」

 

 Sクラスとなると、さらに戦力が増強されることになる。今回は共闘が成立したが、次はどうなるかわからない。大和にとって、凛が強いと言った相手がSクラスに入るのは勘弁してほしかった。彼の思いを知らぬまま、義経は続ける。

 

「そうだ。Sクラスは実力最優先の選抜クラスだそうだな。……少し緊張してるが、弁慶が義経はやれば出来る子、というので頑張ろうかと」

 

「その力量ならSでも十分やれるよ。学力も必要だけど」

 

 大和がだんまりだったので、凛が彼の思考を遮るように肩を叩き、会話に混ざった。しかし、2人揃ったところで、突然義経のお説教が始まる。

 

「大将を潰すためとはいえ、作戦を出す立場の2人では無謀すぎる」

 

「一気に片をつけるチャンスだと思ったんだけど、助けられちゃ世話ないな。改めてありがとう」

 

「ごめんなさい」

 

「気持ちはわかる。義経も時々やるからな」

 

 礼を言う大和と勢いで謝ってしまった凛に対して、義経は慰めるため、彼らの肩をポンポンと叩いた。

 凛は、今更自分でも倒せたと言いだすこともできなかったので話題を変える。

 

「ワンコはどうなった!?」

 

「川神流水穿ちーーっ!」

 

 凛の言葉に、3人が視線を移すと、ちょうど一子の薙刀が島に会心の一撃を与えたところだった。

 

「ぐっ! 僅かな隙をついての一撃……、あと……それが、し…………同い年」

 

 そのまま島は崩れ落ちていった。最後に力を振り絞り、伝えたい言葉を言うことができた彼は、穏やかな顔で気を失っている。

 

「綺麗に決まったな。副将を討ち取ったなんて大金星だ。ワンコ」

 

 大和が一子を撫でながら褒めた。それに義経が続く。

 

「見事な薙刀さばき、義経は感心した」

 

「あははは、どうもどうも」

 

「これぐらい感心した」

 

 義経は両腕を大きく開いて、大きさで示そうとした。一子はそれを興味深そうに見つめ、ほうほうと頷いている。2人のポニーテールが風になびく。その光景は、子犬2匹が見詰め合っているように見えた。

 

「なんか……この空間和むな」

 

「たしかに」

 

 ほんわかする凛と大和だったが、一子の声で我に返る。

 

「ところで……どなた?」

 

「おっとそうだ、それはあとにして。敵将は全て倒したんだ。勝ち鬨をあげよう」

 

 大和の言葉に、その場にいる凛と義経が一子を見た。彼女は、自分が勝ち鬨をあげられると思っていなかったのか、人差し指で自らを指し示しながら問いかける。

 

「わ、私が勝ち鬨?」

 

「その権利がある。義経が保証する」

 

「高らかにあげてやれワンコ」

 

 凛が一子の背中を押す。彼女はそれに笑顔で頷くと、息を大きく吸い込んだ。

 

「それじゃあ少し照れるけど……敵将! 全て討ち取ったわー!」

 

 それに続いて、凛が腹から声を出す。

 

「勝ち鬨をあげろー!」

 

「「エイエイオー!エイエイオー!!」」

 

 一子の勝ち鬨に、そこかしこから川神の生徒の声が加わり、やがて大きな歓声となって工場内に響き渡った。凛がほっとする大和へ話しかける。

 

「無事勝利で飾れてよかったな」

 

「義経にはおまえのこと誤解されたままだけどな。いいのか凛?」

 

「別にいいよ。あとから言い出しても強がりみたいに聞こえただろうし、なにより義経は真面目そうだからな。後の反応が楽しみだ」

 

「全く……」

 

 歓声の中、凛と大和の会話はかき消されていった。

 そして、交流戦が終わったあとは、気を失っている生徒達を運んだり、海に浮かんでいた生徒を引き上げたりとやるべきことがあった。そこでは、クリスの統率がよく目立ち、戦場の様子と合わせて、凛は素直にその能力を賞賛する。

 

「戦後処理も無事終わったし、クリスの統率は見事だった」

 

「敵将首はあげられなかったけどな」

 

 クリスが少し照れくさそうに答えるのは、あれだけ息巻いていたせいもあったからだろう。

 

「立派なところは、しっかり見させてもらったよ」

 

 そうこうしてると、英雄が皆の集まる場所に現れた。義経も彼の傍に移動しており、大和が代表して疑問に思っていることを尋ねる。

 

「フハハハ皆のもの、大儀であった」

 

「英雄、この子はなんなんだ?」

 

「武士道プランの申し子か。予定より早く投入されたな」

 

「武士道プラン?」

 

「明日の朝テレビを見よ。それが一番手っ取り早いわ」

 

 そんな2人の傍で、義経と冬馬が話していた。

 

「義経は武士だ。戦と聞けば黙ってはいられない」

 

「貴方が義経のクローン? ……まさか女性だとは」

 

「義経は義経だ。性別は気にするな」

 

「ええ、わたしもどちらでも構いません」

 

「葵の言ってることって違う意味だろ?」

 

 相変わらずの穏やかな笑顔の冬馬に、凛がツッコミを加える。すると今度は「やきもちですか?」と尋ねてくるので、彼はさらにツッコミをいれた。

 

「これからよろしく頼む」

 

 義経はみんなに丁寧に挨拶すると、その場からいなくなった。そして、1分程経ってから帰ってきた。眉をハの字にして、明らかに困っている。

 

「大変なことに気がついてしまった」

 

「どうした?」

 

 そんな義経に英雄が訳を尋ね、彼女は素直に説明し始める。

 

「ヘリから投下されたのだが……帰り道がわからない」

 

 どうやら帰りの地図を渡されるはずだったのだが、必要ないと強がってしまったらしい。しょんぼりする義経を見ながら、凛と準は言葉を交わす。

 

「やっぱり和むな。ちょっと時間が経ったのは、どうにかしようとしたんだろうな」

 

「おいおい! もうあれも女として終わってるだろ。成長しすぎだ」

 

「準はロリッ子と戯れていなさい。ていうか、あの戦場での叫び声はなんだったんだ?」

 

 凛の質問に、準は顔を思い切りゆがめる。余程、ショックなことが起きたようだった。

 

「ああ、あれか。忘れてくれ。俺は思い出したくないんだ」

 

「そうか。まぁ無理にとは言わん。なんか義経が反省のポーズをとってる。初めてあのポーズで反省してる人見た気がする」

 

 激しい東西交流戦は、こうして川神学園の勝利で幕を閉じた。

 そして、場所は変わって川神駅。天神館の生徒を見送るため、川神学園の生徒も一緒についてきていた。石田が凛と大和に声を掛ける。

 

「東には完敗だった。我らはこれからもう一度腕を鍛えなおす」

 

「まさか……サイ○人2になるつもりか!? あれ? あれってどうやったらなれたっけ?」

 

「凛ももういいから!」

 

 戦いが終わればみな高校生、ワイワイと騒いでいた。そこに、凛が今まで見かけなかった人物を見つける。

 

「俺も……ごほっごほ」

 

「よっしー無理したらダメだろ?」

 

 間近で見ても男女の判別がつかない尼子が、マスクをつけパソコンを開いている病弱な男子――大村ヨシツグ。西方十勇士の一人。西では有名なオタクで、情報通――の背中をさする。そこに、話しかけようとした凛だったが、彼らはそのまま先に休憩所に向かっていってしまった。

 他にも、銅像を見つめてそれを持って帰ろうとするロングヘアーのイケメン――毛利元親。十勇士の中でもトップクラスの頭脳と天下五弓の一人と称される弓の腕前をもつ。美しいもの大好きのナルシスト――がいたり、半裸の男――長宗我部宗男。十勇士最強の攻撃力を誇るといわれるレスラー。モヒカンに岳人並の筋肉をもつ――と鉢屋がここにいない十勇士のメンバーを探したり、宇喜田が川神学園の生徒に、博多ツアーの案内役を有料で買って出たり、残りの時間を思い思いに過ごしていた。

 その中でも、とりわけ元気そうな生徒がいた。戦闘が終わった後だというのに、その肌は妙にツヤツヤしており、本人もご機嫌である。それを不思議に思い、質問する千花。

 

「なんかやけに羽黒血色よくない?」

 

「まぁ吸い尽くしたからね。エッセンシャルオイルを」

 

 その質問にも、2割増の輝きを放つ白い歯を見せながら羽黒が答える。このとき、TV局で収録していた竜造寺隆正――人気ユニットであるエグゾイルのメンバーで、十勇士の広告塔的存在のイケメン――は、謎の悪寒にさらされ、スタッフに心配されていた。

 そして凛たちは、石田たちと別れたあと、最後の一人となった大友とお別れをしていた。

 

「それではさらばだ。板東武者たちよ」

 

 一言挨拶すると大友はチラリと大和を見た。それに気づいた彼が別れの言葉を口にする。しかし、その目線に気づいた者があと2人いた。

 

「ばいばい」

 

「ああ……あとで連絡する」

 

 親しげに別れる2人。凛はそれをニヤニヤしながら見つめ、京は静かに闘志を燃やしていた。そして大友が去ったあと、すぐに大和にちょっかいをかける。

 

「なかなかハードな3日間だったな。それはそうと、大和く~ん。最後の意味深なお別れはなんだ?」

 

「そうだ大和ッ! 私というものがありながら」

 

「京はとりあえず落ち着けッ! 人脈構成の一環だよ。西のほうには、まだ知り合いが少ないからな」

 

 大和は京のタックルを華麗に避けると、素早く凛の背後に回り、彼女に対する防波堤に利用する。彼女が右に動けば彼も右へ回り、右右左右左左と見せかけ右とフェイントをいれても変わらなかった。

 その状態のまま、凛が後ろを振り返りながら口を開く。

 

「なるほど。大和もすごいな。西なら俺も多少は協力できるぞ」

 

「ありがとう凛。頼むよ」

 

「大和がまた人知れずフラグをたてている気がする。せっかく姉離れに少し進展あったのに。……でもめげない!」

 

 こうして日曜の夜は過ぎていき、明日の朝は九鬼の発表が世界を賑わすことになる。

 



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『転校生は磯の香りとともに』

 東西交流戦が終わった次の日。いつも通りトレーニングを終えた凛は、リビングに留まらず部屋に戻り、学園への仕度を整えていた。すると、隣の部屋から大和と京、クッキーの声と一緒に物音が聞こえてくる。

 仕度を済ませた凛が部屋を出て、大和の部屋の様子を伺う

 

「朝からドタバタと元気だな。おはよう。今日も京は大和の部屋で寝てたのか?」

 

 京はまだパジャマ――Tシャツに短パン――のままで、大和の枕を抱えながら凛に答える。

 

「おはよう凛。うん、ぐっすりと。大和が離してくれなくて大変だった」

 

「朝から何言ってんだ。クッキー、京もついでに畳んどいて」

 

 その京の後ろから、大和の眠そうな声が響く。寝起きのためか、寝癖もついたままになっていた。

 

「クッキーは、私にそんなことしないもんねー」

 

「ねー」

 

「クッキーと京は仲いいよな。それよりご飯に行こう。テレビで武士道プランのこともやるだろうし」

 

「俺顔洗ってからいくから、先行っといて」

 

 大和はそう言い残し洗面所へ足を向ける。京は彼の部屋でまだ何かをしているようだった。凛はそんな彼女に「ほどほどにな」と声をかけ、リビングに向かう。

 そして皆が揃った朝のリビング。テレビには、竜造寺と美人のアナウンサーが映る。

 

『エグゾイルNo1イケメン寺ちゃんとーーー―』

 

「どっかで聞いた声だと思ったら、西方十勇士の声か」

 

 凛がテレビを見て、戦場で聞いた絶叫を思い出し、誰に言うでもなくつぶやいた。それが聞こえた忠勝が、箸を止め問いかけてくる。

 

「どうかしたのか凛?」

 

「昨日の東西交流戦で、羽黒とこの寺ちゃんの声が聞こえてきてな」

 

「いやもういい。それだけでだいたいわかった」

 

 イケメンと羽黒の組み合わせで、忠勝はすぐに事情を察したようだった。むしろその先を考えたくなかったようである。由紀江が、みなの湯のみにお茶を注ぎながら喋る。

 

「どこの局も武士道プランのことで持ちきりですよ」

 

「新聞も一面飾ってるな。義経可愛い子だったよな。大和」

 

 凛の開いた新聞にも、一面でデカデカと武士道プランの内容が掲載されており、注目度の高さを物語っていた。焼き魚と格闘していた大和が相槌をうつ。

 

「ああ」

 

「でも京のほうが可愛いだなんて……ポ」

 

 朝食をとりながら、皆はニュースで話題になっている武士道プランのことを話した。

 

『川神と聞くと下半身のトラウマがー――――』

 

 少し青ざめた表情の竜造寺により、ニュースはまだまだ続く。

 時間通りに出発し、岳人や卓也とも合流したファミリーは、川沿いの道を歩いていく。空には雲もほとんどなく、よく晴れていた。

 普段どおりの登校――しかし岳人が風上に立ったとき、凛が異変というより異臭を察知する。

 

「おい、ガクトちょっとそれなんの臭いだ?」

 

 気づかれるのを待っていたのか、岳人は得意げな表情で説明を始める。

 

「モテ120%って香水。異性をクラクラにさせるらしい」

 

 いい終わるとすぐに、その香水を体に吹きかけた。それの臭いが、風下にいる凛へと流れてくる。

 

「なんて安易なネーミング……しかも、それ俺にも効いてくるぞ。クラクラする」

 

「んなわけねぇだろ! また冗談かよ!」

 

「いや凛の言うとおり、確かにクラクラする。磯のような香りが強すぎて」

 

 クリスがそう言いながら、岳人から距離をとった。よく見ると、女性陣は全員距離をとっている。それでも彼は全然気にせず、ドヤ顔で言葉を続けた。

 

「ネットでラスト100個って言ってたから、小遣いと大和に借金して全部仕入れたんだ」

 

「え? 冗談だろ? そんな買ってどうするんだ?」

 

「効き目を実証してから、みんなに高く売りさばこうと思ってな。凛も一つどうだ?」

 

 岳人は凛に向かって香水を一吹きする。

 

「うぉあぶねぇ!」

 

 凛は体をひねって避けた。気を抜いていたのか間一髪のタイミングだった。噴射された香水は的を失って、多馬川へと霧散していく。

 岳人が首をかしげながら追撃をかける。

 

「おまえ何避けてんだよ。ほれ」

 

「あほ! やめろ!」

 

 凛は、それも残像を作り出す速さで回避し、距離をとっていたファミリーの男連中を巻き込む作戦にでる。一直線に向かい、3人を盾にした。

 

「キャップ、大和、モロ助けて! ガクトが兵器を使ってくる」

 

「ってこっち来るな!」

 

「わぁガクト! もういいってわかったから。あっジャソプにかかった」

 

 カバンを盾に慌てる大和と落ち込む卓也。そんな様子に、1人ウキウキしていた翔一が、口を尖らせながら喋りだす。

 

「おい、お前ら! あの源義経が学校に来るんだぞ。それなのに、いつもと同じように過ごしすぎじゃあらしませんこと? 俺なんて楽しみすぎて、飛び跳ねちゃうぜ!」

 

「キャップナイス!」

 

 凛はちょうど2人の間に入った翔一を捕まえる。当然、盾とされた彼に香水の一吹きが当たり、その部分――左胸の上あたりから臭いが立ち上った。しかし、その程度で彼は動じない。

 

「……なんだこれ! 臭いぞ。いや磯か、海を思い出すなー。……よし! 今週の週末は海で修行だな」

 

「さすがキャップ、これくらいじゃ動じない」

 

 一騒動も終結したところで、女性陣が全然喋ってないことに気づいた翔一が問いかける。

 

「ところで、クリスやまゆっちはどうしたんだ? 今日はやけに静かだな」

 

「なんかいつもと風が違うんだ……ぴりっとくるというか」

 

「昨夜のうちに、街に強い奴が何人も入ってきて、川神に闘気が満ちてるって意味なんだぜ」

 

「京も感じるのか?」

 

 クリスと松風の言葉を受けて、大和が京にたずねた。その後ろでは、凛が岳人に「兵器を処分しろ」と説得している。しかし、彼は断固としてその説得に応じない。今もまた説得する彼に吹きかけようと、一旦しまった香水を取り出そうとしている。

 

「クリスの言ってる風が違うって表現はわかる。まぁ前と同じく、一人だけそれを感じても、自然体の人がいるけど」

 

 京の呆れた視線の先には、説得を諦めた凛の姿があった。

 

「モロ、気をおとすな。ジャソプでよかっただろ? 体についてたら一大事だったぞ」

 

「うん、わかってる。でも読んでると磯のような香りが漂ってくるから、全然内容に集中できないんだ」

 

 凛は卓也を励ますことにしたようだ。視線に感づいた彼が大和たちの会話に入る。

 

「そういえば、クローンの中には弁慶もいるんだよな? やっぱあれか、巨漢の大男かな?」

 

 巨漢の大男というキーワードに、岳人が鍛え上げた上腕二頭筋をアピールしながら反応する。

 

「それなら俺様がパワーで勝負を挑むぜ」

 

「腕相撲とかか?」

 

「ベンチプレスでもいいぜ!」

 

 次に大胸筋を盛り上がらせてアピールする岳人。それを目の前で見ていた凛は率直な感想を述べる。

 

「暑苦しそうだな。でも女って可能性もある」

 

「もしそうなら、俺のかーちゃんみたいなゴリラだぜ。うげぇ」

 

「案外、美人なお姉さんかもしれないぞ。どっちにしてもおもしろいそうだな」

 

 そんな話をしている最中、犬笛の音が響き、一子が川から飛び出してくる。笛は翔一が吹いたようだ。

 

「うぉ。野生のワンコが現れた! 捕まえよう」

 

「川から登場って斬新だね」

 

 それに驚く凛と卓也。一子は体を震わせ水気を切ると、みんなに近づいてくる。まさに犬の仕草だとその光景を見れば思っただろう。彼女の話を聞くに、鍛錬ついでに川に住み着く外来種確認のバイトをしているとのことだ。

 

「ワンコは癒し系マスコットだな、いや本当に」

 

 みなに可愛がられる一子を見て、凛がしみじみとつぶやいた。そして、「遅刻する」と言って一子がまた川へ戻っていくと、今度は空から人が出現する。

 

「天から美少女登場――――」

 

 言葉通りに美少女が天から降ってきた。そんな非日常の光景にも、慣れた様子のファミリー。

 

「おはようございます。お嬢様」

 

 そう言いながら、凛がふわりと百代をキャッチし地面に降ろした。降り立った彼女は、彼の頭を一撫でして大和に話しかける。そんな一連の行動に、松風が一言。

 

「この姉妹、普通に現れようとしねぇ。そして凛△!」

 

「ありがとな凛。みんなが見えたから、大ジャンプしながら来たぞ。……それから、下着は見えないように飛んだから、安心しろ大和」

 

「えっ黒じゃないの?」

 

 百代にしか聞こえなかった凛の言葉に、彼女はその返答をデコピンで返す。そして、うずくまる彼を無視し、ファミリーへと向き直った。大和が、彼女の後ろを覗き込む。

 

「おはよう姉さん。貞淑……とは言いづらいな。なぜ凛にデコピン?」

 

「ふふっ秘密だ。それより、お姉ちゃんちょっと今ハイなんだ」

 

 ハイと言ったとおり、いつも以上に闘気が満ちている百代に対して、卓也と京が話しかける。その目線は、やはり後ろでうずくまる凛に集まっていたが。

 

「格好のバトル相手がきたもんね(凛は何か言ったのかな?)」

 

「義経は遠めで見た限り、相当の使い手だよ(凛うめいてる)」

 

「美少女らしくゾクゾクしてきた。凛、当分の間、おまえの相手できなくなるかも知れないけど拗ねるなよ」

 

 百代は後ろを振り返り、衝撃から回復した凛に残念そうに伝えた。しかし、彼は平然と言葉を返す。

 

「別に構いませんけど」

 

「拗―ねーるーなーよー?」

 

 その対応に納得いかないのか、凛にべったりくっつきながら、再度問いかける百代。

 

「いや別に構いませんけど」

 

「おい凛、モモ先輩から離れろ! 羨ましい!」

 

 岳人はおいしい思いをする凛にかみついた。

 しかし、百代はそのまま凛から離れず、岳人もその間彼に呪いの言葉を送る。そんな一行が変態橋を渡っていると、一人の男が道をふさいでいた。ここで立ちふさがる人=彼女の挑戦者という図式ができあがっているため、登校中の生徒も立ち止まっている。

 

「がははは、待っていたぞ。川神百代。俺の名は西方十勇士……」

 

「てめぇ、南長万部(みなみおしゃまんべ)!」

 

 岳人が自信満々に南長万部を指差した。彼はすぐさま反論する。そして、凛はその珍しい形に誰か思い出したようだ。

 

「全然違うわ! 長宗我部だ。チョーさんとでも呼べ」

 

「おお。あの火達磨タックルしてた人! あれって技名とかあるんですか?」

 

 東西交流戦で小雪に海へ蹴り飛ばされた男だった。

 

「あれは技じゃない! ……ふぅ。交流戦で不本意な負け方をしてしまったからな。武神を倒して名誉挽回というわけだ」

 

「もう時間がないけど……」

 

 卓也が控えめに言葉をはさむが、勝負と言われればやる気をだしてしまう武神は、凛から離れてぐっと伸びをする。

 

「勝負は応じるまでだ。あー生きてるって感じするぅ」

 

 こうなれば仕方ないので、橋の下に移動した一行は、百代と長宗我部の戦いを見守る。長宗我部は、自前のオイルを頭から勢いよくかぶった。彼はレスラーでもオイルレスラー――交流戦のときは、このときにライターで着火されたため、火達磨になった――だったのだ。オイルによって、鍛え上げられている筋肉がより一層はっきりとわかる。爽やかな朝の光で、彼の全身がテカテカしていた。

 それを見た百代が言葉を発する。

 

「私がそんな技にかかったら、川神百代が寝取られたって、学校の掲示板が炎上するだろうな」

 

「俺もそこに書き込みして、デコピンの仕返ししてやろう」

 

「凛、おまえはあとでお仕置きしてやるから、そこで正座して待ってろ」

 

 百代は、ぼそっと言った凛の一言をしっかり拾い命令した。

 

「聞こえてた!? だが断る!」

 

「まぁアイツは置いといて、ヌルヌルは勘弁してほしい。よって、ここは指弾で打ち抜いてやろう」

 

 百代はそう言うやいなや指をはじいた。パチンという音が川原一体に鳴り響き、見えない空気の弾丸が長宗我部を襲う。十勇士と言えども、見えないものを避けることはできなかった。

 

「おふぅっ」

 

 長宗我部を触らずして倒す。そんな百代の荒業に、橋の上に集まっていた観客は盛り上がった。彼女は嬉しそうに手をあげ声援に応える。しかし、一方で盛り下がる人もいた。

 

「くそ! なんであの音量を拾えるんだ!?」

 

「おまえもそういう事言わなきゃいいのに」

 

「そうはいかん。やられっぱなしは嫌だ!」

 

「にしては、やり方が小さいな」

 

 凛は大和に愚痴をこぼしていたが、百代が橋の上に反応するのと同時に、ある気配を感じ視線を上げる。

 

「ん? この気は……ステイシーさんに李さんだ」

 

「なんか言ったか? ってアレ誰だ」

 

 隣の大和が発した言葉に、次は百代の方へ目を向ける。そこには、彼女をたたえる九鬼の従者――桐山鯉。従者部隊序列42位。いつも笑顔で、何を考えているのかわからない男。鍛え上げた足は壁を超える者に匹敵すると言われている。そしてマザコン――がいた。

 これからのことを考えてテンションがあがってきたのか、翔一が目をメラメラさせながら喋りだす。

 

「新顔が多くなってきて、ワクワクしてきたぜ!」

 

 その後、時間がかなりギリギリになっていたことに気づいた一行は、急いで学園へ向かうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

「みなも朝の騒ぎは知っているじゃろう。武士道プランによって、この川神学園に6人の転入生を迎えることになったぞい」

 

 校庭では、臨時の朝会が行われていた。いつもの通り、鉄心が壇上に立ち喋っている。

 

「―――――。重要なのは、学友が増えるということじゃ。仲良くするんじゃぞ。競い相手にも最高じゃ、なにせ英雄」

 

 生徒達は鉄心の言葉に反応し、校庭の空気が緊張した。大和が後ろにいる凛に問いかける。

 

「凛もやっぱ戦ってみたいのか?」

 

「そうだな。できることならお願いしたいな。でもこの様子じゃ決闘も殺到しそうだし、時間が空いたときに頼むかな」

 

「相変わらず落ち着いてるな」

 

「何言ってる? どんな女の子が入ってくるのかワクワクしているぞ」

 

「まだ他の奴らが女と決まったわけじゃないだろう」

 

 マイペースな凛に大和は苦笑をもらした。そして、ようやく転入生の自己紹介が始まる。まずは3-Sからだった。

 

「それでは葉桜清楚、挨拶せい」

 

 学長の言葉とともに前に進み出る一人の女性。壇上に上がる動作から雰囲気にいたるまで全てが清楚だった。名前通りのそれに、男子の間からはほーっとため息がもれている。長いツヤのある黒髪を後ろで一つにまとめ、ヒナゲシの髪留めが良いアクセントとなっていた。加えて、くりっとした大きな瞳が可愛い印象を与え、親しみやすさを感じさせる。

 

「こんにちは、はじめまして。葉桜清楚です。皆さんとお会いするのを楽しみにしていました。これからよろしくお願いします」

 

 挨拶が終わった瞬間、男子たちは歓呼の声で清楚を迎える。さらに、一部女子からも歓声がとんでいた。そのあまりの盛り上がりに、先生が注意を施すほどだった。

 静かになったところで、育郎が手を挙げる。

 

「学長、質問がありまーす」

 

「何を質問する気だ?」

 

「そりゃ今するなら一つしかないだろ?」

 

 凛と大和も育郎の質問を静かに待った。学長の許可をもらい、育郎は清楚に聞こえる声で質問するため、息を深く吸い込む。しかし、その顔は喋る前からニヤけていた。

 

「ぜひ! 3サイズと彼氏の有無を……」

 

「全校生の前でこの俗物がーっ! みんなすまん、私の教え子が」

 

「だが、全校生の前であの質問ができるヨンパチは、ある意味剛の者だな」

 

 育郎が全てを言い終わる前に、梅子の教育的指導がはいった。しかし、彼は心なしか嬉しそうにそれを受け入れていたようにも見える。そんな彼を横目にしながら、凛は感心していた。あのような質問をすれば、女子の株を下げること間違いなしだからだ。

 そして、質問をされた張本人は、戸惑いながらも律儀に言葉を返す。

 

「コホン……みなさんのご想像におまかせします」

 

「かーわいいーーー!」

 

 軽い恥じらいをもちながら答える清楚に、百代が反応する。それに続いて、男子達からまたもや歓喜の声があがった。真剣な眼差しで彼女を見つめる凛が、慎重に大和へと問いかける。

 

「想像か、少し難しいが……81・57・80ではないだろうか? どう思う大和?」

 

「いや82・57・81じゃないかっていったい何を真剣に考えてるんだ! 正体が気になるだろ普通!」

 

「ん? 正体なんてなんでもいいだろ? そこにいるのが清楚先輩なんだから」

 

「何この子、今まで3サイズのこと考えてたはずなのに、かっこよく見える」

 

「えっまじか……やっぱり俺の鑑定は微妙なズレがあるのか?」

 

 恍惚とした表情の育郎にも答えを求めた凛は、自分の見る目を嘆いていた。そんな男子達をおいて、清楚の話はまだ続く。彼女のクローンが誰であるのかは、彼女自身にも知らされておらず、25歳になったときに教えてもらえるらしい。それまでは勉学に励むとのこと。そして、一通り喋り終えると、一礼して下がっていった。

 

「次に2-Sに入る3人の紹介じゃ」

 

 鉄心の言葉に2-Sのクラスがざわめいた。さらに言葉が続く。

 

「源義経、武蔵坊弁慶、両方女性じゃ」

 

「おいおい! 凛の言うことが本当になっちまったぞ。うげぇ」

 

「誰が得すんだよ。ノーサンキューもいいとこだろ」

 

 弁慶が女性という事実に、岳人と育郎は心底がっかりする。凛がそんな彼らを励ます。

 

「ガクト、ヨンパチ、まだ姿を見てないんだから、悲観するのは早いだろ。……ほら見ろ!」

 

 凛の言葉に、死んだ目をした男2人は一応顔をあげて姿を確認する。

 

「こんにちは。一応、弁慶らしいです。よろしく」

 

 ウェーブのかかった黒髪に切れ長の目、ラフにきこなした制服の上からでもわかる百代に負けないプロポーション、そこから醸し出される雰囲気はなんとも色っぽいものだった。弁慶のイメージを完全に崩壊させた美少女に、凛も驚きながら2人に話しかけようと振り返る。

 

「ほらみろ。ガクト、ヨンパチ、俺の……」

 

「結婚してくれーーーーーー!!」

 

「死に様を知ったときから、愛してましたーーーーー!!」

 

 どよめきにも負けない音量で思いをぶつける岳人と育郎。

 

「聞いちゃいないな」

 

 もう凛の声も届かないほどテンションをあげていた。千花を筆頭に女子からは、白い目で見られていたのを2人は知らない。

 

「ごほんっごほん……よし」

 

 そして、続いて出てきたのが義経。本人は少し緊張しているようだった。清楚と弁慶に励まされて壇上へ上がる。

 

「源義経だ。性別は気にしないでくれ。義経は武士道プランに関る人間として、恥じない振る舞いをしていこうと思う。よろしく頼む」

 

 こちらもこちらで、人懐こい笑顔に男子の声援やら歓迎の声がそこかしこで上がる。クリスも真面目そうな義経を気に入ったようだった。

 そして、最後に紹介されるのは、武士道プランで唯一の男だった。女子たちの期待が高まる中、鉄心がその名を呼ぶ。

 

「2-S、那須与一でませい」

 

 しかし一向にその姿を現さない。他の生徒と同じく、大和がキョロキョロと辺りを見回し、姿を確認しようとした。

 

「まさか初日からサボりか?」

 

「一応学校にいるみたいだぞ。屋上で一つでかい気を感じるからな」

 

「なんでまたそんなとこに? 挨拶ぐらいすればいいのに」

 

「なんでだろうな」

 

 凛は屋上を見たまま答えた。

 ――――ステイシーさんと李さんが那須与一に近づいていく。あと一つ知らない気配も従者の一人か?連れ戻すためかな。

 再度、鉄心が呼びかけるがでてこない。それに慌てたのは義経であり、必死に与一を擁護した。しかし、その後ろで弁慶は酒――もとい川神水を飲んでおり、今度はそちらの擁護に奔走する。彼女自身もこれを適度に飲まないと体が震えるのだと皆に説明していた。その様子をのんびりと見守る凛が大和に声をかける。

 

「義経も大変だよな。個性が強い部下をもって」

 

「だな。って病気で飲まないと体震えるってアル……フゴフゴ」

 

「まぁまぁ大和、それは勘違いだ。触れてはならんところもある。そっとしておこう」

 

 しかし、川神水を平気で飲む弁慶に対して、さすがに不平不満がでた。それについて鉄心が説明を加える。

 

「そのかわり弁慶は学年で4位以下の成績をとれば、即退学ということで念書ももらっておる」

 

 これにだまっているSクラスではない。言い換えれば、3位以上をとれる自信があると告げたも同じだからだ。Sクラスの生徒の何人かは弁慶を睨みつけたりしており、空気が凍り付いている。それを見やりながら凛が口を開いた。

 

「Sクラスのやつら、どえらい空気になってるぞ。あれが絶対零度というものかもしれないな。一部はいつもと変わらんが」

 

「うわっ本当だ。まぁSクラスの奴らは元々優秀だから、その分プライドもある。全校生徒の前で3位以内とるなんて、そんな奴らに挑戦状叩きつけたみたいなもんだろ」

 

「しかし、すごい自信だな。勉強教えてもらおうかな、弁慶先生の個人授業」

 

 その言葉を口にした瞬間、岳人が会話に割り込んできた。

 

「おお、凛それナイスアイディアじゃねぇか! そんときは俺様も誘ってくれ! 個人授業……いい響きだ」

 

「ガクトが入ると個人授業じゃなくなるな。ま、教えてもらえるようなら誘うよ。それより、ちゃんとついていけるように基礎学力をつけとけよガクト」

 

「うっ痛いところをつきやがる。だが、まかしておけ! あんな美少女と仲良くなれるなら、勉強くらい乗り越えてみせるぜ」

 

「でもSクラスだから、自分の勉強だけで手一杯って可能性のほうが高いよね?」

 

 そこからしばらく、凛と大和、岳人、卓也は関係ない話で盛り上がっていた。

 そして最後は、1年生に2人入ることになるのだが、彼らの登場に凛は今日一番の衝撃を受けることになる。

 



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『騒がしいS組』

 1―Sの転入生の紹介は、他とは比べ物にならないほど豪勢だった。いや一般人の感覚から言えば、豪勢といった言葉で済ませられないかもしれない。翔一が、目敏く楽器をもった集団を見つけた。

 

「おい、なんか行儀良さそうなのがいっぱいでてきたぞ」

 

「登場のために、わざわざウィー○交響楽団使うなんて、そうそういないっていうか、ある一族しかいないだろうな」

 

「ん? 凛は何か知ってるのか?」

 

「まぁ見てたらわかる。この学校は本当に飽きないな」

 

 大和が凛に問いかける中、翔一は次に校門の方で何かを見つけたようだ。

 

「今度は同じ髪型の奴らばっかだぞ! 何人いるんだ? しかもグラサンしてるから、もはや同じ人間に見えるぞ」

 

「九鬼の従者部隊……ということは」

 

 大和も従者の姿を見て気づいたようだ。いきなり校庭に現れた彼らは、2列に並んで壇上の横まで歩いてくると、次に向かい合って頭を下げながら肩を組み、ただ一人が歩くための道を作っていく。

 そして、できあがった道を悠然と歩く額に×のある少女――紋白。

 

「我顕現である!」

 

「フハハハ何を隠そう。我が妹である!」

 

「わかっとるわー! それ以外に何があるというんじゃ!」

 

「九鬼が2人も揃うとか、カオスすぎる」

 

 英雄が堂々と宣言し、心は叫び、頭痛がするのかマルギッテは頭を押さえている。その少し後ろで、ロリコンが歓喜していた。

 

「見た瞬間、心が震えた! 圧倒的カリスマ! ……自分が恋に落ちる瞬間を認識してしまった」

 

 2-Sのざわめきが、他のクラスにも伝播していった。

 

「我の名は九鬼紋白。紋様と呼ぶがいい。我は飛び級することになってな。――――」

 

 壇上にあがった紋白は、後ろにヒュームを従えて説明をしていく。それによると、武士道プランによって川神学園の護衛が強化されるため、紋白自身もそこに入ることで護衛の分散を防ぐためのようだ。そこに、百代が一つ疑問を投げかける。

 

「おいじじぃ、もう一人の転入生はどこだ?」

 

「さっきから紋ちゃんの横におるじゃろ」

 

 その疑問――1-Sに入る人間は2人に対して、壇上には紋白の1人しかいないからだった。そして、それに対する鉄心の答えに、全生徒が目線を横へずらす。そこにいるのは、微動だにしないヒュームだけ。

 もうなんでもありだ。視線を向けた生徒たちは思う。

 そんな中、1年生からは「話題が合わないのでは?」といった疑問の声があがったが、それに対してはヒュームがそつなく返答する。彼自身も問題なく馴染める自信があるようだった。その後は滞ることなく進み、臨時集会は解散となる。

 騒がしい朝礼を終えて、ファミリーは2-Fの教室に戻ってきた。そして、一子が話の口火をきる。

 

「それにしても大変なことになってきたわね」

 

「偉人のクローンに九鬼に従者のじいさんだもんな。もうダメだ、ワクワクしすぎて座ってられねぇ」

 

 翔一は、そう言うとその場でバク宙を決める。そんな彼に同意を示す凛。

 

「キャップは少し落ち着こう。でも、おもしろくなってきたってのは同感だな」

 

「頼もしいね2人とも。僕はちょっと不安だけど……」

 

 卓也は、大きな騒動になったりするのではないかと心配する。その隣でクリスがファミリーに提案する。

 

「この後、早速義経たちに挨拶に行こう。きっと緊張しているだろうし、自分達が力になってやろう」

 

「そうだな」

 

 大和はそれに同意し、京も即座に反応する。

 

「大和が行くなら私も」

 

 その後に凛たちも賛同し、結局ファミリー全員で、放課後義経たちに会いに行くこととなった。

 そして放課後。ファミリーは2-Sの教室へと向かった。教室前の廊下では、義経らを一目見ようと集まった野次馬が少なからず見かけられる。人数がさほどいないのは、どうやらマルギッテが野次馬を通さないための検問を行っていたので、大半の生徒がそこで引き返していったようだ。クリスを先頭に立たせた彼らは、そこを楽々と通り抜け教室へと入った。

 

「あーリンリンだー。ウェーイ♪」

 

 最初に声をかけてきたのは、凛を見つけた小雪だった。

 

「おー小雪、ウェーイ♪」

 

 ハイタッチの軽い音が教室内に響いた。そして、2人は恒例となりつつあるましゅまろ交換へうつる。小雪は少し黄色みがかったものを、凛がこげ茶のものをそれぞれ差し出した。

 

「珍しいねーリンリンがS組に来るなんて。はい、バナナ味」

 

「ちょっと義経たちに挨拶をしとこうって話になってな。お返しのチョコ味」

 

 口をもごもごさせる2人をよそに、大和たちは義経たちに声をかけ挨拶をかわす。その場所にはちょうど那須与一もいた。凛と同じくすんだ銀髪をセンターでわけ、鷹のように鋭い目つきをした男だった。彼は一子に話しかけられ、それに返答している。しかし、その姿はかっこつけているつもりなのか、体をクネッとさせていた。

 

「もしかして、あのポーズとってるのが那須与一?」

 

「そうだよー。朝からなんかポーズとって遊んでる。でも僕とは遊んでくれないんだ」

 

 それを見た大和が、なぜかのたうちまわりながら叫んでいた。凛のもとにも、与一の言葉も聞こえてくる。

 

「俺は気を許さないぞ。悪魔のナイフがどこから狙っているかわからないからな」

 

「そういうこと言って、あとで恥ずかしくなるのは、お前自身だぞ!」

 

 要するに与一は重度の中二病であり、大和は過去の自分を見ているようで、居た堪れないのだ。

すると、そっけない態度をとる与一を擁護する義経とその行為を嫌がった彼がもめ始める。凛は、小雪ともう一度ましゅまろ交換をしながら、その様子を見守った。

 

「なんか言い合いになったな」

 

 与一が義経を貶したところで、弁慶が出てきて彼に注意しようとするが、彼は迫ってくる彼女の手を避け、素早くその場から逃げ出した。しかし、それにいち早く反応したのは、弁慶ではなく凛の隣にいた小雪だった。

 

「なになにーおいかけっこー? 僕も混ぜて混ぜて」

 

「無邪気な小雪も可愛いねー。にしてもあの加速力……一気に先回りしたな」

 

 教室から出た弁慶は、10秒も経たない内に、与一を捕まえ戻ってきた。小雪の先回りが、不幸にも通せん坊の役割を果たしたのだ。彼女は片手一本で彼を持ち上げている。腕をひねりあげられ、体が浮いている彼は、もはやまな板の上の鯉だった。

 

「ちょっと頭冷やしてこようか」

 

 その一言とともに教室の開け放たれた窓から、弁慶が与一をまるでボールでも投げるかのように、プールへ軽々とぶん投げる。彼の悲鳴が消えるとともに、凛を含めクラスにいた者達には、大きな水音と高く上がった飛沫が確認できた。

 それを見ていた一子が、凛の隣にやってきて話しかける。

 

「腕力だけならお姉様並みね。凛はどう?」

 

「そうだな。確かに大したパワーだ。だからといって負けるつもりもない。ガクトは勝負挑まないのか?」

 

 凛は呆気にとられている岳人に話をふった。その声に我に返った岳人は激しく拒否する。

 

「バカヤロー! いくら俺様でも大の男一人、片腕で持ち上げてプールまで投げ飛ばすことなんかできるか! 俺のかーちゃんを思い出したよ!」

 

「腕相撲なら、合法的に手を握るチャンスだぞ」

 

「…………そ、そんなこと目的で勝負するんじゃねぇ! …………だ、だが、勝負するのも悪くないか。決して下心なんてない。俺様と弁慶の純粋なパワーを競うためだ」

 

 それぞれが盛り上がっていると、義経が一言詫びを入れ教室を飛び出していった。どうやら、ずぶぬれになった与一が心配になったようだ。そんな彼女を見送って、弁慶が一言。

 

「義経は甘いなぁ……まぁそこが魅力的なんだが」

 

「またえらく濃いのがきたなぁ」

 

 卓也の言葉がSクラスに響く。

 しかし、まだまだ騒ぎは収まらない。新たな客人が現れたからだ。

 

「よっしつねちゃーん。たったかおー☆」

 

 とてもご機嫌な百代だった。

 

「姉さん」

 

「お姉様」

 

「おおー妹に弟と愉快な仲間達も一緒か」

 

 軽い足取りで教室に入ってきた百代は、大和と一子の頭を撫で、それを見ていた凛にも声をかける。

 

「なにかなー凛もなでてほしいのかな?」

 

「いや別に」

 

 即答の凛に、百代は少し寂しげに不満そうな顔をする。

 

「なんだよー。せっかく美少女が自ら言ってやってるのに。朝からなんかつれないぞ」

 

「そんなつもりもないけど、それより義経のことで来たんでしょ?」

 

 凛は、眉をハの字にした百代の頭を逆に撫でながら、話を促す。

 

「あう……っとそうだった! 勝負だ、義経ちゃん!」

 

 撫でられたままの百代は、凛の言葉で弁慶たちの方へ向き直った。そんな彼女の様子に、男連中から驚きの声があがる。

 

「おいおい、ついに凛がモモ先輩をやりこめたぞ」

 

「今のは驚いたね」

 

 そこに、今だ百代の頭に手を置いたままの凛が、卓也に携帯を渡しながらお願いする。

 

「自分でも驚いている。モロ、写メでいいから今の俺を撮っといて」

 

 しかし撮られた写メは、調子にのった凛がデコピンされ、うずくまっている姿だった。彼がうめいている間も百代たちの方は話が進んでいく。いつのまにか登場したクラウディオが、弁慶に代わって、彼女に現在の状況の説明と協力を求める。

 その内容は、義経たちは現代に甦った英雄ということもあり、外部の挑戦者が大量に集まってくる。全員と勝負するわけにもいかないため、その挑戦者を限定するために、百代にはその判定をしてもらい、彼女の目にかなった選ばれた者のみが彼らと戦える。そして、その後落ち着いてから決闘を行うということで、彼女との決闘を行うまでの代替案に、大量の挑戦者との戦いを提示したのだった。

 戦闘狂(バトルマニア)の百代がこれを断るはずもなく――。

 

「オッケーです。戦いに不自由しなさそうだ。そういうことだ、凛悪いけど」

 

 話が済んだのか、今朝同様の流れで回復した凛に話を振る百代。

 

「なにがですか?」

 

「だから、当分凛の相手はできないって話だ」

 

「ああ、別に構いませんけど」

 

「むーー朝と同じ台詞で返すなよー!」

 

 そんなじゃれあいの隣で、一子とクリスは義経に決闘を挑むことにしたようだった。そして、じゃれあいに満足した百代が、次に目をつけたのは弁慶。凛は、話の済んだクラウディオの元へと向かった。

 

「んー?」

 

 百代は、おもむろに弁慶の方へ近づき、弁慶もその様子をじっとみつめていた。静かに対峙する2人を見て、京が感想を述べる。

 

「先輩と弁慶、二人はちょっと似ている感じだね」

 

 凛も2人を見比べながら、なるほど二人とも色っぽいと納得する。見詰め合う中、百代が喋りだすのと同時に、弁慶へと手を伸ばした。

 

「というか間近で見ると、ほんとかわいーねーちゃんだ」

 

「ん、先輩も」

 

「んあ、この返し。なかなかやるな武蔵坊弁慶」

 

 2人は胸を互いに触りあい、なぜかサイズを競い合っていた。軍配は、僅かな差をもって百代にあがる。ドヤ顔の彼女に、眼を話さず見ていた岳人と卓也は、「くだらない」と言いながらも前かがみになっており、彼らに大和がツッコミを入れる。その間、凛はクラウディオと少し会話をしていた。

 その後、凛は戻ってきた義経と弁慶に挨拶をする。与一はプールから上がると、またどこかへ行ったらしい。

 

「遅れましたが、義経は昨日ぶり。弁慶さんははじめまして。夏目凛です。気軽に凛と呼んでください。これからよろしくお願いします」

 

「改めて自己紹介する。源義経だ。こちらこそよろしく頼む」

 

「武蔵坊弁慶。弁慶でいいよ。よろしくね凛」

 

 凛が2人と交互に握手を交わしていると、一子が疑問を投げかける。

 

「あれ? 凛はお姉様のときのように、手合わせのお願いとかしないの?」

 

「ん? 今は人が多いみたいだし、余裕ができてからでいいかな」

 

 凛が一子の疑問に答えると、それに百代が少し不思議そうにする。

 

「へぇお前なら、義経に申し込むと思ってたけどな」

 

「いや本当に予約が多いから、控えているだけです……それに」

 

 言葉を続ける凛は一瞬クラウディオに目をやり、「ちょっと大人の事情が」とおどけて答える。何人かはひっかかるものがあったようだが、大半はいつもの冗談かと流してくれた。そこにちょうど興味をもった義経が声をかけてくる。

 

「凛は武道をやっているのか?」

 

「義経ちゃんが勘違いするのも無理はない。私も最初はただの優男にしか見えなかったからな」

 

「モモ先輩、かっこいい男なんて照れます。ましゅまろ食べます?」

 

「いや凛、今のは馬鹿にされてただろ」

 

 凛は百代の言葉に照れ、それに大和がツッコむ。取り出したマシュマロは一子の口へと向かった。彼女が彼の頭をポンポンしながらご機嫌をとる。

 

「まぁこんな奴だがかなり強いぞ。私が今一番本気を出したい相手だからな」

 

「そうなのか! 凛すまない。戦のとき、義経は知らずに失礼なことを言ってしまった。反省する。……ということは助太刀も必要なかったのか!? うぅ少し恥ずかしくなってきた」

 

 義経は机に手をついて反省のポーズをとり、次に顔を赤らめた。しょんぼりする彼女に、罪悪感が湧いてきた凛は慌ててフォローする。

 

「いやあれは俺気にしてないし疲れずにすんだし、義経が何よりかっこよかった。それに、そこまで反省されると……えーっと、マシュマロでも食べて」

 

「……ありがとう。凛は優しい」

 

 義経はマシュマロを受け取り、凛に純粋な眼差しを向ける。彼はその目を見ることができなかった。

 

「うぐっ義経。そんな真っ直ぐな目で俺を見ないでくれ。俺は汚れている」

 

「確かにな。あのとき、後のこと考えて楽しんでたからな」

 

「あとのこと?」

 

 大和の一言に義経は首を傾ける。

 

「義経は知らなくてもいい。知らないほうが幸せなこともある!」

 

「ちょっ! 凛!」

 

 凛は大和の体を脇に抱え、そのままSクラスから飛び出す。クラスに残った者には、「下ろせ。怖い」という彼の叫び声だけが聞こえてきた。

 

「あの人も愉快だねー」

 

 一部始終を傍観していた弁慶は、川神水を飲みながら微笑んだ。

 新たなメンバーを加えた川神学園は、ますます騒がしくなりそうだった。



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『ヒュームの課外授業と学園の日常』

 次の日の朝。ヒュームの稽古を受けたあと、凛は彼と一緒に多馬川の上流近くに来ていた。天気もよく、川沿いの道は時折ランニングする人とすれ違うのだが、特に奇異な視線を送られることもないのは、川神だからなのだろう。

 その移動中、凛はヒュームが序列何位なのか尋ねる。

 

「えっ! じゃあヒュームさん、あの従者部隊のトップだったんですか!? 零番ってなんかかっこいいですね」

 

「おまえは俺が、誰かの下で動くと思っていたのか?」

 

「……いやそれは確かにないですね。そう考えると、ヒュームさんが仕える九鬼帝様は、俺の想像を超える人物なんですね」

 

 凛は軽く人物像を想像してみるが、ヒュームが傍に仕える人物の具体的なイメージが湧いてこない。額に×があるのは間違いないが、あとは後光が差しているのではないかなどと考える。

 ヒュームがうなる凛を見ながら笑う。しかしその笑顔が、不敵な笑みを浮かべているようにしか見えない。

 

「俺が仕えてやってもいいと思えた男だからな」

 

「仕えながらもその態度、天晴れです。ところで、今どこに向かっているんですか?」

 

「確かこの辺りだ。釈迦堂刑部の名くらい、お前も聞いたことがあるだろう」

 

「確か川神院の元師範代で、壁を超える者のお一人ですよね」

 

「その男がここにいる。昔はお前同様才能の塊だったが、その才能を腐らせてな」

 

「はっきり言われると照れますね。でもヒュームさんが言われるくらいですから、釈迦堂さんは相当だったんですね。それで、俺はどうしていればいいんですか?」

 

「俺の用事のついでだ。近くで見ていればいい。鍛錬を怠ったものが、どれほど輝きを失っているかをな」

 

 目的の場所では、ちょうど食事をとる最中だったのか、鍋を中心にして4人の座った男女とその後ろに1人の中年が立っている。紫の髪にタイトな服を着こなす女性が、板垣家の長女である板垣亜巳。その左隣にいる青い髪の長身の女性が、次女の板垣辰子。亜巳の正面にいる赤い髪のツインテールの女の子が、三女で末っ子の板垣天使。亜巳と天使の間、長髪に肩から腕にかけて目立つ刺青をもつ男が、長男の板垣竜兵。彼らは、様々な食材が放り込まれた鍋を囲み談笑していた。そして、ヒュームの目的である無精ひげを伸ばした短髪の男が、釈迦堂刑部。

 凛とヒュームは、ゆっくりとその場所に近づいていく。すると、それに気づいた天使が、けんか腰で声をかけてくる。

 

「あ? なんだじじぃ。恵む飯はねえぞ! 後ろのノッポもな!」

 

 凛はそこで止まったが、ヒュームはそれでもまだ近づいていく。彼の接近に、天使が手元のゴルフクラブを持とうとするが、それを亜巳が言葉と手でやめさせた。十分に近づいたところで、彼が口を開く。

 

「いいお姉さんをもったな小娘。どつかれたら、俺は大人気なく反撃するから危なかったぞ」

 

 ――――本当に容赦なく入れるから、あの体じゃ下手すると2週間以上動けなくなるかもしれん。

 その様子を見守っていた凛は、人知れずハラハラしていた。釈迦堂はヒュームの姿を見て、誰かを思い出したようだ。

 

「てめぇ、確か昔川神院で見たヒュームとかいう……」

 

 ヒュームは、そのままここにきた目的を手短に説明する。用件は簡単だった。釈迦堂のような危険な男を野放しにしておくことはできない。そこで、就職口を斡旋するので、カタギに戻れ、ということだった。

 しかし、その言葉に素直に頷く釈迦堂でもなく、勝負で勝ったら互いの望みを聞くこととなった。彼が勝った場合は、板垣家を含めて不干渉を貫くこと。彼の自信あり気な態度に、ヒュームは少し呆れ口調で話し出す。

 

「おまえは俺を見て、実力がわからんのか?」

 

「わかるさ。強えよ。だがな、昔感じたほどではねえわな」

 

 言葉を発するやいなや釈迦堂は、真正面からヒュームに攻撃を仕掛ける。彼からは殺気と見紛うほどの黒い気がほとばしり、まるで野獣と錯覚させるほどだった。拳を交える瞬間、彼の気が一層濃くなる。

 ――――ヒュームさんが動かない。一発当てさせるのか?

 しかし、その気にも反応せず、ヒュームはその場から一歩も動かないまま、釈迦堂の一撃を受け入れる。そしてぶつかり合う二つの闘気。彼も壁を超える者と評される男である。二人のぶつかり合いは、川神にいる同じ場所に立つものたちの感覚にその激突を告げた。同様に、凛の頭の中を鋭い電流のようなものが走りぬける。反対側で見守っていた天使は、自らの師匠の勝利を疑ってないようで、喜びの声をあげていた。

 ――――才能の塊ってのは本当みたいだ。鍛錬を怠っているにもかかわらず、なかなか一撃。それでもヒュームさん相手じゃその程度ではダメです。

 勝敗は明らかだった。地に倒れ伏す釈迦堂とそれを見下ろすヒューム。彼はいつものように、首もとを直す仕草をとりながら口を開く。

 

「ふむ……ハンデで一発打たせてやってもその程度か」

 

「ぐぅ……実際は昔より強くなってるじゃねぇかっ」

 

 釈迦堂は立ち上がろうと力をいれるが、どうやら無理そうである。一撃でその体力を根こそぎ奪い取るヒュームの蹴り――凛は軽く身震いした。

 

「長期戦は苦手になったが、瞬間の鋭さは増すばかり。俺からすれば、今のお前は赤子のような存在だ。もし、おまえがきちんと鍛錬していれば、結果はまた違ったかもしれんがな」

 

 ――――ヒュームさんにそこまで言わせるなんて。手合わせをお願いしてみたかった。

 凛は静かに二人の様子を見ていたが、その目は爛々と輝いていた。

 釈迦堂がやられたことで、後ろに下がっていた亜巳は辰子――普段は眠ってばかりだが、亜巳の許可がでると桁外れの強さを発揮する――を起こすか迷うが、ヒュームが先手をうち、「やめておけ」と忠告する。そこに、姉妹達の前に立った竜兵が彼を睨みつけながら言葉を発した。

 

「それで次にてめぇはどうする気だ? その後ろにいる奴でもけしかけてくるか? 随分と弱そうな奴みたいだが」

 

「別に何も。まぁ鍋でも食べてろ、モチが固くなるぞ。就職先をいくつかリストアップしてやる、そういう約束だったはすだ。後ろの奴は俺の弟子でな、用事がてら学ばせてるだけだ。帰るぞ、凛」

 

「あ、はい。それでは皆さん失礼しました」

 

 ぺこりと頭を下げた凛は、先を行くヒュームのあとを追って走っていく。竜兵はまだつっかかろうとしたが、亜巳にとめられその場はおとなしく引き下がった。しかし、彼の目には、凛の後姿がはっきりと映されていた。

 土手を上がると黒塗りの車が準備されており、後部座席に乗り込むヒュームは、共に乗り込んだ凛に向かって話しかける。

 

「おまえは俺を失望させるなよ」

 

「期待には応えたくなる性分ですからね。それにまだまだ相手にしたい人たちもいます」

 

「元気があって何よりだ」

 

 その言葉を聞いたヒュームは、運転手の男に島津寮に向かうよう言いつけると、書類に目を通し始める。凛はその横で流れる風景を見ながら、彼と釈迦堂のぶつかりを思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 昼休み。凛は、教室に戻ろうと廊下を歩いていると、前方がガヤガヤと騒がしいのに気づいた。次に、女の子の高い声が廊下に響く。廊下のいた者の視線は、その声のするほうに集まり、それは彼も例外ではなかった。

 

「ひかえい、ひかえい、ひかえおろうー」

 

「誰か殿様が現れたぞ」

 

「紋様のおなーりーーー」

 

 凛が廊下の声に一人ツッコむと同時に、準の声が響き渡る。よく見ると、廊下の真ん中を歩く一行――紋白を先頭にして準、小杉が左右に付き従っていた。

 その一行は2-Fの教室の前に着くと、外から中の様子を観察する。教室内は突然の九鬼登場でガヤガヤしていた。そして、後ろにいた準が、紋白の隣に立ち説明を始める。

 

「ここは2-F教室です。まぁ風変わりな奴の集まりですね」

 

「悪かったな、風変わりで。紋白はどうしたんだ? 2年のところに来るなんて」

 

 準の説明に突っ込みながら、凛は紋白に問いかけた。彼女は、彼の姿を見つけると笑顔で近づいていく。

 その瞬間、至福のときを邪魔したからか、準からよからぬ気を感じる凛。

 

「おお、凛ではないか。実はまだ兄上にきちんと挨拶をしていなかったのを思い出してな。今から挨拶にいくところなのだ」

 

「そうなのか、それでわざわざ準と武蔵が一緒に?」

 

「紋様在るところに我在り。我在るところに紋様在り。我、紋様の忠実なる僕なり。そして名前で呼ばれる凛……おまえが羨ましい!」

 

「ああ、もうわかったから。その怖い顔をやめてくれ。血管きれそうだぞ」

 

 凛は般若の準を押し返し一定の距離をとった。そこに紋白が提案してくる。

 

「そうだ。凛も一緒にどうだ? 我からも兄上にしっかり紹介しておきたいのだ」

 

「俺は俺で自己紹介済ませたが、紋白に紹介されるのは光栄だな。楽しそうだし、一緒に行くよ」

 

 そして、2-Sの教室前。準が、中にいる人物をかいつまんで説明してから、扉を開く。教室の中は2-Fのような騒がしさはなく、小杉は少し緊張しているのか、いつもの快活さがなりをひそめていた。

 互いの姿を見つけた英雄と紋白は、九鬼の兄妹らしい豪快な挨拶をすませる。その途中で準が彼に対して、お義兄さん発言をし、あずみにしめられていたりする。

 

「てめぇは2-Fの甘粕委員長を見てればいいだろ!」

 

「委員長は恋愛対象、紋様は仕えたい対象なんだ! 理想は委員長と結婚し、職場は紋様の部下。ああ、でも若の葵紋病院もあるんだよな。ちくしょう、俺はどうすればいいんだ」

 

「ロリコンもここまで突き抜けると、人生楽しそうだな」

 

 頭を抱えて膝をついてうなる準を見て、凛が素直な感想をもらす。そんな本気で悩む彼に、小雪が時間の残酷さを説き、彼は一人そのむなしさをかみしめていた。そんなロリコンをよそに、凛の紹介が改めて行われる。

 

「兄上、こちらが我の話していた友の夏目凛です。もう挨拶をすませたと聞いたのですが、我からも紹介します」

 

「改めてよろしくな。英雄」

 

「フハハハよろしく頼むぞ凛。紋はおまえをとても気に入ってるようだ。何度も交流戦の話を聞かされたぞ」

 

「あ、兄上。そんなことは今言われずとも……凛! そんなに何度も言ったわけではないぞ! 勘違いするな!」

 

「楽しんでもらえたようで嬉しいよ」

 

 英雄の言葉にワタワタと対応する紋白。それに反応するロリコン。

 

「ああぁ紋様、凛とした姿も神々しいが、慌てる紋様も可愛すぎて捨てがたい。神はとんでもない存在を創り出した!」

 

「準、興奮しすぎです。鼻から愛が溢れてしまっていますよ」

 

「ハゲの鼻血止めないとねー。とぉりゃぁぁ!!」

 

 冬馬はティッシュを差し出すも、小雪がロリコンの延髄に、手刀を思い切り振り下ろす。そして、鼻血をたらしたまま、失神するロリコン。彼がロリコニアという名の天国の門前で、幼女天使と戯れている間に移動した紋白は、コホンと一つ息を整え、義経たちのほうへ向き直る。彼女のSクラス訪問は、義経たちの様子をみるためでもあったらしい。そうして、いつもより賑やかな2-Sの昼休みは過ぎていく。ちなみに、授業が始まる直前にしっかり意識を取り戻した準は、少し幸せそうだった。

 そして、放課後。場所は巨人と大和の聖域――第二茶道室。その付近には、部活動の掛け声などが小さく聞こえるだけで、ひっそりしていた。凛が先にお邪魔して寝ていても、彼はもうつっこまない。いつものとおり、のんびり将棋をさす2人と丸くなって眠る猫。

 

「ああ小島先生と結婚してぇ。新婚旅行に湯河原いきてぇ」

 

「剥き出しの心の叫びですね、仲進展してないのに――――」

 

 2人は梅子のこと、義経のこと、さらに問題児の与一のことを話す。問題児の更正を大和にさせ、小島先生の得点稼ぎに使おうとする巨人。

 そして、話題が弁慶のことになり、巨人が大和に問いかける。

 

「おまえとか結構弁慶のこと好きそうなタイプだな」

 

 その質問に、大和は周囲――もちろん凛の寝息も確認してから答える。

 

「結構性的だよね。そりゃあ仲良くしたいね」

 

「あれだけ美人に囲まれてるのに贅沢ものめ」

 

「本当にそのとおりだぞ、大和。なにが不満なんだ」

 

 巨人が大和の答えに愉快そうに笑う横で、凛が彼に問いかける。突然話に入ってきた凛に驚く2人。彼はまだ眠気が残っているのか、大きく口をあけて欠伸をする。

 

「うお、ついさっきまで寝てなかったか?」

 

「いつの間に起きたんだ、夏目」

 

「ん? ついさっき。なんかでかい気がこっちに近づいてくるから、目が覚めた」

 

 その発言のあと、すぐにスタスタと足音が聞こえてきた。大和が巨人に話しかける。

 

「本当だ。誰か来るよヒゲ先生」

 

「通り過ぎんじゃね。こんな空き教室興味ないだろ」

 

「ところがどっこい興味あるんだな」

 

 その足音の正体は弁慶だった。どうやら決闘から逃げてきたらしい。ここにいさせてと頼む彼女に巨人が口を開く。凛は正体がわかると、すぐさま横になっていた。

 

「ここは俺と直江の聖域だからな」

 

「そこで横になって船を漕いでる人は?」

 

「これはこの教室ではペット扱い。てか、男しかいない聖域って薄汚い」

 

「まぁ冗談だ。好きにしろや弁慶」

 

 許可が出たことで、弁慶は将棋盤の近くに陣取り川神水を飲みだし、凛はまた寝息をたてていた。その横で将棋も再開される。彼女が彼を見やり、大和に問いかける。

 

「凛はいつもこんな感じなの?」

 

「ん? まぁだいたいはね。今日は師匠に朝からしごかれて、授業はなんとかもたせたらしいけど、放課後にギブアップ。俺がここに行くって知って、それなら帰る頃に起こしてってな具合」

 

「なんかうなされてない?」

 

 寝返りをうった凛は、少し眉をひそめている。大和が彼を見やり、苦笑をもらした。

 

「ときどきなんか言ってるな。モモがどうとか、串刺しがどうとか」

 

「こういうの見てるとイタズラしたくなるよね」

 

「やめとけ弁慶。手が赤くなるほどはたかれるぞ」

 

 そーっと移動した弁慶は、寝ている凛に手を伸ばすが、巨人が注意する。それに続いて大和も実体験を話す。

 

「俺も何度もやろうとしたけどね。ことごとく防御されたから」

 

「ふーん」

 

 ペシ。

 はたかれる弁慶の手。自分の手と凛を交互に見た彼女は、2人の言葉を信じたのか、また川神水が置いてある自分の位置に戻り飲みだした。

 すっかりここの空気に馴染んだ弁慶は、この雰囲気が気に入ったのか、これからも顔を出すと言い出し、2人も軽くOKを出した。そして、また川神水を飲みだした彼女に、大和が携帯を差し出す。

 

「仲間の作法その1。連絡先を教えあいましょう」

 

「ぷはっ、まぁお前ならいいか。節度ありそうだし」

 

 その後は、金曜集会にも似た心地よい雰囲気のまま、将棋の勝負がつくまでだらける3人と1匹。

 

「ぬぅあー復活!」

 

 日はすっかり傾き、校舎は夕日に照らされて赤く色づいている。凛はよく眠ったのか元気を取り戻していた。3人は下駄箱で靴を履き替える。近くには誰もおらず、時折外から盛り上がった声が聞こえてくるぐらいだった。

 

「元気になったみたいだな」

 

「おかげさまで。って弁慶、それはlove letterじゃないか!」

 

「なんか流暢! それに果たし状って線もあるだろう」

 

 大和が凛につっこむ中、弁慶はそれを裏返しながら確認し、ため息をひとつ。

 

「ラブのほうだ。3年生から……年上に興味ないんだよね。あと手紙は気持ちが伝わりにくい気がしてどうも……」

 

「おい大和。遠まわしに弁慶の攻略方法を弁慶自身が教えてくれてる。俺たちにはルートに入る資格があるらしい。脳内メモに記入しとこう」

 

「同期は射程範囲内みたいだな。それより、そんなところも歴史の弁慶と似てるんだな。腰越状わかってもらえなかったしね」

 

 3人は、とりとめもないことを話しながら、校舎をでた。すると、歓声が一際大きく聞こえてくる。

 

「あれ? 義経とワンコだな」

 

「決闘まだやってるのか」

 

 凛と大和が決闘を見ながら会話する。2人の構えた刃の部分が、夕日をうけてきらめいていた。それをぼーっと見つめる彼が口を開く。

 

「夕日に照らされて、刀と薙刀がきれいだな。もちろんそれを使ってる本人も可愛い」

 

「おや? 凛は義経狙い? それとも川神さん?」

 

「ワンコも義経も可愛いからな。どうでしょう? 大和くんは弁慶狙い?」

 

「それを本人の前で振るとか鬼かおまえは!」

 

 弁慶からの問いかけをかわし、凛は大和に質問した。その間も決闘は、激しさを増していく。金属同士のぶつかる音が、甲高く校庭に響き渡り、白熱した決闘に生徒たちも熱中しているようだった。そして、激しい攻守の入れ替わりから、一子が勝負を決めるための一撃を放つ。

 

「ワンコ焦っちゃダメだ。見切られてるぞ」

 

 誰に言うでもなく、そうつぶやく凛。その通りに一子の一撃は義経に避けられ、逆にカウンターをくらい敗北する。歓声が上がる中、決闘は終了した。

 

「こんなに早く決闘できたんだな」

 

 大和が観客として見守っていた京とクリスに話しかける。一子と義経は健闘を称えあう握手を交わしていた。

 

「義経がどんどん挑戦者を片付けたから」

 

「それで予定が繰り上がってな。まるで凛のときを見ているようだったぞ」

 

「あー凛もそういえば、そんな感じだったっけ。俺の知らない間にどんどん話が進んでいる」

 

 校門前で、凛たちは一子が着替えてくるのを待った。ギャラリーだった生徒たちは、決闘が終わるとゾロゾロと帰っていき、ちょうど下校時刻と重なったため、多くの生徒が門から出て行く。

 そこに紋白の声が聞こえてきた。

 

「フハハハ皆のもの、またな」

 

 1年生の学友と別れを言っているところだった。その中でも、小杉は自分の印象を強く残すためか、自分の名を2回繰り返しながら帰っていく。

 凛は、紋白とクラウディオだけになってから声を掛けた。

 

「武蔵だけは相変わらずの態度だな。紋白、今日もお疲れさん」

 

「凛! また会ったな。それとクラウ爺にも言ったが、家に帰るまでが学校だぞ」

 

「了解。気をつけるよ」

 

 そこに義経が混じる。

 

「すごいな、紋白は。義経はいたく感激した」

 

「ん? なにがだ?」

 

「馴染むのがとても早い。義経たちはまだあそこまで仲良くなっていない」

 

 その発言に一子とクリスが待ったをかけ、「もう自分達は友達だ」と義経に伝える。彼女は、それに嬉しそうに礼を言った。

 その光景を見ていた凛が、紋白に話しかける。

 

「美しい友情だ」

 

「うむ、その通りだな」

 

 隣にいる弁慶と大和も同じような会話をしていた。紋白がさらに言葉を続ける。

 

「あとは与一の問題だけだ」

 

 義経が声のトーンを落とす。

 

「主の監督不行き届きだ。申し訳ない」

 

「そんな顔をするな、みなが心配するだろう。我も一緒に考えてやるから安心しろ」

 

 先ほどとはうってかわって、へこむ義経を紋白は背中を叩きながら励ました。そこに、凛が混じって彼女の頭を撫でる。

 

「そしてそんな頑張る紋白を俺が褒める。それと俺も協力するぞ義経」

 

「なっこら、やめんか凛。……と、ちょうどいい。ここの連中を紹介してくれ」

 

 紋白は凛の手を払いながら、義経に話を促した。最後にポンポンと頭を撫でられ、上目遣いで無言の抗議をする紋白をよそに、ファミリーたちの紹介が始まる。まずは一子。

 

「よろしくね」

 

「兄からいつも話は聞いている。川神一子」

 

「あ、あはは……そっか……」

 

「兄はいつもおまえのことを褒め称えているぞ。それをなぜ!」

 

 そして、つい感情的になり問い詰めようとしたそのとき、凛が声を張り上げる。

 

「あ、流れ星!」

 

「いや今はまだ流れんだろ、さすがに」

 

「なら未確認飛行物体だったかもしれないな」

 

 それに大和が即座につっこむ。なんだか二人の息が、ピッタリ合い始めているのは気のせいではないだろう。紋白はそこで何かを思ったらしく、落ち着いて言葉を返した。

 

「いやなんでもない。よろしくな、川神一子」

 

 次に京が紹介された。彼女は一応儀礼の挨拶をすませるが、紋白は彼女に何かを感じ取ったのか、九鬼への勧誘を行い名刺を渡す。これには、さすがの彼女も驚いたようだった。続いてクリスの紹介がなされ、滞りなく終わる。そして、最後に大和の番となった。

 

「おまえとは一度目があったな。あと凛から話を聞いたことがある」

 

「よろしく。それに凛から? えーと……」

 

「紋様と呼ぶがいい!」

 

 胸を張って名を告げる紋白。

 

「ははは、よろしく紋様。それで凛から話というのは?」

 

「自分も気になっていた。なんだか凛はやけに親しげじゃないか?」

 

 凛からというので、不安に思う大和と疑問に思ったクリスが、紋白に問いかけた。ニッコリと笑った彼女は、そのことに答える。

 

「凛は我の友だからな」

 

「大和の話はなかなか好評なんだ。俺の話術が長けているからかもしれんが。あっ! 大和の日常を紋白に話していいか?」

 

「おまえ一体俺の何を話してるんだ!? しかも確認とるの遅すぎるだろ!」

 

 凛が事情を説明するも、大和はそれにくってかかった。そこに紋白がフォローを入れる。

 

「心配するな。変な話じゃないからな。色々世話になった人だと聞いただけだ。凛の言ったのは、照れ隠しの冗談だ」

 

「ああ、そうか。焦った」

 

「紋白には隠し事ができなくて困ってる。そして少し恥ずかしい」

 

「フッハハ顔を見れば、我は大抵わかるのだ!」

 

 紋白に全てをばらされて照れる凛は、すぐさま話題を変える。標的は一番だまされやすそうな相手。

 

「義経気をつけろ! 義経が隠してるアレも見抜かれてる。すぐに場所を変更しろ!」

 

「!? 本当か凛。あわわ、義経は今日帰ったらすぐにそうする!」

 

「義経、私に黙って何か隠してるものがあるの?」

 

「えっいやなんでもないぞ弁慶」

 

 墓穴を掘って慌てる義経とそれを楽しそうに問い詰める弁慶。

 その後、先に帰る紋白たちを見送り、由紀江を待つファミリーの姿だけが学園に残った。

 



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『気になる相手』

 紋白たちと別れて、由紀江と合流したファミリーは帰り道を歩いていた。

 そして、一行が橋に通りかかると、川原にいる百代と倒れた挑戦者たちが目に入ってくる。彼女は土手に座って、満足そうにピーチジュースを飲んでいた。それに気づいた一行が彼女に声をかけ、向こうもファミリーに手を振ってくる。

 

「いやぁ楽しかった。決闘に次ぐ決闘で満足だ」

 

「こりゃまた大勢倒れてるな。何人かはかなりダメージ負ってるし。修行僧のみなさんお疲れ様です」

 

 修行僧をねぎらう凛に、彼らは一礼を返してくれる。

 ときどき川神院の合同稽古に混ざる凛は、修行僧とも顔なじみになっていた。そんな彼らと話をしていると、百代たちのところへヒュームが現れ、その気配に気づいた凛もそちらへ向かう。

 

「遠くから見ていた。嬉しそうに戦うんだな、お前は」

 

「実に満足です。……ヒュームさんとも戦ってみたいな」

 

 そんな百代に対して、ヒュームは笑い声をあげながら答える。その間、凛を一瞥したようにも見えた。

 

「予言しておいてやる。いずれお前は負ける。こちらが用意したある対戦者によってな。冬までに無敗だったなら、喜んでお前の相手してやろう」

 

 その答えに俄然やる気になる百代だが、そんな彼女にヒュームは忠告する。瞬間回復に頼りすぎるな、自分は先祖から受け継ぐ技によって対処ができるのだと。それに、反論する彼女だったが、彼はそれを否定し、颯爽と去っていった。

 ――――俺が倒すつもりでいるのに、別に相手が用意されているのか?……ま、その相手が誰かは知らないが、強い奴なら必然的にぶつかることになるか。

 凛は、ヒュームが去っていったほうを見つめながらつぶやく。

 

「対戦相手ねぇ……」

 

 つぶやきが聞こえた大和は意外そうな顔をする。

 

「あれ? 俺は凛かとも思ったけど、その様子じゃ違うみたいだな。それじゃ義経か弁慶か? それにしては言い方が別にいるようにも聞こえたし」

 

「おもしろい展開じゃないかどんな相手がきても負けん。あのじーさんとも意地でも戦いたくなってきたしな」

 

 そう言うと百代は一子を連れて、さっさと稽古をしに川神院に戻っていった。それと同時に凛もみなと別れて別行動をとる。別れ際に、クリスが大和に向かって何かを叫んでいたが、彼には内容まで聞き取れなかった。

 そして数分歩いたのち、凛は車でリラックスしていたヒュームを見つける。彼が来るのを予期していたのか、ヒュームが先に口を開いた。

 

「で、凛は何が聞きたいんだ?」

 

「モモ先輩を倒す相手が、用意されてたなんて知りませんでした」

 

「当たり前だ。お前には言ってなかったからな。クラウディオにも言われただろうが、義経たちとも正式に戦える場所を近々、九鬼が整えるつもりだ。そこで勝ち続ければ、その相手とも当たるはずだ」

 

「それは聞かされました。そのときは遠慮なくいかせていただきます」

 

「それでいい。楽しみしていろ」

 

 ヒュームは車のエンジンをかけると、そのまま川神院の方角へと向かって走り去っていった。

 

「ま、やることは変わらないか」

 

 凛はその車を見送り、空を見上げる。日は西へと沈み、空には星が輝き始めていた。

 翌日、ファミリーはいつも通りに登校し、これまたいつも通りへんたい橋で、百代が挑戦者の相手をする。あっけなく吹き飛ばされた彼は、空の彼方へと消え、観客の生徒たちの歓声が沸き起こる。

 

「朝から決闘したあとは、べったりからみたくなるなぁ。でも弟と凛どっちにしようかなー?」

 

 そう言いながら、百代は人差し指を大和と凛の間で、リズムよく行ったり来たりさせる。そこにガタイのいい勇者が現れた。

 

「モモ先輩! 俺様もそこに加え……」

 

「だが、断る!」

 

 しかし勇者は、くい気味に発せられた百代の拒否という名の言葉の刃で、バッサリと切り捨てられた。若干涙目の勇者は、その場に立ち尽くしたままだ。そのわずかな間に、凛が思わぬ行動にでる。

 

「では、俺からからみましょう」

 

 そう言いつつ、凛は百代を後ろから抱きしめた――というより、腕の中に閉じ込めた。彼が彼女のお腹の下で手を組むと、それなりに身長差があるため、彼女はすっぽり覆われる形となる。周りからは、「きゃー」「おぉー」といった多くのざわめきが聞こえてきた。

 

「おま!? これは私からやるのがいいんであって、凛からやる意味ないだろ!? どうしたんだ? 今日は昨日と打って変わって……」

 

 その体勢のまま、百代が顔だけ後ろに向けた。そうすると必然的に、彼女は上目遣いになる。

 ――――さすが美少女。可愛い。

 凛はぎゅっとしたくなる衝動にかられるが、あまり調子にのると、あとが怖いため踏みとどまる。周りからすれば、十分危険な行為に見えるわけだが、彼の基準は百代とのスキンシップを経て、だいぶゆるくなっていた。

 

「いや、昨日モモ先輩が反応冷たいとか言うから、今日は熱めのスキンシップをと」

 

「おまえなぁ極端すぎるだろ。……んーでもちょっと安心する。合同稽古のとき思い出すな」

 

「甘えん坊ですね。モモ先輩」

 

「ちょっとちょっと! なんか甘い雰囲気になってるけど、そういう関係なの?」

 

 端からみるとイチャついているようにしか見えない2人に、卓也の突っ込みが入った。

 

「―♪。どう見えるモロロ?」

 

 そう言いながら、百代は体を反転させ凛を正面から抱きしめた。周りからは叫び声――いやそんな生易しいものではない声が、あちこちからあがる。どうやら我慢の限界がきたらしい。その大半は男子生徒のものだった。野太い絶叫の合唱となる。

 

「これはまずい! ほんの出来心で済まなくなる。一旦離脱! ……できない! 離れない!」

 

「離さない。私からもサービスしてやらないとな。ぎゅうっと」

 

 凛の慌てる姿に、百代の笑みはさらに深くなる。彼女の柔らかな肢体が、遠慮なく彼を蹂躙していった。

凛は素早く注意する。

 

「モモ先輩シャレにならないから。当たってるから」

 

「当ててるんだ。それぐらいわかるだろ? っと美少女のサービスタイム終了♪」

 

「ありがとうございます」

 

 百代は満足したのか、凛からヒラリと身を離すと同時に、岳人が胸元をつかんでガクガクと彼を揺らした。

 

「う・ら・や・ま・し・い・な! おい!」

 

 その揺れの中、凛は大和へと要請をかける。

 

「大和! あとで俺が、これから学園の百代ファンにどのような対応をとればいいか、献策を頼みたい」

 

 その大和はどうしているかというと、彼は彼で大変そうだった。

 

「京、別に抱かれたいわけじゃないから。うお」

 

「大丈夫。私は人の目なんか気にしない。さぁ思い切りくるんだッ!」

 

 大和は、京と負けられない戦いを強いられていた。ガッシリと両手で組み合った両者だが、やはり武士娘の有利には変わりはなかった。彼は、徐々に追い詰められ、勝利を悟った彼女は微笑んでいる。

 そんな2人をよそに、凛を解放した岳人が決意を新たにしていた。

 

「畜生! 凛のあの接触が羨ましいぜ。今度は俺様からも……」

 

「やめといたほうが身のためだぜ。あれは凛坊だからこその行動であって、ガクト坊がやるには難易度がウルトラC級だ。失敗が目に見えてる。これで涙を拭きな」

 

 松風が岳人にそっと忠告を行い、由紀江は彼にハンカチを渡す。

 そんな朝から騒ぎの中心にいるファミリーの元にご機嫌な声が聞こえてきた。

 

「りんりんりりーん♪」

 

 自転車を軽やかに進める清楚だ。今まで騒いでいたギャラリーもその姿を見て、荒んだ心を癒しているようだった。

 そして、そんな姿をファミリーの中でも、一番に見つける奴がいる。

 

「おい、見ろ。葉桜先輩だぞモロ!」

 

「ガクトはさすが立ち直りも早いね。って、ほんとだ。自転車から降りる姿も絵になるね」

 

 岳人はもうさっきのことを意識の外へと放り出したらしい。百代の隣で自転車を降りた清楚が挨拶する。

 

「モモちゃん、おはよう」

 

「おはよう、清楚ちゃん。おっぱい揉んでいいかな?」

 

「ええっ!?」

 

 挨拶代わりに、エロ発言を清楚にかますのは、学園広しと言えど百代くらいしかいないだろう。その言葉に、清楚が顔を赤らめる。その反応に、男子生徒が反応するという化学変化が、橋の上では起きていた。

 「冗談だ」と言いながらスキンシップをとる百代。昨日の今日だというのに、彼女はすでに清楚と仲良くなっていた。どうやら、昨日のうちに口説きに行ったらしい。

 心なしかやつれた凛が大和に話しかける。

 

「さすがモモ先輩だな」

 

「あれ? 凛、少し疲れてないか?」

 

「そういうお前もな。モモ先輩のファンクラブ会長と話をつけてきた」

 

「ははは、ご苦労さん」

 

 凛と大和は互いの苦労を労っていると、岳人の思いがこもった咆哮が響いた。

 

「モモ先輩! 紹・介・し・て・く・れ・よ!!」

 

 2人がその声のするほうへ顔を向ける。

 

「なんかガクトが血の涙を流しながら懇願してるな」

 

「葉桜先輩と知り合うチャンスだからね」

 

 視線の先では、なんとか紹介してもらえた岳人が、キメポーズをとりながら清楚に自己紹介を始めていた。

 

「初対面で結婚を前提にってお見合いじゃないんだから」

 

「しかもサラリとあしらわれたな。でも満足そうなガクトがいる」

 

 凛と大和はそんな話をしながら、清楚を交えた会話の中に混じっていく。

 会話が一段落つくと、清楚は自転車(スイスイ号)に乗って、軽やかに学校へ向かっていった。その姿を見送った凛が言葉を発する。

 

「しかし、身のこなしが軽やかだったな」

 

 隣に来た百代も、不思議に思っているのか、腕を組みながら感心していた。

 

「あれで運動神経抜群だからな……ミステリアスだ」

 

「でもそこがいい! 謎の多さも魅力の一つ!」

 

 岳人が拳に力を込めながら力説し、百代もそれに頷きを返す。

 

「だよな。ぶっちゃけ可愛ければなんでもいいよな」

 

 盛り上がる2人にやれやれといった感じで周りは流す。

 そんな中、凛は清楚の向かった先を見つめながら、何かを考え込んでいた。

 

「なんだ凛? 清楚ちゃんにキュンっとこないのか?」

 

 それに気がついた百代が、お返しとばかりに後ろから抱きついて、肩に顎を乗せて尋ねてくる。

 

「もちろんキュンときた。でも、今のモモ先輩にもキュンときてる」

 

 凛は、目を合わせながらささやくように百代に伝える。それを聞いた彼女は上機嫌になるが、その表情には顔が近すぎたためか、わずかな照れがあった。

 そこに、新たな人物が現れる。

 

「みんな、おはよう」

 

「今日も快晴で川神水が美味いっと」

 

 義経と弁慶の主従コンビだった。そのだいぶ後ろを与一が一人だらっと歩いている。自分達と一緒の登校を照れている、というのは弁慶の言だ。

 それを聞いた岳人が大げさに首を横に振る。

 

「可愛い女の子と歩くことを拒むなんて、アホのすることだぜ。同性のやっかみ視線が実に心地いいんですけどねぇ」

 

「俺はそれが一定のラインを超えたとき、死線になることを今日知った」

 

「天国と地獄を味わったみたいだな。よしよし」

 

 岳人の言葉を聞いて、先ほどのことを思い出し、体を震わす凛と彼を慰める百代。

 

「もう本当に大変だったんですよ、モモ先輩」

 

「あとから私もちゃんと言っておくから、気にするな」

 

「頼みますよ。お返しに俺も撫でてあげます。よしよし」

 

 そこにさらに乱入してくるものがいた。

 

「いっただきぃぃぃぃー!!」

 

 バイクに乗った男が、凛と百代から離れた場所――道路に背を向けた義経が、学園で力になると言った岳人と翔一に握手をしようと、カバンを脇にはさんだ瞬間を狙い奪っていく。すぐさま追撃をかける由紀江の斬撃も、バイクの機体に傷をつける程度だった。次に、弁慶が小石を投げつけるが、男は運転しながら飛来する石を裏拳ではじく。その間、一子が走って追いかけていたが、バイクとの距離は離される一方だった。

 

「どうやら見せ場が来たようだな」

 

 凛は一人そう言いながら、どこから持ってきたのか拳大の石ころを持ち、道路に躍り出る。幸い今は車が来ていない。百代が、肩をぐるぐる回す彼の姿に疑問をもつ。

 

「凛のやつどうしたんだ? というか、なぜあんなやる気なんだ?」

 

 やる気満々の凛を見ながら、大和がその疑問に答える。

 

「ああ、昨日俺が借りてた野球漫画読みふけってて――」

 

「それで影響受けてるのか? 単純なやつだな」

 

「正直、犯人のほうが心配だ。凛あれ読んだあと、練習しに外出てったからな」

 

 みなが見守るなか、凛は大きく振りかぶり、流れるような投球モーションに入る。鞭のようにしなる腕から放たれる石ころ。それは、人が投げた物とは思えない轟音をあげながら、バイクに向けて一直線に進んでいく。地面と並行に飛んでいくそれは、レーザービームのようであり、それが通り過ぎると、歩道を歩く生徒たちは風を感じているようだった。だが、ひったくりも負けてはいない。距離を稼いだ分、安心していたのか反応が少し遅れるも、もう一度裏拳を繰り出そうとしている。

 

「俺のストレートはキレが違うぞ」

 

 凛が一言付け加えた。そこで、石の異変に気づいた百代と由紀江。

 

「というか、あの石ころ凛の気がうっすらこもってるぞ」

 

「本当ですね……よく見なければ気がつきませんが。だから、あんな速度でも砕けてないんですね」

 

「本人は全然意識していないみたいだけどな。そんなに披露したかったのか?」

 

 石ころを目で追う百代と由紀江の会話どおり減速することなく、犯人の背中へと吸い込まれるようにして、石ころは見事に命中する。犯人はその威力に体ごと吹き飛ばされ、バイクは主をなくしたため、横転し道路を滑っていった。吹き飛ばされた犯人は、ガードレールにぶつかるも、鍛えられているのかふらつきながらも、再度逃げようとする。しかし、数歩歩いたところで膝から崩れ落ち、前方から現れた九鬼の人間に取り押さえられていた。

 

「ストラーイク!」

 

 ガッツポーズをとって喜ぶ凛。その一部始終を見ていたギャラリーたちは、一瞬の呆然ののち、賞賛の声があがる。そんな中、ファミリーはというと――まず翔一が口を開く。

 

「今度野球して遊ぶ予定だったが、凛にピッチャーさせるのは禁止だな」

 

「それは俺様も同感だ。というか、キャッチャーもとれねえだろ!」

 

 岳人は自分がキャッチャーをやっているところを想像したのか、顔を少し青くさせている。そこに、追撃にでていた一子が戻ってきた。

 

「すごいスピードだったわねー」

 

「犯人もあれをくらって動いてたんだから、地味に凄いけどね」

 

「只者ではなさそうだな」

 

 卓也とクリスは、犯人のしぶとさに驚き、その隣で京と大和、由紀江が呆れていた。

 

「弓矢で狙うならわかるけど、まさか投擲で当てるなんて凛も滅茶苦茶だよね」

 

「確かに言えてるな。……いや深くは考えない。凛だから仕方ない」

 

「モモ先輩なら走って撃墜できたでしょうから……そういう考え方がしっくりきますね」

 

「再度、凛△!」

 

 松風が絶賛する中、九鬼の従者から無事かばんを受け取った義経は、凛と百代が話しているところに近寄ってくる。

 

「凛、ありがとう。義経は感謝する」

 

「どういたしまして。でもどっちにしろ、橋の向こうで待機していた九鬼の人達が、捕まえていたと思う」

 

「それでも凛は行動して、取り戻してくれた。ありがとう」

 

 義経たちを加えた登校は、いつもより賑やかになり、人目をひくものとなった。その視線に気づいた岳人が、得意げにしていたのは言うまでもない。

 



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『最初の一歩』

 昼休み。それぞれが食事をとり終え、残りの時間を思い思いに過ごす中、凛は教室で忠勝とファミリーの女の子たちと一緒にいた。大和は早々に昼寝をしにお気に入りスポットへ、翔一は風の如くいなくなり、卓也は大串スグルと教室を出て行った。岳人もなにやら集まりがあると言葉を濁し、気がつくといなくなっていた。

 

「ほら、源さん出してあげよう」

 

「わかってる。そう急かすな」

 

「どうしたの? 2人とも」

 

 凛と忠勝がごそごそしていると、それを不思議に思った一子が尋ねてきた。そんな彼女の前に、一つの袋が置かれる。白い紙袋の中にビニール袋と二重になっているそれは、淡いピンクのリボンで口元を結んであった。このリボンについては、いかがなものかと2人を悩ませたが、結局採用されたものだった。

 

「この匂いは……ドーナツか!?」

 

「正解。男連中の分もあったんだけど、いないのは仕方がない」

 

 クリスは袋をあける前に、かすかな匂いで気づいたようだ。一子も僅差でわかったようで、隣で悔しそうにしていた。

 凛が彼女たちに見えるように袋を広げる。顔を出したのは、4種類のドーナツだった。どれも一口大のサイズである。

 

「シナモンシュガーにチョコ、きなこ、ノーマルを用意してある。源さんと作ってみたんだ」

 

「これは……おいしそう」

 

 京も本から目をはなして、ドーナツにその視線をむける。

 

「ほら、ワンコは俺と源さんの料理楽しみにしてたろ? その機会がなかったの源さんに言われてな。なら、何か作れるものはないかってことになって、このドーナツになった」

 

「たまたま材料が余ったから、おまえに相談しただけだ」

 

 凛が作った理由を話してしまったが、忠勝は理由が違うと反論した。どちらも正しそうな理由だが、彼の普段の行いを知る一子は、笑顔でお礼を述べる。

 

「たっちゃん……ありがとう」

 

「別に礼を言われるほどでもねぇよ。礼なら凛に言っとけ。夜も遅かったが、手伝ってくれたからな」

 

 忠勝が素直に言葉を受け取らなかったのは、いつも通りだった。それでも一子には、それが彼なりの精一杯だとわかる。

 一子は凛にも向き直って、再度礼を言う。

 

「凛もありがとう」

 

「どういたしまして。食べてみて。かなりの自信作だから」

 

「うん。いただきます……まぐまぐ。……お、おいしいー」

 

 そう言うと一子の笑顔はさらに輝く。もし、犬耳があればピンとたっていたであろう。もし、尻尾があればそれは左右に大きく振れていただろう。誰から見ても彼女は、嬉しそうだった。そんな彼女を見る忠勝も嬉しそうにしていたが、凛の視線に気づいた彼は、咳払いでごまかすのだった。

 凛は、今か今かと待ち受けているクリスとあくまで冷静な京にも薦める。

 

「クリスも京も食べてみてくれないか? 日頃お世話になってるお返しだ」

 

「その言葉を待っていたぞ凛。いただきます! …………口の中が幸せだー」

 

「それじゃあ私も。…………さすが、としか言いようがないね。おいしい」

 

 2人とも笑顔で感想を口にしながら、ドーナツを食べる。その姿に凛はほっとする。そこに、匂いにつられた他の生徒が寄ってきた。

 

「ちょっといい匂いさせすぎじゃねぇ。アタイを言葉じゃなく、物で釣ろうとしてるのかよ」

 

「本当にいい匂い。これで引き寄せられないのは嘘ね」

 

「夏目くんたちが作ったの? いい匂いだね。食べなくてもわかるけど、やっぱり味わってみたいよね」

 

「はぅあー女の子の弱点を見事に突いてくる匂いですねー」

 

 羽黒、千花、満、真与だった。その後ろにも何人か女生徒が続く。

 そして、この展開を予想していた凛と忠勝は、まだ空けていない袋を開ける。

 

「よかったらどうぞ。一応、みんなも食べられるように、多めに作ってきたから」

 

 その言葉に、2-Fは歓声に包まれる。それぞれ一個ずつになったが、それを友と分け合ったりしながら、ワイワイ食べるクラスメイト。

 凛と忠勝は邪魔にならないように、後ろの席に移動して、その様子を眺めていた。

 

「喜んでもらえてよかったな、源さん」

 

「巻き込んじまって悪かったな。俺一人で菓子を作るのも変だったからよ」

 

「いや、俺の提案でたくさん作ることになったからお相子だ。源さんはワンコの笑顔が見れてよかったろ? その手伝いができてよかったよ」

 

「!? 凛おまえ……いや、ありがとな」

 

 ニコニコしている凛に、忠勝ははっきりと言わないまでも否定もしなかった。

 これまでの態度や今日のことで、凛は確信をもった。そして、彼はドヤ顔にサムズアップを付け加え、エールを送る。

 

「頑張れ源さん! 俺は結構お似合いだと思ってるから」

 

「そういうことは、自分の彼女ができてから心配したらどうだ?」

 

 忠勝の鋭い返しに、凛は胸を押さえながら苦笑を浮かべる。その様子に、彼はしてやったりの悪い笑顔だった。

 

「うぐっ……これは痛いところを突いてくる。でも、やっぱ嬉しそうな顔を見るのはいいもんだし」

 

 そこに、一子がドーナツを一つ掴んで駆け寄ってくる。

 そのとき、凛は重大な事に気がついてしまった。英雄も彼女に好意をもっていたことだ。忠勝の応援をしたことに後悔はないが、彼のことも知っている以上無碍にはできない。

 その事実に、凛は一人頭抱える。そんな彼をよそに、微笑ましい雰囲気を作る2人。

 

「たっちゃん、これもおいしいわ! 半分あげる」

 

「これはおまえらに作ってきたんだよ。遠慮せずに食え」

 

「一緒に食べたほうがおいしいじゃない。はい」

 

「あぁもうわかったから、口に突っ込もうとするな」

 

 昔からの幼馴染――そこには長い年月をかけた確かな絆があった。遠慮なくじゃれる一子は、楽しそうに笑い、忠勝はそんな彼女の頭を撫でる。そんな一種の甘い空間を衆人環視のもとで作っていたことに、あとで気づいた彼も一人頭を抱えることになる。

 そして、あっという間に放課後。凛はファミリーと別れて、紋白とともに学園を出たところだった。彼女の手には、4種類のドーナツが入った袋がある。

 

「外はサックリ、中はモッチリ。んー美味である!」

 

 紋白は、キラキラした目で凛を見て感想を言った。もちろん満面の笑みである。

 

「喜んでくれて嬉しいよ」

 

 そんな紋白を見ていると、凛は自然といつもの行為を行ってしまう。撫でられた彼女の銀髪は、何を使えばこれほどのツヤが保てるのかというくらいに綺麗だった。それを受け入れる彼女であったが、我に返ると彼に詰め寄る。

 

「って、なぜすぐに撫でる!?」

 

「いや紋白の魅力が、とどまるところを知らないからじゃないか?」

 

「ふむ。それなら仕方がないな。許す!」

 

 理由が納得いくものならば、構わないもののようだ。凛から自然と笑顔がこぼれる。

 

「ありがとうございます。お姫様」

 

「フハハハ我は支配者だぞ。断じて、お姫様などではないわ!」

 

 凛の軽口に、紋白は笑いながら間違いを正すが、口元にくっついたそれがその威厳のすべてを突き崩していた。彼は、それをさっととってやる。

 

「ドーナツの欠片をつけながら、言われても説得力ないぞ。ほら」

 

「むぐぐ。いつもならこんな失態はせんぞ。たまたまだからな」

 

「わかったわかった。それより、もう仲吉に着くぞ」

 

 凛の軽い態度に、信じていないと思ったのか紋白は、再度念をおす形で「偶然だぞ」と言葉にする。老齢の通行人や店番をしている者たちは、そんな2人を微笑ましげに見つめていた。ちなみに仲吉とは、仲見世通りにある葛餅の老舗であり、生徒からも人気のある店の名である。

 

「しかし、ついにあの葛餅パフェを食すことができるのだな。凛のドーナツからパフェ……我はなんと贅沢な時間を過ごしているのだ」

 

 気持ちはすぐさまパフェに向かう紋白。彼女の楽しみにしている葛餅パフェとは、今日から仲吉のメニューとして出されるもので、その情報を事前に仕入れていた2人は、それを初日に食べるという約束をしていたのである。ヒュームが護衛についてはいたが、気配のみで姿を見せず、会話に入ってくる様子もなかった。

 そして仲吉に着いた2人は、店の一番奥の席についてパフェを注文する。待っている間、今日あった出来事などを話しているとすぐにパフェがやってきた。それを見た紋白の目は、またもやキラキラと輝き始める。彼女は、食べる前にしっかり手を合わせ、「いただきます」と言ってからパフェにスプーンを入れた。そして、それを慎重に口に運び……味わうと同時に笑顔でうなりながら、手足をパタパタさせる。

 凛はその様子だけで十分理解したが、紋白に感想を求めた。

 

「どうだ? おいしいか?」

 

「凛も食べてみるがいい! 大変……大変美味であるぞ!」

 

「そうさせてもらう。……うん。甘さがくどくなくて、おいしいな」

 

「なんだ、その素っ気無い感想は! 葛餅とパフェのコラボレーションだぞ! 我など体全体でおいしさを表現したというのに!」

 

「いや、あれは反射的にバタバタしちゃっただけだろ? 俺がやったらどうなると思う? キモイどころの話じゃ済まなくなるぞ」

 

「フッハハ凛がやってるところを想像してしまったではないか。フフ……パフェが食べられん……フフ」

 

 凛が180cmの体でパタパタ……いやバタバタしているところを想像して、笑いをこらえる紋白。ツボに入ったのかプルプルしながら堪えている。その間も彼はパフェを口に運んでいく。

 

「紋白が言い出したことだぞ。んーそれにしても食べやすいな」

 

「フフ……って凛、そんなパクパク食べてはすぐになくなってしまうぞ。もっとよく味わって食べないか!」

 

「コイツの魅力に抗うことができない俺を許してくれ、紋白」

 

 凛は少しオーバーなリアクションをとりながら、さらにスプーンで葛餅をすくう。そして、その手を震わせながら、一気に口の中へと放り込む。

 

「確かにコヤツは強敵よ。我をもってしても抗うことが難しい。仲吉め、恐ろしい商品を開発してくれるわ」

 

 2人は楽しくパフェを食べていった。

 そして食べ終わったあと、話題は義経たちのことに移る。紋白の様子から、どうやら一番話したかったことのようだ。その話を要約すると、馴染もうと頑張っている彼らのために、歓迎会兼誕生会を開きたいと考えており、それを生徒主催の学生らしいパーティにしたいということだった。しかし、それにはかなり大きな問題があった。

 

「6月12日……つまり明後日までに準備することが必要か」

 

「うむ、人を集めるだけでなく、文化祭レベルの華やかさもほしい。だが、我には1年生以外に影響力がない。……そこで、なのだが……その、えっとな…………凛?」

 

 紋白は急にもじもじし、声が小さくなる。いつもの様子とは正反対な態度の彼女に、凛は首をかしげた。

 

「紋白?」

 

「その…………我に、ち、力を貸してはくれぬか?」

 

 紋白は意を決し、自分の服をぎゅっとにぎりながら、まっすぐ凛を見つめて頼む。

 紋白にとって、これを実現させる一番手っ取り早い方法は、兄である英雄に頼むことだった。兄に頼れば、それこそ妹の発案に、喜んで力を貸してくれただろう。しかし、手のかかる妹だと思われるのが怖かった彼女には、それができなかった。彼女にとって、人に頼るというのは迷惑がかかる行為にあたり、ひいては愛想をつかされることにつながるのではないかと不安を抱かせるものだった。彼女がここまで神経質に考えてしまうのは、その生い立ちにも関っている。そんな彼女だからこそ、友として接してくれる凛に頼るという行為は、かなりの勇気を有するものだったのだ。

 しかし、これは紋白の考えであって、それが凛にあてはまるというものではない。

 

「もちろんだ。と言っても、俺の力だけじゃ難しそうだから、援軍を呼んでもいいか?」

 

「え? ……いいのか? 本当に、迷惑……じゃないか?」

 

 紋白は、即答してくれた凛が信じられないのか、目をパチパチさせた。そんな彼女が落ち着くように何度か撫でると、彼はゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「むしろ頼ってくれたことが嬉しいぞ。紋白はなんか難しく考えているみたいだが、俺くらいには我が儘とか思ったことを素直に言えばいい。ただでさえ、いろんなしがらみがある立場なんだ……それをわかってやることはできないかもしれないが、俺といるときくらい、ただの紋白でいても許されるだろ? 友人の前なら、慌ててもいいし、お菓子のクズをつけててもOKだ。もちろん俺が頭を撫でたくなったら撫でるのもOK」

 

 そう言うと凛は、再度少し強めに紋白の頭を撫でてやる。ヒュームの気配がなかったのは、彼なりの気遣いなのかもしれない。今はそれをありがたいと思う。

 

「あうぅ……しかし……」

 

「今はヒュームさんもこの場にいないから、今まさに紋白は九鬼紋白ではなく、俺の可愛い友である紋白だ。身内に甘えにくいなら、友に甘えなさい……とちょっと格好良く言ってみる」

 

 少し恥ずかしくなったのか、凛はおどけてみせる。そんな彼を見て、紋白も笑顔を見せる。

 

「フフ……では……そ、そのもう少し……」

 

「撫でればいいか?」

 

 紋白は返事をせずに、頷きだけを返す。それに対して、凛は自分の隣にくるよう指し示した。彼女は少し躊躇したが、オズオズと席を移動してくる。

 凛は紋白の願い通りに撫でながら、言葉を続ける。

 

「まぁこれから少しづつ慣れていけばいい。とりあえずは、目の前の課題をささっと片付けるか」

 

「そうだ! で、結局どうするのだ?」

 

 頭に手を置かれた状態の紋白が、凛を見上げる。その姿はまるで小動物のようで、その愛らしさたるや子犬や子猫に負けず劣らずであり、普段からのギャップと相まって、覚悟していた彼でさえノックアウト寸前であった。しかし彼はそれに耐え、彼女に話しかける。

 

「俺もまだ川神に来て日が浅いが、この件で最も力を発揮してくれる奴がいるから、早速連絡する」

 

 凛はそう言うやいなや、携帯で連絡を取り始める。

 

「――――てことで、大和おまえの力を借りたい。ああ、明後日だ。……そうだ。今? 仲吉にいる。…………俺はどうやら運がいいみたいだな」

 

 大和はどうやら仲吉の近くにいるらしく、すぐにこちらに合流することとなった。紋白は電話が終わったことを確認して、凛に話しかける。

 

「直江に電話をしていたのか?」

 

「そうそう。力貸してくれるって、2人のパフェを頼んどこう」

 

 凛は店員に呼びかけると、パフェを2つ追加した。電話が終わってからしばらく経って、大和とクリスが店に入ってくる。2人も仲吉のパフェを目当てに来る途中だったらしい。早速そこで計画を練り、大和が各種必要な許可や料理などの手配、クリスは2-Sのマルギッテを通じての呼びかけ、凛は3-Sの京極先輩を通じての呼びかけなどをこなしていく。ファンクラブの会長も快く引き受けてくれたことに感謝しつつ、いつ何が役に立つかわからないと改めて実感する凛だった。

 大和とクリスが来てから、それなりに時間が過ぎた。紋白自身も何かと忙しい身だ。凛は帰宅を促さないと、責任を感じ帰ることもできないだろうと思い、彼女に声を掛ける。

 

「紋白はそろそろ帰る時間じゃないか?」

 

「…………うむ。では頼んだぞ、凛、直江、クリス」

 

 紋白も時間が迫っているのはわかっていたらしい。自分から言い出したことであるため、本心では残りたいが、私事で組まれているスケジュールをキャンセルもできない……しぶしぶといった感じで後事を託す。

 

「まかせておけ。後輩に力を貸す先輩。これこそ義だ」

 

「ファミリーの頼みとあっちゃ頑張らないわけにはいかないからな」

 

 クリスと大和が紋白に言葉を返す。

 

「義経たちは2年だから、本来俺たちがやってやるようなことだ。その代わり、当日はその力……期待しているぞ」

 

 凛は安心しろという思いを込めながら、ポンポンと紋白の頭も撫でた。彼女は一度頷くと店を出る前に、凛たちに手を振って帰っていく。店の入り口には、ヒュームの姿も見えていた。

 2人の姿を見送ったあと、凛は作業を続けるクリスと大和に声をかける。

 

「悪かったな、大和、クリス。大変なことに巻き込んで」

 

「さっきも言ったが、後輩に力を貸すのは当然だ。凛には世話にもなってるしな。義経たちのためでもある! 気にするな」

 

「紋様の覚えもよくなるし、俺としては悪い話じゃないよ。それに、紋様のあの様子を見ているとほっとけないって気持ちもわかる」

 

「ありがとう。……3年生の方はなんとかなりそうだ。京極先輩とも話ついたし、矢場先輩も喜んで力貸してくれるって。モモ先輩は鍛錬中かな? 電話にでん」

 

 凛に続いて、クリスが大和へ報告する。

 

「自分の方も2-Sは大丈夫だ。マルさんが力になってくれる。葵冬馬たちも協力してくれるそうだ。井上が物凄くはりきってるらしい」

 

「ああ、俺がメールで先に連絡入れておいた。紋様がお前の力を必要としているって」

 

 凛は先ほど送ったメールを見る。返信がくるまで10秒もかからなかった。

 ――――準は、紋白の忠実なる僕と自称するぐらいだからな。紋白のためなら、たとえ火の中でも本当に飛び込みそうだ……そして生きて帰ってくるぐらい平気でしそう。

 大和が、紙に書き出した要項にチェックをつける。

 

「人の方はクリアだな。あとは――――」

 

 諸々の案件を片付け、ようやく一段落つけたときには、夜がすぐそこまで迫っており、残りは寮でやることになった。

 凛は帰り道の途中、ふと思いついたことを口にする。

 

「これが成功したら、大和とクリスの好物で打ち上げだな」

 

「本当か!? 俄然やる気が湧いてきたぞ! 自分はいなり寿司を頼む。それからな、それからハンバーグにエビフライに、魚ならさばの味噌煮もいいな。ぶりの照り焼きなんかもいい。あー他にも中華のエビチリとか……あの角煮ももう一度食べたいな。うーん、食べたい物が多すぎて選べない!」

 

 クリスは指折りに数えながら、候補を絞れないことにうなった。大和が隣を歩く凛に話しかける。

 

「凛の腕は前の食事でわかってるからな。俺はおまかせでもいいか?」

 

「おう。まかしておけ」

 

 クリスは好物が食べられるとあって、鼻歌を歌いながら先頭を歩いていく。そんな様子に苦笑しながらついていく凛と大和。

 まだ成功したわけではないため、感謝の言葉は早いだろう。それでも礼を言わずにはいられなかった凛は、せめて心の中で、手伝ってくれた2人に礼を述べるのだった。

 その後は、クリスが出す料理の案を取捨選択したり、帰宅してからのやることを確認したりしていると、あっという間に寮に着いた。やるべきことはまだまだあったが、帰宅後はファミリーの協力もあり、日付が変わる頃には大方の目処がつくことになる。

 歓迎会まであと2日。

 



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『有名人(※西日本に限る。東はこれから)』

 朝のHR。凛は歓迎会の目処がついたことに、改めて感謝の言葉を口にする。

 

「それにしても本当に助かった。大和もクリスもありがとな」

 

「何度もお礼を言いすぎだ。もう十分受け取ったぞ」

 

「クリスの言うとおりだ」

 

 そんな凛の態度に、苦笑しながら答えるクリスと大和。

 

「こら! 夏目。HRは始まっているんだぞ! 静かにせんか!」

 

 話し声を聞き取った梅子から、教育的指導が入る。手首のスナップをきかせた鞭が、まるで生きている蛇のように凛に向かっていく。

 

「うっ! すいません! 以後気をつけます!」

 

 指導を甘んじて受けた凛は、体育会系のノリで謝罪をした。梅子はそれに頷きを返すと、教室の後ろのドアが空いていることを目敏く見つける。そして、この場でまだ来ていない生徒は一人のみ。彼女の鞭が、こそこそ移動する標的に向かう。

 

「わかればいい。福本―! こそこそ入ってきているのは、わかっているぞ! なぜ素直に遅刻を告げにこない!」

 

「はうっ! うっ! 痛気持ち……すいません。実は――――」

 

 そこまでは、いつもと変わらないHRの時間だった――。

 しかし、2人の生徒が校庭に現れたのを切欠に、静かな朝が途端に騒がしくなっていく。退屈そうに外を見ていた岳人が卓也に話しかける。

 

「なんかモモ先輩のクラスがゾロゾロと出てきたぜ」

 

「どうしたんだろうね」

 

 その騒ぎに、2-Fの生徒たちも校庭を気にし始めた。まだHRが終わっていないため、窓際の生徒しか外の様子を確認できない。

 梅子が窓際に寄り、校庭の様子を確認しながらつぶやく。

 

「おかしいな。今朝は決闘を行うなど聞いていないが」

 

「先生! ここから見学してはダメでしょうか?」

 

「ふむ。……まぁいいだろう。伝えたいことはもうないからな。見たい者は、移動しても構わんぞ。他はHR中だから、外に出ることは許さんぞ福本―!」

 

 梅子は挙手した生徒に許可を与える。しかし、外に出ることは許されず、鞭で拘束される育郎。他の生徒たちは、即座に窓際へ移動を開始した。

 一子が姉の姿を見つけ、声をあげる。

 

「あっお姉様ともう一人……誰かしら?」

 

「ん? あれは屋上で出会った美少女」

 

 大和は百代の隣を歩く対戦相手と面識があったようだ。岳人が校庭から視線をはずし、後ろを振り向く。

 

「なんだよ! 大和はもう知り合いか!? 後で紹介頼むぞ!」

 

「大和、また知らない女の人とフラグ立ててる」

 

 それに続いて、京が外の様子を伺いながら口を尖らせた。クリスが、いつぞやの騒ぎを思い出し笑う。

 

「初めて見る顔だな。でも、こうしていると凛の転校初日を思い出すな」

 

「すごい衝撃だったもんね。まさか同じような展開になるのかな?」

 

 卓也もそのときのことを思い出し、今回の相手にも期待する。川神の生徒の多くが、彼と同じ期待をもっているだろう。その間も校庭では、さらなる動きがあった。

 

「ねぇねぇ見て。武器がたくさん並べられているわ。もしかして、全部使うのかしら?」

 

 一子の言葉通り、校庭の中央にたつ女生徒の後方には、様々な武器が置かれていた。どうやら、彼女が使うようだ。ルーが2人の間に立ったことで、戦いがもう始まるとわかった生徒たちは、固唾をのんで見守る。

 ――――この気配……まさか納豆小町?もとい燕姉。こんな時期に西から?銀子ばあちゃんからは何も聞いてないぞ。

 合図がかかった瞬間、女生徒の闘気が大きくなる。凛はその外見と闘気に心当たりがあったが、とりあえずはその2人の戦いを見守ることにした。

 始まった戦いは、どこか凛と百代の組み手を想起させるものだった。一つ違うのは、その女生徒が拳ではなく、武器を見事に扱っていることである。彼女はヌンチャクを使っていたか思うと、今はもう薙刀を掴み振っていた。

 卓也がその姿を見て、首をひねる。

 

「僕どっかであの人見たことあるな。なんだっけ?」

 

「納豆小町だろ?」

 

 即座に凛が答えを示す。卓也は、そのキーワードにピンときたようで、携帯を取り出した。

 

「そうだ! 西の有名人! 凛は京都にいたんだもんね。えっと……これだ」

 

 素早く検索を行って、納豆小町のポスターを画面に表示させた。それを岳人が、横から覗き込む。

 

「うおぉー可愛いじゃねぇか。それくれ! 携帯に送ってくれ! ハァハァ」

 

「自分で検索してとればいいのに」

 

 2人がそんなやりとりをしている間にも、女生徒の武器は弓矢へ、そして次に槍に変わる。ここで、梅子がその女生徒は3-Fに転入してきた松永燕――黒髪黒目の京都美人。大きな目が陽気さを感じさせる。腰には武器でも入りそうな装備がある――だと紹介し、その技の豊富さに賞賛を送った。

 大和は戦いから目を離さないまま、感心する。

 

「凛に続いて、二人目の姉さんを相手どれる人物が現れるとは……」

 

「うはぁやべぇなー。なんなんだよ川神学園! すげぇ奴等がどんどん集まってきてるぞ!」

 

 翔一が熱気にあてられテンションをあげ、クラスメイトも彼同様、その戦いぶりに見入っていた。

 みなが注目している中、燕の武器は次々と変わる。太刀に鞭、三節昆、スラッシュアックスとそのすべてを使いこなし、魅せる戦いをしていたが、それは長く続かなかった。

 

「あれ? 松永先輩が武器を下ろしたわ。どうしたのかしら?」

 

 熱心に見ていた一子が、京に話しかける。

 

「HRももう終わりだからじゃない?」

 

 その疑問に京が答えた瞬間、HR終了のチャイムが鳴った。そして、2人が互いの健闘を称えあい握手をすると、それを見学していた生徒から歓声があがる。他のクラスも2-F同様に観戦していたようだ。その歓声を聞いた燕が、ルーへと近づいていく。

 

「ん? なんか松永先輩がマイク握ったぞ」

 

 生徒の一人がつぶやいた。

 燕がマイクを持ち、「あーあー」とマイクテストを始めると、歓声をあげていた生徒たちは、空気を察し静かになっていく。

 ――――あーきっと宣伝するんだろうな。こうゆうチャンスは逃さない人だし。商魂たくましいところは、銀子ばあちゃんも気に入ってたしな。

 凛は、燕がなぜマイクを握ったのか大方の予想がついた。そして、彼の予想通り、彼女は声援に感謝したあと、自身が売り出している松永納豆の宣伝を行う。健康に良いのは言わずもがな、自分がここまで粘れたのはこれのおかげ、試供品もあるからと生徒に向かって売り込んだ。そんな彼女に対しても大きな歓声が沸き起こる。

 

「松永納豆、西ではかなり有名だからな。ポスターと一緒に」

 

 凛の言葉に、育郎が千花へ提案する。

 

「そりゃこれなら俺も買うわー。スイーツもこんな感じで飴を売り出せばいいんじゃね」

 

「そ、そうかな。」

 

 案外まんざらでもなさそうな千花。

 

「メスの魅力はアタイと互角ってところかー?」

 

 羽黒の発言は、静かな教室によく響き渡った。皆は1限目の授業をするべく、席へと戻っていく。

 そして昼休み。凛と大和、翔一はプールサイドでご飯を食べていた。なぜこんな場所で食べているかというと、理由は単純――昼から急に蒸し暑くなったのである。涼みスポットに移動したはいいが、それでも暑いのか、3人とも時折服をパタパタとさせて、風を送りこんでいた。

 我慢できなくなった凛が大和にお願いする。

 

「蒸し暑い! 大和、なんか涼しくなる魔法唱えてくれ」

 

「そんなもの習得した覚えがない!」

 

 そして、再度服をパタパタさせる大和。そこに、翔一が勢いよく立ち上がった。

 

「仕方ねぇなぁ。凛! 俺が! この苗字に風の入った風間翔一が風をよんでやるぜ!」

 

 ビシッとポースを決めると、翔一は一人うなり始める。

 

「さすがキャップ! 人の出来ないことをさらっとやってのける。そこに痺れる憧れる!」

 

 凛がやんやと声援をおくった。大和はそんな2人を保護者のような目で黙って見守っている。

 そして、ついに完成したのか、翔一が天へと両手を振りかざした。

 

「ぬぬぬぬ。俺の眷属たる風よ。吹けぇ!」

 

「吹き荒れよ風。カモン、ストーム!」

 

 凛も座ったまま、雲ひとつない空へと両手を上げる。

 

「……なんかキャップの台詞は与一っぽいし、風吹かないし。凛のはあれか? 台風呼ぼうとしてるのかな?」

 

 すかさず大和は2人にツッコミを入れた。それに同じ言葉を返す2人。

 

「「ま、これは時間差で効果が出るんだよ」」

 

「なら、期待しとくか。…………って、凛のはダメだろ!」

 

 またもツッコむ大和だったが、当の本人たちはやりきった顔をして、食後のデザートに夢中だった。

 

「というか、このロールケーキおいしいな」

 

「川神ラゾーナのロールケーキだ。凛も気に入ったか? しかし、量がないのが残念だ。ぐぬぬぬ…………よし買ってくる!」

 

 翔一は思い立ったが吉日と言った様子で、すぐに行動を開始し、2人の言葉を聞かずに、柵を飛び越えて姿を消す。するとそれを合図にしたかのように、プールサイドに風が吹きだした。

 凛は翔一が消えていった方向を向いて叫ぶ。

 

「おお、本当に風吹いてきた。涼しい。キャップーーーありがとーーー」

 

「いやもう聞こえないだろ? 一つ確認しておきたいけど、嵐の方は冗談だよな?」

 

「……」

 

「なんか喋れ! 無反応とか何気に怖いだろ!」

 

 凛は、噛み付く大和をなだめ、2人はそのままゴロンと寝転がる。そよ風にふかれるプールサイドは、心地よい空間になっていた。

 凛がどうでもいい話題を振り、大和は携帯をいじりながら、適当な相槌をうつ。だらけていた。そこに――。

 

「やや。また会ったね。そして、お久しぶりだね凛ちゃん」

 

 燕が出入り口から現れず、柵を飛び越え現れた。太陽を背に風にゆれる黒髪の美少女は、とても絵になっている。

 寝転がったままの凛が目を細める。

 

「あら、どうも奥さん。……すいません冗談です。久しぶり。燕姉」

 

「あれ? 2人は知り合い? というより、今度は俺が言う番だが、凛に姉さんいないよな?」

 

 凛の呼び方に疑問をもつ大和。もちろん、彼も起き上がっていない。百代ならば、ここでイタズラなど、何かしらのアクションを起こしそうである。

 

「ああ。一応、燕姉は俺の兄弟子にあたるんだ。それで出会って数日後、『私は君の兄弟子だ。つまりお姉さん。だから今日から姉さんと呼ぶように』と訳分からないこと言われて、今に至るというわけだ」

 

「中学1年の凛ちゃんは可愛かったからねー。身長も今ほど伸びてなかったから、もうマスコットって感じでさ。それにほら、私って一人っ子だったし」

 

 燕は凛の言葉にうんうんと頷いて、大和のほうへと体を向ける。

 

「そういえば、ちゃんと自己紹介してなかったね。私は松永燕。よろしくね」

 

「2-Fの直江大和です。よろしくお願いします」

 

「礼儀正しいね。いい子いい子。ふふっ」

 

 穏やかな笑みを浮かべる燕を見て、凛が体を起こし大和へと即座に忠告する。

 

「気をつけろ大和! おまえは、もうロックオンされている!」

 

 そんな凛を無視して、顎の下に手をあてた燕が、大和に問いかける。

 

「類は友を呼ぶって感じなのかな。大和くんってさ、年上に好かれたりしない?」

 

「どちらかというと、そうかもしれません」

 

「わかるわかる。なんか可愛いもんね。凛ちゃんは、ちょっと生意気になっちゃったからなぁ」

 

 燕が横目で凛を捉える。彼は胡坐をかいて座りなおした。

 

「別に構いませんけど? 大和が可愛がられても、全然……。ええ、ぜんっぜん構いませんけど」

 

「やだ、この子拗ねてるの? 可愛い」

 

 そう言いながら燕が、凛の頭に手を伸ばす。彼は別に避ける様子もなく、彼女の好きにさせていた。彼女は、ニコニコしながら撫でている。

 わずかな沈黙のあと、撫でられていた凛が、寝転ぶ大和に向かって話しかける。

 

「どうだ大和? 燕姉のスカートの中は覗けたか?」

 

「おま!? 何言ってんだ? そ、そんなわけないでしょうが」

 

 図星をつかれたのか、大和はバネでも仕掛けられているように跳ね起きた。燕は、獲物を狙う目つきで彼を見据える。

 

「大和君も可愛い。ねぇ、年上に飼われたい願望とかある?」

 

「!? ……もう飼われてます。ていうか、それに近い関係で姉御分がいるんです」

 

「あれま。へぇ……面白いね大和君。……温厚そうに見えるけど、やるときはやるぞって感じがする。うん、いいね!」

 

 それに続いて、凛がごますりのポーズをしながら、大和を褒める。

 

「大和は本当に頼りになるよ。優良物件ですぜ姉御」

 

 大和は2人から褒められ、少し照れたのか話題を変える。

 

「初対面で飼うって言葉が出てきたりするのが凄い」

 

「気に障ったらごめんね。思ったこと言っちゃうの。嘘とか言えないタイプでさ」

 

「わーこの人、初対面の人に嘘ついて……いたいっ」

 

 燕は、凛の言葉をチョップで遮った。百代のデコピンほどではないが、それでも地味に痛みが残る頭をなでる彼。その隣では、彼女が大和の顔を真正面から見つめ、顔を近づける。

 

「んー私も初対面の人にいきなり飼うなんて言わないんだけど、なんでだろ? ……本当に気に入ったからかな……なーんて」

 

 大和の瞳に燕が映るのではないか、というくらい近づいたかと思うと、彼女はヒョイと体を起こし距離をとった。彼は翻弄されているのか、反応が鈍い。

 

「え……」

 

 燕はそのままくるりと反転すると、今度は出入り口へと向かい、姿を消す前にもう一度2人の方に向き直る。

 

「んじゃ私転入初日で忙しいから、またね」

 

「松永先輩……」

 

 大和が自然と燕を呼ぶ。それが聞こえた彼女は微笑んだ。

 

「燕先輩でいいよん。よろしく。凛ちゃんもまたね」

 

 凛はそれに手を振って答え、燕は軽やかに去っていった。大和が、彼女の弟分に尋ねる。

 

「あれって冗談?」

 

「さぁ……でも気に入ったのは本当……かな?」

 

「ああ! 凛の知り合いって言われると納得だ」

 

 大和が頭を抱えて悩む隣で、凛が髪をファサッとかきあげながら彼に問う。

 

「なに? 俺が魅力溢れてるってこと?」

 

「もういい。そろそろ戻ろう」

 

 先に立ち上がって歩いていく大和を凛が追いかける。

 そして放課後の多目的ホール。そこでは、明日にむけての会場の設営が進んでいた。

 

「1年生から人手はどんどんだすからな」

 

 紋白の号令で1年生は率先して動き、その中に一緒になって動く彼女の姿があった。その中に凛も加わり、近くにいた由紀江に声をかける。

 

「まゆっちありがとう。明日の料理のヘルプにも入ってくれるんだってな」

 

「頑張って覚えたことがお役に立てるのは、嬉しいです。お友達を作るチャンスでもありますし」

 

 凛の言葉に、由紀江はひきつった笑顔でこたえた。

 

「顔がこわばってるぞ。リラックスリラックス。松風もまゆっちにアドバイスだ」

 

「オラがついてんだ。まゆっちは大船に乗ったつもりで構えとけー! 料理を介して、みんなのハートを鷲掴み☆」

 

 その横には、由紀江と同じクラスの女の子――大和田伊予がいる。彼女は、由紀江の同年代の友達第一号であった。

 凛が、由紀江の横から顔を出して、伊予にも感謝を伝える。

 

「そうそう。伊予ちゃんもありがとな」

 

「いえ、まゆっちのことも心配ですから」

 

「三国一の友達やで……」

 

 由紀江と松風は、その言葉を聞き感動していた。そんな彼女を落ち着かせながら、伊予が凛に話しかけてくる。その口調は、かなり熱心なものだった。

 

「ところで昨日の投球フォーム見させていただきました! 夏目先輩、野球に興味があるんですか?」

 

「ああ、ちょっと感化されちゃってな」

 

「で、では……その好きなk……」

 

「おーーーい。凛、ちょっとこっち手伝ってくれないか?」

 

 伊予の質問が終わる前に、凛に声がかかる。彼自身、中心の生徒として動いていたため、あっちこっちに引っ張りだこであった。

 その声に返事を返すと、凛は2人に断りをいれる。

 

「ごめんな。ちょっと呼ばれたから、向こう行くわ。まゆっちも伊予ちゃんもあとよろしく」

 

 会場の方は着々と準備が整っていく中、清楚と彦一が現れる。彼女は、華やかな飾りつけと活気溢れる雰囲気に、「わぁ」と声を上げながら、周りを見渡していた。凛はその2人の姿に気がつくと、足早に近寄っていく。

 凛に気づいた清楚が、声をかけてくる。

 

「こんにちは」

 

 それに続いて、彦一が口を開く。

 

「来たぞ夏目。書いて欲しい文字はなんだ?」

 

「こんにちは。先輩方、わざわざありがとうございます」

 

 凛が軽く頭を下げる。

 

「可愛い後輩の頼みだ。無下にすることもできん」

 

「なんですか、京極先輩? 新しい扇子が欲しくなりましたか? 銀子ばあちゃん御用達の店のものでいいですか?」

 

「そんなつもりで言ったのではない。おまえも相変わらずだな」

 

 冗談を交えながら、会話を続ける凛と彦一を見て、清楚はクスッと笑うと彼らの輪に混じる。

 

「仲がいいんだね。京極くんと夏目くんは」

 

「それなりに付き合いがあるからな」

 

「京極先輩にはお世話になってます。それより、今回の歓迎会に清楚先輩が含まれてなくてすいません」

 

 申し訳なさそうにする凛に、清楚はいつもと変わらぬ笑顔を向ける。

 

「大丈夫だよ。私は3-Sのみんながやってくれたからね」

 

「また今度俺の腕をふるい、京極先輩の家で歓迎会でもやりましょう。モモ先輩とか喜んで来るだろうし」

 

 ムンッと力瘤をつくる凛。それに彦一が扇子を閉じ、嘆息をもらした。

 

「何勝手に話を進めているんだ。文字を書くんだろう?」

 

「ふふっ楽しみにしてるね」

 

 賑やかな会場設営は、その後も順調に進んでいく。途中、息をきらせた準が現れ、遅くなったことを紋白に泣いて詫びていたりする一面もあったが、日が暮れる頃には会場は見事にできあがり、ひとまず解散になった。

 



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『弱点!ラスボスも攻略可』

 会場の設営も終わったあと、凛と百代、大和、一子の4人は、小腹がすいたということで梅屋へ向かった。金柳街に入ると、夕飯の買い物に来ているのか、主婦などの姿が多く目に入る。

 その途中で、百代が凛に話しかける。

 

「凛―。金貸してくれ。なんなら貢いでくれてもいい」

 

「っく。手伝ってもらったお礼がある分、どこまでお願いを聞けばいいか難しい」

 

「貸してもらって、返せなかったら体で返してやるぞ」

 

 そう言いながら、百代は凛の腕を優しく抱いた。彼は上を見上げて一考し、彼女を見つめる。

 

「家でも買いましょうか?」

 

「体で返すことが前提になってるな。その場合」

 

 それに呆れる大和。その視線に気づいた凛は苦笑をもらす。

 

「冗談。でも梅屋で一杯ならいいですよ」

 

「仕方ない。今日はそれで我慢するか」

 

 漂ういい匂いに我慢できなくなったのか、一子が我先にと梅屋へ入っていった。

 店内に入った彼らに、店員の掛け声が聞こえてくる。

 

「いらっしゃいませー。4名様、空いてる席にどうぞ」

 

 百代はその声に聞き覚えがあったようで、ひどく驚いていた。一子も店員をまじまじと見つめて、感想をもらす。

 

「わぁ釈迦堂さんにそっくりの店員さんね」

 

 ――――というか、本人ではないか?あのときと同じ気を感じるし。

 凛はあれほどの気を放つ釈迦堂が、店員をしていることに少なからず驚いていた。彼は、百代と一子とすぐ分かったようで、普段どおりに声をかけてくる。

 

「おい、知り合いだからってマケないからな」

 

 そして、本当に釈迦堂本人だとわかり、びっくりする一子。そんな彼に百代が疑問を呈す。これも立派な仕事ではあるが、もっと稼げる仕事があるのではないか、と。それに対する彼の答えは至極単純なものだった。

 

「ダメダメ。俺、自分が楽しくないと続かないもん」

 

 笑いながら話す釈迦堂に、それぞれが食券を渡していく。そして凛がそれを手渡すと、彼もようやく気づく。

 

「あん? おまえ……あのとき一緒にいた」

 

「初対面では挨拶できずにすいません。夏目凛と言います。百代先輩と一子さんにはお世話になっています」

 

 立ち上がって一礼する凛に、釈迦堂は席につけと手振りした。

 

「わざわざ堅苦しい挨拶なんていらねぇよ。俺は元師範代だからな。それにしても、やっぱ不思議だわ。なんでおまえのような奴が弟子なのか」

 

「よく言われます……」

 

 そんな二人の会話に百代が、一番端の席から加わってくる。

 

「釈迦堂さん、こう見えて凛は強いですよ。私と互角に打ち合いますから。というか、知ってるんですか?」

 

「へぇ見かけにはよらんってやつか……。まぁ知り合いではあるな。っと豚丼大盛り2丁お待ち。それから一子には豚皿つけてやる」

 

 釈迦堂からのサービスに一子は喜ぶが、それに百代が抗議の声をあげる。

 

「でたよ、ひいきだよー。愛弟子は私でしょうに」

 

「お前はそこのボーイフレンドにでもおごってもらえ」

 

 席順は百代、大和、一子、凛となっている。そうなると、ボーイフレンドは隣にいる者――つまり大和ということになる。彼女が甘えるように抱きついて、猫なで声で喋りだした。

 

「あはっ。ボーイフレンドだって、照れるなぁ弟」

 

「おごらんぞ」

 

 大和はきっぱりと断ると、運ばれてきた牛飯を食べ始めた。百代はその返しに駄々をこねるが、彼は断固として譲らない。いつもならここで長期戦になったりするのだが、彼女はあっけなく引き下がった。どうやら燕の登場で機嫌がいいようだった。

 燕の話題が出たところで、大和がそれ関連の話題を提供する。

 

「そういや燕先輩って凛の兄弟子らしいよ」

 

 百代はテーブルから身を乗り出す。

 

「やっぱりか? 身のこなしを見て、もしやと思ってたんだ。凛は、久々に会えて嬉しいんじゃないか?」

 

「まぁね。燕姉も元気そうでよかったと思ったよ」

 

「! なんで凛が燕を姉と呼ぶんだ?」

 

「いや呼びなさいって言われたから?」

 

 凛の言葉を聞いた百代は、満面の笑顔を浮かべる。凛は彼女の顔を見て、これから言うことがわかったようで、茶碗の上に箸をおいた。

 

「じゃあ私のこと……」

 

「なんですか? モモ先輩」

 

「だから……」

 

「モモ先輩」

 

「い……」

 

「モモ先輩」

 

「…………」

 

「モモ先輩? どうしたんですか? モモ先輩?」

 

 その後も凛は、百代が言葉を発しようとすると、それを阻止するかのように、モモ先輩という単語を連呼する。

 

「弟―! 凛が言うこと聞いてくれない。そしていじめてくる」

 

 そう言って大和に泣きつく百代。しかしその弟も彼女をはがしにかかる。一子はこの間もおいしそうに料理を食べていた。

 

「嘘泣きはいいから。あと食べ辛い」

 

 凛が体を後ろに倒しながら、背中越しに百代に声をかける。

 

「というか、もう大和とワンコに姉さんと呼ばれてるんだから、今更俺が呼ぶ必要ないでしょ?」

 

「それとこれとは別なんだ。おまえに呼んで欲しいんだ!」

 

「なんか情熱的な言葉言われてるのに、その内容がショボすぎる」

 

「もういいもーん。燕に凛の弱点聞いてやるからな。覚悟してろ」

 

「ちょっ!?」

 

 百代は慌てる凛を眺め、鼻で笑う。

 

「ふふーん。おまえはあとから、この私に逆らったことを後悔すればいいんだ」

 

 そんな両端から言い合う2人の会話に、釈迦堂が入ってくる。店の中には、凛たち以外に客がおらず、退屈しているようだ。

 

「ははは、なんかおもろいことになってるな。おまえ、凛って言ったか? 百代をいじるのは、もっと効果的な部分があるんだよ」

 

 凛はその言葉に席を立ち上がらんばかりに反応する。

 

「どこですか! 師匠!」

 

 そこに百代も割り込んでくる。

 

「釈迦堂さん! 何、凛の味方してるんですか!? 何度も言いますけど、弟子はこっちでしょ? あと、凛はなんで師匠って呼んでるんだ!」

 

 百代の質問に、凛は包拳礼――右の拳を左の掌で覆いながら答える。

 

「モモ先輩……人生の先達は全てが、我が師なのです。師よ、私にどうか百代の弱点を」

 

「笑いながら言われても説得力0だぞ! 釈迦堂さん言わないでください」

 

「はは、ノリのいいやつだな。コイツの弱点はな、この前髪のペケになってるとこをストレートにされることよ。昔から、それやろうとすると嫌がってな」

 

 百代のお願いもなんのその、釈迦堂は彼女の弱点をばらしながら、自分の前髪をワサワサっとかき乱し実践してみせた。それを見て聞いた凛は、すぐに席をたった。

 百代は額に手をあて、深くため息をつく。

 

「あーあ、言っちゃったよ。釈迦堂さん! 凛は遠慮なくやってくるんですから。ってもう近づいてきたし。寄るな。近づくな。触るな。叫ぶぞ凛!」

 

「うわ。こんな弱気な先輩初めて見る。無性にいじりたくなる」

 

「もーーー頼むから、やめてくれー! ごめんなさい。許してください」

 

 百代は前髪をガードし、後ずさりながら懇願した。それに対して、凛は両手をわきわきと動かし、徐々に距離をつめていく。その顔は何とも楽しそうだった。そして、彼女はとうとう店の奥へと追い詰められる。軽く涙目になっているのは、演技なのか素なのかわからない。喋らずにうーっとうなる彼女に、彼は片腕を伸ばす。

 しかし、その手は百代を脅かすことはしなかった。

 

「すいません、モモ先輩。あまりにも可愛かったんで調子のりました。やりませんから落ち着いてください」

 

「本当か? 誓うか? 破ったら一生私の子分にするからな?」

 

 百代の頭を撫でながら、凛は謝罪を行う。それでも前髪から手を離さないのだから、彼女がどれほど大切にしているかがよくわかる。

 

「物騒な罰を追加してきますね。夏目の名に誓いましょう」

 

「…………ふぅ。これは美少女のアイデンティティーなんだからな」

 

「それがなくても美少女であることに変わりないと思いますけどね」

 

 2人が席に戻ると、食べ終わった大和と一子は雑談しており、釈迦堂もそこで暇をつぶしていた。彼は、百代の前髪が今だ綺麗にペケを保ったままなのを確認して、凛に問いかける。

 

「おい、なんだよ凛? ストレートにしなかったのか? せっかく教えてやったのによ」

 

「すいません。釈迦堂さん。あれほど嫌がれると、さすがに気が引けてしまいます」

 

「凛は釈迦堂さんと違って優しいんですよ。残念でしたね」

 

 百代がなぜか得意気に語るも、その態度が釈迦堂の気に障ったらしい。彼の眉がピクリと動く。

 

「俺がそのペケをストレー……と客だ。いらっしゃいませ。2名様ですね。――――」

 

 それでも、客が入るとしっかりと対応をこなす。梅屋の店員が板についていた。

 全員が食べ終わったのを確認した凛が口を開く。

 

「そろそろ出よう。今から混みそうだし」

 

 百代も釈迦堂の態度に気づいたらしく、一番にカウンターから離れる。

 

「凛に賛成だ。ちょっかいかけられたら、たまらないからな」

 

 それに続いて、一子、大和も席をたった。

 

「釈迦堂さん、豚皿ありがとー。また食べに来るわね」

 

「結構長居したな」

 

 店をでると、外は帰り道を行く人達で賑わっていた。

 そして日付は変わり12日――つまり歓迎会の日である。昼休み。廊下を歩いていた凛の背中に、柔らかいものがあたり、続いて陽気な声が聞こえてきた。

 

「凛はっけーん!」

 

 柔らかいものの正体は百代。もうお馴染みというべきか、彼女はそのまま凛の背中にへばりついた。彼も気にせず会話を続ける。

 

「どうしたんですか。モモ先輩?」

 

「燕のやつ、気を消して移動してて捕まんないんだよ。それで退屈だから2-Fの教室行ったけど、大和も凛もいないから、気を探って追っかけてきちゃったにゃん」

 

「このにゃんこは甘えたがりだな。んじゃあ俺と一緒にツバメ探しと行きますか」

 

「おお、さすが凛。わかってるな。まずはどこに行くにゃん?」

 

 大和にはあまり評判のよろしくない語尾のニャン付けだが、凛に受け入れられたことを百代は密かに喜んだ。そんなじゃれあいの中、一人の男がお経を唱えながら乱入してくる。

 

「般若波羅蜜多――――」

 

「なんだ、準? なぜお経?」

 

 べったりくっつかれたままの凛は、軽く首をかしげた。それに準が険しい顔をして答える。

 

「お前が年上の亡霊にとり憑かれてるのが見えた。俺と共にロリコニアへ行く同士を見捨てるわけにはいかん。少し待て。今除霊を完了させる。――――」

 

「いつ俺がそれに同行することが決まったんだ?」

 

 凛の肩越しに、百代が顔を出し威嚇を始める。

 

「というかハゲ! 私の癒しの時間を邪魔するな! 星殺しぶち込まれたくなかったら、早々に消えることをおすすめするぞ」

 

 百代は、手のひらをハゲもといロリコンいや準へと向け、照準を合わせる。しかし、それは凛のチョップで阻まれてしまう。

 

「こら。なんでもかんでも武力で脅さない」

 

「いたい。なにするんだよー凛」

 

「こんなとこで放たれたら、校舎が壊れるでしょう。外で打ちなさい」

 

「最初の言葉に期待した俺が馬鹿だった。なにボール蹴るならお外でやりなさい的な雰囲気で言ってんだ! ……ああ、俺の頭がボールに見えたって? やかましいわ!!」

 

 準は、凛の言葉に見事な顔芸を披露しながら一人ツッコミを入れる。百代は、そんな彼にジト目を送っていた。

 凛は興奮する準をなだめようとするが、自然と視界に入った友の名を反射的に口にする。

 

「そこまでは別に言ってない。っと、あれは紋白?」

 

その瞬間、準はもう駆け出していた。

 

「紋様ぁ――――――!! 今、あなたの忠実なる僕がはせ参じます!」

 

 姿が見えなくなってからも、紋白を呼ぶ声が響いている。彼女が学園に入ってから、生徒たちは1日1回その声を聞き、今ではそれが普通になっていた。

 気持ちを切り替えた2人は、また燕探しを再開する。

 

「あいつ結局なにしたかったんだ? というか、凛はモンプチと知り合いか?」

 

「まぁ準にもいろいろあるんでしょ。紋白は友達だよ。それより、モンプチって」

 

「ん? モンプチ変か? 可愛くないか?」

 

「いや可愛いけど、それ勝手に呼んでるんですよね」

 

「細かいことは気にするなよー。って清楚ちゃん♪ ……と京極もいる」

 

 ズリズリと百代を背に乗せたまま歩く凛は、偶然通りかかった清楚と彦一に出会う。彼女が、爽やかな笑顔で近寄ってきた。

 

「こんにちは。ももちゃん、夏目くん」

 

「こんにちは。清楚ちゃん。ついでに京極も」

 

 京極が、くっついたままの百代を見てから凛へと同情の視線を向ける。

 

「ついでとはひどい言い草だな。夏目は昼間から大変そうだな。何をしているんだ?」

 

「こんにちは。清楚先輩、京極先輩。今、一緒にツバメ探しをしてる最中なんです。これはまぁ……役得ですね」

 

 素直な凛に、百代はさらに上機嫌となる。

 

「凛は正直だな。もっとぎゅっとしてやる」

 

「いやこれ以上は、ファンクラブの目が怖いので遠慮します」

 

「ふふっ。2人とも仲いいね」

 

 そんな2人を見て、清楚が感想を述べた。それに対して、凛が彼女と彦一を見比べる。

 

「清楚先輩も京極先輩と仲いいですよね」

 

「おい京極。清楚ちゃんに手をだすなよー。私のだぞ」

 

 凛の肩に顎をのせた百代が、彦一をけん制する。彼はため息をもらした。

 

「いつ葉桜君が武神の所有物になったのか知らんが、まだわからないことが多いからな。私が案内しているだけだ」

 

「本当にありがとう京極君」

 

「気にする必要はない。こちらも好きでやっていることだ」

 

 微笑みかけてくる清楚に、彦一はお返しとばかりに、穏やかな笑みを浮かべ答える。それだけで、2人の清らかな空間ができあがった。そこに、凛が特に気にする様子もなく、話題を持ちかける。

 

「あ、そうだ。昨日話してた京極先輩の家で清楚先輩の歓迎パーティ開きます、の件ですけど……」

 

 それを聞いた百代が思い切り食いついてくる。

 

「なんだその素敵イベントは!? 凛! 私にはそんな話きてないぞ」

 

「だから今話してるでしょ? いつやりますか?」

 

 話をふられる彦一。

 

「お前の中ではもう決定事項になってるようだな。加えて川神がいる前で言うとは」

 

「そうかー清楚ちゃんの歓迎会かぁ。ぜひやってあげないとな。義経ちゃんたちだけなのは可哀想だもんな。できるよな、京極?」

 

 百代はパーティの話を聞いて、すでにやる気満々になっていた。そんな彼女の視線には、有無を言わさぬ圧力が秘められている。

 強引さを感じたのか、清楚が少し慌てて喋りだす。

 

「無理言っちゃ悪いよ。夏目くん、ももちゃん」

 

 彦一は今日何度目かのため息をつく。

 

「ふぅ……いや葉桜君が気を使う必要はない。元は夏目が言い出したことだ。少し待て。こちらにも予定というものがあるからな」

 

「京極先輩は優しいから、そう言ってくれると思ってました」

 

「夏目はわざとこんな状態を作り出したように見えるがな」

 

 そう言いながら彦一は、いい笑顔を作っている凛の頭を扇子で軽く叩く。それが弟を面倒見る兄のように見えた清楚が、優しく微笑んでいた。

 会話の途中だったが、時計を見た凛が話を切り上げる。

 

「っとそろそろ昼が終わりますね。モモ先輩、結局ツバメ探しは大してできなかったですね。すいません」

 

「構わないさ。なかなか楽しい時間だったぞ」

 

 そう言うや背中から離れる百代。そのまま、磁石でも入っているのかと思うくらい自然に、今度は清楚の腕をとる。

 

「清楚ちゃんの歓迎会とか楽しみだなー♪ 清楚ちゃん、いっぱい仲良くしような」

 

「ありがとう。モモちゃん」

 

「それじゃあ先輩方、夏目凛はこの辺で失礼させていただきます」

 

 凛はそういい残すと、廊下を角へと姿を消していった。残された3人は、去っていった後輩について述べる。

 

「全く困った奴だ夏目は」

 

「そう言いながら京極君は、ちゃんと面倒みてあげてるね」

 

「ほっとけない奴ではあるからな。それに興味深いやつだ」

 

 百代がその言葉に頷く。

 

「その言葉には同感だな。年下で、私ら3人に囲まれて平然としてる奴も珍しいだろ」

 

 もちろんそんな会話がされていると知らない本人は、教室の自分の席に座って授業の準備をしていた。

 

「凛ギリギリだったな。どこ行ってたんだ?」

 

「モモ先輩とツバメ探し」

 

 凛は、昼休みの出来事を大和に話しながら、授業開始を待った。

 歓迎会まであと数時間。

 



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『歓迎会』

 歓迎会まであと数十分となり、多目的ホールにはぞくぞくと人が集まってきていた。その様子を満足そうに見ていた凛のもとに、準が近づいてくる。

 

「おおーいいねいいね。料理もうまそうじゃん。って、あのウエディングケーキみたいなケーキはなんなんだ? 凛」

 

「ちょっとばかり俺の本気を見せてしまった」

 

「えっあれお前が作ったの!? あの上にいる3人の人形は義経たちだよな?」

 

 真っ白なテーブルクロスのひかれた台座の上には、立派な三段重ねのケーキ。その周りには人だかりができており、みなが携帯をそのケーキの天辺へと向けている。そこには、二身頭になった砂糖菓子の人形たちがいた。中央の義経は刀を抜き正面に構え、その横に杯を持った弁慶が足を放り出して座っており、反対側に与一が顔に手をあて決めポーズをとっている。

 

「ああ。なかなかうまくいかなくて困った」

 

「いやいや。お前なんなの? お菓子職人だったのか? 俺でも写真撮っておきたいと思ったわ」

 

 呆れ顔の準。その後ろから小雪がひょっこり顔を出す。

 

「あれ可愛いよねー。僕も欲しい」

 

「照れるな。今度、3人のも作ってやろうか?」

 

「えー本当! 僕のも作ってくれるの?」

 

 その言葉に、小雪は凛に詰め寄った。その目はキラキラと輝いている。彼は、そんな彼女にマシュマロを与えて頷づいた。

 

「いいぞ。小雪は誕生日いつだ?」

 

「もぐもぐ……僕ね、7月1日だよ。もうすぐだよ!」

 

「そっか。なら、ウエディングケーキとまではいかないが、3人で食べれるケーキに砂糖菓子の人形のせて贈るよ」

 

「わぁ本当に? ましゅまろも?」

 

「もちろんだ」

 

「わぁーーい。リンリンありがとう♪」

 

 余程嬉しかったのか、凛に抱きついて喜びを示す小雪。その瞬間、背後で言い知れぬ圧力が増した。それに気づいて焦る彼を準が気遣ってくる。しかし、それは圧力に対してではなく、ケーキを作る労力のことについてだった。

 

「おいおい、いいのか? 暇とまでは言わないが、大変だろ?」

 

「なんでもかんでも引き受けてるわけじゃないからな。それに女の子を喜ばせるのは、紳士のたしなみだ」

 

「確かに女の子(※幼女)を喜ばせるのは紳士のたしなみだな。……まぁおまえさんが大丈夫だと言うなら、一つよろしく頼むわ。ユキは嬉しそうだしよ」

 

 準が見つめる先には、凛から離れた小雪が鼻歌を歌いながら、砂糖菓子の人形を見ているところだった。そして、ゴソゴソしていたかと思ったら、携帯を取り出し写真をとる。

 

「ああいう顔みるとやめられないんだ。まかせとけ。そういや……」

 

「私からもお礼を言わせてください、凛君」

 

 続きを話そうとした凛の前に、冬馬が突然現れ、彼の手を両手で包み込んできた。

 凛は、察知をすり抜けてきた冬馬に驚きながら、努めて冷静に返事する。

 

「おお、どういたしまして。……葵わかったから、手離してくれ。……絡めるな!」

 

「それより、いつの間に準のことを名前で? 私は今も苗字のままですが……ねぇ凛君」

 

 少しずつ顔の距離を縮める冬馬。

 

「いやなんか準が名前でいい……て顔が近い! 葵! 顔がちか……冬馬! 離れてください冬馬君!」

 

「ふふ、つれないですね。まぁ今回は名前を呼んでくれただけでも進展がありました」

 

 そう言うと、冬馬は名残惜しそうに、凛からゆっくりと離れていく。目の前の難敵に集中していた彼は知らない。2人が絡んでいた間、肉食獣のように目を光らせ、その光景を網膜に焼き付けていた集団の視線があったことを。

 準はそんな2人の絡みを笑って流す。

 

「凛も若にだいぶ気に入られたな。よかったじゃん。だがな! そっちの気があった場合、ロリコニアへの入国はできないものと知れ!」

 

「俺はノーマルだ! そして誰も入国するとは言ってない!」

 

 ウロウロしていた小雪も戻ってくる。

 

「なに話してるのー? ぼくもいーれーて」

 

「小雪ダメだ! ロリコンの言葉は耳に毒だ! 聞いちゃダメ!」

 

 みなが談笑している中、時計の針はどんどん進む。しかし、肝心の主賓は未だに姿がなかった。

 

「みんなあと10分ある。もう少し待っていよう」

 

 主賓がいないことにざわつく生徒たちに対して、クリスが呼びかける。凛は端のほうで、じっと主賓が3人揃って集まるのを待っていた。

 ――――間に合うか?これで来なかったら、義経たちの印象は最悪なものになる。与一と大和が一緒にいるのはわかるが……。

 自然と組んでいた腕に力が入る。

 

「心配するな。直江が行っているのであろう? 信じてやれ凛」

 

 そこに、紋白がいつもの柔らかな笑顔を浮かべ、凛のところにやってきた。

 

「紋白……」

 

「珍しく肩に力が入ってるのが見えたからな。おまえが信じてやらんで、誰が直江を信じてやるのだ?」

 

「……そう、だな。……ふぅ。あと5分あるし大丈夫だよな。それにしても、紋白は落ち着いてるな」

 

 凛は大きく伸びをしながら、深呼吸をした。

 

「フハハこの程度で動じる我ではないぞ。しかし、凛も人並みに緊張したりするのだな」

 

「当たり前だ。それから紋白、今回の歓迎会が開催できるのは……」

 

「わかっている。直江の力が大きかったことだな。もちろんクリスが手伝ってくれたことも忘れてはいない。直江自身もおもしろい人材だとわかった。今回のことに報いるのはもちろんとして、あとでしっかり勧誘もするつもりだぞ」

 

 紋白は、きっぱり言い切ると満足そうに笑う。彼女は、新しい人材を発掘できたことが嬉しいようだった。凛もその言葉を聞いて安心するとともに、ちょうどそのとき入り口に現れた生徒を確認し、ようやく笑みをこぼした。

 

「そうか。…………噂をすれば、本人の登場だ」

 

「さて、ここからは学生らしく楽しもうではないか!」

 

 会場の入り口に、与一を加えた義経たちと大和が姿を現した。準備を整えた生徒たちも、主賓が無事到着したことに安堵している。

 しかし、凛には一つ疑問があった。それは、与一の説得をどうやったのかというものだった。主賓の到着が遅れたのは、彼が突然出席しないと言い出したことが発端であり、それを大和が説得に行くと名乗りでたのである。彼の性格上、普通の説得では首を縦にふることはない。それを見事にやってのけたのが大和だった。

 ――――どうやって与一を説得したんだ?大和は、クラウディオさんのような高度な交渉術でも心得があるのか?あとで、教えてもらおう。

 壇上では、主賓全員が並んで立っている。両サイドには花も飾られ、背後には、彦一が書いた『義経 弁慶 与一 聖誕祭』の文字が掲げられ、金屏風も主賓を目立たせていた。全学年から集まった生徒たちが、壇上にいる彼らに注目する。

 そんな中、満面の笑みをした義経が一歩前に進み、みなを見渡してから口を開く。

 

「今日は義経達のためにありがとう。――――」

 

 義経の言葉を皮切りに、歓迎会が始まった。壇上の横に待機していた凛の手元にはカメラ。彼はイベントが行われるとき、必ずカメラを持参するようにしているのだった。他にも、育郎や写真部の生徒が、学校で販売するようにカメラを持っている。そして、彼らの最初の1枚は、もちろん壇上の主賓の姿である。嬉しそうな義経とすでに川神水を飲んでご機嫌の弁慶、そして少しテレのある与一。

 

「……よろしくな」

 

「へいへーい、与一照れがあるぞ」

 

 準から場を温める言葉が飛び、会場に笑いが起こった。

 そして、次に紋白が力を貸してくれた人への感謝の言葉を述べる。凛は彼女の堂々とした姿を写真に残した。今日来られなかった英雄にも見せるためだ。

 和やかに進む歓迎会の中、凛はまず主賓に話しかける。

 

「義経、弁慶、与一。ようこそ川神学園へ。そして誕生日おめでとう」

 

「ありがとう凛。義経は感激した。それに聞いたぞ! このケーキは凛の手作りだそうだな。この小さな義経はよくできているから、食べるのがもったいない。どうしよう?」

 

 義経はそう言うと、皿の上のケーキと一緒に置かれた義経人形を見ながら唸る。そんな彼女をパシャリ。彼女は、撮影されたことにも少し慌てるがもう遅い。

 そこへ弁慶が輪に加わってくる。

 

「こんな風に食べてあげればいいんだよ義経。砂糖でできているんだし」

 

 弁慶は喋り終えるやいなや、遠慮なく与一人形の頭の部分だけを食べた。意図的に作り出された首なしの与一人形。そんな彼女も記念に撮影。首なし人形を持ち、上機嫌でピースをする1枚。

 そして、与一がそれに気づいた。

 

「あ、姉御! なんで俺のを食べる!? じゃあ俺が姉御の人形をって……いででで」

 

 お返しに弁慶人形を食べようとする与一だったが、弁慶に腕をひねられ身動きがとれなかった。加えて、いつかの如く体が浮き上がっている。おもしろいので、凛はそれもカメラに収めた。

 その後、少し会話をして場を離れる。凛が離れた後も、義経たちにはひっきりなしにお祝いの言葉がかけられていた。彼らと別れ、会場をブラブラしていると、聞きなれた声が掛けられる。

 

「おー凛。いいところに来た。清楚ちゃんと燕入れて、一枚撮ってくれ。それであとで焼き増し頼む」

 

 反射的に、声のする方を向く凛。その目に映ったのは、会場に飾られた花など霞むほど華やかな光景だった。百代に燕、清楚と3年生の綺麗どころが揃っていたのだ。

 

「凛ちゃん準備いいねー。私にもよろしくねん」

 

 燕は軽くウィンクを飛ばし、清楚は遠慮がちにお願いする。

 

「私もいいかな? 夏目くん」

 

「わかりました。それじゃ……はいチーズ」

 

 凛がお姉様たちの頼みを断るはずもなく、素早くカメラを構えシャッターを切った。百代が中央、清楚が右、燕が左で、中央の彼女が左右の2人を抱き寄せる1枚。それぞれが違ったタイプのお姉様だということが、並べて比べるとよくわかった。彼が画像をチェックして頷いていると、そこに嬉しいお誘いがかかる。

 

「それじゃ凛ちゃんも入れて、一枚撮ろっか」

 

 燕の一言である。導かれるがまま、凛は中央へと移動する。百代は、定位置と化している彼の背中へくっつき、彼の胸の前で腕を交差させてくる。

 

「おいおい。年上の美人なお姉さんに囲まれるなんて、幸せものだなお前は」

 

「全くです。今日カメラを持ってきた自分を褒めてやります。よくやった俺」

 

 百代も写りやすいように、凛は少しかがんだ。燕の陽気な声が耳元をくすぐり、逆の耳には、清楚の穏やかな声が聞こえる。

 

「イェーイ。ほら凛ちゃんもピースピース」

 

「みんなカメラ向いてるよ」

 

 ――――義経たちには申し訳ないが、今日一番の写真が撮れてしまった。最高です!

 美人なお姉様方に囲まれての最高の1枚。両手に燕と清楚という美しい花。中腰になった凛に後ろから抱きつく百代。このときばかりは、周りの反応など気にしていられない彼であった。

 束の間ではあったが、幸せな時間を堪能した凛は、目的を果たすため再度動き出す。

 

「次は、清楚先輩と京極先輩並んでください」

 

 4人のすぐ近くで、他の女生徒と談笑していた彦一が振り向く。

 

「ん? 俺の写真も撮るのか?」

 

「当たり前です。さぁさぁ」

 

 清楚と彦一の2ショット。美男美女の2人は存在感がある上、清らかな雰囲気がそのままにじみ出るような写真になった。

 

「そして、私と凛の2ショットも激写だ!」

 

 画像を確認していると、百代が凛からカメラを強奪しシャッターを切った。カメラを目で追う凛といたずらっぽい笑顔の彼女の2ショットが撮れる。

 百代は画像を確認すると、凛にカメラを返した。

 

「これもあとで頼むぞ」

 

「はいはい。燕姉と清楚先輩、京極先輩にも写真できたら渡しますね。あとエレガンテ・クワットロが揃ったのも狙いますから、京極先輩は覚悟しといてください」

 

 思わぬ収穫のあった3年生グループから離れ、次にどこへ行こうか悩んでいた凛は、珍しい組み合わせを発見し、即座にカメラを構える。

 

「与一と矢場先輩の2ショットも一枚!」

 

 驚き顔の与一と不意をついたはずなのに、彼との距離を詰めた笑顔の弓子という写真が撮れた。どうやら彼女が弓道部に勧誘していたらしい。凛は、取り込み中の2人の傍をあとにしようとするが、急に腕をとられる。振り向くと、そこには彼女が真剣な表情で立っており、「写真お願いね」と笑顔だが、有無を言わさないお願いをされるのだった。

 続いては、一際賑やかなグループのところへ足を運ぶ。

 

「歓迎会は無事開催できた。ファミリーみんなのおかげだ。ありがとう! ということで一枚!」

 

 2年のファミリーが一緒にいるところを撮影。岳人はしっかりマッスルポーズを決め、一子は食べ物に夢中。京は大和の腕を抱き、大和はそんな京に苦笑しながら忠勝を引っ張り込み、翔一とクリスはピースサイン、卓也はびっくり顔の賑やかな1枚。

 そして、凛が画像を確認していると、またもやカメラを強奪される。その犯人は忠勝だった。

 

「凛も入っていけ」

 

「おまえもその一員だろ!」

 

 忠勝、岳人の一言に凛は察し、食事に夢中の一子をみんなで抱き寄せて撮る。彼女の慌てる姿が可愛い写真となった。

 次に、近くにいた2-Fの仲良しの3人組――真与と千花、羽黒をフレームに収める。

 

「お嬢さんたち記念に一枚」

 

 3人は食事を、もっと詳しく言えばデザートを食べていた。スプーンを銜えた真与、最も可愛く見える顔を作った千花、羽黒の白い歯がキラリと煌くそんな1枚となる。凛は彼女らにもあとで焼き増しをする約束を交わして、その場をあとにした。

 

「クマチャンの勇姿も一枚」

 

 次に向かった場所は、いい香りを会場に振りまく満のところ。空腹を刺激する匂いの理由は、彼がみんなの目の前で調理をしていたからだった。物珍しさに多くの人だかりができている。彼を中心にして、そこにいた生徒たちが写りに入り、ノリよくピースしている子も多かった。凛は、ついでに彼のできたて料理を頂く。そして、口いっぱいにほおばったまま、ビシッと親指を上げた。料理を平らげると、また移動する。

 

「なにがあった。ヨンパチ、スグル」

 

 次に出会ったのは、なにやら悶絶する育郎とスグル。凛は、心配しながらも一応撮影しておく。梅子の後姿が近くにあったこと、育郎の恍惚とした表情から、何があったかは大体把握できた。2人を放置して次へ向かう。

 

「まゆっち、伊予ちゃん、料理お疲れさん」

 

 2人で仲良く食べているところを1枚。不意打ちのそれは、由紀江の表情が強張る前のいい笑顔という奇跡の1枚となった。その後、凛も含めて3人で撮ったものは、やはり彼女の顔は強張っていた。

 

「冬馬、準、小雪こっちを向け。はいチーズ!?」

 

 続いては、和やかに食事していた2-Sの3人組にカメラを向ける。冬馬は微笑み、小雪は凛が撮影しているのに気がつき、マシュマロを持って接近、それに準が焦る。3人の関係がよく表れている一枚が撮れた。加えて、彼女がそのまま凛の腕に抱きつき、逆サイドで冬馬に腰を抱かれた写真も撮られる。

 

「夏目、此方を写すことを許してやってもよいぞ?」

 

 そこに心が現れた。凛への態度が軟化しているのは、京都にある夏目家がそれなりの名家だと知ったからである。着物の袖で口元を隠しながら優雅に笑う彼女に、彼はカメラを向けた。

 

「それじゃあ一枚」

 

 心はポーズもしっかり決まっており、あとはシャッターを切るのみだったが、そこに白い物体が写りこむ。

 

「僕も入る入るー♪」

 

「にょわ、此方の美しき一枚が!」

 

「不死川さん小雪。はいチーズ」

 

 小雪の勢いある抱きつきに、ポーズを崩された涙目の心という写真になった。「もう一枚!」とせがむ彼女だったが、次の写真も同じようなものとなり、怒った彼女が小雪を追いかけ始める。しかし、小雪は突如始まった鬼ごっこに喜んで逃げだした。凛はそんな2人を見送り、次の被写体を探すため周りを見渡す。

 

「マルギッテさん、クリスのお世話お疲れ様です。はいチーズ!」

 

 マルギッテはケーキをよそい、クリスは口元にクリームをつけている1枚。凛は、画像を確認する彼女と焼き増しの約束を交わすも、焼き増ししたあとはすぐにデータを消すよう脅される。あまりに力説されるため、彼はコクコクと勢いよく頷づいた。その後は話が長くなりそうだったため、注意がそれた瞬間に、気配を消してその場を離れる。

 

「なかなか盛況だな。紋白、そして武蔵、こっち向け」

 

 続いては、様子を見回っていた紋白とお付きの人と化した武蔵の一枚。

 

「凛も入れ。兄上たちにも見せてやりたい」

 

 その一言に、紋白と会場の賑やかな様子をバックに一枚撮る。そしてもう1枚――凛が彼女を抱き上げた瞬間の写真。突然のことに、彼女のびっくりした顔が撮れる。降ろす途中に彼女は彼の頬をつねるが、その顔は楽しそうに笑っていた。

 生徒を一通り取り終えた凛は、次に大人たちのところへ向かう。

 

「学長、そしてヒュームさん。ルー先生も記念に一枚」

 

 のんびり川神水を飲みながら、会場の様子を伺う壁を超えた者の一枚。ただそこに立っている写真にも関わらず、独特のオーラを感じさせるのはさすがの一言だった。

 

「小島先生、ヒゲ先生。申請の件、大和から聞きました。ありがとうございました」

 

 ちょうど2人でいるところを撮った。川神水の入ったグラスを片手に、会話を交わしているという親密に見えなくもない1枚。勝手な撮影に梅子からは少し小言をもらうが、巨人からはお褒めの言葉をもらい、「あとで焼き増し頼む」と言って去っていった。

 あとはそう親しくもない先生のため、凛は撮影を自粛し、生徒のほうへと戻る。

 

「まさか実現するとは! エレガンテ・クワットロそろい踏み!」

 

 戻って最初の1枚は、嫌がる忠勝を何とか誘いだしての学園が誇る男前4人衆だった。落ち着いた雰囲気の彦一に、人を虜にする笑顔の冬馬、きつい眼差しが男らしい忠勝、子供のような笑顔でピースする翔一。下手なアイドルグループよりも雰囲気のある4人の集合に、凛以外にも女子生徒が一斉に写メをとっていた。

 そして、写真を撮り終えその場から離れようとした凛だったが、後ろにいた生徒に背中を押され、その4人グループの中へ入れられてしまう。その瞬間、またも写メの嵐となる。そこから抜け出そうにも、忠勝と翔一がそれを許さなかった。結局嵐が通り過ぎるのを待ち、付き合ってくれた彼らに礼を言ってまた移動する。

 

「ゲイツ先生、ゲイル先生、写真1枚いいですか?」

 

 世界的にも有名なカラカル兄弟の写真。凛はまだ親しくないが、ノリが良さそうなのでお願いする。予想通り、快く承諾してくれる2人。兄のゲイルは豪快に彼に肩組みをし、弟のゲイツは眼鏡の位置を直すとキメ顔で写真に臨む。写真を撮り終えたあと、ゲイツが名言をひとつ彼に送ってくれた。

 その後も凛は、写真を撮りまくる。義経と一子や京と小雪の2ショットに始まり、忠勝と大和、凛のトリオ。腕相撲を挑み瞬殺された岳人とガッツポーズの弁慶。燕にいじられる大和。壁にもたれて一人たそがれる与一。仁王立ちの紋白と感極まった様子の準。凛の持つ杯に、お礼にと川神水を注ぐ主従コンビ。超ローアングルから獲物を狙う育郎と背後から伸びる鞭。清楚と同じ写真に写ろうとする男子生徒数10人。彦一と扇子を開いてキメ顔を作る凛。余裕の岳人、笑顔の翔一、焦る卓也の肩車で作られたトーテムポール。それを真似して、凛の背中におぶさる百代とその上におぶさる一子。これら以外にも、まだまだたくさんの写真を撮った。

 そして、賑やかだった歓迎会も終わりのときを迎える。最後に参加した全員を入れて、集合写真をとることになった。壇上に並でいく参加者たち。

 写真部の部長が、高そうなカメラを設置し指示を送る。

 

「みんなもっとつめてつめて。あ、前の人もう少し腰を落として。――――」

 

 部長は何度か調整を繰り返したあと、撮影ボタンを押し、あらかじめ空けてあった位置へ走った。

 

「5秒前! ……それじゃあ12345-12343はー?」

 

 その掛け声に多くの生徒が答えをあげた。最後に笑顔で溢れた写真が、カメラに収められる。

 歓迎会と誕生会が合わさったこのイベントは、大成功に終わる。

 



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『凛と○○の休日』

 歓迎会も無事に終わり、風間ファミリーは、基地にて二次会を行っていた。立ち上がった翔一の手にはグラスがあり、座っているみんなも同じようにグラスを持っている。

 

「今日はみんなお疲れさん!」

 

 翔一の声によって、みんながそれぞれを労い、グラスをぶつけ合った。そして買ってきたお菓子などに手をつけ始める。定番のポテチ、カールなどのスナックに始まり、ポッキーなどのチョコレート系、ジュースも1,5ℓのペットボトルで各種取り揃えてあった。

 凛のクリスと大和への料理は、歓迎会が長引いたこともあって後日に持ち越しとされたのだった。

 

「歓迎会はみんなのおかげで無事成功した。ありがとう」

 

「確かに。みんな本当にお疲れさまでしたッ!」

 

 凛と大和が立ちあがって、みんなに頭を下げた。そんな彼らにも、ファミリーから温かい言葉がかけられる。

 ゆっくりとくつろぐ中、岳人が凛に話しかける。

 

「凛はいろんなとこに顔出して、写真撮ってたよな? ちょっと写真見せてくれよ」

 

 それに興味を示す翔一と卓也。

 

「おー俺も見たいぞ」

 

「僕も僕も」

 

 画像を確認しながら、歓迎会の余韻にひたる面々。

 しかし、そこで岳人がとんでもない一枚を発見する。

 

「な・ん・だ・こ・れ!? この写真! 葉桜先輩、納豆小町、モモ先輩と羨ましすぎる包囲網がしかれてるじゃねえか! 凛これはなんだ!?」

 

「最高の一枚だ!」

 

 岳人の質問に、凛は誰が見てもわかるドヤ顔で答えた。

 

「見ればわかる! そうじゃねぇ! なんで俺様もそこに呼ばなかった!?」

 

「ガクトはこの状態で他の男をいれてやるのか?」

 

「おいおい、わかりきったこと聞くなよ? 乱入してこようものなら、ラリアットお見舞いするぜ」

 

「だろ?」

 

 凛の返答を聞いた岳人は、部屋を飛び出すと屋上へ上がり、天に向かって吠える。

 

「神様ぁ―――! 聞こえてるかぁぁ! あんたは、不公平だぞぉぉーーー!」

 

 その声は凛たちのいるところまで聞こえる大音量だった。

 その間も画像はどんどんスライドされ、困り顔の義経と義経人形の画像が映し出された。途中から、一緒に覗き込んで楽しんでいた一子がそれを見て声をあげる。

 

「あっ義経の写真ね。それにしても、この義経人形すごい似てるわ。食べ辛いっていうのもわかる気がする」

 

「自分もこれには驚いた。しっかり写メに残しておいたぐらいだ」

 

 そう言いながら、みんなに見えるように携帯を突き出すクリス。そこには、3体の人形が綺麗に映っていた。

 大和がそれを見て、百代と話す凛に声をかける。

 

「凛は器用だよな。今度、料理部の子たちが一度部活に来て欲しいって言ってたぞ」

 

「ケーキもめちゃくちゃ旨かったしな」

 

 翔一が手放しで褒め、由紀江がそれに続く。

 

「1年生の間でも人気ありました」

 

「凛坊のスキルが高くて、まゆっちもその地位を脅かされるんじゃねぇかとヒヤヒヤしてるぜ」

 

 松風が由紀江の心配をしているのは、さすが親友といったところだった。気が済んだのか、ようやく部屋に戻ってきた岳人は、卓也に飲み物を頼んでいる。

 そしてその話が出尽くした頃、翔一がふと思ったことを口にする。

 

「それにしても凛が現れてから、立て続けにいろんなことが起こったな」

 

 それをクリスが引き取る。

 

「特に6月に入ってからだな。東西交流戦があって、義経たちが現れて……」

 

「松永燕という手練も現れた」

 

 百代がそこに補足を加え、大和もさらに情報を付け足す。

 

「さらに燕先輩は、凛の兄弟子だしな」

 

 由紀江も輪に加わる。

 

「モモ先輩と戦えるなんて、すごい先輩ですよね。凛先輩もそうですけど」

 

 2人の話題になったことで、とんがりコーンを指にはめながら、翔一が凛に疑問を投げかける。

 

「そういや、凛と松永先輩はどっちが強いんだ?」

 

「どうだろうな? 公式に戦うことはできなかったんだ。何度もお願いしたんだけど、その度断られてな。俺も中学のときだから、何度も断られるとじゃあもういいって感じで、それ以来一度もお願いしなかったし。……思い出したら戦いたくなってきた」

 

 百代がその言葉に反応する。

 

「私も早くおまえと戦いたいぞ」

 

「モモ先輩もおもしろそうだから、楽しみですね」

 

 その後、由紀江が紋白と番号交換したこと。卓也が演劇部に入部することなど明るい話題が続く。唯一の悲しい話題は、岳人のモテ120%の香水(笑)の効果がなかったことぐらいだった。

 そして、話題は一子が遭遇した変態の話――の続きの九鬼の従者が言っていた台詞へとうつる。それを聞いた大和が首を傾げた。

 

「ミスマープル……偉大な計画?」

 

「武士道プランのことか?」

 

 凛がそれらしい答えを返した。

 しかし、大和は一人考えこみ、自分が思う答えをみなに伝える。その顔はどことなくキリッとしていた。

 

「偉大なる計画。葉桜清楚の正体をふせている謎。松永燕の出現。なんだかモヤモヤしている案件は、全てがつながっている気がしてならない」

 

 その答えを聞いた凛を除くファミリー全員が、ニヤニヤと大和を見つめる。彼はそこで己の失態に気づいたが、もう手遅れであった。

 岳人の一言が、大和の胸に突き刺さる。

 

「やっぱりおまえは、那須与一とお似合いだわ」

 

「おお、そうだ! 大和、与一をどうやって説得したんだ? 俺にもぜひその交渉術を教授してほしい」

 

 与一という単語で説得のことを思い出した凛がお願いするが、それがさらに大和を追い詰める。彼はしどろもどろになりながら、言葉を選んでいった。

 

「いや凛、べ別に俺は特別なことをしたわけじゃない。……こ、高校生活は一度しかないから、楽しんだほうがいい、とだな」

 

「そうなのか? そんな言葉を単純に聞くようには、見えなかったけどな。もっとほら、こう何か共通点みたいなものがあったりして、そこから切り崩すみたいな……」

 

「……そ、そんなことない。話してみると案外大丈夫だったから、俺も安心したんだ」

 

 2人のやりとりを見守るファミリーは、ずっとニヤニヤしたままだった。その後、しっかりといじられる大和に、凛もなんとなく事情を察し理解を示す。笑いの堪えない二次会は続いた。

 そのまま休日に突入し、凛は昼から一人で中華街をブラブラしていた。満のグルメ情報によると、ここに極上のショウロンポウを売る店があるらしく、それを食すために出かけたのである。誰とも一緒でないのは、単純に午前の鍛錬を終えて寮に戻ったとき、誰の姿もなかったからだ。

 

「あー肉まんのいい匂いがする。一つ下さい」

 

 ショウロンポウを食べに来た凛は、肉まんを頼む。ついでに場所の確認をしようとしたとき、彼に声がかかる。

 

「どっかで見た姿だと思ったら凛じゃねぇか。こんなとこで一人か?」

 

 声の正体はステイシーだった。その隣には李がいる。

 

「ん? ステイシーさん。それに李さんも。こんにちは。生憎一人です。……あの、可哀想な人を見る目で見ないでください。友達がたまたま……たまたま! みんないなかっただけです。今日はお休みですか?」

 

 凛が言い返すと、ステイシーはクックと笑う。

 

「冗談だよ! そんな強調しなくたって、わかってるって。んで、アタシらは貴重な休みだ」

 

 それに続いて、李が問いかけてくる。

 

「それにしても、こんなところで出会うなんて偶然ですね。どうしたんですか?」

 

「この近くに、極上のショウロンポウを売り出す店があると聞いてやってきたんです。でもなかなか場所がわからなくて、今から確認しようかと」

 

「ファッーク! おまえもそれかよ。それよりハンバーガーのほうがうまいだろ?」

 

 ステイシーは、凛の一言を聞いてため息をつき、それとは反対に、李の表情が僅かに柔らかくなる。そんな2人の様子に彼は首をひねった。

 李がおもむろに口を開く。

 

「もしや店の名前は、黄楼閣ではないですか?」

 

「それです! もしかして……」

 

「はい。私たちもそれを食べるために来たのです」

 

「アタシはそれに付き合わされてるんだ。せっかくガッツリいこうと思ってたのによー」

 

 ステイシーはブチブチと文句をたれているが、李はそこまで気にしていないようだった。

 

「なら、俺も一緒に連れて行ってくれませんか? 一人というのも寂しいんで」

 

「同士ができて嬉しいです。私は構わないのですが……」

 

 李はチラリとステイシーを伺う。

 

「ああ? アタシも構わないぜ。話もいろいろ聞いてみたいしな」

 

「ありがとうございます。それにしても……」

 

 礼を述べた凛は、快諾してくれたステイシーと李を交互に見比べる。

 ステイシーは、無地のTシャツにジーンズ、薄いベージュのブーティとラフな格好だった。しかし、そのシンプルさが、雰囲気ともマッチしており様になっている。海外モデルの休日スタイルといったところだろうか。一方の李は、こちらもシンプルに白の袖なしシャツに黒のパンツ、ミュールだが、元々の素材の良さと合わさって似合っている。また、肩にクリーム色の小物入れをかけている。

 

「お二人のメイド姿しか見たことなかったので、私服がすごく新鮮に見えます。そして似合っています」

 

「ありがとよ。アタシは堅苦しいのは苦手だからな。メイド服も今は慣れたが、最初の頃は首元が気になって仕方なかったぜ」

 

 そう言って、ステイシーは首元をさすった。李が軽く頭を下げる。

 

「ありがとうございます。夏目様もよくお似合いです」

 

 凛の服装は、長袖の白シャツを無造作にたくし上げ、それにロールアップした茶色のパンツを合わせていた。肩にはキャンパス地のトートをかけている。

 

「李さん、俺のことは凛と呼び捨てで構いません。休日ということですし、他人行儀なのはなしで」

 

「では凛と呼ばせてもらいます」

 

 ステイシーが笑いながら李を横目で見た。

 

「李は真面目だからなぁ」

 

「私は、ステイシーがフランクすぎると思いますが」

 

「まぁまぁ。それじゃあ早速、黄楼閣に向かいましょう!」

 

 そうして、3人は極上のショウロンポウを目指して黄楼閣へと向かう――はずだった。

 通りで立ち往生する凛は、目の前の光景に、深いため息をつきたくなる。

 

「……どうしてこうなった?」

 

「ねぇねぇ、俺たちと遊ぼうよー。俺ら××県から来たんだけど、この辺り知らなくてさ。よかったら遊びがてら案内してくれない? もちろん、金はこっち持ちでいいからさ」

 

「そうそう。こっちは2人。そっちも2人。ちょうどいいじゃん。――――」

 

 歩き始めてほんの数分、ステイシーと李にナンパが入ったのだ。彼女らの隣にいる凛は、いないこととして扱われているのか、ナンパコンビはあの手この手で誘おうとしている。

 ステイシーは、あまりのしつこさにイライラしてきたのか、中指をたてて吠えた。

 

「ファック! アタシらに構うんじゃねぇ。目ん玉くりぬくぞ! あぁん」

 

「ステイシーは少し落ち着いてください。申し訳ありませんが、連れがおりますのでお引取り願えませんでしょうか?」

 

 今にも噛み付きそうなステイシーを落ち着かせながら、李は丁寧に断りをいれる。その言葉に、ようやく凛の存在が認識された。ナンパコンビの片割れであるギャル男が、ジロリと彼を睨むと鼻で笑う。

 

「ああ? この子が連れ? てか……高校生? 弟かなにかでしょ? こんなのさっさと帰しちゃって、俺らと楽しもうよ。絶対損はさせないからさ」

 

 ――――こんなのとか言われた。というか、県外だと二人が九鬼のメイドってわからないのか。それなら声をかけたくなる気持ちもわからんではない。二人とも美人だし。……だが危険すぎる。目の前の男たちの身が!

 へらへら笑っている男たちの身を案じる凛。そこに、ステイシーが声をかけてくる。

 

「おい凛。なんとか言い返してやれよ。それともあれか? こんなクソヤロー相手にするまでもないか?」

 

「いや何もそこまでは思ってませんけど……」

 

 凛が喋りだすと、それを遮るようにもう一人のタンクトップを着た丸刈りの大男がわざわざ立ちふさがってくる。

 

「あんだ? ガキは引っ込んでろ。さっきのことは聞かなかったことにしてやるからよ」

 

 加えて、傷んだ金髪をゆらすギャル男が、脅しをいれてくる。もっとも大男の後ろからであったが。

 

「気をつけたほうがいいぜー高校生。コイツ暴れると手が付けられないからな。今の顔を二度と拝めなくなっちまうかもよ?」

 

「暴力事件は勘弁なので、なんとかお引取り願いたいですね。これ以上は、ケガするかもしれませんし」

 

 最後にあなたたちが、と凛は心の中で言葉を付け加える。口に出して言えば、挑発しているも同じであったからだ。しかし、事態はどちらにしろ言葉だけでは収まりそうになかった。

 凛の態度に気を大きくしたギャル男が、嫌味ったらしい口調で喋りだす。

 

「あれぇ怖くなっちゃったかなぁ? だったら、しゃしゃりでてくんじゃねぇよ、クソガキが! とっとと失せろ!」

 

「おら! 早くどっか行け」

 

 大男はドスをきかせて、凛に手を伸ばしてきた。しかし、彼は引くことなく、その手首をしっかりと掴む。

 

「俺の連れなので手を出さないで下さい」

 

「うぉー凛ロックな台詞だぜ! もっと言ってやれ」

 

 緊迫している雰囲気の中、ステイシーの陽気な声が響いた。それを見て李はため息をついている。

 凛は力を込めながら、再度お願いをする。

 

「引いてください」

 

 10秒あたりだろうか――沈黙が続き、その間大男の腕はピクリとも動いていない。業を煮やした大男は、その言葉も無視して、もう片方の腕で凛に殴りかかってきた。しかし、彼はその拳も掴みとり相手を睨んだ。大男はこめかみに血管を浮き上がらせたまま、こう着状態に陥る。

 

「ちょ、ちょっと遊んでないで、さっさと終わらせろよ」

 

 ギャル男が少し焦りだす。さすがに、通りで2人の男がつかみ合っていると、人目を集めだしていた。

 凛はここからどうしようか悩んでいたが、それも大男が急に崩れ落ちたことで解決する。まるで糸が切れたように倒れた男は、ピクリとも動かない。

 

「…………」

 

 一瞬の沈黙が流れ、今だ状況が飲み込めないギャル男は、目の前の3人と倒れふす連れの間で何度も視線を行き来させる。そして、そのまま一言も発することなく、大男を担いで退散していった。

 ナンパコンビの姿が完全に見えなくってから、凛は李にお礼を言う。

 

「ありがとうございました。李さん。正直どうすればいいのか分からなくて」

 

「なんだよ凛、あのまま殴り飛ばしておけばよかったろ? 負けることなんてねぇんだからよ」

 

 ステイシーは、軽いジャブを凛の目の前で寸止めする。彼はそれに動じることなく、苦笑をもらした。その言動に李が呆れた表情で口を開く。

 

「ステイシー、相手はただの一般人です。殴り飛ばしたりすれば、面倒な事態なります。まぁあなたが手をだすことがなくて助かりました」

 

「ははっなかなかおもしろいもん見れたからな。俺の連れに手をだすなってな」

 

 キリッとした顔を作り、凛のセリフを口にするステイシーはご機嫌だった。そっぽを向いて無視を決め込む彼に、肩を組んでまたセリフを少し大げさに言う。

 ずっと無視をするわけにもいかない凛は、一度手を叩いて空気を変えようとした。

 

「はい、俺をいじるの終了―! ご飯行きましょう!」

 

「延長戦に突入―! まだロックな時間は終わらないぜー」

 

 凛は、いじって楽しむステイシーに何を言っても通じないと思ったのか、隣を静かに歩く李に助けを求める。

 

「李さーん、この人なんとかしてください」

 

「もうすぐ黄楼閣に着きます。それまでの辛抱です凛」

 

「まさか……李さんもこの状況を楽しんでいるだと!?」

 

 四面楚歌の凛に、ステイシーの言葉が届く。

 

「ロックな台詞もう一回言ってみてくれ凛。なかなか様になってたからよ」

 

「何も起こってない状況で言ったら、ただの道化じゃないですか!」

 

 賑やかに言い合う2人を横目に、表情をゆるめる李。

 

「そんなことはありません。私達は笑ったりしません。凛が本心から言ってくれれば……の話ですが」

 

「やっぱり李さんも楽しんでる」

 

 厄介な出来事ではあったが、結果的に3人の仲を深めるものとなり、より親しくなった3人は、ビルとビルの間の細道へと入っていく。いつの間にか夕日が中華街を照らしており、夜がもうすぐそこまで来ていた。

 



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『凛とメイドの休日』

 人が2人通れるほどの細道に入ってからは、右に左にと何か目印でもあるのか、李は立ち止まることなく歩いていく。それに、ただついていく凛とステイシー。そして、何度目かの細道を曲がった先に、その店はあった。夕暮れだったため、黄楼閣と書かれた看板がネオンによってすでに輝いており、その両サイドには赤い提灯が縦に連なって吊り下げられ、建物は白い壁に緑の屋根、窓枠などには赤と金をあしらった豪奢なものだった。

 

「こんなところにお店があったんですね。これは一人では見つけられなかったかも……」

 

 細く薄暗い場所を通ったあとに、姿を現す異国の情緒を漂わせる建物に、凛は目を奪われた。少しぼーっとしている彼に、李が嬉しそうに口を開く。

 

「初めて行く人には難しいかもしれませんね。しかし、それでも探す価値があると私は思っています」

 

 ステイシーが2人の前方に進み出て振り返る。

 

「そんなことよりさっさと入ろうぜ。中でも話はできるだろ?」

 

「そうですね。では参りましょう」

 

 そう言って、李は丸くかたどられた入り口を抜け、その先にあった扉を開く。そして、次に目に入ってくる内装も外観に負けない迫力があった。それはまるで、映画の舞台に迷い込んだかと思わせるほどで、太目の柱に支えられた天井は高く、仕切りひとつとっても精巧なデザインがなされた空間は、訪れた者に一時の贅沢を与えてくれるのだった。

 店内は、既に客も入っており、少し賑やかになっていた。李とステイシーは、やってきた店員と少し会話をすると凛の元へと戻ってくる。その間、雰囲気を楽しんでいた彼は、戻ってきた2人に感想を述べる。

 

「中は意外に広さがあるんですね。それにデザインも凝ってて綺麗だ」

 

「驚きましたか? しかし、私達はここでは食事をとりません。2階に向かいますから、ついてきてください。きっと気に入ってもらえると思います」

 

「ようやく飯だな。今日は飲むぜ」

 

 凛たちは、店内を突っ切ってその奥にあったエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの扉が開くと、真っ直ぐ伸びる1本の通路があり、その左右に個室へと続く扉がある。2階は通路だけでも十分な広さが確保されており、扉と扉の間にはライトアップされた花が生けられていた。また防音もしっかりされているのか、通路には彼らの足音しか聞こえない。

 案内されるがまま、通路の一番奥の個室へと入る。

 

「えっと……個室とかいいんですか?」

 

 戸惑う凛を置いて、ステイシーがさっさと席につく。

 

「気にすんな。この店は李の知り合いの店なんだ。んで、アタシらが来たときはいつもここで食わせてもらってるんだよ」

 

「ステイシーの言ったとおりです。気にしなくてもいいですよ」

 

「なんか紋白のときといい今日といい、俺は運がいいな」

 

 テンションをあげる凛は、改めて個室を見渡す。外観とは違い、落ち着いた雰囲気の色あいでまとめられた部屋は、天井から吊られる円柱型の照明で室内を照らされ、中央に足元まであるクロスのひかれた丸いテーブルに3脚のイス、左に床から天井までの窓があり、その隣――入ってすぐ左に2人掛けのソファがある。部屋の奥にはシンプルな額縁も飾ってあった。

 3人は注文を一通りすませると、話題はそれぞれの川神に至った経緯のことになる。

 

「元・暗殺者に元・傭兵ですか。だから実力もあるんですね、納得です」

 

「凛は驚いたりしないのか? この店入ったときの方が驚いてたぞ」

 

「俺の祖母の家にも似た人たちはいますから。それより、ステイシーさんの従者入りの話のほうがおもしろいです。からかいにいって、強制的に入れられたって」

 

 凛はこらきれずに吹き出した。ステイシーは、そのときのことを思い出して、ため息をつく。

 

「あずみのメイド姿をからかった瞬間、ヒュームが飛んできたからな。一撃くらったときは、マジで死んだと思ったな。その後、自分の上司がそのヒュームと知ったときのアタシの気持ち、凛ならわかるだろ?」

 

「ははは。まぁわからなくはないです。子供頃はそれこそ逃げ回ったりしたこともありましたから。でも、10秒もしないうちに吊るされていました。今思えば懐かしい」

 

 その言葉を聞いて、李が笑っている凛に顔を向ける。

 

「少し意外ですね。今の凛を見ていると逃げたりするイメージが湧きません」

 

「これでも子供のときは、ヤンチャに過ごしてきましたから。李さんは、クラウディオさんに捕まったことが切欠だったんですよね。そう考えると、運命はわからないものですね」

 

「はい。むしろクラウ様ひいては九鬼家の方々には感謝しています。闇しか知らなかった私に、新しい世界を見せてくださいました。そのおかげで、ステイシーや凛にも会えましたし」

 

 李は恥ずかしがる様子もなく、穏やかな顔で言葉を口にするも、それを聞いていた方は恥ずかしかったらしい。

 

「恥ずかしいこと言ってんじゃねぇ」

 

「李さん、ステイシーさんが照れてますよ」

 

「うるせぇぞ凛! アタシがその綺麗な顔を整形してやってもいいんだぞ?」

 

 少し顔を赤くしながら、握りこぶしを作り凛を脅すステイシー。彼はそれに反応して、顔を両手で覆った。

 

「やめて! 俺の顔が見れなくなったら、何人の女の子が泣くと思ってるんですか?」

 

「凛は自分の顔に相当自信があるんですね。確かに自信を持ってもいいと思います」

 

 李はツッコむでもなく、うんうんと頷いた。

 

「あの……李さん、これ冗談ですよ? 本気でとられると俺も困ります」

 

「あっはっはっは。おまえはもう李の中でナルシスト決定だな」

 

 ステイシーが、そんな2人のやり取りを見て笑う。話し込んでいると時間もあっという間に過ぎ、料理が次々に運び込まれてくる。前菜三種盛りから始まって、ショウロンポウ、フカヒレスープ、伊勢えびとアスパラの炒め物等等。

 そんな料理の数々を目の前にして、凛が気まずそうに話し出す。

 

「えーと、注文のときはスルーしてしまったんですけど、情けないことに割り勘で払える額を超えてます」

 

 それに、ステイシーが李にワインを注ぎながら答える。

 

「ん? ああ、ここはアタシらの奢りだ。李と一緒に行くことが決まったときから、それなりの額は用意してあったからな。同じ師匠をもつ身だ。ここはお姉さん達からの歓迎ってとこだな」

 

「そうです。凛は気にせず食べてください。私は中華を愛する者の一人として、凛を歓迎します」

 

「そっちで歓迎するのか? 李」

 

 そして、食事は和やかに進んでいった――2人がワイン2本、紹興酒1本を空けるときまでの間であったが。

 目が据わっているステイシーが、凛に話しかける。

 

「それでだなぁー凛! ヒュームのジジイはことあるごとに串刺しにする串刺しにするって、アタシは焼き鳥の肉じゃねえんだぞ!!」

 

「そうですね。そして、その話4度目です。さすがに飲みすぎじゃないですか? ステイシーさん」

 

 キッと凛を睨むステイシー。

 

「おいおいおいおい、年下のくせにアタシに説教か! おまえもヒュームのじじいと同じで串刺しにしたいのか! 全く師匠が師匠なら弟子も弟子だな!」

 

「凛も過激なのですね」

 

 ステイシーがギャーギャーと騒ぐ横で、李は顔を赤くしながら、追加注文した紹興酒をちびちびと飲んでいた。しかし、その飲むペースが一向に崩れない。そんな彼女の様子に、凛は少し焦りながら問いかける。

 

「えーと李さんはさすがに大丈夫ですよね?」

 

「私はいつもだいじょぶれす」

 

「? 言葉が少し怪しい気がする」

 

「凛は……………………?」

 

 何を言おうか忘れた李は首を傾げ、凛を見つめたまま目をパチパチさせた。そして長い沈黙のあと、思い出して一言。

 

「……凛は平気そうですね」

 

「うーん、李さんもだいぶきてそうだなー」

 

「うっ……」

 

 そこで急にテーブルに倒れ伏す李。彼女の持っていた空のお猪口が、テーブルを転がっていく。突然の出来事に、凛は立ち上がって彼女に近づいた。

 

「えっちょ、ちょっと李さん! 李さん!? ステイシーさん! 李さんが!」

 

「あはははは、凛それは李の持ちネタの死んだフリだ。もういいぞーっていうまでピクリとも動かないから、よく観察してみろ。別にマジで気分が悪そうでもないだろ?」

 

 ステイシーは、ケタケタと笑いながら説明する。凛はその言葉に従って、冷静に李を観察する。顔は赤みを帯びたままで、開かれた瞳は閉じる気配がない。

 

「……瞬き一つしないんですね。あーびっくりした。ホント焦った」

 

「あははは、もういいぞー李」

 

 ステイシーの言葉で、李はまるでスイッチが入ったかのように体を起こした。

 

「どうですか?」

 

「すっごいわかりやすいドヤ顔ですね。本当にびっくりしました。ステイシーさんに言われなければ、真っ先に病院に連れて行きましたよ」

 

 凛は、そう言いながら椅子に深く座り、どっかりと体重をあずけた。そんな彼に満足したのか、李は胸を張り言葉を続ける。

 

「えへん」

 

「その反応は可愛いですね」

 

「おい凛! アタシはどうなんだ? まさか李だけ可愛いとか言わないだろうな?」

 

 凛の一言にステイシーが身を乗り出してきた。彼はそれにすぐさま対応する。

 

「ステイシーさんも可愛いですよ」

 

「なんか投げやりだな。……よし、行動で示してみろ!」

 

「そうです凛」

 

「2人とも酔いまわってるなー。俺はなんでこんなに意識がはっきりしてるんだ!」

 

 凛は、急かす2人を見ながら、川神水(ノンアルコールだが、場で酔える水)を飲んでいるにも関らず、今日に限って酔わないことを悔やんだ。

 

「りーん! あたしらの準備は万全だぞー! 男だろー!」

 

「……」

 

 名前を連呼し騒ぐステイシーとただただ見つめてくる李に、凛もついに覚悟を決める。これは中途半端な行動はできないと思ったのだ。酒もそろそろやめさせるため、一旦2人をソファに座らせる。

 ――――ええい!もうなるようになれ!

 そして、凛は2人の頬にキスをする。それに一瞬きょとんとする彼女らだったが、状況が飲み込めると満足したのか、あるいは納得したのか大人しくなった。

 

「今お冷頼みますから、2人はそのまま動かないように!」

 

 そう言って2人を見る凛だったが、彼女らはもう夢の中に旅立っていた。その様子を見てため息をひとつするが、その後自分の行動を振り返り、羞恥から身悶える。どうやら彼もそれなりに酔って、テンションがあがっていたようだった。

 

「俺何やってんだ。……まぁ2人も覚えてないだろ、たぶん。それにしても、従者の仕事も大変なんだな。少し休ませてから帰るか」

 

 ステイシーは姿勢を崩して、ソファの肘掛に自分の腕を枕にして寝ており、李はいつの間にか、そんな彼女の体にもたれかかり眠っていた。

 凛は、李の知り合いというオーナーに、現場を見せながら事情を説明する。すると、ここに来ると毎回どちらかがこうなることも多いらしく、オーナーは苦笑混じりに許可をだしてくれたのだった。

 その後椅子に座り、ぼーっとしていると凛にも睡魔が襲ってきた。まだ起きそうにない2人を一瞥し、ゆっくりと目を閉じる。

 

「――――。――――」

 

 どれくらい時間が経ったのか、間近で聞こえる人の声と気配に、凛の意識は急速に覚醒していく。そして、彼が目を開くとステイシーと李が目の前にいた。

 

「なにしてるんですか? お二方は」

 

「いやー別にー。なぁ李?」

 

「そうです。凛が気持ち良さそうに寝ていたのを観察していただけです」

 

 2人は手を後ろに回して、目線を凛からはずす。しかし彼はしっかりと見ていた。

 

「では、お二方が手にもっている物はなんですか? 俺の記憶が正しければ、それはマジックというものですよね」

 

「しかも油性だぜ!」

 

「……私のは水性です」

 

 ステイシーは凛に言い当てられ、観念したのか堂々とマジックを突き出し、李はおずおずと両手で差し出してきた。彼は2人のマジックを取り上げ、彼女らを目の前に並ばせる。

 

「落書きするつもりだったんですね?」

 

「違う」

 

「違います」

 

 2人は即答した。再び凛が問いかける。

 

「じゃあ何するつもりだったんですか?」

 

「マジックでマジックの練習です。ふふっ」

 

 李の一言に完全に黙り込む凛とステイシー。

 李が2人の反応を見逃さないよう見つめる中、凛はステイシーにのみ尋問する。

 

「何をするつもりだったんですか、ステイシーさん?」

 

「うーーー落書きしようとしました! これでいいんだろ凛!」

 

「……」

 

 ステイシーは、その問いに対して逆ギレする。隣の李は、笑ってくれる気配すらなかったことに凹んでいた。

 

「うわっ逆ギレした。寝顔は可愛いのに、獰猛だ!」

 

 ステイシーは、やりとりを楽しんでいるようで、キレたと思ったらすぐ笑顔になる。

 

「血まみれステイシーの名は伊達じゃないぜ」

 

「その名の使い方はおかしいです。ステイシー」

 

 李も反応がないことに慣れているのか、凹んだ状態から復活していた。彼女は時計で時間を確認し言葉を続ける。

 

「そろそろ出ましょうか? 長い時間居座ってしまいました」

 

「そうだな。ほら行くぞ凛」

 

 李の言葉にステイシーは同意し、凛の背中を押して個室を出て行く。

 

「あれ? うやむやにされかかってる」

 

 そしてオーナーに見送られながら、3人は黄楼閣をあとにする。中華街に出てくると、休日ということもあってか、家族連れやカップル、テンションの高い酔っ払いなど、賑やかというより少し騒がしいほどだった。

 ステイシーが大きく伸びをして、深く息を吐く。

 

「あーいいストレス発散になったぜ」

 

「そうですね。明日からも頑張りましょう」

 

 2人の隣を歩く凛がぺこりと頭を下げる。

 

「とてもおいしい料理でした。本当にご馳走様でした。ステイシーさん、李さん」

 

「こっちもロックな時間が過ごせて楽しかったぜ」

 

「凛はもう大丈夫ですか? よければ、寮の近くまで送ることもできますが?」

 

 時折吹いてくる夜風に浴びながら、たわいない会話をしているとすぐに分かれ道にたどり着いた。ステイシーは、言いたいことを言ったためかスッキリした顔をしており、李も酔いは残ってないようでいつものクールさが戻っている。

 

「俺も一眠りしたからか、体は大丈夫です。俺の方こそお送りしなくて大丈夫ですか? 変質者がでるかも……」

 

「食後の運動として軽くひねってやるよ」

 

「一瞬で眠りに落ちていただきます」

 

「そうですよね。では、この辺で失礼します。今日は本当にありがとうございました」

 

 ステイシーは凛の肩を軽く叩く。

 

「んじゃあな。次はアタシのお気に入りの店に連れて行ってやるから、楽しみにしてろ」

 

「気をつけて帰ってください。さようなら」

 

 最後に李が丁寧に頭を下げ、2人は凛に背を向け帰っていった。

 寮への帰り道を1人歩いていた凛だったが、もうすぐ寮の前というところで、電話がかかってくる。ディスプレイには、登録したばかりのステイシー・コナーと表示されていた。

 

「もしもし」

 

『おー凛。寂しがってるんじゃないかと思って電話してみた』

 

「ステイシーさん、俺は小学生ですか」

 

『はははっ。李から一言伝えたいことがあるってさ……ほれ李』

 

「なんでしょうか?」

 

『コホン……人参なんてキャロット食べちゃえ』

 

 李の渾身の一発が放たれた。凛はいたって冷静に感想を述べる。

 

「まだまだ精進が必要ではないでしょうか?」

 

『……今日人参が出ていて思い浮かんだのですが。出直します』

 

 李は、笑いをとれなかったことに、少し声のトーンをおとす。その後、携帯からは一言も言葉が発せられない。たまらず、凛が声をあげる。

 

「…………えっまさか一言ってこれですか!?」

 

 凛の叫ぶ声は、夜の空へと吸い込まれていき、打って変わって、電話口からは陽気な笑い声が聞こえてくるのだった。こうして凛の休日は過ぎていく。

 



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『姉包囲網』

 登校時、今日は翔一と百代を除いたメンバーで、いつもの川沿いの通学路を歩いていた。岳人と卓也は、発売されたばかりの単行本を読みながら、盛り上がっている。

 

「おいおい! 今週のトラブルンやばくないか! 乳首モロ見えじゃねぇか。さっさと次めくれ……おぉこれいいのか!?」

 

 その姿を見ていた凛と京、大和が感想を述べる。

 

「ガクトはあの姿をさらしながら、モテたいと望むか」

 

「図々しいよね」

 

「確かに。まぁあとで俺も見せてもらうが……」

 

 その一言で京がコロリと態度を変える。

 

「正直で素敵。あとで一緒に読もうねー」

 

「これも恋のなせる業か。ところで、クリスは眠そうだな?」

 

 凛は、大和の腕に寄り添う京に感心しつつ、あくびをするクリスに声をかけた。眠たげな彼女にいつもの快活さはない。

 

「うー。昨日、大和丸のDVD見てたら止まらなくなって、つい夜更かししてしまったんだ。眠い」

 

「だがら、ちゃんと寝なさいって言ったのに。クリ吉ったらもう!」

 

 松風に注意され、ブーたれるクリス。そんな彼女に凛がミント系のガムを差し出す。

 

「気持ちはわからなくないな。ほい、ガムでも噛んで目を覚ませ」

 

「ありがとう凛。ふふーん」

 

 凛という味方を得て、クリスは得意げに松風を見返した。由紀江が、その姿に呆れ半分といった反応をみせる。

 

「見事に甘やかされてます」

 

 凛は苦笑をもらす。

 

「すまん、まゆっち。クリスを見ていると、どうしてか甘くなってしまう自分がいる」

 

「いえ、お気持ちはわかります。しかしこのままでは……」

 

「我儘クリスが一丁上がり! ってなことになりかねないぜ。むしろもうなってる?」

 

 由紀江の言葉には、クリスの将来が心配という気持ちが見て取れる。そこに、京が入ってきた。

 

「わかっていても甘やかしてしまう。私も昨日、ケーキ半分あげたしね」

 

「クリスの魅力かな?」

 

 凛の視線の先には、眠気がさめてきて元気を取り戻すクリスがいた。その横では、先ほどまで会話していた大和と一子が握手をし始めている。彼女は、とても嬉しそうに握った手をブンブン振っていた。

 

「こっちも可愛いな」

 

「凛。手が勝手にワンコの頭に向かってるよ」

 

 京の一言に、凛ははっと我に返った。

 そして、凛の言葉に便乗して大和が京を褒めると、彼女が即座に求婚――タックルで体を使った交渉――を迫る。それを彼が持ち前の回避能力を駆使して――といつものパターンに入った。

 その後、休日の話などを交えながら歩くファミリーは、へんたい橋にさしかかる。そこに、後ろからご機嫌な声が聞こえてきた。

 

「りんりんりりーん♪ファイトー」

 

 それに加えて、今日は別の声も混じっていた。

 

「いっぱーつ!」

 

 軽やかに自転車を進める清楚と荷台に座った燕だった。一子が彼女らに向かって挨拶するのに合わせて、ファミリーも挨拶をかわす。

 それに、荷台から降りた燕が応えた。

 

「おはよう。朝から納豆食べてるおかげで、私は元気」

 

 清楚もそのあとに続き「おはよう」と笑顔で返してくる。

 そこで、燕は凛の顔色が若干優れないことに気がついた。

 

「凛ちゃん、体調悪いの?」

 

「いや、朝にちょっと飲んではいけない物を飲んで……気づいたら登校してた。そのうち治ると思う」

 

 大和のために作られた『京特製ジュース』を凛が知的好奇心から味見をした。それがもたらした結果だった。彼は朝の出来事を思い出して、一度大きく身震いする。その後ろでは、その単語を聞いた岳人も体を震わせ、卓也が心配していたりする。彼の体を持ってしても意識を飛ばすほどのそれに、その現場に出くわしたファミリーは改めて恐怖を感じた瞬間だった。

 そして、そんな凛の様子を見た京が、不満そうに口を開く。

 

「おいしいのに……」

 

「さすがにあれは同情した。でも復活するのも早かったな。ガクトなんて2週間ほど入院するという大事にまで発展したんだぞ」

 

 京と違い、大和は凛に憐れみの目を向けた。それに、「頑丈な体に感謝する」と彼は、海外にいる両親に祈りを捧げる。

 しばし祈ったあと、和気藹々と会話する清楚と燕に、凛が声をかけた。

 

「それにしても燕姉と清楚先輩仲いいね」

 

「図書館でお友達になったのよ」

 

「そうそう。私がハローってな感じで声かけてね。今日も朝から清楚見かけて、ヒラリと飛び乗ったのさ」

 

 その問いかけに、2人が笑顔で答える。そして、燕の言葉を聞いた凛は、清楚に軽く頭を下げた。

 

「清楚先輩、すいません。燕姉がご迷惑をおかけして」

 

「大丈夫だよ。スイスイ号がついてるからね。それに燕ちゃんから夏目君の話も聞いたよ」

 

 スイスイ号――九鬼で作られた人工知能が搭載されている。クッキーの後輩にあたる――に取り付けられたAIが「お任せください」と見事に相槌をうつ。

 凛は清楚の隣でにっこりしている燕に視線をうつした。

 

「おーい、一体何を話してくれたのかな? 恥ずかしい話とかしてないでしょうね!」

 

「それは、お姉さんたちだけのひ・み・つ♪」

 

 燕はそう言いながら、楽しそうに唇に人差し指をあてる。そんな姿も実に様になっており、彼女を離れたところから見ていた男子生徒たちは、テンションをあげていた。

 

「そんなこと言う人には、出来上がった写真はあげません。清楚先輩には、はいどうぞ。あと俺のことは凛と呼んでください」

 

 凛が「to Seiso」と書かれた白い便箋を手渡す。

 

「わぁありがとう♪……凛ちゃん?」

 

 清楚が小首を傾げながら、凛の名を呼んだ瞬間、相変わらず熱い視線を送っていた男子生徒たちが立ち止まり、ほーっと癒されるとともに何人かの男は川に向かって叫んでいた。

 

「夏目のアホー! なんでおまえばっかりやねん! アホーアホー!」

 

「清楚先輩! 俺の名前は……朔太郎です! 朔ちゃんと! 朔ちゃんと呼んでいただけないでしょうかー!」

 

 そんな叫び声が聞こえる中、凛は目の前の光景に胸を打ち抜かれていた。漫画であれば、ズキュンという効果音が背景に入っていただろう。想像してみてほしい。学園で一番を争う美人の先輩に、笑顔で少し顔をかたむけてからのちゃん付けである。

 

「……燕姉に呼ばれ慣れてるはずなのに、なんか嬉しい。って、ちゃんとあげるから脇をつっつくな」

 

「それでよろしい。凛ちゃん、私に呼ばれるだけじゃ不満なの?」

 

 しかし、年上からの攻撃はそこで終わらなかった。第二の刺客は、下から覗き込むように凛の顔を見上げてきたのだ。燕の目は潤んでいる。

 凛は耐え切れずに、顔をそらし白状した。

 

「……上目遣いとか卑怯だ。あと不満じゃない。ただ綺麗なお姉さんに呼ばれるのは素直に嬉しい。それだけ」

 

「ふふ、生意気ながらも時折素直な凛ちゃんは可愛いねー」

 

 そう言いながら、燕は凛を撫でる。そんな2人の横で、清楚は岳人と卓也が読んでいる漫画に興味をもった。もちろん2人は慌てることになる。その漫画が、エロのきわどいものであったからだ。

 

「純文学じゃなくてごめんなさい。見捨てないで! お詫びと言ってはなんですが、外国人の物まねをしますので――――」

 

 岳人が必死に物まねをするも、結局は漫画を読まれてしまう。しかし、意外にも清楚は、女の子が可愛いと褒め、ページをめくっていった。その傍で、顔を赤くした卓也が身を縮めている。

 その様子を見ていた燕が凛に話しかけた。

 

「凛ちゃんのお友達もおもしろいよね」

 

「でしょ。みんなそれぞれ個性強いけど、仲良くて飽きないよ」

 

「みたいだね。……なんか島津君、喜んでるね」

 

「恥ずかしいが気持ちいいって、公衆の面前で何を叫んでんだ。そして京おまえもだ!」

 

 そのまま一行は、ワイワイと学園を目指して歩いていく。

 そして、学生の本分である授業にはいるわけだが、授業中にも関らず2-Fにはゆるい空気が流れていた。この時間は人間学の授業。今日のテーマはマナーについてだった。

教壇に立った巨人が弁を振う。

 

「ナイフとフォークは外側から使っていくんだぞ。――――」

 

 凛と大和は、その言葉を耳に入れながら、関係ないことを喋っていた。

 

「本当にこの授業なんでもありだな」

 

「まぁな。でものんびり聞ける授業があって、学生にとっては楽だろ?」

 

「俺は最初、人間の身体構造を学んで急所とかのつき方、どうすれば相手を簡単に戦闘不能にすることができるかとかを勉強するんだと思ってた」

 

 凛の持ったフォークがキラリと光った。

 

「その授業も案外人気でるかもしれないな。川神学園では」

 

 そんな2人に、巨人から軽い注意が入る。

 

「おまえら喋ってないで、おじさんの授業を聞きなさい。ためになること教えてるんだから」

 

「すいません。……そういえば写真できあがったんで、あとで先生にもお渡しします」

 

「おお。小島先生との2ショットのやつな」

 

 凛の一言に、巨人はテンションをあげた。このように、彼の授業は脱線することも多く、その内容はほとんどが彼と梅子の進展に関してのものだったりする。加えて、教師である彼自身が嬉々として喋りだしたりするため、始末に負えない。梅子の授業では、決してありえない光景だった。

 育郎が席を立ち、巨人に詳細を求める。

 

「なにぃ! 2ショットで写真撮るなんて、仲に進展でもあったのかよ?」

 

「おまえらにもあとで見せてやるから、それを見ればわかる」

 

 余裕の笑みを浮かべる巨人に、凛がすぐさま事実を述べる。

 

「いや、ただ偶然の一枚が撮れただけですよね」

 

「夏目、そんなはっきりと生徒の前で言わなくてもいいんじゃない?」

 

 その後もつつがなく授業は進行し、お昼休みになる。いつもなら、ここで食堂に向かったり、屋上に向かったりとバラけていくのだが、今日は2-Fの生徒の大半が残り、さらに他のクラスの生徒もやってきていた。その理由は、満の目の前にあった。

 

「いやぁマナーの話で食事のこととか言われるから、お腹すきすぎてちょっと気絶してたよ」

 

 満はそう言いながら、携帯コンロで身がギッシリ詰まった蟹と新鮮な川神野菜を煮込んでいた。ほどよく煮込まれたそれは、蟹のよい香りで教室いっぱいにしていく。窓が開けられているため、幾分か香りは外へと逃げていくが、それでも赤く色づく蟹と出汁を吸い込んだ色とりどりの野菜は、食欲をそそるのに十分であり、それを目の前にした生徒たちは、彼の合図をまだかまだかと待っていた。

 鍋の様子を見ている満に、凛が声をかける。

 

「教室で調理OKとは。向こうの学校ではすぐに先生がとんできただろうな。……クマチャン、もうこの中に川神水を入れてよくない?」

 

「そうだね。そうそう、このポン酢ありがとう。一口味見させてもらったけど、そのまま飲めるほどまろやかな味で、和洋中なんでもいけると思う。昨日メールで教えてもらったから、今日はこのかに鍋にすることを決めたんだ」

 

「クマチャンの情報にはいつも助かってるからお安い御用だ。クマチャンの料理を引き立てられるなら、このポン酢も本望だろう」

 

 鍋の近くに置かれたポン酢は、祖母の銀子から送られてきたものだった。しかし、まとめて送られてきたポン酢を凛は一気に使うこともできず、それならばと満に話を持っていったのだった。2人が話し込んでいるうちに、鍋の様子からもう少しと判断した生徒たちが、彼の鍋にあやかろうと列をなしていた。そしてできあがった鍋は、順番通りに分けられていく。そこにさらに客が来た。

 

「なにやらいい匂いをさせておると思ったら、猿共なにをしておるのじゃ?」

 

 客の正体は心であり、大和が彼女の疑問に答える。

 

「カニパーティだ。豪勢だろ?」

 

 教室内で賑やかに食べる生徒たちを見渡した心は、着物の袖で口元を隠しながら上品に笑う。

 

「ヒューホホホ。蟹ひとつで大喜びか。良かったのう庶民。たんと食べるがいい」

 

 個性的な笑い方から、心の姿を見つけた凛が声をかける。

 

「あれ? 不死川さんも食べに来たんだ? これかなりうまいよ。さすがクマチャンって感じだ。早くしないとなくなるぞ」

 

 それに続いて、川神水を飲みながら蟹の身と格闘する弁慶、いつもの無邪気な笑顔を浮かべる義経がそれぞれ感想をもらす。

 

「凛の言う通り。川神水にも良く合う」

 

「義経はいたく感激した。御呼ばれして嬉しい」

 

 その様子は、心の興味を十分に誘うものだった。3人を順に見たあと、視線は残り少なくなった鍋へと向かう。

 

「西の名家で育った夏目に、九鬼で過ごす義経たちが言うのなら、それは相当美味いのじゃろうな。ごくり……よかろう! 此方が特別に食してやってもいいのじゃ」

 

「ぎりぎり一杯分。はいどうぞ」

 

 心は満から最後の一杯をもらい食べる。そのリアクションは、クラスで一番大きなものだった。

 心の様子に満足した凛は、一際大きな器を空にした満にサムズアップ。

 

「クマチャンよかったな。不死川家にも認められたぞ」

 

「夏目くんのポン酢もいいアクセントになってたよ。この出汁でうどん煮るけど、みんな食べれるかな?」

 

 満からの嬉しい提案に、クラスからは歓声があがる。その中に、心の声も混じっていたのは気のせいではない。

 そして、うどんをみなで食べた後に、ちょうど校内放送が始まった。準の土地神になり、毎年9歳の子を生贄に求めるという過激な発言に、百代がツッコミを入れている。一息つくために、風が入る窓際の席に移動した凛と大和は、そこで放送を聞いていた。2-Sの生徒はクラスに戻り、2-Fの生徒は放送を聞きながらお喋りに興じている。

 凛がパックジュースにストローを刺し、口へと運ぶ。

 

「9歳っていうと小学生か。準って本当にペッタンコが好きなんだな」

 

「あいつの性癖はよくわからないな。凛はどうなんだ?」

 

 自然と声のボリュームを抑える2人。

 

「いやそりゃあるに越したことはないな。モモ先輩とか弁慶とか最高。でもバランスが重要だと思う。体とあってないのは、ちょっとダメかな。そう言う意味では、燕姉とか清楚先輩とかもいい。大和はどうなんだ?」

 

「おまえの気持ちはよくわかる。マルギッテさんとかもいいよな。俺は付け加えるなら、ア……」

 

 大和は口を開いたままフリーズした。

 

「あ……なんだ?」

 

「あ、あー顎の……顎のラインとか結構好きかな?」

 

 大和の顎発言に、凛が想像を巡らす。

 

「顎? もっとわかりやすい部分とかあるだろ? いや人の好みだから、とやかく言わないが顎ねぇ。…………ケツ顎とか?」

 

「それ絶対男だよな! 女の子のケツ顎とか見たことないわ!」

 

「そういや1-Sにも綺麗に割れた顎をもってる生徒いたな。阿部とか言う苗字で、男が好きだって紋白から聞いた。今度連絡先聞いとくか?」

 

「それも男だろーが! なんで割れてるところから離れない! しかし、1-Sの生徒の連絡先は欲しい…………おい凛! 変な意味じゃないからな。おまえ本当に誰かに言ったりするなよ!!」

 

 思わぬところから、人脈が広がるチャンスに揺れる大和だったが、凛の冷めた目を見た瞬間、真剣な顔でお願いをする。

 

「わかってる。からかいすぎたな。そいつも料理部で、腕もなかなからしい。知り合ってて損はないだろ」

 

 笑いをこらえながら話す凛とツッコミをいれる大和。その間も校内放送は進み、百代が松永納豆の宣伝を行う。

 

「モモ先輩、燕姉のこと気に入ったんだな」

 

「メールとかでもときどきでてくるからな。姉さんにとっても、燕先輩は同学年ではしゃげるから、余計楽しいんじゃないか?」

 

「同年代ではしゃげる相手ってのは重要だな」

 

 2人は、パックジュースの残りをズビビと飲み干す。放送はもう終わりに近づいていた。そこで、百代が突然一人の男に召集をかける。

 

『あー最後に、もう一つ私から伝言がある。3年のお姉様の中で私だけ渡されてない物がある。今から20秒以内に持ってこなければ、ちょっぴり恥ずかしい過去を小話の一つとして放送する。心当たりのあるそこの男! 私は、燕から見せてもらってずっと待ってるんだぞ!』

 

『ちょっとモモ先輩。勝手に何言い出してんの? ……ふんふん、あーなるほど。その小話は俺も聞いてみたいな。そこの男さん、来なくてもいいですよー』

 

 どうやら筆談でその内容を準に伝えたらしく、彼も乗り気になる。教室は、なんのことかわからない様子で、少しざわつき始めた。もしくは、その男の小話が気になるのかもしれない。

 スピーカーから、再度百代の声が学園内に響く。

 

『これは最終警告だ。凛! 恥ずかしい――――』

 

「おい凛の、こと……ってもういない」

 

 名前が出た瞬間、大和が凛に話しかけるも、彼の姿は教室からすでに消えていた。机に置いた空のパックジュースが、風で倒れると同時に、スピーカーから彼の声が聞こえてくる。

 

『校内放送使って、何しようとしてるんだ! あと! 過去ってなんだ!?』

 

 凛の声がスピーカーから聞こえると、黄色い声が廊下から響いてくる。

 

『おまえが早々に持ってこないからだろ。過去の話は、燕が一つ教えてくれたぞ。あとそういうお便りも結構増えてるんだ』

 

『そういうことか。……お便りの件は、ありがとうございます。それより準、せめて止めろ』

 

『いやー夏目さん家の凛くんの話とかみんな興味ありだと思ったから、パーソナリティとして、期待に応えてあげないと……って、凛さんそれ以上握力いれちゃうと、俺の頭が破裂するかもしれないなーなんて』

 

『『大丈夫。元に戻るだろ』』

 

『あんたら2人揃って、俺をなんだと思ってるんだ!?』

 

『……おおー綺麗に撮れてるな。あっこれも入れてくれたのか。ありがとな凛』

 

『無視か! 俺は無視か!! 言っておくが女の子は小学生までだろ。ホント小学生まで。変な意味じゃないぜ。いやまじボグァァ!』

 

 準の悲痛の叫び声を最後に校内放送は途切れる。今日も賑やかな学園であった。

 



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『久信参上!ロリとJKと年上』

 放課後になり、凛と大和は下校しようと下駄箱へ向かう途中だった。

 

「いやー人間の頭って案外メキッといけるな」

 

 凛は自分の手を開いたり閉じたりして、何かの感覚を確かめた。その隣で大和がギョッとする。

 

「何物騒なこと言ってるんだ? まさか井上を……」

 

「ちょっとな。ちょっとだけだ。……うん、ちょっとだけ」

 

「なんで三回も繰り返す。そういえば、今まで井上を見ていない気が……」

 

 そして、ちょうど1階に下りたところで2人に声がかかる。

 

「そこの君たち、ちょっといいかい? ……て、凛くん!」

 

 そこには薄いブルーのツナギを来た男性――松永久信がいた。凛は彼の姿を確認して、笑顔で話しかける。

 

「おお、久信さん! お元気でしたか? それにしてもお久しぶりですね。燕姉が来てるから、一度挨拶に行こうと思ってたんですけど、またお会いできて嬉しいです」

 

 2人はがっちりと握手を交わす。久信は、苗字からもわかるとおり、燕の父親である。

 

「もう元気元気。凛くんが川神行くって聞いたときは、燕ちゃんも僕も寂しく思ったもんだけど、またこうして会えてよかったよ。ところで、そちらはお友達かい?」

 

「紹介します。俺が川神に来て、一番お世話になった直江大和くん」

 

 凛は、少し置いてけぼりにされていた大和を隣に並ばせた。紹介された彼が一礼して口を開く。

 

「直江大和です。凛くんにはお世話になってます」

 

「んで、こちらが松永久信さん。燕姉の父親だ」

 

 続いて、凛は久信に手のひらを向けて、大和に紹介した。

 久信が人懐こい笑顔で、自分の手を差し出す。

 

「よろしくね。凛くんもちゃんと友達作れてるみたいで安心したよ。これからも仲良くしてあげてね」

 

 大和は、その手をとって握手を交わした。互いの自己紹介が終わったところで、凛が久信に用件を尋ねる。

 

「ところでどうしたんですか? 学校に来るなんて……まさか! JKに目覚めた!?」

 

「凛くん……今ここに初対面の人がいるの忘れてない? いや、だからってJKを否定はしないけどね。じゃなくて、用事ついでに燕ちゃんに伝えたいことあって来たの!」

 

 久信は、昔と変わらない凛の態度に安心しながらも、平気で爆弾を放り込んでくることに少し恐怖する。面識のない人が聞いていれば、自分の評判に関るからだ。

 久信の言葉に納得した凛は、大和に了承を取り付け、燕のところへの案内を買って出る。

 

「あーそうだったんですか。じゃあ案内しますよ。ちなみに、川神の子たちはレベル高いですよ」

 

「みたいだねー。ここに来る途中も下校中の子たち見かけたよ。まぁ燕ちゃんには敵わないけどね」

 

 久信は勝ち誇った顔でそう告げた。

 

「でました親馬鹿。まぁ燕姉が可愛いのは間違いないけど」

 

「そうだろう。凛くんがお婿さんに来てくれたら、楽しくやっていけると思うんだけどなー」

 

「またそんなこと言って……って、いましたよ」

 

 2階に上がって廊下にでると、凛の指差す先に百代と燕が歩いていた。彼女らも凛たちに気づいたようで、燕は父親がいるからか少し小走りで寄ってくる。

 

「おとん。こんなとこで何してんの?」

 

「JK探し。ついでに燕姉に伝言だって」

 

 凛の一言に、燕がピシッと固まる。大和は少し呆れているようだった。それとは対照的に、目に見えて慌て始めたのが久信。

 

「ちょっと! 凛くん! そういう冗談、燕ちゃんにはダメだって! 燕ちゃん冗談だよ。凛くんが勝手に言ってるだけだから」

 

「……ボディに3発打ち込むとこだったよ。ふぅ危ない危ない」

 

 燕は構えをときながらも、若干鋭い目をしたままだった。久信が、凛の背中の隠れながら頼みこむ。

 

「僕の体は凛くんの言葉にかかってる! ちゃんと言って!」

 

「久しぶりに久信さんにあってテンションあがった。今のは冗談。なんか用事のついでに、燕姉に伝えたいことがあって来たんだって」

 

「そういうことだよ。わかってくれたかい?」

 

「わかったから、凛ちゃんの背中から出てきなさい」

 

 久信は、ボディブローの心配がなくなったことに安堵しながら、凛の背中からでてきた。ようやくひと段落ついたところに、燕の隣に来た百代が問いかける。

 

「燕。この人は……」

 

「あっごめんね。一応ウチのオトンということになってる人」

 

「何気にひどい言い方だな。ただ僕は株に失敗して、山ほどの借金をこさえてしまい、連れ合いに逃げられただけじゃないか」

 

「ボケが重過ぎてどう反応すればいいんだ」

 

 百代は言葉が見つからないようだった。凛の隣にいる大和も、なんと言っていいのかわからない様子で黙って見守っている。

 そんな2人に、燕があっけらかんと笑いながら喋りだす。

 

「もはや自虐ネタだから、笑っていいよん」

 

「ていうか、もう笑うしかないよねハハハ」

 

 そう言って、誰よりも早く笑い出した久信。

 

「おとんは笑わないでくれる?」

 

「ご、ごめんなさい。なんていうか反省してます」

 

 燕は、久信に冷たい視線で釘をさした。それを和ますように、凛が明るい声で仲裁に入る。

 

「まぁまぁ笑えるネタになってよかったよ」

 

「だよね。それになんだかんだ言って、それでもおとんだから、燕ちゃん僕のこと好きなんだよね」

 

 そしてまた笑い出す久信。

 

「自分で言ってどうするんです? 久信さん」

 

 楽しそうにスキンシップをとる燕と久信を見て、凛がつぶやいた。

 それからようやく本題へ入る。どうやら、久信はこれからスポンサーのところへ行くため、晩御飯を作ることができないことを伝えに来たらしい。それに対して「自分の事よりスポンサーに失礼がないように」と燕が注意する。彼はそれにいい返事を返し、去っていった。

 久信の去っていく姿を見送ったあと、百代が残念そうな声をだす。

 

「実は強いとかも無さそうな父君だな」

 

「モモ先輩、久信さんとも戦うつもりだったんですか? 本当にひとひねりで終わりますから」

 

 凛の言葉に、燕がカラカラと笑う。

 

「懐かしいねぇ。凛ちゃんが初めて家にきたとき、おとんがいい格好見せようとして腕相撲挑んだことがあったね。結果、瞬殺。凛ちゃんの方がとまどってたっけ?」

 

「あまりにも久信さんが自信満々でくるから、こっちも熱くなっちゃって、全力でいったんだけどね。手の甲を思い切り叩きつけることになって、久信さん悶絶。あれは焦った」

 

 燕の昔話に、凛も当時を思い出して頬をゆるめた。その話を聞いた百代が、目の前にいる男2人を交互に見る。

 

「まぁ今でさえ、拳を交えないと強さがよくわからない凛だからな。父君の気持ちもわかる。男って見栄っ張りだしな」

 

「そんなことないよなー大和」

 

「そんなことないよなー凛」

 

 指摘された2人は、顔を見合わせお互いに擁護しあう。その様子を微笑ましく見守る燕。

 

「あらあら仲良しだこと」

 

 そんな燕に、百代が軽く声をかける。

 

「とりあえず燕は今夜ウチで食事してくといい。稽古が終わったらそのままな」

 

「えっいいの?」

 

「来いよ。遠慮するな」

 

「……やだ、かっこいい。うん」

 

 男前な台詞で誘う百代とそれに答える燕。その横で凛が、大和に背を向けブツブツ言っていた。

 それに気づいた大和が彼に問いかける。

 

「凛は何してるんだ?」

 

「――――いよ。遠慮するな……いや、いざというとき自然に言えないとダメだろ? だから練習」

 

「わざわざ練習するものでもないだろ。というか誰でも彼でも試すなよ。凛がやるとシャレですまなくなる」

 

「それより大和、モモ先輩が興奮してる」

 

 そして、少し目を離した隙に、年上2人の会話も盛り上がっていた。どうやら、百代が燕に泊まっていかないかと提案しているようだった。そんな彼女は息を荒くし、少し興奮している。その様は、まるで男が平静を装いながら、なんとか家にあげようとしているようだった。

 会話の内容が聞こえた大和が、いつもの調子でツッコむ。

 

「先っぽだけって親父か!」

 

「先っぽって指か? 指しかないよな? ……えっ舌!?」

 

「生々しいなオイ! あと俺にしつこく聞いてくるな。って姉さんたちに直接聞きにいくな!」

 

 大和はあっちこっちへツッコミを入れ、凛が移動しようとすると首根っこを捕まえてそれを止めた。すると、Sッ気のある笑顔をした彼が振りむく。

 

「いやこのネタでモモ先輩いじるのも楽しそうじゃない? ちょっと深いところまでお話を。大和も嫌いなわけじゃないだろ?」

 

「そりゃそうだけど。燕先輩もいるだろ?」

 

「ん? それなら大丈夫。燕姉はああ見えひぇ……いひゃい」

 

 凛が燕のことを話そうとすると、彼の頬がみょーんと左右に引っ張られた。彼が正面に向き直ると、目の前にいい笑顔の燕が立っていた。上下左右+回転を加えられながら、彼の頬が引っ張られる。

 

「何を言おうとしてるのかな? 凛ちゃんは」

 

「べひゅににゃにも。ひゅばめ姉はおひとやかな人だと」

 

「そうだね。何を言い出すのかと思ったよ」

 

 笑顔を崩さない燕は、そう言いながらも凛の頬を引っ張り続けた。それを見ていた百代は、大和に静かに近寄り、両手を伸ばす。しかし、それに気づいた彼は、その両手を掻い潜って避けた。

 

「ちょっと姉さん! 対抗してやろうとしないでいいから!」

 

「やらせろ。やらせろ。やらせろー」

 

 百代の突きと見まがうばかりの速さに、大和はついていく。姉弟の軽い(?)バトルの横で、それをほのぼのと見守るもう一組の姉弟。しかし、頬は引っ張られたままであった。

 

「にゃんかしゅごいシェリフが……ひゅばめ姉、ひょろひょろ離して」

 

「ん? あぁごめんごめん。あまりにもモチモチしてから、離すのがもったいなくなっちゃって。ほーれほれ」

 

 凛の頬で遊ぶ燕だったが、百代から催促の声がかかる。どうやら大和は断固として抵抗し、諦めさせたようだ。

 

「燕! 凛で遊んでないで、稽古しに行くぞ!」

 

「りょーかい! 許可も下りたし川神院へゴー!」

 

 燕はその声に答え凛の頭を一撫ですると、ヒラリと身を翻し、百代と廊下の角へと姿を消した。そして残される弟分たち。

 大和が凛の肩を叩く。

 

「お互い苦労するな」

 

「可愛がられるうちが華ってな。楽しもうぜ!」

 

 疲れの見える大和とは反対に、凛は元気いっぱいに答えた。そんな彼らのところへお経が聞こえてくる。

 

「色即是空空即是色。――――」

 

 凛がその声のするほうを向く。

 

「これ前にも言ったが、なぜお経?」

 

「年上に憑かれていたおまえら二人の菩提を弔っていた」

 

 その正体は――いや、もう言わなくてもわかるだろう。スキンヘッドが夕日を受け、廊下をさらに赤く染め上げた。そんな中、ロリコンの言葉に凛が珍しく噛み付く。

 

「準にはわからんのか!? お姉様たちの良さが! あの魅力が!」

 

「凛こそロリコニアが待ってるんだぞ! 紋様がお待ちだぞ!」

 

「あほ! そんなところで紋白が待つわけないだろう!」

 

「待ってるんだよ! 2-Fの委員長とともにな!」

 

 カッと目を見開き、両手を広げる準。そのポーズは、まるで歓迎すると言わんばかりだった。すぐさま、凛はその両手を下げさせる。

 

「なに勝手に人のクラスの委員長まで連れ去ってんだ!」

 

「連れ去ってなどいない。紋様、委員長がいる場所こそがロリコニアの聖域なのだ! オールハイル紋様! オールハイル委員長!」

 

 しかし、準は諦めず片手を胸にあて、紋白と真与への敬意を示す。その表情はいつにもまして真剣だった。

 

「今知ったわ! 意外とすぐ近くにあるのな! しかも聖域って言う割にすぐに入れてるな!」

 

「馬鹿野郎!! 心にそんな簡単に入れるわけがないだろう!」

 

 準が、廊下に響き渡るほどの声で喝を入れる。

 

「えっ心の中にあるのか、その聖域。確かに聖域と呼べるかもしれん」

 

「凛。なんか井上の勢いに納得しかかってるぞ。というか、井上も無事そうで安心したわ」

 

 無駄な言い争いを繰り広げる二人に、様子を見ていた大和が割ってはいる。この調子ではいつまで続くか分からない上、凛が準に洗脳される危険性があったからだ。それまで熱くなっていた彼らだが、大和の声で冷静になっていく。

 

「おっと少し熱くなってしまったな。おかげさんで俺は無事だ。まぁ頭の中にメキッという音が響いたが、問題ない」

 

 大和が一応確認する。

 

「それが一番問題あるだろ」

 

「それよりも紋様にお会いしに行かなければ。幸せだ……ふふふ」

 

「ほんとにどうでもいいんだな」

 

 冷静になった準は、当初の目的を思い出し嬉しそうに、2人のもとを離れていった。

 凛がその後ろ姿を見て忠告する。

 

「紋白に変なことするなよ。あとスキップやめろーなんか怖いぞー」

 

 しかし、準はそのままスキップしながら、1年の教室がある方角へと向かっていく。凛の声が彼の耳に届いたのか怪しいものだった。そして、2人もここに留まる理由がなくなったため、また下駄箱を目指す。人がいなくなった廊下は、ようやく放課後の静けさを取り戻した。

 一方、弟たちと別れた姉2人――百代と燕は川神院を目指し、へんたい橋を渡っていた。その途中、2人組の変態がまるで示し合わせたかのように現れたが、一人は空へ、もう一人は川へと消えていった。川に落とされた方は、九鬼の従者が連行したようだが、空へ消えた方はその後どうなったかわからない。

 多少憂さ晴らしができた百代が、燕に話しかける。

 

「燕と凛って本当に仲いいんだな」

 

「ん? そう見える?」

 

 燕は百代の前に立ち、後ろ歩きをしながら首をかしげる。

 

「あんなじゃれあい見せておきながら、『そう見える?』はないだろ」

 

「あはは。凛ちゃんとは中学からの付き合いだから、一応4年間くらいになるのかな? 一緒にいたからね。仲もよくなるよ。モモちゃんにも見せてあげたかったなぁ中学1年の凛ちゃん♪」

 

「それは興味あるな。写真とかないのか? 代わりに大和の小学生の写真を見せる」

 

「んーあったかな? ちょっち探してみるね。大和君のも見てみたいし。今でも可愛いから、幼い頃はもっとプリティだろうね」

 

 ニコニコしながら燕は答えた。そんな彼女に、百代が気になっていることを問う。

 

「なんだか、燕はやけに大和にご執心だな」

 

「私は好奇心旺盛だからね。それに、それ言ったらモモちゃんも同じじゃない? 凛ちゃんのこと気に入ってるみたいだし。……でも、あの2人ってなんかかまいたくなっちゃうんだよね」

 

「まぁな。凛については、私の相手ができる奴が現れたんだ。気にもなるさ。多少生意気だが、そういう部分もおもしろい。」

 

 燕は百代の言葉にピンときたのか、人差し指を立てて、くるくる回しながら話し出した。

 

「その点、大和くんは従順だよね。あれ? なんか犬と猫みたいな感じじゃない? 大和くんと凛ちゃん」

 

「ん? 言われてみると確かにそうかもな。でも凛の場合は猫というか虎? 猫なんて可愛らしい力の持ち主じゃないぞ」

 

 燕の思いつきに2人をイメージする百代だったが、戦闘に直結した思考は、あの力で猫はないと結論をだす。それに比べて大和はチワワあるいは、生まれたての子犬だった。

 その答えを聞いて、燕は声を出して笑い出す。

 

「あははは。そうだね。でも寝てるとこれがなかなか可愛いよ、凛ちゃんは」

 

「あいつのそんな姿見たことないな。大和の姿は結構あるが」

 

「寝てるときは猫みたいだよ。無性にイタズラしたくなるんだけど。これがまた防御がかたいのなんの」

 

「へぇこれから時間はあるから、そんな機会もあるだろ。それより燕、もう着くぞ。覚悟はいいか?」

 

「もちのろんだよ。学校での続きといこうか」

 

 燕はやる気満々といった感じだった。そんな彼女を百代はしばしぼーっと見ていた。いや、実際はほかの事に意識をとられていて、ただ視界の中に彼女がいただけだ。

 返事がないのを変に思った燕が、百代の顔の前で手をひらひらさせる。

 

「モモちゃん? どうしたの? ぼーっとしちゃって」

 

「ん? ああ悪い悪い。燕は可愛いなと思って」

 

「私を褒めても納豆くらいしか出てこないよ。食べる?」

 

 燕はニヤリと笑いながら、腰の装備からカップ納豆をとりだした。百代はずっと武器だと思っていたところから、取り出されるそれを見て驚くとともに破顔する。

 

「燕の納豆はうまいからな。でもそれは鍛錬が終わった後にもらうとして、まずは……燕自身から味あわせてもらおうか」

 

「ふふっ。こう見えても歯ごたえあるから気をつけてね」

 

 2人は仲良く川神院へと入っていった。

 

「来いよ。遠慮するな」

 

「まだ練習してるのか? もう十分だろ。というかその台詞気に入ってる?」

 

 学園を出た凛たちは、帰り道をゆったり歩いていた。今日もまた穏やかに1日が過ぎていく。

 



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『大和への依頼。凛への頼み』

「うぅようやく終わったわ。今日も辛い戦いだった」

 

 そう言いながら、一子はぐでーと机に突っ伏した。屍と化した彼女の隣に来たクリスが、そのまま一つ前の空いている席に座る。

 

「犬は授業が終わる度に、その言葉を言ってるな」

 

「ワンコにとって授業は天敵なんだよね」

 

 帰り仕度を整えた京が、一子の頭を優しく撫でる。それに対して、彼女は気持ち良さそうに目を細めた。

 凛は、一子の後ろの席にいる大和へ話しかける。

 

「最後の授業が綾小路先生のっては、確かにきついものがある」

 

「大半の生徒は眠気と戦ってただろうな」

 

 クラスメイトも白粉を塗りたくったセンター分けの教師――綾小路麻呂。不死川家同様、名家の一つで、昔の公家を気取った口調の日本史担当。授業の内容の9割が平安時代というはた迷惑な人物――の授業を乗り越え、ほっと一息ついていた。

 凛が、京と話していたクリスに声をかける。

 

「クリスは綾小路先生の授業でもしっかりしてるよな」

 

「まぁ私にとってみれば、この程度朝飯前だ。それに私は日本大好き。平安も大好き。アイラブジャパン」

 

 そう言って握りこぶしを作るクリス。

 

「なぜ英語で言う」

 

 大和がそれに即座に突っ込む。そんな和やかな空気の2-Fだったが、勢いよく扉を開けた1年生の登場で、それまでの空気が吹き飛んでいった。

 その1年生――紋白は一直線に凛と大和のもとへ歩いてくる。その後ろには当然ヒュームの姿があった。何人かの生徒は、彼の姿を見て無意識に一歩後ずさる。

 

「フハハ我、降臨であるぞ」

 

 凛が紋白に気づいて、手をあげる。

 

「おっ紋白。どうしたんだ? 2-Fの教室に来るなんて」

 

「うむ、ちょっと直江に用があってな。凛も一緒に来てくれないか?」

 

「構わないぞ。大和は今時間大丈夫か?」

 

 凛は大和の方に向き直るが、彼は黙ったまま紋白をじーっと観察していた。

 それに気づいた凛が紋白にお願いする。

 

「紋白。大和が紋白の魅力に翻弄されている。魅了を解除することはできないのか?」

 

「こればかりは仕方がないものよ。直江、じっくり見るがよいぞ」

 

 紋白はそう言って、腰に手をあてながら仁王立ちした。

 

「なっ!? そんなんじゃない。話があるんだったな。大丈夫だ」

 

 大和はそれを慌てて否定して、席から飛び上がる。その様子に凛は肩を震わせていたが、紋白は首をかしげていた。そのまま、彼らは彼女とともに教室をあとにする。4人――正確に言うとヒュームがいなくなると、張り詰めていた空気がゆっくりと緩んでいった。

 4人は階段を上まで上って、やがて屋上にでる。誰もいないと思われたが、そこには清楚の姿があり、彼女は鼻歌を歌いながら花壇に水をやっていた。彼らが来たことに気づいた彼女が挨拶してくる。

 

「こんにちは。凛ちゃん、紋ちゃん、直江君、ヒュームさん」

 

 それに対して、それぞれが挨拶を返し、凛がさらに言葉を続ける。

 

「清楚先輩、水遣りなんてしてたんですね」

 

「うん。朝メインで花によっては放課後もね」

 

 清楚は質問に答えながら、ジョウロで次の花に水をやる。水に濡れた色とりどりの花が、夕日でキラキラと光っていた。大和が、凛に続いて彼女に問いかける。

 

「そういえば、先輩の髪飾りってなんの花なんですか?」

 

「ヒナゲシだよ。ほら、ここでも咲いてるの」

 

 清楚の指差す先には、オレンジ色の花が綺麗に咲いている。そこを見ながら、大和は「なるほど……」と言って、一人考えこんでいた。

 そして、一度花壇全体を見渡した清楚は、「よし」と呟くと、凛たちに別れの挨拶をしてその場を去っていった。屋上から姿を消す前に、再度こちらに手を振る彼女に、男2人も手を振り返しながら感想をもらす。

 

「清楚だな。そして名前で呼ばれるお前が羨ましい」

 

「ああ、清楚だ。それに関しては俺の努力が実ったのだ。大和も呼んでくれと頼んでみたらどうだ?」

 

 清楚がいなくなったことで、凛と大和は緩んだ気を引き締め、紋白へと向き直る。

 

「凛にはヒュームから少し話があるらしいのだ」

 

「ヒュームさんから? なんでしょう?」

 

「少しこちらへ来い」

 

 ヒュームはそう言うと、グラウンドが見える端へと移動し、凛もそれについていく。

 

「それでどうされたんですか?」

 

「紋様は、これからこの川神学園で人材勧誘をなさる。それに伴い、校外にも足を運ぶ機会もあるだろう。だが帝様の護衛との調整で、俺が紋様の護衛につけないときが出てくる。そこで……」

 

「俺に傍にいてほしいと?」

 

「そうだ。紋様はおまえのことを気に入っているからな。九鬼からも護衛はつくが、俺からすればみな赤子よ。念には念をいれておきたい」

 

 ヒュームは、熱心に大和へと語りかける紋白を見つめる。凛もそちらを一目見て頬をゆるめた。

 

「クラウディオさんもお忙しいのですか?」

 

「忙しくない日があると思うか?」

 

「そうですね。しかし、九鬼の護衛の方が変なミスをされるとも思い難いですけど」

 

「ミスが起きてからでは遅いのだ。それに出かけるなら、紋様の気分転換にもちょうどいい。おまえの話が、紋様の口からどれほど出てきているか知っているか?」

 

 そう言いながら、ヒュームはわずかに口を吊り上げる。

 

「いえ言わなくて結構です。紋白とどこか行くのも楽しそうですし、引き受けましょう。ヒュームさんが直々に頼まれるなんて初めてですから、弟子として少し嬉しいですね」

 

「調子に乗っておまえがミスをすればわかっているな?」

 

 戒めのためか、ヒュームから凛に向けて闘気が叩きつけられた。それに、彼は真剣な表情で答える。

 

「わかっています。それに、そんなつまらないことで紋白に何かあれば、俺が自分を許しません」

 

「おまえはただ傍にいればいい。それ以外は自由にしていろ。護衛代はきちんと払ってやる」

 

「お金なんかいりません……なんて言いません。ありがたくいただきます」

 

 凛はヒュームに軽く頭を下げた。それにヒュームはひとつ頷くと、そのままグラウンドで決闘を行っている一組を見やり、そこから凛、大和と紋白へと視線を移していく。

 

「この学園は赤子に活気があっていい。俺が堅すぎるのかもしれんな」

 

「? ……みんな元気いっぱいですからね」

 

 話し終えたヒュームは黙って先に紋白の元へと向かい、凛もそれに続く。

 そして、2人は紋白と大和が握手をしているところで戻ってきた。その途中、彼女に迫っていたハチ2匹をそれぞれ1匹ずつ音もなく葬り、凛は彼らの会話に参加し、ヒュームは彼女の後ろにつく。

 

「紋白の方は何かいい結果になったみたいだな」

 

「凛のほうも話は済んだのか? ちょうど我の方も人材勧誘の契約が完了したところだ」

 

 紋白が胸を張る隣で、大和が自信ありげに頷く。

 

「人材紹介なら俺の力を生かせるからな」

 

「それはよかった。人材勧誘か……なかなかおもしろそうだから、俺も付いて行っていいか? 人を見る目も養っておきたいしな」

 

「おお、凛は確か精進の途中だったな。我は構わないが、直江のほうはどうだ?」

 

 凛の発言に、少し嬉しそうにする紋白は大和の方に顔を向ける。

 

「俺も構わないよ。紋様と2人きりなのは魅力的だけど、緊張もしそうだからな」

 

「なら決まりだな。どんな人材が紹介されるのか楽しみだな紋白」

 

「うむ。学園の人材を九鬼が丸ごと抱え込んでくれるわ! ……日も落ちてきた。そろそろ帰ろうか」

 

 出口を目指し歩き出した紋白に、大和が問いかける。

 

「紋様は平日帰ったら、何をしているの?」

 

「フハハ。一通りこなすためには色々と努力せねばな。ではさらばだ。凛、直江」

 

 振り向いた紋白は大和の質問にもあっけらかんと答え、トコトコと歩いていった。彼女の背中に凛が一言声をかける。

 

「気をつけて帰るんだぞ。途中で転ぶな」

 

「我をなんだと思っておるのだ凛! 自分の心配をしておけい」

 

 紋白は凛の軽口に笑顔で返すと、そのまま屋上から姿を消した。それを見届けたあと、大和が彼をまじまじと見つめる。

 

「凛って何気にすごいな。紋様にもあの護衛がいる前で、軽口たたけるんだから」

 

「俺のことを見直した? と言っても調子乗りすぎると、きっと九鬼家に伝わるオシオキされると思う」

 

「九鬼家にはそんなものまであるのか!?」

 

 大和がギョッとして、凛の次の言葉を待った。

 

「いや知らんけど」

 

「冗談か! 何があってもおかしくないから、普通に信じたわ」

 

「さぁさぁ俺らも帰ろう。大和も俺も忙しくなりそうだし」

 

 凛は大和の肩を一つ叩いて、先に歩き出した。それに遅れないよう、彼も小走りで隣に並ぶ。

 

「そういえば、凛のほうは何の話だったんだ?」

 

「大した話ではないよ。ヒュームさんは俺の幼い頃からの知り合いなんだ」

 

「えっ! だから、あの人を前にしても緊張しなかったのか。……いや俺なら知り合いでも緊張しそうだ」

 

 大和はヒュームとサシで会話をする場面を思い浮かべ、それを打ち消すかのように首を横にふった。その隣で凛が笑い出す。

 

「威圧感があるからなぁヒュームさんは。大和は結構ヒュームさんに評価されてるみたいだぞ」

 

「でも歓迎会のとき、そこそこマシな赤子って言われたぞ」

 

「それはヒュームさんなりの褒め言葉だよ。マシなって言ってるだろ?」

 

「あれで褒められてるのか。全然わからんかった」

 

「だろうな。でもヒュームさんは辛口だから、誇ってもいいと思うぞ」

 

 凛はそう言って大和の背中を叩いた。彼らが教室に戻ると、待っていてくれたファミリーと一緒に下校する。帰りの話題はもちろん紋白に呼び出された件だった。

 そして日付が変われば、また授業があるわけで――。

 

「――――であるな。とはいえ、みなも同じ内容では飽きるであろ? 涙を飲んで、平安末期も触れてやるゆえ感謝せよ」

 

 今もまた、麻呂の授業で歴史という名の平安専門の勉強だった。彼の口から発せられる単語によって、睡魔との闘いを強いられる一子。それを目ざとく見つけた彼からの質問が飛び、大和が手助けして切り抜けるという一幕もあった。

 そして昼休み。凛は、食堂で大和と翔一、義経、弁慶とともにお昼をとっていた。彼らは、食堂で鉢合わせるとよく相席で食べており、今回もそうなったのだった。

 義経は、焼きそばを前に手を合わせて箸をとる。香ばしい香りが5人の鼻をくすぐった。

 

「今日は焼きそばを頼んでみたぞ。おいしそうだな」

 

 義経の真正面に座った凛が相槌をうつ。

 

「焼きそばってシンプルなのに美味いよな。それに、ソースの匂いがまた食欲をそそる」

 

「だな。というか凛は丼物とラーメン。相変わらず食欲すごいな」

 

 その隣でつき見ウドンを食べる大和は、凛の食事のボリュームに驚いていた。

 そして、いざ焼きそばに箸を入れようとした義経だが、後ろに人の気配を感じ振り向く。

 そこには、カップ納豆を手にした笑顔の納豆小町。燕は義経が食べようとすると、どこからともなく現れては、納豆を無料でかけていくという行為をすでに何度も行っており、彼女の中での要注意人物になっていた。

 

「やほ。やきそばにも納豆はあいますよん」

 

「燕姉、何してんの?」

 

 凛も答えは分かりきっていたが、一応質問する。

 

「納豆の宣伝だよ。凛ちゃんもいかが?」

 

「俺の今食べてるものは絶対合わないから遠慮する。かけてもいいけど、口に合わなかったら燕姉に責任もって全部食べてもらうから。逃がさないからね」

 

「凛ちゃんは厳しいなー。ということで、義経ちゃんはいかが?」

 

 凛の鋭い目つきに、燕は標的を元に戻す。義経は警戒レベルをマックスに引き上げ、焼きそばを手で守っていた。

 

「そ、それは美味しそうだが……遠慮しておく」

 

「そっか。じゃあ無理強いはしないよ。また今度食べてね。まぁその今度は意外と早く訪れるけど……」

 

「あ、ありがとう」

 

 義経は、燕があっさりと身を引いたことにひっかかりを覚えながらも、笑顔でお礼を言った。そして、同時に警戒レベルも下げる。

 しかし、凛と弁慶は見逃さなかった。燕が義経の微笑んだ隙をついて、手にもったカップ納豆の蓋を外し、かき混ぜ、無防備になった焼きそばにかけられる瞬間を。その速度は、この2人をもってしても声をかける暇さえ与えなかった。

 弁慶が、安堵している義経に現実を教える。

 

「かけられてる。義経もうかけられてるよ」

 

 大和と翔一もその一言で、それに気づいたようだった。凛は、自分の食事を進めながら感心する。

 

「なんていう早業。一体どれほどの鍛錬を積めば、あの領域に達せられるのだ。俺でも目で追うのがやっとだった」

 

「義経の焼きそばが納豆やきそばに。……あっでも美味しい。まろやかな味になってる」

 

 しかし、義経は納豆やきそばを案外気に入ったようだった。その様子を盗み見ていた燕は、納豆調教が確実に進んでいることに一人ほくそ笑んでいた。

 翔一がカツ丼を食べながら、そんな義経に話しかける。

 

「その組み合わせ美味いっていうよな。よかったじゃん」

 

「納豆もいろんな物に合うんだな。世の中、奥が深い」

 

「納豆で世の中を知る、か……ピロリン義経は知力が1上がった」

 

 凛がそれに茶々をいれた。それを気にすることなく、義経が大和に話をふる。

 

「そういえば直江君たちは、今日紋白とおもしろいことをするそうだな」

 

「あれ? なんで義経が人材紹介のこと知ってるんだ?」

 

「人材紹介だったのか。紋白が何やらご機嫌だったから、理由を尋ねたんだが『直江らとちょっとな』とはぐらかされたんだ。だから本人たちに直接あたってみた」

 

「っく。謀られた!」

 

「ピロリン義経は謀略が3上がった」

 

 大和と義経の会話に、凛がまた茶々を入れた。そこでようやく彼女の突っ込みが入る。

 

「凛! なんで知力より謀略の方が数値高いんだ!?」

 

「いや、義経の謀略の数値はまだ5だから。ちなみに一般高校生の平均で100」

 

「そんな!? 義経はクローンでみんなの手本となるべき存在なのに。どうしよう弁慶」

 

「全く我が主を謀るとは、凛……もっとやったげて」

 

 弁慶は口を開いたと思ったら凛を煽る。その手には川神水。義経は彼女の言葉を聞いて安心するも、後半の部分が気になったらしい。

 

「嘘なのか? よかった。それより弁慶、もっとやれとはどういうことだ!?」

 

 凛が真剣な表情でその問いに答える。

 

「義経、弁慶はこう言いたいんだ。さらなる試練を乗り越え、大きくなれとな」

 

「弁慶……」

 

 義経は凛の言葉を噛み締め、感動していた。

 可愛い。凛と弁慶は、そんな義経を見て同じことを思う。彼らは互いに目が合うと、何を考えているかわかったようで、穏やかな笑みを浮かべ頷きあった。

 昼休みは終わり、放課後は大和の人材紹介が始まる。

 



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『合縁奇縁』

 そして放課後、場所は2-Fの教室前。凛は大和の人材紹介のため、紋白、ヒュームと一緒にいた。教室には、まだ生徒たちがちらほらと残っており、これからの時間をどう過ごすが話し合っているようだった。

 大和が一つ咳払いをして話し出す。

 

「それでは早速人材の話ですが……」

 

「「「ふむふむ」」」

 

 大和が口を開くと、紋白はそれを聞くために近づき、それと同時にヒュームが彼女の横に行くために同じ行動をとった。そして、凛はなんだか楽しそうなので、それに合わせて彼に続く。

 3人――特にヒュームの接近に、大和が後ずさった。

 

「……あのヒュームさん、できましたら……その、もう少しですね、離れていただけるとありがたいです。それから凛! おまえは分かって近づいてきてるだろ!」

 

 紋白が楽しげに笑う。

 

「フハハ。ヒュームの威圧感はいるだけですごいからな」

 

「では、そこで一度空中に向かって全力でパンチしてみろ」

 

 ヒュームが紋白から離れる前に大和に命令した。彼はその命令に従って、空中にパンチを繰り出す。それを見た彼は軽く頷くと、一定の距離をとった。

 

「おまえの速度は理解した。紋様に何かしようとしても余裕で止められる」

 

「手加減したかもしれないのに……屈辱だ」

 

 大和はそう言うと少し肩を落とすが、そこに凛が声をかける。

 

「大和、ヒュームさんは学長らと同じ武の高みいるからな。筋肉の動きが見られれば、手加減しようが見分けられるよ」

 

「……」

 

 その言葉を聞いて、大和が無言で紋白の頭へ手を伸ばす。彼女は、近づいてくるその手を不思議そうに見ていた。もうあと少しで触れるというとこで、彼は手を止め、ヒュームへと顔を向ける。

 

「あれ? 反応しない」

 

 大和の行動に、凛が声をあげて笑った。

 

「あははは。無駄だぞ大和。フェイクかどうか俺でも分かる。あとヒュームさんは試されるのとか死ぬほど嫌いだから、体が大事なら止めたといたほうがいい。ちなみに経験談だ」

 

「なにがあったかは聞かない。そしてもうしない」

 

 後半部分の忠告がやけに真剣じみて聞こえた大和は、素直に手を引いた。

 

「わかればいい」

 

 それを黙って見ていたヒュームは、言いたいことを言われたためか、一言発するだけだった。話が終わったところで、紋白が手を叩き、「人材紹介を始めてくれ」と声をかけ空気を変える。

 大和はそれに従い、まずは2-Fの人材を紹介するため、教室の扉を開けた。そこで待っていたのは、凛のよく知る人物だった。机に座っていた彼が、4人に気づいて近づいてくる。

 

「島津岳人です」

 

「おお、島津は我も少し気になっていたのだ」

 

 大和は岳人の良い所、悪い所もふまえ説明していった。そして、総合的に判断した結果、営業職に向いていると彼を売り込み、紋白はそれに納得しながらも、英語ができればさらに重宝すると付け加える。しかし、最初はやる気満々だった彼だが、英語の話がでると途端に二の足を踏んだ。

 そこに、紋白が一歩近づいて、岳人の目を見ながら力強く語りかける。彼女の迫力が一層増したように思えた。

 

「お前の器が世界に通じると見込んで言っている」

 

「俺様が世界レベル……」

 

「どうせなら、大きい舞台でガツンと羽ばたきたいだろう?」

 

「おうよ! 男ならな!」

 

 ニッコリと笑う紋白とその気になった岳人の様子を見て、凛が一人つぶやく。

 

「面と向かって言われれば、そりゃやる気もでるだろうな」

 

「お前もそのまま九鬼に来たらどうだ?」

 

 扉の近くにいたヒュームが凛に話しかける。その言葉に振り向いた彼は少し驚いたようだった。

 

「まさかのヒュームさんからのお誘い!?」

 

「今からみっちりと従者の心得を叩き込んでやる」

 

「それはそれで勉強になりそうですけど、まだ俺は目的を果たしていません。なので申し訳ないですけど、今は保留にしておいてもらえませんか?」

 

「卒業までは時間もある。今はその答えで満足しておいてやろう」

 

 2人がそんな会話をしている間に、紋白と岳人との交流は終わる。彼はそのままジムへ向かうようで、簡単に挨拶をすませ先に帰っていった。教室を出たところで、彼女が大和をまじまじと見つめる。

 

「しかし、真っ先に自分の友達を紹介するあたり、本当に仲がいいのだな。我も友を大事にせねばな!」

 

 そう言って、紋白は凛の手をきゅっと握った。凛も笑顔で握手に応じ軽くその手を降ると、彼女も笑って振り返してくる。そんないい雰囲気の中、忠実なる僕とお付の人が現れた。

 

「紋様―! こちらにおられたのですか」

 

「プレミアムにお探ししましたよ。紋様」

 

「フハハ。中には、このように我を慕うものもでてきてしまうがな。お前達、また明日な。我は今、凛と直江と行動しているのだ」

 

 その一言に、今まで穏やかな顔をしていたロリコンが、般若の形相となり大和へ近寄った。

 

「大和屋上行こうぜ。久しぶりにキレちまったぜ」

 

「落ち着け! 事情はあとで話す。というか、なんで俺だけなんだ!? 凛もいるだろ!?」

 

 理不尽な怒りに、反論する大和だったが、その声が届くことはなかった。なぜなら、「今日はお帰りください」と述べたヒュームが準と小杉の首根っこを引っ掴むと、廊下から瞬時に消えたからだ。まさに一瞬の出来事。

 大和は突然のことにフリーズした。

 

「……どうなってるんだ?」

 

「ヒュームさんが物凄く速く移動したんだ」

 

「凛には見えたのか?」

 

「ふふふ。どうだろう?」

 

 大和の質問になぜか答えを濁す凛。

 そして、人の気配に気づいた大和が消えた場所に目を向けると、ヒュームが戻ってきていた。しかし、戻ってきたのは彼だけではなかった。同時に自分を鼓舞する準も廊下の角――階段があるところから姿を現す。こちらはどうやら熱意のみで、学園の3階まで駆け上がってきたようだ。小杉はさすがに来ていなかった。

 準の行動に、凛は感嘆の声をあげる。

 

「アイツのすごいところは、紋白(※ロリ)が絡むと不可能を可能してしまうところだな。あっまた捕まった」

 

 ヒュームが「歌舞伎町へ捨ててきます」とまた一言残し準とともに消え、大和が思ったままを口にする。

 

「歌舞伎町か……さすがにすぐには帰ってこれないな」

 

 そしてヒュームが消えると、すぐさまクラウディオが3人の背後から現れる。驚いたのは大和だけだった。

 

「よーし、気を取り直して、人材勧誘の続きへ出発」

 

 凛の一言で再開された人材勧誘。大和は、その後何人もの生徒を紹介していき、今日の予定していた分が終わる頃には、日没になっていた。

 凛が満足げな笑顔の紋白に話しかける。

 

「お腹すいたな。紋白はお腹すいてないか?」

 

「うむ、我もすいたな」

 

「なら、これからご飯食べに行こう! 梅屋へゴー」

 

「フハハハそういう所もしっかり見ておかないとな。ほれ、直江も行くぞ」

 

 そう言うと凛と紋白は、下駄箱を目指して先に歩き出した。大和は2人の背中を見つめながら、クラウディオに話しかける。

 

「あの本当にいいんですか?」

 

「構いませんよ。経験というのは、たいてい財産になるものです」

 

「おーい大和、クラウディオさん行きますよー」

 

 凛が振り返って、まだ歩き出していない2人に声をかけた。人のいない廊下に彼の声が響く。

 追いついた大和が、凛に問いかける。

 

「ちょっと待てって。というか、凛は昼間にあれだけ食べてお腹すいたのか?」

 

「昼間? 丼とラーメンのことか? 昼は昼、夕方は夕方、夜は夜だ!」

 

 紋白は胸を張る凛を見て、改めて感心する。

 

「相変わらずよく食べるな凛は。我もたくさん食べて、姉上のようになるぞ」

 

 彼らは靴を履き替え、門を抜ける。そこには、いつの間にか、クラウディオが車を回して待機していた。大和はもう考えることを諦める。

 そして、場所は梅屋前の通り。4人は、梅屋から少し離れたところで立ち止まっていた。凛が最初に異変を感知して喋りだす。

 

「なんかどえらい雰囲気を醸し出してるな。梅屋はなんかのイベント中?」

 

「凛の冗談は置いておくとして、確かに威圧的な雰囲気がでているな」

 

 紋白も梅屋に向かって厳しい視線を向けた。その横で凛がクラウディオに確認をとる。

 

「クラウディオさん。俺が先に行って様子を見てきましょうか?」

 

 その間、ゆっくりと歩いていた野良猫が梅屋前に近づくやいなや、来た道を引き返し、路地裏へと物凄い速度で消えていった。

 黙って観察していたクラウディオが、険しい口調で話し出す。

 

「気の嵐が尋常じゃないですね。私が見てきましょう。凛は紋様のことをよろしくお願いします」

 

「わかりました。まぁなんとなく梅屋から感じる気で、ある程度予測つきますけど、お気をつけ下さい」

 

 クラウディオは紋白に一言断りを入れると、そのまま梅屋へと入っていく。彼を見送ったあと、大和が口を開いた。

 

「凛はあそこに誰がいるのかわかるのか?」

 

「ん? そうだな。壁を超えたものたちが集まってるって言えばわかるかな?」

 

「姉さんとかもいるのか?」

 

「いるな。まぁクラウディオさんが行ったから、何事も起こらないだろ」

 

 凛と大和が会話していると、すぐにクラウディオが梅屋から出てきた。安全が確認できたところで、3人も梅屋へ入る。そして、彼らがそこで見たのは世にも珍しい光景だった。鉄心、ルー、百代、燕、由紀江、ヒューム――そして、梅屋の店員の釈迦堂。壁を超えた者が集まっていた。一般人は1人もいない――辰子が奥の席で眠っていたが、彼女の強さは将来壁を超えると目されているので、一般人には含めない。

 

「これはすごいな。壁を超えたものがこんな大勢、梅屋に集まるとか。偶然なのか、はたまた引き寄せられるのか。まぁ気にせず、紋白は何食べる? 定番なら牛飯だぞ」

 

「凛は本当にマイペースだな。それに知ってる顔ばっかりだし」

 

 凛は紋白と食券を選び、大和はそんな彼に呆れながらも、彼らのあとに続いてメニューを選んだ。

 梅屋の入って一番に声をかけてきたのは、百代であり、続いて燕だった。

 

「凛に大和じゃないか」

 

「大和くん、私の隣空いてるよん」

 

「いや今日は紋様と一緒なので……て、もうまゆっちの横に凛と紋様座ってるし」

 

 いつの間にか、凛と紋白は由紀江の横に空いていた2席に座り、食券を渡し終えていた。彼が、大和にも席につくよう促す。

 

「大和も早く座れ座れ。ご飯はみんなで食べたほうがおいしいぞ」

 

「なんとも覇気あふれる梅屋であるな。凛これはなんだ?」

 

 全体的に緊張感漂う梅屋の中で、凛と紋白のところは和気藹々としていた。そこにさらなる客が訪れる。

 

「おお、この闘気の正体は皆さんが揃っていたからか」

 

「あーびっくりした。ついでだから入ろうか」

 

 義経と弁慶の主従コンビ。そして――。

 

「知っている顔だな。おお紋まで」

 

 紋白と同じく額に×の入った女性――九鬼揚羽。切れ長の瞳と膝裏まで伸びた銀髪にカチューシャをしている。紋白の姉であり、学園を卒業してから九鬼の軍需鉄鋼部門を統括。元武道四天王――だった。

 紋白が姉の姿を見つけ立ち上がり、凛は揚羽へと目を移した。

 

「姉上。こんな所でお会いできるとは」

 

「ということはこちらが九鬼揚羽さん?」

 

「ん? お前は写真に紋と一緒に写っていた男か?」

 

「凛と姉上は初対面であったな。姉上。こちらが我が友、夏目凛です」

 

 凛は揚羽の前に立ち一礼する。

 

「初めまして。今年から川神学園に通うことになりました2-Fの夏目凛です。凛と呼んでください。紋白さん、英雄君には学園でお世話になっています」

 

「我が名は九鬼揚羽。そこにいる紋、そして英雄の姉である。話は紋から伺っている。そう堅くなるな。紋こそ学園では世話になっているようだな。写真も見せてもらった。随分楽しそうにしているので我も安心したところだ」

 

「お役に立てたのなら幸いです」

 

「……確かに紋の言うとおり、一般人とさほど変わらんように見えるな。どれ」

 

 凛を頭の天辺から足のつま先まで観察した揚羽は、いきなり右の突きを繰り出した。それに慌てたのが紋白。

 

「あ、姉上!」

 

 紋白の姉を呼ぶ声と同時に、乾いた音が梅屋に響く。

 

「大丈夫だ紋白。ちゃんと手加減されてたよ」

 

「ふむ、確かに紋の言ってることは真のようだな。聞いてはいたが、我自身が確かめてみたかったのだ。すまんすまん」

 

 音の正体は、突きを掌で受け止めたものであり、紋白がほっと息をついた。揚羽は、笑いながら拳を下げ、凛がそんな彼女に感想をもらす。

 

「噂に聞いていた通り、豪快で美人な方ですね」

 

「フハハハ面と向かって我に言うとは、肝も据わっているようだな」

 

 直接、揚羽に物申す凛を彼女は気に入ったようだった。混沌とする梅屋だが、そこへまたお客さんが現れる。

 

「あれ? モモちゃん達」

 

 梅屋に集まるメンバーを見渡し、きょとんとする清楚だった。しかし客は彼女だけでなく、もう一人――拳銃を持ち、梅屋から金を巻き上げようとする不幸な犯罪者がいた。「不幸だった人生をこの金でやり直す!」そう言って、彼は一番近くにいた彼女に銃を突きつけ、金を要求する。

 しかし、店員はまったく怯えるどころか、むしろ泰然とした態度でため息すらついてみせた。

 

「まぁおまえさんがついてないのは、今この状態の店に押し入った一点だけ見てもわかる」

 

 釈迦堂の意見には誰もが納得しているようだった。壁を超えた者が一同に会しているだけでも、極めて珍しいことだ。そこに狙ったようにやってくる強盗――一体どれほどの不運の持ち主なのかわかったものではない。この場所において、銃一つで何ができよう。

 自分がどれだけ危険な状況に足を突っ込んで――いや首まで埋まっているか知らない強盗は、銃を清楚から釈迦堂へ向けた。

 

「は? 何を言ってやがる! ……お? この小僧震えてやがる」

 

 大和は体を震わせながら強盗へ告げる。

 

「いえあなたの身を案じて震えているんです」

 

 その言葉に、強盗は怒り出し、銃を釈迦堂から大和に突きつけようとしたそのとき、柔らかな風を感じるとともに、自分の手にあった重みがなくなったことに気づく。動揺した彼の目の前には一人の少年が立っていた。

 

「わざわざ俺が動く必要もなかったですね」

 

 凛はそう言いながら強盗から奪った銃をカウンターに置き、固まっている清楚の手を優しく引く。

 

「なっ! いつの間に? だ、だが、妙な真似をするな! まだこっちには人質が……ひとじ? あれ? か、体が動かねぇ……くそっ、この!」

 

 わめきながら体を動かそうとする強盗だが、ピクリとも動かない。清楚を捕まえていた右腕も同様だ。彼女は凛に手を引かれるまま、ヨタヨタッと体を委ねる。どうやら突然の出来事にびっくりしているようだった。そのままゆっくりと椅子に座らせられる。

 

「いえいえ。凛が動くとわかったので、ミスのないより確実に捕らえる方法を選択できました」

 

 クラウディオは置いてあった銃を分解し、いつもと変わらない様子で凛に声をかけた。目をこらすと、強盗の体には無数の糸が張り巡らされている。

 紋白がそれに気づく。

 

「クラの得意技だな。あの糸でなんでもできる。それに凛もありがとうな。清楚も無事で何よりだ」

 

「凛ちゃん、ありがとう。こ、怖かったー」

 

 深く息を吐くと、出されたお茶を一口飲む清楚。

 無事で何よりなのだが、ここで不満の声をあげる者がいた。

 

「おーい凛、せっかくこれで片をつけてやろうと思ったのに」

 

 右手の上でクルクルと回る黒い球体を出す百代だ。

 

「よ! 凛ちゃん魅せてくれるねー。王子様みたい」

 

 そのあとに、燕の陽気な声が凛にかかった。その声援に応え、謎の物体を持つ百代に彼が問いかける。

 

「一つ聞きますけど、それ何ですか?」

 

「ん? ブラックホール?」

 

 百代は凛の疑問に疑問で返す。どうやら自分でも詳しいところが不明らしい。

 

「なぜ疑問系。さっさとそんな物騒なものしまってください」

 

「無理だ。これ何か吸い込むまで消えない。だから、強盗を吸い込ませようと」

 

「だったら、この燃えるゴミ頼むわ。ちょうど今日出さないといけないからよ」

 

 それを聞いていた釈迦堂が百代に頼み、そのブラックホールを投げ込むと本当に燃えるゴミを全て飲み込み消えていった。ついでに、彼が持っていたゴミ箱も一緒に消滅する。 その現象に感心する彼と燕。ようやく、不必要になったそれを手放せた彼女は、少しダルそうに肩をまわしている。

 

「本当になくなった。我が姉ながら、なんという規格外。そして、ここにいる人達あまり動じてない。俺の反応が間違っているのか?」

 

「いや大和坊の反応が普通だ。ここにいる人達が普通じゃねぇ」

 

 大和の一言に松風が返すが、その声は梅屋にむなしく響いた。

 事件も片付いたことで、梅屋にも店らしい雰囲気が戻ってくる。依然、他の客は一人も来ていないが。まだ出されていない料理も急ピッチで作られる。

 そんな中、揚羽が百代に話しかける。

 

「しかし、凛の動きは実に見事だった。実力も未知数。我も血が疼いたわ。百代にとって退屈しない相手ではないのか?」

 

「その通りです揚羽さん。私が今一番全力出したい相手ですから」

 

「こらこら。やっと落ち着いたんだかラ、闘気をしまいなさイ2人共」

 

 ルーが、揚羽と百代が闘気をみなぎらせたことに注意する。

 

「おーこの2人やっぱ似たもの同士で、戦闘きょ……いえ、なんでもないです。ハイ」

 

 そして、最後に発言しかけた松風は言い知れぬプレッシャーに黙らせられた。

 次第に賑やかになる店内で、凛の動作を話題にあげたのは2人だけではなかった。

 

「弁慶、いまさっきの凛の動き見たか?」

 

「ああ。確かに見た。本当に実力が測れないのが怖いね」

 

 いつもの和やかな雰囲気ではなく、真剣な表情を作る義経と弁慶。

 

「凛ちゃんは相変わらず隙のない動きをするなぁ」

 

「燕……」

 

「紋ちゃん?」

 

 明るい声とは裏腹に少し鋭い目つきをした燕とそれを見つめる紋白。加えて、その光景に疑問をもつ清楚。

 

「組み手のときの動きを見ておったが、凛はやりおるのう。ヒュームよ、良い弟子を育て上げたの」

 

「釈迦堂に匹敵する才能を俺とクラウディオ、そして夏目家で年月をかけ磨き上げたのだから、当然の結果だ」

 

「ほっほ。本人が聞いたら喜ぶじゃろうに」

 

「褒めるならクラウディオがやっている」

 

 強盗が入ってから動く気配すら見せなかった鉄心とヒューム。

 

「おい、辰子! 飯が冷めちまうぞ。ったく強盗入ってからも起きないとはな」

 

「zzzz」

 

 客の食事を用意する釈迦堂と眠ったままの辰子。

 

「それにしても強盗なんて初めて会った」

 

「初めてであの対応……姉さんのことと言い、凛と言い、ここに集まる人達と言い、俺この先驚くことがなくなりそうだな」

 

 そして、話題に上がっている張本人と大和。

 ちなみに、由紀江はというと――。

 

「ここで紋ちゃんと仲良くなりましょう! 松風!」

 

「Yeahhhhh! まゆっち! おらがついてる。ガンガンいこうぜー!」

 

 松風とともに、密かにやる気をだしていた。

 梅屋という馴染み深い場所で、壁を超えた者たちの邂逅が実現する。

 



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『一時の休息』

 強盗が入ったとは思えない落ち着きを見せる梅屋。武人であれば、その場所に同席したいと思っただろうか、あるいはその逆であろうか――ともかく、対人であれば最も安全な場所では、それぞれが梅屋のメニューを堪能していた。

 凛は、ようやくきたカルビ定食Wに箸を入れる。

 

「空腹こそ最高の調味料――」

 

「フハハハ。全く凛の言うとおりだ」

 

 さらに紋白は、自分の牛飯を差し出す。

 

「清楚を助けてくれた褒美だ。我のを一切れ食わせてやろう。ほれ、あーんせい」

 

「あーん。もぐもぐ……美味い。ありがとう紋白」

 

 それに続いて、戸惑っていた由紀江が紋白へ声をかける。

 

「も、紋ちゃん。代わりにわ、私のを一口いかがですか!?」

 

「おお、黛。ありがとうな。……うむ美味である」

 

「まゆっち、頑張った!」

 

 凛が由紀江を褒める。その彼女はスムーズなやり取りができたことに喜び、松風と喜びを分かち合っていた。

 それを見た紋白が由紀江に問いかける。

 

「前から気になっていたのだが、黛は腹話術が上手いのだな。それとも、清楚の自転車につけられたAIみたいなものか?」

 

「い、いえ、これは九十九神が宿っているんです……」

 

 由紀江は控えめに答えを返した。

 

「フハハそうなのか! 霊魂が宿っているのなら、ぜひどうなっているか調べてみたい。プラズマへの応用などに使えるかもしれん……松風よ! 我にその正体を確かめさせてはくれぬか?」

 

 紋白の手にちょこんと乗せられた松風。心なしか、その姿が小さく見える。

 

「こんな返しがくるとは、おいらも予想してなかったぜ……凛坊、笑ってないで助けてくれ」

 

 由紀江からも無言のSOSを送られ、笑いをこらえきれない凛。

 

「自分のペースを崩さない松風をも押し切る紋白……恐ろしい子!」

 

 そんな松風にモルモットの脅威が迫る一方、店内は全員に料理がいきわたり、賑やかになる。

 

「弁慶、義経のマーボーを一口食べるか?」

 

「じゃあ私の豚肉をお返しにあげる」

 

 場所は変われど、仲の良さは変わらない主従。弁慶は川神水を飲むのも忘れない。気持ち良さそうに飲む彼女に、義経はため息をもらす。

 

「これおいしいよ。モモちゃん」

 

「一口食べさせてほしいな」

 

「ふふ、はいあーん」

 

 百代は清楚に食べさせてもらって満足そうにしており――。

 

「紋は本当に凛のことを気に入っているな。良き友ができたようでよかったわ。あやつは将来どうするのか決まっているのか? クラウディオ」

 

「いえ、まだ本人には成し遂げたいことがあり、それが達成できた際に、考えさせて欲しいとのことです。揚羽様」

 

「そうか。では、そのときを待つとしよう。いつか、あやつの力の全てを見てみたいものよ」

 

「この夏の催しでそれも可能かと。予定通りならば、暑い夏になりそうですからな」

 

 揚羽はクラウディオと談笑。

 

「大和君、はいあーん」

 

「燕先輩、俺にはこの場所で食べさせてもらう勇気がありません。和やかな雰囲気なのに、心が落ち着かないというか」

 

「今ここにいる人達の大半はマスタークラスだからね。それぞれの気に当てられてるのを心が自然に感じてるからかも。よしよし」

 

 燕がどうも落ち着かない大和を慰め――。

 

「ワシにも誰かあーんしてくれんかのう」

 

「鉄心も相変わらずだな。その調子なら、あと50年は余裕だろう」

 

「ほっほ。ヒュームに負けるわけにもいかんからのぅ。若い姉ちゃんがおる限り、ワシは元気でおれるわい」

 

「総代は少し自重してくださイ」

 

 そして、いつもどおりの鉄心とヒュームに、嘆息するルー。

 

「おい、辰子! 起きろ」

 

「zzz……ん? あー大和くんがいるー。大和くんやっほー」

 

「起きたと思ったら、俺のこと無視かよ。……おっ凛注文か?」

 

 最後に、大和を見つけテンションあげる辰子としっかり仕事をこなす釈迦堂。

 そして、追加注文を済ませた凛が、次の料理をワクワクしながら待っていると、左肩をチョンチョンとつつかれる。そちらを振り向くと、上機嫌の弁慶。

 

「紋白に対抗して、凛にあーん」

 

「くれるのか?」

 

 弁慶の頷きを確認した凛は、迷わず獲物めがけて口をあけるが――。

 

「ふふっ甘いッ!」

 

 箸は凛の口が閉じられる瞬間に引っ込められ、豚肉は弁慶の口の中に消えていった。

 

「く、くそ。まさかこんな単純な手にひっかかるとは……」

 

「修行が足りないな」

 

 楽しそうに笑う弁慶に、その隣に座る義経が慌てて混ざってくる。

 

「凛すまない。弁慶! 少し飲みすぎだぞ! 店の中なのに気を抜きすぎだ」

 

「知ってる人ばっかりだから大丈夫大丈夫。あーなんか眠くなってきた」

 

「わわ、こっちによたれかかると危ない……」

 

 義経の言葉に、今度は凛の方へよたれかかる弁慶。

 凛は弁慶を支え、その間に義経がお盆を釈迦堂に渡し、テーブルを拭いてくれる。

 

「フラフラしすぎだろ……とりあえず、この飲兵衛はテーブルに突っ伏させて」

 

「テーブルも綺麗に拭いたから、いつでもOKだぞ」

 

 凛がゆっくりと弁慶をテーブルへ誘導し、義経が彼女の腕を引っ張り上げ、それを枕にさせる。

 

「義経も大変だな」

 

「もう少し川神水を控えてくれると嬉しいんだが、義経が言っても中々聞いてくれないんだ」

 

「まぁ信頼してるからこそ、ここまで無防備にもなれるんだろうな」

 

 凛は幸せそうに眠る弁慶を一撫でした。それに反応した彼女は、表情が柔らかくなる。

 

「弁慶は酔っ払うと、そのことを何度も言うんだ。頼られるのは嬉しいけども……」

 

 そう言って義経は、ずり落ちそうになった弁慶の片腕を元に戻す。そこへ、クラウディオが加わってきた。

 

「義経様、弁慶様のお迎えの準備が整いました。一緒にお帰りになりますか?」

 

「本当に申し訳ない。ありがとう。弁慶が心配だし、一緒に帰るとしよう。凛も迷惑をかけた」

 

 義経はそう言うと、ぐずる弁慶をなんとか起こし、一足先に梅屋をあとにした。

 義経たちが去ったあと、紋白が凛に話しかける。

 

「弁慶の川神水(酒)癖には困ったものよ」

 

「あれは生涯直らないかもな」

 

 凛がクックと笑い、店内を見渡し言葉を続ける。

 

「それにしても、偶然というのはおもしろいな。義経たちを含め、こんな場所でこれだけのメンバーが揃うんだから」

 

「この場に居合わせられたことを感謝せねばな。滅多に経験できんことだ」

 

「だな。揚羽さんにも会うことができたし」

 

「どうだ? 素晴らしい姉上であろう?」

 

 紋白の笑顔が輝く。それに凛が力強く頷いた。

 

「ああ。紋白も将来ああなると思うと、ワクワクするな!」

 

「であろう? フハハハ」

 

 姉を褒められ素直に喜ぶ紋白の手元で、解放された松風が言葉を挟む。

 

「凛坊と紋白が言ってる素晴らしいの意味が違う気がするのは、オイラだけ?」

 

「細かいことを気にするな。松風」

 

 松風のつぶやきに凛が釘をさし、続いて揚羽の話題で気になることを紋白に問いかける。

 

「そう言えば、揚羽さんはヒュームさんから武を学んだって聞いたけど?」

 

「その通りよ。姉上の身体能力は桁外れだからな。ヒュームぐらいでないと、鍛錬の相手を務めることができなかったのだ。加えて、姉上は武道四天王の一人でもあったのだ」

 

 紋白は、姉のことを話せて嬉しいのか、饒舌に答えた。そこに本人が現れる。

 

「我のことが気になるなら、直接聞けばいいだろう?」

 

「あ、姉上!?」

 

 揚羽は紋白を軽々と抱えあげ、自分の膝の上に乗せ席につく。不意打ちを食らった彼女の声は上ずっていた。

 

「ん? この座り方は嫌いか?」

 

「い、いえそんなことはありません。お、重くないですか?」

 

「紋は羽のように軽いわ。気にすることはない。我がこうしたかったのだ」

 

 揚羽はそのまま紋白の頭を撫で、彼女も照れくさそうにしながらも、嬉しそうにそれを受け入れた。

 その様子を微笑ましく見ていた凛が、先の話を続ける。

 

「やはり今では、お仕事で鍛錬の時間をとることも難しいのですか?」

 

「そうだな。今日もたまたま時間が空いたので、義経らの様子を見られたぐらいだ。強さを維持していくことで精一杯といった感じだな。もう百代の相手も難しいだろう」

 

「そんなことは!」

 

 紋白がその言葉に反論しようとするが、揚羽は優しく彼女を撫で一つ息を吐いた。

 

「ありがとう紋。だが、こればかりはどうしようもならぬわ」

 

「姉上……理屈ではわかっていても我は悔しいのです」

 

 紋白が眉をひそめながら言葉を搾り出した。それに凛が首をひねる。

 

「悔しい?」

 

「川神百代は一度も負けたことがないのだ。不公平だ。我は姉上が負けたと聞いて、本当にショックだったのだ」

 

「……なるほど。確かに自分の親しい者が負ければ、そう思うのが普通だな」

 

 凛は、清楚と楽しそうにおしゃべりする百代を見る。揚羽はなおも撫でる手を止めることなく、静かに紋白の言葉に耳を傾けていた。雰囲気が少ししんみりとなる。

 直後、それを打ち消すように、凛の明るい声が響く。

 

「でも、一度も負けたことないってのはもうすぐ終わりだ」

 

 紋白が凛へと急ぎ向き直った。

 

「!? どういうことだ?」

 

「我も気になるな。自信があるようだが、どうしてそう言える?」

 

 九鬼姉妹の質問に凛は笑顔で答える。

 

「俺が倒すからです」

 

「……凛」

 

 紋白はじっと凛を見つめた。さも当然といった感じで答える彼は、気負った様子もない。そんな彼を見て、揚羽がカラカラと笑う。

 

「フハハハそうか。それでその自信か。百代は強いぞ。瞬間回復を得て、その強さは天井知らずよ。そんな相手に凛はどう挑むのだ?」

 

「正々堂々の勝負を。俺にも必殺技の1つや2つや3つありますから」

 

「いったいいくつあるのだ!? それとも冗談か?」

 

 凛の言葉に紋白が突っ込むも、それには揚羽が答える。

 

「紋もこやつの瞳を見て、わかっておるのだろう? 本気も本気。真剣(まじ)であろう」

 

 そこに、いつの間にか近くに来ていた百代が、凛にヘッドロックをかけながら会話に混ざってくる。

 

「おーい誰が誰を倒すって?」

 

 特に苦しむ様子もない凛は、微笑みながら親指で自分を指し示した。

 

「俺です。俺。モモ先輩は俺が倒すって、紋白と揚羽さんに宣言してたところ」

 

「生意気なー……とも言えないな。私も早くおまえと戦いたいし。それに、揚羽さんともまた拳を交えたいんですけどね」

 

 百代はそのまま凛の頭に両腕をのせ、揚羽を見た。彼女は苦笑をもらしながら、それに返答する。

 

「我もぜひそうしたいところだがな。無茶をするわけにもいかぬ」

 

「姉上は! …………いえ何でもありません」

 

 紋白は興奮する自分を押さえ込んで俯く。その様子に、事情がわからない百代は戸惑っているようだった。

 揚羽が諭すように、ゆっくりと話し出す。

 

「我とて負けたことを悔しく思っているが、それと同時に百代のことは同じ武人として尊敬し、好いておるのだ。だから、リベンジもいつかしてやりたいと思っていたが、どうやら先に、凛が誰もなしえなかったことをなすやもしれんな」

 

「面と向かって言われると照れますが、それは私も同じです。揚羽さんと戦えたことは私の誇りですから」

 

「そして、俺がモモ先輩を倒すと。完璧だ」

 

 凛が一人納得して、うんうんと頷く。それを聞いた百代が、また首に腕を回した。

 

「何が完璧なんだ。私も簡単に負けるつもりはないぞ。私は今まで戦ってきた奴らの想いを背負ってるんだからな」

 

「えっ!? ただ戦ってたら、今の結果になっただけじゃ……あ、いたいいたい」

 

 凛は首に絡まった腕をペシペシと叩くも、百代は「参ったと言え」といじわるな笑みを浮かべる。

じゃれあう2人を紋白はただ静かに見ていた。それとは反対に、揚羽は顔をほころばせる。

 

「我を倒した百代と底を見せぬ凛か……ぜひとも2人の戦いが見たくなったわ。どのような結果になろうと我が見届けてやるゆえ、勝手に戦ってくれるなよ」

 

「わかりました」

 

「うーん。なんだかまた戦う機会が制限された気がするなー」

 

 素直に返事する凛と少し不満げな百代。

 

「モモ先輩! ここは了解の一言を言うところでしょ!」

 

 そんな百代の様子に、揚羽は笑いがこみ上げる。

 

「百代は変わらんな。しかし、今日この日にお前達と語れたこと嬉しく思うぞ」

 

「もっと時間がとれればいいんですけど、揚羽さんはそうもいかなそうですね」

 

 百代はチラリと時計に目を落とした揚羽を見て、声のトーンを少し落とした。

 2人が話す中、凛が周りを見渡して口を開く。皆は食後の休憩といった様子で、のんびり過ごしていた。

 

「みんなも食べ終わったみたいですし、お店をでましょう。……そう言えば、俺たちが入ってから客が一人も来てませんね」

 

「一般人すら寄せ付けないほどの雰囲気が今の梅屋にあるってことか。まじハンパねぇ」

 

 その疑問に松風が感想を述べた。それに凛が突っ込む。

 

「松風の親友まゆっちもその一人に含まれてるけどな」

 

 皆が席を立ち、梅屋をあとにする。店を出る前に、釈迦堂がルーに梅屋と書かれた袋を手渡した。どうやら、一子に対してのお土産のようだった。

 そして、それぞれ解散となるのだが、和やかな雰囲気がある男の一言で消し飛んだ。

 

「赤子共、精々しっかり鍛錬に励め。足元をすくわれんようにな」

 

「ヒュームさんはどうも戦いたいようですね。やっぱり今からどうですか?」

 

 その言葉に反応した百代が、ヒュームの前に立ち笑顔で言葉を返した。2人がにらみ合うと、空気が一段と重くなる。

 

「……凛は百代様を頼みます。ヒュームは私が連れ帰りますから」

 

「わかりました」

 

 クラウディオに頼まれた凛は、肩をすくめながら2人の元へと歩いていった。

 それを見た揚羽が豪快に笑う。

 

「フハハハ。ヒュームもまだまだ若いのだな」

 

 そこに一人の従者――武田小十郎。揚羽の専属従者で序列は999位。金髪と額に巻かれた赤いハチマキがトレードマークの男――が現れた。

 

「揚羽様――――!!お帰りが遅いのでお迎えに上がりました!」

 

 その声は、通りの全てに聞こえるのではないかというぐらいの大音量だった。しかし、揚羽は全く気にした様子はない。

 

「おお。小十郎か。ご苦労」

 

 その一方、闘気をぶつけ合う2人を見守る鉄心とルー。

 鉄心は立派に伸びた顎鬚を撫でながら、ルーに声を掛ける。

 

「モモはどうやら戦闘衝動がでてきとるのう」

 

「あの場にいれば、そうなるのも仕方がない気もしまス。こんな偶然はそうないと思いますガ」

 

 そう言うと、ルーはいつでも動けるように準備する。とりあえずは、凛たちにまかせることにしたらしい。

 

「はーい。終了。モモ先輩落ち着いてください。ヒュームさんのは、もう口癖みたいなもんですから」

 

 凛はヒュームと百代の間に割って入って、彼女を彼から引き離す。

 一方、クラウディオはヒュームの肩に手を置いた。

 

「揚羽様、紋様がいらっしゃるんですよ。ヒューム、さっさとその闘気を収めてください」

 

 凛の介入で、毒気を抜かれた百代が口を尖らせた。

 

「むーだがなぁ凛。向こうが売ってきたんだぞ? 凛たちが来る前だって……」

 

「だから口癖なんです。さぁ帰りましょう。では、みなさんお先に失礼します。紋白、今日は楽しかったぞ。また明日な」

 

 凛は、まだ反論しようとしている百代の背中を押していった。そんな彼に続いて、同じ方向に帰る者達がついていく。

 凛の背中に紋白が声を掛けてくる。

 

「また明日な凛。そしてありがとう。直江も今日はありがとうな」

 

 大和が紋白に一礼する。

 

「いえ。ではまた次の機会に」

 

「大和くん、せっかく会えたのにもう帰っちゃうの?」

 

 その一瞬の隙に、辰子が大和を捕まえる。彼は彼女をどうにかなだめ、凛たちを追いかけた。

 それぞれが別れの挨拶を交わし、こうして、梅屋での壁を超えた者たちの邂逅は無事終了した。梅屋周辺にもいつもの日常が戻ってくる。

 



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『金平糖は赤ワインの味。キスはモモの味?』

 場所は九鬼家が所有するジム。多種多様な機械が整然と並べられ、使われるときを待っているかのようだった。そこの一角では、朝の静けさを破る機械の駆動音と重り同士がぶつかる音が一定の間隔で鳴り響いている。

 燕が百代たちと川神院の朝の稽古に混ざっている中、凛はここでクラウディオにしごかれていた。

 

「……フゥ」

 

「凛、もっと意識を集中させなさい」

 

 凛のデータから最も適したトレーニングをクラウディオが組み、基礎の向上に励む。何でもできる執事は本当になんでもできるのだった。

 その横では紋白がランニングマシーンで軽快に距離をのばしていた。彼女もさすがと言うべきか、一般人の平均を軽く上回るペースを保ちながら走り続ける。息もさほど乱れていない。そんな彼女の姿は、Tシャツにスパッツで、髪の毛も邪魔にならぬようアップにした活動的ものだった。

 

「では1分間の休憩をはさみ、次のトレーニングに移りましょう」

 

「ハッ……ハッ……わかりました」

 

 浅い息を整えるため、深呼吸を繰り返す凛。汗が次から次へとしたたりおちる。そのすぐ近くでは、クラウディオが手元の資料をパラパラとめくりながら、なにかの確認を行っていた。

 ノルマをこなした紋白が、凛に話しける。

 

「凛はきつそうであるな」

 

「地味では、あるけど……これも積み重ねていかないとな。……フゥ。温いトレーニングじゃ意味がないし、極端すぎるのも体によくない。その点、クラウディオさんは俺の体をよく知ってくれているからな。ギリギリいっぱいで鍛えてくれるわけだ。ありがたいよ」

 

 そのメニューは、クラウディオの冗談かと紋白が思うほどのものだった。

 

「継続は力なりだな」

 

「その通り。よし!」

 

 息を整えた凛は、立ち上がってクラウディオの指示を仰ぐ。

 

「紋様は一度休憩なさってください。あちらで鬼怒川に、タオルと常温のスポーツドリンクを用意させております。凛は続いて――――」

 

 凛のトレーニングはまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 トレーニングを終え、紋白が着替えている間、時間が少し空く。凛は早々に着替えを済ませ、軽い水分補給をしながら、クラウディオと立ったまま会話をしていた。ジムの中には太陽の光が差し込んできており、朝の喧騒が聞こえてくる。

 

「しかし、凛は本当に紋様の護衛代の代わりに、ここの使用許可でよかったのですか?」

 

「俺にとっては、ここの使用が許可してもらえることに驚きました。お金は欲しいですけど、一般のジム以上の設備がある所を使わせてもらえるなんて、価値で考えるととても貴重です。ありがとうございます」

 

 凛は頭を下げながら、クラウディオに礼を言った。彼はそれに対し、いつもの温和な笑顔を浮かべて答える。

 

「簡単なことですから、凛は気にする必要ありません。加えて、揚羽様からの口添えもあったので、よりスムーズに許可をとることができました」

 

「揚羽さんが?」

 

「どうやら凛が、百代様を打倒すると宣言されたのを気に入られたようで、自分に割かれている時間を割り当ててやるとおっしゃられたのです。そう言われれば、誰も文句を言う者などおりません」

 

「そうだったんですか。ありがたいことですけど、揚羽さんの迷惑にはならないでしょうか?」

 

 そう言って凛は少し困った顔をするが、クラウディオは笑みを崩さず言葉を返す。

 

「もしかしたら、同じ時間にトレーニングすることになるかもしれませんが、別段迷惑になるということもないでしょう」

 

「揚羽さんには今度直接お礼を言いたいです。確か金平糖に目がないとか?」

 

「揚羽様の好物ですからね」

 

「では、京都で一番の金平糖を持っていきたいと思います。都合のつく時間を作ってもらうことは可能でしょうか? 紋白も呼んでお茶会でも開ければと思いますが」

 

「それは揚羽様も紋様もお喜びになられるでしょう。時間の調整ができ次第、私のほうから連絡しましょう」

 

 ちょうど話が一段落ついたところで、紋白が2人の元にやってくる。いつもの袴姿になっていた。扉の外には、従者の一人――鬼怒川が静かに立っている。

 

「待たせたな凛。動いた分だけ、朝食をしっかり食べねばな。ところで何の話をしていたのだ?」

 

「ふふふ。秘密」

 

 紋白は意味深に笑う凛を放置し、隣にいたクラウディオにたずねる。彼女はどうやら彼の扱いに慣れてきたようだ。

 

「クラウ爺、なんの話をしていたのだ?」

 

「揚羽様へのお礼をしたいと凛が申しておりまして、その都合がつく時間に紋様もお呼びして茶会を開きたいと。京都で一番の金平糖を持参するそうです」

 

 落ち着いた様子で答えるクラウディオに、凛は肩を落とす。

 

「クラウディオさん……俺が秘密にした意味がないです」

 

「ほほう。凛、姉上は金平糖マニアゆえ、金平糖にはうるさいぞ。どこの物を用意するのだ?」

 

 紋白は興味が湧いたようで、凛の顔を覗き込んだ。彼は少し口をとがらせながらも答えていく。

 

「せっかく驚かせようと思ったのに……青寿庵清水のものだよ。究極の赤ワインの金平糖って言われてるものを用意しようかと。あと俺や紋白が食べられるよう5種の金平糖の詰め合わせかな」

 

 それを聞いた紋白が目を見開いた。

 

「まさか!? あれか! 今年発売される予定になっているもので、予約でいっぱいだと聞いているぞ! 姉上は発売が決まったとき海外におり、予約が遅れて半年は待たなければならないと嘆いておられたのだ。手に入るのか!?」

 

「予約しておいたんだ。俺のばあちゃんは菓子類、特に和菓子に精通しているからな。青寿庵の方が次の商品を作ると聞いて、すぐに予約を取り付けたんだ。その発送ももう始まってるから、多分届いているんじゃないかな?」

 

「おお。あそこの金平糖は我も食したことがあるが、未だにその味を覚えているぞ。ぜひ姉上にお知らせせねば!」

 

 紋白の笑顔がさらに輝いていく。

 

「紋白落ち着け。それにこれは秘密だ。当日にびっくりさせるんだよ」

 

「しかし、きっとこれを聞いた姉上は大層お喜びになられるぞ。我はその顔が見たいのだ」

 

 紋白は揚羽の喜ぶ顔を想像しているのか、テンション高く凛に詰め寄った。彼もその様子を見ているとそれもいいかと流されそうになったが、そこにクラウディオから声がかかる。

 

「紋様、まだ揚羽様のご予定も調整ができておりません。今しばらく辛抱されてはいかがですか?」

 

「う、うーむ。それも、そうか……確かにまだ準備が整ったわけではないものな。……少々はしゃぎすぎた。どうも凛の前では気が緩んでしまう」

 

「嬉しい一言だ。別に俺といるときぐらい、はしゃいだってかまわないだろう? そりゃ」

 

 紋白が眉間にシワを寄せているのを見て、凛が彼女をヒョイッと抱えあげた。

 

「おお! 今までと世界が違って見えるわ! って馬鹿者!! 今しがた、はしゃぎすぎなのを戒めたばかりなのだぞ」

 

「ははは。俺と一緒にいるときに、クールな紋白でいれると思うな。それにそろそろ時間だ。俺かなりおなか減ってる」

 

「では、朝食をとりに参りましょう。一つ上の階へ移動しますよ」

 

 クラウディオはそう言うと2人を先導するため歩き出した。鬼怒川がそれに気づき、扉を開けてくれる。その後ろを凛と抱えあげられたままの紋白がついていった。

 

「凛、もう降ろしてくれて構わないぞ」

 

「ん? 気に入らなかったか?」

 

「そうではないが、凛がしんどいであろう?」

 

「揚羽さんも言ってたろ? 紋白は羽のように軽いって。俺にとっても変わらないよ。それよりご飯なんだろうな? 前の朝食もおいしかったから楽しみだ」

 

 平気だという言葉といつもと変わらぬ足運びなのがわかったのか、紋白もそれ以上は問わず、いつもより高い視点の光景を楽しむことにしたようだった。そのまま、笑顔で凛に別の話題を振る。

 

「凛のお腹は我慢できずに鳴いておるしな」

 

「あれ? 聞こえたか? 喋ってごまかそうとしたのに」

 

「フハハハ。なかなか可愛いらしい音であるな」

 

 2人は、仲良く会話しながら階段を上っていく。そして階段を上がりきり、扉が開けられると、朝食のいい香りが漂ってきた。今日もまた平凡な、されど騒がしい1日が始まる。

 そして場所は変わって2-Fの教室前。多くの生徒はもうすでに登校しており、廊下など思い思いの場所で、共通の話題を取り上げ盛り上がっている。凛は、そんな彼らに挨拶しながら、教室前に到着した。少し遅めの到着だったが、時間に余裕があったのは紋白の車に同乗して、学園まで送ってもらったからだった。そのまま、教室の扉を開ける。

 

「――――くださいワン」

 

「ワンコがついに、語尾にワンをつけるようになってしまった。みんなおはよう」

 

 凛は、少し涙目の一子とSッ気のある笑顔を浮かべる京という朝から奇妙な場面に出くわす。クリスはその横でやれやれといった様子で見守っていた。

 

「ち、違うわよ! 凛。これは――――」

 

 どうやら一子は燕が参加した朝の鍛錬が厳しく、宿題をやってきていなかったらしい。そこで京にお願いをしていたという。

 

「ワンコ……なぜ昨日の夜にやらんのだ」

 

「えへへへ」

 

 凛の突っ込みに笑ってごまかす一子。その様子に京とクリスはため息をついた。しかし、そこに話を聞いていた大和から嬉しい一言が舞い込んでくる。

 

「朝から鍛錬大変なんだな。皆強いはずだ。俺も何かしらの形で応援してあげたいよ」

 

「じゃあ大和は明日の宿題を……」

 

 一子の願いも、京の言葉に遮られる。

 

「お父さん、甘やかさないでくださいね」

 

「わかってる。試験前の勉強なら付き合うよワンコ」

 

 現実はそう甘くはなかった。一子の甘えは、いとも簡単に2人の絶妙な連携によって塞がれる。そんな現実に彼女はうなだれながら、京に宿題をうつさせてもらいに席に戻る。クリスもそれについていった。なんだかんだ言っても、面倒見の良い彼女たちである。

 それを見送った大和が凛に声をかけた。

 

「そういや凛はトレーニングに行ったまま、帰ってこなかったな? 朝は食べたのか?」

 

「トレーニングのついでに食べてきた」

 

「そうか。……ていうか、凛からいつもと違う匂いがする」

 

 そう言いながら大和が凛の右肩あたりに顔を近づけ、クンクンと鼻をきかす。京は自分の席から黙ってその様子を観察していた。

 凛はそれをしっかりと確認していたが、大和は匂いが何か気になるようで気づいていない。

 

「あれ? どこかで嗅いだことのある匂いの気がする」

 

「別に何でもいいだろ。というか、京の怪しい視線が飛んできてるぞ大和」

 

「うお! すまん。なんか気になっただけだ」

 

 京とばっちり目が合った大和は、急いで凛と距離をとった。

 

「続けてくれて構わないのに……」

 

 京の一言に、一子とクリスが首を傾げるのだった。

 そこに梅子が入ってきて、生徒達は一斉に席についていく。騒いでいると、教育的指導の餌食となることを生徒達は知っているからだ。委員長である真与の号令とともに、HRが始まる。

 その後始まった授業は、一子の天敵である現代文に始まり、これまた天敵である数学で終わる。

 そして放課後。凛は一人で廊下を歩いていると、見知った気配がこちらに近づいてくるのを察知した。それは、なかなかのスピードで接近してくる。

 

「凛はっけーん」

 

「おっといつかと同じ展開。どうしたんですか? モモ先輩」

 

 いつものように百代が凛の背中にへばりつく。

 最近では、凛が百代に抱きつかれようと気にしない生徒も増えてきていた。慣れというものは凄い。それでも、男子生徒は羨ましそうな視線を飛ばしていたが。

 

「燕も大和もいないから探してたんだ。そしたら不思議なことに凛を見つけた」

 

「と言いつつも、本当は俺が目当ての可愛いモモ先輩であった」

 

「どうだろうな?」

 

 百代はいたずらっぽく笑う。

 

「否定しないのは俺としても嬉しいな。それじゃあ、いつかの如くツバメ探しに行きますか」

 

「おー!」

 

 百代は元気よく返事はするが、凛の背中から離れない。

 

「というか今、大和の傍に燕姉いるみたいだ」

 

「ん? あー確かにいる? いや私は微妙に確信が持てないな」

 

 百代は気を探っているが、燕のそれはどうも掴みにくいようだった。むむっと眉間に軽くシワをよせている。

 

「燕姉は気配隠して移動するからな」

 

「まぁいいや。2人一緒なら、そのまま一網打尽だ! 行くぞ凛」

 

「了解! って移動するの俺だけじゃん!」

 

 百代は腕に力を込め駄々をこねる。

 

「今は凛にひっつきたい気分なんだー。私を連れて行ってくれー」

 

「困った先輩だ」

 

 凛はため息を一つつき、ズリズリと移動を開始する。

 廊下を進み、角を曲がり、階段を上ったところで、ようやく大和と燕がいる階へと到着した。目の前の曲がり角を曲がれば彼らがいるのだが、そのまま角からそっと覗く怪しい凛と百代。もちろん燕に気づかれぬよう、気はかなり抑えてある。

 

「モモ先輩。なんかあなたの弟さん、餌付けされてますよ」

 

「おまえの姉がそうさせてるんだろ」

 

「嬉しそうに食べる大和を激写」

 

 凛は楽しそうにマイカメラを取り出し、シャッターを切った。その画像を2人で確認し、またそっと覗く。

 

「だらしなくゆるんだ顔してますぜ。モモの姉御」

 

「誰が姉御だ。しかし弟にも困ったものだ」

 

 嘆息する百代。

 

「モモ先輩も人のこと言えないけどね」

 

 凛は今だひっついたままの百代に言葉を返す。廊下を通る下級生は、納豆をアーンする2人に驚き、さらに角を曲がると密着した2人がいるのに再び驚いていた。

 生徒たちのリアクションをよそに、凛たちが見つめる先――大和と燕のもとに、小雪と冬馬が現れる。

 先にそれを発見した凛が口を開いた。

 

「あれ? 小雪が泣きながら走っていった。何があったんだ?」

 

「ましゅまろの中に納豆でも入れられたんじゃないか? なんでも入れたがるしな」

 

 百代は経験済みなのか、少し苦い顔をする。それに凛が頷づいた。

 

「十分ありうる。というか、絶対おいしくないだろ」

 

「うわ。想像してしまった。口の中がねちゃねちゃするぞ」

 

「ちょ! モモ先輩がそんな事言うから俺も想像した。うぇー」

 

 凛は顔をしかめながら、即座にポケットを漁り、ガムを取り出して食べた。それに気づいた百代は催促する。

 

「あ。私にもくれ。何味だ?」

 

「ピーチソルベ」

 

「CMで今やってるウォー○―リングか。しかも私の好きな桃。わかってるな凛」

 

「たまたまね。はい」

 

 凛が後ろを見ずにガムを差し出す。しかし百代は受け取らない。何事かと彼は後ろを振り向いた。

 

「今、手がふさがってる。食べさせてくれ」

 

「俺に抱きついてるからでしょ。仕方ないな」

 

「文句を言いながらも世話を焼いてくれるお前が好きだぞ」

 

「ほい」

 

 凛は、イタズラ半分でガムの先端を自分で銜えて、百代の方に顔を向けた。どうやら彼女がどういう反応をするか見たいようだ。

 そんな凛を百代は鼻で笑い、躊躇なく顔を寄せる。

 

「このくらい、もうなんともない。ありがとな」

 

 そう言いながら、百代はひょいっと口でガムをついばむ。そのまま平然とガムの味を楽しむ彼女に、凛が廊下にいる2人を確認しつつ話しかけた。

 

「間接キスだ」

 

「そうだな」

 

「反応が普通だ。もっとおもしろい反応してくれるかと思った」

 

 凛は残念そうに百代の顔を見る。

 

「おい、そんなこと言ってる間に、おまえの姉が葵に言い寄ってるぞ」

 

 百代が両手で凛の顔を廊下の方へ向けさせた。

 

「ほんとだ。……て後ろの手にパンフレット持ってるから営業だ」

 

「なんだよー営業かよー。……というか、また餌付けの続きやりだした」

 

「あの2人も好きだねー。そろそろ行きます? 十分おもしろいもの見れたし」

 

「そうだな。大和いじりにいくか」

 

 そうして、凛は百代にひっつかれたまま飛び出した。人一人を抱えているにも関らず、その重さを全く感じさせない動きで、大和に向かって突撃する。彼は全然気づいていない。燕は2人の姿を確認し、やっぱりいたかと納得の表情だった。

 

「「あーんじゃないだろ。全くお前はー」」

 

 2人で打ち合わせたセリフを一緒に吐きながら、凛が体ごとドーンと大和に体当たりをした。体重2人分の衝撃が彼を襲う。よろける彼は、壁にあたって何とか体勢を立て直した。

 

「おふぅ。……凛! それに姉さんも」

 

「なに燕姉に餌付けされてるんだ大和。こんなだらしない顔して! お兄ちゃんはそんな子に育てた覚えはありません」

 

 凛が撮った写真を提示して、涙を拭う仕草をとった。

 

「な!? いつ写真を!? しかも誰がお兄ちゃんか!」

 

 大和は写真を消そうと手を伸ばすが、その手は空をきった。ニヤニヤしながら、凛と百代はそんな彼をいじる。

 そこに燕がまじってきた。

 

「あらら、怒られちゃったね。それと凛ちゃん、あとでその写真ちょうだい」

 

「いいよ」

 

 気軽に返事する凛の後ろにへばりつく百代を見ながら、燕は言葉を続ける。大和は、いじられる格好の材料を与えてしまったことにうなだれていた。

 

「にしても、そっちも楽しそうにしてるじゃない?」

 

「燕が私の弟にちょっかいかけてるんだから、お相子だ」

 

 百代は、凛をぎゅっと抱きしめた。そんな彼女に燕はニヤリと笑う。

 

「フフフ。弟交換しちゃう?」

 

 その提案に一瞬目をつむり考える百代。燕はその隙を逃さず、窓の桟に手をかけ、戸惑う素振りもみせず飛び降りていった。

 

「モモ先輩行っちゃいましたよ」

 

 百代は凛の言葉で意識を燕に向けるも、そこにあったのは大和の食べ掛けカップ納豆だけだった。

 凛がその納豆を手にとって、大和へ渡す。

 

「仕方ない。残った大和を金曜集会でイジりましょうか。モモ先輩」

 

「そうだな。逃げてしまったものは仕方ない」

 

「嫌なところを一番見られたくない2人に見られた」

 

 がっくりと深いため息をついた大和を連れ、3人は秘密基地へと向かう。

 校舎は夕日に照らされ、遠くからは部活の掛け声が聞こえてくる。6月も中旬、日はだいぶ長くなっていた。

 



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『凛と○○の休日2』

 学校を出た凛と百代、大和は廃ビルを目指していた。

 その途中途中では、燕との行為についてさんざん大和をいじくり、それは百代の気が済むまで続けられた。しかし、凛の言葉もあってか、基地に着く頃にはそれも終わり、彼はほっと一息つくのだった。

 

「ただいまー」

 

 まるで家についたときように挨拶をする凛。そのまま自分の定位置になっているソファへと向かう。

 

「おかえりー」

 

 返事をしてくれたのは一子だった。次いで卓也も3人のジュースを注ぎながら、言葉を返してくれる。

 それから、少しの間駄弁っていると、旅から帰ってきた翔一が姿を現した。

 

「おう! みんな久しぶりだなぁ」

 

「おかえりキャップ。今回はどこ行ってたんだ?」

 

 凛が卓也から借りた単行本をテーブルに置き、翔一へと目を移す。彼の手には土産と思わしき袋が大きく膨らんでいた。

 

「ちょっと山陰方面に行ってきた」

 

 そう言うと、翔一は袋をテーブルの上にドンと置く。

 

「なんでまた山陰方面に?」

 

「まゆっちがこの前、出雲そば食いたいって言ってたじゃん。それ聞いてたら食いたくなって、気がついたら出発してたってわけさ。んでお土産はこれだ」

 

 翔一は、出雲そばのセットを由紀江へと差し出す。彼女はそれを両手で受け取った。

 

「出雲そばですか? わざわざありがとうございます」

 

「キャップ△!」

 

 翔一は、それに対して「自分が食べたかっただけだ」とフォローを入れると、次にみんなへの土産を取り出す。

 

「他の女性陣と凛には和菓子。モロには妖怪グッズで、岳人には体に良さそうなシジミエキスが土産だ」

 

 皆は礼を言うと、テーブルに置かれた和菓子に手を伸ばしていく。岳人もシジミエキスを受け取り、成分表示や効能を見ながら口を開く。

 

「いいねぇ……これを飲んで体を強くして、水上体育祭で女どもにセックスアピール決めてやるぜ!」

 

「水上体育祭? 何やら楽しそうな体育祭だな」

 

 聞きなれない単語に、女性陣と楽しく和菓子を食べていた凛が顔をあげた。そんな彼に、岳人が立ち上がり力説する。

 

「そういや凛は初めてだったな。俺様が説明してやろう! 水上体育祭……それは布一枚の女の子たちと過ごす最高のイベントのことだ!」

 

「まぁ内容は説明されなかったが、岳人のテンションと布一枚は水着のことだな? それでなんとなく把握できた」

 

「しょーもない」

 

 京の一言にも、岳人はへこたれなかった。ようするに、体育祭を体操着ではなく水着で、場所も校庭ではなく海で行うということだった。発案者は鉄心。大和からそれを聞いた凛は、長生きの秘訣は性欲なのかなとぼんやり考える。

 水上体育祭の話は、そこで一旦打ち切られ、まだ渡されていない大和への土産が、翔一の手によって広げられる。

 

「大和にはこれだ。ちゃんと許可とってもらってきたぜ」

 

 それは納豆小町のポスターだった。燕がセーラー服姿で、納豆の1パックを持ちポーズをきめている。それを見た凛が声をあげた。

 

「あー西では結構出回ってるけど、こっちではないのか」

 

「かわいいよなー。私とタメはる美少女だよな。おっ……この饅頭うまい」

 

 百代もそのポスターを見て感想を述べた。続けて、それを見ていた岳人が喋りだす。

 

「そら普通の納豆とこの納豆売ってたら、こっち買うわ」

 

「おまえ仲良さそうだったから、これがいいと思ってな」

 

 大和は翔一に礼を言い、それを受け取る。そこで皆が口々に燕を褒めた。どうやら、彼女は持ち前の陽気さで、早くも川神の生徒の心を掴んだようだった。そこまでは和やかな雰囲気だったのだが、饅頭を置いた百代がポスターを眺める彼に質問したところで空気が変わる。

 

「で、弟はそのポスターをもらって嬉しいと?」

 

「う……」

 

「大和君は図星のようだ」

 

 言葉につまる大和を凛が茶化す。そんな彼をジト目で見つめる百代と京。

 微妙な空気の中、凛が大和を擁護する。

 

「まぁポスターくらい良くない? 大和だって男なんだし、可愛い女の子のなら嬉しくもなるだろ」

 

「なんだよー。凛も燕の方がいいのか?」

 

 百代は、隣に座っている凛に詰め寄っていく。

 

「いやそうは言ってない。男は可愛い子の写真とか見るだけで、幸せな気分になれたりするんだって。俺だってモモ先輩の写真、部屋に飾ってあるし……」

 

「えっ……そ、そうなのか?」

 

 百代もまさか一緒に撮ったとはいえ、自分の写真が凛の部屋に飾られている事実を知って、少しどぎまぎする。自分のものだけが飾られるのは悪い気はしないが、どこか照れくさい感情があった。そして、彼の言葉の続きを待つ。

 

「うん。みんなと写ったやつも飾ってあるぞ! 俺写真見るの好きだし」

 

「て、みんなのもあるのかよ!」

 

 その言葉に、百代は即座につっこみをいれた。自分の勘違いだったことに恥ずかしく思ったのか、頬に少し朱がさしている。

 

「まぁまぁモモ先輩、和菓子でも食べて落ち着いて。でもやっぱ、大和をあんまり雁字搦めにしてやると可哀想だろ? 寛大な心でドンと構えていればいいよ。同年代……しかも自分とは違ったタイプの美少女に、姉の立場をとられるのでは、と焦るモモ先輩も可愛いけどね。ほい」

 

 凛は、一口サイズにちぎった和菓子を百代の口元にさしだしてなだめる。

 

「……もぐ。そうなのかなぁ? ……うーん。もう一個くれ」

 

「はいはい。あーん」

 

「あーん」

 

 百代は、凛の言葉に思い当たるところがあるのか、大人しく餌付けをされる。それを見ていた岳人と大和がこそこそ話す。

 

「凛のヤツ、とうとう自分のペースに持っていきやがった。なんて羨ましい奴」

 

「俺ではああはいかないからな。恐れ入る」

 

 そんな内緒話をしているところに、凛の声が再び響く。

 

「まぁ納豆小町のポスターは、京のポスターと一緒に大和の部屋に飾るとして……」

 

「ナイスアイディア。水着で女豹のポーズをとればいいかな」

 

 京が俄然やる気を出す。

 

「カメラマンはヨンパチ……いやダメだな。どこに流通するかわかったもんじゃないし。写真の腕はいいんだが」

 

「ちょっと待て!」

 

 話しが進む中、大和は立ち上がってストップをかけた。その姿に凛はきょとんとしている。

 

「どうした大和?」

 

「そうだよ大和。何か変なところがあった? ……あっ裸体はダメ。部屋に誰が入ってくるかわからないから」

 

 大和は深いため息とともに、額を押さえる。

 

「変なところありまくりだろ! どっからツッコんだら……えーまず、なんで京のポスターを貼る!?」

 

「? 俺の話聞いてたろ? 可愛い子の写真を見ると幸せな気分になれると……そうか、わかった。クリス! ご指名だ! やれるか?」

 

 凛は鋭い目つきで、和菓子を食べていたクリスに声をかける。彼女は、急に指名されたことに固まり、さらに彼女にまで飛び火したことに大和も驚く。

 

「じ、自分か!? 大和……そ、そんなに必要なのか?」

 

「待てーーーー! 話が変な方向にずれていってるぞ!」

 

 大和の反応に、凛は肩をすくめると、話をどんどん大きくしていく。

 

「ずれてないだろ? ……ふぅ、仕方ない。出血大サービスだ。ワンコ、まゆっち力を貸してくれ!」

 

「わふ?」

 

 お菓子に夢中の一子はいまひとつ理解しておらず――。

 

「え、ええぇぇぇー」

 

「大和坊は欲張りさんだぜ」

 

 由紀江は恥ずかしいのか顔を赤くする。松風は冷静だった。そこに、面白がった百代も参戦しようとし、さらに場が騒がしくなる。

 

「それは望めば俺様にもプレゼントされるのか!? 弁慶のやつとかもらえないのか!?」

 

 岳人が鼻息を荒く立ち上がり――。

 

「おいおい。おまえらだけで盛り上がってずるいぞ! 俺も俺もー」

 

 翔一は場のノリで加わり――。

 

「話がややこしくなるから、みんな落ち着け。って元凶の凛! なんでおまえ一人和菓子食って落ち着いてんだ!! えっさらに騒ぎ大きくなっていいのかって? ごめんなさい……静かにそれ食べといて」

 

 大和が凛へツッコミをいれ――。

 

「賑やかだねー」

 

 ジュースを飲む卓也は、そんな様子を見守りながらポツリとつぶやくも、その一言はボケとツッコミの応酬にかき消されていった。金曜集会は今日も通常運行のうちに終わる。

 金曜集会が終わって、寮に戻ってきた凛は、携帯で電話をかけていた。

 

「うん。こっちは元気にやってるよ。この前イベントがあって、そこでたくさん写真撮ったから、何枚か手紙に入れておいた……うん。咲さんの息子の大和も一緒に写ってるから、よかったら見せてあげて――――」

 

 電話の相手は、凛の母親フローラだった。ちなみに母方の祖母の名がアリスである。

 そして、2人の話す言語は日本語。イギリス出身のフローラであるが、彼女はクリスと同じく日本大好きであり、日本の文化を知るために日本語もしっかり習得していたのだった。凛のアニメやら漫画好きは、この母の影響も少なからずあったようだ。また、大和の母である咲とは友人であり、どうせなら彼の元気な姿を彼女にも見せてあげようという思いが凛にはあった。

 

「友達もできてるから心配ないよ。……えっうん。彼女はまだ……余計なお世話だから。いや! ラムちゃんみたいな子って電撃放つ子でも連れて来いってか、そもそも角生えた女の子がいないだろ! ……ああ、明るい子ってことね。なぜアニメキャラで例えた。……はぁとにかく最初からそう言って。父さんは元気? ……そっか、相変わらず飛び回ってるわけね。……夏休みあたりには帰れるかなぁ……まだよくわからん。おばあ様にも元気だって伝えといて。うん。おやすみって、そっちはまだ昼だよね。……はいはい、おやすみー」

 

 フローラが電話を切ったのを確認して、凛も電話を切る。そして机に向かって、教科書を開く。宿題をやるのと同時に、軽い予習としっかりした復習も兼ねる。こう見えてなかなか勤勉なのであった。

 その後、キリのいいところで終わり、眠りにつこうとしたが、携帯が光っているのに気づく。どうやらメールがきていたようだ。内容について、少し吟味して返信し、ベッドにもぐる。

 そして、次の日の昼前。凛は川神駅の時計台の下で人を待っていた。7月間近ということで、温度もジリジリと上がっており、夏の到来を感じさせる天気だった。土曜日のため、賑わいをみせる駅前では、凛をチラ見してくる女性も多くいる。

 綺麗な人が多いなぁと暢気な凛。そこに、爽やかな声が彼にかかる。

 

「おまたせー。凛ちゃん待った?」

 

 凛の目の前に颯爽と現れる燕。風で揺れる薄い黄色のワンピースの下からショートデニムがちらりと見える。足元はミュールを履き、肩にかけている籠バックが夏らしさを感じさせた。

 

「ちょっとだけ。まさか、燕姉からお誘い受けるとは思わなかった。夏らしい格好がよく似合うよね。素足が眩しい」

 

「失礼な。私はこんなに凛ちゃんと仲良くしたいと思っているのに。それと最後の一言は余計でしょ」

 

 カラカラと笑って燕が答える。そして、笑い終えると凛をジロジロと品定めする。彼は黒のポロシャツにベージュのチノパンだった。

 

「凛ちゃんもいい感じだよ。タンクトップ一枚とかじゃなくてよかった」

 

「それは、岳人やキャップを暗にけなしていることになるから注意して。あとタンクトップ一枚で会ったことないだろ」

 

「おっと気をつけます。ではでは、しゅっぱーつ!」

 

 2人は電車へ乗るため、川神駅の中へ向かう。

 

「そんで今日行く美術館では具体的に何が展示されるの?」

 

 席を確保した凛が、隣に座る燕を見る。

 

「何を言ってるの! 私が行く展示会と言えば……」

 

「「陶磁器」」

 

 2人は声を揃える。燕はちゃんと答えがあったことに満足げだった。そんな彼女に凛が自分の予想を話す。

 

「だよね……それでわざわざ東京の方まで足をのばすってことは、ご先祖様に縁のあるものってこと?」

 

「付藻茄子が見たいと思ってね」

 

「えーっと……茶道具の一つで、持ち主が転々としたやつだっけ? その中にご先祖様もいたと……」

 

「そうそう! こっちに引越したときから見たいと思ってたんだよね。でも一人で行くのもあれだし、陶磁器見るためにわざわざ遠出させるのも気がひけるじゃない? でも、そこに一人だけ適任な人物がいたのよん」

 

 目をキラキラさせていた燕が、いきなりビシッと人差し指を凛に向ける。

 

「それが俺だと」

 

「凛ちゃんもいい勉強になると思ってね。見る目を養おう!」

 

「うぐ! それを言われれば是非もない。というか、もう向かってるし。場所とか大丈夫なの?」

 

「大丈夫大丈夫! ちゃんと調べてきたし、納豆小町の営業で初めての場所とかよく行くから方向感覚も鍛えられてる。だから、安心して姉にまかせなさい」

 

「了解。……でも、納豆小町もうまくいってよかったよね」

 

 電車を乗り換えるため、ホームに降り立った2人。凛が隣にたつ燕に今だからこそ笑える話題をふる。

 

「本当によかったよ。その節は、銀子さんにお世話になりました」

 

「まぁ婆ちゃんも燕姉の熱意と計画の緻密さ、将来性とかを判断した上で、投資すること決めたんだから、燕姉の努力の結果だよ。俺にはできないと本当に感心した」

 

 久信が多額の借金を作ったとき、燕は母親についていかず、それを返すための第一歩として、彼の副業でやっていた納豆を銀子の元へと持ち込み、投資してくれるよう自らプレゼンを行ったのだった。

 弟子だからと言ってポンと投資するほど、甘い存在ではない銀子に対して、数度にわたるプレゼンと両手の指では数え切れない話し合いの末、元手となる資金の提供を受けることに成功した燕。それを間近で見ていた当時の凛は、驚きと尊敬の念を抱いたのだった。

 そこから、納豆小町のサクセスストーリーが始まる――と言っても、それまでに役所への届けなどの雑務、納豆作りの設備などやることも山積していたが、久信は娘の頑張りに応えるため、東奔西走……馬車馬の如く働き、ようやく今に至るのだった。

 

「納豆小町として、ポスター載ってるの初めて見たときは驚いたけど」

 

「私のセーラー服姿に見惚れちゃった?」

 

 燕は意地悪い笑みを浮かべ、凛を見た。

 しかし、それなりに付き合いがある凛は平然と答える。

 

「あれで見惚れない男はそういないんじゃない? 大和もポスターもらって凄い嬉しそうだったし。部屋に飾っとくって」

 

「そんなに喜んでくれたんなら、小町としても嬉しいね。凛ちゃんも欲しくなった?」

 

「いえ遠慮しときます」

 

「なぜだこらー! 欲しいと言え……言いなさい」

 

 燕は凛の頬を両手で軽く引っ張った。

 

「いや……もらったところで、部屋に飾ったりしたら、なんか監視されてるような気になるんだよ。自分の部屋で落ち着けないなんて勘弁して」

 

「あーなるほどね。それはわからないでもないかも。だから凛ちゃん、人物のポスターとかなかったんだ。写真は飾るのに」

 

 依然頬を掴んだままの燕に、凛が抗議の声をあげる。

 

「それより離してくれる? ……いやムニムニするのもやめなさい!」

 

「このモチモチ感……これが男の肌なんて、ご先祖さまもびっくりだよ」

 

「このやり取り2度目!! ご先祖様の驚きとかいいから。……赤くなったりしてないだろうな」

 

「心配しなくても赤くなってないよ」

 

 しかし、凛は手の離れた頬をさすりながら、燕に手を差し出す。それに首をかしげる彼女は、そっと手を重ねる。

 

「なんでやねん! 鏡くらい持ってるだろ? 鏡貸して。自分で確認しないと信用できないから」

 

「おおー凛ちゃんのツッコミ。しかも私の言葉が信用できないなんて……ヨヨヨ」

 

 燕は、泣き真似をしながら素直に手鏡を渡した。しかし、それもすぐに笑顔に変わる。不思議に思った凛がたずねる。

 

「そんなにおもしろかった?」

 

「いや、こうやって凛ちゃんとさ、たくさんお喋りするのも久しぶりだと思うと嬉しいのよん」

 

「高校違うとこになってから、会う機会も減ったからなぁ。というより、降りるのここって言ってなかった?」

 

「おおっとそうだった。忘れ物しないようにね」

 

「荷物と言えば、燕姉のバックくらいだな。持ちましょうかお姉様?」

 

 それでも一応確認してから、電車をあとにする燕に、先に降りた凛が手を差し出す。燕はその手にバックを乗せず、自らの手を乗せお嬢様のように優雅に電車を降りた。

 

「フフフ……気持ちだけ受け取っとくよ。これも含めてのコーディネートだから。なにか荷物ができたらお願いね」

 

「了解」

 

 改札を抜けると、近くにあったタクシー乗り場へと移動し、タクシーに乗り込む。そのタクシーは目的地目指して走っていく。

 

「というか、タクシー乗るなら方向感覚とか関係なかったよね?」

 

「細かいことは気にしなーい」

 

 そう言って燕はまた笑った。

 



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『凛と燕の休日』

 目的地へ向かうタクシーの中でも、2人の会話は続く。

 

「そういや、大和とも先週遊びに行ったんだって?」

 

「イエース。大扇島の案内をお願いしたんだよん。なんで知ってるの?」

 

「大和が、砂浜に築城された立派な城を携帯で見せてくれた」

 

「あれね。どうだった? 私的には、天守閣のディティールをもうちょいやっておきたかった、と後悔したんだけど」

 

「いやいや十分すぎるだろ? むしろ褒めてやりたいぐらいの出来映えだった」

 

「褒めてもいいのよ?」

 

 頭をズイと出してくる燕。凛はそれに手を伸ばそうとするが、途中で動きを止め、代わりに口を動かす。

 

「いや燕姉、人に頭触られるの嫌って言ってたでしょ?」

 

「あれ? 覚えてたんだ? 昔に言ったことなのに、覚えててくれるとは嬉しいね。やっぱり今日はちょっとテンションあがってるのかも。だから、こんなチャンス2度とないかもよ」

 

 そして再度、頭をズイと出してくる燕。それに、凛は抑揚のない声で褒めながら撫でてやる。

 

「わー嬉しいなー。よーしよし」

 

「言葉は棒読みなのに、撫でる手は優しい。むむむ」

 

 うなる燕から手を離して、凛は次の話題をふる。タクシーは4車線の道路から横道に入って、住宅街を通り始めた。そして、車の騒音はどんどん遠ざかり、徐行するタクシーの音のみになる。

 

「それと小町ブログのアクセスもグンと伸びてたな。俺も覗いたけど、そのときすでにコメントが4000くらい……とにかく、すごい数あってびっくりした」

 

「だよね。私もちょっと驚いたよ。もちろん嬉しかったけどね。……でも作ることで言えば、義経ちゃんたちの歓迎会のケーキでしょ」

 

 燕は自分の携帯をいじると、画像を表示させて凛に見せる。そこにはいつかの義経人形たちがいた。携帯を引っ込めた彼女は、言葉を続ける。

 

「凛ちゃんのお菓子作りこそ褒められるべきだね」

 

「褒めてもいいぞ」

 

 お返しと言わんばかりに、頭を差し出す凛。そして、燕の手がその頭へと伸びる。

 

「あの……燕姉? 今度はつむじをいじるのとか止めてもらえます?」

 

「凛ちゃんって、つむじ右巻きなんだね。知らなかった」

 

 言っても聞かない燕に、凛は頭を強引にあげる。あげる瞬間も、彼女は人差し指一本でそれを阻止しようと粘るが、不可能もいいところだった。要は、いつものじゃれあいである。その後10分ほど走ったタクシーが停車し、運転手が到着したことを知らせてきた。そして、2人はお金を払って、タクシーから降りる。

 門前からは、広場をはさんで目的の建物が見えた。壁は赤茶のタイル、屋根は薄緑色で日本ではあまり見ない急勾配もの、そして2本の煙突がついている。

 門を先に通り抜けた燕が、感想を口にする。

 

「西洋風の建物が可愛いね」

 

「静かな所でいい……って美術館はその横だな」

 

 2人が洋館に近づくと、案内図で洋館の横に建てられた長方形の建物が、今回の目的の品を展示してある場所と示されている。

 そこを目指す傍らには、梅雨の時期ということもあり、青や紫のアジサイが花を咲かせ、来訪者の目を楽しませた。そして洋館と美術館の周りは、建物を取り囲むようにしてイチョウの木や季節を過ぎた桜の木などが林立しており、その葉は青々と茂っている。それは、秋になると落葉で黄色い絨毯ができるだろうと容易に想像することができた。

 ついでに周りを少し散策した2人は、美術館の中へと入っていった。入場料を払い通路を進むと、静けさとともに数々の展示物が目に入ってくる。客層は凛たちよりも2回りあるいは、もう1回りほど歳を重ねた人が多いようだった。

 そして今回の目的である陶磁器を前に、燕がうっとりとした表情で見入る。

 

「見てよ凛ちゃん……破片から修復したとは思えない。質感とかも見事だわ。うーんいい!」

 

 その隣で、凛は展示物の周りをぐるりと1周し、ドヤ顔で燕に話しかける。

 

「これすごいな。始めからこれだったって言われても、俺は気づけない自信がある」

 

 それにジト目を送る燕。

 

「威張れることじゃないでしょ」

 

「すいません。――――」

 

 2人は小声で会話をしながら、国宝にあたる陶磁器や掛け軸、屏風なども見て回った。そして、しっかり堪能した2人は美術館をあとにする。

 

「いやーなかなか勉強になった」

 

「凛ちゃん本当に勉強になった?」

 

「な、なったよ……なんだその目は!?」

 

「いややっぱ、こればっかりはダメかなぁって」

 

 美術館をあとにした2人は、休憩をとるためにカフェでお茶をすることになった。静かな店内は、客もまばらで落ち着ける雰囲気があり、レトロなインテリアでまとめられている。温かみのある木のテーブルには、夜に灯すためのキャンドルと2人が頼んだアイスティー、チーズケーキとモンブラン。木枠で仕切られた窓からは、イチョウの木とアジサイを見ることができた。

 

「まぁそれは置いとこう。燕姉は学校にはもう慣れた?」

 

「逃げたな……まぁいいけど。川神学園はおもしろいよね。同期に気が合う友達ができたし、年下の後輩は可愛いし、弟もいるしね」

 

「モモ先輩とは、特に仲良くなったみたいだね。校内放送でも納豆宣伝してたくらいだし」

 

「あれは嬉しかったね。そのあと、たくさんの購買者が現れてくれたから」

 

 燕がニヤリとしながら、OKサインをひっくり返してお金を形作る。そんな彼女に凛はため息を一つ。

 

「別に悪いことしてるんじゃないから構わないけど、露骨にそういうとこ見せないでいいから。川神院の合同稽古とかはどうだった?」

 

「結構きつかったよー。ああ見えて、ルー師範代はかなりスパルタだったから。朝の稽古を終えてからの授業なんか、睡魔との激しい闘いだったね。まぁ私が勝ったけど」

 

 そう言うと、燕は自分の目の前にあるモンブランにフォークを突き刺した。納豆をかけなかったのは、すでに試したことがあったからである。そのときの実験体は、目の前の人物。

 

「ルー先生って見かけによらないんだよね。俺も結構しぼってもらったし」

 

「凛ちゃんは、2人と手合わせしたんだよね? ぜひ感想をきかせてほしいな」

 

 燕の質問に、凛はケーキを食べることをやめ、少し思い出しながら話し出す。

 

「モモ先輩は、やっぱ力技で圧倒するって感じだったな。バランスはいいのに――――」

 

 凛の頭の中には、百代の姿が現れ、最初の一撃から動きが再現される。彼は、彼女との対決で思ったことを燕に伝えることで、自分自身も彼女の戦い方を再確認することができた。

 燕は、それを笑顔のまま黙って聞いていた。時折、彼女の相槌が入るのを除けば、凛の声だけが室内に響く。彼も戦闘のことについて話すと、つい夢中になってしまうようだった。ふいに、古い置時計が音を鳴らしたことで、少し喋りすぎたと気づく。2人の飲み物も空になっていた。

 

「ごめん。なんか夢中になってた。改めて、人に話すと考えが整理できてよかった」

 

 そう言う凛の表情には、若干テレがあった。そんな彼に、燕は優しく微笑む。

 

「全然いいよん。感想を求めたのは私なんだし……そろそろ出る?」

 

 燕はバッグを持って立ち上がろうとするが、そこで凛が声をかける。その声には、いつもの明るい様子はなく、真剣さを感じさせた。

 

「燕姉、あんまり無茶しないようにね」

 

「無茶なんかしてないよ。そんな風に見えたかな? ……急にどうしたの?」

 

 燕は凛の言葉に座りなおして、首をかしげる。外は、いつのまにか雲が太陽を隠し、しとしとと雨が降り始めていた。

 

「いやすごく楽しそうにしてると思う。ただ、ちょっと昔のこと思い出したから。ほら、昔将来の夢を教えあったとき、松永の名を有名にすることが私の野心なんだって、俺に話してくれたことあったよね? そのときはお互い頑張ろうって笑ってたけど、あるときを境に、燕姉はあらゆる手段を尽くして、それを成し遂げようとするようになったでしょ。ピンと張り詰めた雰囲気漂わせて――」

 

 ――――今思えば、そのときがちょうど久信さんの別居騒動と重なりそうなんだけど。

 

「それで対外試合もドンドン組んで、その結果、西では公式戦無敗ってことで名を馳せるようになった。納豆小町としても有名になったしね。で次は、3年のこの時期に東の川神に転入……久信さんの仕事で一緒にってのは聞いたけど、ここには名を一気に世界まで広げるチャンスが眠ってる……」

 

「モモチャンのことかな?」

 

「うん。武神であるモモ先輩を倒すことができれば、今までとは比べ物にならない名声が手に入る。その代わり、モモ先輩を倒すのは一筋縄ではいかない。その実力は皆が知ってる通りだ」

 

「だから手段を選ばず、私がモモチャンを倒しにいくかもしれないと?」

 

 凛は燕の言葉に頷きで返し、さらに言葉を続ける。彼女は、新たに注いでもらったグラスをユラユラさせた。雨脚の強まった雨は、窓を軽く打ちつける。

 

「勝負の世界でなら、あんまりにも卑劣なものでなければ、多様な手段で勝ちを拾いにいくのは、一向に構わないと思う。サッカーとかでもさ、マリーシアって言って駆け引きをして試合を有利に運ぶテクニックがあるくらいだからね。俺も武闘家として、燕姉の勝つべくして勝つって姿勢は見習うものの一つだと思ってる」

 

 凛はそこで一呼吸置いた。

 

「でも、高1の終わりだったかな……偶然、燕姉の高校の人達が話しているのを聞いたんだ。松永燕は計算ずくで相手を倒す、腹黒い奴だってね。まぁ見方が変わればそんなものかと思いつつ、そいつらにムカッときて一言言ってやろうとしたとこで、友達に止められたんだけど。そのあと考えた。例えば……情報収集のために、対戦相手やそれに近しい他人を利用したりでもすれば、試合には勝てても、その利用された本人との間にシコリが残るし、最悪喧嘩別れもあるんだろうなと。燕姉は案外優しい人だから……」

 

「案外ってのは余計でしょ」

 

 立ち上がった燕が、凛の頭にチョップをいれる。彼はそれに苦笑して、一言謝罪をはさみ続ける。

 

「優しい人だから……その狭間で悩んだりするんじゃないかと思ったんだ。勝ちたい。でもそのためには、手段を選ばず勝てる状況を作る必要がある。もしこの状況に陥っても、燕姉は悩んだ末に、その手段しかなければ選ぶと思う。こうと決めたら、それを貫く人だから。それがモモ先輩にもあてはまるんじゃないか……まぁ全ては俺の憶測なんだよね。引越しだって偶然の可能性の方が高いし。でもいい機会だったから話しておきたいと思って」

 

「それは……もしその手段をとるなら、やめさせたかったから?」

 

 燕は真っ直ぐに凛を見た。その彼は首を横にふる。そして少し考えたあと、慎重に言葉を選んで喋りだした。

 

「さっきも言った通り、俺が言ったところで燕姉がやめるとは思ってない。ただ……うーん……やっぱ心配だったからかな? 楽しそうに学園生活を送ってるからこそ、それを失ってしまう可能性がある手段を燕姉がとったりしたらって考えるとね。楽しそうに笑ってるのが似合ってるから」

 

「凛ちゃんに口説かれてる?」

 

 可愛らしく小首をかしげる燕に、凛は一つ息を吐く。

 

「まぁとにかく、覚悟してるだろうからやってもいいけど、心配してる人もいるって話……かな。フォローできるならしたいし。あと! 突拍子もないことしないように。燕姉は今まで失敗らしい失敗したことないから、いつか調子のって、とんでもないことやるかもしれないし」

 

「私は調子にのったりしないよ。凛ちゃんじゃないんだから……」

 

「俺がお調子者なのは、いまは横に置いておこう……燕姉が思慮深いのは知ってる。でも、やっぱり成功が積み重ねられると、自信になってそれが過信に変わることもあるでしょ。俺にも言えるだろうけど。うーん……こればっかりは痛い目みないとわからないかなー」

 

「凛ちゃんは実際に体験したみたいな言い草だね」

 

 燕は興味があるのか、凛を見る目がキラリと光る。彼はこめかみの辺りを2,3度かき、少し口ごもった。

 

「昔に話したでしょ。俺が初めて負けたときのこと。あれ……詳しく話さなかったけど、……あーその、10連敗したんだよ」

 

「えっ凛ちゃんが10回も連続で負けたの!? ……初耳。……ははーん、だから詳しいこと話してくれなかったのね。男の子だから、プライドもあってそこまでは言えなかったわけだ」

 

 中学のときから凛を見てきた燕は、彼の負ける姿も想像するのが難しかった。さらに、1度ではなく10度に渡る戦いで負ける――彼が負けず嫌いなのは、彼女もよく知っていたため、そのときの悔しさは大変なものだったろうと考える。

 

「そのときはまさに天狗状態だったわけ。何しろ同期だけでなく、1回り年の離れた奴にも負けることはなかったから。調子に乗るなとよく言われたんだけど、全然わからなかった。それでそのときはきた」

 

 テーブルの上で組んでいた凛の手に、知らず力が入る。それに気づいた彼は、手の力を抜いて深呼吸をする。

 

「衝撃だったよ。背格好もほとんど同じ女の子に負かされたとき、俺はほとんど放心していたと思う。声をかけられるまで、自分がなんで倒れてるのか理解できなかったから。んで、毎日挑みに行ったんだけど、負けを重ねるだけになった」

 

「その女の子の才は、恐ろしい物があるね。今も武道を続けてるとしたら、どれだけ強くなってることやら……それで天狗の鼻は折れて、今の凛ちゃんがいるわけだ」

 

「俺の痛い目はプライドをへし折られることだったけど、燕姉の痛い目が同じとは限らないから、できれば心の片隅にでも置いといてもらえると嬉しいね。もちろん、俺もきをつける! なんか変なことも言っちゃったかもしれないけど、俺の言いたいことは以上! ……雨やんだみたいだし、帰ろうか」

 

 降っていた雨もいつの間にか上がり、雲の隙間から太陽の光がこぼれていた。会計をさっさとすませた凛は、先にカフェを出て行き、窓から見える風景が一枚の絵のように見えた燕が、少し遅れて追いかける。彼は入り口をでてすぐのところに立っていた。

 

「そうそう。話が少し戻るけど、もし燕姉がモモ先輩に挑むつもりなら、2敗目を食らわせるためになる。なぜなら、無敗にドロをつけるのは俺だから」

 

「凛ちゃんとモモちゃんの戦いは、きっとおもしろいものになるだろうね。でもモモちゃん相手なら、逆に1敗をもらわないように気をつけないと」

 

「モモ先輩、本当でたらめだからな。気をつけます」

 

 百代の凄さを知る2人は、そこで声を出して笑いあった。

 雨上がり特有の香りの中、2人はタクシーが拾える場所まで歩く。雨露に濡れた道路は、太陽の光でキラキラと光り、所々にできた水溜りは、空の青さを映し出していた。

 そして、タクシーを拾って乗り込むとき、燕は先に乗り込む凛の頭をさらりと撫でる。突然の行動に「なに?」と尋ねる彼に、彼女は笑顔のままとぼけるだけだった。

 



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『晴れのち雨』

 休日が明け、学生の多くが憂鬱に感じる週の初日。そんなこととは無縁そうな集団が、川沿いの道を歩いていた。その集団――風間ファミリーは全員揃って登校中であり、京が隣にいる大和の制服の袖を引っ張る。

 

「ねぇ大和、現世でも結婚してって言ってみてくれる?」

 

「言いません。しかも、でもってなんだでもって。俺が前世でも言ったみたいな言い方」

 

「覚えてないの?」

 

 そんなやり取りに翔一が混じる。朝から元気いっぱいの声である。

 

「おいおい京。それくらい俺だって罠だと見抜けるぜ」

 

「いいの。こっちも成功すると思ってないし……でも宝くじは買わないと当たらないわけで――――」

 

 そんな3人の後ろをついていく一子と凛。彼女の手には、ダンベルがしっかりと握られていた。「腕はもっとこういう感じに」と彼が指導をする中、彼女が言われた通りしながら話題を振る。

 

「ねぇ凛。昨日七浜にUMAのフライングヒューマノイドが出たって話聞いた?」

 

「あれだろ? 月夜に浮かぶ黒い人影、ビルからビルへと飛び移り、やがてふっと消え去ったってやつだよな。くそう……俺がいれば捕まえていたものを」

 

 そう言うと、凛は空を掴む勢いで、拳を握り締めた。彼なら本当にしてしまいかねない。一子がその姿を見て笑う。

 

「あーそれ多分私だ。ちょっと大ジャンプして移動してた」

 

 2人の会話に割り込んできた百代が、そのUMAだと分かり、凛がすかさず一子に指示を出す。

 

「フライングヒューマノイドの発見した! 確保する! ワンコ左腕を掴んで!」

 

 一子が、突然の命令に素直に従ってしまうのは、誰かの調教のせいだろうか。

 百代の左腕を一子が、右腕を凛が捕まえ、歩きながらではあるが、某捕獲された宇○人の格好をとる。

 

「……これは一体どこへ持っていけば……って、モモ先輩! その手に作り出した黒い物体はしまいなさい! シャレになってない!」

 

 凛が首をひねったところで、殺気を感じたのか、百代から距離をとる。一子は相変わらず楽しそうに、彼女の左腕と自分の腕を組んでいた。そして、問題の彼女の右腕――のさらに先端である右手には、見覚えのある光を通さない黒い球体が浮かんでいる。

 それに、興味を示したのはクリスだった。由紀江は梅屋で一度見ているので、様子を見守っている。

 

「モモ先輩……それなんなんだ? 触ってもいいか?」

 

「ダメダメ。これ触れたものをなんでも吸い込んでしまうから、凛に当てないと」

 

 その言葉を聞いた瞬間、クリスは小さな悲鳴をあげ、伸ばしかけた手を引っ込めた。百代も扱いに気をつけているのか、右手の突きは遅く、凛はそれ以上危険が周りに及ばないように手首を掴む。もちろん、足は学園へと向かうため、歩いたままだ。

 そのまま一進一退の攻防を繰り広げながら、凛は気になったことを百代に尋ねる。

 

「思ったんだけど、吸い込んだあとの物はどうなるの?」

 

「どうしてそんなこと聞くんだ?」

 

「いやだってほら……モモ先輩、あと10センチくらいで、その不気味な物体が俺に当たりそうだから」

 

 凛の言葉通り、彼の胸元から拳一つ分の距離にそれはあった。2人の腕はプルプルと震え、黒い物体が彼らの間を行ったり来たりする。

 

「大丈夫だ……どこかにつながってる……と思う。多分」

 

 百代は、凛から若干目をそらせ質問に答えた。自信がないのか声も小さい。

 

「おいおいおいおい! 勘弁してください。出来心だったんです。朝の一時に、楽しい冗談を一つかまして、場を和ませようとしてたんです」

 

「そうかそうか。それで、遺言はそれでいいのか?」

 

「どっかにつながってるんじゃなかったのか!? 死んでる……それもう死んでるよモモ先輩!」

 

 そんな2人を見守るファミリーは、随分と落ち着いていた。ああ、またかといった感じである。卓也と岳人も一瞥したものの、今はそれよりジャソプが気になるらしい。へんたい橋では挑戦者も現れず、珍しく穏やかな登校であった。

 そして午前の授業が終わり、昼休み。ファミリーの男たちは、教室で昼をとっていた。珍しく誰も購買に行かないのは、机の上に広げられた重箱が、今日の昼飯だったからである。日曜に、由紀江の両親から北陸の食材が届き、夜に食べ切れなかった分を使って、寮の料理上手3人が弁当にしたのだった。もちろん女性陣の分も用意され、百代と由紀江は学年が違うため、個別の弁当が手渡されている。忠勝も密かに、自分の弁当分は確保しており、一緒の昼食とならないことに大和が嘆いていた。

 それをつつきながら、凛が今週に迫った一大行事の話題を取り上げる。

 

「土曜日はいよいよ水上体育祭かぁ」

 

「ああ。凛は初めてだから結構楽しみなんじゃないか? 海ならではの競技も多いしな」

 

 魚の煮付けを食べる大和が答えた。さらに、岳人がテンション高く乱入してくる。重箱からから揚げをとり、ご飯と一緒にかきこみ、頬をふくらませながら喋りだす。

 

「俺様もチョー楽しみだぜ。筋肉の仕上がりもそのために調整してきたんだからな! そして、何より女子の水着! これに限る!! ……このから揚げ最高に美味い」

 

「口の中の物飲み込んでから喋りなよ岳人。って、そのままクシャミはやめて!」

 

「燃えてくるよなぁ。やるからには優勝目指すしかない! 大和! 作戦はお前にまかせるぜ!」

 

 卓也はクシャミをしようとする岳人の口を押さえ、その隣で翔一が総合優勝を目指して燃えていた。大和が、次の獲物である出し巻きを取りながら話し出す。

 

「まかせろ。凛はなんか出たい競技とかないのか? 得意なものとかあったら聞いておくけど」

 

「そうだな……素手でなんとかできるものならOKだ。得意なものも同じく」

 

「なんとも使い勝手の良いオールラウンダータイプ」

 

 凛の発言に、大和は感心するとともに、作戦に幅をもたせられる戦力強化に喜ぶ。

 

「去年も行われた競技も入ってるだろうけど、また新しい競技とかもありそうだよね」

 

「あーできることなら、女の子同士くんずほぐれつの競技を見たい! な!凛!」

 

 卓也の言葉を受けて、岳人がまたもやハッスルし、凛に絡んでいく。

 

「そら興味がないとは言わんが、俺は岳人ほどおおっぴらに言う度胸もない。おまえのそういうとこは凄いと思う」

 

「ちゃんと晴れてくれるといいけどな」

 

 外の天気を気にしながら、大和がつぶやいた。

 朝は晴れていたが、昼前から雲行きが怪しくなり、今となっては重そうな雲が空を覆いつくしていた。彼が携帯で調べた天気も、週末は曇りマークとなっており、その前日は雨マークになっている。

 そして、重い雲から雨が降り始めた放課後。凛は、聖域の新たな住人とにらみ合っていた。ただし、両者がにらんでいるのは、2人の間に置かれた将棋盤である。

 弁慶は杯を飲み干すと、満面の笑みで深く息を吐いた。

 

「あー雨の音を聞きながら、静かに飲む川神水も最高。凛も一杯どう?」

 

「もらっとく。このまま弁慶を酔わせて、長期戦に持ち込む」

 

 渡された杯を勢いよくかっくらう凛。弁慶がその勢いをテンション高く褒めた。杯を返した彼が、金と書かれた駒を前へ進める。

 パチリ。

 茶道教室に駒を置く音が響いた。

 

「弁慶ってまじで強いんだな。ヒゲ先生は弱いから、対局もあんまり参考にならなかったし、油断してた」

 

「そう言いながらかなりの接戦に見えるけど……んーこれかな?」

 

 白魚のような手がするりと桂馬へ伸び、そのまま駒を進める。

 

「ふむ……それより、それの味付けどう? まぁ嫌ってはないようだけど」

 

 凛は弁慶の指した駒に少し黙考。その間に彼女は、将棋盤の横に置かれたチクワのねぎ味噌をまた口に運ぶ。

 

「軽く炙ってある味噌とちくわがよく合う。それに、さりげなく入ってる胡麻とネギがいい……凛は料理もできたんだね。私のつまみ専属シェフにならない?」

 

「つまみ専属ってしょぼすぎないか?」

 

「それじゃあ……よたれかかり用の枕とかどう?」

 

 片膝を立てて座る弁慶は、その膝に自分の腕を置き枕のようにして凛を見た。スカートは絶妙な防御を見せ、彼に見えるようなことはない。

 しかし、見えないと分かっていても、目がいくのは男として仕方ない――凛はチラリと目をやり、外した視線が弁慶とかちあう。彼女はただ微笑むだけだった。

 

「コホン。その権利売り出したら、こぞって高値がつくぞ。てか、そこまでいくと人である必要ないだろ……光栄だが」

 

「ふふ。人肌には枕にない温かさがあるからね。今度試してみるといい。私なんて主で何度やったことか……」

 

「そりゃ女の子の体だからじゃないか?」

 

「だから女の子でやってみたらいい」

 

 その言葉に、凛は無言でじーっと弁慶を見る。その間も雨音だけが途切れることなく聞こえてきた。

 ラチがあかないと思ったのか、弁慶はため息とつくと口を開く。

 

「言いたいことがあるなら、はっきり言うといい」

 

「いや、女の子でやってみるといいって目の前の女の子が勧めてくれるから、目で訴えてみた」

 

 そう言って凛は駒を進めるが、瞬時に弁慶が鋭い一手を彼に返した。

 

「私に勝てたら考えてあげなくもない」

 

「くっ……ここでやらねば男が廃る」

 

 うなる凛を見て、弁慶は顔をほころばせた。

 

「それにしても大和に続いて、凛も私につまみを持ってきてくれるなんて、私にしてほしいことでもあるの?」

 

「いや別に。ちょっと材料余ったから作ろうかなって。弁慶とお近づきになるチャンスだ、ろと」

 

 道が見えたのか、凛が飛車を進めた。弁慶はそれを予想していたのか、次の手を即座にうつ。依然として、余裕の笑みを浮かべたままだ。

 

「直球だね。他にも、凛と知り合いたいと思ってる女の子は多そうだよ?」

 

「む! 手のうちが読まれてる? ……それは嬉しいことだけど、実際話す機会がないと、なんともいえないだろ? それに将棋うちながらダラダラする女の子とか、珍しすぎて逆に興味もつわ」

 

「川神水を片手に、おつまみも食べてるしね」

 

「話だけ聞いてたら、おっさんじゃん。弁慶が美少女であったこと……九鬼に感謝する」

 

 凛は、自分の言葉に笑えたのか思わず吹き出す。弁慶がそんな彼の額を錫杖で小突いた。軽い打撃音と彼の「あいたっ」と言う声が響く。

 

「事実だが、おっさんと言われるのは不本意だ。あとのフォローがあったから、この程度で済ましてあげる」

 

「ごめんごめん。今のは失礼だったな。ここの空気がどうも心地よくて調子のった」

 

「またつまみを献上してくれることで許そう」

 

 弁慶がニヤリと笑い、川神水をあおる。凛もそんな彼女に苦笑を返し、瓢箪を持って杯を満たしていった。

 

「了解しました。弁慶様が唸るほどの一品を差し上げますので、今日のところは怒りをお鎮め下さい。さぁもう一杯どうぞ」

 

「今のクラウ爺に少し似てたよ。ふふっ。これで毎日のつまみに困ることがなくなったわけだ」

 

「真似したわけではない。あと誰が毎日作ってくると言った? ときどきだな。あとは大和にでも頼みなさい」

 

「やった。私は私につまみをくれる人が大好きだ」

 

 弁慶は歩を一マス進めると、凛を見つめてそう口にした。少し目がトロンとしているのは、川神水がまわってきたからであろう。彼はそれに淡々と返す。

 

「それ大和にも言ってるだろ?」

 

「本心だから大丈夫」

 

「その気持ちはありがたくもらっとく。でも、弁慶と仲良くしてたら男から恨まれそうだな。弁慶こそ言い寄ってくる男多いんじゃない?」

 

「そうでもない。理由は凛と同じかな……とっかかりが難しいみたい。手紙とかは今でもあるけど」

 

「確かに用事もないのに、話しかけるのは結構勇気いるかもな。男とかあんまり眼中にないって感じだし」

 

「そんなことないけどね。凛とか大和とか眼中に入ってるよ」

 

 弁慶から空になった杯が凛に渡され、川神水が注がれる。彼はそれを飲み干すと、また彼女に返した。雨はいまだ止まず、茶道室に近づく人の気配もない。

 

「それ、ただ視界に入ってるとか言うなよ」

 

「少なくとも他の男よりは仲がいいと思ってるけど? 王手」

 

「! ぐ……うーん…………参りました」

 

 凛が頭を下げる。

 それを見た弁慶は、そのまま体を横たえ、自分の腕を枕にして寝そべった。顔はほんのり赤くなっており、幸せそうに微笑んでいた。また、かなりリラックスしているのか、「んふぅ」とツヤっぽい吐息をもらす。

 

「今度のおつまみは魚介の何かがいいなぁ」

 

「魚介ねぇ……イカとニラのチヂミとかでどうだ? 結構すぐできるし。って寝るな! 聞いてるか?」

 

「イカとニラの珍味かぁ~……それもおいしそうだ」

 

「チヂミだ! 珍味じゃない」

 

「うーん……zzz」

 

 弁慶はそのまま寝入ったようだった。手を伸ばせば触れられる距離に、ゆるくなった胸元にウェーブのかかった髪が垂れ、スカートからは黒タイツの綺麗な足が伸びており、気持ち良さそうに規則的な呼吸を繰り返す美少女。それが凛の目の前の光景であった。とても魅惑的な光景に、自然と見入ってしまう彼だったが、それを断ち切るような雷の音が遠くで鳴る。その音で我に返り、彼は額を押さえながら嘆息した。

 

「無防備すぎるだろ。一応俺も男なんだが、本当に意識されてるのか? ……にしても大和遅いな。傘に入れてもらおうと思ったのに。メールも来ない。弁慶寝てるし……俺も寝ようかな」

 

 仰向けに寝転がる凛。雷は一度鳴ったっきりで、また雨粒が地面にあたる音だけが響く。その音と弁慶の寝息を聞いていると、瞼が重くなっていき、しばらくすると、彼からも寝息が聞こえ始めた。

 大和が現れたのは、それから20分後だった。そして、彼が最初に見たのは、将棋盤をはさんで眠る2人。しかし、それも義経の彼を呼ぶ声が聞こえたところで終わる。凛が彼女の気と声に反応したためだ。彼とは反対に、弁慶は相変わらず気持ちよさそうに眠っていた。

 

「弁慶はまたこんなところで寝て……弁慶。弁慶帰るぞ!」

 

 義経が弁慶の体を揺さぶるも、「うーん」とうなるだけで、また寝息をたてる。

 凛が眉をハの字にした義経に話しかけた。

 

「起きないな弁慶」

 

「ああ。このまま運ぶしかないのか……仕方ない」

 

 そう言って、義経が弁慶をお姫様抱っこしようと、首と膝の裏に腕を通そうとしたところで、男2人から待ったがかかる。

 

「えーっと車は外に来てるんだよな?」

 

 凛が先に口を開き――。

 

「で、義経はそこまで抱っこして運ぼうと」

 

 大和が再確認する。

 

「そうだ。義経たちは傘を持ってきていないからな。車をわざわざ手配してくれたんだ」

 

 その言葉を聞いた2人は、顔を見合わせたかと思うと、しばし沈黙――。

 

「「ジャンケン……ポン!」」

 

「「相子でしょ!!」」

 

「「相子でしょ!」」

 

「よっし! よし! コホン。義経……女の子に運ばせるなんて紳士として見過ごせない。よかったら弁慶を運ばせてくれないだろうか?」

 

 グーを出して勝った凛が、義経の前に一歩進み出た。

 

「くっそ! なんで俺はあそこでチョキを……チョキを」

 

 その後ろで、チョキの手を嘆く大和。

 なぜいきなりじゃんけんを始めたのか、義経は首をかしげる。

 

「いや性別のことなら気にしないでいい。弁慶のことなら、いつも義経が運んでいるからな。気持ちだけ受け取っておく。ありがとう」

 

「い、いやしかし……」

 

 そこに、嘆きからすぐに頭を切り替えた大和が、凛の肩に手を置きながら説得を始めた。

 

「そうだな。わざわざ俺たちが出しゃばる必要もない。俺たちは運ぶ義経と弁慶が濡れないように、サポートしてやればいい」

 

「おいっ大和! おまえ自分が運べないからって」

 

「いやそう言うのは関係ない……例えば途中で弁慶が起きたりして、凛が変態扱いされることを心配してのことだ。決してそんな意地悪しているわけではない」

 

「2人ともありがとう。義経なら大丈夫だ。さぁ帰ろう」

 

 義経が討論している2人に告げる。その言葉を聞いて、彼らが弁慶の方へ目を向けた。

 凛はすっかり覚醒した弁慶と目が合う。

 

「もう起きてるよ……弁慶さん、いつから起きてたの?」

 

「じゃんけんのところからかな? 声大きかったし」

 

「あーじゃあ結局無理だったんだな。……帰ろうか大和!」

 

「おう! 2人ともまた明日!」

 

 男2人はいそいそと帰り支度を整え、その場を後にしようとするも、義経の純粋な厚意によって逃げ場を塞がれる。

 

「外は雨が降ってるし、途中まで乗っていくといい。弁慶も構わないよな?」

 

「そうだねぇ。ちょっと聞きたいこともあるし」

 

「そうか。だったらちょうどいい。さぁ帰ろう」

 

 無邪気な笑顔を浮かべる義経と若干鋭い目つきの弁慶を前にして、結局2人は断れず、「ありがとう」と一言礼を言い、彼女らに従う。

 廊下に出た4人は、下駄箱を目指して歩いていた。いつの間にか、凛の隣に来ていた弁慶がふいに耳打ちをする。

 

「別に運ばれてもよかったんだけどね」

 

「えっ!?」

 

 凛がその言葉に真意を確かめようとするも、弁慶は先を歩く義経に忍び寄っていってしまう。

 

「ふふ。義経―こちょこちょー」

 

「わひゃ! こら弁慶やめろ! くすぐったい……直江くん助けて。あははははは」

 

「義経は脇が弱点か……覚えておこう」

 

 廊下に、義経の笑い声が響く。

 ――――からかわれたのか?

 判断に困った凛だったが、一旦それは置いといて、賑やかな3人に遅れないようそのあとを追いかけた。

 



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『水上体育祭1』

 天気は雲ひとつない快晴。気温は26度。心配されていた雨も金曜の午後にはあがり、海ではしゃぐには申し分ないものとなった。浜辺には、集合の合図がかかるまでの間、それぞれ水着に着替えた生徒たちが騒いでいる。そう、今日は学園の一大行事のひとつ。

 

「「水・上・体・育・祭!!」」

 

 岳人と準が声を揃えて、力の限り叫んだ。その声も青空が吸い込んでいったように思える。

 そこから、「うおぉ」とさらにテンションあげる岳人と「紋様―」と恥ずかしげもなく叫ぶ準に、凛が声をかける。

 

「いやわかったから、そろそろ静かにしろ」

 

 女生徒からの視線が痛く、誰も止めようとしなかったので、仕方なく近くにいた凛が止めに入ったのだった。準が叫ぶのを止めて彼を見る。

 

「むっ……いやすまん。紋様の水着姿をこの目で拝めると思うとな。こう、欲望を抑えきることができなかった」

 

「せめて言葉をオブラートに包んでくれ。欲望とかやめろ」

 

「純粋な気持ちなんだ。何を隠す必要がある? ただ紋様の水着姿をじっくりながぁぁ!?」

 

 準は全てを言い切る前に、あずみに沈められた。そんな彼女もしっかり学校指定の水着を着用している。そして、彼女は横たわった彼を袋に詰め込んでいった。

 

「うちのロリコンが迷惑かけたな。これはこっちで引き取るから戻っていいぞ」

 

「あ、はい。ありがとうございます。それと一つだけ……可燃物と書かれた袋に入れるのは、勘弁してあげてください」

 

 凛は去り際にそう言うも、あずみはニヤリと笑うだけで、それをひきずってS組に戻っていった。顔だけを覗かせた白目の準は、ホラー映画を見ているような恐怖を感じさせる。それを見た女生徒だけでなく、男子生徒も悲鳴をあげていた。

 ――――S組には冬馬も小雪もいるから大丈夫だよな。……大丈夫だよな?

 あずみの後ろ姿とそれを見送り、凛はF組の集まっているところに向かう。騒いでいた岳人はどうやらそちらで静かになったようだ。それを不思議に思っていた彼だったが、戻ってみて納得した。

 

「ほーら大和。お姉ちゃんの水着姿だぞー。よーく見ておけ」

 

 大和の目の前で、百代が腰に手をあてポーズをとっており、鼻の下を伸ばした岳人はそれを一生懸命見ていたというわけだ。しかし、それは彼だけではなく、学園の男たちの大半が水着姿の女子を見るのに忙しいそうだった。卓也ですら、チラチラとその姿を目に収めているのだから、女子以外が彼を責めることはできない。

 そして、百代は凛の姿を見つけて近寄ってくる。

 

「どうだ凛。私の水着姿は?」

 

 百代のスタイルは、学園でもトップクラスいや1番と言っても過言ではない。彼女もそれがわかっているのか、凛の目の前で少し悩ましげなポーズをとり、反応を楽しんでいるようだった。

 

「いやモモ先輩、そういうポーズはマジでやめて。素晴らしいからこそ、男子には危険だから」

 

 凛にいつものからかう様子はなく、割と本気で言っていた。それを鋭く見抜いた百代は遠慮なく彼に抱きつく。その顔は満面の笑顔だった。

 

「どうしたんだよー。凛らしくないじゃないか。もしかして私の水着姿にクラッときちゃったかニャン?」

 

「もしかしてなくてもそうだから! ちょ、嬉しいけどダメだ! モモ先輩離れて! じゃないと弁当あげない!」

 

「ふふん。仕方ないな。このくらいで勘弁しといてやるか」

 

 凛の反応に十分満足いったのか、百代は彼を解放し言葉を続ける。彼はそれに本気で安心したようで、少し距離をとって大きく息を吐いた。

 

「それよりちゃんと弁当作ってきてくれたんだな」

 

「俺が嘘つくとでも? モモ先輩こそ、おにぎりちゃんと作ってきてくれましか?」

 

「私も料理をしようと思えばできるんだ。まかせろ」

 

 豊満な胸を張りながら、百代がドヤ顔をする。彼らが言った弁当とおにぎりとは、週の初日に起きた「忌まわしきブラックホール事件」の和解でだされた条件だった。弁当を作るだけで、吸い込まれることから逃れられるのなら安いものだと、凛は彼女の出した条件をのんだのである。しかし、自分だけ作るのも微妙に思った彼は、せめておにぎりは――と彼女に頼んで今に至る。

 

「さぁて、私も綺麗なねーちゃんたちをじっくり視姦するか」

 

「モモ先輩もせめて言葉を何かに包みなさい」

 

「ん? なんか言ったか? ほら凛も行くぞ!」

 

「いや気にしないで。それよりお供します!」

 

 百代が嬉しそうに歩き出し、その後を遅れずついていく凛だった。

 まずは2-Fのファミリーたちのところへ戻る。

 

「うん満足だ。バラエティ豊かで申し分ない」

 

「だからってファミリーの女子全員に抱擁する必要あったのか?」

 

 続いて、2-Sの集まる場所へ。金色の褌一丁の英雄や、迷彩柄のビキニを身に付けたマルギッテなど他のクラスとは一線を画すSクラス。しかし、百代の狙う獲物は別にいた。

 

「弁慶はさすが私に張り合うだけはあるな。義経ちゃんも何気にスタイルいいんだよなー」

 

 百代にも負けないプロポーションをもつ弁慶は、当然男子の注目の的となっていた。本人はあまり気にしていないのか、相変わらず川神水を飲んでいる。その隣で注意する義経も、義経と胸元に書かれた水着を着ていた。

 凛がそれを見てポツリと呟く。

 

「げんじの水着って防御力とか耐久度が高い、優れた防具みたいだな」

 

「どれくらいの性能か試してみるか?」

 

「やめなさい」

 

 見るだけでは我慢できなくなったのか、百代が2人に接触しようとするのを凛が何とか制止する。

 次に3-Fのところへ。

 

「燕はこの距離でも普通に気づくな。まぁいいか。同じクラスだからあとで存分に見てやる」

 

 弓子と会話していた燕は、百代と凛に気づいて手を振ってきた。彼女もこうなることがわかっていたのか、潔く身をひく。

 その隣では、凛が手を合わせて拝んでいた。

 

「これは俺も予想できた。そして、お姉様方ありがとうございます」

 

「何に対してのお礼だ?」

 

「今日まで育ってくれたこと」

 

 もう残り時間がわずかになり、最後となる3-S。このクラスで狙う人など一人しかいない。

 百代は素早く目を左右に走らせる。そして、遂に目標を発見するのだが、それは期待を裏切る格好をしていた。

 

「なぁんだよー。清楚ちゃん水着じゃないのかよー。どういうことなんだよー?」

 

 その場で地団駄を踏む百代。その衝撃は隣にいる凛の足にも響いているくらいだから、余程悔しかったのだろう。その彼から情報がもたらされる。

 

「大和情報によると、現在も成長中でサイズが合わなかったらしい。追加情報として、九鬼家が今代わりを用意しているから、すぐにでも拝めると思うよ」

 

「それが本当ならけしからん! けしからんぞ清楚ちゃん! 私もそれに貢献してくる!」

 

「だからやめなさい。男子たちを鼻血の海に沈めるつもりですか? そろそろ集合時間だし」

 

 凛はぐずる百代をなんとか宥めて、集合場所となっている地点に連れて行く。

 すでに多くの生徒が集合しており、先頭では各クラスの委員長が整列するよう叫んでいたりする。ふと2-Fの先頭に目を向けると、真与の横で準が声を張り上げていた。その姿を見て、少し安心する凛であった。

 そして、遂に水上体育祭が始まる。即席で作られた壇上の上には、鉄心が立っており、朝礼のときと同じように生徒をぐるりと見渡す。その表情はいつもより明るく見える。

 

「――――と、あんまり長々と話しても退屈じゃろう。それでは……水上体育祭の開催を宣言するぞい。存分に競い合うがよい」

 

 鉄心の声に、皆が歓声をあげて答える。特に男子の声はかなり熱が入っており、歓声はほとんど雄たけびに様変わりしていた。

 

「まずは浮島戦か……」

 

 凛が見つめる先には、プカプカと浮かぶ円形の発砲スチロール。制限時間内にどれだけの人数をのせておけるかを競うために用意されたそれは、全てに色がつけられており、その周りには女子たちが集まっていた。そして、合図とともに海上がキャーキャーと賑やかになる。そのなんとも華やかな光景に男子生徒は釘付けだった。

 凛も御多分に洩れず、その様子をぼーっと見ていた。そこに岳人が声をかけてくる。しかし、その目は彼を視界にいれることなく、海上へと向けられていた。しかも若干血走っている。

 

「学長も男心をわかってるよなぁ。俺様のテンションは最初からクライマックスだぜ! 水に濡れる女たち……川神学園の生徒でよかった」

 

「気持ちはわかる。女神たちが戯れるって感じだな」

 

 凛の言葉に相槌をうったのは、いつの間にか隣に来ていた大和だった。

 

「なんで水に濡れただけで、色っぽく見えるんだろうな。あっワンコ堪え切れずに落ちた……と思ったら、水面から飛び上がって羽黒の上に乗った! 曲芸か!」

 

 そこに、卓也と翔一も加わってくる。

 

「クリスも対抗心燃やしてるね。さすが川神学園……ただでは終わらない」

 

「俺もあれやりたいぞー! なんで男の方にはこの競技がないんだ?」

 

「キャップ……男たちがあんなことやったら、どうなるかわかってないな。悲惨すぎる。誰が得するんだ」

 

 大和が翔一の疑問に答え、想像してしまったのか顔をしかめた。

 凛がその横で思ったことを口にする。

 

「腐女子じゃないか? もしくは男が好きな男子……あっでもこの場合競技にでてるから――」

 

「誰も答えを求めてねぇ! 俺様まで想像しちまったじゃねぇか! うげぇ」

 

 それを聞いた岳人が鬼の形相で凛にツッコミをいれる。しかし、次の瞬間にはもうそのことを忘れたようだった。

 

「おい! Sクラス見てみろ! 弁慶とマルギッテさんがあんなに密着して……ハァハァ」

 

「ありがとうございます」

 

 凛は再度その光景に手を合わせていた。拝み終わった彼が、ふいに周りを見渡して、この光景に一番騒ぎそうな男がいないことに気づく。

 

「なぁ、ヨンパチはどうしたんだ? カメラ取り上げられたから、てっきりこの光景を網膜に焼き付けるためガン見すると思ってたけど、この場にいないな」

 

 大和が海を指差しながら答える。

 

「アイツなら海中だ。なんでも最初からカメラを水中に忍ばせていたらしい。今はシャッター切るのに忙しいんじゃないか? ボンベとかも用意したって意気揚々と潜っていったよ」

 

「アイツの熱意は凄いな。水中カメラやボンベとか高かったろうに」

 

 大和と凛が会話しているうちに、浮島戦は終わった。結果はFクラスが20人中19人を乗せるという記録をたたき出し、他クラスを圧倒した。

 それを見ていたある生徒は言った。

 

「どこかで見たことあったと思ったら、先月見たシルク○ソレイユの公演だ。あれほど洗練されてるわけじゃないけど、それでも見応え十分だった。感動した!」

 

 その後3年生の部も行われたが、2年生の記録が抜かれることはなかった。さらに成長している分、ガクトの興奮度合いが凄かったとだけ記しておく。

 続いての競技は大遠投。ルールは簡単――バレーボールをより遠くに飛ばしたものの勝ちだ。女子の部から始まり、こちらは弁慶がボールを空の彼方へ投げ飛ばし、測定不能という結果で優勝。そのパワーに男子たちが肝をつぶしていた。

 そして、男子の部へ移る。現在のトップはAクラスの星という生徒だった。体に装着していたギプスをはずすと、気合の入った掛け声とともにボールを投げ、それは沖に浮かんでいたブイを大きく超えていった。

 

「ワンコそして羽黒の仇は俺がとる。川神は女子だけじゃないってところを見せないとな」

 

 凛はボールを受け取って、肩を軽く回した。そこに黄色い声援がとんでくる。彼は少しテレながらもその声援に手をあげて応えるが、それが余計に声援に力をいれさせてしまう。その中には、男の声で「早く投げろ!」「投げる瞬間にこけろ!」「おまえごと爆発しろ!」など野次もまじっていた。その声が聞こえたのか、彼が苦笑をもらす。

 

「それじゃあいきます」

 

 凛が一言発すると、声援も一気に静かになった。最初はゆっくりと一歩二歩と進み、徐々にスピードをあげていく。そしてトップスピードになったところで、左足を強く踏み込み、息を吐くとともに右腕を振り抜いた。

 ボールの行方を見ていた生徒の中には、目の前の光景に見覚えがあった。海面と水平に進むそれは、切り裂くような波紋を作りながらスピードを落とすことなく、まるで海の果てにある何かに吸い寄せられるかのようにして、最終的には水平線に消えていった。

 

「おいおい。弁慶に続いて……これ回収なんかできないぞ」

 

 巨人の呆れた声が静かな砂浜に響いた。その直後、また歓声があがる。

 翔一が隣で呆然とする大和へ話しかけた。

 

「昔やった熱血くにえさんを思い出したぞ。大和覚えてないか? ドッジボールでいろんな必殺技があったやつ」

 

「思い出した。キャップの言いたいこともわかる。ボールが楕円形に見えてたしな。世界1周するシュートとか……まさかな……」

 

「まぁあの低さなら建物に当たるだろうから、1周することはないだろ」

 

「そう言うこと言いたいんじゃないけどな」

 

 翔一と大和の見守る先には、笑顔のワンコとハイタッチをかわす凛の姿があった。その後、羽黒からは熱烈なキスをされそうになり、全力で断るところも目撃される。



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『水上体育祭2』

「あそこまで追い詰められるとは思わなかった。羽黒恐るべし」

 

「おまえもいろいろ大変だな」

 

 羽黒の猛攻を凌いでいた凛の元に、百代が登場しその場はなんとか収まる。その去り際に、彼女から熱い投げキッスを送られたが。

 

「そういえば、次3年生の水上借り物競争じゃなかった?」

 

「うちはユーミンがでるからな。私は燕といちゃつくんだ」

 

「岳人が喜びそうな絵ができるな。それじゃ俺は一旦クラスに戻るから、燕姉にはよろしく言っといてください」

 

「おまえも来いよ」

 

 凛がその場を去ろうとすると、百代が片手を掴んで引き止めた。

 

「いや嬉しいお誘いだけど、俺がそんなとこで応援してるって知られたら、血祭りにあげられかねないから。もうすぐ昼だし、そのときお邪魔させてもらう」

 

「……仕方ないなー。まぁそれでいいか。じゃまた後でな」

 

 百代の後姿を見送って、ようやく一息つけた凛だった。そのまま2-Fの生徒が集まっている場所を目指す。太陽は空高く上がり、まるでもっと盛り上がれと言わんばかりに、ギラギラと輝いていた。

 

「凛、無事だったんだね。羽黒に追い回されたって聞いたから心配してたんだ」

 

「途中でモモ先輩が現れて、なんとか収まった。なんか飲み物ある? 喉渇いた」

 

 卓也がクーラーボックスから飲料水を取り出し凛に渡す。彼はそれを受け取ると勢いよく飲み干した。

 午前の最終競技となる水上借り物競争の準備が進む中、3-Sの方から突如どよめきがあがる。2人がそれに首をかしげていると、血相を変えた岳人が彼らの前を走っていった。

 まるで気づく様子がない岳人に、ただ事ではないと思った凛は、卓也に一言礼を言ってそのあとを追っていった。

 そして、現場で盛大なため息をつくことになる。

 ――――心配して損した……。

 岳人を含めた男子が遠巻きに見つめる先には、手配されたスクール水着に着替えた清楚がいた。彼女は視線が気になるのか、少し恥ずかしげにしている。堂々としている女生徒が多い中、その様子が男たちには新鮮なようで熱心に見つめていたが、彼らは遠巻きに見つめるだけで、誰も近寄ろうとはしない。

 理由は単純――。

 

「うーん清楚ちゃんの水着いい! かわゆい!」

 

「モモちゃんも可愛いよ」

 

 百代が清楚にべったりだったからだ。そんな中に飛び込める勇者など――。

 

「葉桜先輩とても似合っています! 俺様に見えるよう、モモ先輩そこを少しどい……」

 

 ――現れた。

 勇者岳人は、鍛え上げられた鋼の肉体にブーメランパンツを装備して、ラスボスに果敢に挑む。しかし、その顔はこれ以上ないほどだらしなくゆるんでいた。

 

「おまえは海にでも入ってろ」

 

 しかし、百代に腕を掴まれ、勇者はそのままブイが浮いていた所まで投げ飛ばされ、海の藻屑となる。それを見た男たちが近づくはずもなく、結局そのまま昼に突入することになった。

 その間、凛は何をしていたかというと、一旦2-Fの陣地に戻り、借り物競争で弓子と大和が走っているところを見届け、昼に向けての弁当を用意していたのだった。

 そして、凛は再び百代を探す。同じ場所に姿がなかったからだ。

 

「モモ先輩、3-Fのとこに戻ってたんですね。それにしても……」

 

 百代を見つけたのは、3-Fの陣地になっている隅っこの木陰のある場所だった。そこには、思ったよりも人が多く集まっていた。

 燕と弓子が労いの言葉をかけてくる。

 

「凛ちゃんお疲れさまー。大遠投見てたよ。相変わらずのハチャメチャっぷりだったね」

 

「夏目、お疲れで候(うわぁ凛くんと一緒にお昼ご飯。燕について行ってよかったぁ。髪とか乱れてないかな?)」

 

 燕の横には、大和があぐらをかいて座っていた。どうやら、近くで観戦していた彼女に連れてこられたらしい。

 

「俺の爆走を見ていたか? 見事1位を矢場先輩ととってきたぞ」

 

 そして最後の一人は、女の子座りをする笑顔の清楚だった。こちらは百代が連れてきたようだ。

 

「凛ちゃん、お邪魔してるね」

 

 てっきり九鬼絡みの方で食事をとると思っていた凛は、いい働きをした百代に向けてサムズアップ。すると、彼女も何が言いたいのかわかったようで、黙ってグッと親指をたててくる。

 

「それより直接座るのも辛いだろうから、俺の魔法のシートを広げます」

 

「準備万端じゃないかー。さすが凛。なでてやる」

 

 百代にワシャワシャされた凛は、ビニールシートを木陰に広げると、皆が礼を言いながらそこに座っていく。

 座ったところで、今度はヘリの音が浜辺に響き渡った。その音を追って、皆が目線を空に向ける。ヘリからは、水着に着替えたメイドたちが次々に降下してくる最中だった。その中には、なぜかスクール水着着用のメイドもいる。

 凛が思わずつぶやいた。

 

「おいおい。空から水着のメイドが降ってきている」

 

 百代も手で太陽の光を遮りながら、その光景に目を細める。

 

「今日は晴れときどき水着のねーちゃんか。……最高だな」

 

 料理部の開催する海の家の方では、メイドの何人かがそのまま手伝いに入り、男たちの歓喜の声が聞こえてくる。

 

「まぁ今この場の光景も見劣りしませんけどね」

 

 歓声のするほうから視線を戻した凛は、軽口を叩いた。その姿を見て、百代が笑みをこぼす。

 

「ちょっと調子でてきたみたいだな」

 

「いやこの光景にドキドキしっぱなし。俺明日死ぬんじゃないかと思ったりする」

 

「確かに眼福だよなー。クラスに帰ったら自慢できるぞ。お姉様たちとお昼食べましたって」

 

「それ言ったときが、俺の生命が終わる瞬間なんですね。わかります。それより、大和は弁当もってきてなかったよな? 先輩方は弁当持ってるし」

 

 凛は、何も持っていない大和と弁当袋を手にした3年生たちを見渡した。

 

「俺はクマチャンの料理食べるつもりだったからな……」

 

「お弁当持ってきてないんだ。じゃあちょうどよかった。私のお弁当をわけてあげるねん」

 

 大和の言葉に、燕が弁当箱を開ける。そこにあったのは、納豆を使ったおかずのオンパレード――しかし、それは見た目も鮮やかで匂いも気になることなく、彼女が料理に手馴れていることがわかるものだった。

 それに続いて、凛も包んであった弁当を広げる。

 

「俺のも食べていいぞ。結構大目に作ってきたからな。先輩らもどうぞ。あ、モモ先輩おにぎりください」

 

「みんなで分けっこするのもいいねー。って凛ちゃん二段の重箱!?」

 

 ツッコミを入れながらも箸を伸ばす燕。弓子も驚いている。

 

「料理ができるとは聞いていたが、ここまでとは……(料理上手な旦那様かぁいいなぁ)」

 

 そこに、百代がおにぎりの詰まった重箱を出し、凛に一つ渡す。

 

「ふふん。見て驚け! たくさん作ってきたからな!」

 

「こうやって皆で食べるの楽しくていいね」

 

 清楚も笑顔で弁当を広げ、重箱の近くに置いた。

 そして、凛は百代から受け取ったおにぎりを見て感想を述べる。

 

「おお、ソフトボールをイメージしてたけど、三角形に近いし案外ちゃんとしてる。しかも具入り!? 意外だ……そして美味しい」

 

「おまえ私をなんだと思ってるんだ! 自炊くらいできるんだぞ」

 

 拗ねながらも満足げな百代。決しておにぎり作りを頑張ったとは言わない。

 その隣で、重箱を見つめていた大和が口を開いた。

 

「いやいやいくらなんでも、重箱2つにおにぎりだけって……姉さん」

 

「なんだぁ弟―。なんか文句あるみたいだな。おまえ、午後の水上格闘戦参加しろ。海を空から眺めさせてやる。今日はよ~く晴れてるから、眺めはサイコーだ」

 

 百代は優しい笑顔を浮かべ、大和に命令する。その言葉に彼は体を震わせた。

 水上格闘戦とは、今回の目玉の一つとなっている競技であり、予選と決勝の計2回行われる。舞台は海上に設置され、現在の申し込み人数からいくと、予選は16組、1組20名程度のバトルロワイヤルで最後まで舞台に残る者が決勝行きとなる。そして、決勝も同じ仕組みで優勝者が決まる。また、海に落とされた以外でも脱落となるルールも開催直前に発表されることになっている。ちなみに、申し込みは開始30分前までOKであった。

 燕がカラカラと笑う。

 

「まぁまぁ。でもモモちゃんの自炊ってのは、確かにイメージ湧きにくいね」

 

「燕の言うとおりで候(あっこの豚肉巻きおいしい)」

 

 同期2人にからかわれる百代は、笑顔を絶やさない清楚に泣きつく。

 

「燕もユーミンもひどいぞ! 清楚ちゃーん、友達がいじめる」

 

「よしよし。はい、これでも食べて元気だして」

 

 百代をあやして、清楚は自分の弁当から野菜入りのオムレツを食べさせる。その間、凛が震える大和に声をかけていた。

 

「大和、大丈夫だ。何でもありの川神院がついている。大抵のものは完治する」

 

「それケガするの前提になってるだろ! 凛知ってたか? あんまり高いところから海に落下すると、そこが水だろうとコンクリートだろうと関係ないらしい。そして、姉さんの力だぞ……ダメだろ!!」

 

「そうだ! 俺も一応なんとかなりそうな物を持ってる」

 

 凛はゴソゴソとポケットを漁ると、一本のチューブを取り出し、大和の手のひらに置いた。チューブにはSUPERと書かれており、その下に『即効!すぐくっつく超強力粘着!!』と補足されている。

 大和は首をかしげた。

 

「なんだこれ?」

 

 凛は自らの頭を指差し――。

 

「頭――」

 

 次に、手をパッと大きく開き――。

 

「割れたら――」

 

 最後に、勢いよくガッツポーズをとった。

 

「セメダ○ン!!」

 

 その瞬間、大和の手から勢いよく投げ放たれたそれは、見事な放物線を描きながらゴミ箱へと姿を消した。

 

「ああ! アモゾンで640円したのに! 中古じゃなく新品だぞ!」

 

「知らんわ! なんであんなもん今持ってる!? ……いや、それはどうでもいい。あれでくっつける暇があったら、川神院に救急搬送してくれ」

 

 大和は凛の両肩に手を置くと、真剣な表情で頼んだ。

 

「わかったわかった……というか、あれは冗談だろ? 少なくとも、『空から海を眺めさせる』の部分はな。俺もそこは止めよう。まぁ格闘戦には出ないとダメだろうが」

 

「助かる。正直やれる実力があるから恐ろしい。競技のほうは出てすぐ負ければ……」

 

 大和がつぶやいた瞬間、とっくに元気を取り戻していた百代が、2人の会話に割ってはいる。

 

「決勝に来なかったら、黒歴史が詰まったお前の日記をみんなにばら撒くぞ」

 

 決勝――つまり、予選は生き残る必要がある。大和は「Nooo!」と言いながら、頭を抱えて倒れこんだ。

 悶える大和を放置して、何か閃いた凛が笑顔で提案する。

 

「そうだ。どうせなら、この中で一番になった人の願いをみんなで叶えてあげるってのはどうですか?」

 

「えっ! それってみんな格闘戦にでるってことだよね?」

 

 凛の提案に、清楚が箸で掴んでいたハンバーグを落としそうになる。彼は一つ頷いて、言葉を続けた。

 

「ここにいる人は、俺から見てもそう簡単に負けそうにはないから、おもしろいと思うんですよね」

 

「あはは。確かにそれは楽しそうかも。1日みんなに執事&メイドになってもらう、とかでもいいんだよね?」

 

 燕がニコニコしながら、凛に聞き返した。彼は納豆オムレツをとって、他の例も示す。

 

「もちろんOK。1日ずっと語尾に『にゃん』『わん』をつけてもらうとかでもいいし」

 

「にゃ、にゃん!? コホン……ここにいる者が一番にならなかったら、どうするで候?(凛くんと大和くんに猫言葉で執事やってもらうとか楽しそう)」

 

 弓子も案外乗り気のようで、眼鏡がキラリと光る。

 

「そのときは、1番最後まで残ってた人とかですかね?」

 

 エビフライを食べる百代が、楽しそうに喋りだす。

 

「もぐもぐ……この5人を侍らすのも贅沢だな。私は乗った!」

 

「ちょっと待って!! この中で一番戦闘力のない人間の意見を聞きましょう」

 

 そこに、倒れていた大和が手を挙げた。それに納得した凛が頷きを返す。

 

「それは確かに……では清楚先輩、どうですか?」

 

「なんか楽しそうだね。私もいいよ。みんな負けないから!」

 

「そっちにいったか……凛! 俺もだよ。俺も戦闘力のない人」

 

 清楚が胸の前で両手に力を込め宣言する中、その正面に座る大和が手をピンと伸ばして主張した。そんな彼を横目に、凛はしょうが焼きとイカフライとおにぎりを皿にとる。

 

「でも大和は参加して、決勝に行かないと黒歴史の扉が開かれるんだろ? 秘められた力……今こそ解放してやれ!」

 

「なるほど、今こそこの邪おぅ……って、ないから! そんな力ないからな! おまえ、ここにいるメンバーの身体能力の高さを見縊ってるぞ」

 

「その中で大和が逆転勝利を飾れば……ここのメンバーを好きにできるって寸法だ」

 

 ぱくぱくと全くペースを落とさず食べる凛。

 

「このメンバーを…………って騙されん! そのパーセンテージ、ゲイツ先生に出してもらってみろ。1%あるかないかだぞ」

 

「そこに気づくとは……やはり天才か?」

 

「おまえはどうやら、俺を怒らせたいらしいな」

 

 凛の隣で、大和が拳を握り締めプルプルと震わせた。それを見た彼は謝罪を口にして、からかいをやめる。

 

「冗談はここまでにして……大和の回避はかなりのものだからな。優勝は難しいかもしれないが、決勝でも最後の2人までは残れる可能性が高い。なぜなら、攻撃をしかける瞬間は一番隙ができるからな。大和に向かって仕掛けた奴は、もう一人の残った奴に狙われやすい。なら、大和は時間をかけて料理することにして、油断できない方を先に潰すほうがいいだろ?」

 

「まぁ回避は姉さんに鍛えられたからな……」

 

「最も大和が狙われる間、第三者が動かず、体力の消耗を狙うってのも考えられるが、それでも舞台は海の上。波で揺れ、水で濡れた足場だから、何が起こってもおかしくない。まだ開示されていないルールもあるようだし。モモ先輩もさすがに、光線ぶっ放すようなことはしないだろう……」

 

 凛の視線に気づいた百代は、食べる手を止める。

 

「光線って……ああ、川神波のことか? そんなもの使ったら、じじぃから何言われるか。それに使わなくても私の優位性は変わらない。この拳があるからな」

 

 そこに、ニヤリと笑った燕が百代に一つ質問する。

 

「じゃあ最後の相手が清楚でも海に突き落とすんだ」

 

「ん? うーん……いやこれは勝負だ。例え清楚ちゃんでもお、落とす」

 

「モモちゃん……」

 

 潤んだ瞳で百代を見つめる清楚に、彼女はあれやこれや理由を述べる。燕はそれを面白がるように茶々をいれ、弓子は少し呆れながらもその空気を楽しんでいた。

 賑やかに会話するお姉様方を視界に収め、凛が大和と先の続きを話す。

 

「いろいろ理屈をこねたが、まぁ行事の一つを思い切り楽しもうってことだ。俺も優勝を狙うつもりではあるが、簡単には勝てるとも思ってない」

 

「…………んーまぁ、そうだな。……やってみるか」

 

 目をつむり、しばし黙考した大和がニヤリと笑う。

 

「おっ? やる気になったか。とりあえずは決勝あがってからだが、おもしろくなりそうだ」

 

 それから6人は、和気藹々と弁当を食べ進めるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 そして、食休め。ジャンケンで負けた男2人――凛が最下位だったが、1人では持てないため、大和が付き添った――が、料理部主催の海の家でカキ氷を買って戻ると、燕らの会話が耳に入ってくる。

 

「モモちゃんは凄すぎだけど、ユーミンもスタイルいいよね……85のDはありそう。やるねぇ」

 

「い、いきなりなんで候?」

 

「なーんか眺めててふと思った。清楚は私と同じくらい?」

 

 いきなり話を振られて、赤くなって口ごもる清楚。

 

「えっ……そう、だと思う」

 

 それに百代が反応する。

 

「その反応が可愛いなー清楚ちゃんは。それより、最初水着じゃなかったのは成長してサイズが合わなかったって聞いたけど、本当なのか!?」

 

「モモちゃん、なんでそのこと知ってるの!? う~恥ずかしい」

 

 そう言うと、清楚はさらに赤くなる顔を冷ますため、手でパタパタと扇ぎ始める。

 それを聞いた燕が口を尖らせた。

 

「えぇ清楚成長中かぁ……それより、男の子たち盗み聞きはよくないよ?」

 

 そこには、どもる大和と動じる様子のない凛。

 

「え!? い、いいいや偶然聞こえただけですがな」

 

「そうそう。それに聞こえたのは、モモちゃんは凄すぎ~ってとこからだけだから。それより、早くこれとって! 手が冷たい!」

 

「そこらへんが一番聞かれたくないとこだよねっと」

 

 燕が一番にブルーハワイをとっていく。

 

「ちなみに私は91だ」

 

 次に百代が自慢げに告げ、イチゴをとる。

 

「さっきの話は……わ、忘れること!」

 

 まだ火照りがさめない清楚が、抹茶をとってすぐに口に運ぶ。

 

「清楚の言うとおりで候(恥ずかしいー。男の子ってやっぱり大きいのが好き……って弓子! はしたないわ)」

 

 弓子は目線を合わせず、レモンをとる。

 ようやく手が空いた凛は、日光に両手をかざしてから、大和に持ってもらったかき氷を受け取った。

 

「夏といえばこれだな。これ食べて、午後は優勝狙う!」

 

 6人は甘いものをとり、午後の競技に備えるのだった。

 



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『水上体育祭3』

 十分な昼休憩をはさんで、午後の部。最初の競技は船渡りアスレチックだった。沖合いでは、用意された船がまた一艘並べられていく。まだ、昼の空気が抜けていないのか、生徒たちは少しのんびりしながら、競技への参加者に声援を送っていた。

 凛も彼らと同じように、知り合いの参加者へエールを送り、その中に義経の姿を見つける。

 

「義経なら、八艘跳びの再現でもしてくれそうだな」

 

「ありえるな。あっ! まゆっちもでるみたいだぞ。頑張れー!」

 

 大和の応援に気づいた由紀江は、ぺこりと一礼を返してきた。

 そこに、2人の後ろから義経への応援がとぶ。ただし、その声は前にいる彼らにしか聞こえない音量だった。

 

「主のいいトコ見てみたい~♪」

 

 すかさず、凛が振り向く。

 

「弁慶……酔ってんのか?」

 

「失敬な! 今日は一滴も川神水を飲んでいない。この後の競技が終わったら飲める!」

 

 キリッとした表情を作る弁慶。

 

「今日はっていうか、体育祭始まってからだろ? 開始直前まで飲んでるの見たぞ」

 

 その言葉を聞いて、弁慶が自身の体をギュッと抱きしめた。それによって、彼女の肢体がより強調され、男2人は目のやり場に困る。

 

「まさか……凛のぞk」

 

「公衆の面前で飲んでたのに、なんでそれが覗き……いやあれは覗きになるのか?」

 

 弁慶のノリに大和ものってくる。

 

「凛のぞきは――」

 

「あーもう! 覗き覗き言うな!」

 

「凛のエッチ」

 

 そう言いつつ弁慶は、凛の隣に腰を下ろした。

 凛はため息を一つついて話題を変える。

 

「それはもういい。というか、Sクラスのとこにいなくていいのか?」

 

「クラスの雰囲気見たでしょ? どこで応援しようが、別に文句言われないって。井上もどっか消えてたし」

 

 大和が凛の背中越しに、弁慶へ問いかける。

 

「午前は内部で競って、午後から仕掛けてくるのかと思ってたけど、そうでもないのか?」

 

「それなりにやるって感じみたいだよ。私としては、のんびりできるから嬉しいけど」

 

 凛は準備が整った海面を見たまま、話にまじる。

 

「そういやクリスは、張り合いがないって嘆いてたな」

 

「その代わり、次の競技は私もまぁまぁ頑張るつもり……」

 

 そこで、弁慶は口に手をあて小さく欠伸をした。その様子を見た大和が苦笑をもらす。

 

「それでもまぁまぁか。でも全力でないだけ、ありがたい」

 

 それを聞いた弁慶が、凛の肩に片腕を置いて、大和へ詰め寄る。

 

「大和も次でるんだ?」

 

「ついでに凛もね」

 

「……負けられない戦いがそこにはある」

 

 相変わらず前を見たまま、ジョン・カ○ラの声真似をする凛。というよりも、肩に腕を置かれた状態で動けないでいた。

 

「……20点」

 

 凛の背中にゆっくりと20と書く弁慶。

 

「右に同じく」

 

 それに続いて、同じ数字を書き込む大和。2人の行為に、凛は体を揺すって対抗する。

 

「こそばゆいからやめろ! というか、そんなに似てなかった!? あとそろそろ義経の番だから、弁慶はしっかり応援しろ」

 

「は~い」

 

 弁慶は、なんとも気の抜ける返事をしながら海を見た。

 その後始まった船渡りアスレチックは、本家の意地か、義経が見事な跳躍を見せ、観客をあっと言わせる。それに続く形で、由紀江が高い身体能力を見せつけ、知らず自身の評価をあげる結果となった。

 そして、今回のメインとなる水上格闘戦へとうつる。参加者となる顔ぶれが集まる中、鉄心が壇上へ上った。

 

「さぁて、これよりメインの一つである水上格闘戦を始めるぞい。事前に告知しておったとおり、ここで一つルール追加じゃ――」

 

 そう告げる鉄心の前にブルーとピンクの箱が用意される。ブルーは男子用、ピンクは女子用だった。

 追加ルールの内容――まず箱の中にはそれぞれ、体の一部を表した漢字の紙が入っており、これを全員に引いてもらう。そして、その漢字の表す部分に手のひらサイズのシール(九鬼家で開発)を貼る。このシールは、伸縮自在で激しい動きをとっても剥がれないもので、表面は人肌が触れると、変色するようになっている。よって、これに触れられ変色すれば脱落ということである。部分タッチの鬼ごっごに近いものだった。

 

「――加えて言っておくが、あんまりはしゃぎすぎて、おいたをせんようにのぅ。審判にはワシら川神院、さらに九鬼の従者にも手伝ってもらう。偶然を装って……などとも考えるでないぞ。そんな羨ま、もとい、けしからんことをするような子には川神院と九鬼家から、“すぺしゃる”なお仕置きを加えちゃうぞい」

 

 笑みを絶やさない鉄心ではあったが、その笑みに男子たちは言い表せない寒気を感じる。それは凛の隣にいたやる気満々の岳人も例外ではなく――。

 

「ガクト。そういうことだがら、気をつけるんだぞ」

 

「ばッ!? んなことやるわきゃねぇだろ! 俺様最初から、これっぽっちも考えたことなかったわ。全く学長も心配しすぎだぜ」

 

「そうか……ならとりあえず、その溢れそうな涙をしまえ」

 

 かくして、水上格闘戦は幕を開ける。

 

 

 ◇

 

 

「よっしゃーーお前ら! ここからはLOVE川神のパーソナリティ……井上準が仕切らせてもらう! 予選では不運にもモモ先輩とのグループに分けられちまったが、今はもうそんなことどうだっていい! いや、むしろ感謝する! そして、お隣の席についておられるのは……荒野に咲く穢れなき一輪の花、地上に舞い降りた女神――そう! 我らが紋様ァァ!」

 

「フハハハ。よろしく頼む」

 

 準の叫び声は、マイクを通して砂浜――下手すると街の方まで届くのではないかと言うほどの音量だった。そのあとに、何とも心地よい声が皆の耳をくすぐる。

 テントの張られた実況席では、いくつかのモニターが置かれ、砂浜にはどこぞのスタジアムにあるようなサイズのそれが舞台となる海上を映していた。

 

「続いて……3年生枠から京極先輩に来ていただきました。よろしくお願いします」

 

 先ほどのテンションとは打って変わって、準は礼儀正しく挨拶を交わす。

 

「うむ。こういうことにはあまり慣れていないが、よろしく頼む」

 

「と、まぁ少し異色の組み合わせにて、実況を進めていきます。とりあえず、決勝の準備が整うまでは、予選のハイライトをご覧下さい」

 

 モニターに映った姿に、紋白が口を開く。

 

「……最初は、川神百代か。まさに豪快という言葉がピッタリよな」

 

「予選時のモモ先輩は、右肩に印をつけていたんですが、まさに圧倒的。男子生徒はしぶきをあげながら海へ沈み、女子生徒は壊れ物を扱うかのようなタッチで脱落させていきました。……あれ? なんか男子の扱いひどくね?」

 

 百代の蹴りを食らい、まるで水切りの石のように海面を跳ねる男子生徒たち。彦一が賛辞を送る。

 

「それでも、武神相手に怖れず攻めの姿勢を貫いた生徒たちばかり……さすがだな」

 

「かく言う俺も若干、首の筋がイカレている気がしないでもないですが、続いていきましょう。お次の登場は、今年転入してきたニューフェイスの一人……すでに数多くのファンがついている男の敵――その名は夏目凛!」

 

 ドアップで映される凛の横顔に、女子の黄色い歓声と男子のブーイングがそこかしこで上がった。 準が言葉を続ける。

 

「そしてなんの因果か、予選の相手は全員男! 男たちのモチベーションの高さは凄かった! コイツだけは倒す、そういう意志というか執念のようなものを感じましたが、いかがでしょう紋様?」

 

「うむ。合図と同時に雄たけびを上げながら、玉砕覚悟で向かっていく様は見ものであった」

 

「しかし凛は強かった。流れるように、人と人の間をすり抜けていったかと思うと、全員の印にはくっきりと残った手形! 全員が舞台に残っていながら、凛以外は脱落という初っ端から見せ場を作る憎い男。エレガンテ・クワットロのお一人、京極先輩の後釜に座るのはこの男と言われています……京極先輩、一言いただけますか?」

 

「これからも何かとおもしろいことを起こしてくれ。楽しみにしている」

 

「まさかのエール! さぁさぁそう言っている間に、場面は変わり……続いては、こちらもニューフェイス! 皆も一度は薦められたのではないでしょうか? そう! 納豆小町こと松永燕!」

 

 そこには、カメラ目線でカップ納豆を持つ燕の姿があった。紋白がうなる。

 

「瞬時にカメラを察知して、ポーズを決めるあたり手馴れているというかなんと言うか……。しかし、戦いの方はきっちりとこなしていったな。近づいてきた者は一撃で仕留め、危険な場面は一度もなかった」

 

「終始笑顔を崩さなかった納豆小町。そして最後はやっぱり納豆の宣伝! ……とここで決勝の準備が整ったようなので、残念ですが、続きはLove川神のHPにて配信予定ですので、そちらをご覧下さい。特別ゲストも多数出演しているので、競技の裏側も聞けるかもしれませんよ」

 

「他の競技もそちらで配信される予定らしいので、そちらも見るのだぞ」

 

 紋白の一言で実況は一旦切られた。

 

 

 □

 

 

 砂浜の一箇所には、決勝での配置と印貼り付けのくじ引きが行われていた。その周りには、ファイナリストへ声をかける生徒たちの集団ができている。

 ガヤガヤと賑やかな中心で、凛は前にいた大和の肩を叩く。

 

「大和おめでとう。何とか日記は披露されずにすんだな」

 

「正直相手に恵まれた。姉さんとか凛がいれば、即アウトの可能性が高かったからな」

 

「どうだか。でも、実力者がバラバラになった代わりに、決勝は気の抜けないおもしろいメンバーが残ったよな」

 

 凛は辺りを見渡し、笑みを深くした。

 全員がくじを引き終わり、用意された小船で舞台となる海上を目指す。そのまま一気に、舞台にあがることはせず、どうやら、準の紹介とともにあがることになっているらしい。配置も重要になるこの決勝。名が呼ばれるまでは、自分の位置を知ることはできない。

 全員が自分の名を呼ばれるときを待つ――と言っても重苦しい雰囲気などなく、それぞれが談笑していたり、和やかな様子であった。そこに準の声が木霊する。

 

『んじゃあまぁ、早速1人目の紹介だ! お嬢様に近づくゴミはどんな奴でも狩り尽す! ドイツが誇る猟犬! 2-S! マルギッテ・エーベルバッハァァ!』

 

「お嬢様の仇とらせていただきます」

 

 そのまま指定の位置へと真っ直ぐ向かうマルギッテ。

 

『2人目ェ! その名に恥じぬパワーで勝ち上がった……これが終われば川神水が待っている! 禁断症状は大丈夫か!? 2-S! 武蔵坊弁慶!』

 

「ぬるーっと頑張りますか」

 

 その一言を表すかのように、気負う様子もなく歩いていく弁慶。

 

『どんどんいくぞー! 3人目! 身軽な体で勝利を掴み取るのか!? S組の良心となりつつある優等生! 2-S! 源義経ぇ!』

 

「自分ならできると弁慶が言ってくれた。頑張るぞ!」

 

 舞台に上がる前に、ぺこりとお辞儀をする義経。

 

『さぁてここで大本命のご登場! やはり圧倒的な強さを見せ付けるのか!? もはや言葉は不要! 3-F! 川神百代!』

 

「義経ちゃんが隣か……楽しませてもらうぞ」

 

 小船から大ジャンプで自分の位置へとついた百代。反動で小船が大きく揺れる。

 

『その武神の隣を引いてしまったのは……なんと1年生! しかし! 決勝を掴み取った実力は本物だ! 台風の目となるのか!? 1-C! 黛由紀江!』

 

「あわわ……少し緊張してまいりました」

 

「大丈夫。おらがついてる! ここからまゆっち無双の始まりはじまり☆」

 

 松風と会話を交わしながら、舞台を進む由紀江。その松風が、戦闘中どこにしまわれるのか――誰も知らない。

 

『納豆―納豆はいかがねー。もはや食堂ではお馴染みとなっている! その納豆のように粘り強い戦いを見せてくれるのか!? 3-F! 松永燕!』

 

「納豆は地球が生んだ神秘の食べ物。カップセットはお安くなってるよん。よろしく!」

 

 カメラ目線でウィンクを飛ばし、颯爽と歩いていく燕。

 

『続いても3年生! 正直意外だった奴も多いだろう! 立てば芍薬座れば牡丹……歩く姿は百合の花! 大和撫子を地でいくその正体は謎! 戦う文学少女……3-S! 葉桜清楚―!』

 

「よろしくお願いします」

 

 波で不安定の舞台でも、姿勢を崩さない清楚。3-Sの陣地では、彼女の応援団が声を張り上げていた。

 

『ここでようやく男の登場だぁ! むさ苦しい男の集まった予選を勝ち上がった先は天国なのか!? すでに雄たけびをあげる筋肉マン! 2-F! 島津岳人!』

 

「うおおおお! 俺様はこの場に立つために生まれてきた! 1分でも長くこの場に留まる!」

 

 指定位置に立ち、胸の厚みを強調するサイドチェストのポージングをとる岳人。

 

『遠距離だけではない! 体術だってお手の物! 部長としては簡単に負けられない!? 3-F! 矢場弓子!』

 

「煽るのはよしてほしいで候(うー。あの場の雰囲気で約束OKしたけど、冷静に考えると……。百代と燕には近づかないでおこう)」

 

 静かに合図を待つ弓子。

 

『へいへいへーい。生徒のナンバー1を決める戦いに、私がでないわけにはいかないでしょう! 川神学園を束ねる生徒の長! 変幻自在の攻撃で相手を翻弄! 今日もテンション高いぞ3-F! 南条・M・虎子!』

 

「HAHAHA☆ アイムナンバー1!」

 

 皆の声援に応え、片手を振りながら進む虎子。

 

『ここで1人……電波系少女投入! 言葉遣いに惑わされるな! 類まれなる脚力から繰り出される一撃は必殺! 2-S! 榊原小雪!』

 

「わっほーい。これで頑張れば、ましゅまろいっぱいもらえるんだー」

 

 スキップしながら、自分の位置へとつく小雪。持ち場で決めたバック宙は、まるで重力などないかのようだった。

 

『その隣は島津に続く男2人目……まさかまさかの個人戦に出場! 派手さはなくとも、気づけば決勝! 予選で見せた回避はこの舞台でも通用するのか!? 2-F! 直江大和!』

 

「あとは俺の左隣が誰なのか……」

 

 まだ空いている自分の左を気にする大和。

 

『続いては1年生2人目! 先輩相手でも容赦はしない! ここから始まる下克上!? 紋様に勇姿を見せつけろ! 1-S! 武蔵小杉!』

 

「ここで目立てば、私の名が全国に知れ渡るはず!」

 

 両手でガッツポーズをつくる小杉。

 

『残りもあと数名! おーっと俺が名を呼ぶ前に、生徒から色んな感情ごちゃ混ぜの歓声があがっている! 紹介するから少し落ち着けぃ! カメラさん、フライングは勘弁してください! ……ということで2-F! 夏目凛!』

 

「なんか俺だけ適当じゃないか?」

 

 文句を垂れながらも、体を伸ばして準備を整える凛。

 

『はーい続いては……その名を知らない者はいない! 果ては世界の支配者か!? もはやパーソナルカラーとなっている金を身に付け舞台に立つ! 仁王立ちが最も似合う男! 2-S! 九鬼英雄―!』

 

「フハハハ! 九鬼英雄降臨!」

 

 九鬼と達筆で書かれた褌が風でたなびく。仁王立ちで開始を待つ英雄。

 

『ようやく最後の一人! やはりこの男何かを持っているのか!? 予選では誰一人捕らえることができなかった風! この戦いをも引っ掻き回す存在となるか! 2-F! 風間翔一!』

 

「おおー! なんだよなんだよ。メチャクチャワクワクするなー!」

 

 満面の笑みを浮かべ、空いたスペースに走っていく翔一。

 舞台は出場者が全員揃い、それぞれが顔と印の位置を確認していく。不敵に笑う者もいれば、無垢な笑顔の者もおり、かたい表情を作る者もいれば、いつもと変わらないリラックスしている者もいる――。

 砂浜からは割れんばかりの歓声。その声は、舞台に立つ者たちのテンションをいやが上にもあげていく。

 

『はいはい。出場者も観客も少し落ち着こうぜ。黙ってたってすぐに開始の合図が鳴るんだよ。というか、紋様の開始の合図が聞こえないだろーが!! おまえら静まれ! 黙らっしゃい! 騒ぐ暇があったら録音の準備だ! 俺はできてる! こら! 物を投げてくるな! カツラを投げてきた奴は誰だ!? あとで海の家の裏に来い! ……ふぅ。では紋様よろしくお願いします』

 

『皆威勢が良いな。まぁ我が長々と言う必要もあるまい。……熱い戦いを期待しているぞ、おまえたち! では、いざ尋常に…………はじめぃ!』

 

 海上に、紋白の声が響き渡った。

 



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『水上体育祭4』

 開始の合図がかかると同時に、数名の生徒が一斉に動き出す。

 その中でも一番早かったのが百代だ。楽しみで仕方ないのか、子供のようなはしゃぎっぷりだった。

 

「よしっつねちゃん! 遊びましょ♪」

 

 挨拶代わりに、早速義経のお腹に貼られた印へ右の突きを一つ。

 

「モモ先輩……ッ!」

 

 義経はそれをはたき落とすが、即座に飛んでくる右のそれとは違う重い左の一撃。彼女はきっちりとガードを固めるも、殺しきれない威力によって、弁慶の近くまで弾き飛ばされた。

 

「……主でも、モモ先輩の相手はキツそうだ――」

 

 そう言いつつ、弁慶は2人の戦いに割って入ろうと体を向けるが――。

 

「弁慶。お嬢様の仇はとらせて頂くといったはずです! 人の心配をしてる暇などないと心得なさい!」

 

 マルギッテが一気に距離を詰め、背後から弁慶の右肩にある印目掛けて蹴りを放つ。

 弁慶はそれをしゃんがんで回避し、お返しとばかりに左足を振りぬいた。その蹴りは空をきったが、端から当てる気がなかったのか、落ち着いた様子で義経を一瞥し、一旦距離をとったマルギッテへと目線を移す。その間に、彼女は百代から逃げることなく、一直線に走り出していた。

 

「マルギッテかぁ。あわよくば、風間のほうにでも行ってくれるかと期待したんだけどね」

 

「転入時の勝負の借りも返しておきたい。私と戦いなさい!」

 

「私も簡単にやられるわけにはいかないから……」

 

 弁慶は待ちの姿勢を保ち、マルギッテを正面から見据えた。

 その他にも翔一と英雄、小雪と虎子が戦いを始めていた。そして、その戦いが始まってから、動き出す残りの参加者たち。

 燕は舞台の中央に移動しながら、百代と義経の戦いを視界に納め、もう一人手持ち無沙汰な生徒へ声をかける。その目つきは幾分か鋭くなっていた。

 

「……んー由紀江ちゃん、暇そうだね。私も手が空いてるから、相手してくれないかな?」

 

「松永先輩……わ、私でよろしければ、ぜひともお願いします」

 

 2人は構えをとり、そのままにらみ合いを続ける。しかし、よく見ると微妙に相手に合わせて距離を詰めたり、離れたりを繰り返していた。

 緊張感が高まる中、ふいに燕が口を開く。

 

「さすがに簡単には攻め込めないなぁ。刀がなくても踏み込むと切られそうな感覚がするよ」

 

「きょ、恐縮です……」

 

 由紀江も言葉は返すものの、付け入る隙を見つけ出せずにいた。

 一方、凛は早々に動き出した英雄の後ろ姿を見ながら、わざとらしく小杉に対して背中を向けていた。彼女が意外にもすぐ飛び出さなかったため、不審に思ったのだ。

 ――――大和に仕掛けるかとも思ったが……やっぱ俺か?少し場を引っ掻き回したいし、簡単に釣れるといいんだけどな。

 そして思惑通り、小杉は釣れる。それはもう見事にあっさりと。猛ダッシュからの飛び蹴りが凛の腰目掛けて飛んでくる。当たれば、間違いなく海へ落とせる威力がそれにはあった。

 

「決闘の借りを今ここで! (一番目立っていた夏目先輩を沈め、その勢いのまま栄光への道をひた走る!)」

 

 あくまで当たれば――である。

 

「武蔵……誰にぶつかるかわからんが、よろしく頼む」

 

 凛は小杉に向き直り、正面から彼女の蹴りを迎え入れるように両手を広げた。

 

「へ?」

 

 小杉から漏れる間抜けな声。

 凛はその蹴りを右にずれてかわし、同時に彼女の足首を両手で掴むと自身の体を思い切りひねって、右足を軸にその場で大きく一回転した。当然、彼に捕まっている彼女も回る――彼女の目に映るのは雲のない真っ青な空。

 回る世界の中で、小杉は一つ悟る。この人物に手を出してはダメだ。百代とは違うが、それでも仄かに同じ人種の匂いがする。あぁ空が綺麗――。

 そして訪れる解放のとき。

 

「きゃああああぁー」

 

 響き渡る非常に女の子らしい悲鳴。

 小杉の頭をよぎる大遠投で消えたバレーボール。

 そして、一仕事終えたと言わんばかりに、息を深く吐く凛。 

 放たれた武蔵小杉という名の人間ロケットは、投げた本人にもどこへ飛んでいくのか分からなかった。

 

 

 ◇

 

 

 小杉がロケットとなる前、岳人も動き始めていた。即座に中央へと移動すると、他の相手など気遣う様子もなく、ただ2人の先輩――清楚と弓子だけを凝視する。鼻息が荒くなり、またもや目が血走っていた。

 その岳人の頭の中では悪魔と天使が壮絶なる闘いを繰り広げていた。上腕二頭筋を強調する天使が声高に主張する。

 

「先生が言ってたろ? おいたはダメだって。それにこれは全国に放送されるんだよ。全国のお姉様が見てるんだ! ここでいいとこ見せといて……ぐへへ」

 

 それはどう見ても岳人が小さくなり、白い布を肩から巻き、頭には光の輪を、背中には羽を付け、ラッパを持っている姿だった。声もしっかり幼くなっている。しかし、笑い方が下卑ていた。

 そこに悪魔が登場。紺色にカラーリングされた体に、バイキ○マンのような触覚が生え、三叉のフォークを持っている。悪魔は天使に対抗してか、そのフォークを2つに折り曲げた。

 

「お前はバカか! 水着の姉ちゃんが目の前に2人いるんだぞ! こんなチャンス滅多にねぇ! 本能の赴くまま突っ込んだらいいんだよ! ぐへへ。あとは能登なれ大和なれだ」

 

「本能のまま!? ……ところであとは能登なれ大和なれってどういう意味だ?」

 

 天使の質問に、悪魔は尋常ない汗を額に浮かべる。

 

「えっ? そりゃあれだよ! …………あ、アレだ。小さいことは気にせず、あとは大和にまかせる……みたいな?」

 

「なるほどな! 確かに大和なら、なんとかしてくれそうだな。なんてったって軍師だしな」

 

 そこで天使はポージングを変えた。悪魔もそれにならう。

 

「よーし、それじゃあ邪魔が入る前に決行だ! 向かうは葉桜先輩だろ……仕方ないなぁって許してくれる! ついでにおでこを人差し指で押してくれるはず。いけぇー岳人! ここで一発見せたr――」

 

 そこに耳をつんざく悲鳴が聞こえてくる。

 

「きゃああああぁー」

 

 岳人が最後に見た光景――それは水平に飛んできた何かだった。それはわき腹を抉り、直後彼は意識を失った。その後、海面を漂う彼は、すぐさま川神院の修行僧によって救助され事なきを得る。

 

『ここで最初の脱落者! 島津岳人が海へ沈んだー! さすがに人が飛んでくることは予想できなかったか!?』

 

 小杉は叫んでいた割に、すぐに立ち直り状況を確認する。

 

「なんとか止まったみたいね。夏目先輩からも距離をとれたし、私の運も捨てたもんじゃないわ」

 

 目まぐるしく変わる場面に、清楚と弓子は戦いを忘れ、顔を見合わせる。

 

「なんか……大変なところにきちゃったね」

 

「それには同意するで候(でもなんか悪寒が止まった)」

 

 そんな2人に、小杉は躊躇なく飛び掛る。彼女に落ち着くという考えはないらしい。

 

「プレーミアム――」

 

 

 □

 

 

 小杉の悲鳴が切欠となって、戦いが動き始めた。

 距離をとった義経は、その声にかすかに気をとられる。その隙を百代が見逃さずはずもなく、苛烈に攻め立てていた。刀がない状態では、どうしても素手を得手とする百代に分がある。さらに、印の位置が背中にある彼女は、大胆に攻めることができた。

 絶え間ない攻勢に体勢を崩された義経は、意表をつく足払いを避けるとともに距離をとろうと後ろへ跳ぶが、フェイクのそれは振りぬかれることなく途中で止められ、時を置かずして詰め寄られる。

 読まれていた。義経の表情が悔しさにゆがむ。

 

「他の子に気を向けるなんて、お姉さん妬いちゃうな~」

 

 百代の鞭のようにしなる右足が、義経を襲う。今だ地に足がついていない彼女は、その威力に踏ん張る術はなく、ガードを固めるしかなかった。くると分かっていても、勝負を決めに来たその一撃の衝撃は大きく、両腕が痺れてしまう。気づいたときには舞台となる足場はなくなっていた。

 

「今度は万全の状態で勝負だ」

 

 百代は義経に一声かけると、そのまま背を向け次の獲物を求めて歩き出す。

 

『粘る義経だったが、ここでだつらぁぁく! 強い強いぞ武神! この勢いのまま、優勝をかっさらうのか!?』

 

 義経が飛ぶのを横目に捉えた弁慶は、息を吐いて目の前の相手に集中する。マルギッテは彼女の一撃の威力を知ってか、真正面から受けることはせず、力を逃がしながら隙をぬって、印を狙う堅実な戦いに徹していた。

 思わず弁慶が口走る。

 

「やりづらいなぁ――」

 

「それは結構。獲物がないので、お互い全力とはいかないのが残念ですが……」

 

 マルギッテはそこで言葉を切り、弁慶との距離を縮め――。

 

「それでもこの勝負いただきます!」

 

 右のハイを繰り出した――。

 一方、数度の攻防を繰り返した燕と由紀江は、またもや膠着状態に陥っていた。

 悲鳴をあげながら飛ぶ小杉を目撃した由紀江は、その飛ぶ先を心配しチラリと確認してしまい、そこを燕につかれることになったのだ。しかし、決定打となる一撃は入らなかった。

 

「ありゃりゃ。せっかくのチャンスだったのに……」

 

 刀がない状態なのは残念だけど――もっと情報が欲しい。燕は笑顔を崩さず、由紀江をまっすぐに見つめる。

 そこに飛び込んでくる一人の乱入者。まず燕の側面から接近し、彼女に右の突きを浴びせ、それを弾かれるやいなや、次は硬直する由紀江に――彼女の左太ももの印へ右足を蹴りいれた。それがかわされたと分かると、そのまま一旦2人から距離をとる。

 由紀江が口を開いた。

 

「も、モモ先輩……」

 

「まゆまゆ、油断はよくないぞー。2人で戦ってるんじゃないんだからな」

 

 百代がニヤリと笑う。

 そこで燕はある異変――由紀江の気が若干ではあるが、確かに緩んでいることに気がついた。

 

「モモちゃん、こっち来たんだ」

 

「まぁな。マルギッテと弁慶の方でもよかったんだが、神様がこっち行けって」

 

 百代の発言に由紀江は首を傾げる。

 

「神様……ですか?」

 

「そう! 神様!」

 

 そう言って、百代は人差し指を燕と由紀江の間で行ったり来たりさせる。

 その行為に、燕がわざとらしくため息をついた。そこに――。

 

『ここで一気に2人脱落だぁ! 予選でも見せた流れるような動きで、夏目凛が風間翔一、九鬼英雄の両名の印に触れた! 突如の乱入に対処できなかったか!? まだまだ余裕のあるこの男! 次なる……』

 

 それを遮るように、水しぶきがあがる。

 

『あーっとまたもや脱落者! 海に落ちたのは武蔵小杉ー! どうやら葉桜清楚の張り手……いや掌底か? まぁそんな感じなもんに弾かれたようだ! 人数はどんどん減っていく! ……ん? 3カメさーん、榊原小雪と南条虎子をズームお願いします。……こちらは直江大和が小雪と連携か!? 小雪の攻めに苦戦する隙をついて直江大和が会長を撃破したぁー!』

 

 実況に耳に傾けていた百代が感心する。

 

「ほーやるじゃないか大和。今のところ、凛が一番倒してるのか……」

 

「別にそういう競技じゃないから、対抗しなくていいんじゃない? それにモモちゃんこそ!」

 

 燕は足に力をこめ、真正面から突っ込んでいく――と見せかけて、距離を半分詰めたところで、また離れていく。瞬時に身構えた百代だが、彼女が離れていくと、口を尖らせた。

 

「なんだよう。やるんじゃないのかよう」

 

「あははは。ごめんごめん。油断してないかなぁと思ったけど、由紀江ちゃんもいるから背後が怖くなって」

 

 やっぱり反応が遅くなっている。百代を警戒しているのか、それとも別に理由があるのか。燕は彼女に軽口を叩きながら、この三つ巴から離脱を図るか、攻略するかを考えていた。この均衡が崩れるには、もう少し時間がかかりそうだった。

 そんな三つ巴から離れた位置にいる凛は、英雄と翔一を落とし、次はどこへ行こうか迷っていた。

 ――――弁慶とマルギッテを強襲か。あるいは大和と小雪。もう一つは地獄の三つ巴へ突っ込む……いやさすがにこれはない。誰かが削られたあとでいい。

 そこで新たな動きがあった。大和と小雪が、小杉を落としタイマンになった清楚と弓子へ殴りこみをかけたのだ。

 もう誰の目から見ても、小雪は大和とつながっていることがわかった。そして、何で買収されているのかも明白だった。

 片方はあっけなく勝負がついた。元々、清楚に追い込まれていた弓子は、背後からの襲撃になす術がなく、小雪の蹴りを食らって海へ落ちていったのだ。そこからは2対1の状況で、誰もが彼女の二の舞になるだろうと予想していた。

 しかし、清楚はここから脅威的な粘りをみせることになる。

 大和たちが動き出した時点で、凛は方針を決めた。右足で舞台を強く踏み込み、一直線に相手へ向かっていく。

 ――――最悪片方を片付けて、勢いのままもう一人も倒す。

 意気込んで、さらに加速する凛だったが、ここで予想外のことが起こる。

 

「マルギッテ。勝負のところ悪いんだけど、凛が突っ込んできてる」

 

 凛と目が合った弁慶が、あろうことか彼の接近をマルギッテへ伝えたのだ。

 それを聞いたマルギッテは、弁慶との距離を保ちながら、凛を視界にいれるため移動し始める。

 それに合わせるかのように、弁慶も動き始め、凛を前後からはさもうとしているようだった。彼はそうなる前に足を止める。彼の印は右のわき腹にあり、背後からやられる可能性があったためだ。

 弁慶とマルギッテの距離は開き、凛を頂点とした二等辺三角形の位置取りだった。

 マルギッテは凛が止まったのを確認すると、弁慶へ声をかける。

 

「なぜ私に知らせたのですか? そのままなら、一人脱落させられたかもしれないのに」

 

「いやー私一人で凛の相手はさすがに荷が重いから、クラスメートのよしみで手を貸してもらいたいと思ってね。私に背を預けろとは言わないから、前後から挟む感じで、ね」

 

「なるほど……確かに夏目凛の実力は侮れません。…………いいでしょう。ただし、協力するのは倒すまでの間だけです」

 

「了解。……凛、そうゆうことだからよろしくね」

 

「覚悟しなさい夏目凛」

 

 2人は凛を前後から挟むと、構えをとった。彼は彼女らの交互に見ると顔をほころばせる。

 

「なるほど。まさか共闘するとは思わなかったな。……でもまぁやることは変わらない」

 

 次の瞬間、マルギッテは右へステップを踏み、そこから間合いを一気に詰める。それに反応した凛は、足先がそちらへ向く。同時に弁慶は呼応して右にずれ、彼の死角へ入りこんだ。そこからさらに加速し、蹴りを放とうと右足を地面から離した――そのとき。

 

「弁慶離れなさい!」

 

 マルギッテの声が響く。咄嗟に身を引く弁慶。直後、なびく彼女の髪を凛の右手が撫でた。

凛の追撃を防ぐため、マルギッテは無防備の背に躊躇なく蹴りを放つ。

 しかし、それは凛が横へ大きく跳んだことでかわされた。彼はそのまま背後を海にして、2人へと顔を向ける。すると円形の舞台のため、左右に目一杯開かれても、ギリギリ視界に納めることができた。

 

「おお。これならいけそうだ」

 

 嬉しそうに構えをとる凛に、弁慶は少しうろたえる。

 

「普通あんなピッタリのタイミングで、ピンポイントに肩の印狙えないよね。背中に目でもついてるの?」

 

 マルギッテが眼帯をはずしながら答える。

 

「普段なら、そんなことありえないと言うところですが……今回ばかりは同意したい気分です」

 

 2人は息を整えると、すでに構えをとった凛へと歩み寄る。

 実力者が残る中、戦いは後半へと向かう。

 

 残りの参加者【百代、燕、由紀江、凛、弁慶、マルギッテ、大和、小雪、清楚、】

 



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『水上体育祭5』

 

『9人にまで人数が減って3分が経過したが、今だ脱落者がでていない! 2人を相手取る葉桜清楚がここまで粘るとは誰が予想できた!? 依然3-S陣地からは熱烈な清楚コールが続いている!』

 

 一息置いて、準が言葉を続ける。

 

『そしてそして、もう一組2人を相手取るのは凛! ここまで順調に落としてきた男だったが、S女2人の責め……いやSクラス2人の攻めに苦しんでいる!』

 

 静かに観戦していたヒュームは、小さくため息をもらす。それに気づいた紋白が彼に尋ねた。

 

「ん? どうかしたのかヒューム?」

 

「いえ、ただあの馬鹿者が調子にのっているので、どうやって教育してやろうかと――」

 

 紋白にドリンクを渡したクラウディオもそこへまじる。

 

「あれくらい許してやってはどうですか? 昔の遊びというものはシンプルな分、久々にやると楽しかったりするものです」

 

 紋白は2人の会話に首を傾げた。それを見たクラウディオがヒントを与える。

 

「予選から今までの凛の戦いぶり、紋様はどう思われますか?」

 

「ふむ……見事に戦っているのではないか? 予選においても、全員……! いやまさか……しかし」

 

 紋白は何か思い当たることがあるのか、真剣に凛の戦いへと目を向ける。そして、自分の考えが正しいとわかり、クラウディオへ顔を向けた。

 

「はい。今、紋様がお考えになった通りかと。凛は手を抜いたりはしておりませんが、どうもその一つに熱中しているようです」

 

「フハハハ。凛も案外子供っぽいところがあるのだな。確かに思い至れば簡単なこと。誰かがそれに気づけば……あやつを倒す切欠にできるやもしれん。ヒュームとクラウディオは誰が勝つと思う?」

 

 ヒュームは整えられた髭を一撫ですると、舞台に向けていた視線を紋白へ向ける。

 

「そうですね――」

 

 そこに、テンションの高い声がスピーカーを通して響き渡る。

 

『ここで学長がお茶目に放送ジャッーク! 皆なかなか楽しんでおるようで嬉しいぞい。しかし、この状態が続くのも飽きるじゃろ? というわけで、この特製㊙ボタンをポチッと……皆舞台に注目じゃ』

 

『ちょ! が、学長……あっ行っちゃったよ。それにしてもあの赤いボタンは…………おいおいおいおい! あれただの舞台じゃなかったのか――!?』

 

 観客が見つめる先の舞台では、何やら煙を吐き出していた。

 いきなり起こった変化に、観客はざわつき、参加者たちは硬直する。

 ――――この舞台……いやこれはチャンス!

 凛は、仕掛けによって体勢の崩されたマルギッテへ、トップスピードで突っ込んでいく。その混乱に乗じたのは彼だけではなかった。

 

「おもしろい仕掛け作ってくれてるねー。隙あり!」

 

 由紀江の印へタッチを決めたのは――燕。続いて、大和の声が海上に木霊する。

 

「小雪! ゴー!」

 

「了解だよーん。そりゃー!」

 

 小雪はハイキックから、清楚の防御をすり抜けるようにして、空いたわき腹へと左足を食い込ませる。驚くべきは、そこから彼女の体を足一本ですくいあげるようにして、海へと放り投げる脚力だった。すぐさま、近くの小船が救助に向かう。

 

『ぶ、舞台が煙をあげていたかと思えば、外周がどんどん切り離されていくぅー! その混乱の隙を突かれた黛由紀江、マルギッテ・エーベルバッハはタッチアウト! そして、足一本で葉桜清楚をコースアウトにしたのはなんと榊原小雪! これから俺を蹴るときはちゃんと手加減してくれることを切に願うぞ!』

 

 6人は小さくなった舞台で互いを見やった。凛が一番に口を開く。

 

「いやまさか舞台を切り離す仕掛けがあったとは……外周から移動しといてよかった」

 

 凛の右手にいた弁慶が、あくまで平静を装いながら答える。

 

「わざわざ競技一つのために、こんなことするとは普通思わないって。というか、また凄いメンバーが残ったもんだ。やっぱ主の加勢に行っとくべきだったかなー」

 

「お? ということは、次は弁慶が私の相手ということか? 私ならいつでもウェルカムだぞ」

 

 百代は片手を上げると、弁慶に手の甲を向け、向かって来いと手招いた。彼女の左にいる燕はニコニコしたまま、何も喋らない。間違いないのは、一番最初に動くことはないだろうということだ。

 小雪が大和へ問いかける。

 

「大和―これからどうするの? 誰狙う?」

 

「そうだな――」

 

 大和は小雪へ耳打ちをする。彼女はそれに頷きを返し、その目は弁慶から百代へ、次に燕、最後に凛を捕らえた。

 

「ここは年長者がリードしてやるか!」

 

 大和の耳打ちが終わる前に、百代が動き出した。向かう先は――。

 

「後ろに燕姉がいるのに大胆だなぁ。まぁこっちにも弁慶がいるんだけど」

 

 構えをとる凛。百代は外周ギリギリを走り、あと一歩で間合いに入るところで右足を強く踏み込み、左へ跳ぶ――そこから止まることなくまた右に跳んだ。その動き――スピードを落とさずジグザグに跳び、射程に入った彼に向けて右足を振りぬく。

 凛の目に飛び込んでくる百代の右足。その後ろには微妙な距離を保っている燕。さらに後ろに小雪と大和。右端にチラと見えた防御の隙を狙う弁慶。

 凛は迷うことなく百代の足を左腕で上へ弾き、即座に右手で彼女の左手を掴み、引っ張ると同時に、印を狙われないよう自身の体を回転――彼女を弁慶との障害へと利用した。

 弁慶に背をさらすことになった百代は、一旦凛を置いて、勢いのまま彼女へ回し蹴りを放つ。強制的にタイマンの状況へと突入する2人。

 そして、包囲網を抜け出した凛を待っていたのは、燕だった。

 凛は流れるようにステップを踏み、燕に対して攻勢にでる。しかし、虚を織り交ぜたそれも、まるで彼女は全てがわかっているように完全に捌ききってみせ、彼が左足を踏み込んだ瞬間――彼女は思わず口角を吊り上げた。

 

「凛ちゃんなら……そうくると思ったよ!」

 

 これ以上はないというタイミングで、右の突きをかわし懐へ入った燕。あとは印に左手を伸ばすだけだった。

 そこに届く落ち着いた凛の声。

 

「奇遇だ。俺もそう思ってたところだよ」

 

 刹那の逡巡――燕は手を伸ばす。凛の印へのタッチと背中に指が当たる感触は同時だった。少なくとも彼女はそう感じた。しかし、彼はそこで止まらず、先へ走り出す。

 そこへ響き渡る判定の声。

 

『タッチはほぼ同時に見えたが…………僅差を制したのは……りぃーーん! 惜しくも敗れた松永燕! 突きをかわした瞬間、勝ちがきまったと見えたが、凛の快進撃は止まらない!』

 

 燕は間合いからすでに離れた凛を見た。彼女の後ろにいた小雪は、勝者の隙をつくため待機していたが、勝者がどちらかわからない状態に動きがワンテンポ遅れる。

 あの逡巡がなければ。燕はそこで頭を振った。

 

「そのあとも勝負は続いていたんだもんね。2人だけの勝負じゃない……勝ちが頭をよぎって、後ろの小雪ちゃんにも気を配れないようじゃまだまだか。いや、誘い込まれた時点で――」

 

 燕は言葉を切って海へ飛び込んだ。青い海が彼女の熱くなった体を優しく包む。

 

「うーん……凛ちゃんと大和くんには、カップ納豆の着ぐるみ着てもらおうと思ったのに、残念」

 

 燕の気持ちを知らず、凛は内心焦っていた。

 ――――あ、危なかった。予想ではもう少し余裕を持って勝ちを拾えたはずなのに……。燕姉も強くなってる。これから真剣勝負が楽しみだ。

 凛は棒立ちの大和へ向かい、さらに加速していく。

 ――――小雪がくるのは3歩あと。

 凛がさらに一歩踏み込んだところで、予想に反して大和も逃げることなく真正面から向かってくる。それでもスピードは落とさない。

 あと一歩で互いの手が届く位置。そこで大和が突然声を張り上げた。

 

「4本だ!」

 

 その声が響いた直後、水しぶきの音が参加者の耳に届く。

 

『なぁぁーんと! 苦戦を強いられていた弁慶! まさかまさかの捨て身のタックルで自分ごと海へ落下ァァ! 優勝は時間の問題とも思われた川神百代もここで脱落だぁぁ!』

 

 凛はそれに意識を取られることなく、至極シンプルに、大和の印――彼の頬へ平手を繰り出した。しかし、そのスピードは腕がブレて見えるほどだった。

 当たる――。

 脱落していった実力者たちは確信した。

 

「直江の負けかなぁ」

 

 誰かがつぶやいた一言は、多くの者の気持ちを代弁していた。

 

 

 ◇

 

 

 ――――なんだ?刺すような……視線?……ッ!

 背筋に寒気を感じた凛は、咄嗟に手を引いた。間をおかず、彼の腕があった場所を貫くように飛来する矢。紫色にカラーリングされたそれは的を失い、そのまま地面に突き刺さった。あと少しでも引くことを戸惑っていたら、腕は弾かれ、下手すれば体勢を崩されていたかもしれない――それほどの威力がそれにはあった。

 ――――体を狙われていたら、避けられたか?こんな隠し玉まで用意してたとは……恐れ入る。でも……。

 凛は手を引いたことで、大和に一瞬のスキを与えていたが、彼がそこをつくことはなかった。

 

「さすがに、目の前をよぎる矢に体は反応してしまったようだな! 大和!」

 

 大和は眼前を通り過ぎる矢に、思わず体を仰け反らせてしまっていた。連射はないと踏んだ凛は、大和の頬へ手をやる。

 軽い音は2人以外に聞こえることはなかった。

 

『どこからともなく飛んできた矢! というか、誰が弓引いたんだぁぁ!? 明らかにその人物はこの浜辺にはいない! しかし、大和の命運もここで尽きた! 残るは2人! 一体誰がこの組み合わせを想像できた――――』

 

 準の声はまだ続いていたが、凛にそれを気にしている余裕はなかった。

 ――――残るは小雪。一旦距離をとる。

 凛は小雪を視界に納めるため、反転しそのまま半歩バックステップ。彼女は彼の予想通り真後ろから迫っていた。しかし、その距離が問題だった。

 小雪の一足は凛の予想以上だったのだ。加えて――。

 

「リンリン、御用なのだ~♪」

 

 小雪は何を思ったか両手を広げて、無防備に凛を捕まえに来たのだった。その無邪気な行動は、図らずも彼の虚を突くこととなる。

 ――――これ避けると小雪転んじゃう?

 この瞬間、勝敗は決まった。

 

 

 □

 

 

 大トリを飾るのは、水上歌合戦だった。その参加者はほぼ女子生徒。この祭りはつくづく男を喜ばせるものだった。

 格闘戦で使われた舞台はそのままに、わざわざ色々とセットを組み立てる凝りよう――そこには、学長のこだわりが見え隠れしていた。

 それを休憩がてら眺める凛は、隣へ来た大和へ声をかける。

 

「それにしても驚いた。最後の矢は、大和が体を仰け反らせなかったら、どっちに転んでいたかわからなかった。見事なもんだったよ」

 

「あーあれな。正直、俺も印が頬にくるとは思ってなくてな。事前に与一には『俺の印に触れそうな瞬間を狙ってくれ』っていうお願いをしてたから、まさにそのとおり実行してくれたんだけど――」

 

「まさか、あんなギリギリをあの威力でくるとは想像できなかった、と」

 

「そういうこと。与一の精確さを読み違えていた」

 

 大和は参加賞でもらったジュースに口をつけた。

 

「でも大和は俺が手を出した瞬間、体を防御することもなかったな。あのまま胴を狙う可能性だって捨て切れなかったのに……むしろ俺の脇を狙ってた」

 

「それには自信があるぞ。凛……おまえ、あの戦いで印だけ狙ってただろ?」

 

 凛はハッとして、大和の顔を見た。彼はその様子に苦笑をもらし、言葉を続ける。

 

「気づいたのは英雄を倒したときだ。蹴り一発で決めて、キャップへ向かえばよかったのに、わざわざ狙いにくい印を狙った。そのときピンときたんだ」

 

「ほうほう」

 

「燕先輩も気づいてたんじゃないかなぁ。懐に思い切り飛び込んだわけだし」

 

 凛はその言葉を聞いて、空を見上げうなった。

 

「ありえるなぁ。かなり楽しかったからな、あのルール……こだわりすぎたか。ん? まさか小雪のあの行動と関係あるのか?」

 

 大和はニヤリと笑う。

 

「一応伝えといた。本当は俺が時間稼ぎ、その間に、小雪に突拍子もない行動をとってもらって、凛をアウトにしようというのが作戦だったんだけどな」

 

「いや見事に思いがけない行動だったわ。蹴りなら完璧避けられた。冗談抜きで。でも、あのときの小雪からは……なんて言うんだろうな。攻撃の意思みたいな、こうピリッとくるものがなかったんだよ」

 

 そこに後ろから柔らかい感触が伝わってくる。それを追いかけるようにして、微かな甘い香りが凛の鼻をくすぐった。

 

「それで凛はまんまと小雪に抱かれたのかぁ? 失態だな。変態だ」

 

 百代は座っている凛に全体重をかけながら、文句を垂れる。

 

「変態ってそこまで言う? というか、その格好で抱きつかないでって言ったでしょ。モモ先輩」

 

「なんだよー? 小雪はいいのに私はダメなのかー?」

 

「なんかご機嫌斜め? もしかして負けたから?」

 

「べっつにー。で……もう何を願うのか決めたのか?」

 

 百代は離れないまま、凛に問いかける。

 

「いやそれが、ただの思いつきで言っただけだし、あんまり真剣に考えてなかったんだよね。だから今も考え中」

 

 それを聞いた大和が、声を出して笑う。

 

「なんだよそれ? 言いだしっぺだったのに……」

 

「だったら私が考えてやろう。……んー今みんなが着ている水着の肩紐を下ろす!」

 

 凛が即座にツッコむ。

 

「それこそただの変態だろうが! というか考えただけでドキドキが凄い。しかもエロい! あっモモ先輩の前髪クロスをみんなでいじるとか」

 

 そう言いながら、肩に顎を乗せる百代へ手を伸ばす。

 

「うあーやめろよ! 約束破る気か!?」

 

 百代はハエでも追っ払うかのように、凛の手をパシパシ叩き、最後に彼の頭を軽くはたく。彼はその慌てように吹き出した。

 

「それじゃあ……大和に無言でモモ先輩の案をやってもらう、とか」

 

「おまえそれ……俺を社会的に抹殺する気か? 姉さん! 変な案だすから、話がおかしな方向に走り出しただろ!?」

 

「いや、それはそれでおもしろそうだな」

 

「この2人、頭おかしいんじゃない!?」

 

 大和の叫びに、2人は声を合わせて笑った。凛が笑いをこらえて喋りだす。

 

「んなことさせないよ。やっぱ無難なとこで、文化祭あたりにでも、俺の前では1日語尾に『にゃー』をつけてもらう、とかにしようかな?」

 

「そんなことでいいのかにゃ。軽くすぎる気もするにゃん?」

 

 百代はかなりノリノリで話し出した。大和はそれを見て、盛大にため息をもらす。

 

「俺が語尾に『にゃー』つけて誰が得するんだ?」

 

「とりあえず一言やってみ。それで判断する」

 

「なんで俺がこんなことをするんだにゃー」

 

 完璧なる棒読み――そこにはやりたくないという意思が確かにこもっていた。凛もそれを聞いて、冷めたようだ。

 

「確かに男にされても、なんだかなぁって感じだ。モモ先輩の『にゃー』で癒されよう」

 

「しょうがない男だにゃん♪」

 

「よし! 大和には他の何かで、他の先輩方にはこの『にゃー』を採用!」

 

「清楚ちゃんたちには私が伝えといてやるにゃん。それじゃあな」

 

 百代は、凛と大和の頭をポンポンとリズムよく撫でると立ち去っていった。

 

「そういや、大和は俺が向かったとき、4本って叫んでたよな? あれなんだ?」

 

「あれは弁慶との裏取引の条件だ。決勝始まるまでに成立しなかったんだが、姉さんに押されてるのが見えたから、絶好のタイミングだと思ってな。クマちゃん経由で仕入れる特別な川神水を4本つけるって意味だったんだ」

 

「気前いいねー漢だね」

 

 その言葉に、大和はガックリと肩を落とした。

 

「お金がさぁ飛んでいくんだ……でも姉さんを倒すには、一番の方法だったからな。これで凛に勝ってたら、知り合いの店に5人を放り込み、元どころかプラスにしようと思ってたんだけど……ハハハ」

 

「おお、そんなこと考えてたのか!? というか、知り合いの店って言い方……如何わしくない?」

 

「そんな店じゃないわい! ちゃんと――――」

 

 それからもたわいない会話をしていると、クリスの歌声が聞こえてくる。2-Sの方からはマルギッテの合いの手が、一際大きく目立っていた。

 凛が惜しむようにつぶやく。

 

「あー体育祭もこれで終わりか……なんかあっという間だったな」

 

「だな。俺はかなり疲れたけど。今日は爆睡だ、間違いない」

 

「明日は休みだし、ゆっくり寝れるぞ。ま、期末が近づいてきてるから、のんびりもしてられないがな」

 

「岳人とワンコの勉強を見てやる必要があるな……」

 

「みんなで集まってやるのもいいかもな。俺もそれなりに余裕あるし」

 

「そりゃ助かる――――」

 

 歌合戦は、燕の持ち歌『ねばれ納豆小町』で大いに盛り上がった。

 体育祭の結果はというと、3つの軍がそれぞれピッタリ同点で引き分けに終わった。

 

 

【おまけ】

 

 

 後日、Love川神のHPを一人の男の子が開いた。その中の体育祭をクリックする。

 

「いらっしゃ~い。Love川神にアクセスしていただき真にありがとうございます! ここからは、納豆小町ことこの松永燕が司会&進行を務めてまいります。どうぞよろしく!」

 

 デフォルメされた燕が、仰々しくお辞儀をした。そこに現れる百代と準。

 

「こら燕! 何勝手なこと言ってるんだ。私も入れろ!」

 

「ついでに言うと、俺もなんですがね……紋様どこいった!?」

 

「おまえはだまってろ」

 

 燕はこめかみに汗をたらす。

 

「まぁまぁ喧嘩はのちほど。早速、体育祭へゴー!」

 

 次々と競技が流され、3人が解説や裏話を語る。加えて、1位となった選手のインタビューも流された。途中で紋白が映ると、準が興奮して第2形態へ変化したりしていたが、それ以外は順調に進んでいく。

 そして、競技は水上格闘戦へ。最初に予選のハイライト。準に加え、紋白と彦一が解説に加わり、不思議な空気感のまま進む。決勝では、まずファイナリストの意気込みが語られ、その後競技開始。

 その様子は、スローモーションでタッチの部分を見せたりするなど工夫が凝らされていた。

 最後に優勝者と準優勝者の2人が映るが――小雪は途中でどこかに消えた。

 凛は気にすることなく締めに入る。

 

「――――と、俺もここに来て2ヶ月ですが、毎日刺激的な日々を過ごしています。そして、今この映像をご覧になっている方で、興味をもたれた方はぜひ一度学園に足を運んでみてください。学校説明会もこれからどんどん行われるので――」

 

 ここでカメラが引いて、生徒たちが凛を中心に勢いよく集まってくる。

 

「「お待ちしてまぁす!!」」

 

 声を揃えたところまではよかったが、勢いあまって崩れる前方――それを踏まえての男子構成――に、わーきゃーと大騒ぎ。最後に、虎子がカメラに向かって走ってくる。それを追うように、彼女を指す矢印と『この人が生徒会長』という文字。

 

「楽しみにしてるよ。シーユーアゲイン!」

 

 ニパッと笑い、手をふる虎子。そこでエンドロールが流れる。

 男の子はそこで画面を閉じた。

 




水上体育祭……本当は3話で終わるはずが、気づけば5話に。
楽しんでいただけると幸いです。


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『忙しい休日』

 体育祭が終わった次の日、凛はいつも通りの時間に目が覚めた。そして、軽めのトレーニングを行い、自室にて勉強を開始する。テストで下手な点数をとることなど許されない――というよりも嫌だったからだ。それは、彼が子供のときに関係している。

 今でこそ、当然のようにやっているが、幼き頃は、まだまだ遊びたい盛りのただの子供。凛は体を動かす武道とは違い、机にじっと縛られる勉強には耐えられなかった。結果、家庭教師が一瞬目を離すと脱走――武道で鍛えられた能力をいかんなく発揮する。2階の窓から飛び出してくる子供が目撃されるのは、日常茶飯事になっていた。それがヒュームの耳に届くと、決まってつるし上げられていたが、彼はへこたれなかった。悪い方向にではあるが。

 そんなときにやってきたのが、クラウディオだった。凛の親がそろそろ礼儀作法を教えておこうという話になったとき、彼の名が出されたのである。武道においては、ヒュームが担っていたので、それまでは彼が顔を出す機会は少なかった。

 そして、語られる凛の所業。

 それからは、窓から飛び出す子供が、まるで何かに引っ張られるようにして部屋へ戻っていく光景が度々続いた。その頻度は徐々に徐々に、ゆっくりとではあったが減っていき、いつしか見られなくなったのである。

 好奇心をくすぐるのが上手いのか、凛のクラウディオへの懐き方は親が苦笑するほどであった。

 そして、凛がなんでもそつなくこなしてしまうクラウディオに憧れるようになったのは、不思議ではあるまい。目指す対象が、ヒュームと彼の2人へと変更された瞬間だった。

 しかし、2年後、一つの転機がやってくる。10連敗――武道が好きだった凛は、それがとてつもなく悔しかった。厳しい鍛錬を続けてきたのだ。負けることなど考えたこともなかった。では何が足りなかったのか――。

 ヒュームとクラウディオが揃ったとき、凛はポツポツと喋りだした。一人の女の子と戦ったこと。そして負けたこと。もっと強くなりたいということ。

 鍛錬の時間を増やそうにも、それにはどこかの時間を削る必要があった。2人の師がいられる時間は有限だったからだ。

 凛は感情を抑えることができなかった。それほど、クラウディオに学ぶ時間も大好きだったのだ。目の端にたまった涙が頬をつたっていく。

 

「……武道の、時間を増やして……くだざい。もっと、づよくなりたいんです――――」

 

 それでも、それ以上に勝ちたい気持ちが強かった。悔しさが甦る凛は、零れる涙を手の甲で拭きながら、真っ直ぐと自分を見る2人へと訴えた。

 怒られるだろうか。それとも呆れられるだろうか。次に不安でいっぱいになった凛はうつむいた。

 

「では、そうしましょう」

 

 クラウディオは、そんな凛の頭を優しく撫で、ハンカチで彼の涙を拭いてやった。しかし、次から次へと流れるそれは一向に止まりそうになかった。

 しゃっくりをあげながら、凛は気持ちを伝える。

 

「ご、ごめんなざい……クラウ師匠。俺負けた、のが……ぐやしく、て」

 

「凛は武道が大好きでしたからね。いずれ、そのように言い出すのではないかと思っていました」

 

 そこにヒュームの声が響く。

 

「その悔しさを胸に刻んでおけ。赤子のお前は……これからまだまだ強くなる。そして覚悟しておけ。磨くからには一から徹底的に行う」

 

 凛はぐしぐしと目を拭うと、お願いしますと頭を下げる。

 こうして、凛の勉学の時間は、最小限に削られることになった。後に、礼儀作法の時間も短縮された。しかし、クラウディオの教えを大切にしたいと思った彼は、勉強を疎かにしなかったのである。

 ちなみに、そんな凛に対して、クラウディオは戦闘の基礎を教えるとともに、テーマを決めて講義しながら進めるという同時進行の方法で、彼を楽しませた。その一方で、そんな光景を見守っていたフローラが、「銅の錬金術師に出てくるメルリックたちの師匠のようだわ……」と呟いていたとかいないとか。

 

 

 ◇

 

 

 午前をテスト勉強に費やした凛は、リビングへと昼食をとりに行く。

 そこにはクッキーとその表面を拭いている京がいた。ソファには、昼食をとり終えた由紀江が珍しく眠っている。松風は手前のテーブルに置かれ、人形のように静かだった。

 凛は、ラップのかけてある食事を温めながら、京に声をかける。

 

「昼から外でるけど、京なんか必要なものとかあるか?」

 

 京は手を止めてしばらく考え込む。

 

「んー。あ、『異性の落とし方part2』が出たから、それを」

 

「……それはアモゾンで頼む」

 

「じゃあ『誰でもできる上手な縛り方』」

 

「…………それもアモゾンで頼む」

 

「えっと、意中の相手をメロメロ――」

 

 そこで凛は京へ手のひらを向ける。

 

「あー待て待て。聞いといて悪いんだけど、できれば書籍関係から離れてほしい」

 

「じゃあクッキーのワックスかな? もうすぐなくなりそうだから」

 

 ようやく凛でも買える物の名がでて、胸をなでおろす。

 

「それならok。クッキーはオイルとかいる?」

 

「僕は大丈夫だよ。ありがとう。夕飯は外で食べてくる?」

 

「その頃には帰ってくると思うから、寮で食べるよ。そういやクリスは? ソファで眠ってるかと思ったけど」

 

 その問いに、京が答える。

 

「昼前に出かけていったよ。なんか鼻歌歌って、えらく上機嫌だった」

 

「そんな楽しみなことがあるのか……ごちそうさま」

 

 凛は洗い物を片付けると、たっぷりと休憩をとってから、外へ出かけた。そして、買い物袋を片手に、ある人の家へと向かう。袋には京に頼まれた物以外にも、食材が入っていた。夕方まではまだ時間があり、辺りは明るい。住宅街へと入ると、離れたところから子供たちの賑やかな声が聞こえてくる。

 凛は電話をかけ、近くの目印を伝えながら、どうにか目的地へついた。インターホンを鳴らすと、間をおかずして、扉が開かれる。扉を開いたのは久信だった。

 

「凛君、いらっしゃーい。ほら上がって上がって」

 

「お邪魔します。燕姉はいないんですか?」

 

 久信の自宅は彼一人のようだった。

 

「なんかー友達と遊ぶんだって。だがグッドタイミング! これを見てよー」

 

 久信はそう言いながら、テーブルに置かれた酒を凛へ見せびらかす。そこには、酒にあまり詳しくない彼でも、聞いたことのある銘柄が並んでいた。

 

「えっこれ久信さんが買ったんですか!? 燕姉だったら許さないでしょ?」

 

「凄いでしょー。これ全部もらい物……いやぁ九鬼家の方々は太っ腹だよね」

 

「なるほどね。それで『遊びにこない?』と言ったわけですか。『材料も買ってきて』って言うから何かと思ってたけど……んじゃあまぁ、すぐにアテになるものでも作りますよ」

 

 凛は久信に一応許可をとり、食材を冷蔵庫へと仕舞い、鍋やら調理器具一般の確認をした。そして、水を張った鍋を火にかける。

 その間、久信は「これ材料費とお駄賃ね」と凛の傍へおいた。そのあと、早速一本目となる大吟醸をあける。

 

「誘っておいてなんだけど、他の用事とかは大丈夫かい?」

 

「ええ。俺もちょうど久信さんにしっかりと挨拶しておきたかったし、全然構いませんよ。とりあえず冷奴」

 

 次に凛は卵をとき、野菜や豚肉をぶつ切りにした。鍋の横ではフライパンに油がひかれている。「凛君は律儀だねー」と言って、久信は一杯目を勢いよく飲み干した。

 

「くー美味い! あ、そうだ。燕ちゃんは学校でどんな感じだい?」

 

「話なら聞いてるんじゃないですか? まぁ俺が見る限りじゃすごく楽しそうですよ。今日の友達もモモ先輩あたりじゃないかな? かなり気が合うみたい」

 

 2杯目を注ぐ久信は深く息を吐いた。

 

「燕ちゃんは僕に心配かけまいと、どんなときでも心配ないと言うからね。でもそっか……楽しそうか。凛君がそう言うなら大丈夫そうだ。ほい、凛君も一杯」

 

「川神水も用意してたんですか?」

 

「そりゃあ僕一人で飲んでも楽しくないからねー。ほらほら」

 

 枝豆とトンペイ焼きをテーブルに並べると、凛も一旦席について、久信とグラスをぶつけあった――。

 

 

 □

 

 

 2時間後――久信はいい具合に酔っ払っていた。顔はすでに真っ赤。それに比べて、凛はあまり酔ってはいなかった。目の前の人物のストッパーは自分しかいないとわかっていたからだ。

 

「シュビドュバァ~フッフ~昼間から気にせず飲めるとかサイッコーの贅沢だよ。目の前には~美味しいつまみ、あとは隣でお酌してくれる美人さんがいれば、言うことない! ……奈緒~! なんで出て行ったんだぁ!?」

 

 奈緒と言うのは、久信の妻の名である。凛は冷めた目で彼を見た。

 

「それは久信さんがどえらい借金つくったからでしょ」

 

「うっそうでした。でも凛君……株はおもしろいよ~」

 

 久信は目をランランと輝かせる。

 

「そんなこと冗談でも燕姉の前で言わないほうがいいよ。次の日、気づいたら家に久信さん一人、とかなりたくないでしょ?」

 

「こ、怖いこと言わないでよ。なんか変にリアリティあって、酔いが少し醒めた……僕はもう改心したんだから!」

 

 そう言って、久信はグラスをドンとテーブルに置いた。凛はそんな彼を見て、苦笑をもらす。

 

「ま、婆ちゃんが言うには、奈緒さん元気してるみたいだから、久信さんが真面目に頑張ってれば大丈夫だと思いますよ。電話とかもあるんでしょ?」

 

「そうなんだけどさぁ。電話口の声がさぁ……ピリピリしてるというか、僕に優しくないというか……」

 

 久信はテーブルに頬をべったりくっつけると、口を尖らせ、のの字を右手で書いた。そのあとも独り言をブツブツと続ける。

 

「俺に言われてもなぁ……でも奈緒さんって普段からそんな感じじゃなかったですか? ピリピリというか、キリッとした感じで……あれだ。燕姉の目つきをもうちょい鋭くして、あとは髪長くしたら……ほら! 奈緒さんだ」

 

「奈緒は美人だからね~。いやあ照れるな」

 

「なんで久信さんが照れるんですか。でも美人なのは確かですね。着物もよく……」

 

 凛がさらに言葉を続けようとした瞬間、久信は突然勢いよく立ち上がった。そのせいで椅子はバランスを崩して、後ろへ倒れていく。それを気にする様子もなく、彼はそのままキョロキョロと辺りを見渡した。

 久信の行動に、凛は体を固まらせる。

 

「ど、どうしたんですか? びっくりした」

 

「燕ちゃんが帰ってくる気がする……」

 

「えっ……いやそんな気は――」

 

 凛は言いかけたところで、燕の気配を感じ言葉を詰まらせた。それ以外にも見知った気配が一緒だった。

 ――――なんでわかったんだ?しかも俺より先に。これが親馬鹿の真髄か……?

 久信はそれだけ言うと、椅子を起こす。しかし、平衡感覚が狂っているのか、その行動にももたついていた。ようやく起こせた椅子に腰掛けると、さらにグラスに酒を注ぐ。凛はそれを慌ててとめた。

 

「やばいやばい! 久信さん! 燕姉が帰ってくるんだからお酒終わり! 絶対怒る……燕姉絶対怒るから!」

 

「平気へいきぃ~燕ちゃん優しいから、これくらいじゃ怒らない……」

 

 グラスを取り上げられた久信は、どこからともなく新しいグラスを取り出し、また酒を注ぐ。その行動を見て、凛がまた取り上げにいった。

 

「だぁー! んなこと言って毎度怒られてたの久信さんでしょ! 中学のときから見てるんですよ、その光景を何度も!」

 

「中学かぁ凛君もそう思うと大きくなって……ぼぉかぁ嬉しいよ!」

 

「おーい、この酔っ払い……そう言いながら、グラスを口へ持っていこうとしない!」

 

 ギャーギャー騒いでいる間に、玄関の扉が開かれる。

 凛はその音に行動を静止させた。そして、ゆっくりとそちらへ顔を向ける。

 静寂を打ち破ったのは、久信の陽気な声――。

 

「あ~燕ちゃん、おかえり~。お、お友達も一緒かぁ。しかもあれだね……けしからんおっぱぃ……ムグムグ」

 

 凛は久信の口を塞ぎ、燕に声をかける。

 

「おかえり……燕姉。それにモモ先輩も、大和も一緒か! き、奇遇だな」

 

 燕以外の2人は言葉を発しない。彼女は何度か深呼吸すると、ニッコリ笑った。

 

「ただいま……とりあえず、モモちゃんと大和くんは私の部屋に行っててくれないかな? 真っ直ぐ行って、右手の一つ目の扉が私の部屋だから」

 

 2人は燕から言い知れぬ雰囲気を感じたのか、コクコクと頷くと静かにそちらへ向かった。そして、笑顔を貼り付けたままの彼女が振り返る。

 

「おとん……ちょっとこっち来て」

 

「どうしたんだい? お友達を待たせちゃ悪い――」

 

 嬉しそうに近寄る久信。そして、燕は有無を言わさず、そんな彼を水のはった洗面器に突っ込んだ。

 

「ぼぉがべぽごびぎご……」

 

 ジタバタする久信と表情を変えることなく、それを軽々と押さえつける燕――凛の目の前で行われるそれは、事情を知らない人が見ればホラーだ。

 ようやく解放された久信。酔いはすっかり醒めたようだった。燕がタオルを彼に渡す。

 

「目が覚めた? おとん」

 

「あっはい。どうも迷惑かけたみたいですいません」

 

 燕はペコペコと謝る久信から、椅子に座る凛へと目を移す。それと同時に、彼は彼女の目から逃れるように、スーっとそらしていった。

 

「凛ちゃん……こっち向きなさい」

 

「はい」

 

 凛は素直に従う。

 

「なんでこんなことになってるの?」

 

「久信さんにちゃんと挨拶しとこうと思ってたところに、連絡があったからちょうどいいと思って来たんだ。そしたら、お酒あるし川神水も用意されてるし……で、あとは成り行き。えへ」

 

 小首を傾げ、無駄に可愛く見せようとする凛。燕はそんな彼に軽くチョップをかます。

 

「えへじゃない。はぁ……ま、おとんの相手をしてくれたことに免じて許してあげる」

 

 それに納得がいかないのか、久信が抗議の声をあげる。

 

「ちょ、ちょっと燕ちゃ~ん。あまりにも凛君との扱いが違いすぎないかい?」

 

「人前で失態をさらしたおとん。何か文句でも?」

 

「あ、いえ何でもありません。はい」

 

 燕と久信はそこで2人を残した部屋へ向かう。彼が言うには、威厳があるところを見せておきたいらしい。彼女はそれを聞いてため息をもらしていた。

 一緒に行かなかった凛は、キッチンの片付けをしておくためだった。燕は「構わない」と言ったが、「使わせてもらったから」とお茶を持たせて強引に部屋へと送り出す。

 部屋からは百代の声が聞こえてきた。

 

「ねーちゃんたちに、モテるようになる発明品とかあります?」

 

「そんなのあったら僕が使ってるよ――」

 

 久信はすぐに溶け込んでいた。威厳を見せられたのかどうかはわからない。

 その後、片付けを終えた凛も部屋へ向かい、彼が現れると久信は「機械いじってるから」と言ってその場を後にした。

 凛は久信にエールを送り、大和へと声をかける。

 

「大和は寮で勉強してたんじゃないのか?」

 

「夕方にひと段落ついたから、散歩にでかけたんだよ」

 

 そこに百代が割り込む。

 

「で、私達がデートしているところに現れたんだ」

 

「なるほど。お姉ちゃんが誰とデートしているのか気になったと……」

 

「違うわ! 偶然だ偶然。そもそも姉さんが出掛けてること自体知らんかったわ」

 

 一人で納得する凛に、大和はがーっと吠える。燕はクスクスと笑いながら、本棚から一冊のアルバムを取り出した。

 

「モモちゃん、はいこれ。見たがってたもの」

 

「おおー楽しみにしてたんだ! どれどれ……うわぁこれ凛か?」

 

 百代が指差す先には、綺麗にまとめられた写真がはさんであり、その中の一枚――黒髪の美少女がくすんだ銀髪の少年を後ろから抱きしめている――を指差した。2人は白い胴着を着ており、少女は満面の笑み、幼さが抜けていない少年はピースサインをしている。加えて、少年の方は胴着のサイズが大きいようで、少しだぶついていた。この写真は、どうやら道場で撮られたもののようだ。

 

「そうだよー可愛いでしょ? 無理して一個上のサイズ着てるから、腕伸ばしたら手のひら半分くらい隠れちゃうんだよ。でも着るのやめない凛ちゃん」

 

「あー確かに燕が言うのもわかるな。これは可愛い。それに燕も可愛らしいぞ」

 

 百代が燕に顔を向けた瞬間、パタンと閉じられるアルバム。閉じたのは凛だった。

 

「やめてください。せめて……せめて本人のいないところで楽しんで――」

 

 しかし、姉2人のコンビは強かった。燕が凛の足を引っ掛け、床に寝転ばすと間髪いれずに、その背に座る。

 

「凛ちゃんはわかってないなぁ。こういうのは本人がいるから楽しいんだよ」

 

 さらに百代までもが、凛の背に乗っかった。

 

「そういうことだ。写真と本人……一粒で二度美味しい」

 

「やまとぉ……この暴虐を許してはならない」

 

 凛は必死に同じ弟分である大和へ助けを請う。しかし、そこに冷たい一言が放たれた。

 

「観念しろ」

 

「くっ大和、おまえならわかるはず」

 

 その言葉を遮るようにして、百代の楽しげな声が室内に響く。カバンから取り出されたのは、数枚の写真。

 

「お返しはとりあえず……これだな。大和の生まれたままのすがt――」

 

「えっ!? ちょっとまてえぇーー!」

 

 賑やかな会話は、夜が訪れるまで続いた――。

 その後、燕の家をあとにした3人は百代とも別れ、2人で帰り道を歩いていた。

 

「酷い辱めをうけた……俺はもうお婿にいけない」

 

 大和がガックリと肩をおとした。その隣で凛もため息をもらす。

 

「まぁ大和……元気だせ。成長したのを見られたわけじゃない! いつか見返してやれ!」

 

「俺に変態になれと言うのか!? ……いやこの会話は終わりにしよう。思い出したくない」

 

「そうだな」

 

 しかし、今日という日はまだまだ彼らを休ませはしなかった。このあと、寮に帰った彼らをさらなる騒ぎが待ち受ける。

 

 

 ◇

 

 

 凛たちが寮にて騒いでいるとき、百代は夕食をとり終え、燕からもらった1枚の写真をじっと眺めていた。

 その写真には、嬉しそうに笑う幼い凛が写っていた。百代はふいに微笑ましく思って、表情を崩す。しかし、すぐにまた真剣にそれを見た。

 時間はどんどん過ぎていくが、百代は相変わらずゴロゴロしながら、その1枚を見つめ続けた。

そして一言つぶやく。自分の言葉をかみ締めるように――。

 

「やっぱり……凛だ。あのときの男は……凛なんだ」

 

 百代は体を即座に起こすと、すぐに携帯を探す。しかし見つからない。いつもは机の上に置いているのに、その場所にない。興奮のためか、頭が少し混乱しているようだった。そして、ようやく発見したそれで電話をかける。だが今度は、コール音が繰り返されるだけで、一向にでる気配がない。

 早く確認したい。出てくれ。しかし百代の思いは通じない。

 

「あー! なんでこんな肝心なときに電話にでない。凛のあほ!」

 

 落ち着いていられない百代は、部屋をグルグルと回る。何度も何度も。

 そして少し落ち着くと電話を諦め、すぐさまメールを送信。

 

 

 06/29 21:31

 To:夏目 凛

 Title:無題

 

 少し話がある。

 今から出て来れないか?

 場所は、通学路の途中にある川原。

 できるだけ早く返事がほしい。

 

 

 百代はまた寝転がった。もちろん携帯は握り締めたままだ。

 1秒でも早く答えが知りたかった。もし凛が本当にあのときの少年なら――。

 

「おまえは……私に会いにきてくれたのか……?」

 

 真っ暗な画面には、百代の顔が映し出されるだけだった。

 




久信の妻の名はオリジナルです。
容姿なども同じく。

そして、遂に40話!これも皆様が応援してくださったおかげです。
これからも頑張ります。


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『忙しい休日2』

 寮が見えてきたところで、凛は足を止め、大和を片手で制止した。それを不審に思った彼が尋ねる。

 

「どうしたんだ?」

 

「……いや、なんか寮の周りを囲むように人の気配がある。明らかに一般人じゃない。しかも、なかなか訓練されてるらしい。危害を加えようとはしてないけど……捕まえてみるか。でも変に刺激するのもまずいか……」

 

 悩んだ末に、凛はまた歩き始め、大和はすぐ隣をピッタリついていく。

 

「おいおい、まじか? いやでも待て。川神でそんな簡単に、人を配置することなんかできるのか? 九鬼家の従者が動き回ってるんだぞ」

 

「そうだよなぁ。てことは、少なくとも危ない奴らではないのか……それにしても、もっと距離とってほしい。それか気配を消すとか……まぁとりあえずご飯だな」

 

「今までの緊張感どこいった?」

 

 大和のツッコミに、凛はカラカラと笑いながら玄関を開けた――。

 

 

 ◇

 

 

 そして、夕食。寮のメンバー+1人が揃ったところで、クリスが席を立ち隣の人物を紹介する。

 

「――ということで、今日からマルさんが、本格的に自分の部屋で寝泊りすることになったぞ」

 

 突然ではあるが、マルギッテが寮に住むことになったのだ。すでに、寮を取り仕切る麗子は買収済み。この話は以前より、着々と準備されていたらしく、今日クリスがご機嫌で出かけていったのは、姉と慕う彼女を迎えに行くからだった。

 特に不都合のない寮メンバーは、翔一の確認に頷きを返し、彼はそのまま言葉を続ける。

 

「それにしても軍人さんと同居なんてワクワクだなぁ。敵の部隊が寮に強襲をかけてくる、なんて展開は?」

 

「寮にはお嬢様がいる。そんなことは絶対にありえません。というか、目下敵対しているところはありません。あったとしても私達がすぐに狩るので」

 

 そこで、マルギッテが闘気をみなぎらせる。それにあてられたメンバーたちは、一同押し黙った。

 ――――ああ。ということはあれが、大和に聞いた狩猟部隊の軍人か。クリスを守るために投入された人達……ん? ここ日本なのに、ドイツの軍人がこんな自由に動けるもんなのか? いやいや、それより軍を一人の娘守るために、動かして平気なのか? クリスの父親は軍の英雄って呼ばれてるんだよな。なんか色々ぶっとんでるなー。久信さん程度を親馬鹿と呼んでいたのに……世界は広いな。

 凛は夕食の煮付けに箸をつけながら、様子を見ていた。

 

「あ、大和。ドレッシングとって」

 

「お前こんなときでもマイペースか!?」

 

 大和がツッコむ中、硬直のとけた忠勝が凛へ声をかける。

 

「そっちのドレッシングもうないだろ? これ使え」

 

 マイペースなのは凛だけではない。もう一人――クリスはマイペースというより、空気が読めないようだった。由紀江がマルギッテの気を「練磨された闘気」と褒めたことで、得意げになっている。

 

「どうだ。マルさんはすごいだろう!」

 

 その一言で、マルギッテの闘気がみるみるしぼんでいく。もちろん彼女はお礼もかかさない。ついでに、クリスの曲がっているリボンを直す。

 それを見守っていた京が口を開いた。

 

「ある意味、強いんだね。空気読めないのって」

 

「うん。今はクリ吉三等兵が頼もしいや」

 

 松風のクリスに対する評価がわかった。マルギッテに聞こえていなかったのは、幸いである。

 その後、マルギッテが闘気やら殺気やらを振りまきながら喋る度に、クリスがそれを自慢したり誇ったりして、それらが収まるという現象が何度か起こった。

 ――――これは周到に準備されたコント……ではないよな?

 そう思うほど、見事なタイミングでそれは行われた。

 そして、最後にマルギッテが男衆に目を向ける。その目つきは挨拶を交わし、親交を深めようという温かいものではなく――。

 

「ということで、よろしく。風間翔一」

 

「お、おう」

 

「よろしく。直江大和」

 

「あ、あぁ……」

 

「よろしく。夏目凛」

 

「よろしくお願いします」

 

 一人を除いて、その威圧にたじろぐこととなる。男の中で忠勝だけは、なぜか呼ばれなかったが、彼がそれを気にしている様子はなかった。

 そこからは至っていつも通りの夕食となる。ただし、マルギッテの甲斐甲斐しいお世話に、クリスは大喜びだった。

 夕食後は、リビングのテレビで放送されていたクイズ番組で、忠勝を除いたメンバーがクイズ対決。マルギッテは、はしゃぐクリスを慈愛の眼差しで見つめていた。それが終わると、それぞれが自室へと戻っていく。

 凛は部屋へ入ろうとしたところで、大和に呼びとめられた。

 

「凛、これからキャップと風呂入るけど、一緒にどうだ? ちょっと気になることがあるんだ。さっきの挨拶」

 

 呼ばれたのは3人のみ――そこで共通するのは男であり、ファミリーのメンバー。今日見ただけでも、クリスへの過保護っぷりはよくわかる。

 

「了解。準備したら向かう。先行っといて」

 

 凛は部屋へ入ると、ベッドに置かれた携帯をチェックする。

 

「うぉ! モモ先輩からの着信だらけだ! す、すぐに電話……あ、メールもある」

 

 それを見て、凛は少し落ち着きを取り戻した。そして、すぐにメールを返信して、部屋を出る。その途中で、大和へと声をかけた。

 

「悪い大和。ちょっと外にでる用事ができた。その話、明日とかでも大丈夫か?」

 

「まぁ別に急ぎってわけでもないし、全然構わないぞ。なんかあったのか?」

 

 大和はひょっこり顔を出した。

 

「いや、ちょっとした用事だ。んじゃあいってくる」

 

「気をつけてな~」

 

 凛は大和の声を背に受けながら、急いで寮を出る。外は大きな満月が顔をだし、夜だというのに、辺りは街灯がなくてもよく見えた。気温も高くなっており、半そででちょうどいいくらいだった。人通りはほとんどない。

 

「話って一体なんだ? まさか!? 今頃になって、燕姉の家で食べた極上シュークリームが惜しくなったとか!?」

 

 ――――いやいや、あれは次のパリパリ君で手を打ったはず。

 

「じゃあ……やっぱり、調子に乗ってクロスの部分をいじろうとしたことか!?」

 

 ――――でも、ちゃんと手前で寸止めしたしな。呼び出すまでもない……。

 とりとめもないことを考えていると、いつの間にか凛は川原についていた。どうやら彼の方が先に着いたようだ。辺りは川の流れる音だけが聞こえ、時折、大橋を通過する車の音が響いた。

 凛はとりあえず、土手へと腰を下ろす。そこからは、川原をよく見渡すことができた。ふいに、昔のことが頭をよぎる。懐かしい思いが湧き起こった彼は、表情を緩めながら大きく伸びをし、そのまま重力に身を任せ倒れこむ。

 ――――ここで昼寝する大和の気持ちが少しわかる。

 夜空は、月の光が強すぎるため、星は一つとしてみることはできない。まるで、全ての光を月が奪い取って、それを発しているようだった。飛行機が、赤い光を点滅させながらその中を通っていく。

 ぼーっとする凛だったが、気配に気づいてゆっくりと立ち上がった。その直後、彼の後ろの通学路に着地した人影。かなり勢いがあったのか、砂煙が風にのって消えていく。

 

「悪い凛! 待ったか!? じじぃに呼び止められてな」

 

 すぐさま凛に近寄る百代。

 

「別に大丈夫ですよ。それより電話に出れなくてすいません。部屋に置いてて気づかなかったんです。……あ、それと今日、マルギッテさんが寮に引越してきたんです。なんか――」

 

 続きを話そうとする凛だが、そこに百代の声が響き渡る。

 

「凛!!」

 

「! あ、はい」

 

 その声はかなり音量が大きく、凛は体をビクッとさせた。それに気づいた百代は、数度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。そして、ゆっくりと話し始めた。

 

「……凛、おまえ昔ここで、女の子と戦ったことないか?」

 

 その一言は、今までの緩んだ雰囲気を吹き飛ばした。凛は目を見開いて、百代へと顔を向ける。

 

「!? まさか……じゃあやっぱりモモ先輩が、あのときの……」

 

 百代は先を聞かずに、凛の両肩を掴む。その手には、かなり力がこもっていた。

 

「分かってたのか!? どうして言ってくれなかったんだ! 私は……私はずっと待ってたんだぞ!」

 

「それは……でもそれを言うなら、モモ先輩こそあの日、来てくれなかったじゃないですか!? あの日、俺もずっと待ってたんです!」

 

「あの天気の中をか!? 他の日でもよかっただろ!」

 

 凛は首を大きく横に振った。

 

「あの日しか無理だったんです。帰らなければならなかったから……俺は親の付き添いでたまたま来ただけなんです」

 

「そんな……じゃあそれから、顔を出さなかったのは!?」

 

 百代の真っ直ぐな目に映ったのは、凛の下手くそな笑顔だった。

 

「連敗……ですよ。しかも2度や3度じゃない! 10回です!! どの面下げて会いに行くんですか!? あのときの俺にはそんなことできませんでした。力の差が、積み上げてきたものの違いがそこにはあったんです! 時間が経つほど、それがよくわかりました。そして、それを気にせず会いに行けるほど、俺に余裕なんかありませんでしたよ」

 

 凛の瞳の奥は、まるで燃えているようだった。風が吹き、雨が降っても、奥底で、決して絶えることなく燻っていたものが、甦る思いとともに勢いを増す。今まで一度として見たことない、その激しい煌きは、百代をひどく惹きつけた。

 

「偶然の勝ちなんてものはありません。あれは全てモモ先輩の実力だった……だから、だから俺は鍛錬してきたんです! そして――」

 

 そこで凛は突然口を閉ざした。そして、空へ向かって吼える。

 

「あーくそ! 言葉がまとまらない!」 

 

 それでも、また百代の目をしっかりと見返した。

 

「あのときから……モモ先輩に負けたときから! ずっと積み上げてきたんです! あなたに追いつくために! あなたに勝つために!! そして、全ては……すべてはあの日の約束を果たすために!!!」

 

 凛の顔は、百代の背にある月の光で照らされる。彼女すら、圧倒しそうな意志がそこにはあった。

 

「あれからずっと?」

 

「そうです。……約束。モモ先輩は覚えてないですか?」

 

 凛は続けて口を動かした。懐かしむように、しっかりと伝わるように、ゆっくりと。

 やけに川のせせらぎが遠くに聞こえ、彼の言葉だけが百代の耳へと届く。

 

 

『舎弟じゃなく対等だ。俺は下につくつもりなんてない!! よく覚えとけ。俺とおまえは対等なんだ。おまえを倒して、それを証明してやる!』

 

 

 すとんと百代の胸に収まった言葉は、まるでそこに最初から場所が用意されていたようだった。夢の中で何度も少年が言っていた言葉――彼女は自然とそう確信できた。

 凛は土手をのぼると、百代の隣に立つ。

 

「まぁあのときは負けてしまったんですけど」

 

 そこで凛は苦笑をもらすが、表情を引き締め、百代を見た。

 

「モモ先輩……いや、川神百代。俺は次の正式な勝負の場で、全力のあなたを叩きのめす。あなたが一人ではないことを証明してみせます」

 

 その言葉に、百代の瞳が揺れる。

 

「どうして……」

 

「喜び、期待……そして、失望。最初の戦いで、モモ先輩が俺を見ていたときの目です。俺を見下ろしていたときは、私に勝てる相手などいない、そんな目でしたよ。と言っても、当時の俺が勝負を挑んだのは、ただ腹立ってムキになっただけですけどね」

 

 百代は言葉を発さず、ただただ凛を見つめ続ける。彼は一度、川原へと目を向けた。街の明かりが水に反射し、キラキラと輝いている。

 

「その目が妙に印象に残ってて、あとでその話を俺の師匠にしたとき、それにこもっている意味を教えてくれたんです。まぁ、実際見たのが俺なんで、かなり抽象的な言葉だったんですけど……よく理解してくれたと思います。もしくは、俺を発奮させるためだったのかもしれません。でも――」

 

 凛は百代へと視線を戻した。

 

「その様子だと、あながちはずれてはなさそうですね。そして話が終わったあと、師匠は俺に一つ問いかけをしてきたんです。『最強というのは、どんな気持ちだと思う?』と。俺はすぐに答えました。『誰でも倒せるんだから、気持ちいいに決まっている』師匠はその答えを否定しませんでした。でもそのあとに一言加えました」

 

 凛は空を見上げる。相変わらず、満月だけが光り輝いていた。しかし、それは少し冷たく、寂しいように感じられる

 

「『自分と張り合える相手がいなくなったら、おまえは楽しいか?』それ以降、師匠はこの問いに対して答えてはくれませんでした。モモ先輩なら、これに対する答えを持ってるんじゃないですか?」

 

「ああ、私はその答えを知っている……」

 

 百代は少し目を伏せた。暑さを和らげる風が通り抜け、彼女はなびく髪に手をかける。

 

「孤独だけが……そこには残るんだ。快感や楽しさはある。でもそんなものはその一瞬だけだ。底のほうには、不満が泥のように沈殿していって……年月が経つほどにそれは干からびて、その上にまた不満が溜まる。そうしてできあがるんだ」

 

「俺にはその気持ちを理解することができません。でも……俺が味わった気持ちなら、モモ先輩にあげることができます」

 

 凛はそこで一息いれる。

 

「俺、モモ先輩には感謝してるんです。そりゃ最初は苦しくて、悔しくて、腹が立ったたりもしました。でも、それと同時に先を見せてくれたっていうんですかね……上がある、自分が見たことない景色がそこにあるんだって思えました」

 

「それはお前が自分で上ったからだ……」

 

「確かに。でも切欠をくれたのはモモ先輩なんです。だから、次は俺がお返しをあげる番です」

 

 凛は明るい口調で告げた。その顔はいたずらっぽい笑みを浮かべている。

 

「今のうちに十分味わっておいてくださいよ。その最強の気分を。名残惜しくなっても、もう戻ってはこれないですから」

 

 百代は苦笑をもらしながら、彼の言葉に続ける。

 

「お返しでくれるのが敗北か……優しくないな。そこで折れる、とは考えないのか?」

 

「モモ先輩の挫折した姿ですか? ……ちょっと想像できないですね」

 

 凛は思わず吹き出した。

 ――――俺の追い求めたあなたは、きっとその程度で諦めたりしませんよ。

 百代はその姿を見て、口を尖らせる。

 

「おまえなぁ」

 

「すいません。近いうちに、勝負の席が用意されます。どのような方法なのかは詳しく聞いてないんですけど、間違いありません」

 

 百代は、さっさと次の話題へうつる凛にため息をもらす。

 

「全く……まぁそこで、凛を地べたに這い蹲らせればいいわけだな」

 

「おー言いますね。それでこそ、やりがいがあるってものです」

 

 百代は凛の言葉を聞きながら、土手から川原へと降りていき、そこから彼を見上げる。

 

「軽く手合わせをしないか?」

 

「ルー先生の言いつけを破るんですか?」

 

 そう言いつつ、凛も川原へ降りて百代の前に立った。彼女は軽く構えをとる。

 

「軽くだ、軽く。これから勝負できるんだろ? ちゃんと待つさ。でもせっかく会えたんだ。少しくらい我が儘を聞いてくれてもいいだろう?」

 

「ルー先生には秘密にしないといけないですね」

 

「話がわかるじゃないか~。ウズウズして仕方がなかったんだ」

 

 百代はステップを踏むと、右足で凛の側頭部を狙う。しかし、それは全く威力がないのか、凛は左手の甲で易々と受け止めた。

 

「まぁ気持ちはわからないではないですッ!」

 

 お返しとばかりに、右の突きを繰り出す。そこからは、軽い打撃音と土を蹴る音だけが鳴り響いた。月に照らされる2人の影は、軽やかに楽しげに踊り続ける。

 そんな中、凛が口を開いた。

 

「そういえば、モモ先輩の最初の質問答えてなかったですね」

 

 百代は少し距離をとって、首をかしげた。凛は少し口ごもる。

 

「どうして、俺がモモ先輩に昔の少女かどうかを尋ねなかったっていうやつです。俺がね……モモ先輩に昔の少女かどうか確かめなかったのは……怖くなったんです」

 

「どういうことだ?」

 

「初めて拳を交えたとき、俺は『この人じゃないか?』と思いました。接する度に、期待が高まっていったんです……でもそれと同時に怖くなりました。もし、これでモモ先輩が違っていたら、俺の目標、というか目指したものがなくなってしまうのではないか? そう思ったときには、もう川神に目ぼしい候補などいませんでしたから――」

 

 凛は構えていた両腕を下ろす。

 ――――すぐにでも聞きたかった。目の前の人があのときの少女なら、彼女はあれからも鍛錬を続け成長していたということ。でもそのあとに頭をよぎる。違ったら……。

 

「そう考えると、どうしてもあと一歩が踏み出せませんでした……情けない話ですが」

 

「凛がそれほど大事に思ってくれていたからだろ?」

 

「えっ……」

 

 凛は正面に立つ百代と視線が合った。

 

「私も興奮していて口調が荒くなったが、大事なことだったから失うことを怖れたんじゃないか? それに、いつかは聞いただろ?」

 

「はい。きっと……」

 

 百代は凛の言葉に大きく頷くと、明るく言い放った。

 

「でも、タイミングは今日だった。運命なんてものがあるか知らないけど、私と凛がまたこうして出会うのは今日だと決まってた。それでいいんじゃないか? 出会えたんだ。私は満足している……あ、いやもちろん戦ってくれないと嫌だけどな」

 

「モモ先輩……」

 

 ――――なんかカッコイイなぁ……。

 凛はしばし、そんな百代をただただ見つめ続けた。しかし、彼女はニヤリと笑うと、今までとは比べ物にならないスピードで仕掛けていく。

 

「気を抜いてると、こうなるぞッ!」

 

 凛はいとも簡単に土手へと転ばされ、百代は彼の両腕を押さえ込んだ。彼は目をパチパチと瞬かせる。彼女は満足そうに笑みを深くし、言葉を続けた。

 

「昔と同じように、次もこうなる」

 

 その言葉に、凛はクスッと笑うと百代へ言葉を返す。同時に、抜いていた力を全身に込めた。

 

「昔とは違いますよ。この程度の押さえ込みなら……」

 

 そこからは、百代が対処する暇もないくらい素早く切り返してみせた。そして、今度は凛が彼女を押し倒すことになる。彼女から気の抜けた一言がもれた。

 

「あっ……」

 

「参りましたか?」

 

 今の状況――凛は百代の両腕を押さえ込み、覆いかぶさっている――は、人が通れば通報されかねないものだった。加えて、押さえ込みのときに、彼女のTシャツは胸のすぐ下までめくれあがっている。

 しかし、凛にはそれを気にしている余裕はなかった。倒れた少女から目を離せなかったのである。百代の瞳が月の光を反射し、彼にはそれが潤んでいるように見えた。彼女の髪は扇形に芝生の上に広がり、その一本一本が艶を失うことなく光に照らされる。組み手のせいか、少し蒸気した白い肌は妖艶ささえ感じさせた。

 ――――綺麗だ……。

 ずっと見ていたいと思わせるほどの魅力があった。そこに、百代の声が響く。その声は先ほどの快活さなど全くなく――。

 

「り……凛」

 

 鈴を振ったような声だった。凛にとって呼ばれ慣れているはずなのに、この瞬間だけは別物に感じられた――直後、彼は状況を察し飛びのく。

 

「す、すいません。調子乗ってました!」

 

「い、いや構わない。私から仕掛けたことだし……」

 

 凛は距離を少しとって腰掛け、百代はめくれたシャツを直す。しかし、雰囲気だけはそう簡単になおってくれそうになかった。

 沈黙――。

 しかし、それは重苦しさなどがあるわけでなく、かと言って心地よいものでもなく、とても不安定なものだった。

 

「モモ先輩」「凛」

 

「「あ…………」」

 

「「じゃあ俺(私)から……」」

 

 そこで2人は顔を見合わせると、声を出して笑いあった。ひとしきり笑ってから、百代が切り出す。

 

「会ってなかったときのことが聞きたい」

 

「俺もです。それじゃあ、一つずつ交互に話していくってのでどうですか?」

 

「うん、いいな。じゃあ――」

 

 2人の夜はまだまだ続きそうだった。

 



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『忙しい休日3』

 百代は凛の話を聞いて、目を見開いた。

 

「え!? じゃあ凛はあのヒュームのじいさんと……」

 

「はい。そういうことです。そんなに意外ですか?」

 

「いやお前意外すぎるだろ? というか……うーん。むしろクラウディオのじいさんって言われたほうがしっくりくるぞ」

 

 百代の指摘に、凛は思わず失笑した――。

 そして、次は百代の子供時代の話へと移る。

 

「モモ先輩、子供のときから戦闘三昧ですね。まぁ容易に想像できますけど」

 

「し、仕方ないだろ! 強い奴がいなかったんだから……やっとおもしろい奴見つけたと思ったら、そいつ帰っちゃうし。名前もわからなかったから、探しようがなかったしな」

 

「それを言われると弱いですね。名前かぁ……なんで名前知らなかったんでしょう?」

 

「私も覚えてないぞ。なんか単純な理由じゃないか? 2人とも小学生だったんだし」

 

「そんな気がします……なんか、俺が言い出したような気もするけど――」

 

 後に判明するお互いが名前を知らない理由。それは凛が言い出した一言にあった。『俺が勝ったら名前を教えてやる。負かされた奴の名前くらい知っておきたいだろ?』しかし、結局彼は勝つことができなかったため、名前を教えることがなかったのだ。

 一方、百代の方は『自分が勝ったのだから』と言い、名前を言おうとするが、凛は頑なにそれを拒否。喚く、耳を塞ぐなどの行為をとり、挙句『俺のルールだから、お前は関係ない』それが彼の言い分だった。それにカチンときた彼女は口より手が先にでる――それが続いて、名前の件は有耶無耶となる。

 これを思い出したのは、やはり凛の方だった。それを聞いた百代は深いため息をもらすことになるのだが、それはまだまだ先の話。

 凛は言葉を続けた。

 

「大和達とは、俺が帰ったあとに知り合ったんですか? それよりもっと前から?」

 

「凛が帰ったあとだな。2週間……いやもっとあとかな。いきなり向こうが訪ねてきてな――」

 

 百代は懐かしみながら、身振り手振りを加え、そのときの様子を話した。そして最後に穏やかに微笑みを浮かべ、締めくくる。

 

「あいつらには大分救われた……だから感謝してるんだ。会えなかったらと思うとゾッとする」

 

 話題が途切れることはない。

 

「凛が京都にいたのは、鍛錬の一環なんだよな?」

 

「ええ。あとは日本に慣れておきたかったっていう理由もありますね」

 

「海外で暮らしてたとか想像できないぞ――」

 

 高校が始まったばかりの頃。

 

「高1のとき、揚羽さんとな――」

 

「やっぱり凄かったんですね。手合わせしてみたかったなぁ」

 

 中学時代。

 

「燕姉が俺によく構うから、上級生とかから――」

 

「さすが私とタメをはる美少女だな。燕の苦手な物とかないのか?」

 

 師匠について。

 

「釈迦堂さんがそのことで私の前髪を――」

 

「それはモモ先輩が悪くないですか?」

 

 好物のこと。

 

「京都に四季堂って店があって、そこは桃を使ったデザートが――」

 

「今度それ取り寄せてくれ。奢ってくれてもいいぞ」

 

 そして、話はお互いの実家のことになったのだが、夏目家のことを聞き始めてから百代の様子がおかしくなる。

 

「――というのが厄介で、道端、林、家の中とあらゆるところに出現して大変だったらしいです。ご先祖様の中には化け猫を使役して、その妖怪の類を退治したり融和を図ったり、逆にそれらを自分の傘下におさめたりしてた人も……て、モモ先輩聞いてます?」

 

「も、もちろん聞いてるぞ。ドンと来い!」

 

 百代の声は元気なのだが、その表情は固い。凛がそれに不思議がっていると、突然川原の隅にある茂みが揺れる。しかし、一度揺れたきりで、また静寂が戻ってきた。

 凛は、その茂みから隣にいる人物へと目を向ける。2人の距離が明らかに縮まっていた。

 

「モモ先輩……?」

 

「な、なん――」

 

 見計らったかのように、先ほどとは別の少し離れたところが揺れる。それと同時に、百代の体も大きくビクついた。

 ――――なんか今日はいろんな表情が見られるな。

 百代はその茂みが気になって仕方がないのか、チラチラと目線を移動させる。しかし、決して凝視はしない。隣にいる凛のことも頭から抜けているようだった。

 

「モモ先輩って、もしかして幽霊とか苦手?」

 

「うわっ! そ、そそそんなわけないだろ? この超絶美少女武神の私が! はっはっは」

 

「そうですよね。あ、そうだ。知ってます? テレビとかで言う、水辺って霊が集まりやすいっていうのは本当なんですよ。水の性質が――」

 

 そこでまたもや茂みが揺れ、さらに月夜に照らされる多馬川で、何かが跳ねた。

 凛は自分の服が何かにひっかかったのを感じ、そちらを確認する。いつの間にか、百代が彼の服の端を掴んでいた。

 凛は微笑ましく思いながら、端を握って離さない百代へ声をかける。

 

「別に無理しなくてもいいですよ? 怖がる人なんてたくさんいるんですから」

 

 百代は自分の行動に気がついたのか、服を手放す。

 

「シワになってたんだ! それが気になったんだ」

 

「そうですか…………あれ? モモ先輩、あそこ見てください。ほら、あの茂みと川の境のとこ」

 

 凛はその方向を指差しながら、声のトーンを下げた。まるで、そこにいる何かに気づかれないように。川のせせらぎがやけに大きく聞こえるのは、彼らが黙っているからか、それとも――。

 百代は凛の顔から目を離さず、気丈に振舞う。

 

「わ、わかってるぞ! いつもの冗談なんだろ? その手にひっかかるか! …………冗談だよな? ……おぃ……早く冗談だと言ってくれ」

 

 しかし耐え切れず、後半はもう懇願に近かった。この間、百代は一度として指された方向へは、顔を向けていない。若干涙目となり、離されたはずの服が、またひっしと掴まれていた。

 凛はこらきれずに肩を震わせる。

 

「すいません。冗談です。だから泣かないでください。なんでそこまで強がるんですか?」

 

「ッ! 泣いてない。強がってないぞ」

 

 なかなか認めようとしない百代。凛は少し遠くを眺めながら口を開く。

 

「これから本番ですよね。怪談とか、幽霊とか、怖い話をすると寄ってくるって言いますし……モモ先輩、帰り一人ですけど、大丈夫ですよね? 俺が付き添わなくても、変質者とか幽霊とか、なんか得体の知れない者とか出てきても、自力で何とかしちゃいますよね。でも一つ忠告を……街灯の近くでなんか気配感じたときは気をつけてください。振り向いちゃダメ」

 

「…………街灯……う~。だいじょう、ぶ……大丈夫、じゃない。おまえは先輩怖がらせて楽しいのか!?」

 

 遂に百代は逆ギレ。凛は声を出して笑う。

 

「いやだって、全然認めようとしないから。今だって、服の裾離そうとしてないし。言動が一致してないから、言わせたくなっちゃうんですよ。可愛いなぁ先輩は」

 

「怖いものは怖いんだ! これで満足か!? あいつら触れないんだぞ! 襲ってきたらどう対処するんだよ!?」

 

 自分が鍛えてきた拳が通用しない。それが百代の霊を怖がる理由だった。彼女はさらに言葉を続ける。

 

「体がないのに、気配だけあるってなんだ!? わけがわからない! 凛が指差した方向も微かに気配感じるし……」

 

 今まで我慢していたのか、百代はそう言うと、凛の背に回って彼を盾にする。彼女の手は、しっかりと肩を掴んでいた。そして、彼の肩越しに茂みを確認する。そこはまた静かに、風で揺れているだけだった。

 

「あれはちゃんと生きてますよ。猫か、イタチか、それとも河童か……」

 

「河童!? いや、それならなんとかなる!」

 

 凛はまたもや吹き出した。

 

「なんとかなるんだ!? あ、触れるからか。モモ先輩vs河童……おもしろすぎる。まぁ残念ながら、あそこにいるのは河童じゃないですけど」

 

「笑い事じゃない! こっちは真剣なんだぞ! というか、凛の家系は化け物退治やってたんだよな? 今この辺りは大丈夫か? 意識しだすと、なんか変な気まで感じそうだ……」

 

 百代は弱気になっているのか、しきりに辺りをキョロキョロして警戒する。こうなると、暑さを和らげてくれた風すら、何かよからぬものに思えてくるのだった。

 

「化け物退治はもう何代も前ですけどね。まぁ軽くは継承されていますけど……周りは大丈夫ですよ。だから、そろそろ俺を盾にするのやめてもらえませんか?」

 

 凛は肩に置かれた百代の手をポンポンと叩いた。しかし、百代は首を縦には振らない。

 

「いや、まだダメだ! まだ何かいるかもしれない。今日はこのまま帰る!」

 

「盾にされて帰るなんて、生まれて初めての体験だ」

 

 時刻は11時をとっくに過ぎ、満月は中天にさしかかろうとしていた。2人はそのまま立ち上がり、川原をあとにする。彼らが去ったあと、茂みから顔をだしたのは2匹の猫だった。きっとこの猫が現れても、百代は疑ってかかっただろう。

 結局、凛は川神院の中――それも百代の部屋の前まで、連行された。その後、彼女は色々と理由をでっちあげ、寝ぼけ眼の一子と寝ることに成功し、夜を無事乗り切ることができたのだった。

 ちなみに、念を入れて部屋の中が平気かどうか、凛に尋ねる百代の姿に、一子は首をかしげていた。

 

 

 ◇

 

 

 そして次の日――振り替え休日――の朝。寮はとても賑やかなことになっていた。

 岳人は、テーブルの上に広げられた物を指差し吼える。

 

「俺様が総理大臣になった暁には、テストというものを全てなくしてやりたいぜ!」

 

「まぁ総理になれた頃には、テストなんてものを全て乗り越えた先だから、岳人がそれをなくしても何の利益も得られないだろうけどな。あと……馬鹿なこと言ってないで、さっさと次の問題やれ」

 

 その隣で一子に数学を教えていた大和が、ピシャリと言い放った。その彼女は既にグロッキー寸前である。まだ始まって1時間も経過していない。

 岳人はダイニングテーブルのあるほうへと目を向ける。

 

「俺様、マルギッテに教えてもらえると、今の100倍はかどる気がする」

 

「私はお嬢様へのケアで忙しい。貴様の相手をしている暇などないと知りなさい。教科書を100回ほど読めば嫌でも頭に入るでしょう」

 

 そこでは、マルギッテがクリス相手に教鞭をとっている。いつも軍服しか着てない彼女ではあるが、さすがに寮ではラフな服装にポニーテールとリラックスモードだった。彼女たちがここで勉強しているのは、大和の作戦でもあった。Sクラスにいる彼女は、彼にとっても効率よく勉強を進められる人物だったからだ。誘いだすのは簡単。クリスを誘い、彼女から声をかけてもらうだけで上手くいった。

 また、岳人へ厳しく言うマルギッテだったが、もともと面倒見がよい性格をしているからか、それなりに他のメンバーを見て回るなどしてくれていた。

 そして、その正面では学年が違う2人がいる。

 百代が恨めしそうに、凛を見た。その彼は、お喋りを続ける岳人へ鞭を打っている最中だった。

 

「くそぅ。昼ごはん食べさせてくれるって言うから来たのに、テスト勉強をするためとは。おかしいと思ったんだ……集合時間が朝からだったし。しかも燕もいる……」

 

 隣にいた燕が、教科書をパラパラとめくる。

 

「川神院で修行させてもらってばっかりじゃ悪いと思ってね。そこに大和くんから話がきたから、勉強教えてあげようってことになったのさ。さぁさぁモモちゃん、次の問題だよ」

 

「弟もグル……やるしかないのか~。2人とも恨むからな」

 

 その視線に気づいた凛が顔をあげる。

 

「今のうちにやっとけば、あとが楽になりますよ。燕姉はかなりの優等生だから、教え方うまいし。……岳人くーん、逃がしませんよー」

 

 凛に首を掴まれた岳人は、立ち上がることができない。

 

「凛! 離せ! トイレだよ!」

 

「10分経っても帰ってこなかったから、麗子さんに即行連絡いれる」

 

「はっはー。ちゃんと帰ってくるとも! ……って、もうカウント始まってんのか!?」

 

 ドタバタとリビングをあとにする岳人を見送り、凛はしばらく教科書を読み込んだ。そして、大和へと声をかける。

 

「そういや、モロは呼ばなくていいのか?」

 

「朝はちょっと用事あるらしい。でも昼はこっち寄って、ご飯食べたいってさ」

 

「了解。キャップは俺が昼作るって言ったら、何やら外飛び出していったしな」

 

 加えて、由紀江は朝から心の家へと出向いていた。

 大和が2人の仲介役を果たしたのが先月――謙虚な由紀江は、心にとって可愛い後輩となり、随分気に入っているようだった。

 そして、最後の寮メンバーである忠勝は、バイトに出かけていた。

 

「まぁあれでも、なぜか平均くらいとるからな。ワンコ! これが解けたら飴玉をやる!」

 

 大和の一言で、グテッとしていた一子がシャッキリする。

 

「頑張るわ!」

 

 そこに玄関が開く音が響く。リビングに現れたのは、買い物袋を提げた京だった。

 

「ただいま戻りました、旦那様。それと凛、これ」

 

 片方の白いビニール袋が凛に手渡された。中には、小雪のケーキで使う材料がいくつか入っている。

 

「おお、ありがとう。悪かったな、昨日確認したんだけど、材料足りてなくて……」

 

「構わない。私も本買いに行くついでだったし。あと、ケーキ作り少し手伝わせて欲しい」

 

「もちろんだ。ただし、辛いのはダメ。絶対」

 

「わかってる。指示に従うから安心して。ついでに大和への愛情たっぷりケーキも作ります。ククク」

 

「まぁほどほどにな」

 

 そこへ、また慌しく入ってくる岳人。

 

「凛! お前が10分とか制限時間つけたせいで、でるもんもでなかったじゃねえか! このモヤモヤ感どうすりゃいいんだ!」

 

「まだ全然時間あるぞ……」

 

「体感で10分とか計れるか。馬鹿野郎! だいたいウン――」

 

 先を続けようとした岳人だが、女性陣からの冷めた視線を感じ、口をつぐんだ。そのまま、大人しく着席。

 そして、時計が11時を指したところで、凛は昼食の準備にとりかかる。岳人の担当は大和、一子の担当は京へとなった。

 下準備を始める凛にクリスが話しかける。彼女の勉強はひと段落ついたようだった。

 

「自分も何か手伝えないか?」

 

「クリスは料理の経験あるか?」

 

「いやない! でも自分はやればできる。父様の御言葉だ」

 

 胸を張って答えるクリス。彼女は自信に満ち溢れている。

 ――――マルギッテさんが何か言うかとも思ったが、別に口をはさむつもりもないみたいだな。

 マルギッテは一瞥しただけで、今も大和の質問に答えていた。

 

「そうか……ならば、クリス隊員! 君には海老の皮むきの任を授ける。任務が完了し次第、次の任を与える」

 

 クリスの前に置かれる解凍された海老。食べる人が多いため、量もそれなりにあった。

 

「了解した! まかせておけ! ところで、どうやってこれ剥くんだ?」

 

「ここをこうやって……んで、ここをこうすれば。できあがり」

 

 クリスは凛の手元を見ながら、何度も頷き、見よう見真似でゆっくりと下処理を行った。そこへもう一人――京が加わってくる。テーブルでは一子が真っ白に燃え尽きていた。

 

「中華なら私におまかせ。めくるめく辛さの世界へみんなをご招待」

 

 凛は調味料を作る手を止めずに、会話をする。

 

「激辛も悪くないんだけど、食べられないのは困る。麻婆豆腐の辛さを調節して……辛めとあまり辛くない2種類を作ってくれるか?」

 

「お任せ侍。……デスチリソースは入れてもいいかな? いいとm」

 

「ダメです。一回、京の胃袋がどうなってるか見てみたいわ」

 

「いくら凛でもそれは見せられない。私の体は大和だけのもの」

 

「それは残念……とりあえず、その手に持ってる深紅の液体を置こうか」

 

 凛はそう言って、京の右手に握られたビンを没収した。身長差25センチの壁は厚く、彼女が手を伸ばしても、彼の手に握られたビンに届きそうない。

 

「あ~。最近、姑の嫁イビりがひどくなってる……」

 

「大和の母になった覚えは一度としてない」

 

 コントを繰り広げる中、クリスの元気な声が響く。

 

「凛! できたぞ。見てくれ」

 

「おっ早いな……マルギッテさんと一緒にやったのか」

 

 クリスの隣には、マルギッテが並んで立っていた。

 

「お嬢様だけにやらせるわけにはいかない。それで、次はどうするのです?」

 

「次は背ワタを取り除いて、これで海老を揉んで水洗いを……そのあとはさっと茹で上げてもらえますか? すぐに火が通るので、注意してください……て、クリス! その包丁の持ち方やめろ! 指切り落としそうでハラハラする」

 

「心配す……うわぁ!」

 

「お、お嬢様! やはり包丁は――」

 

 料理は賑やかに進んでいった。

 

 

 □

 

 

 昼食はさらに大人数となった。卓也は昼の準備が終わる前に顔をだし、同時にワカメと川神貝を持った翔一が帰ってきたのだ。彼の持物は、バイト先の店長からの頂き物らしかった。もちろん、その材料も使われ、最後の一品――海鮮スープへと変貌する。

 総勢11人の食卓は、麻婆豆腐、回鍋肉、エビチリ、豚肉のコチュジャン炒め、三色サラダ、棒棒鶏、海鮮スープと中華一色となった。肉類の料理の量が他を圧倒しているのは、川神姉妹が持ち込んだ材料のせいである。

 その料理の最中、中華鍋を振ろうとしたクリスが、中身をぶちまけそうになったのも、仕方がないことだった。もし迅速なフォローがなければ、キッチンは回鍋肉の海になっていたにちがいない。

 その料理も1時間経たないうちに、空となる。いつか紋白が言っていた言葉『健啖家には強いものが多い』は、間違いなさそうだった。

 それから食休みをはさみ、ある者はさらなる勉学へ、ある者は姿を消し、ある者はお菓子作りへと散らばっていった。ちなみに、姿を消した者は、その後ロボットの監視の下、勉強させられることになる。

 凛は綺麗に片付いたキッチンにて、助手となる京を横に置き、研修生のクリス、保護者マルギッテを交えて、即席お菓子教室を開いていた。

 

「では、今回はロールケーキをましゅまろで包んだものを作りたいと思います。材料はこちらで揃えておいたので、失敗を連発しない限り、寮のみんなにもごちそうすることができます。俺は小雪のケーキ作りで、ずっと見てやることができないので、京そしてマルギッテさん、クリスのサポートをよろしくお願いします」

 

 その一言に、クリスが反論。

 

「自分なら大丈夫だぞ! やり方さえ教えてもらえば、きっとできる」

 

「そう言って、さっきの料理で『最後の仕上げに』と持ち出したハチミツと練乳の恐ろしさを俺は忘れない」

 

「ハチミツは甘いんだぞ! 練乳も同じだ。だから、かけたら美味しくなる! 稲荷ジュースと同じ理論だ!」

 

 そこへクリスの援護射撃が入る。マルギッテだ。

 

「夏目凛! 食べてもないのに、言いがかりをつけるのはやめなさい」

 

「なるほど……ならば、京!」

 

「用意はバッチリだよ」

 

 用意されたのは、稲荷が沈められた水。ジュースと呼んでいいのかわからない代物が、テーブルに置かれた。卓也曰く「前衛的」とのこと。正直見るも無残なことになっている。はっきり言って、飲む意欲が1ミリも湧いてこない。

 凛がそれを持ち、マルギッテの目の前に差し出した。

 

「まずは、ぐいっといってみてください。クリスには悪いが、俺にその勇気はでなかった」

 

「いいでしょう」

 

 マルギッテはそのまま一気にそれを飲み干した。ついでに、稲荷も食べてしまう。そして一言。

 

「……飲めます」

 

「美味しいとは言わないんですね」

 

 様子を見守っていたクリスが、マルギッテへと詰め寄る。

 

「美味しいよな? マルさん」

 

「もちろん美味しいです。お嬢様」

 

 そのやりとりに、凛はため息をもらす。

 

「いや……まぁ時間もないからとにかく始める。ただし! クリスは何か投入しようと思ったら、必ず俺に許可を求めにくること!」

 

「夏目凛! お嬢様の行動を制限する気か!?」

 

「美味しいものを作るためです!」

 

 場は作る前から、混乱し始めていた。

 

 

 ◇

 

 

 その後、出来上がったのは仄かにピンクがかったロールケーキと茶色のロールケーキだった。ストロベリー味の方が小雪へ、ココア味は寮にいるメンバーへ振舞われる。クリスの暴挙は未然に防がれたのであった。

 しかし、ロールケーキはもう一つあった。一度作り終えてから、余った材料で京が独自に作ったものなのだが、普通に作られたものなのか、それとも別の何かなのかは彼女しか知らなかった。

 小雪用のロールケーキには、約束したように砂糖菓子人形が乗っていた。HAPPY BIRTHDAYとチョコレートで書かれた横に、兎耳をつけた小雪、垂れた犬耳の冬馬、最後にライオンの鬣をつけた準の3人が笑顔で座っている。

なぜ鬣をプラスしたのかと問われた凛はこう答えた。

 

「準になんかの獣耳だけ生やすと、変態チックになってしまう……」

 

 凛の忙しい休日はあっという間に過ぎていった。

 



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『N極とS極』

 小雪の誕生日が過ぎた翌日。ファミリーが揃って、変態橋を通っていると、後ろから機嫌の良い声が飛んできた。

 

「ウェーーイ!」

 

 小雪はそのまま凛の背中へとダイブ。もちろん彼は平然とそれを受けとめた。

 

「おはよう、小雪」

 

「ケーキ凄かったよ、リンリン! こうね……甘くて、イチゴがフワフワで、僕そっくりで……とにかくありがとうなのだ」

 

 小雪はギュッと凛を抱きしめた。

 

「気に入ってもらえたならよかった。それで、そろそろ離れてくれると嬉しい。周りからの視線が穏やかじゃなくなってきてる……」

 

 その言葉を聞き入れたのか、小雪はヒラリと飛びのき、大和にくっついていた京のもとへと向かった。

 それに気づいた京が、小雪へ話しかける。

 

「調子どう?」

 

「ぼちぼちでんな~。プレゼントありがとう」

 

「いえいえ。あれで男を手玉にとれるよ」

 

「僕にできるかな~?」

 

 そこへ隣にいた大和からツッコミ。

 

「京! おまえ小雪に一体何をプレゼントしたんだ!?」

 

「いくら大和のお願いでも、それは言えない。でも……どうしても知りたいって言うなら、寮に帰った後たっぷりと教えてあげる。その体に」

 

「小雪、帰ったらまずそのプレゼントを封印しなさい」

 

「あはは。そんなことしないよー。あれは全部僕の宝物だから。大和も他のみんなもありがとう」

 

 小雪は幼い頃、一時ファミリーの特別ゲストとして過ごしており、冬馬たちと一緒に過ごすようになってからも、ときどきこうやって親交を深めている。そして、誕生日当日には、ファミリーのそれぞれがプレゼントを贈ったのだった。

 そこへ冬馬と準が現れる。

 

「おはようございます、皆さん」

 

「おいーす。ユキがいきなり走り出したから、何事かと思ったが……凛、ケーキ旨かったぞ」

 

「おはよう。それは何より。……で、冬馬はなぜに俺に近づく?」

 

 凛と冬馬の距離は拳一つ分くらいになっていた。

 

「いえ、凛君は私に犬耳をつけていたので、言外に犬となれと言っていたのでしょう? なので近寄れば、頭の一つでも撫でてくれるかと期待したのですが……」

 

「冬馬の頭の中も一回覗く必要があるな……」

 

「頭だけなどと、遠慮しなくても結構ですよ」

 

 そのやりとりに、敏感に反応する少女が一人。

 

「犬プレイとはマニアック!? でも……朝から妄想が加速するんだ!」

 

 そして、もう一人ロリコニア建国を夢見る男も――。

 

「凛! 何度言わせるつもりだ!? そっちの世界へ踏み込んだが最後……二度と我らの聖域に入ること許さんぞ!」

 

「朝から変態密度が凄いことになってる。あと……我らって、いつの間にか俺加えられてるな」

 

 そんな変態に囲まれる一方、岳人は小雪へ向かって両腕を広げていた。

 

「小雪、なんなら俺様の胸に飛び込んできてもいいぜ。いつでもウェルカム!」

 

「あ、チョウチョだ。待って~。準、頭から蜜だして、それ捕って」

 

「俺様より蝶々か……なんで凛ばっかりオイシイ目に遭うんだ!? 凛ちょっと集合! 俺様にも菓子の作り方を伝授してくれ」

 

 その隣にいた卓也はつぶやく。

 

「岳人もブレないねぇ」

 

 賑やかな会話は教室に着くまで続く。

 

 

 ◇

 

 

 それから、穏やかな日々が過ぎていく。ただし凛以外。

 場所は九鬼のジム。ようやく空が明るくなり始めた時間に、凛の姿はあった。その隣にいるのはクラウディオ――ではなくヒューム。紋白はいない。

 

「ぐっ……」

 

「どうした? この程度か?」

 

 ヒュームは、構えなおす凛へと声をかけた。彼の鍛錬が始まって、もう9日が経過していた。

朝は5時に起きジムへ出向き、クラウディオによって組まれたメニューをこなしたのち、ヒュームとの組み手を行い、学校が終われば、その日言い渡されていたメニューをこなす。

 放課後はヒュームやクラウディオがいないときも多かったが、そのときは彼らが独自に雇った専属がつく徹底ぶりだった。しかし、それは凛の鍛錬後の肉体をケアする意味合いが強く、鍛錬中は集中しすぎて、やりすぎないためのストッパー的な役割を果たしていた。

 こうなった事の発端は、7月2日の鍛錬で、ヒュームが放った一言だった。

 

「1ヵ月後……勝負の場が用意される」

 

 遂に、百代との全力を尽くした戦いが、実現することになったのだ。

 そこから始まった過酷な鍛錬。ヒュームには何やら考えがあるらしく、出来る限り、凛との組み手をする時間を作っていた。そして、全てのメニューの中で一番キツいのが、この組み手である。

 全幅の信頼をよせる師に、凛は特に疑問をもつことはなかった。何より、戦うべき相手が明確になったからだ。短い期間でさえ無駄にはできなかった。相手は――世界に名を轟かす武神。熱が入りすぎることもしばしばあった。

 凛の1日は物凄いスピードで過ぎていく。テストも近づく中、授業は睡魔との闘いでもあった。意識が落ちそうになったのも、1度や2度ではない。それでも何とか耐える。

 ヒュームはもう何度言ったかわからないセリフを口にした。

 

「研ぎ澄ませ――」

 

 組み手は8分を越えたところだった。

 

 

 □

 

 

 授業を何とか乗り越えた凛は、百代とともに秘密基地へやってきていた。テスト前、最後の金曜集会だ。今日は放課後の鍛錬が休みで、明日からまた別メニューが待っている。

 2人は定位置に座り、何気ない会話を交わして、他の皆が来るのを待っていた。

 久々のゆったりとした雰囲気。暑さが和らいだ夕方の気温。背後の開け放たれた窓から入ってくる風、そして百代の楽しそうな声、その全てが心地よく、凛の瞼は遂に限界を迎える。

 

「――でな、燕がそのとき」

 

 百代はそこで言葉を切った。なぜなら、彼女の左肩に重みを感じたからだ。そして、聞こえてくる規則正しい寝息。

 

「おーい……凛?」

 

 百代の問いかけにも、全く反応がない。ただ寝息だけが聞こえてくる。

 

「お前一体どれだけ扱かれてるんだ?」

 

 最近、凛の帰りが遅いことなどを大和から聞いていた百代は、一人つぶやいた。

 凛は体勢が悪いのか、眉を少ししかめる。そのまま、もぞもぞと体を動かすと、最も寝やすい姿勢をとった。すなわち、寝転んだのである。枕はこの世に唯一つしかない百代の太もも。眉間によっていたシワもなくなっている。腕はソファから投げ出し、頭はかろうじてスカートの上に乗っかっていた。

 

「おまえは最高の幸せ者だぞ。なんせ、この美少女に膝枕してもらってるんだからな」

 

 そう言って、百代は凛の頭へと手を添える。柔らかな銀髪がサラリと指をすり抜けていった。彼はそれを払うことなく、幸せそうに眠ったままだ。時折、軽く身じろぐため、彼女は少し横にずれて、彼を楽な姿勢にしてやった。

 

「燕の奴……防御なんか全然固くないぞ。むしろなんでもやり放題だ」

 

 凛の頬を人差し指でツンツンつつくと、彼の表情が少しゆがむ。百代はそこで手を止めて微笑んだ。そしてまた頭を撫でると、穏やかな顔に戻る。彼女の心は不思議な感情に包まれていた。

 

「でも確かに眠っていると猫のようだな。いつもは凛々しくて、時々いたずらっぽい笑みを浮かべて、でも瞳の奥は激しく、今は可愛い寝顔…………なんだろ? 少しドキドキする」

 

 百代は自分の心臓を確かめるように、左手を胸へとあてた。そして、右手で凛の頬を優しく撫でる。彼はそれが心地いいのか、微笑みを浮かべていた。それを見た彼女も自然と表情がゆるんでしまう。

 まだ、秘密基地に人が来るような様子はない。いつもは騒々しい空間が、2人だけのものとなっていた。カーテンが風でゆらゆらと揺れている。彼の呼吸音が聞こえるほど静かだった。

 百代は、誰にも聞かせることのない思いを眠る凛に語る。

 

「私を一人にしない、叩きのめす……か。対等な男なんて、今までいなかったからな。ふふ。嬉しかったぞ。そして何より楽しみにしてる。でも、そんなセリフを言う男が私の膝で眠っている。今まで女の子に似たようなことをしたり、されたりしてきたけど、そのどれとも違う……」

 

 百代は梳くように凛の頭をゆっくりと撫でる。

 

「胸が締め付けられるようで、でもそれが心地よくて……もっと続けばいいと思ってる。戦闘をしてるときの突き抜けるような快感はない。その代わり、じんわりと染み渡るような温かい気持ちになるんだ。なぁ凛、これはお前だからか?」

 

 もっと触れたい。その気持ちに従って、百代は凛の投げ出された手を握る。それと同時に、鼓動は早くなる。握った手を、今度はゆっくり指を絡めていった。自分とは全く違う。大きな手に、骨ばった固い指。一本一本確かめると、所々に小さな傷があるのがわかった。そのくせ、綺麗なつめ先はスラリと長い。

 凛に聞こえてしまうのではないか。そう思えるほど、胸は大きく高鳴っている。

 

「……ッ!」

 

 突如、百代は体を硬直させた。凛が無意識に握り返してきたからだ。その結果、俗に言う――恋人握りでつながる2人。

 深呼吸を繰り返し、一旦落ち着く百代。そして、自分の方からも少し力を込めてキュッと握る。

 

「起きてる……とかないよな?」

 

 聞かずにはいられない。もし起きていたら――そう考えると、百代の頬に朱がさす。しかし、いつもの快活さ溢れる声は一向に聞こえてこなかった。その間も手は握られたままだ。それを意識すると、また鼓動が跳ね上がった。

 ファンの女の子たちが自分に言ってくる現象――それが百代自身に起こっている。彼女は意外と冷静にそれを受け止めていた。ああ、ようやくわかった、といった感じである。

 その気持ちに気づくと、それはさらに膨らんでいった。

 

「そうか。私は凛に……でも今はまだ――――」

 

 百代は、凛の顔へ当たらないように、片方の耳に自身の長い黒髪をかけると、そのままゆっくりと顔を落としていく。そして、次に顔をあげたときには、今まで誰にも見せたことのない柔らかい笑みだった。その頬は、夕日に照らされる以上に、しっかりと染め上がっている。

 

 この日、彼女だけの秘密ができた――。

 

 

 ◇

 

 

 凛はゆっくりと瞼を開く。風景はぼんやりとしていた。

 ――――うわ。俺寝てたのか……何してたんだっけ? 全然意識なかった。こんなことヒュームさん知られたら……というか、寝心地が最高だ。この枕欲しい。

 そして、最初に瞳に映る百代の優しげな表情。彼女も気づいたようで、すぐに表情を引き締めた。凛の意識は一気に覚醒し、飛び起きる。

 

「すいません! モモ先輩! 重くなかったですか? 起こしてくれれば。スカートがシワに、しかも膝枕……ひざまくら……ありがとうございます!」

 

 凛はしどろもどろになりながら、そのまま立ち上がると、90度のお辞儀。さすが、礼儀作法が身に染み付いているのか、姿勢のよいビシッとしたものだった。

 ――――あ、危なかった。もう少しで手触りを確かめてしまうところだった。

 百代は突然の凛の行動に唖然とするが、次第に笑いがこみ上げてくる。

 

「美少女の膝枕はお安くないんだぞ。あとで何か奢ってくれ」

 

「えっと……学食10回ぐらいですか?」

 

「なんか変に生々しい数字を出してくるな。それでいいなら、私は構わないぞ」

 

「ごめんなさい。葛餅パフェくらいで勘弁してください」

 

 凛は素直に頭を下げた。

 それから30分もしないうちに、ファミリー全員が揃う。相変わらず、駄弁るだけだったが、テストも近いということで、いつもより早い時間にお開きとなった。

 

 

 □

 

 

 テストは、週の初めから末にかけて行われる。

 そのテストの折り返しとなる中間日。凛はたまたま廊下で会った冬馬と話をしていた。ほとんどが準か小雪の話だったが、破天荒な生徒ばかりの川神学園であり、その中でも取り分け濃いキャラである。当然のことながら、話は弾む。

 廊下には、凛たちの他にも数名がいたが、いつもと比べると断然人は少なかった。最後のあがきか、それとも前のテストの答えを確かめているのか。

 そのとき、凛が窓の外にある人の姿を見つける。

 

「あ、モモ先輩だ……」

 

 それを見ていた凛だが、冬馬からの視線が気になり、百代から目を離す。

 

「なんだ、冬馬? 俺の顔に何かついてるか?」

 

「いえ、そういうわけではないのですが……少し妬いていたんです」

 

 その言葉の意味がわからない凛は首をかしげる。その反応に、冬馬は少し意外そうだった。

 

「おや? ……凛君はご自分で気づいておられないんですか?」

 

「何にだ?」

 

「そうですか……いえ、少し意外でした。そういうお気持ちには鋭そうだったので、それともご自分の事だからでしょうか。あなたのことが少しわかってよかったです」

 

 凛は困った様子で冬馬を見た。

 ――――意味がわからない……。

 冬馬はクスクスと笑うと、また話し出す。しかし、その声は2人以外には聞こえないくらいに小さい。

 

「あなたがモモ先輩を見つめる顔は、私に熱い視線を送ってくれる方達とよく似ているということです」

 

 その言葉に凛は固まった。

 

「えっと……それはつまり……俺があれか? まじでか?」

 

 凛も自然と声が小さくなる。気配すらも入念にチェックした。他の生徒に聞かれると、厄介なことになりかねないからだ。

 冬馬は楽しそうに言葉を返す。

 

「小雪がお世話になってるあなたに、嘘はつきませんよ。それに、これでも恋多き男なので、見間違えるはずありません。もちろん、凛君も射程に入っているのでご安心ください」

 

「最後の言葉は全然ご安心できない。いや……そりゃ一緒にいて楽しいとか、可愛いとか、もっと色んな顔を見てみたいとか、いろいろ思うけど……」

 

「そういう気持ちを全部ひっくるめると、一つの単語で表すことができると思いませんか?」

 

 ちょっとした恋愛相談へと発展していた。

 凛は腕を組んで悩み始める。冬馬はそれを見て、何か閃いたようだ。さらに言葉を続ける。しかし、それは小声ではなく耳打ちだった。

 

「そうそう。公にはなっていませんが、実はモモ先輩には婚約者がいるんです」

 

 それを聞いて、一瞬呆然とする凛。しかし、そのあとの反応は早かった。冬馬の両肩を掴んで、真顔で問い詰める。

 

「えっ!? そんな話聞いたことなかったぞ。誰だ? 冬馬。それ誰だ!?」

 

「冗談です」

 

「ジョー・ダン!? アメリカ人か……ゲイツ先生とかの知り合いか!? いつそんな話になったんだ!?」

 

「いえですから、冗談ですよ。凛君」

 

「だからジョー・ダン! ん? ……じょーだん……冗談。もしかして……からかったのか?」

 

 凛はゆっくりと冬馬の肩を離すと、額を押さえ天井を仰いだ。そして、口から大きな、それはもう大きなため息がもれる。

 冬馬は微笑みを絶やさない。

 

「凛君も中々からかい甲斐がありますね。最も、特定の分野に限っての話ですが……そろそろ時間です。敵に塩を送る形になってしまいましたが、私ならいつでも待っていますから」

 

「ちなみに、敵って誰のことだ?」

 

「分かっているのでしょう? それではお互いテスト頑張りましょう」

 

 冬馬はそう言って、凛に背を向け歩き出した。しかし、途中で立ち止まって振り向く。

 

「先ほどのことは内密にしておくので、ご安心ください」

 

「よろしく頼むよ」

 

 冬馬が姿を消したあと、凛は窓の外に先ほどの人物がいないか探す。しかし、もうどこかに行ってしまったようだ。

 ――――俺がモモ先輩をねぇ……恋かぁ。モモ先輩って誰か好きな人いたりするのか? うわっ誰かいると思うと、少しへこむ。そんな事考えたこともなかった。大和とか、普通にありえそうだし。

 

「あーどうしよう」

 

 その問いに同意の声があがった。

 

「わかるぜ~その気持ち。テストとかなくなればいいよな。でもよ、これ乗り越えれば、暑い夏の始まりだ! 可愛い女の子もいっぱいだし、アダルトな夏を過ごせるよう頑張ろうぜ!」

 

 凛がそちらへ顔を向けると、マッスルポーズを決めた岳人がいた。スマイルもバッチリだ。

 

「アダルトな夏ねぇ……岳人は具体的にどうするつもりなんだ?」

 

「そりゃお前、まずはナンパだろ! 女どもも夏を過ごせるパートナーを捜し求めている! そこへ颯爽と現れる俺様『お嬢さん、俺様と一緒にコーシーでもどうですか?』てな具合で、さりげなく声をかける――」

 

 そこへ卓也がまじってくる。

 

「それで『ごめんなさい』って言われて終わるんだよね。去年と何も変わってないじゃない」

 

「ふっふっふ。モロはわかってねぇなぁ。今年は凛も連れて行くんだよ! あれだ! 凛はエサだな」

 

 本人を目の前に堂々と宣言する岳人。

 いつの間にか、他のファミリーも集まってきていた。クリスが口を開く。

 

「それでは凛が全てを持っていくのではないか?」

 

 京もそれに同意する。

 

「間違いない。というか、凛をそんなことに使おうとしたら、岳人はこの学園から抹殺されるかもよ。ファンたちに」

 

「おいおい、怖いこと言うな。凛! いや凛様、仏様。頼む! 1日でいい! 俺様にチャンスをくれ!!」

 

 岳人は両手を合わせて、凛を拝む。

 

「まぁ1日中はキツそうだから……2,3時間なら別に構わないぞ。でも、俺が声をかけたりはしないからな」

 

「心の友よ~! それで構わない。でも会話くらいはしてくれよ。んで、いい感じのところでハケてくれたらいい。報酬はプロテイン10袋でどうだ?」

 

「いや別になんもいらん。2,3時間のことだし」

 

 闘志を燃やす岳人をよそに、一子の声がファミリーの耳へ届く。

 

「あうー次は数学だわ……簡単な問題がでますように。簡単な問題がでますように」

 

 こちらはこちらで数学の教科書へ祈りを捧げていた。そんな一子を励ましながら、席へとついていく。

 Fクラスに集中しているファミリーだが、早めからの勉強がそれなりに功を奏したのか、岳人と一子は赤点を回避できそうだった。他のメンバーはというと、大和と京はペンが止まらないといった様子、凛とクリスも余裕、卓也は悩みながらも着実に解いていき、翔一はひらめきを信じ、選択問題で分からないところはペンを転がしていた。それが当たっているかどうかは、週明けに分かる。

 それぞれの秘めた思いが交錯する――夏休みはすぐそこまで迫っていた。

 



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『襲来』

「遂に……ついに乗り切ったぜぇーーー!」

 

 テスト最後の科目(歴史)をやり終えた岳人が、叫びながら席を立つ。そして、それは彼だけでなく、クラス全体が活気付き、テストからの解放を喜んでいた。

 

「夏が……暑い夏が俺様を待っている!!」

 

 わざわざ窓の外へと目を向け、太陽に目を細める岳人。そんな彼を放置し、ファミリーは一子を愛でながら、これからの予定を話していた。

 そして最後は、いつも通り翔一が総括。

 

「おーし! んじゃあ、これからモモ先輩とまゆっちも誘って、基地でお疲れさん会だ! 全員さっさと準備して、買出しへ向かうぞ!」

 

 大和が2人へとメールを送り、一行は門前へ移動する。その途中には、多くのグループができあがっていた。旅行の話、遊びの計画、部活動、バイト三昧などなど、それぞれが目前に迫る長期休暇のことで盛り上がっている。そんな彼らの顔は一様に明るい。

 門前で少し待っていると、由紀江と百代が2人で現れる。

 

「みなさん、お待たせしてしまってすいません」

 

 百代は大和と一子の頭を撫でる。

 

「待たせたな。で、これからどうするんだ?」

 

 その問いに、大和が軽く説明し、ファミリー全員で買出しへ。

 テスト最終日は午前で終わったため、太陽は真上、これからまだまだ暑くなりそうだった。買出しついでに、好みのアイスを買った彼らは、その甘さと冷たさを味わいながら、大橋を渡る。通行人はほとんどが川神学園の生徒たちだ。

 そんな中、凛は百代と最後尾を歩いていた。彼はカップアイスを、彼女は棒アイスを食べている。

 百代はアイスを一口かじると、隣を歩く凛へと話しかける。

 

「凛、体の方は大丈夫なのか?」

 

 百代はどうやら、基地での様子が少し気になっているようだった。それに気づいた凛は、明るく返す。

 

「大丈夫ですよ。そんなヤワでもないですし、楽しんでやってるくらいですから。でも……膝枕はまたやってもらいたいですね。最高でした」

 

 そう言って、凛は親指をグッとたて、アイスをすくう。しかし――。

 

「私のは安くないって言ってるだろ? あんまり調子にのるなッ!」

 

 そのアイスを百代が食べてしまう。

 

「あ……」

 

 凛と目線がぶつかった百代は、薄く笑う。まるで「隙があるから悪いんだ」とでも言いたげだった。しかし、彼は全く別のことに気をとられていた。

 ――――間接キス……て、くそ! 気にするな! こんなこと前も普通にしてただろ! いやしかし、前とは少し状況が違うわけで……冬馬め、余計なことを。えっと……今までだったら、俺は仕返しをしていたよな? だからモモ先輩のアイスを食べればいいんだよ。そう……サッと今までどおり、ごく自然に、さりげなく、かつ大胆に。

 凛はただじっとその様子を見ていた。百代はというと、ようやく自分のやっていることに気づき、一瞬硬直。しかし、何事もなかったかのように、木のスプーンから口を離した。

 つい、いつもの癖でやってしまった。百代は横目で凛を確認する。しかし、彼はその様子もほとんど気にしていない。

 ――――……いや待て。嫌がられたらどうする? 俺が食べようとしたら、絶対避けるだろ。それはアイスをただ食べさせたくないのか、それとも俺との接触を拒んでいるのか。でも、モモ先輩は俺のアイスを平然と食べるんだから、この場合は、ただ単にアイスを食べさせたくない、ということになるのではなかろうか? 前のガムのときも普通に受け取ってくれたわけだし……というか! 俺はなんて大胆なことをしてたんだ!? ガムを口に銜えて渡すって正気か!? イカれてる! むしろ凄い!! いやいや、今そのことは置いておこう。問題は……。

 そこで凛の思考は中断させられる。

 

「――ん。おい……凛? お、怒ったのか? お前がそこまでバニラが好きだったとは知らなかったんだ。代わりに私のを一口分けてやるから、なんとか言ってくれ」

 

 百代は、棒アイスを差し出した。味はもちろんピーチである。

 

「あ、いや……怒ったわけじゃないです。すいません。ちょっと考え事を……これ、もらっていいんですか?」

 

 凛は目の前に差し出されたアイスを指差す。百代はコクンと頷いた。

 ――――あ、可愛い……じゃない! おかしい。俺今までどうやって対応してきたんだ? しかも、モモ先輩になんか誤解されてる。とりあえず、アイスを頂こう。関接キスとか全然……全然気にしてない。なんかいろいろとおかしいぞ俺。

 凛は一口分だけ、アイスをかじった。それを見届けた百代は、少しホッとしたようだ。表情が柔らかくなる。彼は言葉を続けた。

 

「おいしい……というか、モモ先輩のアイス全然溶けてないですね。京のとか、かなり溶けてるのに」

 

 2人の視線の先には、百代と同じ棒アイス(バニラ)を食べている京。そのアイスは溶けて白い液体となり、彼女の手に少しかかっていた。彼女は舌をチロリとだして、それをゆっくりとなめとるという、何かを連想させるような過激なアプローチを大和に向けて仕掛けている。

 百代はそれを笑いながら見守り、凛の問いに答えた。

 

「気を使えば、こんなもの楽勝だぞ」

 

 そう言った直後、百代の手から冷気が溢れだす。それは手の先のアイスへと伝染していった。そして、溶けかけのアイスは瞬時に固まる。

 

「うお……凄い。モモ先輩疲れないんですか?」

 

「全然。これくらいなら、呼吸するのとほとんど変わらないしな……ッ!」

 

 そこで百代は再び硬直した。なぜなら、凛が突然手を握ってきた――というよりも、触ってきたからだ。彼はそれに気づかず、楽しそうに笑う。

 

「おお~ヒンヤリしてて気持ちいい。これってやっぱり、加減とかできるんですか? ……て、モモ先輩アイス!」

 

 凛は百代の手から落ちたアイスを何とかキャッチして、自分の行動に気がついた。

 ――――あ……普通に冷気とか扱うからテンションあがってしまった。今までが今までだったから、ふとしたときに平然と行動してしまう。距離感がうまく掴めない。戦闘なら楽勝なのに……。

 百代は「悪い」と一言口にして、それを受け取ると、一気に食べてしまう。そして、幸せそうに頬をゆるめた。それを見ていた凛の口から、自然と言葉がでてくる。

 

「よかったら、俺のアイスも食べますか? バニラですけど」

 

「いいのか? じゃあ…………食べさせてくれ」

 

 ――――この人、普通にこういうことできるんだよな。大和で慣れているせいか? でも、他の男とかにしてほしくない……と言えるのは彼氏の特権だろう。

 凛はアイスをすくうと、百代の口元へと持っていく。しかし、彼女がそれを食べようとした瞬間、それを引っこめて自分が食べた。単純な手にひっかかった彼女から鋭い視線が飛んでくる。彼女は一言も発さず、ただただじーっと彼を見つめた。

 凛はその様子に失笑しながら、もう一度アイスをすくって、百代の口元へもっていった。だが、先ほどの行動を警戒する彼女は、彼をチラチラと確認し、なかなか食べようとしない。

 

「大丈夫です。もうしませ――」

 

 そう言い掛けた瞬間、百代は食いついた。その彼女はなんだか満足そうである。加えて、凛を目の端に捉えると鼻で笑った。

 ――――ん? なんか勝手に勝負みたいになってる……。だが……その勝負高く買おう。

 再度、凛はアイスをすくい、百代の口元へと運ぶ。そして、口元5センチほどの所で静止させた。微妙な緊張感が2人の間に走る。

 その光景は、前を歩く大和らに見られていた。

 

「あの2人……最近やけに仲良いな。そう思わないか?」

 

 隣を歩く京も後ろを振り返る。そして、それを確認すると大和の腕を抱いた。

 

「前からあんな感じだったと思うけど。もしかしたら……私たちの仲の良さが伝染したんじゃないかな? 悪いことじゃない。これで大和は私にのみ愛を注ぎ込むことができる」

 

 京は抱いた腕にさらに力を込める。

 

「やまとぉ……私なんかクラクラしてきちゃった」

 

「それは熱中症かもしれないな。寮に戻るか?」

 

「むー。体を心配してくれるのは嬉しいけど、大和にクラクラきてるという乙女心もわかってほしい。…………それじゃあ、私たちも凛たちみたいに食べさせ合いっこしようか。この場合、体とアイスの2択があります」

 

「アイスで」

 

「その答えは承認されません。もう一度お答えください」

 

「アイスで」

 

「考える間すらないなんて……まぁいっか。今はアイスで我慢しておく。それにしても、後ろの2人は元気だよね。あの元気さが羨ましい」

 

「というか、凛の手を引く速さが尋常じゃない。食らいつく姉さんも姉さんだが――」

 

 まったりする2人の後ろは、勝負が白熱していた。

 百代が自分の上唇を指差しながら抗議の声をあげる。

 

「こら、凛! 今のどう考えても食べてたぞ。唇がアイスに当たってた!」

 

「でもアイスを口に含んでないんですから、俺の勝ちでしょ。スプーンも銜えられなかったし……はい、これで3勝したんで、俺の勝ち~」

 

 百代は凛からカップアイスを取り上げると、アイスをすくう。そして、それを彼の口元へズイッと差し出した。

 

「まだ終わってない。今度は私がすくう方だ」

 

 凛はやれやれと肩をすくめる。

 ――――意地になるモモ先輩も可愛い。

 

「力の差が理解できないようですね……仕方ない。付き合ってあげましょう」

 

「生意気な口をきくじゃないか。この勝負はどう考えても、腕を引くほうが有利だろ?」

 

「はいはい。俺の方はいつでもいいんで。かかってきてください、モモ先輩」

 

「なんか私が駄々をこねてるみたいじゃないか! こら凛――」

 

 2人の低レベルな戦いは、アイスがなくなるまで続いた。

 その後、基地に着いたメンバーは、テスト終了を祝う。そのときに、ナンパ計画を聞いた百代は密かに耳を澄ませ、逆に凛は、岳人のお願いがあったという部分を強調していた。そんな彼の行動に、ファミリーは一様に首をかしげるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 土曜は午前から休憩をはさみつつ、夕方までみっちり鍛錬。それが終わった凛は、一人帰り道を歩いていた。そこへ見慣れぬ車が一台近寄ってくる。彼は特に気にすることもなかったが、それが少し前で停車したことに、違和感を感じ立ち止まった。

 運転席と助手席から降りてきたのは、私服に身を包んだ男女の一般人。しかし、凛はそれが誰なのか見当がついていた。体つきと何度か感じたことのある気配――狩猟部隊の軍人である。

 女性軍人――ストレートの栗色の髪を肩口で揃え、髪と同じ色の目。目元に泣き黒子がある――が先に口を開く。

 

「初めまして。自分はクリスお嬢様の護衛を任されているアンネ・ブルークマン曹長であります。隣はゲオルグ・ベーベル軍曹」

 

 190センチは超えている岩のような男が、敬礼を行う。

 ――――日本語上手いな。

 さらにアンネが続ける。

 

「あなたが夏目凛で間違いないですか?」

 

「……その前に、クリスの護衛だという証拠みたいものはありませんか? 会ったこともない方の言うことを、簡単に信じるわけにもいかないので」

 

「確かに。しかし、今持ち合わせている物で納得していただけるかどうか……軍曹!」

 

 呼びかけに応じたゲオルグは、トランクから一つのアタッシュケースを取り出し、それを広げた。

 ――――バッジじゃよくわからないしな。まぁ心配いらないと思うけど……これは俺が撮ったクリスの写真だな……こっちはアンネさんとクリスが一緒に写った誕生日のものか? んでこれは、ゲオルグさんが部隊に入ったときのものか? 結構幼い頃のクリスが一緒に……って写真ばっかりか!! これいつも持ち歩いているのか?

 凛がそれを確認していると、アンネが再び話し出す。

 

「直江大和に連絡をとってみてはいかがでしょう? そちらへは、フリードリヒ中将閣下自らいらっしゃっているので、信じていただけると思います」

 

 ――――先にそれを言って欲しかった。もしかして、写真見せたかった……とかじゃないよな?

 

「大和もですか……とりあえず電話してみます」

 

 凛はそう言うと、携帯を取り出した――。

 

 

 □

 

 

 そして場所は移って箱根の旅館。凛は無事大和と合流を果たすことができた。そこにいたのは、クリスの父であるフランクとマルギッテ。さらに、彼の護衛と思わしき人が10数人。

 日はすっかり暮れてしまい、空には星が輝いている。初対面の凛とフランクは軽い挨拶を交わし、4人はひとまず旅館の一室へ移動する。

 最初に、凛が旅館に備え付けられているお茶を入れ、皆へ配った。一息ついたところで、本題へ入る。その内容は実に親馬鹿らしいものだった――つまり、クリスは可愛いため、周りにいる男が恋をする可能性が高い。そして、その中でもファミリーとして普段から付き合いのある男は要注意。マルギッテに探らせた結果、恋仲になる危険があるのは凛と大和。ならば、彼らを調べ、さらにフランク自ら確かめるということだった。

 それを聞いた凛がフランクへ問いかける。

 

「えーっと……それで私達に何か問題があったんでしょうか?」

 

「少し気になることがあってね。……直江大和君の父親は今、ヨーロッパにいるね?」

 

 大和は少し背筋を伸ばした。

 

「はい」

 

「あの男の息子なら完璧さを装いながらも、娘をかどわかすことができるかもしれない。そして、夏目凛君……君を調べて、不覚にも私は驚いてしまったよ。君の祖母が、まさかあの有名な『魔女』だったとはね」

 

「私は祖母の仕事に関して詳しく知らされておりませんが、確かに向こうでは有名のようですね。その孫である私を疑うのも無理はないかもしれません」

 

 フランクは一度お茶をすすると、2人を交互に見る。

 

「そこで2人に問いたい。娘であるクリスを一体どう思っているのか。丸裸の本音を聞きたい。私は銃の手入れをしているから、思ったことを答えてくれたまえ」

 

 大和に緊張が走る。それでも、銃を見せられるのは2度目であり、横に凛がいるからかすぐに落ち着きを取り戻した。

 それを横目で確認した凛が先に答える。

 

「では私から答えましょう。その前に……銃の手入れをされるのは構いませんが、間違っても引き金に指をかけないで下さい。もしかしたら、銃口が折れ曲がって暴発したり、なぜか発射された銃弾が、跳弾してご自身に向かわれるかもしれません」

 

 凛は穏やかな笑みを浮かべた。それに噛み付いたのはマルギッテ。

 

「夏目凛。それは脅しですか?」

 

「脅されてるのはこちらの方だと思いますが……銃が出されていなければ、そんなことは起こらないでしょう?」

 

 フランクが笑いながら答える。

 

「心配いらないよ。手入れをしていると私自身が落ち着けるのでね。それで、答えを聞かせてくれないか?」

 

「……そうですか。まぁ、私にとってクリスは……友であり、可愛い妹のような存在でしょうか? 確かに魅力的な女性だとは思いますが、私には彼女よりも気になってる女性がいるので、恋に発展することはないです」

 

 ――――むしろ、そんな余裕がない。一人を相手するので精一杯です。

 その言葉に、フランクの眉がピクリと動く。

 

「……ほう。ちなみに、その女性が誰なのか教えてもらえないかね? 君が惹かれる女性というのも興味深い。加えて、クリス以上の存在を私はこの地球上……いや銀河の中でさえいるとは思えないのでね」

 

 大和もその話に興味があるのか、凛の顔を見た。

 凛は間を空けずに答える。

 

「川神百代ですよ」

 

「なるほど……確かに調査の結果でも、君が武神打倒を本気で狙っているというのは聞いている。それが達成されるまで、ほかの事に気をとられている暇はないということか……」

 

 ――――それもある。でも、もうモモ先輩のことを意識してるからな。まぁこんな所で絶対言わないけど……。

 しかし、フランクは食い下がる。

 

「では、武神を仮に倒したとして、その後はどうだろう? 君は女生徒からの人気も高いと聞く。クリスもよく懐いているそうじゃないか……どうかね?」

 

 凛はお茶を飲みながら、次の返答を考える。

 ――――どうかね? ……とはどういう意味だ? どうもならんぞ。むしろ、モモ先輩に告白でしょ。その場合、やっぱり「好きだ」とストレートにいく方がいいよな? って、今はそんなことどうでもいい!

 

「そうですね……そればかりは、そのときになってみないとわかりません。誰かと恋をするのか、さらなる高みを目指すのか――」

 

 ――――まぁ、俺は両方を獲りに行く気満々ですけど。

 

「今はそうとしか言いきれません。もしご心配であれば、それが達成されたとき、またお聞きになってください」

 

 ――――その頃にはモモ先輩と恋人になってる! ……はず。多分。こればかりは断言できない。そういえば……モモ先輩が絡むと、不確定なことが多いな。だから面白いのかも。

 フランクは背もたれに背を深く預ける。

 

「倒すことに微塵の迷いもないようだな……君の考えはわかった。ならばその言葉通り、それが成し遂げられたとき、再度問おう。どんな男かと思っていたが、君とこうして直に話し合えてよかった。なかなか面白い男のようだな、君は」

 

「ありがとうございます?」

 

 凛は少し疑問を持ちながら礼を言った。

 そして、いよいよ大和の番となる。彼はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「では、次に直江大和君。君の答えを聞かせてもらおうか」

 

 大和は一度、凛に目配せし、彼がそれに頷くのを確認すると、意を決して話し出した。

 

「俺にとって、クリスは大切な友達です。なぜなら、凛と同じように、俺にも気になる女性がいるからです」

 

 ――――おお! 大和ぶっちゃけるつもりか!? しかし誰だ? 京? 燕姉? 弁慶、あるいは義経……小雪とかもありえるな。 違う! 最有力候補はモモ先輩かもしれない。いやいや……目配せしたんだ。ここで発砲が起こるようなことかもしれない。クリスか? 

 

「そして、それは3人います!」

 

 それに反応したのは凛。

 

「なんと! この場面で複数を選択するとか、大和おまえは勇者だな」

 

 次にマルギッテ。

 

「大和……これは軍の質問です。冗談であるなら、今のうちに訂正しなさい」

 

 最後にフランク。

 

「複数いるにも関らず、クリスには興味がない……そういうことかね? 私の先ほどの言葉は聞こえていなかったのか?」

 

 銃口が大和の方へ向く。それと同時に、凛の目がゆっくりと鋭くなっていった。

 ――――さすがにフランクさんを傷つけたら、収拾つかなくなりそうだから、発砲されたら軽めに止める。というか、クリスが入ってないから怒るって……むしろ喜べばいいんじゃないか? 選ばれなかったら選ばれなかったで、ダメなのか。どの選択肢も詰んでる!

 大和はそれに臆すことなく、言葉を続ける。

 

「はい。クリスは大切な友達です。こればかりは、フィーリングが合わなかったとしか言えません。事実、気になる3人の中の1人はマルギッテさんですから」

 

 マルギッテは目を点にしていたかと思うと、頬がどんどん紅潮していく。

 

「大和……その、マルギッテというのは私のことですか?」

 

「そうです。綺麗で面倒見がよく、時に可愛いところとか最高です。しかし、これはあくまで気になっている、ということです。だから、これからも親交を深めていきたいと思っています。気になる女性が複数いたって、おかしいことはないでしょう? それが付き合っているなら、確かに咎められることかもしれませんが……。そして、付き合うのならば、俺は中途半端な気持ちで付き合うことはしたくありません」

 

 大和はそこで一息おいた。

 

「気が多いと言われるなら認めましょう。これでマルギッテさんが、俺から離れていくのならば、それも仕方がないと思います。でも、これが俺の丸裸の本音です」

 

 ――――気になる女性が複数いると公言する男も珍しいな。でも確かに、後から『実は他にも気になっている人がいました。だからごめんなさい』とか言ったら、脳天ぶち抜かれそうだな。あの姉にしてこの弟か……大胆だ。マルギッテさんの様子から見ると、あまり好意を向けられたことがないのか、ちょっと持て余してるって感じかな? さて……フランクさんがどうでてくるか。

 場は静まり返り、フランクの言葉待ちとなる。

 

「……君は実にいい目をしているね。クリスは別格だが、マルギッテもまた素晴らしい女性であることに間違いはない。しかし、気が多いというのは頂けない。どうだろう……これを期に、マルギッテ一人に絞ることにしないかね。そうすれば、私も野暮なことは言わん」

 

「おっしゃりたいことはわかりますが、将来の伴侶となる相手は自分で決めたいのです」

 

 ――――おおー。だんだん自分で逃げ場をなくしている気がしないでもないが、この一言は大きいぞ。マルギッテさん……また顔が赤くなってる。やけに、大和に構っていたのは、少なからずそういう感情があったからか?

 

「君はそこまでの覚悟があって、恋をするということか?」

 

 フランクはテーブルの上で手を組んだ。

 

「俺はそうしたいと思っています」

 

 そこでしばしの沈黙が流れる。その間、大和はフランクから目をはずすことはなかった。部屋には、秒針の動く音だけが鳴り響く。

 ふいに、フランクが大きく息を吐いた。

 

「……これ以上は当人同士の問題だな。君の目は嘘を言ってはいないようだ。あとはマルギッテの判断に任せよう」

 

 ぼーっと大和を見つめていたマルギッテが慌てだす。

 

「あ、ゴホン。んん……では質問は以上でよろしいでしょうか?」

 

「うむ。今日はすまなかったね、2人とも。迷惑料として、今日はこの宿に泊まるといい。おいしい料理食べ放題温泉入り放題だ」

 

 そこでようやく和やかな雰囲気が戻ってくる。2人もその言葉に甘え、宿へ泊まることとなった。その後、大和が気になる残り2人を凛が聞きだし、そこに百代が含まれていないことに安心し、自分が彼女を好きなことを彼に伝える。

 しかし、大和はそれを聞いてもあまり驚かず、ある程度予想していたらしい。そう言われた凛は、大和にバレてる=百代にもバレてると思い、彼に詰め寄る一幕もあった。

 2人は今日のことを秘密にするということで、より強い絆を結ぶことになる。

 料理と温泉を満喫した後、フランクは急な呼び出しで宿を後にし、凛は明日の朝からランニングで川神まで帰ることとなり、プライベートビーチを楽しめないことを嘆くとともに、大和にエールを送るのだった。

 



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『告知』

 夏休みまであと3日。今日は、朝から期末考査の結果が廊下に貼り出されていた。ただし、そこに名が乗るのは成績優秀者のみ。掲示板の前には、早くも生徒たちの人だかりができている。その中でもSクラスの割合が大きいのは、結果次第でS落ちもありえるからだろう。

 1位の方から順に目で追っていた京が口を開く。

 

「1位葵冬馬、2位九鬼英雄、3位武蔵坊弁慶……か。さすがに言ったことはやり通すね」

 

 それをクリスが引き継ぐ。

 

「義経も6位、与一も9位に入ってる。流石だな……まぁマルさんは4位だけどな!」

 

「ファミリーの中じゃ、凛が一番だね」

 

 18位の下には夏目凛と書かれていた。それから少し離れて、30位直江大和、31位椎名京、45位クリスティアーネ・フリードリヒの名が並ぶ。

 京の言葉に、凛が答える。

 

「そうみたいだな。でも、これからも精進していかないと。……ついでだから、3年生のも見ていくか」

 

「おう。燕先輩が何位なのか、結構気になる」

 

 大和が頷いた。それをジト目で見る京。

 そして、彼らは3年の廊下へ移動する。クリスはマルギッテに結果を伝えるため、途中で分かれてSクラスへ向かい、京はFクラスへと戻っていった。

 3年の廊下は、ほとんどの生徒が見終わったのか、まばらにしか人がいない。

 2人は気兼ねなく、掲示板に見ることができた。最初に声を発したのは大和。目をやったのとほぼ同時だった。

 

「げぇ……3位に燕先輩入ってる」

 

「いや本当に凄いわ。勉強だけは燕姉に勝てる気がしない……」

 

 そこに本人が現れる。

 

「おはよう、2人とも。ところで、凛ちゃんは誰に勝てないのかな?」

 

 燕は2人を嬉しそうに見た。凛がため息をもらす。

 

「聞いてたくせに……燕姉だよ。ただし! 勉強だけね」

 

「ふふふ。まぁ1位じゃないから、胸張って威張れないけどね。……そうそう、凛ちゃんと大和くんの成績も見てきちゃった」

 

 それに反応したのは大和。少し肩を落とす。

 

「うっ……この2人と比べられると何とも言えない」

 

「気にしない気にしない。適度に頑張ってるみたいだし、いいんじゃない?」

 

 燕はそう言いながら、大和の頭を撫でた。

 そんな2人を眺めていた凛だったが、頭を撫でられる感触に後ろを振り向く。そこにいたのは百代。

 

「おはようございます。モモ先輩……どうして頭を撫でるんですか?」

 

「んーいや、なんとなく凛が寂しそうだったから?」

 

 百代は首をかしげた。

 

「質問を質問で返さないでください。モモ先輩はテスト大丈夫でしたか?」

 

「あれから燕に教えてもらってたからな。平均以上はとれたぞ。凛は……いやなんかあまり聞きたくないからい――」

 

「18位でした」

 

 百代が喋り終わる前に、順位を伝える凛。それを聞いた彼女が吼える。

 

「聞きたくないって言っただろう! 自慢か、この! この!」

 

 加えて、凛の頭を両手でワシャワシャと乱暴に撫でた。彼は特にそれを止めるでもなく、百代を見て表情をゆるめる。彼女もなんだかんだ言いながら、楽しそうだった。そのまま甘い雰囲気――となる前に、大和から声がかかる。

 

「そろそろ全校朝礼だよ、2人とも」

 

 そんな大和も2人がじゃれている間に、燕に身だしなみを整えてもらっていたりする。

 

 

 ◇

 

 

 全校朝礼はいつもと雰囲気が違っていた。一番の違いは、部外者――マスコミが生徒たちの整列している脇にいることだった。カメラマンに、テレビで見かけるレポーターの姿もあり、生徒たちの大半はどことなくソワソワしている。

 

「龍造寺か……あたいの肉体のトリコになっちまった系かな。……でも残念系! あいつ粗チン系で2度味わう気ねぇ系」

 

 その中には、全然動じていない生徒もいたが――。

 壇上に鉄心が現れ、朝礼がいよいよ始まる。最初は夏休み中の注意事項――と言っても、生水に気をつけることなど、たわいもないことだった。手短にそれを終わらせると、彼は咳払いをひとつする。

 

「さぁ、ここからが本番。テレビはよく撮っておくんじゃぞ。夏と言えば祭りじゃが、今年はでかいのがあるぞい。川神院の恒例行事として、毎年8月に川神武闘会を開催しておるのは皆も知っての通りじゃ。で、今年も普通にこれをやろうと思っておったが、今年は義経たちも現れた事じゃし、規模を大きくしてやってみようと思うんじゃ!」

 

 その言葉に生徒たちがザワつく。スポンサーは九鬼財閥。規模が大きくなる分は、そこから資金提供がなされることになっていた。

 落ち着きが戻ってきたところで、再び鉄心が口を開く。

 

「この武道大会を若獅子タッグトーナメントと名付ける!!」

 

 大会のテーマは『絆』。それに沿って、ただ武を競うだけでなく、ペアという縛りを付け加えたということらしい。日時は8月2日。場所は七浜スタジアム。

 ――――遂に来た! このとき、俺はモモ先輩と戦える。モモ先輩があのときの女の子とわかってから、余計に楽しみになってたからな……待ち遠しい。

 凛は目を輝かせる。そして、それは彼だけでなく、他の生徒たちも同じような目をしていた。

 次に壇上に現れたのは、ヒュームとクラウディオ。スポンサーである九鬼があとの説明を始める。

 参加資格は25歳以下の男女。世界各地から、若く才能溢れる人物を発掘できる良い機会――九鬼財閥がスポンサーに名乗りをあげた理由だった。刀剣類は峰打ちかレプリカのみ。銃火器は九鬼から専用のものが支給される。

 次に試合のルール説明に入る。2名ずつが互いにリングへあがり、2対2で戦いあい、片方でもKOすれば勝利。リングアウトは、10カウントで敗北とのことだった。

 

「うまくやれば、個人で強い奴でも倒せるってわけか……」

 

 生徒の誰かが発した言葉がやけに響いた。ざわついていた校庭は、すっかり静まり返っている。皆が真剣に説明を聞いていた。

 ヒュームが、一度生徒たちをぐるりと見渡す。

 

「このトーナメントを勝ち抜いた物に与えられるのは……まず一つに絶大な名声。そして――」

 

 それにクラウディオが続ける。

 

「スポンサーである九鬼から様々な贈り物があります。支給されるものは、ウェブにアップしておきます」

 

 ちなみに、贈り物は現物支給。クラウディオが言葉を続ける。

 

「それに加えて、九鬼財閥での重役待遇確約証文もお付けします」

 

 ここで、壇上の傍にいたルーがさらに付け加える。

 

「また、大会の優勝者には、武神・川神百代と決闘する権利を与えちゃうヨ」

 

 その言葉を聞いたクリスがつぶやいた。

 

「モモ先輩とはいつでも決闘できるのに……」

 

 それに対して、翔一が口を開こうとするが、先に凛が割って入る。

 

「俺はその権利をどうしても手に入れたいんだ」

 

 その声はいつもより低かったが、それが余計に真剣さを感じさせた。その瞬間、周りの人間は一気に押し黙る。それは凛の声のせいではなく、彼から放たれた闘気が原因だった。それは波のように、彼を中心にして広がっていき、それに打たれた生徒たちの体は、鉛を取り付けられたように、一段と重くなる。しかし、それも一瞬のことで、すぐに消え去った。

 凛が、自分が高ぶっていることに気づいたからだった。先ほどとは、打って変わって明るい口調で話し出す。

 

「打倒武神を公言してる俺としては、いい機会だからな」

 

 大和が後ろを振り返る。

 

「そう言えば、凛は姉さんとの決闘を禁じられていたな……というか、さっきのは驚いたぞ」

 

「あー悪い。みんなもごめん。ちょっとはしゃぎすぎた。倒れてる人とかいない……よな?」

 

 凛は慌てて周りを確認した。

 その後、トーナメントについての諸注意がされ、朝礼は終わり――かと思うと、再度鉄心が壇上へ上がってきた。

 

「そうそう。言い忘れておったが、この大会の前日は、前夜祭として花火大会も盛大に行われるぞい。せっかくの暑い夏じゃ……悔いが残らんように目一杯楽しむと良い」

 

 岳人が大きくガッツポーズをとる。

 

「夏と言えば海と花火! でも花火大会まで全然時間ねえよ! 凛! 例の計画を早めることにするぞ!」

 

「だったら、海行ったときはなしでいいか?」

 

「いや……ちょちょっと待て! これはどちらを選ぶべきなんだ? 俺様が大会で活躍したあとなら、知名度もグンとあがって勝率ドンだ! だが、花火を2人きりで見るのも捨てがたい。そのあと静かな場所で線香花火をパチパチと……ここは3時間を半分に割って――」

 

 岳人は依然一人で妄想に耽り、計画を練り直していた。背中を丸め、ブツブツとつぶやく姿は少し怖い。

 ――――花火か。浴衣姿のモモ先輩と見れたらいいなぁ。

 生徒たちの歓声が上がる中、朝礼は終わる。

 

 

 □

 

 

「うあー疲れたぁ」

 

 夕方、凛は一人屋上へ来ていた。そのまま、はしごを使わず、貯水タンクの設置されている場所へ跳ぶ。そこからは校庭がよく見渡せた。

 そこには、多くの生徒が集まっている。手合わせをしている者。それを観察する者。手当たり次第に声をかける者などなど――今は大会に向けてのペア勧誘の真っ最中。かく言う凛も、朝礼が終わってから、休憩時間ごとに人が押し寄せ、息をつく暇もないという感じだった。それは放課後になっても収まる様子がなく、やむなく気配を消して、ここへ避難してきたのだ。

 凛はその場に腰掛けると、少しぼーっと太陽を眺める。しかし、それもつかの間、見知った気配を感じた彼は、下へ飛び降り、やってきた人物を出迎えるように扉を開けた。

 

「気づいておったのか?」

 

 姿を見せたのは紋白。傍にヒュームの気配はない。

 

「まぁな。俺に何か話したいことがあったのか?」

 

「うむ…………まぁそうなのだ」

 

「それじゃあ特等席で、その話を聞くとしよう」

 

 凛はそう言うやいなや、紋白を抱えて、先ほど座っていた場所に跳び上がった。そして、ゆっくりと彼女を降ろす。「せめて一言断ってから運べ!」地面に足のついた彼女は、彼の背中をはたいた。彼は笑いながら謝罪する。

 紋白は、しばらくそこからの眺めを楽しんでいたが、決心がついたのか、凛へと視線を戻した。

 

「……我は、今回の大会で川神百代を倒してくれるよう一つの依頼をしているのだ」

 

 ――――九鬼が用意した対戦相手っていうのは、紋白の発案が元だったのか。

 

「そうか。……それで?」

 

「我がこんなことをする理由は、以前の梅屋で話したとおりだ。姉上の仇をとりたいと思ってな……幼い考えだろう? それでも、この考えを実行に移せてしまう。そして、大会もあとは開催されるのみ――」

 

 紋白は一旦ここで間をとった。

 

「だがな……我は梅屋での姉上と百代の様子を見ていて、迷い始めたのだ。これでもし、百代に1敗を与えることができても、姉上は喜んでくれるのかと。この依頼は、我の小さな自己満足のためにやろうとしているのではないかと……。そこで、凛に武道家としての意見を聞きたいのだ!」

 

 紋白は語気を強めた。凛も彼女の目を真っ直ぐに捉える。

 

「人にもらった1勝など――」

 

「喜べないだろうな。紋白もそう思ったんじゃないか?」

 

 紋白の言葉にかぶせる凛。彼女は言い返すこともなく、視線を地面に落とした。彼は続ける。

 

「姉としては、揚羽さんも喜んでくれるだろう。自分のためにやってくれたことだからな。でも……武道家としてなら話は別だ。俺なら、それを喜ぶことができない。自分で勝ち取ったものじゃないからな。俺は揚羽さんと親しいわけじゃないから、確かなことは言えないけど、似たような感情を抱くんじゃないかな?」

 

「そう、よな……うむ。わかっていたのだが……」

 

 凛は俯く紋白の頭を撫でる。

 

「でも紋白の気持ちは、思って当然のことだ。それだけ、揚羽さんのことが大好きなんだろ? だから、なかなか気持ちの整理がつかないんじゃないか? ……気持ちをコントロールするってのは難しいよ。本当に」

 

「凛でもか?」

 

 紋白は凛を見上げる。彼は苦笑をもらした。

 

「もちろん。モヤモヤしたり、ワクワクしたり……今日の朝礼のときですら、大会が楽しみになって、周りに迷惑かけたし」

 

「やはり、あの気は凛のものであったか。我らのところまで届いておったぞ。皆が驚いておったわ」

 

 紋白はカラカラと笑った。

 

「お恥ずかしい限り。まぁそれは置いといて、俺はモモ先輩とも友達だから、これから付き合っていく中で、わだかまりがなくなっていってほしいと思う。モモ先輩は、友としてあるいはライバルとして、揚羽さんと付き合ってきた時間が長いから、その話を聞くことで、また違った見方ができるかもしれないしな」

 

「……ふむ。確かに我はあまり良い感情を持っていないゆえ、無意識的にせよ、接触を拒んでいたのかもしれぬな……」

 

 紋白はそう言うと、眉間にシワをよせた。そこへ、凛がそれを伸ばすために、人差し指を押し当てる。そして、ウニウニと揉み解した。

 

「そんなとこに、シワができたら大変だ。可愛い顔が台無しになってしまう」

 

「んに……やめんか、馬鹿者」

 

 紋白は凛の手を払い、キッと睨んだ。しかし、本気で怒っているわけでもない睨みなど、彼にとって可愛いものでしかなかった。

 

「ところで、紋白はその依頼どうするつもりなんだ?」

 

「……それについては、一度相手と相談してみるつもりだ」

 

 現時点では、百代の対処はできると言っていたが、凛の方がかなり難しいと言っていたからな。紋白は、人差し指をグルグル回しながら、隙を窺う楽しそうな彼を見た。

 そんな考えを知る由もない凛。

 

「でも、紋白が探してきた対戦相手ってことは強いんだろうなぁ。モモ先輩にぶつける相手だもんな……大会出て、俺と当たってくれないかなぁ。いやいや、そうなると後のモモ先輩との試合に支障がでるかもしれないなぁ。悩むな~」

 

「その前にその指を止めい! 我はトンボではないのだぞ! まったく」

 

 紋白が凛の人差し指をガッと掴んだ。

 

「悪い悪い。で、俺はちょっとでも役に立てたかな?」

 

「うむ。十分だったぞ。ありがとうな……金平糖をやろう」

 

 凛が両手で受け皿を作ると、そこに色鮮やかな金平糖が転がり込んでくる。それを一つ摘むと、口へ放り込んだ。

 

「程よい甘さがいい。そういえば――」

 

 その後は、紋白の母や人材勧誘、最近作ったお菓子などの話をして盛り上がる。それらの話がひと段落すると、彼女は習い事のため、屋上を去っていった。

 紋白の姿が見えなくなると、それを見計らったかのように、新たな人物が凛の元を訪れる。

 

「下から美少女登場!」

 

 どこから飛んできたのかわからないが、とりあえずフェンスの向こう側から登場する百代。そのまま屋上へ華麗に着地。今度は、下着が見えるような愚行を犯さなかった。

 

「モモ先輩、ちゃんと扉を……いやまぁいいですけど」

 

「モンプチとは一体何を話してたんだ?」

 

 百代は凛に顔を近づけた。

 

「相手が紋白ってよくわかりましたね」

 

「……いやまぁ気を感じたからな」

 

 目をそらす百代。

 

「そうですか。紋白とは世間話をしてたんです。で、モモ先輩はどうしてここに?」

 

「えっ!? ……いやただ、なんとなくだ。凛の気を感じたし、私も一人だし、一緒に帰ろうかなぁと思ってな」

 

 本当は紋白と2人きりなのが気になったんだ。百代は心の中で付け加える。

 実際、屋上へ行こうとしたところ、ヒュームが姿を現し「少し待て」の一点張り。外から進入しようかとも思ったが、「無駄なことはやめておけ」と先手を打たれ、やむなく、会話が終わるのを他の下級生を侍らせ、待っていたのだ。

 ――――なんかちょっとしたことだけど、嬉しいな。

 凛はにやけてしまいそうになる顔を必死に我慢した。幸い、百代に見られることはなかった。日はほとんど暮れかけ、賑やかだった校庭も静かになっている。

 凛が切り出そうとしたところで、別の気配がやってくるのに気づいた。百代もほぼ同時に気づいたようだ。

 

「なんじゃお主ら、まだ残っておったんかい」

 

 現れたのは鉄心だった。そして、2人を交互に見るとニンマリと笑う。そのあと、さらに大きく頷いた。

 

「ほうほう……なるほどのぅ。気持ちはわかるが、今日のところは帰るんじゃ。この花やるからの」

 

 鉄心は、花壇で綺麗に咲いていた川神の花を2つ摘むと、2人に1つずつ渡す。

 

「ありがとうございます」

 

「じじぃ、変な勘繰りするな」

 

 正反対の対応をする2人。

 ――――しかし、花もらってもな……そうだ! せっかく来てくれたんだし、モモ先輩にあげよう。

 思いついたらすぐ実行。

 

「モモ先輩、こっち向いてください」

 

「なんだ?」

 

 百代が振り返ったところに、凛はさっと花を付ける。彼女はそれを壊れないように触れると、優しく微笑んだ。夕日を背にした美少女は、とても武神と呼ばれ怖れられる存在には見えなかった。

 凛は目を細める。

 

「似合ってますよ。さすが美少女」

 

「ふふん……当たり前だろ。でもありがとな。えっと、じゃあ……私の花はおまえにやる。部屋にしっかり飾っておけ。いいか! ちゃんと飾るんだぞ」

 

「え? しかも命令!? まぁいいですけど」

 

 差し出された花を丁寧に受け取る凛と、少し頬が赤く染まった百代。しかし、この空間は2人きりではない――鉄心が大きく咳払いをする。

 

「おっほん! 花はワシの気でコーティングされとるから、長持ちするぞい。2人とも大切にするが良い。凛よ、”モモのことよろしく頼んだ”ぞい」

 

「あ、はい。それでは、お先に失礼します。モモ先輩行きましょう……て、学長に挨拶しないんですか?」

 

 凛はペコリと頭を下げると、扉付近に移動していた百代に声をかけた。どうやら彼女は、鏡で今の自分を確かめたいらしく、彼が歩き出すのと同時に校内に入っていく。

 凛は屋上から出るとき、再度鉄心に頭を下げた。そのあと、扉からは彼の百代を呼ぶ声が響いてくる。

 一人残った鉄心は、そこから校庭を見下ろす。しばらくすると、2人が並んで出てきた。百代の頭には、花が飾られたままだ。大会のことを話し合っているのか、彼らは楽しそうに下校していく。

 

「もしかすると……と思っておったが、ワシの孫がのぅ。あんな反応を見せられては、変な勘繰りもしたくなるわい。これからが楽しみじゃ」

 

 2人の下校を見送った鉄心も、校内へと姿を消した。

 

 

 ◇

 

 

 百代は家に帰って早々、凛にもらった花を花瓶に飾った。それを見ていると、自然と頬が緩んでしまう。

 

「凛はこの花言葉を知ってるのか?」

 

 百代はしばらくそれを眺めていたが、一子の呼び声に気づいて部屋をあとにする。

 川神の花――花言葉は結婚。凛がそれを知るのは、まだ先のことだった。

 



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『夏休み突入』

 夏休み前、最後の登校日。教室に着いたファミリーは、それぞれの席に鞄を置きながら、自分のパートナーについて話し合っていた。教室内でも、同様の話題で盛り上がっているグループがいくつか見受けられる。

 

「それじゃあ、岳人は長宗我部とタッグを組むことにしたのか?」

 

 凛は、自分の席の前に座った岳人へ声をかけた。

 

「おうよ! 筋肉と筋肉、ナイスガイとナイスガイは惹かれあうというが……俺様はアイツを一目見たときから、油断ならねぇ筋肉と思ってたんだが、向こうも同じことを考えてたみたいでよ」

 

 岳人が、力瘤を作りながら頷いた。半そでをさらにめくり上げ、そこから見えるガッチリと鍛え上げられた三角筋もそれに連動して、大きく盛り上がっている。

 

「岳人らしいパワーコンビってわけだな……」

 

 他のファミリーも既にコンビを決めており、翔一は大友焔、一子は島右近、クリスはマルギッテ、由紀江は心となっていた。京は、大和が大会に出ると言ったときに、フリーでいるため誰とも組まず、その彼はそれに出る予定はなさそうだった。

 そこに、スグルと話し終わった卓也が混じってくる。

 

「そういう凛は誰と出るの? 色んな人からお誘いを受けてたし、その中から選んだの?」

 

「本当に色んな奴から誘いを受けてたよなぁ…………女……おんな、女女女女女女女女女女おんなばぁっっっっかりだったけどな!! ちくしょおおぉ!」

 

 岳人は顔を伏せながら、他人の机を力任せに叩きつけた。机が悲鳴をあげる。その横で卓也が乾いた笑みを見せていた。周りにいた男性陣も、彼の気持ちがわかるのか、うんうんと頷いている。

 

「いやちゃんと男からも誘いがあったからな。岳人が見てないところでだが。まぁそれは置いといて、俺のパートナーは――」

 

 凛が言いかけたところで、Fクラスのドアが勢いよく開かれた。皆の視線が一斉にそちらへ向くも、注目を浴びる本人はなんら気にすることなく、彼のもとへ一直線に向かっていく。

 

「リンリン。僕たちのチーム名は『スノーベル』にするのだ! さっき廊下歩いてるときに思いついたけど、これがいい」

 

「いい名前だな。それじゃそれでいこう」

 

 ――――小雪のことだから、どんな名前が飛び出すかドキドキしてたけど。心配いらなかったな。

 

「わーい。じゃあ僕、冬馬たちにもこれ教えてくる。バイバーイ」

 

 小雪はほにゃりと笑うと、わき目もふらず来た道を戻っていった。彼女が姿を消すと、凛は2人の方へと向き直る。

 

「とまぁ、小雪と組むことにした」

 

「やっぱり女じゃねえか!!」

 

 岳人が吼えた。

 

「まぁな。というか、別に女でもいいだろ! 小雪は実力もあるんだから」

 

「ぐぬぬ。長宗我部に不満があるわけではないが、なんだこのモヤモヤとした感情は……」

 

 凛と卓也は、拳を握り締める岳人を見つめた後、顔を見合わせ、苦笑をもらした。

 そこへ、切羽詰った様子の京が教室に入ってくる。それに気づいたクリスが声をかけた。

 

「どうしたんだ、京?」

 

「大和が燕先輩とタッグを組んで、大会にでるらしい」

 

「へぇ……燕先輩は優勝候補だと思っていたけど、武術をしていない大和と組んでは力も半減だろう」

 

 その情報を聞いた生徒の多くは、それを喜んでいた。

 ――――大和と組む、か……優勝を狙ってるとして、攻撃の手段を持たない大和じゃ、周りの言うとおり不利には違いない。どうするつもりなんだ? まぁ俺としては、大会で当たる可能性があるのは嬉しいことだけど。

 しかし、京の懸念はそんなところにはなかった。

 

「これを見て」

 

 京がクリスに向けて広げたのは、優勝者に贈られる景品の数々の一覧。そこの一つを指差し、彼女は言葉を続ける。

 

「温泉郷ペア旅行券……もし優勝して2人で行かれてしまったら、きっとルートが確定してしまう! 何としても阻止せねば……私も大会に出る!」

 

 京はいつになくやる気を見せていた。クラスにいる者全員に聞こえるくらいの声量がそれを物語っている。しかし、クリスがそれに水を差した。

 

「それはいいが、大会に出ると言っても、もうほとんどペアは決まっているぞ」

 

 それでも京に諦める様子はなく、「学校を歩き回ってみる」と言って、教室をあとにした。

 その間、京の持ってきた一覧は、岳人の手に渡っており、それを見た彼はプルプルと震えていた。なんとなく想像がついた凛だったが、声をかけないわけにもいかず。

 

「どうしたんだ、岳人?」

 

「温泉郷ペア旅行券とか、俺様に喧嘩を売っているのか!? なにか!? 俺様が優勝した暁には、大会の疲れを癒すために、長宗我部と2人で温泉宿に行って、2人で飯食って、2人でしっぽりと温泉入れってか! これはそういうことか! 男2人が仲睦まじくして、誰の得になるんだよ!」

 

「そりゃあ、h――」

 

「言うんじゃねえ! くっそ。俺様がこれを手に入れたら、真っ先に破り捨ててやる」

 

 それを聞いた卓也が一言。

 

「別にそこまでしなくても、売ればいいんじゃないかな?」

 

 午前の授業も滞りなく終了し、夏休みへと突入する。

 

 

 ◇

 

 

 それから、数日経った日の午後。蝉の合唱が少し遠くから聞こえる中、小雪の能力を確かめた凛は、寮への帰り道を一人歩いていた。

 ――――直に手合わせして、よりハッキリと小雪のことがわかった。あの脚力は凄まじい。速いし、重い……それと嗅覚とでも言うべきか、感覚的にどこを狙えばいいのかわかってるみたいだった。自分から実力を示すことをしないから、スポットが当たりにくいけど、相当の実力者だ。まぁ気持ちのムラが、モロに戦闘に影響するから、やる気を持続させてやらないといけないかな。本人は「冬馬の分も頑張る」って言ってたことだし。

 凛は、両手を胸元でぐっと握りながら宣言する小雪を思い出す。その冬馬は、組み手中も少し離れた場所で読書しながら、その様子を見守っていた。

 ――――しかし、わざわざ体操服でやる必要はなかったと思う。いや俺としては非常に眼福だったわけだが、小雪もスタイルいいからな。あの子は全然そんなこと気にしてないから、ハイキックやらバク転やら激しく動き回るし……別にやらしい目で見ていたわけじゃない! ただ戦闘に集中していると自然に目が入ってしまうだけ!

 

「はぁ……俺は誰に弁解しているんだ」

 

 凛はもう一度大きくため息をつくと、出来る限り、日陰を通りながら寮を目指す。雲に遮られることのない太陽が、容赦なく照りつけ、熱せられたアスファルトは、それに負けじと熱を放っていた。思考を中断した彼は、服をパタパタと仰ぐ。通りに生えた木の枝にいた猫も、暑さで参っているのか、ぐったりと寝そべっていた。その尻尾も地面へと力なく垂れ下がっている。

 ――――帰ったら、シャワー浴びたい……。

 そして、寮が目に入った瞬間、凛は言い様のない寒気に襲われた。それは、これまで過ごしてきた中でも感じたことのないもので、気づいたときには彼は走り出していた。

 門を開き、玄関を開け、リビングへと急ぐ。その間もプレッシャーはどんどん大きくなっていく。揃えられることなく、散らばったままの靴にも気を払わず、リビングへ通じる扉を開いた。

 最初に目に入ったのは百代だった。

 

「モモ先輩! なんかここから――」

 

 凛はダイニングテーブルに座る百代以外のメンバーを見て、その寒気の原因を一瞬で、というよりも本能的に感じ取った。そして、開いた扉をゆっくりと閉じて、深呼吸を一回。

 ――――まさかこんな展開になっているとは……。もう開けたくない。

 そんな凛の気持ちとは裏腹に、その扉は勝手に開かれた。

 扉を開けた百代は、救世主がやってきたと言わんばかりに晴れやかな表情をしている。ちなみに、扉は彼女の後ろ手でしっかり閉められていた。

 

「えーと……モモ先輩。何があったか説明してくれませんか?」

 

「もちろんそのつもりだ! こんなときに限って誰も帰ってこないから、私もどうしようかと思っていたんだ。実はな――」

 

 百代は小声で今までの出来事を話してくれた。

 暇だった百代は寮へと向かう途中、偶然に燕と出くわし、彼女も寮に用事があることを知って、2人で向かった。そこにいたのは、大和と京、マルギッテの3人だったらしい。

 最初は和気藹々と盛り上がっていた5人だったのだが、話が進んでいく内に、凛が学校で人気があるという話になり、それが次に大和のことへ移り、そして好きな人はいるのかというものに発展。突然のことに、当然彼は黙秘権を行使するも、マルギッテのごく僅かな動揺を、燕が看破し詰め寄った。百代も面白半分でそれに追随する。京もしかり。

 黙秘を続ける大和にも、容赦なく追及の手が伸ばされる。

 そこで聞かされる大和の気になる3人という事実。そして、マルギッテが既にその一席を占有していること。

 

「私はな……そうなのかって。面白いこと聞いたなって。これで、これからの弟いじりが、さらにおもしろくなりそうだなと思ったんだ」

 

 ――――なるほど……とりあえず、モモ先輩の不穏な発言は置いておくとして、マルギッテさんは旅館での反応を見てたけど、こういう方面ではさすがに隠しきれなかったのか。それとも、ごく僅かな変化を見逃さない燕姉が凄いのか。ともかくバレたわけだ。

 凛の促しを受けて、百代がさらに続けた。

 その事実に一番早く反応したのは京だった。しかし、彼女は取り乱すことなく、大和を真っ直ぐに見つめ、「一つだけ教えて欲しい。私が入っているのかどうか」と問うた。しばらくの沈黙のあと、彼は頷く。それに「……うん」と一言返し、席についた。

 最後に一人残ったわけだが、その前に燕が話しだす。「最後の一人は気になるけど、私は大和君のこと気に入ってるからね。今"は”先輩後輩の間柄だけど」そう言って、ウインクを飛ばした。

 

「燕が最後に言った言葉は、ほら……燕の家に行っただろ? 凛は洗い物してたときなんだけど、大和が久信さんのいる前で言った言葉なんだ」

 

 ――――ああ、俺が久信さんと一緒に怒られたときの日か。でも、燕姉にしては珍しいな。自分の方から好意を表すなんて……案外焦ったとか? それか、最後の一人が自分と分かってて、先手を打ち、なんらかの主導権を握ろうと……いや深くは考えない。

 

「なんかもう暴露大会みたいになってますね。まだ外も明るいのに……それでリビングはあの空気ですか?」

 

 扉越しに感じる重く冷たい空気に、凛は体を震わせた。しかし、それとは逆に、聞こえてくる会話は結構盛り上がっているようだった。

 ――――でも、それが余計に恐ろしい。大和は無事なのか? ここは友である俺が助けてやるべきではないだろうか。何か……空気を和らげられるもの……女の子の好きな物……甘いもの! 

 凛がそんなことを考えていると、ふいに2階へ通じる階段から足音が聞こえてきた。2人がその音の方向へ顔を向けると、そこには大きな欠伸をするクリスがいた。

 

「ん? 凛とモモ先輩、そんなとこで何をしてるんだ? リビングへ入らないのか?」

 

 凛はそこで閃いた。

 

「今入るところだ。ところで、クリスお腹減ってないか?」

 

「お腹? うーん……そう言われると若干減ってるな」

 

 クリスはお腹をさすりながら答えた。

 

「そうか……今からホットケーキでも焼こうと思ってたところだ。クリスも食べるか?」

 

 その言葉に、クリスは目を輝かせた。そして、軽い足取りで階段を降り、すぐにでもリビングの扉へ近づく。

 

「食べる食べる! ホットケーキかぁ……あのふんわりした生地にかかった甘い蜜と溶けかけのバター。時間が経てば、生地にじんわりと蜜が浸み込んで、またおいしいんだよなぁ。早く作ろう! 自分も手伝うぞ」

 

 クリスはその勢いのまま、豪快に扉を開け放つ。その瞬間、凛には心なしか、冷気とも呼ぶべき空気が足元を通っていったように感じられた。それは、いつの間にか彼の後ろに回っていた百代も同様だったようだ。

 しかし、クリスにとっては関係なかったようで――。

 

「なんだ、他にも大勢いるじゃないか。マルさん、今から凛がホットケーキ焼いてくれるんだって、一緒に食べよう。……ん? 大和はなんか元気なさそうだな。ははーん、さては自分と同じでお腹が減っているんだろう?」

 

 クリスはそう言って、大和の肩をポンと叩く。重く冷たい空気は霧散していた。

 凛はその様子を見て一息つくとともに、大和へアイコンタクトを送る。

 

「(大丈夫だったか、大和?)」

 

 それに気づいた大和も応答する。

 

「(助かった……姉さんが逃げ出したときには、どうしようかと思った)」

 

「(モテる男は辛いな。羨ましいよ)」

 

「(そんなこと絶対思ってないだろ! ……生きた心地がしなかった)」

 

 ここで凛はアイコンタクトを終わらせ、全員に聞こえるよう喋りだした。

 

「よし……じゃあ早速料理開始だ。クリス隊員、ボールの準備を。皆にはとりあえず、紅茶でも淹れようかな? 前にもらった茶葉が結構いいものだったから、それをご馳走しよう」

 

 そこからは、いつもの寮の日常へと戻る。凛が全員分の紅茶を淹れ、クリスはホットケーキミックスで生地作り、手持ち無沙汰な他のメンバーもそれに加わって、賑やかに進行していった。

 

 

 □

 

 

 日数はあっという間に過ぎさり、武道大会の前日――つまり、前夜祭の日。ファミリーの男連中は、寮の前で駄弁っていた。その格好はいつもの私服ではなく、全員が甚平を着ている。祭りの雰囲気が一気に出てきたことに、一番喜んでいたのは翔一。今もソワソワしており、目を離すと一目散に駆け出してしまいそうだった。

 そして、珍しくファミリーと共に行動している忠勝の姿もあった。黒髪に、少し色黒の肌、適度に筋肉のついた体。甚平が一番似合っているのは、この男であった。大和と一子の懇願に加え、他の男連中からも誘いを受けたからだ。

 少し派手な色合いの浴衣に身を包んだ子供。その手に引かれる親。祭りの空気に当てられたテンションの高い小学生。綺麗に浴衣を着込んだ女性など、これから屋台が立ち並ぶ多馬川の川原へ向かう人達が、寮の前を通っていく。この近辺の雰囲気が、どこか浮ついたものになっていた。

 武道大会に負けず劣らずの規模で行われる花火大会。川原の両側に屋台が設置され、多馬川には屋台舟も出される。当然、変態橋は車両通行禁止となっており、この時間は歩行者天国へと化している。そのメインとなる花火は、12000発を超えるらしく、この1週間、至るところに張り紙が貼り出されていた。

 玄関を開く音に、全員がそちらへと目をやる。

 

「おお……」

 

 声をあげたのは誰だったのか、もしくは全員だったのかもしれない。色とりどりの浴衣に身を包んだ女性陣が姿を現した。

 クリスはピンクの浴衣に赤に近い紫の帯。由紀江は鶯色の浴衣に、トーンを合わせたピンクの帯。京は白に近い薄い水色の浴衣に、白から紫に染められたグラデーションの帯。一子はパーソナルカラーとも言える黄色の浴衣に、オレンジの帯。

 その後に続いて、百代と燕が現れる。

 燕がいるのは、浴衣の着付けのためでもあった。白にグラデーションのかかった桜とその花びらを散らした浴衣に、紅い帯。彼女は大和の方へと歩いていく。

 それとは反対に、百代が凛の元へと歩いてきた。黒に白と薄い紫の蝶が舞い、その合間には紫の桜が散っている浴衣。帯は明るめのピンク色で、それがいいアクセントになっていた。ウェーブのかけられた髪は、サイドアップにまとめ、胸元の方に垂らされている。

 ――――めちゃくちゃ可愛い! これがモモ先輩。やばい……なんかもうやばい。

 ぼーっと見つめるだけで、何も言わない凛に、百代が声をかける。

 

「ど、どうだ? 美少女すぎて声も出ないか?」

 

 その声に我に返る凛。

 

「え、いやすっごい可愛いです。なんかもう、うん……可愛い。あ、川神の花もつけてきたんですね。似合ってます」

 

「そうか――」

 

 よかった。口に出そうになった言葉を百代は飲み込み、いつかのように、川神の花に軽く触れる。

 

「せっかくだからな。結構気に入ってるんだ。……凛も、その……似合ってる。かっこいいぞ」

 

「あ……ありがとうございます」

 

 いつもよりたどたどしい会話をする2人。

 会話が途切れたところで、百代はおもむろに凛の甚平を掴んで、胸元の形を整えるように引っ張る。彼はそれをただ見ていた。彼女は目が合うと、照れくさそうに笑う。

 

「ちょっとやってみたかったんだ」

 

 ――――なんなんだ、この可愛い生物は! 俺を殺そうとしている。間違いない。大会が始まる前に、俺を亡き者にしようとしている。

 そこへクリスの声が聞こえてくる。

 

「マルさん! 似合ってるんだから、そんな恥ずかしがることないぞ。自分が保証する。それに早くしないと、屋台の食べ物がなくなってしまうかもしれない!」

 

 それに京がツッコミを入れる。

 

「クリスはただ自分が早く行きたいだけだよね」

 

 藍色の浴衣にピンクの帯のマルギッテが、人前へ出るのを渋っていた。

 

「お、お嬢様。そんなに引っ張らないでください。うぅ……やっぱり私はいつもの格好で!」

 

「ダメだ! ほら、行くぞ。似合ってるから。ほら見ろ、岳人も興奮してるじゃないか」

 

「貴様! 変な目でお嬢様を見るんじゃない! ……と、大和も引っ張らないでください」

 

 翔一が全員揃ったかを確認して、声を張り上げる。

 

「よーし! それじゃあ早速祭りに突撃だー! 今日は目一杯遊んで、明日に備えるぞー!」

 

「カキ氷、イカ焼き、たこ焼き、リンゴ飴に、わたがし、チョコバナナ、フライドポテト……今日のために、私お小遣い貯めておいたのよね。お腹が鳴るわ」

 

 目をランランとさせる一子を見て、忠勝が注意する。

 

「一子。明日は大会があるんだからな。食べ過ぎて調子崩すんじゃねぇぞ。挑戦するんだろ?」

 

「わかってるわよ、タッチャン。明日はよろしくね」

 

 武道大会での一子のペアは、昨日忠勝に変更されていたのだった。彼女の話では、天神館の島は急遽石田と組むことになり、その連絡を入れてきたのだ。彼女は、何度も謝罪する彼を許したのだが、ペアがいないことには大会に出ることが出来ないため、大和へ相談するため寮へと向かった。しかし、そこに彼の姿はなく、代わりに忠勝がおり、その話を聞いた彼がペアの話を持ちかけたのだった。

 島は、今日の正午過ぎにも一度川神院を訪れ、詫びの品とともに謝罪に訪れていた。

 凛も最初は腹を立てたものの、一子がすでに許していること、正式に謝罪をいれたことなどを聞いて、怒りを収めた。他のファミリーも似たようなものだった。

 それは置いておいて、ファミリーも既にお祭りにテンションをあげていた。

 

「皆さんとのお祭りとても楽しみですね、松風」

 

「昔のおいらたちとはおさらばさ! 今日は最高のメモリーを刻み込んでやろうぜー! フゥ~☆」

 

 弾んだ声で松風に話しかける由紀江。

 

「浴衣美人がそこらじゅうから集まってる……このナイスガイに声を掛けられるのを待っている! ところで、モロは浴衣で女装しねえのか?」

 

「ガクトは僕に何を求めてるのさ! でも、文化祭では女役やらされるかもしれないから、一度は着といたほうがいいのかも……」

 

 甚平も肩までめくり上げている岳人と悩む卓也。

 

「ほーら、大和くん行くよ」

 

「燕先輩!? そんなに引っ付かれると、その……」

 

「そうです、燕先輩。大和から離れてください。大和が困ってます」

 

「椎名京! あなたもそう言いながら、大和の腕を抱くのをやめなさい!」

 

 ワイワイ騒ぐ燕と大和、京、マルギッテの4人。それをチラリと確認して、「美女が待ってる!」と叫ぶ岳人。

 

「それじゃあ犬! 自分と金魚すくいで勝負するか!?」

 

「臨むところよ! 明日の大会の前哨戦ってやつね。クリに勝って、弾みをつけるわ!」

 

「おもしろそうなこと話してんじゃねぇかー。俺もやる! 俺もやる!」

 

「お前ら、夢中になりすぎて袖とか濡らすなよ……って、走ったらあぶねえぞ」

 

 腕まくりをするクリスと一子、そこに加わる翔一。その保護者をする忠勝。

 

「祭りってなんかワクワクさせてくれますよね。みんなのテンションも一段と高いし」

 

「そうだな。いつもと違う雰囲気だからじゃないか?」

 

「ですかね?」

 

 そんな彼らを最後尾から見守りながら、ゆっくり歩く凛と百代。2人の手は触れ合いそうで、触れ合わない。

 歩いているうちに、人の数もどんどん増え、それに比例して賑やかになっていく。ふいに、後ろからの人波に百代が押され、軽くバランスを崩した。それを見過ごす凛でもなく、彼女をそっと支える。

 

「大丈夫ですか?」

 

「あ、悪い。慣れていないから、こけそうになっただけだ」

 

「その、手……つないどきますか? ほら! 人も多いし、はぐれると困るだろうし、さっきみたいなことがあっても助けやすいし――」

 

 ――――いやいや俺なんか理由並べすぎじゃないか!? 絶対変に思われた!

 

「いや、すいません! 別に大丈夫ですよね。さっきのは忘れてください」

 

 そう言って、凛は差し出した左手を即座に引っ込めようとするが、それはできなかった。百代がその手をしっかりと握ってきたからだ。彼女はつながった手を見てから、顔を上げ、彼に微笑んだ。

 

「今日は……その言葉に甘えとく。ありがとう」

 

「あーその……どういたしまして」

 

 その笑顔は、凛をどきまぎさせるのに十分だった。

 屋台のある場所はすでに人ごみでいっぱいとなっており、少し目を離した隙に、他のメンバーともはぐれてしまっていた。

 ――――手をつなげたのは嬉しいけど、これ知り合いに見られたら、なんて言い訳したらいいんだ? 離せばいいんだろうけど、離したくないな。

 奇しくも、同じことを考える2人は、人の流れにのって、屋台がある川原へと降りていく。

 




お待たせしました。

全然執筆が進まず、かなり悩んでいると時間だけがあっという間に進んでいました。

これからもそれなりに時間がかかると思いますが、しっかり書き進めていきたいです。

お付き合いいただけると嬉しいです。


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『夏祭り』

 屋台の並ぶ川原は、食欲をそそるいい香りに包まれ、さらに鉄板の焼ける音が余計に客たちの感覚を刺激した。それに合わせて、威勢のよい声が左右から絶え間なく飛んでいる。

 そこからさらに進むと、今度は一転して涼やかな音が聞こえてきた。夏の風物詩――風鈴である。時折吹く柔らかい風が、面一杯に陳列された色とりどりの柄をもったそれを揺らし、甲高くも心地よい音色を奏で、祭りに華を添える。背面から照らされる光によって、キラキラと光るそれは、耳だけでなく目も楽しませた。立ち止まってその光景に魅入る客も少なくない。そこだけ、人の流れが緩慢になっていた。

 それは凛たちも例外ではない。彼は隣にたつ百代をチラリと見る。

 

「綺麗ですね……」

 

 自然と口をついた。しかし、それは風鈴に向けられたものなのか、それとも百代に向けたものなのか、あるいはその両方か――。

 

「そうだな。あの音を聞くと夏って感じがする」

 

 凛が視線を風鈴に戻したあと、まるで見計らったかのように、今度は百代が彼の横顔をうかがった。

 

「わかります。というか、その隣にどっしりと鎮座した純金製の風鈴……存在感ありすぎませんか?」

 

「ショーケースにまで入れられてるしな。まぁ子供たちは楽しそうだからいいんじゃないか?」

 

 2人はその場をあとにする。ヨーヨー釣りに、輪投げなど昔ながらの屋台も通りすぎていった。

 軽く店をひやかしながら進んでいると、凛に野太い声がかかる。

 

「凛ちゃん! 凛ちゃ~ん! こっちよぉ~ちょっと寄って見ていらっしゃいな」

 

 明らかに男性の声。しかし、その口調はオネエ。2人は声のするほうへ目を向ける。

 そこには、一時期テレビに出ずっぱりだった「どんだけー」の美容家によく似た人が、手際よくクレープを作っていた。身長は凛に並ぶほどでかく、肩幅も広い。しかし、それに似合わず、手先は繊細な動きをしている。

 

「ミッコさん、かなり繁盛しているみたいですね」

 

 彼の名はミッコ。本名は東幹彦(あづま・みきひこ)。この川神で「アントーク 西洋骨董洋菓子店」を営むパティシエである。2人の知り合ったきっかけは、グルメネットワークからの情報で、お菓子作りに力を入れる凛がその情報を逃すこともなく、6月初旬に訪れたのだった。4月にオープンしたこの店は、今では若い女性をメインにその名を知られつつあった。それを象徴するかのように、屋台の客もほとんどが女性である。

 

「おかげさまでね。ところで、そちらの可愛い女の子はどちら様? ……はっ! まさか凛ちゃんのこれ!?」

 

 ミッコは自身のごつい小指をピンと立て、左右にふる。百代はそれを見て、自身の顔が熱を帯びていくのがわかった。

 

「ふふふ。どう見えますか?」

 

 凛はそう言って、百代と肩を寄せ合うように近づいた。そして、自分のとった行動に後悔する。

 ――――あーやってしまった。図々しい奴とか思われたかも。でも、これくらいなら冗談で……。いや強引だったかもしれない!

 凛は平静を装いながらも、さらに言葉を続ける。手も一度そこで離した。

 

「こちらはひとつ先輩の川神百代さんです。ほら……何度かお話したことがあったでしょう?」

 

「この子があの有名な武神ちゃん? 全然そんな風には見えないわねぇ。むしろ乙女って感じじゃない。いいわぁ~。私はミッコよ。よろしくね……百代ちゃんって呼んでいいかしら?」

 

 ミッコは力強いウインクを百代へ飛ばした。

 

「あ、はい。よろしくお願いします」

 

 少し押され気味の百代と苦笑をもらす凛。ミッコは彼らを交互に観察し、彼女の方に向かって手招きする。彼もそれにつられて近づこうとすると、手のひらを向けられた。

 

「凛ちゃんはそこでストップ……いえ、あと一歩下がりなさい。女の子同士の大事なお話があるから」

 

「? 女の子同士……それってモモ先輩と誰ですか?」

 

「んもぅ! 私に決まってるでしょ! 冗談ばっかり言ってると、ブレーンバスターかますわよ!」

 

 ミッコはくねっと体をひねりながら反論した。それから、近づいてきた百代に耳打ちする。彼女は凛を視界にいれたままだったが、途中でかぁっと頬を染め、チラチラと見るように変化した。

 ――――モモ先輩赤くなってる……そんな姿もとても可愛い。俺は本当に重症だと思う。

 凛がしみじみとそんなことを考えている間も、ミッコの耳打ちは続く。百代は2人を交互に見比べるのに忙しそうだった。

 話が終わると、ミッコはこれまた逞しい親指を上げ、風が起こりそうなウインクを飛ばす。百代はそれに頷くと、近づいてきた凛の手をすぐに握った。

 

「は……はぐれたら困るだろ?」

 

 その行動に凛の心臓は大きく跳ねた。

 ――――くっ! 不意打ちだった! やばい……にやけそう。

 一つ頷いた凛は、口元に空いた右手を持ってくると、百代から顔を背けながら必死に耐える。ミッコはそれを微笑ましく見守っていた。

 

「百代ちゃんとは仲良くやっていけそうだわ。今日は記念にお姉さんがサービスしちゃう。確か桃が好きなのよね……凛ちゃんから聞いてるわ。ちょっと待ってて」

 

 ミッコは鉄板に生地を垂らすと、それをヘラで薄く伸ばし、その上にふわふわの生クリーム、瑞々しい桃の果肉とイチゴを乗せ、くるくるとクレープを作っていった。そして、出来上がったものを百代に手渡す。それは、他のものより少し大きく作られたみたいだった。

 凛はそれを見て、ミッコに話しかける。

 

「俺も一つ欲しいんですけど……」

 

「せっかちさんねぇ。ちょっと待ってなさい」

 

 そして、手渡される一つのジュース。凛はミッコの顔を見た。

 

「これ……ジュースですよね?」

 

「そうよ。今度私の店で出す試作品なの。百代ちゃんと飲んで、今度感想聞かせて」

 

「俺のクレープは?」

 

「百代ちゃんが持ってるじゃない」

 

 3人の目が一斉に百代のもつクレープへ向かう。

 ――――なんだ? これはつまり一つのクレープを分け合えということか? このジュースも?

 凛がそれに反論しようとするも、ミッコがそれを許さない。

 

「はぁ~い。お喋りは終わりよ! 次のお客さんいるから、お2人さんはさっさと先に行きなさい。感想ちゃんと教えるのよ! それじゃあね~。百代ちゃんも今度お店に遊びにいらっしゃい。桃は今が旬だから、おいしいケーキごちそうしちゃう」

 

 その言葉通り、2人の後ろには客が並んでおり、それを見た百代が凛の手を引っ張った。

 

「ありがとうございます。次行くぞ」

 

「え? あ、はい」

 

 凛は、百代に引っ張られるがまま、ミッコの出店から離れていく。店が見えなくなると、彼女が「先にもらうぞ」と言って、クレープを食べた。しっとりとした生地の中から、舌触りの良い生クリームとフルーツの程よい甘みが口の中に広がる。彼女から自然と笑みがこぼれた。

 凛は新作のジュースに口をつけて、幸せそうな百代を見る。

 

「おいしいですか?」

 

「これなら何個でも食べれそうだ。ケーキもきっとおいしいんだろうな。凛のジュースはどうなんだ?」

 

「くどくない甘さでおいしいですよ。ピーチとパインのジュースみたいです。飲みますか?」

 

 依然、つながれたままの凛の左手と百代の右手。それが解かれない以上、彼女がジュースを飲むには、彼からの助力が必要である。クレープにも同じことが言えた。要は「はい、あ~ん」ということである。

 ――――これ、もう恋人同士のようになってないか? そう考えると凄いドキドキしてきた。モモ先輩は……凄い楽しそう。

 百代は、凛から差し出されたジュースを一口飲むと、パァッと笑顔が輝いた。そして、「クレープも一つしかないからな……」と小さく呟いて、彼の口元へそれを近づける。

 

 

 ◇

 

 

 百代は、凛がクレープを食べるのをじっと見つめていた。「おいしい」彼はそう言って、彼女に微笑んだ。そんなたわいない一つ一つの行動が、いちいち彼女の胸をときめかせる。つながった右手からは、少しひんやりした彼の体温を感じる。

 こんな風に誰かに引っ張られるなんて、考えたこともなかった。百代は握られた手を見ながら、そう思った。それが全然嫌じゃなくて、むしろ心地良いぐらいだ。手をつなごうと凛から言ってくれてよかった。いきなり、私から言い出したら、絶対変に思われただろうし。でも、凛の奴慌てて可愛かったな。

 思い出し笑いを隠すように、百代はクレープにかじりつく。そして、先ほどミッコに耳打ちされた内容を思い出した。

 凛が私に気があるというのは、本当だろうか。あんな短時間で見抜けるものなのか。いや、私だってそうだといいなと思ってきた。これまでの反応を見る限り、嫌われてはいないだろうけど、好きだと確信がもてるわけでもなかった。私が一人で盛り上がっている可能性もあったから。でももし、凛が私を好きなら――。

 百代の心から温かい何かが溢れ出る。

 

 あの瞳に見つめられる度に。笑顔を向けられる度に。触れ合う度に。話をする度に。どんどん好きになっていく。

 

 百代の視線に気づいた凛が、首をかしげるが、彼女は「なんでもない」と笑ってごまかす。

 ただそれだけのことなのに、どうしようもなく楽しく思う自分がいた。ちょっかいをかけたくなる。もっと色んな表情を見たい。腕を組んでみるのはどうだろうか。ちょっと強めに手を握ったら、反応してくれるだろうか。

 どうでもいい考えが浮かんでは消えを繰り返す。それすらも楽しい。

 弟に何かとくっつきたがる京の気持ちが今ならわかる。百代はいつもの光景を思い浮かべた。

 弟をからかうためにくっつくのとは全然違う。あれはあれでアタフタする様子がおもしろい。でも、今の凛に同じことをしようと考えると、ドキドキしてフワフワする。

 百代はたまらず彼の名を呼んだ。

 

「凛!」

 

 その呼びかけに、凛は周りの風景から百代へと視線を移す。目が合った彼女は言葉を続ける。

 

「楽しいな」

 

「そうですね。時間もまだありますし、他にもなんか食べますか? あ! たこ焼き買っていいですか?」

 

 百代はそれに頷いた。

 どうせだから食べさせてやる。こう言ったら、凛はどんな反応を返してくれるだろう。

 少し前を歩く凛を肩越しに見ながら、百代はくすりといたずらっぽく笑った。

 

 

 □

 

 

「冬馬、冬馬! 次あれ食べていい?」

 

 小雪は、綿菓子の屋台を指差した。冬馬はいつもように微笑みを返す。

 

「ええ、構いませんよ。……それと準、浴衣姿の女の子(※幼女)を見るのはいいですが、気をつけてくださいよ」

 

「わかってるって、若。危ない人物がその周辺にいないか、ちゃーんと俺がチェックしてるから……それにしても、祭りってのはいいもんだ。ハシャいでる姿見てると、心が洗われていくようだぜ。委員長や紋様に出会えねぇかな」

 

 そう言って、準はキョロキョロと辺りを見回す。そして、ある方向に視線を固定させた。

 

「ん? あそこにいるの凛じゃねぇか?」

 

 その言葉を聞いた冬馬もその方向を確認する。

 

「そのようですね。……しかも女の子を連れているようです」

 

「成熟した女に興味はない……が、凛が連れて歩く女ってのは少し興味が湧くな。手なんてつないで、かなり仲良さげじゃないの。風間ファミリーとは一緒じゃないみたいだな」

 

 準は背伸びをして、どうにかその女の正体を見極めようとするが、客も多く迂闊に動くことができない。加えて、綿菓子を買いに行った小雪を待っていなければならなかった。

 冬馬は偶然客の合間を縫って、チラリと見えた横顔を見て一人笑みをこぼす。その隣で、なかなか見ることができない準は、しびれをきらして声をかけようと大きく息を吸う。そして、叫ぼうと口を空けた瞬間、彼の口の中に綿菓子が突っ込まれた。

 

「準と冬馬の分も買ってきたのだ」

 

 小雪は無邪気な笑顔を2人に向けた。準は叫ぶ代わりにため息をつきながら、口の周り全体――鼻までも覆った綿菓子をはずしにかかる。

 

「ユキ、買ってきてくれたのは非常にありがたいが、せめて普通に渡してくれ。マジでびっくりするから……鼻から綿菓子喰うところだったから」

 

「ハゲは太陽拳に加えて、そんな特技があったのか。僕知らなかったな」

 

「言っとくけど、太陽拳も特技じゃないからな……あーあ、口の周りがベタベタするわ」

 

 準はハンカチを取り出して、口の周りを拭った。それをじっと見つめる小雪が問いかける。

 

「よだれ?」

 

「おまえはさっき自分の仕出かしたことをもう忘れたのか!?」

 

 小雪はカラカラと笑いながら、冬馬の背へと逃れる。彼はその様子を見守りながら、もう一度凛たちのいた方向へ目を向けたが、そこに2人の姿はなかった。

 

 

 ◇

 

 

 百代はご機嫌な様子で、凛の隣を歩いていた。彼の右手には、黒と銀の子猫のぬいぐるみが入った袋。もちろん、これは彼のものではない。彼が祭りの記念にと、射的でとった商品を彼女にプレゼントしたものだった。黒と銀なのは、ちょうどその2体がいたからであり、決して彼が意図してとったわけではない。

 そんな2人――いや百代に、後ろから男の声がかかる。

 

「そこの美人なお嬢さん。よければ俺と一緒に祭りを回らないか?」

 

 どこかで聞いたことがある声だった。

 ――――こんな展開、前にもあったような気が……。というか、隣に俺がいるのに、なぜ声をかける!? そんなに俺は頼りなさそうに見えるのか!? そうなのか!? ……なんか悲しくなってきた。

 凛は百代をチラッと確認するが、彼女は「ん?」と首をかしげるだけで、後ろの声は完全に無視しているようだった。

 ――――モモ先輩の行動がいちいち可愛すぎる! どうか天然でありますように。計算ずくでやられてたら、俺は完全に手玉に取られてしまう……それでもいい、か? いやダメだ! しっかりしろ俺!

 深呼吸を繰り返す凛。沈んだ気持ちなど、もうどこかへ吹き飛んでいた。

 しかし、声をかけてきた男も諦めなかった。わざわざ彼らの前に、回りこんでくる。

 

「クールなところもまた君の魅力を引き立たせる。せめて、名前くらい教えて欲しいな」

 

 男はそのまま百代の空いている手を握ろうとする。しかし、その手は簡単にはたかれた。彼女自身の手によって。

 

「私に触ろうとするな。今は機嫌がいいから許してやる。女なら他にもいるだろ。さっさと私たちの前から消えろ」

 

 ――――て、コイツ確かエグゾイルの寺ちゃんだ。どんだけ女好きなんだ。お前の目の前にいるのは武神だぞ。でも、目の付け所は最高だ! なんせ可愛いからな!

 凛が誇らしい気分でいる中、龍造寺と百代のやりとりは続いていた。彼が再度アプローチに出る。

 

「君じゃなきゃダメなんだ!」

 

 しかも今度は肩を抱こうとする。それに反応したのは凛だった。ぬいぐるみの入った袋を足元へ置き、次の行動へ移る。

 

「ちょっと調子乗りすぎです。龍造寺くん」

 

 凛は百代とつないでいた手を解き、そのまま彼女の肩を抱くと、自分の胸に引き寄せる。それと同時に、龍造寺の伸ばされた手を掴み捻りあげると、星が輝く空へと放り投げた。そして、誰に伝えるわけでもなく、少し大きめの声で叫ぶ。

 

「イケメンが空飛んでる!」

 

 それに反応するように、ひとつの影が龍造寺を捕まえ、そのまま暗がりへと消えていく。その影は捕まえた瞬間、「飛んで火にいるイケメンゲット! アタイの色気で骨抜き!」と叫んでいた。その後、暗がりからは「コイツ粗チン系じゃん!」「お前はこの前の!?」と言い合いが聞こえる。

 周りにいる客たちは当然、その一部始終を見ていた。そして、彼らがその奇想天外な光景に見とれているうちに、凛と百代はその場を離れる。ちなみに、それにあまり注意を払わなかったのは、川神の住人たちだった。

 十分に距離をとったところで、百代が凛に話しかける。

 

「アイツ本当になんなんだ? いつもあんな調子なのか?」

 

「かなり手馴れている様子でしたもんね。まぁモモ先輩可愛いから、声を掛けたくなる気持ちもわからないではないですよ」

 

「う……そ、そうか」

 

 百代が言葉を詰まらすのを見て、ハハハと笑っていた凛も自分の言ったことに気づき赤面した。それをごまかすかのように、即座に話題を変える。

 

「で、でも、モモ先輩がビーム打たなくて助かりました」

 

「お前の中では、川神波はビームで決定なのか? あんなところで打ったら、花火どころの騒ぎじゃなくなるだろ」

 

 せっかく2人で見られるチャンスを逃したくないんだ。それが百代の本音だった。

 それを聞いた凛は、その光景を想像して声をあげて笑う。

 

「まぁ花火より目立つでしょうしね。せっかくの花火が可哀想です」

 

「それはもういい! もうすぐ花火だぞ。どうせだから秘密基地で見ないか? 眺めもいいだろう?」

 

「それはいいですけど、歩いている最中に始まりせんか? 先輩は浴衣だし」

 

「凛が走れば間に合うだろ?」

 

 百代は言い終えると、凛に向かって両腕を広げた。彼はそれの示す意味を察し、苦笑をもらしながらも彼女へ近づく。

 ――――役得です! ありがとうございます!

 

「しっかり掴まっててくださいね。あとこの袋も持っててくださいよ、と」

 

 凛は百代をお姫様抱っこすると、足に力を込めて跳んだ。流れる風景を横目に、人気のない道路を走り、時には屋根から屋根へと跳び、廃ビルを目指す。腕の中にいる彼女は、彼の首に手を回しながら、「おぉ」と感嘆の声を上げ、過ぎ行く風景を楽しんでいた。自分で跳ぶときとはまた違うものらしい。

 ――――だからと言って、やってもらいたいとは思わないけど。

 凛は百代の甘い香りの誘惑と戦いながら、先を目指した。

 

 

 □

 

 

 ビルの屋上へ続く扉を百代が勢いよく開いた。2人の目に映るのは、わずかばかりの星の輝きと真っ暗な闇。

 そこにちょうど大輪の花が咲き誇った。そして――。

 ドン。

 少し遅れて腹の底に響く轟音が鳴り響いた。それを合図にして、我も続けと次々に光の筋が空へと上っていく。

 

「ギリギリセーフ」

 

 百代が大きく輝く花火を背にして、凛へと笑いかける。本当ならば、もっと余裕を持って着けたのだが、2人は途中で飲み物などを買っていて、大幅に時間をロスしたのだった。最もその大半のロスは、そのときの店員が嫌がらせかと思うほど、レジ打ちに手間取ったせいだった。

 ――――この笑顔が見られただけで、頑張った甲斐があったな。

 百代が凛の手を引いて、手すりのある場所まで導く。その間も絶え間なく続くそれが、川神の夜を華やかに彩った。刹那の花が散っていくと、光の茎が現れて、新たな花を咲かせる。赤、青、黄、オレンジ、紫、白、水色など、時には大小合わせて10個以上の花火があがった。

 2人は手をつないだまま、花火を見つめる。それほどに圧倒的なものだった。隣にいる相手を確かめるように、百代は少し手を強く握る。凛は、それに握り返すことで応えた。

 

 このまま時が止まってしまえばいい――。

 

 そう思えるほどに美しい光景だが、2人は互いがいるこの瞬間に対して願ったのだった。

 永遠に続くかのように、色鮮やかな花火は上がり続けた。しかし、それにも終わりがくる。最後を締めくくる特大の花火は、一際輝くもすぐに闇へと溶けていった。そして、辺りを静寂が包む。

 どの花火が綺麗だった。ファミリーはどうしているか。岳人はナンパに成功したのか。大和は無事なのか。一通りの話題を話し終わると、屋上はまた静かになった。

 

「いよいよだな」

 

 百代の声が響いた。なにが、とは聞かない。彼女を真正面から見つめて、凛が口を開く。

 

「もう少しだけ辛抱していてくださいね。すぐにそこに行きますから」

 

「私は子供じゃないんだ。でも…………これ以上は待ちたくない」

 

「俺も待たせるつもりはありません。まぁ俺がそこに行ったときには、モモ先輩負けちゃうんですけどね」

 

 凛が意地悪そうに笑った。しかし、百代は自信満々な様子を崩さない。

 

「やれるものならな! そんな大口叩いて、凛が負けたときは盛大にそのネタでイジッてやるから覚悟しろ」

 

 言い終わると共に、百代は左手で拳を作り、ゆっくりと凛に向かって放った。彼はそれを受け止めると、拳を解き、包み込むように握る。

 

「なら、余計頑張らないといけませんね。男として、モモ先輩にカッコイイとこ見せたいし」

 

「え?」

 

 百代の心臓が大きく跳ねる。そして、長い沈黙が訪れた。

 それを破る音が2人の耳に届く。気の早い誰かが、市販の打ち上げ花火を上げたようだ。

 しかし、2人はそんな音を気にも留めない。彼らを普段と違う空気が包んでいた。ソワソワするような、こそばゆいような、それでいて心地よいような――そんな空気だった。

 

 あと10cm。

 

 

 9cm。

 

 

 8cm――。

 

 

 どちらからだろうか。ゆっくりと彼らは距離を詰めていった。その間も目をそらすことはない。互いの存在を感じる手も離さない。

 やがて、2人の距離が埋まる。凛が頭を下げ、それに合わせて百代が少し背伸びした。互いの息遣いがわかるぐらいに、顔を近づけあう。そして、示し合わすように、彼らは瞼を閉じ――。

 

 バタン!

 

 そこで、閉じていた扉が、再び勢いよく開いた。

 

「モモ先輩! 凛! これからみんなで手持ち花火をするぞ! ……ん? 2人ともどうかしたのか?」

 

 クリスだった。百代と凛はすでに一定の距離をとっている。

 何かを誤魔化すように、百代が声をあげた。

 

「花火か! いいな! すぐ行こう! り……凛、私はクリスと先に行ってるから!」

 

「あ、はい。ど、どうぞどうぞ。荷物は俺が持っていきますから」

 

「よ、よし! それじゃあクリス行くぞ。ちゃっちゃと行くぞ」

 

 百代は、頭にハテナマークを浮かべたクリスをグイグイ押すと、屋上から姿を消した。2人の姿が見えなくなってから、凛は手すりにもたれながら、ズルズルとしゃがみこんで頭を抱える。

 

「うわぁ……俺何しようとした? いやわかってる」

 

 ――――なんか我慢できなくなった! これから倒そうってときに、変な空気作ってどうすんだよ! 絶対モモ先輩にバレた! 俺が好きだってことバレたぞ! 叫びたい……悶え転げたい。でも、下にみんないるし、甚平汚れるだろうからできない。

 

「いや、とにかく一旦冷静になろう」

 

 深呼吸を繰り返す。それに続いて、人という字を書いて飲み込んだ。最後に大きく息を吐く。

 

「……もうバレたことは仕方がない。どうせ大会終わったら、告白するつもりだったし。この際、開き直る!」

 

 そこで一つの疑問が持ち上がる。

 ――――そういえば、モモ先輩避けなかったよな? 避けられなかったってことはないだろうし……え? もしかして……。

 そこで、携帯が震えるのに気づいた。着信は大和からだった。

 

「すぐ降りるから、もうちょっと待ってくれ。すぐ行くから!」

 

 ついでにメールを確認すると、何件か未読があった。どうやら、花火が終わった後に送られてきたようだ。内容は、基地にて花火するから集合と書かれていた。携帯を閉じると、結局開けることのなかったジュースの袋やら、ぬいぐるみの袋を持つ。

 

「とにかく勝つ! 全てはそれからだ。恥ずかしいとか言ってられん。何年もかかったチャンスを逃すわけにもいかない。それに――」

 

 ――――中途半端な気持ちで挑むのは、モモ先輩にも失礼だ。

 

 凛は気合を入れると、屋上をあとにした。

 

 

 ◇

 

 

 時間を少し遡り、クリスと共に屋上を出た百代は、「忘れ物がある」と言って、いつも使っている部屋に一人駆け込んだ。そして、扉を閉めると、そのまま背を預けて座り込んだ。心臓が張り裂けそうなほど脈打っている。それを落ち着かせるため、ゆっくりと呼吸を整えた。

 そのまま、百代はゆっくりと唇を人差し指でなぞる。

 

「キス……しようとしてたんだよな? あのまま、クリスが来なかったら……」

 

 その先を想像して、百代は顔を赤くしながら、頭を左右に振った。

 ちなみに、クリスが、百代たちが屋上にいると分かったのは、由紀江がその気を感じ取ったからだったらしい。

 百代は膝に頭を乗っけながら呟く。

 

「好きだから……キス、しようとしたんだよな? 好きだから。凛も」

 

 顔がゆるむのを我慢できない。そこで、百代は大変なことに気づいた。

 

「凛の顔……見れるのか? やばい……自信ないぞ」

 

 凛の顔を思い出しただけで、百代は頬が熱くなるのがわかる。慌てて、両手で冷やそうとするが、あまり効果がなさそうだった。

 嬉しくて、恥ずかしいから仕方ないだろ。そう自分に弁解する。

 

「いや! ここは気合だ! 明後日には凛があがってくるんだ! 私と戦うために……私のために」

 

 そう考えると心がほわっと温かくなり、整えた顔つきが脆くも崩れ去った。それを何度か繰り返した後、ようやく落ち着いた百代だったが、下に向かう途中、バッタリ出会った凛にアタフタしたのは言うまでもない。当然、彼も慌てふためいた。そんな姿を互いに笑いあうと、多少のぎこちなさが残るものの、なんとか表面上を取り繕うことができた。

 大会が終わったら、自分の気持ちを打ち明けよう。百代は照れ笑いする凛を見ながら、そう心に決める。加えて、彼女自身これ以上、長引かせることができそうになかった。

 2人が下へ降りると、もう花火は始まっていた。はしゃぐファミリーも、明日から2日間ライバル同士になる。

 

 若獅子タッグマッチトーナメントがいよいよ幕を開ける――。

 




意外と早くできました。



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『若獅子タッグマッチトーナメント1』

 2人が立っている河川敷は、沈もうとする夕日に照らされて赤々としている。周囲に人気はない。だからであろうか、彼らは人目を気にすることなく、影を一つにしていた。

 彼女は体全体で彼を感じるかのように、力いっぱい抱きしめ、頭を彼の首筋にこすりつけた。その様子はまるで猫が甘えているようである。

彼は柔らかく微笑みながら、彼女の絹のように滑らかな黒髪を後頭部から下に向けて、ゆっくりと撫でた。それにピクリと反応する彼女だったが、すぐに受け入れる。

やがて、互いに見つめ合った。瞳に自分の顔が確認できるほどに近い。彼女の瞳は潤み、よく見るとアメジストのように紫がかっている。いや、彼にとってはそんな宝石よりも綺麗に見えているに違いなかった。

 

「り――」

 

 彼以外には聞こえないほど小さな声だった。彼もそれに答える。

 

「……もセ――」

 

 目を閉じた2人がゆっくりと距離を縮め、やがて――。

 ジリリリ。

 しかし、その先が続くことはなかった。携帯から鳴り響く目覚まし音が、2人を引き離す。

 凛が目を開けると、見慣れた木の天井だった。

 

「ハッ!!」

 

 凛はバッと体を起こすと、瞬きを数度繰り返す。そして、止めてくれと言わんばかりに鳴り続けるそれに手を伸ばした。

 

「夢か……。せめて夢くらい……ん? あれ……どんな夢だっけ? なんか凄い幸せなモノのような気がするのに、思い出せない。ちょっと待って。あれ? ん、あれ?」

 

 凛は、独り言をつぶやきながら頭を抱え込んだ。加えて、手のひらで軽く頭をノックする。衝撃を与えて、それを切欠にしようとしたようだ。

 しかし、それも無駄な行為だった。

 

「凄いいい夢だったんだ。その印象だけは覚えてる! でも内容が思い出せない」

 

――――もう一度眠れば、あるいは……。

そんな考えが頭をよぎった。

 

「いやいや、今日試合なんだからダメだろ」

 

しばらく悩んだ凛だったが、諦めがついたのか、ため息を一つ吐き大きく伸びをした。パキポキと小気味良い音が聞こえると、一気に力を抜く。

――――幸せな気持ちで目が覚めたから、それだけでも良しとするか。

気持ちを切り替えて、ベッドから抜け出す。カーテンの隙間からは朝日が差し込んでおり、気の早い蝉が早くも鳴き始めていた。

カーテンを勢いよく開けた凛の目に、雲ひとつない青空が映る。

 ――――今日も暑くなりそうだな。

 もう一度伸びをして、写真の飾られたコルクボードへと目を向けた。そこには、たくさんの笑顔が溢れる写真――その中心には、いつかの歓迎会で不意に撮られた凛と満面の笑みを浮かべた百代の2人が、顔を寄せ合う一枚があった。

 ――――モモ先輩に関る夢だったのかもしれないな。幸せなものだったし。

 そう思うと、より元気がでた。

 

「よしっ! 頑張りますか」

 

 凛は軽く息を吐き出すと、顔を洗うために部屋を出る。洗面所には、先に起きていた忠勝が顔を洗っているところだった。

 

「おはよう、源さん」

 

「おう」

 

 短く返事を返した忠勝は、歯ブラシをとって鏡越しに凛を見た。そして、軽く笑いながら言葉を続ける。

 

「だらしねぇ顔だな。なんかいい夢でも見たのか?」

 

「えっ? 嘘? いつもと変わらないと思うけど……というか、源さんエスパー!?」

 

 凛は顔をペタペタと触りながら、空いている鏡の前で自分の顔をマジマジと見つめてみた。しかし、右側の髪がはねている以外おかしな所は見当たらない。

 

「んなわけねぇだろ。ただ、朝からそんな顔してるとすれば、思いつくのがそんくらいしかねぇだろ」

 

「そんなにだらしない顔してる?」

 

「ああ。大和がヤドカリを見てるときの顔みたいだぞ」

 

「いやいや、それはいくらなんでもないでしょ。あの顔は人様の前で見せちゃいけない顔なんだから」

 

 大和がヤドカリを前にしたときの顔を思い出して、凛は吹き出した。

 

「それくらい、だらしねぇってことだ」

 

「そうかな? ……でも、夢の内容をよく覚えてないんだよなぁ。どうにかして思い出せないかな、エスパーGEN」

 

「変なあだ名つけるのを止めろ。あと俺が夢を思い出す方法を知ってるわけねぇだろ。さっさと顔でも洗え」

 

 忠勝はそこで話を切って、歯を磨き始めた。

 

「はーい」

 

その横で、凛は水道の蛇口をひねった。

 

 

 ◇

 

 

 トーナメントの行われる七浜スタジアムの入り口は、既に多くの観客が詰め掛けており騒然としていた。その中には、この様子をレポートしている記者たちも多く、客を捕まえては似たような質問を繰り返す。一際大きな団体ができているのは、どうやら龍造時がいるところのようだった。大半が黄色い声援であり、エグゾイルNo.1のイケメンは伊達ではない。本人も気前よく愛想を振りまいている。

凛たちには、スタジアムがこのような状況になっているのは、既に川神駅のホームで十分に予想がついていた。なぜなら、そこは通勤ラッシュのときのように人で溢れかえっており、車掌は数をさばくために1人でも多くの客を押し込むという作業を繰り返していたからだ。アナウンスでは、度々諸注意が流され、数人の車掌もそれに加えて、拡声器を片手に声を張り上げていた。

――――こっちの混雑具合は関西と比べ物にならないな……。

電車に乗り込むと、大和に密着できて嬉しそうな京は別として、辟易としている他のファミリーの女性陣を見ながら、凛は1人そう思った。

スタジアムへは、用意されていたパスを使って別口から入れるようで、列をなしている観客を横目に、一行は控え室に向かうのだった。

 

 

 

 

控え室では様々な国の選手が集まっており、英語、中国語、ロシア語、日本語と多くの言語が耳に届いてくる。そして、ひっきりなしに人が出たり入ったりしていた。

開始まで少し時間があった凛は、携帯からの呼び出しで人気のない一角に出向いていた。観客席にぞくぞくと人が入り始めているためか、通路の奥から賑やかな様子が伝わってくる。

指定された場所には百代が、壁にもたれていた。

 

「おはようございます。モモ先輩」

 

 凛はそう言って、百代の隣に陣取った。

 

「おはよう凛。調子はどうだ?」

 

「いい感じです。昨日もぐっすり眠れたし、ただまぁ……電車の中がすごい混んでて、大変でした。身動き一つとれないってああいうこと言うんだなと実感しました」

 

 凛は、つい先ほどの事を思い出して苦笑した。

 

「あー確かに、何万人ってここに来るからな。今日でスタジアム動員数を更新するだろうって、ジジイと一緒にいた市長が嬉しそうに言ってたし」

 

「市長が話に出てくるってのも凄いですね。そう言えば、総理も学長の高弟なんでしたっけ? それによく考えれば、モモ先輩は武神で有名なんですもんね。うーん……凄いな」

 

 ――総理とも面識があるんだから、市長くらい普通なのか。

 凛は、自分の隣で得意げになっている少女を改めて見直した。

 

「そうだぞ。私は凄いんだぞ! 見直したか?」

 

 えっへんと胸をはる百代に、凛は笑いながら彼女の頭を撫でる。

 

「可愛い武神だなー。凄いなー。よーしよし」

 

「……お前、バカにしてないか?」

 

上目遣いで抗議する武神は、まさに可愛いという言葉がピッタリだった。そして、抗議しながらも、やはり可愛いと言われて嬉しいらしい。彼女の頬は僅かに朱がさしている。

 

「いやバカになんかしてませんよ。でも、こう賑やかだとワクワクしちゃいますね」

 

手を引っ込めて嬉しそうに笑う凛を見て、百代も釣られて笑顔を見せる。

 

「そうだな。でも凛は今日戦えるからいいよなー……私は明日までお預けだ。まぁ仕方ないから、今日は解説しながら、スタジアムに来た可愛い姉ちゃんでも見て気長に待つけどな」

 

「強い人にあたるかどうかは運だから、どうなるかわかりませんけどね。あとちゃんと仕事してください」

 

「冗談だ。ちゃんとやるって……凛の活躍をよく見ておくぞ」

 

 凛を下から見上げるようにして、いたずらっぽく笑う百代。

 

「瞬殺は活躍したってことになりますか?」

 

 凛も知らず知らずのうちに、百代との会話を楽しんでいて、つい調子にのってしまう。

 

「おぉー言うじゃないか、こいつ。そのドヤ顔が可愛いぞ」

 

 百代はお返しとばかりに、凛の頭を撫で返した。傍目から見ると、恋人同士のじゃれ合いにしか見えないことに2人は気づかない。

 

「いや、可愛いっておかしくない? で、そろそろいい時間なんですけど、モモ先輩の用事って何ですか?」

 

「大した用じゃないんだけどな。今日も暑くなりそうだから、私からの餞別だ」

 

 百代はそう言って、近くの自販機で買ったであろうドリンクを渡した。よく冷えているそれは、水滴ができ始めている。

 

「わざわざありがとうございます。モモ先輩も熱中症には気をつけてくださいね」

 

「わかってる。でも、私がそんなことになろうものなら、ジジイから小言言われそうだな」

 

「それなら、多分俺もヒュームさんから小言どころか、叱責もらいそうですね……」

 

 そこで、2人は顔を見合わせ、ひとしきり笑いあった。

その後通路を歩いて、分かれ道に差し掛かる。

 

「それじゃ頑張れ、よ!」

 

 百代はエールを送ると同時に、凛の背中に気合を注入した。やられた本人は背中をさすりながら、言葉を返す。いい音が鳴った分、中々の威力があったらしい。

 

「俺も気合を入れさせてもらっていいですか?」

 

 凛は、やる気満々といった感じで、手に息を吐きかけた。百代はそれを見るなり、彼から一歩距離をとる。

 

「私に気合は必要ないだろ。解説しかしないんだから。それと美少女からの応援なんだぞ。ありがたくもらっておくだけにしておけ。じゃあ、またあとでなー」

 

 百代はそう言葉を残すと、楽しそうに凛から離れていった。黒髪が機嫌よく左右に揺れている。そして、角を曲がるところで振り向くと、彼に向かって手を振ってきた。

 ――――憎めない人だな。

 凛はその後ろ姿が見えなくなってから、控え室へと戻っていった。

 

 

 ◇

 

 

 試合は、予選本選ともにペアのどちらか片方が戦闘不能になれば敗北。加えて、場外も10カウントで負けというルールである。

 朝の開始時にいた100組を超える参加者も、3回目の勝ち抜き戦が行われる直前には、その数をぐっと減らしていた。人の熱気で少し暑苦しかった控え室は、寝転がって体を休める者もいるくらいスペースが空いている。だからといって、緊張が高まったピリピリした雰囲気ではなく、どこか和やかなものだった。それは、大半が顔なじみであったからかもしれない。

 

『おおっとぉー! 強烈な一撃をくらって、太陽の子メッシ戦闘不能!! よって、3戦目に駒を進めたのはラグナロクチーム! ここに来てダークホースが現れましたぁー! この勢いのまま本選出場を勝ち取ることができるのか!? あるいは力尽きてしまうの――』

 

 アナウンスからは、3戦目に勝ち抜いた最後のペアが発表されていた。

 それを見ていた凛に、隣で座っていた準が話しかけてくる。

 

「凛、見てみろ。あそこに群馬の生き神様がおられる。俺あの子のチームと当たったら、もうダメだと思うわ……あっ目が合った。安心しろ。俺は君を傷つけない」

 

「生き神様って、うちの委員長に対しても言ってなかった? 準の周りは一体どうなってる。少し自重しろ。怯えられてるぞ」

 

 凛の言葉通り、生き神と称された子はその視線に耐えられなくなったのか、準の視界から逃げるようにして、控え室をあとにした。

 しかし、この男はへこたれることがない。

 

「ふっ……照れることなどないというのに」

 

「いや、あれはどう見ても怖がってたから。現実を見ろ……にしても、これで2戦目が終わったけど、半数が顔なじみで緊張感がないな」

 

「だよなー。まぁ、ギスギスした感じじゃなくていいんじゃね? そこかしこで『やんのかコラ』みたいな雰囲気だされてもな……そうだ、アメ舐めるか? ユキにやろうと思ってたんだけどよ、例によってどこにいるかわかんねぇし」

 

 準から出された飴を受け取る凛。

 

「一部には対抗心むき出しの奴もいるけどな。小雪なら、さっき京と話してるの見かけたけど……あ、あそこだ。大和の隣で餌付けされてる」

 

 小雪は凛の指差す先で、京と大和、そして燕を合わせた3人と一緒にいた。

 

「ちゃんといるならいいんだ。ユキには試合行く前に、コップ一杯の水分とっておくように言っといてくれ」

 

 凛がそれに頷くのを確認してから、準は言葉を続ける。

 

「それよか対抗心むき出しの奴なんて……西方十勇士の石田か? そういや義経に何かと絡んでたな。なんか関係あったのか?」

 

「石田は、前の交流戦のとき、義経に切り捨てられたんだよ。それで、今回その雪辱を果たしたいんじゃないか?」

 

「なるほど。でも義経もハンパねぇからな。あれに勝てるビジョンが浮かんでこねぇ」

 

 そう言って、準は苦い顔をした。

 

「おっ、噂をすれば3戦目の第1試合はその石田だな」

 

 アナウンスが流れるとともに、控え室に備え付けられている大型テレビで、名前が大きく発表された。

 それに目を向けた準も声をあげる。

 

「しかも、相手は弁慶のチームじゃん。アイツ、2戦目で2メートル超えの筋肉マンをリングに埋め込んでたよな。怖すぎんだろ」

 

「あれはインパクトあった。川神の人達は賑やかだったけど、それ以外は一瞬唖然としてたしな」

 

「もうなんつーか、感覚が麻痺ってくるんじゃね? ほら、身近にモモ先輩とかなんか突き抜けてる存在いるじゃん」

 

「まぁそれが日常みたいな感じになってるもんな」

 

「こういうとき、あぁ川神って変わってんだなって痛感するんだよ――」

 

 両チームがリングに出揃ったところで、審判の威勢の良い掛け声がかかった。

 

 

 □

 

 

「小雪。試合行く前に、コップ一杯分でいいから水分とっとけって、準が言ってたぞ」

 

 第4試合目にコールされた凛は、控え室を出る前に、小雪に声をかけた。

 

「ハゲは心配性だなー。言われなくても飲んでいくよ。ちょうど喉かわいてたし。リンリンも飲む?」

 

「いや俺はさっき飲んだから大丈夫だ」

 

 小雪は白く細い喉をコクコクと上下させると、紙コップをゴミ箱に投げ捨てた。それが、寸分違わず穴へと吸い込まれるのを見届けて、拳を握り締める。

 

「それじゃあ、サクッと勝って本選出場だぁ」

 

 2人は、しっかりとした足取りで薄暗い通路を通り抜け、これまでの戦いでボルテージの上がったリングを目指す――。

 

『圧倒的な力量差を見せ付けて勝ち残ったスノーベル。対するは、あのメッシを下して勢いにのっているラグナロク。どちらが勝利の女神に微笑まれるのか!? さぁ第4試合目張り切ってまいりましょう!!』

 

 リング上では、アナウンスと共に大勢の声援が飛び交っている。相手チームは、先にリングに上がっており準備は整っているようだった。

 相手チームの金髪男が喋りだす。

 

「残念だが、お前達の快進撃もここまでだ。封印されていた俺の右腕は、いまやその秘めたる闇の力を覚醒させている。今の俺を止められるのは武神をおいて他にはない。楽にしていろ。一瞬で全ては肩がつく」

 

 その隣にいた片目を眼帯で隠した少女が続く。

 

「背中はまかせて。……あなたは私が守る。いざというときは、この邪眼を……」

 

「必要ない。お前は俺の背中だけを追いかけて来い。……くっ! まだ完全には操りきれないか、疼きやがる――」

 

 2人の世界はまだまだ続くようだった。

 ――――これは……与一と同じタイプの人間か。あっちの眼帯してる子も眼帯とったら、マルギッテさんのように戦闘能力が上がるのかな?

 それを見ていた小雪が、凛にそっと話しかける。

 

「あの人達ケガしてるのかな? 2人とも右腕にボロボロの包帯巻いてるし」

 

 男の腰には一振りの刀。女は素手のようだが、先の試合でヌンチャクを使っていたのをしっかり確認している。始めから出しておけばいいのに、と凛を含め観客の多くも思っていた。そこは何かこだわりがあるらしい。

 

「まぁもし重傷……いや重症なら、九鬼の人や川神院がほっとかないだろうから、小雪が心配することないよ」

 

「了解なのだ」

 

 そして、審判の掛け声が下りるのを待つ。ようやく相手の2人も静かになった。

 

『それでは……レディーーゴー!!』

 

 掛け声とともに飛び出したのは凛。ワンテンポ遅れて、金髪の男だった。

 2歩目を踏み込むと同時に凛の姿が掻き消える。男の目に映るのは、未だ自然体で突っ立っている小雪の姿のみ。まるで蜃気楼のようで、始めから彼女一人だけだったように錯覚する。一瞬の硬直から解けた彼は、これまでの相手との差を感じ取ったのか、素早く己の腰にさしていた刀に手をかけ――。

 

「俺の妖とうふぐッ!」

 

 言葉を発するもそれを抜くことはなく、凛の右拳を腹に受け、そこで意識をとざす。この瞬間、男の戦いは終わった。

 しかし、災難は終わっていなかった。その被害にあったのは、男の後ろを追いかけていた少女。気づいたときには、目の前が真っ白に覆いつくされていた。わけも分からず、とりあえず両手を交差させる。

 

「えっ!? わ、ちょ……!」

 

 素がでてしまうほどの動揺ののち、圧倒的な質量を感じたところで少女もようやく何が起こったのか悟った。この白は、自分のペアのカッターシャツなのだと。全てがわかったときには、彼女はリング外で男の下敷きとなって目を回していた。

待機していた川神院の僧たちが、すぐに彼らを運んでいく。

 圧倒的勝利に、会場がより一層大きく盛り上がった。それと同時に、興奮した司会者の声が響き渡る。

 

『強い強いつよぉーーーい!! もう皆さんもこのチームの2人を覚えてしまったのではないでしょうか!? 蹴りを放てば大男を吹き飛ばし、拳を振るえば敵を瞬殺!! その戦いはシンプルかつスマート!! 銀白の髪をゆらす2人に敵う相手は今後現れるのでしょうか!? 本選出場の4組目はスノーベルです!!』

 

 それに続いて、百代が喋りだす。

 

『あの2人の実力は頭一つ飛びぬけていますからね。優勝候補の一角と呼べるんじゃないでしょうか』

 

『でました! 武神のお墨付き! これはますます本選の戦いが楽しみになってまいりました!』

 

 凛に駆け寄ってくる小雪が無邪気に右手をあげる。それに応えて、彼も右手をあげた。

 

「イェーーイ!」

 

 2人は無事に本選へと駒を進めた。

 

 




どうもお久しぶりです。
お待ちくださった皆様、ありがとうございます。

久々に1話を書き上げたのですが、変な部分はなかったでしょうか?

次はもう少し早く投稿できるように頑張りたいです。
しかし、次は戦闘、戦闘、また戦闘という戦闘尽くし。
戦闘の描写は中々うまくいきませんが、精一杯書いてみます。
それでは次回また。


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『若獅子タッグマッチトーナメント2』

「くそ……今日もしかしたら、見られるんじゃないかと期待していたのに、夢も何も見ない熟睡ぶりだった」

 

 凛は洗面所の鏡の前で支度を整えながら呟いた。その言葉通り、体調は万全だった。

 リビングには忠勝と由紀江が先に座っており、凛から遅れること数分で皆が席についた。マルギッテは所用で外に出ているらしい。

 朝食は、試合に勝つという意味を込めて豚カツが用意されている。

 当然、朝の話題は今日行われる本選のことになった。テレビでもちょうどそのことに触れており、司会である龍造寺と雪広アナがそれぞれのオススメの試合を取り上げている。

 それを見た翔一が声をあげた。

 

「ひゃっほー! 見た見た!? 俺映ったぜ! 注目だって!」

 

 龍造時が取り上げたのが翔一と大友のペアだったのだ。その戦い振りはクレイジーと言わせるほど度胸と運が必要なもので、麗子などは皆のお茶を入れてやりながら呆れている。

 次に雪広アナが取り上げたのは、岳人と長宗我部のペアだった。

 彼らの相手は十勇士の毛利と弓子といった弓使いのコンビだったが、長宗我部が先頭に立って飛んでくる矢を引き受け、その後ろを走っていた岳人が毛利にトドメを刺すという男気溢れる戦い方だった。

 雪広アナの素敵発言に、凛も頷きを返す。

 

「ああいうパートナーを信じて戦う姿はいいよな」

 

「凛の言いたいことわかるぜー。『ここはまかせて先に行け』って感じが熱いよなぁ!」

 

 翔一がグッと握りこぶしを作りながら相槌をうった。続けて、クリスも同意する。

 麗子は息子が映ったのを喜びながらも、将来の嫁が現れて欲しいと願っているようだ。しかし、盛り上がるファミリーの中で一人浮かない顔の大和。

 それに気づいた京、忠勝が続けて心配する。

 大和が浮かない理由――それは、戦いにおいて何の役にもたっていないということだった。

 

「正直、俺がペアじゃなくてもいいんじゃない、とか思ったりしてさ」

 

 そこで大和はもう一度深いため息をついた。

 それに答えたのは、お茶を飲んでリラックスする凛。そして由紀江だった。

 

「それは予選だったからだろ? まさか今日も立ってるだけで優勝するつもりか?」

 

「そうです。今日は嫌でも出番がありますよ」

 

 忠勝も片付けをしながら、大和に声をかける。

 

「いじけてる時間があるなら、体でも動かしたらどうだ? そっちの方がよっぽど建設的だぜ」

 

 そこで、ようやく大和は前向きになる。しかし、クリスの無邪気な発言が彼を動揺させる。

 

「大和はそれほど燕先輩の役に立ちたかったのだな。いい心がけだ」

 

「う……」

 

 大和が固まった。凛は湯のみをいじりながら、ニヤニヤと事の顛末を見守っている。

 そんな大和を見て、松風が喋りだす。

 

「あらまぁ。ウブじゃんよぉ大和坊」

 

「んん……さて、体でもほぐしておくか」

 

 嫌な流れになってきたのを肌で感じた大和は一人席を立つも、その一言に反応する者がいた。

 

「バッチこい! ほぐしまくるよ!」

 

 京である。気づいたときには、大和の隣に立ち、両手を大きく開いていた。

 

「そういう意味じゃねぇ! 一人でできるから」

 

 大和は慌ててリビングから出て行こうとするが、そこへちょうどマルギッテが入ってきてぶつかってしまう。そして、倒れそうになる彼を彼女が引っ張りあげた。

 

「大和! ちゃんと前を見て歩きなさい!」

 

「ああ、ごめん。それで……その、掴んでいる腕を放していただけると嬉しいんですが」

 

「体をほぐすのでしょう? 聞こえていました。私が付き合ってあげます。感謝しなさい」

 

 マルギッテはそのままずりずりと大和を引っ張っていく。「一人でできるって言ってんじゃん」といってジタバタする彼は無視である。その後ろを至極当然といった様子でついていく京。

 そんな3人に凛が話しかける。

 

「あと15分くらいで迎えの車が来るから、忘れないようにな」

 

 その途中、大和が助けを求めていたが――無視である。

 京が時計を見ながら、おもむろに聞き返す。

 

「それ……もうちょっとあとにならない?」

 

「なるわけないだろ。何する気だ?」

 

「何って……男と女が集えば、ね」

 

 その問いかけに、京は両手を頬に添えて、意味深な様子で顔を赤らめる。由紀江がそれを見て、同じく顔を赤くした。それに加えて「さすが京姉さん。朝からアダルトだぜ」と言う松風。

 それを見て、麗子がため息をつく。

 

「うちの岳人も、大和ちゃんぐらい甲斐性があればねぇ」

 

「いや麗子さん、あれはあれで問題ありだと思いますよ」

 

 凛は3人が出て行ったドアを見つめながら、言葉を返した。

 島津寮は今日も平常運転だった。

 

 

 ◇

 

 

 会場の歓声は昨日を遥かに上回っているように感じられる。リング上は朝日を浴びて、いっそ清らかな場所に見えた。今日この日、最後までこの舞台に立っていた者が、若獅子の頂点に立つ者となる。証人は全世界の住人。

 そこに一人の精悍な男性――田尻耕。七浜で執事を行っている――がマイクを持ち、進み出てきた。

 

『皆様、大変長らくお待たせいたしました! 若獅子タッグマッチトーナメント、本選開始でございます!!』

 

 その一言に続いて、会場が揺れるような大歓声――。

 これではマイクを通しても声は通らないと感じた田尻は、歓声が落ち着くのを待つ。その間、本選出場の選手は、皆紹介される順番に通路に並んでいた。会話を交わす者、目を閉じて落ち着いている者から自分の武器を確認する者、軽く体を動かす者まで様々である。

 そこからリングに上がるまでの道――ロープで規制されており、文字通り一本道の両側には、選手入場のときだけ、特別にカメラマンが入ることを許されており、まるで何かの武器かと思えるほど厳しいカメラが設置され、そのときを今か今かと待ち構えていた。

 田尻の自己紹介ののち、実況の稲田堤、解説の百代と新しく抜擢された石田が紹介され、会場の観客に被害が及ばないようにするための4人の超越者――鉄心、ルー、釈迦堂、鍋島――があとに続く。

 

『次代を担う若き獅子たちの咆哮を聞きたいかぁー!!』

 

 割れんばかりの歓呼の声が、会場に響き渡った。それに頷いた田尻は、自らもそれに負けじと声を張り上げる。

 

『それでは、トーナメントを戦う選ばれし16チームの入場です! まずは――』

 

 名を読み上げられた者たちが次々に姿を現していく。そして、その度に夥しい数のフラッシュが途切れることなく瞬いた。

 義経と京(源氏紅蓮隊)。

 長宗我部と岳人(400万パワーズ)。

 心と由紀江(雲上人)。

 与一と清楚(桜ブロッサム)。

 育郎と鉢屋(無敵童貞軍)。

 ???と???(ミステリータッグ)。

 マルギッテとクリス(大江戸シスターズ)。

 弁慶と辰子(デス・ミッショネルズ)。

 英雄と準(フラッシュエンペラーズ)。

 亜巳とクッキー(アーミー&ドッグ)。

 一子と忠勝(チャレンジャーズ)。

 大友と翔一(ファイヤーストーム)。

 小十郎とステイシー(ワイルドタイガー)。

 羽黒と天使(地獄殺法コンビ)。

 燕と大和(知性)。

 ようやく最後の一組となる。

 

「リンリン、見てみてー。ハートになってるマシュマロあった」

 

 小雪はフニフニとそのマシュマロをいじりながら、凛に見せびらかした。

 

「小雪……ハートはわかったから、食べるか袋に戻しなさい。もう名前呼ばれるから」

 

「……はむっ」

 

 小雪はそれをすぐに口に放り込むと、もぐもぐと動かす。

 

『さぁーついに最後の一組になりました! 止められるものなら止めてみろ! 立ちはだかる敵はなぎ払う! リングに吹くのは銀白の風! スノーベルだ!』

 

 とりあえず、凛が先に歩き出し、その後ろを小雪がついてくる。シャッターが切られる前に、なんとか食べきったらしい。

 

「優勝以外に興味はないです」

 

「ぼくたちの戦いはこれからだぁ!」

 

 全てのチームの紹介が終わったところで、トーナメントの組み合わせがランダムに決まり、その結果が巨大モニターに映し出された――が、それはあくまで仮であり、このあとの試合開始までの1時間で、出場者同士の合意の上で変更可能である。

 

 地獄殺法コンビvsワイルドタイガー。

 大江戸シスターズvs 400万パワーズ。

 アーミー&ドッグvs ファイヤーストーム。

 源氏紅蓮隊vs雲上人。

 

 チャレンジャーズvs無敵童貞軍。

 桜ブロッサムvs フラッシュエンペラーズ。

 デス・ミッショネルズvs知性。

 ミステリータッグvs スノーベル。

 

 ここで、一旦選手たちは控え室に戻っていく。

 

 

 ◇

 

 

 その控え室で動き出したのが、知性チームとミステリータッグチームだった。前者は第1戦からパワータイプのデス・ミッショネルズとの戦いを避けるためで、初っ端の出番に緊張する羽黒との交渉――と言っても、彼女はかなり乗り気ですぐに合意に至った。

 一方、後者は桜ブロッサムと控え室を出て行った。

 凛はその姿を見送りながら、ほっと一息つく。その理由は簡単だった。

 ――――揚羽さんとヒュームさんのコンビなんて、ここのメンバーの大半一捻りだろ。出場の理由は聞いていたけど、本当みたいだな。もし間違いがあって、俺のとことあたっていたら……。

 そこまで考えた凛の背筋が冷えた。小雪はその横で足をブラブラさせながら、周囲をキョロキョロと見渡している。

 ――――俺が片方の相手をするのはまだいい。でも、小雪にあの面子は重すぎる……まぁ俺の方も死力を尽くすことになるだろうけど。

 

「ま、済んだことだから、気にする必要もないな」

 

「ん? どうかしたの、リンリン?」

 

「いやなんでもない。みんなところへ行こう」

 

 その間も控え室では、翔一や岳人を中心にして、明日の新聞について盛り上がっている。あのフラッシュを受けては、嫌でも意識させられるというものだろう。燕などは別の意味で喜んでいた。

 結局、動いたのはその2チームで、正式決定のトーナメント表は下記の通りとなった。 

 

 知性vsワイルドタイガー。

 大江戸シスターズvs 400万パワーズ。

 アーミー&ドッグvs ファイヤーストーム。

 源氏紅蓮隊vs雲上人。

 

 チャレンジャーズvs無敵童貞軍。

 ミステリータッグvs フラッシュエンペラーズ。

 デス・ミッショネルズvs地獄殺法コンビ。

 桜ブロッサムvs スノーベル。

 

 その表を見た瞬間の準の一言が、凛にとってはとても印象的だった。

 

「FF5で予備知識なくオメガに触って、瞬殺された思い出が何故か頭をよぎったんだ」

 

 もう対戦相手が変更されることはない。

 

 

 □

 

 

 順次、試合が行われていく。第1試合目は知性vsワイルドタイガー。大歓声に嬉しそうに応え、自然体を貫く燕と熱く燃える小十郎が対照的だった。戦いは初手からのステイシーがばらまいた手榴弾で派手に始まる。リング上は煙で充満し、その隙に弱いほう――大和を叩く戦法をとるワイルドタイガー。

 モニターを見ていた小雪が声をあげる。

 

「あっ……大和がリングの外に出た。あんな方法もあるんだ」

 

「大和に真正面から敵と遣り合えってほうが無理あるしな」

 

 凛が喋っている間にも、リング上に動きがあった。小十郎は燕を引きとめ、ステイシーがリングを飛び出し大和を追う――が、それに失敗する。

 燕が小十郎に一撃を見舞い、ふらついたその隙に移動して、ステイシーのがら空きになった背の急所を抉ったからだ。

 そのまま、吹き飛ばされるステイシーを横目に燕が呟く。

 

「ムキになってしぶとい正面の相手を倒すより、隙をみせてる相方狙ったほうが、話が早いよね」

 

 ――――相変わらず容赦ない。当たるとすれば決勝か……俺がインファイトで引きとめて、小雪に大和を追撃させる。このパターンが安全ではあるが、二の舞になりかねない。集中的に狙っていくべきかな。

 第1試合目は知性チームの勝利で終わった。

 

 

 ◇

 

 

 第2試合目は大江戸シスターズvs 400万パワーズ。これはクリスの突きが岳人に決まり、大江戸シスターズが勝利した。

 第3試合目はアーミー&ドッグvs ファイヤーストーム。接戦の末、クッキーが大技を決めようと空へ上がった瞬間、大友の大筒による集中砲火を受け墜落し、ファイヤーストームが駒を進めた。

 第4試合目は源氏紅蓮隊vs雲上人。クローン組の初戦ということもあり、かなりの盛り上がりをみせた。戦いは、身内との戦いにいま一つ全力を出し切れない由紀江が徐々に追い込まれ、そのフォローをしようした心が逆に隙をつかれて敗北する。

 これによって、準決勝の組み合わせができあがった。

 知性チームvs大江戸シスターズ。

 ファイヤーストーム vs源氏紅蓮隊。

 なおも試合は続き、第5試合目チャレンジャーズvs無敵童貞軍。これはかなりあっさりと片がついた。一子が片っ端から鉢屋の分身を切って相手している間に、忠勝が一撃を決め勝利。

 実はこの試合が始まる前に、鉢屋が色々と工作を施しておいたのだが、そのことごとくが失敗に終わっていた。一番の驚きは、摩り替えた飲料水が一子本人に見破られたことだったろう。

 続く第6試合目ミステリータッグvs フラッシュエンペラーズ。結果だけ言えば、ミステリータッグの勝利だった。その正体は揚羽とヒュームで、出場理由は英雄をここで断念されることと大会を内から監視するためであり、その目的を果たした今、彼らは自らここで棄権を宣言するに至った。ちなみに、ヒュームが参戦できた理由は、川神学園の生徒だからOKということになっていた。

 第7試合目はデス・ミッショネルズvs地獄殺法コンビ。まさに瞬殺であった。弁慶が天使をガードの上から吹き飛ばしたかと思うと、その勢いのまま、辰子と共に羽黒を挟み撃ちしラリアットで戦闘不能に陥らせる。下馬評通りの実力を見せ付けた。

 そして、第1戦最後の試合が桜ブロッサムvs スノーベル。

 田尻の声が会場に響く。

 

『さぁ第1戦目最後の試合は武神の注目カード! 桜ブロッサム対スノーベル! 両チームともに前へ』

 

 小雪は少し待ちくたびれたのか、両腕を高く突き上げて伸びをした。そんな彼女に凛は苦笑をもらす。

 

「小雪、作戦通りに頼むぞ」

 

 小雪は頷きを一つ返すと、伸ばした腕を戻して、今度は胸元で握りこぶしをつくった。

 

「まずは1勝とりにいこう」

 

「おー!」

 

 与一と清楚も会話が終わったのか、真っ直ぐに凛たちを見据えている。会場が徐々に静かになっていった。

 

『それでは、いざ尋常に……はじめぃ!!』

 

 掛け声と共に大きく距離をとったのは与一と清楚。これは最初から予想が出来ていた。すかさず、凛と小雪が揃って距離を詰める。

 ――――さすがに、弁慶から逃げ回ってるだけあるな。

 凛が変に感心するほど、与一の逃げは見事なものだった。とにかく、距離をとろうとリングの外も巧みに使って、接近戦に持ち込ませない。

 一方の小雪は、既に清楚に取り付き一方的な攻勢にでていた。それを避ける彼女の表情は一杯一杯という印象を受けるが、その身のこなしは、ヒラリヒラリと舞う蝶のようで余裕があるように見えた。捕らえられると思ったら、次の瞬間には手から逃れている。

 ――――小雪は避けられる度に、攻撃が少しずつ雑になってる。やる気を失わないのは嬉しいが、逆に鬱憤がたまってるのか。でも……これで終わりだ。

 凛は次の一歩に力を込める。それを示すかのように地面にはめり込んだ跡。小雪の声が聞こえた気がした。

 狙うは顎――。

 目を見開いた与一が確認できる。あとは右拳を打ち込むだけで、彼を戦闘不能にできるだろう。

 

「リンリン!」

 

 今度は凛の耳にもはっきり聞こえた。次いで――。

 

「だめぇぇーーー!」

 

 清楚の声だ。それに乗じたのは与一。凛が飛ばされたあとを考慮して、そこを狙うため体を仰け反らせながら、弓を番えようとする。

 ――――まさかあの距離を詰めてきたのか!?

 凛は急遽狙いを変更して、弓を持っている与一の左腕に手刀を落とすと、なんとか右に跳んだ。地面から足が離れた瞬間、清楚の両手が彼の左腕を思い切り押した。殴りはされないと思いながらも、自然と防御をとっていた。直後、彼女から放たれたとは思えないほどの威力に、凛は両足を踏ん張って耐える。リングから落ちることはなかったが、2人からだいぶ離れてしまった。

 ――――やっぱり何かおかしい。それに清楚先輩の気を初めて感じた……。

 凛は距離が離れた2人を視界に収めながら、左腕の動きを確認した。特に支障はない。本当にただ押されただけだった。逆に与一は腕が痺れているようだ。弓を持ち上げようとしない。

 傍に来た小雪が声をかけてくる。

 

「ごめん、リンリン。気づいたら飛ばされちゃった」

 

 シュンとする小雪に、凛は笑顔を向ける。

 

「俺も飛ばされたからお相子だ。にしても、驚いたな」

 

「僕もだよ。なんか与一がピンチの姿見た瞬間、こうグワッて感じになって、ビュッと消えちゃったんだ」

 

 葉桜清楚。その存在は謎。類まれなる運動神経と、その姿からは想像しがたいパワーをもっているが、それとは裏腹に争い事を好まない穏やかな性格をしている。学園に多くのファンを持ち、現在もその活躍に会場が湧いていた。甲斐甲斐しく与一の心配をしている彼女の姿も実に似合っている。一部の応援席からは「清楚ちゃんマジ清楚!」と声を合わせた応援――のようなものが聞こえた。

 凛は一人呟いた。

 

「清少納言か……」

 

 正体に対する本人の言である。きっとファンたちもそうであると信じているだろう。もしくは紫式部。

 しかし、凛は清楚の気の全容――荒れ狂うように渦巻く気の嵐とそれを覆う固い殻――を視たというより感じた。何せ、彼女から攻撃されたのは初めてである。押し出しを攻撃と言っていいものかどうかはともかく、その漏れ出した気の根源を知った。

 ――――これはますます名のある猛将である可能性がでてきたな。しかも、あの様子から考えると、イメージと違ってかなり破天荒そうだ。破天荒な清楚先輩とか違和感ハンパないけど……いつもの笑顔で「待ってー」とか言いながらも、こちらを足止めするために軽々と大型トラック放り投げたりするとか?

 

「何それ? 怖すぎる……と、小雪。作戦変更だ。もう一つの方でいこう。清楚先輩には悪いけど、それはこの大会に出た自己責任ってことで」

 

 ――――まぁ、なんだかんだで無傷そうだし。

 凛の言葉に、小雪がバッと振り向いた。

 

「! ……それはリンリン。僕の出番!」

 

「その通り! 小雪に全てをまかす」

 

「おっけ~」

 

「返事軽ッ! よろしく頼むよ」

 

 2人はコツンと拳を当てる。行動を開始した。

 実況の声が響く。

 

『しばしのにらみ合いが終わった模様! 意外な伏兵の登場に会場が湧きあがっているが、これをどう崩していくのか見物です!!』

 

 小雪が凛から離れると、会場に気合の入った声が木霊する。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 発生源は凛。彼は自身の固く握り締めた右拳をリング上に叩きつけた。

 ドン!

 腹の下をつくような重低音ののち、たった一度の揺れ――しかし、観客が揺れを確かに感じられるほどはっきりとした振動が、会場全体を襲った。そして、彼らの目はリングに釘付けとなる。

 なぜなら、その震源地点である凛を中心とした深い窪みが、リングの半分以上を飲みこんでいたからだ。だが、現象はそこで収まらない。さんざん若獅子たちが暴れまわったコンクリの地盤は、みしみしと至る所で嫌な音を鳴らすと、間を置かずして拳圧の生じさせた衝撃波によってめくれ上がり、それが津波のように与一ら2人を飲み込まんと大きな牙を剥いたのだった。

 

『な、な、なんとぉー!! 凛選手! お返しとばかりに、予想外の攻撃にでましたぁ!!』

 

「チッ!」

 

 舌打ちをした与一は、さらに距離をとるためリング端へ跳び、痺れる腕を持ち上げ弓を番える。清楚はすぐさま彼の後ろのリング外――リングの下へと避難させた。直後に頭上を何かが通り過ぎるのを感じる。彼の目はその何かをハッキリと映していた。リングの床に敷かれていた四角形のコンクリ――厚さは20cm以上、縦横60cmのものである。すぐに背後で重たい音が鳴り響いた。壁かあるいは地面とでもぶつかったのであろう。続けて、似たような轟音が四方から鳴った。

 人為的に起こった風が、与一の髪を乱暴にあしらう。ただの一振りで状況を一変させた。

 化け物かよ。与一は額に汗を流しながら、煙の奥を見据え続ける。実力があることはわかっていた。ヒュームらの弟子であり、体育祭のときには、仮にも自身の弓をかわした男である。校内でも挑戦者を軒並み倒し、武神と打ち合うなどそれ相応の実績を残しているのも聞いていた。それでも、向かい合ったときの印象がどうもチグハグで実感できなかった。しかし、今ならわかる。いや正確に言えば把握できない――瞬間的な力を放っただけで、今ではそれが嘘だったように気配がない。そして、最大の理由は自分がその場所に立っていないから、わからないということだ。もうそこから先は一括りにまとめるしかない。

 

 

 超越者。またの名を壁を超えた者――。

 

 

 そのランクに間違いなく属していると悟った。清楚の援護がなければ、先の攻撃で終わっていただろう。

 腕の痺れはとれないが、もう遅れはとらない。与一は決意を新たにした。破片が頬を掠めていくが、気にも留めなかった。

 

「ハッ! 予選では弱い相手ばかりで退屈してたんだ。かかって来い……狙い撃ちにしてやるぜ」

 

 与一は少し強引に笑みを作って、小さく呟いた。構えをとくことはない。といた瞬間に終わりだと、先ほどから彼の勘が警鐘を鳴らしているのだ。それにも関らず、どこから来るのか検討もつかない。清楚の方に気を配ることさえできなかった。審判がジャッジをしていないということはまだ終わっていないのだろう。

 一方、観客席に押し寄せる破片や砂煙は、見えない壁に押し返されるようにして、空へと舞い上がっていた。もうもうと立ち上るそれは、太陽の光さえ翳らせようとしている。その後、時間をおいてパラパラと小さな破片が、リング上――土台全てが壊れていたわけではないため――へと降ってきていた。

 凛は一歩先の見えない中で息を潜めていたが、機を見計らってゆっくりと動き出す。

 

「これで清楚先輩もどうしようもないだろ。小雪の方はタイムリミットあるし」

 

 少し薄れてきた煙が戦いの再開を暗示していた。実況者がマイクをにぎる。

 

『み、皆様……私の目の前は砂煙で充満しておりましたが、ようやくうっすらとではありますが、選手の姿が……あっ!』

 

 一方は直立不動の影。もう一方はそれに迫る影が映る。前者は与一。後者は凛。

 ――――清楚先輩は動かないな。本当によくわからない……。

 凛はそれを確認すると、ピタリと動き回るのをやめた。あのときと同じ与一の刺すような視線が、しっかりと自分を捕らえているのがわかったからだ。弓を引くときは集中しなければならない。この距離なら一瞬だけ自分に気をそらせれば事足りる。もちろん、矢が飛んできたときのための用心も忘れない。

 しかし、その前に、小雪が空からトドメを刺してくれるだろう――。

 一際大きな衝突音が鳴ると、試合終了のアナウンスが聞こえてきた。

 

『試合終了です! 勝ったのはスノーベル! 小雪選手が、まるで鷹のように上空からの鋭い一撃で与一選手を仕留めましたぁ! 目を引く出来事は全てこのための布石だったのか!? これによって次の準決勝、相手は同じ優勝候補の一角デス・ミッショネルズ!! 私は今からこの戦いが楽しみで仕方がありません!』

 

 続いて、解説の2人組。百代が話し出す。

 

『あの凛に当てた清楚ちゃんの正体も気になるところだが……強力な弓に対して、目くらましは有効な手段だった。加えて、砂煙に紛れて、上空に飛び上がっての攻撃も見事だったな。あの状況でそれを見極められる奴はそういないだろう。あと壊れたリングは、鍋島館長が新しい物を用意してくれるようなので、心配いらないぞ』

 

 それに石田が付け加える。

 

『にしても、あの跳躍力も凄まじいものだな。恐ろしいほどの滞空時間を有していたぞ』

 

 これにより、次戦の組み合わせも完了となる。チャレンジャーズは準決勝を不戦勝のため、そのまま決勝進出。

 よって、デス・ミッショネルズ対スノーベル。

 

『では、ここで一旦小休憩を挟みたいと思います――』

 

 

 □

 

 

 紋白はクラウディオより渡されたドリンクを飲むと、ほっと一息ついた。

 

「しかし、凛の奴なかなか派手にやってくれたな。次は弁慶たちとの試合か……どのような物になるのか想像がつかないな」

 

「それにしても、先輩方の試合はすごいわねぇ。私のハートにビンビン響いてきちゃった」

 

 クラスメートのオカマ――阿部が相槌をうった。

 

「我らも見習い、更なる鍛錬を積まねばな! フハハ」

 

 

 ◇

 

 

 九鬼の極東本部――。

 先の試合を見ていた局が口を開く。

 

「あれがヒュームらの弟子という夏目凛か……中々堂に入っているではないか。従者の中で気の早い者などは、あれを後継と見ているらしいが、将来が楽しみな男だな」

 

 その隣で観察していたマープルも頷いた。

 

「私も初めて見ましたが、あのボーイはまだまだ底を見せていませんね。全く、とんでもないのを呼び寄せてくれたもんです。次の相手は、弁慶ですが……厳しい戦いになりそうですね」

 

 そんな彼女らの後ろで、桐山は静かにリプレイされる映像を眺めていた。

 試合はまもなく、準決勝の第1試合目が始まろうとしている。

 




かなり早くできました。
更新期間が無茶苦茶ですいません。

今回は力の片鱗を見せた凛を書いてみたのですが、少しはうまくなっているでしょうか?
なかなか難しい。

次話も半分ほど書き終わっているので、次の更新も早くできそうです。
自分で書いていて、その内容を楽しんでいるせいか、執筆がのっています。
これを更新したあとも執筆!
楽しい!!


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『若獅子タッグマッチトーナメント3』

 準々決勝へ進んだスノーベルは控え室へ向かわず、スタジアム備え付けのシャワールームへと足を運んでいた。

 小雪が顔をしかめながら喋りだす。

 

「うー体がザラザラするよー」

 

 それと同時に、その右手はパンパンと左腕にくっついている砂を払い落とした。

 その隣を凛が歩いており、困った顔で頬をかいていた。逆の手には、替えの制服が入った袋を持っている。

 

「すまん小雪。この暑い中、砂煙に突っ込んだら、こうなる事をすっかり忘れてた。服の替えは用意されてるから、もう少し我慢してくれ」

 

 服は、クラウディオが先に手を回して用意しておいてくれたようだった。出入り口で九鬼家の従者に、この袋をスッと差し出されたのだ。今更、サイズがあっているかどうかの心配はしない。

 

「あうー」

 

 情けない声をだす小雪を連れ、凛は先を急いだ。

 シャワールームは控え室からそう離れていなかったため、時間もさほどかからなかった。小雪が入っていったのを確認した凛は、その扉の横に設置してあったベンチに腰掛ける。

 ――――にしても、こんなときに限って、もう一方のシャワールームが壊れているとは……。ベタベタするし、ザラザラするし、鬱陶しいことこの上ない。

 本来ならば、このシャワールームが設置されている場所の反対側が、予選本選通じて男性用として使用されるはずだったのだが、昨日の予選の終わり頃に不具合が生じ、使えなくなっていた。それは控え室に選手が集まったときに、既に周知されていたため、こうして凛は、小雪があがってくるのを待っていた。

 その間も暑さが和らぐことはない。首筋から汗が流れ落ちるのを感じる。

 ――――控え室に入っておけばよかったかな。

 凛は一瞬そう考えたが、周りに人影がなく、中には小雪が入っている。警備されているとはいえ、おいそれと無責任なことはできなかった。不審者が現れないとも限らない。

 ――――でもよく考えたら俺も男だぞ。小雪は俺がこの中に突撃してくると思わなかったのか? ……育郎なら、喜び勇んで飛び込みそうだ。

 鼻息を荒くした育郎がドアにへばりつき、シャワー音が鳴った瞬間、素っ裸になって突入するというイメージが、ありありと浮かんできて苦笑をもらす。

 ――――まぁ育郎相手にそんなことをさせる女子は、川神学園に存在しなさそうだな。

 どこであってもオープンエロの育郎である。女生徒が警戒しないわけがない。

 ――――信用されているのか……はたまた、無邪気なだけなのか……。

 背もたれにどっかりと体重を預けた凛は、服の裾を掴み、パタパタと風を送り込んだ。同時に、砂粒がベンチに当たって軽い音を立てる。

 そこへ2人の女性――百代と清楚が現れた。

 

「おー凛じゃないか。お前、砂まみれのままで何してるんだ?」

 

「凛ちゃん、お疲れ様。中に入らないの?」

 

「お疲れ様です。今、小雪が使ってるんですよ。だから俺はそれの順番待ちを――」

 

 そこまで言った凛は立ち上がると、清楚の方へ体を向けた。

 

「ところで清楚先輩、与一は大丈夫でしたか?」

 

「うん。直に目を覚ますって言ってたよ。体の方も特に支障はないみたい」

 

 清楚に続いて、百代が話し出す。その顔は大変ご機嫌そうであった。

 

「にしても凛は派手にやったな。まぁそのおかげで、私は清楚ちゃんと一緒にシャワーを浴びれるんだがな!」

 

「いや……モモ先輩が浴びる必要はないでしょ。解説やってるだけなんだから。だいたい解説席は室内じゃないですか」

 

 2人からの視線に、百代が慌てて付け足す。

 

「…………あれだ! 清楚ちゃんが一人で入って、不審者が現れたら大変だろ?」

 

 その言葉を聞いた凛は、チラリと清楚に目をやった。それに気づいた彼女は、「ん?」と可愛らしく小首を傾げる。

 ――――不審者来ても撃退しちゃうと思うんだよな。まぁ俺もそう思いつつ、小雪が入ってる間、ずっと警備の真似事してるわけだから、人の事言えないけど。

 心の中でそう呟きながら、凛は百代へと視線を戻す。

 

「それなら、今小雪が入ってることだし、待つ間に俺が見張って……って、わかりましたよ! 意地悪言ってすいません。だから、そんなに目をウルウルさせないでください!」

 

 さすがの凛も涙をためた百代には敵わないらしい。余程楽しみにしていたのだろう。彼が折れた瞬間、彼女は笑顔を輝かせて清楚の腕をとった。

 

「よーし! それじゃあ清楚ちゃん、凛がここで見張りをしてくれるから、私達は心置きなくシャワーを楽しもう」

 

 しかし、清楚は百代と凛を交互に見比べながら、遠慮がちに口を開く。

 

「あ、でもいいのかな? 凛ちゃんはこれからも試合があるんだし、私ならその後でも……」

 

「それなら気にしないで下さい。まだ時間もありますし、清楚先輩がここに来る原因は元々俺が仕出かしたことですから」

 

 それに百代がうんうんと首を大きく振って同意する。

 

「凛もこう言ってることだし、遠慮することないぞ。ほらほら。お客様1名はいりまーす」

 

「えっあっモモちゃん!? 自分でちゃんと歩くから……そ、それじゃあ凛ちゃんお先に頂くね。ありがとう」

 

 百代に背中を押された清楚は、口早に礼を述べるとシャワールームへと入っていった。「ごゆっくり」凛はそう返し、扉が閉まったのを確認して、またベンチに座る。

 ――――清楚先輩ほどの美少女に「お先に頂くね」とか言われると、なんかグッとくるものがあるな。

 直後にまた扉が開いて、百代がひょっこりと顔を出した。

 

「覗くなよ?」

 

「覗きませんよ」

 

 即答だった。

 ――――俺だって命が惜しい。

 凛はその後にそう付け加えた。仮に命があっても、その先に待つのは、準がヒュームより受けた極道の如きお仕置きのさらに上をいく処置と臭い飯だけであろう。とにかく、冗談では済まされない。ノリでいっていいときとダメなときがある。今はダメなときだと判断した。

 しかし、百代は顔を引っ込めない。

 

「覗かないのか? 壁1枚隔てた向こうに美少女が3人シャワーだぞ!?」

 

「俺にどうしろと!?」

 

 ――――そら、俺も男だから気になるけど!! 

 心で叫んだ。姿は見えないが、百代の言葉が聞こえたのだろう。扉の向こうから、清楚の「モモちゃん!?」という慌てた声が響いた。

 

「私なら放って置かない」

 

 キリッとした顔で答える百代。

 ――――俺、この人好きになってよかったのか……?

 思わず疑問を持ってしまう凛。

 

「アホな事言ってないで、さっさとシャワーを浴びなさい」

 

 ――――もしかして、さっきの仕返しか?

 そう考えると、どこか可愛らしく思えた凛はクックと笑った。しかし、彼の苦労はここで終わらない。

 待つこと15分。シャワーを終えた3人の会話が漏れてきたのだった。

 

「清楚ちゃ……れいな体――」

 

「ひゃん。モ……こ触って……」

 

「モモ先――いと思うけどなぁ」

 

「まぁ……美少女だからな。――もくびれが……」

 

「くすぐったいよー」

 

「――ちゃんにもお返し!」

 

 キャッキャと賑わう理想郷――もといシャワールーム。

 ――――楽しそうなのはいいけど、かなり聞こえてるんだよなぁ。ここは離れるべきか居座るべきか……。

 凛は目を閉じてどうすればいいか考える。一応、彼の名誉のために言っておくが、決して会話に集中するためではない。

 そして答えを出た。

 

「居座る」

 

 だが、そこまでの勇気は――。

 

「俺はヒュームさんを相手にしてきた男。豪傑並の勇気がある」

 

 ドッシリと腰を据えた凛は、まるで巌のようだった。どこからともなく声が聞こえたようだが、彼はそれを無視する。

 それからの数分間はあっという間に過ぎていった。楽しい時間というのは時の流れも早い。一番に扉から出てきた小雪は、十分リフレッシュできたのか、元気を取り戻している。

 

「おまたせリンリン」

 

「小雪は先に戻ってくれてていいからな」

 

「ほーい」

 

 小雪と入れ替わるようにして、凛はシャワールームへと足を踏み入れた。その途中、百代とすれ違うときに、そっと耳打ちされる。

 

「微動だにしなかったのは驚いたぞ。中々楽しかっただろ?」

 

 バレていた。その後の追及がなかったのは、百代なりのサービスだったのか――もしくは、この握った弱みを有効に使うために温存したのか。それは彼女にしかわからなかった。

 

 

 ◇

 

 

 シャワーを終えた凛が控え室に戻ったとき、準々決勝の第1試合目――知性チームvs大江戸シスターズ――が既に始まっていた。

 クリスとマルギッテは対ワイルドタイガー戦を見直した結果、集中的に燕を狙うことに決めたようだ。現在も離れた位置にいる大和は無視し、息のピッタリとあったコンビネーションで、苛烈に彼女を攻め立てている。しかし、その攻撃も長くは続かなかった。

 大和が放り投げた手榴弾にクリスの注意が向いた隙をついて、燕がマルギッテを戦闘不能へと追いやったのだ。

 その様子を見ていた小雪が、凛に話しかける。

 

「それにしてもクリス結構慌ててた?」

 

「大和が両手に何も持っていないのに、油断したのかもな。手榴弾は、当たっても当たらなくてもよかったんだろう。……ああいう物使われると、本人の力は関係ないし。吹っ飛べばラッキー。吹っ飛ばなくても気をそらせれば十分といった感じかな」

 

「僕たちも気を付けないと」

 

「何するかわからないといった点で、かなりやっかいなチームだな――」

 

 続いて第2試合目――ファイヤーストーム vs源氏紅蓮隊――が始まる。

 しかし、これは開始10秒で片がついた。大友の自慢の砲撃も、義経の神速の太刀と京の精確な弓矢の前では手も足も出ず、翔一が一撃をもらって終了。

 結果、準決勝の組み合わせは、知性チームvs源氏紅蓮隊となった。

 

 

 □

 

 

 第3試合目――デス・ミッショネルvsスノーベル――の順番はあっという間にやってきた。太陽は中天に差し掛かる手前で、控え室を出た瞬間にムッとした熱気が凛と小雪の肌を撫でた。

 両者がリング上に立つと、熱のこもった声援が降り注いでくる。小雪はいつ確認したのか、冬馬と準が座っている方に向けて、手を大きく振っていた。それを自分に振ってもらったと勘違いした観客たちが、さらにテンションをあげる。

 一方の凛は、自分の正面の相手――弁慶を観察していた。そこには、いつもの気だるい雰囲気はなく、落ち着きはらった姿があった。気もかなり充実しているようだ。

 

『それでは……いざ尋常に、ファイッ!!』

 

 掛け声ののち、会場を支配したのは、不気味な沈黙だった。両チームともその場から動かない。それは、最初から派手なやり取りを期待していた観客をあっけにとった。

 ――――1戦目で見せてくれたラリアットできてくれないのか。攻撃してくれたら、その隙つこうかとも思ったけど、かなり警戒されてる。これは先制で飛び込ませなくてよかったな。

 凛はチラリと小雪を確認する。彼女には、試合前に無闇に飛び込まないように注意していたのだ。辰子と弁慶共にパワータイプのため、掴まれるかあるいは、カウンターでそのままやられかねない。

 ピリピリとした緊張感が会場に伝播する。高く昇った太陽は、照らすもの全てを焦がそうとしているかのようだ。肌がひりつくように熱を持っている。風でも吹けば、また違ったのだろうが、あいにく今は無風。

 時がゆっくりと過ぎていった。

 開始から何分経ったのか。弁慶は構えをとかずに、凛をじっと見つめていた。しかし、一向に揺らぎを見せない。攻めてくる気配もない。むしろ、相方である辰子の方がウズウズしている。本来こういう待ちの戦いは苦手なのだろう。仕掛けてみるか――そんな考えが頭をよぎるが、すぐさま消した。倒せるイメージが湧いてこない。よって、狙うのは小雪。彼女も近いうちに焦れるか、あるいはダレてくる。普段の生活からして大人しくしていることがないからだ。我慢比べになるかもしれない。

 そう弁慶が気を引き締め直した瞬間だった。緊迫した空間は意外な方法で破られる。

 凛があまりにも自然な様子で歩み出てきたからだ。ゆっくりと、まるで散歩を楽しむかのように――自然、空気が緩む。

 

「辰子!」

 

 弁慶が叫び、緩んだ緊張を引き締めようとした。そして、目を瞬かせる。悠然と歩いていた凛の姿は既になかった。チリリとわき腹辺りに、電流にも似た感覚が走る。直後、彼女は頭で考えるより早く、錫杖を自身の右側に持っていき盾とした。目の端に彼の左足が飛んでくるのを捉える。刹那、錫杖の頭部にある6つの輪形の遊環が激しくぶつかり合い、ジャラジャラと甲高い音を鳴らした。腕に伝わる振動は体を震わせ、次いでその体を吹き飛ばそうとする質量を感じる。それに負けじと踏ん張りをきかした。それでも耐え切れない――。

 

「弁慶!」

 

 その声に反応して、弁慶が後ろへ跳ぶ。そこへ入れ替わるように、右腕を振りかぶった辰子が躍り出た。

 しまった。弁慶はそこで己の失敗に気づいた。凛の相手をさせるには、辰子の攻撃はあまりに大振りすぎたのだ。

 加えて、白い髪をフワリとなびかせた少女が、着地したばかりの弁慶の目の前に迫っていた。視線が交錯する。少女の瞳は、遊ぶことを許された子供のように輝いていた。

 

「ハァッ! ヤァッ!」

 

 ――――まるで暴風雨のようだ。

 凛は、辰子の途切れることのない攻撃を避けながらそう思った。彼の鼻先を通り過ぎる右拳が風を生む。間髪入れず、左拳が顔面に迫ってくる。次は顎、頬、喉、米神、腹。しかし、それも当たらなければ、どうということはない。絶妙なタイミングでのスイッチに、彼は攻撃を与える暇をもらえなかったが、徐々に体勢を立て直していった。

 ――――この人はまだまだ強くなる。

 凛は、体を掴みに来た辰子の右手に対して、体をひねって同じ右手ではじく同時に、右足を力強く踏み込んだ。そして、腰を回転させ、固く握り締めた左拳をがら空きになっている彼女のわき腹へと突き刺す。

 

「ッ!」

 

 空気を吐き出すも倒れない辰子。しかし、僅かに動作が止まる。凛にとっては十分な時間だった。右腕を引き戻しながら拳を作り直し、彼女の顎を綺麗に打ちぬく。

 それは一瞬の出来事だった――。

 

『ここで試合終了!! 準決勝に駒を進めたのはスノーベル! 苛烈な攻撃の僅かな隙をついての強烈な二連撃が決まった模様です! これによって、2連続でクローン組を撃破したスノーベル! いよいよ優勝が見えてきたんじゃないでしょうか!?』

 

「辰子!」

 

 凛とはほぼ反対側で戦っていた弁慶が、駆け寄ってきた。彼がすぐに声をかける。

 

「心配ないよ。眠ってるだけだから」

 

「ZZZ……」

 

 寝息を聞いた弁慶も安心したのか、ほっと息を吐いた。

 ――――かなり手応えあったと思ったけど……。1年、いや2年も鍛錬を積み重ねれば、面白くなりそうだ。このままにしておくのはもったいない。

 凛は眠っている辰子を抱きかかえると、リング脇まで来ていた川神院の僧達が持っている担架にそっと降ろした。

 

「リンリン、お疲れー」

 

 小雪が背後から声をかけてきた。その後ろには弁慶もいる。

 

「小雪もお疲れさん」

 

 そして、ハイタッチを交わす。

 

「私たちに勝ったんだから、優勝してね。じゃないと立場がない」

 

 ただし、主が決勝に上がってきたら話は別、と付け加える弁慶。

 それに小雪が振り返って答える。

 

「弁慶には悪いけど、誰が来ても僕たちが優勝するのだ」

 

「ましゅまろあげるって言っても?」

 

「……り、リンリンからもらうから、いらないもん」

 

「小雪、変な間を空けないでくれ。俺が物凄い不安になる」

 

 餌付けされていた小雪を思い出した凛は顔をひきつらせ、それを見た弁慶が「冗談、冗談」と声をあげて笑った。

 これにより、準決勝はスノーベルvsチャレンジャーズとなった。

 

 

 □

 

 

 2時間の昼休憩をはさんだのち、準決勝の戦いが始まった。まずは知性vs源氏紅蓮隊である。この試合は、大和が迂闊に手を出せないほどハイレベルなものだった。京の矢の援護に信頼をよせる義経は、大胆に一撃一撃を必殺の威力を込めて振り下ろす。その分、隙ができやすいが、その隙を埋めるように矢が燕に飛来した。

 その動向を見守る出場選手も、もう4名だけだ。あとは全て観客になっている。

 

「義経たちがかなり優勢ね」

 

 一子は食い入るように画面を見つめていた。それに忠勝が答える。

 

「だな。試合を重ねる毎に、息も揃ってきやがった。攻め入る隙がなさそうだ」

 

 ――――どうかな? 俯瞰の映像で見てる分には、嫌な位置取りになってきてる。

 そのとき、燕が笑みを深くした。彼女の後ろには大和、その対角線上には京がいる。放った矢を彼女がよければ、必然それは彼に向かうわけで――。

 

『真剣白刃取りから、腹部に強烈な一撃を受けた義経選手! しかし、燕選手は追撃の手をゆるめない!!』

 

 義経は痛みに耐え迎撃するが、燕には拳一つ分届かなかった。

 こうして、準決勝の1試合目は知性チームの勝利となった。

 

 

 ◇

 

 

 すぐに2試合目――スノーベルvsチャレンジャーズ――が始まる。しかし、これは戦力差がありすぎた。

 

「相手が誰であろうと全力でぶつかるだけ!」

 

 一子はその言葉どおり、凛にぶつかっていき敗北する。

 しかし、今大会通じてのその真っ直ぐな姿が、多くの観客を魅了していたようだ。試合終了のアナウンスが流れると同時に、惜しみない拍手と賛辞が会場を包んだのだった。

 そして、遂に決勝の組み合わせが決まった。

 

 スノーベルvs知性。

 

 ザワザワと落ち着かない観客たち。それも仕方がないことだった。何せ次の試合に勝ったほうが優勝なのだ。

 敵を圧倒するほどの力で駆け上ってきた優勝候補のスノーベルチーム。

 一方、着実に勝利を積み重ね、遂には決勝の舞台にまで昇ってきた知性チーム。

 下馬評は圧倒的にスノーベルチームが高かったが、知性チームは準決勝まで確かな実力で勝ってきた源氏紅蓮隊を破った実績もあったため、結果がどちらに転んでもおかしくない。それが余計に観客をワクワクさせた。

 実況者は厳かな様子で喋りだす。

 

『遂に。……遂にこのときがやって参りました! 昨日から始まったこのタッグマッチトーナメント! 当初の予定では1日で予選本選を行うはずでしたが、予想を超える参加数があったため、急遽2日間に分かれて行われることになりました。そして、その激闘の末……現在残っているチームはわずか2チーム! できることなら! 私もこの2チームに褒美を与えてあげたいと思います……がしかぁし! 優勝という名の栄誉を受け取れるのは1チームのみ! 思い起こせば数々の試合がここで行われ、勝者と敗者が生まれてまいりました。それも残すところ1試合!! さぁご紹介致しましょう――』

 

 

 決勝の幕があがる――。

 

 

 

 燕の前に凛が立ち、大和の前に小雪が立つ。中間には、田尻がマイクを持って立っている。

 皆が、田尻の掛け声を今か今かと待ちかねていた。観客席の階段を上る売り子に、声をかける観客もいない。むしろ、その売り子ですら、リング上の様子をじっと見守っている。カメラは全て選手の誰かを映しており、会場の巨大モニターは4人全員の動向が見えるよう俯瞰の状態だった。

 ようやく田尻が口を開いた。

 

『これより、若獅子タッグマッチトーナメント決勝! 知性チーム対スノーベルチームの戦いを執り行います。それでは――』

 

 会場のざわつきが静まり返り、頭上を飛び去る飛行機の音が聞こえた。

 視線が一斉にリング上へと集中する。一瞬たりとも目が離せない。気を抜いていると、その間に勝負が終わってしまう可能性もある。事実、予選本選ともにそういう試合があった。

 

『レディーー』

 

 4人の選手のうち2人が体に力を入れる。大和と小雪だった。

 凛は隣で少し前傾姿勢をとった小雪を盗み見て、決勝開始直前の会話を思い出していた。

 

 

 ◇

 

 

 出口まであと10歩といったところで、凛は小雪に再度問いかける。

 

「小雪、本当にいいのか?」

 

「もちろんだよ。僕に二言はない」

 

 小雪はきっぱりと言い切った。

 優勝者には、景品のほかにも武神と戦う権利がついている。凛にとっては、むしろそのおまけと言っていい権利の方を欲しがっていたため、小雪とペアを組んだときに、あらかじめ1対1で戦いたいということと、その代わり景品は彼女の好きにしてよいということを伝えておいたのだった。

 そして、いよいよ決勝の舞台まで上がってきた。凛は小雪と最後の打ち合わせを行う。そのとき、開口一番に彼女は意外な言葉を発した。

 

「燕先輩の相手は僕がする。リンリンはその間に大和をやって。きっとこれが、一番早く戦いに勝つ方法だから」

 

 凛はその提案に驚いていた。なぜなら、小雪はてっきりこの大会の雰囲気を楽しんでいるだけだと思っていたからだ。

 対知性チームとの戦い方は、正直なところ、かなり迷っていた。戦力を分散させて臨むか、燕のみを集中的に狙うか。前者の方法――大和を狙えば、それだけ試合は早く終わらせることができる。彼の回避が優れているといっても、常時全力で対応すれば、武道をやっていない者の体力などすぐに切れてしまうだろう。凛が燕を抑え、その間に小雪が大和をやるのは、良い方法に思えた。

 しかし、これにも問題があった。小雪は、果たして大和を戦闘不能に追い込むことができるのか、ということだ。少なくとも、気分は良くないだろう。それが彼女の場合、もろに戦闘に影響を及ぼす。その隙を大和が、あるいは燕がつきはしないだろうか。もちろん、凛は彼女を自由にさせるつもりはない。勝算はあったが、同時に嫌な予感もあった。

 その逆も一応考えていた。つまり、小雪に燕を抑えてもらい、凛が大和を仕留めるということだ。時間との勝負――短期決戦になる。

 小雪に燕を相手してもらうのは少々荷が重いが、リスクが高い分リターンも大きい。何せ、凛はほぼ無傷で百代との戦いに臨めるからだ。しかし、彼はこの案に気乗りがしなかった。

 ――――いくら俺がモモ先輩と戦いたいからと言って、小雪に大変な役どころをまかすのはな……。

 そこで考えを打ち切って、後者の方法を検討する。

 その方法は前者の方法より長引くだろうが、小雪との距離も近い分フォローがしやすく、2対1の状況は手数で圧倒でき、十分な勝算があった。この場合、大和が何をしてくるかわからないが、視野を広く持てば対処も可能だろうと踏んだ。

 結局、凛は後者の方法でいくことに決めた。それを話そうとしたところ、小雪が上の提案を出してきたのだ。さらに彼女が言葉を続ける。

 

「リンリンはこのあとモモ先輩と戦うでしょ? ちょっとでも力を温存しとかなきゃ」

 

 小雪の言葉通り、百代との試合をも考慮に入れるのであれば、できる限り体力を温存しておきたいのも事実だった。試合が長引くほど、体力の面でも精神の面でも消耗していく。下手すればケガを負いかねない。加えて、今日は2試合をこなしているのだ。もちろん、凛もそれで試合ができなくなるなどいう柔な鍛え方はしていない。

 しかし、相手はあの武神である。超越者との戦いで、少しの差が大きな差とならないと誰が言えるだろう。凛自身、それは誰よりもよくわかっていた。だからこそ、小雪の心遣いが嬉しかった。

 

「30秒……ううん、60秒くらいなら倒すことはできなくても、僕互角に遣り合えると思うんだ――」

 

 小雪は活き活きとした瞳を凛に向けた。

 

「僕……僕もリンリンの役に立ちたいんだよ。でも、料理じゃリンリンの腕には及ばないし、勉強とかもあまり差がないでしょ? だけど、これなら役に立てる」

 

「十分に役に立ってきてくれたよ」

 

「僕が納得いっていないのだ」

 

 その言葉に、凛は苦笑をもらす。

 

「予測だけど、燕姉は小雪を倒しにくると思う。きつい一撃をもらうかもしれない……」

 

「僕こう見えても我慢強いよ?」

 

 コテンと首を傾ける小雪。その目は覚悟を決めているようだった。

 それを見た凛は軽く息を吐き、ポンポンと頭を撫でる。

 

「なら、小雪の厚意ありがたく受け取らせてもらうよ。ありがとう」

 

「どういたしましてなのだ」

 

 目を細めながら、嬉しそうに笑う小雪に、凛も笑顔をみせる。

 決勝開始の時刻が迫っていた。

 一直線に伸びる通路には、凛と小雪以外に人の気配はない。もう何度も通ったが、これで最後――いや凛の場合は、あともう一度通ることになるかもしれない。出口を通して聞こえるのは賑やかな歓声。先の戦いでの余韻が残っているようである。

 リングへと続く出口は、目を細めなければならない程に眩しいこともない。太陽が西に落ち始めたからであろう。しかし、日が少し翳ったところでムシムシとした暑さが和らぐことはなく、まだ幾分マシといった感じであった。そのおかげで、売り子の売上は更新した動員数も相まって、こちらも歴代の売上を更新するのだが――それはまた別の話。

 小雪は凛の数歩先に進み出ると、振り向いていつものように表情を崩す。

 

「優勝したらさぁ……みんなで旅行とか行きたいな」

 

「みんな?」

 

「そう! みんな! 冬馬でしょー準でしょーリンリンに――」

 

 そう言って、小雪は右手の指を折りながらどんどん人の名前をあげていく。百代、大和、京、一子、翔一、岳人、卓也、クリス、由紀江と、どうやら小雪の家族と風間ファミリーのことのようだった。由紀江とはあまり面識なかったはずだが、そこは家族一緒の方がいいということらしい。

 

「景品とかはぜーんぶ旅行資金にしてもらって、豪勢にするの」

 

 これは、小雪なりの優勝宣言――必ず勝つという思いの表明だった。

 

「それは確かに楽しそうだな」

 

「でしょでしょー。僕ねー今海で遊びたいんだ。それで夜は旅館に泊まって、浴衣を着るのだ」

 

 凛は、鼻歌を歌いだす小雪の隣を歩き出す。

 

「それじゃあまずは勝つか」

 

「おー!」

 

 2人は軽やかな足取りで、リング中央を目指す。

 

 

 □

 

 

 話を掛け声前に戻そう。

 

『レディーー』

 

 正面に視線を戻した凛は燕と目が合い、互いに微笑み合った。思ってみれば、中学以来の対決である。

 ――――燕姉ともキッチリ白黒つけたかったけど、それはまた今度だな。そのときは平蜘蛛も披露してもらわないと。

 

『ゴーー!!』

 

 大和は後ろへ跳び。燕は凛へと突っ込む。その彼女に向かって、小雪が走り出す。凛はワンテンポ遅れて動き出した。

 ――――30秒でケリをつけさせてもらう。

 試合は出だしから、熱く盛り上がりそうだった――。

 

 




先にスノーベル対知性の戦いが中途半端にできあがってしまって、その間をつなげるのが大変でした。
戦闘も残すところあと2回!!
できるだけ濃く描けたらと思います。
長い30秒を表現したいです!!
ではまた次話。


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『若獅子タッグマッチトーナメント4』

「やぁっ!」

 

 気合の入った声は小雪である。スラリと伸びた白い足が、鞭のようにしなった。

 やはりその手できたか。燕はその左足をギリギリまで迎え入れると、そのまま体を反らせる。そこから小雪に一撃入れることも可能だったが、彼女はそれをしなかった。避ける寸前まで、目の前に凛の気配が残っていたからだ。カウンターを仕掛けた瞬間、一発をもらいかねない。2対1で囲まれるのも想定の内だった。

 しかし、体を起こした燕の前には、凛の姿もなければ攻めてくる気配もなかった。小雪にしても、最初の一撃を入れてから仕掛けてこない。

 燕は振り返って小雪と正対する。その視界には、煙で充満したリングの一角へと飛び込む凛の姿があった。

 

「あらら。あっちに行っちゃったのか」

 

 あらゆる想定をして、この戦いに臨んだ燕――当然、凛が大和を仕留めに行くというパターンも考えていた。そのための対策も大和には出来ている。できるだけ時間を稼ぐためだ。その間に、彼女が小雪を仕留める。

 今までの戦闘を見る限り、小雪の足が脅威なのはわかっていた。それでも、凛を相手にしたときと比べると、その危険度は格段に落ちる。

 凛の大和一点狙い――それは先の百代との戦いを見越しているからに違いない。

 戦いを避けてきたのは自分の方なのに、いざ戦わないという選択肢をとられると寂しく思うなど、随分と身勝手なものだ。燕は凛を見送りながら、心の中で苦笑する。

 

「これじゃあモモちゃんのこと言えないな」

 

 弟離れできていなかったのは、どうやら百代だけではなかったようだ。

 一度ゆっくりと息を吐いて、気持ちを切り替える燕。そんな彼女に声がかかる。

 

「ここからは通行止めだよー」

 

 小雪がタタンとステップを踏んで、構えをとった。それに、燕は軽く微笑む。

 

「それは好都合。私も小雪ちゃんを倒そうと思ってたから、ね!」

 

 言葉が言い終わると同時に、燕は小雪へと向かう。

 これは1秒を争うことになりそうだ。それでも燕に焦りはなかった。大和は策があると言っていたし、そんな彼を信じてもいたからだ。その相手が例え凛であったとしても――。

 これはタッグマッチ――信じると決めたからには、自分の仕事を果たすだけ。燕は右側頭部を狙ってくる小雪の左足を半歩下がって、紙一重で避ける。普段の様子からは想像できないほど鋭い一撃は、磨き上げられた刃物のようだった。しかし、足技は威力が高い分、避けられると大きな隙ができやすい。現に、蹴りを避けられた彼女は、体の左側面ががら空きになっている。

 狙うは、鍛えられない後頭部の付け根。下半身の強さは恐ろしいものがあるが、上半身はそれほどにない。そして、急所である。

 燕はそこを狙うべく、重心を前へ移動させた――。

 

「ッ!」

 

 刹那、形容しがたい寒気が燕の体を駆け巡る。それに連動して体が反応した。思わず大きく後ろへ跳んでしまう。今度も紙一重ではあったが、それは意図してのものではない。その証拠に、彼女は驚愕の表情を浮かべている。

 小雪は、高く跳ね上がった左足を引き戻すと、右足の後ろへ持っていき構え直した。

 一瞬の中に込められた激しいやり取りが、会場を大いに湧かせる。

 小雪の攻撃は単純だった。ただ、避けられた左足を地面につくなり跳ね上げて、踵で燕の左わき腹を狙っただけ。ただそれだけのことだった。刀で例えるなら、左上段からの振り下ろしから、刀を返しての切り上げといったところだ。

 

『あの小娘、さらにスピードがあがってないか?』

 

 石田が信じられないものを見たといった感じで声をあげた。

 相手は仮にもあの燕である。その彼女に対して反撃を許さなかった――それほどのスピードと威力をもっていた。

 思わず燕は呟く。

 

「一気に戦闘力あがるとか、凛ちゃん一体何したの?」

 

 これが、燕の驚いた理由だった。彼女の想定していた範囲を超える。それもたった数十分の休憩の間で――。

 燕は、どこのチームが上がってきても対処できるように、対戦相手の試合は全て目を通し、これまでと同じように分析を怠らなかった。その対象には当然小雪も入っている。そして、準決勝までの戦いを見て把握はできたと思っていたのだ。

 

「えーい!」

 

 間を置かず、小雪が燕に肉薄する。そして、足技による秋雨のような突きの連打が繰り出された――かと思えば、途中で上段から振り下ろしてくる。右肩を深く抉るような一撃――当たれば、右腕がしばらく使い物にならなくなるだろう。間髪入れずに鳩尾を、腿を、脇をと容赦なく蹴りいれてくる。そのどれもが、必殺の威力をもっていた。しかし、そこに隙はない。極限まで引き上げられた速さが、それを埋めていた。

 小雪の連撃は、燕が抜け出すことも反撃することも許さない。しかし、それでも仕留められないのは、さすがと言ったところだった。

 この意外な展開に驚いていたのは何も燕だけではない。釈迦堂が口角を吊り上げながら、機嫌良さそうに喋る。

 

「ハッハッハ。あの松永の嬢ちゃんを捕らえて離さねぇなんて、大したモンじゃねえか」

 

「あれが今まで頭角も現さずにいたとは、さすが師匠の学園ってぇとこかい」

 

 鍋島が感嘆の声をもらした。

 一方、小雪自身はただ体が軽いと感じるぐらいで、それに疑問をもつこともなかった。彼女にとっては燕が抑えられれば、それでよかったのだ。能力を引き上げた要因――それもやはり感情だった。感情にムラがあるからこそ、弱くなりもするし強くなりもする。一旦落ちると、容易に立て直すことができない厄介なものではあるが、逆にハマれば恐ろしいほどの実力を発揮する。今の彼女はまさに後者の状態だった。

 だが本来以上の実力は、一時のもの。それが切れたとき決着はつく。落ち着きを取り戻した燕は、そのときを待っている。しかし、その顔には僅かに焦りが見え始めていた。

 

 

 □

 

 

 もう一方の戦い――凛と大和――へと話を移そう。

 凛は、小雪が燕に対して先制をしかけたのを見届けたのち、離れていった大和を追った。その行く先は既に煙で充満していた。相手が接近する前から、この状態にしたところを見るに、彼は始めからそうするつもりだったのだろう。

 凛は無論、最短距離を疾走する。背後から燕がくる気配もない。

 ――――燕姉はやっぱ小雪狙いか……なら俺も急がないとな。

 大和の使った煙玉は、決勝が始まる前に、鉢屋から買い取ったものだった。さすが忍者が使うものと言えばよいのか、ビー玉ほどの大きさにも関らず、大量の煙が一瞬にして彼の姿を覆い隠した。そして、その煙玉は1個ではない。自然、煙はリング上の4分の1以上を占拠し、そのまま場外へも漏れ出した。

 

『大和選手! この煙で逃げ切りを図るつもりなのかぁ!?』

 

 実況の声が会場に木霊した。

 ――――目隠し程度なら……。

 凛は迷わずそこへ飛び込む。濃霧のように濃い白は、一寸先も見通せない。彼は素早く気配を探る。大和はどうやら、その煙に乗じて進路を変更したようだった。そこからは一足で彼に追いついた。白い靄の中から、人影がボンヤリと現れる。

 大和は依然、がら空きの背を見せたまま走り続けていた。すぐそこはリング外である。凛は手刀をつくり、彼の首を狙う。そこでようやく自身の体に生じた違和感に気づいた。

 ――――この煙! ただの煙じゃないのか!?

 手刀を振りぬきながら、凛は息を止めた。少なからず吸い込んでしまっていたが、それはもうどうしようもなかった。動きが鈍る。

 それに加えて、運が大和に味方する。寸でのところで、リング端の出っ張りに躓き、彼が転んだのだ。そのため、凛の手刀は空を切ることになる。そんな彼を嘲笑うかのように、煙がただ濛々と立ち込めていた。

 一方、大和は転がった拍子に上を見上げたことで、ようやく彼に気づいたようだった。しかし、どうすることもなく、勢いもそのままリング外に落ちる。

 

「うっ!」

 

 うめき声だけが聞こえた。凛は痺れ出した体を動かし、リング下へ詰め寄る。その彼の目に映ったのは、バーニアパーツ――クッキー2の飛行装置――に乗り込んだ大和。そして、その装置の噴射口より吐き出される炎だった。

 その炎がさらなる連鎖を引き起こす。凛の瞳を赤一色が埋め尽くした。

 ――――本当に色々仕込んでくれてるな……。

 白い煙が一斉にして紅蓮に染まる。観客には、突如として現れた業火が煙を全て飲み込んだように見えた――粉塵爆発である。彼らの多くが、その爆発音と立ち昇る火柱を呆然と見ていた。小雪と燕も一瞬動きがとまったが、すぐさま先ほどの続きを再開させる。

 その中から飛び出す影が2つ。片方は上空へ、もう片方はリング外を転がり出てきた。

 

『両選手ともに無事のようです!!』

 

 実況に続き、田尻の声が響く。

 

『場外カウント1……2……3――』

 

 凛はすぐに立ち上がって、新鮮な空気を目一杯吸い込んだ。

 ――――くそっ! 不覚だった! 急ぐ余りにあんな手に引っかかるとは……。

 そして息を大きく吐き出す。それはまるで、体の中に溜まった毒素を抜くかのようだった。すぐさま手足の感覚を調べる。末端に軽い痺れを残したものの、大半の動作に支障はない。

 

「悪いな大和。こちとら数度の経験済みだ!」

 

 ヒュームの特別授業――あらゆるシチュエーションでの戦闘訓練――が役に立った。今の今まで甚だ疑問を持っていただけに、凛は心の中で師匠に謝った。

 ――――しかし、その最初の相手が大和だったっていうのは少し複雑だな。

 空を睨むと、右に太陽が、中天に小さくなりつつあるバーニアが見える。

 決着をつけるため、凛は助走をつけ空へと跳んだ。

 

 

 ◇

 

 

「やったか!?」

 

 大和はそう言わずにいられなかった。自身も巻き添えを食らうかもしれない危険な賭けではあったが、その勝負に彼は勝ったのだ。しかし、その一方で冷静な自分が「そんな簡単なら苦労はしないだろ?」と問いかけてくる。

 大和は上空高くにあがってから、リングを見下ろした。爆発が起こったところは、黒々と濁った煙が昇っている。その反対側で小雪と燕の戦いは続いていた。

 実は、大和の体も痺れており、あまり言うことを聞いてくれなかった。転んだときに、思わず大量の煙を吸い込んでいたからだ。彼は片膝をつく格好になっている。その傍には、あらかじめ用意していたバックパックとマシンガン。

 

「というか、これ即効性ありすぎ。まぁそのおかげで助かったけど……凛は来るよな? 一応、銃も使用許可でてるけど、絶対狙い通りのとこいかないぞ」

 

 マシンガンを引き寄せたが、どう考えても当たりそうにない。

 

『凛選手も空へと舞い上がったぁ!!』

 

 アナウンスを耳にした大和は、体をビクリと震わせた。しかし、すぐさま行動へと移す。時間を稼がなければならないのだ。彼はバックパックをひっくり返し、中にあった物のピンを抜いて一気にばら撒いた。ついでにポケットに残っていた煙玉も投げてしまう。当たってくれれば儲けものだった。

 しかし、期待していた効果は得られない。大和の当たってくれと願う気持ちとは裏腹に、手榴弾はまるで見えない壁に弾かれるようにして、あらぬ方向へ飛んでいき、そこで爆発する。煙玉はその爆発で破裂させるつもりだったため、不発に終わった。その一瞬、彼には、キラリと光る幾筋もの線が見えた気がした。だが、今の彼にそれを疑問に思っている暇はない。残るは、足元に引き寄せておいたマシンガンのみ。

 打たないよりはマシだ。大和はそれに手を伸ばす。

 そこで突如、バーニアの片端が、下から引っ張られたようにして傾いた。

 

「おわっ!?」

 

 大和は何とかしがみついてバランスをとるも、マシンガンはあっけなく下へと落ちていった。バックパックも風に揺られて、飛んでいく。

 次いで、さらに上空から声が降ってきた。

 

「大和、これで終わりにさせてもらう」

 

 凛がいた。服に所々焦げ跡がある以外、目立った外傷はゼロである。一際目立つ銀髪もいつも通りくすんでいるだけで、ちぢれもしていない。

 大和も別にそれを驚いたりはしない。身近には天を衝く波動を放つ姉がいるのだ。慣れている。

 

「おいおい、凛。俺がそう簡単にやられると思うなよ」

 

 大和は笑顔でそう言い残すと、バーニアから躊躇なく飛び降りる。1秒でも稼ぐつもりであった。あとの事は超越者の救助を信じているといったところだろう。

 しかし飛び降りたあとは、さすがに強がってもいられないようで、大和の笑顔が引きつりまくっている。それもそうだろう。いくら信じているといっても、命綱なしでの飛び降りなど簡単にできるものではない。ましてやバンジーが行われる高度よりもさらに上の上である。叫び声をあげないだけでも大したものだった。

 凛は一度バーニアに飛び乗ると、それを足場にして、もう一度大和へと跳んだ。

 

「ははっ。大和、度胸あるな」

 

「破天荒な姉や冒険好きのリーダーのおかげでな!」

 

 大和は近づいてくる凛に、最後の抵抗といった感じで、振りかぶった右拳で突きを放つ。しかし、その突きは痺れたせいもあり、速度もないヘロヘロなもので、いとも簡単に止められた。

 さらに、凛にそのまま腕をひねられ、無防備にも背中をさらすことになった。あっという間の早業だった。大和の視界は大空から一転し、地上を見下ろすことになる。

 大和に向かって――スタジアムが、リングが、みるみる迫ってくる。

 

「不用意に攻撃するのは隙をつくるだけだぞ、大和」

 

 大和が最後に聞いた一言だった。

 降参。大和は心の中でそう呟くと、彼の意識はゆっくりと闇へ落ちていった――。

 

 

 □

 

 

『タッグマッチトーナメント、決着!! 優勝はスノーベル! 宣言通り、見事若獅子の頂点に立ちましたッ!!』

 

 会場は、試合の解説も聞こえないほどの拍手と歓声に包まれる。

 

「大和君!」

 

 燕が担架に乗せられる大和へ走り寄った。

 凛がそんな燕に声をかける。

 

「意識を刈っただけだから、10分もすれば目を覚ますよ」

 

「そっか……ふぅ――」

 

 燕が大きくため息をついた。そのため息には色々な想いが含まれていた。

 確実に勝てる相手とのみ正式な勝負を行ってきた結果の無敗――それが今日、とうとう終わったのだ。こうなることも予想の一つにあった。本来ならば、周りが許してくれたかどうかは別として、この大会を諦めて静観し、無敗を保つこともできただろう。紋白からの依頼も話し合いの結果、一旦白紙に戻した。それでも、スポンサーは続行されるということで、何の問題もなかった。しかし、彼女は大和とペアを組んだ日、凛がこの大会に出ると知っていたにも関らず、出場することに決めたのだ。

 なぜだろう。燕は自問する。百代を倒すチャンスを逃したくなかったからか――いや、それなら話し合いのときに、事情を説明し、続行のお願いをしただろう。自身の考えた作戦も、今の百代には予想していたほどの効果を得られそうになかったため、白紙に同意したのだ。

 そのとき、ふと紋白の言葉を思い出した。

 

『凛との出会いが我を変えたのだろう』

 

 目の前に立っている銀髪の青年。付き合いは中学生のときからであり、早いもので5年目になっていた。弟がいれば、きっとこんな感じだろうと燕はよく思ったものだ。昔はよく戦いを挑まれていたが、ある時期からパッタリとそれも止んだ。高校に入ってからは会う機会も減ったが、今はまたこうして一緒になっている。

 ケジメをつけたかったのかもしれない。燕は一つの答えを出した。タッグマッチはやり方次第で大物食いが可能であり、それは凛も例外ではなかった。言い方は悪いが、彼にパートナーという足かせをつけることができ、なおかつ、やり方次第という自分の得意分野――土俵ならば、彼に勝てる可能性が最も高かったのだ。なぜなら、彼を倒さずとも、勝つことができるのだから。

 4年という期間をもってしても倒す糸口が見つからなかった男――それが凛だった。この機会を逃すのが惜しかった。例え、それが、どちらに天秤が傾くかわからない五分五分の戦いだったとしてもだ。同時に、彼との勝負が無敗に終止符をうつのなら、それはそれで悪くないと思えた。

 

「で、本当に負けちゃったけど……」

 

 燕は一人呟いた。先の戦いでは、パートナーである小雪が予想以上で、弱点となるどころか彼女を阻む盾となり、本当に敗北してしまった。

 空を見上げた燕は、さらにこれからについて考える。父には悪いが、家名をあげる方法をまた別に考えなければならない。戦いに関しては、今までどおり作戦を立てながらも、もっと大胆になってみるのもおもしろそうだ。敗北は悔しいが、同時に肩に圧し掛かった重圧からも解放された気がした。ここには、戦ってみたい相手もまだ多くいる。学ぶことも数え切れないほどある。大和も手に入れたい。やることは――やりたいことはまだまだある。

 とりあえずは凛の打倒。負けっぱなしのまま終わるつもりはない。そして、これは家名を上げる一助になるはずだ。彼がこの後のエキシビジョンで勝てば、この世代でのトップは彼になる。その名は世界に轟くだろう。できれば、自身がその立場にありたかったが、負けた立場であるため仕方がない。それ以上に、今の燕には姉として、勝ってほしいという願いも込められていた。

 初めて出会ったときから、凛の強さに驚かされ、その後彼がどれほど鍛錬に打ち込んできたかもよく知っていたからだ。

 

「ん……?」

 

 燕はそこで別の答えも見つけた。野心とは別に、凛の打倒が頭の片隅にずっとあったのかもしれない。それこそ出会ったそのときから。

 結局のところ――。

 

「私もまた凛ちゃんに変えられた一人なのかもしれないね」

 

 凛がいなければ、また違った道を歩んでいたのだろう。燕は感慨深げにうんうんと頷いた。

 

「何か言った?」

 

 その凛が振り返った。

 いつしか見上げなければならなくなった弟を見て、燕は微笑む。

 

「松永燕の公式戦無敗記録もこれでおしまいだなって。案外呆気ないものだね」

 

「俺個人としては、燕姉との勝負がついたとは思ってないけど……結果的にはそうなるね。小雪がよく頑張ってくれたと思う」

 

 2人の視線の先には、小雪がペタンと座り込んで、肩で息をしていた。余程疲れたのであろう。彼女のあのような姿を見たことがなかった。

 

「小雪ちゃんの力には私もびっくりしちゃったよ。私もまだまだってことかな?」

 

「平蜘蛛を使えばまた違ったんじゃない?」

 

 凛も名だけは聞いたことがある燕の武器に興味を持っていた。平蜘蛛――依頼を受けた彼女が、百代を倒すために使用するはずだった武器。父である久信が、九鬼の力を借りて仕上げた最高傑作だった。しかし、これには難点もある。百代を倒すことを想定したものであるため、必殺技とも呼べる攻撃が、天文学的な費用を必要とし、加えて、1度使うと1年の充電が必要というものだった。そして、1度衆目に晒せば、対策を打たれてしまう。さすがにホイホイと使えるものではない。

 燕は人差し指を頬にあてて、考える素振りをとる。

 

「どうだろうか? それじゃあ敗者はそろそろ退散するよ。おめでとう凛ちゃん」

 

 そう言うと、燕は颯爽とリングを降りていこうとする。その後姿に凛が声をかけた。

 

「観客席のB-36に行ってみて。燕姉と久信さんの頑張りが届いたみたいだよ。燕姉に会いたいって人がいるんだ。久信さんは一足先に会ってるだろうから……あと、このあとの試合、応援よろしく!」

 

 その言葉に燕が振り返るが、凛は既に小雪のもとへと歩き出していた。

 

「人生っていうのはわからないもんだねぇ」

 

 凛の後姿を見ながら、今日何度目かの燕の呟き。彼女と久信に会いに来る人なんて一人しかいない。

 燕の予想では、紋白の依頼を受け、父の開発した平蜘蛛で武神を倒せば、母も彼を見直して帰ってきてくれると考えていたからだ。それが百代と戦う前に負けた上、平蜘蛛を使ってないにも関らず、母が会いに来ているというのだ。本当に何が起こるかわからない。

 燕はそこで我に帰ると、観客席を見渡した。もちろん、ここから姿を確認できるはずもない。しかし、それでも彼女は何だか嬉しくなった。

 

「大和君、ちょっち待っててね」

 

 大和には悪いが、燕は一目だけでも2人が一緒にいるところを確認したかった。自然と駆け足になる。凛の教えてくれた観客席が近いのか遠いのかわからない。それがじれったかった。

 

 

 □

 

 

「小雪、お疲れさん」

 

 凛の声に反応した小雪が、女の子座りをしたまま、彼を見上げる。

 

「うぇーい。僕もう動けないよー」

 

「小雪の頑張りのおかげで、俺はモモ先輩と戦える。本当にありがとう」

 

「頑張ってねリンリン。僕も観客席から応援してるから」

 

 そこへ田尻がマイクを持って近寄ってきた。

 

『優勝の感想などを聞いてみましょう。感想をどうぞ』

 

 それに凛が応える。小雪は隣で彼の肩を支えにしていた。

 

「とても嬉しいです。多くのライバルと力を競えたことは、いい経験になりました。そして、この戦いを一緒に乗り越えてくれた相棒にお礼を言いたいです」

 

「がおーっ! 冬馬―準―! 僕たち優勝したよー!」

 

 小雪は若獅子の頂点ということもあってか、獅子の鳴きまねを披露した。それに反応した観客から「可愛いー!」「小雪ちゃん萌えー!」と声が飛ぶ。

 

『この後はエキシビジョンマッチも行われますが、どう戦われるか決めているのでしょうか?』

 

「はい。私が一人で挑戦させてもらいます――」

 

 凛はそこで一旦言葉を区切って、ゆっくりと瞬いた。瞬時に、あの日の記憶が鮮明に甦ってくる。夏特有のむせ返るような暑さ、青々としげる草の匂い、蝉の鳴き声が聞こえる川原、目の前に立つ勝気そうな少女――そして、そんな彼女に言い放った台詞。

 

『舎弟じゃなく対等だ。俺は下につくつもりなんてない!! よく覚えとけ。俺とおまえは対等なんだ。おまえを倒して、それを証明してやる!』

 

 ――――あれから、かなり時間が経ったけど……。

 凛は百代のいる解説席を見て、言葉を続ける。

 

「モモ先輩! 今日ここであなたを倒します!! あの日の約束を果たしに来ました!」

 

 凛の威勢のよい啖呵に、会場は声援やら拍手やら野次やら、その他諸々が混じりあって、さらに盛り上がる。挑戦者が王者に挑む――そんな構図も人々を興奮させた。暑さだけがあのときと変わらないようだった。

 それに応える百代の声が、響き渡る。その声は嬉しそうで、とても活き活きとしていた。

 

「待っていたぞ、凛! ずっと……ずっとこのときをな! 制限時間はない。白黒つくまで、存分にやりあおうじゃないか!」

 

 

 

 

 

 

 あの日の少年は青年へと成長し、再び彼女の前に戻ってきた――。

 

 

 

 

 

 

 止まっていた時間が、今ゆっくりと動き出す――。

 

 




遂にタッグマッチ終了!!
燕の下りが大変でした。
そして、ようやく決戦のとき!!
熱い戦いが描けるといいんですけど……。
やるしかない!


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『雌雄決す』

 試合開始まで30分の休憩がとられた。

 空は依然晴れていたが、南の方角から盛り上がってきた雲が、徐々に青を侵食し始めている。一雨きそうな雲だった。

 それから数分。誰もいなかったリングに、田尻が姿を現した。観客のざわめきが少し弱まる。

 

『皆様、これよりエキシビジョンマッチを執り行いたいと思います!』

 

 その声に呼応するようにして、雄たけびのような歓声があがった。長かった戦いも、正真正銘これが最後。テンションが上がらないほうがおかしい。

 しかし、それもリングに現れた2人によってかき消される。姿が見えた瞬間、両者から噴出す気がぶつかり合り、そのビリビリと痺れるような圧力が、観客席まで伝わったからだった。観客は完全に気圧されていた。

 百代が凛を目の前にして、先に口を開く。彼女の方が早く始めたくて仕方がないといった感じで、うずうずしていた。

 

「凛、すぐには倒れてくれるなよ」

 

「そうなるとしたら、モモ先輩が先に倒れていますから、ご心配なく」

 

 凛がさらりと答えを返した。百代はそれを鼻で一笑すると、会場の空気が一段と重くなった。2人の気が激しくせめぎ合う。その激しさを表すかのように、リングがミシミシと悲鳴をあげた。

 そんな2人を笑って見守っていたのが、超越者たちだった。鉄心がいつものように穏やかな笑みを浮かべながら呟く。

 

「ホッホッホ。2人とも若者らしく、熱いのぅ」

 

 ルーは細い目を見開く。

 

「どんな戦いになるのか楽しみダ。2人とも悔いが残らないようにネ」

 

 釈迦堂はニヤニヤとしているだけだった。それに比べると、鍋島は目つきを鋭くさせている。

 

「夏目……京の夏目家か。松永燕共々、こっちに欲しかったな」

 

 揚羽が楽しそうに笑う。

 

「フハハハ。この肌が粟立つような感覚……百代との戦いを思い出すな。百代、そして凛。約束通り、我がこの戦い見届けさせてもらう。久々に、我の血がうずいておるわ!」

 

 実況者としてのプライドか――かろうじて、声を絞り出す。

 

『た……戦う前から、物凄い緊張感が会場を覆っています! 一体、どんな戦いが繰り広げられるのか、私……全くもって検討がつきません!』

 

 それに田尻が続く。彼は天高く右手を振り上げた。

 

『両者、前へ! それでは……レディー』

 

 凛と百代が共に構えをとる。彼は半身になりながら、右手を胸元までもっていくと、その甲を彼女に向ける。一方、彼女は左手左足を軽く後ろへ引いて、右手右足を前へと突き出す。一瞬の静寂が舞い降りた。観客がゴクリと唾を飲み込む。

 田尻が右手を振り下ろすと同時に、腹の底から声を出す。

 

『ファイッ!!』

 

 両者がリングを蹴る。秒とかからず、互いの攻撃範囲に入った。百代がいつかの如く、右拳を繰り出す。

 

「川神流無双正拳突きッ!」

 

 しかし、凛はそれに合わせるような真似はしない。左手でその拳をいなすと、固く握り締めた右拳で百代の顎を打ち抜く。仰け反った彼女の体がフワリと地面から離れるが、彼の追撃は止まらない。その勢いのまま、左足をがら空きになっている胴へと叩き込む。

 ジジジ――。

 百代は嫌な音を聞いた気がした。直後、体中を恐ろしい勢いの痛みが襲う。その中心は、胴にめり込んでいる左足。それは、今までに経験したことのないものだった。

 吹き飛ばされる百代。しかし、二転三転しながら体勢を整え直し、リングを落ちる前にはすっかり両足で立っていた。何度か咳きを繰り返し、息を整える。

 

『初撃は凛選手! 武神を吹き飛ばしましたぁー!!』

 

 実況に合わせて、会場が揺れた。

 凛が百代へと声をかける。

 

「モモ先輩……本気で来てくださいよ。俺を試すような攻撃は必要ありませんから」

 

「……そう焦るなよ。戦いはまだ始まったばかりだろ?」

 

 笑顔の百代はそう言うと、観客にも見えるほどの気を放出した。それはどこか美しく、清らかなものに見える。

 ――――これが瞬間回復か……。モモ先輩の絶対的自信の根拠であり、慢心につながってる要因。

 凛は、瞬間回復に興奮する実況を聞き流しながら、ヒュームの言葉を思い出していた。万全の状態に戻った百代が、声をはずませる。久々に感じた痛みも、強者が現れたという証拠であり、嬉しいらしい。

 

「さぁ凛! 続きだ!」

 

「舐められてるって感じるのは、俺の気のせいですかね?」

 

 凛は踏み込む右足に、さらに力を込めた。足が離れる瞬間、まるで後を追うかのように、紫電が小さく走った。

 

 

 ◇

 

 

「これが……凛の実力か……」

 

 紋白が思わずといったと様子で呟いた。それもそのはず、戦いは拮抗しながらも、要所要所で凛の重い一撃が百代を襲い、その度に彼女が瞬間回復を繰り返していたのだ。それがもう既に数度行われていた。

 揚羽が戦闘を観察しながら、紋白の言葉を拾う。

 

「それもあるが、どうやら百代はいつもの悪い癖がでているようだな」

 

「なんのことですか? 姉上」

 

「強い相手と戦うことを楽しんでおるのだ、百代は。それを悪いとは言わんが……」

 

 揚羽はそこで困ったように苦笑をもらす。それを引き継いだのはヒューム。

 

「やはり、百代はここで一度負けておくべきなのです。あの驕りが抜けぬ限り、真の強さが手に入ることはないでしょう」

 

「確かに。しかし、百代もこれで終わるほど甘い存在ではなかろう」

 

 揚羽の言葉が指し示すとおり、距離が離れた瞬間、百代の右手が輝き始めていた。

 

 

 □

 

 

「さすが凛だな! ならば、これはどう対処する!?」

 

 百代は右手を凛に突き出し、その手に気を集中させる。小さな光が、瞬く間に大きな光になっていく。

 

「川神波ぁ!!」

 

 百代から放たれたそれが、凛に襲い掛かる。しかし、彼は避けない。彼の背後にいる観客席から悲鳴が聞こえる。自分に向かってくることを怖れたのか、あるいは彼に当たることに対してなのかはわからない。

 凛は右足を思い切り前にだし、左足を曲げると、体を沈めた。

 

「俺も一つ技を見せましょう」

 

 そう言うや否や、彼は自身を飲み込まんとする波動を優しく迎え入れる。彼の影がリングに大きく伸びた。

 

「凛!!」

 

 客席の誰かが叫んだ。しかし、観客は信じられないものを見せられる。

 一直線に飛んでいた波動の先端が、凛の右の手のひらに触れた瞬間にその軌道を変え、まるで彼を避けるように緩やかなカーブを描き、最後は左の手のひらを離れて上空へと消えていったのだ。

 

「なっ!?」

 

 これには百代も驚いたようだった。

 

「モモ先輩だけに技を見せるのも悪いんで。受け流しは、夏目の得意とするところなんです」

 

 ――――まぁ、これは気の調整がどれほど繊細にできるかにかかってくるんですけど。

 凛はまた百代に肉薄する。彼女が身構えた。

 百代は拳を突き出し、蹴りを放つも、全てが陽炎のように感触がない。しかし、彼女は笑みを崩さない。これまでにない程、感覚が研ぎ澄まされていくのを感じていたからだ。この先に何かがあると彼女の勘が言っていた。右の蹴りが避けられた瞬間、もう何度となく聞いた音が、彼女の耳に届く。

 ジジジ――。

 刹那、わき腹に向かってくる凛の蹴りを百代は体をひねってかわす。

 横一線。百代の瞳に映ったのは青白い光。すぐさま、彼女はカウンターを放った。しかし、手ごたえはない。逆に、首元に鋭い痛みが走った。それが全身へと回っていく。頭の中が真っ白になった――。

 

『これは一体どうしたことでしょうか!? あの武神がなす術もなく、一方的にやられています! 誰がこのような展開を想像できたでしょうか!?』

 

 凛は構えを取り直すと、百代が飛んでいった方を注意深く見た。今回の攻撃で、9回の瞬間回復を使わせている。

 ――――もうそろそろだろ。

 いつの間にか、分厚い雲が空を覆っていた。暗くなったせいか、スタジアムのライトが早めにつけられる。凛の周りに、四方へと伸びる影ができた。

 百代がこれまでと同じようにゆっくりと立ち上がる。2人の視線がぶつかると同時に、凛は背筋を震わせた。彼女の瞳の奥が、揺らぎのない水面のように静かだったからだ。

 百代は服についた汚れを払うと、口を開く。

 

「瞬間回復が鈍ってる。今、気がついたぞ。もう使えなくなりそうだ。凛の使った電撃がそうさせている……こんな方法で破ることができたのか。凄いな」

 

 その声に焦りはない。相手を圧倒するほどの気を放ってもいない。静かすぎる百代が不気味に思えた。

 ――――中々、予想通りの展開にはならないな。

 

「モモ先輩……ここからが本当の勝負ですよ。本当はもっと取り乱すかと思ってましたけど」

 

「うん。私もだ。だけど……なんだろうな? すごく落ち着いた気分なんだ。ただお前だけを感じる。私はもっとこのときを感じていたい――」

 

 微笑を浮かべる百代は、胸元に来ていた後ろ髪を右手で背後へ戻し、一歩踏み出した。なびく髪は、その一本一本まで美しく、仄かに輝いている。その姿に、会場の雰囲気が変わった。見蕩れ、小さく吐息をもらす――まるで舞台に降り立った女優のように、傷んだリング、ライトの光、曇天、観客、そして凛、それら全てが彼女を引き立たせる。

 しかし、凛はそこに別のものを見た。髪の輝きは、その先端にいたるまで、気が充実しているからこそのものだった。

 

「凛……いくぞ」

 

 百代は言葉をそこに残すと、影を置き去りにした。

 

「ッ!」

 

 凛は己の勘を信じて、右腕で側頭部をガードする。飛んできたのは百代の右足。彼女は一瞬にして、彼の背後へ回り、蹴りを放ってきたのだ。徐々に腕が押し込まれる。

 凛は耐え切れずに左へ跳んだ。しかし、それは無駄だった。

 

「――双正拳突き」

 

 呟きのような百代の声が、さらに背後から聞こえてきた。直後に、凛の背を今日一番の痛みが襲った。衝撃波が彼の胴を突きぬけ、大気を揺らす。

 

「ぐッ!」

 

 今度は凛が、リング外へと弾き飛ばされそうになる。その前に体勢を立て直そうとしたが、その暇がない。既に、飛ばされる彼の上空から影が落ちてきていた。

 凛の体とリングが水平になっている状態――そんな彼の瞳が捉えたのは、左足を振り切る百代の姿。彼にできたのは、両腕を交差させ衝撃に備えることだけだった。腕をへし折られるかのような苛烈な蹴りが、彼の腕とぶつかる。

 時を置かずして、会場に一際大きな衝撃音が鳴り響き、リング中央に大きな窪みを作り出した。それはまるで、凛が1回戦で見せたときのリプレイを流しているようだった。瓦礫を吹き飛ばし、砂煙を巻き上げる。ひょっとすると、彼のときよりも衝撃が大きいかもしれない。

 百代はいつの間にか、リング端に悠然と立っていた。

 

『な、なんと! この強さこそ武神!! 一瞬にして状況を一変させましたぁ! 今までがただの遊びだったと言わんばかりの攻勢!! 果たして凛選手は無事なのか!?』

 

 鉄心がその様子を見つめる。

 

「これだから、若いモンを見るのはやめられんのぅ。モモはここにきて、さらに一皮むけたようじゃ。あれだけ無駄な気を放出させておったのが、嘘のように静かになった。電撃属性の攻撃は恐ろしいものじゃが、それが切欠になったのかの」

 

 紋白が席を立ち上がり、声を張り上げた。

 

「凛! 凛は無事なのか!?」

 

 それに応えたのはクラウディオ。飲み物を差し出しながら、穏やかに返す。

 

「ご心配には及びません、紋様。この程度で倒れる凛ではありません」

 

「そ、そうか。だが、百代はどうしたのだ? 先刻と動き……いや気配までもが、がらっと変わっている」

 

 揚羽が会話に加わる。

 

「あんな百代を見たのは我も初めてだ。本気をだした……というのでは、説明できなさそうだな」

 

「蛹が蝶へと変わろうとしているのでしょう」

 

 ヒュームが突然口走った。紋白と揚羽の視線が彼に集まる。

 

「ヒューム……それでは今までの百代が蛹だったと聞こえるが?」

 

「揚羽様の仰る通り、今までの百代は蛹だったのです。武神の名を冠するだけあり、百代の素養は素晴らしいものがあります。そして、今までそれが順調に育ってきました。しかし、殻を破るのは容易なことではありません。余程の衝撃がなければ……」

 

「それが凛だと?」

 

「はい。百代も戦いの中で、何かを感じ取ったのでしょう。喜ばしいことです」

 

「うむ……しかし、このままでは百代の驕りが抜けぬのでは?」

 

 そこで紋白が割り込んだ。

 

「姉上の仰るとおりだ! 凛の勝ちがままならなくなるではないか」

 

「いえ、凛はすぐに対応するでしょう。百代の戦い方は瞬間回復に頼りすぎています。癖というのは簡単に直せるものでもありません」

 

 クラウディオがあとを引き継ぐ。

 

「揚羽様、紋様。私たちが凛に目をつけたのは、戦闘能力の素質だけではございません。彼の最も優れている所は――」

 

 

 ◇

 

 

「くぅー……きいた。スピードが段違いになると、どうしても追いきれない――」

 

 凛は砂煙の中、百代がやったように服の砂を払い落とした。

 

「でもまぁ……すぐに目が慣れる。ヒュームさんでも鍛えられてるし」

 

 凛は一度屈伸すると、百代目掛けて疾走する。

 

『凛選手……中々姿を現しませんが、これは機を窺っているのでしょうか!?』

 

 百代は微笑んだ。この戦いがまだ続けられるとわかったからだ。自身に迫ってくる気配をしっかりと掴んでいた。

 凛もわざわざ奇をてらうことなく、真正面から出てくる。

 

「さっきの一撃は中々効きましたよ」

 

「その割には元気そうで安心したぞ」

 

 激しい応酬の中で、2人は普段のように会話をかわす。しかし、未だ百代の動きが上回っているのか、凛の節々に傷が刻まれていった。

 ――――ギアが上がってきたのと合わさってるのか……厄介な!

 捌いても捌いても、止まない連撃。一瞬たりとも気を抜くことはできない。不幸中の幸いといえば、瞬間回復を必須とする人間爆弾――至近距離において、気を爆発させる自爆技――を使われないことだった。

 2人はリング上で舞い続ける。影は忙しそうに主人のあとを追いかけ、大気は観客の声援によって震えをますます大きくした。

 そして、遂に凛は百代の動きを捉える。彼女の胴抜きを半歩下がって避けた。これは彼女も予測済みだったらしい。

 

「今の状態でも同じことができるか? 川神波!」

 

 一瞬の隙をついて、百代が一条の光を放つ。ほぼゼロ距離。しかし、またしても波動はあらぬ方向へ飛んでいった。川神波を放った腕は、凛の足によって蹴り上げられたためだ。

 もちろん、そこで戦闘がやむことはない。ここで凛もまた攻勢に出始める。

 

「「はぁぁッ!」」

 

 両者の覇気溢れる声が会場に木霊する。それが、観客を熱狂へと誘った。

 乱打戦――。

 まさに、その言葉がピッタリだった。防御は最小限に、攻撃は最大限に。互いに削りあっていく。

 釈迦堂はただ百代を見守る。その顔はどこか嬉しそうだった。

 

「お前の心が手にとるようにわかるぜ、百代。嬉しいよなぁ。自分の全てを受け止めてくれる相手が現れたんだ。その目にはどんな世界を映してるんだ、なぁオイ?」

 

 両者とも一歩も引かない。引く瞬間こそが隙になると言わんばかりだった。しかし、その行為は着実にダメージを蓄積していく。

 突如、2人が正反対の方向へ弾きとんだ。どうやら、凛は米神の上部に一撃を、百代はわき腹あたりに一撃を同時に受け、そして、同時にねじ込んだらしい。気の練り込められた一撃は相当重く、彼らは膝をついた。

 ――――まずい……焦点がぶれる。さすがに無理があった。でも……。

 凛は足に力を入れる。

 ――――まだやれる。もう負けるのは……。

 

「ごめんだ」

 

 ――――約束を果たすためとか、支えてくれた人のためとか、惚れた人にイイトコ見せたいとか……そんなことも思ってたけど、戦いが始まれば関係ない。これに関して言えば、俺はただ……。

 

「負けるのが大嫌いなんだ」

 

 雲はいよいよもって、黒く重くなってきていた。その中では時々、幕電――雷鳴を響かせず、稲光だけが雲の間を走る現象――が起こっている。

 それに反応するように、凛の肌にピリピリとした感覚が走った。

 ――――この感覚。なるほど……肌で感じろっていうのはこういうことか。

 昔、祖母である銀子に言われたことを思い出した。

 凛は深呼吸を繰り返す。それに従って、激しく暴れていた心臓も、徐々に落ち着きを取り戻す。そして、一度ゆっくりと瞬いた。銀子に見せてもらったもの、言われたことが甦ってくる。

 ――――あとは俺にそれができる実力があるかどうかだ。

 百代も既に立ち上がり、凛を真っ直ぐ見据えている。互いに長く持ちそうにないことがわかった。

 雲は堪えきれなくなったのか、小雨がリングを濡らし始めた。ライトに照らされた雨粒が、幾筋もの線のように見える。観客は、タオルを頭から被る者、不安そうに空を見上げる者、リングを注視する者など様々だった。

 一方、リングに立つ2人は静寂を保っていた。

 雨粒の一つ一つが見える。その奥に凛が、あるいは百代がいる。2人の見る世界はそれだけだった。

 

「モモ先輩……そろそろ幕引きといきましょう」

 

「ツレないじゃないか。私はまだまだ戦えるぞ」

 

「それが本当なら、俺はへこみますけどね。とりあえず直接、体に聞いてみます!」

 

 凛が先に動き出した。

 

「それでいい! 来い、凛!」

 

 百代はそれを迎え撃つべく、最初と同じ構えを取り直した。

 速い。百代は凛の動きを追うことをやめると、そのまま目を閉じた。深く息を吸い、そして吐き出す。彼が背後から迫るのがわかった。すかさず、右の裏拳を繰り出そうとするも、ここで鈍い痛みがわき腹に走った。瞬きをするより短い時間――彼女の動きが止まる。

 瞬間回復が使えたなら。百代の頭にその考えがよぎった。実は彼女には、もう体力がそう多く残されていなかった。というのも、乱打戦では確かに打ち合っていたが、日頃のクセとでも言えばよいのか、その節々に攻撃の粗がごく僅かにだが出ていた。それはたった数ミリだったかもしれない。塵にも等しいダメージ差だったかもしれない。しかし、それは積み重ねられ、蓄積され、こうして彼女の体を蝕んでいた。

 ――――ちゃんと効いてるじゃないですか。

 凛はその隙を逃さない。これまで幕電だけの雲が、一際激しく雷鳴を轟かせた。

 

「モモ先輩……終わりです」

 

 凛が、中途半端に体を開いた百代の胴に、右の掌をそっと押し当てた。

 観客の誰かが呟く。

 

「なんか今、青い光が――」

 

 次の瞬間、天高くで暴れまわっていた稲妻が、百代の胴を貫いた。斜めに走るそれは、何にも邪魔されることなく、彼女目指して一直線に襲い掛かったのだ。

 観客が目にしたのはそこまでだった。なぜなら、世界がまるで白一色に染まったように、会場が眩しい光に覆われたからだ。そして、遅れるように聞こえてきたのは、耳をつんざくような轟音。何か得体の知れないものが、吼えているようだった。

 スタジアムのライトはその余波を受けて、破裂したりもしたが、それを気にする観客もいない。

 白の世界。

 それが、観客たちが見ている――いや何も見えないからこその世界だった。加えて、轟音のせいで、耳鳴りが酷い。実況も喉が裂けんばかりに叫んでいるが、その姿はまるで無声映画のようで滑稽だ。

 当然、その真っ只中にいる2人にしても同じだった。

 百代は既に体を支える余力もなく、凛にもたれかかっている状態で、その目は油断すると閉じてしまいそうだった。

 

「――」

 

 百代は小さく口を動かしたが、凛にそれを知る術はなく、ただただ首を横に振るだけだった。彼女もそれがわかったのか、最後に微笑み――そして意識を手放した。

 凛は百代をゆっくりとリングに寝かせると、もう一度立ち上がる。しかし、それだけでも膝が笑いそうになった。集中が解けたせいであろう。

 

「勝った……」

 

 確かにそう呟いたが、自身の声さえ聞こえない。しかし、凛は言わずにいられなかった。

 ――――勝ったんだ……。俺はモモ先輩に勝った!

 しばらくの間、凛は一人その勝利をかみ締めていた。

 

 

 □

 

 

 インタビューを終わらせ、通路を歩く凛。背後の出口からは、帰り支度を整える観客のざわめきが響く。

 凛を迎えたのは紋白と燕、小雪、そしてファミリーの男性陣だった。ファミリーの女性陣はどうやら百代の方を見舞っているらしい。

 凛が誰よりも先に喋りだした。

 

「ごめん……もう限界」

 

 それだけ言うと、凛は膝から崩れ落ちるようにして倒れる。突然の事に、その場にいた誰もが反応できずにいた――ただ2人を除いて。

 ヒュームは右腕に凛を乗せると、脇に抱え込んだ。くの字――というよりも、つの字に折り曲がった世界を最も沸かせている男。

 

「中々だったぞ」

 

「相変わらず、ヒュームは凛に厳しいですね」

 

 クラウディオの言にも、ヒュームは鼻で返事をするだけだった。

 その後、凛は医務室に運ばれ、先に運ばれていた百代の隣に寝かせられる。診察の結果、大事には至っていなかったが、頭を強打していることから、念のため葵紋病院に送られることになった。

 こうして、タッグマッチトーナメントは終わった。長い2日間は人々の記憶に刻まれ、夏目凛の名は世界中に轟いた。

 

 

 

 

 

 

しかし、今日という日はまだ終わらない。

 




ようやく終わりました。
勢いで何とか乗り切りました。

さぁ日常シーンを描こう!

一つ疑問なのですが、電撃属性の攻撃がどうしてもナルトにある千鳥に見え、凛が最後に繰り出した技がサスケの麒麟に見えます。
前者はマジコイでも使われているので大丈夫だとしても、後者が微妙かなと思っています。
これは、タグになんらかの追加を行っておいたほうがいいのでしょうか?
ご意見等頂けると嬉しいです。


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『凛と百代』

「え……?」

 

 百代は、目の前にいる人物からの言葉に耳を疑った。

 場所は約束を交わした河川敷。日はとうに暮れ、闇があたりを包んでいる。空には星が散りばめられ、一際輝くベガ、デネブ、アルタイル――夏の大三角形――が南東の方角に見えていた。

 暑さもだいぶ和らぎ、夜の散歩にはうってつけの日和であったが、今の百代にそんなことを気にしている余裕はない。彼女がここにいる理由は、もしかしたら凛がここに来るかもしれないと思ってのことだった。果たして、その通りになった。

 しかし、そんな百代を待っていたのは驚きの事実だった。走りよる彼女に凛が声をかける。

 

「だ、誰ですか!?」

 

 いつもと違う固い声色だった。明らかに警戒している。

 百代はゆっくりとスピードをおとし、やがて足をとめた。

 

「凛? 私だ……ところで、それは何の冗談だ?」

「えっと……川神先輩ですよね?」

「川神先輩って、気持ち悪い呼び方するな。いつもモモ先輩って呼んでるだろ」

 

 百代は凛に歩み寄った。彼の挙動不審な態度が、どうにも彼女を苛立たせる。

 

「あ、すいません。いやでも、その――」

 

 凛は口ごもりながら、やがてはっきりと言葉を吐き出した。

 

「あなたのこと、覚えていないんです」

 

 これが冒頭での理由だった。

 その一言に、百代の血の気がサッとひいた。凛が、念のため病院に運ばれた事実を聞いていたからだ。もしかして――そこまで考えたが、彼女はそれを捨てた。それと同時に、今度はカッとなる。それに合わせて声が大きくなった。

 

「いつもの冗談なんだろ!? そんな手にひっかからないからな! 記憶喪失なんて、あの凛がそんな簡単になってたまるか! テレビでもあるまいし。私に勝った男がそんなことに……なるはず、ない……だろ?」

 

 しかし、声は次第に小さくなり、最後には疑問系になっていた。百代は念を押すように「ないよな?」と問う。

 凛は沈痛な面持ちで、百代を見詰める。それはまるで、彼女の期待に応えられないことが、ひどく辛いといった様子だった。口を開きかけては閉じる。それを数度繰り返したのち、彼女の疑問に答える。

 

「医者が言うには、心配いらないそうです。これは一時的なものらしいので」

「らしいって……」

「そんな顔しないで下さい、その……モモ先輩。すぐに元に戻りますから」

 

 場を明るくしようとする凛の声が、虚しく川原に響いた。その声は普段と変わりがないのに、言葉には距離を感じさせる。

 運動をしたわけでもないのに、百代の鼓動が激しくなった。手足は重く、まるで鉛をつけられているようだった。喉の渇きが酷くなり、上手く言葉が出てこない。

 

「で、でも……ここに来たってことは覚えてるんだよな?」

 

 百代はさらに凛に詰め寄った。何をとは言わない。自分に、当時の事をより詳しく語ってくれたのは、他でもない彼だった。その彼なら、これだけは覚えていると思ったからだ。しかし、彼の言動に、今度こそ血の気がひいた。

 凛は辺りを懐かしむように、ぐるりと見渡す。風景は2人が再会したときと変わらない。

 

「ここで……何か大事なことがあった気がするんです。医者が言うには、強く思いが残っている場所に行くのが一番良いそうです。だから、車で送ってもらっていたんですが、ここで降ろしてもらいました」

「なんだよ……それ」

 

 百代は俯きながら呟き、ギュッと握りこぶしを作った。その手は震えている。

 

「モモ先――」

 

 凛の言葉を百代は遮る。

 

「信じないぞ! さっきまで戦ってたじゃないか!? お前は私に勝ったんだぞ! 一緒に――」

 

 百代が言葉に詰まったのは、凛と目があったからだった。彼女の瞳が潤み、やがて目尻から一筋の雫が流れる。そこからは堰がきれたように、涙が次から次へと勝手に溢れてきた。今までの思い出が鮮明に甦り、そのせいで胸がいっぱいなる。楽しい思い出が――凛の屈託のない笑顔が、どうしようもないほど彼女の胸を締め付けた。痛くはない。ただ苦しかった。

 百代の頬を伝う涙が地面を濡らす。それでも彼女は笑顔を作りながら、少しでも思い出せるようにと、2人の思い出を語る。

 

「……ここで私たち初めて会ったんだぞ。私が10歳で、お前が9歳――」

 

 昔のことを話す。

 

「な、なら……一緒にアイス食べただろ? ほら、ここから見えるあの橋で――」

 

 日常のことを話す。

 

「歓迎会のことはどうだ? 年上の先輩に囲まれて――」

 

 行事のことを話す。

 

「花火……見に……行っただろ? お前が……私の手、引っ張って」

 

 百代の言葉はそこで途切れる。もうこれ以上、喋り続けることができず、彼女のすすり泣きだけが止まらなかった。一体どこからこれほどの涙が出るのかと不思議に思えるぐらいに、どれだけ拭おうとも一向に収まらない。

 その姿は鷹揚な武神などではなく、一人取り残された迷子の少女のようだ。あまりに儚げで、寂しそうだった。

 

「私……お前が好きだったんだぞ。それなのに、どうして……こんなのあんまりだ」

 

 そのとき、百代の体がフワリと包まれた。しかし、その感触は柔らかいものではない。

 凛が百代を抱きしめていた。彼女はそれに抵抗することもなく、むしろ彼の胸に顔をうずめると、いよいよ肩を大きく震わせ始める。

 百代にとっては、こんな形で抱きしめられるのが悲しい反面、凛の優しさに触れているようで嬉しかった。

 

「捕まえましたー」

 

 そんな百代を無視するかのごとく、聞こえてくる凛のあっけらかんとした声。これには彼女も埋めていた顔を上げ、彼を見つめ返した。そして、目を何度も瞬かせる。

 

「り……凛?」

 

 状況が飲み込めない百代は、鼻をすすりながら呼び慣れた名を呼んだ。目元は赤くなっているが、涙は驚きで止まっている。

 凛は、涙の跡をハンカチで優しく丁寧に拭ってやった。

 

「俺ですよ。びっくりしました?」

 

 この涙を見て、びっくりしたかと問えるこの男の神経は普通ではない。いや、彼も驚きすぎたため、対応がこのようになったのかもしれない。 

 いつもの――思い出の中の凛の笑顔が、百代の目の前にあった。彼女は両手でペタペタと彼の顔を触る。

 それに対して、凛はくすぐったそうに表情を崩した。

 

「ちょ、ちょっとくすぐったいです、モモ先輩」

 

 しかし、凛はそれをやめさせることなく、好きにさせていた。力を入れれば簡単に折れてしまいそうな白い指が、顔の輪郭をゆっくりと確かめる。

 

「嘘じゃ、ない?」

「嘘じゃないで……って痛い。抓らないでください!」

 

 百代は凛の頬をぎゅっと握っていた。

 

「い、いや……じゃあ何か私と凛だけが知ってることを話せ」

 

 どうやら、百代は慎重になっているらしい。記憶喪失を最初に装うことで、それを冗談にしてしまえば、あとになって疑われることがない。周りの人に、凛という人物の話を聞いて、その人物像を作り上げている可能性を消しにかかる。

 凛は一度、空を仰ぎ見た。

 

「そうですね……あ、いいのを思い出しました。モモ先輩が秘密基地で俺に膝枕をしてくれました――」

 

 凛の一瞬の間すら怖がった百代の気持ちが、バカらしく思えるほど、彼は楽しそうに話した。さらに、言葉を続ける。

 

「それから、花火大会の日は、屋上でこんな風にしてキ――」

 

 ドスッ。

 百代は強制的に黙らせた。

 ドスッ。ドスッ――。

 さらに続けて、凛の鳩尾目掛けて拳を放つ。2人は抱き合ったままのため、彼にそれを防ぐ術はない。

 

「痛い! モモ先輩、ちょっ! 痛ッ」

「うぅー」

 

 唸る百代。しかし、決して凛から離れることはしない。右手は拳を作りながらも、左手は彼の背にしっかりと回されている。彼女の気持ちは、怒りや嬉しさ、恥ずかしさなどがゴチャ混ぜになり、行き場のないそれが唸りとなっていた。

 凛はそれを微笑みながら受けるばかりで、楽しそうだ。

 結局、百代は凛にしてやられたのだった。彼は彼でドッキリを仕掛けたはいいが、どこで切っていいのやらわからなくなり、ようやくバラしに入ったタイミングがあれだった。何ともお粗末なものである。

 しかし、バラした以上、ドッキリは終了。先ほどまでの悲愴な雰囲気は消し飛んでいた。あとに残ったのは、凛のひたすら謝る声だけだった。

 ――――やりすぎた……。

 後悔先に立たず――凛が初めて女の子を泣かした日となった。

 

 

 ◇

 

 

「あの、そろそろ……機嫌を直して頂けないでしょうか?」

 

 それからしばらくして、百代の鉄拳が収まった。しかし、彼女は依然、ムスッとしたままで、凛の言葉にも反応してくれない。当然である。ボコボコにされないだけでもマシだった。一応補足しておくと、2人はあれから姿勢を変えていない――つまり、抱き合ったまま。

 凛は、もう何度目になるかわからない謝罪を口にする。これ以外にとれる方法がなかった。

 

「俺が悪かったです。ごめんなさい。もう二度とこんなことやりません」

「当たり前だ」

 

 ようやく百代が喋った。しかし、顔は決して上にはあげない。

 

「一つ言い訳をしてもよろしいでしょうか?」

「本当に言い訳だな」

「うぅ。本当にすいませんでした。でも、俺が記憶喪失になってたのは本当です――」

 

 凛の言葉に、百代は素早く顔をあげた。苦笑しながら、彼は言葉を続ける。

 

「ただ……起きて、ほんの短い間でしたけど」

「大丈夫なのか?」

 

 百代の瞳が不安で揺れる。凛は安心させるかのように、穏やかな笑みを浮かべる。

 

「大丈夫ですよ。すぐに元に戻りました。それにもし、俺の記憶が戻らなかったら、今頃葵紋病院が、テンヤワンヤの大騒ぎになっててもおかしくないでしょう?」

「そうだな。……それに今思えば、そうなったとしても、川神院の力でなんとでもできただろうし」

 

 やはり、百代はかなり動転していたらしい。付け加えるならば、九鬼家もこの事態に最善を尽くしてくれたであろう。

 

「えっ……川神院ってそんなこともできるんですか?」

「できたんじゃないか?」

「さすが世界のKAWAKAMI。……ところで、モモ先輩」

「なんだ?」

 

 ぶっきらぼうに答える百代。

 

「さっき言ってたこと本当ですか?」

「さっき……」

「ほらさっき、私は――」

 

 百代はそこで自分が口走っていた内容を思い出した。呟いたことを凛がしっかりと聞いていたらしい。別の意味でかぁっと血がのぼってくる。慌てて、彼の言葉を遮る。

 

「うるさい! うるさい! それ以上喋るな! 大体、凛が悪いんだろ!?」

 

 最後の一言は、もはや認めていることになるということに気づいていない。

 その後も凛が喋ろうとすると、百代が遮るという繰り返し。これに困ったのは彼の方だった。なんせ、別の話題にしようにも、彼女がそれを許してくれないからだ。

 それから数分。

 

「わかりました。オッケーです。その話はしません。代わりに、俺の相談に乗ってくれませんか?」

「……相談?」

 

 荒ぶっていた武神もさすがに落ち着いたようだ。

 

「はい。実は、俺好きな人がいるんですけど――」

 

 話の内容が一気に変わった。

 もし、百代がその好きな人に心当たりがなかったら、この時点で多馬川に殴り飛ばされていてもおかしくない。

 最も、違う人物の名前が出た瞬間、そこは鬼も逃げ出す壮絶な修羅場になるだろう。2人の思い出の河川敷が、跡形もなく消え去るかもしれない。

 百代はただ黙って、先を待っている。

 

「それで、その人にドッキリ仕掛けたら怒っちゃいまして、何か機嫌が直る方法とかないですか?」

「100%お前が悪い」

 

 百代は釘を刺した。

 

「はい。反省しています」

「本当だろうな……」

 

 本人を目の前にして、相談も何もない。百代が凛を見上げると、彼と視線がぶつかった。

 

「モモ先輩なら、何か良い方法を教えてくれるんじゃないかと思いまして」

 

 ようやく顔を見せてくれた百代に、凛は安堵からくる笑みを浮かべた。

 一方、惚れた弱みというものなのか、それを見るだけで百代は、先のドッキリもどうでもよくなってくる。

 これから、この男に振り回されそうな気がする。百代は少し弱気になった。従順なように見えて、その実、全然そんなことはない。自分の予想もつかないことを平然とやってくるのだ。名を怖れず、ましてへつらうでもなく、武においても対等――区分けがあるとすれば、性別と先輩後輩ぐらいである。

 凛の前では――私は一人の女の子だな。そんな事を思いながら、百代はしばらく彼の顔をじっと見つめた。彼はそんな彼女の思いも知らず、小首を傾げる。

 

 でも――。

 

 それも悪くない――。

 

 自分だって凛に負けないくらいに、振り回してやる――。

 

 百代はまた凛の胸元に頬をよせると、小さく呟いた。

 

「もっと……強く抱きしめ――」

 

 言葉が終わるまでもなく、百代は強く抱きしめられる。彼女もそれに合わせて、凛の背に回した手でキュッと服をつかんだ。それには、どこにも行かないでという意味が含まれていた。

 真正面から抱き合うのは初めてだった。受け入れられているという感じが、より一層強く、凛の存在――ここにいるということが、百代の心を満たしていく。

 2人は、少し体を離すと顔を見合わせ、僅かに微笑みあい、おでこを合わせる。その後、また互いを強く抱きしめあった。

 そして、もう一度見つめあったとき、凛が口を開く。それは、自然と気持ちがあふれ出してきたといった感じだった。

 

「好きです、モモ先輩。世界中の誰よりも」

「……うん」

 

 百代はそこでクスリと笑う。

 

「凛の心臓……凄く早くなってるぞ」

「し、仕方ないでしょ。実際、ドキドキしてるんだから」

「なら……私と一緒だ……」

 

 一度、意識してしまうと、まるでその音が全身に響いているかのようだった。

 凛は一度深呼吸するも、それは全然収まりそうにない。彼は何度か視線を辺りに彷徨わせてから、また百代を見る。

 

「全然収まらない」

「全然収まらないな」

 

 百代はそんな凛が可笑しいのか、クスクスと笑った。あるいは、自分自身のことが可笑しかったのかもしれない。

 

「えーっと……話を戻します」

「うん」

 

 凛は咳払いを一つして、最後の確認を口にする。

 

「俺の……俺の彼女になってくれませんか?」

 

 凛の真剣な瞳が、百代を真っ直ぐに射抜いた。それに対して、彼女は少し間をとった。まるで、その言葉をゆっくりと時間をかけて、かみ締めるように。

 そして、瞬きを一つして、凛に見せた百代の笑顔は、これまで見せてきたどの笑顔よりも幸せそうだった。

 

「……はい」

 

 百代も、数多くの人間から言われてきた言葉であっても、意中の人に言われるとやはり全く違うらしい。彼女は笑みがこぼれるのを抑えきれないといった様子であった。無論、彼も同じ有様だ。

 

「あ、そうだ。モモ先輩、目を閉じて」

「また何かするつもりか?」

 

 百代はまたイタズラをされるのではないかと感じたらしい。こればかりは凛の自業自得であるため、苦笑をもらすばかりだった。

 

「違……いや、何かするのは何かするんですけど」

「やっぱりそうじゃない――」

 

 百代の言葉はそこで途切れた。柔らかい感触が唇に残る――ただし、それは一瞬。彼女はまたしても目を瞬いた。

 油断したらこれだ。百代は、いたずらっぽい笑みを浮かべる凛を呆然と見た。彼はいかにも楽しげである。

 

「この前は途中で終わっちゃいましたから」

 

 百代は我に帰ると、上目遣いで抗議する。

 

「そ、そういうのは早く言え! せっかくのファーストキスだったのに」

「だからちゃんと目を閉じてって言ったでしょ?」

 

 凛は笑みを崩さない。わかってやったのだ。

 

「もう1回だ」

「はいはい」

 

 凛の軽い返事に、百代はジト目を返す。

 

「……ちゃんとするんだぞ」

「もちろんです」

「じゃあ……ん」

 

 百代は先に目を閉じると、顎を軽く上に向ける。そこに、凛が顔を寄せた。

 今度は長めに時間をとる。

 そして顔を離す――と言っても、せいぜい10cm程度だ。

 百代が囁くようにお願いする。それでも十分凛の耳に届いた。

 

「もう一回……」

 

 互いの背に回された腕を感じる。

 

「もう一回」

 

 互いの吐息を感じる。

 

「もう――」

 

 そして互いの鼓動が聞こえそうなほど、ドキドキしていた――。

 新しい思い出がここに刻まれた。

 

 

 □

 

 

 それから、しばらく経ったあと、2人は芝生に腰を下ろした。座り方も隣同士ではない。凛が百代の背後から抱きすくむ――あすなろ抱き――形で座っていた。

 その百代は凛の体を背もたれにして悩んでいた。その手は、彼女の前に回された彼の手の上に重ねてある。

 

「どうしたんですか?」

「……呼び方、どうしようかなと思ってな」

 

 百代の言葉に凛は首をひねる。

 

「凛でいいじゃないですか。まさか!? ……モモ先輩もリンリンがいいとか言わないですよね!?」

「私が呼んだら、さすがにバカップルすぎるだろ! 凛じゃなくて私のだ」

「モモ先輩の?」

「それだ。モモ先輩って、なんか微妙じゃないか? 人前はそれでいいとしても、なんか恋人っぽくない」

 

 百代は、凛の指先をイジイジといじりながら問いかけた。この座り方が案外気に入ったらしい。

 

「でも俺はもう何ヶ月もこの呼び方ですからね。……色々試してみます?」

「そうだな」

「では――」

 

 凛は喉を整え――。

 

「百代」

 

 百代の耳元で囁いた。それはもう、渾身の一撃を放つように気持ちを込めて。

 

「ゃん……」

 

 百代は目にもわかるほど体を震わせ、今までに聞いたこともない声をあげた。そして、耳を真っ赤に染める。

 ――――録音できなかったのが惜しい!

 凛はクックと喉を鳴らす。彼女は彼の手を抓った。

 

「真面目にやれ!」

「真面目にやったのに! 気に入らなかったですか?」

 

 ぐぬぬと言い返せない様子の百代。反応は上々。

 

「じゃあ、どんどんいきます。まずは……姉さん」

「いきなり大和の真似か!? 前はそれも憧れたが……却下だ」

 

「モモ」

「んー悪くはないかな」

 

「モモちゃん」

「お前には呼ばれたくない」

 

「モモリン」

「センスを疑う」

 

「MOMOYO」

「なんか危険な香りがする」

 

「桃子?」

「誰か知らない女がでてきたぞ!」

 

 その後、20通りほど試した2人。

 

「どうですか、百代?」

「いや、お前もう途中から、普通に百代とか呼んでたじゃないか!? 百代のあとに、モモチとか言ってわけわからんことになってたぞ」

「百代、ずっと呼んでると慣れてくるかと思って」

「お前が気に入ったんだろ? しかも何気にタメ語を織り交ぜてくるとは」

「2人きりのときは距離を縮めたいから……なんて、ちょっと百代の所有権をアピールしてみたり」

「可愛いトコあるじゃないか。まぁ心配しなくても、私は凛の物だ。反対に、凛は私の物だがな」

 

 そこで、百代は凛の指と自分の指を絡め始め、異変に気がついた。それは注意深く見ないと気づかない僅かなものである。彼の気の流れが変調を起こしていた。

 

「なぁ凛……お前、右手どうしたんだ?」

「気づいちゃいました? 実は最後に放った技の後遺症らしいです。慣れていなかったっていうのが一番の原因で、実家にも話をしたんですが、心配はいらないそうです。これも一つの通過儀礼みたいで」

「ふーん。でも、確かに最後の一撃は効いたぞ。あれは夏目の技か?」

「ええ。初代当主の竜胆様がよく好んで使っていた技だそうです。その姿を見た人たちは、龍が吼えていると言い始め、そこから名がとられて、龍吼と名づけられました」

「石田の使う光龍覚醒とはまた違うんだな」

 

 百代は何とかその変調を治そうとしているが、今まで破壊以外に用いたことのないため、どうすることもできなかった。凛にわかったのは、その優しい気がジンワリと右手に感じられたことだけだった。

 

「そうですね。あれは自分の気を使ってるから」

「にしても、私って凛に負けたんだよなー。さっきのドッキリのせいで、すっかり忘れてたけど」

 

 百代は何気なく話に持ち出していたが、凛は胸をグサリと刺された気分だった。

 

「まだ1勝10敗ですけどね」

「む? 子供のときのは、さすがにもうノーカンだろ。今度は私が凛との差を埋める番だ」

「やる気満々ですね。ヒュームさんが喜びそうだ」

「うちのジジィも喜んでたよ。とりあえずは基礎のやり直しだ。あとは……あのとき、私の入った境地をいつでも引き出せるようにしたいな」

 

 百代はそこで右手を夜空に伸ばす。そして、指の隙間から星を見上げた。それらはどこまでも遠くで煌々と輝いている。

 

「あの百代は、背筋が震えるくらいに綺麗でしたよ」

「今は違うのか?」

 

 百代が後頭部を凛の胸にコツンと当てた。彼はそんな彼女の頭をサラリと撫でる。

 

「今はどっちかというと……可愛いかな」

「ふふん。まぁ美少女だからな。キレカワの両方をとっていっちゃうぞ」

 

 そこで、2人は夜空を見上げ、しばしの沈黙が流れた。

 

「なぁ……凛?」

「はい?」

「えっと、その……ありがと、な」

 

 百代は少し途切れ途切れに礼を言った。

 

「何がですか?」

「いろいろだ」

 

 約束を果たしに来てくれたこと。目標を作ってくれたこと。自分の傍にいてくれること。他にも細かいものも合わせると、とてもじゃないが1つずつあげることができなかった。

 百代の体が小刻みに揺れる。どうやら、凛が笑ってるようだった。

 

「いろいろですか。また漠然としたお礼ですね」

「仕方ないだろ! 本当にいろいろあるんだから」

「そうですか……どういたしまして。そして、俺の方こそありがとう」

 

 凛はぎゅっと百代を抱きしめた。

 

「私は何かしたか?」

 

 百代は凛とのことを思い返すも、彼の視点から考えれば、迷惑ばかりをかけている気がして、若干凹んだ。

 

「俺も……いろいろですかね」

 

 ――――大本は、出会えたことに感謝したいですけど……あまりに気障すぎて言えない。

 

「お前、私には漠然とか言っておきながら、結局一緒じゃないか!」

「すいません。……じゃあ、彼女になってくれたことに対して」

「じゃあとか、今考えただろ! 軽いぞ! それに美少女を彼女にできたんだから、もっと有難がれ」

「あざーす」

「余計軽くなったぞ!?」

「冗談です。とりあえず……これからよろしく、彼女様」

 

 凛は百代の目の前に右手を差し出した。

 

「ふふ。こちらこそよろしくな、彼氏様」

 

 百代は迷いなくその手をとると、しっかりと握り締めた。

 恋人として、2人の新しい生活が始まる。

 

 

 ◇

 

 

 一方、とある場所――。

 

「おーい! わっちらに次の依頼が入ってるぞ」

「次は、来月から日本か。……て、こら! やめろ!」

「パンツ見せろー!」

 

 ある計画がひっそりと進んでいた。

 




なんか凛が俳優顔負けの演技をしているような感じに……。
ということで、ようやく恋人に!!
長かった……本当に長かったよ。
とりあえず、ここで一区切りといったところでしょうか?
もちろん、2人の関係はガンガン書きます。

次話からは一応、反乱編ということで、ラブを交えつつ、日常楽しみつつ、バトルの構成を練りたいと思います。
京極と清楚をくっつけたい衝動に駆られる!


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『報告』

 河川敷をあとにした2人は、帰り道の途中にある自販機の前にいた。いつかのように、凛が百代を送っているのだ。

 百代がくるりと後ろを振り返る。

 

「凛はどれにするんだ?」

「そうですね……じゃあ、俺はこれ」

 

 凛は百代の後ろから手を伸ばすと、微炭酸ジュースのボタンを押した。間を置かずして、ジュースが取り出し口に落ちてくる。それに遅れず、別のジュースが落ちてきた。

 百代が2つとも取り出し、片方を凛に渡した。

 

「モモ先輩はそれ好きですね」

 

 凛の目に映ったのは、百代がいつも飲んでいるピーチジュースだった。

 しかし、凛の問いかけに対して、百代からの返答はない。

 

「モモ先輩?」

 

 凛は百代の方を見て、もう一度名を呼んだ。しかし、彼女はあからさまに顔を背ける。そして、何もなかったようにジュースに口をつけた。彼女の白い喉が上下する。

 ――――これはなんかの遊びか……?

 しばしの沈黙がおりたのち、今度はじっと凛を見つめる百代。彼はその不可解な行動に首を傾げたが、そこでようやく思い立った。

 

「……百代」

「なんだ?」

 

 百代は名を呼ばれただけにも関らず、表情を崩した。それにつられて、凛も笑顔になる。

 それから、どちらともなく手を握り合うと、ゆっくりと街頭が灯る帰り道を歩いていく。

 

「百代はそれ好きだよね。よく飲んでるし」

「そんなに飲んでるか?」

「うん。見かける度に、それな気がする」

「まぁ好きだからな。……凛はあまりこだわってないみたいだな」

 

 そう言って、百代はまたジュースを飲んだ。

 

「そのときの気分が多いからな。でも、好きなやつもあるよ」

「なんだ?」

「白バ○コーヒー」

「あーあのコンビニに売ってるやつか」

「そうそう。時々、無性に飲みたくなる。……というか、あー思い出したら、飲みたくなってきた」

 

 そのまま呻く凛に、百代は苦笑をもらす。

 

「なら、寄っていくか?」

「いやでも、ここからだと結構遠回りになるし……」

「それだけ長く一緒にいられるだろ?」

 

 百代は、下から覗き込むようにして凛を見た。それに合わせて、彼女の長い髪がサラリと流れる。

 ――――可愛いなぁ……。

 凛はそんな百代に見蕩れる。肩書きが先輩から恋人に変わっただけだが、もうすっかり彼女の魅力の虜だった――いや、気づかないだけで、ずっと前からそうだったのかもしれない。彼は我に帰ると、大きく息を吐き出す。

 

「…………すっっごい魅力的な提案だけど、今日はやめとこう」

「どうしてだ?」

「あまり遅くなると、学長たちも心配するだろ? 今日は特に」

 

 時刻は、既に10時を大きく過ぎていた。

 他の日ならばいざ知らず、今日は百代が初めて敗北を味わった日である。遅くなればなるほど、色々不安を与えかねない。

 

「気にしすぎじゃないか?」

「まぁね。でも、今日は帰ろう。ワンコとかが騒ぎ出して、ファミリー総出の捜索とかされたくないだろ?」

「大和がいるから、そこまでの騒ぎにはならないと思うけどな」

 

 そう言いつつも、百代は凛の提案に乗ってくれたようだ。それ以上、この話題を続けなかった。

 2人は住宅街に入る。時折、住人と顔を合わせることもあり、彼らは軽い会釈ですましていたが、住人の何か驚くべきものを見てしまったという態度に、照れ笑いを浮かべるのだった。

 百代は少し頬を染めている。

 

「ちょっと……恥ずかしいな」

「ですね。そのうち慣れるんでしょうけど」

 

 凛は照れを隠すようにして、残りのジュースを一気に飲み干した。冷えたそれが、今の彼にはちょうど良かった。

 ――――これは……一気に噂が広まりそうだ。まぁ構わないんだけど。

 百代が生まれ育った街であり、よって住人の多くが彼女の顔見知りである。今まで大和に構っているか、女の子と一緒にいるかで、彼女の浮いた話題の一つもなかった。それが、春から転校してきた男と一緒に仲良さげな雰囲気で歩いているのだ。彼女を幼い頃より知っている住人が、この事態に食いつかないはずがない。

 加えて言うならば、エキシビジョンの始まる直前、凛が百代に対して言った「約束を果たす」という言葉も、彼らが2人の仲を怪しむ要因になっていた。

 そして、その住人の中には中年のおばさんもいた。この情報は、住人ネットワークを光の速さで駆け抜けることになる。

 それはさておき、2人がとりとめもない会話を続けていると、すぐに川神院の門前にたどり着いた。彼らはその少し陰になっているところで、別れを惜しむ。

 

「離れたくない……」

 

 百代は急に凛に抱きついた。彼はそれに驚くことなく、優しく迎え入れる。

 

「俺もです」

 

 絹のように滑らかな黒髪が揺れるのに伴い、百代の甘い香りが、凛の鼻をくすぐった。そして、武神と呼ばれるところからは、想像もできないほど柔らかい肢体。彼が力を込めると容易く壊れてしまいそうだった。

 

「凛は……いい匂いがするな」

 

 百代はそう言うと、彼の首元あたりで鼻をスンスンと鳴らした。その仕草は、興味津々の猫のようである。

 凛はくすぐったそうに笑う。

 

「それはこっちのセリフ――」

 

 まるで、それは麻薬のように凛をクラクラさせる。しかし、男である自分の匂いがいい匂いだとは思えない。彼は言葉を続ける。

 

「でも、あんまり嗅がないで。なんか凄い恥ずかしいから」

「んー? いやだ。私が気に入ったんだ……それに――」

 

 百代は本当に心地良さそうに、猫なで声で答える。

 

「凛が恥ずかしがってるトコも見たい」

「彼女がSだ」

「私ばかりやられっぱなしだからな」

 

 そこで、お互いに黙った。会話が続かなくなったというわけではない。ただ、互いを感じるのにそれが必要ではなかっただけだ。

 しばしのち、凛を十分堪能したのか、百代が口を開く。

 

「……なんか不思議だ」

「何がですか?」

「また明日会えるのに……凛が傍にいないってだけで、心に穴が空いているような気になる」

「こういうのを寂しいっていうのかも。わかんないけど……」

 

 凛はそこで軽く笑った。

 

「きっとそうなんじゃないか? 凛でもわかんないことがあるんだな」

「わかんないことの方がありすぎます。好きだって気持ちすら、百代に会ってから気づいたんだから」

「それは嬉しいな……凛」

 

 百代はそこで顔を上げた。その目は閉じられ、何かを待っているようだった。

 凛もそれが何を待っているかわからない男ではない。

 

「……百代」

 

 もう何度も繰り返した行為のため、ぎこちなさはどこにも見当たらない。2人が顔を寄せ合い――。

 

「うぉっほん!」

 

 門のところから聞こえる、わざとらしい咳払いに中断される。2人は、そこでようやく誰かがいることに気がついた。

 ――――全然気がつかなかった!

 2人はばっと顔を離すと、そちらを注視する。

 

「ジ……ジジイ!」

 

 百代も焦っているのか、その声が辺りによく響いた。顔は朱がさしている。さすがに身内に見られたのが恥ずかしいらしい。抱き合っていた体は離れ、隣同士に立った。

 一方、凛は困ったようにこめかみを掻いていた。

 門の下にいたのは鉄心。どうやら百代の気を感じて、様子を見に来たようだ。

 

「おや……どうしたモモ? そんなに焦ってからに」

「ジジイ、わかって言っているだろ?」

 

 赤くなった百代は、すっとぼける鉄心に吼えた。しかし、彼はそんな孫の態度どこ吹く風といった様子である。むしろ、楽しんでいるようでもあった。

 凛がその会話に割ってはいる。

 

「学長……夜分遅くにすいません。百代……先輩を送りに来ました」

「うむ。わざわざすまんの」

「いえ……それから――」

 

 凛はそこで一度深呼吸をした。またもや、心臓が早く脈打つ。

 ――――報告するだけなのに、なぜか緊張する。

 もし交際を許してもらえなかったら――などとネガティブな思考が脳裏をかすめる。そこから、交際を許して欲しければ、ワシを倒してみせろという超展開が繰り広げられた。

 そのせいなのか、凛の手は戦闘中でも滅多にかかない汗をかいていた。唾を飲み込み、言葉を続ける。

 

「モモ先輩と正式にお付き合いすることになりました。こ……今後ともよろしくお願いします!」

 

 凛はそう言い切ると、直角に体を曲げ、鉄心に頭を下げた。突然のことに、百代はその隣で彼の名を呼び、そしてまた黙った。

 凛が門前の石畳を見ている時間は、彼にとって長く感じられたことだろう。

 やがて、鉄心の穏やかな笑い声が、凛の耳に届く。

 

「そうか……凛、頭を上げよ――」

 

 凛はそれに従い、体を起こした。鉄心は彼に向かって一つ頷くと、隣にいる百代に目を向ける。その視線は、どこかほっとしているように見えたのは、彼の気のせいだろうか。

 

「モモ……よかったの」

 

 百代はそれに言葉に答えることはなかったが、鉄心にもわかるようにしっかりと頷いて見せた。照れているらしい。彼はそんな孫を見て、また機嫌良さそうに笑う。

 

「こんな孫じゃが……仲良くしてやっとくれ」

「私にはもったいない彼女だと思っています」

「そ、そんなこと言ったら、私の方こそ……!」

 

 凛の言葉に、百代が即座に反応した。鉄心の微笑ましいものを見る視線が、2人には感じられた。

 

「ほっほっほ。ワシはお邪魔のようじゃから、そろそろ退散しようかの」

「ジジイ……本当に、何しに出てきたんだ!?」

 

 鉄心は百代の声を背に受けながら、2人の傍を離れていった。

 気配がなくなったのを入念に確認した2人は、隣同士で門に背を預けて笑う。

 

「びっくりした。久々に驚いた」

「だな。私は凛が言ったことにも驚いたけど」

「やっぱり報告しといた方がいいでしょ? 許してもらえてよかったぁ」

 

 凛はそのままズルズルと腰を落とし、遂には地面に座り込んだ。彼の頭上から、百代の声が降ってくる。

 

「ダメだとか言われると思ったのか?」

「万が一ってことがあるでしょ」

「どちらかと言うと、ルー師範代のほうが言うかもな『修行において、恋愛は妨げになる』って」

「なら……証明しないといけませんね。それは関係ないって」

 

 そこで百代がふいに彼の頬にキスをした。そして、凛の瞳をじっと見つめる。

 

「私たちならできるさ」

「もちろん。まだまだ上を目指さないといけませんから」

「お前のそういう静かに燃えている姿、結構好きだぞ」

「おかしいな……メラメラ燃えているつもりなのに」

 

 凛は言葉をきると、百代の頬に先ほどのお返しをする。彼女から笑みがこぼれた。

 

「普段の雰囲気のせいだろ。気にするな」

 

 百代はより唇に近いところにキスを返した。

 

「俺が冷静クールな男だからですね。なるほど」

 

 百代にならって、凛もまたキスを返す。

 

「自分で言うか――」

 

 結局、2人が別れたのは日付が変わる30分前だった。彼らの時間は、他の人よりも早く進むらしい。

 そして、遅い帰りに凛の方が心配されることになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 ◇

 

 

 場所は打って変わって、秘密基地。

 タッグマッチのあった翌日。ファミリーは打ち上げと称して、集会を開いていた。その場で、凛と百代は自分達の関係を皆に報告する。

 

「な……なんだと!? り、りりり凛、俺様よく聞こえなかったから、も……もう1回言ってくれないか?」

 

 岳人は50回を優に超えていたダンベル上げを止め、目を見開いた。他のファミリーが一様に祝福の言葉をかける中、彼だけが違った。しかし、その反応も予想通りといえば、予想通りだった。

 

「ああ。俺とモモ先輩、付き合うことになった。ね?」

 

 凛は隣に座った百代に顔を向け、同意を求めた。2人の距離はほとんど空いていない。つまり、それだけくっついても互いが違和感を感じないということだった。

 百代はコテンと凛の肩に頭をのっける。

 

「そういうことだ。岳人……いい加減現実を見ろ」

「あーあー聞こえなーい。俺様……何にも聞こえない――」

 

 岳人は涙を目に貯めながら、その事実から逃げ出そうとしていたが、彼の目には仲睦まじい様子の2人が嫌でも映る。彼は一度鼻をすすると、その一室を飛び出して屋上へ駆け上がった。

 

「神様ぁ――!! 聞こえてるかぁ!! あんたは不・公・平だぞおおぉおぉーーー!」

 

 岳人の天を呪う雄たけびが、廃ビルを中心とした一帯に轟いた。

 それを聞いた卓也が苦笑をもらす。

 

「そういえば、前にもこんな風に岳人が吼えたことあったね」

「歓迎会の打ち上げのときじゃなかったか? あいつあのときと同じことを叫んでるぞ」

 

 大和はポテチをつまみながら、それに答えた。翔一が百代に質問する。

 

「でもさぁ……モモ先輩は凛に負けたわけじゃん? そこらへん何も思わなかったのか?」

「確かに悔しいって気持ちはあったが、そのときも色々あってな……いつの間にか吹き飛んでた。今は、ただ感謝してる。おかげで凛を倒すっていう目標もできたしな」

「凛……お前、姉さんに何したんだ?」

 

 大和は恐る恐る凛に聞いたが、彼は笑って誤魔化すだけだった。彼も一晩経って、よく反省したらしい。

 一子が会話に混じってくる。くりくりとした大きな瞳が、凛と百代を映した。

 

「……ってことは、凛は私のお兄ちゃんになるの?」

「そういうことだな」

「お兄ちゃん……なんか新鮮な響きだわ!」

 

 一子の目がキラリと光った。

 

「大和もお兄さんと呼んでくれてもいいんだよ?」

「絶対呼ばん!」

「モモ先輩、義弟が俺を嫌っている。どうしましょう?」

「今、義弟って言った!? 弟に絶対、義つけてたよな!?」

 

 そこへ京が乱入してくる。

 

「義兄様……大和は単に照れ隠しをしているだけです」

「さすが京。大和のことはお見通しか」

「おいおい! いよいよカオスなことになってきたからやめろ! 大体、俺が姉さんと呼んでるのは舎弟だからであってだな――」

 

 大和が声を荒げるも、それを百代が遮る。

 

「ごめんな、凛。コイツお姉ちゃん子でさ。そのうち、姉離れもすると思うから我慢してくれ」

「なん……だと!? いつの間にか、俺が姉離れできていないことにされてる……」

 

 大和は混沌とする会話に飲み込まれていった。

 

 

 □

 

 

 岳人も帰ってきたところで、話はタッグマッチのことになった。

 それは松風の一言から始まる。

 

「これは最凶カップルの誕生だな……」

 

 直後、百代に奪い取られた松風は、お仕置きを受けることになった。「強」なのか「凶」なのか、凛には判別がつかなかったが、彼女にはわかったらしい。律儀にも、由紀江はお仕置きに声を合わせていたが、ファミリーはそのまま会話を続ける。

 

「だが、2人の戦いは本当に凄かったぞ。自分はあの場で感じたことを一生忘れないと思う」

 

 話題を引き継いだのはクリス。彼女は話しながら、興奮しているようだった。

 そして、松風を取り戻した由紀江が続く。

 

「私もクリスさんと同様です。私を含め、若い世代の人達には良い刺激になったのではないでしょうか」

「おっ……まゆまゆ、いい感じに闘気が満ちてるな」

 

 それに反応する百代。しかし、依然のようにギラついた目をしていない。

 その様子に大和が疑問をもつ。

 

「あれ? 姉さん、いつもみたいに勝負って言わないんだ?」

「ああ。私はしばらく基礎のやり直しだ。それが楽しいしな。もちろん、まゆまゆがやる気なら、私も応えるが……まだそうでもないんだろ?」

 

 今日も集会が行われるまで、百代はみっちり鍛錬をしてきた。切り替えはしっかりできているようだった。その分、打ち上げでは、まるで凛成分を補給するかのように、ずっとベッタリしている。

 ちなみに、凛は自宅で勉強していた。瞬間回復などないため、休養も必要なのだ。

 

「はい……しかし、モモ先輩そして、凛先輩と戦ってみたいという気持ちが芽生えているのも確かです。それほどに、お2人の戦いが目に焼き付いています」

 

 洗練された清い闘気とでも言えばよいのか、由紀江の体から沸き立った。普段は大人しい彼女すら、こうなのだ。他の若い武闘家も似たような気持ちだろう。

 京がそれに続く。

 

「今のモモ先輩って、前みたいギラついてないよね。落ち着きがでてきたというか……引き寄せられるような雰囲気がある」

「私は、そんな目で見られてたのか!?」

 

 百代は初めて知ったのか、ゴフッと血反吐を吐く真似をして、また凛の肩にもたれる。彼はそれにクスクスと笑うだけだったが、その右手はしっかりと彼女の左手に重ねられている。

 岳人が筋トレを再開させつつ、口を開く。

 

「ぐぬぬ。確かに……モモ先輩はこうしてても、静けさみたいなモンが感じられるよな。目が離せないっていうか……え? 恋してるからだってか? チクショオオオ!」

「岳人うるさいぞ。ワンコはどう思う? お姉ちゃん、変わったか?」

 

 百代は愛しい妹の意見が聞きたがった。

 

「うーん……雰囲気は変わったかも。ちょっと凛に似てるなーって思う。でも、今も昔もすっごく素敵!」

「ありがとな、ワンコ。こっちにおいで。可愛がってやる」

「わーい」

 

 一子はファミリーの間をスイスイと通り抜けると、百代の隣――凛と反対側――に座った。

 凛がそこで少し疑問に思っていたことを尋ねる。

 

「というか、みんな俺とモモ先輩が付き合うっていっても、あんまり驚かないんだな?」

「自分は十分驚いたぞ!!」

 

 クリスが即答した。「そうだね。クリス」と、京が優しく相手する。

 その間に、卓也がその疑問に答える。

 

「そりゃ、岳人がモモ先輩と付き合うとか言い出したら、僕たちも思いっきり驚いたと思うけど――」

「掲示板とか炎上してな」

 

 大和が茶々を入れる。卓也はそれが容易に想像できたのか、堪えきれず笑った。

 

「凛だと、全然普通なんだよ。なるようになったというか……」

「卓也くーん! それは、俺様だったら、モモ先輩と釣合わないと言いたいのかな?」

「想像できないんだよ。例えば、今の凛の位置に岳人を置き換えてみてよ」

 

 卓也の一言に、ファミリーの視線が凛と百代へと集まる。

 2人はピッタリと寄り添うように座り、百代は相変わらず軽く凛の肩に頭を預け、膝には一子を寝かせている。加えて、その手はいつの間にか、指が軽く絡められていた。

しばしの沈黙ののち、舌鋒鋭くしたのは松風。

 

「違和感ハンパねぇーー!!」

「こら、松風。そんなことを言ってはいけません」

 

 次に大和。そして京、クリス、翔一と続く。

 

「モロの言ってることは正しい。どうあっても岳人を凛の位置に置けない」

「というか、岳人だと平静を保っていられない気がする。鼻息とか荒くして」

「おお! 京の言ってる岳人が自分にも見えるぞ……目を血走らせている。むむ、やらしい顔をしているな」

「そう気にすんなって、岳人! 女なんて、他にも星の数ほどいるんだから。な!」

 

 岳人はそれでも諦めない。ダンベルを床に置いて、肩をグルグル回した。まるで、これから戦闘にでもいくようだった。

 

「それは想像だからだろ! 実際に並んでみたら、案外しっくりきちゃうもんだぜ――」

 

 そこで立ち上がりながら、百代に声をかける。

 

「だからモモs」

「断る!」

 

 岳人は中腰のまま固まった。何とも情けない格好だ。

 

「いやまd」

「断る!」

 

 くい気味――いや岳人の発言をほぼ喰っている百代の返答。彼は静かに席に座りなおした。

 

「世の中ってのは、うまくいk」

「断る!」

「もうわかったよ!!」

 

 一部始終を見届けた卓也が総括に入る。

 

「まぁこんな感じで、岳人がイジられるところしか想像できないんだよね」

「しっかし、学内でも人気のモモ先輩と凛がくっついたとなると、大騒ぎになりそうだよなぁ」

 

 そう言うと、翔一は勢いよくジュースを飲んだ。その声色は皆の反応が楽しみだといった感じで弾んでいた。

 

「大丈夫かしら? お姉様のファンは学内でも一番多いし」

 

 口にしたのは一子。体を起こして、百代の隣に座りなおすと、凛を見た。

 

「俺はこれまでと変わらないよ。別に疚しいところもないしな」

「ファンには私からちゃんと言い含めておくさ。凛に手を出したりした奴がいれば、私が許さない」

「と、まぁ彼女も仰ってくれてるし、そう心配することもないだろ」

 

 むしろ、あの戦闘を繰り広げた凛に、手を出そうと考える輩がいるだろうか。大和は、開いていた携帯の動画サイトで流れている決着のシーンを見ながらふと思った。武神を下し、今朝の発表により、今や武道四天王――凛、百代、燕、由紀江――の座に君臨。久々に男が選ばれたこともあり、注目度も高い。挑戦者は確実に増えるだろう。

 ネット上では、最後のシーンがよほど印象に残っているらしく、凛にも二つ名を与えるべきではと盛り上がっていたりする。もちろん、本人はそのことを知らない。大和も二つ名という単語を見て、いくつかの候補を考えてしまい、一人悶えたのは内緒である。

 

「あ、そうそう。キャップ……俺から旅行の提案があるんだけど――」

 

 凛は、小雪から連絡があったのを思い出し、皆に話しかけた。

 暑い夏はまだまだ続く。

 

 




やっぱりファミリーの掛け合いを書くのは楽しい。


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『幸せな日常』

 

 朝の仲見世通り。

 店の開店準備をする住人が、その合間に会話を交わしていた。

 

「そう言えば聞きました? 百代ちゃんのこと」

「もちろん。夜のデートでしょ? 孝子さんが見た限りじゃ、初々しい様子で、見てるこっちが恥ずかしくなってきちゃったとか」

「いいわねぇ……私の高校生時代を思い出すわ」

 

 軒先に植えられた朝顔が、色とりどりの綺麗な花を咲かせている。花弁が水滴を弾き、朝日に照らされてキラキラと輝いていた。

 

「相手の子は、確か麗子さんとこの寮で――」

「夏目凛くんよ! テレビで散々名前出てるじゃない!」

「わかってるわよ。男前よねぇ……この間、うちの店にも寄ってくれたんだけど、礼儀正しいし、爽やかだし、私年甲斐もなくドキッとしちゃったわ」

「なーに言ってんの。別にあんたが特別ってわけでもないんだから……」

「あら……別にいいじゃない。若さを保つには、こういうトキメキが大事なのよ?」

 

 そんな様子で、盛り上がる2人の前を百代が元気よく通り過ぎる。川神学園では、今日が登校日に設定されていたため、彼女が登校しているのも別段おかしくない。しかし、彼女の態度は一目瞭然――鼻歌でも歌いそうなほど機嫌がいい。黒髪が楽しげに揺れ、自然と微笑む彼女はまさに美少女だった。住人たちの多くもまず目を見張り、そしてその姿を追う。恋する乙女はそれほどに人を変え、美しく見せるらしい。

 ちなみに、一子は朝からバイトに出ているため、この場にいない。

 

「おはようございまーす」

 

 声は一段と弾んでいる。

 彼女らの目が獲物――百代を捕えた。

 

「「おはよう、百代ちゃん。……ちょっとこっちに」」

「はい? どうしたんですか?」

 

 いつも世話になっている人らに呼び止められては、百代も止まらないわけにはいかない。手招きに応じて、彼女は近づいていく。

 

「いやぁ……百代ちゃん、遂に彼氏できたって聞いたから、おばさん達気になっちゃって」

「え!? あ、はい」

「で……どうなの?」

「どうなの……とは?」

 

 グイグイ迫ってくるおばちゃん達に、百代は一歩後ずさった。武神すらも圧倒するパワーが、そこにはあった。

 右のおばちゃん――正子が問う。

 

「どこまでいったの?」

「ええ!? どこまでって、私達まだ付き合って数日ですよ……」

「またまたぁ……ちゅーくらいはしちゃった?」

「な、なんでそんな事、報告しなきゃならないんですか!?」

 

 百代はその単語に反応した。直後の凛の柔らかく微笑む顔が甦り、自分でも頬に熱を帯びたのがわかる。

 これはしてるな。おばちゃんたちは確信した。

 左のおばちゃん――真理子が加わる。

 

「百代ちゃん、私たちは百代ちゃんがこんなに小さな頃から見てきたのよ――」

 

 そう言って、真理子は親指と人差し指で、えんどう豆くらいのサイズを表し、言葉を続ける。「それ、まだ私生まれてないじゃないですか」という百代のツッコミは無視である。

 

「仲良くやれているか、私たちは心配なのよ」

「その割には、顔が楽しそうなんですけど……」

「それは気のせいよ。ほほほほ」

 

 真理子は口元に手を持っていって、上品に笑った――というか、誤魔化した。正子が続きを引き取る。

 

「でも、百代ちゃんのこんな姿が見られるなんて、私なんだか嬉しいわ」

「こんな姿?」

「そうよ。百代ちゃん、せっかく美人なのに、女の子を連れてるか、大和君振り回してるかのどちらかだったでしょう? 一時は大和君が彼氏候補なのかと思ってたぐらいなんだから」

「大和はただの弟です。私の彼氏は凛だけ」

 

 百代ははっきりと口にした。

 しかし、その言葉がおばちゃん’sを色めき立たせ、さらなる追及が飛んでくる。真理子が問う。

 

「で、凛君のどこが好きなの?」

「え? いや、どこって……」

「ほら、何かあるでしょ! あっ……優しい所とかなしよ。そんなの私達も知ってるから」

「えぇー……」

 

 百代はしばし考え込む。その間も、おばちゃん2人はワクワクした様子を隠しきれていない。穴があくのではないかと思えるほどに見つめている。

 そして、彼女は答える。

 

「……ぜ、全部……?」

 

 余程恥ずかしかったのか、その顔は先ほどより赤くなっていた。

 

「私ももう一度高校生に戻りたいわ」

「同感ね。私も言いたいわ。『全部好き』とか……」

 

 おばちゃん達は百代の答えが意外だったようで、半ば呆然としながら呟いた。片手は頬に当てられ、昔を思い出しているようだ。

 

「わ、私そろそろ学校行かなきゃならないから! それじゃあ」

 

 百代は、そう言い残すと慌ててその場をあとにした。後ろからは、彼女の名を呼ぶ声が響き、通りの住人は何事かとそちらに顔を向ける。

 

「凛君と仲良くねー!」

「今度一緒に遊びに来るのよ!」

 

 仲見世通りは、朝から賑やかだった。

 

 

 ◇

 

 

 一方、ファミリーは河川沿いを歩きながら、駄弁っていた。その傍らでは、蝉がミンミンと力強く鳴いている。雲は一つとして見当たらず、真っ青な空は今日も暑くなることを予感させた。しかし、朝の青空はそんなことも忘れさせてくれるほど、澄み切っていて綺麗である。

 そんな中、岳人は、夏休みに学校へ行かなければならないことに憤慨していた。卓也もそれに賛同らしく、苦笑いを浮かべている。

 

「なんで夏休みなのに、勉強しなきゃなんねぇんだ」

「多くの生徒は岳人と同じ気持ちかもな。それにしても、川神学園って勉学も結構熱心なんだよな……」

 

 凛が岳人の隣を歩きながら、相槌をうった。

 彼らの前を歩く大和が振り返る。その横には当然京。

 

「確かにそうかもな。今日みたいに登校日が何日か設定してあるし、一応、夏休み中は補習が組まれてて、意欲のある奴は好きな授業を受けられるしな。S組の多くはほぼ毎日学校行ってるし」

「まぁゲイツ先生とゲイル先生の授業受けられるのは、ラッキーだよな。普通なら、そう簡単には受けられないし」

「だな……凛はどっち受けるんだ?」

「俺はゲイル先生かな。あとでゲイツ先生のも受けるけど」

「じゃあ俺と一緒だな――」

 

 凛と大和以外のメンバーは、2-Fで大人しくやり過ごすらしい。京も一緒に行きたがったが、ゲイルの授業が2-Sで行われることを知ってやめたのだ。

 そんな一行もとに、空から飛んでくる影がひとつ。

 

「天から恋人登場―!」

 

 百代だ。

 そんな彼女をこともなげにキャッチし、凛は地面に降ろす。そこで、彼女は朝一のスキンシップ――抱擁をかわした。

 周りに人気がなければ、更に熱いスキンシップをとったであろうが、生憎ファミリーがいる。自重したようだ。

 クリスが暑さに辟易としながら、喋りだす。

 

「ただでさえ暑いんだから、あまりベタつかないでくれー」

 

 岳人もそれに声を大にして賛成している。彼はただ単に羨ましいからであろう。

 2人はそんな声を気にしつつも、朝の挨拶を交わし、ようやく離れたところで百代が口を開く。

 

「悪いな、クリ。でもこれはやめられない……代わりといったらなんだが」

 

 そう言うなり、百代はクリスの頬に両手を当てた。直後に、彼女の手から靄があふれ出す。それは、まるで取り出したばかりのドライアイスのようだった。

 同時に、クリスが反射的に叫んだ。

 

「冷たッ!」

「どうだ? さっきの暑さとでチャラになったか?」

 

 叫んだのは一瞬で、すぐにそれに慣れたクリスは、百代で涼をとる。どうやら、彼女が自身の気で冷気を生み出しているらしい。

 

「もう少し……モモ先輩、そのまま首筋を冷やして欲しい」

「ここか……ここがいいのか、クリ――」

 

 百代は笑みを浮かべながら、クリスの首筋まで撫でるように手を動かす。それに合わせて、彼女から気持ち良さそうな声が漏れた。

 

「ほら……どうだ? ハッキリと言って……って、あん」

 

 興が乗ってきた百代の襟が、後ろから引っ張られた。そんなことができるのは、ただ一人だけだ。

 

「気が多いのは知ってますけど、そんな無駄なことに使わないの。あと、岳人が怪しい視線を送ってるから、終わり」

「相変わらず、やることが半端ねぇぜ」

 

 岳人が慌てて自己弁護する横で、松風が百代に対する感想を述べた。

 クリスは涼がなくなったことに不満そうだったが、結局聞き入れられなかった。

 その後、一子と寝坊のため遅れてやってきた翔一が加わり、より一層賑やかになるファミリー。

 そして、訪れるは変態橋――。

 

「「ようやく来たか! 川神百代! そして夏目凛! 我等、レイト兄弟のお相手をしてもらおうか!!」」

 

 変態橋は今日も平常運転である。

 一人は2メートルに迫ろうかという長身痩躯の長髪男。もう一人は160cm程度の体に、これでもかと筋肉をつけたスキンヘッドの男。

 そんな2人が橋の中央に立っていた。見た目が互いを思い切り目立たせている。周りにはいつものように、学園に通う生徒たちが野次馬と化していた。しかも、彼らの盛り上がりが一段と凄い。おそらく、タッグマッチの熱がまだ冷めていないからだろう。

 翔一が、暑さを微塵も感じさせない元気さで喋りだす。

 

「おーおー、早速挑戦者のお出ましかぁ。しかも、タッグで来るなんて、凛とモモ先輩にはお誂え向きじゃん」

「でも、あのスキンの方は汗かきすぎじゃない?」

 

 卓也がゲンナリした様子で呟いた。確かにスキンヘッドの男は、太陽の光をこれでもかと反射させるほど汗をかいている。それが顔を流れ落ち、着込んでいる白のタンクトップに浸み込んでいた。タンクトップは、汗を吸いすぎて体に引っ付いている。

 凛と百代はファミリーを離れ、前へ進み出た。同時に彼女が呟く。

 

「あれは暑苦しいな、氷付けにしてやりたくなる」

「だったら、あの体に触れないとダメですね」

「それは無理だ。……凛は私が他の男に触れても平気か?」

「戦闘とか仕方がない場面も多いから、我慢はするけど……ちょっとヤキモチ、かな?」

 

 凛は百代を見ながら、白い歯を見せて笑った。彼女は彼の腕にたまらず抱きつく。ファミリーにとってはため息しか出ないが、野次馬たちはその行動にざわついた。2人がまるで恋人のように見えるからだ。これまで以上の親密さが、その行動一つで感じられた。

 

「ふふん。……安心しろ。私はどっちが来ても、指弾で終わらす」

 

 百代は自身の右手を目の前に持ってくると、指を軽く曲げた。しかし、いつものように指を鳴らすことはない。

 ――――見るたびに思うけど、綺麗な手だな。

 手は白魚のように白く、爪先はスラリとしている。キメが整い、思わず触りたくなるような魅力があった。

 

「俺はきっちり相手しようかな? 実力をちゃんと見せておいた方が良さそうだし」

「気にしすぎじゃないか? というか、こういう相手って九鬼がちゃんと整理してくれるって聞いてたんだが……」

 

 百代は凛から目を離すと、挑戦者へと向けた。その間も彼女はちゃっかり腕を組んだままだ。彼の右腕には柔らかい感触があり、神経の大半がそちらへ向かっているのだが、これは男として仕方がないことだろう。

 スキンヘッドの男が怒鳴る。

 

「お前ら! これから勝負しようっていうときにイチャついてんじゃねぇぞ! 見せ付けてんのか!? あぁん! 見せ付けてんだろ!?」

 

 凛がそれに冷静に答える。怒鳴り声にびくつくような玉ではない。

 

「いえ……それより、挑戦者の方は学校が終わってから、順次お相手する手はずになっているはずなんですが、何かお聞きになっていませんか?」

「んなもん知らねえよ! お前らを倒すのは我等が一番でなければならない。順番なんて守ってられるか!」

 

 あとで確認したところ、彼らの順番はかなり後だとわかる。このスキンの男はそれが我慢ならなかったらしい。

 

「九鬼家の方が取り仕切るものを破るのですか?」

「九鬼家がなんぼのもんじゃい!」

 

 スキンの男はかなり興奮している。これは、目の前の凛たちのせいでもあるようだ。

 ――――あとが怖いと思うけどなぁ。まさか……見せしめとして、この人達を泳がせた……とか?

 九鬼が彼らを野放しにするとは考えられない。その可能性は十分ある。

 

「そろそろ始めるぞぉ!!」

 

 スキンの男は痺れを切らしたのか、掛け声と共に、一直線に凛に向かってくる。同時に、彼の隣にいた長髪の男も駆け出す。

 百代が囁いた。

 

「ノッポはまかせろ」

「了解」

 

 凛は言葉を残し、地面を蹴った。一足で距離を詰めると、右足で地面を強く踏みしめる。そこからは何千、何万と繰り返した動作へと、体が勝手に移っていく。その流れるような動きは、貴婦人のような気品すら感じさせた。

 男が気づいたときには、凛が半身の姿勢で左足を振り上げていた。男は防御どころか、自身のスピードを緩めることもままならない。先ほどまで、あんなに暑かったにも関らず、背筋がゾクリと冷えた。しかし、どうすることもできない。

 こちらとあちらでは、時を刻む速度が全く違うように思えた。

 そして、吸い込まれるようにして、左足の甲が男の首の付け根に食い込む。筋肉など無意味と言わんばかりの一撃――体を引きちぎられるようだった。

 男は白目を剥き、大量の汗を撒き散らしながら、多馬川に突っ込んでいった。それはまるでボール。地面の上を跳ねるかの如く、上流に向かって水面を切っていく。その勢いが収まることはない。結局、緩やかにうねる川からはずれ、土手から土煙があがった。

 間をおかずして、縦に長い男――百代の相手も一本の棒切れのように、川へダイブ。指弾に弾かれた衝撃で、橋から落下したらしい。

 凛の後ろから百代の声が響く。

 

「やっぱり、凛の戦う姿は良いな。少し見蕩れてしまったぞ。さすが私の彼氏だ」

 

 それが、百代の攻撃がワンテンポ遅れた理由だった。

 そして、さっきまで騒いでいた野次馬は、彼女の最後の一言を聞くや否や、皆口を閉ざす。

 一瞬の沈黙――。

 蝉の鳴き声と車の走り去る音が、はっきりと聞こえる。

 嵐の前の静けさ。観客の一人であった大和は、そんなことを思いながら、このあと起こることに備えて両手でしっかりと耳を塞いだ。隣では京、由紀江が同じようにしている。

 

「李さーん、すいませんが、後の処理はおまかせしてもいいですか?」

 

 そこに響いたのは、凛の爽やかな声だった。どうやら、この大勢いる中で気配を感じ取ったらしい。

 しかし、それを切欠とした野次馬の怒号が橋を揺らす。

 

「おかんが言うとったことホンマやったああぁぁーー!!」

「嘘だあああぁぁ……げほっごほ」

「また夏目か! またか! またなのか!」

「信じないぞ! 俺は信じない! 例え、今目の前で2人がイチャイチャしてようと……ちくしょうおお!」

「もしかしたら、モモ先輩は俺のことが好きなんじゃないかと夢想していた時間返せ!!」

「モモ先輩に告白しようか悶々と悩んでいた時間返せ!!」

「天界戦記デスガイアでレベルカンスト目指していた時間返せ!!」

「こうなったら決闘!……はやめて。今日はやけ食いじゃあぁぁ!」

「わかってた! いつかこんな日が来ることはわかっていたけど……モモ先輩! おめでとうございます!!」

「誰かあぁ! 川神水を持参せい! 今日は飲むぞお!!」

「無礼講じゃあぁぁ! ラグビー部全員召集!」

「あ、母さん? 噂どうやら事実らしいです。うん。それじゃ。……モモ先輩を彼女にするって豪語した翌日にこれかよ!!」 

「「先輩方、おめでとうございます!!」」

「薄々そうなるんじゃないかと思ってた! 爆発しろ!」

「俺も飲みに付き合うぞ!! 夏目! モモ先輩泣かせるなよ!!」

「くぅ……この幸せ者があぁ! 祝ってやるよコンチクショウ!」

「モモ先輩と凛のファンに告ぐ! ここに寂しい男が一人いる! 彼女募集中だコノヤロー!」

「ここにもいるぞー!!」

「俺様もいるぞー!!」

「なんだよぅお前ら楽しそうだな……じゃあ俺もいるぞー!!」

「朔ちゃんもいるぞー!!」

「ヒャッハー!」

 

 もはや大騒ぎだった。その中心にいるのは凛と百代。2人の笑顔は、まるで向日葵のように燦燦と輝いている。

 大和がそれを遠巻きに見守っていると、隣から京の声が聞こえる。

 

「相変わらず、すごい人気だね」

「予想はできてたけどね。そして、なぜ腕を絡めてくる」

「大和のことが好きだから」

 

 何度も聞いた言葉である。しかし、大和は口ごもった。この騒ぎのせいか、あるいは幸せそうな2人を見ているせいか、気持ちが高ぶっている。そこにきての静かな、それでいて気持ちの篭った告白。まるで、2人だけの世界に入ったように、周りの音が遠ざかった。

 簡単に言えば、グッときたというやつだ。

 

「その言葉はさすがに聞き流せないな――」

 

 そこへ別の声が乱入してくる。大和が慌てて振り返ると、そこには燕がいた。

 

「ごめんね、京ちゃん」

「いえ……先輩がいるのわかってやってますから」

 

 京はかなりの手ごたえを感じたのか、余裕綽々といった感じだ。

 その言葉に燕は、「ふふふ」と楽しそうな笑顔を浮かべる。

 大和はその間で、また別世界に迷い込んだ気がした。しかも、体の芯から冷えるような寒気を感じる。彼は一歩もそこから動くことができない。

 そんな3人の様子を見ていた凛が、百代に問う。

 

「あのまましておいていいのかな?」

「酷くならない限りは放っておいてもいいだろ。そもそもの原因は大和の発言でもあるしな」

「それはそうなんだけど……」

「大和もモテる男になって、お姉ちゃんは鼻が高いぞ」

「当の本人は、借りてきた猫のように大人しくなってるけど?」

「むむ? ……そういえば、大和はあれで流されやすいトコもあったな」

「余計に心配になってきた!」

 

 結局、騒ぎは学園に着いても収まらず、当分の間、生徒たちの注目の的となりそうだった。

 

 

 □

 

 

 凛と大和はファミリーと分かれて、2-Sの教室へ入る。

 さすがにS組は、学園のビッグカップル誕生にも興味がないようだった。一部を除いて。

 

「おい! 凛! 聞いたぞ! お前、モモ先輩と付き合うことになったんだってな!? ロリコニアどうすんだよ!」

 

 準が凛を見つけるなり、迫った。

 

「まるで2人の約束だったみたいに言うな! 誤解されるだろ!」

「なんだよ、なんだよ……今日は不死川もいねえし。紋様も見つけられなかったし、ついてねえな。委員長見に行くか……いやでもな――」

 

 準はブツブツ呟きながら、席へと戻っていった。

 変わりに、冬馬と小雪が近寄ってくる。お互いに挨拶を交わしたところで、彼が話題を振ってくる。

 

「凛君、おめでとうございます。ようやく思いが遂げられたようですね」

「ありがとう。正直、冬馬のおかげ……とも言えるから、本当に感謝してる」

「私もどういたしまして……と心から言いたいところですが、私の凛君がモモ先輩にとられて、心中複雑です」

 

 冬馬はサラリと爆弾を落としてくる。

 

「ということは、冬馬はモモ先輩と戦争すると?」

「冗談です。私は愛人の位置で我慢しておきましょう」

「この子、一体どこまで本気なの!?」

 

 凛は、相変わらず微笑みを浮かべたままの冬馬に、底知れない何かを感じ取った。その後、登校してきた源氏コンビを含め、喋っているうちにゲイツが教室に現れ、授業が開始される。

 ――――なんか濃い1週間だったなぁ……。

 凛はゲイツの声を聞きながら、ふとそんなことを思った。

 黒板の上を走るチョークの音が、教室内で木霊する。凛は授業を受けることで、祭りが終わって、日常に戻ってきたような気がした。そのとき、携帯が震える。

 

 

 08/05 09:02

 From:川神百代

 To:夏目凛

 Title:無題

 

 今日一緒にお昼ご飯食べるぞ(^_-)-☆

 早く会いたいにゃん♡

 

 

 休み時間に、凛は改めて恋人の存在を実感することになる――。

 




書きたいことが溢れてきます。
おばちゃんとか勝手に出しちゃいました。
モブさんのセリフ書くの楽しすぎる。
ペースが保てているのは、凛と百代のおかげに違いないです。


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『初デート!』

「大和君、こっちとこっちなら、どっちが似合うと思う?」

 

 燕はカラフルなそれらを自分の胸元にあて、真正面にいる大和へ問いかけた。

場所は七浜にある百貨店のとある店舗。入ってすぐの場所には今季の流行水着を着せられたマネキン2体並んでおり、壁際にもペイスリー柄、フラワー柄、ドット柄などのデザインに合わせた鮮やかな色の水着が、所狭しと陳列されている。人目見るだけでも季節を感じさせる光景だった。

 客のほぼ9割が女性であり、数人いる男はどれも付き添いで一緒にいるようだ。所在なさげに、彼女のあとをついて回っている。それに反して、水着を自らの肢体にあてがい、会話を交わす女の子達は皆楽しそうである。

 その店内にいる2人――大和が顎に手をやりながら、持ち上げられた水着を真剣に見つめる。

 

「どっちも似合いそうだけど、こっちかな?」

「ほうほう。じゃあね――」

 

 燕は楽しそうに次の水着を手に持った。

 そんな彼らを遠巻きに見つめる影が2つ。男は薄いイエローのロックTシャツに、トーンを合わせたダメージジーンズ。女は、フリルのある紺のキャミソール――ホルターネック(肩ではなく、首の後ろでつながっているもの)で肩と背中を大胆に見せる――と膝下までロールアップしたデニムに、白のベルトを合わせている。手首には2,3の小物をあしらい、黒く長い髪は、毛先に近いところをシュシュでまとめている。両者ともシンプルな装いだが、それがとてもよく似合っていた。その証拠に、通り過ぎる客などは、チラチラと彼らを窺っている。

 

「今日は燕姉か……」

 

 凛は思わず呟いた。

 ――――昨日は、京の水着選びに行ったって聞いたけど、大変そうだな。

 マルギッテは数日ドイツに戻っており、その間、燕と京の一騎打ちが繰り広げられているといった感じだった。

 凛は手すりに腕を乗っけて、隣に立つ百代に話しかける。

 

「百代。あそこに大和と燕姉がいる」

 

 その声に反応して、百代はくくっているシュシュから慌てて手を離す。このシュシュは、今日出会って早々、凛がプレゼントしたものだった。

 

「お、本当だ。そういえば、旅行には燕も一緒なんだってな」

「うん。決勝で敗れたとはいえ、普通なら準優勝だからね。景品も出て、その中に旅行も含まれてたらしい」

 

 元々は小雪が提案したことであり、凛がそのことを話すと、彼女は二つ返事でOKを出した。

 

「燕の水着姿か……これはかなり期待できそうだ」

「相変わらずだなー。まぁ今度の旅行は、俺も期待せざるを得ない!」

 

 凛が語尾を強めたのは、百代の水着姿が見られるからだろう。ついでに、旅行に行く女の子達は、川神学園でもトップクラスの美少女であり、そんな彼女らの水着である。この条件で、テンションが上がらないはずはない。

 それを聞いた百代が凛に軽く釘をさす。

 

「だよなぁ……でも、お前はあんまり余所見をするなよ」

「えぇー」

 

 凛はわざとらしく口を尖らせた。言葉の意味を理解していないわけではない。自分を放っておいて、他の女の子にデレデレしていたら、気分が悪いのは当たり前だ。彼のこれは、ただ会話を楽しむためのフリであった。

 

「私だけじゃ不満か?」

「滅相もない。百代に、穴が空くほどガン見することをここに誓う」

「そこまで言ってない。それに……そ、そんなに見られたら恥ずかしいだろ?」

 

 百代はそのときのことを想像し、顔を赤らめた。

 ――――これですよ、奥さん。

 付き合う前なら、百代も「どんどん見ろ」くらいの強気できていただろう。実際、水上体育祭のときはそうであった。しかし、付き合い始めてから、彼女は恥らうようになった。その姿が凛にとっては、とても可愛く見えるのである。加えて、彼女は彼の前でのみ、こういった態度をとるので、男としても嬉しくなった。

 だからなのか、今では立場が逆転して、凛が強気にでることもある。

 

「それより! 早く私の水着を選びに行くぞ」

 

 照れ隠しのためか、話を強引に切り上げた百代が、凛の腕をとった。2人の初デートは、彼女の水着選びからスタートする。

 ――――すっかり慣れたみたいだな。

 凛は待ち合わせのときの百代を思い出して、一人笑った。そのときにも、彼女は大いに恥じらいを見せたのだ。

 

 

 □

 

 

 2人の記念すべき初デート――それに合わせて、百代はオシャレをかなり頑張ったらしい。凛は、彼女のTシャツにジーンズという格好をよく見かけていたので、今回もそれで来るのだと思っていたが、その予想は大きく外れていた。しかし、それは悪いほうにではない。

 現れた百代は、着慣れない服装のためか、はたまた彼氏が気に入ってくれるかどうかわからないためか、いつもの鷹揚とした態度ではなく、恥ずかしそうに頬を染め、目線も彼に合わせなかった。そして、両手はモジモジさせながら、遠慮がちに問うのだ。

 

「ど……どうだ?」

 

 ズキュン。もしも、凛が漫画の中にいたら、背景にこの文字が躍り出て、ハートは矢で打ち抜かれていただろう。

 ――――こんなモモ先輩が見られるとは……。

 凛は、可愛さのあまりニヤける口元を咄嗟に右手で隠した。頬に熱を帯びるのが自分でもよくわかった。百代もその態度で、なんとなく察したようだが、それでも直接の言葉を待っている。

 

「可愛すぎます……」

 

 凛は何とか言葉を発した。

 

「あ……そうか、よかった」

 

 百代はそこでようやく笑顔を見せた。胸元に手をあて、ふぅと息を吐く。

 凛は、そんな百代の一挙手一投足から目が離せなかった。彼女の制服姿も可愛いが、いつもと違うと私服姿というのは、燕で慣れていたつもりの彼にとっても、新鮮であり、とてつもない威力を誇っていたようだ。

 ――――その笑顔は反則! キs……。

 公共の場――駅構内というのを思い出した凛は、理性をフル稼働させる。

 

「……抱きしめてもいいですか?」

 

 その結果が、この言葉だった。

 

「え? 今なんて――」

 

 百代が聞き返そうとする時間も与えない。彼女の体が一瞬フワリと浮き上がる。

 

「あ……凛。み、みんなが見てる」

 

 ファミリーの前での抱擁では何も言わなかった百代だが、慣れない私服と突然の抱擁に驚き、周りの目が非常に気になったらしい。

 凛の耳元で囁くように声をかけた。加えて、しおらしい言葉である。いよいよ彼は百代が愛しく思えた。

 ――――『この人、俺の彼女なんです』って叫びたい。なにこの子……前も思ったけど、俺を殺す気か!?

 そんな2人を目撃した人らは、様々な反応を返した。大人の大半は温かい眼差しを向け、その残りと同年代の男は、舌打ちやら顔を引きつらせている。女性たちはチラチラと横目で見ているし、子供は指を指しながら母親に話しかけ、母親はそれに笑顔で答えるといった具合だ。

 可愛い百代を十分堪能した凛は、ようやく正気に戻った。

 

「す、すいません! そのあまりにもモモ先輩が可愛くて……つい」

 

 いやまだテンパっていた。本音が口をついて出ている。

 

「い、いやいいぞ。なんたって……わ、私は美少女だからな。凛がそういう気持ちになっても仕方がない」

 

 一方の百代もしどろもどろだった。凛が「モモ先輩」と言ったことも訂正しないし、しきりに自身の髪を胸元に引き寄せ、梳かす仕草をとっている。

 その態度が、また凛を刺激するのだが、2度目はさすがに我慢した。このままでは、悪循環――いや好循環かもしれないが、いずれにしても抜け出せなくなりそうだった。

 凛はゆっくりと深呼吸を繰り返す。百代もその少しの間で落ち着きを取り戻し、今は彼の慌てる姿を思い出してクスクスと笑っていた。

 

「本当にすいません。こんな場で……」

「そんなに気にすることないぞ。確かに……まぁ恥ずかしかったが、それ以上に私は嬉しかったしな」

 

 百代の本音だった。なんせ、あの凛がファミリーの前でならともかく、他人の目がある場所で思い切り抱きしめたのである。それほどまでに、自分の服装を気に入ってくれたことを嬉しく思わないはずがない。

 燕に教わった甲斐があった。百代は密かに思う。如何に武神といえども、彼女も女の子。彼氏に自分を良く見せたいのは当たり前である。だからこそ、今日のために新しい服装にもチャレンジしたのだ。

 そして、そのとき力を貸してくれたのが燕であった。彼女はデートに行くことを聞くと、すぐさま『オシャレしないと!』と自らのってきてくれた。その後、すぐに店へ直行し、2人であれこれ試し、今の成果が得られたのだ。

 

「うーん……でも」

 

 凛は落ち着いてから、もう一度じっくり百代の姿を眺めた。

 

「な、なんだ? やっぱり変か?」

「いや……俺の彼女可愛いなと思って。俺のテンションがおかしくなるほど可愛いなと」

 

 凛は可愛いを連発する。しまいには、百代の周りを一周した。彼女はそんな彼を目で追いかける。

 

「も、もうわかったから、あまりジロジロ見るな」

 

 その視線が妙にくすぐったい。好きな人だからだろう。他の男がやれば、ドスを効かせた声に黒い笑みを浮かべ、殴り――いや追い払ったはずだ。

 ――――今日は色んな百代が見れて、嬉しいな。

 そこで、凛は一つ思いついたことがあった。

 

「あ、そうだ。水着見に行く前に、ちょっと寄って行きたいところがあるんだ」

「え? どこだ?」

「いいから、いいから」

 

 凛は百代の手を握ると、嬉しそうに先を歩いていく。そして、たどり着いた先は、小物を取り扱ってる店――ここでシュシュを買い、彼女にプレゼントした。肩が露出しているキャミソールでは、髪が当たって鬱陶しいだろうと思ったからだ。当の本人はあまり気にしていなかったが、その一方で、思いがけない初のプレゼントに喜んでいた。

 その後、凛がなぜこの店を知っているのか問い詰めた結果、燕と来たことが判明し、百代が少し拗ねてしまうのだが、それも彼にとっては可愛く映るだけだった。

 

 

 ◇

 

 

 話は戻って、水着売り場。

 凛と百代の2人は、仲良く手を繋いで入店した。それにいち早く気づいたのは、やはり燕だった。

 

「モモちゃんに凛ちゃん、やほー」

「燕も今日水着買いに行くんだったら、私に言ってくれたらよかったのに……」

「初デートのお邪魔するわけにはいかないでしょ。それで……どうだった?」

 

 燕が百代に耳打ちした。服装を気に入ってくれたかどうかだろう。

 百代はそのときのことを簡潔に話し、燕に礼を言った。その間、凛と大和は男同士で何やら話し込んでいる。

 

「そっかそっか。凛ちゃんが喜んでくれたなら、私も一肌脱いだ甲斐があったよ。……でも凛ちゃんがそんな行動とるなんて――」

 

 燕はそこで一度凛を見てから、いたずらっぽい笑顔を浮かべる。

 

「よっぽどモモちゃんのことが好きなんだねぇ」

「そう、かな……」

「またまたぁとぼけちゃって! モモちゃん顔赤くなってるよ。熱でもあるのかな?」

 

 燕はそう言って、百代のおでこに手を当てた。

 

「お前がそんなこと言うからだろ!」

「そんなこと?」

「……燕、私をからかってるな?」

 

 百代はむぐぐと唸った。それを見て、燕はカラカラと笑う。ふと男たちの方を見れば、ビキニの中でもさらに布面積の少ないデザインを手に持って、真剣に話し合っていた。

 

「ごめんごめん。モモちゃんがあんまりにも可愛いからさ。それより、そろそろお馬鹿な2人を相手しにいこうか?」

「……ふぅ。そうだな。その……月並みだけど、燕も上手くいくといいな。私もお前の力になってやりたいんだけど……」

 

 百代はそこで少し言いよどむ。燕の恋敵は、ファミリーの一員である京である。もしこれがマルギッテ一人なら、また違ったかもしれない。とにかく、えこひいきはできなかった。

 

「そんなの気にすることないよん。恋は駆け引き……私にも十分勝ち目はあるでしょ」

「燕は私に劣らない美少女だからな」

「んふふ。大和君が私に骨抜きにされても怒らないでね」

 

 燕はいつもの朗らかな笑顔ではなく、戦いのときのような鋭い目を一瞬チラと覗かせた。

 その奥では、ビキニを横に置き、マネキンに着せてあるキャミソールの水着を見て、談義する凛と大和がいる。

 

「あれで弟は中々やり手だ。でも、燕なら本当にできそうで少し怖いな」

「あはは。まぁとにかく、本当に気にしないで。モモちゃんは、凛ちゃんと甘い生活を楽しんでて。そのうち、恋人報告させてもらうから」

「わかった。じゃあ、そうさせてもらう」

 

 2人はそこで話を打ち切った。

 

「凛! 私の選ぶから、こっち来い」

「大和君もおいで」

 

 そんな彼女たちに対して、男2人の反応は――。

 

「こうやって2人が並んでるトコ見ると、本当にタイプが違うな」

「どっちも綺麗なお姉様なのにな……で、大和はこれ着せるの?」

「できるだけ売り込む! 凛もガンガンいけ!」

 

 大和は一着のビキニを手にとると、勇ましく燕の元へと歩いていった。

 ――――全くしょうがない奴だな……。

 手のかかる弟を見るような目で、大和の後を追う凛の手には、しっかりと一着のビキニが収まっていた。端から見れば、どちらもそう変わらない。

 その後、凛と百代は、パレオ付の上品なビキニから派手な赤のビキニといった様々な水着を見て回ったが、彼女が最終的に選んだのは、彼が持ってきたビキニだった。しかし、彼は彼女がそれを着たところを見せてもらえなかった。

 百代曰く。

 

「これは当日のお楽しみだ」

 

 そう言われては、凛も待つしかない。待つといっても、せいぜいあと数日である。彼はその数日を悶々と過ごすことになるのだった。

 

 

 □

 

 

 その後、ウィンドウショッピング、映画を見て時間を潰し、夕食を食べたあと、2人が訪れたのは動物園だった。辺りは街灯が灯り、暑さも和らいでいる。

 

「おおー。夜の動物園とか初めてだぞ」

「俺もです。なんかワクワクしますね」

 

 2人はチケットを係員に手渡し、いざ中へ入る。そんな彼らを迎えてくれた広場では、早速動物を象った照明があり、そこから続く道は、木や柵に取り付けられた青黄緑などのLEDライトが目を楽しませてくれる。傍らでは、その様子を取材しているテレビ局があった。

 

「凛! あれ見ろ! キリンだ」

 

 百代もテンションがあがってるのか、凛の腕をグイグイ引っ張った。キリンのいるところは、刺激が少ない暗緑色のライトで静かに照らされている。キリンはその中をゆったりと歩き、あるいは葉を啄ばんでいる。

 

「あ、フラミンゴ!」

 

 フラミンゴは少し明るめのライトで照らされているため、水面にその姿が映し出されて、幻想的に見える。他にも、カバ、ライオン、サイ、象、チンパンジー、カンガルー、豹などを見て回る。どの動物も昼間より活発に動き回っており、その度に子供たちが嬉しそうに声をあげた。

 

「ちょ! なんだあれ!? 可愛い! 持って帰りたいぞ」

 

 百代が声をあげた先にいるのは、レッサーパンダだった。ムッタ君と名づけられたレッサーパンダは、自分の胴体ほどの太さがある木に、手足を投げ出して、ぐでーっと寝そべっている。

 ムッタは木の上にいるため、人間を少し見下ろしていた。つぶらな瞳が愛くるしい。

 そのうち、どこからともなくレッサーパンダが現れ、2人の元へ近寄ってきた。

 たまらず、凛も感想を述べる。

 

「これは……可愛い」

「だよなぁ。ぬいぐるみみたいだ。モフモフしたい」

「こっちの2匹は兄弟じゃないですか?」

「確かに同じ顔してるな。こっちおいでー」

 

 その声に導かれるように2匹が寄ってくる。

 

「キスしてるみたいに見える」

「私たちも対抗するか?」

「人前だから……それはさすがに。またあとで」

 

 凛が百代の耳元で囁いた。それに、彼女は笑顔を浮かべるだけだった。

 そうこうしてると、レッサーパンダはじゃれ合いを始め、また奥へと走っていった。その間、ムッタはというと――。

 

「……あいつ、ずっと私達を見下ろしてるぞ」

「ふてぶてしいですね。まぁ可愛いから許す!」

「可愛いは正義!」

 

 2人はそんなことを言って笑った。

 そこへかなり慌てた様子の係員の声が響く。

 

『園内にいらっしゃるお客様! 至急、近くにいる係員の指示に――』

 

 突然のことに戸惑う客。当然、凛たちも同じだった。

 

「なにかあったんですかね?」

「まぁそうだろうな。動物でも逃げ出したんじゃないか?」

 

 2人が辺りを見渡している間にも、客の多くは係員を探して、歩き出していく。しかし、中には子供がぐずったりして、中々足を動かせない客もいた。

 

「一応……最後に動きますか」

「ん、そうだな。私たちなら、何が来ても対処できるし」

 

 その言葉が引き金になったのか、奥の暗闇から雄たけびが聞こえてきた。そして、それはどんどんこちらへ近づいてくる。

 百代は凛の腕にすがった。姿が見えないため、幽霊かと思ったのだ。彼はそんな彼女の頭を撫でると、同じく恐怖で動けない客たちの前に立つ。

 

「うおおぉぉぉー!」

 

 出てきたのは、長髪のイケメン。脇には一人の女性を抱え込んでいる。その後ろから追いかけてくるのは、白い獣。

 

「あれって……龍造寺君?」

 

 凛が呟いた。そして、近づくにつれ、それは確信に変わった。

 龍造寺も凛たちに気がつく。爽やかなイケメンも、今ばかりは必死だった。額に汗を浮かべ、人を抱えて走ったせいで息も切れかけている。

 

「ハァ……な、夏目凛! ……と、かわい子ちゃん! ハァハァッ……ちょうどよかった! 助けてくれ! トラに追われてる!」

「ちょ、ちょっと寺チャン! 私がいるのに、他の女に声かけるの!?」

 

 脇に抱えられていたのは、雪広アナだった。途中でクルー達と離れ離れになったらしい。

 ――――龍造寺クンも懲りないなぁ……。

 百代は凛に話しかける。

 

「一回、アイツ締めておくか……」

「それは、手を出してきたときにしよう。龍造寺君のは、最早どうしようもないだろうし。そんときになったら、俺が恐怖を刻み込んじゃう!」

 

 明るい口調で恐ろしいことを口にする凛。その顔は笑みを貼り付けてはいるが、目は少しも笑っていない。その言葉は龍造寺にも届いたようだった。

 

「ヒィ! 冗談だ、夏目。と……とにかく、あれを何とかしてくれ!」

「そうだね……まさかホワイトタイガーと対面することになろうとは」

 

 凛が一歩踏み出すと、ホワイトタイガーは足を止めた。そのまま距離を保ちながら、右へ左へ移動を繰り返し、彼らを窺っている。

 

「なぁ凛……ホワイトタイガー触れないかな?」

 

 隣にいた百代が、少しワクワクした様子で尋ねてきた。

 

「どうだろう? とりあえず……試してみます? こんなチャンス滅多にないだろうし」

「係員が来るまでが勝負だな」

 

 百代がよしと気合を入れた瞬間、ホワイトタイガーは唸り声を大きくした。

 

「百代……気が凄い漏れてるから、抑えて抑えて」

「む? こ、こんな感じか?」

「……いい感じ。それじゃあまずは、上からガツンといきましょうか」

 

 そう言うや否や、凛はホワイトタイガーと目を合わせる。刹那、周囲の空気が重くなった。加えて、彼の威圧感がホワイトタイガーを飲み込む。先ほどまで騒いでいた動物たちの鳴き声もやみ、遠くで係員の声が聞こえてきた。

 

「おい! 凛! このままじゃ逃げちゃうぞ。その作戦中止!」

 

 百代の焦った声が木霊した。事実、ホワイトタイガーの尻尾は、足に絡ませるようにして、体にくっつけている。唸り声もあげていない。

 百代は言葉を続ける。

 

「凛はそのまま目を合わせておいてくれ。その間に、私が手懐ける」

「どうやるんですか?」

「……撫でてみよう」

 

 ――――そこらへんにいる野良猫じゃないんだから。

 それでも、凛は百代の好きにさせる。彼女は一歩一歩ホワイトタイガーに歩み寄っていく。

 じっとしている凛に、後ろから声がかかった。

 

「おい、夏目! いいのか? 女の子を一人で行かせて……」

 

 龍造寺だ。

 

「俺が近寄ったら、きっと逃げちゃうだろうし」

「いやしかし……」

「武神とも呼ばれる女の子が早々危険には陥らないでしょ。それに、いざとなればちゃんと止めるから」

 

 そこで百代の嬉しそうな声がする。

 

「凛! 見てみろ! モフモフだ! 可愛すぎる。お前も触ったらどうだ?」

「成功した! 触ります触ります!」

 

 百代は、ホワイトタイガーの顎やら頭やら胴体を撫でる。それに合わせて、ホワイトタイガーが目を細めたり、尻尾をゆらゆらとさせたり、喉を鳴らしたりと気持ち良さそうにしていた。

 しかし、凛が近づくと、目をパッチリと開き、僅かに牙を覗かせる。

 

「俺……やっぱり嫌われてません?」

「怖がってるんだ。大丈夫だぞ……あれは私の彼氏だ」

 

 安心させるかのように、ゆっくりと撫でる百代。

 その成果が出たのか、それとも敵意はないと判断したのか、ホワイトタイガーは大人しくしており、口元に差し出された凛の右手を嗅ぎ、そして頭を摺り寄せた。

 凛はゆっくりとホワイトタイガーを撫でる。

 

「おお、手触り最高。ペットとして連れて帰りたい」

「でも、凛は寮だから飼えないだろ?」

「百代の川神院に置いてもらうという手もある」

「というか、九鬼に頼めば何とかしてくれるんじゃないか?」

「でも確か、ホワイトタイガーってかなり希少だから――」

 

 2人はそんなとりとめもないことを話し合った。もちろん、ホワイトタイガーを撫でながら。

 残っていた客と龍造寺たちは、その光景を呆然と眺めていた。

 そこへ係員たちが駆けつける。その手には刺又や大型の網、吹き矢などを持っていた。

 

「大丈夫で! ……す、か?」

 

 意気込んでいた係員も、凛たちの光景を見て尻すぼみになった。

 その後、凛と百代が付き添ったホワイトタイガーは、傷つくことなく住処へと移された。脱走した原因は掃除をしていた係員の不注意だったらしいが、ともあれ客にケガ人がでなかったことに、凛たちは安堵した。

 

 

 ◇

 

 

 帰り道の途中で、百代が携帯を開く。そこには、ホワイトタイガーを挟んで彼女と凛が写っていた。住処へ帰される際に、ダメ元で頼んでみた結果、了承されたのだ。

 百代はそれを見て、笑みをこぼす。

 

「今日は楽しかったな、凛」

「ハプニングもあったけどね」

「あんなハプニングなら大歓迎だ。新しい思い出もできたし」

 

 凛は百代の指と自分の指を絡める。彼女もそれに気づいて、絡めてきた。

 

「次は旅行だ。百代の水着が、楽しみで仕方がない」

「今度こそ凛を悩殺してやる」

「今でも十分メロメロなのに、困ったな」

「困ってるのは私のほうだ。好きだって気持ちがいっぱいすぎて、どうしたらいいのかわからないんだぞ」

「それなら――」

 

 凛は言葉を切ると、百代の唇を奪う。

 

「これでちょっとは、どうにかなった?」

 

 凛は優しく微笑み、百代を抱きしめた。それに対して、彼女は彼のシャツを軽く掴みながら呟く。

 

「馬鹿……余計に困る」

 

 初デートは甘い余韻を残して終わる――。

 

 




なんか甘甘展開ですいません。
でも、ペンが止まらない!
次回は、多数のキャラが出る予定です。
騒ぎたいと思います。



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『旅行1』

 

「うはーたけぇなー。モロ、見てみろよ。すげぇ景色だぞ!」

 

 岳人は飛行機の窓から見える景色に声をあげた。

 隣に座っていた卓也も、身を乗り出してその景色を見る。上は澄み切った青。下は綿菓子のようなフワフワとした白。その間を悠然と飛んでいる最中だった。時折、雲の隙間から青緑が覗くのは、おそらく山だろう。

 飛行機は羽田を離れ、南へ向けて飛んでいる。その飛行機も今は一部を除いて、ガランとしていた。それもそのはず、この便は九鬼家貸切となっており、葵・風間ファミリーを運ぶ専用機と化しているのだ。

 元々、優勝者の旅行の際に使用されることになっていたため、凛と小雪以外が乗っても支障がない。何とも豪快であった。

 一子は自分のカバンを漁ると、お菓子のモッキーを取り出した。

 

「クリ、一緒に食べる?」

「おっいいのか、犬? もちろん頂くぞ!」

 

 その後ろの席では、翔一が既に眠っていた。彼も乗ったばかりのときは、貸切に興奮していたが、世界を股にかける冒険家の息子にとって、飛行機はそう珍しいものではない。

 小雪は準に自作絵本を見せたり、冬馬や大和のとこへ遊びに行ったり忙しなく動き回っている。この場にいない燕は、急に入った仕事の都合で明日合流することになっていた。

 由紀江が、通路を挟んで座っている百代へ話しかける。百代の隣では凛が静かに寝息をたてていた。

 

「凛先輩も眠っておられるんですか?」

「ああ……何でも昨日の疲れがとれてないらしくてな」

「昨日の疲れ……昨日は確か終日大雨で……」

 

 そこからは松風が引き継ぐ。

 

「家でシッポリやっとったちゅうわけか……まゆっちには聞かせられないな」

「ま、松風! なんてはしたないことを!」

「それはおまえらの勘違いだ! 凛は鍛錬しに出てたんだ。私は家でイチャつきたかったがな……」

「鍛錬ですか? あの大雨の中」

 

 由紀江は、夜のニュースで各地を襲った豪雨の映像を思い出し、首をひねった。

 

「まゆまゆも私との戦いで、凛の技を見たろ? それの鍛錬やってたらしいぞ」

「そういえば、川神市の採掘場跡方面で雷鳴が降り注いでいたと聞きました。あれはデマではなかったわけですか……」

「多分、コイツの仕業だ。一体どんな鍛錬してたんだか、興味が湧いてこないか?」

 

 百代は武闘家としての顔を覗かせる。由紀江もそれに頷いた。

 

「ジジイも夏目の技に興味を示していてな。古い書物とか引っ張り出してきて、色々調べていたよ。そこで面白いことが書いてあった。なんでも……落雷で相手を攻撃するのは、ただのオマケにすぎないらしい」

「あれがオマケ……ですか?」

 

 由紀江が目を見開いた。あれだけの威力を誇る技がオマケと言われれば、その真意はどこにあるのか。驚きとともに、更なる興味が湧いてくる。

 

「それで、その本当の目的は?」

「んーそれがわからないんだ」

 

 その言葉に肩透かしを食らわせられる由紀江。百代も困ったように笑っている。

 その書物も大分古い物であり、残りの文章で書かれていたのは、夏目の名を継ぐ者へ口伝される奥義であるということだけだった。

 直接、凛に聞いてみるという手もあったが、口伝のみのそれを彼が易々と話すわけもなく、百代も無闇に聞こうとは思わなかった。

 

「ということは、それを聞くことができるのは、モモ先輩と凛先輩のお子さんだけ……ということになりますね」

「まぁ……そういうこと、だな。でも川神院も継いでくれないと困る」

 

 将来を想像して、顔を赤らめる百代。そのとき隣で寝ていた凛が、身じろいだ。ゴソゴソと体を動かし、ようやく収まりの良い所――彼女の肩を見つけ、また規則正しい呼吸に戻る。

 百代は凛の頭を撫でた。彼との子に囲まれるのも幸せそうだと思う一方、自分達の幼い頃は、腕白という言葉で収まりきれないほどの子供だとわかっているため、大丈夫かなと少し悩む。教育をしっかりせねば――自分のことは棚に上げて、一人決意を固めた。

 松風が答える。

 

「4人ぐらい産んどきゃ、事足りるんじゃね?」

「……まゆまゆは安産型だから、楽勝かもしれないな」

 

 百代がニヤッと笑った。今度は由紀江が顔を赤くする。

 

「はうっ! そ、そんな……私まだ友達も少ないのに、彼氏なんて――」

「ということは、まゆまゆは彼氏さえできれば、4人ぐらい楽勝だと――」

 

 そこへ一人の男が乱入してきた。今日も頭がツルツルに光っている。

 

「モモ先輩! 女の子が生まれた際は、中学入学まで俺が責任もって育てあげぼおわっ!」

「ハゲ! 乙女の会話を盗み聞きとはいい度胸だな――」

 

 百代は、左手のみを器用に動かし、鳩尾を打ち、倒れこもうとする彼の頭を掴みあげていた。彼女はふと窓の外を見る。澄み切った空は、なんとも爽快な気分させられる。

 

「今日は天気がいい……ハゲ。空中散歩……してみるか?」

「あばばばば――」

 

 楽しい時間はまだまだ続きそうだった。

 

 

 □

 

 

「……本当に心配したぞ、京」

 

 大和は、ホテルの一室で横になる京を見て、大きく安堵の息を吐いた。彼女は、頬を赤くして苦しそうに呼吸を繰り返している――無理をして、風邪が悪化したのであった。

 場所は沖縄。着いたのは夕方で、すぐさま九鬼系列のホテル――こちらの方が都合(豪勢にするなど)がつけやすかったため――にチェックインして、辺りを散策しようとなったときに、京は部屋で倒れた。それを見つけたのが凛と百代で、すぐさまベッドに寝かされ、大和へと連絡がいったのだ。

 

「うぅーごめんね、大和。その内治ると思ってたから……こほっ」

「なんで、こんな無茶を……」

 

 大和はそこで言葉を切った。理由は、なんとなく察しがついているからだ。

 

「せっかくの旅行だもん。それに――」

 

 京は大和をチラリと見た。

 

「大和が、他の女の子と旅行に行くのを黙ってみていられ……あ、頭痛い」

「もうわかったから。ほれ、冷えピタ」

 

 大和は、京の熱くなったおでこにシートを貼った。黙ってされるがままになっている彼女は、少し嬉しそうだ。

 京が口を開く。

 

「あ……凛のことは怒らないであげてね」

「アイツ知ってたのか……」

「私が黙っててほしいって頼んだの。だから――」

 

 そこで大和が言葉をかぶせる。

 

「でも今頃、姉さんが叱ってるだろうから、その頼みは聞けないな」

 

 実際、凛は何度も京に視線を送っていたため、百代がそれに感づいていた。そして、ホテルで彼女が倒れたことから、詰め寄ったのだ。

 

「あぅー凛……ごめん」

「別にひどいことにはならないだろうから、気にするな。それに元を辿れば――」

 

 俺のせいだからな。大和は口をつぐみ、別の話題をふる。

 

「……そういえば、子供の頃、俺もよくこうして看病されたっけ。……お前が必死にタオル絞って、何度も何度も俺の頭においてくれたよな」

「私の恩人が熱出してるんだもん。必死にもなるよ。……思えば、あのときから好きになっていったんだよね」

 

 京は昔を思い出して微笑んだ。

 

「そっか……」

 

 大和は相槌をうつだけで、言葉を続けない。何か考え込んでいる様子だった。

 

「大和……私が勝手に好きでいるだけだから、気にしないでいいんだよ?」

「あれだけずっと告白受けてきたのに、気にせずにいられる程、俺の神経は図太くないんだよ」

 

 告白数は3桁――いや、4桁はいっているのではないだろうか。今では日常会話にまで、平然と組み込んできているのだから。

 今もまた――。

 

「そして、大和は遂に私の告白を受け入れ、私達は晴れて恋人になるのでした。めでたしめでたし」

「そうだな……」

 

 大和の素っ気無い一言が、やけに響いた。

 部屋の外からは、道具を運ぶ台車の音がしている。その音もどんどん遠ざかっていった。

 静まり返る部屋――。

窓の外に目を向けると、夕日が海へ沈もうとしている。海面は赤く彩られ、燃えているようだった。

 さすがの京も目をパチパチと瞬いている。

 

「や……大和?」

「ん? なんだ?」

 

 大和は窓の外から、京へと視線を戻した。やけに落ち着いている。むしろ、風邪を引いている彼女の方が興奮を隠せないといった様子だ。

 

「い、今さっき……え? あれ? ……聞き間違い?」

 

 京は視線を中空に彷徨わせ、オロオロとうろたえる。

 大和はそんな京を見て、クックと喉を鳴らせた。

 

「俺さぁ……他にも気になってる人がいたんだ――」

 

 京はただ頷く。大和の声色が変わったからだ。

 

「燕先輩は可愛いし、気さくだし、話だって合う。マルさんは美人だし、世話好きで案外優しい。そんな人達が寄ってくるんだ。これがモテ期ってやつか……て、一人喜んでた。男からしたら、美少女から言い寄られるのとか夢だからな。正直なところ、楽しんでもいた」

 

 京は昔からそうだったし。大和はそう言って、彼女の髪を撫でる。その手つきは、壊れ物でも扱うかのように、優しいものだった。

 

「それで、だな……俺にとって、京は空気みたいな存在だったんだ」

「……!」

「あ、いや悪い意味じゃないぞ!! そこにあって当然になってたってことだ――」

 

 京はその言葉を聞いて、ようやく息を吐き出した。

 

「でも……最近、凛と姉さんが恋人になって、なんか今までと変わった気がしたんだ。あの2人、凄い幸せそうだろ?」

「そうだね。2人はベタベタしてるつもりないんだろうけど、雰囲気とか甘いし」

「なんか……それ見てると良いなって思ったんだ。凛は姉さんだけを見てて、姉さんは凛だけを見てて、お互いがそれだけで十分満たされてる」

「そんな2人を見てて、羨ましく思ったと?」

 

 大和はズバリ切り込んでくる京の言葉に苦笑する。

 

「あんな風になれたらいいなと……うん。羨ましく思ったよ。そんで、俺は何してるんだろうって思ったんだ」

 

 大和は一度深呼吸した。

 

「色々考えて……本当に思い上がりも甚だしい、お前何様って笑われるだろうけど、一人を選べば、他の人が傷つくだろうなとか思ったりして、今日になった」

「うん……」

「でもな、京が倒れたって聞いて、俺の頭の中真っ白になったんだ。指の先とか感覚なくなって、頭はぼーっとして、足が動かないし、こんなことになったの初めてだった」

 

 そのとき、大和はクリスと一緒にいた。

 

「クリスに引っぱたかれて、ようやく体が動いたんだけど、そのときようやく気づいた――」

 

 開いていた大和の手は、しっかりと握り締められている。京も彼の様子から、体を堅くした。

 姿勢を正した大和は、京を真っ直ぐと見つめる。いつになく真剣なその眼差しが彼女を貫いた。

 

「俺……京のことが好きだ」

「大和……」

「お前がいないと、俺はどうやらダメらしい――」

 

 一瞬、間をとる。

 

「殴ってくれてもいい。罵ってくれてもいい。京からすれば、俺は最低な男に見えるもんな。こんなことにならないと、自分の気持ちもよくわからないんだから……。嫌い……になられるのは嫌だけど、そうなったとしても俺――」

「嫌いになんかならないよ!!」

 

 京は部屋いっぱいに声を響かせた。あまりの音量に、大和は体を仰け反らせる。

 大声のせいで、京はまた咳こんだ。そのあとに聞こえてきたのは、すすり泣きだった。

 

「嫌いになんかならない……たとえ、大和が他の誰かを好きになっても、私の気持ちが変わることなんてないんだよ? 私を救い出してくれたあのときから、私は大和のことが――」

 

 感極まった京は、その綺麗な蒼い瞳から、いよいよ大粒の涙をこぼし始める。涙はこめかみを通り、枕に浸み込んでいった。それを見た大和が慌てて、ティッシュをあてがう。

 「ありがとう」と、京はそれを受け取り、涙を拭いた。

 そして、今度はクスクスと笑い出した――泣きながら笑った。優しさが嬉しかったのか、大和の慌てる姿が面白かったのかはわからない。それとも――。

 そして、大和にも聞こえるように、これまでの全てをありったけ詰め込んで、はっきりと思いを伝える。

 

「大好き……」

 

 この泣き笑顔を一生忘れないだろう。大和は京を見てそう思った。同時に愛しくなる。

 

「随分……待たせたよな。ごめん」

「大丈夫。私、我慢するの得意だし」

 

 事実、10年近くを堪えてきたのだ。言葉に重みがある。

 

「でも、これから体調悪くなったりしたら、すぐに言え」

「……はい」

「それから……早く元気になれ」

 

 京は一度頭まで毛布を被ると、またひょっこり顔を出す。その目は、期待という名の光で爛々と輝いていた。

 

「大和がキスしてくれたら、すぐに元気になる」

「はいはい……」

 

 大和は子供を宥めるように、ゆっくりと京の頭を撫でた。それを受け入れる彼女だが、手が離れると口を尖らせる。

 

「彼氏が焦らしプレイをしてくる」

「今は風邪ひいてるんだから、大人しくしてろ。その……元気になったら、いつでもできるだろ?」

 

 京はその言葉に目を大きく開く。

 

「元気になったら、いつでもできる……ポッ」

「そういう意味じゃねぇ! お前、本当は元気なんじゃないだろうな?」

「元気だったら、大和を服着せたままになんてしておかない」

「とにかく、寝ろ! あとで晩飯も持ってきてくれるだろうから」

 

 京がそっと手を大和の近くに出すと、彼は黙ってその手をとる。彼女はその温もりを感じながら、闇の中へ意識を落としていった。

 

 

 ◇

 

 

「嫌いになんかならない……か」

 

 大和は、安らかな寝息をたてる京を見て呟いた。

 

「ありがとう……俺、頑張るから」

 

 大和が少し力を込めて手を握ると、京もそれに反応するようにして握り返してきた。2人の手はしっかりと繋がれている。

 

「京……」

「大和……」

 

 まるで見計らったかのように、背後から声が聞こえた。大和は、首がとれるのでないかと思えるほどのスピードで、後ろを振り返る。

 

「うおっ! 凛!!」

 

 そして、思わず盛大に叫んでしまった。いつの間に入ってきたのか、ドアが開く音すら聞こえなかった。大和が驚くのも無理はない。

 凛はそんな大和に対して、人差し指を立てて静かにしろと合図を送る。京は深く寝入っているのか、軽くむずがるだけで、目を覚ますことはなかった。

 凛の後ろから、百代も顔を出した。

 

「どうだ? 京の様子は?」

「よく眠ってるよ……どうしたの?」

「様子見に来たに決まってるだろ。あとはご飯のこ……」

 

 そこまで言いかけて、百代は口を閉ざした。その目線は2人のつながれた手に向かっている。凛も早々に気づいていたようだが、何も言わない。

 視線を受けて、ようやく気づいた大和だったがもう遅い。

 百代は、おもしろい玩具を見つけたと言わんばかりに、目を輝かせた。

 

「あれあれー? 大和、どうしたんだ? 京と手なんかつないで」

「別にどうだっていいだろ? こうすると落ち着くからって言われたんだよ」

 

 もちろん、嘘である。

 

「ふーん……へぇー。そうかー」

 

 百代は口元を緩めながら、ただ相槌をうった。その目は依然、獲物を見つめる肉食獣のままだ。大和は決して目を合わせようとしない。

 そこに、凛が割ってはいる。

 

「はいはい。百代もそこまででいいだろ? 大和が京を恋人にしたってだけなんだから」

「なっ!? 聞いてたのか!?」

「いや……カマかけてみただけ」

 

 凛は、しれっと言い放った。大和は顔を赤くしたかと思うと、すぐに脱力する。

 そんな大和を見て、2人が吹き出した。

 笑いを堪えながら、凛が喋り始める。

 

「すまんすまん。でも……おめでとう、大和」

「よかったなぁ弟。私たちみたいに仲良くするんだぞ」

 

 百代は凛の腕をとって、笑みを浮かべた。彼女は彼と付き合い始めてから、本当に幸せそうにしている。美少女に磨きがかかったとの街の噂が、大和の耳にも届いていた。

 大和は少しテレながら答える。

 

「ありがとう……」

 

 室内が、ちょっといい雰囲気になる。温かい、和やかものだ。

 考え事をしていた凛が、うんうんと頷く。

 

「これで、京も俺の義妹か……なんか不思議」

「そのネタまだ続ける気か!」

「いや、京も俺のこと義兄様って呼んでくれたことだし、大和もそこに突っ込まなかったから、オッケーなのかと思って」

「ツッコミ所が多すぎて、漏れただけだよ! あと姉さん! その優しい目線をやめてくれるかな!」

 

 大和は空いている片方の手で、ビシッと百代を指差した。彼女が口を開く。

 

「大和……ファミリーなんだから、細かいことを気にするな」

「このファミリーは、兄弟姉妹とかの家族を指してるんじゃないからね、姉さん!」

「あんまり興奮してると、京が起きるぞ」

 

 百代にたしなめられて、大和も冷静さを取り戻す。

 

「ダメだ……この2人を相手にするには分が悪すぎる」

「で、弟はどうして京を選んだんだ?」

 

 百代自身が、おばちゃんたちにやられたことを大和にやった。他人のこういう話には興味が湧くものらしい。

 

「なんでそんなこと答えなくちゃいけんだよ」

「お姉ちゃんだから?」

「じゃあ……姉さんが凛を選んだ理由を教えてくれたら、俺も教えるよ」

 

 大和が強気に出た。さすが、長年付き合ってきただけあり、どこを攻めればよいのかよくわかっている。

 そして、その効果は絶大だった。

 

「え!? ……それは……その」

 

 百代の勢いが一気に衰え、凛をチラチラと見上げながら顔を赤らめた。

 ――――可愛いけど、こっちまで恥ずかしくなるから、やめて!

 凛は極力、百代を見ないようにする。

 

「大和、俺にまで被害が及ぶから、この辺で矛を納めてくれ」

「ご馳走様。これ以上聞かれないなら、別に構わないよ」

「まだ聞きたがってる人もいるけどな。……まだ夕食まで時間あるし、ちょっとジュースでも買ってくるか。大和、付き合って」

「え? でも俺、京の様子見ておかないと」

 

 大和は、視線を凛と京の間で行ったり来たりさせた。心配で仕方がないのだろう。

 

「じゃあ、私はピーチジュース!」

 

 百代が凛の傍を離れて、大和を強引に立たせた。あっけなく、2人の手は離れる。

 

「百代……ここまで来て、ピーチジュース飲むの? シークァーサーとかさ、色々あるじゃん?」

「じゃあ凛のオススメで!」

「俺のセンスが問われてるな。任せておけ」

 

 大和はその間にも、ベルトコンベアに乗せられた荷物の如く、百代の手から凛の手へと移り、足がつかないまま部屋の外へと運ばれた。「俺の意思は無視か!?」とジタバタするも、無駄な足掻きだった。

 男2人が出て行ったのを確認した百代は、ベッド脇に腰掛け、京に話しかける。

 

「起きているんだろ?」

「バレてた?」

「バレバレだ。大和は誤魔化せても、私と凛は誤魔化せないぞ。もしかして、起こしてしまったか?」

「ううん。勝手に目が覚めただけ」

「そうか。……調子はどうだ?」

 

 百代は、目にかかりそうな京の髪を優しく横へ流した。落ち着きがでてきたせいか、そういう行為も板についている。一つ一つの仕草に変化が表れ、そのため学校では彼氏ができたというのに、支持率は下がるどころか上がることになるのだが、それはまた別の話。

 京はくすぐったそうに目を細めた。

 

「ちょっと眠ったら、だいぶ良くなったよ。みんなには……」

「少し体調が悪くなったから、ベッドで休んでるってことにしてある。京もあんまり心配かけたくないだろうと思ったからな。事実知ってるのは、私たちの他にクリスと九鬼の従者ぐらいだ」

「そっか。ありがとう」

 

 百代が軽く微笑む。

 

「まだ寝れるようなら、寝ておけ。明日からは、思いっきり遊ばないといけないからな」

「うん……モモ先輩」

「ん? なんだ?」

「私、大和の恋人になったんだよね?」

 

 京は先ほどの光景が夢だったのではないかと思ったのだ。

 

「私にはそう見えたけどな。義姉さんでも義姉さまと呼んでくれてもいいぞ」

「義姉さま?」

「なぜ疑問形なんだ。……で、彼女になってみてどうだ?」

「うーん……まだあんまり実感湧かない。でも、安心感みたいなものがある」

「なら、これからいっぱいイチャつかないとな」

「モモ先輩みたいに?」

 

 京はニヤリと笑いながら、先輩の反応を待った。

 

「私たちは別にそんなイチャついてないぞ。人前では……」

「ということは、人のいないところでは……ゴクリ」

「待て、京! お前興奮すると、また熱があがるぞ――」

 

 その後、様子を見に来たクリスを交え、凛たちが帰ってくるのを待った。

 

 

 □

 

 

 病は気からという諺がある。京はまさにその諺通りの回復を見せ、凛たちを驚かせた。夕食はさすがに部屋に運ばせたが、それから程なくして体温を測ると微熱があるくらいで、すっかり元気を取り戻していた。

 いくらなんでも凄すぎないかと凛は思ったが、百代はその疑問を次の言葉で一蹴する。

 

「恋する乙女は強いんだ」

 

 自信満々に言われると凛も納得するしかなかった。

 夕食後に、ファミリーが見舞いに来ても、京は普段通りの振る舞いで、彼らを安心させた。そのとき小雪が、彼女が早く良くなるようにと、いつものマシュマロをあげる姿を見て、凛は人知れず温かい気持ちになった。

 明日からは快晴が続くらしい。沖縄旅行はまだ始まったばかりである――。

 




 やりきった!
 先に述べておきますが、私は大和をハーレムにしようと思っていたわけではありません。しかし、相手を誰にしようか迷っていたのも事実です。その結果、大和がフラフラしてる様子として出てしまい……彼には悪いことをしてしまったなと思います。大和のセリフには、作者である私の気持ちも含まれています。
 この話が唐突だったかなとも思いましたが、今回はいい切っ掛けを頂いたと感謝しています。三つ巴を書くと言って、ダラダラと煮え切らない態度が続いていた可能性もあるので……。加えて、思いのほか凛と百代のイチャイチャを書くのが楽しいので、あまり構っていられない!! もっと書きたいんです!!
 そして、ハーレムを期待して下さっていた方、燕あるいはマルギッテとのイチャイチャを待っていた方には申し訳ありません。
 京を選んだ理由としては、文章中でも表した通り、『大和にとって空気のような存在』だと思ったからです。ベタな展開かもしれませんが、これについては悔いはありません。
 いろいろ書いてしまいましたが、これからも凛と百代のイチャイチャを中心にマジコイを楽しんでほしいです!!
 そして、次は海に入るぞー! イチャイチャするぞー!! よろしくお願いします。


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『旅行2』

 

 朝食を済ませ、食休めをとったあと、一行が向かったのは砂浜――ではなく、海に面している一軒の店舗だった。メンバーの多くは、すぐにでも海に向かうものだと思っていたため、不思議そうにしていたが、その店舗の裏口から出た瞬間、今までもっていた疑問が一気に氷解したようだった。

 潮の香りが一段と強くなり、次に目に飛び込んできたのは、海の濃い青と空の澄んだ青。そして――。

 大和が呟く。

 

「クルーザー……?」

 

 一行の目の前には、何隻かのクルーザーが並んでおり、波を受けて軽く揺れていた。白の船体は磨き上げられており、無意識に目を細めてしまうほどだ。

 桟橋を興奮気味の一行が歩いていく。歩くたびにギシギシとなる音さえも、これから向かうであろう所への期待を膨らませてくれた。

 小雪が自慢げに声をあげる。そのあとに凛が続く。

 

「僕とリンリンにかかれば、これくらいどーってことないのだ」

「豪勢にするってことで、俺たちは今から無人島の一箇所で、優雅な沖縄を楽しむというわけだ。楽しそうだろ?」

 

 一番先頭を歩いている翔一が、声を弾ませる。

 

「で、どれに乗ればいいんだ? あれか!?」

 

 翔一の指差した先では、荷物が色々と運び込まれている最中だった。それは出発の準備を行っているように見える。

 

「そうだ! ……って、もう聞いてないし」

 

 凛の肯定をもらうや否や、翔一は我先にとそのクルーザー目掛けて走っていく。それに続いて、一子、クリス、岳人、小雪らが後を追った。

 

「クルーザー借りて、無人島で海を楽しむとかリッチだなー。もし2人だけで楽しんでたら、もっと凄いことができたんじゃないか?」

 

 凛の隣を歩く百代が尋ねた。その姿は、ホットパンツにTシャツと軽装である。それは彼女だけに限らず、他の女性メンバーも似たり寄ったりの格好をしているし、男性もハーフパンツにTシャツかタンクトップなどであった。

 そんな中でも、岳人は鍛え上げられた色黒の体で軽装しているため、ともすると漁師の兄ちゃんにも見え、その豪快な姿は海に良く似合っている。一方、同じ色黒の肌を持つ冬馬は、タンクトップにシャツを羽織って、バカンスを楽しむ御曹司そのものであり、こちらもまた別の意味で海に良く映えていた。

 

「他の景品とか全て旅行代金に換えてもらったからこそだよ。家電からインテリア、パソコンとか色々……大金はダメだから物でってことになってたけど、そこはさすが九鬼って思える程の一級品が集めてあったからね」

「へぇー。にしても、無人島か……」

 

 百代は気のない返事をして、少し考え込んだ。2人の元に、先に乗り込んだメンバーのはしゃぐ声が聞こえてくる。岳人が甲板に現れ、翔一が2階の操縦席に向かっていた。

 ――――喜んでくれてよかった……。

 凛はそんなメンバーを見て、ほっと一息ついた。そのとき、彼の小指が引っ張られる。

 

「……少しでいいから、二人きりで過ごしたい」

 

 百代が凛の小指を握っていた。皆で旅行に来ている手前、あまりイチャイチャするのも悪いと思ったのだろう。そんな控えめな態度すら、彼にとっては、心が鷲摑みにされたような錯覚に陥った。

 夏に、青い海。そして南国。隣にいるのは、可愛い彼女。これでテンションの上がらない男がいるだろうか。

 凛が百代の耳に顔を近づける。

 

「夕方近くまではいる予定だから、少しくらいいいでしょ。俺も百代と一緒にいたいし」

「……うん」

「ちょっと過激になるかも」

 

 何がとは言わない。やはり、凛もなんだかんだで、開放的な気分になっているらしい。彼の言葉に、百代の体がピクッと反応する。

 そして、数秒の間があったのち。

 

「……構わないぞ」

 

 百代は何を想像したのか、顔を赤くして小さく答えた。それを見るだけで、凛の鼓動は大きく跳ねる。

 ――――沖縄最高ッ! にふぇーでーびる沖縄!

 まだ旅行は始まったばかりだが、凛はこの旅に感謝した。

 2階にある操縦席にいる翔一が、2人に向かって叫ぶ。早く出発したくてたまらないようだ。

 

「こらー! そこの2人!! 早く乗り込め! 出発するぞー!」

「悪い悪い! すぐ行くよ!」

 

 凛は翔一に返事をして、百代の手をしっかり握り返すと、小走りになった。クルーザーを背景に、桟橋を渡る2人――青年の手に引かれて、黒髪を揺らす少女は、映画のワンシーンのようだった。

 準備が整ったクルーザーは、ゆったりと桟橋から離れていく。

 

 

 ◇

 

 

「燕も来れたらよかったのにな……」

 

 百代は、風になびく髪を押さえながら言った。甲板から見える景色は、地平線まで続く海のみ。太陽を反射する水面はキラキラと輝き、クルーザーから下を覗き込むと、海底まで見通せそうなほど透明である。

 その中をクルーザーは、軽快に波を切り進む。

 

「そうだね……」

 

 凛はそう相槌をうつだけだった。

 仕事が抜けられそうにない。凛の携帯に、燕から連絡があった。本当に仕事が大変だったのだろう。しかし、事情を知ってる2人にとっては、もしかしたら――と考えてしまうのだ。

 

「どうにもできないんだよなぁ」

「こればっかりはね。百代……」

 

 百代が凛の方へと顔を向ける。

 

「わかってる。帰ったら、愚痴なり組み手の相手なりしてやるつもりだ。それぐらいしか、私のできることはないだろうしな」

「ありがとう」

 

 百代は少し不思議そうだった。

 

「凛が礼を言う必要はないだろ。燕は私の友達だ。お節介になるかもしれないけど、そのときはそのときだ!」

「冷たくあしらわれたりしたら、俺が癒してあげる」

「ふふ……なら安心だ。お、ワンコがこっちに来た」

 

 そこで話は打ち切られた。一子が船内から顔を出したからだ。彼女はそのまま、トコトコと2人の元へやってくる。

 

「はいさい!」

 

 そして、満面の笑みを浮かべて、2人に挨拶してきた。それだけで空気が一変する。彼らもつられて、笑顔になった。

 一子の明るい笑顔は、夏によく似合っている。

 凛が口を開く。

 

「はいさい、ワンコ。随分、その沖縄弁が気に入ったんだな」

「うん。なんか元気でてくるし。簡単でしょ?」

「そんなワンコに飴玉をやろう」

 

 凛はポケットから取り出した飴玉を渡す。

 

「わーありが……えっと、こういう場合は、に……にふぇー。にふぇーで――」

「別に無理して言わなくていいよ」

「そうね! ありがとう、凛」

 

 百代が会話に加わる。

 

「船内はどうだった?」

「凄かったわ、お姉様! キッチンもトイレもベッドもあって、それがホテルくらいに豪華なの! ベッドの寝心地が良すぎて、私なんてもう少しで寝ちゃうとこだったわ……」

 

 危ない危ないと、一子は首をフルフルとふった。

 

「それじゃあワンコにちょっと案内してもらおうかな? 凛はどうする?」

「俺も中に入るよ」

 

 一子の後ろについて、2人は甲板をあとにした。

 

 

 □

 

 

 百代たちと別れた凛は、ソファなどが置かれている部屋へ入る。そこは、メンバー全員が入っても、余裕があるほどの広さがとられていた。簡易のキッチンが中央にあり、それを囲むように革張りのソファが配置され、その背後は窓――そこから海が一望できる。床やテーブルには、赤茶の木材が使われ、落ち着いたデザインになっていた。

 皆の世話をしていた李が、凛の姿を見て声をかける。九鬼の従者数人が、この沖縄旅行を通して、世話をしてくれることになっていた。

 

「凛様も何かお飲みになりますか?」

「それじゃあ……みんなと同じ物を」

「川神シャンパンですね。少々お待ちを……」

 

 そう言って、李は背後に備え付けられている冷蔵庫を開けた。

 凛がソファでくつろぐメンバーに突っ込む。

 

「お前ら、遊ぶ前から酔っ払う気か?」

 

 冬馬が読んでいた本から目を離す。その傍らにはシャンパングラス。

 

「まぁまぁいいじゃないですか。せっかくの旅行なんですし、少しくらいハメをはずしても」

「いや、別に飲むなとは言ってない。酔っ払ったら、遊べないだろ?」

「凛君が酔っ払ったときは、私が全身全霊を持って看病するので安心してください」

「全力でお断りします」

 

 そうこうしている間に、テーブルに川神シャンパンが運ばれてきた。李に一言礼を述べると、凛はそれを受け取る。

 それにあわせて、冬馬がシャンパングラスを持ち上げた。

 

「楽しくいきましょう」

「それには同感」

 

 チン――。

 透き通った音が、耳に心地よい。

 

「おうおう、さすがエレガンテ・クワットロレベルともなれば、そういう姿が様になってるねぇ」

 

 準が2人を褒めた。

 

「俺はクワットロに入ってないけど、そう言われるのは嬉しいな」

「これを機に、もっと親交を深めるというのは、如何ですか?」

 

 ずずいと凛へ近寄る冬馬。近寄られた分だけ距離をとる凛。

 

「虎視眈々と狙いすぎだ!」

「凛君は私のストライクゾーンですから……」

「この子、性別とか軽く超えてきちゃうんだよなー」

 

 準が凛に続く。

 

「諦めろ。別に無理矢理されるとかないから」

「当たり前だ!」

「性別も年齢も些細なことです」

 

 その一方、簡易キッチンでは、岳人が李に声をかけていた。

 

「李さん、無人島で少し俺様と散歩などいかがですか?」

「申し訳ありません、岳人様。仕事を放棄するわけには参りませんので」

「くぅー。こんな美人サンに様付けとか、俺様感激ッ!」

 

 そこへ案内から戻ってきた百代が現れた。一子も一緒にいる。

 

「お前は従者相手に変な面倒をかけるな。すいません、李さん」

「ちょっ! モモ先輩! 小さい気弾飛ばすとかやめてくれ! もう少しで李さんを誘えそうなんだ!」

「すっぱり断られてるだろー」

「痛い! まじで痛いッ! 加減されてるんだろうけど、痛ッい、から」

 

 百代が人差し指にはさんだ親指を弾く度に、岳人は身をよじって、ソファのあるほうへと追いやられていく。

 そんな様子を見ていた一子が呟く。

 

「岳人も懲りないわねぇ」

 

 そして、遂には大和と卓也が座るソファの近くへと釘付けになった。

 

「ありがとうございます、百代様」

「いや、迷惑かけたのはこっちだからな。また、岳人がなんかやってきたら、私か凛に言ってくれ。それと……私とワンコにも、なにか飲み物をもらえないか?」

 

 その間、岳人はステイシーに声を掛けたが、「ファック。出直してきな小僧」とケラケラ笑いながら、一蹴されていた。本当に懲りない男である。

 そして、ソファの別の場所では、シャンパンで酔ったクリスが由紀江に看病されていたり、小雪が京の話を興味深そうに聞いていたりする。翔一は操縦席から未だ帰ってこない。

 

 

 ◇

 

 

 それから、数十分で無人島に着いた。桟橋に停泊したクルーザーから、顔を出したメンバーが感嘆の声をあげる。

 白い砂浜が湾曲しながら先まで続いており、海に向かっては、ゆっくりと青と混ざり合っている。濃い青が広がる先には、いくつかの離島が見えている。さらに遠くには、モコモコとした雲が穏やかに流れており、海と空の境界線は濃紺で仕切られている――まさに一枚の絵のような景色である。

 それとは反対に、陸地に目を向けると、小高い丘になっており、緑が生い茂っていた。辺りから聞こえるのは、波が打ち寄せる音のみで、その美しい風景と相まって、まるで心が洗われるかのようである。

 クルーザーの中では、男たちが先に着替えを済ませている。その間、我慢できなかった一子が、桟橋から海へ飛び込んだ――と言っても、浅瀬である。

 

「うわぁ……綺麗」

 

 膝のすぐ下まで海に浸かっているのに、足のつま先までくっきりと見える。砂粒はキメが細かいため、ずっと踏みしめていたいほど気持ちがいい。そこへ小さな魚の群れが、一子の足の近くを通り抜けていった。それを追いかけるように、鮮やかな赤い魚が通る。海中を照らす太陽の光は、揺れる水面によって、その都度表情を変えていった。

 その近くには、黄色い巻貝があった。水中眼鏡がなくても、それがはっきりとわかる。手を差し込むと、海の温度が心地よい。

 一子がそれを拾おうとしたら、立っている場所より先で大きな飛沫が上がった。

 

「ぷっはあぁーー! 気持ちいいーー!!」

 

 翔一であった。彼は着替えて早々、クルーザーから出るなり助走をつけて飛び込んだのだ。飛び込む寸前、視界一杯に広がったオーシャンブルーは、さぞかし爽快だったろう。

 また男たちが飛び出してきた。

 

「俺様もいくぜー!!」

「ちょ! 岳人……僕はいいって、わぁ!!」

 

 威勢の良い掛け声で飛び込む岳人と道連れにされた卓也。2人分のさらに大きな飛沫があがった。顔を出した彼らは騒いでいる。

 

「ワンコ、皆着替え始めてるから、そろそろ船に戻れ」

 

 桟橋の上から凛の声が降ってくる。彼の手には、パラソルが6本ほどと折りたたみ式のチェアが抱えられている。

 一子はそれに返事をして、黄色い貝を拾った。この海にも負けない鮮やかな色だ。

桟橋からは大和や冬馬の声が聞こえ、また一際大きな凛の声がする。

 

「海ではしゃぐのは後でもできるから、先に砂浜の準備を手伝え!」

 

 一子は、ワクワクする気持ちが抑えきれなかった。急いで、クルーザーへと向かう。

 

 

 □

 

 

「あちぃ! 熱ッ! ちょ! こんなにッ!」

 

 岳人は熱せられた砂浜で、一人変な踊りを踊っていた。体が大きい分、余計に滑稽に見える。

 それを見かねた凛が、サンダルを投げ渡す。

 

「さっさと履いて。その鍛え上げた筋肉を使ってくれ」

 

 男たちは、これから来る女性陣のために、設営に励んでいた。パラソルを差し、チェアを並べ、シートを引いて――ついでに、昼飯に使うバーベキューの準備もしておく。

 

「まかせとけ! ここで李さんのお役に立って、俺様の好感度をグンとアップさせるぜ!」

「迷惑だけはかけるなよ」

「わ、わかってるから、その凍てつくような視線をやめろ! 南国気分が台無しになるだろうが!」

 

 そこへ大和たちがやってくる。

 

「こっちの準備は完了だ。あとは皆が揃うのを待つだけだな」

「皆さんの水着姿、大変楽しみですね」

「ちなみに言っとくと、若の皆にはお前らもしっかり入ってるからな」

 

 凛が答える。

 

「男は放っとくとしても、女の子の水着姿はマジで楽しみだ」

「だよな! ステイシーさんと李さんも水着だろ!? ハァハァ……」

「岳人……お前本当に抑えないと、そのうち痛い目見るぞ」

 

 大和が心配そうな視線を向けるも、岳人は止まりそうになかった。

 準がため息をつく。

 

「これで紋様でもいたらなぁ……ビキニ姿とか見たかったわ」

「こっちにもヤバい奴いたの忘れてた!」

 

 大和が叫んだ。そうこうしてる内に、女性メンバーが出てくる。

 赤で縁取りされた黒のビキニの百代を筆頭に、水色のストライプが入ったビキニの京、活発そうなオレンジのビキニの一子、青で縁取りされた白のビキニのクリス、清楚な白の水着の由紀江、そして、スクール水着の小雪。

 

「おい! 小雪に水着買ってやらなかったのか!?」

 

 岳人が準に小声で突っ込んだ。

 

「いや……俺たちもなんか買ってやるって言ったんだけど、動きやすいからあれでいいって言うんだから仕方ねぇだろ」

 

 そのあとに続いて、アメリカの国旗がデザインのビキニを着るステイシー、そして、スクール水着の李。

 

「うおおぉ! 李さんもスク水かよ! ビキニ姿が拝みたかったぜ!」

「あんな成熟した体のどこがいいんだ? よく見ろよ……だらしねえだろ?」

 

 準が冷めた目で女性陣を眺めていた。翔一は興味なし、卓也はチラチラと視線を送るだけだった。

 それに引き換え、凛と大和、冬馬はしっかりと褒める。

 一通り褒めたあと、凛が改めて百代に向き直った。

 

「よく似合ってる。可愛いよ、百代」

「ありがとう。それでだな……えっと、ちょっとこっちに来い」

 

 百代はソワソワしながら、凛の腕をとるとパラソルの下まで誘導する。そこには、シートが一枚広げられていた。他のメンバーの大半は、早速海へと突進していく。従者たちは気を利かせてくれたのか、距離をあけてくれていた。

 百代の手には、ボトルが一本握られている。

 

「私にオイルを塗ってくれないか?」

「喜んで!!」

「う……返事良すぎるだろ。じゃあ、頼む」

 

 百代はゆっくりとうつ伏せになった。彼女の長い髪は、寝そべる前にバレッタで一つにまとめて留めてある。それと同時に、白い背中が露わになり、それを横切る赤い線――ビキニの紐がよく目立った。

 凛が無邪気に問う。

 

「これ解いていい?」

「……あ、いいぞ」

 

 凛は戸惑うことなく、紐に手をかける――前に、つつっと人差し指で背骨をなぞった。

 

「ひゃん……」

 

 ――――可愛い声頂きました!

 百代はプルプルと震えている。耳は真っ赤であった。

 あまりやると怒られそうなので、凛は早々に紐を解いて、オイルを手に取る。ひんやりとしたオイルが気持ちいい。

 ――――このまま手を乗っけたら、怒ってしまいそうだな。

 凛はイタズラしたい気持ちをぐっと堪えて、人肌に温める。百代が怒ってしまえば、このオイル塗りはここで終了という残念な結果になりかねない。

 

「それじゃあ塗りますよ」

「……ああ」

 

 百代も凛の姿が見えないからか、若干緊張しているようだった。

 

「んっ……」

 

 温めていたため、さほど驚くことなく百代は受け入れてくれた。

 ――――これは……やばいな。

 凛は手のひらを滑らせながら、鼓動が早くなるのを感じていた。手を握ったり、腕を掴んだりはしてきたが、この手のひら全体に広がる感触は初めてなのだ。オイルで滑りやすくなっているとはいえ、直に伝わってくる肌の質感――張りのあるスベスベとしたそれは、何にも替えがたい気持ちよさがあった。

 肩甲骨からわき腹のほうへ手を滑らせる。無駄のない細いウエストは、陶磁器のように滑らかだった。

 

「ふあぁんっ……っ」

 

 百代の口から、思わず吐息が漏れ出した。それに自分でも気づいて、声を押し殺しているようだ。

 それでも時折、我慢できずに漏れてくる。百代の顔は見えないが、首筋は真っ赤になっており、背中が丸見えの状態では、それがよりはっきりとわかった。

 凛は無言のまま、生唾を飲み込んだ。

 ――――えろい……。

 もっとこの声を聞きたい。そう思うのは変ではないだろう。百代の弱そうなところを探してしまう。

 

「はぅん……り、凛……そこはもう、んッ!」

 

 すぐにわかったのはわき腹と腋だが、百代からストップされる。

 それから、凛は腰の辺りまでいった手を一時とめ、そこからさらに下へ行くか迷った。百代の吐息と自分の心臓の音しか聞こえなくなっている。そして、少しずつ少しずつ、手を下へ下ろしていく。拒否されたら、すぐに止めるつもりだからだ。

 腰骨を通り過ぎたあたりで、百代の体がビクッと震えた。

 

「いい、かな?」

 

 手を止めたまま、凛は顔の見えない百代に聞いた。

 百代はしばし沈黙し――。

 

「……う、ん」

 

 消えそうなほどか細い声で答えた。

 了承が得られたところで、凛は手の動きを再開する。湾曲した膨らみをゆっくりと撫でていき、太ももの中間くらいで、今度は内股をなぞるようにして引き返した。その際に、かなり際どいラインを攻める。

 

「……ん、……ぁんッ」

 

 それに反応するように、百代が小さく喘いだ。ダメだとは思いつつも、凛は手を止めることができない。何度かそれを繰り返し、その度に彼女が甘い声をあげる。

 百代の体は、心なしか熱くなっているように思えた。

 しかし、その後は足に移ったためか、百代はくすぐったそうにすることはあっても、先のような吐息をもらすことはなかった。

 ここでようやく終了となる。最後に、解いていた紐を結び、百代が体を起こした。

心なしか、2人とも疲れていた。

 

「ありがとうございました」

「なんで凛がお礼を言うんだよ?」

「いや……可愛い姿見せてもらったし」

「お前だけ、だぞ」

 

 百代は頬を染めると目線を逸らせた。その手は、お腹や胸元に動かして、オイルをなじませていく。

 

「もちろん。他の誰にも見せたくない――」

 

 凛の偽らざる本音だった。彼は無防備な百代に対して、覆いかぶさるようにして近寄っていく。彼にしては珍しく、我慢できないようだった。

 

「百代……」

「凛……だめ、だ。みんないるんだぞ――」

 

 鼻と鼻が触れ合うほどの距離で、百代が凛の唇に人差し指を当てた。さらに、言葉を続ける。互いの瞳が、互いの顔を映し出していた。

 

「それに……今始めたら我慢できなくなる」

「エロい声だしてたもんね」

 

 凛がニヤリと笑った。しかし、今回は百代も負けていない。

 

「ッ! 凛は鼻息が荒かったぞ!」

「え! 嘘ッ!?」

「あと……手つきもやらしかった……」

 

 百代は凛の手を握った。その顔は、いじわるな笑みを浮かべている。仕返しが成功したからだ。

 

「あんまりにも百代が可愛くて……」

 

 凛は照れ笑いをしながら、顔を離した。

 その一瞬、百代が彼の頬へキスをする。

 

「続きは2人きりのときに……な」

「まるで、俺が聞き分けのない子みたいな言い方ですね」

 

 凛がわざとらしく口をとがらせた。それを見た百代は、クスクスと笑いながら彼の頭を優しく撫でる。

 

「違うのか?」

「……わかりました。降参です」

 

 凛は両手をあげて苦笑をもらした。高ぶっていた気分もすっかり収まっている。しかし、決して不快などではなく、むしろこのやり取りが楽しく思えた。

 そこに、ちょうど声がかかった。

 

「ヘーイ! ロックなお2人さん、昼飯の準備が整ったぞ。まずは飯でも食って、精をつけろ!」

 

 ステイシーの声がする方向では、網と鉄板に火が入れられていた。その周りには、一泳ぎしてきたメンバーたちが集まっている。

 いつの間にか、お昼になっていたらしい。

 

「ご飯食べに行きましょうか?」

「そうだな」

 

 2人は笑い合って、そちらへ向かって歩き出した。

 楽しみは、まだまだこれからである。

 




いやぁ書いた……。
前の話で少し抑えてたので、その分も取り戻す勢いで書いてしまった。
一子って夏が似合うなぁとふと思いました。
クリスも出そうか迷いましたが……。

あと活動報告にて、R-18場面のアンケートをとることにしました。
些細なことでも良いので、ご意見等お待ちしております。
もちろん、この話の感想は、感想欄にて投稿していただけると私の励みになります。


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『旅行3』

 

 

 騒がしい昼食を終えたあと、翔一の提案でビーチバレーをすることとなった。その際に必要な道具(ネットなど)は、クルーザーの中にしっかり準備してあったようだ。

 メンバーは特に決めず、やりたいものが参加――その結果、最初ということもあってか、男(凛、岳人、翔一)vs女(百代、小雪、一子)に分かれた。審判はステイシー。皆、火照った体を海で冷やしたため、水が滴っている。

 そして、軽い取り決め――飛びすぎない、消えない、人を吹き飛ばすアタック禁止などが決められた。この両方に当てはまるのは壁を越えた者ぐらいであるが、何も決めずに始めると、下手したらビーチバレーがまったく別物の競技になりかねない。

 他のメンバーは食休めを兼ねて、パラソルの下でその様子を見守っている。

 サーブは百代からで、ラインの外側でボールを構えていた。

 

「おっしゃー! さっさと始めようぜ!」

 

 前衛についた翔一の声が、砂浜に響いた。まだ海でひと泳ぎしたのみであり、その元気は有り余っている。無駄に左右にステップを踏んだりしていた。

 それに一子が反応する。

 

「コテンパンにしてあげるから、覚悟することね!」

「覚悟覚悟―!」

 

 小雪もそれに続いて、声をあげた。

 

「んじゃあ、両者とも準備はいいか?」

 

 ステイシーが両陣営に目配せし、それに皆が頷いた。

 凛はボールに備えて、軽く腰を落とし、両手を前で組む。

 ――――ああ……何が悲しくて、岳人のブーメランパンツを後ろから見なきゃならんのだ。

 凛は後衛を守っていたので、翔一と岳人の後ろ姿が自然と目に入る。同時に、ため息が出そうになった。

 その岳人は威嚇のつもりなのか、女性陣に向かってマッスルポーズをとっていたからだ。ブーメランパンツが、引き締まった尻に若干食い込んでいる。生憎、凛にはその姿を見て喜ぶ趣味はない。

 ――――それとは対照的に……。

 凛はボールを構えた百代も見た。今にもボールをあげようとする彼女と目が合う。

 ――――目の保養、目の保養。

 この砂浜に負けないほどの白い肌。それと対をなす艶めいた黒髪。腕を寄せているため、強調された胸元。スラリと伸びた脚線美。そして、キリリとした瞳――が、パチリと一瞬閉じられた。

 思わず凛はそれに反応した。他の誰も気づいていない――彼だけに送られたウィンク。自然と彼の頬がゆるんだ。咄嗟にそれを隠すようにして、鼻先を軽く撫でる。たった一つの行動――ただそれだけで、彼は百代から目が離せなくなっていた。もっとも、一緒にいるときに目を離すときの方が、圧倒的に少ないのだが。

 ――――くそっ! 可愛いな。

 お預けを食らっているだけに、一層魅力的に感じられる。そして、見計らったように百代が飛んだ。

 

「凛、頼んだぜ!!」

 

 翔一の声で、凛は我に帰る。

 ネットにかすれたボールは勢いを失うことなく、コーナーギリギリへと飛んでいく。外れるかと思われたが、ライン手前で急激な落差をみせた。

 しかし、凛にとれない球ではない。最後の一歩を強く踏み込んで、自身の体を投げ出し、右手を落下地点に持っていく。そして、ボールが触れる瞬間に、手首を軽くひねり味方の方へ飛ばした。「ナイス!」背後から声がかかった。

 凛は倒れた態勢から、2人の方へと振り向く。既に攻勢へ転じていた。

 

「岳人、いくぜ!」

「おうともよ!」

 

 翔一がトスをフワリとあげ、それに合わせて岳人が助走をとって飛んだ。

 

「うおおおぉぉーーー!!」

 

 ラスト数秒で決めるダンクシュートのように、最初から全力全開である。その気迫が、凛に幻想――赤髪のバスケットマン――を見せるほどだった。

 対する一子と小雪が、ブロックのために両手を差し出す。岳人の188㎝の巨体がより大きく見えた。背の筋肉がこれでもかと盛り上がっている。

 

「させないわ!」

「ブローック!」

 

 一子が正面、小雪が空いた左をカバーしている。彼女らはブロックの成功を確信していた。しかし、岳人はそれを物ともしない。

 

「食らいやがれぇーー!」

 

 岳人はより一層気合を入れながら、腕をしならせ――ボールを軽く小突いた。フワッとした軌道を描きながら、それは彼女らの手のさらに上を優雅に乗り越えていく。

 岳人は2人の呆気にとられた様子を見ながら、したり顔である。

 

「俺様もパワープレイばかりじゃないんだよ!」

 

 両足でしっかりと着地した岳人は、チラリと凛を見て、グッと親指をたてた。

 しかし、勝負はまだついていない。翔一が叫ぶ。

 

「岳人! まだだ!」

「私を忘れてもらっちゃ困るな」

 

 百代が寸でのところでボールをすくい上げた。それを一子が素早く拾い、小雪へとつなげる。

 小雪は既に外へ広がるように走っており――。

 

「お返しなのだ!」

 

 羽毛が風に揺られ、舞い上がるかのような跳躍――そして、アタックを放つ。

 翔一がいち早く反応し、僅かにボールに触れる。岳人も負けっぱなしでは終われないと、懸命にそれを追った。

 

「うおおりゃあ!」

 

 顔を砂浜に埋めるほどの豪快なダイビングレシーブで、なんとかボールを跳ね上げる。

 「ナイスガッツ!」凛は岳人に声をかけ、態勢を崩しながら翔一へとつなげた。

それに応える翔一は、小雪にも負けず劣らずのジャンプを見せる。躍動する彼の姿は、非常に活き活きとしている。そして、彼は彼女のブロックの外側を抉るようなアタックを放った。

 

「風は俺に味方する!」

 

 翔一が発言したとおり、ラインを割ると思われたボールは、突如吹き付けた風の影響でコートに入っていた。際どいところだったが、ステイシーも見誤ることがない。彼女のコールを聞きながら、男3人がハイタッチを交わす。

 

「次は取り返すわ!」

 

 その光景を見ながら、一子が吠えた。

 サーブ権が男へと回る。凛はボールを受け取ると、左手でそれを高々と空に向かって放り投げた。青空に、黄色のボールがよく映えている。

 

 

 □

 

 

 しばらく経つと、メンバーも入れ替わり立ち替わりする。

 卓也が叫ぶ。

 

「岳人! ちゃんとアタック打ってよ!」

「仕方ねえだろ! ステイシーさんがジャンプしたら、思いっきり揺れるんだよ! んな状態でボールなんか見てられねえだろ!!」

 

 岳人が大声で言い訳したり――。

 

 

 ◇

 

 

「ユキ! おまえ、俺を踏み台にするとか何考えてんだ!」

 

 準は倒れた体を起こしながら、小雪に抗議した。彼女が小首を傾げる。

 

「ダメだった? キャプテン椿の橘姉妹もやってたよ?」

「それはサッカー漫画の話だからな……しかも、なんで頭なんだよ! あれの場合は足の裏を合わせてただろ!?」

「んー……そこにハゲがあったから?」

 

 準は大きくため息を吐いたり――。

 

 

 □

 

 

「こら! 京、早く離れろ!」

「そんなこと言って、大和本当は嬉しいくせに……」

 

 ラインギリギリのボールを追いかけた大和に絡まるようにして、京が密着。一度捕まると、彼は容易にそこから抜け出すことができない。

 それをコートから見ていた百代が、こける振りをして、苦笑している凛にわざとらしくくっついた。

 

「おーっと、倒れるところだった。あぶないあぶない」

 

 見事な棒読みつきである。

 そんな百代に気づいていた凛は、体全体で彼女を支えるとともに、左腕を彼女の腰へとまわした。ぎこちなさを一切感じさせない見事な手並み。幼少時代にしばらく習った社交ダンスのせいであろう――体が覚えていたらしい。

 一方、後ろから抱きすくめるつもりが、逆に抱かれてしまう百代。加えて、腰に回された凛の手の感触が、先ほどのマッサージを思い出させ、体がピクリと反応してしまう。それが少し恥ずかしかった。

 落ち着け自分。百代は、赤くなりそうになる顔を気合で押しとどめた。

 凛は顔だけを百代のほうへ向ける。幸い、彼は気づいていないようだった。

 

「対抗心?」

「ダメか?」

「全然! むしろ大歓迎! でも程々にして……」

「なんでだ?」

 

 凛はそれに黙って、右手で大和の方を指さした。

 そこには立ち上がろうとして、中途半端に前かがみになったまま固まった大和。情けない格好ではあるが、男なら一度はこういう態勢をとらなければいけない場面にも出くわしたことがあるのでなかろうか。京は傍でニヤリとしており、岳人からは「おらー!大和しっかり立てー!」とヤジが飛んでいる。クリスは傍に座っている由紀江に質問し、彼女を慌てさせている。冬馬の視線が一層熱を帯びていた。

 数度深呼吸を繰り返した大和は、やがてしっかりと態勢を立て直した。

 その様子を見届けた凛が言葉を付け加える。

 

「俺も男の子だから」

 

 百代はその言葉で察しがついたが、それでもくっつくのを止めない。どうも、凛にくっついていると安心するらしい。少し意地悪い顔を見せながら、彼に問う。

 

「……さっきのときもそうなってた?」

「……黙秘権を行使します」

 

 百代はその答えを聞いて、嬉しそうに凛の顔を見た。彼は視線を合わせようとしない。その代わりに――。

 

「……んっ」

 

 百代は脇あたりをゆっくりと撫でられて、思わず声をもらした。凛はそれを聞いて満足そうにしており、彼女はイタズラを働く彼の手を軽く抓る。

 そんな彼らに、相手コートから声がかかる。

 

「そろそろ再開してもいいか、凛?」

 

 大和だった。百代は京からボールを受け取って、ライン外へと歩いていく。

 

「……おう。いつでもいいぞ。大和たちがイチャイチャしていたのを待ってただけだしな」

「京が勝手にくっついてきただけだ。それにイチャイチャしてるのは凛たちだろ!」

「ごめんな……俺の彼女、甘えん坊だからさ」

 

 親指でくいっと百代を指す凛。彼女が離れたことをいいことに、やりたい放題である。

 

「コイツ……本来なら、姉さんが言いそうなセリフをさらっと言いやがる。しかも、違和感を感じないのが、なんか悔しい!」

「あっ……でもモモ先輩には内緒にしといて。調子乗ってると、ムキになるかもしれないし」

「どうしようかなぁ?」

 

 その言葉に大和は考えるそぶりを見せた。凛がどう出てくるか、チラチラと横目で窺っている。その彼はというと、何やら考え込んでいた。

 ――――上目遣いで俺に言い募る百代……これはこれで捨てがたいな!

 

「……ムキになるモモ先輩も可愛いだろうな。やっぱ、どっちでもいいや」

「お前ノロケたいだけじゃん!!」

 

 大和の叫びが砂浜に木霊したり――。

 その後も、由紀江が松風のセリフで百代を軽く挑発したり、それに乗っかってクリスと一子が参加し、本格的な試合が繰り広げられたりと終始賑やかにビーチバレーは続いた。

 

 

 ◇

 

 

 そして、次に始まったのはスイカ割り。用意されたスイカは2つ。割りたいと挙手したのは翔一、一子、クリス、小雪。4人はジャンケンでそれを決めようと集まった。

 そこに凛が声をかける。

 

「おーい。もう一人そこに追加だ。ほら、まゆっち」

「えっ! あの……凛先輩?」

「手挙げようとしてたろ? みんなガツガツ行くほうだしな。まゆっちもやりたかったら、積極的にいかないと! ということで、いってらっしゃい」

「あ、はい……ありがとうございます」

『ヒエラルキートップのお墨付きだぜ! まゆっち、いったれー!』

 

 松風の順位付けでは、そうなっているらしい。そして、押し出されるまま由紀江もその4人の中へ混ざった。

 結果、由紀江とクリスがスイカを割る権利を手に入れた。

 やはり、壁を越えた者である由紀江の動体視力は半端ではないらしい。彼女は勝つべくして勝っていた。よって、隣で大喜びしているクリスとは対照的に、戸惑っている。

 

「い、いいんでしょうか?」

「勝ったんだから、胸張ってガツーンと割ってやればいいのよ!」

 

 岳人が、手に持った木刀を思い切り振り下ろしながら答えた。もう一本の木刀はクリスが持っており、気分はサムライといった感じである。大和丸で行われた殺陣を再現するように、ブンブンと木刀を振り回していた。

 ちなみに、この木刀の素材は黒檀であり、黒光りするそれは重厚感があった。後の話だが、値段を聞いたメンバーの大半は驚くことになる――由紀江は実家の道場でもよく目にしていたため、すぐに見抜いていたようだが、凛も当然驚いていた。

 翔一が由紀江に話しかける。

 

「そうそう! 岳人の言うとおり……派手なスイカ割り期待してるぜ!」

「でも、まゆっちなら割る……というか切りそうだよね」

 

 京がそう呟くと、それを聞いていたメンバー全員が納得した。

 

「皆さんのご期待に沿えるよう精一杯頑張ります!」

「自分もズバッと一刀両断してくれる!」

 

 かくして、スイカ割りの準備が整った。

 

 

 □

 

 

「クリスー! もっと右だ右!」

「そのまま真っ直ぐよ!」

「違う違う! もう通り過ぎてるぞ!」

「周りの声に惑わされるな! 心の眼で見るんだ!」

「クリスーうしろー!!」

「後ろに3歩下がって、左斜め後ろを思い切り叩けば割れるぞ!」

『クリ吉はアホの子じゃねぇ! できる子ってとこ見せてやれー!』

「あぁ! もうちょい左左!」

「早く割らないと冷たいスイカが食えないぞー!」

 

 外野から飛んでくる指示やら嘘やら声援を聞きながら、目隠ししたクリスはあっちへフラフラ、こっちへフラフラとスイカの周りを歩き回る。

 

「スイカ割りとは思った以上に難しいな……あと松風!! お前あとで覚えていろよ!」

 

 このときだけは、木刀を真っ直ぐビシッと由紀江のいる方向へと向けるクリス。

 その後、なんとかスイカの前までたどり着いたクリスは、周りに何度も確認をとったのち、思い切り木刀を振り下ろした。

 そこはやはり武士娘。スイカを中途半端に割るなどという結果にならず、見事に両断して見せた。そして、ドヤ顔。百代を筆頭に、凛、京、大和に愛でられるクリスだった。

 その間、割られたスイカは即座に回収される。メイドたちが切ってくれるようであった。

 続いて、由紀江の番となる。皆がクリスのときと同様、指示を出していく。

そして、ちょうどスイカが射程範囲に入ったところで、由紀江は迷わず木刀を振り下ろした。

 

「はあっ!」

 

 刀身がブレるが、それに突っ込む者などここにはいない。スイカを中心として、砂が波紋をつくった。

 

「5回?」

 

 京が隣に立つ凛に問いかけた。大和は一瞬何のことかわからず、首をひねった。

 

「6回だな……本気でないにしても、さすがだ。うーん、いつか神速の斬撃ってのを見せてもらいたいなぁ。きっと凄いんだろうなぁ」

「……凛は、意外と戦闘大好きっ子」

「それは間違いないな」

「そして、モモ先輩大好きっ子」

「うむ。異論はない!」

 

 胸を張って答える凛。

 そこでちょうど、スイカがパカリと12等分になった。その切断面は刃物で切られたように真っ平らであり、途中にあった種すらも綺麗に両断されている。しかし、下にひかれたシートには傷一つついていない。

 一子が凛に向かって叫ぶ。その手には既にスイカ。

 

「凛! なんか李さんが呼んでるわ!」

「了解!」

 

 凛は余ったスイカでデザートを作るために、クルーザーへと向かった。

 

 

 ◇

 

 

 凛は手始めにスイカのスムージーを作る。凍った牛乳と四角く切られたスイカをフードプロセッサーにかけ、ハチミツと砂糖で味を調え、白のストローと黄色のハイビスカスを添えた。

 ――――中々いい感じ。

 その出来栄えに満足しながら、それらをトレイに載せていると、タイミングよく李が現れ、手際良くそれを運んでくれる。

 そこへ百代がやってきた。凛の対面――キッチンに肘をついて、彼を観察する。その顔は終始笑顔であり、何やら楽しそうであった。彼も気になってチラチラと彼女に視線を送るが、一向に口を開こうとしない。

 ようやく喋り出したのは、全員の飲み物が完成したときであった。

 

「姿が見えないと思ったら、調理してたんだな」

「せっかくだから、最高の場所でデザートを食べてもらいたいと思ってね」

 

 凛は百代に受け答えしながら、もう一つのデザートに取りかかる。本来なら時間がかかるものだったが、下準備をあらかじめ済ましておいたため、あとはフルーツを切って盛り付けるぐらいだった。

フルーツを冷蔵庫から取り出すと、その香りが一気にクルーザー内に行き渡る。

 

「お前は料理人にでもなるつもりか?」

「いや、将来は百代の旦那になるつもりだけど?」

「なんかサラッとプロポーズされた!?」

 

 頬杖をついていた百代が、背筋をシャンと伸ばした。

 凛は、そんな彼女を一瞥すると穏やかに笑う。続けて、カスタードクリームに、マンゴーピュレ――マンゴーを調理し、滑らかな半液状にしたもの――を混ぜ合わせ、それを小ぶりのガラスの器へ入れ、その上に生クリーム、カットしたマンゴー、メロン、ドラゴンフルーツ、パインなどを盛り付けていく。よく見ると、クリームの間にはスポンジケーキもはさまれている凝りようであった。最後にミントの葉を飾る。

 続々と出来上がるデザートは、色合い豊かであり、目を楽しませてくれる。

 

「まぁそのときは、もっとちゃんとするけどね……それまでお楽しみに。はい、あーん」

 

 デザートを完成させた凛はそう言って、瑞々しいアップルマンゴーの果肉を百代の口元に差し出した。彼女も迷わず、それを口に入れる。

 

「はむ……うん、おいひぃ」

「俺の指まで食べないで……そして吸わないで」

 

 ――――なんかエロい!

 百代は凛の指を渋々離した。離れる瞬間、ちゅっと水音が鳴った。

 凛もカットしたそれを一つ掴み、口へと運ぶ。噛みしめると、甘みたっぷりの果汁が口一杯に広がった。

 

「そのスムージーどう?」

「ん? ああ、旨いぞ。ありがとな」

「そっか、よかった。俺にもそれ飲ませてくれない?」

 

 百代はそれに頷くと、自身のスムージーを凛に渡そうとする。しかし、彼はそれを受け取らない。

 

「飲むんだろ?」

「うん、飲むよ。……だから、飲ませてくれない?」

 

 何言ってるんだコイツ。百代の顔には、はっきりと困惑の色が見て取れた。

 今度は、凛が楽しそうである。

 

「口元に持っていったらいいのか?」

「いやいや、だからさ――」

 

 凛は他に誰もいないにも関わらず、百代の耳元でコショコショとその内容を伝えた。

 

「ダメ?」

「い、いやダメじゃないけど……李さんとか来るかもしれないだろ?」

 

 百代はクルーザーの出入り口を見た。いつ人が入ってくるかわからないのが気がかりらしい。

 そこへちょうど李が現れ、凛は出来上がったデザートを手渡す。出ていくところで、「しばらくはクルーザーに近づきませんので、ごゆっくり」と2人に声をかけていった。

 

「よっし! これで問題解決」

「李さんになんか誤解されてないか? それに私と凛の身長じゃ多分こぼれるぞ」

「確かに。……んじゃあ、そっちのソファに移動して」

 

 凛はそのまま深くソファに腰掛けると、自分の膝をポンポンと叩いた。百代はそれに導かれるように、ゆっくりと乗っかっていき、やがて彼の太ももの上に女の子座りをした。彼女の両腕は、彼の首の後ろにまわされている。スムージーは窓際の桟の上に置いた。

 2人の今の姿を見たものがあれば、それこそ誤解されそうである。

 百代が少し上から凛を見下ろす形となった。

 

「これ……なんか新鮮だな。いつも見上げてばっかりだったから。この格好、私結構好きだぞ」

「おお、俺はなんか攻められてる感じになるな……」

 

 ――――真剣妖艶! モモ姐さん!

 バスト91は伊達ではなく、至近距離においては圧倒的な質量を感じさせ、下から眺める百代の顔は大人びて見える。

 Sっ気が刺激されたのか、百代はご機嫌そうに笑った。そして、スムージーを少し多め口に含み、そのまま凛の唇へと持っていく。

 

「ん……ちゅ、れろ……れちゅる――」

 

 百代は、ゆっくりとスムージーを凛へと流し込んだ。確かに飲ませてもらっていた。喉を通る冷たさが心地よい。波音などとうに2人の耳から消え失せ、ただただ自分たちの立てる水音だけが聞こえてくる。

 しかし、口に含まれる量などたかが知れている。すぐに百代の口の中は空っぽとなった。それを見計らったかのように、彼女の唇が凛の舌によってなぞられた。そして、そのまま口内へ――。

 ある程度予想がついていたのか、百代もあまり驚くことなく、おずおずと舌を伸ばしていく。凛が彼女の舌裏をサラリと撫でた。背筋が震えるような快感が走り抜ける。彼女もお返しをしようと舌を伸ばすが、彼は舌を引っ込めてしまった。当然、彼女は追いかける。しかし、彼は中々舌を絡めてこない。

 痺れを切らした百代は、一旦顔を離す。

 

「うー……凛、意地悪するな」

 

 それだけ口にすると、百代はまたキスを再開させた。

 ――――そういう反応するから、意地悪したくなるんだよな。

 凛は黒髪を撫でながら、すぐに舌を絡ませにいく。

 

「ん……はぁ、んちゅ……れろれちゅ、れる――」

 

 もうすっかりスムージーの味を消え去り、互いの唾液を交換しあうのみになっていた。しかし、それに飽きがくることはなく、むしろずっと続けていたいほどに気持ち良い。甘く蕩けるような――2人はまさにそう感じていた。

 百代が凛を見つめる。

 

「ん……はぁはぁ。キス気持ちいいな」

「ちゅ……正直、病みつきなりそう」

 

 凛はそう言うと、また百代の中へ舌を滑り込ませた。彼女はそれを優しく迎え入れると、軽く吸うようにして弄ぶ。

 

「百代……」

「なんだ?」

「大好きだよ」

「私も大好きだ」

 

 凛が百代の唇を甘噛みすると、彼女もお返しとばかりに軽いタッチのキスを繰り返してきた。

 

「ところで……凛」

「何?」

「さっきから、私の下で固いものが、当たってるような気がするんだが」

「いやもう、正直これはどうしようもない」

 

 凛はそこで、背中に回していた右手をそっと百代の股へと伸ばした。

 

「あっ! おい、凛んっ!」

 

 百代の体がビクンと跳ねた。彼女も、自分の体がどうなっているか分かっているようだ。

 凛は指先を確認して、百代をじっと見つめる。たちまちに、彼女の顔が赤らんでいった。

 

「興奮してるのは、俺だけじゃないみたいだけど?」

「あっ、当たり前だろ! ん……だからっ、弄るなぁ」

「だって、百代。可愛い声出すんだもん。余計に弄りたくなる」

「そんなこと……んんっ、言ったって、声が勝手に出るんだ」

 

 百代はこれ以上声を出すまいと、凛の口で自らの口を塞いだ。

 ――――俺も理性が振り切れそう。

 しかし、百代のくぐもった喘ぎを聞いていると、興奮が収まりそうにない。瀬戸際に追い込まれた理性は、本能に追い落とされそうになっている。だが、それも長くは続かなかった。クルーザーに近づく気配を感じ取ったからだ。それだけで、理性が舞い戻ってくる。

 ――――百代のこの姿もこの声も誰にも見せんし、聞かせん!

 

「百代、誰か来る……」

「えっ……」

 

 その言葉に、百代は体を固くし、トロンとしていた瞳も夢が覚めたように、元に戻っていた。しかし、動くのが億劫なのか、凛に身を委ねたままだった。2人とも一応口元を綺麗に拭っておく。

 やってくるのが誰か、すぐに判明した。

 

「ふむ、クリスだな。ワンコやまゆっちも一緒みたいだ」

「なんか前にも似たようなことなかったか?」

「花火大会のときも、そういえばクリスが来たんだっけ? でもまぁ……ちょうどよかった。これ以上はさすがに耐えきることができなかったから」

「……なぁ、凛」

 

 百代は体を起して、首の後ろに腕を回したまま凛と向かい合った。その顔は、これから自分が言おうとしている内容のせいで、熟れた林檎のように紅潮している。

 はしたなく思われないか。不安がないわけではない――しかし、それ以上に百代は、凛とのより強い繋がりが欲しかった。

 また、2人きりの旅行――というわけにはいかなかったが、それでも初旅行には違いない。記念に残る思い出も一つは欲しくなる。タイミングとしては絶好であった。

 

「ん?」

「その、な……私、凛と――したい」

 

 消えるようなか細い声で紡がれる言葉は、一部聞き取れないほどであったが、内容は十分に理解できるものだった。

 凛はそのセリフを聞いて、百代が乗っているにも関わらず、思わず立ち上がりそうになった。自分から誘おうと思っていたのに、まさかの彼女からお誘いがかかったからだ。

 ――――これはかなりそそられる……。

 凛は体が熱くなるのを感じながらも、百代に優しくキスをする。

 

「じゃあ、今日の夜は2人で過ごそう」

 

 そう言って、百代を強く抱きしめた。「うん」彼女の声が、凛の耳に届く。

 しかし、百代はそこで一つの疑問を抱く。凛の肩に手を置いて、また彼を見つめ返した。

 

「でも……部屋はどうするんだ?」

「大丈夫! こんなこともあろうかと、いつでも手配できる準備だけはしておいたから」

 

 無駄にキリッとした顔で答える凛。

 

「手際いいな……って、もしかして私から切り出さなくても、凛から言うつもりだったのか?」

「そりゃもちろん。せっかく沖縄来たんだから、百代との思い出も欲しいしね」

「だ、だったら、早く言えよ! うぅ……すっごく恥ずかしかったんだからな!!」

 

 百代が、ガーッと吠えたてた。頬がまた赤く染まっている。その顔を見られまいと、凛に抱きついた。

 凛が今どんな顔をしているのかわからないが、その声はいつもと変わらず、穏やかなもので、百代の髪をまるで猫をあやかすかのように何度も撫でる。

 

「ごめんごめん。でも、凄く嬉しかったよ」

「……キス、してくれたら許してやる」

「可愛いなぁ百代は。そんなの俺からお願いしたいくらいだ」

 

 拗ねた表情の百代と微笑む凛は、また顔を寄せ合った。窓際にあったスムージーは、すっかりぬるくなってしまっているが、それに気づいたのはクリスが飲みたがったときであった。

 その後、百代は一子や由紀江、京、大和と会う度に、「機嫌良さそうだけど、なんかあった?」といった内容のことを聞かれることになる。その答えも「別に」と素っ気ないものだったが、声は明らかに弾んでいた。

 




 百代が、もはや完全なる乙女に覚醒してるんですが、大丈夫でしょうか?


 それはさておき、次回は遂にR-18に挑戦します!!
 話としては、きみとぼくとの約束(R-18版)として、別小説で投稿しようと思っています。
 投稿した際は、活動報告にて一報入れるので、ご覧になられる方は、そちらを確認してください。別に気にならない方は、朝チュンをお待ちください。
 あー朝チュン書くのも楽しみで仕方がないです!
 R-18はエロく! そして、幸せな感じを目指して頑張ります!!


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『旅行4』

 

 

 先に目が覚めた百代は、じっと凛の寝顔を見つめていた。彼も体を彼女の方へ向けているため、彼女からすると見放題である。

 長い睫毛、キメの整った肌、鼻筋が通っており、彫りも若干深い顔立ち。彼女は思わず、凛の頬をツンツンと突いた。むずかる彼に、自然と笑みがこぼれる。

 やがて、凛の瞼が微かに動き、徐々に目を開いていく。そして、2,3度瞬きを繰り返すと、百代に向かって微笑んだ。

 

「おはよう、百代」

「ふふ、おはよう。凛」

 

 百代が凛に顔を近づけると、彼も察して瞳を閉じた。秒にも満たない短いキス。

 

「先に起きてたんだ? 起こしてくれればよかったのに」

「ちょっと凛の寝顔が見たくてな」

「おもしろくも何ともないでしょ?」

「そんなことないぞ。見てて飽きない」

「変な顔とかしてなかった?」

「全然……可愛い寝顔だったぞ。我慢できずに、ちょっかいをだしてしまったぐらいだ」

 

 そう言って、百代はまた凛の頬を突いた。彼もなすがままになっている。彼女は、そのまま頭を撫で始めた。前髪に軽く触れ、そこから側面へと手を滑らせる。彼の髪は短めであるため、毛が絡まることもない。

 そこで突然、凛が百代へと抱きついた。いつもなら身長差があるため、彼が抱きついても、彼女が抱きすくめられる形になるのだが、今はベッドに寝転んでいる状態のため、いくらでの調整がきく――彼は彼女の胸元に顔を埋める。

 いきなりの出来事に、百代の手が一瞬止まるが、またすぐに再開させた。距離が縮まったため、後頭部まで手が届く。左腕は凛の背中へと回し、彼を優しく包み込んだ。

 

「どうしたんだ、凛?」

 

 問いかけた声は、百代が自分でも驚くほど穏やかなものだった。

 

「んー? いや、なんとなく甘えたくなった……」

 

 百代の胸がキュンとなる。頼りになる男――それが彼女も含めた周りから見た凛の印象であった。戦いにおいては、世代のトップに君臨する実力を示し、頭も良く、人を引き付ける魅力も持っている。料理を作らせれば、多くの人々を唸らせ、クラウディオ仕込みの礼儀作法まで身に付いている。こう書くと、死角のない完璧なものに見えるが、そんな彼もまた一人の人間である。どこかで息を抜きたくもなるだろう。しかし、凛の性格上、それが中々うまくいかない。結果、相手に頼られることばかりに慣れていき、その逆ができなくなっていた。

 凛が自分を支えてくれるように、自分も凛を支えたい。力になってやりたい。百代は腕の中にいる彼を抱きしめながら、強くそう思った。

 凛は目を閉じて、ゆっくりと呼吸を繰り返した。百代の柔らかさと優しい匂いが、彼を落ち着かせてくれる。

 1分ほど経ったのち――。

 

「……あーその……急に、ごめん」

 

 凛は恥ずかしくなってきたらしい。離れようと体を動かした。しかし、百代は決して彼を解放したりしない。加えて、彼の体も正味のところ離れたくないようであった。すぐに、動くのを止めた。

 百代が、先と同じ声色で答える。

 

「別に構わない。むしろ、凛の方から甘えてきてくれたことが、私は嬉しいぞ。同年代に比べても、お前はどこか大人びてるから、頼りにしてしまいがちだし……凛だって誰かに甘えたくなるときもあって当然だ。その相手が私で、今凄く幸せなんだ。だから、謝ることなんてない」

「……えっと、それじゃあ……ありがとう」

「ん、それでいい」

 

 百代に出会えてよかった――。

 

 ともすれば、聞き逃してしまうほど小さな呟きだった。凛が意識して呟いたのか、はたまた無意識に吐露してしまったのか、百代には判断がつかなかったが、聞こえないフリをした。これ以上、言葉が必要とも思えなかったからだ。同時に――。

 それは私も同じだ。百代はそう思った。

 凛は眠ってしまいそうな心地よさに、しばらく身を委ねていた。それは、長い間飛び続けていた鳥が、止まり木で羽を休めるようなものだった。

 静かで――穏やかな時間が流れる。外は明るさを増しているようで、カーテンの隙間からも朝日がこぼれていた。外の廊下からは、親子連れと思われる元気な声とそれを窘める声が聞こえた。

 それを聞いた2人は、クスクスと笑いあう。結局、凛が「もう大丈夫」と言うまで、百代は撫でる手を止めなかった。

 

 

 

 

「情けない姿を見せてしまった……」

 

 未だ横になったままの凛は、照れ笑いを浮かべながら、柔らかく笑う百代を見た。

 

「凛の新しい一面が見れて、私は嬉しかったけどな。それに、凛はただでさえなんでもできるんだ……その上、頼りにもされないなんて、私が傍にいる必要もなくなっちゃうだろ。私ばかり頼るなんて、それはなんか嫌だ。だから――」

 

 百代は再度凛を抱きしめ、言葉を続ける。

 

「いつでも甘えてこい。頼ってこい」

「それ、男が言いたい台詞ベスト10に入ってそう」

 

 百代は一度離れると、凛と顔がくっつきそうなほどの距離で見つめ直す。

 

「茶化すな。割と真面目に言ってるんだぞ」

「いや、やっぱ男のプライドみたいな? ……彼女の前では格好いい姿を見せたいんだよね」

「そう思ってくれるのは嬉しいけどな。……頼られないのは寂しいぞ。仮に、私が凛に甘えたりしないで、一人で何でもこなしていったらどうだ?」

 

 百代の言葉を聞いて、凛は黙って想像する。

 

「あーうん、確かに……俺っていらなくないって思うかも……」

「だろ? それに、私は凛より一つ年上だしな! 甘えられるのも悪くないっていうか、胸がこうキュンキュンするな」

「キュンキュン?」

「そう……キュンキュン! こいつ可愛いなぁみたいな感じだ」

「ああ、俺が百代によく思うやつね」

「それは美少女だから仕方がないな!」

 

 百代は得意げに笑って見せた。

 今度は、凛が百代を抱きしめ返す。彼女は彼の胸元に寄り添いながら伝える。

 

「凛に抱きしめられると安心するんだ。だから、私もこの安らぎとかさ、凛に与えてやりたい。私ってその……女の子らしいことあまりできないだろ?」

 

 料理とかはこれから頑張るつもりなんだけど。慌てて、そう付け加え、さらに続ける。

 

「だから、せめて――」

「ありがとう、百代」

 

 凛は百代の唇を奪った。互いに啄ばむようなキスを繰り返す。

 

「私にできることなら、なんでもしてやるぞ」

「それじゃあ……今度、膝枕でもしてもらおうかな?」

「いいぞ。ついでに、耳掃除もしてやる」

 

 そう言って、百代は凛の耳元に息を吹きかけた。

 

「それは楽しみだ……っと、そろそろ起きよう。ご飯食べにいかないと」

「ん、もうそんな時間か……凛、私の下着とってくれ」

 

 百代は、凛の少し離れた場所にある下着を指さした。それを受け取ると、シーツを体に巻きつけて、シャワールームへと向かう。

 

「服着たら教えて。俺も歯磨くから」

「一緒に来てもいいんだぞ?」

「高校生の性欲舐めたらダメ。そのまま、始めたくなるから」

「……凛のえっち」

 

 そう言いながら、百代は自身の肉体を軽く抱きしめる。その姿はとても扇情的であった。

 ――――挑発してるんですね。わかります……静まれ俺!

 扉が閉まったあと、凛も衣服を身につけ、ついでにカーテンを開ける。窓一杯に広がる海は、朝日を受けてキラキラと光っていた。砂浜には散歩をしている人の姿も見える。

 ソファの背もたれに座りながら、それをぼーっと眺めていると、百代の声が聞こえてきた。凛はそれに返事をして、彼女のいる場所へと向かう。

 

 

 □

 

 

 シャコシャコと小気味良い音をたてながら、2人は仲良く歯を磨く。

 百代は身だしなみを軽く整えているため、寝ぐせなどもすでに見当たらないが、起きたままの凛は、左側面の髪がくるりとハネていた。そんな部分ですら愛しく思えてしまうのは、恋人であるからだろう。

 百代はそれを確認して、空いているほうの手で撫でつける。もちろん、そんなことでそれは治まったりしない。彼女の手が通り過ぎると、また勢いよくくるりとハネた。

 凛と百代の視線が、鏡越しにぶつかる。彼女はもう一度撫でた。またハネる――どうやら、彼女は楽しんでいるようだ。彼は彼で、別に悪い気はしないため、そのまま歯を磨き続ける。

 

「あとで、私が直してやる」

 

 先に口をゆすいだ百代が、嬉しそうにそう言った。凛はただ頷く。

 まったりとした時間だった。

 

 

 ◇

 

 

 朝食に向かう前に、凛と百代はそれぞれの泊っていた部屋を目指していた。2人でそのまま行ってもいいのだが、朝から2人揃って皆に合流すると、絶対に勘ぐられ微妙な空気になりかねない。それを避けるためであった。

 ちなみに、百代の同室だった一子と凛の同室だった大和には、各々があらかじめ2人で過ごすことを伝えてある。最初はきょとんとする一子であったが、姉から少し詳しい事情を聞かされると大いに慌て、大和の方は先に卒業する仲間を快く送り出してくれた。

 2人はエレベーターを降り、部屋のある方へと歩く。その途中、なぜか岳人が向こう側から現れた。朝食まではまだ時間がある。

 

「うおーす。なんだなんだ! 2人は朝から散歩デートか?」

 

 勝手に勘違いしてくれる岳人。それでも視線は厳しいものであった。デートだけでもこの視線である――もし、2人が抜け出してニャンニャンしていたと知ったら、この男がどうなるか想像もつかない。何かに変身してしまうのではなかろうか。

 凛がそれに答える。

 

「……まぁな。岳人はどうしたんだ?」

「俺様も少し浜辺を散歩しに行くところだ」

 

 まさか朝日を浴びるためなどという、健康的な理由ではなかろう。まだ付き合いの短い凛でも、その理由を容易く想像できる。

 岳人が声を潜めながら、凛に問う。周りには3人以外、人影はない。

 

「綺麗なお姉さんが一人で歩いたりしてなかったか?」

「えーっと……俺たちのときは見かけなかったかな」

 

 百代は隣で呆れている。

 

「まじかよ! 犬を散歩させているお姉さんに、声をかけるシュミレーションとかやりまくったんだぞ……い、いや今行けばいるかもしれん! んじゃあまたあとでな」

「おう……まぁ頑張れ」

 

 いないとは言い切れないため、凛も応援するしかない。

 

「まかせとけ! とびきりの美人を捕まえてきてやるからよ!」

 

 前フリのような言葉を残し、ガッツポーズをした岳人は悠然と歩いて行った。

 その後ろ姿を見送る凛は感心していた。

 

「岳人のあの行動力は凄いな」

「まぁ……結果は見えているがな」

 

 百代は辛辣だった。

 

 

 □

 

 

 ガックリと肩を落とした岳人が合流したところで、皆は朝食を食べ始めた。今日も一日イベントが詰まっており、朝から車で出かけることになっている。

 まず向かったのは万座毛。そこにあった出店で、一子がいきなり食べ物を買う。

 

「サータアンダーギーおいしい!」

「犬、自分にも一つくれ! ……おお、確かに旨い」

 

 7個ほど入った袋を持った一子とクリスがはしゃぎ、それを見ていた岳人が口を開く。

 

「お前ら、さっき朝飯食ったばかりでよくそんなに……と、美人のお姉様発見!」

「どこだ!?」

 

 それに百代が食いついた。岳人の指さす先には、女子大生と思われるグループがいる。

 凛が相変わらずの百代の姿に苦笑をもらしていると、大和が声をかけてくる。

 

「凛がいない姉さんの将来を考えると、ゾッとするな」

「可愛い子大好きだからなぁ。……って、キャップそんな崖ギリギリに近づくな! 注意書きがあるだろ!」

 

 崖下を興味深そうに覗きこむ翔一の体には、既に無数の糸がゆったりと絡められていた。それに気付いた百代が、凛を見て笑みをこぼす。ちなみに、それに追随しようとしたクリスは松風に、小雪は準に止められていた。

 その次は琉球城蝶々園。

 

「おおー……なんか蝶々が僕に寄ってくるのだ」

「いくらなんでも寄りすぎじゃない?」

 

 小雪の服に止まる蝶々の群れを見た京がツッコんだ。彼女らの周りにも、まるで雪のように蝶々が舞っている。

 冬馬がその様子に微笑む。その隣で準が少し引いている。

 

「ユキは蝶々に好かれていますね」

「いやいや、若。あそこまでいくと、ちょっと画的にグロくないか?」

 

 その後ろでは、卓也が大和に声をかけていた。

 

「大和、ほら! みんな行っちゃうよ!」

 

 大和は大きな水槽の前から微動だにしない。

 

「ヤドカリには及ばないが、ヤシガニも中々……ふふ」

「ちょ、ちょっと誰か! 大和なんとかして!」

 

 昼食をはさんで、美ら海水族館。有名な観光スポットだけあって、観光客も多い。

 小さな水槽が並ぶ一角で、百代が凛に話しかける。

 

「凛、カクレクマノミがいる! 可愛い……それに綺麗だ」

「そういえば、これを題材にした映画があったような?」

「あれ、実はカクレクマノミがモデルじゃないらしいぞ。クラウンフィッシュとかいうのが正解なんだ……」

「百代詳しいな。その隣は……なんか砂の中からよくわからん魚? ……この細長い生えてる奴、これ魚?」

 

 凛が目を移した水槽には、よくわからない生物が、葦のように、無数に砂の中から生えていた。

 場所を移って、この水族館の目玉とも言える巨大水槽。ジンベエザメ、マンタ、海ガメを始めとした多くの海の生物が、ゆったりと泳いでいる。遠目から見ても、視界に全てが収まりきらないくらい広い水槽は圧巻であり、客の多くがカメラで撮影していた。どこかの地方のテレビ局もカメラをまわしている。

 

『でけぇ……さすがのオイラもジンベエザメの大きさには敵わねぇ』

「これは壮観ですね。皆、のんびり泳いでいて楽しそうです」

 

 それを眺めていた松風と由紀江が、感想をもらした。

 その隣で、小雪と京がおもむろに喋り出す。

 

「沖縄の寿司屋は大きいねー」

「お客さん、今日はどのネタに致しましょう?」

『そうそう、寿司は鮮度が命だから……って、なんでやねんっ!』

 

 松風のノリツッコミがさく裂した。百代を連れた凛が、3人に声をかける。

 

「下に移動するぞ。……って、あれ? クリスとワンコはどこ行った?」

「先ほど、2人で降りて行かれました。ステイシーさんが同行されていたので、大丈夫だと思います」

 

 巨大水槽の間近いた翔一が、上の方を見上げて、声をあげる。

 

「おい、あそこ誰かが潜ってるぞ! 俺にもやらせてくれねぇかな?」

「お前さん、本気で頼みにいきそうだな。……っ! あれはもしや迷子か!?」

 

 準が目敏く幼女を発見した。幼女はキョロキョロと辺りを見回している。

 

「親御さんがちゃんといるみたいだぜ。というか、水族館なんだから魚を見ろよ」

 

 一緒にいた岳人も魚を見ていない。その視線は、女の子と会話している冬馬に向けられている。ぐぬぬと歯ぎしりをしそうな勢いだった。

 

「葵冬馬の奴、今度は女子大生かよ! さっきは女子高生、その前は看護師! なんで、ナイスガイの俺様には一人として寄ってこないんだ!」

 

 そこまで言うと、視線を翔一と後ろからやって来ている凛に向けた。その間、冬馬はまた別の女の子の相手をしている。恐るべき男であった。

 

「でもまぁ……凛やキャップに声がかかっていないだけでも、救われるぜ」

 

 それを聞いた卓也が、水槽から目を離す。

 

「いや、凛にはモモ先輩が一緒にいて、キャップは絶えず動き回ってるからじゃないかな?」

「そんな冷静な分析は求めちゃいねえ! ……ん? ところで大和はどうしたんだ?」

「なんか、この先にあるオカヤドカリ? とかいうヤドカリの展示があること知って、引き寄せられていった」

「しょうがなぇヤドカリマニアだな」

 

 そして、外に出た一行は売店で一旦休憩をはさむ。

 そこでココナッツジュースを買った卓也だったが、期待していた味ではなかったらしい。他のメンバーもそれぞれ飲み物を手にしていた。

 

「うわっ! 初めて飲んだけど、あんまりおいしくないや。岳人飲む?」

 

 ちなみに、ココナッツジュースはその生産地によって味が異なり、甘いものもあれば、味がとても薄いものもあったりして、その場合予想と反しておいしくないと感じることもある。

 岳人は差し出されたココナッツを前に、苦い顔をしている。

 

「モロ……おいしくないと言ったものを平気で人に薦めてくるな!」

 

 そこへ一子が加わる。

 

「でも、ココナッツジュースは栄養満点だから、体に凄くいいのよ! 天然のスポーツドリンクって言われてるぐらいなんだから」

「なに!? ……そういうことなら、俺様も飲んでおかないとな! クリス! お前の残した分も飲んでやるよ」

 

 そのまま、一気に2つのココナッツジュースを飲み干す岳人。「いい飲みっぷりだ」と、翔一が囃し立てた。

 それを見ていた凛が、さらに説明を付け加える。

 

「まぁ……飲み慣れていないときに大量に飲むと、腹壊すこともあるけどな」

「お前、なんで全部飲みほした後に言うんだよ! そういうことは先に言え!」

 

 最後まで賑やかな一行であった。

 その次は森のガラス館へ向かう。そこではオリジナルグラスを作り、翔一がその素質を見込まれて勧誘を受けたり、凛と百代が互いに自作のグラスをプレゼントしあい、周りから冷やかされたりした。

 そして、最後におきなわワールドを楽しんだ一行は、また宿泊しているホテルへと戻ってくる。夕食をとったあと、男女分かれて風呂に向かった。

 

 

 ◇

 

 

 百代が湯に浸かり、のんびりしていると、京がすーっと近づいてきた。

 

「昨日、なんかあった?」

「ん? なにがだ?」

「あれ? ……気のせいかな」

 

 そこへ他のメンバーも集まってくる。クリスが2人を見比べながら、口を開いた。

 

「何の話をしてるんだ?」

「モモ先輩、昨日なんかあったんじゃないかと思って、聞いてみたんだけど――」

 

 そう言って、京が一子と目を合わせた瞬間だった。

 

「な! な、何もなかったわ!!」

 

 一子は何も聞かれてないのに、大きく否定の声をあげた。それには、京のほうが驚いたらしく、目を見開いている。百代を除いた他のメンバーも同様だった。

 しまった。それすらも表情にでてしまう一子。そのまま、どうしようとしょぼくれた顔で姉を見る。

 百代はそんな妹を見て、ただクックと笑う。可愛くて仕方がないといった様子だった。怒っていないという意味を込めて、妹の頭をポンポンと撫でる。

 

「別に秘密にしていたわけじゃないから、ワンコが気にすることはない。ただ、凛と私は昨日の夜、一緒に寝たというだけだ」

「なんだ……びっくりした。犬があんまりにも大きな声出すから、何か重大なことでも起きたのかと心配したぞ。そうか……モモ先輩、凛と寝たのか…………って、えっええぇえぇぇ!!」

 

 今度はクリスが立ちあがり叫んだ。小雪はただ興味ありげに頷くだけ。

 その隣で、由紀江が顔を真っ赤にする。

 

「つ、つつつつまり……それは、モモ先輩と凛先輩がまぐ……はぅ」

「やっぱりそうだったんだ。なんか朝から2人の様子が違って見えたから、おかしいと思ってたの」

 

 京の視線を受けとめながら、百代が問う。

 

「凛も私も別段おかしくなかったと思うけどな……」

「んーなんていうのかな? こればっかりは空気が違ったとしか言い様がない」

「そんなもんか?」

「そんなもんだよ……それで?」

 

 京がずずいと顔を寄せる。他のメンバーもそれに続いたが、一子だけは「体洗ってくる」と、その場から逃れていった。

 

「いや、お前ら一体何を期待してるんだ? 詳しい内容なんて、いくらお前らでも教えないぞ」

「えー……じゃあ、軽い質問。気持ちよかった?」

「それ軽いのか? まぁ……私はまたやりたいと思ったな」

 

 百代は軽く笑って、そう答えた。由紀江が続く。

 

「い、痛くはなかったですか?」

「個人差があるらしいけど、正直言うと、痛かった。でもそれ以上に――」

「それ以上に?」

「凛を感じられて嬉しかったかな」

『エロティカだぜ』

「まゆまゆ、今ここに松風いないからな?」

 

 小雪が声を発する。

 

「赤ちゃんできたら、僕に抱かせてほしいのだ!」

「さすがに気が早すぎるけど……抱くくらい構わないぞ?」

「わっほーい」

 

 クリスがその話題を広げる。

 

「な、名前はどうするんだ!? キラキラネームとかは、子供のことを考えるとよくないぞ! いくらモモ先輩と凛の子供だと言っても、自分は那後と書かれた漢字をダリアなんて呼ぶ気はないからな!!」

「いやクリス落ち着け。まだ子供はできてないから」

 

 荒ぶるクリスを百代がなだめる。その最中も、「礼をペコなんて呼べない、月夢杏をルノアなんて呼べないんだ!」とブツブツと呟いていた。

 その後は、他愛無い会話へと移って行った。

 

 

 □

 

 

 百代は凛の隣を歩く。当然、手は繋いだままだ。

場所はホテルの前にある砂浜。打ち寄せる波が、耳に心地よく響く。

 

「あーあ……明日にはもう川神に戻るのかー」

「あっという間だったな」

「本当に夢のような時間だった気がする」

「色んな思い出ができたもんね」

「その中には、一生忘れない思い出もあるしな――」

 

 そう言って、百代は凛に笑いかけた。彼もそれに笑顔で頷く。

 百代がさらに言葉を続ける。

 

「写真、また焼いてくれるか?」

「もちろん! たくさん撮ったしね。ステイシーさんと李さんには感謝しないと」

 

 旅行中、事あるごとにシャッターを切ってくれていたのが、この2人であった。また凛がいないところでも、撮影をしてくれているので、彼自身どんな写真があるのかワクワクしている。

 百代が足を止める。

 

「なぁ凛……最後にもう一つ、思い出をくれないか?」

「俺があげられるものならね」

「なら大丈夫だ――」

 

 百代は凛と向かい合うと、目を閉じ、顎を少しあげた。彼もそれ以上は何も言わない。

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえるのは、波の騒ぎ立てる音――。

 

 

 

 

 

 

 

 潮の香りが、シャンプーの香りに変わり――。

 

 

 

 

 

 

 

 何度なく交わした柔らかい感触――。

 

 

 

 

 

 

 

 感じられる微かな甘み――。

 

 

 

 

 

 

 

 そして、蕩けるように微笑む最愛の彼女――。

 

 どうやら、思い出はもらったりあげたりするものではないらしい。

 

 2人は、旅行最後の思い出をつくった。

 

 

 




ついに60話かぁ……。


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『決意表明』

 

 旅行から戻った凛は、その翌日、百代とともにある場所を訪ねるため、金柳街を歩いていた。

 

「――でな、ジジイが私のおでこ触るなり、『ふむ、熱はないようじゃな?』だぞ! 失礼すぎるだろ!」

「お土産買って帰ったのが、そんなに珍しかったってこと?」

「いや、酒とかグラスとか、まともな物だったからだと思う。今までだと提灯とかペナントですませてたからな……」

「なるほど……それじゃ驚いても仕方ないんじゃない? でもまぁ、喜んでくれたんでしょ?」

「うん……でもなぁ、なんか釈然としないんだよなー」

 

 そうこうしていると、目的の場所へと着いた。

 扉の前に立つと、ガラス板が反応して右へとずれる。

 

「らっしゃせー」

 

 同時に、渋い声が彼らを迎えてくれた。釈迦堂である。昼には少し早い時間のため、店内はがらんとしている。

 釈迦堂は2人の顔を見るなり、ニヤッと笑って、態度をくずした。

 

「おう。久しぶりだな……豚丼でも食いに来たのか?」

「お久しぶりです、釈迦堂さん。まぁそれもあるんですけど……」

 

 そう言いながら、凛は釈迦堂の正面に腰掛け、百代がその隣に座る。

 凛に続いて、百代がドヤ顔で少し大き目の袋を持ち上げる。

 

「ふふん。釈迦堂さん、美少女であるこの私が、わざわざお土産を買ってきてあげました」

 

 それをカウンターに置くと、中にガラス製品が入ってるのか、固い音が鳴った。

 

「百代が土産だと……!? お前、頭でも打ったのか?」

「なっ!? ジジイと同じ反応だ! いくらなんでも失礼でしょ!」

「いや……お前のこれまでを見てきた結果だ。だがまぁ、ありがたく受け取っておくぜ。とろろ、奢ってやるよ」

 

 百代はぶつぶつと文句を垂れ、その横で、凛は肩を震わせていた。

 そして、袋の中を見た釈迦堂が驚きの声をあげる。

 

「うおっ泡盛じゃねーか! こっちはなんだ?」

 

 袋の中にあった小ぶりの箱を持ち上げた。

 百代がじとっとした目つきでそれを見る。

 

「あーそれワンコが買ったグラス。もう一つは、おつまみです」

「中でも、ぶたりめっていう豚のスモークしたものが、かなり美味しいですよ。味付けも濃いめで、お酒にもぴったりだと思います」

「へぇー気が利いてるな……百代、なんか欲しいもんでもあんのか?」

 

 釈迦堂はグラスを取り出すと、店内の照明に透かすようにして観察した。フォルムは四角い底から口元へ伸びるに従って滑らかな流線形となっており、加えて、下から中ほどにかけて揺らぎと気泡がはじけ、その様子は岸壁に打ち寄せる波のように美しい。

 百代が遂に吠える。

 

「それはワンコが買ったって言ったでしょう! まぁ釈迦堂さんがどうしても私に……って聞いてます? 釈迦堂さん、聞いてますか!?」

「ん? おう、わりぃわりぃ。……で、これなんで二つあるんだ?」

 

 釈迦堂は、百代の言葉を無視して、もう一つのグラスを持った。いじける彼女の代わりに、凛が答えようとする。

 

「あーそれがですね……」

 

 しかし、凛は言い辛そうに目をキョロキョロさせる。そこへ、復活した百代が声を張った。

 

「ネタはあがっています! 釈迦堂さん、最近ちょくちょく綺麗なお姉さんがやってくるそうじゃないですか。しかも! 仲良さそうに歩いてるとこも目撃されたとかされてないとか!」

 

 ――――どっちなんだ?

 さらに百代は続ける。

 

「羨ましいです……なんで私に紹介してくれないんですか!?」

「こらっ!」

 

 凛はたまらずチョップをおとした。「はうっ」と可愛らしい声をだす百代。

 そこからは凛が引き受ける。

 

「まぁ、そういうことを聞いたワンコが、せっかくだからとペアのグラスを買ったというわけです」

「あーなるほどな……」

 

 釈迦堂がガシガシと後頭部をかいた。百代はそんな彼から目を離さず、どんなリアクションをとるのかと興味津津である。

 沈黙がおり、釈迦堂が再び喋り出す。

 

「まぁ……ワンコには礼言っといてくれや」

「わかりました」

「ということは、やっぱりおばちゃん達の情報は間違ってなかったんですね! どんな人なんですか!? 綺麗系ですか!? 可愛い系ですか!?」

 

 百代がこういう情報を知るようになったのは、彼女が凛と付き合いだしてから、近所のおばちゃん達に昔以上に絡まれるようになったからだった。彼女たちは、このことを我が子のことのように喜んでおり、懇意にしている八百屋などからは、妻からそれを聞いた亭主が「これは祝いだ」と、百代の好物である桃を贈ってくれたりして、このような事例も一件だけではなかった。これには、鉄心も苦笑をもらさずにはいられなかったらしい。

 同時に、恋人ができただけでこれであるため、この先に結婚、子供の誕生などが続いた際、一体どうなるのか少し怖いくらいであった。特に、結婚や子供ともなれば、凛に関係する関西、遠く離れたヨーロッパからも祝言に加えて贈り物がなされることは、想像に難くない。

 百代が瞳をキラキラさせながら、釈迦堂に詰め寄る。彼はうっとおしそうに「うるせえな……それ以上聞くとマジでペケが作れねえ髪型にすんぞ、百代」と、ドスのきいた声で唸った。ついでに、バキバキッと手を鳴らす。

 百代はすぐに身を引いて、ついでに立ちあがった。

 

「うわっ! 怒った! 今日のところは退散だ、凛!」

「えっ! ……ちょっと百代!?」

 

 さっさと店内を出て行ってしまった百代を凛は追いかけようする。その背後から釈迦堂の声がかかった。

 

「おい、凛」

「はい?」

「あー……なんだ、その……あいつも悪い奴じゃねえからよ。一つ、よろしく頼むわ」

 

 釈迦堂は、凛と百代が付き合っていることを既に知っている――というよりも、川神に住んでいる者のほとんどが知っていた。なんだかんだ言いつつ、彼も弟子であった彼女が気がかりであったらしい。

 

「もちろんです。また今度、ワンコも連れて食べにきます」

「おう。そんときは豚丼奢ってやるよ」

「ありがとうございます」

 

 そんな会話を交わしていると、中々来ない凛の様子を見に、百代が戻ってきた。自動ドアのところから顔をだす。

 

「おーい、行くぞ凛。……あと釈迦堂さん、今後結婚するつもりなら、その綺麗なお姉さんと仲良くしないとダメですよ」

「そのペチャクチャと余計なことをほざく口、二度ときけねえようにしてやろうか?」

「2対1で勝てると思ってるんですか?」

 

 百代が強気にでた。

 ――――ん? いつの間にか、俺が百代陣営についている。

 釈迦堂が凛に声をかける。

 

「凛、その生意気な元弟子を捕まえてろ」

「いいですよ」

 

 凛はそれに乗って、百代の腕を軽く掴んだ。それに焦ったのは彼女だった。

 

「うわっ! 凛、お前は私の彼氏だろ? なんで釈迦堂さんの味方するんだ!? ……って、釈迦堂さん! 店員が持ち場離れたらダメですよ! お客さん来ますから!」

 

 そこでようやく凛の腕を振り切ると、百代はまた姿を隠した。彼もそれに合わせて、釈迦堂へ会釈し梅屋をあとにする。

 その傍ら、凛は出口がある場所とは反対側の隅に、花が活けられているのを見つけた。梅屋には少し似つかわしくない、血を思い起こさせるほど鮮やかな赤いハイビスカス。

 ――――ハイ・ブラッディ。普通のハイビスカスの中にあって、ごく僅かに咲くことがある特異な花か……。

 釈迦堂の趣味で活けられているとは考えにくいため、他の誰かが飾ったはずである。凛も百代の気にしていた『綺麗なお姉さん』に興味が湧いた。

 ――――釈迦堂さんには悪いけど、俺もいつか会ってみたいな。

 外はまた一段と気温が上がっており、ムッとした風が凛の頬を撫でた。彼の姿が出てきたのを確認した百代が、彼の名を呼ぶ。店番をしているおばちゃんが、それを微笑ましく見守っていた。また今度、彼女はおばちゃんたちに可愛がられることになるだろう。

 

 

 ◇

 

 

 それから数日経ったある日。凛は九鬼の極東本部を訪れていた。その目的は2つ――紋白らにお土産を手渡すこと、報告することがあったからだ。

 凛から話したいことがあると聞いた紋白は、応接間へと彼を通した。その部屋も窓が大きくとられているため明るい。黒の革張りのソファが向かい合って設置されており、その間に木目の美しい赤茶のローズウッドのテーブル、壁には風景画が飾られている――その脇には葉の大きい観葉植物。

 凛と紋白がソファへと腰を下ろし、ヒュームとクラウディオが彼女の後ろに立った。そこで手土産を渡し、早速本題へと入る。

 

「それで……凛の話したいこととはなんなのだ?」

 

 紋白が切り出した。

 凛はそこで立ちあがって、徐に口を開き――。

 

「はい、今日は依然から頂いていたオファーを受けたいと思い、その旨を伝えるために参りました。……高校卒業と同時に、私を九鬼家従者の末席に加えていただけないでしょうか?」

 

 頭を下げた。この事は、百代以外にはまだ誰にも話していないことである。

 

「ほ、本当か!? 凛!」

 

 紋白の顔がパァッと明るくなった。出会った当初から、彼女は凛に九鬼へ来てほしいと願っていたので、その喜びも一入のようだ。

 凛もつられて笑みをこぼす。

 

「うん。俺も会いたい人に会えたし、目的も果たすことができた。これも色んな縁がつながったからだと思う……だから、俺はそれを大事にしたい。正直、九鬼財閥に力を貸すってのはピンとこないけど、紋白を中心に英雄や揚羽さんの力になれるなら俺も嬉しいし、何よりヒュームさんやクラウディオさんへの恩返しにもなる」

 

 凛は紋白をはさんで立っている2人を見た。ヒュームは表情を変えることはなかったが、クラウディオは優しく微笑んでいた。

 

「そうかそうか! 我はすっごく嬉しいぞ! ……あ、だがしかし、わざわざ従者にならなくとも、凛は先日行われた大会の優勝者として、重役待遇が約束されているのだぞ?」

「確かに。でもそうなると、揚羽さんのように、武道から距離を置かなければならなくなるだろ? 俺はできれば、そうなることを避けたいんだ。独りにしたくない人がいるし、超えたい人もいるから……となると、従者になるのが一番いいと思ったんだ」

「そうか…………うむ、凛の気持ちはよくわかった。我に異存はない。ヒュームとクラウディオはどうだ?」

 

 紋白は後ろを振り向いた。

 ヒュームが先に喋り出す。

 

「私にも異存はありません。最初から、そのつもりで凛を鍛えてきましたので」

「私もヒュームと同意見です。ゆくゆくは世代交代も行われなければなりません。凛のように若き力の持ち主が加わることで、私たちも安心して後進に譲ることができましょう」

 

 2人の言葉を聞いた紋白は朗らかに笑う。

 

「フハハハハー。従者部隊零番と3番にこうも期待されるとは、凛もこれから大変だな! もちろん、我もその力には大いに期待している!」

「ああ、頑張るよ。従者になると決めたからには、いつかはやっぱり……零番を直々に譲り受けたいと思うし」

 

 ヒュームの凄味を増す。しかし、凛がそれに怯えることはない。むしろ、そんな彼と真っ向から目を合わせる。

 傍から見ると、凛はほぼヒュームと同身長であり、加えて銀髪と金髪ということもあって、向かい合うと竜虎の対立のように見応えがあった。

 刹那の沈黙を経て、ヒュームがニヤリと口角を釣り上げる。

 

「その心意気は買ってやろう。お前の力がどこまで通用するのか、試してみるといい」

「お言葉に甘えさせてもらいます」

 

 凛も無邪気に笑顔をみせた。そこへクラウディオが割って入ってくる。

 

「2人とも、紋様の前だということを忘れないようにしてください」

「良い良い。ところで――」

 

 そこからは、凛の残り1年半の過ごし方について話し合われ、結論がでたところで、紋白は習い事へと向かい、彼はこれからヒュームが行うという特訓に参加することになった。

 先のこととは言え、従者に加わることが決まった凛の顔見せの意味合いもあった。

 

 

 ◇

 

 

 場所は、前に凛が早朝に使用させてもらっていたジム。その地下は広大な空間となっており、数十組が同時に組手を行うことができるほどに広い。そこへ降りるためのエレベーターから見下ろすと、ジャージに身を包んだ従者たちがトレーニングに励んでいた。

 凛は隣で静かにそれを見るヒュームへ声をかける。

 

「いきなり参加してもいいんですか?」

「問題ない。これからの時間は俺に一任されている。年齢は全員お前より上だが、全て若手だ……顔を見ておいて損はないだろう」

「わかりました。ヒュームさんの指導を受けられるなら、迷惑がかからない限り、俺は場所にこだわりません」

「久々に、昔を思い出させてやろう……」

 

 凛はその言葉に悪寒を感じた。夏だというのに、妙に体が冷える。

加えて、凛が強くなりたいと願い、「磨くからには一から徹底的に行う」と言われた次の日、ヒュームが吐いた言葉を鮮明に思い出した。ただし、そのときは「地獄を見る覚悟はできているな?」だったが――。

 凛の声が自然と震える。

 

「の、望むところです! 俺も昔とは違いますからね!」

「それは行動で示せ。最後まで立っていられると思うなよ」

 

 ヒュームはそう言い残すと、先にエレベーターを降りていく。

 ――――や……やるしかない。若干トラウマになっているかもしれないが、ポジティブにいこう。今日を乗り越えれば、俺はトラウマを克服したことになる。

 

「寮に帰れば、可愛い彼女が俺のためにご飯を作って待ってるんだ。倒れるわけにはいかない……よしっ!!」

 

 凛は自分に喝を入れ、ヒュームのあとを追った。

 そして、ヒュームが姿を現した瞬間、従者たちの空気が一変する。それまでも、彼らはさぼっていたわけでない。ただ、若手からしてみれば、ヒュームは世界最強の名を冠し、当然それは部隊最強につながり、存在するだけで他を圧倒してしまう威圧感をもつ男であるため、そこには畏敬、憧れといった感情があるらしい。そういったものが、このピリッとした緊張感を生んでいた。皆が静まり返り、すぐにヒュームが立ち止った前に整列し、背筋を伸ばす。

 その中にはステイシーや李の姿も見え、どうやら若手の中でもより番号の小さい精鋭のようだった。人数は15名ほどである。桐山の姿はなかった。

 そんな従者たちを前に、ヒュームが軽く経緯を説明したのち、凛が口を開く。

 

「初めまして、今日の鍛錬に参加させていただきます。夏目凛です。よろしくお願いします」

「早速始めるぞ――」

 

 地獄の門が開け放たれる。

 

 

 □

 

 

「や……やってやった! 乗り切ったぞ……」

 

 凛は壁を支えにして、更衣室を目指していた。その足は小鹿のようにプルプルと震え、一歩一歩の足取りは驚くほどに遅い。ちなみに、この状態の10分前は起きる上がる体力さえなかった。よって、昔との違いを見せつけることはできていないが、それもそのはず――ヒュームは、クラウディオの取ったデータを元に、そのメニューを前前から作り上げていたのだ。基礎の向上によって、まだまだ伸びるとわかっていた。

 ついでに、従者は強さを評価する上での一項目として、同じメニューが実施された。もちろん、彼らにはその理由を明かされてはいない。ついていけなくなった者、あるいはヒュームが判断してストップをかける者から外されていった。

 凛を除いて、最後まで残ったのがステイシー。李も顔色変えずに残っていたのだが、ヒュームがストップをかけた瞬間に、地面へと倒れこんだ。

 ステイシーの言を借りるならば――。

 

『エ……エグすぎ、る……ゴホッゲホッッ、ッ!』

 

 他の従者たちも、凛の力の一端を知った気がした。

 

 

 ◇

 

 

 更衣室で休憩をとった凛は、なんとか普通に歩行可能になっていた。そして、紋白の習い事がまだ続いていると聞いて、従者である鬼怒川に言伝を頼み、彼は本部を去ろうとする。

 その途中、前から歩いてくる一行があった。その中で、凛に見覚えがあるのは桐山ぐらいである。

 その桐山が声をかけてきた。いつもと同じニコニコとした笑顔である。

 

「これはこれは……夏目凛くんじゃないですか? お一人ですか?」

「はい。先ほど紋白の所に寄って、今から帰るところです」

「そうですか……そういえば、夏目くんはミス・マープルとソフィアさんに会うのは初めてでしょう」

 

 そう言うと、桐山は凛に手のひらをかざしながら、さらに言葉を続ける。

 

「こちらがあの夏目凛くんです」

 

 ――――あの?

 凛は自身の名の前につけられた単語が気になったが、自己紹介をする。

 

「初めまして、川神学園2-Fの夏目凛です。よろしくお願いします」

「噂はかねがね聞いてるよ。私はマープル……皆はミス・マープルなんて呼ぶが、気軽にマープルさんとでも呼んどくれ」

 

 ――――俺はこの人をどこかで見たことがある気がする。

 目の前に立つ勝気そうな老人を見て、凛は思った。しかし、記憶を辿って行っても、すぐに思い浮かばない。

 続いて、ソフィア――黒のショートカットに、暗緑色の瞳。女性ながら、メイド服ではなく燕尾服を身につける。身長は175と高く、胸は標準、年齢は30を超えているが、それを感じさせない――が、凛に向かってずいっと近寄る。

 

「私は序列11番のアナスタシア・ソフィア。よろしくね~凛くん。ちなみに、ミス・マープルは2番。裏では何やってるかわからない、おっかない人だから気をつけるんだよ」

「バカなこと言ってんじゃないよ、まったく。それじゃboy、私もこれで中々忙しい身でね。会って早々で悪いが、お別れさせてもらうよ」

 

 マープルの言葉に、凛ははっとして道をあけた。「ありがとさん」そう言って、彼女は従者の2人を連れて、歩いていく。途中、ソフィアが振り返ってきて――。

 

「私のことはアナとかソフィーって呼んでね」

「では、ソフィーさんと呼ばせてもらいます」

 

 それを聞いたソフィアは、手をフリフリしながら、2人のあとを追っていった。

 ――――ソフィーさんの実力で11番? 戦闘能力だけなら、クラウディオさんにも劣らないほどに見えるのに……。

 事実、ソフィアの実力は一桁台でもおかしくないものの、彼女は今ぐらいがちょうどいいと固辞し続け、11番のポジションについたままであった。九鬼帝への忠誠はあるようだが、どこか飄々としている人物だった。

 ソフィアの加入の経緯は、中東で帝が仕事しているとき、たまたま商談相手の護衛をしていたのが彼女で、契約が切れたところで彼のところへ直々に売り込みをかけたのである。その実力を買っていたヒュームの助言もあり、彼女はそのまま従者の仲間入りを果たした。そして、帝の自由奔放さが彼女の性格とも合い、気づけば長い年月が経っていた。専らの仕事は飛び回る帝の護衛であったが、近頃こちらへと舞い戻り、本部勤務となっている。

 凛と別れたマープルがソフィアに話しかける。

 

「余計なこと言うんじゃないよ」

「ごめんごめん、そんな怒らないでよ。凛くん可愛いから、遂ね。あれであと10歳若かったらなぁ……あの子、従者になるって噂あるけど、本当に入ってくれないかなぁ?」

 

 先に言っておくが、ソフィアはショタコンである。凛に、どこか少年の匂いを感じたらしい。

 

「アンタ……そんな調子で九鬼の情報を漏らしてはいないだろうね?」

「まさか!? そこまで私も落ちてないよ……九鬼は楽しいしね。ここがなくなっちゃったら、私には次に行くところが思いつかないし」

「はぁ……こんな変わり者にも忠誠心を抱かせる帝様は偉大だねぇ。ところで、桐山……例の件は?」

「もちろん順調です、ミス・マープル」

 

 3人はそのままエレベーターへと乗って行く。

 凛の預かり知らぬところで、ある計画が着々と進んでいた。川神がまた騒がしくなりそうであった。

 





釈迦堂さんの純愛ロード、やられた方はいますか?
私はできなかったんです!! その悔しい思いもあって、物語と絡めてしまいました。
みなとそふと様……後生ですから、もう一度私めにチャンスを頂けないでしょうか?

あとオリキャラ一人突っ込みました。
これからの物語を考えた際、少し自由のきくキャラが必要になったからです。

ヒュームの零番も原作では永久欠番になっていますが、拙作では違うということで一つよろしくお願いします。
さぁ反乱編をガンガン書いていくぞ! 


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『友達以上恋人未満?』

 

 

 夏休みの残りの期間もあっという間に過ぎ、あと30分もすれば、8月から9月に日付が変更される。

 秘密基地から戻って、真っ先に風呂に入った百代は、静かに自分の部屋へと戻った。先に帰っていた一子は、既に就寝しているようで、部屋の明りもついていない。ゆっくりと障子を閉めると、彼女は布団へと寝転んだ。

 

「楽しかったなー……」

 

 百代はそのまま今日の出来事を思い出す。

 8月が誕生月である百代と岳人――彼に至っては1日が誕生日であったため、祭りとかぶり、翌日にはタッグトーナメントが控えていたので、彼女の誕生日である31日に合わせて祝われた。

 夕食には寿司が並び、そのあとに凛がアントークのミッコとともに作り上げた白桃のタルトとイチゴのケーキが出された。

 

「あの桃のタルトは旨すぎて、びっくりしたな」

 

 また食べたいとも思った。

 瑞々しい白桃がサクサクのタルトの上に乗せられ、その間にはレモンゼリーを混ぜ合わせたヨーグルトが敷かれており、桃の甘みと仄かな酸味が絶妙だった。

 もう一つのイチゴケーキは、岳人が男であり、あまり果物にこだわりがなかったので、無難なものが選ばれたのだ。どちらも、サイズは7号――直径21センチのものだったが、あっという間に片付いてしまった。

 そのあとプレゼントがそれぞれに渡され、しばらくの間談笑し、凛と百代を残して解散となった。

 

「ン~ンン~~」

 

 百代はご機嫌な様子で、机の上に置いていたケースを手に取り、また布団に身を投げ出す。そして、手触りの良いそのケースをゆっくりと開け、中からネックレスを取り出した。四角いプレートの表にはハートを半分に割った模様が描かれており、裏には「Your sight,my delight R&M」と彫られている。それを眺めていると、そのときのことが鮮明に甦った。

 2人だけになった秘密基地で、凛が少し恥ずかしがりながら喋り出す。

 

「俺の喜び、それは百代がいることだから。ちょっと、その……クサい台詞だけど、この言葉を彫ってもらった。それで、こうしてあわせると……ね」

 

 凛が首元から取り出した同じプレートを合わせると、綺麗なハートが完成――ペアネックレスだった。

 プレートの色は、百代の方が明るい赤銅色、凛の方がそれにトーンを合わせた銀色である。よく見ると、銀のプレートの方が幾分長く作られているようだった。まるで、彼女と彼を表しているようにも見える。

 百代はそれをただ黙って見ていた。そんな彼女に凛が声をかける。その声は少し固くなっていた。

 

「あー……気に入らなかった?」

 

 百代はフルフルと横に首を振ると、プレゼントされたネックレスを胸元で大事そうに握りしめた。

 

「嬉しいぞ……ありがとう。大事にする」

 

 百代はそれを凛に着けてもらうと、もう一度手のひらの上にのせる。シンプルなデザインであるが、それが彼女の好みとも合っていた。

 

「指輪とかも考えたけど、最初はこれくらいがちょうどいいかと思って……これなら、いつでも身に着けておけるだろうし。その……まぁ、なるべく着けておいてくれると俺も嬉しい」

「ふふ……そうする。本当にありがとう」

 

 百代は微笑みながら、凛の頬へ唇を寄せた。

 思い出したら、にやけてくる。百代はだらしなく緩む頬を抑えきれなかった。その間も照明にかざしてみたり、指で弄ってみたりする。傷一つないプレート――凛とお揃いで着けていたいが、身に着けていて何かの拍子に傷が付くのも嫌だから、しまっておきたいという気持ちもあった。そんな幸せな悩みに苛まれる。

 ゴロゴロと転がりながら、どうしようかと悩む百代。そして、閃いた。

 

「気でコーティングしておけばいいんじゃないか?」

 

 言っておくが、百代は本気である。

 

「私って天才だ! これなら傷がつく心配もない」

 

 自身の考えに満足したところで、次に携帯を見た。2,3の操作を素早く行い、画面に文章を表示させる。

 

 

 08/31 00:00

 From:夏目凛

 To:川神百代

 Title:世界で最も愛する人へ

 

 Happy birthday!!

 付き合い始めて、まだ1カ月も経ってない

 ことに驚いてる。それだけ、濃い時間を

 過ごしているってことかな?

 これから、俺の人生の全てを使って、百

 代を幸せにしていくから、覚悟しておく

 ように( ̄▽ ̄) ニヤ

 ちなみに、拒否権はありません。

 百代に出会えたことに感謝!!

 愛してるよ。早く会いたい(*´∇`*)~♡

 

 p.s ちゃんと一番に届いたかな?

 それが今一番気になってる。もし、時間

 あるならtellしていい?

 声が聞きたくなってきた。

 

 

 今日に日付が変更されたと同時にきたのが、このメールだった。これを見た瞬間、百代が凛の電話番号を表示させたのは、言うまでもない。彼もワンコールで電話に出る。その後の会話は、ただただ甘いものであり、もし聞いている者があったら、恥ずかしさで悶絶するしかなかっただろう。

 ファミリーからのお祝いメールも続々と届き、凛の五分後に大和と京(一緒にいるときに同時送信されたもの)、由紀江がその3分後に、そしてクリス、卓也、岳人、翔一の順だった。一子は同じ家に住んでいるので、直接言いに来た。

 凛のこのメールは、既に保護されている。百代の大事なものの一つとなっていた。

 百代はまた丁寧に読み直した。その行為も何度目かわからない。そして、最後まで読み終えて思う。

 

 声が聞きたい――。

 

 時刻は0時になろうとしていた。百代は一瞬躊躇う。しかし、あくまで一瞬だった。気付いた時には、手が勝手に凛の番号を出していた。

 百代は立ち上がり、椅子に座った。机の上にはノートが一冊とペン、消しゴム――そして、読みかけの漫画。手持無沙汰だった彼女はペンを握り、ノートを開いた。一番新しいページに、何となくペンを走らせる。

 

「寝てる、かな……」

 

 6回目のコール音が鳴った。あと1回、いやあと2回コールしても出なかったら、電話を切る。百代はそう自分に言い聞かせた。しかし、それは無駄に終わる。

 

『もしもし、百代?』

 

 はっきりとした凛の声が聞こえてきたからだ。それを聞くだけで、百代から自然と笑みがこぼれた。

 

「あっ凛? もしかして寝てたか?」

『いや、ちょっとキッチンの方に飲み物取りに行ってただけ。電話とるの遅れてごめんね』

「ううん。私の方こそ、遅い時間に電話してごめん……」

 

 百代はペンを置いた。凛が出れば、もう無用の存在であった。ノートには針金人間が何かと戦っている様子が描かれている。他にも、ファンシーなクマや猫、ライオンがいた。

 

『んで、どうかした?』

「いや……ただ凛の声が聞きたいなぁって思ったから……」

『そっか……俺も百代の声が聞きたいって思ってたから、一緒だ』

 

 凛の弾んだ声が電話越しから聞こえる。

 

「飲み物取りに行きながらか?」

『そう、飲み物取りにいきながら。百代は今何してるかなぁとか、もう寝ちゃったかなぁとか、どんな格好でいるのかなぁとか』

 

 その言葉に、百代は自分の体を見た。

 

「どんな格好って……Tシャツ一枚だ」

『えっ!? ……Tシャツ一枚だけ!?』

「いや、さすがに下着は着けてるぞ」

『その上は?』

「だからTシャツ一枚だって」

 

 凛の声が聞こえるより早く、電話越しからガタンッという物音が鳴り響く。同時に『痛ッ!』という声がした。続いて、『うわっ! こぼれた!?』と慌てた声。

 

「ど、どうしたんだ!?」

『ああ……いや、ちょっと勢いよく立ちすぎた。それより! そんなエロい格好で、家の中歩き回ってないですよね!?』

 

 なぜか敬語である。

 

「ん? 当たり前だろ……修行僧たちだっているんだぞ。見られたらどうするんだ?」

 

 百代は席を立ち、棚の上に置かれた子猫のヌイグルミを撫でた。これは以前、祭りのとき、凛がとったものである。ちなみに、彼女は密かに名前を付けており、銀色の方が『リンタロー』黒色の方が『モモカ』。どこからその名を取っているか、言わずともわかるだろう。

 その横には、凛の部屋と同じコルクボードが飾ってあり、写真が貼り付けてあった。沖縄の砂浜、凛と百代が手をつないで市街地を歩く後ろ姿、凛が食べ物を頬張っているところ、グラス作りではしゃぐファミリー、小雪が倒れ伏す準をつつく姿、大和に寄り添う京など他にも賑やかな写真でいっぱいだった。どれも笑顔が眩しいほどに輝いている。

 凛が大きく息を吐いた。

 

『ですよね。あーびっくりした。……今度また、一緒に寝ようね』

「Tシャツ一枚の格好がそんなに気になるのか?」

『当たり前でしょ! むしろ、俺のTシャツあげますから、着てくださいお願いします』

「でも、どうせ脱がすんだろ?」

『そりゃ最終的にはね……でも、その前段階を楽しみたい!』

 

 凛の声に力がこもっていた。百代は思わず苦笑する。

 

「助平……」

『男だから。あっ……その格好で寝るのもいいけど、体冷やさないようにね』

「そんなヤワじゃないから心配いらないぞ――」

 

 それでも気遣ってもらって、嬉しくないわけがない。百代はカラカラと笑いながら答えた。その後も他愛無い会話をし、電話を終えるときには、1時にさしかかろうとしていた。

 

 

 ◇

 

 

 次の日、風間ファミリーは全員揃って、登校していた。一子が先頭を歩きながら、翔一と会話を交わし、その後ろに大和と京が続いている。

 百代はクリスと由紀江相手に、気で作ったブラックホールについて説明し、最後尾に卓也と岳人がジャソプで盛り上がっていた。

 ――――平和だ……。

 凛は卓也と岳人の楽しそうな声を聞きながら、クリスと百代の少し後ろを歩いていた。自然とあくびがでた。9月に入ってもまだまだ暑さは続くようで、朝だというのに、既に微妙な蒸し暑さを感じる。

 変態橋では、星龍という武闘家が百代に挑み、瞬殺され、ギャラリーが湧く。凛はそれを皆に混じって観戦していた。彼の方にも挑戦者は来るものの、敗北した彼女の方が与しやすいと見ているのか、彼女に対する挑戦者の方が断然多かった。

 百代自身は大歓迎であり、鉄心やルー曰く。

 

『敗北を知った上で、支えまでも手に入れた百代の強さは、1か月前と段違いである』

 

 そのような評価を受けていた。最近は落ち着きも出てきたせいか、以前よりも風格が増し、戦う前から挑戦者を呑んでしまうことすらある。息まいてやってくる彼らだが、彼女を前にして、まるで石像のように固まってしまうのだ。

 さらに、現在新技を考案中らしい。それを聞いたファミリーは衝撃を受けていた。なんせ、瞬間回復だけでも反則的な強さを持っているのに、その上での新技など予想すらできないからだ。

 それについては、凛もまだ見せてもらっておらず、披露されるときをかなり楽しみにしている。彼もさらなる上を目指す身として、切磋琢磨できる相手がいてもらわないと困るのだ。もっとも、次に対戦できるのはいつになるのか未定であった。

 それを鉄心から聞かされた百代もゴネることなく、「気長に待つさ。技も磨けるし」と落ち着いて返し、基礎の鍛錬へと戻って行った。その一事だけを見ても、彼女の成長が窺える。

 百代にしてみれば、戦いが大事なのは今も変わらないが、それ以外にも大事なもの、楽しいことを見つけたため、不平不満がたまることもない。彼女はもう独りではないのだ。

 話は変態橋に戻る。

 星龍が吹き飛んだところで、燕が現れ、試供品を橋の手すりに置いた。どうやら、納豆の営業らしい。

 百代が声をかける。

 

「燕は朝から精がでるな」

「あっ、ももちゃん。おはよう」

 

 ファミリーも挨拶をした。当然、大和もである。

 

「おはようございます、燕先輩」

「おはよう、大和くん。それに……京ちゃんも」

 

 燕は百代の助力もあってか、それとも元来の性格のせいか、大和のことを引きずっている様子はない。

 しかし、組手を行った百代からすれば、いつもより過激な――単純な力技が多かったらしく、何かを吐きだしているようにも見えた気がした。ともかく、組手が終了したあとには、幾分スッキリした顔をしていたため、彼女もほっと胸をなでおろした。

 一行はゆったりと学園を目指す。

 

 

 □

 

 

「――勝手に聞いてるとか男子やらしっ!」

 

 凛たちが2-Fの教室に入ると、羽黒がそんなことを育郎とスグルに向かって言っていた。それについて、彼らが思い切り反発している。

 周りに話を聞いたところ、羽黒が男との情事を千花と話していたとき、2人がそれを耳にして、その男に同情を示したらしい。そのことに対しての言葉が上記の通りである。

 ――――いや確かに、「アオッ、アオオッ」って声出されたらなぁ……。

 周りにいた大和、岳人、卓也も同じ気持ちらしい。特に、岳人は露骨に嫌な顔をしている。

 

「おい、凛もなんとか言ってやってくれよ!」

 

 育郎の一言によって、一気に舞台へと引き上げられる凛。

 ――――なんで数ある男子の中で俺を選んだ!?

 そして、後ろにいた3人から前へと押し出された。

 前に出てきた凛に、羽黒がロックオンする。

 

「夏目もやっぱ気になっちゃう系? まぁ……どうしてもっていうなら、夏目にあたしの話聞かせてやってもいいけど?」

「いや、そういう話は、やっぱ男に聞かせるのはよくないかなーなんて……」

「だ・か・ら! 夏目だけは特別系みたいな? モモ先輩とのこともあるし、事前勉強も兼ねて」

 

 ――――あれ? さっきまで、そういう話を聞かれて言い合ってたのに、どうしてこうなった!?

 周りを見渡すと、男のほとんどが一定の距離をとっていた。

 

「いやいやいや……まぁ俺のほうは自分で何とかするから! まじで! 本当! 努力する!!」

「夏目! 女の体はそんな単純にはできてない系! 甘く見てたら、痛い目みるぜ! あたしはそんな男を多く見てきた……いわゆる粗チン系」

「おうおうおう……」

「んな男共の仲間入りをしてほしくないんだよ――」

 

 その後、すぐに梅子がやって来て、凛は何とか逃げ延びることに成功した。

 

 

 ◇

 

 

「――てことがあって、もう少しで羽黒の保健体育を強制的に受けさせられるとこだった」

 

 午前で学校が終わった帰り道、凛は先ほどの出来事を百代に話し、ため息をもらした。

 

「本当はちょっぴり受けてみたかったりして?」

 

 百代がいたずらっぽい笑みを浮かべた。しかし、凛の表情を見て、慌てて言葉を付け足す。彼の瞳が、死んだ魚のようになっていたのだ。

 

「じ、冗談だ、冗談! 凛がそんなこと思うわけないよな! うっ……だから、そんな目で見ないでくれ」

 

 遂には泣き言へと変化した。そんな百代を見て、凛はさらに深いため息をもらした。

 

「もういいです……こんなこと話した俺が悪かったと思うし。気にしないで」

「まさかこんなに凛が萎れるとは……グレート羽黒の娘もやるな。っと、感心してる場合じゃない!」

 

 そう言って、百代は凛の腕を抱え込み、言葉を続ける。

 

「本当に元気だしてくれ。お前が元気ないと……その、私もなんか落ち込んでくる」

「ごめんごめん。本当に大丈夫だから。こうやって百代といるだけでも元気でてくるし」

 

 凛が空いている右手で、百代の頭を撫でた。下から見つめてくる彼女は、子猫のような愛くるしさがある。

 

「本当か? 本当に元気でたか?」

 

 凛はそれに頷くと、前方を歩く2人組を発見する。

 

「ほらあれ……京極先輩と清楚先輩じゃない?」

「本当だ。というか、京極の奴……着物とか暑くないのか?」

「ですね。……あ、清楚先輩がこっちに気付いた」

 

 清楚が振り返り、大きく手を振ってくる。それに百代が振り返し、そこへ合流した。

 

「それにしても、清楚ちゃん……よく私たちに気づけたな」

「スイスイ号が教えてくれたの。ねっ、スイスイ号」

 

 清楚は押していた自転車――スイスイ号に話しかけた。すると、すぐに『大した事ではありません』と返答がくる。

 凛はそれを見て、感心した。

 

「相変わらず、よくできてますよね。スイスイ号って……」

『ありがとうございます、凛様』

「そうだ! これから、私と京極君で葛餅食べに行くんだけど、ももちゃんと凛ちゃんもどうかな?」

 

 清楚が、その名の通りの清らかな笑顔で2人に告げた。

 ――――お邪魔していいんだろうか?

 凛がそんなことを考えている間に、百代が即答する。

 

「おお! いいな、私は賛成だ! 凛もいいだろ?」

「えっ、あ……はい」

「よーし、決まりだ! 清楚ちゃん、店に着いたら、沖縄の写真見せてあげる」

 

 百代はそのまま清楚の隣に並んで歩きだし、凛も自然と彦一の横へと並んだ。

 

「京極先輩、お邪魔じゃなかったですか?」

「気にすることはない。葉桜君も楽しそうにしているしな」

 

 そう言って、彦一は少し前を歩く清楚と百代へと目を向けた。

 百代は夏の間にあった出来事をおもしろおかしく話しており、それに対して、清楚は頷き、時に笑い、詳しく尋ねたりしている。そんな美少女2人の和気藹藹とした姿は、同じ帰り道を通っている生徒の目を奪い離さない。

 一方の凛と彦一も学園でトップクラスの美男である。当然、彼らにも視線が飛んでいた。

 

「まぁ……京極先輩がいいならいいんですけど」

「何やら、含みのある言い方だな」

「いやだって、これだけ仲良さそうにしてるんですから、色々と考えちゃうじゃないですか」

「俺と葉桜君は夏目たちのような関係にはない。ただのクラスメイトだ。葉桜君もきっとそう思っているだろう」

「京極先輩って……男s」

 

 その先を言おうとした凛の頭が、いつかのように扇子で叩かれた。

 

「一応誤解があってはいかんから言っておくが、俺は健全だ」

「了解です! でも、うかうかしていると、他の人に清楚先輩とられちゃいますよ?」

「それで葉桜君が幸せなら、良いのではないか?」

 

 ――――相変わらずサラッとしてるなぁ……。

 凛は一瞬、暑さを忘れた。それと同時に、楽しそうな女の子2人を眺める。

 

「じゃあ……京極先輩の一歩置いた距離を感じて、清楚先輩もそれを守ろうとしていたら?」

「どうしたんだ、夏目? やけに葉桜君を推してくるじゃないか?」

「すいません……ただ、なんか気になってしまいまして。勝手な言い分だってわかっていますけど、清楚先輩を受け止められる人って、そう多くないように思えるんです」

 

 ――――正体が隠されているのが謎だけど、名前、ヒナゲシからある程度予想が立てられた。そして大会で感じたあの気の嵐……。京極先輩は、そういうことも全然気にしそうにないからな。なんかあっても、『君は君だ』みたいな感じでフワッと包み込みそうだし。

 凛は言葉を続ける。

 

「こう、隣同士にいるのが、あまりにも自然に見えるっていうんですかね……。それに、葛餅食べに行くのだって、言い換えればデートじゃないですか?」

「友達同士なのだから、デートとは言わんだろう」

「京極先輩! 男と女の友情が成り立つか否かは、人類とって永遠のテーマの一つですよ!」

 

 凛の力説がおもしろかったのか、彦一が扇で口元を隠しながら、苦笑した。

 そこに、前を歩いていた百代が小走りで寄って来た。目と鼻の先に、仲吉が見える。

 

「ほら! 凛、さっさと行くぞ。葛餅パフェが待ってる」

「俺会話のとちゅ、うぉっ! ……そんな引っ張らないで」

 

 そんな2人の姿を見ながら、彦一が呟く。

 

「隣同士にいるのが自然か……俺はどう思っているのだろうな?」

 

 人間観察をするのが趣味である彦一は、自分へと問いかけた。居心地が良いと感じていたのも確かだった。

 

「京極くん? 2人とも中入っちゃったよ?」

 

 すぐ近くまで、清楚が近寄っていた。

 

「ん? ……すまない」

 

 彦一も止めていた足を前へ進め始めた。清楚が隣でクスクスと笑う。

 

「それにしても、あの2人仲良いよね。ももちゃんが甘えてる姿って可愛い」

「川神が男と付き合い始めたと聞いたときは驚いたが、その相手が夏目と聞いて、妙に納得してしまった……」

「……京極くんは誰かとお付き合いしたりしないの?」

 

 先ほどまで話していた内容が甦り、彦一が動きを止めた。しかし、それは一瞬のことで、すぐにまた歩き出した。

 

「……どうだろうな? 俺はどうもそういう方面に疎いらしい。そのことで、先ほども夏目から小言をもらったところだ」

「凛ちゃんから!?」

 

 清楚は少し大きな声で驚き、また笑い始めた。

 

「そういう葉桜君こそ、どうなのだ?」

「私?」

 

 笑いが収まった清楚が、きょとんとした顔で彦一を見た。これまで会話をしてきた中で、色恋沙汰の話題になったのは、今日が初めてである。

 清楚が少し考える素振りをみせた。

 

「んー…………私も、よくわからないかな?」

「葉桜君もか……」

「うん。これは私も、凛ちゃんから小言をもらわないといけないかな?」

「夏目は女性に優しいからな。小言というより、親身に相談にのってくれるのではないか?」

「確かに凛ちゃんなら、そうしてくれそうだね」

「そのときは川神も一緒についてくるだろうがな……」

 

 その様子がありありと頭に浮かんだ清楚は、顔をほころばせた。彦一はその笑顔を見ながら、凛が言った言葉を思い出していた。

 

『うかうかしてると、他の人に清楚先輩とられちゃいますよ?』

 

 彦一はまた思考の海へと沈んだ。

 店の中では、凛と百代が既に席に着いている。4人席の奥側に、2人並んでコソコソと話し合っていた。そして、彼女が清楚の姿を見つけて、身を乗り出して声をかける。

 清楚は数歩先を歩いていたかと思うと、すぐに振りかえり――。

 

「京極くん、早く早く」

 

 チョイチョイと軽く手招きした。彦一が動き出したのを確認して、清楚はそのまま百代へと駆け寄った。

 テーブルの片隅には写真が並べられており、それを見た清楚が楽しげな声をあげる。続いて、彦一が彼女の隣に腰を下ろした。

 凛が店員に呼びかける。

 

「すいませーん。注文お願いしていいですか?」

 

 賑やかな昼時になりそうだった――。

 

 




2学期開始!
ホームページにある人物紹介の表情集、百代はもちろんだけど清楚も可愛い。時折、見に行くんですが、凄い癒される。
というか、百代と凛を清楚と京極のとこに突っ込むの凄く楽しいぞ!!
どうしたらいいんだ!?


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『歪な存在』

 

 

 

 始業式から数日。多くの生徒はようやく夏休みボケが抜け、ペースを取り戻し始めていた。時刻は昼になり、2-Fの教室は一気にガヤガヤと騒がしくなる。

 クリスが京へ話しかける。

 

「京、今度は一体、何の本を読んでいるんだ?」

「怪談本……」

「ふーん……残暑もきついから、気持ちだけでも涼しくなろうってやつだな」

「クリスも読む? 寮に戻ったら、他にも何冊かあるけど」

 

 クリスの体がピクリとはねた。

 

「……いや、京の気持ちだけ受け取っておく」

「遠慮することないよ。ついでだから、この間借りたDVDも貸してあげる」

「それって京の部屋にあった……あの白い子供が載ってたやつか!? いい! 絶対見ない! ……じゃなくて、自分あまりそういうのに興味がないからな」

 

 京はクリスに向かって、ニヤリと笑う。

 

「クリス……もしかして怖いの?」

「そ、そんなわけないだろ!? はははっ自分は騎士クリスだぞ! 恐れるものなど何もない!」

「それじゃあ――」

 

 そこまで言いかけた京であったが、マルギッテがクリスを呼びだしたことで、うやむやになってしまった。

 ちなみに、そのときのクリスの反応は恐ろしく早かった。

 

 

 ◇

 

 

『ハーイ、エブリバディ。今週も――』

 

 皆がご飯を食べ始めると、準の声が聞こえてきた。

 カツサンドを頬張った大和が喋り出す。

 

「そういえば、今週の川神ラジオ……ハガキの枚数が凄かったらしいぞ」

「へぇー。今日いれても3日しかないのに、そんなに聞きたいことでもあったのか?」

 

 凛が首をひねった。その横から岳人が会話に混ざる。

 

「やっぱあれじゃねぇ、ひと夏を終えて、俺様に彼女がいるかどうか……それが気になるんだろ?」

「……で、何通くらいきてたんだ?」

「200通くらいだったらしい」

「いつもの倍か……それは確かに凄いな」

 

 2人にスルーされても、岳人はめげない。わざとらしく、右手を額へと持っていき、いかにも悩んでますというポーズをとる。

 

「いやぁ……まいっちゃうぜ。今日のお便りが、俺様一色になってても2人とも怒らないでくれよ」

「まぁ何が聞きたいのか、大方予想はつくけどな」

「なんかおもしろいことあったか?」

「聞いてたらわかるよ。ところで――」

 

 遂に、岳人が耐えきれずに机を叩いた。その震動で、机の上にあった菓子パンやパックジュースが揺れる。

 

「お前ら、いい加減なんか反応してくれよ! 俺様がバカみてえじゃねえか!!」

「「馬鹿みたい?」」

 

 2人が声を揃えて、心底不思議だという顔をした。そして、彼らは顔を見合わせ、また岳人の顔をまじまじと見つめる。

 

「みたいじゃなくて、馬鹿だろって言いたげな! オイ!!」

 

 立ち上がった岳人の肩に凛が手をおく。

 

「落ち着け、岳人。皆が皆そう思ってるわけじゃない。希望を捨てるな!」

「誰も皆なんて言ってねえだろ!? 俺様はお前ら2人に対して言ってんだよ!」

 

 そこで、凛が人差し指を自身の唇にあてる――静かにしろの合図である。その顔は真剣そのものであり、興奮していた岳人も口をつぐみ、辺りを見回した。

 

『――では、お便りを読んでいきましょう! ペンネーム、反撃の小人さん。モモ先輩に質問です……さらに美しさに磨きがかかっている気がします。夏の間に特別なことを何かされましたか?』

『もちろん、特別なことをしてるぞ。というか、今もしてる……それは、ズバリ恋だ! 凛と一緒にいるだけで、胸がドキドキするからな。あとは、色んなケアに気を遣うようになったかな? やっぱり、好きな男には褒めてもらいたいだろ?』

「アタイと同じだ! やっぱ彼氏に褒められてなんぼだよな――」

 

 最後に聞こえてきた声は意図的に遮断した。

 静かに聞いていた凛に、岳人が小声で声をかける。

 

「おい、凛……」

 

 しかし、凛はいまだ指を口元にあてたままである。瞳だけは岳人へと向けられるが、彼を制するような鋭さがあった。

 次の便りへとうつる。

 

『はい、次! 堕元帥☆漆原さんから、モモ先輩……彼氏の好きなところを一つ挙げてください』

『凛の好きなところかー……ありすぎて困るけど、一つだけ挙げろって言われるなら、私だけに見せてくれる無邪気な笑顔だな。いつもは大人っぽく見えるけど、そのときはめちゃくちゃ可愛いからな』

 

 岳人の額には青筋が走っている。その間、凛は携帯を取り出し、素早くボタンを押すと、またポケットへとしまった。

 準が少し投げやりな感じで、さらに進める。

 

『はいはい、次行きますよ!! 黒猫マジ白猫さんから……僕も好きな人に告白しようと思っているのですが、モモ先輩はなんと言って告白されましたか? 参考までに教えてほしいです』

『おお! 頑張れ! 私も陰ながら応援しているぞ。それで告白の言葉だが……残念ながら教えることはできないな。ただ! 告白するときはストレートに言ったほうがいいぞ。回りくどい言い回しなんて必要ない。自分のありのままの気持ちを伝えてやれ!』

 

 岳人がまた声をかける。

 

「おい、凛……」

「しーっ……今、百代の声聞いてるとこだから」

「おい、大和! 俺様、今猛烈にこの男を処刑したくなったんだが!?」

「お前の気持ちはわからんでもないが、やめておけ。負けが見えてる……」

 

 大和は至って冷静に返し、2つ目のパンへと手を伸ばした。海老カツとシャキシャキのキャベツ、それにたっぷりとかかったタルタルソースが病みつきになる味だった。

 そんな大和の隣では、岳人がぐぬぬと歯を食いしばっている。そこで、突然凛が振り向いた。

 

「あ、そうだ岳人……俺の京都の友達が、お前のこと紹介してほしいって言ってきたんだけど、どうする?」

「親友よ! 心の友よ、もちろんOKに決まってるだろ! さっきのメールか?」

「まぁな。お前のナンパに付き合えなかったし、これからも付き合えないだろうから……せめてもと思ってな。年は俺らの一個上、来年から龍王大学通うらしいから、それの都合でこっちに引っ越してくる」

「OKOK! 写真は!?」

「写メがそのうち届くかな……言っとくけど、かなり美人。まぁ百代には敵わないけど」

「お前のノロケは置いといて……ま、まじか!?」

 

 凛の言葉に、大和も岳人と同じ言葉を吐きそうになった。

 龍王大学に入学するほどの頭脳と凛が言う美人である。そんな女性が岳人と知り合いたいなど、裏があるのではと勘繰ってしまう。彼が聞いたら怒るかもしれないが、心配だった。

 凛はそんな大和の視線に感づいたらしい。

 

「燕姉の中学時代の友達で、俺も世話になった人だ。だから俺もよく知ってる。名前は――」

 

 そこで、放送中のスピーカーから学長の声が響く。

 

『ここで学長がお茶目に放送ジャッーク!』

 

 ――――相変わらず、自由な学長だなぁ……。

 凛の前の高校では、学長の声を聞く機会など少なかったし、加えて存在感などまるでなく、何らかの式等で壇上に登った時、そういえばこんな顔をしていたという程度であった。

 百代も突然の鉄心登場にツッコミを入れていた。しかし、彼はそれも無視して話を進める。

 

『皆、今、残暑きちぃーと思っとるじゃろ? そこで学園が突発企画を打ちたてたぞい……その名も季節外れの納涼肝試し大会!』

 

 百代の微かな声が、スピーカーからこぼれおちたが、それもざわつく教室では、誰も聞いていなかった。さらに鉄心が言葉を続ける。

 

『場所は多馬盆地の方角。川神山!』

 

 そこは、樹海に並ぶ全国でも指折りの心霊スポットである。

 突然、百代の声が弾む。

 

『残念だったなーじじい。あの山入ったらダメなんだろ?』

 

 ――――中止になると思って喜んでるな。

 しかし、百代の希望は、市長の許可が下りているという現実によって、容易く崩れ去った。彼女の小さなうめき声がした。

 開催日は今日の夕刻。学長はそれを伝えると、最後に生徒を煽って去って行った。イベント好きな生徒たちは、すぐさま参加するかしないかで盛り上がり始める。ラジオの方でも、準と百代が来週のこの時間に、肝試しのことを話し合う約束を交わしており、彼女も参加することになっていた。

 ――――百代……河原でもあんなに怖がってたのに、そんなとこ行って大丈夫なのか?

 凛が大和に問う。

 

「川神山って、そんなに危険なのか?」

「数十年前は自殺のメッカになっていて、そのせいで山が封鎖されたんだ。噂では、遊び半分で入って行った奴が、そのまま帰って来なかったとか……他にも似たようなものをいくつか聞いたことがある」

 

 ガタンッ!

 物音がなった方向を見ると、クリスが急に立ち上がっていた。その後、「すまない」と言って、また静かに座る。

 

「まぁ学長たちもいるんだから、大丈夫だろ」

「凛はこういうの平気なのか?」

「実際に遭遇したことないからな……妖気とかは感じたことあるけど。まぁそれにいざとなれば……なんとかする」

 

 凛はそう言うと、顔の高さまであげた右手をギュッと握りしめた。

 

「凛が言うと本当に何とかしそうだな。俺は姉さんがどうなるか心配だよ」

「んなことはどうでもいいんだよ!! 凛! さっきの話の続きを――」

 

 岳人が凛に詰め寄るが、そこにさらなる人物が加わる。教室の扉が勢いよく開いたかと思うと、彼らの座っている場所へ一目散に駆けてきた。

 その人物が、勢いもそのままに、凛と岳人に肩組みしてくる。

 

「おい! さっきの放送聞いたか!? 肝試しとか超楽しそうじゃねぇか! お前らもちろん参加するよな? な?」

 

 満面の笑みの翔一である。彼は順々に3人の顔を見た。さらに――。

 

「結構おもしろそうだよね。さっき、スグルと川神山の色んな噂をネットで調べてたんだけど――」

 

 卓也が椅子を引っ張って、皆の中に混ざった。そこからは川神山の話題になる。白い影、丑三つ時に聞こえる不気味な音、頂上にあるらしい五寸釘で打たれた藁人形、所々に散見される擦り切れたロープや衣服――その近くで唸る声などなど。

 しかし、一人だけ心底どうでもよさそうだった。

 

「りぃーーん!! 俺様に年上のお姉様の話を聞かせてくれー!!」

 

 岳人の魂の叫びが教室内に木霊した。それと同時に、女子からの注意が四方八方から飛んできた。結局、凛が知りうる限りの情報を聞き出して、ようやく彼は静かになった。

 

 

 □

 

 

 そして、あっという間に夜がきた。参加した生徒は約60名。山はしんと静まり返っており、時折頬を撫でる風が生暖かい。参加者の多くは、川神山の噂を知っているため、どうしても不気味な印象を持ってしまう。もっとも、そんなことをまるで気にしない連中もおり、山に入ってからもマイペースを保っていた。

 パキ――。

 誰かが小枝を踏んづけたのであろう。しかし、雰囲気に呑まれている者は、その音にも反応し、キョロキョロと辺りを見回したり、友達と体を寄せ合ったりしている。次に「うおっ」と誰かが声をあげた。

 ――――確かに心霊スポットって言われるだけある。友達にどうしてもと言われて、ついて行った首塚大明神を思い出すな……。

 凛は山頂をじっと見つめる。少し目を細めると、そこは薄らと靄がかかったようになっており、見通しが悪い。空は星が輝くほどに晴れている――雨が降ったせいなどではなさそうだった。

そんな凛のもとへ、百代がすすっと近寄ってきた。そこからは別に服を掴んだり、腕を組んだりはしない。ただ彼の近くにいる。

 それに気づいた凛は、百代に囁いた。

 

「怖くなったら、正直に言ってね」

「! ……へ、平気だ」

 

 今にも消えそうな声で答える百代。しかし、凛が少し動くと、彼女もそれに合わせて動く。右へ行けば右に、左へ行けば左に、という具合だ。

 凛はそんな百代にそれ以上何も言わず、ただ頭を一撫でするだけだった。

 

「おーい」

 

 そこへ、この雰囲気にそぐわない鈴がなるような声が響いた。凛がそちらへ顔を向けると、そこには清楚がいた。

 

「清楚先輩も参加されていたんですね」

「うん……私もあんまりこういうの得意じゃないんだけど、義経ちゃんと弁慶ちゃんも行くっていうし、百代ちゃんとかも行くって聞いたから、大丈夫かなと思って……」

 

 ――――すいません、清楚先輩。今の百代は、清楚先輩以上に怖がっているので、大丈夫ではありません。

 清楚の視線の先には、少し落ち着かない様子の義経とそんな彼女を愛しそうに見守る弁慶。その手には、しっかりと川神水が握られている。与一は興味がないのか、参加すらしていなかった。そのときの彼の言葉は――。

 

『俺がそこに顔を出せば、別のお客さんが増えちまう。肝試し所の騒ぎではすまなくなるだろうよ』

 

 といった感じで、これを聞いた義経は、頭にハテナマークを浮かべていた。

 百代が清楚に話しかける。

 

「ま……まかしておけ、清楚ちゃん。ゆ、幽霊なんて私の波動でイチコロだからな!」

 

 ――――打つ気満々!?

 臨戦態勢に入っている百代に、凛は驚いた。

 

「いざとなったらお願いね……あ、でも百代ちゃんは凛ちゃんと回るよね? 私は――」

「き……京極でいいんじゃないか? アイツも確か来ていただろ?」

 

 百代の言葉に、3人が辺りを探す。山に入っても着物姿の彦一はすぐに見つかった。

 彦一が傍に来ると、凛が口を開く。

 

「清楚先輩がお一人らしいので、京極先輩一緒に行ってあげてください」

「他の奴だと、私の可愛い清楚ちゃんに何するかわからないからな! 不本意ながら、京極お前にまかせる」

 

 彦一は凛に寄り添う百代を見るなり、口元を緩める。清楚も優しい笑顔を浮かべているあたりを見るに、彼女がどういう状態にあるのか察したらしい。

 

「葉桜君に同行することに異存はないが、川神がそこまで言うなら、代わってやらんこともないが?」

「お、お前! 美少女2人を山の中に放り込むとか、その神経を疑うぞ! なんか出てきたらどうするんだよ!?」

「何か? ふっ……まさか幽霊に怯える武神ではあるまい?」

 

 凛は、目の前で微笑む彦一を見た。

 ――――この人、楽しそうだわぁ……。まぁ百代が弱気になるところなんて、滅多にないからな。

 百代が吠える。

 

「あ、当たり前だろう! ……私は超絶美少女武神だぞ! 幽霊如き、私の拳で軽くのしてやるさ!」

 

 ――――この台詞どっかで聞いたことあるな。

 百代の啖呵に、彦一が満足そうに頷いた。

 

「そうだろうな。それでこそ川神だ。……それで、君は葉桜君と行くのかね?」

「まぁまぁ、京極先輩もそのくらいにしておいて下さい。このままだと本当にムキになって、清楚先輩連れて行ってしまいそうですから」

 

 凛が苦笑しながら割って入った。現に「私なら平気だぞ! 本当に行っちゃうぞ!」と百代が抗議している。

 

「そのようだな……少しからかいが過ぎたようだ。葉桜君、俺でよければ同行させてほしいのだが、どうだろう?」

「もちろんだよ。よろしくね」

「こちらこそ、よろしく頼む」

 

 肝試し大会が幕を開ける。

 

 

 ◇

 

 

 まず、1年生から肝試しが始まり、それに続いて2年生、3年生とぞくぞくと山へ入って行った。特に順番が決まっていたわけではないが、鉄心が「1年生から」と言ったため、学年順になった。山の中からは、時々生徒たちの悲鳴が聞こえている。

 そして、凛と百代のペアの順番がきた。彼女がくるりと後ろを振り返り、彦一を無言で睨む。

 ――――さっきの怪談話が余程怖かったんだな。しかし、実際京極先輩の力は凄いな……俺でも心にじんわりと響いてきた。言霊恐るべし。

 そのときだった。

 

「うわぁぁーーー!! いったんもめんだぁー!!」

 

 それに続いて――。

 

「妖怪出てこぉーい!! 俺と会話しようぜ!」

「お嬢様!? どこにおられるのですか!? 返事をなさってください!」

「にょ、にょわぁぁーー!」

 

 ――――賑やかな肝試し大会だな。

 鉄心に促され、凛と百代は山へと入っていく。そして、しばらく歩き、人影がなくなったところで、彼が彼女の手をしっかりと握る。

 

「そろそろ人気もなくなったし、我慢する必要もないでしょ?」

「うぅ……」

「それとも手つなぐ必要もない?」

 

 そう言って、凛が手を離すと、百代が彼の腕へとしがみついた。

 

「は、離さないでくれ! なんだここ……怖すぎるぞ、凛。……なんか妖気も感じるし。時々悲鳴も聞こえるし……うぅ、怖い~」

 

 百代は我慢の限界がきたのか、瞳に涙を貯め、辺りへと気を配る。

 

「大丈夫大丈夫。いざとなったら、俺が何とかするから」

「そんなこと言ったって、相手は幽霊だぞ!?」

「触れないのに、襲ってきたらどうするんだよ……だったっけ?」

 

 百代が以前凛に言った言葉を彼が繰り返した。

 

「その通りだ。どうするんだよ!?」

「俺も倒すことができればいいんだけどね……まぁ何かあっても、百代をちゃんと守るから。それとも俺のことは信用できない?」

「そんなの…………信用どころか、信頼してる」

 

 百代がさらに強く凛の腕を抱きしめ、頭を彼の肩へと預けた。

 

「ありがとう。……それじゃあちょっと話題を変えて、京極先輩の話が予想以上に怖かった件について」

「あれ、アイツ絶対怖がるの楽しんでるんだ! 間違いない!」

「ほとんどの人があの話に引き込まれてたからね。でも、それは清楚先輩も含まれてるから、俺はあの2人の道中が気になって仕方がない」

「それは本当か!? 京極の奴、清楚ちゃんを怖がらせて、自分が頼りになるところを見せるつもりだな……」

「いやいや、京極先輩はそこまで考えてないよ。だからこそ、なんか起こりそうじゃない?」

 

 凛はチラリと後ろを振り返った。彼らのあとが、彦一と清楚の順番だったからだ。しかし、まだまだ後ろにいるのか、姿を見ることはできない。

 

「でも、京極は清楚ちゃんのこと、ただの友達だって言ったんだろ?」

「それはそうだけど、俺はかなり好意があると思うんだよね。じゃないと、未だに2人きりで帰ったりしないでしょ? 2人ともそれに気づいてないから、ずっと2人で帰れると思うんだけど、どう?」

「つまり、その気持ちに気づいたら、2人の関係が変わると凛は思ってるのか?」

「そうそう。俺も百代のこと好きなんだなぁって思ってからは、行動の一つ一つが気になったりして、大変だったし……」

「あーそれはなんかわかるぞ。私も凛に無性に触れたくなったり、逆に触れるとドギマギしたりしたからな」

 

 百代が少し以前を思い浮かべて、楽しそうに笑った。彼女も話が逸れていくに従って、あまり辺りを気にしなくなった。そして、そんな話をしている間に、山頂へとたどり着く。

 しかし、2人はそこで表情を固くした。百代は凛にピッタリと寄り添い、体を少し震わせている。自然と口を閉じた彼ら――沈黙が場を支配する。音が全て死んだように、虫の鳴き声や風のざわめきすら感じられない。

 凛は辺りの木々を見渡したあと、空へと目を向ける。黒く濁った空は、星が見えなくなっていた。

 ――――なんか、おかしい……。

 百代が声を震わせながら、凛に尋ねる。

 

「凛、なんかやっぱりおかしくないか!? よ、妖気がさっきより強くなってる気がする」

「うん。俺も思った……百代、俺から離れないで」

 

 凛の声は、先ほどの陽気さが消え、固くなっていた。

 百代が頷くのを確認した凛は、その場にしゃがむと、近くに落ちていた小枝に気を込める。そして、青白く光るそれで、地面に大きく円を描き、その中に五茫星を刻んだ。

 その間も、じわりじわりと周りを侵食するかの如く、妖気が漏れだしてきていた。百代もそれを敏感に察しているのか、顔が白を通り越し、若干青くなっている。彼女は何かに耐えるように、必死に凛の腕を握った。そこから感じる温もりだけが、彼女を現実に引き留めてくれている。

 ――――百代の方も何とかしてやりたいけど、その余裕がない。

 凛は次に、気を込めた小石をその五茫星の頂点へそれぞれ配置した。すると、それらから流れ出るように、紫電が円の中を走りだす。ぶつかり合うそれらは、やがて五茫星をも彩り、刻印の全てを満たした。

 凛が言の葉を紡ぎ出すと同時に、彼の気が一気に膨れ上がる。

 

「高天の原に神留まります。皇が親、神漏岐・神漏美の命以ちて――」

 

 いつもの凛の声ではない――澄んだ、それこそ小川のせせらぎのような清らかな声だった。

 その声から紡がれる台詞を耳にした瞬間、百代の中から不安や恐怖が一掃されたように、心穏やかになった。風もないのに、凛の短髪がフワフワと逆立ち、次いで百代の髪もまるで重力に逆らうように、なびき始める。

 

「神問はしに問はし給ひ。神掃ひに掃ひ給ひて――」

 

 落ち着いた声が、静かな山頂に染み込んでいった。

 

 

 □

 

 

 山の変化について、壁を越えた者たちも気づいていた。

 釈迦堂がルーへ声をかける。

 

「ルーよ……これは川神院が仕掛けた手品かなんかか?」

「冗談じゃなイ。私達まで結界の中に閉じ込めるなんて、修行僧たちにできる芸当じゃないネ」

「……とすりゃあ、ますます嫌な予感がするぜ。辺りから俺ら以外の気を感じねぇ。一瞬でこんな真似できる奴なんざ、この世に……いねえよな」

 

 宇佐美が2人に声をかける。

 

「さっきから生徒の姿も見えないんだけど、一体どうなってんの?」

「山に入ってる奴ら全員が、それぞれ神隠しにあってんだよ。どえらい力が働いてるってやつだ」

「えっ……冗談きついな。おじさんにもなって、そんな超常現象にあうの? それで、どうやって抜け出すの?」

 

 宇佐美が顔をひきつらせた。ルーも笑顔が消えている。

 

「一応、歪みを探してみよウ。ただ……私たちのところからじゃ、多分どうしようもないネ。情けないことだが、他を頼りにするしかなイ」

「おいおい……生徒たちは無事なんだろうな?」

 

 宇佐美の声が空しく響いた。

 

 

 ◇

 

 

 そして、山の麓――。

 梅子が鉄心に報告する。

 

「現在、戻ってきていないのは、3年の川神百代、京極彦一、葉桜清楚、2年の九鬼英雄、忍足あずみ、夏目凛、直江大和、椎名京、風間翔一、川神一子、源忠勝、不死川心、榊原小雪、源義経、武蔵坊弁慶の15名と教員その他3名です」

「うむ、御苦労……」

「しかし、これは一体どういうことでしょうか? 最後に帰ったきた者の話では、後ろにいたペアが突如消えたと言っていましたが……」

 

 梅子の視線の先では、クリスと千花がカタカタと震えながら、「一瞬だけだ……目を離したのは一瞬だけ……」と呟き、マルギッテと羽黒が震える彼女らの背中をさすっている。その傍には、岳人や卓也もおり険しい表情をしていた。

 

「小島先生は神隠しを知っておるか?」

「それはもちろんです……まさか、生徒たちが今それに遭っていると?」

「山頂近くから、禍々しい気配を感じるわい……それが恐らく元凶じゃろう。何かのはずみでこちらとあちらがつながり、何かが出てこようとしとる」

「どうなさるおつもりですか?」

「出てきたところを叩くしかあるまい……教え子たちにはもうしばらく、我慢してもらわねばいかんがのう」

 

 そう言って、鉄心は息を吐いた。このような事態にまで発展することは、今までになかったことであり、さすがの彼でも予想がつかなかったらしい。

 

「生徒たちなら大丈夫でしょう。どの者も頼りになる者たちです――」

 

 そこで梅子の目が一人の生徒を捉える。

 

「黛! どこへ行こうとしている!?」

 

 由紀江の体が大きく跳ねる。

 

「いえ! そ、その……私の力をお役に立てることができないかと……」

「黛、気持ちはわかるが、中に入ってはならん。今しばらく……ん?」

 

 そこまで言うと、鉄心はまた山頂を見た。別の気を感じたように思えたからだった。

 

 

 □

 

 

 少し時をさかのぼり、清楚と彦一。

 清楚は辺りを見ながら、少し心細げにしていた。それに気付いた彦一が声をかける。

 

「葉桜君」

「ひゃい!」

 

 清楚は自分の出した声に気づき、頬を赤く染めた。彦一が少し言い辛そうに、言葉を発する。

 

「すまない……どうも俺の話が、必要以上に君を怖がらせてしまったようだ。肝試しを楽しむための余興になればと思ったのだが……」

 

 彦一は、百代の言葉通り楽しむために怪談を話したわけだが、その楽しむというのは、彼が周りの反応を見て楽しむというより、皆がこの肝試しを楽しめるように話した――いわば、彼なりの厚意からきたものだった。もちろん、その過程で彼が周りの反応を楽しんでいたのも事実だったが。

 そのため、いざ清楚の怖がり方を見ると、少なからず罪悪感も湧いたらしい。

 

「いいのいいの。怖くない肝試しなんて、肝試しって――」

 

 ガサガサッ――。

 2人から少し離れた場所で、草木が大きく揺れた。

 

「きゃあ!」

 

 清楚は思わず彦一の腕にしがみついた。ぎゅっと目を閉じると、首を横にふる。

 

「やっぱり無理無理。京極君……悪いんだけど、山下りるまでこうしてるわけにはいかないかな? これ以上は、私怖くて進めそうにないの」

「それは構わない。……一応このまま下山するという手もあるが?」

「それはダメ! 私、ももちゃんと色紙とってくる約束しちゃったから……だから、京極君さえよかったら、付き合ってくれないかな?」

 

 清楚は恐怖から目を潤ませ、そのまま彦一を見上げた。

 変なところで律儀な清楚に、彦一は顔を背けて笑ってしまう。それを見た彼女が口をとがらせる。

 

「京極君、今笑った? 私が怖がってるの見て、笑ったよね?」

「……いやすまない。私が笑ったのは、君が怖がってるからではない」

「じゃあ、なんで笑ったの?」

「律儀な葉桜君が、どうもおかしくてね。気を悪くしたなら、すまない」

「許しません……」

 

 清楚はその言葉と裏腹に、既に笑顔だった。彦一も先の展開が読めたのか、ふっと雰囲気が和らぐ。

 

「では、どうすれば許してもらえるだろうか?」

「私が色紙を取りに行くのに協力すること」

「ふむ……葉桜君の機嫌が悪いままでは、あの2人から怒られそうだな。これは付き合うしかなさそうだ」

「ふふ、それじゃあ……気を取り直して出発!」

 

 2人は腕を組んだまま、山頂を目指す。

 

 

 ◇

 

 

 そこから歩き続けた彦一と清楚であったが、一向に頂上へ着く気配がない。

 

「なんか変だね……」

「まるで同じところを何度も歩かせられているようだ」

 

 そこへ新たな人物が現れる。

 

「ん? 京極と清楚じゃねえか。お前ら2人とも無事だったんだな」

 

 不敵な笑みを浮かべるあずみだった。彼女は抜き身の小太刀を一旦仕舞う。

 

「あずみさん、どうしてここに?」

「あたいは英雄様の命で、辺り一帯をくまなく調べ回ってるのさ。おまえらの他にも、義経や弁慶、小雪なんかも見つけた。それにしても――」

 

 あずみがじーっと2人を見つめた。清楚はその視線を受け、不思議な顔をするだけ。

 

「あたいが来ないほうが、2人にとってはよかったか?」

 

 その言葉を聞いて、清楚は慌てて彦一との腕組を解いた。

 

「ち、違います! あずみさんの誤解です! 私と京極君はそんな関係ではなくて……その、ただのお友達です。今のも私が怖がっていたのを京極君が和らげるために、してくれたことで……と、とにかく! 誤解ですから!」

 

 アタフタと言葉を並べる清楚に、「へぇー」とあずみはニヤニヤしたままである。いつも落ち着いている姿を見るだけに、彼女のこういう姿は珍しい。

 皆まで言わなくてもわかってる。あずみがそんな顔でしみじみと頷くと、清楚はさらに焦って言葉を重ねる。

 その間、彦一は「ただのお友達」と言われて、若干心を痛めていた。そして、そんな自分に驚いてもいた。彼が凛に言った言葉を清楚が口にしただけであるのに――。

 清楚は混乱しているのか、さらに続ける。

 

「それに誤解されたままだと、京極君に迷惑がかかります! 私なんかとそういう関係に見られるなんて……」

「わかったわかった! もうあたいもお腹一杯だ。とにかく、2人とも英雄様の所に連れていくから、ついて来い!」

「あずみさん!」

 

 あずみが先頭を歩き、清楚がその隣を歩こうと速足になり、彦一はそんな2人のあとを追った。

 

 

 □

 

 

 場所と時間を戻して、凛と百代の山頂。

 

「――成り出でむ。天の益人等が過ち犯しけむ。種々の罪事は、天つ罪・国つ罪幾許だくの罪出でむ――」

 

 凛は両手を円の外側に添えたまま、次々と詞を口ずさむ。それに呼応するが如く、刻印の中を走る紫電が激しくなり、彼が描いた順の頂――五つの頂から次々と天へと昇っていく。

 百代もそれを目で追った。高く高く昇ったそれは五角の柱となり、その周りをゆっくりと円が昇っていく。2人の周りは、まるで昼間のような明るさで、木々にも影ができるほどであった。それだけの光が漏れていても、誰一人山頂に現れる者はいない。

 凛の髪がキラキラと輝いている。その毛先が揺れる度に、気の残滓が飛沫のように飛び、消えていった。それがとても儚く、そしてとても美しい。

 

「……も、百代」

 

 凛の苦しそうな声に、百代が我に帰る。

 

「ど、どうした、凛!?」

「ちょっと……力貸して……」

「もちろんだ! どうすればいい?」

「俺の……手に、手を重ねて……」

 

 百代はすぐに凛の正面に回ると、円柱をはさむようにして、彼の手に自身の手を重ねた。彼が続ける。

 

「……目を閉じて……ゆっくりと、深呼吸……俺に……身を委ねるようにして……」

 

 百代はそれに従い、目を閉じ、深い呼吸を繰り返す。感じるのは凛の手から発せられる気のみ。数秒もしないうちに、凛と一つになるような、溶けていくような感覚に陥った。

 

「斯くかか呑みてば、息吹き処に坐す。息吹き処主といふ神。根の国・底の国に息吹き放ちてむ――」

 

 凛がまた再開させると、勢いよく百代の気が消費されていった。それは瞬間回復を連続で使われるような感覚だった。量が多いため、その急激な消費が手に取るようにわかる。彼が苦しむのも無理はない。

 遂には円が天空へと達する。そこで百代は目を開いて、ぎょっとした。なぜなら、地面に描かれた五茫星から梵字が浮かび上がり、目の前にできた柱をユラユラと昇って行っていたからだ。

 

 キィン――。

 

 耳をつんざく音が鳴った。同時に、円柱が凛と百代を呑みこみ、山一帯へと広がっていく。それに加えて、五角柱が何層にも出来上がる。耳鳴りは止み、彼の声だけが木霊した。

 

「――祓へ給ひ清め給ふことを天つ神、国つ神、八百万の神たち、共に聞こし召せと白す」

 

 凛が紡ぎ終わると、広がっていた円が収束を始める。それに合わせて、五角柱も急速に中心へと集まってきた。風が吹き荒れ、地面に落ちていた葉や砂を巻き上げる。百代は咄嗟に目を閉じた。髪が乱暴にあおられるが、彼と重ねた手を離すことはない。

 風が収まったところで、百代が目を開けると、地面から10㎝ほど浮いた筒が出来上がっていた。大きさは、大人一人が楽に入れるほどであり、筒の周りには斜めに走る梵字。小さな文字は、まるで鎖が巻き付いているように見え、さらに黒から赤へ、赤から黒へと明滅を繰り返していた。開けてはならない物――本能的にそう思わされる。

 凛が立ち上がるのを見て、百代も一緒に立ちあがり、彼の横へと移動する。

 

 中に何かいる――。

 

 百代は好奇心からそれを見ようとするが、凛の手が優しく彼女の視界を遮った。

 中の壁が何枚か破られたため、筒がうっすらと透けてくる

 

「おい、凛? ……見ちゃいけないのか?」

 

 凛に頭を抱かれる格好のまま、百代は静かになった。意味もなく、彼が隠すこともないと思ったからだ。

 そして、それは遂に姿を見せる。百代と目を合わすことができなかった何かは、ギョロギョロと動き回る瞳で、妨げた凛を睨む。

 乱れた長髪。血に染まった眼。太い眉。蒼白の肌。その角ばった顔が、右脇に抱えられていた。その姿は豪奢な鎧を纏い、背に弓矢、腰には一本の刀――真っ白い鞘が目を引いた。

 ――――初めて見たけど……百代が見たら、きっとトラウマになるな。

 凛は、こんな得体の知れない者と戦ってきた先代たちに改めて敬意を払う。

 さらにその何かは、真一文字に閉じていた口を開くと、激しく動かし始めた。それは人が動かせるスピードではなく、とても異様な光景だった。それに連動するかのように、梵字が激しく点滅する。

 

「音も届かないよ……」

 

 ――――百代がいてくれて助かった……。

 力の強い者を封じるためには、それだけ多くの気が必要となる。加えて、凛はこれに関して慣れているわけではない。そのため、どうしても力技になってしまい、自身の気だけでは足りなくなってしまったのだ。もし、彼一人だけであったのなら、到底うまくはいかなかったであろう。

 凛の見ている前で、筒がどんどん縮み始める。蛇が獲物を締め付けるように、梵字の鎖もその間隔を短くしていった。そして最後は、小指ほどの大きさになると、上部から少しずつ塵となって消えていった。虫の鳴き声が戻ってくる。

 凛は全てを見届けると、その場に座り込み、天を仰ぎながら大きく息を吐いた。百代が慌てて、彼の身を案じる。

 

「大丈夫……ちょっとほっとしただけ」

 

 凛は白い歯を覗かせながら、答えた。百代はそれに頷くと、彼の頭に絡まった葉を払いのける。

 そんな2人の背後から声がした。

 

「なんだよ! こんな近くにみんないたのか!? 俺達探し回る必要なかったじゃん」

「でも、みんなと合流できてよかったわ」

「結局、なんだったんだ?」

 

 翔一、一子、大和だった。その傍に、京、忠勝がいる。

 

「フハハハ! どうやら、皆無事であったようだな!」

 

 その少し離れた場所に、英雄を中心としたSクラスの生徒。林の向こうからは、ルー達も顔を出した。

 

「心よかったねー。無事にあの世から生還できて」

「小雪! 縁起でもないこと言うでないわ! もう肝試しなんぞ一生やらんぞ!」

「ほら弁慶! ちゃんと戻ってこれたぞ。しっかりしろ!」

「もう……飲めない」

 

 清楚が百代に駆け寄る。

 

「ももちゃん、大丈夫だった?」

「ああ。私は凛がいたからな。清楚ちゃんこそ、京極に変なことされなかったか?」

「変なことって、京極君に失礼だよ。ちゃんと私をエスコートしてくれたよ?」

 

 清楚は後ろを振り返り、「ね?」と彦一に同意を求めた。彼はそれに扇子を振るだけで、そのまま凛の傍へ寄る。

 

「色々大変だったようだな……」

「まぁそれなりには……でも、みんな無事で本当によかった」

 

 凛の目の前には、いつもと変わらぬ賑やかな光景が広がっていた。

 その後、下山した一行の姿を目にしたクリスや千花が泣き出したり、マイペースな小雪が不思議体験を準と冬馬に聞かせ、彼らに安堵のため息をつかせるとともに、呆れさせたりした。その一行の中で翔一と英雄だけは、自身が霊と出会えなかったことに悔しがっていたりする。

 一方で、当事者であった凛と百代――特に凛は、今回の出来事について鉄心やルーたちに詳細を伝えた。

 こうして、肝試し大会は無事に幕を閉じた。このときの誰もがそう思っていた――。

 




陰陽師にクラスチェンジ!
幽霊怖い……私は結構そういう存在信じてるんで、心霊スポットとか絶対近づかない!
でも、怪談は嫌いじゃない。映画とかも見てしまう。
そして、夜の鏡とかを見るのに怯えるというありきたりなパターンへ……。

肝試しの開催時期もそうですが、これから起こるイベントの時期をいじります。


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『意地』

 

 

 

「おはようございます、凛」

 

 凛が早朝のトレーニングから帰ってくると、そんな声が聞こえてきた。玄関に立っていたのは、一人の女の子――ツインテールの紫の髪と同色の瞳、そして、体のラインがはっきりとわかるパイロットスーツを着込んでいる。頭部に装着されていたゴツめのヘッドギアは、今は外されていた。

 凛は少し遅れて返事をする。

 

「……おはよう、クッキー。まだ見慣れてないせいか、一瞬誰かと思った」

 

 凛の言う通り、彼女はあの丸いフォルムが愛らしいロボットだった――昨日の夕方までは。

 その夕方、いつものように秘密基地にて集会が行われ、メンバーが思い思いの時間を過ごす中、京が翔一からもらったワックスでクッキーを磨いているときに、異変が起きた。突然、クッキーが悩ましい声をあげたかと思うと、第108形態まである変形の中の一つ――第4形態への変形が可能となったのだった。

 クッキー曰く、人間への好感度がマックスを振り切り、よりファミリーとの絆を深めたくなったから、その形態へと変形できるようになったらしい。

 その形態こそが、凛の目の前にいるより人に近い、というよりも女の子であった。クローンのことといい、クッキーのことといい、九鬼の技術は一体どこまで進んでいるのか想像もつかない。

 

「構いません。これをどうぞ」

 

 そう言って、クッキーはタオルを差し出した。凛は礼を言って、それを受け取り、ついでに頭を撫でた。身長が一子と同じくらいのため、彼は無意識的にその行動をとってしまったのだ。ファミリーのマスコット(自称)だった松風を一蹴した実力だけはある。

 

「凛……くすぐったいです」

「おっと、ごめんごめん。クッキーの愛らしさが、一子にも劣らんばかりだったから、ついな。第2形態になるのは勘弁してくれ」

 

 凛はすぐに手を引っ込めた。

 この可愛いクッキーは、大和や京、マイスターである翔一以外が接触した場合、第2形態になり、自身を守るようになっている。

 

「心配いりません。私も凛を兄のように思っています」

「嬉しいこと言ってくれるな。今度またオイル……じゃないほうがいいのか?」

 

 女の子となったクッキーを見て、凛は悩む。オイルをあげてもよいが、この姿で飲むところを想像したくない。

 

「この形態は食事もとれるので、凛さえよければ、あなたの料理を食べてみたいです」

「おお! 本当に凄いな! 了解だ……第4形態になれた祝いも兼ねて、クッキーにおいしいものをプレゼントするよ」

「ありがとうございます……お兄ちゃん」

 

 そんな不意打ちを食らった凛は、「おふっ」と言いながら、玄関に膝をついた。萌えという名のボディブローが、彼の腹を鋭く抉ったらしい。

 ――――ワンコのような元気一杯な妹もいいが、クッキーのようなクールな妹も侮れん!

 ちょうどそこへ、目を覚ました大和と京が現れる。彼女の方はしっかりと彼の腕を抱きしめており、彼もそれを気にしている様子はない。

 

「おはよ……って、凛何してるんだ?」

「おはよう、大和に京。俺か? 俺は今、妹の良さについて再認識していたところだ」

「なんだそりゃ? クッキーもおはよう」

 

 ようやく立ち上がった凛を放っておき、大和が京と会話していたクッキーに挨拶した。

 

「ところで、京はまた大和の部屋で寝てたのか?」

「大和が部屋に帰してくれなくて……」

「京と同意見です」

 

 凛の言葉に、京とクッキーが仲良く頬を染めながら答えた。それを聞いた彼が、大和に冷めた視線を送る。

 

「大和……いくら仲良いからって、京とクッキーをそんな爛れた関係に――」

「んなわけあるか! 俺が眠ったときには確かに一人だったよ! でも起きたら、なんかクールなのが2人いて、俺の顔を覗いていたんだ! 久々に大声だすとこだったわ!」

「京とクッキーは本当に仲良しだな」

 

 その言葉に、京とクッキーが同時に頷いた。

 

「ツッコむところ、そこか!! もっと他にあるだろ!?」

「はいはい……もう良い時間だから、ご飯食べに行こう。あとでちゃんと聞いてやるから」

 

 凛が大和をリビングへと押していき、その後ろを2人がついてきた。

 

 

 ◇

 

 

 それから時が流れ、9月の中旬になったある日。西から突如やってきた大友の情報により、川神が俄かに慌ただしくなる。

 その情報とは、西方十勇士の4名が外部の人間によりやられたというものだった。そして、その手練はだんだんと東に移動しており、つい最近は名古屋にて暴れていたらしい。加えて、十勇士の残り5名が行方不明となっていた。

 大友は関東に進むその手練がこの川神に来ると予測し、待ち構える腹積もりだった。鍋島も彼女とともに川神に足を運んでおり、現在は鉄心と話し合いをしている最中である。

 

「梁山泊か……」

 

 大友からその手練たちの名を聞いた凛が、呟いた。

 ――――確か、現在は裏で傭兵活動しているとか……英雄の末裔が集まる集団として、俺もその名をヒュームさんから聞いたことがある。名を代々受け継ぐ豪傑たち。

 凛が軽く微笑みながら、言葉を続ける。

 

「まぁ来るというなら……」

 

 凛と目が合った百代が頷く。

 

「迎え撃つまでだ」

 

 その言葉に、由紀江もしっかりと首を縦に振った。

 

 

 □

 

 

 それから程なくして、学園の中は梁山泊による負傷者が多数でるようになった。多い日は、30から40人が一気にやれられることもあった。

 

「まゆっちと同じ剣術を使った……?」

 

 凛は由紀江の言葉をイマイチ理解できなかった。同席していた百代も眉をひそめている。

 

「はい。私が武蔵さんや矢場先輩のところに駆け付けたところ、水色の髪をした女性がおられまして、私の放った剣戟と全く同じものを使い、防いでいったんです」

『幼い頃から使い続けた剣術をオイラたちが見間違えるはずねえ……あれは確かに黛流だった』

 

 百代が会話に混ざる。

 

「でも、黛の門下にそんな女がいたことはないんだよな?」

「はい。見たこともない女性です」

「まさか……見ただけで模写できるのか?」

「それにしては、型だけでなく威力まで完全に……」

 

 由紀江の思い出すような口調に、一同が黙った。

 ――――完璧なコピー……ありえないと言いたいところだけど、まゆっちが嘘をついてるわけがない。

 凛が百代に視線を送る。

 

「わかってるさ、凛。不用意に技を連発するなって言いたいんだろ?」

「まぁね……まゆっちの加減した斬撃を真似た相手だし、どの程度まで技の模写が可能なのかわからない以上、用心するべきだ」

「でも、それじゃあ攻撃できないぞ――」

 

 梁山泊への対策について、さらに話し合いを続ける3人だった。

 

 

 ◇

 

 

 扇島付近、変態橋、多馬川の上流――梁山泊の目撃情報が入っては、その場所へ急行するが、どうしてもあと一歩のところで捉えることができずにいた。

 そして、その遅れが、とうとうファミリーの一人を梁山泊と引き合わせてしまう。

 多馬川の下流では、偶然通りかかった岳人が、襲われている生徒のところへ駆け寄った。

 

「大丈夫か!?」

「……ぁ、先輩? ……に、逃げてください」

 

 そう言うと、女生徒は体を地面に横たえた。意識はかろうじて残っているようだ。

 岳人はその女生徒に背を向けると、守るようにして棒を担いだ梁山泊――史進と対峙する。

 

「お前が最近、この川神で暴れ回ってる梁山泊か?」

「だったらどうだっていうんだ? まさか……アンタがそいつに代わって、わっちの相手をするとでも?」

 

 史進がケタケタと笑うと、ツインテールの髪と不自然に膨らんだ胸元が揺れた。髪飾りから伸びる黒い紐が、風になびく。その背中には九匹の龍が刺繍されていた。

 史進は担いでいた棒を一度だけぐるりと回し、また担いだ。

 

「なにがおかしい!?」

「アンタ、自分の実力わかってんのかってことだよ! もっとも、あんまりにも弱っちいから、わっちの強さがわからないかもしれないけど……小銭稼ぎばっかで退屈なんだよなぁ」

「ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇ!」

 

 岳人は右手を振りかぶると、そのまま史進へと突っ込んでいった。それを見た彼女は、言葉と裏腹に、口角を釣り上げ、獰猛な笑みを浮かべる。戦うこと自体は好きらしい。

 

「んなトロい攻撃がわっちにあたるかよ!」

 

 岳人の右拳をゆるりと避けると、史進は棒をなぎ払った。

 

「がはっ……!」

 

 その一撃は、岳人のガラ空きになっていたわき腹にめり込んだ。肺の中の空気が全て吐きだされ、次いで体が横へ吹き飛ぶ。

 二転三転して、ようやく岳人は止まった。彼はすぐに立ちあがる。わき腹に鋭い痛みが走ったが、それを顔には出さない。

 史進がまた笑う。

 

「へぇ……攻撃はゴミでも、タフさには自信ありますってか?」

 

 今度は、史進が岳人へと接近する。彼はそれを迎え撃つ形で、またもや拳を振るうが、易々と避けられ、同時に、彼女の棒が彼の左側頭部を襲う。無論、彼の反応ではそれを避けることもできず、かち割らんばかりの威力をモロに受けた。

 がっと固い音が辺りに響く。

 

「……ッ!」

 

 岳人は声が出なかった。受身もとることを許されず、地面を転がっていく。視界は、まるで目の前で強烈な光を見ているように、チカチカした。立ち上がろうとすると、足元がふらつく。そこにさらなる追撃がきた――まるで、舞いを踊るようにして、史進が棒を振るうと、その度に彼の体のありとあらゆる場所から痛みが走る。彼はそれに対して防御をとろうとするも追いつかない。自然と棒立ち状態になり、ジリジリと後ろへと追いやられていった。

 そして、一瞬の隙をつかれ、下から振るわれた一撃によって、顎を打たれた。岳人の巨体が宙に浮き、地へ落ちる。

 それを視界に入れていた女生徒が、「……ぁ……」と何かを口にしながら、岳人の方へ手を伸ばした。史進がそれに気づく。

 

「……なんだよ。まだ、落ちてなかったのか? お前の出番はとっくに終わってるから、さっさと舞台からおりなって――」

 

 そう言って、史進が足を進めようとするが、その足が進まない。視線を向けると、岳人の右手が、彼女の足首をガッチリと掴んでいた。間を置かずして、彼女の視界が反転する。

 上体だけ起こした岳人が「うおおっ!」と叫びなら、力の限り史進を投げ捨てたのだ。彼女はその身軽な体を翻し、地面へと足をつける。

 その間に、岳人は右足に力を込めて、再度しっかりと立った。

 

「お前の……相手、は……俺様だろ……」

「おうおう……頑張るねぇ。倒れたほうが楽になれるっていうのに」

「俺様……こう、見えても鍛えて……るんでな。お前の、攻撃なんざ……効きゃしないのよ」

「あはははっ……吠えるのだけは一人前だな。だったら、早くわっちのとこまでおいでよ……まあ、それを待つのも面倒だから、仕掛けてやるけどなぁ!!」

 

 史進は棒を両手でしっかりと握ると、その先端を岳人に定め、先ほど以上の速度でぶつかっていった。

 それはまるで一発の黒き弾丸――。

 史進の進む道に砂埃が巻きあがり、それが真っ直ぐに岳人へと迫る。

 それに気付いた岳人が防御するよりも早く、彼の鳩尾を先端が抉った。当たる瞬間に、回転を加えたその一撃の威力は計り知れない。くの字に折れ曲がり、その姿勢のまま数秒間吹き飛ぶ。

 お疲れさん。十分な手ごたえに、史進の笑みが深くなる。突きだした棒を引き戻し、余裕綽々といった様子で、仁王立ち。

 それとは対照的に、岳人の焦点はぶれ、気を抜けば意識が飛びそうであった。

 がしゃん。背中に固い何か――背後にあった柵によって、勢いを殺すことができた。しかし、今度は体が重力に引っ張られ、地面へと向かう。目前に地面が迫ってきた。

 

「ぐっ!」

 

 岳人は両腕を支えに、倒れ伏すのを何とか堪えた。地面に伏せてしまえば、もう起き上がれない――そんな気がしていた。膝をつき、体を徐々に持ち上げ、柵に上体を預けて座りこむ。それだけで、体中が軋み、神経を直接突かれたような痛みが回った。

 

「本当に頑丈な奴だなぁ。もしかして、マゾッ気でもあるのか?」

 

 岳人は柵に手をかけると、それにもたれながら立ち上がる。ぼんやりとした視界は、かろうじて史進のいる位置を知れる程度だった。

 史進は棒で右肩を叩く。

 

「お前じゃ、わっちを倒せないってわっかんないかなぁ。もしかして、さっきの一撃で頭やられちゃった?」

 

 岳人は肩で息をしているのみで反応しない。

 そこへ、「史進!」と別の声が響く。それも2つ――梁山泊の2人であった。

 

「林沖!」

 

 史進にそう呼ばれた女性は、ひざ裏まではあろうかという長い艶やかな黒髪と優しげな瞳、それに落ち着いた雰囲気があり、手には槍を持っている。

 

「それに楊志まで!」

 

 こちらは由紀江と戦った女性であり、涼やかな水色の瞳に、水色の髪を後ろで束ねており、両手にはそれぞれ幅広の剣を携えている。名を吹毛剣という。

 

「どうしたんだ? 2人揃って……」

「どうしたじゃないだろ? 史進が遅いから、心配になって――」

「パンツ嗅ぎたくなっちゃった」

 

 訳のわからない文章になってしまい、林沖が揚志をたしなめる。そんな彼女らを一瞥すると、史進は目の前の気絶寸前の男へと向き直った。

 

「んじゃあまぁ、ちゃっちゃと終わらせますか」

 

 史進は先ほどと同じ構えをとった。それに反応するように、岳人がゆっくりと動き出す。

 

「お……おれざま、は……今……やれるこどを、やるだけだ……」

 

 岳人はそれだけ口にすると、両腕を持ち上げ、ボクシングスタイルをとった。足はもう動きそうにない――この状態を保つことで精いっぱいだった。膝が勝手にガクガクと震える。

 次の一撃は避けられない。岳人は今一度、気を引き締めた。耐えるしかない、一秒でも長く、引き留めておく必要があったからだ。必ず、来てくれると信じていた。

 瞬き一つ――それすらも億劫に思えるほどきつい。今すぐ倒れて眠りたい。今ここで身を投げ出して、目を閉じられたらどんなに楽になるだろう。これ以上の追撃も浴びせられることもない。格好をつけずに、助けに入らなければよかったのか――否。

 

 目の前でやられてる女を見捨てるなんざ、それはもう俺様じゃねえ……。

 

 できることなら、凛のように戦いたいと思った。出会ったときから、百代と相対し倒れることなく、挑戦者を軒並みなぎ払い、遂には百代を下し、皆から一目置かれる。傍から見ていても凄い奴だと感心した。しかし同時に、妬ましくもあった。なんでもソツなくこなし、どんな状況でも余裕があるように見えるからだ。

 俺にも素質があったら――。

 そんな考えが頭をかすめる。凛の登場によって、強烈に意識させられた。同性の同年代だからこそ余計にだ。笑顔を絶やすことなく、自らの道を力強く歩いていく姿は、とても格好良く映った。

 努力したんだろうな。一子や百代が鍛錬を行っているのを見たことあったため、才能だけではないとわかっている。わかっていたが、凛はそういう姿を見せたことがない。自分たちと同じように冗談を言って笑い、エロい話で盛り上がりもする――そんな頼りがいのある普通の仲間に見えていた。あの大雨の中の姿を見なければ――。

 

 

 □

 

 

 旅行に向かう前日、天気の悪い中、岳人は母の頼みで親戚の家を訪れていた。その帰り道、ちょうど九鬼が所有している採掘場跡地が見える。そこに隣接して、島津家の土地もあった。そして、窓から見える光景に、思わず目を奪われた。それは運転していた親戚も同様で、いつの間にか車も停止させている。

 雷が落ちる――遠雷くらい誰でも見たことがあるだろう。しかし、そこは落ちるなどという生易しいものではなかった。ある一点に収束するようにして、万雷が降り注ぐ。まるで、おとぎ話のような光景だった。雷が互いに共鳴し合うように絡まり合い、テレビで見た外国のハリケーンのような形をとっている。不思議なことに、山火事などは起こっていない。

 岳人はそのとき何を思ったのか、車を飛び出し、その発生源となる場所を目指した。後ろから親戚の声が聞こえたが、それも無視する。轟音が絶えず耳をつんざき、雨粒が激しく顔を打った。

 そのときだった。

 

「――――っ!! ――――ッ!」

 

 誰かの叫ぶ声が聞こえた気がした。岳人はさらに足を進める。ぬかるんだ道は歩きにくかったが、とにかく進んだ。そして、開けた場所に出ようかとしたところで、足を止めた。

 声の正体は凛だった。跡地の真ん中に膝まづいて、何かに耐えている。それが何か――岳人にもはっきりとわかった。降り注ぐ雷である。

 四方には、岳人の二の腕ほどの金属の杭が打ってあり、それがバリバリと音を立てながら激しく光っていた。雷光は凛の上空で一点に集まると、そこから杭に向かって、四方に伸びていく。

 自然、四角錐の中に凛がいるように見える。その中はまるで雷神の監獄――空間の中を紫電が絶えず走り回り、凛の体に四方八方から纏わりついていた。

 

「……っ!! ――――ぁ!!」

 

 凛の声にならない叫びが、轟音にかき消されながらも、岳人の耳に届く。凛が岳人に気づく気配すらない。そこに気を回す余裕がないのだろう。

 

『俺は超えたい人がいるからな。まだまだ上を目指すよ』

 

 百代を倒した凛に、岳人が「これからどうするのか」と聞いたときの答えだった。

 そのときの凛は、こめかみを掻きながら、照れ笑いを浮かべていた。

 

『まだ足りねえのか? 俺様には十分に見えるけどな』

『まぁな……』

 

 凛はただ笑って、そう言うだけだった。その彼が、地面に倒れ、泥の塗れ、あらん限りの絶叫をあげている。眉をしかめ、歯を食いしばり、苦痛にゆがむその顔は、別人のようだった。その口元から血が滴っており、全ての指を地面に食い込ませている。

 一体どれほどの時間そうしているのか見当もつかない。

 その光景を茫然と見やっていた岳人に、背後から傘が差し出された。彼が振り向くと、クラウディオが立っている。

 

「申し訳ありません、岳人様。これ以上、ここに留まることを止めていただけないしょうか? 凛自身、こういう姿を見られるのを好みませんので……」

 

 岳人はそれに頷くと、親戚が待つ車へと戻っていく。

 

「なぁ、クラウディオさん。凛は昔からあんなことを続けているのか?」

「そうですね……あのような形のものは最近ですが、鍛錬自体は6,7歳頃からでしょうか」

「そうっすか……」

「凛が怖くなりましたか?」

「いや、やっぱ凄え奴だと思ってたとこっす。あのモモ先輩と付き合うだけの男だな……と」

 

 車が見えてきた。

 

「岳人様、これは個人的なお願いですが、今日見たこと聞いたことは、内密していただけないでしょうか?」

「もちろんっす! 男はプライドの塊みたいなモンっすから、凛もああいう姿を知られたくないっすからね。……まぁ、俺様は格好悪いとは思わなかったっすけど」 

「ありがとうございます。それではお気をつけて、お帰りください」

 

 その翌日、顔を合わせた凛は、いつもと変わらない笑顔だった。

 

 

 ◇

 

 

 刹那、そんなやりとりを岳人は思い出した。

 俺が女なら惚れてるな。戦いの最中にも関わらず、岳人は僅かに笑った。

 時間稼ぎ上等、いくらでも持ちこたえやる。岳人は両拳にグッと力を込めた。自身の荒い息遣いだけが聞こえる。その度に痛みを覚えるが、それが意識をかろうじて繋ぎ止めてくれた。

 

「眠りなッ!」

 

 史進が踏み出した。岳人にはそれすら関係ない。食らう覚悟は既にできていた。彼女が少し左にずれたらしい。彼の視界から、ボンヤリとした黒い影がなくなった。

 どこからきやがる。岳人は体を固くした。時を置かずして、史進の棒が岳人へ襲いかかってくる。

 そのときだった――。

 

「すまん岳人! 遅れた」

 

 声の主は、史進と岳人の間に割って入ると、右手で彼女の棒を掴んだ。スピードにのった彼女の攻撃を無に帰す。楊志や林沖の近くを通り抜けたにも関わらず、彼女らにすら反応を許さなかった。

 そこから史進に声すらあげさせない。彼女の表情が驚きで固まる。その主――凛は棒を掴んだまま、左の突きを放った。

 

「史進ッ!」

 

 ここで反応したのが林沖だった。一足で距離を詰めると、反応の間に合わない史進の盾となる。槍の持ち手部分と凛の拳がぶつかった。

 ミシミシ――。

 槍がその凄まじい力の前に悲鳴をあげる。遂には耐えきれず、2人同時に吹き飛んだ。しかし、すぐに態勢を立て直す。「げぇ! 3800Rじゃん!」史進の声が木霊した。

 岳人は声を振り絞る。

 

「ヒーローは……キャップの、やぐめ……だろうがよ」

「ヒーローも色々駆けまわっててな。今は俺がその代理ってことで、納得してくれ」

 

 凛は苦笑をもらした。岳人もそれに合わせて、笑みを見せる。

 

「しゃあねぇ、な……ヒーロー代理がきちま、ったんじゃあ……」

 

 俺様一人で片づけるつもりだったんだがよ。そう続けようとしたところで、岳人は意識を失った。勢いよく柵を背に尻持ちをつき、頭を垂れる。

 それを見届けた凛は、目の前の3人へと視線を移した。その以前から意識だけはそちらへ飛ばしていたので、彼女たちは動いていない。

 

「史進、楊志! ここは私が食い止める。先に逃げろ!」

 

 林沖が槍を構えながら叫んだ。凛はその台詞が妙に癇に障った。

 ――――まるで、こっちが悪者のように聞こえるな……。

 林沖にそんな気はさらさらないであろう。ただ『守る』という気持ちからでてきた言葉である。

 

「逃げる? 逃がさないよ」

 

 地下深くから響くような冷たい声色。凛も相当頭にきているらしい。

 ぞわりとした寒気とともに、3人の肌が粟だった。先ほどとは打って変わって、空気が重く、酷く息苦しく思える。手にじんわりと汗を感じた。

 そこへ乱入してくる者がいた。

 

「凛! その戦い……もちろん私も入れてくれるよな!?」

 

 天から降ってきた百代は、着地によって、砂煙を巻き上げながら登場した。「げぇ! こっちは3500R!」史進である。梁山泊を前後からはさむようにして、凛と百代が立っていた。

 百代の登場により、凛の雰囲気が和らいだ。

 

「百代……よくわかったね。ここにいるって」

「ふふん。凛の傍にずっといたからな……お前の気も追えるようになったんだ! ところで、岳人は無事なのか?」

「詳しく見てもらわないと、なんとも……多分1、2週間は安静しないとダメじゃないかな」

「そうか……なら一層岳人の意地に応えてやらないとな」

 

 百代の気が、辺り一帯を覆い尽くさんばかりに膨れ上がった。

 史進が苦々しく口を開く。

 

「うへぇ、こいつマジで人間かよ……ありえねえ気の量だぞ」

「というか、本当にどうやって脱出する?」

 

 楊志がチラリと林沖を見た。彼女が頷く。

 途端に、一面を白い煙が覆った。百代が気を爆発させて、一気にそれを打ち払う。

 

「凛! 私は黒髪のねーちゃんだ!」

 

 そう言い残すやいなや、一目散に林沖を追っていった。

 

「はいはい……」

 

 凛はそれに返事すると、右手の親指と中指、薬指を軽く曲げた。そして、土手へと上がる。梁山泊の2人がそこにはいた。

 

「さすがに、あの黒髪の子は気づいたか……それも百代が追っているから別にいい。今さら、引き返すことはできないだろうし」

 

 凛はゆっくりと2人もとへと歩みを進める。しかし、楊志のほうは糸が切れているにも関わらず、逃げていなかった。むしろ、顔を青くして、今にも倒れそうになっている。すぐにさらなる糸を巻き付けた。今度は抵抗すらない。

 

「……ぱ、パンツ……」

「だぁー! こんなときに厄介な病気発動させやがって、お前一体何しに来たんだ!?」

 

 その隣で、史進がギャーギャー騒ぐ。彼女の方はしっかりと糸が絡まっていた。

 

「とりあえず、どんな目的で――」

 

 凛が尋ねようとした瞬間、黒い影が彼の前へ現れた。同時に、史進と楊志が地面へと突っ伏した。

 

「ソフィーさん……」

「はぁ~い、凛君。襲撃犯はこちらで確保させてもらうよ」

 

 ソフィアは凛にニッコリと微笑んだ。あの一瞬で昏倒させる辺り、やはり実力もかなり高い。その後ろから、他の従者たちが現れて、意識のない2人を手早く運んでいく。

 

「せめて……いえ、わかりました。お願いします」

 

 ――――目的だけでも知りたかったが……九鬼家が出てくるなら、あとはまかせた方が良いか。

 「じゃあね~」と暢気に手を振って来るソフィアに、凛は軽く会釈を返した。そして、彼女の車が去ったのを見届ける

 

「これで一件落着……なのか?」

 

 あっさりと勝負がつきすぎたと思うものの、終わってみればこんなもんかとも思った。

 その後、すぐに河原へと戻ると、倒れていた女生徒と岳人の様態をみて、川神院まで運んだ。それから遅れること10分程度、百代も姿を見せた。彼女の話によると、彼女の方にも良い所で桐山が顔を出してきて、弱った林沖を捕獲し、引き取って行ったらしい。

 ――――偶然だよな……?

 あまりの手際の良さに、どこかモヤモヤとした感情が残る。しかし、今までの実績がある分、こうまで簡単に終結させてもおかしくない。ならば、被害がでる前に片づけることもできるのではなかったか――考えだしたらキリがなかった。

 

 

 □

 

 

 某所――。

 マープルの前に一人の男が現れた。

 

「お前の依頼した奴らは、どうやらヘマをしたらしいな。豪傑が聞いて呆れるわ……所詮、若造よ」

「それはあたしも同感だね。まぁ……それでも十分役目を果たしてくれたさ。あとはそのときになったら、暴れてくれたらいい。それより、アンタの力見せてもらうよ」

 

 男が笑う。鯉口を切り、そのままスラリと刀身を抜き放った。緑のランプに照らされたそれは、妖刀のように怪しく光る。

 

「ようやくか……東と一戦交えると思うと、今は遠い昔を思い出すわ! 奴の子孫がおらんのは残念だが、そこは仕方がない」

「あたしらが勝てば、アンタの恨み晴らすことも可能さ。アンタもその目で義経たちを見たろ?」

「確かにあれは見事なものだ。しかし、あれは義経であっても義経ではない。全くの別人だろうが……お前のとこの桐山も頭がイカれている。俺には必要ない」

「じゃあ、アンタはなんであたしに力を貸すんだい?」

「夢か現か、俺は今ここにこうして存在している。俺の過去は既に何世代も昔であり、未来などあるのか保障もない。ならば、こいつの意思を尊重してやろうと思ってな」

「意外だね……若造に期待してるのかい?」

 

 マープルがまじまじと男の顔を見た。

 

「そんな大層なものではない。俺にやりたいことが他にないからだ。俺の時代はあのとき終わった……」

「それにも関らず、アンタはまたこうして現れたのかい? 本人にとったら迷惑もいいところだ」

「全くもって、お前の言う通りよ、マープル! だが、こうして戦力の補強ができたのだから、お前にとっては悪い話ではあるまい――」

 

 男の後ろには、いつの間にか、数人の人影があった。刀を一度振り下ろすと、また鞘へ仕舞い、彼はマープルに背を向ける。その背から、ゆらりと紫色の気を立ち上らせた。

 

「さぁさぁ東の連中よ! 楽しい宴はこれからが本番だ! 偉人が勝つのか、若造が勝つのか、天が見ている中で決着をつけようではないか!」

 

 男は高笑いをあげながら、姿を消していった。

 

「こっちもそろそろだね……」

 

 マープルは近くにあった培養カプセルを撫でた。

 新たな幕が開かれようとしている。

 



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『計画発動』

久々なので、おかしなところがあるかもしれません。


 

 

「……はぁ……」

 

 清楚は部屋に戻ると、そのままベッドへと突っ伏した。今までの疲れが一気に押し寄せてきたようだ。壁にかかった時計の短針は、まもなく8を指そうとしている。放課後、彦一との会話中に、緊急の呼び出しがかかり、それに応えるとこんな時間になってしまったのだった。

 しかし、清楚の行動の原因はそれではない。そこで聞かされた内容によるものだった。

清楚が案内されたのは、本部の会議室ではなく、地下深く、そのまた先――初めて入る場所であった。そして、その場には彼女の他に義経、弁慶、与一のクローン組に加えて、マープル、ソフィア、桐山もいた。

 そこで明かされた武士道計画の真の目的――現代に生きる人の代わりに、歴史上の英雄をトップに置き、日本を導いてもらうというものだった。

 清楚は、自身の右手をじっと見つめる。代わり映えのない、いつもと変わらぬ手のひら。

 

「……私が……偉人を束ねる覇王? 私の正体は項羽?」

 

 25歳までは明かされないはずであった清楚の正体も、そのときに告げられた。

 

 西楚の覇王と呼ばれた項羽。幾多の戦場を駆け抜け、鬼神とも英雄とも伝えられる偉人。

 

 それが彼女の正体だった。耳を疑うクローン組であったが、マープルが口にしたある一節に反応した清楚自身が、荒れ狂う気を爆発させ、自身の証明をなす。存在するだけで、大気を震わせ、傍にいる者をひれ伏させるかのような威圧感――百代と同等かそれ以上の気を秘めていた。

 その余波は留まるところを知らず、辺り一帯に吹き荒れた。ギギギと悲鳴をあげる鉄骨。勢いよくはじけ飛んだ照明。パラパラと降って来る土埃。そして、誰一人として口を利かない静寂の中、清楚の声で笑う西楚。

 清楚はグッと拳を握りしめる。

 

「もう……学校行けないのかなぁ」

 

 感情が落ち着いた今、西楚は中へと戻り、清楚が表になっていた。2人は二重人格のそれとは違い、記憶が抜け落ちるということはない。

 よって、清楚は、目的を聞いた後の義経の苦悩する顔、弁慶の不満げな顔、あくまで冷静を装う与一の顔をはっきりと覚えている。彼女自身も当然乗り気ではなかった。その中で西楚だけはとても楽しそうだった。

 京極君との約束も守れそうにないな。清楚はため息をつく。

 数日前、夕方の帰り道を歩いていたときに偶然目にした川神蛍。夜に見る川神蛍の話を聞いて羨む清楚に、彦一が言った。

 

『……夜に見かけたら、連絡しよう』

 

 これもなかったことになるだろう。清楚は特に気にした様子もなかったが、彦一がこの台詞を口に出す前に数秒の間があった。普段の彼ならば、つまることもなかったはず――そこにはどんな思いが隠されていたのか。

 

「楽しみにしてたんだけどな……」

 

 そもそも現れるかどうかもわからない。今日、少し見ることができただけでも、運がよかったのだ。清楚はそう自分に言い聞かせ、まるで約束を忘れるかのように、そっと瞳を閉じた。

 計画は既に始まっており、英雄、揚羽、局は捕らわれ、紋白のみ逃亡。あずみ、李、ステイシーの姿も見当たらない。その割に、極東本部は全く騒ぎになっておらず、平穏を保っている。

 明日になれば、川神――いや日本を揺るがす一大事が巻き起こる。清楚を中心としたクローン組は、その真っ只中にいるだろう。楽しかった日常も唐突な終わりも迎えてしまった。短い期間ではあったが、様々な思い出が彼女の頭をよぎる。

 百代や燕との他愛無い会話。どこまでも親切だったクラスメート。賑やかな後輩たち。個性豊かな先生。

 多くの挨拶の声がかかる朝の通学路。野次馬でいっぱいになる多馬大橋。活気溢れる食堂やグラウンド。静かでゆったりとした時間が流れる図書館。チョークとシャーペンの走る音が響く教室。夕日が差し込む廊下。

 そして、そんな中最も長く時間を共にした人――京極彦一。

 

「離れたくないな……」

 

 その声は誰にも届くことはなく、すぐに消えた。

 清楚は膝を抱え、体を丸める。思えば思うほど、その気持ちは強くなっていった。

 しかし無情にも、時間は一刻一刻と確実に進んでいく――。

 

 

 ◇

 

 

 翌朝の土曜。休日ということもあって、凛は朝食後に走りこみを行い、そのついでに葵紋病院へと向かった。川神院で治療を受けた岳人が、念のため一時入院しており、その見舞いが目的である。

 さすが地主の息子とでもいうべきか、個室があてがわれており、凛がその部屋の前に立つと、中から岳人と誰かが言い争う声が聞こえてきた。

 扉を開いた音がしたにも関わらず、中の声がやむことはない。

 

「島津さん! まだ安静が必要なんですから、筋トレはやめてくださいと何度も言ったはずです! 昨日も取り上げたのに、一体どこからダンベル持ち込んでいるんですか!」

「俺様のことを心配してくれるなんて、真奈美さん! 俺様と結婚を前提にお付き合いしてください!」

 

 院内で人気のある看護師の真奈美に、岳人が言いよっていた。

 ――――入院とか必要なかったんじゃないだろうか……。

 

「麗子さんに言い付けますよ! う……重すぎて、持ち運べない。うー!」

「華麗にスルーする真奈美さんも素敵だなぁ……やはり、今度デー」

 

 そこまで言いかけた岳人が、部屋の入り口に立つ凛に気づき、言葉を止めた。

 凛は右手を軽くあげる。

 

「あれだけ打ちのめされた奴とは思えないほど元気だな」

 

 そして、凛は、真奈美が悪戦苦闘していたダンベルを持ち上げると、「あとは処理しておきますから、ご迷惑をおかけしました」と声をかけた。それに頷いた彼女は、岳人に再度忠告して部屋をあとにする。

 岳人はその後ろ姿に懸命に手を振ってから、凛へと向き直る。

 

「おいこらっ凛! 空気読めよ。せっかく俺様が、真奈美さんとの甘いひと時を過ごしてるときに邪魔するやつがあるか」

「心配するな。角砂糖一個分の甘さというか、甘さすら存在してなかったから」

 

 凛は近くにあった椅子を引き寄せ、それに座った。片づけられた後なのか、テーブルの上には漫画などが積み上げられている。

 

「ナースに恋しちゃう患者の気持ちが今なら分かるなぁ。もう天使だぜ。真奈美さんって、今フリーなのか?」

「人の話を聞かないくせに、質問するのか? あと俺がそんなこと知るわけないだろ」

「いや……彼氏がいようと関係ねぇ! 奪い取るぐらいの勢いでちょうどいいはずだ!」

 

 凛は、一人闘志を燃やし始めた岳人を見て、大きく息を吐いた。

 そして、ようやく落ち着き始めた岳人が言葉を続ける。

 

「で、今日はどうしたんだよ?」

「いや鍛錬のついでに、岳人の顔見といてやろうかと思ってな」

「どうせなら、清楚先輩とか燕先輩も一緒に連れてきてくれると、俺様嬉しいんだが」

「いや……おまえ、真奈美さんはどうした」

「それはそれ! これはこれだ!」

 

 胸を張って答える岳人に、凛は再度ため息をもらした。そのまま、視線を少し下げる。

 

「あとな……ベッドの隙間から、ナース特集のエロ本がはみでてるぞ」

「なにっ!? …………うおおおっ!?」

 

 個室に岳人の悲痛な叫びが響いた。

 

 

 □

 

 

 凛と岳人が病院で話している頃、百代も鍛錬のために、いつもの河川敷を走っていた。その彼女の前に身知った男が立ちふさがる。そして、腰に差した刀をスラリと抜き放った。

 

「川神百代だな……しばし、俺とのお遊びに付き合ってもらおうか」

「おまえはいし――」

 

 百代はそう言いかけ、

 

「石田の姿をしているが、中身が別人だな。おまえ一体誰だ?」

 

 油断なく相手を見つめ返した。

 それとほぼ同時刻。不死川家へと向かう由紀江の前に、槍を片手にもつ男。

 

「黛由紀江殿ですな……御大将の命により、しばしお相手願う」

「あなたは確か、西方十勇士の島右近さん……でも」

『まゆっち、こいつ……どうやったか知らねぇが、格段に腕前があがってやがる。気配を悟らせずに、接近されるなんて、俺っち一生の不覚だぜ。気を抜くな!』

 

 加えて、住宅街から家路に向かっていた燕の前にも、錨の形状を模した武器を持つ男。

 

「相手にとって不足なし! 松永燕、ひと勝負受けてもらおうか!」

「な~んか……厄介事が起こりそうな予感だねぇ。逃がしてくれそうもないし、はてさて、どうしたものやら」

 

 口では軽い調子を装いながらも、燕の瞳はすぅっと細くなっていく。

 波乱に満ちた休日が始まろうとしていた。

 

 

 □

 

 

 凛が病院を出ると、そこには見知った顔があった。ソフィアである。そして、その横にもう一人女性が立っていた。通りには3人以外に人気がなく、静寂が包んでいる。少し遠くでは、ヘリの飛ぶ音が聞こえた。

 銀髪のポニーテールに、袖を切り落とした黄色のジャージ、キリリとした瞳をもつ女性は、その立ち姿も堂に入っている。

 ――――どこかで見たことがある……。

 凛はそう思いながらも、ソフィアに話しかける。

 

「おはようございます、ソフィーさん。それと――」

「おはよう、凛君。こっちは、元四天王の一人で、現在私の監視下にある橘天衣。仲良くしてあげてね」

 

 よろしくお願いします、凛が丁寧に頭を下げると、天衣もそれにならって会釈を返してくる。

 

「葵紋病院に用がある……ってわけじゃなさそうですね」

「んふふー。大正解、用があるのは凛君だよ――」

 

 そのとき、複数の気があらゆる場所でぶつかり合ったのを凛は感じた。そのいずれも片方は、自身の良く知る気配である。彼の右手がピクリと動いた。ソフィアは相変わらず笑顔を崩さない。

 ――――百代はともかく、まゆっちに……燕姉まで?

 同時に、梁山泊3人の気配まで微かに感じ取った。

 ――――ルー先生の気も。何かおかしなことになってきてる……!?

 そこで意識が、ソフィアのほうへと強引に引き戻される。彼女から発せられる気配に、首元がチリついたからであった。

 

「さて、私たちも早速取りかかろうか。天衣もお給料分はしっかり働いてもらうよ」

「わかっている……お前に恨みはないが、私も生活がかかっているのでな。全力でいかせてもらう」

 

 天衣はそう言い残すと、予備動作なく姿を消した。彼女の二つ名はスピードクイーン。その名に恥じぬ速度を誇っていた。

 しかし、凛も負けてはいない。左側面から飛んでくる天衣の拳にきっちりと反応し、左手で受け流しながら反撃を試みる。そこへ見計らったかのように、ソフィアが右から接近してきた。

 凛はたまらず後ろ跳ぶが、ソフィアはそれに合わせて方向を転換してくる。その両手には、逆手に持ち変えられたサバイバルナイフ。そのナイフが太陽の光を反射させる。一瞬の瞬き、その隙を突こうとするソフィアと天衣。それを紙一重で避けようとする凛。

 

「……ッ!」

 

 そのとき、凛の背筋を言い様のない寒気が走った。直感を信じ、彼は避けることを諦め、受けとめるため両手をゆらりと動かす。右手でソフィアの左手首をはじくと同時に、左手で何かを引っ張るようにして、外から内へと引き寄せた。

 弾かれたソフィアもすぐさま第2撃を繰り出そうとするが、それは右側から迫って来る物体によって阻止される。

 飛んできた物体は、足を糸で絡めとられた天衣だった。彼女の首根っこを掴んだソフィアは、流れに逆らうことなく、左へ跳ぶ。その傍ら、天衣の足に絡んだ糸を切り裂いた。

 気づかれている。ソフィアは、構えを解かずに相対している凛を観察した。先ほどの一撃、彼が紙一重で避けようものなら、完全に自身の勝利となっていただろう。彼女はナイフを主としているが、その本命はナイフから10センチ程伸ばすことができる自身の気である。伸縮自在で、仕留めるその瞬間に伸ばす。さすがに鉄心のように、質量をもった攻撃を行うことは未だできていないが、彼女は幸運にも他の人とは違った独特の気の持ち主であった。

 『他人の気に混ざる』それが初対面の相手であろうと、長年の鍛錬を積み重ねた相手であろうと、蜂が毒針を指すように、あるいは蛇が毒牙を突きたてるように、ナイフを通した気を相手に接触させることができれば、それは瞬時に混ざりあう。この時点で、ソフィアの勝率はぐっと上がる。

玄人になればなるほど、その射程範囲を見切り、最小限の動きから反撃に移ろうとするものだ。そこにソフィアは付け入ることができる。当たる範囲が大きいほど効果も見込めるが、彼女にしてみれば、かすってくれさえすれば十分だった。

 その混ざり合った気は、本来の自分の気とは異なる――青の絵の具に、赤の絵の具が混ざれば紫色になるように、たとえそれが少量であろうと、変化をもたらすからだ。戦闘を行う者で、気を扱わない者はいない。そして、その気の変質は気の扱いを困難にし、それが身体能力の低下などを招く。

 かすった相手には更なる一撃を加えれば良い。傷を増やせば増やすほど、それに比例して効果も上がっていく。格上相手であろうと、効果があることも実証済みである。その相手は世界最強。

 ヒュームと初めてやり合ったのは10年近く前であり、彼はソフィアの実力を見るためにも先制攻撃を許してくれたことがあった。当然、彼女はその機会を逃しはしなかった。右肩から左脇腹を切り裂くつもりでナイフを走らせる。普通ならば、凄惨なシーンとなるところであるが、相手は世界最強、うっすらとミミズ腫れを残す程度であったのも今では笑い話である。

 しかし、そこから約7分。ソフィアは一方的な攻めの展開を繰り広げた。最後は結局敗れてしまったが、ヒューム相手に7分持ちこたえたことは、彼女にとって嬉しい結果であった。

 それから今まで鍛錬を積み重ね、その質においてはかなりのものになっていた。それはヒュームが赤子呼ばわりしないことでも十分わかる。

 ヒュームさんも今ならやれるかもしれない。ソフィアは密かにそう思っていたりもする。

 そこに現れたヒュームとクラウディオの弟子、零番の後継者と囁かれる夏目凛。ソフィアの興味を大いに刺激した。もちろん、年齢が若いことも彼女にとっては、ポイントが高かった。期待通り、その実力は折り紙つきである。

 しかし、同時にある問題が浮上してきた。未だ、凛はソフィアの特性を知らないが、先ほど見せた勘の鋭さから接近戦を仕掛けてこない可能性がある。

 ソフィアの問題点とは、なぜかこのナイフを媒介にしないと、効果がうまく出ないところにあった。掌底を打ちこみ、同時に気を送り込んだりもしたことがあったが、まるでうまくいかないのだ。

 

「まぁ、それならそれでいいか」

 

 ソフィアの役割は、凛をこの場に留めることである。

 そんなことを考えていると、隣にいる天衣が早速動き出した。言い様にあしらわれて、少しムキになっているようだった。元四天王としても、何か思うところがあるのかもしれない。

 天衣をフォローしつつ、隙あらば狙う。ソフィアは彼女の背中を見ながら、ナイフを今一度握り直した。

 

 

 ◇

 

 

 どれくらいの時が流れたのか、凛は慎重になっているようで、互いに決め手に欠けていた――そのときだった。脳天を打ちぬくような凶暴な気が、3人のもとへも届いた。

 彼女も駆り出されたのか。ソフィアはその気を感じながら、出所へと思いを馳せた。それに呼応するようにして、別の場所でも気の爆発を感じる。

 ――――百代もこれに気付いたのか……場所は川神院。もうこれ以上、時間はかけていられない。やるしかない。

 凛は大きく息を吸い、そして吐く。

 

「事情はよくわかりませんが、邪魔をするなら押し通ります!」

 

 凛の体表面から湯気のように気が昇ったかと思うと、突如青白い光が走った。

 来る。ソフィアはそう思った瞬間、隣から激しい音が聞こえた。それに続いて、天衣のうめき声が上がる。

 

 そんな馬鹿な――。

 

 ありえないと思いながらも、ソフィアは感覚を頼りに下方から上方に向かって右のナイフを振るう。彼女の瞳の端に映ったのは、まぎれもない凛の姿だった。

 

「……くっ!」

 

 自身が見ていた正面の影は一体なんだったのか。疑問に思ったが、それを気にしている余裕はない。とにかく一撃当てれば。

 しかし、その一撃からは何の手ごたえも感じられなかった。確かにそこにいたはずであり、いくらスピードが速かろうが、避けることは不可能のはず。だが実際は、陽炎の如く目の前から消え去っている。

 無意識的に、体を反転させながら、左のナイフを横一線に振るった。今度は浅いながらも手ごたえがあった。

 ジジジ――。

 それと同時に、久々に聞くことになった嫌な音がした。できれば、聞きたくない音でもあった。次いで、左側面の首の根元に強い衝撃と全身に回る鋭い痛み。

 これじゃあまるで、凛君が2人いるみたいだ。ソフィアは何とか距離をとろうとするが、先の一撃が重すぎて、体がほとんど言うことをきかなかった。右手のナイフはかろうじて手の中にあるが、左手のナイフは地面に落ちている。左腕は感覚がマヒしているようだ。

 

「まったく……こんな攻撃を何度も喰らって……立つ、武神の……気がしれない、な」

「むしろ、楽しそうでしたからね。……悪いですが、このまま放置していきます」

 

 凛はそう言って、ソフィアの前からいなくなった。

 

「私も、まだまだ……か。ヒュームさん……の、言った通りになったのが、悔しいなぁ」

 

 同時に、これが未来の零番なら頼もしいとも思った。あずみに文句があるわけでもないが、武力の面から見ると、どうしても不安が残ってしまう。それは自分であっても変わらない。

 九鬼帝の血を受け継ぐ子らを任せるにたる人材の発掘。それは、九鬼がこれからの将来も繁栄していく上でかかせないものだった。そして、自らの手でそれを確認することができた。

 やられはしたが、気分はそう悪くない。

 

「あれで、手加減……したつもり、なのか。あの男は」

「目覚ますの早いじゃない? ……どう? 気分は?」

「さいあくだ……」

 

 天衣の吐き捨てるような物言いに、ソフィアは苦笑をもらした。

 

 

 □

 

 

 凛は走り抜ける。

 ――――くっそ! やっぱり、なんか違和感がある。でも一撃を喰らう覚悟で突っ込む以外に、早く戦闘を切り上げることはできなかった……。

 その間も、周りへの気配を探る。最も大きな気のぶつかり合いは2つ。

 川神院から感じるものと多馬川上流から感じるもの。百代はどうやら、河川敷から移動をしていったらしい。

 

「上流は百代と……一体誰なんだ!? 百代に張り合える相手なんか早々いないはず。というか、あちらこちらで、気のぶつかり合いがあって、変になりそうだ」

 

 ――――百代の様子も気になるが……。

 凛の迷う原因は、つい先ほど卓也からファミリー宛てに、送られたメールにあった。内容は、川神院が襲撃を受けているというものだ。

 そして、百代が川神院を離れていることから、対抗しているのはルーか鉄心ということになる。しかし、ルーの気配は今感じられない。彼の身に何か起こったのか――。

 

「…………百代を……信じる」

 

 ――――他の皆も動いてくれてるはず。

 凛は自身に言い聞かせるように呟いた。

 そして、ようやく着いた先に目にしたものは、門の前に陣取る林沖と史進だった。しかし、凛は今それらの存在を無視する。

 

「まさか、また出逢うとは……」

「タダで通らすわけねぇだろ!!」

 

 当然、2人もそれを阻止しに向かってきた。

 ――――この忙しいときに!

 叫びたくなるような気持ちを抑え、凛は2人の攻撃をいなし、そのまま川神院へと突っ込んだ。中は乱戦――数は減っているものの、依然として修行僧と梁山泊が争っている。

 

「凛! 奥でじーちゃんが!」

 

 一子の声が凛の耳に届く。その彼女もまた一人向かってくる者の相手をしていた。

 凛は手近にいる相手をのしながら、気のぶつかり合いの中心へと急ぐ。そこは鍛錬場の最も奥であった。周りに倒れているのは、梁山泊の連中ばかり。石畳は陥没やひび割れを起こしている。

 そして、凛は足を止めた。

 

「ハァ……ハァ……学長」

「ん? 凛か……どうやら無事じゃったようだの」

 

 凛の視線の先には、相対する鉄心と西楚。彼女が嬉しそうに声をかけてくる。

 

「足止めを喰らった中での一番乗りは、やはり凛か! さすがだな! その実力をもって、お前は俺の親衛隊28人のうちの1人に加えてやる! 光栄に思え! ハハハ」

「清楚、先輩……?」

「二度も同じことを言うのは面倒だ……だが、俺は今気分が良い! 良く覚えておけ、主となる者の名を……我が名は項羽! 西楚の覇王である!!」

 

 どこまでも響きそうな声だった。

 そして、それを引き継ぐように、背後から声が聞こえてくる。

 

「やはり、ソフィアと天衣ではお前を抑えることはできなかったか……」

「梁山泊の2人が追いかけて来なかったのは、あなたが来たからだったんですね――」

 

 ――――なぜ、あなたが……。

 凛はその背後の声の主を確認するため、振り返った。

 

「ヒュームさん」

 

 




お待たせしました。まだ読んでくださっている人はいるのか!?

原作の内容を色々いじってます。
天衣好きな人などはごめんなさい。あとで何らかの活躍させるつもりです。
正直、今回の一連のお話は何でもありになっていると思います。原作もスーパーな展開だったんで、こっちも負けずにスーパーにしようかと……。

清楚と彦一の恋をもっと書きたいなー!
あと凛と百代のイチャイチャも書きたいなー!

あと凄くいまさらですが、ツイッターやってるので絡んでいただけると嬉しいです。
自己紹介のところにでも掲載しておきます。


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『マープルの反乱1』

 

 

 

「あいつらにも、まだ仕事をしてもらわなければならないからな――」

 

 ヒュームがそれを言い終わる前に、凛が声を荒げる。

 

「なぜですか!? どうして、ヒュームさんが……九鬼家がこんなことに加担しているんですか!?」

「加担しているのではない。これは九鬼主導のもと、行われていることだ」

「なっ!?」

 

 凛はそれを聞いて、言葉を失った。川神の治安改善や、水上体育祭での協力に加え、彼にとっては師匠であるヒューム、クラウディオや揚羽、英雄、紋白といった個人との関わりがあり、また旅行の際のサポートといったことで、より身近に九鬼を感じ、親しみを覚えていたのだ。

 その九鬼が、川神に騒乱を起こしている――これまでとは正反対の行動と言っていい。

 

「そんな……こんなこと、英雄や紋白たちが許すはずないでしょ!?」

「それについては心配いらん。この件について、英雄様たちは一切関与していないからな」

「だったら!」

 

 そう言いかけた凛だったが、そこで口をつぐんだ。

 ――――関わりがなかったとしても、この非常時に英雄たちが動かないはずはない。でも、そんな動きがありそうな気配もない……。ちょっと待て……ヒュームさんの主である帝さんは、この事態に気づいているのか? いや、気づいていたら、なんらかの対処をとっているはず。九鬼の分裂をそのまま見過ごせば、衰退にだって繋がりかねない!

 凛は急な展開に混乱していた。

 ――――違う違う。もっと大事なことがある。大体、ヒュームさんが九鬼を滅茶苦茶にしてしまうことに協力するのか? 俺が生まれるよりも前から、長い年月をかけて作り上げたものを……守ってきたものを……。

 そこで凛の思考は妨げられた。

 

「さて、おしゃべりもここまでいいだろう。生憎、俺も暇ではないんでな」

 

 ヒュームが右足を前に進めた。

 

「ッ!!」

 

 目の前から消え去ったヒュームに合わせて、凛は自身の右側へと体を開きながら、後ろへ跳ぶ。声をあげる暇さえない。

 左足を振りぬいたヒュームがそのまま態勢を立て直し、凛へと向かってきていた。それは、まるでコマ送りの映像を見ているような感覚だった。しかし、その感覚が今は鈍っていることを思い出させられた。

 その1コマ1コマの間隔が、いつもの倍以上開いているのだ。

 ――――間に合わないっ!

 即座に判断し、頭をガードするように腕を持ち上げる凛。しかし、ヒュームの右足は、その下を掻い潜り、彼の左脇腹を抉る。

 それは、ボクシングでいうジャブのようなものであった。よって、それが致命的な一撃になることはない。しかしそれでも、十分すぎるほどの威力を兼ね備えていた。

 ――――これは……まずいな。

 態勢を立て直した凛は、熱を帯びたわき腹に手を添え、一瞬顔をしかめた。反応スピードが落ちているのに加えて、一撃のダメージが思ったよりも大きい。

 ――――やっぱり、先の戦いでの一撃のせいか……。ヒュームさん相手に、どこまで持つか。

その考えを見透かしたように、ヒュームが口を開く。

 

「無駄だ、凛。今のお前では俺相手に3分と持たん」

「それはどうでしょうね」

 

 凛は笑みを浮かべながら、再び構えを取り直した。勝てないからといって、ここから退くわけにもいかない。

 ヒュームはそんな凛を見て、ただ口角を釣り上げるだった。

 それを正面から見ている凛にとっては、悪魔のような笑みにしか見えない。背中を嫌な汗がつたっていく。

 ――――あぁ……くそっ! 嫌な状態で最悪の相手だ。まじでサンドバッグになるかもしれない。

 凛は覚悟を決めるように、大きく息を吐いて、世界最強を真っ直ぐに睨み返した。

 

 

 ◇

 

 

「お前との勝負はここで一旦お預けだ、鉄心」

 

 凛とヒュームがにらみ合っている最中、項羽がそう口走った。その左手に方天画戟があり、鉄心が繰り出したばかりの毘沙門天の踏みつけを受け止めている。既にその攻撃に合わせることができるようになったらしい。その表情には、まだ余裕が見られた。

 それを証明するかのように、項羽がさらに力を込め、それを振り払った。両者はまた一定の距離をとる。

 

「はて……どういうつもりかのう? お主がここに来たのはワシを倒すことが目的であろう?」

「それは少し違うな。計画はほぼ完遂されている。本当ならば、お前を倒しておくのが良いのだろうが、さすが総代と言ったところか、俺も無傷とはいくまい。それでは、このあとにある楽しみを存分に味わえなくなりそうだからな。ここに来てやったのは、従者どもの願いを聞きいれただけのこと。……それになにより、疲れの溜まったお前を倒してもつまらん!」

 

 全力である川神院総代を倒してこそ、俺の名に箔がつくというものだ。弱ったお前を倒しても、俺が納得できん。

 項羽はそう付けたし、鉄心の体越しに見える凛たちのほうへと視線を向けた。

 

「あとの時間は、凛とヒュームの戦いでも見物しようではないか! どうだ? 暇つぶしとしては悪くないであろう?」

「随分と勝手なことを言ってくれるのう。儂がその案に乗るとでも思うておるんかい?」

「ハッ! かかってくると言うのなら、叩きつぶすまでのこと!! だが鉄心――」

 

 その後に続く言葉を聞いた鉄心は、そこで動きを止めざるをえなかった。彼の後ろでは、再開された凛とヒュームの戦いが、より一層激しくなっている。

 

 

 □

 

 

 ――――真っ暗だ……ヒュームさんとの戦いは……。

 凛はゆっくりと瞼をあげる。その瞳に映ったのは、心配そうに見つめる百代の顔だった。

 

「凛ッ!!」

 

 百代は凛が目を覚ましたのに気がついて、思わず彼を抱きしめた。

 

「あれ? 百代……? どうして……それにここは」

 

 凛は布団に寝かされていた。

 凛の意識は未だボンヤリしているらしく、首を左右に振って辺りを確認した。左に襖があり、反対側は障子になっている。廊下からは往来する多数の足音が聞こえ、障子越しに忙しなく動く人影が映っていた。

 ――――ああ……川神院の一室か。そうか、思い出した。

 凛は上半身を起き上がらせると、安心させるように、百代の背中をポンポンと叩く。

 結果からいうと、凛はヒュームに負けたのだった。それはもう圧倒的な敗北――攻撃のほぼ全てがかわされ、あるいは防御され、繰り出される一撃一撃をその体に受け続けた。凛の身体能力も並ではない、また打点を僅かにずらすなどの技術によってダメージを最小限に抑えていたが、それによって、より多くの足技を喰らうハメになった。戦いを長引かせることはできても、その分ダメージはしっかりと蓄積されていく。

 最後の一撃をくらったときなど、凛は自身がどこに攻撃を受けたのかわからないくらい消耗しており、吹き飛ばされたと同時に気を失い、そのまま立ち上がることはなかった。

 百代たちが戻ってきたのは、ヒュームたちが引き上げてからだった。そのときには、凛は既に傷ついた僧らとともに部屋へと運ばれており、事情を聞かされた彼女が、真っ先にそこへ向かい、今に至る。

 凛が倒れてから、1時間以上が経っていた。

 ――――傷が……治ってる? あの変な違和感すらも……。

 そこで、障子がぱっと開いた。

 

「凛、目が覚めたようじゃの。調子はどうじゃ?」

 

 鉄心だった。しかし、その気の量は常時とは比べ物にならないほど減っている。

 

「はい、体のほうは大丈夫です。これは学長が?」

「うむ……しかし驚いたわい。川神の技を使ったとは言え、あれだけのダメージを負ったにも関わらず、もう目覚めておるとはのう」

 

 鉄心はいつもの癖で、その長いあごひげをゆっくりとさする。元気になった凛を確認し、一安心した彼だったが、同時に思うところがあった。

 あのまま、項羽との戦いを続行していれば、凛は今目覚めていなかっただろうと。

 なぜ項羽がそのような助言をしてきたのか。あの状況下で、壁を越えた者を2人同時に戦闘不能へと追いやることができたにも関わらず、凛をわざわざ助けさせるように仕向けた。そのダメージ量も鉄心が技を使わなければならないほどに、絶妙な加減が加えてあったのだ。不可解なことが多い。

 しかし、この判断が悪かったとも鉄心は思っていなかった。どちらにせよ、彼は多くの気を戦闘によって消費しており、これから戦いが起こっても、さほどの力を使えそうにない。それに比べ、凛は驚くべき回復力を見せており、既にその力を戻しつつあった。

 若さなのかもしれない。そんなことを考えた鉄心は、心の中で苦笑するのだった。

 

「ありがとうございました。これでまた戦えます」

「治しておいてなんじゃが、ヒュームに挑むつもりか?」

 

 ずっと離れなかった百代も顔をあげ、凛の顔を見た。彼は彼女に微笑むと、鉄心へと目線を向ける。

 

「やられっぱなしっていうのも癪ですし、それに聞きたいこともありますから」

 

 その後、ヒュームが川神院に現れたのを察知した3人には、鍛錬場へと向かうのであった。

 

 

 ◇

 

 

 鍛錬場では既に多くの人が集まっており、彼らと対峙するようにして、ヒュームが一人立っていた。その中には、彼に詰め寄る紋白やあずみらの姿もある。

 凛たちに気付いたヒュームが口を開く。

 

「ほう……もう立ち上がれたのか。さすがは鉄心……それともお前の回復力を褒めるべきか」

「学長の技はもちろんですが、俺も伊達に、ヒュームさんに鍛えられたわけじゃないですから」

 

 そこで突如始まったマープルの放送、それによって、2人の会話は終わった。

 その内容はマープルの九鬼家脱退、今の世に対する嘆き、偉人による日本統治だった。

 偉人を多く甦らせ、彼らを全て要職につけ、それでもって日本を導いてもらう――それこそが、真の武士道プランの目的だと高らかに謳い上げる。

 そして、その偉人たちを束ねる王が映り、デモンストレーションとして、工場の一つを更地へと変える。その映像は、まるで巨大な竜巻が襲っているようなもので、そこにあった建物は瞬時に瓦礫へと変わり、その瓦礫がまた隣の建物を破壊し、あるいは大空高く舞い上がったりした。彼女の一振り一振りが、とてつもない衝撃波を生み出し、結局10秒とかからず、それを成し遂げる。

 項羽が歩くその後ろでは、舞い上がっていた瓦礫の数々が、轟音を立てながら、地面へと落下してきた。黒い気を体から立ち上らせながら、画戟を右手に携え、砂煙をバックに悠然と歩く姿は、まさに覇王。

 多くの者が放送に釘付けになっている中、彦一も静かにそれを見ていた。凛はチラリとその様子を窺ったが、彼が何を思っているのか知ることはできない。

 

『準備は整った! 聞け民衆よ! 俺は王! 王に必要なものは城だ!! 出でよ、我が居城!』

 

 そして、また状況が一変する。

 項羽の叫びとともに、更地になったばかりの地面がせりあがり始め、やがて瓦礫を押しのけ、天をも突こうかという6重7階の城が瞬時にして出来上がる。その天守閣には太陽の光を浴びて、ギラギラと輝く金のシャチホコが両翼をなし、周りはご丁寧にも内堀、外堀の2重の曲輪構造までなしていた。

 この映像には、さすがの川神学生たちも唖然とするほかない。そんな彼らを置いていくかのように、目まぐるしく場面が変わる。

 再びマープルが姿を現し、月曜から本格的に動き始めることを宣言した。加えて、若者たちは月曜までに川神城に出頭せよと。

 映像はさらに切り替わり、人質となっている川神市の住人たちを映しだした。

 川神院、九鬼家など主要な場所も抑えた今、若者を――おまえたちを守ってくれる存在はもういない。人質という理由を使って、投降すればかっこもつくだろう。楽な方に逃げてこい。おまえたちの代わりに、偉人の手で素晴らしい国を作ってもらえば良い。さぁ返答は如何に。

 マープルはそう言って、ニヤリと笑う。

 

「我が答えよう」

 

 言葉を発したのは紋白。彼女は皆をぐるりと見回す。一人一人が、彼女へと頷きを返していた。それに力強く頷きを返すと、彼女は一歩前へと進み出る。

 

「マープルよ……よく聞くがいい! 答えは否!!」

 

 月曜までに川神城を攻め落とし、マープルの計画を阻止してみせる。

 紋白はそう吠えた。それに続いて、生徒たちが俄かに活気づく。

 そんな彼らを一笑する桐山のあとに、項羽をはじめとするクローン部隊、梁山泊の面々、さらに――。

 

「中々派手になってきたではないか。ようやく、コソコソするのも終わりか」

 

 天神館の生徒が映る。

 それを見た大友が声を張り上げた。

 

「い、石田! それに他の奴らまで……」

「ん? ああ、そこにいるのは大友か。さらに館長まで。日頃、我が子孫が世話になっているようだな。こんな場所からで申し訳ないが、礼を述べさせてもらう」

 

 その言動に、鍋島が反応する。

 

「おめえ、一体何者だ。うちの石田は……こう言っちゃなんだが、他人に対して頭を下げたりできる男じゃねえ」

「自尊心だけは高いようであるからな、困ったものだ。まぁそれより自己紹介といこう。俺の名は石田三成」

 

 その名を口にした瞬間、周りがざわついた。それもそのはず、石田三成とは歴史上の人物であり、この現代に存在するはずがない。クローンだというのなら、義経たちと同じ場所で教育を受けるはずであるし、そもそも石田は九鬼家と何の関係もない。

 石田がさらに言葉を続ける。

 

「疑うのも無理はない。俺とて、この場にいることが信じられぬからな。幾ら言葉を積み重ねようと信じぬ者は信じぬだろう。よって、行動することでそれを示そう。最も、俺の存在を信じられたときには、貴様らが地に伏したときであろうがな」

 

 百代が少し顔をしかめた。

 

「あれは……多分、本物だ。少なくとも、実力は本物だった。皆、油断するな」

 

 隣でそれを聞いた凛が、百代を注視する。

 

「まさか、百代を足止めしていた相手っていうのは――」

「ああ、アイツだ」

 

 そこで判明したことであったが、由紀江の相手をしていたのが島左近、燕の相手が長宗我部元親だという。彼らがどういう存在であるかは、甚だ疑問ではあったが、厄介な相手がさらに増えたことに違いはない。

 マープルが紋白へと語りかける。

 

『この戦力差を見ても、まだ先と同じことが言えるのかい?』

「もちろんだ! 我らの言葉に二言はない!!」

『威勢だけは一人前だね。それじゃあ、それが口だけじゃないことを祈ってるよ』

 

 そう言い残すと、マープルは画面から消えた。

 変わって、今まで黙っていたヒュームが喋り出す。

 

「お前たちが抵抗してきたことで、パターンCへと計画が変更された。あの城も、今までのやりとりも全て九鬼がしかけた映画の撮影……世間ではそのように処理されるだろう。マープルが動き出す月曜日まではな」

 

 外部の人たちに助けを求めることは無駄ということらしい。

 そして、真相に気付いたときにはもう手遅れであり、どうすることもできない。ドイツ軍も動けない日を選んでいる。ヒュームはそう付け加えた。

 クリスの身に危険が迫っていると知れば、あの父親がどんな行動にでるかわからない――いや、まず軍隊を率いて乗りこんでくるという事態も想像に難くない。

 準備は万全を期している。

 しかし、紋白は至って明るい声でそれに応える。

 

「問題ないぞ。我らが勝てばよいのだからな。マープルに勝てば、それはまさに映画のラストシーン。月曜までに決着をつけてくれるわ!!」

 

 それをしっかりと聞き届けたヒュームは、一つ頷き――。

 

「結構。交渉は決裂した。よって……早速戦闘開始ということだな、赤子共」

 

 闘気を爆発させた。それに反応した多くの生徒たちは一斉に身構え、大きく距離をとる。

 そんな彼らを一瞥したヒュームは、ただ鼻で笑う。一歩も動かない彼は、自身の前に立つ者が現れるのを待っているかのようだった。

 一歩も引かなかったのは、その場に10人と満たない。そのうちの一人が動き出す。

 

「ごめんね、百代。ここの相手だけは譲れない」

 

 そう言って、凛は静かにゆっくりと、ヒュームの前へと歩みを進めた。その背に百代の言葉が届く。彼女は最初から一歩も動く気はなかったらしい。

 

「彼氏が漢を見せようとしているときだ。それを邪魔立てする奴がいるなら、私が殴り飛ばしてやる。そっちはまかせる! こっちはまかせろ!」

 

 ――――相変わらず、男前な彼女で、俺が困ってしまうな。

 不安がないわけではないであろう。それでも、百代は気丈に送り出してくれる。凛はそんな彼女の言葉に笑みをこぼさずにはいられなかった。同時に、力をもらったような気がした。

 その百代の言葉を切っ掛けに、次々に凛へと声援が飛ぶ。その声援に、彼は拳を振り上げ応えた。

 

「ついて来い。他のことを一切気にせず戦える場所を用意してある」

 

 凛は、ヒュームのあとに続いて、再び歩き出した。

 

 

 □

 

 

 その夜、川神学園での作戦会議も終わり、各々が帰宅の途についた。嵐の前の静けさとでも言うのだろうか。川神の街はとても静かであった。その中にあって一際目立っているのが、淡い月の光に照らされる川神城。その窓という窓からは明かりが漏れている。

 それを横目に、項羽は、自慢の愛馬の名を冠するバイクを飛ばし、夜の川神を駆け抜けていた。暑さもようやく和らいできており、夜風が心地よい。

 目的の場所には、一人の男が佇んでいた。項羽が声をかける。

 

「こんな時間に、王である俺を呼びだす無作法者を見に来てやったぞ」

「こんばんは、葉桜君」

 

 彦一はあくまでいつも通りの言葉を返した。

 

「ああ……こんばんわだな、京極。それで、何の用だ?」

「約束を果たそうと思ってね」

「ほう……」

「……あそこを見たまえ、貴重な川神蛍だ」

 

 そう言って、彦一は扇子で多馬川の近くに生い茂っている草むらを指した。それを切っ掛けとするかのように、蛍たちが優雅に光の軌跡を描き始める。やがて、緩やかな光の帯が流れては消え、また流れては消えを繰り返した。中には、フワリと高く舞い上がる光の粒もある。また別の個所では、蛍が草の葉に多く止っているのだろう、まるで輝く花が咲いているようである。2人の眼前には、幻想的な風景が広がっていた。儚い命を懸命に燃やしながら、宙を漂う蛍――項羽も思わず、その光景に目を奪われた。

 そのうちの一つが、不意に項羽の近くへと寄って来る。彼女がそれを目で追うと、そんな彼女と戯れるように、それは彼女の周りを一周して、また川べりへと戻っていった。

 それを見届けた項羽が言葉をもらす。

 

「これは……なかなかに美しい」

 

 そこで一度言葉を切ると、視線は川の方へ向けたまま続ける。

 

「まさか、こんな状況になろうとも、約束を果たしてくれるとはな」

「やはり、記憶はあるのか……というよりも」

 

 彦一の言葉を引き取った項羽は、自身の説明をそのまま行う。二重人格ではないこと。自身は項羽であり清楚でもあり、よって記憶も全てあることなど。

 

「だから、こんな時間に呼び出した無礼者でもお前は殴らぬ。だいぶ世話になったからな」

「葉桜君の穏やかな心の海に、封じられていた血潮が混じり……荒海と化した。そういうことでいいのかな」

「お前がそれで納得できるなら、そういうことだ。次にお前が聞きたいこともわかるぞ」

「なんだね?」

 

 2人はそこで向き合った。

 

「清楚が戻る方法があるのか、その可能性があるのか知りたいのだろう? だが残念! 俺は俺――」

「それは誤解だよ、葉桜君」

 

 彦一は清楚の言葉に割り込んだ。そして、最初に出逢って間もないころの言葉を繰り返す。

 

「君の正体が誰であろうと気にしない。君が君のままなら、それでいいんだ」

 

 項羽はその言葉に少し面を喰らった様子だった。しかし、次の瞬間には言葉を紡ぐ。

 

「それを確かめるためにわざわざ呼んだのか? 酔狂な男だ……一体、何の得がある」

「クラスメートを……」

 

 そう言いかけたところで、彦一は口を閉ざした。そして、怪訝な顔を見せる項羽に微笑んだ。

 

「いや、ただ君が気になったから……ではおかしいかな?」

 

 項羽は自然と右手を自身の心臓のもとへと持っていった。確かに今、大きく鼓動が跳ねたのを感じたからだ。加えて、そのスピードも幾分早くなっている気がする。彼女はそれを忘れようとするかのように、右手を乱暴に下ろした。

 

「ああ、あと得したことならあった。ここに来てからだが……」

 

 そこまで言って、彦一は先を言いよどんだ。

 

「なんだ? さっさと先を言え」

「ふむ……こういうことを言うのは恥ずかしいものがあるな。……川神蛍は美しいが、それに照らされる人はより美しく輝いている。この世に私だけが知る光景だ……良いもの見せてもらった」

 

 そこで、しばらく沈黙が辺りを支配した。

 

「京極…………お前、よくそんな恥ずかしい台詞をスラスラと言えるな」

 

 よく見れば、項羽の頬は若干赤く染まっているようだった。

 

「君が言えと催促したのだろう」

「それは、そうだが……」

 

 しどろもどろになる項羽に、彦一は笑みを見せた。それに気付いた彼女が僅かに眉をつりあげる。

 

「何がおかしい?」

「いや、すまない。やはり、君は君だと思ってね」

 

 一人楽しそうな彦一は、一度川のほうへと視線を向ける。蛍は既に息を潜めており、元の平凡な風景へと戻っていた。そして、それはこの約束の時間の終了をも意味していた。

 

「蛍もこれで見納めだな……ではな」

 

 彦一はそのまま一度も振り向くことなく、元来た道を歩いていく。項羽はそれをただ静かに見送った。やがて、彼の姿は闇に溶けるようにして、見えなくなる。

 

「くそ……なんだというのだ。どうして……こんなに――」

 

 胸が苦しい。項羽はまた自身の胸元へと手を持っていき、ぎゅっと制服を掴んだ。治まれと願いを込めて――。

 そんな中、真っ暗な草むらの中に、ただ一匹だけ、光を灯す蛍が項羽の目に止まる。何度も何度も、まるで誰かに合図を送るかのように光を放つが、それに呼応する光はなく、それがとても寂しく、孤独に見えた。

 

 

 




書く勢いって大切ですね。
なんとかできてよかったです。


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『マープルの反乱2』

 

 

 夜にとっくに更け、月は真上を通り過ぎようとしている中、一人の少女が城内の廊下を歩いていた。床や壁、天井と至る所に木材が使用されているからだろうか、木独特の香りが廊下に満ちている。しかし、それは決して嫌な物ではなく、むしろ心を落ち着かせてくれるものだった。特に、この少女の遺伝子的なものは懐かしさすら、感じていたかもしれない。

 廊下は先も長く続いているが、等間隔に置かれた行燈が足元を優しく照らしており、闇に不安を覚えることもない。明りにぼんやりと照らされる少女は美しく、これが何かの撮影と言われても納得できるものだった。

 そこを歩きながら、少女――義経はふと疑問に思った。人気のないこんな場所でも、行燈を灯していてもったいなくないだろうかと。

 弁慶も与一もここにはいない。弁慶は、あの放送が終わると同時に、寝る場所が変わるとよく眠れないからと適当な言い訳を作って、九鬼の極東本部へ戻ってしまい、与一はそのまま侵入者の監視につき、監視任務が終わった現在もどこにいるかわからない。もっとも、夜にふらっといなくなることも多かったので、彼についてはさほど心配もしていない。

 義経は足を止め、窓の障子をカラリと開ける。そこから空を見上げた。

 

「……ふぅ」

 

 先の疑問は既に消え、これまでの悩みが頭の中を支配する。

 本音を言えば、仲良くなった皆と戦うことなどしたくない。しかし、自身の使命を果たさなければ、とも強く思う。加えて、母ともいうべきマープルの力にもなりたかった。たとえ、それが納得のいかないようなことであっても――。

 

「笛でも吹こう……」

 

 少しは気がまぎれるかもしれない。良い場所はないだろうか。

 障子を閉めた義経は、適した場所を探し歩く。その間も頭の中では、様々な考えが浮かんでは消えていった。

 

 

 ◇

 

 

「ん? その気配……義経か?」

 

 人の声に、義経ははっとした。深く考えすぎて、周りに注意がいっていなかったらしい。

 

「あ……すまない。邪魔をしてしまっただろうか」

 

 そう言って、義経は急いでその場をあとにしようとするが、先客――項羽から待ったの声がかけられる。彼女は窓の桟に腰掛け、片足をそこに乗せていた。ちなみにスカートである。清楚であれば考えられない格好であるが、項羽がやれば、その姿も堂に入っていた。その右手にはガラス細工のグラス――そこに注がれた液体が、ユラユラと光を反射している。

 

「いや、むしろ良い所に来た。一人での月見酒にも飽きていたところだ……俺の話相手になれ」

 

 相変わらずの上から目線である。

 それを気にとめることもない義経は、その言葉に従って、畳の上に足をおった。

 

「眠れないのか?」

 

 不意に、項羽が問いかけ、義経はコクリと頷いた。

 

「やはり、今回の計画が気がかりか?」

「それは……その……」

 

 嘘をつけない義経は、次の言葉に困った。その態度だけで十分に理解できた項羽は、別に怒るでもなく、ただ軽く笑うだけだった。

 

「清楚もな……この計画には乗り気でないらしい。争いたくないという気持ちが伝わってくる。弁慶や与一も似たような心情だろう」

 

 弁慶はむっつりとした表情で、この城から出て行ったしな。項羽はそう付け加えた。

 その言葉を聞いて、義経は慌てて弁解する。

 

「明日はまたちゃんと来ると言っていたから、大丈夫だ!」

「そうか。まぁしかし……自棄酒でもしていれば、明日使いものになるかどうかもわからんがな。このときのために、周到な準備がされたというのに……困ったものだ」

 

 その言葉には義経も苦笑いを浮かべるしかなく、容易にその想像ができた項羽は、クックと笑う。

その態度を不思議に思った義経が、恐る恐る尋ねる。

 

「その……弁慶のこと、怒らないのか?」

 

 勝手な行動をとって、という意味であろう。そういう意味では、項羽自身、彦一に会うため出て行ったりしているため、弁慶のことをどうこう言う資格もなさそうであるが、それを知らない義経は、上のように聞いたのだった。

 項羽はそれを聞くと、グラスの中身を一気に呷り、それを桟に置いた。そして、立ち上がり、義経の前まで歩いて行く。

 怒られる。あの2人の監督責任は自身にあると思っている義経は、身を縮ませた。

 しかし、そこに降ってきたのは叱責ではなく、優しい掌だった。そのまま、2,3度ゆっくりと撫でられる。

 反射的に目を閉じていた義経が、うっすらと瞼を開けると、そこには清楚と見間違えんばかりの穏やかな表情を浮かべる項羽がいた。

 項羽はあぐらをかいて、義経の前に座っている。

 

「他の者なら……もしくは烈火のごとく怒っていたかもしれんが、どうもお前たち3人のこととなると、そういう気持ちも湧いてこん。俺が思うに、お前たちのことをより近しい者と考えているからだろう。そう……たとえるなら、兄弟姉妹のようにな」

「兄弟……?」

「ああ。俺は目覚めて間もないが、俺は清楚でもあるため、その記憶……同じ場所で生まれ、育ち、遊び、時に笑い、泣き、そうやって共に歩み、人生を積み重ねてきたお前たちをそのように思っている。だからだろう……弁慶の行動にしても腹が立たん。与一もしかりだ。……そして、悩む義経が心配でもある」

 

 義経はその言葉に驚いたようで、目を見開いていた。しかし、言われてみれば、そうかもしれないと思った。

 源義経――史実においては、兄である頼朝のために奔走するも、2人の思いはことごとくすれ違い、最後は奥州の地にて自害した。

 兄に愛されたかった――その思いに、史実を読んだ義経は痛いほど強く共感できた。たとえ、クローンであっても、当時の感情を引き継いでいるわけではない。しかし、彼女がそれを知ったとき、勝手に涙が溢れたのも事実だった。

 弁慶や与一といった側近もいるが、彼らは相棒といった感が強い。そんな中、義経は知らず知らずのうちに、そういう存在を求めていたのかもしれない。

 だから、次の言葉が口からついてでた。

 

「姉様……」

「ハッ! 少しくすぐったいものがあるが、義経にそう呼ばれるのも悪い気はしないな」

 

 項羽は再度、くしゃくしゃっと義経の頭を撫でる。弁慶が撫でるような手つきではないが、それでも彼女の気持ちがそこにはこもっていた。

 

「あまり難しく考えすぎるな。もしどうしてもと言うなら――」

「いや、義経なら大丈夫だ! どんな形であれ、義経はこちらにつくことを選んだ……ならば、その役目を、使命を果たすだけだ! たとえ、友とぶつかることになろうとも!」

 

 そう宣言する義経に、少し目を細めた項羽はただ一言「そうか」ともらすだけだった。

 そこで、項羽は話題を変える。

 

「そういえば、義経は笛が得意だったな。俺に聞かせてくれないか?」

「えっ……そんな、その……ね、姉様に聞かせられるほどのものじゃ」

 

 まだ、言いなれない単語を口にするからか、義経には少し照れがあった。

 そのことについて、項羽が無理に呼ぶ必要もないと笑ったが、義経は自分がそう呼びたいのだと首を横に振った。

 よって、会話を続ける。

 

「俺の記憶の中にある音色は素晴らしいものだ。王である俺が言うのだ、間違いない。しかし、俺は記憶の中でそれを知っているだけで、実際に聞いたことがない。それとも何か……清楚には聞かせても、俺には聞かせてくれないのか?」

 

 そこまで言われてしまうと、断れない義経。失敗しても笑わないでくれ、と念を押した後、音色を奏で始めた。項羽は目を閉じ、じっと聞き入っている。そして、時折、傍に引き寄せたグラスに川神水を注ぎ、その時間を楽しんだ。

 笛の音は存外響いたようで、就寝間近の部屋まで届き、人々の耳をも楽しませていたなど、当の本人はまったく知らないであろう。

 余談ではあるが、その後のたわいない会話の中で、義経が、兄弟姉妹と言うなら、自分は何番目かと問いかけたところ。

 

「弁慶が次女、義経は三女で末っ子であろうな。与一は弁慶の次といったところか」

 

 項羽に淀みなく答えられ、

 

「義経が末っ子なのか!? むむむ……弁慶はわからなくもないが、与一よりも下なのは……」

 

 と唸り、項羽に詰め寄ったりしたとか。義経にも、譲れないところがあるらしい――ともかく、その場をあとにする頃には、彼女も少しは気分が晴れていたようだった。

 

 

 □

 

 

 決戦当日の朝。各々が作戦位置につき、戦いはいよいよ幕を開けようとしていた。

 まず、最初にぶつかったのは、クリスとマルギッテが請け負ったイタリア商店街であり、相手は石田。それを皮切りに、忠勝と岳人――ケガを負っている中、いてもたってもおれず参戦――が守る多馬大橋に姿を現した長宗我部。生徒会長である虎子の受け持つ公園周辺に島。実力を考えれば、不利な戦いを強いられるのは確実であった。加え、多馬川上流で鍋島とルーが対峙した。その他、梁山泊の楊志と史進も単独で動き始めている。

 そして、攻略目標である川神城にも、京の派手な弓術――爆矢雨による攻撃で戦闘開始となった。攻略メンバーはそのまま城内を目指すが、そこには門番が一人。

 

「色々思うところはある……でも、義経はここに立つことを選んだんだ。だから、ここを通すわけにはいかない」

 

 義経は薄緑と名付けられた刀を抜き、正眼に構えた。

 

「源義経……いざ、推して参る!」

 

 それに呼応し、鯉口をきる由紀江。僅かに覗いた刀身が陽光に煌めく。

 

「黛由紀江、お相手致します。皆さんの通る道……開けていただきます!」

 

 互いが動いた瞬間、門周辺に甲高い金属音が連続で鳴り響いた。並の者では追えない速度の中、刀身のぶつかりにより、激しい火花が咲き誇る。初撃は由紀江の全開による攻めで押し切ったようだ。次に姿が見えた時には、両者は門の傍の城壁へと場所を移していた。

 

「おおーまゆまゆ、良い感じに気合入ってるな。義経ちゃんも気が充実してる。こんな状況じゃなけりゃ、ここに留まって観戦するのに……」

 

 そこを通り過ぎた百代は、その戦いに興奮を隠せないようだった。それに反応したのは隣を並走する燕。

 

「これから覇王の相手をするっていうのに、ももちゃんは余裕だねー。私にもちょっとでいいから、その余裕わけてちょーだいっ!」

「ははっ。そういう燕も余裕があるように見えるぞ。林沖も少し手合わせしただけだが、実力はあった。私の知ってることは全部教えたが、どうにかなりそうなのか?」

「まぁね。ももちゃんや覇王を相手にすることに比べたら、楽なほうだよん。もちろん、油断はしないけ、どっ!!」

 

 2人は会話を続けながら、城に残っていた梁山泊をのしていく。

 

「お前との勝負も預けたままだったな」

「あらら……藪蛇だったかな。ももちゃん、どんどん弱点なくなってるから、容易に勝負挑めないんだよね」

 

 燕は困ったように笑いながら、こめかみをかいた。

 

「燕の戦い方も何となくだがわかってきた。倒せると思ったときに挑んでこい。私はいつでもウェルカムだからな。さて、私は先に行かせてもらうぞ……どうやら、先客がお待ちのようだ」

 

 そう言い残した百代は、城の屋根をタンタンと跳びあがっていった。それを横目に、攻略メンバーは一路、城内を目指す。

 

 

 ◇

 

 

「おおー。見事なまでの無人島……というか、ここ本当に日本ですか? 朽ちた建物の上にばかでかい樹とか生えちゃってますけど……」

 

 凛は船を降りた瞬間に目にした光景に、感嘆の声をもらした。彼が言った建物はレンガを積み上げてできていたものであり、そのほとんどが原型を留めていなかった。かろうじて残っているものは全て苔むしたり、蔦がはっていたり、あるいは樹の根に埋まっていたりする。そして、時折、聞いたこともない鳴き声が奥の方から聞こえてきた。密林という言葉がピッタリのこの場所が、2人の戦う場所であるようだ。

 また、9月も末だというのに、葉が紅く色づく気配がないばかりか、現在でも青々としている。

 

「ここは九鬼の所有する島の一つだ。鉄心が言うには、ここは大地を流れている気がぶつかりあう珍しい場所らしくてな。それが、ここに生息する動植物の成長を促進させているということだ。それから、ここは日本だから安心しておけ」

 

 とてもそうは見えんがな。そう付け足したヒュームが笑う。

 と同時に、どんと腹にまで響く揺れと轟音が襲ってきた。凛がその音の方向へと視線を向ける。木々の葉が生い茂る奥に、岩肌がむき出しの山が煙を噴いていた。

 ――――ああ、キャップとか凄い喜びそうだ。

 凛はそんなことを考えながら、ヒュームのあとを追っていく。

 

 

 □

 

 

 難なく、城の最上階まで昇りきった百代が、開いていた窓から乗り込むと、床から一段高く設けられた場所に、ひじ掛けに左腕を乗せくつろぐ項羽の姿があった。その背後には、やけに目立つ金屏風がある。左上からは積雲のなから龍が舞いおり、右下からは荒々しい岩の上で虎が吠える図のものだった。それはまるで、これからの2人を暗示しているようにも見える。

 百代はスカートを一払いして、項羽に話しかける。

 

「清楚ちゃん、待たせたな……いや、今は項羽と呼んだほうがいいのかな?」

「待ちわびたぞ、百代。ハッ、どうせなら様付けで呼んでくれても構わんが」

「私が様付けで呼ぶ人がいるとしたら、それは将来の旦那様以外いないだろうな。だから、項羽には悪いがそれは無理だ」

 

 そんな返答を聞いた項羽はくつくつと笑う。

 

「清楚の記憶で知っていたが、王の前でもノロケるか」

「項羽もそのうち私の気持ちが理解できるようになるさ。今は知らないだけ……昔の私と同じだ」

「そのようなものか……ふむ、まぁ良い。早速だが、始めようか」

 

 項羽がそう言って、立ち上がろうとしたところで、百代が制止する。

 

「まさか、ここで戦うつもりか? 城が潰れても構わないならいいが、さすがにもったいないだろ?」

「……それもそうだ。ならば、場所は変えるとしよう。騅!」

 

 その呼び声に応え、一台のバイクが現れた。項羽はそれに跨ると、百代に乗れと命じる。

 百代はそれに戸惑うことなく従うと、項羽のお腹に腕を回す。いたずらをしかけようとした彼女であったが、さすがに今は自重したらしい。

 

「よーし! それじゃあ、採掘場跡地に出発!」

 

 城内に爆音が響く同時に、2人は城から姿を消した。

 そして、その階下では、また新たな戦いが始まろうとしていた。燕と林沖である。

 

「おりょ? 案外、早い登場だね」

「あなたの実力を考えると、ここに残る兵を向けても無駄になる。だから、私自ら出向いてきた」

「私も随分と買われたもんだ」

 

 燕は軽くステップを踏み、構えをとり、林沖は槍を地面スレスレへと向けた。

 

 

 ◇

 

 

 話は、凛とヒュームの場所へ戻る。

 2人は森の中を進み、その先にあった開けた場所へと出ていた。そこは、数センチの雑草が生えているだけで、まさに戦う場所としては最適であった。

 凛は体を十分にほぐしたあと、ヒュームへと向き直る。

 

「凛、なぜそう嬉しそうな顔をしている?」

 

 凛が必死で笑みを我慢しているような顔をしていたからだろう。ヒュームがそう尋ねた。

 

「えーっと……なんででしょう? おかしいですよね。今、皆は必死に戦ってるのに、俺はヒュームさんとの戦いが楽しみで仕方ないんです。先の戦いでは、十全の状態でなく、思考も冷静ではありませんでした。でも、今は……その、何となくですけど、ヒュームさんが考えていることがわかる気がするんです。だから、俺はただこの戦いに余計な感情を持ち込まず、ヒュームさんに自分の力を示せる。そう思うと、なんかワクワクしてきて」

 

 そこで、凛は気合を入れるように、両手で頬をぴしゃりと叩いた。そして、さらに続ける。

 

「自惚れるなと言われるかもしれませんが、ヒュームさんって意外と俺たちのことを信じてくれているのかなと。この騒動もきっと鎮めてくれるだろうと、そう信じてくれているんじゃないかと思ってるんです。だから……俺は今まで見守って来てくれたヒュームさんたちを信じて、ただ全力で挑むだけです」

 

 ヒュームはそれに何も答えず、ただいつもと同じように首元をゆるめるだけだった。

 ――――もし、俺が考えたことが本当だったら、それも嬉しいことだし。違ったら違ったで、俺がきっちりとヒュームさんを足止めしておけばいい。

 凛は軽く息を吐いた。

 

 ――――だから……最初から全開だ!

 

「いきますよ……ヒュームさん!!」

「さっさとかかってこい、凛」

 

 奇しくも、百代と項羽の戦闘も同時に開始されていた。

 この反乱の最後に始まった戦いこそ、最も激しいものになるであろう。

 鳥たちがそこから逃れるように一斉に飛び立ったあと、森の中から、太陽の光さえも凌駕しそうな閃光が瞬き、木々の多くを呑み込んでいった。

 




 書いてる最中に、項羽がお姉ちゃんになっていった。おかしいな……でも後悔はない。
 百代と項羽とかのやりとり書くのも楽しいが、A-2をやれていない今、内容を知らないがゆえのミスを犯す可能性がなきにしもあらず……その場合、そっと忠告していただけると嬉しいです。
 内容をチラと確認したところによると、覇王様のギャップがやばいらしいですね。登場が増える頃には何とかやっておきたいところ……。


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『マープルの反乱3』

 

 

「うわぁ……採掘場って、こんなに無茶苦茶だったっけ?」

 

 百代はその場に着くなり、視界に飛び込んでくる光景にそんな言葉をもらした。

 採掘場――百代の記憶では、岩壁が連なっており、露わになっている地層は波のように、多少なりとも綺麗であったような気がしていたが、今はその面影もほとんどない。酷いところでは、岩山の一つが脆くも崩れ去り、ただの岩の塊となっている。その塊をよく見ると、放射状の熱が当たったように焦げ、あるいはその輪郭を白銀にて刻みこんでいた。

 百代はこれに心当たりがあった――凛である。

 さらに、その痕跡が顕著に残る場所では、四方にできた穴の周りが薄らと溶けており、それが冷え固まり、滑らかになっていた。当然、それに囲まれた中の地面も変化がある。銀の蛇がのたくったような軌跡、地中から熱源がボワンと生まれ出たような大きな点、かと思えば、金槌で叩き割ったような破壊跡や刀で断ち切ったような切断跡がある。

 

「凛のやつ……」

 

 上はまだまだ先にあるのか。百代は、つるりとした表面を撫でながら思った。自身のいた場所は、凛にとって、ただの通過点にすぎなかった。その場所で空しさを感じていた自分――今思えば、滑稽だ。

 百代は一人苦笑した。だが同時に、そう思える今に感謝する。競い合える好敵手は、自分の成長にも大いに影響を与えてくれるだろう。そして、そんな彼は一番近くでそれを見ていてくれる。恐れることなく、怯むことなく、ただいつものように笑って――。

 

「百代、王を待たせるとはいい度胸だな。俺が眠っている間には、体を好き放題触るわ……それほど重い罰を喰らいたいか?」

 

 そこで、項羽から声がかかった。彼女は既にイラついているのか、その体から黒い闘気が迸っている。

 それが百代へと吹き付け、彼女の長い髪をなびかせた。その闘気に、思わず笑みがこぼれる。鍛錬の成果を見るには絶好の相手――彼女は待たせたことに詫びをいれると、構えをとった。

 

「重い罰か……与えられるのなら、与えてみればいい。始めようか」

「貴様……騅! 武器を出せ!! この無礼者には、まず地を舐めさせてくれる!」

 

 項羽は騅から方天画戟を受け取ると、正面から百代へと突っ込んでいった。そして、一閃。百代がそれを避けた瞬間、画戟を返し、また一閃。一閃一閃、間断なく振るわれるそれは、まさに嵐のようだった。その余波を受け、地面は削れ、岩は砕かれ、木々は倒れる。

 攻撃とは最大の防御である――それを体現する項羽は容易には攻めさせない。活き活きとした表情は、その力の解放を楽しんでいるようでもある。しかし、相手はそこらにいる凡庸ではなく、武神。

 項羽はそれまでの攻撃から一転して、右側面に画戟を立てた。直後に衝撃が襲ってくる。

 

「くっ!」

 

 百代の蹴りが飛んで来たのだ。両者の距離がまた空いた。しかし、それもすぐに埋まる。彼女が間をおかず、お返しとばかりに攻撃を仕掛けたからだった。

 百代のそれは、項羽に比べれば威力は弱いが、その分スピードと精密さから隙がない。

 徐々に後退を強いられる項羽。痺れを切らした彼女が、強引に抜け出そうとするところを百代は逃さない。

 

「川神流、無双正拳突き!!」

 

 一段と力が籠った拳が風圧を生む。項羽は大きく跳ね飛ばされた。

 しかし、百代が構えをとくことはない。

 

「さすが、項羽……あの状態で一発入らないとは」

「随分と上から目線で喋ってくれるな、無礼者め」

 

 その言葉に、百代は獰猛な笑みを返す。項羽の眉がピクリと跳ね、それに伴い、闘気が増した。

 百代もそれに抗するように、闘気を纏う。

 壁を越えた者同士の気のせめぎ合いは、大気を震わせ、地を鳴動させた。見える限りの場所に、野生の動物は留まっていないだろう。

 項羽が地面を蹴る。

 

「頭が高い!!」

「それはお互い様だろ!!」

 

 画戟と拳が交わり、採掘場に大きな破裂音が鳴り響いた。

 

 

 ◇

 

 

 百代と項羽の激しい戦闘が行われている上空では、一機のヘリが飛んでいた。

 

「今回、急遽発表された九鬼による映画製作……その一部の模様を撮影する許可を頂いたため、その現地へと来ています。ここでは、世界に名を轟かす武神、川神百代と新たに覚醒を果たした覇王の異名をもつ項羽が、戦闘を繰り広げているところです。その様子をご覧に下さい」

 

 ヘリの中で懸命にリポートするのは、新人のアナウンサーである。彼女の声に、カメラマンがカメラを回す。

 ちょうどそこへ、項羽が上空へ跳び、眼下にいる百代へ仕掛ける。

 

「これでも喰らえ!」

 

 その掛け声とともに、画戟を目にも止らぬスピードで振った。刃の根元に巻き付く深紅の組紐が、赤い線を描きだす。そこから生み出されるは、気の混じり合った衝撃波。それは、まるで血を吸ったギロチンのようであり――それが百代目掛けて、無数に振り下ろされる。その数、20は下らない。

 百代の周辺は着弾とともに、ヘリの音を掻き消すほどの爆発音が轟き、砂煙が空へと噴きあがった。それだけでも、唖然としていたリポーター一同だったが、さらに驚くべき出来事が起こる。

 いち早く気づいた音響担当の男が、自身の声が入るのも忘れ、声を張り上げた。いつの間にか、近づきすぎたらしい。

 

「やばい、やばい!! すぐ移動させてください! なんか飛んできます!」

 

 直後、その砂煙の中から、今度は極太のレーザーが飛んできたのだ。それは百代が健在である証。幸い、ヘリはかろうじて回避に成功した。

 しかし、項羽は中空で身動きとれないため、今度は、彼女がレーザーの中にかき消える。そのまま、蒼穹へと消え去るかと思われたが、アナウンサーの目に映ったのは、レーザーが真っ二つに割れた中から現れる項羽の姿だった。

 砂煙の晴れた場所に立つ百代は、服の裾が切れている程度であり、反対に上空にいる項羽は、少し焦げているだけ。地面にはそれとは対照的な、10~15メートルほどの大きな亀裂が多数できている。更地の場所がさらに増えていた。

 

「楽しませてくれる! どんどんいくぞッ! 百式覇王流星戟!!」

 

 高笑いする項羽は、そのまま身をくるりと回すと、画戟を突端とし、百代へと攻撃を繰り出す。その最中、彼女の体は例の黒い闘気に覆われてゆき、彼女自身がまるで地球に落ちてきた隕石のように見えた。その速度たるや、弾丸など生ぬるいと言わんばかりである。

 それが地に――あるいは百代だったかもしれない――にぶつかった瞬間、先の衝撃波以上の爆風が吹き荒れ、ヘリを揺らした。当然、林はなぎ倒され、土砂の津波が周囲を呑み込んだ。地上はまたも不明瞭なものとなる。

 しかし、このリポーター一同、肝は座っているらしい。撤退をしていなかった。

 

「こ、このように……全貌は明らかとされておりませんが、迫真の演技に加え、随所に激しいアクションシーンを盛り込んだ内容となっているようです。他にも、先月に行われた若獅子タッグトーナメントで活躍した夏目凛・榊原小雪に加え、納豆小町の松永燕。そして、先日まで放送されていた大河ドラマの主役である源義経、その配下である武蔵坊弁慶、那須与一などなど――」

 

 その後も時間いっぱいまで、懸命にリポートを続けていた。

 

 

 □

 

 

 もう一方の最強の戦いも、激しさを徐々に増しているところだった。

 しかし、常人にはその姿を確認するのは困難を極めた。言ってみれば、時折光が瞬き、それに遅れて大なり小なりの音が発生、そのあとに残るのは、僅かに立ち上る砂煙といった具合だからである。

 ――――この場所は本当に凄い。動植物が異様な発達をする理由がわかる。地から湧きおこる気が、そのまま体に染み込んでくるようだ。

 凛は、戦いの最中にあって、そのことを思った。その僅かな隙をきっちりとヒュームが突いてくる。

 

「考え事とは余裕だな、凛」

 

 ヒュームの蹴りが、凛の右側頭部へと吸い込まれていく。

 凛はそれを右腕でしっかりと受け止めた。彼の気とヒュームの気がせめぎ合い、反発しあい、それが激しい光となって辺りを照らす。

 距離があいたところで、凛は両手を思い切り振った。それに合わせて、無数の糸が陽光を反射する。

 

「くだらん……目くらましのつもりか」

 

 ヒュームがそう呟く目の前には、直径が彼の5倍以上はあろうかという巨木。それが垂直に飛んで来ていた。長さにして、70メートルを超える樹木――その重さは、この光景を見ている者がいれば、存外軽いものと思ったからもしれない。なぜなら、人の手によって、それがいとも簡単に地を抉り、轟音を立てながら動いているからだ。もちろん、そんなことなどあるはずがない。

 そして、ヒュームである。彼は回避行動をとらない。むしろ、その反対の行動――迫って来る巨木に対して、ひざ蹴りを喰らわせる要領で、真っ向から向かい合った。

 息を軽く吐いたヒュームは、さすがにその重量に軸足を地にめり込ませたが、それ以上押し負けることはなく、まるで鉈で薪を割るかのように、膝一つでその巨木を綺麗に割っていった。2つになった巨木が、彼を避けるようにして通り過ぎる中、凛からの新たな攻撃が加わる。

 金剛刀――凛の操る糸に名などないが、名をつけるとするなら、それが一番ピッタリときそうであった。2本の糸の間に気を通し、それを持って切れ味鋭い刃と成す。

 凛はヒュームの上空へと移動すると、両手を広げた状態から、交差させるように動かした。自然、中心点にいるヒュームへとその刃が殺到することになる。

 未だ、流れる木を強引に、しかし容易く切り裂いたそれは、そのままヒュームのいるところへと――。

 

「お前らしい使い方ではあるが、それで俺に攻撃が当たると思ったのか?」

 

 いや、この男がそう簡単に攻撃を喰らうはずもなく、凛のさらに上からヒュームの声が落ちてきた。

 凛もそれはわかっていたようだ。

 

「まさか……でも、上空の身動きとれない所なら、あるいはどうでしょう?」

 

 身を翻した凛は、右手をすっとヒュームへと向けた。空には薄い雲。

 凛の右手中指に、微かな電光が走った。刹那、一筋の細い稲妻が落ちる。しかし、それは彼の予想通りにはならなかった。

 

「……っ!? 空中で2段ジャンプ!?」

「全ては気の応用だ」

 

 それだけ答えると、ヒュームの左足が振りぬかれる。それは見事に凛の胴を捉えていた。

 凛の体は、地面でバウンドするかと思われるほどの落下スピードで落ちて行く。

 ――――あれしきのこと……今更、驚くこともないだろ!

 凛は悪態をつく暇もなく、左へと転がる。果たして、それは正解であった――数秒と置かず、元いた場所にはヒュームの追撃がかかり、地面に大穴をあけていたからだ。

 凛は体を起こすと、前へ出る。後ろには下がらない。

 

「まだまだぁ!」

 

 ヒュームの姿は目前であった。

 

 

 ◇

 

 

 凛が向かってくる姿を見たヒュームは、ふと幼い頃の彼と姿をダブらせていた。

 あの跳ねっ返りが、大きくなったものだ。突っ込んでくる凛が、途中で姿を消すのを冷静に観察しながら、ヒュームは思った。時の流れを感じずにはいられない。昔はそのままヒュームに突っ込んでいき、にべもなくやられては、また性懲りもなく正面突破を図ろうとする――そんな弟子だったのだ。

 間をおかずして、ずしんと体の芯を揺らすほどの威力をもつ蹴りが、ガードの上から響いてくる。並の者では、この防御の上からでも削られるだろう。「たぁっ!」、「やぁっ!」と甲高い掛け声で、ハイキック――と言っても、ヒュームの太腿に届くかどうかだったが――を繰り出していた頃すら懐かしい。そのとき、あまりにも一撃が決まらないため、涙目を浮かべながら蹴りを放つこともあった――これは余談である。

 今度は、接近戦を挑むつもりらしい。そのまま、凛はヒュームから距離を置かず、苛烈に攻め立てる。

 もちろん、ヒュームもそれを良しとして応戦した。

 攻撃はもっと絞り込むように鋭くだ。ヒュームがよく口にした言葉である。

 凛は、それを今体現しつつある。彼の青い瞳が、さらに静まりかえっているように見えた。彼の体越しに見えた空――曇天となった天候は、荒れる気配すら感じさせる。

 夏目家初代当主は天候すらも操った。ヒュームも銀子との会話の中で、そのようなことを聞いたことがあった。その後、何世代も続いたが、それと同じことができたものはいなかったらしい。もちろん、銀子もそうだった。しかし、凛は大きな戦いにおいて、2度も天気が荒れる。これが偶然か、はたまた必然か――。

 さすがのヒュームも少し長考が過ぎたようだ。凛が懐深くに入り込み、拳を強く握りしめていた。

 

 

 □

 

 

 場所は変わって、川神城近くの工場地帯。いつもであれば、煙を吐き出し、騒音をあげながら稼働しているここも、今日ばかりは静かなものだった。そして、その人気がない場所を選び、戦う者たちがいる。

 燕と林沖の戦いは、そこで開始され、既に優劣がつき始めていた。

 林沖が自身の脇腹へと手をやり、燕の容貌に目を向ける。

 燕は制服を身に着けておらず、その代わりに黒の戦闘着、腰にはゴツめのベルト、そして、右腕には兵器――平蜘蛛があった。それは、バランスをとり損なうのではと思うほどの厳ついフォルムをしている。この場所に移ったのは、これが人の目につかないためであった。

 林沖が気にした脇腹は、燕が平蜘蛛を装備してから、初めて重い一撃を喰らったところだった。その直後は痛みが走っただけであったが、それから時間が経つにつれ、体が重くなっているのに気がついた。

 燕の瞳は一切の油断なく、すっと細くなっている。表情が和らいでいるのは、林沖に自身の兵器の効果があることを確認したからであろう。わざわざ2人きりになったのも、そこに護衛対象をおかないことで、林沖の守るという意識を高めない――ひいては、戦闘能力の引き上げをさせないためであった、と言いたいところであるが、さすがの燕でもそこまで林沖のことを知っていたわけではない。ただ、凛や百代が対峙したときの様子、自身が接触したときの言動をもとに、何か固執している節を感じ取ったからだった。

 堅実な攻守の林沖に対し、煙幕、電撃、ネット、飛び道具などまるでおもちゃ箱のように、多彩な攻めを展開する燕。

 そんな有利な展開にも関わらず、燕の攻め方に一切の緩みはない。ダメ押しとして使われたのは、史進の助けを求める声だった。

 ここにはいないはず――そう思う林沖であっても、その声を捨て置くこともできず、それが大きな隙ともなる。勝敗の天秤において、燕側には、さらに大きな分銅が乗せられることになった。

 

 

 ◇

 

 

「各地の戦況はどうなってるんだい?」

 

 マープルは、傍に控えていた桐山にそう尋ねた。その部屋にいたのは2人のみ――クラウディオは、苦戦している九鬼従者への援護へと赴いている。加えて、抵抗を試みている城内の人質の鎮圧もである。

 

「さすがは、歴史上の人物を名乗るだけあり、善戦どころか既に打ち破ったところもあり、こちらに集結してきているそうです」

「それは結構」

 

 マープルは満足そうに頷いたが、そのあとに続く言葉に眉をひそめた。

 

「ですが、やはりミス・マープルの読み通り、怪しい動きがありました。これは、ソフィさんからも連絡があり、まず間違いないようです」

「素直に従っていたと思ったら、やっぱりそういうことかい。戦力の大幅アップにはもってこいでも、中々事はうまく進まないねぇ……」

「引き続き、ソフィさん以下数名が張り付き、随時連絡を取り合います」

「ソフィには、己の判断でやばくなりそうなら、力ずくで鎮圧しなと伝えな」

 

 了解しました。そう言って、桐山はその場をあとにした。

 今でも十分大きな騒動といえる中、さらなるひと波乱が起こりそうであった。

 




覇王様の技は少しいじりました。戟もっているのに、膝蹴りも何だったので。

それにしても、A-2おもしろいですね。時をおかずに、やってしまいました。
紋白が幸せそうでほっこりし、項羽の乙女にニヤニヤし、アイエスの危機にタチコマを思い出しウルッときてしまいました。
この物語にも上手く取り入れていけたらと思います。
というか、紋白関連の九鬼組織がなんかいい感じすぎて、九鬼家にオリ主突っ込んで話作りたくなりました!
余裕があれば、ちまちまストーリーを作っていこうかなと思うぐらいに。
私も九鬼組織の一員になりたい!!
そう思えるほど、紋白ルートは良かった。


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『マープルの反乱4』

 

 燕と林沖との戦いは、平蜘蛛の真の力を見せることなく、燕が勝利を収めた。

 しかし、これは林沖が弱かったわけでない。もし、これが他の相手であれば、彼女は何人もの手勢を跳ね返してなお、健在であったろう。もしくは、正面からぶつかりあう者であれば、彼女の調子もあがっていたかもしれない。だが、燕は間違ってもそんなことはしなかった。

林沖を調子づかせず、それどころかテンポを狂わせ、常に戦いの主導権を握る。

 これが自身の戦い方。燕は、倒れ行く林沖を最後まで油断なく見ていた。

 

「さぁて、私のほうは片付いたけど、これからどうしようかねん?」

 

 川神城へと目を向けたあと、燕は顎の下に人差し指を持っていく。本人はまだまだ余裕があるらしい。壁越えを果たしている者の中にあって、戦闘巧者とでも言えばよいのだろうか。武神討伐の依頼を受けるだけの実力は、確かに備えていた。

 

「とりあえず、城内の様子を教えてもらおうかな?」

 

 携帯を取り出した燕は、しっかりとした足取りで歩きだした。

 

 

 ◇

 

 

 一方、他の場所でも徐々に形勢に変化がでてきていた。百代と項羽である。

 画戟の暴風を掻い潜った百代が、項羽に一撃を叩きこんだ。その衝撃が、項羽の体を通り抜け、のち大気を揺らす。それだけで、相当な威力を秘めていたことがわかる。

 項羽の体が飛ぶ。辺り一帯は既に平地へと化しているため、何かにぶつかるということもない。

その項羽も二転三転し、また態勢を立て直した。

 

「この馬鹿力め……」

 

 思わずと言った感じで、項羽が苦い顔をした。どうやら、自身のことは棚にあげているらしい。

 

「そらそらぁ!」

 

 百代はそこへ追撃をかける。ここで初めて、項羽は防戦一方となった。

 これまでの戦闘で受けたダメージが、先の一撃を切っ掛けとして、一気に体へと圧し掛かってきたようだ。百代もそれが感じられたのか、勝負を決めるつもりで手数を増やす。

 

「こんの……調子にのりおって……」

 

 かろうじて、絞り出した言葉がそれであった。しかし、強気な言葉とは裏腹に、項羽はそこから逃れることができずにいる。百代の猛攻の前に、また一歩また一歩と後退していった。その事実が気に食わないのか、項羽はイラだった表情を露わにする。

 百代がわざとガードを緩めると、すぐに誘いに乗ってきた。

 大振りの一撃も決まればこそであり、今の百代にとっては、さばきやすい攻撃でしかない。それをいなし、隙のできた項羽に連続して突きをねじ込んだ。

 

「ぐ、俺は……負けん!」

 

 距離をとった項羽は、闘気を爆発させたかと思うと、それを一振りの画戟にのせる。無数に放った衝撃波とは比べ物にならないそれは、必殺技と言っても過言ではなかった。

 一瞬にして大地を切断し、走り出していた百代へと一直線に向かう。

 回避することは不可能。項羽は大技を放ったため、一瞬動きが鈍る。そして、そこへ向かってくるのは――。

 

「んなっ……!?」

 

 なんと項羽自身が放ったはずの技だった。

 声をあげる暇さえなく、項羽はそれを諸に食らった。体が鈍っている今、当然、受身などとれるはずもなく、地面を転がる。画戟はその際の衝撃で、手放してしまった。本人には、何が起こったのか、全くわからなかった。

 さらに、体を起こした項羽の前には、既に百代が立っていた。

 川神流・万物流転――百代が対遠距離攻撃用に自ら生み出した技のひとつ。防御するだけではつまらないので、反射させるようにした結果、これに落ち着いたらしい。ただ、彼女はこの技を使いたがらず、今までほとんど使っていなかった。しかし、あの敗北から、技の開発に加え、見直しを行っている最中、相手の意表がつけるという新たな側面を見出し、今回の戦いで使用したのだった。

 勝負はついた――かのように思われたが、そこへ乱入者が現れた。いや、この場合、人ではないため者というのは不適切であるが。

 

「おいおい……気持ちはわからなくないが、戦いに割って入った以上、それ相応の覚悟はできているんだろうな?」

 

 百代は、側面から突っ込んできた騅を片手で止めながら、口を開いた。騅のエンジンはフルバーストしているのだろう。文字通り、青い炎を吹いている。

 しかし、百代の体はびくともしない。

 

「騅! よせ! これは俺と百代の戦いぞ!」

 

 項羽は動かない体に鞭うち立ち上がるが、足元はおぼつかない。

 

『心得ています。しかし、私は騅。あなたと共に天下をかける相棒……なればこそ、あなたの窮地に動かないわけには参りません』

 

 それだけ述べると、騅の後部が開き、ミサイルが発射される。それは一度上空高くに舞い上がると、百代目掛けて、一斉に襲いかかってきた。

 百代はそれを見上げると、深いため息をつく。ミサイル程度で傷つくはずもなく、かといって、勝負の邪魔をこれ以上されるわけにもいかない。最初の突撃で収まるならばと思って声をかけたが、無駄で終わりそうだった。

 というよりも、このまま百代で着弾すれば、騅自身もどうなるかわからない。いや、九鬼製であることを考えれば、こちらも案外無傷で済むのかもしれない。

 しかし、それらは意外な人物によって、全て撃ち落とされた。項羽である。彼女は武器を持っていない今、右手を空へと掲げ、そこから放たれる気弾でミサイルを破壊してみせた。空は一面紅蓮に染まる。

 

「はぁ……はぁ……騅! 二度は言わん。退け」

 

 疲労が溜まっているところでのさらなる気の消費。肩で息をしながらではあったが、項羽は鋭い目つきで騅に命じた。そこでようやく、騅は後ろへ引き下がる。

 百代はほっと安堵の吐息をもらした。意思ある機械を機能停止――あるいは壊すのは、さすがにためらわれた。それは、身近にクッキーという存在があったのも無関係ではないだろう。

 

「意外だったな……わざわざ自分の気を使って、私を守ってくれるなんて」

「勘違いするなよ。あのまま放っておけば、お前は騅を捨て置かんだろう。それに、こうなったのは…………こうなったのは――」

 

 項羽はその事実を非常に認めたくないようで、体を震わせる。それに加え、拳も固く握りしめていた。

 

「……追いつめられたのは全て……俺のせいなのだから。うぐぐ……認めたくないはないが、ここまで無様を晒したのだ。認めざるをえん。そして、俺は……ここまで追い詰めたお前を好敵手と認めよう」

「それは嬉しいな。で……素直に負けを認めるのか?」

「ハッ! 俺はまだ自分の足で立っている! それに、俺は王だぞ! 自分から負けを宣言するなどありえん!」

 

 それを聞いた百代は、転がっていた方天画戟を項羽へと放り投げた。

 項羽はそれを無言でそれを受け取ると、辺り一帯に響き渡る大声で百代に命じる。

 

「我が名は項羽。西楚の覇王にして、クローンを束ねる王である! 今一度、貴様の名を聞かせよ!」

 

 百代は右手を握りしめ、いつもの構えをとり、それに応える。

 

「武神、川神百代! 楽しい戦いだったよ……項羽」

「ゆくぞっ!!」

 

 2人は真正面から激突した。最後に立っていたのは1人であった。

 

 

 □

 

 

 百代と項羽が激突していた頃、凛はヒュームとのにらみ合いの真っ最中であった。

 凛は乱れた息を整えるため、大きく息を吸い込んだ。その間も気を抜くことはない。

 壁を越えた者同士が容易にぶつかってはならない――そのいい例が、大地の惨状によって証明されていた。鬱蒼と茂っていた密林は痛々しいほどになぎ倒され、あちこちでパチパチと炎がくすぶっている。もし、雨がなければ、この辺り一帯が火の海になっていた可能性もあった。

 そして、2人が立っている場所である。直径1㎞に及ぼうかというクレーターの中にあった。しとしとと降り続ける雨が地表を叩き、傾斜によって、底に向かって水の通り道を作っている。

 雨に濡れた凛の髪から、滴が流れ落ちた。その頬には鋭い何かで切られたような切り傷があった。

 ピシャリと雷鳴が轟き、両者の影を色濃く作りだす。それを合図にして、凛が動き出した。いつか見た光景がそこに広がる。彼のあとに続く紫電がむき出しになった大地を彩った。多少のぬかるみなど、今の2人には関係ない。

 ヒュームの瞳が左に向かう。その瞬間、凛は上空から蹴りを落としていた。その足には、より一層気が満ちている証拠となる青白い光が纏わりついている。

 ヒュームが片腕で凛の蹴りを受け止めるやいなや、凛はまるで重力を感じさせない動きで身を翻し、ヒュームの傍へと降り立った。同時に、何度目かとなる龍吼を放つ。

 凛の気に反応して、雷雲の中から一匹の龍――一筋の稲妻が向かってくる。しかし、ヒュームがそれを大人しく食らうはずがない。凛の背後へと瞬時に回り込み、攻撃に移った。

 それを知っていたかのように、凛は見向きもしないまま、体だけを右へ移動させる。そして、振り向きざまに反撃。

 重苦しい音が響く――が、それはヒュームの腕で完全にガードされていた。

 

「ふッ!」

 

 凛はそこで留まることなく、左の突きを繰り出した。なんの変哲もないただの突き。

 しかし、それがヒュームの胴を捉えた。彼の動きが一瞬止まり、凛がさらに動く。連続で2発の突きを入れ、最後に左側頭部への蹴りをお見舞いした。それに伴い、激しい明滅を繰り返す。

 吹き飛ぶヒューム。そこへ追撃をかける凛であったが――。

 

「蹴りというのは……こうするんだ。ジェノサイド・チェーンソー!!」

 

 ヒュームを見失ったと同時に、首に走る衝撃。次は凛が吹き飛ばされた。泥が大きく跳ねる。

 

「ぐっ…………がはっ」

 

 凛は仰向けの状態からすぐさま横になり、両腕に力を入れた。ガクガクと震える腕が、ヒュームの技の恐ろしさを物語っている。視界が揺れ、すぐに立ち上がることができなかった。

 そんな凛に、ヒュームが声をかける。

 

「先の攻撃は中々きいたぞ。というよりも、俺の技で倒れんことを褒めてやろう」

 

 同時に、とヒュームはさらに続ける。

 

「お前の……夏目の技が少し知れた。お前は俺に攻撃を受けるとわかった瞬間、分厚く気を纏ったな。以前のお前なら、そこまでやることはできなかったはず……なぜなら、気が底をついてしまうからだ。だが、今のお前はそれを実行してなお、余力がある」

 

 凛はようやく立ち上がり、体が動くかどうか確かめる。気で威力を軽減させたとは言え、かなりきつい。

 ――――やっぱ凄いな、ヒュームさんは。そんなことまでわかっちゃうなんて……。

 初代当主であった夏目竜胆は気の扱いに長けていたが、その反面、気の絶対量がそれほど多くなかった。彼女はそれを克服するため、あらゆる方面でその可能性を探り、行き着いたのが雷だった。しかし、彼女がこれに行き着いたのは、偶然としか言えない出来事が起こったからである。すなわち、落雷であった。これによって、彼女の顔半分は火傷の跡が残ったものの、それと引きかえるように、ほんのわずかであったが、彼女の気の量が増えていた。

 竜胆はそこに賭けた。長い年月をかけ、それを操れるよう苦心し、それを技――龍吼として完成させる。そして考えをさらに進め、龍吼で増やせる気の量などたかが知れているが、それは一筋の雷光であったから――ならば、それを束ね、一点に集中させることができるなら。

 そういう考えから生み出されたのが、凛が採掘場跡地で行っていた儀式である。

 龍吼には他にも役割があり、それは自身の気によって雷が操れることと、それに対する親和性が備わっていることを確かめるのである。さらなる効果としては、気脈を太くするというものがあり――放出させる量が増やせるというわけであった。ただし、微量である。

 身体能力の向上は、この気脈の増強に関連があるらしいが、詳しいことはわかっていない。

 とにかく、夏目を継ぐ者は、その最終形を目指すわけであるが、そこまで到達できる人間は皆無であった。まず、龍吼を会得できた者が少なく、それを会得できた者でも儀式に耐えるのが困難ということが多かった。凛の祖母である銀子も後者であった。

 だが、何世代にも渡って、継がれてきた意味があった。夏目凛が生まれ、その境地に足を踏み入れたからだ。

 ――――竜胆様は最終的に、膨大な気を獲得するに至り、その名を広く知られることになった。

 

「これで終わりではないんだろう。見せてみろ、凛」

 

 ヒュームが手招いてみせた。彼の背中越しで雷鳴が轟いた。

 

「その、余裕な態度……崩してみたくなりますねッ!!」

 

 荒い息遣いのまま、凛はその場から一直線にヒュームへと向かっていった。

 

 

 ◇

 

 

「ふぅ……川神城にとうーちゃーく!」

 

 百代は騅から飛び降りると、両手を大空に高々と掲げ、伸びをした。戦いが終わったのち、騅の厚意から乗せてもらい、この川神城に帰ってきたのだ。当然、意識を失った項羽も一緒である。

 その項羽は、騅の座席にてスヤスヤと眠っていた。あれだけの激闘を繰り広げたにも関わらず、眠りだけで済む――壁を越えた者に常識は通じないらしい。ちなみに、同乗していたときは、百代が自身の体にもたれさせた彼女を片手で支えていた。やけにご機嫌だったのは言うまでもない。

 その百代であるが、戦闘による傷は既にない。瞬間回復の賜物だった。

 

「およ? ももちゃんじゃん。覇王様との戦いは終わったの?」

 

 そこへ現れたのは燕。その傍らには、城へ舞い戻ってきた梁山泊の手勢。その全員が伸びている。

 百代は騅に乗ったままの項羽を指さす。

 

「まぁな。しっかり勝ってきた。燕のほうも……勝ったみたいだな」

 

 そうこうしていると、城の最上階から歓声が聞こえてきた。どうやら、マープルの身柄確保に成功したようだ。

 百代と燕は顔を見合わせると、軽く笑った。何はともあれ、日本全体を巻き込んだ騒動に発展する危険性は解消されたのだ。

 その後、姿を現した攻略メンバーたちと合流し、喜ぶのも束の間、各地で戦い負傷した生徒たちへの救護を話し合う。その中には紋白の他に、英雄、そして揚羽の姿もあった。

 そのため、彼らについては、すぐさま九鬼の残りの従者部隊を投入してくれることで決着がついた。

 百代の勝利を聞いた揚羽は、うんうんと頷き、何やら嬉しそうだったのも印象的であった。

 幾分、和らいだ雰囲気が流れる川神城――しかし、突如響き渡った笑い声に、多くの者が緊張を強いられる。

 

「石田か……」

 

 百代が城門に目をやりながら、そう呟いた。そこには、彼女の言った通り、石田をはじめとした過去の亡霊たちが立っていた。

 

「マープルは失敗に終わったか……まぁそちらの方が都合が良い。さぁさぁ! 未だ戦は終わっておらんぞ! ここからは、この石田三成がお相手しよう!」

 

 両手を大きく広げた石田が宣言すると同時に、地面から紫の光が漏れだしてきた。

 その光は明らかに異様な気配を含んでおり、多くの者が足元を通り過ぎようとするそれを避けた。掴みどころのない、おぼろげな光と人を不安にさせる色合いが、より一層不気味である。

 他と同様、それを避けた翔一が口を開く。

 

「おいおい……これでめでたし、めでたしって流れじゃねぇのかよ……」

 

 皆が石田らに注目する中、燕が倒した梁山泊の指が微かに動いた。彼女が打ちもらすようなヘマをするはずがなく、確かに意識を失っているはずである。さらに、その隣の者の体がビクリと震えた。その異変に気付いたものは、まだいない。

 




ようやく終わりが近づいてきた。
もうすぐだ。日常がもうすぐ帰って来る!
日常のネタはもう頭の中にあるんだよ!!



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『マープルの反乱5』

 

 

「さぁ……立ち上がれ、我が僕よ! 疲れることなく、倒れることなく、眼前の敵へ向かえ!」

 

 石田の号令が城内に響き渡ると同時に、倒れ伏していた梁山泊の者たちが一斉に立ちあがった。だらりと垂れ下がった頭と腕――そして、徐々に頭が持ち上がる。

 それに対するメンバーは、疲労を残す者が大半である。自然、防御を意識して、半歩下がった。

 しかし、その中で、前へ進み出る者もいる。

 

「ただ閉じ込められていただけで、退屈しておったところだ。良い運動くらいにはなろう。我の相手を務めてくれるのはどいつだ?」

 

 安心させるように、ゆったりと余裕をもって喋る揚羽。その後ろには小十郎がつき従う。

 それに百代、燕が続いた。

 

「ちょうど良いのはこちらも同じだ。石田……先の戦いの決着、きっちりとつけさせてもらおうか」

「私だけお休みしてるわけにもいかないからね。最後にもう一頑張り!」

 

 そこへ新たな面子が加わる。

 

「一足遅かったか……突然で悪いが、私も参戦させてもらう」

 

 天衣であった。彼女が喋り終えるやいなや、立ち上がった梁山泊の連中が一斉に地へ伏した。どうやら、ここへ合流する途中に攻撃を加えたらしい。しかし、彼らは何事もなかったかのように、また平然と立ちあがった。

 天衣はそれを見やると同時に、マープルにソフィアの考察とその言葉を伝えた。

 そのソフィアはというと、監視中に宇喜多、毛利からの反撃を受け交戦状態となり、先へ進む石田をそのまましておくこともできず、やむなく天衣を先行させたのだった。

 未だその軍団を動かさない石田は、傍に控えていた島より報告を受けていた。

 

「ふむ……なるほど。あの女……毛利と宇喜多2人を相手取り、打ち破ったというわけか。加えて、この軍を見るに装置も一部破壊されたようだな。さすが、九鬼には有能な者が多いらしい」

「本来であれば、意識を失った連中に、我らと同様、あの時代の猛者を憑かせる予定でしたが、それも難しくなってしまいました」

「元々、何の縁もない者たちに憑かせようとしていたのだ。あれがなくなった今、不可能と考えてよいだろう。手足のように動かせる者が手に入っただけでも儲け物だ」

 

 石田は背後から集まってきた連中を見やり、ニヤリと笑う。そこには自身が指揮していた梁山泊もおれば、そこで戦い倒れた川神学園の生徒の姿もある。

 石田が左腕を広げると、彼らは一斉に百代たちを取り囲むように動く。

 

「さすが我が友の遺した技よ! これがあれば、あのとき勝つことができたやもしれん! 素晴らしいぞ、吉継!」

 

 一方で、百代たちは窮していた。なぜなら、取り囲む者の中には、川神の生徒たちが混じり始めていたからである。後ろにいた卓也が、岳人の名を叫んだ。視線を向けた先には、岳人が彼らの中に混じり立っていた。その後ろには、クリスやマルギッテの姿もある。

 あずみが声を張り上げた。

 

「あと数分で、九鬼からの援軍が来ます! 今の彼らは拘束する以外に方法がないようです。その役目は九鬼従者部隊が負いますので……それまでは苦しいですが、ここにいる皆さんで押しとどめる必要があります」

 

 そこへさらなる影――由紀江と義経であった。

 

「禍々しい気を感じて来てみれば、一体これは……」

「北畠さん……それに鈴木くんたちも、何が起こってるんだ?」

 

 2人とも、決闘の最中に異変を感じて駆けつけてきたらしい。傍にいた燕が、今までの出来事をかいつまんで説明した。

 事情を理解した2人が、さらに戦力として加わる。しかし、彼女らはこの戦いに加わる前に、さんざん刃を交わしており、さすがに壁越えの実力を持つ者を相手にする余力はなかった。と言っても、地力が違うため、操られる者を抑え込む力は十分である。これにより、人数の上では不利だが、質で考えれば同等か、あるいはそれ以上となった。

 そして、遂に石田が号令を下す。

 

「さぁ……かかれ!」

 

 その言葉に反応した軍団は、猛然と敵に向かって走り出した。

 

 

 ◇

 

 

「くっ……」

 

 義経は切りかかってきた生徒の刃を受け止め、咄嗟に攻撃へ移ろうとするが、それが無意味であることを思い出し――あるいはためらい、後退した。しかし、次の瞬間には、また同じような展開となり、それの繰り返しとなる。

 周りにいるメンバーも似たような状況となっており、意識のない学園生徒に手をだすことができずにいた。その一方で、梁山泊の連中は容赦なく吹き飛ばされていた者が多い――これは見ず知らずの者だからであろう。

 その中でも、クラウディオのみが糸を使い、拘束を次々に施していくが、いかんせん数が多い。

 

「義経さん!」

 

 由紀江の声に、ハッとする義経。戦いの疲労もあったのだろう。一瞬の隙ができてしまっていた。そこを突いてくる者らが、四方八方から襲いかかってくる。

 後ろを対処している暇がない。そう判断した義経は、前方――視界に入る敵のみの攻撃を捌く。

 そこへ、久しく聞いていなかった声が降ってきた。

 

「そぉーい!」

 

 その声の主は、ウェーブのかかった髪をなびかせ、錫杖をなぎ払った。

 義経は背中に感じる頼もしい気配に、思わず笑みをこぼす。

 

「弁慶!」

「いやぁ……申し訳ない、主。寝て起きたら、こんな時間になってるし、軍師直江大和に一杯食わされ……いや、数えきれないほど川神水を飲まされました」

 

 弁慶は片手を顔の前に持ってきて、再度「申し訳ない」と謝罪した。

 この弁慶――鬱憤が溜まっていたところに、訪ねてきた大和と杯を重ね、ついつい飲み過ぎてしまったらしい。自棄酒ではないが、項羽の言っていたことが、半ば当たっていたわけである。

 

「事情は大体聞いてる……もうすぐ九鬼の従者部隊が、っと噂をすれば……」

 

 ヘリの音が轟き、そこから従者たちが大量に降下を始めていた。

 

 

 □

 

 

 一方、百代は石田、揚羽は島、燕は長宗我部、天衣は大村とそれぞれ対峙していた。その最中、彼らは爆発的な闘気を察知する。それは、項羽が覚醒したときのものを上回るほどのものであり、皆がそちらの方角へ気をとられた。ここにはいない人物の気である。しかし、皆が良く知る人のもの。

 眠りについていた項羽も、それによって強制的に目が覚めたようだった。しかし、生憎体は動きそうになく、だるそうにその方角を見やり、楽しそうな笑みを浮かべるだけだった。

 そして、数秒立ってから、二度目となる膨大な気の顕現――これは一度空に収束したものが、降って来るような感覚があった。その収束の瞬間、まるでそよ風が通り抜けたような心地よさがあった。

 その後、戦いは再開されたのだが、意外にもトントン拍子で進んでいった。明らかに、石田らの力が衰えている。一度戦った百代や燕にしてみれば、まるで、今起こった出来事に影響を受けているような感すらあった。

 とにかく、あの足止めされたときのような存在感がなく、というよりも、その強烈なまでの存在感が風の前の塵といった感じで、徐々に消えつつある。

 それに比べ、百代は項羽の戦いのあともあってか、気分ものり、体のキレも増している。

 

「どうした? 以前のときとは比べるまでもなく、動きが鈍っているぞ!」

 

 百代は、石田から振り下ろされた刀を避けると、臓腑を抉るような一撃を加える。しかし、彼は倒れない。両足でしっかりと大地を踏みしめ、以前として刀を正眼に構えている。

 その背後では、島が揚羽の技を喰らい、盛大に吹き飛んでいた。

 

「御大将……申し訳ありません」

 

 続いて、燕に連撃を浴びせられた長宗我部が膝をつく。

 

「呆気ない幕切れ、情けない……」

 

 彼らが倒れるのを見届けてから、石田が刀を納め、口を開く。まるで、全てを悟ったかのように静かだった。その行動に、百代も一旦攻撃を中止した。

 

「いつ消えるとも知れぬ身ではあったが、このような中途半端で終わるとは……悪戯な混乱を起こしたのみ、我が子孫に迷惑をかけるだけの結果となった」

 

 川神ぐらいは手にした状態で――そこまで口にして、頭を横に振った。

 そして、石田はさらにマープルに声をかけ、

 

「これまでの行い、全てはこの石田三成に責がある。さりとて、俺はこのまま消える運命にあり、その責を取りようがない。よって、今回の迷惑料、金銭によって支払う! ここに指し示す場所を掘り進めよ」

 

 ポケットから取り出した紙を投げた。

 最後に目の前に立つ百代に話しかける。

 

「いつの時代も女は強いな……」

 

 その言葉を最後にゆっくりと目を閉じ、そのまま膝から崩れ落ちていった。

 そんな唐突な終わりに、誰もが動けず、気がつけば、操られていた者たちも動かなくなっていった。沈黙が場を支配する。

 百代が周辺を見回したあと、ぽつりとつぶやく。

 

「終わったのか……?」

 

 予想以上に容易く終結を見せた第二の騒動。

 すぐに、硬直のとけたあずみや揚羽の声が飛び、即座に事後処理が行われていく。九鬼の従者がその指示に従い動き出し、それに続くように動ける者が協力していった。そこで、ようやく雰囲気が緩んできた。

 そんな中、百代は一息つき、あの闘気を感じた方向を見つめる。空は徐々に紅く染まりつつあった。

 

 

 ◇

 

 

 川神での騒動が終結するより少し時間を遡り、凛とヒュームの戦いもいよいよ大詰めを迎えていた。

 凛の息遣いは荒々しく、しかし、その瞳は死んでおらず――むしろ見る者を虜にするほど蒼く美しい。それに対するヒュームの瞳は、何者をも圧倒する金色。

 

 世界最強。

 

 凛はその存在を誰よりも強く感じていた。分かっているつもりであった。今まで長い時間を過ごしてきたのだ、分からないはずがない――しかし、どうやら彼が思っていた以上に、目の前の存在は強く、気高く、圧倒的であったらしい。

 本気のぶつかり合いを通じて、それを体感していた――まだ遠い。壁を越えた先に立つ者は数えられるほどしかおらず、広大な荒野にぽつぽつと立っている木々のように点在している。どこまで続くのか、その終わりは見えず、地平線までその荒野が続いている。

 凛は心のどこかで、百代からさほど離れていない所に、ヒュームや鉄心がいると思っていた。だから、彼女を倒した今、彼らに追いつくのも案外――なんて考えがあった。

 ――――増長してた……ってことかな。

 その荒野の先に一際巨大な木が生えていた。それがあまりに大きいため、すぐに辿りつけると思っていたら、どれだけ歩いても距離は縮まらず、そこでようやく遠くにあったのか実感できた。凛にとって、ヒュームがそれにあたる。

 ――――凄いなぁ……いつか、俺も。

 何度この思いを抱いてきたことか。クラウディオに接するときも、同じような思いが心を湧きあがるのだ。

 世界に名を轟かす九鬼を支える従者部隊。その中にあって、ヒュームとクラウディオは九鬼という存在の両側に立つ巨大な双璧であると凛は思っている。

 ――――この人たちに会えてよかった。今日、ここでぶつかることができてよかった。

 周辺を満たしつつある気が、凛の肌を泡立たせるようである。雨がやんだ。

 凛の雰囲気が変わったのをヒュームも察したのだろう。攻撃に移ることなく、そこで一息入れる。

 

「俺を倒す算段がついたようだな……今更、気配を消しても遅いわ、馬鹿者。それがどういうものか知らんが、俺もそろそろ全力はきつくなっていく。決着のときだ」

 

 老いには勝てんな。ヒュームはそう言いながら、首を鳴らした。

 ――――まだまだ元気そうに見えるけど……。

 凛は思わず苦笑する。

 

「それじゃあ……遠慮なくいかせてもらいます!」

 

 凛がヒューム目掛けて疾走する。

 

 背後に回り込み、突きを放つ。止められる。

 

 右腕でヒュームの蹴りを受け止める。

 

 すかさず、軸足を払いに行く。

 

 半歩下がったヒュームに、間をあけず距離を詰める。

 

「迂闊だったな……ジェノサイド!」

 

 ――――っ!? 誘い込まれた!?

 その刹那、凛の集中力は極限に達する。秒をさらに引き延ばした時の中で、彼は攻撃を見切ろうとした。ヒュームの右足が地を離れる。そこまでしっかりと見えていた――だが、そこまでだ。

 凛が勢いよく後方へ吹き飛んだ。

 終わった。それを見たヒュームは僅かな失望を感じていた。その瞬間、もしかしたら凛は自身の攻撃を防ぐかもしれないと、脳裏をよぎったからだ。同時に、どれだけ高いハードルを課しているのかと、凛にかける期待値の大きさに自分のことながら驚いた。

 そして、さらに驚く――いやこの場合喜ばしい事象が起こる。ヒュームは笑った。

 

 凛が立ちあがっていた。ヒュームの必殺を2度も受け、立ち上がった。この事実を知れば、驚く者が世界中にどれほどいるだろうか。

 

 ――――体が反応してくれた。そう思うほかにない……。

 意識の範囲外――そこで何よりも早く、威力を軽減するために反応してくれたのだ。派手に吹き飛んだのは、そのせいでもあった。

 そして、準備は整った。

 

「ヒュームさん……自分の魂ってものを感じたことがありますか?」

 

 凛は右腕を自身の肩と水平に持ち上げた。腕を持ち上げるのも億劫なほどにだるかった。

 そこへ、一際大きな稲妻が凛の腕に纏わりつく。それを合図に、曇天が騒がしくなっていき、雷光が四方八方に走っていく。さらに、それに飽き足らず、2人の周辺へと2,3落ちてきた。それでも、空は激しさを増すばかり、雲はさらに黒く染まっていき、今にもそれごと落ちてきそうである。

 一度、凛を中心に大きな風が発生し、ヒュームの髪を乱暴に後方へと流す。さらに閃光が瞬いた。

 凛の髪はフワリと漂い、ありとあらゆる場所からパチリと白銀の光が発生している。

 

「……雷極陣」

 

 凛は持ち上げた右手をぐっと握る。空から万雷が降り注ぐ。それはヒュームを中心とした直径40メートルほどの円状に落ち、まるで空と大地に電極が仕込んであるかのように、途切れることがない。

 光ならぬ雷のカーテン――そう言うにふさわしい光景であった。激しく、美しい。その中にあったヒュームにしてみれば、さぞ壮観であったろう。

 雷極陣。夏目流の奥義のひとつであり、その範囲にいるものの魂を拘束するという。このとき、どれほど体を鍛えていようと、技を究めていようと関係ない。その者の根源を縛る。

 ――――今の俺ではせいぜい5秒程度……でも、十分!

 凛がさらに動く。握りしめた拳を天高く持ち上げた。

 

「これが……俺の、全力です!!」

 

 その拳を地へと落とす。それに呼応したのは、雷雲から顕現した巨大な闘気の塊。

 雷神拳・天尊。雷極陣を標とし、そこに縛った者へ必殺の一撃を加える。

 やがて、一条の光が大地に突き刺さった。凝縮された力は無駄な破壊がない――それを示すような一撃であった。凛の目の前に大穴が出来上がる。膝をつき、拳をついた状態でそれを見ていた。

 凛にはもう立ち上がる余力すらない。体の中の気という気を放出したのだ。黒雲は姿を消し、雲の合間から太陽の光が漏れだしてきた。

 凛の視界が急にぶれ、地面に視線を落とした。意識がすぅっと遠のいていくようである。

 

「無防備だな、凛」

 

 凛が頭をうなだれていると、上から声がした。余力のない彼に気配を読むこともできず、そもそもこれ以上対処のしようがない。よって、彼は笑うしかない。

 

「いや、無防備にもなりますよ……もう力が残ってないんですから」

 

 ――――やっぱり遠いわ。

 凛は目の前に現れたヒュームの姿を見ながらそう思った。悔しさはあるものの、それより全力を出し切った清々しさのほうが勝っている。

 決着がついた。

 




ヒュームはまだまだ世界最強!
天衣さん、全然見せ場書けませんでした、申し訳ない。
ということで、反乱編ついに終了!!
次回は日常へ。凛と百代のイチャラブに加え、清楚&項羽の恋、文化祭やらなんやら書いて行くぜ!!


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『病院のこ・し・つ』

 

 部屋内では、規則正しい電子音が響いている。それに伴い、ディスプレイに映し出された緑のラインが、山なりの軌道を描いた。これを見るに、対象となる人物の体に異変はないようである。

 鉄心は、静かに眠る凛の腹から手を離すと、背後で心配そうに見守っていた紋白、そしてその隣にいたヒュームへと顔を向ける。

 

「……ふむ、まさにすっからかんといった感じじゃのう。ヒュームの話から察するに、足りない分は、大地から無理やりに吸い上げさせたといったところか。とにかく安静にさせんとな」

「凛は大丈夫なのだな?」

 

 紋白がすかさず言葉を挟んだ。それに、鉄心は微笑み返しながら頷いた。

 

「しばらくは眠りから覚めんが心配いらんぞい。先の回復力をみるに、明日一日休養をとらせれば元に戻るじゃろ」

「そうか……よかった」

 

 紋白はそこでようやく安堵の息をもらした。ヒュームとの戦いが終わったあと、凛はすぐさま葵紋病院へと搬送され、綿密な検査と鉄心による診察といった万全な処置がとられたのだった。そのため、ファミリーとの再会も果たしていない。

 そこへ外で待機していた李が姿を現し、紋白へ声をかける。マープルの反乱が治まったとはいえ、彼女のやることは他にも多くある。

 紋白は、眠る凛に一声かけ、早々に病室をあとにした。残ったのはヒュームと鉄心。

 鉄心が口を開く。

 

「相変わらずスパルタじゃのう。凛はモモのように、瞬間回復といった技をもってないんじゃぞ?」

「こいつの底を見ておく必要があったからな。今後、どういった方針で育てていくか……おかげで、俺も一日は体が使いものにならん」

 

 いかにヒュームであっても、凛との戦闘は体に多くのダメージを残していた。しかし、その声はどこか機嫌が良いようにも思える。

 

「お主が抜かれる日もそう遠くはないということかの?」

「最強の座は、いずれ次世代の者に譲らなくてならない。それが俺の弟子の凛なのか、お前の孫娘である百代か……いずれであろうと、時の流れを感じるな」

 

 かつては、その最強の座を賭け、激戦を繰り広げた両者。

 

「そうじゃのう。その二人が恋仲となり……運命を感じずにはおれんわい。どうじゃ、今夜一杯付き合わんか?」

「そうしたいのは山々だが、今の俺が遊んでいるわけにもいかんからな。事が落ち着いたら、お前の秘蔵の酒でも飲ませてもらおう」

 

 そこで、彼らはここに向かってくる大きな気を感じ取った。

 

「モモか……ここで騒がせるのもあれじゃ、さっさと去ったほうがよい」

「俺がいては、襲いかかってこんとも限らんか」

 

 その様子が容易に想像できたヒュームは鼻で笑い、鉄心は困り顔を浮かべ、ひげをなでた。

 

 

 ◇

 

 

「……ん……ぁ」

 

 凛は重い瞼をゆっくりとあける。真っ先に目に飛び込んできたのは、乳白色の天井と部屋を優しく照らしている照明だった。耳に届くのは、高音の電子音とカタカタとキーボードをリズムよく叩く音のみ。

 目が覚めた凛は体を起こそうとし、自身の体の異変に気付いた。体の感覚はしっかりとしているものの、体を縛られた上に幾重もの重りを付けられているような、ずっしりとした重さが全身を覆っており、指を動かすのすら億劫である。加えて、体の至る所に鈍い痛みがあった。

 そして、右手には温もり――凛の右手を握ったままの百代が微かな寝息をたてていた。

 ――――また、心配をかけてしまったな……。

 凛は、毛布に突っ伏している百代の頭を撫でようとするが、それすらも体が拒否している。それでも、気合でなんとか手をぎゅっと握り返した。さらに首だけを動かして、辺りを見回す。

 

「おりょ? 凛ちゃん、ようやく目が覚めた?」

 

 カタカタという音が止むと、棚を隔てた奥から、ひょっこりと燕が顔をだした。どうやら、ずっとパソコンで何かのデータを打ちこんでいたらしい。

 燕は自身が座っていた椅子を凛の傍へ持っていくと、そこへ腰掛け、さらに言葉を続ける。ついでに、ボタンを一つ押して、彼のベッドを起こす。

 

「体調はどう?」

「これまでに経験したことがないほどに、体が動かない。というより重い」

「鉄心さんも凛ちゃんの様子診てくれたんだけど、相当無茶やったみたいだね。また明日にでも直々に忠告されるかもしれないけど、当分は夏目の技使うの禁止されると思うよ」

「ああ、そっかぁ……」

 

 凛は燕から視線をはずすと、天井を見た。あの瞬間、尋常でない気の放出を行ったことは、彼が一番よく知っている。

 

「あんまり驚いてないね?」

「まぁ、自分でもかなり無茶したと思うから……それに、技についても、今の俺単独の気じゃ扱えない。地形の特質活かして、やっと……ていう程度だったから」

「ほうほう。そんなに凄い技を放ったと?」

 

 燕がいかにも興味津津といった様子で、身を乗り出した。加えて、瞳がキラリと光る。

 

「俺の全力だったからね」

「ふむふむ……で、どんな技を放ったのかな?」

 

 燕はそう言って、にっこりと笑った。

 そんな燕に、凛も負けじと笑みを返す。

 

「戦う機会ができたら、直で見せてあげる」

「その戦うときのために、今知りたいんじゃないか! このこの!」

 

 燕がツンツンと凛の頬を突いた。動きのとれない彼は、それを甘んじて受ける。彼女も彼の状態を知っているためか、さすがにそれ以上刺激を加えることはしない。

 その後、凛の知りえなかった川神城での顛末や彼の眠っている間のことなどを子細聞いていく。

 今回の騒動でケガを負った人も多かったが、比較的軽傷であり、むしろ、凛の状態はかなり悪い部類にあった。さらに、岳人はケガをおして、戦闘を行い負傷――さらに入院期間が伸びるとのことだった。しかし、治療費などは全て九鬼持ちとなっており、費用を気にする必要がないらしい。

 それは凛の個室も同じであり、こちらはヒュームが自身の財布から払い済みであった。この個室は、葵紋病院の中においても、かなりランクが高いらしく、風呂トイレ洗面完備に加え、軽食を作れるほどの広さがあるキッチン、さらに一角には6人程度が腰掛けられる席が設けられており、広々とした作りとなっている。

 

「あ、そうだ……納豆持ってるんだった。食べさせてあげようか?」

 

 一通り話し終わった燕が、唐突に切り出した。その手には松永のカップ納豆。

 

「燕姉が納豆持ってるのはいつものことでしょ。そして、いらん」

「ばっさり断るのね。じゃあ、冷蔵庫に冷やしてある桃にしといてあげる」

「最初からそうしてください」

 

 燕は席を立ちあがり、キッチンがあるほうに歩きだすが、不意に振り向く。

 

「桃に納t――」

「かけんでいい」

 

 凛は燕の言葉を遮った。しくしくと嘘泣きをしながら、再びキッチンへと向かう彼女であった。

 そして、待つこと数分、すぐに桃の瑞々しい香りが部屋の中を満たしていく。それに反応した者が一人――ベッドに伏していた百代の体が動いた。

 

「この、香りは……桃!」

「あ、起きた」

 

 凛の声にも反応した百代は、部屋をキョロキョロと見回した。どうやら、寝ぼけているらしい――が、すぐに覚醒。

 

「凛、目が覚めたのか!?」

「おかげさまでね。心配かけてごめん」

「じじいからもお前の容態は聞いていたからな、さほど不安はなかったぞ。でも目が覚めてよかった……」

 

 百代は凛の手を両手で優しく包んだ。彼は微笑み、礼の言葉を口にする。その笑顔を真正面から見つめ返す彼女もまた笑みをもらす。病室が一転、2人の世界へと化した。

 しかし、ここにいるのは2人だけではない。

 

「んんっ! ごっほん、ごっほん!」

 

 わざとらしく大きく咳をもらす燕。その手には、切り分けられた桃の乗った皿があった。

 凛がその仕草に苦笑する。

 

「ちゃんとわかってるから。納豆は……かかってないな」

「凛ちゃんがいじめるよう! て、ももちゃん……そんなに見つめなくても、ちゃんと3人分あるから」

 

 2人は燕に礼を述べ、そこからは雑談タイムに入る。まず、最初に話題にあがるのはヒュームのことであった。

 燕が切り出す。

 

「にしても、凛ちゃんでもヒュームさんに敵わないなんてねぇ。九鬼家の零番は伊達じゃないって感じか」

「でも、結構いい勝負したんだろ?」

 

 百代の問いに、凛が答える。

 

「いい勝負はできたけど、決め手となる技も決まらなかったし……まだまだ未熟ってことを思い知らされた感じかな。ヒュームさんの必殺も完全に避けることできなかったし」

「ジェノサイド・チェーンソー……だっけ? あれ避けようと考えられるだけでも凄いと思うけど。というか、あれ? 完全に避けることはできなくとも、反応はできたってこと……凛ちゃん、恐ろしい子!」

 

 燕はそこまで言い切ると、桃を一口頬張った。果肉から果汁が溢れ、僅かな酸味とまろやかな甘みが口の中一杯に広がる。惜しむらくは冷えていないということだが、それも些細なことであった。

 凛もそれを百代からあーんしてもらう。その動きに淀みが一切にない。

 

「そういや、百代の相手の項羽、先輩でいいかな? どうだったの? 覚醒したばかりでも相当の実力あったし、かなり手強かったんじゃない?」

「ん? ああ、技というものがなくて、その一振り一振りが必殺っていうくらいの威力を持ってたぞ。ただ、如何せん実戦経験が乏しすぎたと思う……荒々しいから、隙も多いというか。猪突猛進なところも……って、どうして2人して私を見るんだ!? こら! 燕もあからさまに、にやにやするな!」

「でも、あの性格……これからの学園生活大変そうだなぁ。お姉様方、仲良くしてあげてね」

 

 凛は吠える百代と涼しい顔の燕を交互に見た。

 

「好敵手宣言もされたしな……なくても、あんな美少女なんだ。ほっとかない」

「私は……清楚の方はともかく、項羽はどうだろう? できれば仲良くしたいね」

 

 凛はそれにうんうんと頷き、燕に話題をふる。

 

「燕姉の相手は、梁山泊の林沖だったよね?」

「苦しい戦いだったよ。繰り出される槍術の前に翻弄され――」

「るはずないよね。林沖もぱっと見で実力あるのわかったけど、それでも燕姉と比べると地力にも差があるだろうし、挑んだ時点でちゃんと勝機があったってわかってるから」

「凛ちゃん! 話は最後までちゃんと聞きなさい!」

 

 その後もたわいない話題が続き、激動の一日は静かな夜を迎える。

 

 

 □

 

 

 そして、次の朝。病室で大人しくしていた凛の元に、一通のメールが届いた。

 差出人は大和。題名はなく、本文にはただ短く――。

 

 俺はもう学校へは行かない。ヤドカリのように、殻へ閉じこもろうと思う。

 

 とだけ、打たれていた。

 なぜこんなことになっているか。それは朝に放送された内容が関係していた。

 九鬼が製作中の映画ということもあり、世間からの注目度も高かったのだろう。当然、昨日撮影された内容が、今朝のエンタメ枠で放送されたのだ。

 百代と項羽が拳と刃を交えるシーン、橋の上で起こる激しい乱闘、そして高所で敵対する与一を説得する大和の姿。

 事情を知らない者からすれば、ただの映画の撮影に見えるが、本人たちはもちろん本気である。ゆえに、大和は与一を説得するため、昔の自分に切り替え、中二全開で熱い言葉を吐き出し続けた。ちなみに、凛もその勇姿をしっかりと見届けていた。

 

『馬鹿野郎が! セカイを間違った方向に行かせないために熱くなってんじゃねぇか! この醜くも美しいセカイの!!』

 

 そこに、凛の携帯が数度震える。差出人はファミリーの皆、内容はすぐさまテレビを見ろというものが届いた。

 大和の言葉はなおも続く。

 

『――どこかで待ち焦がれていた! 特異点だからこそ、異質な存在だからこそ皆の役に立てる場所をよ! それが今なんだ! 今はもう、今しかこない!』

 

 このような与一との一対一の対話が、一部始終流されていた。

 これがつい先ほどのことで、時間は大和がメールを送ってきたときに戻る。

 

「映画ができあがれば、大和の場面も盛り上がるシーンになるかもしれないけど、切り抜かれると何とも言えないな……」

 

 凛はそう言いながら、なんとか大和を励ますような文面をうつことに苦心する。

 そこへ飛び込んできたのは、下の階に入院中の岳人。

 

「凛、見たか!? 大和の名場面!」

 

 誰かとこの話題を共有せずにはいられなかったらしい。その顔は笑うのをこらえているのか、頬がひくついている。

 

「見たよ。大和も必死だったろうに、なんか同情するわ」

「いやでも、大和のノリノリ具合は相当だったぜ! モロが教えてくれたんだけどよ、ネットでは早速、大和の口調を真似して話してみようとかいうスレが、立ってるらしいぜ」

 

 そのまま、岳人は午前中一杯、凛の個室にて過ごす。

 

 

 ◇

 

 

 岳人が去った昼食時。

 凛の部屋がコンコンとノックされた。しかし、彼は既にその気配で誰かわかっている。

 

「百代でしょ? 気配でわかるから……さっさと入ってきたら?」

「やっぱり凛相手では、どうしても気でばれちゃうな」

 

 百代も驚かせることを諦めたのか、早々に部屋へと入ってきた。その手には食事がのったトレイ。同時に、部屋の鍵を閉めた。

 そして、凛が尋ねる前に、百代が話し出す。

 

「真奈美さんに頼んでもらってきた。あと、今は昼休みだから心配いらないぞ。じじいにも一応話は通しておいた」

「そのまま抜け出してこないなんて珍しい……」

「あとで小言聞かされるのも面倒だからな。それに凛のことになると、じじいは結構甘い……だから、案外簡単に許してくれた」

 

 百代はトレイを凛のベッドに備えてある机の上に置くと、「ちょっと待っていろ」と彼に声をかけ、カバンを持ったままトイレに向かった。

 それから数分――トイレから出てきた百代の姿に、凛は言葉を失う。

 

「どうだ? 今からナースな私がお前を看病しちゃうぞ」

 

 キャルンという擬音がつきそうな口調で喋る百代は、純白のナース服に身を包んでいた――所謂コスプレである。その丈は歩くだけで下着が見えそうなほど短く、ファスナーのついた胸元は大胆に開き、黒のそれがチラリと覗いていた。当然、ナースキャップも付けている。

 なんともエロいナースがそこにいた。

 

「いやいやいや……それは凄い嬉しいけど、ここ病院だから! そして、俺の体動かないから!」

 

 凛のベッドに辿りついた百代は、そのまま彼にしな垂れかかる。

 

「そんなことわかってるって。だから、私が看病してやるんだろ? 食事の世話も……もちろん、こっちの世話もな」

「これこれ、百代さん。こっちとか言いながら、俺のを触らない。というか、襲う気満々か!?」

「普段、私が襲われるんだから、こういうときくらい、いいだろ? 病院の個室、ちょっとくらい声が出てもばれない……というか、凛もなんだかんだ言いながら、嫌ではないだろ?」

「実はドキドキワクワクしてる! こういうシチュを嫌がる男はそういないと思う」

 

 先の言葉から一変、凛は良い返事をした。

 そんな凛に、ひとつキスをして、百代が彼の体をまさぐる。その顔はどこか嬉しそうであった。

 

「それで、どこか痛いところでもあるのかな? ちゃんと言ってくれないと看病できないから、はっきりしっかり言葉にするように」

「なん……だと!? くっそ、ただの御奉仕プレイかと思えば、俺を辱めるつもりか!?」

「ほらぁほらぁ……病人である凛さーん、どこか痛いところあるんじゃないですかぁ? 私、まだナースになって間もないので、そういうの察することができないんですぅ」

 

 甘えた声をだしながらも、じらす百代。なんとも楽しげである。

 

「彼女がSだっ! そして、動け俺の体! 動きさえすれば、この状態を覆せる! 今こそ覚醒のときだぞ!」

 

 凛は必死に自身の体を叱咤するが、それに応えてくれそうにない。しかし、前述したように、感覚はしっかりしているため、百代の柔らかい肢体の感触は十二分に伝わって来る。にも関わらず、彼からアクティブに仕掛けることはできない。

 ――――ダメ……なのか。

 凛の心を読んだように、百代が彼の耳元で囁く。

 

「大人しく看病されるにゃん」

 

 2人――特に百代にとっては、楽しそう時間になりそうだった。

 

 

 □

 

 

 また、放課後にはファミリーたちに加え、紋白や源氏組なども見舞いに訪れ、その時間になると、凛の願いが届いたのか、彼の体も動くようになり始め、日が暮れるころには歩くことも可能になっていった。 

 明日からまた、覇王西楚を新たに加えた騒がしい学園生活が始まる。

 気づけば、10月も間近。文化祭が近づきつつあった。

 

 

 




執筆が進む。
気がつけば、この小説を書き始めてもうすぐ1年……某サイトのときを含めると、かなり長くなりそうです。
読者の皆様に感謝。




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『覇王、学校へ行く』

 

 

 一日の入院を経て、万全の状態へと戻った凛は、皆より少し早い朝食を済ませ、学園とは別の方向へと足を伸ばしていた。人通りの少ない道路、その頭上からは楽しげな雀のさえずりが聞こえ、何とも気分を良くしてくれる。

 凛は辺りの気配を探り、人気がないことを確認すると、珍しく塀の上へと飛び乗った。その動作は猫のように身軽であり、着地したあとも一切の揺らぎがない。そのまま、すいすいと歩いていく。

普段の凛ではやりそうにないことだが、どうやらテンションがあがってるらしい。

 T字路に差しかかり塀が途切れても、少し踏み込むだけで、道路を軽々と飛び越え、先に続く塀をさらに進んでいく。

 ――――自由に体が動くってのは最高だ!

 たった1日であったが、体を自分の意思で動かすことができなかった――この体験は凛にとって初めてことだった。起きる、歩く、掴むといった基本動作ができない。必然、食事をとることができない、さらに、トイレに行くのにも人の力を借りなければならなかった。

普段、意識することなくこなしていることができないことによって、その一つ一つを強く意識させられた。

 特に、凛は壁を越えた存在である。よって、一般人よりもおおいに無茶ができる上、たとえ無茶をしたとしても支障をきたすことすらないことが多い。

 ――――気の力か……。

 凛は何気なく右手を閉じたり開いたりを繰り返す。しびれもなにもない、なんの問題もないようだ。

 ただそれだけのことなのに、凛からは笑みがこぼれた。

 ――――そのうち忘れてしまうかもしれない……でも、こういう普段何気なく行ってること、行えることに感謝しないとな。

 凛は満足したのか、塀から飛び降りると、また道を真っ直ぐと歩きだした。そして、仲見世通りに入る。

 仲見世通りもいまだ準備中であり、昼間のような賑やかさはなく、遠くでシャッターを開ける音が聞こえるほどに静かである。

 その途中、家から出てきたおじいさんやおばあさんにも挨拶をしながら、目的の場所――川神院を目指した。百代を送り届けることも多い凛は、その道中で顔見知りが増えているのだった。

 一緒に帰ることが増えてから分かったことだが、百代はおじいさんやおばあさんにも、よく好かれているらしい。彼らにとっては、武神である彼女も可愛い女の子、あるいは孫のような存在といった認識なのだろう。

 ――――ちょっと早かったかな……。

 凛はそこを歩きながら思った。目の前には、もうすっかり見慣れた川神院の門がそびえている。鍛錬場から威勢のよい掛け声が聞こえないところをみるに、ちょうど朝食時なのかもしれない。

 凛は近くのベンチへと腰を下ろした。残暑も終わりを告げ、暑くもなく寒くもなく、ちょうど良い気温である。10月ももう目前。彼が転校してきて、もうすぐ半年になる。

 ――――あっという間だったな。というか、色んな事が起き過ぎだろ、この半年。

 武神との邂逅。東西交流戦。クローン組の登場。姉貴分の転入などなど――思い出せば、きりがない。

 時間を確認した凛は、カバンの中を漁ると、お気に入りのデジカメを取り出した。暇つぶしに、それを一からずらっと鑑賞していく。

 

「あー……これ、歓迎会のときのやつか」

 

 凛の目に留まったのは、不意に撮られた百代との2ショットであった。

 ――――あの頃から大胆だったな、百代は。

 凛も大概であったが、自身のやったことはあまり覚えていないらしい。

 そんな風に思い出に浸っていると、声がかけられる。

 

「凛君じゃない? おはよう、こんな時間からここにいるなんて珍しいわね。どうしたの……と聞くのは野暮かしら?」

 

 その声がする方へ顔を向けると、そこには武神すらも容易く追い詰める近所のおばちゃん――真理子と正子がいた。

 凛は2人に朝の挨拶をすると、正直にこの場へ来た理由を話す。どう取り繕おうとも、どうせ、あとでばれてしまうからだ。

 

「今日はモモ先輩のお出迎えに来ました」

 

 その返答に、微笑みを浮かべながら、うんうんと頷くおばちゃんたち。

 真理子が口を開く。

 

「そうよねぇ……百代ちゃんの彼氏だもんね。少しでも早く彼女には会いたいものねー」

 

 正子がハッとして、真理子へと問いかける。

 

「いえ、もしかしたら……ほら、あれよ。百代ちゃんって、ああ見えて甘えん坊な所があるじゃない? 凛君にお願いしたのかもしれないわよ!」

「ありえるわね。昔から構ってもらえないと拗ねたりすること多かったし……」

「きっとそうよ! 初めてできた彼氏なのよ。もう見ているこっちが恥ずかしくなるくらい、甘えているに違いないわ!」

 

 ――――さすが幼い頃から百代を見ているだけあるな。しかし、これは……どうすればいいんだ? 俺は黙っていればいいのか?

 おばちゃん2人が凛そっちのけで盛り上がる中、彼は身動きがとれず困っていた。

 その話題でひとしきり盛り上がったあと、凛を置いてけぼりにしていたことに気付いた2人は、別の話題をふる。

 

「そういえば、凛君。入院していたって聞いたけど」

 

 情報が出回るのはさすがに早いらしい。

 

「あ、はい。昨日一日だけですが、安静にする必要があったので……」

「あの九鬼の強面の……ヘルシングさんって言ったかしら。あの人とやりあったんでしょう?」

 

 この真理子の一言には、凛も少し驚いた。

 

「その通りなんですが、よく知っておられますね」

「私達の情報網を甘く見ないことね。昨日の大橋での出来事もちゃんと知ってるわよ」

「ああ……大事にならなくてよかったですよね」

 

 朝の変態橋で、雪辱を果たそうとした項羽が百代へと勝負をもちかけ、一時騒然となったやつである。

 幸い、それに気づいた鉄心、ルー、ヒューム、クラウディオといった壁越えの者達が現れ、すぐに決闘禁止令が出されたため、その場はなんとか治まりみせたものの、この出来事は瞬く間に皆の知るところとなった。

 正子が困り顔で呟く。

 

「あの大人しい清楚ちゃんが、あそこまで変わるなんて、不思議なこともあるものよね。義経ちゃんたちのことも驚いたけど……」

「そうね。でも、九鬼の方たちがいるのはわかっているけれど、正直な話、大丈夫なのかしら?」

 

 放送された項羽の印象も強く残っているため、この2人を含め、川神の住人の多くは少なからず不安を抱いていた。

 

「モモ先輩の話では、無闇やたらに危害を加えるような人じゃないみたいですから、大丈夫だと思いますよ。俺も一目会っただけですけど、大丈夫だと思ってます。それこそ、何か起ころうとすれば、昨日みたいに学長らが即座に動いてくれるでしょうし、俺やモモ先輩もしっかりフォローするつもりですから、あまり怖がらないであげてもらえると助かります」

「凛君がそう言うなら、おばさんたちもできる限り協力するわ。川神の女は肝の据わった人が多いから、まかせなさい!」

 

 正子が胸を力強く叩いた。

 そこからは、学園での様子を聞かれたり、大和が京と付き合い始めたことについて聞かれたりして、時間が流れて行った。

 その大和についてだが、凛と同じく今日から学園へ通うらしい。詳しい事情はわかっていないが、京の愛が彼を立ち直らせたのだろうと凛は勝手に思っている。

 それよりも驚いたのが、葵紋病院に勤めている真奈美が、正子の娘であったことである。その真奈美が岳人からの求愛に少し困惑していると聞いて、凛も苦笑いでお茶を濁すほかなかった。

 その正子情報によると、隠れてお付き合いしている男性がいるとのこと――それを聞いてよかったのかと問う凛に対して、正子はここだけの秘密だと笑う。

 これは絶対噂として広まるタイプだ。凛は密かにそう思うと同時に、岳人の努力がむなしい結果に終わることを知ってしまった。

 ――――秘密だと言われたが、このまま岳人が無駄な時間を過ごすことになるのも止めてやりたい。それとなく真奈美さんを諦めさせるか……でも、中途半端にやめとけっていって、余計にやる気出されたりしたら困るよなぁ。

 あとで考えよう――凛はそう結論付けた。しかし、その『あと』の頃に覚えているかどうかは、甚だ疑問である。

 

 

 ◇

 

 

 そして、凛の待ち人である百代がやってきたのは、正子と真理子が去ってまもなくだった。まるで見計らったかのようなタイミングであったが、彼が特別気にすることでもない。

 門から姿を現した百代は、凛の姿を見つけるや否や、ぱっと笑顔を咲かせ、飛び付かんばかりの喜びようだった。それは行動にもすぐ反映され、物陰に素早く彼を引っ張りこむと目を閉じ、無言の催促を行う。

 数度のキスを繰り返し、静かに抱きしめあう2人。

 百代がぽつりとつぶやく。

 

「家を出て、最初に見れる顔が凛とか、今日は最高の一日になりそうだ」

「喜んでもらえて何より。そろそろ学校行こうか?」

「んー凛から離れたくないー」

 

 そう言いながら、百代は凛の首元に顔を埋めた。その様子は陽だまりを見つけた猫――今にもごろにゃんと満足そうに喉を鳴らしそうである。

 凛は、そんな百代を見て、先の2人の言葉を思い出し、笑みをこぼす。さらに、彼は彼女をより強く抱きしめた。それに反応した彼女が、お返しとばかりに同じ動作をとる。

 

「どうしたんだ? 朝から熱烈だな……嬉しいけど」

「こうやって抱きしめられる幸せを噛みしめてる」

 

 凛の言葉に、百代は首を傾げた。

 ――――やっぱり、自分で動けないのは嫌だな。病室でのアレはアレで最高だったけど。

 凛は百代の頭を撫でながら、もう少しだけこうしていようと考えるのだった。

 

 

 ◇

 

 

 3時限目が終わったところで、凛は3年生のSクラスをこっそりと覗いていた。

 個人的にも清楚のことが気にかかっていたのに加え、正子や真理子にもフォローすると言った手前、早めに様子を窺っておこうと思ったのである。

 

「項羽のやつ、早弁してるな……」

 

 凛が屈みながら見ているのに対して、その上にのっかっている百代が口にした。

 なぜここに百代がいるかというと、さすがに上級生のクラスを一人で覗き見るのもどうかと思った凛が誘ったからであった。

 もっとも、百代であれば、凛に誘われるまでもなく、自身の階にやってきた彼の気配を感じれば、全てを捨て置いてやってきそうではあるが。

 

「食べ終わったあとには、コーラか。……ぐびぐびいってるねぇ」

 

 さらに百代の上にのっかっていた燕が、実況した。彼女は、単におもしろそうなことをしている2人に、ついてきたのである。

 項羽の豪快な振る舞いに困惑気味のSクラス内、加えて、その廊下からは新武道四天王のうち3人が団子のように積み重なり、彼女の様子を監視しているという珍妙な光景がそこに出来上がる。

 そして良く見れば、教室内の隅にも、彼らと同じように、項羽の姿を遠巻きに見守る生徒がちらほらと見受けられた。

 ――――まぁあれだけの変わり様を見せられると気になるよな。あ、机の上に足のっけて、ヤングガンガン読み始めてる。

 その隣では、全く動じる様子のない、普段通りの彦一が本を読んでいる。項羽は何かツボにはまったのか、くっくと笑いをこらえながら読み進めていた――かと思えば、雑誌が机の上にばさっと落ち、彼女はその場から姿を消す。

 そして、次に姿を現したときには、凛達の目の前であった。

 

「先ほどからコソコソと覗きおって、何用か?」

 

 その一瞬の出来事に場はしんと静まり、次いで学園でもトップクラスの武力をもつ者たちの接触に周りがざわつく。

 最初に、項羽の言葉に反応したのは百代。

 

「学園になじめているか気になって、見ていただけだよ。あと……読み終わったらでいいから、私にもヤングガンガン読ませてくれ」

「余計なお世話だ。それと、あれはまだ読み始めたばかりだから、当分貸さんぞ」

 

 百代を適当にあしらった項羽は、あとの2人を見やって、何やらご機嫌になった。

 

「松永燕に夏目凛……百代も合わせて、この学園でもトップの実力者が揃いぶみか。その貴様らが、わざわざ俺に挨拶にくるとは。その行動褒めてつかわす!」

「本当に清楚とは全然違うんだねぇ。よかったら、松永納豆どうぞ!」

「うむ! 貢物も準備しているとは、燕は中々気がきいているな」

 

 さらに凛が続く。

 

「改めて、2-F夏目凛です。項羽先輩、よろしくお願いします」

「はっ! 真面目なやつだ……だが、そういう所も好ましい。俺に対しても態度が変わらんのもいいな! 他の奴らときたらビクビクして、碌に声もかけてこんからな」

 

 百代がそこにツッコミをいれる。

 

「そりゃ、あれだけ暴れた項羽見れば、びびるだろ。私もそういう態度とられることあるから、なんか親近感わくな」

 

 ――――一緒にいるときがああだから、あんまり気になったことないけど、Sクラスの人たちですら、百代の前では態度が丸くなるからな。歩く天災という別名もあるらしいし……我ながら、凄い人が彼女だな。

 凛は、歩く天災という単語がおもしろかったのか、にやけそうになる顔を必死に我慢した。

 その間も会話は続く。

 

「同学年のみんなも、そのうち慣れてくるんじゃないかな? まぁさすがに1年生とかは、3年生なんて大人びて見えるだろうし、こっちから声でもかけない限り、絡みにこないだろうけど。その上、武力がカンストしてるんだから、はっきり言って恐怖の対象と見られていても不思議はないよね」

 

 燕はカラカラと笑いながら締めくくった。

 その言葉に項羽が噛みつく。曰く、怯える必要などない。敵対しないものには優しいのだと。

 それに反応したのは百代。

 

「じゃあ、好敵手宣言された私はアウトじゃないか!?」

「ででーん! ももちゃん、アウトー!」

「いやでも待て……強敵と書いて、『とも』と呼ぶに分類されるんじゃないか? 私と項羽の関係は。そうだよな!」

「いや、百代は好敵手だが」

「ででーん! ももちゃん、やっぱりアウトー!」

「ぐはっ、これって私には優しくしないっていうのを遠回しに告げられてるのか? あと、燕うるさい」

 

 女が3人寄ればなんとやら、燕は言わずもがな、百代も項羽も何気に楽しげである。それを傍から見守っていた凛は思う。

 ――――この3人の容姿が抜群に整ってるってのも、緊張しちゃう一因だろうな。俺も中学時代、燕姉と普通に会話してるのクラスメートに羨ましがられたことあったし。

 そこへ、彦一の声が届く。

 

「お前達、そろそろ授業が始まるぞ。遅れることのないよう気をつけろ。葉桜君も弁当箱はしまっておきたまえ」

 

 その言葉に4人は素直に従い、各々の教室へ戻っていく。

 ――――でも、さっきの様子をみるに、どうこうなる様子もないな。決闘禁止の裏には、俺のときのような条件でも付けられてるのかも……。

 凛は百代らと別れたあと、F教室を目指した。

 

 

 □

 

 

 時間は進み、放課後。茜色に染まった空の下、彦一と項羽は、以前と同じように、肩を並べて下校していた。

 たわいない会話の中、彦一が昼時のことを思い出し、話題にあげる。

 

「それにしても、葉桜君が義経に姉様と呼ばれたときは驚いたよ」

「食堂にいた人間のほとんどがざわついていたな。凛などは妹属性がなんとかかんとか言っていたし、百代は俺につっかかってくるし……そんなに驚くことか? 俺はクローン組でも年長だ、よって、姉様と呼ばれても不思議はあるまい」

「言われてみれば、そうなんだが、突然だったからな。しかし、あの場でのやりとりが、多くの生徒たちの恐怖心を和らげたようだ。帰り際も数人ではあったが、挨拶をしてくる者もいたからな」

「ふむ、義経のおかげか……よし。帰ったら、たっぷりと可愛がってやるとしよう」

 

 項羽が機嫌よく笑った。彼女は清楚のような可憐さはないが、その分、快活さがある。

 

「今思えば、夏目や川神の食事の誘いには、そういう魂胆があったのやもしれんな」

「凛は気が利きそうであるからな。さすが、俺が目にかけている奴だけある。百代は……ただ俺に絡んでくるだけだ」

「そういう割には、随分楽しそうにも見えたがね?」

 

 彦一の言葉に、項羽は慌てて言い繕う。

 

「あ、あいつは俺が好敵手と認めた相手だ。よって、敵のこともよく知る必要があるだろう? そのために情報を引き出そうとしていたんだ! ……本当だぞっ!」

 

 そんな項羽に対して、彦一は微笑むのみ。それを見た彼女は隣で吠えるが、彼は気にせず喋りだす。

 

「まぁ、思ったより心配せずともよさそうで安心したよ」

「……こいつ、覇王である俺の言葉を無視しているな。ぶれ――」

「ああ、そうだ。葉桜君は杏仁豆腐が好きだったね? 京都の懇意にしている方から贈られてきたものなのだが、これが中々の絶品……良ければ、君にも食してもらおうかと思ったんだが」

「むぅ……まさか、それで俺への無礼が帳消しになるとでも?」

 

 不機嫌そうな態度をとる項羽。しかし、その瞳はランランと輝いているようにも見える。

 

「いらないかね? 残念だ、ならば夏目にでも――」

 

 そう言いかけたところで、項羽が片手をあげ制止する。

 

「いや待て待て! 仕方ないな! そこまで言うならもらっておく。王たるもの寛大な心をもつことが重要だと、言われたばかりだしな! 今回の無礼も特別に許してやるぞ」

 

 そして、項羽はたっぷりと間をとってから、再度言葉を続ける。

 

「それで……その杏仁豆腐は、それほど旨いのか?」

 

 その後、杏仁豆腐を頂いた覇王様は、一子顔負けの笑顔を作るのだった。

 

 

 




覇王様、チョロすぎる……か?


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『ラブストーリーは突然に?』

 

 

 小説などである『雷が落ちたような衝撃が我が身を襲う』――そんなもの現実にあるはずがないと思っていた。

 

 そう。あの瞬間が訪れるまでは――。

 

 最初に言っておくが、俺は選ばれた人間である。生まれは武蔵の家柄には劣るものの、それに次ぐほどであり、そのための努力も惜しみなく続けてきた。その結果もあり、Sクラス在籍、入試試験も学年2位である。

 今まで学年、クラスの観察も行ってきたが、自分と争える人間は武蔵小杉くらいであろう。あとは剣聖の娘ぐらいであろうか――彼女はぜひSクラスに入るべき人間だと思うが、本人にその気がないなら仕方がない。その他クラスには主だった人物もいないので、特に気にしたこともない。

 しかし、今ではその上に九鬼紋白が現れ、その地位も3番手となってしまっている。あの怖い執事――ヒューム・ヘルシングもいるが、あれこそ気にしていても意味がないし、最近ではかなりSクラスに馴染んでいるので、さすが九鬼の執事というかなんというか、色んな意味で恐ろしい存在だと再認識した。

 話が戻るが、正直、武蔵小杉ならば、自分でも追い抜くことは可能だと思っているのだが、あの九鬼紋白は別物だ。突然のSクラス転入から、全ての勝負において勝利を収め、あっという間にSクラスを掌握、その勢いのままに1学年を制圧してしまった。

 その手腕は見事としか言い様がない。

 かく言う自分も得意とするもので勝負を挑んだが、圧倒され――いっそ清々しいほどだった。武蔵小杉は未だにトップの座を虎視眈々と狙っているようだが、将来はそのまま九鬼紋白の下につくのではないかと密かに思っている。

 加えて、カリスマとはああいうものなのかと肌で実感した。今のSクラスは九鬼紋白を中心として成り立っており、その団結も中々のものだ。1学年で俺達のクラスを脅かせるものなどいない。

 これが一つ上の学年になると、闇鍋のようなカオス広がるFクラスの存在があり、あれが自分たちと同学年でなくてよかったと心底思う。というよりも、学年全体がエキセントリックすぎる。何か騒ぎが起こったとすれば、大半がこの学年が火元である。

 しかし、この学年のおかげで、刺激の多い学園生活が送れているので悪くはない。

 3年に至ってはあまり接点がないので、記憶に残る人物といえば川神百代、松永燕、そして――。

 

 葉桜清楚さん――俺を恋の病へと陥らせたその人である。

 

 話が色々と脱線してしまったが、ようやく冒頭の本題へと入ろう。

 葉桜清楚さん、初めてその姿を見たとき、美しい、可憐だと思ったが、それがそのまま恋につながったわけではない。

 とある喧嘩が、俺を一目惚れさせる切っ掛けになったのである。

 あれは1週間程前のこと、俺が帰宅途中に、偶然2人組に絡まれている中学生を見かけたことが発端となる。その2人組は、なぜこの世に存在しているのか甚だ疑問に思えるほどの屑を具現化したような人間だった。クローン組が転入してきてから、川神の治安は良くなってきているが、どうもこういう類の屑はどこからともなく湧いてくるらしい。

 だから、俺はその中学生を助けるついでに、そいつらに声をかけ、思いつく限りの語彙を駆使して、その存在を分からせやろうと思った。今思えば、なぜそのような行動をとってしまったのか。

 しかし、これがなければ俺の恋は始まらなかったのだから、きっと運命の女神が俺と清楚さんを巡り合わせるために、仕組まれたことなのだろうと納得している。

 ともかく、徹底的に教えてやった。すると、そいつらは俺に激怒し、ついには暴力をふるってきたのだ。ちなみに、俺には川神百代やその彼である夏目凛のような武力はおろか、武蔵小杉にも秒殺されるほどの男である。しかし、決して誤解してほしくはないが、運動神経が悪いわけではない――まぁ、良くもないのだが。

 まぁ簡単に言えば、とりあえず屑1のパンチを思い切り頬に受け、吹っ飛ばされた。そのあと、屑2の蹴りが腹部にめり込み、呼吸困難。助けを呼ぼうにも叫び声はあげられないし、まさに絶対絶命。

 そこに現れたのが葉桜清楚さん、いや正確に言えば、項羽の混じった状態の西楚さんだった。

 俺の瞼には、その光景が未だに焼き付いており、目を閉じれば、そのときの光景がありありと浮かんでくる。

 颯爽と登場した清楚さんは、目を焼かられるほどの赤い夕日を背に、屑12に近づくと右腕を一振りして、俺の窮地を救ってくれたのだ。まさに瞬殺。

 普段の清楚さんは大和撫子といって良い。その姿には目を惹かれるものがあったが、俺はそれだけでは何か物足りないでいた――いや、もしかすると、俺は清楚さんの中に隠されていたそのもう一つの顔があることを予感していたのかもしれない。そして、待ち焦がれていた。

 その姿は戦乙女――そう思った瞬間だった。俺の体中を電気が走り抜けたような感覚があった。彼女から目を離すことができなくなり、鼓動も早く、かと言って彼女の目を真正面から見つめ返すこともできなくなってしまったのだ。

 そのあとのことはよく覚えていない。重要なのは、俺は恋してしまったということだ。

 しかも、そのお相手は2つ年上の先輩で、最近の騒動のリーダーであり、多くのファンがついている麗しき女性、見る者全てを惹きつけてやまない魅力を携えた方である。クローンだろうが、仮に二重人格だったとしても、俺は一向に構わない。

 今では、あのおしとやかな清楚さんを見ても、ドキドキが止らない。遠くから見つめることしかできない俺、なんと意気地のないことだろうか。

 しかし、接点が――そう接点がないのだ。俺は、生まれてこの方後悔したことがないが、このときばかりは、なぜ最初から接点をもっておかなかったのかと後悔した。

 もし、タイムマシンなる物があるならば、とにかくその事だけでも過去の自分に伝えたい。

 多くのライバルがいる中から抜きんでて、愛しの清楚さんのハートを射抜かねばならない。しかし、自分は今まで女性にアプローチをしたことがない。ただでさえ、出遅れているのだ、このままでは誰か他の人物に掻っ攫われてしまう可能性もある。

 一刻の猶予もない。震える心に鞭をうち、勇気を振り絞るのだ。

 だが、この時期はチャンスでもある。先の騒動で清楚さんを恐れている奴らも多い。ここを逃してはならない。恋に年の差など関係ないのである。この学園のビッグカップルとして有名な川神百代、夏目凛も1歳差なのだから。俺としてはどうでもいいことだったが、今となっては彼らに賛辞を送りたい。彼らの存在が大いに俺の励みになっているからだ。

 次は、俺と清楚さんが付き合いだしたという情報を学園に振り撒いてやる。皆、特に男どもは血の涙を流すことになるだろうが、これは戦いである。勝者がいれば敗者がいる――厳しいものなのだ。悔やむなら、己の不甲斐なさを悔め。

 しかしこの戦い、忘れてはならない強力なライバルがいる。そのライバルがいるがため、大半の男どもは戦う前から、戦意喪失状態となっている。嘆かわしいことである。

 そのライバルの名は京極彦一。正直この男がどういう心境にいるのかよくわからない、にも関わらず、清楚さんに一番近い距離にいるという俺からしたら、貴様その場所を譲れと声を大にして言いたい存在だ。

 この1週間、色々と調査してみたが、付き合ってはいないらしい。ただし、あまり予断の許さない状況ではないかと俺は見ている。何が切っ掛けで2人の関係が変わるかわからない。恋愛とはそういうものなのだ。

 さらに草の報告によると、最近も仲良く肩を並べて帰っていたらしく、非常にうらやま――いや危険な香りがプンプンしている。しかし、草の存在も清楚さんにかかれば赤子のような存在らしく、一度警告を含ませた威圧が飛んできたらしい。さすが清楚さんである。

 これ以降は草も放つことをやめた。もし、万が一俺の仕業だとばれれば、その瞬間、俺の初恋は最悪の形で終わってしまうからだ。

 あとは自身の力で、清楚さんを振り向かせたいと思う。

 できることなら、1ヶ月後に控えた文化祭を彼女と一緒に回りたいと思うのだが、これはさすがに高望みをしすぎだろうか。想像するだけで胸が高鳴るのだが。

 なんだろう、髪型が少しおかしい気がする。前髪の流れ具合か。もうちょっと左か、いやここは流しすぎるとだめだ。

 

「髪型……良し! 服装良し! 笑顔良し!」

 

 鏡の前での最終確認も無事終えた。

 とにかく、千里の道も一歩から。朝の挨拶をするために、今日も俺は学園の門の前に立つ。できることなら、麻呂が担当していませんように。

 

 

 

 

 凛を含めた風間ファミリーが、ちょうど門を潜りぬけたとき、「おはようございます、清楚先輩!」と、背後から一際元気な声が聞こえてきた。

 その声に、思わず全員が振り返る。そこには、ここ1週間名物になっている光景が広がっていた。

 それを見ていた一子が呟く。

 

「あれって……」

「例の1年生か。噂には聞いてたけど、頑張ってるなぁ」

 

 凛は、項羽が自転車を引いていく姿についていく1年生を見ながら微笑んだ。懸命に話しかけるその姿は、どこから見ても好意が駄々漏れである。それに気付いていないのは、声をかけられている本人ぐらいで、せいぜい可愛い配下ができたというぐらいの認識であろう。

 大げさに首をふりながら、岳人が声をあげる。

 

「あれじゃダメだ。必死すぎて逆にひかれちまうぜ。男たるもの余裕が大事だよな」

 

 岳人も退院して数日経っており、未だ激しい運動は禁止されているものの、日常生活を送る上での支障はなさそうであった。驚くべき回復力である。

 岳人の発言に反応して、京が一言漏らす。

 

「見事なブーメラン」

 

 その呟きが聞こえた凛は、苦笑いを浮かべた。

 ――――意外な所からチャレンジャーが現れたけど、これが一体どう影響するのか……。

 凛は自身が百代と付き合い始める前に、このようなライバルがいたとしたらと考えると、さすがに焦りを覚えずにはいられないと思った。

 ――――でも、京極先輩って焦ったりするところが想像できないんだよな。というか、俺も先輩が本当に清楚先輩のことが好きなのか、よくわからないし。かといって、これ以上は本人同士の問題だし、あまり周りが騒ぎたてるのもよくないよな。

 凛の隣にいた百代が口を開く。

 

「でも可愛らしいもんじゃないか、自分を知ってもらおうと懸命になるなんて。あの姿を見ていると、到底Sクラスの人間とは思えないな」

「実際、あの行動を取り始めてから、人が変わったようだって噂になってるよ。武蔵小杉なんか、笑顔で挨拶されて悲鳴あげたらしいし」

 

 大和が自身の知っていることを皆に伝えた。

 

「あいつのおかげで、他の奴らの清楚ちゃんへの恐怖心も薄れてるのも事実だし……このままいけば、すぐ皆に受け入れられそうだな」

 

 百代は嬉しそうに頷いた。その後ろからは、納豆行商の声が響いている。

 

 

 □

 

 

「おはよう、みんな」

 

 Sクラスの教室に入る前に、項羽は清楚と入れ替わっていた。その理由は、これから退屈な授業が始まるからである。

 名前が書ければそれで十分であり、肉体労働は自分に任せて、その代わり、頭脳労働は清楚に任すというのが、項羽の言い分であった。

 勉強あるいは運動のどちらかが苦手な人は、項羽と似たようなこと考えたことがあるのではないだろうか。たとえば、自分に分身があれば、授業を受けてもらって――などというもの。

 方々から返って来る挨拶に、また挨拶を返しながら、清楚は自身の席へと向かった。そして、静かに席に腰を下ろすと、お気に入りの一冊を取り出して、HRまでの時間をつぶす。自身の正体がわかった上、学園での不安も取り除かれた今、彼女はなんの不安を抱くこともなく、大好きな読書にのめり込むことができる。その際、間違っても後ろへと重心を傾け、椅子でギコギコと音を立てるような真似はしない。

 ただ不安ではないが、周りが落ち着いてきたことで少し気になることがあった――というよりもできたというべきだろうか。それは隣の席の人物についてである。

 清楚は本を読む傍ら、ちらりと隣の席へと目を向ける。

 

『京極はまだ来てないのか?』

 

 それに合わせるかのように、項羽が心の中で声をあげる。

 

『みたいだね……もしかして、何か用でもあるの?』

『別にない。ただ、清楚が気にしているようだったから、声をかけただけだ』

『私はただ、もうすぐHRの時間だから大丈夫かなと思って……それに、気にしているといえば、項羽のほうじゃない? 昨日の帰りだって――』

『そ、そんなことはない!』

 

 清楚は表向き、静かに本を読んでいる風であったが、心の中ではそんな些細なことで項羽と言い争っていた。当然、本の内容などこれっぽっちも頭に入って来ていない。

 そんなことが内面で起こっているとは露知らず、清楚を見守っている男子生徒たちは、深いため息を吐きながら、彼らの心のオアシスを堪能していた。

 

「おはよう、葉桜君」

 

 そこへ現れた彦一。清楚も慌てて、項羽との会話を打ち切り、挨拶を返す。

 

「それとこれを先に渡しておく。前に、葉桜君が気に入っていた杏仁豆腐だ」

 

 彦一はそう言って、白い小さな箱を清楚へと手渡し、さらに言葉を続ける。

 

「実は、君が大層気に入っていたという話を、お礼の電話を入れた時に話したら、先方がそれを店の方に伝えたらしくてね。喜んだ店主が、君へ贈りたいと仰って、私の方から渡してほしいと頼まれたんだ。だから、葉桜君が迷惑でなければ、受け取ってもらえると嬉しいんだが」

「ほうほう……それはぜひ受け取っておこう。前にこれの話をしたら、義経や弁慶も食べたいと言っていたからな。あいつらにも分けてやりたいんだが、いいか?」

 

 そこにいたのは、箱の中身を検分する項羽。どうやら、テンションがあがって彼女が飛び出してきたらしい。

 そして、全ての言葉を吐き出したところで、それに気づいた項羽はすぐに引っ込み、代わりに、少し頬を赤くした清楚が照れながら喋り出す。

 

「ご、ごめんね。あのときの杏仁豆腐、本当においしかったから……つい項羽が出てきちゃって」

「なに、気にすることはない。そこまで喜んでくれたのなら、私も持ってきた甲斐があったというものだ。あとは葉桜君の好きにするといい」

「ありがとう……そう言えば、昨日帰り道で京極君のお母様に会ったよ。お買い物の帰りみたいだったけど、お茶を御馳走になっちゃって。また会ったときにお礼を言うつもりなんだけど、いつ会えるかわからないから、京極君からもお礼の言葉を伝えておいてくれないかな?」

 

 その言葉の中に含まれた単語に、教室内がざわついたが、当の2人は特に気にした様子はない。

 

「そうか。この前、初めて会ったばかりだと言うのに、苦労をかけてしまったみたいだな。その件は確かに私から伝えておこう。あと、呼び止められても、葉桜君がそこまで付き合うことはない。これも私の方から強く言っておく」

 

 清楚は本を閉じると、手を胸元でブンブンとふって否定する。

 

「あっ……全然迷惑とかじゃないよ! お母様とお話するのは私も楽しかったし――」

 

 彦一の母は、彼とはどちらかというと正反対で、感情豊かな人であった。清楚の記憶にも、よく笑っていた印象が強く残っている。

 

『京極はどちらかというと、父親似だな』

 

 項羽がポツリと漏らした言葉にも、清楚も同意であった。

 結局、HRが始まるまで、清楚と彦一の話が途切れることはなかった。

 

 




1年生の独白を書くのが楽しすぎた。


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『文化祭!』

 

 

「にゃんっ!」

 

 後ろから聞こえてきた猫の鳴き声に、凛は期待を込めて振り返る。

 そこには4人の可愛い猫が、両手を丸めてポーズをとっていた。いや、正確に言えば、制服に猫耳と猫の手、猫尻尾を装着した先輩たちがいた。

 その猫セット、色は黒と白の二色だけである。

 それの黒を百代と燕が、白を清楚と弓子が付けていた。

 ――――なんとなく納得がいく色の組み合わせだな。

 凛は彼女らを見ながら、一人そんなことを思った。

 その彼女たち――前者の2人はノリノリで猫のポーズをとっているのに対して、後者の2人は若干の気恥かしさがあるのか、頬がほんのり赤くなっている。

 それも仕方がないだろう。なぜなら、今4人がポーズをとっているのは、人の行き来が多くなっている廊下のど真ん中なのだから――。

 

 

 ◇

 

 

 時は一気に進み、文化祭当日。川神学園の文化祭は2日間行われる予定であり、1日目が生徒のみ、2日目が一般人も参加することができるようになっている。

 普段は威風堂々とした学園の門も装飾され、赤青緑など色とりどりの風船、カラフルな看板には川神祭の文字が踊り、門前の道の両脇には、こちらも川神祭と書かれた旗が風に揺れていた。

 そこから一歩中に踏み込むと、そこはもう露天がひしめき合っている。定番のたこ焼き、焼きそばはもちろん、女の子の好きそうなクレープ、ワッフル、チュロス、はたまた、なぜそれをチョイスしたのか疑問に思えるバナナのたたき売りといった店もあり、見ているだけでも楽しめそうであった。中には、かなり本格的な味を追求したスープカレーを出すクラスなどもある。

 校庭の目立つ場所には、特設ステージが設けられ、昼と夕方の2回に誰でも参加可能ののど自慢、ビンゴ大会やクイズ大会が開かれる予定。演劇や演奏は体育館で行われることになっていた。

 校内に入れば、書道展や写真展から、お化け屋敷、占い、カフェなどの定番所に、もぐらの代わりに生徒を狙うもぐら叩きゲームやシューティングゲームなどのゲームを提供している。 

 その間をワイワイと騒ぎながら通る生徒も、店番をしている生徒の多くも、クラスでお揃いのTシャツを着用していたり、店の衣装を身に纏ったり、女の子達に限定すれば、髪型をお団子で揃わせたりしている。

 普段は校則にうるさい――そうではないかもしれないが――学園も、今日ばかりはかなりの自由が許されていた。

 ただそれだけの変化であるのに、女の子たちがいつも以上に可愛く綺麗に見えたりするのは、お祭りの熱気にあてられているからか――。

 そんな中、今現在最も盛り上がりを見せているのが、凛と4人の猫娘がいる2階北側の廊下である。

 

「猫耳に猫尻尾……さらには猫の手だと!?」

「川神学園に入ってよかったああぁーー!!」

「ちょ、清楚先輩のコスプレ姿とかレア中のレアでしょ! 誰か! カメラを、カメラを持てえい!!!!!!!」

「写真なら俺にまかせろ! これは間違いなくSR級。宴が熱くなるぞー!」

「フォフォフォ、ああいう姿も偶には良いのう。ブルマ姿でもやってもらえんかのう」

「これぞ文化祭じゃーーー!!」

「今、燕先輩の尻尾動かなかったか? いやそんなまさかな……」

「モモ先輩、黒猫姿も可愛い! みくにゃんのファン辞めます!」

「いつもは凜とした部長の猫姿、ハァハァ……ハッ! 俺は一体何を!?」

「紋様はいずこ!? なぜだッ!? 紋様の姿がないぞ、凛!!」

「燕先輩こっちに目線お願いしまーす!」

「夏目グッジョブ!」

「俺にできないことを平然とやってのける……そこに痺れる憧れるウゥゥ!!」

「高画質カメラを内蔵のスマホを持った俺様に死角はないぜ!」

 

 廊下はいつの間にか、彼女たちの貴重な姿を見ようとした野次馬でいっぱいになっている。

 

「あう……なんか人がいっぱい集まって来て、恥ずかしい」

 

 小声でつぶやいた清楚の顔がさらに朱に染まった。それに相槌をうつ弓子も似たような状態である。

 その瞬間、男子たちの歓喜の声があがる。文化祭でテンションの上がった彼らは、もはやガソリンの注がれた炎のように、ただ燃え上がるばかりだった。

 ちょっとした仕草にも反応を返し、それをおもしろがった燕が納豆小町のポーズをとって、野次馬を楽しませる。ついでに、納豆の宣伝も忘れていなかったところは彼女らしい。

 そこへ、凛が毅然とした態度で声をかける。

 

「あれ? 聞き間違いかな? 語尾がおかしいような……」

 

 その言葉に、はうっと言葉を詰まらせる清楚。

 

「凛ちゃん、絶対楽しんでる……に、にゃん」

「これも敗者に課せられた罰、にゃん。それにしても、百代と燕は楽しそうでそうr……楽しそう、にゃん」

 

 弓子はそう言って、隣でキャッキャとはしゃぐ燕と百代を見た。

 

「せっかくの文化祭だにゃん! 私たち3年生は最後の文化祭にゃんだし、楽しまなきゃ損だにゃん。ねぇモモにゃん?」

「そうだにゃん。それに、ユーミンの言った通り、勝者の言葉は絶対だにゃん。今日は猫ににゃりきって、文化祭を目一杯楽しむにゃん」

 

 その言葉に、弓子は小さくため息をつくと、自分と同じ状況に立たされているもう一人の仲間を見た――のだが。

 

「そ、そうだね! あっ……そうだにゃん! 恥ずかしがっていても仕方にゃいもんね? あはは、慣れるとにゃんだか楽しくなってきたにゃん」

 

 清楚はこの状況に慣れたのか、いつもの笑顔を周りに振り撒くと、もふもふになった両手をひょこひょこと動かし、同時に「にゃんにゃん」と楽しそうに声真似した。合わせて、体も軽く揺すったため、白い尻尾もフリフリと左右に動き、その姿は可愛くもあり、少し艶やかでもあった。

 そのとき、野次馬の中でざわつきが一層大きくなり、人が倒れる音がする。

 そんな清楚に合わせて、百代と燕も「にゃんにゃん」と返し、声を出して笑う。外野からは倒れた者の名を叫ぶ声が聞こえ、そこでどうでも良い一つの三文芝居が繰り広げられようとしていた。

 そして、3人の視線が一斉に弓子へと集まった。

 やるしかないのか。弓子は自身が孤立無援であることを知り、覚悟を決める。両手を軽く握りしめ、それを胸元に持ってきて、招き猫のポーズをとった。

 

「に、にゃんにゃん……」

 

 ――――実に素晴らしい!! 楽しい文化祭になりそうだ!

 この日を境に弓子のファンクラブができたとかできなかったとか。

 とにもかくにも、こうして文化祭は幕を開けた。

 

 

 □

 

 

「なのに、どうしてこうなった……」

 

 凛は自身の目の前で起こっている事を信じられずにいた。自身の叩かれた右手を見る。

 そして、目の前に立つ叩いた張本人へと目を向ける。それに反応した彼女――百代が鋭い視線をぶつけてきた。

 百代たちと一旦別れたあと、再度彼女に会ったときには既にこんな状態になっており、凛は訳も分からず立ちつくすばかりである。

 痺れをきらしたのか、百代が固く閉じていた口を開く。

 

「こっち見ないでください! あなたに見られるだけで吐き気がしてきます。あと私に気軽に触れようとしないで。気色悪い」

「……ちょ、ちょっと一体どうしたんですか!? いくらなんでも――」

「というか、目の前から消えてください! あなたを見てるとムカムカしてきます。はっきり言います、大嫌いです! 世界一嫌いです!! 憎んですらいます!!!」

 

 喋り方すらも一変しており、凛は戸惑う。

 ――――様子がおかしい……というか、面と向かって嫌いとか、かなりクるな……。

 周りにいた生徒たちも、遠巻きに2人の様子を窺うだけ。

 凛がショックを受けている間も、百代が言葉を浴びせかけてくる。

 

「なぜ、あなたのような方とお付き合いしていたのか……私の目は節穴、いえそれ以上でした。それから、この着飾ったものもお返しします。ここに置いておくので、あとで回収しておいて下さい」

「も、百代?」

「呼び捨て、ですか? 仮にも上級生を、ああ恋人だったときの名残ですね。これからはしっかりと先輩とつけるように……名前を呼ばれるのも不愉か――」

 

 そこへ乱入してくる者がいた。大和だ。

 

「ストップ! ストオオッッップ!!」

「大和……な、なぜかわからないが、百代が俺のこと嫌いとか言いだして、別れたいとかも仄めかしてくるんだが、ど、どどどどうしよう。俺には悪いことをした覚えは……猫耳のこととかも百代にオッケーもらってて、なのに今会ったら叩かれて――」

「凛、落ち着け! 揺さぶるな! 首がとれる! 首がとれるから!」

 

 動揺する凛を後から来た岳人が、羽交い絞めにして引き剥がす。

 

「岳人様、その方をできれば、私の目の届かないところへやってくださいませんか? あなた様にこのような事を頼むのは、非常に心苦しいのですが」

「姉さんが岳人を様付けとか悪い夢でも見ているようだ……。それから、岳人。喜んでる所悪いが、姉さんは川神きのこ食べてこうなってるってことを忘れるなよ」

 

 うなだれていた凛も、その聞き慣れない食べ物に関心を示す。

 大和がいち早くキャッチした情報によると、3年生を中心に川神きのこを食した人たちが、その効能――性格反転を起こし、今ちょっとした騒ぎになっているらしい。

 

「川神きのこ?」

「そうだ。だから、姉さんがお前に吐いた言葉も反転……なぜか良く分からないが、その気持ちも反転しているらしい」

「ええっと、つまり――」

 

 ――――大嫌い、憎いという言葉も裏返し……大好き、愛してるってこと? 名前を呼ばれるのが不愉快ってのも、本当は嬉しい、と。そういうこと?

 

「その緩んだ顔を見る限りでは、わかったみたいだな。とりあえず、姉さんがお前のことを嫌ってるわけじゃないから安心しろ。それに、効能も長い間続くものじゃないから、そのうち解ける」

「……本当か? 本当に治るのか!? ドッキリだったら大成功だから、早く看板持ってきてくれ!」

 

 凛はそう言って、辺りをキョロキョロと見回した。

 

「凛、だいぶ動揺してるな。珍しいものが見られた」

「急に恋人に本物の嫌悪むき出しにされたら、大抵こうなるだろ! でも、そうか……というか、まじで焦った。百代が嘘で言ってるようにも見えなかったし。お前が来てくれて助かったわ」

 

 凛は深呼吸を繰り返し、徐々に落ち着きを取り戻す。

 その後ろでは、彼の代わりに岳人が落ち込んでいた。様付けの上、壊れものをあつかうかの如き言葉遣い、裏返せば、普段はどれほど下に見られているのかと。

 

「なら、姉さんのことはお前に任していいか? どうやら、ファミリーの中でもワンコとクリスがそれを食べてしまったみたいでな。それから2人の姿が見えないんだ。他にも、ちかりんや羽黒なんかも食べたって聞いてるし、とにかく! ここは任せる!」

「俺も手伝うぞ!」

「いや、それより今は姉さんを見ていてやってくれ。正気に戻るまでは心配だしな」

 

 頼んだ。そう最後に付け加えると、大和は岳人を連れだって、また人ごみの中にまぎれていく。

 2人の背が見えなくなってから、凛は百代へと近づいていった。

 

「まだ私に用があるんですか? というか、それ以上近づかないで」

「まぁ用というよりは、今のモモ先輩が心配ですから」

「あなたに心配してもらう必要はありませんし、ちっとも嬉しくありません」

 

 ――――大和のおかげで心に余裕ができた。原因がわかれば、なんか新鮮でおもしろい。喋り方もいつもと違うし、大人しいし礼儀正しい?

 凛はそう思って、くすりと笑う。それに反応する百代。

 

「何笑ってるんですか? 私に笑顔とか見せないでください」

「すいません。モモ先輩の反応が新鮮で……」

「変な人ですね。それより用がないのなら、さようなら。もう二度会うことはないでしょう」

「二度とって、そんなわけにはいかないでしょう? ここは学園で、俺達は学生なんですから」

「私が全力で避けるので可能です」

「確かに……じゃなくて! そんなに嫌なんですか?」

「先ほども申し上げたでしょう。嫌です! 存在そのものが気に入りません!」

 

 ――――なるほど。訳すと、『好きです。あなたがいてくれて嬉しい』ってとこ? うわっ自分でこんなこと考えると、凄い恥ずかしい!

 

「俺はモモ先輩のこと好きですけど」

「そうですか。心底どうでもいい、というより、不幸ですらあります」

「俺が幸せにしてみせます!」

「一発ぶん殴っていいですか?」

「暴力は良くないです」

「そうですね。私も話し合いで解決したいところですが、あなたの言葉にかなりイラっときてしまい、咄嗟に口をついてしまいました。川神波、放っていいですか?」

「暴力のレベルが上がった気がしますが……」

「だから! 私を見て笑うのは止めてくれませんか? とても腹が立ちます――」

 

 この数分後、きのこの効能が切れたと同時に、百代が瞳をうるわせながら、凛に抱きつくことになる。

 しかし、彼らの微笑ましいやりとりの裏側で、大変なことになっているコンビもいた。

 なぜなら、その2人は両者とも川神きのこを食していたからだ。

 

 その名を京極彦一、葉桜清楚という。

 

 普段、冷静沈着な男と大和撫子を地でいくおしとやなか女に加え、その内面に覇王を宿す2人。

 どのようなやりとりが行われるのか、誰にもわからなかった。

 

 

 ◇

 

 

「祭りだ、祭りだああぁ! 皆、今日は無礼講、心行くまで楽しもうぜぇ!!」

 

 いつもの彦一とはかけ離れた人物が叫びながら、3階東の廊下を練り歩いていく。そして、厄介なことに、彼の言霊が発動しており、その言葉を聞いた者たちは一気にテンションをあげ、彼の通ったあとには文字通りお祭り騒ぎ状態に陥っていた。

 そのテンションのまま告白にいく者、喜びの舞いを披露する者、その舞いに参加し踊る者、ただ雄たけびをあげる者などカオスである。

 普段であれば、それを諌めるはずの彦一も、それに混ざっていたりする始末で、真っ先に辿りついた麻呂ではどうすることもできず、そうこうしている内に、彦一の言霊にやられ――。

 

「舞うでおじゃる。麻呂の雅な舞いで文化祭を盛り上げるでおじゃる!」

 

 そう叫びながら、扇子を取り出し、体の赴くまま躍り出す。

 そんなどんちゃん騒ぎを起こすこの場所に、幸か不幸か、清楚もいた。最初は、この彦一の奇行にぽかんとしていたのだが、今では目つきが鋭くなっている。彼女もどうやら川神きのこの効能が表れ始めたようだ。

 

「うっせえんだよ! お前ら、浮かれるのも大概にしろよ! いくら、おしとやかな俺でも我慢の限界があるんだよ!!」

 

 一言言っておくが、今の彼女は清楚である。決して項羽が表にでてきたわけではない。

 その一言で浮かれ切ったこの場が一転、お通夜の席かと思えるほど静かになった。外の騒がしさも今ならしっかりと聞き取れる。

 もちろん、踊っていた麻呂も「ピィッ!」と奇声をあげたかと思えば、石像の如く固まった。

 清楚は周りにガンつけながら、大きく息を吸い込んだ。

 

「京極! てめぇも言霊なんか使って、こいつら煽ってんじゃねぇ!! 俺の耳がいかれたらどうすんだ!? ああん!?」

 

 清楚の声が廊下を響き、先頭をきっていた彦一の元へ届く。その声量に、窓ガラスがガタガタと震え、彼女の周りに並べられていたイベントの案内用紙は、地面へと散らばった。

 

「おいおい! 葉桜も、んな細かいことで怒んなよ! 祭りは楽しんだもんがちなんだよ! 熱くなれよ! もっと熱くなれよ!」

 

 ズンズンと清楚に迫りながら、そう発する彦一。

 

「うっせぇええ! んで、くっそうぜぇええ!! 暑苦しいんだよ!」

「うざくて結構! 熱くて結構! 俺は燃える男。俺の心に滾るこの思いは誰にも止められないぜ!」

「何が熱い男だ! 普段はただの冷静沈着が売りのイケメンなだけだろうが!」

「過去は過去! これからはこれが京極彦一だ! お前こそ、大和撫子はどうした!? 人のことを言う前に、自分を見つめ直せ! なんなら、俺が一緒に見つめ直してやるっ!! よし! そうと決まれば、屋上だ!! 行くぞ、葉桜ァ!」

 

 彦一はそこで言葉を切ると、清楚の腕を掴み、大股で屋上目指し歩いていく。

 

「上等だ! この野郎!! てめぇのそのうざさも叩き直してやるから、覚悟しとけ!!」

 

 そして、取り残された生徒たちは、夢から覚めたように互いの顔を見合わせていた。麻呂はその場が治まったことに満足したのか、コソコソと一目を避け、姿を消した。

 

 

 □

 

 

 場所は変わって、1年のSクラス。

 

「なにっ!? 京極先輩が葉桜先輩を!? それは本当か!? ……くっそ、こうしちゃおれん! 田村、この場を任せる。悪いが、俺にはやることができた。あとでこの埋め合わせは必ず行う!」

「ふっ……気にすんな。それより早く行けよ。この場は、任せろ」

 

 田村はホットケーキ用のフライパンを握り、微笑みかけた。

 その微笑みに頷き返すと、彼はすぐさま走りだす。間に合わないかもしれない。たとえ、その場に間に合ったとしても、何をするかも考えついてはいない。それでも、彼は走る。

 そんな彼の背中を見送った田村は、伸びを一つした。

 

「さぁて、いっちょ最高に旨いホットケーキでも焼いてやるか!」

 

 田村はフライパンを振るう。青春を謳歌する友のために。楽しみに訪れてくれた客のために。そして、その友との約束を果たすために――。

 

 

 ◇

 

 

「うぅ、おもしろがって、川神きのこなんかに手をだすんじゃなかった……」

 

 凛の隣を歩く百代は、まだ先のことを引きずっているのか、しょげていた。

 

「確かに俺も驚いたけど、無事解決したんだし、いいんじゃない? いい思い出ができたよ。それに百代のツンツン姿とかも新鮮だったし。気にしない気にしない」

「でも……」

 

 そこで、凛は何か閃いたのか、ポンと手をうった。

 

「それじゃあ、百代に一つ俺のお願いごと聞いてもらおうかな? それでチャラってことでどう?」

「お願いごと? 凛のお願いなら、無茶なものでない限り、なんでも聞くぞ?」

「その言葉は嬉しいけど……ここはそういうことで、この件はもう考えないってことにしよう。せっかくの文化祭なんだし、彼女の笑顔が見れないのは悲しいし」

「ん、わかった。それで、今回のことはもう考えない。それで、お願いってのはなんなんだ?」

 

 凛はそこでしばし黙考すると、百代の耳元に近寄り、その内容を告げる。

 それを聞いた途端、百代は顔を赤くした。

 

「……変態だ。私の彼氏がSで、変態だ」

「何とでも言うが良い。それで? 俺のお願い聞いてくれるよね?」

 

 凛は、それはもう眩しいほどの笑顔で百代を見た。

 

「約束だからな! こうなったら、私も開き直る! ちゃんとやってやるよ」

「やった。病院でやられた借りを返す……楽しみだ」

「いつもやられてるのは私だろ!? じゃなくて――」

 

 そのとき、すれ違いざまに聞こえた会話に、2人は顔を見合わせた。

 

「百代」

「わかってる。屋上か……ちょっと心配だし、見に行くか」

 

 凛はそれに頷き返すと、廊下の窓を開け放ち、身を乗り出した。それに百代が続く。

 あっという間に、2人の姿は廊下から消え去った。

 

 

 □

 

 

 凛と百代が貯水タンクの上に降り立ったとき、清楚と彦一はまだその場にいた。

 どうやら、2人の姿には気づいていないようであり、言い合いを続けている。

 ビシッと人差し指を突きだした清楚が、彦一へ物申す。

 

「大体なぁ、お前……俺に優しくしてんじゃねぇよ! 期待ばっかり持たせやがって、そうやって乙女の純情弄んで楽しいか!? ああ!?」

「何を言うかと思えば、そんなことか。俺が誰でもかれでもあそこまで親しくするとでも思っているのか!? 否!! 断じて否!! 英語で言うならNO!!」

「わざわざ英語とか出してくんな! 面倒くせぇ。はぁ? じゃあ何かよ、お前、俺に気があるのかよ!?」

 

 清楚の問いに、彦一が間髪いれずに答える。

 

「分かりきったことを聞く。もちろん、嫌いだ!!」

「だろうな! 俺もお前のことなんか嫌いだからな! いっそ、清々するぜ!」

「ああ、そうだ! 葉桜の読書姿も、杏仁豆腐をおいしそうに食べる姿も、笑顔も全て気に入らん!」

「言いたい放題だな! なら、こっちも言わせてもらうけどな! お前の案内とか全然嬉しくねえんだよ! 迷惑なんだよ! それに笑顔が気に入らねえとか、こっちの台詞だ! 事あるごとに微笑んできやがって、好きな奴にやれよ! あとちょこちょこ盗み見るのとか止めろ! 気色悪いんだよ! 俺が気づいてないと思ってんのか!?」

「それは葉桜が俺を見るからだろう!? 真面目に勉強してるときに、じっと見られると気が散るのがわからないのか! 集中したいんだよっ! Concentra――」

「あーー!! 言わせねえぞ!」

 

 

 ◇

 

 

 そんなやりとりを聞いていた百代と凛。2人は寝転び、貯水タンクの影から、ひょっこり顔だけ出している。

 百代が顔だけ、凛に向ける。その目はキラキラと輝いている。

 

「あーなんだその? これはあれだよな? 2人は互いに好きだってことだよな?」

「聞いてる限りじゃそういうことみたいだね」

「でも良いこと聞いた。そうかぁ……京極は清楚ちゃんのそういう所が好きなのか。このネタで、これからどうやって弄ってやろうかな」

「やられ返されそうな気がするけど、まぁ程々にね」

「何を言ってるんだ、凛! せっかく手に入れた弱みだぞ! 活用せずにどうする!?」

「そのまま優しく見守ってやるとか……」

 

 百代は立ち上がると、凛が寝そべっている上に抱きつき、肩口から顔をのぞかせる。

 

「い・や・だ! やられっぱなしは性に合わないんだよ」

「ということは、俺もまたやられることがあると?」

「さぁ、どうだろうな?」

 

 百代がふっと耳に息を吹きかけた。

 

 

 □

 

 

 ――――もうそろそろ、きのこの効力もきれる頃だろう。

 凛がそう考えていた直後、下で言い争っていた2人が急に静かになった。

 

「それじゃ、凛……私達が背中を押してやろうか。美しい恋のキューピット様登場だ」

 

 そんな凛の考えを読んだのか、百代は彼から離れると、先に貯水タンクから降りて行った。

 

 

 ◇

 

 

 百代と凛から、川神きのこのことを聞いた清楚と彦一は、彼らが屋上から去って行ったあとも、しばらく無言のままだった。

 しかし、いつまでも沈黙を守り続けるわけにもいかず、彦一が珍しく大きく息を吐き、ゆっくりと口を開く。

 

「葉桜君、まず君に色々迷惑をかけたことを謝りたい。すまない」

「いや、こちらこそごめんね。私はどっちかっていうと、汚い言葉を色々浴びせちゃったし……」

「そのことなら気にしていない。それから、ここから本題……聞いてくれるだろうか?」

 

 その真剣な口調に、清楚は背を正した。色々と想いをぶちまけたのだ。これ以上、曖昧な関係を続けることはできない。

 清楚が何度か深呼吸を繰り返し、真正面から彦一を見つめ返した。

 準備完了。そうとった彦一が再度口を開く。

 

「川神きのこのせいで、色々と台無しになった感がないでもないが、私にとっては良いキッカケだったのかもしれないな。私は、以前にも葉桜君に言ったことがあったように、恋というものをしたことがないため、こういう方面には疎い。君に対して抱いていた感情も、夏目の言葉がなければ、深く考えないまま、気づかないまま枯らしてしまっていたかもしれない」

 

 そこで一度間を取る。

 

「しかし、それに気づいた。それからは……気づけば君の姿を追っていた。もっと君のことが知りたいと思った。全く自分でも驚くことばかりだが――」

 

 彦一は真っ直ぐに清楚を見た。

 

「君が好きだ」

「うん……」

 

 清楚は短く返事をすると、次は自分の番と言って、想いを伝える。

 

「最初は優しい人だなって思ったよ。それで格好いい人だって。他の女の子たちが騒ぐのも無理ないなって……そんなあなたが、色々と私を気にかけてくれる。いつからなんてわからないけど、あなたに惹かれていたんだと思う。それは最初の帰り道からだったかもしれないし、夏の終わりころだったかもしれない。でも、はっきりとそれを確信したのは、きっと川神蛍を見たときだと思う」

 

 今でも目を閉じれば、そのときの光景がはっきりと思い出される。

 

「覇王項羽の混ざった私を受け入れてくれたあなたが、背を見せ、暗闇に消えていく瞬間、どうしようもなく寂しくなったし、不安になったの。このまま、今目の前の光景のように、あなたが私の前からいなくなる……嫌だった。胸が痛くて、苦しくて、こんな気持ちに気づかずにいればよかったとすら思ったよ」

 

 ここで、清楚は一旦言葉を切り、微笑んだ。

 

「でも、諦めなくて良かった。投げ出さずにいてよかった。私は京極君の目の前にいて、あなたと思いが通じあえた。なんか……胸が一杯で、気を抜くと泣いちゃいそうなんだ。でも、心はすっごく暖かくて、幸せってこういうことをいうのかな?」

 

 清楚は一語一語思いを込める。

 

「私、葉桜清楚は……京極彦一が好きです。そして――」

 

 項羽と入れ替わる。

 

「俺もお前のことが好きだ。……言っとくがおかしくも何ともないからな! 俺は清楚で、清楚は俺だ! 今までの記憶があって、アイツのものが引き継がれるんだから、俺がお前に惹かれることも――」

「うむ、わかっているよ。これから、よろしく頼む」

「うん。こんな私達だけど、こちらこそよろしくお願います」

 

 わたわたと慌てた項羽は、恥ずかしがったのか、最後の言葉を清楚に託したらしい。

 こうして、一組のカップルがひっそりと誕生した。

 

 

 




 川神きのこの性格反転とか、かなり都合よく使わせてもらいました。
 というか、反転したキャラというのが、かなり難しい。しかし、これ以上どうすることもできない。
 全ては川神きのこのせいだから!
 そして、すまぬ。1年Sクラスの勇者よ。登場からわずか一話でまさかの失恋。
 これを糧に、男を磨いてほしい。田村、あとのフォローを頼む。


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『きみとぼくとの約束』

 

 

 

「じゃあ百代ちゃん、ここに座って」

「はい。よろしくお願いします」

 

 百代は促されるまま、鏡の前に腰を下ろした。隣には、昔から世話になっている真理子が立っている。

 化粧台の横には等身大の鏡があり、その隣にこれから百代が着ることになっている白無垢がシワ一つなく掛けられていた。また対面には、訪れた客がくつろげるように3人掛けのソファも備え付けられている。

 今日は晴れてくれてよかった。百代は静かに目を閉じると、あとのことを全て真理子に委ねる。雨になるかもしれないという昨日天気予報を凛と見て、ハラハラしていたが、朝になると一転、清々しいほどの青空が広がっており安堵した。

 今朝の天気予報でも降水確率は0%で、どうやら雨雲は夜の間に通り過ぎたようであった。

 今日は生涯で最も忘れがたい日になるのだ。それが天気で台無しなど考えたくもない。

 それでも、もし雲が立ち込めていたら、2人でどうにかしてやろうと笑いあっていたのだが――。

 

「あなたが卒業してから、今日まであっという間だったわね。まさか、あのヤンチャな子供たちの中で、百代ちゃんが最初になるなんて、あの頃は思ってもみなかったわ」

 

 真理子はこれまでも多くの女性を手掛けてきて慣れているのだろう。淀みない手つきで、百代へと化粧を施していく。

 

「私もです。想像すらしていませんでした」

「私なんかは、大和君が一番早いんじゃないかって睨んでたんだけど」

「まぁあながち間違ってなかったんじゃないですか? あの2人も時間の問題だと思いますし……」

「あら? そうなると今度は京ちゃんを綺麗にできるのね。楽しみだわ」

「とりあえず、今日は私をお願いします」

「清楚ちゃんに負けないほど綺麗にしてあげるわ。でも百代ちゃん、そのままでも十分綺麗だから、あまり濃くならないようにしておくわね」

 

 真理子の口から出た清楚という単語に、百代は1年ほど前に行われた彦一と清楚の挙式を思い出した。幸せそうな笑顔が、今でも鮮明に記憶に残っている。

 そして、今日も2人揃って、祝いに来てくれる予定になっているのだが、清楚の体は既に彼女のだけのものではなく、新たな命がその身に宿っているのだ。順調に育っているようで、今で妊娠7カ月。お腹も大分膨れており、2週間ほど前にも、彼女を含めた同期の皆と盛り上がったばかりである。

 慈しむようにお腹を撫でる清楚と、事あるごとに彼女の体をいたわる彦一の姿が微笑ましくて、思いだす度に百代はにやけそうになる。

 いつも冷静沈着な男もこのときばかりは、気が気でないらしい。今日ももしかたら左手をとって、右手を腰に回し、寄り添いながら歩いてくるかもしれない。そして――。

 

『清楚……段差に気をつけろ』

『少し休まなくても大丈夫か?』

『もうお前一人の体ではない。無理はするな』などなど。

 

 その姿を想像した百代は、たまらずクスリと笑う。

 

「どうしたの?」

「いえ、清楚ちゃんのお腹も大きくなってきたので、京極が転ばないようにエスコートして来るのかなと思うと、なんだか笑えてきて」

「ああ。彦一君、本人はあれでもセーブしているみたいだけど、かなり気を使ってるみたいね。清楚ちゃんは泰然としてるから、余計に彼が目立っちゃうのよ。まぁ初めての赤ちゃんだもの仕方ないわ」

「赤ちゃんの名前もかなり迷ってるみたいですよ」

「らしいわね。この間も画数の本を片手にうんうん唸ってたって教えてもらったわ。どうやら、夏仁さん……彦一君のお父さんね。彼も途中から混ざって議論してたらしくて、その姿を清楚ちゃんと2人で見て、笑ってたって」

 

 真理子は顔をほころばせながら、そう語った。ただでさえ、若いオシドリ夫婦で近所では有名なのだ。おばちゃんネットワークにも、彼らの情報が流れて込んでくるのだろう。最も、それを流した張本人は、彦一の母親のようだが。

 それぞれが、それぞれの道へと歩み出している。それは凛と百代も例外ではない。

 去年のクリスマス。場所は2人が初めて出会った場所で、百代は凛にプロポーズを受けた。彼女はこのときを今か今かと待ちわびており、ようやく訪れた瞬間に、返事よりも先に涙が溢れてしまったのだが、これは2人だけの秘密である。

 それから、年を跨いだ今日。2人は晴れて夫婦となるのだ。

 

 

 □

 

 

 準備が整った同時に、俄かに廊下が騒がしくなる。そして、間を置かずして、その騒がしさが部屋へと入ってきた。

 

「お姉様……綺麗」

 

 口を開いたのは一子だった。その後ろからファミリーの女子が続き、燕、清楚、弓子、そして、義経や弁慶たちが姿を現し、あっという間に部屋の中はいっぱいとなった。

 皆からの祝福や褒め言葉に、百代は返事をし、軽く雑談を交わす。

 

「清楚ちゃん、体の方はどうなんだ?」

「うん、調子良すぎて困っちゃうくらいだよ。彦一君がよく気にかけてくれるんだけど、それが申し訳ないくらい……」

 

 清楚は少し困ったように笑った。その横にいた燕が話に加わる。

 

「清楚がここに着いたときも凄かったんだから。京極君が手をとって、その後ろでは京極君のお父さんが控えていて、万が一でも倒れてもあれなら大丈夫と思えたよん」

「私も運動神経悪くないから転ぶこともないと思うんだけど、さすがにちょっと恥ずかしかったかな」

「清楚と京極のそれは、もうこの近辺では一種の名物みたいなもので候」

 

 弓子の一言に、清楚は驚き、他の皆はうんうんと頷いていた。

 そこへ、一子とクリスが混ざって来る。その目的は、どうやら清楚のお腹らしい。

 

「清楚先輩、お腹を触らせてはもらえないだろうか?」

 

 クリスが切り出した。それに快く了解を出した清楚のお腹を2人が触る。そのとき、動きがあったのだろう、彼女らは「おおっ」と驚きの声をあげ、何やら感動していた。それに続き、由紀江や京も興味が湧いたのか、近寄って行く。

 そんな彼女たちを横目に、百代が燕に声をかける。

 

「燕、この前テレビにでてるの見たぞ」

「いやぁ照れるなぁ。私可愛く映ってた?」

「ああ。というか、私の同級生が、ざまぁーすの四村さんにツッコまれてるのに驚いたぞ」

「それ、私も見たで候。犬竹さんとの絡みがおもしろかったで候」

 

 最近ではテレビでの露出も増えてきた納豆小町。ラジオでもリスナーからの支持を大いに集めている。燕の要領の良さがあれば、そのうちMCを任されることもありそうであった。

 そうこうしていると、新たな客が部屋を訪れる。

 

「九鬼揚羽、降臨!」

「同じく紋白、顕現である!」

 

 艶やかな銀髪をなびかせながら、九鬼姉妹が現れた。紋白は成長期とでも言えばよいのか、高校生であった頃より大分身長も伸び、姉に負けないプロポーションを手に入れつつあった。

 これは完全な余談ではあるが、その成長を目にしたどこかの変態は、時間の流れの残酷さに打ちひしがれていたとか。とにかく、より一層美しく、しかし可愛さを残した紋白は、姉とはまた違った魅力を持つ女性になっていた。

 揚羽が、ぐるりと部屋を見渡す。

 

「どうやら、我らはかなり出遅れたようであるな。できれば、いの一番に百代に祝福を述べてやりたかったが……」

「お心遣いありがとうございます。揚羽さん、それにモンプチ……いや紋ちゃんも来てもらえただけでも嬉しいですよ」

 

 さすがに、成長した紋白を以前のようにモンプチと呼ぶことは控えたらしい。

 その後ろでは、赤ちゃんで自分の将来を想像した京が、両手を頬にあてて、何やら悦に入っている。

 

「フハハハッ! 百代は我が友であり、凛は部下である。このめでたき日に顔を出さないわけがなかろう」

「ありがとうございます。紋ちゃんもすっかり見違えたな」

「フハハッ! 毎日、精進を続けているからな! というか、我のことはいいのだ。今日は百代らが主役なのだから。しかし、本当に美しいな……凛も惚れ直すこと間違いないであろう!」

 

 百代は紋白にも再度礼を言った。

 そこで、紋白の姿を見つけた由紀江が声をかけてきたので、紋白は一言断ってから、百代の傍から退いた。

 

「そういえば、先ほどすぐそこで、鉄心殿、ヒューム、銀子殿にアリス殿が集まっていたぞ。あれだけの人物が集まると、あそこだけ空気が違っておったわ」

 

 4人は歓談していたようだが、そのオーラはどうも余人を寄せ付けないものがあったらしい。

 さらに、揚羽の言葉が続く。

 

「……ヒュームを含めあのお三方も、これからは百代の親族か」

 

 銀子は凛の父方の祖母、アリスは母方の祖母にあたり、さらにヒュームはアリスと双子であり、凛にしてみれば大叔父にあたる。

 凛が夏目の集大成を完成させたのは、文字通り血反吐をはく努力に加え、ヘルシングの血と夏目の血が合わさった雷撃特化のサラブレッドであることも関係していたのかもしれない。

 そして、結婚もしなかったヒュームにとっては、凛は幼い頃から見守ってきた子や孫同然であり、鉄心が百代に甘いように、厳しさも彼なりの愛情であったのだろう。最も、鉄心のそれと比べれば、厳しさにおいては段違いであったと言えるが。

 百代は銀子、アリス、さらには凛の母であるフローラとも既に何度も顔を合わせており、加えてヘルシング家の親族とも面識を持っている。

 

「少し不思議な感じがしますね。特に、ヒュームさんと親族と言われても、イマイチピンときません……」

「まぁこれからその実感も湧いてくるのではないか? ヒュームと鉄心殿など、ライバル関係にあったのだ……それがこのような関係になるのだから、人生とは全くわからんものだと思い知らされたわ」

 

 サラッと知らされた情報に、周りは空気が固まっていたりするのだが、その中で百代と揚羽は和やかに会話を続けるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 騒がしかった一室もすっかり静かになった頃、一子と会話に興じていた百代のもとを訪れる人がいた。

 

「邪魔するぞい」

 

 鉄心であった。彼は百代の姿を一目見ると少し目を見開き、ほうっと感嘆の声をあげた。

 

「どうだ? じじい、見違えただろう?」

「自分で言うてどうするんじゃい。しかし、まぁ……綺麗じゃぞ、モモ。婆さんの若い頃を思い出したわい」

 

 婆さんはお前よりもっとおしとやかじゃったがの。そう付け加える鉄心。

 

「一言多いんだよ」

 

 百代はそこで少し間をとった。

 

「……その、今まで色々とありがとう」

「何じゃい、急にしおらしくなりおって」

「いや、こんな機会でもないと恥ずかしくて言えそうにないからな。自分でも柄じゃないと思うけど、本当に感謝してるんだ」

 

 百代は佇まいを正し、軽く頭を下げた。

 

 ここまで育ててくれてありがとう。

 

 迷惑かけっぱなしだったけど、今日この日を迎えることができたのは、お爺様が見守ってくれていたおかげです。

 

 これからは凛とともに歩み、温かい家庭を築いていきます。

 

 迷惑かけた分、恩返ししたいので、どうか長生きしてください。

 

 ここで言葉を切ると、また明るい口調になった。

 

「じじいが昔してくれた肩車、私結構好きだったぞ。できれば、ひ孫にもやってあげられるくらい、元気でいてくれ」

「ふん、言われんでもあと数十年は生きてやるわい」

 

 そう言うと、鉄心はさっさと席を立ち、出口へと向かう。そして、扉を開ける前にはっきりと次の言葉を口にした。

 

「モモ、おめでとう」

 

 ゆっくりと閉まっていく扉。ふいに、一子が口を開く。

 

「じいちゃん、声が震えてた……」

「そうか? あとワン子も色々と世話になったな。まぁ……これからも迷惑かけないとは言い切れないけど、ありがとう。これからもよろしくな」

「えへへ。改めて言われると何だか照れくさいわ。でも、迷惑なんて思ったことない! お姉様は、私の自慢の姉なんだから。こっちこそよろしくね」

 

 一子のとびきりの笑顔に、百代も微笑みを返した。

 式の時刻はもうすぐだ。

 

 

 □

 

 

 笛の音が社全体に鳴り響き、袴姿の凛と白無垢の百代が歩いていく。その頭上には、野立て傘と呼ばれる朱色の大傘がよく映えている。後ろに親族ら、この式の参列者が続く。

 境内へと入り、神棚を前に新郎新婦を挟むように、右側に新郎の親族が、左側に新婦の親族がそれぞれ着席し、その後厳かな太鼓の音が轟いた。

 

 

 ◇

 

 

 式は進み、誓詞奏上。

 凛の聞き慣れた声が、境内に染み渡るように響く。

 

「――ご神徳のもと、相和し、相敬い、苦楽を共にし、明るく温かい生活を営み――」

 

 2人が初めて出会ったあの日から、今日という日が来るのは決まっていたのかもしれない。

 

『舎弟じゃなく対等だ。俺は下につくつもりなんてない!! よく覚えとけ。俺とおまえは対等なんだ。おまえを倒して、それを証明してやる!』

 

 この約束は無事果たされた。そして、今ここに新たな約束が結ばれる。

 

「子孫繁栄のみちを開き、終生変わらぬことをお誓いいたします。なにとぞ、いく久しく御守護くださいますようお願い申し上げます」

 

 今度は神の前で、大勢の人々の前で結ぶ約束。

 

「新郎、川神凛」

「新婦、川神百代」

 

 生涯続く、きみとぼくとの約束――。

 

 




 ということで、完結です!!
 遂に……遂にやり遂げました!!
 長かった。本当に長かった。
 なんかかなりさらっと終わった気がするけど気にしない。凛がほとんど喋ってないけど気にしない。清楚ちゃんに子供できてたけど気にしない。

 拙いところも多く、読みにくいところも多かったでしょうが、これまで読んで下さった読者の皆様ありがとうございました!
 そして、評価を下さった方々、感想を書き込んで下さった方々も本当にありがとうございました!!
 とても嬉しかったです!

 百代を見て、コイツのデレデレ書きたい&幸せな未来書きたいと思い、気づけばここまできていました。そして、大体は達成できたので満足いっています。
 しかし、課題も山積みだなと思いました。
 もし、次の作品を書くとしたら、その課題を意識しながら書けるよう精進します。

 色々と残ったイベントなんですが、気が向いたときにでも書けたらいいなと思っています。

 最後になりますが、凛と百代に感謝!
 そして、個性豊かな真剣恋メンバーに感謝!!
 真剣恋を生み出してくれたみなとそふと様に感謝!!!
 
 真剣恋最高です!


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番外編01『噂』

 

 

「そういえば、凛君は、最近この学園で流れている噂を御存じですか?」

 

 冬馬のその言葉に、凛は首をかしげた。

 場所は食堂。季節は冬ということもあり、気温は10度を下回り、今夜にかけては0度近くになるらしく、朝の天気予報でも防寒対策をしっかりするようにと伝えていた。

食堂から見える木々も葉がすっかりと落ち、寒々しい光景となっており、その枝が時折吹く風にさらされ、まるで木自身が震えているようでもある。それに拍車をかけるように、空は灰色の雲に覆われている。そのため、いつもよりうす暗い。

 それに引き換え、明りのついた食堂は暖房がついており、快適な温度を保っている。食事を終えた生徒たちが、大勢残っているのもそのせいだろう。今も数人の生徒が、冷えた廊下から食堂に入って来ては、その頬を緩め、空いている席へと向かっている。

 たまたま出くわした凛と冬馬も同様で、特にすることもないので、この場所でまったりしているのであった。

 凛はまだ温かいカフェオレに口をつける。

 

「噂? 幸運の白いマシュマロってやつのこと?」

「いえいえ、それとは別のものですよ。とはいえ、それにかける願いは同じようなものですけどね」

 

 大和ならば、その辺の事情にも詳しいかもしれないが、生憎、凛には検討もつかない。

 

「もしかして、また小雪が関係してるのか?」

 

 マシュマロの噂も、それを常に持ち歩く少女は、学園を見渡しても彼女しかいなかった。そして、冬馬の口から噂という言葉が出てきたことから、凛はそう予想した。

 それに対して、冬馬は苦笑する。

 

「いえ、この噂にユキは関係ありません。というか、私も昨日初めて聞いたものなので、詳しい事情まで知らないのですが……」

 

 幸運を運ぶ白いマシュマロ。正確には、中にイチゴのジャムが入ったマシュマロなのだが、見た目は普通の白いマシュマロなので、そう呼ばれるようになったらしい。

 文字通り、そのマシュマロをもらえた者に、幸運――特に、恋愛面でうまくいくという噂が広まり、その噂が盛り上がった当初は、どうにか小雪からそれをもらおうとする者が数多く現れた。と言っても、小雪自体、自由奔放であるため、休憩時間に探しても見つからない。2-Sの教室に突撃するには、それはそれで勇気がいる。運良くもらうことができても、そのほとんどが見た目通りの白いマシュマロだった等々、中々難しいものであった。

 しかし、火のない所に煙は立たぬ、とはよく言ったもので、ごく限られた者は実際にそれをもらい、彼氏あるいは彼女ができたらしく、その者がまた友達に嬉しそうに話す。

 

『……あのマシュマロのおかげかも』

 

 そうやって、噂が広がり、現在では下火になっているが、今も幸運にあやかろうとする者は絶えないらしい。

 凛の知っている限りであれば、岳人とヒゲ先生である。岳人はまだいいとして、先生は立場的にも、いい年した大人としてもどうなのと言いたいところであるが、それだけ切実なのだろうと納得している。

 そして、また新たな噂が誕生しているという。

 

「願いが同じってことは、また恋愛がうまくいくとかそういうこと?」

 

 凛が先を促す。

 

「ええ。噂では『ある場所で告白するとうまくいく』というものらしいですよ」

「へぇ……まぁ時期が時期だけに、噂にもすがりたくなるってことかな」

 

 冬の一大イベントが迫っている。それは、ある者にとっては甘いひと時。しかし、ある者にとっては地獄の日。

 

 クリスマスである。

 

 ――――まぁ、俺も百代がいなかったら、多かれ少なかれ、色々思うところがあったと思うし……。

 なぜ、日本ではこれほどまでに、クリスマスは恋人と過ごすのが当たり前という風潮になっているのか。友達と、あるいは家族と過ごしてもいいではないか。

 ――――でも、今の俺がそんなことを口にしようものなら。

 勝者の余裕と取られ、闇打ちをうけるかもしれない。だから、何も言わない。

 凛はまたカフェオレをすする。それを見ていた冬馬が微笑んだ。

 

「凛君はさすがに彼女がいますし、落ち着いたものですね」

「いやまぁ噂自体は気になるけど……それで、そのある場所ってどこなんだ?」

「場所自体は大したことはありません。私達のいつも通っている橋の下……河川敷です」

「河川敷って、あのももy……モモ先輩が輩をのしてるあの河川敷?」

 

 凛が思い浮かべたのはそれだった。

 ――――むしろ、倒された奴らの念がマイナスに働いてそうだけどな。上を通ってる橋も名前が変態橋だし、うまくいかなそうだろ……って、よく考えたら、そんな場所で百代と約束交わしてたのか。いや、約束してから、百代が色んな奴を叩きのめしてるんだから……これ以上考えるのはよそう。思い出は綺麗なまま残しておきたい。

 

「ところで凛君」

 

 冬馬の声に、凛は意識を引き戻される。

 

「ん?」

「いえ、特に指摘する必要もないかもしれませんが。その……別に恋人なんですから、呼び捨てでいいのでは?」

「ぐっ……じゃあ、わざわざ指摘するな! せっかくそのまま流そうとしてたのに」

「ふふっ、仲が良くて羨ましいです」

 

 そこへ新たな人物が加わる。

 

「おいーっす。若、見かけないと思ったらこんなとこにいたのか。何してんだ?」

 

 準であった。

 

「凛君と偶然出会いまして、これは運命だと思って、お茶に誘って口説き落とそうとしているところです」

「そんな魂胆があったのか! というか、諦めろよ!」

 

 さも当然といった様子で答える冬馬に、凛が激しくツッコんだ。

 それに、微笑みを絶やさない冬馬が一言。

 

「私が諦めることを諦めてください」

「モモ先輩と争うと?」

「物理的に日本から追い出されそうですね。考えておきましょう」

「いやだから、諦めろよ!」

 

 その会話を遮るように、準が凛の肩に手をおく。

 

「諦めろ……」

「馬鹿野郎。普通、俺じゃなくて、冬馬に言い聞かせる場面だろ!」

「いや、ほら、若を諦めさせるとか、俺がロリコンじゃなくならせるのと同じくらい難しいことじゃん?」

 

 まるで周知の事実だろ、と言わんばかりの調子である。実際、そうなのかもしれないが。

 

「そんなにハードル高いのか!? もうどうしようもないじゃん!」

「……とまぁ、冗談はさておきだな。何の話してたんだ?」

 

 ――――絶対冗談じゃないだろ!!

 凛は心の中でそう叫ばずにはいられなかった。

 

 

 ◇

 

 

「さむっ!」

 

 校舎から一歩外に踏み出した凛は、身を刺すような寒さに思わずそう呟いた。天気予報の通り、着実に気温は下がっている。

 吐き出される息は白く、どこかぼんやりとした曇り空へと溶けて行く。

 凛は、首元に巻かれたマフラーに顔を埋める。校庭にはちらほらと帰宅する生徒の姿が見え、彼らも凛同様、その寒さに悪態をつきながら家路を急いでいるようだった。

 ――――雪でも降りそうな勢いだな。

 凛は空を見上げた。辺りの暗さも一層増している。校舎の一階――職員室のある場所からは蛍光灯の光が漏れ、外の地面を照らしている。

 そこへ足元を這うような風が通り抜けた。

 

「風呂入りたい」

 

 寮の4,5人は軽く入れる風呂に、熱めの湯を溢れる直前まで入れ、そこに肩まで浸かる。湯は勢いよく外へと溢れだし、湯気が一層立ち込める。足を伸ばし、両手で湯をすくって顔をそそぐ。その頃には、既に寒さとは無縁。「うあー」とだらけきった声を出しながら、風呂の淵に頭を預け、天井を見上げる。湯気のせいで、明りがより柔らかとなり、それも心地よい。

 ――――帰ったら、風呂に浸かろう。絶対に。

 凛はそんなことを決意し、未だ遠い風呂へと思いを馳せる。

 寒さの厳しい冬における風呂。その魅力たるや、抗いがたいものがある。凛は歩きながらも、気が緩んでいたのだろう。背後から忍び寄る気配にも、そこから伸びる魔の手にも気付かなかった。油断していたとも言える。

 故に――。

 

「ふあっ!!」

 

 普段の彼からは、とても聞けない上ずった声が飛び出した。その元凶は、温もりを維持していた首元に差し込まれた冷たい手――文字通り魔の手であった。

 意識は風呂から一気に覚醒。それよりも早く体が反応し、鳥肌が立つ。と同時に、筋肉が硬直し体が強張った。

 慌てて振り返ると、いたずらの成功した犯人はくすくすと笑っている。

 

「百代……」

 

 凛は名を呼ぶとともに、はぁと吐息を漏らした。百代の羽織っている白のモッズコートが、彼女の特徴とも言えるその長い黒髪を一層際立たせている。

 

「油断しすぎだぞ、凛。それに……ふあって! ふあって、どこから声出したんだ? なぁなぁ凛――」

 

 百代は先の凛の反応が余程気に入ったらしく、真似ごとを繰り返した。

 その首元はしっかりとファーで守られており、凛の冷えてきた手の平を温めるのにはちょうど良さそうである。

 

「ひゃぅ……!」

 

 今度は百代が奇声をあげる。と同時に、その体がびくりと震えた。

 

「あー、あったかいなぁ。今日カイロとか持ってなかったからなぁ。触り心地もいいし、寮に着くまでこのままでいようかなぁ」

 

 寒い寒いと繰り返しながら、凛は百代の首へ両手を突っ込んでいた。ついでに、そのすべすべとした感触も楽しむ。

 

「冷たいっ! 凛、こらっ! 私は一瞬手を入れただけだろ! 冷気が入って来てる! 隙間から入って来てるから!」

 

 百代は凛をひっぺがそうとするも、そこは武神に勝った男――そうやすやすとは離れない。

 

「うーっ、ごめんなさいごめんなさい! 調子に乗りました。謝るからその手を離してくれ!」

「うむ、許そう」

 

 凛が離れたとこで、百代はようやく一息つくことができた。服装を整えながら、じとっとした目つきで、彼を見る。

 しかし、凛はそれを意にも介さず、言葉を続ける。

 

「本当はお腹に差しいれてもよかったけど、入れにくそうだし、お腹冷やすといけないからね」

「おまえ、鬼か! この寒さの中、その冷えた手がお腹にくるとか……考えるだけで」

 

 百代はそこまで口にすると、ブルブルと体を震わせた。そして、そのまま凛にぴったりと寄り添い、彼の腕を抱く。彼もその行動になんら反応することなく、ただ自然に歩きだした。

 寒くなり始めてからは、この態勢で帰ることが多くなっていた。

 しばらく、2人は無言で歩く。と言っても、険悪な雰囲気など微塵もなく、その静かな時間を楽しんでいるようであった。互いの温もりがじんわりと伝わり合う。

 百代が大きく息を吐いた。白い靄はまるでタバコの煙のようだ。

 

「なんか一気に寒くなったよな」

「だね。こう寒いと、早く春が来ないかなぁと思ったりするけど」

「凛は冬嫌いなのか?」

 

 百代は顔を向けた。寒さのせいだろう、鼻先に少し朱が刺している。それに比べて、頬の辺りは雪のように透き通る白さであった。

 

「んー……まぁ嫌いではないかな? 寒さは勘弁してほしいけど、この寒さも冬の醍醐味って感じもするし、それに――」

 

 百代とこうしていられる。凛はそう付け加えて、穏やかに笑った。

 それにつられるようにして、百代も微笑んだ。

 

「ん? なんかおもしろかった?」

 

 今度は凛が聞き返した。

 

「いや……ただ同じこと考えてたから、なんか嬉しかっただけだ。私も凛とこうしてるの好きだ。一人じゃないって思えるし、なんか……その、幸せって感じ?」

 

 2人は顔を見合わせると、また自然に笑みがこぼれた。

 

「そういえば、今日冬馬と話をしてたんだけど、百代は『河川敷で告白するとうまくいく』っていう噂知ってる?」

「ああ……ユーミンから聞いたことあるな。あとは他の後輩の子とか……まぁその噂は本当だがな」

 

 その先を続けようとした百代より先に、凛が言葉を発する。

 

「俺と百代が恋人になれた場所だから?」

「なんだ、覚えたのか? 忘れてたなら『酷い! 凛が私に告白してくれた場所なのに!』とか言ってやろうと思ったのに……」

「あれ? 告白は先に百代がしたような……」

 

 その言葉に、百代の頬が赤くなる。

 

「お、お前があんな馬鹿なことをするからだろ! うーっ……考えるだけで、恥ずかしい。あのときの私はどうかしてたんだ」

「大丈夫! あの百代も凄い可愛かったから!」

 

 凛はサムズアップに加えて、キリッとした顔で答えた。

 百代の視線は冷たい。

 

「その親指、そのままへし折ってやろうか?」

 

 凛はすぐさま親指を掌へと戻した。ただのガッツポーズである。しかし、顔は未だにキリッとしている。

 百代は反撃の意味も込めて、凛の脇腹を服ごとぎゅっとつねった。

 

「痛い痛い。ごめんなさい、悪ふざけが過ぎました。許して下さい!」

「さっきまで良い雰囲気だったのに……」

「百代の反応が可愛いから、ついね。ごめん」

「可愛いと言っておけば、いつでも機嫌が直ると思ったら大間違いだぞ。大体、私はSなんだ。苛められて喜ぶMとは違うんだ」

「こらこら、人前でSやらMやら言わない」

 

 そんな2人の視界に、前を歩く2人組の男女を捉えた。

 凛の体に教え込まないといけないな、などと呟いていた百代が声を出す。

 

「おっ……あれは1年の梓ちゃんだな」

「知り合い?」

「学園の女の子のほとんどは私の知り合いだ!」

 

 ドヤ顔で答える百代。しかし、凛はあまり興味がない。

 百代が抱いている腕をぐいぐいと引っ張る。

 

「なんだよー……もっと興味もてよー」

「いや、知り合いだ! って言われても、そうなのかってしか答えようないだろ?」

「……確かにそうだな。というか、あの隣にいる男は誰だ?」

「百代も知らないとなると、同じ1年か……あの微妙な距離間、恋人同士かな?」

 

 2人は自然に気配を殺していた。喋るときには、お互いの耳元で囁き合っている。それが一体どれだけの効果をもっているのかは、分からない。

 百代が凛の耳元へと顔を近づける。

 

「なんかこうしてると、ちょっといけないことをしてる気分になるな。ワクワク」

「分かる。でも、帰る方向が一緒だから仕方ないよね。お! 男子が手を繋ごうとしてる!」

 

 先ほどから、梓の隣を歩く男の左手が、彼女の手の近くを不自然に行き来している。

 

「頑張れ! 梓ちゃんもお前のそれを待ってるぞ!」

「えっ? 百代わかるの?」

「まぁ……勘だけどな。しかし、あの2人……何も会話してないぞ」

「そりゃ、手を繋ぐのであの状態なんだから、男の方も会話どころじゃないでしょ」

「え、でも……私達は告白からすぐにキスしたぞ」

「いやいや、俺達がそうだからといって、他の人もそうとは限らないから」

「つまり、私達の初めてキスしたときのドキドキを、あの2人は手を繋ぐ今で感じているのか!?」

「改めて口に出されると、それはそれで恥ずかしいものがあるけど、そういうことなんじゃない?」

 

 百代がハッとした顔になる。

 

「今でその状態だと、これからキスしたり[ピーッ]したりするとき、心臓がもたないんじゃないか!?」

「興奮してるのは分かるけど、過激な発言を控えなさい。でもまぁ、そういう時も心臓がバクバクするんじゃない? 今はドキドキで……」

「なるほど。一段階、上の鼓動になるわけか」

「いや知らんけども」

 

 そんな馬鹿な話で盛り上がる2人を差し置いて、遂に男が梓の手をとることに成功する。

 百代が目をキラキラさせる。

 

「おお! 名もなき男が梓ちゃんの手をとったぞ!」

「名もなきじゃなく、俺らが名を知らないだけだから、あの男子生徒にも梓ちゃんにも失礼でしょ」

「ここから見てても、顔が赤いのが分かった」

 

 手を繋いだ瞬間、2人が顔を見合わせたので、その横顔が確認できたのだ。

 凛が一度息を大きく吐いた。

 

「にしても、見てるこっちまでドキドキしてくるな」

「それになんかニヤニヤしてしまうな。私に、凛との進展を聞いてくるおばちゃんたちの気持ちがわかってしまうのが、悔しい」

「そんなことあったんだ」

「事あるごとに聞いてくるんだ。まぁ華麗にかわしてみせたがな」

 

 実際はその場にいた者にしかわからない。ただ、おばちゃんたちは百代の様子を見て、ニヤニヤしていたことだけは、ここに記しておく。

 

「私達も他人から見れば、あんな風に映ってるのかな?」

 

 百代がポツリと呟いた。

 

「どうだろう? 他人に聞かないとわからないな」

「だよな。……初々しいって言葉がピッタリだ。梓ちゃんを泣かせたら、私が許さん」

「百代は梓ちゃんの父親か。いやお姉さんかな? 実際、学園じゃお姉様みたいな扱いだし」

「それじゃあ、凛は私の彼氏だから、お兄様だな!」

 

 百代がにっこりと笑った。凛は「勘弁して」と苦笑を返す。

 

 

 □

 

 

 凛と百代はそのあとも、たわいない会話を続けながら歩いていく。前を歩いていた2人の姿は、もう見えなくなっていた。

 そして、ちょうど河川敷に差しかかったところで、聞き覚えのある声が響いた。

 

「くっそーーっ!! 噂を信じて告白したのに、失敗したじゃねえかああああっ!! 俺様の何がいけなかったんだっ!!」

 

 2人はその声に一旦足を止めたが、再び歩き出した。

 

「毎年さ、ファミリーの女子から男子にバレンタインでチョコ送ってるんだ。それで――」

「うん。百代の言いたいことはわかった。岳人にはあげてやって。俺からもお願いするよ」

 

 河川敷を離れるまで、岳人の叫び声は2人の耳に届いていた。

 

 ――――そういえば、結局この噂の元って一体なにが原因だったんだ?

 

 凛は隣でご機嫌な百代を見ながら、ふとそんな考えが頭の片隅をよぎった。しかし、特に害のあるものでもないため、彼はすぐにその考えを頭から消す。

 

 

 ◇

 

 

 それよりも遡ること数日、告白の決心がつかない梓に、友人が言った。

 

「そういえば、他の子から聞いたんだけど、モモ先輩が夏目先輩に告白されたのって、あの橋の下の河川敷なんだって、それでね……その子もそれにあやかって、そこで告白したら成功したんだって――」

 

『あの河川敷で告白したら、きっとうまくいくって』

 

 

 

 




 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
 久々に書いたので、変な所があるかもしれません。
 2月28日にはA-3の発売、とても楽しみです。別の物語で、燕とのイチャイチャも書きたかったり……未だ想像の中です。
 これからもちょこちょこ書いていくので、暇つぶしになれば幸いです。


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